1 :
日本@名無史さん:
知らないよね
2 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 07:14:05
天子様ってことで知られてたんじゃないの?
なんかどこかに神様がいるって聞いてたぐらい
4 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 08:06:19
称徳女帝の時代(奈良時代)に平民が詠んだ詩に「女帝様を誑かして…」という内容があった気がする。
5 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 10:54:23
地頭様・庄屋様・足軽組頭・地主あたりが偉い人、その上は関係なかった
6 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 14:39:46
知ってる人は知っている〜
7 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 21:29:37
他のスレで散々もめてた。結局江戸時代の田舎モンはほとんど知らない!これ
定説!!
8 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 21:40:38
農民にとって天皇は生きて行く上で何ら関わりを持たないから知っていても興味無いだろ。
生活面では領主や中期以降は寄生地主との関係で生きているんだし
精神面でも普通は一向宗などの仏教、変わったところで耶蘇教にはしるぐらいで
天皇も神道も必要とされていない。よく間違われるのが村祭りだが神話の神を祭っているのではなく土地神。
地域ごとの民話や昔話でも神道や天皇は極稀にしか出てこない。ほとんど土地神。
万世一系の皇帝だぜ
知らないわけないだろwwwwwwwwwwwwwwwww
10 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 05:18:01
昔はテレビやラジオなんかないべ
11 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 05:51:39
オラが村の神社はセゲ様だぁ、御祭神は木花咲く耶姫ちゅうだ。
天照大神のお孫様、ニニギの尊の奥様だべぇ
12 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 12:32:14
ウチのスグ傍に津島神社ってのがある。
スサノオが祭神だがそうなったのは明治から。
室町期より盛大な川祭りをやってきたが、その祭りで祭られるのは川の神様。
明治になって国家神道が地域の文化と伝統を破壊してしまった事例。
13 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 12:56:33
昔の人=無知な野蛮人ってイメージなんだろか?
14 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 13:35:39
国家神道を言い出したら、
養老律令、延喜式・神名帳もだよね
3000ぐらい神様いらしたような
15 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 13:49:00
元号があったのだから知っていただろう。
16 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 13:53:09
当然知ってただろう、水戸光圀にしろ一般の農民にしろレベルは
違うかもしれんが、天皇が一番偉い(少なくとも名目上は)ということは知っていた。
17 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 14:04:26
神様だと思っていたんだろう
仏様とは違うぜ
将軍=お上は天皇(神様)に権力を与えられ政治を行なっている
ってのが一般人の認識だと思う
あくまでも推測ですが
18 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:21:36
天皇=天子様
つまり存在は知っていても人間だとは思っていなかった。
19 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 16:48:18
>>15 改元は幕府の裁可がなければできなかった
全く知らなかったということはない。
幕府自体が大名家を支配する理屈として天皇から全権を委託された将軍が領地の支配を各大名家に委託しているという理論を唱えているから。
20 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:05:15
>>19 大名、上級武士はね。農民達はどうだか・・・
21 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 17:22:06
京の住人なら誰でも知ってるだろうが
地方の下層農民にとっては天子様っつうファンタジー世界の神様
22 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 19:23:47
メディアの発達した現代でさえ
ほとんどの国民にとって天皇なんて存在の認識があるだけで興味を引かない
天皇の年齢や名前を知っている人が全くといっていいほどいない
23 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:07:47
太平記読みやら琵琶法師の平家物語
地方の神社や寺の縁起、田舎歌舞伎での登場頻度からして
地方の農民、とくに西国ではかなり広く知られていたのは間違いない。
25 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:43:10
いや、薩摩の王は島津・長州は毛利で地方の庶(農)民等は、日本の形すら知らないんでないかなぁ・・
26 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:53:16
だれかニューステにでもFAXして答え出してもらえよ!常に真っ二つだぁ・・
内にはFAXないから・・・
27 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:56:07
漂泊民が古代天皇からの認可状という偽文書をよく持っていることに着目して漂泊民と天皇に繋がりがあると網野が唱えていたはず
小泉さんは連休中かねてODAで買収?してあるエチオピアなどを回って
日本の常任理事国入り支持再確認をアピールしている様だが、
幾らで買った?w
ODAは悪いことではないが、民主主義が未定着で政治が腐り、国内で馬鹿なことばかりやっていては
金で歓心は買えても尊敬は買えないよ。
29 :
日本@名無史さん:2006/05/03(水) 18:27:00
土着文化のレベルで知られていたのは事実です
30 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:17:58
たとえば一休とんち話しは江戸時代民間で確立されたが
このとんち話しのモデルはもちろん実在した一休宗純で彼が皇子という出自のことも話しに織り込まれている。
31 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:22:00
またこの一休とんち話しの背景には
時の権力者である足利将軍(徳川将軍の見立て)をじつは天皇の血を受け継ぐという
トンチ小僧がやりこめるという
朝廷にたいする庶民の潜在的な親しみと同情、期待が含まれていたとも言えよう。
32 :
名無的発言者:2006/05/07(日) 19:24:53
>>土着文化のレベルで知られていたのは事実です
ソースは?
これ昔の都市伝説だよ。
34 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:29:47
>>31 ほとんどの日本人は小作農
なんでピラミッドの上だけの話を日本人全体の話にするのか不明
また江戸や京に住む特権階級は社会的強者なので徳川や足利を支持するのは当たり前の話
35 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:34:04
>>34 江戸時代の基礎知識を身につけたうえで
話し(日本語)の文脈をちゃんと読みとる読解力を身につけてくださいね。
36 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:35:41
>>34 江戸時代の基礎知識を身につけたうえで
話し(日本語)の文脈をちゃんと読みとる読解力を身につけてくださいね。
37 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:37:33
伝統というと何でも良いものだと勘違いしている者が時々居るが、大きな間違いだ。
悪しき伝統、悪弊と言うものも有る。
天皇制は正にそれに当る。
天皇制が出来てからと言うもの、日本人は長い間、重税や徴用に苦しめられて来た。
自民党と公明党は教育基本法を改定して子供達に「伝統を重んずる国を愛する心」を押し付けようとしている。
伝統に固執した時、進歩は止まる。
インカやアステカの様になると言うことだ。
男尊女卑、封建的上下意識、天皇万歳、談合、天下り、癒着、町内会。
みんな伝統だ。
悪しき伝統、悪弊を断つ改革なくして、進歩は無い。
その進歩に必要な心を子供達から摘み取る積もりらしい。
国の行く末は子供達がどんな教育をされたかによって決まる。
間違った教育を受けた場合、もう、自力では元へ戻すことが出来なくなるのだ。
それが教育の恐ろしいところだ。
またバカをやって外国の軍隊に進駐してもらって正してもらうしかないだろう。
まぁそれまで、国民は散々苦しむだろうな。
39 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:53:50
>>38 おまい一人で米作って、川の水飲んで生きろ!アカ!
40 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:56:36
>>35 基礎知識?
参考までにあなたが思っている江戸時代を教えてよ
41 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:59:57
このスレ自作自演の天オタのアラシの標的になったので無視でお願いします。
突っ込みどころが満載でも我慢して無視。でないと日本史板が思想板になってしまいます。
42 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 20:37:14
荒らしてるのはいまや時代遅れのブサヨか中国人だと思う
43 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 12:15:40
荒らしているのは時代遅れのクソウヨか朝鮮人だと思う
44 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 20:28:43
>>38 何を言っても通用しない箸にも棒にも掛からないバカが製造されるだろうね。
「伝統だ、天皇万歳、君が代、日の丸、男尊女卑、男はこうあるべき、女はこうあるべき」
行き着く先は民主主義の破壊だね。
伝統を突き詰めて行けば、日本には元々民主主義なんて無かったんだから、
民主主義が否定されるのは時間の問題だろう。
45 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 20:46:06
まあ所詮は人となり他人をどれだけ説得できるかだな
行き当たりばったりの嘘で独りよがりの言うことなぞ
聞かーせんわな。妄想ハッタリをとくとくと語るアホ。
己を進歩的だと自惚れているカンチガイ野郎は
2ちゃんで説法するのが関の山だな。
>>1 少なくとも江戸時代なら
武家・貴族・それらに関連する職業従事者(この辺りは当たり前ですが)
それに、町人・自作農レベルまでは知っていたかと。
あと地域差も大きそうですね。
近畿圏での認知度は当然高いでしょうし、町人文化の花開いた江戸でも認知度は
それなりに高かったと思いますが、地方(中央から遠い諸藩)の農民レベルとなると
さて・・・何処まで認知されてたのか、御触れなどで天皇の崩御や改元それに物語
レベルではある程度知っていたとは思いますが、現実の存在としてどれだけ認知
されていたかは・・・さてさて。
>>34 > ほとんどの日本人は小作農
殆どの日本人が一次産業従事者(農林水産業)と言うならわかるけど、殆どが小作農って
それどんな資料(統計)に基づく話なの?
確か江戸時代の人口は、武士と貴族と町人が15%から(多く見積もっても)20%ぐらいだよね?
てことは、後の80%から85%が一時産業従事者として、そこから林業・漁業・被差別階級などを
除いて、70%から75%ぐらいが農民?(数字は適当です)
でもって、その農民の内訳は、自作農・自小作農・小作農の比率はどのぐらいだったの?
48 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 23:23:22
>>38 心が歪んだ右翼爺が頭の悪い若者を洗脳して右翼にする為に書いた洗脳文を
洗脳された右翼小僧が掲示板に張りまくり、それを見た自民党の国会議員が洗脳されて作ったのが
今回の教育基本法改正案だ。
洗脳される者は洗脳する者よりも知能が低い訳だが、自民党の国会議員は、心が歪んだ右翼爺よりも
知能が低いことが分かったw
49 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 23:25:37
↑悲壮
50 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 23:27:13
>>46 どういう「暦」を使っていたかによるのではないでしょうか?
東北はその点、絵文字の「暦」があったとか?
江戸時代の「暦」の発行権は伊勢神宮?
「暦」の編纂は、幕府の天文方で、朝廷の陰陽師は既に「暦」つくる能力がなくなっていたと思うのですが。
51 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 23:54:36
江戸とかなら、長屋の御隠居レベルくらいまでなら、そういうものが京都にいる、
ってことぐらいは知ってそうだけど、その認識も、百人一首のパロディなんかみてると、
徳川足利より遥か昔の大大名、ってくらいのレベルで(もっとも、その認識は概ね間違ってないわけだけど)、
地方の人にいたっては、武家やインテリ以外には、殆ど忘れ去られた存在だったんじゃないの。
「臣伏シテ惟(おもう)ニ、曩(さき)ニ維新ノ初メ皇化未ダ洽(あまね)カラズ、
辺陬(へんすう)ノ民概ネ皆故見ニ慣レ、旧習に泥(なず)ミ、
覇府アルヲ知テ皇室アルヲ知ラズ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「群黎(ぐんれい)ヲシテ親シク仰戴ノ君主アルヲ知ラシムルヨリ急且(かつ)
要ナルハナシ」
(三条実美「乞車駕北巡上奏稿」(明治八年頃)(『三条家文書』書類の部))
※辺陬−かた田舎 覇府−幕府 群黎−民衆
52 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 00:06:16
東照宮の家康公が関東人にとっては最高「天皇」だった?
53 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 00:07:34
伊勢神宮と東照宮は、信者が克ちあわなかったの?すみわけ?重複?
>>50 江戸時代以降の話なら、暦はさして関係ないのでは?(無関係ではないでしょうが)
天皇の崩御については御触れがでますし、元号改正についても告示はあったでしょうから。
>>51 長屋のご隠居レベルだけじゃなくて、もうちょっと広い範囲じゃないかな?
寺子屋に通う子供は太平記とか習ってたようだし、歌舞伎や浄瑠璃なんかでも天皇ネタは
結構あったし、あと百人一首や読み物も江戸中期以前には庶民にも広まってたようだしね。
ただ・・・後指摘の通り、どこまで「現実の存在としての天皇」を把握してたか、それは疑問だけどね。
55 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 12:20:16
>>38 学校では変な愛国心を押し付けるのではなく、
自由と民主主義、そして平和の尊さを教えるべきだ。
自由と民主主義、平和の為に結束するすばらしい国家を作ろう。
チョン天皇万歳じゃなくな。
56 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 13:23:39
「江戸時代までは皇室のことは一般の町民や農民は知らなかった。」
と、よく聞くが・・・
これは嘘です!
幕府によって序列化された庶民は、天皇との結びつきを願い、自らの尊厳の根拠と
身分解放への原理を天皇に求めた。被差別民の由緒書、職人の由緒書や偽文書には、
その起源を天皇に求めるというのが少なくなかった。
また職人や町人の中には、朝廷から位階や受領を授けてもらおうとする者も後を絶たなかったというのは、
その現われであろう。
当時、天皇や中宮、朝廷の人物を模した雛人形が百姓町民の間に売れに売れ、
幕府の統制が加わったほどだったというから、いかに庶民が皇室へ厚い憧憬を寄せていたかが分かる。
(松浦光修「菊の下草」)。
〜衛門とか、〜兵衛とか、権助など江戸時代民衆の間で親しく使われた名前は、
実は朝廷の官職名に由来している。また近松門左衛門は三十三篇もの天皇を素材とする浄瑠璃を書き、
天皇の御代を称え、天皇の徳政に感謝する劇が民衆から喝采を浴びた。
中でも天皇に忠誠を尽くした楠木正成が、当時の人々は大好きだった。
講釈場の門口に「今日より正成登場」というような張り紙が出ると、お客がどっと集まったという。
(司馬遼太郎「余話として」)。
この正成を中心とする「太平記」を題材とする作品は、謡曲、能、浄瑠璃にも数多く作られた。
そのためか、幕末に来日したロシア宣教師ニコライによれば、日本のどんな辺鄙な寒村に行っても、
楠木正成の名前を知らない無知な者に出会ったことはなかったという
そして、何よりも「おかげまいり」と称せられている一般庶民による伊勢参宮は、
庶民の自然な天皇への意識の事象ではないか。伊勢神宮は、皇祖天照大御神を奉祀するお宮だ。
このことひとつ見ても庶民のほとんどが天皇のことを知らなかった、
などという妄説はどこかに吹き飛んでしまうだろう。
57 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 13:24:32
58 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 13:56:25
天皇と神社、神社と村人の関係をみれば、
知らないほうが不自然。
59 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 13:58:16
織田信長が家来を集めて
「おまいら、天皇というのを知ってるか?」といったら
誰も「知らん」といった そこで信長が
「ワシが一番教養がある、京に天皇というのがおるというのを知っている」
と自慢したという
60 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 15:19:18
かなり誤解された形での知名度はあったかも。
武家みたいな格好してるとか…
61 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 15:33:37
俺達の教組様を知らない人は誰も居ないなんてカルト信者らしい妄想
62 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 16:00:56
過去の天皇はもういいよ。それよか問題は今の天皇だろ。
>>62 おまいは、ここが何の板か知らんのか?
今の天皇の話をしたきゃ、政治思想板でも法学板でも近代史板でも・・・
好きなとこ逝って好きなだけやれ。
65 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 17:41:28
ここの板から天皇陛下の話題がなくなれば超過疎化するのにねw
日本人なら当然日本人としてのDNAに天皇陛下のもとで歴史を作って来た誇りがある。
自然に陛下の話題になってしまうほど日本人の意識は天皇陛下とともにあるんだろう。
日本人の自然な感情を否定するのに必死なのは上からの指令だからしょうがないなw
下っ端工作員はつらいね〜www
66 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 17:44:09
天皇:神主 将軍:県知事 大名:市長 といった感覚だろう
存在は知っていても権力者や支配者だとは思っていなかった
>>65 そこまで針の丸見えの餌に・・・クマーーーー!!
68 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 17:50:42
69 :
62:2006/05/12(金) 17:50:49
>>64 温故知新を知らんのかおまいは。今紀宮様が妊娠してるんだぞ。これで
男だったらどうするよ?確実に愛子派と男派に別れて、南北朝の二の舞
になるかもしれないんだぞ。過去ばっかみてないで未来みれや
一応男だったら愛子様のけこーん相手決定にするか自由に恋愛するかの
どれかだと漏れは思ってる。他に対抗策はないのか?
>>69 だから板違いと・・・
なんのために板分割したんだよ。
71 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 19:53:05
>>59 そりゃ戦後になってから突如として現われた全く出所不明の嘘話だな
信長が朝廷を疎ましく思ってただ天皇を超える権力者になりたかっただの逸話は
信長ヲタ学者の誇大妄想、あるいは左翼学者が広めた天皇貶めの風評だろう
昨日日テレでもののけ姫観てて思った
「テンチョウ様」って天皇なんだね
日本古来の神々を殺して神のチカラと地位を簒奪するテンチョウ様
たたら場の女達がテンチョウ?誰?それ?
以外に奥深いアニメだと思った
74 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 18:34:30
一部を取り出し全部を語る天オタ
隣のオッサンがラインバックを知っているから日本人はみんなラインバックを知っていると言う
75 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 18:49:11
陛下あっての大日本帝国、陛下がおられる、我々も皇民でいられる。
我々の輝かしい未来へ、輝かしい我々の未来を誘う陛下のお言葉を
噛み締めて聞くが良い、涙して平伏すがよい、さあ聞け!賎民よ
T H E N U R U P O
76 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 18:58:10
77 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 20:12:44
>>59 それは司馬遼太郎の小説では信長の父の信秀が言っている
>>73 そもそも「まつろわぬ神」を殺す例は、
奈良時代にもあったわけで。
さらにいえば、タタラ師は知らんが、
漂白民、職能民は基本的に自分たちの特権を、
院宣に求めたり、自分たちを架空の親王の子孫に
疑したりしている。
もののけ姫は所詮はファンタジー。
ドラクエが中世ヨーロッパではないのと同じレベルで、
あれは中世日本ではない。
79 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 00:44:40
>>56 >庶民のほとんどが天皇のことを知らなかった、
>などという妄説はどこかに吹き飛んでしまうだろう
成立したばかりの明治新政府によって全国津々浦々で行なわれた、人民告諭なる教宣活動において
「そもそも、天皇様とは何者で、なんで偉くて、なんで有難くて、なんで尊ばねばならくて・・・・云々」
なんてことをいちいち説明せざるを得なかったことを考えると、
その“妄説”とやらがどこにも吹き飛んでくれなくて、けっこう難儀するんですが(笑)
>>79 横レス失礼だが。
「これから天皇を君主としていただくことを庶民に説明する必要があった」
という事実をもって、
「庶民が天皇を知らなかった」という根拠にするのも、
かなり論理の飛躍があると思うぞ。
中近世の庶民にとって天皇は稲荷や土着の神と一緒で人間の認識は無かった。
今でも天皇は人より神に近い。政治にちょっかいを出さなければ・・・
82 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 16:44:48
>>81 >中近世の庶民にとって天皇は稲荷や土着の神と一緒で
>天皇は人より神に近い
ってな内容の話を、明治政府が全国に宣教者を派遣して、説いて廻ったんだよね。
引用部分
>中近世の庶民にとって天皇は稲荷や土着の神と一緒で
→>天皇は稲荷や土着の神と一緒で
84 :
日本@名無史さん:2006/05/22(月) 21:54:16
知ってる人は農民でも知っている。
知らないやつは旗本でも知らない
85 :
日本@名無史さん:2006/05/22(月) 21:58:50
アイヌは明治時代まで
源義経や日本タケルのミコトを祭っていたって本当でしょうか?
>>1 知りまくり
御千度参りでは御所に何百万も訪れてる
欧州におけるローマ法王よりは知名度はあった
>>8 逆、逆
農民の方が天皇の出す暦を基準に生活していたし
天皇神話の祭りも農村のが多い。
維新の尊皇派を一番支援したのは農民だとしらんのか
>>79 おまえの妄想だな。
それと同じようなものは江戸時代にも戦後の占領政策でも同じよに配られてる。
単なる天皇の在り方と日本の政治を示したものにすぎず
そのような解釈は君の妄想だね。
ああ、未来の人はその詭弁の理屈で戦後まで天皇を知らなかったとか言うかもね。
>>82 無知だね。
続日本紀にも万葉集にも数有る文献にも天皇は現御神たる〜と書かれ
天皇が神と一体化する祭祀は農民の五穀豊穣の神事にも重なりが有り知識は普及してましたが。
一向一揆の時に天皇の勅命で和解したんだけど、
信徒には本願寺明け渡しは天子様の御意だと説明されたとか記録が有った。
知らないわけねーな
92 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:41:41
93 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:54:18
「京」の意味が分かっていたのなら、当然知っていたと思うが。
94 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 12:47:13
幕末まで普通の人には国家意識なんて存在しなかったんだから天皇を知ってるか知らないかは個人の知識意欲に負うところが大きい。
>>92 皇室の具体的な役割をと元のに書いてあるでしょ
歌舞伎なんかでも天皇は良くでるが統一観が無い
しかも三条自身が詳しくそこまで把握してる訳ない。
昔の人を馬鹿にしすぎなをだよな
江戸時代の人々の知識は欧州の民衆より遥かに上回る
>>89 そうだな。時代時代で似たようなの配布してるな。
確かに平成の今でも天皇関係の本や政治家の発言なんかにも
「一般は天皇の事を知らなさすぎる」
とかよく出て来るな。
未来の人は平成の人は天皇を知らないと判断www
>>91 本願寺にはあちこちに菊紋が有るくらいだからね。
勅使門も。
うちが檀家の寺にも勅使門が有るけど皆で管理していたんだよね。
天皇勅使が来ると街中でもてなした。
99 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:29:01
「覇府アルヲ知テ皇室アルヲ知ラズ」
にたいして、
>>89 >>95 >>97 の解釈ではチョイ苦しいね。
平泉澄の『伝統』っていう本の中にあることだけど、光格天皇が亡くなったさい、
このことを、鹿島神宮の神官ですら、かなり後になるまで知らなかったとか。
徳川将軍が亡くなった時には禁止される歌舞音曲の類も、この時の江戸市中では
一日中絶えることはなかったそうで、ま、知ってる人たちの間ですら、かなり軽〜く
みられていたことは確かだな。
100 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 01:43:59
>>99 おまえの曲解が苦しいんだよ。具体的なもんじゃ無いしな。細かい具体的な民衆の資料からは天皇は認知度は高い。
鹿島神宮には勅使は定期的に行ってるので単に時間差にすぎない。
光格天皇崩御の時に京都〜江戸での空気を示した史料を観な。今で言う自決者までいた。
光格天皇は飢饉の時に幕府に御製を贈り政を正した事はよく知られ御所を訪れる人数知れず。
明治の小説、文書あたりで妄想飛躍さてるが、自分との差だね。
>徳川将軍が亡くなった時には禁止される歌舞音曲の類も、この時の江戸市中では
一日中絶えることはなかったそうで、ま、知ってる人たちの間ですら、かなり軽〜く
おまえ無知だな。天皇家や将軍家に不幸が有った時には鳴り物を停止する命令が全国に発布されるんだが
将軍死去に歌が流れるならそれこそ軽く観られてる証拠。
さまざまな娯楽・文化・小説。劇に天皇は出て来る。
例えば近松門左衛門の浄瑠璃百数十のうち、天皇が登場するのは三十三編。
内、当時の天皇を扱ったと思われるものが十五編。
地方を回る芝居も、おおよそ比率としては同程度。
識字率すら関係ないごく日常に回ってくる娯楽の中に、1割以上は「そのとき即位
している天皇」が題材のものが含まれている。
また、江戸期において勅使が江戸へ往復する際でさえ、「天子の遣い」というだけで、
その残り湯を珍重した世相など、天子が明治期とも違う形で崇められていたことが
いくつも証拠として残されている。
イメージの変質については全くその通りだけど、温度差となると大いに疑問。
104 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 02:04:50
将軍死去で歌は流れてないんだよな。
105 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 02:07:30
将軍家が内親王と結婚したり、将軍家の姫が天皇家に嫁いだ時に幕府が大々的に全国規模の宣伝をしたのは無視でつか?
天皇が具体的に何してるか知らなくても、
元号が天皇大権くらいは知ってるでしょ
税や戸籍システムは日本は優れていて、年を知らない人は1%以下
107 :
日本@名無史さん:2006/05/30(火) 20:52:39
天皇の存在は今と同じ誰でも知ってたよ。しかし自分の生活にはなんの関係も無い。のも同じ。
108 :
日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:26:01
天皇という人がいるということは知っていた。という程度
109 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 04:07:25
私の住んでる地域から言います。
豊川稲荷の法祖の寒厳禅師は順徳天皇の御子で、開祖の東海義易禅師は勿論、皇胤です。
豊川閣は有栖川宮から賜った。
豊川稲荷の信徒なら昔は誰でも知っていたし、逸話や劇や布教にも使っていた。利用したと言っても良い。
逆に、明治の政策や神仏分離で余り語れ無くなった。
私の住んでる地域は明治以前の方が間違ったイメージや情報が多いけど、天皇に関する逸話は多いよ
111 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 17:43:21
>>90 そもそも続日本紀や万葉集などの文献は、当時の農民層に浸透していない。
五穀豊穣などの神事が天皇に結びつくと文献に書かれていても、
農民たちがそのように理解していた証拠にはならない。
112 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 19:17:19
天皇という言葉すらしらないんじゃない?
113 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 19:35:05
天ちゃんは知っていた。
>>111 集落の神事にも普通に記紀神話や天皇関連の口伝や物語を軸にした祭りは記録されてるけどね。
五穀豊穣神事でアマテラスは出てくるし、京に向かい祈るなどの行為もしてる。昔の人を馬鹿にしすぎ。
続日本紀なんかは知らなくても、今よりも真剣に神や霊を信じていたり、他に娯楽が無い分、神様や祭りの神話に関しては詳しい。
そもそも、農民が使う暦は朝廷が古来は出していた。
江戸時代も庶民は神宮暦をよく使っていた。
そういや雛壇のお内裏様って天皇の昔の呼び方じゃん。
私の家は地方の田舎で農民だけど江戸時代には雛祭りくらいしていて
(農民の中でも下の家なのでさすがに家には無い?のか)
近くの神社に農民が皆で小さい雛人形を共同で奉納していて記録に先祖の名前も古びた人形も在る。
宮中を模して天皇の呼び方がお内裏様って事くらいは知ってたね。
116 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:10:05
関西人特に京都人なら知ってたよ。
京都御所に納品や集金に伺った商人が
天皇に直接に判子をもらったこともあったそうだ。
商人「毎度おおきに、ここにおいて置きますさかいに、それと末の
集金どすよってよろしお願いします〜」
天皇「ご苦労でおじゃる」
(お金を数えながら)
商人「あれ、あんまし見いへん顔どすなあ?
いつもの人はどないされはりましたん?」
天皇「左大臣や他の家来衆は今日は自分ら内職の集金じゃによって
今日は朕だけでおじゃる」
商人「ごっさん(お公家さんのこと)も大変どすなあ」
117 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:27:59
>>110 貴重な事実話しありがとうございます!
お稲荷さんは江戸庶民の多くが信仰していて
江戸時代の天皇もひそかにダキニ天の秘法を行っていたらしいんですよね。
その他にも太子信仰や北辰信仰など
天皇につながる昔の信仰は案外多いんですが
あまり研究がされてないようです。
118 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:31:04
119 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:48:01
将軍の正室は皇女か摂家あたりの高貴な姫と
決まっていたからね〜。
代ごとに江戸にくだるやんごとなきお姫様の行列がなにものか
それとなくわかると思うけどね
120 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:50:33
天皇という存在は知っていたと思うが
天皇個人のことを昔の人が知らないのは仕方ないだろね。
121 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 22:57:51
ほとんど京都に封印された状態だったので
知識階級の人はともかく、一般庶民レベルでは近畿圏以外じゃ
あんまりメジャーではなかったんじゃないかな?
