「魏志倭人伝」等を読む (New 1)

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1プラム ◆TOfHBAKZgM
以前存在した「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか)
を復活させたくたてました。


尚、このスレは
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1172000417/901-1000
が、終了次第使用してください。
2日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:38:10
1が見えない
3日本@名無史さん:2007/04/06(金) 01:03:26
>>1
お 前 が い う な
4日本@名無史さん:2007/04/06(金) 04:17:58
もう何処だっていいよ。
分からないものは分からないんだよ。
5日本@名無史さん:2007/04/06(金) 10:26:13
『其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王』
『其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年』

亦=狗奴國?
6日本@名無史さん:2007/04/06(金) 20:53:02
1オツ
7日本@名無史さん:2007/04/07(土) 13:47:53
定期age
8プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 20:13:15
【 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從】

(倭人)『在帶方東南大海之中』
(倭人)『依山島為國邑舊百餘國』
(倭人)『漢時有朝見者』
(倭人)『今使譯所通三十國從』

と、読むと解りやすいです

9日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:15:56
>文法通りに読むと邪馬台国は何処になるの?  文法通りに収まるなら既に全て解っているんでしょう
>解っていながら皆とぼけているとしか考えられないんだけど

文法どおりでないと、読んだ人に伝わらないんだけど。
自分が比定した邪馬台国の場所に合うように、文法を無視して読んでいいよと言ってるわけ?
位置を比定しさえすれば良いの。
だったら、説を主張する人の数だけ読み方が存在するわな。
自説に合わせて文法を無視ししちゃいけないから、みな苦労してるんだろうに。
10プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 20:16:52
>>8の訂正

【 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國從】

(倭人)『在帶方東南大海之中依山島為國邑舊百餘國』
(倭人)『漢時有朝見者』
(倭人)『今使譯所通三十國從』

と、読むと解りやすいです


失礼しました
11日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:24:45
>>8
> (倭人)『今使譯所通三十國從』

これを逐語訳してみてください。
「使譯」は「倭人の使譯」でしょう。
その前にも「漢時有朝見者」とありますから。
「今、(倭人の)使譯が通じてる所のものは”三十國從”である」
「從」がどうしても浮いてしまいます。
「三十國從」はどう訳すのでしょう?


あと、前スレの>>998
個人的には「投馬國の南」だと思ってます。
不彌國から投馬國への行程は傍線であるかもしれませんが。
解釈は分かれるところでしょうが、文法的には間違っていません。
文法にはルールがあります。
しかし文法通りであっても解釈が分かれることはあります。
その辺を勘違いしないでください。
12日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:25:16
前スレ>>978
「亦」が、その前に記述された事柄(省略されていることもある)と、
後に記述された事柄を対応させるということは、文の型として決まっていることなのです。
ですので「繰り返す物事」と言おうが「決定した関連が重なる」と言おうが
「存在する表面が重なる」と言おうが、文の型とは関わりがありません。
漢文の文型の議論なので、日本語をどんなにいじっても仕方の無いことです。
結局、「亦」がその前後の記述を対応させるという文型のルールを
貴方が認めるか否かの問題です。
「許」や「略載」についても同様です。「数字+許+名詞」のとき、「許」は「餘」の意味であるという
ルールを貴方が認めるか否か。「略載○○」と書かれた時、
「○○の概略を記載する」という意味であるというルールを貴方が認めるか否かの問題です。

>この『亦』は【其國本亦以男王為王住七八十年倭國乱相攻伐歴年】の文があるからこその
>(短期的なリーダー交代)と解釈出来るし、そもそも文章とはそういうものと考えています。

「リーダー」というのは、「以男子爲王」でしょう。「交代」とは「亦」から考えたのでしょう。
ならば、「亦」が前後を対応させるのではなく、「亦」の後の記述だけを「重ねた」ことになりますね。
それは「亦」のルールに反します。(問題点の1)

それから、「短期的な」と解釈するには「七八十年」が
「七年八年十年」でなければならないことは>>946で指摘しました。
例えば、壁に単独で「七八十年」と書かれていたら「70〜80年」と解釈します。
それが習慣ですので、文脈に特殊事情がないかぎりそのように解釈されます。
それが、習慣どおりの解釈ではなく「七年八年長くとも十年」というふうに解釈しなければならないとしたら、
前後の文脈に、それを要求する特殊事情が存在することになります。
その事情は『以男子為王住七八十年』の部分には存在しません。
特殊事情は何処にありますか。(問題点の2)
13プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 20:27:02
>>9

