1 :
日本@名無史さん:
三国志の『魏書』巻三十は「烏丸鮮卑東夷伝」です!
その最後に「倭人在帶方東南大海之中・・・」で始まる倭人の条があります!
これをふつう「魏志倭人伝」と呼んでます!
日本の古代史の解明に欠くことのできない第一級の史料でつ!
さあ、魏志倭人伝を、みんなで読んでいきましょう!
でも元々は中国の文献・・・、解釈が難しいところもあります
そこはプラムさん(河童さん?)、読解の手ほどきしてくれないかな?
関連スレ= 「♪邪馬台国 ドンと来い♪ 14」
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1171175255/ 荒らし厳禁です。そんなレスはスルーしましょうね
2 :
1:2007/02/21(水) 04:41:45
3 :
1:2007/02/21(水) 04:43:15
ではでは、ここ(冒頭)から行きましょか
>倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑.舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國.
「今使譯所通三十國」は、ちょと意見の相違があるんじゃないかな〜?
4 :
1:2007/02/21(水) 05:07:01
>>2 訂正、つーか、ちょと追加でつ。スマソ
× その巻三十に東夷伝があり
↓↓↓
〇 その「魏書」の巻三十に東夷伝があり
5 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 07:17:53
スレ主さん 乙です。
ここに おじゃまします。
河童は巣に帰りました。
6 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 07:51:12
>>3 >「今使譯所通三十國」
(私見)
「今使譯所通三十國“從”」と します。この從は 通説である「從郡至倭…」ではなく、(使譯所通三十國)にかかる“從”であり、
郡からの往来を三十国(邪馬台国三十国体制)全体で対応した。 と なります。『今』とは 勿論 魏時です。
『從/したがう』は一般的に 人や生き物に対応した 文字であり、それ以外のものには『循』をあてます。『從/〜より』 と、基点を表す為に使用するにもルールがあり、
関連熟語に、(従前 従来、…)などがあります。
7 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 13:26:48
【漢字から見た魏志倭人伝】
『從/〜より』の使用法則
先に述べたように
(〜より/前置詞)関連熟語として(従前、従来)がありますが
これらの使用共通は
【時間的に〔今/基点〕に向かって、過去から基点(今)に下る事】(〜より)と、なります。
※昔“より”今日(基点)に至るまで=〈従来〉
次にこれを通説となっている『從郡至倭』に当て嵌めてみます。
【漢字から見た魏志倭人伝】
※通説『從郡至倭』(郡より倭に至るには)
時間経過で見ていくと、明らかに(郡→→倭)となり、倭の方が郡より時間が経過しています。
すると、『從〇/〜より』に矛盾が?
本来、基点に向かって時間が過ぎるのに、ここでは(基点/郡)より倭の方向へ時間が経過しています。
倭に向かう使者が洛陽からの使であり、
途中郡を経由しても、この場合、『從京至郡』(郡基点)としなければなりません。
『從郡至倭』で『從』を(〜より)として使用する場合、基点は『倭』になり
次にくる『循海岸水行…』に矛盾
【漢字から見た魏志倭人伝】
時間経過、基点の位置関係等から考えると、この通説『從郡至倭』(郡“より”倭に至には)の『從/〜より』の使用は矛盾するものです。
詰まり
先に述べた様に、
●(通説)從=〜より
『…今使譯所通三十國』『從郡至倭循海岸…』
の、文節切りは間違っており
●(私見)從=したがう/動詞
『…今使譯所通三十國從』『郡至倭循海岸…』
と、し
『郡至倭』の意訳は(郡を基点に倭の範囲)と、なります。
(郡より倭に至)等というちっぽけな行程ではなく、『倭の範囲』と言う壮大な書き始めなのです。
10 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 15:11:07
>>3 >舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國
昔100いくつの国があったが、今30国になっている、ということか?
1.最近の市町村合併みたいに整理統合された結果なのか?
2.弱肉強食の戦いの結果なのか?
それとも、漢時の昔は100いくつの国々と使駅が通じていたが、今は
それが30国に減った、すなわち残り70いくつの国々は今は判らん、と
いうことか?
11 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 15:26:55
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
12 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 15:32:27
【漢字から見た魏志倭人伝】
(郡より倭に至るには)と(〜より)と 使用したい場合の使用例を上げれば、倭人伝の中でも使われている
『“自”郡至女王國…』
の様に『從』ではなく『自/〜より』とす可きでしょう。
13 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 15:56:05
>>10 疑問の続き。>今使譯所通三十國
旁國として国名のみ記された国々が21国ある。これにプラス、
對馬國、一大(支?)國、末盧國、伊都國、
奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹(臺?)國
の8国で、計29国となる。とすると、あと1国はどれか?
1.狗奴國。(しかし卑弥呼と不和だったんだろう?)
2・狗邪韓國。(しかし半島にあり、倭人の国なのかどうか?)
また奴國は二つ出てくるが、勘違いによる同一国とすれば・・・???
14 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 16:15:31
>>10>>13 たぶんここに
>>3(スレ主)は来ない(来るかもしれないけど)とおもいます。
このスレは、私をこのスレに隔離するため立てたスレ。
今ここに居るのは 貴方と私の二人だけです。
15 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:49:25
>>14 >このスレは、私をこのスレに隔離するため立てたスレ。
>今ここに居るのは 貴方と私の二人だけです。
いやいや、そう捨てたものではない。案外良スレだと思う。
邪馬台国関連スレでは、倭人伝そっちのけの連中が多すぎる。
記紀の倍暦云々・・・私は嫌いだ。もっと倭人伝を丁寧に読むべき。
ドンと来いシリーズは間口が広すぎて、議論が噛み合わない。
私には倭人伝を独自解釈する力量は未だしだが、疑問は色々湧く。
真摯に倭人伝と取り組んでおれば、次第に参加者も増えるだろう。
よろしくご指導願いたい。
16 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 17:52:34
>>15 >いやいや、そう捨てたものではない。案外良スレだと思う。
邪馬台国関連スレでは、倭人伝そっちのけの連中が多すぎる。
記紀の倍暦云々・・・私は嫌いだ。もっと倭人伝を丁寧に読むべき。
ドンと来いシリーズは間口が広すぎて、議論が噛み合わない。
私には倭人伝を独自解釈する力量は未だしだが、疑問は色々湧く。
真摯に倭人伝と取り組んでおれば、次第に参加者も増えるだろう。
よろしくご指導願いたい。
こちらこそです。
参考にはならないと思いますが
>>10>>13 の問いにレス入れておきますので、
御伽噺気分で眺めてください。
17 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 18:40:33
>>15 >>10の問いに対するレスです
>舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國
昔100いくつの国があったが、今30国になっている、ということか?
1.最近の市町村合併みたいに整理統合された結果なのか?
2.弱肉強食の戦いの結果なのか?
それとも、漢時の昔は100いくつの国々と使駅が通じていたが、今は
それが30国に減った、すなわち残り70いくつの国々は今は判らん、と
いうことか?
●後発となってしまった范曄は(後漢書倭伝)にて 陳寿の『舊百餘國』の文を見て
『凡百餘國』と記述した
(凡百)= 辞書にも記載あるように、この百は数詞としては扱われておらず(さまざま・・・)
陳寿の百も数詞でない確率が高いと考えられ、(百貨店、百面相、・・・)と同じ意味かと(さまざまな、数多くの)
要するに、残り70とかの問題ではないと考えます。(元々100と言う意味ではないので)
舊(百餘國)多くの国が(凡百餘國)さまざまな国が
18 :
九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 19:34:06
>>17 プラムさん、具体的にはどういうこと?
100余国あったのが30国に減ったのではなく、「朝貢するのが30カ国に減った」と読んでるけど。
倭国大乱の後約30カ国の邪馬台国連合がそのまま朝貢したと考える方が自然では?
19 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 19:58:02
>>15 >>13の回答です。 ここは私見結論だけ
>1.狗奴國。(しかし卑弥呼と不和だったんだろう?)
●多分ここからの判断かと思われますが
『其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王』
『其八年太守王kui[扁斤旁頁]到官倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和』
(不和)=三十国除外は早計かと
狗奴國も三十国の一つです。(ここは結論だけ、理由は行程記事解析が終了してから)
>2・狗邪韓國。(しかし半島にあり、倭人の国なのかどうか?)
●倭人の国という記載がありませんから(韓国と)三十国には含まれません
>また奴國は二つ出てくるが、勘違いによる同一国とすれば・・・???
●勘違いと、後世の史書編纂者達がいっているのでしょうか? つまり主観判断ですね
(私見結論) 二つの奴國は同じです。(行程記事解析の途中で必ず触れる所ですので、そのおりに説明します)
>三十国
● 對馬國、 一大國、 末盧國、 伊都國、 奴國、 不彌國
投馬國、 女王國、
斯馬國、已百支國、伊邪國、都支國、彌奴國、好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、
呼邑國、奴蘇奴國、鬼國、爲吾國、鬼奴國、邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國
狗奴國、 朱儒國 (計三十国です)
>>18 >100余国あったのが30国に減ったのではなく、「朝貢するのが30カ国に減った」と読んでるけど。
倭国大乱の後約30カ国の邪馬台国連合がそのまま朝貢したと考える方が自然では?
●倭人在帶方東南大海之中依山島爲國邑(舊)百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從(陳寿)
●倭在韓東南大海中依山嶋爲居凡百餘國(自武帝滅朝鮮)使驛通於漢者三十許國(范曄)
私は同範囲内にて沢山の(邑)が(自武帝滅朝鮮)以降(三十国)に集約されたと見ています。
つまり、邪馬台国三十国体制のたんじょうです。
范曄も(自武帝滅朝鮮)と陳寿の(旧)の文字を漢時に置き換えていますので
私にはそれだけしかここでは汲み取れません。
>>19 ほう。プラムは朱儒國を三十国に含めるのか。
22 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 20:35:07
>>21 自信をもって『ハイ』
(理由は まだ先の話ですからそこに辿り着いた時)
23 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 20:49:00
>>18 朝貢するのは
後漢時も魏時も変わらず三十国纏めて代表が
『後漢時』
自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國(三十国がゆるされ)
『魏時』
今使譯所通三十国從(三十国を従え)
【漢字から見た魏志倭人伝】
『郡至倭』(郡を基点に倭の範囲は)
続きです。
『郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千余里』
「循海岸」(海岸に沿って)
→この場合、『海岸』とは(海と陸との境部分で、陸地側の事です。)
『沿う』とは
その海岸の両サイドにあたる@陸地域とA海水域の二通りに別けられ、「循海岸」だけでは判断出来ません。
その二通りの選択の内どちらかを指定する為、次の『水行』の文字が用意されているのですよ。
要するに、海岸に沿って移動する場所は(海水域)だと
『循海岸水行』(海岸に沿って海水域を進む)と
25 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 22:53:53
【漢字から見る魏志倭人伝】
これではまだ、どの海水域を進むか位置が特定されないので、次に『歴韓国』の文が
『歴韓国』の文章は、韓国を徒歩にて横断したり、川を遡る為に用意された文言ではなく、『循海岸水行』の進行航路の位置を知らしめる為に用意されたものです。
『歴韓国』(韓国をへる)と
『循海岸水行歴韓国』
(韓国の海岸水域に沿って航行する)と
『歴』は、韓国の海岸水域を航行すれば、自然と様々な地域を通過するので (歴)なのです。
沿岸の馬韓にしろ弁辰にしろ、その中には様々な国があることは韓伝に書いてありましたね
『経韓国』ではなく『歴韓国』と書いてあるのは そのため
『経 と 歴』の違いは後ほど
26 :
九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 23:26:03
まあ、邪魔する人が居ないから落ち着いて読める。
プラムさんも水を得た魚のように元気だし。
でも難しい。
27 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 00:03:58
そのうち レス纏めて本でも出そうかな? demo 文才ねえから無理か
28 :
九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 00:29:55
サガミハラハラさんのように、自費出版してみるのも面白いかも。
29 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 10:11:09
【九州ですが氏 注目】
別すれにての会話
668(九州ですが)
>倭にはたくさん魏から人が来ている
●やっぱ、これはマズいよ! 魏であることの特定も出来ないし、イッパイという量の判断も出来ない。
669 (名無し)発言
>文献も考古事実も無い。
(あるよ)
文献史実 『郡使往来』
ここで生きてくる
『往復』と『往来』の違いが
これで解らなきゃ 議論無用(価値なし) ムダ
30 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 11:33:34
【漢字から見る魏志倭人伝】
これから先多数登場する『至と到』 そこに触れる前に、(前説明)
『至』について
「至」=音/シ 訓/いた‐る
この「至/いた‐る」、正確には(いた)で、これだけでは全く意味が解りません。 これは漢字一文字だけの「至」も同じ事です。前後に他の文字(文とし)を加え、初めて意味をなします。
※訓「いた」も同様で、「いた」の後に(ラ行)の“送りがな”が付きはじめて意味ある言葉になります。
(いた)‐らば
(いた)‐り
(いた)‐る
(いた)‐れ
(いた)‐ろう
と、
31 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 11:53:55
【漢字から見た魏志倭人伝】
漢語『至』=和語『いた』
漢字の『至』も和語同様(至)一文字だけでは字義はあれども 文としての意味は有りません。
『至』も前後に別の文字が加わり 意味が生まれます。
(至高)(至極)(夏至)(必至)の様に
●和語(いた)は(ラ行)が加わり 意味が生まれ
『いた』+『る』=(至る)と言う“動詞”が生まれます。
普段私達が何気に解釈している【(至)=(いた‐る)】は、漢語と和語の間に生まれた 誤認識となります。
『至』≠(いた‐る)が正しいのです。
32 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 12:36:23
【漢字から見た魏志倭人伝】
『至』=(いた)であり、『至』≠(いた‐る/動詞)で無い事は説明しました。
実はこの(いた‐る)と言う動詞に相当する『至』を使用した熟語が 存在しないという事が。
詰まり、『至』と言う文字に、読み下せるように(る)とルビふる事は 誤った行為だということです。
和語『至る』と 漢語『至ル』は 決して同じではなく、それどころか『至ル』自体が誤りと いう事実が!
その区別の為に、もう一つの『到』(到る/いた‐る)があるのです。
漢語『至ル』ではなく『到ル』なのです。
33 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 13:41:38
【漢字から見た魏志倭人伝】
『至』の文字に『至ル』とルビふる行為が 間違いと断定してしまうと 少し過言すぎるので、
(誤解しやすい行為)と、しておきましょう。
34 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 15:32:48
【漢字から見た魏志倭人伝】
では『郡至倭循海岸水行歴韓國…』の続き
『乍南乍東』
一般的には(たちまち南したちまち東)と、和訳されていますが
イメージとして かなり緊迫感を与える表現であり、よく言われる『島や暗礁を避ける』行為とは程遠いと、まるで急流下りです。
それなら、平安期頃に表現された(〜し“つつ”)から発生した『〜しながら』が、もっとも相応しい表現かと
●「南しながら東、東しながら南」と、
船首は南に向いているが何等かの要因で東に、東に向いているが南にと
ここは 『〜しながら』と和訳します。
35 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 17:06:12
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
36 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 20:12:08
【漢字から見た魏志倭人伝】
『至』を元に出来た文字の中に「到 ・致」があり、どちらも(いた)と訓じられ、
先にも説明したように『至』は(ラ行送りがな)が付き 意味をなします。
そして『到や致』も
『致』+(サ行)
『到』+(ル)
で 意味とし効果します。
『至』は(ラ行)全てに効果するけど、『到』は面白いことに(ル)だけしか効果せず、まるで『至る』の補助的用語見たいです。
37 :
九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 20:18:11
御心配いたみいります。まずはお礼まで。
38 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 20:35:22
【漢字から見た魏志倭人伝】
『到』(音 トウ )
この文字もやはり「至」同様(いた)であり(ル)が送りがなとなり“動詞”として効果します。
しかし「至」とは違い「到」の文字は
(到着、到来、到底)の様に、熟語として“動詞”効果が存在し、ルビ(ル)が 「到」に付加され『到ル』となり、
ここが漢語『至と到』の大きな違いです。
特に『至と到』の文字は行程記事に於いて『着点』として大変重要な使い分けが行われ、注意しなければならないところです。
では、実際に解釈してみましょう。
39 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 20:37:10
40 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 21:25:34
【漢字から見た魏志倭人伝】
『着点、至と到』
行程文区間距離に○○里と明確に数値が記載されれば、そこには測量に伴う基点と
着点が存在し それは面ではなく点であることは道理です。
倭人伝は書である以上、その起点・着点を文章にて表現しなければなりません。
距離測量行程記事ではなく、単にその土地の位置関係であれば、通常その地域の中心地域から目的範囲の
中心地までの゛道のり或いは最短距離となりますが
行程記事に関しては【移動手段が明確化】されていますので、起点と着点も明確にしなければなりません。
そこが、通常地理志と倭人伝行程記事の違いです。
周りを見渡すと、この辺が曖昧になり結果トンデモない和訳が発生するところです。
では、着点『至と到』を点としてどのように表現するか説明します。
41 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 21:52:48
【漢字から見た魏志倭人伝】
『至と至』
簡単に説明すると
●『至』という文字には(限定された範囲)という文字本来の意味があります。
これは、熟語(冬至、至急、至福・・・)などからも判断できると思います。
詰まり 「至」には(点が存在しない)ことがこれで判り、先にも述べたように動詞的な移動もこの文字自体には存在しないと
いうことです。
●『到』文字には(限定された範囲の境で、進行方向に接する地点)という地理的文字本来の意味を有している事です。
到の文字は(いた-る)と動詞活用する事ができ、熟語(到着)と同じような効果が発生するという事
この「到」の文字には文章にて【明確に着点】を表す為の効果が発生するという事です。
文章において、地理的環境により明確に(点)を設ける事の出来ない(同水域内・或いは同陸域内)に
着点を設ける時などに最適な文字なのです。
だから 訓(いた)に対して送りがな(ル)だけが効果し、【到ル】と動詞活用ができるのです。
42 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/22(木) 22:17:39
【漢字から見た魏志倭人伝】
通常『到』という文字は余り多く使われませんし、倭人伝行程記事内でも
●郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
●東南陸行五百里到伊都國
の、二ヶ所だけの使用だけで
明らかに文中にて点を確認出来る、 (水行から陸地へ、陸から水行へ)と
地理的条件変化により『港』が点と判る文中には改めて『到』と、点を設けることなく『至』とし範囲
だけの記述で、十分対応できるのです。
だから『又渡一海千餘里(至)末盧國』この文は、末盧の港であることが容易に判る為
『到』ではなく『至』と記述したのです。
43 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:21:41
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯所通三十國
和訳:倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で成り立っていて、
もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する者もいたが、今は使者や通訳など
通ってくるのは、30カ国である。
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至
對馬國其大官曰卑狗福曰卑奴母離所居絶方可四百餘里土地山險多深林道路如禽
鹿徑有千餘戸無良田食海物自活乗船南北糴
和訳:帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、南に行ったり
東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。
それから初めて海を渡り、一千里余りで対馬国に着く。この国では、
大官を卑拘といい、副官を卑奴母離という。この国は孤島で、面積は四方四百里余りある。
険しい山や森林が多く、道路は禽や鹿の踏み分けた道のようである。
千戸余りあるが、良田は無く、海産物を食べて自活しているが、船で南北の方へ米の買いだしに行く。
又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢
林有三千許家差有田地耗田猶不足食亦南北市糴
和訳:さらに瀚海という名の海を南の方に千里余り程渡って行くと、一大国(一支国)に着く。
ここでも官を卑狗、副官を卑奴母離という。四方三百里で、竹林や雑木林が多く、
三千戸ばかりの家がある。田畑は少しはあるが、食べるのには不足しているので、
この国もまた、南北へ米を買いだしに行く。
又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深
淺皆沈沒取之
和訳:また、千余里程海を渡ると末盧國に着く。四千戸余りあり、山麓や沿岸沿いに居住している。
前の人が見えないほどに草木が生い茂っている。水の深い浅いに関係無く住民はもぐって魚や鰒(あわび)を捕る。
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國
郡使往來常所駐
和訳:陸に上がって東南の方に五百里ほど行くと伊都国に着く。官を爾支といい、
副官を泄謨觚・柄渠觚(せもこ・へここ)という。千戸余りある。代々王がいるが、
みな女王国に属している。帯方郡使が来るときは必ずここに滞在する。
東南至奴國百里官曰馬觚副曰卑奴母離有二萬餘戸
和訳:東南の方に百里行くと奴国に着く。官を馬觚(しまこ)という。副官を卑奴母離という。二万戸あまりある。
『至』 は魏使が実際に訪れたという表現で
『到』 はそちらに行きますと○○国ですよーという案内文でいいんじゃない?
46 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 11:59:15
>>45 >いいんじゃない
じゃあ『致』はどうするの?
その場しのぎに曖昧な解釈していたら、漢字自体意味が無くなりただの抽象画になっちゃうんでは?
決まった法則がありからこそ、皆が平等に使えて便利何では?
47 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 12:41:59
【漢字から見た魏志倭人伝】
前置きとして簡単に『至と到』の使い分けを説明したので、先へ
次は
『到其北岸狗邪韓國七千餘里』
●
『到』(到る)
『其北岸狗邪韓國』(北の岸に狗邪韓の範囲)
『七千餘里』(郡から到其までの区間距離)
『其北岸』
其が意味する対象は、当然(倭人在帯方東南大海之中)であり、大海の中に視点を置き「大海の北の岸」となります。
其(大海の中・水域)の北の岸に狗邪韓の範囲が在ると
詰まり、『到』とする着点は、倭の領海域と韓の領海域の境に(同海域内)、進行航路が接した 地点 と、なります
48 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 13:01:41
【漢字から見た魏志倭人伝】
郡を基点に倭に向かった船は韓半島南海域で韓領域の終を迎えた。そこが『到』(着点)になる訳です。
その着点の北の岸には、韓半島南岸に位置する狗邪韓域があり、その「着点」までの区間距離が 七千餘里ということです。
もう一つ付け加えるなら、その「到/着点」は、次の目的までの「発点」でもあるのです。
だから狗邪韓國に、寄港した。等という解釈は(倭人伝に限れば)間違った解釈なのです。
49 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 13:18:43
【漢字から見た魏志倭人伝】
『狗邪韓国』
陳壽がワザワザこの地域を記述したのは、行程文に於いては『到/着点』の目安(目印)にしか過ぎませんが、後ほどの外交記事に深く関わって来る為に記述した地域で有ることを付け加えておきます。
これで
『郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里』の文節、韓領海域水行程が修了しました。
(郡を基点に倭の範囲は、韓の海岸に沿い船にて(乍南乍東)しながらへり、狗邪韓域の南水域(韓・倭の境)に着いた。その区間七千餘里)
次からいよいよ『倭領域』です。
50 :
阿蘇山は移動した:2007/02/23(金) 16:49:09
旧は、昔はという程度。あつまって30になったか?100あるが
30だけ通じるのかは、判断できない。
渤海は、砂漠のようなの意味。対馬から壱岐は、60kmで54km
まで見えないので、ここでこう表現した。韓国から対馬は見える。
壱岐から九州はみえる。
51 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 16:56:14
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
52 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 16:58:32
>>50 四世紀にGoogleEarthあったっけ?
>>50 渤海じゃなくて瀚海(かんかい)だろ。
対馬のナントカ山だったかナントカ展望台だったか、
韓国も壱岐も、それに九州本土も一望に見えると聞いたんだが。
プラム氏おつかれ。聞きたいこともあるがまた今度。
ある程度進んだら、「倭人伝 プラム流現代日本語訳」として
纏めてくれるなら有難い。
54 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 18:11:17
>>53 >プラム氏おつかれ。聞きたいこともあるがまた今度。
ある程度進んだら、「倭人伝 プラム流現代日本語訳」として
纏めてくれるなら有難い。
了解 かなり時間かかるけど
>>53 対馬から韓国は展望台なんか登らなくたって見えるよ。
壱岐より韓国のほうが近いもん。
56 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 20:09:18
【漢字から見た魏志倭人伝】
マズ倭領域に入る前に、韓半島から対馬への渡海コースでは無かった事が、次に登場する『始度一海…』の記事で確認できます。
仮に半島から対馬のコースだったら
『始(度)一海』ではなく、(渡)の文字を使用しているからです。
『度と渡』の違い
『渡』(音 ト/訓 わた‐る・ス)
意味は、アルものを挟みそのアルものを移動し、対側に移るという行為を「渡る」といいます。
『度』(音 ド/訓 たび)この文字にもやはり(わた‐る)という訓が存在し、この文字の(わた‐る)は、(過ぎるとか通過する)の意
57 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 20:45:20
【漢字から見た魏志倭人伝】
『度』(音 ド/訓 たび)この文字にもやはり(わた‐る)という訓が存在し、この文字の(わた‐る)は、(過ぎるとか通過する)の意
●『渡と度』(わた−る)の違い
この二つの文字の最もな違いは、その(わたる)とするものの【範囲】です。
『渡』(わた−る)は
必ず(起点と着点)が存在し、その【範囲が限定され】
そして、地理的には其の距離表示は基本的に最短距離表示ということです。
『度』(わた−る)は
そこに(起点と着点)は設定できず、【範囲が限定されない】ということです。
すると、韓半島(仮に金海)或いは(私見・到其着点)→対馬間は当然範囲が限定されていますし起点と着点が設定(数値千余里)されますので
『渡』の文字設定となり 倭人伝文中『度』とは一致しません。
しかしその『度』の文字も先ほどの解釈事例から(範囲が限定されない)外れており
●『度』を(わた−る)という動詞的解釈はできないということです。
58 :
阿蘇山は移動した:2007/02/23(金) 21:28:29
あーまちがえた。それが正解。
対馬からみるのは、山の上でなく、海面からです。船は、何を目標にしたか
ですから。船からは見えないのです。ぜひ、お試しあれ。
59 :
阿蘇山は移動した:2007/02/23(金) 22:55:33
狗奴国は、プラム氏と同意ですが、朱儒國 は、いただけない。魏志に出て
くる場所が悪い。まあ、裸国は、1年で、朱儒國 は、里だから違うとい
われるのでしょうけど。私は、やはり、奴国を2つにしたと思う。
私も、プラム氏と同じで同じ国と思います。しかし、書いたのは、陳寿です。
かれが2つとかぞえたので30国としただけです。世間では30国から
逆に2つ別国としてますが、同じ名の国が2つあるはずない。1文字脱字
説などトンデモ説です。重出説とすると魏志がよく理解できる。また、先
へ進んだ時に。
60 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/23(金) 23:10:45
>>59阿蘇山は移動した さん
その辺りの解釈は順を追って説明します。朱儒國はディープインパクトより鉄板ですよ
なにしろ、倭人伝だけじゃなく記紀からも読めますから それもメインで
今はただただ前に進むだけ
解釈の済んだ部分についての質問には出来うる限りお答えします。
申し訳ありません。
61 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/24(土) 23:48:52
【漢字から見た魏志倭人伝】
始度一海千餘里至對馬國
其大官曰卑狗副曰卑奴母離所居絶島方可四百餘里土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無良田食海物自活乘船南北市糴
又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國
官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢林有三千許家差有田地耕田猶不足食亦南北市糴
又渡一海千餘里至末盧國有四千餘戸
濱山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之
ここの部分は前後の文的関係が如実に現れている個所ですので一気に解釈します。
(先ずは)
@始度一海千餘里至對馬國
A又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國
B又渡一海千餘里至末盧國
この三箇所の比較です。 その中で『又』の使用例と『方位』の脱落を見てみると
『又』の文字
倭人伝には(マタ)の文字が(又、亦、復)と、それぞれ違った意味で使用されています。
その中で、「又」の役割は 前文の事例を【一度だけ繰り返す】と言う意味です
つまり、Aの『南』という行為を@でも行われていたので、@では書かなくとも『又』の文字を利用し、
この解釈により、『始度一海』の中にはAの『又』の効果により(南の文字が入って)るということ
そしてBの『又』の文字もAの『南』の文字をBで省き、『又渡』だけで『南』の文字が隠れている事が判断できるのです。
前にも説明したように、對馬國(対馬)→一大國(壱岐)、一大國(壱岐)→末盧國 の区間は、各々【区間が限定されており】起点と着点がはっきり
しているので『度』ではなく、はっきり『渡』とされているのです。
それに、(對馬、一大、末盧)の起点と着点はそれぞれ(港)と文章上からも容易であるので、對馬國、一大國、末盧國
は、『到』ではなく『至』(範囲)で十分となります。
62 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/25(日) 00:44:26
【漢字から見た魏志倭人伝】
●『南渡一海』(南に船首を向け狭い海峡を渡る)
「一海」=ちっぽけな海・・・・・・・意味解釈=狭い海峡
ここは南水行や南陸行とは文章構成が違いますので、(南に行く)的な解釈は
できません。だから「南・渡一海」なので、南にある目的に向かうわけではなく
『瀚海』(流れの速い潮流)の影響を受け南に船首を向けて進めば潮流よって目的地
の方角に移動する事ができるのです。 この速い潮流効果は先にも触れたように
、Aに『又』の文字を配置する事により(方位)だけではまく、@でも速い潮流影響を受け
南に船首を向け、速い潮流を利用して進んだ事がよみとれる。
そして、Bは@やAのような潮流影響を表現するような環境でない事も、判るのです。
Bは一大の港から船首を南に向けそれなりに航行出来たということです。
63 :
阿蘇山は移動した:2007/02/25(日) 09:10:57
>>61 はじめて南へ行ったことがわかりましたが。
>>62 は、まずい。
『瀚海』(流れの速い潮流)
これ、大漢和辞典みてください。さばくの意味がかいてあるはず。
ここだけなぜ、でたのか、重要です。過去にこれ関係で式がでてました。
探すの無理でしょうけど、再掲は、まずいでしょうね。もし、書いた
人ごらんならカキコお願いしたいですが。
64 :
阿蘇山は移動した:2007/02/25(日) 19:35:59
書き出しも重要:倭人 になってる。普通は、倭国 のはず。まだ、国と
よべるほどではないのでしょうね。でも、金印をもらってるから不思議。
これは呉との関係もあるかも。証拠はないけど。感じだけですが。
65 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 20:39:28
>>64 そうですな。倭だけ、例外的な書き出しになってる、確かに。
スレ主が
>>2でリンクしてくれた中央研究院サイトで、魏書東夷伝から各条の書き出し部分を拾ってみたが・・・
【夫餘】 夫餘在長城之北,去玄菟千里,南與高句麗,東與?婁,西與鮮卑接,北有弱水,方可二千里.戸八萬
【高句麗】 高句麗在遼東之東千里,南與朝鮮??貊,東與沃沮,北與夫餘接.都於丸都之下,方可二千里,戸三萬
【東沃沮】 東沃沮在高句麗蓋馬大山之東,濱大海而居.其地形東北狹,西南長,可千里,北與?婁夫餘,南與?貊接.戸五千
【?婁】 ?婁在夫餘東北千餘里,濱大海,南與北沃沮接,未知其北所極
【?】 ?南與辰韓,北與高句麗?沃沮接,東窮大海,今朝鮮之東皆其地也.戸二萬
【韓】 韓在帶方之南,東西以海為限,南與倭接,方可四千里.有三種,一曰馬韓,二曰辰韓,三曰弁韓
【倭】 倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑
何か理由があるのかね? 「人」を省いて「倭在帶方東南・・・」とやった方が統一がとれてると思うが。
66 :
65:2007/02/25(日) 20:45:12
>>65 すまん、だいぶ文字化けした。
>>2のリンクで原文にあたってみてくれ。
67 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/25(日) 21:27:02
>>62レスが遅くなりましたが
>
>>62 は、まずい。
『瀚海』(流れの速い潮流)
これ、大漢和辞典みてください。さばくの意味がかいてあるはず。
→その他に(広大な、広い)とかの意味が辞書に掲載されていることは存じます。
それに、『瀚海』の意味として(バイカル湖や、唐代の都護府の名称)などがあることはしっていますが
先だってのレスにて『一海』の解釈をしました時(ちっぽけな海、狭い海峡)と意訳した事を照らし合わせると
この、(広大、広い海)的な意訳と矛盾する事となります
よってこの文字についての詳しい解釈経緯は、後日レス致します
>はじめて南へ行ったことがわかりましたが。
→いいえ『始度一海』の意訳は(始めて渡る)ではありません。
●「始度」は、直訳スルと「繰り返される最初」。
翻訳者たちが“誤訳”した、「始めて渡る」という意味解釈は、繰り返される二度目に記載されている「又南渡」の「渡」と「方角」で用が足りていて、
「又渡」が “繰り返される最初”に含まれているという事。だから、三度目は「又渡」だけで「方角」も省略出来るという事です
この『始度』の(始めて渡る)の意訳でない事は、用例もありますので
(南に行く)ではなく、南に船首を向け航行するで、目的が南の方位ではないという事です
68 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/25(日) 22:01:50
倭人伝に限った事ではありませんが、地理記事において
『至、到』『始』『度、渡』『又、亦、復』・・・・・・・・などは 地図で言うところの
地図記号と同じであり、道路標識のようなものです。
それなのに曖昧に解釈を切り上げてしまっていいわけがありません。
69 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/25(日) 22:43:02
【漢字から見た魏志倭人伝】
『始度』一海 『始』と『初』(はじ-めて)
『初』(音 ショ/訓 はじ-めて)
過去に(初)となる物事が一度も存在(経験)せず(白い紙に初めて点が打たれた様な)もので、この文字に時系列的な未来など
は含まれていない
『始』(音 シ/訓 たび はじ-めて)
ある同一物事に対し(時系列的に過去未来の継続)同一的物事の変化変わり目(変わり目の最初)
郡より末盧まで続く(船による航海)に、対馬に向かう航海から
(南→南→南)と三度繰り返される最初が『始』であり、『度』は(三度繰り返される始め)と言う意味です。
三度の(たび)
これが「始度一海」の(度)は(わたる)ではなく(タビ)のかいしゃくです。
『度』は(タビ)ということです。
70 :
阿蘇山は移動した:2007/02/26(月) 08:37:39
>>67 言葉たらずで失礼。はじめてとは、わたしにとってです。ここに方位が
ないので、おかしいと思ってたのですが、又 が、南を示す ということ
を私が、はじめて知ったということです。
71 :
阿蘇山は移動した:2007/02/26(月) 09:16:38
>>67 もう1つも、言葉たらずで。
前書いたのですが、対馬から壱岐はみえないので、みわたすかぎり海へ
こきだす。だから、ここだけに、『瀚海』とつかってる。砂漠でも、
ひろい でもいいのですよ。他で使ってない。魏志の文字はよく考えて
つかわれてるとともに、かなり、正確であることを示す。
72 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 09:39:11
>>71 阿蘇山さん
私も文字一つ一つがかなり正確に注意し使用されているとの見方から
【漢字から見た魏志倭人伝】を続けています。
日本の国語学者が何故『瀚海』を(砂漠のような、広大)と意訳しているかを知るのも楽しみの一つですよ!
(砂漠のような)と言う表現では単に漠然としたものであり、砂漠のイメージにより かなり曖昧に個々表現されます。
73 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 10:40:23
【漢字から見た魏志倭人伝】
九州の地に上陸する前に、これまでの 要点おさらいをしてみます。
『從』
(〜より)と解釈するには時系列による「基点」の取り方が“現在”となり、内容は“過去”が対象となる
(したがう)
主に、人や生き物を対象とした文に使われ、その他には「循」が当てられる
●よって
倭人伝に使用されている「從」は(しかだう)と意訳され
『…三十國從』『郡至倭…』の文節切が 正とします。
『其』は(大海の中)
『乍〜乍〜』は(〜しながら)
『歴』は(へる)
で、対比的な文字として「経」がある。
74 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 10:56:02
【漢字から見た魏志倭人伝】
『始度』
(初めてと始めて)には違いがあり、
●過去の経緯に例を見ない最初を『初』
●一連の経緯の中で変化した物事の最初を『始』
その変化はその場だけではなく、これ以降も続く(最低再度)
詰まり、ここでは“初めて”ではなく、「最初」と意訳されます。
『度と渡』
(わたる)と解釈するには
『渡』
起点と着点が明確化され、その範囲が起点と着点設定によって“限定”される
『度』
起点と着点が明確ではなく、尚且つそれによって範囲が“限定されない”
75 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 11:22:04
【漢字から見た魏志倭人伝】
倭人伝に記載し『度』は(わたる)とするに該当しない為、この解釈はできない。
『度』は(たび)と意訳され、あとに続く“又”の文字との関連により(再度、三度)と 同じ解釈になる
『一海』
ちっぽけな海(狭い海峡)
『始度』
繰り返される(南を三回)最初
76 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 13:51:05
【漢字から見た魏志倭人伝】
末盧の港に到着し『又渡一海至末盧國』
(次に)
『東南陸行五百里到伊都國』
ここで最も注意しなければならない箇所が(東南陸行)の部分です。
ここで多くの誤訳が発生し、後の展開に大きく影響を及ぼすからです。
この場面は『東南行』ではなく『陸行』だと言うことで、東南にある目的地に陸移動する(東南行)ではなく、
●陸行=陸を(起点から着点に向かい)移動
その最初の進路が(東南)と、いうことです。
末盧の港から東南の方向に伊都國がある訳ではありません。
『行』はあくまで『陸』に
77 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 14:27:28
【漢字から見た魏志倭人伝】
『東南陸行五百里…』と『東南行五百里…』の違い。
『東南行』の場合、(青森行き)の列車が最終目的地(青森)であるように、
末盧の港から『東南』が最終目的地になります。
つまり、
青森行きの列車は、例えコースが太平洋側であろうが、日本海側であろうが関係なく、目的地(青森)が重要なのです。
しかし、ここは『東南行』ではなく『陸行』であることに、誰も注目していないのが一般的現状の解釈なのです。
最終目的地は、末盧の港から東南方向では無いと言うことも同時にわかります。
78 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 17:14:15
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
79 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 17:17:12
あっちの225です。
本当に良く考えたな〜と、感心はしてるんだよ。
でも、この漢字はこういうルールで使うっていう部分があなたの説の根幹なのに、
そういうルールが存在する証明を抜きにして、
そうだという断定から出発して論を組み立てているんだね。
どんなに精緻な理論を作り上げようとしても、
その肝心の部分の証明が無いと砂上の楼閣ですよ。
従郡至倭にしても、
「基点って何?なぜ従来は今が基点で従郡至倭だと郡が基点になるの?」
ってところが説明が無い。
あなたは、相当長い間自説をいじっているんだろうから、
ほとんど自明のような気がしているかもしれないけど、
始めて読む人間には、「なんじゃそりゃ?」ですよ。
逆に、その部分をしっかり説明して、皆に納得させられたら、
誰もが自動的にあなたと同じ読み方をするようになるんだから、
いま書いてる説明なんて付け足し程度ですむんじゃないかとさえ思うよ。
専用スレなんだし、誰も邪魔しないので、じっくりやってください。
80 :
79:2007/02/26(月) 17:33:31
ついでだけど、乍南乍東の解釈は間違ってると思うよ。
乍寒乍熱や乍存乍亡などの用例は、寒くなりながら熱いのではなく、
存在しながら亡ぶのではないでしょう。
寒と熱の状態、存と亡の状態が目まぐるしく入れ替わることを示しているんだから。
乍は短時間の意味で、乍南乍東は一定方向を向いている時間が短いと言っているのであって、
その原因が海流の速度なのか海岸線の複雑さなのかは限定していない。
「たちまち南したちまち東し」というと、急流に流されて
木の葉が舞っているような様子を想像しやすいけど、
必ずしもそうではない。
韓半島は海岸線が非常に複雑だから、
ここを海岸に沿って航行すれば、そりゃあ忙しく舵を切るだろうなと想像できる。
航行速度は遅くとも、海岸線が複雑で、南向いたと思ったらすぐ東を向き、
また南を向くという状況だって考えられるわけです。
訓読を、現代の語感で解釈するとズレる事があるけど、これもその例。
81 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 18:01:33
>>80 >ついでだけど、乍南乍東の解釈は間違ってると思うよ。
その解釈だと乍南乍西の行為は無かった事になるし、
それに
あそこは、平安期から残る和風解釈を重視したものであるから当然異論は発生する
だろう 私に君のは「間違いだ」とする材料はないよ
あの部分は(乍〜乍〜)を材料に韓半島を歩こうとするヤシに向けての釘打ちだから
82 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 18:54:04
>>80 せっかくレスしてくれたのだからお土産持たせるよ
>その原因が海流の速度なのか海岸線の複雑さなのかは限定していない。
「たちまち南したちまち東し」というと、急流に流されて
木の葉が舞っているような様子を想像しやすいけど、
必ずしもそうではない。
韓半島は海岸線が非常に複雑だから、
ここを海岸に沿って航行すれば、そりゃあ忙しく舵を切るだろうなと想像できる。
→これはどの文章で「韓半島の海岸線が非常に複雑とか、海流の速度」を読み取れるの?
