1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
明治維新とは何だったのだろうか。現代日本にどのように
影響しているのか。そこから生み出される、光と闇。
この時代を語ろう。
「功」は勿論大きい訳ですが、「罪」と言えば神仏分離→廃仏毀釈でしょうか。
社家の方も、収入や世襲を奪われたりしている。
神社の統合による来歴不詳の小社を含む多くの神社の消滅も問題。
幕末からの招魂社が伝統扱いされる様になったのは、「罪」というには微妙でし
ょうが、よく知らずに持ち上げている人がいるのは困り者です。
明治10年前後が一番酷く、境内を「開拓」しつつ、真黒い麦飯を食し、おかず
は味噌汁で、上等なら大根や人参の煮物が出た。
東京都の松田知事が仏式で葬られ、また本願寺の島地黙雷が洋行して来て後、
「信仰の自由」を主張してからはましになったとは、永平寺管長であった北野元
峰禅師の談。
大正時代になると、神社崇敬は国民道徳の基であって、祖先を崇拝する行為で
あるからというので、宗教を問わず推奨されている。
しかし、その神社も明治までとはすっかり様変わり。
回復不能の傷跡を遺した日本版文革と言ってもよさそうです。
統合のために、やむをえないことであったのでしょうか?
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 14:16:27 ID:ubw+t5sy0
安っぽい「西洋キリスト教圏の価値観」を猿真似した事も
大いなる罪であるぞよ!!!
家柄みたいのを潰さなかった事。
間違った日本語すまん orz
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 14:39:41 ID:Irl4afBe0
功罪を論ずる前に、三叉竹越與三郎「新日本史」を読め。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 17:11:10 ID:+kUvhoj90
同じ維新の功労者達でも大久保や木戸らとは別系統の
玉松操のようなイデオロギー色の強い人たちが国造りすると、
廃仏毀釈のような行為に奔ってしまうのかな。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 19:43:14 ID:dKyzpIzM0
やはり明治は「解放令」に注目する。
古い身分社会の崩壊に伴う混乱だが、解放令自体は良くなかった。
確かに、被差別部落は解放されなければならないが、無配慮の発令で筑前竹槍一揆を始めとする大規模の虐殺が起きたからね。
何というか、明治政府の未熟さと浅はかさが露呈されたといえる。
結果論だが、身分社会の破壊、つまり社会の革変はそれはそれは容易なことではなかった。
しかし、それを容易なものと捉えてしまった。
そして先に出された徴兵令と合いなって未曾有の大混乱。
福岡は県庁が一揆勢に占領され一揆勢の要望を呑み、また多くの被差別部落が焼き討ちにされ竹槍に突き殺されたにも関わらず、歴史の教科書どころか道徳、福岡の歴史、学校では筑前竹槍一揆のチの字も出ない。
よって当の福岡の人間ですらそれを知らないだろう。
それはまさしく歴史ではなく「歴死」である。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 21:55:26 ID:BH6rsj9j0
明治になっても当初、キリスト教の信仰が許されなかったことは
明治政府の汚点の一つだと思う。これにより傷付いた信者は
多かった。
明治になってからもキリスト教への偏見、攘夷の思いを持った
新政府役人は多かったかもしれない。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 23:32:32 ID:BH6rsj9j0
明治に果たした大久保利通の役割は大きく
この人がいなければ近代化はできなかったと思う。
しかし、西郷隆盛、木戸孝允といった優れた人材と
共同して新しい国家を創れなかったことは大変残念だ。
西郷も、木戸も大久保が持ち合わせていない優れた一面を
持っていた。勿論、大久保は彼らに無いものを持っていた。
それゆえにこそ、長所を伸ばしあい、短所を補い合えば
更に良い日本が生まれたかもしれない。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 20:23:35 ID:YMdgPmGN0
明治になって時代的に仕方なかったけど富国強兵、滅私奉公
憲法で国民を臣民として扱ってしまたのは、いけなかったと思う。
人間の尊厳の生まれにくい環境で、軍部が台頭した時、実に容易に
支配することができた。
そして、戦後極端な個人主義的思想からか愛国心を持つことにも
疑問を持たれるようにもなった。
また、中心軸、目標を見失った現代、新たな中心、目標が必要に
なっていると思う。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 23:17:16 ID:P9KdtAHP0
>>7 言わんとしてることは分かる。
が、支配組織の緩やかな天領では、解放令実施が五万日の日延べになったと告知された。
そん時告知を受けてぶったまげた部落の庄屋の孫が、水平社の創設メンバーってのも何かの因果か。
まだあれから五万日経っていないな。所謂同和利権の問題を思うに、言霊の力を信じたくなってね、
全く五万日たぁまたトンデモなく長い呪縛だよ。2009年前後まで続くのかな。
ともあれ洋の東西問わず革命政権ってのは理想に走りすぎて、あちこちに歪みをもたらすもんだが、
陣痛なしで赤ん坊は生まれない。あらゆる近代国家が等しく経験してきた事態に過ぎない。
一揆の武器が竹槍で済み、局地的な暴動に終わったんだから、なんだかんだ言って明治維新は穏健さ。
数人の世渡り上手を残してほとんどが処刑されたフランス革命の議員のメンツや、
四百年もの間引きずってるアイルランドの紛争を見る限りね。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/22(火) 00:19:43 ID:ZtjpahzC0
日韓併合は日朝の千年戦争の原因を作ることになったかも知れないな。
中国は戦乱に慣れているから政権が変われば対立も静まるかも知れないが、朝鮮
との感情的対立は数百年は続くだろう。秀吉の朝鮮出兵より傷は深い。
それは民衆の暴動であって、政府の政略じゃないと思うのだが、
>>2>>7 神仏分離令は廃仏毀釈を狙ったものではないし、
神仏分離令だけなら、別におかしなものでもあるまい。
そもそも神仏習合は、古くは平安時代に始まったとも言われているが、
当時にも反発はあったから、あそこまで「広まった」のは江戸時代に入ってからで、
(藩レベルでは、反発したところや、それどころか、明治政府を先駆けて分離したところもあるが、一部の例外なので考慮しない)
それは幕府が事実上の国教を仏教として定義して、
統治機関の下部組織として使用して、特権を与えて保護し、
仏教以外は弾圧されていた(仏教でも幕府寄りの宗派以外も含まれる)
だから神道が生き残りのために、仏教に擦り寄ったからに他ならない。
言わばもとにもどしただけとも言える。
勿論もともと自発的に習合していたところはいいんだけどな。
ここのところを知らないのか、あえて語らないのかは知らないが(たぶん後者だろうが)
文革とは言い過ぎだろう、この程度を文革と定義するなら、江戸時代、
いやそれ以前にも、何度も日本で、文革が行われたことになってしまう。
勿論GHQがやったのも文革だ。
7も同じだ、自分でもわかっているんだろうが、どこまで言ってもそれは結果論。
「暴動」を止められなかったという「罪」はあるだろうが、
いずれやらなければならない事なんだからね、
つか神仏分離令にしても、解放令にしても江戸幕府の不良債権処理に過ぎないわけだし、
それをもって「罪」というのは無理がある。
>>13 元より、歴史上の事象を「罪」と称する事自体、第三者が後知恵で言うもので
すから、本気でお受け取り頂かなくても結構な事ですが。
>ちなみに、村山修一は、戦後しばらくして著した「神仏習合思潮 」で、
>「廃仏毀釈が民衆によって行われた」という「当世流行の史観」(=マルク
>ス史観)に基づく主張は、全く根拠のない話と述べている。
>明治維新神仏分離史料とか見ても、国学者とか官軍出身の知事とか役人が主
>導した例ばかりだし、疑問は膨らむばかり…。
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1097339766/l50 こうした↑主導的な面もあった事ですし、分離はともかく廃仏の責任は無いと
言う人もいますが、放置気味であったと最近言われていますからね。
文化財の破壊という行動だけなら一時的な「罪」や、その後の分離続行、神社
統合などの流れを遂行した問題は、小さくないと思いますよ。
元々「弾圧」というか抑圧意識があったのは、「神道」関係者ぐらいでは。
「仏教以外は弾圧されていた」というのも、対象が曖昧ですし。
>言わばもとにもどしただけとも言える。
院政期から自然と習合して成立して来た文化を破壊し、様式を根底からくつが
えしたという事は、それまでに無かった事例でしょう。
江戸時代以前に、修復不可能な全国規模の様式破壊があったとも思えません。
>>14 一部に国学の人間や、軍人、役人、藩主などが混ざっていたからといって、
廃仏毀釈が、切れた国民が、日頃の怨みのために、焼き討ちしたのはかわらんだろう。
そもそも国学の人間などは、江戸時代から、神仏習合には反対していたんだから。
政府が放置していたのは事実だが、それは最後まで幕府を援助していた、
本願寺の一派への見せしめだな。新政府と懇意な派閥の寺院は政府が保護しているからさ。
まあ、これは確かに罪かもしれん。
そして神社の統廃合は、日露後に財政が圧迫されたため、支出の削減の為に行われたんだが。
>元々「弾圧」というか抑圧意識があったのは、「神道」関係者ぐらいでは。
神道だけじゃない。当時流行った仏教などから派生した、新興宗教なども弾圧の対象。
だから神道や、新興宗教などは、最初から新政府に帰順した、
かわりに最後まで帰順しなかったのは、既得権益を握っていた本願寺なのよね。
>院政期から自然と習合して成立して来た文化を破壊し、様式を根底からくつが
神仏を分離したまま扱う文化も、当時から存在したいたんですか。
猛烈に習合を否定している人は、昔からいましたよ。それもまた文化でしょう。
貴方にとっては、神社が潰れて、寺がつくられたり、
神社に無理矢理、仏像やら経典やら置くのは破壊じゃないんですか?
別個のものが、無理矢理混ぜられた、これも文化破壊じゃないんですかね。
解放令はラディカルな良い政策だよ。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 22:40:02 ID:6+7U/SGE0
江戸時代は身分により髪型まで決められていた、職業も選べない、娘の身売りはあたりまえ、農民は武士のため土下座させられた、学問は武士のもの、いい時代だ、断髪例も身分制度を無くす
ためにやったこと、けして清の辮髪に触発されただけではなかろうね
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/25(金) 02:34:56 ID:Z1D1v8xF0
明治維新の革命の最大汚点は
会津戦争だと思う。
会津との戦いは避けることができただろうが
戦ってしまい死ななくていい多くの非戦闘員まで死なせてしまった。
悲しい、痛ましい出来事。その象徴が白虎隊だろうな。
>>18 会津戦争は避けられたかどうかビミョ「徳川家の意地」みたいなもんだからな。
むしろ北越戦争の方が避けられたような。小千谷会談がなぁ。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 02:35:38 ID:QfmXsb5i0
早く死んだ志士、坂本龍馬、高杉晋作、久坂玄ずい、中岡慎太郎等
生き残っていたらどんな社会になっていただろうか。
可能性も有ったかもしれないがかえって上手く行かなかったかも。
坂本、生き残っても歴史に影響を残せるほどの、人物ではない。
高杉、作る仕事に向いているとはおもえない、反乱して終わり。
久坂、攘夷馬鹿に出番はない。
中岡、坂本と一緒。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 09:31:19 ID:m6PB08W20
明治政府の会津占領統治はGHQより酷い。
戦没者の埋葬を禁じ、生きてはいるが死に体の会津藩士を青森に流刑。
死者に鞭打つとは正にこの事。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 15:51:57 ID:7VuNmlQF0
相楽総三の処刑・会津藩等への苛烈な処遇・薩長の横暴と闇の面もたくさんある。たくさんあるが、
戊辰戦争をへての維新がなかったら日本は近代化できなかったわけで。
よく上記の面のみを主張して「これが明治の本質」「暗黒時代の始まり」「戦争への道が開けた」
と抜かす輩がいますが、そういうやからは近代化に遅れた結果欧米のいいようにされたアジア諸国
をみていないのだろうか?
もちろんやりたい放題の薩長を全肯定もできないが。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 16:08:43 ID:7rNf9uzq0
その後、華族令などで華族に特権が付与されたり、兵役の義務のない台湾人朝鮮人が国民になったり、国民扱いされない樺太や南洋群島の原住民が加わったりして、身分の平等は崩れていったけどね、
明治初期に一時的にだけど法的身分の完全平等を実現したのは確か。
よくよく考えたらこの時期の身分の完全平等って世界的にみて珍しいのではないだろうか。
君主国には貴族制度あったし、アメリカでも奴隷や原住民が法的に差別されてた。
25 :
全宇宙全生命永久永遠の大天国:2005/11/26(土) 18:19:57 ID:So6jF3k20
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 22:00:25 ID:BAxIKSeP0
明治維新とは大和民族の目覚めのときの声である。
天皇を中心に日本再生そして飛翔していくそれが明治維新なのだ!
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/27(日) 00:40:00 ID:pnmZPnP/0
明治維新、それは薩摩、長州、土佐そして幕府の一部等異質のものが
協力しあって初めて誕生できたもの。
異質が協力できたのは日本を本当に良くしよう守ろうと願っていたこと。
だからこそ、最終的に協力でき革命が成功した。
大事を成すには目的、動機がいかなるものかをはっきりすること。
そして、敵対するものも受け入れる度量が必要と言うことか。
>>27 明治維新は単なる奴隷反乱。幕府に圧迫されうだつのあがらず
気位だけ高いルンペン公家と藩主と重臣の下僕にすぎない下層武士が
連合して政権を奪取した政権転覆劇。
彼らの目的は政権を奪取し、自分達の社会的ステータスと金持ちに
なることだけ。彼らのしたことと言えば、まず四民平等で藩主などの
上層階級を自分達と同レベルまで引きずり落とし、機会を見て公家成り
(華族化)して地位上昇を固定化した。
下層武士階級や二流公家といった当時のルンペンプロレタリアートに
すぎない彼らが旧支配者にとってかわる唯一の方法は、全国レベルで
連帯して蜂起するしかなかった。彼らの協力は権力奪取のための方法論に
すぎない。明治維新を起こして政権転覆した彼らに大儀などはじめからない。
彼らが連帯しえたのは、そうしないと自分達がルンペンプロレタリアートのまま、
一生みじめな生活を続けなければならなかったから。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/27(日) 13:58:58 ID:7j71yycp0
薩摩長州なんかは最初は幕府のいうとおりにかなり律儀に働いていたよ
幕府はかなり駒を使い捨てにする所があるからね、そこが一般大衆と上層部の
乖離を生んだ原因ではないのかな?
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/27(日) 18:02:09 ID:Leu2N28LO
age
31 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 21:20:36 ID:cPywd9Ha0
>>19 あれは小千谷会談の前日に会談決裂を目論んで、長岡を味方に引き入れようとした会津の佐川官兵衛と一之瀬要人の馬鹿タレが
長岡藩内から政府軍に攻撃をかけたのも要因の一つだろ
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 01:02:22 ID:JDIMTpAP0
世界的にみて倒幕から明治になった革命は
余り例を見ないほど上手く行った革命で、
旧体制から、新体制へ犠牲が少なく、国民が
受け入れたものはほとんどないという。
それは、革命に関わる一人ひとりの志の高さと
わだかまりや利害を超えて協力しあう部分がないと
絶対できない。
日本の誇るべき出来事である。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 01:19:58 ID:Tu1wGUPl0
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 01:42:50 ID:qOCo65EH0
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 01:44:44 ID:KoGnWmDg0
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 02:04:15 ID:0chfIc/w0
>>33,
>>34,
>>35 右翼も左翼もバカもアホもあるか。
不毛の言い合いでなく何が良くて何が間違っているか
ちゃんと言って議論すればいいでしょ。
バカだのアホだの言い合っても終わらないでしょ。
>>32 >絶対できない。
フランス革命やロシア革命がド派手な印象があり、日本の近隣諸国の革命、近代化が
ヘタレだったのでよくそういわれるが世界史的には
ドイツ統一、イタリア統一、トルコ革命、ドイツ革命、アイルランド独立、キューバ革命
など戊辰戦争レベルでの流血の革命、統一、独立は何も珍しいことではない。
スペインのフランコ独裁からファン・カルロス一世への権力移行なんか無血で行われている。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/28(月) 13:52:14 ID:RriduWp60
小規模な反乱は全国的に起こっているね
こうしてみるとほんと日本人は血の気が多いんだな
ただそれが内乱にならなかったのはある一つの要因があるのだけれど
そこまで考える必要はないと思うよ
結果てきには内乱にならなかったために日本自身の分割は免れたわけで
局外中立を望んでいた北越の蒼龍は善政を敷いていただけに
残念だったね、おかげで薩長は姦賊なんて憎まれてしまうのだけど
薩長に共通するのは自国の領内が戦場となり壊滅してしまった
ことで苛烈な処置に走ったのかもしれないね、両藩はトップがかなり
死んでるんだよ、もともと幕府に対して外様扱いされていただけに
最初は両者もいかに幕府に対して功績をあげて認められようとどこよりも
苦心していたと思うがね
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 01:42:36 ID:oK7X8dU80
幕末から明治への革命が成功した要因の一つに
旧体制すなわち幕府側も一部協力してくれたことが
大きいと思う。
勝海舟はその代表。それと仲は悪かったといわれているが
歴史的にはいろいろ批判が多い最後の将軍徳川慶喜、
それらが大政奉還に同意しなければ、江戸城無血開城を認めなければ
明治が上手く始まったか分からない。
稀有な革命だと思う。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 22:51:54 ID:jIzWpOlu0
江戸幕府が続いて、小手先の改革の方がよかったよ
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 23:18:27 ID:+xBXorro0
産業革命後の輝ける西欧の工業技術を見て、
ショックを受けたであろう幕末の日本人の苦悩を
思うと、やはりよく纏まったほうだ、と思わざるを得ない。
とんでもない不均衡や、見捨てられた人々も出たわけだけれど。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 23:19:33 ID:NqTcT3fr0
>>32 どこが犠牲少ないんだ?
幕府側、特に会津藩なんか犠牲者めちゃくちゃ出たぞ
この事実を無視するな
>>38 西南戦争が一応起きたけどな
自国の領内が戦場って薩英戦争と下関戦争のことか?
それ以外にはないと思うが。
>>40 はげ堂
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/30(水) 02:39:08 ID:ZbzL/7WJ0
世界が近代化、民主化しているときに日本が幕府中心の
封建制度で世界とやりあえるはずはない。幕府は天保の改革以降を
幕末と言う人も多い。幕府の支配力は弱まり一揆や打ちこわしも多発し
幕府と言う体制ではやっていけないようになっていた。
幕府が滅びるのは歴史的必然だったのだ。
ただ、そのあとの政府がどうなったか、それが今の日本にどのような
影響を与えているかそれが問題だ。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/01(木) 18:36:05 ID:bm0/wmP+0
>>21 ただ、高知に商社を設立して物流中継をやろうとしていたので、四国に拠点を持つ財閥として財閥の状況が変わった可能性があるかも。
>>42 どこが犠牲多いんだ?
幕府側、特に会津藩なんか犠牲者めちゃくちゃ小説より少なかったぞ
この事実を無視するな
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/02(金) 22:49:58 ID:DlAA6e/C0
滑稽ともいえる異常な近代化を推し進めてアメリカと喧嘩するハメになって日本が一度廃塵になったしね。
何より俺の故郷、豊かな東北を不採算地域にした罪は重い。
だから今になって振り返るとこれだけは言える
明 治 維 新 な ん ぞ 必 要 な か っ た と
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/03(土) 00:20:38 ID:q4j9ANER0
論点が錯乱してる。
幕府と薩長の対立は武士階級内での抗争。
薩長は反徳川であっても反幕藩体制ではない。
幕末当時、幕藩体制を解体しようとしてたのはむしろ幕府の側。
幕藩体制の「存立基盤」つまり封建的な社会構造は、
既に幕末期には財政的に維持不可能になっていた。
このことを幕府側は的確に理解していたけど、
薩長は全く理解していない。
幕府は、欧米に国を開き、近代的な生産様式を導入し、
さらに封建的な秩序を中央集権的な国家へ止揚することを模索。
このような一連の改革策に誤りはない。
逆に、薩長は当時日本が置かれていた現状を全く理解せず、
将来を展望できる人材も皆無。
近代化の動きに逐一敵対し英国の手先となって内乱を起こす。
薩長は幕府を乗っ取った後に、かつて幕府を悩ましていた問題にぶち当たり、
自己変革を余儀なくされただけ。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/03(土) 00:49:36 ID:gTuL9W3I0
明治時代って自殺者の数が多かったって聞いた。
やはり新しい時代についていけなかった人達が多かったと思う。
野麦峠や足尾銅山の話聞いてると、そうかもな〜って思う。
明治時代こそ日本が一番輝いていた時期は無かったってマンセーする
人達いるけど、その底辺には悶えうごめいて苦しんでいた人達が大勢
いた事を知るべき。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/03(土) 01:02:14 ID:8psd8ZZJ0
底辺の人々が苦しい生活をしいられていたというのは
明治以前のどの時代でもいえることだ
>>46 東北が不採算地域なのは江戸時代でもそうじゃん。
>>47 改革案だけ出来ても無意味。実行出来る力が伴って初めて改革は成るものです。
>>50 当時の東北は米経済が潤ってたのでそれはない。
そもそも近代以前に採算・不採算の概念は存在しない。
まあ結局、あの明治維新は無駄な血を流した挙句、対外戦争に突っ走るハメになってまた無駄な血が流れたと。
もっと穏便な方法での近代化は可能だったはずだね。
>>51 江戸時代でも東北は飢饉が多かったのにか?
>>52 そんな君にはベトナムの住人になることを勧める。
>>53 飢饉が起きる時は東北が際立ってただけで全国的
江戸時代全般では豊かだった方
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/03(土) 14:47:23 ID:zmfLOTDK0
江戸時代を通じて東北地方の人口は年々減ってるね。
豊かではない。
東北地方にとって江戸時代は破壊と悲惨の時代だった。
今の東北の産業は明治政府が移植したものばっかりだし。
人口減は一時の飢饉が原因ってだけで全般的には豊かだったよ。
米余りの状態だったし。
まあ問題なのは明治以降、本来なら地元で生かすべきだった
東北の労働力を北海道開発と首都圏に回した罪だね。
これが現在まで尾を引いている。
太平洋ベルトに資本を集積させ、そして朝鮮半島から大陸に至る侵略政策が原因でもあるけど。
東北地方に回すはずの開発予算も朝鮮等の植民地に回したし。
東北=田舎
意図的かつ結果的に東北地方に対しこのイメージが刷り込まれる結果になった。
このマイナスイメージによる損害は天文学的数字かも。
薩長の作った明治政府は百害あって一理なしだと思う。
同じ日本とは思えない待遇だし賠償ものだね。
>>55 東北にのみならず全国の産業が国策隷下だよ。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 00:41:52 ID:+plw+CCU0
東北は当時(ことに江戸時代は)の農業技術で
作物を育てるのが難し勝ったのかもしれない。
為政者が差別していたわけでなく、どうしようも
ない部分があったのかもしれない。明治になっても
それは同じで、宮沢賢治のように冷害に強い作物を
品種改良をできるようになるまで苦しい生活を送る
ことは仕方なかったかもしれない。
国の政治化にしてもなすすべがおもいつかなかった
かもしれない。差別ではなく。
>>57 ほんと?たとえば鉄道はほとんど民間じゃなかったか?
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 10:12:54 ID:bKyw3lQN0
>>56 はげ堂。現代に続く潜在的西日本優遇・東日本蔑視(東京除く)は
薩長由来の明治政府の体質に端を発してると思われ。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 10:29:44 ID:1XF9mbwh0
武士主導の文化を廃したのは良かったとして、あまりに官僚の権限を大きくしたのは間違い。
それと日本の伝統を破壊したのは戦後民主主義でなく明治維新ではないかと。
天皇陛下に軍服を着せたのは日本の伝統に反する。
南北朝の非常時ですら天皇は鎧を着なかったのに。
天皇は欧州や中国の皇帝や王とは違う。統帥権をもたされ似合わない西洋風の軍服きせられたのは皇室にとっても不幸なことだったのではないかな。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 11:27:43 ID:sdQSK1T/0
薩長藩閥政府は権力基盤が極めて不安定だったため、
不本意ながら民権派などに譲歩せざるを得なかった。
それゆえ明治時代は元勲にとっては全然理想的な状況ではなかった。
帝国憲法義解などを読むと、伊藤は民主主義の実現ではなく、
臣民に与えた権利を自在に剥奪できる体制を構築することに細心の注意を払っている。
国家総動員法や治安維持法によって立憲主義的要素の封殺が完了した昭和の戦時体制こそ、
明治の元勲が夢見た理想国家だっだといえる。
ちなみに明治の元勲の理想が現在でも純粋な形態で息づいてる国は、
もちろん北朝鮮である。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 22:14:06 ID:nofc+vW20
相楽総三の処刑・会津藩等への苛烈な処遇・薩長の横暴と闇の面もたくさんある。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 09:59:36 ID:uR9cdy+g0
明治の元勲の理想が北朝鮮?バカなこと言うなよ、川路大警視は薩摩モンだろうが
明治の元勲は安に殺されただろうが、朝鮮とつるんでびんひと敵対したのは元勲じゃなくて
元幕臣の一万円札の先生だろうが、明治政府の中枢は内政重視だったんだから
相良はかわいそうだったが、江戸焼き討ち略奪したから西郷がこいつはいらんと思って
切り捨てたんだよ、うそ歴史を書くなよな、あぶねえよこいつら、漫画しか読んだことね絵だろ
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 15:13:12 ID:J+CKxv1z0
>>46 そんな地域はいくらでもある。
得をした地域なんて、横浜と神戸ぐらいだろう。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 15:22:07 ID:J+CKxv1z0
結局、明治維新というのは江戸期に‘無責任階級‘だった百姓や町人までも
含めて国民国家を作るという事。
つまり、日本人全員を武士(国防の義務をおい、同時に国民としての権利を
有する市民という意味)にするということだったわけだが、
いったん動きだせば、日本人の性質上、世界の全てを手に入れるか
全てを失うまではとまらないのが民族性なんだよね。
大東亜戦争しかり、戦後の経済復興しかり
列強と戦って一等国になるというのはどの国も見る夢だろう
現在は後進国にはOECDに加盟させて経済先進国の称号を与えてごまかしている
>>66 武士階級の廃止ではなく、いざと言うとき戦える市民の創出、全階級の武士化を狙っていたんでしょう?
でも自ら戦う気概のない町人には、ありがた迷惑だったかも?
(大坂、京都の兵が弱兵だったように)
で、最近思うのですが、市民の苗字を廃止して、諸権利を在日外国人並みに制限した方が良いのではないかと。
自ら武士になろうとする者のみ、戸籍上で苗字を認め、市民としたらどうかと?
現在の状態では、武士でありたい者と町人で居続けたい者の、どちらも不幸ですから。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 19:30:13 ID:cZcoxiNq0
>>68 いまが悪平等ってこと?
それじゃあ民主主義じゃないじゃんw
また革命がおきちゃうよ!
>>66 国民をつくるってことだね
日本人全員が日本国家の武士になったのが日清戦争だと思う。
幕臣が多い軍隊の記録に「日本国のために」という記述があったよ
つまり、そのあたりから徐々にナショナリズムが現れたんだね
>>68って比喩と実質の区別が付かない危険思想の持ち主ですね。気持ち悪い。
>>69 日本で革命など起きたことはありませんよ?
>>70 義務を果たさず、権利のみ声高に主張するプロ市民? あるいは支援者さんですか?
町方市民は、選挙権、被選挙権がない、公務員になれないだけで、他は従来と変わりません。
武家市民は、一代限りの選挙権、被選挙権、公務員受験資格を有する(公務員になれるとは限らない)。
その代わり、終生に渡って現役で兵役に就く、もしくは退役後も予備役であることが求められる。
(戦没者子弟への相続税免除等、諸権利の付随)
これは何もオリジナルのアイデアではないのです。一番有名な例だと、
Robert A.Heinlein の小説”STARSHIP TROOPERS”(宇宙の戦士)で、描かれている社会が近いでしょうか?
(公民権有資格者は退役軍人のみとする)
この作品は「機動戦士ガンダム」の元ネタになったことでも知られていますが、
対日戦に従軍したハインライン中尉が思い描く、或る意味で理想のアメリカ合衆国なのでしょう。
日本においては、百姓、町人の武士化は失敗しました。
理想の町人道、あるいは武士道というものがあり、相容れない部分がある以上は、棲み別ければ良いのです。
町人が武士の義務を厭うなら、その権利も返上すべきなんです。かって、そうだったように。
(武士の中でも汚れ仕事を嫌う連中はいたし、これからもいるだろうが、それはまた別の話)
フーン、それで兵役を自由意思で選べるというのは実質、志願制と何が違うんでしょうかねぇ。
しかもそういった一部の兵役市民のみによって選出される政権とは軍政そのものではないのかね。
戦闘組織としての必要性から上位下達を体に叩き込まれる軍人の内輪における
権力チェックとは?シビリアンコントロールはどこへ?
百姓、町人の武士化は失敗しました。ってそもそも推し進められたのは旧身分の概念を超越した
国民化であって武士化じゃないし。
武士道と市民意識、精神階級としての武士と国民国家による軍隊、アニメと現実の区別も
不能なレベルのネットウヨクの浅ましい妄想なんて真面目にとりあってみる価値も無いか・・・
三島由紀夫のオナニーと同じレベル。
>>71 アニ・・・・
せめてイギリスの貴族制当たりを例に持ってきたら
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 22:25:00 ID:cZcoxiNq0
>>71 一代限りなのに武士?
しかも昔は国民皆兵を目指してたけど、今は平和な世の中をめざしてるん
だからいちいち身分云々なんて
いってないで、
国民でいいじゃん。選挙権を平等に与えないなんて最悪。
エリート民主主義は危険。
>>74 スイスが国民皆兵なのは、よく知られているでしょう。
職業軍人以外の男子のほぼ全員が、いつでも招集可能な予備役兵みたいなものです。
そして近年まで(1970年代)、女子には選挙権がありませんでした。
女子には兵役の義務がないので、或る意味当然ですね。
このかってのスイス人の女子を、町人と置き換えれば、選挙権など無くても何の違和感もない、と思いますがね?
フランス革命で革命政府は、諸国の干渉戦争に対抗する為に、国民皆兵を宣言、徴兵制が施行されたように、
近代民主主義で得られる権利のはじまりは、兵役の義務とセットになっているのがそもそもです。
現代アメリカでも、Selective Service System(義務兵役、選抜徴兵制度)があって、現在はこれで徴兵されないまでも、
登録を怠ると処罰の対象になるそうですし?
(徴兵制の是非を論じているのではありません。いざというときの心構えですね。
実際、戦争が高度になって、短期現役制の徴兵では、対応できなくなっているそうですし)
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/06(火) 01:06:06 ID:nx9Gf9cq0
>>75 そのような世の中に実際になったらあなたは町人と武士と
どっちの身分につくんですか?
成人で選挙権がない人々は国民といえないのでは?
で、選挙権がないってことは当然税も徴収しなくてもいいんでしょ?
そうしたら公共施設だってつかえなくなるし、町民は差別されるじゃ。
今の政策は身分的な差別に反発して自ら掴み取った政体なんだから、
これでいいと思う。
>>76 折角、四民平等=全階級の武士化(帯刀の禁止はあるが、苗字が許された)がなされたのに、
臣民(国民)について行けないものがいた。
町人根性というか、兵役逃れだけど(これは日本だけではなかった)。
自分の生活、その延長としての郷土、そして国を守るため、時には命がけにもなれる気概が無いのなら、
新しい支配者の定めた新しいルール、新しい主人に従えばよい。それも自由だ。
本当に自らが掴み取ったのであれば別だろうけど、
当人にとって命を賭けるほどの価値は無かった、と言うだけの話だ。
だったら、選挙権なんて要らないでしょ?
さて、日本ではないが、アメリカ大統領のクリントンや、ブッシュJrは州兵になったことで、
ベトナム戦役への従軍を逃れた疑惑がある。
大統領と言えば、文民ではあるが合衆国軍の最高司令官であり、卑怯者では示しが付かない。
ブッシュ・シニアは海軍航空隊、レーガンは陸軍予備役士官、カーターは海軍潜水艦隊の士官、
ジェラルド・R・フォードは海軍予備役士官、クエーカー教徒のニクソンでも海軍の補給士官、
ケネディは魚雷艇艇長、アイゼンハワーは陸軍元帥。歴代大統領は元軍人ばかりだ。
「国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国家のために何ができるかを考えて欲しい」
これはケネディが1961年1月20日、第35代大統領に就任したときの演説だけど、陸軍に志願しながら、
背中の傷が元で不合格となり(この時点で日本なら、入隊せずに済んだことで万歳する人がいる?)、
後に海軍に志願。日本海軍の駆逐艦天霧との戦闘で負傷し、
そのキズが元で名誉除隊しているケネディの言葉だから、重みがあるのだろう。
元敵国人ながら、天晴れと言うべきか。
天皇制を別にすれば、アメリカ市民社会も明治維新はモデルとしていたはずだから、惜しいね。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/06(火) 09:37:32 ID:nx9Gf9cq0
良くわかりませんが
選挙権はいるでしょ。
国民なんだから。国家を作り上げていくのに差別しちゃいかんでしょ。
明治維新は運が良かったとも言える。
一つ間違えたら南北時代に匹敵する大内乱の社会になったかも。
戊辰戦争や、函館戦争も負けたら危機的な状況になった。
中央政権が確立された後も西南戦争を代表するような内乱が幾つもあった。
不平武士が静かになったのは西郷隆盛でさえも勝てなかったから。
詳しく調べたら、良く統一できた物だと感心してしまった。
>>39 無血開城の一番の功労者はアーネスト・サトウだろ。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/08(木) 23:52:55 ID:PE7bA4nl0
明治維新って、ただ単に支配者が徳川家から薩摩、長州に移っただけでしょ
国防の必要性から中央集権化を行い、国民皆兵制度をとった
四民平等も平等という名がついてるだけで理想化されがちだが、
実際は士族という公務員のリストラ
明治維新の功といえば、士族という無生産階級を上手にリストラできたことじゃないかな
確かに反乱はあったが、一部の地域だけですんだ
>>56 江戸時代中期以降の東北は地獄だぞ、
日本史上稀にみる、数十万から100万以上の飢饉が何度かあったが、
その餓死者の殆どは、北関東から東北にかけて。
それもこれも、飢餓移出が原因だから、幕藩体制の維持のためだと思ったら、泣けてくる。
幕府を一番怨んでもいいのは東北かと思われ。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/10(土) 01:57:40 ID:GMPgdDIu0
>>84 怨んでもいいのに会津は何故幕府方に着いたのだろうか?