>自説に合わせて文法を無視ししちゃいけないから、みな苦労してるんだろうに。

それは矛盾した意見です
文法が確定していれば自説の入り込む余地どころか 苦労する事もないのでは
14日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:40:37
>>13
文法的には正しくても解釈に幅は生まれます。
それは法律などの条文を例にすれば簡単にわかることです。
だからといって文法を無視して良いことにはなりません。
そこのところを履き違えないように。
15日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:41:51
>>13
それはおかしな話です。
文法が確定していない言語で、あれだけの大帝国を運営していたのですか?
命令を書いた人と読んだ人で、内容が異なれば、国家が運営できません。
文法が確定していない言語で、朱子や王陽明は宋明理学のような思想を形成したのですか?
書いた人の意図と読んだ人の理解が異なれば、思想も哲学も語れません。
確定した文法どおりに順路をたどると、これだという土地に行き着かないから
文法は確定していないというのですか?
倭人伝の文で邪馬台国の位置がわからないだけで、
数千年の間書かれてきた、膨大な漢文の全てに文法が無いと、そういうことになってしまいますね。
それって、ご自分でどう思いますか?
16プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 20:53:46
>>12

>結局、「亦」がその前後の記述を対応させるという文型のルールを
貴方が認めるか否かの問題です。

当然の事かと  私が反対しましたか?
『亦』の文字も文中の一部ですから必ずその文意に左右され意味が構成されます
文にルールがあるように『亦』にも和訳意(存在する表面が重なる)意味解釈(繰り返される物事)
という、絶対無視できないルールが存在します。

詰まり
文法ルールは文字の意より優位に効果するからこの場合『亦』の意のルールは無視されるという事ですか?

後漢書          倭伝 『三十許國』   
魏書 『小國三十許國』  倭人伝『三十國』
北史 『小國三十許國』  倭國伝『三十餘國』
通典 『小國三十餘國』

北史 『小國三十國許』  倭國伝『三十餘國』
許=餘として使われているなら なぜ同じ史書にて『許』或いは『餘』で統一しなかったのでしょう?
17日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:56:10
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
18日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:58:09
>>16
「亦」が示すものは「複数のうちの一つであること」です。

> 文にルールがあるように『亦』にも和訳意(存在する表面が重なる)意味解釈(繰り返される物事)
> という、絶対無視できないルールが存在します。

そんなルールは存在してません。
19日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:05:12
俺の持ってる漢和辞典だと「亦」の字源としてこう書いてあった。
> 指事、大(人の形)の両わきにしるしをつけて、わきの下を表わす。「腋」の原字。
そして
> またの意は、音の借用

「亦」の音は「エキ、ヤク」らしいけど借用元の字は何?
20プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 21:05:14
皆さんの意見を聞きたいのですが

先ほどから言われている『文法』ですが
その文法は
@『漢語を扱う漢人』が『漢文』を読む為の文法ですか?
それとも
A『漢文』を読む為の『和語』を使用する人の為の文法ですか?
21プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 21:09:04
>>18

>そんなルールは存在してません。

貴方が知らないだけでしょう 貴方の知ってる世界だけが全てではないでしょうから
22日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:10:40
>>20
同じことです。
何を疑問に思われてるのかわかりません。
23日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:14:22
>>21
> 官「亦」曰卑狗副曰卑奴母

> 「亦」南北市糴

のどこに和訳意(存在する表面が重なる)意味解釈(繰り返される物事)があるのでしょうか?
ところで、「存在する表面が重なる」ってどういうこと?
24日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:15:54
>>20
22さんが仰るように、漢人と日本人で読むときに文法が変わるなんてありません。
同じ英語が、アメリカ人と日本人で文法が違うなんてありません。
25日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:24:09
>>24
和訳意とはまた、新しい用語が出てきましたね。
和訳意とか意味解釈とか効果するとか、普通の日本語ではありませんよ。
自分たち身内だけに通じる言葉を使っても、世間には通用しません。
これまでは、何となくこんな意味だろうと推測して読んできましたが、
これを機に、普通の日本語を使うようにするか、置き換えが出来ないようなら、
定義をきっちり定めてテンプレに貼っておくようにしてください。
26日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:25:25
>>25のアンカーまちがえた。>>24ではなく>>23でした。
27プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 21:38:21
>>25

>和訳意とはまた、新しい用語が出てきましたね。
和訳意とか意味解釈とか効果するとか、普通の日本語ではありませんよ。
自分たち身内だけに通じる言葉を使っても、世間には通用しません。
これまでは、何となくこんな意味だろうと推測して読んできましたが、
これを機に、普通の日本語を使うようにするか、置き換えが出来ないようなら、
定義をきっちり定めてテンプレに貼っておくようにしてください。

申し訳ありません
私は学がないので言葉を知りません 今すぐどうにかなる問題でもありませんので、少し不自由しますがそれでもよければお付き合いください

>普通の日本語を使うようにするか

それはどういう意味でしょう? 流石に私では考えもつかない表現ですので詳しく解説ください。
今までそのような事を日常生活を含め言われた事がないので
ここはどうでしょう?
私が日本人の最低レベルと考え、対話されては
すると私の普通でない日本語にもあきらめがつくというものです
28日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:48:22
>>27
>>普通の日本語を使うようにするか
>それはどういう意味でしょう?

