自分の先祖は誰なのかを語るスレ

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1日本@名無史さん
語ってくれ(w
俺は三浦氏・・・?(w
2日本@名無史さん:03/08/06 12:17
名乗るほどの者ではござらん。
3_:03/08/06 12:18
4日本史博士@:03/08/06 12:20
俺の先祖は土岐氏。(清和源氏源頼光流)母方は
新田氏。家紋は父方が桔梗紋、母方が引両紋。土岐
は室町期の守護大名、戦国期の戦国大名、そして
江戸期の沼田藩3万5千石の城持ち大名。吉宗時代
には老中も出した。
5日本@名無史さん:03/08/06 12:28
商人・遊び人・大地主・小作人・小作人
6日本@名無史さん:03/08/06 12:29
>>4
なんかスゲェ
7日本@名無史さん:03/08/06 12:39
4がホンモノだとしたら旧華族名簿から身元はスグ割り出せる。
ホンモノだったらそんな危険をおかしてまで書きこみなんてしないさ。
分家だと言い返してくるだろうけど、それじゃ自慢にもならないね。
8田中:03/08/06 12:44
俺は中川清秀の子孫。苗字が同じだけで根拠なし
母方は結構わかってて元禄期に鎖鎌の道場を開いていた
弟子達が作った墓も広島に残ってるとじいちゃんが
言ってた。鎖鎌で食えんのか?
9日本@名無史さん:03/08/06 12:45
重複スレ立てまくりの>>1です。
10日本@名無史さん:03/08/06 12:48
このスレの続き?

家系・祖先自慢スレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1002687159/
11日本@名無史さん:03/08/06 13:02
>>7
確かに。本物かが気になる。
12 :03/08/06 14:52
>>1
重複だな。
しかし家系・祖先スレはもう終わるな(w
13日本@名無史さん:03/08/06 15:51
 私の家は、家紋が立ち葵で、苗字は本多なんですが、どうなんでしょう。
ちなみに私の家は、福島で、江戸時代中期の飢饉でなくなった、
人達を供養する墓まで立ってます。
その当時は、3代続けて遊んで暮らしていたそうです。
どなたか、心当たりのある方は、いらっしゃいませんでしょうか。
14日本@名無史さん:03/08/06 15:55
>>11
こいつ庄屋スレにも書き込んでるよ。

19 名前:日本史博士@ 投稿日:03/08/06 12:27
俺のご先祖様は恐れ多くも沼田藩3万5千石
土岐氏!祖父は東京帝国大学法学部卒の、鹿
児島県山川町長(日本最南端の駅西大山で鉄
ヲタには著名。長崎鼻もあり、となりには開
聞岳もある観光の町)母方の先祖は同じく鹿
児島の宮之城町長。(竹の町で有名)親戚は
厚生労働省官僚。
15日本@名無史さん:03/08/06 16:15
僕の知り合いの人は小梁川氏の子孫です。
16日本@名無史さん:03/08/06 16:44
>>15は誰の子孫なんだ?
17日本@名無史さん:03/08/06 17:14
サル
18日本@名無史さん:03/08/06 17:18
>>17
ワラタ
1915:03/08/06 17:36
分かんない。多分農民
20(-_☆):03/08/06 17:45
 関西のほうに祖父方の実家があるが、そこの先祖は織田信長の時代から戦国
末期頃の商人だったらしい。
21日本@名無史さん:03/08/06 17:49
先祖じゃあないけど、オレは新撰組の斉藤一の生まれかわりだよ。
22日本@名無史さん:03/08/06 17:51
三吾
23日本@名無史さん:03/08/06 17:53
後藤図書守と墓には書いてある。
24日本@名無史さん:03/08/06 18:10
林大学頭 か 酒井雅楽頭


だったら かっこいいな と・・・
        ,,,--─===─ヽ/へ
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27日本@名無史さん:03/08/06 19:29
シャクシャイン
28日本@名無史さん:03/08/06 19:46
>>27
マジで(w
29日本@名無史さん:03/08/07 09:50
徳川家康。


だといい
30日本@名無史さん:03/08/07 10:08

        ,,,--─===─ヽ/へ
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31_:03/08/07 10:17
32山崎 渉:03/08/15 13:53
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
33日本@名無史さん:03/08/15 20:57
俺の先祖

もともと紀伊の住人で一向一揆で大暴れ
でも近世初期に琉球へ移住。でも由緒書とか系図とか全部沖縄戦で焼けたらしい
死んだ爺ちゃんによると、秀頼公と琉球に流れてきたらしいが嘘くせー
34日本@名無史さん:03/08/15 22:36
ご先祖さまは、

福島正則に仕えたが福島家改易で浪人。
その後、加藤嘉明・明成に再仕官。しかし加藤家改易で浪人。
最終的には、久松松平氏に仕え桑名藩士で幕末に至る。
(途中、松平家の転封により越後高田→白河→桑名と転々)
維新期には藩侯松平定敬に従い薩長軍と宇都宮、越後と転戦。
180石のしがないサラリーマンですた。
35日本@名無史さん:03/09/24 22:01
農民なおれはいったい・・・・
36日本@名無史さん:03/09/25 00:50
>13
私の母の家は、譜代大名大久保家の分家です。
私は、小さい頃から、母の実家に帰るたびに、
「本田家の謀略によって我々はこんな僻地に追いやられたのだ。」
と、本田家に対する恨み辛みを聞かされて育ちました。
いまだに、本田一族に対していいイメージがもてません。
もし、あなたの本田があの本田だとすると、
そちらは忘れているかも知れませんが、
大久保の一族は、いまだに350年以上前の恨みを覚えています。
別に、私としてはどうということはないのですが、
参考までに、言っておきました。
37日本@名無史さん:03/10/02 19:46
>>36
いやなレスだw
38日本@名無史さん:03/10/02 20:04
◎弥生人は朝鮮を経由していない!!

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
39日本@名無史さん:03/10/02 21:37
父方は広島県の某所の庄屋、母方は・・・知らない。
40日本@名無史さん:03/10/03 10:02
>>36
本田さんはともかく本多さんには今まで出合ったことないね。
41日本@名無史さん:03/10/03 10:47
うちの祖祖父は、某超名家の長男だったが、祖祖父の家に養子婿入りした。

長男が継いだ養子入りした祖祖父の家は、散財の末没落していき
次男が継いだ実家の家は、今では誰でも知る上場企業名家である

父は直系はうちなんだと言い張るのだが、これは長男直系と家督直系
は、歴史的にどう捉えられてるんだろう?
42日本@名無史さん:03/10/03 14:43
我が祖は源平藤橘いずれにも属さず先祖代々由緒正しき水呑み百姓
4336:03/10/05 21:17
>40
ごめんなさい、もちろん、母方の一族の語り草の中にいつも出てくるのは、
「本田」さんじゃなくて「本多」さんです、単なる書き間違いです。

確かに、私も「本多」さんには会ったことないんですけどね。
あの一族は、どれもこれも大きな大名家だから、多分ほとんど華族なんでしょうね。

まあ、実際、大久保家が没落しなければ、
私の母は、父の家のようなたいしたことのない家に来ることもなかったでしょうから。
私は、生まれなかったことになって困るんですっけどね・・・・。
44日本@名無史さん:03/10/07 04:54
姫路酒井家の分家の子孫。
45日本@名無史さん:03/10/07 09:43
>41
祖祖父ってなに?
46日本@名無史さん:03/10/07 09:49
母方が芸州浅野家の家老の家柄の田中氏だといってた
家系図もあるがほんとかどうかはしらん
47日本@名無史さん:03/10/07 21:38
母方の先祖は明智光秀の家臣の残党だったらしい
だから明治まで細々と生きてたみたい
48日本@名無史さん:03/10/08 00:15
>47
明智光秀関係なら、徳川時代は大きな顔が出来たはずだが。
もう少し歴史を勉強されるよう。
49日本@名無史さん:03/10/08 01:19
>>46
>芸州浅野家の家老の家柄の田中氏
そんな田中氏はいません。
穴山旧臣。
主家滅亡後帰農したが柳沢時代に再び仕官、幕末に至る。
51日本@名無史さん:03/10/08 02:31
桃太郎が鬼退治に行ったときの
猿の子孫らしい
52日本@名無史さん:03/10/15 21:06
53日本@名無史さん:03/10/16 04:13
土佐藩郷士。
遠祖は土佐一条氏らしい。
系図によれば坂本家や福岡家にも縁がある
維新後、曽祖父は民権運動家を経てクリスチャンに。
坂本竜馬の甥の坂本直寛と共に北海道開拓に従事。

曽祖父の経歴から竜馬を含めた坂本家について縁も関心が深いが、
2ちゃんで坂本家について語ろうものなら
やれ司馬遼を盲信しすぎだとか、歴史ヲタだとか叩くアフォが多いので呆れる。
54日本@名無史さん:03/10/19 01:08
あ、お仲間発見。ウチも土佐藩の白札郷士。
北海道開拓に行ったのも同じだ!
某商社の社史に、冒険実業家××氏…、として出てくる。
55日本@名無史さん:03/10/19 06:46
父系・・・先祖不明だが武士の家柄だったらしい
母系・・・後二条院の裔
56日本@名無史さん:03/10/19 17:43
白虎隊の篠田義三郎
57日本@名無史さん:03/10/20 02:20
細川で家紋は違い鷹羽。おかしいよな。
地元は播磨なんだが。
武士らしいが胡散臭ぇ。
58日本@名無史さん:03/10/20 02:56
父方の祖父→藤原系鎌倉武士の末裔だが江戸期には宿屋
父方の祖母→よくわからんが多分百姓
母方の祖父→彰義隊にいたとかどうとか
母方の祖母→天領で祐筆、三河譜代(この家だけは間違いない)

ちなみに母方のじいさんは天皇や松平定信の子孫だとか吹いていた(w
59日本@名無史さん:03/10/20 03:46
父の実父・・・京都で町人だが田辺の方から出てきたらしいので元は百姓か
父の養父(父の母の父)・・・墓が京都にあったので京都人、おそらく町人
母の父・・・かなり大きな漁村の鍛冶屋で網元の次男坊
母の母・・・地域で尊崇される地蔵を実家から持ってきたので豪農の出のようだ
60日本@名無史さん:03/10/20 06:43
平氏の仕官人。
父は関が原の合戦の西軍についた。負け。
61日本@名無史さん:03/10/20 12:56
とりえず突っ込みを
>>58
>天領で祐筆、三河譜代
なんじゃそりゃ?天領で祐筆って?

>>59
とりあえず想像ばかり多い。

>>60
>平氏の仕官人。
なんじゃそりゃ?意味不明。
>父は関が原の合戦の西軍についた。負け。
あんたの父親年いくつ?
日本語もおかしい。
62日本@名無史さん:03/10/20 13:16
先祖は仏を背負って持ってきて廃寺を再興した。

はい地味。
6358:03/10/20 22:29
>>61
天領にも役人はいるわけだろ、○○城代とか。
そこの城で祐筆やってたんだよ
64日本@名無史さん:03/10/20 22:43




毎年、約1万組の日韓結婚。
それに伴なう朝鮮化した混血児。
年間、日本の新生児約100万人のうち、
約1〜2万人の新生児に
容赦の無い朝鮮人の血が流し込まれている。

また、韓国朝鮮人の帰化が年間約1万人も!



65日本@名無史さん:03/10/21 02:05
>63
大坂城代とかって祐筆いたっけ?
66日本@名無史さん:03/10/21 02:22
祐筆って手紙書いたり文書の管理したりする人だろ?
城代だって一人で留守番してるわけではないんだから(w、
そういう役の人もいるんじゃないの?
67日本@名無史さん:03/10/21 13:55
>>64
別によくね?高麗とか百済とか帰化族は昔から日本に流入していたわけだし。
ただ名字はそれーとなくわかるものにしてほしいものだよね。
差別というのではなく後世に先祖がどこから来たか明確にしておくために。
68日本@名無史さん:03/10/22 09:29
俺頭悪いし情緒不安定な上強迫性障害なんでたぶんたいしたことない。
武家じゃないな。メルヘンかもしれん。明らかに頭も運動神経も出来が悪いし。
持病多いし。
69日本@名無史さん:03/10/22 10:02
メルヘンってなんだ?
70日本@名無史さん:03/10/22 10:58
>>36
知り合いに本多っているよ。
実家は愛知だった気がする。
子孫かな。

>69
2ch用語集見てき。
71日本@名無史さん:03/10/22 13:46
>>66
なんだよおまえの想像かよ。
72日本@名無史さん:03/10/22 21:17
はいはいよかったね
73日本@名無史さん:03/10/23 02:37
よくねーだろ
思い込み厨は一人でたくさん
74日本@名無史さん:03/10/23 03:35
はいはいよかったね
75日本@名無史さん:03/10/23 05:34
おれは徳川御三家の家臣だよ。
いやマジで。左うちわの生活だよ。今でも
76日本@名無史さん:03/10/23 08:31
>>72=74
必死だね
はいどうぞ
 ↓
77日本@名無史さん:03/10/23 12:53

必死だね
はいどうぞ
7858:03/10/23 20:32
ひさびさに来てみれば煽りあいになってるし…

58の話は幕末までやってた本人から俺のばあさまが聞いた話だよ
明治以降は公務員。
61が何を疑問に思ったのかがわからんのだが…?
79日本@名無史さん:03/10/23 20:41
上杉子飼いの渡部一門じゃw
80日本@名無史さん:03/10/23 21:20
自分はいわゆる部落出身なので先祖代々非人だったと思われますが何か意見質問等はあられますか? 武家町人の末裔の方々どうぞおかまいなく
81日本@名無史さん:03/10/24 02:36
前に、武家版で語ったけど、あそこは上級武士の子孫が多すぎるのでもう一度語ります。
(あそこ、先祖が家老格の人いっぱいいるもん。)

父方の祖父の祖父→尾張の郷士らしいが、明治維新で一度家を畳んでいて詳細不明。
父方の祖父の祖母→山城の国笠置に南北朝時代に後醍醐天皇を守るために移り住んだ
              一族。新薬師寺に菩提があるが、そこは家の位別に墓が並べられて              おり、そこでかなり位置に墓があるらしい。
父方の祖父の母  →どうやら、平民の出らしい、おかげで祖父の祖母(要するに姑)に
              こっぴどくいじめられて、失明したとのこと。
父方の祖母     →大和国一之宮三輪明神大神神社(ながー)の禰宜の一族。
              癌体質なのは、何でも、明治維新後に神主を
              辞めたための罰だそうです。
母方の祖母     →伊勢にある譜代大久保家の分家、
              といっても本家が既に大久保一族のなかでは、小さい家。       母方の祖父(養子) →伊勢にある、かつて北畠親房の家老を勤めた一族。
               江戸時代、大久保家が転封して来た時でさえそれなりに力を
               持っていたらしい。
               恐ろしいことに、なんと江戸時代を通じて、
               基本的にこの2つの家の間でしか結婚をしなかったらしい。
               当然、祖父と祖母は従兄弟同士である。
               しかも、それ以前の家系も全てその類の近親結婚ばっかりである。
               母の代になって、ようやく血が濃すぎるのはやばいと気づいて、
               外に嫁に出したらしい。
               はっきり言って私自身の遺伝子が心配である。
とまあ、こんなかんじなのですが、どうでしょう?                        
82日本@名無史さん:03/10/24 06:26
普通だね
83日本@名無史さん:03/10/24 06:32
ご先祖様は清和天皇。
普通だね。
84日本@名無史さん:03/10/25 17:23
定期あげ!
85日本@名無史さん:03/10/25 17:42
父の父の父 相模国某村名主。戦国期は某小大名の家老級の武将。遡ると鎌倉幕府御家人。
父の父の母 旗本。
父の母の父 下総国某村名主。
父の母の母 四国の某藩上級武士。主君の連枝で江戸中期まで遡ると主家に繋がる。
母の父の父 常陸国某村名主。
母の父の母 常陸国某村名主。戦国時代は伊達政宗の重臣。政宗に放擲される。
母の母の父 九州の某藩の下級武士。先祖は鎌倉幕府御家人。
母の母の母 九州の某藩の中級武士。戦国期は竜造寺家宿老。遡ると鎌倉幕府御家人。

      
86日本@名無史さん:03/10/25 18:00
>>85
パッとしないね。
87日本@名無史さん:03/10/25 23:16
>85
>父の父の母 旗本。
>父の母の母 四国の某藩上級武士。主君の連枝で江戸中期まで遡ると主家に繋がる。
>母の父の母 常陸国某村名主。戦国時代は伊達政宗の重臣。政宗に放擲される。
>母の母の母 九州の某藩の中級武士。戦国期は竜造寺家宿老。遡ると鎌倉幕府御家人。

女の武士はいません。

認定
詐欺のテクニック有栖川級
88日本@名無史さん:03/10/26 00:38
いたなー、先祖は源氏だ、平家だって香具師。
ここは有栖川のあつまるスレですね。
89日本@名無史さん:03/10/26 01:03
母の家という意味だろ。
90日本@名無史さん:03/10/26 01:15
>87
家系の話をしているんだから、家の格なんだから「女の武士はいません」って言う方が
意味不明なんだけど。

こうみると、大体明治以降平均して1つぐらいは上級武家の血が入ってるもんなんだねえ。
ということは、源氏の流れという意味で天皇家の血が入っている奴は、
ほんの少しでもいいなら意外とその辺にごろごろしてるものなんだろうね。

こうなると、自分には平民の血しか流れてませんってやつの方が逆に稀なのかも知れないねえ。
91日本@名無史さん:03/10/26 01:28
ぷぷぷ
かってにほざくスレはここでつか?

ぼくんちも有栖川宮の外戚でつ
ぷぷぷ
92日本@名無史さん:03/10/26 01:31
>>91
そういうおまえは?
93日本@名無史さん:03/10/26 01:43
>>92
某都銀勤務です。
年収1700万です。
94日本@名無史さん:03/10/26 01:49
某外資銀行勤務でつ
年収6000万でつ
95日本@名無史さん:03/10/26 02:00
>>93
先祖のことを訊いたつもりなのだが?
年収1700万?いい年こいたオッサンが>>91みたいな
書き込みをして恥ずかしくないのか?
ご先祖が泣くよ。
96日本@名無史さん:03/10/26 02:05
先祖のみならず妻子も泣くと思われw
97日本@名無史さん:03/10/26 02:15
>>95
ぷぷぷ
文字をよめない椰子は君でつか?

ぼくんちは有栖川宮の外戚でつ
ぷぷぷ
98日本@名無史さん:03/10/26 02:15
>>95
ボクちゃんのご先祖こそどこのご家老でつか?

99日本@名無史さん:03/10/26 02:23
確かに、一番痛いのは自分だということに、>91は気づいていないと思われ。

でも、実際日本史板にいる奴の血筋平均的にいいのは、
それなりの理由があるものと思われるし。
大体、「自分の家はこれこれこういう由緒ある家柄で、その主君はこれこれこういう人物で、
これこれこういう働きを日本史においてやったのだ。」とか何とか、聞かされて育つと、
まあ自然に日本史は好きになりますからなあ。
特に、自分の家が使えた主君が出てくる時代のことは、
たとえば大河ドラマなんかでやってると自然とみるようになるし。
というか、実際親が勝手にそういうの付けてるし。
親も日本史が詳しいから勝手に詳しくなるし。
・・・・まあそういう具合に2chに日本史版にはそういう連中集まるのよ、自分も含めて。
大体、日本広しと云えども、だれかれかまわず先祖自慢できるとこってここしかなよ、
ほんとに。
たいていの人は、これまで言いたくても嫌われそうでいえなかったり。
小学生のときとかそういうこと言っていじめられたりしてるから、
こういう場所求めてるんだって。だから、みんな集まるんだよ。
結局、言いたいのは、こういうところに書き込んでるのは一部を除いてほとんど信頼できる、
ということ、経験上ね。
ちなみに、私は高校とかでここに書き込んでるのよりも、ずっと凄い家系の奴と何人か同級生になったぞ、旧華族の直系とか普通にいたぞ。以外にいるぞそういう奴。
100日本@名無史さん:03/10/26 02:57
都銀で1700ってマジだとしたら結構な歳だろ。
いい歳こいてぷぷぷはねーだろw
101日本@名無史さん:03/10/26 06:26
まぁ世の中には
今の政権与党の大物と
小学校の頃同級生だったってのが唯一の自慢の
くだらない人生歩んできた老人もいるからな
そういう奴が時間をどぶに捨てつつ80以上までながらえ
有能な者が早死にしていくものだし
102日本@名無史さん:03/10/26 17:49
おれっちの先祖は山県昌景の与力で武田滅亡後徳川に仕官して水戸藩の家老になりました。
信玄直筆の書状とかもちゃんと保管されてます。
103日本@名無史さん:03/10/26 19:24
俺の先祖には聖徳太子、光源氏、平清盛、織田信長、水戸光圀、西郷隆盛、田中角栄と主要なところが揃っている。
どうだ、うらやましいか。
104日本@名無史さん:03/10/26 20:48
>103
いくらなんでも「光源氏」はどうかと思うぞ・・・実在の人物ですらないではないか・・・。
ちなみに、聖徳太子のって子孫いたっけ?思いっきり潰えてなかった?
あとは、一概には否定できないなあ。
あっ、でも田中角栄の子供って真紀子だけだっけ?
それじゃあ、あなたは真紀子の子供・・・・。
105日本@名無史さん:03/10/26 23:12
水戸光圀に子孫っているの?
106日本@名無史さん:03/10/27 12:25
徳川光圀の実子は高松藩主となってます。
水戸藩は高松藩主の子が藩主となりました。
高松藩主は光圀の兄です。
107日本@名無史さん:03/10/27 15:25
江戸時代のヤクザ。まじで。
わたしは、普通の人ですが。
108日本@名無史さん:03/10/27 15:40
>>99
みんな心のどこかに高山彦九郎が棲んでるのだよ



というわけで
>>1の祖先はフルハム三浦
109日本@名無史さん:03/11/02 15:06
>103
光源氏なんて書いたら無知がバレバレになるよ。
光源氏の実在モデルの最有力候補は、嵯峨源氏の源融だから、源融と書かないと。

110日本@名無史さん:03/11/02 15:08
ネタにマジレスするなよ。
111日本@名無史さん:03/11/02 15:11
>109
松田聖子(蒲池法子)は、その源融の子孫。

源融──源是茂──源行久──源(蒲池)久直──久憲──鎮漣──鎮貞──孜──光久
     │
     ─法子
112109:03/11/02 15:13
ズレちゃった。
聖子は、蒲池孜の娘で、蒲池光久の妹。
113109:03/11/02 15:15
誤解の無いように
途中の累代の系譜はかなり省略しています。
蒲池家系図は、蒲池氏が柳川城主をしていた柳川市の資料館に行けば見られます。
114日本@名無史さん:03/11/02 15:37
自分の先祖は「君が代」を詠んだ人、と聞いてる
115日本@名無史さん:03/11/02 15:50
>114
で、誰なの?
116日本@名無史さん:03/11/03 14:50
>>111
ずれ方がものすごいですよw
117日本@名無史さん:03/11/05 14:25
age
118日本@名無史さん:03/11/16 23:41
・父方
武士の家柄らしいですが、姓氏大辞典を観てみたところ、源姓とあり、約1ページ分、色々書いてあった。
ただ、源姓と載っているだけで、どこから枝分かれしたのかは分からない。

・母方
姓氏大辞典の記述内容と、家紋からして宇多源氏佐々木流っぽい。
母によると、○○兵衛(○○は内緒)という名跡?を代々世襲していたそうです。
119118:03/11/16 23:46
ぁー、ごめんなさい。
正しくは「姓氏大辞典」ではなくて、「姓氏家系大辞典」ですね。
120 :03/11/17 00:37
>118
苗字が同じだからといって、その子孫であるとは限らない。
むしろ大半は無関係。
武家であれば、下級でも実家か本家に家系図か何らかの文書があり、菩提寺などもあるはず。
そういうものがなければ、武家の某氏と苗字が同じでも、たぶん無関係。
母方は、まだ先祖の名前が伝わっているから、江戸時代までは正しいと思われます。
ただ、宇多源氏の子孫かどうかは検討の必要あり。理由は江戸時代に作成された系図は、先祖についてはほとんど仮冒だからです。
121日本@名無史さん:03/11/17 01:23
家の菩提寺にあった俺んちの家系図。

遡っていくと、土地じゃ名を知られてた代官やら、仏門に入って地域の教育に貢献した武士やら、某有名武将の従者やらが載ってた。

でもその先に書かれていた名前は・・・・・・・








天照大神。

舐めとんのかと。
122日本@名無史さん:03/11/17 03:36
前九年の役の源頼義の弟。
ボロボロの家系図はちゃんと清和帝が起源になってるよ。
123日本@名無史さん:03/11/18 00:36
山口出身です。
先祖は椙杜氏らしいけどただの貧乏百姓です。
遠い親戚に神主がいるけどそこが本家だそうです。
でも付き合いはまったく無し。
自分の先祖がだれだれだからどうしたってこともないけど
何代もまえの先祖のことを考えるとちょっとわくわくしませんか?
124山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/18 00:38
>>123
>何代もまえの先祖のことを考えるとちょっとわくわくしませんか?
それは確かにその通り。うちは戦国以前のことは分かりませんが。
125日本@名無史さん:03/11/18 00:40
おれの先祖はたぶんBだと思うよ。
でもめちゃくちゃ美人の娘が生まれて有力者に囲われて上昇したんだよ。
きっと。
なーんつって。
しらねーよ。家系図なんてたいそうなもんもねーよ。
それがどうした?
126日本@名無史さん:03/11/18 00:40
小学ん時源頼朝の子孫がいたな。
127日本@名無史さん:03/11/18 00:42
先祖を辿っていくとアダムとイブになるって本当ですか?
128日本@名無史さん:03/11/18 00:53
父ちゃんは大工
爺ちゃんは石屋
曾爺ちゃん八幡様の御守役(目が見えなかったらしい)
ヒイヒイ爺ちゃんは神主?
ヒイヒイヒイ爺ちゃんは字が上手かったらしい。
ヒイヒイヒイヒイ爺ちゃんは村相撲で一番になったらしい。

以上、母方の曾ばあちゃんの記憶から引っ張ってきた情報です。
偉い人ではなさそうですね。
129日本@名無史さん:03/11/18 00:57
ちなみに曾ばあちゃんは来年で満103歳になります。
来年僕の嫁さんに子供が生まれます。
その子から見れば曾ばあちゃんは先祖といってもおかしくないですよね?
曾ばあちゃん、長生きしてください。
130山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/18 01:03
父方の祖母の曽祖父は油絵でしか見たことがありません。写真の方が
安上がりだったと思うのですが・・・。なお妻の分は無し。
高祖父以降は夫婦の写真が並んでいるのですが。
131日本@名無史さん:03/11/18 18:27
>>130
じいさん・祖父
ひいじいさん・曽祖父・そうそふ
ひいひいじいさん・高祖父・こうそふ
でいいの???
132山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/11/18 19:07
>>131
で良かったはずですよ。孟嘗君でもないのに財産は残してくれませんでした。
133118:03/11/18 19:13
>>120
姓氏家系大辞典の記載内容から、

・家紋が同じ。
・地理的に伝えられる地域と同じ。
・父方の家の欄に記載されている逸話が、祖父が父に言っていた話と似ている。
・佐々木行定から、8代目の母方の苗字を名乗ったとされる人物以下、数代後までの略系図が載っている。

という観点からそうなのかなぁと思ったのですが、どうなのでしょうね。
今度、墓参りを兼ねてそれぞれの菩提寺に逝ってこようかなぁと思います。
134 :03/11/18 21:46
>133
江戸時代は武家であれば、あなたの家か一族の本家に家系図とか文書が伝わっているはずです。
藩士の場合はもちろん郷士の場合も、家系図や文書が身分認定のための必須資料でした。
また戦前まで士族でしたら、「○○県士族」という族籍が記された文書(卒業証書など)があるはずです。
家紋と地域が同じというのは、しばしばあるケースです。
同じ苗字の武家と同じ地域であり、その地域名称を苗字とし、家紋もその武家に合わせたという場合が少なくないからです。
また、菩提寺がどこなのかということです。
菩提寺があれば、過去帳に先祖の戒名や俗名が分るはずです。
父とか祖父のような身近な人ではなく、5〜6代くらい前の先祖の名前でも分っていればと思います。

