1 :
先祖マニア:
2 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:25:07
3 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 02:40:29
1日何度もカキコするぞ〜
4 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 04:46:49
午前中にとりあえず役所・役場で除籍取得→昼時を狙って法務局に忍び入り壬申戸籍を盗む→本家がわかっ
たら、夕方、当主が帰宅した頃を見計らって押し入り、位牌を片っ端から奪った上で菩提寺を吐かせる→夜
中に菩提寺に侵入し、過去帳を盗み、日が昇ったら墓の銘を読み取る
多分何回か逮捕され、ご先祖様からも罰が下る可能性があるけど、確実だよ(^o^)
5 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 05:20:43
>>4 前スレの雰囲気からすればネタはシラケマス。
ごめん
スレタイが気に入らないから使わないことにした
7 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 18:49:04
テクニックか。
最初は自分の戸籍謄本取るよな
次は親の
その次は祖父母と出来るところまで遡る
それを父方母方全部やって
家系図作ったら
第一段階は終了
8 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 18:52:04
前スレに出てきてた
うずめ3とか
名無しのマニアな人とか
来ないかな〜
面白かったんだが
9 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 19:26:28
10 :
七郎右衛門:2005/04/07(木) 22:27:13
〜家系図の調べ方〜
って言うとまず「除籍謄本」ってなるけど
その前に自分の家にある資料を把握する事が大切。
家系図はあるか?過去帳はあるか?
あと意外なところで香典帳や見舞帳があると
その当時の親戚がわかるので役立つ。
仏壇の引き出しや戸棚を一回見直すと以外な発見があるかも…
古文書などが伝わっている家はそれも把握しておく。
この時はまだ読めなくてもいいけどある事だけでも確認!
家系図に古文書の内容などを活用すると見栄えが
する。
11 :
993:2005/04/07(木) 23:10:49
よろしくね!
家系図は何らかの理由で失われたようです。過去帳はあったらしいですが家を売ったときに紛失したようです。
割と旧家なんで明治以降の親戚は把握できるのですが江戸時代となると厳しいですね。江戸期の先祖は奥さん
が何人もいたようで・・・男の子を産めないと実家に帰したりなんやで結構たくさんいたようです。
古文書に関しては田舎に残った分家の方々が持ってるようですが・・・
除籍謄本に関しては高祖父あたりから親戚も含めてあります。
12 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 02:42:41
>>10 10の七郎右衛門さんの言っているとおり仏壇は結構色々なものが出てくるよ、
位牌も昔は板みたいなものがたくさん入ったものです
また、過去帳や古文書がある場合もありますし、先祖の写真が出てきたり
します、自分の曽祖父母は昭和30年代に亡くなって、高祖父母は昭和10年代に
亡くなっていますが、その写真が仏壇に入っていました(遺影ではない)
変なものでは江戸時代の数学の書がありました。
13 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 02:44:12
14 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 02:52:11
>>11 とりあえず戒名に居士がついていること事態がすごいですね
旧家なのでしょう、自分の先祖は戦後は院や居士がつきますが
戦前は信士、信女です、また江戸時代になると禅定門や禅定尼です
信士と禅定門ではどちらがうえなのですか?
感覚的には信士>禅定門ですが、昔の偉い人(足利義満とか)なども禅定門が
入るので逆なのかな?
まあ江戸時代以前は家系図がないと難しいですね
推測の域を出ません
15 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 05:50:53
>>11 江戸時代に戒名に居士だと、庄屋とか武士でも中級以上かな。
権力、金、寺に貢献などがあったんだね。
位牌は増えるとまとめてしまうことがありますよね。
位牌まとめてしまってるから、うちはその前のものが無いです。
墓を見ても風化して読めない。施主とか俗名を書いていないか
ら判断が難しい。
確実に古くから住んでいるのに墓石が無い。
墓も整理された感じがある。
16 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 06:02:36
>>14 宗派による差があるのかもしれませんが
(例えば臨済宗は禅定門と付きやすいとか)
一般的に多く見られるのが信士のように思います。
信士は在家、禅定門は出家という意味の違いがあるので、
本来戒名は仏教、社会への貢献度に左右されることを考えると、
仏教への関わりの深さという点で
信士<禅定門 ではないでしょうか。
17 :
993:2005/04/08(金) 06:53:39
>>14-15 一応旧家ですね。戦国期は武田家の家臣でして江戸期に苗字帯刀を許された名主になったのです。
いつ苗字帯刀が許されたのかはわからないのですが、幕末か明治初期でしょうか、帯刀した先祖の写真が
残っています。位牌についてですが古いものはお寺に子供の大きさぐらいある位牌が有るんですが、奥の方
でして良く見えず・・・いつかは全て書き写したいとは思っているのですが。
墓は山の麓にあり木が鬱蒼としているので雨でけづられることもなく読めます。
ひとつ気になることは分家も多いのですが江戸期はみなOOOO居士です。あの辺は居士は普通だったのかな?
と思うことでしょうか。現状では本家であるうちと大正以降の分家、それと江戸初期に分家した家はOO院OOOO居士
ですが、それ以外(分家の分家とか)はOOOO居士です。
18 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 08:38:11
993さんのご先祖はどこの人?
東日本?関東?
差し支えない範囲で…
19 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 10:36:17
墓に信士でも禅定門でもなく善男とありました
これってなんですかね?
同じ先祖の墓なのに、信士、禅定門と(一つは善男)が乱立してます
一貫性がありません
20 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 10:44:02
明治19年戸籍では戸主の母親や妻の母親の名が記載されていません
これを確認する方法はありますか?
21 :
993:2005/04/08(金) 17:57:08
>>18甲信越地方ってことで・・・。除籍標本は父が取っておいてくれたらしく遠縁のまであります。
22 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 18:07:09
家臣の名簿のようなものとかあったよね。
武田は農兵が結構居たと思うけど、
家臣というのであれば結構分かりそうだが。
角川の県別の歴史人物辞典でもみれば
何かしら名前を残している人は載ってます。
23 :
18:2005/04/08(金) 18:44:24
24 :
七郎右衛門:2005/04/09(土) 07:38:08
〜家系図の調べ方2〜
次は「除籍謄本」を取得!
>>993氏の様にもう取得済みの人が
多いかも知れないが。
中には「うちは明治以降は墓も過去帳もある
からとらなくてもいい」って言う人もいるけど
以外に詳細な情報まで分かるから絶対とるべし!
取得の仕方は各市町村の役場で口頭または専用の用紙を出す。
係りの人が出してきてくれたら会計を出して任務完了!
料金は戸籍一部につき750円程度。
これは各市町村によって違うかも?
>>19 「善男」は多分寺や堂に関係した人ではないかと。
確かなことは分からないから間違ってたらスマソ
>>20 戸籍での確認は無理ではないかと思う。
過去帳や菩提寺に問い合わせるくらいしか…。
25 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 21:11:40
>>24 わかりやすいっすね。
自分が戸籍(除籍)取りに行った時
請求理由に
「家系図作成のため」って書いたら
変な顔されたんですけど
無難な請求理由ってないですかね?
26 :
19:2005/04/09(土) 21:41:34
「善男」は多分寺や堂に関係した人ではないかと。
確かなことは分からないから間違ってたらスマソ
七右衛門さんありがとう
勉強になりました
27 :
先祖マニア:2005/04/09(土) 22:33:56
明治19年戸籍では戸主の母親や妻の母親の名が記載されていません
これを確認する方法はありますか?
明治19年の戸籍に記載がなくても
明治31年や大正4年戸籍に記載されている可能性があります
100%ではありませんが昔は戸主は高齢になると隠居していました
ですから明治31年戸籍で息子が戸主の戸籍に父親で記載されており
その父親の両親の名前で母親名が追記されている可能性があります
(母親も同様)
経験的には明治31年戸籍よりも大正4年戸籍の方が載っていたと思います
当然その隠居した父親が明治31年や大正4年まで生きていないとだめですが
28 :
先祖マニア:2005/04/09(土) 22:49:28
追記
七郎右衛門さんの言っているように戸籍は全て入手したほうがいいです
(自分が手に入れられる全ての戸籍です)
そして請求すするときは
[この人の生から死までください]
といいましょう
じゃないと明治31年戸籍や大正4年戸籍に先祖名の記載されているのにも
関わらず見逃す場合もあります
29 :
七郎右衛門:2005/04/09(土) 22:58:04
>>27 先祖マニアさん補足ありがとうございます
うちの役所は現在の戸籍から順番に
遡って取得したから全部揃っている
ていで話してた。
>>25 >「家系図作成のため」って書いたら
>変な顔されたんですけど
戸籍取得の理由が「系図調査」だと基本的には
受理されないらしい。
俺の時も「この理由では取得できませんので
削除して再度提出して下さい」と言わた。
30 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:42:46
過去帳ってのは見たことないな
31 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:57:20
>>19>>26 「善男」、私も見たことがあります。・・・禅入善男だったので、仏門に入った人でしょうか?
確かに
>>24氏のおっしゃるとおり寺や堂に関係していたのかも知れません。
>>27 明治31年や大正4年に、特に隠居などの事情もなく、ただ戸籍のフォーマットが変わった
からということで新しい戸籍が編纂されたりした市町村もあったのでしょうか?
私は、明治31年や大正4年に再製された戸籍は見た事がありませんが、戦後に再製されたものは見た事がありま
す。現行戸籍のことではありません。昭和2x年再製、と書いてあるのに、「戸主」「前戸主」という表記でした。
あ、「・・・禅入善男」は、曹洞宗です。
33 :
先祖マニア:2005/04/10(日) 00:17:19
>>31 明治31年や大正4年は絶対にあると思いますよ(まあどちらか一つの
可能性もありますが)
あなたの祖父か曽祖父の戸籍を入手したらきっとそれが明治31年版か大正4年版です
戸籍の変遷
明治5年戸籍(壬申戸籍)閲覧不可
明治19年戸籍 請求できる戸籍で一番古いもの(破棄されていたら見せない)
明治31年戸籍 戸主トナリタル原因及ビ年月日という欄がある
大正4年戸籍 戸主トナリタル原因及ビ年月日という欄が廃止
昭和23年戸籍(実際は昭和32年から) 現在の戸籍
平成6年戸籍 コンピュター化されたもの任意で自治体の3割くらいの普及
34 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 00:27:06
993さんは家系図はないっぽいけど
何代前までならハッキリしてるの?
武田の家臣の子孫という事が判っているなら
かなり色々な(家系など)判りそうなんだけど…
>>25 「戸籍法第十二条の二第一項の規定に基づき請求」
36 :
31:2005/04/10(日) 00:54:15
>>33 誤解があったらごめんなさい、
>>31の意味は、戸主が同一人のままなのに、明治31年(または大正4年)に新しい戸
籍が編纂された、ということはあったのでしょうか?ということです。
「昭和23年戸籍(実際は昭和32年から)」の場合は、段階的に全国民の戸籍が強制的に書き換えられましたよ
ね、こうしたことが明治31年や大正4年にも一部ではあったのでしょうか、ということです
37 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 01:36:47
菩提寺消失したので過去帖も消失。駄目だこりゃ。
>>36 もちろん改製する役場もあったと思うが、
通常はわざわざ改製せずに、
戸主が変わる時に様式を変更する程度じゃないかな。
焼失なら仕方ないけど「消失」なら本寺とかに過去帳あるかもな
40 :
先祖マニア:2005/04/10(日) 10:56:01
>>36 38さんの補足と同じだと思います
戸主が明治19年版と31年版もしくは4年版とに同一人物がいませんので
戸主が変わる時に変えたのでしょう
41 :
993:2005/04/10(日) 11:11:40
>>34難しい質問ですね。元禄年間から今のようなお墓(名前、没年、戒名などが彫ってある)でして、それを初代とすると
自分で16代目ですが、1540年代頃から戦役感状など残っているのですが世襲名らしく江戸初期の先祖たちと名前が
同じなんで何人いたかが分からない。
>>22何かの本に名前があるらしいのですが(自分ではまだ確認してないですが)、名前が同じだから先祖だと
いえるのかどうかが問題でして・・・
42 :
34:2005/04/10(日) 16:42:03
>>993 arigato!
993サンはどちらかというと
家に資料が沢山あって
それをまとめようとしている所かな?
戸籍とかは取りに行っていないという。
>>10 で七郎右衛門さんが語られている
ような状況かな?
43 :
993:2005/04/10(日) 20:18:57
>>42 古文書の類は田舎に置いてきてしまって分家の方が持ってます。そのうちに解読してみるから楽しみにしててといわれてから
何年たったことか・・・。地元史にもいろいろ載ってて、さる出版社が本に載せるといってから15年ぐらいバブル崩壊で企画がとんだらしい。
新聞社が昔いろいろ持って行ったらしいが、まだあるなら返却されないのかな?記事にもなったらしいが・・・地元紙だと記録が残ってるか
どうかも怪しい。
44 :
36:2005/04/10(日) 20:40:18
>>38>>40 回答トンクス
実はウチの市、大正八年(当時はもっと小規模な自治体)の大火で市役所全焼、戸籍も全焼し、その時点で除籍され
ていなかった戸籍は再製したそうなのですが、そのフォーマットに明治31年式が用いられていたりして、混乱してい
るようです。
また別の自治体ですが、享和二年生まれ、明治元年死亡の戸主の養祖母が載っていました。
戸籍も結構テキトーなところがあるんだなと・・・
45 :
34:2005/04/10(日) 20:56:07
>>993 arigato
へえ。じゃあ郷土史的にも有名な家なんですね。
ちょっとやる気になったら何でも判りそうですね。
46 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:32:55
旧土地台帳が見たくて、はるばる東京から函館と森の法務局まで行ってきたのだが、
昭和9年に函館大火で燃えてしまったらしく、その時点での所有者からしか記録が残っていなかった。
函館だけじゃなくて、松前とか森とかも同じような状態だったから、
当時函館にあった税務署で管理していた分は同じような状態だと思われ。
除籍謄本は古いのも出てくるけどね。
>>44 他に遠方から記録を見に行こうとしている人とかも知るかもしれないし、
大火や戦災で古い記録が残っていない市町村とかまとめたら有益かも?
47 :
先祖マニア:2005/04/11(月) 00:23:23
戸籍のないところ
東京都港区、中央区、千代田区、墨田区、台東区
桑名市
伊勢市
大阪中心部
沖縄本島
広島は原爆でやられたが法務局に複写があり難を逃れました
旧土地台帳は不明です
48 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:27:02
49 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:34:47
>>41 元禄時代(1688〜1703)から16代目ということは
兄弟とかが相続していますか?
私の家は12か13代前が元禄時代に亡くなっていますので・・・
新聞社が昔いろいろ持って行ったらしいが、まだあるなら返却されないのかな?記事にもなったらしいが・・・地元紙だと記録が残ってるか
どうかも怪しい。
いい勉強になりました、基本的には第三者には資料は渡さないほうがいいのですね
逆にいうと、第三者の資料は借りれないということか(写真をとるしかないですね)
50 :
先祖マニア:2005/04/11(月) 00:44:56
>>25 自分が戸籍(除籍)取りに行った時
請求理由に
「家系図作成のため」って書いたら
変な顔されたんですけど
無難な請求理由ってないですかね?
自分は[先祖供養のため]という理由にしています
一番最初に戸籍係に言った時に[家系図を作成するため]と記入したら七郎右衛門
さんのように受理されませんでした
役場では家系図作成のための受理は難しいです
おそらく法務局から受理しちゃだめのお達しがきています
しかし[記載事項確認のため]という理由なら受理可能です
理由を聞かれたら[先祖供養のため]なら墓を作るのでとかで
[記載事項確認のため]なら先祖の生没年の確認等でいいのではないでしょうか
実際本当ですしね。
51 :
七郎右衛門:2005/04/11(月) 00:57:06
〜家系図の調べ方3〜
戸籍が取り終わったら墓の調査をしよう!
自分の家の墓がお寺にある人は一苦労かな…
まずは持ち物
・メモ帳、筆記用具
・懐中電灯もしくは手鏡
・チョーク(黒板消しか布)
・デジカメ
お墓に行ったらまず手を合わせる!
そしたら墓石の配置図をメモ帳にかいておく。
墓の配置は結構大事!
一字ももらさないように書き写すことが目標。
墓石の字は光の加減で見え方が全然違うから
懐中電灯など使い読み進める!
読みにくい物はチョークを手や布に擦りつけてから
石を叩くと驚くほどハッキリ見える!
風化の激しいものや崩し字で彫られたものは
チョークをはたいてデジカメで撮影し
家で研究。
本家や別家など血縁関係の家は全て網羅するべし。
墓は移転などで配置がゴチャゴチャになってることも
あるから意外なところから自分の先祖のものが
でてくるかも…
法務局的には除籍に記載されている本人やその直系尊属・卑属は請求理由いらないし。
役場が勝手に請求拒否っていいのかね〜
53 :
七郎右衛門:2005/04/11(月) 01:15:20
続き
そうは言っても読めない字はでてくる。
でも和暦の一字と干支が分かれば大抵の
年は割り出せる!
例えば「宝○○甲戌」しか読めなくて○の所が
分からなかった場合。
まずは最初の「宝」に注目すると江戸時代に
「宝」から始まる年号は「宝永」「宝暦」に絞られるから
この2つの年間中の干支で「甲戌」である年を探すと
「宝暦4年」だけなので年が割り出せる!
っという具合に応用を利かせれば大体のものは
特定できるのでは?
ただし、今の話は江戸時代に限ってことだから
それ以前の墓がある人はもっとめんどくさい作業が必要…
干支にといてはここを参考に↓
ttp://www.city.suwa.nagano.jp/scm/dat/wareki2/wareki_000.htm
54 :
先祖マニア:2005/04/11(月) 01:16:22
役場によって様々ですね
話が早いところと何回も説明しなくては理解していただけないところがあります
役場といっても戸籍係の担当者(若しくはその上司)の解釈になってくるのが怖いですね
ホント色んな役場に行きましたがピンキリです
まあ最後の最後は
戸籍法第十二条の二第一項で請求可能なのですがどうしてだめなのですか?
ってなことをいってみたりします
あまりいうと角がたつのでやんわりといいますが
55 :
七郎右衛門:2005/04/11(月) 01:19:15
>>54 うちの役所は柔軟な対応を
してくれたのでよかったけど
すんなり出してくれないところも
多いんだな…
56 :
先祖マニア:2005/04/11(月) 01:27:39
七郎右衛門さんはどこまで遡れるのですか?
自分の家で完璧戸籍で分かるのは4代前です(高祖父まで)
後は家系図がないので位牌等で推測して10代くらい前の1733年死亡の
先祖です
全ての先祖でいうと7代前の方まではっきりとしているものもあります
全ての先祖で一番古い方は1701年死亡の先祖です
57 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:17:26
墓石の文字を書写するのは時間がかかります。
墓が多いときなどは軽く2,3時間はかかります。
また、初めて行く墓でしたら、親戚の方と一緒に行く場合も多いでしょう。
その場合、親戚を待たせてまで書写する事は困難です。
地図で所在地を確認し、いつでも行けるようにしておきましょう。
また大きな墓地の場合も注意が必要です。
墓地内のどこに先祖の墓があるか、写真撮影や手書きの地図を作って
後の調査に備えましょう。
58 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:32:31
母系などを調べる際にてこずるのが明治十九年の直後数十年間くらいの戸籍。
嫁入り前の本籍が大字までしか書いていないものが多い
59 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 18:48:04
60 :
先祖マニア:2005/04/11(月) 20:53:21
>>58 明治19年戸籍で記載がない場合はかなり難易度は上がりますね
私がやった方法は、大字のところの同じ名字の方に手紙を書きました
たとえば 明治19年戸籍に山田村 田中三郎長女入籍スとあれば
現在の山田村に当たるところの田中さん全てに手紙を書いて、ご先祖様に
田中三郎さんはいませんか?と尋ねました
そうすると、いますという家もありました。これで数軒の家の実家が判明
しました。
当然家が断絶している場合や、あってもどこの家も知らないということも
ありましたが大体田中三郎さんが亡くなった年代は江戸の終わりから明治のはじめ
ですので、墓や位牌がある可能性があります、ということは奥さんの墓や位牌も
ある可能性が高いです、そうやって家を断定して、妻の名前を発見したのが
四名います。
61 :
先祖マニア:2005/04/11(月) 20:58:14
追記
家を判明させる場合でもわざわざ手紙を書かなくても
祖父母や曽祖父母が健在でしたら、聞いて見るほうがいいです
私たちにとって高祖母の実家とかでも祖父母からすればただの自分の祖父母の
実家だったりしますし、その家の当主が実は祖父母の従兄弟とか二従兄弟だったりして
親戚付き合いがあったりもします。
うちに天正何年て墓があるけど・・
そこから幕末まで何していた家かよく分からないんっす。
農家にしては槍やら刀置いてあるし・・・。
鎧櫃の中に小判を貯め込んでるて噂が未だにあるし・・。
火縄銃があつたけど大東亜戦争中に御国に供出した言うし・・。
細川さんちの家来とか越前家の家来していたとか・・。
越前家だととあるご家老様と同じ名字やし・・。
幽斎様から拝領の自筆掛軸とか越前の殿様から
拝領の絵とかあるし・・。
幕末には京都御所に出仕していたとか・・
63 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 21:13:31
>>62 そんなに有名なら何をしていたかわかるんじゃないの
調べてみれば
64 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 22:54:40
>>58 大字までわかってるだけでも良いよ。
戸籍吏が適当に在りもしない郡名や村名を記載していることもあるし・・・。
>>59 あくまでその方法で辿れる場合もあるというだけの話だよ。
実際にやったことがあるけど、戸籍の方が古い年代までわかる場合も多い。
ケースによる。
65 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:19:57
>>64 そんなことがあるのか
だったら昔の戸籍は信用できないな
でもひょっとしたらありもしない郡名や村名もあったりして
>>65 そのとおり。もれの本籍の戸籍謄本に現存しない地名で届けられていたので
おかしいと思っていたが地方史を調べていたら確かにそういう地名があった。
しかも生まれた家の住所じゃなくて、生まれた病院の住所(のさらに古い地名)
だったんで長年わけわからなかったけど。調べがついてしまえば経緯が推測できる。
うちの先祖は世界的にも有名で多くの学者たちの研究対象になっています。
たしか新サピエンス型人類と呼ばれています。
68 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:42:11
>>64 明治には村が約80000あった
それが合併、合併でどんどん名前も変更して少なくなった
たとえば先祖が小野村にいたとしよう
(例)
小野村と木所村が合併して小所村になり
初坂村と高野村が合併して高坂村になり
何十年後小所村と高坂村が合併して所坂町になったら
小野村なんて陰も形もなくなるぜ
69 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:43:35
>>65>>66 勿論、地名や行政区域は過去に何度も変更があるから、
現存しない地名が必ずしも間違いとは限らないけど、
それとは別に戸籍吏が適当に記入していて、
過去に全く存在しなかった郡名や村名が記載されている場合がある。
自分の場合は二例あった。
>>69 いくらなんでも現実に存在しないと官吏自身がわかってる地名は書かないだろ。
公務員としてのモラルがそこまで酷かったとは想像できないな。
地方史や古地名をよく調べた方がよくないか?
71 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:47:26
>>68 いや、だからそれは現存していないだけで、在りもしない地名をつけているのとは違うでしょ?
そういう事を言ってるんじゃないんだって。
72 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:56:01
>>70 甘すぎ。
>官吏自身がわかってる地名
近隣地域ならわかっているかもしれないけど、官吏が日本全国の地名を把握している訳じゃないでしょ?(w
自分の場合には、遠隔地からの転籍の際にそういう事例があった。
北海道の戸籍の戸主の母の実家で、福島県福島郡福島と言う記載があった。
福島郡と言う郡名は過去に福島県に存在したことが無く、
福島市周辺地域だったら信夫郡だし、
こうなってくると最後の福島と言うのも怪しい。
福島の方から、或いは福島県からやってきたと言うのを聞いて適当に作り上げたとしか考えられない。
73 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:57:30
あぁ、正確に言うと転籍ではないかな。
戸籍が出来る前に婚姻している気がする。
記載事項がいい加減な事には変わりがないけど。
74 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:02:02
>>72 こんな例は多いのか?
ただ単にその戸籍史が職務怠慢だったのでは
戸籍を転籍するときの方法は担当者でないので分からないが
少なくとも何かしらの文書で所轄の役場に送るのではないのか
>>72 おいおい、戸籍官が日本全国の地名に精通してる必要はないだろ。
出生届けってのは市役所に出すんだから。
市内に精通してればいいんだよ。
転籍の場合は、役人よりも届けを出した本人の問題じゃないのか?
76 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:09:23
戦前の戸籍なんていい加減のものが多数ある
まあ届出をした先祖もいい加減だが、自分の父親なんて祖父母婚姻届と
父親の出生届が同じ日なんだもん、よくよく聞いたら、婚姻届を出すのが
めんどくさい(わざわざ何十キロも先の役場に行くのがめんどい)
まあさすがに息子が生まれたから婚姻届と出生届を一緒の日に出したんだって
他にもうちの祖父なんて祖父の祖父の9男になっているし(実際には戸籍上長男の
子供)
昔は大らかだったんだろうね
77 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:09:48
>>74 多かったら困るけど、そういう例も現実にある。
明治初頭の戸籍は誤記も含めて注意深く見たほうが良いよ。
78 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:12:04
それよりも草書っぽくて読むのが難解なのもある
79 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:20:14
とりあえず、役場の戸籍係の人に聞いて見れば
こんな村名ないのだが知っていませんかと
ひょっとしたら分かるかもしれん
それで分からない場合はひょっとしたら郡の行政区が変わっている場合も
ある、自分の所はそうだった、役場の方が分からん分からんと右往左往して
いたが、何かそういう専門の本を見て探してくれた
多分合併村町変遷表みたいなもの
これで分からない場合は県立図書館クラスの図書館に行ったら全国大字、小字
一覧表みたいな辞典があるので調べてみるべし
それで分からないのなら戸籍史が嘘を書いた
>>79 そんな大昔の戸籍のこときかれても今の役人は困惑するだけだからやめれ。
81 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:31:00
ところで、みなさんは除籍謄本を取るのにどの位の役所を訪れ(或いは取り寄せ)ました?
自分は東京出身なのですが、父が九州、母は北海道出身の為、
北は北海道から南は九州まで8つの市町村役場に行って取ってきました。
他に行ったけど残っていなかった所が2ヶ所。
除籍謄本を見るまで転籍元が不明で、北海道の中でも何百キロも移動したりして、
双六をやっているみたいでした。(w
82 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:42:48
>>80 自分の先祖を探すのに少々困惑してもいいじゃん
というか、役人はそれが仕事だと思っている
少々ウザイ仕事だと
83 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:50:17
自分の父母や祖父母の戸籍や除籍の附票も取得しておくと、
子孫にとっては貴重な資料になるかもしれないですね。
84 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 07:04:45
附票ってナニ?
簡単に取れるのか?
85 :
993:2005/04/12(火) 21:08:43
>>49江戸期の場合は生年月日が分からないので良く分かりませんが没年で見ると4,5代目が11年ぐらい6,7代目が5年ぐらい
離れてるているとしかわかりません、お墓に行けば死亡年齢が分かるのですが手元の資料ではこれぐらいしか分かりません。
86 :
七郎右衛門:2005/04/12(火) 23:40:17
>>56 先祖マニアさん亀レスすいません。
うちは江戸時代の中頃と昭和に火事に遭い
明治維新のあおりで財産を沈めたりしたので
詳しい資料が少ないです…
でも分かっている範囲では戸籍で6代前まで、
宝暦12年に作成された過去帳では延宝年間(1673〜80)没
の先祖まで遡れます
墓石は寛文年間のものまでありますが
梵字体で書かれていて意味がわかりません
あと伝説を信じるなら天正年間に滅亡した
大名の落人が土着したとか言いますが
定かでないです
年数から考えて16代くらいだと思います
87 :
49:2005/04/12(火) 23:44:58
993さんありがとうございました
でもえらい4〜5と6〜7の間隔が短いですね、推測ですが
長生きの先代と短命の息子みたいな感じでしょうか?
私の家も3代目と4代目は1781年に亡くなっており
5代目は1823
6代目は1880に亡くなっています
おそらく3代目は長生きをして4代目が短命、5代目は普通で6代目は
1810が生まれ年ですので70歳で亡くなってまああの当時では長寿の
方ではないでしょうか?
お墓に行けば死亡年齢が分かるのですが
お墓に享年が彫られていていいですね、
自分の家は墓がノズラ(川原石)ですので位牌でしか分かりませんでした
ですから今の3代とか4代とかも推測です
88 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 23:51:37
>>84 疑問に思うんだったら「戸籍の附票」でググってみ?
89 :
先祖マニア:2005/04/12(火) 23:58:38
>>86 七郎右衛門さんレスありがとうございます
戸籍で6代前まで遡れるとはすごいですね、まだお若いのでしょうか?
(ちなみに私は30歳です)
墓石が寛文年間のものまであるということですので、おそらく大名落人伝説は
信憑性が高そうですね、
今まで色んな墓を見てきましたが1600年代の墓を見たことはありません
どのような墓なのですか?
私の先祖で一番古い墓は1752年没の方の墓ですが
墓の上に屋根がついています、伝承ではタタラで財を成した家で、地域では
そこそこの分限者だったが、没落してしまった家と聞いています
(その没落しきったころ私の高祖父と結婚したらしい)
90 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 00:24:03
>>81 私の家は父親も母親も同じ県でしたので、役場は三ヶ所だった
でも友人の戸籍をとりに行ったのをついていった時には、同じ県なのに
5箇所もいった
母方だけなのにシビレた
91 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 00:43:26
〜家系図の調べ方4〜
期待してます
92 :
七郎右衛門:2005/04/13(水) 01:04:21
>>89 大分目上の方だったんですね…、失礼しました
でも6代前の先祖は名前だけです
へ ( ̄ ̄)
/ \ | ̄ ̄|
/ \ / ̄ ̄\
| ○ 円 | /____ゝ
| 月 宝 | γ ⌒⌒ヽ
| ○ ○ | i i
| 日 年 | ゝ ___,ノ
| | | ̄  ̄|
| | |____|
左が延享の頃の墓で右が元禄のころの五輪塔です
たたらが生業なんてカッコイイですね!
うちは代々百姓で…
93 :
七郎右衛門:2005/04/13(水) 01:06:10
>>91 レスありがd
明日くらいに書き込もうと思います
94 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 01:30:29
>>93 基本的な探し方と言うのは、関連サイトを見ればわかることじゃないのか?
それを前提として情報交換をするスレだと思うんだけど・・・。
先祖探しをかじったことのある人なら誰でも知ってるような事を書き連ねても目障りなだけだと思うんだけど・・・。
先祖探しの方法とかエピソードに特化しているのに、前のスレよりレベルが落ちてない?
95 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 01:41:38
>>84 用語もまずは自分で調べてみてわからなかったら書き込む。
先祖探しの基本は自分で色々調べていくことでしょ?
>>64-77にしたって、先祖探しをしているなら現在の地名と昔の地名が異なるなんて常識だろ?
それを踏まえて「存在しない地名が記載されている」って言ってんのに、
「今の地名と昔の地名は違うから良く調べろ。」とか「戸籍吏が間違う訳が無い。」とか、
思い込みだけで見当はずれなレスしてんじゃねーよ。
もうちょっと考えてからレスしろよ。
96 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 01:42:45
深夜なのにあがってるね。おつかれさんです。
97 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 01:51:31
代々百姓と言ってもわかっている範囲で百姓と言うだけだからなぁ。
うちの場合も祖先は熊本の農民なんだけど、家紋は桔梗。
何でも加藤家が家紋の一つに桔梗紋も使用していて、
加藤忠広が改易になって家臣が帰農した際に家臣が旧主を慕って桔梗紋を使用したとかで、
熊本には桔梗紋を使う家が多いらしい。
現段階でわかっている範囲では我が家は農民だけど、
以上のことから帰農した加藤家家臣団となんらかの関わりがあるような気がしないでもない。
98 :
84:2005/04/13(水) 09:00:46
99 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 10:56:07
>>94-95 ここの掲示板に来る方は興味があるがやったことがない、若しくは
少しだけやったがテクニックが分からずに教えてもらいたいという人も
来ているのでは?
あなたみたいなエキスパートばかりではないよ
オレも七郎右衛門さんの家系図の調べ方は勉強になる
いいじゃん初心者からエキスパートまでが語れる板で
100 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 12:11:18
旧土地台帳を調べる時にピンポイントじゃなくて一つの集落を丸ごと調べると、
先祖が宅地とは別の場所に持っていた畑などが出てきて意外な発見があったりすることもある。
101 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 21:59:43
102 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 22:34:03
103 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 23:59:47
自分のおばあさんは妾の子供だったみたいだが(死亡)
どうしたらその先が調べれるのか教えてください
ちなみに旦那の名前は分かります
104 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:09:13
>>83 やっぱり除籍の附票(正確には除附票か)は5年をめどにしっかりと廃棄されてるんですかねぇ。
除籍そのものは80年以上とってある自治体は多いんだろうけど、附票はうぜぇ!って感じで5年でポイなんだろうか
105 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 13:56:21
自分はこうした
1 戸籍を入手
2 家の過去帳、位牌
3 お墓
4 お寺の過去帳
5 古老の話を聞く
6 インターネットや図書館などで調べる、あくまでも補足
106 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 14:00:26
107 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 15:39:57
>>100 旧土地台帳をみると土地の所有変遷が見れて勉強になる
たとえば
伯父から甥にいってみたり、第三者に土地が移動してまた、息子が買い戻したり
108 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:31:07
>>103 旦那の名前は分かっているのか。
どうしたらいいかな。
墓所あるいは卑属の居場所知ってる?
109 :
108:2005/04/14(木) 20:46:48
>>103 スマソ
書き込み読み直したが認識が違ってたかも知れん
どこを(誰を)探したいのか教えてもらえないか?
110 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:53:05
>>109 おばあさんの父親(妾の旦那)である人の先祖です
上へ遡りたいです
111 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 20:56:54
先祖を探す時にみんなは自分の家だけ調べているの?
若しくは全ての先祖を調べているの(女系も全部)
自分は全て調べて高祖父母までは全員判明
その上は32分の26だった
自分は北海道の人間で、戸籍を調べたら明治維新後に、
どの県から移住してきたのかが分かりました。
しかし、お墓参りをしたいのですが、情報が戸籍だけで、
菩提寺も分からない状況です。
墓所を突き止める方法をご存知の方おりませんか?
>>112 県名のみでは厳しいが、戸籍なら「何郡何村何某三男」とか書いてない?
むかしの村なら、そう沢山の寺はないのでは?
114 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 23:35:42
>>112 正式な移住の年が分かりませんのでなんともいえませんが
113さんの指摘どおりどこから来たとは戸籍に記載されていませんでしたか?
たとえば山川郡大窪村山本次郎三男とか記載されていれば
現在の大窪村に該当する場所の山本さんへ手紙を書き、先祖に山本次郎という
人物はいないか聞いてみればいかがでしょうか?
北海道の移住でも土地を放棄して行くことはないと思いますので、たとえば
長男は土地を引き継ぎ次男以下が移住という形になると思います
とすれば長男の系統は実際にはまだその村に残っている可能性が高いです
(断絶していなければ)
そういう事でまずは本家を探すことからはじめたらどうでしょうか?
そして本家を探したらそこの方に墓所や菩提寺を聞いてみることをお勧めします
115 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 00:07:08
112です。
>>113-115さん
早速ご教示していただき本当にありがとうございます。
113さんの言われるように確かに、最古の除籍謄本には出所の住所が書かれてい
ました。しかし、何か事情でもあったのか、その先祖の母の戸籍しか書かれて
おらず、父(戸主)の戸籍は記載されていませんでした。ただ、言い伝えで、
戸主であるその父も同県の出身であると聞いていたので、母の戸籍の近くであ
ることは間違いないと思っています。
また、114さんの言われるようなことも考えてみたのですが、実は本家も北海
道に住んでいて、調べたところ私の先祖と同時期に渡道したようなのです。
今、とりあえず、その母方の謄本を請求しているところです(既に破棄されて
いる可能性もありますが)。
絞り込めるところまで絞り込んで、114さんのアドバイスのように手紙を書い
てみたいと思います。あと、家の宗派と同じ宗派の寺を探して、聞き込みを
するという手もあるような気がします。
115さん、ありがとうございます。参考にしてみます。
117 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 21:36:07
118 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 23:22:49
>>116 宗派は違う場合もあるので注意したほうがいいよ
また本家も移住されたとの事ですが
絶対誰かがその土地に残っていると思います
本家が移住したのなら分家とかそのまた分家とか
長男や二男が移住したのなら三男や四男が後を継いだとか
私の母方などは
長男は分家をし(本家の五軒隣に)
二男は養子に行き
三男は大阪で出て
四男が家を継いでいます
だから誰かが絶対に移住元の土地を引き継いでいると思うのですが・・・
119 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 00:31:13
>>118 >絶対誰かがその土地に残っている
先祖が農民とは限らない訳で・・・。
うちの祖先は農民でも土地を離れているし・・・。
色んな例があるわけで、あんまり絶対とかは思い込まない方が良いですよ。
宗派はあんまり当てにならないかもしれませんね。
お寺自体が改宗している場合もあるし。
120 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 00:45:21
121 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 00:50:14
>>116 >その先祖の母の戸籍しか書かれておらず
それは、北海道移住後に戸籍制度が出来たんじゃないんですかね?
自分も似たようなのがあります。
妻もしくは母の実家の住所も
>>113の書かれたような形で、地番までは載っていないのでは?
>>116さんの御先祖はどのような形で北海道にやってこられたかは御存知ですか?
普通の農村からの移住を念頭において答えている方が多いように感じますが、
北海道移住は普通の移転とは違って、仙台藩亘理領のように家臣団丸ごと移住したり、
東北諸藩の武士が集団で移住して開拓をした例が多々あります。
祖先の方が渡られた土地の歴史(何処の人達が開拓したとか)、
祖先の方が渡道する前に暮らしていた土地の歴史(戊辰戦争〜明治初頭)も調べてみたほうが良いと思います。
122 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:05:15
一例を挙げると
伊達市 亘理伊達家(現宮城県亘理町)
登別市 札幌市白石区手稲区 片倉家(現宮城県白石市から)
当別町 岩出山伊達家(現宮城県岩出山町から)
栗山町 石川家(現宮城県角田市から)
余市町 北檜山町 会津藩(会津藩は戊辰戦争後、斗南藩として青森県に移されているので福島県からとは限らない)
静内町 稲田家(現兵庫県洲本市から)
等の家臣団が移住して開拓しています。
123 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:18:31
>>110 その旦那さんの名前と言うのは口承で伝わっているのですか?
それともおばあさんはその旦那さんに認知されてます?
124 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 01:31:21
>>116 >>122のようなケースもあるし、戸主夫妻の生年と、渡道前の県名郡名村名、渡道直後の入植先の郡名村名、渡道時期等がわかれば推理しやすいのだが・・・。
>>111 自分は全部たどってるよ。
こういうのは調べれば調べるほど面白い。
楽しさも倍増。
126 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 10:16:16
>>123 名前は伝わっています
認知はされていません戸籍上では祖父母の子供になっています
その旦那さんの家は分かります
旦那さんは子供がいなくて断絶、今ある家はその旦那の兄が継いでいる模様
127 :
993:2005/04/16(土) 18:40:31
旧土地台帳って法務局でしか見られないんですか?町役場ではだめですかね(町役場ならほとんど親戚なんだが)
父や叔父によると町一つうちのものだったとかいうんですが、どこまで信じていいものか分からないんで、調べてみたい。
郵送で請求は出来るものでしょうか?
128 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 21:36:42
法務局へいってください。1村全体だと相当な量になりますので覚悟していってください。
家系図とかってさー、かなり前に分かれた分家の場合、ほとんど付き合
いの無い本家に見せてもらいに行くのきつくね?
130 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 22:52:28
>>129 そんなに気まずいか?
うちは何百年も前の別家が3軒あるけど
結構親しい付き合いしてるよ
131 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 22:55:53
>>127 土地台帳は同一のものを法務局と市町村役場でそれぞれ管理しています。
同じものを二箇所で管理しているのは、火事や災害などで焼けてしまった場合のスペア。
旧土地台帳は法務局に行けば無料で閲覧できるのは確実だけど、町役場に知り合いがいるんだったらそっちで見れるかどうか聞いてみれば?
「台帳」なので郵送では請求できません。
132 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 23:00:47
>>130 親子兄弟でも仲が悪かったり断交している家は沢山あるし、
家の事情は百者百様だからね。
先祖探しも同じく、地域によって習慣や歴史も全然違うし、転居時の事情態様も人それぞれ。
先祖探しも百者百様。
133 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 23:15:54
>>127 旧土地台帳は昭和30年ごろまでは税務署で管理していたと思います
もともとが租税のための台帳だったため、そして税務署から法務局に移動して
いますので、役場にはありません
郵送も不可でしょう
まあ一度行くことをお勧めします、法務局の方は結構親切だったりしますよ
旧土地台帳を1村丸ごと見ると少なくて5冊多くて135冊ってのがありました
1冊は電話帳くらいの大きさですが、和紙なので一枚一枚は分厚いです
指サックは必需品(高速でめくれる)
どうせ法務局に行くなら一村全部見たほうが勉強になるし面白い
どの家が昔は土地を持っていたかが分かる
135 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 23:35:26
>>133 >>131 税務署から法務局に移されたのはその通りだけど、
見れるかどうかは別としてそのスペアが各市町村にあるはずだよ。
固定資産税を課税するのは地方自治体だし、税務署が大火でやられた時に、
各市町村に置いてあったスペアから修復した実例がある。
>>129 テクニックとしてはいきなりは行かないほうがいいかも
1 親や伯父、伯母さん、祖父母などと一緒に行く
2 分家の分家とかならまず本家に比較的近い家に行って訳を話して
一緒に行ってもらう
3 そういう人、家が無い場合は自分で行くしかないまずは手紙を書く
事情を説明する、そんでもって本家に伺う
4 行く時にはご仏前としていくらか包んでいくのと手土産持参(お酒とか)
5 こちらでまとめた資料を持っていく(戸籍のコピーや位牌や墓のデータ、分かる範囲の家系図)
一生懸命やっていることをアピールする
6 あくまでも教えて頂くという謙虚な姿勢
7 まずは墓を見せて頂き、その後位牌はありませんか?過去帳はありませんか?