京都での会話
地方から来た商人「あの大きいけれど土塀の崩れた汚い屋敷でございますが
どなたか住んでいるんですか?」
京都人 「へっ?あんたはん、知りまへんのかいなっ。あそこにはな
ミカドといわはりまして江戸の公方様よりえらいお方が
住んではりまんねやで。そのお方が判子押さんと将軍に
なられしまへんのやで」
地方から来た商人「へ〜ぇ・・流し台のメーカーが公方様に判子押すんですか?」
京都人 「ドアホッ!」
地方での会話
京都にいったことのある商人
「京都にはな、ミカドと申されまして公方様より、ず〜〜〜っと
偉いおかたが住んでおるそうじゃ」
地元の人 「なんで流し台のメーカーの関係者が公方様よかえらいんじゃ?」
京都にいったことのある商人
「流し台のメーカーの関係者が偉いんじゃなくって、偉いお方がたまたま
流し台のメーカーの関係者をしとるだけじゃ」
地元の人 「なるほど、・・・京都はよう解らんのぉ・・・・」
京都にいったことのある商人
「そうじゃのぉ・・・・」
122 :
:2006/06/04(日) 22:59:59
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ´∀`) ( ´ー`) ( `∀´) ( ゚ ∀゚ ) ( ^∀^)
( つ┳∪━━∪━∪━━∪━∪━━∪━┳⊂ つ
| | | ┃ AAズレ野郎は2chから出てけw┃ | | |
(__)_) ┻━━━━━━━━━━━━━━━┻ (__)_)
124 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 00:07:16
>>121 そんなの無いよ
それに地方から御所を訪れる御千度参りも有ったくらいだしね
127 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 08:52:37
>>119 和宮が江戸に来た時は、凄い熱狂ぶりだったらしい
128 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 22:53:47
>>110 のようなネット検索では得られない
地元に根差したフィールドワークによって得た
伝承についての書き込みは大変貴重だと思うよ
129 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 23:12:44
>>127 和宮親子内親王は、将軍家茂の優れた御台所として、家茂亡き後も徳川家のために
努力をしましたね。江戸を官軍による総攻撃から救うのにも力がありました。
京女の鑑でありましょう。
130 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 00:01:39
落語で天皇が出てくる話ってありませんか?
131 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 23:48:28
>130
落語の舞台は大阪か江戸がほとんどだから話を作っても
受けないから作らなかったんじゃないの?
江戸には目黒のサンマみたいに大名をからかったのも
あったりするけどな。
>>130 あるよ
前に教えてもらったけどかなりの多く有ったみたい。
他にも、浄瑠璃、歌舞伎とか多数ある。
過去ログ倉庫だけどコピペ見付けたら今度貼るよ
133 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 14:30:11
>>130 テレビやラジオで天皇ネタの落語を全く見かけないのは
やっぱり、戦前、戦中の不敬罪が未だに尾を引いてるんだろうな
業界のタブーなんじゃないのかな。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 18:46:50
やはり識字率だよな
庶民向けの本が読めるくらいの能力があれば
日本は帝を中心とした神の国..みたいな考えになる奴も出てくるだろうよ
手習いの本ですら天智天皇の歌や仁徳天皇の故事を
口絵に載せたりしてたんだから、字が読めれば..
だが..当時の田舎貧民の大半は字が読めなかった
農民の神事には天皇神話も多く出てくるからな〜
口伝ベースでもかなり多いしね。
農民の90%は天皇系の暦を採用。
字は書けないが暦や年号など読める人が大半。税や年貢の記録や墓、位牌関係からも分かる。
ちなみに、尊皇派を支えたのは農民だったと言う事実。
尊皇運動は下級層が中心だったと言う事実。武士でも豪士。
136 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 21:04:59
天皇がこれだけのスペックならいいな。以下、『七つの威力』を羅列。
@人間の1000倍のパワー(400トンの物体を持ち上げる)
A走る速さはマッハ1(時速1200km)
B垂直に60mのジャンプ力
C皮膚の硬さは鋼鉄の100倍(6000度の超高熱に耐える)
D視力10(50m先にある1ミリ四方の物体に書かれてある文字が読める)
E10km先の猫の鳴き声が聞こえる
F反射神経速度は人間の30倍以上
マルチするわりにはつまらんね
縄文時代の我が御先祖様方は、多分知らないと思ふ
>>138 生き残りの厳しい頃、子孫を残せてるのはスメラギノミコト系豪族の元の民だよ。
140 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:22:04
尊皇農民や下級武士は
反幕府の危険分子
天皇の存在が昔の人に知られていないからって何の問題がある?
天皇はアメリカの大統領ではない。
明治以前の天皇は国民主権、民主制の原理とは全く異質な原理によって正統化されてきた。
民主的正統性の無さで天皇の存在意義を破壊できる
と思ってる近代主義者はいつか罰があたるぞ。
142 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:44:23
知らなかった。
終了。
143 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:06:22
いまはなき昔の人の信仰
稲荷信仰、天神信仰、北辰信仰、太子信仰、大師信仰、
この全てが当時は天皇と結び付いていましたよ。
学校でちゃんと教えないからとはいえ、
現代人だって、今上天皇を脳内で勝手に殺しちゃう人が多いくらいだからなあw
昔の人だって、能動的に知ろうと思わなければ、天皇陛下の事を知らないんだろうね。
でも、おいらの町の農業関係の祭りには昔から、草薙の御剣の模擬が使われてる。
ヤマトタケルを演じたりとか記録は多い。
146 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 12:59:15
>>143 稲荷=荼枳尼天
天神=菅原道真
北辰=妙見菩薩
太子=聖徳太子
大師=空海
天皇との直接の関連がわからんが?
147 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:24:42
多分、西日本と東日本で、温度差がかなりあったんだろうな。
だから江戸=東京に天皇を引っ張ってきたんだろ、明治新政府は。
>>146 それぞれの逸話に天皇が出て来たり、天皇の勅旨や関連の祭りが有ったりする。
稲荷は
>>110にありますね。
伏見稲荷も調べれば皇室との関係が分かる。
その祭りの由来をどれだけ庶民が知ってたかってことだよ、問題は
そういや浄土真宗には聖徳皇(天皇一族を尊びなさい)なんて教えがあったね
151 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 12:47:46
伏見稲荷が稲荷の総社では無いぞ
関白・将軍も天皇の臣下。
オラが殿様は薩摩守、侍従、大膳大夫、内匠頭。
153 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 15:37:49
>>1 そりゃ、支配階級や知識階級は知っていたが下層階級は天皇という存在すら
知らないその日暮らしの奴隷のようなものだったのだろう。
そのわりには農民は天皇に献上したりしていますね。
ま、空想
155 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 10:25:18
156 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 10:32:20
地方の農民は知らなかったよね。
都市でも下層階級はどうだったんだろうか?
157 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 10:39:01
>>135 農民は別に尊皇派を支持なんてしてないよ。
世直しは望んでいたけどね。
158 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 15:48:01
>>148 少しでも関連があったからみんなが天皇を崇拝していたと決め付けるのは短絡的じゃない?
159 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:22:39
>>158 スレタイを確認しろ、こら!
>>157 支持しています。少し調べればわかること。
土佐庄屋連盟とか、いくらでも証拠はある。
自分で探せタコ
160 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 18:30:51
>土佐庄屋連盟
普通の農民じゃないじゃんwバーカw
161 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:56:02
tenotakun hake-n!
領主が絶対的だったからこそ、それより上の存在って、イマイチ想像つかないんじゃないか?
天皇の存在が下にも広がっている地域は、そういう意味で、神や仏と同一視してたんだと思う。
163 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:59:29
>>162 >天皇の存在が下にも広がっている地域は、
どこのことか?
>そういう意味で、神や仏と同一視してたんだと思う。
京や江戸の民衆がか?w
164 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:13:49
鳴り物禁止令などで、大都市の一部の人は天皇の存在を知っていただろう。
ところが、大多数の農村はそうはいかなかったんじゃないか?
165 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:15:41
166 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:30:45
古代では、奈良や京の都心部だけだろう。
中世では一部の階層だけだろう。
近世では都市部の上層民だけだろう。
近代では広まっただろう。行幸と言う名の引き回しがあったからなw
上様、お上と言えば将軍様だろ
168 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:41:56
>>167 上様って呼び名は、一般の大名にも使われてるよ。
あと、お上ってのは天皇でしょう。
おかみといえば女将だろう
170 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:12:06
江戸時代には国学者が出てきて日本は神の国という思想を広めたので知識階級は
誰でも知っていただろうし、寺子屋で教えていたのではないか?
またどこにでも神社があるので神主が天皇の存在を教えていただろう。
171 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:46:42
>>102 ここらは地方だけど、それに近いのが神社で行われていた跡があるよ。
>>115 漏れの祖先も農民。そういや寺に雛壇が有ったな。
>>166 でも、地方からの献上の記録は多数にのぼるんだよね。
何百万の農民が天皇発布の暦を使い、御所には多数の民が押し寄せた記録もある。
御千度参りだったかな?
173 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:51:43
>>168 20年以上前にNHKでやってた「日本の戦後」の再現ドラマのシーンで、
芦田伸介演じる三井の重役が、三井家当主のことを「お上」って呼んでたぞ。
たかが商家の大旦那に「お上」ってのは違和感を感じたな。
174 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:01:14
天皇は暦を出してないよw
制定権は幕府にあったんだよ
175 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:04:51
>御所には多数の民が押し寄せた記録もある。
>御千度参りだったかな?
江戸時代に一度だけあった。
京の人ね。
176 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:06:58
a itaita tennotakunda.
genkikana?
177 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:11:11
>>174 それは江戸時代の一時期以降の話し。
それに幕府天文方が公認権を握っていても朝廷も出していた。
暦ってのは一つでは無い。
さらに一般にはお札と一緒に配られた伊勢暦が一番、浸透していた。
>>175 中国地方や今の福井や石川県から多くが行ってますよ。
京より寧ろ米所がメイン。
179 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:29:19
初めて自国の暦法貞享(じようきよう)暦を作るのに成功したのが渋川春
海であった。彼はその功績によって最初の天文方(てんもんかた)に登用
された。貞享暦以後は宝暦暦,寛政暦と次々改められ,1844年(弘化1)よ
り最後の太陰太陽暦である天保暦が施行された。天保暦は実施された太
陰太陽暦として歴史上もっとも精密なものといわれ,当時中国で用いら
れていた時憲暦よりも水準は上であると評されている。
伊勢暦と天皇は関係ないんだよな。
181 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:31:34
行幸なんて古代にも行ってますが
大阪や和歌山には奈良時代〜平安時代の行幸跡が有ったり文献にもある
和歌山の行幸跡には神社が有り、それをモデルにした舞が祭りで行われたりしていた
熊野詣での通りから広まっている
祭りは古くから引き継がれてるんだよね。
183 :
停止しました。。。:停止:2006/06/17(土) 14:34:30
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
184 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:38:37
奈良時代の頃はすでに本州、九州、四国を全国統一してたんでしょうか?
185 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:45:00
昔の土御門家の作ったのは皇胤にして天皇家が認定だから一様、天皇発布ね。
あと、宝暦暦などたまたま一つ当てたとか言っても実質は失敗。功績も当時は大きかったが。
伊勢暦の内容は皇室行事に則ってるし、伊勢の御師は皇室と繋がりも深い
一緒に配られたものも併せれば天皇との結びつきは感じる。
>>184 統一の解釈にもよる
大和朝廷なら出来てるけど、纏め役という感じだからな〜
九州近畿圏は支配下だけど、東北なんかは支配下とはいえない
優位にはいたけど
188 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:25:29
>>185 江戸時代の暦の制定権は公式に幕府保有。
>伊勢の御師は皇室と繋がりも深い
別に深くはない。
で、
>>178はどこに書いてあったの?
>天皇との結びつきは感じる。
別に対して感じない。
189 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 17:04:42
190 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 17:29:42
>>170 >江戸時代には国学者が出てきて日本は神の国という思想を広めたので知識階級は
>誰でも知っていただろうし、寺子屋で教えていたのではないか?
寺子屋で何を教えたの?
>またどこにでも神社があるので神主が天皇の存在を教えていただろう。
いません。神社と天皇が結びついたのはそれほど昔ではない。
>>190 前者は、読み書きを教わる中で、昔の天皇の和歌ぐらい知るんじゃないかな?
後者は、神社と天皇の結び付きが強くても、わざわざ教える必要はあるのかね?
192 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 18:57:40
和歌なら百人一首だろうね。
でも江戸時代中期以降なら和歌では無く俳諧でしょう。
寺子屋の手習いなら神主より坊さんのほうが多数派
193 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 19:21:06
雛祭りは江戸時代に一般化した。雛人形を見て武家人形だという江戸庶民はいない。
精一杯こじつけてるなw
195 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 20:43:09
>>190 、“延喜式”で天皇が神道全般に祭司権を握ったのは仏教伝来後だが古くから。(また逆本地の神が本地との考えの期間は長い)
天皇祭祀の一部を任された神祇伯白川王家は臣籍降下後も王家を名乗る事を許されたくらい深い関係。(
神祇伯白川家は花山天皇の孫が臣籍降下した花山源氏)
そして神祇伯は神祇官の長官です。吉田家も歴代神祇大副の家柄で、
戦国乱世の間に「神祇官長上」を名乗って神祇官のトップを自認していたわけで、
いずれにしても天皇制の政治組織(朝廷)の官職として、その権限において神祇行政を司っていたわけです。
さらに中世前期から古代には天皇が神道を司っていたことは明白な事実で、
近年になって神道を司る事に成り、それまでは軽く見ていたと言うのは何を根拠にしているのでしょうか?
196 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:05:39
>>188 何か曲解していませんか?
主導権は移ったが制定権なんてものじゃ無いはずだけど?なんの条文を根拠にし
てるのですか?。また実質、幕府が主導しだしたのは綱吉の時代からで>江戸時
代、と言うのには語弊があります。さらに渋川春海は朝廷が貞享暦を採用した功
績により朝廷の下から幕離れ府天文方に遷り就いたのです。また、幕府主導で公
式の暦でも一部は間違いなどが有り普及しなかったりした事もある。それに幕府
主導は
>>177さんも認めてるじゃないですか。庶民は誰が主導もしくは制定した
かなんてそんなのどーでも良いって言う史観じゃなかったのかな?中身のはず。
そして幕府主導でもやはり天皇と生活暦の部分では強く認識させる。最近、左派
に転向したと揶揄された所功氏や中森明氏ですら江戸庶民は暦を通じて天皇との
結び付きを感じたと言っていた。それに伊勢暦は土御門家のが原案に成ってるし
、中身からも北畠氏の役割や、伊勢神宮の位置付けからも天皇と深く無いと言う
には少しオーバーです。それから別に制定と言えば制定していたので構いません
。幕府の公式採用と言うのが正しいと思いいますが。
197 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:49:13
日本全国津々浦々、地方の庶民・農民誰でも、天皇の存在は知っていた“はずだ”・・・・
はずだはずだの繰り返しばかりで、具体的な史料がひとつも出てこないのは、なんで?
歴史板なのに。
>>188 おいおい、伊勢神宮と皇室は深い繋がりだろ
それとも当時は勅使のみで天皇本人は伊勢に参拝してないからとかの例の詭弁かい?
それに天照皇大神と一緒にだから分かる
あと俺じゃ無いが
『日本史研究319』同『近世日本の国家権力と宗教』
東京大学出版会19893.藤田覚「寛政期の朝廷と幕府」
「天皇から読みとく日本」扶桑社
高埜利彦「江戸幕府の朝廷支配」
『この国の生いたち』PHP 『 幕末の天皇 』講談社選書
福済物語・鮫御役所日記
『歴史学研究599』19894.同「近世朝幕関係の転換」『歴史評論500』19915.同『幕末の天皇』講談社 19946.
大口勇次郎「国家意識と天皇」
『幕藩制国家の政治史的研究』校倉書房
『日本通史第15巻』岩波
この辺りを読めば?
199 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 23:53:31
>197
いつの時代にも天皇関係は幾らでも文献も資料も多数ある。
あをたが信じたくないだけです。
当たり前すぎて
>>102>>110>>150>>145>>157>>115 のような逸話や歴史から考えるべきだね。
わざわざ宣言してる訳じゃねーし。
個人の日記なんかにも天子様とか載ってるが、妄想してるやつは、それを一般人とは認めないので。いや認めたくない・・!か。
200 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 00:43:27
>>160 農民は農民だろ
前から豪農と書いてたつもりだが
201 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 00:48:09
まあ知らないやつは今でも総理大臣が誰か
知らないやつもいるわけだから
だが明治政府がとってつけたように
天皇という存在をつくりあげたというような
話しはやはりおかしいのであって
明治以前にもそれなりの存在感はあったとみるのが
きわめて常識的な判断でしょう
202 :
◆1KAwi07cG. :2006/06/18(日) 06:25:23
欧州では法王なんてのも同じ感じなんだろうな
ていうか、この論理なら欧州での庶民はローマ法王なんて知らないだろうな
まだ、天皇関係は庶民の間にも色んな話が残っていたり祭りにも天皇関係に繋がる事が多く文献もあるけど
欧州のはキリストや神やら英雄のばかりで法王なんて一般のには出てこないし
たまに聖人は有っても血統で無いから法王には繋がりを感じない
文化知識水準でも特に識字率では圧倒的に日本>>>>欧州だからな。
暦の話がでてたので思い出したけど、日本の節分の豆まきは起源が天皇に繋がるから反対とか電波な連中がいますね。
さらに、「鬼は外」には差別があるので差別文化の節分は無くすべきとか主張してる。
それがこのスレとなんの関係があるのかな?
>>203 成田山がありますよ。
あそこは確か「鬼はそと」は言わないんじゃ?
206 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 01:11:10
>>199 それだけの話で「日本全国津々浦々、地方の庶民・農民誰でも、天皇の存在は知っていた」
と言い切るにはかなり弱くないかい。
話が近畿圏とその周辺部に偏ってるようでもあるし。
例えば、明治天皇東北巡幸のおり、汚れた野良衣をまとって野良仕事をしながら
一行の通過を眺めていた小作農民達が、どれほど天皇についての情報を持っていたか、
なにか実証的な史料ってある?
>>206 観たけど、近畿で無く東海地方が多く四国や中国地方の事のようだけど。
東北地方にも改元を識らしめたりは当たり前だし、勅使を迎えた時の事などや
江戸時代なら皇族が亡くなった時の鳴り物停止令やら徳川と皇室の婚姻を報せたりしてる事は東北にもある。
また東北で庶民にも親しまれた事で今では見直し気運もあるけど坂上田村麻呂・アルテイなどや義経に関する民話や祭りなんかでも天皇の名は出て来る。
>天皇の情報
これが何を指すかで、天皇が何をしてるとかの情報なら知ってるのは東北なんて僧侶や武家など一部だろうね。
ただ東北でも寺院なんかでは天皇の存在を認識できる。
でも、その天皇がどんな位置付けなのか?とか、役割や今、天皇は何してるのか知ってるのか?は判断できない。
208 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 09:49:55
鳴り物停止令は、大都市だけだったんじゃないの?
209 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:15:22
>>208 平泉澄『伝統』という本によると、光格天皇が亡くなった折りには、
天下の人はほとんどこれを知らず、町から管絃の音が止むということもなく、
鹿島神宮の神官であった国学者さえ、しばらくの間、この事実を知らなかった、
とのことです。
210 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 01:03:56
江戸時代に自分の子供に対し「麻呂」「幾麿」と呼ぶ風習は一般にもあったのでしょうか?
そして、その風習はどんな人達の間で使われていたのでしょうか?
211 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 01:10:50
>>205 成田山は天皇の敵を倒す為の勅願時で、朱雀天皇が名付けたくらいなので
その手のサヨは反対するよ。
それに、成田山は寛朝大僧正と言う宇多天皇の孫(高野山座主も就いていた)が開祖で、天皇との結び付きが気に喰わない人には無意味。
>>204 >>196に時刻以外の面で、天皇と生活暦うんぬんと有ったからでしょ
212 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 03:19:24
武士(官位)、僧位・香衣(勅許)、神職、職能集団の知識人は
知ってたでしょう。
9割の人は知っていたね
214 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:21:16
何時代だろうと日本人は朝目覚めるとまず皇居遥拝をしていた。
これは身分の上下を問わず、上は将軍から下はコジキまで。こんなの常識。
215 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 21:25:05
マジならただのヴァカだし、ネタにしてもつまらんし、どっちにしてもマヌケ>214
216 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 06:42:29
貴様日本人じゃないな?
217 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 09:12:42
218 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 09:40:14
拝んでたのは朝日と、夕日。
219 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 10:16:28
>識字率
江戸時代の江戸、名古屋、大阪などの識字率は7割以上。
かなりの僻地の貧しい農村でも2割以上の識字率と世界最高。
220 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 10:18:40
御所に拝みに来たのは本当。
賽銭なげもよくあった、
221 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 10:21:53
86:日本@名無史さん :2006/06/20(火) 22:26:31
たとえば一休とんち話しは江戸時代中期の成立ですが
じつは天皇の血をひくとんち小僧が
足利将軍を智恵で打ち負かす話しは
足利将軍=徳川将軍
一休=庶民、天皇
という図式が込められていると見てよい。
時の幕政批判をするのはご法度であるから
室町や南北朝の人物に置き換えて
風刺するのは当時の常套手段。
222 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 10:23:10
87:日本@名無史さん :2006/06/20(火) 22:32:31
武力では圧倒的な力をもつ将軍が
武力をもたない一休に智恵で打ち負かされる話しは
経済文化力において
武士階級を打ち負かしつつあった町人たちの自負の表れであろう。
そして彼らのシンボルは武士階級の将軍に対して
天皇であったのである。
223 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 15:05:38
何で町人のシンボルが天皇になるのか不明
224 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:36:55
>>221や
>>222を見ると、
どうして、こう、こじつけるのか不審に思う。
天皇支持派には、不信をもつね。
まぁ楠木正成なんかも江戸時代には歌舞伎など劇や話に成るほどの人気に成ったからね。
一休も江戸時代に成ってから、天皇の御子として語られだしたのは事実なんだよな。
非武士なのも重要な見方で階級や体制への不満も有った。
なにも必死にレッテル張りして非難する事でも無いと思うが。
226 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 17:15:30
227 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:04:36
>>225 一休に限らず貴種落胤話は近世以前からある。皇室に結びつける話だけでなく公家に結びつける話もね。
江戸時代に徳川氏の御落胤を名乗ると打ち首だしな。
228 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:35:31
五代将軍をめぐって幕府は大揉めとなり、京より親王将軍を迎える案と、
綱吉を将軍にする案とが対立したわけだが、綱吉の生母桂昌院は京の
八百屋の娘なので、どっちみち京都系になるしかなかった。
>>225 逆に現代の時代劇では徳川の将軍や副将軍が町に出て正義の味方になる物語が好まれている
どんな荒唐無稽な話を書く脚本家でも皇族や公家が正義の味方として活躍する時代劇など書かない
時代が変われば嗜好も変わるものんだなとつくづく思う
230 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 14:10:07
徳川の紋がなぜ葵なのか知ってるか?
>>229 今でも歌舞伎や小説には登場するよ。
それとね、アクション時代劇に皇族なんて登場させるなんて明治時代も無いよ。
時代による嗜好では無く、種類の問題。
人斬りする時代劇の主役に皇族なんて使えるか。源氏物語とかその程度。
大奥なんかでも和宮とかその手のだね。
確かにテレビのは左翼全盛の人が多いのはあるが。
232 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 16:54:20
明治時代に皇族の落胤を名乗ったりそれをネタに小説書けば不敬罪
今皇族の落胤を名乗るのは詐欺師だけ
233 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 17:00:55
一休さんのお墓は宮内庁の管理だったよね
234 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 19:53:17
235 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 19:55:18
>識字率
江戸時代は、男で4割。女だと1割くらいかな。
236 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 19:56:04
地方の農民は、
天皇のことはあまり知らなかったろうな
237 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 20:45:58
ミヤコが京都だってことを知ってた人はどのくらいいたの?
238 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 20:54:17
ってか自分が日本国民ってことも知らなかっただろ。
239 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:42:05
240 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:45:04
今でも上り下りの意味がわからない人が掃いて捨てるほどいるのに当時の人間がみんな知っていたと思うのか?
241 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:47:38
京に上る(のぼる)江戸に下る(くだる)。
日本の中心は天子様のおわっしゃる京という事は知っていた。
ちなみに現在の東京の住所は皇居に近い方から一丁目〜となっている。
242 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:49:22
>>240 現在の方が上り下りはあまり役に立たないので知らなくても構わない。
243 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:50:25
田舎の農民がそんなこと知ってるわけがありません。
244 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:52:00
>>243 根拠もなくそう思い込むのは貴方の勝手ですから好きにしなさい。
245 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:00:12
知ってたという根拠もないからね
247 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:58:34
家、代々、農家(地方)だけど神社の祭りに集落で寄進した時の台帳にと捧げられた祝詞を観たら応神天皇の名が書かれていた。
たぶん祭りの神楽なんかでも出てきたと思う。
当時の即位している天皇を詳しく知ってるかは分からないけど、「天皇を感じ」てはいた。
248 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:46:29
だいたい、どこの神社にも天皇関連の由来を書いているので識字階級なら
知っていただろう。
上流階級なら天皇家と関係づける家系図もあっただろうし。
249 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:47:08
突っ込むと、応神天皇を知っていても将軍とどちらが偉いか、将軍と天皇の違いを知っていたかはそれからは全くわからない
250 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 00:22:04
応神天皇は知っていても、現在まで朝廷が続いていることは知らなかった。
>>248 >上層階級なら天皇家と関係づける家系図もあったろうし
上層でなく、漂流の技能民たちが自らの出自を貴種に求めるべく
天皇家と関係づける家系をもった事実もある。
祇園祭りの船鉾は神劫皇后がお乗りだよね。
何故か、安産の神様になってる。
253 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 01:55:24
なんか「みんな知っていた」とか「みんな知らなかった」とかばっかだな。
オールオアナッシングの考え方しかできないの?
254 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 07:20:32
>>252 神功皇后は旦那が死んで数年後に餓鬼産んだからな
255 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 11:53:51
>>254 >旦那が死んで数年後に餓鬼産んだ
科学的に有り得んか、他の男の胤だ
256 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 14:19:11
石を腹に抱いて、生まれてくるのを抑えていた事になっている。w
257 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 14:24:02
>>255 自演臭い。
だが、それは無い。
年の意味が現代とは違う。
また口伝を後世に編纂したものだが、書き方も後付けで、それを解釈して今の年に併せてもね。
江戸時代と今ですら違うのに。
>>250 ヒント1:元号
ヒント2:税、籍などなどのシステムは完璧(元号使用)
260 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 08:40:19
元号法て不便だよな
昔の人が自分の年を知らなかったのの一因でもある
廃止して欲しい
>>260 妄想乙。
年毎の米の収穫時期の取り決めや税や年貢などにきちんと使われていて今よりも確実に知ってますね。
262 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 10:50:33
263 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 09:07:45
元号ってなんかの役に立っているの?
いらねんじゃねぇか
264 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:22:10
諸外国に合わせてイスラム歴にしよう。
265 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:56:10
江戸時代だけとっても時期により庶民の認識には差があるんじゃないのかなぁ。
捏造西暦よりかはマシ。
それなら同じく捏造暦の皇紀で良いよ。
267 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:04:07
268 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 18:58:24
元号は新鮮でいいね!
269 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 19:03:45
江戸時代の日本の君主は公方様。
知る人ぞ知る存在の京のお人は比較にならないぐらい権威が低かった(民衆レベル)。
270 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 19:03:46
早く平成が終わって新しい元号になるように願おう
毎年元号が変われば楽しいのに
あっ でも天皇のなり手がいなくなるか
271 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 18:54:16
西暦=安定している
元号=不安定
何故だかわかる?
元号は一人の人間に力ずくでかえられる脆いものだと慶応を明治に変えた岩倉具視が示したから
273 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 19:49:24
「元のご身分に戻しますぞ!」西郷隆盛
274 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 19:51:41
西暦は安定してるから使いやすいやね。
イスラム暦は太陰暦だから使い勝手が悪い。
皇紀は日本政府が使えないだろうなw
元号ほど不便なものはない。本場中国でも廃止。
知らん人間も知ってる人間もいただろ
識字層は、程度の差はあれ「京にミカドというのがいるらしい」程度は
認識していたんじゃないの
別に敬意を感じてたとか具体的思い入れはなかったと思うが
江戸時代でも後のほうになるほど認識は広がっていっただろう
一方、田舎の農民漁民は何も知らないのが大半だったろうな
276 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 13:40:05
それで、明治になって告諭や巡幸でお披露目したわけだ
277 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 16:25:34
天皇のことを知っていたのは、総人口の2割くらいじゃないか?