かなり前の先祖の名前や菩提寺が分っている母方の先祖は、調べてみる価値は大いにありますね。
135日本@名無史さん:03/11/18 21:56
ウチの父方は、壇ノ浦で逃げて護良親王と潰れて
武田に蹂躙されて信長に踏みつぶされて幕末に至るまで音沙汰なしという
古いだけがとりえの一族だよ。
でも爺ちゃんが紫綬褒章もらったりしてるけど、
考えたらあんなもの家格とは全く関係ないんだよな。
136日本@名無史さん:03/11/19 02:24
>>134
それはよほどの田舎だけだよ。
東京とか都市部の場合、空襲にあっているから焼失している場合も多い。
137 :03/11/19 03:27
>136
それでも菩提寺はあるのではないか。
少なくとも武家の子孫というのであれば、何も無くて、ただ苗字が同じというだけでは話にならない。
例えば系図や文書は焼失したとしても、親戚に「見たことがある」とか、
ウロ覚えながらも少しは内容を記憶している人がいたりするのでは。
138日本@名無史さん:03/11/19 09:25
>137
その寺が全滅してるんだよ。
139日本@名無史さん:03/11/19 11:01
おれは皇室とつながっているはずだから、税金で暮らしたい。
   カネをくれ!
140日本@名無史さん:03/11/19 13:05
>139
平安時代に(・∀・)カエレ!
141日本@名無史さん:03/11/19 17:38
本家に伝わる江戸時代に書かれた系図では桓武平氏。
いったい先祖はいくらで系図を買ったんだろう。胡散臭い系図だ。
142日本@名無史さん:03/11/19 19:08
地方の武士の家でも系図を相伝しているとは限らない。
俺の知ってるある地方では、藩士のうちの少なからぬ人間が
維新時に系図の類をみずから焼いてしまったらしい。
その話をきいて、維新というのが武士にとっていかに
衝撃であったのか、ということの一端を知る思いがしたものだった。
143日本@名無史さん:03/11/19 19:15
ワタクシの母方のご先祖は上杉謙信の軍師・宇佐美定満です。
もちろん母の旧姓は「宇佐美」です。
144日本@名無史さん:03/11/19 19:18
江戸時代は米沢藩士?
145 :03/11/20 00:24
>143
苗字が同じというだけだろう。
そういうの多いから。
146日本@名無史さん:03/11/20 00:25
ちょっとあなた方、
この世のものとは思われない、すこぶる気持ちの悪い、
不潔で土人のような、人間離れした朝鮮顔をご存知か?
それは、

色が黒く、不格好で異様な面長で、顔に立体感や凹凸感がさっぱり無く、
鼻が潰れたように低く、離れ目の細い寄り目に、
薄いハの字眉で、唇が下品で突き出し締まりが無く、
歯がデカくて歯茎が黒い。

つまり、焼きいも寄り目朝鮮顔の事だ。
あれは世界一気持ちの悪い変態顔です。
147日本@名無史さん:03/11/20 00:34
うるせえ。せめて昔の話をしろ。
148日本@名無史さん:03/11/20 00:38
146は、絶対と言っていいほど、現在幸せではない。
これまであまり恵まれた人間関係、家族関係には
なかっただろう。

149 :03/11/20 01:15
>141
桓武平氏の子孫という系図はほとんどが仮冒らしい。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/sizokugairan/KANMUG.HTM
150日本@名無史さん:03/11/20 01:27
>149
本当であっても証明が出来なければ仮冒あつかいという学会においては、
時代が下るごとに仮冒が増加していき、最後はほとんど仮冒になるよねきっと
151日本@名無史さん:03/12/05 00:06
今朝曾ばあちゃんが亡くなりました。
1900年の9月生まれ、満103歳だった。
1901年生まれだと思っていた。
19世紀、20世紀、21世紀と3世紀に渡って生きてきたのか・・

もう一度だけ会いたかったなぁ。
152日本@名無史さん:03/12/05 00:57
こういう時、>>17のように、サルって答える人がいるけど
それは間違いね。人間の祖先は猿ではないから。
正しくはサルに良く似た動物(すでに絶滅)がヒトの祖先。
ちなみにサルの祖先もその動物。
だからサルは人間の祖先ではなく、兄弟のようなものとでも言うのが正しいんだよ。
153日本@名無史さん:03/12/05 01:04
そんなこと17以外は知ってるからいいって。
タンパク質。
これでいいかい?
154日本@名無史さん:03/12/06 22:04
父方 公家→薩摩に流罪→薩摩藩士に取り立て→子孫が八丈島に漂流→今に至る
母方 宇佐神宮神職
155日本@名無史さん:03/12/07 01:09
いつごろどういう事情で八丈島に漂流したんですか?
156日本@名無史さん:03/12/07 02:12
うちは一応島津の流れだ
名前出すとばれちゃうけど
島津○○という人がいて、以降○○を苗字としてきた
でも俺のじいちゃんが養子だから血は途切れてるけどね
明治のころは政府に出仕してたおかげで結構羽振りもよかったみたい
死んだじいちゃんも某有名な市の市長やってたし
157日本@名無史さん:03/12/07 02:41
>156
妄想は楽しいでつかW
158日本@名無史さん:03/12/07 06:23
>>156
それだけでもう調べると解るんですけど?(笑)
159日本@名無史さん:03/12/07 07:14
4代前が李王職長官とか京城帝國大學聰長やってたんだけど、韓国人に言ったらやな顔されんのかなぁ?
160日本@名無史さん:03/12/18 02:32
間近家

橋紀---和之---伯身---手式---背即
161日本@名無史さん:03/12/18 14:33
足利らしい
162日本@名無史さん:03/12/18 19:59
>>1
三浦義村
163日本@名無史さん:03/12/18 20:03
だよな?
164日本@名無史さん:03/12/18 20:28
正直「〜の子孫だ」って親とかが言ってたとしても確証がないし
ちょっと前にあったいいとものコーナーレベルじゃ自慢にもならん

歴史上の有名な一族の末裔ってのの殆どはちゃんと現在も所在がはっきりしてるものだしな
165日本@名無史さん:03/12/18 20:43
本物はこんなところで家系をひけらかしたりせんわな
166日本@名無史さん:03/12/19 13:02
一向門徒
167日本@名無史さん:03/12/19 14:28
俺が初代なんだよ。この俺が・・俺から万世一系が始まるんだ・・・
168日本@名無史さん:03/12/19 15:24
ご先祖探しって何万個もある福引の玉からインチキして
1等を取り出すようなもんじゃないの?
169日本@名無史さん:03/12/19 17:40
私の苗字は戸次といいますが豊後の 
戸次氏と関係あるのかな?
調べたら家紋はぜんぜん違います。
父も母も九州です。
でもご先祖様っていってもたくさんいるはずだから
有名な人も良そうですね
170日本@名無史さん:03/12/19 17:48
うちの御先祖は津山藩士。清和源氏新田支流の末裔
171日本@名無史さん:03/12/19 18:40
うちの父方の曾祖父は大正期に隆盛を誇った越後の豪農某家で当時番頭?をしていたらしい。一千二百町歩もの広大な土地をきりもりする頭の相当切れる人物だったらしい。
172日本@名無史さん:03/12/26 12:53
菊重氏

菊重為間---伯次---為次---伯間
173日本@名無史さん:03/12/26 12:54
大富来平三郎康成の子孫です。
174日本@名無史さん:03/12/27 02:37
安室奈美恵とオマンコしたい。
175日本@名無史さん:03/12/27 02:53
>>174
努力すればできるレベルだろ。それは。
176日本@名無史さん:04/01/02 18:43
天譴志隈の子孫っています?
177日本@名無史さん:04/01/03 04:33
父方は伊勢の神官だが、母方は琉球王なので、
源為朝の血を受け継いでる。・・・といいなあ
178日本@名無史さん:04/01/03 04:49
うちは江戸時代に讃岐から大坂に逃げてきた○○の子孫だよ。
あと新潟のほうの浮浪者が奈良県に流れ着いたのとか、
山奥のツチグモの子孫とか(穴倉で暮らしてたらしい)、
ろくでもない先祖ばっかり。そういうのが雑種になったのが、
何を隠そう漏れ様だ、エヘン
179日本@名無史さん:04/01/03 05:11
漏れの御先祖様は農民です。農民マンセー!
180日本@名無史さん:04/01/03 16:15
>>169
たぶん何らかの関係はありそうに思うけど?
戦国時代の家紋って必ずしも一家に一種類ではなくて
数種類を使う場合もあるし・・・。
家紋が違うから関係ないとは言い切れないと思う。
181日本@名無史さん:04/01/05 15:44
親類らしいのが「竜馬がゆく」に出てくるが…。
カコワルイ…。
182日本@名無史さん:04/01/06 21:20
>>169
同族か?
183日本@名無史さん:04/01/06 23:49
私の苗字はベッキーといいますが豊後の 
戸次氏と関係あるのかな?
調べたら家紋はぜんぜん違います。
父はイギリス、母は日本です。
でもご先祖様っていってもたくさんいるはずだから
有名な人も良そうですね

>>174
元モーニング娘の○○はジャニーズと付き合うためにアイドルになったらしい
根性入ってる。
184日本@名無史さん:04/01/07 14:52
先祖って血で見るのか?
うちは途中で別氏をついだのに、
その先祖のことはほったらかしで、
血の先祖のことを先祖としている。
なんかおかしくない?

血の先祖は岡崎義実→佐奈田義忠→中山成実…と三浦の庶流なんだけど、
氏の先祖はようとして知れない…。
185182:04/01/08 23:02
>>183
俺は「へつぎ」だよ。
江戸期に名字を名乗れなくて、明治に過去帳で昔の名字を確認して
「読み間違える」又は、音のみが伝わっていて「字を間違える」という
やつの前者じゃないのかな?。
そうある地名でもないから同族と思われ…。
186182:04/01/08 23:04
>>183は釣りか…>>169よ、戸次の家紋は3〜4つあるよ。
187183:04/01/14 22:33
釣り?普通ネタっていわね?
188日本@名無史さん:04/01/21 23:19
189日本@名無史さん:04/01/22 16:05
父方━平安時代は内舎人、のち、北面の武士。中世に入っては神職についていたみたい。
   学芸員さんに検証してもらったけどどうやら本当みたい。

母方━加藤清正に仕えていたが、清正公没後、庄屋、のち大庄屋。藤原氏って書いてあるけど、これは明らかに
   仮冒。

大名でもなんでもないけど、系図は正確みたい。
190日本@名無史さん:04/01/22 21:35
俺の先祖は質屋
191日本@名無史さん:04/01/22 22:01
紀州雑賀衆、雑賀孫市の弟、雑賀孫六が私の祖らしいです。
本家がやってる寺の過去帳、縁起。江戸期の公的調査書類などでそういう記載が見られるようで。
その寺の分家には必ず「孫」を入れた屋号がある事も少なからず裏づけになるかと。
でも家の人間はみな射的が苦手です(笑
192日本@名無史さん:04/01/23 03:29
>>191
>その寺の分家には必ず「孫」を入れた屋号がある事も少なからず裏づけになるかと。
まったくなりません
193日本@無名史さん:04/01/23 23:52
先祖はミトコンドリア…これ定説
194日本@名無史さん:04/02/01 22:13
俺の家は足軽→追剥ぎ(盗賊?)→農民→公務員という家だ。
特に江戸時代初期には街道沿いに茶店開いてそこを拠点に追剥ぎやってたらしい。
あと近所には先祖が江戸時代に置いた地蔵がある。
195日本@名無史さん:04/02/02 02:05
>194
公務員?
合法的追いはぎじゃないか。
出世したな。
196日本@名無史さん:04/02/03 20:01
漏れの父方は山名氏の支流の出らしい・・・
197日本@名無史さん:04/02/07 16:28
アフリカのほうらしいが・・・・
198日本@名無史さん:04/02/07 19:56
俺の先祖は関白で、征夷大将軍と天皇の血も入ってます。
199日本@名無史さん:04/02/28 12:44
200真空妙妙大姉:04/03/02 12:04
はうつ、先祖しらべ、
除籍謄本は一通750円でちゅ。郵便請求も出来ましゅ。謄本の親の欄から
その親の名前、出身本籍地がわかります、父方、母方代々出来るだけ
さかのぼりたいという旨役場住民課に伝え多めに定額小為替送りまひょ。
前もって何通分あるか、メール問合わせで返答あるみたい…。角川や
平凡社の県別地理辞典でも現在の市町村名わかりまちゅ。代理請求は、
本人自筆の委任状必要ざんす。
  http://www004.upp.so-net.ne.jp/hitosen/soudan.html 戸籍について。
ところによっては、請求事由で 先祖探しはだめで、先祖供養のためなら
OKだそうです。謄本で、江戸末の年号出たらもう先はわかりませんでひょう。
直の子孫のお家の方を訪ね、過去帳とか系図類あればコピーさせていただき
ましょう。うちの場合、父方母方共、下級ではあったんすが士族がいて系譜を
記録していたさらにその先の別のおうちにつながってたり、角川の県別姓氏辞典やら
町の歴史館資料・郷土歴史家のお助けでさらにさかのぼれました。父方母方
二組の祖父母あり、曽祖父母は4組、十代前は、だいたい江戸はじめ前後、512
組の夫婦がいるんすよね、うちの場合50くらいの直系でつながる苗字わかりまちた。
藤のつくのは佐藤さんと藤田さんでした。でも佐藤さん宅は三浦さんから二代
にわたって養子が入っててその奥方が村上さんで実質は藤田だけか。つくづく昔は階級社会
と思います、例えば侍の結婚は上級は上級同士、下はそれに見合った家どうし、大・小名クラスは
全国ネットがあったようで、つまり藩内を越えるんすよね、だから明治になって何とか爵が
可能だったんね。それでも江戸後半では小さい藩だとお隣藩の見合った侍家と婚礼とかに
なってました。過去帳見せてもらいましたが、戒名と死亡年月日の羅列でして、生前の名前とか家族
関係とかわかりませんですね、戒名からわかるのは、男女の区別、幼くして死んだ場合、上の偉いさん、侍さんだったかもぐらいでしょうか。
201日本@名無史さん:04/03/17 11:26
5代前までしかわからん
202日本@名無史さん:04/03/17 16:51
mL( ^∇^ )グッチャー!
203 :04/03/17 22:13
実家に古い戸籍の写しがあったんだが、
「平民」とか「平民○○と結婚」とか書いてある。
これがいわゆる壬申戸籍?
204日本@名無史さん:04/03/17 22:23
蜂須賀藩出身らしいと分かった。
205日本@名無史さん:04/03/18 22:16
>>198
熊沢天皇と葦原将軍の子孫だろ
206日本@名無史さん:04/03/18 23:03
旧清華家
207日本@名無史さん:04/03/18 23:38
藤原らしい・・・
詳しくは知らん
208日本@名無史さん:04/03/19 09:42
松尾芭蕉の弟子。
誰だそれ?
でも弟子の俳句を芭蕉が添削した手紙が昔家にあって、
古物商に結構な値段で売れた気がする。
209日本@名無史さん:04/03/19 12:26
寺の墓石に書かれてる名前で一番古いのは、明治に亡くなった○○源八。(○○の部分は珍しい苗字なので伏せさせて頂きます)
それ以前の墓は当家敷地内にあるのだが、文字が風化していて殆ど読めない、江戸時代中期の年号と当家の苗字が辛うじて読み取れる。
源八の次代の源助の頃には大農で、かなりの土地があったと伝わる。
210日本@名無史さん:04/03/19 12:31
漏れの祖先は、養子とかに入ったり入られたりでよくわからん.
211日本@名無史さん:04/03/31 14:19
黒田家に出入りしてた医者らしい
212日本@名無史さん:04/03/31 14:21
俺の先祖は清和天皇のお手つきになった
村娘らしい。
つまり俺は清和天皇の末裔ってこった。
恐れ入れ。
213日本@名無史さん:04/04/06 09:12
  _
_ト |○ ハハー
214日本@名無史さん:04/04/06 12:23
  _
_ト |○ ハハー



ところで、私の先祖は橘姓らしい。
そんでもって家紋は菊水だが楠木正成と何か関係あるのかな?
215日本@名無史さん:04/04/06 17:05
私は、美濃(土岐家)氏族:明智家の末裔です。
もちろん家紋は桔梗で、敷地内には家紋入りの倉があり、
墓石や御地蔵様には、文化・文政・天保・嘉永・・文久・慶応と掘り込まれています。
刀はもちろん瓶や御膳から紋付袴、その他色々と残っています。


216日本@名無史さん:04/04/06 17:46
どんなに親に聞いても2代前の靴屋までしかたどれない・・・_| ̄|○
217日本@名無史さん:04/04/07 13:58
>215 氏族って凄いな!!
218:04/04/07 21:03
わたすは、若狭武田の末裔です。
219:04/04/07 21:14
ちなみに分家で、ルーツは、一族の女が越中の男と駆け落ちして、いまに
至るそうです。(父方です。)
220日本@名無史さん:04/04/08 19:07
だったらあんたの男系先祖は若狭武田氏ではなく、その越中の男じゃん。
221:04/04/08 19:13
父がその血を引いていて、私はその父の息子なんです!!。
222日本@名無史さん:04/04/08 22:54
地侍で戦国期は伊東家に属す。伊藤家が滅ぼされたあとは島津家に帰順。
九州征伐やなんかかんやしたあと、島津の分家の元で郷士。
223日本@名無史さん:04/04/09 12:44
四国の大名の分家だったらしいが秀吉の侵攻で逃亡。
その後九州で帰農し庄屋となる。墓などから定住したのは
元禄時代以前(と伯父は言っていたが未確認)。
本家と分かれたのは曽祖父の代から。
224日本@名無史さん:04/04/14 10:25
>>215
氏族は凄い…
225日本@名無史さん:04/04/28 02:29
安室氏の先祖は?
226日本@名無史さん:04/04/28 03:10
父と祖父が「我が家は大正の恐慌のとき相場に手を出して没落するまで『高額納税貴族院議員』だった」と主張し、傍証もかなりあるのですが決定打がありません。そういった履歴はどこで調がつくのでしょうか
227日本@名無史さん:04/04/28 13:09
>>226
貴族院議員なら、あなたの曽祖父、玄祖父でしょうか。
御名前はわかるでしょう?ならば県立図書館で捜せます。

「明治人名事典」「大正人名事典」「人事興信録」などの人物
事典系から当たってみましょう。県立図書館くらいの規模の図
書館ならば必ずあります。「人事興信録」は履歴が詳細に載っ
ているので貴方のご希望に添える資料だと思われますが、
古いものは置いている図書館が限られています。

また、それほどの名士ならば「○○市史」「○○町史」などの
郷土史系の文献にも載っているでしょう。
さらに古い地元新聞も探ってみると、単なる履歴以上の事件
や逸話が載っているかもしれません。
228日本@名無史さん:04/04/28 13:30
俺は7世紀後半島根県中部に移り住んだ尾張族の末裔
江戸時代は庄屋を務め苗字帯刀を許可された
明治の偉人板垣退助とも遠縁
229日本@名無史さん:04/04/30 10:40
天下の陪臣の家老の子孫ってしょぼい?
230日本@名無史さん:04/05/19 00:21
ばあちゃんから聞いた話しによると
昔は天皇家三代にお仕えして、宮内大臣もやったことあるらしい。
昭和天皇をおとりあげした産婆もでたと。
んで、この前はなんなんだと聞いても、漢学者より前が出てこない・・・
231日本@名無史さん:04/05/20 12:21
232日本@名無史さん:04/05/21 10:18
清和源氏の末裔な漏れは徒歩組。
233日本@名無史さん:04/05/21 14:15
>>232
つまり負け組みってことか。
234日本@名無史さん:04/05/22 17:07
父方 小農 墓石に刻まれた古い年号は1660年代(庶民のお寺ができた頃だな)
   言い伝えでは数百メートル離れた親戚の家まで他人の地所を通らずに行
   けた。(墓がお寺の一番奥なのでまんざらホラでもないかも。)
   家紋 違い鷹羽
母方 小農 山師で羽振りが良かった頃、蔵が三つもあったなんてホラ話が伝
   わっているが、蔵が建ったような土地が無い。八代ぐらい前に分かれた
   本家がいまだに葬式などに口をはさんでくるって伯父がぼやく。
   家紋 違い矢羽
235日本@名無史さん:04/05/22 22:57
うちの先祖。
白石伊達家臣。明治期に屯田兵として殿様と一緒に
北海道へ。寒いわ貧しいわガクブルだったそうだ。リーマンは
いつの時代もつらいの〜。芦名の流れだそうだが。
本家滅ぼした連中にしっぽふってんじゃねぇよ、、
236日本@名無史さん:04/05/23 05:11
孫の孫ぐらいの代になったら
「ウチの先祖には議員と官僚がいる」
なんて自慢話はなくなっちゃうんだろな〜
237日本@名無史さん:04/05/23 15:34
某西国の大藩の御殿医の家系。
明治に入ってからも医者をやっており、そこそこの規模の病院を経営。
ただ漏れはとうてい医学部に受かりそうにないので、漏れの代で
代々続いた家系も終わり。
ご先祖様すません。
238日本@名無史さん:04/05/24 14:43
奇跡が起こることをお祈りしています、頑張って!
239日本@名無史さん:04/06/01 20:33
>>230
坂田家か?
240日本@名無史さん:04/06/08 18:20
源頼義の四男である三島四郎の子孫です。
先祖に長男なのに「四郎」と名乗っている人が多くてなんなんだと思っていたら、どうやら三島四郎の四郎みたいです。

うちの姓は、源なのか越智なのか、どっちなのでしょうか?
241日本@名無史さん:04/06/08 18:29
通常、江戸時代に農民とかだったら、お墓とか残っているもんですか?
全部が残っていたら、相当な数になりますよね。
242山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/08 18:45
>>241
地域によりますが、石だけ置いてそのまま放って置くとどこにあったか分から
なくなってしまうという例が多かったですよ。以前埋めた場所をうっかり掘り
返したり。
243日本@名無史さん:04/06/11 22:42
角材みたいなウッド素材の墓なんて見た事有りますか?
20年くらい前に見た祖父の墓がそうだったんですが、
明らかに異様でした。

貧乏であったとしても、木はねえだろ、木は。。。
244日本@名無史さん:04/06/11 22:51
小学生の頃にお盆に母親の実家に行ったことがある。
東北の山奥の大きな茅葺の家だった。←今は無い。

寺にあるお墓以前の先祖の墓はいえの裏にあるというので、
飛び石伝いに墓所まで行ったら、怒られちゃたよ。

飛び石ではなくて地面に潜ってしまった古い墓石の頭部なんだって。
245日本@名無史さん:04/06/11 23:55
俺、沖田総司の7代目の子孫
246山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/11 23:57
>>243
角卒塔婆では?あるいは年忌が開けたら石墓を立てるとか。
247日本@名無史さん:04/06/12 00:03
>>243
あ、うちの所も30年ぐらい前までそうでした(長野県上田市)
248日本@名無史さん:04/06/12 00:07
>>245
やはりヒラメ顔ですか?
249日本@名無史さん:04/06/12 00:10
伊邪那岐と伊邪那美の子孫です。
250日本@名無史さん:04/06/12 00:12
>>245
まだ生まれていないだろうな。
251日本@名無史さん:04/06/12 00:46
>>246
か、角卒塔婆?恥ずかしながら初耳だったのでググってみますた。

ttp://www2.masashi.ne.jp/sacra-/gazou_top/gazou_ryokou/gazou_robou/mo-ze1.jpg
↑まさしくこんなテイスト! 因みに写真はモーゼの墓だそうで。。。(・c_,・`;)

>>247
おいらの方は新潟です。
今の状態は訳ありで未確認ですが。。
252日本@名無史さん:04/06/12 03:53
除籍謄本を取り寄せて調べても、5代前の幕末までしかわからなかった。
亡くなった爺ちゃんが勘当されてたこともあって、それ以上調べる術もなし....。
253日本@名無史さん:04/06/12 06:04
俺の先祖は上級武士
オマエラとは身分が違う
254日本@名無史さん:04/06/12 06:20
>>253 俺の先祖は庄屋、御殿医、本陣、豪商、下級武士・・・世間的には名門だろ?
255日本@名無史さん:04/06/12 08:20
江戸時代の先祖が武士でも戦国室町時代までたどるとただの土民だったりする。
256日本@名無史さん:04/06/12 12:26
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1062679527/の>>267でも書いたけど
漏れの先祖はヌルポチです。
257はるか:04/06/27 20:59
父方(祖母)は、本多平八郎千葉の大多喜城を持っていた(祖父)大地主
母方(祖母)武士(祖父)農民結構大地主
258日本@名無史さん:04/06/27 21:01
1000年前のオレの先祖は清和天皇
259日本@名無史さん:04/06/28 09:37
会津藩公用方かつ岡山区長(初代市長)かつ佐々木只三郎の実兄 手代木直衛門勝任 
260日本@名無史さん:04/07/10 11:18





                    出自不明
261残九郎:04/07/11 15:48
>>1拙者も三浦一族でござる。親戚の系図によると駿河八郎左衛門胤村の末裔です。
宝治合戦後僧侶になり、戦国時代は東北地方の豪族の家老だったようです。
262残九郎:04/07/11 15:52
>>261(続き)ただし、実在が確実なのは江戸中期の頃からです。
みなさんすごいですね。
うちは前田藩という事以外は不明です。
>>1
>>261
私は、三浦氏→北條氏の家臣ってか水軍の三崎十人衆のうちの1人の末裔。
265日本@名無史さん:04/08/01 22:52
私は猿の末裔です。
266日本@名無史さん:04/08/01 23:09
うちの先祖は江戸の深川で大工の棟梁をしていたらしい。
先の大戦で焼け出され、今住んでいる地方に疎開したみたい。
家屋敷や墓などはほとんど失ったけど、今も当時の大工道具は残っている。
で、江戸で大火があった時に某大名家の屋敷の普請をしたと言う文書と、
礼として下賜された刀や茶器も残ってたりする。
鑑定に出せばそれなりの値段が付くかな?
267日本@名無史さん:04/08/02 13:19
先祖が火星人だと自慢していいのかな?
268日本@名無史さん:04/08/03 01:00
親父は「俺の先祖は昔新潟の殿様だった」とか言い張ってるいるんですが
全く信憑ありません。一般の人は知らないと思われる
新潟の小さな大名ってなんていう家ですか?
269日本@名無史さん:04/08/03 23:21
>>268
殿様って言ってもピンキリでしょ。
江戸時代の幕藩体制でも大名
室町末期・安土桃山時代の戦国大名
また、それ以前に存在はしたが、滅亡、あるいは近隣大名に組み込まれた者。
平安期や鎌倉期まで遡れば、小さな集落を有していたくらいの地頭クラスの領主だって「殿様」
まあ、ロマンがあっていいじゃないか。
270日本@名無しさん:04/08/05 01:54
>>268

越後国の藩 (廃藩置県時)
---------------
・村上藩 五万石 内藤家
・三日市藩 一万石 柳沢家
・黒川藩 一万石 柳沢家
・新発田藩 十万石 溝口家
・村松藩 三万石 堀家
・峰岡(三根山)藩 一万一千石 牧野家
・長岡藩 二万四千石 牧野家
・与板藩 二万石 井伊家
・椎谷藩 一万石 堀家
・高田藩 十五万石 榊原家
・清崎(糸魚川)藩 一万石 越前松平家
---------------
271日本@名無しさん:04/08/05 01:58

ちなみにこの二つの堀家は元々奥田と名乗っていて、
明治時代奥田に復姓しています。
272日本@名無史さん:04/08/05 21:38
多くは非武士
農民なら多くは小作農
なのに明治になるといつのまにか先祖偽証する輩がうじゃうじゃ
特に東北地方は今でも有名(W
273日本@名無史さん:04/08/05 21:47
父は王だよ。父方の祖父も王。祖母は天空人の血をひいてるよ。
母は勇者の末裔です。捨て子だったんだけど…
元々は天空の血をひいていると思われ。

