前スレが落ちたのは不自然だな
前スレの不自然な消え方はなんだ?
中尾嘉宏の仕業か?
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 16:57:49.23 ID:2F1/s8fcP
緒方洪庵とは縁戚関係になったのか。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 20:18:11.71 ID:66JUIXhk0
この過疎スレたる近代日本史板で、たった1日カキコがないだけでオチるとは!
ぜったいオカシイ!
>>7 あんまり三十一谷人という雅号は使われなかったのではないか、
という気もするな。
福沢は明治13、4年(1880、81)頃までは「諭吉」をもじった「雪池」の語を雅号のように用い、落款印にも刻み、その後は、「三十一谷人」の語を用いた。
http://kawachi.done-labo.com/?eid=935577 「是れは谷にも山にも地名などに縁あるに非ず。三十一を一字にすれば世の字にして、谷人の人を人偏にして左右に並ぶれば俗の字と為るが故に、則ち世俗の意を寓したるもの」(『福澤全集緒言』)
とその意味を説明し、遠戚に当たる漢学者・高谷龍洲と文章談をなす中で思いついたものと記している。
同様に慶應義塾出身者には雅号に凝らないことをよしとする風潮が生まれ、高弟の小幡篤次郎は義塾の所在地・三田をもじって「箕田」、
門野幾之進は、イニシャルをもじって「靄渓(あいけい)」などと号している。(「福澤諭吉展」カタログ46ページ)
スレ立てありがとうございます。
あんなによく書き込まれていたのに落ちるなんて本当におかしいですね。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 19:59:40.38 ID:rIOygllg0
>>10 前スレで悪口を言われていた奴の謀略じゃないか?
>>8 「三十一谷人」は雅号としてよりも落款印として使われたようです。
『福澤諭吉事典』の「印章」の項目(389ページ)によると、
「もっとも使用頻度が高いものは「福沢諭吉」の陽刻と
「三十一谷人」の陰刻の組み合わせである」
ということだそうです。
黒龍会編集『東亜先覚志士記伝(下)』の福澤諭吉の項目には
号として、「雪池」と「三十一谷人」の2つが載ってあったよ。
しかし、世間ではあまり知られていないね。
>>13 へえ、雪池というのは雅号なの。おれはまた誤植かと…。
>>15 彼らは日本の伝統と文化を重んじる勢力なのだから、
尊敬する人々の雅号なども当然フォローしていたのだろう。
前スレにもあったが、蓑田胸喜が尊敬していた近代人は福沢で、
そのあたりの点を丸山は隠しているような気がするのだが。
>>16 > 前スレにもあったが、蓑田胸喜が尊敬していた近代人は福沢で、
思想的に敵である者の著作を細かく読み込んで批判するという態度は、
いかにも東大出の教養人だと思う。
>>17 その場合の思想的な敵とは、
大正デモクラシーを指導した、これまた同じ東大出身の人々だった。
大正デモクラシーの流れの中に丸山の父幹治もいたし、
息子はジャーナリスト丸山幹治の血を色濃く引き継いでいる。
戦後保守派を追い出して再出発した岩波書店の首脳部もまた、
同系統の人々。
で、丸山真男は、岩波書店最高の「商品」になっちゃった。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 08:18:41.33 ID:NbzdSEpd0
丸山の近しい血縁に、極右の大物がいたんじゃなかったっけ?
丸山の弟子といえば、小室直樹とかいう東工大の教授が居たが
小室ってどんな奴なの?しょうみ、ようわからん。
>>20 > 東工大の教授が居たが
東工大の人文社会系の教授って、つまらんのが多いと思う。
今も昔も。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 07:17:49.35 ID:WzlPRFtu0
福澤ってよく内村鑑三やら渋沢栄一やら徳富蘇峰やら陸羯南やらと引き合いに出されてるが
明治人というよりはどっちかというと幕末の公武合体派の人間。
よって歴史家も、国学者の渡辺重石丸との関係や、仙台藩の大童信太夫との関係にもっと注目してもらいたい。
突然だけど、諭吉ゆかりの富士屋ホテルが経営危機ですね
早く地震関係収束しないかなあ
>>26 戦後まもなく公開された長谷川一夫主演の傑作映画、『ある夜の殿様』は、
このホテルが舞台だったっけ?
この間なくなった津島恵子がすごい美少女だったという記憶があるのだが。
>>27 おっ、レスありがとうございます。
その映画は知りませんでした。昔の役者さんは正統派の美男美女ばかりですよね。
確か東京駅前の八重洲富士屋ホテルと同系列でしたっけ。
>>29 富士屋ホテル 評判 で検索すると評価は良いようですが。
安川さんの『福沢諭吉のアジア認識』が韓国語に翻訳されたようです。
▲「福沢諭吉のアジア侵略思想を問う」安川寿之輔著
イ・ヒャンチョル翻訳、歴史批評社、420ページ、2万3000ウォン
http://image.chosun.com/sitedata/image/201104/08/2011040802164_0.jpg 2chでは早速スレが立っています。
【書籍】 啓蒙家か侵略者か、二つの顔持つ日本の賢者〜安川寿之輔著「福沢諭吉のアジア侵略思想を問う」[04/08]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1302357942/ > 日本の近現代史で福沢が占める比重は非常に大きい。彼は明治日本の対外政策と文明開化に
> 多大な影響を及ぼした。「富強改明」という明治の国家目標を成就するために大きく寄与したこと
> は否めない。しかし、彼の言説を総合分析してみれば、西洋帝国主義を模倣した日本のより醜悪
> な帝国主義もまた福沢の姿だ。そういう意味でこの本は福沢の功罪を同一線上で評価できる研究
> を用意したとことに意味があり、また、著者が期待している「アジアと日本の歴史認識の深刻な亀
> 裂と間隙」を埋めるのに重要な道案内だ。
それをいうなら、「富強改明」じゃなくて「富国強兵」ですよ。
> [福沢諭吉侵略、朝鮮・清侮辱発言]
> ▲"朝鮮国(…)未開なのでこれを誘引して導くべきで、その人民は本当に頑迷固陋で…."(1882.3)
> ▲"朝鮮は本来論じる価値もない。私たちが目標にする当面の敵は支那(中国)であるため…."(1884.12)
> ▲"朝鮮国(…)国ながら国でもなくて、政府ながら政府でもない。"(1894.7)
> ▲"こういう乞食らを相手に戦って蚤を移す憂慮も"(1894.7)
> ▲"(朝鮮の)過ぎたる崇拝の迷夢を悟らせ粉砕するに弾丸火薬よりましなものはありえない。"(1894.7)
これらの発言のソースはおそらく時事新報社説でしょうね。
> ソース:朝鮮日報(韓国語) 啓蒙街なのか、侵略者なのか…二つの顔を持った日本の賢者
>
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/04/08/2011040802342.html だから「啓蒙街」じゃなくて「啓蒙家」です。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 07:08:59.42 ID:oo2G2k6h0
>>31 おお、これはこれは!!
韓国内で大いに話題になるとよいね!!
放送大学講義『人類の歴史・地球の現在('07)−文化人類学へのいざない−』第2回
の中で、ヒュームが白人は他の人種より優れているという旨の主張をしていたという話が出ていた。
ヒュームがレイシストだという観点だけから彼を評価するのは、著しく間違っていると思うが、
レイシスムの源流を探るというテーマだったら、ヒュームがその思想家の一人として数えられても仕方がない。
福沢諭吉と侵略主義の関係もこれと似たものかもしれないと思った。
ジェファーソンだって黒人奴隷を使っていた。
現在の価値観から見れば酷い奴だが、
そもそも現代からの評価が適切か、という疑問をもたなきゃな。
>>34 アリストテレスやソクラテスならそうかも知れないけど、ジェファーソンの年代になるとどうだろう?
ヴォルテールが普通に奴隷制を批判していた時代。
その時代に奴隷制を批判したヴォルテールが先覚者だったと考えた方が面白いのかも。
>>24 今月出る安藤優一郎さんの本ではどう書かれているのでしょうね
>>37 どれどれ。安藤優一郎さんの本は今週末に出るようですね。
勝海舟と福沢諭吉―維新を生きた二人の幕臣 安藤 優一郎 (単行本 - 2011/4/16)
新品: ¥ 1,995 出版社: 日本経済新聞出版社
http://www.amazon.co.jp/dp/4532167841/ 内容紹介
『幕末維新 消された歴史』で注目された著者の最新作。
慶應義塾創立者として日本近代化の旗手のイメージが強い福沢と
江戸っ子の代表格として人気の高い勝。この二人の“神話”を剥ぎ、
幕末維新に新たな光を当てる。幕臣・諭吉は意外にも幕府絶対論者だった!
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 07:53:57.32 ID:t1qYFrSx0
>>37>>38 安藤さんも定職なし、だったっけ?
まったく、大学の人事というものは、どうなっているのやら。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 09:11:29.06 ID:EFX4Krt/0
慶應で近世史の公募をやっているが、安藤さんも有力候補になるのかな
あれは磯田でキマリだろ
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 17:35:52.50 ID:EFX4Krt/0
【書籍】 啓蒙家か侵略者か、二つの顔持つ日本の賢者〜安川寿之輔著「福沢諭吉のアジア侵略思想を問う」[04/08]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1302357942/ より
----
http://image.chosun.com/sitedata/image/201104/08/2011040802164_0.jpg ▲「福沢諭吉のアジア侵略思想を問う」安川寿之輔著
イ・ヒャンチョル翻訳、歴史批評社、420ページ、2万3000ウォン
日本の最高額券である1万円券に顔が載っている福沢諭吉(835〜1901)は私たちにも見慣れた人
物だ。韓末の激動期、福沢は改革と開化を夢見たキム・オクキュン、パク・ヨンヒョ、ユ・キルジュン
などと関係を結びながら朝鮮の親日改革を支援した。また、高弟、井上角五郎を朝鮮に派遣して
韓国初の新聞といえる「漢城旬報」を主管し朝鮮の情勢変化に注目した。そして水面下で甲申政
変に深く関与し、政変が失敗すると「脱亜論」を発表して朝鮮侵略の先頭に立った人物だ。
日本内外で福沢に対する評価は「賛美」一辺倒だ。賢者、国民的英雄、哲人、思想家….しかし、も
う少し近くから観察すれば福沢は一方では啓蒙家、天賦人権論者、市民的自由主義の先駆者と
いう顔と異なり、一方では天皇論者、軍国主義者、アジア侵略の先駆者というヤヌス神のような二
つの顔を持っている。今まで福沢に対する評価の主流は前者に属する。
安川寿之輔の本は後者の福沢像を緻密に追跡している。著者安川は「底辺民衆」の見解で「民衆
思想史」の作業を深く掘り下げてきた学者だ。彼は1970年以後「頂点思想家」福沢の教育思想を
再点検することによって福沢評価のバランスを取るのに寄与した。アジアに対する福沢の言説を
緻密に分析しているこの本も同じ脈絡で福沢の神話と虚像をひきはがしている。
この本は序章と本論4部で構成されている。序章では「一身独立してこそ一国独立する」という福
沢の有名な命題に対する誤読を含んで福沢研究の不思議な7つの命題を提示している。1章で
は状況によって変わった福沢自身が文を通じて、丸山真男の盲信的福沢礼賛論を責める。この
本の中心とも言える2章と3章は福沢のアジア認識を批判的に分析している。特に壬午軍乱以後、
朝鮮の政治・社会変動のたびに発表した彼の立論に現れる朝鮮(中国、アジア)蔑視と侵略の福
沢像を見せる。4章で著者は明治時代に芽生え始めたアジア侵略思想は結局「暗い昭和」に続い
たし、福沢がその中心にいると告発する。そして付録に含まれた「福沢諭吉、アジア認識の軌跡」
は福沢だけでなく明治時代、日本のアジア政策を見ることができる貴重な資料として価値がある。
日本の近現代史で福沢が占める比重は非常に大きい。彼は明治日本の対外政策と文明開化に
多大な影響を及ぼした。「富強改明」という明治の国家目標を成就するために大きく寄与したこと
は否めない。しかし、彼の言説を総合分析してみれば、西洋帝国主義を模倣した日本のより醜悪
な帝国主義もまた福沢の姿だ。そういう意味でこの本は福沢の功罪を同一線上で評価できる研究
を用意したとことに意味があり、また、著者が期待している「アジアと日本の歴史認識の深刻な亀
裂と間隙」を埋めるのに重要な道案内だ。
ハン・サンイル・国民大名誉教授
[福沢諭吉侵略、朝鮮・清侮辱発言]
▲"朝鮮国(…)未開なのでこれを誘引して導くべきで、その人民は本当に頑迷固陋で…."(1882.3)
▲"朝鮮は本来論じる価値もない。私たちが目標にする当面の敵は支那(中国)であるため…."(1884.12)
▲"朝鮮国(…)国ながら国でもなくて、政府ながら政府でもない。"(1894.7)
▲"こういう乞食らを相手に戦って蚤を移す憂慮も"(1894.7)
▲"(朝鮮の)過ぎたる崇拝の迷夢を悟らせ粉砕するに弾丸火薬よりましなものはありえない。"(1894.7)
ソース:朝鮮日報(韓国語) 啓蒙街なのか、侵略者なのか…二つの顔を持った日本の賢者
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/04/08/2011040802342.html
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 21:37:21.93 ID:jnsXyKg+O
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 08:37:57.30 ID:nMI50X4P0
>>43 つくしん坊のアマゾンレビューとどこが違うの?
>>43 ほんとにコピペのようにそっくり。別なものの見方はできないのかな。
>>38 目次がサイトに出てました。
ここにいる方達にとっては目新しい話はないと思いますが出たら読んでみようと思います。
http://www.nikkeibook.com/book_detail/16784/ はじめに
第1章 幕臣・勝海舟−−幕府は先進的だった
第2章 中津藩士・福沢諭吉−−幕臣への憧れ
第3章 幕臣たちの国家思想−−共和政治論と将軍絶対君主論
第4章 それぞれの選択−−明治維新を前に
第5章 維新を生きた二人の幕臣−−明治政府と海舟と諭吉
第6章 文明開化と武士道−−なぜ諭吉は海舟を批判したのか
終 章 『氷川清話』と『福翁自伝』の虚実
年表
あとがき
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 20:17:52.65 ID:6liNxZf+0
>>31 その福沢の見方は現在でも北鮮にそのまま当てはまるな。
大部分は南鮮にも当てはまる。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 21:50:19.28 ID:3UmSlqBU0
シナ・朝鮮にとっては福沢諭吉の天賦人権論が目障りでしょうがないようだな。
晩年は天賦人権論から強固な国権論を唱え始めていた。
福沢の国権論は独特で、大阪流とも言われていた(三宅雪嶺による)。
国権皇張を唱えた『圧制も亦愉快なる哉』、『『僧侶論』、『時事小言』は典型例。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 07:01:45.67 ID:cc19q0nm0
>>50 国権というのは国家権力の意味ではなく国力のこと。
それは最初から唱えていただろ。
この前、ジュンク堂へ寄り専門書の欄に進んだら、この本がかなり多く置いてあったよ。
・福沢諭吉−国権拡張脱亜の果て 「ナチに匹敵するアジア観」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/06/1006j1217-00002.htm 4半世紀にわたって福沢諭吉の肖像が1万円札に刷り込まれ流通しているのは、「学問のすすめ」「文明論の概略」「西洋事情」「世界国尽」などの
著作を物した明治の代表的な教育者、啓蒙思想家、ジャーナリストであり日本近代化に大きく貢献した功労者だから−と、一般的には思われている。
しかし、それは虚像であって実像ではない。
カリスマ的政治学者丸山眞男の「明治における典型的な市民的自由主義」だとする評価や、羽仁史学の開祖羽仁五郎が福沢の平和論もどきを援用して反戦論を展開した事実などによる、
誤った福沢論の常識化に反して、本書はそれらを主とする誤謬を正して「日本が犯した対外的な罪を深く認識し、それを心に刻む」(著者の言葉)ことをモチーフにして書かれている。
著者の独創的な福沢論は、その代表作と目されている前述の4冊の著書を除いて彼の思想的本質が圧縮されている「時事新報」に掲載された論説群に焦点を当てているところにある。
本書は第1章「対外論」、第2章「朝鮮・中国論」、第3章「台湾論」の3つの章から成り立っている。
この構成で特徴的なのは、福沢の論説をジャンル別・年代別に分けて原文そのままを並列し、それに簡明な解説と注釈を付すという方法をとっていることである。
つまり、原文をじかに読むことで福沢の思想を偏見なく解釈してほしいというのが著者の意図であると言える。
著者の福沢論は「福沢諭吉と朝鮮・中国・台湾」と題する約60nの解説で述べられているのだが、それを要約すれば、日本を東方の盟主と呼称し、
明治政府の開化政策、富国強兵、資本主義=帝国主義政策、朝鮮と中国への侵略政策を積極的に支持した、
「時にはナチにさえ匹敵する政策論・アジア観を呼号しつづけた」イデオローグであるという、正鵠を得た見解である。
本稿では朝鮮論のみを取り上げることにして、まず、福沢がいかに朝鮮を蔑視したかを見てみる。
「朝鮮国…国にして国に非ず」「朝鮮…南洋の土人にも譲らず」「朝鮮…人民は牛馬豚犬に異ならず」
これは人間としての品位を疑わしめる罵詈雑言以外の何ものでもない。朝鮮をこのように捉えて「隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、
正に西洋人が之に接するの風に従って処分す可きのみ」と、「弱肉強食こそ国交際の真面目」という持論どおり、露骨に朝鮮侵略を明治政府に使嗾している。
本書でとくに注目したいのは、甲午農民戦争(著者は東学農民戦争としている)に対する福沢の態度である。
著者はこの戦争について「…朝鮮の近代国家へ向けての序奏となるべき運動であった」(傍点著者)と正当に評価し、
日本の介入がなかったなら朝鮮の近代化は達成されたと確信的に推論している。筆者もまったく同感である。
ところが福沢は、「所謂百姓一揆の類」「賊徒」「高の知れたる烏合の乱民」と断定し農民軍弾圧の日本軍の侵攻を求め、
農民軍を「向後悉ク殺戮スベシ」という日本軍大本営の命令を容認し、朝鮮近代化の芽を摘む役割を果たした。
「脱亜論」に集成されている福沢諭吉の思想を、今批判する作業は、朝・日間に堆積する未解決の諸問題(それらはすべて日本に責任がある)を
洗いざらい掘り起こして解決するうえで、極めて有意義である。
なぜならば、ウルトラ・ナショナリズムを基盤とする福沢の朝鮮侵略思想、ひいてはアジア全域への侵略思想が、日清戦争、日露戦争、
そして朝鮮植民地化、中国侵略戦争、東南アジア侵略戦争を招き、そこから生じた罪禍が未だに清算されていないといっても過言ではないからである。
>>56 朝鮮新報に激賞する書評が載せられて以降、他では一向に紹介されないな。
>>58 こりゃまたすごいしつこさ ww
いや、リンク先のこと
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 21:23:46.87 ID:3cC0pewk0
>>50 そりゃ頑迷な李氏朝鮮や清朝を見ていたらイライラして潰してしまえとなるわな。
今のシナ・朝鮮でさえそう思うのに李氏朝鮮、清朝となると欧米といっしょになって潰したくなるだろう。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 08:15:40.89 ID:NBNQX7iy0
>>58 日本国内ではそうかもしれないが、この本をネタに韓国人が騒ぎ出すんじゃないか?
どうしても韓国で話題になってほしいやつがずっと張り付いて頑張ってるが心底どうでもいいよwww
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 07:16:38.95 ID:m9tnj3ZSO
安川さんはボケたのか
津波で行方不明
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 17:40:58.66 ID:m9tnj3ZSO
どうりで
67 :
!dama:2011/04/20(水) 01:39:59.65 ID:OFinCOhJ0
勝海舟と福沢諭吉―維新を生きた二人の幕臣―
これは少し興味あるな。
勝海舟は晩年に、福澤に『海軍事始』(だったか?)という著書(半分が嘘)を送っている。
68 :
株価【E】 u:2011/04/20(水) 02:02:41.56 ID:OFinCOhJ0
>>68 この本には木村も協力しているので、ウソとまではいえない。
福沢が勝を毛嫌いした表に出ていない理由として、
幕府海軍で勝が木村を排除したこともあるように思う。
ちなみに木村の息子は明治海軍の士官となり、
勝の部下の位置にいたそうな。
安藤さんの「勝と福沢」やっと店頭に並んだので買って読みかけている。
どうも平山さんの伝記と似ているんだが。参考文献には載っている。
72 :
株価【E】 u:2011/04/21(木) 00:39:01.67 ID:Vex4txlU0
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 19:44:12.73 ID:rB1Y7GKLO
ここは福沢スレ
じゃあ、安藤さんの本が読めるようになったようなので、そのあたりで続けるか。
今のところレポはひとつだけ。もうちょっとこのスレらしい料理法での感想が欲しいな。
安藤本が主に参考にしたのは『幕臣福沢諭吉』じゃないかな
勝海舟が子爵の爵位を贈られることになって、それを辞退した時に読んだ歌。
「今までは人並みなりと思ひしに 五尺に足りぬ四尺なりとは」
そこまでして伯爵を貰わなくても良かったのになあ。
しかし、ハッタリとホラは江戸っ子の華か。
もし、勝が無爵や子爵のままだったら、今日の評価は本当に悲惨なものになっていたかもしれないな・・・・
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 06:46:12.22 ID:jyFhuMKH0
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 22:02:33.09 ID:OUqFa6qr0
>>76 そいういう狂歌を読めたのなら「太平の眠りを覚ます蒸気船」を詠んだのは勝かも知れないな。
>>78 この狂歌についての新研究がなかったっけ? 藤岡屋日記にあるのかな
>>43 > [福沢諭吉侵略、朝鮮・清侮辱発言]
> ▲"朝鮮国(…)未開なのでこれを誘引して導くべきで、その人民は本当に頑迷固陋で…."(1882.3)
> ▲"朝鮮は本来論じる価値もない。私たちが目標にする当面の敵は支那(中国)であるため…."(1884.12)
> ▲"朝鮮国(…)国ながら国でもなくて、政府ながら政府でもない。"(1894.7)
> ▲"こういう乞食らを相手に戦って蚤を移す憂慮も"(1894.7)
> ▲"(朝鮮の)過ぎたる崇拝の迷夢を悟らせ粉砕するに弾丸火薬よりましなものはありえない。"(1894.7)
上記の発言のソースを現行版『福澤諭吉全集』からピックアップしてみました。
@(1882.3)→「朝鮮の交際を論ず」(1882年3月11日)現行版全集 第8巻29頁
> 彼の國勢果して未開ならば之を誘ふて之を導く可し、
> 彼の人民果して頑陋(ぐわんろう)ならば之に諭して之に説く可し。
大正版全集 第8巻収録。草稿非残存。
「朝鮮が未開ならば」というのは、日本と比較して近代化が遅れていることで、
「人民が頑陋ならば」というのは、近代化に反対する感情が強いことを言っています。
朝鮮を侵略するとか併合するとかいう話ではなく、近代化の援助をすべきだと言っています。
A(1884.12)→「戰爭となれば必勝の算あり」(1884年12月27日)現行版全集 第10巻159頁
> 扨斯の如く我日本は支那朝鮮兩國を相手に問罪の師を起したりとせんか、朝鮮は固より論ずるに足らず、我目
> ざす當の敵は支那なるが故に、先づ一隊の兵を派して朝鮮京城の支那兵を鏖にし、朝鮮政府をして我正當の要求
> を承諾せしむると同時に、我兵は海陸大擧して支那に進入し、直ちに北京城を陥れ、皇帝熱河(ねつか)に退き給はゞ熱河
> に進み、如何に剛愎の支那人も詮方盡きて止むを得ず我正當の要求を承諾して低頭其罪を謝せしむるの所置を爲
> さゞるべからず。
昭和版続全集 第1巻収録。草稿非残存。
もし清国・朝鮮国と戦争をした場合の話で、「朝鮮は固より論ずるに足らず」というのは、
日本に比べて朝鮮の兵力が劣っていることを指しています。
福澤は1882年(明治15年)9月9日から10月17日まで時事新報に連載した『兵論』では、
以上所記に由て之を観るに清国にて近年海陸軍の改正を施したるは
唯其一小部分なれども其実数を見れば殆ど我日本国の海陸軍に等しき
のみならず海軍に至ては我国の一倍に近し
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=100&PAGE=35 と指摘して、清国の兵力は日本の兵力を上回っており、海軍力は日本の2倍と見積もっています。
さらに、
圧制政府の兵にても自由政府の兵にても強き者は勝て
弱き者は敗す可し其強弱は軍人の多寡と兵器の精粗と隊伍編制の巧
拙と国財資本の厚薄とに在て存するのみ
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=100&PAGE=28 と述べて、兵力の大小が戦争の勝敗を決すると注意しています。
「戰爭となれば必勝の算あり」にあるように容易に清国に勝てるとは言っていないのです。
(つづき)
B(1894.7)→「土地は併呑す可らず國事は改革す可し」(1894年7月5日)現行版全集 第14巻438頁
> 凡そ一國に政府を立る所以は國民の榮譽生命財産を保護して安全な
> らしむる爲めのものなるに、朝鮮國の政府は恰も其正反對にして、政府あるが故に却て安全ならずと云ふ。國に
> して國に非ず、政府にして政府に非ざるなり
大正版・昭和版全集未収録。草稿残存。
政府の基本的な役割は、国民の栄誉・生命・財産を保護して安全を保障することにあるのに、
朝鮮国の政府はその役割を果たしていないばかりか、逆に政府があることで安全にならない
と指摘して、朝鮮国は「国にして国に非ず」「政府にして政府に非ざる」と批判しています。
また、「土地は併呑す可らず」とは朝鮮併合に反対した言葉です。
C(1894.7)→「降參の旗章 [漫言]」(1894年7月8日)現行版全集 第14巻447頁
> 昨日の時事新報號外に、牙山の清將聶(せふ)氏は朝鮮國王に謁見する爲め二千の兵を率ゐ京城に向て進發云々とあり。
> 其文面を見れば今にもドン/\チャン/\始りさうに思はるれども、漫言子の如きはこんな事で驚く者にあらず。
> 先づ以て安心なりと申す其譯(そのわけ)は、昨今京城は日本の兵を以て充滿して草も木も靡く其中に、聶將軍殿が二重腰(ふたへごし)に
> 成つてヨチ/\出て來たからとて何の用を爲す可きや。唯二千の乞食の行列を青天白日に晒らして見物人のお慰
> みに供するまでのことなり。日本の軍隊もこんな乞食を相手にして戰ふては虱の移る恐れもあれば大抵は大目に
> 見て見遁がすことならん。彼れも亦ほんとふに戰ふ氣は萬々なかる可し。
昭和版続全集 第4巻収録。草稿非残存。
別の箇所で清国の兵隊が規律を乱して進軍途中の村々で略奪を働いていると指摘しているので、
それを乞食の行列と批判している文章です。
D(1894.7)→「支那朝鮮兩國に向て直に戰を開く可し」(1894年7月24日)現行版全集 第14巻480頁
> 又茲に看過す可らざるは朝鮮政府の所行なり。彼れが一度
> 我要求を承諾して後、何の謂れもなく之を拒絶したるは如何にも我儘至極の擧動にして、我國に對し甚だしき無
> 禮を加へたるものなれば、支那に向て開戰すると同時に其同穴狐狸の違約罪をも糺さゞる可らず。朝鮮の小弱、
> これを討つは聊か氣の毒に似たれども、多年來彼等の腦裏に染込みたる支那崇拝の迷夢を覺破するには、彈丸硝
> 藥に勝るものある可からず。
昭和版続全集 第4巻収録。草稿非残存。
「崇拝の迷夢」とは「支那崇拝の迷夢」のことで、朝鮮国が清国の属国のようになっているありさまを
指しています。
82 :
!mibun:2011/04/25(月) 22:56:45.10 ID:z+OHL8KV0
学歴・収入と政治・経済観の相関性
自然淘汰
↑
|
リバタリアン | コンサバティブ
(高学歴・高収入)| (高収入)
|
個人−−−−−−−−+−−−−−−−→権威
|
リベラル | コミュニタリアン
(高学歴) | (低学歴・低収入)
|
|
社会福祉
1、リバタリアン 自由・私的財産権
職業:外資系、医師・会計士など専門職 主要メディア:日経 アイデンティティー:個人
2.コンサバティブ グローバリズム
職業:経営者、商工会・建設業など自営業者 主要メディア:読売 アイデンティティー:国民
3.リベラル 人権・福祉
職業:教師、公務員、プロ市民 主要メディア:朝日・毎日 アイデンティティー:市民
4.コミュニタリアン 伝統・共同体
職業:フリーター、ニート、プロ奴隷 主要メディア:産経・聖教 アイデンティティー:日本人・朝鮮人
ポリティカルコンパス
http://sakidatsumono.ifdef.jp/political-compass.html 政治ポジションテスト
http://seiji.yahoo.co.jp/guide/position/
>>82 この図式だと、上流階層が保守的だという説明がつかないが、その点は?
>>84 コンサバとコミュが連合して保守層を形成させていると考えるんだよ
アメリカの共和党支持者も同じ
左のコミュニタリアンを無視しちゃいかんよ。
>>85 そうか。自民党支持者の二つの国民層というのも同じだね。
共産党なんかはそのうち下をなんとか自分のほうに引きつけたいが、
自民支持下層は、自衛隊大好き天皇大好きなわけで、離反させるのは難しい。
>>86 もともと左翼は既存のコミュニティーは破壊したいんじゃないかな。
安藤本は、中島さんの『幕臣福沢諭吉』と平山さんの『福澤諭吉』の合体だった。
新しいところがどこなのか分からない。
安藤は近年本を出すペースが早すぎだな。専任じゃないから生活のためとはいえ。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 06:03:46.80 ID:HTBG0sWn0
磯田が慶應に移ったら、茨城にチャンスがあるんじゃないか?
帝京はダメだったのかな。安藤さん。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 08:23:48.06 ID:H2g9sm8p0
安藤はああいうことをやらかしたから専任は厳しいのでは?女性の教員や職員の手前。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 09:38:42.11 ID:1hrfkuU60
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 20:21:32.08 ID:SyHgh6DF0
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 09:43:09.96 ID:mC5TNPgkO
出身が早稲田だとそんなに不利なの?
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 09:46:25.38 ID:eJ6n65Q10
まあ、福沢諭吉が生きていたら今でもシナ・朝鮮は潰せと主張するだろうな。
150年前から何の進歩もない。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 09:47:41.64 ID:s5AlVkeHO
大げさな。慶応の宣伝部門の受け売り?
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 10:52:46.00 ID:s5AlVkeHO
うえは95へのレス
この「ケペル先生のブログ」というのが面白い。
どこかの大学の研究者か、図書館員だろうか?
_____________________________
■立花粂蔵と福澤諭吉
1854年、日露修好条約の締結を求めて来朝していたプチャーチン艦隊の中国語通訳官、O.A.ゴンケヴィッチの手引きで、
鎖国体制下の日本から密出国をして、当時のロシアの首都ペテルスブルグに入った人物がいた。立花粂蔵といい遠州掛川藩を脱藩して身を持ち崩していたが、
元は緒方洪庵の所で、蘭学を修めた知識人であった。立花はペテルスブルグで辞書編纂をまかせられ、1857年に約1万5800語を収録した初の日露辞典「和露通信比考」
をロシア外務省アジア局から出版した。立花は自らは橘耕斎と名乗り、日常生活ではヤマトフ(大和夫)と称して外務省の通訳官となった。
1861年、徳川幕府がヨーロッパに派遣した使節団は、ロシアのペテルスブルグで日本式調度品で一杯の部屋で厚遇された。
福澤諭吉は必ずや日本人がいるはずだ、と思った。諭吉はヤマトフという人物に会ってみたかったが、ついに会えなかった、と「福翁自伝」に書きとめている。
帰国してのちに、立花粂蔵だとわかった。のちに、立花は明治6年の岩倉具視大使一行がロシアを訪ねたとき、岩倉大使のすすめで帰国することができた。
なおプチャーチンはペリーとは違い紳士的に日本の国情を尊重して交渉にあたっていた。日本の恩人として外国人を3人あげるとすれば、
鑑真、シーボルト、プチャーチンだそうだ。菅の「許し難い暴挙」メドベージェフ「不可分の領土」話は平行線でまとまらない。
「暴挙」発言は国民の声と説明。(つまり悪いのは政府でなくて国民ということか?)
http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-8115.html
>>99 『福翁自伝』にあるヤマトフの話は以下の通りです。
----
その節(せつ)露西亜(ロシア)に日本人が一人居
(お)ると云う噂(うわさ)を聞(きい)たその噂は、どうも間違ない事実であろうと思われる。名
はヤマトフと唱えて、日本人に違いないと云う。勿論(もちろん)その噂は接待委員か
ら聞(きい)たのではない。その外(ほか)の人から洩(も)れたのであるが、先(ま)ず公然の秘密と
云う位(くらい)な事で、チャント分(わかつ)て居た。そのヤマトフに遇(あつ)て見たいと思うけれ
どもなか/\遇(あ)われない。到頭(とう/\)留中出て来(こ)ない。出て来ないがその接待
中の模様に至(いたつ)ては動(やや)もすると日本風の事がある。例えば室内に刀掛(かたなかけ)が
あり、寝床(ベツド)には日本流の木の枕があり、湯殿(ゆどの)には糟(ぬか)を入れた糟袋があり、
食物も勉(つと)めて日本調理の風(ふう)にして箸(はし)茶椀なども日本の物に似て居る。
どうしても露西亜人の思付(おもいつ)く物でない。シテ見ると噂の通り何処(どこ)にか
日本人の居るのは間違いない、明に(あきらか)分(わかつ)て居るけれども、到頭分らずに帰(かえつ)
て仕舞(しま)いました。
----
福翁自傳 - 239 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=116&PAGE=239
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 07:38:30.27 ID:tbGfrZbzO
ハニートラップは?
おみくじ引いとくか。
103 :
【末吉】 :2011/05/01(日) 16:06:17.93 ID:YZuhu+/V0
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 05:32:05.04 ID:bJKcCIvM0
なぜ通史でなく事典なのか『慶應義塾史事典』『福澤諭吉事典』 ― 2011/03/27 07:49
地震前日の10日、福澤研究センターの『慶應義塾史事典』『福澤諭吉事典』 完成記念シンポジウムが三田キャンパス東館4階のセミナー室で開かれた。
テーマは「福澤諭吉と慶應義塾―二つの事典からの展望」だった。 まず司会 で両事典の編集の中心となった福澤研究センター西澤直子教授から、編纂経緯 の話があった。
福澤センターで塾創立150年記念の出版物の検討が始まったのは1993年、 96年には通史でなく資料集を編纂する方針を決定した。
97年には慶應義塾 理事会が、2001年2月の福沢没後100年を記念して『福澤諭吉書簡集』の編 纂が決定され、編集メンバーはそちらを優先して、
忙殺されることとなり、03 年『書簡集』全9巻が完成した。 04年福澤センター内にワーキンググループ を組織、資料集および別巻として『慶應義塾史事典』刊行を計画、
創立150年 史資料集編纂委員会を組織。 06年、前年発足した全学の創立150年記念事業 委員会の下に、創立150年記念誌刊行委員会が発足し、
資料集の刊行と、別巻 として『慶應義塾史事典』と『福澤諭吉事典』の刊行を決定した、という。
なぜ創立150年の通史でなく、資料集なのか。 『慶應義塾史事典』の、編 集委員会による前書き「編集にあたって」に、こうある。
「創立100年以降 の資料の収集・整理は、必ずしも十分なものではなく、その状況で歴史研究書 としても価値のある通史を書くことはきわめて難しいとの判断があった。」
「通 史は義塾としての「正史」となりかねないものですが、果たして義塾に「正史」 が必要なのかという議論もあり」
「むしろ義塾史についても「多事争論」(『文明 論之概略』)こそが義塾にとってふさわしいという観点」で、現状では通史の編 纂は適切でなく、
現時点で最適なものとして、事典というかたちが選択された、 というのである。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/03/27/5759986
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 07:11:25.59 ID:WV97RZ1U0
>>105 石河の福沢諭吉伝の扱いはどうなるの?
インチキだともそうでないとも言わない?
>>106 『福澤諭吉事典』を見てみると、1092ページの「八 伝記・評伝」の最初に
・石河幹明『福沢諭吉伝』(全四巻)岩波書店、慶応義塾蔵版、一九三二年
とリストアップされています。
内容については何もコメントされていないです。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 21:30:00.64 ID:WV97RZ1U0
>>107 福沢諭吉伝は慶應が石河に依頼した正式な伝記という扱いなのでは?
