嘘で固めた南京大虐殺 (2)

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1名無しさん@お腹いっぱい。
純粋に学問的見地から南京事件の真実を検証してゆきましょう。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 22:15:53.90 ID:UaNslLeuO
それでは肯定派のみなさん、南京大虐殺とやらの証明お願いしますWWW
3名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 22:29:14.34 ID:ZekoXtUD0
歴史学における「証明」ってのは具体的にどうやればよいの?
>>2がきちんと明示してくれるんだろうな。一般的に使用できるモノをさ。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 17:12:22.96 ID:C72nQc7FO
>>3
>歴史学における「証明」ってのは具体的にどうやればよいの?

そんなの「あった」派の人が自分で考えれば?
証明できなければそれまでなんだからw
5名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 17:50:18.91 ID:h4R7Mhne0
>>4
やり方が明示されなきゃ、いくら肯定派でも提示できないのは自明だろw
6名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 18:57:48.54 ID:C72nQc7FO
肯定派ってもしかして「あった」事を証明できないのに「あった」と信じてるわけ?
7名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 19:15:55.25 ID:h4R7Mhne0
だから、歴史学の証明って具体的に何を言っているの?

>>6は歴史学における「証明」の意味すらはっきりしていないのに、「証明」って用語を使っているの?
8日本@名無史さん:2011/02/25(金) 19:42:43.29 ID:0xKu5SC10
やっぱり、当時の歴史的事実となる証拠って事が、歴史的証拠に成るのでは?
南京大虐殺記念館の資料が、ほぼ歴史的な証拠に成らないとしたら、其れを主張する方々は、証拠だと証明すべきだと思う。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 21:03:48.34 ID:5BPCO3Gd0
証明の仕方がわからないのなら教えましょう。
証明とは証拠を出して具体的な事実を明らかにすることです。
手順としては、まず具体的事実を提示し、それを裏付ける証拠を挙げる。
ただそれだけでいいのです。
簡単でしょ?
さあ肯定派の方、どうぞやってみてください。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 21:10:47.66 ID:h4R7Mhne0
>>8
抽象的すぎる。

>>9
具体的事実とは?具体的にどんなことなんだ?具体的に言ってくれ。
後々延々文句つける人いるよなw
11名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 21:13:13.28 ID:h4R7Mhne0
「それを裏付ける証拠」ってのもなあw

ホロコーストも延々粘着されて、その証拠を否定するようなコト言われ、「なかった」と言われている
「事実」があるよな。こういうのにどうやって対処するの?

それとも、ホロコーストは無かったということになるの?
12名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 21:27:18.48 ID:5BPCO3Gd0
そうですか。
具体的事実の意味がわかりませんか。
具体的事実とは、まさにそれが「あった」と証明したい具体的な出来事。
証拠だけ出しても、いったい何を証明したいのかわかりませんよね。
ですから、こんなことが「あった」という具体的な出来事がありますよね。
例えば、いつどこどこで日本軍がどんな事をしたかとか。
それが具体的事実です。
そしてそれを裏付ける証拠を出せば、立派な証明となるでしょう。
わかりますか?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 22:18:14.92 ID:h4R7Mhne0
>>12
たとえばさ、通州事件とかでそれやられているか?
あれって、ホントに何が真実か完全に明らかになっている?
文句をつけようとすると、いくらでもつけられるんじゃないの?そういうのって「証明」って言える?

ホロコーストも同じだよな。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 22:23:44.87 ID:C72nQc7FO
>>11
ホロコーストはスレチだから別スレでやったら?
そんな事よりちゃんと証明のやり方も明示されたんだから、さっさと南京大虐殺の証明しろよw
それとも捏造だから証明できないの?
15名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 22:50:27.25 ID:h4R7Mhne0
はあ?スレチw

スレの趣旨に直撃じゃないかw そもそも、歴史学における「証明」とは何かという
論議に関してな。

それの決着なくして、南京がどうのと論議するのは、定義なくして論議しちゃうくらい
危ういことだ。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 22:57:02.84 ID:C72nQc7FO
>>15
バカ?
もう証明のやり方は明示されてるだろ?
それが違うというなら、お前のいう証明のやり方を明示しろよw
17名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 22:59:12.29 ID:h4R7Mhne0
簡単に論破されたじゃないかw

そもそも、歴史学において科学みたいな「証明」なんて無いと思っているからこそ延々
書き込みしているだけだが何か?

要するに、できないモノを求めても仕方ないということだ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:02:36.73 ID:C72nQc7FO
何だ、結局証明できないって事かw
19名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:08:17.37 ID:h4R7Mhne0
話理解できるw?

この程度の話を理解できんで、どうやって論議するの?
20名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:36:10.13 ID:5BPCO3Gd0
物分かりの悪い方がおられるようなのでこれで最後にしますが、証明とは、証明したい事柄を証拠を挙げて明らかにする事です。
別に難しい事ではありません。
「こんな事があった!」(証明したい事柄=具体的事実)
「証拠はこれだ!」(挙証)
で証明は終わりです。
とても簡単な事です。
もちろん数学等の証明はまた別ですが、ここは歴史的事実の話ですのでこれでOKです。
とりあえず具体的事実と証拠の提示がなされなければ議論ほ進まないと思われるので、肯定派の方お願いします。


21名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:54:21.63 ID:C72nQc7FO
>>19
とりあえず南京大虐殺の定義してみw
22名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:55:07.27 ID:h4R7Mhne0
>>20
証拠はコレだってホロコースト問題で誰にも文句言われていないモノあるの?w
23名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:55:46.81 ID:h4R7Mhne0
>>21
通州事件の定義してみて。幾らでも後で文句つけるからさw
24名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 03:38:42.27 ID:RLqpNuOd0
>>13
やれやれ、黙ってればいいのに、チョンは馬鹿だねぇw
通主事件が「あった」とする明確な証拠はあるんだよ。
日本では朝日新聞の当時の記事が今も現存している。
他にも複数な。更に当時の朝鮮政府記録からも認められている。
これはそもそも誰も否定していない「事実」だ。

では南京虐殺は?
日本政府の調査では当時の記録では一切証拠はない。
そもそも歴史的に登場するのは東京裁判の時から。
当時の記録がなにもない、ってのは常識的に有り得ない。
「これが証拠写真だ」と提示されたモノは全て無関係で出所が明確になっている。
結局現存する証拠とは、「当時現地で見ていた」とする証言のみ。
「遺体は川に流した」とするが毎日大量の死体が流れても
下流域の人は騒ぎもしなかったのかな?
日本人が空港のそばで2人死体が発見されただけで、日本の新聞に掲載されてるのに、
毎日数千人単位で殺されても現地でも話題にならないとは?
なぜ東京裁判まで誰一人として「南京虐殺」などと言われないのか?
通州事件はたった200人程度だぞ?

ないものは証明できない。
これはあらゆる学者で否定するものは世界に一人もいない。
それも知らないなら無知蒙昧な己を恥じるべき。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 06:14:19.11 ID:6J+1dc3GO
肯定派ではないが、
中共政府の見解では、日本軍が大陸にいること自体が侵略。
従って日本軍の戦闘行為それ自体が虐殺だということだ。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 12:08:02.76 ID:JgH8/QbF0
>>24
新聞記事が証拠になるのw

だったら南京虐殺だって後の新聞記事あるだろw 

大笑い
27名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 12:12:21.05 ID:tut6O2Ty0
>日本では朝日新聞の当時の記事が今も現存している。
これしか通州事件の証拠がないのであれば

>だったら南京虐殺だって後の新聞記事あるだろw 
という突っ込みはありだ。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 13:00:57.55 ID:JgH8/QbF0
ぐだぐだ言ってないで、証拠を出せよw

南京だって、新聞記事だけじゃないだろ?証拠は。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 15:43:02.90 ID:RLqpNuOd0
>>26
他にも幾らでもあるが?なんなら中国側のも。
【北京特電二十二日発】
去る七月ニ十九日日支軍衝突と同時に冀東保安隊の反乱によつて発生した通州事件の
悲惨なる想出は今なほわが国民の脳裡を去りやらぬ痛恨事であるが、冀東政府の
現政務長官池宗墨氏は事件解決策につき北京大使館当局と種々折衝中のところ
大体左のごとき解決案を発見、池長官はニ、三日中に北京大使館に森島参事官を訪問、
         ~~~~~
冀東政府を代表し正式陳謝をなし犠牲者に対する慰藉金、日本側機関に対する損害賠償など
合計百二十万円を日本側に交付し、これをもつて同事件の正式解決をはかることに決定した。
                                      ~~~~~~
即ち冀東自治政府としては北京の中華民国臨時政府に正式合流をなすに先立ち通州事件の正式解決をいそぎ、
                                                           ~~~~~
もつて日本国民に対する慰藉、陳謝の態度を明にしたものである。
なほ前長官 殷汝耕氏も事件後厳重な取調べを受けつつあつたが間もなく同事件に通謀したる事実なきことも
明白になりこれまた近く釈放されるものと見られる、また我が同胞の尊き霊を永遠になぐさめるため遭難地通州に
大供養塔が建設されることになつてゐるが、右基金は冀東政府要路者の心からなる義金によるものである。

これは中国政府が正式に認めて謝罪し和解金を支払った、とする記事。

言っておくが「南京虐殺があった」とする当時の記事など一切世界のどこにも存在しない。
一緒にするな、阿呆。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 15:46:11.70 ID:6J+1dc3GO
そもそも>>26はこの世に存在しない。
そんな架空の存在に関わる必要はなかろう。

もし存在する証拠があるなら提示せよ。
31左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/02/26(土) 21:34:39.60 ID:wEvEThftO
ギャッハッハッハ!
間抜けな低能反日バカチョンウジ虫野郎がまた墓穴を掘ったようだなwww
さあ、今度はキサマが南京大虐殺とやらの証拠を出す番だwww
まあ、どーせまともな証拠なんて何一つねーのはわかってるからまた下らねー能書き垂れて逃げるんだろ?
次はマンモスの存在を証明しろ〜とか言い出すんだろーなきっとwww
32左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/02/26(土) 21:49:32.10 ID:wEvEThftO
>>25
その通りなんだよ。
つまり南京大虐殺なんてただのでっち上げで、真相は単なる戦闘。
それ以上でも以下でもない。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 04:05:55.29 ID:iodFOVfq0
うわあ…
34名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 08:24:51.68 ID:j5I5Ofxz0

今月のWILL
ttp://web-wac.co.jp/magazine/will/?y=2011

■鈴木史朗(元TBSアナウンサー)
南京大虐殺は真実ではないと思う理由
35名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 21:28:12.97 ID:zz1dnFnDO
南京大虐殺の証拠マダー?
36名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 22:30:57.09 ID:cFy/tYOx0

肯 定 派 は 論 破 さ れ て 逃 げ た 


37名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 22:40:51.57 ID:bGgSrm6L0
よく分からんが、新聞記事が証拠認定されるんなら話は簡単なんだけど。


ニューヨーク・タイムズ

一九三七年十二月十八日
捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う

F・ティルマン・ダーディン


 ◇アメリカ大使館を襲撃
 ◇蒋介石総統のおそまつな戦術、指揮官の逃亡 首都陥落を招く
              
               
 十二月十七日、上海アメリカ船オアフ号発
 ニューヨーク・タイムズ宛特電

 南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、またとない機会を逃してしまった。

 中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場とともにうちたてられる秩序と組織に応える用意ができていた。
日本軍が南京城内の支配を掌撞した時、これからは恐怖の爆撃も止み、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。

 少なくとも戦争状態が終わるまで、日本の支配は厳しいものになるだろうという気はしていた。
ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。
大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、
青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。


 民間人多数を殺害

 民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。
犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。

 犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。

 恐怖のあまり興奮して逃げ出す者や、日が暮れてから通りや露地で巡回中のパトロールに捕まった者は、
だれでも射殺されるおそれがあった。外国人はたくさんの殺害を目撃した。

 日本軍の略奪は、町ぐるみを略奪するのかと思うほどであった。
日本兵はほとんど軒並みに侵入し、ときには上官の監視のもとで侵入することもあり、
欲しい物はなんでも持ち出した。日本兵は中国人にしばしば略奪品を運ばせていた。

 なにより欲しがった物は食料品であった。その次は、有用なもの、高価な物を片っ端から奪った。
とくに不名誉なことは、兵隊が難民から強奪を働くことであり、集団で難民センターを物色し、
金や貴重品を奪い、ときには不運な難民から身ぐるみ剥いでいくこともあった。

 アメリカ伝道団の大学病院の職員は、現金と時計を奪われた。
ほかに、看護婦の宿舎からも品物が持ち去られた。
日本兵はアメリカ系の金陵女子文理学院の職員住宅にも押し入り、
食料と貴重品を奪った。

 大学病院と金陵女子文理学院の建物には、アメリカ国旗が翻り、扉には、アメリカ所有物であることを中国語で明記した、アメリカ大使館発行の公式布告が貼られていた。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 23:09:58.45 ID:bGgSrm6L0
>32
>>25
>その通りなんだよ。
>つまり南京大虐殺なんてただのでっち上げで、真相は単なる戦闘。
>それ以上でも以下でもない。

どうも、>25氏の文意を正確に読み取れていないみたいですね。

このとき起こっていたのは「日支事変」であって、日支戦争でも日中戦争でもない。
二国間で起こった宣戦布告を伴う「戦争」じゃなくて、あくまで「事件」と呼ばれる出来事。

中国の領土内での出来事なので、本来戦争状態に入っていない日本軍が中国の
民間人を殺害する事例があれば、それは「戦争行為に伴う犠牲」ではなく、
単純な「日本兵による殺人事件という犯罪」であるってこと。

幕末に「生麦事件」ってのがあったでしょ。
あのとき薩摩藩士に民間人を殺されたイギリス側が、「宣戦布告をせず」に
日本の領土に陸軍を上陸させ、無関係の民間人に犠牲が出るのをいとわずに
薩摩藩士達に攻撃をしかけていたら、それは単なる犯罪事案にしかならないってこと。

他国で軍隊を動かすならば、まずはキチンと宣戦布告をして攻撃の意思表示をすること。
それをせずに戦闘を拡大したなら、相手国の法律を蹂躙したという非難を受けても仕方がない。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 23:51:40.44 ID:tMbEiwKv0
武田信玄がさ、捕虜とした三千人の敵兵を生首にして晒した史実があるじゃん。
ついでに兵の妻子達も人買いに売り払って、信玄の配下の小山田なんかが城主の妻を20貫で買ったってやつ。
歴史の中で残虐行為って当たり前に起こってるのはみんな知ってると思う。
どんな戦争や合戦でも残虐行為や略奪や強姦・人攫いは起きるのが人類の戦史。
綺麗な戦争なんてアニメのガンダムの中にしかないと思う。
大日本帝国軍だけが綺麗な戦争をしていたと本当に思っているとしたら歴史に学んでいないと思う。
倫理的だとされるアメリカ軍も原爆や枯葉剤や劣化ウラン弾を使っている。
その事実を検証しこれからに役立てていくのが史学だと思う。
組織や人間個々の向上も、過去の失敗や過ちを検証し経験を生かして進路を見据える。
過去が善行ばかりって現実逃避でしかないと思う。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:04:46.55 ID:itz3RW1T0
>>37
コピペにレスするのはどうかと思うが、この記者はきちんとした取材をしていない。

日本総領事館に訴えられた「民間人虐殺報告」は数件。証拠証人なし。
報告者の氏名も不明。

唯一、報告者が特定できた件に関して調べると、便衣兵の処刑であった、というお粗末さ。

この記者も大方、便衣兵の処刑を見て「民間人殺害」と勘違いしたのだろう。
無知とは恐ろしいものだ。

41名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:05:51.08 ID:itz3RW1T0

で、南京で虐殺された民間人は何人だって?

肯定派諸君は未だにこの問いに何も答えていないのだが。

42名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:14:51.50 ID:dBqoJNJK0
そういうことって、歴史学の検証に絶対必要なのw?

絶対に必要だというなら、通州事件とか下山事件とか昔の事件って皆そうやって検証しないと有無すら云々できない訳?
43名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:36:13.47 ID:NCGb2XDO0
>40
>>37
>コピペにレスするのはどうかと思うが、この記者はきちんとした取材をしていない。

「ちゃんとした取材」かどうかってどうやって判断しているの?

>29の通州事件の記事が「ちゃんとした取材」に基づいているというのは誰の判断?


私は文頭で断っているように、>24で「日本では朝日新聞の記事が今も現存してる」というのを
通州事件の証拠だと主張してる人がいるようなので「海外の新聞の記事が存在してる」というのを
例証として挙げてみただけなんだけど?

新聞記事の信頼性を云々するなら、全ての新聞記事の裏を取らなきゃいけないことになるけど
日本の新聞記事は無批判に信用して、海外の新聞記事は頭っから信用しないというのでは
あまり公平な議論とはいえないんじゃないかな。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:36:16.81 ID:NCGb2XDO0
>40
>>37
>コピペにレスするのはどうかと思うが、この記者はきちんとした取材をしていない。

「ちゃんとした取材」かどうかってどうやって判断しているの?

>29の通州事件の記事が「ちゃんとした取材」に基づいているというのは誰の判断?


私は文頭で断っているように、>24で「日本では朝日新聞の記事が今も現存してる」というのを
通州事件の証拠だと主張してる人がいるようなので「海外の新聞の記事が存在してる」というのを
例証として挙げてみただけなんだけど?

新聞記事の信頼性を云々するなら、全ての新聞記事の裏を取らなきゃいけないことになるけど
日本の新聞記事は無批判に信用して、海外の新聞記事は頭っから信用しないというのでは
あまり公平な議論とはいえないんじゃないかな。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:36:57.74 ID:NCGb2XDO0
すみません、二重投稿してしまいました。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:50:17.50 ID:itz3RW1T0
>>43
安全区の警備状況の厳しさについては、特筆しても良いと思うのだがね。

きちんと取材していれば、日本軍が如何に民間人を大事にしていたか良くわかる
筈なんだが。

古今東西、マスコミは重箱の隅をつつき、如何に扇情的な記事を書くかで必死なのだと思った。

きちんと取材していれば、こんな偏向報道はありえない。
但し、安全区の外で強姦や略奪が起きたのは事実で、犯人は捕まって軍法会議で裁かれた。
この点も、きちんと記事で伝えるべき点だと思うのだがね。

少なくとも、日本兵士の犯罪は組織的なものではなく、組織の意向に反した
不良分子によるものだ、というところまで取材できれば合格。

47名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 00:56:29.70 ID:NCGb2XDO0
>46
>>43
>安全区の警備状況の厳しさについては、特筆しても良いと思うのだがね。
>きちんと取材していれば、日本軍が如何に民間人を大事にしていたか良くわかる
筈なんだが。

その「日本軍が民間人を大事にしていた」という情報は、なぜ信頼できるんだい?
48名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 05:31:36.13 ID:+OOv8CYK0
月刊WiLL:2011年4月号
歴史の真実
■鈴木史朗(元TBSアナウンサー)
南京大虐殺は真実ではないと思う理由
http://web-wac.co.jp/magazine/will/201104w
49名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 05:59:37.78 ID:6sZ16JbbO
>>43 在日が必死だな。

>日本の新聞記事は無批判に信用して、海外の新聞記事は頭っから信用しないというのでは
あまり公平な議論とはいえないんじゃないかな。
あれだけ根拠のない反日思想を持つシナ国の新聞と同列する奴がいるか?
そもそも少しでも調べたら、奴らシナチョン人がどれだけ嘘つきか分かるはず。
過去に奴らが書いた記事は研究の結果、捏造だと判明することが多い。
シナチョンが垂れ流す情報と日本人の情報のどちらが信憑性があるかは馬鹿でも分かる。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 06:09:07.83 ID:6sZ16JbbO
>>37 こういったデマを流すのはアメリカだけではなく、
欧州も戦時中は普通に行われていた。
敵対する国のイメージを損なわせて殺害する正当な理由が欲しい為に
デマを流布するのは戦時中では常套手段。
これを史実にしたがるシナチョンや在日は極めて幼稚と言える。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 06:22:02.78 ID:6sZ16JbbO
>>47 遡って読んだが、肯定派はこいつだけのようだなw
こちら側が納得できる説明は一切出来ずに、のたうち回っているだけとは哀れなり。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 18:04:30.02 ID:dBqoJNJK0
自分に超能力があると勘違いしているのかよw >>51
見事に外しているし。
53左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/02/28(月) 22:02:05.74 ID:AkVwiEcoO
ギャッハッハッハッハ!
誰が見ても肯定派なんてお前一人しかいねーじゃねーかwww
能書きばっか垂れてねーでさっさと南京大虐殺の証明しろやヴォケ!!!
54名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 22:25:57.82 ID:NCGb2XDO0
>49
>>日本の新聞記事は無批判に信用して、海外の新聞記事は頭っから信用しない
>あれだけ根拠のない反日思想を持つシナ国の新聞と同列する奴がいるか?

私が>37で出した記事は、ニューヨークタイムズなんだが。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 22:29:04.63 ID:NCGb2XDO0
>50
>>37 こういったデマを流すのはアメリカだけではなく、
>欧州も戦時中は普通に行われていた。

んじゃ、同様の理由で日本の新聞記事がデマを流していたという推論も可能になるんだけど。

「あいつらは嘘をついてる、俺たちの言っている事は本当だ」ということを主張したいのかもしれんが、
それはもう「ダブルスタンダード」どころの話じゃないぞ?
56名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 23:19:42.78 ID:dBqoJNJK0
>>53
その「証明」ってのの具体的手法を明示してから家w
57名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 23:28:55.02 ID:NCGb2XDO0
>56
あと、ついでに>53さんの考える「南京大虐殺」の定義を示して欲しいですよね。

殺害人数(兵士・民間人の内訳)、行われた犯罪の種類、地理的範囲、時間的範囲など。

他者に「証明しろ」って要求をするくらいなんだから、上記のことくらいは把握していると
思いたいんですけど、それすら怪しそうなんだよなぁ・・・
58名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 23:30:28.24 ID:bm4phIh90
南京大虐殺(笑)
59名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 23:34:47.01 ID:dBqoJNJK0
>>57
はあ?証明方法が曖昧なら、当然定義方法だって曖昧だろうにw
方法論がキチンとしていて初めて論議ができるんだろ?

ちなみに、証明しろなんて俺は一切言っていないぞ。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 23:39:20.25 ID:NCGb2XDO0
>59
いや、「証明しろ」って言ってる>53さんに「南京大虐殺」を定義して欲しいって事です。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 23:42:11.05 ID:dBqoJNJK0
>>60
脊髄反射してしまいました。スマン。

もう寝ますw
62名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 06:42:12.10 ID:qYP6xypO0
>>53さん、はやく南京大虐殺を証明してください。
証明の仕方は>>9>>12>>20あたりを参考にどうぞ。
証明できなければ南京大虐殺は「なかった」で確定してしまいますよ。
63左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/01(火) 07:27:29.23 ID:/JoFfD8EO
ギャッハッハッハッハ!
肯定派のわざとらしい多数派工作には大笑いだなwww
ちなみに俺の主張は南京大虐殺など捏造なので、被害者も証拠も無し。
存在しない事件に被害者や証拠がある方が不思議ですからwww
反論のある方は、
>殺害人数(兵士・民間人の内訳)、行われた犯罪の種類、地理的範囲、時間的範囲など。
を明記の上、証拠の提示をどうぞwww
ちなみに今まできちんとこれをやった肯定派は一人もおらんがなwww
64名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 12:33:29.83 ID:tnHXlPfZ0
>63
秦郁彦『南京事件 「虐殺」の構造』中公新書
岩田勇治編集翻訳『資料 ドイツ外交官の見た南京事件』大月書店
稲垣大紀『25歳が読む「南京事件」 事件の究明と論争史』中央公論事業出版

上記の3冊に多数の一次資料の引用と共に、この事件の経過と概要が記載されています。
まずはこれを読んでいただいてから、全ての紹介された事例を覆せるだけの反証をプリーズ。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 20:53:36.40 ID:oYStBuVt0
日本の新聞社は軍の検閲を受けていたわけだから、その時期の新聞記事は実質軍の御用記事しかないだろう。
66左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/01(火) 23:09:01.27 ID:/JoFfD8EO
>>64
ん?
その前に、>>63
>反論のある方は、
>>殺害人数(兵士・民間人の内訳)、行われた犯罪の種類、地理的範囲、時間的範囲など。
>を明記の上、証拠の提示をどうぞwww

ちゃんと読んでからレスしてねwww
67名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 00:20:39.24 ID:xcNFuwHxO
数年前に証拠写真の撮影者の西洋人ジャーナリストが
実は中国国民党に雇われたジャーナリストだと米国の報道機関が報じたな
68名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 01:38:59.04 ID:hUkenHSm0
>>66
ん?反論のある人は、「証明」の方法論をキチンと提示してからどうぞwww

きちんと読んでレスしてね。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 08:15:50.25 ID:XqU92jkpO
>>68
ループ作戦ですか?
>>9
>証明の仕方がわからないのなら教えましょう。
>証明とは証拠を出して具体的な事実を明らかにすることです。
>手順としては、まず具体的事実を提示し、それを裏付ける証拠を挙げる。
>ただそれだけでいいのです。
>簡単でしょ?
>さあ肯定派の方、どうぞやってみてください。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 10:28:44.43 ID:NBBv5udR0
>69

秦郁彦氏の著作を読んだだけでも「殺害人数(兵士・民間人の内訳)、行われた犯罪の種類、
地理的範囲、時間的範囲」について、かなり克明に書かれているので、「証拠を提示しろ」という
そちらの要望に応えたつもりなのですが。

まぁ、お金を出して新書の一冊も買えないくらい貧乏な方のために、ネットから引っ張ってきた
証拠となる資料の提示を行わせていただくとしましょう。


一一四師作命甲第六十二号
第百十四師団命令 十二月十三日午前九時半  於 朱家楼子北方高地
一、城内の敵は頑強に抵抗しつつあり
  国崎支隊は既に浦口に達し敵の退路を遮断しあり
  集団の掃蕩地区は共和門−公園道−中正道−漢中路(含む)以南の地区とす
二、師団は攻撃を続行し城内の敵を殲滅せんとす
三、両翼隊は城内に進入し砲撃は固より凡ゆる手段を尽くして敵を殲滅すへし
  之か為要すれは城内を焼却し特に敗敵の欺瞞行為に乗せられさるを要す
  両翼隊砲兵の配属を解く
四、砲兵隊は逐次陣地を曽家門、李家凹附近の線に推進し城内の破壊に任し
  且両翼隊の城内掃討に協力しへし
五、騎兵隊は前任務を続行すへし
六、戦車第五大隊は城内に進入し両翼隊の掃討に協力すへし
七、師団通信隊は前任務を続行すへし
八、予備隊は箕家門(曽家門)に位置すへし 九、予は箕家門に至る

師団長 末松中将

『南京戦史資料集1』P450


第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報
(12月13日)
八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
      左記
 イ、旅団命令により捕虜は全部殺すへし
   其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
 ロ、兵器は集積の上別に指示する迄監視を附し置くへし
 ハ、連隊は旅団命令に依り主力を以て城内を掃蕩中なり
   貴大隊の任務は前通り 九、右命令に基き兵器は第一第四中隊に命し整理集積せしめ監視兵を附す
  午後三時三十分各中隊長を集め捕虜の処分に附意見の交換をなしたる結果各中隊(第一第三第四中隊)に
  等分に分配し監禁室より五十名宛連れ出し、第一中隊は露営地南方谷地第三中隊は
  露営地西南方凹地第四中隊は露営地東南谷地附近に於て刺殺せしむることとせり
  但し監禁室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知させさる如く注意す
  各隊共に午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り
  連隊長に報告す
  第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり
  捕虜は観念し恐れす軍刀の前に首を差し伸ふるもの銃剣の前に乗り出し従容とし居るもの
  ありたるも中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり特に隊長巡視の際は各所に其の声起れり

『南京戦史資料集1』P567-568
71名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 10:33:01.97 ID:NBBv5udR0
続き。

上記の師団命令及び戦闘詳報からは以下のことが読み取れます。

まず殺害人数は推定値として最低でも150人以上。
これは、三個中隊に等分に配した捕虜が各隊に50人以上いたことが上の記述から分かる。

行われた犯罪の種類としては、ハーグ陸戦条約違反の捕虜の殺害。
明らかに戦闘が終結し、捕虜を監禁室に閉じ込めて武装解除した後に殺害が行われていること、
時間的経過から、戦闘が13日の9時の時点で戦闘が行われており、捕虜殺害命令が14時に
出されていることから、軍律裁判等を行っていないことが分かる。

地理的範囲は「朱家楼子北方高地から南京城内掃討作戦中のこの部隊の移動経路上」

時間的範囲は1973年12月13日の午後五時から午後7時30分頃


南京事件を構成する捕虜虐殺事案・民間人への暴行凌辱略奪殺害事案は多数存在しますが、
まずは資料がはっきりと残っているこの事例を挙げてみます。

「南京で虐殺など無かった」と主張なさるのなら、上記の事例に対する反論をどうぞ。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 11:05:56.34 ID:ni+DCH620
【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】130次資料
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1298471633/201-300
とりあえず、こっちでやったほうがいいじゃない?

もう肯定派がボロクソに論破されるループだが、初心者はこっちで質問したほうがいいよ
73名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 11:46:30.95 ID:NBBv5udR0
>72
そこ、学問板じゃないじゃん。

論証や検証を重視する場所でなら討論をしてみる気にもなるけど、
お互いの主張に耳を傾けようという意志もなく、ただ罵倒合戦を繰り返してる場所で
労力を無駄に使いたくはないよ。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 12:21:44.98 ID:XqU92jkpO
>>70>>71
その戦闘詳報に記録された午後2時の旅団命令だけ発令された記録が存在しないの知ってる?
しかも日本軍の命令で捕虜の殺害が記録されているのはこの発令された記録の無い午後2時の旅団命令以外に存在しないんだよね。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 13:19:27.81 ID:XqU92jkpO
しかもその戦闘詳報は他にもいろんな矛盾が指摘されてるよね。
例えば、発令時刻より前に命令を受けてるとか。
だからその戦闘詳報は唯一捏造疑惑があるよね。
そんないい加減な証拠しか出せないのかな?
76名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 15:30:12.03 ID:0UfjZztJO
>>73
>そこ、学問板じゃないじゃん。

歴史学者でなければ歴史を語る資格は無いと言いたげだな。
特許局に勤めていたアマチュアのアインシュタインが発表した相対性理論は、まがい物であり馬鹿げているってか?www


>お互いの主張に耳を傾けようという意志もなく、ただ罵倒合戦を繰り返してる場所で

読解力の欠如しているお前がよく言うw
否定派が肯定派をその都度論破し、もぐら叩きを繰り返している状態だろ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 17:13:25.58 ID:NBBv5udR0
>74
日本軍が、終戦直後に自軍にとって都合が悪い記録文書のたぐいを大量に燃やして
証拠隠滅を図ろうとした事実をご存じ?

文書記録が残っていないことに関しては、むしろ日本軍の後ろ暗い部分がそれだけ
記録してあった可能性が高いから、という推論の方が説得力があるんじゃない?
78名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 17:25:41.78 ID:NBBv5udR0


>75
>しかもその戦闘詳報は他にもいろんな矛盾が指摘されてるよね。
>例えば、発令時刻より前に命令を受けてるとか。

口頭での命令伝達の方が文書よりも早かったのなら、別に不思議はないんじゃない?

本隊がドンパチやらかしてる途中なら命令文書の作成が後回しだったかもしれんし、
実際に手を下した連中から「俺たちが勝手にやったとか言われないように文書で軍命令の
記録を残しておいてくれ」などの突き上げで文書が作成された可能性もあるよね。

有名な辻政信が指揮下の部隊に、民間人の殺害を含む命令を口頭で出そうとしたら
「そういう大事な命令は、口頭でなく文書で出せ」と言い返されて、やむをえずに
命令を無かったことにした、という談話がある。
当時の軍隊では、口頭での命令が普通にまかり通っていたし、文書にして残すのは
それだけ「残す必要がある」「残しても構わない(問題がない)」と当事者たちが
思っていた命令だけだというのを理解しておく必要がある。

だからこそ、軍命令や戦闘詳報が「加害者側」の記録として価値を持つ。
上でも書いたけど、南京攻略部隊の師団命令や軍の行動記録のたぐいが
大量に散逸しているのをご存じ?

無実の人間だったら、普通は「自分たちの身の潔白を明かすための資料」として、
大事に保存してるよね。数年前の自分たちの行動の記録は。
それが見つかっていないって事は、後ろ暗いところがあるからだと推定されても
しかたがないって側面もあるんじゃないかい?
79名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 18:08:38.14 ID:XqU92jkpO
>>77>>78
妄想だけで語られてもねえ・・・(笑)
現実にその日の発令記録はきちんと残ってるんですが?




まずは第六六連隊の連隊命令

12/13 00:20 歩兵第66連隊歩六六作命甲第八十四号
歩兵第六十六連隊命令
十二月十三日午前零時ニ十分 於南京南門東南高地
1、師団は南京入城を企図せしも城門破壊するに至らす止むなく侵入するを得す
2、連隊(第二大隊第九中隊欠独立機関銃二小隊工兵小隊を属せらる)は南門東南方高地線を占領し夜を徹せんとす

次に第一大隊戦闘詳報
12/13 01:40 歩兵第66連隊第1大隊 大隊命令「第一大隊戦闘詳報」
十二月十三日午前一時四十分 於南京東南高地大隊本部
1、師団は南京入城を企図せしも城門を破壊するに至らす止むなく進入するを得す

第六六連隊の連隊命令
12/13 03:10  歩六六作命甲第八十五号発令
十二月十三日午前三時十分於南京南門東南方高地連隊本部
1、敵は城壁に於て頑強なる最後の抵抗を試みつつあり

第一大隊戦闘詳報
12/13 05:00 歩兵第66連隊第1大隊 大隊命令「第一大隊戦闘詳報」
十二月十三日午前五時〇分於南京東南高地大隊本部
1、敵は城壁に於て最後の抵抗を試みつつあり旅団は本日十三日更に中華門突撃を慣行す


第六六連隊の連隊命令
12/13 21:00  歩六六作命甲第八十六号発令
ニ、南京宿営部隊は指示せし位置に下士哨を配置し尚直前に警戒兵を配置すへし市外宿営部隊は第一大隊長に於て警戒を担任すへし

第一大隊戦闘詳報
日時不詳 歩兵第66連隊第大隊 大隊命令「第一大隊戦闘詳報」
十一、大隊は聯隊命令に依り大小行李及之れか監視の為一部を残置し雨花台露営地を徹し午後九時零分同地出発南京城内に入る

第六六連隊の連隊命令
12/13 23:00  歩六六作命甲第八十七号発令
十二月十三日午後十一時〇分 於南京南門北方千五百聯隊本部
イ、師団は南京城内を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其の附近に宿営す

次に第一大隊戦闘詳報
12/13 12:00(笑) 《聯隊命令の要旨》「第一大隊戦闘詳報」
師団は南京城内の敵を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其附近に宿営す

以上を見れば理解できるように12月13日の連隊命令八十四号〜八十七号は「全て」戦闘詳報に記録されている。

しかし、戦闘詳報に記録された14時の命令は

>八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
>イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし

「旅団命令」を「連隊長から」受けているにも関わらず発令された記録が存在しない。
時間的には八五号(12/13 03:10)と八六号(12/13 21:00)の間に85,5号というべき命令が存在したことになるw
80左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/02(水) 22:13:02.92 ID:rwQvkxIz0
ギャッハッハッハッハ!
今どき第66連隊第一大隊戦闘詳報を南京大虐殺の証拠だ〜なんて出してくるアフォがいたのには驚きだwww
次は中帰連の匿名証言ですか?
81名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 11:12:01.95 ID:9aSWS9nd0
>79
>「旅団命令」を「連隊長から」受けているにも関わらず発令された記録が存在しない。

旅団命令が出されているから、連帯命令を出す必要が無かったんだろ。

連隊長は上部の旅団司令部から出された命令を受令したんだから、
改めて自分が冷帯命令を出す必要はない、当然のことだ。

で、>70で示した「戦闘詳報」の内容が虚偽のものだったという証拠は
まだ提示されていないんだけど?

この文面が虚偽のものであるという確かな証明がなされない限りは、
>71の主張は相変わらず健在なんだけれども。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 11:13:13.81 ID:9aSWS9nd0
>79
>「旅団命令」を「連隊長から」受けているにも関わらず発令された記録が存在しない。

旅団命令が出されているから、連隊命令を出す必要が無かったんだろ。

連隊長は上部の旅団司令部から出された命令を受令したんだから、
改めて自分が連隊命令を出す必要は無い。
当然のことだ。

で、>70で示した「戦闘詳報」の内容が虚偽のものだったという証拠は
まだ提示されていないんだけど?

この文面が虚偽のものであるという確かな証明がなされない限りは、
>71の主張は相変わらず健在なんだけれども。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 11:13:42.02 ID:9aSWS9nd0
すまん、誤字が多かったんで訂正した。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 13:08:16.00 ID:9aSWS9nd0
>80
たしか、「虐殺は無かった」と主張なさっていた方ですよね?

>70-71の主張に対する反証を、まだ挙げていただいていないのですが、
「反証が出来ない」と考えてよろしいのでしょうか?
85名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 18:41:59.15 ID:3gOmO+vT0
ん−、誰も何の反応もしなくなりましたね。

回答が帰ってくるまでいくつかの書き込みを読み返してみたましたけど、
>79氏の書き込みで六六連隊の連隊命令の時間の推移を見て気がついた点を一つ。

12/13 00:20 歩兵第66連隊歩六六作命甲第八十四号
歩兵第六十六連隊命令
十二月十三日午前零時ニ十分 於南京南門東南高地
1、師団は南京入城を企図せしも城門破壊するに至らす止むなく侵入するを得す
2、連隊(第二大隊第九中隊欠独立機関銃二小隊工兵小隊を属せらる)は南門東南方高地線を占領し夜を徹せんとす

12/13 03:10  歩六六作命甲第八十五号発令
十二月十三日午前三時十分於南京南門東南方高地連隊本部
1、敵は城壁に於て頑強なる最後の抵抗を試みつつあり

12/13 21:00  歩六六作命甲第八十六号発令
ニ、南京宿営部隊は指示せし位置に下士哨を配置し尚直前に警戒兵を配置すへし市外宿営部隊は第一大隊長に於て警戒を担任すへし

12/13 23:00  歩六六作命甲第八十七号発令
十二月十三日午後十一時〇分 於南京南門北方千五百聯隊本部
イ、師団は南京城内を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其の附近に宿営す

84号・85号が0:20と3:10、86号と87号が21:00と23:00。
時間的に間隔が開きすぎてやしないかな、というのが疑問。

南京城攻略というそれこそ歴史的瞬間に前線部隊の一つとして行動している連隊が、
この十数時間まったく何もせずに昼寝してたとしか思えないような時間経過があるのは
この間に「別の命令系統から出された行動を遂行していた」と考えた方が良さそうな気がするんだけど、
時間的にはちょうど>70の書き込みでの一連の師団命令や旅団命令がすっぽりと入りますね。

直接に源資料に当たったわけではないので断言するつもりはないですけど、
>79で提示していただいた資料からは、むしろ>70-71の主張の補強になるような気がするので、
ここでお礼を申し上げます。ありがとうございました。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 22:55:38.92 ID:0RvKCFsG0
このコピペを••••


そもそも南京大虐殺は捏造である
証拠は以下の通り

•当時の南京の人口は20万人。

•しかも一ヶ月後には5万人増えている。
虐殺があったなら普通人は来ない。

•当時の外国人記者や当の中国国民党も
虐殺があったなどは言っていない。

•証拠写真として提示された写真はなぜか
南京陥落から10年後ぐらいから。しかも
いつ誰がどこでなんの為に撮ったのか不明。よって資料価値はない。

•当時の朝日新聞は日本軍によって治安が戻った南京の様子を記事に書いている。
(昭和12年12月20日の記事)

•百人切りも嘘。日本刀でそんな連続して斬ることは不可能。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 22:58:21.66 ID:EVIlRWJb0
釣れますかw
88名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 23:01:10.37 ID:0RvKCFsG0
追加
•30万人というのは原爆2つ分。
日本軍の兵器では無理。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 23:56:00.22 ID:3gOmO+vT0
>86
>?当時の南京の人口は20万人。

南京城の中の一区画、「安全区」内の人口は20万人と推計されていた。

南京はもともと100万人が居住していた当時の中華民国の首都。
日本軍の侵攻を受けて人口の流出は起こっていたけど、「安全区」以外が
完全に無人になっていたかどうかは定かではない。

>?しかも一ヶ月後には5万人増えている。
>虐殺があったなら普通人は来ない。

南京陥落後に「安全区」の人口が25万人になった。

これはむしろ安全区以外の南京城内が無人でなく、そこに居住していた
人々が日本軍の攻撃を避けて安全区内に非難してきたと考えられる。

>?当時の外国人記者や当の中国国民党も虐殺があったなどは言っていない。

明白な嘘。
ニューヨークタイムズ
シカゴ・ディリー・ニューズ
デイリー・テレグラフ

これらの欧米の新聞が南京陥落直後から南京事件の報道を行っている。
また、国民党政府の蒋介石が三八年の七月七日の盧溝橋事件発生から
一年の節目に、「日本国民に次ぐ」の文書で声明を発表している。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 23:56:59.14 ID:3gOmO+vT0
>86
>・証拠写真として提示された写真はなぜか南京陥落から10年後ぐらいから。

写真は単独では歴史資料的価値が小さく、写真を「証拠」と考える歴史学者はいない。
東京裁判や南京軍事法廷等でも被害者側と加害者側の双方の証言や資料が重視されており、
写真が重要証拠として取り上げられた事例は少ない。

戦後の中国共産党がプロパガンダとして虚偽・捏造の資料を用いたことはあるが、
それをもって「南京事件」そのものを虚構だとするのは無理。

>・当時の朝日新聞は日本軍によって治安が戻った南京の様子を記事に書いている。

当時の新聞に軍の意向にそぐわない記事を載せることは出来なかった。

満州事変の時に関東軍の謀略だと承知しながら「中国側の攻撃」として
リットン調査団の調査結果を退けた前科がたたって、その後陸軍の言うことを
鵜呑みにした報道しかできなくなった。

>・百人切りも嘘。日本刀でそんな連続して斬ることは不可能。

新聞や雑誌などで娯楽として供されたネタを頭から信じてる情弱乙。
戦意高揚のための武勇伝が多かったと見るべき。

また、日本刀自体はかなり丈夫なもので、TVのネタ番組等でも
マシンガン対日本刀などの企画において、7〜8発の銃弾を切断している。
使い方や状況次第では10人やそこらを斬り殺すことは可能な武器。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 00:15:49.63 ID:56L1QoK10
>88
>・30万人というのは原爆2つ分。
>日本軍の兵器では無理。

私も30万人説は虚構かフィクションのたぐいだと考えています。
が、以下の言い分を挙げてみておきます。


南京攻略戦に参加した日本軍の総数は、概算で10万人から12万人程度。

連隊戦史や兵士の従軍日記等から、一人あたり100発以上の小銃弾が
支給されていたことが分かっている。

一人の兵士が3人殺せば、30万人だって達成できる。
物理的に不可能、という発言は日本軍のもつ戦闘能力を不当に貶めており
愛国心のある人間の発言としては不適当。
92<:2011/03/05(土) 01:22:27.33 ID:nA+abuL30
>>71
アホか・・・(笑

  F:http://megalodon.jp/2011-0103-0405-38/www.katsakuri.sakura.ne.jp/src/up49130.jpg
   【九.】右命令に基き兵器は第一第四中隊に命じ整理集積せしめ監視兵を附す
    午後三時三十分各中隊長を集め捕虜の処分に附意見の交換をなしたる結果、各中隊(第一第三
    第四中隊)に等分に分配し監禁室より五十名宛連れ出し、第一中隊は露営地南方谷地第三中隊
    は露営地西南方凹地第四中隊は露営地東南谷地附近に於て刺殺せしむることとせり
    ・・・・・(※内容省略)・・・・・
    ↑      ↑      ↑
  『・・・・ 各中隊(第一第三第四中隊)に等分に分配し 【 監禁室より五十名宛連れ出し 】 ・・・・』

●監禁室から連れ出した人数は 【 五十名 】 としか書かれてないのに何で "3倍" されてしまうの?・・・(笑
93名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:23:30.55 ID:K0GSMB3n0
>>89
つうか虐殺があったら人が寄ってくるわけ無いだろ
増えたと言うこと自体、住民が日本軍を無害認定した証拠なんだよ
94名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:34:38.17 ID:Icm2m8DP0
この戦闘詳報 未だに、本物だと認められていませんから
家永教科書裁判において、資料価値がないとの判断が下されています。


   ↓



第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報
95名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:39:04.98 ID:K0GSMB3n0
仮に命令が事実だとしたら、当時は捕虜の殺害は命令がないと出来ないことになる
そして命令は一つだけ・・・つまり第一大隊以外に捕虜殺害はなかったことになります

南京大虐殺(笑)の規模がしょぼしょぼになるけど、反日くん達はそれで良いのかな?
96名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:40:16.45 ID:56L1QoK10
>94
>家永教科書裁判において、資料価値がないとの判断が下されています。

んじゃ、そのソースをどうぞ。
97<:2011/03/05(土) 01:41:46.14 ID:nA+abuL30
>>71
書き方が悪かったが、その該当文では 【 50名なのか150名なのか判然としない 】 と言う事だから・・・(笑

  ※【 宛 】 の意味
  http://www.geocities.jp/growth_dic/honbun/zoukan-3038.html
  《意味》
  あて。あてる。あてはめる。名ざし。また割り当て。
  ずつ。割り当て。「三つ宛」

後、そこにある第四中隊に関しては有力な証言者がいるよ♪・・・(・∀・)

  第114師団 歩兵第127旅団 歩兵66連隊 第1大隊 第4中隊 第1小隊長代理 小宅伊三郎曹長証言
  http://kknanking.web.infoseek.co.jp/butaibetu/114D.html#5
  阿羅健一『兵士たちの「南京事件」 城塁』 連載第19回(『丸』1990年7月号)P212-213
  「十二月十二日、第四中隊の戦力は半減していたが、第一線で戦っていた第三中隊の右側に進むように命令を
  受けて、私は第一小隊、第三小隊、指揮班の計六、七十人を指揮して第三大隊の掩護に向かった。ですから、当
  時の 【【【 第四中隊は私が指揮していた 】】】 ことになります。
  もちろん第一線の戦場ですから、我々の中隊長がどこにいるのか、他の小隊がどこにいるのか分かりませんでし
  た。戦闘詳報について言えば、第四中隊の戦闘詳報は私が書いていました。もちろん捕虜処刑などありませんか
  ら、そんなことは書いていません。

  ※戦闘詳報を所有していた藤沢藤一郎氏(第三中隊所属)も知らないと証言してるからね♪・・・(・∀・)

ところで、その戦闘詳報の内容が "真実である" と証言してる人っているの?♪・・・(・∀・)
98名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:47:37.51 ID:Icm2m8DP0
>>90
>それをもって「南京事件」そのものを虚構だとするのは無理。
どういう定義をさして南京事件とするかによるが、
安全区に日本軍は無差別砲撃等の攻撃を仕掛けていない以上
南京城内における数千人以上の虐殺は否定されている(笠原氏)。
日本軍が国際法に従って南京を合法的に攻略している以上
「南京事件」そのものは虚構といえ、単なる南京攻略戦たる意味するものでしかない。

>・当時の朝日新聞は日本軍によって治安が戻った南京の様子を記事に書いている。
>当時の新聞に軍の意向にそぐわない記事を載せることは出来なかった。
南京に治安がもどったことは、新聞だけでなく、他の文書からでも充分に立証でいる。
例えば、安全区委員会の文書。

>また、日本刀自体はかなり丈夫なもので、TVのネタ番組等でも
えっと、刀より鉄砲の方が有効な攻撃手段とされている時代で
刀を一本一本精巧に作って、各兵士にまで配るという、トンデモ軍隊では日本軍はありませんw
当時、軍人が帯刀していたものは、飾刀程度のもので、そのような日本刀で人を何人も殺せることはできませんww
99<:2011/03/05(土) 01:48:05.19 ID:nA+abuL30
>>91
可能正論は妄想と変わらんよ・・・(´・ω・`)
その "30万人殺害可能" が現存している資料とどれだけ整合性が取れてるの?・・・(´・ω・`)
100名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:51:07.32 ID:56L1QoK10
>97
その引用文の末尾にはこんな事も書いてあるけど?

「あの前後、渋谷さんや平沢さんがどうしていたかはっきりしませんが、ともに第一大隊本部いたのではないかと思います。また、捕虜がいたことについては一刈大隊長も知っています。問題は捕虜についてですから、連隊長以下でできることではありません。
 しかし実際どうだったのか、捕虜を捕らえて第四中隊を指揮していた私すら知らないので、相当混乱していたと思います。誰がどうしたのか私には全く分かりません。
 第一大隊戦闘詳報に書いてあるのでしたら、形の上では一刈大隊長ということになるのでしょうか」
 このように答えた。

この人は「自分は捕虜殺害はしていない」とは語っているけど、混乱した現場で何が行われたのか
正確なところを把握していないようですが?
101名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:54:49.54 ID:Icm2m8DP0
>>96
第三次家永裁判 地裁判決ね

児玉証言も載せて置く
http://www22.atwiki.jp/nankin_2ch/pages/18.html
102名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:55:22.14 ID:56L1QoK10
>95
非論理的です。

命令があった→捕虜の殺害があった。
命令が一つだけ→捕虜の殺害はこの一件だけ。

上記の推論は、
命令が無かった→捕虜の殺害がなかった。
という条件の検証が行われてないので、考慮に値しません。

支那通軍人として有名な佐々木到一の37年12月13日の日記より。

 午後二時頃概して掃蕩を終わつて背後を安全にし、部隊を纒めつつ前進和平門に至る。
 その後捕虜続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば兵ならずとも「皆やつてしまへ」と云ひ度くなる。
103<:2011/03/05(土) 01:55:30.80 ID:nA+abuL30
>>100
うん。こう書いてるね・・・(´・ω・`)
『誰がどうしたのか私には全く分かりません。』
第四中隊を指揮していた人が捕虜殺害にはついては『全く判らない』と証言してるね・・・(´・ω・`)

後、もう一度尋ねるけど、戦闘詳報記載が "真実である" と証言してる人はいるの?・・・(´・ω・`) 
104名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:56:01.49 ID:K0GSMB3n0
>>100
要するに、そんな命令を誰も把握していないって事ね、単なる妄想じゃん
105名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:57:57.37 ID:K0GSMB3n0
>>102
命令無しで捕虜殺して良いとしたら何で命令が存在しているのかな?
君の論理は矛盾しているよ
106名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:12:10.13 ID:56L1QoK10
>101
リンクされたサイトを参照しましたが、昭和62年の段階では切れ切れな断片としてしか
この戦闘詳報が裁判資料として提出されておらず、それがために「資料的価値に乏しい」と
されてしまったようですね。

私が引用したのはその翌年に皆行社から刊行された『南京戦史』および『南京戦史資料集』に
収録された、旧陸軍軍人らからの聞き取りや資料収集のもとに作成された書物からのものです。

ですので、この証言の信憑性に関しては旧陸軍軍人の親睦団体である「皆行社」の該当書籍
編集担当にお聞きになってみるのがよろしいのではないでしょうか。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:15:45.43 ID:56L1QoK10
>102
>命令無しで捕虜殺して良いとしたら何で命令が存在しているのかな?

命令無しでの捕虜の殺害→血気にはやった兵士の暴走
命令有りでの捕虜の殺害→軍の方針のもとでの兵士への命令

単純なことで、これくらいのことが分からないんですか?
108<:2011/03/05(土) 02:15:58.10 ID:nA+abuL30
>>71
あとさぁ、ド素人ならもっと勉強してから書いてくれよ・・・(´・ω・`)

  >>行われた犯罪の種類としては、ハーグ陸戦条約違反の捕虜の殺害。
    ↑      ↑      ↑
  ■具体的にハーグ陸戦条約の何に違反してるの?・・・(´・ω・`)
109名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:16:27.45 ID:Icm2m8DP0
>>106
皆行社から刊行された『南京戦史』および『南京戦史資料集』

というのは、方針として、信憑性の低い資料も集めて編纂しているから、
皆行社から刊行された『南京戦史』および『南京戦史資料集』にのっているから資料価値が高いというものではないよ。
110<:2011/03/05(土) 02:17:29.73 ID:nA+abuL30
>>107
スルーしてるみたいだが、戦闘詳報記載が "真実である" と証言してる人はいるの?・・・(´・ω・`)
111名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:20:55.23 ID:Icm2m8DP0
>>107
>命令無しでの捕虜の殺害→血気にはやった兵士の暴走
個別投降は認められていないよ
よって捕虜殺害という事実は存在しない。
個別投降即捕虜資格という学説があるなら提示してください。

中国軍の指揮官が降伏したという事実はありませんから その点についてのソースも提示してください。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:28:46.75 ID:56L1QoK10
>110
戦闘詳報が真実であると証言している人がいるかどうかは私には分かりません。
ただ、皆行社が刊行した書物にそれを資料として載せているということは、
相応の裏付けを持った資料なのだろうと推測しています。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:29:36.27 ID:K0GSMB3n0
>>107
命令無視の分ならたかが知れているでしょうね
合計南京大虐殺は100人くらいで良いのかな?
114<:2011/03/05(土) 02:31:12.12 ID:nA+abuL30
>>112
現時点において戦闘詳報を "真実である" と証言してる人はいないよ・・・(´・ω・`)
そんな事も知らなかったの?・・・(´・ω・`)
115名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:31:37.97 ID:Icm2m8DP0
>>112
相応の裏づけを持った資料とは 裁判では認定されていないみたいですが? >第三次教科書裁判
116名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:34:50.37 ID:56L1QoK10
>108

第一章 交戦者の資格
第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
部下の責任を負う指揮官が存在すること
遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること
遠方から識別可能な物を身につけることは敵に発見されやすくなるため、現在では各国とも低視認性の徽章が用いられているが「遠方から識別可能」の定義は明確ではなく違法とはされていない。
公然と兵器を携帯していること
戦争法規を遵守していること
第2条:未だ占領されていない地方の民間人が、敵軍の接近に伴い第一条を充たす(軍隊等を)編成する猶予なく応戦するために公然と兵器を携帯し、戦争法規を遵守している場合は交戦者の資格を有する。
第3条:交戦当事者は、戦闘員、非戦闘員をもって(部隊を)編成を編成することが認められ、敵に捕らえられた場合、双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける権利を持つ。

第二章 俘虜
第4条:俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。俘虜は人道をもって取り扱うべし。兵器、馬匹、軍用書類を除き俘虜の所有するものを没収してはならない。
第5条:俘虜は都市、城塞、陣営その他の場所に留置され、一定の地域外に出ざる義務を負う。しかし、やむを得ない保安手段としてその幽閉する事が許される。

捕虜は人道を持って取り扱うべし。
裁判無しでの捕虜の殺害がこの条項に違反することは明らか。
117<:2011/03/05(土) 02:36:52.36 ID:nA+abuL30
>>116
陸戦法規に書かれているのは 【 俘虜 】 であって、"捕虜" ではないよ・・・(´・ω・`)
118名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:37:46.13 ID:Icm2m8DP0
>>116
だから 個別投降すれば 須らく即 捕虜資格が与えられるという学説 の提示をお願いします。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:38:25.22 ID:56L1QoK10
>111
>>命令無しでの捕虜の殺害→血気にはやった兵士の暴走
>個別投降は認められていないよ
>よって捕虜殺害という事実は存在しない。

>116で引用したハーグ条約のどこを見ても、個別投降が認められない、というのは
書いていないのですが?

いかなる論拠で主張なさっているのか、お教え願いたい。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:38:38.82 ID:K0GSMB3n0
>>116
同時期の米軍は民間人毎纏めて殺していたんだぜ、分けるだけ十分人道的な措置だろ
南京でやったことは十分当時のレベルを満たしていたと考えざるを得ないね
121名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:45:05.28 ID:Icm2m8DP0
>>119
個別投降は認められないというのは誤りでしたね訂正します

個人投降は拒絶しても問題はなく、捕虜として扱うかどうかは相手方次第ということになります。

個人投降は全部、捕虜として扱わなければならないという根拠の提示をお願いします。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:45:06.18 ID:56L1QoK10
>120
いつの時期の米軍が、どこの国に対して行った事例?

