1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 13:40:28.12
118 :人間七七四年:2010/09/14(火) 18:23:07 ID:KwIWdJqS
鈴木氏が重視する軍忠状の類に騎馬武者の活躍が書かれてたりするからねえ。
しかも集団で戦っている。
『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事、
3 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 13:41:53.01
『信長公記』PDF版
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_9.pdf 「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ」
「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
馬上で戦ってる。
↓
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
刀で戦ってる。
↓
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
4 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 13:43:01.65
5 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 13:44:08.04
柳成竜『懲録』(朴鐘鳴・訳 平凡社)
・日が暮れ、賊は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・水際を行ったり来たりしている者は、あるいは一、二名、あるいは三、四名ずつ、
大剣を肩にしていて、それに日光が反射してきらきらと電のように閃いていた。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
6 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 15:14:30.38
1548年(天文17年)、ゴアの聖パウロ学院長ニコラオ宣教師がインドに来た日本人(アンジロー)から聞き取った『日本の世俗的な事柄について』のインド総督宛ての報告書。
日本には、鎖帷子、胸当、兜、頤甲及び腕章があります。
彼等はまた腿や脚部に鉄でできた具足を付ける習わしがあります。
彼等は、エスピンガルダ(小銃)、弓、矢及び槍を持っています。
彼等はまたたいそう幅が広くてかなりの長さがある一種の鉾をも所持しており、それは私達のものと同様に柄に付いています。
彼等は私達が片手や両手で剣を持っているように、小刀と大刀とを帯びています。
彼等には卵型の革製の盾はありませんが、その代わりに金属の薄片で被われた革を常用しています。
それは左肩の上に、そしてその箇所に楯の代わりに結び付けられます。それは長さ三パルモ(66cm)、幅はそれよりも少し短くなっています。そして、左手は戦闘のために空いています。
これらの日本人が戦争に赴く時には、土着の兵士(現地人兵士)は各々胸当、兜及び革のあの手楯のようなもの、刀、槍、弓矢を持っていきます。
彼等は武器を運搬するのを手伝う小者一人、あるいは、私達の間に見られるように、彼等の地位に応じてそれ以上の数の小者を連れていきます。
この島のある地域では山がちな土地であるためにすべての者は徒歩で戦いますが、土地が平地である他の地域では弓矢や両手を使う刀を持って騎馬で戦います。
そして敵を幾人か殺した時には、その首を斬って大将の所へ持っていくのが慣わしです。首を持参出来ぬときには耳を切り取り持っていきます。
日本の馬は私達の馬と同じほどの大きさでがっちりしており、フランスの馬に似て太い足を持っています。領主達は自分達の牧場に数多くの雌馬を放牧している事を誇りとしています。
日本の船は全て小型で最大のものでもカラヴェラ船ほどであり、丈が短く私達の船とは別の様式です。
日本人はシナ人と取引をしています。彼らは日本からシナに銀、武器、硫黄、扇子などをもたらし、シナから硝石、水銀、陶磁器、麝香と大量の生糸を持ち帰ります。
この島のいくつもの地方に多量の銀があり僅かながら金山もあります。
また、銅、鉛、錫、鉄も多く産出し鋼鉄も非常に豊富です。
7 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 15:18:06.59
少なくとも騎士が全盛だった頃の馬はそんなにデカくない件。
中世の軍馬の大きさは、長い間議論の主題であった。伝説によれば、騎士の馬は頑丈な軍用馬であり、
これは、現代の荷馬車用の馬と同じぐらいの大きさがあったことを意味するが、そのような馬の遺物は
十四世紀以前には発見されていない。中世後期以前の考古学遺跡から出土した馬の遺物は、体高は、
せいぜい一四二・二センチであった。
J.クラットン=ブロック『馬と人の文化史』
8 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 15:20:31.87
ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)は、彼自身体重が決して軽くはなかったが、王国全域にいる馬
の大きさや体力を改良することに特別な関心をもっていた。彼は一五三五年、実質上の土地所有者は、
一三二センチかそれ以上の雌馬を最低でも二頭は飼わなければならないという布告を出した。そして
一五四一年には、イングランド中部および南部の州の所有地では、一四二センチ以下の種雄馬の放牧を禁じた。
渡辺誠・著『刀と真剣勝負』P177
・軍忠状とは、自らの軍功を主将に上申し、その承認を得て、後日の論功行賞の証拠や家門の名誉に
供する文書、と辞書にあります。このとおりであるとすれば、できることなら不名誉となるような
ことを自己申告したくないのは人の情でしょう。疵を負っても、それが飛び道具の弓矢による
疵ならば名誉を汚すものではないが、打物による疵はそうではありません。
(中略:卜伝百首奥書の塚原卜伝の戦歴に触れ、矢疵は恥ではないが打物疵は恥とされていたと説明)
『三河物語』にもしっかり刀が活躍する場面はあり、足軽たちの教科書である『雑兵物語』でも刀は“必須の武器”として扱われている。
家康が存命中に描かれた『関ヶ原合戦図屏風』でも、東軍が西軍の陣地に攻め込む場面ではほとんどの兵が刀を持って走っている。
という文を見付けた。
テレビの戦国ウンチク系番組では、昔の馬はポニーだったってのは盛んに語られてるけど、刀は殆ど使われなかった説は紹介されないね。
>>11 以前に鈴木はNHKに出たことがあるらしい、過去スレに書いてあった。
そこで刀はほとんど使われなかった説を言ったかどうかは、俺は見てないから分からないけど。
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14 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 17:18:47.50
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15 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 17:58:02.21
戚継光『紀効新書・長刀解』
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。
だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。
その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm 嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、
日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、
主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)
この論断は歴史的事実と確かに一致している。
16 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 17:59:01.43
512 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 18:59:19.60
この間戦国板に貼ったものだけど、烟田(かまた)文書(京都大学総合博物館所蔵・『鉾田町史中世資料編 烟田史料』所載)から
手柄や受傷など、それが白兵戦によるものか遠距離戦によるものか、不明かを分類してみた。
白兵戦:9件
「二九 塙政茂軍忠状写」
手柄:怨敵三騎を討ち捕え(白1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人井河又三郎幹信御敵一人を切り落とす(白2)
負傷:家子鳥栖太郎三郎貞近右小膝を切られ(白3)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人富田左近允信之、御敵の頚を捕りおわんぬ(白4)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
手柄:鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、切り捨てせしめおわんぬ。(白5)
:同じく若党富田次郎太郎信行、同じく城内に責め入り切り捨ておわんぬ。(白6)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:(飯田民部丞)前浜の御合戦において太刀打致し(白7)
:武者一騎切って落とし、頚を捕らんと欲するところ、御敵堕ち重なる間、押し隔てられ分捕れざるの間、証拠として腰刀を捕りおわんぬ。(
白8)
負傷:飯田民部丞御不審の刻、乗馬を切られ(白9)
17 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 18:00:27.58
513 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 19:00:15.79
遠戦:4件
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:旗差弥次郎男射殺されおわんぬ(遠1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
負傷:(家子鳥栖太郎三郎貞近)同じく乗馬を射らるる(遠2)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
負傷:旗差別当三郎国重左肩を射られおわんぬ(遠3)
「一一四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:日々矢戦仕る。(遠4)
18 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 18:02:35.46
514 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 19:00:58.59
不明:8件
「二九 塙政茂軍忠状写」
戦死:山本四郎義長討ち死に(不明1)
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:家人鳥栖彦太郎幹安討死におわんぬ(不明2)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
負傷:若党新堀修理亮公夏右脛に疵を被りおわんぬ(不明3)
「七一 烟田重幹軍忠状写」
負傷:家人小高根三郎左衛門尉・塙衛門二郎疵を被る事(不明4)
「七五 烟田重幹軍忠状写」
負傷:切岸において合戦、若党鳥栖式部丞疵を被りおわんぬ。(不明5)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:(前浜の御合戦において太刀打致し)若党松山左近将監疵を被る(不明6)
「一○六 烟田幹胤代胤幹軍忠状写」
負傷:城責めの時、最前に切岸に上り、合戦を致すの間、家人小高根左衛門四郎疵を被るの条、(不明7)
「一一二 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:庶子上谷田疵を被りおわんぬ。(不明8)
以上、『烟田文書』として伝わるうちに、内容の重複しない軍忠状は17件。
ただし「五五 烟田時幹軍忠状写」「五九 烟田時幹軍忠状写」「七七 烟田重幹代井河信吉軍忠状写」
「八一 烟田重幹軍忠状写」「八三 烟田重幹軍忠状写」「一○三 亀谷田胤幹軍忠状写」からは
手柄や受傷などの情報を得られなかったので、それらを除いた11件が今回のサンプルということで。
19 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 18:04:08.24
546 :日本@名無史さん:2011/05/18(水) 11:07:24.87
白兵戦の手柄は多く、矢傷は城垣に攻め寄ったときや楯際で受けている。
肉薄の結果、矢傷を負うことが多かったと解釈してもよさそうだが。
『野本鶴寿丸軍忠状』
・建武二年十二月八日(中略)切落御敵一騎、欲取頸之処、
・建武三年正月三日(中略)最初押寄城之辰巳角、切入城垣之処、信経左右頬於被射抜畢、
・同八日(中略)亦彼等四人、打破橋上之箭蔵、切入之処、踏落中橋桁之後、岩瀬又太郎胤経被疵畢、
・同十六日合戦(中略)追籠御敵於法勝寺脇而、纐纈直垂所着之武者一騎切落之畢
・亦責付御敵之楯際而相戦之刻、被射信経之乗馬畢
・同三十日合戦、於法成寺西門前、朝行郎等椙本余一吉弘、組落太田判官家人関孫五郎而、
則取頸畢、
・去年(建武三)十一月三日、横田毛原合戦之時、分取頸一、入大将見参畢、
・今年(建武四)三月十日、(中略)致合戦之忠節之処、切落御敵一人畢、
20 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 18:40:23.68
ttp://togetter.com/li/319904 武器別に殺害と負傷の割合をみると、太刀(※引用者注:切疵)=53:47、
矢=20:80、鑓=100:0(しかし一例しかない)となり、武器の効率の差異は明らかである。
【※弓矢の意外な殺傷率の低さ?】
・武士や馬を射殺すことは非常に難しかったようで、
南北朝期の軍忠状には「射殺」という言葉は五回しかあらわれない。(中略)
弓矢の殺傷率が低かったことは、以下の事例からも明らかとなる。
たとえば、今川頼国が討ち死するには矢が二○本も必要であった。
「朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された」
ルイス・フロイス
「日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。」
ルイス・フロイス
「戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。」
パードレ・ガスパル・ビレラ
「日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。」
懲秘録
「これは日本のサムライが明に攻めて来た時に初めてわかったことである。
彼らは舞うように跳び回り、前方への突進は光が閃くようで我ら明の兵は恐れおののくのみだった。
日本人はよく躍動し、一息で一丈(約3m)も飛び込んできて、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間隔があっても攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎて、(サムライと)遭遇すれば皆両断されて殺される。
これは彼らの武器が鋭利であり、両手で振れる強力で重い刀を自在に用いているためである」
紀效新書/1595年(戚継光)
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。
我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる」
揮刀如神
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」
単刀法選/1621年(程宗猷)
「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」
広東新語・語器/1630〜95年(屈大均)
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。
大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
大君の都/1863年(Rutherford Alcock)
24 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 18:50:21.33
実践考古学の夜明けはまだか
今までのスレでの既出の情報は、もちろんまだまだあるだろうけど、とりあえずこんなもんかなぁ?
他にも、これぞ!という既出情報があれば誰かお願い。
26 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:03:27.33
鈍器過大評価厨も最近目立つけどゲームか何かの影響かな?
105 :風吹けば名無し:2012/06/25(月) 21:58:40.61 ID:FPlTmMVm
>>91 刀剣類が実用でメイス類に勝る場面なんてないんじゃないか。
殺傷力・取り扱いの難しさ・耐久度など劣る点がない
27 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:05:31.35
ほんとこういうバカな極論書くヤツ増えたな。どこかにこういう説広めるのがいるのかね?
122 :風吹けば名無し:2012/06/25(月) 22:03:44.68 ID:w+GQg7Kz
そもそも戦場では槍は突きをしないんだよなあ
振りかぶってぶん殴るのが正当
ソースは雑兵物語
28 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:37:53.70
>>26 ていうかメイスに相当する金砕棒が、刀より簡単に作れるものの割には
あんましメジャーじゃ無かった時点で刀の方が白兵戦の武器として使い勝手が良かったんでしょ。
29 :
日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:51:33.15
本当に刀が使い物にならないなら警棒みたいな樫の棒でも持たせるだろうw
三間槍とかなると突くために保持したり横方向に取り回すの大変だし
上下運動の叩きになるんじゃねか
31 :
日本@名無史さん:2012/06/26(火) 01:53:20.53
そもそも
>>27のリンク先の奴は長槍と手槍の区別すらつかないんじゃねえの?
>>30 三間槍は突きと斬りが基本
槍の穂先を振り下ろすのは斬る為、保持するのは突き刺す為
雑兵物語は信用できんの?
34 :
日本@名無史さん:2012/06/26(火) 15:36:54.83
どの辺が信用できない?
江戸前期の成立だから慶長元和の頃の足軽の聞きとりは十分可能。
>>27みたいな勝手な解釈がアホってだけで別に内容に関して特に怪しいという指摘は聞かないが。
35 :
日本@名無史さん:2012/06/26(火) 15:39:52.53
>>32 切るためには刃筋を立てなきゃならないが
長槍には薙刀の柄みたいに刃がどの向きにあるかわかるようになってるの?
Wikipediaの中二病のページを見てたんだが
サブカル系
流行に流されずマイナー路線を好み、他人とは違う特別な存在であろうとする。別にサブカルが好きなわけではなく、他人と違う趣味の自分は格好いいと思い込んでいる。
鈴木ってこれに近しいところがあるよな。
「他人とは意見を沿わせないで、あえてこっち」とか、「実は意外と…」をプッシュするのが好きなとことか。
>>33 雑兵物語では槍を突いて使ってるよ
>>35 穂先の向きが分からない様な障害者は、足軽どころか雑兵としてすら連れてって貰えない
掃除用具やゴルフクラブを変な向きに振り回すのは頭が相当弱い奴だろうね
38 :
日本@名無史さん:2012/06/26(火) 17:43:46.95
>>37 穂先の向きとか何言ってんだ?俺は刃の向きのこと言ってるんだけど?
刃筋って言葉の意味わかってないんだな。柄の断面が桃型になってる
薙刀の例も出してやったのに。
ところで俺の手元にある人物往来社版から引くけど鑓数がそろったら
拍子をそろえてうつより外はないとあるんだけど。突くにももちろん使うけど
集団になったら叩くのが基本のようなんだが。
鑓担小頭 長柄源内左衛門
扨また鑓を突くもんだと斗り思ひなさるな。各々心を一ツにして、穂先の揃ひ申すやうに、
拍子を合せて、上やりに成るやうにたたきめされい。必ずつくべいと思ひめさるな。
それは壱人弐人の出合の時はよし。鑓数のおほくそろつた時は、拍子を揃へて
うつより外はないぞ。扨又敵の指物を、たたき落すやうにしてして、よかるべしと存ずる。
>>38 俺は穂先の刃の向きの事を言ってるんだが
頭が弱過ぎて後段の説明を読んですら理解出来なかったのかい?
ところで、冒頭の持槍担ぎや下巻の槍担ぎでは何と書いてあるか読んだかい?
はっきりと馬を突いた、敵を突いた、そう書いてあるよね。
40 :
日本@名無史さん:2012/06/26(火) 18:18:55.14
基本は叩くってことがはっきりしたな。
叩くし突くしって事だろ
基本は突くってことがはっきりしたね
>鑓を突くもんだと斗り思ひなさるな。
雑兵物語で基本は突く物だと明言されていた
43 :
日本@名無史さん:2012/06/26(火) 21:27:24.91
雑兵が持つ長槍は一斉にシバいたり槍衾など集団運用が前提で
武士や上級足軽が持つような持槍は刺突を中心とする槍術を駆使した
ってことなんじゃねえの?
最近(いや最近でもないかもだけど)、鈴木の説からさらに飛躍して、「戦国時代の主武器は鉄砲でした」とか書いてる人もよく目にするようになった気がする。
あの時代に、主武器に出来るほど大量に鉄砲を買い揃えられる大名なんてどれだけいたのか?と思う。
また在チョンが湧いてきたなw
雑兵物語では兵の4割が鉄砲兵
46 :
日本@名無史さん:2012/06/26(火) 23:41:02.80
時代区分でみるなら
天正期あたりまでは全軍の2〜3割前後。
唐入りの頃で4割、大阪の陣の頃で5割ってとこじゃないの?>鉄砲配備率。
少なくとも軍役とかま見る限り信長あたりまではそんなに割合高くないよ。
信長辺りってどういう時代区分だよww
まあ大体同じ意見だけど
マジで!そんなに多かったんだ!
てっきり1〜2割くらいかと漠然と思ってた。
ありがとう。
49 :
日本@名無史さん:2012/06/27(水) 20:47:57.27
大太刀
大薙刀
長巻
鉞
金砕棒
棒
50 :
日本@名無史さん:2012/06/28(木) 16:12:48.45
根拠は無いが否定したい在チョン登場w
52 :
日本@名無史さん:2012/06/28(木) 19:42:50.42
じゃあ根拠出してみろや
>>52 雑兵物語
雑兵物語からの類推を否定したいなら根拠出そうね
口先だけじゃなくw
54 :
日本@名無史さん:2012/06/28(木) 22:29:08.43
雑兵物語から四割と推測できる根拠は?
軍役帳とか見てると多いところで精々二割程度なんだけど?
池田孫左衛門(相模国/元亀3)着到
馬上 20
鉄砲 ...3
弓 .5
鑓 22
旗持 ...2
指物 ...1
歩者 ...3
合計 56人
宮城泰業(武蔵国/元亀3)着到
馬上 ...8
鉄砲 ...2
弓 .1
鑓 17
旗持 ...3
指物 ...1
歩者 ...4
合計 36人
和田昌繁(上野国/天正11)着到
馬上 ...8
鉄砲 ...4
弓 .4
長柄 15
手鑓 ...1
小旗 ...4
指物 ...1
手明 ...3
合計 40人
56 :
日本@名無史さん:2012/06/28(木) 23:23:59.30
北条勢は騎馬の比率が高いな
謙信の関東侵攻小田原包囲中の出来事
永禄4年3月24日付、北条幻庵大藤政信宛書状
「備えの鉄砲500丁で頑張れよ」
永禄12年5月3日付、清水新七郎知行書立2174貫文
1000貫文感状の地、1074貫文1騎合106騎、100貫文歩鉄砲20人
天正12年3月フロイスの報告書
「鍋島大村の軍隊は、鳥銃1000丁、槍1500有り。
天正13年8月27日、最上義光宛伊達政宗書状
「鉄砲8000丁で撃ち合ったし」
織田信雄分限帳
2900貫文。御鉄砲衆御代官山本小六郎。
橋本伊賀。御代官御鉄砲衆都合3000貫とお代官自分共。
天正16年12月16日、山本平六郎宛行状
都合1683.9貫文宛行おわんぬ。内1000貫は鉄砲30丁分な。
天正12年霜月17日、宇津木氏久宛北条氏政書状
「10人鉄砲衆、給料12貫文1年分
天正11年12月24日田丸直息書状、渡会郷鉄砲の者27人、26貫文の分宛行畢
鉄砲は大身持ちのお抱えが大半ね
58 :
日本@名無史さん:2012/06/29(金) 22:51:55.91
軍記物以外で太刀打刀で相手を甲冑の上からぶッ叩いた話ってある?
59 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 11:20:24.44
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1341014191/ 339 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/06/30(土) 11:04:56.78 ID:M0Zfq0ib0
槍と刀剣では槍のほうが圧倒的に有利
東西問わず槍の種類が豊富なのはまあそういう事
安いし手入れもほとんどいらないし軽いし速いし力も強い
刀剣では馬上の敵に致命傷すら与えられないからな
また元寇の時に日本刀は蛮刀(青竜刀)に文字通り太刀打ちできなかった
大陸の刀は打撃武器だから重い
その重さに勝てなかった
斧と剣でやったら斧のが勝つだろう
棍棒と剣でも棍棒のが勝つだろう
素人同士が剣と短剣で戦っても短剣が有利だろうな
刀剣が有利な相手は素手くらいのもの
60 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 11:27:40.88
>>58 『 雑兵物語』
・脇差で片手切にすれば、具足の上は片手では切れないよつて
61 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 11:54:30.80
410 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/06/30(土) 11:49:54.22 ID:M0Zfq0ib0
>>401 検死だよ
関が原が終わったあとで転がってる遺体を医師が調べたんだよ
有名だろ
刀傷は一太刀二太刀だよ
全遺体中でだ
62 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 11:58:56.48
63 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 12:09:50.27
有名だろ
64 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 12:23:37.71
関ヶ原の戦いの死体って東軍西軍問わず懇ろに供養されたはずだが
その医師はわざわざお墓掘り返すなんて罰当たりな事までして調べたの?
65 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 12:27:21.56
有名なんだから諦めろよ
SF的なパラレルワールドの関ヶ原だろ察しろよ
埋葬前に医師が巡回して検死したんだろ
その医師の名前は?死体を調べた結果はなんて記録に書いてあるの?
財前なんとか教授だろ、死体の検死記録は警視庁に保管されてると言っていた
有名な先生が調べた有名な記録だろ。
71 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 20:43:26.35
>>60 答えてくれたとこ申し訳ないけど、それは過去ログで見たからしってる。
おれは甲冑越しから刀で打撃を加えたと明確に書いてある史料は軍記物以外であるかってことを聞きたかったのよ。
雑兵物語に載ってる刀の使用法の注意事項を読むと甲冑越しからぶっ叩くことは、珍しくない行為なんじゃねって思えてくるんだよなあ
72 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 20:46:57.59
>>69 ググっても出てこないんだが。
ていうか財前自体、白い巨塔以外で出てこないんだが
>>71 『常山紀談』に兜を刀で打たれたせいでくらくらと眩暈を起こしてピンチになる
話ならあったな。狙って兜を打ったのか結果的にそうなったかはわからんけど。
あと『常山紀談』の兜に関することでは「冑の頭一ぱいにつまりたるは悪し」
というのがある。刀や鈍器ではないんだが、鉄砲の弾が当たったときに
頭にぴったりのサイズだと貫かれない場合でも響きが強いし、その当たって
へこんだ部分がそのまま頭にめり込んで死ぬ場合があることを紹介している。
これは鈍器とかで打たれた場合も近いことが起こりえるんじゃないだろうか?
検死とか まだ夏休みにうは早いだろwww
そいつよりも鈍器厨が増えてるのが気になるな。
ゲームか何かの影響か?
78 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 23:03:54.87
ぴぴるぴるぴるぴぴるぴー♪
>>77 西洋でメイスとかウォーハンマーがプレートアーマー相手に有効とされてからじゃね?
中国で棘付棒や錘が多少増えても刀と違って導入されなかったのに
相変わらず浅墓だな鈴木儲はw
掛矢とかあるじゃん
82 :
日本@名無史さん:2012/07/01(日) 07:44:45.92
掛矢も金砕棒も鉞もマイナーな扱いだった時点で
少なくとも日本では刀の方が有利と判断されてたんだろ。
83 :
日本@名無史さん:2012/07/01(日) 09:08:50.93
アフィ速見て来たけど鈴木儲ってホントに多い(ように見える)よな。しかも大半の奴は前レスをほぼ読まず自分の意見だけ言いまくるだけ。
他人の意見、議論は読めませーんって感じ
84 :
日本@名無史さん:2012/07/01(日) 10:01:43.77
鈴木本人がその類の人種だから
85 :
日本@名無史さん:2012/07/01(日) 10:14:19.10
ついでに言うならループの周期が異常に短い。反論してもしても数レス〜十数レス後には
前レスのやり取りが無かったかのように(別の奴が)同じようなことを言い出す。
でも未だに鈴木説やってるやつに今更鈴木かよって突っ込んでも
誰だよそれwって返されるぞ
>>86 それが一番の問題だな。万が一鈴木が自説を引っ込めるようなことがあっても
鈴木説はしばらくネット上を漂い続けると思うわ。
88 :
日本@名無史さん:2012/07/01(日) 18:22:07.84
朝倉宗滴の名刀と槍の話を曲解してどや顔で語るアホもいるしなあw
義輝が刀を立てて取り替えひっかえ使ったというのを刀が
長持ちしない例に使うのも極論過ぎるわな。途方もない大軍に取り囲まれてる場合なんだから。
90 :
日本@名無史さん:2012/07/01(日) 18:50:12.47
ていうか、相手も鎧着て刀装備してるのは無視かよと。
しかもこのエピソード自体、後世の創作説があるのに。
そういえばちょうどチャンピオンのスポチャン漫画で
顧問の先生が槍の有利さを実践してたな。
尤もアレは単にその先生自身が部員より圧倒的に強すぎるだけ(短剣でもぶっちぎりの強さ)だと思うがw
逸話集なんかだと槍の柄を掴まれる例もあるし
小具足の技で相手の槍を掴んで小太刀で勝つ技もある。
もちろん決闘だったら槍名人の早い引きをそうそうつかめることもないが
戦場に出るのは名人ばかりもないし不確定要素の多い集団戦だと話も違う。
94 :
日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:23:00.86
調べたら鍼灸院のサイトに『備前老人物語』って書いてあった。
多分『武功雑記』と一緒に入ってる本で読んだんだと思う。
軍鑑には二間より近い間合いで槍を振るう奴は馬鹿とあるけど
二間ってそこそこ間合い広い
97 :
日本@名無史さん:2012/07/02(月) 00:37:46.99
3m60cmだな。
>>86 >>87 全く同意。刀と首取りからもはや10年だけど、今も根強い人気があるからねww
あと、真っ当な学者ならまだしも、鈴木みたいな木っ端学者やネットの人間は、自分の意見に突っ込まれるとカチンときてさらに強く説を展開したりする。
何のための学者なんだか…w
「○○七本槍」などのように槍の名手の名は知れているが、刀の名手はほとんど知られていない…という話も何ともバカらしい。
古くは国摩真人から始まって、剣豪系の人物ってかなり多いと思うのよね。
もしタイムスリップして、当時の戦を見て刀が使われていたら、鈴木&その信者は自分の意見の転換&謝罪はするんだろうか。
鈴木信者はかなり攻撃的に噛みつく傾向にあると思うので、矛盾に突っ込んだら誹謗中傷されたのは俺だけではないはず。
99 :
日本@名無史さん:2012/07/04(水) 17:11:11.33
日本の文献を出す→日本人は手柄を過大に申告するからなあ。
明の文献を出す→中国人は大袈裟に書くからなあ。
宣教師の文献を出す→西洋人は東洋の国を神秘化して書くからなあ。
以上の理由によりこれらの文献に日本刀が活躍する既述があっても
信用できないとのことです。
100 :
日本@名無史さん:2012/07/04(水) 17:35:29.85
追加
朝鮮半島の史料→いつもはチョンの捏造とか喚くくせにこういう時だけ引用すんのかよネトウヨがwwww
>>99 すげー理由だwwwww
もう何でもありだな、鈴木信者はwww
鈴木の刀使われなかった説も鈴木が文献から大雑把にひっぺがしたものなのにww
文献が信用出来ないなら、信者たちは何をソースに堂々と刀は使われなかった説を展開してるんだろう?