詰まり貴方の反論の弱点は、韓半島沿岸情報を把握している人にだけ
理解できるという非常に狭い範囲を対象にしていることだよ
韓半島の地理的情報は
【韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接、方可四千里】
これだけが史書間で満遍なく共有できる認識のはず、ここからどうやって複雑な地形や潮流の速さを
知ることができるのか
見える部分だけで考察するのが(文献考察だよ) 文献と辞書とのにらめっこ
だから貴方が私のレスに物足りなさを感じるんだよ
想像も主観も許される事の無い世界だからね 一般的総合考察との違いだ
83 :
79:2007/02/26(月) 18:57:23
>>81 >その解釈だと乍南乍西の行為は無かった事になるし、
半島の形状とその西岸を航行しただろうことから、ほとんど南と東を向いてたんだろうと考えてる。
ま、ここの解釈は、あなたの説の根幹とは本質的には関連すくないでしょ。
隔離スレで、議論するつもりは無かったんだが、
ついつい書いてしまった。
あと基本的なオレの態度を一応書いとかないとフェアじゃないな。
「オイオイ、馬鹿なことを書いて、漢文初心者を惑わすなよ」という
心配が第一だけど、「もし上に書いた欠陥を完璧に補強したら、
(出来たらだし、出来るとすれば「倭人伝を読むための漢字の基礎的研究」って
基礎論文を1,2本書いて、それを出発点にして実際の読解を始めるような大仕事だけど)
論破するには鎧袖一触というわけにはいかんな〜。
そんな面倒なことは、なるべく関わりたくないな〜。
それじゃ、給料出ないもん。」というものです。
今後も、議論するつもりは無いけど、。
84 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 19:13:34
>>82プラムさん
>見える部分だけで考察するのが(文献考察だよ) 文献と辞書とのにらめっこ
黙々とにらめっこ、やっておられるとこ、邪魔してわるいですけど、これだけはどうしても聞いておきたいんだ
邪魔でなかったら回答お願いします m( _ _ )m
上の「文献」て何ですか?
三国志だけを指しておられるんですか? それとも・・・・
85 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 19:27:17
>>84 全然邪魔ではありません。
>文献ってなんですか?
昔を知る史料、記録
ここでは魏志倭人伝が中心となりますが、それを中心とする関連性を見出だせる史料・記録です。
主に中国漢籍が中心となりますが
86 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 19:50:17
>>85プラムさん
>ここでは魏志倭人伝が中心となりますが、それを中心とする関連性を見出だせる史料・記録です。
>主に中国漢籍が中心となりますが
ご回答ありがとうございました m( _ _ )m
でも中国漢籍、膨大過ぎる・・・、ぼく、とてもとても読めません (−−)
経・史・子・集の四部分類だと、史部の文献ほとんど全部なんでしょ?
たいへんだな〜。がんばってくださいね
87 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 20:08:04
>>86 >でも中国漢籍、膨大過ぎる・・・、ぼく、とてもとても読めません (−−)
経・史・子・集の四部分類だと、史部の文献ほとんど全部なんでしょ?
たいへんだな〜。がんばってくださいね
ありがとございます。
私も未だに読めませんけど、毎日空いた時間に眺めているだけで漢字の羅列に慣れてきて
そのうち概略ぐらいは掴めるようになります。
88 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 21:57:59
>>77の続きです
【漢字から見た魏志倭人伝】
『東南陸行五百里到伊都國』この(陸行)の文字にて『又渡一海千余里至末盧國』の
一大國からの区間距離千余里の着点が末盧國の『港』という事が確定し、陸行五百里の発点(起点)
も同一場所だという事が確定します。(海→陸)
『東南』=最初進むべき方向(目的地の方角ではありません。)
『陸行』=目的に向け一方向で移動測量手段は(歩測)
『五百里』=末盧の港を発点(起点)に『到』(着点)までの距離
ここでは(余里)ではないことが注目すべきことであり、着点が『到』であることです。
『到』・・・・先にも説明したように(同水域内・同陸域内)で、着点が明確に表現できない時に(点)
を文字にて設ける地理記号です。
意味解釈は(限定された範囲の境で、進行方向に接する地点です)
詰まり
ここでの着点は、末盧の港から移動し、伊都國の範囲に最初に触れた(境)地点で
、そこまでの距離が丁度五百里ということです。
着点の場所は、末盧國の港から東南の方角にあるのではなく、最初進むべき道が東南にのび、道成りに五百里の距離に
末盧國と伊都國の境があるということです。
末盧國の港の位置は、(東南にのびる道を設定できる場所で、その目的とする場所の方角が東南ではないと設定できる位置)
この事が確定します。
89 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/26(月) 22:02:03
>>88 訂正個所
『陸行』=目的に向け一方向で移動測量手段は(歩測)・・・・・×
『陸行』=目的に向け一方向(往復ではない)で移動測量手段は(歩測)・・・○
90 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 07:52:18
【漢字から見た魏志倭人伝】
『東南陸行五百里到伊都國』
この文似て解ること。
@末盧の港が発点(起点)であり、位置が確定
A方位(東南)により、港から東南にのびる道があり、その目的(到/着点)は港から東南ではない
B(到/着点)の文字から陸行五百里の着点は、伊都国の中心的な場所ではなく、末盧と伊都の境で(至でないので港でもない)有ることが解る。
C東南に道がのびる事により、伊都国の位置は末盧の港より、東側に位置する事も判断できる。
この文書は、伊都の中心的位置を探る文章ではなく、末盧の位置確定文章
91 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 10:37:43
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
92 :
太国▲kosintou:2007/02/27(火) 11:20:06
[10]サガミハラハラ<>
2006/11/11(土) 19:13:27
皇国史観にもとずく、研究活動を行っている学者をあげてみましょう。
・安本美典 記紀の内容は実在するとして精力的に活動をつづけている。
彼の薫陶を受けた人物に後藤幸彦がいる。安本氏は記紀を歴史書として見直すことにより、
日本歴史界において多大なる貢献をしたといえる。
>>92 コピペに一言!
でも、本筋が見えていないようなキガス(簡単に言えば上辺だけ)
94 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 12:34:16
第一、神武とカムヤマトイワレビコを混同している段階で終わっている。 キガス
95 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 14:26:55
【漢字から見た魏志倭人伝】
帯方郡⇒到其 (7000餘里)
帯方郡⇒到伊都国(10500餘里)
先にも説明したように(到伊都国)であっても、郡使往来時常駐する場所ではありません。
あくまでも、
郡から10500餘里の地点であり、伊都国の先端に触れた距離迄で、
伊都の中心的な地はここより東側に存在すると言うことです。
しかし、通常郡使往来行程文は、通常常駐する伊都国に触れた時点で役目は終わります。
その終わりを知らせる文面が、伊都国記事最後に記載された
『郡使往來常所駐』と、言うことで 通常来訪者はここで行き止まりです。
96 :
太国:2007/02/27(火) 14:32:06
97 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 14:38:31
了解
98 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 14:55:55
【漢字から見た魏志倭人伝】
『東南至奴國百里』
先ほど説明したように、郡使往来行程記事は伊都国にて完結したので、ここからの文章は従来の主旨と若干なり異なるのは当然の道理かと
『東南』=伊都の中心的な地から 東南方向に奴国に向かう道がのびる。(しかし、伊都と同じ様に奴国が東南にあることにはならない)
『至奴国』
伊都の中心的な地から東南にのびる道を辿ると奴国の範囲が
●詰まり奴国は
伊都の中心的な地の東側に位置していることが判り
●同時に、
伊都の中心的な地は奴国の西側に位置し、東南にのびる道を確保出来る
99 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 15:11:27
【漢字から見た魏志倭人伝】
なぜ『東南至奴國』の文だけで、伊都国の中心的な地を確定できるのか?
方位(東南)と確定するには、必ず“視点”を定めなければなりません。
その始点は、文中から『郡使往来常所駐』からの視点と捉らえる事が出来ますので
しかし、『東南陸行』の文とは異なり「陸行」等と、(移動・手段)が書かれていないので 「起点・着点」を明確にし、距離を提示することが出来ない。
尚且つ、郡使の往来範囲でない事の再確認も出来るのです。
(距離を示さなくとも不都合のない距離)
100 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 15:37:53
【漢字から見た魏志倭人伝】
『東南至奴國』の文章には(移動・手段)が書かれていないので、ここに提示されるのは(視点と目的)です。
現実に、魏からの使者が“通ったとか通らない”の問題では無く、距離の提示をしない事で文章構成上(使者往来とは)切り離した文章になっていると
言うことです。
言い換えれば
●距離を提示しなくとも影響の出ない位置に、伊都の中心的な地 と 奴国はあったと捉らえる事も可能です。
そのような理由で
『東南至奴國百里』の『百里』は、区間距離ではないと、言うことです。
101 :
太国:2007/02/27(火) 16:41:06
102 :
79:2007/02/27(火) 18:02:24
せっかく
>>82でお土産くれてたのに、スルーしてたので。
>→これはどの文章で「韓半島の海岸線が非常に複雑とか、海流の速度」を読み取れるの?
>詰まり貴方の反論の弱点は、韓半島沿岸情報を把握している人にだけ
>理解できるという非常に狭い範囲を対象にしていることだよ
帯方郡→
↓
→
↓
→狗邪韓国
「乍東乍南」の四文字だけで、この図が想起できて、これが韓半島沿岸の概略図になっている。
だから帯方郡から狗邪韓国へ行く間の海岸って複雑なんだなということがわかる。
海岸線が複雑なら、そこの海流も複雑だろうなと想像できる。
「乍東乍南」を素直に読むだけで想像がつくことで、地理的予備知識は不要。
「乍東乍南」自体が地理情報なわけだね。
>だから貴方が私のレスに物足りなさを感じるんだよ
>想像も主観も許される事の無い世界だからね 一般的総合考察との違いだ
あなたのレスに物足りなさは感じてないよ。むしろ、考えすぎっていうのが感想です。
考えすぎなくらい凝りに凝ってるのに、肝心なところを断言で済ませちゃってるねと言ってるんです。
もしあながた、これで論文指導を受けるとしたら、どの教官だって必ず指摘する部分で、
説への賛否とは無関係な、基本的なルールです。
103 :
79:2007/02/27(火) 18:05:46
>→どのレベルに合わせて説明したらよいか解らない
>中には『魏志倭人伝』って何?的レベルのヤシもいるだろうし、私の説明だけで
>理解でき、間違いを指摘できるヤシもいる。
>決してムズイ事でもなく、主観も入っていないはず。全て辞書からそれていない内容なので
>そちこちで見かける想像で組み立てた理論よりは、かなりまともと自負している。
あっちのスレでの書き込みだけど、ついでにね。
基点は従〜至〜の使用法を説明するために、あなたが導入した概念なんでしょう。
どのレベルもなにも、みんな始めて聞くんだから、ちゃんと説明しなきゃね。
もし、あなたが考えたんじゃなくて説明も面倒なら、
たとえば「この辞書の説明で使用されている」とか出所を明示しよう。
説明が不要なほど普遍的な概念じゃないから。最低限の作法です。
それと、漢字の使用ルールに倭人伝も何も関係ないでしょう。
このように使われていますって、具体例を豊富に示すだけで良いんだから。
辞書からそれてないなら、せめて「これこれの辞書にこのように書かれています」ぐらい書こう。
本来なら、自分の主張するルールに則って使用されている例を沢山示して根拠にするべきところだけど。
あなたの論の当否を言っているんじゃなくて、それ以前、論の進め方の欠陥を指摘しているのです。
建物に例えれば、上物の装飾ばかりに力を入れないで、基礎工事をきちんとやろうと言うことです。
耐震偽装建築になってしまうよ。
議論はしないといいながら、また書いてしまいました。頓首
104 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 18:07:19
【漢字から見た魏志倭人伝】
(末盧国港)
↓
『東南陸行五百里』
↓
(到伊都国)
↓
『直接的文中記載なし』
↓
(郡使往来常所駐)
↓
『東南』
↓
(奴国)
奴国の中心的な地を(博多)と仮定し、逆に辿ると
それぞれの位置が判りやすいです。
105 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 18:13:51
>>103 貴重な意見ありがとうございます。
書いていますよ
『從郡至倭』と『従前・従来』の比較
どちらも『從』の文字を(〜より)と解釈された時の
106 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 18:41:21
>>103 一言申し上げれば
私にそこまで徹底した建設的な書き込みを望んでも所詮無理な話
私の書き込みは最低レベルの書き込みと思い読んで下さいな
今、最高レベルの書き込みを望むのではなく、少しずつ進歩すれば良いだけの事
お願いがあります。
見本となる可き書き込みを披露してもらえませんか?何せこちらは
全くの独学、自己流の書き込みですので、貴方の望む書き込みを披露することが出来ないのです。
106 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 18:41:21
>>103 一言申し上げれば
私にそこまで徹底した建設的な書き込みを望んでも所詮無理な話
私の書き込みは最低レベルの書き込みと思い読んで下さいな
今、最高レベルの書き込みを望むのではなく、少しずつ進歩すれば良いだけの事
お願いがあります。
見本となる可き書き込みを披露してもらえませんか?何せこちらは
全くの独学、自己流の書き込みですので、貴方の望む書き込みを披露することが出来ないのです。
108 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 21:27:49
106 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/27(火) 18:41:21
>>103 一言申し上げれば
私にそこまで徹底した建設的な書き込みを望んでも所詮無理な話
私の書き込みは最低レベルの書き込みと思い読んで下さいな
今、最高レベルの書き込みを望むのではなく、少しずつ進歩すれば良いだけの事
お願いがあります。
見本となる可き書き込みを披露してもらえませんか?何せこちらは
全くの独学、自己流の書き込みですので、貴方の望む書き込みを披露することが出来ないのです。
プラムさん
あなたが本当にウンコスレ主なんですか?
111 :
太国:2007/02/27(火) 23:12:03
>>106 最低レベルのカキコでも、ここでやる分には問題ないです。
112 :
太国:2007/02/27(火) 23:14:59
113 :
太国:2007/02/27(火) 23:32:21
114 :
太国:2007/02/27(火) 23:43:22
115 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 07:13:38
空揚げ
116 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 08:21:53
117 :
太国:2007/02/28(水) 08:25:48
118 :
太国:2007/02/28(水) 08:27:00
119 :
太国:2007/02/28(水) 08:53:28
120 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 09:03:06
犬国よ!いいかげんにしろ!ここは聖域!荒らすなキチガイシジイ!
121 :
太国 :2007/02/28(水) 10:09:00
ニセ野郎に言ってくれ。
122 :
太国▲kosintou:2007/02/28(水) 10:36:31
123 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 10:47:08
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
124 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 12:49:00
>>106 >見本となる可き書き込みを披露してもらえませんか?
それは無理というもの。
似た漢字の用法の違いって、厳密にやるにはめちゃくちゃ面倒で単調な作業だから、
自説の根拠になるとか、特別の事情がなければやらないから。
普通のスレなら望むべくもないことだけど、専用スレならやってくれるかな〜と思った。
それに、やってくれればオレも勉強になるしね。
まあ、もともと専用スレなんだから邪魔するつもりは無かったんだ。
ただ、あっちのスレの書き込みがキッカケで、結果的に邪魔することになって申し訳ない。
気分を害させたままスルーするのも申し訳ないが、
オレに出来ることといえば、一つか二つの論点に本気の反論を書き込むくらいだけど、
そんなことしたら、余計気分を害させてしまいそうだしな〜。
125 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 13:17:47
>>124 もう、そっとしておいてあげようよ。
どおしてもと言うなら、見本を披露してもらえませんか?
126 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/28(水) 13:40:04
>>124 >気分を害す
とんでもないこと
それどころか私の修正に繋がれば尚更Happyじゃないですか?
私の説も
反論あればこそ浮かばれるし、自分の思考だけでは限界有りますから
未だ自説にしても30点戴ければ御の字の世界です。
127 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/28(水) 13:52:29
>>124 貴方のレスを拝見すると、どうやらセミプロ或は数十年のキャリアを積んだ方だと推察致します。
もしそうでしたら尚の事、指摘箇所有れば遠慮無く書き込んで戴きたいものです。こちらは古代史キャリア、二三年の駆け出し者
これからの糧になりますので、気が向いたらで構いませんからレスお願い致します。
128 :
79:2007/02/28(水) 18:34:48
>>127 頑張って考えた説をからかうような反論は礼を失するだろうと思うので、
本気でと書いたんであって、見本なんてそんな大層なものではないよ。
(乍〜乍〜は本質と関係ないところだったから、気軽にかけた)
ただ、反論に再反論することで考えがまとまったり、
説明がより洗練されたりすることはあるし、
他の見てる人が考えるきっかけにも、なれるかもしれない。
そういう意味でお役に立てば、スレの邪魔をしたお詫びにもなるかなと思う。
それで、従〜至〜の所と、至・到の使い分けの所に反論してみるね。
とりあえず、従〜至〜から。
プラム氏の言うように「※昔“より”今日(基点)に至るまで=〈従来〉」だから、
これを仮に『從昔至今』と書くことができる。これと『從郡至倭』を比較してみる。
すると、プラム氏の言う矛盾は、『從昔至今』では「今」を基点とし、
『從郡至倭』では「郡」を基点としために生じたものであることがわかる。
では、なぜ『從昔至今』では基点が「今」であり、『從郡至倭』では基点が「郡」なのかが疑問となる。
もし、『從昔至今』が「今」書かれているから基点が今で、
『從郡至倭』は旅程だから出発地の「郡」が基点だと言うのなら、それは誤りと言わざるをえない。
なぜなら、定型句はどのような内容の文章に使用しても同一の役割を果たすから定型句なのであり、
この定型句に基点というものが想定できるものならば、
それもまた文章の意味内容によって左右されてはならないものだからである。
もし、文章の内容に左右されること無く、しかも『従昔至今』では「今」が基点であり、
『從郡至倭』では「郡」が基点であるならば、
氏の考える基点は、私の考える基点と異なるものでなければならない。
氏に対して基点とは何かという説明を求めた所以である。
至・到の使い分けはもっと長くなるので、また後で。
129 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/28(水) 19:22:15
>>128さん
私の基点に対する考えは
基本となる位置であり、不動とするものです。
しかしその基点は、文章の構成(特に地理記事)上
発点(起点)になったり、着点になったりするものと考えています。
(例えて言えば)
日本橋や東京駅0キロポストみたいなものです。
東京駅〜品川駅の場合
基点(発点)は東京です。しかし、「從東京駅…」とした場合
上野(仮)〜東京を対象とした文章になると言うことで、その時の東京駅は基点でもあるが(着点)でもあると言うことです。
確かに
今を(倭)に移動し例えたのはこちらのミスかも。
130 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/28(水) 20:12:02
>>128さん
『從郡至倭』に対する私の主張の主目的は
『從郡』とし(〜より)と和訳した場合、郡より過去を起点にし、郡(着点・基点)までのことを目的とした文章になってしまい
倭人伝の記事とは矛盾してしまうので 変だと言っているのです。
私の場合は
その前の文章中に『從』を使っているから素直に『郡至倭…』となるのですが
ちゃんと書けよw
>>131 >ちゃんと書けよw
了解 なにせ(チラシの裏認定)なもので・・・・・トホホ
133 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 21:01:54
>>132 さっきの調子で書いてると続きがあまりに長くなってしまう。
明日にでも、反論の根拠だけ抜粋することにしたいです。
>なにせ(チラシの裏認定)なもので・・・・・トホホ
そんなに卑下することもないよ。
あなたの説を否定するために、小川環樹・西田太一郎の漢文入門とか漢文の語法を出してきて、
あらためて勉強になったことも幾つかあったし。
あるサイトで見かけた言葉だけど、その人は恩師から
「一つの説を立てたら、それを本気で壊してみなさい」
って言われたそうだよ。なるほど、凄いな〜と思った。
>>133さん
またよろしくお願いします。
漢文を(特に古代漢文)『無理に読み下すことはない』
これが私のポリシーです。
日本書紀などの和漢籍は、和文を漢文かしたものだからまた和文に直すことが
スムーズに出来る しかし、中国漢文はもともと和文を意識して作られたものではないので
無理に和文かすると意味解釈に矛盾が
>>130 現文だがこんな用例もある。
「最低適用年齡從16歳降至14歳」
−最低適用年齢は16歳から降って(以下)14歳まで(以上)−
つまり「從」には純粋に「起点」としての意味しか無い。
人間の心理として何がしかの物事について述べるとき、
自然と始めから終いまでの順で表現してしまうことが多い。
その方が気持ちの上で「安定」するんだろうな。
だから、從唐至元、從四月至九月みたいな用例が目立つことになる。
しかし、心理的に多少不安定(聞き様によっては「斬新」)な表現であっても
逆順で言うことはできるのだ。ただ、そう言った用例が少なかっただけ。
漢文経験の浅いキミは、それを見過ごして「物事の順序」に拘る使用者の心理を
「從」の文字特性であると錯覚していただけなんだよ。
>>135 さん
>つまり「從」には純粋に「起点」としての意味しか無い。
人間の心理として何がしかの物事について述べるとき、
自然と始めから終いまでの順で表現してしまうことが多い。
その方が気持ちの上で「安定」するんだろうな。
だから、從唐至元、從四月至九月みたいな用例が目立つことになる。
しかし、心理的に多少不安定(聞き様によっては「斬新」)な表現であっても
逆順で言うことはできるのだ。ただ、そう言った用例が少なかっただけ。
漢文経験の浅いキミは、それを見過ごして「物事の順序」に拘る使用者の心理を
「從」の文字特性であると錯覚していただけなんだよ。
純粋に『起点』の意味しかなければ それこそ純粋に『自郡至倭』とか『計従郡至倭』で良いと思うけど
特に『自郡至倭』とすべきでしょう
それに、現代漢文で古代漢文を説明してもいいのかな〜?
私の場合『三十國従』としているので 使えないのですよ『従郡至倭』とは
しかしですね
『従郡』は 『従』+『名詞』ということもお忘れないように・・・
>從16歳降至14歳」
>從唐至元、從四月至九月
この貴方の提示された用例は『従』+『名詞』でしょううか?
もし名詞であれば、この時の『従』の和訳は(したがう)と和訳されるのではないでしょうか?
>この時の『従』の和訳は(したがう)と和訳されるのではないでしょうか?
何でそう思うのかね?
138 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 00:05:48
史記集解 「徐廣曰、從禹至桀十七君、十四世。」
三国志董卓伝の注 「從光武至今復十一世」
三國志魏書十三/華? 「董卓遷天子長安,?求出為下?令,病不行,遂從藍田至南陽.」
三國志魏書十三/王朗/ [孫叔然]「從初平之元,至建安之末,」
三國志蜀書九/劉巴 「巴復從交阯至蜀.」
三國志魏書二/文帝丕 「自古及今,未有不亡之國,亦無不掘之墓也.」
三國志魏書三/明帝叡 「自去冬十月至此月不雨,」
三國志魏書四三少帝/齊王芳 「自帝即位至于是歳」
從〜至〜 自〜至〜 両方「〜より〜にいたる」の意味でつかう。
自古及今の形もある。
139 :
137:2007/03/01(木) 00:15:59
>>138 ぷ氏は助字とは考えずに「客語」+「從」で「動詞句」を作れると思ってるんだよね。
さて、そのような「特殊用法」の存在をどうやって「証明」するのかねえ。
倭人伝の自己流解釈でそれを実現しようとしてはいるみたいだけど、
その解釈は逆に「客語」+「從」が「証明」できないと実現しない。
困ってるだろうね、きっと。
140 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 00:16:36
>>137 >何でそう思うのかね?
基本的には熟語からです。
従者=従+名詞 従父=従+名詞・・・・・・・・・
『従』(〜から、より)前置詞+名詞の使用例などあったでしょうか? それよりも素直に
【『國 / 名詞』+『従 / 動詞』】として、(国に従い)としたほうが素直な文ですよ
141 :
137:2007/03/01(木) 00:23:41
>>140 「從」を漢和辞典で引いたことはあるんだろう?
142 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 00:30:52
>>137 >從〜至〜 自〜至〜 両方「〜より〜にいたる」の意味でつかう。
自古及今の形もある。
それって
聞、聴 どちらも(きく)の意で使うと同じ事だけど
143 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 00:33:21
>>141 >「從」を漢和辞典で引いたことはあるんだろう?
車で?
144 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 00:40:25
熟語は一つの漢字が他の漢字と結びつき、そのコンビが頻繁に使用されるために、
コンビとして熟して一つの単語となった。だから熟語。
他の漢字と結びつくとき、もともとの意味のバリエーションの中から一つが選択されているので、
熟語の類推から、単漢字の働き全てを知ることはできない。
從禹至桀十七君 禹(個人名)より桀に至るまで十七君 從禹という熟語ではない
從光武至今復十一世 光武(個人名)より今に至るまで復た十一世
從藍田至南陽 藍田(地名)より南陽に至る
從初平之元,至建安之末, 初平の元より建安の末に至る 初平元年から〜
自去冬十月至此月不雨 去冬十月より此の月に至るまで雨ふらず
自帝即位至于是歳 帝即位してより是の歳に至るまで
145 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 00:46:23
>>139 >ぷ氏は助字とは考えずに「客語」+「從」で「動詞句」を作れると思ってるんだよね。
さて、そのような「特殊用法」の存在をどうやって「証明」するのかねえ。
倭人伝の自己流解釈でそれを実現しようとしてはいるみたいだけど、
その解釈は逆に「客語」+「從」が「証明」できないと実現しない。
困ってるだろうね、きっと。
え? 目的語を 【今使訳所通三十国従】から探すの? 使訳所通
三十国を従え(臣や民)が使者に対応したんですよ
主語・・・・・女王あるいは(邪馬台国三十国体制)
>>23 三十国從→三十国を従え
とは訳せないはずですが
147 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 00:58:39
>>146 「今 使訳の通ずる所の三十国(が)従う」なら、漢文として成り立たないか?
いや、まあ、従を前に付けてる時点で間違っているけれど。
148 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 01:03:11
>>144 >從禹至桀十七君 禹(個人名)より桀に至るまで十七君 從禹という熟語ではない
從光武至今復十一世 光武(個人名)より今に至るまで復た十一世
從藍田至南陽 藍田(地名)より南陽に至る
從初平之元,至建安之末, 初平の元より建安の末に至る 初平元年から〜
え〜っ ずるいよ
全部註文からの引用ジャン
なんでも有り有り有り?
でも
>從光武至今復十一世
これは註文だけど、他の用例がまだあるはずだよ。 個人名だし
せっかくとどめでも刺してくれるのかな〜と 期待してたのに
149 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 01:04:58
>>147 >漢文として成り立たないか?
すごい 古代漢文書けるの?
150 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 01:06:42
明日も仕事だし今日は寝ますから
皆さんありがとう 久しぶりにいっぱい神経使う事が出来ました。
151 :
137:2007/03/01(木) 01:13:01
>>145 > え? 目的語を 【今使訳所通三十国従】から探すの?
> 使訳所通三十国を従え(臣や民)が使者に対応したんですよ
> 主語・・・・・女王あるいは(邪馬台国三十国体制)
「主語」はそれだとして「客語」はどこなの?無いの?
152 :
137:2007/03/01(木) 01:20:35
>>143 >>「從」を漢和辞典で引いたことはあるんだろう?
>車で?
何で「車」の話しが出てくるの?
漢和辞典でって言ってるでしょう。
もしかして、「從」って書いた紙をロープに括って引き回したりしたいのかい?
153 :
137:2007/03/01(木) 01:24:09
>>142 >>この時の『従』の和訳は(したがう)と和訳されるのではないでしょうか?
>何でそう思うのかね?
この問いかけの答えとして次の文章は意味が無いと思うが。
>
>>137 > >從〜至〜 自〜至〜 両方「〜より〜にいたる」の意味でつかう。
> 自古及今の形もある。
> それって
> 聞、聴 どちらも(きく)の意で使うと同じ事だけど
>>152 >>143とか
>>149のレス見て議論するつもりはないって事を婉曲に表現したんじゃないかな。
この後は逆切れして議論にならないって言い出すと思うよ。
155 :
137:2007/03/01(木) 01:29:44
>>140 > 基本的には熟語からです。
> 従者=従+名詞 従父=従+名詞・・・・・・・・・
> 『従』(〜から、より)前置詞+名詞の使用例などあったでしょうか? それよりも素直に
> 【『國 / 名詞』+『従 / 動詞』】として、(国に従い)としたほうが素直な文ですよ
>『従』(〜から、より)前置詞+名詞の使用例などあったでしょうか?
たくさん有るが・・・用例も示したがキミがそれを認めないだけだ。
156 :
137:2007/03/01(木) 01:33:27
>>154 誤「引く」
正「轢く」
どうでもよいが、漢字に拘るならこれくらいは使い分けて欲しいな。
157 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 07:44:43
>>151 >客語
『今使譯所通三十國從』
細分化して説明すれば、
『從/動詞』の主語は(三十國)
詰まり、この文は【史記】に出てくる『漢王喜』と同じ構成(当然君も知っているよね?)
ここには(客語)とされる目的語は存在しないが、主語と動詞だけで十分説明構成出来る
古代漢文では頻繁に見掛ける簡略された文ではないかな?
それでもまだ客語に執着するのかな?
夕べは眠くて提示出来ず
スマソです。
これから寝るんじゃねーのw
159 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 07:56:50
>>155 >用例
註文を用例に使用することOKなの?
と、聞きたかった。
それにその提示されたものを、(〜から より)と
誰が和訳したの?
漢文に和訳は付いて無いけどね
結局、誰かが和訳したのを貴方が信じて使用しているだけじゃない?
と、突っ込めるけどね。
それに、『從』の前の文からコピペしてくれればよかったのに
160 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 07:59:53
>>156 >轢く
指摘してくれてm(._.)m ね
気が付いた時には既にEnterキー押していた。
気をつけるから
161 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 08:02:01
>>154 そんなムダレス要らない
それとも自問自答?
162 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 09:13:37
『郡より倭に至るには』
皆さんこの和訳見て“変”と感じないのかな〜?
最初のスタートが
『倭人在帯方東南大海之中』
と、していて 次が
『郡から倭に至には』
この文章に限れば、倭人は倭に在るから“倭人”何だけど!
『倭人は郡を基点に東南の大海の中に在る』
に対しての文章は
『郡を基点に倭の範囲は』(郡至倭)だろう 普通。
163 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 09:51:31
>>151さんに聞きたいのだが
何故「客語」にコダワッタの?学校で習ったから?
それとも
貴方の認識の中では
全ての文章は、(主語+目的語+述語)が明確に記述され、構成されていると?
確かに受験漢文ではそれらが十分に明記されているし、漢文の授業でもね!
しかし、古代漢文では省略出来そうな(主語)や(目的語)が外されている例なんて沢山あるのも事実
その辺りが、受験漢文と古代漢文の違いじゃないかな? 文法よりも漢字の字義が優先する世界なんだよ
164 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 10:29:13
やっとねたのかW
165 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 10:57:05
【漢字から見た魏志倭人伝】
一応おおざっぱに『奴國』までを説明したので
ここからは 少しその中身に触れて見たいと思います。
では、一番反論の多そうな『丗有王』からいきますか?
でも、つまらない反論は流すよ!
>>162 > 『倭人は郡を基点に東南の大海の中に在る』
> に対しての文章は
> 『郡を基点に倭の範囲は』(郡至倭)だろう 普通。
?半島南部もすべて倭ということ?
167 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 11:55:31
>>166 >半島南部もすべて倭ということ?
どうして半島のしかも南部なの?
168 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 12:02:14
毎日休みなのか?
169 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 12:13:44
最近は恵也のハンドル使わないけどどうしたの?
九州ですがと名無しだけに絞ったのはめんどくさくなったから?
170 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 12:21:27
>>169 悪いことは言わないから
今すぐ診察券入れて来たら?
かなりの重症かと。
見えない物が見えちゃうのかい?
ここは 学問板だよ
171 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 12:23:50
>>168 そんなに他人の私生活が気になるかい?
それがエスカレートすると『覗き』や『ストーカー』
気をつけてね。
ここは学問板
172 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 12:39:44
【プラムからのお願い】
この隔離されたスレ迄出張し、スレを荒らさないでほしい
もし、どうしても荒らすというのなら 私もここを出、関連スレに住所移します。
頼むから 主旨に沿ったレスをしてくれ!
>>161 人の会話にはいってきてそんなムダレス要らないなんて
お前何様のつもりだ。不愉快だ。
174 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 12:59:54
【漢字から見た魏志倭人伝】
『丗有王皆統屬女王國』
(一般和訳)
・代々王有り、皆女王国に統属す。
本当に これでいいの?
代々って何時から何時まで?
王が伊都を代々その地で治めて居たら
『王有り』じゃなく『王在り』だろう?
それに、なんで『丗丗』じゃないの?
と、いうような疑問が直ぐ出てくる和訳となっています。
よくもま〜ぁ
こんなあやふやな和訳を平気で見過ごすね?
175 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 13:40:55
>>173には
>>168-169のレスを見て有意義なレスとでも。
>
>>173の会話に入り込む
何時のどのレスでしょうか?なんせレス数が多い為に覚えていないこともしばしば
>何様?
貴方の御望みの様に
>不愉快
では何故レスを付けたのでしょうか?
貴方の主張は摩訶不思議な矛盾イッパイなレスと、判断せざるおえません。
そう
こう言う会話自体がムダなのかもしれません。
失礼します。
176 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 15:16:42
【漢字から見た魏志倭人伝】
『丗/世』訓(よ、よよ)
『世』には(よ、よよ)と訓じることがあり、(よよ)に関しては『世世』の文字も使用されています。
そして これら時間的要素で区分され三種類に訓じられた通り、それぞれ法則(ルール)に則した使われ方をしている事を先ず提言し、先に それぞれに於いての法則を仮設とし、
書き連ねてみます。
177 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 15:19:14
>>176 訂正
仮設…×
仮説…〇
スマソです。
178 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 17:00:36
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
179 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 17:26:40
【漢字から見た魏志倭人伝】
『世』『世世』を(よ)(よよ)と、時間的要素で意訳し、使い分け方とし、仮説を述べときます。
@『世』(よ)の場合
時間的範囲が限定され尚且つ 単一的なモノ
A『世』(よよ)
時間的範囲が限定され尚且つ 複数的に継続されるモノ
B『世世』(よよ)
時間的範囲が限定されない
概ねこれらの法則が有ると考えられます。
(尚、これらは新たな発見により随時書き換えられます)
180 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 18:36:57
ちょっと疑問?
一般的和訳
【從郡至倭】
@(郡より倭に至る)?
A(郡より倭に至るには)?
@の場合 (いた)る、 と終止形で〆ている。
? まだ何も始まっていないのに?
Aの場合(に)(は)と、(助詞+助詞)で〆ている。
? でも、その助詞は何処に?
変な和訳?
181 :
79:2007/03/01(木) 18:59:49
>>129 東京駅〜品川駅の場合、東京駅が出発ならば從東京駅至品川駅であり、
品川駅出発なら、從品川駅至東京駅となる。
從東京駅至品川駅と書いても、上野なんか一切関係ない。
どうして、そんな勘違いをするようになったのか、とても不思議だな〜。
從A至Bは、時間の流れを含む何らかの事象の始まりがAであり終わりがBであることを示す句。
従昔至今は、話題になっている時間の流れが昔から始まり、今で終わることを示している。
『從郡至倭』は話題になっている旅程が郡から始まって倭で終わることを示している。
そこに矛盾はないので、從を前の句に付ける理由はない。
>しかし、「從東京駅…」とした場合
>上野(仮)〜東京を対象とした文章になる
なぜ、そうなるのか、是非説明して欲しいものである。
>>180 変な和訳と言われるが、
>(郡を基点に倭の範囲は、韓の海岸に沿い船にて(乍南乍東)しながらへり、
>狗邪韓域の南水域(韓・倭の境)に着いた。その区間七千餘里)
の方が、そうとう変な和訳とオレは思うよ。
182 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 19:31:54
>>181さん
從東京を『従前』と解釈しているからだよ
あと
『郡を基点に倭の範囲』となるのは 後で判ることだが、倭人伝地理記事は単に往来行程文だけでなく、日本列島全体を調査した結果だから
後、お願いが!
>>180の解答出来ないですか?
183 :
79:2007/03/01(木) 19:44:06
上野→東京→品川
東京〜品川の話をしているのに從東京至品川と書き、「東京より」と読めば、上野→東京のことになるという。
その理由は「從東京」が「從前」と同じだからだという。
ここまでは、それでいいかい?
>>181 >そうとう変な和訳とオレは思うよ。
倭の範囲が着いちゃうんだから和訳にもなっていない。
185 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 20:11:25
■-韓国人教授の妄言-■
【日韓】 金容雲漢陽大名誉教授「日本語は全て古代韓国語から始まった」★3[08/25]
「お前がいくら私を嫌いダケド、私はお前が好きだ。」
ここで「〜ダケド」は「〜だとしても」を短く発音した慶尚道(キョンサンド)の方言だ。
「ダケド」は日本語でも同じ発音と意味で使われる。
金容雲(キム・ヨンウン)漢陽 (ハニャン)大学名誉教授は、現代日本語が慶尚道全羅道(チョンラド)の方言と
似ており、日本語は韓国語に由来したと主張する。金教授は最近出版した著書『日本語は韓国語だ』
(カナブックス)で、「ダケド」のように現代日本語に残っている慶尚道と全羅道方言を紹介する。
日本語の「〜だっけ」と「申し」は、全羅道方言の「〜(ダンケ)」と「(マシ、言葉)」に、それぞれ由来したというのだ。
金教授は7世紀以前まで、古代韓国語の発音が日本語のようにパッチム(終声になる子音字)がなくて、母音が単純で
形態がそっくりだったと説明する。
また嶺南と湖南地域では、日本の東海(日本海のこと)隣接地域と往き来して、お互いに意思疎通をしたはずだ
という分析だ。
金教授は、「言語は文化」と言い、「日本語は韓国文化を収容した歴史と一緒に発展した」と強調した。
慶尚道でよく使う方言である「(イパク、話)」が日本語の「イワク (曰く、おっしゃる)」と変形された例は、
韓国人が書く言葉を『高級語』として崇めた彼ら(日本人)の歴史が盛られているという説明だ。
【日本語は全て古代韓国語から始まった】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156556821/100-1001 >韓国人が書く言葉を『高級語』として崇めた彼ら(日本人)の歴史が盛られているという説明だ。
↑
高級語(苦笑
187 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 20:26:47
>>183 いいよ
>>184 >倭の範囲が着いちゃうんだから和訳にもなっていない。
一部だけ抜き取ればなんでも変になるよ
188 :
79:2007/03/01(木) 20:28:24
なかなか返事が無いので、
>>183の続きを投下。
從東京が東京より前、つまり上野→東京→品川の行程で上野を指すならば、
從前は、前より前を指すことになる。
從前を広辞苑で引くと、「今より前、今まで」とある。
つまり、従前は「今より前」であって「前より前」ではない。
もう一度、図で考えよう。
「前より前〜〜前〜〜今」という時間の流れがある。
従前は「前〜〜今」の部分の時間の範囲を示している。
しかし、あなたのように、從東京は上野→東京で、それは從東京が従前と同じだからだというのなら
従前は「前より前〜〜前」の部分を指すことになってしまう。
それは、明らかにおかしいだろう。それとも、あなたの解釈が正しく、広辞苑が間違っているのか?
つまり從東京は、「東京より後、品川より前」であって「東京より前上野より後」ではない。
「從郡至倭」は郡を出発してから倭に着くまでである。
結論を言うと、従前という日本語の意味を間違って覚えてたということだね。
それと、至が動詞として働くかどうかのところでも、イタ-ルのように、日本語の語幹と活用語尾を
引き合いにだしてたけど、漢文と日本語は全くの別言語なので、アナロジーとして用いるにはまあいいけど
日本語から漢文の語法を分析しようというのはまずいだろう。
189 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 20:43:00
>>188 なにか勘違いしていない?
私はそもそも『従郡〜』ではないと主張してる それで、わかりやすく説明する為に
従前という表現をしているまで
そもそも
私の認識に従郡の認識は『無』 ま、認識の無い説明だから多少の不備はあるだろう
『従前』の前の部分に『東京』を当て嵌めたのもすべて便宜上だから
190 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 20:52:54
>>188 >「從郡至倭」は郡を出発してから倭に着くまでである。
そもそも『至』の解釈がまちがってると思うよ 『至/イタ』の字義は(限定された範囲内)
それに、倭に着くまでって(対馬)?
地理記事読むと(北海道まで)ちゃんと書いてあるよ
倭は(列島)
191 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 20:53:35
>>189 えー。從郡至倭と考えると、從の用法に矛盾が生じるから、從郡という可能性を捨てたのではないの?
始から從郡はありえないから、考えないの?
192 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 21:05:23
>>181あんど
>>79さん
辞書の巻末読むの好きだから言ってる事は理解してますよ
ほとんど辞書巻末と同じ事言ってるから
ま、私の書き込みは倭人伝解析よりも、辞書への挑戦だから貴方の認識と食い違うのもやむなしかと
193 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 21:09:53
>>191 >えー。從郡至倭と考えると、從の用法に矛盾が生じるから、從郡という可能性を捨てたのではないの?