その座から下ろすなら下ろすで、何らかの説明が必要だと思うのだが。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 16:06:43.86 ID:9sxWg/Nx0
>>109 どうも怪しいな。福沢研究センターは伝記編纂所の後身なのに、何も語らないとは。
慶應当局は、福澤諭吉伝を、なかったこと、にするつもりなのかな。
>>110 平山さんの『真実』が出てから、石河の『福澤諭吉伝』の権威がガタ落ちしてしまったからね。
岩波書店としては、伝記については富田さんの『考証福澤諭吉』を推奨するのかも。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 09:52:05.63 ID:jZg7c7IX0
>>111 考証福澤諭吉は悪くはないけれど、石河の間違いや隠蔽については指摘していないのだろ?
>>112 『福翁自伝』の明らかな間違いや虚偽についても指摘していない。
松沢さんの近代日本文学体系の注釈も同じく。
福澤は遅くとも長崎遊学時には適塾を知っていなければおかしい。
と学会員の原田実さんの『トンデモ日本史の真相 人物伝承編』によると、
「福澤諭吉は侵略主義者」という説はトンデモ日本史だそうです。
↓
----
日本の歴史でまことしやかに語られてきた奇説・珍説・伝承等を徹底検証!
文庫化にあたり、「福澤諭吉は侵略主義者だった?」を追加。(解説・芦辺拓)
----
【文庫】 トンデモ日本史の真相 人物伝承編 (文芸社文庫 は 1-2)
http://www.amazon.co.jp/dp/4286108090/
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 22:08:20.84 ID:dtL5eNQl0
>>114 そこまで言うのはどうかな。侵略の定義にもよる。福澤は朝鮮の主権を奪うつもりは無かったが、
ビジネスチャンスは狙っていた。それを経済侵略と呼んで呼べなくはない。
「交詢社オープンフォーラム」−第三回−開催のご案内
http://www.kojunsha.or.jp/forum.htm ○ 日時 平成23年6月5日(日)13:00〜16:00(開場12:30)
○ 会場 大手町サンケイプラザ 4階ホール →地図を見る
○ テーマ 『試練に立つ日本』〜歴史の経験に学ぶ〜
○
主催
後援 財団法人交詢社
産経新聞社
○ 参加費 無料
○ 定員 先着500名
○ プログラム
●基調講演 講師: 山内 昌之氏(東京大学 教授)
●パネルディスカッション
◎パネリスト:(順不同)
葛西 敬之氏
(東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長)
橋本 五郎氏
(読売新聞 特別編集委員)
谷内 正太郎氏
(元 外務事務次官)
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 11:35:22.78 ID:nxU06pad0
福沢サンは、お医者さんからかなり尊敬されているネ
この前行った内科の開業医の机に、福澤諭吉の心訓が7つ貼ってあった。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 14:43:52.07 ID:211yFDgY0
>>119 慶應出身なんじゃないの?
北里かもしれないが
>>120 神戸大医だよ。オイラは兵庫県住みだからね。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 16:15:11.74 ID:211yFDgY0
>>121 そういや大阪大学医学部は緒方洪庵を始祖としていて、
適塾の塾長だった福澤も関係者として扱っているようだな。
出生地は一時大阪大学付属病院の敷地内になっていた。
つまり『白い巨塔』の舞台。
神戸大とも何か関係があるのかも。
>>115 本屋さんで『トンデモ日本史の真相 人物伝承編』を見てきました。
この本での侵略の定義は普通に使う軍事的な侵略のようです。内容は、
@最初に「巷説」として「脱亜論」をアジア侵略論とする福澤批判派の
解釈を紹介しています。「雁屋哲の美味しんぼ日記」も出てきます。
安川さんの「福澤諭吉は侵略主義者」とする説は「巷説」として紹介されます。
A次に「真実」として「脱亜論」はアジア侵略論ではなく、甲申事変の失敗に
憤激して、清国と朝鮮国を批判したものとする説を紹介しています。
さらに全面的に平山さんの『福沢諭吉の真実』の内容が紹介されています。
短いページ数に多くの情報がまとめられているので一読の価値があると思います。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 09:37:35.24 ID:7K3kMqkV0
>>123 へー、なかなかしっかりした内容のようですね。ちょっと偏見をもっていました。
こういうのは重要文化財になるの?
福沢諭吉:子らとの海水浴詠う直筆の漢詩を発見 所有者が記念館に寄託 /大分
啓蒙思想家・福沢諭吉(1835〜1901)の直筆の漢詩が発見された。大分市在住の土地家屋調査士、
安部康二郎さん(65)が所有していたもので、このほど、中津市の福沢記念館に寄託された。29日から同記念館で一般公開される。
漢詩は七言律詩で「會是将軍建業城 群雄狂夢幾回驚 遊人不問千年跡 只愛水声山色清」とあり、掛け軸になっている。
1888年、53歳の時、鎌倉海岸に家族で海水浴をした時の情景を詠ったもの。鉄道の東海道線が整備され、福沢は塾生や子どもを連れ、よく海辺に避暑に出かけたという。
安部さんによると、JR久大線の豊後森駅前で食堂を経営していた安部さんの父親が、当時の県副知事から寄贈されたという。
慶応義塾福沢研究センターに鑑定を依頼したところ、本物と分かった。安部さんは「地元で多くの人に見てもらいたい」と話した。
財団法人・福沢旧邸保存会は3月、福沢記念館を大幅に改修。収蔵庫を新設したほか、1階には誕生から海外体験、慶応創設などのコーナー、
2階に著書や福沢門下生などを展示してある。今回発見された漢詩は家族コーナーに置く予定。
http://www.oita-press.co.jp/print.php?print_type=localNews&print_first_genre=&print_second_genre=&print_news_id=2011_130360959885
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 08:43:42.00 ID:o8sEEaAy0
>>125 それほどではないかと。この詩は全集未収録?
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 19:20:25.09 ID:wRvt4pzYO
「こころ」の先生みたい
>>124 筆者の原田実さんといえば、
「捏造された福沢諭吉像―今も進行する『東日流外三郡誌』汚染―」
http://www8.ocn.ne.jp/~douji/yukichi.htm を書いた人です。
上記の論説を読んでみるとわかりますが、原田さんは、
・井田進也氏が『福澤諭吉全集』の「時事新報論集」に収録されている社説の中に
福澤執筆でないと考えられるものがあると指摘したことや、
・2001年の「安川・平山論争」や、
・論争の結果として2004年に平山洋氏が『福沢諭吉の真実』を発表したことや、
・『真実』に反論するために安川寿之輔氏が『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』を
執筆したことなども、
みんな承知済みの上で、『トンデモ日本史の真相 人物伝承編』を執筆したのです。
原田さんは上記の論説の最後で、安川寿之輔氏を評して、
「安川氏は、自らを反体制に位置づけておられるのであろうが、
その福沢諭吉論は戦前の日本のすべてを軍国主義として否定するという
戦後の風潮におもねっているにすぎない。」
と結論しています。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 07:41:17.12 ID:R2bpr8680
>>128 安川は、戦後の風潮におもねっているのではなく、
そうした風潮を作り出した勢力の一員だ、が正しかろう。
おそらく、安川は福岡高校の生徒だったときにすでに
九州大学の共産党細胞と接触があった。
1950年代初めで、まだ朝鮮戦争をやっているとき。
海峡を挟んだ反対側の釜山では
韓国軍と国連軍が北朝鮮軍に包囲されていて、
釜山市内では朝鮮労働党のメンバーが、
無駄な抵抗をやめて降伏するべきだ、
という反戦運動を展開していた。
それに呼応していたのが、九州側の反戦運動。
おそらくそのあたりが安川のオリジンだろう。
>>128 トンデモ本を告発する本もトンデモ扱いする風潮はよしにしないと。
原田さんには、前にこのスレで話題になって、けっきょく突き止められなかった、
「福沢諭吉の最強剣豪伝説」について調べてもらいたいな。
諭吉先生は居合いはやっていたけれど、人に向かって刀を抜いたことはなかったはずだから、
最強の剣豪に祭られるはずはないと思うんだが。
安川の福沢批判は常軌を逸しているな。安川は何故あそこまで福沢を悪し様に
罵ることに血道をあげてるんだろう?交通費自腹・講演料なしでわざわざ中国まで
行って福沢批判の講演を毎年やるなんて。
>>133 日本資本主義自体への憎しみからだろうな
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 09:44:03.54 ID:/nv+vcce0
平山さんからの批判を「無かったこと」にして、さも自分の主張が何の批判も反論も
受けることなく学界の定説になったかのように言っている安川の姿勢は、安川自身が
歴史問題で日本を批判するときに言う歴史の歪曲、隠蔽そのものだな。
史実の改ざんそのものだな。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 11:26:30.27 ID:ArmLZuBM0
>>135 福沢センターの事典にも論争は書いていないのだろ?
慶応にも無視されているのでは?
なぜ無視をするのか、はっきりさせなきゃな。
これほど大事になっていることに沈黙するのは、非常に不自然。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 16:11:44.62 ID:s9NDxJLO0
>>137 安川・平山論争では平山さんが慶応にとって正伝ともいうべき
石川の『福沢諭吉伝』の信頼性に疑問を呈してるからじゃない?
>>140 最近の研究で、石河の伝記を重視したものは、見たこと無いんだがな。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 19:58:56.00 ID:+dV/2sEyO
生きのいい福澤研究は?
白石昌也 『ベトナム民族運動と日本・アジア』
2011年05月16日 | 東洋史 福澤諭吉=「脱亜論」= アジア蔑視・侵略主張という
ステレオタイプ。巻末にベトナム語・中国語(漢文)・フランス語・英語などさまざま
な外国語のおびただしい参考文献が挙げられているが、日本語の読解力は大丈
夫か。『福沢諭吉全集』に収録された「時事新報」論説をそのまま福澤のものと見
なしてしまっているのは、この研究が平山洋氏や井田進也氏の研究が出る前のも
のだから仕方がないにせよ、「処分」即“侵略・分割”とするなど、自分の目と頭で
テキストを読んでいるかどうかが問題なのである。この人は、母語でも外国語でも
いい、辞典を常に横に置いて、すこしでも解釈に自信がない、自分が知っている意
味では文脈上腑に落ちない言葉があったら引くのだろうかと。
(巌南堂書店 1993年2月)
http://blog.goo.ne.jp/joseph_blog/e/109d838d98c6a88f723067ec6e989026
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 14:01:55.15 ID:bB387pvLP
日本政治思想学会 第18回(2011年度)研究大会 2日目
姫路独協大学
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jcspt/events/index.html 変革期の政治思想
2011年5月29日(日)
【13:30〜16:30】第三セッション「近代化とナショナリズムの政治思想」
司会:大塚健洋(姫路獨協大学)
討論:米原謙(大阪大学)・川合全弘(京都産業大学)
報告:
平山洋(静岡県立大学)「ナショナリズムの根拠:福沢諭吉の場合」
長妻三佐雄(大阪商業大学)「三宅雪嶺における有機体的国家論の展開:ナシ
ョナリズムと多様性の思想」
浜田泰弘(成蹊大学)「理性の共和派におけるナショナリズムの位相:トーマ
ス・マンの政治観を中心に」
>>145 これは『帝室論』じゃなくて『尊王論』のことでしょう。
正確に言うと「福沢が書いたのではないとする説」ではなく、
「弟子が起筆し、福澤が添削したとする説」です。
↓
----
井田メソッドに基づいて明治版所収論説の起筆者を判定し
たところ、明治版の段階ですでに社説記者が下書きを担当したものがあることが明らかとなっ
た。それは八八年一〇月刊の『尊王論』である。
(中略)
さらに「天下万民」「日本人固有の性」という語彙から、クーデタ騒動の渦中に刊行され
たこの『尊王論』の真の起草者は石河幹明であると判明した。福沢は石河の持ち込み原稿を添
削し、自らの名前で出版したらしい。おそらく石河を懐柔するためであろう。
----
平山洋『福沢諭吉の真実』文春新書、83頁
さらに平山さんが『尊王論』について詳しく書いた論文が以下にあります。
↓
2007-03: 誰が『尊王論』を書いたのか?
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h31/00/
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 18:42:19.51 ID:OpdHXL7nO
ここは勉強になる
>>145 ありがとう!
>福沢は石河の持ち込み原稿を添
>削し、自らの名前で出版したらしい。おそらく石河を懐柔するためであろう。
この部分は余計だな。そこまでは分からないと思う。
>>145 歴史評論6月号の、福澤の帝室論の論文は、いまいちだった。
学者オタがどこに行ったか知りませんか?
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 19:13:21.75 ID:HTZ6LXSVO
>>139 それは勝を美化しすぎ。
勝の薩摩人脈は、長崎海軍伝習所在学中に築かれた。
演習航海で鹿児島を訪ねたとき、斉彬に取り込まれた。
安川が自説を撤回することはおそらく無いだろうな。撤回したら、今までの
自分の人生が無駄であった自ら事を認めるようなものだし。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 16:31:54.32 ID:QIuViOXu0
安川に対抗して、平山さんの『福沢諭吉の真実』も中国語版と韓国語版を
出すべきだと思う。
>>154 んなもん売れるかい。自分たちに都合のいいことしか聞かない連中だ。
安川らは日本の中国・韓国批判はすぐ差別だ排外主義とか言うくせに、
その逆は無批判に取り上げて日本を批判してるな。安川たちにとって、
中韓の日本批判・福沢批判は全て正論なんだろうな。
>>155 禿同。中国や韓国で安川本の翻訳が出るのは、
なにも福澤諭吉に興味があるからではなくて、
単に反日運動のネタ本として使えるからでしょう。
自著の中国語版と韓国語版を出して中韓の人たちに福沢=アジア侵略論者、人種差別主義者の
イメージを植えつけ、それらの人々の福沢批判をあげて「福沢はアジアから批判されてる」とか
言ってる安川のやり方は典型的なマッチポンプだな。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 04:37:02.34 ID:Nly/cPax0
来月に慶大出版会から、若くして逝った福沢研究者による、福沢と『時事新報』の
アジア観に関する論考を収めた本が出るみたいだな。
>>なぜ、福澤諭吉は「脱亜論」を執筆したのか。
▼1882年(明治15)に創刊され、以後、福澤諭吉が自らの言論活動の主要な舞台とした日刊紙『時事新報』。
その詳細な解読によって新たな福澤論の地平を拓きながら、志半ばで早世した著者の先駆的な論考を集成。
紙面の隅々にまで目を通し、論説と時代状況との関わりを検討、同時代の文脈に福澤諭吉=『時事新報』の
意図を浮かび上がらせる研究は、今こそ精読に値する。また、福澤の著作が李氏朝鮮開化派の領袖朴泳孝へ
与えた影響を追究し、福澤思想のアジアへの広がりに目を向けた力作も掲載。現在、第一線で活躍する研究者たちに
よる解題(川崎勝)、解説(西澤直子、都倉武之)を付し、福澤諭吉研究の大いなる遺産を現代に甦らせる。
福澤諭吉のアジア 青木功一著
ttp://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766417630/
>>158 「マッチポンプ」の使い方が違ってるよ。
とにかく反日のネタのほとんどが日本産だよね。
平山さんは著書でこの青木という人の論考参照してたっけ?
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 07:13:40.87 ID:ZL/scCMh0
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 08:45:41.15 ID:ZL/scCMh0
>>161 どうやら再刊ではなく、死後30年にして新たに纏められた論文集のようだ。
平山著『福澤諭吉』の参考文献表には掲載されていない。
平山サイトの検索窓で調べたが、青木功一は出てこない。
平山さんは参照していないようだね。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 14:56:48.94 ID:O6x9EoUz0
死後30年ということは、収録されてる論文の初出は60年代・70年代の
ものが多いだろうな。なんで平山さんはこんな重要な先行研究参照
してないんだろう?安川の方は参照してるの?
>>164 CiNiiによると、青木功一は横浜市立大学の紀要と慶應の新聞研究所の紀要にしか
発表していないようだね。検索に引っかからなかったのかも。
論文の数がたまったら、何より出版するべきだという好例だろう。
50歳で急逝されたようで、出版の準備中だったのかもしれないが。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 16:25:44.63 ID:h+sfq9t4P
”青木功一”+福澤諭吉 でグーグル検索しても4,5件しかでてこない。
しかも近刊予定本関連のみ。
ということは、ずっと忘れられた福澤研究者になっていた、ということか。
死去直後に遺稿集の形で出せなかったのかな?関係者が刊行会立ち上げて。
遅いという印象は拭えないな。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 19:58:42.50 ID:5ZM1wJlfO
>>167 おそらく有力大学の教授じゃなかったせいだろう。
弟子がいないと忘れられる。
>>179 情報ありがとウサギ!
著者の青木功一とは、どんな人なのか?と思って著者略歴を見てみると…
1980年に亡くなった方だったのですね。それじゃあ、1981年に出版された
『福沢諭吉選集』第7巻の坂野潤治の「脱亜論」解釈が出る前の論説なのか。
坂野潤治の「脱亜論」解釈によって、「脱亜論」はアジア蔑視論でも侵略論
でもなくて、朝鮮国内の改革派への援助が失敗したための敗北宣言であると
する説が次第に主流になっていったのだから、それ以前の論説という訳だ。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 20:49:54.67 ID:oL3RMMY50
日本統治が韓国近代化 米教授の名著「日本帝国の申し子」日本で出版
http://www.sankei.co.jp/news/040121/morning/21int001.htm 【ソウル=黒田勝弘】日本の朝鮮半島支配は朝鮮(韓国)に近代的変化をもたらした−
日本統治時代の朝鮮における資本主義経済の形成と発展を研究、分析することで歴史の
「暗」だけではない「明」も明らかにしたカーター・J・エッカート米ハーバード大教授
(朝鮮史専攻)の“幻の名著”である「日本帝国の申し子」が近く、日本の出版社(草思社)
から翻訳出版される。
日本の朝鮮支配の歴史については今なお日韓の間で評価に対立が続いている。
歴史教科書の記述や政治家の発言などをめぐってはしばしば外交紛争にまでなっている。
「日本帝国の申し子」はいわば“第三者”である米国の専門研究者が、日本支配がもたらした
肯定的な面について実証的、客観的に紹介したもので、日韓の歴史認識論争にも影響を
与えそうだ。
(中略)
韓国で一般的な「抑圧と抵抗」だけの国粋主義的な歴史認識を批判する一方、結論では
「植民地時代の工業化の意義は多くの学者によって過小評価されている。この時期の
工業化が今日の韓国経済の形成に果たした役割はきわめて重要である」と指摘し、
日本統治時代のプラスの遺産を強調している。
本書は「偏りのない歴史研究」として日米などでは高く評価されてきたが、韓国では
「日本の植民地支配を擁護するもの」として批判され、断片的な引用はあっても本格的な
翻訳出版はいまだ実現していない。
エッカート教授は著書で、日本統治時代に関する韓国側の従来の研究について「陳腐な
通説と歪曲(わいきょく)された歴史認識によって歴史的意義が覆い隠されてきた」と批判。
(後略)
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 22:49:55.85 ID:uSdmBRm90
>>159 本文も気になるけど、今の研究者による改題・解説も内容も気になるな。
当然、著者没後の福沢のアジア認識の研究動向にも言及するだろうし。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/22(日) 09:17:30.71 ID:ziuE19vH0
>>172 岩波から出た福澤書簡集の編纂にもかかわっているようですね、川崎先生。
福澤研究者にしては珍しい法政大学の出身者ということから、
東大法出身の飯田泰三法政大元教授の門下生かもしれません。
>>173 解説の2人は慶大出身で慶応福澤研究センター教員と、福沢研究者の本流だね。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/22(日) 12:20:57.51 ID:oeXf8cwS0
平山さんの福沢研究は慶応的にはどういう位置づけなんだろうな?
福沢を肯定的に評価している一方、福沢全集や「正伝」と言っていい
石河の『福沢諭吉伝』及び石河門下の富田の『考証福沢諭吉』に批判的だし。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/22(日) 17:10:52.14 ID:JKQUDeVgO
>>177 送料について、落札者負担とありながら、その説明が無いですからね。
振り込み手数料と送料でプラス500円だとすると、
全部で1700円くらいになってしまうでしょう。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 09:03:52.81 ID:zVJygKE70
>>175 まあ、小泉仰と西川俊作の弟子、だからねえ
>>179 となると+200円。1400円で古本を買うか、税込み2000円で新本を買うか、というところ。
差額の600円で昼飯が食えるが、そう計算する人が、この本を買うかな。
図書館で読むのではないか。
飯田鼎さんの著書『福沢諭吉―国民国家論の創始者 (中公新書)』が入門書としては一番だと思うのだが
http://www.chuko.co.jp/shinsho/1984/03/100722.html 福沢諭吉が明治維新の嵐のなかを生き抜き、大知識人として時代をリードしえた秘密は
、長崎に近い九州の小藩中津藩に生まれたこと、幼年期の環境、三度の外国体験などにあるが、
旧社会と新社会とに生きた彼には、慶應義塾と『時事新報』の創始者、西欧民主主義思想の紹介者、自由主義経済学者、
絶対主義思想家、功利主義者などさまざまな顔≠ェある。
本書は諭吉の隠れた側面を紹介しつつ、全体像を統一的に把握した評伝決定版である。
書誌データ
初版発行日1984/3/22
飯田鼎(いいだ かなえ)経済学博士、慶大名誉教授。
>>182 どちらも学者としての評価はトップレベルだが、政治力がない
>>183 いい本だとは思うが、絶版
大学の教科書にも最適なんだが
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 18:04:40.90 ID:8y5FSVmj0
飯田さんて、まだ存命だったっけ?
今日のNHK歴史秘話ヒストリアは緒方洪庵特集
諭吉のマッパの話も出るんだろうかw
>>189 出てた出てた。手塚治虫の曽祖父のことも。
でもすでによく知られていたことばかり。
ワンダーベルトの話もあったが、電信機を作ろうとしていた、
ということには触れていなかった。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 22:15:07.59 ID:GdOwABLCO
>>190 レスありがとう
そのうち「福翁自伝」を取り上げないかな
NHKで緒方洪庵をやっておったのか
そろそろ大河になるかもな。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 06:22:06.84 ID:AU74CI1m0
平山さんの時代考証担当で、福沢を大河ドラマ化してほしいな。
>>193 んなこと慶応と福沢協会が許すわけない!
195 :
良本紹介:2011/05/27(金) 20:31:29.42 ID:iBFuZk4l0
書籍名 天皇と東大: 大日本帝国の生と死, 第 2 巻
天皇と東大: 大日本帝国の生と死, Takashi Tachibana
著者 立花隆
出版社 文藝春秋, 2005
それは原理日本社同人の克明な調査に成る、たしか表題は『司法官赤化事件と帝大赤化教授』と言ったパンフレットである。
それというのも、新聞「日本」の主筆をしている若宮卯之助が、慶應義塾大学における蓑田の同僚で、『原理日本』の寄稿家でもあるという持ちっ持たれつの関係にあった。
『原理日本社』の蓑田胸喜と若宮卯之助(共に慶大予科教授)の関係は面白い。
特に、若宮卯之助という人物という人物はかなり面白い。
若宮は慶應義塾における社会学の、福谷益三、加田哲二、新館正国、奥井復太郎、藤林敬三、佐原六郎、米山桂三等々と肩を並べた先人らしいが
授業では、もっぱら蒙古来襲とユダヤの征服陰謀とを並べて、超国家主義を鼓舞したという。(ユダヤ人論考:日本における論議の追跡 著:宮沢正典)
国際政経学会(理事長赤池濃、常務理事若宮卯之助、同搏c正雄)が結成され「国際秘密力の研究」(隔月刊、非売品)を発行したことで、政財界、ジャーナリストの一部にユダヤ問題が注目され始めた。
軍令部で宣伝、防諜の主務になった犬塚も、これに大きな影響を受けたという。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 07:21:14.51 ID:aWX4Pkii0
みのだは慶應に就職する前から福沢を高く評価していた
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 15:42:05.83 ID:Z8m5Xp5x0
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 12:33:19.13 ID:8KYyG5Nu0
test
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 09:43:40.06 ID:2Msxuv9D0
>>198 慶応のパンキョーは昔から水準が低いんだね
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 10:19:43.24 ID:99rNBLp20
jyonaha 與那覇潤(Yonaha Jun)
@ @asahipress_2hen 追伸です。p118で引用の「日清[の]戦争は文野の戦争なり」も、
研究史上は福沢が著者でないと推定されているので、
「福沢諭吉の新聞に載った」等の表現に直されるのが無難かと存じます
(井田進也『歴史とテクスト』p38、平山洋『福沢諭吉の真実』p105)
17時間前 ≫
http://twitter.com/#!/jyonaha
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 10:49:48.75 ID:2Msxuv9D0
>>204 コマバが誇るヨナハ先生
まもなく東大に戻られるのであろう
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 11:48:54.26 ID:ZFQdvafi0
え、えーっ! 日清の戦争は文野の戦争
は、福沢じゃないの?
>>206 > え、えーっ! 日清の戦争は文野の戦争は、福沢じゃないの?
井田進也『歴史とテクスト』や平山洋『福沢諭吉の真実』では、
石河幹明執筆と判定されています。
↓
----
今日では「日清の戦争は文明と野蛮の戦争なり」というスローガンは、あたかも福沢の口か
ら発せられたかのように受け取られている。しかしこの言葉は同じ題の九四年七月二九日付社
説(この日は社説が二編あった)に由来しており、『福沢諭吉伝』第三巻七一四頁で初めて紹介
された時には、その出典は明らかにされていなかった。この社説は石河が執筆し昭和版になっ
てから『全集』に入れられたものである(『歴史とテクスト』三八頁)。
----
平山洋『福沢諭吉の真実』105頁
砲術の山本家での諭吉の甲斐甲斐しさは鈴木宗男をこえたな
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 10:22:12.92 ID:irSv97SF0
>>208 ほんとうのところは、奥平壱岐にもヘイコラしていたんだよ
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 11:26:16.23 ID:H+SjRyVp0
>>207 それでは関与していた可能性もあることになるね
>>114 原田実さんの『トンデモ日本史の真相 人物伝承編』を読んでみました。
文庫オリジナルの「福沢諭吉は侵略主義者だった?」は157〜172頁に掲載されています。
まず「巷説」として、「脱亜論」を取り上げて、アジア蔑視論・アジア侵略論だと
解釈する説を紹介しています。その説の代表として、安川本を取り上げています。
また、「雁屋哲の美味しんぼ日記」の2010年9月22日付の記事も紹介しています。
↓
----
ちなみに最近では劇画原作者の雁屋哲氏がブログで安川氏の研究を「思いこ
みや、偏見は一切入っていない。真実のみである」と讃えている。(161頁)
----
http://kariyatetsu.com/nikki/1276.php これに対して、以下のような回答を「真相」として説明しています。この
「真相」では、平山さんの『福沢諭吉の真実』の説が全面的に採用されています。
↓
----
「脱亜論」ではあくまでアジア諸国の当時の状況を批判しただけ(161頁)
朝鮮独立の挫折や、その際の清国の暗躍に怒りを抱いたにしても、福沢はつ
いにその感情を侮蔑に結びつけることなく、後に日本人が隣国を侮蔑する風潮
が蔓延してからは、それをいましめていたのである。(167頁)
『時事新報』の主筆が書いた侮蔑的社説が福沢の文章とされている(167頁)
現状では、この平山氏の説に対して有効な反論はなされていない。福沢を侵
略主義者とする説は、実証的には否定されたとみなしてよいだろう。(169頁)
----
原田実『トンデモ日本史の真相 人物伝承編』 (文芸社文庫 は 1-2)文芸社 (2011/4/9)
http://www.amazon.co.jp/dp/4286108090/
福沢諭吉も、熱海温泉に行ったことがある。 ふと、その旅館は、のちに阿 部泰蔵が怪我をした鈴木旅館・別館と同じだろうか、と思ったので、調べ始め た。
『福澤諭吉事典』は、VI表象の「旅行地図」に、世界と日本の福沢の足 跡をまとめてくれているので、とても便利である。
「中部・東海」のページ で、「熱海」には(1)明治3年9月と(2)明治17年6月の二度、行っている ことがわかる。
そこで『福澤諭吉事典』IX年譜を見る。 明治3(1870)年の5月中旬、福 沢は発疹チフスを発病し、一時は人事不省、危篤に陥ったが、
伊東玄伯、石井 謙道、島村鼎甫、隈川宗悦、早矢仕有的、近藤良薫、アメリカ人シモンズ、イ ギリス人ウィルスらが診療看護に当たり、快復した。
(1)9月14日「病後 保養のため、家族ならびに近藤良薫と熱海温泉に出立、二週間滞在。」
(2) 明治17(1884)年6月16日「妻錦を同伴して熱海へ出掛ける。三〇日帰京。」
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/06/03/5895159 それから『福澤諭吉書簡集』の、その当時の書簡を見てみた。 何と、明治 3年10月22日付の、阿部泰蔵宛書簡があるではないか。
しかも書簡の大意 に【熱海温泉滞在中の世話を謝し、島原藩屋敷地取得交渉の進展、普仏戦争に ついて感想など伝える】とある。
手紙には「入湯中ハ長々御約介罷成難有奉 存候。三島ニテ御別れ申、私共ハ其日湯本ヘ参り両日滞留」とある。
注記を 読むと、阿部はこの時帰省の途中であったが、熱海温泉で福沢と二週間同宿し、 『阿部泰蔵一代記』に記事があるという。
『阿部泰蔵一代記』、インターネッ トでKOSMOSを検索したら、三田の図書館旧館の地下1階にあることがわか ったが、まだ見ていない。
その後、『福澤諭吉全集』第21巻の「書簡集補遺」 にある上の10月22日付書簡の注記に、その記事の引用があるのを見つけた。
参考文献に富田正文著『考証 福澤諭吉』上があったので、参照する。 337 頁「家族六人と主治医の一人近藤良薫を伴い」、
「東京を二日おくれて出発した 門下生阿部泰蔵と甲賀信夫も同宿し、帰途三島で阿部と別れ、
箱根を下駄ばき 徒歩で越し、塔ノ沢、湯本に湯治し、更に江ノ島、鎌倉をまわり、金沢に一泊、 横浜に三泊し、十月十日に帰京した。」
「この熱海・箱根の湯治が、諭吉の温泉 保養の初体験で、その後はしばしば箱根を訪れ、福住喜平治とも懇意となり、 温泉地開発の相談にも乗り、
旅館経営の経済的援助にも力を貸すほど親密にな ったが、この時より前には、温泉に逗留したことはなかったもののようである。」
ということがわかったが、残念ながら、熱海の旅館の名前は判らなかった。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/06/04/5896140
>>215 石河幹明の『福沢諭吉伝』は調べないの?
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 07:28:26.36 ID:RcdInxjNO
石川は信用を落としたからね
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 21:03:50.54 ID:R4N0WOAy0
>>214 >現状では、この平山氏の説に対して有効な反論はなされていない。福沢を侵
>略主義者とする説は、実証的には否定されたとみなしてよいだろう。(169頁)
それはどうかなあ。平山さんの説に賛同している研究者は少ないと思うけれどな。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 23:43:17.00 ID:Dht85ofs0
>>218 安川の説に賛同してる研究者のほうがはるかに少ないんじゃないか?
>>219 安川説に賛同する研究者は杉田聡ぐらいじゃないかな。
平山説に賛同している研究者は?
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/07(火) 01:52:45.88 ID:eM31rUdfP
jinke_gashi Nozomu Itoshiki
『海戦からみた日清戦争』(戸高一成、角川oneテー
マ21、2011年)を読了。『明治・思想の実像』(坂野
潤治、創文社、1977年)を読了。「誰が『尊王論』を
書いたのか?」(平山洋、『国際関係比較文化研究』
第2号所収、2007年)を読了。
5月28日 @関連 jinke_gashi Nozomu Itoshiki
福沢諭吉の「尊王論」をチェックしていて、「これ福
沢諭吉が書いていない部分が結構多いんじゃないか。
「帝室論」と文体違うし。」と思っていたけれど、前
掲平山論文では私の印象が的外れなものではない旨が
論証されている。石川幹明の下書きに福沢が若干の手
を入れたというのが真相のようだ。
5月28日 @関連»
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/07(火) 01:56:37.80 ID:eM31rUdfP
jinke_gashi Nozomu Itoshiki
もっとも「尊王論」が福沢の名で出版されている以上、
それが福沢自身の意見であることは否定しようもない
平山は前掲論文でも強調している。
ただ、「帝室論」と「尊王論」でテキストの強調点が
若干違うことは事実であり、両者の差から福沢の皇室
理解の本質を見極めることは重要であろう。
5月28日 @関連»
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/07(火) 18:58:27.63 ID:STTK2BvqO
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/08(水) 07:18:06.21 ID:abimHJiKO
つぎに、(2)明治17(1884)年6月の熱海旅行を、『福澤諭吉書簡集』第四 巻で探す。
6月19日付福沢一太郎・福沢捨次郎宛書簡、大意【熱海旅行のこ となど近況を伝える】があった。 長男・次男は、アメリカ留学中だった。
福 沢は前年の7月頃「レウマチス」で少々難渋し、今年も同じ時節になってきた ので、熱海温泉へ母(妻、錦)を伴って行く事にしたと伝えている。
「十七 日朝熱海相模や江着、養生致居候。二、三週ニテ帰宅之積なり。」 追伸にも、 「尚以、相模やも相替義無之、老主人ハ疾ク死去、今ハ二代目要作之世なり。
倅弁之助ハ慶應義塾ニ在り。両人之事も相模屋ニテよく存し居り、頻りニ噂致 居候。」とある。 旅館の名前は、相模屋だった。
一太郎と捨次郎が、幼かっ た明治3(1870)年9月に家族で熱海に行った時も、相模屋に滞在したことが、 これで判明した。
鈴木旅館・別館ではなかったのである。
注記から、「倅弁之助」についての記述が、明治17年5月12日付福沢一太 郎宛書簡にあることがわかる。
「熱海之弁さん之事ハ、貴様八才之時之事な り。よくこそ記臆致居ると皆々驚入候。」 注記に、「「弁さん」は熱海温泉の相 模屋旅館の子息石渡弁之助。
明治二年生れ、十六年十月入塾。十八年四月まで 在籍した。」とあり、相模屋の苗字が「石渡」であることもわかる。
6月19日付手紙の追伸の続きに、「母人半溺之旧跡」を通ったという話が出 て来る。 富田正文『考証 福澤諭吉』上によると、こうだ。
明治3年9月 14日、「そのころは、東海道の道中も不自由なもので、熱海に行く途中、湯河 原の門川(もんがわ)には満足な橋もなく、危なっかしい一本橋が架かってい ただけであったが、
この日は風雨の強い日で、夫人がその一本橋の半ばで、突 風に煽られ川中に転落した。随行の駕籠屋が飛び込んで夫人を扶(たす)け起 こしたところ、
水の深さは腰までしかなかったので一同苦笑し且つ安堵した。」
石河幹明『福澤諭吉伝』も第3巻539頁で、この件について書いているが、 「熱海は明治十一年頃行かれたとき、途中の小橋を渡らうとして夫人が河中に 吹き落とされ、
お供の駕籠屋に助けられた事件があつてから餘り行かれなくな つた」と、年も、熱海へ行った回数も、間違っているようだ。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/06/05/5897179
>>227 石河の伝記は信用できない、みたいなことが書いてあるな。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/09(木) 09:59:02.87 ID:HZo9X7eE0
その、丸山真男ではなくて、丸山信が編集した良書を紹介。
『福沢諭吉門下』
http://books.livedoor.com/item/797260 編:丸山信
出版社:日外アソシエーツ (株)
発売日:1995年03月25日
ISBN:9784816912849
1 鉄砲州時代
2 新銭座時代(後期新銭座時代)
3 三田移転より明治13年末まで
4 明治14年より明治22年末まで
5 大学部創設より福沢諭吉の没年まで
6 番外
[要旨]
福沢諭吉が慶応義塾を創設した1858年から死去する1901年までの間に慶応義塾に入学した、いわゆる「門下生」についての集合書誌。
門下生525名の略歴と著作4316点、参考文献1805点を収録。排列は入学年月日順で、慶応義塾の変遷に伴って全体を6編に区分する。
巻末付録として「義塾」という名を持つ全国の学校一覧、門下生の中の主な英学教師・新聞人一覧を掲載。人名索引を付す。
―日本近代化研究のテーマに備えた、先見の明を持った人物書誌。
かなりお高い本のため、一般人は図書館でしか読めないと思う。
>>233 『福沢諭吉門下』は『福沢諭吉の真実』でも参考文献にあがっていましたね。
> かなりお高い本のため、一般人は図書館でしか読めないと思う。
価格:13,440 円(税込)です。なるほど!