102 :
日本@名無史さん:2012/07/04(水) 17:38:46.95
>>100 『懲録』を読みもせずウリナラ史観がどうこうで信用できないとかほざいてる
バカもいたわw
だったらなんで日本刀の恐ろしさや武士の強さを繰り返し書くんだってのw
知恵袋にて
包丁で肉を切れば分かりますが、脂ですぐに切れなくなります。
人の体も脂があるので、一太刀目は切る、二太刀目は突く、三太刀目は切るとなります。
↑すげーな、もはや刀の切れ味の説なんて星の数ほどあるんじゃないか?
3人しか切れないやら、名刀なら5人やら、ひどいものは1人切っただけでいっぱいいっぱいやら。
あとは骨に当たれば有無を言わさず即刃こぼれか。
我々の先祖たちは進化させたり別の製法を模索しようともせず、そんなガラクタばかりを使って戦っていた馬鹿な人たちだったんだろうかw
↑失礼、「三太刀目は叩く」だった。
>>103 今も生存してるのは、新規な説に飛び付いてる層じゃなく
日本刀を事実を捏造しようが何しようが手段を問わず
何としてでも貶めたい国籍の人達だよ
106 :
日本@名無史さん:2012/07/04(水) 19:53:16.72
>>102 ていうか、チョンが歴史をコリエイトし始めたのって戦後以降の話じゃねえの?
>>106 ウリジナルの最古の例が知りたいね。
ハリウッドのラストサムライがヒットしてから刀&剣道の起源をほざき始めたと聞くけど、本当かどうか分からん。
108 :
日本@名無史さん:2012/07/04(水) 21:29:44.63
コリエイトが始まったのは漢字が読めない世代が増えてきたあたりじゃないかな?
自分らの先祖が書いた文献に出てくる「長刀」を日本でいう薙刀だとか思い込んじゃって
倭寇は薙刀で暴れまわったとか書いてる始末だもん。
『武芸図譜通志』やその参考元である『紀効新書』に「長刀」がどういう意味で
現れるかもわからないんだろう。意図的にか結果的にかわからないけど
自分らの先祖が綴った歴史から実質的に隔離されちゃったわけ。
日本も官僚様の主導で公用語が英語になったら
そんな感じになるね
ガイジンさんが好むどこか道を間違えたSAMURAI・NINJYA観に染まるのか
それはそれで楽しそうだが情報持ってる歴史オタは血管切れそうだなw
>>110 そういやYouTubeに幕末〜明治初期に撮影されたサムライの写真をまとめてる動画があったんだが、外国人の反応が凄かった。
「生きてる間にサムライの姿を見れるなんて!!」的な。
あれは日本人としては光栄だったなぁ。
外国の人たちは「刀は数人しか斬れない」とか馬鹿げた話が日本にあることは知らないんだろうな。
特にアメリカでの日本刀人気はかなり凄くて、日本人より刀に詳しい人も何人もいるみたい。
JSSUS(Japanese Sword Society of the United States)っていう日本刀愛好協会があるそうで。
↑歴史群像シリーズ 図説・日本刀大全(学研)より。
112 :
日本@名無史さん:2012/07/05(木) 09:40:55.49
・刀を持つには免許が必要
・刀で斬れるのは○人まで
・刀は戦では使われなかった
で、日本刀三大トンデモ話だな。
中国武術系の演舞っぽさが混ざってるな
>>114 とりあえず動きの見た目を混ぜすぎて収拾つかなくなってる感があるよねw
116 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 00:52:51.13
半島とか関係なく、信野暮とか大河の影響なのか戦国史のファンって
大名や武将の武勇伝だの逸話だの奇策だのばかりに注目して
彼らが兵士をどういうシステムで統率してたのかとか
装備だとか武器を調達する為の各種産業だとかに殆ど興味示さないし
おまけに世間に山ほど出回ってる雑学本や歴史ファン向けの娯楽本や漫画のコラムで
知ったかぶって満足して自分で一次史料読もうって人が殆どいないから
鈴木説なんかが簡単にのさばるんだと思う。
これが源平、鎌倉、南北朝のファンの場合はマイナー扱いなのが幸いして(?)
詳しく知るには自分で当時の史料漁るしかないわけだが。
鈴木説に関しても一番最初に疑問を投げかけたのは中世が専門の人だったと思う。
>>113 無駄な動きが多すぎwww
なんか素人が見よう見真似で刀振り回してるだけやん。
鹿島神流や小野派一刀流みたいに技術が洗練されてるわけでもなければ
薩摩示顕流みたいに余分なモノを一切合切廃したシンプルイズベスト志向でもない。
やたらくるくる回ったり飛び前転したり実用性ゼロな技追加しまくるのはテコンドーの時と全く同じだな。
>>113 パクるんならもっと上手くパクれよwwwww
なぜそこまでくるくる回りたがるのかw
なぜそこまでロウソクを消したがるのかw
これは武術じゃなくて大道芸だなww
しかし、黒田鉄山先生はさすがだな。速すぎてマジで見えない。
スローにしてもまだ分からんぞ…
中国剣術の亜流と見ても酷いのが哀しい
あっちは片手剣が基本だから両手持ちの日本刀と合わないのは仕方ないが
120 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 10:10:51.16
その意味では両手持ちの両刃剣を使う武備志の朝鮮勢法はちょっと謎だな。
武備志は1621年と成立がちょっと遅いので、そのころには
伝統的な剣と日本刀とのチャンポンみたいな術が出来上がっていた可能性もあるが。
そうでもないだろさ。
武備志には「日本刀自体はたいしたことはない。
日本式の刀術と一体になって初めて実戦で使えるものになる。」
といった主旨のことが書いてある。
要は戚継光と同意見。
122 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 18:23:08.24
123 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 18:28:53.47
剣=短器も槍=長器もかなわないって書いたのは『紀効新書』の長刀解だよな?
でも当たり前だけど刀は大したことはないなんて書いてない。
長刀解
此自倭犯中國始有之。
彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。
我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、
如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。
況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。
124 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 19:01:14.79
日本刀は軽いが人は往々にして御する事が出来ない
って意味だぞwww
漢字廃止の弊害が出まくりw
126 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 19:37:54.90
「大したことないが」
「軽いが」
全然印象が違うね。
127 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 19:41:58.37
これに描かれてる挿絵で改めて長刀とは薙刀ではなく
明確に野太刀や大太刀の事を指しているということがよくわかるな。
これからは「長刀は薙刀のことだよw」って言う馬鹿にはこの絵を見せてやればいいわけだw
ただ、打刀に関してはどんな扱いだったんだろ?
128 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 19:43:25.51
>>127 戚家軍の「腰刀」は鍔のない日本刀みたいな感じだよ。
鞘もよく似ている。
「練兵実紀」にあったと思うからちょっと見てくるわ。
129 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 20:08:15.14
『武備志』には「刀極剛利中國不及也」という一文がある。日本刀が大したことないなら
それに及ばない中国の刀って何って話になる。
132 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 21:53:00.22
>ところが実戦では日本刀の活用はそんなに多くなかった。
これのネタ元ってひょっとして…
133 :
日本@名無史さん:2012/07/07(土) 08:18:32.93
134 :
日本@名無史さん:2012/07/07(土) 16:19:19.48
>>133 うわーマジかよ。
刀好きとしては、頼むからこういうの勘弁。
ややこしい規制でもされたらかなわん。
ちょっと前にもマグロ包丁であったよな。
>>132 鈴木のかほりがプンプンするな。
ヤツがたわけた説を出す前は、そもそも刀が実戦的なのかどうかなんて、まず話題にすらならなかった。
2〜3人で斬れなくなるなんて珍妙な話はあったもののww
137 :
日本@名無史さん:2012/07/08(日) 14:07:25.03
とりあえず日本刀やそれに似た刃物を使えば素人でも人の腕を
落とせちゃうくらいは栃木の事件や今回の事件で十分わかった。
栃木のときは達人達人連呼してるヤツがいたけど結局武道歴なんて
出てこなかったし。
居合とかで用いる巻藁or畳表なんかも、袈裟切りであれば全く経験がない素人さんでも結構切れるからね。
水平と逆袈裟(切り上げ)はちょっとコツがいるけど。
あの巻藁とかで“大体”人間の首と同じ硬さとされてるから、腕くらいなら容易いもんだ、うん。
>>138 居合や抜刀で巻藁を斬ると、「刀は巻藁なんかを斬るためのものじゃねぇ」と言い出すヤツがいる。
ならばと実際に昔の文献から人を斬った記録を引っ張ってくると、「刀は3人くらいしか斬れません」と言い出すヤツがいる。
仕方ないと3人以上も斬った記録を引っ張ってくると、「刀は柄が目釘一本で固定している構造なので、脆弱で使い物になりません」と言い出すヤツがいる。
柄の仕組みを分かりやすく砕いて説明すると、「刀は有効な武器ではありませんでした。軍忠状でも…」と鈴木説が来る。
鈴木説の矛盾を突っ込むと、「いーや!とにかく刀は有効な武器じゃなかったんだ!!実際の戦は…」と突然ファビョり出す。
あぁ、日本刀って難儀だよなぁ。
あれ? 巻藁を水で湿らせると人間の首と同じ、と聞いたような。
乾いた状態と難易度が全然違うとか。
藤岡弘、がTVで畳を切る時に「やばい。濡れてる」って慌てたことがあったそうな。
ちゃんと切ったらしいが。
塗らした方が切りやすいしヒケもつきにくいよ。
142 :
140:2012/07/08(日) 22:17:36.53
あれ? 逆に覚えてたか。 こいつはうっかり。
あと濡らしとくと掃除がラク!!ww
細かい巻藁の屑がダマになって落ちてくれるからwww
巻藁を濡らした難点といえば、においが臭いことかなww
中に大豆を詰めておくといいと思う
145 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:24:15.47
以前、このスレで出た軍刀信者のサイトのリンクで
居合やってる人(その人も舶載鉄の与太話信じてる)のブログがあったが
その人は新々刀以降の殆どの刀は巻藁なんて斬れないと書いてたがホンマかいな?
その手の馬鹿は新々々刀で打ち首にすりゃいい
巻き藁が斬れないなら首の切断なぞ不可能だからなww
147 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 05:08:25.36
>>112 三大に追加 じゃないけど「ポン刀は繊細で刃筋を立てないと使えない。でも刃筋は達人じゃないと立てられない。だから、日本刀は達人しか扱えない。
西洋刀剣は素人でも扱える。」なんつうトンデモもあって、「ポン刀は下手な奴が使うと曲がって駄目だが上手いやつが使うと強い。その他の刀剣は素人が扱っても強い。要は一長一短なんだよな。」と中庸つもりか、ふりなのかは知らんけど
擁護してるようで実はディスってる奴もいる。
>>145 俺の刀が新々刀か現代刀か微妙な頃のものだけど(明治四年の作)、巻藁くらいならサクサク斬れるよ。
自分で言うのも何だけど、切れ味は決して良い方じゃないと思う。
試しに紙を切るにしても、ツーッと切るというより、ビリビリッて感じで切るぐらいだからww
でも巻藁を斬る場合は振りかぶって「えい!」って遠心力も加わるし、あと刀の重さも利用出来るから、問題なく斬れるです。
逆に、意外と難しいのがペットボトルww
中身が入ってるなら別だけど、空っぽだと軽くて、刃が当たった瞬間にパコーン!とホームランしてしまうwww
それはお前が下手なだけとか言わないでw自分でも分かってるからww
>>147 興味があって触りだけ調べたんだけど、よく「西洋刀剣は叩くor叩き切る」ってネットでも見掛けるけど、そうでもないらしいね。
西洋刀剣はかなり種類も豊富で、大変良く切れるやつから、いわゆる叩く&叩き切るやつまで様々らしい。
刃筋を立てないと綺麗に切れないのも日本刀と一緒だそうな。
前にようつべで日本刀vs西洋剣って感じで巻藁切ってる動画あったけど、西洋剣も綺麗に切ってた。
ただ、西洋剣が2回切る間に日本刀が3回切ってて、勝負は日本刀の勝ちってなってたけど。
日本刀の切れ味を基準にして他国の刀剣を比べちゃさすがに酷だよね。
ツカイツリーの高さを基準にして東京タワーは低いとか言うようなもんだもん。
150 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 09:32:44.63
>>149 最近「無知なネトウヨが西洋剣ディスってる!」って
騒ぐ奴をよく見かけるが、元はと言えば自業自得だよなw
日本刀の切れ味と強度に対する軽さを何故か「切れ味良いけど脆い」とか言いだしたのはそっちなのになw
151 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 09:39:36.94
古刀新刀に関係なく頑丈な刀を選べ、って書いてたのは窪田清音だっけ?
チェックしとかなかったのが残念だが確かそういう記述があったとおもった。
>>150 いるね〜、刀はすぐに刃こぼれしたり曲がったりするから脆弱で使えないって人w
新選組が池田屋での激闘後にしたためた刀の損傷状況の記録とかを例に出したりねwww
ちなみに、成瀬関次氏だったか岩崎航介氏だったか失念してしまったのだけれど、こちらも戦争中に使用して曲がったり折れたりした刀の損傷記録を残してる。
ただこれは、「損傷は珍しいから記録に残しておく」と注意書きがあったはず。
もちろん中にはビックリするぐらい脆弱な刀もあっただろうけど、日本刀全てがそうとはならないよね。
「歴史ドラマの大ウソ」(著者/大野敏明)って本、誰か読んだことある?
先日図書館から借りてきて読んだんだけど、鈴木の本に負けるとも劣らぬ本だったw
一読の価値あり、でも一回読んだらあとは読まなくて良い本だった(←これでどんなもんか察してw)
図書館からレンタル、または立ち読みをオススメする。
購入は間違ってもオススメ出来ない。
>>153 あー、一年くらい前に読んだ。坂本龍馬の写真が表紙だったよな。
鈴木みたいに「意外にも実は…」みたいな内容だったけど、基本的な間違いが多すぎて途中で読むのやめた記憶がある。
刀は2〜3人しか斬れない話もあったよなw
適当な文献からソースとして引っ張ってきてたけど、その文献にはどこにも2〜3人で斬れなくなるなんて書いてないというwww
>>152 大体、刀が折れ曲がるって記録はどっちかといえば
それだけの激戦だったっていう一種の比喩なのにな。
碧蹄館の立花宗茂に関してもそうだけど。
>>156 「斬れなくなる」「使えなくなる」って話だけでも相当あるよな。
脂がついて斬れなくなる
目釘がガタついて斬れなくなる
刃こぼれして斬れなくなる
折れてor曲がって使えなくなる
血がついたら錆びて斬れなくなる
…血がついたらって、一瞬で錆びる鉄がどこにあるのかww血なんかサッと拭けば良いだけだしw
仮に錆びたとしても、薄〜く浮いてる程度の錆びならまだ斬れる。
ちなみに、刀全体が真っ赤になってしまうぐらいに錆びた刀は、「赤鰯/赤イワシ」なんて蔑称で呼ばれたりする。
>>153 ちょっと懐かしいw
前に知恵袋か教えてgooかで「日本刀は何人斬れるか」って質問があって、すでに“2〜3人が限界です”って回答があったから、それは誤りだということをツッコミながら回答したんだが、そいつがその本をソースにして反論してきたことがあったwww
鈴木の珍説にせよ、刀の様々なトンデモ説にせよ、誰かがイチから新しく本を書いてそれぞれを訂正しなきゃならんぐらい一般に広く流布してしまってるよな。
それも「戦国時代ってなに?」「日本刀ってなに?」ってな素人さんにも分かりやすく書かれたような本。
真っ当な学者が書いてくれりゃいいんだが、大半はそんな説はシカトしてるか、学者なのに刀は脆いと思ってるかが多いからな…w
>>152 山浦真雄の刀は古鉄片を寸断して刃切れ刃こぼれが生じた後も、竹入干藁を六分切り
その他、鹿角、鉄砂入張笠、古鉄胴、鍔、鍛鉄、兜への切り付け試しを行い、
鉄棒による執拗な打折作業に二十九回も耐えているから
刃こぼれ=刃物としての使用不可能は意味しないんだけどねえ。
よく脂説の根拠に包丁での場合を出す人間がいるが、その包丁が少々の刃こぼれの場合切り口こそ汚くなるが
切断に関してはこなせることをご存じないんだろうか?
兵器史や軍事史は日本の要地に駐留する宗主国様の占領軍及び国務を司る省庁から
自重すべき旨の命令が下されてるから、やったら爪弾きになるし研究費も干される現実
>>158 多分、包丁の話を引き合いに出す人は、刀がどんな風に斬るかっていう極めて根本的なとこをスルーしてるんじゃないかな?
包丁は対象物に刃を当ててヨイショヨイショって切るけど、刀は振りかぶって一気に斬るからねw
ましてや、長さが2尺3〜4寸、あるいはそれ以上もある刀は、物打ちに生じる遠心力&衝突力たるや、包丁と比べること自体が何か間違ってるくらいのものになるし。
既出かもしれんけど、抜刀道五段の津本陽氏が豚肉の塊を刀で斬りまくったが、骨もろとも手応えなく切れて、また切れ味も変化なかったとか。
↓ソース
http://www.budotusin.net/no10.html
>>160 津本氏が豚を切った件なら氏の随筆から原文引用できるよ。
まあ、日本刀否定派はこの日はじめて真剣切りを行った人が人間の胴より太い豚の肉を複数回切った後にできた
「チカッと光る0.1ミリほどの刃こぼれ」さえも日本刀の脆弱性の根拠とするかもしれないけどねw
『人生に定年なし』P178〜
中村(泰三郎)先生は、十八キロの豚肉をまえに、身をわずかに右向きにして立った。
「こういうものは、まっすぐ斬るもんじゃない。体をわずかに斜めにして斬るんだ」
先生は刀を抜き、ふりかぶる。
気合もかけず、斬りこむと、切り口が大きくひらいた。白い骨が二本あらわれ、
血がタラタラと流れる。
太い骨は直径十センチもあるように見える。
「さあ、やってみろ」
私は体をやや斜めにしえ、両足をひらいて踏んばり、刀身の棟を背筋につけると、
「やあっ」とかけ声もろともに打ちおろした。
おどろいたことに、人間の胴よりも太い豚肉を斬った手応えは、まったくないに
ひとしかった。土壇の板を、パチーンと叩いた音だけが耳にのこり、骨も
きれいに斬れている。
「こりゃ、たいしたものだ。これまでまったく経験がなくて、これだけできる者は、
めったにいないよ。
私は先生にすすめられ、それからさらに二度斬った。
手応えはやはり、嘘のようになかった。
先生が不意に歩み寄ってきて、私の持つ刀を取り、顔を近寄せあらためていたが、
やがて情けなさそうな声でいった。
「君は俺の愛刀を刃こぼれさせちまったな。手の内の締め方が足らないから、
こうなるんだよ」
刀を倉庫の電灯に照らすと、たしかにチカッと光る0.1ミリほどの刃こぼれが
あった。
肉から骨へ斬るとき、刀身のうける抵抗がかわるので、刃筋がうごき、刃こぼれができるのだ
そうである。
× 斜めにしえ
○ 斜めにして
その前の「さあ、やってみろ」も一段下げる必要なかったな。
>>161 おお!ありがとう!