和訳意とか意味解釈とか効果するなどの、言語虫さんが考えた「虫言語理論」専用の用語を使わずに、
その内容を普通の日本語に置き換えて使うか、置き換えができないのなら、
「和訳意とは〜である。意味解釈とは〜である。効果するとは〜である。」というふうに
言葉を定義してテンプレに貼ってくださいということです。
29日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:58:41
>>28
× その内容を普通の日本語に置き換えて使うか
○ その内容を普通の日本語に置き換えるか
30プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 22:03:41
>>28

あいや〜
これはとんだことを  そうですね私も以前苦労し理解するまでに一年以上の月日を要した事を
思い出しました。
今ではそれが日常的に身についてしまったので何気に使用してしまいます
なるべく気を付けますので

しかし
一対多数はかなり疲れますので これ以降はレスを控えさせていただきます
31プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/08(日) 22:10:58
因みに
『我こそは』と思う方はYAHOOに出張し、本人と直接バトルしてみては如何でしょう?
そこを打破しない限り第二第三のプラムが現れます

今のところ私が『虫塾』の末席です。

yahoo掲示板日本史カテ『魏志倭人伝解析』トピにおられます
32日本@名無史さん:2007/04/09(月) 01:19:13
台湾中央研究院のサイトで略載を検索した結果から。

3. /新校本後漢書/志/志第六 禮儀下/大喪
- 3144 -
漢舊儀【略載】前漢諸帝壽陵曰:「天子即位明年,將作大匠營陵地,用地七頃,方中用地一頃.
深十三丈,堂壇高三丈,墳高十二丈.武帝墳高二十丈,明中高一丈七尺,四周二丈,?梓棺柏?腸題湊,以次百官藏畢.
其設四通羨門,容大車六馬,皆藏之?方,外陟車石.外方立,先閉??,?設夜龍、莫邪?、伏弩,設伏火.
已營陵,餘地為西園后陵,餘地為?、以下,次賜親屬功臣.」

※漢舊儀は前漢の諸帝の壽陵(生前に立てる陵)について略載してこう言っている。「天子の即位の明年、将作大匠 陵地を営む。・・・」
壽陵について、詳細を省いて概略を書いている。壽陵についての記述を省いて書いていないのではない。

23. /新校本舊唐書/志/卷三十三 志第十三/暦二
- 1217 -
中宗反正,太史丞南宮?奏:「麟コ暦加時浸疏.又上元甲子之首,五星有入氣加時,非合璧連珠之正也.」
乃詔?與司暦徐保乂、南宮季友,更治乙巳元暦.至景龍中,暦成,詔令施用.俄而睿宗即位,景龍暦寢廢不行.
麟コ暦經今【略載】其法大端.
母法一百.兩大衍之數為母法.
旬周六十.六甲之終數為旬周.
辰法八刻;分,三十三少半.以十二辰數除一百刻,得辰法.
期周三百六十五日;餘,二十四;奇,四十八.一期之總日及餘奇數為期周.
氣法十五日;餘,二十一;奇,八十五少半.以二十四氣分期周,得氣法.
候法五日;餘,七;奇,二十八;小分,四.以七十二候分期周,得候法.
月法二十九日;餘,十三;奇.為月法[一二四].
日法日舒月遠乃舒一合朔之及餘奇為日法[一二五].
望法十四日;餘,七十六;奇,五十三.因為陰後限.二分月法得望法.亦是月行陰暦,後與朔望會交限.
弦法七日;餘,三十八;奇,二十六半.四分月法,得弦法.

※「麟コ暦經について、その法の大端を略載する」と言って「母法一百・・・」という記述がある。
  麟コ暦經に載っている暦法の大まかなところを書いている。省いて書かないのではない。
33プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/09(月) 07:17:05
>>32

ところで
『漢舊儀』ってなに?
教えてください。
34日本@名無史さん:2007/04/09(月) 14:35:30
>>33
失礼しました。昨夜は日本語を使えと言いましたが、こちらも迂闊でしたね。
漢舊儀は書物の名前です。下記のように隋書經籍志に著録(書誌が記録)されています。
衛敬仲とは、後漢の人衛宏で、字が敬仲です。

隋書卷三十三 志第二十八 經籍
《漢舊儀》四卷衛敬仲撰。梁有衛敬仲《漢中興儀》一卷,亡。

台湾中央研究院(academia sinica)のサイトで隋書經籍志や舊唐書經籍志などを検索すると見つかります。
藝文志(げいもんし)とか經籍志(けいせきし)というのは、正史の中の書物の目録の部分です。
書名っぽいなと思ったら、そういう所で確認できます。
あとは、舊の字を旧にして検索してみるのも手です。
35日本@名無史さん:2007/04/09(月) 14:44:36
>>34
調べればすぐわかる事を教えてやることはない。
ちょっと文章を読めば書物の名前だろうと当たりはつくんだし。
どういう意味でその語を使ってるのか?という質問とは根本的に違う。
36プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/09(月) 15:04:13
>>34さん
お手数かけてすみません。
すると
祭祀儀礼を記述した書物で宜しいのでしょうか?
あと、一つ聞きたいのですが
この記録に、漢時以前の記録を記載された部分は有ますでしょうか?
37プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/09(月) 15:09:54
>>35

