えた、ひにんってどういう人達だったの?3

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1もっこす ◆ZM08EeniEM
 江戸時代、士農工商の中に入らなかった、えた・ひにん。
そして、水平社運動をえて後の部落問題まで繋がった。

 ここで、えた・ひにんとは、どういう人達だったのか?
確か、犯罪者をえた・ひにん、扱いしたと習ったが、何故
それが、部落問題まで発展したのでしょうか?差別される
って、部落側の方に差別される要因が有ったのでしょうか?
 自分の地方にも、「部落」という言葉はあるが、あくまでも
〜村や集落と言う意味でしか有りません。


前スレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1049172009/

パート2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052662387/l50

前スレは、さらに深く語っていただきました。
今回も、よろしくお願いします。
2日本@名無史さん:03/07/03 05:58
2
3_:03/07/03 06:00
4日本@名無史さん:03/07/03 11:09
>もっこすさん
スレたて、乙かれさまー。

被差別民の歴史は、ある意味、下からや周縁から見た日本史把握だから、
広く深いね。
5よね子:03/07/03 18:39
>>4

しかも古代から現代までカバーしてないと駄目だし。
歴史の勉強には一番タメになりますね。
6日本@名無史さん:03/07/03 20:39
>>5
そうですね。

講談社の「日本の歴史」の近世編のどこかで、「乞胸」を分析してた。
最近は、下層民や周縁民を分析対象とする人も増えた気がする。
網野氏の功績だろうか。
街道関係出版物でも近代までは冷静ないい分析が最近は増えてきた。
現代になると、やはり部落問題研究所のほうがばっさり切れるが。
7モソーリ:03/07/03 20:58
前スレで『東北学』が出てたけど、前に読んだ記憶では、あんまり大した事はなかった気がする。
関西の「部落」と東北の「旧・部落」はいろんな面で違うとか、関西人が東北人に部落問題を教えるとか
あくまでも入門的なないようだった内容がする。
ただ、平野小ケンは結構掘り下げてたかな?
8日本@名無史さん:03/07/03 21:02
↑スレを間違えました。スマソ
9   :03/07/03 21:21
>>6
近世史の身分的周縁の権威つーたら、
東大の吉田伸之先生と大阪市大の塚田孝先生に決まってるだろ!
網野の功績だなんてたわけたこと言ってると、
吉田・塚田門下生達に殴り込まれて(略
10よね子:03/07/04 08:15

一遍は伊予の豪族、河野通広の子供として延応元年(1239)に生まれました。
時宗は浄土宗の一派ですが、差別を見つめた庶民的な宗教。
踊念仏と遊業。
11日本@名無史さん:03/07/04 09:55
>>9
そうか、殴りこまれるか。イヤジャw。
中世史での網野氏の分析が、日本史全体での身分的周縁や地理的周縁の
学際を広げたかなって感じなんだけど。
これでも、殴られる?
12日本@名無史さん:03/07/04 10:03
>>10
鎌倉期は、貨幣経済の流通と経済発展により民衆の合理的思考力が
高まり、穢れに関する職能やその他の職能が聖から賎へと添加した時期。

それに対し、浄土真宗や時宗は、阿弥陀の前で人はみな平等と説き、
世間と思想的緊張状態を持った。

近年、一遍の再評価が知識人層で行われているとか。
13日本@名無史さん:03/07/04 10:43
一遍上人絵伝では、踊念仏の場面で、貴人の女房が車で見に来ているのに混じって、
顔を隠した非人も参加している。
また、一遍死後に、後を追って入水自殺するものが続いたが、
非人姿の男も入水している。
14日本@名無史さん:03/07/04 17:09
>5
できれば現代、昭和以降の話題は勘弁。専用の板もあることだし。

ネット上の文章とか出版物から引用するときには引用元をさらしてほしい。
URL張ればいいのに長々とコピペする奴多いし。
ネタふりするにしても「八切の復刻版読んだんだけどさぁ…」とか素直に書け。
15日本@名無史さん:03/07/04 19:11
浄土宗、真宗、時宗は中国浄土教(白蓮教)の一派で
日本オリジナルのものではない。
特に後二者は南宋滅亡後に渡来した僧侶の指導の下で
発展させたというだけの話であって。

マルクス主義的階級闘争史観(観念論/唯物論でも可)の枠組で考えない方が良いでしょう。
最近はそうでもありませんが、
解同(水平社系)も大正期の社会主義運動の下で結成されたので
部落=職人、大衆といった図式で捉える愚を冒している。

あと、網野が被差別部落民や彼らの多くが帰依した鎌倉仏教を取り上げるのは
明治政府が採用した統制経済や
農本主義的イデオロギーを叩くのが目的なんでしょうね。
でもそれだと荘園部落や新百姓、漁師、
穢多・非人以外の新平民の説明は出来ない。
16もっこす ◆ZM08EeniEM :03/07/04 20:36
塚田先生って、実物はラガーマンみたいな人だな。
昨年の研究者集会のコメンテータだった。
17御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/07/04 21:09
『貞観政要格式目』(差別戒名の手引き書)はエエかげんなものらしが
最初に採用したのは真言宗で各宗派が後を追う・・なぜ?
真宗に差別法名は無い、したがって穢多寺にも無い・・本山での得度式も無い。
(得願寺が檀那寺名らしい)

http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1046435379/138-141
18日本@名無史さん:03/07/04 21:24
日蓮は自ら「安房のセンダラが子なり」と言っていますね。センダラは
インドのアンタッチャブルであるシュードラの音写です。日蓮の親は
安房の漁師でしたが、当時は漁師も最下層民と見なされていたのです
ね。
19日本@名無史さん:03/07/04 22:01
>18
文字通りに捉えてよいのかな?
20日本@名無史さん:03/07/04 22:18
>>15
親鸞は、浄土真宗の伝統として三国の七祖名(インドの竜樹,天親,
中国の曇鸞(どんらん),道綽(どうしやく),善導,日本の源信,法然)
をあげている。
親鸞と一遍を中国僧が指導した?あまり聞かないな。
どんな本に載っているんですか?
あと、網野の著作を幾つか読むと、別に明治政府攻撃が目的ではないよ。
明治政府の政策を嫌ってるのは事実だけどねw。