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/10(金) 18:45:56.42 ID:GDQ/RCtM0
>>234 たいして厚い本ではなかったような。発行部数が少ないのか。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/10(金) 22:29:57.55 ID:ujU6QOS4P
@jyonaha
與那覇潤(Yonaha Jun)
一方、平山洋『福澤諭吉の真実』等で、部下の代筆で
あることが確定している日清戦争論を「福澤のもの」と
叙述するのはやや難(p118。「福澤の新聞に載った」等
とすれば無問題)。というかこれ、実はゼミ生の多くは
1年後期の入門演習でやったネタなので、はてさて何人
覚えているか、ちょい期待。
5月8日 Twipple for Androidから @関連
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 08:43:39.37 ID:HTRkYYx10
大物近代史家スレで安川・平山論争が話題になっているね
>>214 原田実さんの『トンデモ日本史の真相 人物伝承編』の追加情報です。
208〜209ページに、福沢諭吉の手紙の写しの写真が掲載されています。
冒頭に『東日流外三郡誌』から「天は人の上に人を造らず」を引用したことが
書かれているそうですが、筆跡は和田喜八郎のものだそうです。
210ページには、「天は人の上に人を造らず」の出典を『東日流外三郡誌』とした
福沢研究者のことが記されています。
↓
----
実は『学問の勧め』冒頭の言葉の出典は定かではない。
そこで、福沢の研究者の中から、それが実は和田家文書を出典としていた、
と主張する者も登場したわけだ。これは結局、その研究者が史料批判の能力に
乏しいことを示したにすぎない。(その研究者が関係者への私信で和田家文書真
作説支持を撤回したとの情報もあるが、論文・著書の形での撤回公表はなされ
ていない)。
----
原田実『トンデモ日本史の真相 人物伝承編』文芸社文庫
http://www.amazon.co.jp/dp/4286108090/
>>239 その研究者というのは安川さんのことね。
安川さんのその後の論文等で、そのことについて何か言っていないの?
公的には『戦争論と天皇制論』の記述が未だ有効?
>>240 原田さんの指摘どおりで、いまのところ、安川さんは本や論文では
和田家文書真作説の支持撤回を公表していないようです。
オンラインのドキュメントでは高文研のサイトに撤回を公表したPDFがあります。
↓
----
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』366 頁12 行目から371 頁の記述は、水澤壽郎氏から「天は人の
上に人を造らず・・・」の出典が『東日流外三郡誌』であるという古田武彦説の教示を受けて執筆した
内容でした。ところがその後、水澤氏をふくむ4 人の読者から『東日流外三郡誌』の偽書説が寄せ
られ、検討した結果、偽書説を否定しきれないことが判明しました。
2刷(未定)の際に、この5頁足らずの記述は、以上の経過報告と、下記の4 点の趣旨をふまえ
た文章に書き改めることで、高文研の了解を得ています。
----
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』「天は人の上に人を造らず・・・」の出典について (PDF)
http://www.koubunken.com/pdf/0366_b.pdf
>>242 おお、サンキュー!!
安川さんは正式に古田説支持を撤回しているわけね。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/12(日) 21:12:49.40 ID:N8soN3TIP
>>241 こりゃまたマイナーだな。獅子の時代みたいな傑作になるのを希望。
>>241 へー、福島を舞台にするというのは、原発事故がおきた後に
決まったんだろうな、きっと。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 09:34:57.83 ID:ZT/VQ7PJ0
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/14(火) 11:50:56.73 ID:HIwWaoWl0
>>245 らしいね
でも、新たにお金をかけて制作するより
「はね駒」を再放送してほしい
幕末の会津藩を掘り下げるような大河じゃないんだろうねえ
さすがNHK糞クオリティ
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/15(水) 10:27:36.51 ID:RpXjw3iv0
>>249 うえにもある30年前の『獅子の時代』は、
会津藩についても相当に掘り下げて描いていた。
会津藩の反骨の武士の役として、菅原文太がじつにはまっていた。
ビデオは残っていないのだろうか?
幕末の会津は必ず朝敵の問題が出てくるからな。
しかも関係者の子孫が今も生きている。
NHKも触れたくはないのだろう。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/16(木) 09:32:35.70 ID:8fiYgfTg0
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/16(木) 13:53:15.35 ID:QeZE/c6r0
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/18(土) 23:59:29.17 ID:EdciGAmlP
安川のゆうつべよりは聞かれるだろうな
/ ̄ ̄ヽ ┏┓
/ (●) ..(● ┏┛
| 'ー=‐' i ・
> く
>>252 再生できんのだが。
_/ ,/⌒)、,ヽ_
ヽ、_/~ヽ、__) \
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 20:41:08.86 ID:OA1+6TXC0
>>255 windows media player は入っている?
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 21:20:41.69 ID:4Ozp7mPPP
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/22(水) 07:16:35.94 ID:7b3/Tgxx0
安川一派、すっかり音なしだな
北朝鮮が金を出さなくなったからだろ
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/22(水) 19:38:00.65 ID:zvwiSF3p0
高文研の関係者だって、ここは見ているんだろう?
安川さんの次の一手を、みんな待っているんだよ。
寄贈:維新期の逸品、木戸孝允の書など6点 熊本の橋本さん、福沢記念館に /大分
http://mainichi.jp/area/oita/news/20110619ddlk44040322000c.html 熊本市の記念館「御馬下(みまげ)の角小屋(かどごや)」の橋本正勝館長が18日、
維新期に活躍した木戸孝允や桂小五郎の書など、個人的に収集した6点を中津市留守居町の福沢記念館に寄贈した。
本山彦一・大阪毎日新聞社長が絹に書いた「和敬」(縦30センチ、横75センチ)や、
山県有朋元首相が福沢諭吉に贈った木製菓子置き台(32センチ四方、高さ19センチ)、
1871(明治4)年発行の三井本店を描いた錦絵など貴重なものばかり。
福沢が本山に政治弾圧の苦悩を打ち明けたといわれる俳句入り直筆の五言絶句書簡も3月に寄贈した橋本館長。
「福沢と山県の交遊がしのばれるものや、弟子の本山の書、明治期の日本橋の風景や風俗が一目で分かる錦絵など、小学生でも親しめる」と話す。
記念館は専門家に分析させ、細かく調べて展示する。【大漉実知朗】
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/22(水) 20:32:28.99 ID:QiLB8lwCP
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/23(木) 15:55:05.26 ID:tLdPOJOM0
雁屋の本はどうなった?
>>263 > 維新期に活躍した木戸孝允や桂小五郎の書など
間違っちゃおらんが別人と誤解しそうな表記w
そこの耶馬渓の記事も福沢絡みなんだな
大分・中津の諭吉研究家が「福澤新聞」製作 無料で配布
http://mytown.asahi.com/areanews/oita/SEB201106100041.html 中津が生んだ近代日本の代表的啓蒙(けいもう)思想家で慶応義塾の創立者・福沢諭吉(1835〜1901)に関する最近の顕彰活動をまとめた「福澤新聞」を、
大分県中津市の諭吉研究家・福田一直さん(86)が製作し、このほど市立福澤記念館(留守居町)に寄贈した。希望者に無料で配られている。
「福澤新聞」はA3判用紙1枚の表裏に、2005年2月から10年6月までに行われた八つの顕彰活動を8枚の写真入りで掲載している。
諭吉の父・百助の禄高が「籾(もみ)十三石と二人扶持(ぶち)」であったことを示す中津藩公式文書の写しと見られる史料が見つかったことや、
耶馬渓の名勝地・競秀峰(きょうしゅうほう)頂上が売却されようとしたのを諭吉が買収して守ったことを記載した顕彰板が設置されたことなど、
興味深いエピソードばかりだ。自費で2千部印刷した。
福田さんは元朝日新聞記者。1980年に退職後、故郷の中津に帰り、朝日新聞で「福澤諭吉を英語で読む会」が市内で開かれているのを知って入会。
郷土の偉人に対する興味を一層募らせ、87年に慶応大学文学部の通信教育課程に入学し諭吉について本格的に研究した。
91年、「福澤諭吉の文体〜その熟成と展開」という論文で卒業。以来、顕彰活動や仲間との読書会などを続けている。
教える立場にあっても優れた人に学ぶ姿勢が大事だという意味の「半学半教」という諭吉の言葉が好きだという。
福田さんは「福沢先生は西洋かぶれと言われることもあるが、本当は独立自尊を大事にしている。
多面的な人物像を多くの人に知ってもらいたい」と話している。(占部正彦)
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/24(金) 08:46:41.51 ID:5gCjdq5w0
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/24(金) 16:43:18.60 ID:5gCjdq5w0
まだやっている w
5つ星のうち 1.0 さてさて, 2011/6/22
By 窯舟 - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 福沢諭吉の真実 (文春新書) (新書)
この本には、安川寿之輔氏による反論が出ているので、併読なさることをおすすめする。
私個人は、福沢諭吉は興味深い人間と思っているのだが、その諭吉の「真実」と称して、
ここまで憶測ばかりを巡らせるのはどうかと思う。安川氏の著書を読めば分かるが、平山
氏の依拠した井田メソッドの枠内でも、この本のような諭吉像は描き切れまい。もちろん、
井田メソッドそのものが無理が多くて、信用出来る手法ではないから、ますます安川氏の
説が説得的である。
私個人は、諭吉が渡米するために木村喜毅の従者になる手法や、慶應義塾の用地を入
手するために取った手法に、政治を私する人間の器の小ささを感じている。しかし、こと政
治発言では偉大なオポチュニストと思う。しかし、この本ではそれすら失われてしまいかね
ない諭吉像となる。
対立する価値観の持ち主から、思想的に対決すべき相手として偉大である諭吉像は、残
念だが安川氏の著書にこそ見いだされている。
>>269 この本の星一つレビュアーって「レビューをすべて見る」を見ると傾向がわかりやすいな
3つのうち一つは捨てアカだし
それは勝海舟ファンだから福沢が気に入らないだけの人
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/24(金) 18:53:35.80 ID:SuYolQPX0
勝海舟好きは福澤アンチが多いからなあ。
海舟は人望が無かったのがいけなかったね。
福沢みたいに書生を大事に育てるということをしなかった。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/25(土) 16:54:58.61 ID:rQa//qGb0
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/25(土) 23:01:16.25 ID:B5x2LXcF0
勝海舟は徳川幕府のゴルバチョフだったな。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 07:51:00.57 ID:eD073Y2X0
>>252>>273を読んだり聞いたりして分かるのは、
学界では依然として歴史の目的論を唱える人々が優勢だということだな。
米原謙は前の政治思想学会のトップだ。
そうした人物が率先してよいナショナリズムからわるいナショナリズムへ、
などという古臭い枠組みに拘泥している。
そんな研究方法では、新しいものの考え方などというのは、
ぜったい生まれてこないだろう。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/29(水) 12:30:59.91 ID:mLn1fsyw0
福沢サンは後藤象二郎を首相にしたかっただろうなあ。
>>277 なかなかよい着眼点。
この交友関係は、物的証拠に乏しいので、今まで軽視されてきた。
福沢の政界でのエージェントだったようだ。
福沢と後藤の関係が良好だったことを裏付ける史料ってあるの?
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/01(金) 18:52:40.52 ID:bNjLl3rW0
後藤の秘書は、いつも福沢の愛弟子が採用されていた。家も近かったのではなかったかな。
宮川幸雄さんは、ご自身が前号148号の『福澤手帖』の「信州の福澤諭吉」 に書かれたように、本籍地が長野県上田市で、
麻布善福寺の「福澤氏記念之碑」 にある「福澤氏の先祖は信州福澤の人なり」に、ずっと興味を持ってきた。
そ の話を聞いて、私は富田正文先生が昭和61(1986)年の米寿に配られた豆本風の 小冊子『信州福沢考(講演筆記)』のコピーを差し上げたことがあった。
これ は富田先生が松中深志三田会(信州の松本中学とその後身の深志高校の卒業生 で組織)でなさった講演の速記を、
同会の幹事が印刷配布したものが元で、米 寿を機会に少し補修なさったものである(昭和61年6月16日刊行、発行者富 田正文)。
富田先生の「信州福沢」の推定候補地11か所の内に、「諏訪郡豊平 村福澤、現在の茅野市豊平」は、確かにある。
茅野市は、のちに諏訪市と合併したから、藤森教授の「長野県諏訪市福澤山 一帯」は、ここのことである。
この地には善徳屋敷という屋敷跡があり、こ の屋敷の主、福澤善徳が福澤家の先祖ではないか、というのが藤森先生の推論 である。
武田勝頼は木曽義昌を討とうとして、甲斐の兵と諏訪頼豊の兵を派 遣した。
このとき福澤善徳は諏訪氏の陣にあったが、合戦のあと帰陣も戦死 の報もなく、善徳屋敷の名前だけが残ったという。
この木曽鳥居峠の合戦に 敗れて、福澤善徳は峠の下の松本平に敗走、そこを領していた小笠原氏に仕え たと考えれば、
福澤氏と小笠原家の結びつけられるというのが、藤森先生の力 説するところらしい。
そもそも富田正文先生が『信州福沢考』の調査を始められたきっかけは、茅 野の開業医がこの茅野福沢村の善徳屋敷の地に
「福沢氏祖先発祥の地」の記念 碑を建てたいので、慶應義塾の中の意見をまとめてくれという話を持ち込んで きたことにあった。
後年、富田先生がその地へ行くと、その時は善徳屋敷跡 の樹木も何もなくなって、見渡す限り団地造成の整地が行われて、
跡形もわか らなくなっていた、(括弧して小さな字で)「その後同地の有志者が福沢家発祥 の地の記念碑を建てたという」と、かなり冷たく書いている。
福沢の自らを 偶像化しない、「福澤氏の先祖は必ず寒族の一小民なる可し」(福澤氏記念之碑) のカラッとした精神を、受け継いでいるのであろう。
「信州福沢」がどこか、 確定できるほどの資料はないようだ。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/06/28/5931789
自らの偶像化を嫌う福沢
18日の土曜日は、「三田の慶應義塾を歩く」という福澤諭吉協会の一日史蹟 見学会に、家内と参加させてもらった。
4月に建替られた南校舎を見学し、 塾員(卒業生)の交流スペース「社中交歡 萬來舍」で弁当を食べるのが眼目で 出かけたのだが、
知っているつもりの三田に、知らないことが多く、おかげさ まで収穫の多い一日となった。
旧図書館福澤諭吉胸像前で集合、AB二班に分かれ、われわれA班は福澤研 究センターの都倉武之講師の解説で、
旧図書館横の「文学の丘」から見学を開 始した。 まず福澤諭吉胸像について都倉さん、福沢が自らの偶像化を好まず、
没後もながらく銅像が制作されなかったが、昭和29年、柴田佳石が当時存命 していた福沢の四女滝、四男大四郎の助言を得ながら制作、
もっともよく福沢 の面影を伝えているとされている作品だと話した。 生前の福沢をモデルにし た唯一の彫刻は、
志木高校にある大熊氏広作の明治26年の座像で、福沢は慶應義塾の記念物として制作を許可して協力したものの、
いったん義塾煉瓦講堂 (のち塾監局)2階大広間に飾られたあと、やはり自分の姿が人目にさらされる のを嫌ったので、
家族は福沢の目に触れないように土蔵に放り込んでしまった という。
あとで行った「社中交歡 萬來舍」にも、2009年の「未来をひらく 福澤諭吉 展」で見た大熊氏広作の「灯台型置物」が飾られていた。
これも小室正紀協 会理事・経済学部長が、福沢が存命ならば、飾られなかっただろうと話した。 福沢の還暦の記念品として制作され、
明治30年4月に完成、福沢に贈られ、 上の座像を土蔵にしまい込むかわりに、大広間に飾られたが、福沢は自分のこ とを灯台になぞらえた置物を嫌い、
「あれは何だ」と怒鳴ったので、妻錦(きん) は福沢家の広間に布をかぶせて置き、だれかが盗んでくれないかと嘆いていた と、伝えられている。
この日の見学、とっかかりから、庶民的で、けして偉ぶらない、自分の偶像 化を毛嫌いする、福沢の人柄を再認識したのだった。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/06/24/5925549
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/02(土) 08:16:51.44 ID:sQeljZBG0
>>281 福沢家はもともと信州の小笠原家の家来だったわけだから、
その領地の中の福沢村をさがせばいいんじゃないの?
このスレでも昔調べたことがある。過去スレをあさるべし。
そういえば話題の漫画「仁-JIN」の最終巻19と20に福澤諭吉先生が登場してたな。
ドラマでは登場したの?
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 12:44:06.84 ID:OC67bojs0
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 06:54:14.36 ID:dKbzopU30
>>269 本の内容と無関係なことが書いてあるが、これは違反じゃないの?
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 08:08:07.28 ID:rgrCWlrS0
>>286 憶測ばかり、って安川の本のことじゃないの?
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 19:07:50.75 ID:qxQLrVMdO
安川は生きているのかな
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/06(水) 08:20:35.69 ID:Dv2HHfEc0
>>289 ただ、明確な違反なのかどうか、見極めが難しい。
星1つの3つのレビューは、内容が似通っている上に、安川本の宣伝をしている。
おかしいといえばおかしい。書評上の必然からといって、通らないわけでもない。
福沢諭吉の真実は、毀誉褒貶の落差が激しいな。今の評価は星3つ半だが、
実際は4,5が7人、1が3人という評価の結果。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 06:01:58.87 ID:CLmqRsLdO
ヒント イデオロギー抗争
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 12:19:26.95 ID:SFtPp+NR0
>>291 あれだけやっても売れていないな、安川本
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 15:22:24.83 ID:c0pQ4Gd70
サヨの活動の場は、今は反原発でしょ
面白そうな本が出てたんだな。
大鳥圭介
幕府歩兵奉行、連戦連敗の勝者
星亮一 著
大鳥圭介は稀有な幕臣である。播磨に生まれ、蘭学を学び、幕府歩兵奉行として陸軍の指揮を任されるに至る。
戊辰戦争では連戦連敗するが、「またも負けたか」と笑い飛ばし、五稜郭まで戦い抜いた。
二年にわたって牢に繋がれたのちは工部大学校校長や清国公使などを歴任、富国強兵策を実行した。
「最初からよい地位に恵まれることなどない」「屈するは後に大いに伸びる基」と言い、不撓の精神で逆境を乗り越えた人物の生涯。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2011/04/102108.html
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 07:15:42.15 ID:aOQz+9ii0
>>295 福沢の適塾の先輩だね。歩兵奉行というのは、現在の軍隊の階級ではどれくらいになるの?
>>296 守を名乗れる将官級ではないようだから、大佐あたりじゃないの?
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 19:45:14.11 ID:VPmOHrfc0
>>292 安川を含む政治党派は、次に何を仕掛けてくるか、だが。
被災地復興をめぐっての利権追及とみるね。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 19:50:25.77 ID:hoL2rKGGP
>>299 > 拙論も年鑑に載せていただきたいと思ってお願いしたのですが、
> すでに今年末刊行予定の38号向けの原稿は揃っているとのことで、
> 断られてしまいました。
あらら、平山さんは『福澤諭吉年鑑』への論文掲載を断られてしまった
んですね。
> 青木の諸論文については、現在執筆中の論文「福沢諭吉は朝鮮甲申政変の黒幕か?」
> の中で触れることがありましょう。
ということで、平山さんが執筆中の論文に期待することにしましょう。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 06:58:31.42 ID:KEolOCWSP
>>295 適塾の先輩なだけでなく、
大鳥圭介は、幕末福沢のすぐ隣に住んでいた。
維新後は外交官として活躍、
日清戦争の時には清国公使だった。
福沢にとっては友人であり、また、貴重な情報源だった。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 14:43:25.69 ID:wXQVQIAP0
福沢先生は、SFCについてどう思っているだろうな
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 12:30:56.89 ID:nYRlXxYc0
>>302 カトカン先生が最初にプランニングした段階では、
開いたばかりの福沢塾と似た性格をもっていたと思う。
今はどうなっているかは、知らん。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 17:27:24.82 ID:G7d3haod0
>>269 窯舟には、自分の惨めな人生が自分のせいであって、
社会体制のせいではないということを、
分かってもらいたいな
>>301 なるほど。
福沢が後藤象二郎と頻繁に会っていたのは知っていたが、大鳥圭介も近くに住んでいたのか。
でも大鳥は外交官ゆえ海外出張ばかりだっただろうね。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/13(水) 13:11:14.30 ID:wTInONGK0
>>305 幕末のハナシな。木村摂津の屋敷の中の長屋に福澤が住んでいたころ。新銭座。
その東に江川太郎左衛門の砲術訓練場があって、
その中に大鳥と中浜万次郎の家があった。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 17:31:11.01 ID:oEuQe4Kz0
盛り下がっているねえ
齋藤孝って確か福沢の弟子の『釈宗演』の本も出しているね。
音読でこころにしみる菜根譚 《座右の名著》シリーズ
釈宗演著『菜根譚講話』 『論語』と並ぶ中国古典・最高の英知
http://www.amazon.co.jp/dp/4781604323 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
釈 宗演
安政6年生、大正8年没。明治・大正期の臨済宗の僧。夏目漱石の禅の師としても知られる、20世紀を代表する高僧である。
鎌倉円覚寺の管長として明治の著名人の多くを参禅させた臨済宗の禅僧、今北洪川(いまきた・こうぜん)の法を嗣ぐ。
慶応義塾に学び、門下の鈴木大拙(すずき・たいせつ)とともにセイロン・インド・アメリカ・ヨーロッパ・中国など世界を巡り、明治25年、円覚寺派管長(後に建長寺派管長兼任)就任。
明治26年シカゴで開催された第1回「万国宗教大会」に日本仏教代表として登壇。禅を「ZEN」としてはじめて西洋世界に伝えた
齋藤 孝
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程などを経て、明治大学文学部教授。
専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラーになった『声に出して読みたい日本語』(草思社、毎日出版文化賞特別賞受賞)をはじめ、著書多数。
小学生のための私塾「齋藤メソッド」や教育関係者を対象にしたセミナーを主宰、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の総合指導もつとめる
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/15(金) 07:33:25.19 ID:+16skB9/0
>>308 そもそも口語の『福翁自伝』を、現代語訳する必要なんてあるのかな?
読んだ人、レポよろ。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/15(金) 12:20:41.25 ID:ZT/VQ7PJ0
斎藤孝はたしかに東大法学部を出ている秀才かもしれないが、
研究者なのかどうか、疑問だな。
自分で調べた新しいところなんて、著書のどこにもないだろ?
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 12:44:02.94 ID:ydygVy1a0
>>313 なんで慶應出身者にやらせないんだよ!
安西人事の報復か?
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 17:48:05.04 ID:GtY6SDgKP
愛知サマーセミナーで、佐高信と安川寿之輔が、大激突
愛知サマーセミナー公式サイト
http://www.samasemi.net/index.html 7月18日(日)・4限 H005 / ID:415
椙山女学園中学校・高等学校 北斗館 2F 232教室 高校中教室
佐高信氏(評論家)
いま、日本を読む
政権が交代したけれども、民主中心の政権は右往左往して私たちはもどかしさを感じているが、何が変わって、何が変わらないのか。小泉純一郎と小沢一郎の違いにも触れて現在の日本を解き明かしたい
http://www.samasemi.net/2010/special.html ◇18日(祝)2限 J003、3限 K006、4限 L006
安川寿之輔・近藤一・松田浩史ほか 「NHKドラマ「坂の上の雲」と15年戦争」
開催会場の変更 市邨4号館3F C1 被服室 ⇒ 市邨3号館3F C27
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/16(土) 18:41:59.80 ID:GkZNK2ee0
umu
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 07:34:15.26 ID:oePeWnhUO
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/17(日) 12:09:34.94 ID:nVodjYTf0
さすがに会場まで同じにしたらシャレにならないだろ。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/18(月) 16:53:48.58 ID:TJOecy6w0
>>314 というか、今慶應出身者は出しにくいでしょう。
福田和也は的外れな所があるし、櫻井よしこはイデオロギー色が強すぎる。
良くも悪くも、「江藤淳」を超えてくるような大物評論家が出てこない。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/18(月) 20:51:22.25 ID:2+JI7jCyO
大震災シンポジウム、全部書く訳にはいかないので、あとは、知らなかった こと、感じるものがあったところだけを書いてみたい
「医療問題」の三村將(まさる)医学部教授、精神神経科がご専門で、「慶應義 塾救援医療団」として福島県相馬市へ派遣された。
こころのケアは、継続さ れることが重要なのだが、そこで相馬の特殊性に言及した。 相馬地域には今 まで、明治時代の相馬事件の影響で、
精神科病院やクリニックが存在しなかっ たというのである。 従来、必要があれば南相馬市や双葉町へ出かけて、受診 していた。
それが福島第一原発事故で、緊急時避難準備区域や警戒区域に入 ったため、相双地区20万人から、精神科医療が消滅することになった。
ちなみに、相馬事件とは、旧中村藩(福島県相馬市)主の相馬家をめぐる御家 騒動事件。 旧藩主相馬誠胤(ともたね)は、1871 (明治4)年に20歳で慶應義塾 に入ったが、
1876(明治9)年に精神異常を来たし、1879 (明治12)年以後、それ を理由に屋敷内に監禁されていたのを、
旧藩士錦織剛清(にしごりたけきよ)ら が不当なものであり、家令志賀直道(志賀直哉の祖父)の家督相続・財産横領目 当ての陰謀だと訴え、各方面に救出運動を展開した。
誠胤が東京府立癲狂病 院に入院させられ、1884(明治17)年錦織は病院に闖入して誠胤を連れ出したた め、家宅侵入罪で重禁固1年の有罪判決を受けた。
この間、諸新聞はこれを 大々的に報道し世人の注目を集めた。 1891(明治24)年錦織は相馬家の財産差 押えの訴えを起こし、係争中の翌年2月誠胤が急死した。
1893(明治26)年錦 織は異母弟相馬順胤ら8名を誠胤謀殺のかどで告発、順胤側は錦織らを誣告で 告発し、星亨が弁護人を引き受け、同年死体発掘による毒物検査まで行った。
内務省衛生局長の後藤新平は錦織の借金保証人となったために、錦織とともに 誣告罪で拘引された。
毒物は検証されず、錦織は誣告罪で重禁固4年、錦織 を支持してきた後藤新平は無罪となった。
『福澤諭吉事典』によれば、錦織は誠胤が塾生であった関係から、福沢諭吉 にも協力を求めている。
後藤新平は、錦織を支援したのは裁判医学への理解 を促進し、人権を保護するためであり、福沢もこの考えに同調して、錦織を三 田に呼んで事情を聞いたと述べている。
後藤の真意を理解していたのは、福 沢、長与専斎、北里柴三郎らであったという。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/07/13/5952403
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/20(水) 17:50:13.97 ID:sW5wBbbe0
>>322 相馬というのは、津波と原発災害のダブルパンチにあっている場所だね
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/20(水) 18:21:41.24 ID:kFsOpspc0
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 10:07:03.26 ID:qAFdbqIt0
>>325 市井三郎が増田宋太郎について書いていたとは、知らなかった。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 19:44:15.79 ID:wtjGtVFp0
>>326 バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』を翻訳した人?
◇大勢の見学者から名残惜しむ声
江戸時代に建築された築300年の邸宅「福島邸」(宮崎市中村西1)が取り壊されることになり、26日、内部を一般公開する「さよなら見学会」が開かれた。
雨の中、ひっきりなしに大勢の見学者が訪れ、あちこちで惜しむ声が上がった。
福島邸は約220平方メートルの木造平屋で、居住する福島順一さん(81)によると1717(享保2)年、24代目勝寛の時代に建築された。
明治、大正時代に改築を重ね、屋根は半分が江戸期の本瓦、残りが明治期の桟瓦という具合に、異なった時代の建築様式が混在しているのが特徴。
福島家は代々医者で、30代目の邦成は宮崎市の大淀川に架かる橘橋の建築に私財を投じた。邸宅は明治時代の有吉忠一県知事(1873〜1947年)をはじめ有力者が集った。
邦成の息子が慶応大学に通う縁で福沢諭吉も訪れ、座敷で「与造化争境」という直筆の書を残したという。
莫大(ばくだい)な相続税や維持費がかかるため、今夏にも取り壊し、跡地を駐車場とアパートにすると決めた。
この日は、福島家に伝わるすずりや皿、家具などの骨董(こっとう)品約100点も20万〜1000円で販売された。
近くの後藤建一さん(70)は「子供の頃から立派な家だとあこがれていたが、入ったのは初めて。
透かし彫りの欄間など細部にも高級感がある」と感嘆していた。
福島さんは「冷暖房もなく、住みやすいとは言えないが、愛着のある家。
名残を惜しんでくれる人がこんなにいてうれしい」と客を迎えた。
見学会を主催した県景観会の出口近士・宮崎大工学部准教授は「邸宅の一部だけでも残せないか。
まずは多くの人に価値を知ってもらいたかった」と話した。福沢諭吉直筆の書は、県総合博物館で展示される予定。【川上珠実】
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20110627ddlk45040306000c.html 福島邸:築300年、今夏取り壊しへ 内部一般公開、さよなら見学会−−宮崎 /宮崎
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 23:18:03.50 ID:JNCzywUPO
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 10:30:24.55 ID:c0YBxsrh0
安川たちは福沢攻撃をあきらめたみたいだな
>>330 その情報にソースはあるの?
安川さんにとって福沢攻撃は生甲斐のようなものだから、
生きている限り福沢攻撃を止めるとは思えないのですが。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 15:01:21.14 ID:c0YBxsrh0
>>331 本人があきらめたと告白するはずはないから、ソースはなし。
ただこの1年、福沢関係では何の音沙汰もなし。このまま黙って死ぬつもりなのかも。
三笠書房の知的生きかた文庫から『福翁百話』の現代語訳がでました。
福沢諭吉「強い日本人」をつくる言葉――名著『福翁百話』から (知的生きかた文庫)
福沢 諭吉 (著), 岩松 研吉郎 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4837979505/ 内容紹介
◎最高の自己実現書――『福翁百話』を3時間で読み切る!
混迷の時代、先が見えない時代に、何が必要か――
明治期の偉人・福沢諭吉は、その答えを明快に示してくれる。
空前のベスト・セラー『学問のすゝめ』を総論・概論とすれば、
この『福翁百話』は「実地応用篇・個別具体論」というべきもの。
処世術から金銭と職業、教育、健康・衛生問題、趣味の持ち方、宗教論まで……
せわしい俗世間でどんな覚悟や対処法が必要か。
心豊かに、強く生きる指針として、いまこそ受けたい福沢先生の「授業」!
http://www.mikasashobo.co.jp/book/ISBN978-4-8379-7950-0/ 【担当編集者からのひと言】A(男性)
福沢諭吉といえば、『学問のすすめ』が一番先に思い浮かびます。
でも、福沢先生は、本書のような、「具体的で、生活に密着した話」も日本に残してくれていました。
「学問のすすめは、むずかしそう……」と思うような人は、本書からまず読んでみてもいいのではないでしょうか?
“福沢の言葉”にはさすがに強さがあります。
「才人より、努力家に分(ぶ)がある」とか、「孝行だけでは“まだ足りない”」や、「苦楽、貧富は“循環する”」など……。
豊富なエピソードを元に、具体的に論じられていきます。
この本は、慶應義塾大学の岩松先生のわかりやすい訳・解説になっているので、若い方でも、気軽に「名著の大事なところ」を読むことができるはずです!
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 15:51:56.89 ID:GNnY/kCJO
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 20:48:09.54 ID:GNnY/kCJO
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 07:59:09.97 ID:+YgZjJiy0
>>337 いや、佐藤きむ現代語訳の『福翁百話』だろ。角川ソフィア文庫で、わずか781円。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 08:43:33.82 ID:SANW3dtO0
NHK「100分 de 名著」
■第一回 ニーチェ『ツァラトゥストラ』
【ゲスト講師】
西研(東京医科大学教授)
【特別ゲスト】
斎藤環(精神科医)
■第二回 孔子『論語』
【ゲスト講師】
佐久協(文筆業、元慶應義塾高校教師)
【特別ゲスト】
佐々木常夫(東レ経営研究所 特別顧問)
■第三回 ドラッカー『マネジメント』
【ゲスト講師】
上田惇生(ものつくり大学名誉教授、立命館大学客員教授、ドラッカー学会代表)
【特別ゲスト】
岩崎夏海(「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」著者)
■第四回 福沢諭吉『学問のすゝめ』
【ゲスト講師】
齋藤孝(明治大学文学部教授)
【特別ゲスト】
藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)
お茶の水の教授は東大出身者ばかりだな。昔は東京教育も多かったんだが。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 19:28:45.50 ID:Z0QbKpdk0
昨日見た奴いるの?
藤原正彦は新潮でコラム書いてる保守派の論客らしいが。
なんせアナログ停波でテレビが見れんよ。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 20:19:41.40 ID:kt5GJK1pO
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 07:09:55.75 ID:bXmDlc60O
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 21:23:20.55 ID:bVhmAko+0
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 22:42:14.86 ID:bXmDlc60O
>>348 またまた、Ajax009のソックパペットが出たのか。
この人はいつも同じことを繰り返すからすぐ分りますね。
Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Ajax009
http://ja.wikipedia.org/wiki/LTA:AJAX ・慶應義塾に都合の悪い記述の削除、または、慶應義塾を賛美する編集や、旧版へのリバートの強行を行う。
・福澤諭吉により設立された交詢社の代表に今上天皇が就任した、などと虚偽の編集を繰り返す。
・慶應義塾があたかも五大法律学校に含まれるかのような編集を繰り返す。
・福澤諭吉が外国奉行に就任した、などと虚偽の編集を繰り返す。
どう見ても明日司農とかいう人物の荒らしに見えるが。
逃げの小五郎
鬼の官兵衛
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/04(木) 18:32:26.04 ID:lZt9kccSO
>>352 ところで、「明日司農」とかいうのは何故こんなにも福澤に執着しているのだろうか?
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 17:03:06.95 ID:E1kyBqP3O
慶応嫌い?
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 20:45:57.01 ID:8f3wsJ2V0
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 06:29:48.83 ID:1rlfw6Dw0
>>361 このブログ、内容が興味深い。
安川は服部の福沢批判は手ぬるい、と言っているわけね。
で、時事論集のひどいところばかり言い立てるわけだ。
そいうのはニセモノかもしれん、という観点はないわけ?
安川の講演なんか馬鹿にしている大多数の福沢読者は、
そう考えていると思うのだけれど。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 20:18:50.41 ID:Mab6yMqYO
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 04:49:43.44 ID:RxJEcxzo0
>>361 安川さんは、安川・平山論争での自分の敗北を認めたわけだな。
講演でいっさい論争に触れないのは、触れてしまえばそれをはっきり認めるしかなくなるから。
誰かそうした質問をしてやれよ!
>>361 論破された説をいつまでも主張しているのは、論破されたということが
分からないか、それとも分かっているがそれを認めたくないための現実
逃避かのどちらかだろうな。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 14:48:30.33 ID:vk2rJNy10
>>365 触れないのは、安川の脳内では自説に対して誰からの批判や反論もなく、
学会の定説の地位を確立したことになってる。つまり平山さんとの論争は
「無かったこと」になってるからだよ。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 22:29:35.48 ID:AZgGHeNmO
>>367 でも一般の読者は論争を知ってるわけでしょ
>>368 一般人が安川・平山論争を知っているかどうか?は微妙。
福澤諭吉に関心がある人は知っているかもしれないが、
福澤諭吉に関心がない人は知らないんジャマイカ?
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 06:35:27.87 ID:iF3qmYHf0
>>367 誰も相手にしていないということじゃないの?
>>369 福沢諭吉に関心のない人は、安川の講演も聴くことはないだろうしなあ。
ようするに安川は、自分の意見を聞いてくれるごく少数の人たちに
話している、ということだろうね。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 14:38:47.58 ID:lQQWc4vE0
>>369 安川・平山論争は、朝日新聞での安川の福沢批判の論評がきっかけだから、知ってる人もいるんじゃない?
