901 :
日本@名無史さん:
亦が繰り返す物事だとして、(何に対して)、(何が)繰り返すのか。それを検討してみましょう。
例文は、このスレに貼られたものを使いました。
蝗蟲起,百姓大餓,布糧食“亦”盡,各引去.
(何に対して)百姓大餓 (何が)呂布の糧食が尽きる
魏略曰、昔箕子之後朝鮮侯、見周衰、燕自尊為王、欲東略地、朝鮮侯“亦”自稱為王、欲興兵逆撃燕以尊周室。
(何に対して)燕が自尊して王と為る (何が)朝鮮侯が自称して王となる
明年、劉備稱帝于蜀、孫權“亦”自王於呉、於是天下遂三分矣。
(何に対して)劉備が帝を称す (何が)孫権が自分で王となる
拜卓破虜將軍,與盪寇將軍周慎並統於温.并諸郡兵歩騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵.章、遂“亦”進兵美陽.温、卓與戰、輒不利。
(何に対して)董卓と周慎が美陽に駐屯したこと (何が)邊章と韓遂が美陽に兵を進めたこと
章、遂敗走楡中,温乃遣周慎將三萬人追討之.〜中略〜 温時“亦”使卓將兵三萬討先零羌、卓於望垣北為羌胡所圍、糧食乏絶、進退逼急。
(何に対して)張温が周慎に兵三万人を率いさせたこと (何が)張温が董卓に兵三万人を率いさせたこと
至一大國、〜中略〜 差有田地、耕田猶不足食、“亦”南北市糴。
(何に対して)對馬國で南北市糴すること (何が)一大國で南北市糴すること
生我所欲也義“亦”我所欲也
(何に対して)私が生を求めること (何が)私が義を求めること
『其國本“亦”以男子為王住七八十年・・・・・』
(何に対して)以男子為王住七八十年 (何が)以男子為王住七八十年
つづき
最後以外、全ての例で、(何に対して)の部分は、「亦」より前に書かれた事柄でした。
そして、(何が)は「亦」より後に書かれた事柄でした。
物によっては、(何に対して)が、幾つも前の文の内容を指すこともありました。
しかし、(何に対して)亦(何が)のかたちで、常に両者は「亦」を挟んでいます。
一方で、『其國本亦以男子為王住七八十年・・・・・』をプラムさんの言うように
男王による短期の統治が繰り返されたと解釈すると、
(何に対して)=以男子為王=(何が) となります。
他の例と異なり、「亦」より後の記述それ自体が繰り返されることになります。
>>856さんが、センテンスの中で繰り返すと指摘しているのは、このことだと思います。
「亦」より前の記述とは無関係に、「亦」より後の記述自体が繰り返される。
そういう「亦」の使用方法が、他に見出されるでしょうか。
明らかに、漢文の語法を無視した解釈です。
中国人である陳寿が、漢文の語法を無視した文を書くと思いますか?
例えて言えば、日本人である貴方や私が、文法的に変な日本語を書くのと同じことです。しかも正史で。
これに対して、「其の國も本は、(中国と同じように)亦た男子を以て王と為し」というふうに解釈すれば、
其國の前に、「中国は男子を以て王と為す」ことが省略(常識ですから)された形ですから、
(何に対して)=「中国は男子を以て王と為す」 (何が)=「倭国が男子を以て王と為す」
となり、語法的に何の矛盾もありません。
さて、語法に従って矛盾なく読めるのに、なぜ敢えて語法を無視しなければならないのでしょうか。
先に、こう読みたいというイメージがあり、それに合わせるために語法を曲げたのではないですか。
※私と
>>900さんとは、國本の解釈が違いますね。他は同じです。
>>901 > 拜卓破虜將軍,與盪寇將軍周慎並統於温.并諸郡兵歩騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵.章、遂“亦”進兵美陽.温、卓與戰、輒不利。
> (何に対して)董卓と周慎が美陽に駐屯したこと (何が)邊章と韓遂が美陽に兵を進めたこと
ここでの「亦」はこれより前の「明年春、將數萬騎入寇三輔、侵逼園陵、托誅宦官為名」に対してですね。
904 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:45:38
(何に対して)亦(何が)のかたちで、常に両者は「亦」を挟んでいるという部分について
誤解の無いように説明しておきます。
「百姓大餓,布糧食“亦”盡」の例でもわかるように、
布糧食という主語の部分は“亦”の前にありますが、
“盡”という動詞は“亦”の後にあります。
他の例も、同じく、自稱為王、自王於呉、進兵美陽などは“亦”の後にあります。
「常に両者は「亦」を挟んでいる」とは、そういう意味です。
>>900 >「其」は「倭国」です。
意味が解りません ご説明願えませんか?