始から從郡はありえないから、考えないの?
ここにデビューしたころは皆と同じ考えだったよ
それは過去レスが証明してくれる。 でも一年前に矛盾を感じ全て捨て一からやり直した結果が今日
194 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 21:17:02
>>191さん
>えー。從郡至倭と考えると、從の用法に矛盾が生じるから、從郡という可能性を捨てたのではないの?
始から從郡はありえないから、考えないの?
違います。
ここにデビューし二年ぐらいは皆さんといっしょで、和訳本を頼りにあ〜じゃないこ〜じゃないしていた。
でも、一年くらい前に全てに矛盾感じ始め、全てを捨て『あいうえお』からやり直した結果が今日
これは、過去レスみれば一目瞭然に証明してくれる。
195 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 21:18:30
>>193 それでは「郡從(よ)り」と読むと、郡より前の部分を指すことになるという理由が全くわからんのだが。
それから、「郡至倭」を「郡を基点に倭の範囲は」とは全然読めないの。
漢文は、助詞もないし各変化もないので、文章中のどの位置にあるかが字の機能を決定する重要な要素なわけ。
「郡至倭」の語順では郡は主語にしかならないので、「郡を基点に倭の範囲は」というような都合の良い解釈はできないよ。
>>190 昨日、長くなりすぎるから抜粋にすると言ったけど、至の文字解釈が違うというのなら、書いたほうが良いだろうと思う。
長いので、連投になるが、皆さんご容赦を。
>>41の至と到の違いについて
>●『至』という文字には(限定された範囲)という文字本来の意味があります。
>これは、熟語(冬至、至急、至福・・・)などからも判断できると思います。
>詰まり 「至」には(点が存在しない)ことがこれで判り、先にも述べたように動詞的な移動もこの文字自体には存在しないと
>いうことです。
普通、文字本来の意味というと、甲骨文字や金文から推定されたものという印象を受ける。
漢字研究で有名な白川静氏の説を見てみると、「至は矢がある地点に到達したことを示す字形である。」と解釈している。
また、説文解字では「至、鳥の飛びて高き従り下って地に至るなり。」と解釈している。
篆書体などの字形を見れば、なるほどと頷け、これらの説にはそれなりの説得力がある。
これらの説を参考にすれば、矢にしろ鳥にしろ至は範囲というよりむしろ点と考えられる。
また、大漢和と新字源を見ても、(限定された範囲)という解釈は載っていな。
こうしたことを考えれば、(限定された範囲)が本来の意味であるという説は、
普遍的な説ではないと思われる。
こう書けば、安易な権威主義だなどと反論するかもしれないが、少なくとも、本の字形からすれば、
限定された範囲という説より、矢が地に突き立っている、鳥が地に降り立ったという説のほうが
はるかに説得力がある。
説得力ある権威者の説と、根拠を示さないあなたの説と、どちらを信じるか自明であろう。
あなた自身の説ならば、根拠と用例を示さなければならない。
他者の説を援用しているのならば、その出所を明示しなければならない。
それらを示さずに、ただ「『至』という文字には(限定された範囲)という文字本来の意味があります。」と述べても
何の説得力も持たない。
198 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 21:33:52
>>196 >それから、「郡至倭」を「郡を基点に倭の範囲は」とは全然読めないの。
漢文は、助詞もないし各変化もないので、文章中のどの位置にあるかが字の機能を決定する重要な要素なわけ。
「郡至倭」の語順では郡は主語にしかならないので、「郡を基点に倭の範囲は」というような都合の良い解釈はできないよ。
とうぜんだろう『漢語』(しかも古代)なんだから 和語に都合よくは出来ていないよ
そもそも漢字は『一字一義』 一字で全てまかなうように出来ているし
和語みたいに一音一字じゃないからね
むしろ都合よく読み下せることの方がおかしいよ だから『至』を(いたる)と読み下さなくてはならないんだよ
『至』は(いた)だよ 送り仮名の『る』は和語の都合(一音一字)のためにおこるギャップ
199 :
97:2007/03/01(木) 21:34:32
197のつづき
ところで、傍証として冬至、至急、至福という熟語を挙げているが、これらは証明にならない。
冬至は「冬の至り」、至急は「至りて急」、至福は「至れる福」と読める。
冬という状態が推移していって、それ以上の冬は無いという状態が冬至。
急な状態も福も色々あるけれど、もうこれ以上無い急ぎな場面が至急、もうこれ以上無い福が至福。
つまり、点が存在しないどころか、一連の状態の究極・到達点でそれより先が無いのが至の状態である。
矢が地に突き立ってそれ以上飛ばない状態、鳥が地に降り立ってそれ以上下り様がない状態から
発展した意味内容ではないかと類推できる。
冬至については、冬至の一日二十四時間は、限定された範囲だと主張することも可能だが、
これまでの議論を見れば、一年の内のただ一日という観念のほうが相応しいと思われる。
矢にしろ鳥にしろ、範囲を限定するようなものではないからである。
これらの熟語をもって、至は限定した範囲を示すと主張するのであれば、最早それは主観的主張でしかない。
このように、「至」の意味は、むしろ点という要素が強いため、
至と到は、「限定された範囲」と「点」として使用法が分かれるという説は成り立たない。
200 :
97:2007/03/01(木) 21:36:21
199のつづき
次に、「至」が動詞的移動を含まないという点だが、
至が熟語となると、それより先がない状態を指すために、動詞的働きが無くなるのは確かである。
それは、上記の字義が、矢なり鳥なりが移動し終わって止まった状態を表すという説と符合する事実である。
しかし、それが一字としても動詞的な働きを持たないことの根拠にはならない。
なぜなら、例えば大漢和に引かれてる禮記雑記下の「大功将至(注、至は来なり)」のように、
明確に一字で動詞として使用されている例が存在するからである。
さらに「冬至」は「至」が名詞化しており、「至福」は形容詞化しており、
「至急」は副詞化もしくは形容詞化していると考えられる。
(これは、同じ漢字が文章中の置かれる位置によって働きを変えるという漢文の性質によっている)
唯一、動詞として使用できないという方が不自然であろう。
201 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 21:37:52
200のつづき
さて、ここまで、字義の面から検討を進めてきたが、
さらに陳寿自信がが至と到を区別して使用したとは思いがたい例を以下に挙げよう。
魏書/卷一 魏書一/武帝操p5
進乃召董卓,欲以脅太后,卓未至而進見殺.卓到,廢帝為弘農王而立獻帝,京都大亂.
これは董卓が何進によって都に呼び寄せられる前後のことである。目的地は同じキであるのに、
「卓未至」「卓到」とある。あるいは「未」で否定されていることが、
何らかの影響を及ぼしているのではないかと考える向きもあるかもしれない。
しかし、次の例を見れば、その可能性も無いことがわかる。
魏書九/夏侯淵p270
馬超圍涼州刺史韋康於冀,淵救康,未到,康敗.
この記述は、夏侯淵が韋康を救援しようとして、まだ到着しないうちに韋康が敗北したというものである。
これは、董卓が都に到着しないうちに何進が殺されたという先の例文と同じ状況である。
にもかかわらず、さきには「未至」といい、ここでは「未到」という。
これらの例を見れば、陳寿が地理的に点を設定できるか否かで明確な意図をもって「至」と「到」を使い分けたという説には
賛成しがたいのである。
最後に付言すれば、至が限定された範囲でもなく、一字で動詞として働くことも事実である以上、
郡至倭は郡が倭に至る(至って止まる)という意味不明の文章にしかならない。
202 :
97:2007/03/01(木) 21:40:45
ついでに
>>180へ、オレなりの回答を書いておこう。
「從郡至倭」は、提示語或いは大主語と言われるものであって、これから何について記述するかを示す言葉。
だから@のように、終止形で読むのである。これから郡から倭に至るまでの道のりを説明しますよ、ということを
あらかじめ読者に提示する部分であるので、何も始まっていないという感想はナンセンス。
そして、人によっては「至る」で切ると、日本語として違和感を感じることもあるので、
「至るには」と補うこともある。大きく意味が変わることもないので、この程度の変化は読み癖として許容される。
あくまで、訓読という翻訳作業の問題であり、「助詞は(原文の)何処に?」などという疑問はナンセンス。
あなたのいう「意訳」よりも、随分穏当な範囲の自由度だと思う。
もうひとつ、ついでに、
>(郡を基点に倭の範囲は、韓の海岸に沿い船にて(乍南乍東)しながらへり、
>狗邪韓域の南水域(韓・倭の境)に着いた。その区間七千餘里)
のおかしな部分を指摘しておく。
「郡を基点に倭の範囲」 :「郡至倭」を「郡を基点に倭の範囲」と訳すこと自体、漢文として無理があることは上記のとおり。
(といっても納得はせんだろうな〜。)
「(乍南乍東)しながらへり、」: へりって何かのタイプミスかな?
「範囲は〜着いた」: 主語と述語の不一致。
203 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 21:52:56
>>199 さん 正直なところ即席で反論してほしくないんだ
冬至、至福、至極 など 私の意見が出るまでそのように考察したことないでしょう?
>ところで、傍証として冬至、至急、至福という熟語を挙げているが、これらは証明にならない。
冬至=秋分の日から春分の日までの【限定された範囲】のなかでの【冬の極み】
一年の中で(秋分の日から春分の日)と限定された範囲
至急=急ぐという【限定された範囲】の中で【特に急ぐ】行為
日常生活という中で(急いでいる)と限定された範囲
至福=幸せという【限定された範囲】のなかで【最も幸せ】と感じる
日常生活の幸・不幸とする営む中の(幸せ)と限定された範囲
204 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 22:11:47
まずは
>>197の回答から
>普通、文字本来の意味というと、甲骨文字や金文から推定されたものという印象を受ける。
漢字研究で有名な白川静氏の説を見てみると、「至は矢がある地点に到達したことを示す字形である。」と解釈している。
また、説文解字では「至、鳥の飛びて高き従り下って地に至るなり。」と解釈している。
篆書体などの字形を見れば、なるほどと頷け、これらの説にはそれなりの説得力がある
で、なぜ白川氏があのような表現したか説明してくれないかな〜?
抜粋した以上その裏付けも聞きたいし、ただ指示するだけじゃ 当然ブランド力で私が不利になること明白だし
こっちはアリンコ、白川氏は怪獣 それを引用する貴方は怪獣の仲間。
以前休日は(図書館で)、諸橋さんと白川さんとのにらめっこが日課でした
205 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 22:13:54
>>203 確かにあなたの意見がでるまで、考察したことは無いが、
きつい言い方をすれば、即席で反論できる程度に論拠が薄いということでもある。
範囲を限定しているのは冬であり、急であり、福である。
冬が秋分の日から春分の日までかはおくとして、至は四季の中での冬を限定することとは一切関係ない。
その状況が急ぐという限定された範囲であると規定するのは急という漢字である。至は無関係。
幸せという範囲を限定しているのは福という漢字である。至に幸・不幸を限定する働きはない。
それらの冬や急や福という漢字によって限定された範囲のなかで究極点をしめすのが至。
至が範囲を限定するのではない。
至は何かが究極へ行き着くことなのだが、至一字では、何が行き着くのか意味をなさない。
だから、別の字を持ってきて、話題なり概念なりの範囲を限定してあげてはじめて至が意味をもつ。
だから、「至」には限定された範囲という意味は無い。
206 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 22:14:17
>>204 訂正
指示・・・・×
支持・・・・○
そろそろ疲れたから休憩します。
207 :
137:2007/03/01(木) 22:21:45
>>143 >
>>141 > >「從」を漢和辞典で引いたことはあるんだろう?
本題に入る前に日本語の構文についてキミに問いたい。
> 車で?
この切り返しは、私の問いが
例文「漢和辞典を引いたことはあるんだろう」
と言うのなら成立する。
しかし、実際の構文は次のとおりだ。
「從」(目的)を漢和辞典(手段)で引いたことはある(行為)んだろう?
この文章には既に「漢和辞典で」と「手段」が明示されている。
なのに「車で?」と「手段」を問い返すのはお間抜けの一語。
たぶん、キーワードとなる名詞句に気を取られ、
日本語として重要な「てにをは」の部分を読み飛ばしてしまうのだろう。
キミ的には
「從」を漢和辞典で引いたことはあるんだろう?と書かれていても
「漢和辞典(目的)を引いたことはある(行為)んだろう」のように理解してしまうんだね。
こう言った例がキミには多いように思う。
これは、漢文の読解の場合にも言えることだよ。
208 :
97:2007/03/01(木) 22:29:24
>>204 オレは、甲骨文や金石学には門外漢なので、どんな大家の説だって、
そんな何千年も前のことが解るかと眉に唾を付けてみている。
白川静の説なんか90%くらい、ホントかな〜と疑ってる。
ただ、少なくとも至の字に関しては、甲骨文や篆書の形を見る限り、
矢や鳥という解釈は、それなりに説得力がある。
ttp://www.towa-fudosan.co.jp/mansai_bn/bn0103/kanji.html とりあえず、このページの「屋は屋根じゃない」の篆書を見て欲しい。
「尸」の部分をはずした残りが「至」の篆書体だ。
これを見れば、誰でも、なるほど鳥が地面に向かってるか、矢が地面に刺さった形だなと思うだろう。
それが、絶対正しいという保証は無いけれど、限定した範囲と言われるより、よほど説得力がある。
白川静とか許慎の権威なんか、全く無関係。
白川静だから平伏せよというのではない。それより、説得力のある根拠を見せてくれと言ってるだけ。
209 :
太国 :2007/03/01(木) 22:37:16
「人」の漢字なんて、「大」の字のほうがよっぽっど人に見えるが?
210 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 22:47:32
>>205さん
申し訳ないけど いくら説明しても無駄かもしれませんね。
なんだか辞書を相手に議論しているみたいで
それに、貴方も私の様に自分の世界を創っていますから
私が何を言おうとも無駄でしょう(自分もそうだからわかります)
貴方とはこんな話題で議論するのではなく、 先日私が挑戦していた『景初四年』問題の
手助けをお願いしたかったです。
よしましょう これ以上話を進めれば私も言意(今は封印)から入ってし
まいますし
漢字の根底から議論しなければすまなくなります
211 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 22:53:38
>>207 >この文章には既に「漢和辞典で」と「手段」が明示されている。
なのに「車で?」と「手段」を問い返すのはお間抜けの一語。
たぶん、キーワードとなる名詞句に気を取られ、
日本語として重要な「てにをは」の部分を読み飛ばしてしまうのだろう。
キミ的には
「從」を漢和辞典で引いたことはあるんだろう?と書かれていても
「漢和辞典(目的)を引いたことはある(行為)んだろう」のように理解してしまうんだね。
こう言った例がキミには多いように思う。
これは、漢文の読解の場合にも言えることだよ。
指摘ありがとう
正直あの時、眠くてレスするのもめんどうだった それだけ
ま、思考力十分でも理解できたかは保証無いけどね
212 :
137:2007/03/01(木) 22:54:53
>>157 >
>>151 > >客語
> 『今使譯所通三十國從』
> 細分化して説明すれば、
> 『從/動詞』の主語は(三十國)
> 詰まり、この文は【史記】に出てくる『漢王喜』と同じ構成(当然君も知っているよね?)
> ここには(客語)とされる目的語は存在しないが、主語と動詞だけで十分説明構成出来る
> 古代漢文では頻繁に見掛ける簡略された文ではないかな?
> それでもまだ客語に執着するのかな?
『今使譯所通三十國從』
つまり「今使譯所通三十國」が主語で「從」なのか?
”今使譯の通ずるところの三十國が從う”のように訓じたいと!
じゃ、漢の時は百余国で今は三十の国は何に従うんだろうか?
とても客語が無くても成立する文章とは認めがたいが・・・
100歩譲って認めたとして、かなり不安定(ヘタクソ)な文章だね。
読み手は「女王國」と言うコトバが出てくるまで「何に従うんだろう」と言う疑問を抱え続けることになる。
それにこの解釈の「存在」をもって「從〜至〜」の用法の存在を否定できるものでもないわな。
213 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 23:00:31
>>205さん 一つだけ反論させて下さいね
>きつい言い方をすれば、即席で反論できる程度に論拠が薄いということでもある。
私もきつい言い方すれば
長年古代史やっていて私レベルに即答出来ないくらいなら(止めちゃいな)と言いたいです。
でも、貴方は即答できましたから凄いです。
214 :
97:2007/03/01(木) 23:03:28
>>210 それで結構です。
もともと、あなたを説得・翻意させられるとは思ってなかった。
前にも書いたけど「初心者を惑わすなよ」というのが出発点なので、
ここをたまたま見た人が、安易に「へー、そうなのか」と思い込まず、
いろいろな考え方があるんだなと思ってもらえればそれで良いです。
では、これまでということで。
215 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 23:08:50
>>208 >白川静だから平伏せよというのではない。それより、説得力のある根拠を見せてくれと言ってるだけ。
ありがとう
十分今後の励みになります。
今、解字に挑戦している所だから、それがすめばそこそこの成果は出ると思います
それまでは 白川氏や諸橋氏には敬意をはらいますよ
でも、本当に鳥のような形からそんな解釈したの?
216 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 23:13:32
>>210 冬至
winter solstice
至福
extreme happiness
至急
as soon as possible
217 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 23:18:27
>>212 単純な答えだよ
『従』と書いた裏には必ず『主』が存在するだろう 当然の道理かと
女王としたのはあくまで判り易く解釈したまで
文章ってそんなもんだろう?
敢えて書かなくとも、書いた時と同じような効果を表す文章技法が
218 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 23:23:42
>>216 で、その心は? なぜ winterって w i n t e r と書くの?
ごめん英語よくわかんなくて
219 :
太国 :2007/03/01(木) 23:41:01
フィニッシュ→フユイッシ(冬一糸)→冬
一糸纏わぬと冬のように寒いです。
220 :
太国 :2007/03/01(木) 23:42:18
冬が来て1年の終わり
221 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 23:46:10
>>214さん
勝手な判断申し訳ありません。
大変参考になりました。謹んでお礼申し上げます。
222 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 23:49:08
>>220 >冬が来て1年の終わり
どうして冬が一年の終わりなのかな〜? 私は納税と関係があると踏んでいるのだが
223 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 23:50:50
224 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 23:51:27
225 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/01(木) 23:57:55
はい
今日はお終いにします。 では、おやすみなさい。
>>220 それは春が一年の始まりと言う意味ですか
それとも初冬が一年の終わりで仲冬が一年の始まりと言う意味ですか?
227 :
137:2007/03/02(金) 00:57:52
>>217 > 単純な答えだよ
> 『従』と書いた裏には必ず『主』が存在するだろう 当然の道理かと
だから、キミの解釈じゃ、当然最初に説明されてもよさそうな「主」の正体が、
なかなか明かされないから読み手をイライラさせるんだよ。
つまり、とても読みにくい文章になっちまう。
キミの書く文書にも「そういう」のが多いけど。
> 女王としたのはあくまで判り易く解釈したまで
キミは
>>145で
>三十国を従え(臣や民)が使者に対応したんですよ
>主語・・・・・女王あるいは(邪馬台国三十国体制)
と書いている。
「主語」と書いて、それを「女王」or「〜体制」と定義したわけだが、
これは「文脈上の主語」のことでは無く、「從」に対する「主」と言いたかったわけね。
しかしね、女王を「主語」と書けば「服従する三十国」は「客語」と解していると
思われて当然だよ。
だから、話しが通じないわけだ。
何で、そんなズボラな文章を平気で書けるのかな?
たった一文字でコトバの意味は全くかわることことが多い。
眠いとか気が乗らないとかは理由にならないよ。
> 文章ってそんなもんだろう?
> 敢えて書かなくとも、書いた時と同じような効果を表す文章技法が
何がさ?
漢文云々の前に先ずは日本語に拘ってくれたまえ。
228 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/02(金) 07:44:27
>>271 はい
貴方のような素晴らしい判りやすい文章を書くことは出来ません。
●しかし、貴方も相当自分の世界を創りあげている方ですね! 自分の意見も述べずにいきなり質問から入り、相手の出方しだいで言いたい放題(まっ!自分もたいして変わりませんから)お互い様じゃないんですか?
自分の言葉足らないレスを、こうして考えを公開(垂れ流し)する事で補っているんですけどね
229 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/02(金) 07:52:18
230 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/02(金) 09:34:41
【漢字から見た魏志倭人伝】
《末盧⇒伊都:北東の謎》伊都を現在の糸島半島近辺と仮定した場合、先ず最初にこの(北東)ラインの謎が残ります。
では、
@まず、右下がり(北西から東南に向かって)の、線A→Bを引きます。
Aその線A→Bに対し右側に平行な線C→Dを引きます。
Bその横に並んだ平行線A→B C→Dに 点Bから点Cに向かって 点BC で結んでやると
線B→Cは 北東に伸びる線になります。
これが(北東)の謎の実態です。
A=末盧のみなと
B=到伊都国
C=伊都の中心的な地
D=奴の中心的な地
231 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/02(金) 09:49:06
【漢字から見た魏志倭人伝】
西から東側へ、東南に伸びる二本の線を文章で説明し、敢えて書かなくとも 北東のラインを描き出す
同時に、その三本のラインは、
右下がり→右上がり→右下がりとなり、海岸線の地形を概略的とはいえ実に良く文章表現されています。
《注》(これはあくまで読み手のセンス次第ですが)
少なくとも
私にはそう読めます。
この場合、末盧、伊都、奴が何処にあろうと関係なく、
西から順番に
末盧→伊都→奴 と、配置されていることが 肝心なだけです。
232 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 10:47:36
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
233 :
137:2007/03/03(土) 00:29:08
>>228 > 自分の意見も述べずにいきなり質問から入り、相手の出方しだいで言いたい放題
すまんな。私のレスは
>>135からだ。
基本的な考えは
>>135で述べている。
仮ハンが不適切だったが流れでわかってるかと思ったぞ。
> こうして考えを公開(垂れ流し)する事で補っているんですけどね
その考えが読み取れないから質問したわけだがね。
234 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/03(土) 12:33:58
先日『東南至奴國百里』の(百里)は 区間距離とゴネていた住人さん達を多く見受けたけれど
●これって(行政単位による行政区画地域の事)なんですよ 『一百里』じゃないし………
【漢字から見た魏志倭人伝】
(行政単位)
@『…千乘之國之者、百里之國。古者井田、方里為井、十井為乘。百里之國適千乘也。』
A『百里之國適千乘也。諸候之國千乘天子之國萬乘』
そう言う事からです。
235 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 15:02:42
>>234 距離を表すのに「百里」と「一百里」の両方の表記があり、
「百里」だから区域、「一百里」だから距離と決めることはできない。
「一百」という表記が重要になるのは1100などを表すときで、「千一百」と表記する。
なぜなら、「千百」と表記すると、「千あるいは百」という意味になるからである。
例はテンプレにある台湾中央研究院の「漢籍電子文献/資料庫」で簡単に検索できるので
各自確認していただきたい。
これを以て、百里が区域表示である可能性を否定はしないが、
距離表示である可能性を全否定するのであれば、他の決定的な証拠が必要になるだろう。
236 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/03(土) 15:40:29
>>235 >区画である論証根拠
全力をあげ提示しますので、距離表示とされる方もぜひともその根拠提示宜しくお願いします。
通説を組合せても
結果が出ないことは明白ですので 協力し解決しましょう。
237 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/03(土) 15:45:23
>>236 訂正
距離表示………×
行程区間距離表示……〇
スマソです。
238 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 23:45:29
プラムさんがんばれー
>>238 ありがとう。
明日から二日程温泉に行って来ますので、 たぶんレスはお休みします。
240 :
変身@名無しさん:2007/03/04(日) 00:18:05
プラムさんがんばれー
241 :
阿蘇山は移動した:2007/03/04(日) 09:19:02
通説もいいとこありますよ。問題点は、奴国ですよ。ほんとは、1つ
なのに陳寿は2つあると勘違いしたところです。
プラムは温泉に行くとの設定で
別ハンドルはそのまま書き込むわけね
それで自演説お否定したいとw
あさはかだねえ
プの書いた文章は誰にも真似できない。
プは他人の文章を真似られない。
だから、プの自演であるのか他人の自演であるのかは明白。
244 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/04(日) 18:27:11
プラムさんごぶさたです。たまにはドン来いなどにも顔を出してください。
僕も温泉旅行を近々計画してるんですよ。それも兄弟とその家族と一緒に。
245 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 20:32:30
http://travel3.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/ 821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
246 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 20:40:18
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1160214983/ 684 :太国 :2007/03/03(土) 21:54:43
余=拙者=みども=それがし
分かったか〜低能ども!
691 :日本@名無史さん :2007/03/04(日) 10:44:29
>>694 神や仏の余りって意味だよ
だから大名クラスは使った
プラ国クラスじゃねw
693 :日本@名無史さん :2007/03/04(日) 11:23:58
そもそも使う階層が違う事から気付かないとね、
太国は越前守とか云われるような、
古代から使われる神別階級のつもりなのかもしれませんが。
694 :日本@名無史さん :2007/03/04(日) 11:26:46
神別階級なら神道体系なんて当然持ってるよw
247 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 20:56:15
自分の事を最高権威なんて普通言わんね
世間外れのニートのなせる業w
しかも匿名の2CHでさw
プラムさんあなたやっぱり太国さんなんでしょ
みんな知ってますよ
>>248 > プラムさんあなたやっぱり太国さんなんでしょ
> みんな知ってますよ
幾らなんでも、そんなこと言っちゃ太に失礼だろうwww
250 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 21:34:10
幾らなんでも、そんなこと言うお前が馬鹿だよw
251 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 22:47:14
252 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 00:21:01
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
253 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 07:48:37
太国さん 貴方自分の事どういいますか?
254 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/05(月) 10:27:35
プラムさんが温泉に行って留守している間、好き勝手な事を言うのはやめましょう。
荒らしは厳禁だと書いてあるでしょう。正々堂々と議論で戦えばいいじゃないですか?
僕ははっきりいってプラムさんの知識に敵いませんが。
255 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 12:20:03
住人が全員にてますねW
256 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 13:43:49
温泉だってW
ぷって羨ましいよな!
妻子持ちの四十オヤジなのに、朝から晩まで2chやってて、それで飯が喰える。
平日に温泉旅行でまたーりしてるし、サラリーマンだって話だが信じられん。
家族経営みたいなちっこい会社なのかもしれんが、これはこれで人生の勝組だね。
258 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 18:19:59
>>257 そうだね羨ましいね
何しろ能天気なプラム=太国で
厚顔無恥の太国がここのスレ主だもん
友達が少なく社会的責任も果たさない
人生の馬鹿組だよねW
259 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 18:52:39
>>257 それ典型的な犯罪者家庭の10年前だよ
きっと幸せは長く続かないよ
家庭におけるモラルの欠如は
悲劇的な結末が多いんだ
だから由緒高き家には必ず高い道徳がある
羨ましいと思う時点で犯罪家庭予備軍だね
孫子の代迄影響するんだよ!
260 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 20:11:05
261 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 21:34:39
>>260 そうでもないな
これはね実際にあった話だよ
先祖の土地売って儲けた金でアパート経営だけで結構稼いでいたじーさんが死んだ
羨ましい程豪勢に遊びながら生活していたよ
節税で殆ど税金払ってない事を自慢していたけど
自治会の手伝いやカンパをいつも渋るような人だった
葬式後に遺産相続で子供達が骨肉の争いを始めた
孫の半分はニートで働く気も無いし葬式も内孫しか出なかった
その親族の殆どがそれを機に転がり落ち始めた
刑務所沙汰もあったし、自己破産もいた
一軒だけ順調にいっているらしいけど・・・
とうとうじーさんが死んで15年位かな
じーさんの作った家まで取られて近所の子供もどこかへ行った
隣の家に嫌味まで言って引っ越したらしい
隣はじーさんの大の仲良しの家だったはずだ
子々孫々にじーさんの個人主義が増幅して伝播していった
モラルの欠如以外にあの家の崩壊は説明出来ない
263 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 22:00:43
>>262
プラムさん温泉行ってないじゃないw
264 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 22:47:49
>>262 例数がなんか意味あるのかプラム?W
金を羨ましがる人ばかりじゃ無いって事をまず読み取り
それについてお前なりのコメントしろよW
いつもながらトンチンカンだよね真似出来ないよWWW
265 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 23:04:43
ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅと
温泉行ってた方がボロ出なくて懸命だぞw
266 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 23:05:49
あ間違えたw
ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅと
温泉行ってた方がボロ出なくて県名だぞw
267 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 23:07:49
ああああああああ間違えたw
ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅと
温泉行ってた方がボロ出なくて件名だぞw
268 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 23:10:35
余も「神道体系」が欲しかった
269 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 23:14:27
>>262 例数がなんか意味あるのかプラム?W
金を羨ましがる人ばかりじゃ無いって事をまず読み取り
それについてお前なりのコメントしろよW
いつもながらトンチンカンだよね真似出来ないよWWW
多分そろそろ帰ってくるぞw
271 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 23:37:03
272 :
太国:2007/03/06(火) 00:55:20
名無しで有コテハンを攻撃するとは卑怯なり。
273 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/06(火) 09:51:48
>>241 阿蘇山さん
レス遅くなりました。
>通説もいいとこありますよ
私も奴国を福岡平野辺りにしていますし、奴の中心的な地を博多湾沿岸としていますから。
>二つの奴国は勘違い。
勘違いと位置付け出来る要素が何もありませんから無理です。同じ流れで書かれている同名は何処まで行っても『同じ』と扱うのが、普通の扱い方です。
奴国記事の最後に書かれている『東行』の文字が
後に続く地理記事の全てを片付けてくれます。
上野発(仙台行き)
東京発(新宿行き)
274 :
阿蘇山は移動した:2007/03/06(火) 10:28:21
奴国問題は、この後、またないと、全体像が必要。
プラムさん
1から魏志を始めるより、従来の説の問題点あげたほうがいいと
おもいますよ。0から始めるより、従来の1000くらいのレベル
に自分の考え100を加えると。0からでは100.1000から
始めると1100.例えばの話ですが。まあ、一通り、終わってからに
するかな?
275 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/06(火) 10:50:43
>>274阿蘇山さん
>従来の1000レベル
たぶん奴国までで1000レベルを使い果たしてると思いますよ。
ここから先が
未知の領域(簡単なんですが)
どの著書見ても『主観』だらけで 誰ひとり合理的な解釈が出来ていないプラスαの世界
それが『東行』
276 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 11:02:11
自演ですらトンチンカンなプラ国さん
どこの温泉いってきたんですか?
277 :
太国:2007/03/06(火) 11:08:13
プラ国というコテハンなどいない。
太国さんとプラムさんの両者に失礼だ。
278 :
太国:2007/03/06(火) 11:10:13
自分にさん付けすんな
279 :
太国:2007/03/06(火) 11:11:46
仕方ないだろ
同じ人なんだから
280 :
太国:2007/03/06(火) 11:12:30
余はプラムさんではない。
281 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/06(火) 11:15:03
【漢字から見た魏志倭人伝】
『東南至(奴國)………有二萬餘戸“東行”至不彌國………南至東馬國………女王之所都………斯馬國………………烏奴國…(奴國)』
この『東行』の文字にて、不彌が東に在ると言う事よりも、奴國の中心的な地が『東行』の基点(発点)となる事が確定されるのです。
先の事ばかり見てしまい、通すぎた文章を忘れてしまうのです。
●東京発新宿行
大事なのは目的の新宿ではなく、発点(基点)となる東京が確定される事なのです。
282 :
太国:2007/03/06(火) 11:16:42
>>259 オマエのは只の中傷ではないか?
今度プラムさんの家庭や奥さんに言及したら、余が許さん!
284 :
太国:2007/03/06(火) 11:18:20
だって余のコテだから
285 :
太国:2007/03/06(火) 11:19:36
>>283 うらやましいですな。拙者も疲れを癒したい。
286 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 11:20:14
管理人が同じ人っていってたよW
287 :
太国:2007/03/06(火) 11:20:57
288 :
太国:2007/03/06(火) 11:24:31
289 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 11:25:07
色んな接続してもわかるよねW
290 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/06(火) 11:25:17
異例の暖冬の為、山肌に若干の雪がチラホラ状態
軽井沢へ抜けるロマンチック街道も、ノーマルタイヤで全然影響有りませんよ
291 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 11:26:25
余はブラム
292 :
太国:2007/03/06(火) 11:26:51
293 :
太国:2007/03/06(火) 11:28:59
>>290 露天風呂はありましたか?
不躾ですが、混浴はありましたか?
294 :
太国:2007/03/06(火) 11:30:08
295 :
太国:2007/03/06(火) 11:32:38
>>290 念のために冬用タイヤを用意すべきですか?
296 :
太国:2007/03/06(火) 11:34:08
297 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/06(火) 11:36:27
>>294 温泉街に“西の河原”と言う巨大露天風呂があり
入湯料金は500円、ロッカー100円
でも、ホテルのフロントに話せば割引券(50円引き)貰えます。
ただし、男女別(ガクッ)
298 :
太国:2007/03/06(火) 11:39:50
>>297 それは安いですな〜。
湯温は如何でしたか?
299 :
太国:2007/03/06(火) 11:48:02
何故プラムさんは九州ですが氏をスルーするのですか?
彼も仲間ですよ!!
300 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 11:50:46
誰に認められた権威で
余なんていってんのやら?
301 :
太国:2007/03/06(火) 11:53:20
だ〜か〜ら〜。
秘儀をお前らのような低能に教えられるとでも思っているのか?
余から真を教われるだけで満足していろ!!
302 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 12:18:21
余って書く自体が秘儀犯していませんか?W
303 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 12:22:37
304 :
太国:2007/03/06(火) 13:14:07
温泉スレはここでつか
>>304 温泉ネタは午前中で打ち切りました。
ごめんなさい。
306 :
太国:2007/03/06(火) 13:58:24
貴殿と拙者がこれだけ会話した記録がこのスレにはある。
これで貴殿=拙者などという脳死論は壊滅するであろう。
では失礼します。
ニセ王。プラムさん、だまされないで!
308 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/06(火) 15:17:31
【漢字から見た魏志倭人伝】
『東行』から奴国の発点(基点)が確定し、
・(東行)南至投馬國水行二十日
・(東行)南至邪馬壹國
・(東行)女王之所都水行十日陸行一月
・(東行)次有斯馬國……烏奴國次有奴国
・『東行不彌國』
奴国→→不彌国→→奴国
『東行』
奴国→→→女王之所都(東)→→→奴国
309 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 15:27:15
拙者に変えたのかW
310 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 16:50:12
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
311 :
太国:2007/03/06(火) 17:00:15
>>292 >料理は美味しかったですか?
不味くはなかったです。
>湯温は如何でしたか?
かなりの広さ 湯口から離れるほどぬるくなります
>何故プラムさんは九州ですが氏をスルーするのですか?
していません
313 :
太国:2007/03/06(火) 17:38:47
>>312 >不味くはなかったです。
うまくはなかったのですか。少し残念です。
>かなりの広さ 湯口から離れるほどぬるくなります
ということは湯口からの距離を調節すれば、適温を楽しめますね。
>していません
良かった。心配していたです。これからも仲良くやりましょうね。
314 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 18:13:35
315 :
太国:2007/03/06(火) 18:23:09
拙者のニセモノに注意!
偽者の方が賢いよ
317 :
太国:2007/03/06(火) 22:49:25
318 :
阿蘇山は移動した:2007/03/06(火) 22:54:56
>>308 何故、21か国に奴国があるの?他の所にはないのに。
319 :
太国:2007/03/06(火) 23:18:12
>>309 目下相手には余、謙遜して拙者、丁寧語がそれがし、対等の相手にはみども。
分かったか〜
>>318 >何故、21か国に奴国があるの?他の所にはないのに。
『奴国』を出発した『東行』の列車が(投馬国経由)で『女王の都』に
『女王の都』を出発した列車は(諸国二十国経由)で『奴国』に帰ってきたから
です。
『東行』(東へ行く) (学校へ行く)と同じ解釈
家を出たら学校に行き、また帰宅して 1SET でしょう
(東行く)は、目的地が 奴国よりも経度的に東側にあれば、それで条件を満たしている訳だし
目的地=奴国より後に名前が記載されている全ての地域名
(仙台行き)の列車は (常磐線経由)であろうと(東北本線)経由であろうが、目的地仙台に到着すれば
(仙台行)の表示は有効だろう
321 :
太国:2007/03/07(水) 00:08:09
陸行は陸へ行く、水行は水へ行く、と同じか〜。
zzzzzzzz
>>312 >陸行は陸へ行く、水行は水へ行く、と同じか〜。
(陸、水)と(東)は同じですか?
(陸と水)は前文でも解るように(移動手段) (東)という移動手段が有りますか?
使用目的が異なれば、当然日本語の活用も自ずと違ってくるのでは?
陸を(徒歩にて)行く 東へ行く
324 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 07:52:43
【漢字から見た魏志倭人伝】
(二つの奴国)
一説には、二万余戸ある奴国の分国が、諸国20国の最後に登場する奴国だ
とする説があるようだが
これは見当違いだ
分国がある場合には
奴国の所に『分国有り』とする『復有國』の文章にて分国を示します。
《例》
女王國東渡一海千餘里“復有國”
(分国有り)
・復習や復職 と同じ使われかた
325 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 09:40:09
またなこく有りのようにスゴロクで元に戻ってるのではないか
326 :
阿蘇山は移動した:2007/03/07(水) 10:19:08
>>325 私も、邪馬台国からUターンしたと思う。それを陳寿が南に21か国
あると誤解した。これが邪馬台国問題がおわらない理由だと思う。
327 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 10:25:45
>>326 阿蘇山さん
>南に二十一国と勘違い
ちゃんと陳壽は『自女王國以北』と書いていますよ
それも
『女王國以北』ではなく、正確に『“自”女王國以北』と、
328 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 10:43:39
【漢字から見た魏志倭人伝】
《從 と 自》
よく前置詞(〜より/〜から)として
從〜
自〜
として使用されますが、文字が違うと言う事は当然使用方法の区別も有ると言うことです。
日本語に訳文すると(〜より)と曖昧な言葉になりますが その辺りが
和訳される時に発生する、外来語とのギャップです。しかし曖昧な和訳も、一文字毎に訓じれば
「從」は(したがう)
「自」は(みずから)
と、それぞれ違っ訓が存在します。
從「他人にしたがう」
自「おのれみずから」
と
329 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 12:18:28
330 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 12:27:35
【漢字から見た魏志倭人伝】
《從 と 自》
『從郡』も『自郡』も共に“基点”は「郡」となり(郡から/郡より)と、和訳されます。
しかし
和訳を更に突っ込んで考える場合、基点を見出だす(視点)が更に重要となるのです。
『從/したがう』は、第三者に従う訳で、「郡」は王朝に従っている訳です。
詰まり
『從郡』は
(王朝に従う郡)より〜
と、なり 視点は郡以外から見た 「郡を基点に」(〜より)と なるのです。
『自郡』とはその逆で、(自らの郡)より〜
となり、郡内から見た視点と同時に 基点にもなるのです。
331 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 12:40:47
【漢字から見た魏志倭人伝】
《從 と 自》
世間一般では『從郡至倭…』とする読みが広まっているようだが、一度『自郡至倭…』とした場合との違いを振り返ってもらいたいものだ
『從郡至倭…』の基点は郡でも視点は(郡以外)に設定されてしまう事を
『自郡』と書かれはじめて(郡を基点に郡庁が発点)と、解釈出来るのです。
だから倭人伝の中でも
『自郡至女王國萬二千餘里』と、距離表示出来るのです。
これが『從郡』だったら(発点)がなくなり
距離表示が出来なくなるからです。
332 :
阿蘇山は移動した:2007/03/07(水) 12:44:26
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國
アレックスさんのとこより、引用。
以北は、投馬国などで、21か国は北以外にあると私は解釈した。でも、
旁國 とは、脇の国であり、南、南ときてるので、21か国は北、北で
ないと矛盾する。奴国 別国では、説明に苦しい。他にも理由あるけど、
この文からは、陳寿は21か国を北以外と考えていたと思う。
333 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 12:52:24
【漢字から見た魏志倭人伝】
《從 と 自》
『從郡至倭』と 読む場合、絶対不可欠になる文字は『自郡』なのです。
●『從郡至倭、“自郡”……七千餘里』
(七千餘里)と数値表示が有る限り、“自郡”としなければならないのです。
334 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 13:12:49
335 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 13:15:43
>>332 主観を入れずにジックリ一文字ずつ読んでいくと判るよ
>旁国(脇の国)
傍らの国で、それほど離れていない事が判りますね
『南至邪馬壹國』
『女王之所都水行十日陸行一月』
だよ!
『南水行十日陸行一月至邪馬壹國女王之所都』
と、書いてあるかい?