>>276 おまえ必死だな。
そんなもの南北朝の終わりや江戸時代や戦後にも全く同じ事をしていますが。
スレでも多くが語るように、時代・地方・身分によっても違う罠。
飛鳥時代の東北の農民には、まだよく知られてなかったよ。
知名度が「威光」に比例するとして、平安時代までにかなり広くに浸透しただろう。
逆に武家政権以降、戦国時代には存在感も薄れていたんじゃないかな。
それでも江戸時代にも、その存在は決して忘れ去られる事はなく、
天皇あってこその明治維新を思えば、その威光は絶えず輝き続けている。
下手したら昔の人よりも、
今の渋谷のギャルの方が天皇の事をよく知らないんじゃないか。そっちの方が心配。
そもそも知ってたらどうだってんだ
281 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 17:25:44
>>278 どういうことしてたの?
江戸時代にいつ巡幸があったんだ???
保元の合戦に際し、源為朝の守る白川殿西門に攻め寄せた
平重盛が名乗り
「桓武天皇十二代の後胤、平将軍貞盛が末葉、刑部卿忠盛が孫、
安芸守清盛嫡子、中務少輔重盛、生年十九歳・・・ 」
284 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 18:19:48
江戸時代の庶民の殆どが天皇の存在を知らなかった。
明治維新後明治政府は各県に「人民告諭(こくゆ)」をだして国民に天皇に
ついて教えた。それは、国民が天皇を知らなかったから!!!
明治政府が天皇の存在を日本全国に教えて歩いたってわけです。
明治政府による日本国民の奴隷化政策。
天皇は神。国民は神の奴隷。黙って死ぬまで働け!!!
死ねといわれたら喜んで死ね!!!と
明治政府に洗脳教育されて天皇の存在を日本国民は始めてしる。
285 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 18:27:12
>>284 詭弁のガイドラインだなwww
それ、おまえらが根拠無く必死に天照大神を奉じてるから天皇は奉じてると同じ論理なんだが。
286 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 18:30:53
274
曲解を必死すぎだな。
そんなもの南北朝の終わりや豊臣が天皇を招聘した時や徳川時代にも似たような配布は行われとるんだが。
昭和戦後にも全く同じこと行われとるんだが。何かあるとするんだよ。未来の人も昭和を見て同じ事言うかもね。
他にも徳川が皇室と婚姻を結んだ時や法親王を招聘した時やんかも。
江戸時代の瓦版なんかには天皇題材も多数ある。
お札降りの時には、天命とばかりにええじゃないかの歌詞に「ええじゃないかええじゃないかええじゃないか尊皇攘夷もええじゃないか」と入れてるくらい。
287 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 18:32:26
アマテラスなんて信じてるのは天皇以外いないだろ
あんな馬鹿げたつくり話、つくった馬鹿ももうちょっとましな話つくればいいのに
288 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 18:46:22
>>285 字が足りいな。
詭弁のガイドラインだなwww
それ、おまえらが根拠無く必死に否定したがる“天照大神を奉じてるから天皇も奉じてる”と同じ論理なんだが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
因みに天照の名を記した全ての書に天皇が出てくる。
289 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 19:26:19
嘘とデッチアゲの天オタの与太話はウザイけど放置でいい
信用もないし何の影響力もないから
290 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 19:32:49
自己レス乙
書き方からして信用ゼロの偏向の無知だと分かる
291 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 10:30:29
292 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 18:09:21
http://www.jiyuu-shikan.org/teachers/hattori/0601.html 先に結論を申し上げてしまいますと、我々日本人の核として、
尊皇精神はその歴史の中に一貫して流れていたというのが事実です。
尊皇精神について中学校歴史教科書には、どのように書いてあるかというと、
ペリー来航の後に突然の「尊皇」です。そこにどうして「尊皇」なのかの説明はありません。
何せ、これ以前に登場する天皇は後醍醐天皇なのです。
建武の新政以来、全く天皇が登場しないわけですから、生徒にとってとても唐突なのです。
「何で『尊皇』なんだろう?」というわけです。
教師は生徒の疑問に何と答えているのでしょうか。
実は、将軍・大名から庶民まで皆、日本人は尊皇精神を持ち合わせていました。
江戸時代の人々にとって、天皇の存在は生活の端々に登場するものでした。
例えば、「鳴物停止令」というのがあります。天皇が崩御された時、全国に発せられました。
一定期間の日数、工事などの普請や種々の騒音などを禁止したものです。
今風にいえば、「自粛」ですね。
この法令は天皇だけでなく、上皇や女院、将軍や老中などが亡くなった時にも全国に発せられました。
この「鳴物停止令」によって、庶民は生身の天皇の存在を認識してきたわけですね。
293 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 19:53:06
天皇死でも野ざらしだった歴史の事実もある
自分の人生に意味を成さないものは強制されなければ重要視なんてしない
自分自身に当てはめて考えてみればいい
みんなの周囲の人たちは天皇をうやまってる?大事にしている人いる?
それとは違って自分の生活に関することなら興味も知識もあるでしょ
天皇は生活に関連している人や時代であれば重要かもしれないがそれ以外は趣味の域をでない
天皇を趣味にしている人は天皇を過大視して趣味を理解しない人を攻撃する
天皇マニアはガンダムマニアのようなもの
294 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 09:03:07
>実は、将軍・大名から庶民まで皆、日本人は尊皇精神を持ち合わせていました。
ソースはw?
>例えば、「鳴物停止令」というのがあります。天皇が崩御された時、全国に発せられました。
>一定期間の日数、工事などの普請や種々の騒音などを禁止したものです。
>今風にいえば、「自粛」ですね。
江戸とか三都くらいでね
295 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 09:04:35
>「鳴物停止令」
天皇の停止期間はだいたい将軍の半分くらいだったかな。
296 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 09:33:06
現代日本は停止令なんて出さなくても
メディアが自主的に停止するからねw
297 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 15:21:43
12チャンネルはしないぞ。えらい!
298 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 15:46:25
イザナギとイザナミは兄弟(男と女のきょうだい)でエッチして
日本を生んだ。。。
黄泉の国から逃げてくる時に、女の方は、あそこに焼けどをおう。
誰が考えた神話だよ。
すげ〜〜すけべな、明治政府じじい達???
女好きの伊藤博文とかが好きそうな話???
299 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 02:20:15
戦国期には全く権威が失墜、公家達も含めて困窮していた。
畿内の政争でも、将軍の方が利用価値が高かった。
朝廷は畿内どころか京の都の運営にも口出しすることはできなかった。
京都は巨大な商業都市だったから裕福な商人も多数いたが、その一方で朝廷が節句の行事もしばしば延期・中止せざるをえなかった。
つまり、ほとんど無視されていた。
信長は、全く統治に関与しない権威として朝廷を再興させた。
その時点で天皇と朝廷は、統治者にとって無害で有用なお飾りとなる。
信長が右大臣の位をあっさり返上したり、それなのに嫡子信忠の昇進には積極的で、家臣の任官にも熱心だったのがその証。
つまり茶器の授与、茶会の許可を通じて茶道の権威を高めそれらを褒賞代わりにしたように、
天皇と公家は外交の道具として、官位は重い恩賞として活用した。
そのためには、朝廷を飾り立てる必要があった。
もちろん信長以前にも朝廷や茶道の権威を高めて利用した大名は存在した。
しかし彼らは天皇よりも先ず将軍を担ぎ、利用した。
将軍を排斥した信長は、お飾りの座を占めるものとして朝廷の権威付けに一層熱心だった。
301 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 10:29:24
秀吉の王政復古のあと、
家康は朝廷を閉じ込めた
302 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 14:50:06
江戸時代の天皇は駕籠の鳥
孝明天皇も幕府支持派
303 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 10:38:36
近代天皇制は明治時代の創作劇
304 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 22:40:57
徳川自体が京都系。
305 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:06:47
>>300 いや勅令がなければ
本願寺とは講話できなかったよ
306 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 23:33:28
信長はそんなことを恩に思う人間じゃないぞ
要らなくなったら平気で切り捨てるから
307 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 01:53:43
契約は双方の意思の合致
そして契約書に印鑑を押す
信長と本願寺の意思が合致したから講和となったにすぎない
天皇なんて印鑑と同じ道具でしかない
道具の天皇が講和してくれと土下座しても誰もそれを理由に従わない
道具は使用者に従う従物でしかない
でも信徒には、天皇様の勅命も有りしかたなく講和したとか言い訳していた
309 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 06:23:41
話逸らして申し訳ないけど、
幕末の坂本竜馬の知名度ってどんなもんだろう。
晩年は、地方の町人レベルにも名前は知られてたかな?
天皇と比較して、他にも徳川の有力官僚や、各藩の現職の殿様、歴史に名を残した志士達などの
知名度調査(幕末版)みたいなのあれば面白そう。
当時の人々はどの程度、世の中の情勢を知っていたんだろう?
310 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 19:29:49
一般の町人レベルでは桂、西郷は知っていても
坂本龍馬は知らなかったと思います。
311 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 19:42:33
>>307 物事を表明的、機械的に見れば
そのような見解ななりましょうな
>>307 逆に言えば天皇とゆう権威有る印鑑がなければ誰も契約書ができないってこと
313 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 19:54:12
>>312 何処の家でも実印は大事にされて神棚の奥にしまったり貸し金庫に保管したりしている。
いざとゆうときに必要なのが天皇なんだから信長でさえ廃止できなかった。
314 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:08:02
315 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 11:52:59
必死なやつが独りいるな。彼だな。
天皇がいなくても必要な時には講和する。
天皇が何言っても必要なければ講和しない。
当時の常識。
信長は天皇を廃止できなかったのではなく、廃止する必要がなかった。
秀吉は朝廷を利用するために飾り立てたの。天下人の秀吉が持ち上げたから、朝廷は力を持った。
家康の時は、力を持つ朝廷なので有害なので封じ込めた。ただし力を奪えば潰す必要はないので、朝廷は存続した。
天皇家が存続した理由のひとつに、政治力を持たない時代が長く続いた、というのがある。
それと将軍の存在。担がれたのはまず将軍で、使い捨てられたのもまず将軍から。
317 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 16:00:36
318 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 16:50:40
痛い。確かに痛い。
319 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 10:34:06
>いざと言う時に必要
誰が誰をw?
320 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 13:36:52
>>312 >逆に言えば天皇とゆう権威有る印鑑がなければ誰も契約書ができないってこと
天皇がかかわらない講和って無かったの?
321 :
あのさ:2006/07/27(木) 16:18:04
天皇が日本のトップというという認識は無かったと思う。天皇の存在さえも知らなかっただろう。
322 :
あのさ:2006/07/27(木) 16:29:43
民には天下人が誰になるかの方が重要。ただ伊勢神宮に関しては別。誰もが一度は参拝したいと願い地区で積み立てし抽選で選ばれた者が代理参拝したらしい。また神社側から今でいうツアーコンダクターのような人が宿泊、御馳走を振る舞い、参拝人口増加に力を注いだ
民衆が天皇を知らなかったというけれど、甚だ怪しい説だな。
普通、人間ってのは自分の住んでいる共同体のボスや組織について、
いくらか拙いながらも知的好奇心はある。
だから天皇って統治者の存在ぐらいは知ってるだろう。
当時は今みたいに情報通信網が発達していなかった、民衆は無知だったというが、
それは現代の便利さを過信しすぎだ。
インターネットもない時代に、
完全なる口コミだけで「高橋名人がコントローラーにパッドをしこんでいたのが判明して警察に逮捕された」
なんてデマを全国の小学生がほぼ同時期に知っていたことを思い起こしなされ。
324 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 11:40:33
前から気になってるんだけどさ、戦国時代には天皇ってどう扱われてたんですか?
やはり利用されるだけですかね?
325 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 12:06:21
井沢元彦氏の「逆説の日本史」を読んで感じた事だが、戦国時代にかぎらず
権威の源というのは天皇からきている。
天皇から征夷大将軍に任命されたから、関白に任命されたからエライという訳じゃないかな。
ただ軍事力を持っていたり、経済力を持っているというだけなら、もっと力を持った者が現れたときに
取って代わられるだけだし、その権力にも正当性は無い。
新しい政権をぶち上げようとするときには、天皇というのは無視できない存在だと思う。
326 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 12:37:19
↑じゃあ何で天皇がエライかというと、日本はアマテラスの子孫が代々統治すると決まっているから。
そう日本神話にある。(多分持統天皇と藤原不比等がそう決めた)
327 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 13:25:35
昔の人は、雛飾りの最上位にいるのがお内裏様=天皇ということは
普通に知っていた。
328 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 13:45:41
江戸時代なら一番偉い人は将軍
そして生活に関しては領主
人々に親しまれたのは昔話などの語り物でそこに出てくるのは土地神など身近なもの
人々は自然を神として崇め領主の支配で生活している
山の神や天の神でさえ天皇や記紀の神話とは関係ない
日照りでも天照に祈りはせず風神さまや雷神さま、多いのは竜神様に祈る
何でも天皇に結びつけるから神道学校の関係者は嫌われているんだよ
329 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:17:54
江戸時代は町民の文化レベルは世界でもトップクラスだったと思うので
天皇くらいはみんな知ってたと思うが。
農民も寺子屋で学んでたし、あの二宮尊徳も農民であることを考えれば
江戸時代の日本人の文化的洗練度はめちゃ高い。
お稲荷さんが正一位なのも天皇のおかげ。そんなことはみんな知ってた。
330 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:29:28
戦国時代は不明。島津・大友・毛利・本願寺・足利・織田・今川・武田・上杉・
伊達など戦国大名をみると、みな朝廷と関係を密にしている。
織田信長は別格。うつけと言われるほど変わり者で、南蛮の国作りを範としていた
ようで、経済発展・技術革新によって拡大しようとしていたよう。
まあ、天皇や将軍の権威を利用はしていたけどね。結構軽んじていた感がある。
一般の民衆はどうだったのだろう。農民という区別は当時なかったわけで
武士のような農民のような人たちが土地に強く依存して持ちつ持たれつで共同体を形成していたと思う。
たぶん、身分の高い家柄でも分家が進むと実力優先になってしまい、落ちぶれて農民になったり、
成り上がって領主になったりしていたんだろう。だから、天皇を知ってるかどうかは彼らの能力次第だったのでは?
町民は、もちろん知ってたと思う。情報は彼らにとって命だったろうから
331 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 19:12:32
332 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 19:34:42
333 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 20:25:50
何を尊いと思い何を卑しいと思うかは人それぞれ
天皇を尊いと思うのも勝手だし天皇を卑しいと思うのも勝手
天皇の名のもとに家族を殺された人達が天皇や日の丸を見て嫌な気持ちになるのも理解できるし
天皇や日の丸は平和のシンボルだと大事にする気持ちも理解できる
思想や信条は強制してはいけないってことと多様な価値観が当然ってこと
ただ自分の気持ちに関係なく天皇の軍隊に家族を殺された人達の気持ちを日本人として理解したいとは思う
現在道徳的な行動をする日本人は非国民だとか在日やチョンだと罵声を浴びせる人がいるが
日本人は本来相手の心を思いやる能力に長けた民族であり思いやりの有る人こそ日本人的だと思う
思いやりのある人を売国者呼ばわりは戦時中の非国民呼ばわりに通じるようで心が貧しくなったような気がする
334 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:03:08
>>333 どうだろうね。日本人だけを責めても問題は解決しないと思うけど。
日本人はよく言えばお利口さん。まじめで、従順でやさしい。
でも、それだけじゃ解決しないってこともあることを知らないといけない。
八方美人は必ずどこかに無理が来る。他人の悪いところは許そう、少しでも落ち度があると
自分が悪いんだ、とまじめな人ほど悩んじゃって、うじうじしてるが周りから見ると案外気持ち悪い。
自分が支持したいものはちゃんと表明する、反省するところは反省して決して嘘をつかず
地道に強きにやっていきばいいんじゃないかな。
先生がいて弱い子を守るような環境があれば、日本みたいなまじめなのはやってけるんだけどけっこううざいんだよね。
335 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:47:11
>>328 妄想だね
各地に伝わる伝承無視して語っても無意味なんだが
>>331 私から観たらあんたのが通説と違うがね
あんたのは一橋と明治学院の二人くらいしか行ってない
しかも、あんたのはさらに飛躍して見解を独自にだしてる。
ネットサイトの自称、歴史通の人のを通説と思い込んでる馬鹿ですか?
338 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 09:31:22
多くの農民は天皇を知らなかった。これ通説、
339 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 09:49:33
341 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 13:34:48
>>340 どこが納得なのか?
まるで馬鹿ですか、あなたは?
342 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 16:14:04
343 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 00:32:08
>>333 確かに何を尊いと思っても勝手だが白いものを黒いと思うのは間違い。
尊いものとして存在している天皇を尊いと思わないのは同じじゃないのだろうか。
天皇と言う地位は歴史的にも尊い地位であって動かしようが無い。
344 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 00:41:36
>天皇と言う地位は歴史的にも尊い地位であって動かしようが無い。
「天皇とゆう地位」って書かないの?勉強した?「天皇と言う」は「天皇という」でいいよ
345 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 00:55:36
江戸時代の庶民にとって京への旅は憧れで、そのための、今で言うガイドブックが
幾つも出版されており、江戸でもベストセラーになっていた。
その主なものを挙げると、「京童」「洛陽名所集」(ともに1658年刊)・
「京羽二重」(1685年刊)・「都名所図会」(1780年刊)など。
346 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 06:50:53
それらの本は庶民ではなくある程度経済的余裕があり、知識もある階層向けだと思う
でも普通の庶民も江戸、京、大阪ぐらいは知っていただろうから多少知的好奇心がある人間なら知っていたと思うよ
現代でも無知な馬鹿は総理大臣の名前も知らないしな
347 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 07:15:21
京都への旅が庶民のあこがれだからといって天皇が尊敬されていたことにはならない
現在でも、東京へ旅する人がすべて右翼であるわけではない。
348 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 09:47:35
天皇が尊敬されているかどうかの議論にもって行きたいようだな。
知っていたかどうかが論点
349 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 09:50:53
なんでまた昔から全国各地に神社ってモンがあるかなぁ???
350 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 09:51:15
>>343 どうして尊いのか?
まったくわからんw
天皇が実際に庶民の中に部分的にせよ、幻想にせよ生きていたことは
事実なのです。先ほどおっしゃった御伽草紙は庶民自身の作品とは
言えないでしょうが、最も虐げられた人々の中にも、由緒書を見れば
明らかなように天皇の影があることは間違いありません。
職人も庶民と行ってよいと思うけれども、鋳物師の由緒書や偽文書にも
天皇は生きています。
その問題でもう一つ難しい点は、民衆側の資料というか、御伽草子、とか
狂言、戦国時代に出てくる説教節などに、かえって天皇といいますか、
王朝への憧憬のようなものが見えるということです。例えば「文正草紙」は
・・・ 網野
352 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 12:50:26
天皇関係の由緒書などを持ち出すのは、武家の論理では自らの正当性を保障されない
いわゆるアウトカーストが多いんだよな。被差別部落や漂流漁民など。
実際のところ被差別民の由来が天皇周辺から来ているのは間違いないことだけど、
いわゆる由緒書は、それとは別に武家の論理からはじき出されたものの必死の自己防衛の所産。
中身は知らなくても、マルクスという名前は知ってるみたいな。
こういう要素が大きい地方、西日本を中心にして、は天皇はそれなりに知られていただろうし、
逆も言えるよね。
353 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 13:31:27
>>349 もともと各地の神社は天皇とは関係ないよ
354 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 14:02:59
>>353 じゃ勝手に地元がみんな天皇の意向なんか
聞かず神社作ったわけ?
355 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 14:24:21
>>354 あたりまえだろ!
田舎の神社作るのにいちいち天皇の意向なんか聴くわけないだろ!
356 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 14:29:40
神社が天皇と結びついたのは、明治以後。
一村一神社が強制された
357 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 15:22:21
358 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 18:39:05
>>354 サヨクが現代の神道を天理教より歴史が浅い新興宗教という理由がわかったか?
359 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:01:06
なんで全国に国分寺だの国分尼寺だのあるんだぁ?????
360 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:04:20
361 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:06:42
>>355 はい嘘です。
祭司権は天皇により確立されてました
神祇官無視で勝手に作ることは不可能です。
362 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:12:55
知識が無いから具体的な事が言えずに適当に連続レスで誤魔化す馬鹿がいるな
サヨの意見を一部だけ聞いてイメージだけで言ってるのが丸分かり
363 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 20:01:39
>>361 はい嘘です。
律令制の衰退とともに神祇官は有名無実化。近世になると吉田神社が神祇官代として全国の有名神社神官の任免を行いましたが、全ては行っておりません。
明治以降、無格社として他の神社合祀、抹殺された小神社の多くは地元の人間が勝手につくった神社でした。
364 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:08:14
日本の地方の村って新興宗教みたいな神社が勝手に乱立してたわけか。
すげ〜なぁ。
365 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:25:56
土地神祀ってたんだよ。竜神様やお稲荷さんなどの。
天皇は神道嫌いで古くから仏教を信奉していた。寺を建立し大仏を造り仏に仕える。
366 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:37:40
>>365 どの天皇だよ?
ってかそんな話は初耳?
ソースは?
367 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:42:36
368 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:46:56
>>364 おまえさん八百万の神って言葉と意味を知っているのか?
もともと神道ってやつは民俗信仰だからお前が信じている統一教会みたいな教祖とか本部とか存在しないんだよ。
中央集権政権が成立すると宗教統制のためにまとめようと言う努力も見られるがな。
>>367 御所の内侍所の存在を無視してない?
どうやって即位するんだよ。そこで祭られている神はなんだよ。
道教文化の五節句等を多く取り入れた習合の世において神道嫌いって・・・
区別して無いっちゅうのに。これだからDQNは。
370 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 21:59:36
>>367 聖武天皇?
後白河天皇?
それだけ?
125代のうちの2人だけじゃない。
>>368 そもそもの神道って
神社そのものが大和時代の豪族の居住地であり、そこでの王権真珠の儀式みたいなのが
祭りとして伝えられてきたと考えられているよな。
民衆間は、流行り病との戦いだから、それに対して効力があると噂が広まれば
橋の欄干だろうと何でもご利益のあるものとしてすがったわけだし。
民俗の祭祀は道教主体にオリジナルのものが入り組んだごちゃまぜなものだよ。
五節句が朝廷から民衆に落ちて行ってそこで各地での年中行事が生れているし。
七夕なんか各地で全然違うじゃん。
いろんなものが現世利益が入り組んで交じり合っているのが民俗の祭祀だよな。
372 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:01:04
>>368 >明治以降、無格社として他の神社合祀、抹殺された小神社の多くは地元の人間が勝手につくった神社でした。
↑
たぶんここだろ。言いたいことは。
373 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:05:06
>>367 東大寺いったことある?
大仏だけみて帰ったとか?
手向山八幡宮みた?
お寺の中に神社があるけど
どう説明するんだよ?
聖武天皇嫌ってたらこんなのつくらないだろ。
普通
374 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:05:10
>>369 すべての天皇が京都の御所にいたわけじゃないんだよ
即位の方式もその時々で違う
とにかく一度自分で調べてみたらどうだろう
人それぞれ生活が違うからずっと貴方の相手をしてあげることができないから
図書館とかで納得いくまで研究してみるのもいいと思う
375 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:07:14
>現在でも、東京へ旅する人がすべて右翼であるわけではない。
天皇は日本の象徴ですが何か?
右翼しか天皇を敬わないというのは左翼の幻想。
象徴として、中道層こそ、素直に敬っている。
>>372 一応、形なりには御輿に乗せるなり、それなりの方法を使って勧請して持ってきているって。
依代って発想がわからず、神社の社殿の中に石が置かれているのを見て、日本人は石を神として拝んでいるのかって言った
お雇い外国人と同じレベルの脳味噌の奴なんじゃないの?
>>374 図書館で研究しろって時点でガキ丸出し。
夏休みだしリア厨か。それにしても酷い言い訳。
竜神や稲荷が土地神祀って何?
379 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:30:25
>>377 なんだかんだ言いながらネットで調べたら指摘された通りだったんじゃないの?
天皇が仏教徒ってのは日本史をやれば嫌でもわかる
天オタに大事なのは事実じゃなくって「天皇の権威」だろ
「天皇の権威」のため事実を捻じ曲げ捏造とデッチアゲばかり
天オタは事実が嫌いなら強制はしない
だから天皇を崇める宗教団体の教義を一般に持ち込むな
380 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:33:19
>>379 365 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/08/01(火) 21:25:56
土地神祀ってたんだよ。竜神様やお稲荷さんなどの。
天皇は神道嫌いで古くから仏教を信奉していた。寺を建立し大仏を造り仏に仕える。
誰も仏教徒じゃないとは否定していない。
問題は神道嫌いの天皇がいたかどうかだ
381 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:48:06
382 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:53:28
383 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 22:57:21
全部仏教に関する記述が多い天皇ばかりで
神道嫌いの天皇なんて聞いたこと無いぞ。
「江戸幕府初代将軍である徳川家康が、東照大権現という神号をもち日光東照宮にまつられていることは、
日本人の常識である。『権現様』『神君』『東照宮』と称されて、徳川将軍家、旗本、譜代大名、さらには
外様大名まで、カリスマとしてその精神的な拠り所、精神的支柱として重要なイデオロギー面での役割を
果たし続けた。だが、東照大権現の神号をおくり、神としてまつったのは、将軍ではなく天皇であった。
将軍には絶対まねのできない機能なのである。
そして、神格を与えられた家康をまつる神社は、当初は日光東照社であったが、それに一段高い格を
与えて日光東照宮としたのも、幕府が勝手にやったのではなく、天皇であった。徳川家康を神にまつり、
その社に宮号をおくったのは天皇なのである。天皇なしに日光東照宮も東照大権現もこの世になかった。」
藤田覚(東京大学文学部教授)「幕末の天皇」(講談社選書メチエ)
>>363 また無知を晒してるね。
吉田家も歴代神祇大副の家柄で、
戦国乱世の間に「神祇官長上」を名乗って神祇官のトップを自認していたわけで、
いずれにしても天皇制の政治組織(朝廷)の官職として、その権限において神祇行政を司っていたわけです。
また、その吉田家が中心と成り中世に配布された「神道由来記」と「根本枝葉花実説」なんかにも天皇をヒエラルキー上のトップとしてる
現に「神道由来記」と「根本枝葉花実説」により江戸時代には王政復古と神道唯一運動が起こってる。
また伊勢神道の五部書にしろ天皇の祭司権は認められる。
386 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 23:46:28
なんつーか、国家神道が明治以降の産物であることを強調する論者って、
それ自体は間違いじゃないけど、それを主張するあまり、江戸時代以前は
天皇と神社が何の関係もなかったかのようなバカな極論をよくするよねw
>律令制の衰退
“延喜式”で天皇が神道全般に祭司権を握ったのは仏教伝来後だが、これは後世にも有効。
律令は明治まできちんと有効です。
また鎌倉幕府の武家法の第一条に神社の修復の義務が有るが、朝廷の認める神社だ。一般の祠(ほこら)なら自由だが神社は違う
ら
>>365 稲荷は天皇が一位に認めたから。稲荷神社で聞いてみな皇室、皇族との繋がりを詳しく教えてくれるよ
因みに伏見稲荷や曹洞宗系の豊川稲荷は皇族が開いた
天皇が寺社を統制することは、鎮護国家の宗教として位置づける以上、当然のことであった。
・・・すでに神社においては、「延喜式」において、名神社を選定して、諸社の格付けを果たしている。
諸々の神とその神社を天皇が等級付けをして格付けたことは、この時期、世界に類を見ないもので
あろう。後の時代においても、これらの神社は「式内社」として社格が高いものとされたのである。
脇田晴子「天皇と中世文化」 吉川弘文館
天皇祭祀の一部を任された神祇伯白川王家は臣籍降下後も王家を名乗る事を許されたくらい深い関係。(神祇伯白川家は花山天皇の孫が臣籍降下した花山源氏)
平安時代以後は天皇が神祭りを行う期間中は宮中では仏事を行わない。
(即位式は神事ではなく世俗儀礼なので、即位灌頂をします。)
夜居の僧はその間は内裏から出て行くし、二間(天皇の仏間)の観音様は校書殿に出しちゃうんだよね。
つまり神も仏も崇めるけれど、神の方が優先し、神祭りの間中は仏教を排除するという鉄則があります。
宣命や詔勅などの文書も神の方を仏より先に書く。
一般の貴族にもそういう風習があった。
決して無原則な対等な習合ではないよ。
退位すれば天皇ではないので、いくら仏を拝もうが出家しようが自由だけど、
天皇在位中は強烈な縛りがあったんだよね。
聖武天皇にしろ三法を慕えと言った天皇でも祭祀をしてる
もちろん中世には軽視し様々な神事を代理に任せにしてごく一部しかしなくなった天皇もいるが。
また神官任命はおこなってる。
>>387の一部修正
豊川稲荷は法祖の寒厳禅師は順徳天皇の継承資格も有った御子だから皇族と言えるだけど
開祖の東海義易禅師は勿論、皇胤=天皇子孫だけど皇族範囲では無いな。
ただ豊川閣を贈ったのは有栖川宮だし皇族との関係は深いと言える
391 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:31:36
>>384 一部抜粋からなんだろうけど、そこだけ読むとかなり痛い主張に見える。
東照大権現と言う神号は幕府が決めてこれでよこせと要求したものなんだから。
天皇を持ち上げるのもいいけど幕府より優位に立っていたなんてちょっと言いすぎ。
392 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:42:03
>>387 >律令は明治まできちんと有効です。
おいおい、そりゃ制度的には有効でしたが実質的には崩壊していたでしょう。
中世以降、官位のとおりの仕事している香具師なんか殆どいないだろ。
それに天皇や朝廷と関係なく成立してその後式内社などに取り込まれた神社も五万とあるぞ。
>>391 >東照大権現と言う神号は幕府が決めてこれでよこせと要求したものなんだから。
結局、「よこさせる」必要があったわけだね。幕府は、自分で自己完結はできなかったと。
>>392 成立の沿革はともかくとして、結果的には、天皇・朝廷がとりこんだ神社が「五万と」あったことは
否定できないんだね。
394 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:00:39
>>391 藤田って確か記憶では左派に分類される学者だったと思うから天皇わ持ち上げるなんて無いと思う。
因みにコピペした者ではありません。
395 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:33:00
家康の尊号については、政治顧問であった天海(天台宗)と金地院崇伝(臨済宗)
の対立の末決定した。天海は大権現を、崇伝は大明神を主張したが、大明神を尊号
とした豊国大明神(豊臣秀吉)の一族がどういう末路をたどったかという天海の主張
によって、大権現とされた。
天海は比叡山延暦寺を模した東叡山寛永寺を家康の遺志によって建立したわけだが、
寛永寺の三代目以降の住職は、必ず天皇の皇子がなるよう定められた。これが
輪王寺宮で、延暦寺・寛永寺・日光輪王寺を統括した。輪王寺宮法親王の権威は
大変高く、歴代将軍は輪王寺宮に相談をする時には自ら下座にすわった。
396 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 06:57:31
>>393 自己完結できないのは日本の権力の特徴。
天皇だって幕府がなければ経済的に行き詰まるし、権威も凋落する。
中世では権門と呼ばれるけど、近世も権門のもたれあいなんだよ。
397 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 12:51:48
384,388は学界で認められていますか?