恨みたらたらならば新政府側についてもいいようなものだけど。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/10(土) 06:56:05 ID:sLixe+Xh0
>>83 新政府も徳川家の功臣と旗本と旧藩士と大商人を粛清してたら首の挿げ替えなんていわれなかっただろうに
惜しいことをしたよね。
無理せず九州と北海道ぐらいは外国に譲り渡して、
じっくり支配階層vs被支配階層で市民革命起こせばよかったと思うよ。
戊辰戦争の犠牲者7000人ってちょっとナメすぎというか、
700000人ぐらい死んでれば多分日中戦争も太平洋戦争もなかったと思うと残念でならない。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/10(土) 11:20:56 ID:VA4bosYt0
>>85 貧困は既存の特権層だけを温存させ、独裁権を強化させる。
現在の中南米における奴隷制農業を見ると分かるだろう。
経済が発展すれば成り上がりが生まれ、伝統と血統を重視する連中の肩身が狭くなる。
逆に不景気になれば、商売はうまくいかなくなり、旧来の地主連中だけが残る。
(村山富市や加藤紘一が日本の経済破綻を念願したのも、
彼らが既存の特権階級に位置していたから。)
つまり、「飢饉の結果、幕末の東北には旧来の特権階級だけが居残っていた」のさ。
>>86 えっと、幕府側も新政府側も一番おそれていたのはナンですか?
徳川時代は中央集権国家ではなかった。各藩の独立採算性だった。
それを中央集権にするのが大変だった。一部では戦争が起きている。
明治維新が簡単に成功したように思えるのは錯覚である。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 09:27:28 ID:HuiWkYeG0
明治維新が成功できたのは
維新の被害者とされている武士たちが現在の状況をなにげに理解していたから
だと思う。
しかも、結局士族は没落しなかったんだし。リストラっつたって、公債証書でたし。
教育を受けさせたもの、官員になったのも士族が多かったし。
教育を受ける→いい大学→官員という循環も生まれる。
だから、結局明治維新によって社会は、政治や上層支配層しか変化はばく、
民衆はそれほど変化しなかったといってもいい。明治も後半までは
士族や華族の時代だったんだ。
それが、明治も後半になってようやく平民も教育が行きとどくようになって
社会層の組み換えが行われていって、現在の社会のようになっていった。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 17:46:51 ID:jQzhTrp00
明治維新が成功した理由の一つは寛容な革命であったことがあると思う。
幕府方の武士でも帰順すれば場合によっては政府の重鎮になれた。必要な
人材が(元)敵であっても生かされていた。
>>90の教育にしても幕藩体制
士農工商の時代を打ち砕き教育が行き届くのにそれくらいの時間が、掛か
っても仕方の無いこと。むしろ、教育が人民に行き届くのが早いほうかも
知れない。当時の欧米では国民にどれくらい教育が行き届いていたかも、
比較する必要があると思う。欧米の教育水準は知らないが。
維新後に何度も不平士族の乱が起きた。士族の中には不満に思った人もいる。
西南戦争は最後の一つで、それ以前にも佐賀の乱、萩の乱等の反乱があった。
そのときの政府は過酷なまでに攻撃をした。
結果的に国内が治まったから、維新が平和に終わったと錯覚している。
明治政府が士族を登用したのには不平士族を宥める目的もあった。
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 21:32:30 ID:FRqUzH330
明治維新の罪と言えば、
政府首脳が、薩長によって独占されてたこと
国会ができても、長い間首相は薩摩と長州が交代で任命されたし、
元老院が政界を牛耳っていた
また軍幹部も薩長で固められていた
人材を全国に求めるのと一部の地域に求めるのでは、雲泥の差
結果として、戦争に突き進み負けてしまった
短絡的だな。
つーーーーーか、人材を薩長で固めている間は、上手くいって、
全国から求めたら、戦争に突き進み、負けてしまった気がするんだが。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 22:05:43 ID:omnWWAFfO
擬似相関だね
大東亜の敗戦を迎えるならいっそあのまま薩長の藩閥政治に任せておいたほうがいいと思うがな。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 23:36:02 ID:6UYiRMGQ0
関東・東北人が参加した政治が始まると……世界に戦争を吹っかけて敗戦した。
民主化が全然逆効果になってしまった。
これでは薩長藩閥政治の方がマシ。むしろ明治期の有司専制は、
政治の迷走を避けるための最善の行為だった、ということになる。
藩閥政治を批判する人は、それより良い政治を作ることに失敗した
大正デモクラシー期の無能さを反省すべきだろう。
体制の差?
列強に植民地化される危機感が共有できる幕末あたりと、
日清日ロ後で危機意識に差がおおきくなってきた後では。
太平洋戦争の前の話は別のところで議論した方が良いかも。
そこは明治と別にじっくり話した方が良い。
明治初期の薩長藩閥政治がどうして成功したのかよくわからないが、
富の独占とか、地位の独占による弊害もあったと思う。
>>100 西日本と東日本の危機意識の差というべきだね。
西南諸藩は租借地などを、欧米に狙われていたのがあったため、
欧米に対して、極度の警戒を払っていた。
>>101 地位の独占により安定した政権が生まれる。
それにより、中長期的な国内開発と外交が可能。
また国策を纏めやすいため、内外に堅実な政策が実行できる。
これが昭和期に壊れだし、薩長の高官が次々に引退してくると、
指導層は国内をまとめきらず、
また権力が分散していたのもあり、国が迷走することになった。
また国民を抑えきれず、政党の力が強くなったため、
世論に迎合した過激な対外姿勢をすることになった、今の韓国みたいにね。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/13(火) 11:31:21 ID:HDmZalxZO
明治維新は遣韓論の決着で終焉した
あの一件で自浄能力を失った官僚政治が確立され現在に至っている
腐敗政治を打破するのが維新だったが、ミイラ取りがミイラに成り下がった
ただそれだけ
功と罪が同一なので語りようがない
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/13(火) 15:30:36 ID:8xJ6thta0
すると大正デモクラシーの実体がどうなのか気になるところ。
あそこがよくわからない。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/13(火) 21:43:25 ID:HDmZalxZO
>>105 つ【気の迷い】
あるいは
つ【国民を共犯にする為の布石】
もう一つ
つ【背伸び(先進国入り)したいお年頃】
…どれもありそうでやだな orz
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/14(水) 17:33:50 ID:hkPkeFR20
明治維新ってどこまでだろう
やっぱ国会開設くらいまでかな?
108 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 21:23:54 ID:BCRolqpH0 BE:271593296-##
//
_//
/ ||_ノ __________________
\/// ̄\ /
|> <_> \ | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
く\___| <
|∇ \ | 明日宮内庁を爆破する。
\__/ \
|≧||≦ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
誰か通報した?
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/15(木) 02:08:49 ID:zKyEEhm30
>>107 本当にどうなんでしょうね。
明治維新は維新の三傑全滅までかな?
国会開設までか
定義はどうなのだろうか?
日韓合邦の核にある思想は、「アジア全体」のための理想などではなく、
日本や天皇はチョソ由来だとするトンデモ説だった。
樽井藤吉は「日本の号は、東方の義に基き、韓人、都怒我阿羅斯および新羅王渡沙寐錦に始まる」
などと大東合邦論で主張し、
日鮮同祖論で皇国史観を支えた金沢庄三郎にいたっては、
「朝鮮は神国なり」とし国家神道の原点を朝鮮に見いだしている。
日韓合邦という狂気の根底には、日本にもぐり込んだ朝鮮人集団とその子孫による
潜在的な祖国回復願望が強い動機として働いており、ある種シオニズム運動に近いような気がする。
明治維新で朝鮮系の長州人に権力を握らせたことが誤りだったね。
>107,110
維新、憲法発布か帝国議会の制定あたり。
後半は、条約改正 だろうか。
治外法権撤廃、関税自主権の回復によって帝国主義の完成を見たわけだからな。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/16(金) 00:30:33 ID:L3+0BxGn0
辞書で調べたら明治維新は一般的には西南戦争の時までだそうです。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/17(土) 00:42:34 ID:qjf/A1xK0
西南戦争といえばわが国最後の内戦といわれているが
この戦いは避けることが出来なかったのだろうか?
一説によると西郷隆盛自身は新政府と戦う気は無かっ
たという。ならば、大久保と西郷で歩み寄りが出来た
かも知れない。そこに、当時の越えらない壁があるよ
うに思う。歩み寄れれば日本はもっと良い国になった
家も知れない。維新の三傑も理解しあうことで3人とも
もっと長生きして戦争しなくても済んだかも知れない。
歴史のIFだけど。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/17(土) 01:44:11 ID:xT6fCBWMO
>>115 西郷にとって、武士を戦わせて負けることで、
武士の時代の終焉を印象づけることが目的だったんじゃないの。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/17(土) 23:04:46 ID:uyMHkHbm0
四民平等の前には、武士は階級としては滅ぶべきだったのさ。
西郷隆盛はそれをわきまえていたから、西南戦争では何一つしなかったのだろう。
だが、武士階級の崩壊を認められなかった人間が多かった。
西郷隆盛の決起は、西郷にとって一種の巻き込まれ事故だった。
西郷は戊辰戦争でも、作戦を考えたりする立場じゃなかった。
日本の将軍ってのは、部隊をまとめるものであり、
実際に作戦を考えたり、指揮するのは参謀のお仕事。
だからなにもしなかった、というより、なにも出来なかったのだと思われ。
なので、実際に戊辰戦争で参謀をつとめ、五稜郭を落した山田が出てくると、
ボロ負けしてしまったのだと思われ。
てか西郷隆盛は軍人か?軍事実績はかなり少ないだろ
目立っているのはむしろ調停能力
第一次長州征伐、薩長同盟、江戸開城・・・
剣も振るえなくて何の軍人か
あとこのスレで征韓論をまともに信じてる人はいないでしょうね?
藩の下っ端役人時代は経理を得意とする有能な事務屋だったし、
工作員としては島津斉彬に絶大な信頼を得るほどの凄腕。
島流しからの、幕府や長州相手に見せた調停能力は言うにおよばず。
実は西郷って現場で働く分には木戸や大久保なんか比較にならないくらい優秀なんだよな。
なのに維新後は木戸のように具体的な理想を提示することも、
大久保のように権力を握って組織を統率することもできず、
結局身内が暴走して、政治的にも軍事的にも考えられん失敗を重ねた挙げ句自爆。
宮沢喜一みたいに、本来の能力はもの凄いのに
地位が上がるとダメになる人っているけど
案外西郷はそういうタイプだったんじゃないか?
南洲遺訓を読んでみ。
明治政府と体質的に合わない人だって分かる。
>>120 それは違うと思われ
・廃藩置県を滞りなく実行
・四民平等の政策断行
・清との修好通商条約批准保留(清が)を調印まで持ち込む
全部大久保・伊藤らが外遊している間の政策
その中心にいたのが廃藩置県のために引っ張り出され留守番参議の筆頭格にいた西郷
これで
>本来の能力はもの凄いのに地位が上がるとダメになる人
と言えます?
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 00:18:29 ID:skjQmy+g0
西郷は大久保利通と最終的に目指すところが違っていたと思う。
又、別の面で言えば海外視察組みと居残り組みの確執でもあると
思う。目指すところが違うといえば木戸孝允も違っていた。
維新の悲劇。それぞれ素晴らしいものを持っていながら日本の
未来を心底考えていた三人だが歩み寄れなかったこと、維新の
痛みだろうな。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 00:31:58 ID:061k9IyJ0
>>122 廃藩置県は木戸、そしてそれを助けた大久保の功績。
西郷はただの抵抗勢力、はっきりいって、なにもしていない。
軍権も山県が握っており、なんら影響力はなかった。
なお外遊前のはなしだが、これを済ませてから洋行したの。
四民平等も木戸だな。西郷はまたしても抵抗勢力。
条約も西郷の手柄じゃないし、この調印の内容は、欧米に危機感を与えた失敗の面もある。
さらにいうと、洋行の間の、学制、徴兵制などは、全部革新系の官僚の仕事で、
西郷の手柄じゃない、
俺から言わせれば、元々ろくな能力もない人間が、上に上って、
部下の言い成りになっていただけだな。
それも、つかえない上司の典型。
彼がいなくとも、明治維新の結果はよくなることはあっても、
悪くなることはない。
西郷が海外視察にいかず国内に残ったのは、長年の持病であるフィラリアの悪化で、
海外長期滞在が困難な健康状態だったから。
西郷隆盛は、実際には上野公園銅像のような着流しで出歩くことは稀で、洋装を好んだ。
守旧的な性格ではなくむしろ新し物好きだった。
陸軍大将だったとはいえ、近代的な軍事技術に通暁していたわけではなく、専門分野は農政と経理。
台湾の李登輝も専門は農政だが立派なもんだぞ。
>>124 ありえない、はっきり言ってありえない
むしろ無能なのは欧州組
当の欧州遠征なんかたった今イラク暫定政権の首脳が揃って
「経済援助を得るために半年外遊してきます」
ってのと同レベル、通信・交通能力を考慮すればそれ未満
それでもって本筋の交渉には失敗して「勉強してきた」と片付け
挙句帰ってきて最初にやったこと何?長州閥絡みの疑惑揉み消しだよ
これでも欧州組は有能?
あ、そうそう、征韓論後の政府は言論統制を敷いているんだよね
それをもって「四民平等」を語って下さい
もう一つ、仮に全部欧州組の手柄で西郷が無能なら
何でわざわざ薩摩に引っ込んでた西郷を引っ張り出したのか
更に留守居役の筆頭に据えて一年以上ほったらかしたのか
それをきちんと説明できますか?
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 19:31:06 ID:tTd/clyY0
単なる佐賀県人なんじゃないの?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 22:03:13 ID:fBTEiGXh0
西郷の功績は幕末の頃が大きかったと思われる。
薩長同盟を曲がりなりにも締結し(土佐藩の志士
の助けは必要だったが)、江戸城を無血開城に
導いた。江戸城が無血で開城されることで江戸が
火の海にならなかったという。
幕府要人へのその後の処置も変わったのだと思う。
その後の西郷は薩摩の不満分子をなだめようとして
いたのかもしれない。大失敗に終わったが。
>>127 陸軍、山県がらみ(おそらく)の汚職を揉消した、
西郷がそれをいうかね。
陸軍には薩摩の関係者がゴロゴロいたから、飛び火するまえに、消したのにさ。
>更に留守居役の筆頭に据えて一年以上ほったらかしたのか
だから西郷にはなにもすんなと、置物として残っていろといって、
有能な人達は洋行したわけ。(12ヶ条の約束もしらんのかなあ?)
けど、大隈、井上、山県、江藤などの革新系の官僚が残っていたから、
自分達のボスのいない間に、無能な西郷をそそのかして、
天皇の巡幸につき合わせたり、薩摩藩主を宥めるのにつかい
中枢を空白にして、改革を断行したわけ。
あと、洋行するまえに、日本の舵取りをして、
洋行したあとに舵取りをしたのは、どちらも洋行組。
残留組みは、大隈、井上、山県を除き、どちらにもろくに参加していない。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/19(月) 22:30:57 ID:A/lQdDL80
>あ、そうそう、征韓論後の政府は言論統制を敷いているんだよね
>それをもって「四民平等」を語って下さい
四民平等と、言論統制になんの関係があるのか教えてください。
そして、井上と渋沢が切れて辞めて、新聞を使って、江藤を糾弾したわけですが、
それに怒った、江藤が弾圧して、言論統制したんですけど、
留守政府の言論統制についてはどー考えておりますかな?
>>131 >陸軍、山県がらみ(おそらく)の汚職を揉消した、
>西郷がそれをいうかね
>陸軍には薩摩の関係者がゴロゴロいたから、飛び火するまえに、消したのにさ
証拠は?推測だけなら誰だって出来ますよ
てか揉み消しをするならまず江藤を止めるでしょ
それすら出来ないほど無能だったとでも?
あと何か西郷アンチはすぐ12ヶ条の約束を持ち出すけど
だからって大事な時期に1年間留守にした免罪符にはなりません
そのことはスルー?
舵取りが済んだから置き物に何も手出しさせないようにしてお出かけ〜って
オートパイロットでもそんな無謀はしませんよ
まして当時の政情がそんなに安定してました?
それを踏まえて考察すればそんなこと言えないはずですが
>>133 >てか揉み消しをするならまず江藤を止めるでしょ
止めるつもりがなければ、事件をうやむやにして放置しない。
証拠うんぬんは、全て山城屋が処分しているから、
山県はおろか、会計責任者も辞任ですんでいる。
>だからって大事な時期に1年間留守にした免罪符にはなりません
重要な廃藩置県は洋行前にすませています。
よって藩レベルでの反乱がおこる可能性は非常に低いです。
そして不平士族の反乱は、徴兵令、秩禄処分などを行ってからなので、
まだ起っていません。
そして帰るまで、なにもせずに、大人しく留守番しとけといって、
有能な方々の多くは洋行したわけ。当面の問題は全部片付いたからね。
当時を考察すれば、当時が安定していた時期だったことくらいわかると思いますがね。
つか安定していなければ、まだ急いで改革しなければならないことがあれば、
洋行などしませんよ。
考察が不充分としかいえませんな。
そもそも留守政府をまとめきれておらず、
井上、江藤の対立を放置し、
洋行組との摩擦をおこした時点で、
西郷には、調整能力と、統率能力が根本的に欠如していると言わざるをえません。
かといって、改革を模索する思考力も、おこなう実行力もないし、
置物以外、どう形容するべきですかな。
136 :
127:2005/12/20(火) 01:01:44 ID:wdQymC6WO
判りました。自分が俗説にいかに踊らされていたか…あーやだやた。
てことは西郷の実体は
『評価できるのは人ウケする外ヅラだけで
約束も守れず周囲の妄言をホイホイ聞き入れてしまう無能な
文字通りのidol(偶像)』
でFA?
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/20(火) 05:47:38 ID:s5c8TFwg0
西郷は幕末の混乱時に活躍できる能力は持っていたが、
平和になったあと、実際に国を統治する能力が足りなかったのでは?
まったくの無能ではないと思うよ
で「陸軍には薩摩の関係者がゴロゴロいたから、飛び火するまえに、消した」っていう証拠は?
あるのは状況証拠ばかりだが。
>>138 証拠はないな.
だが、それをいえば、山県や井上とて、証拠などない。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/21(水) 01:27:34 ID:n/EwXEV70
その頃は薩長の派閥争いが激しかったから
もみ消しもあれば捏造もある。
明治時代の多くはそれに費やされていたかも知れない。
木戸孝允はそれを憂いたと思う。
木戸の願いは万人の永遠の幸せだったとも言う。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/22(木) 01:37:35 ID:JDgdbLzt0
大久保利通は陰険だとか言われ人気が無いけど
本当はどうなのだろうか。この次期強く無理にでも
変えるべきを変えるには彼のような個性が必要と思うが。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/22(木) 01:41:02 ID:XYWohwdf0
日本の近代は東北民(アイヌ)へのホロコースト及びジェノサイドの歴史
である。
理由:
1、東北民は純粋な倭族では無く、アイヌの傍系民族だった。
2、当時東北が飢饉であったにも関わらず、食糧援助を
せずに故意に見殺しにした。
3、東北民は、明治維新という強制的な近代化に組み込まれることを拒
否したにも関わらず、第三次東北侵略(戊辰戦争)によって植民地化され
、強制的に組み込まれた。
4、過去、奥州藤原氏、上杉氏、伊達氏、会津藩などの繁栄があったに
も関わらず、近代化による産業革命によって産業が発展しえない程の搾
取が行われていた。
朝鮮半島の現代は北朝鮮人民へのホロコースト及びジェノサイドの歴史
である。
理由:
1、北朝鮮人民は純粋な朝鮮族では無く、満州の傍系民族だった。
2、当時北朝鮮が飢饉であったにも関わらず、食糧援助を
せずに故意に見殺しにした。
3、北朝鮮人民は、南北統一という強制的な近代化に組み込まれることを拒
否したにも関わらず、中国によって植民地化され
、強制的に組み込まれた。
4、過去、高句麗、渤海、新羅などの繁栄があったに
も関わらず、近代化による産業革命によって産業が発展しえない程の搾
取が行われていた。
高句麗、渤海は満州族だと思われ。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/23(金) 22:18:40 ID:KEYeuQiX0
朝鮮半島のこと書いてもいいけど
明治日本と関連付けて書いてもら
いたいものだ。根拠の無い誹謗中
傷なしに。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/24(土) 17:45:58 ID:xIAZ3nzcO
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
アメリカは今もその路線ですが何か?
中国なんか一党独裁でそれをやってますが何か?
外国人顧問団の反対を押し切って議会を開いた勇気と、
鎖国〜開国の混乱を何とか治めたことだけでも相当優れた政府だったと思うけどな。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/24(土) 21:33:20 ID:mv7k74S70
>>147 明治維新時の国際情勢、日本の国力からいって
富国強兵、殖産興業の路線に入ったのは止む得
ないことだったと思う。日本の植民地化を避け
早急に欧米に引けをとらない国にするために、
行った政策で、一般国民、労働者に大きな苦し
みを与えることにもなったが近代の東洋で、欧
米に引けをとらない国になったのも事実。光、
闇混在だったと思う。そして、この事実を踏ま
えてこれからの国のあり方を考えていくのが、
大切ではないだろうか。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/24(土) 22:42:22 ID:bRM9aQMT0
東日本がソ連になっていたら?
謀略もなく平和に事が進む政治と言うものが有るのかと(ry
むしろ今の政治が見習うべきはその謀略の手法であるだろうし
それを国際外交の場で上手く使う腕力だな
そう言う意味で
>>149は慧眼である
と言うか維新=軍国主義ってどっから突っ込んだらw
とりあえずアジアの連中にはもっと高圧に、狡猾に行ってほしい所なんだがね
だまれ長州の低脳
153 :
だつお:2005/12/25(日) 21:40:55 ID:0viwAlK+0
「教科書が教えない歴史」は、何十回も繰り返し読んだが、
大陸打通作戦の栄光については一言半句の言及もなかった。
明治時代は良かっただと?
新撰組の近藤勇や土方歳三が討幕派の志士達をバッサバッサと斬り捨てたり、
佐賀の乱やら西南戦争やら足尾鉱毒事件やら女工哀史やらで内紛が絶えず、
平均寿命も40歳くらいで人が簡単に死ぬ世の中に戻りたいのか?
戦国時代だったら、国の政治を論じる必要なんて全くないんだろうな。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/25(日) 22:12:28 ID:bnIPA79G0
つーか新撰組は江戸時代だから。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 00:15:56 ID:HGz/bhCq0
西南戦争以降大きな内乱は起こっていない
足尾銅山の事件でも政府の要人でも真剣に
考えようとした人(例、榎本武揚)もいた。
女工哀史のような労働条件も少しずつでは
あるが改善されていきつつあった。
平成の現代に至まで紆余曲折軍部の台頭、
戦争と言う大きな痛みを超えて至った。
混乱した社会を少しずつよくしていこうと
いう原点が明治維新にあったのでは。その
天で明治は近代日本の始まりの時として、
評価して良いと信じる。
>>153のように批判もあるだろうがその方の
いう日本のマイナス部分にも耳を傾け、より
良い国にしていこうと全国民と共に考えてい
こうよ。
100年後の人民が平成ってひどい時代だったのね
とおもわれるように日本を世界を変えて行く努力
を一歩一歩進めることができればと思う。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 06:37:56 ID:AFbb0ReoO
資本主義による貧富の差の拡大と、軍国主義による国家間の軍事的緊張は、
当時の欧米列強諸国の共通の課題だ。
冷戦下での西側陣営のパクスアメリカーナで達成できた
昭和後期の日本の豊かさを当たり前のものだと思いこんで、
19世紀に民主主義が徹底し、かつ平和で福祉国家の理念が
行き届いた日本が実現しえたという妄想を抱いている人は、
いったいどんなオツムの構造をしているのかね。
157 :
だつお:2005/12/26(月) 11:57:03 ID:qa0Tty6h0
アメリカ合衆国下院は2003年9月9日、米国人のキューバ訪問禁止解除の
法案を可決(今回で4度目の可決、賛成227、反対188)。10月23日には上院
も同趣旨の法案を可決(賛成59、反対38)。いずれもブッシュ大統領の所属
する共和党主導で行なわれた。連邦財務省の試算によれば、2002年に合法的
にキューバを訪問した米国人は約16万人で、うち半数はキューバ系米国人、
ほかに人権団体、教育関係者、ジャーナリスト、外交官など。それ以外に
罰金・禁固刑のリスクをかえりみず、カナダ、メキシコ経由で違法に
キューバ渡航する者も多いと財務省当局はみている。レーガン大統領の時代、
罰則は25万ドルの罰金と10年の懲役へと引き上げられている。渡航禁止が
解除された場合、初年度の渡航者は100万人に達すると財務省は試算。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90 右上がりの傾向線より右下にある国、すなわち所得水準の割には
平均寿命の短い国としては、米国、アラブ首長国連邦、南ア、ボツアナ
などがあげられる。米国は、1人当たりの所得ではキューバの11倍の
水準となっているが、平均寿命は77.3歳とキューバの77.1歳とほぼ同等
である。医療制度の問題、国内の貧富の格差の問題(図録4650参照)
などが背景にあると考えられる。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1620.html
>>157 これでキューバも経済発展できるのかな?
頑張れカストロ!
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 19:40:25 ID:9ehuNtpQ0
でもアメリカ文化が流入したら平均寿命は下がりそうだな。<キューバ
160 :
だつお:2005/12/26(月) 20:50:53 ID:qa0Tty6h0
アメリカからのキューバ渡航も近年増えているが、
平均寿命はアメリカと同じ水準のままで推移してるぞ。
戦前の日本みたいにアメリカから露骨な経済封鎖を受けない限り、
結構順調にやっていけると思うぞ。いやまた仮に受けたとしても、
国連で他の国に支持してもらえばアメリカは怖くなくなるしな。
何主義の国であっても、同盟無しで存続するのは不可能に近い。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 21:53:17 ID:x3aemGp+0
>>156 当時の欧州で課題だと思っていた人は少数派だと思うが。ビスマルク外交華やかりし頃だぞ。
戦争が起きなかったのは、欧州の話で、
殖民地では逆に、戦争が頻発していたのが、当時の現状。
で、日本は食われる殖民地側なんだな、これが。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 00:20:30 ID:5U4Tkh0i0
日本が植民地化されなかったのは欧米の諸事情による
幸運であったことは否めない。日本が軍国主義化した
ことの一つは欧米の植民地化を防ぐこともあった。当
時の考え方からいえば軍備増強は必然のことであった。
時代の限界とも言えるが。
>>163 帆船の時代だったら?日本も欧米の植民地とされていた可能性がある。
だがその当時の日本は、火縄銃での武装が成功したので、植民地化されずに済んだ。
しかし、江戸時代末期、欧米は汽船の時代に入っていた。汽船は速度は速く、武装も強力になったが、
航続距離は帆船より低下した。欧米から日本へは、石炭と真水の補給基地の関係で、直接攻め込めなかった。
そのギリギリのバランスで、日本は独立を維持できた。
イギリスが支那との戦争に勝てたのは、中継基地の存在と、船で大軍を移動、輸送する速度が、
陸上で軍を移動、集中させる速度に勝っていたから。
鉄道が発達し、陸上での軍隊の輸送、配備が高速になってからは、
英国は支那と戦争していない。戦えば、兵力と補給力の差で、英国が負けた可能性もある。
>>160 受けない限りってケネディのクズからもう40年近く受けっぱなしじゃん。
アメ大企業と逃亡地主からの没収財産の分配とソ連からの支援で成り立ってた国だぞ。
国内工業化も失敗したし。
ただこれだけアメリカにボロボロにやられながらも国内での社会格差が大きく開かないような
国づくりができてる辺りやっぱりカストロは偉い。
徳川幕府も下手に援助受けたりしてたら日本のバチスタになってたかもね
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 20:09:27 ID:D6pnoErQ0
まあ、アメリカは自分の国が一番で他国は自分に従うべきだと
思っているようですからね。
二酸化炭素散々出しておきながら京都議定書には調印しないし
牛肉を無理矢理買わせたり自分中心なところがある。それが伝
統。南北戦争のことで幕末維新の頃日本どころじゃ無かったの
が幸いだったかもしれない。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 23:03:44 ID:FFyeGKT60
会津に住む太郎さん(仮名)65歳の証言
:「大和の連中は、戊辰のドサクサに紛れて、アイヌ部落を皆殺しにしてまわった。
奴らは、女子供も関係なく、人狩りを行い、殺しては、焼いて、骨を潰して、荷台一杯
になると山に捨て去る。会津以外にも東北全土でやったんじゃ。なぜかというと
、薩長の偽幕府の命令だったからじゃ。わしも仕方なくやったんじゃ。そうしなければ、
わしも殺されとった。わしは初め拒んどったが、そういうと、薩長の兵卒から足を銃剣
の柄で潰され、ほんとに殺されるんじゃなかろうかと思った。しかし、
わしの痛みよりも、アイヌの人々の痛みを考えると、わしは殺されても
拒むべきじゃった。」
会津に住む太郎さん(仮名)65歳の証言
会津に住む太郎さん(仮名)65歳の証言
会津に住む太郎さん(仮名)65歳の証言
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/30(金) 00:00:00 ID:SqQJ+vsrO
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/30(金) 00:03:14 ID:1kHSBST7O
開国に大反対の孝明天皇を毒殺した薩長&岩倉は16歳の幼い明治天皇を擁立させ徳川幕府を潰した。
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。
近代の天皇の悲劇はここから始まった。明治天皇は価値の無い下級武士にこき使われた。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/30(金) 12:36:06 ID:SqQJ+vsrO
官軍と呼ばれた人達が作製した大日本帝国憲法は間違い?
なぜGHQは大日本帝国憲法を解体したのか?
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/30(金) 22:27:04 ID:6scM7X1A0
>>171 天皇中心主義を止めさせたいだけだったのでしょう
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/31(土) 01:23:17 ID:LCOsFlos0
当初の意志を曲げて、富国強兵に邁進した後は、
再び初心に立ち返り、尊皇攘夷を実行するべきだったね。
今からでも遅くない。早く鎖国しよう!
(鎖国=嫌いな国とは付き合わない…取り敢えず、支那チョンロシアだな!)
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 22:45:53 ID:7/oRxCdHO
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 23:18:59 ID:m7So6ymz0
明治天皇が在日朝鮮人だったこと(いわゆる現在のそれとはもちろん意味が異なるが)。
それを担いだ長州勢も山内イデオロギーの百済末裔だったこと。
彼らは見事に北朝天皇家を乗っ取りこの国の権力を掌握したこと。
ここまでは朝鮮人も言うくせに、
その後1300年間の夢だった祖地奪還を朝鮮合併でなしとげたこと。
つまり過去に日本に来た朝鮮人が祖先の地に戻り近代の朝鮮半島で
権力を復活させたことにはだんまりを決め込む、
そんな現在の朝鮮人はずるいと思う。
ま、そんなこといえば朝鮮併合が身内の争いだとわかり
謝罪と賠償とか言えなくなるからなw
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 23:33:39 ID:g1EG1EOP0
なにを言っているのかよくわからん。
独りよがりな文章を書く前に国語を勉強しなさい。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 23:38:49 ID:mH5vaURV0
富国強兵は一体誰が言い出したのか
何だこのスローガンは!
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 23:39:09 ID:7/oRxCdHO
>>177 相も変わらずなその電波を、IDの出る近代史板で発信できる行動力を評価したい。
多くのお前の仲間たちは、未だに日本史板にこもって暴れてるのにな。
小泉−安倍は薩長の末裔ということでどうも好きになれん。
おまけに長州の連中ときたらデタラメな国家神道カルトをでっちあげ、
仏教排斥だけならまだしも肝心の神道施設やら鎮守の森まで金に換える始末。
でっちあげ国家神道の残照=靖国を作った連中と
それを今日批判している連中が同胞なのがわらえるw
あいつらって今の消費者ローン、パチンコやってる朝鮮人とDNAがいっしょじゃん。
拝金唯物のゴロツキが維新のどさくさにどれだけこの国を荒廃させたか。
それがずっと第2次大戦まで続いていく。
>>182 東条英機とか、山本五十六は何藩(県でもいいや)出身?
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 01:27:50 ID:GZOY1qfv0
東条英機=南部藩(盛岡県)
山本五十六=長岡藩(新潟県)
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 01:48:20 ID:x97jrFcpO
>>183-184 いや、その人ら個人はまだ健全な部類だよ。
黒幕は、その取り巻きや支持母体にいた。
新潟と岩手は戦後も田中角栄や小沢一郎を通じての利権政治どっぷりだもんな
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 12:25:09 ID:aTYc18iZ0
>>186 新潟と岩手にかなり失礼な気がする
田中角栄は好きな人も嫌いな人も多く
駄目との評価は即断としてはできないし
小沢一郎はこれからも見ていく必要があるでしょ。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 15:16:39 ID:sSdw3dlg0
好きか嫌いかって要するに利権誘導を必要悪として肯定するかしないかの違いじゃん。
廃仏毀釈で思い出したけど、タリバンの大仏破壊といっしょで
あれは宗教的な理由は建前でたんなる地元民への恐喝みたいなもんだよな。
鎮守の森は伐採が禁じられていたから巨木も多かったし
当時は木がお金になったからヤクザくずれが国家神道をたてに
各地の神社で大木を切りまくった。官僚がおぜんだてしてピンはねもしていただろう。
それより罪深いのは落葉樹林を伐採してスギみたいなつまらん木を
全国に植林していったことだ。
保水力を無くした山林は水害を招き、今日花粉症を蔓延させた。
今頃、里山を大切にとか言ってるけど食料を供給しない針葉樹林では
熊もエサを求めて里に降りるしかなく、はては人に銃殺される始末。
縄文的な価値観だと自然との共生が日本人的だと思えるが
効率的に経済優先で自然破壊しまくるのは今のシナクオリティといっしょ。
ほんと明治維新政権て何人よ?