336 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 13:34:18
337 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 13:39:58
>>332 阿蘇山さん
『奴国』から(東行き)船にて二十日、南に位置する(投馬国域)
投馬国から更に南は(邪馬壹国域)
『投馬国』からまた(東行き)船にて十日 下船し、今度はそこから(東行き)の列車に揺られ一月
そこが(女王之所都)
●伊都国or(奴国)からの距離1500余里
ここは 奴国よりも東側にあります。(東行き)の乗り物に乗ったのだから
338 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 13:53:32
【漢字から見た魏志倭人伝】
和訳にて『はし』と訳されても
漢字で書けば(橋、端、箸…)と、様々です。
それぞれ用途も意味も違が和訳では(はし)
同じ様に(〜から、〜より)と和訳されても『從、自』と、文字は変わり
当然用途も違う事に注意すべきです。
しかし、殆ど無関心のまま和訳本をストレートに扱い議論に専念しているのが現状
ま、日本人はブランド品に流され易い事もありますから致し方ないかも。
339 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 15:35:55
【漢字から見た魏志倭人伝】
『自女王國以北其戸數道里可得略載』
(女王の王宮より北側に位置する諸国の、規模・戸数・道里は略し、記載する)
『其餘旁國遠絶不可得詳』
(諸国の傍らには国があるが、国交がない為に情報は不明)
340 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 17:51:25
【漢字から見た魏志倭人伝】
●『自女王國以北其戸數道里可得略載』
・『其』⇒戸数・道里を略し国名だけを記載した諸国20国
諸国20国は女王の王宮より北側
●『其餘旁國遠絶不可得詳』
『其』⇒諸国20國
『餘』⇒こえる(女王宮の北側の更に北側)
『旁國』⇒傍らの国
『遠絶』⇒国交がない
ここでの(遠)とは、旁国とあるので 距離的な(遠近)ではなく(時間的)なもの=《遥か昔から絶え》の意になる。
341 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 18:39:51
【漢字から見た魏志倭人伝】
『此女王境界所盡』
(諸国20国の沿岸が女王の支配領域の境界)
『此』⇒諸国20国全て
※まだ最後に書かれた奴国一国を対象に“此”と解釈されてる翻訳本を見掛けるが、その場合の原文は
『…次有烏奴國。次有奴國此女王境界所盡。』と、変な文節切りとなる。
ここは
(次有斯馬國〜次有奴國)までの諸国20國全てと解すべきだろう。
奴国は先に登場しているので省かれる。
女王国ではなく女王であるところが『ミソ』
>>331 > 【漢字から見た魏志倭人伝】
> 《從 と 自》
> 世間一般では『從郡至倭…』とする読みが広まっているようだが、一度『自郡至倭…』とした場合との違いを振り返ってもらいたいものだ
> 『從郡至倭…』の基点は郡でも視点は(郡以外)に設定されてしまう事を
> 『自郡』と書かれはじめて(郡を基点に郡庁が発点)と、解釈出来るのです。
> だから倭人伝の中でも
> 『自郡至女王國萬二千餘里』と、距離表示出来るのです。
> これが『從郡』だったら(発点)がなくなり
> 距離表示が出来なくなるからです。
「従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、至其北岸狗邪韓国、七千余里。」だって同じだろう。
「従郡至其北岸狗邪韓国、七千余里」だよ。
343 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 22:37:01
>>342 >「従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、至其北岸狗邪韓国、七千余里。」だって同じだろう。
「従郡至其北岸狗邪韓国、七千余里」だよ。
残念だけど「従郡至其北岸狗邪韓国、七千余里」と
『從』としている以上 訓(したがう)の呪縛からは逃れられない
あくまでも『郡』以外からの視点には変わりないよ
『至其北岸狗邪韓国、七千余里』の文はあくまでも視点が郡内にあるからこそ成立するのでは?
視点を郡内に置いとくからこそ7000里という数値の発点が省略できる。
この場合の発点は(郡の中心的な場所)となり、水行の文字がある場合郡の港と確定する
しかし
視点が郡以外となれば、基点は郡だが7000に対する《発点も起点)特定できない
『郡』だけでは面であり点ではない。
344 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 22:54:34
一つ伺いたいのだが、
>>330に書いてあるような從と自の使い分けなど、
このスレで幾つかの漢字の使用方法を規定しているが、
その適用範囲をどのように考えているのだろう。
1 時代にかかわらず漢文一般のルール
2 三国から晋の時代のルール
3 三国志独自のルール
4 三国志でも特に東夷伝などのルール
5 倭人の条のみのルール
6 特定の説を補強するためのルール
7 特定の思想に依拠するルール
346 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 23:33:45
>>344 適用範囲なんて考えた事なんかないよ
その漢字が使われている限り、漢字の基本字義は変わらない
変わるのはその基本的字義を元に、時代の変化に合わせるように変わる意味の広がり
347 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 23:40:11
例え漢文と言えども所詮は漢字の集まり
文字一つ一つが根本にあるから文が成立する。文が出来て文字が出来るわけじゃないからね
文字があるからこそ、そこに文章が出来る。
そう理解しているだけ 学者の様にはムズイ事考えられるわけでもないからシンプルに
348 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 23:47:53
>>347 >文が出来て文字が出来るわけじゃないからね
文字があるからこそ、そこに文章が出来る。
誤解を招く表現だな。文字が出来たのは口頭での意志疎通が出来るようになった後だろ。
そこからニワトリタマゴニワトリになってはいるが、文章(口語)が一番先なのは自明。
349 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/07(水) 23:57:13
私も最近になってやっと解りかけてきたきた事なんだが
実は
文字一つ一つに意味なんて存在しない
有るのは基本的な(字義)だけ。 平たく言えば(文字自体が持っているルール)だけ
文字は最低二文字以上の組み合わせで初めて意味が生まれる
と、考えています。
この考えを覆す意見を募集中ですので 宜しく
まだ勉強途上の為
350 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 00:04:15
>>348 >誤解を招く表現だな。文字が出来たのは口頭での意志疎通が出来るようになった後だろ。
そこからニワトリタマゴニワトリになってはいるが、文章(口語)が一番先なのは自明。
私は一度も言語(音)を取り上げずに書いたつもりだが?
そもそも言語は聴覚と視覚 文字は視覚を利用するもの
目的とするモノが違うだろう
共通するのは(伝承)だが
351 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:10:55
>>350 言語を表記する手段が文字。つまり文字は言語の一部門なのだが、
これは理解できるか?
353 :
344:2007/03/08(木) 00:15:20
>適用範囲なんて考えた事なんかないよ
>その漢字が使われている限り、漢字の基本字義は変わらない
>変わるのはその基本的字義を元に、時代の変化に合わせるように変わる意味の広がり
これは、ここで主張されるルールは全時代に通用するといいうことで理解して良いのか。
>>144の書き込みに対して
>>148で
>え〜っ ずるいよ
>全部註文からの引用ジャン
>なんでも有り有り有り?
と書いてある。註文の引用が不服で本文の引用だけ認めるような発言だから
ここで主張してるルールは三国志本文のみに適用されるってことだろうと考えたんだが。違うの?
適用範囲なんか考えなくて、基本字義が何時の時代でも通用するなら、
註文だろうが本文だろうが、用例の比較検討に用いて差し支えないだろうに。
何も難しいことを聞いているのではなく、
三国志本文のみでいくの?註文も経史子集も全部有り有り有りでいくの?
というだけの質問。
ちなみに345とは別人。
354 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 00:18:28
>>352 >言語を表記する手段が文字。つまり文字は言語の一部門なのだが、
これは理解できるか?
悪いけど、そっちが私のメインなもので
話し出したら止らなくなるから 言語の話は降ります
355 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 00:21:02
356 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:24:26
>>349 >文字は最低二文字以上の組み合わせで初めて意味が生まれる
>と、考えています。
否
>>354 >これは理解できるか?
に対して
>悪いけど、そっちが私のメインなもので
話し出したら止らなくなるから 言語の話は降ります
理解できないということだな。
358 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 00:36:15
>>357 >理解できないということだな。
どう捉えても構わないよ
先日、ある住人と言語学を使わないと約束したばかりだから。
私はこれ以上ノーコメント
359 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 00:42:03
>>353 >註文の引用が不服で本文の引用だけ認めるような発言だから
以前、漢籍本文からのものに対しては、漢籍本文からの引用でするのがルールと漢文板で教えてもらいました
360 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 00:45:13
今日はこれにて就寝します。 おやすみ
361 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:45:56
>>359 そんなルール無いよ。勘違いか読み違いだろう。
もう一回漢文板に行って、読み直すか聞くかしてごらん。
>>358 理解できなかったと承知した。
>>348の
>誤解を招く表現だな。文字が出来たのは口頭での意志疎通が出来るようになった後だろ。
>そこからニワトリタマゴニワトリになってはいるが、文章(口語)が一番先なのは自明。
について議論しないということだから、異議なしと承知する。
よって
>文が出来て文字が出来るわけじゃないからね
>文字があるからこそ、そこに文章が出来る。
を撤回するということでいいな?
363 :
阿蘇山は移動した:2007/03/08(木) 01:28:20
>女王国ではなく女王であるところが『ミソ』
私も同意。ここがほんとのミソ。
>『投馬国』からまた(東行き)船にて十日 下船し、今度はそこから(東行き)の列車に揺られ一月
>そこが(女王之所都)
この下船する国名がないのは何故、方位もないけど。まあ、東なのかな?
又渡一海、千餘里至末盧國、有四千餘戸、略、皆沈沒取之。
東南陸行五百里、到伊都國、
末盧國は、書いてありますよね。(原文アレックスさんより)
364 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 07:46:25
>>363 阿蘇山さん
●(到伊都國)から(女王國/王宮)までは
12000-10500=1500の計算から千五百餘里で有ることがわかります。
そして
●奴国から女王王宮まで
水行三十日陸行一月で有ることも判ります。
詰まり、
@奴国から約1500里
A奴国から水陸六十日
B奴国よりも東側
C奴国から南に投馬国、更に南に邪馬壹国
D奴国〜女王の都〜奴国迄、同じ国が登場しないので一筆書き出来る
阿蘇山さん
奴国を(博多)と仮定し、考えて見て下さい。
多分直ぐに 地図を描けますよ
それが陳壽の地理記事の目的の一つです。
365 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 08:00:06
>>363 阿蘇山さん
この一筆書き地図が描ければ、女王の都どころか
全ての記載文の内容が把握出来、何故最初に不彌国が書かれて、最後に狗奴国の記事があるかが判ります。
女王の都は
奴国(博多)の東側に位置し、この一筆書き地図のやはり東側に位置する場所にあるのです。
判らなくなったら質問してくれれば
解る範囲でお答えします。
楽しいですよ!
366 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 10:28:09
【漢字から見た魏志倭人伝】
郡からの(郡使往来行程記事)は伊都国にて完了しています。
『郡使往来常所駐』
奴国から後の文章は全て、文章で表した地理的位置表示(文章地図)
郡使が実際、女王の王宮迄辿った行程とは異なります。
測量する為に
合理的に辿ったコース
367 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 11:07:40
>>361 ありがとうございます。
以前、用例を註から引用し指摘されたモノで
(基本的に註からの引用は避けると)
368 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 11:20:20
369 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 11:21:20
【漢字から見た魏志倭人伝】
『自郡 と 從郡』
●『自郡』…郡みずから
●『從郡』…郡をしたがえる正確には
(郡にいる“人”)を従える
従えるのは『魏』従うのは『郡』
どちらも“基”は『郡』
違うのは『視』
370 :
阿蘇山は移動した:2007/03/08(木) 13:46:27
プラムさん
20か国の一筆書きは、私も近い考えもってます。
異なる点は、前に書いた、陸行の基点国名、方位がないので、ここは、
あるいは式に解釈しました。or式です。つまり、投馬国から南に水行
すれば10日、陸行すれば1月で、邪馬台国。でとりあえず、どちらでも
いいのですが、陸行1月を削ります。投馬国から南に水行10日で邪馬台国
にします。
次に、最初に出てくる奴国からさきを一筆書きで、東の海岸へでて、海岸
ぞいに海を南下して邪馬台国につき、ここからUターンして、陸を海岸沿い
に北上して最後に西へ行き、奴国に戻る。奴国からさき、21か国を含め
全部一筆書きする。大事な点は、奴国の東へ行ってから、南下すること。
奴国の南はあいてることが、ミソ。いかが?
371 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 14:02:52
>>370 阿蘇山さん
それでは
最後に出てくる『狗奴国』の説明が出来ません。
最初に奴国(博多)を船出し、南にある投馬国に二十日がかりで
(博多の南は熊本で地続きなのに船で?)
先ず、ここを解決しましょう。
372 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 14:18:08
373 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 14:18:45
374 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 14:20:23
『南至投馬国』
だから『奴国/博多』から見て、南に投馬国があり
奴国と投馬国の間には一つも他国を挟まない事も判ります。
実際の距離と(水行二十日)は別物 移動目的が違います。
水行二十日は
水行しなければならない合理的な理由が有ったし、
日数表示は、日数にしなければならない理由が合理的にあるからです。
一番早く行くには
当然南に向けて最短距離を歩けば済む事ですが
結局、プラム ◆TOfHBAKZgMは
邪馬台国、投馬国、狗奴国は
どこにあると見積もっているのですか?
376 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 15:05:48
>>375 慌てない慌てない
今、(奴国の中心的な地を博多とし)そこを起点に
投馬に挑んでいるところ
377 :
120%素人:2007/03/08(木) 15:14:27
すみません。どこかに好古都国とあったと思いますが、
これが博多としたら、奴国は別の国なんでしょうか
それとも、奴国の隣接、又は奴国内の場所を意味するのでしょうか
378 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 15:30:12
>>377素人さん
>好古都国
確か諸国20国の中にある国でしたよね
そこが(博多)とする根拠は?
好古都が何処であるかを探るのはかなり困難な作業かと。(私はしませんけど)概略的に考えれば
現福岡県北東地域の海岸沿いの何処かではないでしょうか?
奴国って二つ出てくるけど
両者は全く別々の国じゃないの?
380 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 15:58:08
>>379 >別の国
別の国である理由があるの?
仮に戸二万の奴国の分国なら『復有国』の文字が入るし、全く関係ない国なら
混乱を避ける為
別字にての表示とするよ!当て字なんだから
381 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 16:05:56
>>380 一筆書きの地図をうpしたら、言葉で説明するより話が早いよ。
日本地図上の比定まではしなくても、国相互の位置関係の概形だけでも。
382 :
120%素人:2007/03/08(木) 17:20:19
>378
>好古都が何処であるかを探るのはかなり困難な作業かと。(私はしませんけど)概略的に考えれば
>現福岡県北東地域の海岸沿いの何処かではないでしょうか?
発音が似てそうなので、博多だとばかり思っていましたが、たしかに名前があるだけで情報が無いので
博多と比定する材料はないですね。
那ノ津、博多津(これは後の呼び名ですが)などがあるので、博多が海側で、金の隈から大宰府あたりが
奴国の中心というイメージを持っていました。
>>382 好古都国は、卑弥呼女王なんかよりずっとずっと昔に、
古き好き都が置かれていた国だ・・・・・とばかり思ってた。
好古都は、福岡の博多じゃないだろう?
好古都は、奴国なわけだから。
また、魏志には。奴国が二回出てくるが
この両者は異なるような気がする。
385 :
361:2007/03/08(木) 19:02:18
>>367 「基本的に注からの引用は避ける」というルールは無いです。
その漢文板のご本人も、そんなこと聞いたらビックリするよ。
そのときの過去ログが残ってれば、コピペしてくれるのが一番早いんだが。
次善の策として、一つ例を挙げて説明しよう。
世家子弟富人或??走狗馬,弋獵博戲,亂齊民.(漢書 食貨志第四下)
の注文に
如淳曰,世家,謂世世有祿秩家也.
とある。世家とは「世々にする家」だが、何を世々にするのかを説明して
祿秩を世世にする家だと如淳は言っている。
如淳は魏の陳郡丞だったから、これは、
三国志の時代に世=世世として使用されていた証拠になる。
つまり、三国志の時代の漢字の使用方法を考えるのに、魏人の漢書注は使用してもかまわない。
むしろ、積極的に使用しなければならない。
しかし、三国志の裴松之注は劉宋時代の記述だから、使用には注意が必要になる。
さらに新唐書や旧唐書では、時代が全然違うので本文だろうと注文だろうと使えない。
三国志の時代に限らず、全ての時代に共通の使用方法ということになれば、
どの史書でも、本文でも注文でも、なんでも使える。
この例は、たまたま君の説への反証だが、時代の整合性にさえ気を付ければ、
君の説の証拠固めに注文を使っても全然かまわない。
漢文板の住人が嘘を言うわけないので、君の勘違いだということを納得してもらえただろうか。
納得できなかったら、本当にもう一回、漢文板に行ってください。
間違ったルールで手足を縛ってたら、今後調べものをするのに、非常に悪影響がでるだろう。
386 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 20:42:30
>>385 どうもありがとう感謝します。
如淳曰,世家,謂世世有祿秩家也.
とある。世家とは「世々にする家」だが、何を世々にするのかを説明して
祿秩を世世にする家だと如淳は言っている。
如淳は魏の陳郡丞だったから、これは、
三国志の時代に世=世世として使用されていた証拠になる。
この(世と世世)だけど
もう少し突っ込んで解釈した方がいいと思いますよ
世は和訳で(よ、よよ)と二つの訳し方があるし世世は(よよ)
必ずその使い方には法則があると考えますが
その考え、後で時間があればレスしておきますので暇があったらROMしてみて下さい
有難うございました
387 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 21:47:04
奴国が金印をもらえるほどの国なので邪馬台国の首都でしょうか
388 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 21:48:18
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
389 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/08(木) 22:01:28
>>387 >奴国が金印をもらえるほどの国なので邪馬台国の首都でしょうか
いいえ
ここはあくまで経済産業の中心地。だから『奴』(ナ)と呼ばれ後に(難の津)と
詳しい事は言えないけど
>>331 > 《從 と 自》
> 世間一般では『從郡至倭…』とする読みが広まっているようだが、
>一度『自郡至倭…』とした場合との違いを振り返ってもらいたいものだ
> 『從郡至倭…』の基点は郡でも視点は(郡以外)に設定されてしまう事を
> 『自郡』と書かれはじめて(郡を基点に郡庁が発点)と、解釈出来るのです。
> だから倭人伝の中でも『自郡至女王國萬二千餘里』と、距離表示出来るのです。
> これが『從郡』だったら(発点)がなくなり
>
>>342 >「従郡至倭、循海岸水行、歴韓国、乍南乍東、至其北岸狗邪韓国、七千余里。」だって同じだろう。
>「従郡至其北岸狗邪韓国、七千余里」だよ。
>>343 >残念だけど「従郡至其北岸狗邪韓国、七千余里」と
>『從』としている以上 訓(したがう)の呪縛からは逃れられない
>あくまでも『郡』以外からの視点には変わりないよ
>『至其北岸狗邪韓国、七千余里』の文はあくまでも視点が郡内にあるからこそ成立するのでは?
>視点を郡内に置いとくからこそ7000里という数値の発点が省略できる。
>この場合の発点は(郡の中心的な場所)となり、水行の文字がある場合郡の港と確定する
>しかし視点が郡以外となれば、基点は郡だが7000に対する《発点も起点)特定できない
>『郡』だけでは面であり点ではない。
>>389 >詳しい事は言えないけど
ソースを明かせないのはソースなしと見なされるよ。
学問板だからね。水掛け論をしたいなら別だけどね。
(例
「いいえ。ここはあくまで経済産業の中心地。だから『奴』(ナ)と呼ばれ後に(難の津)と。詳しい事は言えないけど」
「いや、ここは邪馬台国の首都です。だからナと呼ばれた。理由は詳しくは言えないが」
「いいえ。ここは信仰の中心地だから(r」
392 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/09(金) 00:30:39
>>391 >>389のレスは取り消します。
学問の疎外になるなら
取り消す事に吝かではありません。
393 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 09:23:50
金印がもらえるほどの国は余程の大国だと見えますので、奴国が首都に決まりましたね
394 :
サガミハラハラ:2007/03/09(金) 10:25:39
そうです。
但し、金印奴国はただしくは委奴国(倭奴国)で、都は吉野ヶ里にありました。
金印奴国福岡市説はあやまりです。
395 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/09(金) 10:35:30
>>393 >余程の大国
大国って?何処と比べたの?
奴国が大国なら漢王朝は?
戸数五万と書かれた(投馬国)は?
396 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/09(金) 10:38:11
>>393 >委奴国=倭奴国
それでは
委員会=倭員会でもOKですね!
397 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/09(金) 11:09:32
あれ?
二人共 同時に消えた?
徹底的に『これでもか!』っていうほど突っ込み入れようとしていたのに
398 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 12:58:54
>>374 プラムさん。こちらのスレで忙しいのに司南の御指導ありがとう。ここのスレ大盛況ですね。
>>374レス全面的に大賛成です。
399 :
日本@名無史さん :2007/03/09(金) 14:59:48
邪馬台国は明らかに九州のどこかで間違いないらしい。
どうも、畿内説の人は天皇を中心とした政権復活を願って
故意に、考古学の年代を捻じ曲げ、修正しているらしい。
ソースは明かせないけど
400 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/09(金) 15:06:42
>>398 九州ですがさん
いやいや
「ソース要求」なければ横レスしなかったのですが
まさかあそこで「ソース」要求されるとは……
これだげ情報過多の時代ですし、NET検索出来るものですから
あそこでソース要求し、楽な道選んだら「司南」を自分で探し出す楽しみなくなってしまうし、考えなくなったら「学問」ではなくなりますよ!
>「南を示すスプーン」
ここから
自分で探し出す学問が始まるのに……勿体ない……
自分で探せば忘れないし身に付く これこそ「学問」ですよ!
畿内にあれば朝廷と並存となり、遠方の中国まで情報が詳細に届く迄勢力
が強そうな女王国の情勢は、同じ畿内にあり近隣にある朝廷の記録たる
記紀にこそ倭人伝よりももっと詳細最大漏らさずと言いたい位の情報が
書かれて然るべきであるも、殆ど猫の額位の微々たる記述に留まって
いるのを観れば、朝廷に情報が届きにくくかつ情報が入った中国に近い
位置たる九州に卑弥呼の女王国があったとするは物理的に考えて合理性が
あり、考古だから畿内説だとかの盲説は早急に遺棄すべきなのである。
402 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 15:47:33
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
403 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 15:56:26
>>400 いえいえ。勉強になりますよ。
ところで質問ですが「指南」というのに対して、「司」の方の「司南」はどのような役割をしていたのですか?
うっとしい質問ですが。
404 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 16:03:59
あら、今注意されたばかりなのに又質問しました。
調べましたら、
「司南は紀元前3世紀に発明されたコンパス(方位磁石)です。
磁石が北(または南)を指す性質を持っているという事は、古くから知られていたようです」
という事でした。紀元前から方位磁石なるものがあったんですね。驚きです。
これを携えていれば魏使も方向は間違わないでしょうね。
405 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 16:07:08
九州ですがさん
測量による数値と官使往来はSETでしょうか?
私は別物と考えているのですが如何でしょう? 極端な話、数値を記録として資料化するまでには
それこそ毎日のように何十回、何百回となく繰り返され初めて数値として上役に報告するのではないでしょうか?
一生を測量だけに捧げた役人もいたのではと
毎日のように対馬と壱岐の間を行ったり来たり
そんな役人がいても不自然ではないですよね(なにせ中国ですから)
と、たまには想像してもいいですよね
そんなたわいもない
>>406のような想像文も
結構強力な仮説となりうる要素を秘めているのです。
かたや一方では、郡使往来時同時に実施された調査報告で一発勝負で挑んだ測量報告
であり、不慣れな土地にての測量だから多少のずれも致し方ないと
とする考え方もあるけど
実はこの考察にも裏付けとして提示出来るようなものが存在しない、あくまでも
主観の域を出る事の出来ない仮説なのです。
詰まり
>>406の想像レスでも十分、五分で争える要素を秘めているわけです。
古代史論争は考え様でかなり楽しめます。
408 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 18:20:49
>>406 そう思います。魏使も測量が仕事ではないので、簡単な方向を見たくらいのことだったでしょう。
たぶんに方角、日数については倭人などによる伝聞も多かったのではないですか。プラムさん指摘の通り、
道程についても一通りではなく、通る道や、交通手段によってだいぶかかる日数が違ったと思います。
川など今と地形も違いますし、船で川から海へ、そして又川へと移動する事もあったに違いないと思います。
しかし、北極星や、司南などの存在で、大きく方角をたがえることは無かったと思われます。
>>408 九州ですがさん
>たぶんに方角、日数については倭人などによる伝聞も多かったのではないですか。
いや、それはないね
こういう時、決定打となるのが『倭人日』の記述 これがない限りその考えは永久に推測
域を出ない事になり、五分では戦えない弱い考察となるよ
>川など今と地形も違いますし、船で川から海へ、そして又川へと移動する事もあったに違いないと思います。
いやこれも弱い
今までずっと水行を(海)としてきた以上(川)という別水域を同文にて表すことはしない
川を数値化できるほど利用したのなら必ず別な記述にて表示するはず
仮に、少しの利用なら無視して陸行の中に埋没させる(川渡りなどの時)
水行、陸行、船行と明確に区別している以上曖昧な記述はしない
曖昧な記述をするぐらいなら埋没させた方が、より正確な文章と成るよ
まず、川の利用は考えなくともいいかと
410 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 19:31:20
411 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 19:37:01
プラムさんのレスに比べれば
>>408は雑談の域を出ないですね。失礼しました。
ただ、フミ国から女王の都への道程に曖昧さが目立つ様な気がしてなりません。そこはどう考えてますか?
横レスで失礼ですが。
>>411 九州ですがさん いいえ私なんてまだほんの駈出し
まだまだ妄想に頼りたくなる事しばしばです
>フミ国から女王の都への道程に曖昧さが目立つ様な気がしてなりません。そこはどう考えてますか?
どの辺りが曖昧であるか指摘戴けるとありがたいのですが
案外自分では気付かぬもの知らず知らず甘くなるものです。時々他人に指摘され気付く事ばかりです
こうして自分の考えを晒す事も大事な学問と考えます。
出来うる限り数多くの考えを晒し、周りから手痛いしっぺ返しを受ける
曖昧な部分を指摘下さい。 お願いします
413 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 20:53:45
414 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/09(金) 21:01:39
>>412やっぱりここでしょう。
「まず、南へ水行二十日程で、投馬国に着く」と、
「水行十日、陸行一月」は、帯方郡から女王国までの1万2千里のうち、くや韓国まで7千里だから残り5千里。
と読めるが、畿内説のようにトウマ国から女王国までと読めないでもない。
ここがあやふやな表現だと思うんですが。
415 :
阿蘇山は移動した:2007/03/09(金) 21:03:10
>>371 狗奴国は、熊本県ですよ。奴国は、博多です。奴国の南に狗奴国ありです。
船とは、書いてありませんが。
次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國、
アレックスさんのとこより。
416 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/09(金) 22:17:04
>>414 九州ですがさん
>「まず、南へ水行二十日程で、投馬国に着く」と、
まず一つ目のミス
『南至投馬国水行二十日』であって 『南水行二十日至投馬国』ではないということ
>畿内説のようにトウマ国から女王国までと読めないでもない。
当然、投馬国から女王之所都までの所要日数
『南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月』だから、必然的に投馬国が(水行十日陸行一月)
に対する発点となる訳
417 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/09(金) 22:45:01
>>415 阿蘇山さん
>狗奴国は、熊本県ですよ。奴国は、博多です。奴国の南に狗奴国ありです。
船とは、書いてありませんが。
次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國、
ここで大事な文字は『此』という指示語
この『此』が『次有奴國』を指すなら(・・・次有奴國女王境界所盡。)
で、十分意味は理解できるし
一連の『次有斯馬國・・・・・』の流れの一環としての『・・・次有奴國女王境界所盡。』
として奴國が(女王の支配する境界)と、より明確に示す事が出来るはず
そこに『此』を挟む事により
全ての流れをさえぎる事になる 違いますか?
要するに『次有奴國此女王境界所盡』の(此)の指示する所は『次有斯馬國・・・・次有烏奴國』までの二十国
そして
『『次有斯馬國・・・・次有烏奴國此女王境界所盡次有奴國』としなかったのは
次に来る『其南至狗奴國』との絡み
先に奴國の南には(南至投馬国)(南至邪馬壹國)の説明しているので余りにも無理スジ
どうしてもこの文は『此女王境界所盡』で、一度切りたかったと言う事情つきな訳
418 :
阿蘇山は移動した:2007/03/10(土) 06:20:55
>>417 前にも書きましたが、投馬国は、東の南。奴国の南はあいてるので、
矛盾はありません。
結局、此 が奴国1国を指すか、対馬から奴国30国を指すかの解釈
の相違ですね。
419 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/10(土) 06:58:25
>>416『南至投馬国水行二十日』であって 『南水行二十日至投馬国』ではないということ
はいはい。この点は僕もそのように思います。
>『南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月』だから、必然的に投馬国が(水行十日陸行一月)
に対する発点となる訳
この点が、もしそうなら帯方郡からの1万2千里が合わなくなると思うんですが。
420 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 07:17:19
>>418 阿蘇山さん
三十国ではなく、斯馬國〜烏奴國までの20国です。
>奴国一国
では、奴国一国を指すとする場合、『次有奴國』の(次)はどうするのです?
一連の流れがあるからの(次)ではないのですか?
『此』が奴国だけを特定する理由を
話して戴けないでしょうか?
>投馬国は奴国の東の南
投馬国は奴国の南ですよ
『南至投馬国』
421 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 07:49:12
>>419 九州ですがさん
>この点がもしそうなら帯方郡から一万二千里が合わない
????
意味が判りません。
今までの文中に、一万二千里の文字が登場しましたか?
情報過多は
思考の混乱を招くだけ
ま、いいでしょう。
先走れば
女王の王宮は、
@帯方郡から一万二千里
A奴国から水行三十日、陸行一月
これが条件になりますね
422 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 09:49:10
奴国の中心的な地を(博多)と仮定し
奴国を基点に
『南至投馬國』
『南至邪馬壹國』
ここまでは必然的に(奴国/博多)の南側
目的地『女王之所都』は奴国の東側
※博多発(東行)の乗り物は
(博多)→(博多の南に位置する投馬国・邪馬壹国を経由し)→→(博多の東側に位置する女王の都)に着いた
博多から
@水・陸六十日
A距離1500余里以下
423 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 10:11:22
今までの比率からどう考えても、
水・陸六十日と1500里の距離は 同類とはならない
『東行』の乗り物は
(学校に行く)と同じ様に、登校と下校でワンセット
目的の「女王都」からまた出発地の(奴国/博多)迄行かなければならず
これが例の
【次有斯馬國……次有烏奴國次有奴國】になるのです。
単純に
奴国→投馬→邪馬壹→女王の都 (東行)
女王の都→邪馬壹→投馬→奴国
の単純往復だったら、帰りは(東行)ではなく(西行)となり(東行)は女王の都で消える事と成ります。しかし、まだ(東行き)は有効です。
424 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 10:29:03
(東行)乗り物は
投馬国経由で東側女王の都到着 にて『往路』を完了し
女王の都を出発した「東行」乗り物は、往路とは別コースにて
始めの出発地(奴国)に戻ります。
これにて『復路』も完了し、
奴国発『東行』乗り物の任務は 一度も(西)とならず 役目を果たしました。
詰まり
復路に通り過ぎた場所も必然的に【奴/博多】の東側となるわけです。
その距離約1500里
425 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 10:44:25
二つの『奴国』とは
(東行)に対する
出発地と到着地の事、
(東行)の折り返し目的地が「女王の都」
これは、最後に書かれた
【自郡至女王國萬二千餘里】があるからこそ
折り返し「女王の都」が確定するのです。
それまでは
(仮)折り返し地女王の都です。
426 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 11:43:24
この場合
『東行』に対して(往路と復路)が別コースであることが ミソ
東行には既に(水・陸〇〇日)という特定された移動区域・時間が付加されているので
当然『東行』の(行)は一方向性が確定される
詰まり
この『東行』は、重なる事の出来ない“一筆書き”が確定する事になります。
ここが
【東行至不彌國】と違う所です
427 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 11:55:43
今日のレスにての共通訂正
復路………×
帰路………〇
に、訂正します。
スマソです。
428 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:16:07
邪馬壹國女王之所都=女王國?
邪馬壹國+20国=女王國なら1500里はこじつけ過ぎなんだろうなぁ
429 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 15:26:52
430 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 15:54:39
>>429 別に画像説明しなくとも簡単
博多を出発し、反時計回りに海岸に沿って 九州一周し、
また博多へ
大まかに
「博多」→(長崎沖経由)→(有明海)→「投馬国」→(沿岸南下)→「熊本県境」→陸→(鹿児島の海岸沿い)狗奴国→→(宮崎・大分の海岸沿いを北上)→【女王の都】
現、福岡県周防灘沿岸地
→→(福岡の沿岸を博多に向かって)諸国20国→→【博多】に到着
これが 九州島の規模です。
431 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 19:12:30
奴国のけつから出てあたまにはいるという意味でしょうね
432 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:38:01
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
433 :
阿蘇山は移動した:2007/03/10(土) 21:10:19
>>420 此 が何を指すかが解らない時、それに指すものを入れて読むといい。
奴国女王境界所盡。奴国南有狗奴國
どうです?意味通じるでしょ。南端は、いくつも存在する。最南端は
1つかもしれないが。
434 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 21:35:28
435 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/10(土) 21:45:31
>>433 阿蘇山さん
>南端はいくつも存在する
主観を交えず、これを文章から抜粋してください。
436 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/10(土) 23:52:48
>>421プラムさん
>『南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月』だから、必然的に投馬国が(水行十日陸行一月)
に対する発点となる訳 」
でしょう。くや韓国まで7千里だから投馬国から水行二十日になると1万2千里で納まらなくなるのでは?
間違いに気づきました。「投馬から水行二十日」でした。
437 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/11(日) 00:26:12
>>436 九州ですがさん
>でしょう。くや韓国まで7千里だから投馬国から水行二十日になると1万2千里で納まらなくなるのでは?
間違いに気づきました。「投馬から水行二十日」でした。
● 奴國から女王之所都まで 約1500里
● 奴國から(投馬國経由)女王之所都まで 水行三十日陸行一月
これ以外何も出てきません
ごれを合理的かつ理論的に導いた所が 女王の都
そのキーワードが
『方可4000里』『方可400余里』『方可300里』『人長三四尺去女王4000余里』
『船行一年可至』『周旋可5000余里』
438 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/11(日) 01:17:32
>>431 >奴国のけつから出てあたまにはいるという意味でしょうね
けつから出たらけつに帰る。 口から出たら口に帰る。
こうじゃなければ完結しません
たぶん? 感ずいた人もいるかと?
439 :
阿蘇山は移動した:2007/03/11(日) 06:11:38
>>435 奴国女王境界所盡。奴国南有狗奴國
奴国は南端ですよね。
南至邪馬壹國 自郡至女王國萬二千餘里。
邪馬台国も南端ですよね。7000里+5000里=12000里
440 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 11:15:53
また奴国あり のように旅行記を書いてる本人がいまどこにいてるか分からないような記録を
アワ国が二つあるように、ナ国が複数あってもいいわな。
>>441 オレも、そう思う。奴の字はこの部分で官名・国名あわせて15回も使われてるし、
官名・国名に良く使われる音だったんだろう。
蘇奴國や華奴蘇奴國、鬼奴國なんかを見ると、
後の奴國は文字の欠落を考える誘惑にさえ駆られる。
地名=地形で同じ文字が多く使われると考える事もできる
倭奴=伊都+奴で倭奴から伊都が分離されたことで残りが奴と表されているのかも
444 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/11(日) 13:14:30
>>439 阿蘇山さんは 多分?邪馬台国は一つの国と考えているのかな?
もし、一つの国だったら
『自女王國』などと記述しないし、
『其國本』の文字も必要なくなります。
その辺はいかに?
>奴國南至狗奴國
『其南至狗奴國』ですよ
(此や其)に『奴國』を当てるなら、それなりの理由が必要でしょう。
そう、目に見える解釈が!
女王國だけ地名的でない名称ですが
これに奴国が含まれるなら基準点示す必要があり
それは最後に書かれた奴国なのでは
446 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 13:50:09
奴国の「ナ」というのは
周囲を山と海で囲まれた狭い地域の意味が
こめられているという説もある。
那の県とか、名島とか、名前からしてそう。
畿内だと、難波の「ナ」が
奴国の「ナ」と同じような意味があるらしいし。
これらがすべて、海岸に面して周囲を山に囲まれた平野部だったりする。
博多湾岸、大阪湾岸って、地形的に近い。
よって、魏志にある「奴」がついた国名には、
高い確率(全部が全部とは言わんが)でその傾向があるように思う。
よって、「○奴」国の推定には、日本列島の似たような地域から
考える必要があるように思う。
447 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 18:24:46
>>446 奴は当時ナと発音していません。トが正解です。
この時点であなたの論はなりたちません。
>>446 女の又だもんなw
長崎みたいな地形かw
450 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:14:24
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
451 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/11(日) 21:45:04
うーん。今日は色々と忙しかったこと。
プラムさんの説とは違うって言われそうだけどゆるしてね。
その説だと、使いが駐在してたト国ってどこになるんだろ。
455 :
阿蘇山は移動した:2007/03/12(月) 06:14:16
次有奴國、此女王境界所盡。其南有狗奴國、
アレックスさんのとこより.
従来は、其 は、邪馬台国を指すといわれてます。しかし、原文読めば
奴国の方が自然では?直前に出てくるのですから。
456 :
サガミハラハラ:2007/03/12(月) 07:07:22
>>453 私だけが持っている正しい角川漢和中辞典。昭和34年版。
この版には「奴」をナと発音するなどというトンデモ説はのっていません。
457 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 08:01:02
>>455 阿蘇山さん
>『其南狗奴國』
では、なぜ
『其南至邪馬壹國』
『其南至投馬國』
『其東南至奴國』
……
と、しなかったか
説明できますか?
458 :
サガミハラハラ:2007/03/12(月) 08:30:38
>>445 この奴国(トコク)は福岡県南境の山門(ヤマトー邪馬の戸口の国の意味)です。
その南は狗奴国(クトコク)で、宇土半島のウトはその訛化です。
ほら、奴をトと読めばスラリと解けるでしょ。
459 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 08:34:37
おみそれいたしました。
460 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 09:37:15
>>455阿蘇山さん
『此女王境界所盡』の『此』を(奴国)と限定してしまえば、
(奴)だけが女王の支配が及ぶ限界地と確定されます。
そしてその一方『次有斯馬國〜次烏奴國』までの諸国は絶対に(女王境界所盡)とはならず、これら以外の何らかと関わりあいがあると、判断されますが
それはなに?
『此』の指示は(其)よりも強力に範囲を限定するものです。
461 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 10:01:04
>>458 サガミさん
殆ど(音韻だけの比定)となり、それ以外の矛盾点を無視していませんか?
462 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 10:13:34
>>458 サガミハラハラさん
@『東南陸行五百里到伊都國』
A『東南至伊都國陸行五百里』
ハッキリ申せば
サガミ説はAです。
しかし、倭人伝は@ まさに誤訳文から始まったものとなります。
畿内説を前提にした説明になりますが
傍國を北九州〜畿内とした場合
不属の国と境を持つのが奴だけになります
464 :
サガミハラハラ:2007/03/12(月) 10:33:35
前に行がついている国は、行程上の国であり、後ろにつく国は、行かずに距離のみをあらわしています。
南至〜國〜行〜日についてですが
(東行)〜行〜日目の南側に〜國という捉え方はできませんか
466 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 11:02:31
>>463 >傍國を北九州〜畿内とした場合
傍國は(かたわらの国)
それを 「北九州〜畿内」と限定する根底は?
それに、
これは 国内文献ではなく中国文献ですよ!
463です まず色々誤認していましたので
>>463について、謝罪し取り下げます
改めですが
以前から奴國のみが不属の国と境を持っているという解釈があります
これについてはどうでしょうか
旅程の20数カ国は不属の国と境をもっていないが属する国と境をもっているなら
限定される表現でいいのでは
468 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 11:56:48
>>464 >行かずに距離のみ
行かずに距離を測る方法を教えて下さい。
それにサガミさん
>>462で示した@とAの違いわかりますか?
469 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 12:10:03
>>467さん
不属とは?
何に対して不属なのか?
不属とする相手はなんなのか?