論者の数だけ説があり一人の説を取り上げてもソースにはなりません。
398 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 12:57:56
>>397 複数の説なら、電波でもソースになるのかな?
偏った学会の認める物なら、電波でもソースになるのかな?
複数でも、学会の説でも幾らでも覆っているのにね。
お前、平衡感覚失ってるぜ。
399 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 14:23:54
>>398 ソースは?と聞かれて俺がソースだ!とか俺の親父が言ってた。っていうのをどう思うかってこと。
多数の説があって当然でその中から自分に都合のいい解釈を持ってきても、そんな何処にでも転がっている石はソースにならない。
『その説が世の中で認められている説か』どうかが重要ってこと。
個人的見解はソースにはならない。
400 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 14:32:15
自分の頭で考えることができないから天皇信者になる
本に書いてあることだというだけで権威を感じ疑いを持たない
疑問を持たない、自分の頭で考えない
そこが摂理信者と天皇信者の特徴
天皇<マッカーサー<トルーマン=米大統領
402 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 15:00:56
>>399 史学の立場の人が揃って言った事と、
考古学の立場の人が揃って言った事、
それが相反していました、
さてどっちがソースになりますか?
君の意見じゃどっちもソースになるぜ。
宗教学の人間と
やまとうた含め古典文学を理解するために有職故実に通じている人間ならともかく、
史学と考古学の人間が氏神とか祟りを恐れての祀り上げとか依代の概念をどこまで理解できているのやら。
仏は仏像として形が作られ、加持祈祷等で現世利益を求めるとともに後世の安穏を求めるもの。
お亡くなりになる手前?
>>400 結局、何も信じず、自分の思い込みだけが頼りということだね。
>>397 >論者の数だけ説があり一人の説を取り上げてもソースにはなりません。
論者の数だけ説があるのなら、結局、どれもソースにならないじゃん
いつもの極論男だな
408 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 10:46:52
近代以前の地方の小さな神社まで、
すべて天皇が支配していたと思い込んでる人がいるのは、
このスレですか?
409 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 14:00:22
ヒント
神祇信仰
410 :
世界@名無史さん:2006/08/03(木) 14:16:19
江戸時代の終わりに天皇の事しってるのは、ほんの極一部の人達だったので
明治政府が慌てて、日本国中に天皇の事を教育する機関を設けて
天皇の存在を教えた。洗脳教育(天皇カルト)の始まり。
明治政府が天皇を使って日本人をただヒタスラ働く奴隷に改造する
計画がここから始まる。軍人や財閥の為に働くのでの国民のやる気を
そこなうので、国のため、天皇の為にタダヒタスラ働くように洗脳。
働くだけで何も考えない日本人ロボットの生産が開始される。
死ねといわれれば死に。死ぬまで働けと言われれば働く国民の
生産開始。。。世界制覇をめざした侵略戦争の開始。。。
411 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 14:54:02
>>410 一元です。しかし大爆笑!
マルクス史学か?程度が低いね〜未だにこんな奴居るとはね〜
戦前の日本は暗黒だった、だって白黒写真に白黒映画だもん。
お前さんは、元禄文化とか、
江戸時代の文盲率が、世界で一番低かったなんて知らんだろ!
いいか、写真は白黒でも、目ではカラーに見えるんだよ!
天皇の血筋にないと征夷大将軍になれないのは知らんの?
413 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 16:29:40
鎌倉幕府の藤原将軍は天皇の血筋じゃない罠
414 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 17:34:14
だから二代で宮将軍と取り替えられた。
415 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 18:06:49
天皇じゃなくて源氏の血筋
416 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 18:20:42
というより御輿として担ぐのにふさわしい名門
と考えたほうがいいのでは?
417 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 18:37:11
>>411 嘘はいらない。勉強できない奴の受け入れ先神道学校の奴に発言権は無い。
418 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 19:54:19
天皇を利用した、天皇を形だけ置いた、天皇を神輿として担いだ。
こういう言い方は飽き飽きするほど聞くが、何のことはない、天皇の権威に
依存しないとやっていけなかっただけのことだ。
>>418 歴史を通じて漢文が公式な文章だった事が影響あるのか、日本書紀に縛られ続けたんだよな。
それだけ学門が時代を通じて盛んだったって事だけど。
中国みたいに支配民族が入れ替わっていると、諸子百家の文章なんかも散逸して、学門に連続性がなく
逆に日本から研究成果とともに逆輸入されるようになったのにね。
420 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 23:00:10
>>416だけど、将軍のことを言ったのだけど、
流れ的にわかると思うが、
421 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 23:30:05
>>418 逆。中世以降天皇を頂点とする朝廷は権力に寄生しなければ生きていけなかったから尻尾を振って権力の尻の穴を舐めて生き延びてきたんだよ
422 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 23:36:56
幕府が最も怖れたこと=朝敵となること。
江戸幕府は、西国諸大名が参勤交代で京都を通ることを禁じた。
西国諸大名が朝廷と結ぶことを怖れたからだ。
423 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 00:10:59
朝敵になることではなく、有力外様が朝廷を唆すこと。
424 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 10:31:21
近代以前の地方の小さな神社まで、
すべて天皇が支配していたと思い込んでる人がいるのは、
このスレですか?
425 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 13:55:52
みごとに幕府の目論見どおり、
朝廷を閉じ込めることに成功したわけだが。
>>411 サヨのプロパガンダに洗脳されたか捏造と曲解工作してる奴でしょ
単なる新統治体制を示した単純な文章を変な屁理屈で機関とか
>>424 天皇制の序列下に置かれてます
なをなら具体的な江戸時代の神社名を出せよ
また天皇の捏造かよ
トンデモネタに若い子はすぐ影響されるから困るね
サヨクネタはムーとか載せた方がいいんじゃね?対応にウンザリ
天皇絡むと絶対に信者が捏造
信者の信じる日本史は受験では不正解なんだよ
日本史不得意な奴がトンデモ皇国史観にはしるから常識が無い
431 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 23:58:29
マルクス絡むと絶対に信者が捏造
信者の信じる日本史は受験では不正解なんだよ
日本史不得意な奴がトンデモマルクス史観にはしるから常識が無い
女庭訓であの内容なら、ある程度の層の奴らはみんな知っていたんじゃないの?
百人一首に触れる機会が合った層なら確実に知っているだろうし。まぁ、江戸以降だけど。
433 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 00:13:09
>>430 >>431 皇国史観もマルクス史観もみんな受験では不正解
ところで431に聞きたいんだけどマルクス史観なんて聞いたこと無いんだけど
日本史をマルクス史観とやらで語ってみてくれないか
435 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 11:48:41
>>434 俺は431じゃねーけど。
マルクス史観の特徴って、過去を暗黒時代に考えるってやつさ。
だから戦後日本は酷い国で、酷い事を外国にしたってね。
でも大正デモクラシーに、元禄時代にいい時代があったのにね・・・
マルクスの奴等は無視するけどね。
その証拠に中国やロシアでは、前政権の高評価なんてまずない。
ちなみにマルクス史観は、中国の儒教により作られている。
戦後日本 ×
戦前日本 ○
437 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 12:01:04
マルクス史観って唯物史観のことじゃないの?
438 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 12:09:02
歴史が当時生きていた人間の営みの積み重ねである以上、
その当時の人間の思想や、宗教を無視して語ってはいけない。
物事を1つの物差しで測ろうとする考え方は間違っている。
439 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 12:12:16
とりあえず通説じゃない史観は世の中に通用しないってこと
受験生の人は皇国史観やマルクス史観を吹き込まれないように気をつけてね
441 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 12:23:33
おい受験対策?ここは予備校板か?
まー結局
>>435の結論に落ち着くから、
お受験の人は先生の言う事聞けよ。
追加だけど、
資本主義の進化した形が社会主義だと説いたけど、
間違いは誰の目にも明らかですね。
まー頑張れよな!
442 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 12:41:45
>>441 ブブー!外れ。
>>435の出鱈目を書いた奴はみんな多浪して国士館か國學院にしか行けない。
江戸時代を否定した皇国史観もマルクスかよ。W
>>442 ぷぷー!外れ
このままじゃ君も多浪して国士館か國學院にしか行けない。
江戸時代否定繋がりだけで、なんで皇国史観とマルクスが一緒になるの?
444 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 14:14:22
皇国とマルクスも思想は違えど根本的に一緒つまり。
皇国「天皇は全て正しい他はクソ」
マルクス「民衆は全て正しい他はクソ」
PUは馬鹿だな
446 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 14:39:55
>>444 結果として江戸時代否定になっただけで、皇国史観
とマルクス史観は正反対だろ、皇国史観は一種の
宗教観なわけだし。
447 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 14:59:54
マルクス史観も十分宗教的だろ。
自分の思想を押し付け自分以外は否定してるんだから。
共産圏で言論弾圧してない国があったか?
449 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 15:28:31
元々いかれてます。
450 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 17:27:58
通説で語ろう
451 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 18:48:38
452 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 18:53:02
天オタくん!もう嘘はつかないでね。間違ったこと吹き込まれるのは迷惑だよ。
453 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 20:06:19
>>451 マルクスの思想とマルクス「主義」は違うよ。貴方がそこに挙げている
のは、唯物(ただもの)論と揶揄されるマルクス「主義」、つまり旧ソ連、
中国、北朝鮮といったアジア諸国におけるマルクス「主義」でしかない。
日本も含め、アジア諸国の共通点は近代ブルジョアジーを産み出せなかった
点にある。マルクスは近代ヨーロッパへの検討・批判によって彼の国家論・
経済論を構築した。
454 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 22:40:06
皇国史観と北朝鮮の主体思想が似ている
455 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 22:53:32
笑わせないで下さい。
このように唯物史観をまともに説明でき無い、
貴方たちが、幾ら引用でごまかしても、
答は一つですから、
難しい言葉使っても、説明になっていませんよ。
ところで唯物史観の目的はなんですか?
抽象論はやめてください。
目的の無い政策論はありませんよ。
456 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 23:04:40
>>454 そりゃ似てるわな。戦前天皇制の共産主義風アレンジが主体思想だから。
共産主義国家でタブーの世襲を実現するために頭絞ったんだろうな、北のエリート達が。
457 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 23:35:19
元々マルクスなんてユダヤ教がベースになってる一神教なみのカルト
458 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 23:37:12
とユダヤ礼賛の幕屋さんがおっしゃられております
あほ大中華の儒教に決まってるだろ!
だから残酷なんだよ。
460 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 23:41:49
皇国史観だの唯物史観だのあくまで「史観」だろ?
学問としては価値0。
461 :
日本@名無史さん:2006/08/05(土) 23:43:43
そりゃ珍説だろ
おめぇら孫子の兵法書って、
何故有名が知らないの?
ソ連が使ったからだよ。
464 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 00:12:52
465 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 00:16:08
466 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 02:08:19
>>463 俺はナポちゃんが使ったからだと思った。
>>466 武田信玄が風林火山って言葉だけをパクって使ったからでしょ。
468 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 03:02:03
お前ら、ユダヤ人って何か知ってるのか?ユダヤ教徒のことだぞ。
ユダヤ人という人種がいるんじゃないぞ。
469 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 03:13:35
いやいや北畠公だ
470 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 04:42:41
>>455 つまり唯物史観から見たら天皇だろうが織田信長だろうが英雄や君主の功績はすべて民衆が作ってただ自然に共産主義の道に歩む。
こんな感じ?
471 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 04:43:37
「ベルツの日記」
明治十三年十一月三日(東京)
天長節。この国の人民がその君主にほとんど関心を寄せていない有様をみることは
情けない。警察の力で、家々に国旗を立てさせねばならないのだ。自発的にやるものは、
ごく少数だろう。
472 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 10:09:12
>>470 いや、唯物史観からみたら、天皇や信長の事績も当時下部構造である経済構造、社会状況によって必然的にそういう行動を取っただけ。
だとおもう。直接共産主義には関係ないよ。
473 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 15:35:40
現実 共産主義がすたれた現状は関係ないのか?
みんな縦割りに考えるから、
日本人はディベートできないって言われるんだ
474 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 16:46:01
歴史観があって、その中に唯物史観やマルクスとか皇国とか色々あるさ!
これら複雑に絡み合い、同じ所もあれば、違うところもあるし、
補い合ったり、対抗するように出来たものもある。
だから史観とか、主義なんて別々に考えると、訳が解らない事になる。
>>451のように的を得ない、説明に終始することになる。
だから資本主義に共産主義のように、比較して検討して、
その特徴をキチンと把握しなければならない。
このように貴方の主義主張を構築しないと、
>>472のような不自由な脳味噌になってしまうぞ。
475 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 17:07:05
天皇を支持する人々の団体は
いくつかの地域にそれぞれ脈々と受け継がれてきました。
それは古い記憶をもつ人達で、強いていえば
日本国が始まる頃にまでさかのぼる
原日本人達の集団でした。
476 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 18:09:54
原日本人はどちらかといえば、朝鮮系ヤマト征服王朝に迫害されたクチだろ?
477 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 18:55:20
>>471 日本には誕生日を祝う習慣がなかったからな
いいんだよ
カトリックの教会史なんて捏造だらけなんだし
そういや主体思想ってカトリックと同じ宗教部門に載ってたな
宗教年鑑でも
479 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 19:36:20
>>478 宗教年鑑を見るなんて言う人がいると… 引く
480 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 19:41:31
個人崇拝やってるやつだけはマジ、ダメ 普通の商品を高貴で貴重な品だと売りつけるのは詐欺
普通の人間を高貴だと押し付けるやつには近づかないのが大吉
助さん格さんを連れている旅の隠居が天皇の尊さを行く先々で説いて回っていたらしい。
482 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:32:07
>>476 日本、日本国の成立は天皇の成立と同時期か後ですよ
483 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:35:55
>>480 まるで理解してませんね。天皇を尊ぶのは個人崇拝とはまったく違いますよ。
まったくの無知、誤解から出発した批判というのは
諭しようがないなあ
484 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 20:39:29
江戸時代のキリシタンは幕府の無知、誤解から
ひどい弾圧を受けました。
ずっこけそうな話が続くな
486 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:26:21
487 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:33:58
どうでもいい商品を売りつける詐欺師は
「この商品だけは他の商品とは違うんです」と言う
「やっぱりいらないです」と断ると「あなたは無知だ!誤解している!」
とわめき捨て台詞を吐いて消える
押し付けられる価値なんてゴミ
本当に良いモノなら押し付けられなくてもみんなほしがる
488 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:39:17
489 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:50:02
自分の頭で考える賢い消費者に断られた詐欺師が玄関に唾を吐いて帰っていく
490 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:54:09
>>489 という結末の妄想でした。終わったら現実を冷静に見る訓練をしろよ。
491 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:55:46
一体誰が押し付けていると言うんだ?
492 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:58:42
どんなにしつこくわめこうが
「天皇なんて俺には必要ないですから」
他をあたってくれ
493 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 22:00:33
>>492 あなた以外の人はみんな天皇を必要としているのに…
494 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 22:07:25
>>492 ここは天皇を語るスレの一つだから
あなたがよそに行くべきです。
誰もあなたに天皇を押し付ける人のいないところにね。
なぜ天皇を押し付けないでくれと言ってる人が
わざわざ天皇関連のスレッドに来るのか?
天皇とは関係ないスレッドに行きなさい。そうすればあなたの問題は解決します。
495 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 22:10:52
マゾなんださっしてやれ。
496 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 22:30:20
そんなことよりおまえらブルマについて語ってみようぢゃないか!
497 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 23:10:17
だが断る。
498 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 00:02:15
>>494 左翼系の天皇スレは過疎だから寂しいんだよ
>492中国にでも移住すれば寂しくないぞ
499 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 09:41:23
神社の国家統制って、明治以後にはじまったんだよね。
地域に一つとして、周囲の小さな神社を合祀して廃した。
近世までの各地の小さな無数の神社は天皇とは関係ない。
あるとすれば後付け。
500 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 14:53:10
>>499 また東広島電波だろ
江戸期に始まってるよ!
神武天皇陵なんて、ありゃ神社で、
江戸幕府が作ったんだよ。
おかしいと思ったら行ってみろ!
501 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 21:40:26
塵霧稜・・・
確かに朝廷が「お前には東照宮がある。漏れには東照宮がない。東照宮がほしい。東照宮を造ってくれ。」
と駄々をこねて捏造してもらったものだけど・・・
かなり痛いよ
502 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 01:23:39
神武天皇陵の探索は、江戸幕府がその初期から行っていたというのが事実。
幕府の手によって天皇陵を整備することが、幕府の権威づけになるから。
幕府というものの一大欠点は、自前で権威をつくれなかったことだ。
どれだけ権力を持っても、権威は朝廷に依存しなければならないのが日本の
特徴。
503 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 01:50:11
>>502 じゃ、今現在も・・・・政府があるのは
天皇陛下のおかげだ
504 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 10:04:51
徳川幕府は絶大な権威を持っていたよ。
それを文治政治に移行させる時に、大権委任論が出てきた。
505 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 21:39:42
>>502 江戸幕府が朝廷を挙げ奉ったのは家康が頼朝オタだったことが大きい。
東広島電波発信中 同時警戒プラム臭
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507 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 22:04:14
>>1 >昔の人って天皇のこと知ってたんですか
知りませんでした。
世界中どこでも近代以前の民衆は、国王の名前も首都の名前も国の名前も
知りませんでした。
知っていたのは村の名前とお城の名前と領主様の名前くらい
それで生活に不都合はなかったし、学校もテレビも新聞もなかったんだから
知りようもなかった。
508 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 22:26:41
>>507 太平記や百人一首を知ってた江戸時代の庶民は普通に知っていただろ。
509 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 22:36:41
江戸時代でも元禄、明和、天保、慶応、万延など、元号を用いていたので、
元号を定める天皇、朝廷の存在は知っていたはずだ。
というより天皇の存在意義はそれだけだったのではないか?
毎年「ひなまつり」が有ったので皆知ってたよ。
ひなかざりは御所を表しているからね。
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512 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 22:45:40
庶民は太平記や百人一首を知りません
知っているのは知識階級です
今でも太平記や百人一首をしているのはごく一部の人間だけです
渋谷でパンツ見せながらウンコ座りしているネエチャンたちは知りません
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514 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 23:28:54
515 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 23:48:21
寺子屋で必ず太平記や百人一首教えていたのか?w
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517 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 23:51:44
ここは極東や近代史板とは違うぞ
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519 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 00:28:42
520 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 00:33:25
>>519 これを見る限り識字率が高く普通に知ってると思うぞ。
>>515 教えてはいないが大部分の庶民は知ってると思う。
521 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 00:43:13
>>519,520
自作自演乙
どこにも太平記や百人一首と言う言葉は出てこないが?
522 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 01:12:04
>>521 別に自作自演でやったつもりじゃない携帯なのでがURLが打ち込めなかったからそうなった。
あと俺が言ってるのは識字率が高いから普通知ってるだろってこと。
百人一首は知らんが太平記は忠臣蔵が出来た経緯を知っていれば普通に分かる。
523 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 01:18:19
524 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 02:01:42
江戸時代には「太平記読み」ということが広く行なわれ、
講談・芝居を通じて楠木正成の挿話は江戸庶民なら誰でも知っている話で、
江戸庶民の倫理観の根本となっていたからです。楠正成・正行の親子は
太平記でもっとも好意的に描かれている人物であり、天皇に対する「忠義」・
さらに正行の母に対する「孝心」は庶民の手本とされました。
このことは明治の世になっても引き継がれ、楠親子は旧制小学校の教科書の題材にもなり、
小学唱歌「青葉茂れる桜井の・・・」(「桜井の訣別)」という旋律とともに国民的美談として喧伝されていきます。
水戸光圀(黄門)が摂津湊川(いまの神戸市)に「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」という
正成の墓碑を建立したのは元禄4年(1691)のことでした。
正成・正行親子は、江戸の庶民のヒーローであり、「忠孝」の理想像であったのです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin36.htm これが真実。
525 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 07:30:45
それのどこが寺子屋で太平記を教えてた証拠なの?
526 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 09:45:33
太平記とは、皆の助力で政権を手に入れた後醍醐天皇がその恩を忘れ、
無能で何の功績も無い公家を重用し国民には減税どころか負担を増やし
勲功のある武士をないがしろにしたため国中が後醍醐天皇を倒せと燃え上がり
足利尊氏を救国の英雄に選んだ
尊氏の活躍譚が太平記の本質であり後醍醐天皇は南北朝の対立を生んだ天皇家の敵でもある
尊氏が人々のヒーローであり人々の信奉を集めて立てられた理想の君主像
識字率が高いから太平記を皆知っているだと。
なんでそうなるの?
528 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 17:21:55
529 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 17:31:17
>>528 これは俺が貼ったやつだが。
仮名手本忠臣蔵は太平記の時代に置き換えて幕府の検問を逃れた。
太平記を知らなければ分からないはずだから知らないといったほうが無理だと思う。
ちなみに太平記読みといった職業もあったと書いてある。
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531 :
太国:2006/08/09(水) 19:14:12
>>529 だからどこに日本中の寺子屋では太平記の講釈が必修だと書いてあるんだと言ってるんだよ。あなたの推測はどうでもいいの。
太平記読みはいたけどそれだけで寺子屋で太平記の講釈が行われていた証拠にはならない。
仮名手本忠臣蔵はそのままの時代では上演できないから前世に仮託しただけ。そんな例は他にもあるし、太平記とは全く話が異なるから太平記の知識は全く要らない。
532 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 19:55:09
>>531 何か誤解してない?
俺は
>>512が知識階級だけしか太平記を知らないと断言して庶民は誰一人知らんといって庶民はそこまでバカじゃないと寺子屋を出しただけのつもりだったんだが、まあこれは俺が悪いので謝る<m(__)m>失礼した。
でも俺も
>>520で寺子屋で必修で教えてはいないといっているその辺は誤解しないでくれ。
あと太平記は知る必要ないと言ってるが高師直を悪役にするにはある程度高師直の実態を分からないと誰が誰だか分からんと思う知識だけでも詰め込んでおかないと何故太平記なのかは分からないと思う。
533 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 21:20:30
尊氏自身は尊皇派だと思われる
反逆者と言われたが本人は天皇に
弓引く気は無かったと思う
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535 :
左中将:2006/08/09(水) 21:33:42
>>531 横レスだがおまえはたわけか!?
「太平記読み」の意味がわかっているのか?
さらに識字率も関係ない。聞くものだ、たわけが。
さらに江戸初期からは一部の武士たちの熱烈な要望から
武士にたいする講釈が起こり「太平記理尽ショウ」
が記された。
皇居な向かって土下座して謝れ!
536 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 21:35:33
左中将ってのが馬鹿だと思う
537 :
左中将:2006/08/09(水) 21:47:43
>>536 どの点が馬鹿なのか
具体的に指摘していただこうかゴラ
538 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 22:01:06
学歴と内申書を思い出すといいんじゃないの
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540 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 22:19:17
>>535 だからお前が馬鹿じゃなければ日本全国の寺子屋で太平記がテキストとして使用されていたソース出せよw
541 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 23:12:38
>>540 おまえは馬鹿というより異常だ。
けがらわしいから去れ!
543 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 03:25:14
そういえば今週のヤンマガのセンゴクは、
足利義昭が池田知正・内藤如安らとともに二条城に篭城
→信長が道を遮断、四つの出城で囲み、上京を火の海にして完全包囲
→足利義昭が朝廷に泣きつき、天皇の命で信長が和睦に応じる。
までの経緯がかなり抜けてたなあ。あれじゃあ篭城した義昭がどうなったのか、
なんで生き残ったのかとかぜんぜんわからなくなるよなあ。
とくに十字型軍旗をかざすキリシタン大名・内藤如安軍2000人の二条城入城
とか朝廷の介入とかは見せ場だと思っただけに残念だったな。
544 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 12:58:10
東京十社
根津神社(文京区) 祭神:須佐之男命 創建:1706年
芝大神宮(港区) 祭神:天照皇大神 創建:1005年
神田明神(千代田区)祭神:大己貴命・少彦名命・平将門 創建:1616年
日枝神社(千代田区)祭神:大山咋神 創建:1478年
亀戸天神(江東区) 祭神:菅原道真 創建:1622年
白山神社(文京区) 祭神:ククリヒメノミコト 創建:1355年
品川神社(品川区) 祭神:アメノヒリノメノミコト 創建:1186年
富岡八幡宮(江東区)祭神:応神天皇 創建:1624年
王子神社(北区) 祭神:伊那那岐尊 創建:1322年
氷川神社(港区) 祭神:大己貴命・須佐之男命 創建:951年
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-enmt/index1/10sya.html
545 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 14:22:30
これらの神社が調停の許可でできたと思ってるの?
546 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 14:25:30
信長は後に朝廷をのっとろうとしたようだね
547 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 14:42:08
昔は村ごとに神社があったから、
天皇が把握してるとなると、
とんでもないことになるなw
548 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 14:49:19
神田明神って平将門を祭っていて、
江戸時代には幕府の意向もあって大人気の神社だったね。
明治になって新政府に気を使った神社が、
将門をオマケみたいにしたけどね。
549 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 15:12:25
551 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 16:06:14
雛祭りをしてても天皇を知らない人はたくさんいる。
現代でさえ、雛祭りで天皇を思う人はまずいない。
というか、思ったら異常。
552 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 17:13:08
またプラムか。
553 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 17:43:29
>>551 お内裏様が天皇のことだと知らないのがいいことなのか?