>>17
真宗に差別戒名あるそうです。
曹洞宗,真言宗,浄土真宗に発見されてるそうです。

>>18
平安から鎌倉初期までは、漁民は皇室・公家・神社・寺の経済体制
に入っていて貴人の食膳に供されるのが主だったようですね。
鎌倉中期から、商品経済化が中心となったようです。
もともとは聖的特殊職能集団。
鎌倉期に下層民になってしまったかどうかは、?
鵜飼なんかは、支配者階級直属民だね。
21もっこす ◆ZM08EeniEM :03/07/04 22:18
22もっこす ◆ZM08EeniEM :03/07/04 22:20
>>20
岐阜県のある地方では、鵜飼いは部落に伝わる職業です。
23日本@名無史さん:03/07/04 22:21
そりゃ中世の高僧から見たら下層民だろうね。
ただ、民衆の間で蔑視されていたかどうかは不明でしょう。
最近では鎌倉前期に成立したとされる今昔物語に
蛇を魚と偽って商っていた女批難するくだりがあるのだが、
どうも魚は良いみたいだね。
殺生戒じゃなくて嘘がいけないらしい。
24日本@名無史さん:03/07/04 22:31
>>23
その今昔の話は芥川の「羅生門」で使われてるね。
25御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/07/04 22:32
>17 どこのなんちゅうお寺ですか?
部落史編纂者・和田勉氏は真宗に差別法名は無いと言っている。

注:真宗の場合は戒名とは言わない!
26日本@名無史さん:03/07/04 22:58
>>22
鵜飼には、いわゆる貴人に属する鵜飼と、
零細農民や貧民が行う、放ち鵜飼・徒歩鵜飼があるそうです。

>>25
1978年(昭和53)に全国紙が〈死後も差別〉の見出しで長野県下の東信・北信,
群馬県下の西毛地方で差別的な墓石が数百基点在していることを写真入りで
報道。
その後,墓石,過去帳,位使等の調査が進むと,栃木・埼玉・茨城の諸県その他
にも広範に発見され,宗派ではとくに曹洞宗・真言宗・浄土宗などが深く
係わっていたことが明らかになった。長野県の調査では,分布は江戸初期
から明治以降にわたるが,江戸後半期に集中している。(牧英正氏)

真宗では法名ですね。
横井清氏の文章では浄土真宗となってました。

寺院名はわかりませんが、1978年の全国新聞を検索できればわかるかもしれません。
27日本@名無史さん:03/07/04 23:33
http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/6421/back.html
の52号の
http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/6421/52.txt
に、
>差別法名に学ぶ-差別法名・過去帖調査にあたって-(終)
>熊本教区 光正寺住職 島北皎誓
>1984年6月26日、教区の矢部墓石問題調査委員会が本部に提出した「現段階に
>おける確認事項」の は「このような墓石が長い間現存していることは事実
>であり、そのことに気付かないまま今日まで来たことを真摯に受けとめ、
>同朋運動の不徹底を反省せねばならない。」であった。
>このように「釈尼妙 信奴」の墓に直面して、驚きと披差別者の苦しみに肉薄
>した問題意識をたとえ一部の人であっても持ち得たのであった。

熊本矢部町の西本願寺派寺院で大量に発見とあります。

http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/6421/51.txt
ここには、過去帳には差別法名が書いてないから、差別とは断定できないが、
現段階では、差別と確認するとあります。

真宗の左派のサイトのようです。
28日本@名無史さん:03/07/04 23:37
亀レスだが、ここ数年は、中世は後三条天皇か院政からのようだ。
講談社「日本の歴史」、中央公論新書「日本の中世」、岩波「歴史大辞典」
いずれもそんな感じ。
29   :03/07/05 00:01
>>16
塚田孝さんの非人研究って、やっぱ大した代物だと思うけど、
解同系の研究者達には見事にシカトされてるんだよなw
理由について何か心あたりある?>もっこすさんよお
30日本@名無史さん:03/07/05 00:31
いわゆる、えた、ひにん と分類されていた人々には江戸時代以前、名字や家紋はあったのですか?
31日本@名無史さん:03/07/05 03:49
>30
なんで?
そんな質問をする理由が知りたい。
32日本@名無史さん:03/07/05 03:59
>>28
日本に中世があるはずないんだけどね。古代と近代の間にあった悪しき
時代というのが中世の本来の意味だよ。ルネッサンスの文化人たちが、
古代ローマ文芸の復興を目指す自分たちにとって障害となっていたカト
リック全盛時代を中世と呼んだんだ。
33もっこす ◆ZM08EeniEM :03/07/05 04:00
>>30
えたは知らないが、ひにんには、武士階級の出身もいたから、当然苗字も家紋もあったはずです。
34もっこす ◆ZM08EeniEM :03/07/05 04:12
>>29
それは、本人か、関係者が書いてくれるかもしれません。
関係者の2ちゃんねらー率は、驚くほど高いから。
35日本@名無史さん:03/07/05 05:11
>18
仏教と同時にカースト制度も伝わる?
釈迦の話を理解するにはカーストの知識が必要だから、僧は知ってたかな。
中国はカースト制度ないの?
36日本@名無史さん:03/07/05 05:16
センダラってアウトカーストのことじゃなかったっけ?
37日本@名無史さん:03/07/05 09:07
>>36
インドではチャンダーラ。漢訳仏典で旃陀羅(センダラ)。
はじめは最下層カースト。のちにそこからも排除され、アウトカーストの
不可触賎民の源流となる。
狩猟,屠殺,刑殺,清掃など不浄とみなされる各種の職業に従事することを
強いられたそうです。

>>35
ヒンドゥーの関係でインドから外へはあまり出てないようです。
逆に、インド内のキリスト社会やイスラム社会もカーストを守って生活してるそうです。

奈良仏教(南都)は、仏になれる人間となれない人間があると言う立場で、
真言の最澄は誰でも仏になれるという立場で、論争してますね。
奈良仏教の人間差の理論の背景には、インドの影響があると言われてます。
中国でも、最初はインドの影響があったが、のちに消えたのではないかと。

関係ないけど、日本は仏教を中国によく学びに行き満足してましたが、
新羅など半島人は、インドまで追求に行きたがったそうです。
38直リン:03/07/05 09:11
3935:03/07/05 22:36
>37
不浄の職業はインドと同じか。
アーリア人がいないとカースト制度は完成しないのかな…
中国は唐の後は仏教が廃れたの?ってこんな事も知らないでこのスレ来てすまん。