470 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 12:43:59
>>465さん
できません。
(南至投馬國水行二十日)は、あくまで
奴国発『東行き』の乗り物(旅人)で、南にある投馬に水行二十日です。
(南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月)は
奴国発『東行き』の乗り物(旅人)は、投馬国から女王之所都 まで〜日 です。
邪馬壹国とは一つの特定国ではありません。
(南至邪馬壹国)の書き込みは、投馬国の南側も邪馬壹の影響の及ぶ地域であるとの説明
だから、邪馬壹国に直接的な日数表記が設定されていないのです。
投馬国の南側に相当する『狗奴国』も、邪馬壹の範囲内と
471 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 12:54:05
『東南至伊都国』
これだけで 伊都国が有明海に面した(現佐賀県)辺りと想定できます。
でも
陳壽はそうしなかった
実際に移動しようがしまいが、末盧国と伊都国の位置関係は変わらない
472 :
サガミハラハラ:2007/03/12(月) 14:10:06
Aは「南至投馬国水行二十日」の用法ですね。
473 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 14:30:37
>>472 サガミさん
@は『東行』
Aは『南至』
の用法です。
474 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 15:10:39
『東南至伊都國』
起点から“東南の方角”に伊都の領域
『陸行五百里』
移動区域(陸)
手段、或は測量手段(徒歩)似て 距離、五百里
これが
末盧の港から東南の方角にある伊都国の表し方です。【東南至伊都國陸行五百里】
475 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 17:08:42
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
476 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 18:21:04
しかし3そくどきもあきないのかよ
477 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 18:46:29
>>460 >そしてその一方『次有斯馬國〜次烏奴國』までの諸国は絶対に(女王境界所盡)とはならず、
>これら以外の何らかと関わりあいがあると、判断されますが、それはなに?
ここの日本語の意味がわからない。
「これら」が『次有斯馬國〜次烏奴國』を指しているのなら、関わりあうの主語は何?
主語が『次有斯馬國〜次烏奴國』なら、「これら」って何?
ぷーさんのレスは、主語・述語・代名詞が混乱していて意味不明なことが
ときどきあるので、お気をつけあそばせ。
478 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 19:59:39
>>477 さん
ごめんなさいね
まだここで触れてもチンプンカンな話題が割り込んでしまいました(スマソです)「これら」と言う複数形は この段階では先走りですので、一時保留してください。
頭の中では全ての絵図が出来上がっているのですが
相手に説明するのはムズイです。
479 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 20:50:08
>>477さん
少しお聞きしたいのですが?
『此女王境界所盡』の『所盡』とは(地が尽きる)と訳す事はご存知でしたか?
『此』を
>>477さんが言うように(奴国)とし当て嵌めてみると
(女王の支配は地が尽きる奴國まで)
となりますが
480 :
477:2007/03/12(月) 21:53:47
>>479 他の人と間違っているようですが、オレも『此女王境界所盡』は奴國を指していると考えているので、答えましょう。
>『此女王境界所盡』の『所盡』とは(地が尽きる)と訳す事はご存知でしたか?
寡聞にしてそのような例を知りません。「地が尽きる」ならば「地所盡」でなければなりません。
『此女王境界所盡』は「此れ(奴國)は女王の境界の尽きる所である」です。
主語は此なので、「女王の支配」を主語に訳しているのは間違いです。
「有天地」を「天地あり」と読むように、
漢文の目的語を主語として意訳する場合はあるけど、
この文はそれに当て嵌まらない。
481 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/12(月) 22:39:07
>>480 この場合『所盡』(尽きるところ)の『所』が(女王境界)によって(地を表す事が確定します)
貴方の言われる『地所盡』と『女王境界所盡』は同じ事です
詰まり
(女王の支配領域の限界は地の尽きるところ)【陸が終わる/海岸】となるのです
それに、
此を(奴國)とした場合普通【・・・次有奴國女王境界也】で済むはず(三文字節約できますが)
それに、一連と続く(次有・・・次有・・・)の説明はどうしますか?
確か『此』という文字は(接続詞)の役目もあり
Aという条件を満たされればBという使われ方も存在するはず(そこで、すなわち、ここ-に)
A(次有斯馬國・・・・次有烏奴國)というラインが形成されるからこそ、B(女王境界所盡)が成立する
482 :
477:2007/03/13(火) 03:18:25
>>481 >この場合『所盡』(尽きるところ)の『所』が(女王境界)によって(地を表す事が確定します)
なぜ女王境界によって所が地を表す事が確定するの?まったく意味不明。
もしかして、「女王境界所盡」を「女王の境界は尽きる所」と読んだの。
それで、「尽きる所って何だ?境界の話だから土地だ。土地の尽きる所は海岸だ。
女王の境界は海岸だ。ばんざーい。」って、それ、漢文読解ではなくて連想ゲームじゃん。
色々反論する前に、最初にこれを答えて。まさか、本当にこういう思考経路をたどったの?
「使譯所通」は「使譯は通ずる所」なの?
そして「通ずる所って何だ?使譯だから人だ。通じる人は通訳だ。使譯は通訳だ。」になるの?
そんな訳ないでしょ。「使譯所通」が「使譯の通ずる所」であるように、
「「女王境界所盡」は「女王の境界の盡きる所」。
「此」で「女王の境界」が尽きるのであって、「此」が何を指すかは議論の余地はあるけれど、
まちがっても「女王の境界は地面が尽きる」ではないよ。
さらに想像を逞しくして、ぷーさんの頭の中を考えてみると、
A(次有斯馬國・・・・次有烏奴國)というラインが形成されていて、
これが女王の支配地域の境界線をなしているの?
そして、B(女王境界所盡)だから、所盡=地盡=海岸で、
A(次有斯馬國・・・・次有烏奴國)が海岸沿いに並んでいるの?
それで
>(女王の支配領域の限界は地の尽きるところ)【陸が終わる/海岸】となるのです
という結論にいたるわけ?
もし、そうなら、あまりの連想ゲームに唖然呆然。
半日前にうだうだ書き込んでいた者です
どうやら私は
>>308を誤解していたようで
以前よそで、至の前に付く方位は進行方向を表していて
南至なら南向きに到着しなければいけないという解説をよんでおり
308の前半が、これに対する回答としてとてもよいと思ったのですが。
今の話題は キョウカイ それとも キョウガイ ってとこですか
484 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 07:22:55
>>482 初めから一つずつ丁寧に進めなければならないかも?
『…今使譯所通三十國從…』
の『使譯』を
貴方はどうやら誤訳しているみたい?
使譯=通訳と認識しているようだけど、それは(使譯)ではなく(譯使)だよ
(譯使)=通訳の使者
(驛使)=異民族との間を通訳する外交官
だから使譯を(通訳)と和訳することは出来ないんだよ! ここは素直に
(譯)の訓じ方は(わけ)
(わけ)=意味、理由、事情…〈国語辞書から〉…
485 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 10:34:47
>>482 >唖然呆然
私を唖然呆然する前に自分の足元を確認スルことだよ
『…今使譯所通…』の(使譯)部分を抜き取り(譯使)とすり替え(通訳)と解釈している根底を
先ず、『此女王境界所盡』の前に
古代漢文を綺麗に読み下そうとする認識を改める可きかと!
所詮、何十万文字(対)約五十文字の違いがあるのだから
486 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 11:25:41
>>483さん
『境界 と 境涯』
★(境涯)の場合、極限でありその先には何も無い状態を表します。
地理的に言えば、
陸地の先は海であり、尚且つその海ははるか向こうまで続いている極限状態の時
★(境界)+(盡)の場合は、
いったん陸は途絶え海となるが、その先にはまた陸を認識することができ、
その海が、対する陸の(境)となる状況を言います。
これでいいですか?
あと
>南至 ですが
簡単に解釈すれば
(南に範囲) です。
>>486です
辞書の境界の項にキョウカイ、キョウガイ両方あったのでどうだろう思ったのですが。
どちらをとるかは
>>341の内容がお答えと思いましたが、
女王境界と境界所盡で境界の意味が変わってませんか?ということです
488 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 12:25:43
>>487さん
多分『女王国』と『女王』の違いかと
トータルで考えなければ判らない事なのですが
『自女王国』と『女王国』と『自女王』と『女王』の区別判りますでしょうか?
489 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 12:47:39
『女王』
と記述されていれば誰でも最初(王の位についた一人の女性)をイメージしますが、『女王境界』となればガラリとその認識は変わります。
当然“人”に境界なんてありませんから!
詰まり、
ここで既に、通常的認識が打ち消された訳です。
だから 後は文脈次第で『女王』の意味の位置が確定されるのです。
490 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 12:48:39
>>485 >私を唖然呆然する前に自分の足元を確認スルことだよ
もしもボクの想像が当たってたら唖然呆然と言ったまで。
そこを否定しないということは、
>もしかして、「女王境界所盡」を「女王の境界は尽きる所」と読んだの。
>それで、「尽きる所って何だ?境界の話だから土地だ。土地の尽きる所は海岸だ。
>女王の境界は海岸だ。ばんざーい。」
の部分と、最後のぷーさんの思考を想像してみた部分は当たってたんかな。
それは誤解だとかアホな憶測するなとか否定しないと、当たってたんだなと思っちゃいますよ。
答えはyesかnoかだけも良いので、はっきりお願いします。
それから、レスはよく読んでね。使譯は通説どおり「使者と通訳」と考えてます。
「そんな訳ないでしょ。」って書いてるように、使譯=通訳とは考えてないよ。
しかし、ここは誤解しやすかったかもしれない。
それはそうと、譯が「わけ」なら、使譯を「使者と通訳」と考えないってことだろうけど、
『…今使譯所通三十國從…』はどう訳すの?
このスレで使譯を訳出したことは無かったよね。
とにかく、一つずつ問題を解決しよう。
まずは、最初の質問についてyesかnoかお願いします。
それから使譯の訳し方についてお説を拝聴したいと思います。
では、よろしくお願いします。
491 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 13:05:01
>>490 多分認識の違いかと
私の場合、読みは最後
先ず(意味解釈をし)→(それから読みをつくる)
だからYESもNOもない
最終的に正しく解釈されていれば それがベスト
(ただし、受験漢文は別だろうけど)
492 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 13:40:35
>>491 それで、また振り出しに戻る。
なぜ女王境界によって所が地を表す事が確定するの?
所盡が何で海岸になるの。
まったく意味不明。
ボクは読みと意味解釈は同時だと思ってる。
意味が解った瞬間に読めてるし、読めてるということは意味が解ってる。
例外として、時代背景や著者の事情が解らなくて、
読めても何を言っているのか解らないということはある。
ボクは日本語が読めるけど、ぷーさんの言ってることが解らないようなものだね。
493 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 13:48:38
>>490さん
『此女王境界所盡』
とにかく、この文の意味解釈は
(諸国20国の沿岸が女王の支配領域の境界)
『盡』=大地が途切れる《北九州海岸(周防灘北部・響灘一帯)一帯》
後はそちらで
綺麗な読みでも付けといてね!
(私は興味ない)
494 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 13:58:43
>>492 >僕は日本語が読める
私はまだ理解出来ない。
『いた』ら
『いた』り
『いた』る
『いた』れ
『いた』ろ
と、日本語は『いた』に対し(R)が不類し、活用するしかし、ここにおわらず
またこの(R)に様々な音が不類する
しかし、漢字は『至』の一文字 後の日本語(R)活用は文脈より探らねばならない
実にムズイよ日本語は!
私にはまだ何年もかかりそうだよ
>>493が解釈の問題点はいうまでもなく
「支配領域」と「境界=沿岸」で原文中の「境界」を二回使ってるところです
496 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 15:42:21
>>495 意味解釈といっているだろう。
それにここは『女王』の解釈が重要な所
先程も述べた様に
『自女王国』『女王国』
『自女王』『女王』と
判りやすく『支配領域』と書いたまで
途中抜粋では解釈できないよ!
じゃ!
貴方の解釈をお聞きしましょうか?
ま、奴国辺りから頼みます。
497 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 15:59:39
>>495 もっと簡単に解釈しなよ
『自女王国以北』にある
諸国20国ラインは女王の影響が及ぶ限界ライン
更にその北側に位置し、海境界を隔てた傍らにある国は、国交が無いので詳しい事は判らない。
こんな感じだよ
498 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 16:43:06
>>497 書きかけのが、ミスできえたー!
ところで、
>>495の人と
>>492まで議論してたボクは別人だよ。495の指摘を読んで、そのとーりと思ったけど。
実際、ぷーさん、意味解釈とか意訳って言葉に甘えすぎてない?
論理の破綻を誤魔化してる感じがするんだよね。
ぷーさんは、逐語訳なんか無意味だと言うんだろうけど、少なくとも逐語訳が出来て、さらに意訳するんなら、
495に指摘されたようなことはおきないもんね。
まあ、キレる気持ちも解らなくもない。
ボクも、腹の中では「プラムのわからずやがー!くぉらー!」とか思いながら、(失礼)
レスは、なるべく穏やかに穏やかにと心がけてるよ。
ボクの解釈は、定説の沿った、ごくごく普通のものだから、改めて解説することもないでしょう。
ただ、定説にも疑問点はあって、それを書いてたら消えちゃった。
499 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 16:59:27
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
500 :
498:2007/03/13(火) 17:12:35
つづきー
疑問点なんだが、普通「境界」っていうと境界線のように、線をイメージするよね。
でも、境界が領域全体を面で指す場合も無きにしも非ずなんだよね。
しかし、面より線の方が一般的ではあるし、用例を探しても、どっちとも取れるものが多くて、
なかなか、これは間違いなく面の意味で使ってるという明確な証拠が見つからない。
ところが、ここでは、面で解釈した方がしっくりくるんだけど、
それで良いのかな〜というのが一点。
それから、此が何を指すか。第一候補として此は奴国で、奴国で女王の境界が尽きるという解釈が、
一番、普通で自然だから、まずまず、こうではないかと考えてる。
一方で、此が対馬国から後の方の奴国までの29ヶ国を指していて、
「これが女王の支配地域の全部です」とする解釈も捨てられずにいる。
ぷーさんみたいに、此を20ヶ国または21ヶ国として、「女王の支配地域はこれらの国で終わりですというのもある。
この場合、女王の支配地域と奴国の考え方で、29ヶ国か21ヶ国か20ヶ国か変わってくる。
ただ、所盡に海岸という意味はないので、そこは却下。
「次有・・・次有・・・」と列挙しているだけなので、それが直線なのか千鳥に並んでるのか、
海岸なのか山の中なのか、わかりません。書いてないんだから。
解らないんだから、海岸線である可能性もあるけれど、書いてないことは、勝手に想像できない。
もし、どうしてもと言うのなら、
なぜ女王境界によって所が地を表す事が確定するのか。
所盡が何で海岸になるのか。
を論理的に説明してもらうしかない。
501 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 17:56:26
>>500さん
俺! このスレで一応(女王の都)迄説明してきたんだけど
多分?2ちゃんで初めての事じゃなあかな?(自分の知る範囲で)
概略的に述べた人は居たけど
502 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/13(火) 18:01:15
それともまた(末盧)か(奴)辺りからやり直すかい?
貴方が付き合うならそれも吝かでは無い。
そもそも
『此女王境界所盡』なんて、女王の都の比定があっての解釈だからね!
これが解らなければ話しにならないから。
503 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/13(火) 22:20:00
プラムさん。きのうは応援どうもありがとうございました。
おかげで今夜は落ち着いた会話が続いています。まずはお礼まで。
504 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 23:05:07
プラムと九州ですがは
どう見ても同一人物なのだが
プラムですが
507 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 00:07:16
>>503 それはそれは 御丁寧に
>>504-505 あっちのスレから迎えに来たのか? せっかく迎えにきたなら断るのも悪いから
遠慮なく行かせて貰うよ
508 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 00:18:02
>>495です というか、もう一人方ですかね
まず東行と南至について、
この東行は3カ国すべてかかっていて水行、陸行は東行の説明だと思う
出発あるいは進行方向と到着方向が一致しないというヤツです
キョウカイは線ですし面と面のキョウカイが別の面に当たる所が尽きる所
海を含む3つ面が交わるところだとその場所は海岸
代表は長城の東端でしょう、しかし西端にも尽きる所はありますよ
女王の支配領域の境界という所は勿論賛成です
でも女王が支配するのは地面ではなくて人のはずです
女王境界所盡は此がどのような場所か抽象的に表現しているのだと思う
>>497の「更にその北側に位置し、海境界を」が足されたと簡単に解釈した
つづき
最初から〜とか言ってるので復習してみましたが
>>47前後
南至のくだりと同じで向き変更は無しですか
>>61前後
到其北岸狗邪韓國と
>>50>>67で示された目的地が見えるというだけで説明できるのでは
一大が見えないの重要だと考えます
ここで三角測量が途切れるからです
512 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 16:58:45
>>511 >目的地が見える見えない
何か新しい史料でも見つけましたか?
>三角測量
周(骨卑)算経からの推測ですか?
出来たら詳しい説明希望します。
513 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 17:07:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
514 :
477=498=500:2007/03/14(水) 17:52:51
>>501 お断りします。
至が限定された範囲とか
>>486のような海の向こうに陸が有るだの無いだの、
いい加減な漢字ルールを証拠もなしに振り回されても全然参考にならないから。
まあ、使譯と「わけ」から、どんな連想ゲームを見せてくれるのかは
ちょっと興味をひかれるな。
>>510 なるほど、長上の東端が海に至って尽きるように、
陸地を通ってきた女王の支配領域の境界線が奴国で海に至って尽きるというわけですね。
それが、真っ当な解釈かもしれません。
そして、其南有狗奴國の其は女王境界をさしていて、
女王の境界の南に狗奴國が有るになりますね。
ぷーさんも、所=地とか妙なこと言わずに、こういう風に説明してくれれば良いのにね。
でも、
>>493を見る限り、「次有・・次有・・」がずらっと海岸沿いに並んでいて、
海岸が女王の境界線になっているというイメージだから、これとは違うね。
515 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 18:25:24
>>514 >お断りします。
至が限定された範囲とか
>>486のような海の向こうに陸が有るだの無いだの、
いい加減な漢字ルールを証拠もなしに振り回されても全然参考にならないから。
まあ、使譯と「わけ」から、どんな連想ゲームを見せてくれるのかは
ちょっと興味をひかれるな。
参考にならないレスを見ても混乱をきたすだけでしょうから、致し方ないことでしょう。
こちらも無理にすすめるものでもありませんし
では
516 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 21:10:57
【漢字から見た魏志倭人伝】
さて、九州からの脱出
『女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里』
・・・・・魏志倭人伝(陳寿)・・・
『自女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王自女王國南四千餘里至朱儒國
人長三四尺自朱儒東南行船一年至裸國黒齒國使驛所傳極於此矣』
・・・・・後漢書倭傳(范曄)・・・・・
『女王國東渡海千餘里復有國皆倭種』(魏時)
『自女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種』(後漢時)
ここで注目すべきは(自女王國と女王國) (東渡と東度) (復有國と至拘奴國)
517 :
サガミハラハラ:2007/03/14(水) 21:20:27
いいかげんに、金印奴国はただしくは委奴国(倭奴国)で、都は吉野ヶ里にあったことを認めましょう。
金印奴国福岡市説は根拠のない妄言です。
馬鹿に付き合うのもほどほどに。
518 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 21:33:34
遂に
サガミさんの偽者が・・・・・・・ ごくろう
二年半も付き合っていれば、判るってもんだぜ
519 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 21:38:01
520 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 21:42:31
>サガミハラ先生を批判するなよ
はい、解りました。
解りましたから、韓国だけは歩かないでね
>>520 素直に読めばいいのです。漢和辞典君に言われる覚えはありません。
522 :
サガミハラハラ:2007/03/14(水) 22:01:23
>>520 韓国内陸行について
郡よりとは、郡の役所のあるところからという意味です。
海岸に従いて水行し、であるが、海岸とは郡の海岸です。そして、韓国を経由してとなります。
つまり、郡より邪馬台国にいたるには、まず郡の海岸に沿って海上を進み、次に韓国を通りその北岸のクヤ韓国に着くということです。
クヤ韓国につくには韓国を経由しなければならないということです。
この分からは陸行説を否定できるものではありません。
否定できるとすれば、学問と無縁の態度だと考えます。
523 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 22:49:36
524 :
サガミハラハラ:2007/03/14(水) 22:56:36
後藤幸彦さんの著書でも読んで勉強して下さい。
525 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 23:00:24
>>522 サガミさん 復習だよ
『循海岸水行歴韓国』
「循海岸」(海岸に沿って)
→この場合、『海岸』とは(海と陸との境部分で、陸地側の事です。)
『沿う』とは
その海岸の両サイドにあたる@陸地域とA海水域の二通りに別けられ、「循海岸」だけでは判断出来ません。
その二通りの選択の内どちらかを指定する為、次の『水行』の文字が用意されているのですよ。
要するに、海岸に沿って移動する場所は(海水域)だと
『循海岸水行』(海岸に沿って海水域を進む)と
これではまだ、どの海水域を進むか位置が特定されないので、次に『歴韓国』の文が
『歴韓国』の文章は、韓国を徒歩にて横断したり、川を遡る為に用意された文言ではなく、『循海岸水行』の進行航路の位置を知らしめる為に用意されたものです。
『歴韓国』(韓国をへる)と
『循海岸水行歴韓国』
(韓国の海岸水域に沿って航行する)と
『歴』は、韓国の海岸水域を航行すれば、自然と様々な地域を通過するので (歴)なのです。
沿岸の馬韓にしろ弁辰にしろ、その中には様々な国があることは韓伝に書いてありましたね
『経韓国』ではなく『歴韓国』と書いてあるのは そのため
526 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/14(水) 23:03:32
>>524 >後藤幸彦さんの著書でも読んで勉強して下さい。
残念でした
後藤さん直筆の手紙つき著書を持っています。
じゃ、後藤幸彦さんの爪の垢を煎じて飲むこともできますね。
教えを乞うた先生は崇めましょうね。
530 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/15(木) 17:03:46
>>93 「その台詞も 後500弱のレスで効果なくなるな〜。」
プラムさんこれどういう意味?なんか気になる。おそえて。
531 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/15(木) 20:14:34
>>530 九州ですがさん
>プラムさんこれどういう意味?なんか気になる。おそえて。
別に深い意味はありません。 読んだまんま
532 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 20:45:20
畿内厨〜っ
早くスレ立てて移動しろよ
533 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 11:50:51
げれつなひぼうちゅうしょうは一切禁止にしないと、方向性がずれていって一体何を
議論してるのか分からなくなるよね
534 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:06:48
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
535 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/16(金) 22:14:34
ま! 慌てるな
後少しの辛抱だ 時期居なくなる それまで待て
プラムさん。これどういう意味?プラムさんがいなくなっちゃうの?
だとしたら逆でしょう。いちいち悪意の言に反応すること無いよ。
自分で自分を追い込まないようにしないと。悪意の人間筋書きに乗っちゃだめだよ。
仕事の関係かなにかなら仕方ないにしても。
536 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/16(金) 22:26:24
>>535 九州ですがさん
>プラムさん。これどういう意味?プラムさんがいなくなっちゃうの?
だとしたら逆でしょう。いちいち悪意の言に反応すること無いよ。
自分で自分を追い込まないようにしないと。悪意の人間筋書きに乗っちゃだめだよ。
仕事の関係かなにかなら仕方ないにしても。
いやいや 居なくなる訳ではありませんよ
レスの数が今までより半減以下になるだけ(たぶんレスする時間がなくなる)
本当の目的(記紀を読みこなす)の為に時間を使おうと考えているからです。
537 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/16(金) 22:41:21
いま
水面下で「記・紀」に対する従来の考え方の常識には当て嵌まらない
新しい解釈が楽しまれています。
(掲示板ではなく直接メールにての勉強会)
538 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/16(金) 22:46:55
あー良かった。びっくりしたー。実を言うとこの言葉を見てからずっと悩んでたんですよ。
何故プラムさんのほうがいなくならなきゃならないのかって。
でも勉強なら仕方ないですね。できるだけレスして下さい。
それだけで僕は元気が出ますから。
539 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/16(金) 23:17:08
学問も表の世界と、裏で楽しむ世界があります。
信じられないでしょうが
540 :
阿蘇山は移動した:2007/03/17(土) 09:27:42
レスはともかく、解釈一通りしてもらいたいです。まだ、途中のはず。
541 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/17(土) 09:49:34
>>540 阿蘇山さん
解りました。
『此女王境界所盡』の後、『其南至狗奴國』からですね。
●奴國(博多)を出た国土調査一行『東行』隊は、反時計回り(これが重要)にて
南に位置する投馬國→女王の都→諸国20國→そしてまた奴國へ
(反時計回りにて九州島を一周し)
九州島の規模を、
《外周、水陸六十日+1500餘里》
と、記録に残しました。
542 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/17(土) 09:58:17
>>540 阿蘇山さん
>>541の続きです。
東夷伝の編纂者は
郡より南に位置する
『韓』の規模を
方可四千里 とし、
九州に渡る途中に位置する
『對馬』を
方可四百餘里と
『一大』を
方可三百里
そして
『九州島』を
水・陸六十日 +千五百餘里
と、それぞれの位置だけではなく 『規模』を記録に遺したのです。
543 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 17:03:06
定時age
544 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 22:33:49
投馬国の地鳥は安全・安心。そのまんま弥弥。
545 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 22:41:03
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
546 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 10:49:24
また奴国あり は回転して元の奴国についたのを現してたので九州説で完結しましたね。
547 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/18(日) 13:05:28
>>546 >九州説で完結しましたね。
范曄が記述したように、『自武帝滅朝鮮』以降邪馬臺國の中心的舞台は九州ですよ
549 :
阿蘇山は移動した:2007/03/19(月) 22:45:04
あれ?終わりですか?都はどかな?狗奴国は、熊本でしたか?
お時間のあるときでいいです。
550 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/20(火) 07:13:51
>>549 阿蘇山さん
【其南有狗奴國】
この文は今までとは多少趣向の違う書き方で有ると言うこと。
『南至投馬國』
『南至邪馬壹國』
と、言うことは
解釈もその二つとは違い、自ずと変化すと言うことです。
どう変化するか?
こういうの見付けるのが楽しいんですよ!
551 :
阿蘇山は移動した:2007/03/20(火) 19:20:44
対馬のとこらへんの、
始度一海、又南、又 のように陳寿は、同じくりかえしを嫌うように
思える。文書がうまいということかもしれない。放射説などいうより、陳寿
は、繰り返しを嫌い変えた面があるのでは?
だから歴史書なのに難解になってしまった。と思う。
552 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/20(火) 21:01:04
>>551 阿蘇山さん
難解な書にしたのは現代の人
●「始度」は、直訳スルと「繰り返される最初」。
翻訳者たちが“誤訳”した、「始めて渡る」という意味解釈は、繰り返される二度目に記載されている「又南渡」の「渡」と「方角」で用が足りていて、
「又渡」が “繰り返される最初”に含まれているという事。だから、三度目は「又渡」だけで「方角」も省略出来るという事です
この『始度』の(始めて渡る)の意訳でない事は、用例もありますので
(南に行く)ではなく、南に船首を向け航行するで、目的が南の方位ではないという事です
554 :
サガミハラハラ:2007/03/20(火) 21:15:01
>>553 ここは真面目な会話のスレッドです。荒唐無稽な電波説のサイトを貼り付けないで下さい。
プラムさんは言語虫ではないです。
>>554 バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
バレバレですよw
いつもながら返事する人が特定できるレスだよねwww
556 :
カナカナボウシ:2007/03/20(火) 21:21:14
>>555 サガミハラハラ氏はいいことを言っていると思いますが・・
>>556 ピントまたづれていますよ
大林賢栄君w
558 :
サガミハラハラ:2007/03/20(火) 21:32:29
>>556 ありがとうございます。
>>557 大林賢栄は知らないです。何か勘違いしているのですか?
そうですか
大林賢栄のかいた
妄想本は
全く売れなかったそうですよ
560 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 21:42:01
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
561 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 02:59:23
>>560 僕も知りたい。大林賢栄って一体誰?
プラムさんは終止符スレに出張のようだけど、そっちスレ御参加のフリージアさんって
サガミハラハラさんなんですか。もう本名で出られたらいかがですか?
563 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 11:45:33
>>562 読んでワロタ
ノストラダムスの川尻博士を思い出した
しかし本人は真面目な様子
トンデモで売るなら川尻博士のようにエンターテイントメントに徹しなければ売れないと思われ
電波度が中途半端だわ
564 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 12:01:30
566 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:02:25
567 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/21(水) 13:08:12
568 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/21(水) 13:10:46
569 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:23:25
大林賢栄君
これからウンコ連発かい?
>>569 よくよくのヘタレだな
本人に直接言えずにこんなところで陰口かい 陰気なヘタレはキライだよ
571 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:35:20
プラム大林の邪馬台国四国説って
凄い荒唐無稽な説なんだなw
>>571 >プラム大林の邪馬台国四国説って
凄い荒唐無稽な説なんだなw
意味わかんね? 四国説じゃないけど
四国を含む九州説だよ
573 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:39:59
ブラムも昔
東四国が邪馬台国だって宣ってたなw
覚えてるぜ!
574 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 13:49:11
俺も知っているよ
突飛な説に
突飛な馬鹿だから
当時居た奴は皆知っているよw
それに当時から大林と同一人物だと
ばれていただろうw
575 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:01:04
プラム=太国=ウンコ人=スレ主=言語虫=大林賢栄w
576 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:08:05
プラム=大林賢栄
帰って来たみたいだけど
またいつものバックレかよw
行動も突飛だよなwww
577 :
大林賢栄:2007/03/21(水) 14:42:06
ここも私ウンコ人が作ったのだが
578 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:53:24
>>566.567
事情は知らない。なぜ読み比べられないのか?
580 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 15:37:23
この大林さんというのはプラムさんのおっしょさんですか。
それらしい風格があられると思います。
もしこ人の説を否定するとなれば、同等かそれ以上の知識が必要でしょう。
ネガティブなただの個人攻撃は、ギャラリーも疲れるだけ。
きちんとした正論で反論お願いします。今のところかえって興味が湧きます。
いっぺん本を読んでみたくなりました。
>>579さんがしてることは、コマーシャルなのでは?
581 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 16:33:02
>>580 下手だよなw
いつも何故か否定の時こうなるしw
582 :
大林賢栄:2007/03/21(水) 16:44:58
ワシが“言語虫”ダス♪
【自己紹介】
本名:大林賢栄(おおばやし・まさえ)
年齢:51歳
所在:広島県東広島市
JAZZが大好きで、「昔話」「童謡」「神事」など、古代から受け継がれて来た“口伝承”の謎解きから、始まる古代史解明も大好きなオヤジ。演奏では最近、“duo”にハマってる。
成るべく、自意行動でナイ時間に縛られナイで自由気ままに執筆が出来て、毎日が“日曜日”見たいな生き方がモット−。
【専門と趣味】
言語学。
音楽全般の演奏。
【著書】
『私の邪馬壹国』Vo.1〜新訳「魏志・倭人伝」/梓書院[2002.3.10]
『私の邪馬壹国』Vo.2〜「史記に於ける筆法の解読」/梓書院[2003.9.20発売]
583 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 16:52:05
大林賢栄さん
JAZZする時間も無いくらい
ここにべっとり張り付いていますねw
584 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 16:54:08
うーん・いっぺん読まなければ。
585 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/21(水) 16:55:44
>>573-574 お前ら記憶力悪すぎ
一度も言ったことねえよ!
それにおまえらVIPの連中よりタチ悪いから
これ以上かかわらねえよ。暫く消えます。
(^-^)/ね
586 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/21(水) 16:57:40
>>580 九州ですがさん
はい!
虫さんは私の師匠です。
587 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 16:58:39
>>585
大林賢栄君
嘘ばっかり言わないのwww
あんたの変節には呆れるよwww
バレバレでいつまでやるんだwwww
588 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:01:43
>>586 あんた師匠のホームページ読んでどう思うの?
妄想の連発に違和感すら感じないのか?
あんた馬鹿だろwww
妄想のやり方の師匠なのか?
590 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 17:14:57
>>586 そうでしたか。道理でプラムさんの説に似ていると思いました。
僕も読ませてもらいます。ところで
「それにおまえらVIPの連中よりタチ悪いから これ以上かかわらねえよ。暫く消えます」
こんな必要あるんでしょうか?
僕なんてなんて言われてもそりゃ人間ですから全く気しないということはないですが、
せいぜい五月蝿いハエが部屋を飛び回ってるくらいにしか思われませんけどねえ。
気にした事なんて無いです。PCを消すと同時に忘れちゃうから、いちいちメモしているくらいです。
気にしすぎなんじゃないですか?5分もしないうち忘れますね。
実生活でも忘れるから、仕事に少し差し障りありかな?お得意さんにまで「おたくどなた?」ってね。
困ったもんです。
591 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:16:14
>>590
そっくりですよw
あなたも大林賢栄さんですねw
592 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:17:40
大林賢栄の演技下手だよw
593 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:21:23
言語以外が読めない鈍感虫と名前変えたらw
大林賢栄君w
594 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 17:41:54
プラムさんには確かにハエがたかってる感じがするけど、関係無いんじゃないの?
僕も今は終止符スレでああだこうだ言ってるけど、頭の中は夕食何にしようかしか無い。
鶏肉買って来て水炊きしようかどうかで悩みながら相手の質問に応答しています。
もうすぐ始まるフィギアの時間までに何とか話をまとまらせられ・・・なくてもいいか
って感じで。
595 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:44:43
>>594 似てるよ
大林賢栄君w
しかも悔しさ滲み出た文章だねwww
596 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/21(水) 17:44:58
>>590 九州ですがさん
こいつらは特別、限度を知りません。
同じ畿内説連の中でも相手にされない鼻摘まみ者。今じゃ祟り神としてこの板にへばり付き、誰かをネタにその存在感を強調しているだけのヘタレです。
スレを荒らされても周りに迷惑がかかりますから、暫く様子見です。
597 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:49:20
>>596
あれ?
出てこないんじゃなかったのプラムさん?
まー大林君だから
ずっと張り付いているんだろうけどねw
がんばってwww
598 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:53:02
プラム=太国=九州ですが=ウンコ人=スレ主=言語虫=大林賢栄w
599 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 17:55:35
>>596 プラムさん
「スレを荒らされても周りに迷惑がかかりますから、暫く様子見です」
そーんなの気にすること無いってぇ。真面目すぎるよ。スレが荒れて周りに迷惑だなんて。
昭和初期じゃないんだから。この前もね、新幹線の中で大の大人が集団で馬鹿騒ぎして
そんなかの一人がカメラもって「ハイチーズ」って言ったら、どやどや20人くらい通路に出てきて
ピースとかしてポーズとって。小学生だってあんなことしないのに。周りはみんな眉ひそめてた。
こんな御時世に他人に迷惑だなんて。軽く考えようよ軽く。
600 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:56:28
言語虫ってもしかして
文系の勉強でもしたのかい?
でもね鈍感過ぎて
名前負けしてるよ
止めた方がいいじゃない!
601 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 17:59:16
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
あー面白い馬鹿www
602 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/21(水) 18:08:23
プラムさんが消えたら600・601のような連中が喜ぶだけだって。
歌にもあるでしょう。自分が消えて喜ぶ者にオールをまかせるなって。
ここは嫌がらせの為にもレスする場面と思うけど。
603 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 18:10:24
>>602
お前も同じ人だって解ってるってw
大馬鹿らし賢栄君!
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
どうしてそんなに鈍感なのか不思議な不思議な大林 ♪
ちゃんと演技すればwww
605 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 18:19:50
大林君は自分でご飯作るの?
寂しいクリスマス送るだけの事あるねwwwww
虫さんはYahooの掲示板のトピ主にもなっていますから
疑問点はそちらに直接書き込みください
勇気があればですが
608 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 19:27:16
>>566.567 プラム ◆TOfHBAKZgM
事情は知らない。なぜ読み比べられないのか?
君の発言に対して質問しているので答えてくれ
609 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 19:45:08
>>606 本人がここに変名で書いているのだから
筋は間違ってないぞ
610 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 19:47:54
あっちでも
大林賢栄の凄まじい馬鹿ぶりは際立っているw
611 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 20:04:56
ヤフーでも自作自演じゃないと
誰も来ないなんて哀れな大林賢栄w
馬鹿だから自分の足跡すら解らないらしいw
612 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 20:13:29
yahooの大林賢栄とプラムが別人に見える人はいませんよw
あぼーん
あぼーん
615 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 21:22:28
自ら荒らすさすが大林w
>>607
ヤフーの言語虫ってあきらかに馬鹿だけど
いったいどんな勇気がいるんだよw
617 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 22:36:11
最近のヤフーは大林以外も頑張ってるんだね
そっち引っ越したくなるなw
あぼーん
619 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 07:03:34
なんつうお馬鹿な文章W
大林賢栄しか書けない事は確かだ!
あぼーん
621 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 09:27:37
コテハンは荒れる元になるので、コテハン廃止を提案したい
>>619みたいに出勤前の慌ただしい時間帯に書き込める奴って
ここには一人しかいないよな。
>
>>619みたいに出勤前の慌ただしい時間帯に書き込める奴って
ここには一人しかいないよな。
投稿時間 2007/03/22(木) 07:03:34
この時間が出勤前の慌しい時間と決め付けてしまう程の思考の無さ
あぼーん
あぼーん
あぼーん
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄赤い大林賢栄
ここも大分荒らされたみたいで
元々は男子を王として70〜80年経たが、倭国全体にわたって長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている
これって神武天皇のことじゃない?
神武が一時的に平定するも死後は混乱状態
630 :
九州ですが ◆IhXqm1bg5c :2007/03/26(月) 18:36:07
>>629 じゃあ、神武は一体何処から東征してきたというわけ?
632 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/26(月) 20:00:55
>>629 >男子を王として70〜80年経ったが
その意訳変だよ!気付かない?
じゃあ、男子を王とする70〜80年前は『オカマ』が王だったの?
>>630 神武が東征したのは日向から。
南九州だろう?
>>634 >揚げ足取り
どこが揚げ足取りなんだ?説明求む
634じゃないが
>男子を王とする70〜80年前は『オカマ』が王だったの?
男子を王とする70〜80前に王がいるとは書かれてない
男子を王として70〜80年経ったと書かれてる
>>635
お前のレスは総て説明無しで読めんけど
説明求む!w
>>363 >男子を王として70〜80年経ったと書かれてる
ここは(経七八十年)でも(歴七八十年)でもないのに
70〜80年経ったとは読めない
むしろ(亦)と書いてあるので、繰り返されたと解釈すべし(又でも復)でもないのよ
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』
だいたい
この文脈から(住七八十年)を(70〜80年)とは読めないよ
(70〜80)の在任期間を繰り返すなんてありえんし合理的解釈ではない
(通常七、八年、長くて十年)の王位在位 と、めまぐるしく交代劇が繰り返された(亦)(相攻伐)
ちゃんと辻褄が合ってくるの
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』
(其國本)=「其」邪馬台国(三十国体制) 「國本」建国
(亦以男子爲王)=繰り返して男子が王を爲し
(倭國亂)(相攻伐歴年)=倭国は乱れ 身内争いは歴年続き
(住七八十年)=在位しても七、八年 長くて十年
642 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 23:14:17
>>640 それは無い。直前に「其人壽考、或百年、或八九十年。」があるが、
これを「その人の寿命は、或いは百年、或いは八、九、十年」とは読めん。
>(70〜80)の在任期間を繰り返す
そういう意味ではない。男子の王を頂いて70〜80年たった。その男王は一人だったか複数だったかはわからない。
これからでも、貴君の亦の解釈が誤りであることは明白。女王に対して以前に男王があったことを言うから亦である。
>>642 >それは無い。直前に「其人壽考、或百年、或八九十年。」があるが、
これを「その人の寿命は、或いは百年、或いは八、九、十年」とは読めん。
>(70〜80)の在任期間を繰り返す
そういう意味ではない。男子の王を頂いて70〜80年たった。その男王は一人だったか複数だったかはわからない。
これからでも、貴君の亦の解釈が誤りであることは明白。女王に対して以前に男王があったことを言うから亦である。
「其人壽考、或百年、或八九十年。」この文と
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」この文の
構成は同じですか?
それに、「貴君の亦の解釈が誤りであることは明白」
と、言えるなら
「亦」と「又」と「復」の場合の使い分けを説明していただきたい。
この文は
「亦」の文字だけではなく「其國本」からの説明でもありますし
貴方の説明では、相攻伐の理由が解りません。私は相攻伐の理由も説明しています。
>男子の王を頂いて70〜80年たった。その男王は一人だったか複数だったかはわからない。
そんないい加減な説明ないですよ
第一、70〜80年とする理由がありません。70〜80年と記述する以上それなりの説明ができるはずですよ
644 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 00:31:00
>>643 失礼して、ちょっと夜食を認めておりました。
一人の人間が、一ページの中で八九十年、七八十年と書いて、
一方は80〜90年と読ませ、他方は7,8年あるいは10年と読ませる。可笑しくないですか。
それに漢文は、「或百年、或八九十年。」のように先に大きな数字を書きます。
だから、貴君のいう内容なら、「或十年、或七八年」となるのが普通です。
漢文全般に通用する「亦」と「又」と「復」の使い分けは、残念ながら解りません。
しかし、ここでの亦が貴君の解釈とは違うことは明白。
>相攻伐の理由
貴君の解釈が正しいと仮定してみましょう。
「めまぐるしく交代劇が繰り返された」ことを相攻伐の理由と考えているのですか。
それは逆に、相攻伐した結果、めまぐるしく交代劇が繰り返されたとも考えられるでしょう。
結局、理由の説明になっていません。
原文に相攻伐の理由なんて書いてません。相攻伐したという事実しか書いていません。
>男王は一人だったか複数だったか
共立一女子爲王のように一男子と書いてあるなら一人とわかりますが、
以男子爲王としか書いてないので、一人か複数かわかりません。
3世紀の倭人は現在の日本人より寿命が短かろうと思うので、(これは根拠なし)
80年もの長期在位の王は考えにくく、複数かなと推測するに止まります。
>70〜80年と記述する以上それなりの説明ができるはずですよ
例えば、徳川300年の太平を300年と書くのに、どんな理由がいるのでしょうか。
事実を事実のまま書くだけです。男王で治まっていたのが70〜80年。それが事実なので、そう書いたまで。
その後、倭国は乱れて相攻伐しながら年をへて最後に女王を共立したということです。
あるいは、この間に舊百餘國が三十國に減ったのでしょう。
結局、貴君は亦を繰り返しと読みたいが、そうすると「(70〜80)の在任期間を繰り返す」ことになって可笑しいので、
七八十年に7,8年あるいは10年というアクロバティックな読みを強いることになったということです。
普通に読めば良いのです。貴君は想像を逞しくしすぎです。
645 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 00:47:07
話は変わりますが、言語虫さんのホームページ、拝見させて頂きました。
ざっと見た限りの感想ですが、これは、古神道や言霊学や古史古伝の知識で
倭人伝を読み解こうとしているように見受けられました。
そのような理解で良いでしょうか。
>>566.567 プラム ◆TOfHBAKZgM
事情は知らない。なぜ読み比べられないのか?
