多くの軍高官や外交官や外務大臣が軍紀の退廃を認識してたわけだしね
そろいもそろって嘘情報つかまされてたなら、どんだけマヌケなんだよ日本軍や日本政府はって話だしw
>>949 ttp://www.history.gr.jp/~nanking/reason04.html 国際委員会は、これらの蝶報網によってもたらされる日本軍のあらゆる非行情報を、寧海路5番地の事務局に集めた。
委員会は即刻これをタイプして、日本大使館その他に手交した。
連日、あるいは1日に2回も文書が発刊された。
その中には、日本軍の非行告発以外に、食糧補給や治安に関する訴えや要求等もある。
かれらの数名はいつも一つ屋根の下で寝食を共にし、情報収集とともに、こうした要求その他を協議してこれをタイプした。
日本軍の非行に関しては、なんら検証することなく、すべてを事実と認定してこれを記録した。
こうした要望や告発の日本側の窓口は、当時外交官補佐の福田篤泰(ふくだとくやす)氏である。
福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望ある政治家で、筆者ともに昵墾(じっこん)の間柄である(東京・千代田区在住)。
福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
「いまどこどこで日本の兵隊が15、6の女の子を輪姦している」。
あるいは「太平路何号で日本軍が集団で押し入り物を奪っている」等々。
その訴えをマギー神父とかフイッチなど3、4人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る。』と幾度も注意した。
時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうことも幾度かあった。
《ちなみに、国際委員会書記長スミス博士も、「ここに記された事件(日本軍非行425件)は検証したものではない」と述べている。》
福田篤泰証言
「残虐行為の現場は見ていないが、私はあれだけ言われる以上、残念ながら相当あったと思う。」
「ただ、各国の大使館はかなり荒らされていて、これには困った。各国外交団が南京へ戻るというので、
二日間寝ずに修復したり、盗まれたオートバイや自動車を弁償したり、えらい苦労したものだ。
軍のなかには、強姦している兵隊を見つけて、軍刀が曲がるほど殴りつけた参謀もあったというが、
「殺せ、焼け」と言った師団長がいたという話を、中国人や参謀の一人から聞きもした。」
もともと作成された報告は一七〇件あったが(引用者注 12月13日から年末まで)、
これらにしても、南京安全区国際委員会の目に留まった事件の中から選び出したものに過ぎない。
報告の大半はいずれもおそらく真実であろうが、その大部分のものは即座に証明することが
できないために保留された。
「戦争とは何か」(「南京大残虐事件資料集1」P103)
南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、
続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する
掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたが
ために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。一九三八(昭和一三)年一月六日の日記にいう。
上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であった。
部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼のごとくふるまった。何か言えばすぐ銃剣を
がちゃつかせるので、危険で近よれないらしかった。
私は三省事務局長会議でたびたび陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。
軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量の暴行なので手のつけようもなかったので
あろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した
国際安全委員会なるものから日本側に提出された報告書には、昭和一三年一月末、数日間の出来事として、
七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、臨月の女も
容赦されなかったという記述は、ほとんど読むに耐えないものであった。
その頃、参謀本部第二部長本間少将が、軍紀粛正のため現地に派遣されたと伝えられ、
それが巧を奏したのか、暴虐事件はやがて下火になっていった。
「外交官の一生」石射猪太郎外務省東亜局長
>>954 前半は「あったと思う。」 「聞きもした。」と言ってるだけ。
後半はティンパーリの「戦争とは何か」からの引用で福田証言とは関係ない。
つーか、日本兵の犯罪が700件発生しても犯罪発生率は1%にしかならないんだがw
肯定派は日本兵の個人的犯罪が30万件発生したとでも言いたいのか?
700件は数少ない取り締まられた数であって、「憲兵はいても少数で、取締りの用をなさなかった」のだから
実際はその何倍もあっただろうね。
軍紀が乱れきっていたという数々の報告や証言から目をそらすのはやめろ。
さすがにいくら否定派でもネトウヨでも「日本軍は紳士の軍隊!」とか
おめでたいこと言ってるやつはさすがに少数だよ
いくらがんばっても「日本軍は紳士の軍隊」ってのは
否定される材料ばかりだ
あきらめな
1938.1.4 NYタイムス
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに
南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。
実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。
1938.2.17 大阪朝日
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、
暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか……の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。
これらの取り締まりの結果、被害は激減しましたw
>>957 妄想や願望は不要だから「具体的な数」を出してみろw
「よくわからないけどたくさん!」とか「実際は何倍もあった!」なんて根拠がどこにもないw
また定番の東中野ネタかw
なつかしいな
>>960 おまえには最低限の想像力もないみたいだからもういいよ
そこまで「日本軍は紳士!汚れない聖なる軍隊!」ってお花畑思考だと
さすがにネトウヨにもあきれられんだろw
そのへんのネトウヨでもそこまでいわねえよ
>>962 憲兵の取り締まりが間に合わないほど日本兵の犯罪が多かったなら、取締りが間に合った日本兵の犯罪の記録はどこだ?