家系図はありませんかという順がベスト
外堀から攻めていくのがい、いいきなり過去帳や家系図を見せてくれと言われると相手も身構える
8 一日で全部見れるとは限らない、途中までだったらまた後日伺う(礼状など書くと心証がよく後日信頼される)
9 後は相手によりけり先祖に全く興味のない家はかなり厳しい何しにきたんやってなスタンスでこられる
でもほとんどの家は自分の家と本家とのつながりを示せば協力はしてくれる
できた資料はまとめて本家の方にも渡すギブアンドテイクが協力してくれる鍵
10 若い人なら本家の年配の方に必ずっていいほど[若いのにいい心がけだね]と褒めてくれる
先祖供養ということをアピールするのがいい
>>135 そうなんだ、役場にもあるんだ
でも見れないのが残念
>>136 なるほど
勉強になりますφ(。。)メモメモ
139 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 06:32:34
何百年も経つと分家や孫分家が沢山発生しますので
このような分家筋はいつどこから分家したか分からなく
なっているところが結構あります。
こうした自体に、わざわざ教えたりしませんが、本家の
立場としてはむしろしっかりと認識してもらいたいと感じ
ています。
これは本家として認知してもらい、権力を誇示しようとか
いうことではなくて、各々が「我家が本家」というような
行動や代表者を名乗ると伝えられない歴史があったり、
間違った歴史が伝えられたりすることがあるためです。
また、本来であれば同じ先祖を持つものとして支えあっ
てきたものが、それがライバルとして向けられるように
なるとイザコザが増えるからです。
この時代に本家だからとそれほど権力をふりかざそうとい
う気は無いので、ライバル視するのではなく共に一族の
繁栄を願って欲しいものです。
140 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 06:54:55
>>139 長い間の分家は多すぎて、ブームなどで、よその孫分家まで
総本家をはじめに訪ねてこられてもわからないなぁ。
確かにやたらこられたら困ります。
ところでここでの多くの人はいつの時代まで遡ることを目的としてい
るのでしょう。分家したところまで?
旧家の本家でも出自なんて分からない場合が多いので、本家まで
たどり着いたらそれ以上は期待しすぎないほうがいいかも。
まわりはみんな戦国時代以前から住んでいて、遠い昔過ぎていつか
らいるのか分からないというところは沢山ある。
>>140 自分の家も本家ですが
権力を誇示しようとか思いませんが本家として責務があるのではと思う
分家がこられて慌てて調べるというよりは、本家として分家の分まで調べたろう
ぐらいの意気込みがあってもいいのでは
どっかの分家がきてもいいように我が家の位牌、過去帳、墓の一覧表とそれから
分かる家系図を作って、由来をまとめたものを作っとけば分家がきても
〔はいこれが資料ね〕と答えられる
まあせっかくの縁があるものなんだからできるだけ喧嘩はしたくないよね
142 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 10:55:38
>>140 >いつの時代まで遡ること
自分の場合は本家とか分家とか男系とか女系とか関係なく、
純粋に自分の血統祖先が何処で暮らしていたのか何をしていたのかと言うことに興味があります。
養子をとっている場合、そこから先は自家よりも養子元の方に興味があるし。
父方も母方も全ての系統で遡れるだけ遡りたい。
つまり終わりはありません。
143 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 11:17:51
自分は養子元よりも自家に興味があります
というよりか
男系、女系全てと自家、養子家全てを網羅しました、
そこで、もうこれ以上は無理だというところで完了です
自分の家では江戸時代に入ったらいきなりほとんどの家が分からなくなりましたが
6軒くらいは1700年代の終わりくらいまで遡れました
まあ全員農民階級ですから江戸初期はさすがに遡れませんでしたけどね
調べるんだったらもうこれ以上だめだ〜ってところまでは行きたい
先祖探しをしたくて調べてたらココ見つけました。
とりあえず家は祖父母の先は殆どわかっていないのが
疑問でして、親にいろいろ聞いてみたんだけどよく知らないとの事…
ずっと東京で、どちらの家も戦争で焼けちゃったようです。
経過を報告してよいスレなんですよね?
過去ログよんで勉強してみます。
145 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 11:57:26
>>144 基本は、まず自分の戸籍謄本を取って、その記載事項を見て両親、祖父母と直系尊属の戸籍謄本、除籍謄本を順々に取っていくことになります。
自治体によっては戦災や災害で古い戸籍が残っていない所もありますけどね。
まずは
>>102あたりで挙げられている様なサイトを見てみると良いですよ。
146 :
18:2005/04/17(日) 14:57:02
うちの場合、相続の際司法書士が系図をつくってくれた。祖父が明治44年生まれ、その3代
前の文政六年生まれの先祖まではっきりとさかのぼれた。あとは位牌がないけど、享保年間
になくなった先祖は誰かなんだ。一応武士だったらしい・・・。
147 :
146:2005/04/17(日) 15:04:20
148 :
993:2005/04/17(日) 17:40:53
149 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 18:24:25
アメリカでもアダムとイブまでたどりつくことを期して
ガンガッテいる人たちがいると聞く
みんな頑張れ
151 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 19:10:18
>>140 「本家までたどり着いたら」とのことですが、そこが総本家かどうかって、どうすれば
わかるのでしょう?もしかしたら、それをさらに数代遡ったら次男坊で、本当は分
家筋だったってこともあるかもしれないですよね。
そもそも本家の定義って何なのでしょうか?
本家の本家のそのまた本家の・・・・
と永遠にたどったら、天皇になるんじゃネーノ?
>>151 ゴールがないから楽しいんじゃネェーノ?
>>152 天皇じゃないのもあるよ。天孫降臨に従った氏族とかw
154 :
993:2005/04/17(日) 19:28:20
>>149 ありがとう。
>>151 うちがそのパターン、本家であるうちは東京にいて、分家(旧本家宅在住)が地元にいる。田舎であれば役場か近くの住人に聞けば
すぐわかる。都会化されてるとわかんないけど、そういうところではもう本家分家というのは無いだろうね。一族意識も希薄だろうから調査が
難しいかも。
155 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 19:47:06
151です。
>>154 私の説明が悪かったです。そうゆうことではなく、「ここが本家だ」と言っても、
あくまで分かってる範囲でのことだと思うので、その先を数代遡れば、本当の本家は別に
あって、自分は分家筋ってこともあるでしょうということです。だから、本家とはそもそも
何なのでしょうと疑問に思ったわけです。
例えば、154さんも本家だと言われていますが、地元に代々続く一族そのものが、もっと遡
れば分家かも知れないですよね。
156 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 20:02:10
本家の本家のっ・・ていくと、うちも天皇になるとかならないとか・・らしいけど、
今の自分の苗字を名乗った人までいけば一族の始まりかな。
157 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 20:16:00
「本家の本家」って言った時点で、そこは既に「分家」なのでは・・・
158 :
993:2005/04/17(日) 20:19:40
>>155 本当の本家は分からないでしょ。うちの先祖は戦国期、武田の家臣で小さな城持ちでしたが、その武将の直系子孫かどうか
は分かりません。唯地元では何軒かある庄屋のいずれかが直系子孫であろうといわれており、城跡に一番近い家がうちになるわけです。
田舎で言う本家とは庄屋の直系の家系で村で一番の旧家です。おそらく旧家臣団の人達と村を開拓し定住したものと思われます。
基本的に本家といわれるのは上記のような家だと思われます。戦前では家督相続の家でしょうか。
>>例えば、154さんも本家だと言われていますが、地元に代々続く一族そのものが、もっと遡 れば分家かも知れないですよね。
これを言い出したらきりがないです。家を興したのが本家ぐらいでいいのでは?つまり地元に一番先に定住した家、そこ次男以降が
分家という感じでしょうか。
159 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 01:04:41
>>140 >ところでここでの多くの人はいつの時代まで遡ることを目的としてい
>るのでしょう。分家したところまで?
うちは孝霊天皇まで遡りました。
(もう神話の世界なので歴史的には…)
400年前に今の土地に来て以来百姓ですが
その前は守護大名だった。
これから細かな史実について調べていくつもりです。
160 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 01:15:38
自分は自分の血統祖先の全ての家系について、
何処からその土地に移ってきたのか?
どういう理由で移ってきたのか?
家紋の由来は何か?
とか言う点に一番興味がある。
161 :
先祖マニア:2005/04/18(月) 01:44:01
>>144 144さんをみんなで助けよう!!
とりあえず144さんは
戸籍謄本や除籍謄本を入手して下さい(遡れるまで全て)
空襲で無い場合もあるかもしれませんが
あとは戦争で家が焼けたのなら位牌は無いですよね(要確認)
墓はあるのではないでしょうか?
まずはそこからです
役場には直接行って謄本をもらった方が早いです(事情も説明できるし)
戸籍の請求理由は[先祖供養のため]にしよう
162 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 05:13:00
私の曾祖母は除籍に「○○町戸主××長女」とありました。
その戸主××の正確な住所、すなわち○○町の何番戸かを
調べようと、ここで学んだ土地台帳を閲覧しに行きました。
でも見つかりませんでした。この曾祖母の実家はいわゆる
落ちぶれた家であったらしく、土地は所有していなかった
つまり借家住まいだったのかもしれません。このような場合は
もう調べる手だてはないのでしょうか。
163 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 07:35:33
>>162 ○○町は昔から町だったのでしょうか?(村ではなくて)
町なら同姓の人に手紙を書く方法の厳しいですしね
あとは祖父母や両親、伯父伯母、従兄弟、二従兄弟、全てに聞いてみるとかして曾祖母の実家の
縁者を探し出すとかもありますが曾祖母の時点で明治19年戸籍ですので
162さんはかなりの高齢ですか?
色んな人に聞いたらだれか1人くらい分かりそうなものですが
あと曾祖母さんはいつなくなりましたか?
亡くなった記載のある戸籍謄本が明治19年戸籍ではなく明治31年戸籍や
大正4年戸籍なら、ひょっとして記載されていませんか?
164 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 15:05:46
>>162 その町で稀少な姓なら、戸主××さんの除籍謄本が欲しい、と、直接町役場に聞いてみては?
数多くある姓ならともかく、町に二三軒しかない姓なら、是非知りたいので、どうかお願いします、と頭下げればそんなに
迷惑がられないと思うが
165 :
144:2005/04/18(月) 19:30:30
>>145>>147>>161ありがとうございます。
過去ログ流し読みして、自分の分かっていることを書き出してみました。
102のHPと過去ログ4は特に参考になりますね。読み過ぎて右から左へ…;
父・母はともに長男・長女では無い。分家?傍流です。
自分の家には仏壇はありません。
そういえば父母の実家には少し位牌がありまます。
1日考えて、エピソードスレだし晒せる範囲で報告…
<わかっていること>
母方
・祖父の家系ー曾祖母の名前まで
(祖父は一人っ子・曽祖父は謎?戸籍は空白らしい?・墓は浅草、わりと大きい)
・祖母の家系ー曾祖母の名前まで
(曽祖父は浅草で店をやっていた。墓も浅草らしい)
・母一家は戦前は家賃収入で暮らしていた?(母は戦後生まれよく知らず)
166 :
144:2005/04/18(月) 19:33:17
父方
・祖父の家系ー?(本家の墓は中野らしい)
・祖母の家系ー曾祖父母の名前まで。(墓は世田谷らしい)
祖父母の代で健在なのは父方の祖母だけですが昔話はできない状況。
江戸時代終わりくらいまでの先祖の名前と、
どこに住んでいたのかが分かったらいいなと思っています。
あと名前も知らない従兄弟がいる事がわかったので名前くらい知りたい(無理かな;)
今のところ司法書士にお願いする程は…考えていません。
とりあえず戸籍をとってきます。長文すみません。
上の地名は広ーい範囲で捉えた地域、で書いています。
この辺はアバウトな方がいいかなと思ったので。
あの、、気長にやっていくと思います。
167 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 19:43:41
144さん
下の図みたなものですか?
A曽祖父(不明)・・・ 父・・・
・・・・祖父・・・・ ・・144さん
B曾祖母(判明)・・・ ・・・母・・・
・
C曽祖父(浅草)・・・・ ・
・・・祖母・・・・
D曾祖母(判明)・・・・
168 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 20:03:27
>>144 167
図がおかしくなってすみません(母方です)
まず144さんが何歳か分かりませんがもし20代ならば
そう祖父母は明治の中ごろに生まれているはずです
ということは仮に50〜60歳に亡くなったとして昭和20〜30年ころまでは
生存していたと思います(あくまで推測ですが)
ということは役場に戸籍謄本を請求したら曽祖父母までは確実に手に入ると思います
ひょっとしたら高祖父母もいけるのでは
まずA曽祖父ですが、戸籍に記載がないということはおそらく婚外子ではないでしょうか?
つまり入籍していなくてできた子供(理由は様々です、妾の子、不倫の子といったものや
昔は結婚しても男子が生まれて跡取りができるまでは籍を入れなくてそのまま
曽祖父が亡くなったとか、自分の家もそういうのがあります、19歳で第一子を産んで
五女まで生んで38歳の時にやっと男の子を生んで入籍しました、だから戸籍は
長女から五女までが認知だらけでしたが)
C曽祖父,D曾祖母は戸籍入手で判明可能でしょう
あっ位牌や墓はは必ず見たほうがいいです
できればデジカメでとって帰る(裏、表、横など)
169 :
167:2005/04/18(月) 20:18:01
追加
父方は割りと分かっているみたいですね
自分は地方の人ですので東京の地理に詳しくありませんが
東京って空襲で役場と法務局がが燃えているところも多いのですね
千代田区〜大正前期より、ただし関東大震災の影響あり
港区〜80年廃棄。ただし旧赤坂区の戸籍は昭和20年の空襲により消滅
新宿区〜80年廃棄
台東区〜明治41年以降より
墨田区〜昭和20年の空襲により、それ以前はほぼ残存せず。
渋谷区〜80年廃棄
北区〜80年廃棄
足立区〜80年廃棄
本籍が上記の場合少しきついかも
まずは役場に行って全ての直系戸籍を入手してみましょう
アドバイス
1 役場の人に直系尊属全て遡れるだけ遡ってください
2 その一つ一つの戸籍謄本(除籍謄本)は全て生から死までください
3 請求理由は先祖供養のため
4 役場の係りの人がぐちゃぐちゃいったら戸籍法第12条の2の1にOKと
書かれているのになぜ?と聞いてみる
別に司法書士の方に頼む必要はないです、自分で大丈夫です
案ずるより生むが易し!!
170 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 20:23:38
144ガンガレ!!
171 :
144:2005/04/19(火) 07:51:14
なんか恥ずかしくなってきたけど、朝からやる気もでてきたw
私はS50前半(20代)。父母はほぼS20生(約60あたり)
祖父・祖母達は明治後半〜大正元年生(約93〜10?歳)です。
一番早く亡くなったのはCの祖父で昭和35年くらいだと思います。
80年廃棄はたぶん大丈夫、でいいですよね。
空白欄はそれしかなさそうですよね。一番気になる処ですが、
実物とってきて又考える予定。
>>167 う〜ん…自分でも作ってみました。わかりますでしょうか?
>>165母方
自分−母ー○A祖父ー×曽祖父(空欄?)
I L○曾祖母(浅草)
I
L○B祖母ー×曾祖父(店?)
L○曾祖母(浅草?)
>>166父方
自分ー父ー○C祖父ー?(中野?)
I
L○D祖母ー○曽祖父(世田谷?)
L○曾祖母
172 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 11:08:08
母親なら空欄の曽祖父の名前とか分かりませんか?
144さんにとって曽祖父でも母親からは祖父ですしね
その辺の事情もよく知ってるのではないでしょうか?
お母さんが物心ついた昭和30年代でも生存していた可能性が高いです
(75歳〜80歳くらいではないでしょうか?)
戸籍は役場なので平日じゃないと無理ですよ
封書で依頼もできますが、全部入手するにはかなり時間がかかります
学生ならいけますが、社会人なら休みを取っていったほうがいいかも
また役場に行くなら朝一で行ったほうがいいです、混んでいないのと
全ての除籍謄本を発行してもらうため時間がかかるので昼から行ったら
時間オーバーになるかもしれませんしね
まずは自分の戸籍謄本からスタートです
173 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 12:36:48
俺も家系図を作ろうかなぁ。
父方の場合は、まだ大丈夫なんだよなぁ。
ただ、母方の方が、ちょっとなぁ。祖父(母の父)は曾祖父(母の祖父)の実子じゃないんだよなぁ。
なんか、もらってきた子だとか、拾ってきた子だとか、はっきりしないんだよなぁ。祖母(母の母)は存命中ではあるが、完全に認知症だから、何を聞いても……orz
とりあえず、戸籍かなぁ。
存命中の祖母の戸籍を取る理由は何にしたら良いでしょうか?相続問題の為?
しかし相続を理由にするには一つ問題があって、祖母(母の父)は戸籍上では大叔母なんですよね。父は祖母の弟ね籍に入っているので…
↑
×祖母(母の父)
○祖母(父の母)
恥ずかしい…
176 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 14:14:09
>>174 直系なら生きていようが死んでいようが普通に取れる。
理由も祖先の事を知りたいから戸籍を辿ってるって言えば大丈夫。
177 :
先祖マニア:2005/04/19(火) 23:58:03
とりあえず最初の目標は高祖父母の16人を探すことです
20代なら高祖父母は江戸の末期に生まれて大正の頃なくなっていますので
難易度は高くないです、
私の場合は高祖父は明治17年に亡くなっており、しかもその高祖父が
行商人をしており現在の田舎(本籍)の娘と一緒になったためその前が
判明するのにかなり苦労しましたが普通だったらこのようなこともないので
比較的簡単に遡れるのではないでしょうか?
とりあえず第一段階が16人で第二段階でその両親の32人を見つけて見ましょう!!
昭和天皇でも32人は分からないですしね
178 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 00:48:45
家系図ってネズミ講に似てるよね。
179 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 00:50:25
>>178 コラコラ。
トーナメント表とかもっとマシな言い方しろよ。(w
180 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 01:58:59
144イイヨー
早く除籍謄本とるんだぞ、マジデ。
また差し支えのない範囲で報告してくれヨ
181 :
144:2005/04/20(水) 06:46:26
今日は遅番なのに早く起きられた。ので行けたら行きます。
>>172さん
曽祖父の名前は母はまったくわからないそうです。
実は、昨年母方の祖母が亡くなりまして、その時親類とも会ったのですが
母の兄弟も皆、名前が分からない。祖母に聞いても「知らない」だった、
知らない筈はないんだけどな…という話になりました。
なので「空欄?」はほぼ確定的だと思います。
祖母の気持ちも分かるのですが、調べるなら今しかない
今を逃したら、もう、まったく分からなくなってしまう…と思ったのです;
戦争中の苦しい時代の話なども聞いても一切してくれなかったので
聞かないようになっていました。すごく後悔しています。
…マジメすぎた。朝モードに戻しマス
>>173さん、という訳なので思った時が吉日と思いますよ
182 :
144:2005/04/20(水) 07:03:18
先祖マニアさんの曽祖父様、よくわかりましたね。
どんなキッカケで判明したのでしょうか?
ちょっと気になってしまいました。いいなぁ良かったですね。
文推敲してる時間ない…すみません
トーナメント表、まさしくw
183 :
180:2005/04/20(水) 10:35:17
184 :
先祖マニア:2005/04/20(水) 10:42:04
>>182 自分の家は父親や祖母が色んな事を覚えており、幼い時から言い聞かされて
いたので分かっていました、小学校高学年ですでに高祖父までは言える
子供でした、高祖父が30kmくらい離れている村から来たという伝承は
ありましたが、だれもその村に行ったことはなく確証も取れませんでした
大学時代にふと我が家の古い本を見てみると、本主○○村山田太郎兵衛(仮名)
と裏に記載されており高祖父が本の主のものが発見され(親父は前々から
知っていたらしい)早速現在の○○村の山田さんに全て手紙を書いたら
1軒該当する家が発見できました、そこでやっと高祖父の実家が確定できた
次第です、そこの家には位牌や過去帳があったんで更に昔まで遡れましたが
家系図があるわけではないので没年からの推測で恐らくこの人とこの人は
親子だなぐらいしか分かりませんけどね
185 :
180:2005/04/20(水) 10:42:25
>>144 もう出かけてたら遅いけど再確認
>>167をコピペさせてもらうよ
1 役場の人に直系尊属全て「遡れるだけ遡ってください」
2 その一つ一つの戸籍謄本(除籍謄本)は全て「生から死までください 」
3 請求理由は「先祖供養のため」
4 役場係がぐちゃぐちゃいったら「戸籍法第12条の2の1にOKと
書かれているのになぜ?」と聞いてみる
1、2は重要だぜ、手間を大幅に短縮できるから。
健闘を祈る!!
186 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 10:56:45
なんかここすごいな
オレも興味が湧いてきた、今から役場行ってみよ
何もっていけばいいんだろ
金と印鑑か?
187 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 12:29:28
>>186 それから、無くても大丈夫な所もあるけど、身分証明書。
戸籍謄本は本籍地の役所でしか取れないよ。
戸籍謄本(全部事項証明)は1通450円、除籍謄本は1通750円。
188 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 12:39:10
>>181 知っていても話したくない場合とかもあるからねぇ。
各家庭によって色々事情があるし。
とりあえず、戸籍謄本、除籍謄本を取ってこないと話は始まらないと思います。
それから、「空欄」と言う表現だけど、戸籍の記載事項が空欄になっているのと紛らわしいからやめた方が良いと思いますよ。
単純に現時点ではわからないってことでしょ?
だったら、単純に「わからない」とか「○○まで調べたけど現時点では不明」とか書いたほうが良いと思います。
調べていないからわからないのと調べたけどわからないのは違うし。
調べてわからないのも何を何処まで調べたかによっても全然違うし。
189 :
180:2005/04/20(水) 14:55:44
>>188 >それから、「空欄」と言う表現だけど、戸籍の記載事項が空欄になっているのと紛らわしいからやめた方が良いと思いますよ。
>単純に現時点ではわからないってことでしょ?
あーそういうことか
家系図では不明って事か
戸籍上の空欄って滅多にないからねえ
俺の場合は一つだけあったけど…
的確な突っ込みアリガト
納得だ
144の書き込み楽しみだな
190 :
180:2005/04/20(水) 15:00:03
>>186 金は2万円(戸籍の分のみ)
あれば十分だと思うぞ
あと、自家用車持ってるか?
俺の場合は祖父までは公共交通機関十分行ける役場だったが
曽祖父以前は車がないと無理だった
友人を無理矢理口説いてドライブ感覚で一緒に行ったぞ
191 :
180:2005/04/20(水) 15:07:46
>>181 >戦争中の苦しい時代の話なども聞いても一切してくれなかったので
>聞かないようになっていました。すごく後悔しています。
まあ、あまり気にしないで。
大叔母や大叔父がお元気なら話も聞けるし
おじ、おばにも聞けるしね。
年寄り同士なら話さない内容でも
若い者になら話してくれることとかあるし
とりあえず聞いてみることだと思うぞ
俺の場合はおおむね
「ご先祖に興味を持つとは若いのに心がけのよい奴だ」と
何でも教えてくれたぞ
まあ最低限の礼儀(事前連絡、手土産、挨拶、調査後の御礼)
は気をつけたが。
人間同士の事だから、良識さえあればある程度までは何とかなる、と思う。
192 :
180:2005/04/20(水) 15:22:07
七郎右衛門さん
最近見かけないネ
〜家系図の調べ方〜シリーズ
楽しみなんだが。というか今からがよりマニアックな調査部分なので
期待してるんだが…。
まあ色んなHPにそういう手順をまとめたものを見れって
いわれりゃそうなんだが…先祖探しは個々人の事情が差があるからな
実際調査した七郎右衛門さんの意見は貴重だなあ
書き込みの感じでは七郎右衛門さんは
かなり古い所までわかってるっぽいけど。
俺の場合は10代以上前まで判っているのが3家
過去帳と墓から作った手書き家系図
193 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:58:44
書き込む前にもうちょっと考えてから書き込むようにしようよ。
自分の例はあくまで自分の例であって、普遍的なものではない。
地域や家系によってそれぞれ違った事情が存在する。
自分がそうだからと言って、他人にそれが当てはまるとは限らない。
普遍的な例なのか、特殊な例なのかよく吟味してから、それに沿った形で書き込む。
落書き帳じゃなくて、情報交換をするスレなんだから相手を意識して、
質問も答えも相手が理解しやすいように要点をまとめて書く。
他人のレスを良く見て同じ相手に同じ内容のレスを何度も返さない。
自分で同じ相手に同じ内容のレスを何の進展も無いのに繰り返すなど言語道断。
色々な質問とか状況報告があるとスレが活性化して面白いけど、
何の進展も無いのに同じ内容を何度も書き込んだり(新たな疑問点が生まれたとかは別)、
必要以上な教えたがりとかはスレを見にくくするだけだよ。
小姑みたいな人がいるな
195 :
180:2005/04/20(水) 17:39:16
>>192 >七郎右衛門さん
>最近見かけないネ
まだ最後の書き込みから1週間位しか経っていないでしょ?
学生とか時間に余裕がある人ならともかく、
先祖探しなんて時々暇を見つけてやっていると言うような人がほとんどだろうし、
最初の導入部は別として、そうそう進展のあるものでもないしね。
また進展があったら書き込みしてくれるんじゃない?
>>194 まぁ、出来たばっかりのスレだからね。
先祖探しの基本的な事項がわかるようなサイトもテンプレで紹介されてないくらいだし。
スレのガイドラインが無いから次スレに移行するくらいまでは仕方ないんじゃない?
197 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:52:11
戸籍より辿れる除籍謄本?には、ひいひいじいさんまでしかない
ようなんだけど、これより辿れる書類って役所にあるんでしょうか?
無いよなぁ・・。
198 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:12:46
>>197 まず、戸籍謄本とは何か、除籍謄本とは何かと言うことがわかってないでしょ?
とりあえず、googleとかで「戸籍謄本」「除籍謄本」で検索して、それがどういうものであるのか調べる。
戸籍謄本は本籍地で取れるから、最初に自分の戸籍謄本を取得する。
そこに書かれている情報を元に、父母や祖父母、曽祖父母、高祖父母等の戸籍謄本、除籍謄本を順々に取得していく。
>>102とかで紹介されているようなサイトを見ると先祖探しの基本的な事柄や大体の流れがつかめますよ。
199 :
144:2005/04/20(水) 22:36:57
自分の戸籍とA祖父(母の父)が筆頭人の除籍謄本+附票、
C祖父(父の父)が筆頭人の全部事項証明+改製原戸籍を取りました。
帰ってから、用語を↓HPで勉強…教えて杉はいかんと思って;
ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/ 出かけてから
親の実家の住所メモするの忘れた!と焦ったのですが、
自分の戸籍に書いてあるのですね。初心者丸だし;
自分の戸籍をとる際、空いていたので、出納おじさんに戸籍を見せ、
「先祖探しをしているが私の場合どこに除籍謄本があると考えられますか」
と聞き、教えてもらいました。
皆さんに言われてたのに出来心で
3つの役所とも請求の理由を何も書かず提出してみました(バカです)
自分の戸籍=なにも聞かれなかった。OK
A祖父除籍=自分の戸籍を出して関係を説明したらOK
C祖父戸籍=口頭の説明+書かなきゃだめ(笑)
C祖父役所は自分の戸籍を「少し貸して」と持って行って参考にしていた。
確かに効率よさそう。戸籍(D祖母…父の母は健在)と附表を請求したけど
「コンピュータ化し、改製されたから調べるならこっち」と改製原戸籍を持ってきてくれた。
200 :
144:2005/04/20(水) 22:40:04
A祖父ですが、父欄はやはり空白でした。下欄は長男、でなく「男」。
隣のB祖母の欄とを見比べて疑問に思った事なのですが
記載事項、祖母は
「明治○年…日東京都○区○番地で出生、父○○届出…」
から始まっています。
ところが、祖父の事項は
「○○(祖母名前)と婚姻届出、昭和○年…日受付」
から始まっているのです。曾祖母が一人で生んで届け出たとしても、
それを書けばいいのにどうして??なんでしょうか?
戦後、一度本籍を動かしているので
動かす前の除籍を浅草の方の役所へ請求しに行く予定。
それを見れば(恐らく)曾祖母が筆頭人の時の本籍がわかる、
という理解でいいですよね。難しい…
収穫:B祖母(母の母)の両親(自分の曽祖父母)の名前+本籍地判明。
C祖父(父の父)筆頭人の戸籍も記載にすごく???な処があり
意見をお尋ねたいのですが混乱させてしまいそうなので、保留。
この後はしばらく行かれそうにないですし。
201 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:46:46
>>200 疑問に思った事があったら聞いてみれば?
要点が整理されていて見やすいし混乱はしないと思いますよ。
それに資料収集に進展がなくとも、同じ資料を何度も眺めているうちに気付くこととか、
疑問に思うことも出てきたりしますからね。
202 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 23:06:07
>>200 自分も除籍謄本をみると同じように出生の届出と婚姻の届出から始まる両方のケースがあります。
戸籍の記載事項はモノによって微妙に違ったりしますからね。
沢山取っていくと様々な形式で書かれた除籍謄本にお目にかかることになると思いますよ。
203 :
144:2005/04/20(水) 23:09:23
>>191 あーなるほど。今の処知ってそうな世代の親戚なしですが、
調べていくうちに知らない親戚が増えそうですし。
まずは自分が聞きたい事をまとめていきたいです。
>>185 1,2は次行った時絶対言います!
今回は動いた先の本籍地の戸籍だったからあんまり遡れないんですよね…
>>184 先祖マニアさんの親御さん達GJですね。
「そういえば…」のような言い伝えがキッカケ、ですね。
手紙を書くほどアクティブな行動とれるか不安だけど、
親に覚えていること(お墓参りとか)聞いてみます。
204 :
144:2005/04/20(水) 23:21:01
>>202 そうなんですか。
アリ、な形式なんですね。一人熱くなって長文書いてウワー…
すごく勉強になります。
>>201 はい、わかりました。あの、伝わっているようで良かったです。
D祖父戸籍の疑問は、頭冷やしてから書きます。
205 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 23:28:12
>>203 >遡れるだけ遡ってください
役所の人に任せっきりにしないで自分でもちゃんと確認しないと駄目ですよ。
役所の人も人間ですから見落としている場合とかありますから。
戦前の戸籍は戦後と違って、三世代や兄弟姉妹の家族なども一つに纏められていたりするので気をつけてください。
特に女系は(役所の人が)見落としがちなので、除籍謄本の記載事項を確認して、
一個一個この人の除籍は辿れるかどうかと聞いていったほうが確実です。
特殊な例ですが、戸主の妻が前戸主の実の孫娘で、戸主夫妻が前戸主と養子縁組していて、
戸主の妻の母(前戸主の娘)が養姉(前戸主と前戸主の実の孫娘が妻に当たる戸主夫妻が養子縁組したことにより、
戸主の妻と前戸主の実の娘である戸主の妻の母が姉妹になってしまった。)として同じ戸籍に記載されている場合もありますし。
家族関係が複雑になってくると特に注意です。
206 :
180:2005/04/20(水) 23:35:46
>>144 乙。役場いけたんですね。
あとは生没年月日&没年齢を表にしてまとめておいた方がいいかも。
時間があれば戸籍に載っている人物全部の家系図&生没年表も…。
207 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 23:54:29
除籍謄本に記載がない時代(除籍の廃棄や戸籍制度以前等)の転居で移転元を突き止めた方はいらっしゃいます?
どのような方法で調べ上げました?
208 :
七郎右衛門:2005/04/20(水) 23:56:00
盛ってますねW
なんだか自分はスレ汚ししてしまったようで…。
サイト貼ってくれたんで基本的なことは
そちらを参照してください。
私は大方系図が遡れたので
(とは言ってもまだ全然ですが…)
これから今まで調べたことを文章におこして
簡単な系譜を作ろうと思っています。
ここの住人の方で本や冊子にまとめる計画のある人いますか?
209 :
先祖マニア:2005/04/21(木) 01:13:02
>>208 七郎右衛門さんおひさしぶりです
全然スレ汚しではないです
スレタイにもあるようにテクニックやエピソードですので
144さんのように全くの初心者の方を励ますことや、
超マニアックな事やテクニックを語るのもOKです!!
とにかく偏りすぎなく色々なことを語るスレッドにしましょう
特に初心者の方は不安や失敗があるので七郎右衛門さんみたいに
アドバイスができる方は心強いです
これがスレを立てた私の思いです
ちなみに私は冊子に纏めてファイリングはしています
(各家ごとの詳細説明で)
210 :
144:2005/04/21(木) 01:18:51
C祖父(父の父)が筆頭人の戸籍の疑問点です。
戦後C祖父が亡くなった後に、妻であるD祖母が本籍を動かしたらしく
今回、その動かした先の役所で取りました。改製原戸籍です。
C祖父・D祖母、2人ともに記載事項、何にも書いてない…
記載事項、空欄です。
(
>>188さんご指摘感謝です。
混同する書き方でしたね。すごくよく理解できました)
下方の父母欄、名前、続柄、出生日は書いてあります。
子供たち(父と兄弟)の記載事項はちゃんと書いてあります。
(出生地の情報や結婚等の事由で除籍、などなど)
こんな戸籍で…なにが証明できるの?と思ってしまいました。
動かす前の本籍地の除籍謄本で何かわかるのだろうか…?
収穫:C祖父、D祖母両方の曾祖父母の名前判明
コンピュータ化された新しい戸籍(全部事項証明)も取りましたが
こちらは動かす前の本籍地住所も書いていないんですね。
横書きで、記載事項がない事もあり住民票よりもスカスカな感じです。
211 :
先祖マニア:2005/04/21(木) 01:21:17
>>203 「そういえば…」のような言い伝えがキッカケ、ですね
この言葉に何度びっくりして新たな発見をしたことか
大学生のある正月、田舎で酒を飲んでいたら[そういえば、あそこの家の上に
高祖母の実家の墓があるよ]って親父言われた時にはびっくりしました
先祖をさがしてもう数年も経っているのに今更なにいとんじゃーみたいな
ことになってすぐに見に行きました
また大叔父とかも[そういえば・・・・]みたいなことが多々あります
親族とは何回でも話してみてください、毎回新たな発見があります
だって親族も聞かれないと答えれないですからね、全部話しても漏れはあります
212 :
144:2005/04/21(木) 01:23:00
>>206さん なるほど。休日にやってみます。
180さんは
>>189で事項の空欄があったと書いてらっしゃいますが
滅多にないことなのでしょうか?
七郎右衛門さん
そんなこと言わずに
アプローチが分かりやすく書いてあっていいと思うのですが…;
皆さんすごく先まで調査されてる方が多いので、
こんな初期の段階で書き込む自分って…と正直ヒヤヒヤ;
別の話題が書きづらくなってもイカンと思うし…
214 :
180:2005/04/21(木) 01:31:53
七郎右衛門さんお久しぶりっす
嬉しいっす
呼び出すような書き込みしてごめんなさい
自分はまとめましたよ
エクセルとワード使って
完全に自己満足ですけど達成感はありましたね
写真類(墓、人物、建物など)はデータとしては
貴重だから早めに撮っておいた方がいいと思いました
言い伝えとかも重要ですよね
>>212 とりあえず
144さんどこまで分かったか表にしましょう
ちなみに空欄の曽祖父ですが完璧に私生児です
つまり父親は分かりません曽祖父の戸籍はあるはずなので
いつ亡くなったか、何歳で亡くなったかは分かるはずです
推測ですが曽祖父は明治15年頃生まれ65歳まで生きてたら戦後まもなく
亡くなっていると思います
となると空白の曽祖父の両親は江戸の終わりに生まれて大正時代に亡くなって
いるのではないでしょうか?
となると空欄曽祖父の母の戸籍は存在している可能性が大なので
それから下の卑属の人に聞いてみるという手があります
若しくは曾祖母の兄弟の下の卑属に聞くかです
更には祖母の兄弟に聞いてみるとか
可能性のあるもの全てをつぶしていきましょう!!
文章が分かりにくくてスミマセン
216 :
180:2005/04/21(木) 01:40:03
>>212 あーどうも私の読み違いみたいです。
私の場合は明治31年式戸籍で曾祖母の母の名前が
記入されてなかったんですわ。
こんな事ないだろうと言う事で戸籍係と話し合って
法務局に問い合わせてもらったり
土地台帳調べたり親戚に聞いたりして結局判ったんですけどね。
古い戸籍は意外といい加減なもんですね。
217 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 01:42:36
>>212 >>180さんじゃないですけど、例えば私生児で父親が認知していない場合に父親の欄が空欄になっていたりします。
それから自分の場合には天保生まれの人間の生年月日が不明で、生年月日の欄に年号しか書いていないものが一例ありました。
>こんな初期の段階で書き込む自分って…と正直ヒヤヒヤ
そんなことないですよ。
初めはみんな初心者です。
それに地域の特性とか家系によって、それぞれみんな状況が違いますからね。
つまり、大まかな流れは一緒かもしれませんが、
>>144さんと細部にわたって同じ人は1人もいないというわけです。
人の事例がヒントになることもあります。
144さん
>>205さんの指摘はとても重要です
特に女系は(役所の人が)見落としがちなので、除籍謄本の記載事項を確認して、
一個一個この人の除籍は辿れるかどうかと聞いていったほうが確実です。
↑
これ大切です
205さん有難うございました
219 :
180:2005/04/21(木) 01:48:53
>>216に追加
私の場合は完全に戸籍係の転記ミスです
自分の直系ではないが妻の親戚ほうで父親空欄つまり私生児が三代続いた
戸籍をみました
その村は特殊な村なのかも知れませんが結婚しても届けをださなかったのかな
でも父親が誰なのかは全て分かっていますが(伝承で)戦前の戸籍制度は
いい加減なものです、別の見方では古きよき時代だったのかもしれないですが
>>207 それはかなり厳しいね自分は祖父の言い伝えで判明した
先祖マニアさんみたいに手紙を書けば分かる場合もあるかもよ
やってみな
222 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 08:43:20
>>216 >明治31年式戸籍で曾祖母の母の名前が 記入されてなかった
母名が記されてないのは古い戸籍ではよくある。
>こんな事ないだろうと言う事で戸籍係と話し合って 法務局に問い合わせてもらったり
これって、壬申戸籍を調べてもらったということなのだろうか。
だとすればかなり明るい話題だが。
自分も、壬申戸籍見ればわかるのになあ、という直系尊属が何人かいる。
223 :
144:2005/04/21(木) 08:49:52
>>215 ん?戸主?と思ったら
「戦前の戸籍は筆頭人より戸主」なんですね。
その辺りまだ不理解でした。
これから先が戦前製の戸籍になってくるので気を引き締めていきます。
>>217,219-220
>父欄の空白
あー転記ミスもあるんですね。人のやる事だし、
分かっていても記載してない事もあるなんてホントにおおらかな時代だなぁw
いろいろな事が考えられるんですね。
探す際の事例、参考になります。他の人には
聞けないからなあ
戸籍の入手だけはお早目に(本来ならば除籍謄本は全て除籍したら80年で
破棄です)まあ実際にはもう少しは保存していると思いますが今では
ギリ明治31年戸籍が手に入るところがあるのではないでしょうか?
地方に行けば明治19年戸籍もまだ破棄されずに残っていますが
東京はさすがに厳しいのでは・・・
あと
1 役場の人に直系尊属全て「遡れるだけ遡ってください」
2 その一つ一つの戸籍謄本(除籍謄本)は全て「生から死までください 」
をいったら一つの役場で全て入手できると思いますが(東京23区内だったら
データを送ってくれるはず)間違えていたらスミマセン、自分は市内ならば
区が変わっていても役場の方がデータを送ってもらって一箇所で全てもらいました
浅草って何区ですか?
千代田区〜大正前期より、ただし関東大震災の影響あり
港区〜80年廃棄。ただし旧赤坂区の戸籍は昭和20年の空襲により消滅
新宿区〜80年廃棄
台東区〜明治41年以降より
墨田区〜昭和20年の空襲により、それ以前はほぼ残存せず。
渋谷区〜80年廃棄
北区〜80年廃棄
足立区〜80年廃棄
>>225 >浅草って何区ですか?