554 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 17:52:41
雛人形の首引っこ抜いて遊んだっけな
天皇なんて誰も興味ないし生きてても死んでても誰の人生にも影響ない
555 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 18:15:30
天皇は馬鹿殿(裸の王様)の見本だと先祖から、伺っております。
この前にテレビで歴史文献に勅使が途中で滞在した宿で
勅使入った風呂の湯を求め行列をつくる市民が書かれてるのを紹介していた
農民が畑に貰った湯を撒くなんてのも有った。
558 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 18:37:52
まーた天皇信者の嘘かよ
御用学者とキモ神道関係者は千分の一を取り上げ普遍的真理と言うべしと神道学校でも教えてるそうだな
559 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 18:44:15
>>554-555 は在日。
百人一首、竹取物語、平家物語・・・庶民の教養は馬鹿にならない。
「偽紫・田舎源氏」っつ著作もあるし、「壇ノ浦夜合戦」って本もある。
560 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 18:58:44
人々が本当に親しんでいた昔語りには竜神様を祀りお釈迦様を崇める人々が圧倒的
天皇の存在もアマテラスの存在も昔語りの庶民の口にはでない
記紀や竹取が庶民に親しまれた?
日照りのときアマテラスに祈った?
どうも2CHは在日が多いせいか、こうゆうくだらんスレが目立つな
ま目的は議論じゃなく、スレを見せ付ける事だろうけどな。
562 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 21:38:31
>>561 いや日本人はこのような見苦しい
負け犬の遠吠えはしませんよ
564 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 10:10:25
天皇を知っていないとすると、
何か都合が悪いのだろうか。
565 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 13:11:54
実際に行列をつくったり、御所にかけつけたりしてるんだが。
566 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 13:19:07
千人のうち一人の行動を抽出し、それを万人に当てはめる
それが天皇信者の論証法
567 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 14:30:57
>>565 それ江戸時代に一度だけ起きた、お百度まいりのこと?
行列って何?和宮降嫁のこと?
568 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 14:36:41
江戸庶民って、自分たちが詣でている神社の祭神が誰かも知らずに
詣でていたのか。江戸庶民ってただの馬鹿の集まりだったのか?
569 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 14:57:15
現代人でも初詣はイベントでしかなく
祭神が何なのかなんて興味ない
>>568 初詣での歴史は大正か昭和辺りが始まりじゃないの?
江戸や明治なんかだと、神棚に若水供えて終わりでしょ。
それと、村の鎮守の神を知らない奴って、よほどのをこ者じゃないの?どっちにしろ習合しまくっているけど。
あと、江戸の町人にとっては神社はアミューズメントパークだから、現世利益追及のためにどこの神社には
どの祭神が祭られていて何の利益があるって本は相当出回っていたはずだけど。
571 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 15:19:51
祭神知らないで神社行ったら馬鹿扱い?
イチイチ調べるほうがキモいだろ
572 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 15:43:42
キモイ?
当時の人は今と違って祭神をちゃんと気にしてたんだけど。
573 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 15:45:42
当時の人は祭神を気にしなかった
という馬鹿がいるのはこのスレですか?
574 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 15:56:02
馬鹿ってさ
神の子孫だなんていってるジジイ?
それとも
ブサイクなのに勘違いしてるババア?
575 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:00:59
はるばる詣でにくる人は祭神は知っていたし、
地域の人も祭神のことは知っていて大切していたよ。
よそ者なんかがその地域の神社から出してきた御神輿なんか触ったら大変なことになる。
いまならキモイかもしれないけど当時はそれが当たり前だった。
576 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:07:29
>>573 話の誘導に失敗したな。
馬鹿とは祭神のことを知らないとキモイとか言った奴のことだよ。日本語読めるだろ?
577 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:13:15
ソースだして話し合えば?時空を超えた他人の知識の有無を断定できるだけのソースを
578 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:22:05
祭神を知ってても、
天皇信仰とはちっとも結びつかない。
村の鎮守様も天皇信仰ですかw?
579 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:28:08
情報の伝搬が今以上に発達していないのに御所詣りや
加茂神社行幸での賑わいが発生するのは昔から知っていたからでは?
行幸では大阪とか神戸から駆けつけてくるのが限界だとしてもあきらかに広く認知されていた。
580 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 16:35:09
581 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:08:20
今の人間は神社の祭神なんて知らないけど何の問題もない。
神道や宗教だいっ嫌いな人が日本人のほとんどでもクリスマスや初詣はみんなやる。
祭りがイベントなら祭神なんてしらないだろうと思うけどな。
みんな仏教徒が普通の昔にアマテラスなんて意味ないじゃん。
みんなに親しまれていたのは昔話の神様なのは確かだし記紀や今昔物語を知ってるはずだと押し付けるのは普通の感覚じゃない。
582 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 17:21:00
皇○館では変なこと教えるんだね、偏差値低いからかな
>>579 更級思い出した。
何で初瀬参りにあんなに気合入れてたのだろ、あの人。
584 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 20:54:52
江戸時代以前にも元号があって使用していたのだが、元号は天皇が定めること位、
知っていただろう。
将軍が代わるたびに元号を変えていた訳ではない元号という歴史時間の規準を
定める権利を天皇がもっていたとすれば、その権威は高いものだったと言える。
将軍については知っていたのだろうな。
目安箱に命懸けで箱訴とか、
老中の籠の行列に向かって命懸けで駕籠訴とかやってたみたいだし。
腐れ武士と違って、生活を背景に命懸けで行動を起こした農民は格好いいよな。
傘連番状とか、一揆こそ日本の美学だな。武士道ダサすぎ。
586 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 21:07:36
戦国時代ですら改元から最低三ヶ月で
どの大名の書簡や感状にも王朝暦(元号)がちゃんと新しいものに更新されてるからね。
東北と九州の大名でも元亀元年っていえばちゃんと意志が疎通する。
>>586 大名で天皇すら知らない無教養な奴ってどうかと思う。
和歌集や朗詠集も読んだ事がないってわけだし。
庶民は庭訓等で学んで知っていたんじゃないのかな。
無学層は論外として。
588 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 22:11:21
信長、秀吉が京都を目指したのも朝廷を取り込むのが目的で、関白などの
地位を得ようとしているし、徳川も征夷大将軍に任命された。
朝廷を知らない武将など考えられないということだ。
590 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 00:47:26
>>585 一揆ってのは農民の専売特許ではないよ。
一度のチャンスに文字通り自分の命を懸けて、志を同じくする集団が一斉蜂起することだよ。
連判状は、加担者が平等であることを示しつつ、首謀者が誰か特定されることを防ぐためのもの。
力が形式を壊す構図である下克上とは違い、力に対して力で対抗するのが一揆であろう。
下克上はクーデター、一揆は準革命という感じだろうか。
江戸時代、各藩は、藩の統治体制に問題ありと幕府に知られれば
お家取りつぶしの格好の理由になるため、一揆が起きたことが他藩にバレないようにしたり
バレても証拠をなくしたりしてたわけだが、農村の生活文化の変容から自然に一揆が起こったこともあり、
そのときは幕府と諸藩が合同で一揆を鎮圧することもあったよう。
江戸時代、一度も農民が地方でさえ政権を取ったことがないのは明らか。
百姓一揆は、幕府の圧倒的武力を利用した藩との交渉にすぎなかったのが現状であり
戦国時代の国人一揆と比べ、少し見劣りしてしまうが、命をかけて戦った彼らは評価に値する。
>>590 生活苦の改善を目的とした惣百姓一揆を語っているのに
国人一期や世直し一揆と比較ってアホか。
自分の家族や惣の人たちが飢餓状況に陥っているのを打開するために
確実に死罪か獄門になる事を承知で命を懸けて行動起こした背景ぐらいも理解できないのかよ、ゆとり世代は。
何で権力欲の視点で語るのか、さっぱりわからん。ゆとり世代か?
592 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 12:17:58
神道学校の偏差値低い馬鹿よりまし
593 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 16:18:19
>>591 あのね、お代官様が私腹を肥やすために農民に重税を課したために
一揆が起こったなんて、勧善懲悪なテレビドラマの見過ぎだよ。
江戸時代、農民の識字率が高かったってのはここで何度も話されてると思うが
なんで、高くなったのかとか考えたことある?
江戸時代になると、貨幣経済が発展して農村にも商人が出入りし始め、
米にこだわらず茶とか綿とか生糸とか染め物とかの特産品を
をつくる農民が多くなったわけ。それに伴って、農村も外からの文化が
入ってきて、当然生活水準も上がっていった。
農村はこの時点では、賢くなって儲かってみんな豊かになってたわけだね。
すると、農具もせんばこきやら竜骨やら鉄器を使った鍬やら高価なもんが使われはじめる。
ちょっとぜいたくな生活を覚えはじめ、借金しても少し上の生活ってなってくる。
家では、おっかさんが内職で機織りをはじめる。
そんな中で、大飢饉ですよ。
今の政府と違って、社会保障なんてない御時世です、
一向に税制を改めない藩や幕府に怒りを覚えながら、一揆を起こしたんではないですかね。
百姓一揆ってのは、当時、まだ社会の土台であった百姓たちの身から出た錆とも言える
状況を自分たちの力によって、なんとかしようとした暴動だったんですけど
暴動を起こした後、何をしようなど考えもしなかった。
自分たちでなんとかしようという意識に欠けていた節があるんですよね。
それは、今の日本人にも言えることかもしれないですけど・・・
594 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 16:29:46
>>591 あと、一揆ってのは計画性がないととても成功しないよ。
ある日突然、腹減りすぎて、一人が暴れ出し、二人、三人と暴動の輪が
広まっていくとか妄想するのはいいけど、間違い。
農民もしたたかだってこと。ちょっと思慮に欠けてるけど。
595 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 20:46:56
天皇(笑
596 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 22:50:02
元号といえば朝鮮はシナの元号をそのまま使っていたそうだな。属国そのものだ。
プラムも馬鹿そのものだ
598 :
日本@名無史さん:2006/08/14(月) 15:37:44
>自分たちでなんとかしようという意識に欠けていた節があるんですよね
政治は支配層がおこなう。支配層は年貢を集める代わりに、
農民の安寧を保証する。何かあったら、城に集めて守る。
ってのが中世からの支配層と農民のお約束だと思うが。
農民は戦いや政治の義務はない。
村内の自治は農民のもの。支配層には干渉させない。
599 :
日本@名無史さん:2006/08/14(月) 15:49:39
大嘗祭って・・・やらなくてもいいの????
600 :
日本@名無史さん:2006/08/14(月) 16:12:18
当時は農民が8割以上
601 :
日本@名無史さん:2006/08/14(月) 16:39:25
>>599 やらなくてもいい。事実やってない天皇も少なからずいる。
16世紀初頭の後柏原天皇のときに中絶、17世紀末の東山天皇のさいの復活
とその後の中絶をへて、18世紀中葉の桜町天皇のときに再興。
約2〜300年やってない。
603 :
日本@名無史さん:2006/08/14(月) 20:30:29
>>598 指示待ちかよ。そりゃ相手にされねーよな。
一生他人のせいにして暮らせや。
604 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 02:17:24
昔の人って天皇がチョン系だって知ってたんですか
605 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 02:44:57
>>604 初代天皇がカムヤマトイワレヒコで先祖にアマテラスとか、ニニギ、
ヒコホホデミ、ウガヤフキアエズという名前はどう見ても日本人で朝鮮人
だとは夢にも思わなかっただろう。
神代には朝鮮などという国もなかったので、天皇は南九州の高天原から
来たと思っていたはずだ。
いや、知ってたんだと思う。だけど半島から来たなんて認めたくないから
高天原なんてこしらえたんだな。そこから九州に渡ってきて(天孫降臨)、
いわゆる天孫族になったんだな。ニギハヤヒ(物部)は一足早く来てたんだな。
神武が紀元一世紀ごろとすると、三代前の天孫降臨は紀元前一世紀初期ぐらいか。
朝鮮三国の建国が紀元前一世紀だから、我が国も大体同じ頃出来たんだな。
たぶん同一の理由で。何か社会の変化があったのだろう。前漢の滅亡が
関係している可能性が高い。要するに我が国も朝鮮四国の一つとすべきか。
607 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 07:30:42
古代朝鮮の白い衣装、日本の神話に出てくる神や神官の衣装も白い
繊維そのまま使用しても白くはならないから漂白工程を経ている
こうした技術は原日本人は持たないから持ち込まれたものと見られる
白装束を着る日本人は高位の者に多いという事実からも渡来人に征服された
608 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 09:02:02
大嘗祭がなくても天皇。
現代の行事や宮中祭祀は、多くは明治に作られた。
600
識字率は5割
610 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 14:19:13
天皇族が朝鮮起源で文化の低い日本へ渡来したのなら、出自を隠す理由は何もなく、
カムヤマトイワレヒコなどと名乗らず、半島語(百済、高句麗、新羅のどれか)で
名乗るはずだが、そんな天皇は一人もいなかった。
つまり天皇家は日本の土着王族だったということだ。半島出身ならオラカとか
コニキシ、カンキと名乗り、スメラミコトとは名乗らない。
611 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 14:25:07
>>610 どこのソースだ!いつもの電波だよなプラムさんよ!
こう言うレスを馬鹿レスって言って、
まともな人を遠避けるんだぜ!
馬鹿レス!
612 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 15:26:47
識字率は、男で4割、女で1割5分。
それでも、立派なもの。
613 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 19:10:32
>>611 わしはプラム氏ではないが、カムヤマトイワレヒコ、スメラミコトは
朝鮮語なのか?
カムヤマトイワレヒコなんてのは後世に付けられた名前です
615 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 23:06:27
まあなんだ
明治政府が無理矢理広めるまで
天皇のことなんてごく限られた政権の一部以外は
まったくこれっぽっちも知られていなかった
という左翼プロパガンダは完膚なきまで粉砕されたわけだが
悔し紛れに電波的荒らしをしてごまかすとは
じつに卑劣で恥知らずな輩である。
616 :
太国:2006/08/15(火) 23:25:21
618 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 01:40:07
619 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 01:57:13
元号が変わっているから知ってたでしょう。
一回かえるごとに10万石の収入が天皇家に入ったらしい。
620 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 11:17:21
天皇=朝鮮人であることも知ってたのかな?
神皇正統記には記載あるよね。
621 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 12:08:02
>>620 神武=カム・ヤマト・イワレ・ヒコが朝鮮人の名前なのか?
朝鮮語でどういう意味なのだ?
何故、オラカ、コニキシ、カンキという朝鮮語を使わなかったのだ?
622 :
太国:2006/08/16(水) 12:14:56
623 :
太国:2006/08/16(水) 12:45:57
624 :
太国:2006/08/16(水) 13:12:04
625 :
覇府アルヲ知テ皇室アルヲ知ラズ 三条実美:2006/08/16(水) 13:20:26
「臣伏シテ惟(おもう)ニ、曩(さき)ニ維新ノ初メ皇化未ダ洽(あまね)カラズ、
辺陬(へんすう)ノ民概ネ皆故見ニ慣レ、旧習に泥(なず)ミ、
覇府アルヲ知テ皇室アルヲ知ラズ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「群黎(ぐんれい)ヲシテ親シク仰戴ノ君主アルヲ知ラシムルヨリ急且(かつ)
要ナルハナシ」
(三条実美「乞車駕北巡上奏稿」(明治八年頃)(『三条家文書』書類の部))
※辺陬−かた田舎 覇府−幕府 群黎−民衆
626 :
太国:2006/08/16(水) 13:44:48
627 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:19:25
>>625 ※辺陬−かた田舎、群黎−民衆には知られていなかったということで、
都市住民、知識人は知っていたということだな。
628 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:29:50
629 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:54:13
>>625の文章が言いたいのは
片田舎の地域では幕府から皇室に
政権が移ったことをいまだに知らないて意味だろ。
>>629 三条はバカだから無視して、っていうか、いつの時代の奴でもバカの文はスルー。
血税反対一揆や地租改正反対一揆とか新政府が喰らって大ダメージ受けているじゃん。
お花畑の戯言はスルー。
631 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:02:49
ウヨきもす
632 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:07:17
皇賊顔きもす
>>625 そんなの
>>1の証拠には無らないぞ
三条が道を歩き大名行列を観た時に、通常道路でも常に土下座してると勘違いして
天皇への崇拝が足りないと語っただけだから。
当時の三条家が民衆の事なんて知るかよ。しかも過去の事まで。
しかも観たのは天皇の認知度は高い都市部。
633:疑似長州プラム :2006/08/17(木) 21:16:04 [sage]
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む
何これ?
638 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 19:25:12
>>634 いやだから引用の文章は
草深い田舎の村では
幕府が倒れて天皇を中心とした新しい政府が
できたことを未だに知らないて意味で天皇の存在うんぬんを対象にしたものでない。
639 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 19:42:29
江戸時代にオランダ人の意見を聞いた通訳が報告した文章がある。
いわく支那は西洋諸国が寄ってたかって植民地を切り取っていけば10年ほどで征服できるが、
日本で同じ事をしても30年はかかる。
日本人は支那人よりも優秀で、天皇を崇拝する求心力が強いからだそうだ。
>>639 満州民族はアホだけど、そんなに嫌いじゃないんだよな。
偽作でなければ、漢民族が燻っていたから、その辺を指してかな。
641 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 23:39:23
昔の朝鮮人は朝鮮国王とシナの皇帝との関係を知っていたんですか?
642 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 03:34:43
シナの皇帝―(属国)→朝鮮国王―(代官)→天皇
643 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 07:12:08
妄想を書き込む場所になってきているな。
事実は朝鮮国王は天皇の家臣である徳川将軍家と
対等関係にあって、間接的には天皇が朝鮮国王より上だよ。
これは尊号問題で新井にせよ雨森せよ幕府がだした答えであり
朝鮮側の大臣も指摘していることだよ。
645 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 12:10:13
>>643 だから対馬の役人が書き換えていたんだよ。
天皇がどうのは関係ない。
646 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:06:37
アホか?
朝鮮国王と対等である源 家康の肩書きが
天皇の臣下では事実上、日本国(天皇)自体は朝鮮国(朝鮮国王)
に優越してることになるのは自明の理であり
両国の友好を危惧した対馬が日本側の
徳川が天皇の家臣であるという主張を
秘匿・改竄したというのが国書偽造問題であり、徳川を臣下
としている天皇がいなかったらそもそも発生していない事件
を天皇は関係ないとは本当に白痴だな。
647 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:15:13
天皇を滅ぼそうと本気で考えていたのが信長唯一人
だけどいざ行動に起こそうとしていたやさき、家臣である
明智光秀に謀反をおこされあぼーん・・・
それ以外の日本の大名たちは天皇を持ち上げ続けていたのですよ・・・
徳川家康ですら、朝廷をもちあげてたし・・・・
648 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 16:30:44
信長は天皇を滅ぼすどころか、逆に天皇の権威を復活させた武将ぞ。
もし仮に、信長が、天皇の命を狙っていたのなら、本能寺の変で、
嫡男信忠が、二条御所に入ったときに、真っ先に正親町天皇を殺してるわい。
真実は逆だろが。
もっとも、信長(及び織田家)があのまま天下に君臨し続けた場合、
幾ら信長の心に、強い尊王の意思があっても、世の趨勢は、
信長に対して、新王朝の樹立を望んだ可能性も、僅かながらあると言えよう。
それは否定しない。
ところで天皇を持ち上げ続けた大名って誰っすか。
649 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 00:38:52
早期の天皇は外来人か?
それなら、継体天皇は中国人なのか、それとも日本民族以外の外来人なのか?
徐福が渡来して日本の天皇になった等の色々な伝説がある。しかし、歴史のかすかな手がかりをたぐり、
湯重南研究員は、継体天皇は朝鮮人の可能性がより大きいと考える。
現在の考古学証拠によると、古代の日本は多くの部落国家から北アジアから来た遊牧民族が融合して出来上がった。
当時の部落の戦争の時期、生産力が発達した中国と朝鮮の部落大王が戦争を通して有力な位置を占め、最終的に第一代の天皇になったのである。
長期に渡って、日本国民は皇室は純正な血統を持っていると考えていた。実際の所、日本の天皇本人がかつて公開の場で
自己の祖先が古代朝鮮皇室の構成員であったとを認めている。当時の明仁天皇は68歳の誕生日に過去を偲び、
自己の先祖について語った。彼は、「私について言えば、自分は朝鮮半島と親近感があります。
日本書紀によると、(日本)桓武天皇の母親は古代朝鮮の百済王国の一族の人です。」
史学界も明仁天皇の声明に対し自己の観点の発表した。日本の京都のある大学の歴史系の教授<広司田中は、
一般の日本人は日本と朝鮮の古代の皇室が血縁関係にあったことを殆どしらないと話した。
650 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 04:43:08
徳川家康らの天皇に対する態度(表向きは丁重)
明治維新の高官たちが天皇のことを陰で、“玉”とか“錦坊”と呼んでいたのと同類
651 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 08:39:01
戦国時代以前は知らないけれど、
明治になっても庶民は天皇なんて存在しらなくて、
明治政府は天皇を庶民の間に知らせるのに苦労したって話し。
だってあんなの必要ないじゃん。お殿様より庶民のお荷物だわ。
金ばっかかかってさ。。
652 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 12:11:37
家康は朝廷を閉じ込めることにした。
信長と秀吉とはそこが違う。
天皇を持上げた大名=水戸のご老公
654 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 02:07:59
>>638 「皇室アルヲ知ラズ」
ま、解釈は御自由にw
>>651 寺小屋で庭訓往来ものを学んだレベルが最低限の昔の人って語れるレベルじゃないの?
文盲相手に昔のやつらは天皇を知らなかったっていうのは、ちょっとどうかと。
だいたい、今のその辺のDQNは、まともな奴らなら全員知っていえる国連事務総長の名すら知らんと思うし。
656 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 03:44:05
やられたな
<寛仁さま>大事をとって入院 (毎日新聞)
寛仁親王殿下は24日、東京都港区の病院に入院した。
宮内庁によると、体調を崩しており、大事をとっての措置という。
[ 2006年8月24日20時49分 ]
657 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 05:40:14
昔は文盲が多かったし
658 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 12:08:30
「皇室アルヲ知ラズ」
659 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 12:34:34
東北の識字率ってどのくらいだ?
1割くらいか?
660 :
日本@名無史さん:2006/08/25(金) 23:24:42
天ヲタw
661 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 11:50:26
天オタ?天オタ君は最近元気がないなぁ。夏バテかな?
>>655も文にキレがないしな
3さんと現役学部生と帝大修士課程の3役のときは、
だんだん破綻して言ってかなり面白かったがなぁ
江戸時代初期から幕末以前だとして、江戸町民でも、京都に天照大神の子孫
だという天子様という人がいるらしいというくらいは、だいたい知っていた
のでは?
でも、地方の農村では豊かな階層に限られるだろうから、全国の成人人口中
何割が知っていたかというと、数割かも(根拠はないが)。
そのうえで、知っている都市町民でも、どのくらい意識していたかというと、
今の日本国民以下だろう。
江戸時代には天皇誕生日などなかったし、公方様と違って、天子様は庶民の
生活に影響を与えることは何もしていなかったし、御所から一歩も出なかった
のだから。
お公家様(現代風に言えば貴族)のトップ、というだけの意識かと。
伊勢参りは中流階層以上には流行ったようだが、その場合のお参りの対象も
お伊勢さんそのものであって、天子様ではないだろうし。
「鳴物停止令がだされるのは、幕府の関係では、将軍とその一族、および老中などの死であり、
朝廷の関係では、天皇、上皇、女院などの死であった。鳴物停止令は、幕府の手によって全国に
触れられるので、雲の上の人などという観念的存在ではない、生身の天皇の存在を、江戸時代の
全国民が認識する重要な機会であった。」
(藤田覚 「幕末の天皇」)
665 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 10:27:03
被差別民とか放浪漁民とか、武家社会のアウトカーストが
天皇の権威に頼ることが多かったようだね。
漁業権入会権等、農村共同体との軋轢回避の手段として。
もともと被差別の成り立ちが天皇朝廷にあるのだから
実際に関わりもあったのだろう、中世は。
だから、そういった人達が多かった地方は天皇理解も裾野が広かったといえそう。
666 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 10:27:20
「皇室アルヲ知ラズ」
667 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 10:30:05
>>663 鳴り物停止令か。
天皇のその期間は、将軍のそれの半分くらいだったな。
668 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 10:31:05
被差別部落は東日本には少ないんだよなぁ
669 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 10:58:20
藤田はいい学者だな
マルクス主義派だけどw
鳴物停止令って、町中の見せ物、騒がしい商売、普請などの禁止だろうから、
農村部には関係ないのでは。
詩にもあるよね
「あまねく民は天より降りし日継の御子を称え・・・」
全て民は天皇の統治に庇護を求めた
672 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 18:51:26
んなわけねーじゃんw
江戸期の被差別民なんかは間接に朝廷と繋がることで生きてきたけどさ。
武家の規範に従えば、彼らの生存が危うかったというだけのことであり
また切実な問題だったろうけどね。
良くも悪くも社会を現実からはみだした、あるいは反社会的な人物集団の
旗頭であり、それらのものは天皇について詳しく知ってたし、尊敬もしていたというお話。
少し前の資本主義に対する社会主義みたいなもんね。
世俗的な権威権力のアンチテーゼとしてバランサーの役割。
673 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 18:55:27
ちなみに
共産主義社会主義が資本主義に内在する諸矛盾や社会不安を
緩和修正する役割を担い、その役割に徹する限り社会に安定をもたらしていたわけだけど、
それ自体が世俗の権威権力になるととたんに破綻する。
明治以降の天皇朝廷も同様だよね。
>>670 鳴物停止令には、殺生禁止もあったみたいだから、その場合は、山村、漁村の
庄屋にも伝えられた可能性があるな。
>>667 将軍:約50日
天皇:3〜7日
くらいだったっけ。
ところで、京都から、例えば江戸までは、知らせが届くまで数日かかるだろう
から、天皇についての鳴物停止令は、上方以外では実質的な意味はなかったよう
にも思える。
>>674 それは皇族でしょ。
天皇は平均すれば20日〜30日
あと徳川の人質の法親王辺りも対象だったと聞くが
676 :
皇室にたいしては有名無実化していた「鳴物停止令」:2006/08/30(水) 03:37:22
平泉澄『伝統』より
(佐久間東雄先生は)古道を究める事深きに及んで、時事に対する慨嘆はつのる一方であった。
殊に天保十一年十一月十九日 光格上皇崩御あそばされて、しかも天下の人殆ど之を知らず、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
管絃殆ど平日の如く、年賀一般に恒例のままなるを見て、皇道の陵夷、国体の忘却、一にここに
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
至るかと慨嘆し、懊悩措く能はざるものがあつた。当時長島ニ斎に宛てたる書状に、
「御崩御候ても天下御民のうち、しらざる者多く、しる者すくなく、すでに先日鹿島へ参り候処、
時隣(北条時隣、鹿島の神官にして国学者)などの人さへ一向不知趣、此の日本国惣鎮守
根しめの御場所にてさへ左様の事(以下略)」
江戸時代には雛祭りのときに全国的に内裏雛が飾られてたわけでね
とうぜんそれが「都におわす天子さま」を模した人形だというくらいのことは
みんなわかってたわけです。
農家にそんなもんあると思うのか
>>678 七夕の年中行事は流し雛と、織女星だから針供養がほとんどだったんじゃないの?