>>370 そちらの言うとおり、実際は相手にされていないだけなんだが、安川の脳内では
自説に誰も反論できず、学界で定説になったことになってる。
>>371 実際に学界では相手にされてないんでしょうね。
安川さんに欠けているのは史料批判の発想ですね。
自説に有利な史料は良く検討せずに支持してしまうから、
『東日流外三郡誌』に騙されてしまうんですね。
『東日流外三郡誌』に騙されるようでは、史料批判能力ゼロ
と見なされて、真面目な学者から相手にされなくなるのも
当然ですね。
おっ、このクソ暑い気候なのに、意外に水準の高いカキコが続いている。
では問題。安川さんに、自説はすでに葬られていると分からせるには、
どうすればいいでしょう?
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 21:37:23.44 ID:lQQWc4vE0
>>372 史料批判能力ゼロって、歴史学者としては致命的な欠点じゃないか。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 07:31:13.56 ID:6jZU4LOeO
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 07:51:21.48 ID:5bNLrmjR0
人の言うことも聞かずに糾弾ばかりしているのは、
そのせいなのかな。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 17:00:43.84 ID:TmEakNTw0
関係するのも恐ろしい集団だね、安川一派は
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 17:18:44.72 ID:K2Y/84DQ0
>>376 著書や講演で解るけど、安川は歴史を書く事と、人を裁く事を完全に混同しているからな。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 17:32:39.86 ID:TmEakNTw0
>>378 それが十分な証拠によるのなら問題はないんだけれどな
中津の誇り、諭吉音頭
http://www.oita-press.co.jp/print.php?print_type=localNews&print_first_genre=&print_second_genre=&print_news_id=2011_131250641869 市民グループ「粋にする集い」
中津市の市民グループ「中津を粋にする集い」(小野節子代表)が、郷土ゆかりの福沢諭吉を顕彰する盆踊り歌「諭吉音頭」を作った。
9日の寺町とうろう祭でのお披露目に向け、歌、太鼓、踊りの練習を続けている。
9日披露「愛される歌に」
同グループは月1回、10人ほどのメンバーで、諭吉の著書読書を続けている。
6月中旬、東日本大震災の被害者を思い、供養盆踊りができればと企画。すぐに作詞に取りかかり、福沢諭吉協会員の福田一直さんの監修のもと、2週間ほどで完成させた。
歌詞は「福沢諭吉ちゃ、どんな人」で始まり、合いの手を挟んで、咸臨丸での渡米、慶応義塾創立など、諭吉の業績を振り返り、「中津の誇り、そうじゃ、そうじゃな」で結ぶ―といった感じで、8番まで続く。
作詞後の動きも早く、メンバーの小倉桂子さんが太鼓で曲を作り、民舞踊「小美乃会」の小野京子会主が振り付けし、7月中旬に音頭は完成。
メンバーが福沢旧居近くの北部、南部校区の住民らに協力を呼び掛け、お披露目に向けた練習が始まった。
7月31日夜には、九州機設別館(同市大新田)で合同練習。関係者が勢ぞろいし、浴衣姿の踊り手が、テンポのいい太鼓のリズム、中津少年少女合唱団の合いの手に合わせ、諭吉音頭を披露。
歌詞の内容はもちろん、踊りの中に、腕を組むといった諭吉の特徴を盛り込むなど、親しみやすい踊りに仕上がっている。
小野代表は「手直しをしながら、急いで仕上げた手作りの音頭。本番までしっかりと練習を続けたい。
中津の人に愛され、親しまれるような音頭になれば」と話していた。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 09:46:03.58 ID:mKgZQwEb0
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 12:11:56.59 ID:Z6TTHhKn0
>>373 本当は論破されたことを分かっているけど、それを認めたくがないために
同じ主張を延々としてる可能性も考えられる。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 15:13:11.50 ID:mKgZQwEb0
>>382 熊沢天皇(だったっけ)みたいだな、ハハ。
最初は自分が南朝の末裔だと本気で信じていたが、
そうではないとわかっても、もう引っ込みがつかなくなった。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 17:05:43.78 ID:EhyZ5dWg0
安川の言動から察するに、彼にとっては福沢を断罪することが至上命題で、
歴史学者の本分である史実の客観的・実証的な解明は二の次三の次なんだろうな。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 18:42:47.37 ID:mKgZQwEb0
>>384 そもそも福沢を断罪しなけりゃならない理由は何?
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 23:10:42.14 ID:2nBmBTm70
>>381 福澤はが中津にしたことは大きいよ。
「青の洞門」で知られる名勝・競秀峰を買い取ったり、藩主の奥平昌邁からは重用されたからね。
奥平昌服との関係は知らんが。
>>386 福沢が動き回って宇和島伊達家(宗城)の息子を
中津藩主奥平家の養子にいれたんだっけ?
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 21:18:13.31 ID:uELJiVS50
>>381 福沢自身は嫌っていても、中津の人達にとって福沢は、郷土から出た偉人には
変りないからな。
>>384 平山さんに言わせれば、安川らは福沢批判を「学問としてではなく政治闘争の手段」として
行っているとのこと。
>>387 そうだね。
中津藩の家臣団である小幡一族が後押ししたらしい。
>>372 安川とか福沢批判者の大半は、はじめに「福沢諭吉=アジア蔑視の侵略主義者」という
結論を先に設定して論じるから、その結論に都合の悪い史料や事実は無視するか曲解し、
良いものはどんなに疑わしいものでも無批判に正しいものとして扱ってるからな。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 06:27:08.89 ID:70ftiI750
数年前紙幣の肖像の更新があったけど、千円札と五千円札は変わったのに、
何故一万円札だけ福澤が続投したの?
>>391 1984年当時の蔵相は橋本竜太郎
2004年当時の首相は小泉純一郎
その共通点は?
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 10:09:26.68 ID:eXWsYmuK0
というか他にまともな候補が居ない。
源頼朝や豊臣秀吉ならまだしも
まさか、西郷隆盛、山縣有朋、勝海舟を肖像にするわけにはいかんでしょう。
学者枠だと、伊藤圭介・岡倉天心・柳田國男・北里柴三郎が候補になっているが、一万円札には不向き。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 19:15:43.71 ID:vAaQbfT0O
>>394 変なイデオロギーを持った市民活動家でしょ。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 07:15:10.90 ID:oKD7awuH0
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 23:47:57.27 ID:RjJZltiM0
司馬遼太郎は、福沢を捨てて松平容保に走った頃から、言う内容に根拠がなくなった。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 09:53:12.99 ID:di6csTjmO
テレビドラマ化された花神では、福沢は否定的に描かれていた。
洪庵先生の通夜の場面。
大分県立先哲史料館(大分市駄原)は、各地の郷土史研究グループと連携し、小・中学校での郷土史教育に力を入れる。
所蔵する文献に加え、各グループが保管する古文書や地元の偉人に関する調査の成果を教材に仕上げ、子どもたちの歴史と古里への関心を高めていく。
これまで実施してきた学芸員の「出前講座」を、郷土史家の力を借りて充実させ、「偉業を残した多くの名もなき先達にも光を当てたい」としている。
計画では各地の古文書研究会や史談会の協力を得て、要請のあった学校に会員が出向き、郷土の偉人の業績や歴史的背景について解説する。
教材にする古文書のコピーや掲示用のパネル、年表は史料館が各グループと協議して準備する。
作った教材を広く活用するため、パネルや資料は授業後に学校や地域の公民館に一定期間貸し出し、展示してもらうことも検討している。
史料館は2004年度から出前講座をしており、要請校は年々増加。10年度は過去最多の31校、約1500人が聴講した。
「地域のために身を粉にして働いた先人の生き方に感動する子どもが多いようだ」(平井義人館長)という。
これまでの講座では福沢諭吉や大蔵永常など、著名な人物を取り上げるケースが大半。
「史料館でもカバーしきれない、歴史に埋もれた各地の偉人を掘り起こしていきたい」(大津祐司・主幹研究員)とする。
秋から趣旨に賛同する郷土史研究グループや各市町村教委の文化財担当者らと授業内容について勉強会を開き、準備の整った地域から始める予定。
県は本年度一般会計補正予算案に教材作成などの事業費110万円を計上している。
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_131155666944.html
>>400 こういうマイナーなニュースを拾ってくる奴は、
おそらく大分の学生とか院生なんだろうな。
あ、イヤじゃないよ、別に。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 18:30:13.81 ID:Z0gCrxGdO
あはは
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 01:05:14.54 ID:36O2hM9c0
副島隆彦の『属国日本論』に書いてあったが
福澤諭吉が、明治政府に出仕しなかったのはかなり先見の明があったと思う。
生涯を在野で貫いたことで、かなり得をした。
やはり、時代が人物を生むと思ったよ。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 06:53:29.71 ID:0o4NN1to0
>>404 福沢は伊藤を自分より格下とみなしていたからね
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 16:20:01.22 ID:36O2hM9c0
>>405 そらそうだろうな。
伊藤に爵位を与えることに反対している論文も出しているし。
『華族を武辺に導くの説』だったかな。
薩長の下級士族に爵位を与えることには反対で、軍人と旧大名にのみ爵位を与えるべきだと主張したようだ。
>>406 いや、爵位は公家華族にかぎるべき、じゃなかったっけ?
まー、伊藤の息子だから侯爵というのも妙な話で、
長い伝統あってこそのノブレス、
戦国大名でもダメくらいじゃないと
ありがたみが薄れる。
>>406>>407 どれどれ、『華族を武邊に導くの説』(現行版全集20巻196頁)ですね。
明治12年5月14日に「郵便報知新聞」に掲載された論説です。
一読してみましたが、伊藤の名前は出てませんでした。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 09:29:51.80 ID:ZMTbfHxg0
>>408 華族制度全体について述べた論説だから、直接名前は出ていないだろう。
官吏侮辱罪にもなり得るからノー
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 12:50:49.68 ID:kT5MHIF+0
師匠の緒方洪庵の福沢評はどのようなものだったの?そもそも福沢を評した
洪庵の発言って記録に残ってるのかな?
>>410 情報ありがとうございます。さっそく読んでみました。
@従来の福澤黒幕説では、甲申政変に関与した証拠として、
「福澤が朝鮮にいた井上角五郎に日本刀数十口を送った」
という『福沢諭吉伝』(第3巻341頁)の記載が証拠とされていました。
ところが実際は、甲申政変の後に(!)、
「福澤が朝鮮にいた井上角五郎に何かを百本送った」
明治十九年三月二十三日付書簡(資料三〇)
のが真実だったのですね。
平山さんはその何かとは万年筆のことだと推測しています。
A福澤が刀剣を朝鮮に送ったのは、
「甲申政変で負傷した閔泳翊への見舞いの品として」であり、
「荷物は大小交せ三四個にして、
物品は福沢諭吉より閔泳翊への寄贈品を箇折りたる者にして、
其内刀剣四五本あり」
というのが事実でした。なんだ、刀剣は四五本だったのですね。
>>410 これだけはっきり福沢黒幕説が否定されると、杉田本は絶版にするしかないな。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 10:57:24.63 ID:UQ/J0HcH0
福沢については、主にサヨによる誹謗中傷が酷い。
15000ドル横領はまったくのでっち上げだったし、
甲申政変黒幕説は、またもや石河と、
ビックマウス政治家の井上角五郎が、
大仰に言い立てたものだった、とはな。
諭吉の師匠は緒方では無く、中村栗園。
実際に東京学士院会が発足するにあたって福澤は中村栗園を東京に呼び寄せようとしていたが、中村は年齢のために固辞した。
>>413 杉田さんも「石河への盲目的愛」から逃れられなかった訳だ。
>>414 石河の『福澤諭吉伝』の甲申政変黒幕説は、
井上角五郎の証言が元になっているから、
井上の責任は重いと言えますね。
417 :
413:2011/08/23(火) 09:25:17.85 ID:OGSzX9gf0
>>416 自分に都合のよいことを言っているからといって、その相手を信じるというのは、
安川が古田を信じたのと同じ構図だ。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 21:40:56.20 ID:hpp773/a0
福沢諭吉と大阪事件
http://www.daitouryu.com/japanese/column/nitouken/col_theory16.html 福沢諭吉は慶応義塾の創始者で、また民主主義の神様のように思われているが、これはあくまで福沢の側面を表わしているに過ぎない。
明治十五年七月、京城(現在のソウルで、李朝時代の王都漢城)でクーデターが発生した。これは朝鮮閣僚暗殺計画未遂事件で、日本では「大阪事件」とも呼ばれた。
この事件の犠牲者は、朝鮮日本公使館員四名が暴徒に虐殺され、また京城や仁川(インチョン/ソウルの西30キロメートルの港湾都市。朝鮮戦争中の1950年9月15日、
アメリカ軍の上陸作戦が行われた場所で有名)でも日本人十数名が殺された。そして事件の首謀者は金玉均で、李朝末期の政治家であった。
金は朝鮮開化派の指導者で、朴泳孝(朝鮮李朝末期の貴族・政治家。25代国王哲宗の娘婿)らとともに日本の援助を得て、改革と清国からの独立を意図し、
1884年甲申政変を企てたが成らず、日本に亡命した経緯を持っていた。こうした彼等を庇護し、援助したのがたのが福沢諭吉であった。
福沢には他国の進歩主義者を愛し、血生臭い暗殺事件と、独立運動を支援するという表面の貌とは似つかぬ別の一面を持っていた。
金玉均や朴泳孝らは、一旦は朝鮮事大党の幹部を大量虐殺し、政権を握ったが、暗殺計画未遂事件以降、
たちまち清国の軍隊に追われて、クーデター失敗を認め、日本に亡命してきたのである。こうした彼等を庇護し、自宅で起臥の世話をしたのが福沢であった。
金一行は「クーデター計画は日本政府との密約の上に出来上がっているのだから、失敗しても日本に亡命すれば、日本政府は好意的に暖かく迎えてくれるであろう」と高を括っていた。
ところが実際に日本に亡命すると、日本政府の扱いは非常に冷酷なもので、外務卿であった井上馨(維新後、政府の中心人物でフリーメーソン)は、金らが何度訪問してきても門前払いを食わせた
。そして度々来る彼等を、井上は門を閉ざして近づけない有様であった。金らはこれに対して酷く憤激した。
そして金は井上に対し、「このままでは、日本政府の背信の顛末を書き記し、天下に公表する」と開き直ったのである。
この時、民間人として金らを庇護したのが福沢を始めとした、朝鮮独立運動の志士達であった。彼等志士達の中には、自由党員も改進党員も含まれていて、板垣退助や片岡健吉らもその例外ではなかった。
特に当時の自由党員は剣術を稽古し、討論を闘わせ、学習を行うという変わり種の武当派集団で、
自由民権の指導者達は、続々と文武両道の道場を作り、剣術と戦闘訓練に明け暮れ、硬派的な壮士の育成に熱中していた時代である。
河原や野原で帯刀抜刀し、戦闘訓練をして壮士の士気を高める事に全力を努めていた。
こうした中、福沢は、金らに対し、最も深い同情を寄せ、彼等の相談に乗った。
土佐藩士で大政奉還運動を起し、明治維新後、参議となったが、征韓論政変で下野した後藤象二郎に、彼等を引き合わせたのも、福沢であった。
また京城クーデターの際、時の剣客と謳われた居合術の達人・松尾三代太郎(みよたろう)と、原田一(はじめ)を渡韓させ、金らの味方として警護に該らせたのも福沢であった。
そして我が弟子である牛馬卓三、高橋正信らも京城に送り込み、朝鮮政界の動向を静観した。
こうした経緯から、福沢はただならぬ同情と支援を、金らに尽くしていたのである。そして福沢に接触を始めたのが、自由党の指導者・小林樟雄(くすお)、大井憲太郎(代言人で、
星亨とともに、明治十五年代言人組合の副会長に当選)らであった。
自由党の彼等は、金らと親交を結び、朝鮮に押し渡ってクーデターを敢行し、朝鮮を清国から独立させる為にはフランスの力を借りなければならないと考えていた。
そのスローガンは、朝鮮を保護し独立を維持するというものであった。その上で、朝鮮を利用してロシアと清国を戦わせ、漁夫の利を狙う謀略案まで計画していた。これを「大阪事件」という。
これは福沢の考え方に一致していた。
しかしその深層部はこれだけに止まらず、究極の目的は、朝鮮の民主的改革を押し進め、この民主改革を以て日本自体の国家の改造の糸口にする狙いがあったという。
しかし金玉均が、明治二十七年三月、上海で閔氏政権の刺客により上海で暗殺された事で、福沢の思惑は挫折する。
こうした福沢の考えていたビジョンに随(したが)うと、福沢は一般に考えられているような、学者肌のヤワな人間でない事が分かる。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 21:51:45.90 ID:r26+l7sAO
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 10:23:19.20 ID:Ho7xznKz0
>>418 >明治十五年七月、京城(現在のソウルで、李朝時代の王都漢城)
でクーデターが発生した。これは朝鮮閣僚暗殺計画未遂事件で、
日本では「大阪事件」とも呼ばれた。
>この事件の犠牲者は、朝鮮日本公使館員四名が暴徒に虐殺され、
また京城や仁川(インチョン/ソウルの西30キロメートルの港湾都市。
朝鮮戦争中の1950年9月15日、
>アメリカ軍の上陸作戦が行われた場所で有名)でも日本人十数名
が殺された。そして事件の首謀者は金玉均で、李朝末期の政治家で
あった。
こりゃ、まったくデタラメだな。
1882年7月の壬午軍乱と、1884年12月の甲申政変と、
1885年11月の大阪事件がごっちゃになっている。
誰か説明してやれよ
>>416 政治家としてはどんな奴だったのかな、井角は。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 22:31:35.83 ID:OTlmL2LnP
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 03:30:29.67 ID:YCRww9Lx0
>>422 これだね↓
『福沢諭吉のアジア侵略思想を問う』 イ・ヒャンチョル訳、歴史批評社、
2011年4月8日。ISBN 978-8976967282。 - 「福沢諭吉のアジア認識」の翻訳
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:59:25.49 ID:ASNU0Cg40
>>422 4月に出た安川本の韓国語訳。まったくだれも相手にしなかったため、
ヤブレカブレな記事をばら撒いていると思われる。
でも、ここの住人でさえ、そんな記事が出ていることさえ気づかなかった。
ここまで存在を忘れられてしまうとなると、
惨めさをこえて、ばかばかしい話としか、言いようがない。
>>423 だいたいこのISBN自体がインチキだ。どうしても該本なしになってしまう。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 20:33:18.17 ID:XO28wb2YO
これからは中韓人が福沢批判をしても、
安川の受け売りとして、無視することができる。
めでたいこった。
>>427 http://gn.isbnshop.com/books/book.php?isbn=9788976967282 この本は、
"圧制も、私がされれば嫌だけど他人を抑圧するのは大変愉快だ"
"国のためなら、一つしかない命を投げても惜しくない。"
日本近代の師匠なのか、侵略戦争の扇動家か。
近代日本の侵略的帝国主義へと導いた福沢諭吉を解剖する。
"でたらめならば、福沢、嘘なら諭吉"福沢は1882年の壬午軍乱と
1884年の甲申政変を好機の到来を把握して強硬な軍事介入を主
張している......以下省略
著者について
1935年兵庫県に生まれ、1964年名古屋大学大学院教育学研究科博士課程を修了した。
その後、宮城教育大学、埼玉大学を経て、1998年に名古屋の大学を定年退職臨むまでは、
社会思想史的観点から、福沢諭吉の教育思想などを研究した。
"日本の近代教育の思想構造"(1970)、"15年戦争と教育"(1986)、
"女性差別はなぜ存続するか"(1986)、"日本の近代化と戦争責任"(1997)、
"日本の近代教育と差別"(1998)、"大学教育の革新と実践"(1998)などの著作を発表した....??..以下省略
続き
目次
語版序文
はじめに
序章福沢諭吉研究の七不思議
1。 政治家の外の天皇vs実家?征する天皇
2。 "一新独立=一国の独立"のボントゥト
3。 福沢の状況的思考と発言
4。 対象の内在化の怠慢 - 学問的なコースからの逸脱
5。 福沢は"の原則がある哲学者"なのか
6。 借りてきた修飾語 - "天は人の上に人を作らず人の下に人を作らない。"
7。 日本近代化の師匠、あるいは憎い民族の敵
第1章初期ギェモンギ、福沢諭吉の国際関係認識 - 丸山眞男の"福沢ユキチロン"を検討する
1。 バンヤクムイン、弱者に対する横暴、無情残酷、力が、すなわち定義である
2。 初期ギェモンギの国際的論争 - 台湾出兵と江華島事件
3。 アヘン戦争の認識と評価 - 中国の民族的英雄イムチクソエに対する非難
4。 明治政府と福沢の関係 - 初期ギェモンギ福沢思想のまとめと評価
第2章中期の福沢諭吉、保守思想の確立 - 壬午軍乱、甲申政変、タルアロン
1。 保守思想での過渡期 - 通俗国権論、民情一新
2。 保守思想の確立 - 時事牛凍らせていたとジェシルロン
3。 壬午軍乱甲申政変と福沢諭吉
4。 アジア蔑視思想と文明史観による侵略の合理化、タルアロン
5。 日清戦争への道は不可避したのか
続き
第3章日清戦争期の福沢諭吉 - 朝鮮王宮占領旅順虐殺事件閔妃殺害台湾征服戦争
1。 福沢諭吉の戦争キャンペーン - "居留民保護"という口実
2。 また、"文明史観"による侵略の合理化
3。 朝鮮の自立独立のためという口実
4。 アジアに対する蔑視偏見マイナス評価の無差別放流
5。 戦争勝利のために夢中に熱狂 - 戦争報道の悪い伝統
6。 一貫性の軍備拡大の必要
7。 明治天皇の積極的な戦争指導とその賛美歌 - 靖国の思想
8。 台湾征服戦争、ムダンジョク植民地支配と福沢諭吉
9。 ジャーナリストの福沢の隠蔽報道 - 朝鮮王宮占領、旅順雲林虐殺事件、閔妃殺害
第4章アジア太平洋戦争への道 - 福沢諭吉が敷いた"暗い昭和"の軌道
1。 晩年の福沢諭吉
2。 アジア太平洋戦争への道 - "明るくない明治"から"暗い昭和"へ
3。 戦争責任の観点からの調査の社会的責任を追及する
マムリグル
翻訳者コメント
お客様の声 - 福沢諭吉の東アジア侵略の思想を正しく知るために
付録
コメント
福沢諭吉のアジア認識の軌跡
顧客の書評
登録されたお客様の書評がありません。
>顧客の書評
>登録されたお客様の書評がありません。
話題になっている気配など、全然ないじゃん。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 15:16:06.64 ID:Rgxx/DVy0
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 15:39:20.36 ID:dCQ/YqoX0
>>432 なるほど、長文の批評が2つある。
中身はどっかで聞いたような…。
伽藍 | 2011-06-14 03:46 | コメント(0)
日本で最も尊敬される位の1位に選ばれ、今日にも1万円紙幣にその肖像が入った福沢諭吉。
一般的に日本国内では彼を指して啓蒙思想家であり、教育者として知られていますが、
日本の進歩的知識人安川ジュノ介教授は、彼の著書"福沢諭吉のアジア侵略思想を問う>
で、これは彼の本質を知らずに人々が勝手に盛り立てたことに過ぎないとしています。
彼の本質は、日本が西欧の文物を取り入れ、優秀な軍事力を備え、朝鮮と台湾や中国
など北東アジアを征服し、英国などの西欧列強さえも屈服させる軍事大国になることを
熱烈に渇望していた極右民族主義者でした。
だけでなく、彼は生涯貧しい低所得層と労働者、農民など一般庶民と女性の人権を極度
に軽蔑しています。 それこそ本物の極右ファシストだと言えます。
それにしてもグーグルの自動翻訳はなかなかやるな。
それならこっちか。
>リムジン | 2011-05-26 23:13 | コメント(0)
> 歴史上の人物が何をどのように見るべきであるか。
>"人は自分が見たいものだけ見る。"という言葉が実感できる人がいる。
.> 一人を置いてすれ違うの評価をすることになる理由が明らかにある。
全体的にはたいしたことはないんだが。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 07:13:34.62 ID:i/GOKsqV0
日本ではもう相手にされないから、今度は韓国でシンパを増やすことにしたんだな。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 17:07:41.96 ID:aZxXVnkIO
>>436 いや、韓国人や中国人は怒っている、
などと言うのであろうよ
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/27(土) 20:00:39.19 ID:fSwXBgWO0
お墓について、福沢がそんな考えを持っていたにもかかわらず、今は麻布善 福寺にある福沢の墓は、相当に大きく建てられた。
初めは錦(きん)夫人の俗 名を朱で入れた。 その時、夫人は葦原雅亮に、こう言ったそうだ。
「先代の墓石が建つて嬉しいと言はねばなるまいが、私は嬉しいどころか、 こんな困つたことはありません。
私が先代の墓は遺言通りにしてほしいといく ら申しても、塾の宿老たちがあのやうにしてしまはれた。私がそれでは困ると 申すと、
塾の人たちは、御夫妻同会ですから少しは大きくても我慢して頂きま すといつて、肯き入れてくれなかつた。私は先代の在世中、
無理と思ふやうな ことを言はれた覚えは一度も無く、又先代の言ふことを諾(うべな)はなかつた 覚えも一度もありません。
それに死んでしまつて叱かられぬからといつて、あ れほど幾度も言はれて居たことを実行し得なかつたことは、誠に申訳ない。彼 の世にいつて何と申訳してよいやら。」
次の話も、初めて知った。 大正4年、長男の一太郎夫妻が中津に行き、明 蓮寺内、金谷村の三昧(さんまい) 、
竜王の浜にある福沢家の墓をまとめて向地 で再火葬して、一つの骨壷に入れて帰京、上大崎常光寺の「福澤氏記念之碑」 の左側に改葬した。
「福澤氏祖先之墓」という碑銘は、老僧つまり葦原雅亮 が揮毫し、右側は「大正四年建之」となっている。
この碑(墓石)も、昭和 52(1977)年に福沢の墓が、常光寺から麻布善福寺に改葬された時、いっしょに 移されたと思われるが、今度善福寺に行ったら確かめてみたい。
そして、高仲熊蔵・はな夫妻の墓についての説明がある。 夫妻には、男の 子が二人あって、福沢家でも不愍に思って、可愛がっていたが、
兄は夭死、弟 は脱線、「あゝいふ正直な父母の子供でも、宿業なればどんなことにでもなる。 これが娑婆といふものである」とあった。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/08/24/6066163
葦原雅亮、晩年の福沢の思い出を残す ― 2011/08/22 05:38
福澤諭吉協会の熱心な会員に、黒田康敬さんという方がいる。 私も参加す ることに意義があると思って、なるべく顔を出すようにしているから、よくお 目にかかる。
そんな縁で、私のブログを読んで下さっていて、お会いすると 「今朝も読んできました」と言われる。 去年の10月13日・14日に書いた、
福沢のお墓にある高仲熊(萬)蔵・はな夫妻の墓の話を、黒田さんが憶えていて 下さり、ご親切にも高仲萬蔵について書かれた本のコピーを送って下さった。
葦原雅亮著『草枕牛の涎』(昭和26(1951)年・慶應通信教育図書(株)刊)の「福 澤先生の墓」である。
私は葦原雅亮という人を知らなかったので、まず『福澤諭吉事典』を見た。 II章「人びと」に独立の項目があり、ほかの二か所に記述がある。
「あしは ら がりょう」坊主頭で口髭をはやした着物の写真がある。 明治8(1875)年 〜昭和36(1961)年。 慶應義塾寄宿舎舎監、僧侶。
熊本県天草郡の浄土真宗 本願寺派円教寺に生まれ、明治25(1892)年に慶應義塾に入学、31年に別科を 卒業した。
卒業後は、義塾中年寮舎監、寄宿舎舎監などを勤め、作文などの 講座を担当したほか、塾員名簿の作成や『福翁自伝』の浄書にも当たっている。
この間、鎌倉や京都で修行を積んだが、福沢諭吉が旅費や生活費を工面してく れたという。
福沢の晩年には塾に呼び戻されてそのかたわらにおり、31年の 脳溢血発症後の病状や回復の経緯を記した詳しいメモを書き残した。
回復後、 福沢はみずからの揮毫の落款に「明治卅弐季後之福翁」を用いたが、これを提 案し彫ったのは葦原である。
6月の三田キャンパス一日史蹟見学会の記事に、 福沢が還暦祝いの銅像や、記念品の灯台型の置物を嫌った話を書いたが、
その 思い出話を語り残したのも、実は葦原雅亮だったのである。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/08/22/6062617
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 07:44:38.24 ID:VIc5dsMG0
>>439 脳溢血発作後の回復に関するメモがどんなものなのか、知りたいね。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 18:20:11.35 ID:2L8rSBx5P
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 18:29:12.31 ID:2L8rSBx5P
c 一番許せないと思ったのは、福沢とキムの関係を批判的に見るのは、
戦後日本の歴史学のせいであるという坂野の発言である。
「歴史の現場」に即した同時代人の目という問題である。
門下生の井上角五郎が証言しているように、福沢諭吉は、
甲申政変に際して刀剣、爆薬などの武器提供を担った以上にクーデターに
深くかかわりをもち(福沢がクーデターのことを「知らなかったはずはない」
という坂野のコメントもお粗末だった)、「目ざす当の敵は支那なるが故に、
・・・海陸大挙して支那に進入し、直ちに北京城を陥れ」、天皇の「御親征の
挙断じて行ふ可きなり。」などと、福沢の「時事新報」紙は何度か発行停止
処分をうけたほどの強硬な軍事介入論であったから、
1885年の上野の対支示威運動の会衆三千人が、市中デモ行進の際に時事新報
社前で「同社万歳」を連呼した事実はある。
>>441>>442 > 門下生の井上角五郎が証言しているように、福沢諭吉は、
> 甲申政変に際して刀剣、爆薬などの武器提供を担った以上にクーデターに
> 深くかかわりをもち(福沢がクーデターのことを「知らなかったはずはない」
>>410のリンク先で平山さんが立証したように、
・福澤黒幕説の証拠といえるものは井上角五郎の証言しかないし、
・「刀剣、爆薬などの武器提供を担った」という説の証拠は無い、
というのが真実ですね。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 12:03:35.21 ID:WanflrNW0
>>443 それhそれとして、安川がトクトクと弁じている、
>1885年の上野の対支示威運動の会衆三千人が、市中デモ行進の際に時事新報
>社前で「同社万歳」を連呼した事実はある。
の出典は?
安川がネタにしている本が分かるかも。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 23:48:42.61 ID:OZIn8O9/0
>>447 まあ、部下の時事新報記者なんて、スパイそのものだろうからね。
ところで、作者の小川原准教授も格好いいぞ!
長野県出身の外部入学者だが。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 10:58:21.14 ID:W9FcT1Xc0
周囲に政府のスパイがいたということは、それだけ政府から影響力のある
言論人として恐れられていたということか。
>>449 大新聞を所有していて世論に影響を与えられる立場にあったのだから、当然だわな。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 15:05:50.20 ID:E8mcQkBfP
994 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/26(金) 18:39:17.69 ID:zSCb/TVW0(4)
未だに中塚明や安川寿之輔とかを持ち上げる人間がいるとは。この2人が壊れた
テープレコーダーのように論破された主張を展開する本を出すたびに、学界の
マトモな歴史学者たちは「またかよ」「相変わらずだな」「紙の無駄」と呆れ
顔だろうな。
>>453 ほんとうに安川はいつでも同じだな。
ネタがたった一つしかない芸人なんて、すぐに飽きられるんだが。
平山攻撃のパターンもたった一つ。文献判定があいまいだというだけ。
重要なのは石河に信憑性があるかどうかなのに、
その検証は行わない(行えない?)。
だからあまりに不自然な現象、たとえば福沢が侵略論者に転向したなら、
なぜ転向前の著作を全集にいれ、転向後のものはいれなかったのか、
とか、晩年の時事新報の方針がめちゃくちゃなのはなぜか、
などということを無視する。
まともな聞き手は、それだけで安川は反論できないと見てとって、
2度と相手にしなくなる。
今では丸山批判に集中しているが、多くの人々が、
「丸山は時事論集にニセモノが含まれていることを知っていて、
それに触れないようにしていただけ」と考えていて、
丸山は気づかなかった!
などとバカの一つ覚えを絶叫している安川を、
鼻で笑っている。
>>454 平山さんも指摘してるように、安川にとって福沢批判は学問じゃなく
政治闘争の手段だから、都合の悪い事実は完全スルーか曲解するしか無いんだよ。
安川は福沢が中国人蔑視を戒めた論説や演説を嘘呼ばわりしてるけど、
当時は石河のような主張は必ずしも悪とは見做されてなかったから、
そんな嘘を言ったり書いたりして偽装工作をしなければいけない必要性なんて全くなかったというのに。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 05:27:04.55 ID:sK1SpPmU0
>>404 405
伊藤之雄『伊藤博文』によると、1897年頃福沢は、その格下扱いしていた伊藤の藩閥と民党を結集させた、
挙国一致内閣を作る策動に関与した点を挙げて、福澤に政治に関与する野心があったことを指摘
してるけどな。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 06:25:42.23 ID:YYwE2THKO
ここの住民は水準が高い近代史板随一
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 10:39:03.11 ID:cqqbjwoc0
>>456 福沢の個人的政治的な野心というよりは、本来彼が目指していた
英国流立憲君主制の真の実現を図ろうとした、というのではないかな。
いずれも明治政府を追い出た大隈板垣の隈板内閣は
福沢存命中に実現しているんだし。
安川とその御仲間たちは、福沢個人の見解と、時事新報社の見解を、意図的か否かは不明だが
混同しているきらいがあるね。彼らにしてみたら、「福沢は時事新報の創立者兼オーナーだから、
福沢の意に沿わない論説が載るはずがない」という思い込みがあるんだろうけど。
>>458 隈板内閣の成立や、同内閣が内輪もめで何の成果も上げることなく、
たった4ヶ月で終わったことについては、福沢はどう論評してるの?
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 14:49:27.64 ID:cqqbjwoc0
>>460 おっ、興味深い着眼点。
ちょいと調べてみたら、隈板内閣は1898年6月30日から11月8日までで、
福沢が脳卒中の発作に倒れたのは1898年9月26日。
福沢は自由党の板垣とはそりが合わなかったが、
改進党の大隈とはじっこんだった。
盟友が首相になったのだから、当然喜んだものと思う。
もう少し詳しく調べてみよう。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 17:57:25.01 ID:6VizktiN0
>>461 その大隈が、自分とは反りが合わない板垣と組んで憲政党を結党したことについては批判的だったのでは?