新羅人は中国に対抗する意味もあったのかな。
日本は大陸に行くだけで精一杯。
40日本@名無史さん:03/07/06 02:57
>>30
弾左衛門の「矢野藤原」、
車善七の「車」は立派な苗字なのだが。
あと京都のエタ頭は「下村」だったっけ?
41日本@名無史さん:03/07/06 09:50
>>39
唐代でも潰そうとした皇帝がいたり、紆余曲折は経てるけど、
道教・儒教と共存する形で、なんとか保ってきてます。
清末から毛沢東時代は冬の時代のようだけど。

半島人も中国人も、インドの源流を求めたのに対し、
なぜか日本人は、中国で満足。
でも、それでよかったと思う。インド仏教はつぶれてたし、差別や輪廻が
入ってきてしまう。小乗になっちゃたかもしれないし。
42日本@名無史さん:03/07/06 19:29
「浜松中納言物語」というのがあるぐらいだから輪廻思想は入ってきてるし、
歴史的には小乗の方が源流でしょう?
大体、差別や輪廻というのはヒンズーのものだから
仏教とはあまり関係ない。
ま、差別や輪廻を批判する思想が歴史的文脈を無視して導入されると、
逆に差別を生み出すという倒錯性は考えられますが。
43日本@名無史さん:03/07/06 21:48
いや、おおっぴらに主流思想として入ってきたりしてという意味ね。
差別や輪廻はヒンズーのものだけど、奈良仏教には中国通過で入ってきてるでしょ。
平等論の最澄に対し、奈良仏教は人間には努力しても仏になれない人間がいると主張したとか。
小乗がもとだけど、唐代中国には大乗が主流になってたのかな?
44日本@名無史さん:03/07/06 22:36
大乗は国家主義だから儒教国家中国では主流にはなりえないよ。
ただ、朱子学の格物致知説に影響を与えた事からも分かるように
中国文明に(といって良いかは一先ず置いといて)多大足跡を残した。
義和団の乱で知られる義和拳教も系譜的には仏教の流れを汲んでいるからね。
上代の日本仏教の殆どが朝鮮・中国仏教で
本地垂迹説を採用した国家的な物である事は
広く知られた歴史的事実ではあるが、
奈良の大仏開眼の時にインド人が1人いた事は覚えておいてね。
「袖触れ合うも他生の縁」というくらいだから輪廻思想はあるよ。
ただ、民間信仰と融合する形で受容された浄土系仏教の影響が強かっただけで。
45日本@名無史さん:03/07/07 09:32
>>44
インドの帰化僧バラモン・ボジセンナ(菩提卵那(ぼだいせんな))でしょ。
中国に住んでた人だよ。大仏開眼の15年前に遣唐使帰船で日本に来ている。
日本人に帰化してたみたいね。

《般若経》《法華経》《華厳経》《阿弥陀経》は、大乗の経典。
インドからチベット・中央アジアを経て、中国・朝鮮・日本で盛んになってるよ。
一般に小乗は東南アジア、大乗は東アジアだね。

本地垂迹は、聖武天皇も似たようなことやってたが、この頃のは、
仏教が上で、伊勢との折り合いをつけるために夢を見たとかのレベルの話。
一般化するのは中世かな。各地の神社で縁起が作られ、御伽草子などで普及している。

輪廻は仏教とともに日本に来たらしいが、日本型輪廻は現世主義が特徴の様子。
謡曲《安達原》では〈生死に輪廻し五道六道にめぐる事,唯一心の迷なり〉ともあり,
輪廻思想はかならずしも日本に定着しなかった…らしい。
46日本@名無史さん:03/07/08 09:23
今でも、祭りに参加できない部落ってあるのだろうか?
47日本@名無史さん:03/07/09 11:35
>>46

ないでしょう。
48日本@名無史さん:03/07/09 23:33
新ネタはないのか?
49日本@名無史さん:03/07/10 12:21

ま、長崎の中学生一家は、江戸時代ならヒニンに落ちるだろうね。
50日本@名無史さん:03/07/10 16:05
親もか?
51よね子:03/07/10 17:10

江戸時代なら連座制もあるから、5人組単位で処分されるでしょうね。
しかし、庶民の磔獄門は100年に3回程度だったので、半分見世物だったらしいですね。
52日本@名無史さん:03/07/10 17:36
昔の地図とか資料があればだいたいその地域のおこりやら信仰やら蝦夷など
異民族やらわかるのではないですか?ある種、平安時代くらいから
人間が存在してる場所でしょ。(特に西日本)
でも、そーゆーのはお上が管理してるのかな?
53日本@名無史さん:03/07/10 17:48
昔は人が多く集まっていたところだと思いますが。
でなければ、分業もないし。
54山崎 渉:03/07/12 11:58

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
55日本@名無史さん:03/07/12 21:39
九州方面の漁業権は、鎌倉期でも朝廷にあったらしい。
朝廷のせいにするわけじゃないが、朝廷にかかわると次の時代に
いやな思いをすることが多い気がする。
56山崎 渉:03/07/15 11:44

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
57日本@名無史さん:03/07/16 12:45

洗いはぎにつき、晒し上げ
58日本@名無史さん:03/07/16 23:49
59日本@名無史さん:03/07/24 23:45
60日本@名無史さん:03/07/25 11:21
>>46-7
九州南部の某所ではあるらしいが。
61日本@名無史さん:03/07/26 00:03

人権板から来ました。宜しくおねがいしますだ。
62日本@名無史さん:03/07/27 13:03

あげるよ
63日本@名無史さん:03/07/31 16:14
64_:03/07/31 16:15
65山崎 渉:03/08/02 01:14
(^^)
66コピッペ:03/08/05 19:13
196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:03/08/05 18:17 ID:l7IP5vJd
古代先住民を構成する黒潮系の人達とか。
 ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-48.html
関東に多いのは、上記民族の流入が多かったからではないでしょうか?
アズミ族とかいう。
紡績の錘も同類なんでしょうか?

197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:03/08/05 18:34 ID:oEq06CFN
他スレでも書きましたが(スレ違いで顰蹙を…)、南九州が天孫降臨の場所であるのは、
古代長江文明の難民が漂着したところだから、と。九州からヤマトまで数百年〜千年
かけて移動します。当時の近畿の気候は亜熱帯とも読んだことがあります。一方、東日
本は穏やかな気候で、縄文文明が花開いていた。なのに、どうしてヤマトなのか?