君の発言に対して質問しているので答えて下さい。お願いします。
647 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/27(火) 07:23:27
>>644さん
大変詳しい反論を戴きありがとうございます。
私も貴方の意見に対し、以降少しずつ意見を述べさせてもらいます。
>>645さん
古神道については、まだ詳しい事を知りません。
私が“虫さん”から指導を受けているのは従来とは全く違う“言語理論”(従来の国語教育が根底から覆る) HPはほんの序曲
近々、HPもリニューアルとの事
>>646さん
一つ質問させて下さい。
貴方は伊作さん(使用されたHPの主)を御存じなのでしょうか?
649 :
646:2007/03/27(火) 08:18:11
>>649 返レスありがとうございます。
個人的なプライバシーの問題が生じる為、詳しくはお話しできませんが
伊作さんの考えの中には多分に言語虫さんの考えも含まれているので、HPだけで単純比較が出来ないと言うことです。
私はたまたまお二人を存じあげているため、口を挟んだまでです。
651 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 09:03:38
原文とはちがい何回も書き写してるうちにどんどん変わっていくのが
普通の現象なのでそれをつかまえて重箱のすみをつつくようなことは
いいことかよくないことか分からん。
>>651さん
>原文とはちがい何回も書き写してるうちにどんどん変わっていくのが普通なので
書き写していくうちにどのように変化したか提示出来ますか?
貴方がおっしゃる事も判りますが、今だかつて変化した経緯を具体的に示されたものを見たことが有りません。
かなり、主観的な内容が先行していないでしょうか?
>>644さん
単純に「七八十年」と書かれていれば(70〜80年)と訳されても何の支障もないと私もかんがえます。
しかし、
この場面は先にも触れた様に、前文にて「或百年或八九十年」と、書かれていますので、(仮に私の考察通り)としても同じ構成で「或十或七八年」と書く事は無いかと考えます。
先の文を提示し、後の文に変化を与える事により
前文の解釈とは異なることを示す(同時に文字数を減らす)
その意味での「亦」や「住」の文字使用かと
【漢字から見た魏志倭人伝】
『接続』
離れているAのものとBのものを結び付けるから(接続)
●結び付く事によって一つになる
その時AとBの関係は「同質」
しかし、
『接続詞』は
必ずしも 前後の文が同じとは限らない でも『接続』と
現代国語のいい加減さを垣間見る一例かと
『亦、又、復』これら全て日本語では(また)
イメージ的にごちゃまぜに扱われているのが現状。
>>644さん
>相攻伐した結果、目まぐるしく交代劇が繰り返された
いえ、それは有り得ないことです。
●その国は、リーダーを短期間で交代する事によって安定を保ち、やがて倭国大乱がひきがねとなり
スムーズに行われたリーダー交代がうまく機能せず『相攻伐』
それを収束させる為の女王共立
これが時系列的にみる流れです。
この事は後の『梁書倭伝』に、(漢霊帝光和中)と限定されて記事が書かれていますので 解りやすいかと
656 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 14:12:41
657 :
646:2007/03/27(火) 14:16:12
>>650 >伊作さんの考えの中には多分に言語虫さんの考えも含まれているので、
両者のHPが読み比べられない、という意味ですか?
>>657さん
はい
表向きと裏向きは違いますから(私はそこまでしか言えない)
ごめんなさい。
>>656 他人と違うことを言いたいだけで、ここまでの書き込みが出来るかどうか確かめてみて。(真似してみるのも一考)
私の考えが全て間違いで通し続ける困難さ
『桓靈間』(後漢書)
『漢靈光和年間』(梁書)『靈帝光和中』(北史、隋書)
これら全て期間限定にて
倭國乱⇒相攻伐(歴年無主)⇒共立
と、後漢末期の短期間にこれらの出来事がこの順番通りに流れてきた
661 :
646:2007/03/27(火) 14:56:40
>>658 学問的理由以外で「読み比べ」を否定するのですね。
それでは言語虫のサイトがいかに電波か、どうか君には判断できないよ。
そういう態度は「信者」と呼ばれても仕方ないのでは?
>>656さん
こういう訳よ
その国は建国(自武帝滅朝鮮)当時から 相攻伐状態になる約300年間
男子をグループのリーダーとして 短期繰り返す事によって(今の自民党総裁みたいなもん) 安定を保ち続けた。
その安定も、倭国乱によって狂い初めその国もリーダーを選べ無い年月が続いた(相攻伐)(歴年無主)
それが女王共立までの概略
スジ通ってるでしょ
だから
あそこを(70〜80年)とする意味は全くありません。
これでもまだトンデモかい?
私にしてみたら他の解釈の方がつじつまが合わない、その場しのぎにしか見えない。
>>661 >学問的理由以外で「読み比べ」を否定するのですね。
それでは言語虫のサイトがいかに電波か、どうか君には判断できないよ。
そういう態度は「信者」と呼ばれても仕方ないのでは?
伊作さんのHPと虫さんのHPが出たので限定して述べたまでのこと
あくまで二人の関係を知る者としての意見ですから
この話題はここまで 以後何もしゃべりません
664 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 17:34:48
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
665 :
646:2007/03/27(火) 18:17:38
>>663 では君をトンデモ電波サイトの信者とみなします。
同意しますね。
667 :
646:2007/03/27(火) 19:30:21
>>666 では言語虫サイトと私が紹介したサイトを学問的に読み比べすることに同意しなさい。
一緒に検証しよう。
アラ!
ハイエナちゃんたら、こんなところで浮気してるのね(はあと)
>>654 機関車と客車を接続すると、同質になりますか?
接続は、同質でなければならないというルールは何処から来たのでしょう。
現代国語のいい加減さを批判する前に、あなたが提示するルールの来所をはっきりさせるべきでしょう。
『亦、又、復』は訓読では同じく「また」と読みますが、イメージ的にごちゃまぜに扱ってはいません。
それぞれの基本的な意味は以下の通りです。
「亦」が「Aは男だ。Bもまた男だ。」という場合の「また」。
「又」は「Aは男だ。そして、また勇気が有る。」のように付け加える場合の「また」。
「復」は字の通り、反復する場合の「また」。
基本的には、こうなのですが、これらば通用されることもあり、文脈で変化することもあります。
色々な時代に生きた無数の人間たちの言語活動を単純化して、一つのルールで縛ることは出来ないからです。
だから、漢文全体を通じて、いつでも「亦は〜」「又は〜」「復は〜」と単純化できないのです。
文章ごとに、ここではどういう意味で使われているかということを考えなければなりません。
貴君のように意味を単純化して、「亦」をいつでも繰り返しと解釈しようとすると混乱をきたします。
漢文訓読を良く知らない人は、全部「また」と訓じているから同じに読んでると思うかもしれませんが、
それは浅はかな批判です。
この場合は、最初に女王によって統治されているという記述があります。
これに対して、昔は男王によって統治されていたという別の事実を記述します。
つまり、中国をはじめ諸国が男性によって統治されていて、それが一般的であるように、
倭国「もまた=亦」「もともと=本」は男性によって統治されていたということです。
この場合は、上記の基本的な意味に合致しています。
両人のHP検証出来る程知識無い
それに、虫さんは私の師だよ
それでもいいのかい?
671 :
646:2007/03/27(火) 20:49:35
>>670 >それでもいいのかい?
それでいい。師だからといって批判できなければ学問ではない。
ではまず質問。
検証できる知識がないのに、なぜ言語虫のHPがトンデモ電波サイトではないと思いましたか。
>>669さん
>機関車と客車
何と答えればいいのか?
普通は『連結』ですよね、『接続』と一度も考えた事が無いので ゴメンナサイ
673 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 21:12:51
>>672 例え話に過ぎないので、それは構いません。それよりも、
>『桓靈間』(後漢書)
>『漢靈光和年間』(梁書)『靈帝光和中』(北史、隋書)
>
>これら全て期間限定にて
期間が限定されると何故貴君の説の証明になるのかがよく解りません。
それから、普通に読めば「倭国乱れて相い攻伐す」だから、
倭国乱の内容が相攻伐であって、「倭國乱」があってその後「相攻伐」ではありません。
>>671 貴方も一年ほど一対一で学ばれれば解る事 口では言い表せません
私も最初
トンデモと思い、食いついていった一人ですから
貴方の言われる事が理解できます。 直接yahooに出向き罵倒したものです
しかし師はそんな私に対して笑いながら、私の間違った考えを一つずつ丁寧に
指摘してくれました。
それも一切感想文や思い込みなしで
>>673 >倭国乱の内容が相攻伐であって、「倭國乱」があってその後「相攻伐」ではありません。
そう考える理由は?
>>669さん
たぶん貴方が説明しているのは日本語「また」の使用例ではないでしょうか?
私が言っているのは「漢語」(亦、又、復)の「意」です
漢和辞典に記述されているのは 漢語を日本語の読みにしたもの、その読みに対して
パラパラとその使用例が書かれた程度のものかと
「意味」は基本的な「意」に対して文の構成により解釈されたものです。
基本的に「意」は(一字一意) 文字一文字に対して一つしかありませんし、
そこを通過しなければ本来の「漢語」の意は理解できません。
「又」=一度だけ繰り返す
「亦」=繰り返される物事
「復」=物事を重ねる
これが この漢字の持ってる「意」です これを日本語で「また」と読み
「意」を基にしたさまざまな意味に解釈されるのです。
つまり、貴方と私の文字の捉え方が根本的に違うということです。
677 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 22:37:03
一人の人間が、一ページの中で八九十年、七八十年と書いて、
一方が80〜90年であるならば、他方は70〜80年と読むのが普通です。
それは貴君も同意するでしょう。
ところがそれでは意味が通じないから、無理に7,8年あるいは10年と読ませる。
>「又」=一度だけ繰り返す
>「亦」=繰り返される物事
>「復」=物事を重ねる
このルールは、そういう不自然な解釈を強いるので、正しい見解とは思えません。
「亦」=繰り返される物事 という鍵に従って、不自然でも、それに合うように読むことで、
普通の読みとは違った内容が浮かび上がってくる。これは暗号解読のセオリーです。
聖書の暗号にしろ人麻呂の暗号にしろ、これをやります。
結果、こういう解釈が出来たのだから、この鍵は正しかったとなります。
>>662の貴君の発言は、そういう内容です。
646氏がトンデモ電波と批判する理由は、そこにあります。
貴君と私の根本的な違いは、文字の捉え方ではなく、
倭人伝を普通の文章と見るか、暗号として見るかの違いです。
>>677さん
現代国語教育上の解釈でいけばそのように解されるでしょうね
たぶん モノを見る視点が違いますので
私も一度は現代国語教育を学んだ一人ですし、邪馬臺國について皆さんと大差の無い考え方を
しましたので
そういう反論も十分承知です
あと
>>654の補足訂正をしておきます
AとB の「と/接続詞」 の場合、AとBは必ず異質なモノを用い表現されますが、「接続」の場合、“続かせる為に”するAとBの関係は必ずしも異質とは限りません。
つまり、
ここに「接続」と「…と…」の間に矛盾が生じ、決して(=)にならないところです
>>677 >一人の人間が、一ページの中で八九十年、七八十年と書いて、
一方が80〜90年であるならば、他方は70〜80年と読むのが普通です。
『普通』と考えるのは貴殿や、私が受けてきた教育がそう考えさせているだけでは?
現代の常識が文字数を最小限に抑え、細大の表現をするものに通用するかという
疑問点にぶつかりませんか?
文の構成以上に一文字の大事さが引き立つのでは?
>>677さん
『五十音』の順番がなぜ『あ→い→う→え→お』なのか考えた事がありますか?
たぶん学校教育では何も説明されずにそういうものだと、強制的に叩き込まれて
それが常識となってしまった
それと似たような現象が
古代漢文の解釈に結びついてはいないでしょうか?
682 :
646:2007/03/27(火) 23:19:15
>>674 君は言語虫が正しいかどうか検証できるだけの知識はないが、
言語虫との対話の結果、彼が正しいと理解したわけだね。
はたから見ると危うい状態だが、日本には思想、信教の自由があるから、それは咎めないよ。
では再度確認するよ。
これから両者のHPを一緒に検証していこうね。依存はないね。
>>682さん
>これから両者のHPを一緒に検証していこうね。依存はないね。
依存もなにも
伊作さんのHPの解析はスムーズに運ぶと考えますが
はたして虫さんのHPは 基礎的なものが無い貴殿が苦労されますよ
684 :
677:2007/03/27(火) 23:34:04
>>680 トンデモ電波といわれる人たちの特徴は、普通や常識を必要以上に疑ってかかることです。
五十音の順番が「あいうえお」で何か不都合がありますか。
明確な不都合があれば、それを明示して、不都合がなくなる順番にすれば良いのです。
あるいは、より合理的な順番があれば、その合理性を証明して見せればいいのです。
明確な不都合がないにもかかわらず、理由の説明が無いということだけで異を唱え、
自分なりのルールを新たに設定し、かえって合理性を失ってしまう。
これを人は天邪鬼(あまのじゃく)と言います。
貴君は、漢文解釈において、天邪鬼をやってはいませんか。
685 :
677:2007/03/27(火) 23:43:14
倭国の使者が中国を訪れたという記述は、光武帝の建武中元二年(56年)と
安帝の永初元年(107年)があります。
建武中元二年(56年)から70〜80年は127〜137年になります。
これは第7代順帝(在位125〜145年)の治世にあたります。
順帝の次は沖帝・質帝と続きますが、2才と8才で即位し、両方とも即位一年未満で崩御しています。
だから、順帝の治世の次は桓帝・霊帝の治世になります。
つまり、建武中元二年から70〜80年、順帝の治世まで治まっていた倭国が
次の桓帝・霊帝の治世には乱れたということになります。これが後漢書の記述です。
一方で、安帝の永初元年(107年)から70〜80年というと177〜187年です。
これは、霊帝の光和年間(178〜184)にぴったり重なります。
つまり、安帝の永初元年から70〜80年治まっていた倭国が、
霊帝の光和年間にいたって乱れた。これが梁書の記述です。
男王で倭国が治まっていた期間を、後漢書では建武中元二年の朝貢から70〜80年と考え、
梁書では、安帝の永初元年から70〜80年と考えた、このように推測できます。
数字合わせの推測に過ぎませんが、七八十年を七年八年或いは十年と読むよりは、よほど合理的です。
646さんとプラムさんの検証を楽しみにしております。
686 :
646:2007/03/27(火) 23:49:39
では作業に入ろう。事情は知らないが、伊作氏のHPは言語虫のHPのトンデモを正す形になっている。
プラム君は、伊作氏のHPを読んで同意しかねるところはあるか?
あるとすれば、それを順次あげていただきたい。
>>684さん
>貴君は、漢文解釈において、天邪鬼をやってはいませんか。
物事は見る視点によって様々な顔を見せます
この考えもどの視点から見るか?で、環境が変化するでしょう。
688 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 23:55:26
あげ
>>685さん
それはチョット無謀すぎませんか?
倭人伝の記録と後漢書の記録をミックスしたようにとれますよ
倭人伝からどのように後漢書の二つの朝貢記録を読み取るのですか?
後漢書には二つの朝貢記事だけ記録されていますが、朝貢が二度しか行われなかったと
考えているのでしょうか?
漢書地理志に『樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云』の記事が
漢時『歳時來獻』が たった二度に減少?
>>686 >伊作氏のHPを読んで同意しかねるところはあるか?
細かいところをあげたらきりがありません
伊作さんは最終的には細かなところは拘らず大河のような歴史の流れで
物事を判断しようとしています そのへんが既に考え方の相違するところであって
あと
明日葬儀の手伝いがあって朝早いから適当なところで切り上げますよ
>>685さん
それって
70〜80年という数値の起点を探す作業になっていませんか?
女王の都の設定を先に行い、後でそれに至る道程を解釈していくやり方と似ているような?
>>684さん
>トンデモ電波といわれる人たちの特徴は、普通や常識を必要以上に疑ってかかることです。
そういう角度だけで判断しているからそのように見えるのです
学問は普通、常識とする前に普通、常識の検証をすることではないですか?
>>686さん
ヤッパリ伊作さんのHPを検証する事は出来ません。
以前、本人に10年後のガチンコを申し込んでいるし、今それをするわけには……
虫さんのHPの検証なら付き合いますが 伊作のHPは勘弁してください。
気まずくなりメールのやり取り出きなくなっちゃいますよ!
694 :
677:2007/03/28(水) 01:17:14
>>691 >70〜80年という数値の起点を探す作業になっていませんか?
まさに、それをやっているのです。だから、前漢の時代に使者が何回来ているかは関係ありません。
こういう数字合わせと空想は、歴史パズルとしては面白いけど、
そこに本質があるとは考えていません。
まあ、七八十年を70〜80年と読めない貴君には、もともと関係の無い推測かもしれませんが。
『樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云』は、
「普通」に読めば、百餘國が來獻していて、倭国王の存在は書かれていません。
はっきり倭王とあるのは「安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見.」です。
建武中元二年にしても倭奴國奉貢朝賀で、倭国・倭国王・倭王とは書いていません。
以下、全くの根拠無き空想です。
劉宋の時代、范曄は、後漢書を執筆する際に、倭人伝を参照した。
そこで、「倭国乱」って、中国で言えば何時の時代か考えた。
70〜80年だから、卑弥呼よりも前で、かつ前過ぎない倭王の存在証明は?
建武中元二年に使者が来ているから、この時は男王で治まっていたに違いない。
だったら、倭国乱は桓霊の間だな!
時は流れて、唐時代、姚思廉は考えた。
范曄さん、建武中元二年は倭の奴国ではないですか。
倭国として使者が来たのは永初元年ですよ。倭国が男王で治まったのは安帝の時ですよ。
だったら、倭国が乱れたのは、霊帝の光和年間ですね。
695 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 02:02:04
>>692 >学問は普通、常識とする前に普通、常識の検証をすることではないですか?
トンデモ電波の人たちが必ず言うセリフです。
普通・常識を検証することも学問の一つの方法ですし、
方法論としては一番安直なので、多くの人がそれをやります。
しかし、それでモノになることは少ないです。
実際検証してみたら、普通・常識が正しかったという場合がほとんどです。
普通・常識は、多くの人が長い時間をかけて検証してきた結果、正しいと判断されたことです。
普通・常識を否定するには、それだけの重みを覆すに充分な明確な根拠が必要なのです。
普通・常識を妄信せよと言っているのではありません。
明確な不都合があれば、それを明示して、不都合がなくなるようにすれば良いのです。
あるいは、より合理的な説があれば、その合理性を証明して見せればいいのです。
それが学問です。むやみに否定してかかることが学問ではありません。
さて、貴君は、普通・常識を否定できるだけの客観的根拠を示されましたか。
696 :
646:2007/03/28(水) 06:45:39
>>690.693
>虫さんのHPの検証なら付き合いますが 伊作のHPは勘弁してください。
私は繰り返し確認した。約束を破るのか?
学問的理由以外で「読み比べ」を否定するのか。
それでは言語虫のサイトがいかに電波かどうか君には判断できない。
そういう態度では「信者」と呼ばれても仕方ないが同意するか?
698 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 14:19:08
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
699 :
646:2007/03/28(水) 16:09:53
>>690 >細かいところをあげたらきりがありません
お手数でも順次あげていただこう
確かに、逃げ口上にしか見えんな。
>>699 俺、虫説の信者で構わないし、虫説そのもので大変光栄に思い、弟子として誇り持ちます。
伊作さんと虫さんの関係を知る者としては、二人の考えを比較するのはナンセンスだし、理にかなわない。
伊作さんの説に疑問感じれば直接本人に確認入れますよ!
何と言われようと構わない、伊作さんのHPを検証することは拒否する
702 :
646:2007/03/28(水) 19:10:13
>>697プラム ◆TOfHBAKZgM
>
>>696 >付き合うよ!
>>701プラム ◆TOfHBAKZgM
>伊作さんのHPを検証することは拒否する
一体どっちだ。改めて答えてくれ。
>>702さん
HP検証は辞退します。
ただし、師のHP(近々最新予定)検証に協力することには吝かではありません。
704 :
646:2007/03/28(水) 19:58:49
>>703 言語虫のHPの検証のためには、私は伊作氏のHPを利用することになる。
これを君が拒否することは当然できないが、それでもよいですね。
万一それができないなら、言語虫のHPも検証拒否とするのがフェアだ。
明確な回答をどうぞ。
>>704さん
それはスジ違い。
私に同意を求める問題ではないでしょう
どうしても同意を得たい場合は、直接本人に確認すれば良いこと 貴方の学問に対し規制を加える権限は私にはありません。
これは個人的な意見ですが、
私は単なる個人的な理由でHPの検証に協力出来ないだけですから
貴方は大いに研究すべきです。
706 :
646:2007/03/28(水) 20:33:17
>>705 それでは言語虫のサイトがいかに電波かどうか君には判断できない。
そういう態度では「信者」と呼ばれても仕方ないが同意するか?
>>706 >それでは言語虫のサイトがいかに電波かどうか君には判断できない。
そういう態度では「信者」と呼ばれても仕方ないが同意するか?
一言申し上げるが、貴方に同意を告げる義務は無いと思うが?
それに『信者』と呼ばれる事に何の抵抗も無いし、ましてやその説を直接本人から
指導受けられることの幸運に感激すら覚えます。
708 :
646:2007/03/28(水) 21:00:45
>>707 ということは言語虫のサイトがいかにトンデモ電波か、
君は判断することを放棄し、信者として妄信することを宣言したということだ。
ということは今後言語虫のサイトに対して学問的研究が行われても、君はそれを批判できない。
もし反論がある場合は「信者として妄信する立場からの発言である」ことを明らかにしていただく。
要するに、言語虫に対して述べられる反論に、君は参加できなくなったんだよ。
よく理解してね。
では
709 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 21:24:17
魏志倭人伝も何回も書き直してたら間違いだらけになってしまった。
>>708 >ということは言語虫のサイトがいかにトンデモ電波か、
君は判断することを放棄し
●貴方が個人的に考えてる事に振り回される訳にはいかない
●貴方は貴方で好きにやればいいし、私は私で好きにやる
私の意見に賛同する人はどんな状況下でも賛同するし、そうでない人はどんな状況下でも
常に反対の意見を持つものだよ
たぶん
これからは聞かれた事に対する意見はなるべく答えていきたいと考えているけど
自分から進んで考えを述べるつもりはない
だから心配しないでくれ
この『2ちゃん』にて、聞かれた事意外に口を出す気はない
712 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 22:18:32
>>710 個人的に考えてることではなく、常識。
これからも2ちゃんやヤフーで自分の説が正しいと訴えたいなら、
ちゃんと比較に耐えられるものにしろよ。
713 :
677:2007/03/28(水) 22:55:24
646さん、そんなに四角四面に了解を取り付けなくても、
貴君が疑問と思うことを次々挙げていけば良いではないですか。
その過程で、伊作さんのホームページも引用すれば良い。
ROMしてる人は、それに対するプラムさんの反応も含めて判断するでしょう。
ついては、検証を持ちかけているのは646さんのほうなのに、
プラムさんに伊作さんのHPの同意しかねるところを挙げよというのは、
ちょっと首肯しかねる。フェアではない。
プラムさんの説がいかに電波かを証明するのが
646さんの目的であることがはっきりしているのに、
プラムさんから先にお題を出せというのは、
ガードを下げて俺に打たせろと言っているようなもの。
646さんから先鞭をつけるのがフェアというものだろう。
私の申す説がトンデモとお考えならば、レスしないことが最高の選択ではないでしょうか?
715 :
677:2007/03/29(木) 00:30:48
>>669で私が書いた亦、復、又の基本的な意味
「亦」が「Aは男だ。Bもまた男だ。」という場合の「また」。
「又」は「Aは男だ。そして、また勇気が有る。」のように付け加える場合の「また」。
「復」は字の通り、反復する場合の「また」。
について、それは日本語「また」の使用例で「漢語」の使用例ではないというご意見があった。
そこで、中国人の手になる辞書を見てみた。
まずは台湾商務印書『辭源』
「亦:表可併爲一類之意」「又:更也、復也」「復:再也、又也」
次に中華書局の『王力古漢語字典』
「亦:副詞 也、也是」「又:副詞 復、一般略帯感歎語気。」「復:又」
古いところで『康煕字典』といきたいが、これは書き込むには量が多すぎるので、抜粋のみ。
亦は傍及之詞。又は多略不過三也。復は反覆也。復累土於地上。
「併せて一類と為す可きの意を表す」とは「Aは男だ。Bもまた男だ。」と同じことである。
現代中国語の副詞「也」は「二つの事柄が同じであること」で、これも同じ意味である。
傍及の詞とは、Aが男だという事実を述べて、
Bが男だという傍ら=近しい=同質の事実に言及することである。
又と復については、『辭源』と『王力古漢語字典』は両者は通用する字と考えている。
『康煕字典』では、又の象形文字である三本指の手を引いて、「三を過ぎず」と言ってる。
つまり、三回までは有りということで、一度だけ繰り返すとは言わない。
貴君の説と唯一通じるのは、「復は土を地上に累ねる」という部分だ。しかし、これも復について、
沢山意味が挙げられた最後の方に出ている。これをして復の本義として挙げている訳ではない。
716 :
677:2007/03/29(木) 00:32:26
又と復を基本的に同じとするあたり、私が挙げた意味と異なる。
また、論語の有名な「學而時習之不亦説乎」の亦は、私は
>>669の基本的な意味どおりに考えるのだが、
『康煕字典』に引かれている梁の皇侃の注を見ると、
「学ぶだけでも嬉しいのに、さらに復習ができて嬉しい。そういう意味での亦だ」述べている。
これは、
>>669で挙げた又の意味である。
先に一つのルールでは縛れないと言ったように、人によって異なる部分はあるが、
概ね、私が基本的な意味として挙げた内容と重なるものである。
これが、決して日本語「また」の使用例ではなく、
各時代の中国人が分析した使用例であることがわかるだろう。
翻って、貴君の挙げた「字意」なるもの、
「又」=一度だけ繰り返す
「亦」=繰り返される物事
「復」=物事を重ねる
わずかに「「復」=物事を重ねる」が掠る程度である。
古代から現代に至るまでの中国人も与り知らぬ「字意」なるものは、
一体どこから出てきたものか、その根拠を示していただきたい。
魏志倭人伝のころ倭人はお米を
煮て食っていた(と言う説が)あるわけで・・
>>715-716さんおはようございます。
@彼は“また”仕事を始めた
この場合の“また”には『又』と『復』の文字が考えられます。
『復』の文字を当て嵌めると『復職』となり
●彼は復職した となります。
『又』の場合、仕事を再び行ったと言う説明であり、前後に共通するものは『仕事』で(職種・場所)までは限定されません。
詰まり、
●『又』は “また”は仕事にかかり、指示された物事の範囲が限定され一度だけそれを繰り返すの『意』として使用されるわけです。度重なり繰り返されるわけではありません。
@彼は“また”仕事を始めた。
『復』の場合
「又」とは違い、仕事を再会する以前と以後では時系列以外条件が変わらず移行され(重なる)る時に使用され、「又」の様に回数に制限は有りません。
●詰まり、『復』とする対象物が重なり合う事が出来る
『復職』→復職以前の職に重なる
しかし、ここでは概略のみの説明で有り、『復』はそれを更に分別することが出来ます。
720 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 12:11:56
>>719 だいぶ説明に苦労されているようですね。
肝心なことを確認するのを忘れていました。
「又」=一度だけ繰り返す
「亦」=繰り返される物事
「復」=物事を重ねる
というのは、どんな文章の中でも常にこの意味で使用されるということですか。
この場合、このルールの根拠が問題となります。
それとも、あくまでこれは基本的な意味で、文脈によっては、
私に言うような意味でも用いられるということですか。
その場合は、何故倭人伝の「亦」を「繰り返される物事」と解釈するのかが問題となります。
論点が変わってくるので、確認よろしくお願いします。
721 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 12:29:56
>>720さん
私が先日申したのは『意味』ではなく、意味を作り出す前の『意』です。
基本的な『意』があるからこそ、文の構成によって様々な『意味解釈/決して意から逸れることのない』が出来るのです。
簡単に申せば
漢和辞典は『漢字』の解答用紙ではなく、問題集として捉らえています。
722 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/03/30(金) 13:00:19
プラムさん
言語虫という方は九州説者ですか? 神道を奉じている方なのですか?
このごろ、論争において、論のアッパー、パンチ等武器をさておいて自ら審判の
採点とか規則をパンチ等の代わりにその採点、規則とか自体を武器とする論の
選手兼自分が審判でそれも武器とする奴がいますから、その手に乗らないよう
にしたほうがいいです。
>>722太国さん
我が師(言語虫)さんは
九州に女王の都 と、決定断言しています。
虫さんは従来の言語学とは違う(言語理論)を研究しており、その一連の作業の一部が(和・及び中国漢籍の解析、口伝承、古神道……)なのです。
現在著名な学者さん達が、その言語理論を元に『記・紀』の解析を、表向き自説とは別に 共同研究され楽しんでいます。そんな裏事情があるからこそ、私は(記・紀)の議論に一切参加しないのです。
頼りにすべき学者達が、自説そっちのけで全く違った世界を堪能しているんですから イヤハヤです
724 :
677:2007/03/30(金) 13:28:02
>>721 どんな時代の誰に書かれた文章であっても、それが正しく書かれていれば、
又がどれ程文脈で意味が変化しても、「一度だけ繰り返す」から離れることはないということですね。
ならば、この例をどう説明するのでしょう。
三国志 魏書 武帝紀
昔者董卓初興國難,郡后釋位以謀王室,君則攝進,首啓戎行,此君之忠於本朝也.
後及黄巾反易天常,侵我三州,延及平民,君又翦之以寧東夏,此又君之功也.
韓暹、楊奉專用威命,君則致討,克黜其難,遂遷許都,造我京畿,設官兆祀,
不失舊物,天地鬼神於是獲乂,此又君之功也.
袁術僭逆,肆於淮南,懾憚君靈,用丕顯謀,?陽之役,橋?授首,稜威南邁,術以隕潰,此又君之功也.
迴戈東征,呂布就戮,乘轅將返,張楊?斃,?固伏罪,張?稽服,此又君之功也.
袁紹逆亂天常,謀危社稷,憑恃其衆,稱兵内侮,當此之時,王師寡弱,天下寒心,莫有固志,
君執大節,精貫白日,奮其武怒,運其神策,致屆官渡,大殲醜類,[五]俾我國家拯于危墜,此又君之功也.
濟師洪河,拓定四州,袁譚?高幹,咸梟其首,海盜奔迸,K山順軌,此又君之功也.
烏丸三種,崇亂二世,袁尚因之,逼據塞北,束馬縣車,一征而滅,此又君之功也.
劉表背誕,不供貢職,王師首路,威風先逝,百城八郡,交臂屈膝,此又君之功也.
馬超?成宜,同惡相濟,濱據河?潼,求逞所欲,殄之渭南,獻馘萬計,遂定邊境,撫和戎狄,此又君之功也.
鮮卑?丁零,重譯而至,?于?白屋,請吏率職,此又君之功也.
「此又君之功也」というフレーズが10回繰り返されています。
もう一つ、聞きたいことがあります。
725 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 13:44:25
>>724さん
何か誤解されていませんか?
『又』=一度だけ繰り返す
この一度だけとは、前文の内容(又の指示する内容)が『又』によって、後文に効果すると いうことです。
(例)
『又南渡』と書いて有れば、前文似て『南』と書かれていなくとも(南)であった事が判るわけです。
726 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 13:50:42
>『此又君之功也』
別に不思議な所はありません。
『君の功なり』と言われた時系列以前にも“君”と言われた本人は功をなしえたから
この“君”に当たる人は
『此又君之功也』と言われただけでは?
727 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2007/03/30(金) 13:55:25
>>723 プラムさん
そうでしたか。記紀の議論をなさらなかったでしたっけ?
かの師は古神道を研究なさっておられるから、プラムさんはなにか
言霊学的話がすこし出ることがある事情がわかりました。
またお話しましょう。外出しますのでいったんいなくなります。
先のとおり審判の仕事を自己の戦法にしてる選手がいますので、
幻惑されないように・・・。
728 :
677:2007/03/30(金) 14:18:36
>>725 そういう反論をするだろうなとは思っておりました。
この文章は、曹操が魏公になったときの策命です。
曹操を魏公にするのは、何度も何度も繰り返し功を立てたからだとして、
その功績の内容を箇条書きにして数え上げているわけです。
まあ、結局、水掛け論になって、『又』=一度だけ繰り返すと規定する根拠は何か、
それが、貴君のレスでは明示されることなく、お題目のように繰り返されているという
何度も指摘されている問題に戻ってしまいますね。
それは、追々、貴君に善処していただくとして、ちょっと趣向を変えつつ倭人伝の亦の問題に戻りましょう。
貴君の言う「亦」=繰り返される物事が正しいと仮定しましょう。
三国志 魏書 武帝紀
蝗蟲起,百姓大餓,布糧食亦盡,各引去.
ここで繰り返される物事とは糧食が尽きるという事です。
蝗害が起こって、あちこちで糧食が尽きるという事が起こっている。
同じように、呂布の軍でも糧食が尽きるという事が起こった。
つまり、呂布の軍の糧食が尽きるという事が繰り返し起こったのではなく、
あちこちで繰り返される糧食が尽きるという事の一つとして
呂布の軍の糧食が尽きるという事が起こったわけです。
「布糧食亦盡」
「其國本亦以男子爲王」
呂布の軍の糧食が尽きるという事が繰り返し起こったと言っているのではないように、
倭国内で「以男子爲王」が繰り返されたと言っているのではないのです。
中国をはじめとする諸外国で、男子を以て王と爲すことが繰り返されている。
その繰り返される物事の一環として、倭国でも男子を以て王と爲したと言っているのです。
一方で、貴君は、これを倭国内のことと限定して解釈しています。
だから七八十年で無理な読みをしなければならなくなっています。
貴君が倭国内に限定する理由は何ですか。
729 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 14:21:38
>>727 太国さん
本来『記・紀』が大好き
だから ちらっと参加してしまう事は有っても、決して深入り致しません。
掲示板には色んな人が居ますし、大丈夫です。
またヨロシクです。
730 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 14:56:37
>>728さん
>根拠
『又、亦、復』が共に(また)と訓じられていることです。
正確には
『又』(マタ)
『亦』(マ-タ)
『復』(マ-タ)
なんですが
『橋、端、箸』は(はし)と訓じられているが、それぞれ意味するものは違います。しかし、これらは全て『意』は同じだから(はし)と和語(音)表記されているのです。
その共通する『意』が
●支えることにより効果する
と、言う意です。
と、述べたところで直ぐには理解出来ませんよね!
731 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 15:03:46
>>728 私は書いた筈です。
『繰り返される物事』
そして
これは意味ではなく『意』だと
『政権交代』
これも繰り返される物事
『食糧難』
これも繰り返される物事
>倭国内
私は邪馬台国三十国体制内と考えています。
732 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 15:14:14
『其國本亦以男子為王』
>>728さん
その国の建国から
と、書いて有りますよ
だから70〜80年ではなく、約300年余りにわたり短期よる政権交代 と、意味解釈するのです。
733 :
677:2007/03/30(金) 16:12:16
なにやら、思いついた端から、取りあえず書いてるような印象を受けます。
もう少し落ち着いて、論理的に筋が通るようにまとめてからレスした方が良いですよ。
夜くらいまでレスできませんので、その間、良く考えておいてください。
ちなみに、国本を一単語として建国からと解釈するのは貴君の独自案で、
だから政権交代と読むのが正しいと言われても困ります。
百歩譲って国本であり建国以来だとしても、
>>728で私が書いた国内に限定するか否かとう問題の回答にはなりません。
中国をはじめとする諸外国と同じように、建国以来男王を頂いていたと読めるからです。
そのような水掛け論にならないように、わざわざ「布糧食亦盡」を引いて、文型を比較したのです。
建国から「以男子爲王」を繰り返してきたと読むのなら、
「布糧食亦盡」は呂布の糧食が何度も尽きたことになりますよという意味です。論点をずらさないように。
それから糧食盡、以男子爲王とは書いてあります。そして、それが繰り返される物事であることも反対しません。
しかし、政権交代という文字は何処にも書いてありません。
以男子爲王=政権交代とは、貴君の自説であって、証明すべき事柄です。
貴君が証明すべき事柄を先取りして、論証に使ってはいけません。
そのあたりを混同しないようにして、論理的な文章を書くようにしてください。
もう一つ
>>731のレスについて。
『繰り返される物事』が『意』であって、『食糧難』も繰り返される物事であるなら、
『食糧難』が『意』になってしまいます。
何度も言いますが、論理的な文章をお願いします。
>>733 > 何度も言いますが、論理的な文章をお願いします。
そんな不可能なことを求めてもムダよw
>ちなみに、国本を一単語として建国からと解釈するのは貴君の独自案で、
だから政権交代と読むのが正しいと言われても困ります。百歩譲って国本であり建国以来だとしても
『其國本亦以男子為王住七八十年・・・・・』
(國本)を一単語とし意訳することが、百歩譲ってもらわなければならないほど
異様なのでしょうか? まずスタートからして意見の相違するところです
私は『國本』を一単語と扱っていましたし
一連の意訳も『国本』を(建国)とし、組み立てられていますので
貴方に百歩譲ってもらうとかもらわないとかの問題ではなく、間違いは間違い
あくまで学問ですので、妥協し論ずべきモノではありません。
仮に、私の意見が正しかった場合もそうです。 『國本』が一単語である事を知らなかった貴方も根底から
意訳しなおさなければならないし、ましてや(建国)などと言う意訳に遭遇する事自体初めてなんですから
同じテーブルでの議論は到底不可能ではないでしょうか?
「国本」は国の基、土台。建国の根本、基礎。立国の根本。国基(=国家を維持する基)。
であり、「その国家の本来の姿」が語義である。
「建国以来」も意としては必ずしも間違いではないが、それだけのこと。
「其國本亦以男子為王=本来その国でも(=亦)男子を以って王と為す」
と解することが自然である。
「住七八十年=(その王がずっと)とどまること7,80年」
「住」という字に注目すれば、その男王がずっとと解するしかない。
7,80年というのが事実かどうかはともかく、「其人壽考、或百年、或八九十年」と呼応してるので決しておかしくない。
さらに言えば「七八十年」が「通常七、八年、長くて十年」の意であるなら、「其人壽考、或百年、或八九十年」という文章形式になるはずである。
737 :
677:2007/03/30(金) 20:16:37
>>736さんは、私ではありません。「住」の解釈が私とは違いますが、概ね同じですね。
さて、本題です。
もし、「亦」の解釈が主語でころころ変わるようなら、そもそも「布糧食亦盡」との比較など出来ません。
文型が同じなら、同一の語は様々な文の中で同じ働きをするという前提があるから、
文法や語法が考えられるのです。
省力の為に、主語の問題と亦の問題を一旦切り離して、亦だけを問題にしようとしたのです。
それがご不満のようですので、最初から。
貴君の言うとおり、間違いは間違い。國本は「國の基(もとい)」であって建国ではありません。
「國の基」という意味での用例はありますが、建国という意味での用例はありますか。
史記に「建国本」とあります。「国本を建てる」ですが、国本が建国なら建国を建てるになります。
さらに、國本を一語とするなら、主語であるからそれは名詞です。
「其國本」に対して「その国の建国から」という訳を付けるのは勝手解釈です。
書いていないことを勝手に付け加えてはいけません。
さて、主語が國ならば、「國『が』男子を以て王と爲す」という文章は可能です。
しかし、「國本」を主語にすると、「國本」という抽象概念が「男子を以て王と爲す」という
行為をしたことになります。「國」も抽象概念ですが、擬人化されるのでこれが可能なのです。
「亦」が国内で「以男子爲王」を繰り返したことだという貴君の解釈を認めたとしても、
「國本」という抽象概念が、国内で「男子を以て王と爲す」という行為を繰り返したことになります。
ましてや「建国」が「男子を以て王と爲す」という行為を繰り返すなどありえません。
唯一可能なのは「國本」=「以男子為王」という考え方ですが、この場合、漢文は
「其國本亦在以男子為王」となって「在」が必要になります。
もともと、この文で「國本」を主語と考えることは、文法的に無理なのです。
その無理を犯しているから、「その国の建国から」というふうに、
書いてないことを勝手に付け加えなければ意味が通らなくなったのです。
あらかじめ断っておきますが、これは貴君がよく言う日本語訳の問題ではありませんよ。
純粋に漢文の問題です。
738 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/03/30(金) 20:21:01
>>736さん
『七八十年』
『或十年或七八年』
これが
どちらも同じ意味で通用するなら 当然『七八十年』でしょう。
方や 四文字
方や 七文字
ですから
>>738 (゚Д゚)ハァ?