福沢が期待していた政治家は後藤象二郎だけだよ。
後藤が死んでからは仕方無しに大隈に目を付けただけ
そういう見方もできるかな
>>463 いや、後藤が征韓論で下野してからは、
大隈が閣内での盟友となったはず。
14年政変で大隈まで出てしまって、
福澤は伊藤に手も足も出なくなった。
かろうじて井上馨が味方だった。
福澤は憲法を自分で手掛けたかったから利用できそうな政治家を探してたけど
結局は井上毅に見破られて潰された。
まあ当時の在野の壮士からはかなり尊敬されていた福沢だが、
明治新政府から見れば、佐幕派と民権派の首領という「危険人物」にすぎなかった。
実際に、門下にはいわゆる紀州や長岡の藩士が多く、菊池万之助(号は淡水)のように西南戦争に参加していく塾生が後を絶たなかった。
>>466 増田宋太郎は肉親(従兄弟の子)で西郷軍中津隊隊長で、死刑になった。
井上毅は肥後学校党出身で、福沢が親しかった肥後実学党のライバル。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/02(金) 21:51:04.08 ID:MZa2LgR/P
>>423 翻訳者の紹介。延世大学校から一橋大学の博士という、たいそうな経歴。
イ・ヒャンチョル慶南(キョンナム)晋州(チンジュ)で出生して延世(ヨンセ)大学校
政治外交学科と史学科で修士学位を受けて日本ヒトツバシデハク経済学研究科
で博士学位を受けた。 近現代日本と東アジアの社会経済社を研究している。
主要著書で<日本経済失われた10年の死闘そして回復>(ジェイアンドシー、2005),
<東アジア高等教育の再構築>(井戸がある家、2007)があって、
翻訳書では<サクラが負ける、若さも負ける>(モメント、2005),
<死ねと言えば死ぬだろう>(井戸がある家、2007)等が
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 00:38:01.13 ID:EewDCDfi0
>>468 どれどれ、ビンゴ!『福澤諭吉全集』第21巻599頁にありました。
↓
明治十八年 1885年1月18日
この日、大井憲太郎等の一派が上野
で大日本有志運動会と称する対支示威運動
を挙行、会衆三千、思い思いの字や絵の旗
指物を押し立て午前中は上野の山内で気勢
を挙げ午後は市内行進に移り時事新報社前
で同社の万歳を連呼し、同紙と反対の立場
をとる朝野新聞社前では、危く同社を焼打
ちしそうな騒動となり警官の出動でわずか
に事なきを得る
>>470 「福沢諭吉は朝鮮甲申政変の黒幕か?」の記述と重ね合わせるなら、
甲申政変の第一報から1ヶ月間の時事新報の対清国強硬論を、
自由党系活動家は支持していたことになる。
安川はそうした活動を不当だ、と言いたいようだけれど、
対清国強硬論はべつに悪いことではないだろ。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 19:26:06.62 ID:n9qpLTjV0
>>471 安川にとっては、中国や朝鮮に対する強硬論や批判自体、差別の産物であり、許されないことだからな。
その逆は無条件に正論として扱っているけど。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 19:27:02.16 ID:ZS0MN7h20
福沢は憲法制定の難しさをどれだけ認識していたのかな?伊藤之雄さんに
言わせれば、「当時の日本で日本の国情に合った憲法の制定の困難さを
理解していたのは伊藤博文だけ。イギリスモデルを志向した福沢や大隈も、
ドイツモデルを志向した岩倉具視や井上馨・毅も、憲法が簡単に出来ると
思っていた」とのことだけど。
>>467 西南戦争で戦死した慶應義塾の塾生といえば、増田の他にも
大久保忠良、山本武ニ、田中徳之丞なんかが居る。
肥後実学党といえば林正明が有名だね。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 21:52:19.74 ID:hH1jFSBH0
>>473 当時、イギリス流の憲法に一番理解があったのは山縣有朋だよ。実際に、山縣門下には英国に留学した人物がかなり多い。
ただ、山縣は軍人であって、憲法の制定には携わってなかった。桂太郎、寺内正毅、清浦圭吾など取り巻きは軍人ばかり。
対して、伊藤系の伊東巳代治、井上毅、金子堅太郎と内務派の大官僚が多い。
福沢派には、これに対抗できるだけの政府高官が居なかった。由利公正、西周、白根専一くらいかな。
これに後藤象二郎や大隈重信が加わったとしても政府から見ればただの民権組織にすぎない。
まあ、九鬼隆一の裏切りという手痛い事件もあったしなあ。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/03(土) 22:32:08.65 ID:HGF0Z44e0
うn
>>473 どの国でも最初に憲法を制定するときは初体験。
アメリカだって、フランスだってそう。
交詢社案が施行できないほど当時の民度が低かったとは思わない。
>>474 慶應義塾は、戊申戦役で幕臣や仙台藩出身者に犠牲を出し、
西南戦争では薩摩やそれに同調する塾生・塾員に犠牲を出し、
甲申政変では朝鮮人留学生が大量に死刑になっている。
福沢は多数の弟子の戦死や処刑に直面したことになる。
>>475 大日本帝国憲法は伊藤博文のリードによってプロイセン王国憲法型となったが、
天皇大権としての統帥権の独立が拡大解釈されて、
けっきょく天皇の戦争責任問題が生じることになった。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/04(日) 16:53:39.87 ID:wsIYX9Wd0
福沢は榎本武揚のことも批判していたな。
>>479 福沢奥のもとの許婚だったらしいからな。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/04(日) 19:44:12.13 ID:8NyEm5yP0
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/04(日) 21:41:57.10 ID:vXuY6O8yP
金玉均と独立党の活動
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Mirai/5070/kindai/kousinseihen.html 金玉均は二度目の我が国滞在でも、会合や視察などに精力的な活動を見せている。福沢諭吉もまた、彼に対してこれまで以上に各方面での援助を惜しまなかった。
済物浦条約による賠償金五十万円の支払いでは、福沢諭吉が井上馨外務卿を紹介し、
井上馨を通じて横浜正金銀行から朝鮮政府に資金を融通させている。返済期限も五年返済から十年返済へと期限を延ばされた。
福沢諭吉は、金玉均に先んじて帰国する朴泳孝ら一行に、井上角五郎ら三名の門弟と印刷技術者二名、元軍人二名を同行させている。目的は新聞の発行などの文化活動の援助である。
こうして明治十六(1883・2543)年十月三十一日、井上角五郎による朝鮮初の新聞『漢城旬報』が創刊された。
三月に我が国から朝鮮に帰国した金玉均は、すぐに四十数名の青年達を我が国に留学させ、その監督を福沢諭吉に依頼している。
福沢は来日した彼らを自分の別邸に入れ、慶應義塾、陸軍戸山学校、各種の技術学校にそれぞれ修学させている。
一方、金玉均と共に来日していた朴泳孝は一月に朝鮮へ帰国すると、警察制度の整備の為に「巡警部」を、また道路の近代的な改修の為に「治道局」を設置し、
市内の美観や衛生のために、沿道の簡易建物の整備などを行っている。これら一連の施策は、朴泳孝の帰国の際に、金玉均が彼に託した国王宛の上奏書の内容を実行したものであった。
しかし、こうした近代化政策は守旧派から大きな反発を受け、朴泳孝は京畿道広州留守という地方守備の武官職に転任させられた。朴泳孝はここでも近代化を目指し、
我が国の陸軍戸山学校の卒業生を教官として、近代的な軍事訓練を始めた。しかし、やがてこの職も罷免されてしまった。
こうして閔氏政権はメルレンドルフなどとも画策して、徐々に金玉均ら独立党への圧迫を強めていった。
一方、金玉均の二度目の訪日の間に、我が国の駐鮮公使は花房義質から竹添進一郎に交代していた。竹添公使は金玉均と悉く対立した。竹添は金玉均の改革思想を批判する一方で、
清や閔氏政権のかたを持つ姿勢を見せ、「金玉均は信用のおける人物ではない」と本国へも報告していた。
こうした新任の竹添公使のそれまでの公使とまるで異なる態度は、清が対鮮干渉政策を強化させた事により、
それを受けた我が国政府が柔軟外交へと外交方針を転換させた為であった。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/07(水) 20:25:50.17 ID:1IEHqrUa0
>>483 >十一月四日、金玉均ら独立党は、我が国公使館の島村久書記官を朴泳孝宅に招き、
>そこでクーデター計画を打ち明けた。
>島村書記官は金玉均等の決意を聞くと、驚くことなく、より速やかなる決行を勧めたという。
>金玉均はそこで、三つの案を提示し、検討の結果郵政局開局の祝宴に乗じて決行することを決めている。
>三日後の十一月七日、金玉均が我が国公使館を訪ねて竹添公使に計画を打ち明け、
>竹添から支援を約束された。
これは伊藤博文の秘書類纂に入っている記録かな。それとも外務省のもの?
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 12:28:35.81 ID:nb50hl5r0
>>427 対抗して、『福沢諭吉の真実』の中国語・韓国語訳を出した方がいいのかもな。
後に撤回したとは言え、福沢を叩きたい余り、『東日流外三郡誌』を真書だと
主張した時点で、安川の歴史家生命は完全に終わったと思う。
>>487 中韓人が、自分たちに不利になるようなことが書かれている本を
読んだりするわけないだろう。
自虐は日本人のお家芸。
安川は日本人だろうが、杉田は?
>>488 安川名で出しても誰も読まんから、杉田名で論集を出したんじゃないか?
杉田聡に福澤研究の実績なんてないぞ。
いつ勉強したのかと小一時間問い詰めたい。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/08(木) 12:54:27.22 ID:nb50hl5r0
>>489 中韓や安川のような学者が声高にさけぶ「正しい歴史認識」というのは、
彼らのイデオロギーや利益にとって都合の良いものということか。
杉田は平山本を「擬似学問」「研究者がまともに取り上げないのは、ある意味で当然」
とか言ってるけど、まともに相手にされていないのは杉田が支持している安川の方だしな。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 07:06:21.44 ID:adMuBw8x0
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 15:52:00.61 ID:lBMwL+rS0
>>493 『福沢諭吉朝鮮・中国・台湾論集』のあとがきで言ってる。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 16:46:53.59 ID:adMuBw8x0
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 19:27:42.86 ID:Y5W6hCCB0
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 21:01:36.39 ID:fZb0aUcR0
>>485 平山さんは、諭吉の妻・錦の養母と榎本武揚の実母・琴が姉妹であったと
推測しています。
↓
----
妻錦と榎本は元々親戚ということで、明治二年八月、静岡に移っていた榎本の親戚から諭吉に、
新政府への助命嘆願の依頼があったのでした。錦と榎本の姻戚関係については、自伝にははっ
きり書かれてはいません。ただ、諭吉の九月二日付書簡の中に、錦が小娘の時代に榎本家へ連
れていった養母と思しき「今泉のおばば」なる老女が、救出方法について検討していた諭吉の
元を訪ね、福沢家に数泊して榎本の母琴(こと)宛の手紙を書いた、という記述があるため、錦の養母
と榎本の母は実の姉妹だったのではないか、という推測が成り立ちます。その場合、榎本武揚
と福沢錦は従兄妹の関係にあった、ということになります。
(平山洋『諭吉の流儀』PHP研究所、179頁)
----
↓
----
この「今泉のおばばさん」なる人物が誰なのか
永らく謎であったが、どうやら錦が小娘のとき御徒町の榎本家に連れていってくれた「おばあさん」
と同一人であるようだ(「榎本釜次郎の消息」の節)。
錦は幼少のとき中津藩用人今泉家の養女となっていたから、「今泉のおばばさん」とはその時の養
母のことになる。この人物が榎本武揚の母琴に手紙を書いたとなると、可能性としては両人が姉妹で
あった、ということが考えられよう。
(中略)
もし錦の養母と榎本武揚の実母
琴が姉妹であったという私の推測が正しいとすると、この二人は、錦が土岐家に戻る文久元年(一八
六一)まで従兄妹の関係にあったいうことになる。
(平山洋『福澤諭吉』ミエルヴァ書房、243頁)
----
>>497 ううむ。推測としては面白いが、物的証拠はあんのかな。
今泉家の子孫は何か言っているの?
今他スレで見たんだが、8月31日に遠山茂樹が死んだんだってな。
ダイイングメッセージはなかったんだろうか。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 22:25:19.59 ID:fZb0aUcR0
>>498 スマソ。ちょうど
>>497の引用文の中略のところに、
今泉家の子孫に問い合わせた結果が載っていました。
↓
----
そこでこの件につき子孫の今泉太郎(在東京)・今泉俊一(在中
津)の両氏に問い合わせたところ、今泉郡司の先々代与四郎(錦の養父)の妻について、家系図には
記載がないとのことであった。ここで探索は行き止まりとなった
(平山洋『福澤諭吉』ミネルヴァ書房、243頁)
----
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 23:59:34.34 ID:0I2pTBmD0
安川は石河だけでなく、中国や朝鮮に対しても盲目的愛を抱いている感があるな。
福澤に対しては親の仇のような憎悪を。
>>500 そうなると
>>480はあながちピント外れではないのかも。
今泉のおばば(養母)にとって榎本家は姉?の嫁ぎ先であって実家ではない。
その嫁ぎ先にわざわざ錦を連れて行ったのは、
一種の意図があったのかも。
自伝のこの部分については、福沢は錦から聞いたわけだろう?
そのことを諭吉は知っていたのかもな。
妻の元カレとなれば、諭吉と榎本の不仲の原因についても、別の方向から光が…
あたらないだろうな。
>>501 安川も杉田も共産党系で、日本国籍は有してはいても、マイノリティ意識が強いのだろう。
資本主義や資本家や資本家養成学校は敵なわけだから、
なにがあったって、意見を変えたりはしないさ。
>>502 慶應は資本家養成学校やのうて、アウトサイダー育成校やろ。
明治の初期は大学南校(現・東京大学)となんとか張りあえたが、
ご存じ明治14年の政変があってからは卒業生が官吏を目指さなくなった。
しかし、日本共産党の事実上の最高権威者である野坂参三は、慶應の出身やし、野呂栄太郎かてそうや。
幸徳秋水なんかは慶應義塾の分校的な存在やった国民英学会の出身やし、植木枝盛も福沢の影響が強い。
安川も杉田も、ただの極左・プロ市民やろ。
ゼニ儲けのための学者やな。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/10(土) 16:45:51.21 ID:E8m3bPKR0
>>501 安川さんは『福沢諭吉のアジア認識』のあとがきで
次のように言っていますね。
↓
----
本書は、死に際しても村山内閣の「アジア女性基金」を受けとらないでと遺言した、私の学問上の片恋いの恋人キム・ハクスンさんにささげたい。
----
福沢諭吉のアジア認識【立ち読みコーナー】
http://www.koubunken.co.jp/0250/0250sr.html キム・ハクスンに対して盲目的愛を抱いていることは確かです。
>>503 安川さんも杉田さんも、ゼニ儲けのための学者というよりは、
反日イデオロギーに凝り固まった人というべきでしょう。
諭吉さんは、するどい人だったんだ・・。
広告代理店電通の陰謀。会長は在日韓国人で、韓国の非公式な政策顧問。
電通から各メディアに出されたとされる売国的な注文内容の一部
・恋愛ドラマは基本的に作るな。
・主人公の家は基本的にボロい家にしろ。
・女を中心としたドラマ構成にし、男は脇役、お笑い役に徹しろ。
・オヤジギャグ連発、情けない男を盛り込む変なドラマ作りにしろ。
・電通が力を入れる純愛ドラマには必ず韓国歌手、韓国スターを利用しろ。
・基本的に日本製ドラマは変な男が出るくだらないドラマ作りに徹しろ。
要するに日本の男はだらしなく、韓国の男は素晴らしいという捏造ブームを、全マスコミを通じて行っている訳である。
ドラマ以外についても同様で、ニュースでも韓国や在日朝鮮人にとって都合の悪いことは一切報道されず、都合の良いことは、
どんな小さなことでも大々的に大げさに報道を行う。NHKの教育番組でも、日本よりも韓国の方が素晴らしいという、
捏造されて間違った内容の番組を平気で流す等、その韓国ブームの捏造ぶりは酷いの一語に尽きる。実際のところ、ここまで
電通及び在日朝鮮人の思惑どおりに事は運んできていると言っても過言ではないだろう。マスコミは事あるごとに
アメリカを批判するが、実際に日本にとって脅威なのは、全マスコミを押さえて捏造韓国ブームを作りだしている在日朝鮮人であり、
彼らの情報操作を断ち切らなければ、日本は亡国の道を歩むことになるかもしれない。
◆【現在進行中】電通・マスメディアによる日本人の男女を離間させる謀略・移民による日本民族の衰退計画
*日本人の男女を不仲にさせ、分断させる活動 ・男叩き、女叩きを意識的に煽り、日本人の男女で対立させる方向に仕向ける
日本人の異性に興味を持たせない
日本人同士で恋愛させない
日本人同士で結婚させない
日本人の男女間で子供を生ませない
日本人同士で結婚していたら離婚させる方向に仕向ける(免罪DV、熟年離婚)
*平行して純粋な日本人以外との恋愛を炊きつける動き
在日韓国人、韓国人と日本人のカップル推奨
日本人っぽく見えるアジア系ハーフと日本人カップルの推奨
上記以外の外国人と日本人のカップル推奨
>>503 安川は神戸大→名古屋大
杉田は北海道大で、2流旧帝大出身
ところで慶應がアウトサイダー育成校って、
日本の実業界の現実を知っているの?
>>506 アホやな。
いくらシャバで銭稼ごうが、オイシイところは全部官僚が吸っていく仕組みになっとんのや日本は。
一番実業界で儲かるんは経産官僚やな。経産省の連中が許可出さんかったらアップルかて日本で商売できひんやないか。
>>507 個々の官僚の職務権限なんてタカが知れていますよ。
それはさておき、福澤の話を。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 13:37:47.54 ID:QmC+r4Dt0
安川は自説にもはや何の批判も反論も起きないのは、相手にするだけ時間と労力のムダ
だと見做されていること、論争するに値しない相手だと思われてることにいい加減気づけよな。
特定のイデオロギーや政治思想に基づいて、はじめに結論ありきの人間は、相手がどんなに
論拠を出して理路整然と論破しても聞く耳を持たないから、議論にならないんだよな。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 14:55:38.36 ID:QmC+r4Dt0
福沢批判者の遠山茂樹が数日前に亡くなったな。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 16:51:01.18 ID:q4wP+p50O
ほう。ここにもジェラシーのにおいがするな。
遠山は東大教授になれなかった。
家永も。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/12(月) 21:35:10.45 ID:uiKbMq2J0
安川にとって、福沢批判はイデオロギーや政治闘争の手段だから、声高に叫んで
信じる人間が増えることが至上命題で、批判の内容が事実かどうかは二の次三の次だろうな。
福沢諭吉の農民観: 春日井郡地租改正反対運動
本書では、林金兵衛(1825~1881)と、福沢諭吉(1835~1901)という二人の人物を扱っている。生没の年代を見れば、ほぼ同時代人であることがわかる。
農民林金兵衛は、徳川幕藩体制の社会で、代々引き継がれてきた林家をまもって生きていた。
時代の流れがゆるやかに進んでいれば、生業である農作業が年々平穏無事に繰り返されたであろうし、農民の信望を一身に集めた村政の良き指導者として、平和な生活を過ごしていたにちがいない。
一方福沢諭吉は、封建時代に限りない疑問をもって生きた人間である。
「門閥制度は親の敵でござる」という言葉は、福沢の封建制度に対する憤りを示す代表的なものである。
またこれが福沢の行動の原点にもなった。したがって、福沢は、こうした時代の流れを変革しようと、常に先見性をもって、懸命に生きた人物であったといえる。
この福沢と林、二人の事歴やその時々の直面する場面からほとばしり出る葛藤や苦悩の姿を冷静に見つめることによって、
人物の出会いとは何か、どうして出会うのか、出会えたのか、出会った人物は、お互いにどのように変わってゆくのか、といういくつかの問題点がでてくる。
こうした問題点を、「春日井郡地租改正反対運動」という歴史的事実を通して、整理することが本書の目的である。
>>513 まあ、増えないとは思うけれどね。現に『戦争論と天皇制論』は売れていない、と雁屋哲は言っていただろ。
だから自弁で出張講義に出かけるんだよ。それにしても、ああいう活動家の
エネルギーは、どこから生まれるのだろうか。社会に対する憎しみからかな。
資金は外国からの援助(在日有志のカンパなどと称する)があるから、いくらかは続けられるのだろうが。
>>515 ちょうどこの本と反対の意見を述べている『福沢諭吉研究』という本があったな。誰が書いたかは忘れたが。
安川や遠山や家永とかの言う「事実」や「史実」というのは、彼ら自身が
信じたいもの見たいものだからな。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/13(火) 10:09:05.92 ID:lsxUyfaq0
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/13(火) 18:52:03.18 ID:mvlmpHq30
>>516 > ちょうどこの本と反対の意見を述べている『福沢諭吉研究』という本があったな。誰が書いたかは忘れたが。
Amazonで検索してみたら3冊も見つかりました。
↓
福沢諭吉研究 ひろた まさき (東京大学出版会 - 1976/2)
http://www.amazon.co.jp/dp/4130200488/ 福沢諭吉研究―福沢諭吉と幕末維新の群像 (飯田鼎著作集) 飯田 鼎 (御茶の水書房 - 2001/8)
http://www.amazon.co.jp/dp/4275018729/ 福沢諭吉研究 丸谷 嘉徳 (創栄出版 - 2002/3)
http://www.amazon.co.jp/dp/4434018795/ ※カスタマーレビューはあの「つくしん坊」さんでした。
↓
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★★★★☆ 福沢諭吉の思想の変遷を丹念にたどる, 2010/11/30
By つくしん坊 (東京都) - レビューをすべて見る
(トップ1000レビュアー) レビュー対象商品: 福沢諭吉研究 (単行本)
「学問のすすめ」や「文明論之概略」など、初期の著作で代表されがちな
福沢諭吉の思想だが、実際には生涯を通じて大きく変化している。本書は、
福沢諭吉の著作や新聞の論説などを丹念に追跡することで、その思想の変遷
をたどったものである。
本書から見えてくる福沢諭吉は、啓蒙家や教育家の側面はごく一部である。
むしろ資本主義の信奉と実践者、自ら創刊した日刊新聞「時事新報」を拠点に
したイデオローグとしての役割が大きい。著者は福沢の思想を次のように
要約している。「常に権力志向であり、反権力的ではない」、「常に強者を
賛美し、弱者を蔑視」、「強者アメリカに追随する一方で、弱者中国に対し
ては侵略主義」、「農民や労働者階級への弾圧や抑圧を肯定」、「弱肉強食、
優勝劣敗思想」など。これらがすべてあいまって、福沢諭吉を、国民をアジア・
太平洋戦争に駆り立てる原動力(イデオローグ)として働かしめたのである。
近年、史実を無視した福沢諭吉美化の動きがある一方、安川寿之輔
『福沢諭吉の戦争論と天皇論』(2006年)など、丹念に新聞論説を追うことで、
アジア蔑視・侵略主義者としての福沢諭吉の実像を再構築する動きも盛んである。
本書は、これらの福沢諭吉の実像を補強するものとして評価できる。
----
>>520 おお、これだこれだ。丸谷のやつ。つくしん坊のレビューはようするに
安川の『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の宣伝。
ということは、つくしん坊は、高文研代表の梅ちゃんということだね。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 09:16:31.79 ID:2WbDwBBV0
>>516 わざわざ自弁で出かけてまで福沢批判の講演をするなんて、 安川の福沢憎悪は
病的なレベルなんだな。呼ぶ方も呼ぶ方だが、自分をヨイショしてくれる少数の
人達ばかりと関わるのは、批判したりされたりが当たり前の歴史学者としてどうかと思うけどな。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 10:54:32.23 ID:srfDflJQ0
>>522 もともと学者ではなく政治活動家なんじゃないか
安川とかみたいに、はじめにイデオロギーに基づく結論ありきで、いくら論破されても
その結論を曲げないような人種とは議論が成り立たないしな。だから誰も相手にしないんだろう。
>>524 ただ、時々ブログなんかに取り上げられているところをみると、
まだお相手する同志がいるみたいだけれどな。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 19:00:08.32 ID:1hcm2TrQ0
>>525 相手にするのはご同類だけで、マトモな学者は相手にしていないだろ。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 19:50:20.24 ID:5t4nAOcr0
安川は何で坂野潤治さんには噛み付かないんだろうな?「脱亜論」について、
安川や遠山茂樹のような見解を否定しているのに。
>>528 いや、噛み付いている。
以下「ETV特集「日本と朝鮮 2000年 第10回」について 安川寿之輔氏」より引用
冒頭の江華島事件の背景についての日本側研究者の坂野潤治(敬称、略)の説明は、
勝海舟について大変な誤りを犯していました。
坂野は、「幕末の海軍奉行の勝海舟の時から征韓論が海軍では物凄く強くて・・・明治8年
の日本の海軍は戦争をやりたくてたまらなかった」と説明した。しかし、勝海舟は幕末以来
一貫して東アジア三国同盟・連帯論者であり、明治6年に参議兼海軍卿となった勝は、明
治7年の台湾出兵の閣議決定に猛反対をして辞職した人物である(勝海舟はこの番組で
は、「戦争をやりたくてたまらなかった」海軍の代表格としてのみの登場)。
http://kakaue.web.fc2.com/b1.html
安川や遠山や家永とかの言う「事実」や「史実」というのは、彼ら自身が
信じたいもの見たいものだからな。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 00:28:28.57 ID:/ijL3q4m0
>>516 日本で増えずとも、中韓で増えれば安川的には御の字じゃない?「アジアの声」と
して利用できるし。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 04:22:10.70 ID:/ijL3q4m0
>>531 その「アジアの声」が正しいか否かという検証が安川には完全に抜け落ちてるんだよな。
中韓の福沢(日本)批判は無条件に正しいものとして扱ってるし。
>>529 勝海舟がアジア融和派というのは、徳富蘇峰が作った虚像。
これは時事新報の論調に対抗するため、
国民新聞が行ったキャンペーンに勝が利用された観が強い。
また、勝が日清戦争に否定的だったのは、
要するに「勝てそうもない」と見ていたから。
蘇峰自身後年は戦争推進者になるわけだから、
勝がもっと長生きしていたらどうなっていたか分からん。
>>533 まったくだ。
明治20年代の国力からいって、日本より清国ははるかに強大
というのが一般的な見方だった。
つまり日清戦争は、日本がより大きな清国に挑んだ戦いで
それを侵略と考えるのは
歴史の後知恵にすぎなんだよ。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/15(木) 19:46:03.09 ID:keATMEfD0
>>533 坂野さん自身、田原総一朗と出した『大日本帝国の民主主義』でこう言ってるからな。
坂野 西郷は中国と一戦しようと思っていた。 (略) 本音は中国ですから。
田原 今の言葉でいえば、西郷隆盛は侵略者だったんですか。
坂野 いやいや、侵略にならないですよ。だって、敵は日本より強いんですから。
田原 あ、そうか。弱い国をやっつけるのを「侵略」というんですね。
坂野 弱い日本が強い中国を、というこの場合は、「戦争」というんです。
安川が声高に批判する「福沢諭吉」は、史実の福沢諭吉ではなく、
安川とそのシンパの脳内にしか存在しない、幻想の中の「福沢諭吉」
だと言って過言じゃないな。
>>537 ま、そう言っても、安川や杉田に伝わるかな。
ともかく、反福澤大衆動員にはまったく失敗したわけだが、
それでへこたれるような彼らじゃない。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/17(土) 23:56:43.80 ID:bZsRhA+o0
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/18(日) 09:18:05.07 ID:Lq9eB3Mr0
>>539 重厚な単行本の準備をしているのであろうよ。あの若さであの業績なら、間違いなく40歳前に教授になる。
となると40代で法学部長は固いところで、20年後の塾長の目もでてくる。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/18(日) 10:40:50.11 ID:Ken2XuZd0
小川原は安川・平山のどちらの主張を支持してるんだろう?
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/18(日) 12:09:05.84 ID:sbFOvV7OO
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 14:57:01.73 ID:u8hg3U6Q0
>>543 >>時事新報の論説に福沢以外の人間が書いたものがあることは以前から知られていた
これ本当の話か?平山さん以前に指摘していた人いたっけ?
>>544 知っていたのは、東大法学部の丸山門下生周辺と思われ。
知っていたけれど、岩波書店から目をつけられるのがイヤで、
だれも公言しなかった、ということ。
「典型的な市民的自由主義者」と福澤を規定する丸山が、
安川が指摘する問題論説に触れなかったのは、
それらがニセモノだと知っていたから。
「丸山諭吉神話」なんぞという大袈裟なものではなく、
「はっきりさせたら『世界』に書けなくなるよー!」
という学者世界の隠微な雰囲気のなせるわざ。
このあたりのことは、『福沢諭吉の真実』の最後のところにも
書いてある。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/19(月) 19:14:58.85 ID:N+Q5kAIr0
>>545 > このあたりのことは、『福沢諭吉の真実』の最後のところにも
> 書いてある。
『真実』の235頁には次のように書いてあります。
↓
----
富田はもとより丸
山・服部・遠山も「時事論集」の杜撰(ずさん)に気づいていた可能性がある
----
丸山・服部・遠山の世代は大正版全集と昭和版続全集を読んでいるから、
石川が自分で執筆したという但し書きに気づいていた可能性は高いです。
↓
----
固より社説記者は私一人のみではなかったが、私が筆に慣るるに従って起稿を
命ぜらるることが多くなり、二十四五年頃からは自から草せらる重要なる説の
外は主として私に起稿を命ぜられ、其晩年に及んでは殆ど全く私の起稿といっ
てもよいほどであった。 勿論其間にも私自身の草案に成ったものも少なくなかったが、
先生は病後も私に筆記せしめられたものがある。 即ち本篇中の「先生病後篇」
と題する七十余篇がそれである。
----
昭和版『続福沢全集』第5巻(1934年04月30日発行)737頁所収の「附記」
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h45/#text_body
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/20(火) 09:09:07.73 ID:qAP1ir9v0
>>546 >勿論其間にも私自身の草案に成ったものも少なくなかった
の其間とは、どの期間のこと?
安川と共著出した中塚明も、安川と同類なんだな。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/21(水) 11:16:59.79 ID:ycJ918So0
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/21(水) 15:06:47.83 ID:oomWY1lL0
安川の福沢批判は、「福沢はアジア侵略主義者であるべき、いやそうでなければならない」
という「思想」や「願望」の領域だよな。およそ学問的主張ではない。
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/21(水) 15:58:34.12 ID:ycJ918So0
>>550 そうだとして、なぜ安川や杉田は同じ事を言い続けるのだと思う?
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/21(水) 21:22:18.18 ID:Yjjmom8h0
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/21(水) 23:47:49.09 ID:UdAcGB4F0
>>551 彼らにとって福沢批判は、イデオロギーや政治闘争の手段だから、その主張を
一人でも多くの人に信じこませ、政治闘争に利用することが至上命題であって、
その主張が正しいかどうかは二の次三の次だから。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/22(木) 01:50:37.00 ID:3yoYEsHc0
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 08:07:32.37 ID:KvjpgCro0
>>521 確かに、評価されているのは高文研の本だけ ww
新たな「福沢諭吉伝説」の捏造, 2010/11/27
By つくしん坊レビュー対象商品: 福沢諭吉伝説 (単行本)
福沢諭吉を巡る様々な人物を配置してエピソードを紹介している。
極め付けは、福沢が創刊した日刊新聞『時事新報』に発表された
「脱亜論」が福沢の執筆でなく、従って福沢はアジア侵略主義者ではない、
とするものである。ところが、その根拠が、平山洋『福沢諭吉の真実』というのだから、
お話にならない。平山洋『福沢諭吉の真実』は、
安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇論』(2006年)によって、
インチキ本であることが完璧に論証されている。
金均玉に関する記述も、史実からはかけ離れている。
安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(2000年)、『福沢諭吉と丸山真男』(2003年)、
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年)によれば、福沢諭吉は、
「典型的な市民的自由主義者」などではなく、
すさまじいアジア蔑視・アジア侵略主義者であることが論証されている。
丸山真男が「創造」した「福沢諭吉=典型的な市民的自由主義者」説はもはや過去のものである。
史実を踏まえた福沢諭吉論でない本書は、
新たな「福沢諭吉伝説」の捏造であるといわれても仕方がない。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 08:21:22.82 ID:KvjpgCro0
こんなレビューを読まされたら、たいていの読書家はひくのがあたりまえ ww
5つ星のうち 5.0 丸山真男の誤読で創りだされた「福沢諭吉神話」から目を覚まそう, 2010/9/14
By つくしん坊 (東京都) - レビューをすべて見る
(トップ1000レビュアー) レビュー対象商品: 福沢諭吉と丸山眞男「丸山諭吉」神話を解体する (単行本)
福沢諭吉といえば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」という『学問のすすめ』の冒
頭の句によりあまりにも有名であり、近代的な民主主義者の代表ということになっている。戦後定着した
この定説には、著名な思想史家丸山真男が、戦後いち早く福沢を絶賛したことが大きく貢献している。
本書は、このような「福沢諭吉神話」が、丸山真男の誤読によるものであることを、原典を豊富に引用
しながら証明している。その証明方法は、そこまでやるか、というほど徹底しており、丸山真男が、
自分が創りあげた福沢諭吉のイメージに合った文言しか利用しないという、研究者にはあるまじき誤読で
「福沢諭吉神話」を創出したことは疑う余地がない。
福沢諭吉の実像はどうだったのか。実際の福沢は、「愚民を篭絡する」詐術としての天皇制を肯定し、
大日本帝国憲法や教育勅語の賛美者であった。また、『脱亜論』にも見られるように、すさまじいアジア
蔑視主義者であり、日清・日露戦争という日本の帝国主義的な行動を、言論人として先頭に立って扇動
した。その他、貧者に教育するのは無用など、教育の機会均等を否定しているように、あからさまな差
別主義者でもあった。現在で言えば、一世を風靡したネオコンそのものである。
以上のような福沢諭吉の本質は、多くの同時代人には見抜かれていたが、戦後になってから丸山真
男が「福沢諭吉神話」の創始者となり、現在に至っている。それどころか、1万円札の肖像にすらなって
いる。日本の侵略を受けたアジアの国々には、福沢諭吉が1万円札の肖像になっている限り日本は信
用できないという人がいるほどである。本書は、丸山真男の誤読で創りだされた「福沢諭吉」神話から
目を覚ます良い機会である。
まあ、安川の講演をようつべなんかで見ると、
やっぱりご本人の出の悪さを感じてしまうな。
必死に勉強して名門大学を卒業してそこの教授になっても、
エスタブリッシュメントたちからはまったく相手にされない。
理不尽といえば理不尽だが、
世の中というのはそうしたものなんだろう。
だがそれではあきらめきれないのだろうな。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 11:38:38.06 ID:pxqc6xaP0
>>557 安川が相手にされないのは、破綻した説をバカの一つ覚えのように叫んでるからだよ。
ちゃんとしたこと言ってれば出が良くなくても相手にされる。
>>558 安川さんが学会から相手にされないのは、
「自らの歴史観に都合のいい史料は、何でも史料批判なしに利用する」
という研究方法にも問題があるからジャマイカ?