>「國本」は「国の基」です。建国ではありません。また当初などの時期を表わす語はありません。
国の基なら『国基』でいいのでは?
建国としたのはあくまで解釈上です。正確には邪馬台国三十国体制が整った時点からです。
時期を示す語句などは必要ありません(亦以男子爲王住七八十年)これだけ材料があれば十分です
>「繰り返し」はどこから来たのですか?
(また)からきました
>「亦」が示すのは「複数のうちの一」でしかありません。
複数と一は別物と考えています
>「『亦』の字以降のことが何度も繰り返された」とは解せません。
あるなら例文を示してください。
「亦」一文字で(繰り返される物事)の意が存在しますので 用例などありません
しいてあげるとすれば
其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年
この文章でしょうか? 文字の意味解釈は文の構成によって変化しますから
それに、「亦」一文字には意味はありません あるのは「意」です。
「意」に味付けするから「意味」になるのです。
ここに存在する「亦」はサラの(味付けされてない)「亦」 前後の文字構成によって様々な「意味」に変化します(一定の範囲内で)
906 :
901:2007/04/05(木) 20:02:40
>>903 多分、そうではないと思います。
司空・車騎将軍の張温と部下の董卓たちが駐屯している美陽に、邊章と韓遂もまた兵を進めてきた。
だから、そこで戦闘になって張温・董卓側が不利だったけれど、流星のせいで邊章・韓遂側の兵が浮き足立って
張温・董卓側が勝ったということです。美陽という土地へ兵を進めることが繰り返されたという意味で“亦”なのでしょう。
自武帝滅朝鮮から約250年間邪馬台国(三十国体制)は、めまぐるしくリーダー(男子王)を替えながら
体制を維持した。しかし、漢霊光和中倭國が乱れ主不在に、それをきっかけに体制が不安定状態となり
リーダーの座をめぐり身内争いが続いた
これが私のベースです。
>>904 そういう意味ですか。
だとしても「章、遂“亦”進兵美陽」
(何に対して)辺章・韓遂 (何が)美陽に兵を進めたこと
だと思いますよ。
>>905 > >「其」は「倭国」です。
>
> 意味が解りません ご説明願えませんか?
「其」は代名詞です。ここでは倭国の説明をしてるわけですから「其」が指し示すのは「倭国」です。
> >「國本」は「国の基」です。建国ではありません。また当初などの時期を表わす語はありません。
>
> 国の基なら『国基』でいいのでは?
?
「國本」で「国の基」です。それを否定しても始まりません。
> 建国としたのはあくまで解釈上です。正確には邪馬台国三十国体制が整った時点からです。
時点を示す字はありません。
「國本」が「以男子為王」なのです。
国の基がそうなのですから、「建国時もそうであったろう」という解釈は極めて自然です。
ですが、それは文から当然推測できることでありますが、文が述べていることではありません。
「彼は日本人です」という文章に対して「日本人」の意味は「人間である」と主張してるようなものです。
> >「繰り返し」はどこから来たのですか?
>
> (また)からきました
きません。
「亦」が指し示すことは「このことは複数のうちの一である」でしかありません。
「亦〜〜」という文章で「〜〜が繰り返し行われた」という意になる例文を挙げてください。
くれぐれも自家撞着なきようお願いします。
912 :
901:2007/04/05(木) 20:28:48
>>907 横レス失礼します。
魏志倭人伝を読む限り、魏の時点で使譯の通じる国が三十国であることしかわかりません。それ以前のことはわかりません。
あなたは、後漢書東夷伝の「使驛通於漢者三十許國」を「三十の許された国」と特殊な解釈をされるので、
(其)=邪馬台国三十国体制なのでしょう。
しかし、「普通」は「三十ばかりの国」という意味です。だから、漢の時点で三十国体制ではないのです。
そこが、既にかみ合っていません。
おそらく、「三十の許されし国」と読みたいということと、
倭人伝の方で「三十国従う」と読みたいということが、つながっているんでしょうね。
小さな小さな可能性を拾って、間違った方に間違った方にと取っていくのは、ある意味見事です。
最初に907に書かれたイメージをもって原文に接するので、それに合わせるために亦の語法も曲げることになるのです。
望文生義の典型例です。そういう先入観をもって文章を読んではいけません。
913 :
ド素人:2007/04/05(木) 21:17:21
実はこの亦って、狗奴国の男王のことじゃないの・・・?
