>保守の難しい旧作品については時代劇板でも可とします。
引っ越してきました。
2006年 NHK大河ドラマ 「功名が辻」(大河通算45作目)
原作/司馬遼太郎<『功名が辻』ほかより>
脚本/大石静(『ふたりっ子』『オードリー』『アフリカの夜』『ハンドク!!!』など)
音楽/小六禮次郎(『秀吉』『さくら』『天うらら』『ちょっと待って、神様』など)
演出/尾崎充信(『ある日、嵐のように』『葵 徳川三代』『武蔵』など)ほか
制作統括/大加章雅(『こころ』『農家のヨメになりたい』『逃亡』など)
○関連ホームページ
放送前情報
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_komyo.html
○キャスト
千代(山内一豊の妻)/永井杏→仲間由紀恵
山内一豊/途中慎吾→上川隆也
<一豊・千代の家族・家臣>
五藤吉兵衛/武田鉄矢
たき(吉兵衛の恋人)/細川ふみえ
五藤吉蔵/小倉久寛
祖父江新右衛門/前田吟
ふね(新右衛門の妻)/熊谷真実
祖父江新一郎(新右衛門の長男)/浜田学
法秀尼(一豊の母)/佐久間良子
山内康豊(一豊の弟)/古澤龍之→玉木宏
不破市之丞(千代の養父)/津川雅彦
きぬ(千代の養母)/多岐川裕美
若宮喜助(千代の実父)/宅麻伸
とも(千代の実母)/木村多江
よね(一豊・千代の娘)/皆川陽菜乃→森迫永依
<一豊・千代をめぐる人々>
望月六平太/香川照之
小りん(甲賀の忍び)/長澤まさみ
堀尾吉晴/生瀬勝久
いと(堀尾吉晴の妻)/三原じゅん子
中村一氏/田村淳
とし(中村一氏の妻)/乙葉
<信長をめぐる人々>
織田信長/舘ひろし
帰蝶→濃(信長の妻)/和久井映見
市(信長の妹、浅井長政・柴田勝家の妻)/大地真央
浅井長政/榎木孝明
茶々→淀(浅井長政・市の長女、豊臣秀吉の側室)/野口真緒→永作博美
柴田勝家/勝野洋
林通勝/苅谷俊介
佐久間信盛/俵木藤太
丹羽長秀/名高達男
足利義昭/三谷幸喜
今川義元/江守徹
明智光秀/坂東三津五郎
細川藤孝→細川幽斎/近藤正臣
細川忠興(藤孝の長男)/猪野学
玉→細川ガラシャ(光秀の娘、忠興の妻)/今泉野乃香→長谷川京子
<秀吉をめぐる人々>
木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉/柄本明
寧々→北政所(秀吉の妻)/浅野ゆう子
旭(秀吉の妹、副田甚兵衛・徳川家康の妻)/松本明子
副田甚兵衛(旭の夫)/野口五郎
なか(秀吉の母)/菅井きん
治兵衛→羽柴秀次→豊臣秀次(秀吉の甥)/柴井伶太→成宮寛貴
竹中半兵衛/筒井道隆
前野将右衛門/石倉三郎
蜂須賀小六/高山善廣
福島正則/嵐広也
黒田官兵衛/斎藤洋介
前田利家/唐沢寿明
石田三成/中村橋之助
<家康をめぐる人々>
徳川家康/西田敏行
酒井忠次/森田順平
本多忠勝/高田延彦
井伊直政/篠井英介
宇喜多秀家/安田顕
小早川秀秋/阪本浩之
○各回放送予定・演出家リスト
01月08日第01回『桶狭間』………………尾崎充信
01月15日第02回『決別の河』……………尾崎充信
01月22日第03回『運命の再会』…………加藤拓
01月29日第04回『炎の中の抱擁』………尾崎充信
02月05日第05回『新妻の誓い』…………尾崎充信
02月12日第06回『山内家旗揚げ』………加藤拓
02月19日第07回『妻の覚悟』……………加藤拓
02月26日第08回『命懸けの功名』………尾崎充信
03月05日第09回『初めての浮気』………尾崎充信
03月12日第10回『戦場に消えた夫』……加藤拓
03月19日第11回『仏法の敵』……………加藤拓
03月26日第12回『信玄の影』……………梛川善郎
04月02日第13回『小谷落城』……………尾崎充信
04月09日第14回『一番出世』……………加藤拓
04月16日第15回『妻対女』………………梛川善郎
04月23日第16回『長篠の悲劇』…………尾崎充信
04月30日第17回『新しきいのち』…………加藤拓
05月07日第18回『秀吉謀反』……………久保田充
05月14日第19回『天魔信長』……………梛川善郎
05月21日第20回『迷うが人』……………加藤拓
05月28日第21回『開運の馬』……………梛川善郎
06月04日第22回『光秀転落』……………尾崎充信
06月11日第23回『本能寺』………………尾崎充信
06月18日第24回『蝶の夢』………………梛川善郎
06月25日第25回『吉兵衛の恋』…………久保田充
07月02日第26回『功名の旗』……………加藤拓
07月09日第27回『落城の母娘』…………尾崎充信
07月16日第28回『出世脱落』……………梶原登城
07月23日第29回『家康恐るべし』…………加藤拓
07月30日第30回『一城の主』……………梛川善郎
08月06日第31回『この世の悲しみ』………大原拓
08月13日第32回『家康の花嫁』…………梶原登城
08月20日第33回『母の遺言』……………尾崎充信
08月27日第34回『聚楽第行幸』…………大原拓
09月03日第35回『北条攻め』……………加藤拓
09月10日第36回『豊臣の子』……………梶原登城
09月17日第37回『太閤対関白』…………久保田充
09月24日第38回『関白切腹』……………久保田充
10月01日第39回『秀吉死す』……………梛川善郎
10月08日第40回『三成暗殺』……………梛川善郎
10月15日第41回『大乱の予感』…………加藤拓
10月22日第42回『ガラシャの魂』…………加藤拓
10月29日第43回『決戦へ』………………尾崎充信
11月05日第44回『関ヶ原』………………尾崎充信
11月12日第45回『三成死すとも』………梛川善郎
11月19日第46回『土佐二十万石』………梛川善郎
11月26日第47回『種崎浜の悲劇』………加藤拓
12月03日第48回『功名の果て』…………加藤拓
12月10日第49回(最終回)『永遠の夫婦』…尾崎充信
功名が辻自体は面白かったけど、関ヶ原前に山内一豊が
「石田殿の『義』をとるか、徳川様の『利』をとるか」と悩み、
千代からの書状を受け取り「山内家存続の為に『利』を取る」と。
主人公なんだから「義と利」で「義」を取るような脚本にしないと駄目でしょう。
コミカル家康・西田敏行
スケバンのような寧々・浅野ゆう子
9 :
名乗る程の者ではござらん:2012/09/26(水) 06:40:48.05 ID:JI6WJCR8
>>7 下総の山内一豊の陣所に千代からの文が届く
山内一豊「決断のときじゃ。(中略)毛利が二つに割れておる。石田様の義をとるか徳川様の利を取るか。これまで迷いに迷っておったが、山内家存続の為には利をとるしかあるまい。これより徳川様にお味方致す」
10 :
名乗る程の者ではござらん:2012/09/26(水) 06:46:55.82 ID:JI6WJCR8
福島の行動は理解されにくいだろうね。
結果論で豊臣家を滅ぼした徳川家と対決した三成に
正義があるように見える。
凄く単純な図式でわかりやすいし、ドラマ性がある。
11 :
名乗る程の者ではござらん:2012/09/26(水) 06:51:59.38 ID:JI6WJCR8
三成に陣羽織かけたりとか
さっさと家康についたくせに最後まで迷ってるとか
三成救出したことななってるとか
相撲大会の首謀者を架空の人物に仕立て上げたりとか
家康から「律義者」「50万石にしていい」
とか捏造しすぎw
山内一豊はなぜ「東海道を押さえてくれ」という秀吉の期待を裏切ったのか?
よくもぬけぬけと「内府殿に城をお渡しいたす!」などと抜かしたもんだよ。
最後一領具足を利用した挙句皆殺しにした後味悪いラストの記憶
その後竜馬の時代まで脈々と長宗我部勢への差別が続く土佐
武田鉄矢
2006年(平成18年)、大河ドラマ『功名が辻』で主人公・山内一豊の古参の家来・五藤吉兵衛役のオファーがあったが、『竜馬がゆく』の敵役(土佐藩上士)の先祖を演じる
ことに抵抗があり、当初は拒否したという。後にNHK側から「土佐に入る前に死んでしまう役ですから」と説得され、出演することとなった。
千代、本能寺の変を事前に察する
反戦平和主義の千代が山内一豊には「功名を」と言っていたことに矛盾が
ちょっとあったかな?この大河ドラマは。
山内一豊
・やまうち・かつとよ
・やまのうち・かずとよ
結局このドラマでは「やまうち・かずとよ」が採用された
山内一豊「ははあ。それはそれがしもそうであろうかと、ぼんやりと、考えておりました。」(TBS関ヶ原)
竹中半兵衛は死ぬまで千代を好いていた
秀吉に従い出陣し、至る所に奮戦、功あり『一豊公記』
戦国夫婦物語『功名が辻』(1966年、NET(テレビ朝日の前身) 千代:団令子、一豊:三橋達也)
国盗り物語(1973年、NHK大河ドラマ原作の一部となった、千代:樫山文枝、一豊:東野英心)
司馬遼太郎の功名が辻(1997年、テレビ朝日・東映 千代:檀ふみ、一豊:宅麻伸)
功名が辻(2006年、NHK大河ドラマ 千代:仲間由紀恵、一豊:上川隆也)
山内氏18代当主山内豊秋は、この作品を以下のように批判している(『山内一豊と千代夫人にみる戦国武将夫妻のパートナーシップ』「おわりに」より)。
司馬遼太郎さんの『功名が辻』では、愚図な駄目男とされ、土佐守になると、賢夫人のコントロールが効かなくなり、暴虐を尽くす。小説としてはおもしろいが、これでは一
豊夫妻のセールス・ポイントが消滅してしまう。一豊夫妻は一生緊密であり、夫人の政治感覚や晩年、禅の達人であることなどは別としても、一豊自体、剛将・謀将にして、
また政治・経済・農政・土木に長じ、さらに鉄砲や蹴鞠まで嗜む万能選手で、わが家の歴代ではピカ一である。難治の土佐統治も、やり抜いたと目される。小説であっても、
歴史小説であるからには、史実の中核を抹殺するがごときフィクションを記してよいものか。乃木大将の旅順攻略を、戦術の無能者として断ずることへの世人の反発ととも
に、史料不足か早とちりである。敬愛する司馬さんに盾突きたくないが、この件は先祖のために反論しておきたい。
閑散
歴史を何も知らない人には「信長→秀吉→家康」の大雑把な流れが分かる良いドラマ。司馬史観による作りは分かりやすい。
25 :
名乗る程の者ではござらん:2012/11/02(金) 21:22:23.31 ID:5Cicm+CV
民放の功名が辻、宅麻伸と檀ふみのやつ結構好きだったけどナ。
トータル安っぽい出来ではあったけど。そこが絶妙に気に入ってた。
>>24 >司馬史観www
っていうか、「功名が辻」は企画意図からして
歴史小説というより娯楽にかたむいた気楽に読める作品をってことで
司馬に依頼されたものだよ
>>25 司馬の狙いでもあった千代のすこしうっとおしい賢妻ぶりを見せるのには
元からプライド高い壇ふみのほうが雰囲気あってたよね。
千代、変事(本能寺の変)を事前に察する。
ならば信長に知らせてやれw
いいひとキャラ堀尾の中村への定番台詞「まあまあまあ」
age
倒れている明智光秀を発見した山内一豊一行
光秀を討てば大手柄なのに一豊は「何も見なかったんじゃ」と言う・・・
31 :
名乗る程の者ではござらん:2012/11/24(土) 04:52:38.35 ID:C9p7EkhJ
下総山内一豊の陣所に千代からの文が届く
山内一豊「決断のときじゃ。(中略)毛利が二つに割れておる。石田様の義をとるか徳川様の利を取るか。これまで迷いに迷っておったが、山内家存続の為には利をとるしかあるまい。これより徳川様にお味方致す」
・金ヶ崎 徳川軍5千参陣
・姉川 徳川軍5千参陣
家康本隊が織田の援軍として遠征の最中、三河・遠江を武田信玄から守っていた人(留守居の総大将)は誰だったんだろう?
>>26 檀ふみの貧乳さは異常
しかもその貧乳を晒したという・・・
寛永10年(1633年)、堀尾忠晴は死去するが、嗣子が無く堀尾氏嫡系は3代で改易となる。子孫は熊本藩や松江藩に仕えて名跡を存続させた。元NHKアナウンサーで現在フ
リーアナウンサーとして活躍している堀尾正明は子孫であると称しているが、堀尾氏の子孫を自称する会、堀尾顕彰会では認められていない。
35 :
名乗る程の者ではござらん:2012/12/03(月) 16:18:12.94 ID:+R1RRzl+
物語の序盤だったかな。
負け戦を維持で帰って来て、帰りを待つ嫁さんに「千代ー!帰ったぞー!」と叫ぶシーン。
魂の叫びみたいで震えたな。今でも凄いインパクトとして残ってる。
平清盛での盛国の抑えた演技を見る度にその事を懐かしく思うよ。
拾(のちの湘南宗化)「私が寺に送られるのは捨て子だからで御座いますか」
千代「そうです」
「そうです」と言い切ってしまった千代
山内家の足軽に預けて育てていれば、希望通りに武士になれただろうに。
ま、足軽なら戦であっという間に死んでたかもしれんしな。
人間万事塞翁馬。
38 :
名乗る程の者ではござらん:2012/12/21(金) 22:36:34.29 ID:qnI8akA8
.
>>26 檀ふみが極貧乳で梅干しのような乳首を晒していたのが
妙に印象に残っている
40 :
名乗る程の者ではござらん:2013/01/26(土) 16:11:52.27 ID:5kpGr9RO
強烈なファンも強烈なアンチもいないドラマ
でも、司馬遼太郎ファンには☆☆☆☆☆
41 :
朗報:2013/03/11(月) 10:11:14.93 ID:EgTS4IgT
4月1日からホームドラマチャンネルで再放送開始
毎週月曜の正午から二話連続放送
※初回は午後一時から一話だけの放送
大儀。
43 :
名乗る程の者ではござらん:2013/05/05(日) 15:29:41.20 ID:Wn6GO/nx
保守
録画してたの見始めたけど
オッサンのロリコン物に見える
金ヶ崎のしんがりで一豊一行からは一人も戦死者が出なかったという不思議
秀吉に従い出陣し、至るところに奮戦功あり(『一豊公記』)
秀吉の晩年の醜さを巧みに描いたドラマ
関白秀次事件なんかも秀次の言うことにも一理ある
茶々に溺れ、狂った秀吉の言動。
茶々もチョイ悪で描かれているなぁ。
大河ドラマ『功名が辻』は豊臣の崩壊過程が見事に描かれている。しかし大河ドラマ『おんな太閤記』の詳しさにはかなわない。
『おんな太閤記』は豊臣一族やその周辺人物総出だったからね。
山内一豊の若き日からの良き競争相手、堀尾、中村。
関ヶ原直前の石高は、堀尾=中村>山内
山内、堀尾、中村が秀次事件に連座しなかったのは3人とも秀次の監視役だったから、と何かに書いてあった(史実はどうだかは知らないけど…)
稲葉山城落城後の不破市之丞(演:津川雅彦)の髪型は、まるで化学実験に失敗した化学者のようだ
おんな太閤記と功名が辻の共通点
桶狭間の戦いからドラマがスタート
第12回ナレーション「(略)信玄。戦国のキーマンが今宵遂に!」
↓
↓
信玄登場せずw
国盗り物語(テレビ東京)のように信玄が息を引き取るシーンだけ登場させるという手があったと思うけど…
足軽五十石の身分の一豊の妻である千代がお市の方と交流があったという設定は少し強引か、と。
金ヶ崎の殿軍で山内一豊一行が家康に助けられたとき、「これは…後年の関ヶ原に絡んでくる」という予想は当たった。
万福丸(浅井万福丸)処刑実行者
蜂須賀小六@おんな太閤記
山内一豊@功名が辻
ドラマや小説に登場しない武将・藤掛永勝
永禄10年(1567年)ころ、織田信長に仕える。
織田氏と浅井氏との婚儀に際しては、永勝は信長の妹お市に随伴して小谷城に入る。小谷落城時はお市や浅井三姉妹を救出して岐阜城に帰参した。
日本を近代化したのは山内一豊だった!
山内一豊、土佐を与えられる
↓
長宗我部の元家臣に「郷士」として土佐に残る事を許可する
↓
郷士の中から坂本竜馬、誕生
↓
江戸幕府終了
土佐20万石ってのは、山内家が移封後に検地し直した数値であって、
家康が与えた時点では9万8千石しかなかったんだが。
20万石じゃーとかありえませんから。
地方の土佐一国9万8千石と
東海道の要所、遠江掛川5万1千石とじゃ
どうみても左遷です。本当に(ry
一豊が「ワシには千代だけじゃ」と言ったり
側室をとらなかったことを美化したり…
女向けの恋愛ドラマの要素を随所に盛り込んでいたのがイタかった。
ドラマでお馴染みのシーン&逸話(&後世の創作)
新井白石編『藩翰譜』元禄15年(1702年)
小山評定に先立ち、堀尾忠氏が親しい関係にあった山内一豊に家康の歓心を買うために
居城を献上する案を話していたが、当の評定の場でその案を一豊に先んじて提案されて
しまった旨を記載。忠氏は「日ごろの篤実なあなたにも似ない行為だ」と笑ったという。
あいみ‐たがい〔あひみたがひ〕【相身互い】
《「相身互い身」の略》同じ境遇にある者どうしが同情し、助け合うこと。また、その間柄。「武士は―」
堀尾「武士は相身互いじゃ」
名軍師の最期。
竹中半兵衛「安土様(信長)に天下はとれませぬ。今少し命がござれば殿(秀吉)が天下をとる夢を共に楽しめましたものを」
第20回
OP語り「(略)秀吉軍は危機を迎えていた」
まるで『太閤記』w
>>60 利家とまつでも側室の話はかなり美化されてる
利家には側室が50人規模でいた
松寿丸イベント
秀吉「長浜に帰って松寿丸を消せ」
「殺せ」と言わずに「消せ」と言った秀吉の機転
功名が辻が人気ないのは種崎浜の悲劇が最大の原因だろうなぁ。こればかりは山内一豊を美化できないのであった。
民放のドラマならば「土佐一国拝領」で、めでたしめでたしでエンディングにできただろうに。
>>66 利家とまつは通好みの作品だった
佐脇良之(利家の実弟)の存在を知ってる視聴者は一割もいなかったと思う
功名が辻 第21回「開運の馬」
濃姫が伴も連れずに安土城下を歩いているなんて有りえないw
しかも、千代に保護されるとは。
>>68 全然違うがな
てか、お前はそれ言いたかっただけたろ
黄金10両の馬。現代に換算すると100万円の馬を一豊がゲット
信長、濃姫、光秀の三角関係は国盗り物語と全く同じだな
糞ドラマの女信長ともな
名馬のお蔭で一豊夫婦は濃姫から砂金を貰えた
金ヶ崎で一豊に討たれた三段崎勘右衛門(みたざき かんえもん)
三段崎氏の子孫は後に医師・谷野一柏に弟子入りし、朝倉氏の滅亡後は、福井県で代々医業を生業としたという。
三段崎勘右衛門は刀禰坂の戦いで織田家臣山内一豊に挑まれ、重傷を負わすも逆に殺された。首は織田家臣の大塩正貞が取り、一豊に渡したという。
第22回に、秀吉「さすが黄金10両の馬じゃ」って台詞があるけど、
この馬はドラマに2度と登場しないのであった
秀吉が主役に見えてしまうドラマ(秀吉没後は家康)
80 :
名乗る程の者ではござらん:2013/06/03(月) 11:35:23.26 ID:YYVJEXkd
国盗り物語(大河)☆☆☆☆
国盗り物語(テレ東)☆☆☆
功名が辻(大河)☆☆☆☆
関ヶ原(TBS)☆☆☆☆☆
真田太平記(NHK)☆☆☆☆☆
特別面白いとは思わなかったが、全話完走した。
印象に残っているのは
・武田鉄矢の最期
・玉木宏のメガホン
・声が出てない舘信長
・ノリノリでハマり役の永作淀
・役不足の近藤正臣
・恵まれた容姿から糞みたいな発声の成宮秀次
・唐沢利家再登場
・西田家康の腹黒さ
・なぜか出演してる梅雀
まともな原作、まじめな脚本、奇をてらわない演出、普通の演技、
戦嫌いだけど「御武運を」と言って夫を戦場に送り出すヒロイン
21%弱の超安定無難視聴率で、空気大河といわれたけど
今となってはそれがまぶしい
ゲン助と八重の弟は馬鹿死にだな
品川徹の松永弾正や、ガラシャを介錯する小笠原少斎役の嶋田久作とか
一話限りの脇役でも魅力的な人が多かったな
放送当時はMVPスレを覗くのが楽しみだった
test
寧々「山内家はおんな大名」
影武者の存在は普通は記録に残らないが
山内一豊の場合は影武者の存在が公式に記録されている稀有な例。
土佐平定が大変だったことが想像される。
88 :
名乗る程の者ではござらん:2013/06/25(火) 21:12:03.29 ID:cM0mJipD
山内一豊をライバル視してた2人はその後どうなるの?
91 :
【大凶】 :2013/07/01(月) 14:53:18.82 ID:???
ポンポコポンポン
千代「あがろまいかーと〜んどい」
♪あがろまいか〜と〜んどい♪
これは近江の農民の歌か?
国盗り物語(大河)☆☆☆☆
国盗り物語(テレ東)☆☆☆
功名が辻(大河)☆☆☆☆
関ヶ原(TBS)☆☆☆☆☆
真田太平記(NHK)☆☆☆☆☆
葵徳川三代(大河)☆☆☆(関ヶ原と大坂の陣のみ☆☆☆☆☆)
徳川家康(大河)☆☆☆(家康を美化し過ぎ)
戦国自衛隊(映画)☆☆☆
天と地と(映画)☆☆
武田信玄(大河)☆☆☆☆☆
>>91 ポンポコポンポンで三法師をてなづけた千代
山内一豊の見せ場のひとつである「馬ぞろえ」がカットされてしまっていたのが残念
ロングバージョンってあったのけ?
ない
お命の持ち帰りこそ功名の種に御座います
100
浅井を「あざい」と発音しているところがイイ
オープニングのCGが素晴らしいね
新右衛門の三男&長女・次女・三女・四女はいつのまにか消えてしまい最終回まで登場なし
>>89を見る限り
豊臣政権下では堀尾氏や中村氏より格下だったのか?
本山一揆を鎮圧した山内一豊であったが、土佐国内には未だ多くの一揆の与党が隠れ潜んでいる
という情報が多く入ってきた。
参考
本山一揆勃発顛末
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7270.html そこで一豊は謀をなし、国中に触れをだした
『浦戸において、相撲を取らせ一見すべし!上下によらず、望み次第にまかり出よ!』
これに、男伊達するほどの者は、我も我もと馳集まった。
見物の貴賎も群集しこれを見る。
相撲始まり、上下目を澄まして楽しんでいた
と、ここに、かねてから目付けを付けて監視してあった者達で、この場に来ていた者たちへ
捕手を向け、一揆の残党七〇余人を搦め捕り、種崎の浜にて磔とした。
この時、岡豊の城下、八幡村の名主は、これも一揆に組した者であったが、相撲の場に出向かず
用心の体で自宅に取り籠っていたが、ここにも若侍を差し向け生け捕りにして、同罪とされた。
これにより悪党どもも懲り、土佐は在所在所の山の奥まで、豊かに治まったのである。
(土佐物語)
例の浦戸相撲事件ですが、土佐物語では無差別に鉄砲を撃ちかけたわけではなく、
捕物で捕らえたという、印象で言えば、鉄砲に比べれば穏健なものになっています。
>>104 堀尾、中村は「三中老」だから山内より格上
大塩金右衛門の男の気配り
元亀元年四月二十日、朝倉義景征伐のために羽柴秀吉配下として山内一豊も従軍していた。
金ヶ崎の戦において、強弓をもって織田軍勢を追撃する朝倉軍に先頭に立って進んだ山内一豊は、敵の矢を受け
左眥(まなじり・目じり)から右奥歯に貫通する深手を負いながら、
槍を振るって立ち向かい、朝倉一門の大剛三段崎勘左衛門を組みしいた。
しかし顔の重傷と疲労困ぱいのため、首級をあげる気力を失って呆然としているところを
友人で味方の兵将大塩金右衛門が通りかかって首を打ち落とし、
「加勢したまでで手柄は貴殿のもの」と言いおいて先へ進んだ。
>>106 やっぱりそうなのか
予告でやってたが来週あたりから地位の逆転おこるのかな
豊臣政権下
中村一氏:14万石>堀尾吉晴:12万石>山内一豊:5万石
かなりの差がつくんだな
中村や堀尾のどこで褒美が貰えたかも描いてくれてるといいな
土佐一国拝領後
山内一豊「いまわしには天運がついておる。鉄砲の玉とてよけて通るのではないか」
山内一豊
1570後半 播磨有年700石
1580〜1584 播磨印南3200石
1585〜1589 近江長浜3万石
1590 遠江掛川5万石
1600 土佐高知20万石
堀尾長晴
1570後半 播磨姫路1500石
1580〜1584 若狭高浜17000石
1585〜1589 近江佐和山4万石
1590 遠江浜松12万石
1600 隠居 嫡男忠氏が出雲・隠岐24万石
中村一氏
1570後半 近江長浜200石
1580〜1584 和泉岸和田石高不明
1585〜1589 近江水口6万石
1590 駿河府中17万5千石
1600 死亡 嫡男一忠が伯耆米子17万5千石
誤:堀尾長晴
正:堀尾吉晴
ドラマにおける山内一豊の石高
50石
200石
400石
3千石
3千数百石
2万石
掛川5万石
20万石
>>114 千三百石(@馬を勝った頃)が抜けていた
ドラマにおける山内一豊の石高
50石
200石
400石(中村や堀尾をリード)
千3百石(馬を買った頃)
3千石(三木城落城後。山内、中村、堀尾同時。3人同格)
3千数百石(出世脱落。中村、堀尾は早くも大名)
2万石(小牧長久手後)
5万石(北条攻め後)
20万石(関ヶ原後)
>>112-116 丁寧にまとめてくれて、ありがとう
Wikiなどを読むと関ヶ原の恩賞としてもらえたのは10万石で
家康としては土佐は10万石の価値として与えたのかな
家康が井伊直政に向って「な〜お〜ま〜さ〜、な〜お〜ま〜さ〜」と言うシーンがあるけど、家康と若き日の直政の衆道を意識した台詞だろうなぁ
>>116 稲葉山城攻めの功で50石。
三段崎勘右衛門を打ち取った功で200石。
小谷落城で400石。
ドラマにおける山内一豊の石高の推移
50石(稲葉山城落城後)
200石(金ヶ崎後)
400石(小谷落城後。中村や堀尾をリード)
千3百石(三木城落城後。山内、中村、堀尾同時。3人同格)
3千石(忘れた…)
3千数百石(出世脱落。中村、堀尾は早くも大名)
2万石(小牧長久手後)
5万石(北条攻め後)
20万石(関ヶ原後)
千石(1、000石)が現代の1億円相当(多分)
つまり50石は500万円相当。
その50石の身分のときに祖父江新右衛門の妻子8人(妻&男児3人&女子4人)を呼び寄せてしまったので山内家の生活は困窮を極めた。
一豊が、堀尾、中村に先んじて400石の身分になったときに
「400石を物見に来たか」とか「風呂を貰いに来た」とか大騒ぎになったのは
400石(現代の4千万円相当)が相当リッチだったからだと思う。
討死した五藤吉兵衛の弟である五藤吉蔵は山内家の家老となり、
山内一豊が土佐入国をした際には、安芸土居を与えられて周辺を支配した。
その後も五藤氏は幕末まで代々山内氏の家老を勤めた。
後藤象二郎は全く関係ないらしいね
ドラマにおける山内一豊の石高の推移
50石(稲葉山城落城後)
200石(金ヶ崎後)
400石(第14回『一番出世』。小谷城落城後。150石の中村や堀尾をリード)
千3百石(三木城落城後。山内、中村、堀尾同時。3人同格)
3千500石(忘れた…)
3千8百石(賤ヶ岳後。第28回『出世脱落』。中村は2万石、堀尾は1万7千石の大名)
2万石(小牧長久手後)
5万石(北条攻め後)
20万石(関ヶ原後)
長浜城番になりそこねた話があったけど、城主と城代と城番の具体的な違いって何ですか?
城代と城番は主君から預かった城であり、自分自身の城ではないということでは?