こういう本がもっと出てほしいなぁ。
中村先生がまだご存命であれば、日本刀否定派の連中の数も、今とは少しは違ったかもね。
斬ることに懸けてた人だから、トンデモ説をバンバン訂正してたかも。
中村先生って初めて試斬に畳表を用いた人だよね、確か。
一度はお話をしてみたかった、地元だからw
また珍説の登場。3回に分けます。
歴史ドラマの大ウソ/大野敏明(1/3)
「日本刀というものは柄と刀身を目釘で支えているので、2、3人も斬れば目釘ががたついて、刀身がぐらぐらになり、物を斬ることはできなくなる。
明治時代に作られた「月下の陣」という歌にも「刀の目釘つづくまで(略)花々しくぞ戦わん」とあり、目釘が続かなくなれば戦えなくなると認めているのである。
物を斬らなくとも目釘はぐらつく。
真剣であれ、居合い刀であれ、振ったことのある人なら分かる話だが、刀を素振りすれば、そのうちに目釘がぐらついてくる。
一対一の果たし合いならともかく、日本刀は合戦には向いていないのである。」
ごめん、二回で収まったw
歴史ドラマの大ウソ/大野敏明
「時代劇では、相手を斬ってもなぜか血糊がつくことはない。
こちらの服はきれいなまま。
しかし、現実には返り血は浴びるし、その血が目に入れば目が見えなくなるし、刀を握る手は血糊でべとべとになり、柄を握ることもできなくなる。
いかに剣の達人でも、返り血を浴びないで人を斬ることはできないから、せいぜい1人、2人を斬るのが関の山なのである。」
「さらにいわせてもらえば、斬り合っている相手は服を着ているので、服の上から致命傷を与えることは極めて難しい。
頭をたたくか、首を斬るか、腹を刺すか、足を払って倒したうえでとどめを刺すか、とにかく一刀のもとに斬って捨てるなどというのは神技に属する。
要するに服の上から一刀のもとに斬って倒すことは不可能なのである。」
「何人もの敵を相手に立ち回りを演じるのが、時代劇のヒーローではあるが、3人も斬れば本人はくたくた。
目釘は外れ、刀は血糊と刃こぼれで、使い物にならず、あとは逃げるだけである。
一度、そういうリアリティーのある時代劇を見てみたいものだ。」
ファンタジー歴史ドラマより酷い大野敏明の大ウソ/俺
この手のチンドン屋の法螺は学問処か豆知識としても使い物にならず
資料を挙げて反論すると、あとは逃げるだけである。
一度、まともなリアリティーある新説を見てみたいものだ。
167 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 18:12:14.47
すごいな。最初から最後までツッコミ所しかないや
フロイス『日本史』
第八一章 「主が会の一司祭を通じて、古河、日見、長与の諸城、および他の地方であげ給うた成果について」より
伊佐早の領主である家晴と称する異教徒の殿が三人の家臣を殺すように命じた。しかも〔聞くところによれば〕
何らの理由も裁きもないままであった。刑の執行は、勇気の誉れ高い五人の兵士に託された。
兵士たちは処刑することになった三人を逮捕し、両手を後ろ手に縛りあげ、ただちに二人の首を刎ねた。
それは浜辺に沿ったタインと呼ばれる漁村で行われた。
(兵士たちが)三番目の処刑を終えようとすると、(受刑者の)男は少しも気負ったところがなく、また勇気ある様子を
示すこともなく、むしろ信心深い言葉と、悲しげな表情をしながら次のように乞うた。
「どうあっても死なねばなりませぬからには、(武士の)情けと憐れみから、せめて両手を前に括っていただきたい。
そうすれば(縛られてはいても)両手をあわせて、私を救って下さる仏様や神様を目の前でよりよく拝むことができましょうから」と。
その囚人は別に武器を携えていたわけでもなく、兵士たちは彼を恐れる何ものも見出さなかったので不憫に思って
その願いを聞き入れた。
兵士の一人が彼の両手(の紐)を解いて、それを前で縛ろうとした時に、囚人は驚くばかりの迅速さと身軽さで
自分を縛ろうとしていた兵士に襲いかかり、彼の太刀を鞘から抜き取るやいなや一撃のもとに相手の首を切断した。
四人(の兵士)は、このあまりにも突然で考えも及ばなかった出来事に仰天し、抜刀して、やはり相手に近づきながら
彼が逃げられぬように包囲した。だが彼は腕利きであり勇者でもあって、一人一人を倒していき、自らは掠り傷一つ
負うことなくついに相手をみんな殺してしまった。
彼は五人がいずれもそこで殪れたのを見届け、新たにせめて来る者がいないことを確かめると、刀を収める鞘を
持っていなかったので、抜身を手にさげたまま海辺の道を遁走した。
169 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 18:24:47.00
>日本刀というのは柄と刀身を目釘で支えているので
違うw
目釘はあくまで中心を決めておくもので、刀身を支えているのは柄全体。
>2、3人も斬れば目釘ががたついて
それは中古の目釘か?w
>「刀の目釘つづくまで(略)花々しくぞ戦わん」とあり、目釘が続かなくなれば戦えなくなると認めているのである。
2、3人でがたつくとは書いてないけどなw
>その血が目に入れば見えなくなるし
シャワーのごとく血が噴き出なければ、そうそう目なんて小さなとこには入るまいw
>刀を握る手は血糊でべとべとになり、柄を握ることもできなくなる
問題なく握れるw
しっかり握ってれば、手のひらのほうまでドバドバ血が入ってくるなんてないだろ。
>せいぜい1人、2人を斬るのが関の山なのである。
その人数の勘定はどこから出てきたw
しかも堂々と断言して結んでいる。
ちなみに伊東一刀斎は一振の刀で連続して7人を斬っている。
>服の上から致命傷を与えることは極めて難しい。
いけますw死体を七体重ねて真っ二つにした刀もあるし(関兼房作)
相手はどんだけ強靭な服を着ているのかw
>3人も斬れば本人はくたくた。
個人の体力如何によるw
みんな、素敵なツッコミをありがとうww
ちなみにこの大野たん、本の最後に「一人の時はどうか分からないが、武士は人前で表情を見せなかった」「武士は人前で笑わなかった」「歯を見せて笑うなんてもってのほかだった」とも記している。
中岡慎太郎の現存する写真なんか、見事に完璧な笑顔なんだけどもwww
大野さんが
>>168の報告を見たら「宣教師は日本を神秘化するので信用できない」とか
言うのかなw
血糊理論、刀に付着した程度の血で切れなくなるなら
一人目でもばっさり切ることはできんだろう
相手は付着ってレベルじゃなく血や脂肪の詰まった塊なんだから
日本刀は折れない
世の刀剣家の十人が十人まで「こうした刀はこれこれだから必ず折れる。」
と、半ば断定的に云ったり書いたりしている。
俗にいう昭和刀と呼ばれる刀などは、
折れるために作られたかのようにさえ云っている。
かの『刀剣実用論』を書いた水心子正秀さえもが、
やれ河内守国助が敷居に刀の背を打ちつけただけで折れたとか、
井上國貞と越後守包貞とを棟と棟とで叩き合わせただけで、けもなく折れたとか、
その他さまざまな実例を挙げている。
こうした事を聞いたり読んだりしていると、何も知らない人々には
「刀というものの大部分は相当に折れるもの」という意識が生じて来て、
それが更に“日本刀は油断のならぬもの”という危惧となり、
刀に絶対的な信頼が置けなくなってくる。
はたしてしかるかどうか。
自分は弾丸雨下の第一線において、幾多の血刀を手がけたのであるが、
「刀というものは新古現代を問わず容易に折損せぬものである。」という確信を得た。
これらの事は詳細な統計として軍に報告し、各部隊の戦況と軍刀破損の状態等も
統計に現したのであるが、それらは今のところ全部を発表する自由を有しない。
この二千振近い破損刀の中に、戦って折れたものは一振もなく、
また派遣出張三十二部隊の中で、さいわいにも戦って折れた事を
一回も耳にしなかった事は、日本刀本来の面目のためにまことに
欣快(きんかい)な事であった。
日本刀の折損は上海方面に一二あったと聞いたが、
全支の皇軍中にもそう多くはなかった事と思われる。
ただし、酔っぱらった勢いで鉄や石を試切りしたり、
いきなり立木に切りつけて折ったりしたものは、二三見たり聞いたりした。
内地出発の際には、折損も相当にあるだろうとの見越から、
万一の場合には磨上げの出来るようにと、
小型グラインダーや穿孔具(せんこうぐ)やらを用意して行ったのであるが、
切っ先を若干欠けたのをそれで修理したのみであった。
折れのなかったかわりに刃こぼれは相当にあった。
切っ先の五分ほど欠けたのは大場部隊某軍曹所持の新刀無銘物で、
その箇所の焼きが特に深かったので、磨って刃をつけても
なおかつ一分ほどの焼きが残っていた。
切っ先が折れても更に刃のつけられるように、
特にこの部分の焼きを深くしたものがあるとはかねて聞いていたが、
実際にあたってみて、こうした事も経験から来たものだろうとさとった。
焼き詰めの細い刃も刃こぼれや切先の折れを防ぐ為だと聞いたが、
それも事実で、切っ先五分位が急角度も曲がって刃の助かったのも見た。
これらも経験から来たものであろう。
最大の刃こぼれは、前野部隊某少尉のこれも無銘新刀で、
切っ先より六寸二分のところ、こぼれた幅は八分五厘、
深さ一分六厘の弧形をなし、かなり錵(にえ)の荒い焼き幅二分五厘ほどの
直刃(すぐは)で、物打(ものうち)あたりの焼き幅は三分五厘ほどあった。
少尉はこの刀で乱戦して敵を十数人斬り、
最後の一人を突切りにした時できた疵だといっていた。
これは、欠け口に従って弧形の急な片刃をつけて
一時の戦いに間に合うだけの修理をした。
焼き巾の広い華やかな、そして焼き刃の硬い刀、
これは昔からいわれているごとく戦陣には禁物と思われる。
ただし前にも述べた通り、刃こぼれが出来ても、応急に凹んだままで
刃をつける事は容易だが、戦闘中に勿論そんな事は出来ない。
焼き巾三分以上もある荒錵の新刀新々刀には、大きな刃こぼれがつきものであった。
物打ちあたりに、豆粒大の刃こぼれが二つか三つも出来れば、
誰でもその刀に不安を感じてくる。大きな刃こぼれは戦う者にとっては最も禁物で、
敵中深く入った場合には、かなり士気を沮喪(そそう)する。
細直刃(ほそすぐは)中直刃(なかすぐは)、その他一たいに焼き巾がせまく、
そのうえ匂(におい)出来のもの、世間でよくいう焼きの甘そうな刀、
ねむそうだといわれる刀には刃こぼれは少なく、しかもよく切れるものがある。
そうした点では古刀は断然よい。新刀でも肥前刀あたりには、
その規格があてはまったものがある。
次の実例は、やや極端かも知れぬが、開封入城の二三日後、
今村部隊の菰原という上等兵(この人は大分警察署の署員で剣道家)が、
出征の時同地武徳会の剣道教士古賀先生から餞別として日本刀一振を贈られた。
その刀が刃まくれしたから見てくれとの事であった。
古賀先生は自分も面識があり、武用刀の研究者であり愛刀家であるが、
その刀は所謂ねむい刀で、火が入ったのではないかとさえ思われるものであったが、
これで相当敵を斬り切れ味がよかったと話した。
事実柄折れのするくらい戦い抜いたもので、刃も曲がり二三ケ所
刃まくれを来していた。
試みに鑢(やすり)をかけて見ると、多少受けつけるほどであった。
いかにも武術家の選んだらしい刀として、
他の荒錵のボロボロこぼれた刀と比較して考えさせられた事であった。
こうしたところに日本刀の強靭さの根拠があるのではないだろうかという事は、
昔源頼朝が、激戦中にその刀がササラのようになり所々刃まくれしたので、
自ら小刀でその部分を削って再び戦った事が
『平治物語』に出ている事と思い合わせられるからである。
同じ日に、横山部隊の鴨志田という曹長が、兼門の銘のある、
これもごく刃の柔軟な刀で、ある激戦に十四人を斬ったが、
刀がわずか左へ曲がっただけで他に故障がなかったのも、
首をひねった事のひとつであった。
こうした実例は沢山あった。
よく戦えた刀、そして刀身に損傷が少なかった刀、
それは例外なく古刀であるか、しからずんばしなッとした軟らかい感じで
弾力のある新刀であった事、これらの刀には刃こぼれが少なく、
出来ても極めて小さかった事等は、
自分の経験の範囲内における犯しがたい事実であった。
こうした事から用鉄の種類、焼き入れの火加減水加減、焼き戻しの度合、
全体の硬度、と軍用刀との関係が色々と考えさせられた。
「折れず曲がらず、これを名刀という」
これも刀剣家十人が十人口をそろえていう言葉である。
この歴史ドラマ〜の著者の大野くん
「NHKの坂の上の雲ではこう描写されていたが、時代考証をするとこうでなければおかしい」
とか
「人気時代劇の暴れん坊将軍ではこう描かれていたが、当時の風俗を考えると、こうであるはずだ」
とか、色々ツッコミを書いてんだけど、それらの中には、ほほぅ…と思える箇所もあるのだよ。
例えば、最初に挙げた坂の上の雲なんかでは
“真之が、東京に旅立つ子規を見送る際、子規に対して「東京で勉強サボってたらいかんぞな」というセリフがあるが、あの時代に「サボる」という言葉があるだろうか?
サボるとは、英語のサボタージュを語源にする言葉なので、この言葉が出来たのはもっと後のはずだ”
とかツッコミを入れてる。
ただ、あの日本刀論が素晴らしすぎるあまり、それら全てが忘却の彼方に消し飛ぶwww
179 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 19:47:32.05
大野というやつは血が苦手なんだろうなww
血が!血が!って騒ぎすぎだwww
>>165 あまりに稚拙な理屈なので思わず書庫から昔の雑誌掘り出してきたわ。
月刊秘伝1998年4月号
中国戦線で実戦を経験した佐川博男居合道範士九段のインタビューから抜粋。
「よくドラマなどで人を斬った刀や全身に返り血を浴びるようなシーンがありますが、
私の場合にはそんなことはありませんでした。
他の人はどうだったかは分かりませんが、五、六人斬った後でも胸元や腹部に
インクのしみがポツンポツンとついた程度のものでした。
刀に限らず刃物などで瞬間的に斬ると、血は少し間をおいて出てくるのです」
181 :
日本@名無史さん:2012/07/09(月) 23:23:33.34
深々と突いた場合は柄にまで血が垂れて来るだろうけど、
それだって噴出してくるわけじゃないしねえ。
182 :
日本@名無史さん:2012/07/10(火) 01:45:11.04
ていうか、脈を正確に狙わない限り血がドバーなんてことなくね?
動脈切っても一瞬はピュッとなるけど
そんな返り血で真っ赤になるほどドバドバ出血してたら数分で死んじゃうはw
>>180 素晴らしい情報をありがとう!
実際はそんなもんなのかぁ…いわゆる暴力シーンがあるテレビゲームも、リアルに作ろうとしたら意外と地味なのかもねw
>>182 >>183 ドバーと血が出るなんて、目一杯に血を入れてパンパンに膨らんだ風船を斬ったりしなけりゃならなそうだよね。
斬首したら頸動脈からブシューッ!と血が噴き出すというけど、本当なんだろうか。
本当だとしたら、それこそ噴水みたいにブシューッ!と出るのか、それとも心臓の鼓動に合わせてブシュ!ブシュ!と出るのか、素朴な疑問。
斬首の際の詳細な記録とかないのかな。
185 :
日本@名無史さん:2012/07/10(火) 07:40:35.18
【大野敏明史観を疑う】スレを立てたいぐらいだな
突っ込みどころがたくさんありそうだ
187 :
日本@名無史さん:2012/07/10(火) 14:38:31.79
>>150 鎧とか兵力とか軍事力に関してもそうだよね。
元々は「日本の鎧なんて隙間だらけで役に立たない」とか
「日本の戦いなんて海外と比べたら規模がショボすぎ」とか
「戦国オールスターでも朝鮮にボコられた武士ショボすぎ」とか
そういう無知な意見に対するカウンターだったんだけどね。
>>184 絵巻物なんかだとよくドバーってなってるね。
有名なのだと大化の改新で蘇我入鹿がマミってる奴。
やっぱ誇張で派手さ重視になっちゃうんだろうなあ
189 :
日本@名無史さん:2012/07/10(火) 16:18:46.91
>>187 あと「日本の城なんて投石機と火矢で簡単に落ちる(キリッ」とかなw
190 :
日本@名無史さん:2012/07/10(火) 23:02:18.14
倭城の堅固さについてご存じない方は多いね。
当時の大砲でカンタンに落ちるとか思っちゃってる。
秀吉軍が朝鮮の大陸式の城壁を備えた城に籠城した際も、わざわざ日本式城郭(倭城)を建て増しして、そこで戦っています
攻城のための兵器やノウハウが充実した明も倭城は攻略できませんでした
192 :
日本@名無史さん:2012/07/11(水) 00:05:48.21
そりゃ日本の城=天守閣もしくは中世の木造の柵と館だけ
ってイメージで語るお馬鹿さんが多いからでしょう。
そうじゃない、郭と堀と傾斜の急な塁を幾重にも合わせた縦深性こそが日本の防御拠点の真骨頂なのに。
大阪城なんて現在の大阪市の領域の三分の一くらい含んでたしな。
>>186 勉強になりますなぁ。
介錯人さんもプロって感じがしますな。
映画とかはやっぱり噴き出しすぎですなw
激しい戦闘で心拍200近い状態でばっさりいかれたらどれくらい変わるかな
映画の演出に関しては、クロサワ映画の舞台裏的な本に色々書いてあったような。
197 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:07:36.48
鈴木儲ってわけじゃないんだが、戦場では日本刀(薙刀、大太刀長巻除く)は2,3人しか殺せない気がしてきた。
だってそれを使うのは大抵戦の終盤で相手は必死で逃げたり死にもの狂いで抵抗したりして来るし防具を付けてる。
だからよほどの達人でもない限り2,3人殺ってる間に戦闘そのものが終了しているか自分が死体になってるかで
千歩譲って数人しか切れなかったとしても意外に気にしなそう・・・。
まあ、海外の刀剣(大型の物は除く)にも言えそうだが。
198 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:19:10.16
実際問題、乱戦状態で何人切れようがあまり関係ないとは言えるが
199 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:21:54.99
そもそもな話、近代以前の戦闘じゃどんな得物使おうが
敵を3人も殺せるような奴は十分剛の者だろ。
ましてやそれが白兵戦なら尚更のことだ。
200 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:41:28.47
ゲーム脳の武器愛好家と自覚している俺は一人で何人も切りまくる妄想で癒されたい
飛び道具は無い、鎧兜は日本刀でバッサリ、アムロレイ状態がベース
離れた距離から礫や弓で攻撃しても日本刀の達人達は50メートルの間合いなんて一瞬で詰めて切り倒す
次の弓を射るまでに日本刀が射手を殲滅する
そんな妄想が好き
夜寝付くまでそんな事を妄想しながらヒーローの自分に酔う
ぶっちゃけみんな俺と似たようなもんだろ
201 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 21:50:44.05
黙って別のスレに行けよ。
一瞬て具体的に何秒なんだろう
203 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 22:25:20.16
>>202 50メートルを最速で走れば5秒5ぐらい
つまり本当に次の矢を放つまでに倒せてしまう
昔の人は常に肉体を鍛え山道を歩いていたから現代人よりも動物的には早いらしい
現代歩兵だとフル装備では速力40%までダウン
205 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 22:35:47.48
江戸時代の資料なんかだと忍者とかは現代人をはるかに上回る身体能力を持っていたような記述がある
真田とか武田の忍者のようなエリート集団だと生まれたときから鍛錬している場合が殆んどだから並じゃないのも当然
現代人はデスクワークのリーマンなのか空挺レンジャーみたいな連中なのか
207 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 23:05:29.23
武士=特殊部隊
農民=サラリーマン
戦闘のプロをなめてはいけない
208 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 23:12:53.52
どっかに昔の日本人はなんば歩きだから速く動けない。
現代人や外国人が走ってるのを見ると昔の日本人にはきっと超人に見えるだろうね
だなんていう珍説ぶっこいてる奴をネットで見かけたことがある
>>205 そういや「忍者はいませんでした」とか「忍者は諜報活動がメインで、戦ったりはしませんでした」なんてたわけた文も最近は知恵袋なんかでよく見掛ける。
鈎の陣では陣地に忍び込んで将軍に手傷を負わせたりしてたのにな。
この話は誰が発祥なんだろう。
210 :
日本@名無史さん:2012/07/13(金) 09:31:12.41
>>209 「アニメで見るような、巻物くわえてドロンな忍者ではなかった」なら分かるんだけどなw
忍者は戦わなかった説は何か違うよなw
140 名前:名無しさんの野望[sage] 投稿日:2012/07/13(金) 03:11:43.73 ID:6iSuSrZd
でも鎧って実際は武将くらすのごく一部しか着てないけどな日本じゃ
それも実用性のためじゃなくシンボルとしての意味合いが大きい
山間部が多く湿気が多いっていう地域特性のせい
合戦で着られるとしても一般兵は着てても竹をいくつか並べた前掛け 大半は何もつけてない
だから鎧云々で〜っていうのはちょと違う
合戦じゃ前衛のメインは槍だし刀なんて江戸時代以降の飾りみたいなもんだろ
単にリーチと挙動の素早さから突きが有効な選択だったっていう
鈴木も混ざってるけど鎧の話はどこから来たのか
213 :
日本@名無史さん:2012/07/13(金) 13:03:09.70
どこのスレだよ
>>211 大和朝廷以前の時代ですら竹の前掛は装備してなかったのになww
堅木の一枚胴は着けてたけど
13世紀末の対元軍で強度より切れ味ってことで薄い刀身が流行ったが
元寇の脅威が終わるとまた厚みを増して頑強な刀に戻った
大半は何も付けてない日本の国内紛争よりもやわな元軍の装備ってなんなんだろうw
戻ってないよ。そのまま南北朝に突入してるから。
三国志で孔明が祈祷して東南の風を吹かせることに成功する
日本でも元軍撃退の祈祷をして成功したと幕府から認められたという寺が本当に存在する
神社系じゃなくて寺なの?
寺社とも蒙古退散の祈祷をしてるよ。
神仏習合はもう始まってるし。
神仏習合は関係ないだろ
寺の祈祷なんか奈良時代には既にやってるぞ
平安時代にはずいぶんさかんになってるが
八幡がいろいろ吹いてるけど認められたのは寺なの?
天皇家も幕府もこの時代は仏教徒だったからな
天皇家って神道だと思っている人がいるけど欽明天皇が仏教を導入して以降は神道を蔑ろにしている
国家行事で大仏造ったり聖徳太子は仏法僧を敬えと法制化したり聖武天皇は行基に弟子入りして下級僧侶になったりする
法皇を名乗り剃髪する院、政治の顧問に僧侶を選ぶ、神風の勲功が寺が認められるのも自然で違和感は無い
てことは順序逆で寺に功を持って行かれたからこそ白装束がどうたらとか光の柱がうんたらとか
吹く必要があったのかもしれんな
このスレなんかマッタリした談笑スレになってるな。
もっとギスギスした感じで「会話なんかしねえ!全否定だ!」が一変した。
一行レスの質問形式で会話を引き出している君!あんた聞き上手だね。
職業は営業マンか?
225 :
日本@名無史さん:2012/07/14(土) 20:29:48.30
>>212 うろ覚えだけど知恵袋だったか忘れたけど、質問者が「海外の番組だか人だかで日本の鎧は、木、布、紙で出来てる・・・」
って書き込みをしていたのを思い出した。
226 :
日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:34:22.50
>>225 確か16世紀に来た外国人が一人そんな感じの記録残したから
海外でこの俗説信じてる奴多いのは多分そこから広まったんだろうな。
尤も日本人でこれ信じてる奴には一回博物館や神社で実物見てこいと言いたくなるが。
実際、革製や紙製や木製の鎧ある。
全部、漆を塗るから見た目には変わらんけど。
雑兵はだいたい革製。でも矢弾に対する防御は鉄製に劣らない。
和紙には布みたいに丈夫なやつがあって、それを何枚も糊で固めて漆を塗ると、革製より丈夫な物が出来る。
実際、律令時代は鉄の鎧(挂甲とか短甲)が基本だったものの、あっという間に
錆びてしまうために維持費がものすごいかかるので、革甲がメインになった。
ただ、既存の鉄の鎧は維持するようにという命令が出ていたりする。
>>186 拡大して良く見てみなよ。
どう見ても噴出している。
革や和紙の鎧もあったけど、南北朝時代には鉄がメインになってなかった?
>>212 縅部分とか面とか見れば木や布は使うんだよ
当世具足は戦国時代以降だけれど大鎧の小札も鉄の板と革を貼り合せて
漆で固めたものだから平安時代から鉄がメインとも言えるのでは。
233 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 00:10:44.76
鉄の話になると今度は「僅かな砂鉄しか取れなかった日本で質、量ともに十分な鋼の武器を用意出来るわけがない」
と言い出す奴もいるな
前田慶次の逸話に鎧を着て軽々と動くので皆が感心した後で調べてみると紙の鎧を着てた、ってのがある。
慶次郎の逸話は江戸期成立だろうから、少なくとも江戸時代には紙の鎧は一般的なものじゃなかったんだろうね
235 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 01:49:00.62
>>233 日明貿易や朱印船貿易で鉄が主要輸出品目だったのは一体何だったのか。
そもそも日本で砂鉄しか取れないって話自体が俗説で
東日本を中心に普通に鉄鉱石も多く産出してたよな
平安時代も革製が主流
大鎧も胸の部分など一部が鉄の小札で他は革の小札だったりする
時代が進むにつれ鉄の割合が増えてくる
でも下っぱは革製が主流
小札が鉄だろうが革だろうが、漆を塗って紐を通せば絵的に違いはない
戦国時代でも革製の胴丸は珍しくない
ソースは?
238 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 08:08:18.87
珍しくないというからにはたくさんの例が出されるんだろうね。
期待して待つわ。
鎧を紹介してる本を何冊か当たってみろよ
甲冑好きにとっては別に珍しい話じゃないからw
鎧が全部鉄で出来てるとか本気で思ってる人いんの?
テレビドラマの弊害か?
ちっとはテメーで努力しろや
金魚みたいに口パクパクさせて餌待ってるだけが能かよ
平安時代の木製武具は員数合わせのための張りぼて的な何か
どっかで出土した漆塗り木製兜は水桶として転用されていた
まあ鉄は保守点検がめんどいから規定された軍を維持するだけのお仕事となると手抜きもする
一方皮の方は、皮の柔軟な強さと多層に塗り込んだ漆による表面硬化を利用した複合装甲で
十分に矢を止めるだけの強さがあったみたいね
300Nの力をかけ続けないと針が通らんとかどっかで見た
弩を復元して威力を試したら、木板や鉄板には刺さったのに牛革だけは突抜なかった
革を舐めてはいけない
牛革に刺さんないんなら人皮にも刺さらないってこと?
どんな発想だw
日本甲冑史[上巻]の平安期の甲冑の項には、甲冑用の小札には革製と鉄製があり、胸や腹など重要部分を鉄小札で威し、他を革小札にして重量軽減を図っている。
鎌倉・室町期になると鉄小札の使用量が増え、室町中期には、ほとんど全面が鉄小札というような甲冑も出現していく。袖や兜のしころは全面革小札。とある。
図説・戦国甲冑集には、足軽具足の素材は鉄・革・和紙とあるな。
まず裸になります
漆を塗ります
乾かします
乾いたらまた漆を塗ります
後は次の戦があるまでそのまま漆裸のまま待機です
249 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 16:19:20.14
他の文明国が焼き戻しで強化した鋼鉄の鎧が
一般兵にまで普及してた時代に一部除いて革や紙の鎧とかwwww
ジャップしょぼすぎ。
実際朝鮮出兵でも明の精鋭軍の鎧には手も足も出なかった記録が残ってるな
現存するものは鉄製が多い(神社に奉納したり名家が所有していたりして今日に伝わっているので、自然と豪華で気合の入った物が残りやすい)けど、文献上の記録では結構革製の鎧が多いと、昔読んだな
昔過ぎてタイトルも著者も覚えてねーけど
弓矢と刀剣って本にも牛の生革を叩き固めたいため革による革札を主体とし、とある。
>>249 その時代なら日本も鉄砲持ってるの手も足も出ないって明軍凄いな
現存している胴丸は胴が鉄で草摺は革ってパターンが多い
面白いのが、全面革と全面鉄と胴鉄草摺革の胴丸で重量に大差がない(だいたいが4s前後)
革のは厚くて、鉄のは薄いんだろうね、きっと
イメージ的には矢弾に強い革製、斬撃打撃に強い鉄製って感じがする
254 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 17:24:04.76
4kgって、胴丸鎧ってそんなに軽かったの?
フル装備で20kg越すんならもっと重量ありそうに思うんだが。
大鎧は牛革と鉄を重ねあわせてたから総重量が40kgもあったんだろうな。
宣教師「ほう、日本では鎧の材料に木とか紙とか布も使うんですね」
後世の日本人「馬鹿にしやがって!木だけでつくるの鎧とか紙だけでつくる鎧なんかねえよ!」
こんな事だろ、国語力のある人なら解るよな
256 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:14:23.66
紙製の鎧なら明の水軍あたりでも使われていたがな>紙甲
紙と言っても現代の工業製品と違って繊維が太く長く丈夫なもの
そもそも古代遺跡から見つかった「紙」の遺物は靴とかそういう衣食住の衣関係
糸へんの文字なのはそういうことだと気付いてほしい
ラストサムライの美術さんで鎧担当してた人が、西洋の甲冑は単一の素材で作られていてシンプルだが、日本の甲冑は鋼に銅に革に布にと様々な素材が使われていて複雑だと言っていたな
259 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:37:59.96
>>256 太刀が1kg前後、弓矢一式で数kg、小具足も数kgと考えると総重量で30kgちょいってとこか。
260 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:39:59.71
>>257 そもそも普通の紙でも和紙をはじめ東洋の紙は頑丈だしね。
>>249 嘘つけ。日本軍が怖くて総鉄製の鎧作ったら重くて動けなくなったって記録だろうが。
朝鮮王が通信史に日本の紙は大変丈夫なので、製法を学んで来なさいと命じた記録があるらしい
実際に学んだかどうかは知らんが
雑巾みたいに濡らして絞っても平気な江戸時代の和紙をNHKで見た事ある
マジで布並の丈夫さ
263 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:06:10.03
264 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:07:53.99
>>249 その明の精鋭軍が以下のように報告される目に遭うってことは
程度問題で、朝鮮の物よりは堅牢だった程度じゃないのかな?
柳成竜『懲録』
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
266 :
日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:46:15.89
明の精鋭軍の提督は日本の精鋭と戦った後で随分と態度が変わったみたいですね。
柳成竜『懲録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。
小札で鎧つくるの面倒そうなんだが、コートオブプレートの系統に行かなかったのってなんでだろ
西洋でもラメラアーマーとかスケールアーマーとか手間かかりすぎじゃね?ってのあるけど
リュック・ベッソンのジャンヌダルク見て思った
リアルにプレートアーマーを着た者同士が戦ったら、お互い相手に致命傷あたえられずにグダグタな泥試合になりそう
そらそうだ。
ヨーロッパの戦争なんて、人質取って身代金もらってナンボだからな。
日本と違って本気で殺し合いはせんよ。
270 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:26:48.64
本屋で見かけたから新書 鈴木眞哉『NHK歴史番組を斬る!』洋泉社 買った。
「確かにな」と肯ける内容で面白かった。でも虚飾された創造の歴史に染まっている人は反発したくなるだろうと思った。
嘘でも心地よい物語の方を守りたくなる。真実の歴史は案外平凡で当たり前の繰り返し。
271 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 11:30:47.58
大野なんとかと同じようなこと始めてんのか。
どうせ大した新ネタもないだろうし。
おいおい虚飾とはったりの効いたキャッチコピーが売りの鈴木先生に対して平凡だと?
273 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:29:04.95
>>269 中世〜近世まで一貫して一度の会戦で出る死傷者の割合は日本のが低いんだけど。
274 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 12:42:28.89
>>273 日本の場合死傷者の割合ってのは何でわかるんですか?
一貫してというくらいだからちゃんと裏を取ってあるんでしょうし
期待してますよ。
百年戦争も容赦ないし、スイス槍兵がらみもガチの殺戮するし
マスケットの戦列歩兵による至近距離での撃ち合いは加減なんかできんしで
西洋も田舎貴族同士の争いとかじゃなければガチガチの殺し合いが大半だろ
276 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 13:12:06.92
イングランド史上最も凄惨な戦いであるタウトンの戦いでは
両軍合わせて七万のうち、二万が死んだとされてるが
日本国内だと一番凄惨だった野戦はなんだろうか?