旧・浅草区、現・台東区
227 :
180:2005/04/21(木) 10:18:28
>>222 >名が記されてないのは古い戸籍ではよくある。
そうなんですか。勉強になります
>これって、壬申戸籍を調べてもらったということなのだろうか。
あ、違うんです。M19の戸籍は絶対にあることは判っているのだけれど
(空欄である曾祖母の母の両親は判るはずなのに)名前が空欄な為
どうしたらいいのだ?と話し合ったんです。
戸籍はあるのに転記ミスで請求できないのは余りにも残念だったので…。
判りにくくてすいません、また頭整理して書かせてもらいます。
228 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 12:04:24
>>224-225 >をいったら一つの役場で全て入手できると思いますが(東京23区内だったら
>データを送ってくれるはず)間違えていたらスミマセン、自分は市内ならば
>区が変わっていても役場の方がデータを送ってもらって一箇所で全てもらいました
政令指定都市の区と東京都特別区の区は全く違います。
以前は東京都特別区も東京市の単なる行政区域としての区だったのですが、
戦時体制で東京市が廃止され、そのまま歪な形で現在に至っています。
東京都特別区は特別地方公共団体で政令指定都市の行政区とは異なり、
市町村と同じように一つの地方自治体として機能しています。
最近は市町村合併が多いですが、合併前の市町村役場に戸籍を置きっぱなしの場合もあり、
FAXを使って支所とか事務所とかになっている合併前の市町村役場から戸籍を取り寄せなければいけないケースもあります。
実際に戸籍をおいてある場所と窓口が離れている場合、いちいち確認したり趣旨を説明して調べてもらうのも手間がかかるし、
時間も掛かります。
最近になって合併した地域は何処に戸籍の原本が置いてあるかも確認し、
移動に掛かる労力が同じ位ならばそちらに出向いた方が楽だと思います。
それから最近は土日でも戸籍の取れる所や夜間も開いている所など、
役所の開いている時間もまちまちなので自分の出向きたい役所の空いている時間を確認しておくと、
平日昼間以外でも取得できるかもしれませんね。
>>224-225 >>169のコピペですよね?
>>185でも書かれてるし・・・。
>>193 >浅草って何区
市町村の変遷
http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/sityoson.htm 該当ページ
http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/03kanto/13_tokyo2.htm#ku 聞く前にまず調べましょう。
229 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 12:14:26
>>169さん、
>>225さんに質問なんですけど、
東京都特別区の除籍簿は80年で確実に廃棄されちゃうんですか?
もし違うなら間違った印象を与えるから書かない方が良いですよ。
確実に戸籍が存在する最低保存期間80年は何処の市町村でも同じですし。
あっ、失礼。
>1 役場の人に直系尊属全て「遡れるだけ遡ってください」
>2 その一つ一つの戸籍謄本(除籍謄本)は全て「生から死までください 」
は文脈上の引用でしたね。
228さん
具体的なアドバイス有難うございます
この情報はかなり役立ちました
また東京は特殊なのですね一つ一つの自治体ということだったら
私みたいな地方の人の感覚では市がたくさんあるみたいな感じなのですね
232 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 14:39:37
>>231 そうですね。
厳密には市とも違うのですが、市と同等に扱われることが多いです。
政令都市の行政区とは違って、独自に区議会がありますし、区長も公選制です。
東京の人の一般的な感覚では市と同じものですね。
233 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 00:08:41
東京の人って3代遡れば地方出身者と聞きましたが
生粋の江戸っ子「10代続いていますみたいな」ってどのくらいいるんだろう
>>233 とりあえず別スレからコビっとくね
(もちろん自分1代での話)
↓
>73 :日本@名無史さん :2005/04/09(土) 15:48:09
ところで現在首都東京は田舎モノの集まりというけど統計をとると
2割5分が東京都出身で残りの2割5分が千葉埼玉神奈川茨城栃木群馬出身で
残りの5割がその他地方出身らしい。
大阪では38%が大阪府出身で33%が京都奈良滋賀兵庫和歌山出身で残り約3割が
その他地方出身者らしい。
235 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 08:31:20
>>234 ふむふむ、自分1代で25%とすると、父世代では6.25%だから、3代まで遡ると1.5625%
という解釈でいいのかな
10代だと、0.000095367・・%
江戸時代は引越しが自由にできないからもう少し多くなるかな
236 :
233:2005/04/22(金) 10:55:49
>>234 アリガトン
ということは25%は生粋の江戸っ子なんだね
結構多いね
237 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 11:06:30
>>236 >25%は生粋の江戸っ子
そうなのか(笑)
「三代、住めば江戸っ子」なのは、1.5625%のほうじゃないのか
238 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 12:35:03
漏れは算数も数学も苦手なんだが、4人に1人が東京出身(東京生まれ)
なら、親も(短期間であっても)東京に住んだことになるから2代だ。
だとすると、16人に1人が祖父母の代から東京に住んでる3代目じゃねーの?
239 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 14:48:48
>>234-237 2割5分と言う数字が正しいものとして話を進めているけど、
その元ネタは信憑性あるの?
>>236-237 江戸と呼ばれる地域と現在の東京は違う。
浅草とかは江戸じゃないぞ。
って言うか、何処が先祖探しなんだ?
>>234はコピペじゃなくてそのスレに誘導して挙げた方が良かったんじゃない?
>>233の答えに近づける可能性が高いだろうし。
ここは先祖探しスレだし。
小姑みたいな人がいるな
241 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 18:34:44
スレ立てた人がこう書いてるからまあいいんじゃない
>とにかく偏りすぎなく色々なことを語るスレッドにしましょう
>特に初心者の方は不安や失敗があるので七郎右衛門さんみたいに
>アドバイスができる方は心強いです
>これがスレを立てた私の思いです
両親とも江戸出身であるのと片親だけ江戸出身というのでも江戸っ子生粋度は変わる。
祖父母も然り。
>>240-241 掲示板の「はじめに」の所にリンクがはってある「2ちゃんねるガイド」の「使用上の注意」を読んだ事がないのかな?
http://info.2ch.net/guide/faq.html#B0 >ほかに気をつけることは? △ ▽ ▲ ▼
>
> まず、他人が見て面白いことを書きましょう。大勢の読者がいることを意識してください。
> サーバやシステムのリソースは無限じゃありません。
> スレッドを立てる前に、同じような内容のものがないか確認するのも忘れずに。。。
> データ量をむやみに増やしたり無駄にスレッドをあげたりすると、「荒らし」と呼ばれちゃうこともあります。
って書かれてるよ。
落書き帳じゃないんだから相手を意識して書くのは当たり前。
もし他に適切なスレがあればそちらに誘導してあげる方が親切でしょ?
人に何かを教える時も、きちんと確認して嘘を教えないようにするなんて言うのは当たり前の事でしょ?
そら小姑みたいな事は言いたくないけど、放置してたら悪化する一方だし、
情報を信じて不都合を生じる人だって出てくるんだから、間違った情報が出ていたら看過出来ないし、
注意を促さざるを得ないよ。
こんなのは掲示板を利用する上での初歩の初歩の留意点じゃん。
244 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 23:39:32
自分は全然知らない親戚を訪ねていったことがあるが
高祖母の実家とか
初めて会ったにも関わらず結構親切にしてくれたりしたんだよね
墓や位牌は当然見せて頂いたが家の言い伝えを教えてくれたり、
食事やお酒までご馳走になったりしてこんなにしてもらっていいのかなと
思うぐらい
みんなはそんな経験あるのかな
>>243 っていうか大勢の読者がいるんだから
もっと考えて書き込もうよ。
基本はマターリなんだから…
>>233のカキコの方が幾分面白いし
先祖探しにも近いし…orz
>>244 オレもそんな経験がある
初めはどこの馬の骨とも知らんやつが何しに来たんだってオーラだったが
話していくうちに気心が通じて最後は
今日は泊まって行け見たいな雰囲気になって泊まってしまった
自分が高校生の時だから相手からしたら孫感覚だったのだろうな
247 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 15:21:02
ちと話は飛ぶが、今日戸籍の附票をとったんですよ、父方・母方の祖父母の分二葉。
そしたら、どちらも平成元年前後に改製されていて、父方の祖父は、今の場所に移り住んだのが大正時代(それま
では市内の別の町に住んでいた)なのに、生まれた明治四十年からずっと今の場所に住んでいたことになってるし、
父方の祖母は、結婚した年月日の丁度四年前の同じ月日に祖父と同じ住所に移ったことになってる(年を間違えたのでしょう)。
改製の際に間違えたのか、なんか事情があるのかわからないけど、結構アバウトなところがあると思いました。
248 :
sage:2005/04/23(土) 15:24:20
漏れの場合は父方の菩提寺の住職だな
祖父が懇意にしていたせいもあるが
「先祖について聞きたい」とたずねて行ったら(事前連絡はした)
「おお、来たか!何でも聞け」と気さくに応対してくれた
その地域の歴史や郷土の人物や様々なことを教えてくれたよ
最後には酒を飲め、飯を食え、泊まっていけと何くれとなく
面倒見てくれて逆に恐縮したよ
でも嬉しかったな
249 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 15:26:17
>>247 へえー
俺はフヒョウ取った事ないからなあ
今度請求の仕方調べてとってみよう
250 :
247:2005/04/23(土) 15:39:16
>>249 簡単だよ、戸籍(除籍)と同じ。郵送請求も可。ただ、除籍から5年が経過してしまうと廃棄されるらしいので、
あまり古いのはないと思われ。
勝手な予想だけど、附票って結構頻繁に改製されてて、古いものは5年たったらさっさと廃棄してるのかも
251 :
249:2005/04/23(土) 18:38:39
>>250 情報サンクス!!
そっかー思ったより簡単なんだね
さっそく役場にいってみるね
アリガトー
戸籍は全て入手しました
それで、江戸末期の先祖までは遡れましたが
4代前まで
それ以前がなかなか遡れません、江戸時代の位牌が若干ありますが関係が不明です
墓も自然石なので分かりません大正ころからやっと普通の墓になっています
庶民ってやはりそのようなものでしょうか?
ここに来る人はみんな武士なのかな・・・・
>>247 戸籍の附票は戦後のものだから戦前の事は載ってないと思ふ。
>>250 「改製」は戸籍と同じなので平成の改製しかないと思ふ。
254 :
247:2005/04/24(日) 17:39:08
>>251 私も初めて取ったんですよ。ほとんど「先祖探し」とは関係ないけど、詳細な記録を知りたい時に便利かも。
>>253 附票は戦後のものなんですか。参考になります。父方の祖父母が結婚したのも昭和十年代だし、それなら戦前の記録が曖昧な
のも頷けますね。
とりあえずは、平成の改製前のものが残っているかどうかを知る必要があると考えています。
255 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 21:05:14
親戚の方にも話はよく聞きましょう、特に年配の方の話は重要です
祖父母が存命なら色々な話を聞きましょう、大叔父や大叔母、祖父母の従兄弟なども
紹介してくれますしね
私の祖母はまだ存命ですが色々な昔話を聞かせてくれます
(祖母が小さい時に祖母の祖母が話してくれたこと)
ですから江戸時代末期の事柄などを祖母から直に聞けるわけです勉強になります
話を聞くと昔はテレビもラジオもなかったので昔話が唯一の娯楽だった
しかも何十回も同じ事を聞かされるので覚えてしまうとのことでした。
もうひとつは、これは私の事例ですが、自分たちの祖父母は田舎にいますが
両親は高度経済成長の時に都会に出てきております、ですから伝承が上手く
伝わっていない場合もあります。
経験では遠縁に当たる家に伺って話を聞く機会が多々ありましたが、
70歳以上の方はかなり詳しく色々な事を知っている反面50歳以下の
世代はほとんど知らない興味がないってなことがあります
年配の方は生きているうちに話を聞きましょう!!!!
祖父に聞く。是一番大事。
258 :
144:2005/04/25(月) 19:44:39
先祖マニアさん
〜浅草 観光地の方です。はい。
政令指定都市のことを仰っていたんですね。
確かに、例えば川崎市が麻生区やらいろんな区を抱えている事を
考えてみると東京が変なんですね。
日本史板だったか、と改まって;
戦災誌でどこの役所が被害受けたのか抜き出したりしてましたw
東京の役所は21箇所(昔の区分で言うと)ぐらい全半焼してます。
戸籍の遡及が難しい所(東京限定な話ばかりでスマン・電話で聞いた)
△△…(かなり)難しいが一概には言えない。
麹町区(戦災)・神田区(関東大震災)
日本橋区・京橋区(ともに関東大震災)
荏原区(大部分×)・葛飾区(地区により×)・大森区(田園調布辺りが×)
△…物に依って無いものもあるかもしれない
赤坂区・本郷区・下谷区・浅草区・本所区
城東区・豊島区・江戸川区(地区による)
※当時、すでに除籍だったものに関しては作り直していない為なし。
※職員のニュアンスにもよるので参考程度。
今は遺品の手紙・写真を少し調べ中、報告できる進展なし。
「これから焼死した人(の名)を書きます」
という祖父から祖母(学童疎開先訪問中)への手紙には
思いがけない気持ちでかなり…キマシタ。
259 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 21:13:22
>>144 電話までして聞いて稼いだ
貴重なデータわざわざ有難う!すごいね
祖父の手紙があったんですね
スゴイですね
一級品の資料ですね
260 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 23:05:36
先祖は18代前まで分ったが、
みんな農民だった。
261 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 23:11:32
>>258 144さんこんばんわ、よく調べて頂きましたね、
ホント祖父の手紙は一級の資料です、一応曽祖父母までは空欄を除いて
全て判明していますね、今度は是非、高祖父母まで頑張って調べてみてください
(現在入手できる戸籍を全て入手できれば可能だと思います)
「これから焼死した人(の名)を書きます」
という祖父から祖母(学童疎開先訪問中)への手紙には
思いがけない気持ちでかなり…キマシタ。
これは私も少しグットきましたその時代背景とおかれていた状況を
鑑みると切なくなりますね
空白の曽祖父ですがこれはその血縁関係者全てに聞いてみないと諦められないと
思います(空欄の曽祖父の妻である曾祖母の兄弟の子孫や祖父の妻の祖母の
兄弟の子孫など)分からないというのは可能性を100%潰してからです。
ファイトです
あと伯父や伯母には1人1人に聞くのがいいですみんなの前では話しにくい
内容でも一対一では話してくれる場合もあります
263 :
259:2005/04/26(火) 07:09:17
>>262 >>144 >空白の曽祖父ですがこれはその血縁関係者全てに
>聞いてみないと諦められないと思います
初対面の人と会うのが苦手な人はなかなか難しいけど、
最低限の礼節をもってやればなんとかできる、かも。
俺は、人と会うのが苦手な方だが、親戚やお袋に紹介してもらって
手土産持参で行ったら、ほとんどの場合が最大級の好意を持って
迎えてくれた。何でもやってみるもんだな、と思ったぞ。
話を聞いた方の中には96歳の方もいらっしゃって
その時聞いておかないとのちに後悔してた、と思う。
144さんも色々忙しいと思うけど、
(ひょっとしたら複雑な親戚事情があるかもしんないけど)
ちょっとずつ聞いてみたらいいよ。
144さんは行動力あるから大丈夫っすよ、役場に電話かけて
聞けるなんて小心者の俺にはできねえよw
結構横柄な役場の人多くないっすか?
横柄な役場の小役人には議員サンをぶつけるに限る。
一転してへいこらするかよて思うくらいに情けない。
戸籍謄本が全て入手したら次は位牌、過去帳、お墓を見てみましょう
位牌、明治以後ほとんどあります、ただし都市部で戦火があったところは燃えているかも
江戸時代以前の位牌は板みたいなのがたくさん入ったものです
(上の屋根の部分がかぱっと開く大体10枚前後の板が納められている)
過去帳 いまだかつて過去帳のある家は一軒しかありませんでした、しかも
続柄記載がないため訳がわからん推測の世界になってしまいます
他の方はどうですか?
お墓 明治以降はあります(田舎です)
昔は1人1人(若しくは夫婦)の墓が主流です○○家の墓というのは
戦後になってからではないでしょうか?都市部は分かりません
江戸時代の墓があるのはどのような人でしょうか?
ちなみに私の家はみんな庶民ですが、昔の墓がありました1800年代
若しくは1700年代中期も普通の農民でもあるんですね
決して庄屋とかではないです、お墓の種類も屋根のあるお墓から
自然石がおいてある何も彫っていない墓まで多数ありました
この三つを調べて見比べたら色々な発見があると思います
266 :
144:2005/04/27(水) 06:04:14
一級の資料〜そこまで考えなかったけどそうですね。大切にします。
遠い話で、先祖には関係ないと思っていた事が身近に迫ってきました。
(それが醍醐味ってヤツでしょうか?)
自分は今はWW2の事ばかり拘っていますが、
聞き語りで日清戦争の頃の話など聞いている方もおられるんでしょうね。
>>263 初対面ニガテなんです…むしろ電話はオケでして。
スレに書き込んでなければ絶対やりませんw割合親切でした。
親戚間は、何と言う事もなく淡白すぎて…逆に困りモノです。
先祖とご縁のあった方とのアプローチ、すごく参考になるです。
>>265 江戸時代の位牌ってそうなんですね。知らなかった…。
母方(母の父母)の墓+位牌は、なんでも昭和ヒトケタ代に
「代々のものを新たにひとつにまとめた」と聞きましたorz
なので墓石は昭和初期製、一基。…まだ調査必要ですが
参考にならないですね。他の方の場合、どうなんでしょう?
267 :
259:2005/04/27(水) 06:47:33
>>144 >親戚間は、何と言う事もなく淡白すぎて…逆に困りモノです。
じゃあOKっすね。
参考にならないかもしれないけど、俺の場合の話ししますね。
母方の法事があった時(俺は呼ばれていなかったので行かなかった)
参加するお袋に「家系図があるかきいてくれないか?」
と頼んでおいたんだ。(親戚が沢山集まるっすから)
すると、「家系図ないか?」発言が(いい意味で)波紋を呼んで
しばらくしたらうちに家系図が送られてきたり、電話が掛かってきて
「いつでも話聞きに来い」となった。
初対面は苦手だが、接客業をしている友人に色々話を聞いて
1 事前連絡はする
2 挨拶はしっかりする
3 手土産は忘れずに
4 お話を聞いたあとは必ずお礼の手紙を送る
という策を授けてもらい、話を聞きに行った。
まあ、会話中に聞くことが無くなって沈黙する事はあったけど
皆さん好意的に話をしてくれた。
あ、あと質問はまとめておいた方がいいっすね。
親戚中が集まるイベント(冠婚葬祭)はポイントっすね。
144さんは情熱あるから大丈夫っすよ、その情熱が伝わりますよ。
268 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 06:58:43
自分の先祖を調べる事にした。
そしたら案外簡単に調べられた。
親父に聞いたら、
江戸時代は武士だったらしい。
親父の話によると、
死んだ祖父が昔言ってたらしい。
だが、幕末だったために
商人などよりお金がなかったらしい。
何気に自分の先祖を調べると面白いので、
↑を参考に調べてみるといいかも。
つまらん話でスマソ。
>>266 母方(母の父母)の墓+位牌は、なんでも昭和ヒトケタ代に
「代々のものを新たにひとつにまとめた」と聞きましたorz
なので墓石は昭和初期製、
スミマセン、一つにまとめたとはどういうことでしょうか
○○家霊位みたいな位牌にしてみんなを纏めたのでしょうか?
それでしたらかなり難しいですね
お墓も現代みたいに一つにしたのでしたら墓標で一つ一つ故人の名前を
彫ったものがないと誰が埋葬されているのかが分かりませんね
後はお寺の過去帳が頼りになります
まあそれよりも戸籍で遡れるまで遡るのが先決かも
それから考えましょう!!!
>>265 江戸時代の位牌が残っているとは羨ましい限りです。
うちの場合は
位牌 戦後の火災ですべて燃えてしまったため
残っていません…orz
焼ける前は仏壇の引き出しに5基くらいずつ
束になって10束くらいはあったと言っていました。
過去帳 戦後の火災を奇跡的に逃れた過去帳が残っています。
作られたのは江戸時代の宝暦12年ですが
元々あった過去帳を書き換えたものらしく古い法名などは
続き柄がありません。
御墓 前にも書いたと思いますが江戸時代前期からのものが
残っていますが移転の際他の家の物と混ざってしまい…
現在調査中です。
あとはこれらの資料を見比べて補っていけばかなり
詳しくわかると思われます
271 :
144:2005/04/28(木) 06:11:25
まず戸籍が先決なのに空回りしててスミマセン。
>>267 これは!強く頭にメモメモです感謝。
268さんのお祖父様やお父様はしっかりしてますね。
そうした、この時代でこんなことしていた、とか
生活がどうだった、とか普通の生活の様子が本当は知りたいものです。
>>269 お墓と位牌ですが、祖母の葬儀の際ちらっと聞いたのには
位牌はいくつもあったものを一つにし、
お墓は何基もあったものを新しい墓石に統一したそうです。
言葉足らずで失礼しました。
さらに、お寺入口辺りからずっと地面はコンクリで固められていて、
…全然夢が広がりません。。とにかく要調査ですね。
>>270 お寺が移転するとそんな事もあるんですね。
調査というのは、その、どのような方法で進めているのでしょうか?
書ける範囲でお願いします。
272 :
144:2005/04/28(木) 06:14:37
>270調査
既出なんですね。すみませんーあとで読み返してみます。
273 :
267:2005/04/28(木) 08:44:21
>>144 144さんは菩提寺は判ってるんだよね。菩提寺も早めに判明させておいて
調べたほうがいいかも。
過去帳に関しては住職に「過去帳作って下さい」とお願いすればいいだけです。
具体的には
0 墓や除籍謄本を調べてご先祖様の名前や没年をリストにしておく
1 親、親戚など住職と近しい人に紹介してもらう
2 先祖の話など聞いて、「過去帳を見たい」と伝えてみる
(一応、「志」としてお金を包んだ方がいいでしょう、ただ住職と親しい場合は
包まなくてもいいかも。俺は1万円を目安にしていた。)
3 「プライバシーがあるからダメダ」と言われたら
正式に過去帳作成を依頼してみましょう。そこで先に謝礼(3〜5万)を
渡しましょう
4 あとはゆっくり待ちましょう、折に触れ先祖探しの報告を手紙で
送ったりしたらどうでしょう
基本的には住職との人間関係なので、謝礼はなくても大丈夫な場合もあります。
私の場合は祖父や親戚が住職と普段から付き合いがあったので
二つ返事で過去帳を見てくれ、謝礼も特に払わなくていいといわれました。
金額は気持ちでいいと思います
144さんは20代という事だから「若いのに大したもんだ」と好意的に
受け入れてもらえるっす。ま、漏れも若い方なんだがw
判りにくくてスマソ
先祖マニアさん、七郎右衛門さんこんなんでいいっすか?
よかったらフォロー願います
>>273 お寺に行く時も檀家の人と(当主が望ましい)一緒にいきましょう
じゃないと邪険に扱われます、しかし、これが当主といくと住職も
檀家の人なので対応が違ってきます、そこで事情を説明してみましょう
ただお寺の過去帳は一軒、一軒で纏めているのではく日付ごとで纏めているので
その中から自分の家をピックアップするのは相当めんどくさい仕事です
私も大学生のころ過去帳を作っていただきましたが(自分の菩提寺ではない)
半年経ってもなしのつぶてでした、そこで当主に催促してもらって、
もう半年してやっと作成していただきましたが、それでもまだましな方です
他の菩提寺ではどうなのでしょうか?
267さんは自分の家の過去帳は作成してもらいましたか?もしくはお寺の過去帳を
ただ見せてもらっただけですか?
あと皆さんは何宗なのでしょうか?
私の菩提寺は臨済宗ですが、その他の家は曹洞宗です、母方は全部浄土真宗ですが
経験ですが禅宗系は過去帳拝見に壁があり、浄土真宗は比較的フランク
しかし、情報量は禅宗は豊富(戒名、続柄若干、死亡月日、俗名も若干)
浄土真宗は薄いです(死亡月日と法名のみ、俗名は皆無でした)
275 :
267:2005/04/28(木) 13:54:03
先祖マニアさん、フォロー有難うございます!!
当主や檀家と一緒に行くのはポイントですね。
勉強になります。
私の場合は過去帳は作ってもらったことがありません
過去帳らしきメモ書きをもらったのと、
直接見せていただいたものがあります。
うちは父方母方両方浄土真宗でしたが、俗名はなぜか判明しました。
276 :
267:2005/04/28(木) 15:08:51
↑すいません、過去帳では俗名は判明しませんでした
伝承の家系図&位牌で判明してました
位牌、過去帳、墓の調査が終わったら、一応第二段階終了です、
ここいらで各家ごとにまとめて見たらどうでしょうか
高祖父母で16人います、ということは16家の家が存在します
私はその家々で分けて詳細な説明文を作ってみました
主な内容は家名、先祖の住んでいた場所(地図)、墓や位牌、過去帳の写真
個人個人の先祖の名前、先祖の写真や遺影、戒名、その家々のエピソード(由来などや
家伝)先祖の行跡や経歴(いつ生まれて、いつ結婚していつ長子が生まれて
いつ末子がうまれたとか隠居したのは何年か、亡くなったのは何年で何歳とか)
これを16家にまとめると相当な資料になります
私の場合は先祖の由来を書く時全て網羅して書きますいいことも悪いことも
たとえば、ある先祖は酒癖が悪くいつも女房を困らせていたが、反面孫には
秋祭りで小遣いをあげやさしい好々爺になっていたとか
酒で山や田畑の財産を全て手放して他の土地に移り住んだが
義侠心に厚い人物だったとか
行商人で出入りをしていた家の娘を孕まして住み着いたとか
その息子は努力して開墾したり土地を買って家を4軒作って分家を
ふやしたとか
そんなエピソードがあればあるほど親近感も湧きますし、もっと調べよう
という気持ちになります
>>271 うちの墓はお寺ではなく家の近所にあり
分家本家の関係の家々11軒で管理しています。
20年くらい前の高速道路の工事の時に
建設予定地に入ってしまいやむなく移転しました。
その時に墓の所有が曖昧になってしまい…
調査と言うのは墓石に書かれたことを読み取って
各家の過去帳と照らし合わせるいう作業を
していますが、読み取れない文字も多くてなかなか進んでいません。
>>273 267さん乙カレ様です
うちは祖父がお寺に過去帳の作成をしてもらいました。
しかし我が家の先祖と関係のない人のことが書いてあったり
先祖の没日が間違っていたりしたので
お寺の情報だけが正しいとは限りません!
他の資料とも柔軟に見比べたほうがいいです。
あとお墓や過去帳で続き柄の分からない法名は
没年月日と法名をノートなどにまとめて
お寺に頼めば続き柄を書き出してもらえますよ。
280 :
267:2005/04/29(金) 16:59:08
七郎右衛門さんフォローありがとうございます!!
重要なお話ばかりですね。メモメモ…
>あとお墓や過去帳で続き柄の分からない法名は
>没年月日と法名をノートなどにまとめて
>お寺に頼めば続き柄を書き出してもらえますよ
これはやっておいた方がいいっすね。
「柔軟に」というのはキーワードですね。
マジ勉強なるっす。ありがとうっす!!
久しぶりに書き込みます。
>>274 私の場合は、曹洞宗ですが、お寺の過去帳には戒名、死亡年月日、俗名(女性は
続柄)がありました。残念ながら、続柄はありませんでしたが、別の情報から
ある程度わかっていたので、さほど苦労はありませんでした。
どうやら、女性の場合はその時その時の当主から見ての続柄が書いてあるよ
うで、夫が存命なら「○○妻」、夫が既に死亡しているなら「◎◎(嫡男の
名)母」といった感じになっていました。
驚いたのは、苗字が同じでうちとは別系統の分家(?)が、明治の初めまで続
いていたことです。それ以降はプッツリと途絶えていました。その系統は菩
提寺を変えたということでしょうかね。
残念ながら、続柄はありませんでした
↓
残念ながら、男性(当主同士)の続柄はありませんでした
283 :
267:2005/04/29(金) 23:57:38
>>279 七郎右衛門さんの家は浄土真宗ですか?
本家分家が多いですよね。相当の旧家ですね。
私の家は浄土真宗で、広島です。安芸門徒といわれております。
七郎右衛門さんは北陸の方ですか?
私の田舎は島で、島でもかなり旧家なほうですが、
江戸時代のお墓がありません(ぎりぎり幕末はありますが)
今度ノートにまとめてお寺にもっていこうかな…
自分の家は位牌なし、過去帳なし、お墓なしのないないづくめですので、
戸籍で遡って文化文政までのご先祖までしかわかりません
(自分入れて7代)
伯父から聞いた伝承では木曽義仲の家来の子孫らしいのですが、
ハクを付ける為の全くの嘘っぱちでしょう(こんな島にくるわけないだろw)
>>281 別の情報から
ある程度わかっていたので、さほど苦労はありませんでした。
いいですね、自分の場合は続柄の記載がお寺でもないので、苦労しまくりでした、
恐らくこの人の親はこれかなとか、息子はこれかなとか推理を働かせて
(全部続柄がない訳ではないですが、一部ないのもありました)
系図を作りましたが、100%絶対ではありません、
息子が40歳で亡くなって親が80歳でなくなったら、亡くなった年が逆転しますからね
実際このような事例がにありました
まあ大きい意味での先祖ということで割り切っています。
267さんはいいですね
私の家なんか自分入れて5代までしか戸籍では判明しません
それより前もありますが推測の世界です、俗名や死亡した年も
分かっていますが、上記の通り100%ではありません
まあ、色々推測してあれやこれや考えるのが楽しいのですけどね
その時代背景も勉強しますし、郷土史も研究しますしね、
>>283 木曽義仲の家来の子孫といことは
今井さん?樋口さん?根井さん?楯さん?
木曽四天王
今井兼平
中原兼遠の子。木曽四天王の一人。義仲と兄弟のように育てられ、年が近い分ほかの兄弟より義仲との絆が深かった。
樋口兼光
中原兼遠の子。木曽四天王の一人。兼平の兄。
根井小弥太
根々井行親の嫡男。文献上では行親と混同されているが、木曽四天王は親忠と思われる。
楯六郎
根々井行親の六男。木曽四天王の一人。
このスレに触発されて、私も先祖探しを戸籍の調査から始めてみました。
何とか運良く、明治19年式まで取り寄せることができました。江戸時代を生きた
先祖を2代分だけ分かったのですが、父系は2代続けて同じ名前になっていまし
た。ですから、よく見ないとどっちが先代でどっちが子か分かりません。
こうゆうことって江戸時代にはよくあったのでしょうか。
288 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 09:16:01
>>287 よくあった事かはわかんないけど
俺のところも二例あった
>>283 自分は中部地方の山国です。
うちの先祖は瀬戸内海の海賊だったのですが
そのころは曹洞宗、戦に負けて今の土地に来てから
浄土真宗になったみたいです。
>伯父から聞いた伝承では木曽義仲の家来の子孫らしいのですが、
>ハクを付ける為の全くの嘘っぱちでしょう(こんな島にくるわけないだろw)
この伝承はあながち嘘ではないかもしれませんよ!
昔は戦のあと負けた側の家はもちろん家来衆に対しても
厳しい落人狩りをしました。
その追っ手から逃れるために山奥など辺鄙な
ところへと落ち延びたようなので不思議ではありません。
>>287 >父系は2代続けて同じ名前になっていまし た。
江戸時代は代々同じ名前を受け継ぐ事が
普通だったので何代たっても名前が変わらない
事が多いです。
〜江戸時代の名前の構成〜
(海原) 七郎右衛門 (景虎) 七太郎
↓ ↓ ↓ ↓
@苗字 A通称 B実名 C俗称
@苗字 士族階級は公での使用が認められていましたが
農民階級の使用は認められていませんでした。
しかし豊かな一部の農民は苗字を持ち、墓などに私的に
使用していました。
A通称 代々当主が受け継ぐ名前で、検地帳や公の場で
用いられました。
B実名 士族やかなりの富農以外で実名を持っている家は少ない
ようです。また実名の一字を代々受け継いでいくのが普通でした。
平家だと「盛」の字になります。
C俗称 家や村の中で日常的に使用さてた愛称みたいなものです。
寺や家の過去帳の続き柄に俗称が使われることも多くありました。
>>287です。
七郎右衛門さん、詳しい説明ありがとうございます!よく分かりました。
> 江戸時代は代々同じ名前を受け継ぐ事が
> 普通だったので何代たっても名前が変わらない
> 事が多いです。
なるほど。使い方としては、通称は代々同じだけれども、それでは区別がつか
ないので、普段は俗称で呼んでいたということなのでしょうか。
それから、通称を引き継ぐのは、基本的には長男になるのでしょうか。それとも
兄弟みんな同じ通称ってこともあるのでしょうか。
先祖が何をしていた人なのか興味あるのですが、このことを親や親族に話して
みたら、みんな、「よく調べた」と感心はしてくれるのですが、先祖のことは誰も
知りませんでした。
私の先祖の戸籍では、江戸時代にも苗字があったように書かれていますが、
それなりに豊かな人だったと考えてもよいのでしょうか。それとも、明治になって
苗字のなかった人が苗字をつけたときに、戸籍上は江戸時代の人にも遡って、
その苗字をつけたってことも考えられるのでしょうか。
こんなのがありました
ソースは不明 本当かな
庶民が苗字の公称を禁じられていたのは享和元年(1801)7月の苗字帯刀
の禁令から明治3年(1870)9月の平民苗字許可令までの69年間だ。
禁令中も私称はしていたし、例外的に公称を許された庶民もいる。
また、殆どの庶民は禁令以前から代々使ってきた苗字(約85%は地名に由来)
を明治以降もそのまま名乗った。
293 :
144:2005/04/30(土) 11:25:19
「過去帳をつくる」について。
今まで考えたこともありませんでした。
お寺さんへの謝礼の相場なども
ふつう聞けない事ですし、よく分からないですし。
そうか、お寺さんは「寺の過去帳」を持っているのか…!
七郎右衛門さん
>>279 過去帳を作って戴いて、記述に誤りがあった場合などは
困りますね;それは指摘できたんでしょうか?
住職との関係もありますよね。
お墓の調査、説明サンクス。よくわかりました。
一族の協力と理解が得られて初めてできる調査ですね。
そこまでくるのに大変だったろうなぁ。がんばってください。
菩提寺はD祖母(父の母)の実家寺だけは
まだ地域のみです。ちょっと「寺」とか「墓」の
キーワードは親族の前でも口に出したくないので…
順調に回復中ですし、わかるようになったら
聞けるように沢山資料を用意しておきますよ。
ちなみに、父方母方ともに浄土宗です。
江戸時代まで遡ると調べる世界が広がりますね。
皆さんの先祖が気になってきた処。
294 :
144:2005/04/30(土) 11:40:22
>>287さん。おお、早いですね。
名字については292さんと同じ認識です。
すみません、戸籍の請求は手紙でしましたか?
手紙の方が結果的に早そうな感じがして…
>>291 通称は基本的に嫡子が継ぐものだったようです。
俗称は現代の名前の認識と同じなので
普段は俗称で呼び合っていたと思います。
>>292 苗字については専門家でも意見が分かれるところなので
無責任なことは言えませんが、苗字自体は普通の
百姓身分でも持っていたのでしょうかね?
>>279 過去帳の記載ミスについては特別指摘はしていません。
お寺さんも忙しい中書き出してくれたのだし
文句を言っては失礼ですからね。
296 :
144:2005/04/30(土) 12:28:25
>>295 なるほど。自分たちが分かっていればいいし、
子孫にも話しておけば何も問題ないですね。
ありがとうございます。
287です。
七郎右衛門さん、またまたありがとうございました。
一般の百姓も苗字を持っていたとすれば、戸籍の情報だけで、江戸時代の
暮らしぶりまでは想像するのは難しいですね。
>>144さん
私は実家から離れて暮らしていますので、郵送しか手段がありませんでした。
ちなみに私は自分の生まれから戸籍を辿ったら、江戸時代から2回移動して
いました。江戸時代は少なくとも3代は同じ地に住んでいたようですが、それ
以前のことは戸籍では調べられませんでした。
郵送の場合は、「遡れる限りお願いします」と言っても、役所の人に任せっきり
にしないで、自分でも調べた方がいいというのが私の感想です。役所の人は
基本的に戸主の欄を頼りに遡るので、もうこれ以上無理と言われても、別の欄
に情報が隠されていることがあります。
298 :
144:2005/04/30(土) 19:20:11
>>297 そうですね。
行かれる範囲なので直接行きたいです。助言ありがとうございます。
287さんは
戸籍だけで江戸時代出生の方が3代も分かったんですね!
うーん、残っているものですね。
287です。
>>144さん
> 戸籍だけで江戸時代出生の方が3代も分かったんですね!
> うーん、残っているものですね。
正確に言うと、江戸時代生まれは戸籍だけで2代分でした。
ですが、最古の戸籍には「前戸主」として、その父の名前が
ありました。また、その長男が家督相続したことによって、母
の記録もありました。そういう意味で幕末3代です。
で、
>>287での話に戻りますと、その最古の戸籍の戸主と
前戸主が全く同じ名前だったわけです。
300 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 12:47:22
>>290 七郎右衛門さんこんにちは
(海原) 七郎右衛門 (景虎) 七太郎
↓ ↓ ↓ ↓
@苗字 A通称 B実名 C俗称
うちも江戸時代は同じ名前を使っていますが、明治以降A通称を
使わなくなりました。
墓や位牌には俗名や施主として@Aまでしか書いていないので
B実名はわからなくなってしまいました。皆さんBまでわかるのかな?
苗字については、多くの人が持っています。
公には名乗れなくなったわけ。公文書などには書いてない。
でも苗字自体はもっと前からあるので墓などには彫ってある。
明治になったときに当時の庄屋が戸長となり戸籍を作る役目を担って、
昔から伝えられている苗字を復活させていますが、もしわからない家な
どがあれば、庄屋名主・住職などにつけてもらっています。
その時、庄屋が同じ名前を与えたりしているので血のつながりはなくても
集落に同じ名前が増えています。
原田
302 :
原田左之助:2005/05/01(日) 13:08:57
江戸時代に通称や実名があるのはまちまちかもしれませんね。
この辺はもう少し勉強してみたいです。
303 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 13:44:03
七郎右衛門さんはじめまして。
私の田舎は四国のあるところにあるのですが。お墓には江戸時代
のものは残っていないようです。
江戸幕末に興味がありまして色々調べているうちに、ご先祖様が
何をしていたのか知りたくなり、機会があれば調べてみたいと思っ
ていますが、田舎を離れてしまっているとそうした機会が作れません。
ところで 例えば 原田 左之助 忠一のは実名は忠一ですが、
実名と言うものは士族でしたら殆んどが持っていたのでしょうか。
原田
304 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 18:05:44
千年以上同じ職業なのが資料でハッキリするのもかえって凹む。
305 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 18:12:03
>実名と言うものは士族でしたら殆んどが持っていたのでしょうか。
YES
>>303 百姓身分でも実名を持っていた可能性がある。漏れのところは天領だが
和算が盛んで、神社に奉納した算額にはちゃんと実名が記載されている
原田佐之助さん。墓がみあたらないのは、貧しかったからか、
身分制度的に墓を作らせないということがあったのではないでしょうか。
武士でしたら実名はあったと思います。でも明治になると通称と
実名のどちらか一つ戸籍にのせるということになって認められな
くなりました。
308 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:44:01
お寺(曹洞宗)の過去帳で、「居士」「大姉」や「信士」「信女」とともに、
「善男」「善女」というものが見つかるのですが、これは「信士」「信女」以下ってことでしょうか?
あと、夫婦の場合は、夫が「居士」なら妻は「大姉」、妻が「信女」なら夫は「信士」といった具合に、絶対に夫婦は対応しているものなのでしょうか?
あ、一応
>>19は拝見しました。しかし、お寺はもっと前からあったし、何より「善男」「善女」の数がべらぼうに多いのです。
>>303 四国は私の御先祖様の故郷ですW
士族はほとんどが実名を持っていましたよ。
百姓は豊かな家は実名がありましたし
貧しくても江戸時代以前に土着した元武士の
家などは持っていたようです。
ちなみにうちのも実名があったようで
代々「昌」の字を受け継いできていました。
>>291 私の先祖の戸籍では、江戸時代にも苗字があったように書かれていますが、
それなりに豊かな人だったと考えてもよいのでしょうか。それとも、明治になって
苗字のなかった人が苗字をつけたときに、戸籍上は江戸時代の人にも遡って、
その苗字をつけたってことも考えられるのでしょうか。
遡って記載したのではないでしょうか
私の直系尊属全ての家の戸籍も全部江戸時代の方々に名字が記載されていますので
明治19年当時の名字を遡って江戸時代にも転写したのでは?
でも実際には七郎右衛門さんのいう通りほとんどの人が苗字が持っていたと
思います(ただ公称できないだけ)
>>308 そんな事はないと思うよ
信士=善男 信女=善女 ではないのかな
その地域もしくはその寺がそういうふうに戒名つけていたとか
また俺んちは 夫信士 妻禅定尼 や その逆もあったよ
313 :
144:2005/05/02(月) 02:41:52
連休直前に父系の戸籍を入手してきました。
父系は高祖父母の名前8人全員判明。
曽祖父母は4人全員明治初めに出生でした。
3箇所巡りましたが、その内一つの役所では4通出てきてしびれました。
287さんのように先祖の移動があまりない方はもっと出てくるのかな。
時の重みがなんというか…
凄く疲れてなかなか整理がつかず遅れました。
>>210の父系祖父祖母ともに記載事項が空白だった件ですが、
転籍前の役所の除籍には書いてありました。
健在の祖母だけでも転籍時、記載すべきでは??ですけど。
314 :
144:2005/05/02(月) 02:47:15
気になったこと…)
・曾祖母の婚姻(=明治28年)以前の戸籍の戸主が兄なので、
まだ80年経過してない戸籍があと1通取れる可能性、ありますよね?
・一気に4通探探してくれた役所ですが、
それを見たら、父の母系の戸籍もここだったので請求したところ、
別の方が対応して1通下さいました。
家で、よーく見たら転籍していないのに曽祖父母(父の母の父母)の
死亡記述がない。 これは改製後の戸籍が1通ないんですよね?
係の方によってやはり違うんですね…
・この曾祖父母は同年に出生で本籍地が1番違い。幼馴染w?