近江長浜X万石の城主=X万石は自分のもの。
近江長浜X万石の城番=X万石は主君のもの。
こんな違いじゃないかと(自身なし)
Wikiより
城代(じょうだい)とは、城主の留守中に代理として城を管理した者。
城番(じょうばん)は、戦国時代から江戸時代に掛けて城の守衛にあたった兵士、及び江戸幕府の下で城代を補佐した役職。門番頭、番手衆、在番衆とも呼ぶ。
ドラマの流れで言うと当時いくつかの城持ちになってた秀吉から城代に任じられるてことは実質城持ちになったと俺は解釈してた
もちろん見当違いかもしれない
それは城持ちではないです
今週で2万石か
ドラマにおける山内一豊の石高の推移
50石(稲葉山城落城後)
200石(金ヶ崎後)
400石(第14回『一番出世』。小谷城落城後。150石の中村や堀尾をリード)
千3百石(三木城落城後。山内、中村、堀尾同時。3人同格)
3千石(山崎の戦い後)
3千500石(時期不明)
3千8百石(賤ヶ岳後。第28回『出世脱落』。中村は2万石、堀尾は1万7千石の大名)
2万石(小牧長久手後)
5万石(北条攻め後)
20万石(関ヶ原後)
何が改定されたか間違い探しじゃw
細川家のうち江戸時代大名でなかったほうの子孫には
ガラシアの血、明智光秀の血が流れているんだよなー
「わしらが300石そこそこのとき伊右衛門は既に1、000石」
1、000石(時期不明)(中村、堀尾は300石)
ドラマにおける山内一豊の石高の推移
50石(稲葉山城落城後)
200石(金ヶ崎で三段崎勘右衛門を打ち取った恩賞)
400石(第14回『一番出世』。小谷城落城後。150石の中村や堀尾をリード)
千石(時期不明。中村、堀尾は300石)
千3百石(三木城落城後。山内、中村、堀尾同時。3人同格)
3千石(山崎の戦い後)
3千500石(時期不明)
3千800石(賤ヶ岳後。第28回『出世脱落』。中村は2万石、堀尾は1万7千石の大名)
2万石(小牧長久手後。身をていして秀次をかばった恩賞)
5万石(北条攻め後。中村は14万5千石、堀尾は12万石)
20万石(関ヶ原後)
今回は改定箇所が分かり易かったw
「山内一豊 戦場では何の功も無かったが、この一言で土佐二十四万石を手に入れた」TBS関ヶ原
中村一氏の子孫
現当主・中村義和は千葉県に在住し、分家の中村忠文(中村家の会会長)は鳥取市で中村歯科医院を開業しているという。
>佐々木一雄編中村記によりますと、一氏は天文ニ年生まれとされています。
>ですから、功名が辻の一豊とは12歳年上になります。
>ご先祖中村甚左衛門は、私の推定で天文20年頃の生まれで、禁裏北面の武士から、細川家に仕えます。
>一氏の子供は他にニ男の正吉は、肥後熊本中村家になります。甚左衛門は三男とされています。
>また、一氏の弟に一栄と右近がいます。右近の孫が歌舞伎の初代中村勘三郎になるそうです。
堀尾吉晴の歩み紹介 松江歴史館 裁断橋擬宝珠の展示も
2013.7.12 02:18
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130712/smn13071202190000-n1.htm 松江城を築城し「松江開府の祖」といわれる堀尾吉晴(1543〜1611年)の企画展「戦国武将 堀尾吉晴の軌跡」が、松江市の松江歴史館で開かれている。
吉晴の子・堀尾金助への母の気持ちが記された名古屋市指定文化財「裁断橋擬宝珠(さいだんばしぎぼし)」などを展示。15日まで。
松江城大手前広場の一角に吉晴の銅像が先月、建立されたのに併せて開催。「裁断橋擬宝珠」の銘文は、元和8(1622)年、金助の母が尾張国熱田(現名古屋市)にあった裁断橋四隅の擬宝珠に刻んだ。
この地で母に見送られ戦地に出発したが帰ってこなかった金助を思ったもので、日本女性三大名文の一つとされる。
このほか、皿などの遺物や、吉晴の戦功を記した覚書なども紹介している。観覧料は大人300円、小中学生150円。
一豊から豊範まで60点 山内家資料館で藩主展 2013年07月13日08時18分
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=304925&nwIW=1&nwVt=knd 初代一豊から16代豊範までのゆかりの品を展示した「土佐藩歴代藩主展」が12日、高知市鷹匠町2丁目の土佐山内家宝物資料館で始まった。武具や文書、絵画など約60点が並ぶ。9月23日まで。
夏休み恒例の特設展。15歳で亡くなった7代豊常の体格に合わせた小さめの甲冑(かっちゅう)、15代豊信(容堂)の白と金の数珠の柄をあしらった真っ赤な陣羽織など、藩主の好みや時代背景が垣間見える資料がそろった。
【写真】7代豊常の甲冑などが展示された土佐藩歴代藩主展(高知市の土佐山内家宝物資料館)
高浜七年祭 四百年の伝統、次代に残そう
(2013年6月27日午前9時41分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/43596.html 抜粋
6年に一度行われる福井県若狭地方最大級の祭り「高浜七年祭」(県指定無形民俗文化財)が30日幕を開ける。7月6日までの1週間、太鼓や笛の音が響き、みこしや曳山(ひきやま)が巡行、各種芸能が繰り広げられ、高浜町内は祭り一色に染まる。
始まりについては諸説ある。山内一豊が高浜城主のころ、長浜の曳山祭りを模したという説や、高浜城主・逸見昌経が織田信長の怒りを買い、謹慎を命ぜられたため、住民が昌経を慰めようと始めたという説も。
曳山祭りを模した説については、浅野長吉が長浜から高浜に国替えになった際に持ち込んだという話もある。いずれにしても、四百年以上の伝統がある祭りだ。
永作博美の淀は好演なんだけど、
夏目雅子の淀(大河ドラマ徳川家康)や
池上季実子の淀(大河ドラマおんな太閤記、TBS大型時代劇スペシャル・「徳川家康」)
に比べると1ランク落ちる感じだ
>>139 第28回33分あたり
山内一豊「あの頃秀吉様はまだ足軽でござった。それがしは20石であったが(後略)」
第43回22分あたり
井伊直政「お言葉ながら僅か6万石の小勢では先陣と言うても」
↓
NHKが「掛川5万石」と「掛川6万石」どちらを採用しているのか不明
ドラマにおける山内一豊の石高の推移
20石(仕官時、スタート)
50石(稲葉山城落城後)
200石(金ヶ崎で三段崎勘右衛門を討ち取った恩賞)
400石(第14回『一番出世』。小谷城落城後。150石の中村や堀尾をリード)
千石(時期不明。中村、堀尾は300石)
千300石(三木城落城後。山内、中村、堀尾同時。3人同格)
3千石(山崎の戦い後)
3千500石(時期不明)
3千800石(賤ヶ岳後。第28回『出世脱落』。中村は2万石、堀尾は1万7千石の大名)
2万石(小牧長久手後。身をていして秀次をかばった恩賞)
5万石or6万石(北条攻め後。中村は14万5千石、堀尾は12万石)
20万石(関ヶ原後)
土佐郷士(土佐藩)
関ヶ原の戦い以前に四国を支配していた長宗我部家の旧臣一領具足層を懐柔するため郷士に取り立てた。
一方、掛川衆や山内侍と呼ばれる上士は、山内一豊が掛川城主だった時からの家臣や、土佐入封前に大坂牢人を取り立てたものである。
土佐藩における郷士は、武士とはいえ他藩に比べると徹底した差別下にあったため、土佐藩上士とは同じ藩士でありながら潜在的には対立、敵対関係にあったとされる。
幕府や藩の権威が衰えた幕末には、土佐郷士の多くが尊皇攘夷運動に身を投じた。
著名な人物には、土佐郷士をまとめ土佐勤王党を結成した武市瑞山(半平太)や、海援隊の結成や薩長連合の斡旋、大政奉還の実現に尽力した坂本龍馬、初代衆議院議長の中島信行がいる。
藩には土佐郷士の懐柔政策の一つとして、特別な家系や功績によっては上士扱いの白札とする制度があった。武市半平太は白札であった。
>>150 山内一豊公初領地、近江唐国400石。
史実のままに三段崎勘右衛門を討ち取った功で400石で『一番出世』としたほうが
インパクトがありそうだが、脚本家の思惑が何かあったんだろうなー。
このドラマだと浅井攻めの功で400石にしてしまっているのがチト残念。
ちなみに山内一豊と堀尾吉晴は、石高で終始リードする堀尾を山内が追いかける関係だった。(織田家に仕官したのは一豊よりも堀尾のほうが遥かに早く、堀尾が先輩格)
堀尾吉晴は最初から一豊よりも格上です。
年齢も一つ上、信長に仕えたのも先、秀吉付きになったのも先、戦の采配の評価も上、なので石高も常に上でした。
中村一氏は戦上手として知られ、最初は一豊や堀尾よりも石高は低かったようですが
一向一揆の鎮圧などで武功を重ね、急速に出世していきます。
>>153 >>154 こうして読むと堀尾吉晴、中村一氏も興味深いね
大河でももう少し掘り下げてくれてたらと思うが数字取れなくなってしまうかな
ロンブー敦は仲間に近づくために出たんだよな
堀尾吉晴(ほりおよしはる)…生瀬勝久(なませかつひさ)
一豊の親友。一豊と同世代の武将で、同じく信長・秀吉に仕え出世を競う、サラリーマン社会になぞらえればいわば一豊の「同僚」。
その誠実な人柄は衆目の一致するところで「仏の堀尾」とあだ名される一方、本能寺の変の後の山崎の戦いでは天王山を制するなど武勲も高く、
豊臣政権の三中老の一人となる。一豊との友情は終生変わることがない。
中村一氏(なかむらかずうじ)…田村 淳(たむらあつし)〈ロンドンブーツ1号2号〉
NHKドラマ初出演。一豊の「同僚」。信長・秀吉に仕え、怜悧な切れ者として知られるが、一豊や堀尾には熱い一面を見せたりもする。
秀吉から「自分が考えていた通りのことを、指図する前にやっている」と評価され、小田原城攻めの後の論功行賞では、一豊 掛川五万石、堀尾 浜松十二万石に対し、
中村は駿河十七万五千石をあて行われ、出世競争では一歩リード。豊臣政権を支える三中老の一人となる。
信長ファン、秀吉ファン、家康ファン
光秀ファン、竹中半兵衛ファン、三成ファンらに支えられ
『功名が辻』は視聴率で健闘したのである。
平均視聴率20.9%(視聴率は関東地区・ビデオリサーチ社調べ)
>>158 あと濃姫ファンや寧々ファンや細川ガラシヤファンや淀ファン
さらぬだに うちぬるほどの 夏の夜の
別れを誘う ほととぎすかな
市
山内家先代当主に司馬さんは、
「あれは若い時に書いた物だから、(大河にするには)書き直したいと思ってるが、時間がない」
と、仰ったそうだ。
このドラマの井伊直政には猛将の「も」の字もない。
本多正純と錯覚する井伊直政になってるな。
細川ガラシャの最期をしっかりと描いている作品
関ヶ原(1981年 TBS)
葵徳川三代(2000年 大河)
功名が辻(2006年 大河)
.
166 :
名乗る程の者ではござらん:2013/07/26(金) 18:27:59.53 ID:aLgNNagB
>>155 堀尾や中村の活躍を描くと…
「一豊は出世レースで終始堀尾、中村にリードされてるじゃんw」
って、ばれてしまうから無理ですw
第1話で描かれた、桶狭間の戦い(1560年)の時点で、メインキャラが、実際には何歳だったのかを、列挙してみましょう。
江守徹氏の、今川義元 41歳
館ひろし氏の、織田信長 26歳
柄本明氏の、木下藤吉郎 23歳
西田敏行氏の、徳川家康 18歳
上川隆也氏の、山内一豊 15歳
…に、西田敏行氏が、じゅうはっさい…
(山内一豊の生年には諸説ありますが、1545年説に拠りました。)
しかしのう。一豊、たったの15歳で、単身、信長に対峙していくなんて、当時の男はハー、かっこいいぜ。信長も、こうして見ると、実年齢、若いよなあ。
かなり平均年齢の高いキャスティングだ。反射的に『葵 徳川三代』の悪夢がよぎる。
さらに見進めて、歴代秀吉が揃っていることに気がついた。
『おんな太閤記』の西田敏行、『徳川家康』の武田鉄矢、『利家とまつ』の香川照之と早々たる顔ぶれ。
そして今度の秀吉=まだ藤吉郎役である柄本明の登場となるのだが、馬で行く信長(舘ひろし)の後を走って追いかけるシーンには大いに気の毒になる。
語り(三宅民夫アナウンサー)「群雄割拠の戦国時代。当時最強と噂されていたのが武田信玄。
様々な陣形や軍政をしき、常勝軍団を率いた伝説の大名だ。
信玄は徳川幕府に受け継がれる軍学を築き、最強軍を形成していた。
(中略)様々な部隊や戦法を用いた信玄。戦国のキーマンが今宵遂に!」
信玄登場せず…。
信玄の挙兵に乗じて信長に反旗を翻す足利義昭(三谷幸喜)と
それをいさめようとする明智光秀(坂東三津五郎)が対決するシリアスなシーンでも、
どうしたことか義昭は随所にかわいらしさを発揮して笑いをとる。足利氏滅亡。
浅井の豪族・宮部善祥房のもとに一人で乗り込んだ秀吉(柄本明)は甥・治兵衛(柴井伶太)を人質に出す条件で、織田方に寝返らせることに成功。
浅井長政の嫡男・万福丸の命を助けることを秀吉に約束させ、小谷城を出ることを承知したお市だったが、結果的に万福丸は信長の命により、一豊の手で磔刑に処される。
そのことに涙する一豊を励ます千代の健気さよ。
あれほどお市には黙っていると言っていたのに、万福丸の死をもらすあたりもらしいと言えばらしい。
吉兵衛「なるほど四百石を物見に来たというわけか。よ〜く見ていけ」
とし(中村の妻)「我ら150石では大したお祝いもできませんが」
秀吉は琵琶湖畔に長浜城を築き、光秀に続いての城持ち大名となる。
一豊は四百石に加増、千代の生まれ故郷の近くに新しい家を賜るも、風呂掃除を欠かさぬ千代の働き者ぶりは変わらず。
百五十石据え置きの堀尾茂助と中村一氏はそんな一豊の出世が面白くない。
そんな夫たちの思いを知ってかしらずか、いとととしは引っ越し祝いを口実に、趣のある湯殿で昼っぱらから湯浴み。
そのことに対する堀尾、中村両家の反応は正反対で、一氏はとしを叱りつけるも、茂助はその後いとと一緒に湯殿を借りに行く朗らかぶり。
茂助といとが一緒に湯浴みするラストシーンのほのぼのしさは捨てがたいところ。
なか(菅井きん)の登場シーンは、泥だらけに畑仕事をしている様がまさか秀吉の実母とはわからずに、というこれまでに何回も見たようなお決まりパターン。
なか「うちの寧々さんは、きつうて、きつうて」
千代「うちの寧々さん?」
なか「うちの寧々さんだがね。日吉の嫁の」
千代「秀吉様の御幼名は確か…」
一豊「日吉じゃ」
ドラマでは不破市之丞(演:津川雅彦)には子がなかったことになっているけど
実際は実子・不破重正がいて、山内家の家臣となった。
その点から考えると千代を養女としていたのは史実のようだ。
中村一氏の妻・としが男子を出産。
1年ぶりに六平太が姿を現したちょうど時、タイミングよく産気づいて千代もそれに続いて女子を出産。
しかし、一豊は転戦につぐ転戦で長浜には帰れず。娘・よねとの顔合わせはその1年後って、やっぱり戦国の世は大変だったんですね。
「生きていること自体がつらいこと」と嘆くようなキャラクターゆえに、光秀(坂東三津五郎)は女に人気がある
清州会議後の領地配分を図解した地図がどこかにないかな?
第28回『出世脱落』
秀吉が普段「かんべえ」と言っている黒田官兵衛のことを一回だけ「かんぴょうえ」と言ったけど何気に細かい部分がよく出来てるドラマだと思った。
秀吉が官兵衛に当てた書状に「かんぴょうえ」と書いてあるものがある。
宣教師ホアン・ロドリゲスが記した『日本小文典』。「kwanbyoue yoshitaka」=「くぁん『びょうえ』よしたか」
>>178 賎ケ岳の戦い―「秀吉vs勝家」覇権獲得への死闘 (歴史群像シリーズ 15)
↑の付録
山内一豊が仕えた主君
浅井新八郎→前野長康→牧村政倫→山岡景隆→織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀次→豊臣秀頼→徳川家康
家康と旭姫はやったのかな?!
>>182 家康は律儀につとめたwww(by TBS関ヶ原)
家康、恐るべし
秀吉「光秀殿が援軍に参られるのか。わしとお主で(…)ヒヒヒw」
光秀「うぬっ…お主何たることを!」
秀吉「お主は武田攻めでの御折檻、丹波で母堂を…の数々をお忘れかな?」
光秀「…わしには出来ぬ」
秀吉「さようか。まあよくよくお考え召され。」
光秀「…」
秀吉「…キンカン頭の石頭めがw乗って来い乗って来い…そしてお前を討てば天下はわしの物、という寸法じゃw」
(以上5月17日〜27日の間の秘密会見)
秀吉「一刻も早くお館様御自らのご出陣をいただきたく…」
信長「…猿め!○日の内に安土を発つと(ry
秀吉「お館様が安土を発たれる。殿の傍にはお主しかおらぬゆえ…かねてからの…の時は今じゃ」
光秀「…敵は本能寺にあり!」
秀吉「ハゲめ!やりおったわw笑いが止まらんw」
「あの稀代の不忠者を討つのだ!お館様の敵を討つ!我等は正義の軍ぞ!」
186 :
185:2013/07/31(水) 19:07:34.41 ID:???
誤爆
山内、堀尾、中村の3人の中で堀尾吉晴、中村一氏は生駒親正とともに豊臣政権での三中老(五大老と五奉行の間の調整役)でした。
そして3人に田中吉政・一柳直末を加えた5人は豊臣秀次の宿老でした。
山内一豊と堀尾吉晴の父はともに岩倉織田氏の重職であり同僚でした。
2人とも主家が滅んだ後に浪人したので、秀吉の家臣になったのも同時期で、年齢も1つ違いでした。
中村一氏は生年不詳ですが死亡した年からすると3人とも同年代であったようです。
そしてなによりも3人に共通する歴史的共通点は、関ヶ原の時点で、3人とも東海道沿いの領主であったことでしょう。
山内一豊は遠江掛川5万1千石、堀尾吉晴は遠江浜松12万石、中村一氏は駿河駿府14万石でした。
家康が下野から畿内で挙兵した石田三成と雌雄を決する為に、東海道を登るには3人の領地を抜けなければなりません。
3人とも秀吉恩顧の大名で、もしも家康が大坂に攻め上る場合には、家康の旧領に連なる3人が各々の城に立てこもり、秀吉が軍勢を整えて来るまでの時間稼ぎをする役目がありました。(実際には役に立ちませんでしたが・・・)
そんな3人なので仲も良く情報の交換なんかもしてたようですね。
>>167 ちょっと出てすぐ消える今川義元役に江守徹さん起用とは豪華ですな
>>182 「旭に子が生まれても徳川の世継ぎにはさせぬ」という条件を付けたうえでの
婚儀承諾だったから、肉体関係はあったと想像される
そんな条件あったのか?まじで初耳
家康の将軍任官と同じ慶長8年(1603年)、池田輝政が右近衛権少将に任じられているが、
これは「豊臣朝臣輝政」としての任官である。
また同年山内一豊が従四位下に叙せられ土佐守に任官しているが、
これも「豊臣朝臣一豊」としての叙任である。
また、これも慶長8年(1603年)のこと、加藤清正主計頭から肥後守に転任しているが、
同時にそれまでの「平朝臣清正」から「豊臣朝臣清正」である。
武断派が徳川将軍に対して対決姿勢を示しているのである。
しかし、その後、有力親豊臣大名は次々と死去していくのである。
大河ドラマ春日局の小山会議のシーン
一豊の出番なしw
193 :
名乗る程の者ではござらん:2013/08/10(土) 00:41:35.35 ID:e1d34EvM
日本の母、佐久間良子の名演技
そんな異名があったのか
春日局(大河ドラマ)
おふく(のちの春日局)の8歳の息子が竹千代(のちの三代家光将軍)の小姓として取り立てられ、いきなり500石。
功名が辻で400石(@一豊)がいかに裕福であるかを知っているので、8歳で500石とは…将軍家は違うと思い知らされた。
功名が辻を見て以来、他のドラマで禄高が台詞やナレーションで出てくると、チェックする癖がついてしまった。
>旭(旭姫)
30過ぎれば「おしとね辞退」という習慣があったんだよ。当時は。
それが43だからなw
家康が呆れたのも無理ねえや。
「葵徳川三代」では「御器量芳しからず」っつってた。
ブスだったらしいw
「徳川家康」(大河ドラマ)を久しぶりに見てみた
山内一豊「内府!我らは掛川6万石の総勢 残らず引き連れて参りまする。
それゆえ城には内府御家臣のうちより城代を入れ、戦いが済むまでお預かり頂きたい」
山内一豊@小山会議
1位 TBS関ヶ原
2位 功名が辻
3位 徳川家康
山内家:おんな大名
京極家:ほたる大名
筒井道隆の台詞棒読みが竹中半兵衛のおとなしいキャラにぴったりしているという配役の妙
200石頂戴仕り候
>>195 四百石や五百石というのは現代人の想像以上にリッチですからな。
歴代織田信長マイベスト3
1位:役所広司(「徳川家康」)、2位:藤岡弘(「おんな太閤記」、「春日局」)、3位:舘ひろし(「功名が辻」)
大河で信長を演じた役者
・太閤記(1965年 演者:高橋幸治)
・天と地と(1969年 演者:杉良太郎)
・国盗り物語(1973年 演者:高橋英樹)
・黄金の日日(1978年 演者:高橋幸治)
・おんな太閤記(1981年 演者:藤岡弘)
・徳川家康(1983年 演者:役所広司)
・武田信玄(1988年 演者:石橋凌)
・春日局 (1989年 演者:藤岡弘)
・信長 KING OF ZIPANGU(1992年 演者:緒形直人)
・秀吉(1996年 演者:渡哲也)
・利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年 演者:反町隆史)
・功名が辻(2006年 演者:舘ひろし)
・風林火山(2007年 演者:佐久間二郎)
・天地人(2009年 演者:吉川晃司)
・江〜姫たちの戦国〜(2011年 演者:豊川悦司)
舘信長は意外と良かったな
佐久間良子
「おんな太閤記」夫・秀吉死後出家
「春日局」娘の結婚後出家
「功名が辻」出家
本能寺の信長様がかっこよすぎたので
舘ひろしに惚れました
竹中半兵衛が千代に惚れていたという設定は強引杉w
毎回のようにお市に気に入られまくる戦国大河
若干一名は除く
本能寺の変の直後の秀吉の家族の逃避行を描いている大河ドラマ
「おんな太閤記」、「功名が辻」
歴代大河 信長 vs 光秀
1965 太閤記 高橋幸治 vs 佐藤慶
1969 天と地と 杉良太郎 vs
1973 国盗り物語 高橋英樹 vs 近藤正臣
1978 黄金の日日 高橋幸治 vs 内藤武敏
1981 おんな太閤記 藤岡弘 vs 石濱朗
1983 徳川家康 役所広司 vs 寺田農
1988 武田信玄 石橋凌 vs
1989 春日局 藤岡弘 vs 五木ひろし
1992 信長 緒形直人 vs マイケル富岡
1996 秀吉 渡哲也 vs 村上弘明
2002 利家とまつ 反町隆史 vs 萩原健一
2006 功名が辻 舘ひろし vs 坂東三津五郎
2007 風林火山 佐久間二郎 vs
2009 天地人 吉川晃司 vs 鶴見辰吾
2011 江 豊川悦司 vs 市村正親
秀吉が登場する『大河ドラマ』一覧
放送年(作目) 番組名 秀吉を演じた人
1965年(3) 太閤記 緒形 拳(※主役)
1969年(7) 天と地と 浜田光夫
1971年(9) 春の坂道 中村芝鶴
1973年(11) 国盗り物語 火野正平
1978年(16) 黄金の日日 緒形 拳
1981年(19) おんな太閤記 西田敏行
1983年(21) 徳川家康 武田鉄矢
1987年(25) 独眼竜政宗 勝新太郎
1989年(27) 春日局 藤岡琢也
1992年(30) 信長 KING OF ZIPANGU 仲村トオル
1993年(31) 琉球の風 仲村トオル
1996年(35) 秀吉 竹中直人(※主役)
2002年(41) 利家とまつ〜加賀百万石物語〜 香川照之
2006年(45) 功名が辻 柄本 明
2009年(48) 天地人 笹野高史
2011年(50) 江〜姫たちの戦国〜 岸谷五朗
「内府」と呼ばれたことのある人たち
織田信雄
豊臣秀吉
徳川家康
内府 織田信雄 大河ドラマ功名が辻
内府 豊臣秀吉 大河ドラマ徳川家康
内府 徳川家康 枚挙にいとまなし
内府は内大臣の唐名(中国風の呼び方)。
右大臣は右府(例:織田信長)、左大臣は左府。
では、太政大臣は太府か?といえば、そういう言い方はしません。
太政大臣の唐名で、今日、一般的なのは、相国です。
秀長、秀次の所領はその後どうなったんだ?
>>217 秀次の所領が誰に渡ったのかは不明。
天正19年1月22日(1591年2月15日)、豊臣秀長は大和郡山城内で病死した。享年52。男子がいなかったため、家督は養嗣子になっていた甥(姉・智の息子、秀次の弟)の秀保に継がせた。
しかし、その秀保が若くして変死して「大和豊臣家」は断絶した。
余談
秀長の養子・秀保の変死には異説として秀吉の謀略説がある。
秀次事件
山内一豊には咎めはなく、逆に改易の際の秀次への使者を務めた功績で8千石を加増された。(ドラマでは加増なし)
豊臣秀次
九州征伐では京都の守りに残ったが、天正18年(1590年)の小田原征伐にも参加し、山中城攻撃では大将となり城を半日で陥落させた。
戦後、移封を拒否して改易された織田信雄の旧領である尾張国・伊勢国北部5郡などに100万石の大領を与えられた。
>>56 万福丸(浅井万福丸)処刑実行者
蜂須賀小六@大河おんな太閤記
山内一豊@大河功名が辻
蜂須賀小六@寧々〜おんな太閤記(テレ東)
秀次の石高
近江国蒲生郡八幡山城(現在の近江八幡市)に43万石
↓
尾張国・伊勢国北部5郡などに100万石
↓
関白就任、?万石
山内家の拾いって本当にいたのか?
晩年に再会するシーンがあったんだっけ?
再放送では〜紀行がないのが残念
著作権の問題等で放送に無理なのか・・・
ドラマでは、種崎浜事件の後、湘南が土佐に来て千代と再会
千代は、山内一豊が1605年に土佐で死去すると、後を養子の忠義と実父の康豊にまかせ半年後には京の妙心寺近くに移り住んで、余生をずっと京都で過ごした。
妙心寺には山内夫妻が養育した捨て子の「拾」(出家して湘南宗化)がおり、そばで暮らしたかったからと思われる。
尚、湘南は山内夫妻によって土佐の高知の寺の住持も兼任している。
千代(見性院)は、1617年12月31日(元和三年十二月四日)京都で没した。
特にこれといった死因は伝わっていないので、事故や事件ではなく病気などで死亡したものと推測される。
天正13年11月29日の夜、江州地方を襲った大地震によって、一粒種の「よね姫」を死なせてしまった。
翌年、山内家の京都屋敷の門前に捨て子があった。千代夫人はこれを引き取って、拾と名付けて養育した。
拾君は10才の時、頭を剃り、山内家連枝という身分で仏門に入り、よね姫の墓のある妙心寺本山で、南化国師の弟子となって、
拾君は長して、一代の学僧となり湘南和尚と称した。山崎闇斎はこの和尚の弟子である。
大河ドラマ「功名が辻」と大河ドラマ「春日局」の接点
wikiで発見
山内一豊の弟・山内康豊の娘が稲葉正成の継々室となっていた
>>217 豊臣秀次の近江国蒲生郡八幡山城時代の所領は石田三成(近江佐和山)らの各大名に。
尾張国・伊勢国北部時代の所領は福島正則(尾張清州)らの各大名に。
一領具足の長たちを虐殺させた一豊(上川隆也)。激しく反発した千代(仲間由紀恵) は浦戸城を出、
京から呼び寄せた僧の湘南、かつて長浜で育てた拾とともに、吸江庵という荒れ寺で暮らし始める。
一豊にとって千代のいない毎日は空虚そのもの。晩節を汚し、かけがえのないものを失ってしまったことを悔やむ。その苦しみを理解する湘南。
自分の犯した罪を嘆き、最も悩んでいるのは父上ではないか、と千代に語る。
土佐藩の上士と郷士の差別は特異で幕末まで続いた。
反省したと言うより一豊は腹黒。
日本を近代化したのは山内一豊だった!
山内一豊、土佐を与えられる
↓
長宗我部の元家臣に「郷士」として土佐に残る事を許可する
↓
郷士の中から坂本竜馬、誕生
↓
江戸幕府終了
初回視聴率は5年ぶりの20%割れとなる19.8%であった。しかし、以降は持ち直してほぼ毎回20%以上をキープし、
平均視聴率は20.9%(関東地区)を記録した。
4年ぶりに20%を超え、国民的な人気がある作家ながら大河ドラマでは低視聴率という司馬作品のジンクスを破った。
功名が辻もスイーツといわれてたけど、江(ryと比べてしまうせいか、普通にちゃんとしたドラマに見えるね
仲良しの中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊で大名家として続いたの山内家だけなんだよなぁ・・・
あの三人の並びは結構好きだった。
と言うか豊臣恩顧の武将で幕末まで生き残ったのって数えるほどなのでは?
七本槍もことごとく折れまくったし
>七本槍もことごとく折れまくったし
「七本槍」&「関ヶ原寝返り組」の脇坂がちゃっかり明治まで存続
仏の堀尾吉晴「戦場(いくさば)では相身互いじゃ」
一豊「かたじけない」
相身互い
同じ境遇にある者どうしが同情し、助け合うこと。また、その間柄。
○関連書籍(すべて税込み)
原作
「功名が辻」 文春文庫 全4巻 各570円
その他題材となりそうな司馬作品
「国盗り物語」<3><4> 新潮文庫 740円,900円
「新史太閤記」<上><下> 新潮文庫 各660円
「播磨灘物語」<1>〜<4> 講談社文庫 各660円
「豊臣家の人々」 中公文庫 920円
「関ヶ原」<上><中><下> 新潮文庫 各740円(下巻は700円)
「戦雲の夢」 講談社文庫 680円
「城塞」<上><中><下> 新潮文庫 各780円(上巻は820円)
「女は遊べ物語」(「司馬遼太郎短篇全集」第4巻所収 文藝春秋 1,800円)
ガイド本
NHK大河ドラマストーリー「功名が辻」前編 日本放送出版協会 1,050円
功名が辻 2005年NHK大河ドラマ完全ガイドブック 東京ニュース通信社 980円
別冊ザテレビジョン NHK大河ドラマ「功名が辻」 角川書店 1,100円
時代考証担当 小和田哲夫氏による概説書
山内一豊と千代 日本放送出版協会 1,365円
賢妻・千代の理由 日本放送出版協会 1,470円
山内一豊 負け組からの立身出世学 PHP新書 798円
山内一豊のすべて 新人物往来社 2,940円
山内一豊関連Q&A
Q1山内一豊の名字は「やまのうち」と読むのでは?
A1残ってる資料や子孫の方々のお話などいろいろな事から「やまうち」が有力です。
また名前については「かつとよ」説が近年有力となってきていますが、「かずとよ」の
ほうがなじみがあることから、山内家子孫の方からOKをもらって「やまうちかずとよ」
との読みを使用するとのことです。
(詳しくは、「時代劇マガジンvol.13」(辰巳出版、1,575円)で大加CPのインタビューを参照のこと)
Q2山内一豊は土佐長宗我部の一領具足たちをだまし討ちして虐殺した悪人だ!