唐入りだとしばしば野戦で敵を壊滅させてるんだけどね。
日本の戦国の場合は雑兵まで含めた殲滅戦は必要ないからな
大名に力が無いとなれば鞍替えしてくるから
日本は近代になるまで海外との交戦経験に乏しかった
国内の内戦では個人の大名が統率できる数に限りがある
天下分け目と言われた関ヶ原すら
何もせずに様子見する大名が続出した
戦国時代を通じてみれば戦死者はそこそこいただろうけどね
279 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 14:32:41.05
あれ、一貫して少ないという割に日本側の死傷者の割合やその根拠が
一向に出てこないなあ。どうしてだろうか?
280 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 14:35:07.99
動員兵力の規模なら世界的に見てもかなり多い方なんだけどね
281 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 15:32:38.50
で、死傷率の根拠の方はどうなってますか?
282 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:41:17.82
今までの日本史
「勘助、啄木鳥の計だ!」
「なんの宇佐美、ここで車掛りだ!」
「人間50年〜奇襲であるぞ!」
「うほほ、小六よ一夜城完成じゃあ!」
「突っ込め!我等戦国最強騎馬隊じゃあ!」
「今だ、殲滅せよ三段撃ちであるぞ」
抜刀し切り結ぶ兵士達、智謀奇策を駆使する軍師達、天下を争う群雄に闇で働く忍者達、十勇士も忘れずに
これが今までの歴史
それを鈴木曰く「虚構です」「一般的な布陣、単なる遭遇戦」
「名和弓雄氏の実験では」「人口に対して死者が多過ぎると編成が」
「太田牛一の資料では」「死傷者を抑えて、なるべくなら戦わずに」
雑賀衆だけは持上げるんですよね、鈴木先生
戦国最強の傭兵集団!って
284 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 19:02:25.44
この人は伊賀者や甲賀者いわゆる「忍び」を腐すのにも熱心だけど、
なんか含むものでもあんのかね?
もうちょい具体的な事書いてくれないと議論の叩き台にもならんよね
>>282 異常にレベルの低い「今までの日本史」を想定して、それを批判訂正するレベルの低いやり方だが
『NHK歴史番組を斬る!』ってタイトルならそれでもいいのかな
ドラマでは大鎧とか当世具足を着けた人の腹を刀で撫で斬りにしてて、オイオイそんな簡単に殺されるとか、何のための鎧なんだよ!動きやすい分、裸の方がマシじゃないかよ、あ、でもテレビだし別にいっかw
って消防の頃から思ってました
288 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 01:06:41.52
>>281 薔薇戦争とか百年戦争とか八十年戦争とかヨーロッパの戦い色々とググってみ。
てか少しは海外の戦史も調べてみ。
日本の合戦がのんびりした小競り合いだったのがよくわかるから。
規模はでかいしのんびりもしてないがな
終わらせ片が違うだけで
ていうか、日露戦争ですら被害が大きい時で双方とも
全軍の2割程度の死者なんだし近代以前の戦闘なんて
戦死者が少ない方が普通じゃねえの?
密集陣形で戦うから包囲された場合に圧死も含めて酷いことになりやすい西洋の戦争だと
相手が殲滅する気だと本当にぶっ殺されまくる
ハンニバルの頃からの伝統
292 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 08:16:21.60
>>281 だから俺はそんな比較なんてどうでもいいのよ。
一貫して少ないと言ったからには日本の戦争の死傷率というのを
把握していなければ不可能なわけで、その死傷率を何から割り出しているのかを
知りたい。
さ、もったいぶってないで早く書きなよ。
印象論でテキトーぶっこいただけだろ
だいたい合ってるとは思うがソースは出まいて
>>288 百年戦争や八十年戦争とか、ググらんでものんびりしてるのはわかるな。
「いつまでやってんだよ」
ってw
そもそも損耗率が高いと戦闘で勝っても戦略的にはボロボロになる
むしろ一度の会戦での損耗率が高いのをその地域の戦術レベルが高いみたいに語る風潮はどうなのよ?
ハンニバルはアフリカンだけどな
298 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 18:18:51.17
>>291 殲滅されたのはヨーロッパ人だぞ。その頃からの伝統って意味だよクソが。
何怒ってるんだろう
300 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:10:43.89
今「今夜はヒストリー」みてるけど
番組冒頭は「桶狭間」。奇襲しちゃってます。
301 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 19:13:54.98
「今夜はヒストリー」解説の専門家は「加来耕三」司会は関口宏とオセロ松島加来
>>288 薔薇戦争とか百年戦争とか八十年戦争を少しは調べた方がいいよ
日本の合戦に比べると物凄くのんびりしてるから
今夜はヒストリーを見てやってきたニワカです
信長は今川義元が桶狭間山に居る事を事前に知り本陣を急襲して勝利し、義元の居場所の情報をもたらした者に報奨を与えた、との事ですが、嘘なんですか?
304 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 20:29:51.86
>>303 吉川英治、司馬遼太郎、戦国無双のコーエーなどが認めている立派な歴史です。
もっと解りやすくお願いします
室町時代、主に戦国時代の日本の人口は1800万人
都市 京都100,000人(1500年) 春日山30,000人(1570年)
岐阜10,000人(1569年) 清洲7,500人(1580年代)
国 山城 推定23万人 相模国19万人 駿河国15万人
越前 推定50万人 尾張推定57万人
総人口50万人の国 朝倉家 軍を編成する場合
女性を除くと25万人 年齢区分で0〜10歳まで除くと20万人
朝倉家が10歳以上の男子全てを兵士にした場合で最大数が20万人
普通に見積もれば20%の4万人が動員兵力、総力挙げての動員で50%の10万人
もしも戦闘で1万人死者が出たら朝倉家でさえ立て直すのに時間がかかる
壮絶な戦闘なんか連発できる大名は立て直し時期に攻撃を受けない天下人ぐらい
307 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:18:02.77
中世〜戦国の合戦珍説総合スレみたいになってきたな。
鈴木師匠が手広くやってるからしかたない
309 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 23:00:08.71
>>307 大分前からそういうスレだと認識してるがw
>>309他
鈴木センセ自身からして、珍説大集合だからしかたにいんだよなあ。
311 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 23:43:17.97
鈴木大師匠が核になって珍説を寄せ集めたスレだな。
鉄砲三段撃とか信長の桶狭間奇襲戦は
あったの方が珍説?
なかったの方が珍説?
このスレには歴史に詳しい人は居ませんよ
>>312 三段撃ちはあった、ただ別に画期的ではないし効能もちょっと。
奇襲はあった説のが有力、無かった説の中身は不合理、売名。
>>314 三交代射撃はあっただろうが、一斉射撃がなかった以上、三段撃ちは無理だろう。
316 :
日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:28:12.74
>>314 封建的で統率の取れてない軍隊が普通だった日本においては
一斉射撃に限らず諸外国に前例があってもそれらの戦術をとるのはまず不可能。
一方鈴木師匠大好きの雑賀衆は集中運用をいち早くなしとげた
でいいの?
仮に騎馬隊が存在したと仮定して
馬防柵は遠くからでも見える。
それなのに柵に引掛かる方向に突進するか?
馬防柵から織田の兵隊が出たり入ったりしてるんだから、とうぜん進軍路はあると判断するんじゃね?
実際には見た目でわかりにくいように堀や土塁を組み合わせた陣城だったわけだが。
>>319 武田の将は馬鹿ばかりかよ
順番に発射される鉄砲に順番に撃たれるか?
前方で人馬が倒れて道を塞ぐ、柵も掘りも土塁もある
なら突撃は中止するだろ
一斉射撃じゃないんだから
>>321 ???
一斉射撃なら突撃おkで順繰りに撃ってたら突撃できないのか?
意味不明だな。
信長公記でもわざわざ馬防ぎの柵って言ってるくらいだし、堀やら土塁やらがあったとして、
所詮は騎馬突撃で柵まで到達できる程度のものでしかなかったわけだ。
柵の用途が馬防ぎなんだから。
で、柵まで到達できれば下馬して柵をよじ登るなり柵を引き倒すなりすればよい。
こんなことは高遠城攻めのとき総大将の信忠ですら自らやってること。
ようするに下馬してのろのろ敵との間合いをつけるか乗馬して一気に間合いを詰めるかということ。
騎馬突撃で柵までなぎ倒そうなんて思ってないだろw
323 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 17:05:38.91
そこで高枝切り鋏を持ってくるセンスはなかなかやるな
>>322 >信長公記でもわざわざ馬防ぎの柵って言ってるくらいだし、堀やら土塁やらがあったとして、
所詮は騎馬突撃で柵まで到達できる程度のものでしかなかったわけだ。
柵の用途が馬防ぎなんだから。
で、柵まで到達できれば下馬して柵をよじ登るなり柵を引き倒すなりすればよい。
その内容と同じことが、普通の城壁にも言えるんだが。
結局のところ、城壁も壕も塀も、攻撃側の軍兵が防御側の塀の前で戦闘以外のことに気をとられ、隙を見せるように仕向けて、その隙に倒せたらいいわけだろ。
柵を突破しようとした、わずかな隙に打ち取られた人が多かったわけじゃん。
高枝切り鋏って相当の手練れじゃないとバアルの様な物にすら勝てないよなぁ
>>325 ふむふむ。
つまり戦国ではよくある光景だったというわけだな。
>>325 じゃあ、馬防ぎの柵まで来て登るなり倒す作業をしている敵へ
「アイツを撃て!」とやれば防げるわけじゃ?
そりゃ防げるだろ
柵倒される前に殲滅なり撃退なりに成功すれば
ありがとう。
ということは、後はいかに効率よく「どいつを撃てば良いか」を
各鉄砲隊に割り当てできる指揮手段があれば、三段撃ちに近い
戦果を出せそうだ。そんな手段があるのかは知らないけど。
手近な相手を撃ってくだけでそんなに大げさなものじゃないだろう
332 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 20:04:12.20
高価な馬を乗り捨てるより密集陣形で盾を並べて進撃したほうが賢くないか?
相手が鉄砲だと、盾貫通されない?
敵との距離が離れていて間に障害物があるならば弓か鉄砲で攻撃するだろ
武田軍が攻撃した長篠城は鉄砲の弾痕で穴だらけだったんだろ
ならその鉄砲を野戦でも使うんじゃないのか普通なら
多分、「画期的な新戦術」の三段撃ち
その真偽が問題であって、
鉄砲で殲滅したかどうかの真偽ではないと思う。
ありふれた鉄砲の運用で勝ちましたでは「画期的新戦術」ではない。
野戦での鉄砲は、陣地構えて待っている体制でないと使いにくいのでは?
騎兵はもちろん歩兵でも、迅速に移動しながら火縄銃の弾込をするのは多分無理だろう。
弓なら後列から前列にいる味方の頭上を越えて山なりに撃つこともできるけど、鉄砲では難しい。
最初の一発は事前に準備しておくとしても彼我の鉄砲の射程が同じなら、攻撃側は防御側鉄砲の射程に入ってから
整列⇒構え⇒撃ての手順を踏まねばならない。もちろん防御側は「整列」「構え」の間にも撃って来る。
多大な損害を出しながらもようやく1回目の射撃をすませた攻撃側は「敵の射程内で停止して弾込するか」
「射程外に下がって最初からやり直すか」の二者択一を強いられる。どう見ても被害甚大の割に効果が出ない。
>>328 実質的には、鉄砲じゃなく長鑓で充分
だから、武田側の攻撃が特に激しかった一角を除けば柵を突破できないまま退かざるを得なかった
鉄砲は戦線全体に配備されてたわけではない。
>>336 そもそもな、銃弾にライフルを刻んであるわけでもない、適当な球形の弾丸だ。
銃身との摩擦で回転してるかもしれんし、まったく回転してなくてフォークボールみたいに揺れるかもしれない、
弾道の予測も難しい兵器なんだ。
狙って当てるのは、予想以上に難しいだろ。
339 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 22:09:57.61
>>333 一応、『甲陽軍鑑』によると竹束による鉄砲防ぎは武田が発祥ってことになってる。
史実かは知らんけどね。それでじわじわ詰め寄ればよかったのでは、とは確かに思うよ。
>>338 熟練すれば鳥も落とせるけどね。あと、鉄砲の弱点は弓の援護で
ある程度補える。
マスケット銃の射撃大会では日本の火縄銃が命中精度が高くて有名らしいで
341 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 22:46:05.10
>>340 マッチロックはフリントロックに比べて衝撃が小さい分有利だからね。
ところで、馬防柵を攻めたのは普通に考えると仕寄り用の竹束を構えた足軽メインだろ。
騎馬突撃で城攻めする馬鹿はいねえよ。
柵の薄いところを突破しようという試みはあったんだろうけど<騎馬編成
例の数十騎の騎馬武者が仕掛けてきた、って話。
>>342 当時は血の気の多い命知らずの武者がいっぱいいたんだよ
ひどい奴だと素肌攻めと称して鎧を着ずに城壁に取り付いたりする
344 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:41:00.55
ていうか長篠に限らずなんで武田って重臣クラスの戦死率が他の大名と比べても異様に高いんだ?
345 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:48:17.79
346 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 00:01:27.81
屏風だと鉄砲隊もわりといい装備に描かれることが多いね。
鉄砲足軽だけでなく上級武士も意外と多くその千丁の鉄砲の中に混じっていたのかな?
>>345 鉄砲隊は柵より前に出て武田方の歩兵を迎え撃っている図?
常識的に考えたら、飛び道具なんだから自分と敵の間に
柵が来るように位置取りしないものだろうか?
柵から出ておびき寄せようとしてるんじゃないかな?
野戦築城ってある意味後の世の塹壕戦に似てるような気がしてきた
>>344 大軍で遠征した出先で大敗して、逃走ルートが山奥の険路だけって状況で、盛大に掃討されたからだろ
これほどの大敗は厳島とか、ごくわずか。
これと比べたら、当主か討ち取られた桶狭間だって、大した掃討もうけてないし、逃げやすかった部類だろ。
351 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 08:18:50.39
352 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 08:58:13.76
×作画上の違い
○作画上の都合
なんでこんな間違いしたんだか
>>350 そうだな。敗戦後に将が逃げ落ちる時にこそ騎馬が役立つ。
その将が多く討たれている事実から考えると退路が塞がれていた可能性が高い。
そのため逃走中の騎乗の将が次々討たれたのかもしれないな。
>>353 いや、中央部の親類連中がさっさと撤退したから両翼の重臣連中が包囲されたからなんだけど。
>>353 「長篠」の場合は、長篠城の横を通る道路しかなかったのに、前夜の戦いでそこが織田徳川にとられてて、敗走ルートに使えなくなってたから、らしいが
武田の退路は伊那街道だろうから、長篠城方面というよりは戦場から北東の方角だろう
武田重臣の戦死地は殿の馬場信春と長篠城包囲部隊の将を除けば戦場周辺に集中している
馬場の戦死地は戦場から数キロ北東だな
圧倒的な大軍を揃えていた織田軍団が武田にとどめを刺せなかったんだから、
殿軍を務めた重臣連中がどれだけ優秀だったかわかるよね。
358 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 19:33:54.61
この板にもまだまだこんなのがいるんだな。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1322118697/ 384 :日本@名無史さん:2012/07/21(土) 19:15:00.54
>>382 戦場で役に立つのは石、弓、鉄砲
武術のメインは襲撃を切り抜けたり平時において人を制圧したり殺傷したりする事にある
兵隊としての訓練と武術家としての稽古は目的が異なる
385 :日本@名無史さん:2012/07/21(土) 19:22:02.82
武術の中でも刀ってのがなぁ。
>>384氏がおっしゃる飛び道具の応酬があって、長柄武器による白兵戦があって
最後の予備武器で戦うことに特化したのが「剣の達人」なわけでしょ?
359 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 19:56:14.66
『三河物語』
・何方之合戦にも、人数多シト申共、先ヱ出テ鑓ヲ合ル者ハ、五人拾人にハ過ざる物ナレ共、
此人々は森山より、此時之事思ひモウケタル事ナレバ、少モ騒事モ無。侍請て百四五十人一度に、
錣ヲかタブケテ、根強ク突イテ係ケレバ、主従に付て残之者共、刀ヲヒンヌキヒンヌキ、主々より先に
立たント進ミケレバ、三ノ備ヲ切崩シケレバ、残備ハ共に敗軍スレバ、悉ク切捨にシテ、
・然間、城の大将にて有ける岡辺丹波をバ、平助(大久保忠教・著者本人)が太刀付て、寄子の本多主水に打たせけり。
丹波と名乗りたらバ、寄子にハ打たせまじけれ共、名乗らぬうへなり。
>>357 武田勢の精強さをおそれて慎重な戦いをし、壊走に追い込んで追撃せんの最中に大きな反撃を受けてるんだよな。
その恐怖もあって、その後も全面的な戦いを避けながら少しずつ追い詰めようとした
>>358 やはり鈴木大先生の影響力はすごいw
あまりに流布しすぎじゃね?ってぐらい流布してる感があるよな、マジで。
362 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 22:36:39.98
最近の戦国板では鈴木の呪いとすら言われてるw
363 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 22:40:49.46
>>359 三河物語は現場を知らずに大久保が話した物語でしかなく資料的価値を認める人は少ないよ。
誰か三河物語に資料的価値を視ている人知ってる?
>>360 その話は知りませんでした。ネットの良い所はこのような未知の知識に出会える事だと思う。
夏季休暇中の勉強で色々調べてみたいと思います。
>>358 >>561 鈴木の刀使われなかった説を支持してる連中は、鈴木が捏造した軍忠状の記録以外に、それなりのソースとか文献とかあるんだろうか?
鈴木の説を盲目的に呑んでるだけ?
>>363 現場も知らないも何も後者は自分が出陣して自分が太刀を使ったときの話なんだけど。
鈴木先生だって騎馬武者の否定に三河物語の一節を引いていたはずだけど。
逆に三河物語の史料的価値を否定する説ってのはどんなのがあるのよ?
具体的な研究者名と書籍名頼むわ。
いわゆる中二病にはウケがいいんだろう>鈴木説
368 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:31:55.12
>>358にコピペされてるようなのが剣豪がどうとか通気取りでほざいてると思うと
笑えるわw
>>363 だがの言うことをまともに取り合うなよ。
知らないのかもしれないが、こいつはあらゆる資料を自分の都合にいいように取捨選択して武田を擁護し、織田を叩こうとする名物キチガイ。
370 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:34:52.60
三河物語を史料とする上での問題点は太平記とかと一緒で
特定の人物や団体をエコ贔屓してる(太平記だと楠木正成とか)点であり
特定の人物を評価する或いは合戦や事件の経緯を「マクロな視点で」
調べる上では確かにあまりアテには出来ない。
有名な例だと「姉川の戦いで勝てたのは三河武士の奮戦のおかげ!」みたいなのね。
但し、題材にしてる時代からそう遠くない時代に当事者が書いたものである以上
「ミクロな視点」での合戦描写は大いに参考になる。
372 :
371:2012/07/21(土) 23:42:39.55
もうひとつ言うと、同時代の一次史料や事実と著しく矛盾する場合はアテに出来ない。
例えば八幡蒙古記における戦闘描写なんかがその典型例。
373 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:46:58.15
こんなスレで書かなくてもいいウソ薀蓄を書くヤツってのは鈴木信者とか
あっちの人ってよりは中二なんだろうね。早速ツッコミ受けてるけどw
【備前長船】特別展 ヱヴァンゲリヲンと日本刀展
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/eva/1342240097/ 8 :真希波・マリ・イラストリアス ◆.H78DMARI. :2012/07/15(日) 09:57:57.45 ID:???
日本刀、洋剣は銃刀法で厳しく規制されていますからね。
実際に日本刀で動物を斬ると、脂肪分、血糊が付着し、切れ味が悪くなります。
今となっては、日本刀は飾りのための刀ですね。
※本物の所有は銃刀法で規制されているため、猟銃と同様、警察の審査が必要。
決して悪用してはならないという厳しい決まりがあります。
374 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:59:37.24
ポニー強調もパクリかw
199 :名無し三等兵:2012/07/21(土) 08:47:16.27 ID:???
源平の合戦から歩射が主流みたいなことをいう川合康という人もいる。
「通説をうたがえ!」「日本の在来馬は、現在の馬の分類にあてはめるとポニーに相当する
小さな馬しかいない」とか鈴木眞哉みたいな感じなんで話半分で読むべきだと思うけど。
というか96年に本出してるから鈴木のポニー強調の元ネタなんだろうね。
鈴木と川合、両方痛い人だが
どちらがより痛いかといえば
川合の方が痛い
376 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:08:20.61
>>373 日本刀って登録すれば誰でも簡単に所有できるもんじゃなかった?
>>376 概ね正解。
登録すればというか、登録してある刀であれば、ハガキ一枚出すだけでOK。
痛い学者、研究者といえば、名前忘れたけど
「服の上から刀で斬るのは大変に困難。なので、刀はあまり役に立たなかった」
的な主張をしてるヤツがいたはず。
誰だっけな、女だったような記憶がある。
服なんか着てても斬れるけどなw
柄の構造の問題なのか血脂なのか刃こぼれなのか服なのか…
とにかく刀を貶められればもうなんでもいいんだろうなw
それこそ赤穂浪士や新撰組は何のために鎖帷子着てたんだよっていうw
和服最強説
母衣なんかもあれで一応矢を逸らして直撃を減らす効果はあるそうだ。
布なんかで防げるくらいだから矢なんて役に立たなかったってことだろうなw
383 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:36:50.39
全くだ。
鋼より低コストな革と漆で簡単に防げる弓矢は戦場では役に立たないよな!
>>371 まあ、あれはあれで「大久保彦左衛門」って人間の気質って面では上質な資料だよ
>>369 俺に散々論破されまくった無知で妄想狂で捏造癖が酷い信長厨かwww
オマエは日本史板に来ちゃ駄目だよww
>>383 本当に低コストなんかね
皮革の処理も漆の多層塗り込みも手間がかかるものだが
人件費が安いので結果としてペイするんだろう
388 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 14:16:37.94
>>378 知恵袋にも前にいたぞ。
「居合も剣術もやってたが、自分は刀が2〜3人で斬れなくなる説を否定しない。
なぜなら服というのはかなりの抵抗になるから。
そう何人も斬れるなんて言うが、相手は裸なのか?」
と言っているヤツが。
戸山流居合や中村流抜刀では、巻藁(畳表?)を5本も6本もまとめたうえに、さらに服を数枚ほども着せて斬る稽古があったはずなんだが。
ホントに居合・剣術やってたのか?と思った。
下手糞にとって服は切りにくいということは否定はしない
が、服切ったら刀の切れ味が落ちるなどという珍説には否定的だなw
390 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 15:01:11.84
居合や剣術はあれはあれで胡散臭い流派や道場もあるからね。
鈴木大先生も居合経験者だ。
合計数時間でも居合経験者には違いないし
武道としての居合道と刀の実戦使用は全くの別物だからな
393 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 17:06:10.26
>>391 マジでか!ビックリした。
鈴木大先生は自分で分かってて珍説を繰り出しているんだろうか。
それとも本気でそう思ってて説を繰り出してるんだろうか。
>>392 実戦は綺麗に斬る必要はないもんな。
出来るだけ自分が無傷で、そして相手を動けなくすればそれで事足りるもんな。
ちなみに、並木書房から出版された「陸軍戸山流で検証する日本刀真剣斬り(兵頭二十八×籏谷嘉辰)」では、“服、綿入れは何の妨げにもならない”とされている。
実際に、畳表に分厚い綿入れを着込ませて、なおかつ敵兵が自分から遠ざかりつつあるというシミュレートで斬ってる写真がある。
綿入れは鎧や鎖帷子の下に着て衝撃を吸収させるためのものだったっけ?
395 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 18:14:16.49
>>394 この本では、綿が入ってるモコモコした冬用の分厚い服を“綿入れ”としているみたい。
いわゆる防寒着ってやつかな?
あと、巻藁を5本収束して、さらにその上から畳表を巻いて、さらにさらにその上から軍服を着せたものを斬ってる写真もある。
ちなみに、斬ってるのは全日本戸山流居合道連盟会長の籏谷嘉辰氏。
>>395 ズブの素人や下手くそがチャレンジしたらどうなんだろうな、ちゃんと斬れるんだろうか。
あ、でも素人は刀で戦ったりはしないから、それは別問題か?
>>397 素人がマグロ包丁や日本刀で腕切り落とす事件ならあったでしょ。
>>9のように、矢疵は恥ではないが切疵は恥だったということなら、そもそも軍忠状から死傷者を割り出すソースにするってこと自体がイマイチなんじゃないか?と思った。
あんまりザックリいったものは無理だろうけど、ちょっとした刀疵や槍疵程度なら、「これは矢を受けたのですー」って申告しそうだよね。
足軽どもならまだしも、ちゃんと甲冑を着込んでるヤツに弓矢なんかドスドス刺さるもんなんだろうか。
ふとした疑問なので、ツッコミは優しくお願いw
>>399 自分の疑問には自分で回答するのが日本史板のスタイル
アゲ、サゲを変えたり文体や句読点を変えて自分の疑問に自分で答えましょう
まあ自演で解答してそれに対する突っ込みを誘って情報を引き出すってテクニックもあるが
402 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 00:12:15.87
>>399 3行目で具体的に自分の意見を述べてる
>足軽どもならまだしも、ちゃんと甲冑を着込んでるヤツに弓矢なんかドスドス刺さるもんなんだろうか。
欲しいのは→甲冑着てるのに刺さるわけないよねって答え
でも人数が多い足軽なら弓矢がドスドス刺さると言っちゃってるんだけどね。
和弓はフライパンを貫く。多分鎧にも刺さる。
>>402 いや、欲しいのは「甲冑を着ていてもここは刺さることが多いよ」的な答え。
そんな箇所が無かったらそれはそれで構わんのだけども。
眉間に刺さることは多いな
406 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 12:02:26.55
↓こういうバカに限って刀剣不要論を唱えるんだよなww
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1341667634/ 298 :名無し三等兵:2012/07/23(月) 10:48:20.85 ID:???
>>292 現代剣道の駄目なとこはお互いに背筋を立てて
得物を構えて間合いを計ったりするとこ
試合じゃないんだから人が喧嘩する時は殆んど掴み合いになるだろ
それ以上の距離になると槍の出番だしもっと遠ければ弓や鉄砲になる
>>295 武器が殺人の為だけにあるのは近代に入ってからだからね
二本差が武士の証だったように
中世の素朴な人々はゴツイ武器持ってるだけで鬼が出た蛇が出たって意識だよ
302 :名無し三等兵:2012/07/23(月) 11:17:08.75 ID:???