私は教えて下さいと言っているんだ
教える気のない奴がでしゃばる場面ではないと言うこと! 多分私だけでは無く 知りたがっているROM者も必ずいるはず

だから
ここはデシャバルな!
38日本@名無史さん:2007/04/09(月) 15:19:37
>>37
自分が知りたいだけなのにいちいち他者を引き合いに出さないように。
39日本@名無史さん:2007/04/09(月) 19:00:54
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
40日本@名無史さん:2007/04/10(火) 12:42:00
>>37
>>35さんの言葉は乱暴だけど、一理あると思いますよ。
初心者の質問なら、懇切丁寧に答えてあげるべきでしょう。
しかし、いやしくも「伝統的な読みは誤りである。私の読みが正しい」と主張するほどの者なら、
史書の注で頻繁に引用される漢舊儀は知っていて欲しい。
知らなかったことは仕方ないとしても、この程度の文章なら、書名だと当たりをつけられて当然。
書名だとわかりさえすれば、電子漢籍で漢舊儀を読めるサイトもあります。
少なくとも、台湾中央研究院のサイトで二十五史を検索すれば101件出ます。
そういうことを調べずに、内容を人に聞いて済ませようとする。
それでどうして「伝統的な読みは誤りである。私の読みが正しい」と主張できるのかという事です。
うるさい事は言わずに質問にお答えしましたが、
世間一般では、主張に見合う実力が要求されるということです。
それとも、何か別の意図があっての質問なら、ストレートに書いた方が良いと思います。
今後、質問がしにくくなるといけないとは思いましたが、
「デシャバルな」の一言に敢えて苦言を呈しました。
内容についてですが、私自身、漢舊儀を精読したことが無いので、迂闊にお答えできません。
それほどの分量はありませんので、興味があるなら、ご自分で目を通されるのが良いと思います。
漢官六種
http://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hk6.htm
漢衛宏撰というのが漢舊儀です。提要や叙録を読めば、概要がわかると思います。
また、>>35さんに怒られそうなので、この程度にしておきます。
41プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/10(火) 13:36:52
>>40

言葉足らずでした。

『漢舊儀』は知っていました。
先日の
>漢舊儀ってなんですか?
の質問は
漢舊儀の中身ではなく『漢舊儀』そのものが聞きたかったのです。
何故『漢舊儀』なのか?
何故『漢舊儀』と名付けられたのか?

それが
『漢舊儀』って何でしょうか?の 真意です。

改めてお詫び致します。
42プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/10(火) 13:41:19
>>40さん

漢舊儀の内容確認はある意味、自分の捉らえ方が正しいかどうか?の確認です。内容が
祭祀典礼の記載で
良いのかどうか?


そう言う事です。
43プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/10(火) 13:47:24
言葉足らずが招いた誤解
真に申し訳ありませんでした。
ここにお詫び申し上げます。

では。
44日本@名無史さん:2007/04/10(火) 14:48:50
>>40
質問者の怠慢さを責めこそすれ、回答者を責めるつもりはありませんでした。
ただ注意喚起することは必要かな?と思ったのであのようなレスをしましたが、回答者を責めてるような文章になってしまったことはお詫びします。
すみません。

プラム氏へ
>>37のレスに対してもそう思われているのでしょうか?
私はあなたの御説の内容はともかく、汚い言葉使いをなさらないことに関しては一定の評価をしていました。
単に>>33のような質問の仕方であれば>>41,42の意図を汲み取ることはほとんど不可能といって良いでしょう。
そこの辺りもはっきりさせて欲しいものです。
45日本@名無史さん:2007/04/10(火) 15:06:47
>>44
35さんに怒られると書いたのは、かるい冗談ですので、お気になさらずに〜。
私も、まったく気にしておりません。
46プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/10(火) 15:11:33
>>44さんへ

>>37さんに対するレスは時限的に>>37だけで済んでる事、>>38以降は忘れています。(流れ的なモノです)

>>33のレスは正に言葉足らず

正直に『漢舊儀』だけ知りたかったので あのような内容になったまでです。
以前から
何故、(漢昔儀)ではなく(漢舊儀)なのか疑問を抱いていましたので
つい、ストレートに…