A2原作の司馬氏は、長宗我部氏や郷士階級の出身である坂本龍馬を題材にした
小説も書いていることから、土佐入国後の一豊に関しては批判的です。
ただし、一豊と同様に統治が難しい領地を与えられた結果、その統治に失敗して
改易された外様大名がいたことを考えるとやむを得ない部分もあるとしています。
また、半農半兵という一領具足の特色が、兵農分離という時代の流れと衝突した
こともこうした悲劇の一因といえます。
どちらの立場に立つかによってものの見方は変わってしまいます。こうした歴史的
事実の一点のみをとらえてどちらかを一方的に非難することは、ドラマの内容を語る
というスレ本来の趣旨から外れるばかりか、荒れる原因となって無駄にスレを消費
することになるので、日本史板の該当スレやアンチスレなどでやってください。
なお一領具足虐殺をドラマ内でどう扱うのかについては、「司馬遼太郎ふたたび」
(文藝春秋、1,000円)での大石氏の寄稿「大河ドラマ『功名が辻』の裏話」でも触れ
られていますので興味のある方はどーぞ。
(秀忠のイメージが強い)西田家康は想像以上に良かった
小早川秀秋(春日局) → 宇喜多秀家(葵) → 豊臣秀吉(利家とまつ)→六平太(功名が辻)
大河ドラマ「徳川家康」を見ていると
歴史はここまで美化できるのか、と呆れてしまう
「功名が辻」の家康がイメージとしては丁度いい
私的に理想な家康像となっている作品
・関ヶ原(TBS)
・葵徳川三代
・功名が辻
>>251 山岡荘八徳川家康は 徳川の御用学者でも ここまで美化できない と言われたほどの作品ですからな
家康が右大臣に昇進した後の「右僕射」という官職名は後に大坂冬の陣のきっかけになっています。
秀吉の霊を弔うために豊臣家が方広寺の鐘に「君臣豊楽 子孫殷昌」と彫ったのですが、徳川幕府はこれを「豊臣を君とし、子孫の殷昌(繁栄)を楽しむ」、
奉納者として彫った家康の名前「右僕射家康公」を「家康公を射る」と読み、『家康を呪っている』碑文である、と言いがかりをつけたのです。
o 竜馬がゆく(1968年) - 久坂玄瑞役
o 勝海舟(1974年) - 徳川慶喜役
o 黄金の日日(1978年) - 津田宗及役
o 徳川家康(1983年) - 大久保長安役
o 独眼竜政宗(1987年) - 徳川家康役
o 八代将軍吉宗(1995年) - 徳川綱吉役(兄長門は徳川光圀役で出演)
o 葵徳川三代(2000年) - 徳川家康役
o 武蔵 MUSASHI(2003年) - 本阿弥光悦役
o 功名が辻(2006年) - 不破市之丞役
「淀の方様にだけ子供が出来るのは奇妙」
秀吉の側室松の丸殿(京極竜子@功名が辻には登場せず)は
武田元明との間に2男1女をもうけた。
秀吉の側室となってからは子ができなかった。
>>257 武田元明は本能寺の変後、明智に味方した数少ない武将の一人ですな
秀吉には長浜の城主時代に二児が出来た記録がある
2人とも幼少で死んだらしいが
>>259 「二児」は初耳だけど、一人は、初代秀勝(夭逝)。
宝厳寺の「竹生島奉加帳」には「御内方」(正室の寧々)、「大方殿」(母の仲)に続いて「石松丸」、「南殿」の名が記されており、
これは秀吉の子とその母である側室であると推定される。
また、滋賀県長浜市の妙法寺には羽柴秀勝像とされる六、七の男児を描いた肖像画が所蔵されていた。
これは焼失し現存していないが、法要用の掛け軸「本光院朝覚居士絵像」の写真が残っている。
柄本秀吉「なぜわしらには子が出来ぬのじゃ?」
浅野寧々「私はお前様以外試したことがない」
みたいな会話があったなw
秀吉の側室から、伊達政宗の側室になった女性(囲碁の賭けで)とかは子供が出来ていたり、
京極龍子などは側室になる前に、子供を生んでいたり、秀吉の側室を辞した前田利家の娘も
その後、貴族に嫁いだ際に子供ができたいたりするので、精子などに問題があった可能性はあります。
江戸時代、(豊臣sageで)秀頼非実子説
明治維新(アンチ徳川)で実子説
1945年の終戦以降、両論混在
266 :
名乗る程の者ではござらん:2013/08/31(土) 23:19:34.75 ID:Tr9t5KZm
>>231 ということは、山内家と春日局の間に交流がありそう
土佐は9万石と思って与えてみたら検地で24万石だったという話は真実なのかな
太閤検地の立場がないが
町作りと領地経営に心血をそそいだ掛川6万石から、
プラス3万(のつもり)で離れ島四国の、しかも「敵地」への移封なら論功行賞ではなく家康の嫌がらせだろう
このドラマの本当の内助の功は六平太
三成へのインタビュー
Q.捕らえられた心境は?
A.まだ実感ないな
Q.なぜ、この時期に関が原の合戦を起こしたのか?
A.オレ流のサプライズや
Q.豊臣家の一部から批判も予想されますが?
A.言いたいことがあったら言ったらええ、人それぞれ、いろんな見方があるからな
Q.西国の大名からも失望の声が上がっていますが?
A.それぞれ判断基準があるからな。 でも、オレは豊臣家を守るだけやから
Q.最後に諸国の民に一言お願いします。
A.どんなもんじゃ〜〜〜〜い!!
小早川秀秋の死因って
1 酒の飲みすぎ
2 狂い死に
3 宇喜田の旧家臣による暗殺
4 徳川家の暗殺
とか、いろいろ説があるな。
小早川秀秋→備前(宇喜多旧領):最悪
山内一豊→土佐(長曽我部旧領):最
桶狭間で今川義元に一番槍をつけた服部小平太って秀次の奉行やってて切腹させられてるんだね
中村一氏…駿府15万石(家康の旧拠点)
池田輝政…吉田15万石
堀尾吉晴…浜松12万石(家康の旧拠点)
田中吉政…岡崎10万石(家康の旧拠点)
山内一豊…掛川6万石
有馬豊氏…横須賀3万石
26回功名の旗
主人公の「山内一豊、千代夫妻」にとっては
信長の死より、いつも側にいた吉兵衛の死は
耐え難いものに違いない。
山内家にとっては本能寺と吉兵衛の死は同程度の重みが
あると判断して2週かけて描いたのだろう。
一豊にとって「母のような存在だった」のはもちろん
千代にとっても口うるさい義母のような存在だった吉兵衛。
よねまで「吉兵衛しっかりしなさい」と母と一緒に恋愛を応援する
ところまで描いておいて、戦場で殉職。
本能寺の最大の見所は
信長が頚動脈切るまでの、異様に長い時間。
織田信長も人の子。 死は怖かった。
首を斬るまでに、躊躇していた。
鉄砲に撃たれて、「痛い」と弱音を吐いてる。
彼もただの人間だった ということを、はっきり描写した。
こういう 本能寺の信長は珍しい。
戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 山内一豊 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就
(5)その他 細川藤孝 黒田如水
>>277-278 戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就
(5)その他 細川藤孝 黒田如水
斉藤洋介
o 獅子の時代(1980年) - 末吉 役
o 武田信玄(1988年) - 丹波弥十郎 役
o 翔ぶが如く(1990年) - 板垣退助 役
o 炎立つ(1994年) - 九条兼実 役
o 功名が辻(2006年) - 黒田如水 役
o 龍馬伝(2010年) - 小栗忠順 役
>>271 春日局では宇喜多浪人に襲われ死亡との設定。
個人的には狂死の可能性が高いと思っています。
>>273 服部小平太
今川義元に一番槍をつける戦功をあげた。しかし、義元の反撃を受けて膝を斬られたので、首級を挙げたのは助太刀に入った毛利良勝であった。
桶狭間の戦い以降は織田氏の配下として目立った活躍は知られていない。
小田原征伐の戦功により、天正19年(1591年)に松阪城主に抜擢されて伊勢国一志郡に3万5000石を与えられ、同時に当時、尾張・北伊勢の支配した羽柴秀次に付けられた。
文禄元年(1592年)、文禄の役において漢城に従軍。文禄4年(1595年)の秀次失脚に連座して所領を没収され、上杉景勝に預けられた後、切腹を命じられた。
>>274 家康の西上を防ぐために配置された東海道の豊臣恩顧の諸侯たちが
全員、徳川(東軍、関東勢)に味方したから
秀吉は…あの世で泣いていたかもね
>>280 武田信玄(1988年) - 丹波弥十郎 役
武田信玄のときは台詞一回だけの出演だったから、出世したものだ(功名が辻で官兵衛役)
>>276 余が神である、と言っていた信長が「痛いの〜」と言ったときに
信長は自分が普通の人間であることを自覚(?)した
三原じゅん子(現:参院議員)は「ファイト」で好感度アップしたよね。
おしゃべり好きで世話焼きでちょっと抜けてる気のいい奥さんのイメージが出来てる。
いい人選だと思った。
287 :
昔の記事:2013/09/01(日) 23:44:24.75 ID:???
土佐藩(山内家)は関が原の西軍の大名の元家臣を多く取り立てたようだね。
>>279 俺の尊敬する尼子経久も入れて欲しいです。
「功名が辻」は一豊と千代をモデルにした時代小説。史実を踏まえている部分も
あるが司馬氏の新聞小説。だから六平太とかオリキャラも出ている。
逆に実在した一豊の母親が原作に出てこないので、大河では法秀尼として佐久間良子さんという大女優を起用した。
戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就
(5)その他 細川藤孝 黒田如水 尼子経久
尼子経久は北条早雲と並ぶ下剋上の典型であり、毛利元就や宇喜多直家と並ぶ謀略の天才とも云われ、「謀聖(ぼうせい)」「謀将」と称された。経久、元就、直家はよく中国の三大謀将と称される。
戦国期に一気にのしあがった大名は
(1)信長チルドレン 前田利家 豊臣秀吉
(2)秀吉チルドレン 福島正則 加藤清正 石田三成
(3)すかんぴんから下克上 斉藤道三 北条早雲
(4)マイナー大名から下克上 織田信長 徳川家康 毛利元就 尼子経久
(5)その他 細川藤孝 黒田如水
甲賀出身の忍びの者、こりん=長澤まさみ
敵方の諜者として一豊に接近、
そうとは知らない一豊は只ならぬ関係を結び軍略上の機密事項をもらしてしまう。
一豊の裏表のない真っ直ぐな気性に惚れ込み、武士をやめて自分と逃げるよう誘ったりする。
若さと生命力で一豊を翻弄し、その登場は千代と一豊の夫婦関係にも波乱を巻き起こす。
山内の郷士差別は、身分社会の江戸時代と言うことを差し引いて
も惨かった。
でも、郷士たちに倒幕派が多かったから、明治維新後は土佐藩は
勝ち組になれた訳で。
板垣伯は、上士ながら郷士に対する差別意識の少ない人物で、
自分の娘を二人も郷士と結婚させているよ。
同じ四国の徳島藩も土佐藩と似たような状況で。
徳島藩主蜂須賀家 外様。佐幕派。稲田家の家臣を陪臣として差別。
同藩筆頭家老稲田家 淡路島を支配。殿様も家臣も倒幕派。
蜂須賀家と稲田家の対立から、淡路島は兵庫県に編入された。
関ヶ原本戦では目だった武勲を上げていないことが、山内家のコンプなんだが、史実を曲げて、関ヶ原で大暴れさせるくらい描いて欲しかったものだw
江〜姫(ryの歪曲ぶりを思えば、それくらいやっても良かったのでは、と最近よく思う
桶狭間 1560年基準
信長26歳(舘ひろし 55歳)
藤吉郎24歳(柄本明58歳)
帰蝶・濃姫25歳(和久井映見 35歳)
一 豊 1 5 歳(上川隆也 40歳)
お 市 1 3 歳(大地真央 49歳)
ね ね 1 1 歳(浅野ゆう子45歳)
千 代 3 歳(永井杏13歳)
補足
秀吉とかだって実際の産まれた年はさだかじゃないんだから。ましてや一豊の実際の年齢なんてわかりようが無い
秀吉だらけの大河ドラマ
武田鉄也 (大河 徳川家康)
西田敏行 (大河 おんな太閤記)
香川照之 (大河 としまつ)
>>292 謀聖ってなんか凄い名称だな
邪も極めれば聖人となるみたいな感じか
>>293 光あれば影がある
(1)あなたが踏み台になったから大名
大内(陶)氏、今川(駿河)氏、武田氏
(2)なんか残念のうちに滅亡してしまった大名
北条氏(超残念筆頭)、朝倉氏(浅井に隠れて映像化されず)、蘆名氏
(3)どこに行ってしまったの?大名他
龍造寺氏、大友氏、織田信雄、丹羽(長重)氏、柴田勝豊、石川数正、濃(姫)
>>301 >朝倉氏(浅井に隠れて映像化されず)、
功名が辻でも朝倉の滅亡は省略されましたw
見せ場は髑髏かな
>>303 お市の方「喜んで盃をあおるサル!そなたが一番醜い」
長浜城を明け渡して秀吉に降参した柴田勝豊
勝家が同じ養子の柴田勝政を優遇して自分を冷遇することと、従兄にあたる佐久間盛政と仲が悪いことなどもあって、12月に羽柴秀吉の家臣・大谷吉継の調略を受けて、長浜城ごと羽柴方に寝返った。
しかしすでに病を得ていたため、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは家臣を代理として参戦させた。賤ヶ岳の戦いの直前、京都東福寺にて病死した。享年28。勝家滅亡の8日前のことであった。
武田鉄矢が話しているのを聞くと、
金八が説教しているようにしか聞こえない・・・orz
秀吉は最高!としまつの香川を超えたかも
史実の秀吉は猿というより貧相な面構え故、はげネズミだったらしいが
功名が辻の秀吉はちゃんと貧相な顔で非常に良かった
そろそろ禿ネズミと呼ばれる秀吉がみたい
割合に堅実に作っていて好感が持てた。「戦は嫌い」という
台詞も、目の前で母親ころされたんだから納得がいく(なん
でもかんでも反戦台詞は嫌だという似非右翼の神経逆撫で
したろうけど)。
俳優の年齢がふけすぎという声もあるが、人気だけの未熟者
並べられるよりゃマシ。武田鉄矢、前田吟の家臣団も、お笑いだけ
の義経郎党よりは、ベテランだけに落ち着いて見てられる。
としまつのときより戦国の雰囲気が良く出ていたと思う
秀吉が猿顔なのはいいが、あまりにご高齢なので、
駆けずり回ってる姿が痛々しいやら、笑っちゃうやら。
大地真央いいなあ。
ガキの頃、「武田信玄」の里美に密かに恋してたのを思い出しました・・
千代の両親って3歳の時に死んだのか
大変だな
ほんと柄本の秀吉よかった
年齢がキツイだろ、と思っていたのに途中から気にならなくなった
まさに若き日の藤吉郎のイメージそのものだった
東海道一の弓取り1号・・・今川義元
東海道一の弓取り2号・・・徳川家康
義元も元康も
海道一の弓取り、または
東海一の弓取りであってる
一般的には
海道一の弓取り…今川義元
東海一の弓取り…徳川家康
だけどな
前田吟が蜂須賀小六に見えてしょうがない
香川照之が籐吉郎に見えてしょうがない
武田鉄矢が金八先生に見えてしょうがない
佐久間良子がねねに見えてしょうがない
年齢が高い人が若い役からこなすのはしょうがないけど
和久井お濃を姉と呼ぶ大地お市はきつすぎる。
大地真央の顔に皺がないのにビックリした。
上川と柄本が良かった。
佐久間先生もさすが。
香川と和久井もいい味出していた。
ムック68〜69頁より抜粋
館ひろし「時代劇だからといって重々しい信長はやりたくないんですよ」
「アーサー王みたいな信長を演じてやろう、と思っています」
「本能寺のシーンをどう演じるかはまだわからないのですが、
もしかしたら信長は笑ってしまうのでは、とも思うんです」
豊臣秀頼はどう見ても実子じゃないよなw
よくドラマや小説で大名が「家臣、領民を『守る』ために云々」と言うけど
領民にとっては、税率が低い大名なら誰が領主でもいいんだよねwww
天正10年の「武田攻め」がまさにそれ。
重税に苦しんでいた信濃の民は織田を解放軍として迎えた。
勝頼が重税を課したのは兵力維持の為だったけど
その兵たちが織田による武田攻めで逃亡・・・してしまった。。。
何だかんだで何年かぶりに見続けられそうな大河だったよ。
前田吟と武田鉄也の家臣コンビが良いね。
一豊と家臣二人のやりとりや空気がいいな
実際死んじまったら山内家再興とか出世どころじゃないからな
ちゃんと後継ぎがいるならともかく
勝ち戦には命をかけるが
劣勢になったら結構あっさりと逃げたり裏切るのも戦国武士
「命の持ち帰りこそ功名の種」とはいい台詞だ
夫の無事を祈るは人情
やっぱ、お市=大地、お濃=和久井、おね=浅野に違和感。
お濃=浅野、おね=和久井にしたほうがまだ良かったと思うんだけど。
浅野のおねは見た目や背丈で違和感があったが
お濃=浅野にするのもどうかと思うな
おねはやっぱり沢口かな
沢口もイメージちょいと違うんだがな
明智から毛利への密使は斬られるのがデフォと化してるなw@「功名が辻」「春日局」etc...
甲斐武田家最大版図は信玄期ではなく勝頼期(120万石)
↓
長篠の戦い
↓
ドラマでは武田攻めは数秒で終わってしまったが描いて欲しかった
我、人に媚びず
富貴を望まず
黒田官兵衛
功名が辻は六平太が影の主人公だったと思う
全国でも一人か二人の意見ですな
宅麻伸と木村多江と江守の出番があれだけなんて勿体無い
個人的には和久井が見られたのは良かった。
この人は若い頃から息の長そうな役者の匂いを感じさせてたし。
美濃の重臣といえば 「美濃三人衆」 が有名だが、それに 不破光治 を加え、「西美濃四人衆」 と称する場合もある。
つまり彼は、美濃三人衆 に並ぶ斉藤家の中心人物の一人だった。
歴史小説などでは 「不破 市之丞」 の名で登場することもある。
斉藤家の滅亡後は 織田家 に仕えるが、美濃三人衆 とは別に活動していたようで、「将軍・足利義昭」 が織田家を頼った際にはその出迎えに向かっており、礼儀作法などに長けていたと思われる。
その後、浅井・朝倉家 との戦いや、「越前(近畿地方の北方)」 の 「一向一揆」 の鎮圧戦などで活躍、越前が織田家の重臣 「柴田勝家」 の支配になるとその配下となり、同じ勝家配下の 「前田利家」 「佐々成政」 と合わせ 「府中三人衆」 と呼ばれるようになる。
「本能寺の変」 で 信長 が急死した後はそのまま 柴田勝家 に従うが、勝家 は 秀吉 と戦った 「賤ヶ岳の戦い」 に破れ自刃。
以後は 秀吉 の配下となった。
蜂須賀小六の経歴は、
「寛永伝」という史料では1560年に信長に仕え出してすぐに桶狭間で活躍。
その前の経歴は、犬山城主織田信清→岩倉城主織田信賢→斉藤道三に仕える。
組織の中で生きる一豊と組織に縛られない六平太の生き方の対比が作品のキモの1つ
武田と前田吟は全く問題なし。シリアスもコミカルもはまる人たちだから
脇にはもってこい。
桶狭間の戦い(1560年)当時
今川 義元42歳(没年42歳、江守徹62歳)
柴田 勝家39歳(没年62歳、勝野洋54歳)
蜂須賀小六35歳(没年61歳、高山善廣39歳)
織田 信長27歳(没年49歳、舘ひろし55歳)
豊臣 秀吉24歳(没年62歳、柄本明58歳)
山内 一豊16歳(没年61歳、上川隆也40歳)
濃 姫 26歳(没年??:歳、和久井映見35歳)
於 市 14歳(没年37歳、大地真央49歳)
寧 々 12歳(没年76歳、浅野ゆう子45歳)
千 代 *4歳(没年61歳、永井杏13歳・仲間由紀恵26歳)
一豊は堀尾吉晴・中村一氏等と共に秀次の宿老
(他に田中吉政・一柳直末)。
秀次政権が確立すればおそらく政権の中枢。
ちなみにこの5人は関ヶ原では全員東軍。
前田吟と武田鉄也が名コンビだよな、あの二人目当てで見てた。
五藤吉兵衛討死後は寂しくなった。
あ、長篠合戦が「鉄砲による勝利」という虚構は歴史関係の人間の間では
もう誰一人信じるものがないくらい完膚なきまでに破壊された幻想。
簡単に言えばにらみ合いに持ち込みたかった武田軍を野戦に持ち込み、
先鋒同士の争いがほぼ一日続いた。そのために戦力比がほぼ三倍の数の
織田軍の方が優位になり、勝ち目がないと見た武田軍が撤退を始めたものの
地形不案内で追いつかれたり道を失ったりして多くの犠牲を出した、という
だけの合戦。ざっとポイントを挙げると
・当時織田軍は組織的な鉄砲部隊窪を持っていない。全部寄せ集め。
・したがって「組織的連射」などできていない。
・そもそも「3000丁の鉄砲」という記述は江戸時代に改竄された
資料によるいわば捏造。
・武田軍の武将で鉄砲柵近くで死んだ武将は一人だけ。あとの武将は
みな設楽原から遠く離れた山道で死んでいる。
・武田軍の死者の死因で一番多いのが川にはまっての溺死。
次が山に迷い込んで脱出できなくなっての餓死。
信長の夫婦喧嘩の仲裁は大河版「国盗り物語」が一番説得力があった。
太地喜和子@ねねの可愛さが自然にそのエピをいかしていた。
身分の高い女性を側室にした秀吉に掴みかからんばかりに泣きながら
詰より信長に直訴する可愛さ。この手紙がなければその後の信長の
評価は違っていたであろうとナレ―ションは語っていた。
織田は、三河は徳川にまかせて
美濃斉藤攻略して、伊勢北畠へ養子送り込みで
裕福になり、兵農分離できたんだろうな。
三河は愛知用水ができるまでは、砂漠同然の荒地。
刈谷・安城・岡崎の矢作川両岸ぐらいしか農業活動できなかった。
三河でおいしいところは、酒井氏が持っていたので
家康は苦しい立場が続いて、織田から同盟で兵を出せでは
大変だったろうな。
347 :
名乗る程の者ではござらん:2013/09/14(土) 23:51:32.97 ID:gB9BxoyC
youkuで功名が辻を見てるけど中国語の字幕に誤訳がいろいろとある。
漢字だからある程度わかるんだけど、中華人はこのドラマおもしろいんかな?
>>347 コメント欄に日本語で書いている人たちがいるけど中国人には理解できないのではないかと。
コメント欄の中国語を見ると「不快(?)」と見える文字があるので、アクセスはするけど日本の作品は不快で見ない、という意味なのかな?
朝日姫(旭姫)
家康「いやー、あれはひどかった」TBS関ヶ原
語り「御器量芳しからず」葵徳川三代
竹生島奉加帳に、秀勝(石松丸)と南殿の名前があることから、秀勝=秀吉の実子だと推測されてるだけじゃ?
長浜の妙法寺に秀勝の墓があることについて、小和田哲男氏は、秀勝の戒名は子供につける戒名なのか、どうか疑問視してるらしいね
亡くなったとされる秀勝の年齢と秀吉の北近江拝領の時期を考え合わせれば
南殿の連れ子の可能性だってあるのに、ひたすらまず秀吉の子ありきなのがな
アバンタイトルに出ていた「曲事の由、御逆鱗なされ」
信長公記 十巻(天正5年)で
八月八日、柴田修理亮、大将として、北国へ御人数出だされ侯。滝川左近、羽
柴筑前守、惟住五郎左衛門、斎藤新五、氏家左京亮、伊賀伊賀守、稲葉伊予、不
破河内守、前田叉左衛門、佐々内蔵介、原彦二郎、金森五郎八、若狭衆、賀州へ
乱入、添川・手取川打ち越え、小松村、本折村、阿多賀、富樫の所々焼き払ひ、
在陣なり。羽柴筑前、御届をも申し上げず、帰陣仕り侯段、曲事の由、御逆鱗な
され、迷惑申され侯。
堀尾忠晴
忠氏が急死して5歳で家督相続
その際に家督を奪われそうになるが祖父の吉晴が阻止
美少年だったらしく、前田利常(マッチョ)と衆道関係だった
嗣子無し断絶
中村一忠
関ヶ原の直前に一氏が死んで11歳で家督相続
讒言を信じて筆頭家老の横田村詮を誅殺して
村詮の家臣と内戦状態にまで発展(米子騒動)
堀尾吉晴の救援で鎮圧したが、その後酒に溺れて20歳で死去
嗣子無し断絶
国盗り読んでたから明智のシーンが全く同じで嬉しかった。
筒井も大河で自分の居場所を見つけたようだな。
江守・西田のように。
山内一豊の父親(岩倉織田家家老)を信長が滅ぼすシーンを何故いれなかったのか疑問。一豊の弟だって、重要なキャラなんだし。
子千代はちょっとウザかった
まあ脚本の問題なんだろうけど
清洲城のほうが清須城よりメジャーだと思うんだが、なぜ清須城というテロップなんだろう。
当時は清須だからでしょ
「おんな太閤記」は、「功名が辻」の浅野ゆう子よりも〜っと若いうちから、佐久間
良子(当時50代)がやった。
佐久間は1939年生まれでおんな太閤記は1981年
>>341つづき
本能寺の変(1582年)当時の役年齢とキャストの実年齢の比較
信長48歳(舘ひろし 55歳)
藤吉郎45歳(柄本明58歳)
帰蝶・濃姫47歳(和久井映見 35歳)
一 豊 38歳(上川隆也 40歳)
お 市 35歳(大地真央 49歳)
ね ね 33歳(浅野ゆう子45歳)
千 代 26歳(仲間由紀恵 26歳)
壇ノ浦の戦い(1185年)当時の役年齢とキャストの実年齢の比較
源義経 27歳(滝沢秀明 23歳)
武蔵坊弁慶 20〜30歳 (松平健 52歳)
静御前 18歳 (石原さとみ 18歳)
常盤御前 47歳(稲森いずみ 33歳)
源頼朝 38歳 (中井貴一 44歳)
北条政子 28歳(財前直見 39歳)
後白河法皇 58歳(平幹二朗 72歳)
自分を愛してくれる3人の男達(一豊、六平太、竹中半兵衛)を手玉に取り
幸せ街道まっしぐらを目指す千代が主役の「巧妙が辻」
芸術センス
利休>信長>>>>|越えられない壁|>>>>>秀吉>>>家康
柄本秀吉面白い
秀吉が主人公だったら柄本はアクが強すぎるが
脇役として良い感じ
原作通りに信長が岐阜を拠点にした頃から始めると
信長の桶狭間・美濃攻略、秀吉の墨俣・竹中説得
という戦国時代大河ドラマとしてあまりにおいしすぎる名場面を使えないからなぁ
ただでさえ原作が短いからこれらを使いたいって気持ちはわかる
でもその代わり半分「国取り物語」化してしまってるよね
一豊と千代が合間合間にチョロチョロっと出てきてる感じだ
年齢設定的にかなり無理のある二人のラブロマンスをやらなきゃいけんし
結婚するまでに4話も費やさなきゃならんし
・・・って逆か
二人のラブロマンスを描きたいから桶狭間の頃からやってんのか
やっぱり恋愛結婚じゃないと視聴者にウケないから?