肯定派の主張によれば、最低でも17人の憲兵が42日間取り締まった714件の記録が存在するはずだがw
それでも犯罪発生率は1%にしかならないがなw
まずは憲兵が取り締まった714件の記録を持って来いw
さらに記録が存在したとしても日本兵の仕業とは限らない。つ>959w
まずは「日本軍の犯罪発生率が1%以上だった」事から証明してもらおうかw
話はそれからだw
714件の記録の根拠として「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」を出してきたのは
肯定派なんだけど?
バカなの?
× 肯定派
○ 否定派
否定派がバカなのは知ってますから
改めて言わなくていいよ
>>964 >714件の記録の根拠として「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」を出してきたのは
改めて肯定派が日本語を理解できないバカだというのは良く分かったw
>886「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」は「1937年7月から1939年末までの約一年半の間に、軍法会議で掠奪、強姦致死傷の有罪判決を受けた日本軍将兵が計732人(420+312)」というもの。
714件の記録の根拠は「17人の憲兵が6週間(42日間)取締りを行った場合の事。
「1937年7月から1939年末までの約一年半の間に有罪判決を受けた日本軍将兵が計732人」
という事と、
「17人の憲兵が6週間(42日間)取締りを行った場合714件の記録が存在する事」
を混同させて何がやりたい?
まさか、「両者の違いが理解できないほどのバカ」じゃないよなw
「17人の憲兵が6週間(42日間)取締りを行った場合714件の記録が存在する」って
否定派が言ってるのは、その732人の犯罪率が0,06%だからってのを根拠にしてんじゃん
バカなの?
否定派がバカなのは知ってますから
改めて言わなくていいよ
恥ずかしいねえw
自爆乙
>延べ総兵力約130万人の内、有罪判決を受けた将兵は732人。
>犯罪発生率わずか0.06%w
>7万の日本兵が入城してその内0.06%が犯罪を犯しても42人にしかならないw
>6週間(42日間)に渡って犯罪が行われたなら1日1人の割合にしかならないw
>犯罪者1人対憲兵17人x42日w
>普通の知能の持ち主なら《1人対17人》なら充分物理的に取り締まりは可能とわかると思うがなw
>7万人の兵士の1%(700人w)の兵士が犯罪を犯したとすれば、1日17人x42日=714人w
>>970 日本語が理解できていないなw
日本軍の犯罪率に関係なく
「17名の憲兵が42日間取締りを行った結果」が「714人」になるんだがw
1日17人x42日=714人
肯定派「日本軍の軍規は最低だった!憲兵は充分な取締りができなかった!」
否定派「じゃあ、充分ではなくても実際に取り締まった記録が大量にあるよね?」
肯定派「………」
肯定派「日本軍で有罪判決を受けた将兵が732人もいる!」
否定派「それは1937年7月から1939年末までの約一年半の間で、南京戦も含まれているんだけど?南京で憲兵が休む間もなく働いていれば、最低でも714件の記録があるはずなんだけど?」
肯定派「………」
それから、もし「1937年7月から1939年末までの約一年半の間で有罪になった732人」の中に「南京で取り締まられた714件」が含まれると仮定すると残りは18人w
つまり1937年7月から1939年末までの日本軍の各作戦で犯罪を犯したのは1名前後という事になるw
つくづく肯定派ってのはバカしかいないのかw
>>970 >7万の日本兵が入城してその内0.06%が犯罪を犯しても42人にしかならないw
もっと日本語を勉強しましょうw
《6週間=42日》と《7万の0.06%=42人》を混同して何が主張したかったのかは知らないがw
それとも『南京大虐殺は6週間にわたって行われた』という肯定派の主張の根本を否定するのかw
「そのような主張はしていない!」というならそれはそれでかまわないがw
その場合、改めて『南京大虐殺の期間の定義』が必要になるがなw
第十六師団第三十三連隊第大隊 井戸直次郎
だいぶたって治安がよくなるとな、部隊のみんなを並ばせて、憲兵隊が強姦された女を連れてきて、
誰がやったと調べたこともあった。平時とは違って罪にはならんかったが、「やめとけよ」と怒られる
程度じゃった。罪にも何にもならへんかったけど、叱られたくらいじゃ。(『南京戦』pp276)
ちゃんと逮捕して法務官も足りない中で裁判までいって有罪判決がでるとこまで
いくのは限られるからな
憲兵が裁判した記録が無いのに、現地外国人や小川法務官など
関係者が記録した軍規退廃ぶりの記録はあるんだから
軍機は乱れ、碌に取り締まりもなされてなかった
が結論にしかならないな
>>973 「纏足の娘を強姦した」と言っていた仮名の男だったな。
で?