ヤマトの為政者は誰なのか?
長江文明の人達は、世界四大文明よりも発祥が早く、さらに稲作というのが特徴です。
他は畑作牧畜です。後者は、稲作に比べて仕事が安易で、為政者が管理し奴隷が収穫
するという階級を産み出したでしょう。稲作は難解な仕事で、為政者自身が現場労働をし、
収穫は共同体で管理し分け合うのが合理的な農業です。

長江文明(約6500年前)に、北の畑作牧畜文明の民族が流入。奴隷を牛耳るために武器
をもっていた彼らは、容易に長江人を追い出したのがわかります。長江人は雲南、安南、
台湾、九州などに散ってゆきました。いずれも竹の国です。

あああ、スレ違いですが、大元はここら辺ではないかと思ってます(仮設)
職人の仕事というのは、そもそも、工程分離ですので、親方と子分の関係の階級化があ
ります。皮革、繊維、竹細工などは神業であり、また稲作の外です。

67コピッペ:03/08/05 19:13
198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:03/08/05 18:55 ID:zGycJuWO

さらに、青銅器の歴史を辿ってくと、
アマテラスを奉っていた神社は、その多くが、農業神に変えられた経緯が見受けられます。
4.5世紀頃、施作として、すり替えられたというもの。この逸話が、記紀には神話として、
為政者の歴史書として、記されているようです。雄略天皇の御世(彼は北陸の出身)、
何かがあったのでしょう。鎌倉時代には一定の職人身分が免税特権を受けます。

それから400年後、武士が本格的に天下を掌握したときに、やはり同様なケースがあった
のではないか、という仮説が、歴史的必然として窺われます。

ちょっと整理して書ききれませんが、この程度の仮説は、日本史のトンデモ本で出版され、
はたまた否定されているかも知れませんが。

スレ汚し、すまそ。一応、江戸のスレッドだったもんで。
68日本@名無史さん:03/08/06 10:34
>>66-67


努力賞。
69日本@名無史さん:03/08/06 23:43
70日本@名無史さん:03/08/07 00:03
>>66-67
トンデモでもないと思う。
71日本@名無史さん:03/08/07 00:42
>>67
徳川治世の世になって、「もう、戦争は止めネ」ということで
軍神の八幡などを農業神に変えたというのはない?
でも、軍需産業民って基本的に農地持たないから、著しく矛盾っぽいんだけど。
72日本@名無史さん:03/08/07 00:47
東北にいた狩人のマタギってどんな人たちだったんでしょう。
部落関係になにか関連あります?
73日本@名無史さん:03/08/07 21:07
>>26
写真でなら見たことがある。
長野県のある地方の墓。
戒名に(玄田)=畜とあった。
ちなみに曹洞宗。
既出ならゴメン。
74日本@名無史さん:03/08/07 21:14
>>72
ないです。
75資料屋・御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/08/11 12:52
>72 マタギ資料、サンカでもないんやなぁ〜
http://www.jomon.ne.jp/~misago/matagi.html
サンカ資料
http://www.kumanolife.com/History/kenshi1.html#Anchorsaigo
76日本@名無史さん:03/08/12 11:52
408 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:03/08/12 05:43
京都は竹田の改新地区なんて住民の先祖は鳥羽伏見の戦いをまじかで
見ているから戦いの真相が
実は薩長による京都御所ののっとりという事実知っていたから
あえて維新後に平民が童話に落とされたそうで(童話に落とせば何を言っても
相手にされないから)彼らは明治新天皇制の犠牲者だよ。

堺の南宗寺に家康が冬の陣で戦死したから今でもその寺に家康の墓があるけど
そこも童話地区だし、隠蔽するには童話地区に指定するのが一番いいわけさ。
その地区の人間が「家康は冬の陣でやられて遺体を南宗寺にかくまった」
といっても「どうせ「その」地区の人間の言う事だから少しアタマがオカシイんだから」
と一蹴できるでしょう。童話に落とすと言う事は体制側で都合の悪い事を
隠蔽できるから好都合なんだよ。

77日本@名無史さん:03/08/12 11:52

409 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:03/08/12 06:41
>400 >403
しかしなぁ、実際ケコーンしようそしてる人が部落出身者と分かっても
なかなかやめられるもんじゃないと思うがなぁ。
大反対押し切って親類縁者に絶縁されてもケコーンしてしまいそうだなぁ。
男女の縁てそんなもんだろ?

自分ではなく、例えば兄弟が部落の者とケコーンしようとしたら
俺は大反対の末兄弟の縁を切ると思うから奇麗事言ってるわけじゃなくてなぁ。

410 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:03/08/12 10:24
よくそこまで過去の遺物に拘っていられるな。
しかも、平等主義をかかけながら不平等を好とするとはね。

歴史として部落史が存在するのは、その反省のためじゃないのか?
それとも、差別を行うために研究を行っているのか?

411 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:03/08/12 11:04
>>408

堺の南宗寺には親戚がいますが。どういうこと?

412 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:03/08/12 11:12
>>408 >>411
エタ寺って、どういうの?
寺自体が他のと違うの?
で、そこの住職とか坊さんは、皆、童話の人達ってことか?
78日本@名無史さん:03/08/12 12:20
>>77
1557年建立の臨済宗大徳寺派の寺院で、大坂夏の陣で全焼したが、
沢庵和尚によつて1617年に再建された。
79日本@名無史さん:03/08/12 12:25

穢多寺の 佛うつくし 曼珠沙華
正岡子規
80日本@名無史さん:03/08/12 22:33
住職は違うんだろうね
81日本@名無史さん:03/08/13 00:34
>>76

の竹田のことは、ほんまですか?
82日本@名無史さん:03/08/13 23:53
>>72
部落とは関係なさそうですね。
先住民族との関係はあるかもしれません。

山言葉
海上で用いられる沖言葉に対して山中で使用する忌言葉の一種。
山中を俗界である里(さと)と区別するための特殊な用語で,食事,食物,食具,
鳥獣,狩猟用具,性などに関する語が主要なものである。
地方によって表現法や使用場所に若干のちがいがあるが,山言葉を有する地域は
南は沖縄から北は下北半島に及び,狩猟者,伐木業者などの間では現在もこれが
守られる場合がある。
とくに猿,蛇,猫などの動物名をそれぞれ〈キムラ〉〈ナガムシ〉〈マガリ〉
などと呼びかえる点は漁民にも共通し,両者の信仰に共通なもののあったこと
を考えさせる。
83日本@名無史さん:03/08/13 23:58
守も嫌がる盆からさ〜き〜にゃ〜♪
84日本@名無史さん:03/08/15 12:27
age
85山崎 渉:03/08/15 12:35
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
86日本@名無史さん:03/08/15 23:40
87日本@名無史さん:03/08/16 23:19
>83
歌詞がヤヴァイということで放送禁止になったらしいが・・・・
88おいこら14:03/08/20 12:49
 14 :日本@名無史さん :03/07/04 17:09
 >5
 できれば現代、昭和以降の話題は勘弁。専用の板もあることだし。