馬鹿な悩みと笑って下さい。私の不思議は何処か他の方とピントがズレているようです。
これも基礎学力の無さから来るモノかと 何せ日本史は大の苦手科目、年号見ているだけで今でも睡魔が忍びよります。(笑)
47日本@名無史さん:2007/04/11(水) 00:26:49
小杉のバ〜カ
48日本@名無史さん:2007/04/11(水) 18:12:07
>>46
漢舊儀は、一度散逸した書物なので、衛宏の自序は失われており、
なぜそういう名前を付けたのかは推測するしかありません。
舊儀の用例を見ると、「元帝即位,遵舊儀・・・」(漢書・郊祀志)
「宣卒,?贈葬禮,皆依后母舊儀.」(後漢書・桓帝ケ皇后)
「舊儀,三公領兵朝見,令虎賁執刃挾之.」(後漢書・獻帝伏皇后)
などであり、「しきたり」や「先例」というような意味で使われています。
舊だから昔のものかというと、そうではなく、むしろ、昔からのしきたりだから
今も従うべきものとして意識されたのが舊儀のようです。
昔儀ではなく舊儀である理由はそのあたりにありそうな気がします。
昔儀という言葉自体存在しないと思いますが。
まあ、私の守備範囲ではないので、想像に過ぎません。
そんなわけで、漢舊儀は、「漢のしきたり」くらいの意味でしょうか。
最初は、王莽の簒奪で漢が一旦滅び、光武帝によって再興されたので、
新旧の意味があるのかとも思いましたが、用例から判断するとそれは違うようです。
少々興味深いのは史記に舊儀の用例が無いことです。
前漢建国から極盛期の武帝の治世までの期間は、いわばベンチャー精神みたいなものがあって
人々に先例に倣うという意識は希薄だったのかもしれませんね。
「朕の新儀は未来の先例たるべし」という後醍醐天皇の言葉を思い出します。
49日本@名無史さん:2007/04/13(金) 18:33:52
おや、プラムさん
自分の持ち場はホッタラカシかいな?
よそで遊んでると、またいつぞやみたいに荒らされますよ
早く戻ってらっしゃい

倭人伝には風俗記事、外交記事もありますから、
どんどんと先へ進めてくれませんかねえ
50日本@名無史さん:2007/04/14(土) 18:59:01
15. /新校本三國志/魏書/卷二十一 魏書二十一/王粲/ 呉質 裴松之の注
※ 本伝で太子の手紙が省かれて書かれていないのではなく、簡略化して書かれている。
本文と注文の手紙の内容を見比べれば、よくわかる。

臣松之以本傳雖【略載】太子此書,美辭多被刪落,今故悉取魏略所述以備其文.
(訳)本伝で太子のこの手紙を【略載】しているけれど、美しい表現が多く削除されているので、
   魏略に載っているのを全部取ってきて掲載する。

22. /新校本宋書/列傳/卷六十七 列傳第二十七/謝靈運
※ これは、ちょっと読みに自信が無いですが、山や水辺での仕事の説明ですね。
「略載して悉(つく)す靡(な)し。」尽くしていないということは、全部は書いていないけれど、ある程度は書いてあるということ。
- 1766 -
山作水役,不以一牧.資待各徒,隨節競逐.陟嶺刊木,除榛伐竹.抽?自篁,??于谷.楊勝所拮,秋冬?獲.
野有蔓草,獵???.亦?山清,介爾景福.苦以?成,甘以?熟.慕椹高林,??巖椒.掘?陽崖,??陰?.
晝見搴茅,宵見索綯.芟菰翦蒲,以薦以?.既?既?,品收不一.其灰其炭,咸各有律.
六月採蜜,八月樸栗.備物為繁,【略載】靡悉.

26. /新校本舊唐書/列傳/卷七十九 列傳第二十九/呂才
※ 太宗が陰陽書を新たに編纂しなおさせた。今、その数篇を【略載】するといって、宅經・祿命・葬書の内容を記載している。
省いて書いていないのではない。
- 2720 -
太宗以陰陽書近代以來漸致訛偽,穿鑿既甚,拘忌亦多,遂命才與學者十餘人共加刊正,削其淺俗,存其可用者.
勒成五十三卷,并舊書四十七卷,十五年書成,詔頒行之.才多以典故質正其理,雖為術者所短,然頗合經義,今【略載】其數篇.
其敘宅經曰・・・敘祿命曰・・・敘葬書曰・・・
51日本@名無史さん:2007/04/14(土) 19:24:48
27. /新校本舊唐書/列傳/卷九十八 列傳第四十八/盧懷慎
※ 盧懷慎という人の上奏文三篇を略載するとして、上奏文三篇の内容を簡略に記載している。省略して書かないのではない。
- 3064 -
盧懷慎,滑州靈昌人.〜中略〜景龍中,遷右御史臺中丞,上疏以陳時政得失.今【略載】其三篇.
其一曰: 臣聞孔子曰:「為邦百年,可以勝殘去殺.」又曰:「苟有用我者,期月而已,三年有
其二曰:臣聞尚書云:「唐、虞稽古,建官惟百;夏、商官倍,亦克用乂.」
其三曰:臣聞天吏逸コ,烈於猛火;貪人敗類,取興大風.