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 16:39:25 ID:sSdw3dlg0
いやはや。単純なものの見方するんだね。ホント。
おらが村サで、昔の人は境内に桐の木を植えて大きくなると
売って、修理費にしたんだと
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 18:43:55 ID:a0Lrmg910
113 :日本@名無史さん :2005/10/28(金) 23:00:47
>>1 日本が半島開発に熱中したのは明治維新後の約半世紀。
国民は日本人と朝鮮人は同祖だとするトンデモな迷信が信じ込まされた。
日本史の中で最も異常な時代だろう。
すべては「先人」じゃなくて明治政府に潜入した鮮人の仕業だ。
118 :日本@名無史さん :2006/01/08(日) 18:33:32
日本で儲けて半島に資産を移す。
明治政府と在日企業(ロ○テ、サ○スン、パチンコ屋等)は全く同じスタンスだな。
>>187 新潟と岩手の人には神様だな。
だがそれ以外の県の人間にとっては、税金ドロボーと同じ。
国の金を特定の地域に横流ししているわけだし。
>>189 当時は日露戦争後で、売れるものはなんでも売れって時代。
ここで山守って、国を売る事になったら駄目でしょ。
で結局国はアメリカに売られたわけだが。
次は中国に売られようとしている。
とても日本人がしていることとは思えんね。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 21:36:22 ID:beJL7tsG0
アメリカに売られたとは思わないけどね
必要な時に必要な異文化を受け入れただけ
誤ってると思ったら改めるというのが美点
行き過ぎて自文化の破壊を起こすことはあるが。
田中角栄から金が万能、という風潮が広まった。
日本人を根底からダメにした罪は大きいだろう。
拝金唯物は明治維新政府からだろ。
静かな山村を歩いているといきなり自動車道の高架が見えて
興ざめすることがあるけど、列島改造が日本の美観を大きく損ねたのは事実。
でも土木で設けようとし出したのは明治の官僚たちから始まっている。
山岡鉄舟がやくざ集めて富士の裾野の開墾とかしてるうちはよかったけど
農業から土木に仕事がシフトしていくと金儲けのためだけに山を切り崩すことが
当たり前になった。しかも地方へ行けば土建屋はやくざの生業なんて
ありがたくない伝統まで残すし。
今、地方の選挙が実質、土建やくざの生存権奪取行事になっているのも
維新政府の負と遺産と言っておこう。
>>186 利益誘導型の政治家は何もその二人だけではなく島根にも広島にも京都にも福岡にも・・・
各地にいくらでもいるぞ。
ただその二人が特に突出していたというだけの話であって、じゃ利益誘導型ではない小泉みたい
な政治家が正しいかといえばそうでない場合もある。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/19(木) 01:54:20 ID:aI6iZli/0
明治初期の頃はただ単なる利益誘導では日本が成り立っては
いけなかっただろう。維新の志士と呼ばれる人たちは日本全体を
考えていた。それがうまく行ったかどうかは別として。
利益誘導できるのは国が安定しているからこそで平和である証かも
しれない。だからと言って利益誘導型の為政者を好とはしていない。
国会議員なら、国全体、21世紀の国会議員なら世界を見ることが出来
る人を望む。
>>199 >維新の志士と呼ばれる人たちは日本全体を考えていた。
説得力ないなー。
「維新の志士と呼ばれる人たちの中には、日本全体を考えていた人もいた。」
程度にしておけば良いのに。
明治以後まで生き残り、政府に残ったものは、概ね日本全体のことを考えていたと思うが?
個人的な損得や、利益誘導をしていた志士ってだれ?
あ、勿論薩摩などで、反乱した人は却下ね。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/19(木) 02:11:45 ID:v418ngD/0
では維新の他の志士は何を考えていたの?
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/19(木) 12:20:06 ID:0xKrnoA3O
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/19(木) 12:27:44 ID:3Rp0Jqcm0
維新のせいで野暮ったい近代日本社会が形成された。
薩長土肥の田舎侍ズレが成り上がり、
優雅な京都の公卿たちも多くが関東に下ってしまった。
そして、今もなお、かかる泥臭い社会が続いている!
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/19(木) 22:23:51 ID:+On8OCEM0
軍国主義にならざるを得なかった時代背景もあるだろうし、
今の日本の世界的な位置を考えれば、先祖たちのおかげであり、間違いだったとは思わない。
優雅さがなくなって混沌としてるのは西洋文化の影響だろう。
維新の元老たちなんて悪度さ・狡猾さでは現在の野中・古賀に10倍してると思えるが。
岩倉なんてどうみても悪役ヅラだしw
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 01:28:20 ID:WhaXG/Q00
>>206 顔で決めるな。
良い悪いは見る人の立つ場所の視点で変わってくるだろう。
彼らがいかなる動機で動いたかが分かればいいのだが。
明治維新の本質は律令制への復古。
要するにおそろしくカルトな新興宗教で、
革命でもないし近代化とも無関係。
明治政府が最初にやろうとしたことは、
神祇官による政祭一致体制の構築で、大教宣布の詔に基づき、
宣教使による国民洗脳運動を大々的に展開した。
なんだかよく分からないけど、キモチ悪いね。
明治政府は廃仏毀釈などで伝統的な日本文化を徹底的に破壊するんだけど、
これはポルポトやタリバーンなどの基地害集団の凶行と同じ。
明治政府の伝統破壊を「文化革命」と賛美してるヤツは北朝鮮に帰れと言いたい。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 09:14:21 ID:qhPZDd71O
明治維新は天皇を大元帥にまつりあげ利用した。
明治維新は皇室を利用し、いい加減な皇室典範作成した為に今、天皇家は危機を迎えてる。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 10:34:50 ID:yVWX2dMT0
[廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)]
仏教をきらって排斥する運動。
とくに明治維新の直後、1868年(明治元)3月以降に発せられた一連の神仏分離令により、全国的におこなわれた寺院、仏像、仏具などの破壊活動をさします。
江戸時代には朱子学や国学、水戸学から仏教排撃の思想がひろまり、明治政府の宗教政策にもうけつがれました。
神仏分離令の目的は、神社から仏教的要素を一掃し、全国の神社を直接の支配下において、国家神道政策をすすめることにありました。
江戸時代に檀家制度により威勢をふるっていた仏教に対する反感は強く、低い地位においやられていた神官や僧侶から収奪されつづけていた民衆は、
徹底的な廃仏毀釈運動を展開しました。
破壊活動のあまりの激しさと仏教教団からの反対運動のため、明治政府はこの運動の行き過ぎを禁止する通達を出さねばならないほどでした。
地域により差はありますが、1876年ごろまで寺院の破却はつづき、半分近くの寺院が廃絶され、数多くの古文書や文化財がうしなわれる結果となりました。
薩摩藩では、島津藩主自らが率先して徹底的に廃仏毀釈をおこなった。
明治二年で薩摩藩内には、一寺院も無くなってしまったと言われている。
廃寺にともない多数の仏像が破壊焼却された。
明治九年になって信教の自由が保証されると、その異常な状態は鎮静に向かい
寺院も再建されていくのだが、明治になったばかりの一時期は仏式にかえて
神式による葬祭を行うように通達が出される有様だった。
薩摩藩で廃仏毀釈が徹底されたのは、政治思想上の理由のほかに
大小合わせ千余寺にのぼる寺院を廃して、僧侶を還俗させれば
十万石に近い軍費と、多数の兵員を捻出できるうえ
梵鐘を武器製造にあてると、十余万両もの経費を節約できるという
非常時に備える計算などもあったからだという。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 11:44:55 ID:4RKoYosk0
明治維新は別に薩長が起こした訳じゃないんだけどねw。
長州も薩摩も最初は開国を主張して幕府と同歩調だったし。
志士と呼ばれる人達の多くが新政府で栄華を得た訳でもない。
薩摩も長州も明治維新で得たモノは少なく、失ったものの方が大きい。
栄達したのはごくごく一部の人間だけだよ。
その一部の人間達を薩長の代表にして語られてもなぁw。
は?
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 13:29:02 ID:QXQ5O8oS0
↑幕末の知識だけで明治の知識がないヒトには難しい話しだったらしい
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 16:51:45 ID:8RaAMTAGO
小泉は最後の通常国会を明治維新のような…と語ってるが大丈夫か?
安倍は吉田松蔭を尊敬してると言ってるが…
第二次明治維新が始まるのか?
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 19:24:47 ID:aI2tjRS/0
自民が倒れて新政党で政権取ったなら明治維新と言えるかもしれないが、
自民を出る事無く自民党主導政権のままなら幕政改革レベルだろ。
良くて吉宗のやった改革レベル。ま、やらないよりはいいけど。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/23(月) 00:17:35 ID:lkTP2UPB0
>>216 貴方はどの政党が政権を獲ればよいとお考えか?
根拠は?
私としては政党でなくその時の為政者がどう国を
もって行こうとしているかに掛かるかとも想うが。
勿論その政党のベースにしている政治思想を見るのは
怠ってはいけませんが。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/24(火) 00:31:59 ID:Hm/g4Eo20
話は変わるが明治初期の台湾政策は
かなり酷いものだったとも言うが
真実はどうだろうか?
疫病で日本人が死にまくってる。
日本人ににとっちゃ過酷な政策。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/24(火) 14:27:29 ID:aFSGK6aF0
>>212 思想家には実際のビジョンなど持ち得ないからね。
尊王=開国という
ロジックを見抜けるのは実務家でしょう。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 02:07:46 ID:z+owacn/0
奇兵隊等の人々への明治政府の政策は正しかったのだろうか?
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 10:56:07 ID:UNuvbsjU0
正しかっただろうね。
政府の方針は武士の解体による四民平等と藩士から国民への意識転換。
それに伴い徴兵制の実施による国軍の編成だった。
奇兵隊は、最終的に長州藩から藩士として取り立てられ武士となり腰に刀を付ける様になる。
禄も貰うようになり、彼らは「武士になった」と喜び完全に武士化している。
いわば政府方針とは逆行しており、彼らと特例として認めれば不平士族をおさえる事はできなくなる。
まして武装反乱までされては断固たる態度を示すほかない。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 12:33:58 ID:uWjC6cPm0
維新の成功には怒らすと怖い勢力をうまく手なずけることですな。
となると平成維新でいちばん必要なのは
部落マフィアや朝鮮マフィアを士分に召抱えて国の要職に
取り上げる必要があるな。
てかすでに大阪当たりではすっかり支配されてるけどねw
そのような不満分子を抑えきれなかったから幕府は滅んだんだな。
今の日本はそんな幕末の幕府を反面教師にしなきゃいけない。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 13:20:22 ID:ovu0RUz50
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 14:34:16 ID:/J6/5j9Q0
現代を語るのは板違いだ。
政治板逝け
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/30(月) 07:02:42 ID:WZgeweMA0
>>212 水が切って長が収める
全ては成破の約の筋書き通り。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 01:58:57 ID:v+mjwoyw0
維新の三傑とよく言うけど
西郷隆盛は新政府としての働きは
どれほどのものだったのだろうか?
結局は反乱の首領として担ぎ出されたのだし。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 02:14:41 ID:tq4pq4UsO
維新は初期は日本復古原理主義と言うべきもので、途中忠実な欧化の道はあったが真の思いはそれであり、日本を中華になぞらえ、米に冷やされるまでその熱にうなされた。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 02:18:37 ID:tq4pq4UsO
その源流は江戸中期の漢学研究の隆盛にあり、
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 02:31:53 ID:tq4pq4UsO
西郷は日本からアジアに維新を輸出し、西欧の剄から抜ける王道同盟指向した。征韓論西南戦争は政府のプロパガンタで誤解されてるが今のイスラム原理主義みたいなもんだ、技術の西欧派に勝てなかった。維新の理想に殉じたから明治天皇も国民も大好きだった。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 21:05:15 ID:4ugl9xv90
維新の目的は在日亡命朝鮮人の故地奪還闘争。
日本人も天皇家もそれに利用されただけ。
さらに現在に至るまで恨を抱かれるオマケつき。
工作員乙
14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 09:34:50 ID:i2xaKKBa0
維新の目的は長州亡命朝鮮人の故地奪還闘争。
日本人も天皇家もそれに利用されただけ。
さらに現在に至るまで恨を抱かれるオマケつき。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 16:30:54 ID:vNrtxKJV0
>>232 幕末明治維新の革命は日本人がその一部、志士ではあるが
日本全体を考え、どうすれば日本を守り発展させることが
出来るかを考え起こした革命。それが全てうまく行ったか
どうかは別として。
海外の国、外国人のためではない。
あくまでも日本のためにやったことである。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 16:41:07 ID:TIUQI5+t0
>>232は自分が気に入らないことは全部朝鮮陰謀論に結び付けたがる
昨今のうすっぺらなネット右翼の屁理屈。 維新の立役者の
中のどこに朝鮮人が居たのか、証明してみろ!
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 17:01:48 ID:GhwMMhX4O
明治天皇は価値の無い下級武士にこき使われた。
日露戦争では寒い広島での指揮が死期を早めたと言われている。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 18:55:16 ID:hC3lOGoj0
日韓合邦の核にある思想は、「アジア全体」のための理想などではなく、
日本や天皇はチョソ由来だとするトンデモ説だった。
樽井藤吉は「日本の号は、東方の義に基き、韓人、都怒我阿羅斯および新羅王渡沙寐錦に始まる」
などと大東合邦論で主張し、
日鮮同祖論で皇国史観を支えた金沢庄三郎にいたっては、
「朝鮮は神国なり」とし国家神道の原点を朝鮮に見いだしている。
日韓合邦という狂気の根底には、日本にもぐり込んだ朝鮮人集団とその子孫による
潜在的な祖国回復願望が強い動機として働いており、ある種シオニズム運動に近いような気がする。
明治維新で朝鮮系の長州人に権力を握らせたことが誤りだったね。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 18:57:48 ID:hC3lOGoj0
61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/02(木) 06:08:04 ID:D6Ku7jNB0
>>45 >「長州が滅びたら藩主父子と 共に朝鮮へ亡命する」
本当でしょ。
高杉は長州を日本から分離独立させて、
朝鮮や中国とともにイギリスの属国にしようとたくらんでいた。
高杉にこのような売国思想を吹き込んだのは、
もちろんイギリスの死の商人。
イギリスは日本の中の民族問題につけこみ、
朝鮮人(長州)に巧妙に取り入って日本分断に成功した。
>指揮が死期を早めたと言われている。
うまいこといいやがって
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 19:05:37 ID:WG94LAIM0
病院行ったほうがいいですよ
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 19:06:17 ID:WG94LAIM0
hC3lOGoj0
↑
この人ねw
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 20:41:12 ID:5/CTx2TV0
↑お前も病院逝っとけw
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 21:15:27 ID:kq+vcIhH0
↑お前が病院逝っとけw
よし!俺が病院逝くぞ
あとは頼んだ
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 23:56:58 ID:WPLEiptQ0
朝鮮半島は植民地として収奪の対象にはなりえても、朝鮮=日本とはならない。
同様に、朝鮮人は植民地奴隷になりえても、朝鮮人=日本人ではない。
これがマトモな日本人の認識だろう。
しかし明治政府にとっては、朝鮮=日本であり、朝鮮人=日本人だった。
朝鮮半島は収奪の対象ではなく、日本の富をふんだんに注ぎ込み開発すべき楽園だった。
これはかなり不気味なことだと思う。
一部の佐幕厨が言ってるように、
明治政府は在日朝鮮人に乗っ取られていたと勘ぐりたくもなるな。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 06:55:52 ID:i+23D4fT0
>>245の理屈だと
蝦夷地樺太は植民地として収奪の対象にはなりえても、蝦夷地樺太=日本とはならない。
同様に、アイヌ人は植民地奴隷になりえても、アイヌ人=日本人ではない。
これがマトモな日本人の認識だろう。
なるほど。面白い理屈ですねw。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 10:53:47 ID:5rI9JiKb0
つまり、八紘一宇とは
底抜けの民族意識欠落の所産であると
アイヌは政府に弾圧されました
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 12:47:16 ID:j1Vnw4So0
縄文系のアイヌ・琉球こそ原日本人であり、
彼らが日本人であることについて議論の余地は無い。
しかしチョソや台湾人にまで日本国籍を与えるのは、
「日本人」の境界を破壊するための悪意ある行為。
致命的な寄生虫やウイルスを飲み込むのと同じだ。
もしも大東亜共栄圏が無事成立し、
圏内で皇民化政策が徹底されたなら、
中国人・朝鮮人・東南アジア人すべてが「日本人」となる。
日本列島には「日本人」となった異民族が大量に流入し、
政府による混血推奨政策のもとで、
本来の日本人は滅亡の道をたどるはず。
結局、皇民化政策は日本人の勢力拡大ではなく、
実質的な日本人の消滅を意味する。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 13:00:53 ID:FMcUoMUG0
そんなのたてまえだろ。
実際は炭鉱とかでこき使ってたわけだし、昔はもっと差別がひどかったからな。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 13:16:20 ID:eTK1lzk/O
そうか?アイヌとか沖縄は日本人とは思えない。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 13:49:53 ID:mhA8PiqP0
遙か昔は、関東より東は夷。その地に済むものは夷人。九州四国も野蛮人の土地。
日本人は近畿地区にしかいない事になってますが?。なにか?。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 14:00:45 ID:eTK1lzk/O
日本人=大和民族では?
アイヌが住む土地や琉球も日本人が侵略したのでは?
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 14:06:16 ID:mhA8PiqP0
そういう事になるね。
そしてアイヌ人も四国九州人も関東より東に住む人々も、
今では立派な日本人w。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 14:09:34 ID:mhA8PiqP0
>>249 で、結局本来日本人と名乗れる人々は、
奈良県人と京都府人だけって事で良いのか?
256 :
東夷:2006/02/05(日) 14:40:00 ID:k5SC0+wMO
京都は辺境だ。奈良、大阪人だけ。ただし、古墳時代から在地であることを証明できる人だけ。それ以外は外地からの流入民である可能性が高い。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 14:49:34 ID:oEbrGIwG0
てか日本人のアイデンティティを決定してるのは縄文の血。
YAP+の縄文人とYAP-の朝鮮人は異人種だけど、
弥生人と朝鮮人の遺伝子はほとんど共通。
日本人とチョソを隔ててるのは縄文の血なんだよ。
奈良・大阪・京都は半島渡来人のコロニーから発展した朝鮮自治区だから、
むしろ日本の中の異物であり、隔離すべき汚染エリア。
半島渡来系の関西人は、厳密には日本人ではなく亜朝鮮人だね。
>>Japanese population was the only East asian country
>>to show a high percentage of YAP+ chromosomes.
>
http://medical.med.tokushima-u.ac.jp/jmi/vol49/pdf/v49_n1-2_p044.pdf >↑のサイト(PDF)によると、東アジアでYAP+をもってるのは唯一日本人のみ。
>朝鮮人にYAP+はない。
>詳細は47ページの国別ハプロタイプ比較を見れ。なおhaplotypeIIがYAP+ね。
>ちなみに比較のために並べてあるUS Whites、US BlacksもYAP+。
>東アジアでは日本人は特異な人種だけど、
>世界的に見れば中国人や朝鮮人が特異なんだよね。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 14:59:32 ID:FMcUoMUG0
今の日本に純粋な縄文人だけの血筋なんかいるのか?
耳垢が湿るのが縄文人で耳垢が乾いてるのが弥生人の遺伝みたいなのは
聞いたことがあるが。
耳垢が湿るタイプはワキガが多いらしいからワキガの奴は縄文人タイプなんだろう。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 15:26:33 ID:Tt4YBOLB0
つか、縄文人って弥生人に駆逐されたんじゃなかったけ?。
農耕をやってた弥生人に対し、狩猟メインだった縄文人は生存競争で敗北して。
弥生人の農耕技術が朝鮮人から伝わったと言われているから、弥生人が朝鮮人というはわかる気がする。
つまり、日本人はとっくの昔に滅んでおり、今日本に住んでいるすべての人間は朝鮮人でつwww!。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 15:33:20 ID:FMcUoMUG0
いや、それは違うだろ。
弥生人が遺伝的に似てるってだけで。
朝鮮人と日本人じゃ顔が全然違う。
一目でわかる。
まだモンゴル人のほうが、どっか日本人に似てるな。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 15:35:35 ID:Tt4YBOLB0
>>245 結論
朝鮮人=日本人ではない→×
朝鮮人=現在の日本人である→○
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 15:36:47 ID:FMcUoMUG0
なんかチョンがでてきたな。
変な話はじめるからだ。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 15:37:09 ID:Tt4YBOLB0
>>260 そりゃ「俺は父親に似ず、母親に似た」というレベルだろ
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 15:37:51 ID:4y4Dnk1G0
学問板とは思えないほどの戯言
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 18:27:17 ID:/iuM8lwQ0
>>264 朝鮮ネタで煽った時点で学問板じゃねーしw
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 21:04:00 ID:RBkdXyet0
日本人はアジアの雑種だよ。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 21:07:44 ID:Nx9XU32I0
>>266 遺伝的にはたくさんの要素(遺伝子)が存在してるほうがいいに決まってる。
民族は遺伝的というより言語や思想的なものなので日本人が雑種はあたらん。
中国は日本の起源は中国とウリナラ起源なみのこといってるわけだがw
つーか、日本人とチョンは全然違うよ。
日本人は13cmだけど、チョンはたったの9cmしかないからね。
え・・・・・おれ・・・・日本人じゃない・・・・
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/06(月) 20:58:47 ID:aMQwcVnr0
話が最初の頃と大分ずれてる。
変な方向に行くのやめよう。
明治維新の外交として語りのならいざ知らず
次元低すぎ
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/06(月) 21:59:31 ID:1bbbqrQF0
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/06(月) 22:20:37 ID:bfdcAWzp0
なぜこうも短絡的な嫌韓厨が大量発生するようになったのだろう
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/06(月) 23:25:25 ID:6lZWDL/n0
朝鮮大好きの明治の元勲(在日疑惑濃厚)が、
日本をチョソだらけにしたからだろ。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/07(火) 02:50:57 ID:+VuTwkj00
>>273 勝手にお前の同朋にするな。チョン工作員め。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/07(火) 08:12:07 ID:AXxyjn540
だれでも普通教育が受けられるようにしたことは明治政府の功だと思うな
江戸時代でも寺子屋はあったけれどみんなが行けた訳ではないし
御家人株なんか買って武士になれたのは富裕の一部の武士
とくに薩摩や土佐なんかは同じ武士でも上士、下士の差が大きかった
坂本竜馬や武市なんか下士はみんな死んでるし長州の近藤は商人の出で
いじめられて死んでいる、山縣なんかも武士でも最低のランクだから
上士に土下座させられているし、福沢諭吉の親は優秀だったにもかかわらず
少録にあまんじている、渋沢レコードいちど聞いてみたら?おもしろいよ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/09(木) 02:10:07 ID:zOFsb7o50
>>275 確かに近代化には全国民にどれだけ教育が普及しているかで決まる部分が
あるから、と言うより国家が優れた国家であるには国民の知識の高さが、
最も必要だから。
当然教育は普及すればするほど近代化は進む。
ただし、偏向教育は国を滅ぼす。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/09(木) 03:51:39 ID:mQpgq+hm0
>「とにかく明治政府というものは江戸期を否定し、
>そして明治以後の知識人は、軍人を含めて、江戸的な合理主義を持たなかった。
>それはやはり、何か昭和の大陥没とつながるのではないでしょうか」
>司馬遼太郎
明治以降の国家神道カルト教育が日本を滅ぼしたんだよ。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/09(木) 04:00:16 ID:QeGih7ly0
封建制を倒したという意味では革命であるにもかかわらず
それが被支配階級によってではなく、支配階級によってなされたところに
ヨーロッパの市民革命と明治維新の本質的な差がある。
近代市民が成熟する前に革命が起こっちゃったから
なんかちぐはぐなものになってしまった。
そのひずみが中途半端な明治憲法になり
軍部の暴走にまでつながっていったと思う。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/09(木) 04:23:14 ID:ZJquce6W0
>>278 >封建制を倒した
封建制(幕藩体制)を倒したと言っても、
それ以前の律令国家(いちおう中央集権)への復古を目指してたわけで、
進歩というよりも、むしろ退行現象と見たほうがいい。
ヨーロッパの市民革命は近代的な合理主義思想を基礎としていたけど、
明治維新はそれとは正反対のベクトルの運動で、
天皇が神がかりに祭上げられるなか、封建的既得権は可能な限り温存された。
クーデタによって権力を簒奪した一部の支配層が、
宗教的シンボルへの統合により国民の思考を麻痺さる構図は、
イスラム原理主義国家や、個人崇拝をシステム化した共産国家に近い。
>>278 日本人に市民革命?笑わせるよ。
日本人は自己保身欲の塊です。リスクをおかして抵抗し社会を変えるよりは現状に甘んじたい。
法的に戦えば勝てるのにサービス残業すら無くす事ができないんだから市民革命なんて無理無理。
欧州とは違い、一部の人間が泥を待っているのが日本人の特質ですから。
それに明治憲法は 現 代 か ら 見れば十分ちぐはぐだよ。
無論今の憲法ですらまだ不十分。
当初から万全のものなんて出来はしない。
法体系とは時代の状況によって徐々に形が整えられ又変化していくものです。
281 :
280:2006/02/09(木) 05:22:43 ID:qsTK98fa0
修正
×欧州とは違い、一部の人間が泥を待っているのが日本人の特質
○欧州とは違い、一部の人間が泥を被るのを待っているのが日本人の特質
>>280 たとえばバブル崩壊前後。・日本人の国民性についてかかれたモノ
結構ありますが、結構変わったようです。国民性は世代や変革期で
けっこかわるモノじゃないかと思います。
当時の国民性から語るのなら意味もあるとは思います。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 10:46:22 ID:v8KhkVIz0
>>279 >律令国家(いちおう中央集権)への復古
国学に染まった攘夷派を騙す為の方便だよ。
実際には律令制になにひとつ戻らず、逆に西欧諸国に習った政策を行っている。
この程度の方便に、いまだに騙されて信じている人がいるなんて驚いたよw。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 10:48:53 ID:v8KhkVIz0
>>280 駄目だ駄目だというなら、どういうものなら完璧なの?。
まず君が代案を作り示さないと説得力ありませんよ。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 12:24:39 ID:bPE/PDaB0
チョン臭伊藤が作文した「憲法」は本来の立憲主義とは程遠い代物
>大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
>天皇は神聖にして侵すべからす
>天皇は国の元首にして統治権を総攬し
>天皇は陸海軍を統帥す
このチョン臭憲法の主語「天皇」を「金日成」と入れ替えるとこうなる
>朝鮮民主主義人民共和国は、偉大な領袖金日成同志の思想と
>領導を具現したチュチェの社会主義祖国である。
>偉大な領袖金日成同志は、朝鮮民主主義人民共和国の創建者であり、
>社会主義朝鮮の始祖である。
伊藤の理想が北朝鮮において実現されてることがよく分かるね
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 13:45:51 ID:y57WVdf+0
伊藤は独裁者ではないよ昔の日本は貧乏だったの忘れてるね
大阪事件なんかあるから保安条例でるんじゃん
不完全だけど衆議院議員選挙法もでてる
民法出でて忠孝ほろぶ
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 23:53:47 ID:OoZm/9lhO
どうして東京に遷都したの?
天皇を返せ(by京都人)
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 00:25:13 ID:lxhesbMu0
>>288 天皇陛下自身が同意されたなら問題ないのでは。こういう国家存亡のときに
やりやすいとして東京を選んだのならしょうがない。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 01:41:55 ID:96kXiQyu0
>>289 幼い明治天皇が嫌だといえるわけないだろ馬鹿。
幕府中心に近代化を進めてれば大阪が首都だったのに、
薩長が余計な横槍を入れたばかりに東京が首都となり、
政治・経済すべての面で一極集中が進んだ。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 05:09:51 ID:UkPJvEp2O
>>290 集中化は大阪になっても同じ。
大阪が首都になったら、今頃標準語が…
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 08:31:06 ID:lx++ZlDS0
東京はあくまで東の京。
東京としての歴史はたかだか100年ちょっと、
そのうち(数百年以内)お帰りになるでしょう。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 10:43:36 ID:4qjcqT8M0
明治以降の日本が野暮ったくなったのは
維新で関東へ天皇家や公卿が下って、薩長の田舎侍が
のし上がったせいである!!!!!!!!
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 11:51:09 ID:eIzpNCff0
日本が野暮ったかったのは明治以前からですが。なにか?
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 15:07:28 ID:rvBI25GZ0
>>288 正式に遷都したわけではない。
東京奠都ノ詔というまがい物で
京都人を欺いて引っ越した。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 16:51:52 ID:lJwrmg1l0
京都人ではない。
正確には天皇の寄生虫と化した公家たち。
もっともこの寄生虫も京都人ではあるがw。
京都が首都のままだったら間違いなく空爆されてたわけだが。
東京の犠牲によって京都の国宝や文化財は守られたといえなくもない。
そして京都が首都では戦後の経済復興はなかっただろう。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/13(月) 20:40:46 ID:XuZhHITT0
京都がもともとの都と言うのなら更に奈良の人はもっと古くからここが
都だと言うだろう。
今どうなったか知らないが東京から遷都しようと言う話があって候補には
三重県や名古屋(愛知県)も候補にあがっていた。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/14(火) 15:31:05 ID:MLOy/8Sj0
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 02:53:16 ID:/nB/LL300
千年以上京都にいた天子様が東京に、それも江戸城に
移り住んだのは幕府は完全消滅した、今からは天皇の
時代だとの証、宣言だったのだろう。260年政治の中心
だったところに居座ることで日本中の国民にアピール
した。
それは当時必要なことであったが現在なら帝が何処へ
おわすのが一番よいかは議論も多いだろうな。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 03:33:08 ID:ABqOTDMa0
>>300 それもあるかもしれないけど、今まで政治の中枢は江戸だったわけで、そのまま江戸に中枢を
置くことで時間的な面やいろんな面で楽というか無難だったんだと思う。
東京と名を改めたのは、せめてものアピールな感じもするし。まあ失敗ではなかったからいいけど
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 11:16:38 ID:oOvy95BO0
現在の地理的条件から言えば首都は京都より東京の方が便利であるように思う。
京都に都が定めた当時は東北が範囲に入ってなかったから。そうすると、中京
地区に首都が有ってもいいかもしれないがそれはこれから考えることでしょう。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 12:03:37 ID:89rwla6+0
つかさ、戦後のお金がない時東北の人が出稼ぎに東京に出てきて家庭を守ろうと働いてたじゃん。
京都だと出稼ぎにくるのがもっと大変になるよ。生活苦にあえぐ東北人イパーイ出ると思う。
今は経済的にみんな豊かになったから良いけどさ。
>>297 空襲が無いのは原爆投下予定地だったからだけどな。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 19:17:58 ID:I/NWU7as0
>>304 そんな事したら、本土決戦は不可避だろうけどなw
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 19:35:52 ID:M2bpjLXg0
京都は確かに最初、原爆投下予定地だったそうだ。
アメリカにも歴史文化の拠点だからここはやめようと
言う意見があったようだ。そこで候補地に長崎が入った。
しかし2発目の原爆投下の際、第一投下目標が、小倉で、
飛行機は小倉上空に行ったが雲が覆っていて、目標が見えず
やむおえず、長崎に向かいそこで投下した。京都が投下目標の
時はプライオリティ−が何番目だったのだろうか?
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 06:46:38 ID:X6S0EoGB0
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 15:34:24 ID:c12rn1/h0
幕末〜明治初期の日本と大差ないな
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 22:14:01 ID:cFGPYINYO
明治維新はクーデターで成り立った。
幼い明治天皇を擁立して明治維新を成し遂げた薩摩長州。
明治天皇を大元帥に祭り上げて軍国になった日本。
天皇家の悲劇は明治維新から始まった。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/20(月) 01:13:09 ID:gFnU33460
>>290 あれは確か岩倉が公家を説得しようとしたが失敗しそうになって
大久保利通輩が天皇に「海を見たくありませんか」
と東京へ旅行させるような感じで無理やり東京へ移し奉った。
すべては薩摩の陰謀也
>>291 標準語って、あれ要は長州弁じゃね?
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/20(月) 23:41:28 ID:j+fgxg0m0
>>291 大阪弁が共通語と言うより京言葉が共通語になっていたかも。
そうしたら日本はのんびりした国になっていたでおじゃる。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/21(火) 00:00:12 ID:DbJckUMf0
>>311 今の標準語見てもわかるが、アナウンサーのしゃべりと書き言葉が変わるくらいだろう。
口語でも使うのは教科書読む時くらいで普段の生活は何もかわらん気がする。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/21(火) 13:48:39 ID:mobulBQh0
クーデターを仕掛けたのは大久保、西郷、岩倉だろ。長州は
関与していない。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/22(水) 02:03:17 ID:S9ThwK440
クーデターをどのように定義するかで誰が仕掛けたのか
あるいは仕掛けなかったのか違ってくると思う。
>>290>>301 徳川慶喜側だけではなく、薩長倒幕雄藩側も大坂が最重要拠点だったんだよ。
1867年秋の薩長+安芸の出兵同盟第1条に「根拠は浪華(浪速)のこと」とある。
1867年当時、天下の首都は将来どこになるだろう?と巷の人に聞けば、
十人が十人「京か大坂」と答えただろう。
幕府政権維持だろうが、朝廷を中心に別の倒幕政権が出来ようが
京都か大坂に首都が置かれることは当然確実であるようにみえたはずだ。
江戸は「すでに事実上完全終了した『将軍の昔のお膝元』」という認識だったはず。
>>315 それは知らなかった。
安芸って芸州のこと?
なのになんで首都が東京に変更になったんだろう?