検証もできない架空戦記の登場人物の台詞がどうした?
南京市の憲兵17人はどこにソースがあるのか教えて。
兵隊を取り締まるのが憲兵だけなのか?
「最も悪性のものに限り」しか公訴提起しなかったみたいだね。
強姦事件に付ては是迄最も悪性のものに限り公訴提起の方針を採り成べく処分は消極的なりしも
斯くの如く続々同事件頻発するに於ては多少再考せざるべからずかと思ふ(P125)
○上砂中佐事務打合せに来部
中佐曰く近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしものに斯く致さるることと
なると努力の甲斐なしと
「ある軍法務官の日記」小川関治郎陣中日記
強姦は親告罪だったから訴えるケースも少なかっただろう
昭和17年「陸軍刑法改正意見提出の件」が提出され、陸軍刑法に親告罪じゃない「強姦罪」ができる
戦地に於ける強姦は軍紀を破壊し軍の爾他の宣撫工作を一切無効ならしむ
又被害者に於て後難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多きを以て非親告罪として処分するの要あり
>被害者に於て後難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多き
否定派がやたらラーベの日記を引き合いに出してきていたが
ラーベの日記を読んでも「日本軍は秩序が保たれた紳士の軍隊」と思ったのか?
「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
最高司令長官がくれば治安がよくなるのかもしれない。そんな期待を抱いていたが、
残念ながら外れたようだ。それどころか、ますます悪くなっている。塀を乗り越えてやってきた
兵士たちを、朝っぱらから追っ払わなければならない有様だ。なかの一人が銃剣を抜いて向かってきたが、
私を見るとすぐにさやをおさめた。
私が家にいる間は問題はない。やつらはヨーロッパ人に対してはまだいくらか敬意を抱いている。
だが、中国人に対してはそうではなかった。兵士が押し入ってきた、といっては、絶えず本部に
呼び出しがある。そのたびに近所の家に駆けつけた。日本兵を二人、奥の部屋から引きずり出したことも
あった。その家はすでに根こそぎ略奪されていた。
家に着くと、ちょうど日本兵が一人押し入ろうとしているところだった。
すぐに彼は将校に追い払われた。その時近所の中国人が駆け込んできた。
妻が暴行されかかっているという。日本兵は全部で4人だということだった。
我々は直ちに駆けつけ、危ないところで取り押さえる事ができた。
将校はその兵に平手打ちを食らわせ、それから放免した。
再び車で家に戻ろうとすると、韓がやってきた。私の留守に押し入られ、
物をとられたと言う。私は体中の力が抜けた。・・・・・
次から次へと起こる不愉快な出来事に、実際に気分が悪くなってしまったのだ。
12月18日、「18時、危機一髪。日本兵が2人、塀を乗り越えて入り込んでいた。
なかの1人はすでに軍服を脱ぎ捨て、銃剣を放り出し、難民の少女に襲い掛かっていた。
私はこいつをただちにつまみ出した。」
>>976 将校は強姦みつけても平手打ちだけで放免みたいだな
>日本兵は全部で4人だということだった。
>我々は直ちに駆けつけ、危ないところで取り押さえる事ができた。
>将校はその兵に平手打ちを食らわせ、それから放免した。
「1945年 ベルリン解放の真実−戦争・強姦・子ども」ヘルケ・ザンダー、バーバラ・ヨール著によると
ソ連兵によるベルリン強姦では強姦された女性の20%が妊娠していた。そのうち90%は中絶し、10%が出産したらしいが。
ttp://www10.ocn.ne.jp/~war/rape.htm 「シャリテ病院産婦人科受診簿」によると、1945年7月23日から年内いっぱいまで受診した女性3852人のうち、「強姦のために治療を受けたことが明らかな女性の総数」は
514人、「強姦された女性の妊娠件数」は118件、そのうち中絶は37件、流産は3件です。
そして当時ベルリンには140万人の女性・少女が在住し、そのうち60万人は出産可能な年齢だったということです。