>>312 >最初に907に書かれたイメージをもって原文に接するので、それに合わせるために亦の語法も曲げることになるのです。
望文生義の典型例です。そういう先入観をもって文章を読んではいけません
残念でした。逆なんだけど
詰まり、間違った考えを持ったのは貴方なんですよ
>「三十ばかりの国」
「ばかり」を国語の辞書にてしらべましたか?何故「許」が(ばかり)と和語で訓じられたか説明できますか?
>>910さん
こんな中途半端なところから始まっても意味ないですよ
既に「倭國」の設定から違っていますから いくら議論しても噛み合いませんよ
ここでの倭國とは列島全体を意味していて
(倭國乱)とは列島内にある二大勢力の争いです。
917 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/05(木) 22:39:29
918 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/05(木) 23:18:21
>>911 >> >「繰り返し」はどこから来たのですか?
>
> (また)からきました
きません。
「亦」が指し示すことは「このことは複数のうちの一である」でしかありません。
「亦〜〜」という文章で「〜〜が繰り返し行われた」という意になる例文を挙げてください。
くれぐれも自家撞着なきようお願いします。
私は来たと言ってます。
何度も申している通り、「亦」は単独文字にての意が(繰り返される物事なのです)
決して「意味」ではありません
「意味」は前後の文の構成によって変化し、「亦」の文字が使用されている全ての文が用例です
>くれぐれも自家撞着なきようお願いします。
別に矛盾などしていません。貴方とは根本的に考え方が違うからそう写るだけです
>>912 >おそらく、「三十の許されし国」と読みたいということと、
倭人伝の方で「三十国従う」と読みたいということが、つながっているんでしょうね。
小さな小さな可能性を拾って、間違った方に間違った方にと取っていくのは、ある意味見事です。
最初に907に書かれたイメージをもって原文に接するので、それに合わせるために亦の語法も曲げることになるのです。
望文生義の典型例です。そういう先入観をもって文章を読んではいけません。
このようなレスが続くのであるならば、私もそれに合わせたレスを入れるか、返レスを差し控えます
919 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 07:50:03
>>912 「三十許國」=三十ジャストの国
「許」=ゆる‐す
>>915 ありえない解釈をしてその根拠に自分が想定した設定を持ってくる。
そういうのを自家撞着というんですよ。
>>919 「三十許國=三十の許された国→三十ジャストの国」
例によって例文をお願い。
>>921さん
そのへんの漢和辞典(+国語辞典)で充分調べること可能ですから
>>920 >ありえない
貴方がそう考えるのは自由です。
貴方の思考範囲だけが世の中では有りませんので
924 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 10:05:22
>>921さん
許=ばかり とする理由を説明して下さい。
★「三十許國」=
(三十チョウドの国、三十と限定された国)が漢王朝との正式国交が許された
「自武帝滅朝鮮」
「自」=邪馬台国(三十国体制)
「武帝滅朝鮮」=BC108年
『自』=基
支配される中心的なモノ
>>923 >>896 > 其國本亦以男子爲王住七八十年倭國亂相攻伐歴年
>
> (国本)=成立当初
> (亦以男子為王)=繰り返し男子が王を為し
> (住七八十年)=在位しても七、八年長くて十年
これらが逐語訳として成り立っていません。
「国本(国の根本)」を「建国当初」と訳し、「亦」を「亦」以下のことが「繰り返し」起こりと訳す。
このような独自の解釈をしながら、その根拠に自分が想定したと主張する倭国像を持ってくる。
これは自家撞着に他なりません。
「国本」を「建国当初、建国当初より」、「亦〜〜」を「繰り返し〜〜」と解釈する例を挙げてください。
私の手持ちの漢和辞典だと
「許」
1)ユルす。2)ユルし。3)あてにする。4)バカり。5)モト。6)進める。
7)「如許」で「かくのごとし」。8)「許許邪邪」で「大勢が一緒に力を出す時の掛け声」
とありましたが、「ちょうど」という意味はありませんでした。
もっとも、あなたは「許」を「許可を得た」ととったので「バカリ」を否定するためにあえて「ちょうど」という語句を付け足したのだと思いますが。
それはそれとして「三十許国」を「三十の許された国」と訳すのは文法的に語順がおかしい気がします。
これはあくまで感じですので頭からは否定はしませんが、せめて他に例を挙げていただきませんか?