同じ番地だと思い、婚姻からの記載と見誤って曾祖母戸籍1通請求せず…
役立った物:都内の区役所連絡先一覧+区・地名変遷の簡単な表
315 :
308:2005/05/02(月) 02:47:33
>>312 ありがとうございます。
確かに、「善男」「善女」は一時期に集中しており、その時期はちょうど「○○○○和上」という戒名の者(一族の中に和尚に
なった者がいたということでしょうか)の存命期間に対応していました。親族だからって「善男」「善女」にしたのでしょうかね。
>また俺んちは 夫信士 妻禅定尼 や その逆もあったよ
すごいインバランスですな(笑)。その人が死亡した時点での、その家とお寺との関係で決まってくるのでしょうかね。
夫婦で亡くなった時期が大きくずれるとこういうことが起こるのかな
316 :
312:2005/05/02(月) 04:35:14
>>315 恐らく死亡時期が大きくずれたからでは、また家の隆盛も関係あるでしょうな
没落していってお布施の額が減ったとか
317 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:49:19
>>310 そうですか。四国ですか。ちょっと親近感を覚えます。
我家は実名があったなどと聞いたことないです。
城下町から離れた農村だからそれほど裕福では
なかったのか。
原田
318 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 07:57:04
>>144 お疲れ様です!
順調にいってるみたいっすね!
死亡記載手に入ってないみたいですね
「生から死までください」ですよ!(で良かったのかな?)
>役立った物:都内の区役所連絡先一覧+区・地名変遷の簡単な表
これは参考になるっす!!
あの、教えてクンですいませんけど、
地名変遷の表はググって見付けられたのでしょうか?
319 :
144:2005/05/02(月) 09:16:58
320 :
318:2005/05/02(月) 09:26:21
>言ったんですよ〜使いみち欄にまで書いた気がw
これは大変に失礼いたしました!!係りの人が気付かなかったんですね。
最終的には「自分でチェック」しないといかんですね。スマソ。
URLアリガトン!勉強になるっす。
>(到着ぎりぎりっぽいから諦めたのですが)連絡先は必須でした。
自分の場合も連絡場所一覧持ち歩きました。
車じゃないと行けない場所ばかりだったので、電話で役場の場所を
聞きつつ、運転は友人に任せてナビしていました。
>>313 144さん着実に入手していますね、結構戸籍の取り漏れってあるでしょ
今のところ曽祖父までの戸籍入手まで完了ですか?高祖父もあるんじゃ
ないかな、
曾祖母の婚姻(=明治28年)以前の戸籍の戸主が兄なので、
まだ80年経過してない戸籍があと1通取れる可能性、ありますよね?
この曾祖父母は同年に出生で本籍地が1番違い。幼馴染w?
同じ番地だと思い、婚姻からの記載と見誤って曾祖母戸籍1通請求せず
この2つはあるでしょう!!幼馴染ってのがいいですねそのエピソード
なんかがあれば興味深いですね、
322 :
267=318:2005/05/02(月) 10:24:32
>>286 >木曽義仲の家来の子孫といことは
>今井さん?樋口さん?根井さん?楯さん?
即レス有難うございます&亀レスすいません
いやーどれでもないんですわ。だからこそ「そんな伝承嘘やろ」という…
自分では調べたこと無いので助かりました!!とにかく有難うございます。
>>289 >この伝承はあながち嘘ではないかもしれませんよ!〜〜以下略
七郎右衛門さんいつも有難うございます!
はーそういう事なんですね〜。
歴史には疎いので勉強になるッス。
一応伝承は伝承ですから全く否定するのも問題ですね。
これからは多角的に判断してみますね。
七郎右衛門のご先祖の一人は四国なんですね。
私は以前四国に住んでいたことがあるので親近感湧きますね。
とにかくお二方有難うございました、これからも調べてみますね。
323 :
318:2005/05/02(月) 21:07:15
>>144 戸籍を読んでいて「わかんねえな」って事ありますか?
戸籍記載についてはさすがにググって判る範囲も少ないと思うので
差し支えない範囲で投げかけてみて下さい
私の判る範囲でサポートするっす!!
先祖マニアさん、七郎右衛門さんもよろしかったら
お力添えお願いします。
324 :
144:2005/05/03(火) 19:16:36
>>320 書込みしてから、皆さんとっくに通り過ぎた道ですね。
とさらに書込もうか迷ったんです。自分の方が失礼してますw
>役所の連絡先
役所って本当に交通の便があまりよくない所にありますよね。
車なら機動力ありますね。
考えて見たら携帯でも所在地わかるんだ、と気付きましたorz
出張所で除籍が取れる所もあったので聞くのがお得、もあるという事で…
>>321 やっぱり可能性ありますよね!行ってみます。
皆さんの話題に追いつきたいので
昨日また取りましたが、この先は全部取ってノートにまとめてから
報告します。いい加減恥ずかしいですし(今さらw)
「わかんねえな」記載も少しずつ…お願いします。
325 :
144:2005/05/03(火) 19:20:03
ところで、こういう戸籍が出てきて難航しているのですが;
・戸籍吏の流麗な字
・判子の多用で判別し難い(印刷にちゃんと出ていない)
判子=「明治」「〜届」等々よく使う語が判子になっているもよう。
皆さんは昔の字の判読にどのような資料を使っていますか?
今の処、学生時に何故か購入した↓だけ手元にあります。
『字典かな』 笠間書院 (380円)
326 :
318:2005/05/03(火) 20:39:54
>>144 お疲れさまです。また戸籍取られたんですね。
取るべき戸籍の残りは少ないんですかね??
また良かったら教えて下さいね。
>皆さんは昔の字の判読にどのような資料を使っていますか?
前スレでは、図書館に行って、そこに置いてある字典全部みて
気に入った奴を使うという話を聞きました。
私の場合は、戸籍を取った時役場で納得いくまで戸籍を眺めて
取りこぼしが無いようにネチネチ見てたので、
そこで読めない漢字があったら、役場の人に必ず聞くようにしていました。
(別の戸籍を取りに行ったとき前の戸籍を持参して聞いた事もあった)
家に帰ってから読めない漢字がある時は、何度も眺めるか、
両親に見せるか、パソコンの手書き入力漢字検索(で判って貰えるっすか?)
で調べてました。私の場合はそれで結構判りましたが…。
個人的には「何度も眺める」というのが一番いいかなと思ってます。
(字典は持ってないす、普通の漢和辞典はありますが)
いい加減なアドバイスでスマソ
もっとしっかりしたアドバイスは他の方にお任せしますww
>>324 やっぱり可能性ありますよね!行ってみます。
可能性は高いんじゃないですか
曽祖父母が明治の初めに生まれていると言われているので、そこから
推測して高祖父母は1845年くらいの生まれではないでしょうか?
ということは70歳〜75歳まで存命なら1920年くらいまでは存命なので
高祖父母の除籍謄本もある可能性が高いですね、中野や世田谷は戦災がどうだったのか
分かりませんが、期待してもよさそうですね
もう一つはひょっとしたら高祖父の上が分かるかもしれません
5代前の父・・・
・・・・・高祖父母・・・・曽祖母とあり
5代前の母・・・
仮に高祖父の戸籍がなくても
曽祖母の兄の戸籍を入手したらその戸籍の中に高祖母は入っていて
高祖母の父親の名前が判明する可能性だってあります
もしかしたら高祖母の母親の名前だって分かるかも知れません!!!
私の場合は高祖父の戸籍は一つ除いて入手しましたが(明治19年版)
そこには高祖母の父親の名前が記載されていたので結果的にもう一代
遡ることができました。
明治19年戸籍ですので高祖父の母親の名前は分かりませんでしたが
その息子の戸籍(明治31年版や大正4年版)に母親として入っていて
この戸籍には、父親、母親の名前が記載されていたという事例も多くあります。
諦めてはいけませんファイトです。
>>325 ところで、こういう戸籍が出てきて難航しているのですが;
・戸籍吏の流麗な字
・判子の多用で判別し難い(印刷にちゃんと出ていない)
判子=「明治」「〜届」等々よく使う語が判子になっているもよう。
私は色々な戸籍をみてなれました、直系尊属請求できるもの全て入手したら
50冊くらいになりました(父方、母方、養子だったらその実親のも全て)
それを見ているとどうも、戸籍に記載する文にもルールがあるようです。
なのでなんとなく分かるようになりました。慣れかも知れませんね、
でも本当に分からない場合もありますコピーで字が潰れている場合もあります
そんなときには役場の人に読んでもらいました(役場の人は原本を見れますからね)
あと達筆すぎる字でも死亡年月日は戸籍と位牌と墓をみればわかります
こんなことがありました私の高祖母は大正七年に亡くなっているのですが
七がどう見ても十一に見えるんです、そこで位牌や墓を見たら七年でした
ここまでくると、さすがに戸籍吏字が汚いんじゃーと思いましたが
あと私は日本加除出版の[相続における戸籍の見方と登記手続]
高妻 新
荒木 文明 著
この本を購入しました(ネットでね)
めちゃくちゃ詳しく載っていました(戸籍上の文語や用語や独特の書き方など)
別に驚く内容の本ではないですが唯一壬申戸籍についての記載が多く載って
いましたので興味を引き購入しました。
日本加除出版[相続における戸籍の見方と登記手続]
高妻 新
荒木 文明 著
1986年初版 2000年増補版
定価だと13000円、14000円です。
まず図書館で見られるか、ネット古本屋チェックして見てください。
330 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 13:38:50
先祖の古い位牌の中に「首座禅師」というのがあって
菩提寺の和尚に特に大事にしなさいといわれた。
ご先祖様が和尚さんなのかも知れませんね
大事にしてください、
祖父の姉の戒名は
大姉海釋自覚善姉です
善姉って…
333 :
144:2005/05/05(木) 01:28:32
>>326 なるほど…何度も何度も見て、まだイマイチな処があれば
菩提寺の一つが近いですし、役所に直接聞きにいってみますね。
もしくは一番鄙びている最寄役所が聞きやすいかもw
先祖マニアさんは高祖父母の戸籍も殆ど手に入ったんですね。
自分の方はそこまではムリっぽいですが…
空振りありましたし、思い立ったら早く取り組むのが一番と
ひしひし感じます。
>>327-328 ありがとうございます。すごく詳しそうな本ですね。結構高価;
さっそく図書館で探してきます。辞書もいろいろ見てみます。
334 :
144:2005/05/05(木) 01:38:38
すみませんレス引用ちょっと誤りました…
>>329さんも、本当にありがとうございます。失礼致しました。
>>322 木曽義仲家来さん
全くの嘘とせずに、それで無理して伝説を繋げることを
せずにじっくりと調べていけば楽しそうですね。
源氏と平氏は詳しくありませんが、瀬戸内海の島にも
落人伝説は沢山あります。友人からも聞いたことがあります。
>>330 いままで読んだ幕末関係の本に「新撰組局長首座芹沢鴨」(講談社)
という本があります。
首座(しゅそと読むらしい)が何か調べたときにリーダーあるいは
位の高い意味があるらしいいので立派なお坊さんだったとおもいます。
>>335 間違えました。
「新撰組局長首座芹沢鴨」は講談社とばかり思っていましたが、
念のため確認してみたら富士見書房でした。一応訂正しておきます。
原田
>>333 ありがとうございます。すごく詳しそうな本ですね。結構高価;
さっそく図書館で探してきます。辞書もいろいろ見てみます。
ネットで中古本を買いましたが結構安かったと思います、4000円くらいかな
自分も初め金額みてこりゃ買えないわと思い中古本を探した次第です
昨日今日で田舎に帰りました、収穫がありました、曽祖父母(父の母の両親)
の写真が手に入りました、この曽祖父の両親の写真は数年前に祖母の兄から
貰っていたのですが、曽祖父母の写真はなかったみたいでした
絶対あるんじゃないかという信念で祖母の弟の方に聞いていたのですが
ないだろうとの事でうやむやになっていたところを今回整理していたら
出てきたということでした。
祖母からの伝承やエピソードは多く聞いていましたが実際に写真があると
親近感がかなり湧きます
もう一つ、お墓参りをしたのですが、ふとみた戒名が間違っていたことに
気づきました、てっきり信士、信女だと思っていたのが、善男、善女では
ないですか!!(浄土真宗)固定観念は捨てたほうがいいですね
お墓参りは父方分かっている全てに行くので10箇所位あります
まあ、お墓に手を合わせるだけなんですけどね、
訂正
ネットで中古本を買いましたが結構安かったと思います、4000円くらいかな
自分も初め金額みてこりゃ買えないわと思い中古本を探した次第です
4000円じゃなくて3000円でした
339 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 22:24:25
私の場合は一代挟んで、つまり祖父と孫が同名という事例が
複数ありました.地域的には離れたところで。(西日本と東日本)
340 :
322:2005/05/06(金) 03:11:50
>>335 >全くの嘘とせずに、それで無理して伝説を繋げることを
>せずにじっくりと調べていけば楽しそうですね。
なるほど、確かにそうですね!
無理につなげようとせず、楽しみながらやればいいですね。
いい心構えを教えていただきました。
ところで原田さんは新撰組原田左之助とご縁のある方なのでしょうか??
よろしかったら触りだけでも…
341 :
原田左之助の家来:2005/05/06(金) 08:47:55
>>322 >ところで原田さんは新撰組原田左之助とご縁のある方なのでしょうか??
>よろしかったら触りだけでも…
残念ながら出身地が近いだけです。
幕末は田舎で百姓をしていたようです。
苗字も日本の苗字トップ5に入るようなごく平凡なもので、この近くでは
特に多いようです。
ここを参考にしてもう少し詳しくご先祖様の事を調べてみたいと思いました。
342 :
322:2005/05/06(金) 09:47:30
>>341 即レスありがとうございます。
ナルホド…苗字の分布や総数なども参考になりますね。
私は戸籍は全部とって(一番古いので7代前判明)
親戚筋を何軒か廻って、菩提寺に行ったりして次の行動をしようと
している所です。
私の場合は有名な○○の子孫だった、とかそういうのは無いですね。
判っている限り農民です。(まあ、先祖が何であれ私は構わんです)
当時はどんな生活をしていたんだろうな、と考えると
ロマンが湧きますね。
343 :
322:2005/05/06(金) 10:29:01
>>144 おつかれでっす!お聞きしたいことがあるんだけどいいかな?
1 入手できる戸籍は全部取れましたか?
2
>>333で「空振りあった」とありましたが、「空振り」って
どういう状況でしょう??
もし役場のミス(人為的なミス)なら、皆の知恵でどうにかなるかな
と思いまして…。
344 :
322:2005/05/06(金) 17:03:00
>>327-328 先祖マニアさんすばやいフォロー有難うございます!
>>337 >曽祖父母(父の母の両親)の写真が手に入りました〜
今は、ネガ、ポジ、プリントからデジタル化できるみたいですね。
そこから修正(当然サイズ変更)も出来るみたいですよね。
いい時代になったもんです。
個人だったらスキャナで取り込めばいいのかな?
私の田舎にも古い写真ありました。
曽祖父母のものもありましたが、持ち帰ってないですね。
今気付いた…。先祖マニアさんアリガトン!!
345 :
322:2005/05/06(金) 17:05:42
修正→修整
>>344 写真は額縁があり壁にかけられていましたそれをデジカメで撮って帰りました
また近いうちに原本を持って帰って写真屋に依頼して同じものを作ってもらう
予定です、(高祖父母のはそうしました)
2つとも大きい写真です(B4くらい)
祖父母の写真はありますが曽祖父母になるとかなり入手困難ですね、
まずだいたい明治から大正にかけての時代に写真を撮るなんてハイカラな
人ではないでしょうか
>>333 先祖マニアさんは高祖父母の戸籍も殆ど手に入ったんですね。
自分の方はそこまではムリっぽいですが…
空振りありましたし、思い立ったら早く取り組むのが一番と
ひしひし感じます。
田舎だったので明治19年番の戸籍から全てありました、しかし肝心要の
私の直系の戸籍だけが入手できませんでした(高祖父が明治17年に若くして
亡くなったため)
空振りとは遡るだけ遡ってもうこれ以上は役場にありませんと言われたの
ですよね?(破棄などで手に入らないのですよね)
そうでないのなら343さんもおしゃっているように知恵を出し合いますよ!!
父方の高祖父は4名いますが全て空振りだったのでしょうか?
もう一つ
曽祖父(母)の戸籍に高祖母の名前は記載されていましたか?
348 :
144:2005/05/07(土) 08:46:09
>>343 全部入手はまだです;あと多分2箇所かな
空振りと安易に書いてしまいスミマセン;
役所の応対で、という事はありません。
明治中頃〜に新編成して破棄なのがわかっているものは聞いていません。
婚姻以前戸籍や大正9年除籍(考えれば当たり前;)
が空振りしてます。大正11年に除籍があったので調子にのってしまいましたw
とはいえ対応は様々ですね。
曾祖母なのに「免許証のコピーを取らせて」役場が1か所ありました(
>>314の・1)
「お孫さんと言う事はよくわかってますから」「…ひ孫です」
役場の方はいい方だとは分かっていますが、
コピーを取られたのはここだけなので微妙に納得いかない。
逆に、「何の証明にはならないけれど」と無い旨の「告知書」を
下さった役所もあって、恐縮(
>>314の・3)
349 :
144:2005/05/07(土) 08:48:23
先祖マニアさん
写真、うちも探してみます。
曾祖父母の写真があったとの事、よかったですね。
より身近に思えますね。
父方の高祖父母の戸籍自体は無いです。
曾祖父母戸籍には全部高祖母の記載があります。(それでやっと判明)
ただ314・1に書いた曾祖母実家の「兄が戸主戸籍」では
高祖父母が存命していたので、高祖父母の父名が2人判りました。
紹介された本を手に入れていないので時期尚早の質問かもしれませんが、
この頃「出生届」は何年経った後でもOKだったのでしょうか?
出生後7年経って、という事は特殊でしょうか?
350 :
322:2005/05/07(土) 09:37:05
>>348-349 即レスありがとうっす。
免許証のコピーですか?初めて聞きました。そりゃあ納得いきませんよ!
逆に言えば身分証持ってなかったら戸籍取れないんですかねえ…。
自分の直系尊属なのに。法律やら条例が変わったのかなあ。
まあ色々悪いことに使う奴も居るご時世だから仕方ないとは
思いますけどねえ。
>出生後7年
これは昔は良くあった事のようです。私の先祖の戸籍にもいくつかあります。
単に届けを出すのが面倒だったり、戦時中で徴兵から逃れる?
為であったりのようです。多分他にも理由あると思います。
相変わらず漠然としたレスでスマソ。
351 :
322:2005/05/07(土) 16:56:42
連続カキコスマソ
>>348-349 よく読んでみました。
昔、「多分ないだろうな」と思って請求をしなかった除籍があったけど、
ダメモトで役場に聞いたらあったんですわ。
どうも除籍になるのがずれたっぽい。
可能性はカナーリ低いかも知れないけど、最終確認してみたらどうでしょ?
あとの2つの高祖父戸籍も同様に役場が「もうありません」と
言われるところまでやってみたらいかがでしょーか。
押し付けがましくてスマソ&読み間違いだったらスマソ
352 :
144:2005/05/08(日) 00:04:46
うっかり間違いが。
コピーを取られた処、(×)曾祖母→(○)高祖母、の兄が戸主の分を取る時ですね。
なので、会話はその通りだったのですが変(やしゃごだったorz…
私も説明が甘かったかな…アヤシイ人と思われたのかもです。ハイ;
322さん>もっと先がとれるかも
うーん、そうなんですよね。気になってはいるんですが。
場所が少し郊外な地に及びそうなので気後れしていました。
次の調査に移りながらゆっくり、最終確認しよう。納得できるまで。
>7歳で出生届
有り得るんですね。ありがとうございます。祖父ですが、
江戸時代でもないのに、どうなっているのかと思ってしまいました。
144さんへ
>>351 私もそのような事例が2つありました
1つは先祖が96才位まで生きており除籍されるのが遅かった
(ずれた)ために入手出来た戸籍
もう一つは曾祖父の大叔父が失踪しており恐らく死亡していても
除籍出来なかったもので昭和になって裁判所の判決?で除籍になったものも
あります(生きていたら115才とか)
これにより私の7代前が判明しました
こんなことは稀だと思いますが逆に昔だからこそ今よりもあったのかも
知れませんね(身分証明を携帯するような事もなかったでしょうしね)
次の調査に移りながらゆっくり、最終確認しよう。納得できるまで。
この意気込みです!!
人事を尽くしましょう!!最後まで遣り遂げる意志を持つことも大事です
144さんなら出来ます!!
出生届の件ですがこれはよくあることです、戦前は遅れてもペナルティーが
なかったのではないでしょうか?現在では14日以内に出生届を出さないと
罰則があるはずです
特に徴兵逃れのために生まれているのを4歳くらいさばを読んでいる戸籍を
みたこともあります。(できるだけ徴兵に行かせないために)
354 :
144:2005/05/09(月) 08:43:17
はぁ…一昨日間違えたと書いた事を撤回、
(○)曾祖母でした。もー…ダメダメ。報告を書く時は
少し時間をおいて、冷静に考えて書くようにします。
>>353先祖マニアさん
実例があると意欲が湧きます。
徴兵逃れについていろいろググりました。
明治以前〜中頃に出生した世代が
まま、そうした可能性があるようですね。
昭和に入ると学生である以外、ほぼムリなようですし。
また何かあったらお尋ねします。
>>354 (○)曾祖母でした。もー…ダメダメ。報告を書く時は
少し時間をおいて、冷静に考えて書くようにします
初めは私もよく混乱しました、そんなときは家系図にして考えれば
一目瞭然です、頭で整理するよりは図のほうが分かりやすいです。
徴兵の件ですが、私の持っている戸籍には曽祖父が
[明治26年山王兵山王集免除]と記載されたものがありました
日清戦争のころですねおそらく長男だから徴兵免除になったのでは
ないでしょうか
多くの戸籍をみると様々な事例が発見できます。
>>354 >徴兵逃れ
私の祖父(故人、1909-19××)、確か兵役に就いていないと思います。
化学者で、ある大企業の化学研究所にいたためのようですが、これって法的根拠があっての兵役免除だったのでしょうかね?
まあ徴兵される前に終戦ってこともありますしね
私の祖父は体が弱くて徴兵されませんでしたが・・・
私は頭が悪くて就職できませんでした・・・
359 :
日本@名無史さん:2005/05/10(火) 06:58:18
なるほどw
騙る【かたる】[他]
コテハンなどの名前を勝手に使い、その人に成り済ます。
なるほどw
コテハンを外した先祖マニアさんでちゅか?
なるほどw
祖母の母(以下曾祖母)の実家の除籍がやっととれた。祖母の父を戸主とする
除籍は2年前に容易にとれた。その除籍に戸主妻として曾祖母は掲載されて
おり、そこには○○村△△長女と記されていた。そこで本籍○○村、戸主
△△の除籍、及び△△を前戸主とする戸主名不明の除籍を申請したが、
番戸が分からないと探せないと言われた。それから2年、仕事の合間を
ぬって調査を続け、やっと昨日入手することが出来た。郵送申請してから
2日で届いた。また電話で不愉快なやり取りをしなくちゃならないのかと
思っていたので、嬉しさも倍増だ。戸主△△の除籍は予想通り廃棄期限を
過ぎていたので、その子を戸主とする除籍である。
その除籍には△△はもちろん、その妻も掲載され、そして各々の父名も
記されていた。となるとこの妻(曾祖母の母、以下高祖母)の実家の除籍も
欲しくなる。しかしこれは今回以上に難しくなるだろう。高祖母の父を戸主と
する除籍はもちろん、前戸主とする除籍も廃棄され取得不可であろうから。
今回より1世代上なのだから当然である。すなわち名前不明の高祖母の
兄弟を戸主とする除籍獲得が目的となる。戸主父の父親として、今回
判明した高祖母の父の名と同じものが記されているはずなのである。
今度は果たして何年かかるだろう。それにとれるかどうかも分からない。
今回は目的の除籍の戸主の父が私の直系尊属であった。であるから
交付される確率はかなり高い(ここの皆さんには言わずもがななので
細かな説明は省きます)。しかし今度は戸主の父ではなく、祖父が私の
直系尊属である。従って交付されるにはその除籍に戸主の父が生存掲載
されており、その父として私の高祖母の祖父が記されているというのが最低
かつ最大条件である(当該祖父が生存掲載されている可能性は皆無に近い)。
そのためには戸主が隠居相続であること、つまり前戸主の死去によって
新たに戸主を立てて作成した戸籍であってはならない。他にも様々な
条件が加わってくる。果たして何年かかるのか、そもそも果たして取得できる
のかわからないが、また調査を続けていくつもりである。
前スレで土地台帳について教えて下さった方々に、深甚の謝意を表します。
第二段落6行目
兄弟を戸主とする → 兄弟を前戸主とする
今回の除籍で新たに判明した先祖は3人。高祖母一人、5代祖二人。
新たに判明した傍系親族は26人。
>>362 大変でしたねでもおめでとうございます、よかったですね
私も旧土地台帳から住所を確定して請求したことがあります。
結構大変でしたが、入手できた時の感動はひとしおでした
全てではありませんが諦めなければ希望の光が見える時もあるという
ことですよね。
自分でもきびしいかなという戸籍が入手出来たときは諦めないで
よかったと思いました。
次は高祖母の兄弟を前戸主とする除籍謄本ですが戸籍入手のなかでは
一番難易度の高い部類だと思われます(隠居相続は絶対条件ですもんね)
私の場合は○○村の△△姓の方に全て手紙を書いて知らないかと訪ねましたが
返信の中で[いますよ]って方がいました、そこでお宅へお邪魔させて
頂いて、お墓や位牌等を拝見させてもらいました。
(当時は旧土地台帳の存在を知らなかったので)
今回の除籍で新たに判明した先祖は3人。高祖母一人、5代祖二人
私も1人でも前の先祖が判明すると結構感激しました
失礼ですが362さんは40〜50代の方でしょうか?
(私の場合は高祖父の戸籍は入手できたので)
これからも頑張ってください!!
自作自演くんのネタ切れについて
367 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 08:37:25
番戸制時代の除籍の「無番戸」という記載は
現在の番外地みたいなものでしょうか。
368 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 18:56:18
>>367 番戸ということは
青森 新潟 岐阜 愛知 京都 愛媛 長崎 宮崎 鹿児島 岩手
などですね
答えじゃなくてスマソ
144さんに刺激を受けて
私の高祖父(父の父の母の父)の直系の子孫に手紙をかきました
この家は跡取りの方がいらしゃらなくて、娘さんが3人いますが、
全て嫁いで、家も他の人に売って生まれた家すらもうありません
そのうち2名に高祖父の墓の場所やその家の由来等についてなにか
知らないか聞いてみました。
このご時世ですので返事があるかどうかは分かりませんが、
やれる事はやりました。あとは返事を待つのみです
371 :
144:2005/05/21(土) 10:18:32
>>370 頑張ってますね。手紙は勇気が必要でハードルが高いですよ
なんらかのレスポンスが期待できそうですね。
現在進行形だと刺激受けるなあ…
戸籍を追っていくと、子孫が女性ですと、
現在お墓は一体どなたが管理されているんだろうと思ってしまいます。
祖母(父の母)の実家は、子供がみな女性で祖母の姉が婿を迎えていますが
その先が続いていません。うちは祖父が若くして亡くなっているので
自分の名字は祖母の旧姓になっていてもおかしくなかったんだと
より身近に思えてきました(まずは伯父に寺名聞かないと…)
>>371 戸籍を追っていくと、子孫が女性ですと、
現在お墓は一体どなたが管理されているんだろうと思ってしまいます
私も最初、跡継ぎがいない=墓も位牌もないと勘違いしていました
でも、最悪位牌などなくても墓はあるだろうと思い、思い切って手紙を
書いた次第です。
実は妻の祖母(父の母)の実家の位牌が妻の実家にあるんですよね、
何でだろうとふと思ったのですが、これも跡継ぎがいなかったので姉妹のうち
祖母が位牌を管理していたそうです。
そこで、だったら別の家だって墓の場所くらいは分からないかなと思いました
手紙を書くことが正直ハードルが高いことは事実です(今までに70枚位書きましたが)
でも、礼を尽くした文章ならば、相手もそんなにいやな感じは受けないと思います
とっても親切に教えて頂いた方々も多くいらっしゃいますしね。
まあやるだけやってやろうと腹をくくれば結構楽です
144さんはあれからすすみましたか?
高祖父の戸籍とか入手できましたか?
やっとカキコできるようになりなした
先祖マニアさん乙です!
先祖探しにはあまり関係ありませんが先週の
日曜日に庭の植木をいじっていたら石塔が出てきました。
洗ってみると「文久二年 馬頭観世音」と彫られていたので
5代前のご先祖が建てた物だと思います。
うちの辺りは田舎なので馬はとても大切は農耕具でしたから
馬の健康祈願と供養のために作ったようです。
このころのうちは村内でも羽振りが良いほうだったのですが
維新後の地租改正の煽りで剥落してしまいました…
374 :
144:2005/05/26(木) 08:14:51
>>372 遅くなり大変すみません。
今月は2回も寝込んでしまい自分はどうなっちゃったんだと
思うほどでした。報告もありますが落ち着いてから書きます。
除籍は「あるかもしれない」があと1箇所;
遠いから法務局も一緒に回ってくる予定です。
手紙、沢山出されているんですね。
お寺さん宛が多いのでしょうか?ちょっとビックリしました。
…という事はきちんと書けば、手紙はかなり成果があるんだろうなーと
改めて感じました。
>>373 七郎右衛門さんお久しぶりです、
私の田舎は馬ではなくて牛が重宝されていたので牛の供養塔が道端の
いたるところにあります、田植えの時以外にも農閑期に柴や薪を運ぶ時のために
飼われておりました、15年位前まで私の田舎でも牛を飼っていました(肉牛用に)
私の田舎ではどこも家で牛を飼っていました
(家と牛小屋が一緒になっているというか、家の一区画が牛小屋になっているというか)
>>374 144さん大変でしたね、
遠い法務局ということは先祖の1人がとうとう江戸ではないということですか?
興味深いですね
手紙はお寺宛ではありません、直系卑属に書いております
1 明らかな直系卑属
2 明治19年戸籍などで○○村山田太郎長女入籍スとあり直系卑属が
分からない場合は現在の○○村に該当する山田姓すべて
3 それより前の方は広範囲の方の同姓に手紙を書いたこともあります
お寺の場合は親族の方にあってからその親族の方と一緒に行かないと門前払いに
される可能性が高いです
先週出した手紙の件ですが
1通は現在その地域に該当者がいないので帰ってきました
もう1通は返信なしです。
田舎は過疎化が進み息子が都会に出て母親も一緒に都会で生活することも
多いですので家が廃屋で誰も住んでいない状態な事も多々ありますしね
(地方の山村では特に顕著です)
今までロムってましたが、今まで金石の話が出てこないな〜と思っていたら
やっと出ましたね。うちは私で9代目ですが近所の庚申塔等で名前が確認
できます。百姓ですが苗字付きで彫られてるのもあります
>>375 牛は関西地方でしたっけ?
うちは大正のころにはもう馬はいませんでしたが
今は乳牛を飼っていますW
>>377さんも旧家ですね〜
享保〜宝暦辺りに起こった家でしょうか?
>>377 9代とは古い家系ですね
苗字付きということは武士だったのでしょうか?
私の家は百姓なので苗字はありません
というか苗字って江戸時代でも公称できないだけであってみんな持っていたのかな?
七郎右衛門さん
乳牛ってことは酪農家なのですか?
毎日新鮮な牛乳飲めていいですね
>>379先祖マニアさん
江戸時代の苗字については難しいところですが
百姓でも大半が持っていたようです。
ただ、公にできなかったので江戸時代のころの
自分の家の苗字を知るのは簡単にはいきませんね…
多分先祖マニアさんの先祖も持っていたんじゃないですか?
これからの調査に期待します!
うちは酪農家の端くれですかね。
牛乳だけは新鮮ですW
381 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 14:41:18
いつから酪農家?
>>380 苗字に関しては私も持っていたと思います
(ただ公称できなかっただけ)
私の先祖の話を例に実証してみましょう。
・ 私の高祖父(姓、仮名は「山田」)は江戸の末期(嘉永1848〜1853)にA村からB村へ移動した。
・ 現在もA村に高祖父の出生家があり、苗字は「山田」
・ A村(生家)とB村は30キロ離れている
以上まで調査で判明したこと
江戸時代に苗字がなかった場合、
・ 苗字を持ってなかったので、明治時代に適当に「山田」と名乗った。
ことになります。しかし、現在もA村に高祖父の出生家があり、苗字は「山田」
…これと矛盾してきます。
となれば、明治になって両家が示し合わせて「山田を名乗ろう」となっていれば、解決します。
しかし、分家で隣に住んでいるならいざ知らず、車も無い時代に30キロも離れた両家が示し合わせるでしょうか。
武士のように家督や家名を重んずるのであればその手間も理解できますが(まあ武士には苗字がありますが)、
単なる農民が、しかも跡継ぎでない家とわざわざ連絡を取る必要性は乏しいでしょう。
さらに、「曾祖父は高祖父の実家が分からなかった」と聞いています。要するに自分の父親の実家が分からないということです。
という事は両家の関係は希薄で、示し合わせる可能性は低いと想像できます。
江戸時代に苗字が存在していないなら、偶然両家が「山田」と名乗る確率はかなり低いと考えます。
このことから、昔から苗字はもっており、ただ公称できなかったのを明治になって公称したと推測します。
もう一例は
これも曾祖母の実家とかですが
苗字は鈴木ですがその本家は佐藤です、
何で、苗字が違うのだろうと長年疑問に思っていましたが
この家の場所の小字が鈴木でした(旧土地台帳で判明)
ですから明治になった時に地名である鈴木にしたのでしょう
(名前は仮名)
383 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 01:46:56
>>382 明治以前は苗字を持っていても公称しなかっただけと言う場合が多いので、おそらくそうなのでしょうけど、
30キロは徒歩でも6時間あれば充分踏破可能な距離です。
江戸近郊の農家から江戸へ、それくらいの距離は余裕で物資を運んできてましたよ。
交流が無い距離とは言い難いですね。
よその村はどうあれ、うちあたりじゃ名字があったのは当たり前
(墓碑以外のいろいろな石塔に名字入り)
それどころか、いま悩んでるのは慶応とか幕末の史料に実名(諱)が
入っていること。もちろん百姓身分。これをどう解釈すべきか悩んでいる
>>384 ということは百姓でも身分が高かったんだろうね
庄屋とか?元武士とか(帰農したとか)
>>385 あまり詳しく書くとバレバレなんだけど、神社に納める額のことです
武術とか、文化的な技芸とかの上達を祈願したり、感謝するもの。
師匠以下門人一同、名字・通称・実名(諱)つき
門人クラスは明らかに百姓。貧農ということは無いだろうが、
名主・郷士としては人数多すぎ
>>386 場所はどこなのだろうか?
幕府直轄地(天領)では比較的身分の規制が緩やかだったと聞いている
しかも天領では武術とか技芸を農民レベルでも熱心にやっていたと
聞いたことがある
中流クラス(小作農ではないレベル)以上ではこのようなことが
あったのかもしれない
また神社の氏子の村はどの位なのだろうか?
自分の村の神社は近隣23ヶ村の総氏神みたいな神社がある
1村に1〜2人だけだとしても村の数が多ければ門人の数も増えるのでは?
特にその神社が武術や技芸とかで有名な神社ならば氏子村でなくても
奉納したりするのでは、そりゃないか
388 :
144:2005/06/05(日) 02:52:13
お久しぶりです。
>>373 庭いじりをしていて石塔が出てくるなんて…!
先祖の土地を守っているとそんな事があるんですね。
>>376 1通は手紙が届いているという事ですので
お返事が来るといいですね。
お寺はもうちょっと敷居が低いかと思っていました;
改めて前スレ(5代前スレ-4)を読み返し中…
お墓参りだけならよいのでしょうが、でも、せっかくだから
いろいろと由縁も聞きたいものですし。参考になります。
全部とりました。戸籍は地元1通、除籍は25通でした。
印刷がつぶれていて読めない住所は教えて頂いたとおり、
もう一度役所へ行って聞きました。ありがとうございます。
何回か行ったり、空振りを除き訪問した役所は東京8・千葉1・埼玉1・横浜1。
1人祖父を除き、皆して長男・長女ではありません。
そのためか高祖父母の代に東京へ出てきているようです。
母方は曾祖父母3人、高祖父母6人分かりました。
389 :
144:2005/06/05(日) 02:55:48
あと今回の除籍に一カ所「平民」が消されずに
残っていました。不自然なアキがあるものは他に1通ありますが
コレが書いてあったんですねw
法務局は、実は2カ所目なのですが…いろんな所がありますね。
受付1人に常時6人の客が右往左往していて殺伐…
後ろのイスに30人程呼ばれるのを待っている。自分場違い;
そんな所もあれば今回行った所のように町の郵便局みたいな所もあって。
1カ所めは特に成果はなかったのですが
今回は高祖父の兄の孫が、戦争を生き抜いた事が分かりました。
戦後土地を手放していましたが、検索で苗字としては出てこない
ような少し珍しい苗字なので調べられるかも、です。
390 :
322:2005/06/05(日) 14:51:18
>>144 戸籍入手、オツかれさんです!!第一目標は達成ですね。
おめでとうございます。
>訪問した役所は東京8・千葉1・埼玉1・横浜1。
ほー!関東は交通網が発達しているから時間的にも
心理的にも移動は楽なんですかね?乙です。
>高祖父母の代に東京へ出てきているようです。
なるほど。重要なことがわかりましたね。
>母方は曾祖父母3人、高祖父母6人分かりました。
よかったスね。親族でここまで調べているのは144さんだけでしょうね。
>法務局は、実は2カ所目なのですが…いろんな所がありますね。
法務局行かれましたか。これまた乙です。土地台帳めくるのも
なかなか難儀でしたでしょう。漏れの時も手が真っ黒になった…
391 :
322:2005/06/05(日) 15:00:04
>>144 次の段階に進んでみます?
手順としては戸籍ではこれ以上さかのぼれないので
「手紙を書く」作戦になりますが…。
>検索で苗字としては出てこないような少し珍しい苗字
この家は特にうってつけでは無いでしょうか、
電話帳で調べてそれっぽい所に送れば問題ないと思います。
あとは文面ですね。
年寄りに信頼を得られるような文章を書かねばならんですね〜
ムズイ!…困ったときはみんなに聞いてみますか。
すいません、先祖マニアさん、七郎右衛門さん、原田さん
よかったらお力添えを…。私も今から調べてみますので…。
392 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 23:19:23
次の段階っていきなり手紙作戦なの?
まずは、市史とか町史とか、読める史料を片っ端から当たった方がいいんじゃない?
東京近郊に住んでいるなら、永田町の国立国会図書館に行けば、色々な史料が置いてあるし。
自分は、ここで関係ありそうな書籍、史料を片っ端から読んでいったら、
町史の史料編の中に先祖の名が載っている壬申戸籍の写しを発見して、その先祖の生年や母親の実家、その前の先祖の名前や、
先祖が住んでいた場所から15キロくらい離れた所にある菩提寺も判明した。
転居の時期や、養子の時期も以前より狭い範囲で推定する事が出来るようになったしね。
他にも、史料に先祖の名が出ていたり、
先祖が住んでいた隣村の検地帳(別の先祖が住んでいたのでたまたま見ていた)から先祖の名前や
先祖と推定される人物(江戸時代の所有者とは別に明治初期の所有者の名前も書かれていて、
苗字と通字が我が家と同じ人物と、その隣接地に戸籍に記載されている自分の先祖と名前は同じだけど姓は違う人物がいた。
しかもさらに遡るとどちらの土地も元の所有者が同一人物。)の名前が出てきた事もあった。
地域の歴史や特性を掴んだ方が、方針を立てやすいと思うよ。
小さな情報の積み重ねの中から繋がりが見えてきて、後で大いに役に立つ事もあるし。
虱潰しに読んでいくと、「○○村の明治初期の戸籍が○○図書館に残っている」とか、かなり有益な情報も載っていたりすることがあるよ。
色々聞くにしても、自分で調べられる事を全部調べて、
「こうこうこういう事まではわかっているんだけど」と言う感じで問題を明確にしてから聞いたほうが良くないかい?
それに自分があんまり調べもしないで、人に聞くだけだと有益な情報を見逃してしまったり、
判断を誤ったりする事もあるし。
まぁ、逆に、色々資料を調べていって、「あの時聞いた事はこういう事だったのか!」って思う事もあるけどね。
393 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 23:41:01
国会図書館の書籍、史料は、HPで検索できるから、事前にお目当ての書籍、史料があるかどうかわかる。
http://www.ndl.go.jp/ 市史や町史を読むのは基本中の基本として、
自分の探したい地域の地名、字名、旧地名、旧村名、旧字名、藩名(例えば熊本なら細川藩、熊本藩、肥後藩など違う呼び名も色々試す)、大名家の名前、大名家の本拠地の地名、
領主の名前、領主の本拠地の地名、菩提寺や地域の寺の名、氏神様や地域の神社の名、地域の川や山の名前、
「検地帳」「宗門人別」「水帳」「人蓄(人畜帳や人畜改帳)」「分限帳」「侍帳」などと言うキーワードで色々検索を掛けてみるといいよ。
市史や町史は本編も史料編も読むことは勿論、版の古い奴も新しいものも両方とも、読めるものは全て読んだほうが良い。
それから、地元の教育委員会や、自治体が出している出版物にも目を通したほうが良い。
市史や町史を編纂する時に、集めた史料を元に、市史や町史とは別に出版物を出している場合もあるから。
国会図書館には無くて、現地の都道府県立図書館や、市立図書館にしか置いていない史料もあるから、そっちも調べたほうが良いね。
自分の場合は、現地の図書館まで出向いて分限帳を調べたりした。
144さん
おめでとうございます
これで高祖父母コンプリートですね、(一部不明があるので、14名になりますが)
これからは難易度が増しますね、頑張ってください
本当は旧土地台帳から名前を確認して下っていき現在の当主が分かればいいですが、
旧土地台帳は昭和30年ころまでなのでもう1、2世代くらい下がっていますしね、
手紙は有効な手段ですが、埼玉や千葉、横浜っていうことは、そこに直系卑属が
住んでいるかが疑問になりますね、地方の田舎(山村)なら住んでいる可能性もありますが
私のイメージでは横浜や千葉、埼玉なんて大都会、新興住宅街、開発地域とかで
100年前とは想像もつかないことになっているのではと思ってしまいます
ただ手紙が有益なことは事実ですよ
そうそう高祖父母より遡るには直系卑属を探さなくてはいけないのですが
祖父母の実家から曽祖父母の実家を教えてもらい曽祖父母の実家から高祖父母の
実家を教えてもらうという手順のほうがかたいでしょう。
その課程で祖父母や曽祖父母の家の由来やお墓の所在、菩提寺の名前、屋号
先祖の戒名を教えてもらったらどうですか?