戦略爆撃で敵国への攻撃を行ったのは、日本軍の重慶爆撃の方が先だぞ。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:46:58.74 ID:Icm2m8DP0
>>122
WW2 フィリピン マニラ
沖縄戦
124名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:47:58.44 ID:K0GSMB3n0
>>122
サイパンでも沖縄でもノルマンディーでもフィリピン酷い物だったね
で、順番が何の免罪符になるんだ?奴らが民間人毎殺したことには変わりないだろ
125名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:49:21.06 ID:Icm2m8DP0
>>122
ちなみに 無差別爆撃を最初におこなったのは、中国の上海爆撃である。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:53:10.00 ID:K0GSMB3n0
そういやベトナムとかも酷い物だったね、日本を断罪してだいぶたった後なのに虐殺を繰り返している
対戦から20年も経っているだけに余計に断罪されるべきだわ
127名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:53:14.19 ID:56L1QoK10
>121
投降してきた兵士を戦闘中に殺害してしまうのは、
事例としてはやむを得ない場面も多々あると思います。

実際、ほんのついさっきまで殺し合いしていた相手が
「助けてくれ〜」って言って命乞いをしてきても、
信用する気にはなれないのは兵士の立場からしてみれば当然のこと。

しかし、一度は相手の言葉を信用して投降を受け入れ、その武装を解除し自由を拘束して
捕虜として取り扱った後で殺害を行ったとしたら、それは条約違反の捕虜の殺害となります。

私が>70-71で取り上げた事例は、この部分に該当すると考えられるため例証として
挙げた次第です。

この戦闘詳報には疑問符を付ける人もいるようですが、私は「明確な虚偽記載であり、
後世の捏造だった」という証明がなされない限りは、相応の信用が出来ると考えています。

そういう不確かな文書を、南京事件での不法殺害を否定したいはずの皆行社が戦史の
資料として採用するとは思いにくいからです。
128<:2011/03/05(土) 02:54:44.30 ID:nA+abuL30
>>127
なんかスルーされるな・・・(笑
陸戦法規に書かれているのは 【 俘虜 】 であって、"捕虜" ではないよ。わかった?・・・(´・ω・`)
129名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:55:37.48 ID:K0GSMB3n0
>>127
たかが兵隊殺したくらいのことを、民間人虐殺しまくった連中が非難しているんだぜ
「お前等ギャグでも言っているのか?」と問い詰めたくなるわw
130名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 02:58:13.41 ID:Icm2m8DP0
>>127
>そういう不確かな文書を、南京事件での不法殺害を否定したいはずの皆行社が戦史の
>資料として採用するとは思いにくいからです。

明確な事実誤認ですね。 国会議員が南京事件について報告していますが、

南京小問題委員会の総括 23p
http://www.toidatoru.com/pdf/nankin.pdf

《『偕行南京戦史』とは何か》
南京戦史は一九八〇年代の朝日新聞などの「南京大虐殺」大キャンペーンに対して、
南京攻略戦に従軍した将兵が中心になって編集したと一般的に認知されているが、
その実体は違う。
その編集委員の中に戦場を知らない者が入っていた。
その実態は『ゼンボウ』平成三年九月号で同編集委員、鵜飼敏定氏が
「南京事件を旧陸軍の罪業の一つと位置づけて旧軍の罪業を暴き、
虐殺の数字を検証して日本軍は南京で何万あるいは何千人を虐殺した
かを明らかにする事と南京戦史を書く目的とする委員と戦史を書く
事によって戦争の本質と戦場の実相を明らかにして南京事件とは何か
を問おうとする委員とに分かれたため、総括者が両者の極端を捨てて、
ほど良いところをとる所謂折中方針によって編集を指導した。参戦し
た委員と戦争を知らない委員との史観は相反した。」と述べている。
このような、戦後のイデオロギーが混入した状況で編集された『偕
行南京戦史』は、正式な戦史でない事が明らかで、参考資料の一つ
以上のものではない。

と結論づけています。 戦闘詳報が信頼できる資料という根拠は一切ありません。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:03:27.54 ID:56L1QoK10
>130
「南京小問題委員会」とやらを信用するに足る存在だとする根拠はどこにあるの?
132名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:07:26.15 ID:Icm2m8DP0
>>127
>私は「明確な虚偽記載であり、後世の捏造だった」という証明がなされない限りは、相応の信用が出来ると考えています。

ものすごい暴論ですね。 
信頼に足るべき根拠があってはじめて資料としての価値があるのだとおもいますが?違いますかね?

第三次家永教科書裁判判決において、第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報は
信頼に足るべき資料ではないと判断されています。

これをひっくり返す反証は現在までなされていません。 

まあ、根拠がなくても信じたいというのは、学問とは呼べず「宗教」ですね
あなたの論は、
UFOは明確な虚構であり、捏造でだったと証明される限り存在すると考えている類のレベルですよw
133<:2011/03/05(土) 03:07:50.48 ID:nA+abuL30
>>131
答えたくないのだったらそう言ってくれん?・・・(笑
陸戦法規に書かれているのは 【 俘虜 】 であって、"捕虜" ではないよ・・・(´・ω・`)
だから "捕虜" を殺害しても陸戦法規違反とは言えんよ・・・(´・ω・`)
134名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:08:42.59 ID:Icm2m8DP0
>>131
あれあれ? 捏造だと証明されないかぎり信じるんじゃないの?
135名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:12:15.90 ID:56L1QoK10
>132
>第三次家永教科書裁判判決において、第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報は
>信頼に足るべき資料ではないと判断されています。

『南京戦史資料集』の刊行は、家永裁判でこの部分が注目を集めた後のこと。
その上でこの資料が収録されたのだから、「信用するに足る根拠」を
皆行社が持っていたことが想像できる。

それが何であるのかは明らかにはされていないけれども、少なくとも私は旧陸軍軍人たちの
集団である皆行社の判断の方を信用するね。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:14:27.54 ID:K0GSMB3n0
>>135
で、肝心の根拠は何だ?説明できないなら諦めろよ
137名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:16:34.36 ID:Icm2m8DP0
>>135

『偕行南京戦史』の編集方針として、国会議員か調査した結果の結論として以下に示されているので、
偕行南京戦史に載っているからといって、資料価値が高いというわけではないよ。
第三次家永教科書裁判判決の評価も覆るわけではないし、
あなたの主張していることは、終止、主観的で論理性が感じられないね

南京小問題委員会の総括 23p
http://www.toidatoru.com/pdf/nankin.pdf

《『偕行南京戦史』とは何か》
南京戦史は一九八〇年代の朝日新聞などの「南京大虐殺」大キャンペーンに対して、
南京攻略戦に従軍した将兵が中心になって編集したと一般的に認知されているが、
その実体は違う。
その編集委員の中に戦場を知らない者が入っていた。
その実態は『ゼンボウ』平成三年九月号で同編集委員、鵜飼敏定氏が
「南京事件を旧陸軍の罪業の一つと位置づけて旧軍の罪業を暴き、
虐殺の数字を検証して日本軍は南京で何万あるいは何千人を虐殺した
かを明らかにする事と南京戦史を書く目的とする委員と戦史を書く
事によって戦争の本質と戦場の実相を明らかにして南京事件とは何か
を問おうとする委員とに分かれたため、総括者が両者の極端を捨てて、
ほど良いところをとる所謂折中方針によって編集を指導した。参戦し
た委員と戦争を知らない委員との史観は相反した。」と述べている。
このような、戦後のイデオロギーが混入した状況で編集された『偕
行南京戦史』は、正式な戦史でない事が明らかで、参考資料の一つ
以上のものではない。

と結論づけています。 
138名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:18:02.29 ID:56L1QoK10
>133
何をおっしゃりたいのかよく分かりませんが、「俘虜」と「捕虜」は
基本的に同じ概念です。

訳した際の日本語の訳語が違うだけで、原文でこの二つを使い分けている
ということはありません。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:21:20.28 ID:56L1QoK10
>137
>南京小問題委員会

だから、この小委員会とやらの主張を信用できるだけの根拠は?

国会議員が調査した結果だから信用するってんなら、
共産党が南京事件についてなにがしかの調査した場合の結果も信用するのか?
140<:2011/03/05(土) 03:22:38.99 ID:nA+abuL30
>>138
違うよ。何を根拠に言ってんの?・・・(´・ω・`)

  |舊俘虜取扱規則
  |http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/furyoki01.htm
  |第一条:本規則に於て俘虜と称するは 【 帝国の権内に入りたる 】 敵国交戦者及条約又は慣例
  |      に依り俘虜の取扱を受くべき者を謂う

  ■【 俘虜 】 と称するものは 【 帝国の権内に入りたる者 】 だよ・・・(´・ω・`)

  ■対して "捕虜" とは単に捕まったヤツの事だよ。だから "便衣兵" ですら "捕虜" だよ・・・(´・ω・`)
141名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:25:00.07 ID:Icm2m8DP0
>>139
根拠は提示してあるじゃないかw

『ゼンボウ』平成三年九月号で同編集委員、鵜飼敏定氏が証言してるんだってさw


142名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:25:22.28 ID:56L1QoK10
>140
あなたが言っているのは大日本帝国の国内での使い分け。
私が言っているのは国際法であるハーグ陸戦条約上の話。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:26:02.66 ID:56L1QoK10
>141
だから、その人の発言が信用できる根拠は?
144<:2011/03/05(土) 03:27:17.41 ID:nA+abuL30
>>142
ハーグ陸戦法規を批准した国は、陸戦法規に適合した法令・訓令を国内法により規定するんだよ・・・(笑
つまり、当時の日本の国内法はハーグ陸戦規約に適合した法令なのよ・・・(笑
こんな事も知らなかったの?・・・(´・ω・`)
145名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:29:16.74 ID:56L1QoK10
>144
で、その「日本国内の法律」は、どうして中国国内で中国人に対して適用できるの?

普通は国際法の方が優先されるだろ。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:29:30.09 ID:K0GSMB3n0
>>143
>私は「明確な虚偽記載であり、後世の捏造だった」という証明がなされない限りは、相応の信用が出来ると考えています。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:29:43.00 ID:Icm2m8DP0
>>143
編集委員だったからじゃないですかw

148名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:30:54.23 ID:K0GSMB3n0
>>145
国際法は法規ではありません、単なる国通しの約束事ですね
149名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:31:18.53 ID:Icm2m8DP0
>>143
二十年近く前の証言ですが、他の編集者が異議をいったりしているのですか?
150<:2011/03/05(土) 03:39:05.02 ID:nA+abuL30
>>145
だから、条約締結国は国際法を満たす国内法を整備する事で条約に従うんだって・・・(笑
こんな事も知らなかったの?・・・(´・ω・`)

第一條 締約國ハ其ノ陸軍軍隊ニ對シ本條約ニ附屬スル陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則ニ適合スル訓令ヲ發スヘシ
151名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:41:27.82 ID:56L1QoK10
>148
国同士の約束事の方が、片一方の国の国内法よりも優先されるでしょ。
二国間の紛争なんだから。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:43:42.53 ID:56L1QoK10
>150
国内法を整備するのはもちろんそれでいいんだけど、よその国に乗り込んでいって、
自国の国内法でよその国の人間をどうこうするなんてことが許されるわけないだろ。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:43:59.94 ID:Icm2m8DP0
>>145
横レスだが、軍律によって、裁くことができます。
軍律によって裁くことができる国際法の根拠条文は、ハーグ43条であるといわれています。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:45:27.11 ID:K0GSMB3n0
>>151
二国間通しの紛争というなら、さっぱり守らない中国側にそれを責める資格は全くありませんね
それに罰則が無い国際法をどうやって運用するんだ?君は基本的な知識が欠如しているよ
155名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:47:33.75 ID:Icm2m8DP0
>>152 >>153

何も知らないんですねw
156<:2011/03/05(土) 03:48:26.98 ID:nA+abuL30
>>152
自国の国内法でよその国をどうのこうのとかどこに書いてるの?・・・(´・ω・`)

【 俘虜 】 をどう定義するかは 【 日本の国内法で判断する 】 と書いてるつもりなんだが?・・・(´・ω・`) 
157名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:51:15.25 ID:Icm2m8DP0
わたしは>>72からきましたけどw

 >>73で馬鹿にしていたみたいですが
 学問板にふさわしくないのは あなたのほうじゃないんですか?

 ↓ ID:56L1QoK10 あなたの発言ですが、すばらしい名言ですね。

>>127
>>私は「明確な虚偽記載であり、後世の捏造だった」という証明がなされない限りは、相応の信用が出来ると考えています。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:56:06.83 ID:56L1QoK10
>154
>さっぱり守らない中国側にそれを責める資格は全くありませんね

国際法違反に関しては中国側も破っているし、その意味では彼らも同罪だ。

南京事件において日本が諸外国から非難されたのは、その違反行為の規模の大きさと
悪質さの度合いが桁違いに大きいと認識されたから。

その意味では、日本軍の精強さと中国軍の脆弱さのせいで、第三者の目から見たときに
日本軍の方が悪役に見えてしまったということはあるかもしれない。


>罰則が無い国際法をどうやって運用するんだ

日露戦争の時にはそれをキチンと運用して戦争を行ったからこそ日本軍は賞賛されたんだけど。
かつての日本軍に出来て、なぜこのときの日本軍には出来なかったのかを考えてみた方が良いんじゃないの?
159名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 03:57:39.59 ID:K0GSMB3n0
>>158
民間人毎ぶっ殺したアメリカや、逃げるために黄河決壊させた国民党の方が余程悪質だけど
反日くんには理解できないんですねw
160名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:01:00.40 ID:K0GSMB3n0
>>158
あと日露戦争で日本が罰則の無い国際法を運用したとは初耳ですね
何かソースでもあるんですか?

てか、国際法で罰するのは技術的に不可能なんだよ。罪刑法定主義を調べてみると判ると思うが
161名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:01:21.07 ID:Icm2m8DP0
>>158
そもそも 便衣兵が大規模な違反行為ですがw

南京は、防守都市なので民間人が殺されてもその責任のすべては中国側の責任ですよw

日本軍による大規模な国際法違反とやらの根拠の提示をお願いしますねw
162<:2011/03/05(土) 04:01:49.02 ID:nA+abuL30
>>158
【 軍事的必要 】 があったからなんだが?・・・(´・ω・`)
ホント、何も知らないんだな・・・(´・ω・`)
もっと勉強しなよ・・・(´・ω・`)
163名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:05:16.62 ID:56L1QoK10
>159
黄河決壊に関しては弁護の余地はないよね。
あれは国民党による自国民に対する犯罪と言って良い事例だ。

南京事件とは分けて考えて、その後の中共による大躍進政策や文化大革命とともに
自国民虐殺事例としてきちんと検証されるべきものだと思う。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:06:30.44 ID:Icm2m8DP0
>>162
南京戦においてもきちんと運用してやってたんですがw 
165名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:08:40.65 ID:56L1QoK10
>161
>あと日露戦争で日本が罰則の無い国際法を運用したとは初耳ですね
>何かソースでもあるんですか?

失礼、「運用」というより「遵守」という言葉の方が適切だった。

具体的には「捕虜の適正な取り扱い」を行って国際的な賞賛を得たことなど。
「日露戦争 松山」でググると色々出てくる。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:11:15.73 ID:Icm2m8DP0
>>163
南京事件についても、中国側の責任について、検討すべきだよね

第二次上海事変を引き起こした責任
上海から南京間における略奪行為(←日本軍のせいにされているが中国側の数倍の退却兵の兵站の破綻は明らか)
南京周辺の焦土作戦
果たして、南京防衛戦をする必要があったのか?
途中で逃げてしまった、司令官 唐生智責任
便衣兵の存在

安全区委員会の安全区のずさんな管理に対する責任

挙げたらきりがないね
167名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:12:38.56 ID:K0GSMB3n0
>>163
どう見ても連合軍の方が南京より桁違いに悪質なことやっているよね
その彼らが戦争終わってから初めて南京を問題にしたんだよ

つまり彼らの罪を隠すために、割とどうでも良い南京を大事件にでっち上げただけだ

>>165
だから国際法は対応する国内法にて運用されるんだよ。その国内法では捕虜と俘虜を区別しているって話だ
俘虜と捕虜を区別するのは国際法に反している訳じゃないのは理解できるかな?
168名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:15:37.41 ID:716S/xESO
セブンイレブンの店員さんは何か見たの?
169名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:16:42.89 ID:Icm2m8DP0
>>165
ロシアは文明国家であったのに対し、中国は非文明国家だったから仕方ない面があるね
>>166にも書いてあるとおり、国際法遵守をしていなかったのは中国側であるのは明白。

出自は、いまとなってはわからないが、南京事件を調べているときに

南京城門には、虐殺された日本兵捕虜がつるされていたらしいし

中世の時代の戦いであったことは想像に難くない
170名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:19:51.62 ID:Icm2m8DP0
>>165

まあ 変な色眼鏡がはずれて、冷静に判断できるようになったら

日本軍は国際法に則ってきちんとやっていたことが見えてくるよ
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/img062.gif
171名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:24:11.90 ID:56L1QoK10
>167
>どう見ても連合軍の方が南京より桁違いに悪質なことやっているよね

その点については否定しない。

が、それも日本軍が果敢に戦って玉砕戦法をとり続けたあげくに
本土決戦・一億玉砕を呼号して戦闘行動を一向に取りやめなかったという
事実と対になっていることも忘れるべきじゃない。

日本がもっと早い段階で講和を申し出ていれば、太平洋戦争末期の
あの悲惨な状況は回避できた可能性があることも考慮しておきたい。

広島と長崎に原爆を落とし、日本中の都市に爆弾の雨を降らせて女性や子供を
含めて皆殺しにしようとした米国の行動は非難されるべきだけど、
同時にそうした惨状に国民を追いやった大本営の高級幕僚達の無能ぶりもまた
非難されなければならない。


>その彼らが戦争終わってから初めて南京を問題にしたんだよ

自分たちの非を隠すための隠れ蓑だったというのは否定しないが、
戦争が終わってから初めて取り上げたというのは誤りだ。

南京戦直後からこの事件の情報自体は世界に発信されている。
ナチスドイツの欧州各国への侵攻やユダヤ人虐殺の方が欧米では注目を集めたので、
それほど話題に上らなかっただけ。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:26:36.40 ID:K0GSMB3n0
>>171
>南京戦直後からこの事件の情報自体は世界に発信されている。
第三国が日本に対して厳重抗議を行った記録など有るんですか?
戦後になって突如として出てきたと言って過言ではないでしょ
173名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:29:16.34 ID:Icm2m8DP0
>>171
>が、それも日本軍が果敢に戦って玉砕戦法をとり続けたあげくに
あー これも事実誤認だね

アメリカ軍は、日本兵の捕虜は基本的のとらなかったから
インドネシア戦線の記述(有名な書物ではリンドバーグ)があるけど 酷い物だよね

捕虜をきちんと取るような立派な軍隊は、無差別爆撃や原爆はおとさないでしょw
174名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:30:07.80 ID:Icm2m8DP0
生ゴミといっしょにブルドーザーで穴に埋められたらしいw
175名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:31:44.34 ID:Icm2m8DP0
えっと、原爆投下や無差別爆撃は 国際法違反だから 参謀の無能うんぬんより

戦争のおいては、やってはいけない ものだよ
176名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:36:12.51 ID:56L1QoK10
>172
>第三国が日本に対して厳重抗議を行った記録など有るんですか?
>172
>第三国が日本に対して厳重抗議を行った記録など有るんですか?

南京城内で日本軍が民間人に対する略奪暴行、拉致、殺人を繰り返したとされる時期に南京で市民の保護に
当たっていたのは残留外国人からなる「安全区国際委員会」であり、同委員会は日本大使館に対して膨大な数の
抗議を行なっている。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:39:46.29 ID:K0GSMB3n0
>>176
つまり所謂南京大虐殺は49人の被害だったと言うことですか?
フィリピンでは10万人、広島長崎は20万人、黄河大決壊は多い説では100万人だっけ?
178名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:41:16.68 ID:K0GSMB3n0
>>176
あと、安全区委員会は政府組織じゃないから「国際的非難」と言うには程遠いな
179名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:48:03.38 ID:56L1QoK10
アメリカ兵が日本兵の捕虜を取らなかったのは、日本兵が捕虜となることを禁じられていて、
生還の見込みがなかったら自決しろ、または的に突撃して一人でも多く道連れにしろ、
という指示を出されていたから、という側面もあるよ。

東條英機が昭和16年に出させた戦陣訓の一節の「生きて虜囚の辱を受けず」という言葉に
意識を拘束されたと言っている元兵士はかなりの数で居る。

捕虜に取らずに日本兵をなぶり殺しにした場面も多々あったけど、
米軍は「日本兵は死ぬまで抵抗を続ける一方で、捕虜になった後は従順になって、
米軍が求める情報を自分から語り出すことがある」というのに気がついてから、
日系二世を通訳として活用して軍事情報や作戦の概要などを聞き出そうとした。

日本軍は兵士に対して「捕虜になるな」という教育を行うことには熱心だったけど、
「捕虜になった後は日本に不利になることを喋るな」という教育を行わなかった。

兵士は捕虜にされた後は「もう日本には戻れない、軍に戻ったら殺される」という
思いから自暴自棄になったり米軍兵に取り入ろうとするものが出たりした。

この辺、終戦後に日本国民が手のひら返して軍人を罵倒し、マッカーサー元帥を
崇拝する態度を取ったというエピソードにも通じるところがある。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 04:56:21.54 ID:K0GSMB3n0
>>179
何で民間人を丸ごと殺すような連中の言い訳信じているの?
奴らの残虐さは調べれば色々出てくるぞ

硫黄島の遺体の数の割りに頭蓋骨が全然足りないのはご存じですか?
奴らは頭だけ持ち帰って灰皿とかに加工したんだよ
181名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:09:30.93 ID:56L1QoK10
>180
米軍の残虐さを言い立てるのも良いですけど、それ以前にどうして日本軍は
そういう米軍の侵攻を前にして民間人を守ろうとか降伏をしようという
選択肢を取らなかったのか? っていう方に疑問を持ってみては如何ですか。

アッツ島もサイパンもグアムもテニアンも、日本軍は皆「降伏・投降」という
選択肢を取らずに最後まで戦い続けて玉砕していったのですけれども。

現地の軍司令官も、指示を出した東京の大本営も、ともに愚かだったとしか言い得ません。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:15:20.48 ID:Icm2m8DP0
>>181
内地の日本国民は何も知らされていないし、大本営だけの判断で戦争がやめられるわけがないだろうw

相手が承諾しないとおわらないしね
183名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:18:05.10 ID:Icm2m8DP0
大本営は 当時の頭脳のトップ達のあつまりだから

大本営ができないことは他の日本人でもできないだろうね
184名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:21:31.21 ID:56L1QoK10
>182
内地の日本国民に「日本は負けていない」という嘘の情報を流し続けて
「大本営発表」という言葉に以下のような意味が付されるようにしたのは当の大本営だよ。

”勝敗が正反対の発表すら恒常的に行ったことから、現在では「内容を全く信用できない
虚飾的な公式発表」の代名詞になっている。”

大本営が素直に戦局が日本にとってどうにもならないものになっていることを認めて、
国民に対して「講和をする必要がある」ということを堂々と宣言すれば良かったんだよ。
嘘に嘘を重ねて自縄自縛に陥ってしまったアホさ加減をまず何とかするべきだった。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:21:31.25 ID:K0GSMB3n0
>>181
サイパンでアメリカ軍がやったこと知ったら
民間人が逃げられるまで闘うのは当然だけどな
で、民間人まで最後に自決したのは奴らの残額さのせいなのは自明だぞ
奴らが人の皮を被った獣であるのは疑いようがない
186名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:23:29.26 ID:Icm2m8DP0
>>181
サイパンの日本人が天皇に忠実であったがゆえに 全員玉砕したって?

はぁ????????????????

187名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:23:34.17 ID:56L1QoK10
>185
それ、そっくりそのまま南京攻略時の中国側の言い分にも繋がるよね。
上海から南京へと攻め上る過程で日本軍が各地で行った行為を見て、
中国軍は「日本軍に投降すると殺される」と判断したから「便衣兵」という
国際法違反の行為を取らざるを得なくなった、という解釈も出来るんだし。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:25:18.20 ID:Icm2m8DP0
>>187
誰が見たんだ? 新聞もラジオもないのにw
189名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:25:18.97 ID:56L1QoK10
>186
こっちが「はぁ?」だよ。 >181のどこにんなことが書いてあるんだよ。
190名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:27:32.01 ID:K0GSMB3n0
>>187
日本軍が占領した南京には人が集まってきたんだよね
つまりあんたの言う虐殺はなかったと南京市民は認識していたんだがw
191名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:28:23.16 ID:56L1QoK10
捕まった捕虜が殺されてたり、徴発・徴用を繰り返しているって情報は
南京城内に一足早く伝わってるよ。

だからこそ多くの住人が南京を離れ、逃げるだけの資金がない貧乏人は
「安全区」の中に逃げ込んだんだ。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:29:30.35 ID:Icm2m8DP0
>>184
アホさ加減も何も、当時情報統制世界中でやってますけどw

降伏は相手方が受け入れなければ 成立しませんが?

アメリカとの直接交渉なんて できませんけど?

無条件降伏wwww  ←責任ある立場の人間が取れる行動ではありませんがwwww


193名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:31:12.88 ID:Icm2m8DP0
>>191
いやいや 南京周辺を中国軍に焼け野原にされて 逃げ場を失った人が南京安全区委員会の虚言につられて
戦場のド真ん中に避難するという愚行をおこなったとしかおもえないんだがw
194名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:36:11.56 ID:56L1QoK10
>降伏は相手方が受け入れなければ 成立しませんが?

敗色濃厚な状況で、停戦交渉の一つも試みない理由にはならないね。

>アメリカとの直接交渉なんて できませんけど?

連合国側が「ポツダム宣言」という形で直接のチャンネルが無くても
交渉を行うことが可能だというのを示しているよね。

日本も同じように、降伏の条件を提示して相手側に伝えれば良かった。


>無条件降伏

日本はその無条件降伏を受け入れて降伏したんじゃなかったっけ?

最終的にズタボロになるまでぶちのめされてから命乞いをはじめるよりも、
戦闘能力を保った状態で手打ちを行った方が遙かに有利な条件を勝ち取ることが
出来たはずなのに。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:36:15.72 ID:K0GSMB3n0
>>191
徴用って何で日本軍がやるんだ?、あんた朝鮮人の強制連行の嘘話と混同していないか?
それに日本軍の徴発はちゃんと金払って居るぞ、本当に盗んだのは国民党の連中だ
196名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 05:39:10.84 ID:Icm2m8DP0
>>194
安心しろ、おまえみたいな普通の人間でも判断できることは、当然に大本営でも検討しているからw

やれたらとっくにやってるよw 

大本営のほうが あたまいいからw お前が頭いいなら 幕僚長でもなんでもなればいいw

197名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 12:17:39.68 ID:BJEGfyMb0
>>73
極東板までわざわざ勝利宣言しにきたくせして、相変わらず学問板のくせしてまともに検証さえできないってのはどうよw
まさかと思うが学問板ってのはこの程度のレベルのヤツしかいないわけじゃないよなw
198名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 12:38:56.84 ID:3KAo4Oog0
>>106
>>127
作成に関わる立場に無い【上等兵】がなぜか所有していた大隊の戦闘詳報w
内容はw

板倉由明『本当はこうだった 南京事件』p125-129
「信頼性の低い、改ざんされたもの」
「Tが戦闘詳報に、自分の聯隊の武勇伝を創作して書き込んだものとしか思えない」

東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』p109
「第一大隊戦闘詳報執筆者の創作の可能性が高い」

>>127
南京戦史にこう書かれているのは無視ですかw

『南京戦史』 (p317)
「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」
「軍事的慣例と異なる記述」
「全文を通じてその表現は極めて異様」
199名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 12:58:35.18 ID:HAmqPaqi0
>>198
板倉は、歩47、歩13、歩150それぞれの城壁・城門に対する攻撃の進捗状況と、歩66の城壁攻撃の進捗状況が
一致しないことを理由に、歩66-T戦闘詳報の記述が間違いであると主張する。

 しかし、それぞれの部隊の攻撃の実態を検討すると、南門城壁といっても、それぞれの確保・占領した場所で
それぞれに攻防戦が繰り広げられ、その部分々々において城壁の破壊、突破口の開設、日章旗の立てる、万歳三唱
という行為が行われていたのである。つまり、攻撃している場所が違うので、攻撃の進み具合も異なるわけである。

 板倉は、歩66と他の部隊との攻撃の進捗状況が一致しないことをもって、歩66-T戦闘詳報「五」「六」の記述を
「武勇伝の創作」だと推測したが、すでに検討したとおり、この推測の根拠が間違であった。板倉の主張の誤りは
明らかだと思われる。
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/aandv/66i_c.htm

戦闘が終了し「戦闘の一瞬一瞬に瞬間的な判断を迫られ」ているような状況ではなかったのだから、仮に大根田少尉が
戦闘詳報作成に関して暗かったとしても、渋谷大尉に戦闘詳報作成のアドバイスを受ける余裕は十分とはいえなくとも、
余裕があったと考えるのが妥当であろう。

これは、「第一大隊の戦闘詳報は素人の作文に近かったのである」という結論を出したかったが為の
ミスリードであったと言わざるを得ないと思う。『「南京虐殺」の徹底検証』という本における
典型的な論法といえるだろう。
http://wiki.livedoor.jp/kknanking/d/%C2%E866%CF%A2%C2%E2%CC%E4%C2%EA%A1%A1%C5%EC%C3%E6%CC%EE%C0%E203
200名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 12:59:53.39 ID:3KAo4Oog0
しかし今更「第一大隊戦闘詳報」なんかを持ち出す馬鹿がいるとはw
戦闘詳報で捕虜殺害を実行したとされている「第4中隊」の小宅伊三郎曹長は殺害を否定しているw
つ>97w

「戦闘詳報の作成に関わりのない上等兵が所有」
「実行したとされる第4中隊の指揮官が否定」
「内容が矛盾」
「裁判で証拠採用されず」
「発令された記録が存在しない」
etc…

学問版なら学問板らしくまともに検証してみろw
201名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 13:06:20.57 ID:3KAo4Oog0
>>199
そのサイトの内容が正しいとすると戦闘詳報に記載された「連隊命令の要旨」が発令された時刻が否定されるんだがw
つまり戦闘詳報に書かれた時刻の信頼性が否定されますw
202名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 15:01:08.73 ID:buIPG6VoO
というか確か日本は米国と裏で講和交渉やってたはずだが
いわゆる「ダレス工作」というのを
失敗したけどね
203名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 16:38:43.76 ID:GmK7Rhzn0
お前ら、まず吉村昭の『蚤と爆弾』に対して反論してみろよ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054698490
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/war/1298449759/


























204名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 17:54:35.90 ID:pXLl/L1L0
>>203
『小説』



以上w
205名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 22:10:58.03 ID:C/2XSKdZ0
>>199
そのHPの内容を確認して書き込んだんだなw
学問板の肯定派が日本語を理解できないという事がよくわかったw

ttp://wiki.livedoor.jp/kknanking/d/%c2%e866%cf%a2%c2%e2%a1%a1%c8%c4%c1%d2%cd%b3%cc%c0%c0%e201
第66連隊 板倉由明説01
そうなると、歩66-T戦闘詳報に書かれた「(13日)午後零時」という受領時間は不正確なものであると言えるだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上述の「聯隊命令の要旨」と「歩六六作命第八七号」の関係性や、「歩六六作命第八七号」が13日23:00という日付の
変わる時間に近くに発令されたものであることを考慮するならば、
「聯隊命令の要旨」が発令されたのは、戦闘詳報に記された「(13日)午後零時」ではなく、「一一四師作命第六三号」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
が発令された20:00から、「歩六六作命第八七号」の発令された23:00の間と推測することが出来る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

学問板の肯定派自身の手によって戦闘詳報の内容が否定されましたw
206名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 22:29:56.65 ID:C/2XSKdZ0
>>127
まともな検証も出来ないバカは戦闘詳報にこう書いてあるのをどう説明するんだw

ttp://kknanking.web.infoseek.co.jp/butaibetu/114D_2.html
12/13 12:00 歩兵第66連隊
聯隊命令の要旨(T受領)
師団は南京城内の敵を掃蕩したる後明十四日城内東南部及其附近に宿営す
旅団は明十四日本日掃蕩せる区域内にて北方法院南側を東西に通する頼楼外以北の地区に宿営す
聯隊は希望街(二万五千分の一)市政府北側を東西に通する道路の以北の地に宿営せんとす
歩兵第百弐聯隊は市街以南地区に宿営す(旅司、旅団予備隊は同地に宿営す)聯隊砲及歩兵砲中隊は明十四日午前現宿営地を進発城内に至り別に宿営する地域に移宿す
聯隊長注意事項
イ、聯隊戦死者の聯隊諸兵慰霊祭を行はんとせしも情況之を許ささるに附諸兵に伝達し置く事
戦没者を出したる各中銃砲隊は午後七時建制の順序に聯隊長礼拝の時巡回するに附各中銃砲隊は一室に遺骨を奉安し準備しあること
礼拝者は聯隊長大隊長中隊長小隊長以下の代表者を可とせん但聯隊内に姻戚者あるときは其の隊より連絡し礼拝すること各中銃砲隊南京攻撃中畏くも侍従武官を御差遣あらせられ諸兵労苦の情態をみそなわせられたり
其の際下賜せられたる聖旨令旨の伝達式を本日中に行ひ其際上司の訓示祝詞を徹底せしむべし
尚【【【昨十三日午前十一時三十五分】】】南門楼上に於て軍旗を捧持し聯隊将兵を代表し軍旗中隊と共に
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
遥かに皇居に対し聖旨に答へ奉る此件も諸兵に徹底せしむへし



12/13 12:00に受領した命令に【【【昨十三日午前十一時三十五分】】】と記録されているw

わずか25分前の出来事に対して【【【昨十三日】】】www
さて、学問板らしく【検証】してみろ(嘲笑)
207名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:11:34.34 ID:56L1QoK10
>200
>戦闘詳報で捕虜殺害を実行したとされている「第4中隊」の小宅伊三郎曹長は殺害を否定しているw

へぇ。
兵士の証言を「信用が出来るもの」として扱って良いのか。

この話の起こりは「虐殺があったか無かったか」の例証の提示なので、
兵士の証言を採用出来るのなら話はもっと簡単だ。
兵士が記録した虐殺の証言はいくらでもあるぞ。

井上又一日記
 歩兵第七連隊第二中隊・上等兵
壱拾弐月弐拾弐日
(前略)
夕闇迫る午後五時大体本部に集合して敗残兵を殺しに行くのだと。
見れば本部の庭に百六十一名の支邦人が神明に控えている。
後に死が近づくのも知らず我々の行動を眺めていた。
百十六余名を連れて南京外人街を叱りつつ、古林寺付近の要地帯に掩蓋銃座が至る所に見る。
日はすでに西山に没してすでに人の変動が分かるのみである。
家屋も点々とあるのみ、池のふちにつれ来、一軒家にぶちこめた。
家屋から五人連をつれてきては突くのである。
うーと叫ぶ奴、ぶつぶつと言って歩く奴、泣く奴、全く最後を知るに及んでやはり落ち着きを失っているを見る。
戦に敗れた兵の行く先は日本人軍に殺されたのだ。
針金で腕を締める、首をつなぎ、棒でたたきたたきつれ行くのである。
中には勇敢な兵は歌を歌い歩調をとって歩く兵もいた。
突かれた兵が死んだまねた、水の中に飛び込んであぶあぶしている奴、中に逃げるためにしがみついてかくれている奴もいる。
いくら呼べど下りてこぬ為ガソリンで家屋を焼く。火達磨となって二・三人が飛んできたのを突殺す。
暗き中にエイエイと気合いをかけ突く、逃げて行く奴を突く、銃殺しパンパンと打、一時此の付近を地獄のようにしてしまった。
終わりて並べた死体の中にガソリンをかけ火をかけ、火の中にまだ生きて動いている奴が動くのを又殺すのだ。
 (偕行社「南京戦史資料集」P469)
208名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:18:29.29 ID:cE7MUlpZ0
普通の日本人は南京大虐殺を必死に否定したりしない。
そんな事に時間とエネルギーを費やす宗教団体や右翼は、普通の日本人から異端視されているし。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:23:01.73 ID:C/2XSKdZ0
>>207
>夕闇迫る午後五時大体本部に集合して敗残兵を殺しに行くのだと。
                         ~~~~~~~~~
兵隊が死んだからどうしたw
しかも人数はたった「百六十一名」w
それがお前らの主張する「南京大虐殺」なのかw
210名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:37:36.27 ID:C/2XSKdZ0
>>207
第9師団は12月24日に城内警備任務を第16師団へと引き継いでいる。
第7連隊はそれまで城内掃討を行っている。

城内掃討で敗残兵を摘出するのは あ・た・り・ま・え ですが?

まさか掃討戦で敵兵を殺すのも「虐殺」だと主張するつもりじゃないよなw
211名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:44:26.28 ID:pX4MbjDW0
>>208
普通の日本人は南京大虐殺そのものに関心が無いw
必死になって肯定するのは支那蓄の犬か、奴隷根性の超賎塵か、自虐趣味の変態ぐらいなものだってw
212名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:51:22.64 ID:C/2XSKdZ0
>>207
「兵士の証言」を持ってくるなら当然「実名」の証言者をもってこいよw
言っておくが「仮名」や「匿名」の証言者なんか何の意味も無いからなw

ちなみに実名の証言者等w

●以下の証言者・記者・作家の発言及び記述は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。

・ 東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い
・ 中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明
・ 富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
・ 舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
・ 曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された
・ 田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
 後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
・ 太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
・ 富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。
 だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
・ 上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し
213名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:56:07.07 ID:56L1QoK10
荒海清衛 日記 歩兵第65連隊第1大隊本部・上等兵

◇十二月十四日
 朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り。計一万五千名位 。

◇十二月十五日
 今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。

◇十二月十六日
 今日南京城に物資徴発に行く。捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:56:28.44 ID:56L1QoK10
伊藤喜八 陣中日記
歩兵第65連隊第1中隊・編成 上等兵

拾二月拾七日
 午前八時出発、湯山鎮から自動車にて途中軍官学校、総理の墓、色々と戦友の墓など思ひ黙祷して南京中山門通 過、我部隊に復帰出来るだろふ、午前十時到着。
 門内、励志社、陸軍々学校、警衛司令部などがあった。
 午后一時から南京入場式。
 夕方は大隊と一所(緒)の処で四中隊で一泊した。
 その夜は敵のほりょ二万人ばかり揚子江にて銃殺した。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 23:58:35.30 ID:56L1QoK10
宮本省吾 陣中日記
歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充 少尉

〔十二月〕十六日
 警戒の厳重は益々加はりそれでも(午)前十時に第二中隊と衛兵を交代し一安心す、
しかし其れも疎(束)の間で午食事中俄に火災起り非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、
午后三時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮(虜)兵約三千を揚子江岸に引率し之を射殺す、
戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。

〔十二月〕十七日
 本日は一部は南京入場式に参加、大部は捕慮(虜)兵の処分に任ず、小官は八時半出発南京に行軍、
午后晴れの南京入場式に参加、壮厳なる史的光景を見のあたり見ることが出来た。
 夕方漸く帰り直ちに捕虜兵の処分に加はり出発す、二万以上の事とて終に大失態に会い友軍にも多数死傷者を出してしまった。
 中隊死者一傷者二に達す。
216名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:00:33.26 ID:LaSrbETO0
児玉義雄氏証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官

連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。
私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。
参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが、命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。
激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:03:18.98 ID:LaSrbETO0

牧原信夫日記
歩兵第20連隊 第3機関銃中隊・上等兵


十二月十四日

午前七時起床す。午前八時半、一分隊は十二中隊に協力、馬群の掃討に行く。
残敵が食うに食が無い為ふらふらと出て来たそうで直ちに自動車にて出発す。
而し到着した時には小銃中隊にて三百十名位 の敵の武装解除をやり待って居たとの事、早速行って全部銃殺して帰って来た。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:03:22.86 ID:3hh0tbHV0
>>213
>>214

おい、日本語を理解できないバカw
なんと書いてあるか声に出して読んでみろw

「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」
★【斉藤次郎】陣中日記
★【伊藤喜八】陣中日記
★【宮本省吾】陣中日記
★【柳沼和也】陣中日記
★【遠藤高明】陣中日記
★【本間正勝】戦斗日記
★【菅野嘉雄】陣中メモ
★【近藤栄四郎】出征日記
★【黒須忠信】陣中日記
★【目黒福治】陣中日記
大寺隆陣中日記

「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」に収録されている19の文書のうち、
“大寺隆陣中日記”と“天野三郎軍事郵便”のみが実名
残りの陣中日記は全て《《《匿名》》》w
219名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:05:54.19 ID:LaSrbETO0
井手純二氏 投稿文「私が目撃した南京の惨劇」 増刊『歴史と人物』1984年12月号
飛行第8大隊付き陸軍航空兵 軍曹

私は”血の桟橋”と名づけた。
鉄橋の手前で、収容所から運ばれてきたらしい二十人ばかりの中国人捕虜がトラックから降ろされ、江岸へ連行されて行く。
釈放するからと偽って連れてきたのか、みんな大きなフロシキ包みをかかえ、厚い綿入りの冬服を着ていた。
軍服姿は見当らなかったが、二十,三十歳代の男が主で、坊主刈りが多いので、便衣兵かなあと眺めていた。
江岸まで二〇〇メートルもあったろうか、道路のカーブを曲ると、江岸の斜面 から水際にかけて処刑された死体がゾロゾロと重なっている。
追い立てられてよろよろと歩いてきた捕虜たちは気づいて動揺したようだが、ここまで来ると、もう逃げ道はない。
(中略)
さていよいよ処刑が始まった。
日本刀もあれば下士官用のダンベラを振りかざす者もいるが、捕虜はおとなしく坐りこんでいる。
それを次々に斬って、死体を水面 にけり落としているのだが、ダンベラは粗末な新刀だから斬れ味は悪い。
一撃で首をはねることができるのはかなりの名人で、二度、三度と斬りおろしてやっと首が落ちるのが大多数だが、
念入りにやるのも面倒くさいのか、一撃して半死半生のままの捕虜をけり落としていた。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:15:07.98 ID:LaSrbETO0
田中義信陣中日記
歩兵7連隊 第3機関銃中隊

十二月十四日
―南京城内の市街戦
一、午前八時整列、城内掃蕩の為出発、敵最後の陣地攻撃す。
一、首都南京も遂に我軍の手に入り、あわれ八十八師軍は西門の彼方で最期を消したので有る。
一、今日の戦闘は実に面白かった。
一、支那軍の野戦病院も見学した。
一、午後九時、真黒暗の城内市街を約二里半位帰隊行軍。
一、支那軍の屍は山を築き、血河をなして、兵器は皆捨て、馬はすて、道路上は実に無残なる近影で有る。
一、五百余名の支那軍捕虜兵を第八十八師の営庭で銃殺及び刺殺。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:23:31.81 ID:LaSrbETO0
大寺隆(歩兵第65連隊第7中隊・上等兵)陣中日記

12月18日
昨夜までに殺した捕リョは約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居るそうだ、七時だが未だ片付け隊は帰へつて来ない。

12月19日
 午後七時半整列にて清掃作業に行く、揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に驚く、石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし、今日の使役兵は師団全部、午後二時までかかり作業を終る

(『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』p197より。誤字は訂正)
222名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:27:58.20 ID:LaSrbETO0
川畑芳弥(第六師団輜重第六中隊)回想録

 夕暮れ、少し広い空地に捕虜が引き出された。捕虜は裸になるように命じられ、着ている服を全部ぬいだ。八人いた。
数人の兵士が歩み寄り、後手に縛りあげ、背中にひとかかえのワラを置き、それをまた、縄で落ちないように結んだ。
その上に石油をたっぷりかけ、火種を手にした兵士が、後に立っていた。
〔中略〕
「つけろ!」の合図とともにかけ寄り、ワラに火をつけた。パッとワラと石油が燃えあがる。
〔中略〕
ワラがプスプスと燃え、石油の燃える臭いと人の焼ける臭いが混り合って周囲に漂う。

(『揚子江が哭いている 熊本第六師団大陸出兵の記録』p120より)
223名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:29:43.93 ID:3hh0tbHV0
それで?
必死で「兵士の証言」を出してきたようだが「実名」でないのがチラホラ混ざっているようだがw

そして「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw
つ>212w
そして証言の内容が「虐殺」と言えるものではないのも証明済みw
つ>209 >210w

それではお前が出してきた「証言」とやらが正しいという証明ヨロシクw
そしてどういう理由で「虐殺」なのか具体的な証明もヨロシクw
224名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:32:27.70 ID:Ep2nJXdH0
>>221
>昨夜までに殺した捕リョは約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居るそうだ、
                                                ~~~~~~~
ただの伝聞w
225名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:34:39.49 ID:54FnzjYf0
結局殺したのは兵隊だけ。民間人殺しまくっていた連合軍より全然ましだなw
大体戦争って兵隊殺す物だよな
226名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:36:24.02 ID:LaSrbETO0
三笠宮崇仁インタビュー「闇に葬られた皇室の軍部批判」より
(聞き手 中野邦観・読売新聞調査研究本部主任研究員) 

 ―最近また南京大虐殺について、閣僚の発言が問題になりましたが、
同じような問題が何回も繰り返し問題になるのはまことに困ったことだと思います。
三笠宮殿下はこの問題についてどのように受け止められておられますか。

三笠宮 最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。
    辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。
    私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。
    それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。

    また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。
    それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。
    ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これごそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。

    しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。
    北京駐屯の岡村寧次大将などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。
    私も北京に行って、直接聞いたことがあります。

(「THIS IS 読売」1994年8月号 P54〜P56)
227名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:36:38.60 ID:OvZx4Tgk0
>>219
《《《二十人ばかり》》》の捕虜がどうした?
「捕虜」つまり軍人だなw
戦争で軍人が死んだだけだなw
228名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:39:55.22 ID:LaSrbETO0
>223
>そして「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw

なるほど、では
>200
>戦闘詳報で捕虜殺害を実行したとされている「第4中隊」の小宅伊三郎曹長は殺害を否定しているw

これも証言としては信用しなくて良いわけですね。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:41:54.76 ID:3hh0tbHV0
>>226
肯定派ってのは皇族という権威を持ち出せば相手が黙ると思い込んでいる愚劣なヤツしか残っていないのか(嘲笑)

三笠宮が参謀として南京にいたのは1943年〜44年。
1937年の南京事件とは何の関係もないw
さらに
『青年将校から聞いた』→伝聞w
『【満州】での映画を見た』→南京と全く関係ない場所の【映画】www
230名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:42:25.16 ID:LaSrbETO0
>227
ハーグ陸戦条約をもう一回読んでみたら?
捕虜の殺害はこれに違反しているから不法殺害だ。

で、他に挙げた数十人・数百人規模の不法殺害は無視かい?
231名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:52:21.70 ID:54FnzjYf0
>>230
なあ、ハーグ条約破っていたのはシナ兵の筈だけど
何時日本軍が破ったことにすり替わったんだ?
232名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 00:56:18.46 ID:RjNEKwwP0
>>230
>219
>【軍服姿は見当らなかったが】、二十,三十歳代の男が主で、坊主刈りが多いので、便衣兵かなあと眺めていた。
ハーグ陸戦条約をもう一回読んでみたら?w
233名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 01:04:04.90 ID:3hh0tbHV0
>>228
はあ?
「小宅伊三郎曹長」の証言は「いつ」「どこで」「誰が」やったのか不明な出来事ではなく、
「1937年12月13日午後2時から午後7時30分の間に、南京城外露営地東南谷地附近で、第四中隊が捕虜を殺害した事」
を否定しているんだが?
しかも戦闘詳報に書かれた内容は矛盾だらけで、到底信頼できないシロモノw
戦闘詳報の内容に矛盾が無く、実行者だけが否定しているならともかく、「内容が矛盾だらけで、実行者からも否定されている戦闘詳報」w
これをどうやったら信用できるのやらw
234名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 01:25:19.41 ID:54FnzjYf0
「日本軍はハーグ条約違反ニダ」って言い張るバカチョンは珍しいな
235名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 01:30:30.99 ID:3hh0tbHV0
>>228
「小宅伊三郎曹長の証言を信用しない」と言うなら、当然「第一大隊戦闘詳報」の矛盾点を説明する必要があるんだがw
つ>74wつ>75wつ>79wつ>94wつ>97wつ>101wつ>198wつ>201wつ>205wつ>206w

全部、具体的な根拠を提示して説明してみろw
236名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 02:28:45.56 ID:gI+3BkgG0
>>207
証拠の証明力を弾劾する場合は伝聞証拠を使えるんですよ

事実の証明には伝聞証拠は使えません。 ヨロシコ
237<:2011/03/06(日) 03:32:59.60 ID:kjIAY4FV0
●オイラが保存している 【 軍事的必要により拘束した敵捕虜殺害も止むを得ずとした見解 】 をまとめてみた・・・(´・ω・`)∩

  |『戦時国際公法 立作太郎著 P6』
  |但し緊急の危険を免るる道なき場合には緊急状態が存在するものにして戦時法を守らざるも其の行為は免責行為と為るべ
  |きものとす

  |『戦時国際法講義 第二巻 信夫淳夫著 P783』(※『南京戦史資料集』より引用)
  |更に俘虜の人道的取扱も、捕獲軍の作戦上の絶対必要の前には之を犠牲にするの己むを得ざる場合あることも肯定すべきである。

  |『戦時国際法講義 第二巻 「ハレックの一節より引用」 信夫淳夫著』(※『南京戦史資料集』より引用)
  |俘虜を殺害することの風習は今日文明国聞に廃たるるに至ったが、権利そのものは依然として捕獲者の手に存し、絶対の必要あ
  |る場合には今日でも之を行ひ得ぬではない。・・・自己安全は勝者の第一の法則で、この目的のために必要の手段を執ることは交
  |戦法則の認むる所である。ただ必要の度を超えては、何等苛酷の措置は許されない。随って軍の執れる手段が果して絶対必要に
  |出でしや否やは、事毎に周囲の事情を按じて之を判定すベく、軽々しくその当否を断ずべきではない。

  |『戦時国際法講義 第二巻 信夫淳夫著 P783』(※『南京戦史資料集』より引用)
  |即ち要は、捕獲者に於て俘虜の収容文は給養が能きず、さりとて之を宣誓の上解放すれば彼等宣誓を破りて軍に刃向うこと歴然
  |たる場合には、挙げて之を殺すも交戦法則上妨げずと為すのである。事実之を殺す以外に軍の安全を期するに於て絶対に他途な
  |しというが如き場合には、勿論之を非とすべき理由は無いのである。

  |『ラッサ・フランシス・ローレンス・オッペンハイム (※『国際法V 田岡良一著 1973年 P347』より抜粋)』
  |投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、第二は、
  |敵の戦争法規違反に対する報復として、第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の
  |自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。

  |『国際法V 田岡良一著 1973年 P348』
  |戦数を肯定する嫌いのあるドイツ学者の説の引用を避けて、ただイギリスの学者の説のみをたずねても、戦争法の権威スぺートは
  |その陸戦法に関する名著「陸上における交戦権」のなかに、投降者の助命が戦時の実際において行われ難く、かつその止むを得な
  |い場合があることを論じ、また投降を許して収容した捕虜さえも、軍の行動の必要によって皆殺するの止むをえぬ場合があることは、
  |ローレンスが、一七九九年ナポレオン軍によるトルコ・ジャッファ守備隊四千人の皆殺の例を引いて説くところである。

  |『国際法V 田岡良一著 P352』
  |「戦争法規は戦時に通常発生する事態における軍事的必要のみを考慮して、その基礎の上にうち建てられたものであ
  |るから、より大きい軍事的必要の発生が法規の遵守を不可能ならしめることは実際に必ず生ずる。この場合に法規は
  |交戦国を拘束する力を失う。具体的にどういう場合がこれに当たるかは、個々の法規の解釈の問題として決定されね
  |ばならぬ」という言葉によって表現せられたならば、この説には、戦数論を否定した学者といえども賛成せざるを得ない
  |と思う。この意味において戦数は肯定さるべきものと思う。

  |『南京事件と戦時国際法 佐藤和男』
  |一般に国際武力衝突の場合に、予想もされなかった重大な軍事的必要が生起して交戦法規の遵守を不可能とする可能性は皆無
  |とはいえず、きわめて例外的な状況において誠実にかつ慎重に援用される軍事的必要は、容認されてしかるべきであるという見解
  |は、今日でも存在しているのである。

●そして国際法学者佐藤教授見解によれば、南京戦時の日本軍には 【 軍事的必要があった 】 との事♪・・・(・∀・)

  |『南京事件と戦時国際法 佐藤和夫』
  |五、結論的所見
  | ・・・・ 日本軍の関係部隊には緊迫した「軍事的必要」が存在した場合のあったことが知られる。
238<:2011/03/06(日) 03:34:08.05 ID:kjIAY4FV0
●以上より、南京戦時の捕虜殺害に対する 【 国際法学者佐藤和男氏の結論 】 がこれ♪・・・(・∀・)∩
    ↓      ↓      ↓
  |www.toidatoru.com/pdf/nankin.pdf
  |二〇〇七年三月の「南京問題小委員会」に講師として参加された青山学院大学名誉教授で国際法が専門の佐藤和男博士は、
  |『偕行南京戦史』に記載されている捕虜の処断を検証した。
  |@ 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。
  |A 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。
  |B 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた敗残兵数千人の処断。
  |C 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。
  |D 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。
  |以上、右列記した事例について佐藤博士は、いずれも戦時国際法違反でないと断定し、
  |現在、南京問題研究者が素人判断で捕虜の処断を「虐殺」とする研究に対して苦言を呈していた。(資料17)

●アホな肯定派は "自己解釈で反論" せずに、きちんと国際法学者見解を引用しつつ反論してくれたまえ・・・(´・ω・`)
239名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 04:24:22.49 ID:cccln6nc0
否定派が証拠が無い、とあちこちで言っていたが
証拠が無いんじゃなくて、じゅうぶん全体の事実があった事を担保できる資料があるけど
否定派がそれを認めないってだけなんだな

正直否定派の悪あがきにしか見えない
ここ見てなかったら否定派に騙されるところだったよ
240名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 06:37:57.75 ID:X//wnfG3O
「否定派が認める証拠」が無いってことか。

被害の当事者たちの証言は「あいつら敵だったんだから信用できん」、
欧米外国人の証言は「当事敵対的な立場にあった国のいうことは信用できん」、これじゃあ証拠も証言も少なくなるはずだよな。
241<:2011/03/06(日) 06:47:09.44 ID:kjIAY4FV0
>>239
>>240
肯定派にはこのスレに ”南京大虐殺の証拠” が上がってるように見えるそうです・・・(笑
242名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 08:35:07.34 ID:gI+3BkgG0
>>239
>じゅうぶん全体の事実があった事を担保できる資料があるけど

無いんだけどw 捏造されたり、出所不明な資料だらけで どれが信用に足る資料かわからなくなってる状態
243名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 08:41:19.29 ID:3hh0tbHV0
あるのは「戦争で軍人が死亡した」っていう事実だけなんだがw
肯定派にはそれが証拠に見えるらしいなw
244名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 12:25:05.87 ID:bK+2S0zn0
だいたい連合軍が便衣兵を殺したことは不問にされているんだから
日本軍が便衣兵を殺したのも当然不問だろ
245名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 12:29:40.93 ID:oYYC8Nf50
南京大虐殺と六四天安門事件、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い
右翼・保守・極右・正論読者・産経新聞読者・サピオ読者・愛国者・
国粋主義者・独裁主義者・復古主義者・歴史修正主義者・軍国主義者・
民族主義者・武士気取り・国士気取り・通り魔予備軍・文学的変態・
言論チンピラ・ネットチンピラ・台湾系右翼たちに質問します。

論破開始
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#41】
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 17:14:07.82 ID:a3w+wLjZ0
>>208
旗色が悪いからレッテル貼りですか?w
248名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 17:47:28.10 ID:IKVHyBxG0
>>246
具体的に反論できなくなると肯定派による発狂コピペが始まりますw
肯定派は追いつめられると負け犬の遠吠えが始まるので実に分かりやすいなw
>>248
> >>246
> 具体的に反論できなくなると肯定派による発狂コピペが始まりますw
> 肯定派は追いつめられると負け犬の遠吠えが始まるので実に分かりやすいなw