そういう研究方法だから、『東日流外三郡誌』に騙されることになる
んですね。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 15:11:29.78 ID:x1iz9GZL0
>>599 それに加えて、「自説に都合の悪い事実はスルーか、曲解する」というのもある。
そして論破されると、その事実を「無かったこと」にして、勝手に勝利宣言すると。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 17:00:58.32 ID:sNH00SMh0
つくしん坊は、ほんとうに勉強家だ
5つ星のうち 3.0 最新のテキストマイニングによる検証が必要である, 2010/12/11
レビュー対象商品: 歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで (単行本)
中江兆民の全集編纂時に、従来兆民のものと言われてきた無署名論説を取り入れるかどうかの判断に当たり、
真贋判定に用いた手法を、西鶴や諭吉のテキスト判定に応用したものである。著者の手法は「井田メソッド」と呼ばれ、
この手法に全面的に依存して、福沢諭吉の思想の見直しが提案されている(平山洋『福沢諭吉の真実』)。
一方、「井田メソッド」およびそれに依存した福沢諭吉見直しに対する全面的な反論もある
(安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』、『福沢諭吉と丸山真男』、『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』)。
井田・平山対安川の論争を判断する上で、本書の手法が果たして信頼できるのかどうかは、極めて重要である。
「井田メソッド」は中江兆民のテキスト分析用に、1980年代に開発され、本書のような他の著者への応用は
1990年代初めに行われたようである。手法の詳細説明はないが、どうやら手作業でカードを作成し、
真贋判定のキーとなる単語を抽出し、これも手作業でテキストの真贋を判定しているようである。
常識的に考えれば、手作業の精度には疑問があるし、また最終的な真贋の判定も恣意性が入らざるをえない。
30年前にはこのような手法でも通用したのかもしれないが、客観的にテキストを比較分析可能
最新のテキストマイニングの観点から本書を見ると、疑問点がいくつも生じる。
(1) テキストの真の著者(たとえば諭吉)の癖と判断している用語が本当にそうなのか。真の著者のテキストだけでなく、
当時の他の論説と比較した数量的な指標が必要である。
(2) 真の著者も長年の間には言い回しが変わるはずである。「井田メソッド」には、「著者の癖」の経時的分析を行い、
その癖が安定しているかどうかを分析している様子はない。
(3) 「井田メソッド」の真贋判定が信頼できることを証明するには、署名入りで真の著者であることが客観的に
明確なテキストと、他の著者の可能性が高いか、または確実に他の著者のものであるテキストに対して、
全く同じテキストマイニング手法を適用することが不可欠である。
その分析の結果、「著者の癖」を表す用語の出現頻度を算出し、その頻度が真贋と高い相関があることを示して、
初めて手法としての信頼性を確立できる。
「井田メソッド」が、果たして信頼に足るのかどうかは、上記のような科学的手順を踏んで初めて判断できることである。
多くの古典のディジタル化が格段に進歩した現在、最新のテキストマイニングによる「井田メソッド」の検証を大いに期待したい。
むしろ福沢の価値は脱亜論にこそある。
まさにその通りと指摘してるからだろう。
安川は何十年も歴史研究者やってるのに、基本的な史料読解能力や
史料批判能力が欠落してるというのはどうかと思うな。
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 22:03:51.84 ID:sNH00SMh0
つくしん坊の福沢関連アマゾンレビュー
2010/09/14福沢諭吉と丸山真男(安川寿之輔著)評価◎
2010/11/27福沢諭吉の戦争論と天皇制論(安川寿之輔著)評価◎
2010/11/27福沢諭吉伝説(佐高信著)評価×
2010/11/28福沢諭吉朝鮮中国台湾論集(杉田聡編)評価◎
2010/11/30福沢諭吉研究(丸谷嘉徳著)評価◎
2010/12/09福沢諭吉の真実(平山洋著)評価×
2010/12/11歴史とテクスト(井田進也著)評価△
最初のは去年の週刊金曜日での福沢批判と関係がありそう。
あとの6つは杉田の論集の関係かな。
伝説以下には必ず安川本の賛辞があるところが、笑わせてくれる。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/23(金) 22:48:28.63 ID:KtdDt0UoP
>>537 歴女たちの戦国武将好きと同じ構図だな。彼女たちの大半が好む「戦国武将」も、
創作物のイメージから彼女たちが脳内で勝手に美化して作り上げたもので、実際の
戦国武将とはかけ離れてるし。
>>568 あるいは水戸黄門かも。
実際の徳川光圀は諸国など漫遊しなかったし、
水戸藩領に善政など行わなかった。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/24(土) 17:05:17.76 ID:NN81MqpvP
明日安川さん韓国語版の出版記念会をするとさ
第68回不戦の集い 出版記念会
安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』韓国版(=福沢諭吉の侵略思想を問う)
日時:2011年9月25日(日)14:00〜16:30
場所:東別院会館(名古屋市中区 エレベーター有)
蓮の間
● 記念講演 <韓国版をめぐる韓国マスコミの「爆発的な」反響>
安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)
福沢が書いた脱亜論は本質をえぐって指摘してるからこそ輝いているんだろう。
事実じゃないならスルーされるから。
余りにも鋭い急所をえぐる為に価値があった。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/24(土) 19:48:01.76 ID:TPulC/0V0
>>570 何人集まることやら。そもそも本当に「爆発的な反響」があったのか疑わしいものだな。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/24(土) 19:54:01.18 ID:NN81MqpvP
>>570 情報ありがとう。以下のページにも情報がありました。
↓
http://blog.goo.ne.jp/kimigayo-iran/e/30c7e1c737a606345ce7e470eaabc496 ----
● 記念講演 <韓国版をめぐる韓国マスコミの「爆発的な」反響>
安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)
今年は、柳条湖事件が、1931年9月18日に日本の軍部によって引き起こされ、
「満州事変」がはじまって80年、また「アジア太平洋戦争」開始70年。
まさに「十五年戦争」と因縁深い年となりました。
その2011年の、安川寿之輔さん執筆の『福沢諭吉のアジア認識』の
韓国語翻訳版(中国版2004年、日本版2000年)は、韓国メディアで大きく
取り上げられました。
福沢の一貫するアジア蔑視思想は、侵略・殺戮への道をひらいた、
アジア太平洋戦争への道のりだったという指摘は、韓国でも、中国でも
話題になっているそうです。
----
>>574 安川寿之輔は、日本の共産主義者で、北朝鮮の労働党関係者(朝鮮総連)にも太いパイプがある。
したがって、安川への便宜供与は、大韓民国国家保安法「反国家団体構成員への便宜供与行為」
に該当する。
大韓民国の当局は、安川著作の韓国語訳を出版した出版社および翻訳者を摘発するべきである。
安川著作を賛美する大韓民国国民は、明確な反国家的行為の実行者そして日本への協力者である。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 09:20:19.85 ID:fjwubG71P
韓国三田会(会員数400名)は、慶応義塾大学の韓国人卒業・修了生
の同窓会。韓国を代表するビジネスマンの集団で、現政権の有力な支持層
でもある。
安川の著作は彼らにとっても不愉快なはずで、今後福沢弁護論が韓国内でも
盛り上がるのは間違いないだろう。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 12:35:08.55 ID:pNt6WvRX0
中韓の人達も、安川たちのことは表向きは歓迎し、利用してるけど、
内心では軽蔑しているだろうな。
平山さんの研究を「擬似学問」というレッテルを貼って誹謗する杉田の姿勢は
非学問的だな。他にも、学術雑誌において他人の主張に「似非実証的論法」と
レッテルを貼って誹謗していた歴史学者もいたけど、案の定最近出た著書で
完全論破されてる。
>>40 何自分のレスに自分で賛同してるんだw IDでバレバレだぞ。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 18:26:14.25 ID:Gm/bd7sN0
新政府に出仕した元幕臣で、福沢が評価していた人物はいるの?
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 18:38:39.08 ID:fjwubG71P
>>583 なかなかいい質問。
大鳥圭介のことは悪く言っていなかったと思う。
適塾の先輩で、幕府歩兵奉行(大佐級)を経て五稜郭で降伏、
維新後は外交官になった。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 19:48:09.86 ID:N98gSoo70
>>579 脱亜論をしっかり読みたまえ!
根本倫理からしてまったく違うんだから
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 20:19:14.23 ID:fjwubG71P
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 20:20:44.46 ID:fjwubG71P
>>586 間違えて投稿しちまった。
で、肥田は海軍機関中将相当だからまだしも、栗本は明治政府に
仕えてはいないダロ。
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 20:40:48.34 ID:N98gSoo70
216: ノイズs(関東・甲信越) 2009/10/09(金) 10:41:58.97 ID:QB6l2O2l
『脱亜論』の現代訳
日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、
道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に
与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年(1885年)3月16日)
まさに ご指摘通りでワロス
>>589 ちょっとお願いがあるんだけれど。
>>575を韓国語訳して、向こうのしかるべきサイトに投稿してほしい。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/26(月) 17:57:47.07 ID:YRnWtj36O
本当にやったら翻訳者や出版社はビビるだろうな
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/27(火) 08:03:09.87 ID:sUe5Zw9a0
>>592 社説の「脱亜論」が有名になったのは1960年代かもしれないけれど、
それと同じ思想(脱亜思想)は、まあ福沢のテーマではあったがな。
安川はそれを儒教と結び付けようとしているわけだが、それは難しかろう。
孔子の祖国から遠ざかるべきだ、という主張が、なんで儒教なのかと。
何時有名とかは関係ないでしょう。
指摘が的確すぎて、取り上げられるようになっただけで。
>>594 いや、多くの人が読むようになったのは、ネット上に原文や現代語訳がアップされるよう
になったここ4,5年のことだよ。
安川は学問研究と政治運動をごっちゃにしているきらいがある。
>>597 あとは翌年の『福沢諭吉の真実』の第5章。ウィキペディアにも項が立っているしね。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/28(水) 23:23:44.45 ID:DWLWsPGd0
適塾で同期だった面々とはその後どの程度交流があったのかな?机を並べて
学んだ間柄だし。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/29(木) 09:03:54.31 ID:eVcSF6070
>>600 早く死んじゃったのが多いようだよ。
長与専斎は後の厚生省局長級になって、
医師国家試験を始めた。
あとは杉亨二かな。統計局長級。
それと大鳥圭介。
生き延びたのはそれなりに出世している。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/29(木) 16:44:59.71 ID:/EPNHCxa0
小川原さんの新刊、平山さんの『福沢諭吉の真実』は参照してるけど、
安川の著作は一冊も参照していないな。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/30(金) 12:39:22.01 ID:8LM6NJ1l0
安川は小川原さんからも相手にされてないんだな。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/30(金) 14:13:12.60 ID:Jd38dE5m0
>>602 慶応政治は東大政治と協力関係にある。
真実の中で丸山の不誠実をあばいている
平山さんを参考文献にあげているとは、意外だな。
>>603 新書ではないんだな。なんとなくそう思っていた。
文藝春秋から出した場合、学術本として認められるんだろうか?
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/30(金) 19:59:14.09 ID:663nYxOh0
>>606 今回の小川原さんの著書は、過去に発表した学術論文を加筆したものに
書きおろし論考を加えて単著としたものだから、学術書に分類されると思う。
脚注もあるし。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/30(金) 22:51:07.44 ID:D/xGkQqG0
>>608 最終章で持論を補強する文脈で引用されてるよ。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/30(金) 23:12:35.80 ID:7D2YxrC+0
>>602 本当かどうか書店で立ち読みして確認したが、確かに平山本は参照されてたが
安川本は一冊も参照されてなかったな。
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/01(土) 08:18:35.59 ID:XHbI4n/60
>>609 情報ありがとう。本屋さんで最終章だけ立ち読みしてみよっと。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/01(土) 14:24:47.72 ID:nGBQ8wm60
福沢は『分権論』で地方分権を主張していたけど、あの時代に地方分権だったら
史実よりも近代国家の建設は上手くいっていただろうか?
>>613 その分権構想は、ドイツ連邦モデルだろう。
とりあえず徳川家領の勢力が強大なまま事態が進行した。
豊臣秀吉配下の五大老制に近い。
あるいは足利幕府の三官領か。
外交と軍事さえ朝廷の所轄とすれば、べつにいいんじゃないの。
アメリカだってそうやっているんだし。
福沢は公武合体派の論者だから、『分権論』は幕府や摂政・関白を残して殿様を存続させた上でのものだろう。
何週間か前に産経新聞で読んだ。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/02(日) 15:49:48.74 ID:QY+JhYTv0
果たして福沢は、小川原さんの言う「「官」との闘い」に勝利したと言えるだろうか?
現代の日本を見るかぎり、「官との闘い」はまだ未決だと思う。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/03(月) 19:10:09.13 ID:sUt+p9gbO
>>617 福沢存命中から最近までは明らかな負け。
今世紀になって風向きが変わった。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/03(月) 22:58:53.79 ID:7rBK5x5K0
福沢が没して今年で110年になるが、日本は未だに福沢が理想とした国家の姿になっていないんだな。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/03(月) 23:12:14.66 ID:oozI30bD0
脱亜論の福沢諭吉を最高額紙幣の肖像に描いている日本はやはり基本はしっかりしているということだな。
聖徳太子に代わる人物としてふさわしい人選だ。
講演会情報
日 時: 2011年10月29日(土) 14:00〜16:00
会 場: 慶應義塾大学 三田キャンパス 三田演説館(重要文化財)
講 師: 松沢 弘陽氏(前国際基督教大学教授、北海道大学名誉教授)
演 題: 『福翁自伝』を読みなおす―私にとっての福澤諭吉―
日 時: 2011年11月17日(木) 13:00〜16:00
会 場: 慶應義塾大学 三田キャンパス 北館ホール
テーマ: 「多角的に読む『福翁自伝』」
基調講演: 松沢 弘陽氏(前国際基督教大学教授、北海道大学名誉教授)
パネリスト: 小林 多寿子氏(一橋大学教授)
松田 宏一郎氏(立教大学教授)
都倉 武之(慶應義塾福澤研究センター准教授)
※予約不要・入場無料
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/03(月) 23:57:31.56 ID:tNSICHYM0
福沢は貿易立国を唱えて、新領土獲得には余り重きを置いていなかったから、
日露戦争まで存命だったら、満蒙権益には否定的だっただろうな。
>>621 これは松沢さんが注釈した岩波の福翁自伝関連の企画だな。
>>622 いや、権益自体には関心があったと思うよ。それを戦争によってではなく、
相手国の主権を尊重する方法によって実現すればよい。
戦争するにせよODAで援助するにせよ、どのみちお金はかかるわけだから。
パネリストの一人の都倉武之さんは、ウェブでしか読めない時事新報史の記事で、
時事新報論集の執筆者推定論争の意義と現行の福澤全集の問題点を認めていたな。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/04(火) 14:15:09.23 ID:sq6hFQkE0
>>625 福沢が志向した貿易立国というのは海洋国家のことだから、満蒙権益のような
大陸の権益には否定的だったのでは?
>>628 そうとばかりはいえないさ。西欧諸国の疑念を受けない限りで、
満州地区の地下資源を入手することは、20世紀初頭にあっても、
重要な課題だったから。
満州事変前には、対アメリカでそうした利害の調停が図られた。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/05(水) 08:11:23.83 ID:2dSeslZ20
>>621 どうも福澤諭吉協会の竹田行之元理事が中心になって企画したらしい。
安川寿之輔の入会申請を拒絶した張本人だから、安川も恨んでいることであろうよ。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/05(水) 15:08:31.89 ID:oD9Q3xkb0
>>630 そりゃ安川みたいのは門前払いで正解だよ。
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/05(水) 15:59:10.45 ID:2dSeslZ20
>>631 『福沢諭吉と丸山真男』の中で、「差別された!」と騒いでいた。
共産主義者を交詢社に入れてたまるか、ということもあったのだろうな。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/05(水) 19:31:05.03 ID:5FTQdS3X0
>>632 竹田が講演かなにかで平山批判をしていたので、安川が好意的に取り上げていたぞ
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』で。ったく、自分に都合がよければ、何でも利用するんだな。
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/05(水) 20:07:44.71 ID:wM3O6ByY0
>>636 なるほど面白そうだ。小川原さんは若いのに大家の風格があるね。『西南戦争』がそうだった。
もし岩波に福澤全集の改訂の意志がないなら、慶応は自前の出版会持ってるんだから、
福沢研究センターと平山さんの監修で真の『福沢諭吉全集』をそこから出せばいいのに。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/07(金) 22:50:04.74 ID:FTiQzndX0
こないだの安川のパーティーには何人来たんだ?
>>640 真の『福沢諭吉全集』っていい表現だな。
慶應出版から21世紀版の全集を出してほしいね。
>>642 まずむりだな。慶應出版会(前身)の初代社長は富田正文だから。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/08(土) 21:31:07.61 ID:hspJgKgQP
小川原正道『福沢諭吉ー「官」との闘い』よんだ。
前半はそれほどのオリジナリティはないとみたが、後半にがぜん面白くなる。
安川寿之輔に一言も触れていないが、ようするに安川本への反論。
政府から監視され、帝室論は危険思想視されていたのに、
終戦までの日本の侵略のお師匠様はおかしいでしょ、ということ。
ほかに気づいたのは、引用されているのは、慶応か東大出身者の研究
に限られていること。平山洋も「脱亜論」の展開にかんして肯定的に引かれている。
ただし、丸山真男が触れなかったことについては、
やっぱり触れていない。時事新報社説を使わないようにして、
真偽問題を回避している。
全体的に好著といえるが、欲をいえば、
ウルトラ・ナショナリストにして福沢崇拝者だった蓑田胸喜(東大出身の慶応教授)
にも触れてほしかった。また、伊藤博文は重要人物として登場するが、
伊藤之雄(京大政治)の研究も参照していない。
慶応政治は東大政治しか相手にしないのか、
といううがった見方もできる。
ここには安川シンパも来ているからあえて書くが、
これで安川が小川原攻撃をしかけても無駄だと思う。
無視されるだけ。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/09(日) 09:02:43.11 ID:ZEn5/t6+0
安川のことだから、無視されても「こちらの批判に向こうは反論出来ずに
沈黙した」と脳内変換して勝利宣言するんだろうな。
安川も相手にしてもらえるだけ平山さんに感謝しないとな。本来なら
もう無視されてもおかしくないのに。
>>648 個人的には安川平山論争にもう興味はないが、
慶応や岩波や福沢協会が福沢全集をどうするのかについては、
ひじょうな関心がある。
安川は無視されてもしかたないが、
全集の改訂について沈黙し続けるのは許されないことだろ。
>>620 『脱亜論』はアンチ福沢派の遠山茂樹が福沢のアジア蔑視の証拠として
昭和版『続福沢全集』から探し出してきたものだから、
アンチ福沢派の挙げるネタは、いまだに『脱亜論』が筆頭でしょうね。
その『脱亜論』の解釈は、アジア侵略論でもアジア蔑視論でもなく、
「朝鮮の文明開化に熱中した福沢の敗北宣言」
とみなす解釈が有力になっていますね。
(坂野潤治による『福沢諭吉選集〈第7巻〉』の解説)
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/10(月) 08:05:12.79 ID:A3Jh8I3C0
>>650 そういや小川原本にも、中国人から「福沢は脱亜論だけじゃないんですね」と言われたと
書いてあったな。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/10(月) 14:03:43.53 ID:wvfICgzD0
>>652 全集の改訂は慶応が主にするのかな。それなら都倉さんは中心人物になる。
岩波書店や福沢協会なら、とりあえずは慶応とは別の組織。
茅野市豊平の福沢区「福沢諭吉翁 祖先発祥の郷」という石碑 ― 2011/09/29 05:46
長野市在住の「等々力短信」読者、藤澤正利さんが25日付の『信濃毎日新 聞』の切り抜きを送って下さった。
「諭吉 祖先発祥の郷」石碑/茅野/福沢区、 伝承願い建立/戦国時代にルーツか、という見出しの記事だ。
「福澤山エン トランス」<小人閑居日記 2011. 6.27.>、富田正文先生の『信州福沢考』< 小人閑居日記 2011. 6.28.>に書いた茅野市の福沢という場所の話題である。
茅野市豊平の福沢区が、「福沢諭吉翁 祖先発祥の郷」という石碑を、上川に 架かる前橋近くのミニ公園に建て、24日、除幕式をしたという。
石碑は高さ 約1.8メートルで18センチ角の柱状。 戦国時代に福沢地籍に屋敷を構えた 太郎左衛門善徳と諭吉のつながりを記したステンレス製の説明板も設置した。 2
000年に前橋が完成した際、同様の木製標柱と説明板を設置したが、風雨にさ らされ読みにくくなったため、新しくした。
記事はまた、つぎのようにも書いている。
ただ、福沢諭吉が先祖のために 1873(明治6)年に東京で建てた記念碑(麻布善福寺の「福澤氏記念之碑」)にある 「福沢氏の先祖は信州福沢の人なり」の「福沢」が県内のどこを指すかは、わ かっていない。
茅野市のほか埴科郡坂城町などの異説もある。 福沢区(矢島 安久区長(61))は、善徳が諭吉の祖先の可能性があるとみていて、これを地域に 伝え、語り継いでいく狙いだ。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2011/09/29/6117318
「諭吉 祖先発祥の郷」石碑建立 茅野市福沢区
http://www.shinmai.co.jp/news/20110925/KT110924SJI090011000.html 茅野市豊平の福沢区は、慶応義塾大を創立した福沢諭吉の「祖先発祥の郷」の石碑を、上川に架かる前橋近くのミニ公園に建て、24日、除幕式をした。
戦国時代に福沢地籍に屋敷を構えた太郎左衛門善徳(ぜんとく)が、福沢諭吉の祖先の可能性があるとして、地域に伝え、語り継いでいく狙いだ。
石碑は高さ約1・8メートルで18センチ角の柱状。善徳と諭吉のつながりを記したステンレス製の説明板も設置した。
2000年に前橋が完成した際、同様の説明を記した木製の標柱と説明板を設置したが、風雨にさらされ読みにくくなったため、新しくした。
説明板や区側の説明によると、福沢諭吉は先祖のために1873(明治6)年に東京で建てた記念碑に「福沢氏の先祖は信州福沢の人なり」と記している。
ただ、福沢が県内のどこを指すかは分かっていない。茅野市のほか埴科郡坂城町などの異説もある。
善徳は武田勝頼の軍に参加して、鳥居峠(塩尻市・木曽郡木祖村境)で木曽義昌軍に敗れた後、松本を治めていた小笠原氏に仕え、小笠原氏と共に大分の中津へ移り住んだという。
福沢諭吉の父・百助は中津藩に仕えており、つながりがあると区はみている。
除幕式で矢島安久区長(61)は石碑建立の経過を紹介し、「区民で守っていきたい。末永くお願いします」と述べた。
月1回のミニ公園清掃ボランティアに参加している市川とし子さん(63)と飯田佐知子さん(67)は「掃除に張り合いが出る。
福沢諭吉の祖先がいたというのが本当ならいいし、ぜひそうあってほしい」と話していた。
耶馬渓出身の朝吹英二 業績紙芝居で後世へ
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2011_131613378527.html 中津市耶馬渓町の旧宮園村出身の実業家、朝吹英二(1849〜1918)を郷土の先哲としてたたえる「朝吹英二翁顕彰会」(間所質会長、23人)が発足した。
中心となって会を設立した耶馬渓歴史観光案内人(吉森晶子代表、10人)は紙芝居「耶馬渓出身朝吹英二翁物語」を作製し、後世に業績を伝えていく。
朝吹英二は福沢諭吉の門下生として慶応義塾に学び、三井、三菱両財閥や、多くの企業の運営などに関わった。
子孫には仏文学者の朝吹登水子さんらがおり、「きことわ」で第144回芥川賞を受賞した朝吹真理子さんは玄孫(やしゃご)になる。
歴史観光案内人はこれまでも郷土の歴史や偉人を紙芝居で紹介しており、今回が17作目。医師で教育者の村上姑南(こなん)(同市山国町出身)の塾や、
咸宜園で学んだ少年期の様子や人柄、慶応義塾、経済産業界での業績などを解説。官有地だった村内の唐笠山を買い上げ、牧草地として村に寄贈したエピソードなどを紹介している。
吉森代表が文章を、市議の須賀瑠美子さんが絵をそれぞれ担当した。
顕彰会は案内人や朝吹の血縁者、地域住民らで構成。11月5日には「語る会」の開催を予定している。
曽孫で仏文学者の朝吹亮二慶応義塾大学法学部教授(真理子さんの父)が講演するほか、生家跡地訪問などを計画。紙芝居も初披露される。
間所会長は「郷土に素晴らしい血脈が流れていることに誇りを持っている。何としても後世に伝えたい」と話している。
福沢諭吉:思想の原点に迫れ 青年期に手放した父の蔵書、臼杵市教委調査開始 /大分
http://mainichi.jp/area/oita/news/20110914ddlk44040548000c.html ◇生活困窮の青年期、手放した父の蔵書 臼杵図書館34冊保存、市教委が調査開始
臼杵市教委が、明治の啓蒙(けいもう)思想家、福沢諭吉(1835〜1901年)が青年期、臼杵藩に売ったとみられる書物を調べ、福沢諭吉の思想のバックボーンに迫る取り組みを始めた。
市教委の岡村一幸主査は「どんな学問や本が福沢にどのような影響を与えたか、その原点に迫りたい」と話している。【大漉実知朗】
福沢諭吉は豊前中津藩の下級武士、父百助(ひゃくすけ)と母於順(おじゅん)の間に次男として生まれた。
自伝「福翁(ふくおう)自伝」によると、百助の没後、家を継いだ兄が病弱で医療費がかさむなどし、借金が40両(現在の400万円相当)になるなど、生活費に困窮。
兄の薬代にもこと欠くようになった。
そこで福沢諭吉は儒学の師匠で臼杵藩にいた白石照山(1815〜83年)に相談。百助の遺産である蔵書の他、掛け軸や茶わんを売って生活費に充てることにした。
白石の仲介で1856(安政3)年10月ごろ、15両で臼杵藩に書物を売ったという。
自伝には蔵書の中から「明律上諭条例」を売ったとの記述がある他は売却した本の名前や正確な冊数は分かっていない。臼杵市教委文化財課によると95冊、200冊など諸説あるという。
臼杵市立臼杵図書館には福沢家の蔵書印がある本が34冊保存されており、文化財課は福沢諭吉が臼杵藩に売った書物とみて、調査を始めた。
中には、中国清朝時代の小説集や江戸時代の地震など天変地異を記録した「民間備荒録」など貴重な資料も含まれており、一家の知識の奥深さをうかがわせる。
当時、臼杵藩も財政難で苦しい台所事情だったと言われるが、当時は紙そのものが貴重品だった事情もあって購入したという。
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/10(月) 17:10:15.20 ID:h0GUde7tP
Yo HIRAYAMA opposes these arguments in his "Fukuzawa yukichi no
shinjitsu" (Bungeishinsho, Bungeishunju,) that these impressions
of Yukichi were made by Mikiaki ISHIKAWA, the editor of
"Jiji Shinpo," who wrote "Fukuzawa yukichi den" and compiled
"Fukuzawa zenshu."
これに対して、平山洋の『福沢諭吉の真実』(文春新書、文藝春秋)
によれば、それは『福澤諭吉伝』の著者で、『時事新報』の主筆を
務め、『福澤全集』を編纂した石河幹明が原因という。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/10(月) 17:44:08.60 ID:/oEe60fP0
大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
>>654 福沢家のルーツについては、昔このスレでも検討したね
>>655 茅野は戦国時代小笠原家の支配地だったのかな。
福沢家は小笠原家の家来として中津にやってきた。
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/11(火) 23:29:35.18 ID:vM1YxCXZ0
蓑田胸喜が福沢を尊敬していたというのは意外だな。この2人は思想的には
見解を異にする部分のほうが多いと思うんだが。
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 08:05:38.62 ID:aPl6YROH0
>>662 原理日本社の綱領は何度か改定されているが、その中の尊敬するべき日本人の先達
の中に、いつでも福沢諭吉が入っている。蓑田が慶応に就職する前から。
「日本の独立の重要性を強調したから」、だと思う。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 20:29:51.84 ID:jv6fJcOj0
近代史家スレで読んだんだが、伊藤之雄は小川原正道を批判しているの?
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 20:32:59.52 ID:K5cUi9a20
>>664 伊藤が批判してるのは小川原正道じゃなくて同性の小川原宏幸のほう。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 20:37:07.59 ID:jv6fJcOj0
>>665 ありゃー、そうでしたか!
疑問が解けました。なんでかな、と変に思ったので。
小河原ならともかく小川原という人も別に居るんですか。
そうなると、京大も慶応を無視しているのか。
福沢を尊敬していた割には、蓑田の思想は福沢のそれとは異なる部分が
多い気がするな。特に天皇の位置づけに関して。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 20:41:43.10 ID:xANeAlIb0
>>666 別に京大が慶応を無視しているというわけでは無いと思うけど。
伊藤さんも、自身の著書で小川原正道さんや笠原英彦さんの著書参照してるし。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 20:42:53.33 ID:jv6fJcOj0
>>667 意外に同じだったのかもしれんぜ。
蓑田の機関説批判は、当時の体制を崩すためのポーズだったようだから。
蓑田だって、ダテに東大を卒業していたわけじゃないだろう。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 20:44:07.22 ID:jv6fJcOj0
>>668 そうなると今度は、小川原正道が著書で伊藤之雄に触れていないのは、
失礼になるのかもしれないね。
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 21:00:43.38 ID:E48rdpdZ0
>>669 東大出身で学があるからといって、バカじゃないとは限らないからな。
日露戦争直前に東京帝大の教授らが政府に提出した「七博士意見書」は、
伊藤博文をして「なまじ学のあるバカ程恐ろしいものはない」と
言わしめたし。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 21:14:17.82 ID:jv6fJcOj0
>>671 バイカル湖博士か。そるした愚かしさについては、戦後知識人にだって…。安川なんか。
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 02:25:47.42 ID:dmRoGvKk0
>>672 「七博士意見書」に対する伊藤の言葉は、戦後日本の進歩的文化人にも
そのまま当てはまるな。そして彼らの言葉に「学のないバカ」が
影響されて「世論」が形成され、異論を唱えるものは排斥されると。
>>673 現在は世論形成が印刷物によってなされるわけではないから、
ずいぶん変わってきたけれどね。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 20:45:23.98 ID:YpyZICQU0
>>675 一部の左翼に「超人気」だというだけの話だな。マトモな人はもう相手にしてない。
呼ぶ方も呼ぶ方だよ。平山さんや小川原さん呼んだほうが何百倍も有益なのに。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 21:00:36.69 ID:uAs0/+1p0
安川は、論破されても同じ主張を延々繰り返しているけど、それは論破された
ことが分からないのか、それともわかっているがそれを認めたくがないために
現実逃避してるかは知らんが、どちらにしても学者としてあるまじき態度で
あることには変わりはないけどな。
>>675 情報ありがとうございます。
安川さんは韓国でも出前講演しているんですね。
↓
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平和友の会 ガイド部会自主学習会のお知らせ
NHK「坂の上の雲」と韓国強制併合
目から鱗(うろこ)の福沢諭吉論
講演者・・・安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)
時・・・2011年11月14日(月) 午後1時半〜4時半
所・・・立命館大学・末川会館 2F第3会議室
一昨年から昨年、今年の3期に分けて、NHKは年末に大河ドラマの時間を
割いて、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」のドラマを放映してきました。今年も
11月末から完結編が始まります。
「坂の上の雲」はご承知のように日露戦争期の松山出身の二人の軍人兄弟と
正岡子規を主人公とした物語ですが、日露戦争を「祖国防衛戦争」と賛美して
描かれ、日本の近現代史を「明るい明治」と「暗い昭和」に分断する謝った
イメージを読者に与える側面の強い物語です。
それを韓国併合100年という昨年をはさんで3年にわたって放映するというこ
とは、NHKは、日露戦争後、急速に韓国併合への道にひた走っていった日本
の歴史を、なんの反省もなく賛美した立場になっているといわざるを得ないの
ではないでしょうか?しかも司馬遼太郎自身が、「本作は戦争賛美につながる
恐れがあるので、映像化・ドラマ化は許諾しない」と遺言していたにもかかわ
らず、司馬夫人の許可を得たのでドラマ化するというのは、恣意的な意味合い
が一層感じられるところです。
このような時に、私たちは再度、日清・日露戦争の本質をしっかりと学びな
おしたいと思います。特に来年度の小・中学校の教科書採択で、「自虐史観」
を排するという育鵬社・自由社の歴史教科書を採択する市町村が増えている
事実を見ても、史実に基づいた認識をもつことは大事だと思われます。
安川先生は「坂の上の雲」の放映が取り沙汰されるようになって以来、北海道
から九州まで全国から招ばれる超人気の先生です。
しかも先生は福沢諭吉研究者として、従来の「諭吉論」を覆す、地道でち密
な研究を進められてきて、国内だけでなく2003年からは自前で中国・韓国に出
かけて講演をされています。私たち日本人も、諭吉に関しては「天賦人権論者」
という認識をしている人が大半で、先生の話をお聞きすると「目からうろこ」
という人が多く、日清・日露戦争の本質とともに、再考するひとときをもちたい
と思います。
ガイド部会の学習会ですが、他の部会や一般の方の参加ももちろん歓迎です
ので、ぜひご都合をつけて多数ご参加ください。(学習会後懇親会をもちます
のでこちらもご参加ください)
----
安川さんは直接出前講義をすることが、
自分の意見を広めるのに有意義と考えているのかもしれないが、
それは幻想だろうな。今はネットの影響力が極めて大きい。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/15(土) 14:52:09.41 ID:c00SpMgBP
Noting that the 'Datsu-A Ron' was written because of
the Gapsin Coup and the suppression after that,
an assistant Professor of the Faculty of International
Relations at the University of Shizuoka, Yo HIRAYAMA,
explained as follows
静岡県立大学国際関係学部助教の平山洋は、「脱亜論」が甲
申政変とその後の弾圧に対する影響で書かれた社説であるこ
とに注目して、次のように解説している。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/15(土) 19:11:54.23 ID:FcXxMDuj0
>>679 たとえネットを使っても、安川の意見に賛同するのは一握りのご同類だけだろうけどな。
未だに自分の見解が多数意見だと思ってる安川の考え自体が幻想。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/15(土) 21:15:11.41 ID:TZ5960zB0
蓑田は福沢を尊敬していたくらいだから、当然福沢の著作は勿論、時事新報の論説も
読んだことあるだろうけど、その中には石河が書いたものも含まれてるかな?
それを福沢の思想と勘違いして尊敬していたら、片思いもいいところだが。
>>683 蓑田が慶應の予科教授だった時期は、石河の全集が出るより前からだった。
1922年(大正11年)4月、慶應義塾大学予科教授となり、若宮卯之助らと共に
約10年間、論理学・心理学を講義する。1925年(大正14年)11月、三井らとと
もに原理日本社を創立し、雑誌『原理日本』を刊行するようになる。慶應義塾
で「精神科学研究会」を組織し、そして、同誌上で国粋主義的な観点から、
マルクス主義・自由主義的な学者・知識人批判を展開する。
1932年(昭和7年)4月、慶應義塾を退職し、国士舘専門学校教授となる。
つまり、大正版の全集よりも前だから、慶應に就職した時点では、
時事新報の無署名社説をまったく読んでいなかったことになる。
>>684 となると、蓑田も平泉同様、石河に騙されなかった可能性がある。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/15(土) 22:52:58.48 ID:yJrrzfkA0
福沢研究センターの教授が、慶大出版会から面白そうな福澤本を12月に出すみたいだ。
福澤諭吉と女性 西澤 直子 著
>>男子もまたこれを読むべし!
明治の日本で、当時の常識「女は男よりも劣る」に真っ向から異を唱え、「男女同権」を公言するばかりではなく、
個人としての生活でもその姿勢を貫いた福澤諭吉。彼の生涯にわたる主張「独立自尊」と、女性の地位向上はどのように結びつくのか。
福澤の真意を読み解き、今もなお古びることのない「近代人」としての肖像を鮮やかに描き出す。
ttp://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766419078/
>>686 西沢先生は、今まで単著はなかったようですね。
これは期待できそう。
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 01:16:01.61 ID:zguKOU2k0
「男女同権」を公言していたということは、福沢は女性参政権にも
賛成していたのか?
>>686 情報ありがとう。
「第9章 福澤諭吉の読まれ方」が面白そうです。
安川・平山論争が取り上げられるのかな?
>>689 安川さんが予告していた本と同じテーマだな。
西沢さんと平山さんは同期では? するとポストを競った相手だったのかも。
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 17:08:32.09 ID:8KxddtLL0
蓑田の著書や論説で福沢に言及したものはどれくらいあるだろう?
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 19:55:39.71 ID:e61dV8RA0
今年は福沢没後110年なのに、思ったほど福沢本は出てないな。
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 20:09:51.22 ID:fqe272A4O
13 名無しさん@12周年 sage New! 2011/10/18(火) 01:02:07.56 ID:sOTBzIIJ0
福沢諭吉
"禁酒のすゝめ"。
http://www.sake-okoku.net/s_library/zatsugaku/rekishi/fukuzawa.html 「天は人の上に人を作らず」でおなじみの「学問のすゝめ」はあまりに有名ですが、
彼が晩年に残した「禁酒のすすめ」をあなたはご存知ですか?
その中に
「献杯やお流れちょうだいなどの杯のやりとりは、酔っぱらいを増やして席を乱れさせるし、
病原菌が移る可能性があるので衛生上にも良くない」との一節があります。
39 名無しさん@12周年 sage New! 2011/10/18(火) 01:14:19.40 ID:sOTBzIIJ0
飲酒する人間は、人間として失格です。
福沢諭吉先生は飲酒を禁じました。
学問のすすめ 十編
http://www1.sphere.ne.jp/dia/gakumon/gs/GS10.HTM これを譬えば、ここに沈湎冒色放蕩無頼の子弟あらん。これを御するの法如何すべきや。
これを導きて人となさんとするには、
先ずその飲酒を禁じ遊冶を制し、然る後に相当の業に就かしむることなるべし。
その飲酒遊冶を禁ぜざるの間は、未だ共に家業の事を語るべからず。
されども人にして酒色に耽らざればとて、これをその人の徳義と言うべからず。
ただ世の害をなさざるのみにて、未だ無用の長物たるの名は免かれ難し。
その飲酒遊冶を禁じたる上、また随って業に就き身を養い家に益することありて、始めて十人並の少年と言うべきなり。
自食の論もまたかくの如し。
>>695 > 63歳の諭吉は脳卒中になってまったくお酒が飲めないカラダに。
> 「禁酒のすゝめ」は、このときに書かれたものです。
福澤先生が脳卒中の発病後に書いた作品ってあったっけ?