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/26(日) 03:09:38 ID:HF2usGIs0
東京に都を移そうとしたのは薩摩、長州の考えであったと推理する。
徳川に成り代わる政権だと印象付けたかったと思う。
山岸俊男教授著に、「心でっかちな日本人 集団主義文化という幻想」 って本が
あるから読んでみるといい。
世界的心理学者の山岸俊男教授の研究調査だと、
日本人がチームワーク抜群の集団主義でいるのは相互監視社会での間だけで、
知らない人間同士だとアメリカ人以上に個人主義で非協力的になるそうです。
日本人とアメリカ人を相互監視・規制が不可能な実験場面を設定すると、
日本人のほうがアメリカ人よりも自分勝手で「旅の恥はかきすて」的な行動が生まれる。
富士山がゴミだらけなのがよい例だろう。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/26(日) 07:41:36 ID:1n+Inh2i0
>>317 違う。
1.無能な公卿たちと天皇を分離させる事
2.東北諸藩の鎮定を早め、統一国家として全国支配の拠点とする事
3.諸大名の滞在によって都市社会を形成している江戸を首都として維持する事
(京・大坂は諸藩大名に頼らず独自発展した都市で天皇無しでも維持可能)
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/26(日) 22:33:07 ID:1SKvJXf+0
公家は殆ど付いてきただろう
明治期の京都の衰退をしらんのか
当時の人間に衰退しそうだから首都を移してやろうなんて考えはないよ
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 11:02:16 ID:EJxgBnlIO
東京遷都は発表されていないから首都は未だ京都?
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 20:36:13 ID:xe4c0doE0
>>103 戦前の日本の神秘主義者、例えば大本系とか天行居の友清勧真といった人達は
それ読んで霊的国防ということを意識したわけだけど、はっきり言って情報不足という他ない。古いよ
『シオンの議定書』が当時の帝政ロシアの秘密警察にいたセルゲイ・ニールスの手によるものだった
という事実は誰でも知ってると思うが、『シオンの議定書』が偽書としてもダメなのは
メイスン=ユダヤの組織という物語を語っている点であり、今だにそのエピゴーネンを生み続けている事だ
メイスンはユダヤの組織では無いし、あきらかに事実に反している
例えば戦前のヨーロッパのオカルティズムの文脈では、エジプトの系統を継ぐと自負する
メンフィス・ミスライム系の影響が強かったし、メンフィス系のメイスンだったR・シュタイナーは
アーリア・ゲルマンを至上の民族と考えてたわけで、ユダヤ色なんて全く無いね
また両親共にメイスンの家系に生まれたブラバツキーにしても、ロシア系ユダヤ人を賤民呼ばわりしていたし
ナチスとはある意味、紙一重の反ユダヤの位置にいたわけだ
そもそもキリスト教社会におけるユダヤ差別問題とか、その脅威がもたらす共同幻想は
メイスンとは別問題なんだけど、なぜか悪魔的な存在として一緒にされてる
悪魔というのが、あくまでカトリックから見ての悪魔に過ぎないという点に気が付いてない
110 :名無しさんの主張 :2006/02/27(月) 00:17:31
109は誤爆だ。ここはオカ板じゃねーなw
111 :名無しさんの主張 :2006/02/27(月) 03:36:54
そうだよな、カトリックからの視点で見てる著者達がフリーメイソンは
世界政府を作ろうとしてるんだ、気をつけろ。みたいなこといってるだけなんだね。
日本でいうと、森ビル近くに集会場があるし、おまけにホームページまで公開されてるもんな。
カトリックは信者たちにメイソンに入るなと禁令出してた時期があったのは事実。
だがあくまでカトリック寄りの視点、陰謀論を振り散らかす方々はさ。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 21:19:06 ID:5BnTN0Wx0
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 23:00:20 ID:eiuxWUpU0
>>321 京都はもう首都ではない。首都機能が全て東京にあるし国会も
そして天皇も東京に住んでおられる。京都を首都としたいのなら
改めて遷都手続きをしなければならないが現代京都に遷都するのは
地理的にも経済効果的にも現実的でないと思う。
貴方は京都の人ですか。なぜ京都をそこまで首都にしたいのですか。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/28(火) 14:20:29 ID:rcUfJIxgO
東京遷都は京都人に配慮したために遷都発表は行われなかった…
今でも天皇が京都に来るとお帰りになったと言う……
>>319 微妙に違うような気がする。部分的には同意するが。
1862年の参勤交代緩和以来、特に外様大名は国元に帰ったままで
江戸はすでに「諸大名の都」では無くなっているよ。
しかも当の徳川将軍慶喜は上方に滞在して1867年秋に「諸侯の上洛」を命じている。
もはや慶応3年には江戸は「将軍と大名の都」でも何でもなかった。
そればかりか安政江戸直下型地震以来江戸の市政は完全に弛緩してしまい
長州征伐に狩り出したDQNが江戸に帰って来て乱暴狼藉を働くなど
治安悪化とDQNの集結で都市としての幕末最末期の江戸は完全にグダグダだった。
このような状況で、しかも江戸城は市街戦無しに無血開城してしまったので
皮肉にもDQN大杉の腐敗した大都市江戸はそのまま残ることになった。
この江戸が「反政府DQNの根拠地」になることを恐れたので
政府そのものを移動させてDQNを鎮圧させてしまおうというのは
東京遷都の一つの有力な理由だったと思われる。
参考文献
鳥海靖『日本近代史講義』(東京大学出版会)
鳥海靖『日本の近代』(放送大学教育振興会)
坂野潤治『日本政治史』(放送大学教育振興会)
坂野潤治『明治デモクラシー』(岩波新書)
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/02(木) 02:13:42 ID:YRGQcOmb0
しかしもう100年以上首都として東京があるのだから、そして地理的にも
この位置が日本を統治するのに便利なところと言うのも間違えない。
関東を与えられた家康は幸運と彼の先見の明に脱帽
>>328 青森から島根に至る日本海側全域を交通不便な「裏日本」に陥れて
表日本と裏日本に決定的に分かってしまい
致命的な経済格差を生んでしまうという大きな副作用付きだけどな。
これは東京の地理的位置によるもので、東京は「日本列島弧の南東の端」にあたるので
相対的に北西側にある日本海側全域が不遇をかこつ「裏側」となってしまう。
無理に解消しようとすると上越新幹線のような脊梁山脈を貫く大トンネルが必要で
しかも日本海側沿岸を滑らかに走るはずの国土軸がズタズタに寸断されてしまう。
このことにより日本海側の交通網整備は極めて非効率に何本も整備する羽目になる。
地方交通整備と経済効率が完全に相反する問題となると言う
現代日本の重大な政策問題が生まれてしまう一つの理由は
「東京が日本の南東の端にある」ということにあったりするんだよ。
気のせいかもしれんし、どうでも良いことなんだろうが、間違い、と書くべきところを
間違え、とおかしな書き方するやつが最近異様に多く感じる。
>>330 スレタイには関係無いネタだが一応レスしておくよ。
「間違える」という下一段動詞は現代共通語では許される表現だから
「間違え」という転成名詞・連用形はまだ馴染みが薄いが問題はない。
「足る(伝統的な四段動詞)」と「足りる(新しい一段動詞)」の関係と同じで、
五段(四段)動詞から新しく一段動詞が生まれて
古い五段動詞を追いやっていくことはよく見られる。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/03(金) 02:01:58 ID:y2YltUIq0
>>329 日本の地理的条件からいえば何処を首都にしてもどこかの地域に苦労かけるのは
仕方ない。
その欠点が少ない地域として偶然ですが(ここが一番いいと徳川家康も知らなかっ
たのかもしれない。
これから首都を何処にするかは日本全体および世界全体を視野に入れて
考えませう。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/03(金) 05:05:42 ID:HgCoLH/c0
>>329 関西だと西に偏りすぎだな。
東京なら九州も北海道も等距離だが、関西からだと九州と東京が等距離になってしまう。
東北や北海道から遠過ぎ。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/03(金) 05:14:51 ID:5KNOqm6IO
首都の位置で文句を言われるとは…。
ワシントンDCや北京の位置の偏りをよく確認してみろ。
>>334 アメリカや中国のように広過ぎの国ではなく日本程度の広さの国で、
しかも首都を中心に交通網整備を行うことが当然視されている国では
首都の地理的位置は最重要となるわけだよ。
>>332 東京は太平洋側の南東の端にあるので反対側となる日本海側の全域
日本列島の半分近くが「裏側」になってしまう。
出来る限り「裏側」を少なくすることが必要とされる首都の位置としては
最悪に近い。東京は大きく見れば列島弧の中央に近い位置にあるはずなのに
全国の半分近くが「裏側に回ってしまう」というのはあまりにもひどすぎる。
>>333 沖縄のことも考慮に入れてやれよw
「裏側を最小限にする」という点では近畿は首都の位置としてはかなり優秀だ。
東北が不利になると思い込んでいるヤシが多いが、もう一度日本地図を見て欲しい。
実は、例えば京都から新潟、秋田、弘前、さらには北海道へと沿岸を
北東方向へほぼ一直線に最短コースで行くことが出来る。
東北でも少なくとも日本海側の場合、東京も近畿もそれほど変わらない。
秋田や庄内の場合、むしろ近畿からのほうが有利である可能性さえある。
近畿が首都となって「裏側」となるのは関東と東北南部の太平洋側だけ。
この地方だけ江戸が副首都としてフォローすれば良かったわけで
江戸→東京を「全国の首都」としたのは得策ではなかった。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/05(日) 00:37:15 ID:IGzjzBSp0
21世紀には日本の首都は何処がいいだろうか?
政治の首都は産業の中心と違ってもかまわないと思うが。
位置的には愛知とか日本海側なら福井とかがいいかもしれない。
明治と事情が違うしまして平安とは違うから、現代の視点で
遷都は考えて欲しい。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/05(日) 10:21:56 ID:l/w8o8Da0
>>336 近畿首都だと東北はやはり不利。
北陸・出羽道は中山間地域を通り狭隘で険阻であるうえ、冬季の気候が極めて悪く往来が困難。
日本海側ですら、東京首都の場合の太平洋側ほどの利便性は得られない。
東京はもともと幕府の本営として、各藩武家の在住があってはじめて成立した都市なので、政庁が無くなれば副首都としては維持し得ない。
つまり、東京副首都案は現実的な意見とはいえない。
当時の状況を考えれば近畿が首都となった場合、20年以内に北海道がロシアに奪われ、東北に親露政権が誕生するかもしれん。
まあ、確かに四国九州中国沖縄は東京首都より有利になるわけだけどね。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/05(日) 14:24:25 ID:NWNYeUow0
> 維新の目的は在日亡命朝鮮人の故地奪還闘争。
> 日本人も天皇家もそれに利用されただけ。
> さらに現在に至るまで恨を抱かれるオマケつき。
結局、明治維新は在日朝鮮民族の故地回復(シオニズム)闘争だったと。
それも1000年以上もチャンスをうかがっていた。
それを言うとファビョったレスがたくさん付いているのをみて
上記が真実であることが証明された。
まで読んだ。
>>338 東京遷都論の理由付け「北海道に近い」を真に受けすぎw
実は北海道開拓経済を支えていた大動脈は
東京から北上するルートではなく、日本海側沿岸の西回り航路の発展としての
いわゆる北前船航路だったんだけどね。
入口の函館の次に、北海道で大発展した都市は日本海側の小樽であったことが
それをよく示している。「北のウォール街」とまで言われていた。
そしてウラジオストック軍港が整備されて日本海に軍事的脅威が強まった後も
この沿岸航路は特に衰えを見せなかった。
北前船航路は大正くらいまで大動脈だったので、
もし首都が近畿だったら、大正までに発展した土木技術をもとに
大動脈は整備された北陸羽越鉄道ルートへ昭和前半までの間に移行しただろう。
秋田や酒田などは今よりずっと発展していたはずだよ。
仙台、福島、盛岡など今発展を謳歌しているところは厳しかっただろうけどね。
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 01:43:23 ID:JXoy0EU/0
明治時代の朝鮮との政策はどうよ
伊藤博文は殺されたけど実際には朝鮮にとって迷惑だったのか
逆恨みか、恨まれても仕方なかったのか、見方によって変わって
くるのだろうか。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 02:34:38 ID:5+nK7Ueb0
>>342 カネを日本から朝鮮に流してボロ儲けしようという人間がいたわけさ。
日本の国内にも国外にもな。
今でいう対中ODAのようなもんだ。
で、ODA反対だった伊藤は殺された。
彼が殺されてからというもの、不況にも関わらず日本のカネは湯水のごとく流れ、
東北が飢えに苦しむ事態にまで発展した。
構図が何も変わらんのだよ。現在と当時と。
不況のときに限って悪巧みをする売国奴が後を絶たない。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 02:46:26 ID:C/NVjOuG0
考えてみれば日本から技術やお金が朝鮮に流れるけど、
朝鮮から日本に入ってくるのは怨み節だけだな。
>>319 海に開かれていると言う決定的な視点が欠けているな。
内陸都市としての京都が近代日本の首都になることは半永久的にない。
平安期は鎖国に近い体制だろ。内政統治の要衝としての位置は京都に利はある。
しかし、鎖国から逃れた国の選択肢として内陸の首都は有り得ない。
事実、横浜、神戸、福岡等の近代の発展はそういった視点で理解できる。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/11(土) 02:45:22 ID:WQM/3Syl0
日本と朝鮮半島の関わりは秀吉の時代と明治時代に捩れを生じさせたのかも
しれない。日本の朝鮮への関わりの過ちから。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/12(日) 03:07:50 ID:XfMxO7eF0
ビデオでその時歴史が動いたを見たが
廃藩置県これほどの苦労があったとは
近代国家誕生は苦労の連続だと感じる。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/12(日) 16:35:14 ID:PThn1VJTO
明治維新は成功か?
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/12(日) 17:26:14 ID:j1VAkJCYO
内乱で政権再転覆なんてことにならない範囲では
最大限のことができたんでねーの?
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/12(日) 18:06:16 ID:fPsVmi3w0
明治の元老の富国強兵が朝鮮侵略、中国侵略、その他アジア諸国への侵略行為に
帰結していったと考えれば、日本史上最悪のできごとだった、とも言えるのでは?
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/12(日) 22:10:14 ID:YAPxXS/t0
>>350 富国強兵は日本だけでなく、英国米国をはじめとした欧米諸国も行っていた事。
富国強兵が最悪という事ならば、当時の先進国すべてが最悪だったという事になり、
発展途上国もまた欧米列強を見習おうとしていた時代だけに全世界が最悪だったという事になる。
つーわけで
>>350の理屈だと第二次大戦以前に存在した地球上のすべての国家が最悪だったという結論になるw。
オモシレー!
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/12(日) 22:29:09 ID:2iI7SU4C0
太平洋戦争後で日本が分割統治されたら、
明治維新の評価は悪かっただろう。
だけど朝鮮や台湾、中国に手を出したのは大失敗だった。
まだ未開の樺太、千島列島なら、
ロシア人の進出を抑えた大儀名分になった。
富国強兵ってのは19世紀の近代化のことだからな。
ほめられたもんでもないと思うが、成長には不可避の病理みたいなもんだ。
ただある意味当時の国家は全部最悪って見方もアリだと思うぞ。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/13(月) 12:38:16 ID:h3YARAc20
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 11:50:10
東京人(実際は東北人北海道人の在京2世3世)はアホか?今の時代に日本も韓国もないだろ!
極一部の極右日本人と極右韓国人のお陰でせっかくの日韓友好が・・・。
東京の新大久保のコリアンタウンに群がっているのは在日や大阪人だけか?
お前ら東北人北海道人の在京2世3世は焼肉食べるな。キムチ食べるな。
お前ら在京2世3世の祖国、奥州盛岡の盛岡冷麺とやらは韓国の冷麺の全くのコピー盗作!
大阪の焼肉はちゃんと韓国を名乗っているぞ。これはお互いの文化を尊重しているから。
TBSは日曜夜のドラマ韓国の俳優に頼っているじゃないか。
お前ら在京2世3世ははやく祖国奥州、蝦夷地に帰れ!!
「欧米列強に追いつく」事を目的とした明治維新体制自体は成功と言って
いいだろう。
実際、日本は短期間で飛躍的な成長を遂げ、世界第三位の海軍国にして
国際連盟の常任理事国と言う大国の座を得たのだから。
だが明治維新体制が「欧米列強に追いついた」結果としてその役目を終え
ているにも関わらず「目覚ましい過去の成功」故に肯定され、新しい体制
を構築できなかった事が失敗の原因だな。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 15:36:33 ID:4OQ5QVLo0
成功すればそれに執着してしまうのが人間。
うまくいっていたのだから変える必要はないと
思ってしまう。敗戦のような大きな出来事がないと
変えられない。そうでないときに変えるにはよほど
深い見識と勇気が必要。
竜馬が生きていたら戊辰戦争も起こらなく、死なずにすんだ有能な人材が
竜馬主導の政府でいかされて、明治以降はすばらしい時代になっていて
太平洋戦争など日本の悲劇も無かったに違いない。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 19:26:47 ID:ATSZzoPZO
明治維新は薩摩長州が明治天皇を擁立してクーデターで成り立った。
明治新政府は明治天皇を大元帥にまつりあげ軍国の道を歩みはじめた。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 19:29:22 ID:ATSZzoPZO
明治のいい加減な軍隊がズルズル続いて昭和に暴発した。
近代の天皇家の悲劇も明治維新から始まった。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 21:58:02 ID:rcvLfEEV0
「いい加減な軍隊」で国際連盟の常任理事国になって世界有数の大国の座は
得られんよ。
大日本帝国の軍制は原則的に大日本帝国憲法の規定に従うわけだが、そこで
最大の問題が第十一条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の所謂「統帥権条項」にある
のは有名な話。
元々この条文は200年以上続いた幕藩体制下の「大名や将軍の軍隊」と言う
認識を否定し「国家元首である天皇の軍隊」である事を宣言した条文に過ぎない
わけで「国家元首・政府・軍・国民」がそれぞれ相関しあっている国民国家に
おいては本来「天皇の軍隊」であることは「政府・国民の軍隊」であることと別
に矛盾しない筈だった。
(これはイギリスの「女王陛下の軍隊」が「イギリス政府・国民の軍隊」である
ことと矛盾しないのと同じ事)
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 22:04:09 ID:rcvLfEEV0
ところが1889年の憲法発布の段階、つまり近代国民軍に移行して十数年だった
当時においては『「大名や将軍の軍隊」ではなく「国家元首である天皇の軍隊」』
という認識は何の問題も無かったのだが、それから40年を経て「大名や将軍の軍隊」
との意識が消滅すると、それに替わり「政府や国民の軍隊」の認識が入ってしまった。
つまり『「政府や国民の軍隊」ではなく「天皇の軍隊」だ』と言うことになってしまった
わけだ。しかし「国家元首・政府・軍・国民」が相関している以上、それは結局のところ
「天皇の軍隊」ですらあり得ない存在になってしまった。
満州事変は「統帥権の独立」を盾に戦線を拡大したが、天皇の事など最初から
全く考慮してない事を見れば明らかだ。
つまり昭和期の日本軍は「天皇の軍隊」を謳いながらその実は自分達の権益を
通すだけという「軍隊の軍隊」に堕してしまった。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 22:12:26 ID:rcvLfEEV0
「天皇の軍隊」が「軍隊の軍隊」に堕してしまった大きな原因は確かに
大日本帝国憲法と明治体制の欠陥にあるだろう。
しかしそれが明治体制の非だというのは言いがかりに近いだろう。
「40年前の体制の通りにやっていたら意識が変わっていたので失敗した」
と言っても、まともな人間なら
「受け継いだお前等が時代に合わせて変えなかったのが悪い」
と評価するのが普通だ。
皮肉な話だが明治体制は確かに成功し、日本を短期間で大国の座に押し上げたが
その成功・実績故にこそ新たな体制を造る事を阻害してしまったと言える。
これは戦後の日本が基本的に敗戦時の体制を引きずったまま世界第二位の経済
大国となり、いわゆる「土地本位制」「銀行の護送船団方式」などの要因がバブル
崩壊を招いたのと似たようなものだ。
明治維新で強力な有司専制体制をつくられてしまった
ために、健全な政治体制に移行できなかったんだと思う。
議会が開設され、大正時代には男子普通選挙まで
達成されたがそれは治安維持法と抱き合わせだし、
議会とは別に軍部、枢密院、内大臣が天皇の
権力と直結していて議会は権力の一部でしかない。
最初が悪かったので良い方向に持って行くのが
難しくなったんだろう。
治安維持法はいかにも悪い法律のように言われるけど、同様の法律は
今でも韓国、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアと言った
多くの東アジア諸国にあるんだよ。
(むしろ「非共産東アジア諸国」で共産党が大っぴらに活動できるのは
日本だけと言っていい)
戦前の日本の場合、軍の方が最初に「統帥権」を持ち出したのなら議会
だって予算を握ってるから対抗出来たんだけど、むしろ統帥権を声高に
叫んだのは犬養や鳩山であり、また政府も満州事変の最中に国際連盟の
決議の文面が「統帥権に抵触する」と言って修正させた事がある。
早い話、議会も政府も目先の政争と駆け引きの為に自分で自分の首を
締めたんだな。
ひさびさに歴史板らしい流れだ
>>360 もっと歴史の連続性をみた方がいい。
征夷大将軍はもともと天皇に命じられた官職であり、
天皇の権威により得られた官職だ。1000年以上継続された
この官職から意識が抜け切れなかったと言うことだろうな。
天皇の権威により勅命に近い形式で発布された軍人勅諭も明治憲法以前に
できたものだよ。
勅諭勅語勅令の類は法律と同じ効果がある。
古来、法典の多くは勅令判例慣習等の集積と分類により成立するものだ。
ハンムラビ法典、ローマ法典、そして英米法の法体系もそうだ。
王や皇帝の命令とは法律と同じ効果をもつと言うことだ。
憲法典はこの権威を超えられなかったと言うことなんだよ。
これはひとえに歴史や伝統の重みと言うしかない。
「革命を成したと思うものはそれが本来あるべき革命と如何に違うかを
見ることになる」〜F・エンゲルス〜
>>366 つまりこういうことかな。
「大日本帝国憲法第11条は『軍は将軍のもの』意識を払拭する為に設けられた
ものであったが、結局長年続いた意識が抜けず、最終的に『軍は将軍のもの』に
なってしまった」
う〜ん何か違う気がする。出来れば解説よろしく。
そう言えば天皇機関説の時も軍の圧力は確かに問題だったが、事態を深刻化
させたのは、むしろそれを利用して機関説論者だった枢密院議長・一木喜徳郎
(美濃部達吉の師)や法制局長官である金森徳次郎、そして岡田啓介内閣を
攻撃しようとした政友会が天皇機関説を大げさに非難したことだったな。
・・・統帥権問題もそうだがつくづく政友会はガンだ。
日本には「ちゃんとした野党」がない、と言うのは戦前から面々と続くある意味
伝統なのか。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/16(木) 14:08:06 ID:WjpiQJvL0
>>366 統帥権条項はその1000年続いた伝統を断絶する目的で造られたのだが
皮肉にもその断絶がうまくいったのは「連続性」を理解し、故意に断絶させて
いた人間達が生きていた間であって、逆に生まれたときから断絶の中に生きて
いた人間達が主流になると「歴史と伝統」がぶり返してきたんだな。
しかしその「歴史と伝統」は既に統一政権の元、税金で運用され、国民から徴兵
して造られる「政府・国民の軍隊」でもあった日本軍の中で奇形的な姿をとり
「天皇の軍隊でありながら天皇の存在を無視」
「日本政府の金で運用されながら日本政府の言うことを聞かず」
「日本国民の軍隊でありながら日本国民を軍隊に従属する存在とみなす」
という軍隊になってしまったわけだ。
(もちろん全ての日本軍人がそうであったわけではない)
統帥権を独立させたのは山県有朋だろ。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/16(木) 14:48:41 ID:afAuFsd50
山県有朋は軍人勅諭には関わってるが、大日本帝国憲法の方は
関わってないんじゃ?
それに「統帥権の独立」そのものは悪い事じゃない。
昭和に入って無茶苦茶な拡大解釈をされるようになったのが問題。
少なくとも山県有朋が健在だったら満州事変のような事態を許しは
しなかっただろう。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/16(木) 16:43:02 ID:AOoTZig8O
山縣は大正天皇に嫌われてた?
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 01:13:26 ID:7uedK+Pg0
山県が早死にしていたら日本は違う方向に行った?
それは平和的?戦闘的?かなり疑問だ。
>>366 そりゃひどく朱子学的な大義名分論だなあ。事実と理想を混同してはいけないw
律令制においては征夷大将軍は東国の軍事司令官としての令外官でしかないわけで
そもそも軍事権を天皇から包括的に委任されているわけでは無い。
鎌倉幕府以降、武士が包括的軍事権を事実として掌握していったわけだよ。
その結果として、朝廷は承久の乱以降、少なくとも足利義満時代以降は
事実として兵馬の権を完全に喪失していたと当然に認識されていた。
(オカルト的には関門海峡に草薙の剣がアボンした段階で朝廷の軍事権喪失とされる)
だから
>>360-362は正しいと思うが。
諸大名が抱える軍団を何とかして統一国家の軍としなければならないという課題は
明治初年には重大な問題だった。実際西南戦争という形で危険は現実のものになる。
だが、そんな諸侯がいなくなり、次の課題として
実質的に国民の軍として運用されなければならなくなる(いわゆる文民統制問題)ときに、
この古い明治憲法の条項を逆手に取る香具師が現れたわけさ。
民主的社会にとって軍は絶対不可欠だが危険極まりない存在なので
国民が実質的に完全に統制しなければならないんだが、
そこのところがまだ分かっていなかったんだな。
大正デモクラシーの未熟さと限界を示しているんだよ。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/17(金) 23:47:04 ID:3tGKp+7x0
>大正デモクラシーの未熟さと限界
昭和初期において統帥権干犯問題や天皇機関説を、後々自分達の首を絞める
事になるのは明らかなのに立憲政友会は猛然と非難したし、民政党も1928年
の不戦条約第一条「人民の名において」が天皇大権に反すると非難している。
結局、昭和初期の政友会・民政党の二大政党制はどっちも目先の政争の為に
揚げ足取りと足の引っ張り合いをやって、その結果軍部を暴走させるという
自滅行為を行ったわけだ。
>>374 明治維新体制は「封建国家から国民国家」への過渡期の体制だったのに
その体制をそのまま昭和に入ってまで引き摺ってしまったのが致命的な
失敗だったんだな。
その最大の原因は何度も言われているように「明治維新が成功したから」
だったのは何とも皮肉な話だ。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/18(土) 02:40:31 ID:HF09p1Fs0
征韓論、台湾出兵からして失敗だろ。
北海道、樺太、千島列島でさえ未開発なのに。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/18(土) 11:22:09 ID:M76+aN2M0
>>377 意味が分からん。
それぞれの時系列が頭に入ってるか?
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/18(土) 15:09:17 ID:zyEA3wjE0
江戸期の将軍家の兵力なんて単なる徳川家の私兵だろ?
ある意味山口組傘下の兵隊みたいなもんじゃん。
それが明治維新で「国軍」に格上げされたわけではない。
だいたい平安時代以降日本に国軍は存在してないわけで
元寇の時だって封建制における地方自治体の互助軍隊でしかないわけで。
現在でも日本国軍の存在をしゃかりきに否定したい勢力があるぐらいだから
国軍に対する強い拒否感は日本の伝統じゃないの?
で、明治政府はそれを強引にやったと。
380 :
六代目山口組:2006/03/18(土) 23:48:26 ID:Df3DxGrBO
山口組の兵隊がなんや?
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/19(日) 03:48:55 ID:9WgtnyIS0
単なる歴史好きで終わるなよ!
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/21(火) 21:46:52 ID:RHdBbzvb0
日本を一国家として見る視点がなければ国軍は出来ないのだろうな。
一国家として見るようになったのは明治からなのかな?
明治維新は世界三大革命のひとつだ
私が考える世界三大革命とは産業革命、フランス革命そして明治維新である。
明治維新はローカル革命とするが一般的である。
しかし、西洋先進文明のキャッチアップに非西洋諸国でただ一国、日本のみが
成功し、その後日本を見習えと東アジア全域に波及する勢いであり、さらに第
三世界にも影響を与えた。
明治維新の元勲たちは日本国を設計するため、アメリカおよびヨーロッパ諸国
へ長期(2年間弱)視察旅行に出かけた。人員は全権大使岩倉具視、伊藤博文
および大久保利通など主要閣僚の半数である。
彼らからは、西洋を研究し日本を作るぞと言うスサマシイ意気込みが伝わってくる。
明治の元勲たちの革命、明治維新は大成功し我々がその恩恵を享受している。一番の成功要因は元勲たちの外遊にあり、彼らは西洋研究に人材も費用も時間
も惜しまず、そして的確に設計構築されて、現在の繁栄する日本国があり、さ
らに世界へも影響を与え続ける。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 12:54:42 ID:fcySp0Cd0
>>397 国軍が存在しない時代と国軍が存在する現在を混同するとバカみたいな理屈になるお手本w
明治維新が無ければ、幕府が諸外国の傀儡政権となって国軍を作る。もしくは日本という国が消えて無くなる。
まともにアンカーを貼れないバカがいるな。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/25(土) 23:49:43 ID:MC0mUh5lO
明治維新は日本を西洋かぶれにした…
>386
今からでも遅くない。君だけでも江戸時代の暮らしに戻るんだ。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 03:53:20 ID:Cd5D8+NSO
江戸時代の武士は、10時出勤14時帰宅らしかったらしいぞ。
昼飯除いて1日3時間労働ってところか。
なんでも屋のようなプータローのような仕事をしながらも、
一応の本業はやはり軍人。
したり顔で武士道を振り回して選民意識を爆発させていたものの、
蓋をあけてみれば大砲がドンと響けば五里逃げたり
百姓に畳を背負わせて最前線に並ばせて人間の盾にするヘタレっぷり。
数少ないヘタレでない武士も、
300年前と同じ装備と戦法でまざまざと虐殺される始末。
西欧の貴族と異なり後世に残る学問や文化を残したわけでもなし。
この人口の1割弱を占める、
人類史に比肩するものなき壮絶な穀潰を支えていたのは、
天候不順のたびに飢饉で人肉や木の皮を食う羽目になりながらも
毎日何の楽しみもなく朝から晩まで労働に明け暮れる百姓でした
(ちなみに飢饉の折には、武士は藩の備蓄米を
江戸や大坂で売りさばいて暴利をむさぼっていた。特に東北)。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 04:42:42 ID:B8uXxu6B0
>>382 何をして国家と言うかによるが、
今の日本みたいな意味なら秀吉からじゃないか?
>>388 武士ではないが大阪市職員は待遇面でそれに近い。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 00:12:36 ID:MOwA20tj0
汚朝された日本。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 10:11:04 ID:g9SGlVNCO
とりあえず天皇を京都に返せ
>>381 はい。
だから今ではひとつも歴史に興味無くなりましたw
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 18:53:30 ID:7MdnCb4h0
>>388 テラウラヤマシス
だから幕末の幕臣や武士は腐りきっていたんだろうね。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 21:26:45 ID:2eftBbkY0
>>395 人の社会ができてから今に至るまで
そのような特権階級がいなかったためしは無い。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 22:37:28 ID:Qd7XQfSF0
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/28(火) 22:52:25 ID:VxF1RDK5O
>>396 そんな特権階級が人口の1割近くを占め、しかも何も産み出さず、
しかもうちらの世代の爺さんの爺さんが
既に生まれてたかもしれないようなつい最近の時代の話ですよ。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/29(水) 23:43:17 ID:AWXBJ1AAO
明治維新後〜昭和二十年まで軍国日本?
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 09:33:10 ID:Ml5BfMOY0
なにをどうほざいても、過去の歴史の上に現代がある。
明治を認めず、江戸時代がイイとほざく時代錯誤人は江戸時代の生活をすればいい。
電気もガスも石油も使わず、自給自足の生活は地球温暖化の為にも良いよ。
佐幕厨はそういう生活をしてくれ。漏れは明治政府を認めるので文明の恩恵を受け続けるけどね。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 12:43:16 ID:kajnTHUgO
日本におけるイデオロギーの左右は、
近代日本の肯否にかかっている。
いわゆる左翼は近代日本を否定し、
その反動として近代日本と敵対関係にある
江戸時代と中韓北を支持する傾向にある。
その江戸時代と中韓北が儒教精神に
支えられているものであるがゆえに、
本来革新的であるべき左翼が、
日本の場合は右翼以上に古めかしく感じられるのである。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 12:46:25 ID:ZRCsHjSn0
太平洋戦争後に東日本がソ連に統治されたら?
明治維新は最悪の評価になっただろう。
幾ら何でも80年近く後の事で評価するのは公正な評価とは言えんだろ。
昔、風が吹けば桶屋が儲かる理論を駆使しまくり
「王様の借金が宇宙開発へと発展した」などとうバカタリな外国の歴史ドキメンタリー
を見たことがあるが、当時八歳児だった自分でもアホクサとの感想を持った。
>>403を見て思い出した。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 13:25:24 ID:abgVZ8Sx0
>>405 それ、会津ヲタや佐幕ヲタがよく言う
「明治維新の為に日本が軍国化して太平洋戦争を起こした」
というアホゥな理屈と同じだなw。
韓国と友好関係を築けなかったことが
明治政府最大の国家犯罪だな
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 17:36:16 ID:kajnTHUgO
>>407 友好関係を築けないことを犯罪扱いとはw
>>407 というかあの国と友好関係結べてた国てかつて有ったのか?( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д`�)
少なくともシナは違うぞ…
鉄砲買うにも金がいるからなぁ。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 19:12:42 ID:WwmHDGTR0
ていうか擬似日本人が日本を支配し始めたのが明治維新。
それを指摘する連中が明治元老をチョン扱いする。
でまた明治維新を擁護する連中が電波だなんだと反論する。
このスレはそれの無限ループ。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 20:21:07 ID:qymjn/Qs0
>>412 >ていうか擬似日本人が日本を支配し始めたのが明治維新
そう言っている時点でお前も電波だw。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 20:41:40 ID:ZRCsHjSn0
おかげで汚朝されたじゃにか。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 21:02:45 ID:5YhiyRmM0
>>407 少なくとも伊藤博文は懸命にそうすべく努力してた筈では?