さぁ俺は一体誰でしょう。
274日本@名無史さん:04/08/05 21:53
前に日テレ深夜で見たドキュメント(部落あつかった)で長野の部落
出身で東京在住のおばさんが、「東京では先祖が殿様って言っても大丈夫」
って言って幸せそうに暮らしてた
田舎ほど出自にうるさいのか
275日本@名無史さん:04/08/05 21:54
俺の先祖は幕末になってちょっとした役人になったひと(神田講武所歩兵指南役)。
んでその子供はまあ、わりと知れた文化人。
漢字を無くし、日本全国の共通の文字をローマ字にしようとしたご立派な学者さんです;;;
276268:04/08/05 23:41
苗字が違う事から270さんが挙げてくれた家ではない…。
たぶん改姓もありえない…。農民の子供というのがやはり平凡で無難か。
277264@三崎十人衆末裔:04/08/06 01:10
自分の友人達にも色々聞いてみたら、
1人(神奈川出身)は三浦一族。
1人(父親が山形県出身)は仙台藩白石城主片倉氏が伊達家仕官前・神官だった頃に分岐した家の末裔。
1人(栃木県出身)は父方は須賀神社神主から分岐した家の末裔、母方は戦国大名水谷氏の家臣の直系の末裔。
って結構、色々出てきたよ。
278270:04/08/06 02:41
>>276

もし「殿様の先祖」が事実だとすると、「大名の分家」かもしれない。
それならば大名家と苗字が異なる可能性もたかい。

>>270にあげたのは廃藩置県時の家。
江戸時代全体を見渡せばいろんな家が入れ替わり立代わりしている。
その中でも越後は割と安定した所なんだが、高田藩と村上藩の入れ替わりは
激しい。村上、本多、大河内、間部、稲葉…などなどだ。
転封しても家臣全員がついていく訳ではない。
何パーセントかは止まるという。同じ所を行ったり来たりする大名家も多かったし、
出て行った所の新田が飛び地化されてその管理を任されたりなどなどでだ。

そもそも、江戸時代の殿様の子孫かどうかすら怪しいな。
長尾家の臣で、とある城主の一族という程度だったのかもしれん。
279日本@名無史さん:04/08/06 11:43
>>257
大喜利城ですか。
小生、本多家の流れをくむものでございます。
何でも、忠勝の子孫の本多忠央が宝暦騒動の時に連座改易された後、
我が家が誕生したらしいです。
家紋は、もちろん「丸に右分かれ立ち葵」で今は無いんですが、
敷地内に四つほど蔵があったそうです。跡地もあります。
280日本@名無史さん:04/08/06 16:27
父方の祖父・・・元々栃木の地主の子供が東京にでて酒屋をやりました。
        父方の祖父自身は伊勢丹の重役でした。

父方の祖母・・・中国地方の門田という家(毛利家の重臣だったらしい)であるが
        昭和の頃には茨城で石切り場を営む。
        こちらの家系図には何トカ親王とかいてあるらしい(嘘くさい
        のは明々白々ですが)

母方の祖父・・・柳川で武士をやっていたらしい。足軽らしい。

母方の祖母・・・知らぬ。

↑結構ありふれててスン末孫。自作するのも気が引けて・・・
281日本@名無史さん:04/08/06 17:24
濡れは毛利家家臣森脇の末裔
282日本@名無史さん:04/08/16 09:37
父方・・・滝口の武士(静岡系)の子孫
母方・・・黒田二十四騎の一人桐山丹波守の子孫
ちなみに両親はもう離婚してるから父方のほうはよく分からん。
母方の家宝の甲冑は福岡市博物館に預けてます。
損傷が激しいから展示されてるのは兜だけだけどね。
283日本@名無しさん:04/08/16 23:45
>>279
あなた、「大名家の系図を…」スレで訊いていた方?
284日本@名無史さん:04/08/17 20:19
物部守屋。
285日本@名無史さん:04/08/18 00:22
お前らの先祖原始人だろ
286日本@名無史さん:04/08/31 15:40
母方は商人。
紙(和紙?)の販売で儲け、大名家にも金を貸しまくり、
川には自家専用の渡し場を持ってたとか。
地元の昔話にもよく名前が出てきます。

でも、曽祖父(底無しの遊び人…だったらしい)が身代をつぶしてくれたお陰で
俺が生まれた頃には既に、フツーに貧乏な家だったけどね。ショボーン

父方は聞いたことないなぁ。多分農民じゃなかろうか。
287日本@名無史さん:04/08/31 15:44
俺の先祖は、平家の落人の可能性もある郷士。
288日本@名無史さん:04/08/31 22:39
大日本帝国海軍大佐
289日本@名無史さん:04/08/31 22:41
>>287 郷士というのは証明できるの?
290日本@名無史さん:04/08/31 22:58
漏れの先祖に一揆を扇動して惨殺された人物がいたらしい。
291日本@名無史さん:04/09/01 01:41
父ちゃん側は山口県の武士だったらしく、いまだに全員偉そうに振舞う。
突然怒鳴り散らしたり、自分の家系自慢をしだしたり、士族で代々教職に就いて
いたせいか自分はとても賢いんだという事をアピールしたがる。
で、妙に右より思想が多い。
母ちゃん側は大阪の農民でみんなよくしゃべるしつきあいやすい。だが、冠婚葬祭で
父ちゃん側の親戚が来るのを嫌がる。あれこれと命令口調で指示を出したり
家自慢ばっかりされるから。
だから、父ちゃん側の親戚が来るとパッと空気が変わる。
292日本@名無史さん:04/09/02 02:17
先祖の七光りって奴か・・・
293日本@名無史さん:04/09/03 01:06
≫287
漏れの先祖と同郷か?
うちは白札郷士だ。と言えば、どこか判る?
294日本@名無史さん:04/09/03 04:08
名もなき百姓。
295日本@名無史さん:04/09/04 23:52
(´・ω・`)知らんがな
296日本@名無史さん:04/09/06 23:41
清和源氏の系で藩の武士だった、と聞いたが
ありえない
297日本@名無史さん:04/09/09 01:49
明るい農村で農民
298日本@名無史さん:04/09/09 03:53
山梨県の者です
曾爺さん辺りが戦前に株でスッテンテンになってしまったそうで
金になるものは全て手放したらしいと戦後嫁に来た祖母が伝える^^;
唯一ボロ過ぎて売ることさえ出来なかったので残っている書状あり。
素人の漏れでも文字が読み取れる所には
御祝儀一礼(礼ではなく札かも)
「崇徳天皇御世」「仁平元年」「新羅三郎義光」
「病気療養為御役御免」 
「逸見筋村山郷」「金壱百五拾 五拾石」
「太刀壱腰」「黄金○枚」
と・・・こんな所ですが何の事なのかさっぱり^^;
自分でも分かった所は
仁平元年(1151年)では新羅三郎義光はなくなってるのに・・・
逸見筋村山郷は実家のある地域が昔そう呼ばれていた・・・
五拾石は今で言う5町の土地

まあこの書状が本当だとしたら
850年前には村名主程度の身分だったのではと
妄 想 して宜しいですか?
299日本@名無史さん:04/09/09 05:09
部落出身でなくて内心ホットしている僕がいるのも事実です。
300日本@名無史さん:04/09/09 16:05
菊地の出自詳しい方いますか
寺の過去帳紛失
301日本@名無史さん:04/09/09 17:31
江戸時代の身分は百姓(父方)と商人(母方)。
戦国以前はわからんけど、おそらく農民。
302日本@名無史さん:04/09/09 23:35
>>300
熊本辺り?
303日本@名無史さん:04/09/09 23:55
祖母は河野水軍の末裔です。

逃げのびた愛媛の山奥にひっそりと家があり
甲冑が飾られている。

小学生の時何も知らずに部屋に入ってビックリして
腰が抜けた
304日本@名無史さん:04/09/10 09:39
>>291
それなら福島県から嫁をもらえ。
それで万事解決!
30525歳♂投馬国王の子孫:04/09/10 09:51
徳川家康が三方が原の戦いで武田信玄に敗走
させられたとき、乗っていた馬が、沼にはまって
動けなくなっていたところを助けた農民が
私のご先祖様らしいです。家にそのときの
褒美で家康様からいただいた刀が飾ってあります。
306日本@名無史さん:04/09/10 18:12:53
母方が後醍醐天皇の弟の落としだねの末裔らしい。
うそくさいが。
ただ、明治になったときに「なんか、皇族みたいだから男爵になる?」って
知らせは来たらしい。断ったそうだけど。←ここがあやしい。
307日本@名無史さん:04/09/10 19:21:00
            __,,,,_
            /´      ̄`ヽ,
            / 〃  _,ァ---‐一ヘヽ
         i  /´       リ}
          |   〉.   -‐   '''ー {!
          |   |   ‐ー  くー |
           ヤヽリ ´゚  ,r "_,,>、 ゚'}
         ヽ_」     ト‐=‐ァ' !
          ゝ i、   ` `二´' 丿
              r|、` '' ー--‐f´
         _/ | \    /|\_
       / ̄/  | /`又´\|  |  ̄\

         「天照大神です
308日本@名無史さん:04/09/11 01:21:26
おさるさん
309日本@名無しさん:04/09/11 02:16:24
久松
この名前は?
310日本@名無史さん:04/09/11 02:28:45
俺の先祖は平家一門。
壇ノ浦の合戦に敗北して落ち延びて、山口県○○というところに土着。
で、幕末までそこでほそぼそと暮らす。
明治維新で上京。
○○の神社には家系図がある。
311日本@名無史さん:04/09/11 02:46:22
父方は豊臣家に仕えていて、
負けて静岡まで逃げてきたらしい。
そこそこ名があったようで、当時から苗字があったとか。
ちなみに本来なら俺が本家本元らしいんだけど、
昔何かがあって本家ではなくなったらしい。
母方は知らん。
312日本@名無史さん:04/09/11 02:51:59
俺の先祖はセックスマシーン
俺の五代前の幕末の先祖も15男8女とか明治に子供残しまくり
おかげで親戚が多く、親戚づきあいがひじょうにうざってえ
俺の従兄弟が父方だけで84人もいる
313日本@名無史さん:04/09/11 08:50:42
先祖はかつて伊勢湾沿岸に住んでいた南方系漁民・尾張族。
飛鳥時代以降西日本のとある山中に移住したが、その後新たに移住して
きた村の東側の人間(渡来系狩猟民)と対立し近親婚を盛んに行った。
おかげで住民の3人に1人は目の色がヘーゼルに変色し、
女性の5人に1人はRh-遺伝子になってしまった。
戦前、あの30人殺しがあった村の含まれる某山地内にある僻村。
314日本@名無史さん:04/09/11 16:35:45
>>298
山梨県立図書館のホームページ
http://www.lib.pref.yamanashi.jp/
「おしらせ」を見て下さい。
>古文書相談日のお知らせ。

>毎月1回古文書相談日があります。古文書の解読で分からない部分について、ご相談にのります。
>予約制ですので、事前に郷土資料担当までお電話をください。

ここで相談したらいかがでしょうか?
315日本@名無史さん:04/09/11 16:44:56
>>305
何でも鑑定団に出して頂きたいです。
わが家も妹が実家にある古い看板で応募したらすぐに連絡が来たが、父親が面倒がって駄目になった。
話が面白いのですぐに連絡が来るでしょう。
316日本@名無史さん:04/09/12 03:22:24
安河内さん最近出てないね
317日本@名無史さん:04/09/12 06:54:28
俺は鹿児島の安田一族のものですわ。(安田財閥とかとも遠い親戚らしい)
親父がいうには源氏ができたすぐ後に武田、新田、安田が分家したと言ってたが
マジかな?
誰か教えて
318298:04/09/12 13:04:56
314さんありがとうございます。
公共施設で解読をしていただけるとは、てっきり専門家に有料でと
思っていたものです。
前述の如く本当にボロボロで汚くて読めないレベルではなかったものでw
(所々虫食いあり)
なかなか踏ん切りがつかなかった所です。
あと家に残っているのは武田家の軍議に参加した時の内容を記したものの
「写し」らしいものがあるそうです。
319日本@名無史さん:04/09/13 21:00:40
九州探題の初代と2代……らしい。
調べたらすぐに分かる上に馬鹿にされそ……

おかげで学生時代に1問解けたわけで、得した気はする。
320314:04/09/14 15:34:45
>>318
甲斐の中世文書は数が少ないので、写しだとしても歴史上の大きな発見になる可能性があります。
是非これも古文書相談日での相談をお勧めします。
321日本@名無史さん:04/09/16 23:19:10
当時なんて名前で呼ばれてたか分からんが
今ミトコンドリア・イブと呼ばれてる女の人の子孫に違いない
322日本@名無史さん:04/09/17 00:37:25
オレの先祖はどうなんだろ・・・。

まず姓(かばね)と氏(うじ)を朝廷より貰う。
次に中国に挨拶しに行く。
平安中期に京より武蔵に下向する。苗字を名乗る。
鎌倉時代、源義経に従って戦う。戦には勝つけど結果所領は増えず。
北条泰時に従って戦う。少し恩賞貰う。
後醍醐天皇が挙兵し、幕府方で楠木正成の城にて先駆けし、一族郎党で
特攻する。しかも80近い老体で・・・。
息子は本領近くで戦うが戦死。本家滅亡し庶子はちりじり。

庶子の一部は京に戻る者と関東に残る者に分かれる。
戦国期に常陸佐竹家や小田原北条家に仕えるが、徳川家に仕えなかっ
た為に士分を捨てた。百姓や河原者にまで身を落とすものまで出る始末。
因みに何の因果応報か母は徳川方である。

現在、庶子は医者や建築家や百姓や様々。遠い遠戚は頑張っておられる
が、伝統的に政治に弱いのか、議員になると汚職でタイーホされている。
323日本@名無史さん:04/09/18 20:22:47
昔友達と名古屋城に行った時、豊臣か織田のどっちかの家来の末裔だっていう子が
家紋の旗掲げて大名行列してるような巻き絵を指さして、
「多分これがうちの先祖だと思う」って言い出した時は、ホント羨ましかった。
324日本@名無史さん:04/09/18 21:53:35
私の先祖は天照大御神です。
325日本@名無史さん:04/09/18 21:58:52
私の先祖はヤコブです。
326日本@名無史さん:04/09/28 00:41:05
>>323
心配するな
貴方の家柄が余程悪くない限り、先祖には誰か必ず身分高い奴がいるはず
327日本@名無史さん:04/10/03 15:58:28
328日本@名無史さん:04/10/05 01:01:04
これを裏付ける風習に「初夜権」というものがあります。これは各地(多分、主に農村)にあった
風習なのですが簡単に言うとジジイが十三、四くらいの娘の処女を奪うという風習です。
(中には数人で犯るという地域も)http://www4.ocn.ne.jp/~himoteou/nihonnojosei.html
 しかしそれまでは、女性は一人前の女になってから結婚するという慣わしが一般的だった
ようです。地域によっては生娘のままでは結婚は許されなかったというところもあったそうです。
新婚初夜の初夜権は仲人にあり、花嫁が一人前の女であるかどうかを確かめた上で花婿に
下げ渡していました。(中略)ある地方の諺にこうあります。「初子は親に似ない」。
また、結婚を控えた生娘が誰か適当な人に女にしてもらうという地域もありました。自らその
相手を求めたり、親が賢者や有力者に娘を預けていたそうです。そして宮城県下でも、婿の
父親が花嫁と初夜を過ごすという風習が明治の初めまであったという記録もありました。
http://www.kilie.com/mado/et_09.html
また、有名な話では貴族・領主には「初夜権」があり、結婚する妻は初夜を夫の領主と過ごさ
なければならなかった(この慣習は欧州全土で行われており廃止されるのは17-18世紀に
入ってから)。http://profiler.hp.infoseek.co.jp/elizabeth_bathory.htm
 「娘たちの処女膜はすべてワシ(領主)のもの」という権利が、中世から近世にかけての欧州
でまかり通っていたのだ。『世界性風俗じてん』(福田和彦・河出文庫)から引かせてもらうと、
当時の公文書には、「領主は領地内の農民が結婚をなす時、その花嫁と初夜をすごす権利が
ある。花婿は領主に花嫁を提供する義務がある。もし、これを拒否するならば…」だと。
http://ok.halhal.net/~senichi/seniti/night/19night.html
フィガロの結婚/モーツァルト
浮気な伯爵は夫人に飽きて、スザンナに執心のあまり、昔の領主の特権であった初夜権
(領主が花婿より先に花嫁と一夜を共にする権利)を復活させようとしていたのです。
http://www.asahi-net.or.jp/~hy3j-hsmt/opera/figaro.html
329日本@名無史さん:04/10/05 01:05:25
>>328
こういう史実を知ると、先祖なんて当てにならない。
カッコウみたいに他人の子供を育てさせられてきたんだよ。
そして、「姓」の持ち主とは違う血が継承されては絶え、また新たに他人の
血が注ぎこまれてきたんだろう。
結局、父方の血で信用できるのは天皇家とかごく一部の貴族だけであり、
一般大衆は、母方の血、つまり遺伝的にはミトコンドリアDNAのみで
先祖を語るべきだよ。
330日本@名無史さん:04/10/05 06:47:14
父方は先祖は薩摩北部の小豪族(土侍?)その後、島津氏の仕え、島津龍伯付き
きの家来に。江戸時代には、参勤交代で江戸にもいってらしい。今でも実家に
は、よく時代劇で代官が被っている帽子と官軍の帽子が残っています。
いちお、島津氏の重臣種子島氏の文献にもでてきます。発祥の地は苗字が
町の名前にもなっています。で、うちはその江戸初期に別立した次男筋の分家。
本家はりっぱ武家屋敷でした。しかし、平成に入って散財したらしく今は、別の
人の手に…。母方は多分農民かな。
祖母の実家は裕福な名字帯刀の名主。曽祖父が健在していたときまで裕福だった
が亡くなったとたん、跡継ぎと遺産分与でもめにもめ、ほぼ家名は断絶…今は屋敷も無人に…
墓に行くと家の歴代の当主の墓がならんでいます。しかし、今はしがない
兼業農家です。戦前までは他家の株まで持つ名家だったのにみごとに没落ってます。はい。
331日本@名無史さん:04/10/29 00:42:57
他家の「株」とはどういうものですかね?
332日本@名無史さん:04/11/05 03:00:20
血統表見て思うけど祖先っていっぱいいるもんだよねぇ。

8代前なんか恐ろしい人数だもんな。
333日本@名無史さん:04/11/05 20:34:13
俺の母方の先祖、結構珍しい名字なんだけど、
飛鳥以前に関東の豪族として繁栄したが
親族内で争いまくって衰退したらしい。
最悪な廃れ方だ…orz
334日本@名無史さん:04/11/11 10:24:09
父の父方:人皇二十八代宣化天皇裔。
     かぐや姫に振られた人(のモデル)の末裔で、武蔵に土着。
     のち鎌倉御家人。平家追討のとき、義経軍の先鋒。
     秩父平氏や熊谷直実も確か縁戚。
     新田に従って倒幕の兵を挙げ、南朝没落後は関東で地侍。
     小田原北条氏被官にまで落ちぶれる。あとは百姓やってた。
父の母方:多分、常陸の水呑百姓。
母の父方:桓武平氏北条氏族極楽寺流。
     鎌倉攻略戦で新田勢に討たれた塩田何とか(名前を失念)の一族。
     信濃に逃れ、武田信玄に追われて越後に逃げる(家伝)。
     今でも信濃・越後には多い名字らすい。
母の母方:北条得宗家御内人で佐渡守護の本間氏の末流。
     家紋は変形して佐々木源氏と同じになってる(家での通称「豆腐みたいな」)。
     今は越後で日蓮宗の寺やってる。

父方は倒幕勢力、母方は幕府勢力で、実際に今でも仲悪いです(歴史とは関係ないけど)。

そういえば本間の誰かが日野阿若丸の父を処刑して恨まれて殺されましたよね。
ここにも宮方×武家方の因縁が…。
335日本@名無史さん:04/11/11 21:24:55
武蔵七党の丹党の子孫ですか
336334:04/11/13 01:07:48
>335

知ってる人がいるって結構嬉しいですね。
その丹党です。

友達には同じく南朝勢力村上氏の家臣の子孫がいて、
そいつは「武田はじめ甲斐源氏は嫌いだ」と妄言して、
関係ない南部氏まで非難しています。
南部も南朝だっつーのw

因みに母の姉の婚家は桓武平氏常陸大掾氏族で、
今でも某サッカーチームのホームグラウンドに在住しております。
337日本@名無史さん:04/11/13 02:57:55
俺の先祖も武蔵七党。
『はっしゅうさま』と呼ばれていたらしい。
338日本@名無史さん:04/11/13 03:29:17
檀家寺が空襲を受けなかった都市にあるのだが、
住職に掛け合えば先祖の名前が書いてある冊子でも見せてもらえるのかな?
339334:04/11/13 03:30:12
うちの先祖のあだ名は「右大将家御代人」らしい(名字がばれるか?)。

なんかマイナーな割りに偉そうなw呼び名だこと。
340日本@名無史さん:04/11/13 03:41:29
やっぱ江戸時代くらいまでさかのぼったら
誰だって一人くらいは誇れる先祖いるよな。
そう考えると、よっぽどれっきとした名家じゃないかぎり
BやKの血も高確率で入ってるんだろうな・・・。
341日本@名無史さん:04/11/13 04:14:18
でも、日本の「家」って父系原理だから、
本当は「血」なんて物の数に入らないんだろうね。
せいぜい母の出自で子供の嫡庶の別が決まったり、
跡継ぎがいないときに
一族の女性が嫁入りした家から養子を迎えるということがあるくらい。
多分「血」は繋がっているに越したことはない、
というぐらいの認識だったのでは。
今は知らんけど。

ところでチョソいうても、渡来人とかはどうなんでしょう?
342日本@名無史さん:04/11/13 11:58:08
過去帳で先祖の系列を調べて
系図作ろうとしたが、戒名羅列してるだけで
誰が誰の父親なのかさっぱりわからんかった。

先祖が恨めしい。
全く無名の代々百姓だったんだろうな。
343日本@名無史さん:04/11/13 12:34:22
何か(考えが)浅いな
34425歳♂九州説最強の刺客:04/11/13 13:05:07
卑弥呼です
345日本@名無史さん:04/11/13 15:16:25
>そう考えると、よっぽどれっきとした名家じゃないかぎり
BやKの血も高確率で入ってるんだろうな・・・。

少なくともBとの婚姻というのは現在以上に有り得なかったことなので
明治の時点でBの出自ではなかった人間の江戸時代における先祖の
中に、そういう血が混じっているということはほぼ皆無だったと思う。
346日本@名無史さん:04/11/13 15:33:54
>>339
岩田
347日本@名無史さん:04/11/13 17:45:14
父方 祖父 来島(久留島)系,松井(肥後の)風味
   祖母 奥平系,吉川(長門の)風味
母方 祖父 紀州藩士(300石くらい)
   祖母 岡山池田藩士(100石くらい)
父方はマイナー大名の次男,三男系の混血らしい。
348日本@名無史さん :04/11/13 22:10:32
昔も2chで久留島の子孫だっていう人いたなあ
349日本@名無史さん:04/11/14 22:59:46
父方は源頼清が源流。
350日本@名無史さん:04/11/15 21:23:52
>>349

じゃあ、>>334>>336>>339の友達と同族では?
351秋刀魚:04/11/15 21:59:25
父方、伊達成実の末裔
母方、島津義弘の末裔
352日本@名無史さん:04/11/15 22:26:18
漢の皇帝である!
貴様らは歴史の浅い東夷。家柄も糞もない
353日本@名無史さん:04/11/15 22:35:11
武田信玄の弟。
刀やら何やらがあるらしい。
354日本@名無史さん:04/11/16 00:18:27
岩代二階堂氏。
伊達氏に敗れたあと、常陸に逃亡。
佐竹家中に入り、秋田へ移動だそうです。
江戸時代はリーマン生活。
今一ぱっとしない。長男は必ず「泰」の字
を名前に入れます。
355日本@名無史さん:04/11/16 00:24:04
昭和20年までは職業軍人一家。
その後再びリーマン。
356日本@名無史さん:04/11/16 00:27:28
前の会社にいたときのお得意さんに
因州池田家の家があった。分家だけど。
やっぱ気位高かったーよ。
357日本@名無史さん:04/11/16 00:33:19
>>353
信玄の弟の流れでのこってるのは、
旗本・御伽衆の武田家だけだから、旗本さんですか。
最近明治期は士族だからすぐ分るでしょ。菩提寺の檀家帳でも士族
ならすぐ分るよ。
長男・信玄直系絶えてる。
次男・信繁直系絶えてる。
三男・龍芳(出家)現存。
358日本@名無史さん:04/11/16 00:39:22
>>351
成実直系の子孫の方なら面識あるよ。
旧家中は今でも繋がり強い。維新で家臣ともども
苦労したから。もしかしてあなたのこと知ってるかも。北海道なら
本物だw
359354:04/11/16 00:43:19
>>356,358
すげぇな。俺がしってる一番偉い人は
俺のエロ上司(43歳)だ
360日本@名無史さん:04/11/16 02:20:53
父親・・・先祖は庄屋
母親。。。清和源氏とかなんとか
父親方はいくらさかのぼっても庄屋。むかつく。武士のほうがいい。
母親も父親も平民。欝。

なんかここにでてるお武家様とか大名とか竜馬が行くに出れる家がうらやましい。
361日本@名無史さん:04/11/16 09:50:52
庄屋の家って戦国時代以前は武士だったものも多いけどね。
一般論だけど。
362日本@名無史さん:04/11/16 10:27:32
土佐の下級武士らしい。
家紋は「橘」なんで、橘諸兄につながるのかな?
墓はそこそこの大きくて歴史あるものが残っている。
モノは全部、曽祖父の代に新興宗教にとられて何も残ってない。

ところで、黒田慶樹さんの黒田はあの黒田の系譜か?