あと、井戸さらいか。この辺は古そう。
高貴な身分なら槙の葉に和歌をしたためるとかんだろうけど。
桃の節句での雛祭りは江戸以後の文化かと。
流し雛はやっていたけど、雛壇飾りと結びついてはいないと思うな。
内裏様を天皇ってわからない池沼は今でも多いから、当時に求めても無理だよな。
>>675 いや、「幕末の天皇」(藤田覚)では、
江戸時代中ごろまで
将軍・大御所:49〜77日
天皇・上皇: 3〜7日
江戸時代後期
将軍・大御所:全国で50日
天皇・上皇: 京都では50日、その他は5日
>>677 ちなみに、男雛は「お殿様」とも言う。
幕末になるほど、平安時代風の人形が増え、天皇を意識する人が増えたろうが、
それまでの京都以外の庶民は、将軍や大名を意識する方が多かったのでは。
そもそも、ままごと遊びとしては、「お姫様」が自分で、男雛は将来の旦那様
だろう。
>>680 いやいや大半はお内裏様です
大体、様式が宮中を模してるので名称の記述、文献数から言っても天子の意味です
683 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 00:54:28
天照大御神の恩恵やら影響を一番に受けるのは農民。
その子孫である天子様を知らんわけないやろ。大嘗祭を何やと思ってんねん。
マルクス史観に毒されたような教育がどこかで横切ってりゃ話は別だがなw
>651
明治天皇の御着衣が洋物に変えられたのは、庶民に西洋文明を馴染ませるための手段。
民衆の心理の面において国の長だったからこそ、明治政府はこの手段が使えた。
>>683 ざっと観たが光格天皇の崩御を一神官に未だ伝わってなく
神道復権と光格天皇の関係から持ち出してるに過ぎず
なんの反論にもなってないですよ
687 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 11:21:56
まぁ、江戸時代の権威も権力も公方様にあったと言うのは、
変えようのない事実なんだがな。
雛祭りで、現存の天皇に思いをはせる人間は過去も現在もいない。
大昔の風物と思うだけが普通の感覚だろうがw
一部の天オタは思いをはせるみたいだけどね
689 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:00:55
藤田覚の本を引用してる連中って、その運用実体の検証もなんにも無しでさ
「当時、これこれという法がありました、だからその法に反する・矛盾するような事実・事柄は一切存在しませんでした」
なんてことをマジになって唱えちゃうんだもんね。
ホント、笑っちゃうよw
690 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:10:03
自分の人生にも生活にも影響しない天皇を昔の人が知っているほうがおかしい
信者は自分達の教祖を過大評価するが
人は自分に関係も影響もない赤の他人を知らないのがあたりまえ
領主や将軍や竜神様や仏様は知ってても天皇のような葬式も出せない貧民を知りはしない
691 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 20:00:22
町民文化をみると識字率の高い日本人が天皇さえ知らなかったとは
とても思えないんだよね。ふつーに考えてさ。
俳諧、小説、軍記物、漢籍などなど文化を鑑みても
今時の日本人より江戸時代の人のほうが遥かに教養あるよ。
寄席にしても、基礎教養がありすぎて今の人にはとても理解できないし。
692 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 20:08:30
>>691 教養の高さと天皇の認知度にどんな繋がりがあるんだw
693 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 20:23:01
天オタは日本史の知識はない。
天オタにとっての日本史は明治以降のみ。
天オタの思考では歴史=外国との戦争でありそれ以外は興味が無い。
というか日本史の偏差値低いので授業について行けなかった。
694 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 20:52:29
逆に、なぜ現代人は天皇を知っているのかを考えてみよう。
・国家による義務教育が天皇の存在や意味を教えている。
・民主主義社会だから、政治の仕組みも教えている。
・受験のために歴史を学習している。
・豊かになったので、書物、芝居その他の娯楽が一般化している。
・テレビその他のマスコミに天皇がしばしば登場する。
江戸時代以前は、これらは一つもない。
だから、天皇を知っていたのは基本的に、京都町民(古くは奈良住民)と、
豊かな階層だけだろう。
ときどき京からの勅使が江戸に下ることはあったから、行列に出くわした東海道
の人々のなかには、そのとき知った人はいただろうな。
696 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 22:01:46
う〜ん。やっぱ、ゆとり教育の影響がこんなところにもキていると思うんだよね
無知蒙昧無罪主義から抜け出せないのは、今の日本から始まり、未だ一歩も進んでないからなんだろうね
スマソ訂正
今の日本がそこから始まり
698 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 22:19:01
>>695 あんたは江戸時代に盛んだった、お伊勢参りでも勉強しなさい
それと正月の初詣、日本文化の勉強しよう夏休みの宿題。
>>681 はあ?
今の我々は「お内裏さ〜まと…」というあの歌を知っているというだけだろう。
江戸時代の上方以外の文献の「大半」が「お内裏様」で、当時の日本人の大半が
あれを、お内裏様と呼んでいたのか?
ところで、寺子屋の「教科書」には天皇の記述があるものもあったようだ。
ttp://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/ouraimono_talk009_kaji.htm ただし、記事にもあるとおり、基本的に生徒は「教科書」を持っていなかったし、
寺子屋は実用的な読み書き・算盤を個人教授する場所だったから、一般庶民に
とって意味のない「天皇」が後回しになったのは間違いない。
今で言えば、素粒子、くらいなものだろうな。
今の日本人は素粒子を知っている、と言ってよいのであれば、
昔の日本人も天皇を知っていた(笑)。
700 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 22:45:07
>>698 だから、国家神道以前に神社が全て天皇に結びついてはいないんだという事実をもう少し考えろ
>>698 バカの相手をするのも疲れるな。
バカとは、知識のないことよりも、むしろ、想像力のない人間のことを言う。
伊勢参りは、当時の庶民にとって、一生に一度の「観光旅行」だ。
今で言えば、定年後に生まれて初めて行く海外旅行、くらいなものだろう。
高度成長期であれば、「ハワイ旅行」あたりだな(笑)。
ハワイ旅行がハワイ文化への関心から起こっていたわけではないのと同様、
伊勢詣は、天皇とはほとんど関係ない。
江戸、京都、四国、和歌山、諏訪その他の人気の名所のなかで、伊勢神宮の
お札が降ってきたという風説その他により、流行したというだけだろう。
初詣も、例えば江戸では、寺を除けば神田明神あたりが一番多かったのでは
ないかと思われるが、天皇を意識して行っていたとは思われない。
明治維新までは、平将門が祀られていたのだから。
ちなみに今、明治神宮に初詣している人々ですら、明治天皇に特にこだわって
行っているわけではない。
702 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:13:04
>>691 長屋住まいの八っつあん熊さんのような社会的経済的クラスの人でも、
今時の日本人より遥かに教養があったの?
「おしん」の生家のような社会的経済的クラスの人々は?
現在の日本に較べたら、まあ確実にその底辺は広いであろう階層ピラッミッドの
中層・下層に属していたような人々でも“全般的に、或いは大多数が”(←ここを無視しないこと)
小説や軍紀物は自由自在に読みこなし、俳諧や漢籍についても深い教養を持っていたの?
703 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:16:06
>>701 伊勢参りをした旅人は伊勢神宮に奉られているのが天照大御神でそれが
皇室の先祖だということくらい知っていただろう。神社参りするのに祭神が誰かも
分からずに参るのか?
704 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:34:21
天オタは天皇を過小評価されると、必死になって強弁するな。
>>703 なんで、そう頭悪いのかなあ。
例えば、初詣や観光の名所として、東京に浅草寺があるよね。
君も行ったことがあるかもしれないが、では、浅草寺の本尊が何か知ってる?
あと、過去レスにも何度もあったと思うが、伊勢神宮には、内宮と外宮があり、
どっちの参拝者が多かったかなども勉強してみては?
# 夏休みはもう終わったろうがw
全国に配られた神宮のお札に毎朝、奉仕してるし
何日もかけ歩いて行くのと途中の宿場などでも普通に触れるからな
今も外宮の横には教えていた講の跡も有る。
だらお札降りで大騒ぎした。
なんか、勝手に決め付けてるだけなんだよね
707 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 08:57:39
だからよ、現代でもお参りしている寺社の本尊、祭神が何であるかわからずにお参りしている人も多いの
ましてや情報が少ない当時ではもっと多かっただろうという話なんだよ
君の願望を聞いているんじゃないんだよ
708 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 14:45:18
皇国史観vs普通の歴史観
事実の認識が普通の歴史観なのに皇国史観は神話や神風とかのオカルト
皇国史観では試験で点を取れない
皇国史観は社会の常識ではない
皇国史観は事実を曲げることが何よりの罪
>>707 だから、中流以下の無教養層はどうでもいいの。
今の世では、大学出ていようと無教養は無教養。
昔の無教養層と質は同じ。
710 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 19:17:50
一般的な観念から物事を考えられない天ヲタはもう口を開くな
>>705 逆に今の人のほうが知らないんだろうね。
地域社会が崩壊して、テレビでやってることがすべてだと思ってる世代が多いから。
想像力も貧相になってるんだろ。
伊勢参りを海外旅行ごときと同列に論じるあたりがかわいいというか
思考力の欠如を感じさせるよ。
もっと勉強してみな。生活のあらゆるところに
豊富な教養が根ざしていることに気づくから。
今の人は季節感なし、地理感覚なし、家事だめ、地域姓なしだから
にぶくなってるんだろうが、農民は馬鹿じゃないよ。
まあ、釣りだと思うけど、忠告な
712 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 21:46:00
>>711 勉強すればするほど天皇は神の子孫ではないことがわかるし
天皇家が歴史の中心ではなかったことがわかっちゃうよ
嘘の皇国史観を嘘と気付かせないためには勉強させないことと疑問を持たせないことが大事
>>712 君、大人だよねぇ?書いてることが幼すぎるが
人の話を聞かないし、頑固なところがあるからよけいにそう感じるんだが・・
まあ、事情があってしつこくレスしてるんだろうけど、
冷静になって、良心に恥じないレスをしようね。
714 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 22:12:42
>>713 他人の目にはどっちもどっちに見えてる事に気付いていないのかw
まあ、おのおの判断してくれ
716 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 22:41:57
伊勢参りって、江戸の男連中とかにとっては買春ツアーみたいなもんだったんだろ。
>>703 「伊勢参宮 大神宮にも ちょっと寄り」っていう川柳知ってる?
江戸時代は自由に旅行できなかったから、寺社参りというタテマエを使った。
じっさい、参宮者の多くは、京都、奈良、大阪なども回ったという。
外宮の方が参宮者が多く、栄えていた(御師の数も数倍だった)のは、
まず、外宮の方が手前にあるからだろう。
一回お参りして、古市で遊ぶだけで、その先の内宮までは行かなかった人々が
少なくなかったわけだ。
祭神を意識していたとしても、農閑期の農民などの参宮者が多かったから、
農業や産業の神様の豊受大神の方への関心が高くて当然。
皇祖神へのお参りが目的なら、内宮の参宮者が少なくなるはずはない。
718 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 23:43:06
たった一人の人間がつくった川柳で大勢を語る
オレが「浦和レッズこそ日本の象徴だ」と書いたら
100年後の717のようなタコがこれを引用して
日本人はみなレッズファンだったと言う
↑ばかじゃないの?
720 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 01:17:03
天皇の存在は、幕府、各藩の重役、神社の神主、国学者、歌人、神道に対抗する
僧侶、儒学者など、武士階級、知識層には知られていただろう。
こういう指導層が知っていれば、民衆が知っていようと無知だろうと社会的には
どうでもいいことだっただろう。現代のような民主社会ではないのだから。
721 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 01:28:33
伊勢神宮の祭神が天照大神で、現世利益をもたらしてくれる、その有難い神様の子孫が
京都に在住してる!ってことを知ってたなら、お伊勢参りに来た連中、当然その足で
京都へ向かうだろうな。で、天皇家はひきもきらない御所参拝者から莫大な寄進をうけて
ウッハウハ、なはずだけど・・・
実際の天皇の暮らし振りはどうだったかというと・・・
722 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 01:47:43
>>720 でも、このスレの天皇信仰者はそれじゃ不満なんだとさ。
とにかく日本全国津々浦々、上は殿様から下は水呑み百姓に至るまで、
当時、この地に生活していたすべての人々が「皇室アルヲ知ッテ」いた、
って話じゃないと気にいらないんだとさ。
723 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 02:45:45
ウチの爺さんは大正天皇の存在を知らない。
724 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 03:36:38
知ってた派の連中って、昔の平民の暮らしや文化についての考察が浅過ぎるんだよ
皇室学だけでこのスレで議論はできんだろ
もっと平民の暮らしや文化について深く学習してこい
まずはそれからだ
高山彦九郎が宣伝してたよ
知らない派の連中って、昔の平民の暮らしや文化についての考察が浅過ぎるんだよ
皇室学だけでこのスレで議論はできんだろ
もっと平民の暮らしや文化について深く学習してこい
まずはそれからだ
>>726 外宮の横に市場が有ったのを知らないのかな?
近隣から買い出しが有り栄えた。
それにその数値は『明治以降』の物ですよ。
>>>人民論告だから知らないってジョーク?
新政治体制を知らしめたら知らない事にナルのか。
アホすぎ
内宮を何かアマテラスと関係無いみたいな事言う無知が多いな〜
大体、アマテラスの札や知識を公布していたのは内宮御師だろ。
内宮にもちゃんと天照皇大神と書かれてるんだが。
だいたい、農民が内宮の「役割」を理解していたなら神宮の事をますます知ってますね。
730 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:32:09
農民が天皇やアマテラスに親しんでいれば
昔話民話に頻繁に登場してもいいのにね
まさか竹取物語や伊勢物語が民衆の娯楽?
731 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:34:02
さまざまな娯楽・文化・小説。劇に天皇は出て来る。
例えば近松門左衛門の浄瑠璃百数十のうち、天皇が登場するのは三十三編。
内、当時の天皇を扱ったと思われるものが十五編。
地方を回る芝居も、おおよそ比率としては同程度。
識字率すら関係ないごく日常に回ってくる娯楽の中に、1割以上は「そのとき即位
している天皇」が題材のものが含まれている。
732 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:35:06
また、江戸期において勅使が江戸へ往復する際でさえ、「天子の遣い」というだけで、
その途中に入った残り湯を珍重した世相など、天子が明治期とも違う形で崇められていたことが
いくつも証拠として残されている。
イメージの変質については全くその通りだけど、温度差となると大いに疑問。
733 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:47:10
天皇崇拝は否定しても、さすがに天照崇拝を否定する学者なんて皆無ですね
東北ですら農民が天照に祈ってるので
734 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:55:04
浄瑠璃が庶民の娯楽なの?
村々をまわったの?
農民は日曜日とか休日があったの?
町民あいての浄瑠璃を一般に当てはめているんじゃないの?
735 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:57:16
>>733 ソースを!
一事が万事ではないソースを!
まぁ宣教師オルガンティノの言うように昔の日本人は如来を見ても皇祖天照大神
を思い浮かべるらしいからな。(宣教師の憂欝)。
「この国の土人」たちは「大日如来」の姿に「インド仏の面影よりも、大日?貴[おほひるめむち]」
すなわち天照大神の面影を見ている。
『奉教人の死』(新潮文庫)等に所收
早稻田大學文學部專任講師■岡田 俊之輔 (多少読みやすく改)
安土桃山時代、布教のために来日したイエズス会の宣教師「オルガンティノ神父」は
「どうかすると、憂鬱の底に沈」み、一日も早く「この国(日本)を去りたいと思う事がある」。
教えを広めるのに失敗した訳ではない。
「信徒も近頃では、何万かを数える程になった」し、「首府のまん中にも」カトリックの「寺院が聳えている」。
また「この国の風景は美し」く、「氣候もまず温和」で、人々の「気質は親しみ易い所がある」。
それなのに「この国を去る事が出来さえすれば、どんな土地へでも行きたい」と思ふ。
故郷のリスボンでなくともよい、「支那でも、沙室[シヤム]でも、印度でも」構わぬと思ふくらいだから、
単に「懷郷の悲しみ」に驅られているのではない。それならば何故「憂鬱」になるのか。
(理由はキリスト教の神デウスも土人となるからです)。キリシタンがデウスを天照と見立てる事にも憂欝を感じていた。
この辺りの宗教観は芥川龍之介の「神神の微笑」を読みましょう。
737 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:13:43
そういやアルテイ・エミシ房が朝廷の侵略の形跡だとかで神社の祭り中止を訴えていましたね
駒形根神社や〇〇神社やその分社を壊せとか
明治には同じ祭式祭神だからと合祀令でかなり激減してるのに、
反権の癖に明治政府と同じ事しろと
道鏡に崩御崩御と称徳言い
こんなの川柳があるのだから昔の人は天皇のことを
ヤリマンだとみんな思っていたんでしょうねw
740 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:23:12
そんな川柳を作れるということは
天皇の歴史にかなり詳しくないと無理だな
741 :
日本@名無史さん:2006/09/04(月) 09:46:24
まぁ、人口比でいくと、天皇を知らなかった人間のほうが多かっただろう。
ここら辺が普通の答えだな。
742 :
日本@名無史さん:2006/09/04(月) 13:35:13
まぁ、人口比でいくと、天皇を知っていた人間のほうが多かっただろう。
ここら辺が普通の答えだな。
743 :
日本@名無史さん:2006/09/04(月) 16:11:34
識字率は女子を入れるとずいぶん下がるんだよな。
2割ちょっとの計算。
これでも世界有数。オランダにはかなわなかったらしいけど。
オランダが多い理由は何だろう?
744 :
日本@名無史さん:2006/09/04(月) 16:42:57
オランダ人はみんな商人だったからじゃないか?
『更級日記』より
「常に天照御神を念じ申せ」といふ人あり、いづこにおはします、神佛にかは
など、さはいへど、やうやう思ひわかれて、人に問へば、「神におはします。
伊勢におはします。紀伊の國に、紀の國造と申すは、この御神なり。さては内
侍所に、すべら神となむおはします」といふ。
作者・菅原孝標女の25〜8歳ごろと思われる記述。
京都在中の平安貴族のこのようなインテリでさえ、天照大神が何で、どこに
祀られているのか、知らなかった。
また、幕末までは神仏習合だから、一般庶民の多くは、天照皇大神とは
大日如来のことだと思っていただろう。
747 :
世界@名無史さん:2006/09/04(月) 18:02:25
明治維新前は、一般の日本人は天皇の事なんか知らなかった。
明治維新後明治政府は各県に「人民告諭(こくゆ)」をだして国民に天皇に
ついて教えた。それは、国民が天皇を知らなかったため。
明治政府が天皇を日本全国に教えて歩いたってわけです。
天皇の歴史を捏造して権力を中央に集中させる長州の作戦。
ついでに。
A級戦犯(自民党創立者達)>>>>>超えられない壁>>>>>>小泉>>>>>>>昭和天皇
天皇は飾り物!
昭和天皇が靖国参拝反対だったと知っても小泉は、8月15日に靖国参拝、
A級戦犯に敬意を示す。
天皇は国民をコントロールする為の飾り、要らなければ切り捨てる。
天皇が戦犯を不快と思うなら、あの人呼ばわりする。
>>747 はい工作活動の時間おわりました。ゆっくりオネンネしてね!
>>746 知ってたから敢えてそういう形で書いたんだよ。
知らないのに天照御神なんて単語が夢に出てくるわけないだろ。
当時の日記は読者を意識した物語フィクション。
夢やお告げは文学上の演出であって、そんなもんが実際に合ったわけ無いじゃん。
知らない存在の事を夢に見るなんて自分に照らし合わせても無いってわかるだろ。
あのオバサンの一見単純なようで含んだ書き方の妙さがわからないようでは、まだまだガキだな。
菅家直流の女が、そこまで知的水準が低いわけが無い事ぐらい普通にわかるだろうに
>>749 いや、違うよ。
フィクションや演出だとしても、これが読者に共感されると考えて、
このように書いたわけだ。
# 井沢元彦もそう言うはず(笑)
昔の庶民は文盲でした
クソウヨ御用歴史家に騙されないように
>>743 おまえ必死だなw
私が大学で教わったり調べた識字率とは違いますね
ひょってして専修大などの低脳電波大出身?
>>749 そう。敬えと教えられる仕組みの証明
あと、こいつは神仏習合を理解してない電波
そるに大日如来を天照皇大神と観る人のが実は多い。
農村ね祭りや祈願や農村に在った神社の文献を観ればわかる
大日如来なんてのは皇族や貴族のものだよ。大日如来の信仰を布教していた時の座主は皇族ばかりw
それで教わったなら天皇は知ってますね
でも農村では天照信仰が主軸ですので
>>751 その屁理屈からでも、その時代の読者は知識水準は高いのでのですよ。
かの時代の文学には天照は多数w
共感を言うなら夢に出るまで教えられる教育w
無知だから検索して見つけたのをよく考えずに勇み足でコピペしたとか?
逆効果なのに。逆にこれから天照信仰すべしとの教育の証明として『使わしていただきます』
>>753は時代が書いて無いのに悪かった。訂正するよ。
時代により違いも有るし。
>>754 > そるに大日如来を天照皇大神と観る人のが実は多い。
> 農村ね祭りや祈願や農村に在った神社の文献を観ればわかる
誤字が多すぎて分かりにくいが、なんでそんなに興奮してるの?
>>755 > その屁理屈からでも、その時代の読者は知識水準は高いのでのですよ。
あのさ、更級日記とかの読者が平安時代から現代に至るまで知識水準の
高い人々だけだったということは当たり前なわけよ。
知識水準が高い層が「知っていた」のは、誰も否定してないだろ?
いいかげん、知っていた/知っていなかった、という無意味な二者択一は
止めない?
そんな世論調査があったはずはないのだから、どのくらいの時代の、
どういう階層の何割くらいが、どのようなものとして天皇を知っていたか、
という話題を、史料や推論によって議論できないのであれば、意味ないよ。
>>757 携帯なもんでね。携帯による誤字字くらいで必死に成るな。
反論できないからしかたないか。
おまえさん墓穴に対する長文のが興奮してるように見えますが。
759 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 04:59:33
明治以前の99%までの日本人が天皇の存在を知っていた、なるような説を支持する、
「歴史学で飯を食っている人
=その分野においていい加減なことを言えば、それが自分の仕事上の信用を損なうことになってしまう人」
は、何%くらいいますか?
760 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 15:45:06
皇国史観のは事実を否定して捏造の歴史を広めることが目的の一つ
大日本帝国は皇国史観を強制したため捻じ曲がった歴史が常識になってしまった部分がある
歴史上の人物評価は天皇の側の勝手な評価を国民に押し付け足利尊氏や佐幕の人物は評価を下げられた
国民に白兵戦をさせるため日本史上の合戦も白兵主義にされ大軍を寡兵で破る合戦譚が広められた
天皇稜乱発は事実を隠蔽し、事実を追求するが故の皇国史観批判も禁忌に触れる行為にされた
761 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 16:39:02
762 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 21:29:45
こないだテレビ見てたら青山繁晴さんが、
高い塀と堀に囲まれた城に住む外国の王と違って京都御所は塀が低い、
あれは庶民との天皇の距離の近さを表してるってな事言ってたけどそうなの?
冗談だと思った
>>116の話も本当?
天皇って奥まったところにいるイメージがあったんだけど、昔は皇室も今より開かれてた?
>>754 だから、天照大神と天皇は別問題だろって。
中世以前は天皇の代理しか参拝できなかったのだから、下級貴族の娘が
天照大神を知らなくても当然。
中世の寺社は自力経営のため営業活動したから、知名度を上げていき、
さまざまな仏や神が広まった。ただし、基本的に仏が神より上だった。
神社側はもちろん、神が上と言った。
天照は太陽神とか惣氏神として広まったもの。理由は皇祖神ではなかった。
ちなみに「農村では天照信仰が主軸」ってどういう意味?
お稲荷さん、(馬頭)観音さま、恵比須さん、庚申塔、道祖神その他の
同時に敬われた様々な神仏の一つだろ。
>>755 > これから天照信仰すべしとの教育の証明として『使わしていただきます』
やっぱり壊れてたのね。
764 :
日本@名無史さん:2006/09/05(火) 23:39:37
>>764 貴族の娘は夢に出るまで天照、天照とウザく言われてると語ってるので「知らなくても」は可笑しいですね。
知ってるからこそ天照大神の名前が出てくる。
>>中世以前は天皇の代理しか参拝できなかったのだから、
あんたの言う「中世」っていつ?何処に参拝出来なかったの?賢所?神宮?それとも天照?
天照大神を祀る神社への参拝は行われています。
>さまざまな仏や神が広まった。ただし、基本的に仏が神より上だった。
皇族と貴族の間だけです。庶民振興、特に農村は神ばかりです。
>天照は太陽神とか惣氏神として広まったもの。理由は皇祖神ではなかった。
違いますけど。神宮や朝廷が広めた。
>ちなみに「農村では天照信仰が主軸」ってどういう意味?
大日如来は高貴な方々が理屈付けで使い信仰していたが、庶民が大日如来を天照を同一とした証拠は無い。
さらに庶民が大日如来を本尊とする寺を識ったのは江戸時代から。
庶民は資料的に日蓮や阿弥陀信仰などが殆どです。葬式は集落葬なので余り意識しない。一般が戒名使うのは近代だしね。
理屈付けにより神仏一体と観るのは皇族、貴族、上流などで、庶民は神も仏も個別に神仏として捉える習合でしかない。
だから一般が大日如来と天照大神を一体と観るのは勘違い。
そして、配布されたお札や神社や記録からして農村では圧倒的に天照のが資料的に多い。
あと、お稲荷さんだけど、稲荷神社は記紀の神で天皇の勅命で出来て
稲荷神社の社家には江戸後期に平田などと並ぶ国学者を出してるし、稲荷神社で尊皇を広める講議を開いたりもしています。
中世〜近世の全国民の平均的なイメージは、京都の方にいる名家・旧家という
だけだろう。
今で言えば、華道、茶道とかでの家元みたいなもの。
または、大企業において、役員でも大株主でもないが創業者一族とか。
関心のない大多数にとっては、川柳などのネタになることがあるだけ。
アマテラス論は辞めた方が良いよ 誘導だよ誘導
アマテラスを祀る神社なんて何万社も在るのと(農村部で自主的にアマテラスの札を祀っただけの社(やしろ)等も含めるとさらに莫大)
朝廷によって侵略されアルテイを殺し、地元の本来の神を殺しアマテラス信仰と神社を
強制したと書いた本すら本来なら反天皇側の資料すら
アマテラス論をしてると天皇知ってる派の資料に変わる
アマテラス論してると天皇と違い例えば、農村を指定させる誘導に持っていき
アマテラスを祀る神社と祭式、中には奉納目録みたいな物を出したりするのも可能でしょ
その結果、「どっちが信用できる?」と信用を得る作戦?
第三者の宣教師が仏を見てももアマテラスを思う日本人とも言ってるらしいから
そこから誘導されて
>>864は正しい
>>863は間違いみたいに誘導して
あたかも「アマテラス信仰が有るなら天皇も知ってるでしょ」のロジック
アマテラス論は辞めた方が良いと思うよ
天皇とアマテラスは関係無いの一言で終わらせた方が良いよ
767 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 15:24:02
庶民の伊勢信仰と、
天皇信仰は全く別のもの。
伊勢参りを見ればそんなことはすぐわかる。
768 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 19:03:17
もうすぐ、明治生まれの爺さん・婆さんいなくなるぞ!色々聞いとけよ!
常陸風土記などはショッキングな内容だよね。
天皇族が先住民を謀殺してゆくさまが書かれているんだから。
面倒なので、一点だけ。
>>764 > 庶民振興、特に農村は神ばかりです。
これはひどいな。観音さまもお地蔵さまも全部無視か。
日本史リブレット「キリシタン禁制と民衆の宗教」(山川出版社)に、
下総国葛飾郡高根村で幕末に行われていた宗教行事が詳しく出ている。
奉射、百万遍念仏、涅槃会、天道念仏、子安講、御影供、大杉大明神祭、
伊勢太々講、大師参詣、庚申講、その他さまざま。
「農村では天照信仰が主軸」などとは、全く言えない。
771 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 21:16:05
772 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 23:17:25
まったく関係ない訳ないじゃん。
昔から伊勢が天皇の先祖を祭るという特殊な聖地だからこそ、
よりによって伊勢を目指して参るんだからさ。
773 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 23:24:34
伊勢神宮は天照大御神=実は卑弥呼を奉っているという説もあるな。
774 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 23:43:06
太陽神ミトラ、ミトラス教(ユダヤ、キリスト、イスラム、ゾロアスターの元祖)
太陽神=天照=アマテラス=あミトラス=弥勒菩薩=大日如来
775 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 00:50:59
紀子さま、男のお子さまご出産
秋篠宮文仁親王殿下(40)と同妃紀子殿下(39)の第3子が6日午前8時27分、
東京都港区の愛育病院で誕生された。宮内庁によると、お子さまは親王(男子)で、
体重は2558グラム、身長は48.8センチ。
皇族としては初めてとなる帝王切開でのご出産となったが、母子ともにお元気。
皇室では昭和40年にお生まれになった秋篠宮さま以来、41年ぶりの男子で、
皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次いで第3位。
天皇、皇后両陛下には皇太子さまの長女、愛子さま(4)に続く4人目の孫。
皇室は23人となられた。
776 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 16:39:00
隠岐や佐渡や阿波の人間は、天皇の事は知っていたんじゃないの?