これらから「数ページが数字で埋まってしまう」推計を行なうと、「少なくとも11万人の少女・女性」が強姦され、そのうち出産可能な年齢であったのは5万7800人で、1万10
00人強は妊娠し、1100人以上の子供が生まれたことになるそうです。
この推計には議論の余地もあるかもしれませんが、ベルリンでソ連兵に強姦された女性が妊娠・出産したことは事実なのです。
日本兵が強姦後全て殺害したのなら死体の数が少なすぎるな。
南京で混血児の話が全く出てこないのはなぜだろうw
じゃあ「日本軍は総じて秩序が保たれた紳士の軍隊であった」ってのは撤回でよろしいな?w
南京における救済状況」(ベイツ) 1938.2.14
3.医療
強姦された女性に感染した性病の問題は、いまや深刻になっている。
われわれは直ちに医療サービスを広げて、それらの世話や自由な治療が
できるようにしてやることが求められている。強姦された未婚の娘を連れて、
堕胎してもらいにやってくる母親の問題はさらに痛恨事である。
大学病院は現在まで、そのようなサービスは拒否せざるをえないできた。
しかしその結果、家族は若い女性の健康を取り返しのつかないものにしてしまう手段にうったえることになる。
(「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」 P181)
ベイツより妻リリアへの手紙 1938.2.13
前から予見できた問題が出始めている。ある婦人がきょう大学に
娘を連れてやってきて、婚約中である娘の堕胎を哀願された。
彼女は、日本兵に強姦されて妊娠したのである。
(「南京事件資料集 1アメリカ関係資料編」 P333)
笠原十九司氏「南京難民区の百日」より
そしてさらなる別の不幸は、長期にわたって何回も犯されたため、
妊娠してしまった女性も多かったことである。女性にとって強姦を拒否して
抵抗することは、殺されることを意味する状況下にあった。
スマイスは調査結果もふまえ南京では数万人の女性が強姦の犠牲になったとみている。
そして後日になっての観測であるが、強姦された女性のうち一〇人に一人の割合で妊娠したとみる。
母親が強姦された未婚の娘をつれて、堕胎をしてもらうために鼓楼病院にやってきたが、
それを拒否せざるをえなかった病院の側も痛恨の思いであった。しかし、その結果、
家族は無理な堕胎をこころみて娘の健康を取り返しのつかないものにしてしまう悲劇もおこった。
また、妊娠を知った未婚の女性にはショックのあまり、自殺してしまうものもでた。
さらに後日のスマイスの観察によれば、この時の妊娠で生まれた子どもは例外なく溺死や窒息死、
あるいは捨て子にされ、ハーフが育てられることはなかった。日本軍の婦女凌辱は、あとあとまでも
残酷な悲劇を残したのである。
(「南京難民区の百日」P315)
>>983 犯罪発生率が1%に満たない軍隊をそう呼びたいなら好きにすればw
ただし、そんな軍隊が日本軍の他に存在すればの話だがw
どうも肯定派の脳内妄想の中の「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」とは、犯罪を1件も犯さない聖人君子の集団みたいな連中の事らしいがw
少なくとも否定派は日本兵個人の犯罪までは否定していない。
そして公式に確認できるのは《約一年半の間で有罪になったのは732人》という事だけ。
どうも肯定派は勘違いしているようだが「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」とは他国の軍隊との比較の問題でしかない。
日本兵が犯罪を1万件起こそうが2万件起こそうが、他国の軍隊の犯罪が10万件や20万件であれば日本軍は「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」といえる。
数字で確認できる日本軍の犯罪発生率は0.06%。>886
そして沖縄の在日米軍の犯罪発生率は0.28%。>913
少なくとも在日米軍と比較すれば日本軍は「総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」と言えるw
それとも「日本軍よりも総じて秩序が保たれた紳士の軍隊」というものが当事存在したとでも?
