学会の本尊はカラーコピーだった  13 

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824名無しさん@お腹いっぱい。
>>821-822
> 何処の誰かは知りませんが、「大石寺の板本尊」に関して「創価学会の公式見解」と言ったために、それを「嘘」と指摘しているのです。

会則に曰く「(三代会長は)この会の永遠の指導者」であると。
その「この会の永遠の指導者」が『一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりがない』と言明したのですから、それが創価学会の公式見解です。
創価学会の機関紙である聖教新聞に、『大御本尊は、【日蓮仏法】の教義の根本』と記されているのですから、それが創価学会の公式見解です。
故に、教義上の意義を消されたのは「本門戒壇の大御本尊」でありません。教義上の意義を消されたのは、「大石寺」であり日顕宗です。

> 『本門の本尊安置の所は、義理が事の戒壇に当たるので「義の戒壇」、もしくは「理の戒壇」と言われる』

本門の戒壇について、「事」と「理」の立て分けをしたのは、日蓮大聖人でも日興上人でもありません。江戸時代の法主である日寛上人です。
その意味では、この「事」と「理」の立て分けは、正確に言うなら、「日蓮仏法」というよりは「日蓮正宗の教義」でしょう。
また、日寛教学が、日蓮大聖人以来の教学であるという学術的な裏づけは存在しません。その意味では、日寛教学も「伝説」です。
君は以前、「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」というのは、日蓮正宗の教義を守らなければいけなかった時代の話だ、と言い続けてきましたね。
では、その伝説を信じる必要がなくなった現在、なぜ日寛教学という「伝説」かつ「日蓮正宗の教義」に基づいた『教学の基礎』の説明を、無批判に受け入れるのですか?
その点を説明してください。