2000年が葵 戦国
01年 北条時宗 鎌倉
02年 とし松 戦国
03年 武蔵 江戸初期
04年 新選組 幕末
05年 義経 平安末期
06年 功名 戦国
一豊の華々しい(?)対決
@金ヶ崎城攻め:朝倉家武将 三須崎勘右衛門、弓矢の上手。一緒に谷から転げ落ちたら三須崎は頭をぶつけ、鎧通しで突きとどめをさす。
A姉川の合戦:浅井家武将 鬼頭三郎兵衛義兼、小具足術を使う。歩卒の伊作と吉兵衛が組み付いてしとめる。
B小谷城攻め:浅井家武将 草野河内守義仲、馬術の輪乗りの名人で得物は大薙刀。馬上で組まれたとき一豊は短刀を馬に刺し、二人とも落下。新右衛門が草野の頭を槍で殴り、弱ったところを一豊がとどめ。
C備中高松城の戦い:毛利家武将 宍戸修理良近、得物は来国俊の槍。馬当てで落馬させて討ち取る。
>>366 江本の秀吉は完全に錦之助の「尻くらえ孫一」や信長映画で
中村嘉葎雄が演じている秀吉のコピーだな
本人も嘉葎雄を尊敬してるって言ってるし
>>370 >C備中高松城の戦い:毛利家武将 宍戸修理良近、得物は来国俊の槍。馬当てで落馬させて討ち取る。
黒田官兵衛「おっ、敵将落馬!」ってシーンには元ネタがあったのか。
津川がどうしても徳川将軍の誰かに見えてしまう
秀吉&家康の「陣羽織イベント」の元ネタ
「徳川実紀」
「東照宮御実紀附録巻五」
「・・・・君(家康)その時殿下(秀吉)の召されし御羽織を某(家康)にたまわらんと宣へば、
秀吉これはわが陣羽織なり。進らすることかなわじといふ。
君御陣羽織とうけたまはるからは猶更拝受を願ふなり。
家康かくてあらんには、重ねて殿下に御物具(甲冑)着せ進らすまじと宣へば、秀吉大によろこばれ・・・」
ドラマでは語りの一言のみの三方ヶ原の戦い。織田の援軍の将に諸説有り
信長公記 - 佐久間信盛・平手汎秀・水野信元
松平記 - 佐久間信盛・平手汎秀・水野信元・林秀貞
明智軍記 - 佐久間信盛・平手汎秀・林秀貞・滝川一益
総見記 - 佐久間信盛・平手汎秀・林秀貞・毛利秀頼・稲葉良通
田丸忠昌は美濃岩村城主。蒲生氏郷の妹婿で、秀吉政権下では氏郷の与力となっていた武将です。
氏郷没後、蒲生家は、下野宇都宮に減転封されたので、石田三成などが推挙して独立。岩村城4万石を領したそうです。
もうここまできたら、当然恩義ある三成についたとしか思えませんよね。
でも、このとき、本人は家康にこう言って軍を離脱したそうです。
「三成ごときが内府どのに刃向かうなどと笑止千万ではございますが、三成は秀頼様を擁しておりますれば、ここは内府どのにお味方は出来申さず。」
つまり、三成というより、豊臣家に恩義があるということのようです。とはいえ、家康を前にしての発言なので、ちょっと遠慮したところもあるかもしれないですが…。
しかも忠昌は、この発言を軍議の席上で堂々と言ったといいます。周りが、福島正則の言葉に同調して、「わしも」、「わしも」と言っているなか、「わしは西軍につく」と言うんですから、相当の覚悟ですね。
ちなみに、家康はそれを聞いても、まったく気を悪くすることはありませんでした。まあ自分で「西軍についたって恨みには思わないよ」と言っているのだから、
怒る方が筋違いですが、家康はむしろ忠昌のその忠義の姿勢を賞賛して、「はなむけじゃ」と言って刀を一振り与えたそうです。
忠昌は、関ヶ原の本戦に参戦していたもののあえなく敗走したそうです。
西軍についたのだから当然所領は没収。戦後の処分は越後に流罪でした。さすがに戦後は容赦なく処分されたわけですな。
忠昌は赦免されたあと、蒲生家に戻ってきて、蒲生秀行の客将として遇されたそうです。
拾(ひろい)のエピソードは、千代が当時参詣していた妙心寺の門前で拾い、約10年間手元で養育した後に妙心寺に預けられ、
後に「湘南和尚」という高僧になった人物がモデルになっています。
千代が捨て子を拾ったのが天正15年という記録がありますので1587年になります。
正確な養育期間は定かではありませんが、10年とすると、山内家を出たのが1597年となりますが、
山内家を出て出家したのが慶長元年(1596年)という記録もあります。
関白秀次が出家し切腹に処せられたのは、文禄4年(1595年)ですから、拾の出家より、関白秀次の失脚の方が2〜3年は早かったと思われます。
拾は、一豊・千代夫妻が帰依していた妙心寺の高僧南化元興国師に預けられて学僧となって湘南和尚と称します。
山内一豊が土佐に領地を与えられると、土佐に招かれて吸江寺を復興します。
一豊の死後、千代は妙心寺の近くに移り住み、余生を過ごすのですが、
この頃には、湘南和尚は妙心寺の南隣院に大通院を開山することを許されるほどの高僧となっており、晩年の千代と深く交流しました。
千代の死後は妙心寺の一豊・千代夫妻の霊廟を守ったという記録が残っています。
記録に残る限り、山内一豊には側室はいなかったしその形跡も見当たらないです。
ただし、捨て子として門前に捨てられていた湘南宗化が山内一豊夫妻が引き取って育てるなど、捨て子とは思えないほど可愛がられ、その後の扱いも最上級の扱いだった事を考えると、彼が山内一豊が外で生ませた隠し子だったという説も完全には否定できません。
ただ、見性院は夫の一豊が死んでしまうとさっさと土佐を離れて、京の湘南宗化が居る寺の近所に引越して死ぬまで暮らしましたから、湘南宗化が一豊が一豊の隠し子であったとしても、見性院にすらばれなかったということになるのではないでしょうか。
山内一豊は秀吉恩顧の中で家康に付いたのが池田と同じくらい早いよな。
あのまま豊臣政権に残ったところで良い事なんて一つも無いしな。
土佐一国なんて夢のまた夢。
秀次が秀吉死後も生きて豊臣政権で重きをなしてれば山内の境遇も
大きく変わってただろうけど。
堀尾吉晴の官位は「従四位下、帯刀先生」
つまり、
堀尾帯刀先生吉晴
なんかぴんとこない名前
ここには戦国史に詳しそうな人がいるみたいなのでお尋ねしますが
家康は何か意味があって姓を徳川に変えたのでしょうか?
「洞ヶ峠」で日和見とか、勝敗や運命の重大な分かれ目「天王山」の戦いとか
ネーミングがいいよねー
もしもこれが逆だったら、
・天王山で日和見
・洞ヶ峠が勝負の分かれ目
・・・となってしまい後世に伝わる言葉にはならなかった
>>383 もともとは得川と書いてトクガワでした。その後松平になり、家康が徳川を名乗りました。分家の松平氏が一向一揆の味方にまわり、大変な思いをさせられたので、うちが本家だ!ということを示すために徳川を名乗ったのです。
その後、家康は一向一揆を制圧し、分家の松平家を家臣にしました。
そのため、江戸時代にも、本家+御三家 が徳川を名乗り、分家が松平という格付けのために使い分けられました。
徳川家康が松平姓から徳川に姓を変えたのは主君として自立性を図るためです。
今川から独立した段階では松平家は他の松平を名乗る分家の力も強く宗家の権威は弱かったのです。
朝廷に三河守任官と徳川への改姓を礼金を出してまで願ったのは権威を高め統制力をつけるためです。
もともと家康の祖父の清康やそれ以前から祖先は関東の上野の出で三河に流れてきて松平家に婿入りしたという伝承があったそうです。
その話には上野でも得川という土地が祖先でも出身地で史実でも新田氏の分家に得川氏という家があり当然、源氏の系統であったので祖先は遡れば新田氏ひいては源氏の一門であるという解釈が成されたのです。
「得川」が「徳川」に変わったのはより良い字を使いたかったからでしょう。
松平氏は本来は氏は賀茂氏でしたがそれとは別に家康も三河守任官時は藤原氏で申請しており改姓では源氏に変えたのです。
戦国時代には系図の創作がよく行われたので家康が都合よく使い分けても違和感はなかったそうです。
改姓には2つの理由があります。
理由の1つは永禄7年、家康は三河の国を事実上支配下に置いた事で、
朝廷に三河の領主である事を認めてもらい、それに相応しい官位が欲しかったと言う事です。
ですが松平家は土豪、官位は貴種(名門)しか貰う事の出来ないので、松平姓のままでは官位を得る事は難しく、
そのため近衛前久に間に入ってもらい、神祇官の吉田兼右に家康の希望に沿う姓を探してもらった結果、「徳川」と言う姓が家康の希望に適うものだったので、
それで改姓の勅許を得て同時に従五位下・三河守に叙任されました。
三河守はかつて三河を領有していた今川義元と同じ官職であり、これにより名実共に三河の領主であると示したのです。
2つ目は徳川に改姓する事で松平姓との家格の違いを表すためです。
家康が徳川に改姓した当時の松平氏は14〜16家に分かれ一門衆的な同盟関係で結ばれていました。
家康が徳川に改姓する事で他の松平一族との家格の違いを示し、
松平一族との関係をそれまでの同盟関係から徳川と松平との主従関係へと変えようとしたのです。
元康から家康への改名ですが、家康は8歳から12年間を今川家の人質として駿府で過ごしました。
元康の「元」は今川義元から一字拝領したもので、それは松平家が今川家の支配下にある事を示していました。
永禄3年今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた時、家康は義元の子・氏真に「義元の弔い合戦をするように」と進言しますが氏真は動きませんでした。
氏真が一向に動かないので、家康は家臣からの進言もあり今川家と断交し、織田信長と和睦し同盟を結ぶ道を選びました。
なので家康の元康から家康への改名は、今川家との決別を意味したものと思われます。
尚、家康は「源義家」を尊敬していたそうで、「家」の字はその「義家」から採ったものとされています。
なかなかの役者揃ってる。
こうでなきゃ大河ドラマは。
平和主義は、家康にやがて仕える伏線
やっぱり、ジャニタレや学会タレを追い出すと
これほど清清しいドラマになるのか
というのを痛感したよ
舘ひろしは流石に男が光ってる!
柄本の怪しさもたまらん!
筒井、棒読みだっていいじゃないか〜!
香川に男の哀愁を感じた!
仲間の演技に不安感を持っていたが、全然オッケ〜!見直した。
上川も一豊のマイナーさをうまく表現出来てない?控え目で目立ってない。
武田鉄矢や前田吟もいい味だしてる!
これで恋愛ドラマ臭が弱くなればなぁ…
千代(幼少期)はお姫様じゃなく、生活力のある庶民に近い子として描かれていた。
法秀尼のところにいても常に手を動かしてる働き者の子という描写で、
ああいうたくましい雰囲気は現代の子供にはなかなか出せないと思う。
津川さんと多岐川由美の元で姫っぽく育てられて仲間になったと補完している。
子役の時期が長いと大人へのイメージついて難しいから似た子が選ばれるけど、
子役の出番がそれほどない場合はあまり似てない子でも演技力で選ばれる。
功名では、たった2回の出演だからそれほど外見の相似は重要視してないっぽい。
原作通りに信長が岐阜を拠点にした頃から始めると
信長の桶狭間・美濃攻略、秀吉の墨俣・竹中説得
という戦国時代大河ドラマとしてあまりにおいしすぎる名場面を使えないからなぁ
ただでさえ原作が短いからこれらを使いたいって気持ちはわかる
でもその代わり半分「国盗り物語」化してしまってるよね
一豊と千代が合間合間にチョロチョロっと出てきてる感じだ
年齢設定的にかなり無理のある二人のラブロマンスをやらなきゃいけんし
結婚するまでに4話も費やさなきゃならんし
・・・って逆か
二人のラブロマンスを描きたいから桶狭間の頃からやってんのか
やっぱり恋愛結婚じゃないと視聴者にウケないから?
キャストの年齢が高すぎて違和感が、と言われてるが
岐阜時代から始めれば信長も秀吉もすでに30代
舘や柄本で貫禄ある芝居をしてもいいだろう
市もねねも大人だ
大地や浅野が10代前半の娘役をするほどの違和感はなかったはず
もっと仲間に似ていて、かつ永井杏なみの演技ができる子役がいなかったのかと
いえば、いたと思う。恐らく今は子役のキャスティングも、いろんなしがらみが
あるんだよ、きっと。第1候補を他のドラマに取られたのかもしれないしね。
俺は、永井は与えられた仕事をきちんとやったと思う。それは認めてやりたいね。
別に不細工だろうと華がなかろうと
演技さえ上手ければいい役者だよ
まぁ華がない役者は所詮「名脇役」とか呼ばれるのがせいぜいで
主役にはなれないけどな
一方、仲間みたいに顔がいいだけの大根でも
人気が出、視聴率を取り、大河の主役になれるのがこの世の中
美人の仲間が演じる役の子役の最低条件は可愛くて華があること
演技力はあるにこしたことはないが仲間自体が大根だから
子役はなんじゃこりゃと思ったが、実質1回で消えたから別にどうでもよかです
土佐に元々いた長宗我部とかいうのもあるし南国土佐高知の人はどういう感じで見たのかな???
坂本竜馬とかも郷士の出だろ?
坂本マンセーな人は山内一豊けしからんなのかなとかそこらへんが気になる。
武田鉄也が密かに山内一豊実は大嫌いです、とか白状したらおもしろいけど。
>武田鉄也が密かに山内一豊実は大嫌いです、とか白状したらおもしろいけど。
>>14参照
大河では秀吉&ねねが関わる話だど見るけど、いつもどんな夫婦像なのかと楽しみにしてる自分みたいなのもいますよっと
ねねに「子を生んでくれ」なんて切ないセリフだよな…
沢口@ねねの時は流産で生めなくなった話があったが…
浅野ゆう子は昔は綺麗だったよね。
浅野温子の方が好きだったけど。
>>398-399 「山内容堂・・・郷士・・・坂本・・・」と、俺は海援隊と
名づけるくらい坂本ファンなのに、山内家の家臣なんて絶対やらない!と言ったものの、
土佐に入る前に、一豊に手柄を立てさせるために壮絶な討ち死にをする人の役なので、
というNHK説得に納得したとか。
五藤吉兵衛の子孫の人と会った時に、格好よく死んで下さいとリクエストを受けた。
なんと、以前に刑事モノのロケで後藤さんの家を借りた事があり、縁を感じたそうな。
ちなみに、その五藤さんは、吉兵衛の奮闘等でもらった土地で、今でもそこで本屋さんを
営んでいるそうだ・・・
武田はおーい竜馬の時、山内家の子孫の人から「あんまりだ」って苦情受けたんだっけ?
まあ司馬が創作した上士VS郷士の対立部分をさらに激化してたからあれは仕方ない鴨と思ったw
巧妙が辻の人間模様
千代と一豊(幼女と大人)
信長と市(兄と妹)
光秀と濃(家臣と殿様の嫁&いとこ同士)
千代と六平太(おさななじみ&ふたまた)
一豊と小りん(三角関係)
なんかさ、功名のナレってのんきじゃないか?
信長 が 信長 に見えない
秀吉 が 秀吉 に見えない
家康 が 家康 に見えない
大河経験者多すぎ
としまつのまつと義経のうつぼによる瞬間移動がとても嫌だったので、
子千代が放浪したうえ攫われて水路で尾張に入ったのはいい感じだった。
子供の足では無理だからね。
まつ(芳春院)
1617(元和3)年、7月16日に71歳で没。
千代(見性院)
1617(元和3)年、12月4日に61歳で没。
一豊没後のエピソードとしては、京都で隠棲してた千代は、養子の忠義が御機嫌伺いの手紙を
怠ったりするとずいぶん厳しい叱責の手紙を送りつけたりしてる。
うるさい家臣もいないし、仕送りもらって悠々自適で楽しく暮らしてたんじゃないかと思われる。
竹中半兵衛「私が生涯愛した女は千代殿でござった」@功名が辻
本多正信「一人の女も愛したことがなかった」@TBS関ヶ原
第21回 「開運の馬」
濃姫が街中をたった一人で歩くなんて有りえないw
濃姫の謎
1.信長と濃姫は婚約したのみで結婚していないとする説。
2.結婚したが、道三の死と共に斉藤家と戦闘状態に陥り、離縁されたか遠ざけられ早くに死去したとする説。
3.離縁はされなかったが、隠棲して暮らしたとする説。
4.本能寺で討死(記録に残る本能寺で討死した女性は能という女中頭のみなのでまちがいなく創作)
5.安土殿=濃姫であり本能寺ノ変の時は安土にあって日野に避難し、江戸初期まで生きたとする説。
>>227 >再放送では〜紀行がないのが残念
無料動画サイト「youku」ならアバンタイトル&紀行付き
(視聴には中国串が必要)
>>385-387 またもや丁寧な回答をありがとうございます
秀吉の改名は別として苗字を変える大名は珍しかったので疑問に思ってました
謎がまた一つ解けて満足です
最後まで見たけど2000年以降では
葵三代、利家とまつに続いて良かった
浅野ゆう子ってトレンディドラマのイメージが強すぎて
ちょっと浮いてる?
それだけ存在感があるってことなんだろうけど・・・
一豊は、原作ではぱっとしない存在なのに、ドラマではやけに凛々し過ぎるように思う。
24万石どころか、千代いなくても、もっと上に行そうな感じなんだけども。
これは、大石が上川隆也を気に入ってるからなのだろうか?
格好良く描き過ぎのように思う。もっと、ふぬけた感じで描いて欲しかった。
葵での江守の三成なんか今までで一番よかったよ。
役者の実年齢なんて関係ない。
法秀尼が子千代に「一豊の妻にと・・・」
と言ってあわてて抱きしめる時の
法秀尼と子千代の演技にはため息がでるな。
法秀さまの慈悲に満ちた言葉とか、
優しい言葉をかけられた子千代の
切なさとか。
戦国時代は何処も兵農一致
田植え前 夏場 稲刈り後
これが毎年の戦シーズン(例外はあるよ)
戦は出稼ぎ的意味合いもあった
それを兵農分離して給料性にしたのがお舘様
戦シーズンがなくなり何時でも何処でも戦を仕掛ける
危なくなったら直ぐ逃げる そして又攻め入る
美濃は兵農一致 集まるのが遅いし全部自分持ち
なんども召集かけられると ヤッテランネーヨ
そこを狙って寝返り作戦 最少犠牲の最大戦果
ハンベイさんも味方について 斎藤龍興逝ってヨシ
堀尾吉晴って、尾張守護斯波家被官の堀尾泰晴の嫡男で、岩倉城の戦いに参加していたからその頃から一豊とは知り合いみたい
織田信長1534年〜1582年(49歳没)
桶狭間の戦い1560年 織田信長26歳 館ひろし55歳
メイクでもうすこし何とかならなかったのか?モロ年相応に見えた。
一豊 1545年生まれ
千代 1557年生まれ
稲葉山城奪取 1564年
1564年当時、一豊は19歳、千代は7歳
竹中半兵衛がクーデター起こしたのに半年後には
「そろそろ反省したかな?」って元の城主に城を返して
半兵衛も隠居程度の罪で済むとかありえるのか?
この時代ってそんな呑気な時代だったのか?
大石的には
クールなカッコイイ 竹中・棒読・半兵衛
ダメだけど気になるあいつ 山内・一本気バカ・一豊
いつもそばにいる幼馴染 望月・バシリ・六平太
>>425 半兵衛は美濃三人衆の一人安藤守就の婿
安藤は三人衆の残り二人稲葉&氏家とツーカー
だから手出ししようにもできなかったんじゃないか?
役者ってカツゼツ云々じゃないよ。
雰囲気。
その点で、舘信長、筒井半兵衛はグッド
正直、武田鉄矢がここまで脇に徹してくれるとは思わなかった。前は、嫌いだったけど、今回はいい。
武田の詠んでたウタ?みたいな奴、素人だからわからないが
結構様になってる気がした。一豊の家来二人いいな。
仲間 待ってました。思ったより浮いてなくて一安心・・・結婚したらお得意のボケキャラになるらしいから頑張れよ
上川 今回出番少なかったが相変わらず安定。
千代に惚れたのはアレだな、昔は普通でなんとも思ってなかった娘が
久々に再会したらすんげえ美人になってて(しかも自分に好意があるらしい)ドキドキして頭から離れないってヤツだな
舘 台詞が聞こえた! このくらいの出番ならいいな。カッコいいし。叫ばせちゃいかんね
半兵衛 棒は棒だがなんとなくそれも味っぽく見えるこの不思議。飄々としてよし
柄本 面白い。おっさんでもいいよもう見慣れたよ。アドリブ言いまくりらしいないいよいいよ
家臣団 ナイス爺。もろにスターウォーズのあのコンビだな。もっと出番が欲しいなあ
香川 必死に甲賀で修行して一人前になり必死に千代たんを探してようやく会えたのに・・・
恋する乙女は残酷だ・・・かわいそう過ぎる。
一豊を探せといわれて一瞬顔が強張るもすぐに笑うところがもう・・・ ずっとこのままなんだろうなあ。
千代の前と半兵衛の前で顔が違うのがいい。
一豊と違って一目で千代だとわかったのに、1秒で失恋した六平太カワイソス
そして次の瞬間から伝書鳩として働きはじめる。
千代を盛んにデートに誘っていた半兵衛もキューピッドにされた。
原作だと六平太には一豊と穴兄弟になるためのセフレがいて、
半兵衛はこの時期にはすでに嫁がいたとは思うんだが。ま、いいか。
ちゃんと「汚し」をやってくれているのが嬉しいなあ。
メインキャストもスミ付けを嫌がらない人が多いんだろうな。
藤吉郎の禄高が上がるごとに、少しずつこざっぱりしてきているのがいい。
一豊の一張羅の襟が垢じみていることに、少し感動した。
主人公を大活躍させないというのは、書き手にとって我慢と勇気が必要だと思うけど
一豊を妙にクローズアップさせずに、脇に控えさせているところがいい。
それと、義輝暗殺ネタを外さなかったことと、
稲葉山城乗っ取りにわりと時間を割いてくれたことも嬉しかった。
「三日で墨俣に砦が立ち上がった」とか言ってるそばから見張り台(?)が傾いててワラタ
すげぇ姉歯建築w
香川氏はうまい役者だね。
すこしクセがあって、大河じゃそういうのが生かされたキャスティングでいい。
上川氏は、ご多分にもれず大地の子(何度目の再放送だったか)の印象強いから、
激情型の役のイメージある。
なんでお市が藤吉郎が名前変えたくらいで激怒するのかが分からない。
恋焦がれる秀吉がお市のストーカーと化し、秀吉に付きまとわれたとか風呂覗かれたとかなら分かるが、
二人の接点があまりないのになぜあそこまで怒るんだ。
ただ「身分が低いから」ってのじゃいまいち説得力にかける。
お市の秀吉嫌いは小谷での万福丸殺し以降でもよかったんじゃないのか?
秀吉はじっさいはサル顔じゃなく、ものすごく貧相な顔で小男だったそうだ
そういった、今で言えばキモイといわれるような男に好かれたら
嫌悪感抱くだろう、権力もなにも無いんだし
「猿」より、「ハゲ鼠」と呼ばれることが実際には多かった
ようだし、更に言えばフロイスの書簡を初め複数の史料
には、秀吉がある種の奇形で片方の手の指が六本あった
とも書いてある。
真偽が確定しているわけでもなく、現代のドラマでは人権
問題から描かれようはずもないが、出自が貧しく、面相も
悪く、更にハンディキャップまで持っていたとなれば、周り
からの嫌悪、差別もいかばかりかであったろうし、織田家中
にあっても辛い目に遭うことも多かったろう。
それを乗り越えての天下取りであったのだから、賞賛する
他はない。
ちなみに「織田信長家臣人名辞典」(吉川弘文館)、信長の家臣を2000人以上網羅している。
山内一豊は信長時代、少なくとも上から2000人には入ってなかったということ。
信長に公式に声をかけられることはなかったでしょう。
謙信曰く
「死なんと戦えば生き 生きんと戦えば死す 家を出るとき帰らじと思えば帰り 帰ると思えば帰らぬものなり」
功名が辻の一豊&千代の言ってる「命の持ち帰りこそ功名の種にござりまする」
だから、発想全然逆だな…と思った。まぁ、武将の性格?ってのがモロに出ていて面白いよな。
TBS「関ヶ原」では、
山内一豊=千秋実
だった。すみずみまで豪華な配役だった。
出番は少ないが当然クレジット順の扱いはよかった。
千代とカズ豊が好き同士になるのに、もう少しひっぱっても良かったと思う。
恋敵2人とのやりとりをもう少し入れてもよかった
2回目、けんか別れ、
3回目、再会
4回目、プロポーズ
なんて早すぎ
多岐川裕美と木村多江は美人姉妹だね
質問の仕方が下手で申し訳ないんだが
秀吉死後〜関ヶ原前までの豊臣(秀頼)の直下兵力ていくらくらいだったのか?
一豊や福島などの独り立ちした大名は除いて
446 :
名乗る程の者ではござらん:2013/10/03(木) 20:07:06.37 ID:FidA+DZY
1万石あたり兵数250人〜300人。
豊臣の石高が分からない
豊臣200万石
単純計算で6万人
豊臣200万石、徳川250万石。
ん?天下人の秀吉のほうが家康より少ない?
↓
例:「秀吉の石高」に加藤清正の領地の石高は含まないが、「徳川の石高」には大久保忠世の石高を含む」
↓
豊臣(200万石+加藤+福島+・・・)vs徳川250万石
徳川の石高を2倍(!)の250万石にして関東に移封させたのは秀吉の大失策。。。
120万石の毛利や上杉の約2倍=徳川250万石
秀吉が家康に天下を与えたようなもの
六平太は原作より、いい感じで活躍してるよなぁ。
稲葉山城陥落の際も、千代たちを助けるために、
影で活躍しまくってるし。
秀吉も、部下の為に火の海の城の中に駆け込んで
行ったりして、なんか心温まるドラマだよな。最初は
原作と違うし、糞っぽいドラマだと思ったが、細々と
したところの、人と人との触れ合いみたいな、暖かさ
を感じるドラマな気がした。
ただ、時代考証とか、原作との比較とかしたらだめだけど。
前田吟と武田鉄矢がたまらんな。
この2人が出てる限り見るわw
信長が岐阜城に篭城しているものは女子供まで殺せと命令。
↓
千代や不破様が殺される。
↓
信長が業を煮やして攻略方法聞きにきた。
↓
裏口教えて、そこを秀吉部隊に攻めさせて攻略。
こうして半兵衛が思っていた通り、皆殺しは回避された
わけで、「人を救う」という一番難しいことをやりとげたんだわ。
話が遡ったり、話が飛ぶになったりして
所々に解説が付くので分かりやすい。
半兵衛が秀吉に寝返ったのは、
千代と一豊が結婚できるように一肌脱ぎたい
↓
一豊は秀吉の家来なので、秀吉に仕えると
近くにいれる。
姑もオジオバも絵に描いたようなイイ人。
ハンベーや忍者香川はいつでも千代の為にひと肌脱いでくれる。
気難しいお市さまともあっという間に懇意の仲に。
周り中千代の味方ばっかで敵役が誰もいないから
ホームドラマとしてもトレンデードラマとしてもイマイチ盛り上がりにかけるねw
原作も読んでるから期待してた。
原作と違うのはしょうがないと思ってたけど、何じゃこりゃ!!!
ストーリーのつながりもめちゃくちゃ、素人が書いた脚本じゃないのか?
大物役者が多いだけに見てると痛々しい。
ドラマなんで原作に忠実にとはいわないが、大河を見る層を考えてもうちょっと
がんばって欲しい。
恋愛だけでは大河はうけんと思うよ。
脳内で津川雅彦に白衣を着せてた。
千代と一豊を茂みから見守る六平太に笑い
戦の中でメロドラマやって逃げない二人に笑い
それをしっかり見守っていた六平太にまた笑い
津川の頭の爆発ぶりに笑い
初夜指南を譲り合うジジイズに笑い
唐突に喀血して千代を思い寝込む半兵衛にやや同情
主役二人より脇でもってるな
何でも千代と一豊に無理やり絡ませるのは好感が持てないな。歴史上の人物は
あくまでチョイ役にすればいいのに(前半は)。脚本で勝負できないが故か…
能無し芸人がエロネタや奇抜な格好でしか笑わせられないのと同じような感じだ
由紀恵千代可愛かったス。
上川一豊かっこよかったス。
不破雅彦の頭なんか爆発してドリフだった。思わず笑ったし突っ込んでた。
でも、六平太カワイソス。
嫉妬だね、あの目は。
半兵衛を無理矢理恋愛話に絡ますのは興ざめするから止めて欲しいわ。
>>446-447 どうも
およそ6万人の兵力ですか
関ヶ原で遊ばせてたのはもったいないですな
千代と一豊もガキの頃に数回、大人になってから会うのも2回目なのに
「わたしのために武士を捨ててくださいますか?」とか凄い強引さだ
実は一豊が信長に召し抱えられたという記録はいっさいありません。
同時代の資料に載ってくるのは、あくまでも「秀吉の家来」としての一豊です。
まあ、現在残っている史料では実はまだ「山内一豊」は登場してきません。
第三者の史料で初めて山内一豊が登場するのは、越前朝倉滅亡の合戦のさいにに、
秀吉家来として登場してきます。
六平太は、明らかに原作を凌駕してると思う。
観ていて、原作みたいに地味に暗躍するのかと思ったら、
意外なほどの活躍に驚き。、香川もいい役回りもらったよなぁと思った。
義経よりは全然見れるな。
香川照之の大河出演歴
小早川秀秋→宇喜多秀家→豊臣秀吉→六平太
戦国時代専門で個性的な良い役をもらってばかりだな
ほんとラブ米。でも、おもろかったから良い。
千代ちゃん、がんばってたし、やっぱ気丈だね。
殿は結構凛々しくて、そいでもって子どもっぽくてカワイイよ。
「一豊公記」に寄れば15歳で近江の山岡景隆
に仕えたとある。
恐らく織田配下に入ったのは信長の近江平定
以後じゃないのかな。
直接信長に仕官したのか、秀吉に仕えたのかは
わからないが。
紀行に「山内一豊公 初所領地」が出てたけど
誰も行かないだろうw
唐国400石の跡を見に行く人はいないんじゃない
天正元(1573)年夏、織田信長の越前朝倉攻めに従軍した山内一豊は、近江と越前の国境刀根坂で、朝倉軍きっての強弓の士、三段崎勘右衛門と死闘を繰り広げます。
三段崎が放った矢は、一豊の左のまなじりから右の奥歯までを貫きましたが、これにひるむことなく、見事勘右衛門を討ち取りました。
そこへ家臣の五藤吉兵衛為浄が駆けつけ、一豊の顔を貫く矢を口にくわえて抜こうとしましたが、一豊が「顔を踏みつけて抜け」と命じたので、
為浄は草履を脱ごうとします。
しかし、一豊は、「そのまま踏め」と命令し、為浄は草履のまま顔を踏みつけて矢を抜き取ったといいます。
山内一豊は、この武功により、近江唐国四百石の知行を与えられました。
唐国の住宅街の南側、国道8号の西側の田園地帯の中に石碑があります。
大河ドラマ「功名が辻」の放映にあわせて建立したのか、まだ新しく立派な石碑でした。
新しすぎると威厳も何もないなw
人間模様・関ヶ原/関ヶ原の戦い - M-NETWORK
というサイトによると、関ヶ原直前の山内一豊の石高は
68,600石だそうだ
山内家自体の家系はかなりしっかりしたものが分ってる。
一豊自身に関しても、紀行で言ってた岩倉落城から
山岡家仕官あたりの史料もある。
ただ、どうして秀吉配下にはいったかを語る史料はない。
津川さんの頭は笑ったけど、火事にあったのでボロボロになった
不破一家の姿には結構好感が持てたよ。酷い目にあったはずなのに
髪も乱れず、顔もつるんときれいなヒロインとか増えてきたから。
特に、きたない格好乱れた髪に黒い顔した多岐川さん偉い。
岩倉の顛末はつぎたす形で少しずつ説明してる
ただ、岩倉織田との争いを骨肉の争いと解説するのは少々無理があった
兄弟別れて暮らしましたって、ナレで説明するなら
子ども時代から、しっかりそのへんやっていったほうが
わかりやすいに。
地理的状況を考えても一豊は東軍に付かざるを得なかっただろう
尾張・・・福島正則
三河・・・池田輝政、田中吉政
遠江・・・堀尾吉晴、山内一豊
駿河・・・中村一氏
ξ ⌒ ξ
(´‐ω‐`)
津川の↑この頭を見て、何か吹っ切れた。
佐久間・前田・西田・香川・江守と、
おんな太閤記、春日局のキャストとも被るな・・・
大河ドラマ 秀吉役
国盗り物語 火野正平
黄金の日日 緒形拳
おんな太閤記 西田敏行
徳川家康 武田鉄矢
独眼竜政宗 勝新太郎
春日局 藤岡琢也
信長 仲村トオル
秀吉 竹中直人
利家とまつ 香川照之
家系図のねつ造はよく言われることだけど、
史料研究のレベルで、
黒田城主で岩倉織田家家老の山内盛豊の存在は疑問を持たれてない。
その三男が一豊であることも認められてる。
もちろん、過去の事実なんて確実に確認されるものじゃないけど、
複数の散在している史料、資料(遺物)の突き合わせの結果、
もっとも蓋然性の高いことが史実とされるわけで、
その結果、黒田城主盛豊の子、一豊が史実となってるわけね。
小山の軍議に出席したとされる武将の内、美濃苗木の田丸直昌のみは西に向かう途中、
江戸に引き返し、西軍参加を宣言して立ち去ったと言われます。
裏道から千代を助けたらなぜ難攻不落の稲葉山城が落ちるんだ?