>415
「友好それ自体」が目的じゃないけど。でもそれって政治家としては大正解なんだよな。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 21:37:25 ID:ZRCsHjSn0
なんだか日本は下品になったよな。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 22:03:27 ID:kajnTHUgO
>>417 また根拠なき年寄りじみた懐古主義か。
欧米の価値観が流入するにつれて、
うんこを食わなくなってきただろ。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 23:26:42 ID:WwmHDGTR0
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 23:59:29 ID:/ukwGENX0
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 15:20:13 ID:lLj1Eguo0
高杉、伊藤が朝鮮民族だったのはガチ
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 18:52:00 ID:e9W+rt0xO
明治維新から日本は大きく変わった。
近代化になったのは評価できるが維新以降日本は戦争一筋。
1945年に原爆が落とされた……
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 20:50:50 ID:z3G4TdU90
徳川幕府の成立から日本は大きく変わった。
戦国時代に終止符を打ったのは評価できるが幕府開闢以降日本の鎖国が始まり。
それが明治維新を誘発させ、1945年に原爆が落とされた……
>>422 当時は戦争一筋が当たり前の国際情勢だったんだがな
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 21:06:02 ID:/nDx56aOO
大化の改新から日本は大きく変わった。
蘇我氏の専横に終止符を打ったのは評価できるが、
クーデターによる改革という先例を作ってしまった。
それが明治維新を誘発し、1945年に原爆が落とされた……
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 10:51:55 ID:VaWR0WqfO
コピペコピペてめぇらごじゃっぺ?
日本語でおk
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 00:55:11 ID:j+w6rTEZ0
外国語書いてもいいけど翻訳も書いてね!
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 21:10:56 ID:a40yXxrWO
テメーら…ごじゃっぺ?
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 02:41:08 ID:NKfByNG3O
テメーら…じゅぜっぺ?
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 19:01:18 ID:rNqasLFX0
明治時代のいいとこってあるの?
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 19:22:26 ID:WrvODDSPO
>>431 木の皮や雑草を食わなくても生きていけるようになったことと、
平民が特権階級に殺害・略奪・強姦に遭って泣き寝入り、
なんてことがなくなったことかな。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 21:17:55 ID:z18UNaqg0
天津神が日本に降り立った時から日本は大きく変わった。
日本独自の神による信仰が誕生したのは評価できるが、
天皇と朝廷を作ってしまった。
それが明治維新を誘発し、1945年に原爆が落とされた……
江戸時代に木の皮や雑草を食べたのは飢饉のときだけでしょ。
明治だって飢饉の時は農民は食べたでしょ。
特権階級の武士だって、おいそれと平民を殺すことなどできなかった。
国民を強制的に戦争にかり出し兵隊にして殺す富国強兵よりましだし。
明治にいいとこなんてあったの?
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 23:00:58 ID:vTHOC6Qi0
>>434 じゃあ、お前が率先して江戸時代の制度に戻すアクションを起こせよ!
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 23:49:48 ID:jc4hCA+d0
>>434 国民ではないが、領民を強制的に土地に縛り付けて旅行も引っ越しも転職もできないって事知ってる?
身分が違えば好きな人とも結婚できない。
そんな江戸時代より明治のほうがまし。
>>434 軍事が特権階級の独占物の時代の方がいいなんていつの時代の人間だよw
江戸時代だって旅行くらいしてましたよ。ソースは杉浦ひな子
明治時代には身分違いでも結婚できたんですか?驚きました。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 00:18:45 ID:xpC6OLZ5O
江戸時代は、その残虐性(無味乾燥な統計からも、
江戸時代が人口の大半を占める百姓にとって
地獄だったのは明らか)が見えないのが怖いんだよ。
スターリン時代のソ連や、
チャウシェスク時代のルーマニアと同じ臭いがする。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/07(金) 00:07:03 ID:L2EWOeEW0
>>438 通行手形を貰う為に、どれだけの賄賂が必要だったか知らないらしい…
旅行なんてできなのは一部の金持ちぐらいだね。
>>432 明治維新は評価するが、その江戸時代観は誤まり。
江戸も明治も男尊女卑に変わりないし、明治には家父長制度になるから
私は江戸時代のほうがいいや。
>>434は
武士による切捨て御免を知らないし無知だね。
>>444 「切り捨てご免」とかけまして「現憲法における自衛権」とかけます。
そのココロは、
あるのか無いのか分かりません。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 01:38:29 ID:5xFEoSWN0
江戸時代の切り捨て御免の法は有名無実でたいした理由も無く
庶民を武士が殺したらその武士は重罪にかけられたそうだ。
昔,NHKの番組で言ってた。
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 02:35:22 ID:nFN/0Wm70
ほんとに日常やってたら武士なんて今頃ヤクザ中共ロスケ以下のゴミ扱いだろうな。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 06:00:38 ID:FN4SzNWi0
>>446 庶民を殺した犯人が、その殺人を行った藩の領内に止まった場合はね。
殺したら他藩領に逃げる。これ渡世人の基本。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 08:39:06 ID:BN22e65x0
他藩領に逃げたら、浪人=失業者なわけだが・・・
そして藩の枠を超えるエタ・非人人脈網を持つ岡っ引きに捕縛を丸投げ。
江戸時代が暗黒時代と言うことは無いにしろ、江戸時代の体制ままでは
国民国家・帝国主義の時代に対応できない、と言うことが広く認識されて
いたからこそ明治維新になったわけで、どっちが良いかなどという比較
は無意味だ。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 09:03:20 ID:K9Z4FQZy0
>>449 強盗殺人などを犯した武士は浪人として他藩で就職活動すればいい。
罪人にならないんだから。
身分の低い人を殺した時は、ほとんど「無礼打ち」で無罪放免だよ。
どんな無礼だったかはでっち上げでOK。死人にクチナシだしね。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 10:53:10 ID:QePpXQYkO
明治維新で外国かぶれになった日本。
外国かぶれを悲しんだ明治天皇。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 10:56:13 ID:ARfASIq40
明治天皇は悲しんでないだろ
悲しんだのは孝明天皇
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 12:26:03 ID:KyQMhGgE0
明治天皇が牛肉を食されたから国民に肉食が広まったと言う人がいた。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 14:20:15 ID:QePpXQYkO
雅びな京都御所から江戸城に拉致され監禁された明治天皇。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 15:11:58 ID:l30xF+yV0
徳川幕府によって雅びな京都御所に260年間監禁された天皇一族。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 15:21:44 ID:06/7TkLw0
明治天皇は、立憲君主であろうとする強い使命感から
洋装、洋食などを受け入れてはいたけど
わずかなプライベートでは、電灯もつけないほど
洋風嫌いだったんだよ。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 15:50:38 ID:mTiR9Emk0
あ、そう。よかったねw。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 19:18:39 ID:hGKeKEA50
天皇がどう思ったかなんてどうだっていい。国民の大多数にとって良かったかどうかだ。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 03:03:29 ID:Ko31o0cs0
明治維新は近代国家を歩む過程。
古い徳川幕府の政体を崩し、鎖国で世界から遅れたものを
取り返さないといけなかった。武士の子は武士、大名の子はバカでも大名
どんなに優秀でも百姓は百姓という世界でなく、民主的で、海外にも対抗できる
強い国家体制を目指した。
その過程で不要になった武士からの反発などもあった。
官軍だった薩摩では西南戦争が起こり、同じく官軍であった長州でも
萩の乱などがおこり、新政府立ち上げの中心だった両藩からもこのような
戦争が勃発している。事も忘れてはならない。
また、長州で萩の乱を起こした前原一成は、賊になった会津の子供を
ひきとり、東京の学校などに進学させたという事も添えて覚えておきたい。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 01:26:09 ID:fVsRTfg80
あの当時、日本の近代化を進めるには天皇という一つの中心軸を
打ち立て革命を起こすことが考えうるベストの方法だったのであ
ろう。多くの国民が国家意識に乏しく、自由、権利、義務のことに
無知であったであろうこの時に、欧米列強に征服されず、しかも
封建制を超えた国家を建設するにはこのやり方が最もいいと志士
達は判断し進めていった。そして世界史史上稀に見る、うまく行っ
た革命が起った。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 01:43:17 ID:zXHZHfx5O
日本と同じように19世紀後半に統一を果たしたドイツとイタリア。
あの当時、多少強引にでも
国民意識の高揚を図らなかったらどうなったか、
ドイツとイタリアの行く末を比較すればなんとなく見えてくる。
>ドイツとイタリアの行く末を比較
キノコ雲を二つも作られた日本の行く末はドイツ・イタリア以下。
>>464 ナショナリズムの確立が近代国家完成、国際的地位の向上に寄与したことを
く無視するのは公正な見方とは思えない。
ナショナリズム確立が原爆投下を必然のものとしたことを論証してください。
だから徳川幕府も近代化を進めてたって。馬鹿薩長明治政府ほど急激な西洋化近代化ではないが。その幕府の近代化政策をのっとったのは薩長。急いで西洋と並べばいいってもんじゃないでしょう。
幕府のゆっくりだが確実な、日本にふさわしい近代国家を目指してたなら
原爆落とされることもなかったでしょう。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 15:22:53 ID:jCKhi0HE0
いきなり征韓論だからな。
明治政府は。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 15:33:14 ID:zXHZHfx5O
>>466 民主化後の日本をいきなり暴走させたのは、
ほかでもない武士道精神そのものとそれに溢れた方々でしたが。
>>467 それを主張した西郷を、明治政府はきっちりと干しました。
田舎の馬鹿私塾(三流大學)出身の
しょせん馬鹿ですから
薩長は
緩やかな近代化?
それすらできなかったから地方勢力ごときに負けたんだろ。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 18:40:21 ID:B+ABzMdFO
薩摩長州の明治維新は大失敗
無能な価値のない下級武士が作成した旧皇室典範のおかげで今…天皇家は存続の危機を迎えてる…
長い伝統を誇る天皇家をブチ壊した薩摩長州
明治天皇を大元帥にまつりあげ昭和まで軍国が続く…
寒い広島大本営での公務が明治天皇の死期を早めたと言われている
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 19:52:07 ID:uSwYbfkm0
>>472 側室容認の旧皇室典範なら皇統断絶の危機は迎えなかっただろう。
>>466 近代化の不可欠の前提となる重層的な権力関係を前面清算に成功した
という点では(西欧では絶対王政がこの役割を担った)
明治維新が起きたことは徳川幕府が続いていたよりよかったことだよ。
明治以降は常に君主権の担い手が天皇しかおらず、
戦後の改革でさえ天皇大権の完全制限(象徴天皇制)だけで
完全民主化(国民主権)のためには十分だった。
華族などは維新政府が幕府を含む官位を建前上アボンしたあとで
伊藤博文があり合わせのネタで即席で作ったものなので
伝統も何も無かったからごく簡単にアボンできた。
もし徳川政権が続いていたら、少なくとも
「徳川将軍」「京都の天皇・公家」「全国の大名諸侯」の3系統の権力が
そのまま存在することになり、民主化・国民国家形成の過程で
越えなければならないハードルははるかに高くなる。
最終目標を「国民主権」に置いて考えれば
この3つ全部をどうにかしなければ国民主権は成立しなくなる。
要するにこの意味で権力核大杉で統一がちっとも進まなかった
ドイツの苦しみと同じものを味わうことになっただろう。
権力核が沢山あるから国家分裂を起こしていた可能性も高い。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 10:14:07 ID:8sD8uCOsO
京都を愛した明治天皇。
明治新政府に東京に連れていかれ…江戸城に無理矢理住まわされた。
数年後に京都にお帰りになった時は荒廃した京都御所のありさまに心を痛められた明治天皇。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 10:28:41 ID:ZrliNGaC0
そろそろ天皇には京都に帰って来ていただこうか。東京には親王をお一方
征夷大将軍としてお据えもうしあげればいいから。
>>474 重層的上部構造が近代化を妨げる要素であるとするなら、
支那による科挙制による官僚絶対皇帝権力による支配は
近代化を推進するに十分な体制だったということになるだろう。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 18:49:18 ID:8sD8uCOsO
明治天皇は価値のない下級武士に操られ苦労された事だろう……
徳川幕藩体制が失墜滅亡したのは時代の流れとともに自然なことだったと思う。ブルボン王家しかりハブスブルグ家しかり。
ただ、薩長による明治維新は失敗だったことは間違いない。
江戸時代に収入源がなんだかわからない自称、高級町民(笑)
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 20:50:44 ID:8sD8uCOsO
今の沖縄基地問題、北方領土問題は戦争のツケで
その根本は明治の軍ができた時から??
>>481 ならば明治維新は関ヶ原のツケで
その根本は徳川の鎖国政策ができた時から??
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 22:14:44 ID:Ng9mUpdM0
明治になって朝鮮人が特権階級になる素地が作られた。
現在に至りそれは関西で爆発的に大成功を収めている。
朝鮮人による日本民族に対する傍若無人な振る舞いは目にあまる。
レイプ、公金垂れ流し、汚染物資の不法投棄、駅前のパシンコ屋、サラ金
JR阪和線は追い詰められた日本人による飛び込み自殺で
月に100回以上運行が乱れる始末。
すべて明治政府が招いた朝鮮渦である。
平成維新を起こすべし。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 22:25:03 ID:LWyd83K90
そうか、がんばれ
>484
>485
層化朝鮮お勤め乙であります。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 23:07:55 ID:EJPqSJFL0
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/11(火) 23:27:33 ID:HAXUp0qmO
中国でのデモ参加要請は重罪ですから放置したい。
日本もそれに近い罪になるから放置しとくだけWW
ネット場の戯言でしょW
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/13(木) 12:40:48 ID:vTpm4ju00
在日外国人の話はデマが多いようだ。
あまり、鵜呑みにせず事実はどうか調べた方が良い。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 16:42:30 ID:CBi/Puyq0
明治になりどれほ外国人が移り住みどれほど日本の政治文化教育等に
影響を与えたのだろうか。
それまでは鎖国で移り住むのはほとんど不可能だったろうが、移り住む
外国人が多くいたらそれだけいい面もあろうが外国慣れしていない日本人
徒は軋轢が生じたかもしれない。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 16:45:53 ID:l8yk/lBsO
明治維新はクーデターで成り立った…
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 16:58:28 ID:VxTCYMMT0
徳川幕府は太閤豊臣家からの権力簒奪で成り立った…
明治維新自体は良いものだったと思う。
西郷以下留守政府の面々が明治六年の政変前までは、
内治、外交の様々な面で近現代的改革が進められ、
諸外国(朝鮮除く)の評判もよかったようだ。
政変後は、言い様はどうであれ、確実に軍国主義一直線に走っている。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 17:58:54 ID:l8yk/lBsO
明治に誕生した軍隊が昭和に暴発して…… 外国かぶれになった日本
軍国になった日本
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 18:53:57 ID:7Eiry8z8O
>>493 初耳です。
これまでに聞いたことのない斬新な意見ですね。
後学のため、出展の小説をお教え願えませんでしょうか。
徳川幕府なんかモロ軍事政権だけどな。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 19:41:18 ID:EpIvUJho0
軍事政権じゃね?
防衛庁傘下の部局に地方自治体やら財務省が収まってんだよ?
俺は「昭和以降」の極端な軍国主義を擁護する気は無いが、
明治期の軍国主義を否定される方にお聞きしたい。
帝国主義の国際情勢の中、日本が軍国主義に走る以外の方法で、
条約改正・関税自主権の獲得に至る手段があればお教え願いたい。
否定されるには何か具体的な策があるのでしょう。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 21:02:18 ID:yO4Slg2f0
あと、明治維新と明治新政府を否定する人にも答えて欲しいな。
幕藩体制のままで不平等条約をどうやって改正するのか。
世界の帝国主義列強国とどういう付き合いをするのか。
日清日露戦争は第一次第二次長州征伐の幕府軍の編成で勝利する作戦計画を教えて欲しい。
ペリーが悪い!
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 21:12:27 ID:7Eiry8z8O
日本が軍国主義・独裁制に走らずに民主化して平和主義を採用していたら、
諸外国は日本のことを認めてくれて不平等条約も解消してくれただろ(笑)。
あと、ロシア大十月革命とソヴィエト政権を否定する人にも答えて欲しいな。
ツァーリ専制体制のままで労働者・農民の解放が成し遂げられるのか。
世界の帝国主義列強国とどういう付き合いをするのか。
大祖国戦争は第一次世界大戦のロシア軍の編成で勝利する作戦計画を教えて欲しい。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 21:15:27 ID:b5d2sso60
歴史のIFを突きつけるのは愚
あと、ナチスドイツとヒトラー政権を否定する人にも答えて欲しいな。
ヴァイマール共和国のままでヴェルサイユ体制を打破できるのか。
世界の帝国主義列強国とどういう付き合いをするのか。
第二次世界大戦はヴァイマール共和国のドイツ軍の編成で勝利する作戦計画を教えて欲しい。
俺は「ナチス以降」の極端な軍国主義を擁護する気は無いが、
帝政期の軍国主義を否定される方にお聞きしたい。
帝国主義の国際情勢の中、ドイツが軍国主義に走る以外の方法で、
植民地・世界強国の地位獲得に至る手段があればお教え願いたい。
否定されるには何か具体的な策があるのでしょう。
まったく問題ない。
>>505 事実、イギリスはベルサイユ体制変更容認の方向だった。
ナチス政権の失敗は生存圏獲得構想に基づく外交の破綻。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 21:39:26 ID:l8yk/lBsO
明治天皇を大元帥にまつりあげ軍国に突き進んだ日本
その結果の後遺症が今の日本の姿では?
>>503 世界恐慌・第二大戦を乗り越えられた点は見事。
だが冷戦下の核開発競争が不味かった。
>>506 ビスマルク失脚後のヴィルヘルム2世の帝政先議は明らかに失敗じゃん。
>>502 不平等条約が改正されたのは明治時代だろうがw
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/17(月) 00:07:00 ID:c8/IhBh10
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/18(火) 22:48:44 ID:WiBle4a80
>>511 途中まで観たけど嫌韓の一種でしょ。
アホ臭くなって読むのやめた。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 02:01:11 ID:jwkYqC5+0
>>510 日清日露戦争での結果も考慮に入れられて条約改正に至ったのでしたっけ。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 04:51:52 ID:w91cUMsY0
>>506 植民地・世界強国の地位獲得なんて
余計な事しなくていいと言いたいのではないかと。
李氏朝鮮は欝陵島の森林伐採権と漁業権をロシアに売り渡したからね。
森林伐採員が兵士に、漁師漁船を守ると称しロシア海軍が進出する。
日露戦争の理由のひとつ
ロシア、森林伐採独占を図る (明治36年5月1日時事)
鴨緑江沿岸の森林伐採において露国代理大使スタイン氏は去る17日
韓廷外部に対し、1896年露国人プリノと韓廷との間に締結せる条約に
基づき、鴨緑江沿岸及び欝陵島の森林伐採するにつき、その代表者として
男爵グンスボルク氏を漢城に滞在せしめ、なお同氏より今回の事業に関し
親しく奏上したき旨これあるにより、謁見を許可ありたしと照会せり。
一、韓国政府は露国人プリノに朝鮮木商会社設立の権を准許す。
一、森林伐植区域は、豆満江の上流、茂山、欝陵島及び鴨緑江の朝鮮辺界とす。
一、伐植期限は20箇年とす。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 08:07:00 ID:9IOX2y0T0
「日露戦争物語」(江川達也)を読め!
山本権兵衛内閣が総職した時に、徳川家達は総理になってくれと頼まれたが断った。
徳川は賢いね〜利用されるだけだものね。天皇はなすすべなく利用されたけど。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 17:06:54 ID:EsIFpscwO
明治政府は韓国を占領した?植民地にした?
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 22:12:26 ID:cfVp6hqG0
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 09:45:00 ID:jJ4zGrfz0
>>519 明治時代の国力と軍事力では無理。
もしそれをやれば欧米列強からタコ殴り。
実際に日清戦争の時に、手に入れた占領地を放棄させられている。
列強に互する軍事力を持った東北人達の昭和軍閥の時代になってようやく植民地にできる力を得た。
じゃそれ、今の東北人の祖先がアイヌも駆逐して朝鮮も堂々侵したと宣言する事になるの?
汚職って維新政府が起源?
井上とか山縣とか。
江藤さんみたいな高潔な政治家が今日頼もしく感じるね。
佐賀の乱始末での斬首は準法的逆恨みかな…
桂はやましいとこあったから
裁判しないで彦斎を粛正したっていう説やら。
伊藤には幕末の天皇暗殺疑惑説あるっつの知った。
安重根が話した?詳しくは知らないけんど、
明治の政府は怨血の政府だよね。
女にだらしない武士たちが作ったんなんて。
比べたら昭和の天皇はすごく偉い人だ。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 12:34:51 ID:vPAMFzwL0
汚職の最も酷いのは徳川幕府だってばw
大奥への闇献金は利得権にしがみつく幕府閣僚
旗本達は官僚接待政治
将軍に呼ばれた諸藩の藩主でさえも、
茶坊主に賄賂を送らなければ何時間でも待たされ続け、
将軍様に会わせてもらえない
自分たちの利権だけを守る為に諸外国の言いなりとなり、
諸藩に貿易を禁止したまま、自分だけ開国して貿易利権を得ようとした
払った代価は治外法権と関税自主権の放棄
徳川幕府は日本という国を外国に売り飛ばした
明治の高官たちは、日本を守る為に、この汚職まみれの幕府を倒した。
当然の事だったといえるね。明治政府が日本を救ったんだ。
なんて素晴らしい人達だろう。みんな感謝しなきゃいけないよね。
第一次長州征伐の終結で幕府が出した重要な条件の一つに
「長州藩が造った山口城の破却」があったのだが、破却の
確認の為に訪れた巡検士は賄賂を受け取って、僅か瓦数枚
をはがしただけで「破却しました」と報告する有様だった
らしいな。
幕府の末端がいかに腐敗していたかよく分かるエピソードだ。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 12:59:20 ID:xIZIql8R0
国防の為に幕府がお金を必要とした時、水戸の列公が「大奥を潰せ!」と叫んだ。
老中達もなんども大奥関係の出費を押さえ込もうとした
だが、結局だれも大奥の出費を抑える事はできず、幕府が長州征伐という最も必要な時に、
財政が無く、幕府歩兵隊を長州へ送る事ができなかった。
誰が幕府を滅ぼしたのかもはや明白。明治時代にジャーナリストになったとある幕臣は、
その著書の中で、「幕府は薩長に負けたのではない。金に負けたのだ」と断言している。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 13:06:56 ID:kR4WI6i50
女って政治には向いてない?
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 13:18:31 ID:kR4WI6i50
江戸時代中期までに大奥を廃止して、藩を30万石ほどごとにまとめて、
郡県制にすれば、幕府は長生きが可能だっただろう。
北海道は幕府直轄地。徳川一門の水戸藩を配置したいね。
金がかかる参勤交代も軽減する。
大阪65万石はやはり紀伊から移封。
>526
女が政治に向いてないというよりは、男社会で色気でのし上がった女に、
政治に向いてないのが多いというのが実態じゃないか?
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 14:01:57 ID:3hgSJ5/d0
薩長と徳川が一体となって、新政府になるはずだったのが
薩長が徳川と会津を徹底的に潰そうとして排除し
薩長だけで明治政府を作り野蛮な独裁国家になった。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 14:24:56 ID:Hr0uwY480
それは違うぞ
長州の桂は戦争では幕府に勝てないと大村益二郎に聞き、戦争回避に動いた。
岩倉具視も承知して、慶喜が平和的に領地返納に応じるならば、徳川家の存続と明治政府参加を認めた。
挑発行動をしていた西郷隆盛も彼らの要請に応え、江戸攪乱部隊に攪乱の中止を指示。
江戸攪乱していた薩摩連中はびっくりして、偽薩摩藩士になって強盗を働く盗賊を追っかけ回し、
江戸の治安回復の行動を起こしていた。福井藩や土佐藩の運動もあり、ほぼ徳川の明治政府入りは確定していた。
それなのに、会津藩や桑名藩、小栗ら主戦派幕臣は突如京都へ進撃すると訳のわからない事を言いだし、
進撃しなければ慶喜を殺して新しい将軍に進撃させるなどと言い慶喜を脅迫。
慶喜は仕方なく出陣命令を出した。勝てば良かったが、三倍の兵力を持ちながらもボロ負けし徳川が朝敵になる。
慶喜が彼らを見捨てる行動に出たのはごく自然な事だっただろう。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 20:43:56 ID:k1l+7FoqO
>>529 釣り臭いが、本気な奴も
少なからずいそうだから言っておく。
漫画と小説の読みすぎ。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 20:58:44 ID:kR4WI6i50
しかし汚朝されたのは致命的。
しかも大陸と半島に投資した金は、完全に無駄に終わった。
そりゃ結果論だ。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 21:47:41 ID:c8iU4kAK0
日本が明治時代にアジア諸国に軍事的に進出したのは失敗だったろう。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 23:09:49 ID:kR4WI6i50
>>533 征韓論自体が間違い。
結果論ではない。
日清戦争も間違い。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 23:11:47 ID:kR4WI6i50
樺太と千島列島の確保で充分だった。
台湾出兵も間違い。
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 23:46:29 ID:DqkRKSeq0
樺太と千島列島の確保では不充分だった。
台湾出兵は正解。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 23:48:04 ID:DqkRKSeq0
日本が明治時代にアジア諸国に軍事的に進出したのは正解だったろう。
東北人の昭和軍閥が中国侵略したのは間違い。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 00:31:56 ID:A7ZYFdsj0
>>538 お前おかしくないか?
東北のせいにしてる。
しかも侵略を反省してない。
本土に沖縄樺太千島程度の土地に資源でどこまで列強国に渡り合っていけるのかね。
それにロシアの南進をあのまま見過ごすのが果たして妥当なのか
俺には理解出来ん。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 07:12:18 ID:7yE/zeYA0
>>539 お前頭おかしくないか?
日清日露戦争はアジアを侵略する為の戦争ではありませんが。なにか?
何言ってるの?アジアを侵略する為の戦争だよ。
・・・ロシアが。
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 08:26:27 ID:uIQBRgBD0
ああ、ロシアかなるほどw
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 16:49:13 ID:ek+14cO4O
明治の無能な軍隊が誕生した為にその後の日本はダメになった。
長州一藩相手にボコボコにされる「有能な」幕府軍
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 20:59:11 ID:nKI4WZC60
明治の無能な軍隊は日清日露の戦いで中国とロシアを破り勝利した。
その後、東北人たちが作った昭和軍閥は太平洋戦争を起こし日本を滅ぼした。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/24(月) 22:07:54 ID:mfnWVMu50
軍閥を東北人とするのは何故?
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 14:07:18 ID:kY9Vf8CIO
明治政府は失敗
明治天皇は下級武士に扱き使われ過労死で崩御した。
>541
日清戦争が無ければ大陸は老いたと言え世界帝国である清が依然として
大国として存在しロシアもおいそれと手を出せなかっただろう。
したがって日露戦争は起きる要素は無かった。
では日清戦争はなぜ起きたのか?
それは明治政府が「脱亜入欧」を志向したからに他ならない。
「脱亜入欧」とは何かと言えば、日本国を欧州世界の一員とし
欧州同様に亜細亜を植民地化しようという事である。
日清日露戦争は「脱亜入欧」政策の延長線上で生まれた
いわば明治政府の内部的要因によって生まれた必然的戦争である。
従って皇国は亜細亜を植民地化するために日清日露戦争を行ったのは自明の理である。
日本の江戸時代の朝鮮は、清朝の属国であったが、
同時に徳川幕府に通信士を送って日本にも服属していた。
両国に朝貢し、結果、両国に服属していたわけだ。
日本が明治維新を迎えると、その混乱に乗じて清朝は朝鮮を日本と絶縁させ、
自分専用の属国にした。これは日本の権利侵害である。
だから朝鮮における両国の影響力を、江戸時代に戻すための運動が、
日清戦争になったとも言える。
清朝の振る舞いは、日本の利権や勢力圏の侵害である。
また清朝は日本と天津条約を結んでいながら、履行しなかった罪もある。
アジアの植民地化に熱心だったのは、明を滅ぼして支那と周辺諸国を植民地化していた、
満洲の女真族=清朝だったのは自明の理だ。
日清戦争の結果、朝鮮は独立を果たし、国号を改めた。
朝鮮は日本の勢力範囲には戻らなかったが、大陸との緩衝地帯になればそれで良かった。
ただし、独立に際し借りのあった日本に対して、朝鮮は不誠実な対応を行って、
ロシアに接近したので、日露戦争の原因の一つになった。
通信士 × → 通信使 ○
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 18:32:36 ID:Bbh44W9J0
ところで皆は「明治維新」をどのぐらいのスパンで見ているの?
なんか明治時代と同一視している発言が多々あって話が噛み合っていない。
後の帝国主義的侵略政策や反動的国内統治体制の確立と「維新」は違うのでは。
もちろん両者は完全に分離しているものではなく、例えば思想史的には関連性が
ある所もあるだろう。しかし牽強付会的に後の悪政と維新を結び付けている意見がままあるように思える。
個人的には明治六年の政変の結果としての有司専制の成立が分水嶺だと思う。
日本列島がひょっこりひょうたん島のようにス〜イス〜イっとイギリスの隣にでも引っ越せたらよかったけどねぇ
日本がアジアだということは変えようもないのにねぇ
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 19:19:30 ID:kY9Vf8CIO
明治維新は薩長が公家を巻き込み明治天皇を擁立してクーデターで成り立った。
真実は全て闇に葬り去った。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 23:08:53 ID:I5U81NQA0
>真実は全て闇に葬り去った。
闇に葬りさった事を、なぜ君が知っているのか詳しくソースを示して解説してくれんかw
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 23:11:14 ID:I5U81NQA0
徳川幕府は失敗
徳川家茂将軍は無能旗本に扱き使われ過労死で死んだ。
失敗で250年も続くかよ
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 23:25:00 ID:YcKVeuzA0
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 23:38:31 ID:GkThTpm70
>>557 250年間の間に徳川幕府は腐りきり、幕末に不平等条約を結んで日本を諸外国に売り渡そうとした。
250年間存続した事自体が間違いであり、徳川幕府は明らかに失敗。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 23:43:02 ID:KYVu+O9W0
>>559 外国と戦争するわけはいかなかっただろ。
国力をつけるまでは、まずは外国の技術、
よい文化などを受け入れるのはよいこと。
尊王攘夷と叫んでいた方々は勉強不足だった。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/27(木) 10:35:58 ID:DYLIFOUgO
孝明天皇毒殺
は事実である。
>>557 続いたことが失敗なんだよ。
なんで続いたのかっていうと、諸藩の国力をそぎ、
体制を安定させるために、外部からの影響を極力排除、
時代は変化しているのに、開府の方針に立ち戻らせようとする、
いや退化させようとしているといってもいいかな。
だから体制は維持できたが、時代にはついていけなくなった。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/27(木) 23:40:49 ID:xjykOhoL0
>>560 >まずは外国の技術、よい文化などを受け入れるのはよいこと。
ハァ?蘭学者を弾圧していたのは幕府でつよw。君は勉強不足でつね。
幕末の小説ばかり読んでいないで、江戸時代をちゃんと勉強してから書いてくだちゃいw。
中学校で習っているはずでつよwww
>>546 海軍側で対英米戦に引きずり込んだヤツラは薩長の連中だったんだけどね。
攘夷、攘夷といいつつ、海外に人をやって、学ばせようとしていた尊王攘夷派。
開国、開国といいつつ、引篭もっていたのが幕府。
当時の海軍のボスは、山本と米内。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 00:01:22 ID:xjykOhoL0
>>564 元々日中戦争がこじれて米英との関係が崩れたんだよ。
日中戦争は東北人が中枢にいる陸軍閥が仕掛けた戦争。
日露の頃は薩長閥主導で日英同盟など結んで良好だったんだ。
>>567 でも元々陸軍主流は北進論にこだわってたから、対英米戦には及び腰だったんでしょ。
そのケツを叩いたのが、親独対米強硬派薩長閥で固まった、石川信吾をはじめとする
海軍第一委員会の連中だべ。
石川信吾ごときで戦争が始められるわけねーだろ。
会社でいえば、部長、いや課長クラスが会社の方針を決定したといっているようなもんだ。
あんな説得力のない報告書を信じて、戦争に踏み切ったとしたら、
ほんまもんの馬鹿や。
>>567 支那事変はファシスト蒋介石による、日本への侵略戦争ですが。
内閣の平均寿命が1年半未満では話にならん。
政策実現は無理だ。イタリア並だなw
藩閥、党利党略、セクショナリズム、等々が内政の求心力を
どうしようもなく落してしまったんだろ。
短命内閣しか形成できなかった政権がなに言っても無駄だよ。
明治政府は結局は内政統治ができなかったと言うことだろうな。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 12:37:06 ID:FL9jdW1G0
>>570 人のせいにするな。
>>571 お前の基準では、ヒトラーやスターリンや毛沢東の政府が、
もっとも内政統治できた政府ってことになるんだろうな。
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 20:52:05 ID:r0wfKFk/0
軍閥の総帥トウジョウは東北人。太平洋戦争を博打的に始めた山本五十六は越後長岡。
日本を滅ぼした奥羽越後人は日本人に謝罪しる!。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 20:58:09 ID:r0wfKFk/0
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
>太平洋戦争を博打的に始めた山本五十六は
・・・・なんかかなりの馬鹿が混じってるなw
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 23:43:50 ID:imlTOLrr0
もう・・時代の流れは誰も止められない。
という状態。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 23:53:52 ID:imlTOLrr0
当時の敵。
アメリカ、ソ連、軍人。
この三つに勝つ方法。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/29(土) 07:03:06 ID:5Ot3Nltg0
>>576 マジレスすんなよw釣りに決まってんじゃんw
>>300 時速30kmで走る海上と 時速0kmで据え付けられた陸上の砲陣地
を比較するのですか?
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 00:40:46 ID:v6QNJXc70
>>574 >>575 元老の藩閥政治同様、地方や藩の意識から日本全体が抜け切れて
いなかったと言うことだろうな。東北は東北で一枚岩ではないしなww
日本人は殊更に派閥抗争が好きなんだよなw
なんの為の改革だったのかな?ww地方勢力の台頭と国内集権体制の不備と言う
江戸時代以前からの弊害は何等取り除かれてはいない。
内政統治に破綻をきたし無理な戦争に行くしかなく、独立を失った
と言うことだろうな。独立自尊だの尊皇攘夷だのが虚しく聞こえる現在の米軍の存在だなw
明治政府には内政統治する制度を確立する能力はなかったと言うのが結論だろうな。
戦後それを実現したのは悲しいかなマッカーサーだ。軍部や右派強硬派を戦犯として排除し
左翼はレッドパージにより除いた。その後できたものが中道左右による55年体制と言うものだな。
さて内政統治の制度が確立できなかった政府とは果たしてまともな政府か?