具体的にどの国の軍隊の事なんでしょう?w
>>984 >南京における救済状況」(ベイツ) 1938.2.14
> ~~~~~~~~~~~~
>ベイツより妻リリアへの手紙 1938.2.13
> ~~~~~~~~~~~~~~
南京陥落は12月13日。
当時の妊娠判定方法は妊娠2ヶ月未満でも可能だったらしいなw
日本軍の犯罪発生率は0.06%ってのは、逮捕されて起訴されて有罪になったごく一部の数字だからなー
強姦なんか親告罪だからほとんど訴えないだろうし
ま、常識的判断力を持った人なら、ここに貼られたさまざまな証言、報告を見れば
「日本軍は秩序ある紳士な軍隊」とは思わんわな
日本軍が通常の犯罪レベルなら、多くの軍高官や政府関係者がなぜ軍紀の乱れを嘆く?
常識で考えろ
まあ、「日本軍は秩序ある紳士な軍隊」とか寝言ほざいてるのは否定派でもキミだけみたいだからいいけど
まともな?否定派がかわいそう
>強姦なんか親告罪だからほとんど訴えないだろうし
そんな妄想は
>>982や
>>987に反論してからどうぞ
>>886 考えてみたらこれ全作戦ごとの兵士の人数足して兵力約130万人っておかしくね?
同じ部隊がいろんな作戦に参加してんだし
>>990 16回の会戦で732人だから1会戦当たり45名の犯罪が発生したことになるなw
なんだったらこっちを採用するかw
各会戦ごとに45名の犯罪が発生したとすると、犯罪発生率は最大0.45%〜最小0.018%w
南京での犯罪が45件とすると犯罪発生率は0.045%w
0.06%ではなく0.045%でいいのか?w
各会戦での犯罪発生率を0.05683%とすると、
1937年7月盧溝橋事件、平津地方掃蕩作戦(20000人)、通州事件 …11名
1937年8月察哈爾作戦(20000人)…11名
第2次上海事変(162000人)…92名
1937年9月河北作戦(150000人)…85名
1937年10月太原攻略作戦(60000人)…34名
1937年12月南京攻略戦(100000人)…57名
1938年3月台児庄の戦い(10000人)…6名
1938年4月徐州作戦(216000人)…123名
1938年8月武漢攻略戦(250000人)…142名
1938年10月広東攻略戦(70000人)…40名
1939年3月南昌攻略戦
1939年5月襄東作戦(70000人)…40名
1939年9月?湘作戦(60000人)…34名
1939年5月ノモンハン事件(20000人)…11名
1939年11月南寧攻略戦(30000人)…17名
翁英作戦(50000人)…29名
合計732名w
計算が面倒だから0.06%にしていたんだがw
正確な数字のほうが好みらしいなw
取り締まらなければ取り締まらない程、粗暴でない軍隊であると言うのなら
加害者に取ってこんな楽なものはないな
肯定派によると、南京では犯罪が山のように行われていたはずなのに憲兵は昼寝でもしていたのか?
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/01(日) 00:07:43 ID:wRRS7ojX0
せっかく捕まえても「最も悪性のものに限り公訴提起の方針を採り成べく処分は消極的」だったとさw
強姦事件に付ては是迄最も悪性のものに限り公訴提起の方針を採り成べく処分は消極的なりしも
斯くの如く続々同事件頻発するに於ては多少再考せざるべからずかと思ふ(P125)
○上砂中佐事務打合せに来部
中佐曰く近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしものに斯く致さるることと
なると努力の甲斐なしと
「ある軍法務官の日記」小川関治郎陣中日記
>>994 さんざんラーベの日記を否定の根拠として出してきてたのは君じゃないの?
違う?
>>979のラーベの日記は都合悪いから信じないのかい?
これみて「日本軍は秩序ある紳士の軍隊」って思うのは頭おかしいからなw
師団長も日記で日本兵の略奪がひどいと書いてるんだが
>>926 これみても「日本軍は秩序ある紳士の軍隊」と思っちゃうの?
単なる比較の問題。
日本軍の犯罪件数が1万件だろうが10万件だろうが100万件だろうが当時の他の軍隊よりマシだったというだけ。
聖人君子の集団が軍人をやってるとでも思っているのか?
国民党軍と比較すれば日本軍は充分「秩序ある紳士の軍隊」だなw
「日本軍は秩序ある紳士の軍隊」じゃない証拠は多くの軍高官、政府関係者、外国人、軍医、憲兵の発言や報告書などで
否定しようがないんだよね
キミはひたすら根拠のない「犯罪率0,06%」を繰り返すだけ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。