 ネット上の文章とか出版物から引用するときには引用元をさらしてほしい。
 URL張ればいいのに長々とコピペする奴多いし。
 ネタふりするにしても「八切の復刻版読んだんだけどさぁ…」とか素直に書け。

お前のおかげでレス止まったやないか
URL貼っただけでは見んヤカラ多いぞ
ネタ無いなら黙ってロムっとけ!
89日本@名無史さん:03/08/20 18:46

>>14のせいって、どうして思うの? といいつつアゲハチョウ
90日本@名無史さん:03/08/20 18:57

ネタは無いのか名無しさん
91日本@名無史さん:03/08/20 19:19

>>14のせいって、どうして思わんの? といいつつサゲマンネン
92日本@名無史さん:03/08/20 19:25

つまらん!おまえは つまらん!
93おいこら14:03/08/20 19:54

つまらん!お前の話は つまらん!
94日本@名無史さん:03/08/29 19:33
95山埼渉:03/08/29 19:37
一応歴史学においては中世起源説が定説になってるよ。
96日本@名無史さん:03/08/29 20:01
えた=恵多=かしわでのおみ=天皇の食事係り
97日本@名無史さん:03/08/29 20:11
行商 も 認定なんかね?
98日本@名無史さん:03/08/29 20:18
八切史観が正しいと思うな。
しかし、秀吉の時代にも弾圧されたんだね。
このへんは利休暗殺とかともかかわってんのかな。

結局、明治政府は四民平等を掲げたけれどうまく
いかなかったんですね。
99日本@名無史さん:03/08/29 20:26
ということはおおもとは大和朝廷に敗れた小国家の人々か・・・・
それと異宗教(反仏派)、宗教差別。
徳川綱吉の神仏混合令って何ですか?
かれは生類憐みの令とかも出してるし。
関係あるの?
100日本@名無史さん:03/08/29 20:33
八切さんが干されたのは、何かこの理論だとマズイ人が
いるからじゃないかなー?とか言ってみる・・・・
101山崎:03/08/29 21:26
ttp://www.photochan.com/sha/up_img/829393216.jpg
愛娘喰う(*´Д`)ハァハァ
10298:03/08/29 22:10
利休暗殺じゃなくて切腹。
103日本@名無史さん:03/08/29 22:41
成り立ちによって全部が全部スラムじゃないんでしょ。多分。
でも、自然災害に遭いやすい所や山奥などにあるから
最初は大和朝廷統一時に敗北した人々かな?
104日本@名無史さん:03/08/29 22:48
反仏教徒っていうだけでも
非人扱いになった人たちもいるそうですね。
105日本@名無史さん:03/08/30 06:18
  
    ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/tennouron1.htm

  ここみると、拝水教っていうのもあって安産の神ってかいてるな。

  神社の鳥居が朱塗りのと白木のがあるのにも理由があるんですね。
  
106日本@名無史さん:03/08/30 21:55
ふう。
107 :03/08/30 21:57
日本の被差別部落の歴史は中世以前のものだが、その起源も単一ではないだろう。
その有力起源一つに秀吉の文録・慶長の役がある。
あの時に、出兵日本兵は耳塚で有名だが、敵軍の耳を大量にそいで戦果の証明と
していたが、それだけでなく、大量の朝鮮人を日本に連行した。
それは、日本にない産業の従事者を必要としたからで、沈寿官を始めとする、
陶工は有名だ。他にも多数の職種があった。部落が西日本に多い理由の説明にもなる。
当然、東北以北にはないことになる。
徳川時代になって朝鮮通信士が連行朝鮮人の帰国を申し入れたが、
彼らは既に日本に定着していたため、自身が断ったらしい。
何かの記録に残っているはず。また、連行数や職種等の一致から蓋然性のある説みたいだ。
不合理な差別が歴史的に正当化される背景には、被差別者自身の他者との相違の認識が
前提として必要になってくる。なぜなら、土地に由来する差別は引越せば消滅するから。
彼ら自身が差別を必然と認識したからこと制度は磐石に保全されてきた。
その後、部落には歴史的被差別者以外も併合して拡大していったが・・・。
108日本@名無史さん:03/08/30 21:58
580 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 17:50 ID:gOK39ys1
被差別部落が歴史的に皮革や牛の解体等の職種についてる理由は
秀吉が騎馬民族のモンゴルに服属して受け継いだ食肉文化の朝鮮人達の
技能を求めて奴隷として大量に連行したことにあります。
秀吉に同調して兵力を拠出した地方藩主が、それぞれ独自に連れ帰って、
自分達の領土に定住させたようだ。
だから、出兵前に存在していなかった職業が、その後存在し、
それは、出兵の破綻と豊臣政権の崩壊→徳川政権樹立・幕藩体制確立の中で
体制を維持する上で必須の身分制度として固定化されていった。
数世代経つうちにその出自は忘却され、中世からの餌取等の歴史的な被差別民
の記録と結び付けられることによってその歴史が古来から連綿と続く、
土着の賎民と誤解して位置付けられるようになったのである。
109日本@名無史さん:03/08/30 21:59
被差別部落異民族起源説というのは昔から根強く存在していて、
その世界ではある種タブーとさててきた。
なぜなら同じ日本人なのに・・という論理で部落差別解消に取り組んでいるのに、
その論理が破綻するからです。
それに部落の所在地は明らかに西日本に偏っていて、本来もっと多くないと
おかしい東日本、ことに関東には極めて少ないことを公の理論では説明できない。
徳川時代に制度化されたなら、江戸が最も多くないとおかしいですから。

それと源流=白丁ではないですね。白丁も入っているけど、
陶工など、日本に存在していなかった朝鮮で盛んな便利な職人達を連れ帰ったんです。
秀吉連行説の文章に職種が詳しく書いてあったが、失念してしまった。
特殊技能の持ち主だったが。
110日本@名無史さん:03/08/30 21:59
一口に九州に部落があるといってもあるのは北部九州から、
瀬戸内に抜ける方面であって、南部九州にはあまりない。
山陽にあっても山陰にはない。関東は徳川の地盤だからあまりない。
あくまで部落は北部九州から瀬戸内を通り、秀吉の地盤の大阪、京都に
かけてに密集している。