>>777 はい。あと、京都御所と江戸城との間の行列に出くわして、天子さま勅使の
行列ぞ、とか聞いた庶民は、そのとき知ったでしょうね。
779 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 00:54:10
そしてすぐ忘れた
>>778 いや、「○○様の行列ぞ」とは言わなかったんじゃないの。
それよりむしろ、もしかして勅使は、菊の御紋を大きく掲げていたり、
格好じたいが将軍や大名とは全然違っていた?
江戸時代の有名神社に菊花紋章があったのかどうかは知らないが、
だとしたら、天皇の実在感が高まった可能性はある。
ただ、御三家クラス以上の大名行列では庶民は土下座させられたはず。
勅使がまじまじ見られていたのであれば、逆にその他大勢の一般大名
クラスと見られていたとも言える。
関白とかの下向がどの程度の頻度であったのかも知らないが、それは
御三家以上クラスかな。
また、一般勅使の行列は一般大名よりも短かったと思われるから、
目立ちにくかったとも思える。
中世の天皇について語りましょう。
リブレットの人、なんかネタふりしてみれば?
784 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 18:10:21
もし太平記かなんかで知っていたとしても自分達の君主とは考えんわな。
785 :
日本@名無史さん:2006/09/11(月) 12:11:04
>>784 そうなんだよな。文献があるのと、現実に君主だと考えるのは別問題。
東国や近世は、知られぐあいが少なかった感じがする。
あと、近世の九州も。
786 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 15:14:21
都市民と上流階級以外は天皇のことは知らなかっただろう
787 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 15:41:57
ヒント 改元
788 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 15:58:31
15:49分
秋篠宮悠仁「ひさひと」様と決定。
789 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 16:26:52
>>787 改元は幕府を通じて流していたからなぁ。
一世一元じゃなかったし・・・
790 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 16:32:55
>ひさひと
悠仁か。ちょっと、のんびりした名前だな。
>>790 中国の古典の詩経からとったとは?
結局、中国の文化に頼ってるわけで
日本の伝統も中国あってのものかよ。
792 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:39:06
寛永寺の宮様がすぐに東国皇帝になるくらいだから、みんな最高権威と認識
してたんだろう。
793 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:54:27
>>784 それは庶民にとっては領主が君主なわけですから
ただ一部には天皇こそ我々の君主と考える
集団や勢力がいたのは事実で
そうした潮流が土地支配と封建体制を打破して
やがて日本に近代の夜明けをもたらしたのです
794 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:01:11
>>791 古代日本では中国の文献こそ権威ですから
古代日本の伝統を受け継ぐ天皇家では当たり前。
ちなみにあまり知られていないが
古代中国の文献の多くは日本で写本などが残されていたから
今その内容を知ることができるものが少なくない。
795 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:07:38
一部であるならば一向宗も顕如様こそ我々の君主と考えていたし
公家達の一部も天皇を見限り一向宗に身を置いている
一部分だけを取り出して全体を述べる皇国史観の癖が染み付いた駄文はいらない
796 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:20:10
いや一部を取り出しているのでなく
その一部が拡大してやがて幕末の尊皇運動となった事実を述べているだけで
797 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:26:34
平成天皇になってからはネットもできたし2chもできたから
バカにされ笑われ放題やな。
ましてや皇太子にいたっては2chネラーがヒロノミヤホモAA。
これら見る限り将来の皇室も危ういな。
798 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:29:23
799 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:33:51
>>797 イギリスの王室のように日本の天皇一家も国民に笑われるのが存在理由になると実感する
週刊誌も皇室バッシングを書くと売れる現状、各メディアが国民のニーズに応え始めるだろうから
800 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 18:37:25
800
まあ昔みたいに共和制にして「天子様」にお戻り頂くのが一番いいと思うよ。
802 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 19:23:55
>>797 馬鹿にし、笑っている国民の方も相当に危ういぞ。
803 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 00:42:09
日本の歴史に“共和制”って、あったっけ?
>>789 確かそうだよね。
ちなみに、ときどき、
>>787みたいな話が出るが、
例えば江戸時代では、将軍と天子の代替わりのときが主な改元だと思う。
それ以前はもっとさまざまな改元があった。
さらに、武家政権支配下の地域は、朝廷の改元に従わないこともあった。
今の我々でも、平成、昭和、大正などの関係は数えにくいわけだが、
昔の一般庶民にとってはなおさら訳が分からなかったはずで、
元号を使いこなしていたとは、ちょっと想像できない。
元号をちゃんと分かっていたのは、公式文書を読み書きする一部の階層だけで、
一般庶民は干支で把握していたと思われる。
詳しい人います?
805 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 01:37:45
そもそもなんで男系なの?
男系って不確かじゃないかな昔だった誰の子かわかんないよね
DNA鑑定とかないし
女系だったらかほぼ確実だろう 出てきたらまちがいなくその女性の子供出し
もしかしたら125代男系で続いてるといっているが違う精子が
混ざってることはなのだろうか?
806 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 15:55:24
万世一系の男系と言っても、
遠く離れた親戚にとんだりするからなぁ、
下々の感覚だと他人に移るような感じだ。
807 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 15:56:42
孝明帝の時は、4回くらい改元しなかった?
808 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 17:46:01
干支で把握してたなんて聞いたことない。
たいてい元号が一般的。
自分の無知を晒すなよ
811 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 21:09:18
天皇陵ってあるでしょ
あれね、大事にされてこなかったのね
天皇陵つくるとき人集めて時間かけてつくるのよ
で、この天皇陵は○○天皇の墓だと地元の人は理解して大事にしたか
代々その土地に住む人は自分の子達に、あれは○○天皇のお墓だよと伝えたか
よそからその地に着た人に、これは○○天皇のお墓ですよと伝えたか
地元の信仰や尊敬を集めたのか、天皇自身が眠っているんだからちょっとはそんなことがあってもいいのにないのよ
ほったらかし、信仰の形跡も敬愛のなごりもないのよ
天皇陵は滅びていった各地の王達の残骸なのか
それなら遺棄され有史の天皇が先祖の形式と伝統を習わなかった説明がつく
でも天皇陵であれば天皇は人々に慕われていたとは言いがたいし天皇そのものが何ナノって感じじゃないかな
知っていても知らなくても人々にとって天皇は重税や賦役を課す存在だから
天皇によって生活が潤う人は親しんだろうが天皇によって生活が苦しめられた人々は親しみはしない
まあ、天皇陵といわれているのは蘇我王家や各地の王達の墓だとは思うが
サヨちゃんの雄たけびアボ〜〜ン
サヨもウヨもないのよ。
要するに、邪馬台国の卑弥呼とどうつながっているのかの一点に尽きます。
宮内庁は嫌がるんでしょう?
卑弥呼との血のつながりを。
憲法に明文化するならば、
大和朝廷と邪馬台国の関係をはっきりさせて
神話ではなく、真実の歴史を国民の前に晒さないといけません。
そこから、現代日本が始まります。
>>808 おまえは壬申の乱も戊辰戦争も知らんのか。
さておき、ほとんどの庶民は、今が○○の何年かは知らなかったはずだが、
今の元号が何かだけは、何割かの人は知っていたかも。
改元理由がどのように庶民に知らされていたかが問題だな。
江戸時代は、天皇が替わっても幕府が改元を認めなかったことがあったから、
天皇の代替わりによるものだと大々的に広報したとは考えにくいが。
>>795 五木寛之かな誰れだっかな?室町〜江戸に法主の裏方に皇族が来ると
法主以上に人心を集め、北陸の寺院に記念に建てられたり行事が有ったと言っていた
少なくても本願寺など文学文献を読めば天皇を本朝と崇敬表現が使われてる。
>>804 寺社にある戸籍のようさ記録を見ろ
年貢の記録を見なさい
どの地域も改元に従ってる文献ばかり。
あと脳内解釈で願望で想像しても無駄
庶民の使うのは干支だね。
公式文書は元号を使う。
問題はその背後に天皇を見たかどうかということ。
そこがキモだな。
818 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 15:30:09
>>816 公文書を作成するような人間は、当然、その地域のインテリ層。
水呑み百姓の権兵衛さんの類が作成してるわけではないんだよん。
脳内解釈で願望で想像しても無駄。
819 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 16:35:40
>>818 本百姓でも、元号と天皇の意味を理解できてたかどうか・・・
820 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 16:38:53
その無知な階層が
遙々、御所に参拝する社会現象を起こしているんだか。
821 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 16:47:32
>遙々、御所に参拝する社会現象を起こしているんだか。
ん?飢饉の時に一度きりだけど?
所司代に、
お金を投げ込むのを止めさせてください、と
リンゴを配っていいですか、とを
恐る恐る聞いている。
その無知な階層が
水呑み百姓の権兵衛さん子孫が
今やネットウヨ
823 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 19:41:48
>>821 一度だけなら無視していい事象なのかな?
明らかに庶民が歴史に痕跡を残すレベルで行動を起こしたが故に
資料から確認がとりやすい一つの好例なのだが。
勿論、庶民はこのような社会現象を起こす前に
すでに内裏さま(天皇)を知っているだろうし
事件後も知っていただろう。
ウィキペディア:
御所千度参りに集まった人々は、京都やその周辺のみならず、河内や近江、
大坂などから来た者もいたという。
京都近辺が主だったことに注意。
もともと、関西の庶民には認知度が高く、敬われたことも多かったろうことは、
当然なので、ここでの議論ではない。
825 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 20:52:12
日本語で書き込めよ。何言っているのかさっぱりわからない。
826 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:04:05
京都から遠ければ遠いほど
「天皇?」になるだろう。
827 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:22:21
根拠は?
828 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:29:18
民間伝承や昔語りに人々の信仰や生活が現れるのに天皇やアマテラスは滅多に出てこない
自然信仰で竜や山神が圧倒的
偶像崇拝ではお釈迦様と地蔵など
貴族文学は人々に浸透していないし村々に浄瑠璃や芝居は来ない
また日中は仕事、夜は明かりがない中で文芸に慣れやしない
829 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:33:51
>>828 どこの国の話をしてるか知らんが
日本では各家庭に油があり各村に寺子屋があり芝居や浄瑠璃は神社でやっていた
830 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:36:48
もう、ほぼ結論は出たよね。
「関西周辺住人や、支配階層・インテリ層に属する人々の間では、天皇・皇室の存在は
認知されていたが、関西から離れた、特に社会的下層民レベルにおいては、その存在が
認知されていたかどうかは確かではない」
こんなとこでしょ。
831 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:38:20
832 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:40:56
>>830 関西圏で天皇陵が荒廃してどの天皇陵なのか地元の人が知らないのは何故?
834 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:13:20
>>832 開墾して畑にする方がマシだったから
まじそういう遺跡あるよね、天オタで無い歴史オタとして惜しい
836 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 09:23:20
いずれにしても、京都へ帰還して御所の御簾の中にいたほうがいいかもな。
今の議員と同じで、わしがわしがとしゃしゃり出る野郎が豪族となり、
貴族となり、神様となって、神話作って
「神様だから、わしに仕えろ、従え、年貢納めろ」なんたらかんたらと
言い出して、まじめででしゃばらない連中がしかたなくそれに従ったら、
「平定」したとか。その末裔がやんごとなきとか、そんなあほうなことをいつまで
続けると、目が覚めるのか?
838 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 10:54:02
相当うっぷんが溜まってるみたいだな。
>>832 >関西圏で天皇陵が荒廃してどの天皇陵なのか地元の人が知らないのは何故?
地元でも、天皇に関心がない時間が長かったからでは?
840 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 19:37:40
天皇陵が築かれた当時、そのすぐそばに民家はあったのだろうか。
工事始まる前に、強制連行されてるに決まってる。
立退き料などもらうはずもなし。
842 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 00:25:51
ところで、昔の人は将軍のこと知ってたんですか?
天皇より公方様のが知ってたんじゃね
844 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 12:22:32
次の宮田登の言葉はひとつのヒントになるんじゃないかな。
参考までに。
「京都周辺でこそ天皇様というと、御所にいらっしゃる大変尊い方で、
新嘗祭とか節分とか、そういう行事の主催者としての存在が知られて
おりますが、地方の庶民の世界ではテンノウさんというとむしろ
牛頭天王という形の神格の方が表面に出ています。この天王さんに
もう一人の司祭者の天皇の神格がオーバーラップして明治以後の天皇を
神というふうにすぐに考えたものでしょうか。」
(宮田登『宮田登日本を語る4俗信の世界』吉川弘文館、2006年、43頁。)
845 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 12:31:35
>844
たしかに、うちの地元でも「天王様(てんのうさま)」っつーと、地元の鎮守様のことを指すから、それと一緒になってるっつーのはありえる意見やね。。。
846 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 12:36:45
そ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ
,ゝ:::::::::_::;;;;;::;;::::;;-; -ィ;;;;:::;::Zヘ
,ィ::::::{´ ` `´ ゝ:ゝ'}
彡j ,, _... i l_,,,,-;;''''' }:::::从
'f、 ィヘテヽ ` ' ゞ`ゝ ゝ:::ミ すまんなぁ〜
>>1 ,j! く{ _ j/,`ヽ
{,ヘ r') / わしはこんなクソスレ立てた
>>1を
ヽ'、 ' ̄`ヽ ,./
`ヽ. ` , イ´ 殴らなあかん!
\_ , _', .-⊥_
, 、 _.. /77ゞ7ヘ \ _r`ゝ> _.. -, ...._
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'ニニ ヽヽ::::i r;':::::::`ヽ::{_.. -─ …'‐- '、∠::-:'´:::::::::::`::ヘ
'ィヽ_ヽ.ゝjヽ」_l!-─ '' ´ /,::-、∠三::ミ::-::、:}
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∨-::─:::::::ヘ__, - ´ /:::::::::::::::://::l::j::::::::::::::::::::::::{
歴史的に見ると
戦国時代に信長が平手正秀にむかって
世の中には天皇と言うものがあってとても尊いということだが、それは人なのか、物なのか、何かの建物か
もって運んだりはできるのか−と問うた
平手が「いかにも人でございます」と答えると、信長は意外に思ったそうだ
幕末の江戸市民は慶喜が政権を降りた後
「今度の将軍は天子様というそうじゃ」と言っていたという記録がある
結論:中世以後のフツーのやつらは天皇の存在を実質知らなかった。
848 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 13:28:35
信長の親父はずば抜けた勤皇武将だったから、
そんなことは聞かないでも知ってたろう。
849 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 13:38:23
>>845 皮肉にも牛頭天王は疫病神なんだよね
地方では天皇より将軍の法が身近であったろう。何しろ殿様は将軍様のいる江戸に参勤しなければならなかったんだから。
850 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 00:06:06
>>848 織田信秀が「ずば抜けた勤皇武将」なんて、初めて聞いた。
尾張守護代のそのまた家臣でしかなかった成り上がり者の常として、
当時横行した勝手な「守名乗り」ではなく、正式に朝廷から叙任され
権威を身に帯びたかっただけの上洛と献金。
その甲斐あって、従五位下備後守に任じられた。
少年時代、「うつけ殿」と蔑まれた信長は、ただ旧来の権威やならわしに
頓着しなかった奔放さが、保守的な人々にことさら奇異に映っただけ。
史実かどうか?はともかく、
>>847のような逸話があったとしても不思議じゃない。
>>847 将軍以上の存在なんてお膝元の江戸市民には
出来るだけ知らせないようにしてたんじゃないんですか?
852 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 03:24:21
そっか、そもそも幕府は、将軍以上、或いは将軍と同等の権威をもった者の存在なんて
認めたくないし、ましてや一般人民にそんな人物の存在を喧伝するようなことはしたくないだろうから、
スレの上のほうで持ち出されている鳴物禁止令の類にしても、皇室関係者の場合、それが実質的には
どんなレベルで運用されていたかも怪しくなるのか。
847の話って昭和初期の小説の話だった気がするが。
記憶違いならすまん。
>>850 それにしては度の過ぎる献金じゃないか?
権威を帯びたかっただけというが、その権威を認め、飢えるように求めるだけでも信秀の思想を感じるが。
信長は自分が築いた居城に天皇を呼ぼうとしていた。
信長は無神論者、敵となれば坊主も焼き討ちすれば、得があると思えばキリスト教の布教も許す。
形の上で天皇を奉るという大儀で自分近くにもって来たかった。
で自分の城の敷地内に天皇の居所を建築するんだけれど、それは自分の居る天守閣の下の位置。
これは実際に奉っていたら有り得ない位置関係で、つまり自分は天皇より上の立場と天下に知らしめ
天皇を監視できる環境に封じる意図があったとされる。
この頃になると自分の権勢を皇室に見せつけるため、無理難題を要求し天皇に力関係を見せつけている。
正倉院に歴代天皇も手を付けない古からの宝物で、9世紀に納められた渡来の香木があるのだが、これを1武将の
自分の趣味のために切り取り差出す事を要求し、天皇はこれを断れずに宝物を切り取り信長に差出した。
もちろん香なので信長はこれを燃やして楽しんだ。
信長の献金は市場経済に影響を及ぼさない立場に既になっていた天皇への飴、
武力やこういった圧力は鞭。
信長と天皇の権威の力関係は当時は来んな状態だった。
まあこの頃になると下克上という現実的な行動を生む価値観が普通にあったので
権威というものに関しては建前であるという現実的なものの見方も生まれ行き渡っており
実際に天皇の権限が及ばなくなったので、各地の武士が自分の所領を持ち派遣を争っていた訳で
天皇を奉じた平家とか、義経あたりの武士とは全然感覚が違う。
>>817 干支は自分の年齢などを分かりやすく計算する手段だよ。
また年貢を収めた証拠として貰う時には元号だよ
一人だけが必死みたいだな。
なんか無知が必死に知らん知らんと、怪しいサイトか中途半端に一部分だけを採用したものを
歴史だと歪曲してるが、さすが最近の史学会には天皇の認知度は高いが大勢ですがね。
マルクス系、左派系ですら細かく分析するとさすがに無理があると思ってる。
たぶん必死に成ってる一人は団塊シュニアあたりまでの古い知識とイメージから、都合の良い部分の一部だけを観てるだけですね。
ここまで三週間ぶりキタので久々にいっきに読んで分かったが、知らないとか言ってる奴
自分の持ち出した事に自信が無いのか、たまに自作自演の自己レスしてますね。
プ
859 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 07:02:12
>>850 アホですか?バカですか?
信秀は四千貫を朝廷に寄付しました。
当時としては破格の額です。
毛利や大内という大大名でもニ千貫そこそこですよ。
それでも「ずば抜けた勤皇武将」ではないのですが?
ちなみに織田家は熱田神宮の家系ですよ。
勤王武将になるには無理ないと思いますよ?
火病患者がいるな
うん。
信長は朝廷には圧力を掛けていたけどね。
862 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 10:52:34
大内義隆は1548年の3千貫以外にも再三献金している。
献金額の多寡は武将の経済力を示す指標となっても、勤皇家かどうかを断定する
根拠としては薄弱。
大内・毛利氏が石見銀山を背景に持つように、織田信秀も津島の商圏を背景に、
斯波氏や清洲織田氏を凌ぐ財力があった。それをテコに被官のそのまた被官としては
異例の献金をする代償に、異例の官位を手に入れた・・・取引成立ってワケ。
当時の朝廷は献金目当てに官位を濫発し、信秀の献金も、山科言継が金をせびりに行った
その後の話。
勤皇武将と言い張るには、信秀の思想を裏づける何らかの証拠がなくては、説得力ないね。
熱田神宮の家系?・・・千秋氏と政略的に結びついただけでしょう。
高いわけがない
畿内の京都辺縁はともかく、それ以外の庶民は自分の国の領主以外シラネ
864 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 11:49:55
織田系天皇になってたら、面白かったのになぁ。
865 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 13:00:55
明治維新後に、新政府が天皇の存在を宣伝するまで、殆どの
庶民は天皇を知らなかったという説を主張した左翼の学者がいた
らしいが、里見岸雄著『天皇とは何か』に、これに対する反論が
出ている。因みに、里見岸雄は日蓮系新興宗教の元祖的な立場に
ある国柱会の田中智学の次男だ。
大体、里見氏の説に基づいて書き込みしてみたい。
まず、地方にも、神主・僧侶・儒者などのインテリはいたのであり、
寺子屋の様な一定の教育や啓蒙活動はしていた訳である。
また、名主や庄屋など、行政の末端にいる役人は、当然、天皇を
知っていた筈である。太平記読みなどもいたのであり、庶民も天皇
は知っていたと思われる。それに、将軍の代替わりの時などには、
京都から勅使が東海道を往復した。伊勢参りをする庶民だって、
かなりの数に上った。江戸時代には、山崎闇斎学派や国学・水戸学
などの学問がうまれたのであり、庶民も影響は受けた筈である。
明治維新後に、天皇の存在を宣伝する文書があったとしても、
当時としては、いくらでも、宣伝する必要のあった事だから、
不自然でもない。
今のように、マスコミが発達していない以上、田舎の民には
その存在を知らない者もいたであるであろうが、微々たる人数であった
であろうと思われる。
勿論、幕末、孝明天皇の御世に至るまで、神武天皇始め歴代天皇
の御陵が荒れている事を嘆く者は多くとも、それを修繕する事が
出来なかったと言う。司馬遼太郎の『王城の護衛者』の中では、
孝明天皇はお酒が好きであったが、庶民でも飲めない様な代物であった
という話があった。確かに、徳川幕府は朝廷を軽んじていたし、
庶民の中にも、天皇の尊きを知らぬ者はいたであろうが、
今の大学教授を含むインテリ層にだって、それを知らぬ者は
いるのだから、昔の無知な民が尊皇を理解していないとしても
驚く必要はない。
866 :
865:2006/09/17(日) 13:08:38
因みに、里見岸雄や北一輝の国体論に基づけば、
万世一系の皇統・万邦無比の国体は過去にあったもの
として尊い訳でなく、現在進行形で天壌無窮に発展する
ものであるから尊い。天皇は日本国体の道義を発揚する
上での神聖権威である。
故に、上述の如く、左翼学者の説には反論が成り立つが、
仮に、それを認めるにしても、国体論から言えば、殆ど
驚く必要がない。
ローカルの寺子屋じゃまず読み書き算盤が関の山。
識字率も低い時代、寺で教える世界観もまずは仏様だって。
ウヨサヨの問題じゃねえってw
> 今のように、マスコミが発達していない以上、田舎の民には
> その存在を知らない者もいたであるであろうが、微々たる人数であった
> であろうと思われる。
> 今の大学教授を含むインテリ層にだって、それを知らぬ者は
> いるのだから、昔の無知な民が尊皇を理解していないとしても
> 驚く必要はない。
自分のレスの中で矛盾してるってば
無理があるって自分でわかってるんでしょ?w
言い訳で説明を付けないと落ち着かないんでしょ
869 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 13:54:12
>>864 徳川時代が織田時代に。
鎖国もしなかったろうし、自分以外の権威に対しては厳しかったからどうなったろうな。
そう成る予感だったから公家の光秀が裏切ったと言われもする。
あながち有り得ない話でもなかったんだよな。
経済手腕も良かったし。実際徳川時代の土台になったわけだし。
870 :
左翼:2006/09/17(日) 14:02:04
知っていたことにしてくれ。
そうじゃなきゃ、
「民衆は、天皇の課す法外な税金や過酷な強制労働に苛まれ、その圧政に苦しみ、
心身とも蝕まれて、怨嗟の念を募らせつつ毎日を過ごしていた」
という宣伝文句が使えなくなっちまう。
871 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 14:24:52
むしろ江戸時代よりも古代律令制の時代のほうが天皇の知名度は
高かったんじゃないの。
畿内ならね
首長は知っていたろうが
なにがなんでも「天皇は昔から日本人に崇拝されていた」ということにしたい天ヲタ
きんもーっ
きんもーっ☆
だ
>知っていた“筈である”
>知っていたと“思われる”
>影響は受けた“筈である”
>微々たる人数であったであろうと“思われる”
“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”
“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”
“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”“思われる”“筈である”
力強い論破、ありがとうございますた
>>865
877 :
865:2006/09/17(日) 16:00:22
俺の書き込みに矛盾があると言う奴がいたが、もう一度、よく読み直してみてほしい。
結論から言えば、昔から庶民の大半は天皇を知っていた。
然し、尊皇であったか、軽視していたかは別の問題。
中には、天皇を軽視した庶民もいた様であるが、そこは今のインテリだって尊皇とは限らない、いわんや昔の庶民をや、と言う事。
然し、明治以降程ではないにしても、尊皇の意識はある程度、庶民も持っていたと言える。
言い訳だの何だのと言うが、俺は、お前らの様に、ああでもない、こうでもないと揚げ足を取られる事を想定して布石を打っておいたに過ぎない。
一番、言いたいのは、現在進行形で国体が発展して行く事が重要だと言う事だ。他の事に関しては、「であろう」とか、「と思う」とか、推論の域を出ない所はあるが、これはひとつの信念として明白に言える事だ。
878 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:28:00
>>857 >最近の史学会には
史学会って小さな会合でしょ、史学界とは違う権威の無い集まり
学界で何にでも統一意見があると考えているところが変
嘘を書くのはやめようね
>>877 >>867 >明治以降程ではないにしても、尊皇の意識はある程度、庶民も持っていたと言える。
これは
>>877の知る限りの書物や知識で何からそう思ったの?
一般的に庶民が描かれたものでそういう表現聞いた事がないので。
つか、単にこれなんだろ?
> 一番、言いたいのは、現在進行形で国体が発展して行く事が重要だと言う事だ。他の事
> に関しては、「であろう」とか、「と思う」とか、推論の域を出ない所はあるが、これ
> はひとつの信念として明白に言える事だ。
>>877にとっての理想形、「であろう」とか、「と思う」とか、推論の域を出ないところを
ひとつの信念として
>>877が明白に言い切っただけ。
880 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:32:50
天皇が統治者であれば民衆は天皇を知る
天皇に徴税されるから
幕藩体制では天皇を知らない
生活に天皇は関連しないから
>>880 天皇統治の間も役人やその土地の首長にひとまず納めるから
一般は意識はそこまで意識していたかどうか。
畿内やその周辺は知識があったかも知れないけれど。
古墳時代とかと平安時代とかでもちょっと違うよね。
>>854 学研の信長研究書にある安土城のデザインだけ見ていないで当時の建築事情を調べて欲しい。
あれは天子の住処を作ったのではなく、天子を来賓として迎える御座所という事ぐらいはいくら学研の本でも書いていそうなもんだが。
それに貴人は二階建て以上の建築に寝泊りをするものではないとされているのだからあれはちっとも失礼じゃない。
天子の滞在中、信長が天主で就寝するという図式も考えにくい。
そもそも信長でしょ。国費を使って天子の権威をそれまでなく高めたのは。
それをわざわざ自分から否定する愚挙はやらんだろ。もちつもたれつ悪くない関係なんだし。
逆にそれほど自分の感情だけで政策を決められる男なら一向宗なんか未来永劫禁教されていたはずだ。
>>862 信秀も一度だけの献金ではなかったと思うが。
数カ国を領し、明国とや南蛮との貿易でおおいに潤っていた大内家がぽーんと大金投げ出して官位買うのと、
尾張半国程度の田舎者信秀が相次ぐ戦に消えていく国庫から思い切って献納する大金を比べて、
大名の経済力を比較する指標にしかならないというのは言いすぎだろう。
884 :
865:2006/09/17(日) 19:19:55
>>879 確かに、江戸期に限らず、一般庶民に関する資料って、
あんまりないよね。はっきり、言って、俺も、あんまり
知識がある訳ではない。
司馬遼太郎の小説から仕入れた知識で恐縮なのだが、
中村半次郎(後の桐野利秋)は、志士が自分の藩を「弊藩」と
へりくだり、他藩を「尊藩」と言いながら論争するのを聞き、
無学な中村は、それを全く逆に使ったと言う。中村は「尊藩」
は「損藩」だと思い、謙譲語だと思っていた訳だ。
或いは、志士の中には、大藩である会津を知らず、「カイヅ」
と読む位、無学な連中もいたという。
大体、中村半次郎にしても、岡田以蔵にしても、かなり無学
だった筈で、人斬りで教養があったのは河上彦斎位でしょ?