長槍を持つ明軍も倭寇の大太刀の強さを認めて自軍に取り込んで
韃靼相手に有効活用してるしなあ。
戚継光『紀効新書・長刀解』
(以下略)
306 :名無し三等兵:2012/07/23(月) 11:32:08.84 ID:???
>>300 噛み付けるのそこだけ?
しかも近代以前と断ってるだろうに
大太刀を振り回す人もいたからそれが一般的に使用されていたのか?
話の要点はそこだろ
>>301 実際に戦闘でとどめを刺すのはスティレット
>>302 長刀という表現からみると長巻や薙刀を総称してるんじゃないの
もしくは大太刀を使っていた者が印象に残っていた
長刀=薙刀論って、結局のところ刀なんかが活躍するわけないって願望の表出なんかね
わりとよく見かけるけど
408 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 12:56:58.99
坂本竜馬は小説では北辰一刀流免許皆伝なんて言うけど実際には薙刀の目録
腰の刀より飛び道具の鉄砲
坂本竜馬は長柄武器や飛び道具信者だな
409 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 13:18:17.38
>>399 多分剣豪の言葉の引用だよね
剣をたしなむ同士飛び道具は卑怯と認識する、だから卑怯な飛び道具による疵は恥ではない
然るに剣による疵は己の未熟故
剣豪同士の戦いと軍の戦闘を同じ基準で解説する人って案外多いようです
少ない野戦と多くの攻城戦(大半が砦クラス)でも戦闘方法が違いますが区分しないで解説する人も多いです
410 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 13:26:22.30
>>408 鉄砲に頼ったせいで指怪我したり、刀を持った資格相手に命を落としてんだから
その信仰もあまりありがたくなかったねw
護身用に薙刀持ち歩くわけにはいかんのが難点だな
S&Wの32口径5連リボルバーは使いこなせれば強力だろうけど
バカスカ撃って練習できるほどの弾はないわな
>>410 卜伝百首を見る限り卜伝は弓を卑怯とは認識していないが。
むしろ古典的な弓馬の道に対する信奉が伺える。
刀関連には及ばないが弓に関する歌も結構ある。
彼は武芸者以前にやはり戦国前期の武士だから。
『卜伝百首』
武士の名にあふものは弓なれや
深くもあふげ、高砂の松
武士の魄なれやあづさゆみ、
はる日のかげや、のどけからまし
武士のいるや弓箭の名にたちて、
国を治るためしなりけり
>>408 龍馬の北辰一刀は、薙刀の目録しか現存してないか、もしくは見つかってないだけなんじゃないかな。
当時から龍馬の免許皆伝の話や、剣の腕を高く評価する声はあったみたいだし。
あの時代に、いつでも近くにある刀よりも、場所を選ぶ薙刀だけ達者に修練してたってのは考えにくい。
北辰一刀は単純明快な教えで他の流派より進みやすいから。
あと、剣術は全ての武術の基本とも言われている(柔術も槍術も薙刀術も)
何か道具があったほうが、自分で自分の身体の動きがどうなってるかが分かりやすいのよ。
でも槍とか薙刀は長すぎて身に余るんだよね。
刀は長さも重さも人間の身体に絶妙な塩梅なのさ。
キズについては、向こうキズと逃げキズの違いもあるんでないかい?
槍キズ刀キズでも逃げキズでなけりゃOK的な。
>>413 免許皆伝なら人目に晒しちゃならん技とかも書いてあるだろうから、どっかに隠したとかはあり得る。
自分が死んだときに極意とかも一緒に火葬してもらったりとかあるし。
>>412 矢は卑怯ではないが、矢疵は不名誉…ってことかしら。
ちょっと現代人には難しいな。
>>415 その流派から去るときに、目録とか免許とかを宗家に返上したり、自分で処分したりってのは実際にあるみたいね。
ただ、龍馬クラスのビッグネームなら、公式に免許皆伝の記録が残ってても良いとは思うけど。
417 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 16:10:12.59
別に不名誉とも読み取れないけど。
卜伝ほどの武芸者でも戦場に出れば矢傷を負うことは避けようがない
程度に解釈して読んでるが。
>>416 何か噛み合わないと思ったが、『刀と真剣勝負』の著者が不名誉ではないかと
考察しているのは刀疵のほうだよ。
コンラン氏の論文などと合わせて考えれば、幾度も戦場に出て手柄を立てるからには
矢傷は避けようがないが、一つの矢傷が致命傷となるケースはそれほど多くはなかったと。
419 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 16:57:39.36
剣豪と剣豪が戦う場合
飛び道具なんて卑怯な武器で傷を負っても恥ではないが、剣で斬られて傷を負うのは未熟だからハズイ
戦場の場合
「接近戦で勇敢に戦って傷を負いました」 軍忠状には自慢げに報告
実際 離れた敵に矢をくらいました 本当は石で怪我したんだよね(宮本武蔵君の場合)
投石食らうのは恥ずかしいのか
>>419 新陰流だって小太刀投げる術伝えてるのに
飛び道具が卑怯もクソもないわ。勝手に剣豪のモラルとか想像する前に
武芸者が残した伝書読みなよ。
武蔵が石で怪我したことを報告してるのは軍忠状じゃないし色々間違ってるよ。
つか、武蔵だって小倉碑文に書かれるような手裏剣の名人として知られてるのに
飛び道具が卑怯なんていうかよ。
>>422 そう、卜伝も手裏剣の名手だった。
卜伝が興した手裏剣の流派なんてのも現存してるね。
現在の新當流に手裏剣も併伝されてるかはわからんけど。
兵法者たちの間では、刀、槍、薙刀、柔、手裏剣あたりは必須だったんだろうな〜。
卜伝が手裏剣の名手って出典あるの?小説?
最近服部半蔵が槍の名手だと主張する素人がいるが、半蔵は名の知れた忍者だから手裏剣の名手なんだよな
>>424 卜伝の手裏剣術が現在も伝承されてるって時点で名手でしょ。
理にかなってなかったりダメ流派だったりしたら、そんなの数百年も残さないでとうに失伝してるさ。
素晴らしい流派だったのに失伝したものもあるけど…。
新陰の上泉信綱、林崎居合の林崎甚助、北辰一刀の千葉周作らが名手だったのと同じだわさ。
聞くだけ無駄だったか。
428 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 20:54:40.81
>>424 ない 必死になって取り繕ってる人には残酷だがない 適当な事を想像で言うしかない
新聞記者もいない、ドキュメンタリーで追跡取材したわけでもない
マスコミが発達した今日でさえ総理大臣行動や思想の正確報道記録はできない
何を考えていたか、そのときどう思ったかなんてわからない
ましてや過去の人の事なんかわからない。本人が書き残した文書も虚飾されているのが当たり前
伝聞なんて語る人の都合よく伝えられるだけ。半年も後になれば聞く人に面白いエピソードしか残らない。
歴史なんてその程度だと思って気楽に、暇つぶし程度に。YAFOOO!
429 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 21:02:32.16
ここでいつものお約束
>>428 鈴木信者は情弱w
紀效新書/1595年(戚継光)によればそんな事はないw
単刀法選/1621年(程宗猷)でも否定されてるw
広東新語・語器/1630〜95年(屈大均) をよく読めw
>>400 あたりからキチガイが時々湧くなぁ。同一人物だろうけど。
>>430 なんかジメッとした変なカキコがあるからね。
スレをかき回して鬱憤晴らししてるのかなw
>>427 >>428 そもそも、現在まで残ってる古流武術の開祖で、名手じゃなかった人なんているのか?
433 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 22:06:24.95
>>432 言いたいことはわかるが、卜伝は香取神道流も修めたし、一通りの獲物は使えたはずだが、手裏剣に関してはそれらしい記録がないんだって。
剣、槍、薙刀、手裏剣の流派を立ち上げるぐらいだから、上手だったとは思うけど。
卜伝流鎖鎌とか墳原卜伝流柔とか、本当に卜伝が開祖か?と言いたくなるようなところは
他にも結構ある。流儀の歴史を有名人に仮託してしまうケースも多いだろうな。
卜伝百首に弓馬刀槍薙刀の歌があり、武具要説にも刀槍薙刀に加えて
暗殺者に狙われたとき小太刀で返り討ちにする逸話もあるが、
手裏剣・鎖鎌・柔等に関しては古い時代の文献には聞かないし
伝書にも記述がない。
436 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 23:15:13.69
卜伝の弟子だったという林崎甚助の林崎夢想流居合にも、卜伝の手裏剣術が併伝されてはいるから、全く繋げられないワケではないんだが…実際にはどうなんだろうな。
タイムスリップでもしなきゃ分からんな。
青森の卜伝流剣術は卜伝の直系ではないな。
流派の系譜では卜伝を開祖とはしているが、何代目か後になって枝分かれした流派だったはず。
風呂から上がったら調べてみるw
437 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 23:46:58.25
てことで調べた。
卜傳流の流祖はかの有名な剣豪、塚原卜伝であるとされる。
ただし、卜伝から16代(伝)田中武平までの間はわからない。
伝書には香取神道流、鹿島神道流、そして塚原卜伝の謂われが語られた後、江戸で根岸兎角と決闘し、勝利した岩間小熊が卜傳流と名乗ったと記されている。
小熊は根岸と同じく諸岡一羽の弟子である。
諸岡は塚原卜伝に新当流を学んだとされるから、確かに新当流と源を一にしていることになる。
学研「日本の剣術2」p43
ちなみにこの卜伝流、古流なのに、正眼の構えの剣先が、剣道の正眼(中段)の構えよりもかなり低いのが特徴的。
古流の中では最も剣先が低い正眼と言われているそうな(同書p42)
>>438 そのスレでも鈴木大先生の生徒さんがいるなw
戦場で役に立つのは石、弓、鉄砲…かw
そこらじゅうで見掛けるよな。
知恵袋でも教えてgooでもOKwaveでも。
結局飛び道具の傷は運不運の支配するところが大きいから受けても恥ではないが
刀傷は己の腕に起因するから恥とするってことなんじゃないの?
飛び道具自体は恥でもなんでもないでしょ。
※武士の知らで中々拙きは弓馬槍とかねて知るべし(塚原卜伝)
ところで竜馬の愛用の木刀って五尺もあるんだよね。
膂力はあったんだろうが間合いの稽古には向かない気が・・・
>>439 通気取りには丁度いいんだろうね。最新の研究によって解明された
歴史の新常識を知ってる俺、って感じで。
>>440 逆に大男の鉄舟があえて三尺の竹刀で弟子と稽古していたとかあったような。
鉄舟の膂力も相当だけど、そこは名人の稽古という感じだな。
442 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 12:45:59.76
騎馬武者は退却する敵を攻撃するときに絶大な威力を発揮する
敵陣を崩すときにも絶大な威力を発揮するんじゃね?
だからこそ馬防柵なんてもんをつくったんだろう
馬防柵や槍衾されたら終わりだけどね
そんなものが簡単に。、しかも効果的な場所に準備できると思ってる馬鹿発見
騎馬の威力や弱点を実感したいならTotal Warプレイは必須。
このスレ的にはshogun2
剣豪も下馬武者も実装してる。
すごいレスがついたなw
ゲームだと馬防柵とかカンタンに作れるんだろうけどその感覚で言われても困るわ。
馬の強さを実感したければ将棋をやれ
角から馬になった瞬間世界が変わる
ちなみに長篠のは正確には馬防柵ではなく「城柵」だわな
んなこといったって太田牛一が馬防ぎのための柵って言ってんだから。
太田牛一は実際に長篠に居たわけでもなんでもないからな。
織田の「大本営発表」そのままに、ありえない戦果を平気で書いてるしw
つーか信長公記は所詮後世に書かれた軍記物にすぎん。あくまで江戸時代の書物としてみないといけないものだ。
あれを一級資料扱いとかする馬鹿にはほとほと困る。
454 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 15:18:54.46
結局日本には組織的戦闘も騎馬隊も存在しなかったと
これがだがってヤツか。延々長篠の話なんかするからつまらないのが居着いちゃったな。
鈴木師匠も嘆くでしかし
>>455 下らない自演してないでさっさと巣に帰ろうな無知蒙昧
信長公記で思い出した。
スレの趣旨からはちょっとズレる質問で申し訳ないんだが、何とか勘弁してくれ。
謙信vs信長軍の手取川の戦は、信長公記にはその記載がないから実際にあったかどうか疑わしいみたいな説を見たんだが、これってどっちが通説なの?
手取川戦はあったが通説?
なかったが通説?
>>458 信長公記になかったということは織田が負けたってこと、そういうことだ。
>>458 信長公記は朝倉始末記や三河物語と同じ軍記物
最近、知恵袋のほうでも手取川戦は無かった説を大々的に宣伝してる輩がいる。
あと鈴木大先生の刀に関する説も。
知恵袋は珍説の集合場所みたいになってしまってるなぁ。
そりゃ未だに鎌倉武士は一騎打ちやってましたーって俗説がまかり通ってるし
464 :
日本@名無史さん:2012/07/31(火) 06:26:23.81
>>463 ちょっと前まで教科書にかいてあったからしょうがない。
465 :
日本@名無史さん:2012/07/31(火) 06:45:31.96
ついでに日本刀ネガキャンもしょうがない中途半端に情報量が多く否定的な物ばかりが多くの人の眼の届きやすいとこの置いてある事と見ための偏見。
で、引き合いに出されることがある西洋刀剣、中国刀は情報量が少なく見かけなどの偏見で語られることが多い。
鈴木大先生には一日でも早く自身の珍説を引っ込めて頂きたい、少なくとも墓の下に行くまでは。
でなきゃ、意思を受け継いだ第二の鈴木先生が出てきそう。
鈴木先生のお名前をご存じない鈴木説信奉者がいるからもう関係ないでしょw
それにエピゴーネンは往々にして先達より極端な方向に走りがちだから
もっとろくでもないのが出てくると思うよ。
よし、ネクストエントリー
フェンシング見て思ったんだが突きの動きはめっぽう速くリーチも長い
突き=槍=刀より強い
よって仮に幕末素肌剣術の世界でもフェンシングなら無双
こんなんでどうだ。
469 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 18:06:25.99
薩摩藩士「あ?示現流と勝負してみっか?」
「the fighting man of Japan 」 F. J. Norman
(1868年に日本の将軍家の剣術指南役のもとで剣術を学んだ元イギリス騎兵の著作)
「両手を用いる日本の剣術は、ヨーロッパのどの国のFencingよりも格段に優れている」
出血させたら終わりの完全な決闘用のフェンシングは歪すぎるわな
実戦剣術は西洋でもまた別じゃないの
472 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 18:58:01.67
色々な学説があり色々な意見がある
本だって自分の子の好みに合わない主張の本もあれば自分好みの本もある
自分好みじゃない説や本をネガティブに捉えグチグチ言うのは理解できない
自分好みの意見や本と違うと主張してもブーメランで返ってくる
嫌なら読まなければいいとしか思えない
他人が成功したら妬んで陰口ばかり言う人は自分こそが嫌われ者だと知るべき
実戦より机上の空論上での突き優位の話だからな
現在西洋剣術復興の流れがある
フェンシングに繋がる西洋剣術の突きのトンデモ優位性は
今後頻繁に目にするようになるかも。
>>471 戦場ではサーベルを振り回していたのじゃ?
>>470 FJノーマンのは翻訳あれば読んでみたいな
フェンシング技術との詳細な比較とかあんのかな
476 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 20:27:57.15
まずは西欧では何故斬る技術が廃れたのか知りたいところだけど…
端的に、体中鎧でおおっちゃったからだろ。そんなの相手にするとどうしたって斬るより突くということになる。
479 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 21:43:39.42
15〜6世紀ごろのドイツのフェンシング教本見ても斬撃は多いんだが。
斬る技術が廃れたって一体何の話?
競技フェンシング見ての感想じゃね
481 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 21:48:34.76
フェンシングを狭く考えすぎてるってことか。
482 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 21:57:01.40
まあ今の競技フェンシングの源流は戦場の戦闘用ではなく、決闘のための剣技からだ。
484 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 22:07:47.11
まずは日本ではどうして面・胴・篭手と咽喉への突き以外の技術が
廃れたのか知りたいところだけど・・・
486 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 22:15:06.28
ああ、日本では兜も被らず胴鎧もつけなかったのか。
それは知らなかったわ。
剣道は一刀流から竹刀稽古だけを抜き出して競技化したものですし
488 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 22:49:34.68
まあ一応全剣連で居合とか杖とかやってるから剣道やりながら
竹刀稽古だけに留まらないで武芸を広く学ぶことも可能なんだよな。
>>485 それなら脇の下とか股の間とかで一本になるはずだろ
むしろ、防具がしっかりしていて、撃っても怪我しないところを競技用の目標に選んだんじゃないか?
そだよ
>>490 そだよ、というからには何か確たる根拠が?
492 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 01:27:59.50
>>484 節子、それ剣術ちゃう。スポーツ剣道や。
>>479 今は21世紀だからね。
15〜16世紀の当時教本を参考に廃れていないとか意味分からん。
>>491 怪我人だらけじゃ安定して月謝取れないじゃん
495 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 09:09:41.86
>>493 ああ、本当に競技フェンシングしか見てない人だったか。
20世紀に入ってもサーベル騎兵はいたんだけどなあ。
496 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 10:56:20.44
245 :既にその名前は使われています:2012/08/03(金) 10:48:49.98 ID:AbQW1KOa
戦国時代の死因のほとんどは弓槍じゃなくて石だから
西洋剣術に興味があって調べてるんだが(興味があるだけで習おうとは思わない、遠いし)、西洋剣術は一度完全に失伝したって本当かな?
現在の西洋剣術は、当時の記録や技術書を調べて、「恐らくこういう技、動きだったんじゃないか」と推測して活動してるとこが多いとかなんとか。
俺もネットでちょっと見かけただけだから、よく分からんのだけど…。
>>497 人を斬ったら刃にたっぷりと脂がつくから、戦場には丁子油とかは持って行かなくても良かった
なんていう、真逆とも言える珍説もあるんだぜwww
>>498 型稽古の文化が無いと簡単に失伝するよ
日本だって型以外の部分、実際戦場でどうだったかとかは
剣術を残す目的で記述されることはないわけだし
501 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 17:03:23.78
>>498 多いというかそれしかない。価値があるとみなされず断絶・失伝してしまった。
>>500 日本の場合「外の物」という形で戦場やとっさの心得なんかが
書かれた伝書もあるよ。形にない馬上の使い方とかもね。
まあ、中にはあれも江戸時代に机上の空論なんかが結構書き加えられたかもしれないが
柳生宗矩みたいに慶長元和あたりに活躍した人が残した伝書なんかは一応参考にはなると思う。
一子相伝なんてしていると、万が一があったらあっさり失われるしね
503 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 17:05:13.73
>>499 刃物板の剣ってコテハンもこんなこと書いてたな。
11 :剣恒光@Free Tibet ◆yl213OWCWU :2012/07/18(水) 02:10:53.33 ID:??? ?2BP(3200)
>>8 なんか勘違いが多いので、
>実際に日本刀で動物を斬ると、脂肪分、血糊が付着し、切れ味が悪くなります。
これは戦後出てきた話で、嘘です。
包丁などは切る刃物は確かに脂肪分などが着くと切れなくなります。
が、刀は斬るものなので、あまり関係無い。
近いものとして、鉈に油を塗ってもガッツリ樹に切り込めますでしょう
(どちらかというと脂がのってる方が斬り抜く抵抗が減るので、斬れやすいとも)
>>503 おお!剣恒光さんはネットをよくする刀好きの間では有名。
詳しくは書けないけど、日本刀関係の職人さんよね。
脂は確かに切れ味には差し支えないんだけど、血は錆びの原因になるから、出来るだけ早く拭わなきゃならない。
で、それを拭うと油&脂も拭うことになるから、もっかい丁子油をぬりぬり。
五輪書は技術書としての代表作よね。
ヒクソングレイシーも五輪書ファンだとかYouTubeで見たなぁ。
個人的に一子相伝といえば昔の小笠原流礼法が思いつく。
中国武術なんかだと型の解釈がうんたらかんたらってやってるが
日本の古流剣術はそのへんどうなんだろう
>>496 何だか鈴木大先生の説から遠く離れてしまってるなぁwww
最近は色んな尾ひれがたくさんついて、もはや別の珍説になってしまっている。
>>495 初めに言っておくが俺は
>>477じゃない。
20世紀にサーベル騎兵がいて斬る為の技術がそれ以前に比べて遜色なく伝承されている
と言うならそれを示せばいいだけ。
15世紀頃から今にかけて失われた伝承技術なんて山ほどあるのに当時の教本を示して
証拠となるわけ無いだろ。
それを示していえるのは15世紀頃には廃れていなかったという事実だけ。
509 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 17:52:28.03
>>508 サーベルを使う騎兵は16〜20世紀に渡って存在し続けてるが。
そこまで説明しなきゃダメなんだなあ。
最近は基本の形稽古の他に、現代剣道を取り入れてる所もあるのね(←もちろん取り入れてない所のほうが多い!)
青森の卜伝流や、東京新宿の鞍馬流とかは剣道もやってる。
鞍馬流宗家の柴田章雄氏曰く「やはり剣道の稽古を並行して続けないと形がどこか踊りのようになってしまう」とのこと。
学研「日本の剣術2」P95より
あとは、“目録まで”“奥伝まで”…の技なら使って良い!というルールで、袋シナイで自由にバカスカ打ち合う稽古があるとこもあるみたい。
511 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 18:09:04.45
鈴木眞哉
「ジェダイとシスの戦いにおいて、ライトセーバーは有効な武器ではなかった。
もっぱら銃とフォースで戦っていた」
512 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 21:34:16.89
銃か剣か選べといわれれば銃を選ぶな
そこらへんは竜馬と同じ
513 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 22:05:49.05
そういや、某コテハンが日本の鎧は指まで覆ってないから武士は遠戦志向だって言ってたのを思い出した。
>>513 それって、斬り合いで最も敵に近くなる指を守らないのは変って事?
でも指覆っちゃったら握りが肝心な武器を使いづらいのでは
武家は弓使える範囲でしか装甲化できないな
517 :
日本@名無史さん:2012/08/04(土) 08:17:47.73
>>512 銃で対応しようとして手傷を負わされた竜馬さんは悪い例だろ。
凄く軽量でどんな硬い物でも豆腐の様にスパスパ斬れる剣が開発されたら、西洋剣術や日本剣術よりもスポチャンが最強になるよね
519 :
日本@名無史さん:2012/08/04(土) 21:09:13.24
スポチャンのフニャフニャ剣ではその剣の練習にはならんだろうな。
上泉信綱が考案したという新陰流の竹刀は、当たっても痛くないってのは嘘らしい。
当たり前だが、籠手とかに打ち込まれれば真っ赤に腫れ上がって、その晩は寝れないぐらいには痛くなるそうな。
ただし、あの竹刀で打たれて骨折したという話は今までの歴史でも無いらしく(失神はある)、稽古道具としては大変に優秀とのこと。
ソースは新陰流をやってた(←過去形)友人。
今は仕事の関係で引っ越して、別の流派をやってる。
袋竹刀が当たっても痛くないなどという珍説は寡聞にして聞いたことがない
522 :
日本@名無史さん:2012/08/05(日) 03:32:50.00
当たっても酷い怪我にならない→当たっても怪我しない
→当たっても痛くない→そもそも当たらない
戦国後期に鉄砲・弓矢の確保が進む→日本は遠戦志向だった
→白兵戦なんてしなかった→刀は実戦で使われなかった
524 :
日本@名無史さん:2012/08/05(日) 10:56:27.71
素面で稽古するから袋しないの先っぽが目に当たることもあるなんて
聞いたことある。これは袋しないのせいじゃないけどね。
>>523 ワロタw
西洋甲冑の解剖学に基づく関節部の可動性はかなりのもんらしいね。
それこそ飛んだり跳ねたり、騎士特有の膝ついて位を受けるなんてのも軽いらしい。
南蛮胴の頃、関節部の技術に無頓着だったらしいのが不思議だわ。
でも狼の口でメリケンサックの如く篭手で殴り殺してるの見て可動部が歪まないものか流石に疑問に思った。
実践では使えん技術だからじゃね
>>521 マジで?結構ネット上で言われてるよ。
本とかでスポチャンみたいにグニャッとしなってる写真とかも紹介されてたりとか。
柳生石舟斎の『兵法百首』に
“剣術やってても、槍・飛び道具・多人数にはかなわないよ”
“でもいざって時にやってたらいい事もあるよ”という言葉もあるし
(剣豪レベルでも)役に立つ事もあるもの,以上でも以下でも無いんだろう
命がかかってるんだから,稀にでも使う場面あるのは重要だし
前田利家が冨田重正の剣術の腕そのものじゃなくて冷静さとか胆力とかを買ってたとかなんとか
>>529 鈴木儲「戦場では剣術は役に立たない。だから刀は使わなかった。」
石舟斎の息子で討ち死に際に斬りまくった奴居たような
北畠具教も斬りまくったとされてるよね。
534 :
日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:12:21.97
>>529 「剣術」じゃなくて「兵法」だけど。
・たばかりと 矢とめかう(矢留甲)おく 長具足
たぜいにぶぜひ 兵法のほか
>>529はまた捏造読解か
日本刀貶しへの妄執が酷過ぎ、日本刀に祖先でも殺されたのかよw
536 :
日本@名無史さん:2012/08/06(月) 23:12:41.98
こういうの多いよな。
さも論拠があるようなことを言って要約らしいものを出してるけど、
実際それを見たら別のことが書いてあるっていう。
日本刀は骨に当たると刃が欠ける、骨はとても固い
なんてのもよく目にするw
前にグロ動画で中東の片手剣であっさり首落してるの見たけど
特別に力こめてる感じでもなくスパンっと斬ってた
>>534 この句で言ってる兵法は剣術
この時代は兵法って言葉には戦いの技術全般を網羅してるものと
剣術だけに限定した2つの意味があって
このように他の武器と差別化や対比させてる時は剣術の方を意味してる。
(広い意味で使う場合は弓も槍も含む)
>>540 はい、また捏造
兵法って言葉には戦の技術全般を指しているものと
個人の戦闘技能全般に限定した2つの意味があった。
後者の場合は、必ず弓も槍も含まれる
>>532 柳生の息子は途中まで槍を使って最後刀で斬り死にしてるので
やっぱり最初に槍を選んでいる
義輝や北畠や柳生の息子のように,猛威を振るってる例はあるから
実戦で使いものにならないという事は絶対に無いし,
室内とか急な襲撃みたいに長物よりも役に立つ場面もあったろうけど
槍が使える環境だと槍を選ぶのが(剣豪でも)普通だったと思う
543 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 13:15:33.17
石舟斎が竹田七郎に兵法百首を出したのは慶長六年だから、この時代ってのは
慶長元和あたりでいいってことかな?