あと今回の除籍に一カ所「平民」が消されずに残っていました。
かなりレアなものがありましたね、
お寺も墓参りなら別段敷居は高くはありませんよ
ただ檀家と一緒のほうが何かと親切にしてくれますが
検索で苗字としては出てこない
ような少し珍しい苗字なので調べられるかも、です。
それなら手紙作戦がいいと思います、頑張ってください
392さんのは一理あります、
ただ町史に先祖の名前が出てくるのはかなりラッキーな人ではないでしょうか?
若しくは支配者階級(武士や庄屋等)なのでは、私の場合は町史に壬申戸籍の
戸主一覧表というところに先祖(高祖父)の名前が載っていましたが、それだけでした
しかし、
色々聞くにしても、自分で調べられる事を全部調べて、
「こうこうこういう事まではわかっているんだけど」と言う感じで問題を明確にしてから聞いたほうが良くないかい?
それに自分があんまり調べもしないで、人に聞くだけだと有益な情報を見逃してしまったり、
判断を誤ったりする事もあるし。
まぁ、逆に、色々資料を調べていって、「あの時聞いた事はこういう事だったのか!」って思う事もあるけどね。
↑
これはかなり的を得てます、本当です
今後は先祖を遡りながら、郷土史の本を読んで知識を蓄えつつ進行していったら
どうでしょうか?
町史を見てみると案外同じ苗字の人がでてきますよ
先祖とは断定してはいけませんけどね
私の場合
戦国時代小さな地域の領主→戦に破れて帰農→江戸時代庄屋→子孫多数みたいなこと
もありました、まあ私の先祖ではないと思いますが
392さんはかなりエキスパートですね、びっくりしました
この感じではかなり昔まで遡っているのですか?
396 :
144:2005/06/06(月) 08:44:18
>>391 手紙を念頭において母方中心に近親者、伯父たちに
聞きに行こうと思います。
手紙を出して尋ねたい親族の住所はまだまだ不明なので
聞けば住所がわかるかもしれないですし。
現実に探すなら図書館でハローページ、ですよね。
調べたらNTTのエンジェルラインがあるようですが、
モデムがないから繋げない。残念です。
>土地台帳
法務局での閲覧は5代前スレC読むと、皆さん閲覧請求するのに
「○○町全部閲覧したい」と言っていたんですね。
1ヶ所めは「番地まではっきり書いてくれないと」との事だったので
書いたら該当なしで終わってしまい、事前準備が甘かったです。
町名や番地も今と全然違うので、その周辺をきちんと調べて行かないと…
>>392-393 詳細な手引きありがとうございます。目から鱗です!
土地宝典をコピーしてきて今の地図と重ね合わせたり…
こんなやり方でいいのかなと手探り状態でしたので
キーワードを手帳に書いて検索&図書館へ行ってみます。
基本の市史や町史を探らないといけないですね。
>>394 結構時間がかかってしまいました。
父空欄の祖父の所はもう少し何か分かるのではと期待しています。
聞きやすい近親者には一度聞きに行き、記憶をつついてから
間をおいてもう一度聞きに行く戦法で行こうかなw
殆ど会ったことがない親戚には助言のとおりもう少し地盤を固めてからにします。
397 :
322:2005/06/06(月) 11:38:42
>>392-393 そうですね。町史など図書館で調べられることはしておいた方がいいですね。
有難うございます。
>>394-395 先祖マニアさん早速カキコありがとうございます。
郷土史などで知識を固めつつ、自分の先祖を探すのが
いいようですね。バランスということですね。
>>396 144さん乙です。まだまだやる事が広がっていきますね。
漏れもガンバロ…。郷土史はちょっとやってるけど手紙、遠い親戚周り
はまだやってない所があるし、他県まで行っている144サンを見習わんと
いかんですね。とにかくカキコありがと3!!
>1ヶ所めは「番地まではっきり書いてくれないと」との事だった
こういう所ありますよね。
私の場合は「該当地域は全部で何番地まであるか?」と聞いて、
先祖を探している旨を伝え、申請書に「1〜500」「501〜1000」「1001〜1500」
(さすがに「全番地一つずつ申請書を書いてくれ」という鬼のような法務局はなかった)
と書いていき全部閲覧しました。
>>396 父空欄の祖父の所はもう少し何か分かるのではと期待しています。
おっマジですか!!
まあ該当する親族を一人一人聞いていったら分かるかも知れませんね
(伯父伯母、祖母の兄弟、その子供など)
案外祖母の兄弟やその子供とかが知っていたりするんですよね、
もう誰もわからないというまでやってみては
あと親族は分からなくても祖父の友人とかが知っていたりする場合もあります
私の妻の遠縁の方が3代続けて私生児でしたが
そこの当主は本当の父親の名前を全て分かっていましたよ(どうもよく知っている親族が
1人いたのと、近所のおじさんやおばさんに聞いて分かったらしい)
144さんも諦めないで探したら分かるかも知れませんね
でもタイムリミットは迫っています、急いだほうがいいかも・・・
144さんへ
322さんから手紙の書き方依頼をされていましたので
模範文章を作成してみました
これが完璧ではありませんが参考にしてみてください (名前は仮名)
拝啓
突然お便りさせていただく失礼をお許し下さい。
私は苗字を鈴木といい、趣味で自分の先祖について調べているものです。
○○家について調べております
○○太郎が私の高祖父(ひいひいおじいさん)にあたります
最近先祖に興味が沸き、戸籍謄本を請求したら以下の方が記載されておりました。
以下が○○太郎さんと私の家系図です。
○○太郎・・トメ(鈴木に嫁ぐ)・・(鈴木次郎(祖父)・・鈴木三郎(父)・・鈴木一郎(私)
・
・ ・○○小太郎・・・・○○清一・・・・・・○○正志
○○さんは大正5年に亡くなられております
私の祖父母や両親、親戚からは以下の話を聞いております。
1 鈴木次郎の幼少の頃、何度も○○の家に遊びに行ったことがある
2 ○○太郎さんは大柄で力持ちだった(大きな石を運んでいた)
3 △△家とも親戚関係
4 トメは次女で長女は□□村の田中家に嫁に行った
5 ○○家の先祖は江戸時代には村役人をしていたのではないか?
幼少からの歴史好きがこうじ、10年ほど前、大学生の頃から先祖を探し始め、卒業論文も先祖探しについて書きました。
大学時代は夏休みなどの長期休暇を利用し探していましたが、社会人になってからは何かと忙しくなかなか調べる機会もありませんでした。
しかし、昨年から、又先祖が気になり探しています。
あなた様の先祖やルーツについて、何か手掛りなど教えて頂ければ幸いです。
続き
教えて頂きたいこと
1 ○○太郎さんや妻のイクノさんのお墓はありますか?
2 位牌や過去帳などはございますか?
3 由来やエピソードなどはございますか?
4 ○○太郎の妻であるイクノは落合村の山田から来ておりますが
なにかご存知のことはございませんか?
5 お話を伺いに行って宜しいでしょうか?
と、申しましても、なにぶんプライバシーに関わることでもありますので、無理は申しません。
差し支えない範囲内での、断片的な事でも結構です。
古くからの言い伝えや伝聞など、お気づきの点がございましたら、同封の葉書でご教示頂ければ幸いです。
突然の手紙で、誠に不躾なお願いを致しますことをお許しください。
末筆ではありますが、皆様のご健勝を衷心よりお祈り申し上げます。
敬具
住所 〒111−1111
東京都○○区・・・・・・
電話番号 090−○○○○-○○○○
メールアドレス ああああ@
直筆サイン
携帯番号は必ずあったほうがいいです)直に電話をしてきた方もいます
最後は手書きでサインをしたほうが心象がいいのでは?
稚拙な文章ですがお役に立てたらと思い考えました
401 :
322:2005/06/07(火) 00:59:56
>>399-400 先祖マニアさん、早速にもわざわざ有難うございます!
これは…まことに素晴らしい。
コピペして自分なりにアレンジして使わせて頂きます。
有難うございます!
封書の中に自分宛のハガキを入れておいて、
1 ○○太郎さんや妻のイクノさんのお墓はありますか?
2 位牌や過去帳などはございますか?
3 由来やエピソードなどはございますか?
4 ○○太郎の妻であるイクノは落合村の山田から来ておりますが
なにかご存知のことはございませんか?
5 お話を伺いに行って宜しいでしょうか?
など質問事項を書いておけばいいんですね。
これは素晴らしいですね。
手紙で問い合わせる敷居が随分と低く感じられるようになりました。
いやー助かりました。
402 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 13:13:47
>>399-400 >>322 私も以前、該当地域の同姓に手紙を出しましたが、
回収率は80%を超えました。
ポイントは、大変でしたが、文章はワープロ、コピーを一切使わず、
全て手書きでこちらの気持ちを伝えたことにあると思っています。
もし該当者がいたとしても、いきなり親族だと分かっても、心証の
具合によっては今更迷惑だと思われる方もいます。
ペンダコできますが、回収率を上げるためと思えば、やれます。
あと、今まで分かった系図と除籍簿の頭の部分だけはコピーにして、
同封しました。
それから、おろそかにしがちですが、返事をくれた方には、たとえ
無関係であると分かった方にも必ず礼状を書きましょう。
私の場合は、無関係だったという連絡を受けたのですが、その後も
時間のある時に現地の寺や役場を回ってくれて、今でも時々状況を
連絡してくれるという大変親切な方もいます。
あと、場所によりますが、方言のある場所は、あらかじめ覚悟
しましょう。私の場合は、すぐ電話で連絡をくれた方が何名も
いたのですが、地方だったので、聞き取りが難しかったです。
403 :
322:2005/06/07(火) 16:41:26
>>402 回収率80%以上!
すばらしいですね。手書きで誠意を伝えるのは大きなファクターですね。
勉強になります。
「お礼状」も絶対ですね。忘れてました。
そうか…方言の問題もありますよね、同じ地域でも年配の方の言葉
が分からない時もありますもんね。
いやー貴重な情報有難うございます。
手紙を書かれたということは402さんはかなり古い所までの
先祖が判明されたのですか?
私は戸籍を全部とって、近い親戚を廻っただけです。
古い先祖で7代前。
404 :
402:2005/06/07(火) 17:25:18
>>322 回収率が非情に高かったのには、手書きの文面に加えて、先祖の
出身が地方だったことも大きいと思います。地方では、特に地元
意識が強く、昔から土着していることが多いので、協力的なのだ
と思います。
> 手紙を書かれたということは402さんはかなり古い所までの
> 先祖が判明されたのですか?
私は江戸期の先祖の出身を突き止めてから、現地で菩提寺を何とか
探し当てて、戸籍に載っている以外の直系・傍系先祖を16人まで
見つけることができました。今のところはそこまでです。
あと、幸運だったのは、ダメもとでWEBで色々検索してたら、現地と
全く異なる地方にいる方の先祖に同姓でかつ同じ場所出身という記
事を見つけました。直接連絡を取って、戸籍を調べてくださるよう
お願いしたら、幕末期の先祖が同じということが分かりました。
色々と情報交換ができて、自分の家には伝わってなかったことが
たくさん分かりました。今の時代ならではの成果だったと思います。
322さんも色々試してみてください。
402さんすごいですね
全部手書きとは驚きです
私は回収率が20%くらいでした
私も江戸期の先祖の出身が分かったときにはとても喜びました
まるでご先祖様が導いてるのではという錯覚を起こしました
戸籍に載っていない先祖を16名分かったということは
父方、母方の高祖父の1代前がかなり分かったということですよね
私は数人でしたが
特に5代前の母親の名前をコンプリートするのは至難の技ですね
(高祖父母までは全て分かっていますがその上は父親は全て分かっていますが、母親は4人分かりません)
6代前になるとかなり不明ですので322さんの7代前は奇跡に近いですね
(私も唯一1人だけ7代前が戸籍に記載されていましたが)
戸籍より前は墓や位牌がありますが、系図がないので推測として点線はつけれますが
確実ではないんですよね
406 :
402:2005/06/08(水) 02:10:31
>>405 > 全部手書きとは驚きです
> 私は回収率が20%くらいでした
ペンダコができて、しばらく痛かったのを覚えています。
手書きというのは、受け取った人は、「自分宛」という特別なイメージを
持つのだと思います。
(私自身が逆の立場ならそう思うので・・・)
> 戸籍に載っていない先祖を16名分かったということは
> 父方、母方の高祖父の1代前がかなり分かったということですよね
あ、すみません。説明が悪かったです。
私の家は明治に入ってから、大きな移動をしていましたので、
江戸期に暮らしていた父方の家の菩提寺で16人という意味です。
お寺に残っていた記録では、一応、8代前まででした。
(ちなみに戸籍は19年式まで残っていましたが、代々比較的長寿で、
分かったのは5代前まででした。)
407 :
144:2005/06/08(水) 08:02:26
>>397 322さん、土地台帳の申請、なるほど!です。
傍系が出てくるかもしれませんし、重要ですね。
1カ所めは小さい会社が多い地域のせいか「混雑時、閲覧は2時間まで」とか
貼ってあるんですよ;父系母系集まっているのでまた何件も閲覧したいのですが。
当時の地番を調べて絞って、何回か行く覚悟で指先真っ黒にしてきますw
お互い少しずつでも進むといいですね。
先祖マニアさん
>>398-400 この祖父に関しては戸籍でもやもやと謎な事が沢山でてきました。
曾祖母の隠す、というか護るというか…意図が伝わってくるのです。
調べて、もし書けそうならば報告しようと思っています。
>手紙の模範文章
携帯番号を併記する事や返信用葉書は思いつきませんでした。
とても大変に参考になります!積み重ねで少しずつ由縁が判明し、
先祖のお墓参りができたら最高です。
402さん
実際、自分に突然、見知らぬ人から手紙が来たらとまどいと
多少の迷惑を感じてしまうと思います。手紙作戦までは
まだ時間がかかりそうですが、気持ちが伝わるような手紙を心がけたいです。
モチベーションが上がったり下がったり…ですが
体験談を伺うと色々と試す意欲が湧きます。
408 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 01:18:27
>>227 180さんに質問です。
>M19の戸籍は絶対にあることは判っているのだけれど
どうして絶対にあるってわかったんですか?
戸籍って請求してみるまで現存するかどうかわからないはずですよね?
409 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 03:57:59
うちの家では知らない間に分家が本家を名乗ってました・・・どうしましょうか?東京に出てきてるうちはどうなるの・・・Orz
410 :
180:2005/06/12(日) 22:17:26
>>408 ・他の先祖の戸籍を入手した時(同一役場で)M19の戸籍は入手できた
・役場の人がM19の戸籍は破棄していないと言っていた
こんな感じです
また時間あればカキコします
>>409 よくわからないのですが
本家の基準とは?
@家系図、墓、祭祀の継承?
A男子長子の血統?
B家屋敷などの財産?
他にもあるかな。
古い家で近い親戚だともめそうですね。
412 :
七郎右衛門:2005/06/14(火) 23:19:45
>>411 本家の基準って難しいですね…。
うちの辺りでは地類の中で一番古い家が本家ってことに
なっています。地類の集まりがあると年寄りが200年300年来の
本家別家の関係を昨日のことのように話したりしています。
分家の長男が結婚するときなどにカネオヤ(カネツケオヤ)を
本家にお願いする風習もあります。
カネオヤを頼まれた本家夫婦は親分として、頼んだ別家夫婦は
子分として互いに一生助け合い、面倒をみる関係が成り立ちます。
こうした関係は古くより定まっていて地類の関係強化になっています。
葬儀の時の家から墓地への葬列の順番などにも本家別家は関係しているようで
葬列先頭の先の大幡は本家が持つのが慣わしです。
後の大幡も最も古い別家が持つ事になっていることが多いようです。
また日常的な生活のなかでも何かと本家を中心とすることが
多く、地類の中でも尊ばれる存在です。
…と、書いては見ましたがこの事は自分の地方のほんの一例に
過ぎないので参考程度にしてくださいW
>>412 七郎右衛門さんどこの出身でしたっけ?
私の田舎にも同じような風習があります
うちではカナゴ、カナオヤといって他人の子供を自分の子供のように接する
風習があります(親戚つきあい位)
祖父がカナオヤで隣村のおじさんがカナゴでした
葬式や結婚式には必ず来ますし、新年や盆のあいさつにもきます
私の家は分家なのでよく分かりませんが
たとえば本家が断絶したらどうなるのでようか?
分家のどこかが新しく本家になるのかな
先祖を探している途中に何軒も本家が断絶したから分からないということを
いわれてそれ以上先に進めないことが多々ありました
本家が断絶することによって、伝承が途絶える、位牌の散逸、墓の場所の忘却
などです。しかも、何軒か同じ姓の家があり聞きましたが、うちは分家だからと
みんな言うんですよね、だから本家が断絶したり、他の場所に移動したら
後はみんなそこの場所には分家しかのこらないのか?と思いました
414 :
七郎右衛門:2005/06/15(水) 00:17:45
うちは中部地方の山奥です!
うちの辺りは古い考えが強いので本家別家の
付き合いは結構大変です…
本家に子供がいないと親戚から養子を貰ってでも
繋げるとおもいますが、養子もうまくいかないと全く
の他家がその家に入るなんてこともあったそうですよ。
それでも家が完全に断絶すると次に古い家や勢いの良い
家が本家面をする様になってくることが多いようです。
やはり「我が家が本家だ」と言いたいのは人の情と
言うものなんでしょうかね?
だけど、近所の家は享保年間にその家の本家が
途絶えてからも本家の墓と自家の墓を一緒にすることなく
別に祀っていますから一概には言えないかもしれません。
最近ではこうした関係も軽視されがちですしね〜
本家だとか別家だとかは曖昧になってるかもしれません…、
415 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 05:24:09
>>411うちの場合は@家系図は不明、墓は先祖名義だが弁護士に相談したところ直系相続でうちだそうです。祭祀は微妙
うちは墓参りに行く程度。掃除は分家の人がやってる。A男子直系B古文書、昔住んでた家(一部だが)は分家、写真など
はうち。
416 :
411:2005/06/15(水) 22:05:56
>>412 カネオヤという風習があるんですね。
面白いです。勉強になりました。
当方、関東の新興住宅地在住なので全く知りませんでした。
>>415 なるほど、分家さんの立場も言い分がありそうですね〜。
親戚同士で難しい面もあるでしょうが、早期解決をお祈りします。
417 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 07:44:44
いろんな家で本家分家はもめてると思うけど結局、直系を本家にしないともめる。
418 :
房総半島:2005/06/16(木) 12:11:16
質問です。
40年位前の話なのですが、
同家(どうけ?)という親戚のような付き合いをしていた家があったらしいのです。
これはどんな意味があったのでしょうか?
>>418 本家A、本家Aの分家B、本家Aの分家C。
このばあい、BとCの関係が同家。
420 :
房総半島:2005/06/16(木) 12:48:10
419様
ありがとうございます。
同家の意味がわかりました。
子供の頃から疑問だったのですが、
お墓は同じ場所なのに親戚関係が分からなかったのです。
(祖母も?です)
421 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:18:29
○○町無戸というのは、ホームレスってことでしょうか。
422 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:12:43
かなり初歩的な質問ですみません。
先祖が今自分が住んでいる所よりずっと離れた所に暮らしていた場合、自分の住んでいる市町村では除籍標本は手に入らないのでしょうか。
423 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:18:47
>>422 戸籍謄本、除籍謄本は本籍地でしか取得できません(郵送は出来ます)。
本籍地と居住地は一致しているとは限りませんので、まずは自分の戸籍謄本を取得し、
そこに記載されている情報を元に順々に古いものを取っていってください。
各市町村のHPで戸籍謄本の取得方法を調べてください。
424 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:49:22
>>433わかりました。
取得方法も戸惑っていたので助かります。
ありがとうございました。
425 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:56:10
菩提寺に過去帳見にいったら、見せてもらえなかった!個人情報保護法だってさ…。身内なのに! 住民票でも提示すればいいのだろうかorz
427 :
七郎右衛門:2005/06/29(水) 19:03:18
ここ2週間忙しくて全くPCの前に座れませんでしたよ…
>>426 確かに話しを聞くと見せてくれない寺は多いようですね。
寺の過去帳は日付別に家とか関係なくまとめてある場合が
多いから他家ヘの配慮ってことですかね?
うちの場合は新しい過去帳を住職に渡してそれに書いてもらいましたよ。
檀家ならたいてい書き出してくれると思いますが、家々の区別がつかない場合は
難しいかもしれません…
もし、書き出してもらえる様ならお礼を包んでいった方がいいです。
428 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 03:02:13
そうですか!貴重な情報ありがとうございます!
来月はじめにでも行ってみますね(=^▽^=)
429 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 06:33:08
土地台帳以前の土地所有者は調べられないのでしょうか
それから今のゼンリン住宅地図みたいなものは、いつごろ
から作られているんでしょうか。以前テレビで広島・長崎の
戦前の住宅地図が映し出されていましたが、もしあるとし
たら古い住宅地図はどこにいけば見れるんでしょうか。
430 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 06:36:48
すいません。スレとまったく関係無いんですが
何故首相が靖国神社に参拝に行ったら駄目とかいうんですか?
どうかエロい人、教えてください。
432 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:41:42
先祖マニアさんに質問だけど江戸時代の戸籍謄本がないのにどうして自分の先祖
がわかるの?
433 :
戸籍謄本も当てにならない:2005/07/01(金) 07:49:52
橋本家の戸籍謄本を取りましたがどうやら
捏造が多いですね。岡山県総社市役所から目黒区役所、→渋谷区役所→港区役所
と調べていきました。最初の戸籍には橋本卯太郎は橋本源三郎の養子に
なっていましたが目黒区役所の除籍謄本には橋本源三郎の実子が卯太郎になってました。
どうやら士族の橋本源三郎家のかけいずを卯太郎がかったようですね。
久美子さんが橋本家の先祖は乞食だから龍太郎の事を馬鹿にするそうです。
大室家にて閲覧した戸籍ではたしかに大室家から橋本卯太郎という人物に嫁いだ
女性がいたことは判明しました。この橋本卯太郎という人物が大室家側の記録には
橋本卯太郎、元治二年(1865)一月一日生れ、父長吉(これ以上の記載は不詳)
というわけで大室寅之祐明治天皇(田布施町の大室家の戸籍謄本には寅之祐の
記載はなく寅之祐の生年月日は次男の大室庄吉の誕生日になって意図的に抹殺されてる)の弟庄吉の娘大室米(よね)と橋本卯太郎との間の子が
橋本龍伍だという真実。龍伍の子が龍太郎。戸籍には橋本龍伍の母は石光マツ
とかいてあるのでヨネは卯太郎の2号ですね。(戸籍謄本も当てにならない)
>>432 432さんこんばんわ
位牌や過去帳からの推測です
位牌や過去帳には一郎父太郎とか、末吉倅松吉とかありますので
それらから推測しています、戸籍ではありませんので、100%完璧では
ないかもしれませんが、おおよそはあっているのではないでしょうか?
しかし、それも1800年代までで1700年代に突入すると、戒名と
亡くなった年(安永三年とか)しか記載されなくなっていますので、
点と点になってなかなか線になりませんね、
まあそこを色々考えたり推測したりするのがまた楽しいのですが
435 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 20:44:45
436 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:28:29
一諭吉くらい必要かねえ。
>>426 神社仏閣板で聞いてみたら?
437 :
飛瀬:2005/07/02(土) 22:59:07
初めまして!
当方も先祖調査をしているのですが、父方は5代前までさかのぼることができ、高祖父が明治時代に村の議員さんをしていたことまで分かりました。
それ以前は不確かなのですが・・・。
職業はおそらく農業かと・・・。
母方は貧乏極まりなかったので、農民だったろうと調べなかったのですが、先日叔母と話してみると明治時代に一族のものが天皇陛下のおそば近くで近衛兵として働いたとか、明治までは染物で比較的裕福だったことが分かりました。
他にも元庄屋と縁戚があったとか・・・。
まだ戸籍はとってないのですが、ドコまでさかのぼれるでしょうか?
ご指南よろしくお願いいたします。
438 :
436:2005/07/03(日) 03:18:27
>>437 多くの方が明治の中頃までは遡れると思います。
・村の議員(村会議員)は、『○○村史』などに記載されている場合があります。ただ、明治時代の村は、多くが昭和の大合併で消滅しています。
ですから、『○○村史』が発刊されているところは少数派ですが、調べてみる価値はあるでしょう。
・それ以前は、武士なら藩の分限帳が頼りになります。先祖書を纏めている藩もあります。武士以外なら、過去帳とお墓でしょうか。
・近衛兵は、昭和期であれば、恐らく出征の際の写真などがあるでしょう。明治期だとよくわかりません。
・ただ、いくら戸籍(除籍)と取っても、取れる戸籍が限られていますので、直系先祖とその兄弟甥姪その次ぐらいまでしかわかりません。私も、家の私的な記録に「曾祖父のまたいとこ」と出てくる人物がいるのですが、具体的にどのような親族関係なのかは分かりませんでした。
439 :
飛瀬:2005/07/03(日) 10:47:30
>>438 ありがとうございます。
『○○村史』には高祖父の名前が載っていました。
また、以前は書いてなかったのですが曾祖母の父(これも高祖父ですね)が明治中期ごろに地元の神社に絵馬を奉納していることなどは分かっております。
墓は古いものは廃棄して新しくしたのでよく分かりません。
母方のほうは以前廃棄する前に見たところ天保の年号と俗名が書かれていましたがよく読み取れませんでした。
写真なのですが軍服姿のモノが以前家にあったとのコトですが紛失したようです。
時代的には明治の中期ごろから大正あたりの間に近衛兵だったようで昭和ではやってないようです。
とりあえず母方のほうは曾祖父母までしか名前が分かっていないので戸籍をとってみようと思います。
440 :
七郎右衛門:2005/07/03(日) 16:39:56
>>飛瀬氏
江戸時代に入ると急に先祖調査のレベルも上がってくるので頑張ってください!
まずは戸籍を取れるだけ取る事が先決だと思います。
明治時代から現在までの資料が江戸時代の先祖調査の基礎になります。
江戸時代の調査では墓と過去帳、それと宗門帳などの公の
古記録が最も頼れる資料となると思います。
墓がないのはとても残念ですがその他に過去帳などの古いものは残っていませんか?
まずは自分の家に伝わっている記録の整理をしていくことをお勧めします。
過去帳も無い場合、あるいはあるけど続き柄が書き入れられていない場合は
菩提寺に頼んで書き出してもらうのも手です。
441 :
飛瀬:2005/07/03(日) 18:37:26
>>440 レスありがとうございます。
家には何もないですね。
父方も母方も明治あるいは大正ごろに没落し、家までボロ屋に移ったぐらいなのでなにもないです。
寺ですか・・・。
母方のほうの寺は何回も火災にあってるのであまり期待できません。
で・・・、戸籍ですがまだ学生のため忙しく一時取れそうにないので、また8月ぐらいに報告します。
>>441 飛瀬さんへ
実家になくても親族の家とかに位牌や過去帳とかはありませんか?
没落しても、先祖からの位牌や過去帳は捨てたりするものではありませんので
どこかにある可能性が高いです
特殊なケースかも知れませんが
私の高祖母の先祖も位牌が分家筋にありました
色々な家を聞いてみるうちに、とある家が『そういえばAさんの家の位牌を
うちが預かっているのであんたの家で守りなさい』と位牌をA宅へ持ってきた
ことがありました
もう一つは父方の高祖父の先祖宅に位牌があったのですが、30年前に親族の方が
関連する位牌だけを持って帰ったと聞きました、そのときに全ての位牌を持って帰られたら
と思うと、あってよかったと思いました
次回作はまだですか?
444 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 05:32:52
そんなことより先祖マニアさんの新作まだー?
446 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:43:59
うちは豪農で墓には江戸時代から先祖が入ってるんだが、
うちは江戸時代からの名字持ちなのか明治時代から遡ったのかどっちだろう?
447 :
鬼太郎:2005/07/16(土) 03:26:26
>墓には江戸時代から先祖が入ってるんだが、
当たり前だろ。他人が墓に入っとることは普通無いな。
>明治時代から遡ったのかどっちだろう?
日本語になっとらん。
448 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 03:36:03
>446
豪農なら図書館で地方文献調べればわかるんじゃないかな?
449 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 15:13:05
最近家系図を名前ではなく戒名で書いてみましたが
戒名が分からない先祖がかなりいました(特に母方の曽祖父母や高祖父母)
こうしてみると実際に伺っていなくて戸籍だけで判明している
お宅もたくさんありますね
実際には調べたいのですが、拒否られたり、本当にどの家か分からなかったり
断絶したりと理由は様々です
でも戒名見ているといろいろな発見があります、名前が一字入っていたり
夏に亡くなったから[夏]の文字、秋だったら[秋]の文字など
夫婦で大姉と信士とか善男や信女とか
色々勉強になります。
451 :
素人:2005/07/23(土) 22:43:05
先祖らしき墓を見つけたけど、ミミズがはった様な字で名前がわかりません。
表には「釈尼佛」とだけ書いてあるのですが、どーいう意味ですか?
我が家は浄土真宗ですが。。。
>>451 浄土真宗の法名の典型。
男なら「釈○○」、女なら「釈尼○○」
意味って言われても名前だから・・・
453 :
素人:2005/07/24(日) 22:53:37
>452
ありがとうございます。
っていうことは女性の墓ですかねえ・・・
>>451 ミミズがはった様な字とは石に彫ってある字が草書的なのではないでしょうか?
私の曽祖父のお墓もそうでした、全然読めませんでした
位牌があったので、漢字はその位牌で判明しましたが、なければチンプンカンプンです
(閑という字だった)
455 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 09:11:46
>454
しかも
デジカメで撮ってみたけど、光の加減によって
それぞれ違う文字に見えます(苦笑)。
菩提寺は廃寺になったみたいだし、直系の子孫の方も
離散したようで位牌もわかりません。
お手上げですね。
456 :
初心者:2005/07/27(水) 05:01:35
初めまして。最近先祖調査を始めました。
改正原戸籍と除籍謄本では記載内容が違うのでしょうか?
今までは改正原戸籍をかき集めてきたのですが、除籍謄本
をとった方がいいのでしょうか?
>>456 全部とれ。新戸籍に移行後の情報が取れない。
458 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 08:03:00
除籍謄本が80年で廃棄だなんて役所の怠慢。
全てが紙ベースの昔ならいざ知らず、今なら
別のやり方で保存できるだろ。ハードディスク
の空き領域が足りないってか?
M27年に除籍簿になったのが、ダメもとで請求したらとれた。
さすが歴史のある城下町、T京都KT区とは大違い
ちょっとでも可能性がある事はトライするべし!
460 :
初心者:2005/07/27(水) 11:46:07
>>457 ありがとうございます。全て取るようにします。
今日行った役所では81年前に亡くなった高祖父の
除籍謄本が取れませんでした。残念…
462 :
459:2005/07/28(木) 10:06:37
KT区(旧HG区)は残ってたようです。
廃棄告知書もらいました、直系卑属であること
証明してもなにか嫌〜な雰囲気。
B絡みの地区がある役所は、80年でせっせと廃棄してるみたい。
保管場所のキャパの問題もあるんだろうけど…
463 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 02:17:18
真言宗の戒名の最後に釈士、法師がつくのはどうしてなのでしょうか?
他は信士、信女しかないのですが・・・
464 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 07:10:34
戸籍とかを取ろうと思うのですが、まったく知識がありません。
そもそも、何が書いてあるんですか?除籍謄本って何ですか?
先祖探すのに必要な戸籍の知識を教えてください。
465 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 11:45:34
じいちゃんの葬式の時、
歴史好きの私のお坊さんが系図を作ったらといったのだが
その寺が焼けてもーた。位牌&過去帳も焼けた。
467 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:58:39
先祖探す暇あるなら職探せというお告げを聞いた。
468 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 20:59:52
ダメな子孫…。
先日母方の墓参りをしました
明後日は父方の墓参りです
犯罪者の日記スレとなりました。
質問を幾つか
苗字と屋号の違いは何か?
過去帳以前(享保以前)のことを探るのは一般的には無理なのか?
過去帳に他家の人物が記載されることはあるのか?
どなたかご教授お願いします
>苗字と屋号の違いは何か?
苗字とは地類の個々を表すもので
屋号は地類の中や村内で家々を区別するのに用いられるもの。
>過去帳以前(享保以前)のことを探るのは一般的には無理なのか?
墓石があればそれの調査。
または自分のお寺に戒名と続柄を書き出してもらうのも手。
>過去帳に他家の人物が記載されることはあるのか?
本家分家筋の家の人を書くことは普通にあったっぽい。
他にも身近な親戚や各宗派の本山の僧侶が書かれることもある。
474 :
飛瀬:2005/08/16(火) 18:51:56
>>先祖マニアさん
どうでしょう?
まだ聞いたことがないので、今度親族に位牌のことなど聞いて見ます。
で・・・今日母方の戸籍謄本を取ってきました。
結局名前が分かったのは四代前まででした。
曽祖父が明治6年生まれなのでそれを考えるとその前は取れないカモと思っていましたら、
分家になってるので取れないとか、明治じぇrflmw;おkd・・・、などとよく分からんことも言っておりました。
まぁ、これが限界のようです・・・。
寺は何回も焼けてるし、寺の息子と一年ほど前に大喧嘩して絶交しておりますし・・・。
ただ、庄屋の血筋が云々と聞いておりますのでそれで何とかしたいとも思いましたが、その庄屋の出といわれる、
曾祖母の旧姓が庄屋の名字と一致しなかったのでストップです。
ですが親戚が養子云々といっていたのでまだ分かりませんが・・・。
ただ、それが戸籍に記載されてなかった(字がつぶれて読めないですし・・・)のが気がかりですが・・・。
475 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/08/16(火) 21:07:37
俺の家系は四代前に寺の住職になってる。
戦国時代あたりからその里にすんでるらしいので、位牌も昔のものがあるらしい。
今年の春に寺を訪れたとき、現在の住職に案内してもらい、カイサン堂という位牌安置をしてあるところにも通してもらった。
しかし、そこの里は大半の人の名字が俺の家と同じなうえ、古すぎてどれが家の先祖かわからないという悲しい結末。
どうやればわかるのやら。落人らしいが。
>>474 で・・・今日母方の戸籍謄本を取ってきました。
結局名前が分かったのは四代前まででした。
ということは高祖父まではわかったのですか?それとも曽祖父まで?
曽祖父が明治6年生まれなのでそれを考えるとその前は取れないカモと思っていましたら、
分家になってるので取れないとか、明治じぇrflmw;おkd・・・、などとよく分からんことも言っておりました。
まぁ、これが限界のようです・・・。
推測するに曽祖父が分家したとおもうですが、曽祖父が明治6年生まれというと
高祖父は江戸の末期に生まれ、明治の終わりか大正の初めに亡くなったと思われます
ということは高祖父の戸籍はあるとおもうのですが、
役場では戸主名と住所で検索しますので曽祖父が分家して新しい戸籍を作った
場合は正確な住所は記載されていないでしょうね(明治19年戸籍だったら)
分家なら本家の方の住所と高祖父で請求してみればどうでしょうか?
だめな場合は本家の方と一緒に役場に行くか事情を説明して委任状を書いて頂くかですね
とにかく江戸末期生〜明治末期没の方の戸籍ならギリギリ取れるかも・・・
(町なら破棄の可能性もありますが)
入手できないとしたら
@ 80年経過で破棄
A あまりにも若くして亡くなった(明治19年以前に死亡)
私の高祖父は明治17年亡くなったために戸籍がないです
(正確には壬申戸籍で法務局に封印されている)
>>474 続き
寺は何回も焼けてるし、寺の息子と一年ほど前に大喧嘩して絶交しておりますし・・・。
寺は微妙ですね何回も焼けているのなら過去帳も焼失してるかもしれないし
でも寺が火事になった場合は過去帳を真っ先にもって逃げるらしいので
現存しているかもしれないし、寺によっては過去帳は火事から守るために
土蔵に保管しているところもあったらしいです。
あと訪ねられてめんどくさいので火事で燃えて無くなったという和尚さんも
います。
寺の息子との関係は飛瀬さん次第ってとこですかね。
目的の為なら・・・
これは事情がわかりませんのであまり強くはいえませんが
>>474 続き3
ただ、庄屋の血筋が云々と聞いておりますのでそれで何とかしたいとも思いましたが、その庄屋の出といわれる、
曾祖母の旧姓が庄屋の名字と一致しなかったのでストップです。
ですが親戚が養子云々といっていたのでまだ分かりませんが・・・。
曽祖母は2名いますが確実に1人の方の曾祖母ですか?もう1人の可能性は?
養子云々ですか
う〜ん複雑ですね
戸籍を見てみないとなんともいえませんね
あと絶対に曾祖母ですか?もしかしたら高祖母とかの間違いとかは?
ただ、それが戸籍に記載されてなかった(字がつぶれて読めないですし・・・)のが気がかりですが・・・
字が潰れて読めないのは役場の方に教えてもらいましょう
別に家から一番近い役場に言って聞くのがいいとおもいます
(本籍役場が近いのならそこにいった方が親切だとは思いますが)
ちなみに飛瀬さんはどこの方ですか?首都圏ですか?
479 :
飛瀬:2005/08/17(水) 00:45:22
>>先祖マニアさん
おお!
先祖マニアさん、長々とレスありがとうございます。
曽祖父の戸籍まで取れました。
高祖父は曽祖父の戸籍から名前だけ分かりました。
本家の方の住所・・・分かりません。
親族に聞いたら分かるとは思いますが・・・。
なんか役場の人は明治31年式?がどうとかで取れんと・・・。
あと全部除籍と書いてあるだけだから意味がないとか言ってました。
寺のほうは時間をかけて挑戦してみます。
ちなみに何回も焼けたというのは○○町の文化財という本に書いてあったので間違いないと思います(過去帳が燃えたかは分かりません)。
えぇ、おそらく曾祖父母です。
おばが言っていた庄屋出の曾祖父母がいて○○から来たといっており、戸籍の曾祖母の旧姓と一致してるので・・。
ただ、一度養子が云々といっていたのでよく分かりません。
今度又聞いてみます。
字は父が役場の職員なので(担当は違いますが・・・)いざとなったらいろいろと頼んで見ます。
自分は四国のとある田舎町に住んでおり、先祖の本籍地も今住んでいる町の方が多いです。
480 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 00:54:29
宮内庁書陵部の資料を利用。
藤原秀郷と判明。
以上
>>479 高祖父は曽祖父の戸籍から名前だけ分かりました。
本家の方の住所・・・分かりません。
親族に聞いたら分かるとは思いますが・・・。
親戚に聞いてみてください
○○町大字△△3456番とかになると思います
この3456番が重要ですこれさえわかれば高祖父の戸籍も入手できるかも
なんか役場の人は明治31年式?がどうとかで取れんと・・・。
あと全部除籍と書いてあるだけだから意味がないとか言ってました。
戸籍には壬申戸籍(見れない)明治19年、明治31年、大正4年、昭和23年、とあります
破棄されていなかったら明治31年戸籍の前に明治19年戸籍があるので、
戸主名と正式な住所が分かれば高祖父の戸籍は入手できるでしょう
というよりか本家に行って高祖父の墓を教えてもらうのがいいかもしれませんね
そうしたら墓にいつ亡くなったかが記されているので戸籍が入手できるか判断がつきます
四国が田舎なので明治19年戸籍を破棄していないほうの可能性が高いと思います
あと意味があるかないかはその当事者の問題であって役場の人が判断すべき
ことではないと思います。
案外重要な情報が眠っていたりするんですよね(これがビビルくらい情報が多い)
えぇ、おそらく曾祖父母です。
おばが言っていた庄屋出の曾祖父母がいて○○から来たといっており、戸籍の曾祖母の旧姓と一致してるので・・。
ただ、一度養子が云々といっていたのでよく分かりません。
このような養子が云々という情報も戸籍には全て記載されておりますので
漏れなく先祖の戸籍を入手することをお勧めします
これが又案外漏れがあるんですよね、
あと曾祖母が庄屋の出とありますが、曾祖母の戸籍から父親名は分かりませんか?
若しくは戸籍を請求したらその高祖父の戸籍が入手できませんか?