927 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 14:48:15
>>926さん
所で。この書を現代、使用している文法通に読みなさいと誰が指示だしてるの?(文科省)?
>用例?
これは用例が無いと読めないの? この書を読んだ人はみ〜んな用例探しながら読んだわけ?
文法よりも漢字一字一字の根本的「意」をマスターした方がよいと思うけど。
聞きますが?
何故昔の人は「至」の漢語に(いた)る の和語を当用したの?
「許」には(ゆる)す
「亦」には(また)
>>927 つまりそのような用例は挙げられないんですね。
> 文法よりも漢字一字一字の根本的「意」をマスターした方がよいと思うけど。
それすらを無視しているあなたが何を言っているのでしょう?
「國本」に「建国当初より」などという意はありません。
「亦」に「『亦』以下のことが繰り返し行われた」などという用法はありません。
「許」
和語(ゆる‐す)の例文
●ここに車を止める事を“ゆるす”
漢語「許」の例文
●「許」の文字を使用している全ての漢語文
馬鹿にされてるような書き込みですが、書いてる本人は至って真面目にレスしています。
930 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 15:15:13
>>928 >建国当初という意ではありません。
当然だよ
「建国当初から」は「國本」の意と文から発生した意味解釈だから
931 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 15:25:49
>「亦」に「『亦』以下の事が繰り返し行われた」などという用法はありません。
当然ですよ
私が何度も説明しているのに 繰り返し検索されたのですか? ご苦労様です。
以下が繰り返す訳ではなく、『亦』自体に“繰り返される物事”の意があるのです。 その意がまわりの環境に左右され、『政権交代』と言う意味解釈が出来るのです。
何度も説明してますよ!
>>929 文法を全く無視して挙げられても困ります。
語が文章のどの位置にあるかによって用法が変わってきます。
「使驛通於漢者三十許國」
この文章では「使役、漢に通ず」が主部になります。
「者」がそれ以前の語句がこの文章の主格である事を表わしているからです。
「漢に使役を通じているもの」は「三十許國」である。
この文章の解釈としてはこうなります。
そして、ここで「許」を「許す」の意ととると「許す」主体は「三十」になります。
つまり「漢に使役を通じているもの」は「三十が国を許す」ということになり、文意が通じなくなります。
「三十の許された国」と解釈するのは語順から言ってムリです。
無論、私は総ての漢文に熟知してるわけではないですから、私が間違っているのかもしれません。
ですからこのような語順(A+B+C)でそのように解釈をするもの(A+Bした+C)を挙げてくださいといっているのです。
>>930 逐語訳として間違っており、その意味解釈の前提もあなたが想定した倭国像もしくは倭人伝像がである以上、正しさの証明にはなりません。
>>931も同様です。
あなたの説明が間違っている事を何度も指摘しています。
あなたの説明が正しいと主張なされるなら、他に用例を挙げてください。
>>931 > 以下が繰り返す訳ではなく、『亦』自体に“繰り返される物事”の意があるのです。
「亦」自体は「いくつもある(数は不定)ことの一」であることを示すだけです。
その解釈自体が間違っています。
>>932さん
私だって貴方の言ってる事は解りますよ(私も現代教育を学んできていますから) しかし、貴方も気付いている筈
現在理解されてる文法が通用しない世界が有ることを
『三十国』を許したのは『漢朝』ですよ 漢朝が許可しないかぎり国交できません
しかし、『三十』の数詞は国内問題 三十が成立する為の要因は 帝国の意図ではありません。
936 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 16:26:40
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
>>917 「魏志倭人伝」等を読む(New 1)のアドレスあってる?
2chにあまりくわしくないんだけど、そのアドレスに飛べない。
938 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 18:25:49
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
941 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 20:22:59
>>931 『亦』の“繰り返される物事”から『政権交代』と言う意味解釈が出てくる過程を論理的に説明してください。
意→意味解釈という言葉は何度も見ましたが、その過程の具体的な再現は見た記憶がありません。
942 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 22:36:35
>>941 >『亦』の“繰り返される物事”から『政権交代』と言う意味解釈が出てくる過程を論理的に説明してください。
本文『以男子為王住七八十年』の内容から(めまぐるしく短期でリーダーが交代された様子がわかり、)
ここから(繰り返す物事/亦)が政権交代であると解釈できるのです。
政権交代というものは、一度だけと回数を限定する事が出来ない為『亦』の文字が当用されるのです。
>意→意味解釈という言葉は何度も見ましたが、その過程の具体的な再現は見た記憶がありません。
過程を知る事よりもまずは(漢字の意)を知るべきでしょう。
数多くの用例やそこから導き出された意味を知っていても、肝心の『意』が解らなければ
多様に変化する意味を正確に捉える事が出来ません。
943 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 22:49:24
『許』という文字もそうです
『許』の文字も当用された文の構成によって(ゆるす)と訳されたり(ばかり)と訳されたり
多様に変化します。しかし『許』の文字の本質である『意』はどんな状況下にあっても
『許』=範囲の限定(限定される範囲) という『意』は変化しません
本質に(『許』=範囲の限定)という『意』が存在するから 時には(ゆるーす)、時には(ばかり)、などという和語に置き換えることが出来るのです
プさん!きてたーーー!