注を含めた二十五史での略載の検索結果27件のうち、2と4〜14は魏略か典略という書物の名。
16〜18も書物名。19は倭人伝。20・21は書物名。24.25は分量が多いので、ご自分で確認してください。
結局、略載の用例と認められるのが10件、倭人伝は保留するとして、
残り9例全てが、「○○について簡単に記載する」という意味で使用されており、
「○○については、省略して記載しない」という意味には使用されていない。
同じサイトで東観漢紀を検索すると、注文で略載の用例が157件ヒットする。
例えば、東観漢紀の記述について、関連記事が後漢書なのどの他の史書に略載しているという内容である。
全てを確認する手間はかけなかったが、ランダムに幾つか見たところ、後漢書亦略載其事とあれば、
指摘された後漢書の部分に関連記事が記載されていた。
他の注文も同じスタイルなので、みな同じではないかと推定できる。
52日本@名無史さん:2007/04/17(火) 19:34:24
age
53日本@名無史さん:2007/04/18(水) 18:29:56
           /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
         _∠、 ---‐―――――---- 、,__          _________
   ,,、-‐ '"    ________      `'‐-、_    / まあまあ先輩、 \
   i       r'´   ト, li ヽ  i    ` ' 、       ヽ < これでも食べて      |
    `'ー---.、|  |.ji l ', |', .ヽ、 l      |,, 、 ---―''´    \ 落ち着いて下さい♪ /
         |  i|,|_l|,  ',|ヽ,__ヽ |      l             ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         . l ト, |!f'ィi    iイ:l >i  i   ,'      ぶうっ
           ヽト,} ゞ' ,   ゞ' ,// / ./.-‐‐-.、,,、-‐―‐- 、  ぶりぶりっ
           ゝ、┌‐ァr‐〃∠/      ヽ、   u `' 、
               `'`‐' {   /     U  . ',        ヽ
                 \/   u          l   ⌒ヽ   ',
                       |         (:. ,'r'; ̄ヽ、      l
                        |       u   /''`'、;;;;;;_l  "゛)  |
                        |            /,/'/ ト;;;;;;;;|      |
                       |         _,''‐'イ  }ヽ;;;;;|    |
                     |         .l }i |  ト;;;;;;;}     |
                    |         | u .|  };;;;;;ノ    |
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54日本@名無史さん:2007/04/21(土) 00:46:46
age
55日本@名無史さん:2007/04/22(日) 02:19:10
あげとくか
56日本@名無史さん:2007/04/23(月) 01:35:59
プラム逃亡
57プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/23(月) 17:48:42
>>56

>プラム逃亡

今多忙にて(2ちゃん)してる暇が無いのです。
58日本@名無史さん:2007/05/04(金) 13:56:31
連休あげ
59日本@名無史さん:2007/05/05(土) 11:55:26
休眠スレ、消費期待age!
60日本@名無史さん:2007/05/05(土) 11:57:34
このままじゃDAT落ち確定だから使っちゃおうか?
ヌシ殿の許可が無いとダメかねえ?
61ドン恋18より転載:2007/05/05(土) 12:16:38
******************************************************************

998 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/05/05(土) 11:36:51
>>995魏志倭人伝の方角に関しては信用できない

多少の誤差と、畿内説の言う南を西と読みかえる程の90度もの誤差とは根本的に話が違う。
同じではない。

******************************************************************

東南<>東北の方位差を90度だと認めない人間のセリフですたwwwwwww
62日本@名無史さん:2007/05/05(土) 12:48:11
方位を測る場合、夜なら北極星、昼なら太陽の南中方向によって大まかな判断はできる。
同じ地点に数日間滞在していて、それなりに意識をして観測すれば特別な器具などいらないもの。
ただし、移動中の場合は上記のような「定点観測」と違い観測者自身の位置が絶えずズレるため、
正確さは甚だしく劣りますね。
熟練した現代の航海士でも、知らない海をアナログ羅針盤だけで真東に100キロ行けといわれても、
海流や海岸線の影響で真っ直ぐには進めないのであれば、100キロ先の到着地は真東からかなり
ズレた地点でしょうね。
逆に既知の場所へ航海する場合も同じです。
目視できる地点への航海であれば別ですが、それより遠くであれば、
例え経験で知り得た海岸線や海流と羅針盤の針先を頼りに目的地に到達し得ても、
二点間の方位関係は、海図が無ければ落とすことは出来ない。
A点とB点との位置関係は測量に基づいた経度・緯度があって初めて理解できるものなのです。
63日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:04:20
あれ、どんこい19は?
64日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:11:01
明日までには立つんじゃないのけ
65ドン恋18より転載:2007/05/05(土) 13:14:06
これ、意味不明っすw
ご本人の解説キボンヌですが

>999 名前:九州ですが ◆IhXqm1bg5c [] 投稿日:2007/05/05(土) 11:38:24
>細かい方向の違いを以ってだから90度とが宇野だというのは畿内説の詭弁。
66日本@名無史さん:2007/05/05(土) 13:20:28
>>63
>あれ、どんこい19は?