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/18(火) 08:08:02.79 ID:J922bcWn0
>>695 禁酒のすすめなんて、聞いたことがないぞ
>>697 福澤先生は『福翁自伝』の中の「漸く酒を節す」の節で禁酒をすすめているけど、
これは脳卒中の発病前に語ったものですね。
↓
----
三十二、三歳の頃と思う。独(ひと)り大(おおい)に発明して、斯(こ)う飲んでは迚(とて)も寿命を
全くすることは叶わぬ、左(さ)ればとて断然禁酒は、以前に覚えがある、唯(ただ)一
時の事で永続きが出来ぬ、詰(つま)り生涯の根気でそろ/\自(みず)から節するの
外(ほか)に道なしと決断したのは、支那人が阿片(あへん)を罷(や)めるようなもので随分
苦しいが、先(ま)ず第一に朝酒を廃し、暫(しばら)くして次(つ)ぎに昼酒を禁じたが、客の
あるときは矢張(やは)り客来を名にして飲んで居たのを、漸(ようや)く我慢して、後に
はその客ばかりに進めて自分は一杯も飲まぬことにして、是(こ)れ丈(だ)けは如何(どう)
やら斯うやら首尾能(よ)く出来て、サア今度は晩酌の一段になって、その全廃
は迚も行われないから、そろ/\量を減ずることにしようと方針を定
め、口では飲みたい、心では許さず、口と心と相反(あいはん)して喧嘩をするように
争いながら、次第々々に減量して、稍(や)や穏になるまでには三年も掛りま
した、と云うのは私が三十七歳のとき酷(ひど)い熱病に罹(かかつ)て、万死一生の幸を
得たそのとき、友医の説に、是(こ)れが以前のような大酒では迚も助かる道は
ないが、幸に今度の全快は近年節酒の賜に(たまもの)相違ないと云(いつ)たのを覚えて
居るから、私が生涯鯨飲(げいいん)の全盛は凡(およ)そ十年間と思われる。その後酒量は減
ずるばかりで増すことはない。初めの間は自から制するようにして居
たが、自然に減じて飲みたくも飲めなくなったのは、道徳上の謹慎と
云(い)うよりも年齢老却の所為(せい)でしょう。兎(と)に角(かく)に人間が四十にも五十にも
なって酒量が段々強くなって、遂(つい)には唯(ただ)の清酒は利(き)きが鈍いなんてブ
ランデーだのウヰスキーだの飲む者があるが、アレは宜(よ)くない。苦しかろ
うが罷(や)めるが上策だ。私の身に覚えがある。私のような無法な大酒家で
も、三十四、五歳のときトウ/\酒慾を征伐して勝利を得たから、況(ま)して
今の大酒家と云(いつ)ても私より以上の者は先(ま)ず少ない、高の知れた酒客の
葉武者(はむしや)だ、そろ/\遣(や)れば節酒も禁酒も屹(きつ)と出来ましょう。
----
福翁自傳 - 555 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=116&PAGE=555 > その中に
> 「献杯やお流れちょうだいなどの杯のやりとりは、酔っぱらいを増やして席を乱れさせるし、
> 病原菌が移る可能性があるので衛生上にも良くない」との一節があります。
これは出所が不明ですね。石河が執筆した『時事新報』の社説なのかな?
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 10:13:52.92 ID:CuCQjVEs0
>>692 原理日本社の綱領が、
蓑田全集第7巻の686ページと687ページに載っている。
2通りあって、どちらも7条、日付は無いが、
686ページのほうが早いとは分かる。
自分たちは「現実的理想主義」だと宣言し、
それは古事記・万葉集以来の日本の伝統のうちに
ある、としている。
まあ、よくある国粋的右翼結社の綱領で、どうということもない。
面白いのは、第3条のその手本となるべき具体的人名で、
最初のは、「聖徳太子・人麻呂・実朝・親鸞・素行・井上毅・
正岡子規・明治天皇・道元・日蓮・芭蕉・宣長・高山樗牛・
岩野泡鳴・大須賀乙字・大津康」で、諭吉は入っていない。
次のには、宣長のあとに福沢諭吉が入っている。
ううむ。原理日本社は1925年設立で、慶應就職は1922年
だから、最初から諭吉の名が入っているのかと思ったが、
そうじゃないわけね。
ちなみに福沢への言及回数は39回で、けっこう多い。
おそろく肯定的に引用されているのであろう。
こりゃ興味深い。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 11:58:39.59 ID:Y/Mt2Mou0
ミネルヴァの蓑田胸喜の担当は」だれだっけ?
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 14:24:23.51 ID:E3KFEZbZ0
>>702 そもそもラインナップには蓑田は無いよ。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 15:41:01.15 ID:Y/Mt2Mou0
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 15:49:36.84 ID:t+Tms5Ot0
最新の人物目録見たが、ラインナップに蓑田は無かったよ。
>>705 この人誰、とか、韓国人が日本人の伝記シリーズに入れられては
怒るんじゃないの、みたいのもあるのにな。
高宗、びん妃、李方子とか。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 16:12:09.38 ID:t+Tms5Ot0
安重根もあるよ。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 16:38:48.54 ID:Y/Mt2Mou0
>>707 あはは! びん妃や安は日本人だったことはないだろ。
いーのかね?
それに、ついに出ちまったヒミカとか。
スレちだが。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 16:40:31.90 ID:Y/Mt2Mou0
もちろんヒミカは日本人だが、その内容が問題ということ。
まあミネルヴァは古田をやたらプッシュしてるからな。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 16:51:42.01 ID:Y/Mt2Mou0
こっちのスレに引き寄せるなら、その古田説に乗っちまったばかりに
安川は墓穴を掘ったわけだがな。 www
>>708 あのシリーズは日本人限定でなくて、日本史で重要な役割を果たした人物の
評伝シリーズだから、外国人でも日本史に深く関わった人物であれば対象だよ。
現にペリーやオールコック、アーネスト・サトウやマッカーサーもラインナップにあるし。
アジア人では蒋介石や朴正熙とかも。
ミネルヴァの評伝選は、玉石混交だから、ランキングでも
作ってもらいたいものだ。
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 17:02:24.83 ID:wXXF1nfD0
あのシリーズは『福澤諭吉』を平山洋さんが書いてるからな。
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 17:06:57.01 ID:0DsyYpQJ0
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 17:11:20.29 ID:O0gBZ+bg0
竹内洋さんあたりに蓑田の評伝出して欲しいもんだな。柏書房の全集に
解説書いてるし。
もしくは植村和秀さんもいいかもね。原理日本社に関する単著出してるから。
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 19:50:42.57 ID:yq9WeDek0
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 20:19:04.46 ID:k0gmyvb30
福沢ちんの価値は脱亜論にこそあるおね!!
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 20:33:45.63 ID:yq9WeDek0
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 21:09:43.49 ID:f3Ojcxxx0
安川のような福澤批判派というか、反日親中・韓論者にとって、
中韓に対する批判は全て差別や民族蔑視にあたるらしいからな。
>>720 情報ありがとう。なかなか面白いですね。よく分かっていらっしゃる。
ただ、
「“法螺を福沢、何を諭吉”」じゃなくて、
「“法螺を福沢、嘘を諭吉”」ですよ。
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 10:35:40.95 ID:qlMKqMZV0
>>720みたいのを突きつけられても、安川や杉田はヘノカッパなんだろうな
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 17:22:16.48 ID:pIX+gJ1O0
韓国のほうからの福沢批判、そんなに聞こえてこないな
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 18:28:10.65 ID:cLXqQ3020
安川らはアジアの人々(実質中韓)も福澤を批判している、だから1万円札の
肖像には相応しくないとか言ってるけど、その「アジアからの批判」が
正確か否かを検討するという考えが完全に欠如してるよな。まるでアジアからの批判は
全て正しいと言わんばかりに。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 18:54:56.64 ID:MCIZTY4SO
>>725 だから向こうに雇われているんじゃないかと
>>723 彼らにとって、福澤批判はイデオロギーや政治闘争の手段だから、主張の中身が
正しいかどうかなんて二の次だしな。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 21:51:16.74 ID:aTPTtvU80
>>726 安川らにとっては、中韓の主張が絶対正義だしな。
>>695 > 「献杯やお流れちょうだいなどの杯のやりとりは、酔っぱらいを増やして席を乱れさせるし、
> 病原菌が移る可能性があるので衛生上にも良くない」との一節があります。
脳卒中の発病後に『時事新報』に掲載された社説を見てみると、
現行版全集の第16巻557頁に
「盃の獻酬を止めにす可し」(1899年(明治32年)12月20日)
という論説がありました。
盃の遣取りは宴席を亂に導くの本にして、實際に無益なるは勿論、
更らに恐る可きの危險ありと云ふは外ならず、病毒の傳染を媒介
すること是なり。
と記されています。
ただし、脳卒中の発病後に掲載された社説は石河が執筆したものですね。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/22(土) 04:40:21.12 ID:0/fDt4WW0
日本の大学生のみじめな歴史認識と未熟な男女平等意識
―23年間のアンケート調査結果を通して―
安川 寿之輔(名古屋大学名誉教授、社会思想史)
学生の過半数が日本のアジア太平洋戦争(15年戦争)の侵略の相手国(米国と誤答)
や靖国神社の犯罪的役割を知らず、18歳選挙権にも関心がない(主権者意識の欠落)。
9割以上の学生が(「敗戦の日」は過半数が認識しながら)@開戦の日やA旧同盟国
(ドイツとイタリア)が戦後国旗・国歌を改正している事実を知らず、B第一次大戦以来
の世界的な「良心的兵役拒否」の思想と運動の知識もない。「ないない尽くし」の彼ら
が自らの戦争責任意識に目覚めることははなから期待できない。
男女共同参画的な社会変動(働く母親の増大や家庭科男女共修の導入)に促されて、
男女平等的な意識転換は一定進行したが、(今日の「格差社会」への道が開かれた)
1998年を転機とする「平成不況」による社会の深刻な保守化に対応して、日本の青年
の男女平等意識は劇的に後退して、@「男らしさ、女らしさ」やA「母性本能」が「神話」
であり、Bミスコンテストが典型的な性差別事象という認識ができない。従って「男女
混合名簿」の意義も理解できない未熟な青年たちである。
http://www.opencafekyoto.jp/gaiyou111014.html
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/22(土) 14:32:39.57 ID:3MXKzed00
惨めなのは、論破されても壊れたテープレコーダーのように同じ事を繰り返している安川だろ。
>>731 安川の歴史認識こそみじめな歴史認識だな。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/22(土) 18:17:20.09 ID:3embCwIGP
カダフィの次は北朝鮮だろう。
金正日らの悪行が白日のもとにさらされれば、
朝鮮総連と親密な関係にある安川たちは、ナチス協力者と
同じ扱いを受けるようになる。
言論活動を続けられるのも、あと数ヶ月だろうな。
>>734 あと数ヶ月かはともかく、北朝鮮が崩壊して多くの機密文書が陽の目を見れば、
北朝鮮や総連とズブズブだった日本人がはっきりと分かるな。
安川はその中の一人の可能性は高いな。
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 07:02:21.63 ID:Tr5EgfR90
>>735 ここの過去スレで調査されているが、
安川は福岡高校時代に九州大学共産党細胞と接触したらしい。
1935年生まれだから1950年ということになる。
つまり朝鮮戦争が始まった年だ。
北九州から釜山にむけて出発する米軍の人員と装備を、
逐一総連(前身)に通報していたということ。
敵への内通は交戦国では当然逮捕投獄の対象となるが、
日本は交戦国ではないので、違法行為とはいえなかった。
彼らの情報で米軍は危険にさらされたわけだから、
やったことの罪は深いよ。
安川本を肯定する韓国人は国家保安法違反になるというのは、
ほんとうのことだよ。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 08:01:28.56 ID:GuP8j0/MP
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 08:22:50.64 ID:GuP8j0/MP
>>575の英訳だが、誰か添削してくれ
Yasukawa Junosuke , the Japanese Communist official North Korean
Workers' Party (Chosen Soren), there is also a fat pipe.
Therefore, the provision of convenience to Yaskawa, the Korean
National Security Law "act granting a convenience to members of
anti-state organization".
Korean authorities, it should expose the publishers and translators
published a Korean translation of the work Yasukawa.
Korean citizens celebrate the work Yasukawa is a performer and
co-workers to Japan for a clear anti-national act.
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 12:56:07.08 ID:GuP8j0/MP
>>739 >>575はウィキペディアじゃないだろう。
英訳して韓国の安川本の書評サイトに投稿する、というのはどう?
安川と関係すると国家保安法違反になるというのは事実だから
その情報を知らせるのは親切というものさ。
韓国と北朝鮮は休戦しているだけで講和が成立しているわけではない。
まだ戦争中なんだよ。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 13:02:53.77 ID:GuP8j0/MP
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 15:59:53.35 ID:Tr5EgfR90
安川は現在北朝鮮の収容所に入れられている10万人の
人々が、生きて出てこれないことを望んでいるはず。
そうなれば批判や報復を受けずにすむから。
人権擁護派くらい他人の人権を踏みにじることが平気な
奴らはいない。関心があるのは自分の人権だけ。
現在の中国人・韓国人は、福沢が言っていたことを忠実に実行しているように見える。
>>743 具体的に言うと、どういうことを実行しているの?
>>744 ビジネスチャンスを見つけてよい商品を作って売ったり、
外国製品でよいものを仕入れて商売する。
それによって売り手にも買い手にもメリットがあるようにする。
Nスペの熱闘アジアだったか、アジアの経済発展番組で描かれている。
あの番組観て書いてるんだろうと思った
レナウン幹部が日本人そのもののように言われてもな
ただしあの会社のように使えないのがまだまだ日本企業にいることも事実
戦後の横並び教育の弊害だろうよ
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 08:45:24.84 ID:YbRJKo010
>>748 べつに昨日の番組だけでいっているわけじゃないさ。
ま、ダメな日本人みたいに受け取れる自虐的演出がなされているのだろうけれど。
で、君は私の意見に賛成? 反対?
>>749 あの企業と他を一緒にされるのはかなわないというだけで
言ってることはよくわかるよ
その通りだと思う
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 22:22:43.38 ID:E7hJ6KAhO
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 19:10:41.14 ID:Z7Du9Ani0
福沢先生はやる気のあるやつが好きなのだから、
今の日本人より、今の韓国人を好ましく思うだろうな。
>>752 国民の“やる気”が経済成長率に比例すると仮定すると、
韓国より中国やインドのほうが“やる気”があることに
なるんジャマイカ?
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/27(木) 09:27:03.48 ID:Nh0sG2nR0
>>753 福沢は中国の事大主義を嫌悪していたからな。
インドについては独立していなかったからか、何かの言及をしたという
覚えはないな。
>>754 『世界国尽』を忘れていますよ。インドの説明は次の通りです。
↓
----
「亜細亜(あじあ)」の南一面の海
に臨める「印度(いんど)」地は西
と東に区別して西な
る方(かた)は「後(こう)印度」、東の方
は「前(ぜん)印度」、こゝに名
高かき国々は「暹羅(しやむ)」
「安南(あんなん)」「尾留満国(びるまこく)」、その又
北に「西蔵国(さいぞうこく)」、政府を
たてし国なれど人
気(じんき)「陋(いや)しく文字(もんじ)なく
西洋人の侮(あなどり)を受て
おそるゝ計(ばかり)なり。暹
羅と尾留満のあい
だよりみなみに長
き「満落花(まらくくわ)」は「須磨
多良島(すまたらじま)」と相対(あいたい)し東
西僅(わず)か二十余里、間(あいだ)
の海を満落花の
瀬戸と名(なづ)けて万国の
船の往来(ゆきき)も賑(にぎわ)しく、
瀬戸を出(いず)れば「印度海」、
北へ「向(むかつ)て「弁軽(べんがる)」の入海(いりうみ)
深く入(いり)こめば小栗(をぐり)の河
の東岸(とうがん)に開きし都
は「軽骨田(かるこつた)」、「英吉利(いぎりす)」領の
総奉行、印度地方を支配して、軍艦商船
数多(かずおお)く「亜細亜(あじあ)」諸国に「英
吉利」の威勢かゞや
くみなもとは「前後(ぜんご)印
度」の領地とぞ。
----
世界国盡. 一 - 39 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=34&PAGE=39
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/28(金) 11:54:13.73 ID:ec0WOpcK0
>>755 ちょっと一般的すぎる説明だな。江戸時代にあった往来本に、
イギリスによる侵略の部分を付け加えたみたいだ。
ヨーロッパ派遣ではゴアに上陸したんだっけ?
>>756 それは仰るとおりで、『世界国尽』は、江戸の寺子屋で使っていた
『江戸方角』や『都路』などを本屋で買ってきて、何度も熟読・暗誦し、
七五調で書き綴ったものだと福澤先生は説明しています。
↓
----
世界国尽
幾千百年来蟄居(ちつきよ)の人民が俄(にわか)に国を開(ひらい)て世界に交(まじわ)らんとするには、先(ま)ず
その世界の何物にして何(いず)れの方角に位するやを知り、その地名を知りその遠
近を知るは最も大切なることにして、前年は唐天竺(からてんじく)とて世界の末端(はて)と
心得たりしに、今は唐天竺の外(ほか)に欧羅巴(ヨーロツパ)、亜米利加(アメリカ)等も出現し来り、随(したがつ)て
人の眼界は旧時に幾倍して広からざるを得ず。眼界の広きは取りも直
さず世界を狭く思うことなれば、兎(と)に角(かく)に全国民をして世界を観るこ
と日本国内を観ると同様ならしめんと欲し、之(これ)に就(つい)ては江戸の各処に
在る寺小屋の手本に、江戸方角(ほうがく)又は都路(みやこじ)とて、府下東西南北の方角、地名
等を記し、東海道五十三駅(つぎ)の順序を五字七字の口調もて面白く書綴(かきつづ)り、
児童をしてその手本の文字を手習(てならい)すると共にその文句を暗誦して自然に
地理を覚えしむるの慣行にして、江戸方角、都路と云えば江戸中の貴賤
貧富に拘(かかわ)らず毎戸毎人(まいこまいひと)これを知らざる者なき程の次第なれば、余は之
を見て独(ひと)り首肯(うなず)き、よし/\日本国中の老若男女をして世界の地理風
俗を知ること江戸の方角地名、東海道の五十三駅を暗誦するが如(ごと)くな
らしめんとの一案を起し、俄(にわか)に書林に就て江戸方角、都路の版本を求め、
幾度も之を熟読暗誦して、乃(すなわ)ちその口調に傚(なら)うて綴(つづ)りたるものは世界国
尽(くにづくし)なり。本文のみにては尽さゞるが故に頭書(かしらがき)を加えて、凡(およ)そ各地の風俗
歴史等の荒増(あらま)しを記したれども、文章は極(きわ)めて通俗を主として苟も(いやしく)難
字を用いず、紛(まぎ)れもなき寺小屋流の体裁なりと信ず。
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福澤全集緒言 - 79 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=114&PAGE=79 ヨーロッパ派遣のときの備忘録『西航記』によると、インド洋ではセイロン島の
チリンコメール港とピント・デ・ゴール港に寄港したとのことです。
ゴアのことは書いてなかったので、上陸しなかったようですね。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 16:17:24.32 ID:3EmJ0NNzO
>>757 インドといってもスリランカしか知らないわけか
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 18:13:39.82 ID:sU7O5FIc0
松沢先生の講演、ここの住人で誰か行った?
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 22:50:30.16 ID:3g2zLy390
>>759 演説館に初めて入った。聴衆は150人くらいだったかな。
話はアカデミックなものではなく、福翁自伝と私、みたいなもの。
松沢先生も、おん年81歳におなりになったんだな。
知的方面の衰えはまったく感じさせなかった。
それよりすごいのは福沢協会会長の服部礼次郎氏で、
こちらは90歳くらいだが、頭脳は明敏のようだった。
>>613 遅レスでスマソ。
平山さんの『福澤諭吉』(ミネルヴァ書房)、297-300頁によると、
『分権論』は、「明治9年(1876)11月から12月にかけての、
つまりは西南戦争直前の流動的な状況の下で書かれた、時代に対する
緊急提言」なのだそうです。
すなわち、明治9年の状況というのは、九州で旧士族の反乱である
10月24日の神風連の乱(熊本)、
10月27日の秋月の乱(福岡)、
10月28日の萩の乱(山口)が勃発したことを意味し、
これらの事件の背後には明治維新で失業した旧士族の不満がある。
そこで、旧士族の不満を解消するため、地方に権限を委譲して、
旧士族の失業者に仕事を回せばよい。そのために地方分権をする。
という主張なのだそうです。
>>761 少なくとも、田舎の人材不足という現代に引き継がれた問題の幾分かは、解消されただろうな。
反面地域主義がより強まっていて、地域性に大きな違いができたかも。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/31(月) 08:23:38.55 ID:VpuDIDwZ0
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/01(火) 11:38:39.54 ID:mu5Uu0kz0
>>764 竹田行之自らを語る
〔付記〕 20年も昔になったが、『福澤諭吉年鑑』『福澤手帖』の
編集にあたることになり、竹田が社団法人福澤諭吉協会の理事
に着任したのは1990年代の初めのことで、理事長は冨田正文
さんであった。そのとき富田さんから託された案件のひとつがこ
の「福澤諭吉」で、いつの日か発表の環境が整ったならばそのと
きは実現にあたってほしいとのことばが添えられて速記録を渡さ
れ、お預かりしてきた。他の諸案件は順次片付けることができて、
残された案件のひとつ小泉信三書簡の整備についても昨年3月
に竹田の校訂注解で『小泉信三書簡 岩波茂雄・小林勇宛全百
十四点』を慶應義塾福澤研究センターの「近代日本研究資料
(九)」として公刊することができた。丸山の協力を得て小泉ととも
に福澤没後50年記念の『福澤諭吉選集』(岩波書店)を刊行し、
『小泉信三全集』の編集にもあたられた冨田さんが実現を期待さ
れていたお気持がわかるだけに、残る1件となったこの速記録の
取り扱いを考えあぐねていたところ、昨年思いもかけず丸山眞男
手帖の会から協力の申し出があった。そこで冨田道彦さん(正文
氏長男)をはじめ2、3の人とはからって、日本学士院論文報告を
はじめ復元の実績をもたれている同会に安心してお任せしたいと
の結論に至り、また慶應義塾小泉信三記念基金運営委員会のご
了承を得られたので、ここに実現のはこびとなった。
記念講座出講を願い出たのは土橋俊一さん(福澤諭吉協会常
務理事)で、音声録音はとられなかったものの、いつか公表の日
を俟ちたいという同氏の判断で速記がとられた。その配慮のゆえ
に速記録が残され、複写をふくめて2通つくられ、1通が冨田さん
から竹田に渡された。宿願実現にあたって両氏への思いを新た
にしているところである。
催行の月日は編集部の「まえがき」にあるように9月14日が正
しい。場所も日吉ではなく三田である。学園紛争のさなかの混乱
のためか、当時の予告と催行報告に異同があったが、都倉武之
氏(慶應義塾福澤研究センター専任講師)が主催者の記録書類
を調べてくださり右のように確定できた。 竹田行之
ほんとうに丸山真男をタイソーなものだと信じているんだな竹田さん
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 03:32:31.63 ID:abhCaYSiO
最近上がったんだろ
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 03:47:12.81 ID:JfQsMzhz0
それに引き換え平山さんは何故未だに助教のままなの?年齢的にはとっくに
教授になっててもおかしくないのに。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 08:53:26.28 ID:VK+v89fQ0
それについては大物スレの過去スレにあったな。ずいぶん前のことだけれど。
東大にやられているとのことだった。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 12:45:06.00 ID:gdebciG50
どこにでもいるからな安川みたいなの
静岡県立大は東大の植民地ってこと?
>>774 自分で調べてみなよ。あそこの超有名慶応卒イスラム学者も50代半ばで准教授のままだ。
要するに業績じゃないってことさ。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 09:58:46.25 ID:ECuXWRV00
だが、肝心の部分は分からない。リンク切れだ。
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 15:15:11.14 ID:L05SuUX90
小川原さんの新刊は伊藤博文に関する伊藤之雄さんの研究が参照されて
なかったのが残念だな。伊藤と山県では政党や議会政治に対する考えは
異なっていたわけだから、山県閥の強い影響下にある警察が福沢を強く
警戒していた事をもって、藩閥政府全体が福沢の思想に否定的だった
ことになならないと思うし。現に、伊藤が創設した政友会には、慶應出身で
初代帝大総長もつとめた渡辺洪基も創立委員に名を連ねてるし。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 16:37:35.33 ID:BWI15WV2P
すこし前になるが、読売新聞10月8日付の橋本五郎特別編集委員の
「五郎ワールド」で、松沢弘陽校注の『福翁自伝』が取り上げら
れていた。
「プロでなければできない驚嘆すべき「校注」の書を読んだ。一冊
は岩波書店の新日本古典文学大系『福沢諭吉集』である。500ページ
余りに「福翁自伝」のみが収められている。(中略)
岩波書店の元編集者竹田行之さんは最新の『福沢手帳』で、「福
沢研究の歴史は松沢校注自伝以前・以後という時代区分で語られる
ことになろう」と書いている。」
読売は岩波=竹田支持なわけね。
朝日・毎日が文春=平山支持と好対照だ。
産経が中立なのは興味深い。
>>778 井上角五郎だって政友会だしな。
>>779 >「福沢研究の歴史は松沢校注自伝以前・以後という時代区分で語られる
>ことになろう」
ちょっと大袈裟なんじゃないの? そりゃ松沢先生の研究は認めるけどさ。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 18:36:16.80 ID:vdeh2heO0
私学の充実を訴えて官立学校には否定的だった福沢の門下から、官立学校の
筆頭であり、福沢が生涯闘った「官」の供給源もである帝大(東大)の
初代総長が出るとはな。
>>781 初代の総長がOBということはありえんからな。慶應の初代主宰者は福沢(適塾出身)なわけだし。
ただし初代塾長の浜野定四郎がついた「塾長」は福沢一番弟子という意味だから、慶應OBともいえるが。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/04(金) 10:09:20.06 ID:NscvoHTN0
>>777 ”静岡県立大学国際関係学部長”でググれば一発じゃないか!
>>781 小川原さんの本の副題が「官との闘い」だったっけ?
慶応は中等学校教員(旧制中学)養成の資格停止にあって、
教職につけなくなった。青年層への慶応的リベラリズムの広がりを押さえるため。
帝国大学は高等教育機関だから渡辺は総長になれた。
たしか井上毅の差し金だったと思う。
>>779 詳しいからといって研究の位相を変えるような質的な差があるのかどうか、だな。
>>783 それもそうだ。すぐに分かった。
>>784 おいおい、嘘を書くでない。
資格停止になったのは1877年の「本科第三等生徒およびそれ以上の者に対する徴兵免役の指令」
中等学校教員(旧制中学)養成の資格停止では無い。
東京文理大学の総長は三宅米吉(塾員)、旧制第四高等学校の初代校長は柏田盛文、他東京英語学校(官立)の校長も肥田昭作
>>786 ありゃ、記憶違いか。慶応出身者は中等教育以下からは閉め出されたが、
高等教育には従事できた、とどこかで読んだんだが。
>>778 学者オタはこんなところでも暴れてるのかよ
松沢先生の『福翁自伝』は、自伝が触れていないところには言及がない。
だからぽっかりと穴が開いてしまって、福沢の生涯全体を知るには不十分なものになっている。
新宿パークタワービルの本屋に小島直記の『福沢山脈』が出てたな
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 18:18:29.95 ID:+VvZholu0
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 18:43:43.33 ID:JrCQSHHhP
「NHK問題を考える会(兵庫)」の秋の企画をご紹介します。
教科書とちがう 「福沢諭吉の素顔」
〜NHKドラマ「坂の上の雲」は福沢諭吉のウソで始まった〜
11月20日(日)午後13:30〜16:30
お話 安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授) 日本の近代史思想研究者
会場 兵庫県学校厚生会館
資料代1000円
11月末からNHKのドラマ「坂の上の雲」の3年めの放送が始まります。
この時期に合わせての、タイムリーな企画です。
福沢研究の安川寿之助先生はいま、講師として全国から引っ張りだこです。
ドラマの初めに登場した福沢諭吉についての秋山兄弟のセリフは、
現在も100年前と変わらない日本人の殆どが思い込まされている福沢像ですが、
日本とアジアの歴史認識ののけぞるような深い溝の根幹に触れるお話です。
大変興味深い講演会ですので、関西近辺の方はどうぞ、おこしください。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 20:29:09.51 ID:sSdlR3HeO
あーあ、またかよ
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 23:00:25.28 ID:TAOA1wvs0
論破されても論破されても同じ主張をくり返す安川は、もう手遅れもいいところだな。
どうも日教組が便利に使っているような気がするね。
>>794 別スレにも同じような学者オタって奴が時々出没するね。
>>795 日教組だけでなく国内のサヨク反日勢力と特亜反日勢力が利用しているようです。
一方、安川さんも国内のサヨク反日勢力を利用して自説を広めていると言えます。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 23:57:38.01 ID:QWMciBsN0
安川はおそらく死ぬまで誤りを認めることはないだろうな。認めたら
自分の何十年もの研究者人生を否定することになるから。
>>797 その効果は、さほどではないのだろう。
それより安川は、平山との論争についてまったく触れなくなってしまったな。
負けを認めたのだろうか?
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 09:17:41.42 ID:al4wDUu70
>>799 触れなくなったのは、負けを認めたんじゃなくて「無かったこと」になってるから。
>>800 こんどは立命館だったっけ? 安川の講演
誰か行って質問したれや、ってこと?
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 10:04:02.04 ID:al4wDUu70
>>801 安川の頭の中では、平山さんからの批判は「無かったこと」になっていて、
自説が誰からの批判も反論も受けずに学界の定説になったことになってる。
信州の福澤(村)は、以下の通り。
1.諏訪郡長地村福沢 現在 岡谷市
2.諏訪郡上諏訪村福沢 現在 諏訪市
3.下伊那郡生田村福沢 現在 松川町
4.東築摩郡塩尻町福澤 現在 塩尻市
5.上伊那郡伊那村福澤 現在 伊那市
6.上伊那郡東箕輪村福澤 現在 蓑輪町
7.小県郡前山村福澤 現在 上田市
8.上水内郡富濃村福沢 現在 信濃町
9.上高井郡仁礼村福沢 現在 須坂市
10. 諏訪郡豊平村福沢 現在 茅野市
11. 更級郡村上村網掛福沢 現在 坂城町
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 13:17:08.05 ID:2Hi6T3tG0
>>804 福沢の祖先が小笠原家の家来なら、
信州での支配地にあった福沢村じゃないとツジツマが合わないのじゃなかろうか。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 19:51:40.56 ID:zXoFqPQ0O
クローズアップ現代に雁屋がでとる
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 20:57:42.67 ID:EhuP232f0
誰が安川を講演に呼ぶんだ?呼ぶ方も呼ぶ方だな。
>>807 全国のプロ市民が反日講演に呼ぶんジャマイカ?
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 07:54:23.62 ID:DAvu20gV0
>>804 福沢村はどこか?
前にやったときには結論はでなかったな。
10の茅野市が熱心にアピールしているよう。
これは郷土史家が言い出したことだが、戦国時代に行方不明になった
福沢善徳なる人物と諭吉の祖先の名前がたまたま似ているという程度のもの。
>>655のように、茅野市は本気だ。
諭吉って元サッカー日本代表の井原に似てね?
まあまあイケメンといえるよな。
【コラム】白人が子供を食うという怪しいうわさ (朝鮮日報/朝鮮日報日本語版)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/11/09/2011110901195.html 日本初のベストセラーは、1866年から70年まで順次発行された『西洋事情』という本だ
。文明開化論の先駆者だった福沢諭吉が欧米を視察し書いた西洋見聞録だが、海賊版の10万部を合わせ計25万部売れたと推定されている。
しかし、この記録は2年後、福沢諭吉本人によって破られた。1872年に出版された『学問のすゝめ』は1編当たり20万部ずつ、計340万部売れた。
人口が現在の4分の1ほどで、識字率が約30%だった当時の状況を考えると、最近のハリー・ポッター・シリーズをしのぐ世紀のベストセラーと言ってもいい。
『西洋事情』が西欧文化を受け入れようという国家啓発書だとすれば、『学問のすゝめ』は個々人を合理主義的な自覚へと導く国民啓発書だと言えるだろう。
この本には「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり」という有名な一節がある。
外国の勢力に対する恐れを一人一人が学問で克服することにより「一身独立」を通じ「一国独立」を確保しようということだ。
福沢諭吉は徹底した開国論者だった。外国勢力の排撃を業としていた勢力に対し
「攘夷(じょうい、外国人を外敵と考え排斥すること)などというものは長州のいい加減な口実で、世を乱すものにすぎない」と猛烈に批判した。
当時、日本は明治維新を断行したものの内戦が続いており、西欧の列強諸国にまされるという自信もなかった。
このような状況で「学問を磨いて自信を持てば、独立を確固たるものとし、外国勢力を恐れたり、それにへつらったりしなくてもいい」と主張したのだ。
もちろん、福沢諭吉の主張は西欧啓蒙(けいもう)主義を日本の現実に当てはめたものであり、韓国をはじめとするアジア開国論者もしばらくしてから同様の主張を展開するようになった。
決定的な違いは、340万部を発行した日本の開化論者たちのとてつもない動力と、本を340万部購入した日本国民のエネルギーだった。
日本は当時、鉛活字の鋳造に成功したことで新聞が政論紙と大衆紙に分かれるほど新聞・雑誌・本の発行が活発だった。
今日のインターネットで感じる以上に、当時の人々は情報アクセスに革命的な変化を体験していたのだ。
日本の文明開化論者たちはこうした変化に積極的に飛び込み、恐怖で閉ざされていた大衆の心を、開かれた心に変えた。
19世紀半ばから終わりにかけての韓国と日本の歴史を見ると、次のような疑問を感じることがある。
日本は噴き出すような国のエネルギーを、どのように「攘夷」から「開国」の流れに変えたのだろうか。韓国はなぜ、こうした「エネルギー転換」に成功できなかったのだろうか…。
日本でも西欧の列強と2度の局地戦を交えるほど、反外国勢力の機運が高まっていた。しかし、列強の力を痛感した少数の指導者が開化に転じると、国民全体が後に続いた。
日本人が従順だからそうできたのだろうか。そして、韓国人は反抗的だからできなかったのだろうか。いや、大衆に訴え掛けた当時の日本の開化論者の情熱を見ると、決して国民性の違いだけではなさそうだ。
開港が始まった120年前、ソウルには「白人は伝染病の薬で子供を煮て食う」という恐ろしいうわさが出回ったという。自由貿易をめぐる論争は今も昔も恐怖を拡大させる鎖国論と、
恐怖を克服する開国論の闘いではないだろうか。今の開国論者たちは文明の力を生かし、どれだけ情熱を持って迷信に対応しているだろうか。
19世紀にそうだったように、情熱の違いが論争の勝敗を決め、結局は国の将来を変えることになるのだろう。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)産業部次長
>>812 福澤先生が生きていたらTPPに賛成するのかな?