暫定政府みたいなものじゃねーかな。実際史上比較してみると短命だしなw
明治政府は長く見ても西南戦争から満州事変までだろ、機能してたのは。
半世紀だな。マッカーサー憲法とその秩序は戦後60年以上経った今でも
機能している。
いつの時代も馬鹿ほど改革改革と騒ぎ立てるものだなww
明治憲法よりはマッカーサー憲法の方が統治機能は優れていると言うしかないな。
なるほど日本人が米軍の支配に甘んじている理由がわからなくもない。
圧倒的な武力で治めて統治能力がある、というならそうだろう
内政破綻から戦争した訳ではないがな。
明治政府が終わったのは内政機能というより他の列強より国力が劣っていた部分が大きいし。
国内にだけ視点を向けてたら
>>582のような短絡思考に陥るのも無理は無い。
それでは歴史を学ぶ意味がほとんどなく、オタクの趣味でしかない。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/01(月) 07:30:48 ID:Y4lHQH9R0
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/01(月) 15:58:07 ID:tGe9JCqIO
>>585 日本が亡んだとは初耳。いつ、亡んだのですか?亡んで何という国に征服されたのですか。東北人
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/01(月) 17:04:06 ID:TDIMwb0q0
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/01(月) 19:19:51 ID:Ud+TujZH0
三国同盟・日ソ中立条約と昭和における日本外交をリードした松岡洋右
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/01(月) 19:42:36 ID:EE37bbuk0
松岡は東条など東北人の作った軍閥政府の役人。
かわいそうに東北人の意志のままに動くしかなかったんだね。
罪−上のようなスレ違いの怨トーホグを生み出したこと。
功−それに釣られて延々とスレ違いの話題に没頭する馬鹿を見て笑えることw
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 00:21:20 ID:bHjp1++a0
↑釣られている馬鹿の一人w
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 00:52:12 ID:q4MF7G/b0
19 :名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2006/02/07(火) 13:03:14 ID:FMNvj87A0
日本を滅ぼしたのは長州人。
世界的な歴史学者トインビーも評価した平和な江戸幕府を
暴力で転覆し、軍国主義の道への先鞭をつけた妄想渦巻く松下村塾。
これといってなんの才能もなくただ兵士を無駄死にさせた愚将乃木。
旧幕臣の説得がなければロシアに土下座して屈服しようとした伊藤。
挙げ句の果てにポーツマス条約などというへたれな条約を結んでいる。
いずれもただ悪運を味方につけてのし上がっただけの変態&無能連中である。
WW2では無能でナチス陶酔者、全体主義陶酔者である精神異常者松岡は
国際連盟を脱退した挙げ句、ヒトラーと握手し、スターリンと抱き合った鬼畜。
イギリス・アメリカを刺激して無謀な戦争への既定路線を築き上げた。
思い上がった長州人が国の舵取りをあやまったことにより、
昭和20年には本土空襲が本格化。 東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
日本の人心は荒廃し、道徳倫理が喪失された。
長州人の無知無能により、古来から幕末にいたるまでに
築きあげられた有形無形の財産はすべて失われた。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 02:36:49 ID:rXINdNe40
長州って朝鮮と中国の血が濃そうですね。
東北は美人が多いよ。
アイヌ、縄文、南方が混ざってるからかな。
色白、目パッチリ。
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 07:28:56 ID:RdXz2Tdi0
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 09:05:00 ID:qVAIDp4FO
コピペコピペごしゃっぺ? 日本は滅んだのか?
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 10:21:19 ID:XigW4Ehy0
本当に日本が滅んだことで国内の人間同士で他人の所為にし
いがみ合っているようだが何時日本は滅んだのですか。
旧日本領だった日本で本州、北海道、四国、九州と呼ばれた
地域は今、どの国が支配しているのですか。
日本人は今どうなっているのですか。
日本が滅んだと主張している方々、お答え願いたい・
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 10:27:10 ID:4ll9Qqe/0
会津ヲタに聞いてくれよ。
最初に無知な会津ヲタが薩長閥が太平洋戦争を始め、日本を滅ぼしたと言い出し、
先のコピペが会津ヲタに反論する形で張られ出したんだからさw。
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 10:29:25 ID:4ll9Qqe/0
ちなみに、多くの会津ヲタ言い訳を聞くと、今の日本はアメリカに占領されているそうだよw
会津ヲタの馬鹿っぷりが遺憾なく発揮された見解ですねw
占領はされてないにしても属国状態は間違いないがな。
半独立とはいえ日本という国は存在するので滅ぼされたというのは間違い。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 11:05:42 ID:sw8umIks0
>属国状態は間違いない
会津ヲタの見解はいつ聞いてもイタイなw
>>600 会津ヲタなどではないが、その認識が多数だし実体もそうじゃね?
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 12:37:02 ID:4ll9Qqe/0
>>601 うわ!釣りじゃなくてマジでそう思ってんの?イタタタタ
それに会津ヲタではない点にこだわってる時点で会津ヲタってばればれになるよw
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 13:38:22 ID:HFPUdfkB0
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 13:44:00 ID:rXINdNe40
統帥権の問題、朝鮮併合、満州国、近衛内閣。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 15:12:26 ID:/kxVpNSP0
それすべて東北人たちが私腹を肥やすために悪用した制度だね
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 15:36:43 ID:F0JYwLmCO
たしか戦前も、日本人の真の力を顧みず、
日本がある程度国際的プレゼンスを築きあげたとたんに民衆が
「いつまでも欧米コンプに捕われていてはダメだ!真の独立を!」
みたいな勘違い発言をぶちかまして滅亡への道を歩んだんだっけな。
葉隠れみたいな変なファンタジーと現実とを混同させて
妄想世界の中に生きるのが好きな日本の一般大衆に、
理想と現実を区別する能力はなかった。
日露戦争のとき、最良のタイミングで精いっぱいの条件の講和に臨んだ政府を、
民衆は弱腰だと罵倒し、シベリアを横断してモスクワを占領しろと怪電波を発していた。
もし日露戦争時に民主化が達成されており、
政府が政治的意思決定を民意におもねることがあれば、
この時点において日本は滅亡していたであろう。
日露戦争時とニニ六政変の後とで違うのは、ひとえに民衆の暴走を押さえつける
強権的な政府が存在したかいなかにかかってるわな。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 18:23:45 ID:6ZfwTfh00
つか、東北人がその民衆感情をも誘導利用し、国会を押さえつけ軍閥政治を可能にした。
>>598 >>600 日本がアメリカの軍事的属国と言うのは、合っているのでは?
自衛隊はアメリカ軍の補完しかできないように整備されて、自立した防衛力は無いし、
外交的にはアメリカに追従し、内政はワシントンの言う通り。
貿易黒字も米国債を買わされて、円高の度ごとに目減り。実質的に上納金を納めている。
ただ、現状の日本は、アメリカと支那の両方の属国です。
与党=政府はアメリカに従い、与党の一部と野党は支那に臣従していますから。
(お金は両方に払っているから、この面でも属国の証明)
その立場は、清朝に臣従し、徳川幕府にも朝貢して(通信使)日支に両属していた、
李氏朝鮮(あるいは琉球)に近いものがありますね。早く自立したいものです。
関係ありませんが、先祖代々の防長人で(周防+長門 の意)、
全国規模の業界親睦の酒席で、福島の人に同郷の人が絡まれていたので、
京都で虐められたと返すと、以降はその福島の人が会津ネタを持ち出すことは無くなりました。
以前は山口の人を見つけると絡んでいたようですから、迷惑な話です。
50歳過ぎて師団付き、予備役編入寸前だった東條を、個人的関係から
関東軍憲兵隊司令官という地位に引き上げたのは、後宮淳(京都)。
陸軍人事のゴタゴタの渦中で、東條を陸軍次官の地位に推したのは、
杉山元(福岡・日米開戦積極派)と梅津美治郎(大分)。
東條を首相に推したのは、木戸幸一(長州)。
蘆溝橋事件を拡大させ泥沼の日中戦に引きずり込み、三国同盟を推進し、
日米関係の悪化を決定的なものにした武藤章(熊本)。
なんだ、西日本人ばっかじゃねえか。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/02(火) 23:21:11 ID:XigW4Ehy0
日本人同士(たぶん)100年以上のことまで持ち出して
いがみ合う。驚くべきことだね。
これなら、外国から先の大戦のことで恨み言を言われるも
しかたのないことだ。
と、長州人が申しております。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 00:21:54 ID:9UqmCUfV0
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 01:31:34 ID:eaJ9EQvl0
日本を滅ぼしたのは長州人。
世界的な歴史学者トインビーも評価した平和な江戸幕府を
暴力で転覆し、軍国主義の道への先鞭をつけた妄想渦巻く松下村塾。
これといってなんの才能もなくただ兵士を無駄死にさせた愚将乃木。
旧幕臣の説得がなければロシアに土下座して屈服しようとした伊藤。
挙げ句の果てにポーツマス条約などというへたれな条約を結んでいる。
いずれもただ悪運を味方につけてのし上がっただけの変態&無能連中である。
WW2では無能でナチス陶酔者、全体主義陶酔者である精神異常者松岡は
国際連盟を脱退した挙げ句、ヒトラーと握手し、スターリンと抱き合った鬼畜。
イギリス・アメリカを刺激して無謀な戦争への既定路線を築き上げた。
思い上がった長州人が国の舵取りをあやまったことにより、
昭和20年には本土空襲が本格化。 東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
日本の人心は荒廃し、道徳倫理が喪失された。
長州人の無知無能により、古来から幕末にいたるまでに
築きあげられた有形無形の財産はすべて失われた。
>>612と
>>613との対立を見てもわかるように
戦前の日本にはまとまりが欠けていたと言うことだろうなww
>>606 その民衆の意向の尻馬に乗った政治勢力がいたのも事実だけどな。
日本にはやはり朝廷と天皇に対して幕府と将軍のような強権的な政治制度が
あった方がいいだろ。それが今は米軍だけどなw
マッカーサーとGHQは臨時の幕府だったよう気がするねw
なるほどだからまだ関東に居るわけだw
元老だのはダメだな。重臣にしても末期の元老にしても
明治に生まれた人間が主流になった頃だ。元老が機能していた
のは江戸時代に教育を受けた人間が生きていた頃までだな。
さて、明治の教育は本当に優れていたのか?
昭和のお馬鹿チャンは殆どが明治生まれだな。
江戸時代に生まれた人材が枯渇してから日本は迷走し始めたように思う。
明治時代に活躍した多くは藩士として主君に忠義を尽くす武士として
教育された人間が多かった。軍人勅諭にある忠義なるものを良く知っていただろ。
他方、明治時代は国民なるワケワカメな人間として公家でしかない天皇への
忠義と言う形で教育しようとしたわけだ。
古来日本では頭領の頭領は頭領ではない。
天皇への直接の忠義は無理があったろ。実際死んでいったものは故郷としての
国、つまり地方(かつての藩の一部だな)のために死んだ。
藩閥も戦中まで残った。天皇なんかもともと戦争なんかしないし歴史的にもそんな実績は
少ない。公家に戦争は無理だw天皇家は武家ではないからな。まがいものの公武合体わしたわけだw
戦場で成果も上げた実績がない人間に軍人が忠義は立てないだろ。
で、最後はとうとう財界、政界、官界、軍部、とそれぞれ勝手に行動しだすわけだ。
統制がとれず特に軍部の独走が目立ったのはやはりお公家様に忠義なんか立ててられるかよ、
ってな理由だろうな。藩士としての意識に代替できるものが確立できなかったのが明治政府だろうな。
それは満州事変以降に露呈するわけだ。明治生まれの人間のしたことだ。
名前からしても如何にも近代的な名前が多い。平八郎だの小五郎だの武家の小倅らしい名前は
少ない。
明治人は子孫を教育する際に重要なことを忘れていたような気がするね。
薩長はまだ戦略・戦術を心得て終戦まで考え戦争をしました。
昭和のおもに東北人が主導した戦争は出たとこ勝負・無茶苦茶。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 07:06:32 ID:rVoGC7Za0
徳川幕府の教育よりゃ良かろうよ
日本全国に統一的な「義務教育」を行った事など評価できるね
明治維新によって日本は幕藩体制から統一国家となった
いつまでも土地にこだわる封権制度の精神性を教育してもしかたがない
封建時代の領主への忠義の精神は、統一国家にあうように愛国心へと転嫁された
武士として教育を受けた者だけだ優れているなんてのは電波の言う事だ
幕末時代に活躍し、明治でも活躍した大村益二郎は村医者
幕府側で最後まで抵抗を続け明治政府にも出仕した大鳥圭介も村医者の倅
渋沢栄一だって出身は農民で、武士の教育など受けていないが、明治時代には銀行王になった
それと
>「武家の小倅らしい名前は少ない。」
多いよw。お前が知らないだけだろ。
てか会津と長州スレでやってこいよ。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 11:25:03 ID:uPVsYzeZ0
亡んでもいない日本を亡んだと言って責任を長州だの東北だの
言い合っているのは何考えているんだと疑問に思う。同じ、内容のこと
繰り返し書いて罵り合って楽しいですか?
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 12:27:04 ID:bIfEcKh3O
明治維新は成功してもその後の政策が大失敗
薩摩長州の派閥争い…天皇を大元帥にまつりあげ軍国に突き進んだ日本
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 12:53:16 ID:RZbTSSfW0
日本を滅ぼしたのは長州人。
世界的な歴史学者トインビーも評価した平和な江戸幕府を
暴力で転覆し、軍国主義の道への先鞭をつけた妄想渦巻く松下村塾。
これといってなんの才能もなくただ兵士を無駄死にさせた愚将乃木。
旧幕臣の説得がなければロシアに土下座して屈服しようとした伊藤。
挙げ句の果てにポーツマス条約などというへたれな条約を結んでいる。
いずれもただ悪運を味方につけてのし上がっただけの変態&無能連中である。
WW2では無能でナチス陶酔者、全体主義陶酔者である精神異常者松岡は
国際連盟を脱退した挙げ句、ヒトラーと握手し、スターリンと抱き合った鬼畜。
イギリス・アメリカを刺激して無謀な戦争への既定路線を築き上げた。
思い上がった長州人が国の舵取りをあやまったことにより、
昭和20年には本土空襲が本格化。 東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
日本の人心は荒廃し、道徳倫理が喪失された。
長州人の無知無能により、古来から幕末にいたるまでに
築きあげられた有形無形の財産はすべて失われた。
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 12:57:48 ID:0xjU+WfI0
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
維新で活躍した人間は旧藩士が圧倒的に多い。
だから藩閥政治は継続された。封建時代の精神とやらはしっかり継承されたと言うことだな。
軍人勅諭にある徳目は忠義で忠義を特に重視したのも江戸時代の儒学の影響だ。
明治維新は結局は封建時代の藩士としての意識とやらを克服できなかったと言うことだな。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 13:09:40 ID:ohiQRz0vO
明治維新はクーデターで成り立った。
>>623 無理もないよ。藩なんて呼称しているが戦国大名や更には国司郡司
辺りの傭兵としての武士団以来の土着性。もともと百姓上がりだし
克服なんてできるわけがない。もともと地縁血縁での結びつきが強い。
つーか、そんなの武士に限らず地方なんてみんなそう。
未だに地方議員なんか地主の親族の独占みたいなもの。
それ無視して国政選挙なんか勝てない。
土木政治とか非難するのは簡単だけど、それやらない役立たず呼ばわりだよ。
神道だった明治神道までは地方性の強い地域的な信仰でしょ。
精神なんか容易には変わらない。
だから岩手だの鹿児島だの山口だの福島だのいまだに貶し合っているw
簡単に克服なんかできない。
まあ地縁血縁で固まってる地域ってなぜか朝鮮・漢民族の居留地に多いんだよな
DNAのなせるわざかな?建築土木みたいな労働は儒教的に最下層の仕事だし
彼らの出自が知れるな。
>>626 で、地縁血縁で固まっていない地域とは?
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 16:17:26 ID:8MOSp0c30
>>627 東京都千代田区なんかどうだろう?
それ以外でも東京山の手は地縁血縁は薄そう。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 12:52:32 ID:WEQCEwmm0
明治維新は武士が中心となって起こした革命であるが
鎌倉時代からの土地中心の考えから少しずつ脱却する
一ステップだったかもしれない。それでも家ということは
まだ免れることは出来なかったが。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 14:42:08 ID:qT1kNTFM0
新しい中央集権ができたのは成功。
天皇を中核にしてしまったのが大失敗。
>>629 ボアソナード民法で、家父長制を乗り越えられるチャンスがあったんだけどね。
例の「民法出でて家滅ぶ」論争で潰された。
これは背後の天皇制が家父長制度だからだろうか?
ボアソナード民法を採用してれば、
戦前の歴史も一味変わっていたかも。
農村で土地改革が進んだ??
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 11:13:54 ID:d8JGPBBA0
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 12:31:56 ID:cMiW2mye0
新しい中央集権(徳川幕府)ができたのは成功。
将軍を中核にして、議会制にしなかったのが大失敗。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 12:33:26 ID:cMiW2mye0
徳川幕府は豊臣家から権力を簒奪して成り立った。
>>630 土地改革は、戦時中の日本でも計画されていたから、
家父長制とは関係ないかと思われ。
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 19:17:42 ID:WolbkTlZ0
何時から日本人以外のアジアの人々を軽視するようになったんだ?
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/15(月) 13:37:20 ID:XM9We7sg0
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/15(月) 21:48:44 ID:g1zW2S7bO
近代の天皇家の悲劇は明治維新から始まった…
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/16(火) 01:42:05 ID:4NIPSD440
漏れは今しあわせだ。天皇が悲劇だろうが別にかまわんよ。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/22(月) 21:52:57 ID:pcln7BQo0
天皇家が不幸かどうかは分からない。
はたから見て憶測しているだけ。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 01:27:21 ID:mbKDYo7a0
>>638 まあ働きもせずに生活保護を受けられるからな。
帰国しろ。棄民
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 02:40:38 ID:LrP9bo8m0
日本が日本としてあるのは万世一系の天皇が中心軸にあるからだ。
それがなくなると日本は無くなる。
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 02:59:11 ID:mbKDYo7a0
>>641 古代の日本から今の日本に一貫した共通点って結局天皇しかないからな
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 06:35:53 ID:4gpl0PZe0
↑やだねえ、花鳥風月を愛でる感受性に欠けたやつらってのは。
きっと都市郊外のベッドタウンのウサギ小屋か集合住宅育ちで、
国内旅行とかも殆どしたことがないような連中なんだろうなw
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 08:25:27 ID:lkGhirpU0
>>640 は?天皇崇拝狂信者っぽい人が何か言っているなw
天皇なんてどうでもいいのさ。
実際、天皇は権力者に利用され続けた事は歴史が証明している
戦国の織田家、江戸時代の徳川家も天皇を利用して権力者になってるしな
むしろ利用されるだけの存在だったからこそ1500年以上も続いたんだろうね。
利用されるだけの存在として振る舞うことで、歴代の権力者とは利害が一致してたわけで。
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 13:52:06 ID:z+47FV/00
後醍醐天皇が権力を握ろうと動いた時、南北朝争乱となり果てのない混乱を招いた。
天皇なんてものは、存在しているだけって所に意味がある。
幕末の孝明天皇を見て見ろ。孝明天皇の意志は鎖国の継続にあるんだぞw。
これが幕末の混乱に拍車を掛けている。
徳川幕府は天皇の臣下という立場だが、君主としての天皇の命令をまったく聞いていない。
薩長も天皇を利用し幕府を倒したが、天皇中心の国家を作るといいつつも、
実態はまったく天皇中心の国家にはしていない。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 14:57:53 ID:LhPmA3gEO
明治天皇は薩摩長州の無能武士にこき使われた
昭和天皇は軍部にこき使われた
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 16:07:59 ID:+eeaA+OK0
今上天皇は、憲法で国家機能の一つに組み込まれこき使われている。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/28(日) 02:10:42 ID:RTDLebaK0
ある人の話だと天皇は激務らしいがこき使われているというわけでもないと
想うけどな。
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/28(日) 09:59:11 ID:Xpf1kI0N0
2ちゃんの世界では
働いている→働かされている→こき使われている
働いていない→人間失格→穀潰し馬鹿
のどっちかだからさw
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/28(日) 14:44:11 ID:ipGn4HdO0
首相より金貰ってるんだから、首相より働いてあたりまえ
天皇崇拝者の中には天皇の公務は激務だって言う香具師がいるけど
とてもそうは見えんよな
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/28(日) 22:04:11 ID:8B59tEQS0
庶民に分からないが天皇は忙しいといった共産党支持者がいたよ。
金=労働時間と考えてしまう単純作業労働者は困るな。
ゆったりした生活してようが効果を出してるなら良いだろう。
・・・年間スケジュール見れば、少なくともゆったりしてないのは確かだが。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/31(水) 02:42:54 ID:3+KBXfZ60
何を持って忙しいとするか、その基準が問題かも。
好きなことなら不眠不休でも頑張れて忙しいと想わなくても
嫌いなことなら一日一時間でも嫌だ激務だと想うかも知れない。
忙しいかどうか心が決めているのだろう。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 15:49:07 ID:TfBfhrq10
司馬遼太郎が褒めちぎる明治って、男の天国みたいな時代だな。
ジェンダーを気が狂ったように攻撃する安倍シンゾーよ。
1898(明治43年)の民法改正まで、わが大日本帝国は一夫多妻制だったんだぞ。
帝国議会元老院のスケベ爺さんの執拗な抵抗があったそうだ。
これこそ、素晴しいスバラシスギル「日本の伝統」とやらだな。
日本の正しい歴史として、後世の日本を背負う青少年にきちんと教えてやらねばならんべ。
反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ) 【驚愕】日本は1898(明治31)年まで一夫多妻制が認められていた
http://anarchist.seesaa.net/article/18832144.html
明治になって朝鮮人が特権階級になる素地が作られた。
現在に至りそれは関西で爆発的に大成功を収める。
朝鮮人による日本民族に対するやりたい放題は目にあまる。
レイプ、公金垂れ流し、汚染物資の不法投棄、駅前のパシンコ屋、サラ金
すべて明治政府が招いた朝鮮渦である。
擬似日本人たちの最後の目標は天皇家の抹消である。
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/07(水) 04:56:24 ID:BWfnnXNS0
明治維新について初心者にわかりやすい本ないでつか?
あまり細か過ぎず、読んで面白いやつ。
>>656 皮肉でいっているだろうが、別に構わないと思う。
一夫一婦制って欧米、キリスト教の影響だろう。
そもそも自由や思想の観点から見て、強制的に
一夫一婦しか認めないってのはおかしいんじゃ
ないのかな。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 14:06:36 ID:K7zo170e0
日本でも庶民は一夫一婦が主流だったようだ。
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 14:07:45 ID:qx2ZWXTw0
文化の影響もあるだろうね。
子孫の死亡率が高い土地では、一夫多妻制の文化が生まれ
子供の死亡率が低い土地では、一夫一婦制の文化が多い。
それを思想的に表したのが宗教。
一夫多妻制は子孫を残すという一点では優れているが、
その他の面で問題が多すぎ。
それは分かるが、別に江戸自体は一夫多妻が悪だったと言うほどではないし、
面倒とか問題とかはあったとして、そういうのは法律で縛るもんじゃない
だろ?
>>648 >今上天皇は、憲法で国家機能の一つに組み込まれこき使われている。
これは明治天皇以降ずっとじゃないの?
貧乏人は一夫一妻
金持ちは今でも妾はいる
昔は妻を一人しか持てない男の事を「匹夫」といって馬鹿にしたからね。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 14:59:07 ID:6IYggB2f0
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 01:50:30 ID:wk+pQ4Ij0
一夫多妻は前近代的制度というのはイスラム圏は知らないが
それ以外は認めていないよね。
隠れ愛人がいたとしてもそれを良いこととはしない。
つか、そんなの当人らの勝手のはず。大体、昨今の女性らの浮気や愛人などに
対する極悪人扱いのヒステリックな感情はウンザリ。
そもそもが、一夫一夫に拘るのが、むしろ自由を尊重する近代の法の
観念からして古臭い。法の点からまずい点があるとすれば子どもの父
が誰かわかり辛くなるという点だけ。
自由と勝手は違う。
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 16:16:25 ID:/D6s2WBgO
>>670 はいはい、思考停止。
後国家的な道徳倫理を前国家的なそれとして捉えているとそうなる。
一夫には一婦と考えてきましたが、
一夫に一夫をあてがうのは古臭いどころか進歩的ですね。
進歩的過ぎてついていきたくありません。
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 00:20:44 ID:HyRrD3mF0
>>673 きっと同性愛者が愛人を何人も抱えているのでしょう。
正式の結婚じゃないから相手が何人もいても平気な輩ですね。
ハ,,ハ
('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
/ヽ 〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね!
/| ̄ ̄ ̄|.\/
| .モツ煮..|/
 ̄ ̄ ̄
現在の所持品:たばこ・ライター・コーヒー・ウィルス
電話加入権・「PartのかわりにRigelを流行らせよう」のログ
ドエット・シンナー・こどもののみもの
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 00:44:38 ID:HNhioLFU0
明治維新のことを語るスレなのにいつの間にか同性愛や一夫多妻について
語り合っている。あまり関係ないように思うけど。
その当時の政治、社会、風俗等のなかでそのことを語るならいいが
それ自体が目標みたいに言うのはいただけない。
その時代、政治家やある程度の収入を得ている人が愛人を抱えているのは
時代として当然であったがそれがどういう意味を持ちどう現代に影響し
未来にどう進むべきか考えて書き込んだ方が良いと思う。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 17:58:59 ID:mjbGOiZhO
明治維新はクーデターで成り立ちた。
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 21:35:52 ID:fdziwQpc0
成り立ちた?
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 03:39:26 ID:lRGk+agS0
徳川幕府のような封建制が現代社会で通用するはずないでしょ。
明治の革命は多き奈留革命だったことは間違えない。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 05:11:08 ID:l/yxaVbn0
しかし我家の場合、藩庁からわざわざ御扶持を貰い代々世襲で郷士(といっても下級だが)
曽祖父の父は薩長の天下で全てを失った。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/24(土) 08:03:01 ID:qn2Mc2z20
>>681 それで良いではないか
家族を養えない程度の扶持米を貰っても仕方がない
貧乏暮らしを変えようとしても転職できない江戸時代よりましだろ
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 23:04:12 ID:dijstVrS0
江戸時代より改善されたことは本当に良かった。
でも、本当に改善されたのは第2次世界大戦後の
ことだろうけど。
明治憲法が悪いのではなく民放等が封建社会免れてなかったのだろうけど。
>>674 ホモやレズなどの同性愛者は愛人だらけというか、
短いサイクルでくっついたり、離れたりと、どっかの青春白書みたいな感じらしいっすよ。
子供もできないし、結婚できない国も多いから、二人をつなぐのは、
そのときの気持ちと肉欲だけだからね。
とマジレス
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 12:37:13 ID:5Axz/6RFO
明治維新は成功したが大日本帝国憲法は大失敗
GHQに解体された大日本帝国憲法
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 14:38:45 ID:NZ8TRsMV0
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 04:53:37 ID:EzHRF6DRO
>>683 アメリカからドル栽培工場極東支部に選定されて
経済的に豊かになったからあまり意識はされないのかもしれないけど、
アメリカの商売とは無関係の部分では
未だ改善されていない部分のほうが多い。
製造業と金融・農業・公教育・地方自治との著しいレベルの格差や、
法治主義の仮面をかぶった徳治主義に、
日本古来の部族社会の名残が見て取れる。
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 01:46:59 ID:MDAdP4hy0
格差社会を国民が感じている現代は逆に多くの格差を無くすチャンスと
見ていいかもしれない。
日本で未だ解決されていない問題を解決できる時として我も皆も
頑張りましょう。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:13:23 ID:QLzSJvMa0
明治維新があったように
平成維新を起こしましょう。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 15:02:08 ID:NyEQ7e2l0
平成維新を起こして攘夷決行しましょう
アメリカを日本国から叩き出し、
北朝鮮を攻め滅ぼして日本国の平和を勝ち取りましょう
天皇が納める真の国を作れば、きっと神風が吹くでしょう
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 19:59:20 ID:L6lsBJmA0 BE:332697986-#
それには賛成でござるが、同時に南朝鮮も征伐してほしいでござる。
平成征韓論でござる
天皇には京都に帰っていただいて、東京には親王をお一方
征夷大将軍として置き奉るのが最も望ましい政体。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 22:18:41 ID:dgWsLLfo0
>>692 >征夷大将軍として置き奉るのが最も望ましい政体。
将軍と天皇を離して置くとまた面倒な事になるから、将軍も京都に置いておけ、
代わりに関東公方を置き、東京はもう発展しそうにないから、新首都として鎌倉に公方様をおこう。
>>691 まず北を潰す。返す刀で南を強談屈服させ、日韓同盟にもっていく。
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 22:30:57 ID:dgWsLLfo0
最終的には中国とも同盟し大アジア共栄圏を作る
これで勝海舟と西郷隆盛の欧米列強に対抗する為のアジア同盟が完成する。
…………昭和の軍隊も似たような事して負けたような稀ガスwやっぱだめぽ。
平成三韓征伐も捨て難い
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 13:27:40 ID:nlkQpRzO0
現代に維新を起こすなら世界的視野で考えないといけないだろう。
日本だけのことを考えてもうまくいかない。アジア、欧米、アフリカ等
先進国のことも発展途上の国のことも考え世界の発展を異文化の交流を
考えて成し遂げられると思う。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 20:05:08 ID:pQ5aN6zf0
世界同時革命と叫んだ学生運動は遙か昔に挫折している
>>697 >アジア、欧米、アフリカ等先進国のことも発展途上の国のことも考え世界の発展を異文化の交流を
考えて成し遂げられると思う。
例えば?具体的に提言していただけないか?抽象的過ぎてよう分からん。
700 :
206:2006/07/17(月) 22:30:13 ID:UkSSibk00
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 00:15:59 ID:+6zegPim0
シャア専用?
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:44:04 ID:8rWE0Mw70
アメリカは日本のモビルスーツという架空存在を危険視していますか?
>>629 今でもしっかりと土地中心だよw
国も地方もなw
「土地本位制」な意識には修正がせまれているだろう。
我輩の自宅地価は三十年前にもどってしまったぞ。
しかし相変らず担保価値は土地に優るものはない。
そして地方財政の重要な財源は固定資産税だろ。
そして国有地の多さを考えてみな。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 02:33:49 ID:6tzD7uUl0
明治維新の政治家で最大の功労者は誰だろうか。
私は木戸孝允だと思うけど。明治の制度の主なものは
この人が考えたのではなかったか。途中で下野して目立たなくなったが
この人がいなければまた武家社会にということもありうる。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 16:44:45 ID:Unwol4buO
明治維新はクーデターで成り立った…
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 21:26:14 ID:EukkQn8N0
と、バカが申しております
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 16:20:55 ID:SmJnptqj0
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:55:59 ID:S0t6W2P50
ぴったし韓韓〜
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:11:06 ID:2zaW93J00
結局の所明治維新そのものがクーデターみたいなものだからな。
もちろん自分の国のことを悪く言う人はほとんどいないので、
なんとか取り繕って「良いことでした!」と言っているけど、
それは維新後に良い立場にいる人が「私にとって良いことでした!」なだけで、
本当に万人に良かったのかどうかはわからない。
でも、時代ってそう言うものだと思う。
その中でどうするかであって、明治維新じたいは歴史のひとつとして、
やっぱり必要だったんじゃないかな。当時の日本の状況を考えると。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:25:07 ID:S0t6W2P50
っていうか、明治以前にクーデターや反乱以外で政権を取った人なんていないわけですがw
大化の改新だってクーデターだぞw
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:26:09 ID:S0t6W2P50
選挙や法的に平穏に政権交代できるようになったのは明治以降だろ
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 00:07:00 ID:cS745N3WO
>>711 そんなペラペラの意見をそんな長文で展開できるなんて、
なかなか見事な面の皮の厚さをしているな。
中学生なんじゃないの?俺もあの頃はすべての人が幸せになる方法を夢想していたものよ。
今思うと恥ずかしいがな。
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 07:22:14 ID:nr+jqxcB0
大化の改新:クーデター
鎌倉幕府:平家への反乱
建武の新政:クーデター→反乱
室町幕府:クーデター→反乱
室町幕府の滅亡:信長の反乱
秀吉の統制:織田からの天下簒奪
江戸幕府:豊臣からの天下簒奪
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 12:28:43 ID:nr+jqxcB0
ちなみに18世紀以前の中国や欧米でもクーデターや反乱以外で政権取った人はほとんどいないw
>>713 内閣の交代を言うのなら事変や事件や戦争や暗殺でいくらでも政権は
交代している。
憲法での体制が変ったと言うのなら敗戦以来と言うことで平穏とは言わないな。
平穏に政権交代できるようになったのは内閣なら55年体制以降であり
米軍の監視下と言うのが本当のところだろうな。安保闘争で吹き飛んだ内閣をどう考える
かにもよるがな。改憲にしても紛争にはなりそうにないしな。
ただ米軍が撤退したらどうなるかわからん。
>>718 18世紀以降も似たようなものだよw
あまり現代を理想化しないことだなw
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 00:11:13 ID:7y2g+s0m0
結論としてあちこちを荒らしてまわる
>>707は救いが無いアフォだったという事でw
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:00:28 ID:RmB+OXxx0
江戸時代の将軍職の移譲は平和的に行われていると思える。
明治大正の政権交代もおかしなときもあるが概ね平和的だろう。
昭和になり軍部が台頭してきて殺される総理もいたが。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 17:03:17 ID:ionKWQD40
>>721 将軍交代が平和に行われるのは当たり前
一族同属の世襲だもん
親が子に資産を受け渡すぐらいのもので
徳川政権が変わったわけじゃない。
とても政権交代と呼べるものではないよ。
たとえば戦後自民党の首相がなんども変わったが、それを政変というやつはいない。
自民党政権は自民党政権で首相が変わっても続いていたわけだ。それと同じ。
徳川が豊臣を滅亡させて権力を奪ったのは間違いない。
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:55:05 ID:DPJ6qBRTO
どうして土佐藩は武力による反乱を行なわずに自由民権運動をしたの?