立てたよ!
67日本@名無史さん:2007/05/05(土) 15:13:39
>>62
星の位置で自分のいる位置の緯度は一目瞭然。
東西南北をそんなに大きく外すはずは無い。
68日本@名無史さん:2007/05/06(日) 01:12:26
星の位置なんてどうでもいいから、舞浜駅周辺の道路事情の改善をしろよ(オリエンタルランド)
今日の最終も首都高乗るまで45分
69日本書紀紀年法研究家 ◆RyFCZPFpzA :2007/05/07(月) 11:54:54
”「魏志倭人伝」等を読む(New1)”スレッドの住民の方々にお役にたつかどうかは
わかりませんが、HP「倉西先生のご学問所(http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/)」の歴史学コースの
日本書紀紀年法入門にて、神功紀は西暦201年から389年までを扱っていることを、
日本書紀の編年にはプラス・マイナス120年構想が設定されていることを示すことで、
わかりやすく説明しております。魏志倭人伝の時代は、神功紀において扱われておりますので、
ご興味のある方々は、ご覧になってみてください。
70日本@名無史さん:2007/05/19(土) 12:19:53
上げ底
71日本@名無史さん:2007/05/21(月) 20:05:55
>>51
>結局、略載の用例と認められるのが10件、倭人伝は保留するとして、
>残り9例全てが、「○○について簡単に記載する」という意味で使用されており、
>「○○については、省略して記載しない」という意味には使用されていない。

51氏はよく調べられたと思う。略載の意は「簡単に記載する」で間違いない。
プラム氏はここは自説に固執せず51氏の意見を受け入れた方がよかろう。
このままだと「逃亡」ととられかねない。現にそのようなレスもあった。

中断後ひと月以上が経つ。プラム氏復帰を希望する。
過去の解釈を再吟味されたうえ、自説への批判でも妥当なものは取り入れ、
さらによりよい倭人伝解釈を目指していただきたい。
72プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/05/22(火) 22:37:25
>>51及び住人諸氏
お久しぶりで〜す!

今民法の勉強中でとても古代史に時間割いてる余裕ないんです。
昔摘んだ(遊び資金)ある過払い債権が時効間近なモノで

解決したら早急に復帰します。


何せ半端な額じゃないもので


ではまた
73日本@名無史さん:2007/06/01(金) 00:15:01
6月1日  明けましておめでとう
今日から衣替えで〜す。
74日本@名無史さん:2007/06/09(土) 22:40:59
たまにage
75日本@名無史さん:2007/06/10(日) 14:28:25
中国人が日本列島が南に延びていたと考えてたことは
奴らの作った地図見りゃ一目瞭然。南瞻部州
76日本@名無史さん:2007/06/11(月) 07:50:51
>>75
何時の地図見てんだよ!
77日本@名無史さん:2007/06/12(火) 13:29:15
『漢官六種』なんて、俺が学生時代に最初に中国書の書店に注文した、
東洋史研究においてはイロハのイ的な基礎史料じゃねえか。
そんなものも知らん奴が‥‥
78日本@名無史さん:2007/06/12(火) 23:03:34
>>77
ん〜っ で?注文してどうしたの?
お金がなくて取りに行けなかったという オチですか?
79プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/07/04(水) 22:20:21
久々にageときますか
8077:2007/07/05(木) 07:44:40
マジレスしとくと、そんな高い物でもなく、当時はまだ普通に流通して
たので、すぐ手に入れることが出来た。今果たして容易に手に入れることが
出来るかどうかはしらん。何しろこの手の中国書はその時に買わないと、
二度と手に入らない場合が多い。図書館で借りてきてコピーすれば済む
話ではあるが。
81プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/08/31(金) 23:23:13
久々にageとこう
82プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/09/25(火) 23:02:27
書き込み
83日本@名無史さん:2007/10/01(月) 21:28:09
age
84プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/04(木) 18:42:39
『スレ巡検』


>水行十日陸行一月の起点

投馬國(現 玉名市)
85九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/10/11(木) 01:29:03

>水行十日陸行一月の起点
>水行二十日の起点
帯方郡

>水行十日陸行一月の終点
邪馬壱国(古筑後川下流部)
>水行二十日の終点
投馬国(古有明海東岸)

86日本@名無史さん:2007/10/11(木) 03:41:10

邪馬台国(大和国)

投馬国(出雲国)

使節が滞在した場所から地図を90度回転させてみよう。
そうすると陸行一月が解決する、瀬戸内海を船で行けば大和国まで二十日で着く。
87プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 07:15:01
>>85王朝さん

かなり無理矢理ですね
倭人伝の地理志は順次式に書かれていますから

水行二十日の起点は(奴の港)着点は(投馬の港)

そして
水行十日陸行一月の起点は(投馬の港)着点(女王の都)
と、なり
女王の都は奴國の東方です。
(倭人伝参照)
88プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 07:40:48
>>86

>地図を90度回転

船の船体も90度回転させますか?
発想の斬新さに陶酔してはいけません。
地図を90度回転させても、方位も同時に回転しますから意味ありません。
地図は弄れても、地球の地軸や地形まで変えることは出来ませんからね
89プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 08:00:37
『プラムのレス巡回』