幼い頃助けてもらったからといって、数日間の付き合いだけで、
ずっと結婚したいと思っているものか?
そして、家の決めた結婚でなく、
千代本人の気持ちがあっさり通ってしまうというのも…
自由恋愛を描きたければ現代劇を書けばいい。
属する家や立場や身分が異なったり時代のうねりに巻き込まれることで、
慕う人と結ばれなかったり、友人同士争わなければならなかったり、
望みを打ち砕かれたりといったままならぬ状況の中で生きていく群像
(ある者はその困難を乗り越え、ある者は悲劇の道をたどるとか)
を描けるのが歴史物のいいところじゃないか。
「非戦闘員を城に入れて兵糧を食い尽くさせる」
↓
「一年や二年では落ちませぬ」
↓
「間道を使って奇襲すれば落城します」
条件的にみれば土佐はあきらかに鳥取よりショボス
明暦年間でも実高15万石くらいという史料もあるくらい。
維新時も財政破綻してて薩長土肥でズバ抜けて金ないし。
そもそも郷士制度だって国内の生産力を高める為に設置した訳で、
そのせいで本来富裕であるべき庄屋階級がえらい事になって一揆連発。
江戸期一般に郷士=金持ちで、上士も金欲しさ?に郷士と随分と婚姻関係結んでる所を見ると、
土佐24万石手放しマンセーって訳でもなかったと思うな>山内家にとって
つか功名で出てくる福島正則の「内府どのに云々〜」っていうのですら連署で出してる訳だし、
堀尾のパクって山内がピンで言ったとしても、多分堀尾と語らって山内に言わせたとかじゃないかな。
その後仲良く帰ってる訳だし。
なんか稲葉城攻略は強引過ぎたな
普通に間道をを教える
↓
半兵衛がそっと千代の救出に行くように示唆
↓
秀吉もこそっと黙認しつつ支援
みたいなのが良かったな〜
まあこの大河は、よくできた少女漫画だと思うよ。もちろん、
少女漫画だから悪いというわけじゃない。一豊と千代の恋愛は
結構説得力がある。竹中半兵衛のような浮世離れした策士が、
けなげな千代を応援したいって気持ちをどこかに持ってるのも
分かる。まあ、ほんとの恋をしたことのない史実厨には分から
ないかもしれないけど。
仲間も上川も、いやみのないキャラだからね。安心して見てら
れるのもいい。
本格的な歴史ドラマを見たいという向きには不評かもしれないけ
ど、俺、そんなものとっくにあきらめてるから。ただ、史実を
忠実に再現するだけで喜ぶ手合いもいるだろうけれど、俺は再現
するだけじゃなく重厚なドラマを見たい。でも、今の日本の役者
陣じゃ、それはもう望めない。
だとしたら、けなけな恋愛物語を楽しんで、さかんに恋をしていた
昔を懐かしむ。それでいいじゃないかと思う。
戦国自衛隊は設定こそめちゃくちゃだが、血生臭さや殺伐感はあったな。
大河ドラマが失ってしまった物だよ
千代はえらいなあー、千代の辻の選択は間違っていないわ。
一豊の道で正解。夫と一緒に二人で模索しながら人生を歩けるんだもんね千代はシアワセ者ですよね。
これが、半兵衛の道だと後家さんで、即!尼寺キップを切らなきゃいけないし・・・
六平太だと、裏道をコソコソと生きていかないといけないし・・・
信長、秀吉、家康だと置いてきぼりの生活でしょ。
一豊が千代にとって最高の夫なんだと気が付きました。
半兵衛の奥方は、美濃三人衆の筆頭格の安藤守就の娘だっけ?
ちなみに、半兵衛と千代の関わりは史実的(史料的)にはガセだけど、
一豊とのつながりを伺わせるものはあるみたいだよ。
一豊の姉の通という人は、北美濃の領主安東郷氏に嫁いでるんだけど、
後に信長に夫一族が滅ぼされた時(天正9年)、半兵衛を頼ってる。
半兵衛美濃の豪族つながりで頼ったのか。ここでも半兵衛いい人なんだな。
弟の一豊のもとに身を寄せるのは、長浜城主になってから。
信長、秀吉、家康、三成、光秀…やはり
功名が辻は見続けると思う。
面白いよ。
山内一豊自体がメジャーじゃないから
幼名だ何だと出てしまうと混乱するので
一豊で統一しましょうと言うことだろう。
うちのPC山内一豊って打っても一発変換しないし。
山内一豊・・・、俺のPCだと一発変換出るぞ。
羽柴秀吉、織田信長、徳川家康、新発田か費え、庭長日で、前田利家、明智光秀
今までの大河では信長と濃もしくは吉乃と仲の良い夫婦として
描かれていたが、和久井さんの話しを聞いて妻を含めて誰のいうことも
聞く耳持たなかった。ましてや妻・側室に細やかな愛情を示すことも
なかった人物とすると信長像が腑に落ちる。
史実の濃姫は信長に嫁いだあとは記録が少ない。
子供も生んでいないし、没年もあやふやであるらしい。
生駒吉乃は側室だが扱いがよかったらしいし、決して円満ではなさそうだ。
吉乃の扱いが良かったとしているのも「武功夜話」の世界だけでしょう。
史料としての価値はとても低く、ほとんど創作とも言われているらしい。
子供を3人生んだにも関わらず他の史料には登場しない。
同時期に他にも側女がいたらしいし、まさしく一夫多妻がデフォルトで、
現代的なイメージで夫婦円満、って感じの関係を結べた女性はいなかったような気がするね。
まぁ、秀吉や家康のように正室も側室もはっきりしないから、
ドラマや小説ではいろいろ自由に話を作れて面白いのかも。
ただ、26人も子供が居たにもかかわらず、信長にはあまり女好きな感じがしないような…
本能寺で小姓たちと死んだ印象が強いから、男色の面がよく強調されるのが理由かね。
お鍋の法名は「興雲院殿月隣宗心」。大徳寺総見院の墓は横長の自然石1つ。
信長妾、と一次史料に明記されている。
一方「養華院殿要津妙玄大姉」の総見院の墓は、信長と同じく五輪塔。
墓の格からして全然違う。
養華院殿は、織田家の過去帳には「信長御台」とあるが、
他の史料には「御寵妾」としているのもあるらしい。
信長の女性観って、とにかく自分の気質に合う女性を妻にしている。
お鍋の方のように死んだ夫が自分のために働いたせいで死んだ、とか
いう縁者のポイントも高く評価。吉乃も信長の商売に役に立ったし。
濃姫についても、斉藤氏には特にうらみもないだろうし(逆に恩が)、
生きていれば大切に扱ったはず、と思う。
秀吉は高嶺の花が好き。信長はもっと合理的なように思える。
あの手紙がないと後世の信長像は違ったであろうと
大河「国盗り物語」のナレでもあった。寧々宛ての手紙も
久しく会わなかった寧々の容貌を誉め、正室なんだから
どっかりとしておけなどあったが、濃や側室たちにも
そのような気配りした記録がないのが残念だ。
ただ信長は秀吉に後項の憂いなく仕事に「励め」という
意味合いから手紙を書いたという説もある。
仲間は、ベテランスター女優に囲まれても、存在感あるなあ
滑舌がよく明朗な声がいい。
これならドキュメンタリーなどのナレーションや朗読も上手くなる
山内家を訪れたお市さまに叶恭子が乗り移った件について
お市「もらっていこう」
千代「ちょwww」
お市「帰る」
お市「なまいたであったな」
千代「まないたでございまするw」
晩年の仲間由紀恵と生瀬勝久の会話でシリアス過ぎて
この顔が矢部謙三にもなれるんだと…
第21回 開運の馬
老商人(演:北村和夫)がいい味出してるなー
本能寺の変の要因のひとつ
信長「もはや、この国に朝廷も要らぬ。朝廷がくれるものを有難がる時代は終わった」
唖然とする光秀
千代と一豊は相思相愛である(夫婦)
小りんは一豊に惚れている(一豊と性行一回)
六平太は千代を好いている
小りんと六平太はドライな関係(性行あり)
竹中半兵衛は千代を好いている
<司馬遼太郎さん恒例の三角関係>
信長と濃姫は夫婦である
濃姫は光秀を好いている
光秀は濃姫を好いている
タイプミス
性交
その失敗は痛いですな(笑)
>>507 なまいたワロス
いや、ホント面白いと思うよ
ギャグ←→シリアスのメリハリが利いてていいね
「まつ」は出しゃばりすぎてウザかったけど千代は「笑い」があるので良い。
ちょっとTRICK入る時があるけど。w あと回りも面白いし。
「丸三葉柏紋」が出てきたか。
あれが岩崎家の家紋と合わさって「三菱」になるんだな。
大地真央、気位の高い役がうまいなあ・・
「戦国ホームドラマ」&「突撃!アポなしお市様」だったな。
意外にも楽しめた。武田鉄矢の小姑ぶりに笑っちまったぜい…
さすがに仲間は巧いなぁ…この調子で、TRICKちっくコメディ路線でお願いしたいもんだが…
近江マンセー
琵琶湖マンセー
フナ寿司マンセー
豊かな国マンセー
ロケ地提供しただけあって、凄くアピールされてたね
千代ファミリーがすげー楽しい。武田も前田も味が
あるし、秀吉や半兵衛との掛け合いも面白い。
「もらっていこう」ってお市が着物もってちゃうところオモシロカタ
なんのかんの言って苦労しらずのお姫さまなお市
ひとことも言えなかった千代だけど
これ、利まつだと「お待ちくださりませ!」って展開になりそうだったが
このドラマは結構バランスとってるカンジで好印象だョ
【リアル本能寺の変】
本能寺の変ではドラマで描かれるような大げさな戦闘はなかった
(功名が辻の銃撃戦など有りえない)
明智の兵は相手が同じ織田の兵だと知り、士気が落ちていた
信長が自害した頃、外は既に明るかった
僅か30秒で終わる長篠の戦い
関白秀次の家臣「淀のお方様だけにお子が出来るのは奇妙」
関白秀次「太閤殿下は誰の子かも分からぬ拾君(秀頼)を立て」
吟の子供7人って・・
どっかの子役プロダクションからNHKに圧力でもかかったか?
秀吉、上からの絵で頭がシワシワだった・・・
お市の侍女のデブい人がすごく気になった。
いい感じの侍女だった。
だんなの無茶に振り回されるお濃みてると、
和久井の実生活もあんなかんじなのかと邪推したくなるw
Z葉は下手というか、違和感ありまくり。組!のときは連名だったのに、今回はピンクレなんだな。
丹羽は飾り物ぽいね。
他の林や佐久間はまだ追放されたりと見せ場はあるけど
丹羽の場合は毎回スルーされてる気がする。
オープニングのクレジットって秀吉だけ長々と「木下藤吉郎秀吉」なんだな
他は「山内一豊」とか「堀尾茂助」とかなのに
まぁどうでもいいことなんだけど
武田が「きれいだな〜」と言ってから、吟さん見て「きたないな〜」で
ついに吹き出してしまった。
いろいろ大河見てきたが、吹き出したのは初めて。
こんな大河もありなんだなあ、と思ったよ。
利家とまつの時より役者陣の演技力除いても、
かなり安心して見れるのはなぜなんだろう
夏目雅子やら色々なお市を見てきたが、
大河で初めてお市を可愛いというかイトオシイと思った。
お嬢な天然ぶり、ブラコン、勝ち気さと、見知らぬ相手に嫁ぐ心ぼそさ。
大石、見事な造形っぷりだと思う。
寧々の「お市様は私がほしいものをみんな持っていってしまう」も切ない。
前田利家なんか無理に出さなくていいよ
いくら歴史的に重要人物であっても、一豊とそんなに深い縁があるわけじゃないだろ
既出かもしれんが、五藤吉兵衛の子孫は高知で
一豊からもらった屋敷のそのままの位置で書店を
やってるんだって。
その家に武田鉄也が別件のロケで以前に泊まった事が
あるらしい。で、五藤吉兵衛役をやることになって何か
縁があるんだなあと感じたと言ってた。
初期の織田家の重臣で必ず出て来るのは柴田、丹羽、林、佐久間。
たまに出るのが前田、滝川、池田くらいか。利まつで佐々がクローズアップされたのは良かったな。
一豊は織田時代は軽輩だし、織田の重臣とは関係なくて、
秀吉の家臣としかつながりがないよね。
半兵衛が信長が殺せと言った長政を匿ってたおかげで、
黒田50万石かできたんだから。半兵衛の最大の美談だろ。
でも半兵衛が無欲だったから、息子は可哀相。
黒田 → 50万石
竹中 → 3000石
一豊って凡人らしい描かれ方してるけど、
戦歴を見たらすごい。
信長、秀吉時代のでかい合戦の大半に
中堅将校程度の身分で参加して、生き残ったんだから
やっぱりすごい奴だと思う。
佐久間、林失脚後の織田家五大重臣の一人だから滝川一益(未出演)にはもっとスポット当てて欲しい。
柴田→北陸担当(上杉攻め)
惟住(丹羽)→四国担当(長曽我部攻め。準備中に本能寺の変)
羽柴→山陽担当(毛利攻め)
惟任(明智)→山陰担当(毛利攻め。出発するも謀反)
滝川→関東担当(北条攻め)
池田は江戸初期、一族で100万石近くあったものの、
支藩を増やしすぎて(一時期10個以上あった)無嗣断絶が相次ぎ、
結局、30万石の藩が2つと4つの支藩が残って幕末に。
丹羽は関ヶ原で西軍で改易されるも、10万石で復活、以後幕末まで。
前田は100万石+10万石+7万石+1万石で幕末まで。
ロンブーの淳か、なんか時代劇には、合わない。乙葉もなぁ、なんかなぁ(ー'`ー;)、時代劇には、合わない(´ヘ`;)。
>>541 それを読んで思ったが
大河の主役になれるのは幕末まで子孫が生き残ってるもポイントだな
信長・市・濃の関係がやや気になったな
お市に「お前はどこにもやらん」と言ったときの信長をみる濃の微妙な視線…
浅井攻めや本能寺んとき濃どんな動向すんだろ?おもしろく捏造してくれないかな
外様石高第1位:前田 → 警戒されないために必死。形振りかまわず必死。親も人質。
外様石高第2位:島津 → 関ヶ原的中突破。徳川の間者問答無用。琉球を征服。
信長の妻の扱いは大河でも作品によって大きく変わるんだよね。
功名や国盗り等の司馬作品では濃が中心で、秀吉や利まつでは吉乃中心。
仲間は色白だと思うが、大地に比べえらく色黒く見えた。
それと着物も大地のに比べてシワシワ。
髪型も前はお姫様カットみたいのがかわいかったのにいつからか変わった?
市が千代より美しく見えるように演出してたのかな。市、まるで一人だけ照明浴びてるみたいに光って見えた。
肖像がどおりリアルを追求すると、
浅井長政は踊る大捜査線の副所長のあの人がはまり役だと思う
茶々も、 丸顔でふくよかなところが父譲り っていわれている
千代の趣味としてパッチワークを時期前倒しに出して来たのはいいんだけど、この時代って
布がものすごく高価な時代じゃない? 年に一枚着物を買えたら大したものって時代だったような。
不破の家から焼け残りを持ってきたって言ってたけど、めっちゃ貧乏なのに、人のものを何着も
作れるほど材料あったんだろうか・・・?
世間知らずのお市ならともかく、貧乏を知ってるはずの寧々までがくれとか言っちゃってるし
550 :
名乗る程の者ではござらん:2013/10/30(水) 17:49:20.96 ID:KNtpi9r3
第1回視聴中
「桶狭間山」おおっ信長公記のを採用か。
第3話
信長が秀吉という名を考案し、藤吉郎に与えた
戦国時代の下級武士の生活の有様を詳細に描いた初の大河ドラマ
50歳の人がお市やるのは無理があるね
「丸三葉柏紋」が出てきたか。
あれが岩崎家の家紋と合わさって「三菱」になるんだな。
竹中半兵衛に死亡フラグが出るのが早すぎ
大地真央、気位の高い役がうまいなあ・・・
柄本明はこの人の滑舌を見習ってほしい。
「戦国ホームドラマ」&「突撃!アポなしお市様」だったな。
意外にも楽しめた。武田鉄矢の小姑ぶりに笑っちまったぜい…
さすがに仲間は巧いなぁ…この調子で、TRICKちっくコメディ路線でお願いしたいもんだが…
カメラワークが面白かった。
不破市之丞が一豊に話をしているシーンの右→左・左→右 とか
女どもが近寄って和気あいあいの次は信長&家来を引きすぎでドーンと、とか。
テンポがいいからかなんなのかわからんが、
あっという間の45分だよ。
停滞するところがほとんどない
これはすごいね。
やはり脚本が女性なだけに合戦がない方が上手いのかな?
色々無茶な設定はあっても、それがスルー出来るくらい面白ければOKなので
今後も期待するよ
こんなに面白い大河ドラマは久しぶりだよな。
ちょっと、驚いたわ。このペースで一年間やるんだと
思ったら、かなり楽しみになってきたわ。
千代ファミリーがすげー楽しい。武田も前田も味が
あるし、秀吉や半兵衛との掛け合いも面白い。
柄本秀吉と不破のジイ様の夢の共演
津川の目のひん剥き具合は相変わらずで良かった
戦国自衛隊の時の抑え目な演技とは正反対で
大地よりも和久井の方がおばさん臭いと思うのは
俺がかつての「武田信玄」の里美ファンだからか?
上士と郷士は、たぶん弟の賢豊が、長宋我部の残党との軋轢を解消するために
作り出したもの?国替えのときは、いろいろあったみたいだしね…上杉といい、小早川といい…
五藤吉兵衛の戦死は原作でも泣けた。
ドラマだと確実に泣けると思う。
ロンブーは普段はお笑いに見えないくせに今回はコントに見えた。
まあ悪くないが。
武田五藤と前田祖父江も土佐24万石の家老になるのか。(武田は戦死するからその子供?)
彼らの子孫が坂本竜馬より上の身分の後藤、板垣ら普通の上士から見ても雲の上の存在になるわけか。
なんか複雑だなー。
祖先は苦労したんだね。
半兵衛が信長が殺せと言った長政を匿ってたおかげで、
黒田50万石かできたんだから。半兵衛の最大の美談だろ。
でも半兵衛が無欲だったから、息子は可哀相。
黒田 → 50万石
竹中 → 3000石
林 堅実な家臣だが無理やりリストラされた
佐久間 譜代の中でも信長に最古参だが、能力に限界があった
柴田 武人のイメージだが政治も人望も悪くない
丹羽 有能なので信長が側において前線を任せなかった。
秀吉 ずるい。ライバル蹴落とす。信長をだましている。
明智 上品で有能だが秀吉にいろいろ邪魔されている。
滝川 プロ。職人。
利家 いいやつだが出世しすぎ
佐々 獰猛。一番の荒武者
池田 信長の側に居たためか気性が荒い
佐久間、林失脚後の織田家五大重臣の一人だから一益はもっとスポット当てて欲しい。
柴田→北陸担当(上杉攻め)
惟住(丹羽)→四国担当(長曽我部攻め。準備中に本能寺の変)
羽柴→山陽担当(毛利攻め)
惟任(明智)→山陰担当(毛利攻め。出発するも謀反)
滝川→関東担当(北条攻め)
始まるまでは、これまでの「おんな太閤記」や「利家とまつ」と同じ
ようなファミリードラマ路線か、やだなぁと思っていたけど、見て
みると意外といい!
ひとつには、ヒロインが「おんな太閤記」の佐久間良子ほど出来すぎ
た女房じゃないし、「利家とまつ」の松嶋菜々子のような媚まくりの
いやみな女でもなく、ごく普通の可愛い女だからかな、と思う。
仲間は、顔がケロヨンみたいで、でも眼だけは妙にキラキラして
いて、いわゆる美人じゃないのもいいように思う。相手役の上川を
はじめ、脇役に嫌味ったらしい目立ちたがりがおらず、安心して
見てられるのもいい(三原じゅん子と、田村淳はちょっと不安
だが)。
いわゆる本格的な歴史ドラマにはほど遠いけど、戦国時代の
普通の男女の物語ととらえれば、愛すべき作品だと思う。
てか、「であるか」は信長公記にあり、司馬はよく使うからなぁ。
お濃がシカトされて可哀相という意見はあんまないのだろうか。
妻をシカトした直後にお市萌えを見せる信長って天然だねと思った。
その後のお濃のリアクション良し。表情といい。
お濃が見せた茶碗は帰蝶という名にちなんだ蝶の紋が金で入っていて、
お濃がいかに道三に可愛がられて育ったか、その証拠のようなもんだった。
これが信長じゃなくて道三だったら焼け残った茶碗一つで大喜びするだろうなぁ。
と、テレ東で道三やった北大路で想像したりして。
淳は武士にまったく見えなかった。普段の番組キャラのせいなんだろうけど。
商人とか、女衒が似合う。
第32回の陣羽織イベントの元ネタ
「徳川実紀」
「東照宮御実紀附録巻五」には
「・・・・君(家康)その時殿下(秀吉)の召されし御羽織を某(家康)にたまわらんと宣へば、
秀吉これはわが陣羽織なり。進らすることかなわじといふ。
君御陣羽織とうけたまはるからは猶更拝受を願ふなり。
家康かくてあらんには、重ねて殿下に御物具(甲冑)着せ進らすまじと宣へば、秀吉大によろこばれ・・・」
徳川実紀だったのかwww
第42回
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
細川ガラシャ
16世紀末、太閤検地の際に長宗我部氏が届け出た土佐国の石高は9万8千石に過ぎませんでした。
山内一豊は土佐入国後石高を算定しなおし、慶長10年(1605年)に幕府に届け出た石高が20万2千6百石余りでした。
その後元和元年(1615年)に阿波徳島藩が淡路国を加増されて17万石余から25万7千石となると、それに対抗したかのように25万7千余石を申告します。
これは、本来石高を高く申告すると幕府による大工事などで供出する人夫の数が多くなるにもかかわらず、四国一の石高を持つ大名家であろうとした山内家中の見栄が原因です。
ただし、幕府はこの山内家の申告石高を認めず、公式には土佐藩の石高は20万2千6百石余のままでした
(もちろん干拓などによりその後実高ははるかに大きいものとなっています)。
なお、よくいわれる24万2千石というのは『武鑑』などに基づく俗聞です。
トーンが明るくていいね。
明朗な出世物語でハッピーエンドって分かってるから安心して観てられる。
中堅武将の家庭を中心に据えるという視点も新鮮。
偉人伝にはちょっと飽きてるから。
この時代にはもう鮒寿司あったのね…
無知でスマンが高級食材?を喰わせるのは貧乏な一豊一家は無理だよね?
そこまで貧乏じゃないか
原作の千代は初対面の一豊を「イマイチだけど、人は良さそう」とクールに
心の中で評し、「妻が賢いのは夫は嫌がるから」とわざと賢くないふりを
するちょっと嫌みな女。
テレビ版の一豊様ラブ の脚色は随分思い切ったよな。
鮒寿司の原型となる鮒漬け(ふなづけ)は、室町以前にあったが発酵に
米を使う鮒寿司も、戦国時代末期(このドラマの頃ね)にはあった。
秀吉が長浜城主となったときに、地元の人が鮒寿司を贈ったという
記録があるらしいよ。
鮒寿司が今高いのは鮒自体の漁獲高というか流通減ってるし、
作るのに手間かかる上作る人も減ったから。
当時の価値は知らないけど、乳酸発酵させてドロドロに近くなった、
食べ慣れない人にはきつい食品だよ。
江戸時代だったか、吐いた物を混ぜておいても分からない、とやゆされていた。
「結婚するまであんまり一豊に会えなかったから一豊の事に詳しくない」と、
あの時に会って〜あの時に会って〜と指折一豊に会った回数を数える千代に
呆れ顔で「乱世の世にそれだけ会えば充分です」とツッこむ金八にわらた
お市版ローマの休日ならぬ岐阜の休日と思うた。
このキャラ設定では大地@市、和久井@濃で正解でした。
千代は自分の賢さを隠すのだろうけど
元からの天然要素が大きいから嫌味にならないね
「愛らしい良くできた嫁だけど、おっちょこちょいが玉に瑕」って感じ?
「私にお任せくださりませ」に比べたら鼻に付かないのは当然
歴史物としては地味だが、やはり家族が仲良いのが出世の力になるなあと思った。
時代考証が小和田哲男なだけあって、
浅井長政の前妻や側室についてちゃんと触れてたな。
小和田が唱えてる説通り万福丸は側室腹にするのか?
>>587 「御自分の子じゃないのじゃ。いずれ忘れる」みたいな台詞があったよ
サンクス
見つけた
秀吉「しょせんお市様の子ではないのじゃ。いずれ忘れる」
浅井万福丸
市の助命嘆願もかなわず信長の命を受けた羽柴秀吉の手により、美濃関ヶ原で磔(田楽刺しとの説もある)に処されたといわれる。享年10とも。
なお、実は磔にされずに江戸時代まで生き残ったという逸話があると伝わるが伝承に近い。
市が秀吉を毛嫌いしてたって大河では定説のように描かれるが
清洲会議以前に嫌ってたと窺わせる文献とかあるのか?
小りん「あんた(=六平太)だって自分の気持ち(=千代への恋心)騙しているだろう」
このへんは恋愛ドラマですな
グーグルで「お市 秀吉」と検索しようとすると「お市 秀吉 嫌い」が出てくるw
お市の方は羽柴秀吉が恋慕を抱いていた女性ともされ、そのような印象が流布しているが、あくまでフィクションであり、信頼できる史料の裏付けはない。
学説としては、むしろ秀吉は柴田勝家との婚姻を仲介した可能性が有力になっている。
>>597 織田の三男に頼まれた以外にもそんな説があるんだな
wiki
お市の方は、信長死後の天正10年(1582年)に柴田勝家と再婚する。
織田信孝の仲介によるとされてきたが、
近年は、羽柴秀吉の仲介を伺わせる書状から、秀吉の仲介であった説が有力となっている。
600
晩年の秀吉の醜態が詳細に描かれているよね〜
「おんな太閤記」よりも詳しい
関白秀次「太閤殿下は誰の子かもしれんような拾君を立て、わしを邪魔にしようとする」
★ 精子の能力「35〜40歳で衰え」 独協医大が発表
【阿部彰芳】男性の精子が持つ妊娠につながる能力は、35〜40歳を境に衰える可能性の
あることが、独協医科大学越谷病院の研究でわかった。加齢による不妊の主因は、卵子の老化など
女性側にあると考えられてきたが、男性の加齢も影響している疑いがある。15日の日本生殖医学会で発表した。
男性不妊の大半は原因不明だが、精子の数が少なかったり、正常に動く割合が低かったりする
ことが多い。精子の老化による影響はこれまで、あまり調べられてこなかった。
チームの慎武(しんたけし)さんらは、精子の能力をマウスの卵で調べた。人間の正常な精子を
マウスの卵に入れて活性化させると、卵子の核の形が変化する。しかし、妊娠させる力の弱い
精子では、この変化が起きない。
朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1115/TKY201311150146.html
鶴松も秀頼もどうも秀吉の実子という気がせん
>お市の方は羽柴秀吉が恋慕を抱いていた女性ともされ、そのような印象が流布しているが、あくまでフィクションであり、信頼できる史料の裏付けはない。
秀吉が茶々を側室にしたという史実から遡って
そういった印象が出来たんだろうね
秀吉が市に恋心を抱いてた市は嫌ってたのパターンはいつ頃からあったんだろうね
江戸時代から既にあったのか近代小説家が作り上げたのか
"司馬遼太郎の史実"て結構あるからな
俺が思うにお市は小谷城落城まで秀吉なんて知らなかったんじゃない
そして秀吉もお市にお目通りなんて叶わなかった気がするな
堀尾吉晴(茂助)
戦場では勇猛さを見せつけたが、温和で誠実な性格で人望を得ていた。このため、「仏の茂助」と称された。
温和な性格だけではなく、秀吉の家臣団の中でも尾張時代から仕えていた最古参の重臣であったことからその影響力も大きく、
家康と石田三成の対立を仲介したこともあったという。
石田三成の実像29 秀次の娘の救済に尽力した三成
http://94979272.at.webry.info/200708/article_11.html 大河ドラマ「功名が辻」でも、淀殿お付きの大蔵卿局が、秀次のよからぬ噂を流したことになっていました。
三成はそれを快く思わず、大蔵卿局に「やりすぎですぞ」と責める場面がありましたが、
多分に小説的な描き方とは言え、三成の立場をよく表していました。
ドラマの中で三成は事態の打開をはかるためには、秀次が関白職を返上するしかない
と山内一豊に助言しますが、秀次にしたらそれはプライドが許さないことであり、
そういう申し出はせずに逆に秀吉に苦言を呈して秀吉の逆鱗に触れるという描き方をされていました。
秀次切腹の後、彼の妻子たち三十数名が京都三条河原で殺されます。
ところが、秀次と妻の一の台(菊亭晴季の娘)の間に生まれた娘が、三成夫人や真田昌幸夫人によって庇護され、
後に真田信繁の側室になっているのです。
三成夫人と真田昌幸夫人は姉妹に当たり、宇多頼忠が父親です。
そういう助命ができたのは三成の存在を抜きにしては考えられないと白川亨氏は言っておられます。
真田信繁と秀次の娘との間には、「おたあ」という女子が生まれましたが、
その「おたあ」は1625年、佐竹義宣の弟の多賀谷宣家に嫁ぎ、
宣家はやがて岩城宣隆と名を改め、「おたあ」は岩城家の世継ぎを生むのです。
佐竹義宣はかつての石田三成の盟友でしたから、真田家、佐竹家が協力して、秀次の娘の命を助けたのだと言えます。
直系でないにしろ秀吉の血筋は天皇家や他方に残ってるんだな
豊臣秀次の血統はしっかり残されてます。
しかも秀頼系の血統は天秀尼(秀頼娘)の死で江戸前期に絶えたのに対し、秀次の血統は実は現在も続いてます。
秀次の次女の血統は真田信繁(幸村)の子孫として現存してます。
当初は秀次の名籍を継ぐ形で「三好姓」を名乗ったようですが、
最終的には「真田幸村の子孫のほうが見栄えがいい」という理由かららしく、明治には真田姓に戻したようですが。
歴史の神様は秀次を見捨てなかったとも取れますね。あんなに残したかった秀頼系よりも、秀次系のほうが血統のこりましたからね。
>>610のリンクへ飛んで思ったんだが
豊臣秀頼の遺骸は信憑性が皆無だと思われるが
豊臣秀吉の遺体は死後どうなったの?