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:58:27 ID:UIRqubfpO
>>723 そんな武力を持ち合わせていなかったから。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 20:15:18 ID:DPJ6qBRTO
回答ありがとうございます。もっと詳しく教えてもらえたら嬉しいのですが。
>>725 薩摩と連携して武装蜂起だ!
→薩摩「連携してやってもいいけど、ワシら親分で、お前らは手下ね」
→薩摩と喧嘩別れ、さてどうしようかなあと悩んでいる間に西南戦争勃発して薩摩壊滅
→薩摩がいなけりゃもう反乱起こしても勝ち目なんか絶対に無いしなあ・・・そうだこれからは言論の時代だ!
どうしてそこで薩摩が出てくるのでしょうか?薩摩と土佐はそれほど密接な関係でしたっけ?
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 21:26:59 ID:woHUVAhHO
明治維新は大失敗
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 21:37:31 ID:o8F+miLU0
失敗は成功の元w
国家の中枢を薩長の人間に握られてしまった為
よそ者の土佐の人間には中央でのポストは無い。
こうして自由民権運動という合法的な言論テロで国家の中枢に食い込むことを狙うようになる。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:18:40 ID:DPJ6qBRTO
なるほど。しかしその理論では自由民権運動を起こしたきっかけは証明できますが、武力行使を行わなかった理由にはつながらないと思うのですが。何か武力を使えなかった理由みたいなものがあるように思えてならないのですが、どう思われますか?
それは西南戦争を見ているから、武力蜂起した場合は同じハメになると
土佐の中の人は考えたんじゃないだろうか
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:50:49 ID:DPJ6qBRTO
たしかに、西南戦争後にはそう思うでしょう。しかし、西南戦争以前に土佐藩で反乱が起きていてもおかしくないはずです。土佐は武力による反乱を計画していたのでしょうか?それとも、はじめから自由民権運動を起こそうと思っていたのでしょうか?
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 00:03:55 ID:bv+UlMvL0
ヒント:革命の後には必ず内ゲバ<フランス、ソ連>
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 00:05:41 ID:wWdtAT1AO
内ゲバとは何ですか?
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 01:06:59 ID:/XH9vScR0
>>735 内ゲバ=権力争い
革命の後に必ずという説は変だね。
革命後安定してしまうケースも多々ある。
ただし国づくりに向けての政策や方針を巡り政治家たちが言い争う(論争)のは当然のこと。
明治維新は欧米的な「革命」とは違うケースなので、比べられないけどな。
別に尊王の志士たちは左思想的な市民解放運動してたわけじゃないのでw
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 03:40:42 ID:sBMiPMjv0
亀亀レスで誤爆レスにレスだが、
322
はあえて薩長と死の商人=メーソンの話をからめてきているが、
322はメーソン員じゃないのか?
親メーソンなやつは「メイスン」て表記することが多いからな。
だが、シオンの議定書が偽書だとか、メイスンがユダヤに関係ないとか
知ったかぶりを見せているがその根拠が嘘だね。
本当っぽく知をちりばめているが嘘である。
ま、カトリックがメーソンを目のかたきにしていたことは事実だが、
メーソンがユダヤに一切関係がないかのごとき表現は嘘八百ですな。
もちろん、メーソン員なんて下部組織の代理人ですがな。
君は君のあがめるメーソンのプロパガンダを信じてるのだということだけを言っておこう。
つまり、明治維新においてメーソンが果たした役割は非常に大きかったということだ。
では。
夏の終わりとはいえ、会津厨の低レベルな書き込みに思わずw
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 10:12:42 ID:OBzfupce0
>>737 宗教的には尊王派はみな神道。
一神教で他の神など存在しないとするユダヤ教やキリスト教とは共存できない。
このあたりを踏まえた上で、メーソンと志士の関係及び明治維新後に明治政府が行ったキリスト教拒絶行動を説明せよ。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 10:49:42 ID:3iObSuXKO
明治は薩摩が作りました。
>>739 >明治維新においてメーソンが果たした役割は非常に大きかったということだ。
自分は737ではないけど、737の言う↑は、日本人側の認識についてでは
なくて、あくまで日本を取り巻く状況について述べたものなんじゃないのか?
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 03:56:03 ID:Jq3Ptsga0 BE:291110876-BRZ(1313)
今も薩長閥が続いていることが明治維新の悪い点だ。
743 :
たまねぎや:2006/08/28(月) 06:48:44 ID:zs3z9CmU0
私は、朝鮮半島においての他国の植民地経営とちがいは、
我が国よりの優秀な人材、および資金投入、教育の充実によるものであったと思っています。
その結果、朝鮮半島が整備され、人口の増加、優秀な人材、農業生産、工業生産が向上し、それを再投資するのはあたりまえのことと思いますが。
http://www.tamanegiya.com/ura.html
>>742 徳川幕府は特定の血縁による支配が250年以上続いたんだから、それよりはマシじゃね?
>>742 バーテンバーテン密約で長州閥は滅びたから薩摩閥と東北人の陸軍閥だけどねw
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 11:45:07 ID:DfkEBm8O0
明治天皇に限っていえば、英国ハノーヴァー王朝のジョージ一世と酷似している。
建前からいえば文句無く正統な「国家主権代表者の世襲継承権保有者」なんだが、
実態としては「他人同然の遠縁の親戚」から、莫大な遺産が転がり込んだようなもの。
皮肉なことに日英は、堅牢な民主国家でありながら立憲君主制が根づいたてんも共通。
もともとドイツ貴族だったゲオルクことジョージは、もののはずみで運良くイギリス
王位を受けたのだが、「とりまきの野心さえなければ、英国王位を受けなかっただろ
う。かれは自分がイギリス王位を受けたのは横領行為だと考え、つねに不安にさいな
まれ、けっきょくその寿命まで縮めてしまったのである」と、同時代のイギリス人女
性に評されている。
明治帝はゲオルクとちがって悪びれなかったし陽性でもあったが、大正以降の天皇と
ちがい、「自分の地位は江戸幕府からの横領」という意識を、明確に公言している。
司馬遼太郎の「最後の将軍」の逸話。維新からだいぶ時をへて、明治帝が徳川慶喜を
はじめて宴席を設ける段取りをつけ、席上なんと皇后がお酌した。
あとで明治帝、笑いながら「やっと天下を奪った借りを返せた」といった。
ちなみに明治帝の帝王学教育係を自認していた山県有朋は、明治帝を叱責するとき
「前の生活に戻しますぞ」お脅した。これがかなり効いたらしい。なにせ歴代天皇
は、海すら見たことのない京都幽閉生活を余儀なくされたのだ。
明治帝も英国王ジョージ一世も、己の運命にたいする反応には個性の差があるものの、
法理論上の権利は別として私的感覚としては、己の君主デビューを「ある種の簒奪」
とみなしていたてんは、みごとに共通している。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:08:54 ID:L0Tv2uaK0
あんたの分析は甘いような気がする
「前の生活に戻しますぞ」という意味はそれとはちがうぞ
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:22:53 ID:8UM5nUybO
大日本帝国憲法は大失敗 …その後遺症が今も続いてる!
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:18:01 ID:an4CNDrX0
>>748 大失敗も何も日本人が作った憲法ってそれだけだよw
現在の日本国憲法はほとんどアメリカが作ったようなものだし
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:37:47 ID:mhjcJaxf0
憲法論はよそでやっとくれっ!
「明治維新」って言ういかにも正当性がありそうな呼び名がそもおかしいんだよ。
普通に「岩倉具視の乱」とか「松平容保の変」とかいう呼び名にすりゃいいんだ。
それが駄目なら「明治事変」とか「明治の改新」とかなw
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:44:39 ID:HfDO/Pu60
くだらねーな、お前。消えろよ
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 16:11:37 ID:mhjcJaxf0
ハイ、消えた!
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 03:02:39 ID:ruVf16My0
明治憲法はそんなひどい憲法じゃないよ。
どっちかというとよく出来ていると思うよ。
そうでないと自由民権運動の人が護憲運動をしないだろう。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 11:11:22 ID:VvnGuKkLO
明治憲法はひどくない?
ではなぜ…アメリカに明治憲法解体させられたのか?
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 11:59:13 ID:O9YIuA190
756 :
576:2006/09/07(木) 18:30:04 ID:ZP0kv6KO0
>>754 ではなぜ、なんて言ってないで自分の考えを出してみたらどうなんだ?
悪の憲法ゆえに天に罰せられたのです、とか。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 19:00:07 ID:WiLfhVcZ0
士農工商という身分制度をこわしたのが明治維新だった。
これはいうまでもなく商人が商売しやすい国にするための革命なのであった。
西欧は商人が支配する資本主義世界であるから、これに対抗するには
日本も資本主義、つまり商売人の支配する世界にしなければならんというわけである。
当時江戸の武士たちは実力もないくせに威張り返っている無能集団だった。
政治経済の実質的な中心は京都・大阪にあった。京都・大阪は
むろん、商人の町である。政治をかたる武士たちがここに集まってきたのは
ここに天皇がいたからではないのである。
天皇というシンボルをつかって、商人の存在をごまかしたのも作戦の一部であった。
明治維新政府の主要なポストについたのは、多くの場合、
もと下級武士たちであって、中には農民のこどもから成り上がった者さえいる。
薩長連合などというが、その藩主はいずれも一貫して「カヤの外」におかれていた
ことに注意せよ。つまり、歴史の本が「薩長連合」などと書くとき、そこに
大いなるマヤカシが隠されているのである。
藩主が馬鹿にされ無視されているというのに
「藩が連合していた」とはお笑いではないか。
おまえらアホではないか?
明治維新が、一見、武士の集団どうしの争いのように見えるとしても
内実は、商人たちが結束して武士社会を壊した「市民革命」だったのである。
アホどもはもう一度、明治維新をめぐる歴史記述をよく読み返して、
歴史学者のやらかすゴマカシを見抜く訓練をするように。
ところで西南戦争とは何であったのか?
おまえらみたいに気づくのがあまりにもおそすぎるアホどもの反乱であったとしか
いえないではないか。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 21:14:58 ID:VvnGuKkLO
明治は大久保利通の悪魔が作った
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:41:29 ID:SOXyzZ9q0
>>757 >明治維新が、一見、武士の集団どうしの争いのように見える
文字書ける知識層が武士階級に多かっただけですよ。
だから記録や史料も武士階級が書いたものがおおい。
自然と武士が活躍しているようにも見えるし、武士は藩を中心にしているから藩中心に見えるだけ。
>商人たちが結束して武士社会を壊した「市民革命」
多くの商人が明治維新に参加していたのは事実だけど、それ以上の人数で下級武士や農民、郷士といった半士半農層が参加していますよ。
商人だけではありません。ちなみに「市民革命」なんて思想や考え方は当時の日本にはまだありません。
有能な人材を政府で活用する為に、たまたま身分の壁が邪魔だったから取っ払っただけの事です。
自由と権利といった平等思想は維新後に海外から日本に持ち込まれた思想です。
そして、その思想を元に結束したのが自由民権運動家達です。
明治維新が市民革命だったなら、自由民権運動の理想も明治維新で達成されているはず。
>>757 その下級武士達を金銭援助していた豪商の多くは
維新後に潰れたと聞いたけどそれでもブルジョア革命だと言えるの?
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 03:36:17 ID:GDSlpWp/0
>>760 言えないだろうな。
私利私欲だけで動いたのではあれだけスムーズに政権交代新国家体制樹立
日本中近代化は出来ないだろう。
革命後に新しい資本家が台頭してきて政策に富国強兵で行ったのがブルジョワ
革命と勘違いされたのかも。
革命当時はブルジョワではなく憂国の士の革命であったと思う。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 10:48:01 ID:ThCyOWBj0
私欲じゃなくて恐怖と焦りから起こった革命だろう。
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 11:34:46 ID:bNWgqDrW0
最初は幕政改革を目指していたからな
幕府に自己浄化能力が無いとわかったので倒幕しただけ
黒船の来航に弱体化した幕府は対処できず国内は紛糾した、とか言うけどさ
大砲積んだ蒸気船なんか来たら最盛期の幕府でもどうにもならんかったんじゃないの?
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 09:28:36 ID:fRLiRhMD0
こっっちも大砲(あまり飛ばないが)も爆弾ももっていたよ
背後にあるもの(軍事力生産力国力)を勝手に空想してビビッタ
タイでの勝負にもちこめば(人民戦争)負けるわけナイ(日本刀)
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 12:31:19 ID:mqNsUU5zO
長州の下級武士が暴発し明治天皇を擁立して成し遂げた明治維新
皇室を私物化した明治政府
明治に定められた旧皇室典範のおかげで世界最古の天皇家は存続の危機を迎えてる!
別に弱体化したからじゃない。組織の硬直化はあったが。
太平に慣れて技術革新が遅れたから。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 09:39:37 ID:GQOJvj+K0
紀子さまの曾祖父は
会津藩士の子
会津藩士の子として生まれ、各地の警察署長を歴任後、大阪府の警部長に就任。大正2年大阪市長に推されて3期10年務めた。秋篠宮紀子さまの曾祖父にあたる。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 01:47:54 ID:7z6PIatK0
会津のほうが新発田よりは上だってことだ。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:30:36 ID:ABWqoz9V0
突然何を言い出すんだw
頭大丈夫か?
最高w
ま明治天皇は在日チョンだった、てことでこのスレも振り出しに戻るんだが。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:23:47 ID:RBmvOGky0
そもそも天皇の発端となる「天孫降臨」
(天津神の神々が地上に降り立ち、国津神という地上の神々の上位に立つ)
は文化レベル高い大陸の人々(朝鮮から渡ってきた大陸人)が日本に上陸し、
文化レベルの低い日本の人々(国津神にたとえられる日本の支配者層)に知恵を授けたイベントという説があるな
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:48:12 ID:CaCgViV90
>>773 まあ、物的証拠のほとんどない、伝説に頼るところ大の古代は
様々推測ができますからね。100年議論しても終わらないかも知れない。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 21:21:06 ID:nmIaQVB80
ま、説だからなw
776 :
東人:2006/09/20(水) 05:02:49 ID:7w6tnzedO
自分の先祖はよくしらないけど、現代の多摩地区に生まれた僕は千代田のお城に徳川将軍がいてくれた方が幸せな気がする・・・ここの書き込みも色々あるけど、そんな気持ちの方もいるみたいでホッとしました。
明治・大正が一番輝いてたな。。
悪いのはテロ。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 23:59:55 ID:tldZaQxH0
>>778 それは違う!!
テロが悪いのではない!!
政治が悪いのだ!!
政治が比較的良い日本にはテロ組織が無いだろ
日本赤軍なんて、日本に帰って来て普通に生活してるじゃん
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 17:34:46 ID:GlzXBnae0
このスレ的には副島種臣はどうゆう評価よ?
美智子皇后の母上が副島家の人らしいけど
この人と関係あるのか気になってます・・・
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 17:42:00 ID:DRioKNxw0
>>779 付け足せば、テロを制することの出来ない政府こそ一番悪い。
不満分子を黙らせることも国政の責務だからな
>>777 明治大正の当然の結果が昭和だと思うけどね。
テロのスローガンも常に国家改造、昭和維新だよ。
安定させなきゃならない時期にどんどん不安定になっていくのが
日本の内政。馬鹿ほど改革だの革命だのほざくもんだ。
昭和に入ると愚民による早急な民主化が泥沼の大陸侵攻に代表される衆愚政治として裏目に出たな。
まだ明治期の日本の如く民意やマスコミに踊らされない体制を政府は維持するべきだったが。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:14:46 ID:ummPPTLg0
昭和に入り陸軍の勘違いは民衆の勘違いよりもさらにひどい物だね。
日本の歴史の暗黒部分だろう。
最悪なのは当時の朝日新聞のようなマスコミによる扇動記事じゃねえか?
客観的な情報素材に欠けた時代に民衆は踊らされるだけだったが。
>>786 その違いを具体的に提示してくれ。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 12:01:01 ID:yO8U+uY/0
この間の報ステで7万枚の不許可写真がでてきたというニュースやってたけど
やっぱり報道規制ってそうとうなものだったようだね。
そりゃそうだ。
我ら朝日新聞グループが軍部の統制前に率先して扇動記事を書きました
なんて事実言えないよな。
朝日のCM見ててもシラけるんだよな
てめえがエラそうにガタガタ言うなやって
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 15:05:14 ID:42sOBMPS0
お前どうせ新聞なんて読んでないんだろ
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 17:37:01 ID:VOUREH3qO
明治・大正のマスコミは徹底して
政府のネガティヴキャンペーンを展開し、
山縣が死のうものなら祝辞みたいな記事を書いてたけど、
大正デモクラシーを通じて財界が政権を手中に収めると一変、
今度は提灯記事ばっかり書くようになりました。
そりゃそうだよね。
批判する者とされる者が同一になっちゃったんだから。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 17:39:58 ID:cD99o7ff0
>>792 日露戦争の時、すでに十分好戦的だったぞ。
維新の一環として徴兵制度しいていてそれは無理だろうな。
衆愚政治の始まりは議会政治と政党政治だろ。
全部明治維新の産物だよ。
そういえば四民平等なんて偽善言い出したのも明治政府だなw
>>784
794は身分制度があったほうがいいの?
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:09:14 ID:Mdgaywks0
>>794 四民平等は西洋人の言うところの「平等の権利」の為に行ったわけじゃないしw。
国民の一割しかいない武士だけでは「兵隊」の数が足りないから、
四民平等にして国民平等の義務という形で徴兵制にしただけ。
明治政府のスタートは専制政治だった事を忘れちゃだめだよw。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:27:56 ID:A6e0TJOAO
>>794 議会開設は、対外的には土人国家に見られないこと、
体内的には庶民のガス抜きが目的。
政府と議会とが議院内閣制で連結する現行憲法下とは異なり、
当時の日本では議会の政府に対する法的な影響力は認められていなかった。
そしてこれは、昭和初期の日本の歩みを見れば
正しい選択であったと思う。
もし日本の舵取りが国民に委ねられようものなら、
国内法は議会紛糾でことごとく可決にこぎつけず
経済と財政が壊滅し、こうして困窮した庶民の怒りが
過激な対外拡張に向かい、日本は滅びることになる。
戦後の日本の発展は、アメリカが民主主義を導入してくれたおかげではなく、
アメリカが市場開放という形でその持てる富を
日本の隅々まで注ぎこんでくれたことによる。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 22:02:19 ID:Mdgaywks0
ってか、明治維新直後じゃほとんどの人が「攘夷派」だよw。
明治政府の中枢、つまりは下関で諸外国にボロ負けした長州人と薩英戦争で痛い目を見た薩摩人、
そして幕府の要人たちは攘夷が無理って事を知っているけど、それ以外のほとんどの国民が攘夷党。
国民に政治が委ねられたら無差別攘夷戦争を行った上で敗北の末路がw。
暗に大衆はいつの世もバカって言ってませんか?
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:31:07 ID:V92N2IJS0
>>799 だれもそんなこと言ってませんけど?なにか?
>>797 その意見には無理があるな。
戦後の方が内閣は安定していたよ。
その原因を経済に求めるのなら戦前の
不安定も経済、昭和恐慌だろうな、に求めないと
おかしいね。戦後の方が民主化は進んでいるわけだからな。
なるほどね、崩壊した国の屁理屈たる下部構造とか言うヤツだなw
大衆はいつの時代もお下劣ですねw
>>796 雄藩の寡頭政治が正確だろうな。
これがより多頭化していくのが維新ー昭和への流れ
だろうな。
当時の人口は2000万人程度だったかな?
1割でも200万人。うち1割徴兵できても20万人はいたはずだな。
明治初頭の徴兵で集まった百姓なんて僅か5万人程度だよ。
常備軍の概算は3万人程度。
実際は雄藩の私兵にできる手段に過ぎないと思うけどね。
選挙に関しても普選は昭和でなく大正にはじまってるぜ。
大正デモクラシーを白眼視しないで昭和だけ避難するのは
おかしな理屈だな。
さて大正デモクラシーを引き起こした馬鹿はどこのどいつだ?
加速させたのは多分ロシア革命だろ。火付け役は日露戦争後の
日比谷焼き討ち事件あたりからだろうな。
で、昭和に至り国家改造だの昭和維新だの言い出す始末。
なるほど北一輝の馬鹿が私有財産制限なんて言い出すわけだなw
こいつの屁理屈もロシア革命後の大正時代だよ。
さーて大正時代まで遡ってしまいますた。明治の馬鹿の晒し挙げまで
あと少しでつよ〜ww
馬鹿が軽々と戦争なんかするから大衆は奉公に対する御恩を
要求するようになるんだよ。日露戦争後の大衆運動の流れだろ。
大衆に政治関与の契機を与えたものこそ徴兵と戦争だ。
さて、大衆と戦争を結びつけた馬鹿は誰だ?
えらそうに御託並べる前に文章をもう少し簡潔にできないの?
逆に考えるんだ。冷静に書くと説得力に
自信がもてないから。
>>801 >さて、大衆と戦争を結びつけた馬鹿は誰だ?
答え、ナポレオンww
正解!
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 20:27:31 ID:ppVJEoFP0
>>801 読むのつらいんで、スルーするね。スマソね。
朝鮮の役で秀吉は分与すべき報土を海外にも求めたとも
言われているが、征韓論といい、満州事変といい、国内の
矛盾を海外侵攻で解決しようとするのは問題だな。
勝利して恩賞も得られればいいが、そうでなければ矛盾が
そのまま政権の崩壊につながっていくことになる。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 09:42:26 ID:c9x+ZXCb0
このスレも会津のバカが荒らしているのか
明治維新に関わった人物で維新前に幽閉(監禁?)されていた時期があり、
維新後の国政に携わり重要な会議にも参加したという条件に当てはまる人はどのくらいいますか?
明治維新の目的は不平等外向を撤廃することで
初期は清、朝鮮と3ヶ国同盟を考えてたが
それは日本の勝手な思い込みだった
朝鮮半島を俺達が独立させてやるんだってことで日清戦争
やべぇロシアが朝鮮を狙ってるで日露戦争
朝鮮は俺達のもの〜で朝鮮併合
以下略
こりゃ失敗だな
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:10:20 ID:8XizgOwY0
>>810 失敗と決め付けるのはいかがな物か。
封建社会から一人ひとりの尊厳を大切にする
社会への途上の社会だったと思う。未だに
徳川時代では世界に通用しないしね。
新しい世界への道を開いたのは大きい。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 08:33:21 ID:MEQaWEnG0
>>810 >朝鮮半島を俺達が独立させてやるんだってことで日清戦争
>やべぇロシアが朝鮮を狙ってるで日露戦争
違いますw。ちゃんと勉強してから書き込みしてください。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 19:46:30 ID:jGhQa67k0
農民の生活は江戸末期より、
明治時代のほうが苦しい。
マルクス主義史観からすれば江戸時代も明治時代も暗黒時代。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 03:01:14 ID:ubEjcwdO0
>>814 >>811を書いた者です。
私はマルクス主義者ではないつもりです。
というよりマルクス主義自体どのようなものか知りません。
そこで、質問ですが私の書き込みのどこがどのような理由で
マルクス主義なのか教えて下さい。
マルクス主義がいいものか悪いものかも分からない者なので
宜しくお願いします。
進歩主義史観と言うことだろうな。
歴史は個人の尊厳なんてもので動いてはいない。
なんだか法理と史実混同しているだろ。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 19:32:53 ID:A3CS1Uq7O
明治維新はクーデターで成り立った。
勝てば官軍
負ければ賊軍
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 22:29:54 ID:zsKO2/ak0
>>818 新政府軍は官軍と言うお墨付きを頂いたから勝てたという一面が
あるのでは。
錦の御旗が無ければ周りが着いてこないで敗れた可能性が大きい。
官軍だからだから勝てるということは多いと思う。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 22:32:15 ID:Lol/XQd+0
朝鮮に関わったことは残念。
何故薩長は官軍なの?>勝ったから>じゃあ何故勝ったの?>官軍だから>じゃあ何故薩長は官g
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 03:02:06 ID:yjjyQF1x0
1945年以後の歴史以外に、反会津の薩長奸が知らないこと。
1)日本語で「東北」とは東北方言の「アイヌ」である。
2)薩長による自民党はアイヌ人を何度も大量に虐殺した。
3)会津は歴史上4000年、一度も戦争をしたことがない。
4)薩長は誕生以来十年に一度は戦争をする、血に飢えた民族だ。
5)会津には思想・信教・報道の自由があり、人権を尊重する。
6)薩長は円を人為的に高く押さえることで高賃金を保ち、会津の農民・労働者を搾取している。
7)薩長は修正資本主義を学ばず19世紀の古いイメージの資本主義を実践する帝国主義集団だ。
8)会津には薩長のような乞食はいない。ホームレスさえ衛生観念を持ち労働し、物乞いなどしない。
9)会津は都市も農村も豊かで、他人を騙さなくても充分に生活できる。
10) 会津は法治主義なので、法律は条文どおりに施行されるので、役人に賄賂を渡さなくても豊かに暮らせる。
歴史については言いたいことはもっともっとある。薩長は人民を騙している
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 20:44:46 ID:2DjNtW0J0
会津人が電波だという事が良くわかった
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 22:10:45 ID:q3gZ14Ss0
会津と津軽が歴史的和解がなされるといいね
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 11:25:40 ID:pOXQJ7KJ0
>>822 お前の言っている事は現代の事で歴史の事じゃねーぞw
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 01:07:48 ID:H7ZUEZiN0
会津のことは明治の政府の失敗の一つで
その恨みが未だに続いているから歴史であり
現代でもあると言える。そこをどう心を開き
本当に日本人同士として理解しあえるかそれが
問題だろうな。
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 01:09:00 ID:DLQbjuj90
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 01:12:20 ID:v9rMX1Nv0
>>826 >会津のことは明治の政府の失敗の一つで
その理屈だと
明治維新が必要になったのは徳川幕府の政治及び統治が失敗していたからに他ならないって事になるがwww
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 22:48:29 ID:mIfbTflHO
>>828 徳川幕府は設立当初は日本全体を平和に統治するのに適切な体制だったが19世紀の後半には世界情勢からも適切な体制でなくなった。幕府が失敗ではなく時代にあわなくなり変化しないわけにはいかなくなった。幕府が滅んだのは歴史の必然だったと思う。
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 22:56:49 ID:DhOC7DGVO
会津は一天万乗の天子様に弓引く賊軍でごわす。
>830
残念。間違った薩摩弁の使い方です。
正しい用法は「弓引く賊軍にありもす」です。
>>829 本来なら幕府主導で率先して近代化をやんなきゃいけなかったんだけどな。
せめて天保辺り頃には。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 02:21:35 ID:oWBWDUk80
>>829 簡単に言えば外国の侵略が原因だろ。
あとは大奥。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 12:31:49 ID:DzcXBEkRO
明治天皇は下級武士にコキ使われて利用されて死んでいった
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 16:40:00 ID:tmQopU1gO
にちゃんねる歴史スレだけではないけど、歴史を漫画やテレビ、雑誌などの知識だけで語ろうとする輩が大杉。基本的論文や古典も読んでない。これは歴史を政治に利用しようとするあまり、イデオロギーに固まり偏った韓国歴史界と同様。捏造
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 16:58:25 ID:qs3D/0tNO
>>834 大学で歴史を専攻してるわけでもないのに、
論文なんかいちいち読むわけないじゃん。
そんな素人にも、「歴史は教養」「過去を知ることで現在を知る」
みたいなお題目の下、脅迫観念で歴史を知ることが強いられるわけだけど、
それがマンガ・小説ベースとなるのは仕方ない。
中途半端な歴史の理解は害悪だとは思うけど、
これを良しとする方々がたくさんいらっしゃいますしね。
836 :
sage:2007/01/03(水) 07:17:29 ID:IrD+sEtT0
>>834 このスレを読んで確かにそうだと思った。ここで書かれてきたことも
例えば、明治維新観の研究(田中彰)、日本開国史(石井孝)、
天皇の肖像(多木浩二)等を読んでいればかなり違っただろうけどね。
>>835 >素人にも、「歴史は教養」「過去を知ることで現在を知る」
みたいなお題目の下、脅迫観念で歴史を知ることが強いられるわけだけど、
そんなことはもう現実ないだろうと思う。私はお題目でもなんでもなく、
現在がどうしてこういう世界になっているかの理解を「歴史」は教えてくれる
有力な学問だと思う。史実は一つなんていう学者はいないから素人が色々な
学者の本を読んで楽しめる。
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 11:58:16 ID:bsdNKVjo0
大陸侵略、半島汚染、アメリカ
との戦争を引き起こした原因は事実。
本当はソ連が敵だったのに、アメリカと戦争するはめになったのは、
誰かな・・・
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 12:59:13 ID:9JQq+4hX0
維新から急速に国力を西欧の国々と伍していけるレベルまで
上げる政策が、アジアへの帝国主義の発露として実行された。
二度の明治に入っての戦争の勝利がそれに裏づけを与えた。
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 14:02:53 ID:pUOXSofx0
薩摩や東北人らによるバーテンバーテン密約で藩閥政治が終わった事が原因だな。
その後、軍閥が台頭して薩摩が追い出され、東北人が実権を握ってしまった。
馬鹿な東北人たちは、薩長閥が勝ち得た日清日露の栄光を東北人にもたらそうと、
無謀な大陸侵略や太平洋戦争を始め、国家を滅亡に追い込んだ。
東北人たちは日本人に謝罪させるべきだよな。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 15:06:42 ID:bsdNKVjo0
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 15:09:26 ID:s0HqCoHl0
しかし東北人はなぜいつまでも無能なんだろうな
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 15:09:49 ID:n8rrfOwt0
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 17:05:06 ID:CHNKxD96O
>>840 概ね正しいが、いくつか細かい間違いがあるので訂正しておく。
薩派はバーデンバーデン密約には加担していない。
この密約とは別に、独自の長閥排撃工作を展開していた。
その口火を切ったのが、山縣を失脚させた宮中某重大事件。
長閥が煽りたて一種の化け物と化していた天皇の権威を
逆に長閥排撃に利用した鮮やかな政治工作であった。
薩摩と東北はともに江戸時代武士の権威が強く、
出身者の人格もかなりそれに相当な影響を受けていたから、
ウマが合う部分が大きかったのだろう。
その後の薩派は、陸軍を占拠した東北軍閥に排除されるどころかむしろ共闘した。
その証拠に、太平洋戦争の象徴とされる神風特攻隊や学徒動員、一億玉砕等は、
いずれも武士的価値観を具現化したといえるものであった。
ちなみに、薩派の勢力回復に協力したのが佐賀派であり、
あの牟田口廉也中将がその代表的人物である。
彼は、薩摩や東北に負けず劣らずの武士道精神を持っていた。
1920年代から敗戦までの日本は、それまでの官僚的な長州的国家から一躍、
ウェットな武士道国家へと変貌を遂げた劇的な時代だった。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 19:12:38 ID:CHNKxD96O
>>840 概ね正しいが、いくつか細かい間違いがあるので訂正しておく。
薩派はバーデンバーデン密約には加担していない。
この密約とは別に、独自の長閥排撃工作を展開していた。
その口火を切ったのが、山縣を失脚させた宮中某重大事件。
長閥が煽りたて一種の化け物と化していた天皇の権威を
逆に長閥排撃に利用した鮮やかな政治工作であった。
薩摩と東北はともに江戸時代武士の権威が強く、
出身者の人格もかなりそれに相当な影響を受けていたから、
ウマが合う部分が大きかったのだろう。
その後の薩派は、陸軍を占拠した東北軍閥に排除されるどころかむしろ共闘した。
その証拠に、太平洋戦争の象徴とされる神風特攻隊や学徒動員、一億玉砕等は、
いずれも武士的価値観を具現化したといえるものであった。
ちなみに、薩派の勢力回復に協力したのが佐賀派であり、
あの牟田口廉也中将がその代表的人物である。
彼は、薩摩や東北に負けず劣らずの武士道精神を持っていた。
1920年代から敗戦までの日本は、それまでの官僚的な長州的国家から一躍、
ウェットな武士道国家へと変貌を遂げた劇的な時代だった。
>>844 >1920年代から敗戦までの日本は、それまでの官僚的な長州的国家から一躍、
ウェットな武士道国家へと変貌を遂げた劇的な時代だった。
え?ウェットな武士道国家?どういうことを指している?
初めてそんなことを知った。その上の、文章も何を言っているのか
さっぱり分からない。教えてくれ
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:32:45 ID:dtwVOtoV0
つまり日本を破滅に追いやったのは薩摩人と東北人で桶?
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 13:52:44 ID:QVQEMX5hO
日本はいつ破滅したの?日中戦争戦争、太平洋戦争を行った原因を一部に押し付けて自分は高見から見ていようとする態度ですか。日本全体が戦争ムードに酔っていたらしいが。
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 14:20:27 ID:nFMrmJ1k0
>>847 日本は連合軍に占領され国家としては破滅してるよ。
米国の方針で独立国家として再生できたけどね。
>一部に押し付けて自分は高見から見ていようとする態度
は?それを最初に始めたのは会津や東北人だよw。
明治維新が悪いとかなんとか言ってさw。
昭和軍閥の主要指導者が東北人だとバレた途端にそんな事を言い出す東北人って恥ずかしくね?。
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:17:27 ID:YMnkP0/B0
日本を汚鮮させたのが一番致命的。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:20:36 ID:YMnkP0/B0
ソ連が真の脅威なのに、
アメリカ、中国に向けさせた張本人がいたはず。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:29:17 ID:nFMrmJ1k0
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 01:04:09 ID:coFeOgHX0
征韓論は明治維新後に繋がってる。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 04:40:36 ID:MXHoNH2VO
そもそも武士道とはなんだ?
武士がすることが武士道なら長州武士だって武士だが。なぜことさら薩摩と東北なのだろう。
幕末の狂気じみた長州の攘夷や京への乱入、玉砕、なにやら昭和の軍人のようだ。
学徒動員や一億総玉砕や特攻がどうして武士道なのだろう?
ウェットな武士道とは、武士道はウェットだという意味か?それともドライな武士道とウェットな武士道があるのか?