363日本@名無史さん:04/11/16 10:35:27
実家の仏壇にあった先祖帳?みたいのに
初代1713年○○家中興って書いてあった。
庄屋をやってたみたいだけど、やっぱそれ以前は武士だったのかな?
じいちゃんの話だと蔵に刀があったらしい。
364日本@名無史さん:04/11/16 11:52:22
>>361
そのとおり。
百姓といっても水飲み百姓と庄屋って違う。
庄屋っていうのは、江戸期前まで武士であった家が多く、
苗字や代々の家紋をもってることが多い。もともと武士というのは、
平安期の大百姓が武装化したものが多い。(源氏・平氏
みたいの除く)よって徳川政権になってから、敗れたり、お家取り潰し
になった家の家臣とかで帰農するのは多かった。そいつらは庄屋クラスになっている。
武士が農業をするのは先祖帰りだから許されたけど、商人とかになるのは
良しとされなかった。そういった背景もあって士農工商という序列ができたんだけど。

結婚については武士と庄屋クラスは結婚できた。根が同じだからね。旗本の長谷川家なんか
有名だけど、長谷川平蔵のお母さんは江戸郊外の庄屋から来てて、実家も苗字を
持っている。
365日本@名無史さん:04/11/16 12:03:22
うちは親父方が旧男爵家(うちは分家)。じいちゃんのばぁちゃんの写真
を本家で見たけど、鹿鳴館なカッコしてた。顔は典型的なのっぺり日本人顔で
激しく似合ってなかった。悲惨なもんだな、と思った。ある出版社から出てる
本に鹿鳴館時代の女性ということで、色んな人に混じってじぃちゃんのばぁちゃん
のったことがあるらしい。
今は普通のリーマン。本家も農地解放で土地はアボーン。
経営してた会社も満州に投資してたからアボーン。
今は慎ましやかに暮らしてます。
366日本@名無史さん:04/11/16 12:13:26
追記。
以前母に「うちは旧華族なのに何故、こうなのか?何故地味な生活なのか?」
と聞いたことがある。「先祖代々要領が悪いからでしょ。お父さんもだから出世
しないのよ」と言われ激しく納得した。今日父は代休でおやすみですが、
パンツにランニングといったカッコでビール飲みながら、TVみてます。
367日本@名無史さん:04/11/16 16:19:40
>>4
おいおい大丈夫かい?
吉宗の頃に老中出してる土岐氏で沼田藩主といえば土岐丹後守頼稔の子孫だけど。
沼田藩主土岐氏の現当主は土岐実光さんだよ。お孫さん?曾孫さんかな?
すぐ分るんだけど。
368日本@名無史さん:04/11/16 16:22:59
沼田の土岐家の一員なら、井澤さんに聞いてもすぐ分るけどねぇ。
369日本@名無史さん:04/11/16 19:41:35
過去帳って普通いつぐらいまであるもんなん?
ウチのは寛永くらいまであったけど…
370360:04/11/16 20:48:56
>>361
>>364
なるほどねー勉強になりました。
371日本@名無史さん :04/11/16 22:20:51
皇族とか有名な貴族や武士まで遡れる家系図を持っている家の過去帳には
その人達から記載されているものなのですか?
372日本@名無史さん:04/11/16 22:36:36
>>366
おとうさんを大事にしる!
373日本@名無史さん:04/11/16 22:42:48
藩内で一揆とか起きるとおとり潰しになるから、
庄屋には相当気を使った。村を良く治めてネ!って感じで。
374日本@名無しさん:04/11/16 22:52:46
>>341
一つだけ注意してほしい事があるけれど、後を継がせることができるのは
「主が見通せる親族」だけ。つまり、具体的に一緒に暮らしている、もしくは
付き合いがある親族だけに限られる。「縁のある親族」と言った方がいいか。

なぜかというと、まず付き合いがない親族など主は普通後を継がせる気に
はならない。家のものを伝え教えられないしね。無理がある。それに親族同
士でも、血が繋がっていたとしても縁のない者に継がせるなどとても認めら
れない。家臣や周囲もそう思うでしょう。無理をすると相続争いが起きかね
ないんで。

パターンとしては

・主→(體が弱いなどの理由で廃嫡した息子)→孫
・主→(娘だけしかいない)→婿養子
・主→(子供がいないので)→兄弟
・主→(子供がいないので兄弟。でも早死にしてる)→その息子(つまり甥)
・主→(子も兄弟もダメ)→従兄弟、ふた従兄弟
・主→(適当な候補を妻側に頼る)→妻の兄弟
・主→(本家分家の付き合いがある家に頼る)→本家分家から養子

要するに、「血」よりも「縁」の方が重要だと。
375日本@名無しさん:04/11/16 23:07:24
>>371
そんな馬鹿な…過去帳というのはその寺で葬った者の名簿だから、具体的に葬った人しか
書かれない。それも俗名(本名)、戒名(法名)、命日、享年だけ。あと○○の子という簡単な
血縁関係が書かれることもある。実記が纏まった形になっているから、系図を作る上では
一番使いやすい資料なのよね。
376日本@名無史さん:04/11/16 23:23:41
>>375
なんか尼寺を持っていたらしくて専用の過去帳が位牌の横に置いてあった。
んで一番最初が「○○江戸にて死す。」からはじまって明治くらいの4代前の人
高祖父?で終わってた。
377371:04/11/16 23:38:55
>>375
なるほど、すっきりしました。ありがとうございます。
378日本@名無史さん:04/11/17 02:23:23
>>364
>もともと武士というのは、
>平安期の大百姓が武装化したものが多い

これって、今はもうほとんど否定された説じゃなっかた?
でも、「葉隠」や「武道初心集」にもそうらしいって話しが
出てるから昔の武士の間では、そうおもわれてたのかな?
379日本@名無史さん:04/11/17 12:04:12
>>378
全然否定されてない。
ここでいってる大百姓っていうのは、土地持ちで水飲みを使って農業。
場合によっては刀を持つ。貴族から発生した武家と地方の大百姓から
発生したのと色々。江戸期に武士で残ったのと、帰農したのと色々。
一概に武家は〜から発生したとは言えない。禁中滝口、東宮帯刀ってのは
下級貴族からだな。平安期に書かれた永昌記には半農・半武装の武家かかれてるよ。
380日本@名無しさん:04/11/17 21:03:28
>>378-379
「武装化した富農が増えて武士という階級が形成された」といえば間違いではない。
でも「富農から武士という職業が起こった」というのは、否定されているはず。

少し考えればわかるけれど…
武士…つまり武芸を職とするものは、師匠がいて肉体的に恵まれて尚且つ特別な
センスを持つ人が、稽古や実戦を積んで初めて成れるもの。要するに、武芸は芸
であり、武士は「芸人」の範疇に入るんだ。言ってみればプロレスラーみたいなも
ので、そんじょそこらの農民がいきなりなれるものじゃないんだよ。

下人は勿論、富農だってやれ下人の監督だ金銭物資の遣り繰りだ神事だ冠婚
葬祭だ…多忙なんだよ。だから農民が武芸を身に付けようなんて、必要が無け
ればやるわけがない。やるにしても師匠がいる。だから、富農が武士になる前に、
既に武士、武芸者といえる者が存在していたといえるんだ。

そういった武芸者は都で上級貴族のボデーガードを勤めていたりなどして。
お抱えの「芸人」だよね。で、うだつも上がらずそうかといって下人にもなれない
下級貴族が次第に武芸を身に付けて職とし、上級貴族のお抱えになったり、
地方に任官されあるいは自ら流れていって…富農が武士化していったと。

381378:04/11/18 18:31:46
>>779
平安期の開発領主、農場主というのは否定してない。
否定してるのは、彼ら開発領主の先祖に富農をふくめる従来の説。
軍事貴族や狩猟民等、殺生を職能とした人たちが武士の起源
と考えるのが今の主流と幾つかのサイトや本で読んだ訳
ものによっては従来の説をいまだ言ってるのは勉強不足と
まで言ってたので、書き込みをみて疑問に思った。

ほぼ800が説明してくれたんだけどね。
382日本@名無史さん:04/11/20 22:04:33
私の曾祖母かその上らへんが城の姫だったらしいけどよく分からない。
最近知って興味持ったから詳しく調べてみようと思うんだけど、過去帳とかあるのかな…。
383日本@名無史さん:04/11/23 02:04:58
興味を持って詳しく調べてみたら、戦国時代、超有名大名らの狭間で右往左往し、
かなり情けない滅亡のしかたをした大名家だということが分かった。今かなり鬱だ。
その後他の家を興したり他の大名の家臣になったりして細々と生き残ったらしい。
384日本@名無史さん:04/11/24 09:34:21
侍さん→士族→職業軍人→ひいじいさん中将、戦後アボーン。
死刑はいやだなぁ
385日本@名無史さん:04/11/25 02:03:36
>>384
死刑になったの?
386日本@名無史さん:04/11/25 03:11:46
ブッシュ、金大中と文鮮明
文鮮明とブッシュとの関係は、ワシントン・タイムズに対する多額の財政
援助によって強固になってきた。ワシントン・タイムズは一貫してブッシュ
家を政治的に支援。ワシントン・タイムズは1982年の設立の後、ニカラグ
アの反政府勢力(コントラ)によるゲリラ活動(の支援)など当時レーガン
−ブッシュ政権の最も論議されていた政策のいくつかを忠実に支持。1985年
から86年にかけて、まずコントラが麻薬の密売をやっていることが公に
暴露されたことで、コントラ支援勢力が困惑した時、ワシントン・タイムズ
は問題の証拠を最初に出したジャーナリストや議会の調査官を批判する
反撃行動を率先して行なった。
1988年にジョージH.W.ブッシュが大統領選に出馬していた時、ワシントン
・タイムズは、民主党の候補、マイケル・デュカキスの精神状態について
のデマを流した。これはマサチューセッツ州知事についての疑惑を挙げる
にあたっての重要な最初のステップ。1992年にはブッシュの再選キャン
ペーン。 息子のブッシュとの関係へ。
DIA(国防諜報局)によれば、1987年、韓国の政治的進展を監視中に文鮮明
・金コネクションを偶然見つけたという。文鮮明は与党民主正義党(DJP)
とうまくいっていないとアメリカ国防諜報局は1987年9月10日付の外電で
特に言及。
「統一教会は現在の民主正義党政府の下で受けたいくぶん冷たい扱いに
不満足である」
文鮮明は秘密裏に反対派(野党)に資金提供を始める。1人は金鍾泌。1978
年にアメリカ議会は、いわゆる「コリアゲート」買収スキャンダルを調査。
その報告によれば、金鍾泌は1960年代に韓国CIAを創設し、文鮮明の統一
教会が日本及びアメリカで影響力を築き上げるのに力を貸したという。
「現在の与党政党の候補者を落とそうとしている一方、カルトが韓国の
次期政権に対する影響力を獲得しようとしている」(1987年9月22日付の
DIAリポート)。98年に金大中政権発足。
1999年2月1日、文鮮明夫妻がソウルのロッテ・ホテルで儀式を行なって
いたとき、金大中が到着し、儀式に参加。「統一ニュース」によれば、
ロッテ・ホテルの儀式で、「初めて、金大統領が我々の真のお父様・
お母様と一緒に公に姿を現した」。
387日本@名無史さん:04/11/25 04:19:20
栗山善助
388日本@名無史さん:04/11/25 04:33:16
とっても豊かな百姓ですが、
名前なんぞは伝わっておりません。

伝わってる人が羨ましいですが、仕方ないことでしょう。

自分が子孫に自慢されるようになるのが一番いいんですが、
無理でしょうね。

ちなみに僕の自慢は高校の同級生が社長で、某女優と結婚しました。
そいつとは仲が悪かったんですが、今や自慢です。
情け無い・・・。
389日本@名無史さん:04/11/25 05:36:12
僕の祖先はアウストラロピテクスです
みなさんは?
390日本@名無史さん:04/11/25 05:48:22
すげえー
滅亡したはずの伝説の血統がここ日本に残ってるんなんて。
391日本@名無史さん:04/11/25 05:52:54
清和源氏で家系図もあるがなにか?
江戸時代は高利貸しだったがなにか?
392日本@名無史さん:04/11/25 06:26:30
俺は、代々関東の家系なので、朝鮮人か蝦夷だろうな。
関東人は、実は大和民族ではないわけだ。
うちは質屋
一応10代前の先祖の名前がわかってる
それ以前は資料が焼失したため不明
394日本@名無史さん:04/11/30 03:10:46
清和源氏は多いよな
395日本@名無史さん:04/11/30 03:21:57
先祖代々祖父の代まで農民。
幕末には、祖父の祖祖父の弟が幕府歩兵になってたらしい。
396日本@名無史さん:04/11/30 03:22:15
母方の祖母は菊池家で祖父は相良家の一族らしいです。父方の祖父は多分武田家?です。かなりマイナーな血統です
397日本@名無史さん:04/11/30 03:35:42
浄土宗の寺の住職の家なんだが昔爺さんに信長の話ししたらいきなりまじギレしやがった。浄土宗も信長に対抗したの?
398日本@名無史さん:04/12/01 13:14:05
うちは浄土真宗の寺。
399日本@名無史さん:04/12/02 03:01:17
俺みたいな一般農民の子孫の立場は・・・
高利貸しとか武士とか質屋とか坊さんとか特殊な奴しかいないじゃん
400天皇家:04/12/02 11:54:50
私は熊沢の末裔です 頭が高い!
401日本@名無しさん:04/12/02 11:57:48
>>400
熊の末裔?
ああ、そういえば○鮮から渡来したという話でしたな(w
402天皇家:04/12/02 12:17:46
天皇家は生粋の日本人です、○鮮などありえん!!庶民はこれだから困る
403日本@名無史さん:04/12/05 21:53:09
中学のとき隣の中学校に中大兄皇子の子孫の人がいた。
うちの先祖は父方は百姓で母方は土地たくさん持ってる医者の家系だったとさ。今も土地はたくさん持ってるらしいけど長男のものだから全く関係ない。
404日本@名無史さん:04/12/06 09:58:15
うちは父方代々が宇和島の庄屋。
後に屯田兵として蝦夷開拓に関わったらしい。
母方は広島の三好藩の下級武士。(足軽とかだったのかな?)
特にどこも自慢にならない家系なんだけど、
一つだけ謎があるんだよね。
北海道に私にとって曾祖父をまつった神社が残っている。
ただの屯田兵だった筈の曾祖父が、
何故まつられているのか、とても不思議。
405日本@名無しさん:04/12/06 12:29:16
>>404
一揆の首謀者だったなど、何らかのイベントがあったはず。
406日本@名無史さん:04/12/07 09:41:29
うちのお袋の家は上伊那の豪農だったみたい。
会津藩と高遠藩の重臣に嫁いだ人がいたとか。
親父の家はただのお百姓さん。
407日本@名無史さん:04/12/07 21:33:40
↑じゃぁ負け組みだね、なんで新政府軍と戦って負けたときに
自害しなかったのか、部落民より立ち悪いぜ
408日本@名無史さん:04/12/07 21:42:16
大楠公に詰め腹切らせた大森彦七。
ただし、分家の分家なもので名字以外は証拠もないけどね。
409日本@名無史さん:04/12/08 00:01:17
関東郡代の代官手代
元は北条遺臣
410日本@名無史さん:04/12/08 01:04:55
漏れの先祖は高杉晋作の作った騎兵隊に援助した白石正一郎
411日本@名無史さん:04/12/08 14:30:25
水戸藩の郷士。
(爺さんが金儲けたらしいけど、一代で無くなって俺の手元に無い……。)
いろいろ調べたら、相馬氏の家系図の中に俺の名字があった。
だから相馬氏の家系……かもしれない。
思いっきり昔に遡ると、藤原秀郷が先祖だとか。
412日本@名無史さん:04/12/09 19:08:22
>>411
相馬氏って、将門の子孫じゃなかった?
413日本@名無史さん:04/12/10 11:03:55
確かそう。良将だったかも……。
爺さんから聞いたのが「藤原秀郷の子孫」ってこと。
だから間違ってるとしたら、「相馬の子孫」って方だと思う。
414日本@名無史さん:04/12/11 23:02:20
待ち行く人を捕まえて、御先祖は?
と質問すると江戸期の人口構成とはま逆になるのだろう。
笑えますな。
415日本@名無史さん:04/12/12 13:18:17
>>414
各階級の生存率とでもいうものもあるんじゃないの?
庄屋クラスは平均10代
富農クラスで平均5、6代
小作にいたると平均2、3代で、絶えるとかいう感じで
416日本@名無史さん:04/12/12 13:34:14
>>407
上伊那郡がどこにあるか調べてから言え。
417日本@名無史さん:04/12/12 13:35:44
雑草の庶民の方がたくましい。
大名や上級武士なんて、養子と無嗣絶家だらけ。

自分の先祖に幻想を持つな。
418日本@名無史さん:04/12/12 16:44:42
半分は蝦夷の血と風土(こちらがベースになっている)で、
半分には西国から来た商人の血が入っていると思う。

苗字から察するに、そんな感じだべ。
419日本@名無史さん:04/12/12 16:48:58
>>414
たくさんいる先祖のうち、いちばん高名な家を「先祖」としているだけだろう。
直系子孫だけが偉人の子孫を表明しているわけではないからな。
420日本@名無史さん:04/12/12 21:50:25
すいません、お聞きしたいのですが、
うちの家系図(戦争で消失)遡ると、室町時代まで苗字が存在してるそうで、
明治時代にはやくざだったそうなんですが、室町時代とはいえ水のみ百姓とか
身分の低い者でも、苗字はあったんでしょうか?
古い時代に自分の苗字が存在してても一体なにをやってたのか分からないので
禿げしく気になります
421日本@名無史さん:04/12/13 00:14:07
江戸時代に苗字禁止されるまでは結構
テキトーに苗字名乗ってたみたいだし、
家計図は捏造が多いので、よほど信憑性の
ある文献に書いてあるんじゃなきゃ、信用
しない方がいいと思う。

低い身分と分かる苗字が家計図に残ってたら、
本当だと思うけど、天皇に連なる家系とか、
由緒ありそうなのはかなりウソモノが多い。
422日本@名無史さん:04/12/13 00:31:24
俺のご先祖様は国司信濃。竜馬がゆくに、ちょこっと出てた。なんか嬉しかった。
423日本史@名無史さん:04/12/13 00:47:17
武家の子孫なら、幕臣なら寛政重修諸家譜、もしくは由緒書(多聞櫓文書とか)、諸藩作成の家譜に記載があるはず。
載っていないとすれば、目見得も許されない下級武士、足軽のような、明治期にいう卒族。
農民なら検地帳とか輪切帳などの古文書に出てくる名前と、墓石や過去帳に出てくる先祖の生存時期が符号するか丹念に検証してみるしかない。
とびきり由緒ある家はたいてい華族で、霞会に所属している方々だ。
武士なら、幕府文書や藩政文書を丹念に追っているとなんとか出てくる。
祖先がどうのこうのという話題に関していえば、
家の言い伝えほど当てにならないものはない。
良心的に解釈すれば、名家の郎党や下人で、後代に主家の苗字を名乗らしてもらったというケースがあるのかもしれない。
怪しげな系図だけで、他に古文書もない家は、
いくら戦災や火事で焼いたらしいと言われても、
仮に本当に名のある家だったとしても、
物的証拠を持たずに法廷で争うようなもので、どうにもならない。
424日本@名無史さん:04/12/13 00:56:19
↑祖母の家に巻物があって先祖の名前がズラ〜と書いてあるんですけど。
425日本史@名無史さん:04/12/13 01:13:55
↑そういうのを系図というのです。
長州の家老である国司信濃ほどの著名な人物が御先祖であれば、
山口の公文書館に行かなくとも家系を調べるのにさほど手間は掛からないでしょう。
すぐに本物か贋物かはっきりします。
426日本史@名無史さん:04/12/13 01:20:38
堀山久夫『国司信濃親相伝』(マツノ書店)あたりで調べてみられてはいかが。
国司信濃の子や孫としてあなたの曽祖父か高祖父の名前が出てくればしめたものでしょう。
427日本@名無史さん:04/12/13 20:50:18
名前と先祖代々の家業からいくと清和源氏
家紋からいくと村上源氏(竜胆車)→デタラメにつかったんだろう
428日本@名無史さん:04/12/13 23:13:37
父:村上水軍来島家、
母:藤原北家大炊御門氏(大炊御門公敦の家系)
429日本@名無史さん:04/12/14 00:46:09
>>428
大炊御門家と婚姻しているってことは華族同士?
来島の嫡流なのか?
でも華族の来島氏は「久留島」という字面なんじゃなかったか?
430日本@名無史さん:04/12/14 02:56:18
すいません、僧侶だったら身分は何処に入るのでしょうか。
431428:04/12/14 22:53:29
嫡流ではない。自分の六世祖父までは「来島」だった。
10年前に死んだ曽祖父の話では六世祖父の代に家中で深刻な騒動(詳細覚えてない)が起こったとの事。
それで自分の系統は変姓になったらしい。
432日本@名無史さん:04/12/15 00:28:17
お母さんの家は終戦までは華族?
433日本@名無史さん:04/12/15 01:23:36
お前らなんだか立派な家系ばかりじゃねーか。
俺なんか、父方も母方もただの百姓らしい。
4代ぐらいしか遡れないし、それ以前の先祖なんてものは
そもそも存在しなかったのかもな。


434日本@名無史さん:04/12/15 01:24:01
お前らなんだか立派な家系ばかりじゃねーか。
俺なんか、父方も母方もただの百姓らしい。
4代ぐらいしか遡れないし、それ以前の先祖なんてものは
そもそも存在しなかったのかもな。


435日本@名無史さん:04/12/15 02:12:12
その土地に生まれたって事自体が、大した事だと思うが。
日本の場合は、家と土地、両系を重視する傾向が強い。
従って家が無くても土地、土地が無くても家となる。
これは琉球もアイヌも同じ。
家も土地も誇るためにあるのではなく、背負うためにある。
436日本@名無史さん:04/12/15 02:25:05
知ってどうするよ・・・。
437日本@名無史さん:04/12/15 02:29:25
ご先祖がいくら偉くても、自分が偉くなかったら意味ないし。
438日本@名無史さん:04/12/15 02:32:11
百姓の先祖なんぞ調べても面白くねえ。
そんなマニアックな趣味はないし、調べても情けなくなるだけ。
439日本史@名無史さん:04/12/15 03:00:38
>435
>家も土地も誇るためにあるのではなく、背負うためにある。
そうだねえ。
>437
これも同意。大抵が途中で養子とか迎えてて、ほとんど血がつながってなかったりするし。
先祖が名族であるほど、今の自分自身の肩身がせまくなるね。
百姓の先祖調べにより、近世集落の形成過程が明らかになることだってあるさ。
440日本@名無史さん:04/12/15 03:11:50
父方が肥前松浦党前原○○家の直系。48家の一つ。
元寇の時の褒賞の書状とかが残ってます。
441日本@名無史さん:04/12/18 00:59:11
安芸
442日本@名無史さん:04/12/18 02:03:10
私の母方の祖母の家は、松本藩主だった頃の小笠原家と血縁関係があるらしいのですが、詳細がわかりません。
小笠原家の系図を調べたいのですが、どういう本を見ればわかりますか?
(藩主の娘ではなく藩主の庶子の娘をもらったのかも知れません。江戸大名家血族事典(別冊歴史読本特別増刊)程度ではわかりませんでした。)
443日本@名無史さん:04/12/18 04:28:47
まずその祖母の家がどういう家かによる
444日本@名無史さん:04/12/18 04:51:47
俺の祖先は永井氏だっちゃ
445日本@名無史さん:04/12/18 04:57:28
オマエラの先祖なんてドザエモンだろ
川にプカプカ浮いてたんだよ!!!!
446日本@名無史さん:04/12/18 05:30:40
>>443
戦国時代に小笠原氏が領主だった頃は武士で松本あたりにそこそこ勢力があり、のちに大庄屋となったようです。ただ、いつ帰農したのかよくわかりません。従って血縁関係云々の頃の身分も?です。
祖母の家は正確には分家なので、情報があまり無いのです…。
447日本文学の革命:04/12/18 06:11:43
横レスですみません

私は「日本文学の革命」という文学運動を行なっている関場というものです

これは「インターネットから日本文学を変革しよう」という文学運動です

一人でも多くのネット・ユーザーの皆様に知ってもらいたくて書き込ませてもらいました

2ちゃんねるの文学板でもスレッドを立ち上げているので
是非一度ご覧になってください

http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1103114788/l50

東北の方に「関場村」とかいうのがあるらしく、僕の父の家系はそこから出たそうです
なんだか神主をやっていたとも聞いています
よく分かりませんが
448日本@名無史さん:04/12/18 08:10:22
青山播磨守忠成の子孫です。
爺ちゃん、婆ちゃんは「どんな人だったんだろうねぇ」なんていってたけど
ググったら一発で出てきました。意外に大物で、正直ちびりました。
449日本@名無史さん:04/12/18 09:31:38
神武天皇
450日本@名無史さん:04/12/18 10:14:43
北條右京権大夫平義時朝臣也
451日本@名無史さん:04/12/18 14:38:01
>>446
「公式」の系図ならまず『寛政譜』だけど、あくまで「公式」なので真実ではない。
452日本@名無史さん:04/12/18 16:00:40
見廻組隊士のち北海道開拓使。
坂本?
ああ、殺したよ。それが何か?
453日本@名無しさん:04/12/18 17:22:28
>>442 >>446
本家に割と近い筋だろうな。
小笠原長時−貞慶より少し前から分かれた、もしくは彼等と付き合いの濃かった支族の可能性高し。

貞慶は松本城主になっているんだが、天正末期、秀吉家康抗争時のアレヤコレヤで本家は信濃を
去って江戸時代に。ご先祖はそのまま留まって帰農したと思われ(しばしばあった事だ)。

手順としては、貞慶の近親・配下だった小笠原姓の人物を「新訂 寛政重修諸家譜」「系図纂要」など
でピックアップ。県立図書館クラスなら大抵ある。これらの本がある棚を探れば、角川姓名大事典
(長野県版)など有用な資料があるぞ。

できることなら、長野・松本の郷土史資料館をあたり、該当する松本市近郊に土地を持っていた人物
を絞り込む。大庄屋なら多分簡単にわかる。さらにご先祖の墓や過去帳をあたって神祖を確定すると。

小笠原は古くからの名族だから、郷土史レベルならかなり資料豊富だと思われ。ガンガレ。
454404:04/12/18 17:43:20
>405
なるほど。何らかのイベントに関わった人物ということですか。
なんとなく納得できました。
アイヌの地位向上に奔走したという話は多少聞いていたので、
その辺りの事に関わりがあるのかもしれませんね。
お答えどうもありがとうございました。
455日本@名無史さん:04/12/18 18:01:57
>>453
嫁をもらったという話なのだから、小笠原家の男系子孫ではあるまい。
456日本@名無史さん:05/01/02 00:11:48
              
457日本@名無史さん:05/01/02 16:34:14
小松家だが、皇族とつながりがあるかは分からん。不明。
458日本@名無しさん:05/01/03 01:55:19
>>455
しかし小笠原家から嫁を貰ってその関係を突き止めたいという話だから、
該当しそうな「小笠原某」を一通りピックアップしておくことは必要かと。
459334:05/01/07 08:22:04
父方の祖母の家は小田氏の一族らすい。

今更だが。
460日本@名無史さん:05/01/08 16:03:40
幕末時、美濃の大名。
小さいので羽振りのいい旗本より貧乏だったそうだ。
古いお雛様やら皿やらあるが、家は小さい一軒屋。
461日本@名無史さん:05/01/08 17:22:46
小松は700年の頃からあるからあんたは皇族と繋がりなくても、有名であることには変わりないと思うぞ
462日本@名無史さん:05/01/08 17:41:01
出羽の小野寺氏の庶流
463日本@名無史さん:05/01/08 17:56:41
ウチのじいちゃんは新潟の奥三面村の出身だったらしい。
その後、貰われて近隣の町へ。
ウチの父親が若い頃に働いていた会社(工場?)へ
どこかの学校(大学か?)が従業員全員の骨格を調査する
というのに強力した時に、父親だけ顔の骨格が平家の骨格だと結果が出たらしい。

まあ、それだけ。貰われていった時点で名字も変わってるし。
山深い土地に住んでた人達にはこんな話はありきたりだろうし。
祖先が誰なのかまでは全然分からんw

464日本@名無史さん:05/01/09 23:05:39
>>463
まじか!?おら山形県置賜の者だけんども、秋に奥三面行ってきました。
スーパー林道は工事してて小国町の側から入ったんだが、完全にダムの底でした。「三面ありきの碑」っていうのがあって、その裏に離村した時の住民の名が彫ってあったよ。高橋、小池、伊藤ばっかりだった。
確か村上市の松山とかいうところに、離村者の集落があるはずだから、そこでそれっぽい人に聞けば今なら何かわかるかも。あと十年も経てばわかんなくなっちゃうかもしれないがナー
しかし平家落ち武者スレでも真偽はともかくとして奥三面の話題が出ないし、誰も奥三面なんて知らないと思ってたらここで子孫の方に出会うとは・・・落武者がどうのというよりも、あんな山奥で何百年も生活してた
ことがすごいと思いましたよ。
465日本@名無史さん:05/01/10 00:08:16
明治期の士族と足族ってどこがちがうの。自分が昔の士族出身って場合、小さい藩たとえば
諫早藩(鍋島藩の私領扱いやけど)の場合、どのクラスまでだろう?
466日本@名無史さん:05/01/10 00:09:36
お前らに先祖なんかいるかい!
467日本@名無史さん:05/01/10 00:19:24
うちはタンザニヤ出身ですけど、何か?
468日本@名無史さん:05/01/10 22:20:47
俺おもうんだけど、小身のででも、
アイヌとか貧しいヒトの地位向上につくした先祖もつ香具師は
胸を張って自慢できるとおもう。
469日本@名無史さん:05/01/10 22:53:16
そりゃそうだ。
470日本@名無史さん:05/01/11 00:00:15
先祖は村上源氏流の赤松氏とか祖父が言ってたけど、
うちの名字は赤松じゃなくて別所。なんかすごく嘘っぽい。
471日本@名無史さん:05/01/11 00:10:36
別所氏は赤松門流の名家。あながち嘘とも言えん。
ただ赤松の系図は信頼できるものが無いが。
472日本@名無史さん:05/01/11 00:47:44
だけど、播州別所家は根絶やしに
されてるはず。高家別所家は野球解説の
別所さんの家で旧華族
473日本@名無史さん:05/01/11 01:00:50
母の実家の親戚に旧華族の人が何人かいます。
でも養子縁組関係が大半で、全容が把握しにくいです。
安藤という子爵家と戦前に養子縁組を結んでいてるみたいで、
「おおいのみかど?」という変わった名字の家とも親類だそうです。
江戸時代にお公家さんだった家の人も、嫁いできたりしているようです。
おばあちゃんがよく、うちは何とかっていう鉄道の建設に相当お金を出したとか、
台湾製糖という会社を作ったとも言っていました。
戦時中に華北鉄道?の副総裁をやっていた人も親戚だそうで、
その人の家も爵位をもっていたそうです。
あと西郷さんとか原敬とも血縁だそうです。
なんかよく分からないです。
474日本@名無史さん:05/01/11 01:15:18
>>473
ネタか?(w
そんな有名人が2chに来るのかな?
475日本@名無史さん:05/01/11 01:17:54
釣られてやんのw
476日本@名無史さん:05/01/11 01:18:03
>>473ネタ乙
477日本@名無史さん:05/01/11 01:23:41
うちは雲治という苗字で戦前まで華族でした。
何とか天皇の時代に、何とか天皇から雲を治める位を頂いたのが始まりです。
478日本@名無史さん:05/01/11 01:24:08
うちは藤原氏と系図にはあるけど、宛てにはならんでしょうな。
取りあえず地侍から郷士へと戦国〜江戸時代を渡ったことは
確かみたい。
479日本@名無史さん:05/01/11 01:36:30
>>473
もしそれが本当なら、君の家はすぐに特定できる名家だ。
うちなんか水呑百姓で近代は小作人だった。
480日本@名無史さん:05/01/11 02:49:06
■今川範政翌年正月今川下知而卒駿河勢敗
■之兵還鎌倉行忠賞大森移小田原江戸豊島二階堂賜

すいません。今、系図を調べているんですけど
上の文の意味がわかりません。
どなたか読める方がいらっしゃいましたらご助言ください。
お願いします。
481480:05/01/11 02:56:53
ごめんなさい
早とちりで勘違いしてました。解決しました。
482日本@名無史さん:05/01/11 03:43:51
>>472
根絶やしになんかされてないけど?
それに高家に別所家なんてないし
別所毅彦は華族でもなんでもないし

つまり嘘ばっかり
483日本@名無史さん:05/01/11 05:59:56
部落民乙w
484日本@名無史さん:05/01/11 08:43:22
>>473
三井か毛利だろう。
485日本@名無史さん:05/01/11 11:27:47
すげー、2chに三井とか毛利がいるんだ。
486日本@名無史さん:05/01/11 14:02:48
自分は源氏の源仲政-頼政(名字が一緒で抵抗あるから伏せる)という人の系統で、
いつかは忘れたけど(応仁の乱あたりだったかも)落ちぶれた皇族の従者として
現在の地に辿り着いてそこに今も残る寺を建てたらしい。
うる覚えなんで、もう一回親父に聞かないと
487日本@名無史さん:05/01/11 19:43:08
>>464サン
情報ありがとうございます!
ダムの底なんですよね〜。
確かにウチのじいちゃんの前の名字は高橋だったそうです。
あー、松山かぁ。そーいう記録とか持ってる人とかいるのかなあ〜?
ちょっと調べてみたいな〜

平家落ち武者スレなんてあったんですねー?
奥三面、あまりにマイナーすぎるんですかねえ?
西国へ落ち延びるのならともかく、そんな越後、出羽?のあたりまで
逃げてくるとは思わないでスよね?
まあ、それでこそ隠れ住めたのでしょうけど(?)