大河では大坂城から密かに運びだされて・・・から描かれる事が少ないと思うのだが
豊国神社に祭られてたのかな?
もしそうならその後徳川に壊されて遺骸は何処へ?
>>616-618 サンクス
秀吉の遺骸に関しては京都に墓所が建てられ祀られたが
豊国神社が取り壊された後、江戸時代は荒れ放題
明治の発掘でもしかしたらが見つかったて事なんだ
結局、山内夫妻の初夜はどうなったのだろう。
ストーリー本ではやらずに千代が寝てしまうとなっていたけど、
ドラマではなんとなく、やったような雰囲気が。
一豊の朝の嬉しそうな顔とか千代の寝起きとか・・・
小袖を法秀尼からほめられて一豊が「ほう」と千代の肩に手を ポン! と
置いたときの 千代の ドッキーン! というリアクションも
致した後だからこそなのか まだなのでときめいたのか なんとも…。
「腹を壊したサルみたいなお顔」
柄本はいい顔するな・
寧々さんの、寂しさを隠した突っ込みや、その前の「だから
私はうつつの女」っていうセリフも良かった。
もう少し、浅野さん若くて、声が良かったらなぁ
市と寧々が顔合わせることはないのかなー
武田・前田の凸凹コンビが良いね〜。
初夜の描写が殆ど感じられないと思ったけど、千代が寝坊して起きたのが一豊
の布団で、自分の布団は後ろの方でガバッとめくれ上がってるんだな。
館信長の「であるか」が違和感なくてよかった。
お市さんがわざわざ千代を訪ねてくるシーンは
「普通、呼びつけるだろっ」とつっこみたかったが
お市さんが、千代の普段の姿(噂になってる着物)とかを
見たかったがために来たんだな、ってことで納得。
ローマの休日を思わせるお忍びで城下に出かけるシーンや
随所にちりばめられギャグといい、楽しかった。
天正8年(1580年)8月、安藤守就の末弟・郷氏は親子共に信長に反旗を翻し、
同10年(1582年)6月8日に誅伐されているが、
当時幼かった子・可氏は後に母の弟にあたる山内一豊に近江長浜時代から仕え、姓を変えながら明治まで続く。
山内可氏
1580年(天正8年)、父・郷氏は兄・安東友郷とともに織田信長に反旗を翻し、
1581年(天正9年)6月に誅伐される。幼少の可氏は母とともに叔父聟の山内一豊を頼って本巣郡岩手に幽居する。
1585年(天正13年)旧8月、一豊が再度近江長浜城主となると、長浜に赴いて扶助を受け、山内姓を拝する。
1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いの功績により一豊が土佐国を領すると、幡多郡宿毛に7000石を与えられて家老となる。
1629年(寛永6年)11月7日死去。なお、明治維新後、子孫は伊賀氏を称して男爵位を授けられている。
関ヶ原前、関ヶ原後
豊臣家 200万石→65万石
徳川家 250万石→400万石
千代が思わず、市に賢しげなことをいってデブ侍女(w)に
「無礼者!」と怒られ、縮み上がる。「よい、よい」と市。
これなのよ、これが必要なのよ。「利まつ」にはこれがなか
ったのよ。と1人で膝を打った。
フィクションなんだから、現代人である我々にも共感させる
必要があるから、時には本来の分を超えて主人公が自分
より遥かにエライ人に意見するシーンもあるだろう。
しかし、当然それを咎め立てる人、怒る人がいるはずでそれ
を描かないと、一気に嘘っぽくなる。
まつがいきなり佐久間信盛と丹羽長秀を怒鳴りつけたり、
しても二人ともさして怒るでなく素直に反省するという様な
シーンが続発した「利家とまつ」は時代劇という設定の意味を
喪失した。
「功名が辻」もそうなるのでは?と懸念していたが、昨日の
デブ侍女のセリフをちゃんと活かす辺り、脚本家も演出家も
ちゃんと判っているようで安心した。
それにしてもデブ侍女とチビ侍女のコンビはおかしかったね。
輿入れのシーンに姿が見えなかったのが残念。
原作関係なしの全くのオリジナルだと思って見てみたら
結構見れるもんだな。
原作の限られたイベントで長い大河を作るのは大変そうだからね。
余計だと思えるような肉付けや改悪からも苦悩が窺えて
これはこれで仕方ないのかなと思えてくる。
原作に近くなったのかな
前回までの千代だと頬っぺたムギュっていうキャラじゃないけど
鬼婆あとか言ったり一豊を裸にしちゃったりするキャラあるし
次回、空腹千代の為に一豊が猪を獲りに行く、これも凄い発想だね
デブ&チビ侍女面白かった。また出ないかな。
小谷城か北の庄城で市をかばってデブ侍女が死んだらちょっと泣くかもw
本題の意見も同意。
注意→平伏→よいよい、は必要だよね。
注意されるとひれ伏す千代と、太閤に怒鳴られても平気のへいざのまつ。
まつは間違いなく、戦後教育を受け、短大でフェミニズムを専攻してるな。
寝坊〜朝食の場面、千代が何か言う度に康豊が目を剥いてるのが面白かった。
武家なら妻女は控え目に、発言は促された時だけするもんだろう、
なんだこのでしゃばりな女は!と驚き苛立っていたようで、よく出来てる。
山内一豊は秀吉恩顧の中で家康に付いたのが池田と同じくらい早いよな。
あのまま豊臣政権に残ったところで良い事なんて一つも無いしな。
土佐一国なんて夢のまた夢。
秀次が秀吉死後も生きて豊臣政権で重きをなしてれば山内の境遇も
大きく変わってただろうけど。
小りん「あんた(六平太)だって自分の気持ち騙してるだろ」
このへんは現代ドラマですな
玉木確かにセリフはなかったけど画面の端でいろいろ表情作ってたw
康豊って男前だったって逸話があるのかな
濃なんて、美濃攻め以降公式史料には一切登場しなくて
美濃を取ったから用済みとばかり離縁されたとか、極端な
説だと信長に手討ちにされたなんて説もある。
本能寺に居合わせてっていう司馬が使ってる説(今回も
これでいくのか?)は寧ろ少数説。
いつ死んだかも分かっていないし、墓もなかったような。
可哀想だよね。
ちなみに「秀吉」「利まつ」の脚本家、竹山洋は徹底した
濃姫軽視。
濃jはほとんど登場せず、一番の愛妾と言われる吉乃が
何故か正室っぽく登場し、実際よりももの凄く長生きする。
ジバング信長の大河のとき濃姫の墓説がある墓に菊池桃子がお参りしてたよね
その墓によれば濃姫は美濃陥落後は織田家を離れ結構長生きしたって話だったような記憶がある
結局あの墓は濃姫のものではないって事だったのかなあ
何か、小さいときに読んだ信長の漫画とかは、結構お濃は本能寺
で信長と一緒に死ぬっていうのが多かった。
司馬もそうだけど、山岡荘八もそうで、大河だと「徳川家康」で
も本能寺で二人はそろって死ぬんだけど、自分はその展開が好き
だったので、大人になって史実は違うらしいと知って複雑な気分
だった。
「信長」の時は、てっきり菊池桃子が忙しいので、途中で離縁さ
れて堺へ行ったもんだと思ってた。
一豊も原作より男ぶりが上みたいだし、初夜も
一撃で決めたってことだろうなぁ
「戦は嫌だが、旦那様の夢は私の夢」で納得しちゃった。
駄目?w
民謡唄いながら(あれは何節?近江か美濃の民謡だろう
が)、老臣に諫められながらもケラケラ笑っているって
様子がなかなか良いじゃない?
畑仕事をやっても色白のまつ様と違って、ちゃんと薄汚く
日焼けしてるしさ。
あの夢の話って原作で初夜から2週間後にはじめて成功したあと
二人で語り合った話がベースになってるよね。で一豊が同じこと言ってる。
いいんじゃないの、割り切る千代。
お市さんとの交流でヤダヤダ言ってるだけでは何も変わらないと
思ったようだし。考えが甘かったと反省しているのはそういうことかと。
まつ様は11歳の寝顔からマツゲがマックスファクターでビシィ!となってたし
ブルーシートみたいな家に何年も住んでるのに身綺麗で色白だった。
畑仕事をする千代がちゃんと日焼けすっぴんメイクしてるのは好感が持てる。
結局、具体的なエピソードじゃなくて性格が似てるってことかなぁ。
でも原作の千代も無邪気、かわいい、明るい、のんき者と表現されるよ。
コミカルで明るいのは原作のキャラも同じだから仕方ないんじゃない?
原作のエピも、一豊のちん毛を調べたいと追いかけ回して裸にむいたり、
えらい人に「ホホホ……鬼婆あ」と言ったり、えらい人の前で
トイレに行きたいとだだをこねて下ネタ連発したり、コミカルだよ。
だから、千代の明るさやコミカルな感じは原作に忠実だと思うよ。
色々な設定の絡ませ方が上手いと思った回だった。
あと、衣装と小道具さん、失せもの担当さん、毎度良い仕事してる。
朝餉でよそっていたご飯は玄米か雑穀入り?の強飯に見えた。
大河はこういうところが細かくきちんとしているから好きだ。
このドラマの最大の致命傷は、一話完結じゃない事。
いや、一応一話完結のスタイルは取っているけど、何を中心に物語が進行してるのかが弱い。
なんつーか、見終わった後に「今回はどんな話だったっけ?」と考えた時、これといったシーンが思い浮かばない。
最初は知らない人物が主役の大河だから期待してなかったんだけど、見始め
たら面白くて毎週見てる。
舘信長や筒井半兵衛や柄本秀吉等々キャストが絶妙。
浅井が榎木だったり光秀が坂東だったり、派手ではないけどいい役者も続々
出て来るし。
千代が小ざかしくなくていいよー。
お市も気高く可憐に見えた。自己犠牲だけじゃなくて
自分の意思があるとこが良かった。
聡明な妻って鼻につかないようにするのが難しいよね。
歴代大河の賢妻で好ましかったのは大竹しのぶの於大と
吉行和子のねね。
市のいかにもお姫様育ちらしい空気の読めてなさというか
当然のように小袖貰っていくところとか
侍女や千代とのやりとりとかを見ると
原作の千代が淀殿に拝謁した場面を思い出す
あー、原作の淀は悪い人じゃないけど空気読めなかったよね。
深窓の姫君っていうのをそういう風に描写したので大石が考えたのかな。
原作で千代が淀のおひとに会うところは、本当にコミカルだったよね。
原作の千代パートは明るくてコミカルでほっとする。
功名は利まつのお陰で、評価面で得してるとこがありそうだな
市のあの侍女が旭姫すればいいのにw
和久井映見曰く「舘さんと大地さんの素敵すぎる兄妹に
圧倒されてます。ホントの濃姫もこんな感じだったかも」
とのこと。
フツーじゃない兄妹って感じがして悪くないんじゃないw
普通にキャスティングしたら、市=和久井、濃姫=大地
になりそうだけどねw
燃え盛る稲葉山城で当主龍興をほっといて、秀吉と半兵衛が
他人の恋路を支援するために、後のボンバーヘッド不破の自害を
止めるシーンも、凄かったとは思ったけどな。
鉄矢「丸に三つ葉柏でございます」
仲間「み、みつば、か…zqあえdcrfvt....」
鉄矢「まるにみつばかしわっ!」
仲間「ま、まるにみ ゴニョ ゴニョ ゴニョ 」
ワロタ
戦国時代劇のコミカルなシーンもたくさん見てきた
つもりだけど、まさかお市で笑いをとりにくるとはw
おそるべし大石。
笑いだけでなく、こんなに生き生きしたお市は初めてだ。
可愛くて可笑しくてこれまでで一番死なせたくない。
大石、史実うんぬんはおいといて、
実は司馬作品にふさわしいと思うよ。
人間を喜劇的に生き生きと描こうとするところが。
大地市の乗馬シーンは吹き替えですよね、腰から上とバックショット
だけでしたもんね。
あの住まいは云わば社宅みたいなもんなんですか。あの相撲も考証
なんすかね。
「功名が辻」の方は読んだ事ないからわからんが、
仲間千代見てると同じ司馬作品である「夏草の賦」の菜々(長宗我部元親の正室)
みたいだなと自分は思う。
天真爛漫でちょっと天然入ってるところが。
一豊ウラヤマシス
あんだけ気立てが良くて可愛い嫁貰えたら、そりゃあはりきって仕事に打ち込むよなー。
仲間に間近で「一国一城の主になるんですよね(はぁと)」なんて微笑まれてみろ。たまらんぞ。
一豊が近江で役目を果たしてるシーンをなぜ入れん。
女どものおしゃべりよりはるかに大事なことだろう。
お濃とお市の配役を逆にすべきだった
小山評定
『関ヶ原』(TBS)でも『功名が辻』でも堀尾のアイデアを一豊がパクったことになっているのな。
小早川秀秋「どちらが勝っておるのじゃ」
「お味方に御座います」
小早川秀秋「味方とはどっちじゃ」
高知城の築城の際などには一豊と同装束六人衆(野中玄蕃・市川大炊
・柏原長宅(半右衛門)・乾宣光(七郎左衛門)・乾和三(猪助))を影武者として共に現地を視察した
(影武者の存在などは機密事項であったため通常記録には残らないが、一豊の場合には明記されている稀有な事例である)。
長宗我部盛親
西軍壊滅後、盛親は軍を率いて追撃を振り切り、領国の土佐に逃げ帰った。
その後、盛親は懇意にあった徳川氏の重臣・井伊直政を通じて家康に謝罪しようとしたが、
その前に家臣・久武親直の讒言から兄の津野親忠を殺害したため、
このことが家康の怒りを買って領土没収で改易となった。
大名家としての長宗我部家はこのときをもって滅亡し、
一領具足で鳴った勇猛な家臣団は各地の大名に誘われ再仕官する者、牢人となった者、元の百姓に戻った者など、散り散りになった。
小山評定@大河ドラマ『徳川家康』
山内一豊がちょこっと出てくる
竹中半兵衛の屋敷で偶然再会したときも「おおきゅうなったのぅ」に
満面の笑みで「はいっ!」て返してくれて…そりゃあ火の中からでも
命懸けで助けに行きたくなるよね。
結婚式シーンが、1話からあればよかったのになあ〜
あまりにも、スタートが汚い親父ばっかりだったもんな〜
1〜4話は無駄
1〜4話は大石さんのオリジナル。
でも1〜4話のような前ふりがないと、
たぶん5話のおもしろさもなかったわけで。
面白いけどコメディなのかシリアスなのか方向性をはっきりしたほうがいいかな。
ただコメディでも要所が締ってないとグダグダになるしな。
役者に合わせて脚本書いているというのはうかがえる。
和久井が好きだ。ちょい暗いイメージの役とかははまる。
仲間も好きだ。明るい雰囲気がやはりあうかな。南の島の生まれだけに。
ドラマでは不破家からの持参金で、実は懐があったかいせいもあり、
明るく振舞えるのも納得できるが・・・お馬さんが出てくるまで使えないのよねw
配役の年令が一番のツッコミ所なドラマだと思うけど、
それは三日見たら慣れるようなこと。
演技で納得させられる役者が多いから、自分的には結果オーライ。
いつも大河をスルーしてたうちの母も面白そうに観てたところからして、大河を観ない層に受けるんじゃないか?これ?
もっとも新規の若者を掴む役者さんもあんまりいなさそうだけど…
コメディとシリアスのバランスのせいなのか、キャラの何人かが似てるのか、
このドラマを見ているとときどき、川原泉って人の漫画を思い出す。
仲間由紀恵さんを主演に起用したことで大河ドラマの視聴者層を新規開拓している。
この功名が辻はまさにその過渡期。
お茶の間で楽しく見られる娯楽時代劇の原点に戻そうとしている気がする。
NHKは大河ドラマも紅白歌合戦も天下のNHKの看板番組だから国民は有り難くみるようにという姿勢を
改めようとしている。
ひどい。子役と成人役のキャラクターが違いすぎる。
顔の輪郭が違うぐらいならまだ許せるが、これは他人と言ってよい。
木に竹を継いだような、或いは竹に木を継いだような物語展開だ。
やはり、役者がチェンジしたところで別物語が始まったと思った方が良いのだろうか。
上川さんは不人気みたいだけど(?)、一豊役には合ってるとおも。
興味ない俳優だったけど今回見て当たりと感じた。
ジャニ君とかは本当、勘弁してほしいw
大河じゃないけど、「二十四の瞳」で学校一のドブスが
星野真理(金八の娘)になったときは驚く以前に混乱して
話の流れを見失った。
仲間は笑顔がいいから千代にぴったりだよ。
痩せてるんだろうけどガリガリには見えないから
ちょい豊かっぽい原作千代のイメージも損なわない。
上川はキャリアがあるのでいい。
キャスティングは八割方満足です。
今回でお市のキャラが見えたので、この配役で良いと思うようになった。
生活感の無い天然姫様・お市は大地の方がハマると思う。
濃姫は今んとこ幸薄そうというか、信長に無視されてて可哀想だけど、
それだけでは終わらせず、和久井らしい芯の強さを見せて欲しいと思う。
利家は信長直属から柴田軍団配属だね。
羽柴軍団の山内らとは縁薄いな〜
格的にも、本能寺の変の時点で柴田揮下で七尾城主だから一豊よりかなり上で絡ませにくいかな〜
一豊が掛川城主になって豊臣政権下の政局ばなしに絡めるようになったら出てくるんジャマイカ。
原作は一応四巻の長さがあるし、勢いがあって面白いけどね。
途中から司馬の千代萌えが炸裂してとどまるところを知らなくなるが。
関ヶ原前夜でも、一豊は千代の指令で動いてるし。でもそれが面白くていい。
途中で「余談だが」を入れ、司馬と観光協会の千代萌え談義を入れてほしい。
合戦場で一豊の顔面に刺さった矢(だよね?)を
顔面踏んづけて抜くところとか、緊迫感の緩む面白さだよ。
こういう司馬の戦国小説もあっていいよな、と楽しく読めた。
千代の馬買い話は後世の創作だけど世間に広く流布していたようだし
戦前の修身や女子教育によく用いられた逸話らしいから
高齢者にとっては知ってて当然の話・・・なんだよね。
自分は内助の功といえばまず一豊の妻、と祖母から聞いていた。
ライト大河
ドラマにおける山内一豊の石高の推移
20石(仕官時、スタート)
50石(稲葉山城落城後)
200石(金ヶ崎で三段崎勘右衛門を討ち取った恩賞)
400石(第14回『一番出世』。小谷城落城後。150石の中村や堀尾をリード)
700石(三木城攻めの頃)
千石(時期不明。中村、堀尾は300石)
千300石(三木城落城後。山内、中村、堀尾同時。3人同格)
3千石(山崎の戦い後)
3千500石(時期不明)
3千800石(賤ヶ岳後。第28回『出世脱落』。中村は2万石、堀尾は1万7千石の大名)
2万石(小牧長久手後。身をていして秀次をかばった恩賞)
5万石or6万石(北条攻め後。中村は14万5千石、堀尾は12万石)
20万石(関ヶ原後)
珍しく原作読んでから大河ドラマに入るパターンで4話までの原作無視っぷりに
戸惑ってたけど、なんだかんだ面白いや
ところで、あんまり時代物見ないんだけど信長って他ドラマでもあんな感じ?
もう少し涼やかなイメージしてたもんで驚いた。というか吹いた。
キャスティングはやはり豪華ダナ
仲間由紀恵、長澤まさみ、長谷川京子
特にドラゴン桜の長澤、ハセキョーが揃って
ごくせん、TRICKの仲間由紀恵と大河ドラマ
に出るなんて…。大地真央、浅野ゆう子、和久井映見まで
一緒って、まず民放では不可能!
山内一豊って大した人ではないって評判らしいけど、原作じゃ農夫型でいつも
それなりに中ぐらいの戦功は立てているって書かれてるよな?
これって結構すごいことに思えるんだけど、逆に上からの覚えは悪いだけなんだろうか?
山内一豊は普段は温厚で掛川城主時代は領民にも慕われたと言われている。
ステラにも掲載されていたように治水事業にも腕をふるい、土佐城主に
なってからは檜に目をつけ、海産物を関西方面に輸送して藩の財政の
基盤を作ったと言われている。そんういう領主としての夢を千代に
語る政治家としての一面も描くと撮影に協力してくれた掛川市民
高知県民も喜んでくれると思う。
大石がえらいのかスタッフがえらいのか、
エピを増やすために使えそうなものや人は
手当たり次第に有効活用しまくっている姿勢がたまらない。
特に前倒のパッチワークの使い方がうますぎるよ。
焼け残った着物をつなぎあわせたことで、
むしろ原作より自然な登場になったし、
変わった小袖ねと一気に千代のトレードマークになり、
言葉で賢さをひけらかさなくても、貧しさのなかから
工夫で美しいものを生み出せる女だと、
むしろ原作より映像的にアピールできてる。
そして悲劇の人でしかなかったお市で笑いをとるという
快挙wをなしとげ、ネネのキャラに陰影をつけてみせた。
ネタばれかもしれんが例えば、
後に大名になったからと
一旦この小袖を捨てさせた後で原作エピが重なれば、
パッチワークは喪失からの再生の象徴にもなるね。
更に淀ネネエピが重なれば
母お市と微妙なリフレインになって、
めぐる因果みたいな味わいを加えることもできそう。
香川照之は、一番美味しい役だと思う。秀吉役よりもだ。
>>697 なるほどね。大石静に脚本依頼した
のも納得できる方向へしだいに流れていきそう。
テンポもよく秀吉の草履とりとか千代のパッチワークのエピなど
上手くとり入れているんだけれど、見終わった後物足りなさが残る。
何なだろう、大物、ベテランなど演技派を揃えているのに何故なんだろう。
尊氏、信玄のような重厚さを求めていない。あれは見ていて結構疲れた。
政宗、元就のようなホームドラマの要素があってもおもしろく見終わった
後満足感があった。
小りん「(一豊は)床上手じゃなかった」
六平太「比べるな」w
予算がないなら「その時世界は動いた」みたいに、
他の大河のジーンを映像加工して挿入すりゃいいのに。
エキストラしか映ってない絵なら問題ない。
市の結婚時期が稲葉山城陥落前
ってのは禁句ですか?
この題材で従来の大河ドラマ手法は限界があるだろうなぁ。つまり大河ドラマを超える、長編ドラマをつくる気概で頑張るしかない。
原作どおりに再現すればうけないだろうね。
原作ファンや史実好きが怒るぐらいの展開にしないと。
康豊は前回の朝食のシーンで千代がしゃべるたびにものすごくキョドっていたが、あれはなんだろう。
惚れたのか、兄嫁に。それとも見たことのないタイプの女だったからびびってるのか。
敦って城オタクだったんだ…見直した
ロンブー淳が城ヲタなのは結構有名だよ。
それの延長で時代劇だかなんだかに出演したいって事務所に言ってて
大河の出演が決まったらしい。
同じく城ヲタの三津五郎さんもロンブー淳が城ヲタなのを知ってて
共演シーンがあれば城の話で盛り上がりたいって言ってた。
でも、流石に真剣持ってることまでは知らなかったな、恐るべしロンブー淳。
舘ひろしの殺陣はなんであんなにスローリーなんだ
>>710 確か永禄七年説と十一年説があったと思うが
お市の方と浅井長政の婚姻時期
『信長公記』によれば、永禄10年(1567年)
『浅井三代記』では永禄7年(1564年)
他にも資料により年代は異なるため、長政との正確な婚姻時期は不明。
縁談が後としてる研究者が多いけど(小和田哲男等)先としてる研究者もいる(宮島敬一)らしい
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葵徳川三代@小山評定
山内一豊がちょこっと登場していた
明智光秀を比較的好意的に扱っている作品なんだから
光秀の妻をもう少し美形の役者にして欲しかった
第1回「桶狭間」
信長「そのほう(一豊)の槍は短いわ」
原作だと、朝鮮出兵の時点では全国の大名が疲弊してるみたいな説明だった。
家康と決着がある程度ついて江戸に押し込め、大名の転地が済んだばかりで
新しい領民とうまくやってかなきゃならんときにどうやって遠征費を捻出するか。
そこまでが戦戦で兵糧や軍費を吸い上げられた民が一気を起こす可能性もあり、
史実は知らないが司馬の記述では鶴松死去の十数日後に朝鮮出兵が発表されて
客観的に異常な雰囲気だったとか。江戸に転地したばかりの家康も動かず、
東海道の大名を留守にするわけにいかなくて山内家は出兵をまぬがれたという
設定で、司馬はこの頃の一豊に「出家したい」とまで言わせている。
それは反戦ではなく、この戦がいかに無益かということかと。
その証拠に関ヶ原前夜の一豊は五十代半ばなのに功名が欲しくてやる気満々だよ。
危なそうなアイテムといえば「千代特製パッチワーク着物」なんだろうけど、
あれは原作でも十分に登場しているからね。
功名の問題点はそのシーンに入り込むより先に画面が切り替わって
しまうことだ。感じるより先に場面が変わってしまう。その点としまつは3つの
家族が中心(利家、秀吉、成政とその嫁)だったんでみやすかったよ。
それと無駄な台詞が少なかったな。功名は言葉が軽いな。
反町なんか「であるか」だけだったけどまさに信長だった。
功名はたしかに切り替わり早いし唐突な気がする
テンポがはやいというか
あのパッチワークの旗を見るとなんの罰ゲームだろう
と思ってしまう。
草燃える、尊氏、信玄、元就は心に残る名作。
利まつは記憶に残る漫画大河。身分差も何もあったもんじゃない。
信長から追放されている時だって家はあばらや、着物はお市様並。
功名は場面展開が速くてえっというところはあるが
一応下級武士の生活ぶりもみられておもしろい。
パッチワークを前倒ししてねねとの交流を持たせたのもいいと思う。
原作では、ねねは中年になって初登場し、長浜つながりだけで千代に声かけする。
あとは関ヶ原前に呼び出して、突然二人は前から仲良しでしたみたいになってる。
この二人の繋がりが関ヶ原前の山内家の身の振り方を決めるのに薄い。
家臣達が庭に松を植えてるところで
一豊が「五十石の身代ではちと立派すぎるのでは?」
みたいな場面も原作にあったよね。
そういうところも有効利用してるなと思う。
昔は、ねねや濃姫のように、妊娠しない女が一定割合いた。
(栄養不足?濃姫には当たらないだろうな。産婦人科の医学が未発達だったからかな。
それと、低年齢でセックスを始めると流産しやすくなる…てのは俗説か)
子供をたくさん作りたい信長や家康は、無駄玉を避けるために、妊娠の実績ある女を側室にした。
性病よけは、根拠ないだろう。出産後に病気移されることもあるし。
あと、一人産んだあとの女が一番味がいい…という俗説もありまつ。
新井白石の一豊評については原作でもちょっと触れられていた。これ読むと、馬を買ったのは
織田家に仕官してすぐの軽輩のころってことになってるし、原作にある天正の馬ぞろえの時期
ってのはその時期の一豊の身分(2千石)からするとちょっと無理がある。
あと、10年以上もお金隠してるのは夫婦の機微としていかがなものかってツッコミを永井路子
が司馬本人にいれたって話が文庫版あとがきに書いてあった。
光秀が伝統的な格式重視主義者で幕府再興を願っていた、という設定は納得いかん。
光秀がそうだとしたら、元亀年間に既に反信長陣営に加わっている筈。
時代考証の小和田先生はどういう意見を出したのだろう?
歴史が転換する時に現れた過去の遺物足利義昭と既成のものを
壊す信長の対面は見物でした。そんな歴史のうねりのなかでも屈託ない
山内家ファミリー。それにしても秀吉夫妻の一筋縄でいかない二枚舌ぶり。
おもしろかった、いや本当に。過去にこのような秀吉の描かれ方があっただろうか。
光秀は合理主義者で、基本的にベクトルの向きは信長と同じだとオモ。
おいおい嘘はいかんだろ。千代紙の名前の由来が千代からついただと。
一豊たちを立てるために必死だなNHkはw
千代の小袖が千代紙の由来説は昔から普通に言われてるよ。
別に国営放送が無理矢理こじつけてる訳じゃない。
真実かどうかは別として諸説あっておかしくない。
長篠の戦い
「信長公記」によると
「一番、山懸三郎兵衛、推し太鼓を打ちて、懸かり来なり侯。鉄炮を以て、散貼に打ち立てられ、引き退く。二番に、正用軒入れ替へ、かゝればのき、退けぼ引き付け、御下知の如く、鉄砲にて過半人数うたれ侯へば、
其の時、引き入るゝなり。三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる」
武田勝頼は無位無官ではなかった。
大日本古文書内上杉家文書収録の上杉景勝宛書状の署名によると勝頼は大膳大夫。
千代って言うと国歌にある八千代の意味と同じような気がするけどそれかにゃ?
信長、年のせいか月代剃ってる方が似合ってるじゃんw
武田鉄也はいいな
アレと吟の掛け合いだけが毎週の楽しみだ
舘信長にも段々慣れてきたけど
時々声が聞き取りづらいな。
榎木孝明も熊谷真実も良さそうなんだが
早々退場ってのが惜しいなあ・・・・
でも面白い。自分、大河ファンだけど
大河はこうあるべきって型は持ってないから
こういう肩の力抜いて見れるの大好き。
秀吉のくだりとか、随所に緊張感もあるし。
美濃や近江のことに詳しく軍事機密まで知っているのにだんなのことは知らない千代って・・
主役の一豊と直接絡まない信長周辺の動きを話の主軸にするのは少し違和感あるよ。まぁ大半の人はそのほうがおもしろいんだろうが
テンポが良いんだよな、脚本も演出も演者も。
仲間のコメディエンヌぶりを上手く引き出した演出だし、
武田・前田コンビや、柄本・浅野夫婦の掛け合いも絶妙。
結構突っ込みどころは満載なんだが、どーでもいい回で
しかもどーでもいい主役で45分飽きずに持たせたのは立派だよ。
その点、としまつは無理やりお松と信長や史実の動きを合わせようとして、
違和感あったから、見てられなかった。
吉兵衛「賢くはない
が、素直な所が良い
…躾けねば!」
ツボはこれだなぁ
小早川秀秋→備前(宇喜多旧領):最悪
山内一豊→土佐(長曽我部旧領):最悪
長篠の戦いが馬と鉄砲の戦いと誤って伝えられているのは映画「影武者」のせいw
test
748 :
名乗る程の者ではござらん:2013/12/31(火) 22:47:36.99 ID:fz2mkX56
百姓、町人などから大名になった人物は秀吉、道三以外にいる?
ついでながらその中で幕末まで家を守った大名なんかいるかな?