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#45】
都合の悪い質問はスルーですか? 繰り返し質問します。
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
おーいwwwwwwwwwwwww
251名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 18:29:48.80 ID:WDPQu13v0
南京大虐殺とは兵隊が戦死したことなのですかw
まずは南京大虐殺の定義をはっきりと出してくださいw
定義をはっきりしないと肯定も否定もできませんけどw
252名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 19:31:23.82 ID:a3w+wLjZ0
>>249
学者かは知らんが小林よしのりだな
戦争論はよかった
253名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 20:39:06.67 ID:3hh0tbHV0
>>246
二〇〇七年三月の「南京問題小委員会」に講師として参加された青山学院大学名誉教授で国際法が専門の佐藤和男博士は、
『偕行南京戦史』に記載されている捕虜の処断を検証した。
@ 第九師団歩兵連隊による安全区掃討作戦において摘出した便衣兵六六七〇名の処断。
A 第十六師団歩兵第三三連隊の太平門、下関、獅子山付近で捉えた捕虜三〇九六人の処断。
B 第十六師団歩兵第三〇旅団が南京西部地区警備中に捕らえた敗残兵数千人の処断。
C 第百十四師団歩兵第六六連隊第一大隊が雨花門外で捕らえた捕虜一六五七人の処断。
D 山田支隊が幕府山付近で捕らえた捕虜数千人の処断。
以上、右列記した事例について佐藤博士は、いずれも戦時国際法違反でないと断定し、
【現在、南京問題研究者が素人判断で捕虜の処断を「虐殺」とする研究に対して苦言を呈していた】

国際法専門の佐藤和男博士の見解w
「@〜Dの捕虜の処断は戦時国際法違反でない」w


こう主張すると、以下「捕虜の処断」が「戦時国際法違反でない」とされているにもかかわらず、「南京大虐殺は否定されていない!」という日本語が理解できないバカの頓珍漢なコピペが続くw
254名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 22:52:02.35 ID:LaSrbETO0
秦郁彦氏

○座談会「歴史と歴史認識」より 

秦 南京事件の場合、日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのがいけないんです。
  捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。
  これが日本側の最大のウィークポイントなんです。

(中略)

秦 捕虜の資格があるかないかはこの際関係ありません。
  その人間が、銃殺するに値するかどうかを調べもせず、面倒臭いから区別せずにやってしまったのが問題なんです。
  私が不思議でしようがないのは、なぜ収容所に入れ、形ばかりでも取り調べをして軍律会議にかけてから処分にしなかったのかということです。
  のちにBC級戦犯が裁かれたときも、軍律会議にかけていれば、戦犯は死刑にはなりませんでした。

(『諸君!』2000年2月号 P86)



○座談会「問題は「捕虜処断」をどう見るか」より

秦 捕虜としての権利がないから裁判抜きで殺していいということにはならない。
自然法に照らしても不法でしょう。
古代の暴君ならともかく、こいつは悪い奴だから、その場で処刑していいというのは、文明国がやることではない。
捕虜の扱いはお互い様ですから、それなりに尊重し、労働をさせれば一定の給与を与え、自国の兵士と同程度の食料を与えるのは交戦国の義務でした。

(『諸君!』2001年2月号 P134)
255名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 22:53:27.53 ID:LaSrbETO0
中村粲氏
○「「南京事件」の論議は常識に還れ」より

 安全区で摘発された「便衣兵」の中には(A)私服狙撃者、(B)私服帰順者、(C)兵と誤認された市民−が混在してゐたのであり、
この中、不法な交戦者としての便衣兵は(A)だけである。
更にその私服狙撃者としての便衣兵でさへ、武器を棄てて我軍の権内に入つた段階では捕虜なのであり、
秩序や安全を脅かすことのない限り捕虜として遇すべきもので、重大な理由なく処断するのは戦時国際法違反になるであらう。

(『正論』平成11年5月号 P278)


○「敵兵への武士道」より

 軍司令官には無断で万余の捕虜が銃剣刺殺された。
それを「便衣の兵は交戦法規違反である」と強弁してはならず、率直に(それは)戦時国際法違反であり、
何より武士道に悖る行為であったことを認めねばならぬ。

(興亜観音第二十四号=東中野修道氏『再現 南京戦』P344から再引用)
256名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 22:54:21.93 ID:LaSrbETO0
原剛氏

○『板倉由明「本当はこうだった南京事件」推薦の言葉』より

 まぼろし説の人は、捕虜などを揚子江岸で銃殺もしくは銃剣で刺殺したのは、虐殺ではなく戦闘の延長としての戦闘行為であり、
軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた「便衣兵」は、国際条約「陸戦の法規慣例に関する規則」に違反しており、
捕虜の資格はないゆえ処断してもよいと主張する。

しかし、本来、捕虜ならば軍法会議で、捕虜でないとするならば軍律会議で処置を決定すべきものであって、
第一線の部隊が勝手に判断して処断すべきものではない。


(同書 P9)
257名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 22:56:26.18 ID:LaSrbETO0
吉田裕氏『破綻した南京大虐殺の否定論者たち』より

この点と関連して重要なのは、昨年(注 1999年)の七月三一日に自由主義史観研究会の主催で開催された
「20世紀最大のウソ『南京大虐殺』にとどめを刺す連続講座とシンポの集い」である。

 この集会で、東中野・藤岡両氏などとともに報告にたった元外交官の色摩力夫氏は、
ハーグ陸戦法規は正規軍には無条件で、民兵・義勇兵には先の四条件付きで適用されると明言した。

 それだけでなく色摩氏はシンポの発言で、司令官が逃亡した軍隊の将兵は当然のこと、
軍服を脱ぎ便衣に着がえた正規軍兵士の場合でも、実際に敵対行為を行わない限り、
捕虜となる資格を持つと主張したのである。

 これは名指しこそ避けているものの、東中野氏の国際法理解に対する正面からの批判だった。

 これに対して東中野氏は、南京安全区国際委員会のメンバーは、日本軍による捕虜の処刑を違法であるとは
認識していなかったという意味のことを簡単に述べただけで、まともな反論をいっさい行えなかった。

(「現代歴史学と南京事件」P85-P86)
258名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 22:57:31.89 ID:fy6MFMCn0
今更、佐藤和男の説を持ち出されてもw
259名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:02:35.26 ID:Xxk45MYY0

『南京戦史』及び『南京戦史資料集』

「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3千乃至6千」

まあ、いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。
しかも、民間人はほぼゼロ。

260名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:03:05.27 ID:LaSrbETO0
板倉由明氏 1999年
 ここでは「支那事変は「侵略」であるが故に、死んだ中国人すべてを「虐殺」とする」考え方は採らない。
戦闘中敵を殺すことは合法である。戦争法規は民間人殺害を不法とするが、ゲリラ戦法の普遍化はこの境界を極めて曖昧にしつつある。
また、戦意を失い、武器を放棄して逃げる敵を殺すのは「虐殺」という主張もあるが、投降とは違って、逃げるのは再起を期しているからで、
武器を補給し、戦意を回復すればまた攻めて来るのは必然であるから、逃げる敵を殺すのは合法である。

以上によって「虐殺」を不法殺害と定義すれば、捕虜・投降兵と民間人の殺害になるが、当然不可抗力や緊急避難的例外もある。
南京事件での捕虜・投降兵の不法殺害は、表11(省略)の『南京戦史』の数字中、処断一万六千の中に含まれる。
民間人に対するものは以上の資料では判らないが、『南京戦史』では第六章第五節では「スマイス調査」により、
一般市民の死者、行方不明者一万五千七百六十の数を出している。

『南京戦史』第六章の検討はここまでになっている。
それは、以上両者の合計約三万二千の中に不法殺害がどの程度含まれているか判らないからである。
しかし、私としてはもう少し踏み込んで数字を絞りたいと思う。

前述のように、投降兵・捕虜の殺害は原則として不法だが、状況を勘案すると例外が当然ある。
それを考慮して不法を一万六千の二分の一から三分の二とすれば、八千から一万一千となる。
一般市民については、そもそもスマイス調査が、原因が日中いずれであるかを問わぬ「戦争被害調査」であるから、
死者には戦闘の巻添え、中国軍によるもの、日本軍によるものが混合しているものと見て、
不法を死者一万六千の三分の一から二分の一とすれば、五千から八千になる。以上軍民の合計は一万三千から一万九千である。

ここで、こういう推計は粗いものの方がむしろ正確という見地から、次のようにランク分けをする。

0級は0ないし極めて少数。T級は一万以下(数千)。U級は一万から二万。V級は二万から五万。
W級は五から十万。X級は十万から二十万。Y級は二十万以上。

私の数字はU級となり、南京事件における最大の争点、虐殺即ち不法殺害の数は、およそ一万から二万であった、と結論する。

(「本当はこうだった南京事件」P199〜P200)
261名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:06:08.00 ID:LaSrbETO0
秦郁彦氏 1997年
「南京虐殺事件―数の考察」より 

 南京守備軍の兵力については、私は十万(台湾公式戦史、上海派遣軍参謀長の飯沼守少将日記)を採用、
うち五万が戦死、三万が捕虜になったあと殺害された(生存捕虜は一万)と推定している。
南京戦に従軍した佐々木元勝(上海派遣軍郵便長)が、十二月十五日の日記に「俘虜はおよそ四万二千と私は聞かされている」と
書いていることにほぼ符合する。しかし、最近になって、孫宅巍(江蘇省現代史学会)と笠原教授は総兵力を十五万と見つもり、
うち八万〜十万が殺害されたと主張している。

 かりに兵士の死亡を十万とし、うち五万が戦死、五万を「不法殺害」として、
中国の公式被害数である三十万から十万を差し引くと民間人二十万人が「不法殺害」されたことになり、
いかにも不自然である。また民間人二十万人が殺害されたことになると、
南京安全区の避難民がほぼ消滅してしまうことになり、これまた不自然であろう。

 三十万を二十万に置きかえても、不自然さはあまり変わらない。
兵士の「不法殺害」五万に対し、やはり二倍に当る民間人十万人が殺されたことになるからだ。

 犠牲者数を四〜六万とすれば、この種の矛盾は起きず、むりのない説明が可能である。
情報源は明確でないが、中国共産軍の機関誌だった「抗敵報」も、安全区国際委員会のベーツ博士も、
ほぼ同じ数字を計上しているし、すでに述べたように委員会のラーベもヒトラーにあてた報告書で、
やや多い五万〜六万(民間人)と推定している。

 東京裁判の判決は、中国検察官が提出した「四十三万」人を採用せず、「二十万以上」としたが、
内訳で認めたのは兵士の五万と民間人一万二千、計六万二千人で、差数の十四万人については説明がない。
法廷は、証拠力がありそうな上限を六万二千人と判断したのではないか。

 東京裁判でも、松井大将に対する判決のほうは犠牲者数を十万としている。
二十万人との食い違いが気になるが、法廷は十万人でも松井を死刑にするためには充分なので、
数をつめる必要を認めなかったのかもしれない。

 (「現代史の光と影」P26〜P27)
262名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:07:53.54 ID:LaSrbETO0
秦郁彦氏 2007年

 南京事件における日本軍の不法行為による犠牲者数は、今となっては「神のみぞ知る」としか言いようがない。
とくにスマイス報告以外には手がかりのない民間人(一般人)の計数は、今後も新たな展開は期待できない。
秦は本書の初版が出た一九八六年の時点で〇.八万〜一.二万人と試算し、軍人捕虜の不法殺害三.○万に足して、
全数を三.八万〜四.二万と推計した。

 それから約二○年後の時点で再推計を試み表10-1のように、戦死者と脱出成功者の計数を入れ替えたが、
民間人の不法殺害〇.八万〜一.二万の中間値をとって一.〇万とし、総数を四.○万とした程度のとどまった。
なお旧版では特記しなかったが、この計数は新史料の出現などを予期し、余裕を持たせたいわば最高限の数字であった。

 この二○年、事情変更をもたらすような新史料は出現せず、今後もなさそうだと見きわめがついたので、
あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい。

 (「南京事件 増補版」P317〜P318)
263名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:13:34.04 ID:LaSrbETO0
『偕行』編集部(執筆責任者 加登川幸太郎) 1985年

結局、不法処理の被害者の数はいくらか
これは大難題である。この戦史の最後のところで最も難しい問題にぶつかったの感がある。
この戦史が採用してきた諸資料にはそれぞれの数字がある。
だがこれらはもともとが根拠の不明確な、いわば疑わしい数で、その真否の考証も不可能である。

その数字をあれこれ操作してみたところで、「ほんとうか」と問いただされても明確に返答し得ない数字になるだけである。
史料の確からしさの判定は読む人にもよろう。

畝本君や従軍将兵の諸氏には、あの南京戦場を走りまわった体験から、そこに起こりうる事象の大きさについての個人的感触を持っている。
巷間喧伝される数字がいかに大きくとも、そんな膨大な数があの狭い場所でと、納得できないところがあるのである。
ここにこの推定集計の難しさある。だがなにがしかの答えは出さざるを得まい。


 まず、畝本君の判決である。
<参戦者の証言資料によれば不法に殺害したとされる事案に多くの疑問があるが、今日においてその真偽を究明することは不可能である。
 況んや広い戦場において「虐殺か否か」を一々分別し、虐殺数を集計することなど今においては不可能事である。
 人はよく質問する。「虐殺の真数はいくらか」と。
 「ある程度は推定し得るが、真相はわからない。強いていえば、不確定要素はあるが、虐殺の疑いのあるものは三千乃六千内外ではあるまいか」、
 と私は答えるしかない。>
264名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:14:08.15 ID:LaSrbETO0
続き。

三千はもとより六千とは途方もない数字である。

何処で何時不法処理が行われたろうかの事例は前号までの戦史で述べた。
第十三師団の幕府山付近、第十六師団の下関付近、第九師団の城内掃蕩、第十六師団関係城内敗残兵摘出、その他各師団の掃蕩など、事例は、判明している限りを明記した。
読者諸君それぞれに推定し、そして集計することが可能なはずである。

そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。
板倉由明氏の集計されたものである。

同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。
そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した
(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。

従って南京の不法殺害は計一万三千人である。
板倉氏はこれが「現時点での」推定概数であるとする。
これまた、途方もなく大きな数字である。

畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。
これを併記して本稿の結論とする。


中国国民に深く詫びる

重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。

日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。
戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。
旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。

(「証言による南京戦史」(最終回) <その総括的考察> = 「偕行」1985年3月号 P17〜P18) 
265<:2011/03/06(日) 23:16:17.40 ID:kjIAY4FV0
>>258
今更、チン論ドラゴンウンコ "秦逝く彦" を持ち出されても・・・(笑

  |『昭和史の論点』秦郁彦 歴史学者(日本近代史)・法学博士 2000年 P96,97
  |南京事件の場合、日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのが
  |いけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという
  |判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウイークポイントなんです。・・・捕虜の資格がある
  |かないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせず
  |にやってしまったのが問題なんです。

        ↓↑
  |秦郁彦ですがw 『昭和史の論点』 文芸春秋 P96-98
  |南京でも、    【【【 形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかった 】】】  はずです。
  |ところが、松井石根軍司令官以下、軍律裁判に無関心だったというのは、なんとも理解に苦しみます。

  ※『形式的』 ⇒ 『形式だけを重んじ、内容を問題にしないさま。「―な答弁」⇔実質的。』

●日本軍による便衣兵捜索を "日本側の最大のウィークポイント" と評した秦逝く彦が、その一方、【 形式的にせよ
  軍事裁判を開けば問題はなかった 】 とするミラクル解釈♪生まれながらの言語障害だな、コイツは・・・(笑

     "捜索はいい加減であってはならないが、裁判は形式的なものでよい・・・by 秦逝く彦"
266名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:22:14.36 ID:Xxk45MYY0

『南京戦史』及び『南京戦史資料集』

「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3千乃至6千」

まあ、いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。
しかも、民間人はほぼゼロ。

肯定派涙目w

267名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:22:58.53 ID:fy6MFMCn0
私は秦郁彦のことを持ち出したりしてないんだがw
268<:2011/03/06(日) 23:28:40.93 ID:kjIAY4FV0
>>267
秦逝く彦は "チン論ドラゴンウンコ" でOKか?♪・・・(・∀・)
269名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:29:12.27 ID:LaSrbETO0
>265

あ〜、なるほど。
この人このレベルでもって日本語の読解が出来ない人なのか。


1 どれが便衣隊かという判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウイークポイントなんです。
  その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせずにやってしまったのが問題なんです。
                     ↓

2 南京でも、    【【【 形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかった 】】】  はずです。


この二つの文に何ら齟齬はありません。

「形だけでも調えとけよ」というのが文意なのですが、それすら分からない人がいるんですねぇ。
270<:2011/03/06(日) 23:31:13.30 ID:kjIAY4FV0
>>269
このレスが見えなかったの?♪・・・(・∀・)

※『形式的』 ⇒ 『形式だけを重んじ、内容を問題にしないさま。「―な答弁」⇔実質的。』
           ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
271名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:35:36.39 ID:fy6MFMCn0
日本語が不自由な人は「〜にせよ」の意味が分からないらしい。
272<:2011/03/06(日) 23:42:42.60 ID:kjIAY4FV0
>>271
日本語が不自由な肯定派は「形式的にせよ」とは「形式的でもよいから」と同意語だという事が
判らないらしい♪・・・(・∀・)
273名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:44:39.64 ID:fy6MFMCn0
「形式的にせよ」の意味と「形式的でもよいから」の意味は違うよ。
やっぱり日本語が不自由なんだねw
274<:2011/03/06(日) 23:46:43.27 ID:kjIAY4FV0
>>273
では「形式的にせよ」の文意を提示してくれ♪・・・(・∀・)
275名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:50:10.97 ID:C96Bl9GwO
極東板で論理破綻を曝したキチガイ革マルうんこさんが、今度はこちらでコピペ作戦ですか?w
成長がないですねw
276名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:50:13.41 ID:fy6MFMCn0
中学生レベルの文法から教えろってか?
アホらしいw
277<:2011/03/06(日) 23:51:00.21 ID:kjIAY4FV0
>>276
文法じゃなくて文意だよ・・・(笑
日本語もまともに読めないのかよ・・・(笑
278名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:52:15.92 ID:LaSrbETO0
コピペをえんえんと書き連ねるという不作法な事をしてしまいましたが、
いかんせん日本語が通じにくい方々を相手にしているものですから、
緊急避難的な措置として、ご了解いただければ幸いです。

本来ならば書き込みをする際の礼儀として、コメントなり自身の見解等を述べるべきなのでしょうが、
引用したコピペの文章を読んで頂ければ引用者の考え等はご理解いただけるだろうと考えて、
ひとまず様々な人の見解を読んでいただこうと思い、このような措置をとりました。

読んで様々な感想をお持ちの方もいるでしょうが、興味をお持ちになった方はあとは
ご自分であれこれと調べてみて下さいますようお願い致します。
279<:2011/03/06(日) 23:54:49.17 ID:kjIAY4FV0
>>278
生まれながらの言語障害秦逝く彦の結論♪・・・(・∀・)

"捜索はいい加減であってはならないが、裁判は形式的なものでよい・・・by 秦逝く彦" ・・・つ>>265

馬鹿じゃねーの? ・・・・ ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪
280名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:57:51.32 ID:C96Bl9GwO
>>276
「形式的にせよ」=「形式的にしろ」 ですよw
つまり「形式的」であってもそれを肯定してるということですよw
ああ、極東板の時と同じように根拠がなくても喚き散らせるんですよね、このキチガイ団塊革マルうんこさんはw
281名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:59:39.80 ID:LaSrbETO0
>279
ホントに日本語が不自由なんだなぁ・・・

>その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせずにやってしまったのが問題なんです

>形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかった 


なんで、この単純な文章が理解できないんだろう。
282<:2011/03/07(月) 00:01:55.53 ID:dLxM/2oX0
>>281
だからその「形式的にせよ」の文意を説明してみろよ・・・(笑
何で出来ないの?♪・・・(・∀・)
283名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:03:31.50 ID:Bt+1A5vrO
>>281
秦氏のその文から「形式的な裁判」を否定してるようには見えないのですがw
284名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:07:57.76 ID:Bt+1A5vrO
>>281
理屈が破綻しても抗弁を続けるキチガイ団塊革マルうんこさんw
どこへ行っても惨めですねw
285名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:10:47.83 ID:kOQitB/h0
>282-283

日本語を日本語に翻訳するのも変な話ですが、こういえば解るのかな。


>形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかった 

「形式的なものでかまわないから、せめて軍律裁判だけでも開いておけば問題はなかった」

若干のニュアンスは違ってくるけど、まぁ大意としてはこんな感じか。

なんでこんな中学生レベルの子供に言い聞かせるようなことをしなけりゃならないんだか・・・
286<:2011/03/07(月) 00:15:26.89 ID:dLxM/2oX0
>>285
馬鹿か、コイツは・・・(笑

  @>>「形式的なものでかまわないから、せめて軍律裁判だけでも開いておけば問題はなかった」
    ↓↑
  A>>「形式的にせよ」とは「形式的でもよいから」と同意語 ・・・ つ>>272

@とAは何が違うんだYO♪馬鹿・・・(笑笑笑笑
287名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:17:39.71 ID:Bt+1A5vrO
>>285
結局秦氏は「形式的な裁判」を認めているということじゃないですかwwwwwwww
馬鹿丸出しですよwwwwwwww
288<:2011/03/07(月) 00:24:47.25 ID:dLxM/2oX0
>>285
おい♪耄碌した団塊自己解釈馬鹿♪極東板からこっちに逃げてきても無駄だ♪・・・(・∀・)
生まれながらのバカパターンが染み付いてるから、どこに行っても同じバカを曝してすぐバレる
んだYO♪アホ♪・・・(・∀・)
289名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:42:10.32 ID:kOQitB/h0
>287
結局秦氏は「形式的な裁判」を認めているということじゃないですか

もちろんその通りですよ。
それはコピペした文章の中からもはっきり読み取れるでしょう?

その形式的な裁判すらせずに捕虜を殺害したのがまずかったといっているんです。
290<:2011/03/07(月) 00:44:20.41 ID:dLxM/2oX0
>>289
●だから "チン論ドラゴンウンコ秦逝く彦" の意味不明発言をまとめたものが↓だろうが・・・(笑

  |『昭和史の論点』秦郁彦 歴史学者(日本近代史)・法学博士 2000年 P96,97
  |南京事件の場合、日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのが
  |いけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという
  |判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウイークポイントなんです。・・・捕虜の資格がある
  |かないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせず
  |にやってしまったのが問題なんです。

        ↓↑
  |秦郁彦ですがw 『昭和史の論点』 文芸春秋 P96-98
  |南京でも、    【【【 形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかった 】】】  はずです。
  |ところが、松井石根軍司令官以下、軍律裁判に無関心だったというのは、なんとも理解に苦しみます。

  ※『形式的』 ⇒ 『形式だけを重んじ、内容を問題にしないさま。「―な答弁」⇔実質的。』

●日本軍による便衣兵捜索を "日本側の最大のウィークポイント" と評した秦逝く彦が、その一方、【 形式的にせよ
  軍事裁判を開けば問題はなかった 】 とするミラクル解釈♪生まれながらの言語障害だな、コイツは・・・(笑

     "捜索はいい加減であってはならないが、裁判は形式的なものでもよい・・・by 秦逝く彦"
291名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:46:14.21 ID:RpWpU92b0
>>289
その程度じゃ卒業式で君が代斉唱で起立しない教師程度の罪だなw
まあ悪くて罰金程度のね
292名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:47:03.16 ID:Bt+1A5vrO
>>289
捜査がいい加減だったことを非難している秦氏が、一方では裁判は形式的なものでもよいと言ってるわけですか?wwwwwwww
意味不明なんですけどwwwwwwww
293名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:48:23.46 ID:kOQitB/h0
>265
> |南京事件の場合、日本軍にもちゃんと法務官がいたのに、裁判をやらないで、捕虜を大量処刑したのが
> |いけないんです。捕虜のなかに便衣隊、つまり平服のゲリラがいたといいますが、どれが便衣隊かという
> |判定をきちんとやっていません。これが日本側の最大のウイークポイントなんです。・・・捕虜の資格がある
> |かないかはこの際関係ありません。その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせず
> |にやってしまったのが問題なんです。

>●日本軍による便衣兵捜索を "日本側の最大のウィークポイント" と評した秦逝く彦が、その一方、【 形式的にせよ
>  軍事裁判を開けば問題はなかった 】 とするミラクル解釈♪生まれながらの言語障害だな、コイツは・・・(笑

そもそもこの書き込みからして日本語の読解力がおかしいのが露呈してますね。

秦郁彦が「日本側の最大のウィークポイント」としているのは、「日本軍による便衣兵の捜索」ではなく、
「その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせずにやってしまった」ことだと
言っているのを理解できていない。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:50:51.90 ID:gOA9dpZ60
>>254の秦の主張が正しいとすると、バルジの戦いでドイツ軍の便衣兵をその場で処刑した連合軍のやったことも問題にならないとおかしいわけで。
しかしこの件については虐殺云々どころか、問題にすらなっていないのが実状。
295名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:51:00.06 ID:RpWpU92b0
>>292
例えばアメリカなどは兵士も民間人も区別せずにその場で虐殺していた。それに対して日本軍は捕まえてから兵士を分離して殺した
これを見て「日本の方が悪質」と考える秦って頭おかしいとしか思えませんけどね
296<:2011/03/07(月) 00:53:40.53 ID:dLxM/2oX0
>>293
つまり、"その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせずにやってしまう事" はいけないが、
"裁判は形式的なものでもよい" と言うわけか?・・・(笑 ますます意味不明なんだが?・・・(笑笑笑
297名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:55:48.66 ID:RpWpU92b0
>>293
そうすると秦は「アメリカのように皆殺しすれば良かった」とでも考えているんですかね
ちょっと頭のおかしい人にしか見えませんよ
298名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:56:10.99 ID:Bt+1A5vrO
>>295
同意します。
秦氏の解釈はまさにイチャモンでしかないと思います。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:59:47.80 ID:RpWpU92b0
>>298
結局秦のやっていることは、南京と他の戦場の差異を徹底的に分析して
その違いだけをピンポイントで「悪だ」と決めつけているだけですよね
全体的に見たらどう考えても連合軍のやったことの方が酷いことなのに
屁理屈捏ねて日本”だけ”悪いことにしようとする悪意しか感じられません
300名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:07:08.61 ID:Bt+1A5vrO
>>299
特に日本軍の便衣兵捜索を「いい加減だった」と決めつけていますが、ではどうすればいい加減ではなかったのかに全く言及してないんですよね。
歴史学者なら、他国の捜索がどのようなものだったのかを比較検証して結論を出して欲しいものです。
私に言わせれば秦氏の結論の方がよほど「いい加減」ですw
301名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:13:21.63 ID:kOQitB/h0
>296
>つまり、"その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせずにやってしまう事" はいけないが、
>"裁判は形式的なものでもよい" と言うわけか?・・・(笑

あ、やっと解ったの。
付き合う方も大変なんで、もうちょっと読解力を付けてくれると助かるんだけどね。

で、秦郁彦は「裁判は形式的なものでもよい」って言っているんじゃなくて、
「形式的なものであっても、やってさえいればまだ言い逃れする道はあったかもしれない」
って言ってるんだよ。

形式的なもので良しとするわけではなくて、形式的なものですらやっていないから問題外ってこと。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:16:09.74 ID:RpWpU92b0
>>300
例えば湾岸戦争では、化学プラントであると言うことだけで一般工場を爆撃したり、
培養施設があると言うことだけで病院などを空爆した
それらの過程で綿密な調査と裁判が存在していたというなら証明して欲しい物ですよ
奴らがやっていることは「日本軍が悪いことにする」だけの「形式的な」シミュレーションですね
303名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:19:03.29 ID:RpWpU92b0
>>301
例えばアメリカ軍は分離作業すらやっていないけど、そっちの方が悪質だと思いませんか?
そしてアメリカ軍については現在でもお咎めなしですよね

当然のことながらアメリカ軍より極めて軽微な日本の南京大虐殺(笑)等責める要素が皆無と言えますよ
304<:2011/03/07(月) 01:28:12.66 ID:dLxM/2oX0
>>301
だから言語障害の秦チン論は意味不明だって・・・(笑

"その人間が、銃殺に値するかどうかを調べもせず、面倒臭いからせずにやってしまう事はいけないが、
 裁判は形式的なものでもよい・・・by 秦逝く彦"

どんな "学者" だよ、コイツは ・・・・ ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪

後、勝手に "自己解釈" を曝すなYO〜♪・・・(・∀・)

  >>「形式的なものであっても、やってさえいればまだ言い逃れする道はあったかもしれない」
    ↑      ↑      ↑
ドラゴンウンコ秦はこんな事言ってね〜YO♪・・・(・∀・)
   
  『南京でも、形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかったはずです。 ・・・ by 秦逝く彦』
    ↑      ↑      ↑
  ■秦は "言い逃れする道はあったかもしれない" ではなく、形式的な裁判でも『問題はなかった』
   と断言してるんだYO♪ 読解力の無いヤツに限って "捏造" ばかりやるんだよな・・・(笑
305名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:28:13.56 ID:kOQitB/h0
>303
>アメリカ軍は分離作業すらやっていないけど、そっちの方が悪質だと思いませんか?

ええ、是非ともそのアメリカの非道に関しては追求していくべきだろうと思っています。


>アメリカ軍より極めて軽微な日本の南京大虐殺(笑)等責める要素が皆無

何故です?
アメリカが行った非道はキチンと追求するべきだし、返す刀で日本の行った非道も
キチンと追求しなければならないですよ。

全体としての殺害数の多寡で有罪無罪が決まるわけではなく、一つ一つの事例に沿った
追求がなされるべきでしょう。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:33:12.76 ID:RpWpU92b0
>>305
アメリカ軍による民間人虐殺と、不良の兵隊を処分することは全然違うと思いますよ?
秦ですら便衣兵は処刑されても仕方がないと言っているとしか思えませんよね
ただ「やり方が悪かったから虐殺」ってイチャモン以外の何物でもありませんよ
307名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:39:02.43 ID:kOQitB/h0
>304

おまえ日本語をもっと勉強してこい。

>形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかった

>形式的な裁判でも『問題はなかった』

この二つの文章のうち、前者の文章には「本来は問題があるが、せめてこうしておけば」
という意味の含意があるんだよ。
308<:2011/03/07(月) 01:44:18.94 ID:dLxM/2oX0
>>307
オマエの方こそ "自己解釈" ばかり曝さずに日本語を勉強しろYO♪・・・(・∀・)

『南京でも、形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかったはずです。 ・・・ by 秦逝く彦』

秦は 『形式的な裁判でも問題は無かった』 と断言してんだYO♪・・・(・∀・)
捏造すんなや♪・・・(・∀・)
309名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:47:22.85 ID:RpWpU92b0
>>307
まあそこから判るのは、虐殺と叫ぶには余りに小さい間違いだなって事だねw
世間一般ではイチャモンって言うんだよ
310名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 02:31:55.37 ID:kOQitB/h0
>309
大きい小さいはこちらが考えることではなくて、被害を受けた中国側や
それを周囲で見ていた諸外国がどう考えたかによるのでしょうね。

いずれにせよ、日本は戦争に負けて米国を中心とした連合国にズタボロにぶちのめされて、
彼らの発したポツダム宣言を受け入れて降伏し、東京裁判の結果を受け入れるという前提の元で
国際社会への復帰を許されたという経緯があるのだから、でかい口は叩けないと言うことですね。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 03:00:42.72 ID:RpWpU92b0
>>310
はぁ?被害を受けたって言っている中国の主張は真っ赤な嘘だろ
何で日本が嘘を受け入れる義務があるんだよ
お前の首は重りを乗せる台なのか?
312名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 03:20:55.48 ID:kOQitB/h0
>311
>何で日本が嘘を受け入れる義務があるんだよ

負けた人間がでかい口叩くなってことさ。
こっちが勝ってりゃ今頃こんな話はしてねえさ。

戦争に勝ってれば良かったんだけど、いかんせん国力を無視した戦争を仕掛けて
ズタボロに負けるような無能な連中がトップにいた国だからね。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 03:26:54.28 ID:RpWpU92b0
>>312
つまりあんたにとっての南京は学問じゃなくて政治なんだね
それじゃ、ここから出て行った方が良いよ
314名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 03:29:03.88 ID:RpWpU92b0
>>312
あと、日本に勝った訳じゃない中国が口を出すのもお門違いって事だなw
315名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 03:41:05.96 ID:kOQitB/h0
>313

学問的な話として詰められるのは、残っている資料から推測できるある程度の幅でしかないんだよ。
それ以上の「何人以上」「何人以下」「不法だったか」「合法だったか」の話に関しては、
多くの資料の散逸してしまっている以上、正確な数なんか出るはずがない。

秦郁彦が言うように「今となっては南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは、
理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば”神のみが知る”であろう。」ってこと。

その後の話は、もう政治の領域になると言って良い。
中共側が繰り出している「30万人説」のプロパガンダをどうやって打ち破れるかという
戦術の問題になってきている。
むこうは侵略を受けた側で、こちらが戦争に負けた側という不利な状況だ。

そういう状態で

>53 :左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/02/28(月) 22:02:05.74 ID:AkVwiEcoO
>ギャッハッハッハッハ!
>誰が見ても肯定派なんてお前一人しかいねーじゃねーかwww
>能書きばっか垂れてねーでさっさと南京大虐殺の証明しろやヴォケ!!!

こういう乱暴な物言いをして「自分たちの側の非を一切認めない」という
姿勢を取ることは慎んだ方が良いってこと。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 03:47:54.11 ID:RpWpU92b0
>>315
日本が1948年に建国した国にどうやったら負けることが出来るんだ?
1945以降に日本は戦争などしていないぞ

日本にだけ罪を認めろと言うあんたには負けるわw
317名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 06:18:30.95 ID:KaQDWh+v0
>>315
>むこうは侵略を受けた側で、こちらが戦争に負けた側という不利な状況だ。

講和条約を結んだ時点で戦争中の行為は免責されるのが国際常識なんだがw
国際法史上有名なアムネスティ条項(国際法上の大赦)というやつw
それには、戦乱が始まって以来、言葉、記述、暴虐、暴行、敵対行動、毀損、失費のかたちで行われたすべてのものにつき、
「交戦諸国相互間で、永久の忘却、大赦ないし免罪があるべきものとする」と規定されている。
このように、全てを水に流す「全面的忘却」の精神に基づくアムネスティ条項は、戦争によって煽動された国家間の憎悪を鎮め
平和を回復するために必要とされ、17世紀から19世紀中に締結された数多くの講和条約の中に盛り込まれた。
以上の諸国家の慣行に基づき、第二次世界大戦前には、アムネスティ条項が講和条約中に設置されなくても、講和条約の
発効それ自体がアムネスティ効果を持つということが、国際条約(明示の合意)と共に国際法を構成する国際慣習法(黙示の
合意)―国際社会に生まれた慣習にして、複数の文明諸国家によって、彼らの正しいとの信念の下に繰り返し行われ、遵守す
べき規範(ルール)として確信されるに至った慣習―として確立した。

つまり、講和条約締結後に戦争中の行為を非難するのはアムネスティ条項に反するw
日本と中国は平和条約を締結していると思ったがなあw
日華平和条約(1952)w
日中平和条約(1972)w
まさか「中国様は国際常識を無視してもかまわない!」とでも?
318左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/07(月) 07:26:38.97 ID:PcfcqbWQO
>>315
ハイハイ、敗北宣言ありがとうwww
「証拠はあるはずだが、全部紛失してしまったニダ〜!」
といくら妄想しても、所詮南京大虐殺なんてただのプロパガンダでしかなく、証拠などあるはずありません。
非常に残念ですが、現実は南京戦という名のただの戦闘です。
悔しいですか?
まあ気持ちはわかりますが、現実はちゃんと受け入れましょうねwww
319名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 08:28:16.85 ID:BGonKmFy0
正確な規模を特定できるだけの史料が残ってないというだけで、
虐殺の証拠になっている史料や証言は充分すぎるだけあるってことでしょ。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 08:51:18.25 ID:BGonKmFy0
>アムネスティ条項
また、佐藤和男ですかw
この人は戦数論など色々電波を発信してくれますなあ。

近年、この人を中心にこの手の主張をよく見かけるけど、ジュネーブ4条約であっさり却下できますな。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 09:11:48.02 ID:KaQDWh+v0
>>320
できると思うならやってみればw
大口を叩いた肯定派がそれを実行できた事など無いがw
どうせ肯定派ごときにできる事なんて、脳内妄想と自己解釈で唯の戦闘を「虐殺だ!」と根拠も無く喚くだけw
322名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 10:24:34.13 ID:BGonKmFy0
知らないのに無理しなくていいよ。
ジュネーブ4条約では国際的な交戦法規に違反する行為は、各国が普遍的管轄権を持つことが定められている。
323名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 10:27:38.39 ID:kOQitB/h0
>316
>日本が1948年に建国した国にどうやったら負けることが出来るんだ?

元の文を良く読んでくれ。
日本が中国に負けたとは書いていない。
日本は戦争に負けた側といっているんだ。
中華民国を含めた連合国側に。
ポツダム宣言にきちんと書かれているだろう。

>日本にだけ罪を認めろと言うあんたには負けるわw

どこをどう読めば私がそういう主張をしてるように見えるんだ?
中国側が主張する30万人説はどう見積もって過剰だから
日本側は現時点である程度確証を持って言える被害規模をもって
相手側に理解を求める立場だといっているんだ。
それが日本政府の公式な見解。
その足を引っ張っているのが「日本の非をまったく認めない」
と主張している方々だと言っている。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 10:32:07.55 ID:kOQitB/h0
>318 :左翼ん ◆PDzqWniYxQ

あいかわらずの頭の悪い発言をどうもありがとう。

あんたが何をどう主張しようが、このスレに張ったコピペの数々に目を通してくれた方の
良識を信じることにするよ。

どんな資料や証言を出したって、それに目をつぶってしまう人間相手では
論議は成り立たないからね。

>321
>どうせ肯定派ごときにできる事なんて、脳内妄想と自己解釈

これ、否定派のやってることそのものじゃない?
325名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 10:46:06.37 ID:KaQDWh+v0
>>323
>中国側が主張する30万人説はどう見積もって過剰だから
>日本側は現時点である程度確証を持って言える被害規模をもって
>相手側に理解を求める立場だといっているんだ。

だから日華平和条約で双方の戦争被害については全て解決済みなんだが。
解決済みの問題を持ち出してイチャモンをつけているのは中国側。
日本の立場は「日華平和条約で解決済み」。
それ以上でも以下でもない。
相手側に理解を求める必要などない。
もし本当に相手側に理解を求める必要があるのなら、それは内容を理解せず条約を結んだ相手側の責任。
お前の主張は「中国側は国際条約を理解する能力も、条約を結ぶ意味も理解していない無能」と主張しているのと同じだw
326名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 10:58:33.49 ID:KaQDWh+v0
>>324
>どんな資料や証言を出したって、それに目をつぶってしまう人間相手では
>論議は成り立たないからね。

資料や証言の【検証】もせず、全て鵜呑みにするのが論議ですかw

【検証】せず証言者の言う事を鵜呑みにして恥をかいた例w
つ>212w
【架空の妄想小説】の例w
つ>218w

当然、お前が言う資料や証言はちゃんと【検証】されているんだろうなw
まさか【検証】もせずに「コピペして貼り付けただけ」なんて事は無いよなw
まあ、おまえが出す資料や証言は【検証】させてもらうがw
327名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 11:14:49.49 ID:kOQitB/h0
>325

日本は日中平和友好条約(1972)において、

それに先だっての「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」で

「前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること
及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し」

という文言を踏まえて条約を結ぶと言っている。

そして前記の共同声明において、
「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」
という一文が入っている。

一部の「南京事件での日本軍による中国軍や中国人民への残虐行為が存在したことを
一切否定するような人々」は、これらの条約や声明について理解が足りない。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 11:30:11.08 ID:Bt+1A5vrO
>>320
またまたキチガイ団塊革マルうんこさんが馬鹿丸出しですねw
ジュネーブ四条約が南京戦に関係あるのですか?w
329名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 11:42:22.55 ID:kOQitB/h0
>326
>資料や証言の【検証】もせず、全て鵜呑みにするのが論議ですかw

どんな学問分野でも、存在する全ての一次資料や二次資料を一人の人間が
検証することは容易ではありません。

だからこそ、ある程度信頼の置ける論者の発言を相応の価値を持つものとして
引用したり援用したりすることは認められています。

そして何を持って「信頼出来る」と判断するかは、その人物が過去に行ってきた
著述内容に重大な錯誤や故意の捏造などが存在したかしなかったかを基準とします。

秦郁彦の論説はそうした検証に耐え得てきたけれども、
否定派の方は論者がなした捏造や事実誤認が見つかっているようです。

・昭和60年に田中正明氏が「松井岩根大将の陣中日誌」を発表したが、
 900カ所に渡って南京事件を否定する方向に改竄されていることを
 研究家の板倉氏が「歴史と人物」(昭和60年冬の号)で詳細に指摘。

・反対派の筆頭格の一人と目されている東中野修道氏の論説に対して
 なされている、膨大な量の事実誤認や資料の曲解への指摘など。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:01:50.24 ID:KaQDWh+v0
>>327
>「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」

平和条約の締結によって解決済みですがw
戦争で軍や市民に被害が出るのは当然ですが?
否定派はそれまで否定していませんがw
南京攻略戦で被害が発生したのは事実。
しかし、その被害が「南京大虐殺」と呼ばれるほどの規模ではありえない。
つまり「南京事件」とは単なる戦争被害でしかないw

しかも
>日本軍による中国軍や中国人民への残虐行為
とやらを具体的に説明できた肯定派は存在しないw
秦郁彦でさえ兵士を含めて「最高限四万(民間人1万w)」としかしていないw
つ>262
首都が戦場になって損害が出ただけなのに、それのどこが「残虐行為」なんだとw
331名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:06:42.19 ID:RpWpU92b0
>>329
>秦郁彦の論説はそうした検証に耐え得てきたけれども、
秦氏が自ら人数を下方修正していることと整合性がとれない発言ですね
彼は過去の研究が検証に耐えられなかったと自ら認めているんじゃないのかな?
332名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:18:21.14 ID:KaQDWh+v0
>>329
>だからこそ、ある程度信頼の置ける論者の発言を相応の価値を持つものとして
>引用したり援用したりすることは認められています。
>
>そして何を持って「信頼出来る」と判断するかは、その人物が過去に行ってきた
>著述内容に重大な錯誤や故意の捏造などが存在したかしなかったかを基準とします。

はあ?「あの人の言ってる事だから信頼できる」と内容を確認せずそのまま引用するのが論議ですか?
その結果が藤村の遺跡捏造事件みたいな事になっているんですが?
【検証】という言葉の意味を理解していますか?
ここは本当に学問板なんですか?

仮にも自分が正しいと思って引用するなら、自分で最低限の内容を確認するのが論議に臨む姿勢でしょう。
それもできないなら、論議どころか見る価値すらありませんね。
せめて見る価値があるレベルになってから書き込んでください。
あまりにも言っているレベルが低すぎる。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:18:48.06 ID:kOQitB/h0
>331
>>秦郁彦の論説はそうした検証に耐え得てきたけれども、
>秦氏が自ら人数を下方修正していることと整合性がとれない発言ですね

捏造が発覚して自説の根拠が崩壊してしまう事例と、
資料を検討して自主的に推定値を修正する事例とをごっちゃにするなよ。

「この二○年、事情変更をもたらすような新史料は出現せず、今後もなさそうだと見きわめがついたので、
あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい。」
(「南京事件―「虐殺」の構造 増補版」P317〜P318)

上記の論述はなんら秦郁彦の論述が無効化されたことを意味していない。
また上記の記述は2007年に出た増補版に付言されたものだけれども、
本文の論述には大きな訂正加筆等を加えないまま再出版していることからも、
氏の主張する「4万人説」自体には大きな変更が加えられていないといえる。
334名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:22:05.48 ID:kOQitB/h0
>332
>「あの人の言ってる事だから信頼できる」と内容を確認せずそのまま引用

学問における検証というものを理解していないようだ。

「その人物が過去に行ってきた著述内容に重大な錯誤や故意の捏造などが存在したかしなかったか」
ってちゃんと書いているんだけどねぇ。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:23:39.32 ID:3IhBXkv/0
>>329
30万人説とか十数万人説とか、検証に耐えられないトンデ肯定説はスルーですか?

史料批判は、あの人は信頼できるからあの人がいっていることは信頼できるとか、そういうことではないですよw

正しい「史料批判」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E6%96%99%E6%89%B9%E5%88%A4

336名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:27:12.58 ID:KaQDWh+v0
学問板ってのは本気でこの程度のゴミしか居ないのかよw
337名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:35:39.37 ID:kOQitB/h0
>335
>検証に耐えられないトンデ肯定説

私はこれらの肯定説には同意していないし、30万人説を主張した人の発言を引用してもいないが?

>史料批判は、あの人は信頼できるからあの人がいっていることは信頼できるとか、
そういうことではないですよ

もちろんそうですよ。
否定派が秦郁彦の論述に致命的な事実誤認や資料の捏造・曲解を指摘したのなら
その事実を元に秦郁彦の論述を否定します。

そういう事例ってあったの?
338名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:35:49.75 ID:RpWpU92b0
>>333
単に往生際が悪いだけにしか見えませんよw
過去の自説に自信があったら「可成り下回る」なんて言い回しは使いませんよ
339名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:38:47.96 ID:kOQitB/h0
>338
>過去の自説に自信があったら「可成り下回る」なんて言い回しは使いませんよ

過去の自説に自信がなかったら、本文に手を入れずに本文そのままで復刊するとかしねーよ。
340名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 12:42:01.94 ID:RpWpU92b0
>>339
そう言うのは世間一般では「恥知らず」と言いますw
341名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 13:22:37.75 ID:3IhBXkv/0
>>337
>否定派が秦郁彦の論述に致命的な事実誤認や資料の捏造・曲解を指摘したのなら
>その事実を元に秦郁彦の論述を否定します。
>そういう事例ってあったの?

66連隊史料とかだろ
342名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 15:19:27.42 ID:Bt+1A5vrO
秦氏の66連隊戦闘詳報「勘違い」はむごいものでしたw
あの人、本当に歴史学者なのでしょうかwwwwwwww
343名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 19:44:17.41 ID:9BiV1Rq70
お前ら、まず吉村昭の『蚤と爆弾』に対して反論してみろよ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054698490
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/war/1298449759/




















344名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 20:40:59.21 ID:qbA59hJrO
>>343
単なる小説。
いい加減くだらないコピペは止めろ!
345名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 21:13:11.30 ID:Dut0tOwR0
最終結論 by 偕行社

『南京戦史』及び『南京戦史資料集』より

「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3千乃至6千」

いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。
しかも、民間人はほぼゼロ。秦の主張などどうでもいい。


346左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/07(月) 22:20:31.21 ID:PcfcqbWQO
>>345
>「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3千乃至6千」

まあ現実はこんなところでしょう。
そして、疑わしきは罰せずの原則に従い日本軍は無罪。
よって南京大虐殺はなかった。
これが最終結論となります。
347名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 22:32:09.32 ID:WsyExMm00
世間一般で通用しない右翼思想がこんなところでひっそりと。

もっと明るい場所に出て自分の思い込みを話せばいいのに。
世間では街宣車の言うことを迷惑でしかないと思っているけど、違うやり方もあるんじゃないの?
348名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 22:35:48.60 ID:Dut0tOwR0
今時、南京大虐殺があったと思っている人間など見たことがない。
「中共のプロパガンダ」で皆一致する。

中国共産党のプロパガンダを信じ込むのは馬鹿のみ。
349名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 22:36:55.62 ID:Dut0tOwR0
ネットの世界では、歴史の真実を語ると「右翼」とよばれるらしい。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 23:12:29.80 ID:KaQDWh+v0
結局、肯定派は極東板まで勝利宣言しに来たくせに尻尾を巻いて逃亡かよw

【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】130次資料
ttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1298471633/l50
>346 :日出づる処の名無し :2011/03/05(土) 01:06:03.25 ID:Wq9HWPca
>嘘で固めた南京大虐殺 (2)
>http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1298550500/
>
>70-71>>81->>82を参考、どうやら理路整然とした肯定派の理論にウヨどもはまともに答えられないようだな、沈黙がよい証拠だ
>ここのウヨ共はこれでもまだオママゴトな詭弁を使っていくのかな?

理路整然と言っておきながら「第一大隊戦闘詳報」を信じる根拠は「皆行社が戦史の資料として採用したから」w
しかもその「南京戦史」に「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」 「軍事的慣例と異なる記述」 「全文を通じてその表現は極めて異様」と書かれているのは無視w

実にスバラシイ「理路整然」とした論理ですねw
351名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 00:02:09.97 ID:tQgOrOAY0
>>350
肯定派のいっていることは無内容だな
352名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 08:36:15.38 ID:jvz5gAaW0
346 :左翼ん ◆PDzqWniYxQ
>>345 >「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3千乃至6千」

>まあ現実はこんなところでしょう。
>そして、疑わしきは罰せずの原則に従い日本軍は無罪。

なにを勘違いしているんだ、皆行社の結論はこうだよ。


「結局、不法処理の被害者の数はいくらか

(中略)

<参戦者の証言資料によれば不法に殺害したとされる事案に多くの疑問があるが、
今日においてその真偽を究明することは不可能である。
況んや広い戦場において「虐殺か否か」を一々分別し、虐殺数を集計することなど今においては不可能事である。

人はよく質問する。「虐殺の真数はいくらか」と。ある程度は推定し得るが、真相はわからない。
強いていえば、不確定要素はあるが、虐殺の疑いのあるものは三千乃六千内外ではあるまいか」、と私は答えるしかない。>

三千はもとより六千とは途方もない数字である。

何処で何時不法処理が行われたろうかの事例は前号までの戦史で述べた。
第十三師団の幕府山付近、第十六師団の下関付近、第九師団の城内掃蕩、第十六師団関係城内敗残兵摘出、その他各師団の掃蕩など、
事例は、判明している限りを明記した。読者諸君それぞれに推定し、そして集計することが可能なはずである。

そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。
板倉由明氏の集計されたものである。

同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。
そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した
(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。
従って南京の不法殺害は計一万三千人である。板倉氏はこれが「現時点での」推定概数であるとする。
これまた、途方もなく大きな数字である。

畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。
これを併記して本稿の結論とする。」
353名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 08:47:34.63 ID:jvz5gAaW0

保阪 偕行社版の『南京戦史』では虐殺の死者は二万人でしたかね。

秦 戦史家の板倉由明氏があの偕行社本の中心です。
  使っているデータはわたしと同じですが、わたしのほうが被害者が二倍になっている。
  なぜかというと、向こうは減耗率を掛けているんです。どういう減耗率かというと、
  勲章をもらうためには戦果を過大に報告するのが慣習で、戦闘詳報で何人と書いてあるのは
  0.5倍を掛けなきゃいかんと。

半藤 そうなんだ。それが陸軍の常識だと言っているんですよ。

保阪 なるほど。その数値を掛けたやつを載せているわけですね。

秦 私は同じデータだけれども、減耗率を掛けない。

半藤 秦さんのほうは五万人でしたっけ。

秦 四万。向こうは二万人ぐらいです。だから何ていうことはない。
  手品でも何でもないんで、減耗率を掛けるか、掛けないかの違いです。

 (『「BC級裁判」を読む』 p264-p265)
354名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 09:02:22.09 ID:jvz5gAaW0
「南京戦史の総括的考察に反対された方へのお答え」より

「偕行」編集担当常務理事  高橋登志郎

加登川サンが総括したこと

(略)

3月号の加登川論文(>263-264)は突然出て来たのではないのである。
そしてこの論文は、加登川サンの原案を、1月12日丸々一日かけて、畝本サン、
戦史部の森松サン、原サン、及び私と細木君とで十二分に検討し、
畝本サンの全面的同意を得て出来上がったものである。

そもそも59年4月号より連載された畝本論文は、それまでに得られた証言・資料をもとにして、
言わば見切り発車した論文であった。
しかも畝本サンは当然であるが、シロとあれかしと願う心が強かったので
―もちろんこれが畝本サンのエネルギーの源泉であったが―
ハイ色やクロの証言は証拠不充分として、没にしていたものもあったのである。

逐次戦闘加入した畝本論文も、一次資料にもクロが出だすと、クロ証言も取り上げざるを得なくなった。
正に軌道修正である。 
従来のシロ主張論は通らなくなったのである。

8月号以降をもう一度読んで戴ければ解る。
畝本サンはいろいろな面でお困りになったと思う。
「困った、困った」と苦渋に満ちた顔は忘れられない。

畝本サンがたとえ3千でも、クロの結論を書くことは非常な決心が要ることであった。
140名を超すシロ主張の各部隊の方々の名前や顔が浮かんでくるであろう。
クロやハイ色の結論を書けるわけがない。
「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは3千乃至6千」とご自分の頭にありながら、
畝本論文の2月号における最終回論文においても、畝本サンはもろもろのクロ、ハイ色証言を殆ど否定されておられるのである。
こういう畝本サンの心情を察知された加登川サンが「俺が書こう」と言いだされたのである。

正月休みに非常な決心をもって締めくくりの原稿を書かれた加登川サンには、今年の正月の酒は極めて苦い酒であったと思う。
この原稿が活字になるまでは前述した。
畝本サンはいやいや加登川サンに譲ったのではない。
「加登川サンが書いてくれてホッとした」という私に洩らされた畝本サンの一言がすべてを物語っていると思う。

(P10)
355名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 09:05:58.52 ID:jvz5gAaW0
「南京戦史の総括的考察に反対された方へのお答え」より

 中国国民に詫びたこと

前述の通り加登川論文は畝本サンを含めて我々の同意のもとに活字になったのであるが、
この「中国国民に深く詫びる」の12行の文字だけは送稿直前に入れられたもので、
我々は後にこれを追認したのである。

1月12日の会合で出た我々の修正意見を入れて、3月号原稿を書かれた加登川サンとしては、
これだけのことを書いて、中国国民に何の会釈もしないで、通り過ぎることはできなかったのである。

謝ったのは加登川サン個人である。
文責は加登川幸太郎にあると明記している通りである。
そして我々は追認した。
それはこの非常な勇気(井本熊男談)をもって書かれた加登川サンの心情を思えば極めて当然の文章であったからである。

会員の中で謝りたくない方は謝らねばよいと思う。
しかし私のところには謝ったことを特に評価して、多くの会員から電話を戴いた。

その電話の中に「長い間胸につかえていたものがスッと下りた気がする」と言ってきた人がいる、
また「全く素晴らしい」という人、「人間として当たり前である」という人等さまざまである。
繰り返して言うが謝るも自由、謝らないのも自由である。

(P10〜P11)
356名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 09:09:11.97 ID:jvz5gAaW0
畝本正己

会員諸兄のなかには、
「なぜ中国国民に詫びる必要があるか。事は戦争である。
アメリカの原爆投下、東京の無差別爆撃、あるいはソ連軍の満州進入時の行為・・・など、
日本に詫びた国があるか。卑屈になるな」という強い意見がある。

戦後、「一億総懺悔」と称して、罪悪感を一方的に背負わされてきた我々日本人の怨念とも言うべき心情は私とて同様である。

しかし、米ソがその非人道的行為を謝罪しないことはさておき、われわれが、率直に非は非として詫びることは、
なんら卑屈な態度ではあるまい。彼らに勝る道徳感であると思うが、いかがなものであろうか。

私は、まず陛下にお詫び申し上げなければならないと思っている。

当時われわれは、天皇の軍隊として戦った。
それが、数千人にも及ぶ不法殺害の疑いをかけられたとあれば、皇軍にあるまじきことである。
当時、軍籍にあった者は、深く自省自戒すべきである。

また、蒋介石総統は、終戦にあたり、「仇に報いるに徳をもってす」と、東洋道徳をもって我らを遇した。
戦争という異常な事態とはいえ、その非違は、武士道に照らして、率直に中国国民に詫びるべきである。

中国側の過大と思われる告発に対しては言うべきは言うが、われらの非は非とするのが隣人に対する紳士の態度であろう。
私は、詫びられた加登川氏の心情を、このように理解するものである。

(P8) 「偕行」1985年5月号
357名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 09:59:46.40 ID:nR6kT3m3O
クッサイクッサイクッサイ団塊革マルうんこのコピペオナニーでしたw
358名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 10:56:37.68 ID:FPT/tdXo0
ところが、不法殺害じゃありませんでした。
という結論になりつつあるんだから 
お笑い種だよな

編者に国際法学者に強い人がいなかったのも残念だね
359名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 11:41:31.63 ID:jvz5gAaW0
>358
>ところが、不法殺害じゃありませんでした。
>という結論になりつつあるんだから 

その結論を支持している国際法学者を数十人単位で呼んでこれるんだったらその見解も成り立つのかもしれんが、
数人しかいないんだったらそれはただのデンパさんの妄言としか扱われないよ。
360左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/08(火) 12:11:24.50 ID:MbCbdHUMO
ここにこう書いてある。

>>356
>私は、まず陛下にお詫び申し上げなければならないと思っている。
>当時われわれは、天皇の軍隊として戦った。
>それが、数千人にも及ぶ不法殺害の疑いをかけられたとあれば、皇軍にあるまじきことである。
>当時、軍籍にあった者は、深く自省自戒すべきである。


まあ蛆虫のチョンコロには理解できんだろうが、これは武士道精神なんだよ。
例え疑いであろうと言い訳はしない。
ましてや自らの行為で主君が汚名を受けるのであれば尚更である。
違法・合法も関係ない。
武士として率直に詫びた。
真に潔いではないか。
それを挙げ足をとって南京大虐殺を認めたとか鬼の首を捕ったかのように大騒ぎするバカチョンの卑劣さには正直反吐が出る。
汚らわしい嘘つき糞チョン肯定派野郎はさっさと故郷の便所半島に帰って大好きなウンコでも喰ってろやwww
361名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 12:33:26.07 ID:nR6kT3m3O
>>359
交戦法規違反者は国内刑法で裁けるなどと珍論抜かしてる粘着キチガイ団塊革マルうんこはさっさと死ねばいいのですよw
362名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 13:08:23.54 ID:4q/Y/atyO
>>359
バルジの戦いでドイツ軍は連合軍の制服を着用して暴れまわっていた
これに対する連合軍の対処は捕まえて即座に射殺
そしてこの行為を違法だと言っている学者は俺の知る限り一人もいない
国単位でも連合軍側はもちろん枢軸側もこの行為を非難してはいない
非難がないところを見ればこの行為は合法だったと見てよいだろう
よって同様の行為をした日本軍もまた無罪
363名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 13:24:09.20 ID:jvz5gAaW0
>362
中国兵が日本兵の軍服を着用して暴れ回っていたのか?
そういう事例があったというのは聞いたことがないんだけど。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 13:27:02.66 ID:5vDEhZ9G0
軍服を脱いだ時点で
365名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 13:40:15.68 ID:jvz5gAaW0
>それを挙げ足をとって南京大虐殺を認めたとか鬼の首を捕ったかのように大騒ぎするバカチョンの卑劣さには正直反吐が出る。

ネトウヨって、まともな反論が出来なくなるとファビョリ始めるのか。
まるで韓国人みてぇだな。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 14:02:13.60 ID:FPT/tdXo0
>>368
無知乙

1938.1.4 NYタイムス
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに
南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。
実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。


1938.2.17 大阪朝日
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、
暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか……の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。
367名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 14:02:56.79 ID:FPT/tdXo0
>>366における>>368はアンカーミスで>>363に訂正
368名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:16:30.71 ID:nR6kT3m3O
>>365
粘着キチガイ団塊革マルうんこさんは窮地に陥ると延々と根拠のない決めつけを喚き散らしてますよw
369名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:19:52.26 ID:jvz5gAaW0
>366

1月25日のNYタイムズにこういう記事があるよ。

中国軍の首都放棄のあと、南京に「国際安全区」が設立されたが、多くの中国軍将兵が
そこに避難所を求めている。
日本軍のスポークスマンである永井大佐は、昨日の記者会見において、
そのように主張しつつ、南京の日本憲兵隊の報告を発表した。

報告が主張するところによると、中国軍の高級将校が、館員が退去したあとの
外国大使館・公使館の建物に隠れていたことは、確かだという。
報告によれば、12月28日までに、23人の中国軍将校、54人の下士官、
1498人の兵士が、安全区内のさまざまな建物内から日本軍によって発見された。

その報告書の主張するところによれば、彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)がいた。
彼は陳弥(音訳)と名乗って、国際避難民の第四部門のグループを指揮していた。
また、前第八十八師の副師長馬?香(音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(音訳)もいると言われている。

馬中将は安全地帯内で反日攪乱行為の煽動を続けていた、と言われる。
また、安全地帯には黄安(音訳)大尉のほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、
王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。

館員が退去したあとの外国大使館・公使館に隣接する防空壕からは、隠匿兵器が発見された。
ひとつの防空壕の捜索の結果は、次の通りである。

軽砲 1
チェコ製機関銃 21 弾丸60発付
他の機関銃 3
空冷式機関銃 10 弾丸3000発付
小銃 50 小銃弾42000発付
手榴弾 7000
迫撃砲弾 2000
砲弾 500

我々は、防空壕に隣接するという大使館の特定を求めたが、スポークスマンは、
自分にはそれを言う権限がないと思う、と言うのみだった。
彼はまた、アメリカ公使館から誰かが発見されたのかどうか、という質問を避けた。
彼が続けるには、公式情報は入手できないものの、逮捕された多くの中国軍兵士が
略奪の罪で処刑されたと思う、ということだった。捕虜たちは戦時捕虜と見なされたのか、
あるいはスパイと見なされたのか、という質問に対しては、彼は、それは捕虜たちが
逮捕されたときの状況による、と答えた。
370名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:28:31.68 ID:jvz5gAaW0
記事の後半部分をよく読めば解るように、NYタイムズの記者は日本軍の発表を
信憑性に欠けると判断している。

なぜなら、南京に入城した日本軍の蛮行が国際的な非難を浴びている最中に、
こうした事例が本当に存在したのならもっと大々的に事件の詳細な事件の内容を
全世界に向けて発表するのが自然であるのに、細部に対して答えずに詳しい場所、
彼らが発見された大使館がどこの国のものなのかも明かしていない。

むしろ日本側によるでっち上げの可能性が高いと考えていたようです。


>366の1月4日付けのNYタイムズ記事は、国内では東中野修道氏が
自著の中で紹介していますが、氏の論説に対して板倉由明氏が反論を寄せています。

「日本軍に逮捕されて白状したとあれば、日本軍の悪評を消すための絶好の宣伝記事だから、
大々的に公表し、新聞に書かせるだろう。
捕らえたのがどの部隊かも明らかでなく、第十六師団関係者、憲兵隊関係者の日記や証言に
全く見当たらず、『東京日日』や『朝日』にも出ていない。

(東中野論文「ラーベ日記の徹底検証」を批判する 「正論」平成10年6月号所収)
371名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:35:40.49 ID:jvz5gAaW0
1938.2.17 大阪朝日

あと、後半のこちらの記事に関しては、次の一文が当時の南京の状況をよく表しているよね。

「暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものである」

暴行を受けた中国人達は、犯人達が日本語を喋っているから日本人と勘違いしていたので
憲兵隊に届け出ることが出来なかったんだよ。

つまり、日本人による暴行・略奪が日常茶飯事になっていて、中国人がその被害を訴え出ても
取り上げてくれる人がいなかったということ。

本当に日本軍が軍規厳正で暴行や略奪をしていなかったのなら、「日本人を装ひ」
悪事を働くこれらのなりすまし中国人は簡単に摘発されていたはず。
つまり、この記事からは南京では日本軍の暴虐がとても多かったと言うことがわかるってこと。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:41:00.44 ID:FPT/tdXo0
>>370
>むしろ日本側によるでっち上げの可能性が高いと考えていたようです。
ん?別にでっち上げであると記事に書かれていませんが?
あなたの勝手な解釈ですよね

>板倉由明氏が反論
国内では、虐殺なんて問題になっているのにどうして、
どうして大々的に公表し、新聞に書かせるのか、私には理解に苦しみますけどw

1938.2.17 大阪朝日 すくなくても朝日新聞には載っていたみたいですねw
373名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:45:19.60 ID:FPT/tdXo0
>>371
>つまり、日本人による暴行・略奪が日常茶飯事になっていて、中国人がその被害を訴え出ても
>取り上げてくれる人がいなかったということ。
論理が飛躍しすぎているね
普通に、占領軍に対して、わざわざ目をつけられるようなことは誰も言わないと思うけどね
中国は、日本と戦争している状態なのを無視していないか?