483 :
飛瀬:2005/08/17(水) 02:04:52
>>先祖マニアさん
貴重な情報ありがとうございます。
当方、あまり余裕のある身ではないのですぐにとは行きませんが出来るだけ早く実行に移したいと思います。
曾祖母の父親・・・、高祖父の名前は曽祖父の戸籍で分かりました。
高祖父の戸籍は申請してないのでなんとも・・・、ただ明治末にはすでになくなっているようです。
あと、いくら四国が田舎だからといっても以前父方のをとったときに明治40年代になくなった方の戸籍が取れなかったので取れるかどうか・・・。
それと最近合併したのですがそれを機に廃棄ということがあるのではないかと・・・。
>>473 回答ありがとうございます。
墓石も調べたのですが,全部過去帳に記載されている年代以降です。
またお寺の方ですが,代々家の次男三男,が僧となって管理してたのですが,
火事にあい,廃寺してしまったと伝えられているにで無理だと思います。
ただ,蔵を元禄3年に経てたという碑?が残っており,それ以前にも住んでいたということはっきりしています。
庄屋なのですが,蔵に現在の苗字を分割して家紋のようにあるのですが,これは苗字を許されていたのでしょうか?
>>483 飛瀬さんへ
あと、いくら四国が田舎だからといっても以前父方のをとったときに明治40年代になくなった方の戸籍が取れなかったので取れるかどうか・・・。
父方と母方の役場が同じだったら無理でしょうね、違う場合は行ったほうがいいでしょう。
もしかしたらあるかもしれないです。
私の経験では、A役場では破棄され入手出来なかったのに隣町のB役場では
一回も破棄されずに請求できたこともあります
また、市街地の市役所では請求できたのに、同じ市でも一番外れの支所では
破棄されたとのこともあります
(ともに年代は同じ)
結局そこの役場の考え方なのですけどね
それと最近合併したのですがそれを機に廃棄ということがあるのではないかと・・・。
それはあるかもです、私の所の役場も今年合併しました。
その半年前に聞いたときに合併するから整理するとかコンピュターがどうのこうの
とか言っていました。
486 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 21:38:49
>>485 役場は父方、母方ともに同じなのであきらめて、他のご先祖様のいた役場に申請してみたいと思います。
また、なにか進展すれば報告します・・・。
487 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 23:38:29
家には位牌がない
分家
488 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 10:19:33
うちの本家
家に意味不明の位牌がある
○○(家の苗字とは別、親戚にも確認できる限りいなかった)家累代之霊とか書いてある
なんだろあれ?
489 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 14:41:43
曽祖父の先妻の家とかじゃないの
そんなのが俺んちあったよ
490 :
飛瀬:2005/09/06(火) 21:20:59
今日、また新たに戸籍をとったのですが高祖父の戸籍を取ることが出来、運良く7代前の人の名前まで分かりました。
で・・・、先祖の中に珍しい名字の方がいて、今は全国で2世帯しかない名字らしいのですが、
その方と連絡を取るにはどうすればよろしいでしょうか?
491 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:02:42
>>490 親戚の方が、調べた時の方法なんですが
場所がわかっているなら、その地域の役所に一旦、由来とか知らないかを聞くのが良いと思います。
{わからなければ、電話番号サービスに聞くか、自分の所の役所に調べ方を聞きに行くのもいいかと思います。
最近は丁寧なので、しつこく聞けば、さらに調べ方とか教えてもらえるかと}
そして、「本人でないとわからない」とか言われたら占めたもの!
住所を聞くと共に、身分証明{怪しくないことの証明}になりそうな物、紹介状などを貰うのがミソです。
そういうものがあるとスムーズに話が進みます。
ちなみにですが、調べたい理由などを明確に伝えて行くのも大切だと聞きました。
その親戚の場合、自費出版で家のことを本にするために調べていました。
研究という名目だとより周囲が協力的になってくれるそうですよ。
ちなみに、私の家は、近江のとある村から出てきて、関東でのし上った家だそうです。
場所だけに、結構危ないこともやったらしいです。曽祖父とかは、人望厚かったみたいですけど・・・いろいろなとこで
以上、参考になれば幸いです{^^}
>>490 飛瀬さんへ
お疲れさんです、戸籍があってよかったでね
苗字が分かっているのなら手紙を書いてみたらどうでしょう?
>>399参照
返事がなかったら電話する
その方とどの程度の親戚関係かわかりませんが、
例えば高祖父母の実家とかなら、まず曽祖父母や祖父母の出た家に行きそこの方の紹介で
一緒に行ったらムームズにいけるかも
その家の方ならまだ親戚付き合いをしている可能性が高いからです
若しくは知り合いとか
494 :
飛瀬:2005/09/07(水) 00:42:12
>>493 名字は分かってますが・・・、正確な住所がわかりません。
某サイトで検索し全国で2世帯あるということを突き止め、福岡県と山口県であるということまで分かりました。
ちなみに親戚関係としては高祖母の実家に当たります。
その2世帯の方と関係があるかどうかは分かりませんが、数がカズなのでおそらく親戚と考えています。
495 :
飛瀬:2005/09/07(水) 00:50:41
>>491 先祖マニアさんへの返信でも書きましたが、正確な住所がわからないんです・・・。
496 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 01:01:34
>>495 今は個人情報保護があるからきついですよね・・・・・・
手段が無い場合は、役所に訳を話して住所か、住む町の特定方法を教わるのがいいかもしれません。
完全に無理かもしれませんが、万が一ということがありますので、ダメ元で聞いてみるのがいいと思いますよ
それと、
>>491でも少し書きましたが、「なぜ探しているか」についてを話すことが重要だと思います。
短く言えなければ、「家系図の研究」などある程度、個人にとって重要そうなことを作ると良いと思います。
いろいろと御疲れ様です{^^}
う〜ん
そうですか
だったら、電話帳で調べてみてはどうでしょうか?
県立図書館クラスもしくは大きなNTTには全国の電話帳がありますので
山口県と福岡県の全てを調べれば出てきませんかね
でもその前に苗字が判明したのならそれは戸籍からですよね
戸籍からその高祖母の実家がわかったのなら
明治19年戸籍だとして
山口県○○郡△△村佐藤一郎長女入籍スというように記載されていません
でしたか?
そうしたらその○○郡△△村に該当する電話帳を調べてみれば?
498 :
飛瀬:2005/09/07(水) 02:10:16
>>496、497
レスありがとうございます。
高祖母の実家は愛媛県なんです。
おそらく愛媛から山口、福岡に出て行ったんだと思います。
暇を見つけて今度県立図書館に行って見ます。
499 :
飛瀬:2005/09/09(金) 19:53:38
経過報告です。
今日学校の図書館で○○町史を読んでいましたら、例の全国でも数少ない名字を持っているご先祖様と
同じ名字の戦国武将を発見しました!
ご先祖様が住んでいたところと近いですし、関係があるかもしれないのでまたさらに調べてみます。
500 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 21:11:54
>>499 よかったですね{^^}経過楽しみにまってます!
よかった、よかった
そうそう町史は読んだら結構面白いですよ、私の場合は自分の先祖の話などは出てこなかった
ですが、その地域の歴史、支配者の変遷など興味深いです。色々な町史をみて
なんとなく知識を深めていったら、あるとき、点と点が線になることがあります
個人的にはその苗字がなにか知りたいですが、2ちゃんなので止めときます
インターネットでその苗字をググってみたらどうでしょう
502 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:39:25
鬼○さんでしか?
504 :
飛瀬:2005/09/10(土) 00:23:15
>>502 ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル
>>503 ダウンロードはしましたが・・・、多くを語ると情報が漏れそうなんでやめときます。
505 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 10:51:14
質問です。
「高曾祖父」「高曾祖母」(高祖父or高祖母 の 父と母)という言葉は一般的なんですか?大辞林にはなく、ネットでもよくわからなかったのですが・・・中国語なのかな??
506 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 12:10:14
当家は神代の昔まで先祖のコトは分明して居るぞよ。
やはり、平民どもは詰まらぬのう!
なぁ質問なのだが家紋が無い奴っているのか?
>>507 最近の家は無いことも多いと思うよ。家紋なんてそれほど使わないからね〜
509 :
ちびっこ:2005/09/14(水) 20:41:45
>>507 家紋キタ───(゜∀゜)────!!うち、分家だから家紋有るのかわからなかったケド、本家行って調べたら分かったよvv
ところで質問です!!
日本の歴史に出てくる『源氏』の末裔の苗字のひとつで『原澤』っていうのが有るらしいノダ。全国の原澤さん、または『原澤』という苗字をご存知の方、何か知ってたら教えてほしいノダ!!m(_ _)m
510 :
飛瀬:2005/09/14(水) 21:47:27
>>507 ウチの母方も分家だからか家紋がよく分からんということで桐にしてたが、墓には蔦が刻まれているという矛盾。
本家は紺屋してて金持ちだったらしいけど。
自分の家は剣かたばみですが、高祖父が出た家は桐、それよりさらに前の
本家は別の家紋だったとおもいます。
剣かたばみも桐も墓を作る時に適当に選んだらしいです
512 :
飛瀬:2005/09/18(日) 00:27:35
こんばんわ!
以前お話した、庄屋出身の方のことですが一度別の家に嫁に行っていたらしくそこが庄屋だったかもしれないとのコトです。
ただ、戸籍には記されていませんし、謎です。
あと聞きたいことがあるのですが以前もお話したように母方のご先祖様は紺屋だったのですが、それってえた・非人のことをさすようですね。
ですが、母方は元は金持ちで(紺屋で)おまけに母達一族がそのような意識を持ってなく、恥ずかしいことですがその人たちを(部落の人たち)バカにしているのですがコレはどういうことでしょうか?
紺屋は別にえった、非人のことはささないと思うけど…
うちの分家も紺屋だけど身分はもちろん我が家と同じ百姓だし
江戸時代は結構な財産家だったらしい。
地方によってはわからないけど一般的には紺屋は染色業をさすだけ。
えった、非人みたいな身分を表す言葉ではないんじゃない?
514 :
飛瀬:2005/09/18(日) 11:35:57
>>513 そうなんですか・・・。
落語に紺屋の職人が太夫に濃いをすると言う話があるでしょ。
あるサイトにそれが人気だったのは紺屋が江戸時代関西では非人だったからだって書いてあったもので・・・。
まあ、どんな人だろうとご先祖様は頑張ってその時代を生きていたんだから関係ないですけどね。
疑問に思ったもので・・・。
515 :
飛瀬:2005/09/18(日) 11:41:37
反証
↓
京都を中心とする畿内の一部以外の地区では、必ずしも青屋は賤視されていなかった。
たとえば甲斐国では、青屋は卑職でないとされているし、
藍作が藩によって奨励された阿波国でも、紺屋は全く賤しまれていないのである。
(解放出版社「部落問題辞典」より)
《京都において》
青屋は、布を藍染などいろいろな色や文様に染めあげる染め物屋のことです。
なぜ、差別されたのかわかりません。だから、京都奉行から牢番・処刑役を強制された青屋たちは、
「私たちは、藍で布を染めるのが仕事であって、牢番・処刑役をやらされる筋合いはありません。」
「藍染は、おえらい天皇にも昔から納めているりっぱな物です。」というようにどうどうと抗議しました。
もっともな意見ですから、奉行も反論できず、「前から、青屋は差別されていると聞いている。
だから『エタ』身分と同じだ。」と無理に押さえつけようとしました。それならと、
青屋の中には「京都でそんな差別をするのなら、私は江戸出身だから差別するな。」
ということで江戸屋という店名に変えた者もいたそうです。
また、ふつうは紺屋も同じ意味ですが、京都・大阪あたりの職人の間では、
藍の丸染めだけをするのを青屋、
いろいろな色や文様を染めれば紺屋と区別するようになりました。
そして、牢番・処刑役を押しつけられる青屋の名をきらって、
染め物屋は、つぎつぎと紺屋・染め物屋・友禅屋などと名乗って、
組合をつくって団結して町人身分として地位を高めていきました。
大阪では、1626年、青屋が牢番・処刑役を拒否する訴えをして勝利しました。
阿波藩(徳島)では戦国時代に三好氏が支配した時は、
青屋を差別する動きがありましたが、蜂須賀氏が支配してからは江戸時代もずっと、
青屋は阿波藩で一番大切な職人として保護されました。
藍が米とならんで、藩の最大の収入だったからです。
藍の売買も、藩の専売ということで、武士が行いました。
(明石書店「江戸時代の被差別民衆」著:久保井規夫より)
ばあちゃんの実家は天文十二年まで遡れるけどばあちゃんじゃあんまり先祖って感じしないんだよな
やっぱ父方じゃないと
520 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 00:16:55
市の職員とかになれば壬申戸籍も見れるんだろうか。
521 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 22:00:22
余程の事がない限り無理なんじゃないかな
法務局保管だし
でも公務員同士は意外に適当にやってんのかな
壬申戸籍情報
昭和43年までは各役所で、本籍地、戸主名がわかれば誰のものでも取得可能でしたが、
悪用される場合もあったため現在では法務局に厳重保管されています。
(法務局では壬申戸籍は存在しないとの見解をとっています)
歴史研究家の間から情報公開とのからみで、学術研究目的に限り、
その公開を求める声が上がっています。
「壬申戸籍」を作成する際に、下資料として作った
「戸籍帳」「戸籍調べ」を若干所蔵していますが内容は「壬申戸籍」とほぼ同じ形式で書かれています。
これらの史料から自分を一代目とすると、おおかた七代前の先祖が判明します。
(明治19年戸籍では自分の高祖父が戸主の戸籍でその父親までしか分からないが
壬申戸籍ではもう一世代遡れるので7代前まで判明できる)
「壬申戸籍」には「華族」「士族」「平民」の族称のほかに
「新平民」や、その他の「同和」問題のもとになる江戸時代の身分や、
犯罪歴、病歴などが記載されているために現在では法務局に厳重保管されており
一般の人の目にふれる事はありません。
年に何回か虫食い防止のために部屋の鍵をあけ、風とおしをしています。
(法務局の職員さんはこの時に壬申戸籍が目にふれます)この事からして、
法務省(法務局)は壬申戸籍を大切にあつかっている事がうかがい知れます。
将来、法改正があり従前戸籍の閲覧が可能になった時の事を考えて、
この日本で最初の戸籍「壬申戸籍」を大切に保管しているのでは、
とのニュアンスを感じとってしまう
「壬申戸籍」には歴史研究家、とくに幕末維新期を研究している人にとっては、
のどから手が出るくらいの貴重な情報の記載があります。
壬申戸籍の法務局の秘密保管であるが、ある意味では、
「公然の秘密」になっている。職員に問い合わせても、
「廃棄して保管が無い。」としか回答はしない、
職員も全員が見ているわけではない(一部の担当者のみ)
どこかのHPのコピペです まあ自分の先祖の壬申戸籍が眠っている法務局の
局長くらいになればこっそり見れるのではないのかな
もし将来公開されるような事があっても、間を埋める除籍簿が80年で廃棄だし、
ほとんどの人が壬申戸籍までたどり着けないと思う。
525 :
飛瀬:2005/09/23(金) 23:34:50
先祖マニアさん、ありがとうございます。
おかげで、なぜ紺屋の子孫の母方一族が賎民とされたいた者の子孫という認識がなかったかわかりました。
まぁ、その母方は四国なので京とは若干違うでしょうが。
自分は取れる戸籍の7、8割りはとったのでもうそろそろ先に進んでみようと思います。
飛瀬さんの母方の田舎が阿波かどうか分かりませんが、四国の方なら紺屋=有力者
というようなイメージがあるのかもしれませんね
頑張ってください戸籍より以降は難易度は上がりますが情熱で行きましょう
幸い七郎右衛門さんも詳しいですし、力になってくれると思いますよ。
527 :
飛瀬:2005/09/24(土) 01:27:54
>>526 ありがとうございます。
今のところ血統で7代前、家としては6代前が最高なのですが(以前言っていた武将は正確な関係が把握できていません)
その1,2代前はいけたラと思います。
皆さんは戸籍や除籍の保管はどのようにされていますか?
自分は何回も見てたりしてたらボロくなってきたのですが・・・。
7代とはすごいじゃなですか!!!!!
自分も1人戸籍で分かった7代前がいますがめちゃくちゃ奇跡的に
戸籍に記載されていました(戸主の大叔父が失踪したため除籍されなかった為)
戸籍ではそこが限界ですのであとは、墓、位牌、戒名、過去帳、家系図、伝承などからの
遡りになります。まあ1,2代ならいけるのではないでしょうか?
皆さんは戸籍や除籍の保管はどのようにされていますか?
自分も原本をずっと見ていたら劣化してきたので
コンビニで全てコピーして(A4サイズに)それをクリアブックにいれて
ファイルしました(クリアファイルはめくる時に早い)
これ結構便利です、付箋紙とかで家別に分けていればすぐに見たい家のところも
見れますしね。
一応父方、母方に分けて2部にしました。
先祖マニアの名に相応しいですな
531 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:50:24
>>530 何が知りたいのかは知らないけど、
普通に読み書きればわかるレベルの内容だけど?
山形県士族。米沢出身とか書いてあるね。
たしかに明治23年に陸軍歩兵大尉に任じられているようだけど。
>>530 明治27年に胤家さんが分家したみたいだからそんなに古い家ではないな
533 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:26:16
>528
戸籍・除籍謄本や登記簿謄本は全てコピーをとり
原本は大切に保管。
謄本類のコピー、公図、地図類、墓石の写真、図書館で資料をコピーしたものは
見やすいように並べてドッチファイルに編集。
534 :
飛瀬:2005/09/24(土) 21:09:53
>>528 >>533 ありがとうございます。
みなさん、そのようにしてるんですね。
ところでコピーするときはホッチキス外しますよね?
>>534 ところでコピーするときはホッチキス外しますよね?
もちろん
536 :
飛瀬:2005/09/24(土) 23:15:34
>>530 スゲーこんなの初めて見た
この画像から分かること
??胤家は嘉永6年生まれ(1853)
父親??與?と母親千代の子供 ちなみに父親44歳母親29歳の時の子供
明治5年19歳の時に陸軍学校に入学
明治7年には軍曹となる 21歳
明治11年の恐らく西南戦争に従軍した恩賞として金70円を下賜される
明治13年に長男 喜久次が生まれる 27歳(まだ婚姻届をだしていない)
明治18年に二男 丈浩が生まれる 32歳 (この時に婚姻届だす)
妻は千葉県の坂本登良(安政6年1859生まれ)
このころ胤家は銚子、下総、東京の方を演習、出張しているので、現地で
登良に出会い結婚したのでしょう
明治20年に三男 参次が生まれる 34歳
明治23年に四男 弓雄が生まれる 37歳
最後に明治27年に長女せろ?が生まれてついでに分家もする 41歳
順調に出世して明治23年に陸軍歩兵大尉となる 37歳
明治28年には勲四等瑞寶章をもらう300円下賜される 42歳
その時代を一生懸命に生きた先祖ですね
家系図
??與?・・・・
・・・・・・??胤家・・・・・
町田弥?郎・・町田千代・・・・ ・・・喜久次
・・・丈浩 この誰かがあなたの祖父ですね
・・・参次
・・・弓雄
坂本喜兵常・・・・・・・・坂本登良・・・・・
とゆことはあなたは50〜60代???
539 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 03:42:21
>>537 > 父親??與?
與惣(よぞう)かもしれないね。
「惣」の俗字「総(の糸偏が手偏の字)」に見えるよ。
540 :
530:2005/09/25(日) 09:46:00
>>531>>532>>537>>538>>539 レスどうもありがとうございます
ごく一般的な普通の日本人である私も大凡のことはなんとなく分かるのですが
私が気が付かないような事柄もみなさんに公開することによって新しい発見が
あればと思って致しました、すいません。
因みに私は弓雄さんの孫(父方)にあたります、現在まだ30代(恥ずかしながら)です
旧日本兵階級
階級 役職 指揮下にある人員
2等兵 入隊直後の兵士。普通次の兵士が入隊すると自動的に1等兵になる。「新兵」とほぼ同意
1等兵
上等兵
兵長 旧「伍長勤務上等兵」
以上を総称して「兵」という。直属部下無し
伍長 分隊長 10〜20人
軍曹 同上
曹長 小隊長もあり 50人くらい
以上を総称して「下士官」という。
准尉
准将校。これと下士官は、いわばノンキャリア組の到達点。
兵隊にとっては一番怖い存在。
見習士官 階級ではないが大学生や兵学校卒は教育を受けてこれになり、すぐ少尉に任官される。
いわば軍エリートの出発点(少尉候補生とも言うらしい。海軍用語?)
少尉 小隊長 数個分隊(50人くらい)
中尉 同上
大尉 中隊長 4個小隊(200人くらい)
少佐 大隊長 数個中隊+特別中隊(800人くらい)
中佐 同上
大佐 連隊長 数個大隊+特別大隊(2000人くらい)
少将 旅団長 2個連隊+特別大隊(5000人くらい)
中将 師団長 数個連隊+特科連隊(1万人くらい)
大将 軍司令官 数個師団(数万人)
元帥 大将のうち功績抜群のものがなる
つまり200人くらいの兵士の指揮官ですね
あとおじいさんが明治23年に生まれたあなたが30代ならば
とても遅くに子供が出来たのですね
父親もあなたも45歳くらいに出来た子供か???
542 :
飛瀬:2005/10/01(土) 20:09:44
今日は県立図書館に行って例の珍しい名字を持った語先祖様と同じ名字を持った2件のかたの詳しい住所を調べました。
結果、一件は分かりましたがもう一件は分かりませんでした。
今は忙しいのでできませんが落ち着いたら、過去のレスを参考に手紙を出してみようと思います。
ただ、一件だけなので返事が来ないと痛いですね・・・。
そうですか電話帳を調べましたか
手紙の件ですが、だめもとで送るくらいの方が気が楽ですよ
それと、相手に信頼されるためにこちらの情報は全て示しましょう
自分は今まで調べて自分からの全ての直系尊属の家系図と
戸籍謄本(全てではないその先祖の名前が記している1枚のみ)
他にはその苗字の由来などを自分なりに調べたメモ
色々な資料を同封しておくります。
どうしてかというと、こちらの熱意を感じてもらいたいのと、その資料のなかの
なにか一つでもピンっときたものがあり、そこから連絡を取って頂けないかなと言う
一縷の望みがあります。(実際にそれで成功した例もありますしね)
昨今の個人情報保護やプライバシーの問題もありますが、こちらの情報をさらけ出さないと
なかなか相手も教えてはくれないでしょう。
544 :
飛瀬:2005/10/02(日) 17:49:46
だめもとですか・・・。
まぁ、出来る限りのコトはやってみます。
545 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 22:24:15
鬼●は、写録宝夢巣で調べれば、2件でてきます。
546 :
飛瀬:2005/10/02(日) 22:48:46
>>545 写録宝夢巣もってないですよ。
今月厳しいし・・・。
547 :
飛瀬:2005/10/03(月) 20:25:35
みなさん、教えて欲しいのですが、今戸籍を見ていたら高祖父は明治元年生まれなのに高祖父の戸籍の母の蘭を見ると、高祖父の父との結婚が明治17年になっているのです。
それで連れ子もいたようです。
これって再婚ということでしょうか?
高祖父と高祖父の母は血のつながりがないのでしょうか?
548 :
飛瀬:2005/10/03(月) 22:30:48
すいません。
後もう一つ質問させてください。
戸主秀吉さんの父の欄に家康さんが記してあったとします。
家康さんのところには祖父聖徳太子養子と記してあります。
この場合の祖父とは秀吉さんの祖父のことでしょうか?
それとも家康さんの祖父のことでしょうか?
秀吉さんの場合だと血は聖徳太子さんとはつながらないけど家康さんの場合だとつながってくるのでどっちだろうと困ってます。
549 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 22:33:08
戸籍は全て、戸主中心に書かれてある。
続柄も戸主から見てのもの。
550 :
飛瀬:2005/10/03(月) 22:49:06
>>549 ありがとうございます。
普通な養子ということですね。
だれか547の質問は分かる人いませんか。
551 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 22:51:42
552 :
飛瀬:2005/10/03(月) 22:55:03
>>547 そうかもしれないし、そうでないのかもしれないし戸籍だけでは判断つくのかな?
まず、明治元年に生まれて結婚が17年だったというケースは私の家にも
あります
戸主 山田太郎 万延元年生まれ (1860)
妻 トメ 慶應元年生まれ (1865)
女(後に長女) 花子 明治14年生まれ (1881)
女(後に次女) 良子 明治17年生まれ (1884)
女(後の三女) 理恵 明治24年生まれ (1891)
長男 玉吉 明治40年生まれ (1907)
明治40年に太郎とトメは婚姻しています
女は一気にみんな認知しています
つまり長女が生まれて26年後に婚姻しています。
これは何を意味するのかというと男が生まれるまで入籍は認めないということです
戦前はこのようなことがたくさんあったのではないでしょうか?
ちなみに太郎は入夫婚姻です(婿養子です)
跡取りの男を作るまでは入籍は認めん!!だったんでしょうね
ということで高祖父は長男ではありませんか?
高祖父の兄弟はみんな女ではないですか?(しかも全員姉とか)
高祖父の父の戸籍はないのですよね?
だったら女兄弟の有無もわからないか
あと連れ子云々で本当の母でないのなら戸籍に母ではなく(父の妻)と記載されます
このような例が私の先祖にもありました
555 :
飛瀬:2005/10/04(火) 00:19:20
長男です。
兄弟というか母連れ子と記されている人はミンナ女です。
ただ、血縁関係があったとすれば妹になります。
戸主とか父とか書いてある欄には母としるされていますが、別の欄には父家康(加名)妻と記されてあります。
どうなんでしょう?
むむ
別の欄に父家康妻と記しているのなら継母の可能性の方が高いと思うのですが・・・
兄弟というか母連れ子と記されている人はミンナ女です。
(戸籍に母連れ子と記しているのですか?それは見たことありません)
違うアプローチとして高祖父の死亡記載がある戸籍を見てください
その戸籍は恐らく息子、孫が戸主で父親若しくは祖父で戸籍に記載されています
(つまり明治31年か大正4年版の戸籍です)
この戸籍の母親名が誰なのかを調べてみればどうでしょうか?それが
本当の母親なのかもしれません。
もう一つ高祖父の父と母の生まれた年は分かりませんか?
明らかに母親ではない年かも知れません
例) 継母と仮定して 明治17年の時点で30歳だとしたら明治元年では13歳になり
絶対に母親ではないとか
逆に明治17年の時点で60歳なら明治元年なら43歳(これもう〜ん)
とかね
558 :
飛瀬:2005/10/04(火) 20:23:24
母親についての記載はありませんね。
あと連れ子の一人は母連れ子、もう一人は母子と記してあります。
高祖父の父は天保九年生まれ。
母は弘化元年生まれです。
う〜ん、普通ですね。
でも父家康妻と記してあるんで継母のような気がシマス。
ただ、母連れ子と記してある欄があるのなら母としるさずにこれも父家康妻とか継母とか記せばいいのにとも思うし・・・。
まあ、
559 :
飛瀬:2005/10/04(火) 20:24:09
まあ、は気にしないで下さい
>>558 違うアプローチとして高祖父の死亡記載がある戸籍を見てください
その戸籍は恐らく息子、孫が戸主で父親若しくは祖父で戸籍に記載されています
(つまり明治31年か大正4年版の戸籍です)
この戸籍の母親名が誰なのかを調べてみればどうでしょうか?それが
本当の母親なのかもしれません。
↑
これはどうなりましたか?(その前にこの死亡記載が記されてある戸籍はありますか)
561 :
飛瀬:2005/10/04(火) 21:51:09
高祖父は高祖父の戸籍にしか載っていません。
息子の戸籍には高祖父が死去したので相続云々と書いてあるだけです。
よって他の母に関する記述はなしです。
で、死亡記載とは何月何日に死亡したということですよね?
>>561 ちょっと整理します
高祖父は高祖父の戸籍にしか載っていません
↑
ということは高祖父の名前がある戸籍は一つしかありませんですか?
恐らく高祖父の戸籍は明治19年戸籍だと思います。
ということは明治31年戸籍か大正4年戸籍に移行した時の高祖父が戸主の
戸籍があるとおもうのですが・・・・
若しくは隠居して息子の戸籍で父親として入っている可能性もあると思います
そこの父親と母親の欄を見てみれば名前が記載していますので継母なら本当の
母親が記載されていると思います。若しくは不詳と記載されているか空白です
私の例では、父親名(仮名)が
明治19年戸籍では 嘉蔵が
明治31年では氏不詳 嘉蔵になり
次の大正4年では継子の戸籍に入り(父の妻として)吉田嘉蔵となって
いました、つまり大正4年の戸籍編成の時に分からないものは戸籍史がいちいち聞いて
回ったのではないでしょうか?
もしないのなら明治31年若しくは大正4年までに亡くなったということですかね
563 :
飛瀬:2005/10/04(火) 23:08:27
ええ、戸主となりたる云々がないので19年式だと思います。
でも、それだけしか高祖父の戸籍がありません。
この戸籍をとるときに曽祖父の生から死までを下さいといったらもれなく高祖父のものがついてきたのですが・・・。
もしかして、高祖父の生から死までを請求したら31年か四年式のを取得できるのですか?
ちなみに高祖父は昭和9年まで生きていました。
ちなみに曽祖父が高祖父が死んでから相続しているようなので隠居はしてないと思います。
やっぱり
高祖父が昭和9年に亡くなったのなら確実に100%戸籍があります
もしかして、高祖父の生から死までを請求したら31年か四年式のを取得できるのですか?
↑
そうです(役場に行って今度は高祖父の生から死までくださいと言ってください)
ちなみに曽祖父が高祖父が死んでから相続しているようなので隠居はしてないと思います。
↑
そのまだ手にしていない戸籍にひょっとしたら隠退とかで記載されているかも
まあ本当に隠居していないのかもしれないですが。
というか高祖父が昭和9年になくなっているのなら
高祖父の父の戸籍もあると思うんだけどな〜(推定死亡年は明治25〜35年頃)
生まれたのは天保9年ですが亡くなったのはいつですか?
高祖父の父の戸籍も請求しましたか?
565 :
飛瀬:2005/10/04(火) 23:58:20
高祖父の父は明治26年になくなっています。
でも80年過ぎてるから厳しいですよね。
高祖父の父の戸籍は請求してませんが、曽祖父のをとったときに(高祖父のもついてきた)これ以上はムリです。
っていってたと思うんですが・・。
曽祖父の生から死を請求しただけだから早々が載ってる戸籍のことを言っただけかもしれないし・・・。
>>565 高祖父の父は明治26年になくなっています。
でも80年過ぎてるから厳しいですよね。
ここが微妙なんですよね、私の経験では80年を過ぎているから破棄したという
戸籍の方が少ないのですよ8割位は明治19年から一度も破棄されずに保存している
というケースが多いです(まあ私の場合はクソ田舎ですが)
高祖父の父の戸籍は請求してませんが、曽祖父のをとったときに(高祖父のもついてきた)これ以上はムリです。
っていってたと思うんですが・・。
曽祖父の生から死を請求しただけだから早々が載ってる戸籍のことを言っただけかもしれないし・・
↑
恐らく勘違いではないでしょうか?
役場で戸籍を入手するときのテクニックは
この方の直系尊属の方のしかも生から死までをくださいということです
役場も面倒なので途中からはもうないかもしれませんとか言い出します
(かもしれませんがミソです暗に相手に諦めてもらおうというスタンスです)
若しくはあなた誰?子孫の人?何で必要なの?とか聞きますが
記載事項確認のためとか、戸籍法12条の2に基づいて請求してますんので
問題はないと思いますとか
ないかもと言われたら
では破棄証明をあなたの責任において発行してくださいといってみるとか
(役場が破棄したら破棄証明をくれます)
この時名札の名前をみてその名前でいいましょう
例えば『田中さんの責任において破棄証明を発行してもらえますか』なんて
言ったら田中さん一気にマジで探し始めますよ
時には理論武装も必要です が しかし喧嘩ごしでは駄目です、あくまでも
丁重に物腰柔らかく笑顔でいいましょう
それでも無くて、しかも証明書まで発行してもらって
やっとこの役場にはもう戸籍は請求できないなということになります。
そうしたら別の方法を考えます
先祖を探す時には1%でも可能性があればそれを潰して行くことです。
そうすると、二度手間にならないし、後から後悔しなくてすみます。
(私は色んなことで何回も後悔しましたので)
568 :
飛瀬:2005/10/05(水) 00:30:22
>>566 ありがとうございます。
しかし、本を読んでも分からないようなテクニックが先祖マニアさんを初めとしたひとに教えていただけるのでありがたい限りです。
平日は休みないんでもうちょっとしたらいってみます。
若いんでなめられないようにしますよ。
>>568 震災と戦火で消失した自治体の場合は、
告知書という形で用意しています。
神奈川の鶴見区の一部、横浜市。
東京は既出。
もちろん無料ですから、請求すればくれます。
しないと、、、貰えません。
お初にお目にかかります。
先祖のことを調べている者なのですが、躓いております。
ぜひご助言いただけたらと思います。
我が家は系図によると鎌倉時代中期ぐらいまで遡れるのですが、
それ以前のものについては分かっていない状態です。
我が家の記録によると、ご先祖は桓武平氏とあります。
今回ネットで桓武平氏の系図を見ていたら、
ご先祖が使用していた通字が桓武平氏のある箇所に見受けられました。
ですが、名前が一致するご先祖はいません。
ちゃんとした家系図を作るためにやってきたのですが、
やはりこれ以上は専門家の方々にお願いするのが最善でしょうか?
571 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:50:36
飛瀬さん、郵送で請求すればいいんだよ。
572 :
オオクワ専門さん4:2005/10/05(水) 19:03:28
1から571は先祖信者
先祖なんて分かるはずがない
先祖が分かったとしても
農民、商人、が普通だろ
先祖なんて調べても何も面白くない
>>570 鎌倉とは驚きですね、そこまで分かればたいしたもん
無理に桓武天皇にくっつける必要はないのでは
とはいえ天皇家にくっつけたいのは人間の性ですけどね。
ネットよりも、武鑑、群書系図部集、系図纂要、断家譜、寛永諸家家系伝、寛政重修諸家家譜
などを調べてみた方がいいですよ、どれも県立図書館クラスにはあります。
上記の本をひとつひとつ調べてみたらどうでしょうか?
家系図について570さんの家系図の人物は一人一人の人物の生年、没年、官位、母、妻
いついつどんなことをしたとか、いつこの官位についたとか、いつ武功をあげたとかなどが
詳細に記してありますか?
それと家系図を作った年号とか記してありますか?例えば安永二年巳写すとか
初代のころは名前だけで後半から急にそのような詳細な情報が記している場合
贋作の可能性もあります。
574 :
飛瀬:2005/10/05(水) 21:35:36
>>569 うちの先祖さんは都市部にはいないので大丈夫です。
四国の山奥に・・・。
>>571 郵送ですか・・・。
でも住んでる町の役場(合併後)だから馬鹿馬鹿しい気がするんですよね・・・。
そりゃあ、早く欲しいですけど。
考えときます。
>>574 たしかお父さん役場に勤めていませんでしたっけ?
そのコネを使ってみたらどうでしょうか
577 :
飛瀬:2005/10/05(水) 21:59:37
>>576 ええ、役場勤めですが・・・。
最近忙しそうですからね・・。
まぁ、言うだけ言ってみます。
>>573 それまでのものが痛んでしまったのか、今の家系図が作られたのは1600年中頃ぐらいの時です。
系図にある人物には氏が書いておらず、名前だけです。
何回か氏が変わっている可能性があるので大きな関心事です。
家系図については私どもに至までの経緯だけが書かれています。
没年、母、妻、兄弟等についての情報はないです。
今の名前になる時の最初の人物については、□□(氏)○○(地名)△△(名前)とあります。
ちなみにこの地名はご先祖と関係がありそうもないところです。
こういったこともあり、自分でも疑いを持たざるをえない状況です。
>>575 系図で同じ通字を使っている箇所を見つけたのですが
名前まで一致する人はいません。
>>572 お前がこの世にいるのは遠い先祖がいるからだ。
先祖が百姓だろうがエタ非人だろうが関係ないじゃないか。
大事なのは先祖を知り敬う精神なんだよ。
いくら先祖を知っていても人前で先祖の自慢話しするような奴はその精神に欠けているってことだ。
580 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 10:06:25
言うだけムダでしょ
元々マニアックなライフワークだし
581 :
オオクワ専門さん4:2005/10/06(木) 10:50:38
578
家系図なんてあるはずないだろ
探しても無駄
もし見つかったとしてもあまり期待しないほうが良い
家系図なんて探すな
みてショックだからな
先祖なんて農民、商人、が普通だ
期待するな
582 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 11:08:25
>>581 先祖が農民、商人なのがなぜショックなの?
十分楽しいじゃない
先祖が農民でも楽しいけどなぁ
どっかの土地に根ざしてながーく暮らしてたかもしれないしね
584 :
オオクワ専門さん4:2005/10/06(木) 13:56:10
570
釣りだろ
家系図なんてあるわけないだろ
家系図があったとしても
570が適当に作った偽の家系図だろ
家系図なんて普通ないと思うが
期待するな
有名な家系は絶滅したんだぞ
絶滅した有名な家系
織田家
豊臣家
徳川家
天皇家
つまり有名な家系はすべて絶滅したわけだ
天皇家は絶滅したから
まったく関係ない明治天皇が天皇になったと他のスレッドでみたことがある
織田家は1582年に織田信長が本能寺でなくなったから織田家も絶滅したと
思われる。
585 :
オオクワ専門さん4:2005/10/06(木) 14:12:39
豊臣家は大坂夏の陣で豊臣秀頼がなくなったので
豊臣家も絶滅したのである
他にも絶滅した有名な家系はたくさんある
竹田家は長篠の戦いで竹田勝頼がなくなったので
竹田家も絶滅している
石田家も関ヶ原の戦いで小早川軍15000が東軍に寝返ったので
西軍が敗れ、東軍が勝ったので西軍の総大将石田三成は逃げたが
見つかり石田三成はなくなったので石田家も絶滅したと思われる
586 :
オオクワ専門さん4:2005/10/06(木) 14:23:10
少しは学習しましたか
有名な家系はすべて絶滅したんですよ
生き残っている家系は農民、商人がほとんどだ
↑
みんなこの消防に釣られるよ
荒しは無視無視
588 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 15:37:35
589 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 18:18:13
竹田家
590 :
飛瀬:2005/10/06(木) 19:21:34
みなさん、まったりと逝きましょう!
591 :
オオクワ専門さん4:2005/10/06(木) 20:06:05
587
おまえが荒らしだろ
訳の分からないこと言って
先祖に期待するなと言うことだ
587は先祖に期待しすぎ
587は先祖信者
587は先祖探して何したいんだよ
みんな587に釣られるな
587は何も知らない小学生だろ
おれは中学生の引きこもりだ
だから小学生の587より日本史に詳しい
このスレッドも荒れてきたな
みんな587の言うことは何もかもでたらめだ
587おまえはそんなに悪い人じゃない
しかし587先祖探して自慢するおまえが悪い
587先祖に期待するな
NGワードに オオクワ専門さん4 と入れて楽しく行きましょう〜
オオクワ専門さん4なる者は自分の先祖に並々ならぬコンプレックスを持っているようです。
かわいそうな消防だと思ってスルーしてあげてください。
もう少し大きくなれば古くより続く家系もあるとわかってくれると思います。
NGワード奨励 オオクワ専門さん4
594 :
飛瀬:2005/10/06(木) 21:32:26
>>592 良さそうなので、これから郵送請求する時は使わせていただきます。
>>578 やはりそうですか
1600年中期からとなればかなり怪しくなってきましたね
570さんの家の家系図が贋作とは断定しませんが、ちょうど1600年代中期から
贋作が流行った時期がありました、特に昔はその家柄が出世や発言権の拡大、身分の向上に
直結していたからです。江戸時代特に有名なのは六角小輔佐々木氏郷こと沢田源内という
偽家系図つくりで有名な人物もいます。
570さんみたいな古い家系図の検証は
金園社 家系のしらべ方 丸山浩一 に載っています
今の名前になる時の最初の人物については、□□(氏)○○(地名)△△(名前)とあります。
ちなみにこの地名はご先祖と関係がありそうもないところです。
この最初の人物の○○地名の現在の市町村の所の町誌なり郡誌なりを丁寧に
見ていくとひょっとしたら先祖に関する記述があるかもしれません。
例えば戦国時代に戦に破れて父親死亡で三男が父親の姉(伯母)のところで
育ってそこの武将になるとか、隣村に逃れて帰農するとかはざらにありますからね
ちなみに最近では沢田源内に対する評価も変わった見方があります
(実は本物だったとか諸説あります)
597 :
オオクワ専門さん4:2005/10/07(金) 08:01:12
593、594、595、596
おれが言いたいのは先祖自慢するなと言うことだ
先祖探すのは勝手だが
>>585 ウチは武田家の分家ですけど何か?ちゃんと家紋だって掲げてある。
君の言うことを簡潔に述べてみるとだね、
一族の長が死んだ=一族みんな抹消。
これはとんだ間違い。
逃げのびる者もいるんだよ。
そんな単純な理由で一族を勝手に滅ぼされたことにされてたまるか。
そんな事を言うのであれば、織田信長は本能寺で死んだが何故一族が生きているんだ?
ほら、今だってフィギュアスケートの織田なんたらいうコが祖先として生きているぞw
599 :
オオクワ専門さん4:2005/10/07(金) 16:53:41
598さんは武田家なんですか
すごいですね
でも自慢しないでくださいね
600 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 17:32:58
祝! 600get
☆ ∵∴∴☆※☆∴∵∴ ./
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∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵ うんこーーー!!!
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601 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 17:43:54
>>599 自慢されていると思う=コンプレックス
自慢を微笑ましく思う=祖先に誇りを懐く大人
602 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 19:30:23
どんな先祖だろうが、家系を絶やさずいてくれたから今の自分がいる
村人のためにせっせと農具を作っていた、鍛治屋のご先祖様を
オレは誇りに思う。
603 :
飛瀬:2005/10/07(金) 19:37:46
>>602 いいこといった。
自分も一生懸命畑を耕して日本の食糧事情に貢献した農民の先祖と
日本の伝統産業でもある染物をしていた紺屋の先祖を誇りに思う。
身分なんて関係ない。
そして、自分の先祖に誇りを持つことも大切だと思う。
604 :
オオクワ専門さん4:2005/10/07(金) 19:58:01
なんでここのスレッドの人たちは先祖が分かるんですか
先祖の調べ方があるんですか
どういう方法で先祖調べてるんですか
飛瀬さんに教えてもらいなさい
「うちの先祖はずーっと農民だ。サムライなんて関係ないよ」という家も多いと思いますが、そうでしょうか?
私たちの親は2名、祖父母は4名、曾祖父母は8名、高祖父母は16名、その上は32名、その上は64名です。
その上は128名(←ここら辺でだいたい1750年代、まだ250年ぐらい前)になります。
128名の祖先の中には武士もいれば、農民、商人もいると思われます。調査中に家の由来を聞くと元は武士だったという家も意外と多いです。
(元は武士だったが戦に破れて帰農したとか、武士だったが殿様の転封後祖先はそこに残り帰農したなど)
又、逆に自分の家の祖先は武士だとか血筋がいいとか旧家とか自慢する方がいらっしゃいますが、あまり意味がありません。
だいたい27代さかのぼると800年前、鎌倉幕府成立ごろになり、自分と血のつながりのある先祖だけでも現在の日本の人口を超えます。
計算すると2=(27)134,217,728≒1億人強。(そのころは人口が少なく近親婚、いとこ同士などが多かったようです。)
ということは、究極的にはどなたの先祖も武士であり、公家であり、天皇であり、商人や農民、職人なのです。
また日本人全員が源氏、平家、藤原氏、橘氏を先祖に持つといわれています。(まとめて源平(げんぺい)藤(とう)橘(きつ)と言います)
家系調査をしていると「いい家柄でありたい」と思うのが人情で、それを否定するつもりはありません。ただ、あまり狭量になりすぎるのもどうかと思います。
名も無い庶民の家系は記録に残りませんし、不都合な事柄は削除されていきます。先祖へと繋がる糸は本来、幾筋も延びているはずなのですが、結果として、
支配者階級など特殊な系統だけが資料として残っている訳です。
608 :
飛瀬:2005/10/07(金) 20:15:53
>>604 直系尊属の除籍謄本を取得すれば4〜7代前まで分かります。
時代にすれば幕末から明治ぐらいでしょうか。
過去帳などを調べればもう少しいけるそうです。
自分は本を読んでやっていましたが、あまり理解できなかったのでココで先祖マニアさんを初めとした方々に指導を受けつつやってます。
詳しくは過去ログを見れば分かると思います。
「わが家の先祖は皇族,公家、大名、士族出身」というのは、たまたま系統の繋がりが証明できただけに過ぎません。
家系を調べていく上であなたの家系がいい家柄であっても、あるいは名も無い庶民であったとしても、
人は等しく幾億もの遺伝子を受け継いだ人類共通の子だという気持ちを忘れないでください。
610 :
オオクワ専門さん4:2005/10/07(金) 20:29:37
608
家系図がなくても先祖調べられるんですね
いろいろ教えていただき本当にありがとうございました
でもまだわからないことがありますので詳しく教えてくださいませんか
具体的に何が分かりませんか?
先祖を調べる手順(詳細版)
@戸籍・除籍謄本入
自分の戸籍謄本請求→親の戸籍謄本請求→父方、母方、の父(祖父)、母(祖母)の謄本請求→それぞれ・・・
戸籍・除籍謄本を請求する際、請求理由を書きます。請求理由は「先祖供養」が妥当かと思われます。
請求理由を詳しく聞かれた場合「新しく仏壇を作るのでその先祖を調べる」「墓を作るので必要」でいいでしょう。
(理由を聞かれた場合のみで、自分からは言わない方が無難です。「家系図調査」での請求は認められません。)
A死亡記載の戸籍・除籍謄本請求
請求する戸籍・除籍謄本は、その人間の生から死まで記載されているものを請求します。
戦前は、分家しない限りは戸籍が独立しませんでした。
また、戸主が長生きすると隠居して子や孫の戸籍に入っていました。
その場合はその子供や孫が戸主となっている戸籍を請求しましょう。
原則は直系尊属しか請求できませんがその戸籍の中に自分の直系尊属の祖先が記載されており、ほぼ請求できます。
請求する際は「生から死まで出してください」と言って下さい。
B家系図作成
戸籍を読み取って家系図を作成しましょう。
昔の戸籍は何かと複雑で、しかも手書きです。名前や親子関係を間違わないように、しっかりと読みとりましょう。
生没年も一緒に書き込みましょう。
さて、ここまでで、父方、母方の高祖父母が全員(16人)判明したのではないのでしょうか。
その方々は、江戸末期から明治にかけて生きておられたのではないのでしょうか。
坂本竜馬や勝海舟など「幕末の志士」と同時代に生きておられた先祖です。ロマンを感じませんか・・・?
データベースの基礎の基礎がここで出来上がります。「基礎の基礎」とは言え、史料価値は相当のものです。
C旧土地台帳調査
旧土地台帳の調査は少し特殊で、土地の持ち主から先祖を探します。(登記簿・閉鎖登記簿なども同様です)
ここは「案ずるより生むが易し」の典型で実際やってみれば簡単です。
旧土地台帳とは、現在の土地登記簿のようなもので一冊が電話帳と同じくらいの厚みがある本です。
また、閲覧、証明は手数料ゼロ、運転免許証や印鑑も不要です(法務局によって違うかもしれません)
費用が掛からない代わりに、手間と時間が掛かります。戸籍で得られなかった情報が手に入る確率は低いですが、調べる価値はあると思います。
旧土地台帳調査を、後回しにして、親戚まわりをしても構いません。
D親しい親戚宅で過去帳、墓石調査
家系図と戸籍類を持参で、親しい親戚や本家に行って、過去帳、位牌、墓石、仏壇を見せてもらいます。
ここで、頑張って作成した家系図が役立ちます。過去帳、位牌、墓石で分かったデータは全て写して帰りましょう。
戒名、俗名、没年(いつ死んだ)、享年(何歳で死んだ)などです。付録の「生没年月日調査表」を活用して下さい。
ここからは戸籍謄本のように続柄が記載されていないので、推測になってしまいます。(過去帳には「○○兵衛父」など若干記載があります)
E親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらう
親しい(血縁関係が近い)親戚の紹介で寺の過去帳を見せてもらいます。
@)親戚からお寺(先祖の菩提寺)に新たに過去帳作成を依頼して貰い、出来上がったら見せていただきましょう。
しかし親戚に(過去帳作成にかかる)高額な謝礼も負担して頂く訳ですから、後日ご仏前を供える等の配慮をしておきましょう。
A)それが無理なら、親戚に菩提寺を紹介してもらってお寺の過去帳を見せてもらいます。
お寺さんも「檀家のプライバシーに関わる」と言って見せてくれない場合もあります。が、そこは粘り強く、
10年越しを想定して交渉し、お寺との信頼関係から築きましょう。
B)10年も待てない場合には「先祖供養がしたいので、新しく過去帳を作って下さい。」とお願いしましょう。
当然謝礼(3〜5万円位)が必要ですが、一番現実的かつ確実な方法です。
ここからは難易度が高くなります自分の家ではなく親戚の家が絡んでくるので
相手方に拒否されたらまず無理ですね、お寺は更に難易度が高いです。
F付き合いの無い遠縁親戚に手紙を出す(手紙の書き方は別項を読んで下さい)
ここからは遠い親戚です。(曾祖母の実家など親戚付き合いをしたことがない家)
まず、家を特定しなくてはいけません。戸籍に書いてある住所に対応する現在の住所近辺を、
電話帳で同じ苗字の人を調べ(全国の電話帳は図書館にあります)片っ端から手紙を書きます。
古地名→新地名の対応は地名事典か役場に問合せます。手紙を書く手間を省く事もできます。
手紙には、証拠として戸籍謄本のコピー、記載人物と自分の関係がわかる家系図(手書きで構わない)を同封しましょう。
戸籍で分からなくなるのは明治19年の戸籍が出来る以前で、江戸の終わりか明治の初めに亡くなった方です。
ということは跡継ぎがいなくて断絶した家や分家をして他のところへ引っ越した方を除けば、親戚が見つかる可能性は高いです。
手紙を出しても分からない場合がありますが、それはそれで良いと思います。
G遠縁や親しくない親戚宅での調査
これは親しい親戚との調査とあまり変わりません。DEを参考にしてください。
ただ、初めて行くお宅もあるでしょうから、「ご仏前」(5,000〜10,000円)、お供え物(お酒など)は持参しましょう。
H図書館などで研究
特筆すべき事はありません。
分からない場合はインターネットや図書館員、図書館内備え付けの検索システムを利用しましょう。
ここまで調べて、どうにも分からないところで調査は終りです。江戸中期、7〜8代前になったら難しいでしょう。
旧家でしたら更に遡れるかもしれませんが
616 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 04:09:37
我が家は地元の郷土研究家がいろいろ調べてくれたようなんだけど、後になって
同姓の他家という事が解った。と、いっても伝聞ではどうも、8.9代前の我家の先祖の仕事ぶりが
周囲より認められる所となり、御本家から姓の使用を許されたとあるんだが、(それまでは姓はなく[刀工・寅冶]
こういう場合家系図的には○―○―○と直線で引っ張れないし、姓使用許可した御本家とは血族・親戚関係も無い。
洩れは先祖オタでないから解らんが、一応同姓を名乗ってる以上・その家(姓使用を許可した御本家)の関係者はどうなのか
先祖調べのプロの方に詳しく聞きたい。
617 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 04:22:53
一国一城の主とかやんごとなき御仁から特別に士分の待遇を与えられるとかなら聞くけども
一介の町人だか工人が部下だか弟子の働きがいいからって姓の使用を認めるかねぇ?
それも秘伝とか、その家にしか伝わらない特殊な技術を持つ家なら絶対そんなことは
やらないと思うが(秘伝が間違えて外部へ漏洩したら重大事だし、藩の命運も左右されかねん
だろ?)
618 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 06:24:10
芸事の師弟関係=「のれん分け」と構図が相似形だな。そういう家なら
うちの近くの家でも聞いた事がある。
619 :
オオクワ専門さん4:2005/10/08(土) 09:22:10
詳しく教えていただき本当に
ありがとうございました。
僕は中学生ですので先祖探すのは無理ですね
620 :
オオクワ専門さん4:2005/10/08(土) 09:34:03
質問なんですけど
なんで日本史板の住民は有名な人の子孫が多いのですか
皆さんいろいろなスレッドで名乗っていますけど
やはり釣りでしょうか
そろそろ削除依頼を出しましょうか?
もともと重複スレの上、コピペや無断転載ばっかりなんだもん。
あるいは著作者に通報して騒動を起すか
こんなマニアック・スレ荒らして、何おもしろいのか・・・
>>619 僕は中学生ですので先祖探すのは無理ですね
そんなことはないです、さすがにお金のかかることは難しいかも知れませんが
親や祖父母に聞けばある程度はわかりませんか?
祖父に祖父の名前を聞けば分かると思いますし、あなたからすれば高祖父です
私は小学生の頃から興味を持ち親に聞き中学生で祖母に少し聞き、高校生になり
日本史や郷土史を習い、親戚の伯父さんに少しだけ話を聞いて、大学生になり
本格的に探し始めました(戸籍の入手や墓の調査など)しかしそれは、やり方を知らなかっただけで
恐らく中学生でも、ここまでの事なら出来ると思います(戸籍の入手もやろうとすれば
出来ますが中学生には金銭的負担が大きいのでお勧めしにくいですが)
質問なんですけど
なんで日本史板の住民は有名な人の子孫が多いのですか
皆さんいろいろなスレッドで名乗っていますけど
やはり釣りでしょうか
どうなんですかね?案外多いのかもしれませんし、比率的には少ないのかも知れません
また日本史版に書き込みをする人は少なからず歴史に興味がある人だと思いますので
自家の歴史にも興味があり偶然有名な方の子孫だと分かるのではないでしょううか
以下は推測です
1550年に有名な人がおり子供を平均で2人作りました(仮定)
2000年までには450年で約15世代あり2の15乗で3万人はこの人の
DNAをもった子孫がいるのではないでしょうか?
またこの時代の有名な人が1000人いれば3万×1000で3000万人位は
有名な人の子孫となります。ちなみに明治初期の人口は3000万人位なので
つまりほぼ100%有名な人の子孫なのではないでしょうか(ただ分からないだけで)
異論反論もあると思いますが、まあ、あくまでも推測ですので・・・
>>617 姓については地方によって事情がかなり違う。
うちの辺りはほとんどの家が近世からの姓を持っている。
626 :
飛瀬:2005/10/08(土) 22:53:28
>>619 自分も中学生ではないが、若いし、金がない中で今まで100円貯金をして貯めた1万数千円の資金を使うなどして工夫している。
それに親の理解を得ると大きいよ。
除籍謄本を取る時に一回だけだが金を出してくれたことがある。
それと先祖マニアさんも言ってるけど祖父への聞き込み調査は大事。
自分から見て高祖父や5代前の先祖についても知ってた。
ようは工夫のしようでどうにでもなるってことです。
627 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 23:03:43
願わくば徒労に終らない事を願うのみですな(笑w
628 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 23:08:29
頑張れオオクワ
負けるなオオクワ
大丈夫だって心配するな
困ったら聞けばいいんだから
>614
> 付録の「生没年月日調査表」を活用して下さい。
↑この付録って何ですか?
それから過去帳・墓石には続柄が記載されていないとあるけど、そんなことはない。
全ては宗派によって違う。浄土真宗系には続柄が書かれていることが多い。
逆に禅宗系は享年がしっかり書かれていることが多い。
630 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 02:19:50
100円貯金とはカワイイw
>>629 付録の「生没年月日調査表」を活用して下さい。
↑この付録って何ですか?
これ作ろうとして挫折しました
イメージ
↓
生没年月日表
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー---------
「俗名 「生(元号) 「西暦 「没(元号) 「西暦 「没年齢 「戒名 「備考
こんな感じになりますスミマセンAAが苦手なのでイメージ湧くかな
これをエクセルでつくり罫線をひけば表の完成です
例)こんな感じです
生没年月日表
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー---------
「俗名 「生(元号) 「西暦 「没(元号) 「西暦 「没年齢 「戒名 「備考
山田太郎兵衛 天保9年3月5日 1838 大正7年7月12日 1918 80歳 ○○○○信士 嘉兵衛父
山田シゲ 天保8年12月4日 1838 明治17年1月17日 1884 47歳 △△△△信女 嘉兵衛母
それから過去帳・墓石には続柄が記載されていないとあるけど、そんなことはない。
全ては宗派によって違う。浄土真宗系には続柄が書かれていることが多い。
逆に禅宗系は享年がしっかり書かれていることが多い。
629さんの言っていることは正しいです
あくまでも総論です、その家、その地域、その時代若しくは寺ごとや和尚さんごとに
変わりますからね
はじめまして、話の流れを断ち切るようで悪いのですが
先日、先祖の名前が記載されている可能性のある名簿を所蔵している図書館へ内容について
問い合わせてみました。ところが返事は「個人情報保護法の全面施行にあわせ閲覧禁止になっている」との事。
納得できなかったので、色々と調べてみたところ、この法律で定義されている個人情報とは「生存する個人に関する情報」
であり、すでに死亡している人の情報については、これにあたらないことが判りました。
名簿は明治7年に作成されたもので仮に生まれたばかりの赤ん坊の名前が記載されていたとしても
常識的に考えれば生きているはずはありません。別に図書館職員にゴルァしたいわけではないんですが
この個人情報保護法が先祖調査にあたえる影響と対策について皆さんの意見が聞きたいなぁと・・・。
あとこんなニュースを発見しました。これもヤバス
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050920-00000007-jij-pol
634 :
飛瀬:2005/10/09(日) 19:20:45
え・・・。
みなさん、622さんによるとホントに見れなくなるようですね。
まだ、先日のこともあり全部取得してないし、資金不足に陥っているというのに・・・。
もう、だめぽ。
635 :
629:2005/10/09(日) 19:21:10
>633
それは各地で壬申戸籍作成に合わせて作成した戸籍帳では?
それならば地区によって扱いが思い切り異なる。差別の多い地区では相当に厳しい。
しかし、図書館や資料館にあるのは、あくまでも戸籍本体ではないので、不可能では
ない。
資料館の古文書の山から該当する資料を探すのに膨大な労力を費やすことが多い
のに、既にあるのが分かっていて見れないのは愚の骨頂。山のようにある古文書の
1つという見方で行かなければならない。窓口で、露骨に「戸籍」やら「家系図」やらと
口にするとマズイ。調査をするなら、あらかじめ心得ておかねばならない。
636 :
飛瀬:2005/10/09(日) 19:23:41
あ・・・633さんでした。
しかし、・・・。
はぁ
637 :
飛瀬:2005/10/09(日) 19:25:23
>>629 リンク先に戸籍謄本と書いてあるよ・・・。
>637
残念だが、図書館に「戸籍謄本」はない。
639 :
飛瀬:2005/10/09(日) 19:33:46
>>638 リンク先に戸籍謄本原則非公開と書いてある・・・。
もちろんお役所でのことで・・・。
640 :
飛瀬:2005/10/09(日) 19:42:01
みなさん、すいません。
一人で混乱していましたが、本人は取得できるようですね。
ただ、本人確認などが厳しくなるそうです。
641 :
633:2005/10/09(日) 21:44:10
レスありがとうございます
>>629 説明不足でした。
戸籍帳ではなく、廃藩置県により帰農、帰商した某藩藩士の名簿です。
>>640 本人は取得できるようですね。
よく調べないまま貼り付けてしまいました。
混乱させてしまったようで申し訳ないです。
先祖調査を始めたのは最近のことで、個人情報保護法に関しては意識したことも
なかったのですが、もしかしてこのスレの皆さんにとっては今更な話題なんでしょうか?
>>640 一人で混乱していましたが、本人は取得できるようですね。
ただ、本人確認などが厳しくなるそうです。
どこに書いてますか?
自分は分からなかったです
643 :
飛瀬:2005/10/09(日) 23:23:39
645 :
629:2005/10/09(日) 23:37:31
>641
図書館の蔵書となっている藩士の名簿なら戸籍帳よりもはるかに
古文書という意味が大きい。言い方次第では閲覧は可能だと思う。
結局は地域による影響の方が大きい。
一般的には、「藩士の名前が綴られた古文書」を図書館の書庫で
見つけたからと言って、それは見てはいけないということはない。
ただし、差別に対し敏感な地域では資料館側が事前に押さえてしま
うことがある。自分で見つけた場合は、こちらの出方次第。
646 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:46:03
もう時間がない!明治生まれも絶滅しようとしている!
30歳の俺が生まれた時、かろうじて江戸時代生まれの人が
日本で数人生きていた。でもその人たちは江戸時代生まれ
というだけで、江戸時代の記憶はほとんどなかったと思う。
でも、我々の祖父母が若い頃は天保生まれの侍とかが余裕
で生きていたわけで、気まずいかもしれんが祖父母が健在
の人はいろいろ聞くべし!自分の祖先のルーツを探る事は
先祖への尊敬、しいては供養につながる!
先祖を敬い、愛するとほんとに金運と異性運が増します!絶対!
特に異性運が!ようは、先祖の供養もろくにできないやつに子や
孫の顔がオガメルわけがない!っつう事!
647 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 10:03:48
>>633 色々と調べてみたところ、この法律で定義されている個人情報とは「生存する個人に関する情報」
だったらそれを説明すれば出してくれるんじゃないの
648 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 10:43:45
今まで庶民だと思っていたのですが
とんでもなく名家の子孫であった事が判明しまちた
649 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 18:09:40
自分の先祖が所属していたある藩の藩士系図が、その藩が所在した田舎町の
町立図書館にあって、それのコピーを依頼したら、なんと著作権法を盾に
拒絶された。
「著作権なんて著者の死後50年で消滅するものであって、成立してから
200年、編者の死後150年をはるかに超えた古文書になんぞそんなものは
適用されないだろ!」と正論を言ったのだが、DQN町立図書館の館長は
ガンとして譲らない。図書館を管轄する町の教育委員会社会教育課にもその旨
訴えたが「教育長が図書館長を任命し、館長を信任して運営しているので
館長の判断が絶対基準。利用者はそれに従ってほしい」との説明に終始して
話にならない。ここは治外法権下か?という感じ。
図書館長に著作権法の条文のFAXを示して子供に教えるように、噛んでふくめて
説明したのだが、結局埒はあかず。
どうやら過去にプライバシー侵害を盾に系図の公開を制限するように求めた人間
(旧藩士の末裔の1人か?)がいるらしく、その影響でそんなおかしなことに
なっているらしい・・・。しかし、私立の図書館ならまだしも、公営図書館が
こんな恣意的な運営をされて許されるものなのかねえ?
650 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 22:29:45
>>649 本当に欲しいのなら
1 法務局にその旨伝え文章で回答を得る(メールでもいいじゃない)
2 弁護士に相談(費用莫大)
3 その町の有力町議会議員に圧力をかけてもらう(費用不明)
別にその図書館長に圧力をかけなくても教育委員長に圧力かければ
委員長が図書館長に指示するでしょ
言葉悪いね 圧力かける=お願いする
先祖に藩士の方がいる場合はそういう風に調べるんですね
勉強になりました
自分の先祖はオール農民ですので分かりませんでした。
652 :
日本@名無史さん:2005/10/12(水) 20:58:23
質問です。
旧土地台帳って、登記簿みたいに地番ごとに所有者が書いてあるのですか?
それとも、公図のような地図に名前が書いてあるのですか?
前者です
一つ一つ(一筆一筆?)ごとに名前が書いてありました
654 :
日本@名無史さん:2005/10/12(水) 23:21:05
質問です
母の母その母 と母方の戸籍も調べることができるのですか?
祖父から上は父方の分しかとらなかったのですが
”取れるだけ取る”という行政書士に頼めば父母それぞれさかのぼる
ことができるのでしょうか
母の母その母 と母方の戸籍も調べることができるのですか?
出来ます全ての直系尊属は取れます実父母は同然、養父母も取れます
”取れるだけ取る”という行政書士に頼めば父母それぞれさかのぼる
ことができるのでしょうか
別に行政書士に頼まなくても自分で取れます
656 :
日本@名無史さん:2005/10/19(水) 20:52:58
先祖探しで何かいいマニュアル本ないっすか?
>>656 このスレや、
>>1関連スレは、どんなマニュアル本よりも役に立つと思います。
私は先祖探しの参考にさせていただきました。
連投ですいません。
こちらにおいでになる方で、直系尊族で何人くらい、おわかりになったのでしょうか。
私の場合は、直系尊族(両親を含む尊族で)81人です。
その他、江戸期に遡ることができる家系もありますが、
ここまでくると、直系かどうかは分からなくなってしまいます。
659 :
飛瀬:2005/10/22(土) 09:28:25
>>658 いまのところ、血のつながっているご先祖様は32人です。
ま、途中だし、養子が入ってるから・・・。
それにしても81人というのはすごいですね。
>>658 俺は自分家の先祖しか調べてないからそんなに多くない。
当主が18人でその妻が18人で長男以外の子が15人くらいかな。
だから全部で50人くらいはわかってる。
>>659,
>>660 早速ありがとうございます。
私の場合、一昨年の9月あたりから休日を利用し、調べはじめて、約2年位で81人です。
私の年齢がまだ30歳ということやありがたいことに両親の祖父母が健在ですので、
そこまで判明しました。
4代前 (高祖父母)は、全員判明。
5代前 (高祖父母の両親)は、6人を除いて判明。
6代前は、全64人中22人判明。
7代前は、3人判明。
このような状態です。7代前は、6代前に運良く長生きの先祖がいまして、
明治19年式に名前がありました。
また、役所から取り寄せた謄本、改製原戸籍は、30通です。
そこからわかることに、私も含めて、先祖の本籍地は私が住んでいるところから
半径20キロ以内、4市村にあることから、調査しやすかったのではないかと思います。
明治19年式の戸籍(除籍)謄本には、「OO村番地不詳から入籍」というのが多く、
祖父母の話や地図を参考にしたり、役所の戸籍係の人に名前から探してもらったり、
法務局へ行って、旧土地台帳から本籍地を調べたりしました。
一度始めると,きりがないことはわかっておりますが。
>>657 そういわれると立ち上げた甲斐があります
自分は
4代前は、全員判明。
5代前は、32分の28人が判明。
6代前は、64分の11人判明。
7代前は、128分の1人判明。
過去帳や位牌、墓などでほぼその人の両親ではないかという人もいますが
100%ではないものは入れていません(逆に位牌や過去帳で続柄が書いてあるものは
入れています)
>>662 先祖マニアさん、ありがとうございます。
私の場合、過去帳において、判明した先祖が、
5代前では1人、6代前では2人。7代前ではおりません。
7代前は全て、除籍謄本の「OO(人名)長女入籍ス」といったOOをもって
判断をしております。
今現在は、祖父の「またいとこ」の方に先祖のことをお尋ねしていて、
近々、5代前から6代前の先祖で何人か判明しそうです。
惜しむらくは、私の曽祖母が先祖のことについて、ものすごく詳しかったと
祖母から聞いておりまして、その曽祖母が私が4歳の時に亡くなっております.
その曽祖母は、現在判明していない2人の5代前の先祖の孫にあたります。
曽祖母からみれば、5代前の先祖は祖父母であるわけですから、名前はわかるわけです。
もし、先祖探しに興味を持っている方で(中学生や高校生の方でも)、
曽祖父母の方がご健在でいらっしゃったら、お話をきいておくべきです。
私は、高校生くらいの時に興味を持ちましたが、まず最初に、
先祖代々の墓石の調査をやろうやろうと思っていて、何年か経ってしまい、
数年前に家族がお墓を新しく建立してしまったということがあります。
祖父の話によると元禄期の元号が書かれたものがあったそうですが、
今となっては、新しくなったお墓の土台になってしまっております。
私も同じ30歳ですが
残念ながら祖父は10歳の時に亡くなっております
というか
高祖父が遠くの村から現在地に来ましたが
曽祖父は明治3年生まれで高祖父明治17年に死亡でほとんど先祖のことを
教えてないうちに亡くなっているようです
また祖父はこれまた曽祖父が41歳の時の子供ですがほとんど興味が無かった
らしいです、
父はそういうものに興味があり色々調べて幼少の頃から私にいろんなことを
教えてくれたので自分も興味をもったのだと思います。
ちなみに現在祖母が存命ですがこれがやたら詳しいのでありとあらゆることを
聞いて書き留めております。
この祖母のコネで遠縁の家に行って詳しく先祖の話を教えてもらったことも多々あります。
まあ祖母ではただの従兄弟の家とか祖母の祖母の実家だったりするだけのことですが
ビックリしたのが祖母のデイサービス仲間の家が遠縁だったりした時には、
フリーパスで招待してくれて、ばあちゃん有難うって感じでした。
一つネタを提供させていただきます。
私の戸籍上の高祖父(正確には曽祖母の兄で、曽祖父母と養子縁組)が、その本籍地の村長をしており、
その戸籍上の高祖父をを戸主とした戸籍に私の祖父が入っておりました。
私の祖父が、祖母と婚姻した際、戸籍には、通常ならば「村長の名前で受理」するところ、
代理である「助役の名前で受理」をしています。
それも面白いことに、一度、村長名が書かれてあるところに間違いに気付き、
訂正印を押して、助役名が書かれています。
同じことが上記の祖母の祖父(こちらは私の直系の高祖父)も、
上記と違う村で村長をしていたことがありましたが、
その場合も、高祖父が、自分の孫(私の大叔父)が産まれて入籍した際、
その届け出を代理人が受理をしておりました。
首長であっても自分の戸籍に手を加えるということができないということですね。
666 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 00:33:41
今まで自分の先祖の壬申戸籍や宗門人別帳を見たことありますか?
667 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 10:00:42
多めに入れた小為替の余りが、逆両替されたり古い日付のものに替えられてた。
なんちゅうセコい役所だ。
668 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 13:21:56
?????
669 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:47:10
>>665 戸籍っつうのは思っていたよりも
キビシク管理されておるんだな
>>666 私は、自分の先祖の壬申戸籍や宗門人別帳は見たことはありません。
私の先祖の菩提寺は洪水等の自然災害が多かったところなので、
宗門人別帳はない可能性のほうが高いので、それを勘案して、
まず、図書館に調査しに行きましたが、見つかりません。
菩提寺に聞いたわけではないので、
これからの調査はその菩提寺にあるかないかといったところです。
明治19年式の族籍の欄が塗抹される前の昭和30年前後に祖父が取得した先祖の除籍は、
祖父に見せてもらったことがあります。
族籍は平民でした。また、曾祖母が女学校を卒業した時の卒業証書にも同様に族籍が、
記載されていました。
671 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:59:09
>>666 壬申戸籍も宗門人別帳もみたことないな。
壬申はムリだろうが、宗門人別帳は…寺とか図書館に
あるらしいね。
寺ならまあ判るけど、図書館にあるっていうのが…
歴史資料として置いてあるってコトかな。
うちの先祖(全員百姓)のものも探せばどこかにあるのかいな。
>>666 自分も壬申戸籍も宗門人別帳も見たことありません
壬申戸籍を持っている人は
昭和30年代くらいまでに相続した人でなおかつ先祖に興味持っている方が
大切に保管していた場合ですのでほとんどないのでは?
個人的には昭和30年以前にコピー機なんて無かったのにどうやって印刷したのでしょう??
(コピー機ではなくてなにか別の機械があったのかな)
宗門人別帳にいたっては皆目見当もつきません
ただkinebuchiさんも持っている族称のある戸籍は持っています
伯父が昭和38年に遺産相続で請求した戸籍をコピーさせてもらいました
(平民と記載)
同じ戸籍を私も入手しましたが族称のところが塗りつぶされていました
673 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 16:24:33
最近、ご先祖様をどこまで調査できるか興味があり、ひいおじいさんの除籍まで取りました。
それでおじいさんが養子になってるのも初めて知りました。私の姓はその養親の姓、しかしホ
ントの意味の血が流れてるのは実親の方。でも姓は違う。こんな時ってみなさんどちらを遡っ
ていきますか?
674 :
飛瀬:2005/10/26(水) 18:32:19
>>673 自分は血がつながってるほうですね。
ただ、養子先もある程度興味があるので調べはシマス。
675 :
629:2005/10/26(水) 19:05:39
>>673 血統祖先を追うのは、それこそ関連スレのように
多くの場合、5代も分かれば上出来。
記録が残っている旧家でも「血統」が維持されているか
どうかは分からない。血より家が何より大事だった時代
なら当然だが。
676 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 19:31:07
昔の戸籍謄本って青刷りでしたが、あれはどういう仕掛けで青くなるんでしょうか?
ちなみに、私が80年代中頃に取った戸籍はまだ青刷りでしたが、同じ頃取り寄せた
別の除籍謄本は既に普通のコピーでした。
>>673 自分は両方調べています ですから家系図が2つあります
1 家系図一覧表(養子なし)
2 家系図一覧表(養子あり)
母方は養子のオンパレードなのでややこしいですが一応調べれるものは
全て調べました そっちの方が広がりがありますからね
629さんが言われているように血統で5代前より遡るのは
かなり厳しいですね というか系統でも厳しいですが
678 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:53:33
>>673 私も祖父が養子入りしているので両方調べてます。実親は系統は
分かりますが、養子先は本家と交流が無く祖父から3代前しか分かりませんね。
>>665 別に村長かどうかは関係ないのでは。一つの戸籍の中に受理者が
村長であったり、代理助役であったり、代理戸籍吏であったり、
要するにそのとき村長なり助役は外出してたんじゃないの?w
ハンコ押すのは事務員だし。
>>671 壬申戸籍は間違いなくほとんど全国に残っている。
人別帳はむしろ少ない。とんでもない遠方の古本屋に流れてたりとかもある。
それでも無いよりはマシだが。
>>672 いわゆる青版刷りです。
>>676 別に仕掛けがある訳じゃない。いわば性能が悪いから青くなる。
輪転機の薬品のせいかな。詳しくは理系の方どうぞ。
青版以前は薄紙に謄写。
養子の家系の人羨ましい、いっぱい除籍取れて。
>>679 そのとき村長なり助役は外出してたんじゃないの?
それが1度、村長印が押してあり、修正されて代理者の印が押されているのです。
当時の戸籍係の方が間違いに気づき修正されたのでしょう。
よくよく、調べてみますと、戸籍法第2条によると、「市町村長は、自己又はその配偶者、直系尊属若しくは
直系卑属に関する戸籍事件については、その職務を行うことができない。」とあります。
旧法もまた然りです。
族籍のある謄本ですが、私が見たのは薄い白い紙に青く字が印字されているものでした。
その字は、ガリ版で使うような鉄筆のようなもので書かれているように見えました。
(昭和30年代に取得)
また、この謄本は、現在取れるものと当然、内容は同様でした。
681 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:12:28
コピペ
ジアゾふくしゃ 5 4 【―複写】
〔diazo〕ジアゾ化合物を塗布した感光紙を用いる複写法。
光によって分解せずに残ったジアゾ化合物を、
フェノール類などと反応させて、多く青色に発色させる。
一般事務用に広く利用された。
682 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:05:33
>>飛瀬さん
ヒセさん?
トビセさん?
しょーもない質問でスマソ
>>680 よくよく、調べてみますと、戸籍法第2条によると、「市町村長は、自己又はその配偶者、直系尊属若しくは
直系卑属に関する戸籍事件については、その職務を行うことができない。」とあります。
旧法もまた然りです。
それは知りませんでした。勉強になりました
俺は宗門人別帳で調べたことあるよ。
公民館に慶応年間のものが2冊あって村の庄屋の家に
寛政文化のころのものが3冊あった。
当然ながら崩し文字で書かれているから少し勉強してから
見に行ったほうがいい。
685 :
飛瀬:2005/10/28(金) 22:21:23
>>682 トビセです。
本名とは全然関係ないですけど・・・
686 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 22:36:05
藩士系図なら旧城下町にある大学の図書館などに保存されていることもある。
自分は某大藩の藩士系図のコピー(当然崩し字)を大学図書館から取り寄せた。
飛瀬さんあれから進みましたか?
688 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 22:51:57
>>とびせさん
レスありがとう
689 :
飛瀬:2005/10/28(金) 23:17:30
>>687 最近忙しくて全然進んでないですね・・・。
年末までには暇を作って手紙書くなり除籍とるなりしようとは思うのですが・・・。
>>689 そうですか まあ気長に頑張ってください
除籍はとっていたほうがいいですけどね
>>686 藩士系図って何が、どこまで書いてあるんですか?
692 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 02:38:51
はじめまして。
ウチの場合、明治39年に他県から転籍した曽祖父の改正原を入手、
族籍は当然書いてありませんでしたが、転籍前の市役所に除籍簿を請求したところ、
市長のハンコ付で廃棄証明が送られてきました。
親戚づきあいも無いんで、もう駄目だ・・・と思っていたんですけど、
たまたま転籍前の県に出張に出かけた時、
県の公文書館を訪れました。相談したところ、明治初期の地図と地籍簿を出してくれて、閲覧・複写をさせてくれました。
そうしたら、ありました。地籍簿の現在はこの辺りと思われる場所に苗字だけ。
今度、時間つくって駄目もとで同じ姓のお宅や周辺のお寺を尋ねてみようと思います。
693 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 10:51:07
>>692 大変興味深いです。
公文書館に自分の先祖の情報あるんですね。
地籍簿かあ…。
>そうしたら、ありました。地籍簿の現在はこの辺りと思われる場所に苗字だけ。
>今度、時間つくって駄目もとで同じ姓のお宅や周辺のお寺を尋ねてみようと思います。
ぜひ、やってみましょう。電話帳調べて手紙送るのがいいのかな??
ウチの場合は各先祖が全て同一県内なので692さんほど大変ではないのですが
なかなか時間もとれずアレなんですが…。
>>692 その曽祖父の戸籍には両親の名前は書いてあると思います
ということは高祖父名は判明しているので
現在の同じ姓の方にこの高祖父名を尋ねて知りませんかと聞けば案外分かりそうな
気がします。
恐らく高祖父は明治の中期〜後期に亡くなっていると思いますので
墓は必ずあります。その時の注意事項はこちらの情報を詳しく知らせることです
相手先があまり興味がない場合例えその家の先祖でも良く分からないということに
なります(相手先だって曽祖父か高祖父ですからね興味が無ければ名前なんて覚えていません)
先に手紙を書いて、その後に電話をするのがベターかも知れません
もう一つの作戦
そこの土地の所轄の法務局に行き旧土地台帳をみる
そうすると明治20年頃から昭和30年頃まで土地所有者の変遷が記載されていますので
ひょっとしたら692さんの高祖父の名前が記載されているかも知れません
だったらそこから昭和30年頃の土地所有者名が分かりますので、その方の名前も
知りませんかと尋ねます(昭和30年ころなら現在まだ生きているかもしれませんし
亡くなっていてもその子供や孫は生きていると思います)
手紙には簡単な家系図を書いておけば相手側の方も理解しやすいです。
696 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 23:56:34
歴史板を流れ流れてここに来ました。
読んでいるうちに興味湧きました。
是非調べてみたいですが
回りで先祖に興味をもっている奴なんていません。
皆さんは何歳なんですか?(私は高2です)
大人になったら興味を覚えるもんですか?
>>696 恥ずかしながら俺は高3だよ。
でも先祖を調べ始めたのは中1の時だったから今年で6年目だw
別に大人になったら興味沸くってものでもないけど
若い時に調べておくと結構得だよ!
昔の事知ってる祖父さん祖母さんもまだ生きてる確立高いしね。
先祖調査の第一歩は家族からの聞き取りと除籍謄本の取得!
>>696 私は30歳です。中学生、高校生の時より日本史に興味を持っていたことと、
祖父より、いろいろ自分の先祖に関わることを小学校入学前から話してもらっていたので、
その流れで,自然に先祖に興味を持っていきました。
中学生の時の友人で、何人か先祖に興味を持っている人はいましたが、
私の身近の親や弟は全く興味を持っておらず、
今現在、先祖の話題は専ら、祖父母と私とでもりあがっております。
また私が調査をして、その結果、祖父母が知らなかった先祖がわかったときは、
感謝されています。
699 :
692:2005/10/30(日) 02:51:35
先祖マニア様
色々と勉強になることを教えていただき有難うございます。
高祖父の名前は前戸主欄に書いてあります。
曽祖父の「戸主ト為リタル云々」には「明治参年○○××家督相続」でした。
出生は安政六年○○××、死亡届出の部分がもう読みにくくて多分昭和弐拾六年。
父から、曽祖父はかなり長生きしたと聞いておりましたが、そのとおりでした。
しかし、この程度の戸籍でも色々なことが判りますね。
養女や養子が入っていたり、幼くしてなくなったご先祖が結構いた等・・・
父方の先祖を調べているのですが、母方の戸籍も取れるうちに取っておこうと思います。
それではお休みなさい。
700 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 08:23:32
>>696 高2か。イイナ。
漏れは30だ。二年前から本格的に調べている。
若い頃から調べた方がイイナと思ったのは
・漏れから見て祖父母の世代は殆ど亡くなってしまっているコト。
→話が聞けないのでどうしようもない
・除籍の破棄。
→本当にどうしようもない
この二つはイタかった。あと古い墓を新しくしちまってる時だな。
大人になって興味を覚えたと言うよりは
漏れの場合は友人の影響だな。(そいつは中学時代から調べていた)
696さんも歴史好きな友達とかいるんじゃないか?
いたら少しずつ話をしていってみたらいいかもしれねえぞ。
心強い仲間になるかもヨ。
あとは両親、祖父母の話をよく聞いて、よく相談することだと思う。
説教臭くてスマンナ。
701 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 12:21:14
35だヨー
702 :
藤原南家工藤氏流46代目:2005/10/30(日) 13:15:25
実際に自分の家系を調べた時の実話です。
@明治期までは身内親族の話を丹念に聞き取る。
A戸籍でさかのぼる。
B明治以前になると、町内に残存している宗門人別改帳を丹念にあたっていく。
C宗門人別改帳の記述と自家の過去帳とをつき合わせて、齟齬を補っていく。
といった、この方法で私は10代前の元禄六年生まれのご先祖までたどり着けました。
私の場合、村内に宗門人別改帳が享保十年の分まで、各旧村役人宅に分蔵されてい
たのが幸いでした。
宗門人別改帳は
「○○寺旦那
高○石○斗○升 清右エ門 ○歳
妻 ○歳
子 吉蔵 ○歳
娘 むめ ○歳」
というように記述されていますので、改帳に五年ほどの欠本期間があっても、
家族構成と年齢の比較からたどって行けます。途中で改名しているケースも
ありますが、石高や家族構成、それにここが重要なのですが改帳の記載順位
は毎年一定であることが多く、分家した場合、本家の次に記載されています
ので、大体の推定は可能です。つまり、改帳の順位で一番初めのほうに記載
されている家が、作成当時も大本家と目されていたことを表しています。
これは私の村(信濃国水内郡宿石村)についての例ですが、試してみではい
かがでしょうか。
703 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 15:04:28
ついに、ミミズの這った崩し字・変体仮名の戸籍に当たってしまった。
ここの過去ログを見て、ある程度覚悟してましたが、
それまでの雑な字とは明らかに違うそれに、面食らいました。
皆さんは難字の解読は、どうしてますか?