それと、骨格調査で平家の子孫?(骨格)だと分かるモノなのですかね?
今となってはどこの誰(団体)が調査に来たのか定かではないですが
実際にあった事には間違いないそうです。
ちなみにじいちゃん、父親、おじさん、おばさん、私、
みんなエラ張り骨格です(笑)

488463:05/01/11 19:46:30
あ、487は463の私ですた。ついでにage

あー、なんか三面ダムまで行って
御先祖様にあいさつに行きたくなってきた(w
489463:05/01/11 19:47:03
あがってないし・・・トホホ
490日本@名無史さん:05/01/11 19:50:04
斉藤一
491日本@名無史さん:05/01/11 20:50:44
うちは伊達政宗だよー。
492日本@名無史さん:05/01/11 21:00:00
うちは裏松っていうんだけど、何か日野富子とか足利家と
つながりがあるって祖母が言ってた。ほんと?
493日本@名無史さん:05/01/11 22:49:14
>>309
愛媛の人?
494日本@名無史さん:05/01/12 13:56:07
土佐出身の結構裕福な商人だった・・・
名前が残ってるYOU達が裏山ー
495日本@名無史さん:05/01/12 14:10:03
ネタとかじゃないから、煽るなよー!
絶対煽るなよー!

戦前は子爵だった。御親藩。
之以上はかけない。
496日本@名無史さん:05/01/12 14:42:33
うちは堂上華族だった。戦前は伯爵で、江戸時代は羽林家のひとつでした。
497日本@名無史さん:05/01/12 19:36:03
>>496 あなたも含めて、他の堂上華族の方々はどのような職業についてらっしゃるんですか?
498日本@名無史さん:05/01/13 01:02:02
自分の先祖は単なる農家。母方の祖父は海軍中佐で
戦死した様だ。会社の部長(大手企業)は名前から一度
「ご先祖は親藩大名の方ですか」と尋ねたら、「そうだよ
一応連枝だけどね」とおっしゃった。皆から「殿」って言われてますよ。
その方によると「一門の会」と言って会合みたいなものがある様です。
そこでハウスナンバーて言うのがあって1番が宗家、2番以後は御三家
、親藩と言う順番らしいです。会員もなんか600人近くいると聞きました。

ここで自慢気に言ってる奴らはほとんどネタだと思うけど・・・
499日本@名無史さん:05/01/13 01:09:23
「一門の会」といったら松平の会しかねーじゃんかW
500日本@名無史さん:05/01/13 01:11:40
うちはネネの兄の家系です。
501日本@名無史さん:05/01/13 01:14:56
>>498
ハウスナンバーっていうのがあるんですか。
別家の慶喜家は何番なんだろ?
502日本@名無史さん:05/01/13 01:20:56
松平って血族以外にも名乗ってる人いっぱーいよ
503日本@名無史さん:05/01/13 01:24:57
>499
お前何も知らんな
徳川一門って言ったら家康以後
産まれた徳川、松平家ひっくるめて
いうんだyo!
504日本@名無史さん:05/01/13 01:29:40
そのくらいしっとるわW

松平一門の会は本当にあるよ。どっかにHPあったもん
505日本@名無史さん:05/01/13 01:36:57
確かに血族以外にも松平を名乗った者は多い
>>503の言う様に天下を制した家康以前に
三河には「十四松平」や「十八松平」と言う
のが存在した。彼等は江戸時代は親藩になれず
譜代扱いだった。あと功労のあった家臣や
外様大大名にも松平姓を与えていた。
ある意味将軍家にとっては「松平」は姓を
与えて「余の家臣である」と見せつける
都合のいい姓だった節があるとおもう。
506日本@名無史さん:05/01/13 01:48:23
>>504
「徳川・松平一門の会」ですよ。
507日本@名無史さん:05/01/13 03:03:52
>>463=487
やっぱり例の三苗字の中の一つの方でしたか。
奥三面はマイナーだからこそ希少価値があるんだと思うよ!
その「三面ありきの碑」の近くの案内板によると、小国町の方とは昔から交流があったようです。あと、戊辰戦争の際に村が焼かれ
たとかも書いてあったような気がする。更に、これはなんかの本で読んだのかもしれないけど、なんでも村の人口が一定数以上になら
ないようなシステムがあったとかなかったとか……ガクガクブル まぁ今の時期は雪の底だと思うけど。

でもなんかそういうので先祖が明確に分かるのっていいですね。間違いなくウチはあそこの村の出だっ!っていうのがあるん
だから。うちは下級武士だから封土があるでもなく、自分の田があるわけでもなく中途半端だから羨ましいですよ。
骨格調査は日本のは知らないけど、ナチスは確か大々的にやっていたような気がします。

あ、あと、東北で落武者伝説のある集落って結構あるんじゃないかな。会津の檜枝岐村もそうだし、ウチの近くの米沢市
綱木部落もそう。だけどどっちも江戸初期には外部との接触が盛んだったようだから、奥三面とは少し違うかもね。綱木はいったことあるんだけど、二十戸位の集落で、人が誰も出てないのになんか見られているようなへん〜な感じがした記憶がある。
508日本@名無史さん:05/01/13 03:05:01
>>505
姓なの?苗字でじゃないの?
源でないの?
509日本@名無史さん:05/01/13 03:16:54
>>505
まぁこういうスレ自体無意味かもな。
ちょっと毛並みよさそうなやつはネタ呼ばわりされるしな。
俺のとこは東北の小身士族。有名人いない。
じぃさん海軍なだけで、ずっとリーマン。ツマラネ
510日本@名無史さん:05/01/13 03:34:27
オレんとこは財閥だったが、朝鮮に進出したばっかりに、

女子供がチョンコロの虐殺に会い(戸籍の上では女子供も戦死ってなってる)

命からがら逃げ帰ってきたよ。

ネタではないよ。
511510:05/01/13 03:38:00
その後、小市民に転落
512日本@名無史さん:05/01/13 03:52:46
俺のとこは満州引き上げ時にばぁさんの姉妹ロスケ
に虐殺された
513日本@名無史さん:05/01/13 04:01:48

満州から日本までは遠いな…

まだ半島の方がましだわ。
514日本@名無史さん:05/01/13 13:23:52
>>510
典型的な二流三流の新興財閥だね、うらやましい。
515日本@名無史さん:05/01/13 14:11:08
507は464の私でした。
蛇足だが
お爺さんはご存命なの?それならまずお爺さんから話を聞いてみたら?
516日本@名無史さん:05/01/13 14:44:43
>>510
野口さん?
517日本@名無史さん:05/01/14 05:27:39
父方は加茂族系の零細豪族
母方は渡来系
518日本@名無史さん:05/01/14 19:25:07
おいらの家は
昔は苗字が無かった〜
多分すげーとこの出だと思う。
519463:05/01/14 19:41:12
>>515さん

うーん、残念ながらじーちゃんは20年前くらいに亡くなってます。
あまり口数の多い人ではなかったので、そのあたりの事はあまり
じいちゃんからは聞けませんでした。
村上の松山に住む方でも、知っておられる方とかは結構
高齢かもしれません。

一定の人口数以上にならないようにする。って、
ちょっと考えたくない話ですね(苦笑)
うちのじいちゃんは明治生まれでしたが、貰いッ子だったというのは関連はないでしょうかね?
昔であれば、売られたとか・・・・。

ウチの父が、じいちゃんの元の家系をどこまで知っているかは分かりませんが
そのうち聞いてみようかと思います。

520463:05/01/17 00:26:40
酔った勢いで書き込みします、すみません。

うちのじいちゃんは寡黙な人だったので、自分が産まれた村が
ダムの底に沈んでしまった事をどれだけ悲しく思ったか、
また貰われた後、産みの父母との関係はどのようなものだったのか
思えば思うほど、自分の祖先の事を知りたくなってきました(飛躍し過ぎ?)

なんにせよ、奥三面のダムには行ってみようと思います。
そしてじいちゃん、先祖の霊に拝んでこようと思います
521日本@名無史さん:05/01/21 01:42:39
先祖は或郷のあつかい(薩摩藩の格郷に於て、麓三役の筆頭であり地頭に次ぐNo.2。郷士年寄とも称。)だったと思われますが、
三百藩家臣人名事典に記載されているでしょうか?
522sage:05/01/21 03:27:29
父方は小田原の町人。
母方は越後・城氏の落武者…眉唾だけど
523日本@名無史さん:05/01/21 03:45:56
山口県出身の農民かもしれないw
でも、人を祟ることができたのかもしれない。

漏れに危害(頭の肉片がえぐられたり・血が吹き出したり・頭から熱湯かけられたり)が加えられても、
親からは『おまえが悪い』と言われ続けた。
漏れが、人を恨むと祟りがあるってことなんだろうか。
相手は、祟りなんて落ちずにぴんぴんしてるけどw
524日本@名無史さん:05/01/21 03:54:11
>>520
なんだか、泣けた。2chなのに。
525日本@名無史さん:05/01/21 04:10:03
>>523
ウリ〜!やり返せよ。

俺の家柄はそこそこよかったが、
家柄で「ぼっちゃん、ぼっちゃん」言われるのが苦痛だった。
だから、親が嫌いだった。反抗した。
「ぼっちゃん」じゃ無いように、不良の真似した。
おかげで、リンチにもあった。
ひきこもりになった。2ちゃんねらーになった。
未だ社会復帰できてないわけだが。
526浅井:05/01/21 04:49:08
浅井長政です。(ほんと)
527日本@名無史さん:05/01/21 09:14:24
平貞時(将門の弟)の子孫で鹿児島の領主
528日本@名無史さん:05/01/21 18:00:37
武田遺臣江戸期は苗字帯刀庄屋・・・なぜ郷士じゃないんだろ?
529日本@名無史さん:05/01/21 18:30:40
郷士は土着民。主に旧・国人層。
武田遺臣は徳川移封に追随した入植者。
530日本@名無史さん:05/01/21 19:33:46
鍔工の法安。初代は浅野弾正に召し抱えられ、浅野家移封に伴い甲斐から安芸へ移住、二代目以降は安芸に定住。

つまり、>526と俺は…。
531日本@名無史さん:05/01/21 19:36:26
>530
良く見たら>526は浅井長政…。

関係無かった…。スマソ
532526:05/01/21 22:35:05
526です。531さんどういたしまして♪
533日本@名無史さん:05/01/21 22:42:01
>>529庄屋はなんなの?
534日本@名無史さん:05/01/22 09:22:23
>>533
有力な農民じゃないの?
535平家之末裔 ◆LZ.sizokuE :05/01/22 11:30:46
>>527
俺も貞時が祖の薩摩平氏の末裔だが、薩摩平氏は江戸期迄に殆ど没落したでしょ?
そもそも将門の弟だっけ?
536日本@名無史さん:05/01/22 11:54:42
細川家家臣
明治期に東京に出てきたが、生粋の江戸っ子を気取る祖父は先祖が熊本出身である事実を
隠していた。でも「ウチは武士の家系〜」とは言っていた。
祖父の死後、家系図や古い除籍が出てきて明らかに。
537日本@名無史さん:05/01/22 12:53:53
小田原北條家遺臣。
江戸期はずっと名主をしていて、貞享期に
苗字帯刀を許された。そこから明治25年に
分家した家の4代目です。
本家は戦前に不在地主だった為、マッカーサーの
例のイジメで土地はほとんど取上げられましたが
幸い古文書類は散逸せず現存。
先祖は小田原衆所領役帳にも記載されてます。
538521:05/01/22 18:41:24
何も載ってねぇ。有名所ばっかり。
何が平藩士から郷士迄載ってます、だ!
まぁ行跡は明らかじゃ無いと思うが…。
539521:05/01/22 18:43:23
五代前の先祖が麓に居住してたんですけど、武士ですかね?
帰農しても麓に居住出来るのだろうか?
帰農したとは思いたくないが…。
540日本@名無史さん:05/01/22 18:55:56
斉藤実盛
541日本@名無史さん:05/01/22 23:40:20
先祖が代々僧だった人とかいないの?
542日本@名無史さん:05/01/23 02:58:10
>>541
本願寺の大谷家なんてそうだろ
543日本@名無史さん:05/01/23 03:27:21
自分は傍系だけど、本家は代々坊主やってるよ。
三河にある浄土真宗のお寺で、本多家の庇護を受けてたらしい。
見に行ったら、並んでるお墓の9割ぐらいまでが同じ苗字(本多じゃないんだけどね)で驚いた。
544日本@名無史さん:05/01/23 04:32:19
うちは薩摩士族らしい
じいちゃんとか兄弟8人いたのにびびった
苗字も○郷です。明治期に活躍したあの人と親戚かもしれません
545日本@名無史さん:05/01/23 12:04:22
母方の祖父の方の家系が凄まじい金持ちで武家の人だったらしい。
名前は「前田」だったとか。(今は違うけど)あの人の子孫かもしれない。
546527:05/01/25 10:38:00
>>535
漏れは指宿氏を母方に持つ者だが。
おまいは何氏?
指宿氏は島津氏に松尾城を追われた後は島津家臣団になってたよ。
薩摩平家の系図等はここを見たら。
http://page.freett.com/keizusoko/keizu/heishi_kanmu/heishi_kanmu2.html
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/sizokugairan/KANMUG.HTM
547平家之末裔 ◆LZ.sizokuE :05/01/25 22:53:18
>>546
俺は加世田城主別府五郎忠明の末裔。
まぁ分家で郷士だが…。
本家は城下士。
548日本@名無史さん:05/01/26 02:36:27
>>470
1650 別所 約9,700 播磨国印南郡別所邑発祥、村上源氏赤松氏流。加賀藩、岡山藩、柳本藩に存す。

順位 1650
http://www.myj7000.jp-biz.net/2000/1100f.htm
549日本@名無史さん:05/01/26 02:46:11
たぶん藤原鎌足
550日本@名無史さん:05/01/26 02:48:25
あまてらすおおみかみ
551日本@名無史さん:05/01/26 03:00:52

w。
552日本@名無史さん:05/01/26 03:24:00
マジな質問です。

私の家は母、父とも薩摩の人間で、親戚同士(血縁ではない)です。
母の家の墓は立派で家紋がついていて、なおかつ江戸時代の人は
信士をもらっていて○兵衛と書かれています。
http://www12.ocn.ne.jp/~eifukuji/chisiki/kaimyou.html
によると信士は武士階級しか駄目とかかれてますし、
○兵衛はある程度お金払わないと(つまり貧乏百姓は無理)江戸時代には名乗れないはずです。
しかし、姓名辞典なんかによると薩摩藩家老の家が書かれていて、
信士を名乗るような家とは別物っぽいのですが・・・。
実際どうなのでしょう?

友達にも別の藩で役職があった城下士の人を一人だけで知ってるのですが、
その人の姓も色々な辞典で調べても載ってません。

どっちとも嘘なのかな?
それとも辞典に載ってるのは一部?
553日本@名無史さん:05/01/26 10:34:35
>>552 信士は下級武士か小作人、上級武士や庄屋は居士・・・○兵衛は豪農辺りでもありそうだが・・・
ただ薩摩は他地域とは違うかも知れんが・・・他藩では庄屋に当たる階級が郷士だったりするから・・・
554日本@名無史さん:05/01/26 12:29:22
>>553情報サンクス
あれから調べてみましたが地域や宗派によって農民でも居士が
名乗れるみたいですね
地域格差がありすぎ。
でも薩摩義士や維新で死んだ薩摩の武士はほとんど信士だったりする。
姓名辞典にのっていないので、たぶん郷士なんでしょうねえ。
555527:05/01/27 15:16:31
母方は平貞時流指宿氏(指宿姓)だけど、
父方は姓と家紋から察するに藤原武智麿流相良氏系(人吉藩主)らしい。
中世郡司の直系と江戸時代の藩主の傍流は家格としてはどっちが上だろうか?
556日本@名無史さん:05/01/28 01:04:36
自分は今年、地元の墓を調べたよ。
先祖は別所の生き残りにゆかりがあるみたいです。
秀吉に三木でヒゴロシされたとき、長治公と親族が自害して
降伏となりましたが息子はこっそり逃がされました。
その後落ち延び村の地主みたいなことしてました。
大坂の陣で地元郷士たちと参加(なぜか豊臣方)
一応その時の資料(真田信繁の名も文章中に)も本家に残ってますた。
でも、MEと血繋がってないのな。
557日本@名無史さん:05/01/28 01:17:42
>>555
藩主の傍流?
そんな格の家なら「姓と家紋から察する」なんてことを
せずに、家伝で家の来歴が伝わってるのが普通じゃないのか?
傍流といっても藩が存在する以前、中世にわかれた家の子孫では?
そういうのは「藩主の傍流」とは言わんだろ。
558 ◆RY8l.VR35w :05/01/28 02:53:43
土は国なり
国は人なり

思想は国家なり


などとなめたレスをしてみますた。
559日本@名無史さん:05/01/28 03:02:25
むかしヒマな時に調べたことあったが
桃山時代まではさかのぼれたな。
先祖さまは斎藤道三とかいう人とかかわりがあったとか。
古田織部のとなりの町あたりにいたらしい。
560日本@名無史さん:05/01/28 04:03:01
俺の母方の先祖は明智光秀の家来の残党だったんだって
落ち延びてひっそり暮らしてらしいけどそれ以上の事はよくわからん
561日本@名無史さん:05/01/28 06:41:38
たぶん漁師
562日本@名無史さん:05/01/29 01:22:48
うちは沼田小早川家の陪臣だったらしい
正確には沼田庄小坂郷の稲村城主で、小早川家家老の田坂全慶の家来だったそうな
田坂全慶が小早川隆景を沼田小早川家の養子として迎えるのに反対したせいで誅殺されて農民になったらしいが……
色々調べてみてるが、苗字が珍しいせいで姓氏家系大辞典とかで調べてもさっぱりで、戦国時代より昔のことはわからん
563日本@名無史さん:05/01/30 23:28:07
うちの夫の父親は私生児だったらしい。医者と看護婦の子だったということだが
定かではない。その後、子供のいない夫婦に引き取られたのだそうだ。
夫の場合、先祖は父親(つまり父親が一代目)ってことなのか? 
それとも父親の不明の父方が先祖なのか、血のつながりはない父親の実家が先祖
なんだろうか。
564日本@名無史さん:05/01/31 00:02:44
先祖不詳。
565464=515:05/01/31 18:05:30
遅レススマソ
>>520
チョット感動した。
言い忘れてたんだけど、多分戸籍を辿っていけば相当分かると思うよ。あなたの本籍地の役所にお父さんの戸籍請求して、
そこからお爺さんの本籍地(養子先)も分かるはず。お爺さんの戸籍には、「大正○年○月○日新潟縣岩船郡三面村○○番地高橋○
○二男養子縁組」みたいな記述があるはずだから、相当のことが分かるハズ
参照(下越の行政区画)→http://homepage1.nifty.com/ishato/tiri/sityoson/04tyubu/15_gata11.htm#iwa
確か近くの図書館に昭和三十年代の全国五万分の一地形図があったから、ちと見てみるわ。
566日本@名無史さん:05/01/31 19:00:07
母方は九州かどっかの侍で、
父方は山2、3持ってた大地主だって聞いた。

たまに、戦国武将とかの子孫がテレビに出てるけどまじかっこいい。
苗字が徳川だったらそれだけで面接とかに受かりそう。
「君、苗字徳川なの?へぇ、あの家康の子孫か。すごいねー。よし、採用!」みたいな。
567日本@名無史さん:05/01/31 19:46:43
却ってプレッシャーでかかったり
「徳川?あいつ、雇ってもつかえねえなぁ」なんて
568日本@名無史さん:05/02/02 15:29:14
悲惨なのは明治期になって勝手に徳川と付けたやつ。
徳川?家康の子孫??・・・え、全然関係ないのプ??
569日本@名無史さん:05/02/02 15:42:17
同窓会に行ったんだがクラスに徳川ってやつがいたがまさかあの徳川かな?
570日本@名無史さん:05/02/02 15:44:39
俺は、継体天皇の直系だよ!
571日本@名無史さん:05/02/02 16:05:09
え?俺は公家の超名門近衛氏の血を引くものだよ
572日本@名無史さん:05/02/02 18:22:46
普通にショボイ農民なんだろうな・・
573日本@名無史さん:05/02/02 19:24:54
木曽義仲とじいちゃんがいっていた
うちの系図は清和天皇から始まります
574日本@名無史さん:05/02/03 09:20:09
天皇は日本人の血の棟梁なんだからオレ達に天皇の血が入ってても普通だ。



ギャーギャー騒ぐな
575日本@名無史さん:05/02/03 14:16:56
うちは苗字だけ見ると物部一族なのかな?って感じだ。
576日本@名無史さん:05/02/03 14:57:55
僕が数年前に父から見せてもらった家系図は、
確か聖武天皇から始まってた気がする。
ちなみに1000年前の旧姓は蒲生。今の姓はその時から変わってない。
577日本@名無史さん:05/02/03 16:06:08
本当かは知らんが・・・

三浦一族の嫡男として生まれたが、なぜか分家を××家をたてる。
(××は自分と同じ姓です)
源頼朝に従い各地を転戦。幕府成立に貢献した武勇一辺の豪傑。
その功績を認められて侍所長官に就任。
その後、北条家の専横に絶えかね謀反。
頼みの三浦本家にも見離されて頓挫。帰農する。
その後、戦国期に子孫が関東管領上杉家の重臣長野家に仕える。
上杉家の没落と共に武田氏に仕え、
西上野先方衆の1人として、高崎(××)城主。
と、その子孫が自分らしい。。。

自分の地元(某件某町)刊行の史集に
2〜3ページに渡ってそう書いてあった。
しかも、妙に偉そうなひい爺さんの写真付き(笑)
ひい爺さんは地元農協の初代理事でした。
578日本@名無史さん:05/02/03 16:18:00
>>576
その家系図が必ずしも正しいとは限らないよ
579576:05/02/03 17:00:06
>>578
そりゃ、本当どうかなんて分からんけどね
でも、本家の方はすごい立派な墓があるし、
うちに代々から伝わる位牌はみんな院がついてるよ。
臨済宗だってこともわかってるし。
あと、1000年前に別の姓になった家とは今でも交流があって、
以前その家に父が訪ねた時、僕のところと合致した家系図を見せてもらったって話です
580日本@名無史さん:05/02/03 18:13:56
しょうむの子孫ていないんじゃない
少なくとも男系は
581日本@名無史さん:05/02/03 18:35:22
我が家の室町時代から父に至るまでの流れは・・
海賊→水軍衆→代官→農民・名主→金貸・大地主→農民(農地改革で没落)→中小企業経営者
って感じらしい。
一応、三浦氏族とか言ってるけど、たぶん三浦氏に仕えただけみたい。
582日本@名無史さん:05/02/03 19:22:25
俺の先祖は神。
583日本@名無史さん:05/02/03 21:28:34
鮭け?
584日本@名無史さん:05/02/04 01:00:17
江戸時代のご先祖の通称が「七右衛門」らしい……
これって一体どこの流れなんだろう
母方は「清左衛門」だから、多分清原氏流なんだと思うが、七ってなんだ('A`;)
585日本@名無史さん:05/02/04 03:56:42
つ・・・つり・・・ですかね?
「七右衛門」「清左衛門」って屋号だろ?
586日本@名無史さん:05/02/04 13:45:10
こーゆー話ができる人って羨ましいね
_| ̄|○完全に農民
587日本@名無史さん:05/02/04 14:56:34
>>584-585
釣りじゃないだろ。庄屋、名主、肝煎、(あとちょっと伝統ある商人)
なら代々の通称あってもおかしくないよ。

うちの先祖は肝煎やってた頃は太兵衛だったか太郎兵衛だったかって名前
を代々名乗ってたし。

>>584
七ってのは初代が七男だったんだろ。本名は別にあるから関係ない。
588日本@名無史さん:05/02/04 14:57:02
屋号と通称の違いって具体的にどういうもんなんだろう
>>584-585の流れで気になって調べてみたが、グーグル先生はあんまり頼りにならん
漏れ的解釈では名字の代用みたいなもんだと思ってたんだけど
商人とか役者だと「○○屋△△××衛門」で言うところの○○が屋号かなーとか、その程度の理解
詳しい人いたら系統だった説明をしてもらえると嬉しいな
589日本@名無史さん:05/02/04 15:06:08
>>587さん有難う
確かその七右衛門さんは、江戸後期(1800年ちょっと)に亡くなったという記録があって、それ以前は良く分からないらしい
これ以前の記録はお寺の過去帳に残って無いらしくて調べがつけられないのよね...
名字から調べようにも希少名字だから由来がさっぱり分からないし、この辺で限界が見えてきた感じがする
この通称からでは出自の手がかりがつかめないと分かっただけでも収穫かなぁ
590日本@名無史さん:05/02/04 19:29:58
郷土史の研究してると、それまでの断片的情報が思わぬところからつながったり
するから諦めるな。その土地に住んでなくてもある程度断片的情報は
調べることはできるし。
591日本@名無史さん:05/02/04 21:27:53
>>590さん励ましの言葉どうもです
今度実家に戻った時、地元の図書館とかで資料探してみます
あとはインターネットで同姓の人から情報を求めるとか、かな...
592日本@名無史さん:05/02/04 22:41:34
576で書き込みした者ですが、父から注意されましたが、
蒲生から今の名前になったのは1000年前ではなく、600年前でした。
改名の原因は、応仁の乱ですね。
僕の家は、戦に負けて名前を変えて逃げ延びた元蒲生家の末裔ということになりますw
歴史を感じますね。すげえ。

ちなみに、蒲生氏郷は親戚にあたるとの話ですが、もしそのまま蒲生家が残って順調にいけば、
華族を親戚に持てたかもしれないのに…
それだけが残念ですね。
593日本@名無史さん:05/02/05 00:33:26
先祖と言えるためには、現在から戸籍→過去帳、郷土資料・・・と確実に遡っていけないとだめだろ
僭称とかいくらでもあるから、口伝や大して詳しくもない装丁だけリッパな家系図なんて根拠にならない。検証が必要
594日本@名無史さん:05/02/05 00:44:58
先祖か。。。。
先祖の正当な跡継ぎたちは事件の後切腹を申し渡されてるから、
ワシは傍流なのは間違いないが。
先祖は原田甲斐。いいかげん評価も定まってほしいころじゃ
595日本@名無史さん:05/02/05 01:18:54
>>593
もしかして、僕に話しかけられてます?
僕は家の歴史については詳しくは知りませんが、
父は、そのような手順に乗っ取って研究をしたそうですが。
有力者だと資料関係に必ず乗っているとも言っていました。
寺にも先祖の記録が残っているそうです。
何より、本家はれっきとした名家です。
兵庫県某郡の代表議員(言葉あってます?)をしていたくらいですから。
596日本@名無史さん:05/02/05 01:22:37
先祖は彰義隊に参加したから旗本だ!と死んだ爺さんが言ってたが、
彰義隊って言ってもいろいろいるよねえ…?
上野から駿河まで逃げてきて次郎長のタイコモチになったとか。
主君が将軍家から博徒じゃ落差ありすぎ…
明治以降は商売人になったようだが
ばあさまは本物の旗本の家で身分欄も士族だったので、
結婚するときなげいたとかなんとか

一応苗字と家紋は嵯峨源氏のちょい有名どころと一致するが、
どこまで本当なんだか
597日本@名無史さん:05/02/05 01:35:21
ああ、でもそれだけだと名家だということだけが確かで、
蒲生の子孫かどうか、ということまでは分かりませんね。
そういうことを言っているのでしょうか?