関ケ原で三成を捕らえた田中吉政も近江の農民?出身ですよ!秀吉に取り立てられたから当然か・・・
福島正則:町人の出身
北条早雲は商人だったとも野武士だったとも言われていますね。
>>748 福島正則は桶屋の息子。
小西行長は商人の息子。
本多正信は鷹匠上がりらしい。
光秀と濃が思い合ってるというのは国盗り物語オリジナル?
テレ東でやった国盗り物語もそんな感じだった
高齢役者どもも違和感なくなってきたが展開がえらい早いな。
もう少し日常のエピソードを入れて欲しい。
ハッピーエンドになるのがわかってるから
気楽に見れて良いな。
仲間がかわいく見えればそれなりに楽しめるじぇ
同タイプながら利まつは松嶋が鼻について視聴を断念したけどね
千代は一豊と夫婦でがんばってる雰囲気が萌え要素だけど
松嶋のまつは常に上から物を言う感じが日本人的な「良妻」じゃなかったからさ
貧乏で飯食えないとか、上質の着物を売ってもやりくりしきれないとか
いい感じだなあ。こういう当たり前の要素を見たかったんだよ。
武田鉄也と前田吟のやり取りがみたいな、武田だけだとコメディーが強くですぎる
二人のかもしだす雰囲気が好きなんだけどな
宇喜多秀家が関ヶ原西軍決起の発案者であるとの説がある。
三成が大谷吉継に協力を求める前の7月1日、秀家が豊国社で出陣式を早くも行っていることをその根拠とする。
なお、この出陣式に高台院(ねね)は側近の東殿局(大谷吉継の母)を代理として出席させており、ともに戦勝祈願を行っている。
これにより、高台院が東軍支持だったという俗説には疑問が提示されている。
「北政所周辺に西軍関係者が多い」
三成の娘(辰姫)が養女になっている
側近の東殿は大谷吉継の母である
一説には小西行長の母ワクサ(洗礼名:マグダレーナ)も側近である
「西軍寄りと見られる行動を取っている」
側近の孝蔵主が大津城開城の交渉にあたっている
甥である木下家の兄弟(小早川秀秋の兄弟)の多くが西軍として参加し領地を没収されている
「東軍諸将との関係が薄い」
『梵舜日記』(『舜旧記』)に高台院の大坂退去から関ヶ原の戦いの数年後まで高台院と正則らが面会したという記録が無い。
戦国乱世の時代は、自分の手柄次第で出世が可能でした。
手柄をあげることを「名をあげる」とも言いますが、そのさまを「功名」と言います。
手柄をあげたくてあげたくてたまらない、といった様子を「功名心にはやる」などとも言ったわけです。
「辻」とは四方八方から道が行き交い、人が多く通る場所を一般には指しますので、
戦国時代、山内一豊に見られるような「功名」にはやる武士たちが、いかにこの時期、そのことに躍起になってそれぞれの人生を歩んでいったか、
ということを、司馬はこのタイトルにこめたのではと思います。
武田鉄矢→かしこくはないが素直
ねね→あの奥方は切れ者
ってあたりは、千代の才能をよくあわらしている。
仲間や浅野や館に、華がある
鉄矢やえの本などの演技もいい
みな笑いとりが上手いし
明智光秀も品のある人物もってきたし
なぜ、こんな礼儀正しい人を信長は怒らせたのかって興味でてきたし
武田はまんまと乗せられてるんだろうけどね
あぁいうタイプは「話し上手ですね」とか褒めておだてて
それでいて「もっと知りたいです」と良妻ぶりをアピールすりゃいい
って賢い千代様はわかってそう
だから、わざと丸に三つ葉柏のエピも忘れた振りしたんだろうし
千代が紋所の由来を繰り返し聞いたのは
独り者の吉兵衛の話し相手になってあげる為だとオモタ。
秀吉の前でさりげなく旦那を立てたシーンといい、
ただの天然でいくのかと思ってたが、ちゃんと賢さも持ったキャラみたいだね。
歴代大河OBが入り乱れて出演してるね
秀吉OB=西田、武田
光秀OB=近藤
家康OB=津川、橋之助
三成OB=近藤、宅麻、江守
ねねOG=佐久間
浅井長政OB=宅麻
1940年生 津川雅彦
1942年生 近藤正臣
1944年生 前田吟
1947年生 西田敏行
1948年生 柄本明
1949年生 武田鉄矢、勝野洋
1950年生 舘ひろし
1956年生 坂東三津五郎、榎木孝明
1960年生 生瀬勝久
1961年生 三谷幸喜
1965年生 上川隆也、香川照之
館は信長としては迫力不足、義昭に至っては単なる大根役者。
まあ、まともな演技と思われるのは仲間の千代だけ・・・orz
田村淳なんて役者と言うより・・・
榎木50近くには見えないな
そういや千代に子供が生まれず、山内家二代目当主は甥(弟の息子)がなったんだっけ。側室すら持たなかったんだよなぁ
・躾けねば!
・将軍様の扱いに苦慮してそうな細川藤考
・人間盾製作中の秀吉
・千代の屁理屈を上手くやりこめた商人
・一豊主従の雑魚寝
一豊が一氏や堀尾と雑談している場面で、兵具の手入れをしていてちょっと感激。
あんまりああいう演出ってないような気がする。
今の一豊の身分なら、日常的にああいう作業を繰り返してただろうし。
演出家への信頼感がupした。
半兵衛殿血色悪で病死のフラグたったな、でもあの訪問って許されるものなの
一豊も怪訝そうでしたが。
子役達のリアクションよかった、妙にこなれてなくて、父出陣に際しても各自
違うんだよな。
金八×エンクミのショートコントいい
遠景撮り多いんですが
あのドォ〜ンジュルジュルは『踊る』を思い出した。
弟くんは他家に仕えてるけど、結婚祝いに来ただけ
かあちゃんは庵で一人暮らし
山内康豊って、何気に、本能寺の変のときに、信忠と同じ二条御所に
いたくせに、逃げ出してるんだよね。
村井貞勝とか、忠臣はそこで信忠と一緒に討ち死にしてるのに。
側室持たないいきさつ、原作にあるよ
千代が、健康的な侍女を身の回りの世話役にして、京都に旅行に出ちゃうんだけど、
一豊は、その、なんだ、できないんだよ・・・
しかし画面見てたら説教こく金八とボケ倒すヤンクミの漫才だな。大河ドラマで夢の共演になってる
吟はさっさと隠居して、長男の浜田学に家督を譲るんだよね
どうしても、柄本、榎木、近藤、武田は太平記の師直、日野、北畠、楠木のイメージが離れない。
年取りすぎって感が否めない。特に、藤吉郎は。
一豊は毛利隆元と全く変わらないし。前田吟も本多正純そのもの。
不破のおじさんは「天と地と」で浅井長政の榎木と武田信玄・上杉謙信で対決してるし。
何か頭ん中が混乱するような古参キャストだ。
こうなると、陣内孝則と緒方拳が必要だ。
確かにキャストは年取り過ぎだよね。
何故お市がもう50歳近い大地真央?
いや、綺麗な女優さんだし、全然そんな年齢には見えないけど。
それがますます仲間由紀江のプロモーションビデオ化に拍車を掛けてる気が。
山内康豊は下っ端だったから、主君を見捨てて逃げても責められないけど
同じく逃げ出した織田信長の弟の有楽は京童に
「織田の有楽は人ではないよ♪」と逃げ出したことを非難されまくった。
大衆娯楽ドラマなんだから、いちいち名前まで気にしてられないしな
まして、浅井長政なんて脇の脇みたいなやつまで
ドラマとして脈絡が通っていればそれで良し
それにしても、ここは歴史談義が多いからドラマの話に戻すが、
浅井久政・山本圭の存在感が薄かったな。柴田や丹羽ら信長の家臣もだけど
光秀の扱いが大きいのがわけわからん。
濃姫も出さなくていいじゃん。
やっぱせっかくだから途中まで信長もので行きたいのかね。
こっからは秀吉か光秀かって言う
織田家の出世争いだからしゃあない
朝倉攻めね。
それが前半の功名だからと言って、大将なんか出なくてもいい。
一豊は下級武士だし、戦う相手(朝倉軍の剛勇の士・三段崎勘右衛門)も
同じような扱いの相手だからね。
その三段崎勘右衛門も無名の役者の方だし、大将の朝倉義景なんて出るかすらわからん。
結局、今回、榎木長政が出たのは、
光秀←濃姫⇔信長←お市⇔長政の関係を描きたかっただけで。
そういや、堀尾からの呼び方が一豊になってた
伊右衛門は前回限りかな
一豊って、秀吉みたいに百姓の息子とかではないけど
秀吉と同じくらいの階級、貧乏さ(20石)から、成り上がったんだね。
プロキシサーバーを使わないと見れないんだな
見られるようになったけど重い
日曜日のこの時間は視聴無理か?
2014年大河ドラマ軍師官兵衛は功名が辻の劣化コピー。原作が違いすぎるので・・・
功名が辻
適度に歴史、適度にホームドラマ、適度に入るわかりやすい解説
適度に恋愛で明るい画面で今思うと結構名作だと思う
軍師官兵衛の清盛臭が耐えられなかった。つまらなすぎる
一豊と千代・この夫婦いいなあ〜
癒し系だわ〜
同じ信長関連ものでも原作や脚本によって人物設定全然違うからおもしろいよね
濃・光秀が恋仲もそうだけど、お市の扱いも兄思いだったり兄を恨んでたりとか…としまつなんて、お市はずっと勝家を慕ってたなんて設定だったし。
榎木は最近すぐ退場する役ばかりだな
相島の義昭は良かったなあ。だが三谷もビジュアル的には合っている。
なんか、仲間の出てるシーンはことごとくコント色満載だな。
それでいてその他のシーンは大マジメだからそのギャップがなんとも・・・。
もっともかく言う俺も、ああいう仲間の出てるシーンはかなり好感持って
見てるけどね。なんだかんだ言ってもいい味出してると思う。
家族もろとも城下に住めっていうのは信長の農兵分離政策。
今日やっと信長周辺が大河みたいな流れになってきた。
三谷、違和感なかったし近藤のキャストいいねえ。
光秀は1人だけ空気が違って裏切る伏線満々だし、
濃は和久井のちょっと不幸っぽい顔がここにきてはまっていいかも。
千代周辺は生活苦でこれはこれで面白かった。
セリフもなく、ただ数合わせみたいなもんだな>信長家臣団
苅谷さん見ると村井貞勝に見えて仕方ないし、
勝野さんは井伊直政だし、名高さんともう一人は全然知らん人だしw
浅井の読み方
あさい清音とあざい濁音。
滋賀県で現在「あざい」と読むことから、小和田哲男氏により、あざい説が提唱されている。
勝野洋の柴田勝家
モブ化してしまって無駄遣い甚だしかった
太平記の赤橋はあんなに美味しい役だったのに
同じく榎木も無駄遣いだったけど一応見せ場はあった
山本圭もひどい扱いだったな〜
大石は贔屓の役者じゃなきゃどうでもよかったんだろうか
信長の重鎮たちはただのお飾りだね。
後々出てくるやつもいるだろうが、今はキャラを立たせる気がないのか。
第7回「妻の覚悟」 2月19日放送
織田軍は南近江の六角氏を攻めていた。
しかしある日、信長(舘ひろし)は、一豊(上川隆也)や秀吉(柄本明)らわずかな供のみを連れて、
市(大地真央)の嫁ぎ先、小谷城に浅井長政(榎木孝明)を訪ね、大胆にも一夜を過ごす。
『信長暗殺の企みあり』。一豊に告げたのは六平太(香川照之)。
事実、この機に乗じて信長を亡き者にするべしとの声が城では上がっていたが、
義兄の信長を裏切ることはできないとする長政によって陰謀は食い止められる。
間を置かず、織田軍は六角氏を平らげて上洛。
征夷大将軍に任ぜられた足利義昭(三谷幸喜)は信長を父と呼び、
副将軍か管領となるよう申し入れるが、将軍の下に入る気のない信長はこれを拒否。
畿内を平定したのち、岐阜へ帰陣する。
一豊たちを待っていたはずの山内家は、悲しみに包まれていた。
新右衛門(前田吟)の妻、ふね(熊谷真実)が流産し、そのまま急死したのだ。
自分を強く責め、戦場の夫には知らせてくれるなと、
ふねが言い残していたことを涙ながらに語る千代(仲間由紀恵)だが、
それが侍の妻として持つべき覚悟であることも同時に思い知らされていた。
翌年春、再び上洛した信長は、将軍御所を建て、京都奉行の一人に秀吉を任命。
与力である一豊も、京に留まることを余儀なくされる。
秀吉光秀の出世争いか。。
てことは、例えば、
光秀―長宗我部ラインだった信長の四国政策が
秀吉の画策で、秀吉―三好ラインに変わった
とかそういう描き方をするのかね。
信長家臣重要度
光秀=秀吉>>柴田>>>>>>>>佐久間>丹羽
よかったところ
浜田学
昔の光秀が細川藤孝になってた
光秀の鼻笑い
いのしし鍋シーンの有効利用
吉さんの機嫌の取り方
微妙
旗…
若光秀…
奥様の一日おきに気づかない新さんの妻
義昭のテンション
重要な役かどうかは史実では実績が残っているか否かではないだろうに。
描き方にもよるが丹羽はスルーしようと思えばできるだろう。
柴田は秀吉と対決があり市とも絡むから重要だが。
佐久間と林もスルーできるが、これは信長をどう描くかにより程度が変わる。
で、光秀はあまり出てこなくていいと思っていたが、どうも本能寺に行く前
のストーリー上でも重要なようだね。
狡猾な秀吉とか
生真面目な光秀とか
しきたりに嫌悪感しめす信長とか
しっかり夫婦やってる一豊と千代とか
ちゃんとドラマしてておもしろかったとおもうが
三谷義昭のあの風体は
公家に被れて武家の本懐をわすれた末期の将軍家って感じで
けっこうあってたと思う
秀吉も信長の前では「ははぁーっ」なのに心の中では「ちっ!」と
舌打ちしてそうな態度なのも楽しみ。
滝川は信長の死後柴田と組んで秀吉と争うが
敗北し、出家してる
一介の甲賀者から身を起こして大名にまで上り詰めたんだから
秀吉と似たような境遇だったんだろうけど
田中健は佐久間信盛役者だな。
信長でもそうだったし。
津川雅彦の家康みたいにはまり役なのかも。
ちょっと小生意気でふてぶてしいが、常識人的態度が。
千代が「まるにみつばがしわのもんどころ」を、スラスラと言えるようになっていた
仲間由紀恵あるところに生瀬ありって感じだな
あれほど反戦至上主義者だった千代が、今日は「世間に広く目を向け
なければ一国一城の主にはなれませぬ」などと言っていて多少の違和感
を感じた。(戦で人を殺し、戦功を立てねば城主になれまい)
それと、やはり「利家とまつ」よりも意外性がつまっていて、ずっと面白い話ではあると思う。
反戦至上主義者ってのはちょっと違うと思う。
冒頭の、百姓千代が戦で農作業を中断させられ戦を嫌がるのは
当時の半農武士を抱える農家の本音として普通に受け取れた。
両親を殺されて戦が嫌いというのは、原作で古参家臣を亡くして
「武士はいやです」と泣く場面をベースにしているのではないか。
千代は一貫して戦と武士が「嫌い」という主観的な意見を言っていたが、
客観的に「戦をすべきではない」と大局に立って物を言ったことはない。
また、自分が口で戦嫌いというだけで戦を無くすための積極的
努力をしていないというのはお市との交流で自覚し反省している。
だから戦に向かう夫や家臣にもガタガタ言わなかったのだろう。
そんな駄々を一人でこねてもなんの意味もないから。
また、信長が京に行って日本を再統合し中央の力を強めれば、
千代が幼い頃体験したような戦はなくなる。そういうことを
千代はすでに理解し、腹をくくって行動しているように見える。
狡猾な秀吉
うーん、狡猾ってのはちょっと違う気がする。
内心では「けっ、こんな鍋食ってられっかよ。それにこの小汚いガキ共
勘弁してくれよ」とか思っていても、表面上は楽しそうにしているってのだ
と「狡猾」ってことになるだろうけど。
秀吉自身、ああいう場は嫌いじゃないし、子供とじゃれるのも嫌いじゃない。
だけど同時に、その場に自分が身を置くことがどれだけ自分に有利に
なるかも知っている。これは「狡猾」とは言えますまい。
人なつっこい好人物でありながら、同時に計算高い。だからこそ、人たらし
の天才、秀吉なんだよ。
竹山洋が描く秀吉は本当に狡猾って感じで、偉くなった途端目下の人を
小馬鹿にするような態度をとるような感じが竹中、香川ともあったが、あれ
じゃ「人たらしの天才」とは呼ばれないよな。目下の人間は離れてしまう。
千代は少女時代のトラウマから、「戦嫌い」ではあるけれども
同時に大好きな一豊様が一国一城の主になるためには「戦は嫌い」
なんて言ってられないことを良く知っている。
また「利まつ」を例に出して悪いが、あのドラマのまつなら前田吟の
息子(多分、元服の年齢に行くか行かないかという設定だろう)が
戦に同行したい、と言ったら、何か調子のいいことを言って、止める
だろう。だけど、千代は止めない。それが現実と分かってるから。
前回の「戦は嫌いですが、旦那様の夢は私の夢」という一見矛盾した
発言は実は矛盾していないんだよね。
>>822 だから、ねねにああやって本音を言っても
ねねは深刻にならないし愉快そうなんだろうね。
秀吉は下からのし上がったので、自分のために命を
かけてくれる家臣(新右衛門と吉兵衛みたいな)がいないから
頑張ってそういう家来を増やしてるというのは原作にも
あったような記憶があって、あの台詞は「おっ」と思った。
この時期はまだ福島加藤のような子飼いの部下は小さいんだよね。
竹山に限らず、最近は「ダーク秀吉」って感じで秀吉を描くことが
多いよね。昔からの「太閤記」流秀吉像へのアンチテーゼなのかな。
でも、少し偉くなった途端、態度がでかくなったり、信長への忠誠心も
打算が主だったりっていう造形は違和感あるよ。
晩年は老醜をさらしたけど、天下を取るまでは人間的にもかなり魅力
的な人物でなければ出自の卑しい秀吉に人はついてこなかったと思う。
秀吉に限らず出世していくと猜疑心を持つようになってチキ外になる。
出が百姓なら尚更、おおらかな姿はなくなり、攻撃的な小心者となる。
信長は裏切られすぎて攻撃的な小心者になったんじゃなかろうか。
その点、何事も辛抱の家康は格上だね。
三谷義昭、もっと珍妙になるかと思ったら想像以上に普通に演じていて
驚いた。記者会見で言っていたように、ホントに「そ、そ、それは真か!」
台本通りに「そ、そ、」と叫んでいたのは笑ったけど。
面白いなーこの大河。
批判もあるが、2ちゃんでこれだけ誉め言葉があれば上等。
功名が辻原作の秀吉は、晩年になって才能が完全に枯れてしまっても
人間としての魅力だけは変わらずにあるって描写だったな
主要な俳優陣がレベル高いよ。
仲間も経験浅いのに十分良い演技だよ。
やっぱコメディで鍛えてるので間の取り方がいいから自然な感じだよ。
>>825 >>692 時代的に人間関係を武器に地下から這い上がるのを評価する風潮が薄れてるからね
逆にあなたの言う秀吉がダークに描かれる部分は世間の抵抗がなくなりつつあるともいえるが
「頭がよくて他人を出し抜けたから天下を取れた、そんな秀吉でいいじゃん」って感じにね
上川は本当に演技上手いと思った
仲間ユキリンも間の取り方なんかが絶妙に上手かった
上手い人もたくさんいたけど相対的に下手な人はいなかった気がする
役柄を皆自己流に上手くアレンジしてた
まさみも可愛かったし
ところで上川は整形しない方が顔が数段よかったのにな
無骨な顔で優しいこと言ったりヘタレだったりするところがいいのになあ
あまり注目されていないみたいだけれど、私は一豊=上川隆也の演技が
地味だけれど、うまいな〜と思いました。能天気な旦那様、食事のシーンも
秀吉夫婦の前でのシーンも。
また、戦いに出る前の生き生きした一豊。どちらも本当に表れています。
上川隆也の演技で、仲間由紀江=千代の明るい演技を陰でしっかり支えて
いる気がしました。
上川さんやっぱり、チョッとした仕草や,表情がうまいな〜
コメディー部分はおかしいし、カチッ!とスイッチの入ったシリアス場面は
凛々しくて戦場に向かう武士になってる。
千代タンとの夫婦もお似合いだわ〜最高の夫婦
三谷義昭の小者いばりぶりが良かった。
あの舘信長が憮然として作法どおりやろうとするところも。
でも、今回の演出は三話と同じ人でやはり情感がなかった。
千代の空腹話は大石の元脚本では一豊が妻にまかせきりだったことを
反省して功名を誓う→出て行く→とりあえずイノシシとってくる
という流れで夫婦の話として意味があったのに、カットしちゃったら
単に空腹千代ちゃん、物売り千代ちゃんを見せるだけのシーンになってしもた
光秀と信長が対面したとき、「近う、近う」と信長に言わ
れても、作法を守ってちょびっとしか近づかない光秀に
「どうした?足でも怪我したか」と信長がたずねたシーン、
あれは「作法なんか気にしていない」んじゃなくて、「本当
に作法を知らなかった」んだな。
呆気にとられたような顔の後、ちょっと小馬鹿にしたように
スタスタ歩いていく光秀がおかしかった。
また、そのシーンが後に、光秀に将軍対面の作法を教わる
信長、という展開の伏線になってたんだよね。
あとで気が付いて、面白いこと考えるなと思った。
作法を無視する信長、ってのは過去の大河や時代劇にも
良く出てきたけど、知らない信長ってのは珍しい。
本当はどうだったのかな。
お屋形は誤字じゃないよね?
や‐かた【屋形・館】
1 地位・身分ある人の住む屋敷。また、その主人。おやかた。
2 仮ずまいのための形ばかりの小屋。かりや。寓居(ぐうきよ)。
3 牛車(ぎつしや)などの上につくった家の形をした覆い。
4 船の上にしつらえた屋根のある部屋。船屋形。
5 貴人を敬っていう語。また、特に中世、屋形号を許された大名の称。
6 「屋形船」の略。
>>836 知らなかったと思います。
最初信長って、上総「介」じゃなくて上総「守」って名乗ってたくらい無知
でしたから。上総は「守」ではなく「介」です。
こんな基本的なことを知らずに室町作法も知らないと思う。
あのシーンは面白かった。
室町作法ってビジュアルでみるとあまりかっこよくないね。
利休が変えたかった気持ちがよくわかる。
その辺は道三と初めて会うときに、うつけといわれていたが、
作法と服装をびっちり決めて道三が関心したというのはあまりに有名なエピソード。
型破りだけど、作法も気にするのは信長的にはありなのではないか。
むしろ、あそこまで「作法を知らない信長」というほうがちょっとイメージにないが、
信長の最初から知るはずがないので、一個ずつ覚えることもあったと好意的に見てみる
>>839 信長は一般的な田舎武士の作法は心得ていたけど、
(何しろ斉藤道三は油商人出身だし)、
形式ばった将軍に合うための室町の作法までは知らないと思います。
だって守護代のそのまた家老の家だから将軍に会うことなんて
先祖代々、なかっただろうから。
まあ、信長もスーパーマンじゃないんだから将軍謁見の作法まで知ってるはずはないよね。
ただ、廊下で待つ細かい作法ならともかく、いきなり近づかないくらいの作法は知っていてもよかったんではないかと思うさ。
でも、信長は型破りだけど所々できっちり作法は守ってるエピソードは多いよね。
「知らないで壊す」タイプでなく「すべてを知った上で叩き壊す」タイプ。
だから、あのシーンの意味として作法も重視する信長はいいシーンとは思う。
意外と斉藤道三は作法には詳しかったかもしれない。
京都出身だし、身のこなしが涼やかで、作法を心得ていて、
斉藤氏や土岐氏を信用させて乗っ取ったわけで。
でも、信長がとんでもないかぶいた服を着ているのから
ちゃんとした田舎の武士の作法守った衣装で現れたから
そのギャップで驚いた、というエピソードだと思うけど。
今日の官兵衛
功名のパクリ?ってシーンがあったよ
史実は同じでもアプローチの仕方は変えればいいのに
半兵衛稲葉城乗っ取り城明け渡せのシーンなんか全く同じだもんなあ
官兵衛は原作あるわけじゃなし、谷原のセリフをちょっと変えるだけでもだいぶ違うと思うのになあ
義輝の暗殺シーンもほぼ一緒だった
功名が辻を最近見てるからそう思うのかもしれないけど
>>843 同じことを考えてる人がいた。
功名が辻そのまんまだよね。
>>844 シーンのパクリもそうだし
谷原半兵衛のセリフの言い回しや佇まいが
無理矢理、物静かな風情を装ってるみたいで不自然なんだよね
筒井の作った半兵衛の模造品みたいで。
稟として物静かで大人しくというのは筒井の持ち味であって
史実の半兵衛が必ずしもそうであったとも言えないんだから
思い切ったアプローチにした方がいいのにね〜
軍師官兵衛
初回がつまらない大河はヒットしない
>>836 あー、その場面印象的だった!
対比が上手いなーと。
そんでまた、足悪いんかと聞かれたあと、ざっと立ち上がって
歩く姿がいーんだ三津五郎。
古典芸能のカラーと、そうでない役者のカラーの対比も相まって
いい場面だったなー。
将軍家を前にした礼儀作法なんて、よほど作法マニアじゃなければ
知らないかもなと思ってみてたよ。
戦国大名なりの作法が定着しはじめた時代で、古い作法は廃れていったとか。
信長たち上層部が重厚路線と一豊たち下っ端がコメディ路線の
両極で話しが進むの面白いな。
現代的演出で女性がシャシャリでるドラマではなくて
男も女も控えめな古い時代劇の雰囲気が見てて安心できる。
苛々しない大河なんて久しぶり。
「ごくせん大河」「トリック大河」と見せかけておき
ながら、時代のツボや感覚はきちっと押さえてる。
覚えているのでも
・お市に生意気なことを言って、デブの侍女に叱責される
千代。平伏する千代。「よいではないか」とお市。ホッと
して話を続ける千代。叱責→平伏がなくても物語は進む
のだが、これがあるとないとではリアルさが違う。
・武具・防具を手入れしながら、雑談をする一豊、茂助、一氏
何か、戦闘集団の日常って感じが。
・上洛の意味をほとんど分かっていない一豊。無理に話に
絡めないところがグッド。
・「特別の許し」がないと、濃姫に会えない光秀。いきなり信長
だろうと、太閤になった秀吉だろうとずかずか会いに来る
某大河の某ヒロインがいかに荒唐無稽かが分かる。
あとちゃんと食事を作っているって感じの描写も良かったな。
みそ汁を必殺技にしているのに、みそ汁を実際に作る描写が
ほとんどなかったような気がする、某大河の某ヒロインは。
貧しさをきっちりかいてるのが良かったな
主要キャラを美点だけを並べて表現してないのが良かった
上手く言えないけど白鳥の水面下の足の動きまで描写してるから
深みが出てるというかなんというか
文才が無くてスマン、上手く説明できねえ…
千代萌えの司馬は、千代がかわいく美的センスのある賢い女にしてあればおk
小説的に面白ければあえて史実を改変すると言ってはばからない司馬なので
ドラマ的手法に関してはちゃんと尊重するべきところは出来るんじゃないか。
俺の原作と違う!とギャーギャー言うへんくつ親父じゃないよ故・司馬は。
「武士はいや」というのは原作で司馬が千代に言わせてる台詞でもある。
黙って行動して、手柄は旦那様に、なんて千代健気だよ千代
うつけって言われて「はい、うつけでござります」と素直に受け止め
「されど、おなごはそういうものです」とかわす賢さがある。千代は良い嫁ごじゃ
気立ての良さは吉兵衛お墨付きw
うつけが!
はいw
ってやりとりは前さんざんやったからおなか一杯
小六さんの音楽がドラマを助けてたよね
適材適所に効果的なバックミュージックが入る
音楽と演出の絶妙なタイミング
857 :
名乗る程の者ではござらん:2014/01/22(水) 15:41:17.06 ID:m436v4iD
軍師官兵衛では中津城での宇都宮一族虐殺をやるのかね?
黒田の息子と宇都宮の娘、親族だけで結婚式をすると騙し
宇都宮の兵を別の場所で待機させ
宇都宮の女、子供容赦なく皆殺しにした奴
この間の軍師官兵衛では思い人が殺されて怒り狂う岡田くんには白々しさを感じたわ
結局同じ事してんだからな
時代の大物たちと肩を並べさせようと強引に話を持っていきすぎ
雑誌に載ってたお粥シーン、カットだったのか。
楽しみにしてたのに見逃したかと思ったw
濃と光秀が長々笛吹いてるとこがタルかったので
あそこ削って入れてほしかったな。
信長の礼法知らずは色んな作家が書いてる。
光秀を本気で足が悪いとかの書き方とか、ちんたらするんじゃないとかの書き方。
それが実は礼法だったと。光秀に礼法教わったかはどの作家も書いてないような
>>858 そうだろうかねぇ。
今回の話なんて、一豊夫妻は歴史ドラマ部分(信長=義昭
対面)に関しては、見事なまでにノータッチだったと思うが。
何か判らないが、信長様は上洛するために、足利義昭様
と会うらしい。だけど何のために?ってレベルなのが一豊や
茂吉、一氏。
千代が気を利かせて、半兵衛にその目的を聞いてきて密かに
教えてくれたから、秀吉の前では面目は辛うじて保てたけど。。。
ってレベルだったじゃないですか。
自分なんて、逆にここまで主人公を歴史的事件と絡ませないで
良く大石静も制作サイドも我慢できたなぁ、と思ったくらい。
てか、千代が半兵衛に聞くんじゃなく、香川(忍者)に聞けばよかったような?
この時代の武将は情勢に長けてなきゃ出世の道はないんだし。
忍者、乱波は必要不可欠だったんだし、半兵衛と千代を無理やり絡めすぎ。
こんな俺は半兵衛好き。
>>862 ああ、その方が展開自然だったかもね。
でもそれだと「千代、何でお前はそんなことを知ってるんだ」
と聞かれたとき、答えられなくなっちゃうよね。
いずれにせよ、一豊クラスの一兵卒でも目端の利く奴
(かつての木下籐吉郎のように)は、もう少しことの次第を
察していたのもいただろう。一豊は寧ろ、そういう意味では
愚鈍な男。副主人公をこういう愚鈍な男にするというのは
司馬の原作の設定通りとはいえ、珍しいと思う。
光秀と濃姫の話は国盗り物語がベースになってると思う。
正直、あの二人の話いらないよな。
ちなみに「そちは足が悪いのか?」→光秀歩いて信長の前へ、も国盗り物語にある。
信長の礼儀知らず(?)は司馬の作品にもあるんじゃないか?