中国は、日本と戦争している状態であるし、
占領軍に対して、わざわざ目をつけられるようなことは誰も言わないと思う
中国人がその被害を訴え出ても
取り上げてくれる人がいなかったということ。

と考えるのが自然だよね
374名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 15:51:29.66 ID:FPT/tdXo0
反日攪乱部隊が逮捕されてから明らかに南京安全区委員会の提出文書内容が変わっていっているが?
日本人による暴行・略奪が日常茶飯事になっているとはとても思えないね

NO 日付 宛先 表題 作成者
1 1937/12/14 南京日本軍司令官 一般市民の保護について ラーベ
2 1937/12/15 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 武器を捨てた中国兵について ラーベ
3 1937/12/15 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 南京国際赤十字社結成について フォースター
4 1937/12/15 特務機関長 特務機関長との会見の覚え書 スミス
5 1937/12/16 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 暴行、治安対策、食料要求など ラーベ
6 1937/12/17 南京日本帝国大使館 強盗、強姦、殺人の蔓延 ラーベ
7 1937/12/18 南京日本帝国大使館 暴行、強姦、兵士の取り締まりについて ラーベ
8 1937/12/19 南京日本帝国大使館 暴行事件報告 スミス
9 1937/12/21 南京日本帝国大使館 放火、暴行、略奪への抗議 南京在住外国人一同
10 1937/12/21 南京日本帝国大使館 南京市の放火事件にかんする判定
11 1937/12/21 南京日本帝国大使館 暴行事件抗議 スミス
12 1937/12/22 憲兵司令布告
13 1937/12/26 南京日本帝国大使館 暴行事件抗議 スミス
14 1937/12/27 南京日本帝国大使館 食料、石炭要求 ラーベ
15 1937/12/27 南京日本帝国大使館 石炭要求 スミス
16 1938/01/04 南京日本帝国大使館 暴行事件報告 ラーべ
17 1938/01/07 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 市内の秩序について ラーべ
18 1938/01/13 南京日本総領事代理・福井 小麦と米の無料配布について フィッチ
19 1938/01/14 南京日本帝国大使館員・福田篤秦 食料石炭の供給について ラーベ
20 1938/01/15 南京日本帝国大使館 食料品の輸送について ラーベ
21 1938/01/17 アメリカ大使館/アリソン 石炭食料の輸送関連 スミス
22 1938/01/17 南京日本帝国大使館 石炭食糧配給についてラーベ
23 1938/01/18 上海キリスト教総会/ボイントン 食糧問題 フィッチ
24 1938/01/19 アメリカ大使館/アリソン/イギリス大使館/ドイツ大使館 食糧問題 ラーベ
25 1938/01/26 アメリカ大使館/アリソン/イギリス大使館/ドイツ大使館 配給問題 ラーベ
26 1938/01/28 イギリス大使館/ブリュン 寄付依頼 ラーベ
27 1938/02/06 アメリカ大使館/アリソン 義捐金関連 ラーベ
28 1938/01/27 南京日本帝国大使館 食糧事情 ラーベ
29 1938/01/28 南京自治委員会 食糧配給 ラーベ
30 1938/01/30 ドイツ大使館/ローゼン博士 国際委員会の地位について ラーベ
31 1938/12/03 日本大使館/日高 難民収容所閉鎖問題 ラーベ
32 1938/01/10 アメリカ大使館/アリソン 国際委員会の地位について スミス
33 1938/01/10 アメリカ大使館/アリソン リッグズ氏が巻き込まれた事件 スミス
34 1938/02/19 アメリカ大使館/アリソン 委員会名称変更について スミス
375名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 16:24:27.39 ID:nR6kT3m3O
無学歴者や国語力が極めて乏しい人に限って「南京大虐殺があった」と勘違いしてしまう傾向があるようですw
376名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 16:37:11.07 ID:jvz5gAaW0
>374

はいどーぞ。

http://nanjingforever.web.infoseek.co.jp/victimreportlatter.html

さすがに長すぎるんでコピペする気力も湧いてこない。

このサイトを読んで、まだ何か言いたいのであればそのときには面倒でも
コピペでお返ししてあげるよ。
377名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 16:44:19.53 ID:0N9pV/QH0
>>373
日本軍撤退後に南京で国民党が調査した時
南京大虐殺の証言がさっぱり集まらなかったのは有名な話だよね
で、奴らは事件をでっち上げるために偽証言者や偽資料を法廷に提出したw
378名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 16:57:04.52 ID:FPT/tdXo0
>>376
こんだけ 強姦殺人がおきて 安全区側に逮捕された日本人が一人もいないってどういうことですか?

全部伝聞w
379名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 16:57:20.32 ID:xn3Xh9U80
なぜ日本軍が中国にいたんですか?
軍隊って日本軍だけだっけ?
じゃあなんで各国の軍隊がいたのかねぇ?

支那の政府が下手うったから自国民保護の名目で駐留したんだよね。
その軍隊に攻撃を仕掛けたらあかんやろ。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 17:02:02.48 ID:jvz5gAaW0
>377
>日本軍撤退後に南京で国民党が調査した時
>南京大虐殺の証言がさっぱり集まらなかったのは有名な話だよね
>で、奴らは事件をでっち上げるために偽証言者や偽資料を法廷に提出したw

ソースは?
381名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 18:24:08.64 ID:0N9pV/QH0
>>380
証言者と証拠をでっち上げたのは常識だと思いますが
まさか夏とか崇善堂がでっち上げじゃないと主張するんですか?
382名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 19:12:26.76 ID:jvz5gAaW0
>381
それらがでっち上げだという根拠と証拠は?
383名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 19:20:29.13 ID:FPT/tdXo0
>>382
民間人殺害については、スマイス報告書ぐらいしか信用に足る史料がないのが実情

残念でした ^o^v
384左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/08(火) 21:09:52.58 ID:MbCbdHUMO
>>378
>>376
>こんだけ 強姦殺人がおきて 安全区側に逮捕された日本人が一人もいないってどういうことですか?

日本人に偽装したチャンコロは捕まっとるなwww
385名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 21:23:19.42 ID:xn3Xh9U80
昔、朝生に出てた元日本兵で南京へいった人たちの証言をつなぎあわせると、

Aさん「中国軍は女子供をロープで数珠つなぎにして銃を持たせる。
    督戦隊が銃で脅して日本軍を攻撃させる。」

何人かがいろいろ証言

Zさん「川の上流からロープで繋がれた女子供がつながれて来て船に引っかかった。」
                  ↑
             なんか日本軍の蛮行のようになってた。


田原総一朗は華麗にスルー。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 22:45:40.43 ID:W6E5zAep0
肯定派はどうせなら数字に基づいた主張をしろよw
まあ無理だとは思うがw


3、データベースによる解明
この数十年、乱立したままの内外諸情報を争点別にデータベース化した上で再検分する手法を考案したのは、『南京事件の核心』(二〇〇三)の著者 富沢繁信である。
画期的な新資料が見つかったわけではないが、既存の情報を数量化しただけでも、定着したイメージがかなり変わることをこの作業は立証した。
たとえば中国軍が実施した清野作戦(焼却、破壊など)に関する海外報道が三八件、ラーベ日記に一六件あること、中国人便衣兵などの難民区への潜伏を報じる外国
文献が七五件もあることがわかった。
 一方、難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は二ヶ月間で九四件(うち目撃二)、強姦は二四三件(うち目撃一七)、だったのは意外で、「強姦は一晩で千件」
とか「日本兵による放火がなかった日は一日もない」というティンパーリーの記述は誇大に過ぎたことが明らかである。

「南京事件」(p301〜302) 秦邦彦著
387名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 23:13:10.14 ID:4q/Y/atyO
とりあえず肯定派も便衣兵の即時処刑は合法という認識でいいか?
388名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 00:41:43.51 ID:Uh4ONRdv0
>>382
物理の法則と一般常識が根拠と証拠ですねw
389名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 06:48:17.76 ID:Z64mn6dZ0
>378
>全部伝聞w

はい、ダウト。

第一七一件
 一九三八年一月一日午後三時、スパーリング氏が寧海路と広州路の角にさしかかると、一人の老婆が家の中から飛びだしてきた。
 スパーリング氏が中に入ると、一人の日本兵が逃げだしていった。
 しかし、寝室にはもう一人、素裸の日本兵と強姦されたばかりの半裸体の中国人の娘がいるのが見られた。
スパーリング氏は兵隊に出て行けと命じたが、衣服を着る時間を与えた。〔スパーリング〕

第一七三件
 一月一日午後、三名の日本兵が金陵女子文理学院に入ってきた。
その中の一人は一人の娘を追い回し、庭の竹薮に入った。
ヴォートリン女史(Miss Vautrin)が呼び出されて、強姦寸前の娘を救い出した。
残り二名の日本兵は憲兵であることを自認した。〔ヴオートリン〕

第一七四件
 一月一日午後一時四十分、二人の日本兵が珞珈路一七号のフォースター師(Rev. Forster)の住宅内に侵入して、
一人の娘を強姦し、抵抗して強姦を拒否したもう一人の娘を殴打した。
フォースター師はフィッチ氏と食事をするため外出していた。
フィッチ氏・マギー氏・フォースター氏は車で現場へ駆けつけ、二人の娘を鼓楼医院で手当てするために連れて行った。〔フィッチ〕


実際に安全区の外国人がその場に立ち会って被害者の救済や日本兵の姿を目撃してる。
実際にこのサイトに行って資料に目を通すだけの気力がない人間にウソの情報を吹き込もうと努力してるようだけど、
そういうむなしい作業はやめといたら?
390名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 06:51:37.65 ID:Z64mn6dZ0
>383
>民間人殺害については、スマイス報告書ぐらいしか信用に足る史料がないのが

で、それと戦後に南京で国民党政府が住民から集めた証言者が偽証言者だった
というのはどう繋がるんだ?

これらの証言者の証言内容が偽証だったというのを立証しない限り、
>377での「偽証言者や偽資料」というのを証明したことにはならんぞ。


>388

あなたの信じている常識がどんなもんなんだか知りませんが、
極東国際軍事裁判と南京軍事法廷に出廷した証言者とその資料とが
どのように物理法則に反しているのかを立証していただかないことには
その主張は通りませんよ。
391名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 08:44:17.92 ID:Ly25Ogqv0
>>389
何がダウトなんだか、客観的な物証を示すのかとおもいきやw

勝手に、日本兵と判断して記述して報告してるだけだろw

そういう報告書等を 伝聞証拠 っていって、証拠能力はないんだよw
392名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 08:58:05.04 ID:Lkk6SzkF0
>>389
「強姦」ばっかりで「殺人」はひとつも無いなw
それとも肯定派の主張は「強姦」=「殺人」なのかw
そして金陵女子大学は支那兵の潜伏先。
>366
>この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 09:08:57.69 ID:Lkk6SzkF0
>>389
その記録を全部集めても強姦の目撃は17件しかないわけなんだがw

>386
>一方、難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は二ヶ月間で九四件(うち目撃二)、強姦は二四三件(うち目撃一七)、
394名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 18:20:57.88 ID:7zKDjCLn0
>>390
>極東国際軍事裁判と南京軍事法廷に出廷した証言者とその資料
こちらは奴らがでっち上げたとしか言っていませんが、何故話を限定しようとするんですか?
395左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/09(水) 20:32:09.88 ID:78fZ10qD0
ここまででっち上げが明らかになってんのに、いつまで虚しい嘘をつき続けるんだパカチョン捏造派は?
>>394
> >>390
> >極東国際軍事裁判と南京軍事法廷に出廷した証言者とその資料
> こちらは奴らがでっち上げたとしか言っていませんが、何故話を限定しようとするんですか?

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#177】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「南京大虐殺の証拠写真は、みな捏造が暴かれているぅぅぅ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
写真捏造論の多くは、「NASAの月着陸写真は捏造」レベルのトンデモ説です。ok
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/kage_uso.htm
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/zanshu_hen.htm
>>395
> ここまででっち上げが明らかになってんのに、いつまで虚しい嘘をつき続けるんだパカチョン捏造派は?

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#205】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「143枚の全ての写真において全て検証していない所が納得いかないぃぃぃ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
143枚をガッツリ検証
ttp://www.geocities.jp/pipopipo555jp/#syashin
>>393
> >>389
> その記録を全部集めても強姦の目撃は17件しかないわけなんだがw

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#120】
「宣伝と誇張を、できるかぎり斟酌しても、なお残虐行為は、
日本軍がその占領した、ある地域の一般民衆、はたまた
戦時ふ虜(捕虜)に対し犯したものであるという証拠は
圧倒的である」

NHKスペシャル2007/8/14
パール判事は何を問いかけたのか〜東京裁判知られざる攻防〜 抜粋

> >386
> >一方、難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は二ヶ月間で九四件(うち目撃二)、強姦は二四三件(うち目撃一七)、

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#184】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「安全区委員会の「日本軍の暴行記録」によると、南京での殺人の総数は49件であるぅぅぅ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
これは総数でもなんでもなく、挙げられた事例を数えただけに過ぎません。国際委員会が、
これ以外の文書でも犠牲者を報告していることからも明らかです。委員長のラーベはヒトラ
ー宛ての書簡で、犠牲者を5〜6万と推測していました。なお、49人というのは板倉由明氏
の数え違いですが、彼もそれが総数だなどと馬鹿は言ってません。ok
http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html
399名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 21:48:33.01 ID:Lkk6SzkF0
つ>248w
>具体的に反論できなくなると肯定派による発狂コピペが始まりますw
>肯定派は追いつめられると負け犬の遠吠えが始まるので実に分かりやすいなw
>>399
> つ>248w
> >具体的に反論できなくなると肯定派による発狂コピペが始まりますw
> >肯定派は追いつめられると負け犬の遠吠えが始まるので実に分かりやすいなw

あのー話を戻していいですか?
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#148】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「虐殺数30万人説には信憑性が無い!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
東京裁判で南京大虐殺の被害者は20万人以上ということで判決が出ており、その判決を日
本は受け入れています、つまり日本国は南京大虐殺を事実として公式に認めています。そ
の東京裁判の判決で認定された被害者数と中国が自国内で認定してる被害者数の開きがあ
るからと言って南京大虐殺は無かったと言うのは歴史修正主義者の苦しい言い訳に過ぎず、
国際社会では通用しません。ok
401名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:19:11.71 ID:Lkk6SzkF0
結局「偕行社が採用した資料だから信憑性がある」とかほざいていた肯定派は逃亡かw
その偕行社によると「違法かどうか不明なのを全部含めて約1万6千名程度」でしかないw
しかも、この1万6千名は「戦果」として記録されている(つまり軍人w)

・偕行社「南京戦史」より抜粋
()は準拠公式史料 、「」は南京戦史において史料に挙げられているもの、『』はその他
1.雨花門外歩六六の第一大隊…約600名処断(歩六六第一大隊戦闘詳報)
2.幕府山山田支隊…約3000名処断(数は推測)(戦史叢書、郷土史証言)『栗原証言、飯沼日記、山田日記、朝日新聞、両角手記』
3.玄武湖東方―下関、太平門歩三三…約2000名処断(歩三三戦闘詳報)
4.獅子山歩三三第二大隊…約200処断(歩三三戦闘詳報)
5.難民区東方歩二〇第四中隊…328名銃殺「歩二〇第四中隊陣中日記」
6.難民区歩七(掃討)…約6500名処断(第九師団作戦記録概要、歩七戦闘詳報、戦一第一中隊戦闘詳報)
7.馬群付近歩二〇第十二中隊、第三機関銃中隊…約200名銃殺「小戦例集、牧原日記」
8.和平門東西歩三八、歩三三…約400名処断「佐々木少将私記」
9.南京近郊歩三十旅団…約2000名処断「佐々木少将私記
10.その他の諸隊(推定)約1000名処断
合計…約1万6千名
(注意:あくまで南京戦史における推計。かつ、違法かどうかには触れられてない)
402名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:20:49.77 ID:Lkk6SzkF0
さらに偕行社は犠牲者を「戦死者」「準戦死者」「不法行為」に分類している。
摘出された便衣兵は「戦死者」扱い、巻き添えを食った一般市民は「準戦死者」扱いで虐殺ではない。

ttp://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking11.pdf
「戦死者」
@南京防衛線で戦死した者
A退却、逃亡の際、射撃を受けて死亡した者
B敗残兵狩りで射殺された者
C便衣兵で摘出され処刑された者

「準戦死者」
@個別に投降したが、殺された者
A戦場に残留して中国軍に協力したため、あるいは巻き添えを食って死亡した一般市民
B便衣兵狩りのそば杖をくって死亡した者

「不法行為」
@集団投降捕虜、個別投降捕虜で収容後、殺された者
A無抵抗、善良な市民で殺された者

さらに、ありえない仮定ではあるがこの1万6千名全てが「軍人」ではなく「民間人」と仮定してもそれは、
A戦場に残留して中国軍に協力したため、あるいは巻き添えを食って死亡した一般市民
B便衣兵狩りのそば杖をくって死亡した者
なので「準戦死者」に該当するw

つまり、偕行社の見解に従えばこの「わずか約1万6千名程度」でさえ虐殺に該当しないw
当然肯定派は偕行社のこの判断に従うよなw
403名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:35:11.24 ID:ptxf3bIC0
戦死者、準戦死者ってのは法的に何を根拠にしてんだ?
404名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:40:28.66 ID:7zKDjCLn0
>>403
南京戦史が何時から法的公文書になったんだ?
405名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:41:45.28 ID:ptxf3bIC0
なら従う根拠は無いんじゃないのか
お前等は法的根拠に従うんだろ?
406名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:44:05.98 ID:Ly25Ogqv0
>>403
軍事目標主義 ハーグ25条
407名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:46:52.35 ID:ptxf3bIC0
法律で判断し裁けるのは裁判所だけだが
今のところ国際裁判や軍事裁判では、南京事件の判定は違法というものしか無いようだが

裁判で負けた側の検事や弁護士が、不当判決だといくら喚いても、その言葉には何の正当性もないんですけど
408名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:47:34.03 ID:7zKDjCLn0
>>405
ならば今後の君のレスには全て法的根拠を尋ねるが、無い場合は無視すれば良いんだね
409名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:49:24.33 ID:ptxf3bIC0
>>408
君らの俺様判決こそ、何の根拠もありませんが

日本軍が南京で行った行為が、違法判定されたものしかありませんよ

一体、いつ、どこの機関でその違法判定がひっくり返ったんですか?
410名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:50:14.68 ID:7zKDjCLn0
>>407
南京軍事法廷や極東軍事裁判自体に法的な問題がありますのでその限りではありません
411名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:51:57.10 ID:ptxf3bIC0
>>410
法的な問題がありますとあなた方が口で言ったところで何の正当性も無いんですけど

いったいいつ、どこの機関が、南京軍事法廷や極東軍事裁判を無効判定したんですか?

裁判で負けた側の検事や弁護士が、いくら不当判決だと喚いても、何の効力もありませんよ
412名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:55:50.13 ID:7zKDjCLn0
>>411
ええと、つまり「さいばんで20まんといったんだからもんくいうな」ってのが君の主張なんだねw
日本政府は裁判結果をである20万を否定していますので、君の言う機関とは「日本政府」と答えておけば良いのでしょうか?
413名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:56:57.34 ID:Lkk6SzkF0
>>403
偕行社が「戦死者」「準戦死者」の判断をしているんだがw
肯定派はその偕行社の判断を信用しているんじゃなかったのかw

>127 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/05(土) 02:53:14.19 ID:56L1QoK10
>そういう不確かな文書を、南京事件での不法殺害を否定したいはずの皆行社が戦史の
>資料として採用するとは思いにくいからです。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:58:53.56 ID:9IKsi7vqO
上にも出ているが連合軍も同じことをしたのに違法性は問われていないから
よって日本軍も無罪
415名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:59:27.57 ID:ptxf3bIC0
>>412
え?判定の部分には20万と書いてありませんが
416名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:06:29.38 ID:7zKDjCLn0
>>415
それじゃ南京大虐殺って何人が殺されたの?
417名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:07:56.89 ID:ptxf3bIC0
>>413
他の肯定派の事は知らんけど、俺は偕行社の判断全てを是とした事は無いよ
彼らは身内に思いっきり甘い判定しかしていないから
最小限の部分までの事実と犯罪しか認めていない
418名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:08:43.29 ID:ptxf3bIC0
>>416
はっきりとした数なんて誰も知らないよw
419名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:10:15.49 ID:7zKDjCLn0
>>417
それじゃ南京の被害はどれくらいだと考えるんだよ?
420名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:11:06.93 ID:7zKDjCLn0
>>418
へえ、「たくさんしんだからぎゃくさつだ」ってのがあんたの見解かぁw
421名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:11:08.64 ID:ptxf3bIC0
>>419
10万程度じゃないのかと、過去何度も言ってきたよん
422名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:12:27.83 ID:ptxf3bIC0
>>420
で、誰がいつどこで、否定派の俺様法解釈通りに南京事件の判決を出したんだい?
423名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:14:24.04 ID:7zKDjCLn0
>>422
10万程度って判決有るの?
424名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:16:11.18 ID:ptxf3bIC0
>>423
無いねえ

で、否定派の俺様法解釈通りの判決は一体いつどこで出されたのさ
425名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:18:18.90 ID:7zKDjCLn0
>>424
こちらは裁判が絶対なんて主張していないから良いけど
その主張をする君の「10万程度」ってのは根拠のない妄想って事だねw
426名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:20:10.43 ID:9IKsi7vqO
>>424
連合軍のことはスルーか?
427名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:20:37.74 ID:ptxf3bIC0
>>425
10万は法解釈の部分じゃないから別にどうでも

で?君らの俺様法解釈通りに南京事件を判定した裁判例は一体何時出てくるのかね?
428名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:21:18.45 ID:ptxf3bIC0
>>426
連合軍がなんだって?
連合軍が南京事件を起こしたとでも言うのかい?
429名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:27:33.24 ID:7zKDjCLn0
>>427
何人殺したか判らないけどお前が悪いなんてのが正規の裁判と言えるのか?
ただの戯言にしか聞こえませんよw
430名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:30:44.40 ID:ptxf3bIC0
>>429
お前がそう思うのは勝手だが
お前がそう泣き叫んだところで何の正当性もありませんが
431名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:33:30.40 ID:7zKDjCLn0
>>430
あとさあ、SF条約締結後に所謂戦犯を全員解放して良いって連合軍すら認めているんだよね
つまりあの裁判の正当性を連合軍すら放棄しているんだよ
432名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:38:23.39 ID:ptxf3bIC0
>>431
恩赦とは許す事
罪があるから許せるのですよ
罪そのものが無効であるなら、何から許すことになるのですか?

罪そのものを無かった事にするには再審して無罪判決を受ける必要があります
足利事件でもちゃんと再審して無罪判決にしたでしょう
433名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:41:41.30 ID:7zKDjCLn0
>>432
何言っているの?全員一括で恩赦だぞ。処刑や獄死した者まで準戦死者扱いになっている
どう見ても正当性の放棄だよ
434名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:42:45.40 ID:9IKsi7vqO
>>428
上のレス読め
連合軍は西部戦線とかで南京の日本軍と同じようなことをしたが違法性を問われたことはない
ドイツ軍のゲリラを裁判なしで処刑したりとかね
435名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:47:45.85 ID:ptxf3bIC0
>>433
いや、あなたがどう見てもと言ったところで、恩赦は恩赦ですから
記録上、罪はなくなっていませんよ
罪が無くなったのなら、何から許すんですか?

>>434
せめて裁判所まで引っ張り出せればねえ
つくづく戦争に負けたくは無いもんです
436名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:57:00.37 ID:7zKDjCLn0
>>435
それさあ、所謂南京大虐殺は政治的産物であり、事実関係から言えば事実誤認も甚だしいと認めていることになるよなw
437名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:02:09.08 ID:J9bYeZZ80
>>436
政治的産物かどうかはともかく、政治的産物=事実誤認というロジックは成り立ちませんよ
438名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:03:08.52 ID:If3wFr3N0
>>437
だって連合軍が同等の事しても裁かれていないでしょ
事実誤認があるとしか言いようがない
439名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:04:28.37 ID:J9bYeZZ80
>>438
せめて裁判所まで引っ張り出せればねえ
つくづく戦争に負けたくは無いもんです
440名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:06:10.32 ID:If3wFr3N0
>>439
つまりアレは茶番だったとw
441名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:07:48.94 ID:J9bYeZZ80
>>440
茶番というのは、ここで裁判ごっこして日本は無罪だと泣き言を言ってるあなた方のことでしょう
442名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:08:58.79 ID:If3wFr3N0
>>441
何位言っているのか判りません、日本語で書いてくださいw
443名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:33:11.43 ID:If3wFr3N0
彼のような東京裁判原理主義者って、結局各論突き詰めていくと勝負にならないから権威に頼っているだけのヘタレだよな
論者の風上にも置けない糞野郎な事は確かだ
444名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:51:36.25 ID:UJpoqF6/0
>391
>勝手に、日本兵と判断して記述して報告してるだけだろw

実際に日本兵の姿を目撃してるんだから勝手にもへったくれもないだろう。

おまえは終戦後に米兵が日本女性を強姦したって事件が警察に届け出られたときに、
「被害者が勝手に米兵だと判断してるから、証拠にならん」っつって却下するのかよ。

だとしたら、占領下の米兵による悪行は一切無かったことにされるぞ。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:52:30.84 ID:UJpoqF6/0
>392
>「強姦」ばっかりで「殺人」はひとつも無いなw
>それとも肯定派の主張は「強姦」=「殺人」なのかw

大本の話の流れをまったく読んでないみたいだね。

>374
>暴行・略奪が日常茶飯事になっているとはとても思えないね

という一文に対して反論として挙げた事例なんだから、殺人が入っていないのは折り込み済み。




そして金陵女子大学は支那兵の潜伏先。
>366
>この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、
その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。

その記事のソースは?

記事を書いた記者がきちんと取材してなかったんじゃねーのw
446名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:52:46.69 ID:UJpoqF6/0
>394
>
>>極東国際軍事裁判と南京軍事法廷に出廷した証言者とその資料
>こちらは奴らがでっち上げたとしか言っていませんが、何故話を限定しようとするんですか?

話の流れをちゃんと読めよ。

>377
>日本軍撤退後に南京で国民党が調査した時
>南京大虐殺の証言がさっぱり集まらなかったのは有名な話だよね
>で、奴らは事件をでっち上げるために偽証言者や偽資料を法廷に提出したw

南京大虐殺を裁いた法廷は極東国際軍事裁判と南京軍事法廷だろ。
「でっち上げ」という言葉はこの二つの法廷のことを指していると考えるのが当たり前。

話を限定するなもなにも、もともとこの二つの法廷を念頭において始まった話だってことを
無視してこちらが言いがかりを付けてるみたいな口ぶりをするんじゃないよ。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 00:56:59.61 ID:If3wFr3N0
>>446
僅か40人が10日で10万人埋葬するのは一般常識に反していますね
20万しか居なかった都市で20万とか30万殺されて残りが25万になるのは物理原則に反していますよね

これでよろしいですか?
448名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:05:07.16 ID:J668lq880
>>445
だから、そもそも暴行・略奪が「南京事件」なのかとw
449名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:08:07.36 ID:UJpoqF6/0
>434
>連合軍は西部戦線とかで南京の日本軍と同じようなことをしたが違法性を問われたことはない
>ドイツ軍のゲリラを裁判なしで処刑したりとかね

連合軍の犯罪は知らんぷりで日本軍の犯罪だけを指弾するのかよ、というのは感情的には
判らなくはないけれども、日本はそれを承知でポツダム宣言を受け入れたんだよ。


ポツダム宣言(1945年7月26日署名、同年8月14日日本受諾)

十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ
吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ

ここには、日本軍の非は追求するとは書いているけど、連合軍の非も追求するとは書いていない。
そういう片務的で一方的な押しつけを受け入れることを決断したのが天皇陛下の聖断であり、
当時の大日本帝国の指導者達だ。

たとえ日本側から見れば納得のいかない裁判であり判決であろうとも、このまま戦争を続けて
天皇皇族も含めた日本人全員を抹殺されることになるよりはましだ、という判断の下に
それを受け入れたということ。

極端に言えば、このまま戦争を続けて東京の中心、皇居の真上に原爆を落とされるような事態を
受け入れられるのか、ということ。

アメリカをはじめとした連合国側の非道な無差別絨毯爆撃や、戦場での捕虜の虐殺、広島・長崎への
原爆投下という人道上の罪を追求することを諦めてでも、一億玉砕・日本民族全滅という最悪の
事態を避けることを選んだんだ。

連合国の行為を指弾したいのなら、戦争に勝つしかなかった。
負けるような戦争、ポツダム宣言を受諾せざるを得ないような戦争を行った軍の無能が攻めるられるべき。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:10:33.37 ID:If3wFr3N0
>>449
ポツダム宣言の受諾と事実であるかどうかは全く関係有りません
中国は天安門事件を認めていないが、あの事件を西側マスコミのでっち上げとあなたは考えるのですか?
451名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:32:55.11 ID:UJpoqF6/0
>450
>ポツダム宣言の受諾と事実であるかどうかは全く関係有りません

あなたは文盲か?
元の文章を読め。

>たとえ日本側から見れば納得のいかない裁判であり判決であろうとも、このまま戦争を続けて
>天皇皇族も含めた日本人全員を抹殺されることになるよりはましだ、という判断の下に
>それを受け入れたということ。

これは、東京裁判で下された判決に関する事柄が事実だった、ということは関係がない話。

「連合国の犯罪がなぜ裁かれないんだ」という発言に対する回答であって、
「南京事件での起訴内容が事実であるか無いか」という問題とはまったく別個の話だ。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:35:46.26 ID:UJpoqF6/0
>447
>僅か40人が10日で10万人埋葬するのは一般常識に反していますね

40人で10日というのはいったいどこの誰が言っているんだ?

東京裁判での証言ではこういうのもあるんだけど?

○許証人
 卍協会は此のやうな博愛的な仕事に従事して居ったのであります。併し此の際、あまり多くの死骸でありましたので、
(伊丹モニター 訂正。紅卍協会(紅卍字会)は金に窮して、自費で埋葬出来ないやうな人々の埋葬を普通
取扱って居りましたが、其の当時余りにも屍体が多くて、持て余した訳でありました。
併し日本軍当局より人が参りまして、お前達は死体埋葬の仕事をして居るのだから、
我我に手伝って死体の引取りをやって呉れと申しました)

 日本軍は我々に許可を与へてから市中を歩き廻る許可証、或は通行証を呉れました。
さうして此の仕事をなす為に、我々は二百人の労働者を抱へて居ったのであります。
我々は此の屍体を直ちに埋葬しました。
是等の死体の数は実に四万三千と言はれて居りますが、是は余りにも過少評価であります。
私達は真の数がどの位 であったかはっきり申すことは出来ないのであります。
(伊丹モニター 追加。其の理由は正確な数字を発表することを許されませぬ でした)
 初め我々は此の数字を出し、さうして公の文書にして遺すことは敢て出来なかったのであります。
そこで我々は私の文書として之を記録して置いたのであります。
此の数は我々が埋葬した屍体の数であります。
是等の屍体は全て一般 中国市民であって、一人として其の中に兵隊は居らなかったのであります。


ゼイ芳縁・張鴻儒・楊広才が中華門、花神廟一帯における日本軍の市民集団虐殺を陳述した証言文

一九四五年十二月八日
 私は謹んで、自分の目でしかと見た敵の罪行を事実に基づいて陳述します。
 民国二十六年旧暦十一月十三日、日本侵略軍の中島部隊の入城後、沙洲ウに避難していた人々が帰ってきました。
沿道には見渡す限り死体が横たわり、悲惨さは目を覆うばかりでした。
そこで初四日にゼイ芳縁が中国紅卍字会に相談して、埋葬工作をおこなうことにしました。
 紅卍字会の責任者の紹介により第一区公所救済班に行き、紅卍字会の旗と符号を受け取りました。
後に、避難先から帰ってきた熱心な人々三十人余りを奉仕埋葬隊に組織し、初六日より埋葬工作を始めました。
南門外附廊から花神廟一帯まで、四十日余りの積極的な工作を経て難民の死体約五千体余りを埋葬しました。
また兵工廠内の宿舎の二階、三階で、国軍兵士の死体役二千体余りを埋葬し、分けて雨花台の麓、および望江磯、花神廟などに埋葬しました。
今ある骨の山がその証となっています。
453名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:39:57.76 ID:If3wFr3N0
>>452
全ての埋葬記録がでっち上げと言った覚えはありませんがw
中国側は4万程度しかない埋葬記録を30万にでっち上げましたよね
454名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:41:38.76 ID:UJpoqF6/0
>453

ソースを出しな。

ソースなしで何を言ったって、電波オヤジのたわごととしか受け取れないよ。
455名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:42:08.22 ID:UJpoqF6/0
>447
>20万しか居なかった都市で20万とか30万殺されて残りが25万になるのは物理原則に反していますよね

南京に当時20万人しか居なかったというのはだれが証明しているんだい?
南京はもともと100万都市。
日本軍の南京攻略戦の進行によって人口の流出はあったが、20万まで減ったという確証は無い。

20万という数字は、南京城内の一区画である「安全区」の人口。
それ以外の場外にどれだけの人口があったのかを正確に調査した資料があるのならばそれを出してもらいたいね。

そして安全区の人口が20万から25万へと増えたのは、平和になった南京に人が集まってきた
ということではなく、安全区外の南京城内にいた人々が、日本軍の暴行を逃れるために
安全区内に逃げ込んできたってこと。


それと、30万人説が過大だというのは日本側の研究者の一致した見解。
「30万人も殺されていない」というのと、「南京で虐殺が無かった」というのはイコールじゃない。
秦郁彦が言うように、「正確な数字は神のみぞ知る」というのが現時点では正解。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 01:52:39.53 ID:If3wFr3N0
>>455
30万が嘘ならば中国が証拠をでっち上げたことになりますよねw
君はそのレスで中国が証拠をでっち上げたことを認めた、と
457名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 02:11:02.73 ID:UJpoqF6/0
>456

日本側の研究者が日本に残されている資料から判断するに過剰であろうという
判断を下しているだけ。

中国側が出した証拠の検証や証言の信憑性に関して、日本が正式に調査したことはないし、
彼らの証言や証拠が捏造やでっち上げであったと証明されない限りは、日本側の見解が
誤っていたという結果になる可能性もある。

秦郁彦は、そのことを指して「神のみぞ知る」といっている。

彼はあくまで確実な資料と信頼性の高い証言のみをベースとして基数を出しているので、
当時の混乱した南京市の状況に起因する資料の不備や、陥落後の8年間に渡った日本軍の
占領下において散逸した資料、敗戦前後に焼却された大量の日本側の資料の中に
膨大な虐殺の証拠となる資料が存在したかも可能性等も勘案に入れてる。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 02:17:05.52 ID:If3wFr3N0
>>457
でっち上げだから信憑性がないと考え無いのですか?
それと中国側が出した史料がでっち上げでない可能性が本気であると考えているのでしたら入院をお奨めする
459名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 02:38:38.95 ID:J9bYeZZ80
信憑性のかけらも無い否定派が言ったってねえw
460名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 08:59:21.44 ID:J668lq880
>>455
>20万という数字は、南京城内の一区画である「安全区」の人口。
>それ以外の場外にどれだけの人口があったのかを正確に調査した資料があるのならばそれを出してもらいたいね。

【安全区以外の場所に人が居た=安全区以外で虐殺があった】という主張か?
それを証明する資料があるなら出してもらいたいなw

>「30万人も殺されていない」というのと、「南京で虐殺が無かった」というのはイコールじゃない。

だったら何人殺されていれば「虐殺」なのかとw
資料から判断できるのは「軍人」が死んだ事だけw
30万人だろうが100万人だろうが軍人が死んだのなら単なる「戦死」。
日本側からすれば「大戦果」w
多数の民間人の殺害を証明できない時点で肯定派は終わっているw
461名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 09:03:42.79 ID:OyRUDxKJO
>>449
君の言っていることは政治の話であって事実探究ではない
あと連合軍側もドレスデン爆撃やカチンの森事件など違法性を問われているものはいくらでもある
しかしながらドイツゲリラの処刑について違法性を問うものは一人もいない
そもそも問題にすらなっていない
要するにゲリラ処刑は合法ということだ
462名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 15:14:15.87 ID:kvU4Hf+1O
>>449
戦争を推し進めたのはあなたみたいな革マルうんこ左翼ですよw
463名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 16:27:16.40 ID:UJpoqF6/0
>460
>【安全区以外の場所に人が居た=安全区以外で虐殺があった】という主張か?
>それを証明する資料があるなら出してもらいたいなw

アホか。
おまえさんは人の書いた文章をまったく読んどらんようだね。
「正確な被害者数は神のみぞ知る」だと何度もいっとろうが。

>資料から判断できるのは「軍人」が死んだ事

いい加減に徒労を覚えてくるな。
「捕虜の殺害」は違法なんだと何度言ったら判るんだ。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 16:36:37.93 ID:UJpoqF6/0
>461
>君の言っていることは政治の話であって事実探究ではない

「日本軍を裁いている連合軍の犯罪はどうなんだよ」という意見に対しての反論です。

一連の戦犯裁判の政治的な背景と、裁判での立証過程における事実の探求とは別の問題。

>要するにゲリラ処刑は合法

ここは本当に人の話を聞かない人ばかりの場所ですね。

「裁判を行っていなくても合法」というのが通らないというのが何度言っても判らないみたいだ。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 16:52:52.51 ID:YEpIzjsr0
>>463
>「捕虜の殺害」は違法なんだと何度言ったら判るんだ。
捕虜になることができるのは捕虜資格を持っている者だけだということぐらいわかるよな。
日本軍が「勝手に武器を捨てただけ」とか「捕まっただけ」とかいう連中にまで捕虜資格を認める必要はないということぐらいわかるよな。
中国兵が「自分は武器を捨てたから捕虜として扱え」「自分は捕まったから捕虜として待遇しろ」と言っても日本軍がそれを認めてやる必要はどこにもないということぐらいわかるよな。
殺された連中が全て「捕虜資格を所有した捕虜」だったことを証明できなければ無意味。
それを証明できても死んだのは兵隊だけということでしかない。
戦争で兵隊が死んだのが南京事件なのかと。
466名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 17:22:37.67 ID:kvU4Hf+1O
>>463
捕虜殺害が何故違法なのですか?w
でっち上げは止めてくださいなw
467名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 17:42:25.49 ID:kvU4Hf+1O
>>463
極東板でもここでも、たった1人で粘着し続けるクッサイクッサイクッサイ団塊革マルうんこw

あなたの人生は本当に無駄でしたねw

無いものねだりの人生に自ら終止符をうっては如何ですか?wwwwwwww
468名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 17:48:36.20 ID:UJpoqF6/0
>>463
>「捕虜の殺害」は違法なんだと何度言ったら判るんだ。

おう、こりゃ失礼。

「裁判によらない捕虜の殺害」だった。


>殺された連中が全て「捕虜資格を所有した捕虜」だったことを証明できなければ無意味。

捕虜資格云々ってのが何を言わんとしているのかよく分からんが、
日本軍の将校や兵士の陣中日記や回想談として、捕虜の殺害の記録や証言が山ほどある。

ここで記録されている「捕虜」は、「単に武器を捨てた中国兵」というのではなく、
「日本軍の手によって武装解除が行われ、一度はきちんと捕虜として処遇した中国兵」だ。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 18:22:20.47 ID:BJ1GF9gi0
>>468
>「日本軍の手によって武装解除が行われ、一度はきちんと捕虜として処遇した中国兵」だ。
武装解除だけでは捕虜資格は与えられません。
捕虜資格の無い者を収容しても捕虜の資格を与えるようになったのは1977年の追加議定書からです。
1977年以前に捕虜資格の無い者に対し捕虜資格を与える法的根拠は何ですか。



ジュネーヴ条約
1977年議定書T
第四十四条 戦闘員及び捕虜
1 前条に規定する戦闘員であって敵対する紛争当事者の権力内に陥ったものは、捕虜とする。
(中略)
4 3中段に定める条件を満たすことなく敵対する紛争当事者の権力内に陥った戦闘員は、捕虜となる権利を失う。もっとも、第三条約及びこの議定書が捕虜に与える保護と同等のものを与えら
れる。この保護には、当該戦闘員が行った犯罪のため裁判され及び処罰される場合に、第三条約が捕虜に与える保護と同等のものを含む。
470名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 18:42:29.45 ID:BJ1GF9gi0
「敵に捕まったら捕虜」というものでもない。
ttp://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k02.html
>【質問】
>日本軍における,捕虜の管理責任はどこにあったのか?  
>【回答】
>捕虜の置かれている状況により,所管がその都度変わった,と内海愛子(恵泉女学園大学教授)は述べる.
>日本軍では、捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて、はじめて「俘虜取扱細則」による「正式な俘虜」になり、捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となる。

【陸軍大臣管轄下】の【正規の俘虜収容所に収容されて】、はじめて「俘虜取扱細則」による【「正式な俘虜」】になり、捕虜の待遇を定めた条約の【「準用」の対象】となる。

つまり肯定派はその「捕虜」が日本軍によって収容所に収容された「正式な俘虜」である証明が必要w

当然、『「交戦法規を遵守し」、「自分の意思で投降」もしくは「降服」していて、「武装解除に応じて」、「所属、階級、氏名」を答えて、
「逃亡、反抗せず」、日本軍が「投降」「降服」を受け入れ、収容所に収容されている状態』、であれば「正式な俘虜」と言えるかもw

肯定派から日本軍に殺害されたのがそういった「正式な俘虜」だった証拠が示されたことは無いw
471名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 19:36:49.01 ID:If3wFr3N0
>>463
>「正確な被害者数は神のみぞ知る」だと何度もいっとろうが。
訳)俺はバカで無能だから判るわけ無いだろ、大馬鹿万歳!

そうですか。バカじゃ仕方がありませんねw
472名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 19:36:57.43 ID:UJpoqF6/0
>469
>武装解除だけでは捕虜資格は与えられません。
>捕虜資格の無い者を収容しても捕虜の資格を与えるようになったのは1977年の追加議定書からです。
>1977年以前に捕虜資格の無い者に対し捕虜資格を与える法的根拠は何ですか。


「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の条文

第一章 交戦者の資格

第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
 部下の責任を負う指揮官が存在すること
 遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること
 公然と兵器を携帯していること
 戦争法規を遵守していること

第2条:未だ占領されていない地方の民間人が、敵軍の接近に伴い第一条を充たす(軍隊等を)編成する猶予なく
   応戦するために公然と兵器を携帯し、戦争法規を遵守している場合は交戦者の資格を有する。

第3条:交戦当事者は、戦闘員、非戦闘員をもって(部隊を)編成を編成することが認められ、敵に捕らえられた場合、
   双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける権利を持つ。

第二章 俘虜

第4条:俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。
   俘虜は人道をもって取り扱うべし。兵器、馬匹、軍用書類を除き俘虜の所有するものを没収してはならない。

第5条:俘虜は都市、城塞、陣営その他の場所に留置され、一定の地域外に出ざる義務を負う。
   しかし、やむを得ない保安手段としてその幽閉する事が許される。

第6条:国家は将校を除く俘虜を階級、技能に応じ労務者として使役することができる。
   その労務は過度でなく、一切の作戦行動に関係しないものでなければならない。

第7条:政府はその権内にある俘虜を給養すべき義務を要する。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 19:44:54.20 ID:J668lq880
>>472
>第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、
>
>《《《下記条件を満たす》》》
>
>民兵、義勇兵にも適用される。

便衣兵が4条件を満たしていたとでも?
474名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 19:45:11.75 ID:UJpoqF6/0
軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ)より
http://www6.atwiki.jp/army2ch/pages/146.html


・ハーグ陸戦条約の23条「兵器を捨てた自衛手段を持たない投降者を殺傷すること」は
 捕縛されたゲリラには適用されないのでしょうか?


ハーグ陸戦規約よりは1949年のジュネーブ四条約と1979年の第1、第2追加議定書
を見た方がいい気がしますが、それはまあおいておいて。


ゲリラと言っても、正規軍の兵士が軍服を着用してゲリラ的な作戦をしていたの
であれば当然捕虜として扱われます。


外国の侵略を受けたときに、民間人がゲリラ活動をするのは、議論の余地があり
ますが、民間人のふりをしてだまし討ちをするとかでない限り保護されます。


内戦の場合は微妙です。というのは、ハーグ陸戦規約も1949年のジュネーブ4条
約も国家間の戦争を対象とした条約(ジュネーブ条約には内戦に関する規程も少
しだけありますが)なので、内戦に関しては捕虜の扱い、資格についてなどの規
程が無いのです。第2追加議定書には内戦の場合の規程があるのですが、締約国が
あまり多くありません。


資格が無いにも関わらず戦闘行為をなしたものは捕虜になれず、り犯罪者となりますが、
ジュネーブ条約には犯罪者の取り扱いについても規程がありますので、いきなり銃殺とか
はさすがに違反です。
ただし、これらの保護は第2追加議定書を締結してない限り内戦の場合には適用されませんが。


もっとも、戦争法規が適用されなくても人権規約がありますので国際法的には何
をやってもいいというわけではありません。ただし、国際法の実際の執行には
多々問題があるのはご存知の通りです。
475名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 19:46:16.64 ID:UJpoqF6/0
・戦場で殺してはいけない敵にはどんなタイプがあるのでしょう?
とりあえず以下のタイプは知ってますが
@武器を捨てて手を上げるなど降伏の意思を示している兵士
A衛生兵
B白旗を掲げて交渉にやってくる兵士
他にありましたら教えていただけますでしょうか。
武器を捨てて逃げてる兵士とか、負傷して倒れてる兵士はどうなのかなと思うのですが?

拘束した敵兵は捕虜として扱う必要があるが、その前の段階では武装解除かつ
投降の意を示さない敵兵はあくまで敵兵。
あとBの補足で軍使に随伴する随従する喇叭手、鼓手、旗手、通訳も不可侵権を有する。
(ハーグ陸戦条約第32条))
476名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 19:47:25.84 ID:UJpoqF6/0
・軍人同士の殺し合いである戦争において、ジュネーブ条約やハーグ陸戦条約を適用する事って倒錯した考え方ではないんでしょうか
 民間人に被害を及ぼさないのなら、戦闘員を殺傷する為にどんな方法を用いてもよいと思うのですが。


「戦争とは血を流す外交である」つまりただの殺し合いではない、という点を理解されると
さまざまな条約の存在意義がおわかりかと思います。

最終目的は敵の皆殺しではなく、我の意を彼に強要することにあるわけで、
一局面では「どんな方法を用いても」が正しくとも、全体となると逆に妨げになることもあるわけです。
早い話、戦争があまりに残虐非道だとこっちの兵士もなり手、やる気がなくなるわけで。

もう少し分かりやすい言葉にしてみます。

戦争は、相手の国に言うことを聞かせるのが目的です。
敵を殺すことは目的ではありません。手段です。
そして戦時国際法は、戦争の行方があまり左右されない範囲で、できるだけ死人
を減らすためのルールの集まりです。

このルールを守ることで、自国の市民や兵士の命を守ることができます。

医療施設を攻撃しないという条約に加盟することで、戦いで傷ついた兵士の命を守れます。
その代わり敵の病院も攻撃できなくなりますが、攻撃したところで怪我人ばかりなので、
敵の戦力を削ぐ効果がなく、戦争の行方には影響しません。

投降者を殺してはならないという条約に加盟することで、自国兵士は絶望的な戦いで
犬死にする必要がなくなります。
その代わり敵の投降者も殺せなくなりますが、すでに銃を捨てた相手を殺したところで、
戦争の行方には影響がありません。(補給に不安がない限り)

以上のように、戦争の行方に影響しないルールほど、遵守されやすい傾向にあります。
戦時国際法の中には禁止武器の項目もありますが、こちらは戦争の行方を大きく左右
することがあるため、守られにくい傾向にあります。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 19:57:46.83 ID:If3wFr3N0
>>476
戦争放棄は相手側も遵守することで初めて意味を持つことが良く判る文章ですね
で、中国軍は戦争放棄を遵守していたんでしょうか?
478名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 20:00:28.04 ID:J668lq880
>>474
>ハーグ陸戦規約よりは《《《1949年》》》のジュネーブ四条約と《《《1979年》》》の第1、第2追加議定書
>を見た方がいい気がしますが、それはまあおいておいて。

1937年の南京攻略戦との関係は?
479名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 20:04:37.01 ID:J668lq880
>>475
>あとBの補足で軍使に随伴する随従する喇叭手、鼓手、旗手、通訳も不可侵権を有する。
>(ハーグ陸戦条約第32条))

ハーグ陸戦規定
第33条
休戦の申し込みを受けた軍司令官は、すべての場合それを受諾する義務はない。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 20:08:40.06 ID:J668lq880
>>479
コレも追加しておくか。

ハーグ陸戦規定
第9条
全ての戦争捕虜は尋問された際、真実の氏名と階級を名乗る義務がある。
もし捕虜がこの規則を拒絶したとき、階級にみあった利益を享受できない責任を負う。
481名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 20:10:18.23 ID:J668lq880
>>472
>第7条:政府はその《《《権内》》》にある俘虜を給養すべき義務を要する。

ついでに補足w
学説では「敵の権力内に陥った者」と「敵の手中に陥った者」は異なるw

佐藤和男『南京事件と戦時国際法』
『一九四九年捕虜条約は、一九二〇〜三〇代の捕虜に関する国際法規に比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、
もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、少なくとも右の第五条に見られる
「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らない
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ことを示唆している点において、注目に値しよう。』

「敵の権力内に陥った者」であれば「正式な俘虜」。
「正式な俘虜」とは、
>【陸軍大臣管轄下】の【正規の俘虜収容所に収容されて】、はじめて「俘虜取扱細則」による【「正式な俘虜」】になり、捕虜の待遇を定めた条約の【「準用」の対象】となる。

南京の支那兵が《単なる「敵の手中に陥った者」》ではなく、
『【陸軍大臣管轄下】の【正規の俘虜収容所に収容されて】、「俘虜取扱細則」による【「正式な俘虜」】になり、捕虜の待遇を定めた条約の【「準用」の対象】となった』
という根拠は?
482名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 22:01:35.76 ID:+88XErPX0
便衣兵は俘虜の待遇を受ける権利が無い。
殺されて当然。

また、降伏しないまま捕縛された兵も俘虜の資格が無い。
だから、南京虐殺は幻に過ぎない。

殺されて当然の連中を処分するのは至極当然。
483名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 23:06:36.54 ID:OyRUDxKJO
>>464
だから連合軍も同じことやったけどどこからも違法性は問われてないんだって
他の事は裁判にはならないにしろ戦後になっていろいろ問題になっているのにね
連合国も枢軸国も学者さんたちもどこも誰も違法とは言ってない
484名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 11:47:29.17 ID:Xm+JDR2u0
>>444
>実際に日本兵の姿を目撃してるんだから勝手にもへったくれもないだろう。
だから、実際に日本兵だったという証拠が、目撃証拠しかないんだから
勝手に日本兵だといえるだろう

んで舌の根も乾かないうちになんだこれ?