ただ、父によると、本家の方も蒲生家の子孫だということを言っているようですし、
600年前に別姓となった、別の家の方も蒲生の子孫だということを言っているそうです。
ちなみに、別姓となった家のことを調べていた地元の歴史研究家の方が、
その方が蒲生の子孫だということを確かめているということです。
ただ、その研究家の方は、僕の家がその家と親威関係にあることまでは知らなかったようですが。
598576:05/02/05 01:56:38
ここまで書くと特定されるのかも知れませんが…まあ大丈夫でしょう。
父から聞いた話の要綱はこうです。
別姓の方の家を、A家とします。

応仁の乱の時に、蒲生家から二人の兄弟が戦に参加したそうです。
その二人を祖先に持つのが、本家、そしてA家です。
本家の方に関しては、今まで父とした話の中では、
確かな検証をしたかどうかについての話は出ませんでした。
ただ、これは僕がまだ聞いていない、というだけの話だと思います。

A家に関しては、歴史研究家の方に、僕の家がその家と親戚関係にあたるということを教えてあげた、
という話を父から聞かされました。

その歴史研究家の方は、もう一人、蒲生の兄弟の家があるということまでは分かっていたそうです。
ただ、A家はその歴史研究家の方に、僕達のことは話さなかったそうです。
そして、父が本家の方と一緒にA家を訪れた時、その歴史研究家の方に、このことを話したそうです。
599日本@名無史さん:05/02/05 03:39:16
>>598
どうも、まだ本格的な調査・研究はこれからってところのようですね。
それだけのヒントに恵まれてるんだから、やるがいあるよ。がんばってくれ。
漏れも最初の発端は親父や親戚の与汰話だった。(話してる本人たちも半信半疑)
大事なことは、ちゃんと自分で調べるってことだぞ。
600日本@名無史さん:05/02/05 05:18:28
>>599
胴衣。しかも>>597によれば郷土史家の研究成果が既にあるようだから、それくらい嫁
ついでに言えば郡会議員()くらいでは到底「れっきとした名家」とは
言えません。なんか、郡会議員知らんかったり、「教えてあげた」と
かの多少幼稚とも言える表現があったりという点から考えると恐らく
社会人ではなさそう。高校〜大学ぐらいだと思うけど、そんな年齢か
ら家の歴史に興味を持ってる点は偉いゾ。まずは自分で色々調べてみ
ることだ、ガンガレ
601日本@名無史さん:05/02/05 13:02:43
いいなぁ〜
色々調べられて。
うちなんかは
戸籍→過去帳で幕末までは辿れて、あとは内墓の墓石調査で文政年間までは(削れて途中読み取れない部分はあるが)なんとか・・
口伝によると、寛政年間に他地区の家から分家して今の場所に住み着いたとの事らしいが・・
口伝による本家があったとされる地区には確かに当家と同じ苗字が多くみられるが、本家・宗家にあたる家がどの家なのかが、さっぱりわからない。
一応、その地区の郷土資料によると、代官をやっていた家が宗家にあたり、その古くからの分家も周辺に数件存在したらしい。
まあ、半士半農レベルの末裔だと、この辺が限度でしょうか。。。

ちなみに私の友人の家は、父親方は神主家系の分家、母親方は大名から旗本に没落した某家家老職の家系とどちらの家系もしっかりと辿れるので羨ましいです。
602日本@名無史さん:05/02/05 15:24:00
>>601
見た目が一番立派そうに見える家から聞き込みすれば?
603日本@名無史さん:05/02/06 06:20:18
本家筋から母親を通して聞いてみると、どうやらうちの家は本家から別れるより前に一度男系の血が絶えてるらしい
で、最初に迎えた婿養子(後に離婚)との間の子が本家になって、再婚した婿養子の子がうち(分家)の御先祖だと
自分の名字が18300位(68世帯)程度で珍しいっぽいから調べようがなくて、婿養子の家のほうからなら何か分かるかとおもって調べてみたら、本家の先祖が26000位(36世帯)、そして漏れの男系先祖のほうは28000位(31世帯)...
どのみち名字を元にして何かしら知るのは不可能ってことですか('A`;)
なんで親族みんな変な(失礼)名字ばっかりなんだよ...orz
604日本@名無史さん:05/02/06 07:02:55
>>594
原田甲斐の実子・実孫達はみな切腹だったのでは?
もっとも甲斐と先祖が一緒、ということなら有り得ると思うのですが。
605日本@名無史さん:05/02/07 19:28:15
>>603
世帯数がそれぐらいしか無いなら、全家聞き込み調査もできるだろ。
むしろ調べやすいと思うが…?
606日本@名無史さん:05/02/07 19:36:51
>>605
親戚筋はOKなんだが、見知らぬ他人が大半だからなぁ
物騒なこの時期に赤の他人の家に聞きにいくのは気が引けるというか……
地域的にはうちの実家(広く見ても同じ県内)がほとんどなんで、楽といえば楽かもしれん
607日本@名無史さん:05/02/08 12:00:50
家の母方の先祖が山内と書いて「やまのうち」と読むんだが、
土佐山内家の傍流だろうか?
ちなみに士族で鹿児島の町長だったが。
608日本@名無史さん:05/02/08 16:17:45
うちは士族。
戦前知事だしてます
609日本@名無史さん:05/02/10 02:31:18
戦前の知事って内務省の官選だよね、殆どの道府県では他県の人のはず。ってことは>>608は内務官僚の子孫かな

ところで戦前の地方制度って結構面白い。素人の俺が調べて疑問なのは、
・知事が官選なら地元の最高実力者って県会議長なのか?
・町村長(名誉職)は町村会議長を兼務するそうだが、必ずそうなのか?
・大正時代に郡長が廃止になったが、そしたら町村長は名誉職なんて呑気なこといってられなくなったんじゃない?
スレチガイスマン
610日本@名無史さん:05/02/10 03:04:03
軍板でこんな香具師がいたのでぜひ出自の推察をお願いしたいと存じまして
お願いいたします。
【参照】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1107105309/
以下コピペ


639 御曹司 sage New! 05/02/10 01:27:45 ID:???

それは素晴らしい家柄だな、まあ現代日本じゃ大した意味は無いが。
じゃあ俺の家柄はちょっとしたクイズにさせてもらうよ。
やんごとなき身分の君なら、簡単な問題だ、すぐわかるよな。

1 皇室の近縁 
2 一族の経営する企業が、バブルで被害の少なかった経営で有名な上場企業
3 納税番付の上位常連
4 家の名は地名になってる。

金録公債の金額は知らないが、ひい婆様に聞いた話だとそれを担保に20〜50万くらいの借金をして事業をスタートしたそうな。
611日本@名無史さん:05/02/10 04:23:16
>>609 郡会議長が名誉職では?郡長は官選ですよね?
612日本@名無史さん:05/02/10 08:18:57
>>604
「樅の木は残った」では1人孫娘のみが生き残ったみたいな事を書いてるけど、
実際には数名(娘・外孫など)が連座による死罪から除外されていたはず。
613日本@名無史さん:05/02/10 14:39:23
>>611
ん?>>609は、官選の郡長が廃止された後、今まで郡長が処理していた事務を名誉職の町村長で処理できたのか?ってことを言ってるんじゃないかな?
因みに俺の知識によれば、初期の郡会議長は郡長の兼任だったはず
614日本@名無史さん:05/02/11 00:02:31
うちの家系

 孝霊天皇→越智氏→K水軍→(没落)→村方役人→(没落)→百姓→リーマン

しかも宝暦年間と昭和に火事にあって古いものは全部あぼーん…orz
615日本@名無史さん:05/02/11 00:51:33
616日本@名無史さん:05/02/13 21:33:54
モマエら!先祖の調査って最終的にどこまで調べたらゴールなんでしょうか?

やぱーり天皇でつかね?
617日本@名無史さん:05/02/13 21:57:02
>>616

アフリカのどこかで猿の先祖と分かれるところまで
618日本@名無史さん:05/02/18 23:12:13
5代前の先祖が、元帥・陸軍大将です。
手紙類とか服飾関係のものが残っているのですが、
某・私立大学の教授が「研究のために貸してくれ」と
言って持っていったまま帰してくれません。
619日本@名無史さん:05/02/19 01:11:26
>>618
なんて奴だ。晒してしまえ。
620日本@名無史さん:05/02/19 03:16:49
>>618
早く返してもらったほうがいいよ!

ばあちゃんの実家に武田信玄の書状があるんだけど
昔大学の教授が「調査したいから」って持っていったまま
なかなか返って来なかったらしい。

それで親族総出でその教授を探してやっと返してもらったとか、
621日本@名無史さん:05/02/19 03:24:53
>>620
偽者なんだろうけど
うせもの
622日本@名無史さん:05/02/19 04:01:21
>>621
本物だよ?

漏れも良く知らないけど川中島の合戦に足軽と
して従軍して褒美に田んぼをもらった時ものだとか。
623日本@名無史さん:05/02/21 03:07:41
そんなの知らねーや。
家系図なんて殆ど偽物だろ。
江戸時代などには系図屋なんてのがいたぐらいだからな。
濡れの先祖は武士らしいがどうだかね。
没落家の末裔なんて生存自体が信じられん。
皇族と五摂家+∂くらいか
624日本@名無史さん:05/02/21 04:35:28
「俺の先祖は武士らしいが」
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
625日本@名無史さん:05/02/21 08:07:50
私の先祖は長谷部信連です
626日本@名無史さん:05/02/24 22:18:06
私の先祖は「武蔵七党」の「児玉党」です。数年前、高祖・有道維行の
生誕一千年の記念碑が建立されました。
627日本@名無史さん :05/02/24 22:18:47
藻マイら!2chが危ない!
    ↓
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1109220850/l50
628日本@名無史さん:05/02/24 22:32:35
母の父方の姓が波木井で、波木井実長の一族かもしれません。
波木井→甲斐源氏→清和天皇になるそうで、皇位継承順位は
何番目になるのかな(笑)。
629日本@名無史さん:05/02/28 09:51:13
>>628
母方は世襲には無関係だからな、残念ながら順位無しじゃね?
姓だって男系世襲だしな
630日本@名無史さん:05/02/28 11:20:08
俺のヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイヒイ・・・・・・じいさんの兄貴は足利将軍を殺した極悪人
631日本@名無史さん:05/02/28 11:58:18
群馬にある何とか家の直系の子孫です
632日本@名無史さん:05/02/28 13:57:53
とりあえず先祖の墓も無いヤツは
末裔語るのはヤメレ。
どこかの世代のオヤジがちょーしぶっこいて
俺のじーさんは武士だったなんて冗談話を
真に受けただけかもしれんだろ(・ω・)
633日本@名無史さん:05/03/02 12:09:40
武家ではないけど武士である場合もあるね。
634日本@名無史さん:05/03/02 21:16:33
母方の先祖持ち出して「○代目だ」とか逝ってるヤシは
その家系と何の関係もないからな!
直系の子孫に失礼だ。
635日本@名無史さん:05/03/03 04:11:05
618さん5代前で明治時代か、若いなあ。
私なんか3代前が江戸時代生まれで、5代前は完全に近世人。
636日本@名無史さん:05/03/03 07:07:42
漏れの場合、ひいひい爺さんが明治人でその前が江戸時代人。
637日本@名無史さん:05/03/03 15:28:02
>>632
ウチの墓には、4代くらい前までのご先祖様の名前が刻まれていません。
これって、水飲み百姓系ってことでしょうか?

その墓も、20年くらい前にやっと作ったそうです。それまでは田んぼの脇に埋めて
石を積み重ねただけのしょぼい墓だったみたいです。

ちなみに、ひい爺ちゃんは沖縄の近くの島で農業ををやっていたそうです
638637:05/03/03 15:29:05
訂正です。

正しくは、「4代前までの名前しか刻まれてない」です
639日本@名無史さん:05/03/03 17:09:01
最初は浦上家につかえていたけど
宇喜多が謀反を起こして宇喜多家についた
先祖は戦国時代で延原家次、延原影能
平家、源氏の戦っていた頃は那須与一
640日本@名無史さん:05/03/03 22:56:06
大坂に多い吉本ってどうなのかね
641日本@名無史さん:05/03/03 23:09:29
>>634
プ。直系の意味がわかってない哀れなバカがここにもw
642日本@名無史さん:05/03/03 23:19:11
俺の先祖は流れの役者、いわゆる河原乞食だったらしい。
明治維新のどさくさで適当な空地に定住して農民になったとか、じーちゃんが言ってた。
643日本@名無史さん:05/03/04 00:51:51
私のおじいちゃん(母方)の先祖が菅原道真。
おじいちゃんの家の家紋を調べたらここに行き着いたみたい。家紋は梅の丸いやつ。
おばあちゃん(母方)は加賀百万石の武士。
父方の方は謎(笑)
644643:05/03/04 01:01:19
あと、↑の武士はちゃんとした証拠あります。

おばあちゃんの父の兄弟(父含めて5人?)の写真が彦野総本家にあるそうで・・・。
そのうちの二人は屯田兵として北海道にきた。
なんで飛ばされたかは教えてくれなかったけど・・・。
645日本@名無史さん:05/03/04 01:09:03
僕の先祖は粟田口吉光です。最近まで粟田口に住んでました。
だけど吉光(刀)はおじいちゃんが売ってしまった。。。
646日本@名無史さん:05/03/04 08:27:56
屯田兵って一般的に庶子じゃなかったかな
647日本@名無史さん:05/03/04 10:13:19
>>646
おれの先祖は戊辰以降、殿様ともども屯田したよ。
伊達市の開拓は殿様率先してやったのだ。
一族あげて不毛の北海道開拓。
だから屯田兵=庶子ではない。

北の零年かよ
648647:05/03/04 10:17:06
伊達成実を開祖する亘理藩の藩士だった。
幕末の殿様と一緒に苦労して開拓したそうです。

うちの先祖は摺上原の合戦にも従軍したのが自慢。
649日本@名無史さん:05/03/04 10:40:24
みんな立派な御先祖様もってるなぁ。
もれの先祖は東北の小さな村の小領主だったけど、北隣の大領主浜田氏(千葉氏の一族)
の旗下について姓までかえて媚び売って、西隣の熊谷氏(嫁の実家)を何度も攻めたが
負けてばっかり。その後、秀吉に取り潰されたため浪人に。その後、同類の浪人同士で
結託して一揆おこしたけど負けて零落してはるか僻地の金鉱に流れついて働いてたら、
そこでまた秀吉が年貢おもくしたんで一揆おこすことに。「オマエって昔、殿様だった
らしいじゃねーか」と言われて一揆の頭目に祭り上げられ、近所の城を乗っ取って立て
こもったけど、すぐ平定されて500人撫で斬りに。ほうほうのていで逃げ出して昔の所領
に姓名かえて潜伏。最後はただの百姓で終わる。
この先祖一代で姓を及川→千葉→小野寺と三回も変えている。しかも散々殺し合いした
仇敵だったはずの熊谷氏に明治になって子孫が婿入り…。
650日本@名無史さん:05/03/04 17:29:00
>>649
波乱万丈で面白い人生ではあるな
651日本@名無史さん:05/03/04 18:44:17
>>641
直系って家督を継いで来た家のことでしょ?
>>634は別におかしいこと言ってなくないか?
652日本@名無史さん:05/03/05 13:10:55
>>649
山田洋司監督で映画にできそうだな。
面白い先祖だ。
653日本@名無史さん:05/03/05 19:18:45
由緒正しい家系の人が2chを見る筈がない。まして書き込みな(ry
654日本@名無史さん:05/03/05 19:24:18
>>653
織田信孝(織田子爵家現御当主)さまの書き込みを忘れたか。
655日本@名無史さん:05/03/05 20:18:23
先祖は足利氏、家紋は三つ雁金。
室町時代以来、岡山に定着。
戦国時代は宇喜多に属したけど、御家騒動で四散。
親戚筋(信長の野望や太閤立志伝に出てくる)は、
関が原で東軍に属して旗本になったけど、
うちの先祖は地元に土着して郷士になったらしい。

室町時代からの伝統か、芸術家や学者など頭脳労働者が
多い家系のようだ。
656日本@名無史さん:05/03/06 03:39:48
>>649
500人撫で斬りにされたのに先祖はちゃんと逃れてたんだね
逃れられなかったら今頃>>649は存在しないんだよなぁ

と思うと歴史は面白いですな
657日本@名無史さん:05/03/07 02:23:53
うちの母方は、三河大久保氏の一族なのだが、
最近、母の実家の会社が倒産して、叔父も祖父も自己破産した・・・・。
叔父にいたっては、家族ともども失踪して、居場所がわからん・・・。

・・・・・・堕ちる所まで、堕ちたなあ・・・・真剣にあれ以上、下に堕ちれないんですけど。
658日本@名無史さん:05/03/07 10:40:33
江戸時代に庄屋は刀や槍などをもつことができたんですか?
659日本@名無史さん:05/03/08 02:00:05
豚切りスマソ
私の先祖は父方が源氏、母方が平清盛か将門だと聞いた。
660日本@名無史さん:05/03/08 17:03:57
>>658
藩によっていろいろかも。
661日本@名無史さん:05/03/11 19:05:46
>>649 岩手県南部の方?拙者の家は、近隣の大槌家(3000石)の家老です。
662日本@名無史さん:05/03/11 21:54:56
3000石の家老って、30石くらい?
663日本@名無史さん:05/03/12 02:58:25
100石ぐらいあるんじゃないか?
664日本@名無史さん:05/03/12 07:53:50
多くて50石だろ。
665日本@名無史さん:05/03/12 08:13:54
>>658
うちは大庄屋という身分だったみたいだが、
「苗字帯刀御免」という許しを藩主から得ていたようですよ。
666日本@名無史さん:05/03/12 12:30:00
母方の直系の先祖が信長の野望に登場します。

能力は思いっきりザコです。
なんかな
667日本@名無史さん:05/03/13 22:43:27
誰?
668日本@名無史さん:05/03/13 23:46:25
河野とかじゃない?
669日本@名無史さん:05/03/16 08:06:01
>>665
うちには長槍の柄だけがあって何でも太平洋戦争の時に穂先をとられたらしい。
なんで持っていたのか気になります。
670日本@名無史さん:05/03/17 11:14:01
へー、このスレおもしろいな。
興味深く拝見しますた。
皆の様に、立派な先祖は持ってないが
ウチの家祖は薩摩藩の茶坊主、調所笑左右衛門広郷の
落とし種って事らしいんだがが何〜にも証拠が無い。
精々、家紋が調所家と一緒って事くらいだな。
671名無しの古参 ◆VpKHzOu04Y :05/03/18 00:45:11 ID:??? BE:150595687-
調べると
桃山時代までかるく遡れるけど
なんか意味あんの?

古田織部の隣の集落を仕切ってた人らしいが
きど番っていうか関所みたいなとこの管理してたらしい。
なにもんだろ?

もう少し遡ると
室町に名前が出てくるから
興味があることはあるんだが
そのあたりまでくるとよくわからん。

どうやって調べるのかな?
672日本@名無史さん:05/03/18 03:57:03
名字佐藤です。
誰か私のルーツ調べてくれませんか?
673日本@名無史さん:05/03/18 03:59:11
♪アダムとイブが〜 林檎を囓ったら〜
674日本@名無史さん:05/03/18 08:55:24
親父の先祖は、農民。おふくろの実家は、武士の家系だけど。

母親の先祖も、オイラの直系の先祖だよな?

直系ってそもそも、ど−ゆう意味?


675日本@名無史さん:05/03/18 13:48:41
通常は男系、つまり父親の先祖のことを直系というんじゃないか?
母方は厳密には自分の先祖とは言えなかったと思うぞ
676日本@名無史さん:05/03/18 16:10:52
それがさ。うちのじ-さんが生前に、「家は代々、武士の家系だ」つってた。
一族みんな、先祖は「武士」だと思っていた。
けど、じ-さんが亡くなって葬式挙げたら、親戚一同そろって「家の家紋ってなんだっけ」
てゆうわけ。しょうがないから、適当な家紋選んで、墓を作った。
その時、わかったね。じいさんが嘘ついていたって。
武士だったら代々、家紋を受け継ぐはずだろ。つうわけで家の先祖は武士じゃない。

677日本@名無史さん:05/03/18 16:14:01
家紋を受け継ぐか否かで武士かどうか決まるってもんでもないとおもうが
うちなんて家紋は受け継いでても桐紋(ありがちすぎる)だしな
自分の名字をググってみるとか、姓氏辞典で調べてみるとか、過去帳見せてもらうとかすると色々分かってくるかもしれん
678日本@名無史さん:05/03/18 17:21:05
うち鷹の羽縦に2枚並べた家紋なんだけど
この場合先祖の身分は何なんだろ?
教えてエロい人
679日本@名無史さん:05/03/18 17:32:12
家紋がきちっと伝わってない時点で、先祖の身分は怪しい。
680名無しの古参 ◆VpKHzOu04Y :05/03/18 17:36:34
おれ自分の家の家紋って見たことないな。
実家のほうのお寺とかで調べるのかな?
681日本@名無史さん:05/03/18 17:52:35
アフリカのイヴ
682日本@名無史さん:05/03/18 17:53:57
>678
変身忍者・嵐
683日本@名無史さん:05/03/18 17:59:39
>>678
いや忍者じゃないと思う。先祖代々鹿児島だったっし(今は違うけど)
鹿児島に忍者なんていたのか?
てか変身忍者・嵐って30年ぐらい前の特撮番組だろ?
684678:05/03/18 18:01:19
すまんアンカーミスった。
>>683>>682へのレスね
685661:05/03/19 10:35:27
10〜30石位だったそうだけど、館持ち侍で身入りはよかったそうだ。主家が寛永時代
改易になってからは、商人となりひとかどの豪商となった。数百年のうちに分家から
医者になるも坊主になるものもでてきた。拙者の家は、幕末には盛岡藩の下級武士に
おさまっていました。
686日本@名無史さん:2005/03/23(水) 01:19:37
私の母方の祖先は栃木の小山(おやま)氏。ある時期に東京都八王子市に住み始めたみたい。
母の話では、本家には刀やちょんまげを結った肖像画があったそうな。
もっと祖先をたどると藤原秀郷らしい。
同じ先祖の人ここのスレにいるかな?
687日本@名無史さん:2005/03/23(水) 18:33:01
>>686
藤原秀郷の子孫は関東〜東北にはやたら多いんじゃないかな。
688日本@名無史さん:2005/03/23(水) 18:36:42
>>680
お墓に彫ってあるんじゃない?
689日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:00:00
そもそも家紋って、どうやって決めたんだろう?
うちは江戸時代初期から300年来、ただの百姓。それ以前は不明。
家紋はありふれた藤の紋。
しかし、知っている人も多いと思うが、この家紋、けっこう細かい模様が入っていて、そう簡単にデザインできるものではないと思う。
知らない人はググって見てみるとわかると思う。
一体だれがデザインしたのだろう?
ただの百姓にすぎないうちの先祖に、こんなセンスがあったとはとても思えない。

やっぱり、どこかからパクってきて自分ちの家紋にしたのだろうか?
だとしたら、どこでパクったのだろうか?
690日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:02:35
私の先祖は建武の新政の際に活躍した楠木正成です。
家系図も会ったらしいのですが太平洋戦争のときに焼けてしまったそうです。
691日本@名無史さん:2005/03/23(水) 22:15:23
>>689
もしパクったとしても、パクった本人はそんなこと言わないだろうから突き止めるのは難しいかもね
家紋をやんごとなき方から下賜されたとか、そういうのなら言い伝えが残ってるだろうけど
692日本@名無史さん:2005/03/23(水) 22:20:27
>>689
家紋は古い物ほどシンプルで戦や儀式の時に
他家と見分けがつき易いようになってる。
例外もあるけどね…。

複雑なものは江戸時代に中流百姓が
有名は家の紋や着物柄などを参考
につけただけってのが多い。

だから家紋で家系を遡るとかは
一般の家では無理。
693日本@名無史さん:2005/03/24(木) 13:24:11
堀井富太郎が大伯父らしい
694日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:47:20
>>686
私の父方は武士だったが先祖が藤原秀郷で波多野氏だそうだ。
確か大石内蔵助の先祖も藤原秀郷で小山氏流だったはずだよ。
695日本@名無史さん:2005/03/24(木) 23:55:29

武家で藤原氏を名乗る家は、だいたい秀郷か利仁を遠祖とする。
それ以外はずっと少ないよ
696日本@名無史さん:2005/03/25(金) 02:11:10
686です。みなさん知識があって色々と勉強になります。大石蔵之助の先祖が小山氏流だったとは。びっくりしました。
色々教えてくださってありがとうございます<m(__)m>
697GUNBOY56@仮とリップ:2005/03/25(金) 03:39:28 ID:??? BE:40996782-#
家紋って大事だな。
あれはさわれないな。
かわらのやつ。
698日本@名無史さん:2005/03/25(金) 13:18:25
薩摩の島津氏から分かれて家来になった。最近まで神官だったらしいが徳之島に行って(流された?)
福岡→神戸。今は神戸市民です。
江戸時代の琉球出兵のときにご先祖様が土地の守り神(シーサーか?)を
蹴飛ばして現地の人に「7代後まで足に祟られるぞ。」といわれて僕の曽祖父まで足が不自由だったらしい。
という話をこないだ聞きました。
699日本@名無史さん:2005/03/26(土) 02:06:01
>698
でも曾祖父は徴兵逃れられたでしょ?