宗矩が元和九年に出した伝書に
『兵法截相心持の事』
一 鑓・長刀・十文字・かきやり・小太刀・諸道具に右のならい心もちを
もつて当流にもちい候。
とあって、いくつか解説がされているように、慶長・元和の時代の新陰流兵法は
剣術を用いるに限定してないよ。つか、一つのことに執着することを病気として戒め、無刀を至上となすような流儀なんだから、剣に限らず得物に執着しないのも
当然なんだが。
544 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 13:40:18.83
『石舟斎百首』
45:あづさ弓もとすゑしらぬ(弓の元も末もわからぬような初心の)兵法者
そらうでこびて(ありもしない実力にこましゃくれて)けがをまくるな
兵法歌で言ったら「鹿島天真正新当流兵法槍和歌」なんてのもあるぞ。
546 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 14:00:14.81
>>542 その柳生の息子の最後ってどういう文献見ればわかるんだろ?
よく聞く割に細かく知らんのよ。
547 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 14:34:47.38
多勢に無勢を剣の腕で切り抜けられる場合だってあるしなあ。
フロイス『日本史』
第八一章 「主が会の一司祭を通じて、古河、日見、長与の諸城、および他の地方であげ給うた成果について」より
兵士の一人が彼の両手(の紐)を解いて、それを前で縛ろうとした時に、囚人は驚くばかりの迅速さと身軽さで
自分を縛ろうとしていた兵士に襲いかかり、彼の太刀を鞘から抜き取るやいなや一撃のもとに相手の首を切断した。
四人(の兵士)は、このあまりにも突然で考えも及ばなかった出来事に仰天し、抜刀して、やはり相手に近づきながら
彼が逃げられぬように包囲した。だが彼は腕利きであり勇者でもあって、一人一人を倒していき、自らは掠り傷一つ
負うことなくついに相手をみんな殺してしまった。
彼は五人がいずれもそこで殪れたのを見届け、新たにせめて来る者がいないことを確かめると、刀を収める鞘を
持っていなかったので、抜身を手にさげたまま海辺の道を遁走した。
>>538 ワシも見た見た。
あっけないぐらいサクッと斬ってたよね。
人間の首の骨は太くて固いとかよく言われてるからどんなもんかと思ったら、拍子抜けというか意外というか。
>>539 刀好きとしてその本欲しいなぁ、買ってみようかな。
美術品としてとか、歴史上の人物が使ったとか、そういう刀の本はたくさんあるんだけど、武器として詳細に紹介してる本って少ないんだよね。
もちろん無いわけじゃないんだけども。
歯以外は鋼よりは柔らかいからな
550 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 18:54:55.07
三島のときも真剣の扱いに慣れてない人が彼の歯に引っ掛けたそうな。
森田氏が二、三回失敗後、古賀氏が一刀で介錯する。
森田が二、三回殺人未遂後、古賀が一刀で殺人する。
じゃね?
歯、爪、骨の順で固いんだっけか
爪はケラチンか何かだから硬くないんじゃね
知らんけど
>>535 たばかりと 矢とめかうおく 長具足 たぜひにぶぜひ 兵法のほか
557 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 22:21:27.41
武蔵は多勢を相手にするときは二刀が役に立つとか書いてるな。
多田野投手も二刀流を用いるといううわさがある
槍を刀に替えるってケースが多いみたいだが、槍って結構カンタンに使い物にならなくなっちゃうのかね?
それこそ二、三人殺したらとかw
ルイス・フロイス
『日本史』西九州編第二六章(第一部一〇〇章)
「深堀が長崎を襲った次第、および彼の敗北と、戦闘におけるその不運な結果について」
・かの老人とその息子たちと養子は、激しい戦闘心に燃え、槍を刀に代え、
いとも巧妙に、かつ激しく戦ったので、敵は誰しも皆驚嘆し、大いに苦境に陥った。
>>558 あくまで噂だろ。
女ともしました、の証拠がないんだから。
561 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 23:04:36.43
槍が折れたときの手段はいろいろ考えられていたが、この著者は
折れた棒を使うくらいなら刀を使うか組み討ちでもやれって言ってる。
『御家中武芸はしり廻り』
・一 棒術の事、 棒術は勿論武術にあらず。然を弓弦きれて棒と成、鑓・矛折て棒と成ば、士として是
を嗜まんは あるべからずとて教を立る輩もあれども、用るに足らず。もし弦切れ、矛折たる時は
腰物を抜て向ふが、猶、速成は 組討をする意也。武士たるものは棒にて一つ二つ折れ(打たれ)たりとて
死べきものに非ず。 当の敵は必ず仕留むべし。
歯はモース硬度で5あるのね
563 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 23:28:01.99
古代には豚の歯を集めて作った兜があったとか聞いたな。
槍の耐久性は確かに興味あるな
特に長槍なんか長い分
手練れが刀で斬りこんで穂先を斬り飛ばすなんて頻繁にありそう。
>>555 謀りと、矢留め甲置く、長具足、多勢に無勢、兵法の外
兵法の至れる上の心にも、槍を具足の第一とあり
566 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 00:17:45.65
567 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 00:25:38.99
568 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 00:29:11.32
『信長公記』
www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_1.pdf
浮野合戦の事
・然るところを、信長の御小姓衆佐脇藤八走り懸かり、林が頸をうたんとするところを、
居ながら大刀を抜き持ち、佐脇藤八が左の肘を小手くはへに打ち落す。
かゝり向つて、終に頸を取る。林弥七郎、弓と太刀との働き比類なき仕立なり。
www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_8.pdf
樋口夫婦御生害の事
・其の中、心ある者ども、はだかになり、伐刀ばかりにて、七八百ばかり切つて懸かり、伐ち崩し、
御一門を初め奉り、歴々数多討死。
www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_16.pdf
信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事
・歴の上掾E子供、一に引き寄せ差し殺し(城内の将兵は、妻子を一人ずつ引き寄せて刺し殺し)、切つて出で、
働く事、申すに及ばず。爰に、諏訪勝右衛門女房、刀を披き切つて廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり。
又、十五、六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、台所のつまりにて余多射倒し、 矢数射尽し、後には刀を抜き切りてまいり、
討死。手負・死人、上を下へと員を知らず。
569 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 00:31:15.19
『雑兵物語』
・おれが旦那は二番鑓を合わせしが、かす手もおわない。其鑓脇傍輩衆をたのんで刀鑓脇をつめなさつた。
・一番の鑓ががつちと合と、其まま其敵を突き殺し首を取なさつた。おれもすけべいと思つたが(中略)敵が壱疋旦那を
打べいとてみやうたん柿のうんだごとくなさ鉢の男が刀を抜て来る所で、
・二の先から横鑓は入ないで、まづ騎馬を引勝て三十騎、鑓を持人もあり、刀を持人も有、弓を持人もあり、鉄砲を持人もあり、
↓切り払ったと書かれているけど、切断は目的とはしてないだろうな。
結果的に折れたとかはもちろんあるだろうけど。
フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に(刀で)相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
571 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 02:00:10.04
>>541 戦の技術全般とか個人の戦闘技術全般だと
この句、意味通じなないだろ
どっちの意味でも弓も槍も入ってるんだから
>>539が紹介してくれた本、とりあえずカートに入れたw
黒田鉄山先生や東郷秀信先生、小林康宏刀匠が出てるのは分かるんだが……なぜ大和龍門まで?w
居合道家を出すなら、他にも良い人いっぱいいるだろうにw
大和龍門、ガチンコを思い出すw
これって既出かしら?
武芸図譜通志
和賊(日本人)は勇敢で冷静、死を恐れず進軍し、三尺の刀で舞う。
日本人を相手に戦うときはどんな指揮をとっても無駄だ。
武芸図譜通志
日本刀は極めて頑丈で鋭利であり、支那製の刀剣類は日本刀に及ばない。
(刀極剛利中國不及也)
何良臣「陣記」
日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、往々にして防ぎきれない。
彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。
一番下はよく見るな
上の方で間違った解釈に関する話もあったな
>>573 >日本の賊の攻撃は日本刀で二回か三回打ち付けられるだけだが、往々にして防ぎきれない。
>彼らの日本刀の刀法の巧妙さを推して知るべきである。
(原文)日本刀不過三兩下往往人不能禦則用刀之巧可知
「日本の賊」「攻撃」「二回か三回」「打ち付けられる」「だけだが」「防ぎ」
「彼ら」「日本刀」「推して」「べきである」の字句は影も形も存在しない
もはや改竄・改変・捏造の域を大きく超えて、完全なる創作ww
>>575 天正年間の上井覚兼日記には武芸に関しては「平法」とあり、
「兵法」は軍配の方を指す。
「何良臣 陣記 日本刀」でググってみると、かなり出てくる。
>>573の文も、陣記の中に書いてあるとかじゃないか?
>>577 日本刀は非常に(不過)軽く(刀は短くない)とも、往往人は能く御せず、則ち用刀の巧を知るべし
>>573の文じゃあ2割も元の文意が残ってないよww
三両、ってどの程度の重さなの?
>>580 それは間違いなく書いてあるよ。googlebooksか何かで
「陣記」の電子書籍が読めたときにその箇所取っておいてある。
今でも読めるかな?
584 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:34:39.74
585 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 18:54:37.42
もう日本刀と見ただけで戦意喪失して逃げるような連中もいたみたいだな。
これが足を翼状態かな?
『清正高麗陣覚書』
・惣勢は三分一も城中にて頸を取申候、唐人皆々日本の剣を恐れ候て川へ入り申候を、 引あげ引あげ首を討申候、
>>583>>584>>586 いいや、何所にも書いてないよ
書いてあると言い張るなら原文を書き出してみようね
少なくともグーグルなんちゃらの30ページには存在しない
>>567 >上には無いが小太刀を隠し持っておき、投げつけて相手がひるんだところに
>切り込むというのもある。
それって、二天一流に同じ技が。
とりあえず、
>>575のとおり
>>534の句が作られた時代は
兵法を『剣術』単体の意味として使う事は普通にあった。
そして534の句での兵法は
「槍・弓・多人数を相手にしたら分が悪い」ものとして用いられているので
弓や槍も当然含む「個人の戦闘技能全般」や
「戦争技術(軍配、軍略等)」だと全く意味が通じない
だから534の意味としては
“剣術は弓・槍・多人数相手だと分が悪い”
って事で特に問題無いでしょ?
590 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 21:34:07.34
>>587 ごめんごめん、あまりページ数当てにならないな。
ページ数指定のやり方がわかればいいんだが。
巻二をしばらくめくって「軍中諸技惟刀剣法〜」が一段高くなってるページを見てごらん。
>>589 新陰流の「兵法の習柔剛強弱をもととして」という伝書にその歌と同旨のものと
おぼしき部分があるよ。
一 兵法にならさる所
として
一 たはかる事
一 多勢に無勢
一 剛臆
一 矢をとむる事
一 ながきとみじかきと
是五ツなり。然といへとも、ならさるものとて死するにはさたまらす候ものなり。
書かれている。
「矢留め」に関しては
・矢をとむる事もたて(盾)あれはとまる也
と、かなり素っ気ない。恐らく、念流や天流が標榜するような「矢止めの太刀」みたいな
離れ技は存在しないとか言いたいんじゃないかな?
「長道具」については
・ながきみじかきも、しらさるものにはみしかきにても勝也。
とあるが、心得のない相手なら短い道具でも勝てるが、
双方が武芸を心得ている場合は短いほうが分が悪いと書いている。
無刀を用い留しかないのは武器がないという不覚を取ったからと同じ論理で
矢留の太刀なんて言う前に、戦場では防御手段を確保しろってことじゃ?
多勢に無勢に関してはこれ。
・多勢に無勢も、一人を二人三人にてはきられざる心持有へし。
十人を百人しては皆々うちにくきもの也。百人を千にても皆々
打にくきもの也。是たいがい是につき仕やう色々あるへし。
是みな右の心持有。是も多勢にて仕よきものなれとも、
しらさるゆへおくれをとる事おおし。仕やうをしらす候て小勢をも
打にくきなり。是習なり。
594 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:02:14.26
>>592 よく伝書に出てくる「野中の幕」ってのはどうなんだろうね?
あれも母衣みたいな感じで直撃を減らせるんだろうか?
595 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:05:48.37
国内だと槍がメインって話があって
外国の記録だと刀が特筆してまで
恐れられているのは不思議な話だな
>>576 「不能禦」だから防げないはちゃんと存在してるな。
599 :
日本@名無史さん:2012/08/08(水) 22:26:33.46
>>598 訳の間違いのこと言ってたのか。文章自体が存在してないとか
疑ってるのかと思ってた。
国内でも刀が大活躍した例は
上でも上がってるし
役に立つ状況が存在する事もあるのはわかるけど、
国外の記録での刀の扱いはそういう
役立ち方と次元が違う感じがする。
それは日本刀ステマ商人の倭寇がさんざん美術品の
押し売りやった結果かもね。でも倭寇は槍も使ってんだけどな。
>>599 同じく。
完全なる創作とまで言ってたからな
しかし、2チャンはステマの意味を理解せずに使いたがる奴で溢れてるな
倭寇は「日本刀如何ですかー」の大音声と共に斬り込んでくる
恐怖の強者だと文書にも書かれているからな
>>591>>593 心得のない奴の槍なら勝てる、とか
2、3人ならいけそうな気がする
ってのも十分凄いような
>>573が書いてる訳の原文って、日本刀不過三兩下往往人不能禦則用刀之巧可知じゃない文なのでは?
全く違うところの文なのではないかと。
>>600 大阪の陣で秀忠が多人数に襲われた時に
柳生宗矩が七人斬って助けたっていう
嘘くさい話でも
柳生は最初から刀使ってるし
護衛には刀が適してる理由が
何かあるのかもね
1588年
溝口秀勝分領での没収武具
刀 1073
小刀 700
脇差 1540
かうがい 500
槍先 160
槍先は少ないな
元から武家の管理下なんかね
足軽が使う槍先なんて10センチ程度の小さい物だからあまり重視していなかったんでは?
槍先さえあればそこらの棒で手製の槍作れてしまうから軽視はできんだろう
笄も武具扱いなのかよ
百姓とかは戦で使う事機会より
護身用の方が多いから
領内全部だと普段から
持ち歩ける刀が多くなったのだと思う
従軍するひともいたろうけど
そうじゃないも多かっただろうから
陣記にある一文の日本語訳は
「日本刀(の振り)は非常に素早く、いつも防ぐ事が出来ず(に斬られてしまう)〜」な気がする
>>612 それを言ったらヤスとか銛も対象になりそうだよ。
新体操の二刀流棍棒は投擲もできて槍より強い
横山三国志に両手棍棒で投げてくる奴いたな。
関索か張苞に重傷追わせた奴。
新体操も元は武術だったんだな
リボンもインド古武術だし。
バイキングの装備は盾+小斧5本だっけ、隙を見て投げる
東郷秀信氏の斬心塾では、茶碗だの箸だのも獲物にしてるみたい。
すげーなぁって思った。
624 :
日本@名無史さん:2012/08/11(土) 22:24:24.93
ブーメランと空手を組み合わせた全く新しい武術もあるしな。
鍋の蓋で木刀を止めるイベントって誰と誰だっけ?
626 :
日本@名無史さん:2012/08/11(土) 22:38:08.64
武蔵と卜伝
ただし卜伝は武蔵が生まれる前に死んでる
>>624 懐かしいwwwww
なぜよりによってブーメランをチョイスしたのか、今も謎に思うwww
628 :
日本@名無史さん:2012/08/12(日) 08:35:02.17
チョンの資料大好きな刀剣マニアの自演スレ
日本の学説よりチョンの個人的見解の落書きが心の支え
一人で頑張れ
みんな刀剣マニアには呆れてる
?
僕たちは一人じゃない
全にして一、一にして全
一刀は万刀と化し、万刀は一刀に帰する
それはつまり、目玉焼きにソースは邪道って事ですか?
喰いモンの好みに邪道などないッッ
マヨネーザーは邪教徒である。
鈴木信者はマヨラーである確率が高いと?
案外ありえるかも知れない
新奇な論に飛びつく知的マヨラー傾向という意味で
拙者は醤油と青じそドレッシングがあれば生きていける
利剣=日本刀
うちの青じそがまさしくリケンww
議論の結果、青じそ最強説に至ったわけだな
塩ニンニクもかなりいける
642 :
日本@名無史さん:2012/08/19(日) 00:12:59.29
>>642 鈴木大先生のファンがぎょーさんおるわい
西洋剣が鋳造て話はどこから出てきたんだ
日本の金属加工の技術は世界一!
白人どもには鍛造技術なんてなかっただろう!
という驕りから出た妄想かなと。
誇りと驕りは違うよねー。
青銅剣は鋳造だから中世のある時期までに限れば間違いでもないけどね
技術的には、戦闘に耐える強度の剣を鋳造する方が難しくない?
鋳鉄は割れるからな
>>648 だから割れないように、鋳鉄より炭素含有量の低い鋼を鋳造するか、
あるいは可鍛鋳鉄を鍛えて成型するわけだけど、
日本の技術では19世紀まで鋼を鋳造できるほど高温の炉は作れなかったし、
可鍛鋳鉄なんて当然夢のまた夢だし。
剣の時代に実用刀剣の鋳造技術持ってたのは中国だけじゃねーの
産業革命の初期に、木炭がなくなって石炭を燃料に鉄を作るようになったところ、
木炭より不純物が多いから銑鉄の脆さが大幅に悪化したという話もある。
逆に言えば、産業革命前までの鋳鉄は、産業革命当時よりマシだったってことだえ。
>>647 青銅剣の場合は、鋳造で強度を保つのは簡単だけど鍛造では困難
>>650 全体が鋳造だったのは漢代前期だけで、中国でも鉄刀は
鋳造した鋼の刀芯と鍛造する刃の部分を接着する作り方でしょ
つまり西洋は進歩した鋳造技術(+鍛造)で日本刀より劣る剣を量産したでFA?
では日本刀の数打ち物と西洋の大量生産物ではどちらが使えたんだろうな。
目糞対鼻糞だな
>>653 西洋つっても色々あるしな、イラン、アフガニ、シリア
トルコ、ギリシャ、ユーゴなんかはそれなりに冶金技術があったけど
西欧、北欧、ソ連はしょぼかったし
鉄の鋳造技術が決定的な意味を持つようになるのは
イギリスで鋳鉄砲が出てくる16世紀後半あたりからかな
早くても17世紀後半からだね
658 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 11:29:41.78
>>645 ジャップの武器なんて白人様の武器に比べりゃカスと言う奴のが多いと思うお
特に鎧が舐められてるな
660 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 19:03:29.75
まあ、刀に関しては西洋人も驚嘆・絶賛が多いが、鎧に関しては
自分達のものと比べて脆いとか書いてるからなあ。
そりゃ王侯や没落しなかった軍事貴族しか鎧を着けてなかった西欧と比べてもな
スイス人傭兵とかランツクネヒトとか軽装なん?
663 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 20:33:00.93
ランツクネヒトは初期は持ち寄った武装で戦っていたから悲惨だったようだが
16世紀中盤以降だったかはそれなりに堅牢そうな半甲冑が貸し出されている。
スイス傭兵は15世紀後半くらいからパイク最前列の兵はミラノ式の板金鎧を着るようになっているようだ。
>>662 何が軽装で何が重装か知らんが、スペイン帝国の本土や
イタリア半島出身者でもお貸し具足と同じくらいの装備
他国出身の徴募兵や仏王国や英王国の一般兵はもっと軽装
良く時代劇合戦シーンの話になると接近戦なんてなかっただの騎馬兵はいなかっただのっていう奴、多いじゃん?
いわゆる鈴木儲ってやつ。
でも武器や兵科に関してはあれこれ言うくせに防具に関してはスルーか、時代劇の描写を真に受けてやたら過少評価するやつ多くない?
漆の耐衝撃性が気になる
鉄のみより複合素材として利点もあるんじゃね?
革を張って漆を塗った木盾は軽くて丈夫だから青銅盾が廃れた
鉄盾も漆塗りより堅固にすると重過ぎて普及しなかった
>>666 前に奇跡の地球物語で日本の甲冑が特集されたとき、漆加工も紹介されてた!
ただの牛革と、漆を幾層も塗り重ねた牛革で、どっちが針が刺さりにくいかって感じで。
ただの牛革は、いったん針が刺さるとあとは容易く針が進んでいくけど、漆加工は針が刺さるとそれからグニョ〜ッと侵入を拒み続けるとか。
でも、衝撃への耐性はどうなんだろ。
>>668 鈍器で殴られた場合?
端的に言えば、鉄でも皮でも大差ない。ただし盾の場合は、皮だと壊れるので
次の攻撃を防げなくなる。
>>669 漆が耐衝撃性に影響するかってことかと
まあ革と鉄で大差ないんなら無いも同然だろうけど
131 名前:名無しに人種はない@実況はサッカーch[sage] 投稿日:2012/08/23(木) 11:31:17.97 ID:ykmKcaII0
ラスベガスメトロ警察局によれば、韓人のスティーブ・パク(36)がメリーランドアベニューに位置する
「デイリークイーン」に入り、現金カウンターで27インチの長さのサムライ刀を何度も振り回して店員を脅し金を要求した。
この光景を目撃したまた他の店員が銃撃、二発の銃撃を受けた韓人のパクは店の外に逃げて路上に倒れ込み、直ちに隣近病院に移送されたが死亡した。
警察当局は隣近地域を舞台に追加捜査を行った末にパクが犯行を犯すのに前もって
‘偵察’の役目を引き受けたパクの女友達(47)を共犯の疑いで逮捕した。
Koreatimes 2012/08/22
http://www.koreatimes.com/article/747340 銃>>>サムライソード
673 :
日本@名無史さん:2012/08/23(木) 12:05:03.22
反りのある頭椎大刀みたいな感じだけど、大陸の剣がモチーフかな?
27インチだから長さ的に定寸の打刀とは同等だな。
拵えがアメリカ人の考えるとこの日本風になってるだけじゃねの
自慢の韓国刀を使えばいいのに、やっぱり日本の物を使うのなあいつ等
いやこれが韓国刀なんじゃね?
アメリカ人にはサムライソードと区別がつかなかっただけで。
倭刀じゃね?
刀身は日本風、柄は中国風
678 :
日本@名無史さん:2012/08/23(木) 15:55:28.26
日本の武具は質素で素晴らしい。
実用性があるからスルーされてるが漆塗りはどう考えても高級品だろ
当時の話だしなあ、そりゃ何も加工しないよりは高価だけど
高級品だよ。
漆器が庶民に使われるようになるのは江戸期に入ってからだろ。
国によるし
日本でも軍制品としては別に高くないよ
耐久性を大幅に上げる実用加工だから需要も供給も安定して多くて
現代のイメージより安いってとこかな
漆の有無での値段の差とか実例が欲しいな
漆は高級品だけど鉄なんかもまた高級品だったわけで、耐久力向上の
意味からも武具には普通に漆を塗ることも多かったと思う。
ようするに漆自体は高級品だけど武具としては塗るのが普通といった
ところでは?
足軽がかぶるような陣笠だって漆塗りだしね。
漆器が高いのは何度も塗り重ねるとかの手間賃と技術料が殆ど。
ただ塗るだけなら話はぜんぜん違うでしょ?
686 :
日本@名無史さん:2012/08/24(金) 09:22:35.86
戦場で応急処置的に漆塗りもするらしいな。
出典忘れたけど、朝鮮の役のとき漆を塗ったばかりのものの周りに馬糞を置いて
乾かしたなんて逸話もあったはず。漆は加湿で化学変化起して硬化するから。
>>685 漆は山へ入って何本も幹に傷を付けて樹液を集めるわけで
その段階ですでに希少価値があるし、塗るにしてもかぶれと
戦いながら塗るわけ。
乾燥させるにしても
>>686氏の言うようにそのまま放置しても
乾燥せず、湿気を帯びた場所でないと固まらないから手間も
掛かる。
そう言う事考えたら当時としても高価だったと思うよ。
軍の支給品としては高くないから。
庶民全員がなまくら刀を挿してたわけじゃないし
況して甲冑を持ってた平民は希少
甲冑の漆も結構塗り重ねるんじゃなかったっけか?
5〜6回くらい塗り重ねるとかテレビで紹介してたような。
小札の数もかなり多いし、塗るの大変だろうなぁ。
最近の若造は途中でイヤになって投げ出しそうだw
もちろん俺も投げ出すw
武具防具は今もだけどその時代の最先端技術を使って
採算性度外視するわけじゃないけど、費用掛かっても性能重視だから
誰もが簡単に出来る仕事じゃないでしょw
そうだねw
692 :
日本@名無史さん:2012/08/30(木) 16:33:29.77
少し考えれば、というか直感的にそんな事解るだろうに
日本刀誹謗工作員は頭湧き過ぎだな
リーチがあればいいってもんでもない好例だな。
あと、刺又に限らずトップヘビー気味の長柄武器は叩き落とされたとき
体勢維持や立て直しに確かに手間取るわな。
695 :
日本@名無史さん:2012/08/30(木) 17:39:55.46
あとは杖術対剣でこんな話も。
http://blog.iai-mugairyu.com/?eid=805055 応用杖とは、短杖とか何かではなく、太刀と杖の真剣勝負
のようなもの。太刀は斬れるなら斬ってゆく、杖は太刀相手
に突くなり、打つなり、繰りつけて相手を押さえ込むだけ
ではダメ、そのあと必ず何かで決めなければいけない。
(膠着状態では杖の負けと同じ)常に太刀のとどかない間合
を意識し、太刀側に勝てるよう動く必要がある。
途中から日頃稽古をしている形に入ってもトドメ?まで行け
ればそれでよい。
いつも決まった形の流れの中で、もし真剣ならどうなるだ
ろうと思いながら稽古をすることが多いが、太刀持ちを五段
のYさんとY師範で、杖側は二段から五段までが入れ替わりで
立ち会ったが、ほとんどは予想通り太刀の勝ち。
バッサリと言うことはないまでも、どこか斬られて降参と
なってしまった。特に杖が先に動くとほとんど勝てない。
杖がいかに”後の先”ということを実感した稽古だった。
杖って刀とそんなに長さ変わらないの?