>その記事のソースは?
>記事を書いた記者がきちんと取材してなかったんじゃねーのw

NYタイムスだが、新聞記事があてにならないって 自白したなw
安全区委員会は中国側とグルだったことは明らかになったな。

>>474
南京事件は1937年
1949年のジュネーブ四条約と1979年の第1、第2追加議定書 ←日本批准は2004年
人権規約はどれも戦後に制定
485名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 14:50:57.31 ID:UlwAGkmfO
そもそもゲリラを裁判にかけたとか当時やってた国があるの?
日本にしろアメリカにしろドイツにしろソ連にしろみんな即処刑だったのでは?
486名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 23:35:00.83 ID:39xLTaGG0
偕行社の渾身の資料集

『南京戦史』及び『南京戦史資料集』

「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3000乃至6000」

まあ、いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。
しかも、民間人はほぼゼロ。

これでFAだな。南京虐殺なるものは3000〜6000人の捕虜違法殺害。

はい、おしまい。

487名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 12:37:40.81 ID:FFDU1RPS0
京大って尖閣諸島が中国領土だという捏造本まで出してたような極左苦阿世のカスを
税金で養ってたクソ大学ですよ?
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html
http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/98208347555f6d273033d4dbf6f1286c
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/8684577.html
488名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 14:13:53.15 ID:C1Ann5bX0
>484
>NYタイムスだが、新聞記事があてにならないって 自白したなw


「南京事件FAQ」より引用

http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage



・欧米では事件は大々的に報道されていた

否定派の主張

当時の首都南京は国際都市で多くの欧米人が住んでいた。
また、大陸にはロイター、AP、UPIなどの大通信社や新聞社の特派員が多数駐屯していた。
当時は、反日的な機運が高まっていたのに、南京事件はほとんど報道されなかった。
南京大虐殺というものは後日になって作り出されたフィクションなのである。
(田中正明『南京事件の総括』pp216-225)


反論

単なる無知である。欧米では南京の暴虐が大々的に報道されていた。
特に南京に滞在していた記者がリアルタイムで発信した「ニューヨーク・タイムズ」と
「シカゴ・デイリー・ニューズ」の一連の記事は、完全に正確とはいかなくとも、
当時の南京の状況を知るうえで非常に有益な資料となっている。
それら以外にも
「ワシントンポスト」1/12、
「マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー」2/11、
「デイリー・メール」12/15、
「タイム」(アメリカの週刊誌)2/14、
「ライフ」1/10などでも南京の暴行事件は取り上げられている。
中国の英語紙やアメリカの中国語紙などでも同様である。


南京に関係する記事のうち、翻訳され『南京事件資料集[1]アメリカ関係資料編』に収録されているだけでも170ページに及ぶ。
すべてが南京事件に関わるものではないが、それだけ多くの報道が当時からなされていたのである。
日本軍の数々の蛮行も報道され、「南京アトロシティーズ」として大きな非難を浴びる結果となった。
東京裁判になっていきなり湧いてきたものではない。

なお、南京には陥落時5人の欧米人報道関係者がいたが、全員が陥落3日後には南京を脱出している。
その後虐殺・暴行事件のあったとされる時期には、日本軍は欧米の報道関係者の入城を許していない。


さて、この記事を書いたNYタイムズの記者は、いったいどういう取材をして、
どういう情報ソースからこういう情報を得ていたんだろうかね。

また、きちんと取材されているのなら、元の記事中の「アメリカ人教授」にあたる人物の
名前なり経歴なりを調べた後追い記事が出ていてしかるべきだろうに、
そういうものも見あたらないようだけど?
489名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 14:18:22.71 ID:C1Ann5bX0
>>474
>南京事件は1937年

で?
私が>472で提示したのは、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された
「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」と同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」なんだが。

日本は、1911年11月6日批准してるぞ。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 14:23:16.15 ID:C1Ann5bX0
>486
>『南京戦史』及び『南京戦史資料集』
>「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3000乃至6000」
>まあ、いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。

>352-356

「そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。
板倉由明氏の集計されたものである。

同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。
そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した
(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。
従って南京の不法殺害は計一万三千人である。板倉氏はこれが「現時点での」推定概数であるとする。
これまた、途方もなく大きな数字である。

畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。
これを併記して本稿の結論とする。」
491名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 15:23:32.59 ID:YzFsH50rO
ゲリラは裁判しなきゃならないって根拠にはなってないな
だいたいゲリラをどうすればいいかなんてどこにも明文化されてないし
となると明文化されてない以上は慣習に従うしかない
492名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 17:43:52.31 ID:UJyypz+B0
>>489
で、大戦中にそれを守っていたのは何処の国ですか?
あんた等は日本だけ悪いことにしないと気が済まないんだねw
493名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 18:35:27.34 ID:2JqxihbA0
「今報告されているだけでも、1000人以上の方が命を落としたと見られているが、

残念ながら、それを大幅に超える被害が生じている状況だ」と述べた。





多くの方が亡くなった地震当日に惨殺死体画像を張り付ける 悪鮮人キチガイスルゾ〜の異常さ
はっきり言って異常ではないでしょうか?



スピーカーを買わなかった理由3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/pav/1286803414/l50
↑「地震当日に非常識グロ画像貼りまくり」

今日も死体画像を貼りまくる 狂鮮人キチガイスルゾ先生(悪の団塊左翼)
日本人の敵です!!!
494名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 20:59:45.66 ID:/UOjmr550
>>488
いまさら何の役にも立たない「南京事件FAQ」を引用するとはw
「南京大虐殺」って大事件のはずなのに「トップ記事になったことも、社説に取り上げられた事もない」のにw
>・欧米では事件は大々的に報道されていた
www

米英のマスコミほとんど取り上げず
ttp://www.history.gr.jp/~nanking/reason14.html
評論家阿羅健一氏は、「N・Y・タイムズ」の1937年12月1日から翌年38年1月末までの毎日の記事の目次抜粋、同じくアメリカにおける代表的な雑誌である「タ
イム」の記事、および英国の「ザ・タイムズ」の目次を抜粋するといった大変な作業に取り組んでいる。
 紙数の関係で抜粋表をお目にかけれないのは残念であるが、その概要は次の通りである。
 昭和12年12月のN・Y・タイムズのトップを幾度もにぎわしたのは何といっても米砲艦パネー号撃沈事件である。
 13日から26日までの2週間にわたり、連日一面トップをかざって報道されている。
 一面だけでなく、例えば14日付けのごときは16、17、18、19、21、24面で取り上げている。
 これほどのビック・ニュースはこの前例をみない。
 これに比べると、ダーディン記者の2回の署名入りレポート(12月18日、1月9日)は、長文ではあるが決して大ニュースではない。
 また「南京大虐殺」がトップ記事になったことも、社説に取り上げられた事もない。
 南京事件は社説にもならない雑報記事なのである。
 12月から翌年1月にかけて、南京の様子を報道した記事は、小さい1段モノまで含めて10回ある。
 その中には「難民区の中に逃げていた中国軍の大佐と部下の6人が、日本軍の仕業と見せかけて悪事をはたらき捕らえられた」と言った記事や、「日本兵がアメ
リカの所有地に入らないよう、アリソン総領事は日本大使館に抗議した」と言ったたぐいのものである。
 1月28日から30日にかけて、南京で起きたアリソン総領事殴打事件と言うのが記事をにぎわしている。
 だが大量殺害記事など皆無である。

肯定派の主張する「大々的に報道されていた」ってのは社説にもならない唯の雑報記事扱い程度の事なのかw
495名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 21:08:50.39 ID:5zPQtM8/0
冷静に見ると、すぐに外国人記者たちが南京を脱出したから
続報こそ無かったが、それなりに報道はされた
てところかな
496名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 21:18:18.56 ID:/UOjmr550
>>489
「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」と同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の対象は『交戦者』なんだが。
『交戦者』とは『交戦資格所有者』=『捕虜資格所有者』。
ハーグ4条件を満たしていなければ『交戦者』とは認められない。
ハーグ条約の保護の対象となるのは『交戦資格所有者』のみ。

『ハーグ条約を守らない者は、ハーグ条約による保護を受けられない』
当然の事w

また『交戦資格所有者』=『捕虜資格所有者』であっても【正規の俘虜収容所に収容されて】はじめて【「正式な俘虜」】になる。
つ>470

さらに【「正式な俘虜」】であれば、真実の氏名と階級を名乗る義務があるw
つ>480w
>ハーグ陸戦規定
>第9条
>全ての戦争捕虜は尋問された際、真実の氏名と階級を名乗る義務がある。
>もし捕虜がこの規則を拒絶したとき、階級にみあった利益を享受できない責任を負う。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 21:36:34.34 ID:/UOjmr550
>>488
当時、南京にいた外国人の新聞記者・カメラマンはわずか5名w
N・Yタイムズのダーディン
AP通信のマクダニエル
シカゴ・デイリーニュースのアーチボールドスチール
ロイター通信とブリティッシュニュース・エージェンシーのスミス
パラマウント・ニュース映画のアーサー・メンケン。
※ダーディン記者は南京陥落2日後の12月15日に南京を脱出しています。

で、新聞記事のソースは「ベイツレポート」w
『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』P120〜121東中野修道著
そのベイツ教授が上海から「諸友宛て」に送ったという、1938年4月12日付の手紙が残っている。
「その本には、12月15日に南京を離れようとしていたさまざまな特派員に利用してもらおうと、私が同日準備した声明が掲載されています」
その特派員とは、スティール、ダーディン、メンケン、マクダニエル、スミスの諸氏である。
ベイツ教授の言う「その本」とは、今日では中央宣伝部が製作した宣伝本であると判明したティンパーリ編『戦争とは何か』である。
その本の第1章の前半はベイツ教授が匿名で執筆していた。
それが、ベイツ教授の言う「声明」(レポート)であった。
ベイツ教授はそれを新聞記者に「利用」してもらおうと、12月15日に南京を離れる新聞記者たちに渡したと言うのである。
498名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 03:15:25.71 ID:MTc8Uqzy0
http://en.wikipedia.org/wiki/Nanking_Massacre
南京大虐殺ウィキペディア英語版
幼児老婆かまわず2万人をレイプ
>>497
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#161】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「当時南京には外国人ジャーナリストがいたが、海外の新聞やメディアがまるっきり虐殺を
報じていないぃぃぃ!南京大虐殺という虚構が主張され始めたのは、1946年の東京裁判が最
初なのだぁぁぁ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
最もよくある大嘘のひとつ。1937年当時からスクープされています。ok
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/nakkin_faq_ans16.html
500名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 07:18:56.50 ID:SJtV9b370
>494 
>昭和12年12月のN・Y・タイムズのトップを幾度もにぎわしたのは何といっても米砲艦パネー号撃沈事件である。
>13日から26日までの2週間にわたり、連日一面トップをかざって報道されている。
>一面だけでなく、例えば14日付けのごときは16、17、18、19、21、24面で取り上げている。
>これほどのビック・ニュースはこの前例をみない

この事件は、これを契機に日本と米国が戦争に突入していったとしても不思議ではない事件。
盧溝橋事件の「誰が撃ったのか解らない最初の銃弾」なんてものよりも遙かに思い問題。

米国においてこちらの事件がトップニュースになったのは当然のこと。
自国民の命が奪われ、自国が戦争に巻き込まれるか否かという問題に直面しているのだから。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 07:23:46.92 ID:SJtV9b370
>494 
>これに比べると、ダーディン記者の2回の署名入りレポート(12月18日、1月9日)は、
>長文ではあるが決して大ニュースではない。

この署名入りレポートが大ニュースでないとする理由は?

このレポートの全文はかなりの長文で、コピペ厨と揶揄されることのあるさすがの私も
コピペすることをためらってしまうほどの文量なんだけど。
これ程長く、かつ内容的にもセンセーショナルな文章が、当時世界の耳目を集めていた
「日本軍が国民党政権の首都である南京を陥落した」という事件に関しての詳報が
「大ニュースでない」と判断するその論拠をお伺いしたい。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 07:43:32.78 ID:SJtV9b370
>【陸軍大臣管轄下】の【正規の俘虜収容所に収容されて】、はじめて「俘虜取扱細則」による【「正式な俘虜」】になり、
>捕虜の待遇を定めた条約の【「準用」の対象】となる。

条約の準用っていってるんだから、この場合は「ジュネーブ条約」のことだろう?
日本はハーグ条約は批准したけど、ジュネーブ条約は批准していない。
だから米英側から問い合わせがあったときに「準用」すると答えている。
ハーグ条約に関しての話では無さそうだね。

ついでだから元サイトにあった以下の文章を貼っとこうか。

日本軍では,捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて,はじめて「俘虜取扱細則」による「正式な俘虜」になり,
捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となる.
すなわち,俘虜収容所に責任をもつ陸軍大臣(軍政機関の責任者)は,その管理する収容所における事件の責任は負う.
だが,収容所までの過程での出来事は陸軍大臣の所管ではないということになる.

東京裁判での武藤章証言によると,まず,戦場で捕虜を得た陸海軍指揮者が,捕虜を取り調べ捕虜名簿を作成して大本営に報告する.
この段階では軍令の捕虜である.
これに対して,陸軍大臣は収容所の位置および収容人員を大本営に示す.
大本営は陸軍大臣の示す収容所に捕虜を輸送する.
捕虜の輸送が終わり,収容所に収容されてはじめて,先に述べたように陸軍大臣の管理下の捕虜,すなわち軍政が管理する捕虜となる.

日本軍の捕虜取り扱いの二元性は,俘虜情報局がアメリカのラーチ憲兵司令官一行の調査でも強調した点である.
したがって俘虜収容所に輸送するまでの捕虜の取り扱いは,すべて作戦軍の事項として参謀部の責任であり,
最終的には参謀総長にその責任は属する.[16]
例えば,船舶輸送中の事件でも参謀部の責任となる.
俘虜情報局・陸軍省俘虜管理部ともに軍政機構であり,それ以前の作戦軍のもつPOW (軍令のPOW)については管理の権限も責任もない.
時には情報すら入っていない.


「捕虜の輸送が終わり,収容所に収容されてはじめて,先に述べたように陸軍大臣の管理下の捕虜,すなわち軍政が管理する捕虜となる.」

つまり、「俘虜取扱細則」ってのは軍政の管轄下において運用される法律だから、軍政機関に引き渡されてから後に
適用される取り決めであるって事で、軍令側の取り決めではないって事。

「したがって俘虜収容所に輸送するまでの捕虜の取り扱いは,すべて作戦軍の事項として参謀部の責任であり,最終的には参謀総長にその責任は属する.」[

そして、戦場での捕虜の取り扱いは軍令側の責任者である参謀総長が責任を取る。
戦場において捕虜の虐殺などがあったら、その責任は陸軍大臣が負うのではなく、参謀総長が負うことになる
といっているだけのこと。
捕虜収容所に収容するまでは、「捕虜に関して一切責任がない、殺してしまって構わない」なんていうのが
ただの暴論でしかないことがよく分かる。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 07:45:10.07 ID:SJtV9b370
>496
>さらに【「正式な俘虜」】であれば、真実の氏名と階級を名乗る義務があるw
>>ハーグ陸戦規定
>>第9条
>>全ての戦争捕虜は尋問された際、真実の氏名と階級を名乗る義務がある。
>>もし捕虜がこの規則を拒絶したとき、階級にみあった利益を享受できない責任を負う。

文盲ってすごいな。
ここに書かれているのは、「将校・下士官などが、自分の階級を偽って一般の兵士だと
主張したりしたときには、将校用の待遇を受けられないという不利益を被る。」って事であって、
「氏名・階級等を名乗らなかったら問答無用で殺してもいい」って事では無いんだけど。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 08:13:49.94 ID:SJtV9b370
>497
>で、新聞記事のソースは「ベイツレポート」w
>『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』P120〜121東中野修道著
>そのベイツ教授が上海から「諸友宛て」に送ったという、1938年4月12日付の手紙が残っている。
>「その本には、12月15日に南京を離れようとしていたさまざまな特派員に利用してもらおうと、私が同日準備した声明が掲載されています」
>その特派員とは、スティール、ダーディン、メンケン、マクダニエル、スミスの諸氏である。
>ベイツ教授の言う「その本」とは、今日では中央宣伝部が製作した宣伝本であると判明したティンパーリ編『戦争とは何か』である。
>その本の第1章の前半はベイツ教授が匿名で執筆していた。
>それが、ベイツ教授の言う「声明」(レポート)であった。
>ベイツ教授はそれを新聞記者に「利用」してもらおうと、12月15日に南京を離れる新聞記者たちに渡したと言うのである。

で、その「ベイツレポート」のいったいどこに

>366
>1938.1.4 NYタイムス
>元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに

この記事の元になった情報が載っているのかな?

それだけ自信満々に論拠として出してくるのならば、当然一次資料の
ベイツレポート本文は通読しているんだよね。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 08:22:58.49 ID:SJtV9b370
>>488
>いまさら何の役にも立たない「南京事件FAQ」を引用するとはw

さて、この「南京事件FAQ」のサイトが「何の役にも立たない」とする論拠をお伺いしようか。

南京事件に関して詳しい情報を持っておらず、否定派と肯定派の両方の意見を聞いた上で
判断しようとしている人に一人でも多く読んでみて欲しいと思っているサイトなので、
このサイトが役に立たないと主張する根拠なり論拠なりを提示してみて欲しいと思うのだがね。

そして、このやりとりをごらんになっている方には、直接このサイトに載せられた
文章を読んでみて欲しい。

このスレでやりとりされている論議の大部分の事柄は、既にこちらのサイトと
そのサイトからリンクされているいくつかのサイトで詳細に論じられており、
より正確で豊富な一次資料や二次資料の多くが引用し紹介されている。

否定派や肯定派の論説に、それぞれの立場から疑問や不審を感じている方は、
肯定派の論拠を多く集めた一つのデータ集としてこのサイトを使用してみてくれ。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 08:44:07.89 ID:6jOmCwtq0
>『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』P120〜121東中野修道著
>そのベイツ教授が上海から「諸友宛て」に送ったという、1938年4月12日付の手紙が残っている。
>「その本には、12月15日に南京を離れようとしていたさまざまな特派員に利用してもらおうと、私が同日準備した声明が掲載されています」
>その特派員とは、スティール、ダーディン、メンケン、マクダニエル、スミスの諸氏である。
>ベイツ教授の言う「その本」とは、今日では中央宣伝部が製作した宣伝本であると判明したティンパーリ編『戦争とは何か』である。
>その本の第1章の前半はベイツ教授が匿名で執筆していた。
>それが、ベイツ教授の言う「声明」(レポート)であった。
>ベイツ教授はそれを新聞記者に「利用」してもらおうと、12月15日に南京を離れる新聞記者たちに渡したと言うのである。

未だに東中野のデマを真に受けてるのがいるとは驚き。
井上久士氏(駿河台大学教授)の論文「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」より引用
「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」
(同書P249)

東中野は、『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』において、「『戦争とは何か』は中央宣伝部の製作した「宣伝本」だったことが
確認された」(P20)と書いているが、中央宣伝部が製作した宣伝本というのは、国民党国際宣伝処が資金を出して製作したものでは
なく、既に書かれたものを買い取って翻訳・印刷したもの。単に中国語版を出版するにあたり、著作権料を支払っただけ。

また、ティンパリーが1937年から中央宣伝処の顧問だったというのは、『曽虚白自伝』を典拠としたデタラメ。
ベイツの記録は当時南京にいた他の外国人たちの日本軍の暴行の記録・証言と矛盾しない。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 09:03:30.68 ID:6jOmCwtq0
東中野の『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』については面白い記事があるので転載しておく。
亜細亜大公開講座を聴講した人物が東中野修道氏と直接質疑応答した際のやり取りだそうだ。

以下引用

>東中野氏の見解では、『戦争とは何か』は、第三者的な立場から戦争の被害を訴えるために書かれたものではなく、
>国民党が資金を提供して書かれた宣伝本であった、ということです。今回の講義ではその根拠として、東中野氏が発見した
>「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概況 一九三八年〜一九四一年四月」を挙げていました。この史料では「本処が編集印刷した
>対敵宣伝書籍は次の二種類である」としてその一つに『戦争とは何か』が挙げられています
>(東中野修道『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』(草思社、二〇〇六年五月、一九ページ)。
>また、講義では触れられていませんが、『戦争とは何か』が国民党からの資金によって書かれた宣伝本であることの根拠として、
>同書の英語版と漢訳版が同時に出版されていること、国際宣伝処長であった曽虚白の自伝『曽虚白自伝』において「お金を使って
>頼んで、本を書いてもらい、それを印刷して出版した」という記述があることの二点を指摘しています(東中野、前掲書二〇ページ)。

>ところが、この東中野氏の見解に対しては、井上久士「南京大虐殺と中国国民党国際宣伝処」(『現代歴史学と南京事件』柏書房、
>二〇〇六年三月)において反論がなされています。井上氏の反論において重要な点は、「中央宣伝部国際宣伝処民国二十七年工作報告」
>という史料が紹介されていることです。
>この史料では「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、
>印刷出版した」(同書二四九ページ)と書かれています。つまり『戦争とは何か』は、東中野氏が主張するように国際宣伝処から
>資金提供を受けて書かれたのではなく、すでに書かれていた原稿を国際宣伝処が買い取り、翻訳し出版したということです。
>もちろん、この報告の記述は『曽虚白自伝』と一致しませんが、同報告は当時書かれた公文書であり、史料的価値が高く、信憑性が
>高いことは一目瞭然だといえるでしょう。

>私は質疑応答の際、以上のような史料があり反論がなされているということを指摘し、この史料に対する東中野氏の見解を伺いました。
>ところが驚いたことに、東中野氏は、井上氏の反論も「民国二十七年工作報告」も知らないと答えました。私は、やむをえず、その史料を
>読みあげ、再度見解を伺ったのですが、東中野氏は予備知識がなく、また私の説明にも足りない点があったこともあり、なかなか論点が
>理解できないようでした。その後、いくつかやり取りをへて、東中野氏も論点が理解出来たようでしたので、私は、この史料の存在により
>見解を修正すべきではないかと問い質しました。これに対し東中野氏は、『曽虚白自伝』の記述を根拠として、見解を修正する必要はないと
>主張しました。もちろん、『曽虚白自伝』と「民国二十七年工作報告」の史料的価値の違いは明白です。その点を指摘すると、東中野氏は
>その反論が適当ではないと気付いたようです。

続く
508名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 09:06:51.76 ID:6jOmCwtq0
>>507からの続き

>しかし、それでも東中野氏は自身の主張を修正しようとはせず、講義で述べていた「ベイツが不法殺害を五度も否定した」という
>「事実」をどう思うかと私に質問をした上で、そのことが根拠となるかのような主張しました。これは本来の論点とは関係ないことであり、
>反論にはなっていないのですが、とりあえず私としても一応反論しようと思った矢先、時間が長すぎるという理由で質疑を打ち切られて
>しまいました。

>以上のような質疑応答でしたが、まとめると、東中野氏はこの問題に対し意味のある反論は出来なかったと言えると思います。中途半端な
>質疑で終ってしまいましたが、ある一定の成果は出せたのではないかと思っています。

恥をかきたくなかったら、裁判官からも「学問の名に値しない」とまで認定された、東中野先生からの引用は避けた方が吉。
この先生、学者なのに学問的探求の作法を全く分かってない。
509名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 10:39:46.19 ID:4mnLm86X0
>>508
で、君のご自慢の新聞記者の母国は、この南京など問題にならないほどの国際法違反を犯すわけだが
君の言う方など遙かに超える「民間人大虐殺」を本当にやらかしたのはイギリスやアメリカだろ
その時このジャーナリストは何をやっていたのかな?

こいつ等は正義のジャーナリストなんかじゃないよ、ただのインチキプロパガンダ野郎だ
510名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 10:57:27.81 ID:6jOmCwtq0
>>509
日本語でおK
511名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 11:35:35.16 ID:4mnLm86X0
>>510
米英の事言われると都合が悪いってのは良く判ったw
あと、チャンコロも当然、お前の言う国際法規守っていたんだよね?

まさか「他所は関係ない」とか言い出す痛い子なんですか?
512名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 12:39:53.17 ID:6jOmCwtq0
詭弁のガイドライン

関係のない話をし始める
513名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 12:40:39.78 ID:V/wmqWEm0
>>503
便衣で「自分は兵士だ」と名乗ったらハーグ条約違反の現行犯なんだがw
514名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 12:52:08.64 ID:V/wmqWEm0
>>502
>捕虜収容所に収容するまでは、「捕虜に関して一切責任がない、殺してしまって構わない」なんていうのが
>ただの暴論でしかないことがよく分かる。
誰がそんな主張をしているんだw
肯定派お得意の脳内妄想の否定派ですかw
1937年時点では『捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量』ですがw
『敵要員を捕獲した瞬間から捕虜の待遇を与える』とされたのは1949年からですがw




足立純夫『現代戦争法規論』
1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、
1949年条約はその考え方を根本的に修正し、敵要員を捕獲した瞬間から最終的にそれらの者が解放送還されるまでの間、捕虜の
待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた
(第5条第1項)。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 12:55:34.59 ID:V/wmqWEm0
>>505
>より正確で豊富な一次資料や二次資料の多くが引用し紹介されている。
『一次資料』とやらを出してみろw
当然『仮名』や『匿名』や『伝聞』や『推測』なんてことはないよなw
516名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 13:00:23.77 ID:4mnLm86X0
>>512
アメリカ軍の愚行も記事にしない奴らはジャーナリストじゃないってのが関係ない話ですか
君に都合が悪いってだけでしょw
517名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 13:26:50.58 ID:6jOmCwtq0
>アメリカ軍の愚行も記事にしない奴らはジャーナリストじゃないってのが関係ない話ですか
こちらの意図したレスを理解できないのなら、学問板とは関係ないあなた向けの板へどうぞ。
以降、私はあなたを相手にしません。
518名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 13:31:26.26 ID:4mnLm86X0
>>517
気にくわないから文句言いたいけど、何も言い返せないってのが良く判りますw
あんた等の論には正当性など無いんだよ
ただ日本が憎いだけで論理組み立てるからお前のように無様なレスしかできなくなる
519名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 16:25:12.40 ID:SJtV9b370
>518
>気にくわないから文句言いたいけど、何も言い返せないってのが良く判りますw

横から失礼。
>512氏のいう「関係ない話」てのは

>恥をかきたくなかったら、裁判官からも「学問の名に値しない」とまで認定された、東中野先生からの引用は避けた方が吉。

という文章と関係があるかどうかって話。

>君の言う方など遙かに超える「民間人大虐殺」を本当にやらかしたのはイギリスやアメリカだろ
>その時このジャーナリストは何をやっていたのかな?

この問いかけは東中野修道氏の発言の信憑性に対して示された疑義とはまったく関係が無い、ということ。
520名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 16:45:23.28 ID:SJtV9b370
>515
>>505
>>より正確で豊富な一次資料や二次資料の多くが引用し紹介されている。
>『一次資料』とやらを出してみろw

サイトのURLが貼られているんだから、人に頼らずに自分で調べろ。
ここは学問板なんだから、人に聞いてばっかりの人間は発言する資格がないぞ。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 22:14:50.23 ID:ykp731fh0
>>520
サイトのURLを貼って「豊富な一次資料や二次資料の多くが引用し紹介されている」と主張しているのはID:SJtV9b370。
根拠を提示する義務があるのは主張する側。
その上で「このサイトの一次資料は○○○、二次資料は×××」と提示するのが常識。
何で否定派が、自分の主張している事の根拠を出す事さえできない肯定派の面倒を見てやらなきゃならないのかとw

学問板ってのは「主張の根拠を出さなくてもいい」「自分の主張の根拠を相手に求めてもいい」という議論の『常識』さえ通用しないところなのかw
522名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 22:16:35.75 ID:/shGYOKl0
偕行社の渾身の資料集

『南京戦史』及び『南京戦史資料集』

「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3000乃至6000」

まあ、いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。
これでFAだな。南京虐殺なるものは3000〜6000人の捕虜違法殺害。

ちなみに、安全区内で報告された殺人事件は49件。民間人虐殺は49人でFAだな。





523名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 22:49:33.68 ID:/shGYOKl0

南京事件なんてこの程度なんだからいまさら大騒ぎするな。
偕行社の見解が全てだ。30万人大虐殺なんて大嘘。2万人も大嘘。

肯定派は完全に論破されたんだから、こいつらを常に監視して、
息を吹き返さないよう、圧迫し続ける程度で十分。

世論は否定派が大多数。


>>522
> 偕行社の渾身の資料集
>
> 『南京戦史』及び『南京戦史資料集』
>
> 「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3000乃至6000」
>
> まあ、いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。
> これでFAだな。南京虐殺なるものは3000〜6000人の捕虜違法殺害。

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#184】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「安全区委員会の「日本軍の暴行記録」によると、南京での殺人の総数は49件であるぅぅぅ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
これは総数でもなんでもなく、挙げられた事例を数えただけに過ぎません。国際委員会が、
これ以外の文書でも犠牲者を報告していることからも明らかです。委員長のラーベはヒトラ
ー宛ての書簡で、犠牲者を5〜6万と推測していました。なお、49人というのは板倉由明氏
の数え違いですが、彼もそれが総数だなどと馬鹿は言ってません。ok
http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html


> ちなみに、安全区内で報告された殺人事件は49件。民間人虐殺は49人でFAだな。
>
>
>
>
>
>
>>523
>
> 南京事件なんてこの程度なんだからいまさら大騒ぎするな。
> 偕行社の見解が全てだ。30万人大虐殺なんて大嘘。2万人も大嘘。
>
> 肯定派は完全に論破されたんだから、こいつらを常に監視して、
> 息を吹き返さないよう、圧迫し続ける程度で十分。
>
> 世論は否定派が大多数。

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#116】
南京大虐殺論争

南京大虐殺事件を日本人が知ったのは敗戦後の東京裁判においてである。この事件が
「論争」となるのは、日本が高度成長を遂げ公然と十五年戦争が肯定されるようになって
からである。論点は虐殺事件の存否、組織性、犠牲者の数であり、七〇年代の第一次論
争、八〇年代の第二次論争がある。この事件を六〇年代から本格的に研究したのは洞
富雄であり、事件を世に広めたのは本多勝一『中国の旅』(七二年)である。第一次論争
は七二年の鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が事件の存在に疑問を呈してはじまった。
第二次論争では田中正明『?南京事件″の虚構』が事件の存在を否定したために中国を
巻き込む論争に発展した。しかし、論争の過程で多くの新資料が発掘・発表され、旧陸軍
将校の親睦団体偕行社が機関誌『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存
在を認め中国人民にわびたことをもって事件の存否に関する論争は収束した。第二次論
争の時期に事件の非組織性を主張したのは文部省であり、教科書検定で「混乱の中で」
と書き込ませた。しかし、南京攻略戦参加部隊の「戦闘詳報」などの資料や藤原彰『南京
大虐殺』(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(同年)などによって日本軍の組織
的虐殺であることが明確になった。中国人犠牲者の数の問題に関しては、中国では八五
年に開館した侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館に明示するように三〇万人を主張す
る。これに対し事件の存在を認めざるをえなくなった人々は三〇〇〇人から四万二〇〇
〇人という数を提示、偕行社刊『南京戦史』でも約三万人という。しかし、洞は『決定版・南
京大虐殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、『南京大虐殺の証明』(八六年)で少数
              ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも洞・藤原などの主張には説得力があり、論争は
ほぼ決着がついた。(三省堂『戦後史大事典』より)
526名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:01:51.11 ID:/shGYOKl0

因みに、日本総領事館に報告された殺人事件は9件。
報告者が本名を名乗っていたため、殺人の状況が正確に把握できたのは1件のみ。

その1件とは・・・・便意兵の処刑であった。ちゃんちゃん。

ま、民間人大虐殺の証拠なんてどこにも無いんだよwwww
はっはっは、バーカ

>>526
>
> 因みに、日本総領事館に報告された殺人事件は9件。
> 報告者が本名を名乗っていたため、殺人の状況が正確に把握できたのは1件のみ。
>
> その1件とは・・・・便意兵の処刑であった。ちゃんちゃん。
>
> ま、民間人大虐殺の証拠なんてどこにも無いんだよwwww
> はっはっは、バーカ

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#204】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「証拠出して見ろwwwww証拠無いから出せないんだろwwwww」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
ここに沢山ありますよ。ok

南京戦史編集委員会 「南京戦史」 (偕行社)←現在入手極めて困難
→「南京戦史」「南京戦史資料集」「南京戦史資料集U」
南京事件調査研究会 「南京事件資料集」全2巻 (青木書店)
→第1巻「アメリカ関連資料編」 第2巻「中国関係資料編」
洞富雄編 「南京大残虐事件資料集」全2巻 (青木書店)
→第1巻「極東国際軍事裁判関係資料編」第2巻「英文資料編」
防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書」全102巻(朝雲新聞社)
「第86巻 支那事変陸軍作戦〈1〉―昭和十三年一月まで―」
「第89巻 支那事変陸軍作戦〈2〉―昭和十四年九月まで―」
井口和起、木坂順一郎、下里正樹編 「南京事件・京都師団関係資料集」 (青木書店)
528名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:05:07.18 ID:/shGYOKl0

南京戦当時、安全区の人口は20万人であった。

ここで問題。

民間人が30万人虐殺されたなら、安全区の人口は何人になる?
因みに、日本が占領して1ヵ月後の安全区の人口は25万人だ。

さあ、答えろ。

>>528
>
> 南京戦当時、安全区の人口は20万人であった。
>
> ここで問題。
>
> 民間人が30万人虐殺されたなら、安全区の人口は何人になる?
> 因みに、日本が占領して1ヵ月後の安全区の人口は25万人だ。
>
> さあ、答えろ。

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#150】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「とにかく!人口が激減していないのだから10万単位の虐殺は無かったはずだぁぁぁ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
南京はもともと百万都市です。日本軍が南京に向かい始めると富裕層をはじめかなりの数が
避難し、陥落直前には40〜60数万であったとされています。兵士は含んでいません。これが、
市来義道編『南京』 に掲載の人口統計(警察庁及市政府調査)によれば、1938年8月には30
万ほどになってしまうのです。激減していると言えます。ok
530名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:09:57.36 ID:/shGYOKl0
青木書店・・・肯定派ご用達の出版社(他の出版社から相手にされない)
洞富雄・・・・南京虐殺記念館から表彰された人物

ああ、なるほどね。で「民間人虐殺の証拠」とやらを書き出してみなさい。

>>530
> 青木書店・・・肯定派ご用達の出版社(他の出版社から相手にされない)
> 洞富雄・・・・南京虐殺記念館から表彰された人物
>
> ああ、なるほどね。で「民間人虐殺の証拠」とやらを書き出してみなさい。

あのー話を戻していいですか?
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#148】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「虐殺数30万人説には信憑性が無い!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
東京裁判で南京大虐殺の被害者は20万人以上ということで判決が出ており、その判決を日
本は受け入れています、つまり日本国は南京大虐殺を事実として公式に認めています。そ
の東京裁判の判決で認定された被害者数と中国が自国内で認定してる被害者数の開きがあ
るからと言って南京大虐殺は無かったと言うのは歴史修正主義者の苦しい言い訳に過ぎず、
国際社会では通用しません。ok
532名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:12:41.69 ID:/shGYOKl0

★肯定派がよく使う根拠の無い希望的観測

「南京はもともと百万都市です。日本軍が南京に向かい始めると富裕層をはじめかなりの数が
避難し、陥落直前には40〜60数万であ っ た と さ れ て い ま す 。」

ねーねー、誰が「あったとした」の?
教えろ、禿

>>532
>
> ★肯定派がよく使う根拠の無い希望的観測
>
> 「南京はもともと百万都市です。日本軍が南京に向かい始めると富裕層をはじめかなりの数が
> 避難し、陥落直前には40〜60数万であ っ た と さ れ て い ま す 。」
>
> ねーねー、誰が「あったとした」の?
> 教えろ、禿

よく読めバカウヨ

ルイス・S・C・スマイス『南京地区における戦争被害』(1938年)
1年前,南京市の人口はちょうど100万をこしたところであった。この
数字は8月・9月にかけて急減し,11月初旬にまた50万近くに戻った。

(『南京大残虐事件資料集 第2巻 英文資料編』p251より)
534名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:17:49.02 ID:/shGYOKl0

★肯定派の最後の切り札、東京裁判。

東京裁判という、「政治的復讐劇」
この裁判は、日本を悪人に仕立て上げるための国際法違反の茶番劇であって、
その内容は全く学問的ではないのだよ。学問的価値はゼロといえる。

東京裁判を持ち出した時点で肯定派は完全に滅びたわけだ。

実に脆かったねwww

535名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:22:48.15 ID:/shGYOKl0

★馬鹿はお前だろw

「ルイス・S・C・スマイス『南京地区における戦争被害』(1938年)
1年前,南京市の人口はちょうど100万をこしたところであった。この
数字は8月・9月にかけて急減し,11月初旬にまた50万近くに戻った。」

11月初旬w
南京戦はいつだったか、答えなさい。

536名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:28:14.65 ID:/shGYOKl0

もっと骨のあるゴリゴリの肯定派、出てこねぇのかよ?

簡単に論破される馬鹿ばっかりじゃ面白くねーんだよ、カスw

537名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:42:55.93 ID:ykp731fh0
>>506
国民党の「宣伝工作概要」(1938年1月)によると「国際諸団体を引率し、国民外交を策動し、各国新聞記者と連絡して、彼らを使ってわが交戦宣伝とすることは、全てスムーズに進行している」とある。
事実、「外事工作概況」によると、中央宣伝部は1937年11月23日から12月12日まで南京在留の外国人記者を招待して毎日お茶会と記者会見を開催している。
同じ記述は中央宣伝部を率いる董顕光の自伝やラーベの日記、ヴォートリン日記にもある。
それによると国民党政府が運営する「国際連歓社」に各国大使館の代表、ビジネスマン、宣教師、新聞記者が集まり、希望者は防衛軍、警察庁、南京市の代表と会見していた。
つまり南京陥落以前から「中央宣伝部によって、欧米人と中国人指導者もしくはその代理人が交流接触する機会が設けられていた」。
さらに外国人記者の会見は中央宣伝部の指導の下で行われていた。
外国人記者と国民党は南京陥落以前から接触があり、交戦宣伝が行われ『曽虚白自伝』でもそれは裏付けられている。
外国人記者による報道は国民党によってコントロールされていたと見るほうが自然。
また、中国社会科学院が1981年に編集した『近代来華外国人名辞典』には、ティンパーリについて「1937年盧溝橋事件後、国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」と明記されている。
538名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 23:48:45.17 ID:+e3T2vxu0
幕府山事件の犠牲者を自衛発砲説に従っている南京戦史の数字は
もはや確定値たりえないよ
資料としては貴重だが
嘘証言や矮小化のフィルタは通さなければならない
539名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 00:21:26.23 ID:D59yz+Au0
>>538
捏造派の支持する証言によると、全体を通して遺体処理に無頓着であったはずの日本軍が
何故かこの時だけは河に流すなどの処理をしたことになっているw

埋葬記録と矛盾するから河に流したことにしたのが明白なんだよね
遺体処理前提の証言は全て嘘だと考えた方が良い
>>535
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#149】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「虐殺どころか南京の治安は急速に回復していた。その証拠に、20万だった南京人口が5万
人も回復しているぅぅぅ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
上記の「安全区」推定人口の訂正を、人口が増えたと曲解しているだけです。そもそも本当
に治安が回復していたら、難民区から人々が帰還して難民区人口は減るはずですが、実際に
は日本軍の凶行を怖れて出て行こうとしなかったことを安全区委員会は記録しています。ok
http://www.geocities.jp/yu77799/tian.html
541名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 00:54:19.20 ID:uIofR5I20
証言どころか実名の大寺日記に記録として残ってます
否定派残念
>>539
> >>538
> 捏造派の支持する証言によると、全体を通して遺体処理に無頓着であったはずの日本軍が
> 何故かこの時だけは河に流すなどの処理をしたことになっているw
>
> 埋葬記録と矛盾するから河に流したことにしたのが明白なんだよね
> 遺体処理前提の証言は全て嘘だと考えた方が良い

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#116】
南京大虐殺論争

南京大虐殺事件を日本人が知ったのは敗戦後の東京裁判においてである。この事件が
「論争」となるのは、日本が高度成長を遂げ公然と十五年戦争が肯定されるようになって
からである。論点は虐殺事件の存否、組織性、犠牲者の数であり、七〇年代の第一次論
争、八〇年代の第二次論争がある。この事件を六〇年代から本格的に研究したのは洞
富雄であり、事件を世に広めたのは本多勝一『中国の旅』(七二年)である。第一次論争
は七二年の鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が事件の存在に疑問を呈してはじまった。
第二次論争では田中正明『?南京事件″の虚構』が事件の存在を否定したために中国を
巻き込む論争に発展した。しかし、論争の過程で多くの新資料が発掘・発表され、旧陸軍
将校の親睦団体偕行社が機関誌『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存
在を認め中国人民にわびたことをもって事件の存否に関する論争は収束した。第二次論
争の時期に事件の非組織性を主張したのは文部省であり、教科書検定で「混乱の中で」
と書き込ませた。しかし、南京攻略戦参加部隊の「戦闘詳報」などの資料や藤原彰『南京
大虐殺』(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(同年)などによって日本軍の組織
的虐殺であることが明確になった。中国人犠牲者の数の問題に関しては、中国では八五
年に開館した侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館に明示するように三〇万人を主張す
る。これに対し事件の存在を認めざるをえなくなった人々は三〇〇〇人から四万二〇〇
〇人という数を提示、偕行社刊『南京戦史』でも約三万人という。しかし、洞は『決定版・南
京大虐殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、『南京大虐殺の証明』(八六年)で少数
              ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも洞・藤原などの主張には説得力があり、論争は
ほぼ決着がついた。(三省堂『戦後史大事典』より)
543名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 01:25:24.82 ID:pOz07vk70
>>541
★大寺隆 歩兵第65連隊第7中隊・上等兵
一二月十八日 
<略>
午后は皆捕リョ兵方(片)付けに行ったがオレは指揮班のため行かず、
                             ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昨夜までに殺した捕虜は約二万、揚子江岸二か所に
山のように重なっているそうだ。
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
@大寺隆は死体を見ていない。
A伝聞を聞いたに過ぎない。
以上が検証できましたw
544名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 01:31:13.33 ID:pOz07vk70
>>543
ついでに言っておくと大寺日記には捕虜を殺害した理由は書かれていないw
歩兵第65連隊は幕府山で捕虜を殺害したとされている部隊。
南京戦史によると自衛発砲説だがw
545名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 01:46:54.98 ID:n9p0qzBc0
>>541
実名の例w
>212www
546名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 02:08:30.40 ID:uIofR5I20


★大寺隆 歩兵第65連隊第7中隊・上等兵
十二月十九日 幕布(府)山要塞
 午前七時半整列にて清掃作業に行く。揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に警(驚)く、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし。今日の使役兵は師団全部、午后二時までかかり作業を終わる。
昼食は三時だ、すぐに夕げの仕度にかかり五時半頃又夕食だ、今日捕リョ死骸方付けに行き、松川の菊池さんに会ふ。
ここの要塞は馬尾山の要塞と云ふ、工兵隊らしい、砲台の爆破をやる、見事なものだ、バクフ山要塞。





539 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2011/03/14(月) 00:21:26.23 ID:D59yz+Au0
>>538
捏造派の支持する証言によると、全体を通して遺体処理に無頓着であったはずの日本軍が
何故かこの時だけは河に流すなどの処理をしたことになっているw

埋葬記録と矛盾するから河に流したことにしたのが明白なんだよね
遺体処理前提の証言は全て嘘だと考えた方が良い

541 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/03/14(月) 00:54:19.20 ID:uIofR5I20
証言どころか実名の大寺日記に記録として残ってます
否定派残念
547名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 02:28:56.42 ID:uIofR5I20
まあ、この大変な時期に
こんなところでバカの否定派を相手している場合じゃないか
548名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 02:50:07.86 ID:nRr+5ob60
いろいろ議論はあったようだが、この結論は覆しようがないな

偕行社

『南京戦史』及び『南京戦史資料集』

「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3000乃至6000」

これでFA。南京大虐殺のMAXは6000人の俘虜違法殺害。

偕行社いわく「中国さんごめんね」

以上
549名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 08:44:08.28 ID:KB7IMSO+0
>>546
バカの主張w
「死体を片付けたら虐殺」www
12月18日→約二万(しかも伝聞)w
12月19日→数百w
伝聞の証言は全て100分の1と考えたほうがいいなw
>>549
> >>546
> バカの主張w
> 「死体を片付けたら虐殺」www
> 12月18日→約二万(しかも伝聞)w
> 12月19日→数百w
> 伝聞の証言は全て100分の1と考えたほうがいいなw

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#116】
南京大虐殺論争

南京大虐殺事件を日本人が知ったのは敗戦後の東京裁判においてである。この事件が
「論争」となるのは、日本が高度成長を遂げ公然と十五年戦争が肯定されるようになって
からである。論点は虐殺事件の存否、組織性、犠牲者の数であり、七〇年代の第一次論
争、八〇年代の第二次論争がある。この事件を六〇年代から本格的に研究したのは洞
富雄であり、事件を世に広めたのは本多勝一『中国の旅』(七二年)である。第一次論争
は七二年の鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が事件の存在に疑問を呈してはじまった。
第二次論争では田中正明『?南京事件″の虚構』が事件の存在を否定したために中国を
巻き込む論争に発展した。しかし、論争の過程で多くの新資料が発掘・発表され、旧陸軍
将校の親睦団体偕行社が機関誌『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存
在を認め中国人民にわびたことをもって事件の存否に関する論争は収束した。第二次論
争の時期に事件の非組織性を主張したのは文部省であり、教科書検定で「混乱の中で」
と書き込ませた。しかし、南京攻略戦参加部隊の「戦闘詳報」などの資料や藤原彰『南京
大虐殺』(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(同年)などによって日本軍の組織
的虐殺であることが明確になった。中国人犠牲者の数の問題に関しては、中国では八五
年に開館した侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館に明示するように三〇万人を主張す
る。これに対し事件の存在を認めざるをえなくなった人々は三〇〇〇人から四万二〇〇
〇人という数を提示、偕行社刊『南京戦史』でも約三万人という。しかし、洞は『決定版・南
京大虐殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、『南京大虐殺の証明』(八六年)で少数
              ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも洞・藤原などの主張には説得力があり、論争は
ほぼ決着がついた。(三省堂『戦後史大事典』より)
551名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 11:05:41.77 ID:oQ1YGATz0
>521 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/13(日) 22:14:50.23 ID:ykp731fh0
>>520
>サイトのURLを貼って「豊富な一次資料や二次資料の多くが引用し紹介されている」と主張しているのはID:SJtV9b370。
>根拠を提示する義務があるのは主張する側。

学問的なやりとりというものを理解していないおつむの足りない人はこれだから・・・

「南京において日本の暴虐行為はあった」とする主張があり、それを否定したいのであれば、
否定したい側がその根拠なり論拠なりの虚偽や捏造を検証する必要がある。

「豊富な一次資料や二次資料の多くが引用し紹介されている」いう主張を否定したいのであれば、
否定したい側がその主張が事実に反しているという事例を検証すれば良いだけの話。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 12:01:41.90 ID:fEhhT9pk0
>>551
まあ、一旦定説となった事項についてはそのようなコトしないと覆せないよな。
確かに事実なんだが、それ認めちゃうと否定派にとって辛すぎるから、リセットして「証拠を出せ」としか
言えないのだろう。
553名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 12:05:23.09 ID:2mEdVjua0
>>537
>さらに外国人記者の会見は中央宣伝部の指導の下で行われていた。
>外国人記者と国民党は南京陥落以前から接触があり、交戦宣伝が行われ『曽虚白自伝』でもそれは裏付けられている。
あのさ・・・中央宣伝部が製作した宣伝本というのは、国民党国際宣伝処が資金を出して製作したものでは
なく、既に書かれたものを買い取って翻訳・印刷したもの。単に中国語版を出版するにあたり、著作権料を支払っただけ。
って書いてあるのが読めないの? また、東中野説の典拠となっている『曽虚白自伝』も裏付けが取れてないばかりか、
渡辺久志氏の指摘を例示しているとおり間違いが多く史料価値は低い。

東中野の推測部分を何度繰り返しても、彼の推測の域を出ないからやめた方が良いって教えてあげたのに。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 14:04:36.48 ID:PEpeTLbn0
>>551
>学問的なやりとりというものを理解していないおつむの足りない人はこれだから・・・
>
>「南京において日本の暴虐行為はあった」とする主張があり、それを否定したいのであれば、
>否定したい側がその根拠なり論拠なりの虚偽や捏造を検証する必要がある。
ここは本当に学問板なのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
学問的なやり取り以前に、議論というものを理解してから書き込めよw
「あった」と主張する側が根拠を出すのは議論の常識w
「ない」ものは証明できないw
逆に「あった」という証明は可能w
学問板では「悪魔の証明」が通用するのかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
555名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 14:09:42.33 ID:PEpeTLbn0
>>553
中国はティンパーリが国民党中央宣伝部顧問に就任していたと認めているようだがw
>537
>また、中国社会科学院が1981年に編集した『近代来華外国人名辞典』には、ティンパーリについて「1937年盧溝橋事件後、国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」と明記されている。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 14:19:18.02 ID:PEpeTLbn0
>>553
どう見ても工作資金が提供されただけw
>537
>国民党の「宣伝工作概要」(1938年1月)によると「国際諸団体を引率し、国民外交を策動し、各国新聞記者と連絡して、彼らを使ってわが交戦宣伝とすることは、全てスムーズに進行している」とある。
南京戦以前から外国人記者を使った交戦宣伝は国民党の方針。
その方針によって外国人記者に金を払ったのを「著作権料を支払っただけ」と言ってるだけw
そしてティンパーリは国民党中央宣伝部顧問w
557名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 14:36:48.12 ID:2mEdVjua0
>>555
>中国はティンパーリが国民党中央宣伝部顧問に就任していたと認めているようだがw
と、鈴木明と北村稔が推測しているだけ。推測の元ネタは『曽虚白自伝』だよね。

>また、中国社会科学院が1981年に編集した『近代来華外国人名辞典』には
と、北村稔を真に受けた東中野が主張しているだけ。

この人達は文献に尾ひれを付けて妄想でトンデモ話をでっち上げるから油断できない。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 15:04:40.36 ID:In7h57lS0
>>557
つまり『近代来華外国人名辞典』にはティンパーリの名前は載っていないとw
自分に都合の悪いものは見なかったふりw
実に学問板らしいですねw
559名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 15:07:36.25 ID:2mEdVjua0
言ってもいないことを相手が言ったように印象操作する様は、
さすが東中野や北村の主張を鵜呑みにする人物像を想起させますな。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 15:18:59.50 ID:oQ1YGATz0
>554
>「あった」と主張する側が根拠を出すのは議論の常識w
>「ない」ものは証明できないw

普通、「見れば解る・読めば解る」ものを提示する必要がないんだけどな。
分量が多すぎるんで、引用するのも気が重いんだが。

まぁ、いつまでも不毛なやりとりを続けるのも面倒なんで、いくつか挙げようか。

・「捕虜はせぬ方針」とは釈放の方針ではない

否定派
「大虐殺派」は、第16師団長中島今朝吾中将の日誌に「大体捕虜はせぬ方針なれば」とあるのを殺害の方針だとする。
しかしそれは間違いである。大西一上海派遣軍参謀はこう述べている。
「これは銃器を取り上げ釈放せい、ということです。中国兵は全国各地から集っていますが、自分の国ですから歩いて帰れます」
(阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』文庫版p182)。
さらに大西参謀は軍命令、師団命令で、捕虜殺害命令など絶対に出ていないと断言している。
また歩兵38連隊は12月14日、7,200人の投降兵を武装解除して収容し、捕虜として後日南京城内(第一監獄所)へ護送している。
「殺害」の方針であったのならそれに反したことになるが、何の咎めも受けていない。

反論
大西一上海派遣軍参謀は軍司令部にいた人間で第16師団の人間ではないので中島師団長の方針を知悉する立場にはない。
第16師団は1万人近くを捕虜にしたが、その捕虜が一部でも解放されたという確実な資料は存在しない。
逆に捕虜殺害の命令は史料にある(虐殺指令の記録・証言)。
したがって「軍命令、師団命令で、捕虜殺害命令など絶対に出ていない」という大西氏の証言は事実に反する。

中島日記から「捕虜はせぬ方針」の関連部分を引用する。
一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたれ共、千、五千、一万の群集となれば之が武装を解除することすら出来ず、
唯彼等が全く戦意を失ひぞろぞろついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので、部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ、
十三日夕はトラックの大活動を要したり。乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず。
斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり。
一、後に到りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊が処理せしもの約一三〇〇、
其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。
一、此七、八千人之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず、一案としては百、二百に分割したる後、適当のカ処に誘きて処理する予定なり。

これを読んで「捕虜はせぬ方針」が釈放の方針だと見なすことは不可能だろう。
捕虜は片端から殺害するつもりだったが、あまりに数が多すぎて現場での処刑が難しい。
なので(いったん収容した後)手はずを整えて小分けにして殺害しよう。そのような意味だと受け取るのが自然である。
「此七、八千人之を片付くる」のに「相当大なる壕」がいるというのは、死体を処理するためか、あるいは壕に捕虜を入れて周囲から銃撃するためだと思われる。
釈放するのであれば「大なる壕」など必要ない。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 15:19:27.51 ID:oQ1YGATz0
続き。
中島師団長の方針は命令として下達され、捕虜の即時殺害の命令として伝達され受け取られ実行された。
そのことを示すのが12月13日の状況を示すと見られる下記の証言である。

児玉義雄氏証言(第16師団歩兵第30旅団歩兵第38連隊副官)

 連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
 師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。
 参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
 部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。
激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。

(証言による『南京戦史』(5)より)

第16師団歩兵30旅団(旅団長佐々木到一少将)は、12月14日の城内外の掃蕩に際して「各隊は師団の指示ある迄俘虜を受付くるを許さず」と命じている。1
4日以降も師団として捕虜をとらない方針であったことが確認される。

では、歩兵38連隊第10中隊が仙鶴門付近で7,200人の投降兵を捕らえ、捕虜として南京城内へ護送したことと「捕虜をせぬ方針」との関係はどうなのだろう。

中島師団長の「捕虜はせぬ方針」は南京に達する以前に立てられた。南京に来るまではせいぜい数百の敵兵がさみだれ的に投降する状況が念頭にあり、
「千、五千、一万」の敵兵がまとまって投降する事態は予想していなかった。
大量の兵士が投降した場合は現場で即時に射殺することが困難となることは師団長も日記に述べている通りである。
事前の方針の実現が不可能となった場合は、その方針を取った理由に立ち返って方針を手直ししなくてはならない。
捕虜の捕獲、護送、収容、給養に人手を割くと戦闘要員が減ってしまう。また捕虜を抱えていると、敵を追って前進するのに邪魔となる。
それが捕虜を取らない方針のそもそもの理由である。
多数捕虜を一時に射殺することが不可能であれば、準備をして小分けに殺害することで目的は達せられる。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 15:21:29.73 ID:In7h57lS0
>>559
東中野や北村の主張というだけで最初から否定してかかるのが肯定派w
『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』は冒頭に「極機密」の印が押されて台北の国民党党史館にあったもの。
それを東中野が見つけたというだけで内容まで否定するのは学問ではない。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 15:28:38.12 ID:oQ1YGATz0
>505
>>488
>>いまさら何の役にも立たない「南京事件FAQ」を引用するとはw

>さて、この「南京事件FAQ」のサイトが「何の役にも立たない」とする論拠をお伺いしようか。

まだ返答をしてもらっていないので、あらためてこちらの発言を繰り返しておく。

この「南京事件FAQ」サイトがいかなる理由で、「何の役にも立たない」のかな?