文字数の節約のためですか?w
なら「其人壽考、或百年、或八九十年」も「其人壽考、八九十百年」にしなければなりませんねw
その前に、『七八十年』は、その意味で通用しないから!
>>373さん
>その無理を犯しているから、「その国の建国から」というふうに、
書いてないことを勝手に付け加えなければ意味が通らなくなったのです
なぜ初めから書いてない事としちゃうのでしょうか?
この文章の文頭部分をお忘れでしょうか?
『・・依山島爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從・・・』
百餘國の小さな村的社会が三十国に纏り漢時帝国と外交したと(概略)
ここで疎かにしてはならないのが『舊百餘國』の(舊)の文字。
(舊)は、ある時期を境(基点)に過去を『舊』とすることで、決して(昔)と言う意味では有りません。
基点よりも過去の時期(たくさんの小さな村社会に分かれていて)基点時に三十国体制の邪馬臺國がスタート、
そこから『今』(魏時)までの記録であることを述べてあります。
詰まりその国の建国とは、『舊』と書く事のできる基点がそれ(邪馬臺國建国)にあたり、後の范曄も後漢書倭伝の中で
『凡百餘國自武帝滅朝鮮・・・』と記載しています。
『凡百餘國』=数詞100ではなく(たくさんの)と言う意味ではなく、『舊百餘國』の百が数詞でないことが読み取れる。
倭人伝の『舊』とする基点を范曄は『自武帝滅朝鮮』と具体的に示しており
邪馬臺國の建国時期を紀元前2C末期と想定できるのです。
要するに
『其國本』を(その建国時より)と意訳する事はなんら無理な事でもなんでもないことなのです
>>741 > 『其國本』を(その建国時より)と意訳する事はなんら無理な事でもなんでもないことなのです
ここにきて意訳……ですか?w
>>739 >其人壽考、或百年、或八九十年
数字を記載する場合は必ずその数値に対する(発点と着点)があるから
数値を提示する事ができるのです。
『其人壽考、或百年、或八九十年』
の場合は明らかに人の寿命がテーマですので、(誕生〜死亡)までと明確にそれを具体的に書かなくとも
数値化することができます。
しかし、(70〜80年)とする時の流れの長さを表す為の 約70年前の発点が全然提示されない
ということは、到底(70〜80年)などという解釈は出来ないという事です
>>742 どうもで〜す
意訳ではなく 意味解釈の誤りです。
>>743 > 『其國本』を(その建国時より)と意訳する
なら、建国時が基点となろうw
「以男子為王」が基点。
>>744 「より」という時間経過を表わしているのはどの字ですか?
>>745 >「以男子為王」が基点。
そうだね 自武帝滅朝鮮(舊百餘國とされる基点時)
>>747 意味がわかりませんというか、説明になっていません。
「今使譯所通三十國」の「今」は執筆時点です。
「舊百餘國漢時有朝見者」の「舊」は「漢時」です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
>>748 倭国伝は倭国伝であり邪馬臺(壹)國伝ではありません。
邪馬臺(壹)國の建国時=漢(武帝)時でもありません。
>>749 >「今使譯所通三十國」の「今」は執筆時点です。
「舊百餘國漢時有朝見者」の「舊」は「漢時」です。
『今』とは魏時 執筆時期などという曖昧なものは設定出来ない。はっきりしているのが『魏書』という一番新しい時代設定
>『舊』は「漢時」です そうだねBC108年は前漢時だから
試しに貴方の「舊」の文字に対する認識でも聞いてみようかな?
『
>>750 >倭国伝は倭国伝であり邪馬臺(壹)國伝ではありません。
倭國伝って・・・・・・? 梁書?隋書?
>>751 「旧」=「今」より以前の「昔」。「今」とは異なる状態の「昔」
>>752 ああ、左辺は倭人伝と解釈して頂戴。
「倭人伝」なんていう「伝」は無いとかは無しで。
>>752 >「旧」=「今」より以前の「昔」。「今」とは異なる状態の「昔」
じゃー 昔百余国でいいし、(旧)なんて文字いらないじゃん
知ってるようで案外知らない(旧と昔)の違い。
>「倭人伝」なんていう「伝」は無いとかは無しで。
そんな野暮な事いちいち言わないよ
●紹煕本には(倭人伝)の文字が書かれているが、 紹興本には(倭人伝と書かれていない)
>>753 『昔』と『旧』の明確な違いは 【基点のとりかた】
今を基点とするのが(昔)
過去に基点を設けるのが(旧)
>>754 > じゃー 昔百余国でいいし、(旧)なんて文字いらないじゃん
なんで後段のような意見が出てくるのかわかりません。
「今」の状態と対応した文章なんだから、「旧」という字が入るのは至極当然です。
>>755 ああ、なるほど。それはわからんでもない。
で?
>>756 >なんで後段のような意見が出てくるのかわかりません。
「今」の状態と対応した文章なんだから、「旧」という字が入るのは至極当然です
じゃー【昔】ってなに?
>>757 >ああ、なるほど。それはわからんでもない。
で?
今日は(旧と昔)の違いが解っただけでも収穫じゃん 充実した有意義な一日
760 :
677:2007/03/30(金) 23:29:34
>>741 二時間ドラマを見ておりました。
さて、「亦」の間違いを指摘すると、國本の解釈が違うからと言う。
國本の解釈の間違いを指摘すると、冒頭に戻って舊の字が云々。
全く、うなぎのような人ですね。
>なぜ初めから書いてない事としちゃうのでしょうか?
倭人伝全体の話をしているのではありません。
「其國本〜」の一文に、そんなことは書いていないと言っているのです。
>>746さんが、そのことを
>「より」という時間経過を表わしているのはどの字ですか?
と指摘しているのです。
書いていないことを、あたかも書いているかのように解釈するから、
そんな冒頭の部分を引っ張ってこなければ辻褄が合わなくなるのです。
國本は國の本(もと)で形容詞+名詞、建國は國を建てるで、動詞+名詞(目的語)。
同じく名詞化した熟語でも、成り立ちが違います。
だから國本を建國とは訳せません。しかも、「その国の建国から」と尾ひれまで付けて・・・。
建国と訳せるという例証を挙げなければ、冒頭に戻る必要もないし、舊字云々も全く意味がありません。
なぜなら、國本を建国と訳せない限り、冒頭部分は無関係ですから。
そして、建国の問題が片付いたら抽象概念の問題です。
あちこち論点をずらさずに、この二点が片付けてください。
× この二点が片付けてください。
○ この二点を片付けてください。
>>760 >そして、建国の問題が片付いたら抽象概念の問題です。
あちこち論点をずらさずに、この二点が片付けてください。
今日はイヤです 明日仕事ですのでzzzzzzzzしたいので
それに今日は疲れました
また後ほどということで
最後に 私は何時でも倭人伝全体を対象にしていますのでその辺を考慮してください
【舊】夫餘俗、水旱不調、五穀不熟、輒歸咎於王、或言當易、或言當殺。【扶余伝】
東夷【舊】語以為夫餘別種、言語諸事、多與夫餘同、其性氣衣服有異。【高句麗伝】
其耆老【舊】自謂與句麗同種。【濊伝】
多忌諱、疾病死亡輒、損棄【舊】宅、更作新居。【濊伝】
建安中、公孫康分屯有縣以南荒地為帶方郡、遣公孫模、張敞等收集遺民、興兵伐韓濊、【舊】民稍出、是後倭韓遂屬帶方。【韓伝】
舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。【倭人伝】
舊志又言、【昔】北方有高離之國者、其王者侍婢有身、王欲殺之。【扶余伝注】
【今】朝鮮之東皆其地也。【濊伝】
【昔】箕子既適朝鮮、作八條之教以教之、無門戸之閉而民不為盜。【濊伝】
【今】不耐濊皆其種也【濊伝】
魏略曰、【昔】箕子之後朝鮮侯、見周衰、燕自尊為王、欲東略地、朝鮮侯亦自稱為王、 欲興兵逆撃燕以尊周室。【韓伝注】
どんな違いがあるんだろ……?
> 舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。【倭人伝】
何となくの印象。
「三十國」の以前の状態が「百餘國」で、「百餘國」から七十余國が漏れたのではなく「三十國」に収斂されたという感じだなあ。
ただ「昔」⇔「今」、「旧(舊)」⇔「新」の対応の方が自然かなあ。
>>760 就寝する前に片付けちゃいましょう
>さて、「亦」の間違いを指摘すると、國本の解釈が違うからと言う。
國本の解釈の間違いを指摘すると、冒頭に戻って舊の字が云々。
全く、うなぎのような人ですね。
>>●意味不明 それに、いいじゃないですかうなぎのような人でも
私には私の進め方がありますし、この考えを押し付ける気などありませんので
>なぜ初めから書いてない事としちゃうのでしょうか?
>倭人伝全体の話をしているのではありません。
>>●私は倭人伝全てを対象にしていますから
「其國本〜」の一文に、そんなことは書いていないと言っているのです。
>>746さんが、そのことを
>「より」という時間経過を表わしているのはどの字ですか?
と指摘しているのです。
書いていないことを、あたかも書いているかのように解釈するから、
そんな冒頭の部分を引っ張ってこなければ辻褄が合わなくなるのです。
>>●辻褄が合わなくなると断言されてる以上、こちらから何を言おうが無駄なのでは?
>>760さん
>>767の続きです
>國本は國の本(もと)で形容詞+名詞、建國は國を建てるで、動詞+名詞(目的語)。
同じく名詞化した熟語でも、成り立ちが違います。
だから國本を建國とは訳せません。しかも、「その国の建国から」と尾ひれまで付けて・・・。
建国と訳せるという例証を挙げなければ、冒頭に戻る必要もないし、舊字云々も全く意味がありません。
なぜなら、國本を建国と訳せない限り、冒頭部分は無関係ですから。
>>● 『冒頭部分は無関係』と決めているようですから 私の意見が入り込む余地はありません。
>そして、建国の問題が片付いたら抽象概念の問題です。
あちこち論点をずらさずに、この二点が片付けてください。
>>●私は問題と考えていません
それに、私は私のペースで進めますので その辺御了解下さい。
>>760さんは全て教科書通りに進まないと気に入らないみたいですね
>國本は國の本(もと)で形容詞+名詞、建國は國を建てるで、動詞+名詞(目的語)。
同じく名詞化した熟語でも、成り立ちが違います。
成り立ちが違うと貴方が考えているのでは?
当時の人が『形容詞+名詞』や『動詞+名詞』と考えながら文字の選択をしたとはとうてい考えられません。
当時から 品詞の確立された世界があったのなら その考えも有効でしょうが
あまりにも現代感覚を投与していないでしょうか?
呂布の糧食が何度も尽きた
>>770 >呂布の食糧が何度もつきた。
食糧が何度も尽きるわけじゃネェーだろう。食糧が尽きた状態になるまでには、何度も食糧極貧状態の日々が繰り返されて、最終的に尽きた状態になるのが一般的な思考回路。
> 蝗蟲起、百姓大餓、布糧食亦盡、各引去。
→呂布の軍だけ何度も糧食が尽きた。(それなのに何故か)両軍引いた。
どう考えても変な解釈です。
「亦」は「曹軍も糧食が尽きた」を表わしてるわけで、でないと「各引去」が意味不明なものになってしまう。
「亦」→「各」という流れ。
773 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 14:36:01
呂布がひいて片方だけ残ってたらおばかだろ
呂布の軍だけ何度も糧食が尽きて引いたんなら、追撃しなきゃおばかだろ。
775 :
677:2007/03/31(土) 20:15:58
>私は私のペースで進めますので その辺御了解下さい。
実は、もう議論は良いかなーとも思っています。
>>730のレスは、言霊解釈そのものだから。
私は言霊は尊重しますが、言霊学と実証的な学問とは、もともと性質が違います。
古い話で恐縮ですが、アントニオ猪木vsモハメド・アリ状態で噛み合いません。
言霊解釈を根拠として示されても、実証的な議論はできませんから。
「著名な学者」さんも、その辺のところを弁えていらっしゃるから、
学問としての表の自説と、裏の趣味は区別してらっしゃるんでしょう。
学者といえども、信教の自由はあるし思想信条まで学問のルールで縛ることはありません。
プラムさんも【漢字から見た魏志倭人伝】なんて言わずに
最初から【言霊から見た魏志倭人伝】としていれば
論拠を示せなんて言わないし、「そうですか」で済んでたのに。
そのかわり、宗教板に行けと言われるかもしれないけどw
昨夜のレスに対する回答は、もう書いちゃっててもったいないので貼りますが、
そういうことなので、絶対反論しろという要求ではありません。
貴君もうなぎだけど、私もかなり「ああ言えば上祐」だなと、我ながら苦笑しております。
では、連投ご容赦ください。
776 :
677:2007/03/31(土) 20:16:48
>>●私は倭人伝全てを対象にしていますから
一文一文が文として成立していますから、語法の分析は一文で可能です。
>>●辻褄が合わなくなると断言されてる以上、こちらから何を言おうが無駄なのでは?
私が、貴君の説は辻褄が合わないと言っているのではありません。
貴君が、『意』とか『意味解釈』とかを持ち出して、そのために
「私にしてみたら他の解釈の方がつじつまが合わない、その場しのぎにしか見えない。」
と言い、冒頭の部分を引っ張ってくるなどして、自説を主張しているのを言っているのです。
まあ、論争なんてものは、互いに相手の論理は辻褄が合わないと思うから起こるのですが。
貴君のレスを順番にまとめると、以下のようになります。
亦が繰り返す物事であるから、「亦以男子爲王」は政権交代だ。
政権交代が70〜80年ごとでは辻褄が合わないから七年八年十年だ。
つまり、短期政権で交代が繰り返された。
短期政権交代は何時から行われているのか。邪馬台国三十国体制が出来たときからだ。
つまり、國本は建国以来だ。
私は、これに対して
1、亦が繰り返す物事である証明がなされていない。
2、亦が繰り返す物事であるとしても、即「亦以男子爲王」=政権交代とはならない。(布糧食亦盡)
3、一人の人間が、一ページの中に八九十年・七八十年と書いて別々の読み方をさせるのはおかしい。
「亦以男子爲王」を政権交代と考えなければ、そんな無理な解釈はしなくてすむ。
4、國本は建国とは訳せない。
という点を指摘しているのです。頭ごなしに、お前は間違っていると言ってはいません。
777 :
677:2007/03/31(土) 20:17:36
>>● 『冒頭部分は無関係』と決めているようですから 私の意見が入り込む余地はありません。
「國本を建国と訳せない限り」という前提条件をつけています。
國本を建国と訳せると主張する貴君は、大いに意見を入り込ませなければなりません。
>成り立ちが違うと貴方が考えているのでは?
>当時の人が『形容詞+名詞』や『動詞+名詞』と考えながら文字の選択をしたとはとうてい考えられません。
>当時から 品詞の確立された世界があったのなら その考えも有効でしょうが
>あまりにも現代感覚を投与していないでしょうか?
これらは、明治期に外国語の訳語として、最初から熟語として作られた言葉ではありません。
「以太公之聖,建國本(太公の聖を以て,國の本を建つる)」「地者,國之本也,(地なる者は國の本なり)」
「建國立君以禮天下(國を建て、君を立て、以て天下に禮す)」(全て史記から)のように文の一部であったものが、
人口に膾炙して熟語化したのです。実生活で漢文を使っていた当時の人には、成り立ちの違いは解って当たり前です。
漢字二字がベタッと並んでいるのを現代の日本人が見るのとはわけが違うのです。
古代人のその感覚を品詞という概念を使って、分析・追認するのです。
現代感覚の投影どころではありません。
おわり
778 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/02(月) 12:39:42
>>777さん
遅くなりましたが
詳しい解説感謝します。
さて、
『地者、國之本也』
『建國立君以(示豊)天下』
ここでは『君』と『國』は別物として扱われていますが、そう捉らえてよろしいですね
この事は、『國』→『国』へ変化するかていに於いて大変重要な一文です。
779 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 16:14:06
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
780 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 17:59:22
>>778 >ここでは『君』と『國』は別物として扱われていますが、そう捉らえてよろしいですね
それは宜しくないようです。
引用元を明記しなかったことで、誤解を与えたとしたらお詫び申し上げます。
「以太公之聖,建國本」齊太公世家
「建國立君以禮天下」秦始皇本紀
「地者,國之本也,」匈奴列伝
上記の通り、全て史記の別の部分からの引用です。
それぞれに文脈が違いますので、『地者、國之本也』『建國立君以禮天下』と並べて
『君』と『國』は別物とは言えません。
貴君より質問がありましたので、あらためて原文にあたってみましたが、
やはり、ちょっと難しそうです。
「建國立君」では、むしろ「建国」と「立君」を同一視している可能性さえ考えられます。
一度、それぞれの原文に当たってみてください。
その上でご意見がありましたら、あらためて承ります。
> 明年、劉備稱帝于蜀、孫權亦自王於呉、於是天下遂三分矣。
「後漢書」の献帝紀。
明くる年、劉備は蜀において帝を称し、孫権は自ら呉において「何度も」王を称し、ここにおいて天下、遂に三分す。
まあ、三国志じゃないけどねw
782 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/02(月) 20:03:50
>>780さん
また、後ほど改めまして
>>781さん
ここでの『亦』は、前文の(稱帝)に掛かるのではないでしょうか?
> 章、遂「亦」進兵美陽。温、卓與戰、輒不利。
→辺章と韓遂は「何度も」美陽に兵を進めた。張温・董卓と戦うもたちまち不利となった。
> 温時「亦」使卓將兵三萬討先零羌、卓於望垣北為羌胡所圍、糧食乏絶、進退逼急。
→張温は時に「何度も」董卓に兵三万を率いさせ先に零羌を討たそうとしたが、董卓は望垣北で羌族胡族に囲まれるところとなり、糧食が絶え、進退に窮した。
いずれも「後漢書」(董卓伝)だけどね。
まあ、本当は上は再度、下は並列。
でもプさんはどちらも「何度も」と解釈するんだろうなあw
>>783 >でもプさんはどちらも「何度も」と解釈するんだろうなあw
残念
『繰り返される物事』
785 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 01:03:43
>>784 プラムさん、原文は確認しましたか?
匈奴列傳の例は、隣国に名馬や后を譲った冒頓単于が、土地は国の基だからと言って、
砂漠のような無人の土地でも譲らなかったという話です。
君と土地を比べた話ではありません。
秦始皇本紀の例は、賈誼の新書からの引用で、
始皇帝が郡県制を布いて宗族を王に封じなかったのを批判した文章です。
ですので、国を建てることと君を立てることは同じ事を意味しています。
さらに、建国・立国・建君・立君いずれも使いますので、
「建國立君」は互文(ごぶん)であって、
「建立國君(國君を建立し)」と同じことである可能性もあります。
だとすれば、なおさら國と君を別物として扱ってないことになります。
『繰り返される物事』だったら、
>>783さんが挙げた例は、どういう訳になるんでしょうね。
「亦以男子爲王」が「繰り返し男子が王になった」のとどう違うのでしょう
786 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 01:22:47
暇なので、ついでに投下。言霊については干渉しないが、漢文については、誤読は誤読。
自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。
言語虫=プラム説のキモは、この文わけても「略載」にあるだろう。
彼らは、「略載」を「記載を省略する」=「書かない」と考えた。
必然的に戸数・道里の記載の無い斯馬國・已百支國〜烏奴國・奴國の部分は
女王國の北に位置することになる。そして、「其餘旁國遠絶、不可得詳。」に
「更に北側には傍らに国(大倭国)がアルが、国交がナイ為に規模や情報は一切、不明。」(言語虫氏のHPより転載)
という訳を付ける。「其餘」が「更に北側には」になり、「旁國」が「傍らに国(大倭国)がアル」になるなど
おかしいとは思うが、それが「意味解釈」らしいので、とりあえず放置してく。
787 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 01:23:25
つづき
さて、この一文を「普通」に訳せばどうなるだろう。
「略載」は「細かいところは省略して大体のところを記載する」であって、決して書かないのではない。
たとえば、後漢書仲長統伝に
「今簡撮其書有益政者,略載之云.(今其の書の政に益有る者を簡撮して,之を略載すると云う)」
という一文の後に、仲長統の著書の一部を記載している。
「略載」が書かないことなら、この記述は矛盾していることになる。やはり「略載」は「書く」のである。
だから訳は、「女王国より北の国については、戸数・道里を大まかに記載できるが、
その他の傍の国は遠くて詳細がわからない」である。
そして、この文に続けて斯馬國以下の国名を列記しているのだから、
遠絶な旁國とは斯馬國以下であって、「大倭国」などではない。
ところで、倭人伝で戸数・道里を記載しているのは、對馬國〜投馬國と邪馬壹國=女王國である。
つまり、女王國より北にあるのは對馬國〜投馬國であり、言語虫=プラム説で北にあるとされた
斯馬國・已百支國〜烏奴國・奴國は北には無い。
言うまでもなく「傍らに国(大倭国)」など無い。
そして、「略載」が「細かいところは省略して大体のところを記載する」である以上、
陳寿自身が「大まかなことしか書いてません」と言っているのであり、
「文字で書かれた列島の地図」や「張政の測量隊」などという考えは
陳寿自身の言葉によって否定される形となる。
以上をまとめれば、「略載」は、言語虫=プラム説の全体に決定的な影響を及ぼす一語であり、
「略載」=「書かない」を証明しない限り、言語虫氏の倭人伝訳も邪馬台国像も間違いということになる。
それとも、通常「書く」ことである「略載」を、逆に「書かない」と読むことで、
陳寿の筆法が解けるとでも言うのだろうか。
>>785-7 大変参考になりました。学問板らしいレスを感謝いたします。
789 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 08:59:05
>>787さん
なにか誤解されています。『略載』=書かない
じゃなく「略し載せる」と、私は解釈していますが?貴殿が申すように
●「略載」=細かいところは省略して大体のところを記載する。
(“略”を省略とし、“載”を記載)と、訳した場合。
結局の所“省略”の“略”は何なのか?の疑問が発生し、(略や載)の文字の解決には至っていないことになりますがいかがでしょうか?
790 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 09:22:26
>>787さん、携帯からの分割掲載失礼します。
ま、(略を省略)と解釈される事については私も同意しますが、
“省略”とした場合、(省く)と言う意味が発生し、(省く)場合“書かない”が原則となります。
そして、何処かに必ず細かに記載した本文を提示し、簡略化するために何を省くかを明確にし初めて省略することが出来るのではないでしょうか?
★“道里、戸数”を(省き)或モノだけ記載するから『略載』に なるのでは?
その或モノが
(国名)だけを記載されたものなのです。
791 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 09:56:57
>>787さん
一つ質問します。
『自女王國以北…』
の部分、貴殿は(女王国より……)(自=〜より)と訓じていますがどうしてそう訓ずるのかお聞かせ下さい。
女王国がどんな形の国か、大きさ(規模)も示されていないのに、この段階での『女王国より北』という表現は
私の目茶苦茶な文章よりもひどい文章となります。
★『高い山』の表現は
必ず規準が存在するから(高・低)を設定でき
★『長い川』も
基準となる長さがあるから(長・短)を設定できる
>>791 > ★『高い山』の表現は
> 必ず規準が存在するから(高・低)を設定でき
> ★『長い川』も
> 基準となる長さがあるから(長・短)を設定できる
何が基準なんだい?
各自の主観でしかないと思うぞ?w
>>785さん
>>783さんもそうですが
全く誤解されています。
私が説明したのは
『又』は
“又”の文字に対し(一度だけ)と言う限定付きの効果
それに対し『亦』は
“何度も”と言う解釈ではなく、一度と制限を設ける事の出来ない 「繰り返される物事」
>>783さんの出された例も
進軍という行動が二回だけと限定出来ていれば『又』でしょうし、それが限定出来ないからこその『亦』の文字当用かと 考えますが?
それに、
『亦』の文字が効果するのは『住七八十年』です。
796 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 11:48:09
【繰り返す】
に対する認識
私はこの表現に対し、大きく二つに分けています。
〈一つが〉
繰り返される事柄が『一度』と限定されるもの
これを漢語表記すると『又』
〈二つ目が〉
繰り返される事柄が『一度』と限定されないもの
これを漢語表記すると『亦』
と、認識しています。
これに類似する文字として『復』『度』などが倭人伝の中に登場しますが
それらは その折りにでも
>>796 どっちにしろ「亦」を含むセンテンスで起こることは一回だよ。
また前にあった出来事を受けての「亦(また)」であって、後出する文字を受けて「再度」の意味で使われており「繰り返し行われてる」と解釈するなんて噴飯物。
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」
・その國本(国の基い)は(今は女を以って王としているが、我が朝と)同じように男子を以って王としていた。
・そうした状態が続くこと七、八十年。
※基点はおそらく建国時。
※一人の王がずっと続いたor代替わりはあったかもしれないが断定はできない。
※ただ王の名前が記されていないので後者である可能性が大きいか?
※七、八十年はおそらく倭人側の認識を受けたもの。
・倭國は乱れ互いに攻伐しあうこと歴年。
※「王死し」などの文言がないので乱れた原因は王の死ではなく、王権の弱まりであろう。
※やはり七、八十年は一人の王の在位ではなく、王権が力を持っていた年数であると思われる。
798 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 14:26:28
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
>>797 何故最後を『思われる』と想像するの?
全ての意見が
その締め括りで薄っぺらになってしまう。
詰まり、そういう想像を根本に組み立てられた意見なんだな〜っと
>>799 少ない材料から断言するような人にはなりたくないんでw
>>799 はっきり書いてあることと、そこから明らかに推測できることは、「である」。
「あろう」「思われる」は、確度が下がる推測。学術的な文章の常識。
「あろう」「思われる」は、、最後の2行にしか使われていない。
その区別がつかないの?なんでもかんでも断言する人が偉いの?
>>800 >少ない材料から断言するような人にはなりたくないんで
原文に対する解釈の違いは個人個人違ってくることは止むおえん事かと、
しかし、
>少ない材料から
多い少ないは個人で判断すべき材料ではなく、基準に対して判断するもの
日常生活会話と学問の区別くらいはしてほしいところだね。
>少ない材料から断言するような人にはなりたくないんでね。
それは個人の自由な思考範囲であるけど
先程も述べたように、『多い少ない』は個人意見からではないので、今の貴方の意見は間違った発想から作り出されている。(私見)
>>802 > 多い少ないは個人で判断すべき材料ではなく、基準に対して判断するもの
そうそう、思い出した。
高い山、長い川の基準って何ですか?
>>799 追加。
最後の「思われる」は
> ※一人の王がずっと続いたor代替わりはあったかもしれないが断定はできない。
> ※ただ王の名前が記されていないので後者である可能性が大きいか?
に応答するもの。
王が単数だったか複数だったかの推測の問題。
王が男であった時代が七、八十年であったことは動きません。
事実そうであったかかどうかはともかく、倭人伝はそう主張している。
他に解釈のしようがありません。
>>803 基準はその環境によって変わるもの 一概にコレとは言えない。
だから国は先ず最初に度量衡の統一を試みます。
統一された共通認識は必需品。
合理性です。
>>805 答えになっていません。
「高い低い」、「長い短い」の概念と単位の変化は関係ありません。
例えばメートル法が施行されてから「高い山」は高くなくなったのですか?
807 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 15:53:25
>>806 比較ですよ!
全てのものが単一なら、そこに比較の概念は発生しない。
そのセンテンス内で反復している様を「亦」という字で表わしている例文を挙げてください。
「七、八十年」を「七年、八年、あるいは十年」という意味で使っている例文を挙げてください。
>>807 何と比較しているんですか?
比較の基準が明示されてない文章でも「高い」「長い」は使われます。
ついでに。
問題の行程文では既に女王国にまで至っています。『南至邪馬壹國』
郡から倭に至る行程は邪馬壹國からみれば北に当たり、その過程の国々が載略されています。
すでに載略されてるわけですので、
> 女王国がどんな形の国か、大きさ(規模)も示されていないのに、この段階での『女王国より北』という表現は
> 私の目茶苦茶な文章よりもひどい文章となります。
というレスは意味を為すものとなっていません。
亦が住七八十年にかかるなら、亦住七八十年だな。
811 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 16:20:01
>>808さん
チョット待っててね!
>>809先に片付けますから
>>809さん
比較基準もなく『高い、長い』等を使用している文章教えて下さい。
『南至邪馬壹國』の文章と『自女王國以北』にどんな繋がりがあるの?
言ってる意味が判りません。
>>811 「邪馬壹國」=「女王國」。
そこに至るまでの行程は女王国からすれば北なわけで、女王国より北の国々は既に略載してきてる訳で。
> 比較基準もなく『高い、長い』等を使用している文章教えて下さい。
ちょっくら探してくるわ。
「高い」、「長い」じゃないけどあった。
典略曰、「騰字壽成、扶風茂陵人、馬援後也。長八尺餘、身體洪大、面鼻雄異、而性賢厚、人多敬之」(「後漢書」董卓伝の注)
>「略⇒簡単」だったら、「戸數道里」は“簡単”に記載されていなければならない。
>“省いた”からこそ、記載されていないのです〜ッ。
ヤフーの貴方の師匠の書き込みです。
ある人が、可得略載を「簡単に記載することができる」と訳したのに対するレスです。
この発言は「倭人伝の戸数道里は簡単な記録ではない。
戸数道里は省いてある」ということが前提になっています。
簡単な記録ではないというのは、貴方たちの特殊な言語理論から導き出された説で、まだ証明されていません。
何を“省いた”のかを議論しているのに、戸数道里は省いてあるということを出発点にしてはいけません。
論点先取りの誤りを犯しています。
自説に惚れこむあまり、論点を客観的に整理できていないということです。
では、議論すべき点をもっとはっきりさせましょう。
「其戸數道里可得略載」この文の原型は「我可得略載其戸數道里」です。
目的語が倒置され主語が省略されて、倭人伝の文になります。
つまり、議論すべき点は、「略載○○」という文型の文で、
省かれるものと書かれるものは何かということです。
>“省いた”からこそ、記載されていないのです〜ッ。
これでは、議論になっていないことは、解っていただけたでしょう。
815 :
814:2007/04/04(水) 16:37:05
つづき
貴方たちの説では、戸数道里が省かれて国名が書かれたというのだから、
「略載○○」という文型で、○○が省かれて、○○とは違う△△が書かれたということになります。
ところが、実際の漢文の用例を見ますと、省かれたのは○○の詳細部分、書かれたのは簡略化された○○です。
先に挙げた後漢書・仲長統伝の例「今簡撮其書有益政者,略載之云.」では、
「之」=「其書」=仲長統の著作が簡略化されて、この後に記載されています。
つまり、「略載其戸數道里」で、省かれるのは戸数道里の詳細情報で、書かれるのは戸数道里の
簡略化された情報です。これは、私の説ではなく事実ですので、ご自分で用例に当たって確認してください。
ただ、例のサイトの検索を使うと「魏略載○○(魏略○○を載す)」のように、
書名の最後が略の文字である場合も多く検出されるので、注意してください。
これを確認すれば、戸数道里が簡略化情報であり、戸数道里の情報が書かれている国が
「自女王國以北」の国であり、結局、對馬國〜投馬國が女王國の北にあることが実証されます。
あとは、貴方が確認するだけです。
これが、実証的な学問の手続きです。
「自の字意はこうで、意味解釈はこうで、だからこういう意味ではければならない」というのは
学問的手続きではありません。
※漢書地理志の記述に比べれば明らかに簡単な記録です。
>>814-815さん
師の真意をはっきりさせるなら 直接ヤフー似てカキコミされればいい事では?師のカキコミをベースに私に問い掛けるのはスジ違いです。
過った解答をここで提示してしまっては、貴殿と師に対し失礼に当たりますのでこの続きは
ヤフーの日本史『カテゴリー』(倭人伝解析)トピック迄お越し下さい。
以上です。
カキコミお待ちしています。
817 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 17:14:22
>>813 ここの何処に基準が(比較すべきもの)が無いというのです?
818 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 17:17:22
>>812さん
>邪馬壹國=女王國
誰が決めたの?意味判りません。
>>817 「身體洪大」「人多敬之」は何を基準に「洪大」「多」と言ってるの?
>>818 「南至邪馬壹國女王之所都」
厳密に言えば邪馬壹國には邪馬壹國限定の王と、それとは別に倭国全体を統合する女王がいたとも考えられないこともないが、
伊都國の王が世々女王国に統属しているとあるから、女王国の国名は邪馬壹國であるとみていいだろう。
>>814さん
私が答えても影響ない所だけお答えしておきます。
>『倭人伝の戸数道里は簡単な記録ではない。戸数道里は省略いてある』
この師の発言は当然かと、私もこう答えるでしょう。
倭人伝に記載された戸数道里は最大限の情報であり、この数値を越える記載は未だに確認されていませんから、当然 簡単な記録ではありません。
違いますか? 平凡な解答ですね
それとも貴殿は、これ以上の情報を倭人伝から発見しましたか?
>>819 さん
>「身體洪大」「人多敬之」は何を基準に「洪大」「多」と言ってるの?
一部抜粋だけで後は私に判断を委ねるのですか?
>厳密に言えば邪馬壹國には邪馬壹國限定の王と、それとは別に倭国全体を統合する女王がいたとも考えられないこともないが、
邪馬壹國限定の王とは何処にかいてありますか?
>伊都國の王が世々女王国に統属しているとあるから、女王国の国名は邪馬壹國であるとみていいだろう。
伊都国の王が世々女王国に統属していると、女王国の国名は邪馬壹國となるのですか? 意味解りません。
>>808さん お待たせしました
『亦』の用例は
>>783さんが提示してくれましたのでそれを参照下さい
> 章、遂「亦」進兵美陽。温、卓與戰、輒不利。
→辺章と韓遂は「何度も」美陽に兵を進めた。張温・董卓と戦うもたちまち不利となった。
> 温時「亦」使卓將兵三萬討先零羌、卓於望垣北為羌胡所圍、糧食乏絶、進退逼急。
→張温は時に「何度も」董卓に兵三万を率いさせ先に零羌を討たそうとしたが、董卓は望垣北で羌族胡族に囲まれるところとなり、糧食が絶え、進退に窮した。
『七八十年』の記載は普通(70〜80年)の訳でいいと私も思いますよ
しかし、ここでは
・・・・・『亦』以男子為王『住』七八十年・・・・と書かれているから(7,8年長くて10年)と読めるのです
用例から『七八十年』の記載を引っ張り出してもそれは無理
この文と他の文とは全く内容も環境も違いますから
『亦』・・『住七八十年』の構成が他にあればいいのですが・・・・・。
>>821 あのさあ、文脈わかってる?
> 典略に曰く、「馬騰、字は寿成、扶風郡茂陵の人、馬援の後なり。身長八尺餘り、身體は洪大にして、面鼻雄異、而して性は賢にして厚、人多くこれを敬う」
典略からの一部引用だけど、文章としてはこれで完結してる。
それともこの文章以外の部分で「洪大」「多」の基準となる文章が記載されているはずであると主張するの?
それならそれで別の文章を探してくるよ。
「女王の都とするところ」が「邪馬壹國」だということには賛成?反対?
>>822 それ、俺が反例としてあげた文章なんだけどw
皮肉のつもりで「」をつけて「何度も」としたんだけどわかっていただけなかったようだね……
825 :
814:2007/04/04(水) 18:11:14
>>820 いま貴方が為すべきことは、師匠に遠慮することでもなく、私に反論することでもなく、
具体的に「略載」の用例に当たることです。
文献を調べるというごくニュートラルな作業です。
そこで実際にどう使用されているのかをあなた自身の目と頭と心で確認し、納得することです。
自ずと答えは出ます。自分に嘘はつけませんから。
繰り返しますが、貴方に反論してもらうことを望んでいるのではありません。
実際に文献に当たって判断してください。
その上で、やはり師が正しいと思うのでしたら、それも良いでしょう。
>>824 皮肉で投稿したことぐらい判っているけど 関係ない 用例だけ使わせてもらいました。
>>826 > 関係ない 用例だけ使わせてもらいました。
はあ?何のために?
関係のある用例を挙げてください。
828 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 18:22:23
>>823 そんな手間かける事はないよ
そんな用例有ること自体摩訶不思議な世界なんだから
比較には比較すべき対象物が有るから比較の概念が生まれる
『これは道理だよ』
★富士はとても高い山だ
改めて基準を示す記載はないけど ちゃんと比較してるんだよ
>>828 亦が住七八十年にかかるなら、亦住七八十年だな。
830 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 18:42:59
>>828 >改めて基準を示す記載はないけど ちゃんと比較してるんだよ
そのとおり。
どこかに必ず細かに記載した本文を提示して、基準を示して、
簡略化するために何を省くかを明確にしなくても、
ちゃんと比較して、これは簡略な情報だと判断できるんだよ。
何と比較しているのか。現実と比較しているんだよ。
どこかの、細かに記載した本文と比較しているんじゃない。
何かの物体の略図を描くとき、詳細な図があって、それから略図を描くのでない。
物体から直接、略図を描く。略って何だ。現実の物体の緻密さに比べて略なんだ。
地図も同じ。詳細な地図が無くても、略図は描ける。現実の町並みに比べて略なんだ。
画像情報だけではなく、文字情報も同じ。
漢書地理志では、戸数・人口も一の位まで書いてある。
泗水國、戸二萬五千二十五、口十一萬九千一百一十四、
とかね。
>>825さん
>自分に嘘はつけませをから
????
何か嫌な過去でも有りましたか?
学問上で、他人や自分に嘘をついて何か利がありますか? 私はこれで生活している訳でも 著書を出版しているわけでもありません。 間違った主張は誰にも有ることですが それは『嘘』とは違いますね
でも、どうしてそのような発想が出てくるか理解できません。
832 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 19:04:09
833 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/04(水) 19:07:13
>>827 失礼
『関係ない』は皮肉に対してです。
皮肉は 日常茶飯事の事
いちいち気にしていたら体がもたない
>>829 さっきから何が言いたいの?
違うだろう
『其國本亦男子爲王住七八十年…』って書いてあるだろう。
・對馬國。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居?島、方可四百餘里、土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活、乖船南北市糴。
・一大國、官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里、多竹木叢林、有三千許家、差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。
・末盧國、有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。
・伊都國、官曰爾支、副曰泄謨觚﹑柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。
・奴國百里、官曰兕馬觚、副曰卑奴母離、有二萬餘戸。
・不彌國百里、官曰多模、副曰卑奴母離、有千餘家。
・投馬國、水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。
これらが女王国の行路上北にある国々で、国名以降が略載された内容。
>>833 じゃあ「関係ない」の後に句点くらい打ってよ……
> 章、遂「亦」進兵美陽。温、卓與戰、輒不利。
これはその前段に
> 伯玉等乃劫致金城人邊章、韓遂、使專任軍政、共殺金城太守陳懿、攻燒州郡。
というのがあるの。
それを受けて今度は美陽に兵を進めたと繋がってるの。
「繰り返し」じゃなくて「再度」。
> 温時「亦」使卓將兵三萬討先零羌、卓於望垣北為羌胡所圍、糧食乏絶、進退逼急。
こっちはその前に周慎という将軍を賊の篭る城に派遣してるの。
そっちが攻めあぐねているから董卓を別方面に派遣したわけ。
「繰り返し」じゃなくて「並列」。
適当でない用例を挙げられても困るよ。
>>835 >これらが女王国の行路上北にある国々で、国名以降が略載された内容。
確かに 對馬國と一大國は女王國の緯度的に北に位置します
838 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 20:00:41
>>831 >でも、どうしてそのような発想が出てくるか理解できません。
貴方が、略載の用例に真剣に当たらなければ、理解できないでしょう。
だから用例を調べることをお進めしているのです。
>>836さん
>「繰り返し」じゃなくて「再度」。
『繰り返す』は日本語 『再度』は漢語 比較しちゃうの?
>>838さん
違いますよ
『自分に嘘をつく』などという発想ですよ
>>839 何か問題でも?