600 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/15 18:57 ID:gOK39ys1
>>598
いやいや、部落民の数%なのではなく、
ほとんどがそうだということなんだよ。数%なのは中世から存在してきた
歴史的な部落だということなんだが、だいたい中世の大昔から、餌取等が
そのまま1000年以上も存在し続けるはずがない。常識で考えて。

あと、俺が被差別部落異民族説に立っているのはあくまで学問の自由擁護と
真実の探求のためであって何ら差別的意図はないことをあらためて明言しておきたい。
111日本@名無史さん:03/08/30 22:00
677 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:07 ID:rsvWpiLE
豊臣秀吉の文録・慶長の役と被差別部落との関係について言及したが、役によって日本
に連行された朝鮮人はどの程度に及んでいるのだろうか?別名、「陶器戦争」「ひと
さらい戦争」と呼ばれた戦争で、実数は諸説あるが、数万人以上、10万人弱というと
ころだろうか。
徳川幕府成立後、日朝間に通信士の往来があったことは知られているが、12回に及んだ
朝鮮通信士の訪日の内、最初の3回が、回答兼刷還使というものであって、それが連行
朝鮮人を取り戻す使命を負った使節であることはあまり知られていない。回答兼刷還使
というのは、朝鮮側がまず徳川にまず国書を送れと要求し(実際は将軍は送るはずもな
く、現地が捏造したものと考えられている)それに回答すると同時に、捕虜の回復を求
める使節という意味である。通信使の中には白丁も含まれていて、通信使の為に肉牛を
飼育し、肉料理を調理していたと広島藩の文書に記録されている。
http://blhrri.org/info/book_review/book_r_0003.htm
112日本@名無史さん:03/08/30 22:01
678 :名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/17 02:09 ID:rsvWpiLE
このように朝鮮出兵が大量の朝鮮人を日本に連行したことは確実な歴史的事実であり、
回答兼刷還使の職務からみて徳川時代にあっても彼らが大量に日本に留まっていたこと
は明白である。そしてその職務は実際には成果を上げることができなかったと考えられて
いる。というのも既に日本で定着してしまっていたからである。
ところでこうした連行朝鮮人は日本の民衆史においてどう位置づけられているだろうか?
陶工達は例の沈寿官などの存在で高名ではあるが、彼ら日本社会で皮肉にも“芸術家”
と見なされた特異な人々は別として、他の大多数の朝鮮人の存在はなぜか歴史の中に
埋没しているのである。数万人と言えば、今の人口から換算すると数十万以上にも相当
する。おそらく彼らは閉鎖的な村社会である日本で一般の日本人と交流することは
なかったはずだ。言語的にもしばらく意思疎通できなかったはずである。
社会的にその存在を無視されたに違いない朝鮮人達が非人間的な存在として、
劣悪な環境の土地に追いやられて日陰の存在の部落民としてその命脈を保ったであろうことは
想像に難くない。
113日本@名無史さん:03/08/30 22:13
1、陶工などの連行された朝鮮部落は、尊敬の対象であり、
各藩で大切にされていた。昔も今も、差別は受けてない。
今なぞ感謝の石碑が建ってる。

2、西日本に被差別民が多いのは、流入してきた弥生文化との関連性。
つまり、大陸・半島の文化と関連している。

3、秀吉の検地帳には被差別民はカワタと記載されているが、
これは戦国時代から存在している朝鮮出兵以前の日本語である。

4、よって、異民族起源説は、完全に否定されている。
114日本@名無史さん:03/08/30 22:19
異民族起源説は、完全に否定っていうのもなー。
実際は、各時代によって被差別部落になったきっかけは
違うと思うな。
最古は大和朝廷統一時でしょ。
でも、騎馬民族って遊牧民でもともと農耕しない人だったって
いうし。
115日本@名無史さん:03/08/30 22:21
日本で放牧とかして暮らしてた人たちっているのかな・・・?古代。
羊飼いみたいに。いないか・・・w
116日本@名無史さん:03/08/30 22:26
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)

呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
  ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
  わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
  こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
  くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
  きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。

呉善花、崔吉城『これでは困る韓国』1997年より
117日本@名無史さん:03/08/30 22:27
古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)

呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
  ないですか。中世よりの伝統的な部落民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
  わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
  賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
  くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
  きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。

呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より
118日本@名無史さん:03/08/30 22:35
>>113
>1
>陶工などの連行された朝鮮部落は、尊敬の対象であり、各藩で大切にされていた。

だからそれは一部でしょ。数万人が大切にされてたとでも?

>2、3
だからそれは古来から少数残った土着の賎民たちのこと。

>4、よって、異民族起源説は、完全に否定されている。

ここまでくるともうほとんど宗教だね。
119日本@名無史さん:03/08/31 02:48
すると、天皇に関係していた古代のセンミンは、
ある時点で格上げされたのかな?
120日本@名無史さん:03/08/31 03:57
朝鮮と、古代賎民といわれる鋳物師を検索すると、

  平安時代の当初は、朝鮮半島から移住してきた鋳物師等に教わり、官営の工房を主体として
  生産が行われていたが、時代がすすむにつれ荘園体制になり、朝廷や寺院、地方の豪族が
  私的に鋳物師を保護し、平安後期には現在の大阪(河内国丹南地方)を中心に、三つの大き
  な鋳物師の集団が自然的に発生した。その後、地方経済が発展し農耕作業がひろがり、農機
  具の必要が生まれ、鋳物師も河内から全国へと移動し始めた。

  鎌倉時代には、戦国武士社会が台頭、朝廷とは関係なく武家が鋳物師を抱えると云う事態が
  起こり、従来からの鋳物師の組織に混乱をきたしたが、室町時代に、朝廷蔵人所に所属する
  真継家がこれを再編成した。その後、「鋳物師許状」を発給することなどにより、真継家の支配
  力がますます強化され、江戸・京都・大阪・九州を除く全国の鋳物師の頭として君臨し、このよ
  うな体制が明治維新まで続いた。