>554
>「あった」と主張する側が根拠を出すのは議論の常識w

この書き込みを読む限り、「何の役にも立たない」という発言の根拠を提示するのが
そちら側の義務になるんだよな?

そう主張するからには、このサイトが「役に立たない」と主張するだけの根拠が「ある」んでしょ。
だったら、それを提出できるはずだよね。だって「ある」んだから。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 17:02:57.57 ID:CIZ1ikw50
>>563
『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
をネタ元にしている時点で信用度ゼロw
それが許されるなら否定派が「匿名」や「仮名」や「戦後の証言」を根拠にしてもいいよなw
当然肯定派と同じ事をするんだから文句は無いよなw
565名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 22:15:19.17 ID:nRr+5ob60

『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』っていう本はものすごいトンデモ本だぜ。

新証言を期待した阿羅健一を落胆させ「この本は軍隊経験のない人間が書いたとしか思えない」
と言わしめた。軍隊のイロハにあたる基本的な部分がデタラメで満ちているというのだ。

東中野修一らのグループが徹底検証したところ、1000箇所を超える誤記誤謬が指摘されたが、
証言者が全て仮名表示(部隊名の表示のみあり)だったので、真偽の確認もできなかった。

所属部隊の生き残りの人間に問い合わせても、「誰がなぜこんなことを書いたのか訳がわからない」
と首をひねるばかりで、内容の信憑性は極めて低いと指摘され、結局この本は、信憑性の低い本と
いうことで、南京事件研究本の表舞台から抹殺された。

ちなみに、この本の編者の女性は、南京大虐殺記念館建設の功労者として中国共産党から表彰された。
さて、この女性の目的はなんだったのか?

だまされてはいけない。左翼は歴史修正主義者なのだ。


566名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 22:17:37.83 ID:pOz07vk70
>>561
>捕虜の捕獲、護送、収容、給養に人手を割くと戦闘要員が減ってしまう。また捕虜を抱えていると、敵を追って前進するのに邪魔となる。
>それが捕虜を取らない方針のそもそもの理由である。

「軍事的必要性」が優先される状況なんですがw

(3)田岡良一著『国際法V』〔1973年〕
例えばハーグ陸戦条規第二三条(二)号「no quarter」を宣言することの禁止(投降者不助命を宣言することの禁止)は、何人も知るように「軍事的必要条項」を含んでいない。
 しかるにウェストレークの戦時国際法によれば、
 「この規定が実行不能な場合として一般に承認されているのは、戦闘の継続中に起る場合である。このとき投降者を収容するために軍を停め、敵軍を切断し突撃することを中止すれば、
勝利の達成は妨害せられ、時として危うくされるであろう。のみならず戦闘の継続中には、捕虜をして再び敵軍に復帰せしめないように拘束することが実行不可能な場合が多い」

「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。
第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、
第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」
(オッペンハイム)
567名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 22:19:41.82 ID:nRr+5ob60

捕虜殺害命令が出された、史料が残っている、というんだが、
その史料とやらが何なのか、提示されないのはなぜなのか?

また、捕虜殺害命令が出たとして、それは命令どおりに履行
されたのか?その辺の検証が必要だ。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 22:44:40.46 ID:pOz07vk70
少なくとも捕虜殺害命令の記録は「第一大隊戦闘詳報」以外に存在しないのだがw
バカの主張によれば、偕行社が資料として採用しているから信用できるらしいがw
つ>127w
結局「南京戦史」に「隣接部隊等の戦況の進捗状況とチグハグ」 「軍事的慣例と異なる記述」 「全文を通じてその表現は極めて異様」と書かれているのは無視して逃亡したまんまだしw
この戦闘詳報以外に捕虜殺害命令の記録が存在するなら出してもらいたいものだw

どうせ出してくるのは『伝聞』や『推測』や『仮名』や『匿名』や『戦後書かれた日誌』といった類だろうがw
569名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 08:09:07.67 ID:8RuXbEvf0
>>562
>東中野や北村の主張というだけで最初から否定してかかる
そりゃ当然だよ。この連中は牽強付会で到底「学問とは呼べない」と言われるレベルなんだから。
この連中独特のパターンは、他のまともな学者なら当然行う史料批判をせずに、
自説に都合が良い史料のトリミングを行い妄想で埋め合わせて結論を導くこと。
だから、例えば「捕虜はせぬ方針」を捕虜解放命令だったなんて平気で言い出せる。

「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」でもお得意のトリミングと「曾虚白自伝」だけに頼った
妄想解釈満載で目眩がするほど。確かに「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」では国民党が
宣伝本と考えていた旨記載されているが、「曾虚白自伝」にある「「お金を使って頼んで、
本を書いてもらい、それを印刷して出版」というのは間違ってるという説明は既にしている。
ところが、この連中は何の疑義も持たずに(史料批判せず)両者を繋げてしまっている。
通常考えられるパターン(出版時期や活動期間など)である、「戦争とは何か」を翻訳した後
宣伝本として利用したという可能性を根拠無く排除している。これだけでも学者として失格なのだが、
東中野は「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」に記載されてる「事件の後」という記述を
「日中戦争直後」と脳内変換して、勝手に日中戦争の初期段階からティンパリーが国民党の宣伝活動に
従事している様に決めつけてる。これ、まともな学者なら絶対にやらないからね。
570名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 08:45:00.18 ID:8RuXbEvf0
歴史学の史料批判というのは、厳しい反論にも耐えられるだけの論理構成によって歴史の真実に迫ることであって、
結論ありきのストーリーを描き出すことではない。秦郁彦に対して主張の変遷を批判している馬鹿がいたが、
研究を進めていく段階で新たな史料の発見があったり、更なる研究を進めていく中で先行研究が否定されるということは
この分野では決して珍しいことではない。東中野氏の著作では「〜としか考えられない」「〜だったことにな」、
という予断たっぷりの決めつけを頻繁に行い、考えられる他の可能性を理由もなく排除するケースが多すぎる。

具体的な事例を見ていこう。
東中野は「正論」誌上において、「中央宣伝部」として「南京の欧米人と日本軍を対立させる」様
仕向けたのだと言う。その根拠が南京残留の外国人と中国軍とによる「お茶会と記者会見」で、
「日本軍に対し欧米人が対立的になってもらう」ための工作だったのだそうだ。そして、その結果として
ラーベが「親中」になり中国軍将校を3人匿ったのだとしている。(ここまで東中野の主張のあらまし)

で、それを検証していくと、東中野の主張には奇妙な点が幾つもある。
・ラーベが「お茶会と記者会見」によって親中に傾いたという史料はどこにもない
・原因「お茶会と記者会見」→結果「中国軍将校を3人匿った」を結びつける史料はない
・そもそも休戦協定の件でラーベは中国軍と何度も接触していた
・その接触の過程で中国軍将校とも会話している

東中野は国際委が安全区からの「中国軍の軍事施設の撤去」を約束しながら実行できなかったこと、
安全区への中国兵の流入を阻止できなかったことについても併せて記述しており、その理由として
南京残留の外国人と中国軍とによる「お茶会と記者会見」工作によって導き出される結論であるかの様に
印象づけているが、秦郁彦の「南京事件―「虐殺」の構造」などでも明らかなとおり、国際委には雪崩をうって
安全区に逃げ込んできた中国軍兵士を阻止できるだけの人数はおらず、状況からいっても不可能だったと
考えた方が自然だろう。「お茶会と記者会見」工作の結果として実行できなかったと考えるよりは。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 08:53:53.79 ID:DgGAVz3e0
>>569
自軍の安全や勝利を放棄してまで敵兵を保護しろとでも?
そんなの無視して全滅させてやれば何も問題は無いなw
つ>566
>(3)田岡良一著『国際法V』〔1973年〕
>この規定が実行不能な場合として一般に承認されているのは、戦闘の継続中に起る場合である。
>
>投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。
>(オッペンハイム)
572名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 09:11:57.19 ID:XdLK41X30
>>570
>国際委には雪崩をうって安全区に逃げ込んできた中国軍兵士を阻止できるだけの人数はおらず、状況からいっても不可能だったと考えた方が自然だろう。
その考えだと「国際委には中国兵の武装解除を行うのは不可能だった」という結論になるんだがw
つまり「武装解除された無力な中国兵」ではなく「武装したままの敵兵」が安全区に居たとw
573名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 09:22:15.48 ID:8RuXbEvf0
>>572
極論だね。
実際に国際委は武装解除を促しているし、日本軍が取り囲んでおり撤退命令が出ている。
更に司令官も逃げ出している状況で、「中国兵の武装解除を行うのは不可能だった」とする根拠がない。
だから中国兵は容易に国際委による武装解除に応じてる。

東中野信者らしい考え方だね。「〜なら、〜するはずだ」に因果律がない。
574名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 10:12:47.96 ID:CLDUKqu00
>>573
>だから中国兵は容易に国際委による武装解除に応じてる。

それを認めるのは日本軍の自由。
国際委は米人7名、英人4名、ドイツ人3名、デンマーク人1名の計15名。
15名で安全区に侵入した全ての支那兵の武装解除を実行したとでも?
武装解除とは投降の意思表示のひとつだが、安全区の支那兵は実際には投降すらしていないがw

(2)信夫淳平著『戦時国際法提要』〔1943年〕
大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したい。
この見解聊か酷に失するの嫌あらんが、苟も一人にても抵抗者ある限りは、我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。
                         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
武装解除していない者が一人でも居れば「抵抗の意思有り」とみなされるなw
そもそも陸戦規則第23条で、《兵器を捨て降伏する者の殺傷の禁止》の対象となっているのは『指揮官の統率下命令に従い一斉に投降してきた【敵軍】』に対して。
個別に投降してくる敵兵を「一人一人いちいち、拘束して、武装解除を確認し、監視し、後送する」などという事よりも軍事目的の達成が優先される。
つ>571
575名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 10:32:41.00 ID:Ifc+GCgR0
>574
>大部分が白旗を挙ぐるも、小部分とはいへ尚ほ抵抗する敵兵ある限りは、
>乞降の意思の不統制に由る責は我方之を負ふべき筋合でないとして、
>その白旗に我方亦敢て顧念するの要なしと解したい。
>この見解聊か酷に失するの嫌あらんが、苟も一人にても抵抗者ある限りは、
>我兵の安全を犠牲にしてまで攻撃を中止すべき理由あるを知らない。

その、「敵が投降しない」ことを非難するのは良いが、
中島師団長の「捕虜はせぬ方針」というのはどう整合するんだ?

中国兵が投降してきたって日本軍は殺す気満々で、実際に投降してきた兵士達を
殺したって証言が山ほどある。
この状況で中国兵が投降するのに躊躇するのは当たり前だろ。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 10:52:32.08 ID:Ifc+GCgR0
>564
>>563
>『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』
>『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
>をネタ元にしている時点で信用度ゼロw

あなたがそれらの著作を信用しないのはあなたの勝手。

で、あなたが「何の役にも立たない」と主張するのは
単に「あなたの主観に合致しないから」で良いのかな?

このサイトに引用されているのは、それ以外にも中島師団長の日記や
佐々木到一の発言やら、出所や発言者の身元がしっかり判明している
資料が山のようにあるんだけれども。

これらの資料はなぜ「何の役にも立たない」のかな?

>それが許されるなら否定派が「匿名」や「仮名」や「戦後の証言」を根拠にしてもいいよなw
>当然肯定派と同じ事をするんだから文句は無いよなw

もちろんそれらの無実や潔白を主張する証言も資料の一つとして活用されるべきだろうね。
それらの証言に事実に反する事柄が含まれていたり、他者の証言との間に食い違いが
生じていないかどうかを資料批判によって精査されるべきもの。

そして、南京に従軍した兵士達の「俺はそんなことをやっていない」という証言を
いくらかき集めてこようとも、「俺はやった」という証言をいくつか集めさえすれば
「南京で日本兵による虐殺があった」というのは事実だと認定されうるわけだ。

「無いものは証明できない」けど「有ったものは証明可能」だからね。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 10:58:05.46 ID:CLDUKqu00
>>575
>この状況で中国兵が投降するのに躊躇するのは当たり前だろ。

それは支那兵の都合であって『交戦中の』日本軍には何の関係も無い。
支那兵が投降しない理由が、投降したら殺されると思い込んでだろうが、督戦隊に後ろから撃たれるからだろうが、日本軍が支那兵の都合を考慮してやる理由はどこにも無い。
「交戦して殺されるか」「殺されるかもしれないが投降するか」という選択肢で「投降しない」という選択を行ったのは支那兵。
自分で「投降しない」という判断を行ったのだから死ぬのは当たり前だなw
578名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 11:05:14.24 ID:JNbvYqcZ0
>>576
>そして、南京に従軍した兵士達の「俺はそんなことをやっていない」という証言を
>いくらかき集めてこようとも、「俺はやった」という証言をいくつか集めさえすれば
>「南京で日本兵による虐殺があった」というのは事実だと認定されうるわけだ。
「俺はやった」という証言の例w
>212
www
579名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 11:06:04.38 ID:8RuXbEvf0
>>574
>15名で安全区に侵入した全ての支那兵の武装解除を実行したとでも?
君たちはどうして相手が書いてもいないことを「決めつける」んだろうね。
事実関係を分かっているのならこんな馬鹿なレスは出来ない筈なんだけど。

事実
1937年12月14日付文書でラーベは「我々はこれらの兵士達を全員武装解除し、
彼らを安全区内の建物に収容しました」と記している。ラーベが把握しているレベルで
武装解除を求めて収容した。彼が把握していない事実があったとして、それがそうした
としか言えない。

君は何より事実関係の把握から始めた方が良い。
そうすれば東中野や北村稔に騙されずに済むぞ。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 11:15:27.25 ID:JNbvYqcZ0
>>576
否定派に対して
>それらの証言に事実に反する事柄が含まれていたり、他者の証言との間に食い違いが
>生じていないかどうかを資料批判によって精査されるべきもの。
自分たち肯定派に対して
>「俺はやった」という証言をいくつか集めさえすれば
>「南京で日本兵による虐殺があった」というのは事実だと認定されうるわけだ。
なんというダブスタw
つうか、100の資料があるサイトの中で2、3本物があるからといって何の意味があるのかと言いたいねw
最初からその2、3の本物を出せばいいのにw
偽物ばっかりのサイトのどこが信用できるんだw
581名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 11:51:42.99 ID:Ifc+GCgR0
>「俺はやった」という証言の例w
>>212
>www

で、そのあなたがいうところの「偽証言」以外は全て本物だと言うことで良いんだね。

「俺がやった」という証言の全てが偽証言だという証明をしない限りは、
依然として以下の言明は揺るがないんだけど。

>「俺はやった」という証言をいくつか集めさえすれば
>「南京で日本兵による虐殺があった」というのは事実だと認定されうるわけだ。
582名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 12:00:47.81 ID:CLDUKqu00
>>581
つまり「偽物だと証明できなければ本物だ」とでも?
ここは本当に学問板なのか?
583名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 12:02:40.76 ID:Ifc+GCgR0
>577
>自分で「投降しない」という判断を行ったのだから死ぬのは当たり前だなw

>560-561をよく読め。
「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

戦闘中なので投降を受け付けずに殺害したというのではない。
「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたれ共、千、五千、一万の群集となれば
之が武装を解除することすら出来ず」という文からも明らかなように、既に戦闘が終わった後に行われた殺害だ。

ハーグ陸戦法規の第3条
「交戦当事者は、戦闘員、非戦闘員をもって(部隊を)編成を編成することが認められ、
敵に捕らえられた場合、双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける権利を持つ。」

この条文に明白に違反している。

そういう条約違反を日本軍が行っているというのが大前提。
584名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 12:25:50.59 ID:Ifc+GCgR0
>つうか、100の資料があるサイトの中で2、3本物があるからといって
>何の意味があるのかと言いたいねw

このサイトに掲載されている資料の大部分が本物なんだけれどね。
あんたが大部分がニセモノだって言っているだけ。

>最初からその2、3の本物を出せばいいのにw
>偽物ばっかりのサイトのどこが信用できるんだw

お望みならいくらでも資料を引用してやるぞ。
スレを無駄に消費するのを避けたいんで、「確認したい人は直接そのサイトを見に行ってみてくれ」
と言っているだけだ。

面倒だということもあってこちらがそういう手間を掛けるのを避けているのを良いことに、
勝手にそちらが「ニセモノの資料ばかりだ」と主張して居るだけだろ。


まぁ、「ニセモノの著作から引用している」というのもあながち間違いではないんだけどね。
論駁の対象として、東中野修道や田中正明らの著作を引用している部分もあるから。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 12:27:08.87 ID:CLDUKqu00
>>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

お前が南京事件について何の知識も無いバカだという事がよくわかったw
仙鶴門約七、八千人の捕虜は全て殺害されずに南京城内の収容所に収容されているんだがw
ゆっくりそれを証明してやろうw
586名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 12:48:47.83 ID:CLDUKqu00
>>583
『南京戦史資料集』P594
 第16師団
 歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
 備考
 1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが 14日午前8時30分
   頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。

 『南京戦史』P324
 これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容した
 ことはあきらかである。

中島日記には仙鶴門鎮の捕虜を実際に殺害したという記述はない。
また当時の日本軍の記録をみると、 この7000〜8000人の捕虜は結局殺害されず、捕虜収容所に送られたことがわかるw
587名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 13:42:35.60 ID:CLDUKqu00
つまり
>560
>「此七、八千人之を片付くる」のに「相当大なる壕」がいるというのは、死体を処理するためか、あるいは壕に捕虜を入れて周囲から銃撃するためだと思われる。
というのは何の根拠も無い妄想だったという証明w
現実には「大体捕虜はせぬ方針」のはずが南京に護送しているw

妄想に浸ってばかりで現実を見ないからこうなるw
588名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 13:49:21.34 ID:Ifc+GCgR0
>586
>587

で、その中央刑務所に収容されたという確かな証拠は?

どの資料によって確認できるのかな?
589名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 14:04:02.16 ID:CLDUKqu00
>>588
十五日、歩二〇の第三中隊と第六中隊は七千二百名の捕虜監視を命ぜられ下麒麟門付近の仮収容所に護送収容しています。
(歩二〇の『林正明日記』、池田早苗(歩二〇第六中隊長)、森英生(歩二〇第三中隊長)、犬飼総一郎(歩一九旅団通信班長)、
冨田竜太郎(歩二〇所属)諸氏の証言)
さらに歩三八戦闘詳報、歩三八行動概見表、小戦例集、『飯沼守日記』、『佐々木元勝日記』によると、
『堯化門付近守備の任務をもつ歩三八第十中隊(中隊長・土居初太郎大尉)は、十二月十四日午後、同地付近において白旗を掲げた
七千二百人の投降集団を武装解除後捕虜として収容、一旦下麒麟門付近に移送して待機の後、南京城内の収容場所が決まってから、
十七、八日ごろ南京(注・第一監獄所)へ護送した』とあります。
 第五章第十節にある『小戦例集』(教育総監部編)には、敵の投降経緯やその状況が述べられているが、歩三八戦闘詳報十二号附表には、
「十四日、堯化門付近守備の第十中隊が七千二百名の捕虜を収容し武装解除後南京へ護送した」と記述せられている。
また歩三八行動概見表には「十五日捕虜を収容」とあり、「十八日、第十中隊は、捕虜を南京へ護送」と記されている。
 第五章第二節に掲載した佐々木元勝氏(野戦郵便長)の日記の一説のなかに「十二月十六、十七日に麒麟門付記と中山門東側で、
武装解除された支那兵の大群を目撃した」という記述があるが、榊原主計氏(上海派遣軍参謀)が「十二月十六、十七日頃、捕虜を南京の
刑務所に収容した」と述べていることから、佐々木日記のこの記事は、堯化門捕虜の護送途中の光景を目撃したものと思われる。
 榊原参謀は、捕虜を南京城内に収容した経緯について次のように話している。
「捕虜は相当あるのではないかと思いましたが、支給する食糧や収容場所が決定しなかったので、“取り敢えず各隊で持っておれ、移管の
時機は速やかに示す”こととしました。
ところが、無錫の倉庫で米約六千袋を押収したとの報告を受け、また刑務所や監獄が使用できるようになったので、入城式の前後に
移管をうけた記憶があります。中央刑務所(注・第一監獄所)に収容された捕虜は四、五千であったと思います。」
 これらを総合考察すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送・収容したことは明らかである。』
(偕行社『南京戦史』)

で?お前の主張である
>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
これはどの資料によって確認できるのかな?
590名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 14:31:18.95 ID:Ifc+GCgR0
で、その中央刑務所に収容されたという確かな証拠は?

>588
榊原主計氏(上海派遣軍参謀)が
「十二月十六、十七日頃、捕虜を南京の 刑務所に収容した」と述べていることから、
佐々木日記のこの記事は、堯化門捕虜の護送途中の光景を目撃したものと思われる。
 榊原参謀は、捕虜を南京城内に収容した経緯について次のように話している。
「捕虜は相当あるのではないかと思いましたが、支給する食糧や収容場所が決定しなかったので、
“取り敢えず各隊で持っておれ、移管の時機は速やかに示す”こととしました。
ところが、無錫の倉庫で米約六千袋を押収したとの報告を受け、また刑務所や監獄が使用できるようになったので、
入城式の前後に 移管をうけた記憶があります。
中央刑務所(注・第一監獄所)に収容された捕虜は四、五千であったと思います。」

なるほど、中央刑務所に収容したというのはこの榊原氏の証言に拠っているようだね。

では、
>561

児玉義雄氏証言(第16師団歩兵第30旅団歩兵第38連隊副官)
 連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
 師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。
 参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
 部隊としては実に驚き、困却しましたが命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。
激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。
(証言による『南京戦史』(5)より)

この証言との食い違いはどこから来るんだろうね。
591名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 14:33:54.89 ID:Ifc+GCgR0
>354
そもそも59年4月号より連載された畝本論文は、それまでに得られた証言・資料をもとにして、
言わば見切り発車した論文であった。
しかも畝本サンは当然であるが、シロとあれかしと願う心が強かったので
―もちろんこれが畝本サンのエネルギーの源泉であったが―
ハイ色やクロの証言は証拠不充分として、没にしていたものもあったのである。

逐次戦闘加入した畝本論文も、一次資料にもクロが出だすと、クロ証言も取り上げざるを得なくなった。
正に軌道修正である。 
従来のシロ主張論は通らなくなったのである。

8月号以降をもう一度読んで戴ければ解る。
畝本サンはいろいろな面でお困りになったと思う。
「困った、困った」と苦渋に満ちた顔は忘れられない。

畝本サンがたとえ3千でも、クロの結論を書くことは非常な決心が要ることであった。
140名を超すシロ主張の各部隊の方々の名前や顔が浮かんでくるであろう。
クロやハイ色の結論を書けるわけがない。
「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは3千乃至6千」とご自分の頭にありながら、
畝本論文の2月号における最終回論文においても、畝本サンはもろもろのクロ、ハイ色証言を殆ど否定されておられるのである。


上記のような記述を読むと、『南京戦史』におけるシロ判定をあまり信用する気になれないのだが?
592名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 14:57:32.00 ID:CLDUKqu00
>>590
>この証言との食い違いはどこから来るんだろうね。

だからその証言が何の根拠になるのかと。
その証言通り「支那兵の降伏を受け付けなかった実例」を具体的に出せ。
まあ、例えそんな実例があったとしても『軍事的必要性』が優先されるわけだが。
つ>566w

いい加減、お前が断言している
>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
コレを裏付ける資料はどうしたw

南京に護送した資料はこれだけあるがw
>589>586w
コレと同等の資料ぐらい用意できるんだろうなw
さっさと出せw
593名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 15:10:08.12 ID:dXpIAD3c0
大体肯定派は第一大隊戦闘詳報を「南京戦史に書いてあるから正しい」って言ってなかったか?
その南京戦史を肯定派自身が否定して何がやりたいんだろうね。
自分の都合で肯定したり否定したりダブルスタンダードもいいとこだね。
594名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 15:38:58.89 ID:Ifc+GCgR0

>>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
>コレを裏付ける資料はどうしたw


ほいよ。

西田優上等兵 陣中日記
第16師団 第30旅団 歩兵第33連隊

12月14日

十一時三十分入城、広場において我小隊は敗残兵三七〇名、兵器多数監視、敗残兵を身体検査して後手とし道路に坐らす。
我は敗残兵中よりジャケツを取って着る。面 白いことこのうへなし、自動車、オートバイ等も多数捕獲す。
各自乗りまはせり、八時頃小銃中隊に申し送り、昨夜の宿に帰る。
敗残兵は皆手榴弾にて一室に入れ殺す

秦郁彦『南京事件』P120-121


佐々木到一少将私記 歩兵第30旅団長(佐々木支隊隊長)・陸軍少将
十二月十三日

その後捕虜続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。
多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば兵ならずとも「皆やつてしまへ」と云ひ度くなる。
 白米は最早一粒もなし、城内には有るだらうが、俘虜に食はせるものの持合せなんか我軍には無い筈だった。

『南京戦史資料集1』P270-276


第16師団 歩兵第30旅団
歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表

自昭和十二年十二月十日
至昭和十二年十二月十四日
[俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52
[備考] 1、俘虜は処断す
     2、兵器は集積せしも運搬し得す
     3、敵の遺棄死体
       一二月  十日    二二〇
       一二月十一日    三七〇
       一二月十二日    七四〇
       一二月十三日 五、五〇〇
        以上四日計  六、八三〇


『南京戦史資料集1』P499
595名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 16:04:24.36 ID:CLDUKqu00
>>594
お前は「仙鶴門の捕虜が全て殺された」と主張しているんだぞ?
自分の書き込みをよく読みなおせ。

>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

他の場所で10万人殺されようが20万人殺されようが関係ない。
お前の主張している

『『『仙鶴門の捕虜が全て殺された』』』

という資料を出せと言ってるんだ。
さっさと出せよw
それとも>594が「仙鶴門の捕虜が全て殺された資料」という主張なのか(嘲笑)
596名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 16:12:20.75 ID:JMTtSM6H0
>>594
>その後【捕虜】続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は【上官の制止】を肯かばこそ片はしより殺戮する。
捕虜の殺害を制止してますがw
捕虜殺害命令を完璧に否定してますねw
だいたい【捕虜】は投降してこない。
【敗残兵】が投降してきて【捕虜】になるものだ。
戦闘詳報も「[俘虜]馬匹52」っていったいなんだ?
馬でも俘虜になれるのかw
日本語としておかしいだろうw
597左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/15(火) 21:58:21.70 ID:mIMJJXPBO
コイツ馬鹿?
これのどのへんが殺害を示す史料なの?
チョンだから日本語よく読めないの?



>>594
>第16師団 歩兵第30旅団
>歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表

>自昭和十二年十二月十日
>至昭和十二年十二月十四日
>[俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52
>[備考] 1、俘虜は処断す
>    2、兵器は集積せしも運搬し得す
>    3、敵の遺棄死体
>      一二月  十日    二二〇
>      一二月十一日    三七〇
>      一二月十二日    七四〇
>      一二月十三日 五、五〇〇
>       以上四日計  六、八三〇


> 『南京戦史資料集1』P499

598左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/15(火) 22:14:13.53 ID:mIMJJXPBO
まさに嘘で固めた南京大虐殺というスレタイを地でいくパカチョン捏造派の見本でしたwww
599<:2011/03/15(火) 22:27:49.86 ID:9Xx2Ahtq0
>>583
アホか・・・(笑

  >>・・・双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける "権利" を持つ。」

支那正規兵が俘虜としての扱いを受ける "権利" を持っている事に異議はないが、
日本側に支那正規兵を俘虜として扱う 【 義務 】 があったの?♪・・・(・∀・)
600名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 22:50:54.21 ID:Ajz3QT7c0

またしても肯定派が論破されたかw
601名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 23:18:51.41 ID:VrrVKCo/0
普通に南京で旧日本軍が大量虐殺したんだと思った
602<:2011/03/16(水) 00:21:27.42 ID:PywC9vAQ0
>>601
それ勘違い・・・(´・ω・`)
>>600
>
> またしても肯定派が論破されたかw

右翼・保守・極右・正論読者・産経新聞読者・サピオ読者・愛国者・
国粋主義者・独裁主義者・復古主義者・歴史修正主義者・軍国主義者・
民族主義者・武士気取り・国士気取り・通り魔予備軍・文学的変態・
言論チンピラ・ネットチンピラ・台湾系右翼たちに質問します。

論破開始
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#41】
南京大虐殺はなかったと主張する学者は実在しますか? もし実在するなら名前を挙げてください。
604<:2011/03/16(水) 01:27:28.71 ID:PywC9vAQ0
>>603
ひのきみ学園大学オイラ教授・・・σ(`・ω・´;∩
605名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 01:46:35.09 ID:CBLD3cwD0
>>603
中卒携帯オヤジ ID:Ajz3QT7c0 の相手してやがんのw
おまえも同レベル。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 03:52:29.10 ID:B5Io21Ya0
>595
>自分の書き込みをよく読みなおせ。

お前こそ自分の書き込みを読みなおせ。
お前が出せと言ったのは「コレを裏付ける資料」だ。

全てを証明する資料とは言っていないだろうに。

あと、全てを証明する資料を出せと言うのなら、
「中央刑務所(注・第一監獄所)」に収容したという
確実な証拠をそちらも出して欲しいね。

>589の書き込みで示されている資料だけでは、

>585
>仙鶴門約七、八千人の捕虜は全て殺害されずに南京城内の収容所に収容されている

この発言を証明するものとは思えないな。

>594
>第16師団 歩兵第30旅団
>歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表
>[俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52
>[備考] 1、俘虜は処断す

少なくとも、この資料とは整合しないのでね。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 03:59:24.33 ID:B5Io21Ya0
>597 :左翼ん ◆PDzqWniYxQ
>コイツ馬鹿?
>これのどのへんが殺害を示す史料なの?

当時の日本軍の用語で「処断」というのがどういう意味を持つのかを
もう一回調べておいで。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 04:29:05.99 ID:B5Io21Ya0
>596
>>その後【捕虜】続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は【上官の制止】を肯かばこそ片はしより殺戮する。
>捕虜の殺害を制止してますがw
>捕虜殺害命令を完璧に否定してますねw

「多数ノ俘虜アリタルトキハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、一地ニ集結監視シ師団司令部ニ報告スルヲ要ス。
又俘虜中将校ハ・・・師団司令部ニ護送スルヲ要ス。
此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝ニ利用スル・・・
但シ少数人員ノ俘虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スルモノトス」

「第十三師団戦闘詳報」 (秦郁彦 『南京事件』)

必要な情報を取れる敵の士官や、宣伝に利用できる場合以外は殺してしまえと言う命令も出ている。
「制止」=「殺害の否定」とは、ならないことくらいは理解できるかな?


>だいたい【捕虜】は投降してこない。
>【敗残兵】が投降してきて【捕虜】になるものだ。
>戦闘詳報も「[俘虜]馬匹52」っていったいなんだ?
>馬でも俘虜になれるのかw
>日本語としておかしいだろうw

そんなことは戦闘詳報を書いた当時の日本軍に言ってくれ。

「戦闘詳報は後世に残る公文書であり、作成に当っては都合の悪い部分は適当に加除して体裁を整えるのが慣行になっていた。
不名誉な死亡事故を「壮烈な戦死」に修飾するぐらいは珍しくなかった」

(秦郁彦 『南京事件』)

ようするに戦闘終了後に書かれる「作文」なんであって、自分たちの戦闘はこれだけの戦果を上げましたということを
上部組織に報告するのに適しているかどうかが記述を行う際の判断基準だった。
日本語として正しい文章であるかどうかは要求されない。
609左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/16(水) 07:15:37.38 ID:QL6iUAZGO
>>607
>当時の日本軍の用語で「処断」というのがどういう意味を持つのかを
>もう一回調べておいで。


ギャッハッハッハッハ!
コイツまさか処断は殺害の意味だぁぁぁああああ!とかアホな妄想してんのか?
610名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 07:20:07.65 ID:B5Io21Ya0


>609 :左翼ん ◆PDzqWniYxQ

で?
どういう意味だと言いたいんだい?
611左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/16(水) 07:21:20.48 ID:QL6iUAZGO
本当にコイツ日本語読めないんじゃね?
これのどこが殺害命令なんだ?


>>608
>「多数ノ俘虜アリタルトキハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、一地ニ集結監視シ師団司令部ニ報告スルヲ要ス。
>又俘虜中将校ハ・・・師団司令部ニ護送スルヲ要ス。
>此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝ニ利用スル・・・
>但シ少数人員ノ俘虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スルモノトス」
>「第十三師団戦闘詳報」 (秦郁彦 『南京事件』)
>必要な情報を取れる敵の士官や、宣伝に利用できる場合以外は殺してしまえと言う命令も出ている。


もうここまでくると発狂してるとしか思えんなwww
キチガイ捏造派はさっさと肥溜め半島に帰れやwww
612名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 09:11:39.41 ID:B5Io21Ya0
>611 :左翼ん ◆PDzqWniYxQ

で、この場合の「適宜処置スル」ってのは何を意味するんだい?
613名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 15:47:18.14 ID:YTsJ+2tb0
>>606
あのさあ議論以前に日本語を勉強してから書き込んでくれない?
>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
あなたはこう書き込んでるけど、あなたが資料として出した>594は全然関係ない南京城内で歩兵第33連隊の物なんだよ?
仙鶴門の7200名の捕虜を護送したのは歩兵38連隊で場所は南京城外。
しかも歩三八行動概見表には「十五日捕虜を収容」とあり、「十八日、第十中隊は、捕虜を南京へ護送」とあるから>594は仙鶴門の7200名の捕虜とは全く関係ない。
それでも「>594は仙鶴門の7200名の捕虜のこと」と言い張るなら勝手だけどさ。
学問板らしくもう少し考えてから書き込んでくれないかな?
あなたが書き込むと他の人から「学問板とはこの程度のレベルなのか」と誤解されてしまうからね。
614名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 16:18:03.65 ID:kEGmrqTb0
>>608
なんか思いっっっきり「第一大隊戦闘詳報」を否定してますねw
615名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 17:09:55.36 ID:B5Io21Ya0
>613
>全然関係ない南京城内で歩兵第33連隊の物なんだよ?

お前はアホか。
歩兵第33連隊と歩兵第38連隊は両方とも佐々木到一旅団長率いる歩兵第30旅団隷下の部隊だ。
同じ場所で戦闘していたお隣さんの部隊だよ。

だからこそ、38連隊が確保した捕虜を南京まで護送することになったってこと。
そして南京でこれらの捕虜がどうなったのかについては以下の証言がある。


沢田正久氏の証言 (独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊、観測班長、砲兵中尉)

  第一中隊(十五センチ加農砲)の任務は、太平門に突進する
佐々木支隊(38i 基幹)に協力することであったが、
南京が陥落した12月13日、仙鶴門鎮付近で「首都防衛決死隊の夜襲」をうけ、
かつ多数の投降捕虜を得たので、その状況を略述します。

(「ゆう」注 12月14日)それから一時間ぐらいして午前8時ごろ、衛兵所に行ってみると、驚くなかれ、
楊山に向かって西方から続々と敵の大部隊が登ってきます。
中隊長に報告すると、中隊長は「友軍ではないか」と疑ったほどでした。

直ちに全員分散展開、このとき早くも放列付近には敵の弾雨が集中しはじめました。
中隊長の命令により、わが方は取りあえず火砲一門を操作、威嚇のため、零分画射撃を行いました。

敵は山の反対斜面に移るとともに、稜線上の観測隊に向かって、チェコ機関銃で盛んに射撃してきましたので、
われわれは墓地を利用して、接近する一部の敵と相対しました。やがて友軍増援部隊が到達し、
敵は力尽き、白旗を掲げて正午頃投降してきました。

その行動は極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、取りあえず道路の下の田圃に集結させて、
武装解除しました。多くの敵兵は胸に「首都防衛決死隊」の布片を縫いつけていました。

俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えておりませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、
早速、軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言ってきましたので拒否しましたら、
「では中山門まで連れて来い」と命令されました。「それも不可能」と断わったら、
やっと、「歩兵四コ中隊を増援するから、一緒に中山門まで来い」ということになり、私も中山門近くまで同行しました。

この「首都防衛決死隊」は、重機関銃、迫撃砲を中心に装備され、正規兵の外に一般市民の志願兵(大学生など)も
かなり加わっていました。全員軍服姿でしたが、英語を話す者、ブローニングの肩掛け大型拳銃を持っている者も居り、
集団行動は、よく統制がとれていました。
(略)
ちなみに、私が陸士を卒業する直前の昭和12年6月、市ヶ谷の大講堂で飯沼守生徒隊長から
記念講演「捕虜の取扱いについて」を聞き、捕虜は丁寧に取扱わねばならないと教えられました。
その生徒隊長は、いま、上海派遣軍の参謀長であります。
卒業後僅か五ヵ月の今日「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、誰が命令を下したのか。
当時、私の胸の痛かった印象は、従軍中はもとより今日に至るまで、私の脳裡から離れません。

(「証言による『南京戦史』(5) =『偕行』1984年8月号P7)
616名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 17:10:39.20 ID:B5Io21Ya0
小原孝太郎日記『日中戦争従軍記』より

 十二月十五日
その中、一通り山を越えて、少し平らかな所に村があった。そこに驚くべき光景にぶつかった。
竹矢来で囲まれた広場の中に、無慮二、〇〇〇人の捕虜が我が軍の警戒裡にうようよしてゐるのだ。
これには驚いた。後で分ったのであるが、これは南京攻撃に於てこれだけの捕虜があったのだと。
話によると、約七〇〇〇人の捕虜があったさうだ。彼等は白旗を掲げて降参したのを武装解除させたものである。
中には勿論戦闘中捕虜になったのもあり、色々だ。
彼等の中には支那服を軍服の上に着て、カムフラージュしてゐるものもあると。
そこで一応調べて、銃殺なり使役に使ふなり解放するなりするわけである。
後ろの山には、銃殺された捕虜の屍体が山のやうになってゐるさうだ。
南京は七分通り片が付いたらしい。

(『日中戦争従軍記』P134)

 十二月十七日

 捕虜が来た!! 一昨日見たあの村にゐた捕虜だ。
銃剣つけた一個小隊位の兵の間に挿まれて、くるはくるは、数知れずくる。
駆けてゐって聞いてみたら、約四〇〇〇人の捕虜だといふ。
みな三三や三八や二○聯隊が此の方面の戦闘で捕へたものであると―。
これを護衛してゐるのもみなそれ等の聯隊の兵隊さんなのだ―。
こんなもの連れていって何するのだらうか― 、南京へ行くのだらうか― 、みな銃殺だといふ者もあるし、
南京で使役に使ふのだといふものもある―。
要する(に)わからないが、捕虜は二○、○○○人あったのが、これだけに処分したのだといふ事である。

(『日中戦争従軍記』P137)

佐々木元勝氏の手記
12月17日 快晴

 夕靄に烟る頃、中山門を入る前、また武装解除された支那兵の大群に遇う。
乞食の大行列である。誰一人可憐なのは居ない。
七千二百名とかで、一挙に殺す名案を考究中だと、引率の将校がトラックの端に立乗りした時に話した。
船に乗せ片付けようと思うのだが、船がない。暫らく警察署に留置し、餓死さすのだとか・・・。

 (「証言による『南京戦史』(9) =『偕行』1984年12月号P11)


林正明日記 (歩兵第二十連隊第三中隊第一小隊第四分隊・伍長)
十五日には南京城外の捕虜の監視する。
第六中隊と共に七千名の支那兵、十六日には南京城外の守備にて下士哨となり、逃げる敗残兵を悉くやつける嬉しさ。戦友の仇は此処で。

二十四日に再び南京城内の警備に任ず。
場内の避難所へ逃げ込みている支那人を二種に分ち、お気の毒な支那兵は揚子江の魚のえさになる。
其のトラックの数は人員○○名○○台で、残す支那人には安居証を渡し、それには其の人の人相書あり、ここにて取調べる事二週間。
城内は幸城壁で囲まれ支那人お化けの支那兵も逃げられず、よくよく調べられて前の揚子江へ。
また前記のホリョの七千名も魚のえさとなる。

(『南京戦史資料集T』増補改訂版413頁)
617名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 17:38:07.47 ID:B5Io21Ya0
>593
>大体肯定派は第一大隊戦闘詳報を「南京戦史に書いてあるから正しい」って言ってなかったか?

南京戦史にあるから正しいとは言っていない。

>591
>畝本サンがたとえ3千でも、クロの結論を書くことは非常な決心が要ることであった。
>140名を超すシロ主張の各部隊の方々の名前や顔が浮かんでくるであろう。
>クロやハイ色の結論を書けるわけがない。
>「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは3千乃至6千」とご自分の頭にありながら、
>畝本論文の2月号における最終回論文においても、畝本サンはもろもろのクロ、ハイ色証言を殆ど否定されておられるのである。

上記のような内情がある「南京戦史」編集部が信憑性に疑義を付けつつも採録したというのは
「事実無根の偽文書」とは判断していないと言うことだろうと推測するってだけ。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 20:30:04.53 ID:CmtctDy10
>>615
>だからこそ、38連隊が確保した捕虜を南京まで護送することになったってこと。

相変わらず肯定派は物理法則に喧嘩を売っているなあw
西田優上等兵陣中日記によると捕虜殺害は12月14日、場所は南京城内w

>594名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2011/03/15(火) 15:38:58.89 ID:Ifc+GCgR0
>12月14日
>~~~~~~~~~~~
>敗残兵は皆手榴弾にて一室に入れ殺す

「仙鶴門の捕虜」が南京へ移送されたのは12月17、18日ごろw

>589
>『堯化門付近守備の任務をもつ歩三八第十中隊(中隊長・土居初太郎大尉)は、十二月十四日午後、同地付近において白旗を掲げた
>七千二百人の投降集団を武装解除後捕虜として収容、一旦下麒麟門付近に移送して待機の後、南京城内の収容場所が決まってから、
>十七、八日ごろ南京(注・第一監獄所)へ護送した』とあります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
バカの主張によれば「12月17日、18日に南京へ移送された捕虜は12月14日に殺された」という事らしいw
619名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 20:38:02.49 ID:CmtctDy10
>>615
ああ失礼、西田優上等兵陣中日記には『敗残兵』とあるだけで、どこにも『捕虜』なんて書いていないなw
「西田優上等兵陣中日記にある『敗残兵』は『仙鶴門の捕虜』だ」と主張する根拠は何だw

当然、「12月17日、18日に南京へ移送された捕虜を12月14日に殺害する方法」も出してもらおうかw
620名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 21:08:58.48 ID:WPz6kYH7O
>>615
うはwwwwwwww
肯定派馬鹿丸出しwwwwwwwwwwwwwwww
621名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 21:33:27.69 ID:B5Io21Ya0
>618

>>『堯化門付近守備の任務をもつ歩三八第十中隊(中隊長・土居初太郎大尉)は、十二月十四日午後、同地付近において白旗を掲げた
>>七千二百人の投降集団を武装解除後捕虜として収容、一旦下麒麟門付近に移送して待機の後、南京城内の収容場所が決まってから、
>>十七、八日ごろ南京(注・第一監獄所)へ護送した』とあります。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>バカの主張によれば「12月17日、18日に南京へ移送された捕虜は12月14日に殺された」という事らしいw

>616
>駆けてゐって聞いてみたら、約四〇〇〇人の捕虜だといふ。
>みな三三や三八や二○聯隊が此の方面の戦闘で捕へたものであると―。
(略)
>要する(に)わからないが、捕虜は二○、○○○人あったのが、これだけに処分したのだといふ事である。

12月14日に殺されたのが何人なのかは正確な数字は出ていないんだけど。
「南京城内に移送された」といわれているのが数千とか7千2百くらいといわれているだけで。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 21:47:26.86 ID:lkJzg2MB0
捕虜であふれていたのは事実だが、これを殺しまくったという証言はないな。

肯定派の連中は、いったい「捕虜が何人殺された」と主張したいのか?
南京戦史の抜粋だけじゃ何もわからない。

結局、「3000乃至6000の捕虜不法殺害」という偕行社の分析を
裏打ちしたいだけなのか?


623名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 22:19:20.16 ID:B5Io21Ya0
>622
>捕虜であふれていたのは事実だが、これを殺しまくったという証言はないな。

ほう。
このスレをちょっとさかのぼって読んでみたらどうだい?

>207
>213-217
>219-222

捕虜を殺したって証言なら他にまだたくさんあるよ。
624左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2011/03/16(水) 22:25:58.67 ID:QL6iUAZGO
>>610
>>612

この日本語の不自由なパカチョン捏造派野郎のかわりに俺が辞書を引いてやろうwww

【処断】さばいてきめること。
【適宜】@その場合・状況にぴったりあっていること。適当。「―の処置」
【処置】取りはからって、きまりをつけること。はからい。さばき。
(広辞苑第二版)

次にレスする時は最低自分で辞書くらい引けるようにしとけよwww
625名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 22:42:38.31 ID:CmtctDy10
>>621
>12月14日に殺されたのが何人なのかは正確な数字は出ていないんだけど。

いくら鳥頭だからって自分の書き込みぐらい覚えておけよw

>594
>西田優上等兵 陣中日記
>第16師団 第30旅団 歩兵第33連隊
>
>12月14日
>
>十一時三十分入城、広場において我小隊は敗残兵三七〇名、兵器多数監視、敗残兵を身体検査して後手とし道路に坐らす。
                            ~~~~~~~~~~~~~~~~~
少なくとも「時空を超える物理法則」が適用される肯定派の主張によれば、
「12月17日、18日に南京へ移送された7200名の捕虜のうち370名は12月14日に殺された」
という事らしいなw
626名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 23:12:02.39 ID:CmtctDy10
>>621
だから、お前は毎回得意気に資料を出してきては自爆しているだけだってw

>616
> 十二月十七日
> ~~~~~~~~~~~~~~
>駆けてゐって聞いてみたら、約四〇〇〇人の捕虜だといふ。
>みな三三や三八や二○聯隊が此の方面の戦闘で捕へたものであると―。
(略)
>要する(に)わからないが、捕虜は二○、○○○人あったのが、これだけに処分したのだといふ事である。

お前の資料では12月17日に捕虜が目撃されているのだから「12月14日に南京城内で敗残兵三七〇名が殺された事」は「仙鶴門の捕虜」とは何の関係も無いと自分で証明済みだw
627名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 23:16:03.20 ID:B5Io21Ya0
>625

あほかお前は。

>「12月17日、18日に南京へ移送された7200名の捕虜のうち370名は12月14日に殺された」

これはあんたが勝手に主張してることだろ。

私の主張は

>595
>「仙鶴門の捕虜が全て殺された」
>という資料を出せと言ってるんだ。

これに対して「それを裏付ける資料」として捕虜殺害が行われたという記録を出してるんだ。
これらの資料によって「全て殺された」が証明されると入っていないし、あくまで例証を
出しているだけのこと。

>585
>仙鶴門約七、八千人の捕虜は全て殺害されずに南京城内の収容所に収容されているんだがw

お前さんの方こそ、「全て殺害されず」というのを証明してくれよ。
>589で出してきた資料は、「だと思われる」という推測述べているだけで、
これらが「全て」「仙鶴門約七、八千人の捕虜」だとは書かれていないぞ?
628名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 23:29:17.90 ID:CmtctDy10
>>627
だから「仙鶴門の捕虜が全て殺された」事の「それを裏付ける資料」として全く関係ない捕虜殺害記録を出して何がやりたいんだとw
お前が自分で主張している事だろう?
お前が出すべきなのは「仙鶴門の捕虜が全て殺された」という資料だ。
仙鶴門の捕虜と関係ない記録を持ち出して誤魔化すんじゃねえ!

つ>595w
>お前は「仙鶴門の捕虜が全て殺された」と主張しているんだぞ?
>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
>
>他の場所で10万人殺されようが20万人殺されようが関係ない。
>お前の主張している
>
>『『『仙鶴門の捕虜が全て殺された』』』
>
>という資料を出せと言ってるんだ。
>さっさと出せよw

629名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 23:42:50.15 ID:CmtctDy10
>>627
推測ねえw
こいつを声を出して100回読めw

>560
>これを読んで「捕虜はせぬ方針」が釈放の方針だと見なすことは不可能だろう。
>捕虜は片端から殺害するつもりだったが、あまりに数が多すぎて現場での処刑が難しい。
>なので(いったん収容した後)手はずを整えて小分けにして殺害しよう。
>そのような意味だと受け取るのが自然である。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>「此七、八千人之を片付くる」のに「相当大なる壕」がいるというのは、死体を処理するためか、あるいは壕に捕虜を入れて周囲から銃撃するためだと
>思われる。
~~~~~~~~~~~

お前の論理ではこいつは否定されるんだなw
『仙鶴門の捕虜が全て殺された』と主張しているのはお前だw
南京城内の事例でも、時間的に不可能な事例でもなく、実際に『仙鶴門の捕虜が全て殺された』というお前の根拠を出せよw


出せるものならw
630名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 00:36:41.81 ID:VOR5m39j0
南京城内の2つの監獄と、江東門の模範囚収容の小監獄および2つの収容所に約1万の捕虜が収容されている。
捕虜取り扱い専任の榊原参謀によると、「中央監獄の4000人のうち、半分の2000人は、命令により上海の
捕虜収容所に移した。その分類は私がした」と言う。同氏は東京裁判で、「また幾人かは各部隊が労務に
使用し、逃亡する者も相当多数いたが、これはそのまま放置した」
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(極東国際軍事裁判速記録第310 号22・11・7)と証言している。

榊原参謀証言
<証言による「南京戦史」>
中央刑務所に収容された俘虜は約四〜五千であったと思います。それは翌年1月、上海地区の労働力不足
を補うため、多数の俘虜を列車で移送し、約半数二、〇〇〇人を残したように記憶しています

約1万の捕虜が南京城内の2つの監獄、江東門の小監獄、模範囚収容の2つの収容所に収容され、そのうち中央監獄に4000人。
どうみても仙鶴門の捕虜はちゃんと収容されているなw
631名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 00:40:31.40 ID:VOR5m39j0
12月20日時点でも十六師団で300名の捕虜の存在が確認されているw

『南京戦史』P341-345
三 中島師団長の「捕虜ハセヌ方針ナレバ」について
 中島師団長の十二月十三目の日記には「捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ片付クルコトトナシ・・・・・・」とある。
この方針が次官通達の「捕虜と呼ぶな」を「捕虜を取るな処分せよ」と誤って解釈したものか、或は師団長の独自の見解をもって決心したものかは判然としない。

以下中島師団長の決心にもとづく隷下指揮官の対応をうかがうこととする。
 歩兵第三十旅団長(佐々木到一少将)の十二月十四日の城内掃蕩命令には「各隊ハ師団ノ指示アル迄捕虜ヲ受付クルヲ許サズ」とあり、師団長の「捕虜ハセ
ヌ方針ナレバ」を裏付けるとも思われる命令文を下達している。しかし命令文には「処分セヨ」という字句は見当らない。
〜中略〜
 これに依れば口頭ではあるが、 「処置せよ」と指示されているのである。
しかし、この歩三八の戦闘詳報によれば、隷下の第十中隊は十二月十四日、七千二百人の投降兵を武装解除して捕虜として収容し、後日南京城内(第一監獄所)へ護送しているのである。
いうなれぼ、師団長の方針、命令に違反して捕虜として収容したことになる。
そして後日、何のとがめもなかった。
それどころではない。
ここに捕虜を上司に内緒で使っているのを中島師団長に見られ、危険だと叱責されたが逆に師団長に気に入られ賞賛された証言がある。
証言者第十六師団司令部経理部・金丸主計軍曹によれば、十二月二十日ごろ、師団長が突然下関の倉庫の視察に来、捕虜三百名を使っているのを見られてしまったという。
                                    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
倉庫の中には武装解除して取り上げた兵器も無雑作に積み上げてあり「もし、反抗したらどうするんだ」と叱責されたが、軍司令官主催の新年年賀の席で、
師団長は「私の部隊の一主計軍曹で無腰のままで三百名の捕虜を自由に使っている大胆不敵な奴が居りまして大した働きをしております」と自慢したという。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 04:26:00.20 ID:nesTuwNI0
>628
>仙鶴門の捕虜と関係ない記録を持ち出して誤魔化すんじゃねえ!

回答済み。
>615
>お前はアホか。
>歩兵第33連隊と歩兵第38連隊は両方とも佐々木到一旅団長率いる歩兵第30旅団隷下の部隊だ。
>同じ場所で戦闘していたお隣さんの部隊だよ。

当然同じ命令系統で行動していたと判断できるんだから、38連隊の行動は33連隊の行動を
推し量る判断材料となる。


なぜか知らんが無視しているようだが

>お前さんの方こそ、「全て殺害されず」というのを証明してくれよ。
>>589で出してきた資料は、「だと思われる」という推測述べているだけで、
>これらが「全て」「仙鶴門約七、八千人の捕虜」だとは書かれていないぞ?

こちらにさっさと答えてくれよ。
「全て殺害されず」と記述しているんだから、「仙鶴門の捕虜」と明記された
七千二百人の行方を「全て」証明しなければならないぞ。

>631
>これに依れば口頭ではあるが、 「処置せよ」と指示されているのである。

師団長の命令が出ているんだろ。
「全て殺害されず」というのをまったくもって裏付けていないんだがw

>十二月二十日ごろ、師団長が突然下関の倉庫の視察に来、捕虜三百名を使っているのを見られてしまったという

七千二百人いたのが数日で三百名まで減っているのはどういう理由だい?
七千近い数はいったいどこに消えたんだw
633名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 06:26:07.79 ID:aMhTpPj20
倉庫整理如きに捕虜全員使う必要ないって、普通の頭が付いていれば判るよな
他の捕虜は留置したままで問題有りません

思いついた時は気付いた時は有頂天だったんだろうなw
634名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 08:57:35.90 ID:VOR5m39j0
>>632
>当然同じ命令系統で行動していたと判断できるんだから、38連隊の行動は33連隊の行動を
>推し量る判断材料となる。
~~~~~~~~~~
自分で何を書いているか理解しているのかw
お前がやっている事が「推測」だろうがボケ!
「自分は「推測」を根拠にして他人の「推測」を否定する」というのがお前のやり方なんだなw
つくづく性根が腐っているというか卑しいというかw
所詮、超賎人だという事か(嘲笑)
で?
結局お前は「仙鶴門の捕虜が全員殺害された」具体的な根拠を全く出せないわけだがw
他の部隊が何をやっていたかなんて関係ない。
推測や妄想や願望は必要ない。

>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

お前が自分で主張している事だ。
コイツの根拠をさっさと出せよw
635名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 09:00:28.75 ID:VOR5m39j0
>>632
日本語をちゃんと読めるようになってから書き込めよw
白丁には不可能だとは思うがw

>630
>逃亡する者も相当多数いたが、これはそのまま放置した」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
636名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 21:51:54.51 ID:h4MlZSVz0
つまり、肯定派が言いたいのは、殺しまくった捕虜の総数として

「3000乃至6000」という偕行社の分析は正しい、ということなんだな?

南京戦史を抜粋しまくってる時点でそういう結論なのだろう。

637名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 21:52:45.33 ID:h4MlZSVz0
逆立ちしても、民間人虐殺30万人という馬鹿な数字は出てこないw
638名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 21:57:52.67 ID:nesTuwNI0
>634
>「自分は「推測」を根拠にして他人の「推測」を否定する」というのがお前のやり方なんだなw

あんたがこれまでさんざんやってきたことだろう?
自分がそれをやられたら逆ギレってどういう了見だよw

>結局お前は「仙鶴門の捕虜が全員殺害された」具体的な根拠を全く出せないわけだがw

「仙鶴門の捕虜が全て殺害されず」の具体的な根拠を出してから言えよw

ちなみに、肯定派こういうことを過去に言ってきたわけだが?

>223
>必死で「兵士の証言」を出してきたようだが「実名」でないのがチラホラ混ざっているようだがw
>そして「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw

この論理に従えば、当然この証言も「正しいわけではないのは証明済み」なんだろ?