「夏草の賦」でも
一生懸命作法通りに拝謁しようとしてる元親からの使者に
「何をやっている?それが土佐の作法か?」って言って
「京の小笠原流でございます・・・」
みたいな場面があった
>>864 濃と信長が年離れすぎてエピソードが作りにくい代わりの
光秀エピソードだと思う
国盗りから持ってきたにしても本筋関係ない
どーでもいいエピソードだもんな
前半いいとこなしの三津五郎さんに華持たせたという感じもするけど
週末DVDでまとめて見返してきたけど
備中高松城のとこ酷いなw
10両で馬買うのが千代の見せ場なら、あそこで槍手に入れるのは
一豊の見せ場だと思うんだけどなあ
なんで羽柴重臣たちの実況ですますんだよ
チョーベテラン俳優を信長家臣団にそろえておおーと思った。
回が進むにつれ、チョーベテラン勢を平気でモブにしているところも、おおーと思う。
普通ならもったいなくて出来ないよね。
でも少しでいいから、それぞれの見せ場もほしいな。
せっかく上手い人ばっかりそろえてるんだもん。
千代っていつからあんな朗らかな性格になったのかな。
少女時代の千代は、両親との死別前からどちらかと言えば
おとなしめの女の子、死別後はトラウマを抱えているから
なおのこと。賢そうではあるが、朗らかには見えない。
何となく能天気そうな不破市之丞と、しっかりものの奥方に
引き取られてからなのかな
そうそう。育ての親がおおらかで良かったのでは。
それと、初恋の男と結婚できたらそりゃあ元気でると思う。
新橋演舞場で正月にやった市川海老蔵主演の「信長」
(歌舞伎ではなく、演劇。小泉総理が見に行ってちょっと
話題になったやつ)も、「光秀、濃姫ちょっといい仲」設定
だった。特に司馬原作というわけじゃなかったが、ひょっと
して流行なのか、この設定。
ついでながら、海老蔵の信長、なかなか良かった。招待
券を貰ったので行ったのだが、色気と貫禄と狂気を上手く
出していたと思う。
本能寺は今までと違った意味で盛り上がりそうですね。
本能寺に帰蝶もいたって設定なんでしょ。
信長VS光秀が帰蝶を挟んだ三角関係の終焉を迎えるってメロドラマですよね?
「功名が辻」原作では、本能寺に濃姫はいたんだっけ?
大分前に読んだんだけど、「太閤記」「国盗り物語」などと
ごっちゃになってて覚えてないや。
国盗り物語では、濃姫は本能寺にいたことになっている。
当時の記録では、本能寺で女性の死体があった、という程度
の記述だったのを、後生の小説家が濃姫ってことにしちゃった
んだろう(大河「徳川家康」や福田存恒の戯曲「明智光秀」でも
濃姫が死んだことになってるから、誰が最初にその設定つく
たかは知らないが)
なんとなーく、江戸時代の講釈師がそういう設定にしちゃった希ガス
濃姫自身、子もなく、出身である斉藤も滅び、
織田家中じゃただ「奥方」だけっていう
いってみれば宙ぶらりんなまんまだったんだし
なにより没年が明らかになってないしなぁ
>>875 美濃攻めが終わったら、用済みとばかりに離縁されたとか、
何か信長の気に入らないことを言って、手討ちにされたとか
という説もあるね。
>>875 美濃攻めが終わったら、用済みとばかりに離縁されたとか、
何か信長の気に入らないことを言って、手討ちにされたとか
という説もあるね。
稲葉正成(春日局の夫)の継々室は山内康豊(一豊の弟)の娘
戦国大河は功名が辻で終わった、と言ってる人がいたけど
まさにその通り
風林火山…天地人…江〜姫たちの戦国…軍師官兵衛…
なにげに主役級が多かった気がする
浅野にしても館にしても旬はすぎても
流石に主役で頑張ってた風格があるし
若手も中堅も主役級の代表作を何本か持ってる人多かったしね
民放でこれだけ揃えるのはギャラが大変だけど
よく集めたなという感じ
ハイビジョン発だったんで予算たくさん取ったんだろう
>>879 個人的には風林火山の前半は面白かったし、ああいった局地的視点もありだと思うんで
省いて欲しいところだが、「戦国絵巻」といわれるような豪華絢爛さは今のところ功名が最後で異論はない
結果(視聴率)がすべて
戦国大河は功名で終わった
ロンブー敦の演技、見れなくはないが何でニヤついたような表情しか
できないのか。腹黒そうな演技を作ってるのかね?
あれじゃ成長したスネ夫みたいな感じだ。
つうか、大河はもっと粛々と重く進んで欲しい
やっぱ女が主人公じゃそれは駄目だな。これからはあんまり題材に選ばないでもらいたい
まあ前に賢妻物が受けたから味を占めてまたやったんだろうが。
最近は同じ人が感覚あんまり開けずに大河に出てくるが、できる俳優が少ないのかねー
よぼよぼ信長ももうちょっと何とかして欲しい
年取ってても若く見せる方法はいくらでもある筈なのに
最初はとしまつの再来か?と思ったけど結構おもしろいよな。
特に吟と鉄也がお気に入り。
>>883 武田鉄矢が時代劇の発声方法を教えたらしいよ。
「昔は自分も先輩に教えられた。時代劇のノウハウを
伝授しなければ」って。
その情報が流れた当時は、
「説教くせえw」「武田なんかに教えられても下手になるだけだろw」って
意見が多かったけど、俺は正しい判断だったと思う。
本能寺で燃え上がる光秀嫉妬の炎。
信長と帰蝶との三角関係に焦点当てる所為で蘭丸の影薄くなりそう。
仲間が大河の主役の器では無い。と言い出すと義経や時宗、組!等キリが無い。
渡辺謙など実力のある役者を抜擢する事はよくあるんだからさ。だから脇を固めてるとも言える。
仲間だけでなく上川持ってきて
ダブル主演はよい選択だったと思う
仲間は可愛いからそれだけで画面が明るくなるし
上川か仲間の演技をうまいことカバーしてていいコンビだったと思う
脇もなにげに芸達者な中高年多かったし
役者の年齢が高齢なのは葵とかぶるけど別に取り立てて目くじらたてるほどでもないし
としまつみたいな軽さがなくてよかったよ
司馬遼太郎原作「関ヶ原(TBS)」といい司馬遼太郎原作「功名が辻」といい
大名や武将の石高へのこだわりが面白い
男は太古からチンボの大きさを競うもの
宣教師ホアン・ロドリゲスが記した『日本小文典』には当時の日本人の名前の発音がローマ字によって記録されています。
それによると例えば
黒田官兵衛孝高(くろだかんべえよしたか)は
「kwanbyoue yoshitaka」=「くぁん『びょうえ』よしたか」
仙石権兵衛(尉)秀久(せんごくごんべえひでひさ)は
「gonnohyauenozeu」=「ごんの『ひゃうえ』のぜう」
となっています。
外国人が実際に耳で聞いたものをそのまま音にしているので信憑性は高いと思われます。
youku(
>>791)で見てるのだが中国語の広告が出ないときは得した気分になる
丸に三つ葉柏の話を吉兵衛から聞いているときの、千代の動きが面白い。
吉兵衛の身振り手振りにシンクロしながら頭ぐるんぐるんさせてるw
半べえが千代の情報網かつブレーンになってる
という設定がいいな。
天然ぼけの千代が突然原作みたいな
鋭いところを見せても、「半べえ様に聞きました」で
無理がない。
千代紙と呼ばれるくらいになるのだから。
千代は才女だなあ。パッチワークといい。
男友達情報ネットワークもすごいし、
機転がきくし。ユーモアがあるし。
おじさん・おばさんがよほど良い教育したんだろうなあ。
真面目な一豊と対照的で良いコンビだけど。
大石静もよほど千代に惚れてるのだろう。
持参金に手をつけようと思ってやめるシーンがよかった。
ある程度まとまったお金も、いったん生活費にしちゃうと
アッというまに無くなっちゃうのは主婦なら誰でも知ってるからw
あらかじめ暮らし向きのことに使ってはいけませんよ、と釘差してたおばさまとか
さすが女性脚本って感じがした。
原作も同じなのかな?
今回は鍋のシーンが上手いと思った。秀吉のセリフから光秀への嫉妬
(=出世争い)が後の朝倉攻めの際の退却戦の殿軍という一歩間違えば
死に繋がる困難な役目を引き受けた原因がわかるし、その際に一豊が
命を省みず奮戦する理由の伏線にもなっている。
そこに千代のさりげなく夫をたてる振る舞いと、家族のために猪を
採ってくると言う一豊の武士らしからぬ、凡庸とも思えるやさしさ
まで絡めている。 この大河ドラマ、毎週楽しみに見てる。
原作によると、10両の馬は長久手の戦いで捨てちゃうんだな。
例の池田恒興らが中入れをしようって出て行って
家康側から強襲を受けたとき。
一豊も逃げるんだけど馬は離れたところにいる。取りにいけば矢玉の標的。
「捨てたわ」と躊躇なく捨てちゃうんだけど
ずいぶんさっぱり捨てちゃうんだなと思ったの。
命からがらだから当然かもしれないけど
お話としてもう少し盛り上げてもいいじゃんと。
ドラマでは、千代の思いと半兵衛の言葉が交錯して
やむなく捨てちゃう一豊の心の動きを
表してほしいね。
それにしても、一豊は信長・秀吉・家康に付いた勝ち組だね。
光秀・三成に付いていたら、負け組だったわけで。
先見の明が、一豊・千代夫婦にあったのか。
世の形勢を見極めた千代の知恵と人の良い一豊の愚直さで
乗り切って行ったのか。運も味方したのか。
秀吉も金ヶ崎のしんがりは危なかったな
一豊だって矢が1cmずれてれば命を落したかもな
側近の吉兵衛だって亀山で討死してんだから楽な戦いはしてないよな
森家なんかも勝組なんだけど、この時期に嫡男と主を失いさらに本能寺で3人おまけに小牧長久手でと死闘だな
大河でそれぞれ個性的な光秀見てきたが坂東光秀が一番好き。
大石さんが拘る理由がわかる。所作の美しさ、品のよさ。
又伝芸かとうざくおもっていたが、あなどりがたし。
ただ時折歌舞伎の見えをきるセリフまわしが気になるくらい。
test
バックの絵を見てもそんな感じだね。殺伐とした戦国時代っぽい。
縁ある意匠がてんこ盛りで探し甲斐がある。
吹奏楽のバンドジャーナルという雑誌が必ず
大河主題曲を付録につけるので演奏することが多かったが、
歴代では昔版武蔵、独眼竜政宗あたりがいい曲だった。
今回のも舞台でやったらいい感じになりそう。
ホント物語にぴったりで深みのあるいいテーマ曲だね。
戦国時代という不安定な世に生まれ運命の出会いをした男女が、
夫婦手を携えて困難を克服し人生を駆け抜けた愛と闘いの物語、
、っていう雰囲気がよく出ている。
女性が主演、っていうソフトな感じもでている。
信長との対面シーン。信長の「そちは足が悪いのか?」は、司馬の昔の版の「国盗り」では
「そちゃ、ビッコか?」だったと思ったんだが、違ったかな。
「足が〜」だと、なんか信長が光秀を気遣ってるようにも聞こえて、
「ビッコ」のちょっと侮蔑してる感じが出ないんだよな。
光秀が何故、あそこまでムッとしたかもわかりにくい。
原作も「足が」に修正してるくらいだし、テレビで「ビッコ」が使えないのも勿論、承知。
差別がよくないのも当然なのだが、当時普通に使ってた言葉を時代劇で使えないのは痛いね。
武具の手入れをしながら、「これからは光秀様の時代だぞ」
「出世するお方の下で働きたいな。」
とか同僚が言ってたじゃん。
風見鶏思考なら光秀に付いたかもしれないが、忠誠心の強い
一豊は秀吉から離れなかったことが、結果的に良かったと・・・。
最近見だしたんだが、この大河は面白いね。
特に、タケダテツヤとタチがいい感じじゃ。
筒井もいいな。
俺の中の大河って、
泣かせます、ここは泣くトコです!、はい泣いて!、って演出ばっかだったけど、
今回はなんか良さげ・・・。
吉兵衛と千代の会話は、
丸に三葉柏が
「まるに・みつばか・しわ」に聞こえる。「まるに・みつば・かしわ」と言ってほすい
吟一家が来た時、金八が出て来なかったのは、後々の生活への危惧してですかね?。
それとも、独り者の侘しさから意固地になっていた?。
其々の男・女模様が丁寧描かれて好感でした。ただ、思慕の笛はちょっとねぇ〜。
大石オリエピとはいえやり過ぎかもね。
度々出てくる、武具の手入れシーンはいいですね、前回の相撲シーン同様、
一豊の仕事場模様を描いてると思いますが。
日本史の授業なんて忘却の彼方なのですが楽市楽座ってシャバ代なしでよかったでしたっけ?。
地回りとかいなかったのかな、女一人で心細いとおもうのだが。
>>911 吉が不貞腐れていたのは
@俺がお家のためを思って忠告したのに無視しやがって
A家計パンクしても知らないもんね
Bけっ、自分だけ淋しいじゃねーかよ
がごちゃごちゃといりまじっていそう。
千代が夜、吉のところに行ったのは、
特に@Bのフォローもあったかと。
利まつと同じテイストだけど、功名の方がずっと面白い。
利まつの七個はむかついたけど、千代は可愛いと思う。
脚本家が女性だから女性を描くのが上手いのかな?
>>911 ショバ代自分も気になった
お付きもいないんで千代が暴漢や物乞いに
集られたり襲われやしないかヒヤヒヤした
その辺は現代風に軽くしてるよね
まあ六平太がどこでもかしこでも現れるから
物陰に六が潜んでたんだろうw
信長と光秀の対面のシーンは、
光秀は怒ったというより少しだけ笑ってなかったか?
あれ見て光秀が心の中で信長を見下してるんだぞっていう感じが
よく出てて、三津五郎さんさすが!と思った。
初めて光秀を見たときに、信長があのきんか頭を撫でてみたいw
って思ったって書いたのは誰だったかな。光秀とは対照的に、
そういう無邪気さが信長にはあるんだと思った。
信長の領地、特に中心地はめちゃくちゃ治安がいいから、女1人でも大丈夫。
うそかホントかともかく、「国取り物語」によれば、「一銭切」、つまり一銭でも盗めば
クビをはねるという布告を出したり、信長の家来が女性にからんだだけで、
信長自らクビをその場ではねた(ルイスフロイスの記録)という状況だから。
>>913 脚本、演出、演技力というより役者本人の醸し出す雰囲気かもしれないね。
ナマコは何か高慢な感じがする。ケロヨンは愛嬌かある。
ま一豊一家が明るいトーンで描かれているのが影響してると思う。多分、中年婦人になっても気さくな愛嬌あるおばさん。で通すんだろうね。
近藤さんの台詞無しでも眉の動き一つでくせ者と感じさせる演技。
三谷義昭の阿呆将軍演技。
信長と光秀との対面シーンで二人の対比。
一豊に秀吉の人柄に惚れているから付いて行くと言わすシーンの後
自分の為に命を捨てる人間を得るにはこれくらいは平気と妻に語る秀吉の冷徹。
夫の発言に得心するねね。
その後のじゃれあい。
この夫婦凄いと思ったし対比して描かれる千一夫婦&主従の明るさが際立つ。
うん、いい仕事してるよ大石!
千代が杓文字をもって前に出し一豊と話す場面、
ただ単に顔を見て話すのではなく小道具を使ったのは、
ホント、千代のユーモア感覚を表現してオシャレだなあと感じた。
>>917 大石さん、いい仕事しているね。
信長をエキセントリック・冷徹、秀吉をヤクザの親分的・人たらし・二枚舌
に描くことで、一豊夫婦・・・まだ、貧乏な下級の家来ながら仲睦まじく
明るく楽しい(時には失敗もしながらの)新米夫婦の良さが際立つ。
分かりやすい。そして、一般視聴者は見ていて
一豊夫婦の庶民的立場に共感しやすい。だから、面白い。
今のところ、大石さんの脚本は司馬原作からはなれず、
その雰囲気をきちんと脚本にしていること。
その中でオリジナルを出しているので、素直に見れる。
同じ司馬原作でも勝手に暴走した「慶喜」の田向とは雲泥の差だ。
大石静という脚本家をエッセィでしか知らなかった。これ以降は注目しますw
次回、千一夫婦初の試練。千代は子供にキツい言葉を浴びるみたい出し明るさ一転、悲しみ。
いつまでも天真爛漫キャラじゃないと見せるのに良い時期。
ケロヨンの演技と脚本に今からワクワクして放送日を待っております。
結婚までの四話は全体がとっちらかった感じだったが
ようやく各キャラもたってきて見やすくなったと思う。
地味な題材なのにシーンをうまく作ってるのは大石の力量だな。
猪鍋のシーンを単なる夫の思いやりという話にせずに
秀吉夫妻の思惑や千代の戦略も見せるシーンにしていたり。
正直、浅野ねねだけは未だに慣れんなあ。
大地のお市は十代とは言わずとも二十代には見えたし、
舘信長もお市と並ぶと兄妹というより親子だなと思いつつ、
光秀辺りとの会話では悪くなかったが、
ねねだけはどうも実年齢が透けて見える。
秀吉はいいんだけれどもね。
大地があれだけ若く見えるんだから、もう少し化粧とか工夫した方がいいと思う。
>>922 炎の中の抱擁
あんな中で逆プロポーズとか半兵衛が城を責める攻略が千代を助けることとかねw
ただ柄本が有り得ない半兵衛のセリフに
はあ???ってな顔で返してて笑えた
演技かアドリブかよくわからないけど柄本でだいぶ救われたわ〜
彼はすごい役者さんだわ
大河は10年ぶりで、別に重厚さなんてこだわらない。
とくに最近は、重厚なストーリーを知名度だけのアイドルにやらせていたので、まったく見るきがおこらんかった。
今回、題材も出演者もよく安心してゆったり見れている。脚本もわかりやすい。
上川、柄本、武田、浅野、真美なんて味があって最高。
館、仲間、大地は華があるし存在感とダントツの個性がある。
出演者のバランスがよい。年齢なんてまったくきにならない。
千代が可愛くて魅力的
仲間はトリックゴクセンみたいなキワモノより
素直な庶民的な役の方が似合う
んで時代劇方面の方がいいのに方向性が間違えた感があるね
美人だけど美人という設定が似合わないんだよな
仲間は自力がないから
作品に頼らないと何をしても無理
作品次第なのは誰でも同じだと思うが
そうでもないだろ
功名に限っては生き生きして目力あると思う
演技の大半は上川に助けられてるけど
上川もこのころはすごくよかったのになあ
最近はちょっと痛々しい
ふーん。
拾(ひろい)って名前は秀吉の子だけじゃなかったんだ。
戦国時代は、女性の地位が思ったより高いんだね。
一豊の死後、土佐を去ったのは、やっぱりあの土地に骨を埋められなかったんだろうね。
拾のそばで暮らしたかったというのもあるだろうけど。
一国一城の主になるのは夫の夢だったから、千代はそのために頑張ってきた。
夫が死んだら城にいる必要はない。
愛する拾のいるもとへ。
最期は拾と一緒でよかったね。
拾もえらいよ。同じ大きさの墓を建てた。
感動したよ。
戦国時代は、女性の地位が思ったより高いんだね。
>>935 日本に来日した宣教師のルイス・フロイスが書いてるよ。
一、ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と尊さは貞操であり、またその純潔がおかされない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる。
二九、ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろになって歩く。日本では夫が後ろ、妻が前を歩く。
三〇、ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける。
三一、ヨーロッパでは妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、又結婚もできる。
三二、ヨーロッパでは夫が妻を離別するのが普通である。日本ではしばしば妻が夫を離別する。
三四、ヨーロッパでは娘や処女を閉じこめておく事は極めて大事なことで厳格に行われる。日本では娘たちは両親に断りもしないで一日でも数日でも、一人で好きなところへ出かける。
三五、ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては、家から外へでない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。
四三、ヨーロッパでは尼僧の隠棲および隔離は厳重であり、厳格である。日本では比丘尼(尼)の僧院はほとんど淫売婦の町になっている。
四四、ヨーロッパでは尼僧はその僧院から外に出ない。日本の比丘尼は何時でも遊びに出かけ、時々陣立(じんたち、軍陣の事、戦場か)に行く。
五一、ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人たちは料理を作る事を立派な事だと思っている。
五二、ヨーロッパでは男性が裁縫師になる。日本では女性がなる。
五三、ヨーロッパでは男性が高い食卓で女性が低い食卓で食事をする。日本では女性が高い食卓で、男性が低い食卓で食事をする。
五四、ヨーロッパでは女性が葡萄酒を飲む事は礼を失するものと考えられている。日本ではそれはごく普通の事で祭りの時にはしばしば酔っ払うまで飲む。
なんだ、
当時の日本は世界1の男女平等の先進社会だったんだ。
徳川幕府がぶちこわしたんだね
六平太・小りんは司馬氏のオリキャラ。ドラマ的にはどのように展開
するか分からないが、捨子なんて平成の時代にもあることじゃない。
まして戦国時代は未婚で子供を産むなんてザラだったのでは。
まだ間引きされなかっただけよかった。そして捨子を育てると
実子が出来るという迷信?は昭和の時代にもあった。
千代が一豊の死をきっかけに京に住まいを移したのは
まだ天下が安定していない時代だったので時勢を見るという
気持ちもあったという説もある。もちろん拾いが千代の最期を
看取ったということからも心底一豊夫妻を親として敬った。
そこには拾いに対する夫妻の愛情があったからではないでしょうか。
良妻賢母って誉め言葉のようだけど、あんまり嫁がしっかりモノだと
よそで息抜きしたくなるのが男心。
でも、一豊が側室を置かなかったところを見ると
千代は女としての可愛らしさも備えていたと考えていいのかな。
>>939 側室もたないほうが珍しいんだよなぁ…
織田家中だと、他には明智光秀が側室を持たなかったことで有名だな
秀忠も光秀も奥さんが子供たくさん産んだから
側室も持たなくても世継ぎの心配はしなくてよかったけどね。
一豊もやっとできた一人娘が亡くなってもなお側室を持たず、
養子に後を継がせようと思っていたとこ見ると、
自分の血筋を残す事よりも奥さんが大事だったのかな。
仮に、千代が悋気な性分だったとしても、嫡男を産めていない立場では
一豊に側室を持つなとはいえないだろうから
やっぱり、一豊が側室を持たなかったのは、一豊自身が側室を置きたくなかったと
考えるのが自然かなー。不思議な男だ。
戦国時代の「夫婦はパートナー」って考え、かなりうまくいってたのかな。
それに比べて、欧米や近年の日本の男女平等参画社会による男女平等は、上手くいってないね。
結婚しないし、離婚は多いし、子供は作らないし、DVは多いし。
何か違う点があるのだろうな。
戦国時代でも離婚は頻繁に行われてたんじゃなかったっけ?
日本社会で離婚しにくい風潮になったのは、たしか明治以降だったと思う。
江戸時代でも女性から離縁を言い渡すことも出来たし
出戻りだからといって、再婚の障りにはならなかったはず。
いつの時代でも、夫婦が添い遂げるのは難しいってことかな。
少し前まで日本はかなりの男尊女卑社会、って聞かされてたから
(女子はお茶くみ仕事ばかりとか、とか、女性は出世できないとか)
戦国時代の男女パートナー社会を知って驚いた。
でも離婚も多かったのか。
子供出来なかったのに、添い遂げた一豊千代は幸せなコンビだろうな。
戦国時代は、男性比率が逆に高くて、単に嫁不足だっただけですよ。
女の地位が高かったのも離婚が多かったのも要因は同じっすw
江戸時代初期は女性から離縁を言い渡すことは希で困難であったが
豊臣秀頼の娘の活動などにより改善されていった
それ以前に女性から離縁を申し出れたのは女性の家柄によるものが多い
「桶狭間から稲葉山城落城」という戦国時代で一番美味しいところを取ったドラマなんだよな
第21回 開運の馬
濃姫が街中を一人で歩いているなんて有り得ないw
次スレスレタイ候補
【千代】功名が辻 其の2【山内一豊】
大河ドラマ 功名が辻 其の2
なか(秀吉の母)の登場の仕方は水戸黄門みたいな登場
>>942 千代可愛いよね。ドラマでは
仲間に品があっていいなあ。着物姿もいい
三津五郎も筒井も品があって着物姿がとっても綺麗
戦国時代ものだからって田舎娘に田舎侍みたいなのばかりで
なんだか目の保養にならないんだよな今の大河は
そんなに女不足なのに側室(おそらく美女)を集めまくっとったのか戦国大名はw テラウラヤマシス
男女の出生率は同じだし、
男のほうが死亡率は、戦争のせいで高かったはずだし、
それなのに、男女比6:4だということは、
大名とか、上級武士が側室でおおぜい女を囲っていたから、
一般の男に回ってくる女が少なかったってことだろう。
長浜城主になって、まもなく長浜大地震がおこり
愛娘よねを亡くし城の建物も倒壊して、人生最大の不運だったよね。可哀相。
一豊が側室を置かなかった点だけど、「歴史が動いた」では
千代を愛する一豊は千代に配慮して側室を置かなかったと言っていたと思う。
山内一豊は7人兄弟の第4子。母は法秀尼。父・盛豊も妻一筋だったことも
影響している?
上川さんは、(一豊が側室を持たなかった理由としては、)父親を
早くに亡くし女手一つで育ててくれた母に対する並々ならぬ思いがあり、
一豊の女性に対する敬いの気持ちは圧倒的に強かった。千代にも
恋慕と畏敬の思いがあり、子供を作るだけの側室を受け入れられなかった
のでは?とガイドブックで解説しているね。
>>955 出生率は国全体で考えるんだぞ?武士の割合はかなり少なく、且つ上級となると極小数。
そんな奴がいくら囲っていたところで、そんな変わるわけ無いじゃんw
一般が何指しているか知らんけど、庶民は特定配偶者を持たない、乱籍状態だぞあの時代は。
13歳くらいから、村中の男と犯りまくるのが江戸以前の風習。小学高学年のフリーセックス状態ヽ(´□`*)ノだぁぁぁ
江戸時代、上級武士は側室なんてほとんど持たないよ。
妻が子供を産まなかったときやむをえず、1人側室がいたとかそんなもの。
武士は1人以上子供が出来ても、跡も継がせられず、結婚もできないから。
次男以下は、養子の先が見つからないと、一生結婚も出来ず、
長男の家に内職とかをやりつつ邪魔者扱いされて、一生過ごす。
その間に長男が死んだり、養子の先があれば万々歳。
農家も同様。子供が二人以上いても食い扶持がない。
側室もって子供が大勢居ても継がせられるものが拡大したので
妾が大勢居たのは、金持ちの商人の家だけ。
大名ですらこれは例外でなく、元禄繚乱で、浅野内匠頭の弟が
結婚ができず、子供の生まれない兄や兄嫁に
「自分なら作れるのに」とか嫌味をいいながら兄に寄生してたじゃん。
これは好き勝手が許されない一般大名の話で、徳川将軍家は
3000人の美女を大奥に囲って子作りをしてた。増えたら
家を増やせばいいだけだし。でも、乳幼児死亡率が
異様に高く、あまり増えなかった。
功名が辻は明るい作りが非常に良い
第25回「吉兵衛の恋」
千代「(長浜城は)そのうち旦那様(一豊)のものになりまする」
千代は予言者か
千代が一豊死後京都に行くのはやっぱり都会(当時は)が楽しいから?
運よく養子が京都にいたからラッキー♪って頼ったとか
京都で暮らしたら四国に戻る気にならなかったとか。
腹ぺこ千代が楽市に行くシーン。
古着屋の親父が「奥方には負けました!じゃ、250文!」
って言ったところで、千代が「・・・って、おい!」という声が
聞こえませんでしたか?私には聞こえました。
怪しげな夫婦袋を売ろうとしても、誰も酔ってこないシーン
で、1人だけ嬉しそうに見ている太った男の姿が見えません
でしたか?私には男がふる「てけてけ」となるオモチャの音
まで聞こえました。
腹ぺこの千代の前を団子を買った子供たちが駆けていく
ところで、子供の1人が団子を落として、それを千代が拾お
うとするのだな、と予想しませんでしたか?私はしました。
楽市シーンのあとで、とぼとぼと帰る千代が爺さん婆さんと
その孫の3人に指さされ、笑われるシーンを想像しませんで
したか?私は、当然想像しました。
965 :
名乗る程の者ではござらん:2014/02/19(水) 10:24:43.19 ID:fgKCHNKg
test
山内一豊は本能寺の頃は既に、信長の直参では無く秀吉の家臣だったと思う。
とすれば、千代たちが居たのは長浜。
長浜は城主(秀吉)の家族も逃げて無事だったぐらいだから、
一家臣の妻子もちょっと身を隠せばスルーされたはず。
だいたい明智勢が長浜に到達してから天王山で敗れるまで数日しかないし。
まあ、信忠の所にいて逃げた康豊はチキンだが、
結果として山内家存続には貢献した。
>>966 同じく信忠のところにいて、逃げた信長の弟の長益は
織田の源五(長益)は人ではないよ
お腹召せ召せ召させておいて
我は安土へ逃げるは源五
なる歌を今日の町人の子供たちに歌われてバカにされたという。
マイナーでよかったね、康豊。
男女比に極端な差があることからも分かるとおり、女の子の価値が低かったってのは
事実ですね。口減らしのため、女の子は簡単に間引かれていましたから。
地震で一人娘およねと死に別れ…。捨て子だった拾を我が子として育てたが断腸の思いで生き別れ…。湘南和尚となった拾に晩年の千代が送った手紙がのこってるのには感動した。「その時歴史が動いた」は良かった。
捨て、拾い
当時は乳幼児死亡率が極めて高かったので
魔除けのためにわざと酷い名前をつけた
中国からきた迷信らしい
実際、千代が土佐にいたのは、関ヶ原後全国的な混乱が収まった後から、
一豊の死後に忠義が後を継ぐまでの四・五年。
それ以前は伏見・大坂・京辺りにいたし、晩年は京に住んでいた事
を考えると、湘南とは生き別れと言うほどのことでは無かったはず。
預けた先は菩提寺なわけだし。
奥平信昌も側室持たなかったんだっけか?
あれは妻一筋ってよりも舅の家康に遠慮してだが。
妻一筋って感じがするのは一豊や官兵衛あたりかね
兼継もかな
あとは舅や妻の実家や血統に配慮して表立てなかった感じかな(秀忠等)
一豊はかなり怪しいな
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