おつ
945 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/06(金) 23:27:30
そして 漢和辞典で『許』の意味が(ゆるーす)や(ばかり)と解ったなら
一度じっくり 国語辞書でも開き(ゆるーす)や(ばかり)の和語を調べてみてください。
(ゆるーす)の対には必ず(ゆるさない)が存在し、この二つがそろって初めて一つの物事が成立します
その物事の中の一部(範囲)に(ゆるーす)という部分がそんざいし、その範囲を限定するのです。それが『許』
これが大まかに『意』を探し出す一つの方法かと
一度騙されたと思って、様々な漢字で試されては如何でしょうか?
相手の考えを否定する事は何時でも出来ます。否定したところで、新しい発見が望めるわけでもないし、先に進めるわけでもない。
946 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 23:32:00
>>942 本文『以男子為王住七八十年』を(めまぐるしく短期でリーダーが交代された様子)と解釈するには、
「七八十年」が「七年八年長くとも十年」でなければなりません。
「七八十年」と書いてあれば、普通は「70〜80年」の意味になります。これは貴方も認めておられます。
ましてや直前に「八九十年」を「80〜90年」の意味で使っています。
ですから、「七八十年」という書き方自体に「七年八年長くとも十年」と解釈する理由はありません。
結局、「七八十年」を「七年八年長くとも十年」と解釈する理由、
『以男子為王住七八十年』を(めまぐるしく短期でリーダーが交代された様子)と解釈する理由は
『以男子為王住七八十年』以外の部分にあることになります。それは何ですか。
梅
>>946 彼が解明しようとしてるのは
> 現在理解されてる文法が通用しない世界
らしいです。
この何日か彼に問うてきましたが、この答えでそれ以上質問する気持ちがくじけました。
何をかいわんや、です。
プラムさんにはプラムさんの世界があるようです。
例えるならきっと、空を翔る一筋の流れ星なのでしょう。
949 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 00:27:15
>>946 >ましてや直前に「八九十年」を「80〜90年」の意味で使っています。
そうですね 或百年或八九十年と
すると、それらの前後の文も同じ内容なのでしょうか?
950 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 00:31:23
>>949 >すると、それらの前後の文も同じ内容なのでしょうか?
質問の意味がわかりません。
951 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 00:52:16
>>950 「八九十年」を「80〜90年」と解釈する為にはまわりの環境(前後の文意)も「八九十年」を「80〜90年」と
解釈できる環境が整っているという事です
ましてや
横書きの「八九十年」と縦書きの「八九十年」ではイメージ的にも違いますから(これは余談ですが)
952 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 00:54:56
そろそろ止めましょう
議論するには余りにもステージの位置が違いすぎます
953 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 01:18:00
『許』字の『意』が貴方の言うとおりだと仮定して、どのような文の構成の時に「ゆるす」と訳され、
「ばかり」と訳されるときの文の構成と何が違うのでしょうか。
そこが正確でなければ、どんなに『意』を正しく把握していても、結局誤訳になるのではないでしょうか。
漢文を書いてきた大多数の中国人は和語を見たことも聞いたこともなかったでしょう。
彼らは漢文自体にそなわった文の型による語法に従って漢文を書いてきました。
台湾中央研究院のサイトで「三十許」を検索した結果です。(十許でも百許でも良いのですが)
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-1345748923&rid=-6 三十許年とあれば三十年ばかり。三十許種とあれば三十種ばかり。三十許歩とあれば三十歩ばかり。
三十許度とあれば三十度ばかり。三十許萬人とあれば三十萬人ばかり。
「三十許○」という型は、そういう意味で使用されています。自分で前後を読んで確認してみてください
なのに、後漢書東夷伝の三十許国だけ、なぜ「三十の許されし国」になるのでしょう。