>学界の定説

医学界の様に、専門家と素人の差が歴然とつかない
史学界
素人の一意見扱いで十分です。
90九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/10/11(木) 14:31:11
>>87プラムさん

あなたの論の進め方に従い、
倭人伝の地理志は順次式に書かれているとすれば、

水行二十日の起点は(不彌の港)着点は(投馬の港)

そして
水行十日陸行一月の起点は(投馬の港)着点(女王の都の港)
と、なり
女王の都は不彌国の南方です。


然しながら、倭人伝の地理志は順次式に書かれているとは断言できません。
魏使のルート(帯方郡→→→末盧國→伊都國→不彌國)から奴國方向は伊都國で枝分かれしており、
奴國はまるで遠絶ではない餘旁國扱いです。
奴國同様に、投馬國と邪馬壹國も不彌國の南側に放射状に分かれて、二国が並んで存在できます。
又、帯方郡〜不彌國は合算距離萬二千餘里で、自郡至女王國萬二千餘里と距離が一致することから、
不彌國は女王國に含まれる一国となります。
不彌國が最初に書かれた女王國内の一国なら、続いて出てくる投馬國と邪馬壹國も女王國内の国となるわけです。
不彌國、投馬國と邪馬壹國の3国は女王國内の国として互いに近接していると判断できます。

そこで、「南至投馬國水行二十日」と「南至邪馬壹國・・水行十日陸行一月」の距離の起点は何処になるかの問題が出てきます。
投馬國及び邪馬壹國より遥かに離れた距離の始点を倭人伝中にさがすと、
文頭の「從郡」に行き当たります。
つまり、「從郡」を始点とすると、終点は「至倭」、「至投馬國」と「至邪馬壹國」の3箇所になるのです。
「至倭」の倭は倭人の国を指し、狗邪韓國から不彌國までの7ヶ国です。
91日本@名無史さん:2007/10/11(木) 15:09:49
そもそも「魏志倭人伝」っていう名前じゃない
っていう人もいるよね。
92プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 15:41:06
>>90王朝さん

貴方も『遠絶』の解釈にミスがあるようですね
これだけでも訂正されれば、きっと
たごまった糸も少しずつ解れてくるでしょう。

そして、
どうして各国の位置取りを、後から検算の様にするの? 順次と言った筈ですよ


郡使往来(常時)行程記事は伊都國でおしまい
ここから先は、本来の主題でもある文章による属国地図表現です。


では
なぜ陳壽は、本来必要としない行程記事を書いたのか?ここが面白いんです。
行程記事はこの魏書だけですから。



陳壽に脱帽。また范曄しかり


細かな所はおいおいと一つずつ
93プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 15:57:15
何故?地理志第一部の最後に、
『自郡至女王國萬二千餘里』と記載されたか?


誰か暇な人は考えて投稿してね
94日本@名無史さん:2007/10/11(木) 15:58:33
>>93
どうしても書き残しておきたかったんだよ!
95プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 16:13:51
>>94

正解だけど
もう少し詳しく書いてよ
96プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 16:56:43
>>94
つまり、こう言う事


ある文章に『今日は蒸し暑い』と書いてあったとします。
すると、この『今日は蒸し暑い』という文だけで、『昨日は蒸し暑くなく、爽やかな日』であった事が解り、ワザワザ
『昨日は爽やかな一日だったが、今日は蒸し暑い』
などという、長ったらしい文章を書かずに済むわけです。

つまり、全文を書かなくても『今日は蒸し暑い』と書くだけで、全文を把握する事が可能なわけです。


文字を最小限に抑える為に、『自郡至女王國萬二千餘里』とだけ最後に書くことで、様々な事が解るようになっています。
一番簡単なのが
伊都國から女王の都迄1500里だという事が、書かなくても解りますよね
97日本@名無史さん:2007/10/11(木) 17:02:35
ねえねえ、古代史ってこうやって
推論に推論を重ねて物語をつくっていく作業なの?
98プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/10/11(木) 17:10:59
>>97
作業は推論の様だけど、裏付けが無ければただの妄想。
この技法は知っての通り、「筆法」という技法だよ
(ただし、先程の例が筆法の内に入るかどうかは別として)
古くは春秋左伝にあるから参考にしてください。
99九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/10/11(木) 17:54:24
>>96
>伊都國から女王の都迄1500里だという事が、書かなくても解りますよね

伊都國から女王の都迄の距離はわかりませんよ。
郡より不彌国までが8ヵ所の距離の合算で万二千餘里。
伊都國不彌国間が100里。
不彌国女王之所都間は何処にも記載されていません。
100九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/10/11(木) 18:18:13
>>92
>貴方も『遠絶』の解釈にミスがあるようですね

では『遠絶』の意味はどういう意味ですか?

『今使譯所通三十國』のなかで、『使譯所通』が『遠絶』であると解釈しています。
(この『三十國』は狗邪韓國からラストの奴國迄の30ヶ国です。狗奴國は含まれません。)