四尺くらいしかないからね
杖は流派によって長さが異なる。
刺又も江戸時代の本物は鉤付き鋲付きで定寸の日本刀では通常
太刀打ちできないと思う。
もっともあんなのは凶悪過ぎて現代一般に使える武器じゃないけど。
刺又のトゲは防御のためであって攻撃には使えないな。
先端に重さが集中している関係で柄の部分で殴っても威力は出ない。
柄を金撮棒みたいに使うのはムリ。
ぶっちゃけ俺の手刀が最強
>>701 ビール瓶切れんの?ガソリンとタコ糸は無しな。
>>699-700 先端に重量があるやつを日本刀で打落すのは達人以外無理。
だいたいアルミの華奢で軽い物と違って鍛鉄製の鋼の先端を振り回しているときにどう掴むんだよ。
六尺棒を振り回しているやつですら掴むのは難しいぞ。
704 :
日本@名無史さん:2012/08/31(金) 19:07:48.65
刺又がブンブン振り回すものだとは知らなかったわ。鍛鉄製の重い叉状のものがついた
長柄をブンブン振り回して捕り方は迫っていったんですねww
ずっと軽い素材でできた刺又さえ簡単に体勢崩すのに、それより重いものが
ついた棒を持った相手を崩すのは達人以外ムリってwwww
普通の木刀で重量のある鍛錬棒の打ち込みを受けてみれば分かるよ。
似たようなケースでは自顕流の強い打ち込みを受けた者が受けた自分の
刀ごと頭蓋骨に打ち込まれて死亡したケースがある。
わざと噛み合わせてない例だな
相手の言いたいことはわかってるだろうに
あの程度が振り回せないなら刀身長のある薙刀を振り回すなんてもっと無理w
集団戦で薙刀振り回すのがそもそも困難っていうw
709 :
日本@名無史さん:2012/08/31(金) 23:20:48.77
>>706 要は自分の主張に無理があることを認めてるんだろう。
>>708 お前は戦国期の集団戦を、人ががっちり固まって行動するとか信じちゃってるタイプ?
集団戦を満員電車みたいな状況で戦ってるみたいにイメージしてる奴って居るよな。
ゲームかなんかの影響か?
712 :
日本@名無史さん:2012/08/31(金) 23:47:38.80
スイス傭兵はパイク方陣に移行する以前はハルベルトで隊列組んでたんだから
叩き切る武器で近世的な集団戦やるのも十分可能だろう。
>>710 当然、数人から数十人で固まって行動するのが戦国時代の戦いだよ
特に長柄槍の足軽部隊なんかはね
散開してるなら薙刀じゃあ刀に対して不利極まりない
>>713 はあ?長柄の足軽なんて槍合わせの後引っ込んで、そこから先は騎馬にせよ徒歩にせよ武士身分の戦い合いだぞ?
716 :
日本@名無史さん:2012/09/01(土) 07:57:08.55
>>714 槍合わせで敵が崩れ気味になったら、各自好きな得物を持った兵士が長槍の足軽の後ろから飛び出してくるんだろ?
>>713 直心影流薙刀術の園部秀雄(女性)には剣道の高段者(男性)が軒並み敗れているんだけどな。
719 :
日本@名無史さん:2012/09/01(土) 13:21:36.56
園部さんて普通に十九歳の剣道家に飛び込み面二本取られて負けた試合もあるんだな。
無敗とか聞いてたから逆に驚いた。
1901年(明治34年)5月、第6回武徳祭大演武会(京都武徳殿)
渡辺昇の秘蔵弟子堀田捨次郎が師の仇を討つべく秀雄と戦い、飛び込み面を
2本奪い勝利したとされる[2]。予想外の秀雄の敗北に、拍手が禁じられている武徳殿に
喝采が鳴り止まなかったという。堀田は当時19歳。のち昭和天覧試合にも出場し剣道範士となった。
ちなみに渡辺昇は海江田信義との剣対薙刀の試合では勝っている。
それだけ園部さんの腕が突出していたんだろう。
師匠の佐竹鑑柳斎が脛打ち剣術で名高い柳剛流の出身だから
もしかしたら脛打ちをうまく使ったコンビネーションを叩き込まれたのかもね。
飛び込み面で勝ってるのも脛打ち対策の一環?
こう、開幕小足払い見てからジャンプ大パンチ余裕でした、的な
飛び込み面だと下段の当たり判定が消えるとかw
>>718 戦場の戦いは1対1でも当て競技でも無いからな
キモイ
>>723 源平の時代くらいまでは弓の他は薙刀が戦場の主要武器だぞ。
結局少数の兵隊が薙刀持って襲ってくるより、長柄装備の部隊が一斉に振り回す方が怖いってことだよね
そりゃ薙刀も長柄武器の一種だからな。
人数が多い方が怖いに決まっているw
薙刀じゃ集団戦に酷く不便って事だよ
密集戦にも白兵戦にも向いてない
集団戦に不向きだったら
源平時代にも使われてないんじゃないか?
一般的に集団戦と呼ばれるのは南北朝以後のこと
源平時代は一騎討ちが主体だった的な?
源平の頃は一騎討ちが普通ってのは定説(笑)だろ?
源平合戦に一騎打ちの記録なぞ本当に数えるほどしか無い。
集団で敵を包囲して弓でハリネズミにするのが源平合戦期の基本戦術だな。
南北朝期に薙刀はいわゆる「馬上打物」として使用されている。
南北朝期はこの馬上兵器の全盛期で、太刀なども異様に長大化(刃渡りだけで3メートル近いものまであった)した。
この時代は集団戦の始まった時代とされるが、戦術として馬上兵器を持った騎馬兵の騎馬突撃が有効であった模様だ。
歴史的用語の徒歩集団戦は南北朝以後
単なる集団の戦いということなら、一騎駈け時代はもちろん、
神話、古代の時代だってそうだろ。もうちょっと勉強してくれ
もしかして鎌倉武士は名乗りあげてる最中に元軍になぶり殺しにされたとか今時信じてる方でつか?
738 :
733:2012/09/02(日) 15:58:56.34
おまえら歴史オタが使う用語ではなく
史学、史料上のことを言っている。素人さんはこれだから困るのだ。
じゃあ、アンタは玄人の学者さんか?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1346567958/325 325 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/02(日) 18:18:53.33 ID:OeBs7KXb0
戦国時代以前のことは詳しくないけど戦国時代に持盾の需要が薄い理由はまとめていうと
◯戦国時代の野戦の敗戦国の被害は概ね20%、そのうち80%が弓、鉄砲、礫などの飛び道具による被害。
飛び道具から身を守る場合は持盾より置盾、鉄砲登場以降は竹束などのほうが理想的なため。
◯上の逆算すると刃傷による被害は軍全体の4%。4%の被害を軽減するための投資として持盾を装備させるのはコスパが悪い。
◯当時の足軽の兵装は弓鉄砲以外はだいたい自前。槍買う金が無いやつはHandMade竹槍。
具足もHandMade。(竹の筒を紐で結んだ(すだれのような)ものや和紙を木に巻きつけたような質素なもの。)
刀は高級品であんま強くないから出番がない、相手にも少ない刀に対するために盾を買う余裕があれば他に使う。
◯馬は性質上尖ったものに突っ込めないので、対馬兵器として槍襖が重宝される。
槍襖の集団戦術はさほど訓練の必要もなく、対馬、対歩兵とかなりの効果があるため、ますます歩兵に刀の出番はなく、両手ふさがってry。
◯持盾を用いた戦術はしっかり訓練して組織的な運用をしないと逆に味方の邪魔になることもしばしば。行軍の際特に。
足軽のほとんどは民間徴発の農民のため、西洋の兵士ほど訓練が行き届かず盾の組織的運用が難しい。
行軍の際は足軽は城攻めの道具や野戦陣構築のための資材や道具持たされてることも多いので邪魔。
◯日本の馬は西洋、中国のイメージのそれと違い、小柄で気性が荒い扱いづらい馬のため、馬上で両手放すのはむりげ。
実際ほとんどの騎馬武者は戦闘時は下馬して戦うことになるんだけど、持盾もってると移動する段階ですでに面倒。
まだ生きてたのかw
この民族は自分でも嘘と解ってて虚偽知識を流布してるわ
薙刀は馬上でなくとも徒歩の僧兵の主力兵装でもあるわけだが。
>>741 鈴木大先生のお働きは素晴らしい
そして伝説へ…
藁の甲冑って何?
403 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/09/02(日) 19:58:30.32 ID:yYiCK4EP0
>>394 日本の甲冑って基本的に木材、竹材、革札、藁、布地、漆だろ?
胴体の急所に当たる部分や頭部には鉄札使ってるけど、
実際に戦ったら西洋の全身金属の鎧が相手じゃ厳しいだろうなぁ
鹿毛は使うと思うけど藁は知らね。
草鞋も甲冑に入れてたりしてw
>>745 あれだろ、日本刀の一太刀で鎧ごとバッサリ斬られてしまい
ロクに役に立たないと書かれた朝鮮鎧
つーか革と漆の強化舐めんな
まあ猪の革鍔は普通の散弾銃なら貫通しないと言われているんだけどね。
日本の甲冑は陶器で出来ている
藁の鎧なんて想像するのが凄い。
いや、磁器かもしれん
セラミックはHEAT弾に対して有効だから
対戦車砲には陶磁器の鎧が効果的だなきっと。
これは古伊万里の窯で焼かれた甲冑ですねぇ
いい仕事してますねぇ
兵馬俑(字違ったらごめん)か
前にまさしく鑑定団に出てたなー、偽物だったけどw
確かにこんなもんが市場に出回るわけがないw
日本の甲冑は餅で出来ている
>>754 セラミックが有効なのはAPFSDSじゃなかった?確か、液体化した金属が浸透するより早くひび割れるから運動エネルギーがそこで消滅するとか。
HEATには複合装甲もしくはスペースドアーマーだと思うが。
760 :
日本@名無史さん:2012/09/04(火) 00:00:05.70
>>759 正直うろ覚えで書いたが一応合ってたわ。
http://sus3041.sakura.ne.jp/contents/arm_var/composite.htm セラミックの成形炸薬弾[HEAT弾]に対する防御特性は、次の通りである。
成形炸薬弾のメタルジェットは、セラミック、ガラス(ガラスセラミック)などの
強度の高い物質に対しては非常に小さな孔を形成する。また、同時に穿孔破壊と
呼ばれる現象が発生する。穿孔破壊とは、装甲が金属製の場合、メタルジェットにより流体化され、
侵徹孔外へ吹き飛ばされるが、ガラスやセラミックの場合、強度が高く、破片が大きなサイズに留まるため、
メタルジェットと破片とが干渉して、侵徹孔内に再度押し戻されてしまう現象である。
これにより侵徹効果は大きく阻害される。
複合装甲って要は甲鈑と陶器と反応装甲と母衣のごった煮じゃね
762 :
日本@名無史さん:2012/09/04(火) 03:47:30.35
醤油と海苔でどうぞ
日本の甲冑は夢とロマンで出来ている
達人じゃないと無理とかよく見るけど達人の定義って何?
766 :
日本@名無史さん:2012/09/06(木) 00:11:38.24
保護されているかどうかじゃね?
流派のトップってことか
768 :
日本@名無史さん:2012/09/06(木) 00:44:04.88
タブー中のタブーに触れたのに突っ込まれなかったなw
769 :
日本@名無史さん:2012/09/06(木) 18:34:16.27
で、結局戦国時代の備ってウィキペにあるような複雑な編成だったん?
どうも江戸時代のシステムをそのまま戦国期に当てはめてる気がしなくもないが
戦国期でも時期と地域によって大きく異なっていたと見るべき
>>769 戦争する必要の無い平和な時代の方が
乱世よりも軍編成が複雑だったと考える
その恐るべき低知能に驚愕だな
今からTVで薙刀VS剣道
さて、どうなるものやら
チャンカワイが勝ってたのに…
見てないけど軽い長物には勝てるわけがない
当てっこポイント制試合で既製品でその辺で手に入る棒(広義)使うならなら
釣り竿が圧倒的に最強だと思うわ
どうなったの?
薙刀(女子大生/三段)VS剣道(金田・チャンカワイ・渡辺正行)
金田秒殺される。脛を打たれた事に気付かない
チャンカワイ秒殺される。チャンが面を打つが審判一人しか旗を上げず無効。その後脛を打たれて敗北
渡辺、かなり粘り終始押していたが終盤に脛を打たれて敗北
三人とも剣道には無い脛への攻撃に敗れる
面白いのは三人とも一本とられた事に気付いていない
>>778ありがとう
薙刀強いな見たかったわ
ボクサーの見えてない(意識してない)パンチは効く常態か
反って苗刀使いの方が対応できそうな話だ。
>>778 ありがとう!
やっぱり薙刀の脛狙いは難しいよな
>>778 面撃ちで致命傷、脛当で守られた脛のチョン当ては無意味
2勝1不成立で剣道タレント側の完勝
>>781 それなら面打ちも兜と面頬で守られてるだろ
薙刀のチョコンと当てる感じはフェンシングに近いな
>>782 兜は防げるだろ?
剣道の面なんか思いっきり兜に打ち込んでるしな
脛当てやら面頬の話も含んでるってことは、甲冑着込んだ戦を想定してるんだろうが、兜の上から剣道の面打ちじゃさすがに無理だわ…w
顔、首、袈裟、何処を斬られても致命傷だな
脛に着けた金属板をチョンと触っても怪我すら負わない
チャンカワイなら兜割りは可能!
実戦なら薙刀女の脳髄が撒き散らされていた!
>>787 そもそも鎧つけてたら剣道の打ち込みはできないですよ。
介者剣法と素肌剣法の違いすら知らずに
突然すね当ての話をしはじめるなんて
あなたもしかして馬鹿なんじゃないですか?
>>789 そこで比較対象になるのは介者剣法じゃないよね。
甲冑を着けていても撃ち込みは出来るが
脛当を着けた脛への薙刀チョン当てで怪我を負わせる事は不可能
兜の上からも不可能だけどな
いや日本刀は兜も両断できると信じきってるんでしょ
源平合戦の頃のでっかい長巻なら兜の上から叩きつけても大ダメージじゃね?
重いし、遠心力かかるし。
チャンカワイが兜割りできるなら、榊原鍵吉のは神業でもないなw
使い手によっては日本刀で兜割りできるだろ
例えばチャンカワイとかな
>>790 >そこで比較になるのは介者剣法じゃないよね
そうだよ。この動画は素肌剣法と薙刀の試合で、介者剣法は比較対象ではない
甲冑あるとできないはずの直立の構えから
甲冑あるとできないような撃ち込みをしてる。
もしこの剣道タレントが甲冑着てたらどうなるか?
→剣道みたいに撃ち込もうとしてこける
799 :
日本@名無史さん:2012/09/11(火) 22:35:14.71
得物の長さ抜きにしてもローキック対策させずに
ライトコンタクトのボクシング対ムエタイやらすようなもんだもんな。
防御を知らない相手の泣き所を一方的にチョンでやれるからそりゃ有利だわ。
せめて得物を刀1キロ薙刀は重心が先端にある2キロとかで
調節するとかね。
>>791 面具や垂は貫通するけどな
薙刀の脛チョン当てと違って
貫通てww面打ちは突きかwww
剣道、薙刀道、弓道、杖道はあるのに、槍道ってないの不思議だよね
ずっと前から思ってたんだけど
>>798介者じゃなく素肌剣術なら脛も有効だろ
素肌剣術に脛当てなんか無いし
>>803 無効だよ、有効打になるのは面・小手・胴・突き
>>804 それは剣道だろw
介者剣術の話なのか素肌剣術の話なのか剣道の話なのか分からんぞw
>>799 >ボクシング対ムエタイやらすようなもんだもんな
その例えは的確だと思うよ。
実際ボクサーが多少ローキック対策したくらいじゃ
まずムエタイには勝てないもんな
薙刀ならトップヘビーでリーチも長いから慣性モーメントでかくて
鎧の上からぶったたたいても十分な効果あるだろう
競技なぎなたは軽すぎて別物だが
脛当てがどうのと介者剣法を引き合いに出したかと思えば、素肌剣法にも例えたり、有効なのは面籠手胴突きと剣道の話にしてみたり、よく分からん
要するに薙刀の方が戦で有利というのを意地でも認めたくないんだろ。
810 :
日本@名無史さん:2012/09/12(水) 18:59:24.56
そりゃ逃走の際に真先に捨てて行かれるような持ち運びには不便な長柄武器の方が
その分戦闘能力は高いだろ。
柳剛流が流行したことからわかるように素肌剣術でも脛は
急所とみなされてるだろ。
柳剛流みたいに脛打ちの攻防を練習した人とそうでない人が薙刀相手に
どれだけ相性が違うかの実験もやってもらいたいな。
現代異種試合は道具が十分に軽いんだから得物が長いほど有利だよ
竹刀も長さ2.5メートルとかにしても余裕で振れるだろう
通常竹刀も三八か三九を使うから定寸の刀より長いぞ。
お互い甲冑来ての試合だったら
飛び込んで間合い詰めれなくなる分
よけい刀が不利になりそう
815 :
日本@名無史さん:2012/09/12(水) 19:57:32.51
守りが堅固な分、柄を掴むとかは心理的にやりやすくなるだろうな。
敵の槍を腕に抱え込んで退散させた武士の逸話もある。
柳生石舟斎でさえ長物を刀で相手するのは不利って言ってるからなあ
江戸が平均身長170の世界なら、日本刀の定寸ももうちょっと長くなってたのかな
818 :
日本@名無史さん:2012/09/12(水) 20:11:41.61
実物に近い稽古用の薙刀はないかと検索しててたらこんなところに突き当たった。
「一対一の場合、槍は刀の速さには及ばない」ってのはさすがに言いすぎだろうが
正眼に構えるのと半身とでは確かにくらいやすさは段違いだろうな。
高野佐三郎も銃剣は短い槍と一緒だから半身で戦えなんて書いてた。
あと前の刺又の話じゃないけど、重い得物を持っているときは打たれたり
はじかれたときに腕にかかる衝撃がかなり大きいようだ。
http://hiratomi.exblog.jp/17928168/ >また、上段からであろうと下段からであろうとも槍の突きは、想像以上に遅いものだ。
刀でハジかなくとも、槍先を半身になってカワシつつ
籠手や裏籠手を切断出来るものだ。
園部さんの時代や現代でもテレビの企画とかで薙刀対剣道の試合はあるのに
剣道と槍の試合の話を聞かないのは何でなんだろう
篭手は厳しいが裏篭手は急所だな。
>>819 榊原と高橋泥舟の再現なるか、とかのテーマでやってもよさそうだな。
榊原はどうやって勝ったんだろう?
竹刀剣道との異種試合向きのポイント制槍スポーツってあるの?
銃剣道はよく対戦してみるたいだが
↓誤字が多いが、ガチ試合で管槍から一本取れるなんてすごいな。
2001年に貫流の人がフランスで異種試合やってるというのが多分それだと思う。
月間秘伝2005年三月号
天下の名流と実践力
第三部
尾張貫流槍術
28項
200年三月フランスのパリで開催された「剣道及び関連武道国際大会(第二回パリ大会)」
に尾張貫流も招待を受け、春風館の堀口精一氏、下村幸裕氏、下村直樹氏の三名が遠征した。
〜中略〜
このたびの異種試合はフランス剣道連盟顧問の吉村謙一八段のたっての希望もあって実現したものだった。
「私(幸裕氏)は吉村先生と対戦したのですが、立ち会った瞬間に『アッ』っとなったわけです。
これは吉村先生が独自に研究されたことでしょうから詳細は控えさせていただきますが、
その構えが新陰流に伝わっている、ある対槍の構えと同じだったのです」
意表を疲れて戸惑っているうちに、見事に一本取られてしまったが、すぐに気を取り直した下村氏は、
これも伝来の、その構えに対する槍構えを取って取り返したのだという。
http://misogi.org/heihou2.htm >また、全日本剣道連盟の大会にも出場し、平成13年3月には、フランスにて開催されたヨーロッパでの剣道大会に出場し、いわゆる公式の記録に残るかたちで槍術と剣道による試合を行いました。
槍だと防具着けてても当てあいしたら危険な気がする。
勝手なイメージだけど
銃剣道の肩掛け防具みたいなのをもう少し充実させてやるとか。
827 :
824:2012/09/12(水) 21:07:36.77
と思ったら下村氏と加藤氏が試合をしたのは別の年かな?
「秘伝」なら国会図書館行かなくてもどこかで確認できそうだから
読んでみたい。
>>824 この試合は槍側も対刀を研究してたから取り返したけど
海外の槍持った兵士が、対槍を想定してる侍の剣術を相手にして
簡単にやられたのも仕方ないかもしれない
>>820 ど素人在チョンの妄想と願望は要らないから
>>830 剣道家の試合見て『甲冑着けてたらすねは無効だ!』と言うのは日本人でいいのか
中山博道先生は二尺三寸くらいの竹刀で三尺八寸の竹刀の相手をコテンパンにしてたよな
「二尺三寸くらいがチョウドイイ」って言って
鹿島新当流の打太刀の人の動きを見ると片手での下段切りみたいなことやってんだよな。
折り敷いた相手に対する低い切りつけとも取れるけど、いずれにしろ
現代剣道にはまずありえない動き。
柳生宗矩は長い竹刀持った息子を気を失う程撃ちのめして
「刀が短かいなら一歩前に進めばいい」と言ってるな
>>831 剣道でも合戦でも無効だよね、脛チョン当ては
そうだね
合戦だと面も籠手も胴も無効だよね
まあ剣道でも脛は打突部位に指定されていないから無効だな。
つまり蹴りが無いボクシングはムエタイより弱い
脛の攻撃がない剣道は薙刀より弱い、という事か
刀の重さの小手がまともに入ったらたとえ西洋のガントレットをもってしても
しびれる位じゃすまないと思う。特に指。
下手すりゃ武器を落として終わりだな。
狙って戦場で出せるものなら最強の剣道技だよ。
剣道家の負け惜しみスレだな
防具の上からチョン当てしても実戦では意味が無いと言いたいんだろうけど
剣道の方もスポーツ化しまくってるわけで
剣道って介者剣術としても素肌剣術としても打突部位に疑問が残るんだよな。
K1に出たボクサーがローで負けて
「ボクシングだとロー無効なんだもん」
と負け惜しみ言ったら笑う
>>842 最低限ローの防御なりカウンターなりできないヤツは試合をする
資格もないってことだな。
まあそもそも剣道は実戦が目的じゃないから
新陰流の槍合いの構えってどんななんだろうか?
やっぱ半身なのかな?
一刀両段でやるような車の構えで相手に間合いを計らせないとかかな、
とか思ったが、防ぎにくいし単なるいい的だなw
>>836 いいや違うね、面と篭手を受ければ負傷する
>>846 戦国時代の介者剣法だともっぱら鎧の隙間を狙うらしいから
甲冑の上から叩くのは実戦的では無いのでしょう
>>840 いいえ
いつ戦乱の異世界に召喚されても良いよう備えるためのスレです
剣道家の方も武道者だけにいざその時を心配している人が多いんでしょうね
武道の嗜みがなくともスレ住人の大半がその時を脳内シミュレーションしています
かくいう私もその一人です
半裸の美女を守るどころか緒戦で雑兵に長物でヌッ殺されるんではたまりません
このスレで有益な情報を交換しあいましょう!
耐性のない菌に犯されて病気になって2ヶ月ほどで死亡
>>849 逆だろ? おまいからエイズが広まって日本が滅亡する。
>>833 江戸初期あたりに片手で打ち込むのが流行ったとかで、その名残らしいね
鹿島新当流って流祖を国摩真人にしてるから、古流の中でも歴史がえらいことになってるw
今の時点で第65代宗家とかじゃなかったかな
香取神道流でさえ今で第20代宗家
遊女の太夫さんでも可
854 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 18:25:29.78
>>851 片手で打ち込むのが流行ってたんじゃなくて軽くて片手握りしやすい
「片手打ち」の刀が戦国時代には流行っていた。慶長元和頃は重武装化を反映してか
もっと豪壮なのが流行になっている。
>>854 疑問に思ってたんだが、なんで重武装化したら豪壮なもんが流行るんだ? 非装甲部分を狙って攻撃するのなら片手うちでも問題ないだろ?
切りや突きだけじゃなく打撃用途にも使ったからとか?
856 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 20:14:30.23
>非装甲部分を狙って攻撃するのなら片手うちでも問題ないだろ?
いや、同意を求められても困るけど。
よく文禄慶長の役の経験からとか言われるけど、同田貫一門なんか
天正頃から重ねの厚いの作ってるみたいだしなあ。
まあ、狙ったところに確実に攻撃できるわけじゃないからね。
持っていた武具や甲冑で受けられることを考えたら丈夫な方が良いわな。
858 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 21:23:33.99
片手持ちの打ち込みが流行ったってわりに、片手打ちがある流派って少なくないか?
例えばの話だけど、馬庭念流とか、ちょい後に興された新陰流にもあっても良さそうなのに、新當流以外で見たことない。
途中で失伝したり消えただけ?
有名どころなら二天一流があるじゃまいか。
伝系は怪しそうだけど心眼流にも片手打ち込みがある。
明治期では武田惣角が得意としていた。
多分知らないだけで結構あったと思うよ。
861 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 21:36:43.52
>>859 新陰流だと燕飛の打太刀くらいかな?あれは新当流を仮想敵にしてるらしいけど、
逆に言うと重要な組太刀の仮想敵を片手打ちの相手とする程度には
流行っていたといえるんじゃないかな?
江戸初期の流派だけど心形刀流の乱車刀なんかも片手切りだけど、あれは
柳生から入ったのか、それとも元の流儀が本心刀流という神道流系だから
そこからかね?
862 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 21:41:17.14
あと、新当流の片手打ちも打太刀がやる場合が多い。
卜伝が左片手切りの相手と戦う逸話もあるし、片手切りを破ることが
当時の流行流派の一つのステータスだったのかも。
もちろん新当流には仕太刀がやるものもあるし、仕太刀打太刀両者が片手持ちになる
組太刀が残ってるのなんてここくらいのものだろう。
>>860 >>861 確かに言われてみれば二天一流はそうだww
でもあとは知らなかった、ありがとう!!