そもそも、無数の漢文が「数字+許+名詞」の型を「ばかり」という意味を表現する為に使用している言語状況で、
東夷伝だけ「ゆるす」の意味でこの型を使用して、「ゆるす」の意味を読者に伝えることが可能なのでしょうか。
「ゆるす」の意味を伝えるためには「所許三十國」などの異なった型を用いなければならないのではないでしょうか。
954 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 01:18:34
略載○○も然り。(何に対して)亦(何が)も然り。
他に語法に反した文が沢山あるのなら、話しはわかります。
しかし「略載○○」という型で、「○○は省略して書かなかった」という文章は他にあるでしょうか。
「亦○○」という型で、「○○が繰り返された」という文章が他にあるでしょうか。
無数の漢文が「ばかり」の意味なのに東夷伝の一例だけ「ゆるす」。
無数の漢文が「○○を略記した」の意味なのに倭人伝の一例だけ「○○を省略した」。
無数の漢文が「亦」の前に記述した事柄に対して、後ろに記述した事柄が繰り返されたの意味なのに、
倭人伝の一例だけ「亦」の後ろの記述がそれ自身繰り返した。
それで、本当に読者に意味が通じるのでしょうか。通じるはずはありません。
>相手の考えを否定する事は何時でも出来ます。
まさに、その通りです。何故、貴方の解釈だけ、このように語法に矛盾するのでしょう。
一度騙されたと思って、師匠の説が間違っているという見地から検討しては如何でしょうか。
中国の古典で(そして日本の古代史書でも)、
「七八十年」は「70〜80年」の意味。こんなのは漢文の基本中の基本。
「七八十年」を「七年八年長くとも十年」の意味でとるのは現代人。
こいつに何を言っても無駄だよ。自分の都合のいいように言語(!)を
変えちゃうんだから。凄いよw 先に結論ありきだからね。あとから
それに合うように解釈する。まさに鹿児島県警と同じw
956 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 07:14:24
>>953 『ばかり』も『ゆるす』も和語 決して漢人達が割り振った訳では無く『バカリやユルス』を使用する人が『許』に当て嵌めただけだよ
『許』を使用する人は『許』の“意”(ルール)の範囲の中で使用しているに過ぎない 決して『バカリやユルス』を意識している訳では無いね。意識し区別しているのは和語を使用する人だけ
彼等にしてみれば『ユルスやバカリ』は『許』の一文字で片付いてしまうから(正確には違う)
『ユルスやバカリ』の違いは漢語ではなく和語の世界 和語を知る作業だ!
だから『ユルス』と『ユルズ』の違いとか
そういう世界じゃないかな?
>>954 >無数の漢文が『バカリ』の意味
じゃあ『バカリ』の意味を語ってくれ そして
『バガリ』『ハカリ』『ハガリ』では何故いけないのか?説明願います。
>>955 『許』が笑っている(キョキョキョ…)って
ここは『バカリ』だ、いや『ユルス』だ! まるで親が子を非難し、子が親を非難するそんな世界を 他人の『許』が呆れて眺めている。
『許』は『許』
『ユルスやバカリ』は和語の世界、『許』にしてみたら『和語』家 の家庭内論争
キョキョキョキョキョ〜
『亦』の文字も然りだ
漢語『亦』には漢語用の様々な使われかたが(A.B.C…と)沢山ある。(言葉の数だけ)しかし、それらを『亦』の一文字に託し、独立した『亦』の文字が成立します。
それが辞書等に出てくる『亦』の文字
たった一文字に多数存在する様々な使われ方を集約出来るのも、それらの様々なモノに共通する事柄が存在しているから出来る事であり、その共通するものが
文字の本来の姿『意』なのです。
『意』は大変シンプル
シンプルだからこそ、様々な場面で容易に変化対応する事が可能なわけです。
それは和語(マタ)にも言える
960 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/04/07(土) 11:13:46
『亦』=(繰り返される物事)は 和語訓(また)よりも 漢音和語表記(エキ)の方が相応しいかも知れません。
『エキ』には
駅、掖、疫……… 等の文字があります。
出来ればこれで締め括りたいと思います。
「亦」なんて字を他に用例のない使い方をするより、一文字増えるけど「世々」を使った方がいいと思いますよ。
962 :
プラム ◆TOfHBAKZgM :
>世々
全然 違うと思うよ!
“重なる”事には違いないけど………???
「丗」の字意は
限定された範囲内に重なる
「+」が三つ「―」限定された範囲内に 重なる
だから「丗」は三十と密接な関係なんだよ!