そのおかげでおまいがいるんだよ。
700日本@名無史さん:2005/03/26(土) 09:26:44
>>699
あっ、確かにそうですね。重大なこと忘れてた。
当時戦争って何歳くらいの人がいってたのかな?(一次〜日中)
701日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:03:13
>>700
何か境遇似てるな〜と思って書いてみました。
うちの鹿児島出身の曾祖父も足が不自由で太平洋戦争?の徴兵逃れたらしいので。
同じくシーサー蹴ったからなのかも知れませんねw

ただ、うちの場合はずっと身分低い(郷士?)ですが。
702日本@名無史さん:2005/03/30(水) 15:22:52
うちの先祖は桐野利秋だそうだ
余り自慢できるご先祖様じゃないかもしれない・・・
尊敬はしているが人には話せないなぁ
703日本@名無史さん:2005/03/31(木) 14:12:55
先祖が調所広郷、桐野利秋って鹿児島の人が多いのねココ・・・
704日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 00:43:15
test
705日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 11:08:38
うちの墓には江戸時代の文化年間に没した先祖から入ってる。
その先祖は地主だったらしいが、名前に「門名頭」というのがついてるんだがこれは地主の意味だろうか?
普通は自分の先祖は明治くらいからのしかわからないと思うが、
江戸時代から苗字があるという事は武士階級だろうか?
706日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 12:27:02
>>705

江戸時代の庶民に苗字がなかった、というのは江戸時代暗黒史観が
うんだ捏造だよ
707日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 13:04:38
>>705
ほとんどの家が苗字持ち。
でも公には使えなくて墓とか過去帳とか家に
関わることに使ってた。
708日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:03:07
>>706-707 その説も最近ではちょっとと言う感じですね。豊かな現在から遡って見てるわけですが、おそらく大部分の
農民はやはり苗字は持ってなかったと見るべきでしょ。名主・豪農層は当然あるわけですが・・・。田舎に行くと村一つ
同じ苗字がありますが元々持っていたというより名主と同じ苗字にしたと言うのがほとんどだと思います。まあ、何らかの
血縁関係は認められるだろうとは思いますが。大体の農民は食べていくのが大変で苗字ところではなかったのでは?
709日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:17:32
オマイラ、すげぇな。漏れは栃木の山奥で
ホラ吹きだった先祖がいるくらいだ。





のび太かよ、、、、、、、、、、、、orz
710705:慶長410/04/01(金) 15:52:59
>>708
で、名前の前の「門名頭」ってのは地主の事かな?
君がいうとおり、庶民が苗字をあまりもっていなかったとしたら家は武士か豪農クラスとみていいのかな?
江戸時代から現代までちゃんと墓に入ってるってのは地主クラスだったから?
711日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:14:32
>>710まず墓がどこにあるかが一番問題。寺じゃないとこにあるならほぼ豪農系。寺にあるなら聞けばよい。
712日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:25:04
>>710
苗字だけじゃそこまでわからん。
奉公人だって仕えてた家の苗字や田んぼもらったり
墓だってもってたよ。奉公人別家とか下人別家とか言うけど。

うちの一族にもそうゆう家あるけどその家は元禄のころ
からの墓が代々ある。

地主っていうならどのくらいの土地をもってたとかいう
記録とか伝説はないの?
713日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:29:25
>>711
そんな事は言えないと思う。
うちの辺りなんてどの家も寺じゃないところに
代々の墓持ってるし、寺の中に墓がある庄屋の家だってある。
714705:慶長410/04/01(金) 16:31:54
うちの祖父がいうには平宗清の子孫じゃないかとの事。
土地の広さはわかんないけど墓は寺じゃない。
ちなみに菩提寺は浄土真宗だが。
715日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:40:13
>>713よく読め!寺にある場合は寺に聞けばよいと書いてあるだろーに。武士の墓って寺以外にあるのか?
716日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:44:37
>>715
だから!

>寺じゃないとこにあるならほぼ豪農系
↑がおかしいって言ってるの!
717日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:51:13
俺阿多瀬って名字なんだがどっからきたんだかサパーリ。印鑑も売ってないし先祖なんてシラネ。
なんだが最近気になりはじめた。判る人おちえて下さい
718日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:54:46
母方は調べるまでもなく百姓。
父方は黄門様の兄、松平頼重公が高松にやって来たときの家臣団の一員。
それ以降は名前から生没年に至るまで旦那寺に保管されてる資料で明らかなのだが、
水戸時代がさっぱり不明だ。
いつか調べてみたいと思いつつ早十数年たつよ。
719日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:00:43
>>716微妙に意味が分からんのだが・・・武士は寺の墓だろ。。。豪農じゃない農民の墓と言う意味か?苗字記入云々だから
除外されてると思うが・・・豪農と言うのも地方によりけりで越後の豪農を思い浮かべるのは間違ってる。田舎の庄屋程度
でも一応豪農だから。。。
720日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:06:56
結論

江戸時代の墓に苗字が入っていても普通のこと。それだけで豪農云々とは言えない
721716:慶長410/04/01(金) 17:10:25
スマソ。漏れもよくわからん。

なんで武士は寺の墓なのかも分からん。

寺じゃない所にあれば豪農っていうのが分からん。

別に寺から離れたところにも武士の墓はあるし
寺の墓にだって豪農の墓はあるだろう?と言いたい。


722716:慶長410/04/01(金) 17:11:19
>>720
かっぶたよ…。そゆこと!
723日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 18:34:58
>>721>>別に寺から離れたところにも武士の墓はあるし
あるの?郷士とかじゃないの?普通の武家は寺の墓だろ・・・。
724日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 18:50:22

うちの近所(八潮市)に立派な旗本の墓が林立しているところがある。
知行地の一角に葬ったものらしい。寺はないよ
725日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:57:17
代々先祖の墓なりご位牌なりを預かって月命日だの法事だのを執り行っている本家を
間近に見ている分家としては、このスレで我が家よりも由緒も伝来も履歴もきらびやかで名門の出
に思える書き込み主が、たかが数代前の生没年や名前を遡れないのが不思議でならない。
家に仏壇、位牌、仏様がない。檀那寺を知らないということは、本家もしくは直系の子孫ではないと
いうことでFAなのだろうか?
726日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:17:59
>725
菩提寺よりも檀那寺の方が意味するところがわからない人が多いはずだ。
檀那寺とわざわざ使用する人は、出自の身分に関係なく
地元に長く住まわれているお家ではなかろうか。

>724
自分の地元では武家ならば、自分の知る限り主君とかお家の宗派に従って
菩提寺or檀那寺か、その関連地に葬られている。
地方の特色があるのかもしれないけど、八潮市の事情までは思い至らないなあ。
当時の常識が現代の非常識になっていたりするから
民俗学的に失われた伝承とか忘れられた常識があるのかもね。
727日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:20:01
本家でない人は山ほどいるだろう。それでも本家と面識のある人は随分いるようだ

直系でなければそもそも先祖とは言えない
728日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:20:56
>>727>>725へのレス
729日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:24:49
>>725
中には昔から代々伝わってきたものを火事や地震で
失くしたり、明治に貧乏してすべてを売ってしまったり
した家も少なくないと思うのだが?

本家より別家が栄えて肩身の狭い思いをしている家も
ある…

たしかに檀那寺を知らないとなると疑わしいがな。
730日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:31:44
>>725
確信をついたかもしれんぞ。
檀那寺?なんて疑問符が浮かぶようでは来歴は疑わしいかもしれない。
731日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:55:51
檀那寺というのが初耳だった
檀家と一対なんだね。勉強になったよ、ありがとう

檀那寺なんてない実家は新屋の分家のそのまた分家
なんだろーな、と思った
農家の三男坊だか四男坊だかが食い扶持にあぶれて
しかたなく商売はじめたのが先祖に違いない!

そんな確信を深めたさ
732日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:14:51
ここを読んでたらどうにも気になって仏壇に置いてある過去帳とやらを見てみた

……達筆すぎて読めないよ

でも、これがきっかけでふだん会話のない父と話をした
やたら古い過去帳を何冊も取り出してきて語り始めた
過去帳てものが、ある程度埋まったら新しく書き直されているなんて全然知らなかったよ
しかも過去帳には水子まで記載されてることを知ってすっごい驚いた
直接の先祖じゃないけど、どっかで血の繋がっている名前もつけられなかった誰かの
記録があるのってすごいな
うまく言えないけど、人生大事に生きようみたいな気がした
733日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:41:45
清和源氏頼清流です。苗字が珍しいので間違いない。
734日本@名無史さん:慶長410,2005/04/02(土) 14:45:44
ここの住人って結構古い家柄っぽいけど
古文書とか古記録って残ってるの?

過去帳や位牌なんかは残っている家が
多いと思うけど。
735日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:34:52
マジレスですが畠山氏の子孫です応仁の乱の後は東北の方に落ちていって伊達がでたあとは武将として仕えまして白川藩にうつされたあとに脱藩して今は東京で会社やってます
736日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:23:52
うちは桔梗紋だけど仏壇に藤紋がかかってた。
これってどういうこと?
737日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:01:54
>>735
ほうほう

http://www.www2.harimaya.com/sengoku/html/h_mutu_k.html
↑ここにある二本松畠山の本宮氏の系統のかたですか?畠山って、能登じゃなくて二本松が本家なんです
よね?二本松の宗家が滅亡したあと、本宮氏系統(仙台藩士)、能登の上条政繁系統の畠山氏(米沢藩高家)、
同じく旗本畠山氏、あと旗本畠山上杉氏、旗本河内畠山氏、などなど、どれが本家とかそういうのはあるんですか?
738661:慶長410年,2005/04/02(土) 19:05:34
>>686ぬぬっ、宿敵出現。拙者のご先祖は宝治合戦の際、小山長村に生け捕りにされた
そうだ(吾妻鏡)。数百年の星霜を経て合間見えるとは・・・。
739日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 20:45:32
漏れは宇多天皇の子孫らしい。宮家復活の折りは頼む>>臣民諸君
740日本@名無史さん:2005/04/03(日) 09:05:32
>>739

軽いツリだと思うが、宇多源氏くらいなら、世間に掃いて捨てるほどいるよ
741日本@名無史さん:2005/04/03(日) 09:44:24
はいそうです、うちの家紋も丸に二本引きです、よくご存じで。うちは曾祖父が白旗という源氏の流れの人と結婚してから、他家とのつながり薄く本家のことなどはわかりません、すみません
742日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:29:41

このスレは>>725さんが喝破した通り、
直近の50〜100年前の先祖も分からぬ分家の分家の又分家みたいな連中が
500年前、1000年前の先祖をうんぬんするスレです
743日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:52:15
>>742
自分の先祖がわかることに意味があるのですよ。

自分の先祖がわからないからって僻まない。

直系以外の人だって古い先祖を偲ぶ権利はあると…
744日本@名無史さん:2005/04/03(日) 17:27:00
三戦のほうでも似たようなスレがあるが
あっちでもほとんど分家や又分家ばっか
たまに嫡流の子孫が登場してたが・・・
逆に叩かれてるしw
まぁ嫡流限定しちゃうと数がかなり少なくなり
スレが機能しない
745日本@名無史さん:2005/04/03(日) 18:48:16

まあそうだな。日本史板を史学科卒以上とか、院卒以上とか、一冊以上著書が
あるやつに限定したら、板が成り立たんわな

分家の分家・・も厨房も工房も受け入れてやらんとなw
746日本@名無史さん:2005/04/03(日) 19:40:10
743がいいことを言った。
747日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:20:15
とりあえず、直系と嫡流の意味の違いもわからないような奴や、
祖先の除籍謄本を調べた事もないような奴の言う事は信憑性が無い。
748日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:32:11
>747
まあまあ、そんなむきにならなくても。
749日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:35:29
で、5代前以上前の先祖もわからん連中が名字や家紋で妄想するわけねw
750日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:36:55
大体、大名ですらインチキ系図の自称源氏が大半なのに、土百姓の子孫が(ry
751日本@名無史さん:2005/04/03(日) 22:43:03
>749
ここは最初からそういうスレなのだが...
752日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:09:01
中世ロマン溢れるスレですね
753日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:10:49
>>749

一億総中流でソコソコ食えるようになると、次は家系自慢だわな
754743:2005/04/03(日) 23:12:00
一応言っておくが俺のうちは直系で
代々400年以上この土地で暮らしてる。

除籍謄本もとったし墓や村の古文書も
調べた。

確かに苗字や家紋で先祖が誰だとか言うのは
違うと思うが…

別家の別家や母方の先祖でも御先祖様には変わりない。


ただ本家や母方の家に迷惑をかけるような
発言や言動をとる奴は厨だと思うが…

755日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:15:54
家系自慢は、金じゃ買えない
自分ととこのお寺とそのお墓のポジションで、ご先祖様が何様かわかるが
すくなくとも江戸時代のはね
うちは氏族であるのは間違いないよ

お寺を教えられないのは、まあ後ろめたい家系だろう
756日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:22:53
>>743>>754
「直系」って言うのは、自分と直接血のつながりのある人のことを言うんだよ。
父の父の父は勿論、母の母の母とか母の父の母とかも直系だし・・・。
あなたが言いたいのは、「直系」ではなくて「嫡流」ではないかい?

なんか、このスレ、「直系」と「嫡流」を混同している人が多いよね?
757日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:32:29
>>756
役場で除籍謄本を取得する時
「直系先祖の戸籍はすぐに出せますが
母方の先祖の戸籍はその家の認め状が
なければダメ」って言われたから
『直系』=『嫡流』かと思ってた…orz

758日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:44:40
>>757
それ、その役場の人が直系の意味を間違って思い込んでる。
大学が法学部とかで民法の家族法をかじっている人とかなら、「直系」の定義と言うのはすぐわかると思うんだけど・・・。
戸籍法でも除籍謄本の請求権者には配偶者、直系尊属(父母、祖父母等)、直系卑属(子、孫等)、と書かれていて、
通常は母方の祖先でも直接血の繋がりがあれば(つまり直系なら)簡単に取れるよ。
祖母の妹とか、父の弟とかは直接血の繋がりが無い(つまり直系じゃない)から無理だけどね。
759日本@名無史さん:2005/04/04(月) 13:36:06
>>749さん、ちょっと修正させてもらうよ

誤:で、5代前以上前の先祖もわからん連中が名字や家紋で妄想するわけねw

正:で、5代以内の近い先祖もわからん連中が名字や家紋で妄想するわけねw
760日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:55:18
明治以降に分家した時に家紋を変えるなんてありえることなんでしょうか?
761日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:27:19
>>760
好みの問題じゃない?
俺なんて、分家しなくても家紋を変えたいと考えているし。
762日本@名無史さん:2005/04/06(水) 01:45:48
うちの先祖はトラだ
763日本@名無史さん:2005/04/06(水) 02:14:22
祖母は米問屋のこくやで、今ではもうすぐ100歳になるような
ばあさんの子供のころ、女中や下男が200人たくさんいた
こくやであまりにも金持ちなので周りから、御大名様と呼ばれていた
過去帖も家系図も残っている
調べるのはすぐにできる
764日本@名無史さん:2005/04/06(水) 02:20:42
俺は横瀬家
765日本@名無史さん:2005/04/06(水) 03:33:44
母方は藩お抱えの塩専売の大商人で大地主、戦後没落。
父方は士族で芸道の家の人。

いまだに芸の仕事が専門です。
766日本@名無史さん:2005/04/06(水) 06:33:25
江戸時代に苗字を許されたのは10%未満
767日本@名無史さん:2005/04/06(水) 11:19:03
>>766
この書き方は凄く誤解されそう。

江戸時代はほとんどの家が苗字を
持っていたけど公の場で使う事を許されて
いたのが10%未満。

刀も同じで持っている家はたくさんあったけど
帯刀が許された人がわずかだった。
768日本@名無史さん:2005/04/06(水) 14:17:36
>>767その理論も最近ではちょっとと言う感じですね。過去をユートピア化する考えです。ほとんどの農民は刀など高価なものは
持ってなく苗字などもないでしょう。地主は当然持っていたと思いますが・・・昔は僅かな金持ちと究極に貧乏な大多数の農民です。
769日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:01:59
>>768
貧乏は関係ない。苗字に金はかからない。
770日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:31:02
>>768
そうかな〜?
漏れの家の周りの家はほとんどの家で
江戸時代から苗字持ってたよ。
771日本@名無史さん:2005/04/06(水) 16:17:20
>>770天領など割と豊かな地域ではそういうことはあったようですが・・・墓の場合は後々直した可能性も否定できない。
772日本@名無史さん:2005/04/06(水) 16:25:09
あほか。可能性いったらなんでもありだろうが。
773日本@名無史さん:2005/04/06(水) 17:02:06
>>772まあ、そうなんだけど金が出来ると家と墓直すってのが定石みたいなもんなんでね。ただ農民の大多数が苗字を
持ってたというのがちょっとね!必要性がないでしょ。岐阜や長野や越後みたいに地侍がたくさんいたところなら分かるが・・・
戦国期もただ田圃たがやしてた農民が苗字を持ってるとは考えにくい。
774日本@名無史さん:2005/04/06(水) 17:46:13
>>773
苗字の存在意義をよく考えてみて。
苗字がいらないのはむしろ土地・財産を持たない武士(サラリーマン)。
屋号なしには共同作業・利益調節の農耕社会が成立しない。
775日本@名無史さん:2005/04/06(水) 17:55:17
アカは貧農史観を反省するように
776日本@名無史さん:2005/04/06(水) 18:10:10
貧農史観の誤りについて言うと農民の窮乏は江戸時代ではなく
年貢の金納化を進めた明治の地租改正が大きい。

津軽三味線の故初代高橋竹山が語り下ろした自伝に
竹山が生まれた村の大地主「山一」が昭和初期に没落した話が出てくる。
村民共有の入会地を地租改正の際に便宜上「山一」の所有地として
登記していたことを示す証拠が出てきたのだ。

この場合はまだ在村地主だからいい方だが、金に困って借金の担保に
豪商に土地を取られた例が多く、不在地主による土地の支配が進んだ。
777日本@名無史さん:2005/04/06(水) 19:48:22

おれの村なんざ、ふつうの百姓が俳諧もやれば算学までやってるぜ!
貧農史観くそ食らえ!
778日本@名無史さん:2005/04/06(水) 20:11:11
俺も貧民史観糞食らえ派だが・・・ちょっと行き過ぎ。。。戦前や戦後すぐの農村の映像なんか結構残ってるでしょ。あれ見れば
農村がどれだけ貧乏だったか分かるでしょ。
779日本@名無史さん:2005/04/06(水) 21:00:42
だから貧乏と苗字は関係ないっての。
780日本@名無史さん:2005/04/06(水) 21:18:14
>>779 貧乏云々というよりある一定以上の教養ね。教養と金持ちはある程度比例してるっしょ。
ttp://aries.hp.infoseek.co.jp/myouji/kiso/edo.htm
貧乏な水呑み百姓が「おらのうちの苗字はOOだ」なんて信じられん。零細な地主程度なら分かるが・・・
よく地方での行事においての苗字での割り振りなど見るが・・・一応百姓様(自作農)だろ?
 まあ、山梨の方では流れ者が土着した家と古くからの家を区別するために苗字が使われたなんて話が
あるが、例外的なことだと思うよ。
781日本@名無史さん:2005/04/06(水) 21:40:47
>>780
「水呑百姓=貧乏」って決めつけ自体がすでに貧農史観まるだしなわけだが。
782日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:09:04
記録が残ってるとこ=豊かな地域なわけだが
783日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:24:17
>>781例外は例外。水呑百姓=貧乏は一般論だと思う。
784日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:24:59
水呑みってのは自分の田を持ってないってことで=貧乏ではない。
実質が農村在住の商人で富裕な例も多かった。
785日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:28:46
昔風な江戸暗黒史観にこりかたまってるアホが一匹
このスレに紛れこんでいちいちうるさいツッコミ入れてる。
786日本@名無史さん:2005/04/07(木) 02:56:15
町工場とかの経営者が倒産とかよく聞くけど、農家が破産とかあんまり聞かない。



そういう意味でちょっと農家は強みだな。
787日本@名無史さん:2005/04/07(木) 05:54:49
>>786
つ北の国から 98 時代
788日本@名無史さん:2005/04/07(木) 08:00:57
>>786それは国によって手厚く保護されてるから。
>>785暗黒史観の反動で庶民は豊かで文化的だったなんて話になってきてるが、それは行き過ぎってもん。
789日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:28:16
>>788
あんたのは「行き過ぎ」と称して暗黒史観を蒸し返してるだけだ。
790日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:30:33
>>778
今の生活感で歴史を見るなよ…

江戸時代って言っても250余年もあるんだから
一区切りにはできないだろ。

文化年間以降から幕末なんて農村にも貨幣経済の
影響が入って豊かになって多くの家が墓立てられた。

逆に寛政より前なんかは普通の百姓じゃ墓立てられなかったし。
791日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:34:24
>>788
>それは国によって手厚く保護されてるから

国なんて百姓には何もしてくれない。
専業農家はなくなるし高齢化で農業の
担い手が引退して田畑は荒れるし…

今百姓で暮らす事なんてよっぽどの
土地と経営力がなきゃ無理!
792日本@名無史さん:2005/04/07(木) 17:01:53
>>790地方差が激しくてね・・確かに江戸などの郊外などではそういうことはあったようだけれども、基本的に封建制というのは
あらゆる身分の中に異常なほどの差があり秩序付けられていたので一農民が簡単に商売始めたりなんて出来ない世界なんです。
(長崎・大坂・江戸などは一からのし上がることは出来たようですが)城下町なんて酷いもので戦国期の土豪層でなければ
まともな店が建てられないなんてとこもあるぐらいで・・・ですから名も無いようなところから出世して豪農豪商になったなんて
数世代をかけて金をばら撒いてと今では想像も出来ない金と労力がかかっている。今ではチンプにみえる昔の農家の建物なんて
どれほどの苦労があったか・・・想像するだけで涙が出てくる。まあ、金が有れば武士にもなれる側面はあるのですが・・・
793日本@名無史さん:2005/04/07(木) 17:13:58
室町時代に高位の大名が統治していた地域=放置されてた地域
放置されてた地域=農民が自立していた地域
794日本@名無史さん:2005/04/08(金) 16:07:51
僕の家は黒田藩に仕えた武士の末裔と聞いています。家系図も家紋もあるので
すが、家紋が何ていうかわかりません。輪のなかに矢が二本交差している形で
す。芸州浅野家のものに似ています。どなたかなんていうか教えてください。
795日本@名無史さん:2005/04/09(土) 21:23:16
江戸時代の百姓の苗字について
ttp://www11.plala.or.jp/samma116/7/139.html

796日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:05:25
家系図は残っている、代代農家だ
つまり、偽家計図を作っていたのではない
797日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:55:54
>794 「違い鷹の羽」じゃないかな。同じ「違い鷹の羽」でも家々によって
バリエーションたくさんあるよ。ネット上でも調べてごらんなされ。
黒田武士殿。
798日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:52:24
鹿児島県民です。
鹿児島は全国的に士族が多いようですが何パーセントくらいでしょうか?
詳しい人教えて。
799日本@名無史さん:2005/04/15(金) 21:17:00
797さん、他のスレでは違い矢という風に聞くのですが・・・
800日本@名無史さん:2005/04/15(金) 22:59:04
家紋て、家系図並に箔をつけるためのいんちき多そうな気がする
801日本@名無史さん:2005/04/15(金) 23:44:14
>>798 三から四割ぐらいじゃなかったけ?
802日本@名無史さん:2005/04/15(金) 23:44:44
>>800インチキじゃなくてデザイン重視でしょ。
803日本@名無史さん:2005/04/17(日) 02:13:39
先祖:しがない村役人だった。orz
804日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:01:42
先祖:白虎隊の生き残り
805日本@名無史さん:2005/05/01(日) 01:18:02
実家の家計図によれば、清和源氏 → 足利の末裔らしい。
デッチ上げだろうが親父は固く信じてる。
江戸時代は百姓、俺の五代前の先祖がそこから分家して結構な商人だったがそれ以降がろくでなしばかりであっけなく没落、今は普通の小市民。
806日本@名無史さん:2005/05/12(木) 00:13:44
>805
俺はその話信じるぞ
807日本@名無史さん:2005/05/12(木) 02:07:33
>>804
知り合いだ…多分。
808日本@名無史さん:2005/05/12(木) 03:32:38
天皇家(神代)→上方の神官→地方神社の神主→
分家して地方神社の末社の神主→
分家して別の末社の管理(神主?)やりつつ米&酒屋(江戸〜明治)
→戦時の不況で落ちぶれ現在小視民
809日本@名無史さん:2005/05/12(木) 03:53:05
縄文人だろう
810日本@名無史さん:2005/05/14(土) 15:25:58
ここで自慢したら終わりかな、と思っている。。。
811日本@名無史さん:2005/05/27(金) 11:49:36
自慢していいよ。
実社会で自慢するよりよほどいい。
812日本@名無史さん:2005/05/28(土) 11:51:48
高氏の庶流大高氏
足利氏−岩城氏−佐竹氏に仕え慶長七年から百姓〜現在
813日本@名無史さん:2005/05/28(土) 22:56:41
家が古いとか先祖が立派だとか実社会で
言ったらただの嫌な香具師だもんな…
814日本@名無史さん:2005/05/29(日) 08:29:55
内の先祖は警察官だったらしい。なんでも西郷隆盛の軍勢と戦ってるとか。
815日本@名無史さん:2005/06/06(月) 15:47:59
>>814 うちは逆で、ひぃじいちゃんは西南戦争で西郷さんに従軍した人だよ。オヤジに言わせるとやっぱ先祖は士族らしい。「士族」って言われても、オレにはよくわかんないです。武士とか農民とか○○屋とかなら、分かりやすいんですけど。
816日本@名無史さん:2005/06/06(月) 17:15:54
江戸時代は庄屋だったが大正時代に放火され落ちぶれる
いつか放火した奴の子孫を見つけて放ry
817日本@名無史さん:2005/06/06(月) 17:37:00
新潟の百姓→福島。
あぁ平凡さ 。
818日本@名無史さん:2005/06/06(月) 17:39:13
>>816
>いつか放火した奴の子孫を見つけて放ry
放屁するのか?
819日本@名無史さん:2005/06/06(月) 19:01:55
>>815

薩摩は士族の非常に多い土地で、他領でいえば百姓みたいなもんです。
じゃあ薩摩の百姓は?というと、農奴です
820日本@名無史さん:2005/06/06(月) 20:11:07
昔聞いた話だが、俺の爺ちゃん曰く、俺の先祖は、
伊達家に使える“伊東家”…とやらの血筋らしい。
幕末に今の家に養子入りし、何故かその後旧幕府側か新政府軍側かどっちか知らんが戦いに参戦し、
北海道に渡って(落ちのびて?)屯田兵になったあと、親父の代で関西に移住、現在に至る。

821日本@名無史さん:2005/06/07(火) 05:56:09
母方の実家は日本海沿岸なのですが、
やっぱ遥かかなたまでさかのぼると
渡来人が先祖にいたのでしょうか。
実家近くの遺跡で発掘される土器と
半島で発掘される土器はそっくりだそうです。
822日本@名無史さん:2005/06/07(火) 06:26:50
かなたまで遡ったら全員渡来人だろw
だいたいその家は古代からずっとそこにいるのか?
823日本@名無史さん:2005/06/07(火) 07:18:19

>>814鎮台兵じゃないの?
824日本@名無史さん:2005/06/07(火) 18:31:14
>>820
そりゃ明らかに幕府軍だよ。
825日本@名無史さん:2005/06/09(木) 05:45:38
伊藤一刀斎。
誰も信じてくんないけど (俺も信じてないけど)
826日本@名無史さん:2005/06/09(木) 06:36:25
>>825伝承?証拠らしいものはありますか?
827日本@名無史さん:2005/06/09(木) 06:43:38
マジレスすると、両親ともども先祖が山川の用語集くらいには載ってます。
だけどオレはニートです。ええ。
828日本@名無史さん:2005/06/09(木) 07:51:59
父方・・なんかの本に出てたんだよな。伊能忠敬以前の糞地図を作った人

母方・・松前藩の家臣
829日本@名無しさん:2005/06/10(金) 00:11:16
うちのご先祖は、もとは大聖寺(現 石川県)の侍だったらしいが、
何の訳あってか350年ほど前に新潟くんだりまで来て、一帯の泥田んぼを干拓した(不敬ながらも、左遷かも・・)
それ以来、うちはその辺の庄屋だか名主をやっていた
新発田の殿さんとはそれなりにいい関係だったらしく、帯刀なんぞ許されていたらしい
実家はまだそこにあって、小さいながらも当時をしのばせる米蔵なんぞ2つばかり残っていたりする
いまではすっかり物置だが・・・

時代が下って幕末の頃、ひい爺さんは官軍について鉄砲隊をあずかっていたとか
そのせいか、俺もライフル射撃で(一応は)選手なんぞやっている




830日本@名無史さん:2005/06/11(土) 04:12:05
父方の先祖は清和源氏、母方は370年前までさかのぼれるのが、俺の自慢の一つさ
831日本@名無史さん:2005/06/12(日) 21:56:24
>>826
母方なんだが、福井の実家に、結構でかい墓?(石碑?)があるらしい。
嘘くさいよな。
832日本@名無史さん:2005/06/14(火) 07:37:20
>831
きっと立派なご先祖様がいらっしゃると思うよ。
家系図とか過去帳とか調べる価値あるんじゃない?
833日本@名無史さん:2005/06/14(火) 21:36:24
うちの母方は(西日本にありがちな)平家の落ち武者だとか
一族と家来を引き連れて落ち延びる途中で適当な山の山頂付近に集落を作って定着したとか(家来はふもとのあたり←警護のため?)
江戸時代の書物にも言及されてるとか
で、金の杯だとか脇差だとか太刀だとか鍔だとかもごろごろあったとか