香取神道流には片手持ちで相手の太刀を払う動きはあるけど、払ったあとは普通に両手で打ち込むんだよね。
片手で打ち込むのもあるのかな。
星の数ほどある流派から見ると、やっぱり片手持ちは少数派かしら・・・
864 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 21:53:41.94
少数派というか時代の仇花として消えたのかもね。
でも豪壮さが求められる戦乱の時代が終わって、その後の素肌剣術期には
むしろ片手打ちが役立ちそうなんだが流行った様子もない。
例えば新当流には片手突きもあって、そういうのこそ素肌剣術で使いやすそうなんだがなあ。
もともと片手打ちは馬上での使用を考えてというのが定説だったと思うから
徒歩で争うことを想定していたら廃れていってもやむを得ないと言うか。
ところで馬上でなくバイク上で片手打ちしてたのはブラックレインの松田優作w
剣道には片手打ちもあるみたいよね
小手抜き○○みたいに、小手を狙ってきたところを小手を外して、もう片手で打ち込むやつ
>>539が紹介した本、イマイチだった・・・w
本としては決して悪くないんだが、いやむしろ良い内容なんだが、入門書の中の入門書というべきかな
少なくとも、このスレにいる人間には無用の本
2〜3週くらいゲームをクリアしたあとで、中盤までの攻略が載ってる攻略本を買う感じw
868 :
日本@名無史さん:2012/09/14(金) 22:50:53.75
鈴木説の西洋版みたいなのでもあるの?刀剣は何がなんでも役に立たないってことにしたい人でも
いるのかな?
770 :名無し三等兵[sage]:2012/09/08(土) 16:46:31.25 ID:undefined???
>>761 >てか騎士が使い始めたのが「十字架っぽいからこれみんなに配ります」とかからだもん
>まあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけど
これのソースは?
771 :名無し三等兵[sage]:2012/09/08(土) 16:49:22.54 ID:undefined???
中世への旅や十字軍の歴史とかじゃね?
そんな記述あったし
815 :名無し三等兵[sage]:2012/09/09(日) 14:47:49.14 ID:undefined???
>>771 「十字軍の歴史」見てきましたよ。
スティーヴン・ランシマン「十字軍の歴史」
P115
武器
:騎士にとってもっとも重要な武器は、剣、槍、短剣そして盾であった。
P175
ノルマンディーのロベール公がイスラム教徒を馬から剣で突き落とす図。
:剣は騎士にとってはもっとも重要な武器であった。
P195
戦う騎士
:白兵戦では剣が使われたが、弓矢も投石器も同じように重要な武器であった。
で、「てか騎士が使い始めたのが「十字架っぽいからこれみんなに配ります」とかからだもん
まあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけどまあ脇差みたいにしてるだけでみんな槍で突いてたけど」
というような主張はどこにもなかったんですが、どういうことですか?
>>868 鈴木大先生を世界に羽ばたかせようとしているファンの方々と見た!!
普通に考えて、十字架っぽい大きな鍛造品配るくらいなら
ちっこい十字架配るわな
西洋の刀剣はすべからく十字架っぽいと思ってんだろうか
まぁ、湾曲のあるサーベルが流行るのは近代騎兵からだけどね、確かに。
フランベルジュとかも十字型といえば十字型だし
873 :
日本@名無史さん:2012/09/15(土) 11:52:46.43
片刃刀のファルシオンは13世紀くらいから歩兵の武器として
それなりに流行りはじめてる。
西洋とか中国には色んな刀剣があるけど、日本はジャパニーズ・サムライ・ソードが基本だよね
世界でもかなり珍しいケースなんだろうなぁ
そりゃ西洋でくくったらいろんな剣の種類があるけど
一国の中で、しかもほとんど単一民族で
バリエーションが少ない事は別に珍しくはない
>>864 >例えば新当流には片手突きもあって、そういうのこそ素肌剣術で使いやすそうなんだがなあ。
突きと斬るのでは全然意味が違う。
日本刀を両手で使うのは、刃筋が狂わないように(斬る角度を完全に固定する)ため。
背筋や脚の筋肉等、腕以外の筋肉を最大限に利用しようとすると、両手で刀を持って斬りつける動作にならざるを得ない。
片手のメリットは、リーチが長くなること。
特定の状況でなら、上記の体の用法ができることよりもリーチを長くすることにメリットがある場合。
ただ、刃筋を保って斬るのはかなり困難。
その点、突きは刃筋を保つ必要が無いのでかなり楽。
両手斬りの方が斬撃力はあがるけど刃筋は両手持ちの方が通り難いよ。
両手の間隔が開くほど微妙な力みが伝わって刃筋を狂わす。
878 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 12:08:46.41
庭木を剪定した枝を細かくするのにナタはよく使うけど
扱いに慣れたら別段刃筋を意識することもないなあ。
グリップが楕円だからそれを保てばいいだけだし。
刃筋を難しく考えすぎる人はあまり刃物を日常的に使わないんじゃないの?
日本刀で刃筋が通らなければ竹を切るだけでも刀身を曲げたり刃を欠けさせたりするけどな。
鉈は基本片刃で刃物長も短いし片手で扱う物だから日本刀とは一緒に出来ないと思うよ。
880 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 12:44:37.65
刃筋が刃筋がいうけど、戦国とか江戸初期の文献でそれを言及してるのって
正直見たことない。それ以降のはあまり調べないからあるともないとも言えないが。
刃筋さえ通せば二本の指で振っても斬れると五輪書に書いてあるわけだが。
当時は刀じゃなくても日常的にそこそこ重さのある刈る為の道具を振ってたんだから
刀をまともに扱えない男なんて居なかったんじゃないの
>>882 水の巻の「太刀持ちやうの事」なら手の内のこと。
二本の指云々が出る「太刀の道といふ事」の「道筋」は刀の軌道だな。
荒試しのときの大慶直胤の刀なんて竹の入ってないマキワラだけのを切って
曲がってる。一方、同じ人間が試したときの山浦真雄の刀の切れ味と頑丈さは
今さら言うまでもない。
こういう実戦から離れた時代の見せ掛けだけのを含めなくちゃならないのが
日本刀の弱い点だな。
ここだとすると刃筋とは関係ないが…。
http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g202.html 一 太刀の道と云事。
太刀の道を知ると云ハ、
常に我さす刀を、指二つにて振る時も、
道筋よくしりてハ、自由に振もの也。
太刀をはやくふらんとするによつて、
太刀の道さかひて振がたし。
太刀ハ、振よきほどに、静に振心也。
一 太刀の道〔軌道〕という事
太刀の道を知るというのは(以下のようなことである。――)
常に自分が差す刀を、(薬指と小指の)指二つで振るときも、(太刀の)道筋をよく知れば、自由自在に振れるものである。
太刀を早く振ろうとすると、太刀の軌道に逆らって、振るのが難しくなるのである。(だから)太刀は振りよい程に、静かに振るという感じにする。
>>886 いや十分に関係あると思うよ。
その訳だと”太刀の軌道”と解釈しているけど自分の解釈ではあくまで”太刀の通る道”で
あって刃筋も含まれると思う。
刃筋を通すという言い方は普通にあるし力むと刃筋を乱すのは日本刀振る上で常識だしね。
解釈によっては関係ないと読み解く人間がいるのも理解できるけど剣をやっている
人間じゃないと判断してしまうな。
刃筋さえ通せば二本の指で振っても斬れると五輪書に書いてあるわけだが。
↓
常に自分が差す刀を、(薬指と小指の)指二つで振るときも、(太刀の)道筋をよく知れば、自由自在に振れるものである。
太刀を早く振ろうとすると、太刀の軌道に逆らって、振るのが難しくなるのである。(だから)太刀は振りよい程に、静かに振るという感じにする。
(あくまで振り方の項目)
↓
剣をやっている人間なら刃筋だと理解できるよ(キリッ
889 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 14:00:35.57
仮にそこで言ってるのが刃筋だとしても、「刃筋さえ通せば二本の指で振っても斬れる」とは
どこにも書いてないじゃないかw
そこの誤りすら認めないから自分が剣やってる人間というような申告さえ
ウソにしか見えなくなってしまう。
そりゃ何のために太刀を持つのか、何のために太刀を振るのかという前提があるからな。
>兎にも角にも切とおもひて、太刀を取べし。
891 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 14:09:43.73
武蔵が言うには切るときに重要なのは手の内ってことだな。
手の内さえ締めていればもちろん刃筋は狂わないし。
あと、武蔵は手の内が甘いときに曲がったり刃こぼれしたりするから
注意とか書いてないね。
切ろうと思った時点で当然刃筋は意識するだろうし、それで手の内を理にかなった形に締めて
切りかかれば自然と切れるってことだろうな。
そもそも刃筋が狂うって、どんだけ超絶ド素人だよっていう
894 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 17:04:59.09
味噌もクソも一緒だな。
刃筋を通さないと上手く切れなかったり破損を招いたりするのは刃物全般に言える事だろ
897 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 19:00:12.70
騎兵のサーベルって鈍器なの?
>>897 ソースは?どうせないんだろ。
鈍器であるなら刀剣である必要はない。
>>876 日本刀を両手で扱うのは刃筋を固定するためならなんで海外の断ち切り用刀剣は片手用が多いの?
サーベルやカトラス、ブロードソードとか(大陸の)直刀とか
900 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 19:48:42.49
まぁ切れ味落ちたら役立たずじゃ困るからなドンキな部分もあるだろ
中国の武器的には刀のほうが技術のない素人にも使いやすい、って事になってるんだよね。
剣は士官の武器で、刀は兵卒の武器。
ポン刀含めた断ち切り用の刀剣全般に言えることじゃねーか
サウジの首切り処刑動画で片手サーベルで簡単に首落としてるから
両手持ちで体重移動含めた全身運動でばっさりって動作は鎧ありきなんかな
904 :
日本@名無史さん:2012/09/17(月) 20:54:37.79
刀の重心の位置なんじゃないかな、
先にあるほうが刀自体の重さを生かせるから片手でも力が乗るけど
手元に近いなら操作性は良くなるが力は乗せにくくなる
長さってのがあると思うが日本では盾を持たずに持っている刀で相手の攻撃を
払ったりもするんで両手の方が都合が良かったんだと思う。
都合がいいなら何で片手打ちが流行るんだよ
戦利品持つから
組み討ち前提だからだろう
909 :
日本@名無史さん:2012/09/18(火) 00:02:34.94
それなら取り回ししやすくなるよう刀身はもっと太く短くなるだろ
鈴木先生でさえ厳密には首取りは右手差や鎧通しなどの短刀でやる、
これこそが本当の首取りの道具、というようなことをお書きになっているというのに。
911 :
日本@名無史さん:2012/09/18(火) 02:05:29.16
>>906 危ないからできるだけ遠くからうりゃうりゃしたいじゃん
>>911 両手で遠くからうりゃりゃしたいなら片手の方が間合いは長いだろう。
>>910 いきなり短刀抜いて組みに行っても斬られるだけだろ
機を見て組み付くためには間合いの調節がしやすい道具が必要になる
それが片手打ちじゃないかってこと
西洋刀剣も鮮やかに斬れるぜ
サムライソードより重いくらいで
>>914 それは現代の金属、製法で造った物じゃないのか?
ウーツ鋼の剣はともかくそれ以外の当時の製法で造ったもので
確かめているのは見たこと無いぞ。
向こうの人骨でザックリ切り込み傷が入ってる頭蓋骨とかもあるじゃん、日本にもあるけど
当時の金属は今ほど強度もなかっただろうし、一つの切れ味の指針になると個人的には思うのだが
書き忘れ、ごめん
あと、ドイツなんかでは罪人を斬首する時に、罪人を直立させた状態で水平斬りで首を飛ばしてたとか
何かに縛りつけてたのかは分からんけど
並木書房の「日本刀真剣斬り」に書いてあったと思う
>>917-918 十字軍以降はウーツ鋼(ダマスカス鋼)の剣が西洋にもたらされたけど、生産地は限定
されていて欧州では製造できなかったわけ。
だから所有することがステータスになったとも言われる。
そんなわけで、そういうものでも形状的に西洋刀剣とは言えるかもしれないけど、純粋に
当時の西洋の鋼技術だけで作られた剣にどれだけの切れ味があったかは不明。
まあダマスカス剣を名剣として扱っていたならそれよりは劣る切れ味しかなかったと判断
するのが普通だろうし、それを考えると日本刀と同程度とは思えないかな。
>>914 西欧剣は斬れないよ、というか物理的に同等の切れ味なんぞ望むべくも無い
16世紀にまずスペインで普及し始めた刀は斬れるけど
斬れないつっても比較の話であって人体くらいはばっさり斬れる
>>921 同等の素材で造った西欧の粗雑な剣と刀の模造品同士でさえ
切れ味や貫通力には明確な差があったよ、ソースはナショジオの実験
物理的にロングソードと日本刀を比較すると、
日本刀の方が重心点が先寄りにあるのでその分重さが乗って切りやすくなると言える。
265 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/09/19(水) 00:10:55.03 ID:duO1Q62H0
日本刀で戦うくらいなら素手で戦ったほうが強いと本気で思ってるわ。
全重量を先端だけで支えるなんて馬鹿げてる。
そんなもんより拳と蹴りのが先に当たる
物理的にロングソードと日本刀を比較すると
両刃で強度を維持する為には必然的に非常に重くて取り回しの悪い幅広にするか
切れ味の悪さを許容した鈍角に造らないと駄目っていう
日本刀と西洋刀剣を切れ味で比較するのが間違ってるわ、そしたらほとんどの刀剣の評価が不利だもん
ドバイのビルとスカイツリーだけを比べて「スカイツリーって低い」と言ってるようなもん
西洋刀剣は明確に斬れるものから甲冑の上から叩くものまで様々
斬れるやつは刀剣としては十分斬れる部類に入るよ
だから当時の欧州の製鉄技術で造った剣で確認しているのか?
929 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 09:03:05.45
>>923 ヒストリーチャンネルのガニー軍曹のヤツとは違う比較実験があるのか。
見てみたいな。
逆に、「当時の欧州の製鉄技術で作った剣は斬れない」と確認している実験も見たことないけどな
日本刀と比較してとかじゃなく、刃物武器全般の中で
実験以前の問題だからな、剣が刀より斬れないのは
況して当時の西欧で作られたのは、長く厚い形状
単一素材からなる構造など、斬れない作りの剣
日本刀の古刀も単一素材の無垢鍛えじゃなかったか?
>>918の斬首法から察するに、必要にして十分な斬れ味だと思う
西洋の刀剣っつったってかなり種類があるから、それぞれ斬れ味の良し悪しがあるんだろ
>>932 いや、全然
在野の民間学問でそういう事言ってる人は居るけど
刀が合わせ鍛えを始めたのは新刀から。
古刀は無垢鍛え、丸鍛えだよ。
小林康弘刀匠が良い刀だと言われている数百本の古刀を惜しげもなく切って、それらの材料を分析したら、心鉄がない無垢鍛えだということが分かったとしている。
その古刀に使われている鉄の特徴については、「“柔らか硬い”という感じなんですよ、矛盾なんですけどね」とも言葉を残してる。
心鉄が無いのと無垢鍛えは違うよ。また、心鉄のある古刀も多数存在する
937 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 15:54:22.71
新刀と古刀で突然くっきりと作刀法が変わるもんかね。
「斬れない」ってのは相対的な話なのに、なんで絶対的な話のように言ってる奴が居るのかね
日本刀以外は全て斬れない刀剣と思ってるんじゃないかと
「無垢鍛え 心鉄」で検索したら、心鉄を入れる・入っていることを造り込みといい、心鉄を入れない・入っていないことを無垢鍛え(または丸鍛え)という、ってなことがしこたま出てくる
941 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 17:33:34.84
日本刀はロストテクノロジーだから今の技術では再現できない切れ味と強度があった
んだよ
>>938 皆極論好きなんだよ。
切れ味が悪いことを切れないっていうが、たいていの奴は斬れないと言えば説明入れん限り木刀の様にまったく切れないという前提で話したり考えてる事が多い
日本人特有のステレオタイプに近しいものがあるかな
仕事始まって間もなくに休んだら不真面目に見えるとか、アメリカ人がみんな「HAHAHA!」な感じとかww
944 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 18:31:24.08
945 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 18:33:32.06
>>942 西洋剣は鈍器とかやたらいいまくるヤツがいるせいもあるでしょ。
946 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 18:53:19.57
稚拙な疑問だが、そもそも何で古刀から新刀になったの?
古刀のほうが優れている点も多いと聞くが、なぜそれなら弱体化させるようなことをしたのか?と思った。
>>946 それまでの安定期と比べても治安が安定したからじゃない?
948 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 18:59:25.34
別に慶長新刀になって突然地金が変わるとかないから。
>>940 複合素材の一枚鍛え、丸鍛えと単一素材の無垢鍛えは違う。
そもそも南北朝期に中国から刀が伝わった時点で
刀の製造法は生鉄片と錬鉄や鋼片を合わせて作っていたんだよ
>>944 斧でもズバズバ斬ってますよ
西欧剣は斧と同程度の斬れ味ということですね
硬いものも斧ほど切れる剣ってかなりの切れ味だな。
952 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 19:37:52.80
切れてるのか割れてるのか
>>946 そのころ技術がハッテンして一度に大量に製鉄できるようになったけど
鉄の質も変わってしまったから
それに対応して刀の製法も変わったらしい。
>>949 複合素材の一枚鍛え、丸鍛えってことは、心鉄が入ってても一枚鍛え、丸鍛えっていうのか?
合わせ鍛えとどう違うんだ?
具体的に分かりやすくプリーズ
ソースも希望
>>954 鉄と錬鉄の練材でも、一枚鍛え、丸鍛えっていうよね
俺が刀を買ったとき、刀屋さんから、日本刀に詳しくなりすぎるのも考え物だよって言われたことがあるw
詳しくなりすぎると、あれはダメこれもダメで、なかなか妥協できなくなるってw
ひたすら勉強するのは研究者と刀剣商ぐらいで、趣味の人はモノの良し悪しが分かる程度で充分だとw
馬鹿な半可通が多いから商売が成り立っているのにな
958 :
日本@名無史さん:2012/09/20(木) 10:18:44.76
血脂で二、三人云々って司馬遼太郎以前からある説なのかな?
>>958 血脂で2〜3人説の発端は俺は未確認。
ただ単に2〜3人で斬れなくなる説の発端は山本七平だけど。
最近はさらにパワーアップして、1人斬ったら刃がボロボロ説も…www
そういう連中に限って、実際に自分が試したかのように断言してたりw
日本刀は鞘から抜いてから3分経つと錆びてボロボロと崩れ落ちる
>>930 日本人の感覚としては、現在我々が日常で使っている刃物が基準だからね。
現代の爪切りでさえ日本製、一部の欧州とそれ以外の差は激しいから、とても当時の
ヨーロッパのものが今の日本人の感覚で切れる物だったとは思えない。
>>944 13世紀には十字軍により既にダマスカス剣がもたらされているし、おまけに聖書は最高に
勇ましい姿を書きたがるからあてにならないと思う。
おそらく
>>961はどんな一級資料で示しても西洋刀剣は切れないと豪語する作戦だろう
西洋刀は斬れない斬れないって言うけど何を斬れないの?
人体?紙?鉄?
現代人の感覚とか持ち出されても困るよ。
>>963 西洋刀と書くと片刃のファルシオンとかサーベル限定みたいに思えるな。
>>962-963はいつの間にか西欧剣から西洋刀剣にすり替えてきたなw
中東の刀や中世末期(16世紀後半〜17世紀前半)以降の西欧の刀はそりゃ斬れるよ、それ用に作られた武器だから
サーベルじゃ日本刀には及ばないけどね
なんか痛い日本刀オタを演じてる人に見えてきたわ。
相手しないほうがいいな。
古代ローマのグラディウスでも人間くらいばっさり斬れる
968 :
日本@名無史さん:2012/09/20(木) 18:19:11.03
精養軒は角材の平らなとこと尖ったとこどっちが痛いかみたいなもんだな
刃の鋭さで斬るという発想で作られてはいないと思う
>>967 あれはむしろその切れ味を相手が恐れるような類の武器でしょ。
>>968 そろそろソース下さい。
>>967 グラディウスでも、ばっさりは斬れないな
それにグラディウスは中世西欧の剣と違い、剣の中でもかなり幅広かつ短い
>>969 何のソースが欲しいのかな?具体的に書かないと解らないよ
あと、願望を垂れ流すだけでなく、偶には資料を提示してみようね
ただの荒らしだな。これは相手をしないに越したことはない。
切れる切れると言っている奴らは反対に現代鋼で造られた物だけを
頼りに言っているだけだろ。
こんなん見付けた。
日本刀の話にも近しいものがあるかなと思って、書き込み申す。
日本刀真剣斬り(兵頭二十八×籏谷嘉辰)のP158より
籏谷:研師仲間の所に、数年前にドイツから幾振りもの剣が研ぎに寄越されていました。
その中に、5世紀頃の剣というのが2振りあって、研究のために研ぎ上がったところを見せてもらいました。
どちらも良く鍛えてあり、1振りは刃紋はなく、全体に焼きが入っていました。
もう1振りは刃紋がありました。
友人がその剣を、地鉄については第一人者で人間国宝の天田昭次さんのところに持参したら「正倉院にあってもおかしくないですね」と言われたくらいに、本朝の古代刀と同じだったそうです。
鉄鉱石を炭で還元して、折り返しをやったと思います。
ひとつは柾目鍛えで、もうひとつは日本にはない「ねじり鍛え」であったそうですが。
以上。
「へぇ〜」と思った、勉強になった。
暴れてる奴は日本刀オタじゃなくて人体最強オタなんではなかろうか
>>878 鉈みたいな分厚くて短い刃物と日本刀を一緒にするなよ。
使い方があまりに違いすぎる。
>>976 刃筋のこと言ってんだけどね。鉈だって扱ったことない人にやらせると
最初は苦労してるよ。でもある程度数をこなすうちに刃筋を立てるにはどうすればいいかの
要領を感覚で理解するようになる。
単純に切れる切れないで言ったら模擬刀でも腕があれば一寸ちょっとの竹を切れるからな。
基準がなければ話しにならん。
979 :
日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:59:58.22
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1322118697/l50 669 :日本@名無史さん:2012/09/22(土) 08:46:10.32
日本刀って、倭寇みたく狭い船の上では突いたり切ったりできたから良い武器だったろうけど
普通の戦じゃあまり役に立ちそうもないよな
両手持ちであんな細っぴーんじゃ耐久性も無さそうだし
日本刀って、マジでサムライのシンボルってか、実用武器じゃなくて決闘用の武器だろ
670 :日本@名無史さん:2012/09/22(土) 09:56:42.18
>>669 倭寇の胡蝶陣とか長蛇陣なんて船上でやる陣形じゃないんだが。
とりあえず知識不足なのはよくわかったわ。
671 :日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:24:00.50
http://www.japanology.cn/japanese/book/nihonzo/07/2.htm 李言恭と郝傑の共著による『日本考』に「寇術」の一節があり、倭寇の常用するさまざまな戦術が紹介されている。いくつか挙げてみよう。
(1)胡蝶の陣。明軍と対陣するとき、首領が扇をふるうと、倭寇らは一斉に刀を振りまわし、光の反射で満天を舞う胡蝶のようにみえ、明軍の集中力を攪乱した一瞬に、敵陣に切りこむ。
(2)長蛇の陣。倭寇が集団で移動するとき、百脚旗(蜈蚣を印とした旗か)を先導にして長蛇のような細長い隊列をなして進む。命知らずの武者を前後に配して、攻撃するときに鋭い矛となり、退却するときに堅い盾となる。
672 :日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:50:26.48
>>670 倭寇はどーでもいいから
日本刀ってサブウェポンにしかならない
象徴的な武器だろ?
使えるのはタイマンはる時だけだよな
>>977 だから、刃筋にしても、日本刀とは使い方がかなり違う。
鉈は遠心力使えば比較的簡単。
で、上の方に津本陽の話が出てたけど、分厚いから
(切れ味重視の)日本刀のような繊細なレベルで刃こぼれを心配する必要が無い。
わざと噛みあわないようにしてるみたいだな。
別にいいけど。
刀は遠心力使わないんですか?
試斬の大家の中村泰三郎氏も『活人剣抜刀道』で「刀線の刃筋と
「円形線」」が大切であることを繰り返し説いていますが、
その円運動には遠心力が伴わないんでしょうか?
そもそもナタは押し切りで、刀は引き切りじゃないの?
>>981 どこがだよ。
そもそも、居合か古流の剣術かなんかで木刀ぐらいは振ったことあるの?
鉈使った経験だけじゃ理解できるわけ無いし。
>>982 使うよ。
ただ、日本刀の場合は技によって遠心力の利用し方とか、遠心力に頼る度合いがいろいろ。
遠心力だけで刀を使えない振り方の場合は難易度が増す。
斧、鉈、鎌といった道具の場合、それぞれ道具の形が用途で決まってるから、
振り方も一つしか無い場合が多いけど。
>>977 鉈でも初めは刃筋を意識しないと苦労しますと言っているわけだろw
こういう場合の遠心力って、スイングの回転運動の中で
自然と腕を伸ばされそうになる力のことでいいのかな
実際の因果と逆だけど
>>982 斧とかナタなどの単用途道具は、その用途に合わせて重心を決めて作ってあり、遠心力の力を利用しやすくなっている。
極端に上部に重心を持ってきている道具は特に、その重さを利用するとくるっと回って使うのが簡単。
万能の道具でそういう重心の持ってきかたすると、他の使い方がやりにくくなる。
本来鉈は遠心力を使わないよ。
昔の鉈はリベットで留めないで差し込んだだけだから下手したら刃がすっぽ抜ける。
>>984>>986 極めて刃物の扱いに疎い現代日本人が遊びでかじった程度で
扱えるようになる、扱い易い刃物だよ日本刀は
そりゃ庖丁だって素人が使って野菜くらい刻めるからな。
でもプロの料理人と同じように使えていると思うのは浅はか。
それと同じこと。
俺の手刀が最強
確実に鎖骨を折る!
>>991 いや多分990は、すでに2、3人首を斬ったことがあって言ってるんだろう。
>>990はどんな基準で扱えるようになるとしているんだろうな
鉈も用途によって形が結構違うからなぁ。
どのタイプか書かないと、話がいまいちかみ合わない気がする。
>>994 日常で包丁より重い刃物を使わない
刃物の扱いに非常に疎い現代日本人ですら
遊びでお稽古した程度でも刃筋が狂う事は無いよ
片手抜き打ちでもか?
あれで綺麗に水平斬りするのは経験者でも難しいぞ?
>>982 刃の重みを利用し、自分の手を軸にしてくるっと回すように振る場合の話だと思う。
中国の刀はそういう使い方するから簡単。
999ならシャベル最強
1000ならオオクワガタ最強
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