>630
>原参謀証言
>証言による「南京戦史」>

証言以外に「仙鶴門の捕虜が全て殺害されず」とする根拠を出せよw
639名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 22:00:14.03 ID:aMhTpPj20
>>637
しかし肯定派は「20万とか30万人は嘘」ってのを軽く見過ぎているよな
それなら、そう主張した東京裁判や南京軍事法廷は嘘だらけだってのを認めなくちゃいかんよ
640名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 22:01:44.61 ID:aMhTpPj20
>>638
>証言以外に「仙鶴門の捕虜が全て殺害されず」とする根拠を出せよw
全て殺した証拠がないのが根拠ですw
641名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 22:27:32.51 ID:VOR5m39j0
>>638
>「仙鶴門の捕虜が全て殺害されず」の具体的な根拠を出してから言えよw

肯定派が「仙鶴門の捕虜が全て殺害された」という具体的な根拠を出せないのが根拠w
肯定派は12月17日に南京城外で第38連隊に投降してきた捕虜が全て殺害された」と主張している。
その根拠として肯定派が出してきたのは「12月14日に南京城内で第33連隊が敗残兵を殺した例」w

バカの主張の意訳w
「12月14日に南京城内で第33連隊が敗残兵を殺しているのだから、12月17日に南京城外で第38連隊に投降してきた捕虜も全て殺害されたはずだ!」

日時も、場所も、部隊も異なる上に、ちゃんと南京城内へ移送された記録まで存在するのに

>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

具体的な根拠が全く存在しないのにここまで断言できる神経はたいしたものだw
まあ 超(ちょう)賎(いやしい)塵(ゴミクズ)wには日本語が理解できないだけかもしれないがw
642名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 23:12:48.12 ID:nesTuwNI0
>641
>「12月14日に南京城内で第33連隊が敗残兵を殺しているのだから、12月17日に南京城外で第38連隊に投降してきた捕虜も全て殺害されたはずだ!」

おまえさんが>631で提示している以下の文章は、上記の事柄を充分に裏付けているんだが?

>以下中島師団長の決心にもとづく隷下指揮官の対応をうかがうこととする。
> 歩兵第三十旅団長(佐々木到一少将)の十二月十四日の城内掃蕩命令には「各隊ハ師団ノ指示アル迄捕虜ヲ受付クルヲ許サズ」とあり、師団長の「捕虜ハセ
>ヌ方針ナレバ」を裏付けるとも思われる命令文を下達している。しかし命令文には「処分セヨ」という字句は見当らない。
>〜中略〜
> これに依れば口頭ではあるが、 「処置せよ」と指示されているのである。

師団長が「全部殺せ」という意味合いの命令を出しているんだから、殺されていると見るのがあたりまえ。

「全員捕虜として収容され、殺害されていない」とする根拠が、数日後にどこで捕まえられたのかも判然としない
三百人くらいの捕虜がいたってだけしかないんだったら、「全部殺された」を否定する方がおかしいw
643名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 23:18:01.92 ID:aMhTpPj20
あ、もう一つ根拠があった

何処探しても「虐殺命令」が見つからないから殺しているわけがありません!
644名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 23:30:06.56 ID:VOR5m39j0
>>642
>師団長が「全部殺せ」という意味合いの命令を出しているんだから、殺されていると見るのがあたりまえ。
>
>三百人くらいの捕虜がいたってだけしかないんだったら、「全部殺された」を否定する方がおかしいw

300人どころか2000人近く残っているがw
>630
>上海地区の労働力不足を補うため、多数の俘虜を列車で移送し、約半数二、〇〇〇人を残した
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>逃亡する者も相当多数いたが、これはそのまま放置した
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
分散して収容された捕虜が労働力不足を補うため移送されたり、逃亡したりした結果、中央監獄に2000人程度残っただけw
「全部殺せという命令が出てるのにわざわざ南京城内の収容所に収容するのはおかしい」と思うのが当たり前w
そもそも収容された捕虜は殺害されていないw

前川三郎氏『真説・南京攻防戦』より
 更に特記すべきことがある。氏が南京俘虜収容所長としてのことである。
昭和十七年十一月から丸一ヵ年間、支那派遣軍総司令部が作戦上の必要から同収容所を直轄、秘匿名「支那派遣軍総司令部森隊」として、その任務に当らしめた。
その本部収容所「南京俘虜収容所」は、南京城内中心部の江蘇第一監獄を当て、二千人以上が収容されていた。
 この時の捕虜たちが、殆どあの南京戦で首都防衛軍として日本軍と戦い、落城時、下関付近その他で、捕虜となった将兵達で、汪政権下維新軍に転向しなかった者達が主体を占め、佐官級の上級将校も数多くいたのであった。

※昭和17年時点で江蘇第一監獄に2千人以上が収容されていて、殆どが南京戦で捕虜になり、汪政権下維新軍に転向しなかった者達。

645名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 23:33:44.04 ID:VOR5m39j0
>>642
>師団長が「全部殺せ」という意味合いの命令を出しているんだから、殺されていると見るのがあたりまえ。

お前の理屈だと、捕虜を取るのは師団長の「全部殺せ」という命令に違反している事になるんだがw
もちろん命令違反で処罰された兵士が存在するよなw

出してみろw
646名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 00:54:16.32 ID:q8Hhw2cn0
>>636-637 ID:h4MlZSVz0

39 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/10(木) 22:09:22.52 ID:+88XErPX0
嘘つき従軍淫売クソババア

42 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/11(金) 23:28:00.46 ID:39xLTaGG0
嘘つき強欲ババア

43 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/13(日) 22:19:34.23 ID:/shGYOKl0
従軍強欲淫売

45 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/15(火) 22:58:33.00 ID:Ajz3QT7c0
ごね得淫売クソババア

46 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/17(木) 22:10:06.23 ID:h4MlZSVz0
嘘つき従軍売春婦ババア


【中卒携帯オヤジの基本情報】
http://unkar.org/r/history2/1272354827/11-12
647名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 05:08:23.15 ID:WRpVLFZZ0
>644
>前川三郎氏『真説・南京攻防戦』より

お前はアホかw

>223
>必死で「兵士の証言」を出してきたようだが「実名」でないのがチラホラ混ざっているようだがw
>そして「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw

証言がどれだけあっても無駄なんだってよw

私は証言にも証拠性を認めても良いと思っているけど、こういうことを言う人がいる以上、
それ以外の証拠を出してくれないとどうにもならないんじゃねーのw
648名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 05:13:22.62 ID:WRpVLFZZ0
>645
>もちろん命令違反で処罰された兵士が存在するよなw

ホントにアホだなこいつはw

命令が出されている事実と、個々の場面で命令に従わないことがあったのとはまったく別の問題だろうが。

そもそも命令に従わないで処罰されなかった例なんぞ、満州事変で越境出兵した林銑十郎をはじめとして、
帝国陸軍には山ほどあるぞ。「戦果を上げればお咎め無し」が日本軍の体質だったからなw
649名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 05:56:24.32 ID:rOHpgZJq0
>>647-648
要するに何一つ根拠無いのねw
650名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 12:17:32.57 ID:APYeM6wq0
>>648
でも命令が出ていたとは全く証明できませんでしたとw
肯定派お得意の負け犬の遠吠え乙w
651名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 15:09:41.84 ID:Pu4XKSKK0
>>648
つまり捕虜殺害命令が出されていても実行されたとは限らないとw
652名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 18:12:28.01 ID:Pu4XKSKK0
>>561
>連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
>「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
>中略
>捕虜の捕獲、護送、収容、給養に人手を割くと戦闘要員が減ってしまう。また捕虜を抱えていると、敵を追って前進するのに邪魔となる。
敵と味方が入り乱れて混戦中なのに、わざわざ人手を割いて捕虜なんか取っていられるかのとw
それこそ「軍事的必要性」が優先される状況だな
653名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 21:53:18.85 ID:4YhkH22C0

肯 定 派 が ま た 論 破 さ れ た 

654名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 23:40:53.90 ID:RjbijOg30
>>653
しばらくたったらまた同じような事を言い出すだけだと思うがなあw
論破されるには相手にも「自分が論破された」と理解して、それをちゃんと認識するだけの知能が無いといけないから、肯定派には不可能なんじゃねw
655名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 23:43:23.95 ID:WRpVLFZZ0
>649
>要するに何一つ根拠無いのねw

そういうこと。

否定派が言うように、当時南京にいてその情景を目にしていた人たちの証言を
一切合切「資料として信憑性がない」といって否定する態度を取っている限り、
何があったかを確定する作業は不可能と言って良いね。

そして、その同じ論理で「南京で虐殺など無かった」という主張にも
何一つ根拠がないということになるんだよw

否定派の皆さんはご苦労さんなこって、としかいいようがないねw
さんざん苦労して、自分たちの主張をすべて無にする結論しか出せねーんだからよw
656名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 00:12:29.82 ID:8FSjbAYH0
>>655
>否定派が言うように、当時南京にいてその情景を目にしていた人たちの証言を
>一切合切「資料として信憑性がない」といって否定する態度を取っている限り、
>何があったかを確定する作業は不可能と言って良いね。

肯定派は「当時南京にいてその情景を目にしていた!」と言いさえすれば信用するらしいw
「何があったか」の前に「証言の信憑性」の確認が優先される。

>212
>●以下の証言者・記者・作家の発言及び記述は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
>
>・ 東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い
>・ 中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明
>・ 富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
>・ 舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
>・ 曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された
>・ 田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
> 後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
>・ 太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
>・ 富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。
> だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
>・ 上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し

そして「証言の信憑性」を確認する為に、資料の真偽を取捨選択していくと何も残らなくなるという怪現象が起こりますw
657名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 01:22:21.26 ID:9jOawBGS0
>>655
あのさ、悪魔の証明ってのを知らないようだね。例えば君は人殺しじゃない証拠がないから殺人犯だと言われたらどうするの?
殺人犯じゃないのは殺人した証拠がないからと言うしかないだろうが

無いと言うことは証明できない、だから有るというあんた等が南京大虐殺を証明する義務がある
こんな常識を今更書かないといけないとは思いもよらなかったよw
658名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 01:27:37.27 ID:qs5limrI0
>656
>そして「証言の信憑性」を確認する為に、資料の真偽を取捨選択していくと何も残らなくなるという怪現象が起こりますw

へぇ、そりゃ面白い。

>207
>213
>214
>215
>216
>217
>219
>220
>221
>222

んじゃ、これらの証言を全て資料と照らし合わせて嘘であることを確認してくれよ。

自信を持って「何も残らない」と言い切るんだから、当然それを裏付けるだけの根拠は持ってるんだろ?
659名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 01:35:06.16 ID:9jOawBGS0
>>658
つうかね、通常の事件だと証言者が言ったことは基本真実と考えることが多いんだけど
大戦絡みだと偽証言者の存在が証明されているんだよね
しかも偽証言者が南京肯定説に偏って存在する
って事で、南京大虐殺を調べるには、証言者特に肯定説側の者は疑わざるを得ない
勿論否定説側にも偽証言者が少ないながらも存在するんだけどね
660<:2011/03/19(土) 01:46:07.03 ID:TmDety910
>>658
これ↓に比べると随分かわいいもんだな♪・・・(・∀・)
http://soumoukukki.at.webry.info/200802/article_4.html
※死体を切り刻む猟奇性♪・・・(・∀・)

国際法は締結国全てに対して平等♪・・・(・∀・)
アメリカが無罪なら日本も無罪♪・・・(・∀・)
661名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 01:51:30.70 ID:qs5limrI0
>657
>あのさ、悪魔の証明ってのを知らないようだね。例えば君は人殺しじゃない証拠がないから殺人犯だと言われたらどうするの?
>殺人犯じゃないのは殺人した証拠がないからと言うしかないだろうが

普通の捜査であれば、他者の「証言」を元に現場不在証明(アリバイ)が立証されれば無実は証明される。


ただ、今の話の場合、

>223
>「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw

こういうバカな事を主張する人間がいるからそれが出来なくなってるってだけのこと。


捜査をする機関が、「この人はそんなことをしていません」っていう証言が山ほど集まってきても
「証言が正しいわけではない」って言ってそれを全部却下しているという状況を考えてみればいい。
上記の発言がいかにバカげているのかがよく分かるよ。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 02:01:42.47 ID:9jOawBGS0
>>661
と言うか、奴の主張が「君は人殺しじゃない証拠がないから殺人犯だ」ってのそのまんまだからね
君の言っていることが間違いだなんて言う気は毛頭無いが
663名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 02:07:18.70 ID:9jOawBGS0
>>661
あ、読み間違いかぁ。南京の場合は実名を堂々と名乗る偽証言者なんてのが実在しているんだわ
ホント奴らの存在が逆に肯定説を証明しにくくしていると言えるって事だね

中国の工作が完全に裏目に出ているんだよ
664名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 02:42:08.84 ID:qs5limrI0
>663
その問題も確かに南京事件の真相を明らかにするための大きな障害なんだけど、
第二次大戦後のB・C級戦犯裁判では「俺はやってない」と主張した人間の発言が
証拠資料や仲間内の告発等虚偽が見破られ、無実の主張が覆された事例もけっこうあるから、
実名を出して堂々と「俺はやっていない」と証言する人間の発言がどれだけ信用できるのかって問題も
あるんだよね。

調子こいて、やってもいないことをやったと証言する事で利得を得ようとした偽証言者もタチが悪いけど、
実際にやっていたのに「俺はやっていない」と主張してその嘘が暴かれたタチの悪い人間も大勢いる。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 08:15:18.67 ID:8FSjbAYH0
>>658
>んじゃ、これらの証言を全て資料と照らし合わせて嘘であることを確認してくれよ。

「この証言は正しい」と主張しているのはお前だ。
つまり証明する必要があるのはお前。
さっさとやれよw
666名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 08:28:17.85 ID:8FSjbAYH0
>>661
>捜査をする機関が、「この人はそんなことをしていません」っていう証言が山ほど集まってきても
>「証言が正しいわけではない」って言ってそれを全部却下しているという状況を考えてみればいい。
>上記の発言がいかにバカげているのかがよく分かるよ。

アホw
証言の真偽が確認できないから却下しているのに、お前らは「無条件で殺害したという証言を採用しろ!」と言ってるようなもの。
肯定派だろうが否定派だろうが真偽不明の証言は採用されないだけ。
肯定派が真偽を確認せず証言を採用するなら、否定派も同じように真偽を確認せず採用するだけw
肯定派と同じ事をして非難されるいわれはないw

>上記の発言がいかにバカげているのかがよく分かるよ。

つ鏡w
667名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 08:55:33.69 ID:8FSjbAYH0
>>664
偽証罪の無い東京裁判が根拠www
否定派の証言も東京裁判を基準にして採用しないとなw
ちなみに山本七平は「“タナカという憲兵がやった”という証言があって、“やったのはこいつだ”と面通しで言われたらもうおしまいで、『私は憲兵でなく砲兵です』といくら言っても無駄だった」と回想している。
肯定派の論法で言えばこれも
>無実の主張が覆された事例
らしいなw
668名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 12:13:32.16 ID:qs5limrI0
>665
>>んじゃ、これらの証言を全て資料と照らし合わせて嘘であることを確認してくれよ。
>「この証言は正しい」と主張しているのはお前だ。
>つまり証明する必要があるのはお前。

アホか。
正しいと主張してる側がなんでそんなことする必要があるんだよw

それは間違っていると主張してる側がすることだろw

そんな常識から教えなきゃならないとは驚きだw
669名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 12:17:22.17 ID:qs5limrI0
>666
>肯定派だろうが否定派だろうが真偽不明の証言は採用されないだけ

お前が勝手に「真偽不明」と判定してるだけだろ。

だからこちらもそちらが出した証言を「真偽不明」としてまぜっ返してるだけの話だw

普通の常識のある人間は、複数の人間が一致してほぼ同一の内容の証言をしていて、
それに明確な虚偽や捏造が認められなければ「相応に信憑性がある」と判断するけど、
お前がそれをしないだけの話だよ。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 12:59:28.77 ID:qs5limrI0
>667
>偽証罪の無い東京裁判が根拠www

第二次大戦後のB・C級戦犯裁判が東京裁判しかないと思っている情弱乙。

アメリカが主導した裁判だけでもこれだけあるんだけどね。

横浜:331裁判、被告1,029人
グアム:29裁判、被告109人
クェゼリン:3裁判、被告18人
上海:10裁判、被告52人
マニラ:88裁判、被告総数238人

全461裁判、被告総数1,446人


>山本七平は「“タナカという憲兵がやった”という証言があって、
>“やったのはこいつだ”と面通しで言われたらもうおしまいで、
>『私は憲兵でなく砲兵です』といくら言っても無駄だった」と回想している。

私もあなたの意見に賛意を示したい気持ちを持っているんだけど、
↓こういうことを言う人がいて、その人とは意見が対立してしまうようだね。

>223
>必死で「兵士の証言」を出してきたようだが「実名」でないのがチラホラ混ざっているようだがw
>そして「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw
>580
>つうか、100の資料があるサイトの中で2、3本物があるからといって何の意味があるのかと言いたいねw

できれば、この人を説得してみてくれないかな?
それをしてくれたら、私もあなたの発言を考慮してみようと思うよ。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 15:42:41.89 ID:8FSjbAYH0
>>669
>普通の常識のある人間は、複数の人間が一致してほぼ同一の内容の証言をしていて、
>それに明確な虚偽や捏造が認められなければ「相応に信憑性がある」と判断するけど、
>お前がそれをしないだけの話だよ。

お前のその理屈では「第一大隊戦闘詳報」は否定されるがw
つ>74>wつ75w>つ79wつ>94wつw>97wつ>103wつ>104wつ>105wつ>198wつ>200wつ>201wつ>205wつ>206w

当然、バカの主張である
>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

コレも否定されるなw
つ>586wつ>589wつ>630wつ>631wつ>644w

672名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 16:27:51.27 ID:8FSjbAYH0
>>670
>第二次大戦後のB・C級戦犯裁判が東京裁判しかないと思っている情弱乙。

それらの裁判には偽証罪が存在したとでも?
アメリカ以外に戦犯を裁いた国が存在しないとでも思っているのか。
日本とオランダとの戦闘行動は僅か9日間。
しかしオランダのB・C級戦犯の死刑判決は226人で、英国の233人に次ぐ。
これらは米国の140人を超える。
これらの裁判が公平に行われたとでもw
673名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 16:55:13.05 ID:8FSjbAYH0
>>670
なんで?
言ってる事は間違って無いじゃんw

>223
>そして「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw

「実名の証言は全て正しい」などという事はありえない。
だから「証言の信憑性」の確認が必要なんだがw
「証言の信憑性」を確認しなかった例w
つ>212w
674名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 16:57:24.42 ID:8FSjbAYH0
>>658
どこか問題でも?

>207 【敗残兵】を殺しに行くのだと
>213 幕府山w
>214 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」
>215 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」
>216 混戦中w
>217 馬群の【掃討】に行く
>219 【軍服姿は見当らなかったが】【便衣兵かなあと眺めていた】
>220 <田中氏の陣中日記は私が古書店で見付けて購入したもので> 『北陸史学』第49号(2000年2月13日) 高野源治論文より【本人確認不可】
>221 殺害した理由が全く不明(by幕府山w)
>222 創価学会青年部反戦出版委員会編「戦争を知らない世代へ」第53巻「揚子江が哭いている 熊本第六師団出兵の記録」
675名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 21:45:17.47 ID:jDJXqAdp0
>●以下の証言者・記者・作家の発言及び記述は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
>
>・ 東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。中国じゃ未だに真実扱い
>・ 中山重夫…段列兵の立場で虐殺目撃談を語ったがそもそも現場に居合わせるのは不可能だったことが判明
>・ 富永博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
>・ 舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
>・ 曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、あの秦教授も騙された
>・ 田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
> 後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
>・ 太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
>・ 富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。
> だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
>・ 上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し

そして「証言の信憑性」を確認する為に、資料の真偽を取捨選択していくと何も残らなくなるという怪現象が起こりますw


結局「3000乃至6000の捕虜不法殺害」という偕行社の分析が最も客観的且つ公正で正しい分析といえる。


676名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 10:05:31.08 ID:waZb2nko0
>それに明確な虚偽や捏造が認められなければ

で、「第一大隊戦闘詳報」に明確な虚偽と捏造は見つかったのかな?
信憑性が薄い、記述に不自然な箇所があるという指摘への反論は、
以下のサイトに詳しく反駁が載ってるようだけど?

http://kknanking.web.infoseek.co.jp/aandv/66i_c.htm


>当然、バカの主張である
>>583
>>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
>コレも否定されるなw

何がどう当然なんだか説明してくれよw
>>223
>>必死で「兵士の証言」を出してきたようだが「実名」でないのがチラホラ混ざっているようだがw
>>そして「実名」であっても証言が正しいわけではないのは証明済みw

この発言に拠ってみれば、「捕虜の虐殺は無かった」という兵士の証言には信憑性がないんだろ?
おまえさんが引用した発言で、明確に「仙鶴門付近」で捕らえられたと推測できる捕虜の
話をしているのは榊原証言ただ一つで、それ以外の証言はどこで捕まえたんだかどういう経緯で
捕虜になったんだかも解らないモノばっかりなんだけどw
677名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 10:13:32.55 ID:waZb2nko0
>672
>それらの裁判には偽証罪が存在したとでも?

話を逸らすなよw

こちらは>664の書き込みで、
>第二次大戦後のB・C級戦犯裁判では「俺はやってない」と主張した人間の発言が
>証拠資料や仲間内の告発等虚偽が見破られ、無実の主張が覆された事例もけっこうあるから

と包括的な話をしているのに、「東京裁判を根拠」として範囲に限定を加えようとした事を
問題としているんだからよ。

だから
>667
>否定派の証言も東京裁判を基準にして採用しないとなw
>ちなみに山本七平は「“タナカという憲兵がやった”という証言があって、
>“やったのはこいつだ”と面通しで言われたらもうおしまいで、
>『私は憲兵でなく砲兵です』といくら言っても無駄だった」と回想している。

この書き込みを行うならば、東京裁判のみを基準にするのではなくて、
横浜裁判や南洋諸島で行われた裁判で、被告同士がお互いに罪をなすりつけ合ったり
「あいつがやった、俺はやってない」という山ほどある見苦しい発言を基準にしてくれよw
678名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 10:16:49.03 ID:waZb2nko0
>673
>だから「証言の信憑性」の確認が必要なんだがw

だから、こちらが挙げた


>207
>213
>214
>215
>216
>217
>219
>220
>221
>222

これらの発言の信憑性の確認をそちらが行ってくれよって言ってるんだけど?

反証をしないと言うことは、信憑性があると考えていると思って良いのかな?
679名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 10:36:59.88 ID:waZb2nko0
>207 【敗残兵】を殺しに行くのだと

>家屋も点々とあるのみ、池のふちにつれ来、一軒家にぶちこめた。
>家屋から五人連をつれてきては突くのである。

あきらかに戦闘が終わった後、武装解除した後の捕虜の殺害。

>213 幕府山w
>214 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」
>215 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」

意味不明。

>216 混戦中w
>私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
>命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。
>激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。

文章の流れから、虐殺があったことを示唆している。

>217 馬群の【掃討】に行く

>而し到着した時には小銃中隊にて三百十名位 の敵の武装解除をやり待って居たとの事、早速行って全部銃殺して帰って来た。

武装解除後の捕虜の虐殺。

>219 【軍服姿は見当らなかったが】【便衣兵かなあと眺めていた】
「便衣兵かなあ」というのは当該兵士の推測。

>追い立てられてよろよろと歩いてきた捕虜たちは気づいて動揺したようだが、ここまで来ると、もう逃げ道はない。
>(中略)
>さていよいよ処刑が始まった

捕虜と認識しており、その上での処刑。

>220 <田中氏の陣中日記は私が古書店で見付けて購入したもので> 『北陸史学』第49号(2000年2月13日) 高野源治論文より【本人確認不可】

意味不明。
本人が死去していることと、資料としての確からしさはまったく関連がない。
戦場で死んだ兵士の残された日記が資料として役立てられていることを考えれば、
本人確認を求めるという発想の方がおかしい。

>221 殺害した理由が全く不明(by幕府山w)

お前さんに理由が分からないことと、虐殺の事実が有ったか無かったかとは関連がない。

>222 創価学会青年部反戦出版委員会編「戦争を知らない世代へ」第53巻「揚子江が哭いている 熊本第六師団出兵の記録」

どこの出版社から出されたかは問題とはならない。
資料としての信憑性があるかどうかの話であって、
この「川畑芳弥(第六師団輜重第六中隊)回想録」というのが信頼性があるのかどうかの話。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 10:43:44.24 ID:waZb2nko0
>675
>結局「3000乃至6000の捕虜不法殺害」という偕行社の分析が最も客観的且つ公正で正しい分析といえる。

>490で返答済みなんだけど、文字が読めない人も多いようだしめんどくさいから丸々貼り付けとくか。


>486
>『南京戦史』及び『南京戦史資料集』
>「不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるもの3000乃至6000」
>まあ、いわゆる南京大虐殺の数は、多く見積もってたったの6000人。

>352-356

「そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。
板倉由明氏の集計されたものである。

同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。
そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した
(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。
従って南京の不法殺害は計一万三千人である。板倉氏はこれが「現時点での」推定概数であるとする。
これまた、途方もなく大きな数字である。

畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。
これを併記して本稿の結論とする。」
681名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 10:48:07.02 ID:XwvzV+aD0
>>676
>以下のサイトに詳しく反駁が載ってるようだけど?

そのサイトの結論
>■まとめ
>板倉は、歩47、歩13、歩150それぞれの城壁・城門に対する攻撃の進捗状況と、歩66の城壁攻撃の進捗状況が一致しないことを理由に、歩66-T戦闘詳報の記述が間違いであると主張する。

否定派がいつ
【歩66の城壁攻撃の進捗状況が一致しないことを理由に、歩66-T戦闘詳報の記述が間違いであると主張したのか?】
該当するレス番号を提示しろよw

否定派が主張していない、何の関係も無い事に対してあたかも反論したように見せかける肯定派お得意の姑息な藁人形叩き乙w

そのサイトでこういう結論が述べられているのは無視かw
>「聯隊命令の要旨」は、戦闘詳報に記述された「午後零時」ではなく、「一一四師作命第六三号」が発令された20:00から、「歩六六作命甲第八七号」が発令された23:00の間に発令されたのである。

そのサイトでさえ「戦闘詳報に記述された時間に信憑性は無い」という結論になっているなw
肯定派お得意の自爆乙w
682名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 11:04:14.45 ID:XwvzV+aD0
>>676
仙鶴門が7200人。
南京での捕虜は約1万。
逃亡する者相当多数。
使役300人。
分散して収容され中央監獄に4000人。
半分の2000人は、命令により上海の捕虜収容所に移送。
残存が2000人。

どう見ても仙鶴門の7200人の捕虜は全員殺されたとは言えないなw

>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

さっさとコレを証明しろよw
683名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 11:26:26.48 ID:XwvzV+aD0
>>679
>207
>あきらかに戦闘が終わった後、武装解除した後の捕虜の殺害。

どこに【捕虜】と書かれている?
【敗残兵】としか書かれていないがw
もしかして脊髄反射で【敗残兵】=【捕虜】と脳内変換しただけじゃないよなw

>213
>214
>215
匿名の証言をどうやって確認できるのかとw
肯定派には匿名でも個人を特定できる特別な手段が脳内に存在するのかもしれないがw(世間では「妄想」とか「決め付け」と言うがw)

>216
敵味方入り乱れている状態で、自軍の兵力を割いてまで敵兵を保護する義務があるとでもw

>217
武装解除=捕虜ではない。
つ>481
>「敵の手中に陥った者」のことごとくが「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)とは限らない

>219
軍服姿で無くて【捕虜】になれるのかとw

>220
注記によれば「田上義信陣中日記」w
「田中義信」なのか「田上義信」なのか不明w

>221
幕府山は唯の「捕虜の反乱」w

>222
「川畑芳弥」という人物が存在する事を証明できなければ何の意味も無いw
684名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 11:52:51.79 ID:A2zjG10T0
>>680
>畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって

所詮、個人の推算ですから。正しいとも間違ってるとも言えない。

はっきり言えるのは、「民間人30万人大虐殺は幻」だということ。
肯定派諸君はいったい、何を主張したいのかね?

そして、偕行社の公式見解はあくまで3千〜6千
これが妥当な結論でしょう。

685名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 11:52:58.50 ID:p5i8OAp60
>>683
肯定派の言う幕府山事件って、100人ちょっとの人数で中国兵1,2万の人間を虐殺して
翌日日本軍1万近く動員して片付けをしたという摩訶不思議な事件だよね

正直アレを信じ込めるって、カルトか何かやっているんじゃないかと疑うよ
686名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 20:55:13.24 ID:A2zjG10T0

肯 定 派 は 何 度 も 何 度 も 論 破 さ れ る w

687名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 22:25:11.16 ID:wXwGAndn0
南京大虐殺が事実なのは俺達日本人皆が知っている。
そして俺達は戦犯として非を認め刑に服した。
どこの国にも反乱分子はいる。
日本ではネトウヨや右翼宗教が日本の国策や体制を攻撃している。
極端な言動だから目立つのだが日本社会からは阻害され嫌われているのも事実だ。
ネットウヨクや右翼宗教の為の政党が一議席も取れないのが日本の良識をしめす。

外国人の方達に知って欲しいのは、殆んどの日本人は礼や秩序を重んじ争いごとを好まない。
一部の反日右翼達を日本の声だと思わないで欲しい。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 22:39:48.20 ID:A2zjG10T0
はいはい、負け惜しみw
689名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 22:49:27.85 ID:p5i8OAp60
>>687
俺たち日本人とかどうでも良いから、とっとと帰国してください
690名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 10:12:58.43 ID:veYbikME0
>681
>否定派がいつ
>【歩66の城壁攻撃の進捗状況が一致しないことを理由に、歩66-T戦闘詳報の記述が間違いであると主張したのか?】
>該当するレス番号を提示しろよw

あいかわらず日本語が読めない人だね。
そのサイトで示されているのは戦史家の板倉由明の言説に対する反証。

そして>671で示された以下の発言が「66連隊第一大隊戦闘詳報」への一連の疑義を否定派が挙げている。

>つ>74>wつ75w>つ79wつ>94wつw>97wつ>103wつ>104wつ>105wつ>198wつ>200wつ>201wつ>205wつ>206w

このうちの

>198
>作成に関わる立場に無い【上等兵】がなぜか所有していた大隊の戦闘詳報w
>内容はw
>↓
>板倉由明『本当はこうだった 南京事件』p125-129
>「信頼性の低い、改ざんされたもの」
>「Tが戦闘詳報に、自分の聯隊の武勇伝を創作して書き込んだものとしか思えない」

この発言に関しては、明瞭に「城壁攻撃の進捗状況が一致しないことを理由」とした板倉説に拠って
第一大隊の戦闘詳報を否定しようとしてるが?
691名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 10:26:06.49 ID:veYbikME0
>681
>そのサイトでさえ「戦闘詳報に記述された時間に信憑性は無い」という結論になっているなw

時間の記入のミスが一カ所でもあると、その記載内容が全て否定されるのか。
激戦が行われていた南京戦の過程を記した文書で、誤字や脱字が全くない完全無欠の文章が
常に書かれていると考える方がどうかしていると思うがね。

文章全体の内容や書かれている情景を否定する方法がないが故の苦し紛れとしか思えない。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 10:26:09.70 ID:veYbikME0
>681
>そのサイトでさえ「戦闘詳報に記述された時間に信憑性は無い」という結論になっているなw

時間の記入のミスが一カ所でもあると、その記載内容が全て否定されるのか。
激戦が行われていた南京戦の過程を記した文書で、誤字や脱字が全くない完全無欠の文章が
常に書かれていると考える方がどうかしていると思うがね。

文章全体の内容や書かれている情景を否定する方法がないが故の苦し紛れとしか思えない。
693名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 10:26:31.58 ID:veYbikME0
失礼、二重投稿してしまいました。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 10:56:40.34 ID:veYbikME0
>682
>仙鶴門が7200人。
>南京での捕虜は約1万。

他の部隊で得た捕虜はいったいどこに行ったんだい?

あちこちで戦闘があり、投降してきた捕虜の総計は記述に残っているだけでも
1万どころではないんだが。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 11:03:38.13 ID:veYbikME0
>683
>>207
>>あきらかに戦闘が終わった後、武装解除した後の捕虜の殺害。

>どこに【捕虜】と書かれている?

ハーグ条約の条文をよく読め。

第3条:交戦当事者は、戦闘員、非戦闘員をもって(部隊を)編成を編成することが認められ、
   敵に捕らえられた場合、双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける権利を持つ。

第4条:俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえた個人、部隊に属するものではない。
   俘虜は人道をもって取り扱うべし。兵器、馬匹、軍用書類を除き俘虜の所有するものを没収してはならない。

この兵士がかれらを「敗残兵」と認識していようと、

>家屋も点々とあるのみ、池のふちにつれ来、一軒家にぶちこめた。
>家屋から五人連をつれてきては突くのである。
>うーと叫ぶ奴、ぶつぶつと言って歩く奴、泣く奴、全く最後を知るに及んでやはり落ち着きを失っているを見る。
>戦に敗れた兵の行く先は日本人軍に殺されたのだ。
>針金で腕を締める、首をつなぎ、棒でたたきたたきつれ行くのである。
>中には勇敢な兵は歌を歌い歩調をとって歩く兵もいた。
>突かれた兵が死んだまねた、水の中に飛び込んであぶあぶしている奴、中に逃げるためにしがみついてかくれている奴もいる。
>いくら呼べど下りてこぬ為ガソリンで家屋を焼く。火達磨となって二・三人が飛んできたのを突殺す。
>暗き中にエイエイと気合いをかけ突く、逃げて行く奴を突く、銃殺しパンパンと打、一時此の付近を地獄のようにしてしまった。
>終わりて並べた死体の中にガソリンをかけ火をかけ、火の中にまだ生きて動いている奴が動くのを又殺すのだ。

上記の記述は戦闘中の敵兵を殺したというものではなく、武装を解除され拘束した兵士を殺害した記録だ。
696名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 11:27:54.53 ID:veYbikME0
>683
>匿名の証言をどうやって確認できるのかとw

匿名の証言の内容と実名で証言を行っている人たちの証言が明白に食い違っているのならばともかく、
大筋において一致している事実はどう説明をするのかと。

荒海清衛 日記 歩兵第65連隊第1大隊本部・上等兵

◇十二月十四日
 朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り。計一万五千名位 。
◇十二月十五日
 今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。
◇十二月十六日
 今日南京城に物資徴発に行く。捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
◇十二月十七日
 今日は南京入城なり(一部分)。俺等は今日も捕虜の始末だ。一万五千名、今日は山で。大隊で負傷、戦死有り。
『南京戦史資料集2』P345


大寺隆陣中日記

(12月18日)「・・・・昨夜までに殺した捕虜は約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居るさうだ、
       七時だが未だ片付け隊は帰へつてこない・・・・・」
(12月19日)「午後七時半整列にて清掃作業に行く、揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に驚く、
       石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし、今日の使役兵は師団全部、午後二時までかかり作業を終る・・・・」
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(P-197)
697名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 11:42:18.47 ID:veYbikME0
>683
>>216
>師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。

>敵味方入り乱れている状態で、自軍の兵力を割いてまで敵兵を保護する義務があるとでもw

戦闘時に敵味方が入り乱れるのは当たり前のこと。

その戦闘が終わったあとに「武器を捨てて投降してきた人間を皆殺しにしろ」という異常な
命令が出されているというのがこの証言の本旨なんだが、その部分は無視かね。

>この命令だけは何としても納得できないと思っております。

実際に、敵味方入り乱れる状態で戦っている部隊を指揮する立場の人間が
こういう述懐を漏らしているんですが。

ついでに、この児玉氏の証言を記録した別の本からも引用しておきますね。


児玉氏はクリスチャンであったから、正式命令ではないにしても「捕虜を出すな」という上級からの示唆に、苦しみ悩んだ。
和平門から下関にかけて攻めていったとき(おそらく十三日)、数十人の日本軍の前に、十倍以上とも思われる投降者が、突如現れた。
「どうしましょう?」と部下が判断を求めにきたときとっさに「蹴散らせ」というほかに命令の下しようもなかった。

ワッと突っ込む兵士、撃たれて倒れる敵、逃げる敵、うずくまる敵、抵抗する敵、だがもし、ここで全部を捕まえていたら、この場にいる全員で監視し、後送しなければならない。
その間に、先行した味方は敵にやられているかもしれない。部隊は、前に進まなければならない。

「下級指揮官は、この判断を自分一人で下しながら進まなければならなかった。このようなとき、捕虜をどうしなければならないという指示もないし、検討も行われなかった。
そういう判断を下級者に押しつけた上級指揮官に責任があると思います」
698名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 11:43:08.28 ID:veYbikME0
続き。
児玉氏は熱っぽい口調で、こう語った。
「私たちは、上海では華北とちがって中国人の民衆ぐるみの憎しみにぶつかった。これが、知らず知らずのうちに、中国人に対する憎しみという気持ちにつながっていったかもしれません。
日本人は本来、白人が中国人に対してもっていたような蔑視観というものはなかった。しかし、明治以来の中国に対する誤った教育が、いつの間にか皆の心に住みついてしまった。
世界に冠たり、という思想と、天佑神助という妄想は、必然的に侵略戦争につながります。中国もまた、必死の国づくりをしていた。
そして、中国人が孫文以来培ってきた祖国愛というものが、どう育ってるかに眼をつぶってきた……」

児玉氏はその生真面目そうな性格をからだ全体に溢れるばかりにして、更に続けた。

「南京戦は、丁度それらの精神構造がいろいろな面で最高に達した時に行われたと思います。八月の初めに通州事件というのがあった。
これは、日本の居留民が中国兵に虐殺された事件ですが、これによって日本人の中国に対する反感は一挙に高まってしまった。
その上、上海戦では日本軍は予想外の苦戦を強いられた。“このやろう”という敵愾心は、頂点に達していたといっていいでしょう。
人間はそう簡単に“昨日の敵は今日の友”という風にはいかないのです」
そして最後に、私の知ってることなら、何でもお話します、と僕に質問を促した。

「和平門から入城したときの様子はどうでしたか?」
「門のあたりには、かなりの死体がありました。民間人もまじっていたと思います。外人の記者らしき人が写真をとっていたのを覚えています。」

「十中隊に大量の捕虜があったという話をきいていますが?」
「かすかに覚えているようですが、くわしいことは分かりません。向こうの軍の病院に捕虜がいたと思いますが……」

「軍人、民間人を問わず、虐殺があったという話をきいたことはありませんか?」
「虐殺かどうかはわかりませんが、幕府山の方に遺棄死体があるので掃除(死体を片づけること)したという話を聞いたことがあります。
いま“南京大虐殺”というようなことが言われていますが、私は日本軍が意図的に民衆や捕虜を大量虐殺したとは、とても考えられません。
むろん私は見ても聞いてもいません。
ただこういうことがいえるのではないですか。
近代の戦争、日本で言えば日華事変以降の戦争は昔の武士と武士との戦いではなく、いわば総力戦の時代に入ったのです。
中国でも否応なしに民衆がまきこまれ、日本でも、内地にいる人も、空襲で殺されたのです。
それが戦後になって、アルジェリアや朝鮮やベトナムで、民族と民族の殺し合いという形にまで進展しているのではないでしょうか」

「戦争をどう思いますか?」
「戦争は“気狂い”です」

児玉氏は低く、だが断乎たる口調でそういった。

『「南京大虐殺」のまぼろし』 鈴木明 文春文庫
699名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 11:48:59.49 ID:veYbikME0
>>219
>軍服姿で無くて【捕虜】になれるのかとw

このハーグ陸戦条規も何度引用したかなぁ・・・

条約付属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」の条文

第一章 交戦者の資格

第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
    部下の責任を負う指揮官が存在すること
    遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること
    (遠方から識別可能な物を身につけることは敵に発見されやすくなるため、現在では各国とも低視認性の徽章が用いられているが
      「遠方から識別可能」の定義は明確ではなく違法とはされていない。)
    公然と兵器を携帯していること
    戦争法規を遵守していること

第2条:未だ占領されていない地方の民間人が、敵軍の接近に伴い第一条を充たす(軍隊等を)編成する猶予なく応戦するために公然と兵器を携帯し、戦争法規を遵守している場合は交戦者の資格を有する。

第3条:交戦当事者は、戦闘員、非戦闘員をもって(部隊を)編成を編成することが認められ、敵に捕らえられた場合、双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける権利を持つ。
700名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 11:59:59.04 ID:veYbikME0
>220
>注記によれば「田上義信陣中日記」w
>「田中義信」なのか「田上義信」なのか不明w

で、その一文字の違いは以下の文章の内容そのものを否定するものなのかい?

田中義信陣中日記
歩兵7連隊 第3機関銃中隊

十二月十四日
―南京城内の市街戦
一、午前八時整列、城内掃蕩の為出発、敵最後の陣地攻撃す。
一、首都南京も遂に我軍の手に入り、あわれ八十八師軍は西門の彼方で最期を消したので有る。
一、今日の戦闘は実に面白かった。
一、支那軍の野戦病院も見学した。
一、午後九時、真黒暗の城内市街を約二里半位帰隊行軍。
一、支那軍の屍は山を築き、血河をなして、兵器は皆捨て、馬はすて、道路上は実に無残なる近影で有る。
一、五百余名の支那軍捕虜兵を第八十八師の営庭で銃殺及び刺殺。
701名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 12:19:47.56 ID:veYbikME0
>221
幕府山は唯の「捕虜の反乱」w

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen6.html
「南京事件−日中戦争 小さな資料集」より

東中野修道氏 「再現 南京戦」を読む (6)
 幕府山事件(2) −17日の惨劇  「解放」が目的だったのかー

まずは17日の事件につき、従来説「自衛発砲説」(解放目的説)のポイントを要約します。(詳細は、K−Kさんのサイトの両角手記をご覧ください)

1.軍から捕虜の「処置」命令があったが、山田支隊長はそんなことは「どうしてもできない」と密かに捕虜を釈放する決意をし、船で対岸に渡すために揚子江岸まで連行した。
2.しかし偶発的に捕虜が暴動を起こしたので、彼らに対する銃撃が行わることとなった。 
3.捕虜4000名のうち3000名ぐらいは逃亡した。殺害は1000名程度(両角手記では「僅少」の表現)。
 細部は異なりますが、部隊の多くの幹部も、このストーリーに沿った証言を残しています。

 しかし、小野賢二氏が蒐集した資料群、またマスコミに大きく取り上げられた栗原利一伍長証言などにより、従来のイメージは一変しました。
この「自衛発砲説」に対しては、今日では小野氏などから以下の批判が行われるようになっています。

1.山田支隊の「解放」意図は認められない。「銃撃」は、初めから計画的なものであったと見られる。
2.「非戦闘員の解放」「火災に紛れた逃亡」という事実の存在が認められない以上、「事件」までに当初の「一万数千人」の捕虜が大きく減少したとは認められない。
17日の虐殺でも、「逃亡」はほとんどなく、ほぼ全員が殺害された。

 幹部の証言は、戦友会組織による「口裏合わせ」の可能性が高い、ということになります。

この論点につき、まずは秦郁彦氏の『南京事件 増補版』の記述を見ます。

これを計画的殺害と見るか、両角連隊長の回想記が強調するように釈放の意図を誤認しての反抗から生じた突発的事故なのか、
見解は依然として割れている。概して大虐殺派は前者を、マボロシ派と中間派は後者に傾いているが、
「どちらだったのか、私にはよくわからない」が「どうやら解放意図が一転しての失敗だったようである」と書く阿部や、
「皆殺しにしようとする意図も計画も感じられない」とする板倉のように迷う人がいるのも、やむえないのかもしれない。(P316)

この「迷う人」である阿部氏、板倉氏が、従来は「自衛発砲説」を唱える論者であったことは、注目してよいでしょう。
小野賢二氏の研究により、この二人ですら「解放目的説」に全面的に組することはできなくなっているわけです。

 そして秦氏自身は、上の文では明言を避けているようですが、
2001年には「私は、単に揚子江岸に連行して、そこで殺す計画だったと見るべきだと思います」と
はっきり述べています(後記 座談会『問題は「捕虜処断」をどう見るか』)。
702名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 12:20:35.52 ID:veYbikME0
続き。
秦氏は「マボロシ派と中間派は後者に傾いている」と表現していますが、事実として、「中間派」と目される秦氏は
少なくとも2001年には「計画的殺害説」の意見を述べており、またかつての「自衛発砲説」の旗手であった
板倉氏・阿部氏も「迷う」立場に変わっています。
捕虜連行が「解放目的」であったのか、それとも当初から「殺害」目的であったのか。
この論争は今日でも完全に決着が着いたとは言えませんが、「解放目的」説の劣勢は否定できないところでしょう。

さて、「解放目的説」のウィークポイントは何か。秦郁彦氏の発言を見てみましょう。

座談会『問題は「捕虜処断」をどう見るか』より 

秦 ただ、本当に釈放するつもりだったら昼間やればよかった。ぐあいの悪いことは大体夜やるものですからね。

東中野 まいったなあ(笑)。

秦 わざわざ問い合わせをしてしまったために、軍司令部から殺せという指示が出たわけですが、
  そんなことをしなくても逃がしてやりたかったら、不注意で逃げられてしまったということにすればよかった。
  本当の事実経過に関しては、何しろ第十三師団の人達がみんな口をつぐんで言わないから困る。
  釈放しようとしたのかもしれないけど、結果として多数の捕虜を殺してしまったんですね。
  軍司令部は自分たちの命令通りに処理されたと思っていましたからね。
  長勇にしてもそう信じていた。ですから、そのあたりの枝葉末節をあれこれ議論しても詮ないことだと感じます。

  舟で逃がそうとしたということに関しても、舟の準備をした形跡はないし、広い揚子江の向こうから闇夜に鉄砲で
  中国兵が撃ってきたために捕虜が反乱したという説明も変な話ですよ。
  殺されそうになっていたから彼らが反乱したと推定するのが無難でしょう。

東中野 しかし、両角連隊長その他のその他のそういう手記が残っているのに、それを信じないのですか。

秦 真実の部分もあるかもしれませんが、当事者の手記である以上、眉に唾しながら検分する必要はあります。
  自己弁護の要素も入ってくるでしょう。舟にしても、当時、あるのは数人乗り程度の漁船が数隻ですよ。
  そんなもので、どうやって四千人という捕虜を運べるんですか。日本海軍の船を頼んだ形跡もありません。
  私は、単に揚子江岸に連行して、そこで殺す計画だったと見るべきだと思います。
  死体も揚子江に流せばすむ。
  少なくとも、「殺せ」という命令があり、惨憺たる結果が生じたことを考えると、捕虜虐殺の責任は日本軍にあるというしかない。

(『諸君!』2001年2月号 P141-P142)
703名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 12:31:23.57 ID:veYbikME0
>684
>はっきり言えるのは、「民間人30万人大虐殺は幻」だということ。
>肯定派諸君はいったい、何を主張したいのかね?

何回か表明したこともありますけど、私の意見は、
現時点では秦郁彦『南京事件―「虐殺」の構造 増補版』の内容が
一番信用がおけるようだということ。

大ざっぱにいって、不法殺害は軍人・民間人のそれを合わせて4万人前後という推定。

「中国が主張している30万人はあり得ない→じゃあまったく殺していないはずだ。」
という推論には無理があるというのを主張しているだけです。


>「偕行社の公式見解」

何度も言うようですけど、偕行社ってのは旧日本陸軍軍人達の親睦団体。
日本軍の非はなるべく小さく見せたいという気持ちを持っている集団の見解だというのを
考えに入れておく必要があると言うこと。

>702
>真実の部分もあるかもしれませんが、当事者の手記である以上、眉に唾しながら検分する必要はあります。

偕行社の言い分に関しては、こういう態度で向き合うのが妥当でしょう。
被害当事者である中国側の30万人説の主張を「眉に唾しながら」向き合う必要があるのと同じ事。

だからこそ、自分たちに不利な証言を認めたというところに意義があるんだってのを理解するべき。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 13:39:21.34 ID:jO/Djrbl0
>>691
記述された時間の信憑性が皆無なんだから、他に記録された時間を確認するのは当たり前。
その結果肝心の「午後2時の命令だけ」が存在しないw
そんなものが信用できるか!
705名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 15:13:07.67 ID:y5/uRSlAO
>>702
秦氏の最新見解は「四万人を相当下回る」ですw
正確に引用することもできない馬鹿丸出しさんwwwwwwww
706名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 15:15:33.96 ID:y5/uRSlAO
>>703
更に秦氏のおまぬけ解釈数値から、66連隊分の約1500人を引く必要がありますw
707名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 15:33:32.41 ID:veYbikME0
>705
>>702
>秦氏の最新見解は「四万人を相当下回る」ですw
>正確に引用することもできない馬鹿丸出しさんwwwwwwww

正確に引用していないのはお前さんだ。

「この二○年、事情変更をもたらすような新史料は出現せず、今後もなさそうだと見きわめがついたので、
あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい。」

 (「南京事件 増補版」P317〜P318)

いずれにせよ、「4万前後」という数の推定は動いていない。

>353
>保阪 偕行社版の『南京戦史』では虐殺の死者は二万人でしたかね。
>秦 戦史家の板倉由明氏があの偕行社本の中心です。
>  使っているデータはわたしと同じですが、わたしのほうが被害者が二倍になっている。
>  なぜかというと、向こうは減耗率を掛けているんです。どういう減耗率かというと、
>  勲章をもらうためには戦果を過大に報告するのが慣習で、戦闘詳報で何人と書いてあるのは
>  0.5倍を掛けなきゃいかんと。
>半藤 そうなんだ。それが陸軍の常識だと言っているんですよ。
>保阪 なるほど。その数値を掛けたやつを載せているわけですね。
>秦 私は同じデータだけれども、減耗率を掛けない。
>半藤 秦さんのほうは五万人でしたっけ。
>秦 四万。向こうは二万人ぐらいです。だから何ていうことはない。
>  手品でも何でもないんで、減耗率を掛けるか、掛けないかの違いです。

 (『「BC級裁判」を読む』 p264-p265)

ついでにいうと、この本の出版は2010年だ。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 15:44:55.76 ID:veYbikME0
ネットを見て回っていたら、本の中からの引用文で興味深いものをいくつか見つけたので挙げてみとこう。


秦 「まぼろし=ゼロ」のグループに呼ばれて話をしたことがあるんです。彼らは「とにかく数が多い」と怒るんですよ。
  「じゃあ、おたくでは何人ぐらいなら満足するんですか」と言ったら、「本当はゼロだけれども、一人か二人だ」と言う(笑)。
  わたしが「しかし、戦闘詳報に七千人掃討とか数がいろいろ出てくるでしょう。あれはどうなんですか」と聞いたら、
  「あれは便衣兵だから虐殺のカテゴリーに入らない」と言う。

半藤 便衣隊を殺しても通常戦闘だから虐殺じゃないというわけなんですね。

秦 だけど、便衣兵を全部無条件にオミットしたとしても、当然そのそばづえを食った人たちがいるわけでしょう。
  「難民区の中から引っ張り出してきては便衣兵に見えるという理由で処刑していたが、あの中に無実の人間も入っていたんじゃないですか。
  それはどうするんですか」と聞いたんです。
  そうしたら、「そんなところに一緒にいたのが悪いんだ」と言う(笑)。
  わたしはこれはどうにもならんなと思ったんです。
  
  百人斬り訴訟もそういう雰囲気ですよ。
  一人か二人は斬ったかもと陰では言いあうかもしれないが、やっぱり建前はゼロなんでしょうね。

半藤 そうなんでしょう。数ではなく、事実がないという主張ですから。

秦 日本刀ではそんなに斬れないなんて、高校生でもおかしいと思うようなトリック論法が横行するんです。いくら言ってもだめ。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 15:45:58.76 ID:veYbikME0
秦 全体主義国家と民主主義国家のどこで違いが出てくるかというと、民主主義国家では言論の自由がありますから、
  自国の軍隊といえどもひどいことをしたら、自国民の中から批判の声が出てくるんです。

  とくに女性の意見が英米では影響力が大きい。
  たとえば慰安所を設置することについて日本の女性は発言しないけれども、
  英米軍の現地司令官が兵隊の福利厚生で慰安所をつくったなんていうとすぐ通報が行くんですよ。
  従軍牧師、上院議員や女性団体に突き上げられて、すぐ閉鎖しろという中央の指令が行く。
 
  いわば後方における市民的常識のようなものが一つの抑止力になっているんですが、
  それがまったくない国というのは人間の獣性が幾らでも発揮されるところがありますね。
710名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 15:52:38.80 ID:y5/uRSlAO
>>707
では「実数はそれをかなり下回るであろう」の意味を説明してくださいなw
極東板でもそうですが、基本的な読解を身に付けていない人がいくら資料を読んでも無駄なんですってばw
711名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 15:56:47.65 ID:y5/uRSlAO
>>708
秦氏も肯定派と同じぐらい頭が逝かれてたのですねw
大虐殺肯定派は死滅したので今後は秦氏が生け贄になることでしょうw
秦氏の孤独な戦いが始まりそうですねwwwwwwww
712名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 16:27:55.92 ID:BfhwekUB0
>>708
興味深いも何も秦の頭がおかしいことしかわからんぞ。
便衣兵の巻き添えたって、どう解釈しようが日本兵側には問題ない。
「一緒に居たほうが悪い」=摘発に協力しなかった、ってことだろうに。
武器を持っていたから出来ないというなら、それが目印になる=巻き添えは無い。
もっていなかった=協力者として攻撃されても文句は言えない。
そこら辺を通り越して「日本兵が悪い」で終わってしまっている。

>>709
全体主義国家が戦争中に解散・総選挙なんてするかよ。
学者だ何だといっても事実から目を逸らして妄想を語っているだけの証明でしかない。
しかも例に挙げているのは民主主義国家と全く関係が無い。
市民団体や宗教団体が基地外だというだけ。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 16:37:47.93 ID:y5/uRSlAO
秦郁彦氏は歴史学者としての資質のみならず、基本的な思考の部分で欠陥があるようですねwwwwwwww
714名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 16:54:29.68 ID:Sr6kEK4y0
しかし学者とも思えないほどの屑であったのはびっくりだよな。アメリカは70年代まで黒人に公民権がなかった人種差別国家
方や日本は戦前でさえ日本に住んでいたら朝鮮人にも選挙権も被選挙権も貰える民主主義国家だった
朝鮮人の国会議員も将校もちゃんと存在する平等な国だったのは常識だろ
慰安婦の件にしても、当時の諸外国は慰安婦の代わりに現地人をレイプしていたのにそれが民主主義というのか?
当時の欧米が日本より遅れた人種抑圧国家なのは明確だろうに・・・
715名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 19:13:53.72 ID:SyF6U1sz0
>>699
だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw
ハーグ条約第一条に違反しているのにハーグ条約を持ち出してどうするつもりなのかとw
何で肯定派はこんなに日本語が理解できないのかねw
716名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 19:21:19.54 ID:jO/Djrbl0
>>699
だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw
ハーグ条約第一条に違反しているのにハーグ条約を持ち出してどうするつもりなのかとw
何で肯定派はこんなに日本語が理解できないのかねw
717名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 19:27:57.13 ID:jO/Djrbl0
>>715
だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw
ハーグ条約第一条に違反しているのにハーグ条約を持ち出してどうするつもりなのかとw
何で肯定派はこんなに日本語が理解できないのかねw

ハーグ条約違反者の保護を、ハーグ条約に求めるのを不自然だと思わないのが肯定派らしいなw

途中で送信した上、アンカーミススマン
718名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 20:13:58.21 ID:wASKi6nk0

やっぱり3000乃至6000の不法殺害

という偕行社の分析が一番正しい。

これが南京虐殺の真相。肯定派滅亡w

719名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 21:32:52.29 ID:SyF6U1sz0
>>697
>その戦闘が終わったあとに「武器を捨てて投降してきた人間を皆殺しにしろ」という異常な
>命令が出されているというのがこの証言の本旨なんだが、その部分は無視かね。
投降を受け入れるかどうかは日本軍の勝手。
武器を捨てるどころか素裸になって投降してこようと日本軍が受け入れる義務はない。
投降してきた場合でも、その場で身動きひとつしていなかろうと、日本軍が、逃亡、反抗、不服従と判断すれば射殺されるだけ。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 22:37:17.24 ID:0ealrY0Q0
>>700
>で、その一文字の違いは以下の文章の内容そのものを否定するものなのかい?