>>813 反対だろうね。
福沢は『明六雑誌』で初めて保護貿易を主張した人物だから。
>>814 保護貿易を主張したという論説は、『明六雑誌』第26号(明治8年)1月に掲載された
福澤諭吉「内地旅行西先生の説を駁す」のことですね。
↓
----
外國と貿易商賣を爲すに、彼我人民の智力平均せざれば我は損にして彼は徳なり。
されば今我國の貿易商賣は我を損するの媒にして、我國民の智力爰に止まれば我國を
滅すの大害と云はざるを得ず。其然る所以は何を以て知る可きや。演繹法に由り、
開港以來今日までの有樣を損亡の一部分と爲して、推して後日の全體を求れば、
損亡の全環を得可きなり。即ち外債の嵩みたるは宵の明星の一寸見はれたるなり。
外人に元金を借て商賣する者あるは、茶碗のかけらを見るが如し。明星の軌道は
環ならざるを得ず、茶碗の全形は窪く丸からざるを得ず。二千萬の外債は五千萬に
至る可し。元金を貸すは不動産を買ふの前徴なり。余がロジックは斯の如し。
然るに今從前の交際に由て現に我國の富を失ひながら、尚外人の旅行を許して
其交際を廣くせんとするは、損亡の一部分を推して其全環を成すの道を促すに
異ならず。何となれば旅行は雜居の調練なり、雜居は商賣の方便なり、商賣は
損亡の源なればなり。
----
福澤諭吉「内地旅行西先生の説を駁す」『福澤諭吉全集 第19巻』岩波書店
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 19:48:59.55 ID:RUkksVMA0
>>815 これは意外だな。自由主義者だから、貿易に関してもてっきり
自由貿易論者だとばかり思ってた。
>>816 福澤先生は、自由貿易論に凝り固まっておらず、もっと柔軟でクールな考えを
持っていたようです。『時事小言』では、自由貿易も保護主義も自国の利益に
都合がいい理屈を述べたものだと喝破しています。
↓
----
英国の如き人力の製造品多くして世界中に輸出
を利とするものは、その国の学者、大概皆自由貿易の説を主張し、亜米
利加(アメリカ)合衆国の如き天然の産物に富て製造未だ盛なるの極に至ら
ざる者は保護の主義を唱え、議論百出、止(や)むときなしと雖ども、結局自国
の利を謀(はか)るより外ならず。
----
時事小言 - 39 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=97&PAGE=39 『福翁百余話』では、自由貿易も保護主義も、キリスト教徒が儒教・仏教を
非難し、儒教・仏教徒がキリスト教を批判するのと同じだと仰っています。
↓
----
此国は自由貿易を以て至善の経済法と認め、彼
国は保護法に由(よつ)て民利国益を謀(はか)り、耶蘇(ヤソ)教国の人は儒仏教民を無徳と
称し、儒仏の人は耶蘇教の非を鳴らして止(や)まず、啻(ただ)に世界の全体に於(おい)て
然(しか)るのみか、一国一時の局部を見ても前後齟齬(そご)するもの甚(はなは)だ少なから
ず、近くは政府の方針を新(あらた)にすと云い、法律規則を改革すと云い、従て改
めて又随(したがつ)て之を廃し、時としては前年既(すで)に厭いしその旧に復することさ
えなきにあらず、畢竟(ひつきよう)無形の論理に一定の標準なき明証にして、この一段
に至りては西洋の文明論も和漢の古学論も、時としては是非得失を断
ずること易(やす)からず。
----
福翁百餘話 - 88 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=118&PAGE=88
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 01:17:48.97 ID:L9IgxFL60
>>817 TPP賛成派はこの福沢の警句を知っているか疑わしいな。
「バスに乗り遅れるな」と言っていた日独伊三国同盟賛成派と、
TPP賛成派の姿がものの見事に重なって見える。
>>818 バスに乗り遅れるなのバスは、独伊枢軸。
TPPはアメリカ。ぜんぜん違うだろ。
>>819 リンク先読んだ。本当に頭が悪いのだな古井戸は。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 12:48:43.21 ID:PoK0zy4k0
>>817 明治初期の日本は農業国だったから、
保護貿易も必要と考えたかもしれないが、
今は工業国なのだから、自由貿易のほうがよい、
と福澤も考えるのではないか。
>>820 「バス」の対象は違っても、推進派がその「バス」に乗ることによるメリットの
説明は曖昧なもので、乗らないことによる不安をことさら煽っている構図は
同じでしょ。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 16:04:13.62 ID:9eEAoZ2+0
『中央公論』の最新号によると、小川原さんが、来年に外交面も含めた
福沢の政治思想に関する学術書を出すとのこと。
>>823 よく書くなー。内容が薄くならなきゃいいが。
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/12(土) 13:48:30.06 ID:PwnVJXFH0
小川原さんも都倉さんも法学部政治出身で、前任が武蔵野学院大学だな。何かあるのか?
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/12(土) 14:11:40.57 ID:yuyjcp7f0
>>827 情報ありがとう。
> 高城幸一『政治評論家・福沢諭吉 その朝鮮評論』文芸社、2011/11/15、1,470円
> 明治10年代後半から20年代、主宰する「時事新報」を中心に、その「朝鮮」評論を綿密に分析する。
この人も、「時事新報論説」=「福澤の思想」という前提で論じるのだから、
石河への盲目的愛に囚われているわけですね。
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/12(土) 22:05:08.66 ID:PwnVJXFH0
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 08:25:58.69 ID:zBNxJeFY0
>>830 この中で将官にあがっているのは誰かな。慶應に配属されることが出世コースだったかどうかが分かる。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 11:18:56.34 ID:v22f5cZu0
>>831 そのHPの記述が正しければ、ほぼ全員将官になってる。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 11:22:22.71 ID:v22f5cZu0
もっとも、少将昇進と同時に待命になっている軍人も何人かいるから、出世コース
かどうかは微妙だな。
そもそも配属将校自体出世コースなの?閑職の気がするが。
配属将校って、軍縮で減ったポストの埋め合わせじゃないの?
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 13:39:39.06 ID:zBNxJeFY0
>>833 へえ、それは意外。営門将軍(最後の一日だけの将官)であったとしても、大佐から少将は10倍の狭き門。
なれただけでもめっけものと考えないと。
配属将校制度ができたのは福沢没後の大正時代だけど、
福沢がこの種の国民への軍事あるいは国防に関する教育の
必要性に言及した著書や論説はあるのかな?
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 14:02:39.62 ID:0EPjHUz50
>>837 大佐と少将では一つ階級が違うだけで、貰える軍人恩給の額も全然違うしな。
>>838 どうして自分で調べようともせず安易に他人に聞いて済ませようとするんだろうな?
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 18:52:50.04 ID:NSd/o0yK0
>>830 彼らのうち、大正末期から昭和初期に配属された軍人は、反軍思想による
学生や教員の反抗と無理解に苦労した可能性があるな。陸軍将校の
親睦団体の機関誌の『偕行社記事』にそういった苦労話が載ってるし。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 20:06:53.80 ID:zBNxJeFY0
>>839 将官は勅任官だから、呼称は「閣下」になる。また営門将軍でも退役将軍なのだから
儀式の場合は将官の軍服を着用できる。また偕行社の正式メンバーでもある。
自衛隊の場合はやめると「元陸将補」などという変な呼び方になるが、
旧軍では退役しても「退役少将」で、やめても「将軍」のままだった。
パウエル元国務長官だって、今でもジェネラル・パウエルと呼ばれる。
将校は一生軍の仕組みから離れることはできない。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/14(月) 19:14:44.85 ID:2pim8ARZ0
今年文庫化された北岡伸一『独立自尊』でも、『福沢諭吉の真実』は
もちろん、『福澤諭吉』も著者の推論には強引な所があるとしながらも、
参照されているのに対して、安川の著書は一冊も参照されていなかったな。
TPP…諭吉さんだったらどうすんのかなぁ
>>843 北岡さんの単行本版『独立自尊』が出版されたのは2002年で、
平山さんの『福沢諭吉の真実』が出版されたのは2004年だから、
今年文庫化された『独立自尊』で平山本への参照が追加されたわけですね。
一方、安川本を読んでも諭吉の悪口が書いてあるだけだから、
まともな研究者には参照されないのも当然でしょう。
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 00:26:05.35 ID:Vkcax6STO
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 01:07:36.92 ID:QqICUOyr0
>>845 >>817で取り上げられてる文章読む限り、日本の利益になるとみたら
賛成し、国益を損なうとみたら反対してんじゃない?頑迷な自由貿易
論者ではなかったわけだから。
学者オタは出て行け。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 07:09:28.79 ID:4pNxCE6+0
学者オタとはK大法学部卒のネット右翼で、自分の偏ったイデオロギーに
あわない学者を「売国奴」「日本から出て行け」などといった汚い言葉で
執拗に誹謗中傷し続ける低能野郎だから相手にしない方がいいよ。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 09:06:40.61 ID:4pNxCE6+0
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 09:37:02.77 ID:Vkcax6STO
学者オタはただの学部卒のくせに幼稚な学者知識をバカの一つ覚えで
何回も執拗に書き込むもんだからウジ虫のように嫌われてるね。
>>847、850、852、854
スレチだから巣に帰りなさい。
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 13:19:37.27 ID:n3AeWqDh0
他スレの揉め事をここに持ち込むなよ。
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 14:03:02.17 ID:Vkcax6STO
近代史家スレのみならず福澤スレにまで迷惑かけるんじゃないぞ、学者オタ。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 14:52:19.51 ID:wWwgCsPu0
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 15:03:32.81 ID:02UIUJNu0
発売1カ月で800部って、全然売れてないじゃん。
>>858 気にくわなけりゃ無視すればいいのに、毎日毎日「安川寿之輔」で検索して
ネットストーキングしてるんだな。キモすぎるぞお前。
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 16:38:39.22 ID:wWwgCsPu0
>>860 なぜ自分の名前を検索してはいかんのだ。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 16:53:57.52 ID:4pNxCE6+0
あははははっ、その可能性もアリか。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 17:11:58.48 ID:Vkcax6STO
本気であると思ってたら病院行った方がいいな。
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/15(火) 18:21:42.90 ID:rItO118iO
安川シンパも来るということだろ
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/16(水) 07:31:02.46 ID:BUhhB2m60
立命館での講演はどうだったのだろうな。誰か出ていない?
それよりも明日の福翁自伝シンポか。慶応でやる。
匿名掲示板でネチネチ個人攻撃をするオタクとはえらい違いだな。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/16(水) 14:25:43.01 ID:HTJAF27B0
>>865 安川はもうかなりの高齢なのに元気だな。その元気の使い方を完全に
間違えてるといえるが。
>>869 昼間から匿名掲示板でネチネチ個人攻撃してる暇あったら真面目に働けよ、学者オタ。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/16(水) 19:10:59.11 ID:DtNesaf+0
学者オタでも何でもいいから、質の高い書き込みをしてくれよ。
それから、明日のシンポジウム、ここの住人の誰かで出席するなら報告よろしく。
学者オタ連呼で書き込み増やすのはそろそろ終りにしてくれ
安川シンパまでストーキング扱いされて迷惑だろうよ
>>869 質の高い書き込みをしろだってよ、学者オタ。
どうやら学者オタは死ぬまでクズ崎につきまとわれる宿命なようだな。
覚悟しろやw
学者ヲタだクズ崎だって、隔離スレでずっとやってりゃいいのに。
>>823 『中央公論』の2011年12月号を読んでみました。
小川原さんは、明治時代では福澤諭吉の他に西郷隆盛と板垣退助に興味があるそうです。
板垣の評伝も書く予定だそうです。
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/18(金) 07:58:09.49 ID:j1TR5Hp+O
よく書くなあ
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/18(金) 08:44:57.90 ID:qDk0Ddww0
昨日の慶応での福翁自伝シンポ、行ってみた。
100人くらいの主席者で、大学院生クラスはあまり多くなかった。
松沢弘陽先生の基調講演は、
文学としての自伝についてに時間を割いていた。
事実との相違が指摘されているからだろう。
パネリストの講演もなかなか。とりわけ都倉武之先生の発表が
面白かった。それは自伝と事実の差についての発表で、
聴衆が聞きたがっていたこと。
あと、平川祐弘先生が質問された。
フランクリン自伝を福沢が読んでいなかったのは本当なのか、と。
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/18(金) 19:34:58.52 ID:HWRIDBE70
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 09:35:21.48 ID:DFFZ9J8h0
誰かお金を下さい
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 20:15:56.61 ID:4B1frQBqP
11月20日(日)
教科書とちがう 福沢諭吉の素顔 福沢諭吉についてのウソで始まった「坂の
上の雲」13時半〜、兵庫県学校厚生会館2階大会議室(元町駅)。資料代1000円。
定員140名。講師:安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)。NHK問題を考える会(兵庫)
(090-5054-7171西川)
>>883 果たして何人来ることやら。相変わらず、論破された事を
バカの一つ覚えのように主張することしか出来ないんだな安川は。
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 21:12:25.41 ID:DFFZ9J8h0
>>883 >「NHK 問題を考える会(兵庫)」
>住所 650−0022 神戸市中央区元町通6-7-6 5F
>平和友好センター内
>電話: (078)351−0194(留守電可)
>FAX: (078)351-0194
>兵庫県原水協【神戸市中央区元町通6-7-6 茶本ビル5階
> 078(341)2818 Fax 078(371)2427】へお問い合わせく
>ださい。 ...
まったく分かりやすい。
この茶本ビルというのは、事実上日本共産党の持ち物。
西川というのは西川恭次共産党中央委員。
馬鹿の一つ覚えといえば学者オタ
>>884の学者オタの書き込み=学者オタのバカの一つ覚え
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 08:29:53.70 ID:7rgOEauPO
福沢批判共産党は公に認めているの?
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 11:33:26.02 ID:vHQk4xew0
国会なんかでの応答で、それらしい議論は聞いたことはないな。
安川は福沢を断罪することに人生捧げてるから、最期まで考えは改めないだろう。
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 17:29:36.08 ID:Tk2ToIOJO
昨日の簿記2級のテストは散々な出来だった。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/21(月) 05:14:24.61 ID:Q0ZtG1iM0
>>885 福沢批判は、日本共産党が影で糸を引いていると考えていいわけだね
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/22(火) 12:19:19.11 ID:H83MvkyU0
>>843 たしかに、北岡伸一の『独立自尊』で、講談社ハードカバー版2002年4月刊から
中公文庫版2011年2月刊に改訂されるにあたって、新たに参照されているのは、
平山洋の『福沢諭吉の真実』と伝記『福沢諭吉』の2冊だけだ。
これは、9年間に刊行された福沢関連本(もちろん安川を含む)のうちで、
参考するにたる研究書は上記2冊だけ、と北岡が認めたことになる。
そこでどこで参照されているのかを調べると、どうも第12章「朝鮮問題」のところ
だけらしい。章末に、「のちに福沢が清国との対決を主張したのは確かであるが、
この「脱亞論」がそうした強硬外交を説いたものであると考えるのは適切ではない
ように思われる」と附記されている。
ほかにも細かい文言に修正があるのかもしれないが、見つけられなかった。
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/22(火) 19:26:00.04 ID:WIA6AuZH0
>>896 なるほど、何が新たに参照されているのかに注目することで、
北岡にとってどの著作が重要とみなされているかが分かるわけだな。
くだらねえ
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 07:54:27.23 ID:1f5ZrSPs0
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 10:19:22.87 ID:oz2Xo0auO
また坂の上の雲反対運動がはじまるのかな
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 11:49:16.24 ID:1f5ZrSPs0
日本共産党の政党支持率は1.4%
安川らの活動はどうがんばっても、それくらいの人にしか影響を与えられない。
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 12:23:19.45 ID:ngC65YWhO
このスレにおける学者オタの支持率は0%だからとっとと失せろ、学者オタ。
不毛な福沢批判(といより中傷)を続けて、安川はよく虚しくならないな。
安川先生はそれが商売だから仕方ないけど、
ネット上で不毛な近代史家批判を続ける学者オタの方が虚しくならないのかな。
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 14:38:40.20 ID:1f5ZrSPs0
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 15:17:10.21 ID:ngC65YWhO
学者オタをイジメて遊ぶのは楽しいからな。
>>901 日本に限定すれば、まったくその通りなんだけど、
最近は安川本が中国語や韓国語に翻訳されているから、
特定アジアに影響を与える可能性がある。
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 16:09:43.86 ID:ngC65YWhO
>>907 お前のバカ臭い書き込みはこのスレに悪影響を与えてるな。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 16:47:34.30 ID:VKN2jcBN0
>>907 対抗して平山本の中国語版と韓国語版を出したほうがいいのかもな。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 16:57:32.57 ID:KWeA9LJU0
日本で負けたヤツが都落ちして、海外で害毒をまきちらすというのは
サヨクの典型論法だな。
フランス革命んときも、イギリスのなかで勝手にフランス革命への
賛同宣言をぶちあげたサヨク連中がいて、あたかもイギリス国民
全体が革命に賛同しているかのような風説をおこして議会で大問題
になった。古典的だが害悪のすこぶるでかい陰謀だよ。
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:01:45.03 ID:SilxynTl0
>>910 現代日本とフランス革命時のイギリスは同列には論じられないから
お前の書き込みは無意味な珍説だね。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:04:04.77 ID:KWeA9LJU0
戦前なら外患誘致で特高にひっぱられておかしくないレベル
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:05:27.27 ID:KWeA9LJU0
>>912 現代日本とフランス革命時のイギリスは同列に論じられるから
おまえの主張はなんの根拠もない無意味な珍説だね。
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:06:58.46 ID:1f5ZrSPs0
>>907 だから安川の本を持ち上げると国家保安法違反になるという
正しい情報を、韓国国民に浸透させなきゃだめなんだよ。
>>911 まったくだ。彼らは中身が適正かどうかではなく、
自分たちにとって有利か不利かという基準によって、
思想や人間を評価するわけだから。
「従軍慰安婦」問題と同じで、無視するのが最善かも。
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:11:00.49 ID:1f5ZrSPs0
>>913 安川が朝鮮戦争当時何をしていたかについては、
>>736にある。
まあ、明確な利敵行為・スパイ活動だな。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:12:48.67 ID:KWeA9LJU0
無視するのじゃなくて、予算のゆるすかぎり対抗弁論を
海外でやっていくべきです。国際的な思想戦に勝つことも
りっぱな民族自衛、民族自決ですよ。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:17:15.02 ID:1f5ZrSPs0
>>917 予算ねえ。ホローコーストと慰安婦については、あまりに違いすぎるということを、
まずはアメリカのユダヤ人団体に理解していただくべき。
ユダヤ人弾圧については、日本は明確に反対していたのだから、
ユダヤ人団体も理解を示すはず。
「慰安婦とホローコーストを同列にするとは、ユダヤ人の名誉を傷つける」
とユダヤ人団体が表明してくれれば成功。
>>918 >ユダヤ人団体も理解を示すはず。
ナチスドイツと同盟を結んでた戦前日本にそんな「理解」示すわけないのに
何言ってるんだろうね。
そんな甘ちゃんが「国際的な思想戦に勝つためにも(キリッ」とか滑稽にも程があるね。
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:55:37.28 ID:1f5ZrSPs0
>>920 >安川寿之輔とセットでググったら、32も抽出できた。
お前、よっぽど暇なんだな
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:56:44.97 ID:1f5ZrSPs0
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 17:58:00.57 ID:1f5ZrSPs0
>>921 だいたい1分でケリがつく。
名古屋の共産党ばあさんだな、西英子というのは。
朝日新聞に投書したそうな。
>>922 人違いか何か知らんがお前が甘ちゃんなのは間違いないね。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 18:00:10.96 ID:1f5ZrSPs0
>>924 ユダヤ人の日本人への感情は、それほど悪くはないよ。
韓国人がホローコーストと慰安婦を同列と考えることのほうが、甘い。
>>924 だからといってユダヤ人団体が「ホローコーストと慰安婦については、あまりに違いすぎる」
ことを公式に認める可能性は限りなくゼロに近いね。認めさせる具体的手段だってないわけだし。
つまりお前は頭の悪い甘ちゃん。
あとホローコーストって何だろうね。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 18:14:35.94 ID:1f5ZrSPs0
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 19:20:43.69 ID:KWeA9LJU0
南朝鮮人は、じぶんらが国際法上正当にむすんだ条約の効力を当初から
違法無効だとか言い出すような連中だから、まともに相手するほうが無駄。
ときどき気まぐれにガツンと殴っとくくらいで丁度よい。
連中に「法の安定性」だの「理性」などという概念は遺伝子的に理解できない。
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 19:23:39.01 ID:KWeA9LJU0
20や30で売春に応募して、70超えてから「あれは強制されてました」
「拉致監禁されてました」とか平気でいう馬鹿どもだよ。痴漢冤罪やって
リーマンから金巻き上げて味しめたアホ風俗嬢とおんなじだよ。
学者オタが入ってきてから荒れ始めたな
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 20:13:28.77 ID:oz2Xo0auO
福沢は?
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 22:15:44.31 ID:1f5ZrSPs0
ID:SilxynTl0はどこに?
恥ずかしくなって出てこれなくなったのか。
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/24(木) 19:55:00.61 ID:I+K/GcDB0
福沢は売春や廃娼運動をどう捉えていたんだろうか?
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/24(木) 19:58:30.14 ID:nJU121knO
娼婦の出稼ぎという社説があったな
>>934 社説「人民の移住と娼婦の出稼」のことですね。
初出は『時事新報』1896年(明治29年)1月18日、
昭和版『續福澤全集』第4巻759頁に初収録されて、
現行版『福澤諭吉全集』第15巻362頁に収録されています。
平山さんは「人民の移住と娼婦の出稼」については以下のように記しています。
↓
----
「人民の移住と娼婦の出稼ぎ」は、石河が自らの関心から執筆して紙上に
掲載したものを、1933年に、折からの満蒙開拓ブームにのっかって、
「実はこれも福沢先生が書いたものだ」、とか言って、『続全集』に採録
したもののように見えます。
----
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/h35/#id_2
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/25(金) 08:15:47.85 ID:CH3zBcPz0
>>935 ヨーロッパの軍隊は、占領地での一般女性への性暴力を防ぐため
売春婦を随行させている、というエピソードは、
『福翁百話』にある。
だから、書いたのは石河でも、アイディアは福沢が提供した可能性がある。
難しいのは、福沢に慰安婦の情報を話したのが、
石河であった可能性もあるということ。
つまり石河に教えてもらった福沢が百話にその話を盛り込んだのかも
しれないということ。
>>929 永井和さんによると慰安婦は強制もあったらしい。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/25(金) 21:53:34.21 ID:xQ6pkznSO
オランダ人慰安婦事件のことなら戦犯裁判で有罪になっている。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/25(金) 21:54:12.70 ID:xQ6pkznSO
オランダ人慰安婦事件のことなら戦犯裁判で有罪になっている。
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/26(土) 09:53:06.81 ID:6PyWra3I0
>>938 慰安婦で強制だった事案については、人道に反する罪で
裁判にかけられている。当然有罪だった。
今さわいでいる朝鮮人元慰安婦は、戦後強制だったと言ってはこなかった
人々。つまりは任意だったということ。
福沢とからめてかけば、娼婦の出稼ぎは、海外の軍隊駐屯地周辺への
娼婦の出稼ぎを「認めるべきだ」というもので、
強制的な移送を言っているわけではない。
安川がこの社説を強制的なものであるかのようにして批判するのは
お門違い。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/26(土) 20:52:22.89 ID:v0yC71hwP
>>942 読みました。
最近は安川さんの話題が多くてウンザリしていたので、
久しぶりに平山さんの『真実』の話題が出てよかったです。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 08:51:09.88 ID:LUawmCjX0
>>942 出版されてから7年も経過している新書が、未だに書評ブログのネタになるというのは、
稀有なことですね。
>>944 そうですね。
逆に言えば、未だに平山さんの『真実』が新鮮に思えるということは、
それだけ安川説に代表されるアンチ福澤派の影響が大きいということ
なのかな?
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 16:10:27.32 ID:LUawmCjX0
>>945 安川一派の影響力より、岩波書店・福沢協会の石河後継グループの影響力のほうが、
ずっと大きいと思いますね。
岩波って左翼ってイメージがあるんだが、違うんかな。
文藝春秋→お笑い 新潮→保守 というイメージがある。
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 17:21:19.72 ID:LUawmCjX0
>>947 左翼になったのは戦後岩波内の国家主義者が追い出されたあと。
『福沢諭吉伝』も『続福沢全集』も岩波刊。
戦後の新体制派は、意見の合わない戦前の本の名誉まで守ろうとした。
>>948 左翼と右翼の分類もいいんだけれど、左右の立場の違いとは別に、
全集収録の「時事新報論集」の史料批判が必要なんジャマイカ?
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 18:16:30.55 ID:LUawmCjX0
>>949 政治的立場が主題というわけではなく、なぜ石河テーゼが打破されないのか、
その理由について考察しているんだけれどな。
>>950 スマソ。石河テーゼが打破されないのは、石河の『福澤諭吉伝』と
石河の正続『福澤全集』を引き継ぐ現行版『福澤諭吉全集』とが、
慶應義塾欽定の伝記と全集になってしまったからですね。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 20:26:03.21 ID:iLN4w2jQO
三つとも岩波だ
>>952 福澤の伝記なら富田さんの『考証福澤諭吉』もスタンダードになっているけど、
これも岩波ですね。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/27(日) 20:59:35.85 ID:LUawmCjX0
>>951 そこで戦後それらすべてにかかわっていた竹田行之氏(慶應経済卒・元岩波出版部長)が
出てくるわけです。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/28(月) 12:52:47.91 ID:qaoRDiw00
学士院賞をとった福沢全集の「時事新報論集」が
デタラメとあっては、岩波も立つ瀬がないわな。
でも、もう守りきれないんじゃ。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/29(火) 13:25:13.34 ID:q8H59Mrc0
>>954 しらべたらすごいジイサンじゃん。すぐに時間が解決するだろ ww
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/29(火) 18:16:34.83 ID:/UZOOJ8DO
社説の真偽について岩波は何か表明しているの?
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/30(水) 07:40:45.40 ID:ogyzJQzA0
>>957 石河の選択が正しかったとも間違っていた、とも言っていなかったのでは。
ともあれ今日の基礎演習は「史料読解に触れる」。
某資料集より「脱亜論」ほか〈福沢諭吉〉2篇を読んでもらいつつ、
坂野潤治ほか『近代日本の対外態度』→井田進也『歴史とテクスト』→
平山洋『福沢諭吉の真実』と史料批判の展開を辿って「ただ読むだけじゃダメなんだ」を実感。
結構工夫してるつもりw
@jyonaha
これ、愛知県大の与那覇先生のツイッター発言
東大にはやく戻ってきてくださいよお
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/30(水) 19:35:56.54 ID:bU/lidzO0
原稿が残存している社説は全部で92編だが、石河はそのうち50編を正続全集に
収めていない。区別できなかったのか不都合なものをわざと落としたのかは分からないが、
いずれにせよ過半数の社説を採録しなかったのは、客観的事実。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/01(木) 07:36:34.12 ID:U7hk7sefO
こうした事実への慶応や岩波の見解は?
>>961 1911年のものは現行版の全集には入っていないね。
賢人「門野幾之進」…偉業に触れる記念館
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111129/trd11112913110007-n1.htm 教育者や実業家として日本社会に貢献した門野幾之進(1856〜1938年)の業績を紹介する三重県鳥羽市の「門野幾之進記念館」がリニューアルされ、
28日に記念式典と特別内覧会が開かれた。門野を慕う関係者ら約100人が参加し、祝った。リニューアルオープンは29日。
門野は鳥羽藩の家老の家庭に生まれ、慶応義塾で学んだ。明治34年、師と仰いだ福沢諭吉の没後は副社頭に就任して教頭を兼務。
その後、千代田生命保険相互会社などを創設し、時事新報会長、貴族院議員を務めるなど幅広い分野で活躍した。
82歳で死去したが、真珠王・御木本幸吉らとともに「鳥羽の三賢人」と呼ばれた。
記念館は、財団法人「靄渓(あいけい)奨学会」などが昭和59年に開館。現理事長で孫の進一氏(73)が寄せた3244点の資料をもとに、ゆかりの品を展示してきた。
リニューアルでは門野の少年時代から実業家として大成するまでの歩みを6部に分けて紹介。
洋書を手にした慶応義塾時代の写真、時事新報に載った門野と犬養毅の時事漫画、
福沢諭吉の書など約100点の資料をわかりやすく展示することになった。
記念式典では理事長の進一氏が「幾之進の生涯と足跡に新しい時代のスポットをあてて展示した」とあいさつし、
進一氏や慶応義塾常任理事の長谷山彰氏ら6人がテープカット。続く特別内覧会で、参加者は展示品に目をこらしながら、門野の偉業に触れていた。
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/01(木) 17:48:13.16 ID:U7hk7sefO
へえ門野のねえ
>>964 門野は創業100年にして倒産した千代田生命の創業者だったのか。
この会社にはほかにも慶應出身者がたくさんかかわっていたな。
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 17:36:08.90 ID:KDlRPbzg0
>>962 福沢諭吉事典には、全集所収社説の真偽問題は、どう書いてあるの?
>>968 『福澤諭吉事典』の「社説の執筆」(194-195頁)には、
以下のように書いてあります。(執筆は都倉武之准教授)
↓
----
社説のほとんどは無署名であり、いず
れが福沢の執筆であるかは判断しがた
い。しかし、『時事新報』では、「社」の
主義、すなわち福沢が主唱する独立不羈
の立場を共有する「社中」の主義の一貫
性が重視され、いずれの社説も福沢が添
削することを通例とした。元記者たちの
回想によれば、社説には大きく分けて、
@福沢が独自に全文を執筆したもの、A
福沢が論旨を口述して社説記者にまとめ
させ、それを福沢が添削したもの、B記
者が独自に起草し、福沢の校閲を経て発
表されたもの、の三種類があったと考え
られ、当初は@が大方を占めたと考えら
れる。Aを担当した者には、中上川彦次
郎、高橋義雄、渡辺治、石河幹明、菊池
武徳、北川礼弼(れいすけ)、堀江帰一などが知られ
るが、その他にも多数の社説記者が在籍
していた。Bについては社説記者ではな
い記者が起草したもの、国内外の福沢の
知友などから寄せられる原稿もあった。
(中略)
なお、社説の表記を詳細に検討し、執
筆者を推定しようとする試みも近年行わ
れている。
----
『福澤諭吉事典』(慶應義塾大学出版会、2010年、194-195頁)
この記述では、全ての社説に福沢が関与していて、
「福沢がまったく関与していない社説」(平山さんの
『真実』ではカテゴリーWに相当するもの)が
まったく存在しないことになってしまいます。
平山さんの「2011年7月5日付都倉武之氏宛書簡」でも、都倉さんが
(別の論文「時事新報論説研究をめぐる諸問題」において)
カテゴリーWの社説を想定していないことに対して、同意できない
旨の感想を表明しています。
http://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/tokura_2011/#text_body また、最後の「執筆者を推定しようとする試み」という記載は、
井田さんの『歴史とテクスト』や、平山さんの『真実』で行われて
いる「時事新報論説」執筆者再認定作業のことを指すようです。
しかし、参考文献には井田さんや平山さんの名前は挙がっておらず、
石河幹明『福澤諭吉伝』第三巻の名前だけが挙がっています。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 22:57:41.20 ID:KDlRPbzg0
>>969 なんと、平山さんだけじゃなく井田さんまで無視されているのか!
こりゃまずいな。
多くの読者は安川平山論争の帰趨についての情報を欲しがっているわけだから。
>>970 慶應義塾サイドでは、時事新報論説の真偽問題や安川・平山論争については、
『福澤諭吉伝』や『福澤諭吉全集』の権威に傷を付けかねないから、
なるべく触れないようにしているのかもしれませんね。
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/04(日) 09:20:11.77 ID:mCdmOAUJ0
>>971 でも、文藝春秋社やミネルヴァ書房その他新聞各社によって
社説真偽問題は津々浦々まで知れ渡っているのだから、
無視したら、なんだこの事典は、ということになるんじゃないの?
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/04(日) 12:00:10.24 ID:yBJkxkOqP
まーある社説に無関与だった証拠というのは、ありえないからね。
しょせんは水掛け論だわな。
>>973 個々の社説に関しては、無関与の証拠を出すは困難かもしれないけれど、
『福澤諭吉全集』の第8巻から第16巻までを占める「時事新報論集」全体
に関しては、全ての論説に福澤が関与したという可能性はゼロだと
思います。
というのは、福澤先生御自身が『時事新報』の論説に関しては、
次のように語っているからです。
↓
----
併(しか)し私も次第に年をとり、何時(いつ)までもコンな
事に勉強するでもなし、老余は成る丈(た)け閑静に日を送る積りで、新聞紙
の事も若い者に譲り渡して段々遠くなって、紙上の論説なども石河幹
明(いしかわみきあき)、北川礼弼(きたがわれいすけ)、堀江帰一(ほりえきいち)などが専ら執筆して、私は時々立案してその出来た
文章を見て一寸(ちよい)々々(ちよい)加筆する位にして居ます。
----
福翁自傳 - 546 ページ :
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_text.php?ID=116&PAGE=546
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/05(月) 13:00:31.04 ID:genEZzPl0
>>974 立案したのが8巻から16巻まであるということなんじゃ?
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/05(月) 16:33:07.20 ID:wPZNTyI20
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/05(月) 16:58:52.58 ID:nex8Mozj0
それにしても石河みたいな方法で全集にまがいものを混入されたら
打つ手は無いな。ニーチェ全集にもそうしたところがあるんだっけか。
寄贈:朝吹英二の西洋銃、東京のひ孫が中津市に /大分
福沢諭吉人脈の一人で明治の実業界をリードした耶馬渓出身の朝吹英二(1849〜1918年)所有の西洋古式銃(短筒)5丁を、
ひ孫の亮二・慶応大教授=東京都=が英二翁顕彰会を通じて中津市に寄贈した。
英二が外国の友人から寄贈された1867年以前の製造とみられる西洋古式銃。
個人で所持できないが、公的施設での保管・展示は可能として寄贈。決闘用のベルギー製で長さ17センチのペア銃▽18センチ1丁▽29センチ1丁▽35センチ6連発レボルバー。
市教委は福沢記念館で公開を検討する。
英二は三井家の最高幹部の一人で、三菱の支配人も務めた。
ノーベル科学賞を受けた野依良治さんは弟のひ孫、芥川賞作家の朝吹真理子さんは玄孫(やしゃご)。【大漉実知朗】
http://mainichi.jp/area/oita/news/20111202ddlk44040609000c.html
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/06(火) 10:24:42.98 ID:Tdh6PzIo0
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 20:37:10.81 ID:TlrrNbyn0
>>969 この指摘は重要だ。慶應はほんとうに福沢と無関係な社説はないと考えているのかな。
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 10:03:23.29 ID:HLDf9OTM0
>>980 掲載前にほとんどの社説を見て掲載を承認していたのなら、
全集に入れられていない社説がかなりあるほうがおかしいのでは?
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 21:00:02.24 ID:QIwG/RC3O
それでは多すぎる
●福沢諭吉の『金玉均謀殺に「日本人は釈然とせず」〔明治27年4月13日 時事〕
金玉均暗殺に付き清韓政府の処置 電報の報ずる所、また世間に伝うる所によれば、く支那政府は特に軍艦を派して、
かの上海にて金玉均を暗殺したる兇湊洪鍾宇と共に、金氏の死体を朝鮮に送り届けたるよし。
上海は支那の領地にして、洪はその地に於いて明らかに謀殺の罪を犯したるものなれば、世界一般の慣例に従えば、その犯人は支那の法律を以って罰すべきものにして、
またその殺されたる当人の死体のごとき、すでに検証を終わりたる上は、朋友故旧の請求にまかせて付与すること相応の手続きなるに、しかるにかの政府、
においては、謀殺の犯人を罰せざるのみか、その死体と共に朝鮮に送りたるを見れば、洪の処為を無罪と認めたものか、または朝鮮の交際上よりその歓心を買の意にでたるこ
とならん。
或いは支那と朝鮮との条約には、この種の犯罪人、すなわち朝鮮人同士の間に起りたる犯罪事件は、すべてその本国に引き渡す定めなりとの説もあれども、
特に軍艦を以って護送の労を取るのみならず、金氏のごとき今日の身分は、決して朝鮮人として取扱うべきものにあらざるにも関せず、また現に引き取りの請求人ありしにも拘わらず、
殊更にこれを朝鮮に送りたるは、ただその歓心を買うの手段に出でたるものと認むるの外なかるべし。(中略)
今回の事件に就き、金氏を上海に誘出し、一刺客をして殺さしわたるは、全く朝鮮人の毒計にもて、支那人のごときはごう髪も関係なしと云えり。
我輩のごときも事実の上に於いて、その無関係を疑わざるものなれども、さてその全体の成り行きに就き、日本人一般の感情をいかんと云うに、支那人に対して自ら釈然たらざるものなきを得ず。
聞く所によれば、金氏の上海行に就いては、支那政府の筋、すなわち支那公使館の辺にては熱心に周旋して、金氏に対するの情誼は同国の親友もただならず、
最も好意を極めたるよしにて、同氏の旅行はもっぱらその好意を当てにして思い立ちたるもののよしなりしに、
ひとたび日本の土地を離れて上海に上陸するや否や、支那人の挙動は全く一変して、殺害当時の始末と云い、死後の処分と云い、ごうも親切の意味なきのみか冷淡水のごとき、
その反対に謀殺の下手人なる洪鐘宇に対しては、その取扱いはなはだ寛にして、現に金氏の死体検証の際などは、縛りもせずしてその場に列せしめたるごとき、
犯罪人を取扱うの法として見るべからず、またその罪人を罰せずして本国に引渡したるは、両国間の条約に拠りたるものとは云え、特に軍艦を以ってこれを護送するに至りては、
鄭重至極の待遇にして、その意のある所を解するを得ず。
かれこれ思い合わしてそ一の挙動を考うるときは日本人の感情は到底釈然たるを得ざるべし。今回の報道ははなはだ簡単にして委細を悉さざれども、次第にその事情を詳かにするに随い、
我が国人の感情はますます鋭敏を加えて、ますます疑団を大にすることはなきやと、我輩の今より想像する所なり。
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/1043
>>983 明治27年4月13日 時事の社説といえば、これですね。
「金玉均暗殺に付き清韓政府の處置」現行版『福澤諭吉全集』第14巻339頁
金玉均暗殺事件が日清戦争の原因の1つって本当なの?