というのがあったが、この特権は、ナンでしょうか?
121日本@名無史さん:03/08/31 04:42
>>117

>呉○花、崔○城『これでは困る部落』1997年より

こんな本はない!
122日本@名無史さん:03/08/31 04:44
まじで釣られている人がいるよ。
123日本@名無史さん:03/08/31 12:54
新羅人は百済系の桓武天皇が権力を握ってから
弾圧されたそうですね。
対立してたから嫌ってたのだろう〜。
124御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/08/31 16:47
すいません
レスの流れから外れるかも知れませんが質問させてください。
「素麺」「ソーメン」と選民と何か関係有りますか?
文献さがしても見つかりません
某掲示板で基本やと気張ってるヤカラがいてますが
単なる電波か?ある地域で産業としたのか・・。
125日本@名無史さん:03/08/31 17:23
>>115
平安時代、仏教が盛んに成るまでは、牛とかを放牧していたと言う、
話を聞いた事があります。 
チーズも作られていたようで、醍醐と言われいて、あまりの美味しさに
我を失うすごい味、と言うので「醍醐味」と言う言葉が生まれたとか?
126日本@名無史さん:03/08/31 17:40
>>125
ミルク鍋もありますよね。飛鳥鍋?
放牧とかミルクとかチーズとかっていうと遊牧民っぽいですね。
127日本@名無史さん:03/08/31 17:50
>>120
「中世鋳物師史料」という本があるようですよ
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~nihonshi/matugi.html
128日本@名無史さん:03/08/31 17:55
前代サンカ・建国統一の7世紀から・  (A)裏日本から渡来・  (B)太平洋から
       はみ出した部族。        居着きで非農耕     上陸の農漁業塩作り
                         遊牧サンカ        の赤系サンカ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
梅鉢サンカ・10世紀以降キッタン系  ・   セブリ流民として    ・ 天照大神系として 
      日本史では隠して        五組編成で各地に     食料増産のため
      宋とするが、            散在し、シコとして     限定地に居着き
      指揮部族              防衛編成。         させられる。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
南北朝サンカ・明国や朝鮮の   ・  源氏とされ、後に  ・   平氏の子孫も世直し 
       影響が及ぶ          楠木正成らが       に三河の足助次郎
                         隆起する。        らが決起する。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
戦国サンカ・徳政に反対し    ・   北条早雲一党    ・   上杉謙信一党 
      各地でサンカ出身が     別所宗治一党        尼子持久一党
      戦国武将となる
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
江戸サンカ・綱吉の神仏混合令  ・   飼戸の子の飼子が  ・   庭子小作奴隷が 
      によって反仏教徒は       幕末に殺し屋として     大百姓へ世直し
      非人とされ弾圧される       上洛し利用されて      を迫り一揆する。
                          恰好良く志士という     イッキイッキという

 何か、各時代によって色々っぽい。
 
129日本@名無史さん:03/08/31 18:09
  
   ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/yagiri%20sigaku.htm

  ここに、大化の改新は百済と中国系の王朝が成し遂げたって
  あるんだけど・・・
  
130日本@名無史さん:03/08/31 18:21
突厥はどう関わってくるんだ?
131日本@名無史さん:03/08/31 23:57


綱吉の神仏混合令によって反仏教徒は、非人とされ弾圧される  

とありますが、綱吉の神仏混合令って何? 
        
      
132日本@名無史さん:03/09/01 00:07
本地垂跡説と神仏混合と薬師如来と牛頭の関係は?
133日本@名無史さん:03/09/01 00:26
>>131
綱吉って生類憐れみ令でエタを保護したわけだが、
134日本@名無史さん:03/09/01 01:44
[難民とは何か]/5 作家・徐京植さんの語りから /京都

「 (密入国した)叔父は隠れて暮らしました。発覚すれば強制送還。だから日
本の学校には通えない。叔父のような滞在資格のない人は朝鮮学校に行くしか
ない。社会主義思想や主体思想を支持しているかは関係ない。そこしか居場所
がない。おそらく(40年代後半ごろ)当時、20万人かそれ以上が不法滞在
者として存在していました。そして、朝鮮人は一種の難民状態に置かれた」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030820-00000003-mai-l26

奴等は自ら「密入国」と吐露しています。
135日本@名無史さん:03/09/01 01:45
強制連行で連れてこられたと思い込む理由(1)

呉:在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃ
  ないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
  わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も植民地のときに強制的につれて
  こられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、そういう物語をつ
  くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大
  きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。

呉善花、崔吉城『これでは困る韓国』1997年より


古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)

呉:部落の人たちにしても、秀吉の朝鮮出兵で強制的に連れて来られた人がほとんどじゃ
  ないですか。中世よりの伝統的な土着の賎民たちは極少数なわけですから。
崔:そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、そうであるにもかか
  わらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。自分も古来から連綿と続く土着の
  賎民なのだと、これはアイデンティティとしてそうなってしまっているんです。
呉:なるほど、意識と実際は違うということですね。
崔:実際は土着の賎民ではなくても、我々は縄文からの土着の賎民なんだという、そういう物語をつ
  くってそれを自分の意識としてもつんです。ここが部落の人たちを考える場合のかなり大
  きなポイントです。(中略)それで怪童はそういう物語を部落の子供たちに懸命に教えるんです。
呉:なんのために教えるんですか
崔:選民意識、部落利権を守り、それを子孫に残すためです。
136日本@名無史さん:03/09/01 12:45
>>古来から連綿と続く土着の賎民だと思い込む理由(1)
 
 いろんな成り立ちがあるんじゃないですか?
 平安末期くらいからの記録があるとこもあるし。
 自分の住んでるところも神社とかは鎌倉時代からあるらしーし。
 でも、壬申戸籍上とかじゃなくて今認識のあるところは
 明治時代以降の政治の結果っぽい。
137日本@名無史さん:03/09/01 17:22
>>124
細民=素麺 だと思ってました。別件では、