オカルトチックな話では、甲冑やら刀やら(あるいはご先祖の亡骸)を埋めて、その上にでかい石を載せて封印したとかで、
動かそうとすると酷い腹痛を起こすとかで動かせなくて、ずっと畑のど真ん中に置きっぱなしになってたそうで
834日本@名無史さん:2005/06/16(木) 14:10:26
父方は500年続く旧家の割に、関ケ原以前の身分がはっきり分からない。
母方は偽系図が多いとされる桓武平氏の末裔。
胡散臭い…。(´・ω・`)
835814:2005/06/16(木) 18:54:39
>>823
兵隊だったのかな…。子供の頃聞いた話だからなぁ。
836日本@名無史さん:2005/06/16(木) 19:00:24
>>835
>>823は警視庁抜刀隊と言うのを知らないらしい。
「警視庁抜刀隊」でググってみ。
会津藩家老だった佐川勘兵衛とか、新撰組の斉藤一(この時点での名前は藤田五郎)とかが従軍しているから。
837日本@名無史さん:2005/06/16(木) 19:01:51
あっ、佐川勘兵衛じゃなくて佐川官兵衛
838日本@名無史さん:2005/06/16(木) 20:25:55
家の家系図の最も最初に位置する祖先は鎮西八郎為朝です。
家族全員がでっちあげだと信じています。
ほぼ確実であると言える最も最初の人物は
後醍醐天皇の側近の方が書かれた記録や
熱田神宮、伊勢神宮の宮司さんが書かれた記録書にのこっている
尾張地方の小豪族です。
839日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:56:13
ミンナすごいね(´・ω・`)イイナ〜。
840日本@名無史さん:2005/06/17(金) 14:28:43
>>812
高氏の庶流大高氏
足利氏−岩城氏−佐竹氏に仕え慶長七年から百姓〜現在
ということは大高重之から数えて十二代位かな?
うちも高氏の庶流大高氏
足利氏−江戸氏−佐竹氏に仕え慶長七年から百姓〜現在
本家は秋田へ行ったらしい
俺から六代前まで重の字のイミナを使っていたよ
841日本@名無史さん:2005/06/17(金) 14:41:08
>>812
家紋を教えてください
当方は(右重違鷹羽)
842日本@名無史さん:2005/06/17(金) 16:52:38
ちょっと質問があります。母の話によると、昔、母の祖父か祖母がパスポートの為に戸籍謄本を取った所、
「何とか法何条により日本国籍を取得云々・・・」と書いてあったらしいです。
これはもしかして外国(大体絞られますが)から渡って来たという事なんでしょうか?
マジレス下さい。
843日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:04:54
>>842
そうじゃないの?
手っ取り早いのは、その戸籍を取得してみればいい。
直系の子孫なら簡単に取れるから。
844日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:23:11
 おおやねのみこと、という神様が、私のうちのご先祖様です、藩に提出した
系図に書いてあります、この系図は、侍帳と呼ばれる、弊藩の職員録と一緒に
城跡の資料館に展示されています。
845日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:27:39
俺の家は守護代。
関が原で西軍につきました。
もったいです。
846日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:53:54
あっしはどうやら
太田神社(相馬野馬追の神社)
の神主の家計らしいんすが。

ご先祖様が
中村藩の寺社奉行もやっていたらしい。
んなことあるんかいな?
847日本@名無史さん:2005/06/17(金) 18:33:19
俺んとこ、爺ちゃんの代で改名したらしい。
戦時中は軍属の林業やってたから、帰化人じゃないと思うけど・・・・・・こういうのって調べられるんですかね?
848日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:42:20
尊卑分脈によると、、源氏となっているが、、
まぁ信濃は広いしたまたま同じ名字の別の家なんだろうな
849日本@名無史さん:2005/06/18(土) 07:13:10
>839
それは、あなたのご先祖様に失礼よん。
850UKBHQ:2005/06/18(土) 08:33:01
オレの先祖は関ケ原の戦いの中にいたそこいらのキリギリス!
851日本@名無史さん:2005/06/18(土) 10:11:17
>849
おっ!そーですね!
ゴメンナチャイ!(`・ω・´ゞ
852日本@名無史さん:2005/06/18(土) 22:33:43
>>847
爺ちゃんの代なら戸籍取って調べられるんじゃないの?
改名って改姓のことですか?
それなら確実に載ってるはず。
853日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:44:45
私の父方の祖父(故人)の母親(私の曾祖母)の女系先祖、女系子孫が長命の系統みたいだ。

そのまた母親(私の高祖母)は戦前なのに九十歳以上まで生きた
曾祖母は九十五を超えて亡くなった。
曾祖母の娘たち(私の祖父の妹)も皆元気で、既に九十を超えた人もいる

女系ってミトコンドリアDNAとかとの兼ね合いで寿命との相関関係が強いのかな?
どうせ私の寿命には関係ないけどね
854日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:39:10
清和天皇と貞純親王
855日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:47:06
小学校のとき大川図書の子孫って紹介されてる人が居た
偉いの?ちなみにそいつすげー頭良かった
856日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:36:12
>>855

ローカルな話題だな。大川図書は草加宿の開発者だ
857日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:11:07
父方は平宗清、母方は平貞時の平家一家
858日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:24:05
>>857
二つの意味で聞かせてもらう









何歳?
859日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:35:06
先祖は星の数ほど居りますが、なにか?
860日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:05:39

人類みな兄弟
861日本@名無史さん:2005/06/20(月) 00:07:04
うちの先祖は荒物やら金貸しをやってた豪商で、
隅田川の花火大会で橋が崩壊する事故が起きた際、
私財を使って救済したとかで
明治時代の修身教科書に名前が載ってたんだそうな……
862日本@名無史さん:2005/06/20(月) 00:12:18
父方は清和天皇、母方は平将門
863日本@名無史さん:2005/06/20(月) 00:16:00
>>860
人類皆‘穴’兄弟
864日本@名無史さん:2005/06/20(月) 21:13:51
明治に入ってから二人も養子が入って三代続けて相続争いが起きたオレの家 orz
865日本@名無史さん:2005/06/21(火) 05:09:24
争うほどの財産が有るってわけね。
866日本@名無史さん:2005/06/21(火) 05:42:36
本所達磨横丁の近くの住人。
867日本@名無史さん:2005/06/23(木) 16:58:50
俺、渡邊ってだけで豆まきやんなかったからすげ〜やだった・・・・
868日本@名無史さん:2005/06/24(金) 04:37:32
>867
г(´〜`)?何や意味分からんがな。
869日本@名無史さん:2005/06/24(金) 05:09:25
父方はたぶん(顔からして)ポリネシア系の土着縄文人。
母方は奥州藤原氏の分家らすぃ。那須与一の子孫だっていう話もある。
藤原氏のほうは本家とか見るに結構信憑性があるんだが那須与一ってどうなんだ…
870日本@名無史さん:2005/06/24(金) 06:26:30
父親はメディチ家の末裔。母親は鷹司家の末裔。
871867:2005/06/24(金) 13:18:11
872日本@名無史さん:2005/06/24(金) 14:28:24
>871
ほっほぉ〜、いい勉強になりました。ありがとう。
873日本@名無史さん:2005/06/24(金) 15:37:21
>871
面白い話だね。
でも、それなら寧ろ「鬼は外」やった方がいいんでないの?
874867:2005/06/24(金) 17:46:19
>>873
俺もそう思って母ちゃんに抗議したけど、怨まれてるから居場所がわかっちゃいけないだとか言ってた、親戚の家(本家かな、うちは分家)も節分やってなかった。
多分うちの両親も代々伝わってるだけで、根拠は知らんと思う・・・・
俺もググッた限りでは何故やらなくなったのかわからんかったが、うちの地域では
渡辺=節分やらない  がデフォルト
875867:2005/06/24(金) 18:08:30
連続レスすみません。
最後間違い、うちの地域は何故か渡邊姓すくなかったからデフォとはいいずらいかなあ、小学の同級生にも一人しか渡邊いなかったけど、そいつの家は普通にやってた。
876日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:45:49
居場所がわかっちゃうか…なるほど〜。w
でも、それを代々伝えていらっしゃるなんて、素敵だと思ふ。
これからも、伝承してください。
877日本@名無史さん:2005/06/25(土) 01:07:20
信長の野望やってたらね、何度も自分の先祖に裏切られたよ
878日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:15:25
>>877
うっはぁ
確かに考えたらしっかりした家柄だと先祖がゲームに出てきたりするんだね
農民の子孫の俺は今の今まで考えたこともなかったわ
879日本@名無史さん:2005/06/25(土) 08:22:24
パワーアップキットで自分の先祖つくれるじゃん。
880日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:15:08
>>850
ご先祖が戦を生き抜いてきたからこそ、君がいる。
あまり卑下するものではない。
881日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:51:06
>>878
先祖そのものはともかく、先祖の主君とかは結構出てくるんじゃない?
漏れの先祖が仕えてた人も、信長の野望に出てた
能力低くて駄目駄目だったが……w
882日本@名無史さん:2005/06/26(日) 16:19:33
過去帳、見せてもらえなかった…orz
883日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:49:14
我が家は平家の落人って伝承がある。
むろん、平家方についた下っ端の武士ですが。
884日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:59:38
父方はきこり百姓だな
885日本@名無史さん:2005/06/27(月) 08:20:41
>883
平家に付き従った下級武士って、どのような出自の方
々なのですか?
私は西日本に住んでいて、その平家の落人のご子孫を
何人か知っているのですが、その方々も武士以前をは
っきりご存じないようです。
886日本@名無史さん:2005/06/27(月) 09:29:49
>>885

質問の主旨が不明ですが、平家方の下級武士というのは
「平家の催促に応じた武士」としか定義のしようがないのですが・・
・・強いて言えば「源氏に乗り換えることのできなかった武士」

落人伝説はあくまで「伝説」です。百科事典でも引いてください
887日本@名無史さん:2005/06/27(月) 13:01:15
>886
失礼しました。自分で調べます。
888日本@名無史さん:2005/06/27(月) 13:02:22
神武天皇の子孫は現在 どれくらいいるかな? 数千、数万・・・
889日本@名無史さん:2005/06/27(月) 13:16:05
>>888

ありきたりだが、実在がはっきりしない人間については論じられない。
徳川家康の子孫の総数なら調べている(ひまな)人もいるかもしれんがw
890日本@名無史さん:2005/06/27(月) 14:17:17
阿蘇氏は神武天皇の子孫だとされてるけど、子孫はどれくらいいるのだろう?
891日本@名無史さん:2005/06/27(月) 14:52:47
>>890
???
阿蘇氏は天皇家より古いとされている家系じゃなかったっけ?
892日本@名無史さん:2005/06/27(月) 14:55:34
そうだった?阿蘇氏の大系図は神武天皇からはじまってるよ。
阿蘇氏の祖はいったい何者?
893日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:01:11
当家は戦後に臣籍降下してしまったので、
今は皆さんと等しく「平民さん」です。
先祖は系譜からも明らかである、と信じて居ます。
894日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:07:41
>>893
893さんは阿蘇一族かな?そうなら聞きたいことがあるんだけど。
北坂梨、高木、高森氏などは阿蘇一族ですか?家系図にこれらの氏は
のっていないけど
895日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:11:59
>>893

御立派な態度です。
世が世なれば、などというのは
去年食ったフルコースは旨かった、
というたぐいの痴人の夢ですから
896日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:17:13
名乗るだけは自由だからな。 父方のばあさんは千年も前の先祖自慢してたわ。
とっくに落ちぶれて、父方の親戚たいした大学に逝っていないのによ。

母方は江戸自体はでは藩医の子孫と家老の子孫だったんで、
ヤパーリ優秀。有名大卒ゴロゴロいたもの。

餓鬼の頃、ばあさんの母方の一族に嫉妬してまああること無い事。。
折れにしてみれば、両方血の繋がった親戚なんだよ。

897日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:23:44
百姓。
898日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:27:57
日本人の9割方は百姓の子孫なのは当然。
899日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:28:20
先祖は島津家につかえていましたな。武家ですな。
西郷さんの下で活躍した親戚もいるが
これを言うと身元が割れるのでアウト

西南戦争では両方の親戚から死亡者が出ている。
900日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:44:16
武家武家って島'zは外様じゃん。
901日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:45:21
>>900
外様だけど、だから何?
902日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:50:52
土人
903日本@名無史さん:2005/06/27(月) 15:51:50
>>902
言ってろ
904894:2005/06/27(月) 16:04:48
島津義久 かなり強い武将。高森氏を破って 肥後を平定
905日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:59:07
>>894
臣籍降下したのは旧皇族に限るぞよ。
906日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:28:30
漏れの知人に北畠氏の末裔がいる。
あと、明智光秀の末裔もいる。。。
907日本@名無史さん:2005/06/27(月) 23:14:35
母方の先祖が里見家の家臣。
つーか、それ聞くまで里見家なんて本当はいないのかと思ってた。
908日本@名無史さん:2005/06/28(火) 01:34:15
>>906
浪岡系統の有馬?
まさか明治維新直後のニセ北畠じゃないよな?
909日本@名無史さん:2005/06/28(火) 02:48:05
>>903
土人乙
910日本@名無史さん:2005/06/28(火) 09:07:46
>>906

おれの知り合いにも、K山という苗字で「丹波K山城」に由来するという
自称明智がいたな。一生やってろという感じでしたねww
911日本@名無史さん:2005/06/28(火) 15:24:39
小笠原長時
912日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:53:12
山田 言作
913日本@名無史さん:2005/06/30(木) 12:45:02
知り合いに蜂須賀姓がいる
914日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:09:54
知り合いの話でいいの?

なら、うちの近所には清水宗治と尼子勝久と畠山重忠のご子孫がいるぞ。
半径100m以内だ。
915日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:30:58
素晴らしい!
916日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:46:10
>914
遺恨がなくてよかったな。
917日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:57:04
素晴らしいよね。
どのご子孫もやさしそうな方々だよ。
918 :2005/06/30(木) 20:21:12
先祖はアフリカ人それからイラン人になって中国人になって
半島を素通りして日本に来たのが1万年前。
と、おかあちゃんが言っていた。家紋の入ったポットもある。(象印)

子供のころ歩いて5分のところに貝塚がむきだしにあった
「あれ保存しなくていいのかな〜っ」って小学校の担任が言っていたが
報知したらしく今は影もない。
919日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:11:11
俺の先祖卑弥呼らしいっておじいちゃんがずっと言ってた
でもあのころの人口からすると無きにしも非ずかなー
920日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:45:33
そだね、十分ありえるね。
921日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:57:16
京都から会津に行った物好きな公家なんているのかしら。
まぁそこで土着して会津でなんか経理っぽい仕事を代々やってて
会津戦争でこっぴどく負けたあと新撰組にくっついて北海道へ行き
村長みたいなのを数代やったあと会津に帰還。

名家が多そうだから聞くけど菩提寺の墓ってみんな馬鹿でかいの?
敷地が10m*10mくらいで暮石の高さ地上3mくらいあって(測ったわけじゃないが)
周りにある一族の墓だけで20以上。掃除がメンドクサスwwwwww
922日本@名無史さん:2005/07/02(土) 19:45:01
>>921
うちの先祖は少しは名のある戦国武将だと言われてる。
お寺とは関係ないところに一族11軒で管理してる墓があって
広さは50〜60坪くらいで墓石はさほどでかくないけど170基前後が並んでる。
古いものでは元和年間のものからあって現代まで400年分くらい。
923日本@名無史さん:2005/07/02(土) 19:56:24
>>922
170基か・・・すげー規模ですな。

うちはその馬鹿でかい墓に本家の人間全部ぶち込む感じ。
線香供える奴(←なんというかわからん)外して
石ふた開けると地下に部屋みたいなのがあるじゃない?
その部屋に骨壷が並んでるwwwww
狭くなってきたら、古い骨壷は遠慮なくひっくり返してその部屋に撒く。

踏み入れるとジャリジャリ言うから不思議に思ってたら
「その砂は元骨だからなw」みたいなこと言われてブルった。
924日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:50:38
>922
50〜60坪に170基も建てられるの?
もしかして、すごく過密ですか?
925日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:07:02
うちは840年分の墓ほったらかしだよ。
戦後墓守を置かなくなって、20年くらい前叔父が見に行ったら
成長した木の根なんかでかなりの墓石がひっくり返ってたそうだ。

たぶん先祖に呪われてると思う。
926922:2005/07/02(土) 22:12:09
>>924
結構過密。
でもまだスペースが残ってるから歩いたりは普通にできる。
読むのは大変かな…
927日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:36:34
>926
やはりそうですか。
お掃除たいへんですよね。
うちは50基ほどですが、それでもお掃除しんどいですよ。

928日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:39:11
>923
私の勝手なイメージですが、沖縄のお墓がそんなカンジかしら?
929日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:50:00
お墓スレ…?
930日本@名無史さん:2005/07/03(日) 09:15:48
先祖って、、いつの時代の人のこというんだ?
列島に100万人居なかった時代なら
おまいらのほとんどが同じ先祖なんじゃねw
931日本@名無史さん:2005/07/03(日) 10:48:49
家系図の一番最初の人を言うてるのと違うの?
932日本@名無史さん:2005/07/03(日) 12:38:40
まあその最初の人物も父と母がいるからなあ
933日本@名無史さん:2005/07/03(日) 12:41:46
そりゃ分かってるよ。
涌いて出てきたわけじゃあるまいし。w
934日本@名無史さん:2005/07/03(日) 17:45:26
>>930
女   A
└┬┘
┌┴┐
次  長  女
   └┬┘
   ┌┴┐
   次  長  女
      └┬┘
         ・
         ・
         ・
         ・
        父  母
        └┬┘
        ┌┴┐
        長  次
        男  女
        ↑

こうしてさかのぼっていった時のAのことじゃないの?
俺は↑の位置でAは1300年初め頃の尾張北東部の小さな地主みたいの。
(厳密に言うと後醍醐天皇の荘園管理者)
935日本@名無史さん:2005/07/03(日) 17:57:58
それって簡単に「男系祖先」といえばそれだけで分かるんだけど・・・
それともAは次男以降(分家した初代)ということか?そしたら>>931-933とおそらく同じことだと思うが
936日本@名無史さん:2005/07/03(日) 18:10:12
>>935
そう、それそれ。分家した初代ってこと。
937日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:25:58
なんかさ〜、
うちの母方の家が武田って苗字で家紋も同じで、
武田家の先祖だ、見たいな事が代々言われてるようなんだけど
そんなわけないよな?証拠もないし、住んでるとこ宮城だし。
938日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:38:41
家紋てさ、昔は紋を入れるのは限られてたんじゃないの?
で、江戸時代とかにブァーッといっぱいつくられたんじゃなかったっけ。
939日本@名無史さん:2005/07/03(日) 23:45:46
家に代々伝わる家宝とか墓、家系図とかあれば信じるが。。。。
940日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:02:16
戒名とかはどーかなー?
941日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:51:57
ttp://www.kct.ne.jp/~kshimizu/nouso.htm
うちにはこれとほぼ同じ家計図があるけど
この人は偉かったの?


942日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:12:41
うちの先祖はこの板にスレが立ってる。
943日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:29:07
母方のばあさんは平氏とか言ってたけど漏れは信じてない。
父方のじいさんは大阪駅前に土地持ってたから豪農っていうのは信じたけど。
縁起のいい名字だから田堵だっていうのも多分ガチ。
家訓みたいのがあるんだけど結構受ける。「貸すな借りるな人は信用するな遊ぶな働け分かったか」みたいなの。
結局その土地に終戦後在チョンが住み着いたんでじいさんが叩きだしてビル建てたよ。
いまでは産業再生機構のお世話になってるけどね。
944日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:38:22
うちのじいちゃんはうちは藤原の出で、争いに負けて南に逃れ藤原の藤を取って
原にしたとか言ってた。そんな事あるの?藤の字って藤原氏ならとっても大事な一字のような気がするけど。
ちなみにじいちゃん家は淡路島にある。藤原氏だとしたら南家北家どっちだろう・・・。
945日本@名無史さん:2005/07/04(月) 18:10:52
>藤原氏だとしたら南家北家どっちだろう・・・。

pugya〜〜
946日本@名無史さん:2005/07/05(火) 09:52:26
いや、九条だ一条だその他の家の言葉は無く、ただ北だとか南が・・・ぐらいの言葉しかなかったからつい。
ごめんごめん、別に意味無く軽い気持で書いただけ。
947日本@名無史さん:2005/07/05(火) 11:54:43
日本人の8割くらいは明治維新まで農工商(とくに農)じゃないの?苗字はそれから
適当につけられたと聞いているが。大量の人が住んでいる地名にしたり、有名な家の名を
パクッたりしたんじゃないの
948日本@名無史さん:2005/07/05(火) 19:33:08
うん、自分で調べても実はそれっぽい(笑。
949日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:13:41
うちの先祖は東北某市の小藩だったが、小田原城攻めせなんだってことで、豊臣秀吉からおん出されたらしい。
そもそも、平泉藤原氏を制圧した際、功労でその領土を貰ったらしいので、大河ドラマ見るのに複雑な心境になった。
『炎立つ』のファンだったのに、、、、、。
950日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:18:57
家は能登の温井氏の一族で、某藩の中級藩士。
前田利家に能登から追い出された。一時、直江山城守に
飼われていた。その後コネで某藩の大名に仕官。下級武士だったが、
上意討ちに飛び入り参加して加増。廃藩置県後没落。現在に至る。
あ〜あ。
951キリスト:2005/07/05(火) 21:26:12
今の時代に世がいいのは、たいてい百姓の末裔だよ
武家の末裔は、ほとんど良くない
952949:2005/07/05(火) 21:31:31
>>950
あらっ!
うちはおん出された後、前田・上杉の口利きで現在の地に代官として赴任できたらしいよ。
953950:2005/07/05(火) 21:44:19
>>952
うちの場合は某飾包茎大名の家臣のコネで藩士になった。
一族が能登からおん出される前に保険かけて、織田の有力家臣の
配下にいた為。
954日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:09:41
俺のばあちゃんのおじさんが山形アリトモ・・・先祖ッテか親戚だな(笑
955日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:11:38
下級成り上がり武士
956日本@名無史さん:2005/07/06(水) 10:45:37
>>954
山縣さ〜、だべ。
957日本@名無史さん:2005/07/06(水) 16:10:35
>>949
葛西殿でござるか?
958日本@名無史さん:2005/07/06(水) 17:40:14
>>957
うん、葛西氏か千葉氏らしいんだけど、混沌としててどっちか解らん。
義経スレで嘘呼ばわりされた、、、。
959日本@名無史さん:2005/07/06(水) 18:55:43
葛西氏‘か’千葉氏なんて書くから、嘘って言われたんじゃない?
自分の先祖を語るとき、それを入れちゃ真実味無くなるよ。
960日本@名無史さん:2005/07/06(水) 20:30:45
ん〜と、
奥州千葉氏の一人が氏姓を現在の(今の自分の)姓を名乗り、没落後、一時前田利家に頼り、その後東北の在郷に代官として赴任。
前田家と太閤検地の文献に記述が残ってる。
現在の氏姓世帯数308、自分の判っている親戚筋(3代前)で30世帯ぐらい。


勉強不足なので教えて。
なんで葛西・千葉は真実味が無いの?
961日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:20:09
葛西氏と千葉氏の間に‘か’(or)を入れるから、話があやふやに聞こえる。
言葉の問題。
先祖って、たとえば系図を紛失しても家に伝承があれば、
はっきりした○○氏って答えられるものじゃないのかな。
あなたの上のスレ読めば、ちゃんと伝承があるみたいだし、
私は嘘だとは思ってないよ。
最初の人が千葉氏を名乗ったのなら、千葉氏の子孫だと堂々と書いていいのでは?
962日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:23:03
最後訂正
最初の人が千葉氏から今の名字を名乗ったのなら、千葉氏の子孫だと堂々と書いていいのでは?
963日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:33:37
ものすごく前ということなら、アダムとイブ。
964日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:09:19
奥州には千葉氏やたら多いな。
965日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:53:49
千葉氏の一族、HP見てみたらどうかな
知ってると思うけど…
966日本@名無史さん:2005/07/07(木) 00:21:12
葛西氏の系図に千葉氏と葛西氏が入り乱れとるんで。
某県史には葛西氏の流れをくむ千葉のなにがし、、××にて××氏と名乗る、とか。

967日本@名無史さん:2005/07/07(木) 01:53:50
36>大久保家分家とありますが、登り藤に「大」の家紋ですよね?
私は烏山藩主を先祖にもつのですが…
もしや親戚の方かと思いお聞きしました。
でももう見てないかな・・・
968日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:39:26
源氏とかの子孫(もちろん嫡流とかじゃなくて)と市長村長とかの家族とどっちが偉い?
969日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:24:07
自分の家は家紋は下がり藤で戦前は長押に槍が一本あったそうです。(今はない)
家計図は大戦中に燃えてしまったそうですけど。元々は愛知県で岐阜県よりの
場所に住んでいたみたいです。(先祖は)
でも、家紋や槍では先祖なんてわからないだろうし、たまたま戦国時代で足軽が使って
いた槍をそのまま持っていただけなのかもしれないし。

970日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:12:51
>968
源氏の子孫が日本にどのくらいいると思ってるんだ?
971日本@名無史さん:2005/07/17(日) 16:30:29
どっかの城の姫だ←有名じゃない小さい城だろう。
武士だ有名人だとか。
本当は私の予想
母方の先祖は働かない怠け者で気に入った女(妹とかいとこ)を襲い子供産ませ
自分の嫁にして自分は働かないで嫁に働かせたらしい。
気に入らないと暴力を振ってたらしい。
父方の先祖は武士で人を落とし入れてないあがった曲者。
めんどくさがりやなのも遺伝。
972日本@名無史さん:2005/07/17(日) 16:31:20
全部じゃないので
973日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:32:03
うちの親戚にまったく関係ない人が(その藩まにやらしい)
うちの家系図をWebサイトに載せてて驚いた
一番最後が祖父の祖父(ひいひい爺さん?)だったけど。
974日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:07:15
俺の家の始祖は源頼朝の軍勢と戦って、破ったらしい。

その後投降して斬首されたが…
975日本@名無史さん:2005/07/20(水) 00:38:18
これを言っちゃあオシマイかも知れないけど、
寺の台帳ってどこまで信用していいのかよく分からん。

うちの家系の歴史見てると、まさに人生ジェットコースターだわw
詳細書いても他人にゃつまらん話だから書かないが。
(固定化された江戸社会の中でも栄枯盛衰があって、個人的には面白いんだけど)

 感想としては、家系図と歴史の重要事項を並べて見てると
江戸時代が自分らの今に、意外と近いことに驚く。
976日本@名無史さん:2005/07/20(水) 01:51:28
ひょんな事から爺さんと、ひい爺さん戸籍謄本を手に入れて、
戸籍を遡るととりあえず自分から数えて6代前までは解ったよ。
天保13年(約160年前)10月生まれの6代前のご先祖様。
なんでも関東の井伊家の飛地(世田谷区一帯)を管理する、
代官様(大場家)の血筋らしい。
しっかりとその時から既にイミ名が付いており、姓も今の姓。
977日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:47:22
うちの親は飛騨高山の豪族の家の血筋らしい。
平家の子孫で戦国時代には武田氏を応援していたとか。
確か名字はひらがな二文字だったんだが、よく覚えていない。
祖母だか曾祖母だかがその豪族の本家の人で、嫁入り道具代わりに山3つの権利書を持って来たそうだ。
しかしながらそんな財産も彼女の旦那さん(この人はどこぞの武家の人らしい)が
うっかり連帯保証人になったせいで消えてしまい、
うちの親が小さい頃にはもうド貧乏だったようだ。
978日本@名無史さん:2005/08/02(火) 16:45:33
なんでみんなそんなに分かるんだ…
979日本@名無史さん:2005/08/02(火) 21:22:53
ぜんぜんまったくわからないって人は上京三代目で親戚なし、とかじゃない?
980日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:18:13
父方は庄屋と農民。
母方は公家(藤原北家)の分家と、岡山にある土地の名になってる人の本家。
どちらも酒で身上つぶして、移民。
981日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:25:31
うちはユダヤのダン族の末裔
2000年以上前に日本に来たらしい
982日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:31:18
かつての同級生に殿様の子孫いたなあ…
十六代目当主だったと記憶するが。
そいつはふつうに浪人してましたがね
983日本@名無史さん
高校の時に北畠親房の直系ってのがいた。家に学者が古文書を調べによくきてたそうだ。
「漢字が旧字体の方がバランスを取りやすい」とかいってて、
写真部の変わりモンだったけど性格のいいやつだった。

30代になった頃、売れないフリーカメラマンって風情で
神保町を闊歩してたのを見かけたという話もきいた。