文章の「内容」ではなく「文書」そのものの信憑性の問題。
どこの誰がいつ書いたのか不明な怪文書に価値など無い。
例えば「田中義信」が実在しても、南京戦時15歳とか16歳とかであれば「文書」そのものの信憑性に問題が生じる。
(当時11歳の「奇跡の軍人w」というヤツも存在したようだがw)
また、「田中義信」が実在しても、実際には「本人は南京へは出征していなかった」という場合もある。
そして『「田上義信」も実在していたが日記は「田中義信」だった』、『「田上義信」も「田中義信」も実在していなかった』等様々な例が考えられる。

極端な事をいえば本人が確認できない以上、『「田上義信」は南京戦当時11歳だった』とか『「田中義信」は当時南京へ出征していない』と言われてもコレを否定できない。
だから何度も「実名の証言者」なのかどうかを確認している。
実名であれば証言が事実かどうか確認できる。
つ>212w
721名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:14:43.66 ID:B95iS0xp0
>720
>実名であれば証言が事実かどうか確認できる。


>696
荒海清衛 日記 歩兵第65連隊第1大隊本部・上等兵

◇十二月十四日
 朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り。計一万五千名位 。
◇十二月十五日
 今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。
◇十二月十六日
 今日南京城に物資徴発に行く。捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
◇十二月十七日
 今日は南京入城なり(一部分)。俺等は今日も捕虜の始末だ。一万五千名、今日は山で。大隊で負傷、戦死有り。
『南京戦史資料集2』P345


大寺隆陣中日記

(12月18日)「・・・・昨夜までに殺した捕虜は約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居るさうだ、
       七時だが未だ片付け隊は帰へつてこない・・・・・」
(12月19日)「午後七時半整列にて清掃作業に行く、揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に驚く、
       石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし、今日の使役兵は師団全部、午後二時までかかり作業を終る・・・・」
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(P-197)
722名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:16:27.26 ID:B95iS0xp0
>719
>投降を受け入れるかどうかは日本軍の勝手。
>武器を捨てるどころか素裸になって投降してこようと日本軍が受け入れる義務はない。
>投降してきた場合でも、その場で身動きひとつしていなかろうと、日本軍が、逃亡、反抗、不服従と判断すれば射殺されるだけ。

そういう行為を普通は虐殺と呼ぶのだけどね。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:18:44.02 ID:B95iS0xp0
>716
>だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw

文盲?

>第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
    
>    「遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること」

軍服なんて一言も書いてないぞ。
724名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:23:05.74 ID:B95iS0xp0
>710
>では「実数はそれをかなり下回るであろう」の意味を説明してくださいなw

それはお前さんが秦郁彦に直接聞いてこい。
読者があれこれ推測する問題じゃないだろ。

「4万をかなり下回る」の真意が、3万ちょいの事を指すのか、3万9千くらいを指すのかは、
本人で泣けりゃわかりゃしないよ。

こちらはただ、2010年に出版された本の中で、自説の概算を「4万」だと
本人が言っている事例を紹介しただけだ。
725名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:28:30.44 ID:B95iS0xp0
712 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/21(月) 16:27:55.92 ID:BfhwekUB0
>>708
>興味深いも何も秦の頭がおかしいことしかわからんぞ。
>便衣兵の巻き添えたって、どう解釈しようが日本兵側には問題ない。
>「一緒に居たほうが悪い」=摘発に協力しなかった、ってことだろうに。

既知外発見w

逃げ込んできた軍人が一人もいない避難所があって、そこに乗り込んできた日本兵が
中にいた人間を皆殺しにしても、「便衣兵掃討」という名前を付けて正当化かいw

それなら敵国の兵器工場その他を攻撃するという目撃で行われた東京大空襲や
広島・長崎への原爆投下という行為も、「一緒に居たほうが悪い」で正当化されるなw
726名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:29:37.01 ID:cy1jM4ZKO
>>724
相変わらず読解力がない団塊革マルうんこさんw
ではなぜあなたの自己解釈は4万前「後」になるのですか?w
秦氏は「実数は4万人をかなり下回る」との見解に修正してるのに、あなたの自己解釈では4万前「後」になるのはなぜですか?w
馬鹿丸出しwwwwwwww
727名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:31:57.27 ID:cy1jM4ZKO
>>722
虐殺とはよびませんw
このスレでも自己解釈で喚き散らすつもりですか?w
馬鹿はさっさと死んでくださいなw
728名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:32:09.95 ID:B95iS0xp0
>712

もうひとつ。

>>709
>全体主義国家が戦争中に解散・総選挙なんてするかよ。

解散・総選挙をするかどうかとかじゃないよ。
自国民の民意をくみ取るシステムがあるかどうか、自国民の言うことに耳を傾ける
指導者がいるかどうかという話。
729名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 10:40:30.89 ID:JdItCfB70
>全体主義国家が戦争中に解散・総選挙なんてするかよ。
全体主義の定義は議会の解散・総選挙の有無ではないからね。

国の体制として
・全体の利益を個人の利益より優先する
・個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる
という条件が当てはまれば全体主義国家と呼びうる。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 12:05:35.52 ID:u/rv9BXA0
>>723
>>    「遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること」
>
>軍服なんて一言も書いてないぞ。
認知症乙w
「遠方から識別可能な固有の徽章」=「軍服」
731名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 12:07:51.93 ID:u/rv9BXA0
>>721
>捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す
>俺等は今日も捕虜の始末だ
なぜ殺したのか理由が不明なんだけど?
732名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 17:13:50.70 ID:B95iS0xp0
>726
>相変わらず読解力がない団塊革マルうんこさんw
>ではなぜあなたの自己解釈は4万前「後」になるのですか?w

読解力が無いのはどっちだい。
2010年の段階で、秦郁彦本人が4万って言っているんだから、
それ以外の取りようなんか無いだろうに。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 17:20:01.61 ID:B95iS0xp0
「遠方から識別可能な固有の徽章」=「軍服」

こいつ、どうしようもないアホだw

記章(きしょう、Badge)とは、主にバッジ、メダルのこと。

付ける部位によって襟章、腕章、肩章、胸章、袖章、臂章、帽章、周章などと呼ばれる。
その他、ワッペン、名札、杯のことを指すものもある。
徽章と同義的な意味を持ち、主に次のように分けられる。

中央官庁・国会・公共機関などが定める議院記章・議員記章の他、勤務する職員並びに秘書などの身分を示すバッジ。
軍人(自衛官)・警察官・消防吏員・刑務官・税関職員・船員・パイロット・警備員・車掌等の階級章。
階級章には金属製のもの、及び襟章、袖章、周章、臂章などがある。


報道陣なんかがよく「報道」と書かれた腕章をしているが、あれが分かりやすい例だな。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 17:40:46.43 ID:u/rv9BXA0
>>733
便衣兵は軍服どころか「記章」さえ着用していなかったことが問題なんだがw
便衣兵が統一された「記章」を着用していたという根拠をどうぞw
735名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 17:47:05.42 ID:u/rv9BXA0
>>733
散々議論され尽くした周回遅れの話を繰り返すなよw
過去スレぐらい眼を通せw

南京戦前後を語るスレ【3戦目】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1247375148/l50
613 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/28(月) 22:37:47 ID:mJiCN0n30
>>612
>何で鉢巻程度で
>
>>(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること。
>
>に該当するんだよw

鉢巻どころかスカーフでもリボンでも
>>(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること。
に該当するんだがw
あまり無知をさらさないほうがいいぞw
こっちは笑いをこらえるのが大変だがw

ttp://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200401_636/063602.pdf
長年にわたる内戦において、 タリバン兵士は伝統的な暗色のターバンを着用する一方、 北部同盟の兵士は
それと区別しうるスカーフを巻き、 また互いに異なる服装を着用するなどして相互に味方を認識していたといわれる。
また、 赤十字国際委員会のコメンタリーにおいても、 「固着の特殊徴票」 の例として 「帽子、 外套、 シャツ、 胸部に
着用する標章または着色記号」 を挙げている(79)。 そこから、 タリバン兵士も暗色のターバン等によって文民との
識別義務を果たしていたと主張する者もいる
736名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 17:51:08.19 ID:u/rv9BXA0
616 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/28(月) 22:53:12 ID:mJiCN0n30
ひとつだけでは不満だろうから追加w

ttp://www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/2008/bulletin_j10_3_3.pdf
防衛研究所紀要第 10 巻第 3 号(2008 年 3 月)
背信行為の例として、次の行為がある。
(a)(c)略
(b)文民又は非戦闘員の地位を装うこと。
下線に示したように、本条は、敵の殺傷または捕獲に限定があるものの、敵の信頼を誘い、
裏切る意図をもって行われた行為を背信行為として禁止する。これは、文民を最大限、攻
撃の影響から保護するために導入された文民との区別義務からくる必然的帰結である。
捕虜条約 4 条 A(2)の(b)制服または標章の着用の要件についても、この要件をそのま
ま機械的に適用すればアフガニスタン紛争ではタリバンのみならず、現地住民の服装を
した米軍の特殊部隊についても捕虜資格が否定される事態が生じる(米兵は北部同盟軍
兵士の着用するマスード・パコル(帽子)、スカーフを身につけ、あごひげをはやした)(40)。
          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし米国は勿論のこと、過去の戦闘で同種の措置をとった国々も、そのような帰結を受け
容れたことはない。


普段身に着けているものだろうが「統一された標章」を身に着けていればOK。
まさか「帽子は普段つけるものではない」という主張かw

まさかタリバンや米軍が認めているのに
『「帽子」も「鉢巻」も「スカーフ」も(2)遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有することに該当しない』
なんて主張はしないよなあw

過去スレでも否定派が指摘しているのは、便衣兵が「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること」を実行していないということ。
問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
わかりやすいのが軍服というだけ。
737名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 17:55:11.51 ID:jOUiE+6m0
>>721

1万5千名捕まえて1万7千5百名殺しているw何時ものことだけど中国人って分裂するのか?
それと捕虜の大部分は山で殺している


殺した数が2万に増えている。更に殺した場所は揚子江岸2カ所

大筋で不一致の2つの証言って、少なくともどちらかが嘘というgdgdな証拠だな
更に殺害は1度で河の近くという栗原証言とも不一致
どれ一つとっても証拠能力0です
738名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 18:01:02.15 ID:cy1jM4ZKO
>>732
2010年の段階で秦氏が「4万人」と言ってるソースを提示してくださいなwwwwwwww
739名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 18:53:45.47 ID:jOUiE+6m0
第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
    部下の責任を負う指揮官が存在すること
    遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること

「遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること 」は民兵、義勇兵に対する既定で、正規兵は軍服と読めるな
ハーグを作った人も、まさか正規兵が軍服を着ていないなんて状況は想定していないようだw

国府軍ってドンだけ非常識な軍隊なんだよw
740名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 19:14:58.90 ID:B95iS0xp0
>738
ちょっと前の書き込みすら読めないやつがいるみたいで脱力するね。

>707
>保阪 偕行社版の『南京戦史』では虐殺の死者は二万人でしたかね。
>秦 戦史家の板倉由明氏があの偕行社本の中心です。
>  使っているデータはわたしと同じですが、わたしのほうが被害者が二倍になっている。
>  なぜかというと、向こうは減耗率を掛けているんです。どういう減耗率かというと、
>  勲章をもらうためには戦果を過大に報告するのが慣習で、戦闘詳報で何人と書いてあるのは
>  0.5倍を掛けなきゃいかんと。
(略)
>秦 私は同じデータだけれども、減耗率を掛けない。
>半藤 秦さんのほうは五万人でしたっけ。
>秦 四万。向こうは二万人ぐらいです。だから何ていうことはない。
>  手品でも何でもないんで、減耗率を掛けるか、掛けないかの違いです。
 (『「BC級裁判」を読む』 p264-p265)
741名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 20:04:53.32 ID:cy1jM4ZKO
>>740
読んでますってばw
その四万は「実数はかなり下回る」を取り消した上での四万ですか?
それとも最高四万という意味ですか?
また勝手に一語だけを取り出して自己解釈につなげてるのですか?wwwwwwww
742名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 20:05:30.34 ID:Biopym7+0
>>740
自分のレスすら読めないヤツがいるようで脱力するねw

>733
>記章(きしょう、Badge)とは、主にバッジ、メダルのこと。

便衣兵が記章を身に着けていたというソースはどうしたw
743名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 20:47:22.28 ID:B95iS0xp0
>741
>その四万は「実数はかなり下回る」を取り消した上での四万ですか?
>それとも最高四万という意味ですか?

そんなことは自分で秦郁彦に聞いてこい。
はっきりしているのは、彼が自分の説では「4万」と言っているということだ。

自己解釈も何も、本人がそういっていることをどう解釈しろってんだか。
744名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 20:54:47.47 ID:B95iS0xp0
>724
>便衣兵が記章を身に着けていたというソースはどうしたw

相変わらずの話のそらしっぷりだな。


>>219
>軍服姿で無くて【捕虜】になれるのかとw

>716
>>699
だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw
ハーグ条約第一条に違反しているのにハーグ条約を持ち出してどうするつもりなのかとw

>716
>だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw

おまえさんが主張して居たのは「軍服じゃないから交戦車資格がない」だろw
こちらが提示したのは「徽章」=「軍服」じゃないって事だけだよw

いつから「徽章を付けてたソースを出せ」って話になったんだい?

まずはお前さんの
「だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw」
この発言が間違いだったって事を認めたらどうだ?
745名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 21:38:09.44 ID:Biopym7+0
>>744
>おまえさんが主張して居たのは「軍服じゃないから交戦車資格がない」だろw

相変わらず日本語が理解できてないなw
過去スレ見ればわかるけど否定派の主張は一貫して『便衣兵は「遠方から識別可能な固有の徽章」を着用していない』というものw
軍服【だけ】に限定していないんだがw
「軍服」であろうが「記章」だろうが便衣兵が「遠方から識別可能な固有の徽章」を着用していたのかとw
つ>730w
つ>734w

過去スレから今まで散々議論してきたのに>716を見て「軍服」=「遠方から識別可能な固有の徽章」ということさえ読み取れないなんてどれだけ日本語が不自由なんだよw
軍服というのは最もわかりやすい「遠方から識別可能な固有の徽章」。
便衣兵は、軍服に限らず「バッジ」「メダル」「襟章」「腕章」「肩章」「胸章」「袖章」「臂章」「帽章」「周章」「ワッペン」「名札」「杯」等を身に着けていたのかとw

日本語が理解できないバカのために改めて確認してやるw

『軍服姿で無いのに(遠方から識別可能な固有の徽章を着用していないのに)「交戦者の資格」があるのかとw』
746名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 21:49:37.95 ID:B95iS0xp0
>745
>「軍服」=「遠方から識別可能な固有の徽章」

>733
論破済み。
「軍服」と「遠方から識別可能な固有の徽章」はイコールではない。
あくまで徽章の代表例として「軍服」があるだけ。

明確な論理破綻。
747名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 21:50:25.71 ID:Biopym7+0
>>744
>まずはお前さんの
>「だから軍服姿で無いのに「交戦者の資格」があるのかとw」
>この発言が間違いだったって事を認めたらどうだ?

こちらの主張は

『便衣兵は「遠方から識別可能な固有の徽章を着用していなかった」のに「交戦者の資格」があるのか?』

という事。

>716から
『便衣兵は「遠方から識別可能な固有の徽章」(「バッジ」「メダル」「襟章」「腕章」「肩章」「胸章」「袖章」「臂章」「帽章」「周章」「ワッペン」「名札」「杯」等)を着用していたが、
「軍服」を着用していなかったので「交戦者の資格」があるのか?』

としか読み取れないなら日本語を勉強しなおせw
748名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 21:56:15.75 ID:Biopym7+0
>>746
>「軍服」と「遠方から識別可能な固有の徽章」はイコールではない。
>あくまで徽章の代表例として「軍服」があるだけ。
>
>明確な論理破綻。

「軍服」≠「遠方から識別可能な固有の徽章」
「徽章の代表例」=「軍服」

『論理破綻』という日本語の意味知ってる?www
749名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 22:06:20.25 ID:Biopym7+0
>>746

過去スレでも否定派が散々指摘しているだろうw
つ>735つ>736
>過去スレでも否定派が指摘しているのは、便衣兵が「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること」を実行していないということ。
>問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
>わかりやすいのが軍服というだけ。

問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お前の脳内妄想にのみ存在する否定派だけが

「軍服【だけ】が遠方より認識し得へき固著の特殊徽章だ!」

と主張しているのかもしれないがw
前後のレスを見てそんな結論しか出せないなら、日本語能力に根本的な問題があるなw
750名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 22:10:07.11 ID:B95iS0xp0
おいおい。
自説を撤回するならまずは間違っていたことを素直に認めて謝罪してからにしろよw

>745
>「軍服」=「遠方から識別可能な固有の徽章」ということさえ読み取れないなんてどれだけ日本語が不自由なんだよw

>748
>「軍服」≠「遠方から識別可能な固有の徽章」


いつの間に「=」が「≠」に切り替わったんだよw
751名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 22:17:18.77 ID:Biopym7+0
>>750
>いつの間に「=」が「≠」に切り替わったんだよw

お前が主張している事だろう?

>746
>「軍服」と「遠方から識別可能な固有の徽章」はイコールではない。

お前の主張を提示しただけだ。
そんな事も読み取れないほど日本語が不自由なのかよw
752名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 22:39:14.19 ID:Biopym7+0
実際、軍服の有無なんて過去スレでとっくに議論済みw

つ>749
>過去スレでも否定派が散々指摘しているだろうw
>つ>735つ>736
>>過去スレでも否定派が指摘しているのは、便衣兵が「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること」を実行していないということ。
>>問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
>>わかりやすいのが軍服というだけ。
>
>問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今さら「軍服の有無」【だけ】を問題にする否定派も肯定派もいないw
それなのにこれだけ  『「軍服の有無」【だけ】』  に粘着するとは、何も知らない初心者なのかw、過去スレも憶えていない鳥頭なのかw、根本的に日本語が理解できない無能なのかw
753名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:01:41.60 ID:B95iS0xp0
>751
>お前が主張している事だろう?
>↓
>>746
>>「軍服」と「遠方から識別可能な固有の徽章」はイコールではない。
>お前の主張を提示しただけだ。

だ〜か〜ら〜

お前さんが>745で
>「軍服」=「遠方から識別可能な固有の徽章」ということさえ読み取れないなんてどれだけ日本語が不自由なんだよw
ってはっきりとイコールを用いて自説を述べているだろ。

そこが間違っているのがはっきりしているんだから、まずはその誤りをしっかりと認めな。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:24:34.57 ID:cy1jM4ZKO
>>743
だからあなたはダメ人間の団塊革マルうんこさんなんですよw
また極東板の二の舞をやるつもりですか?w
法の一般原則やら刑法第九条みたいに、たった一語を勝手に自己解釈して喚き散らすつもりですか?w
あなたが秦氏から引用している以上は「あなた」が正確に理解しなければならないんですってばw
秦氏が「4万人」との確定した数値を出したというなら、その本の中に2007年著書の見解を修正してる文があるのですか?w
哀れですねwwwwwwww
755名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:24:47.89 ID:jOUiE+6m0
>>753
「遠方から識別可能な固有の徽章」って「民兵、義勇兵」の規定だろ
正規軍の国民党には関係ない話だぜ

>下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
>下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
>下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。

お前は何を勝ち誇っているんだ?
756名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:35:24.93 ID:Biopym7+0
>>753
>お前さんが>745で
>>「軍服」=「遠方から識別可能な固有の徽章」ということさえ読み取れないなんてどれだけ日本語が不自由なんだよw
>ってはっきりとイコールを用いて自説を述べているだろ。
>
>そこが間違っているのがはっきりしているんだから、まずはその誤りをしっかりと認めな。

あのな、「軍服は遠方から識別可能な固有の徽章ではない」とでも言いたいのか?
過去スレから何度も言っているだろうが。

つ>749
>問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

見当違いの日本語解釈で恥をさらすのは楽しいかw
757名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:45:38.40 ID:B95iS0xp0
>754
>秦氏が「4万人」との確定した数値を出したというなら、その本の中に2007年著書の見解を修正してる文があるのですか?w

見解を修正も何も、2007年の『南京事件―「虐殺」の構造 増補版』でも
「4万」という数字は一貫してるぞ。

「かなり」という言葉をどう解釈するのかは読者次第だが、
秦郁彦は「4万」という数字を一貫して主張しているので、訂正する必要はない。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:48:21.68 ID:B95iS0xp0
>756
>あのな、「軍服は遠方から識別可能な固有の徽章ではない」とでも言いたいのか?

そんなことは言っていないよ。

>745
>「軍服」=「遠方から識別可能な固有の徽章」ということさえ読み取れないなんてどれだけ日本語が不自由なんだよw
>748
>「軍服」≠「遠方から識別可能な固有の徽章」

ただ単に、上記のそれぞれの文章が矛盾していると言っているだけだよw

いつから「=」と「≠」が同じ意味で使われるようになったんだw
759名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:50:40.50 ID:cy1jM4ZKO
>>757
一貫してませんよ!ウソつかないでくださいな。
ならば2007年版にある「実数はかなり下回る」の意味は何なのですか?
760名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 23:57:20.54 ID:Biopym7+0
>>758
それはお前の日本語能力が【著しく】劣っているだけw
日本語を理解できないバカのために丁寧に再掲してやるw

>748
>>746
>「軍服」と「遠方から識別可能な固有の徽章」はイコールではない。
>あくまで徽章の代表例として「軍服」があるだけ。
>
>明確な論理破綻。

【>746の主張w】 ←←← (追加)w
「軍服」≠「遠方から識別可能な固有の徽章」
「徽章の代表例」=「軍服」

『論理破綻』という日本語の意味知ってる?www



ここまでやってやれば理解できるだろうw
こちらは>748でお前の主張を提示しただけw
それをお前はこちらの主張だと思い込んで粘着していただけだw
小学校からやり直せwww
761名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 00:02:02.69 ID:VEsH6U130
>>758
だからそれは「民兵、義勇兵」の規定だろw
文章を正しく読めない文盲が偉そうだな
762名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 00:24:21.67 ID:EjyQJ4Mi0
>759
>一貫してませんよ!ウソつかないでくださいな。
>ならば2007年版にある「実数はかなり下回る」の意味は何なのですか?

「かなり下回る」というのがいったいどのくらいの数字を指すのか、
おまえさんは秦郁彦のどの著作から類推しているんだい?

三万八千でも三万九千でも、「かなり下回る」うちに入るだろうが、
概算でざっくりくくれば「4万」といってしまって良い数字だろ。

「かなり下回る」という表現で三万以下という数字を引き出したいのかもしれんが、
彼自身が概算で4万という数字を出しているんだから、大体この近辺の数だというのは
はっきり読み取れる。

だいたい、こちらは秦郁彦の発言が載っている本を書名を挙げて紹介しているんだから、
自分で読んでくれば済む話だろ。
763名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 00:31:34.68 ID:EjyQJ4Mi0
>760

ああなるほど、こちらの主張を書いてきたって事か。
わざわざそういうややこしくなることをしないで欲しいね。

さて、それはそうと

>745
>「軍服」=「遠方から識別可能な固有の徽章」

というのは、やっぱりイコールで結ばれているのは変わらないようだが?

この点での誤りは相変わらず認めていないようだね。
往生際が悪いねぇ。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 00:36:18.96 ID:e7CGTDxSO
>>762
秦氏は犠牲者については「神のみぞ知る」ととぼけてます。秦氏の解釈はとてもとても「学術」と呼べるものではありませんw
「かなり下回る」を三万九千と解釈するなどあり得ませんよwwwwwwww
ではお尋ねしますが、かなり下回るが三万九千なら、「少し下回る」は何人ぐらいなのですか?w
765名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 00:41:40.29 ID:pWxaNqY20
>>763
お前は日本語を表面的にしか理解できないからそんな頓珍漢な答えしかできないんだよw

つ>749
>問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
766<:2011/03/23(水) 01:07:02.55 ID:KfJ9tUCS0

●今更だが "歴史学会の「巨糞」秦逝く彦" の4万の根拠な・・・(´・ω・`)

  |『南京事件 秦郁彦著 P214』
  |板倉氏は結論として、「南京で死んだ人の数は一般人(城内+江寧県)一・五万人、兵士三・二万人」で計約五万、うち日本
  |軍による不法殺害は、兵士○・八万、一般人〇・五万、計およそ一・三万人と推定、幅を持たせて一万〜二万人としておけ
  |ばよい、と述べている。
  |筆者としては、スマイス調査(修正)による一般人の死者二・三万、捕らわれてから殺害された兵士三・○万を基数としたい。
  |しかし不法殺害としての割引は、一般人に対してのみ適用(二分の一から三分の二)すべきだと考える。つまり三・○万+
  |一・二万(八千)=三・八〜四・二万という数字なら、【【 中国側も理解するのではないか、と思う 】】 のである。 

  ■この勝手な解釈が "学術的" と呼べるとは思えんが・・・(´・ω・`)
767名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 02:02:00.09 ID:e7CGTDxSO
>>766
中国側に数値をプレゼントしてどうしたかったのでしょうねw
ある意味、秦氏は大虐殺肯定派以上の珍論者と言えるでしょうw
768名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 05:20:44.52 ID:EjyQJ4Mi0
>765
>>763
>お前は日本語を表面的にしか理解できないからそんな頓珍漢な答えしかできないんだよw

いやいや、根本的な問題だろw
お前さんの元々の主張は以下のものなんだから。

>683
>>219
>軍服姿で無くて【捕虜】になれるのかとw

ここの段階では、「徽章がない」という話じゃないぜ。

つ>749
>問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。

>219
ここでは、「軍服姿は見当らなかった」ということは書かれているけど、
「徽章が付いていない」とは書いていないぞ。

また、「釈放するからと偽って連れてきたのか、みんな大きなフロシキ包みをかかえ、厚い綿入りの冬服を着ていた。 」
という文章を見ても、衣服を着替えていたり上から防寒着のようなものを着ていることが示唆されていて、
「徽章」を付けていたのかどうかに中止している記述もないね。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 05:22:57.60 ID:EjyQJ4Mi0
おっと失礼。
誤字があった。

>「徽章」を付けていたのかどうかに中止している記述もないね。

「徽章」を付けていたのかどうかに注視している記述もないね。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 05:52:54.98 ID:VEsH6U130
>>768
あのさ、近場でも印象に残らない「徽章」を、どうやったら遠方より識別するのか教えてくれw
お前の論法だと「ハーグ違反じゃなかった可能性は0じゃない」程度が関の山、0じゃない=殆ど0だぞ
証拠もないのに日本軍を断罪するのは不可能だね
771名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 08:06:55.58 ID:pWxaNqY20
>>768
根本的な問題として「軍服姿で無い支那兵」が「徽章」を付けていたという根拠は?
遠方から識別可能で、統一されたものでないと意味が無いんだがw
当然具体的な根拠があるよなw
772名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 08:27:34.17 ID:pWxaNqY20
>>768
>ここの段階では、「徽章がない」という話じゃないぜ。

だからお前は日本語を表面的にしか理解できないと言うんだw

>683
>軍服姿で無くて【捕虜】になれるのかとw

これを見て「問題にしているのは『軍服』だけ」としか判断できないのは読解力に深刻な問題があるとしか言えないw
少なくとも過去スレに眼を通していれば否定派が何を主張しているのかぐらいは理解できるはずなんだがw
否定派の主張は過去スレから一貫している。
つ>749
>問題になっているのは「軍服の着用」ではなく「「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無。
773名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:31:28.57 ID:EjyQJ4Mi0
>770
>あのさ、近場でも印象に残らない「徽章」を、どうやったら遠方より識別するのか教えてくれw

捕まったときに付けていた徽章がはぎ取られた可能性は?

あと、そもそも「軍服姿は見当らなかったが、二十,三十歳代の男が主で、坊主刈りが多いので、便衣兵かなあと眺めていた。」
というこの兵士の述懐からは、「単に坊主刈りをした民間人が捕まっているだけ」という可能性すら否定できないんだが?

>証拠もないのに日本軍を断罪するのは不可能だね

では、この捕虜たちが「便衣兵」だったとする証拠はどこにあるんだい?
この兵士の言葉の中からは、何ら明確な根拠は窺えないんだが。
774名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:32:51.39 ID:EjyQJ4Mi0
>771
>根本的な問題として「軍服姿で無い支那兵」が「徽章」を付けていたという根拠は?

より根本的な問題として、軍服姿でない人間が「支那兵」だと断言できる根拠は?

日本軍が勝手に判断しただけなんじゃないのかい?
775名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 21:38:57.81 ID:EjyQJ4Mi0
>772
>だからお前は日本語を表面的にしか理解できないと言うんだw
>少なくとも過去スレに眼を通していれば否定派が何を主張しているのかぐらいは理解できるはずなんだがw

アホかい。

過去スレを相手が読んでくれていることに依拠した文章を書くなんて不手際をしておいて、
相手がそれを読み取ってくれなくれば逆ギレかよw

>軍服姿で無くて【捕虜】になれるのかとw

上記の文章を書くときに「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用が無くて捕虜になれるのか」
と書くのが当然で、それをしていない以上はお前さんの文章が必要条件を欠いているだけのこと。

こちらがそうしたお前さんの手抜かりを補完してやらなきゃらならない謂われなんぞ無いよw
776名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 22:24:27.46 ID:VEsH6U130
>>773
徽章ってね、付けているだけじゃなくて国民党兵士と識別出来ないといけないの
つまりその徽章が日本軍兵士に知れ渡っていないと何の意味も持たない
あんたがそれほど主張するなら付けていた徽章が何であるか答えられるよね
日本軍の誰でも知っていたはずだから文章が残っていないはずがない


早く答えろよ、どんな徽章を付けていたのか
777名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 23:04:44.49 ID:EjyQJ4Mi0
>776

日本軍は、この捕虜たちが「軍服を着ていない」のにもかかわらず、
「支那兵」だとして処刑を行っているようだね。

処刑されたかれらが「支那兵だった」という根拠は?
778名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 23:46:00.28 ID:pWxaNqY20
>>773
>「単に坊主刈りをした民間人が捕まっているだけ」という可能性すら否定できないんだが?

当時「坊主刈りをした人」がどのような職業についていたと思っているんだw
満州族が清朝を樹立(1644年)すると、漢民族にも「薙髪令」を1644年と1645年に出し、弁髪を強要した。
儒教では毛髪を含む身体を傷つけることは「不孝」とされ、タブー。
清朝は弁髪を拒否するものには死刑を以って臨み「頭を残すものは、髪を残さず。髪を残すものは、頭を残さず」と言われた。
1911年まで「薙髪令」は続き、弁髪は民族としての義務となり、僧になり出家した者と禿頭(とくとう)以外でこの弁髪にしない者は死刑を含む処罰をされた。
1937年時点でさえ弁髪が存在したのに、「坊主刈りをした民間人」が集団で何をしていたのかとw

毎度おなじみ肯定派お得意の『可能性』w
『可能性』は不要だから具体的な根拠を持って来いw
779名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 23:56:39.74 ID:pWxaNqY20
>>775
南京スレに来たばかりの初心者なら、議論の流れを確認してから書き込め。
過去スレに目を通してもその程度の認識しかできないなら、日本語能力に根本的な問題があるという事だw
過去スレに目を通していればわざわざ確認する必要もない事w
肯定派はとっくに議論済みの周回遅れのネタを何度も繰り返すから笑われているんだよw
780名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 05:37:26.70 ID:M2VpcT3o0
>779
>南京スレに来たばかりの初心者なら、議論の流れを確認してから書き込め。

何度でも言うぞ。
相手が自分の過去の発言を読んでくれていることに依拠した文章を書くのが不手際。

だいたい匿名掲示板で、コテハンも使わずに発言の一貫性を主張するなんざそれこそ初心者としかw
781名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 05:42:27.45 ID:EI6cyMoJ0
>>777
元の情報が不足していて答えることが不可能な質問をすることにより、こちらの質問を誤魔化すのは非常に悪質だ
改めて聞くけど、シナの付けていた「徽章」とは何だ?そんな物元々無いから答えられないよな
782名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 05:45:21.12 ID:M2VpcT3o0
>778
>1911年まで「薙髪令」は続き、弁髪は民族としての義務となり、僧になり出家した者と禿頭(とくとう)以外でこの弁髪にしない者は死刑を含む処罰をされた。
>1937年時点でさえ弁髪が存在したのに、「坊主刈りをした民間人」が集団で何をしていたのかとw

坊主頭をした人間が「例外なく軍人だった」とする根拠としては薄弱だね。
それこそ「想像・推測」としか言いようがないw

1937年当時の南京周辺で、坊主頭をした人間は軍人以外には考えられないとする
説得力のある論拠をもってこいよw

783名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 05:47:21.46 ID:M2VpcT3o0
>781
>元の情報が不足していて答えることが不可能な質問

語るに落ちたな。
これらの処刑された人間が「支那兵」であることを証明できないのは百も承知ってワケだw

それでよく日本軍の行動を正当化しようなんて考えられるもんだw
784名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 06:04:18.87 ID:EI6cyMoJ0
>>783
元の証言にシナ兵が拘束された状況が全く書かれていない
それが判るならエスパーになれるわボケ

結局お前は徽章が何かを答えていない。語るに落ちたのはお前の方だろ
785名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 06:11:41.54 ID:EI6cyMoJ0
>>783
あ、お前等流に言えば、元の証言が最初から法螺話という可能性は否定出来ないんだぜ
銃持っている兵士が態々刀で処刑とか不自然すぎるからなw
786名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 09:15:50.53 ID:upYUaX+L0
>>780
>相手が自分の過去の発言を読んでくれていることに依拠した文章を書くのが不手際。

「自分は日本語能力が著しく欠如している!」と絶叫しているなw
自爆乙w
そうだったなw
今まで散々議論していたんでまさか、
『否定派が問題にしているのは「軍服の着用」ではなく「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無』
ということさえ理解していない肯定派が存在するとは思わなかったなw
いくら肯定派がバカでも、そんな基本的な事まで理解できないほどではないと思っていたんだがw
肯定派にそこまでの日本語能力を要求するのは間違っていたという事かw
バカはバカにふさわしい対応をしなければならないという事だなw
787名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 18:02:21.86 ID:rSSrf8ay0
>>219
>鉄橋の手前で、収容所から運ばれてきたらしい《二十人ばかり》の中国人捕虜がトラックから降ろされ、江岸へ連行されて行く。
《たった20人》が戦場で殺されただけw
兵隊特有の坊主頭が《20人も》集まっていたw
788名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 19:08:39.43 ID:M2VpcT3o0
>784
>元の証言にシナ兵が拘束された状況が全く書かれていない

否定派は、その状態で「こいつらは便衣兵だから殺されて当然」と断言してたんだろ。
なんだって「拘束された状況がまったく書かれていない」のに、日本軍の行動を正当なものだと
判断できたんだよw
789名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 19:11:28.62 ID:M2VpcT3o0
>785
>あ、お前等流に言えば、元の証言が最初から法螺話という可能性は否定出来ないんだぜ

こちらがいつこの兵士の証言の内容が信用できないなんて言ったんだよw

「便衣兵かなぁ」というのはこの兵士の推測だけど、殺害現場はしっかりと目撃してるんだから
疑う余地なんかねーだろw
790名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 19:14:25.26 ID:M2VpcT3o0
>786
>今まで散々議論していたんでまさか、
>『否定派が問題にしているのは「軍服の着用」ではなく「遠方より認識し得へき固著の特殊徽章の着用」の有無』
>ということさえ理解していない肯定派が存在するとは思わなかったなw

おやおや、自分の文章構成力の拙さを棚に上げての責任転嫁かいw

見苦しいねぇw
791名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 19:17:15.37 ID:EI6cyMoJ0
>>789
ん?特段裏付けのないただの証言だから疑う余地など幾らでもある
お前等の「可能性は否定出来ない証拠」より数段疑わしいw
792名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 19:28:08.87 ID:M2VpcT3o0
>787
>《たった20人》が戦場で殺されただけw

さんざ自信たっぷりに「日本軍の行為は正当・元兵士の証言は信用できない」とか言っといて、
いざ論拠が崩れると今度は「数が少ない」ってかw

数の話をするんだったら、これらの兵士の手記や日記にある、

>213
>221

数千やら万単位の死者数の証言はどうなんだよw

この人数で少ないとか言ってんだったら、もう恥知らずとしか言いようがねーな。
日本軍は数万単位の不法殺害は「たいした数じゃねー」として扱っていたってんだったら、
他の部隊もこのぐらいの数の殺害は平気でやっていたってことになるんじゃねーのw


>兵隊特有の坊主頭が《20人も》集まっていたw

当時の中国で「坊主頭」が兵士を表す明確な基準で、他の民間人とそれのみを理由に
区別できていたと判断できる明確な資料を出せよw

それが出来なけりゃお前さんの主張はただの推論で、何の説得力も持ちやしないぞw
793名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 19:35:27.92 ID:EI6cyMoJ0
>>792
お前が証言が嘘でない裏付け持ってきてから話を始めようか
最初から最後まで嘘の可能性は否定出来ていないぞw
794名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 20:31:09.12 ID:EI6cyMoJ0
>>792
お前が言いがかりを続ける限り、こっちは証言の信頼性100%を要求するだけだ
いい加減「可能性は否定出来ない」から卒業しようぜ、少なくとも「○○は有力」程度の話をしようぜ
795名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 20:43:11.45 ID:M2VpcT3o0
>793
>お前が証言が嘘でない裏付け持ってきてから話を始めようか
>最初から最後まで嘘の可能性は否定出来ていないぞw

従軍していた兵士が自分の目で見たことを書いた証言を否定するのかw
すげーなw

それはもはや学問板で話をする姿勢じゃねーよw
自分の都合の良いように資料をつなぎ合わせて、都合の悪い資料は無視するって態度を取れるんだったら、
歴史を学問として取り扱う資格を自分で捨ててるようなもんだぜ。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 20:50:32.73 ID:EI6cyMoJ0
>>795
だって「可能性」の話だろ。人間は嘘をつくことだって有るんだから、
誰が証言したとしても裏付けがなければ100%の信頼性はないw

お前の言いがかりがその程度の物だと何故理解出来ないのかな?
お前の「可能性」って科学じゃなくてオカルトだぜ
797名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 21:10:02.07 ID:rSSrf8ay0
>>795
>従軍していた兵士が自分の目で見たことを書いた証言を否定するのかw
すげーなw
がんばって>212を証明してみてくれw
798名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 21:15:30.06 ID:rSSrf8ay0
>>795
>それはもはや学問板で話をする姿勢じゃねーよw
自分の都合の良いように資料をつなぎ合わせて、都合の悪い資料は無視するって態度を取れるんだったら、
歴史を学問として取り扱う資格を自分で捨ててるようなもんだぜ。
つ 鏡w
学問板の他の住人もこいつにだけは言われたくないだろうなあw
799名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 21:27:16.88 ID:xoAVwNRs0

民間人30万人大虐殺説は完全に吹っ飛んだ。やはり嘘は嘘でしかない。

800名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 22:02:00.52 ID:upYUaX+L0
>>792
肯定派の主張する「南京大虐殺」とは、「戦場で」「20人の兵隊が」殺された事なのかw
戦場で兵隊(しかも便衣w)が死ぬのがそんなに不思議かw
801名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 00:53:13.11 ID:6Nwo5Bm70

肯 定 派 は ま た 論 破 さ れ た
802<:2011/03/25(金) 01:54:26.73 ID:RrR/aX1n0

すっかり足腰が弱ってしまった肯定派・・・(´・ω・`)
803名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 05:26:04.38 ID:Nvi2F++G0
>800
>肯定派の主張する「南京大虐殺」とは、「戦場で」「20人の兵隊が」殺された事なのかw

お前さんホントに日本語が読めないね。

>213
>荒海清衛 日記 歩兵第65連隊第1大隊本部・上等兵
>◇十二月十六日
> 今日南京城に物資徴発に行く。捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。

>221
>大寺隆(歩兵第65連隊第7中隊・上等兵)陣中日記
>12月18日
>昨夜までに殺した捕リョは約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居るそうだ、七時だが未だ片付け隊は帰へつて来ない。
>12月19日
> 午後七時半整列にて清掃作業に行く、揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に驚く、石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし、
>今日の使役兵は師団全部、午後二時までかかり作業を終る

これらの数千〜万人単位の証言をどう説明するのかって聞いてんだよw


防衛庁の防衛研究所戦史部で南京戦関係の資料収集に当たっていた人のこういう証言もあるんだが。

原 剛「私と軍事関係史料」(2005年12月16日) http://kins.jp/pdf/hara%20takeshi.pdf

(4) その他の史料収集

(略)
そういう中で、失敗した例が歩兵第65 聯隊の「戦闘詳報」です。
これは南京事件で、幕府山という一番たくさん殺したのではないかと言われている聯隊の 「戦闘詳報」 なんです。
この65聯隊の「戦闘詳報」は、私どもの史料庫にあるものをずっと見ていたら、ちょうど昭和12年12月の戦闘詳報が一冊だけ欠けているんです。
それで、これはおかしいということで、寄贈した聯隊副官だった人が小金井かどこかにおられるというので、それを探して、行ったんです。
そうしたら、時すでに遅しで、亡くなったあとでした。
そしてその息子さんに聞いたら、「おやじが亡くなるときに、小さい箱に大事な史料だといって置いてあるものがあった。
これは俺が亡くなったら絶対に焼け、と厳命されていた。そういうことがあったので、焼きました」というんです。
おそらく、その中に当時の「戦闘詳報」が入っていたんですね。
いま幕府山の事件というのは非常に曖昧なところがあるんですが、その「戦闘詳報」がもし焼けずに残っていたら、
多少なりとも明らかになったのではないかと思うんですね。


65連隊の戦闘詳報は、ちょうどこの時期のこの一冊だけが欠けていて、それを持っていたと推測される人が、
「俺が亡くなったら絶対に焼け」と言い残していた「大事な資料」があったんだとさ。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 06:16:55.61 ID:GBJGbnHl0
>>803
荒海日記と大寺日記の2つだけで、既に殺害場所すた矛盾しているだろ。荒海は山で大寺は河
こんな嘘つきの記録が一体何の証拠になる事やらw
805名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 10:19:08.19 ID:SiaRQM3r0
>>803
その防衛庁防衛研究所戦史部の「戦史草書」では「警戒兵を襲ってきたため射撃を加えた」とされていますがこれを認めるのですねw
806名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 11:48:34.33 ID:Ly2DCZF00
そりゃー移送中の両手縛られた最弱の捕虜支那兵に反乱くらって
最強の帝国陸軍が損害を出した戦闘詳報なら
恥ずかしくて燃やしたくもなるわなw
807名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 11:51:45.72 ID:iIcX6/0C0
>>803
>これらの数千〜万人単位の証言をどう説明するのかって聞いてんだよw
どちらも幕府山のことですなw
つ>805
『戦史叢書』の公式見解
第十三師団において多数の捕虜が虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約 8千余を収容した。
ところが、その夜、半数が逃亡した。警戒兵力、給養不足のため捕虜の処置に困った旅団長が、十七日夜、揚子江対岸に釈放しようとして江岸に移動させたところ、捕虜の間にパニックが起こり、警戒兵を襲ってきたため、危険にさらされた日本兵はこれに射撃を加えた。
これにより捕虜約1,000名が射殺され、他は逃亡し、日本軍も将校以下7名が戦死した。・・・・
(戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』)

808名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 17:44:30.75 ID:iQOrenZC0
>>661
そんなモノ無かったという証言もあるが。
809名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 17:48:42.48 ID:mjzpr/fv0
幕府山事件っていまだにぐちゃぐちゃしているよなぁ。
司令部にどうしようって問い合わせたら殺せといわれた、だがそんなことはできないと逃がそうとしたら火事とか起こって暴徒化したんで仕方なく撃ちまくった、というストーリーが通説だったけど。
生き残りの証言集めたら最初から捕虜殺害やる気だったんだ、解放するのに夜中こっそりとかありえねぇ、というのがぞろぞろ出たり。
810名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 19:02:27.75 ID:iIcX6/0C0
>>809
でもどこから命令が出てるのかは確認できなかったんだよねw
しかも匿名の証言ばっかりで命令書なんかも無かったしw
811名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 19:21:06.52 ID:GBJGbnHl0
>>810
しかも単なる記憶違いとは思えないほど証言通しで矛盾抱えてるんだよね
肯定派の連中でさえ、人によって主張がバラバラだったりするw
812名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:02:11.89 ID:0pxPQlJl0
そりゃ虐殺した張本人が「実は俺が上層部から出た捕虜虐殺命令に反してでも捕虜を助けようとしたんだ」と寝ぼけた回想しているからなw
わかっているのは、日本軍が殺す意思を持っていたこと、結果として本当にそうなったこと。
命令は出ていたのも確かだし(ただし秦郁彦氏のように、中佐クラスの独断虐殺命令を疑っている人もいる。日本軍の軍人が独断で違法虐殺命令出した例はシンガポール等で多発した)
813名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:11:30.42 ID:iZf2xkmX0
独断での捕虜・民間人殺害命令出した軍人を日本軍は処罰もせず、それを追認したからな。
傍からみりゃ日本軍の虐殺。
この手の身内不始末の追認は大は満州事変の自演侵攻追認から勃発しまくり。
南京虐殺が世界の大勢として肯定されるのは当然。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:30:50.96 ID:HOOhInVY0
>>812
>命令は出ていたのも確かだし

命令はどこから出ていたんだw
上海派遣軍?師団?旅団?連隊?
ちなみに『俘虜を殺すな』という命令なら出ているがw

上海派遣軍第十三師団司令部通達 昭和十二年十月九日
11、俘虜ノ取扱二就テ
多数ノ俘虜アリタルトキハ、之ラ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、一地ニ集結監視シ、師団司令部二報告スルラ要ス。
                ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
又、俘虜中、将校ハ、之ヲ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、師団司令部二護送スルヲ要ス。
             ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝二利用スルモノニ付、此ノ点、部下各隊ニ、徹底セシムルヲ要ス。
但シ、少数人員ノ俘虜ハ、所要ノ尋問ヲ為シタル上、適宜処置スルモノトス。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:48:45.05 ID:HOOhInVY0
そして上海派遣軍の方針は16師団へ接収。

「山田支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ 尚増加ノ見込ト、依テ取リ敢 ヘス16Dニ接収セシム。」
[飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)南京戦史資料集1P158]

少なくとも上海派遣軍からは俘虜を殺害する命令は出されていないw
816名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:52:57.15 ID:GBJGbnHl0
>>813
おやおやこっそり「捕虜・民間人殺害命令」と民間人を追加するんですかw
で、南京では民間人虐殺命令は何時誰が出したんでしょうかね?
817名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 03:24:35.12 ID:iTtVEQ180
>814-815

>此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝二利用スルモノニ付、此ノ点、部下各隊ニ、徹底セシムルヲ要ス。
>但シ、少数人員ノ俘虜ハ、所要ノ尋問ヲ為シタル上、適宜処置スルモノトス。
>「山田支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ 尚増加ノ見込ト、依テ取リ敢 ヘス16Dニ接収セシム。」
>[飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)南京戦史資料集1P158]


山田栴二日記 歩兵第103旅団長(山田支隊長)

12月12日
 総出にて物資徴発なり、然るに午後一・〇〇頃突然歩兵第65連隊と山砲兵第三大隊、騎兵第17大隊を連れて
南京攻撃に参加せよとの命令、誠に有難きことながら突然にして行李は鎮江に派遣しあり、人は徴発に出であり、態勢甚だ面白からず

12月13日
例に依り到る所に陣地ある地帯を過ぎ、晴暘鎮を経て前進、霞棲街に泊する心算なりし所焼かれて適当の家なく更に若干前進中、
先遣せし田山大隊午後一時烏竜山砲台を(騎兵第17大隊は午後三・〇〇)占領せり、南京は各師団掃蕩中との報あり、直に距離を伸して邵家塘に泊す

12月14日
他師団に砲台をとらるるを恐れ午前四時半出発、幕府山砲台に向ふ、明けて砲台の附近に到れば投降兵莫大にして仕末に困る
幕府山は先遣隊に依り午前八時占領するを得たり、近郊の文化住宅、村落等皆敵の為に焼かれたり
捕虜の仕末に困り、恰も発見せし上元門外の学校に収容せし所、一四、七七七名を得たり、斯く多くては殺すも生かすも困つたものなり、
上元門外の三軒屋に泊す

12月15日
捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
各隊食糧なく困却す

12月16日
相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末其他にて打合はせをなさしむ、捕虜の監視、誠に田山大隊大役なり、
砲台の兵器は別 とし小銃五千重機軽機其他多数を得たり

南京戦史資料集2


飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)

12月21日
荻洲部隊山田支隊の捕虜一万数千は逐次銃剣を以て処分しありし処何日かに相当多数を同時に同一場所に連行せる為彼等に騒かれ
遂に機関銃の射撃を為し我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。
上海に送りて労役に就かしむる為榊原参謀連絡に行きしも(昨日)遂に要領を得すして帰りしは此不始末の為なるへし。

南京戦史資料集1


これを読む限り、16師団への接収が行われたようには思われないけど。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 03:26:17.12 ID:iTtVEQ180
なにしろその16師団からしてこういう命令を出してたようだから。

児玉義雄氏証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官

 連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。
私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。


佐々木到一少将私記 歩兵第30旅団長(佐々木支隊隊長)

12月13日
その後捕虜続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。
多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば兵ならずとも「皆やつてしまへ」と云ひ度くなる。
白米は最早一粒もなし、城内には有るだらうが、俘虜に食はせるものの持合せなんか我軍には無い筈だった。


中島今朝吾日記 第16師団長

一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず
  唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ
  十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず  
  斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
一、後に至りて知る処に拠りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇
  其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり
819名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:15:15.57 ID:t7heZoFD0
>>817
>我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。
自衛発砲説の裏付け証言ですね
820名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:30:25.27 ID:epnFs5ct0
捕虜モドキ

呼び方がないから捕虜と呼ぶ。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 11:09:04.20 ID:JKTBroOj0
>>818
第16師団は第13師団の山田支隊に対して命令する権限は無いんだけど?
第16師団が何をしようと何を言おうと山田支隊には関係ない。
それとも第16師団には上海派遣軍の指示を無視して、他の師団に所属する部隊に命令する権限があったとでも?
822名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 13:16:11.63 ID:ubhEQ8Pt0
>>820
そうだよな。
とくに中島今朝吾の前職は憲兵司令官だったので
俘虜と捕虜の使い分けを知らないなんてことはありえないし。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 13:32:38.20 ID:3H5cJZF70
基礎知識として当時は俘虜が法的に正式な名称で
捕虜は一般人を含む拘束された者と言う広い意味で使われてるよ

だから俘虜と捕虜を一緒にしないようにw
824名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 15:57:46.03 ID:iTtVEQ180
>821
>それとも第16師団には上海派遣軍の指示を無視して、他の師団に所属する部隊に命令する権限があったとでも?

他の部隊に指示命令する権限は無いだろうけど、上海派遣軍の指示を無視する命令は出されていたようだけど?

そして、16師団が山田支隊に命令を下す権限がない以上は>817「皆殺せとのことなり」というのは
命令ではなく、16師団側の意向と考えるのが無難でしょう。

16師団に引き渡せって上部組織から命じられた山田支隊が16師団に問い合わせたら
「受け入れない、殺しちまえばいい」という返事を得た、という流れ。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 17:53:04.97 ID:vMG+34Kg0
>>824
第16師団の意向になんで第13師団が従わなければならないのかと。
上海派遣軍の指示に第16師団が従わないなら解決策として解放を選択したと考えた方が自然。
最初から殺害するつもりだったならなんで味方に戦死者が出るのかと。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 18:45:38.46 ID:ubhEQ8Pt0
>>824
その時の第16師団は17日に予定した入場式を20日以降に
遅らせてくれと掛け合いながら、その準備に追われていたから
まともに取り合ってないと考えた方が自然じゃね?
827名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 19:29:55.36 ID:3ggWWK/a0
>>818
結局、16師団が捕まえた仙鶴門の捕虜も南京に護送されているし、13師団の幕府山の捕虜も反乱を起こして射殺されただけだし、いったい何が問題なんだ?
828名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 21:02:37.54 ID:vMG+34Kg0
>>817
>幕府山は先遣隊に依り午前八時占領するを得たり、近郊の文化住宅、村落等皆【敵の為に焼かれたり】
www
829名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 22:51:08.45 ID:JTZJYJDr0
東日本大震災の義援金を受け付けています。

日本赤十字社
http://www.jrc.or.jp/

皆様の善意が頼りです。
よろしく。



830おまんさんの大冒険 ◆K5bU9JdcFh3b :2011/03/26(土) 22:58:34.91 ID:8saZB4yZO
私肯定派ですがもう参りました降参です。
南京大虐殺があったなんて嘘ついてごめんなさい!
捏造してすいません!!!
831名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 05:36:44.90 ID:8LFimbPb0
>826
>その時の第16師団は17日に予定した入場式を20日以降に
>遅らせてくれと掛け合いながら、その準備に追われていたから
>まともに取り合ってないと考えた方が自然じゃね?

いずれにせよ、その返事を聞いた山田支隊の側が「しょうがない、殺すか」という
判断を下してそういう行動に出たらしいというのは蓋然性が高い。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 05:43:50.33 ID:8LFimbPb0
>827
>結局、16師団が捕まえた仙鶴門の捕虜も南京に護送されているし、

護送された後にどうなったかは定かではないけどね。

>13師団の幕府山の捕虜も反乱を起こして射殺されただけだし、いったい何が問題なんだ?

捕虜が反乱を起こしたというよりも、日本軍の殺る気満々の態度から自分たちの運命を察して
騒ぎ出したというのが近いんじゃないか。

>飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)
>12月21日
>荻洲部隊山田支隊の捕虜一万数千は逐次銃剣を以て処分しありし処何日かに相当多数を同時に同一場所に連行せる為彼等に騒かれ
>遂に機関銃の射撃を為し我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。

これで見ると、逃げられた「相当数」ってのがどれくらいなのかは分からないけど、
全部殺そうという意図の元に行動していたことはよく解る。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 08:40:03.57 ID:WywEyPGd0
>>831
だから最初から殺すつもりだったならなんで日本軍に戦死者が出るんだ?

>>832
南京に護送されている以上、第16師団の方針が捕虜を殺す事だったという事はありえない。
日本軍の態度がどうであれ、現実に反乱を起こしたなら殺されて当然。
834名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 08:43:25.34 ID:h2qR7Vrn0
>>832
お前が持ってきた3証言だけでも、全てが他と矛盾する現実見ろよ
つまり最低でも3人の内2人は嘘をついてい
それと「自衛発砲説」に繋がる証言まで曲解する根性の腐り方半端無いなw
835名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 08:47:21.66 ID:WywEyPGd0
>>832
>捕虜が反乱を起こしたというよりも、日本軍の殺る気満々の態度から自分たちの運命を察して
>騒ぎ出したというのが近いんじゃないか。

つーか、お前の主張だと「相手が自分達を殺すつもりであれば反乱を起こしてもかまわない」という事になるんだが?
ハーグ条約って知ってるか?
836名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 13:29:38.07 ID:bijuu1Ps0
>>832
>護送された後にどうなったかは定かではないけどね。
つまり収容所に入れられてから「捕虜」になるということかw
ただ捕らえられただけでは「捕虜」ではないとw
837名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 15:22:22.82 ID:+836OFvB0
>>822
とっ捕まった便衣兵=捕虜モドキ

捕虜資格がない連中
838名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 16:39:45.75 ID:8LFimbPb0
>833
>だから最初から殺すつもりだったならなんで日本軍に戦死者が出るんだ?

間抜けなヤツが、殺すはずの中国兵の中に紛れ込んじゃって一緒くたに殺されたんじゃねえの。

>南京に護送されている以上、第16師団の方針が捕虜を殺す事だったという事はありえない。

なぜあり得ないのかを説明しろよ。

>中島今朝吾日記 第16師団長
>一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず
>一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり

上記の日記の記述とも合致するだろう?

>日本軍の態度がどうであれ、現実に反乱を起こしたなら殺されて当然。

んじゃ、彼らが反乱を起こしたという証拠をもってこいよw
839名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 16:41:44.79 ID:8LFimbPb0
>834
>お前が持ってきた3証言だけでも、全てが他と矛盾する現実見ろよ

どう矛盾するのか説明してくれよ。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 16:43:01.22 ID:8LFimbPb0
>835
>つーか、お前の主張だと「相手が自分達を殺すつもりであれば反乱を起こしてもかまわない」という事になるんだが?
>ハーグ条約って知ってるか?

ハーグ条約は、基本的に武器を捨てて投降してきた兵士を武装解除して捕虜にした場合には、
その命を奪ってはならず、「人道を持って取り扱うべし」というのが基本的な趣旨だが?
841名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 18:27:40.42 ID:bgfEcZpm0
>>840
ハーグ条約には「反乱を起こした捕虜を殺してはならない」なんて書かれていないがw
実際に反抗したかどうかに関係なく日本軍の判断で、相手が武装解除していようが、無抵抗だろうが、攻撃可能だがw
842名無しさん@お腹いっぱい。
>841
>日本軍の判断で、相手が武装解除していようが、無抵抗だろうが、攻撃可能だがw

その判断の下に行った行動で非難を浴びているんだが。