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 08:07:42 ID:Z2Ujp7o90
そもそもなんで武士道なんだ?
武士がすることが武士道なら農民商人職人には関係ない事。
そして武士なんて人口の一割程度しか存在しなかった。
武士道精神でしか自慢話ができない会津。
その歴史に洗脳された者の理屈でしかない。
実にくだらない論理だ。
特に
>>853など馬鹿の代表。
>なぜことさら薩摩と東北なのだろう。
スレをちゃんと読めば解る事。何も調べない性格を露呈w
>幕末の狂気じみた長州の攘夷や京への乱入、玉砕、なにやら昭和の軍人のようだ
誰もそんな事は一言も言っていないwスレをちゃんと嫁w
>学徒動員や一億総玉砕や特攻がどうして武士道なのだろう
東北人が多かった昭和の軍部が白虎隊や武士道を持て囃したからだが?
>ウェットな武士道とは
それは漏れが言ったわけではないから知らないw
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 00:41:51 ID:Zu5qxB5k0
東北人ね。
854は朝鮮人なんじゃね?
>>848 馬鹿。もともと連合軍による占領の中心は米軍だ。
破滅なんぞしとらん。
>>854 馬鹿。軍部や右翼の強硬派に影響した北一輝は東北と言うより北陸でしかも佐渡だ。
そこに嘗て島流しにされたのが日蓮だよ。
寧ろ日本全体が原理主義的な観念論に陶酔していたと言うことだ。
日蓮は妥協を知らない典型的な原理主義者だ。だから過剰な幕政批判から
流刑に処された。
この観念的な傾向にマッチしたのがドイツ観念論の流れを汲む社会主義思想だよ。
北や石原の発想や著作にも明確にその影響が読んでとれる。
デカンショなんて吹いていた時点でアウトと言うことだ。
これは遡れば過剰にドイツ文化に拘泥していたという点にも原因はある。
徳川家の官吏にして翻訳家でドイツ語学校を創設した西周、彼を重宝がった山縣有朋にまで
遡っちまうからなwドイツとの同盟ももともとはドイツからの軍事や法律や政治への依存が
伏線になっているのだよ。
で、層化も日蓮宗原理主義なわけだが、北海道はもちろん北陸では圧倒的に弱い。
勿論東北でも弱い。さて、層化が強い地域は?ww
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 08:17:53 ID:FNO/80R60
>>856 必死に長文ゴクロウサンw
顔を真っ赤にして反論しているんだろうけど、客観的に見てお前の理屈は屁理屈だよw
恥ずかしいからやめた方がいい。東北人ってなんでこんなに粘着なのかねぇw
>連合軍による占領の中心は米軍
レスちゃんと嫁。だれもそんな事言ってないw。漏れは連合国(米国含む)に
占領された。米国の方針で国家として再建といったの。言語障害かお前はw。
>破滅なんぞしとらん
は?wではお前は今現在もこの国の名前が「大日本帝国」だとでもwww
一端滅びているんだよw。そのあと「日本国」として再スタート。
そんな事も知らないなら小学生からやり直したほうがいいよw。
>寧ろ日本全体が原理主義的な観念論に陶酔していたと言うことだ
やだねぇw。これだから東北人はw。東条ら東北人軍部指導者を美化したがるw。
>これは遡れば過剰にドイツ文化に拘泥していたという点にも原因はある
その結論が太平洋戦争は明治維新が原因だとwwww馬鹿か?。
その理屈なら太平洋戦争は日本人を皆殺しできなかった元寇の責任とか言えるよなw。
バカバカしいwww。遡っての責任逃れは見苦しいだけだね。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:28:23 ID:FNO/80R60
一つ訂正しておこう
東北人→×
会津人→○
会津は奥羽越列藩同盟を盾にとって東北人の代表ふりをするからね。
二言目には武士道だの武士精神だのと身分差別を始める。
東北人というより会津人だろ。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:58:50 ID:G34c3feuO
明治天皇を擁立してクーデターを起こした薩摩長州
近代の天皇家の悲劇は明治維新から始まった。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:26:22 ID:5EY5JOLXO
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 13:01:57 ID:BHa4ZV820
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 13:03:13 ID:FNO/80R60
歴代天皇家を御所に260年間監禁し続けた徳川幕府
歴代天皇家の悲劇は江戸幕府から始まった。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 17:05:28 ID:qlGTvhza0
明治維新から太平洋戦争ー大東亜戦争の表記が好きな方はこちらでーまでが、
1セットのものだったという史観で捉えることがポイントということだな。
それから、明治維新はその成立まで出来事が輻輳しジグザグな進み方で
あることを理解した方が良い。詳しく知りたければ、遠山茂樹の
「明治維新」(岩波書店)を読めば分かる。この本は、研究が進んだ現在でも
必読の資料だ。
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 19:58:40 ID:aapw2EFV0
>>863 勝手にセットにするなよw
そうまでして徳川幕府の悪行を無かった事にしたいのか会津人はw
歴史は川の流れの如くだ。途中で切る事などできない。
その考え方は、上流中流域の水質汚染源を調べず、
下流域の汚染は下流域のみの現象だという馬鹿げた理屈に過ぎない。
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:35:44 ID:SVkLH4dD0
>>864 そうじゃないよ。
明治維新で急速な国家運営を行った必然として、日清戦争を境に西欧に習い
帝国主義への道を歩んでいった。その政策の破綻が、第二次世界大戦での
敗北だという史観だよ。
>歴史は川の流れの如くだ。途中で切る事などできない。
しかし、昭和20年8月の敗戦から現在までは間違いなく
明治からの時間から「切れて」いる。
「新憲法発布」「軍の消滅」「学制の変更」「企業統治の形態の改廃」等々
社会が新しく変わり、明治からのものが無くなっているじゃない?
当方は、徳川幕府や会津がどうのなんて、どうでもいい話なんだけどな…。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:01:08 ID:Zu5qxB5k0
東北人とか言ってるやつは、
朝鮮人の匂いがプンプンする。
>>865 何故急速に近代化をしなければならなかったのか?
何の為の明治維新か、当時の国際情勢からそれを知るのが先だろ?
まぁ大東亜戦争は無知蒙昧で大局観の無い庶民による議会政治に国政を委ねれば、
どういうことになるのか、良い薬になったと思うがな。
田舎侍の薩長より幕府の方が明らかに頭いいんだから、幕府にまかせとけばよかった。薩長はテロリスト
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 00:44:40 ID:H1lgLHfd0
>>867 >何故急速に近代化をしなければならなかったのか?
それは、ここで書かなくても明治維新について書かれた
本を読んでいれば知ってるでしょう?
>>868 幕府の方が、頭が良かったかもしれないが16世紀からの
鎖国でペリーが来航した時には、技術力が圧倒的に差が開いて
黒船を見ただけで、幕府はパニックになったわけだ。だから、
相当な期間待っていたのよ薩長も。でも、先延ばしと無能な
判断で幕末の世は大騒ぎになったわけだ。それに薩摩は、
琉球での密貿易を通じて幕府よりも外の世界については
情報を得ていた。だから、田舎侍と書くあなたが頭悪いね。
まともに本も読んでないからさ。
薩長が優れていたのは軍事力だけ。軍馬鹿
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:15:20 ID:6kgcyxGA0
>>865 >昭和20年8月の敗戦から現在までは間違いなく
>明治からの時間から「切れて」いる。
切れてないよw勝手に切るなよアフォ。
>社会が新しく変わり、明治からのものが無くなっているじゃない?
お前さぁ、日本国憲法と大日本帝国憲法見比べた事ある?。見比べた事があればそんな事は言えないはずだが?。
>当方は、徳川幕府や会津がどうのなんて、どうでもいい話なんだけどな…。
うは!薩長批判したいだけの佐幕会津厨房が良く言う言うwww
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 08:51:31 ID:+dNsN+92O
>>866 反論に事欠いて、何の脈絡もなく唐突に朝鮮人のレッテル貼りか。
勘弁してくれ。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 09:00:34 ID:WseD4q1k0
>>872 そいつはスルーした方がいいよw
どうせいつものカマッテ君だから
漏れはスルーしている
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 09:03:57 ID:9cU6vY2P0
>
>>871 >お前さぁ、日本国憲法と大日本帝国憲法見比べた事ある?
なるほどなぁー。あなたは、両憲法を見比べるわけだ。
私は、読み比べてとても同じものとは思わないよ。あなたが文盲の方だから、
こんなにヘンなことを書くのだな、納得したよ。
875 :
:日本@名無史さん :2007/01/07(日) 09:56:45 ID:ghfcS9C80
薩長の大罪は幕府に追い詰められ、秀吉以来、国政の中枢に地元の亡命朝鮮勢力を持ち込んだこと。
徳川幕府が警戒、牽制しつつ、平和外交を維持してたのに。その後、近親憎悪から日本全土を
巻き込んで侵略戦争→敗戦→賠償で今に至り、統一安部による売国。家康の天下統一の頃から
ある種の隔離地域。
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 10:01:25 ID:r1KN2RQu0
>>874 お前ホントは読んでないだろw
読んでないのに読んだなどと言うな
ま、読んだら反論できなくなるけどなwww
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 10:06:55 ID:wyzS3yc80
11 :日本@名無史さん :2005/12/18(日) 22:10:04
日本を滅ぼしたのは東北人。
長州閥を打倒した政党内閣の初代宰相であり
腐敗と失政で国民のファシズム傾倒に先鞭をつけた原敬、
バーデンバーデンで長州閥打倒を密約し、目的達成後
日本の首相となって真珠湾奇襲を決行した東條英機。
いずれも、長州への復讐心を前面に押し出しすことで
アンチ長州勢力を味方につけてのし上がっただけの、
現代の民主党歴代党首のような無能連中である。
WW2では、長州人岸信介がサイパン陥落を機に講和すべきと主張したが、
東北人特有の、手段がいつのまにか目的となるという視野の狭さと、
長州人憎しの感情が絡み合って、これを拒絶した。
戦況が切迫詰まると、東北人の大好きな
白虎隊の逸話を教材に利用して全国の子供たちを洗脳。
神風特攻隊は、会津武士道を国民に押し付けた結果である。
東北人が引き際を誤ったことにより、昭和20年には本土空襲が本格化。
東京、大阪、沖縄、広島、長崎で十万単位の市民が犠牲となった。
東北人の無知無能により、明治維新以後第一次世界大戦までに
築きあげられた有形の財産はすべて失われた。
878 :
:日本@名無史さん :2007/01/07(日) 10:20:50 ID:ghfcS9C80
徳川家康という天才が絶対にやらなかったことは朝鮮との戦争と深入り外交。
長州を掲げる連中が政権取ると必ずやり始めることは朝鮮との深入り外交と戦争。
朝鮮商人と毛利主体の豊臣政権でも薩長の明治政府でも今の長州安部政権でも
目玉政策見てると実に分かりやすい。
>878
何故日本が家康の時とは違い、朝鮮に深入る必要があったのか?
当時の国際状況から説明しろ
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 10:35:59 ID:wyzS3yc80
>>878 朝鮮にこだわったのは長州じゃないよw
薩摩と幕府だってば
西郷隆盛の征韓論。西郷にそれを教えたのは幕臣勝海舟。
もうちょっと勉強してくれよ。無知は恥ずかしいよ。
881 :
:日本@名無史さん :2007/01/07(日) 10:40:40 ID:ghfcS9C80
>>879 当時の国際状況は関係ない。
だから家康の時と何も変らないし、朝鮮に深入りする必要はなかった。
国際状況から朝鮮に深入りしなくてはいけなかったという考えがそもそも長州の妄想。
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 10:48:56 ID:/KfsZs1p0
何度も、東北・会津と長州・薩摩の人間が
こういうことをやってきたと書かれているけど、
そこまでそこの地域の出身者が、同じことを志向するほど
単純なのかね?読んで思うことは、書いている人は飽く事を
知らぬ単細胞人間であることは間違いと思うが
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 11:02:46 ID:wyzS3yc80
>>881 だから長州じゃなくて薩摩と幕府だっちゅーのw
もう会津人も必死になっちゃって困ったもんだw
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:40:08 ID:bLVnTbme0
>>881 >当時の国際状況は関係ない。
ハイ思考停止。お疲れ様でしたー
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:02:35 ID:ysc0OsGV0
>>881はたぶん無知なんだよw
>当時の国際状況は関係ない
これは言い訳。真実は「無知なので知らない」という事だね。
関係ないという事にしておかないと無知がばれちゃうもんねw
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:22:59 ID:+dNsN+92O
朝鮮が日本との関係において癌細胞化したのは、
昭和の東北軍閥がムチャクチャやった結果
アメリカに間接統治のルートのひとつとして利用されるようになったからだろうが。
朝鮮人の民族性を特別視するニュー速チックな2ch脳は痛すぎ。
あんなもんは中途半端な貧民のそれに儒教倫理を加えたものでしかない。
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 17:54:01 ID:Zenx0jgM0
東北人と言ってるやつは朝鮮人。
本当の日本人は、チョンに関わること自体が拒否反応起こす。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:51:17 ID:vcLeLigN0
日本人が自分で「本当の日本人は〜〜」とか言わねー
889 :
:日本@名無史さん :2007/01/07(日) 19:00:21 ID:ghfcS9C80
>>883 まず、おまえ人間性が論外w。
西郷の遣韓論と征韓論の木戸孝允という説もある。
まあ、せいぜい薩長間で罪の擦り付け合いしてるがいい。
>>884 口実って言葉を知ってるか?拉致問題が国の死活問題ならその理由を教えてくれ?
アメリカは大量破壊兵器があるからイラク進行したのか?
俺の見解では朝鮮出兵事態に外圧との直接的な関連性はないと言ってる。
朝鮮との国交断絶で危機感募らせたとして、朝鮮が侵略してきたのかw?
所詮は戦争なしで解決できる話なんだよ。
あくまで内発的なものがあって、その上に言い訳があるだけ。
>>885 じゃあ、ロシアや列強の進出がどう直接的に朝鮮出兵に結びつくのか明確に説明してみろ。
博識なおまえがなw期待してるぞ。
俺の見解ではどうせ確たる証拠なんて何もないということ。
890 :
:日本@名無史さん :2007/01/07(日) 19:22:37 ID:ghfcS9C80
>>885 ああ、そうだ。
秀吉の朝鮮派兵についても外圧とか内圧とか国内外情勢による理由があるなら、
是非教えてくれよ。頼むよ、俺は確かなことは何も知らないからなw。
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 19:30:28 ID:kQuka8pV0
明治維新の話をするはずが何だ内戦のような所になってきた。
なぜ国内で責任の擦り付け合いをするの?
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 19:44:36 ID:FK6DxihZ0
>>889 は?
>西郷の遣韓論と征韓論の木戸孝允という説もある。
と必死に薩長批判を試みる会津人であったw。
意図的に勝の唱えた「中国、朝鮮、日本三国同盟案」をスルーしているあたりが、
幕府批判をかわしたい会津人らしい配慮であるwww。
893 :
:日本@名無史さん :2007/01/07(日) 19:50:10 ID:ghfcS9C80
>>891 それはね・・・、
藩閥みたいなものが未だにあって、時の政権握った880みたいな節操のない奴が都合
の悪い件で外からの批難に耐えられなくなると国の内部に責任転嫁したがるからだよw。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 19:54:05 ID:dEvsa7V60
明治政府が征韓論に乗ったのは確かだからな。
当時の国際関係は二の次だったよ。んなこと言っていられる
状況じゃねーからな。先ずは内政の時代。
征韓の原因は内政から。戦争は外交の延長にあり外交は内政の
延長でしかないと言うのは政治学のアイウだと思うけどなww
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:07:28 ID:FK6DxihZ0
>>893 なるほどw
>都合の悪い件で外からの批難に耐えられなくなると国の内部に責任転嫁したがるからだよw
丁度、会津厨房が幕末ネタで論破されまくると会津がまったく活躍しなかった明治ネタで薩長叩きをはじめるのと同じという事だねwww。
>明治政府が征韓論に乗ったのは確かだからな。
何を言っているのだ??。明治政府が征韓論に乗らなかったから西郷が野に下って西南戦争になったんだろw。
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:10:49 ID:6QINtLcs0
>>894 >征韓の原因は内政から。
説明願おうか。
士族の不満を逸らすべく
士族主体による軍を編成し朝鮮国を征服する事という意見以外で。
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:28:18 ID:tlN4li9cO
明治天皇をこき使った明治政府
>>895 1度は征韓論は受け入れたはずだよ。
最終的には征韓論と同じ対外政策をとっているだろ。
あーあ、最終的な朝鮮併合は合意の下であり征韓ではないと言う瑣末な意見か?
馬鹿ほど大局を見れないなw
江華島事件や開国の強要は征韓論への妥協と言っていい。
899 :
:日本@名無史さん :2007/01/07(日) 20:43:35 ID:ghfcS9C80
>>895 オマイらスイマセンっしたm(T)m!!
全部オイラの中の秘書がカキコしました。注意しときます!!
そんなことより、間もなくテレ朝ドラマ白虎隊が始まるであります!!!
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:45:12 ID:FK6DxihZ0
>>898 うはは!お前が大局を論じるのかww。
お前のは大局を見ているのではなくて、無知からくる大雑把な把握レベルだよw。
>最終的な朝鮮併合は合意の下であり征韓ではないと言う瑣末な意見か?
明治政府内部で問題となった「征韓論」とは別物だよw。無知だなぁw。恥ずかしいなぁw。
ちゃんと調べてね。政治目的がなんであったのかをさw。
朝鮮を植民地にしたかったなんて言い出すなよw。恥の上塗りになるだけだからwww。
>>900 馬鹿w戦争そのものはしない代わりに強攻策とって妥協したんだよ。
須らく政治は妥協の産物である。外交は常に内政の妥協のもとに成立する。
歴史の前に政治学勉強してから出直せ。馬鹿の用語学習は歴史ではない。
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:54:41 ID:FK6DxihZ0
>>901 だめだ。こいつマジ馬鹿www。
無知は恥ずかしいと言ったろ。もう恥の上塗りしまくりじゃないかw。
ちゃんと調べてねって言ったのに、脊髄反射で反論じゃあ調べてもいないだろw。
だからそんな無知な事を平気で言えるんだよ。それで粘着してちゃみっともないなぁ。
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:57:07 ID:I2uDMmfw0
みなさん、お勉強したことをうろ覚えで書き込んでいるから
延々同じことを書いている。もう一度、近くにある幕末・維新の専門書を
開いて読んでみて下さい。そろそろ、他の話をromしたいから
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 21:04:20 ID:Zenx0jgM0
東北人と言ってるやつの本籍どこよ?
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:47:50 ID:zKk2D8Ax0
幕末維新の志士たちは皆、日本全体を救うことを考えていたと思うよ。
失敗や不完全な改革も現在から見れば多々あるだろうけど維新が無ければ
今の日本もないしね。
四民平等、地租改正、廃藩置県・・・当時としては最善かどうかは議論が
有るかもしれないがよい方法で日本を近代化した功績は大きい。
いつまでも侍が支配するわけにはいかないからね。
維新の三傑の功績も大きい。
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:48:33 ID:8b7MWeBpO
これは何ロビィと呼んだらいいのかな、幕末から維新にかけて幕臣を中心にしたユニークな一団がいるね。
大久保一翁、勝海舟、横井小楠、佐久間象山、永井はちょっと入るか入らないか微妙だけど。
他にジョン万次郎、松本良順も微妙な感じかな。
(一部除き)幕臣でありながらそれより一段上の見識を持っていて、
外交などでは薩長よりも一枚も二枚も見識は上なのに、
「幕府ってのも時代遅れだし、倒すってんなら時節柄それもしゃーねーべナァ」とうすうす考えていた人たち。
このロビィに出入りしてるうちに感化されて商船学校みたいな構想や穏健維新案を打ち出したりしたのが坂本龍馬。
坂本は幕臣とか藩士という制約がないからわりと自由に活動できた。
大政奉還もそもそもこのロビィから出た案だね。
後にこのロビィの人間が江戸城無血開城をやるんだけども、
こういう類の功績ってのも世界でもなかなか例がない。
西郷は薩長の中でもこのロビイストたちを尊重していた人物ですね。
>>905 その青写真は藩主の斉彬だろ。
下級武士は所詮は下級武士だよ。
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 02:18:47 ID:mUKfAypK0
>>907 島津斉彬は確かに優れた藩主だろうが彼一人から明治が生まれたわけでは
無いだろう。様々な個性が共同して近代国家明治が生まれた。
百歩譲って島津斉彬が青写真を全て創造したとしてもそれを実現したのは
当時の藩主たちだったのか、それとも重臣たちだったのか、
そうではない。下級武士という差別的発言は納得できない。下級武士に
高貴な志があったからこそ明治が生まれた。
>>867 その端緒をつくったものは明かに徴兵制度だよ。
戦争に対する関心は確実に政治に対する関心と政治参加への
要求を高めたと言えるからな。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 14:48:46 ID:ZffHzwd+O
万世一系定めたの誰? 井上毅?
江戸時代
>>909 徴兵制度は明治維新の政策で1番農民に反感をもたれた政策だ。
理由は簡単で、労働力をとられるから。
幼児死亡率が高く、男子の肉体労働頼みの当時健康な男子が
徴兵されたのはさぞかし厳しかったろうな。
当時のベストセラーは徴兵免除マニュアルだw
米国のベトナム戦争みたいだなww
そこで対策として軍人恩給ができたわけだよ。
徴兵令布告、明治6年。軍人恩給開始、明治8年。
戦後、靖国遺族会の最大の目的もこの軍人恩給の復活にあった。
米国の家畜の餌を食わされていた戦後の食糧難の時代に
英霊の魂や天皇陛下の参拝なんてどうでもよかったことなんだよ。
全国に招魂社成立、明治8年。
http://tatsuki-lab.doshisha.ac.jp/~statsuki/Thesis2004/04_FUSAMAE.pdf 日本遺族会の変遷 ―『日本遺族通信』をとおして― 学籍番号 1201 2010 氏名 房前沙織指導教授 立木茂雄
第 1 節 誕生と発展 日本遺族会の前身である、日本遺族厚生連盟は、1947 年(昭和 22 年)11
月に創設された。日本遺族厚生連盟が誕生した背景には、敗戦後の戦没者遺族の経済的困窮があった。
それまで軍人・軍属の家族や遺族たちは、軍人恩給や扶助料の支給など、国から手厚い保護を受けていた。
しかし、敗戦後に始まった連合軍の支配によって、軍人恩給制度は軍国主義を助長するものとみなされ、
1946年 2 月、打ち切られることとなった。戦争未亡人など、多くの遺族の生活は逼迫し、苦境に陥った。
もちろん、すべての遺族が生活に困っていたのではないし、戦後日本は国民全体が貧しかったのではあるが、
一家の稼ぎ手を失った遺族家庭の生活は大きな打撃を受けていた。そのような状況下において、
遺族どうしが結束することで、苦境を乗り越えていこうという機運が次第に高まっていった。やがて、
各地方(都道府県)に遺族団体が設立され始めた。こうした経緯をへて、各地方の遺族会の全国組織として
日本遺族厚生連盟は結成された。理事長(後に会長制に変更される)には元貴族院議員で、静岡県遺族会
会長の長島銀蔵が選出された。本部事務所は神奈川県厚生連盟に設置されたが、連絡所は靖国神社内に
置かれた。このことからも、設立当初から日本遺族厚生連盟は靖国神社と深いつながりにあったこと
をうかがい知ることができる。
明治初頭の徴兵令に対しては一揆も起きたほどだ。
戦後は戦後で1946年に(恐らく左翼が主導した)食糧メーデーに25
万人(当時の東京の人口300万人)が皇居前に集まった。
軍人恩給の遺族年金は文官の恩給の後継たる共済年金同様受給範囲が
広い(祖父祖母、両親、兄弟、子、孫にわたり年齢制限無し。因みに
現行厚生年金や国民年金等民間の年金は18歳未満の子か配偶者のみ)。
現在の共済年金と厚生年金との統合で問題視されている部分だな。
恩給受給資格のある遺族は英霊200万人の何倍にもなったろうな。
つまり何時の世も世の中は金と言う現実だww
靖国問題でつまらん右翼の馬鹿の精神論だの左翼のマヌケの法律論だのに
惑わされるなよ。左翼の政治的基盤たる官公労の年金とはこの軍人恩給の
影響をモロに受けている共済年金の潜在的或いは顕在的な受給者だろ。
たからくだらん政教分離なんて法理で誤魔化して反論しとるんだよ。
精神論者も馬鹿だが、唯物論者は偽善者と言うことだろうなww
戦前はどちらも観念論者だったけどなww
更に余談になるが明治政府の移民政策は早くも明治初頭のに始まって
いる。1度失敗したハワイ移民政策がそれだ。
植民地政策と言うよりも棄民政策(食い扶持減らし)と言うことだろうな。
戦後に中南米や北朝鮮に夢の国として送ったやつと同じだw
無知な貧乏人が騙されてヒドイ目にあい、或いは国に対しての裁判で、
或いは日本人妻帰国問題で今でも政治問題化している。
あまり進歩しとらんなww
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 16:12:59 ID:jqnHQWxP0
「功」は勿論大きい訳ですが、「罪」と言えば神仏分離→廃仏毀釈でしょうか
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 16:50:19 ID:f6tuifDw0
もし公武合体だったら日本はどうなっていたのかね??
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 18:47:21 ID:SUrwr13FO
まだチョン髷に着物です。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 20:26:58 ID:J97O+Fm+O
>>916 民主化が大幅に遅れただろうね。近代化と称して欧米に国土を蹂躙されたかもしれない。倒幕で正解だったと思う。
民主化の結果が先の大戦と言うわけだw
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 07:55:00 ID:Zje+b+CMO
>>919 リベラリズムという素養が熟してない社会に
デモクラシーをいきなり与えると、
「多数派民衆による独裁」=全体主義
というねじれを生じやすいのだよ。
どっかの党名でも分かるように日本人は自由と民主をあまり区別できない。
ある時期に自由主義が熟し損ねたからで、
リベラリズムとデモクラシーが元来相反するイデオロギーだったことを知る一般人もあまり多くはない。
>>915 廃仏毀釈は民意の自発的行動だが何か?
政府は破壊運動を抑える側。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 13:06:11 ID:XTxZxQr40
太平洋戦争後に、
ソ連に東日本を分割統治されたら?
明治維新の評価はボロボロだっただろう。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 13:13:42 ID:XTxZxQr40
ソ連との戦争は避けられないが、
なぜかアメリカと戦争するはめになったのはふしぎだ。
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 13:18:27 ID:bd0O63EpO
>>920 大久保も伊藤も山縣も藩閥勢力はその危険性を意識して
できるだけソフトランディングでの民主化移行を目指したけど、
その意を汲まずに大正デモクラシーを扇動した財閥と
それに踊らされた民衆が、その後の日本を地獄へと導いたわけだね。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 16:58:17 ID:XTxZxQr40
結局は明治維新が原因じゃん。
>>924 俺は「大正デモクラシーはなかった派」なので何とも言えないな
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 19:30:15 ID:ghNak72b0
スレ違いだが江藤新平のさらし首の写真をみたとかよく聞くがどうしたらみれるんだ?
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 20:55:54 ID:z/BcRhMFO
明治維新は成功?戊辰戦争は正当な戦争?
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 21:12:28 ID:XTxZxQr40
戊辰戦争は長州、薩摩が仕掛けてきたね。
明治政府は急ぎ過ぎたし、天皇を利用し過ぎ。
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 21:22:58 ID:sHcykAVm0
>>929 こういう言葉が世間で出るようになって、世は誠に嬉しいぞよ。
これもあれもあの武士団のおかげじゃろう。
>>929 いんや。戊辰戦争は大政奉還にキレた会津に幕府の保守派が仕掛けた戦争だぞ。
薩摩も当初は勝算無しと討伐を断念したし
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 07:37:42 ID:QkF+GKbmO
明治天皇は薩摩長州そして明治政府に利用されまくりで気の毒な天皇だ……
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 08:42:14 ID:JqD2H27a0
明治政府は天皇も認めた正式な政府
戊辰戦争は朝廷に不義の戦争を仕掛けた幕府会津を倒す為の正当な戦争
260年もの長きにわたり天皇を御所に監禁し続けた幕府から、
天皇を解放した明治政府こそが正義
新撰組は幕府の弾圧機関悪の象徴
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 09:56:39 ID:6h2sWy6c0
フランス革命なんていわれているほど、たいした革命じゃない。
>>934 そう思うのはフランス革命のことよく知らないから
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 11:00:10 ID:QkF+GKbmO
明治政府が旧皇室典範で皇位は男子と定めた為に今、天皇家は存続の危機を迎えてる。
>>934 革命直後の混乱振りが目立つフランス革命が大した革命とは思えんな。
僅かな鎮火が挙がろうともそれを己等の力で収束せしめた明治維新の方が遙かに優れたクーデターだと思うが。
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 11:18:19 ID:JqD2H27a0
>>936 それは徳川幕府が定めた事を踏襲しているだけ
つまり天皇家を危機に落としいてたのは武士
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 13:05:17 ID:u71pIUAu0
それで天皇万歳か。
明治政府は農民への税金も酷いね。
チョンの汚鮮、大陸侵略、対米戦争が結果か。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 13:24:54 ID:Uh+aZLWk0
<福沢諭吉『脱亜論』の現代訳> 気持ち悪いくらい現代にも当てはまります。
日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、
しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、
道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
(中略)
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に
与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。
(明治18年(1885年)3月16日)
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 13:39:37 ID:QkF+GKbmO
江戸時代は女性天皇が存在した。
明治政府は明治天皇を大元帥に祭り上げた為に、女性天皇だと大元帥が勤まらないので男子に定めたのである。
近代の天皇家の悲劇はここから始まった。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 14:44:41 ID:u71pIUAu0
天皇の即位には、実は庶民も参加していた江戸時代。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 16:49:15 ID:u71pIUAu0
>>943 町に張り紙で発表してたりして、
意外にオープン。
945
>>944 断片的過ぎてよーわからんな。
面白そうな話題だから提供してくれよ。
江戸時代(幕末除く)の庶民にとっての天皇ってどんな感じだったの?
西と東ではやっぱ違いあるよな?
946
948
949
950
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 22:11:14 ID:u71pIUAu0
>>946 今までは江戸時代の天皇は閉鎖的にされてたと認識されていたけど、
実際は違うと最近の調査が出てきた。
新聞に掲載されていて、取って置いたけど行方不明。
簡単に言うと、即位の式典があります。と広報で庶民に宣伝していた。
>>951 なるほど。
それに対する市民の反応も興味あるな。
将軍の即位の時とどう違うかとか、
京阪とその他でどう違うかとか
江戸時代の農民は天皇の存在を知らなかった、なんていってるやつがいるけど
少なくとも東海道近くの農民が、毎年通る勅使がどこから来てるかを知らなかったわけがないと思う
>>924 嘘を言うな。
臥薪嘗胆を吹聴して日清戦争後に増税までしたのはどこの誰だ?
それが日露戦争後の日比谷焼き討ち事件への伏線だろ。
大衆のナショナリズムを扇動し先導していたのは明かに
政府だよ。
初期の藩閥内閣の業績だろw
それって先導したといえるのか?どっちかといえば失政の結果だと思うが。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 01:28:48 ID:Sl6sodLi0
国民にも止めようとするものが少なかったのも事実だけど。
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 09:54:53 ID:BG6wnPnjO
睦仁親王は薩長に利用され明治天皇は明治新政府に利用された。
日露戦争での寒い広島での公務が死期をを早めたと言われてる。
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 00:59:42 ID:yIBMkVSZ0
そして東北人による昭和軍閥の為に、世界を相手に謝罪を要求された昭和天皇。
明治政府は日清日露の戦争に勝利したが、東北人たちの昭和軍閥は日中戦争太平洋戦争に負け日本を滅亡へと導いた。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 08:42:25 ID:vuQQUWgeO
日本って滅亡したの? ?
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 14:30:49 ID:KTmImT4u0
961 :
名無しさん@お腹いっばい。:2007/01/24(水) 14:58:15 ID:LCMEAh8n0
日本は滅亡してないが、
武士道や大和心が無くなって、日本の美徳の滅亡かな。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 15:09:40 ID:Os/6vytf0
>>958 そんな単純なことじゃないだろ。
明治維新からの自然な流れだ。
チョンは引っ込め。
>>自然な流れ
便利な言葉だなw
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 19:57:34 ID:vuQQUWgeO
明治維新で日本は大きく変わりました…
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:00:08 ID:Os/6vytf0
チョンの匂いがプンプンする。
970
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 22:51:48 ID:Tvxr7/JMO
>>961 武士道が蔓延してたのって、昭和軍閥時代のごく一時期の話
(武士が現役だった江戸時代にはそんなものは存在しなかった)。
無くなって惜しいもんじゃない。
それに、今だってヒーローもののフィクション歴史小説が
好きな人の心の中では生き続けているだろw
>>971 なるほど、御前の脳内歴史の中には明治はないのだな
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 02:43:11 ID:nn0W+FyC0
新渡戸稲造が「武士道」を書いたのは
いつだったかな?
昭和の軍閥が台頭する前だと思うけど。
>>971 現代、一般に言われる武士道の概念を造ったのは17世紀の山鹿素行だぞ。
>>973 1900年
覚えやすいだろ?
>>974 現代の議論水準としては大雑把過ぎるが
別に間違ってはいないかw
埋め
立て
るん
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 23:17:28 ID:Z2VglQLzO
江戸時代の武士道(のカウンターパート)はただの就業規則みたいなものであって、
現在美学として持ち出される武士道は新渡戸ないし司馬武士道だろ。
>>976 ちょw
次スレはまだ早いってことでつかね。
>>980 司馬武士道って司馬遼太郎の武士道ってことでつか?功名みたいな?
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 03:01:33 ID:XkrpM3JF0
幕末や維新の頃は何を精神的な支柱にしていたのだろうか?
新撰組等幕府側は?
薩長土肥は?
その他の藩は?
なんらかの信条があっただろうが武士道とは違うものだろうか?
司馬武士道なんて昭和への怨念武士道か明治盲信武士道だろww
>>982 >>980の議論に従えば、
その当時は現在美学として持ち出される武士道は
存在しないってことになる
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