勿論、教養のある志士も多かった訳だけど、司馬遼太郎の
小説に出てくる話からは、そうでない連中も、尊皇攘夷運動
に参加していた事になる。そうであれば、無学な庶民も、当然、
尊皇の意識を持っていたと推測出来る。
それから、既に述べた様に、里見岸雄の論の影響。
崎門派朱子学・国学・水戸学の影響はそれなりにあったのではないかな?
885 :
865:2006/09/17(日) 19:41:19
>>879 私の言いたい事は、貴殿の言う通りだ。
既に述べた事ではあるが、里見岸雄や北一輝の国体論の影響
というか、殆ど、それの受け売りなのであるが、2ちゃんねる
でも、万世一系というのは怪しいとか、明治天皇は長州から連れてきた
南朝の末裔を替え玉にしたとか、そう言う説があるのは、私も知っている。
然し、そういう事は、大して重要ではない。昔の人が天皇を知っていたか、
と言う問題にしても然り。そう言う意味では、ある意味、このスレの
テーマからずれているね。
万世一系の皇統が今上陛下まで、125代もの長きに亘って続いてきた
事は、勿論、日本人にとって、一つの尊い事実であるけれど、単に
長い皇統を継承してきた事が、天皇の御存在の尊い理由ではない。
当然の事として、私は、天皇の御存在は日本の歴史にプラスの
方向に働いた側面が大きいと信じるが、例え、過去の歴史がどうであろう
とも、天皇を道義的中枢として奉戴する日本国体は、これから、
その本質を一層発揚し、万邦無比たる事を示せば良いと、私は
考えている。
886 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 21:18:05
>>884 小説の世界では〜藩とよく表現されるが
実際には〜家が通常の言い方
小説や神話は間違いを常識にする
887 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 21:24:13
飯を食うこと、生きていく事に精一杯だから
天皇の事なんて、一般庶民は知らないと思うよ。
>>885 学問板でうたうなよ。そんなに有り難いならヒロヒトが死んだとき殉死
すればよかったのに。
てめえのご先祖だって元を辿れば天皇家の圧政に苦しんだ口だろうがよ。
馬鹿が。
889 :
865:2006/09/17(日) 23:40:48
お前、アホだな。
悪いが、先帝崩御の時、俺は尊皇なんて概念を欠片程も抱かないただのガキだった。
大体、「天皇家の圧政」って何?
基本的に、天皇は直接的な権力者・為政者であるよりは、権威として君臨してきたから、皇統は続いてきた訳だ。
お前さんの言う圧政がいつの事か知らないが、近代ならば輔弼する臣下が責任を負うのだし、陛下は基本的には立憲君主として栽可されるだけだ。
大体、お前は左翼か?
本来、プロレタリアートの為に政治を行う筈の共産主義国の方が、資本主義・自由主義の国より圧政を敷いているが、これはどう言う事なんだい?
お前さんのお粗末な脳味噌をフル回転させて、少しは考えてみな。
「天皇家の圧政」など存在しないし、日本に生まれたのが幸福であるのが分かるだろう。
分からなかったら、日本から出ていってくれ。君の様な頭の悪い左翼が一人消えても日本は困らないから。
「天皇家の圧政」に反乱を起こしたのが平将門だからな〜w
「天皇家の圧政」っていっても実際に世を治めていたのは中世までで明治からは100年に満たないから
「天皇家の圧政」を日本の歴史全体で言い切ってしまうには無理がある。
世界的に異常気象による天候不順で凶作が起こりがちになり、多くの民が飢饉に喘いでいた頃
天皇が直接政治して無かったのは天皇にとっては幸運だったんだよね。
そういうのが引き金になって民衆が政治に不満を持ち革命が起きたりしてたんだろ。
日本はそのとき武士の時代だったから。
ちらほら反幕府思想として国学が言われ出して、支持者が出だしたのはその辺だし。
そのころやっと一般武士階級の意識に天皇の存在するイメージが起きたくらいでしょ。
それまではお上と言えば将軍。
891 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 00:59:10
天皇家の脅威は、大衆の支持を失ったサヨではなく、大衆の無知・無関心だと思っていたが、
それより何より
>>889のような輩が、実は天皇制を危うくする元凶なんだよな。
第一、この板はアジテーションの場ではない。
『昔の人って天皇のこと知ってたんですか 』というあまりにも大雑把で、それだけに切り口が
豊富なテーマについて、できるだけ史実に根拠を求めて議論するスレ。
めいめいの理想や思想を自己主張する場ではない。
なんでウヨサヨ論の人って歴史そのものより自分大好きなんだろうって思うよ。
893 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 01:14:54
いわゆる「醜女の深情け」ってやつさ。
北一輝を持ち出してきたり、「道義的中枢」たれ・・・と求められちゃあ、
亡き昭和天皇も、今の皇族もさぞや迷惑に思うだろうよ。
今上天皇は御本人が歴史上の右翼系思想のタブーを覆した発言をなさる客観的なバランス感覚をお持ちの方だからね。
昭和天皇も歴史はああはなったが、科学者らしい思想より事実をもとに思索する方だったし。
石原都知事はそれが気に触って今上はダメだとぼやいてたけど。
ウヨサヨの人は他の該当板へ行ってくれ
板違いにもほどがある
>>891 こういう根拠が無くても確かだと言い切り、思想を全面に押し出す強硬な様を見て
特に思想的な事を持たない人は、ああこういう主張の人達は歴史は実のところまずいんだ…って印象を持ってしまうよな。
中味がさらりと納得の行くものならまだ参考になるけど、自分の”思い”を歴史と同等かそれ以上の扱いで他人に言い切るし。
ま、で、
>>884 小説土台なのか?それは悪いけど日本史にはならないよ。
良い趣味だと思うけれど。
むしろ江戸時代なんか庶民の中に印刷物が行き渡り、多くの資料が残されている時代だ。
天皇に関するそういうものは聞かないなぁ。もしかしたら少しはあったのかも知れないけれど
それでも一般の生活のなかの教育や会話にそれが基本としてあるものならそういうものも耳にしそうなものだけど。
>>865はもうお休みか
一日粘着した馬鹿だったが、内容的にはじじむさかったねw
899 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 01:54:47
毎年コンスタントに自民党に献金する大企業があったとする。
一方、にわかに台頭した新興のIT企業が突然巨額の献金をする。
すかさずその社長が業界に関わる審議会の委員になり、同時にその企業のための
規制緩和策が取られたとする。
これって、贈収賄の匂いフンプン。きっと東京地検特捜部なら立件するだろう。
織田信秀の朝廷への献金(ちなみに彼の4千貫の献金は一度きり)は、まさにその類。
それに織田信秀の才覚と財力を侮ってはいけない。
肥沃な濃尾平野からの収入は言うに及ばず、彼の財力の源泉は津島港の貿易収入にあった。
信長が天下布武の野望を抱けた根っ子には、信秀時代に築かれた潤沢な経済基盤にある。
だいだい時代背景を見ろよ。
朝廷は官位をバラまいて献金を募り、下克上で成り上がった武将は権威付けのために猟官運動
に必死。
例えば、江戸幕府の全盛期に、幕府の意向を無視して朝廷に多額の献金をしたとでも云うなら、
「勤皇の志、あっぱれ」と誉めてやるんだがな。
結局、勤皇と言う名の政治的運動だったしね。開国に向けた外国の運動もあったろう。
>「勤皇の志、あっぱれ」と誉めてやるんだがな。
別に褒めることでもないのに馬鹿なの?
902 :
865:2006/09/18(月) 09:27:10
確かに、このスレの目的としては、昔の人は天皇を知っていたか?、
という事を論争するべきで、俺が理想や思想をいうのは論点がずれているな。
黙って、撤収してもよかったのだけど、もう少しだけ書き込みさせて。
>>890 >>「天皇家の圧政」に反乱を起こしたのが平将門だからな〜w
平将門の乱は、平氏の内輪もめから起こった争いだろ。
朝廷の維持してきた秩序が崩壊し始めていた事は関係しているだろうが、
当時は摂関政治で、天皇親政の時代ではないよ。
何だか、お前の「天皇家の圧政」なる言葉には無理がある様に
感じる。そして、お前個人のルサンチマンも感じる。
903 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:35:28
904 :
865:2006/09/18(月) 09:52:00
>>891 >>天皇家の脅威は、大衆の支持を失ったサヨではなく、大衆の無知・無関心だと思っていたが、
それより何より
>>889のような輩が、実は天皇制を危うくする元凶なんだよな。
そう思うなら、もう少し、詳細に説明してくれ。
別に、俺は右翼団体に所属している訳でもないし、北一輝みたいな
国家社会主義でもない。何故、天皇に関する真面目な考察が、天皇
を滅ぼす事になるのだ?
尚、大衆の無知・無関心が危険だときみは言うが、君だって、
「天皇家」とか、「天皇制」だとか、マスコミが使用している
軽薄な言葉を使っているじゃないか。
そもそも、所謂「天皇家」は、皇室という呼び方があるのに、
何で、敢えて、そんな呼び方をする訳?「天皇制」は32年テーゼ
で出てきた左翼用語なのは有名な話だよね?
俺に言わせれば、最上級の敬意を表すべき皇室に対して、
妙な言葉が時々使われているのは、左翼マスコミが国民から、
皇室に対する敬意をなくそうとする策謀ではないかと思ってしまう。
因みに、先日、秋篠宮悠仁親王が御誕生になられた。その時に、
国民が祝福するのは良いし、当然だとは思う。然し、マスコミが
高級芸能人的な待遇で扱う皇室に対し、ミーハーに喜ぶ人を見る
と複雑な気持ちになる。皇后様や雅子様のおっかけみたいな
おばさんが、古事記・日本書紀・万葉集を熟読して、天皇を
敬う理由を熟知した上で、そういう振る舞いに出ているとは思えない。
公の行事では国旗・国歌に敬意を払わない癖に(官製の愛国心という意味では
多少の問題があるとは思うが)、オリンピックやサッカーの試合では、
妙に愛国的になるみたいなミーハーな愛国心という意味では、これは
本質的に同じ気がするのだが。
905 :
865:2006/09/18(月) 10:03:07
>>893 個人的には、北一輝は好きだし、『日本改造法案大綱』は読んだけど、
実は、俺は『国体論及び純正社会主義』はまだ読んでいない。
鈴木邦男が、今の日本人は「殆ど乱臣賊子及びその共犯者の後裔」
と北一輝は言っていたが、「万世一系は過去の事ではなくこれから
展開される」と言っていたと書いていたので、それの印象が強くて
記憶に残っていた。里見岸雄の本は読んでいる。だから、この件では、
北より里見の影響の方が大きい。
因みに、北一輝は華族や貴族院を廃止しようとしていたらしいから、
それは皇室の藩屏をなくす事でありよくなかったと思う。また、国家
社会主義で平等が実現した後、天皇を廃止するつもりだったなどという
話を聞くと、国家社会主義を右翼の潮流の一つとは認めながら、賛同
出来ないと思う。
906 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:13:03
907 :
865:2006/09/18(月) 10:17:33
>>896>>897 確かに、俺は独断的に書き過ぎた所があるな。それは認める。
別に学術的な論文を書く訳でもないから、自分の知識にある範囲
の知識で書いた所が大きいから、推論になった所も多かった。
明治維新後迄、庶民は天皇を知らなかったという説は、左翼学者
から出た説だから、出来る限り否定してみたかった訳だが、何が何でも、
天皇の存在を実質以上に美化しようとは思わない。
ただ、太平記読みや伊勢参り、勅使の往来、崎門派朱子学・国学・
水戸学などの存在から考えて、庶民が全然、天皇を知らなかったという
のはかなりの強弁だと思うわけです。
尚、何度か書いているが、私の論は、里見岸雄著『天皇とは何か』
の影響が大きい。比較的入手し易いと思うので、もし、関心のある
人があれば、一読してみて下さい。
908 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 13:57:55
マス掻き見せつけられのって、ほんとキモいね。
うん。
>>906 それは行き過ぎwwwww
ま、現代のあちらの国と我が国と人が同じとも限らないというのを大前提にして
単純にいきなり天皇一族がこの列島に現れて、いきなり全権掌握した訳も無いし
東アジア圏内で人も文化も交流が無い訳も無いので
いろんな文化の土台を東アジアで共有してるのは何ら不思議では無いし
それが現在におけるどこの国のものとも、どの段階がスタートとも一概に言える事ではない。
人為的乗り物が出現したのは極最近なんなんだから、人も文化も太古においても
シルクロードの範囲ぐらいは動けるんだよね。
で天照のような天に祖を求める神話は世界に点在するし、日本の神話と似たストーリーが
韓国中国に限らずあったりする。
少なくとも日本は東の果て出し、黒潮にあらわれる島国なので文化の行き着くところなのだが
こういう話を日本VS韓国で考える事自体がナンセンスなのだ。
お互いに影響を与えあい、時に争いながらやってきた場所だし、日本人が海を渡ってきたように
あちらも人は流れてきただろうことなのに。
イザナギ、イザナミが天照大神を生んだのに天照が天皇の祖って事だから
天照の祖はどこか国外と思ってみる。天照は九州あたりなんだろう。
911 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 16:51:07
海彦・山彦なども東南アジア系の伝承らしい。
>天皇とは何か
勝者にとって扱いやすい便利な道具
912 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 18:38:10
強い方に付く、勝った方に付く、事大主義で
生き延びてきた、それが天皇家の歴史。
そういえば何かのマンガに、金ないのに人においしい料理振る舞う貧乏元華族の話が
あったな。
そんなもんだよ、天皇や貴族なんて。日本史上でも一、二を争う覇者の秀吉でさえ、
百姓の出だからといって馬鹿にしてたんだから、そのキチガイっぷりに笑わされるw
偉そうに信長や秀吉、家康、上杉謙信なんかに頭を下げさせてたなんて、一人になっ
た時空しくならなかったのか?
いや、きっとなってただろうね。普通の神経なら。
914 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:04:07
どうでもいいが、民衆に天皇が知られていないのなら、幕末に天皇を中心にして国を纏めようなんて
できるわけないだろ。
>>912 馬鹿は書き込むな。
>>911 ,-―ヾヽヽ/vへ/⌒ー
, ⌒ヽ ヽ ヽ / / ノ ⌒ヽ、
/ /ヾ,ゞ -ゞゞゞゞ、_ ⌒ ノ ヽ
/ / `ヾ ー ミヽ
,/ / ヾ \ ヽミ
/ / ゞ ヽ
i / / \
/ -=ニヽ、,,_ ,,,,,,;r;==- ヾ ヾ ミ ヽ
l ;: `ゞツヽ:〉^`ヾ,だ''=-、_ i 彡 ヽ
i 、 /;;:;;;:::/ `'''''""" ノ ゞ ヾ ヽ
} :;: | 人、,,;:-,.. '^ / くヾ )
/ 彡ノノノノノノ((((( / ヘミ /
/ /ノノノノノ,.-―ミヽヾヾヾヾヾヾヾ _ノ`ーー'"
,i -ー‐- `ゞ ヽ ヽ
彡彡 ミ ヽ
''"" ̄彡 / / / / ミ ツ\
< / / / / ヾ ヾ ノノノ
'―彡 rー'"
ヾノ人,,.r--、ノノノノノり'"
ソウスキー・ボンヌ[Sawskiy Bonne]
(1851〜1929 ロシア)
>>914 民衆主導では無いよ。政治活動での江戸幕府転覆、更に外国の思惑も絡む。
尊王攘夷なはずだったんだけど、結局開国したんだよな。
いろんな思惑を束ねて、落としどころは結局違う場所に成るのが混乱時の常。
文章スゴイ変。ゴメンな。
>>913 その元華族はなんかいい人そうではある
そういう元華族ばっかりでも無いと思うし
920 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 02:02:30
神武天皇も縄文人みたいのを滅ぼしてるしね。
いやいや、まさに天皇家の歴史はそれでしょう。
このスレタイ的に言えばその時代の昔の人が全員天皇を知っていたのかどうかという。
それに天皇家より古い家が日本にはあるしね。
天皇家より古くに日本に居た豪族って事だろうけど。
大和政権下で戦わず吸収されて、上手く残れた数少ない族だろうな。
物部とか独自の神道を持ったそういう古い一族だったらしいし。
天皇ではないが、それに継ぐ同格に近い存在だった。
そりゃ消されるわ。
神武以後崇神まではニギハヤヒ=物部系の方がエリアの王だったって
説もあるしな。しかも物部=長脛彦か、少なくとも縁戚関係だったと
言うのもありそうな話だし。
924 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 04:09:34
仲哀天皇までは別の王朝だったという見方もできるな
だからさ、そういう詳細は天皇陵に封じ込められているか
もしくは、後の世に焚書されているかでしょ。
926 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 16:37:54
蘇我氏が滅ぼされたときに、国書は燃えたという。
話がうまくできすぎ・・・
天皇陵は、ほれない。
一体この国の古代史の歴史は進歩してるのか?
927 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 16:40:17
意外と毛人や蝦夷が知ってたりして。
「敵の総大将だ!」とw
928 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:04:03
>>926 しかも自害する時蝦夷が自分で燃やした事になってるんだろ?
日本書紀より古い歴史書、しかもそのタイトルは『天皇記』『国記』。
完全に言い訳だと思っちゃうよな。普通。
自分が自害する時、その2つの国と天皇の歴史をなんでわざわざ一緒に消す必要性が?
しかもちゃんとその経過を書き記してるところが。
それ書いとかないと周りに説明つかなくて困るような重要な歴史記録なんだもんな。
>>926 そりゃ掘っちゃいかんだろ。
滅亡した王朝の墓とは違うんだから。
掘ったらマズイもんなw
血筋やら王朝の区切りにこだわりたい人達が
それをどう言い回してこじつけようかと、またまたファビョーン
>>867 無知が分かるなw
バカサヨって無知で戦後〜昭和50年くらいまでに史観を作ったのが丸分かりw
936 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 16:45:17
>>931 ほとんどが天皇稜かどうかも怪しい宮内庁のこじつけだったりするのガ一点。
日本の伝統からは、掘ろうが畑にしようが城の土台に改造しようが問題ないのが一点。
天皇マンセーなカルト系統の人間くらいかな、掘っちゃ駄目とかいってんのは。
937 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 17:02:14
天皇って今でも人気あるんですか?
見てるとおじちゃんとかおばちゃんぐらいにしかマンセーされてないような気がしますが
938 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 08:21:17
右翼に大人気です
TV番組でも毎度数%、野球中継くらいの視聴率は誇るな
それってウヨ率なの?
漏れはウヨは大嫌いだけど、割と見るんだけど。
940 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:01:24
うるせえやつらが多いから
掘ったらええやろ。
古代日本の先進文化をあきらかにしてやれ
>>939 パンダを見るような感覚で見ているだけです
>>936 んじゃ一般人にもお墓って概念は日本じゃいらないって事?
同じく歴史遺産ってのは研究のためなら一度解体して作り直してもいいって事?
日本の歴史遺産の多くは本当は「遺産」じゃなくて、今も生きている伝統なんだから、
過去のもの扱いして傲慢な態度で接したらいけないと思うんだが。
943 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 11:53:35
ただの丘を墓稜扱いしただけだから掘られたら困るよねwww
944 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 12:34:11
今城塚は掘らせてるけどね。
945 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 17:04:37
>>942 千年以上前の歴史的建造物であり、明治になって天皇マンセー皇国史観からの必要性から
むりやり墳墓に指定した天皇稜なんつーものが、一般的な先祖代々のお墓と一緒に出来るわけもないでしょ。
そして、カルト皇国史観と決別した現代日本にとって歴史的な建造物はそのように扱うのが
合理的であり一般的な感覚にもマッチするということではないかな?
なにが怖くて掘らせないんだろ?古代天皇が古代朝鮮の代官・被官だったなど、衝撃的な事実を裏付けるような史料が
眠ってたりしてね。ww
946 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 17:11:18
>>944 今城塚は継体天皇の真の陵墓と考えられているけど
宮内庁指定のなんちゃって天皇稜には含まれてないからね。
947 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 17:33:51
>>945 キトラ・高松塚の2の舞になるのが怖いでしょ。
それに自分の先祖の墓を暴くことを許す人間がいるとは思えないぞ。
自然な感情だと思うが。
948 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 17:45:37
一番怖いのは盗掘されて空っぽだった時だよ
実際天武持統陵は鎌倉時代に盗掘を受けているのが確認されているからな
949 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 19:11:46
>>947 継続して祭祀の対象としていたのならまさに「先祖の墓」だろうけど、
千年単位で放って置かれた、明治政府の政策の一環として「天皇の墓」でございますと
勝手に認定された、実際はそこに埋葬された人が誰かかはもちろん、お墓かすら明らかでない歴史的建造物だよね。
偐紫田舎源氏が腐女子の間でメガヒットを飛ばしたんだし、
普通に字が読める人なら知っていたんじゃないの?
傾城水滸伝がベストセラーになっているんだし、そこまで莫迦じゃないでしょ。
「普通に字が読める人」というのを、現代の感覚で考えてはだめだよ。
江戸時代の日本の識字率は世界的には高かっただろうが、現代とは全然違う。
今で言えば、英語ができる、というくらいの感じだろう。
漏れは
>>947と
>>948をどっちも思うのだ。そして
>>949の様にも思う。
>>950 普通に字が読める人がそんなにはいたと思っていたのか。
江戸時代寺子屋や商家で手習いが出来たのは幸運な方だ。
それ以前の時代だと更に厳しい。
>>951の感覚で正しいよ。
江戸時代って貸し本屋とかあったから、字が読める人も多いイメージがある
>>953 娯楽として文学や舞台などが発展し流行本もでた。
木版印刷のように、今の印刷技術のように大量に製造はできないが
手書きより安易に本を作る技術が出来たためだ。
しかし大流行しても本の製造流通には限りがある。
よって
>>953のような貸本屋の需要が生まれる。
貸本屋は本を背負って吉原などをまわるなどで商っていて
行き渡る層には結構ムラがある。
で、明治に入って大量出版が可能になるまで、なぜだか読書は音読が中心だったようだ。
で本があってその内容がヒットしていても、それを支える層は文字は読めないが
かたり聞かせてもらって楽しむ者だったりする。
今のように駅前留学ができて、西洋の風俗にまみれて暮らしても、
英語が堪能で海外に明るくなるわけではないように。
名前のかな書きぐらいは長屋の大家に教わって出来たかも知れないが。
>>953の貸本屋も江戸時代後半じゃないかな。
あと「昔の人」って言ったって、江戸時代はまだ近い方でしょ。
それ以前の昔の方がもっと長いわけだし、江戸時代限定なら別にスレがある。
都市部だけを考えて話を進めているのでは?
多大な農村はどうなの
で、次スレを誰か
>>956 農村は楢山節考の映画に餓鬼草紙や沙門地獄草紙を合わせたような状況じゃないの?
疫病で死んで死体を野辺に集めて捨てて犬や烏が食い荒らしている世界。
958 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:24:58
上皇制を復活すべき。
でないと天皇陛下はきついはず。
ぞして上皇として、京都を守るべき。
海外に比べれはそれでも日本人の識字率は高かったんだと思うが
それでも現代と較べたら全然違う。
確かに江戸時代に寺子屋が出来るようになってから向上したんだから
江戸時代初期以前は庶民は識字率そう高くもなかったと思われる。
武士の務めをするような者は手習いはしたと思うが。
962 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 02:52:38
仏生寺弥助は文盲だったらしい
964 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 17:05:36
>>980 お願いします。
人口で見ると農村部と都市部の割合はどれくらいだったのか?
965 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 17:27:58
農村が9で、都市が1くらいじゃないか?
966 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 19:17:55
皇居の豪勢さって、外国の王族の宮殿と比べてどうなんですか?
>>966 それがこのスレのテーマとどういう関係があるの?
きみ日本語があまり理解できない外国人かなんか?
>>964 時代が下るほど都市部に集中してきているので、江戸時代以前は、都市部は
5%以下ではないかな。
詳しい人、フォロー求む。
昔の庶民は全員無知だったわけではなく、町民や百姓の一部はかなり豊かで
インテリでもあったことを明らかにした歴史学の成果はすばらしいと思うが、
そのうえで、それらの階層がごく一部であったことは忘れてはならない。
>>956 >>963 このスレタイのまま次スレを立てても、堂々巡りになるだけだろな。
ちなみに、過去スレでは、例えば、
江戸時代の天皇について語れ!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1031881781/ などでも、似たような話が繰り返されている。
せめて、
昔の人ってどのくらい天皇のこと知ってたんですか
とかにしないか?
昔っていうのがそもそもいろいろだし
常にマンセーされていた事にしたい層との応酬で終ると思う。
縄文初期から江戸時代まで順序だてて考察するのは自分は興味深いけど。
しかしやっぱり2行目の層が混ぜ返してループなんだろな。
↑のあたりで続きはできるだろ
やりたければの話だが
972 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 14:51:34
昔の人って天皇=チョンだって知ってたんですか?
神皇正統記には記載があるので、国学系インテリは知ってたのかな?
973 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 16:51:50
スサノオ=チョソの先祖だと思っていた輩はいたかもしれない。
974 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 16:58:23
>(天皇が)常にマンセーされていた事にしたい層
こういう層ってのはどんな人なんだろうか?
ただのバカでない人も入っていそう。
しかし感覚というか観点がずれてるのはなぜか。
京都生まれなのかな?
京都人をあんまりバカにすんなよ
976 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 17:33:12
>>968 江戸最盛期で、8%くらいじゃないか?
大阪は江戸より多かったかも
977 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 17:38:40
大阪の工業生産額を東京が抜いたのは
第二次世界大戦後
今は愛知・東京・大阪の順
978 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 22:08:45
>>967 そんなこともわからんの?
馬鹿じゃねぇの。
980 :
日本@名無史さん:2006/09/28(木) 02:10:06
あ〜らら、ウヨ(微笑
歴史を否定するのに必死杉w
>>974 スレタイとは関係ないが、今谷明は京都生まれ、京大・京大院卒だな(笑)。
> >(天皇が)常にマンセーされていた事にしたい層
> こういう層ってのはどんな人なんだろうか?
もともと、「江戸時代以前には天皇は知られていなかった」といった話は、
第二次大戦の敗戦の責任は天皇にはないという意味から、いわゆる保守系の
人々によって唱えられた説のはずなんだよね。
ところが、いつの間にか、「右」の人々は、江戸時代以前も多くの人に知られて
いたし尊敬もされていたと主張するようになり、一方の「左」の人々は、
それに対抗し、知られてもいなかったということを強調するようになって、
今に至っているのだと思う。
さておき、2ちゃんねるに書いている人々は、10〜20代が多いはずなのに、
なぜ「(天皇が)常にマンセーされていた事にしたい層」が目立つのかは、
ちょっと不安がある。
ふつう、若者は権威に反抗するはずなのに、なぜか2ちゃんでは、皇室を
(どういうわけか)尊敬しているらしい人々が少なくはないようなので。
あ、あと、
天皇総合スレ part4
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1158062260/ は、ちょっと見たことがあるけど、文字通りの糞スレだから、
次スレは立てずに、このまま止めましょう。
985
それいらないし
>>878 読解力がゼロに加え無知な奴だな。>知らなかったと妄想したい奴って。
よく観なさい。どこに統一見解なんて書いてあるの?
「大勢」です。だいたいマトモな論文を出してる奴に知らなかったとか勝手に定義ずける馬鹿はいないから見解なんて出す必要すらない
あと「史学会」と聞けば普通は東京大学のを思い浮べるんたが
無知と毎日、直ぐにレス返信できるようなニートには理解できないみたいだね。
なら言う。史学界でも知ってるが大勢です。
と言うかおまいみたいな妄想が皆無に近いと言うべきかな。
いきりたった遅レス乙w
アフォだなw
>>991 ニートの粘着と違い忙しいから仕方ない。
では授業が有るからサヨナラ。
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。