早く用例を挙げてくださいよ。
>>815さん
>省かれるのは戸数道里の詳細情報で、書かれるのは戸数道里の
簡略化された情報です。これは、私の説ではなく事実ですので、ご自分で用例に当たって確認してください。
詳細情報など何処にもないのに省く事など出来ないでしょう
書かれていることが詳細な情報なのです それ以上の情報など存在しません。
>>841 さっき提示したじゃない
それとも
其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年
これはもっともふさわしい用例です。
844 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 20:46:45
>>842 >詳細情報など何処にもないのに省く事など出来ないでしょう
>書かれていることが詳細な情報なのです それ以上の情報など存在しません。
そういう理屈を言う前に、実際の用例に一つでも多く当たることです。
私が、
>>814を書き込んでから、いくつの用例をご覧になりましたか。
>『自分に嘘をつく』などという発想ですよ
この発想も、ちゃんと用例を沢山あたれば、そのうちに理解できるようになります。
>>844 >そういう理屈を言う前に、実際の用例に一つでも多く当たることです。
屁理屈じゃなく『事実』です
貴方が詳細な記録を提示するだけで片付く問題です。
用例を当たるより早い方法です。 用例を当たる作業は進行中
しかし用例はあくまで用例であり、同じ顔を拝む事が出来ないのが難点です。
では、
詳細情報を記載ください。
>>843 あなたが提示したのはそうでない例なんだけど……
>>841 今日はサービスだよ
・・・『亦』南北市糴・・・・ これは對馬國の乗船南北市糴に対する亦南北市糴
かな
>>847 だからそれはそのセンテンスの中だけで何度も繰り返し行われている事を表わしているわけじゃないだろうに。
849 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 21:08:21
私は、詳細な記録はなく、具体的事実に比して簡略化した情報が掲載されたと言っているのですよ。
その私に詳細情報を提示するように要求するとは混乱しておられますね。
まあ、数人の人から、いっせいにレスを貰っていたから仕方ないかもしれません。
問題は3世紀に詳細情報が有ったとか無かったとかそんなことではありません。
>>814,815をじっくり読み返してください。そして、落ち着いて、ゆっくり考えてください。
「略載○○」という文型で、○○が省かれて、○○とは違う△△が書かれる例がどれだけあるか。
省かれたのは○○の詳細部分、書かれたのは簡略化された○○である例と比べて用例の数はどうか。
実際の漢文の用例で、そこを確認してください。
もし、倭人伝以外の漢文を読むのは苦手だと仰るのなら、
今日は無理だけど、少しずつお手伝いしても良いですよ。
>>849さん これはとんだ誤解をしたようで大変失礼な事致しました
お詫びいたします。
>>848 >だからそれはそのセンテンスの中だけで何度も繰り返し行われている事を表わしているわけじゃないだろうに。
だれがセンテンスの中でと、縛りを設けたのですか?
>>849さん
ここではゆっくり貴方から漢文を教えていただく事もかなわぬ環境です。
出来ればyahooの方へ移動願えませんでしょうか?(無理難題を承知で申しています)
もし、虫さんの横ヤリが邪魔であるのなら 私のほうから虫さんに『横』を入れないでくれと頼みます
(必ずOK)が出ると思いますので
如何でしょうか? 無理な場合はあきらめ ここでお教え戴きます。
>>851 > だれがセンテンスの中でと、縛りを設けたのですか?
あなたです。
>>853さん
>あなたです
それはレスNO 何番でしょうか? 誤解は早くとかねばなりません
私は『センテンス』というカタカナをタイプした覚えがありません(851以外)
今日は疲れたのでそろそろ店じまい
>>854 例えば
>>640。
いい加減に「亦」という字を使って「何度も同じことが繰り返された」と解釈される文章の用例を挙げてください。
>>728の「蝗蟲起、百姓大餓、布糧食亦盡、各引去」の「亦」は「曹軍と同様に」という意で使われています。
間違っても「呂布の軍は何度も糧食が尽き、その度に引き下がった」という解釈は成り立ちません。
>>781の「明年、劉備稱帝于蜀、孫權亦自王於呉、於是天下遂三分矣」の「亦」は「劉備と同様に」という意で使われています。
間違っても「孫権が、何度も呉において王を自称し、その度に天下三分となった」という解釈は成り立ちません。
仮にあなたの言うとおり
> 「又」=一度だけ繰り返す
> 「亦」=繰り返される物事
> 「復」=物事を重ねる
が正しいとしましょう。
しかしその場合でも「又」「亦」「復」はその中の一回であることを示すに過ぎません。
あることが起こった。あることが「亦」起こった。あることが「亦」起こった。
起こったことは三回ですが、そのセンテンス中ではそれぞれ一回しか起こっていません。
「あることが「亦」起こった」という文章だけでは「(過去に起こった事が)また起こった」と解するしかなく、
「あることが何度も起こった」と解せません。
あるならその例を挙げてくださいと言っているのです。
ついでに「七、八十年」を「七年八年あるいは十年」と解する例もね。
857 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 23:07:53
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
858 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 23:18:09
>>852 >ここではゆっくり貴方から漢文を教えていただく事もかなわぬ環境です。
教えるなんてのは口幅ったいですが、環境面はそのとおりですね。
ヤフー掲示板自体、昨日初めて行ったんです。
どんなものか覗いただけで、今後とも行く気はないです。
せっかくのお誘いなのにすみません。保守的な人間なのはレスからもわかるでしょw
もし専用スレ2が立ったら、時々用例貼っておきます。飽きたら、すぐやめますが。
もともと、814は議論目的ではなく、確認してもらうことが目的だったので、レスは見たよだけで良いです。
賛成・反対を言わなければ、環境とは無縁に淡々と行けるでしょう。
勿論、突っ込みたいところがあれば、書いていただいてかまいません。
>>856 同じような質問繰り返さないで下さい お願いします
魏志倭人伝て何ページ、短そうなイメージあんねんけど?
>>856さん
貴方は『繰り返される物事』を(何度も)と解釈されていますが
それは誤解です
一度と限定する事の出来ないものに『亦』を使用します
>>858さん
了解しました またよろしくお願いします。
>>861 「亦」という字は「同様に」という意味でも使われます。
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』でもそのように使われています。
いい加減そのことはわかってください。
864 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/05(木) 09:50:29
>>863 おはよ
>亦という字は「同様に」という意味でも使われます。
それは判っています。
★生我所欲也義“亦”我所欲也
(命は私の望むものであり、義も“また”私の望むものである)
これでいいかな?
しかしこれは、日本語の「また」であって、日本語の「また」とは何か? が全然解決していない。
その辺の説明ヨロシクね
日本語は「また」
でも、漢語は「亦、又、復……」なんだよ キチント区別されてる
意味は、根本的な意があるから文の構成によって様々な意味へと解釈使用されます。だから 辞書には沢山の意味が掲載されているのです。
しかしその多数の意味も、元を辿れば 一つの意 私はそれを言っているのです。
>プラム氏
>>138 「自古及今、未有不亡之國、亦無不掘之墓也」(三国志文帝紀)
「古より今に及び、いまだ不亡之國有らず、亦不掘之墓無きなり」
Aと同じようにB。
>>61 「官亦曰卑狗副曰卑奴母離」「猶不足食亦南北市糴」は一大國も、その前に記した對馬國と同様にという意味。
両文とも「あることが起こった。亦あることが起こった。亦あることが起こった」
という使われ方ではない。
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」も同じです。
その国の基は、(今は女王だが、我が朝や他の国々と同様に)男を王としていた。〜。
ということ。
あなたの講釈は意味が無いのです。
仮に「其國本亦以男子爲王」だけだったらどう解釈しますか?
あなたの主張の肝は「住七八十年」を「在位すること七年八年あるいは十年」と奇妙な解釈することだと思われます。
これと呼応して云々と珍妙な事をおっしゃられるようですが、「住七八十年」を「在位すること七年八年あるいは十年」と解釈すべき例を他に挙げてみてください。
>>866さん
「七八十年」を(七、八年長くて十年)と解釈しているのではなく
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』の(住七八十年)を
(在位………)と、言っているのです。
だから、同じ用例があるか無いか等はこちらが聞きたいくらいですよ!
ソロソロこのようなレスが私から返ってくることは予想出来ると思いますよ?
868 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/05(木) 12:38:11
>>866さん
全ての『亦』=(Aと同じようにB)
と、いう意味ですか?
違う筈です。
【自古及今、未有不亡之國“亦”無不堀之墓地】
に使用している『亦』の解釈が(Aと同じようにB)ではないでしょうか?
私が言っている(繰り返される物事)は サラ状態の『亦』(日本語/また)の“意”です。
用例なんて何処にありますか?
>>867 「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」
1.國本:国の基。
2.國本以男子爲王:國本=男子を以って王と為すこと。
3.亦:(今は女子を以って王と為しているが)我が朝と同じように。
4.住七八十年:男子を以って王と為している状態が続いた時間。
5.倭國亂相攻伐歴年:倭国は乱れ国々は互いに攻伐するようになった。その期間は歴年。
あなたの変な解釈が入り込む余地は有りません。
この解釈のどこが間違っているか具体的に述べてください。
> 全ての『亦』=(Aと同じようにB)
> と、いう意味ですか?
そんな珍妙なことは言っていません。
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」での使われ方がそうだと言っているのです。
上で示したようにね。
> 私が言っている(繰り返される物事)は サラ状態の『亦』(日本語/また)の“意”です。
> 用例なんて何処にありますか?
複数の用途で用いられ、時に通用される以上、
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」
を解釈する上で少なくとも意味のない行為です。
>>869 >あなたの変な解釈が入り込む余地は有りません。
『入り込む余地なし』と、判断しているなら、私のコメント或は反論の必要はないでしょう。
以上です。
お疲れ様でした。
>>870 それではあなたの珍妙な解釈は撤回してくれるんですね。
以後、持ち出したり主張したりしないでくださいね。
追記。
行程記事などでの使われ方に関してまでは検証し切れませんので、そちらの方はご自由にどうぞ。
>>871 それはこちらが決める事で有って、貴方の判断に左右されるべき問題ではありません。
私は自由に発言します。
>>872さん
貴方が私の発言に対し制約を設定出来る権限とはなんでしょうか?
『入り込む余地なし』と
自ら堅く門を閉ざしてしまい 敷地の中から
外の人に対し規制を作るという行為が判りません。
大丈夫心配しないで下さい。これだけ堅く門を閉ざされては 入りたくとも
貴方の敷地に入り込む事は出来ませんから
私は閉ざされた門を壊してまでも入り込む、泥棒ではありません。
875 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 14:11:20
>>874 全体に関わるような重要な部分をスルーすれば
議論が成立しないだろうが。
>>874 あなたのお説が成り立つ余地が無いという主張に対して、反論を放棄しておいて自分の主張だけを続けるつもりなのですか?
反論を求めず、一方的に自分の意見だけを主張したいのならここには来ないほうがいいですよ。
>>876さん
●>お説が成り立つ余地がない
●>貴方の入り込む余地なし
かなり受け取るイメージが違いますね
たぶん
>お説の成り立つ余地なし
のレスなら
私は反論レスを入れました。しかし、
貴方のレスは
『入り込む余地なし』
誰が好き好んで 反レス入れますか! 『入り込む余地無し』と拒まれているんですよ
>>877 私はあなたの解釈が入り込む余地が無いと主張しました。
入り込む余地が無い=あなたの解釈が間違っているという主張と思ってください。
そういうことでいいんですね。
>>877 言葉尻をとらえて、レスするのしないのは虚しいよ。何が言いたいかは、わかってるじゃない。
もう878なんだから、そんなレスの浪費はやめて、内容のある議論をしてくれ。
>>879さん
言われた当人にしか判らない内容濃レスだよ
881 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 15:39:50
>>880 >>869は、プラム氏が好きな断言調で言ってくれただけだろう。
自分がやられると拗ねるのか。
883 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 15:47:49
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
>>885 そうですよ。
あなたの意見を聞く余地が無いと言ってるのではなく、あなたの解釈が入り込む余地が無いと言っているのです。
あなたの解釈が入り込む余地が有るというのなら、
>>869の1から5を否定した上でお願いします。
>>640 > 『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』
>
> だいたい
> この文脈から(住七八十年)を(70〜80年)とは読めないよ
> (70〜80)の在任期間を繰り返すなんてありえんし合理的解釈ではない
そもそも
> (70〜80)の在任期間を繰り返すなんてありえん
そんなこと書いてありませんから。
「七八十年」は「男子が王である状態」の期間ですから。
「在位期間を繰り返す」の「繰り返す」はどこから出てるのですか?
>>887さん
>『繰り返す』はどこからでてくるの?
『繰り返される物事』で、一度と限定されないモノ
(また/亦)からです。
>>886さん
もう何度か繰り返された議論ですが?
その結果が『入り込む余地なし』ではないのですか?
根本的な考えかたが違うと思いますが、それでも構わないなら返レスします。
>>888 また同じ事を言っているのですか?
> 『繰り返される物事』で、一度と限定されないモノ
これは
「あることが起こった。あることがまた、起こった。あることがまた、起こった」
こういう事象を記述する時に「また」を「又」とするか「亦」とするかの違いでしかありません。
この件に関してあなたの主張が正しいかどうかは保留させていただきます。
ただし、その際でも「亦」が示すのは「複数の、その内の一」しかありません。
そもそも、
「其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年」
での「亦」はそういう文脈の中では使われていません。
今一度、超訳や意訳ではなく一語一語に沿って訳してみてください。
>>890 >超訳
意味が判りません
>また同じ事を言っているのですか?
聞かれたから答えているだけです。聞かれなければ答えません。
>>890さんは、かなり誤解されているようです
>「また」を「又」とするか「亦」とするかの違いでしかありません
違います
『又』や『亦』の文字を(また)と表記したのは日本人であり
(また)の日本語に対して『亦や又』の文字が成立したわけではありません。
>>893 自己和訳したものでイイのかな?
それとも漢字一文字一字を意味解釈したやつ?
其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年
(其)=邪馬台国三十国体制
(国本)=成立当初
(亦以男子為王)=繰り返し男子が王を為し
(住七八十年)=在位しても七、八年長くて十年
(倭国乱)=倭国は乱れ
(相攻伐歴年)=身内争いは歴年続き
これでいいですか?
>>896 はい、良いです。お疲れ様でした。
「男子が王を為し」というのは、ミスですか?
>>897 別に拘り持つようなミスではないでしょう
ここは女王共立の異様さを強調する意味での(男子限定)語句ですから
>>898 いやね、「男子が王を為し」は、日本語として意味が通らんでしょ。
今後、皆が、この訳をもとに色々批判するだろうから、
どういう意味か誤解を生じないようにはっきりしとかないと。
>>896 > (其)=邪馬台国三十国体制
「其」は「倭国」です。
> (国本)=成立当初
「國本」は「国の基」です。建国ではありません。また当初などの時期を表わす語はありません。
※「其國本」で「倭国の国の基」です。
> (亦以男子為王)=繰り返し男子が王を為し
「亦」は「其國本以男子為王」が「亦」なのです。
「繰り返し」はどこから来たのですか?
「亦」が示すのは「複数のうちの一」でしかありません。
「『亦』の字以降のことが何度も繰り返された」とは解せません。
あるなら例文を示してください。
> (住七八十年)=在位しても七、八年長くて十年
「七八十年」を「七、八年あるいは十年」と解する例文を挙げてください。
また文脈上、「住」は「以男子為王」ことです。
以下は特に異論はありません。
901 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:36:07
亦が繰り返す物事だとして、(何に対して)、(何が)繰り返すのか。それを検討してみましょう。
例文は、このスレに貼られたものを使いました。
蝗蟲起,百姓大餓,布糧食“亦”盡,各引去.
(何に対して)百姓大餓 (何が)呂布の糧食が尽きる
魏略曰、昔箕子之後朝鮮侯、見周衰、燕自尊為王、欲東略地、朝鮮侯“亦”自稱為王、欲興兵逆撃燕以尊周室。
(何に対して)燕が自尊して王と為る (何が)朝鮮侯が自称して王となる
明年、劉備稱帝于蜀、孫權“亦”自王於呉、於是天下遂三分矣。
(何に対して)劉備が帝を称す (何が)孫権が自分で王となる
拜卓破虜將軍,與盪寇將軍周慎並統於温.并諸郡兵歩騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵.章、遂“亦”進兵美陽.温、卓與戰、輒不利。
(何に対して)董卓と周慎が美陽に駐屯したこと (何が)邊章と韓遂が美陽に兵を進めたこと
章、遂敗走楡中,温乃遣周慎將三萬人追討之.〜中略〜 温時“亦”使卓將兵三萬討先零羌、卓於望垣北為羌胡所圍、糧食乏絶、進退逼急。
(何に対して)張温が周慎に兵三万人を率いさせたこと (何が)張温が董卓に兵三万人を率いさせたこと
至一大國、〜中略〜 差有田地、耕田猶不足食、“亦”南北市糴。
(何に対して)對馬國で南北市糴すること (何が)一大國で南北市糴すること
生我所欲也義“亦”我所欲也
(何に対して)私が生を求めること (何が)私が義を求めること
『其國本“亦”以男子為王住七八十年・・・・・』
(何に対して)以男子為王住七八十年 (何が)以男子為王住七八十年
つづき
最後以外、全ての例で、(何に対して)の部分は、「亦」より前に書かれた事柄でした。
そして、(何が)は「亦」より後に書かれた事柄でした。
物によっては、(何に対して)が、幾つも前の文の内容を指すこともありました。
しかし、(何に対して)亦(何が)のかたちで、常に両者は「亦」を挟んでいます。
一方で、『其國本亦以男子為王住七八十年・・・・・』をプラムさんの言うように
男王による短期の統治が繰り返されたと解釈すると、
(何に対して)=以男子為王=(何が) となります。
他の例と異なり、「亦」より後の記述それ自体が繰り返されることになります。
>>856さんが、センテンスの中で繰り返すと指摘しているのは、このことだと思います。
「亦」より前の記述とは無関係に、「亦」より後の記述自体が繰り返される。
そういう「亦」の使用方法が、他に見出されるでしょうか。
明らかに、漢文の語法を無視した解釈です。
中国人である陳寿が、漢文の語法を無視した文を書くと思いますか?
例えて言えば、日本人である貴方や私が、文法的に変な日本語を書くのと同じことです。しかも正史で。
これに対して、「其の國も本は、(中国と同じように)亦た男子を以て王と為し」というふうに解釈すれば、
其國の前に、「中国は男子を以て王と為す」ことが省略(常識ですから)された形ですから、
(何に対して)=「中国は男子を以て王と為す」 (何が)=「倭国が男子を以て王と為す」
となり、語法的に何の矛盾もありません。
さて、語法に従って矛盾なく読めるのに、なぜ敢えて語法を無視しなければならないのでしょうか。
先に、こう読みたいというイメージがあり、それに合わせるために語法を曲げたのではないですか。
※私と
>>900さんとは、國本の解釈が違いますね。他は同じです。
>>901 > 拜卓破虜將軍,與盪寇將軍周慎並統於温.并諸郡兵歩騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵.章、遂“亦”進兵美陽.温、卓與戰、輒不利。
> (何に対して)董卓と周慎が美陽に駐屯したこと (何が)邊章と韓遂が美陽に兵を進めたこと
ここでの「亦」はこれより前の「明年春、將數萬騎入寇三輔、侵逼園陵、托誅宦官為名」に対してですね。
904 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:45:38
(何に対して)亦(何が)のかたちで、常に両者は「亦」を挟んでいるという部分について
誤解の無いように説明しておきます。
「百姓大餓,布糧食“亦”盡」の例でもわかるように、
布糧食という主語の部分は“亦”の前にありますが、
“盡”という動詞は“亦”の後にあります。
他の例も、同じく、自稱為王、自王於呉、進兵美陽などは“亦”の後にあります。
「常に両者は「亦」を挟んでいる」とは、そういう意味です。
>>900 >「其」は「倭国」です。
意味が解りません ご説明願えませんか?
>「國本」は「国の基」です。建国ではありません。また当初などの時期を表わす語はありません。
国の基なら『国基』でいいのでは?
建国としたのはあくまで解釈上です。正確には邪馬台国三十国体制が整った時点からです。
時期を示す語句などは必要ありません(亦以男子爲王住七八十年)これだけ材料があれば十分です
>「繰り返し」はどこから来たのですか?
(また)からきました
>「亦」が示すのは「複数のうちの一」でしかありません。
複数と一は別物と考えています
>「『亦』の字以降のことが何度も繰り返された」とは解せません。
あるなら例文を示してください。
「亦」一文字で(繰り返される物事)の意が存在しますので 用例などありません
しいてあげるとすれば
其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年
この文章でしょうか? 文字の意味解釈は文の構成によって変化しますから
それに、「亦」一文字には意味はありません あるのは「意」です。
「意」に味付けするから「意味」になるのです。
ここに存在する「亦」はサラの(味付けされてない)「亦」 前後の文字構成によって様々な「意味」に変化します(一定の範囲内で)
906 :
901:2007/04/05(木) 20:02:40
>>903 多分、そうではないと思います。
司空・車騎将軍の張温と部下の董卓たちが駐屯している美陽に、邊章と韓遂もまた兵を進めてきた。
だから、そこで戦闘になって張温・董卓側が不利だったけれど、流星のせいで邊章・韓遂側の兵が浮き足立って
張温・董卓側が勝ったということです。美陽という土地へ兵を進めることが繰り返されたという意味で“亦”なのでしょう。
自武帝滅朝鮮から約250年間邪馬台国(三十国体制)は、めまぐるしくリーダー(男子王)を替えながら
体制を維持した。しかし、漢霊光和中倭國が乱れ主不在に、それをきっかけに体制が不安定状態となり
リーダーの座をめぐり身内争いが続いた
これが私のベースです。
>>904 そういう意味ですか。
だとしても「章、遂“亦”進兵美陽」
(何に対して)辺章・韓遂 (何が)美陽に兵を進めたこと
だと思いますよ。
>>905 > >「其」は「倭国」です。
>
> 意味が解りません ご説明願えませんか?
「其」は代名詞です。ここでは倭国の説明をしてるわけですから「其」が指し示すのは「倭国」です。
> >「國本」は「国の基」です。建国ではありません。また当初などの時期を表わす語はありません。
>
> 国の基なら『国基』でいいのでは?
?
「國本」で「国の基」です。それを否定しても始まりません。
> 建国としたのはあくまで解釈上です。正確には邪馬台国三十国体制が整った時点からです。
時点を示す字はありません。
「國本」が「以男子為王」なのです。
国の基がそうなのですから、「建国時もそうであったろう」という解釈は極めて自然です。
ですが、それは文から当然推測できることでありますが、文が述べていることではありません。
「彼は日本人です」という文章に対して「日本人」の意味は「人間である」と主張してるようなものです。
> >「繰り返し」はどこから来たのですか?
>
> (また)からきました
きません。
「亦」が指し示すことは「このことは複数のうちの一である」でしかありません。
「亦〜〜」という文章で「〜〜が繰り返し行われた」という意になる例文を挙げてください。
くれぐれも自家撞着なきようお願いします。
912 :
901:2007/04/05(木) 20:28:48
>>907 横レス失礼します。
魏志倭人伝を読む限り、魏の時点で使譯の通じる国が三十国であることしかわかりません。それ以前のことはわかりません。
あなたは、後漢書東夷伝の「使驛通於漢者三十許國」を「三十の許された国」と特殊な解釈をされるので、
(其)=邪馬台国三十国体制なのでしょう。
しかし、「普通」は「三十ばかりの国」という意味です。だから、漢の時点で三十国体制ではないのです。
そこが、既にかみ合っていません。
おそらく、「三十の許されし国」と読みたいということと、
倭人伝の方で「三十国従う」と読みたいということが、つながっているんでしょうね。
小さな小さな可能性を拾って、間違った方に間違った方にと取っていくのは、ある意味見事です。
最初に907に書かれたイメージをもって原文に接するので、それに合わせるために亦の語法も曲げることになるのです。
望文生義の典型例です。そういう先入観をもって文章を読んではいけません。
913 :
ド素人:2007/04/05(木) 21:17:21
実はこの亦って、狗奴国の男王のことじゃないの・・・?
>>312 >最初に907に書かれたイメージをもって原文に接するので、それに合わせるために亦の語法も曲げることになるのです。
望文生義の典型例です。そういう先入観をもって文章を読んではいけません
残念でした。逆なんだけど
詰まり、間違った考えを持ったのは貴方なんですよ
>「三十ばかりの国」
「ばかり」を国語の辞書にてしらべましたか?何故「許」が(ばかり)と和語で訓じられたか説明できますか?
>>910さん
こんな中途半端なところから始まっても意味ないですよ
既に「倭國」の設定から違っていますから いくら議論しても噛み合いませんよ
ここでの倭國とは列島全体を意味していて
(倭國乱)とは列島内にある二大勢力の争いです。
917 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/05(木) 22:39:29
918 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/05(木) 23:18:21
>>911 >> >「繰り返し」はどこから来たのですか?
>
> (また)からきました
きません。
「亦」が指し示すことは「このことは複数のうちの一である」でしかありません。
「亦〜〜」という文章で「〜〜が繰り返し行われた」という意になる例文を挙げてください。
くれぐれも自家撞着なきようお願いします。
私は来たと言ってます。
何度も申している通り、「亦」は単独文字にての意が(繰り返される物事なのです)
決して「意味」ではありません
「意味」は前後の文の構成によって変化し、「亦」の文字が使用されている全ての文が用例です
>くれぐれも自家撞着なきようお願いします。
別に矛盾などしていません。貴方とは根本的に考え方が違うからそう写るだけです
>>912 >おそらく、「三十の許されし国」と読みたいということと、
倭人伝の方で「三十国従う」と読みたいということが、つながっているんでしょうね。
小さな小さな可能性を拾って、間違った方に間違った方にと取っていくのは、ある意味見事です。
最初に907に書かれたイメージをもって原文に接するので、それに合わせるために亦の語法も曲げることになるのです。
望文生義の典型例です。そういう先入観をもって文章を読んではいけません。
このようなレスが続くのであるならば、私もそれに合わせたレスを入れるか、返レスを差し控えます
919 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 07:50:03
>>912 「三十許國」=三十ジャストの国
「許」=ゆる‐す
>>915 ありえない解釈をしてその根拠に自分が想定した設定を持ってくる。
そういうのを自家撞着というんですよ。
>>919 「三十許國=三十の許された国→三十ジャストの国」
例によって例文をお願い。
>>921さん
そのへんの漢和辞典(+国語辞典)で充分調べること可能ですから
>>920 >ありえない
貴方がそう考えるのは自由です。
貴方の思考範囲だけが世の中では有りませんので
924 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 10:05:22
>>921さん
許=ばかり とする理由を説明して下さい。
★「三十許國」=
(三十チョウドの国、三十と限定された国)が漢王朝との正式国交が許された
「自武帝滅朝鮮」
「自」=邪馬台国(三十国体制)
「武帝滅朝鮮」=BC108年
『自』=基
支配される中心的なモノ
>>923 >>896 > 其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年
>
> (国本)=成立当初
> (亦以男子為王)=繰り返し男子が王を為し
> (住七八十年)=在位しても七、八年長くて十年
これらが逐語訳として成り立っていません。
「国本(国の根本)」を「建国当初」と訳し、「亦」を「亦」以下のことが「繰り返し」起こりと訳す。
このような独自の解釈をしながら、その根拠に自分が想定したと主張する倭国像を持ってくる。
これは自家撞着に他なりません。
「国本」を「建国当初、建国当初より」、「亦〜〜」を「繰り返し〜〜」と解釈する例を挙げてください。
私の手持ちの漢和辞典だと
「許」
1)ユルす。2)ユルし。3)あてにする。4)バカり。5)モト。6)進める。
7)「如許」で「かくのごとし」。8)「許許邪邪」で「大勢が一緒に力を出す時の掛け声」
とありましたが、「ちょうど」という意味はありませんでした。
もっとも、あなたは「許」を「許可を得た」ととったので「バカリ」を否定するためにあえて「ちょうど」という語句を付け足したのだと思いますが。
それはそれとして「三十許国」を「三十の許された国」と訳すのは文法的に語順がおかしい気がします。
これはあくまで感じですので頭からは否定はしませんが、せめて他に例を挙げていただきませんか?
927 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 14:48:15
>>926さん
所で。この書を現代、使用している文法通に読みなさいと誰が指示だしてるの?(文科省)?
>用例?
これは用例が無いと読めないの? この書を読んだ人はみ〜んな用例探しながら読んだわけ?
文法よりも漢字一字一字の根本的「意」をマスターした方がよいと思うけど。
聞きますが?
何故昔の人は「至」の漢語に(いた)る の和語を当用したの?
「許」には(ゆる)す
「亦」には(また)
>>927 つまりそのような用例は挙げられないんですね。
> 文法よりも漢字一字一字の根本的「意」をマスターした方がよいと思うけど。
それすらを無視しているあなたが何を言っているのでしょう?
「國本」に「建国当初より」などという意はありません。
「亦」に「『亦』以下のことが繰り返し行われた」などという用法はありません。
「許」
和語(ゆる‐す)の例文
●ここに車を止める事を“ゆるす”
漢語「許」の例文
●「許」の文字を使用している全ての漢語文
馬鹿にされてるような書き込みですが、書いてる本人は至って真面目にレスしています。
930 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 15:15:13
>>928 >建国当初という意ではありません。
当然だよ
「建国当初から」は「國本」の意と文から発生した意味解釈だから
931 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 15:25:49
>「亦」に「『亦』以下の事が繰り返し行われた」などという用法はありません。
当然ですよ
私が何度も説明しているのに 繰り返し検索されたのですか? ご苦労様です。
以下が繰り返す訳ではなく、『亦』自体に“繰り返される物事”の意があるのです。 その意がまわりの環境に左右され、『政権交代』と言う意味解釈が出来るのです。
何度も説明してますよ!
>>929 文法を全く無視して挙げられても困ります。
語が文章のどの位置にあるかによって用法が変わってきます。
「使驛通於漢者三十許國」
この文章では「使役、漢に通ず」が主部になります。
「者」がそれ以前の語句がこの文章の主格である事を表わしているからです。
「漢に使役を通じているもの」は「三十許國」である。
この文章の解釈としてはこうなります。
そして、ここで「許」を「許す」の意ととると「許す」主体は「三十」になります。
つまり「漢に使役を通じているもの」は「三十が国を許す」ということになり、文意が通じなくなります。
「三十の許された国」と解釈するのは語順から言ってムリです。
無論、私は総ての漢文に熟知してるわけではないですから、私が間違っているのかもしれません。
ですからこのような語順(A+B+C)でそのように解釈をするもの(A+Bした+C)を挙げてくださいといっているのです。
>>930 逐語訳として間違っており、その意味解釈の前提もあなたが想定した倭国像もしくは倭人伝像がである以上、正しさの証明にはなりません。
>>931も同様です。
あなたの説明が間違っている事を何度も指摘しています。
あなたの説明が正しいと主張なされるなら、他に用例を挙げてください。
>>931 > 以下が繰り返す訳ではなく、『亦』自体に“繰り返される物事”の意があるのです。
「亦」自体は「いくつもある(数は不定)ことの一」であることを示すだけです。
その解釈自体が間違っています。
>>932さん
私だって貴方の言ってる事は解りますよ(私も現代教育を学んできていますから) しかし、貴方も気付いている筈
現在理解されてる文法が通用しない世界が有ることを
『三十国』を許したのは『漢朝』ですよ 漢朝が許可しないかぎり国交できません
しかし、『三十』の数詞は国内問題 三十が成立する為の要因は 帝国の意図ではありません。
936 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 16:26:40
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
>>917 「魏志倭人伝」等を読む(New 1)のアドレスあってる?
2chにあまりくわしくないんだけど、そのアドレスに飛べない。
938 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 18:25:49
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
941 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 20:22:59
>>931 『亦』の“繰り返される物事”から『政権交代』と言う意味解釈が出てくる過程を論理的に説明してください。
意→意味解釈という言葉は何度も見ましたが、その過程の具体的な再現は見た記憶がありません。
942 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 22:36:35
>>941 >『亦』の“繰り返される物事”から『政権交代』と言う意味解釈が出てくる過程を論理的に説明してください。
本文『以男子為王住七八十年』の内容から(めまぐるしく短期でリーダーが交代された様子がわかり、)
ここから(繰り返す物事/亦)が政権交代であると解釈できるのです。
政権交代というものは、一度だけと回数を限定する事が出来ない為『亦』の文字が当用されるのです。
>意→意味解釈という言葉は何度も見ましたが、その過程の具体的な再現は見た記憶がありません。
過程を知る事よりもまずは(漢字の意)を知るべきでしょう。
数多くの用例やそこから導き出された意味を知っていても、肝心の『意』が解らなければ
多様に変化する意味を正確に捉える事が出来ません。
943 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 22:49:24
『許』という文字もそうです
『許』の文字も当用された文の構成によって(ゆるす)と訳されたり(ばかり)と訳されたり
多様に変化します。しかし『許』の文字の本質である『意』はどんな状況下にあっても
『許』=範囲の限定(限定される範囲) という『意』は変化しません
本質に(『許』=範囲の限定)という『意』が存在するから 時には(ゆるーす)、時には(ばかり)、などという和語に置き換えることが出来るのです
プさん!きてたーーー!
おつ
945 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 23:27:30
そして 漢和辞典で『許』の意味が(ゆるーす)や(ばかり)と解ったなら
一度じっくり 国語辞書でも開き(ゆるーす)や(ばかり)の和語を調べてみてください。
(ゆるーす)の対には必ず(ゆるさない)が存在し、この二つがそろって初めて一つの物事が成立します
その物事の中の一部(範囲)に(ゆるーす)という部分がそんざいし、その範囲を限定するのです。それが『許』
これが大まかに『意』を探し出す一つの方法かと
一度騙されたと思って、様々な漢字で試されては如何でしょうか?
相手の考えを否定する事は何時でも出来ます。否定したところで、新しい発見が望めるわけでもないし、先に進めるわけでもない。
946 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 23:32:00
>>942 本文『以男子為王住七八十年』を(めまぐるしく短期でリーダーが交代された様子)と解釈するには、
「七八十年」が「七年八年長くとも十年」でなければなりません。
「七八十年」と書いてあれば、普通は「70〜80年」の意味になります。これは貴方も認めておられます。
ましてや直前に「八九十年」を「80〜90年」の意味で使っています。
ですから、「七八十年」という書き方自体に「七年八年長くとも十年」と解釈する理由はありません。
結局、「七八十年」を「七年八年長くとも十年」と解釈する理由、
『以男子為王住七八十年』を(めまぐるしく短期でリーダーが交代された様子)と解釈する理由は
『以男子為王住七八十年』以外の部分にあることになります。それは何ですか。
梅
>>946 彼が解明しようとしてるのは
> 現在理解されてる文法が通用しない世界
らしいです。
この何日か彼に問うてきましたが、この答えでそれ以上質問する気持ちがくじけました。
何をかいわんや、です。
プラムさんにはプラムさんの世界があるようです。
例えるならきっと、空を翔る一筋の流れ星なのでしょう。
949 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 00:27:15
>>946 >ましてや直前に「八九十年」を「80〜90年」の意味で使っています。
そうですね 或百年或八九十年と
すると、それらの前後の文も同じ内容なのでしょうか?
950 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 00:31:23
>>949 >すると、それらの前後の文も同じ内容なのでしょうか?
質問の意味がわかりません。
951 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 00:52:16
>>950 「八九十年」を「80〜90年」と解釈する為にはまわりの環境(前後の文意)も「八九十年」を「80〜90年」と
解釈できる環境が整っているという事です
ましてや
横書きの「八九十年」と縦書きの「八九十年」ではイメージ的にも違いますから(これは余談ですが)
952 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 00:54:56
そろそろ止めましょう
議論するには余りにもステージの位置が違いすぎます
953 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 01:18:00
『許』字の『意』が貴方の言うとおりだと仮定して、どのような文の構成の時に「ゆるす」と訳され、
「ばかり」と訳されるときの文の構成と何が違うのでしょうか。
そこが正確でなければ、どんなに『意』を正しく把握していても、結局誤訳になるのではないでしょうか。
漢文を書いてきた大多数の中国人は和語を見たことも聞いたこともなかったでしょう。
彼らは漢文自体にそなわった文の型による語法に従って漢文を書いてきました。
台湾中央研究院のサイトで「三十許」を検索した結果です。(十許でも百許でも良いのですが)
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-1345748923&rid=-6 三十許年とあれば三十年ばかり。三十許種とあれば三十種ばかり。三十許歩とあれば三十歩ばかり。
三十許度とあれば三十度ばかり。三十許萬人とあれば三十萬人ばかり。
「三十許○」という型は、そういう意味で使用されています。自分で前後を読んで確認してみてください
なのに、後漢書東夷伝の三十許国だけ、なぜ「三十の許されし国」になるのでしょう。
そもそも、無数の漢文が「数字+許+名詞」の型を「ばかり」という意味を表現する為に使用している言語状況で、
東夷伝だけ「ゆるす」の意味でこの型を使用して、「ゆるす」の意味を読者に伝えることが可能なのでしょうか。
「ゆるす」の意味を伝えるためには「所許三十國」などの異なった型を用いなければならないのではないでしょうか。
954 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 01:18:34
略載○○も然り。(何に対して)亦(何が)も然り。
他に語法に反した文が沢山あるのなら、話しはわかります。
しかし「略載○○」という型で、「○○は省略して書かなかった」という文章は他にあるでしょうか。
「亦○○」という型で、「○○が繰り返された」という文章が他にあるでしょうか。
無数の漢文が「ばかり」の意味なのに東夷伝の一例だけ「ゆるす」。
無数の漢文が「○○を略記した」の意味なのに倭人伝の一例だけ「○○を省略した」。
無数の漢文が「亦」の前に記述した事柄に対して、後ろに記述した事柄が繰り返されたの意味なのに、
倭人伝の一例だけ「亦」の後ろの記述がそれ自身繰り返した。
それで、本当に読者に意味が通じるのでしょうか。通じるはずはありません。
>相手の考えを否定する事は何時でも出来ます。
まさに、その通りです。何故、貴方の解釈だけ、このように語法に矛盾するのでしょう。
一度騙されたと思って、師匠の説が間違っているという見地から検討しては如何でしょうか。
中国の古典で(そして日本の古代史書でも)、
「七八十年」は「70〜80年」の意味。こんなのは漢文の基本中の基本。
「七八十年」を「七年八年長くとも十年」の意味でとるのは現代人。
こいつに何を言っても無駄だよ。自分の都合のいいように言語(!)を
変えちゃうんだから。凄いよw 先に結論ありきだからね。あとから
それに合うように解釈する。まさに鹿児島県警と同じw
956 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 07:14:24
>>953 『ばかり』も『ゆるす』も和語 決して漢人達が割り振った訳では無く『バカリやユルス』を使用する人が『許』に当て嵌めただけだよ
『許』を使用する人は『許』の“意”(ルール)の範囲の中で使用しているに過ぎない 決して『バカリやユルス』を意識している訳では無いね。意識し区別しているのは和語を使用する人だけ
彼等にしてみれば『ユルスやバカリ』は『許』の一文字で片付いてしまうから(正確には違う)
『ユルスやバカリ』の違いは漢語ではなく和語の世界 和語を知る作業だ!
だから『ユルス』と『ユルズ』の違いとか
そういう世界じゃないかな?
>>954 >無数の漢文が『バカリ』の意味
じゃあ『バカリ』の意味を語ってくれ そして
『バガリ』『ハカリ』『ハガリ』では何故いけないのか?説明願います。
>>955 『許』が笑っている(キョキョキョ…)って
ここは『バカリ』だ、いや『ユルス』だ! まるで親が子を非難し、子が親を非難するそんな世界を 他人の『許』が呆れて眺めている。
『許』は『許』
『ユルスやバカリ』は和語の世界、『許』にしてみたら『和語』家 の家庭内論争
キョキョキョキョキョ〜
『亦』の文字も然りだ
漢語『亦』には漢語用の様々な使われかたが(A.B.C…と)沢山ある。(言葉の数だけ)しかし、それらを『亦』の一文字に託し、独立した『亦』の文字が成立します。
それが辞書等に出てくる『亦』の文字
たった一文字に多数存在する様々な使われ方を集約出来るのも、それらの様々なモノに共通する事柄が存在しているから出来る事であり、その共通するものが
文字の本来の姿『意』なのです。
『意』は大変シンプル
シンプルだからこそ、様々な場面で容易に変化対応する事が可能なわけです。
それは和語(マタ)にも言える
960 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 11:13:46
『亦』=(繰り返される物事)は 和語訓(また)よりも 漢音和語表記(エキ)の方が相応しいかも知れません。
『エキ』には
駅、掖、疫……… 等の文字があります。
出来ればこれで締め括りたいと思います。
「亦」なんて字を他に用例のない使い方をするより、一文字増えるけど「世々」を使った方がいいと思いますよ。
962 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :
>世々
全然 違うと思うよ!
“重なる”事には違いないけど………???
「丗」の字意は
限定された範囲内に重なる
「+」が三つ「―」限定された範囲内に 重なる
だから「丗」は三十と密接な関係なんだよ!