書道の先生とかだれか見てくれる人はいませんかね。
自分は、とりあえず事典か何か探してきます。
705 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 15:24:27
>>704 難読箇所だけ取り敢えずupしてみたら?
706 :
藤原南家工藤氏流46代目:2005/10/30(日) 15:55:29
>>703 江戸期はかなり広範囲の土地を所有している地主的な家で、村役人の一人
として活動していたようです。そのため当家にも天保五年、寛政六年、
明和五年、元文五年、享保十年と五冊の宗門人別改帳が伝わっています。
元文五年の物は虫損が激しく、崩壊寸前で開くのがやっとでしたが、
発見されるまではこの前後十五年間ほどの宗門人別改帳が欠本でしたので、
ボロボロでも町内で家系を調査されている方々からは欠けていた一代分が
判明したと感謝されたりしました。現在「宿石村」の宗門人別改帳は40冊
程が確認されているようです。
地元では歴史ある名家だったのは間違いないようだが今の家の仏壇にある家系図は明治初で途切れてる
平民苗字解禁の時期じゃねえかどうにもうさんくせえ
裕福or権力があっただけで、姓は由緒ある地元のを勝手に名乗ったんじゃないかという疑念が・・・
田舎の親戚はどういうわけか山寺の墓地の中に家があったりするんだが
今度行く時聞けば詳しく判るかなあ
708 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 16:59:25
>>706 言わさせてもらう。
怪しい家系だね。
それ、万人に認めてもらえるかな?
あやふやなものではなく、あらゆる証拠が必要になってくるんだよ。
709 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 17:01:50
そもそも46代目ってことは、
お家が1000年以上続いてる計算になるな。
20代で大体500年くらいだから。
710 :
藤原南家工藤氏流46代目:2005/10/30(日) 17:12:01
先祖探しで苦心されている方に良かれと思ってレスしたのですが、
人を安易に非難するような輩が居るようですのでもうレスしません。
先祖探しで情報を期待されている方には申し訳ありません。
711 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 17:19:31
いんや、あまり大した証拠がないんだなと思ってね。
違うのなら、人と違ったこと言ってみな。
バイバイ。
712 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 17:28:16
711さんは嫌な人ですね。
713 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 17:30:30
嫌な人だよ?w
2chで大人げないけどね。
714 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 17:33:04
そうですね。大人げない。
みんな聞いてくれ!
>>711は頭の弱いタイプの厨房なんだよ!
許してやってくれYO
やめてくれYOw
まあ許して、悪かった。
702の書き込みはHNを除けば、善意の書き込みだからね。
方法は色々あった方がいいのは間違いないし。
ちなみにうちんとこの家系は、人が勝手に調べてくれてます。
718 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 18:52:36
>>717 うp有難う。
漏れ古文書講座受けたことあり。
一人で読むのはなかなかムズカシと思われ。
>ココか古文カテで聞いてみます
正しい選択だと思います。
717さんのように資料がある方、そしてうpできる方は
少ないと思うし、717さんのカキコだけに限らず、
先祖についての情報を共有する事が
漏れも含めて皆の役に立つと思うんで
これからも気が向いたらカキコしてもらえると嬉しい。
漏れの周りで先祖調べてるの一人もいねえよ?
いいスレだと思うがな。
まあ興味持ててる人は幸運だよ。
歴史ってのは、時が経てば経つほど埋もれていくもんだから。
風化しないうちにできるとこまでやってく方が良い。
720 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 19:40:19
>>716 やめてくれYOw
まあ許して、悪かった。
702の書き込みはHNを除けば、善意の書き込みだからね。
方法は色々あった方がいいのは間違いないし。
藤原南家工藤氏流46代目氏へ
許してやれよ 大きな心で
716氏へ
ちなみにうちんとこの家系は、人が勝手に調べてくれてます
なぜ他人が調べるの
藤原南家工藤氏流46代目さんへ質問があります
宗門人別帳は何年かに一回改訂があるのは分かっているのですが
具体的には何年毎なのですか?
自宅に保存されているということは
村役人として江戸時代の行政を支えた先祖なのですね
宗門人別帳を他の旧村役人宅で探されたらしいですが、宗門人別帳って
どのように保管されていたのかが興味あります
イメージでは保管されていても土蔵の奥に保管されていてそこの当主すら
分からないのでは?と思ったので。
>>717 元嫁 に見えた。前後の文脈がわからないが
723 :
飛瀬:2005/10/30(日) 21:44:05
>>717 最初の文字は和にも見えるような・・・。
ってか高校生多すぎ。
実は自分も高校生だったりする。
えっホント
大学生かと思った
そりゃー忙しいよね
平日に役場にはいけれないね
725 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:54:42
>>708-709のツッコミがあながち間違っているとも思えないが、
まあ色んな見方があった方がいいのかもな
726 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:58:19
>>717 字が小さくて自信はないけど、
志満シマさんかな。
727 :
飛瀬:2005/10/30(日) 22:59:27
>>724 そーなんですよ。
除籍は長期休暇や振り替え休業の日を使って取得してました。
それと受験生なんでさらに暇がない。
早く合格して調査を本格的に再開したいんですけどね。
今じゃこのスレを一日数回見るのがやっとです。
頑張れ受験生
陰ながら応援しています
本格調査は桜が咲いてからだね
729 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:11:57
731 :
730:2005/10/30(日) 23:42:52
>>710 書き込み自体は大変有益。元禄まで遡れたのはすごい。
でもそこから先を安易に遡っちゃダメ。ましてや南家流46代目ってw
先祖調べで最初のネックは、除籍簿以前と以後の接続。過去帳ないし
人別帳でこれを克服して、次は江戸以前と以後の接続。つまり人別帳で
遡れるのは人別制度創始時までだから。普通は天和・元禄の頃。
稀に寛文・延宝。ごくごく稀に関連史料で寛永、ないし慶長・元和。
これ以前は系図で遡るしかないが、まずは戦国以前と以後。この間、
偽系が多いのは周知の通り。次が南北朝以前と以後。その次が平安末期以前と以後。
ここまで遡れたらあとは殆ど大丈夫。平安・奈良・大化以前の冒系については
研究も多くほぼ明らかになっているし、他の時代に比べて自分でも調べやすい。
ここからは勝手な推測だが、南家とはすなわち工藤流と言うことだろうか。
だとすれば危うい。平安末期偽系の著名なものの一つが、この工藤流。
諸系図には維幾ー為憲ー時理なる系が書かれて、それ以後工藤・伊東・
二階堂・河津等に分かれていくが、時理以後の所伝が様々で怪しいのに加え
そもそも為憲が藤原南家かどうかがかなり怪しい。従兄弟・又従兄弟たちが
系図以外の史料でも確認できるのに対し、木工頭・遠江権守でありながら
全く他に見えないと言うのは、系図に接ぎ木の可能性がかなり高い。
恐らく古くより東国在住の古代豪族の子孫と考えるべき。
公家流の南家なら問題ない。
734 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 07:30:31
>>730 otu
スゲー
背景の襖が高級そうダ
735 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 08:43:30
藤原南家工藤氏流46代目氏へ
続きがとっても気になるので
良かったらこれからもカキコキボン
特に宗門人別帳については初めてだ。
736 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 12:49:19
うん。改帳関係の話はとても貴重。
46代さんや他の方のお話を伺いたいものです。
崩し字をUPした
>>717です。
皆さんありがとう。レスつくと思わなかったから嬉しいです。
一応説明しますと、これは女性の名前です。
明治28年1月に入籍、同5月離婚、同9月長男出生。
29年3月再婚、同10月次男出生、31年1月離婚。
ちょっと不思議な記載です。
和や志とご指摘いただきましたが、どちらにも読める感じです。
下の字はさっぱりです。
ご指摘の通り縦線があり、除籍の見え消し線です。
斜めの二重線は、離婚と関係あるのかもしれません。
でも、もうちょっと崩し字に慣れないとわかりませんね。
なので今日は本を買ってきました。
おかげで、「者(は)るよ」という名前がわかりました。
あと「ふく」と読めるような字も見つかりました。
これからじっくり調べてみます。
>>730 レス有難うございます
宗門人別帳などは家で保管していたのですね
>>733 大変勉強になりました。自分は除籍と過去帳の接続ができません
(続柄がないから分からない)宗門人別帳もないですしね
去年私の昔の昔の先祖の住んでいた役場の方に相談して郷土史家を紹介していただいて
同姓の方の家系図を拝見しました(郷土史家の方が作成したものA3のコピー用紙)
しかし 私の先祖とは繋がりませんけどね
739 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 09:00:51
>>737 手書き文字は何度も見て
その人の癖に慣れるのがヨイ
年寄りに読んで貰うのも手段の一つ
書道やっている奴にも聞くといいカモ
>>737 女性の名前なら志満(しま)じゃないかな?
741 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 13:49:06
>>739,740
737です。ありがとう。
パス解読と同じ要領で、考えられる名前を、まず挙げてみました。
志摩志真志麻志満志野志乃志津志保志甫志穂志帆志歩志の輔...
それを本で見比べてみました。
あと、大修館の漢和辞典にも草書一覧があって、これは助かりました。
一番しっくり来たのが「志滿」ですね。
>>726,740さん凄すぎです。
ちなみに、この志滿さんは曾祖伯父の妻です。
字に関しては、回り道でも慣れるのが一番ですね。
プラス、カルチャーセンターなど、古文書の会も探しています。
742 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 00:28:15
743 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 12:24:32
>>742 いやあ〜頭から離れなくって...
昨日から、図書館で藩の史料を見ています。
これは活字化されていて、助かってます。
編纂された先人に感謝です。
744 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 13:54:14
(突然なんですが)
除籍謄本には、だいたいどれ位の個人情報が記載されてるのでしょうか?
745 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:23:49
>>744 それは一概には言えないと思います。
戸主がどれぐらい生きたか、どれぐらい子供を作ったかで違うと思うので・・。
どうなんでしょう?
746 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:22:15
>>745 それもそうですね 漠然とした質問でごめんなさいです。
請求しようと思っているのは、曽祖父の謄本なのですが
実際に知りたいのは、曽祖父のさらに(父方母方含めた)祖父母の名前です。
そこまで記載されていますでしょうか。
747 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 02:11:22
>>746 曽祖父様が戸主の除籍簿にはとりあえず、前戸主という欄があります。
さらに父・母の欄がありますので、お名前だけは判ると思います。
ただ、高祖母さまの部分は空欄になっている可能性があります。
それ以上戸籍で遡るには、80ねん以上前の除籍簿が残っているか廃棄されているか
自治体によると思います。
748 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 10:29:04
>>747 なるほど。
近いうちに申請してこようかと思います。
ご教示に感謝致します。
749 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 18:16:00
ちょっと質問。
今戸籍に通称と本名って登録できるの?
たとえば、
「住友 吉左衛門 友信」
みたいにはできないのかな?
うちにも通称があったけど明治時代からは名乗らなくなった。
自分の代からまた通称を復活させようと思っているのだけれど…
>>749 無理じゃね?
自分で文章に使ったりする分にはかまわないんだろうけど。
751 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 18:21:02
通称か・・・
俺のご先祖も幾つも呼び名があってご先祖調べるとき困った。
しかも代々同じ名前が続いてたりして、もう超ややこしい!
752 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 18:29:46
現在は本名を戸籍名にしても、先祖代々の通称を常用する場合がある。
明治頃なら、通称を戸籍名にし家系図には実名まで書く場合もあった。
753 :
749:2005/11/05(土) 20:51:18
レスサンクス。
やっぱりできないか…orz
戸籍に本名を登録して通称を常用する場合は
何か問題はないのかな?
免許とったりとか公に使う場合も通称でいいのかなぁ
754 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 23:10:10
公の場合は戸籍の名前を優先するんじゃない
755 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 01:01:33
ちょっと質問ですが、普門院をご存じの方はいますか?
756 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 01:06:42
757 :
755:2005/11/06(日) 01:24:01
実はウチの過去帳に普門院という記述があったので伺いました
全国各地にあるらしく、個人的に調べようと思っていたところです。
>>756さん
ありがとうございます
758 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 20:34:07
江戸時代の墓がある人ってどのくらいいるんだろ
ただし普通の石を置いているのではなく戒名とかが彫ってあるもの
760 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 00:20:26
舟形墓石ってどれですか?
お地蔵さんみたいなの?
あのお地蔵さんみたいなのの隣が五輪塔よね
761 :
759:2005/11/07(月) 00:31:13
>舟形墓石ってどれですか?
上の写真の左側に半分くらい写ってるやつ。
うまいこと舟形が写ってるのがなかったもんだからね〜
762 :
760:2005/11/07(月) 00:56:58
ありがとう
又今度ちゃんと写っているをうpしてくれたら有難いです
>>759 自分の先祖の墓も江戸時代になるとノズラが多いですが
少しはちゃんとした墓もあります(加工された戒名のあるもの)
764 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 08:23:42
>>759 うp乙
墓の写真は重要かも
作り直すことあるもんな
ぽわわーん。
良い雰囲気の場所ですな。
767 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 17:14:50
>>765 うp乙です。
これで江戸末期ごろのものですかな?
>>767 一番古いのは寛延元年(1748)で
新しいのは元治元年(1864)です
この墓は旧旧墓ですまだ別のところに旧墓があり江戸末期から大正まであり
新墓にはそれ以降があります
ちなみに祖母の祖母の実家です
769 :
飛瀬:2005/11/08(火) 22:12:51
いい雰囲気をかもし出してますね。
私の母方の墓は年号が読める一番古いもので天保の頃のものがあったのですが、伯母が「一箇所に集めちゃえ」といって墓石をぐちゃぐちゃにしてしまいよく分からなくなってしまいました。
受験がひと段落したら墓石をぐちゃぐちゃにしたやつをupしたいと思いマス。
あとぐちゃぐちゃにした墓石をいろって調べたりしていいもんなんですかね?
たたりがありそうで・・・。
ただ、もう磨耗して読めなくなってるかも。
>>769 >たたりがありそうで・・・。
先祖のことを思って調査をしたら逆に喜んでもらえるよ!
ただし線香をあげて手をあわせてからな〜
>ただ、もう磨耗して読めなくなってるかも。
石の質にもよるけど江戸時代後期なら読めるものが多いと思うよ。
>>769 UP期待してます
あとぐちゃぐちゃにした墓石をいろって調べたりしていいもんなんですかね?
たたりがありそうで・・・。
自分は全然気にしていませんよ、まずは礼儀としてお墓に手を合わせてから
調べていますが他人の墓ならまだしも自分の先祖の墓ですからね、このお墓に
眠っている先祖のDNAを受けついでいると思うとたたりというよりか親近感の
方がわきます。自分の祖母はまだ生きていますが、それと同じような感じでしょうか
大学生の頃まだ若くて友達とドライブをしているときにここの山の中に先祖の墓があるから
俺ちょっくら墓参りしてくらーと深夜1時に行った時にはさすがにビビリましたが・・・
まあそんなことも若かりし頃の思い出です。
受験がひと段落したら墓石をぐちゃぐちゃにしたやつをupしたいと思いマス。
お墓を一箇所にまとめると墓石をどこかに置いときますがこの破棄した墓石にこそ
レアな情報が隠されている場合があります、明治以前の先祖は墓、位牌、過去帳の3つからの
情報になりますが、1つ1つは情報が欠落している場合もあります(例えば行年、享年がないとか)
ですから古いお墓もチェックしてそこの情報は一つも漏らさず書き留めることが重要と思います
磨耗はあまり心配しなくてもいいと思います
772 :
飛瀬:2005/11/08(火) 22:54:54
>>770 線香あげときます。
しかし、前、墓石が健在だった頃読んでたら俗名がもろ草書体で読めませんでした。
>>771 供養の心を大切にってコトですか・・・。
う〜ん、でも墓石をぐちゃぐちゃにしたことによって磨耗してないか凄く心配です。
前に墓石に書いていた俗名などを書いた紙をなくしちゃったし・・・。
南無南無・・・。
草書体ですかキッツイですね、
古文書館の人に読んでもらうか
UPしてみんなに解読してもらうかですね
自分も曽祖父の墓の戒名が草書体でした、解読不可能です
まだ楷書の位牌があったのでよかったですけど
774 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 10:45:19
母方祖母の実家の墓の場合。
ちょっとした丘の下側には普通の墓があったが
いま墓守をしている親戚が「上のほうにもある」
と言われ登ったら、一族の墓?みたいな感じで
大小さまざまなものがあった。
(場所の広さは
>>765の四倍ぐらいだったと記憶している)
読み取れたものでは江戸末期が最古だったかなあ。
ちゃんとした年号は思い出せん。
写真撮っておけば良かった…orz
775 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 10:58:45
>お墓を一箇所にまとめると墓石をどこかに置いときますが
これはウチにもあった。
墓を直す前に誰かが先祖名などを書き留めていてくれてて
その資料を貰った事がある。
776 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 20:15:05
うちは浄土真宗で先祖の戒名は釈○○て3文字なんだけど普通なのかな?
本田美奈子の戒名も釈○○て3文字だったけど。
777 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 20:48:11
>>769 最悪の場合、石膏流し込んだりして、型取るといいよ。
それでも読めないほど崩壊していたら、もう諦めるしかないけど。
778 :
飛瀬:2005/11/09(水) 21:26:17
>>773 まずは、Upしてからデスね。
>>777 石膏ですか・・・。
まずはチョークを使おうと思っているのですがですけど、どうですか?
>>776 うちの浄土真宗!
江戸時代の当主の法名は○○院釈○○○○居士とか
○○院○○○○信士みたいにどれも10文字だったよ。
俺の曽祖父から11文字になって現在に至ってる。
780 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 22:27:25
>>778 とりあえず何度も良くみてはどう?
光線の具合で見える場合もある。
その次は水をかけてみたらどう?(凹んだ部分はゆっくり乾くので)
781 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 22:28:47
浄土真宗で、○○院釈○○○○居士とかは、家格の高い家柄のためです。
普通は、3文字です。
先祖が武将などで、帰農帰商して本陣・脇本陣を務める家柄とか。
782 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 22:40:26
>>779 偶数って珍しいな。
「きすう」って一般的には〔奇数〕って書くが、そういう場合は〔喜数〕とか〔嬉数〕と書いて、良い数字として尊ぶもんだが。
783 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 22:49:27
>>778 なんでもいいよ。
普通に見て読みにくいなら、型を取った方が読みやすいよって意味で書いたから。
まぁ、とにかく型取ったら、ここにうpしたらみんな協力してくれるから、がんばれ。
784 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:17:28
>>784 小さすぎて文字が確認できません…(´・ω・`)ショボーン
「はつ」はなんとなく読めた。
786 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:26:51
画面が小さいよ〜〜
大きな画面でうPして
787 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:36:06
788 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:45:30
接続できないよー
ショボボーン
早く見せて〜
789 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:46:51
790 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:47:49
791 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:36:19
>>790 Forbidden
Permission Denied
ってなるよ どういうこと
792 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:45:07
793 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:47:33
794 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:48:33
今度はパスワードがいるのよ
パスワード教えて!!
795 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 01:06:04
明治31年版の左は
母継 と書いてある
つまり
継母だね
796 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:04:58
797 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:05:23
798 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:06:42
宇之助の妻はさく
799 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:23:11
800 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:22:28
>>799 解析なんかじゃありませんよ。
登ら(トラ)
春ま(スマ)
ち可(チカ)
>>800さん凄い。一つも読めなかった。
うざったくなかったら、
俺もアップしていいですか?
802 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:48:00
>俺もアップしていいですか?
漏れが決めることじゃないけど
ここのスレ親切な人が多いみたいだから
どんどん聞いてみたらいいんじゃないかな
>>801 他の人はなんて言うかわからんけど俺は大歓迎だよ!
うpしてくれるとレスつくしね〜w
804 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 11:46:37
それではアップさせていただきます。
http://www.uploda.org/file/uporg234876.jpg.html 右は私の曾祖母(古ふ)の没年を記したものです。
本人欄では判読できない字なものですから、戸主欄から見ますと、
「昭和拾六年拾弐月弐十六日妻古ふ死亡」
と読めるようなそうでないような、です。
特に日にちが自信ありません。
左は前行末に姓が記され、この文が続いてます。
「吉蔵養子ト為ル」
まったくの当てずっぽうです。
どうぞよろしくお願いします。
805 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:02:30
明治以前までは一般の町民・庶民には「姓」が存在しないし、どうやって先祖など調べるんだよ。
漠然と田舎や出身地が平家や源氏の末裔が住んでいたとかいうだけで万事・全てが分るのかい??
お寺の「過去帳」にしても都合よく改竄されたり、また、本家か分家・また親戚や血縁でもない同姓の他家
という事も多分にあるわけで・・・
806 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:07:06
出身地のお寺の過去帳・藩籍奉還の際の覚書、役所での戸籍謄本・・・
ま、願わくば徒労に終らない事を請い願うのみですな(笑い
807 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:07:48
枯れ木も山の賑わい。
808 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 15:46:11
>>804 「昭和拾六年拾弐月弐十六日妻古ふ死亡」
たぶんそうじゃないかな…拾壱月にも見える気が
「吉蔵養子ト為ル」
俺もそう見える
809 :
804:2005/11/11(金) 17:46:39
>>808 ありがとうございます。
拾壱月ですか。。。そりゃ困った。。。
私は日にちが弐壱日とも読めるような気もして、そっちばっかりでした。
この戸籍吏の記述はこれだけなので、他にサンプルがありません。
引き続きおわかりになられる方の、暗号解読お願いします。
>俺もそう見える
合っててよかったです。かなり悩んだ一文だったので真剣に嬉しいです。
810 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 18:05:58
>>804 日付の方は随分潰れてるねえ…。
どうしても気になる場合は
除籍を取った役場に行って確認したらいいよ。
「読めないので教えてください」と…。
読み取りは804さんと同意見だな。
811 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 18:11:11
>>804 他に確認できる資料ある??
過去帳、位牌、墓、言い伝え、香典帳など。
昭和に亡くなっている方だから裏を取るのは
難しくないような気もするのだが。
812 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 18:11:53
明治以前の一般の町民・庶民にはも「姓」は存在します。
813 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 22:41:35
>>792>>799 解読有難う御座いました。
明治期までの女性の名前は変形仮名文字や崩し文字で
ここ数ヶ月間悩んでいました^^:
812>>同意します!
我が家の先祖(父方)は明治中期まで餅屋を営んでいました。
近所に町の御社(神社)に当時の寄進した商家の屋号:名記されています。
その中に高曾祖父(○○屋号 清吉)と高高曾祖父(○○屋号 清三郎)
の名前が明記されていたのが最近の大発見ですが
寄進された 石灯篭:文政五年(1822)九月
石垣 :万延元年(1860)六月
1860年ごろの宿場家並図が残っており、寄進された百姓の方も我が家と同姓でした。
この宿場は幕府の直轄地なので差ほど煩くなかったのでしょうか??
我姓は日蓮上人の手助けで頂いた姓みたいです。。。
814 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 23:19:44
江戸時代に上野の忍ノ池のほとりに「瀬川屋敷」とかいう屋敷があったようだけど
この間、たまたま上野の五條稲荷神社の社務所の境内の敷地に「瀬川」の表札発見。
子孫の方かしら・・・?
815 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 23:30:10
816 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 23:30:58
>813
ええ?百姓に姓??聞いたことないな、そんな話。
領主とか地頭とか特殊な職人とかでないと藩主・諸侯は一般大衆に姓は許可せんだろ?
姓と代わりに土地を渡したんじゃないの??
817 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 23:59:19
百姓、町人が石造物に苗字を刻む例は、珍しい事ではないよ。
819 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 00:13:37
苗字は、元来「名字」と書いた。
平安中期頃から、武士などが「名田(みょうでん)」にちなんだ「字(あざな)」を作るようになったことから、「名田の字」で「名字」となった。
「苗字」と書かれるようになったのは江戸時代で、「苗」の字は苗裔(びょうえい)の意味からである。
江戸時代には苗字がほぼ固定してきたが、『苗字帯刀』によって武士と一部の庶民を除き、苗字を名乗ることが許されていなかった。
平民の苗字使用が許されたのは、明治3年(1870年)の『平民苗字許可令』であるが、当時の国民は政府を信用していなかったため、苗字をつけることで余分に課税されるのではないかと警戒し、苗字を名乗る者は少なかった。
すべての国民が苗字を名乗るようになったのは、明治8年(1875年)、苗字を名乗ることが義務付けられた『平民苗字必称義務令』による。
820 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 00:29:28
>816
当時の藩主や領主が姓を許可(苗字帯刀)と言うのは当時の政策で
一般庶民は苗字公称出来なかったのが事実では無いでしょうか??
百姓に姓??…と言われますが、藩取り潰し・領地没収で帰農した士族の方々は苗字
は無かったのでしょうか??
821 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 00:38:18
武士=百姓による百姓の為の自警団ww
江戸時代の昔からほとんどの人は苗字を持っていたのではないでしょうか
それが公に名乗れるか名乗れないか(公称できるか、私称しかできないか)
中には先祖伝来の苗字がいつの間にか分からなくなったという家もあると思います
だから明治新姓の時に珍しい苗字や一村丸ごと同じ名前の村があるという
エピソードがあるのだと思います
でもそれはごくごく稀なのではないのでは?
つまり昔からほとんどみんなが苗字を持っており私称はしていたが
苗字を名乗ることが許されなかった=苗字を公称することができなかった
苗字の使用が許された=苗字を公称することが許された
となるのでは?
804さんへ
お墓や位牌でさらに確実にしたほうがいいと思います
自分の高祖母の死亡年月日もかなり読めませんでしたが
お墓で裏をとったら全然違っていました。
あとUPしたものに○○屋清吉とありますがこの○○は現在の804さんの
苗字なのですか?
825 :
野村屋:2005/11/12(土) 01:10:56
792=799=813=815=817
先祖マニアさん、上記が野村屋です。。。
当時の屋号と苗字は別ですが・・・
えっそうなんですか
てっきり 同じだと思っていました
827 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 01:30:28
828 :
野村屋:2005/11/12(土) 01:41:01
826>>
このスレットはかなり以前から拝見させて頂き色々と参考にさせて頂きました。
除籍簿と宿場家並図の屋号が一致したのが、大収穫で。。。
我が家の菩提寺は明治後期に改宗したので、過去帳も大正期から墓石は新しい物に…
手掛かりは除籍簿と古い資料を重ね合わす作業だけでした。
苗字は日本全国の分布と『新編姓氏家系辞典』で調査してみました。
>>827 正解です、長年11年だと思っていました
831 :
野村屋:2005/11/12(土) 01:47:11
>>824 十一年ですよネ…。
十年の後一が年に合わさって読めるので十年とも読めるのですが…
5年間くらい11年と勘違いしてましたよ
ある時何気なく墓の行年をみていたら七年だったんで気付いたのですが・・
お墓も明治以前なら注意深く見ますがさすがに大正以降の墓はスルーしてました
これでいい勉強になりました。(お墓に彫ってある字は注意深く見ましょう)
833 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 10:12:55
>>812そう言い切るのはどうかと・・・まあ、村役人・自作農あたりはあっただろうけど
834 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 10:38:55
835 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 10:41:05
>>833 家紋とセットで、有力者から「苗字わけ」もされてたようだからね。
だから、集落で同じ苗字・家紋を称しても、系統を異にする家がある。
「苗字わけ」で、小農クラスが有力者(親方)から苗字を貰った時期というのは
いつ頃なんだろうか?
江戸時代の石造物を見ても、苗字が刻んであるものが結構あるんだよな。
836 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 10:52:48
明治新姓は本当に多いのでしょうか? 戻 る
江戸時代末に苗字を公称した人口は120万人で、総人口3300万人の3.6%である。
明治に苗字必称令が出て、ほとんどの人が新しい苗字を創り称えたという妄説があるが、それはウソである。
商人にしても、日常は屋号を公称していたが、先祖代々の苗字を伏せ通称の中に出自を忍ばせており、明治になり晴れて名乗ったのが実情である。 江戸時代に帰農していたものは先祖の苗字を復活させている。
先祖の苗字不明のものは、居住地名や出身地名を名乗ったりしたのである。
その影響から田舎では極端な場合、一村同姓などのケースもあり、現在でも屋号などで識別している。
珍姓の宝庫と言われる新湊市のように、事物の名の苗字が多い地域も中にはあるが、そのような例は稀である。
僧職者のように、元々苗字の無い人々は、仏典や仏具などより新姓を創出している。
多くは何処にもある平凡な苗字を名乗り、明治新姓により出現した稀少姓は数こそ多いが人口は稀少である。
837 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 11:01:50
838 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 11:09:27
839 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 11:48:05
苗字帯刀も江戸後期には乱発しすぎて権威が失墜したと聞いているw
840 :
804:2005/11/12(土) 19:46:10
レス開いちゃって、御免なさい。
他の資料はありません。墓も一体何処にあるのやら
という感じです。
ここはやはり役所で再確認が良さそうですね。
皆さんありがとうございました。
841 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 07:48:28
スレ違いだが、俺の友達には、父親の祖先が藤原家の分家と、母親の祖先が菅原道真の分家という強者がいる。
ちなみに余談だが、その友達は霊感がある
842 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 01:18:15
「家督相続」という言葉は公文書上、いつぐらいから出てきたのでしょうか?
また、どのような身分の家でも使う言葉だったのでしょうか?
おしえて君ですが、よろしくお願いします。
843 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 01:27:04
明治19年戸籍から
ひょっとしたら壬申からかもしれないが見たことないのでわからん
平民でも使っていた
844 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 17:32:46
江戸期の庄屋さんの記録にも「家督相続」とあったと思う。
それが「公文書」かと聞かれるとつらいが。
まあ、図書館にでも行って適当なの探してみてはどうでしょう。
845 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 20:37:57
>>842 843の通り俺もM19戸籍で見た事あるぞ。
画像うpできたらいいのだが。
846 :
飛瀬:2005/11/14(月) 20:50:17
>>845 自分の持っている明治19年式にも「家督相続」という言葉が出てきます。
847 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:04:53
UPしたらいい
848 :
飛瀬:2005/11/14(月) 22:55:44
ウチのは「相續」としか書かれてないなあ。
飛瀬さんへ
スキャナなくてもできますよ
デキカメもってませんか?
デジカメでとってパソコンに取り入れて
そのファイルをupすればいいです
自分もそれでしました
852 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 09:58:31
853 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 10:03:42
1デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
2ペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す
3アップローダでUPする
(一応利用規約は読んで)
4URL貼り付けたかったら貼る
854 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 13:36:49
以前、皆さんに「志満」を解読していただいた者です。
その節はありがとうございました。
今回、明治の戸籍の記載の仕方について、皆さんに質問します。
A山C太郎 妹(父B郎 長女)
とあれば、この本人は戸主・A山C太郎の妹で、A山B郎の長女だとわかります。
それではこの場合はどうなりますでしょうか。
D川F吉 八男(父E蔵 三男)絶家G谷氏ヲ再興ス
この本人は戸主・D川F吉の八男でありながら、D川E蔵の三男でもあり、この場合
E蔵三男であったが、兄のF吉の養子で八男となったという解釈で良いのでしょうか?
よろしくお願いします。
855 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 16:59:48
これだけでキツイと思う
うPしたほうがいいがどう?
なんとなく親戚例えば伯父や伯母の家を再興したのでは
そうしたらD川F吉 八男とかは伯父の名前ではなかろうか
分からないけどね
ちょっと横レス
前の方で近世の一般人の「苗字」の話しが出てたけど
これは地方によって違いはあるものの多くの人々が苗字をもっており私的に使っていた。
近所の墓を調査すると自分の住んでいる地域では90%の家が苗字を持っていたようだ。
また棟上札や自社への奉納額には苗字が記入されていることも多くあった。
苗字をもっていなかったのは貧しい被官百姓の中でもごく一部の家だけだった模様。
全国を歩き回って墓石を調査してきた丹羽基次氏の「あなたも系図がつくれます」にも
百姓町人身分の苗字使用が多くあったことを書いている。
857 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:50:43
>>854 最悪の場合記入ミスも視野に入れるべきかもね…
戸籍って結構いい加減なところあるし。
858 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 20:27:38
>>842 うちの藩(東北、十五万石)の場合、武士身分なら、分限帳などに「文化○○年○月 家督」という形で記載されています。
家老クラスから足軽、半農半士の者に到るまで全てそうです。
ところで、前代の者が死んでからの相続の場合は「文化○○年○月 遺跡」となっているのですが、「家督」と「遺跡」の区別はどの藩でも共通だったのでしょうかねぇ?
あ、「家督 木目 糸売」でしたか・・・
逝ってきます
860 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:10:13
皆様、「家督相続」のレスありがとうございます。
私が手に入れることが出来た改正原戸籍に「明治参年○月○日家督相續」と
手書きで書いてありましたもので、お聞きした次第です。
しかし手書きの戸籍は読みにくいですね。元の戸籍が明治何年戸籍か気になるところです。
重ね重ね感謝です。
861 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:28:29
前の戸籍を入手すればいいじゃん
破棄されたの
862 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:45:30
>>860 元の戸籍が明治何年戸籍か気になるところです。
>元の戸籍は明治5年式(壬申戸籍)ではないでしょうか?
「明治参年○月○日家督相續」
この戸籍は明治19年式ですかねぇ
863 :
854:2005/11/16(水) 00:06:55
>>855,857
遅レスですいません。ありがとうございました。
なるほど、伯父の可能性もありますね。
もう少し冷静に考えればよかった。
ただ、記述は上に日付と地名、塗抹された身分?があるだけなのです。
周辺情報はありません。
また、今は戸籍レベルでの調査なので、
墓探しなどには至っておらず、その他の情報はありません。
ただ、書き間違いというのは勘弁してほしいですね。
確認できるレベルでは見つけたことがありますが、
唯一の情報では本当に困る。
とりあえず、G谷ではなくD川の姓であるか、もう一度
役所に確認してみます。ついでに難読氏名も聞いてみます。
864 :
野村屋:2005/11/16(水) 22:05:39
家督相続・分家
我が家の家督相続で気になるのは
明治17年前戸主○吉が亡くなり家督相続した戸主が明治19年戸籍では隠居に訂正されている
※隠居した戸主○太郎は41歳(婿養子) 新戸主は○太郎の長男17歳
明治18年末には○吉次男が分家
明治時代の戸籍は一つの籍に数家族が記載されているのが多いのだが
上記の商家の籍は明治17〜18年に家督相続・分家されている。
これは徴兵を逃れる手段だったのであろうか?
865 :
野村屋:2005/11/16(水) 22:19:16
866 :
野村屋:2005/11/16(水) 22:22:38
867 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 22:34:58
最近、がんばって始めたんだけど
元が武士だと、藩で家系調査をしてるから見つけやすいね。
あと、明治政府に出仕していたならば、
国立公文書館の検索で引っかかる可能性がある。
お百姓さんとか、町人のほうはお手上げだなぁ、、
日本橋で薪炭問屋を手広くしていたというのがあるんだけど、屋号もわからんのだもの。
野村屋さんへ
戸籍見ました
確かに相続と書いて線をひいて隠居になっていますね
ただ戸籍史が間違えたのかな?
それにしても早い隠居ですね明らかに徴兵逃れですね
なにかそんな資料があれば探してみます
見つけました
http://f9.aaa.livedoor.jp/~ryuso/t/ta001.htm 明治6年、徴兵制が施行された。当初は抜け穴が多く徴兵逃れもかなり容易に
できたが、明治18年の改正以降、代人制廃止、養子の口が狭くなるといった
ことのために、検査合格者は現役兵選抜のためのクジにはずれることに一縷の
望みをかけるようになり、ここに徴兵逃れを神仏に祈る風が急速に広まってい
った(注4)。これを龍爪さんについてみると、すでに有名になっていた矢玉除
けからの連想が、平時における徴兵逃れへと発展していった。さらに徴兵も庶
民にとっては一種の災厄であるから、古くからの諸難除けの御利益ともあわさ
って、あらためて人気を呼ぶようになったと考えられる。
つまり明治18年から法律が改正するのでその前に戸主としたのでしょう
870 :
860:2005/11/17(木) 00:27:43
>>861 >>862 ありがとうございます。
残念ながら入手した以前の戸籍を愛知県の某市に請求しましたが、
廃棄証明が送られてきました。
ウチが平民だからなのか分かりませんが、戸主の母が空欄なのは寂しいです。
あと、欄外に掛紙とあるのが気になるところです。
871 :
野村屋:2005/11/17(木) 00:57:37
先祖マニア様
資料有難う御座います。
この除籍簿の先祖と時代背景を照らしたら幕末に興味深い出来事がありました。
当家と直接の出来事ではないのですが、同じ宿場内の出来事です。
1868年 4月 1日:新選組 夕刻、松戸に宿を取り、新選組は翌4月2日、流山へと転陣
1868年 4月11日:徳川慶喜 水戸への途中で松戸に一泊
1868年 4月下旬:官軍と徳川義軍府との交戦(松戸宿(角町)にて(市川・船橋戦争)
この頃のご先祖は激動の時代をどのように感じていたのか、とても興味深々です…。
>>867 屋号は古い墓石と言い伝えで知りました。
日本橋は江戸時代の古地図を探してみてはいかがでしょうか?
古地図の該当店舗を元に明治の住所を割り出し旧土地台帳と除籍簿の記載人物と照らし合わせる
手間と根気のいる作業ですが、色々な事実が判明した時の喜びは感激です!
872 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 02:02:06
>>864 うちの祖父、徴兵検査前日に醤油を飲んで徴兵逃れしたらしいw
>>867 871さんの言う通り。日本橋(に限らず東京・江戸)なら、その気になって
調べればかなりのことが判明可能だと思います。資料的に恵まれてますから。
刊行されてるものも多いし。
>>870 母欄が空欄なのは、身分に関わらず、昔のものほど多いんではないでしょうか。
壬申戸籍も「誰々の娘」としか書かれず、名前は書かれなかった記憶がありますが。
874 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:11:33
875 :
野村屋:2005/11/18(金) 00:05:37
876 :
野村屋:2005/11/18(金) 00:12:30
>>871 この頃のご先祖は激動の時代をどのように感じていたのか、とても興味深々です…。
これらの思いを巡らして先祖とリンクさせるのが先祖探しの醍醐味ですね
>>870 戸主の母の名前を探す方法は少なからずありますよ
http://www.geocities.jp/heartland3713/1.htmlより (2)−3 テクニック
明治十九年式戸籍の特徴として,嫁に来られた人や養子に入られた人の実家の「母親」の名前が分からないことが挙げられます。
これを探す方法です。
母(不明) +−−本人(娘の場合や養子の場合がある)
+−−−−−−−−−−−+
父(十九年式で分かる) +−−実家の跡取りさん
一般に父親の名前は戸籍から分かりますので,まずそれを請求します。その戸籍が首尾よく入手できれば,
母親の名前もたいてい分かります。
しかし,これを入手できることはまずないといってよいでしょう。古すぎます。
そこで,実家の跡取りさんの名前を調べ,父親亡きあと,お母さんがその方の籍に入っているとして,
それを調べます。跡取りさんの名前を知る方法は簡単: 法務局で「旧土地台帳」の謄本の交付を受けます。
旧土地台帳というのは,明治中期(明治22年頃)の地租改正から昭和12、3年まで利用されていた
土地所有者を登録する台帳です。
今も無料で公開されています。戸籍のように,複写の制限はありません。こちらを参照下さい。
一般に,土地は父から子へ,子から孫へと相続されますから,その土地の代々の名義人を追えば,
相続の様子,つまり,上の跡取りさんの名前も分かるというわけです。
これが入手できれば,あとは,その跡取りさんの名前を戸主として,
お母さんの除籍(名前不明として)を請求します。もちろん,
そのお母さんとのつながりはきちんと証明しておきます。
といっても,ここでできる証明は,お父さんとの関係までです。しかし,跡取りさんの戸籍には,
前戸主としてお父さんの名前がありますから,これでよいでしょう。
いうまでもありませんが,当時お土地をお持ちでないことが明らかでしたら,この方法は使えませんね。
880 :
野村屋:2005/11/18(金) 00:39:06
>>880 添付のアップ画像みました
同村ということです(全国共通のフォームではないでしょうかちなみに島なら同島)
おそらく○○仲蔵さんの戸籍や○○傳六さんの戸籍は請求できるかは微妙です
以下の5つになると思います
1 ない
2 壬申戸籍で請求不可能
3 長生きして隠居していなければ明治19年戸籍で存在している
4 上記だが役場ですでに破棄
5 隠居して息子や孫の戸籍に入っている
探すとすれば878のテクニックが有効です
若しくはこの地域の○○仲蔵さんの苗字の人に全て手紙を書きお宅の先祖に
○○仲蔵さんはいないか聞いてみるかです。
(両方するのがベストだし、テクニックで裏をとってから手紙という方法もある)
自分はこれで数名の先祖を探せました
>>880 やっぱり「も登」さんですね。
養兄さんは、エラいことになってますなあ。
884 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:47:56
>>880 野村屋さんの除籍簿とうちは結構近いことがわかりました。
うちは「上」の方です。
886 :
野村屋:2005/11/18(金) 23:50:02
>>881>>882>>883>>885 「も登」さんですかぁ〜。
養兄さんエラいことになってます、確かに…。
廃嫡の記載は、取り寄せた除籍簿の中で2例ありましたが、
養子縁組ので御家再興の形式がありませんでした。
廃嫡=絶家になるのですよねぇ。
>>880 この籍は戸主も養子なので形式的に御家継承なのかな?
士族ではないけれど…。
887 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:14:18
士族にして上げます。
888 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 02:34:58
889 :
飛瀬:2005/11/19(土) 09:52:00
今から墓に行ってきます
士族と言っても色々ある。どれが良いか
話してください 又 死んだお父さんにも上げます。