素麺作りを副業とする農家では、動力として水車を動かす馬の管理
などに土地の者意外や、周辺の被差別民を雇っています。馬の管理と処理に
ついては素麺作りに欠かせないので、そういうふうに言われたのじゃないでしょうか?
138日本@名無史さん:03/09/01 17:47
家紋がない家ってあるんでしょうか?
知り合いがないかもって。若いから知らないだけ?
139日本@名無史さん:03/09/01 17:52
元は隣の家と同じ家紋だったんだけど
うちの爺さんと隣の爺さんが喧嘩してから
我が家の家紋が変わったらしい。w
140御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/09/01 18:20
>137 サンクス
ここのスレの住人がアミンと呼ぶ学者が本に書いてることやね
やっぱりそれぐらいか・・。
141日本@名無史さん:03/09/01 18:25
>>140
なんつったって、アミンは何でもかんでも認定してますから。
八切さんの場合は、8割がセンミンと言うし。
142御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/09/01 18:28
失礼しました
上杉聡の本に書かれてるらしいです。
143日本@名無史さん:03/09/01 18:59
>>142
上杉氏は
素麺をどう説明してるんですか?
144御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/09/01 19:06
44に少し書いてあるのが気にかかる
アミン氏は水呑み百姓の仕事やと・・。
http://ton.2ch.net/rights/kako/994/994075155.html
145日本@名無史さん:03/09/01 20:53
明治新政府は、邪魔者を消していきましたね?(ニヤリ
146日本@名無史さん:03/09/01 21:21
それとやっぱ度重なる戦争&恐慌で国民は疲弊したんだと思うな。
なんか、鉄製品とかも国の命令で徴収されて
鋳物師とかも仕事が出来なくなったって言ってた・・・
147日本@名無史さん:03/09/01 21:37
明治になると特権を失ったのは鋳物師とえたひにんだけ?
148日本@名無史さん:03/09/01 21:47
>>147
士族もいるでしょ?落ちぶれた人もいるのでは?
色んな混乱があったようですよ。
ちなみに反政府的な者は暗殺とか、つぎつぎ消されてるようですよ?
板垣退助とかも暗殺されかけたし。
思ったように民主主義の世にはならなかったようでつ。
149日本@名無史さん:03/09/01 21:48
保健室で休息中の少女に何が起こったか・・・
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150日本@名無史さん:03/09/01 21:55
土佐が切られなかったらもっとマシだったかもね。竜馬どん。
151日本@名無史さん:03/09/01 21:59
152日本@名無史さん:03/09/01 22:00
>>118
>ここまでくるともうほとんど宗教だね。
読書をお勧めします。
153日本@名無史さん:03/09/01 22:00
>>146
鋳物師の頭は明治時代にかなりの成功をおさめた者を多い。
斜陽に転じたのは、むしろ大正時代から、それから戦前あたりかな?
154日本@名無史さん:03/09/01 22:03
士農工商っていうけど、
工の部類の人達は、どういう扱いだったのか?
鋳掛師とか木地師は、行商であっり、山岳に生きる人達のことじゃないの?
155日本@名無史さん:03/09/01 22:05
よくわからないんだけど、拝火教って
新羅人?百済人?(←これは仏教?)
徐福様御一行?(出雲族?)
それとも遠くアラブの文化を伝えた海洋民族?
156日本@名無史さん:03/09/01 22:05
エタヒニンの中でも、ヒニンは解体されたのでしょ?
エタと他の職業の人達を一緒にしたのは歴史家のせいじゃないの?
157日本@名無史さん:03/09/01 22:11
拝火教は平氏だよw
158日本@名無史さん:03/09/01 22:22
>エタと他の職業の人達を一緒にしたのは
秀吉がカワタで一くくりにして、江戸幕府がエタでまとめて固定しました。
159日本@名無史さん:03/09/01 22:33
江戸時代に固定されたとしても、明治以降は以前の部落の周辺に
窮民(別の地域の部落民も含むが、単なる貧乏人もいる)が流れ
込んだり、在日朝鮮人が住みついたりして、スラム化している場
合がある。
これを代々続いている部落というのは何だか違和感があります。
160日本@名無史さん:03/09/02 16:48
幕末戦というのは、当初は被圧迫階級の(神の民)が、その蓄積した金融資本によって政治体系を変革する目的
で始めたものが、終局において西南勢力と東北勢力の武力衝突になった

とあるが・・・
 維新に必用な資金を弾ザエモンとかが出したって事?
 その後、思ったような革命ではなくて、反政府運動の騒乱とかにも
 資金を出したりしてたんですね。
161日本@名無史さん:03/09/02 16:51
困窮化したのは、被差別民側の反政府運動が激しくなって
それに当惑した明治新政府が差別構造を強めた
り弾圧したりしたからなのかな?
162日本@名無史さん:03/09/02 17:17
それと戦争と恐慌。
163日本@名無史さん:03/09/02 17:22
>>被圧迫階級の(神の民)が、その蓄積した金融資本によって
  政治体系を変革する目的
金融資本が蓄積されたのを考みても宗教観による職業差別だったのかと
思われるが・・・・
164日本@名無史さん:03/09/02 20:47
>>160
弾ちゃんの奥方の八重さんは
「薩摩ホイトに金とられるくらいなら、寄付しちまえ」と言ってなかったっけ?
165日本@名無史さん:03/09/02 22:09
矢野内記の妻八重が「薩摩ホイトは勘弁ならん」と、
報復のため西下して、明治七年の佐賀の乱の江藤新平
に資金を出し、次々の反乱事件にシンパをつとめたから、
二十有余もあった金銀の倉が空になり、明治二十年前に
さしもの弾家も没落したと伝わる。
勿論一般には革問屋としての事業の失敗とされているが、
江戸の金本位制を支え当時の日銀の役割を果たしていたのが、
そんな事でもろく崩壊する筈はない。
これははっきり明治政府の取り潰しである。
166日本@名無史さん:03/09/02 22:24
>弾左衛門
幕府側についてます。見返りに穢多呼称から脱却してます。
仲間も少々身分解放うけました。
しかし、同胞の全解放は明治の解放令まで待たねばなりませんでした。

>明治からの被差別部落の経済的困窮
江戸時代は、皮革等の経済特権で、豊かな穢多村も多かったようです。
人口増加が平民村を上回っているようです。
社会的移動による増加でなく、自然的増加によることは実証されてるようです。

明治になり、皮革等の特権が剥奪され、一般資本家が機械工業で参入してきたのが打撃となり、
日清日露で、大資本が軍需産業として本格的に参入したのがとどめのようです。
167日本@名無史さん:03/09/03 01:20
そうすると蝦夷共和国の真相やいかに?
168日本@名無史さん:03/09/03 15:55
>>166
明治になって、特権を失ったのは、既出の鋳物師と同じだと思うんだけど。
弾家が支配していた職業で無いものは、部落とは関係ないの?
169日本@名無史さん:03/09/03 18:17
武田の一向宗、つまり後の浄土宗や真宗の本願寺派は、
西方極楽浄土を説くのに対して、薬師寺医王派というのは、
白衣を纏い、正反対の東方瑠璃光如来、を教える東光派である。
教義がまるで逆で、墨染めの衣を纏って読経する、修験、
修法を旨とする白衣派であり、「武田一派の本願寺派を折伏せん」
と各地から動員されたものである。

 ってあるんだけど、薬師寺医王派って真宗なの?そんなのあるの?
170日本@名無史さん:03/09/05 22:16
>>169
天台の亜流じゃなかったっけ?
171日本@名無史さん:03/09/06 12:57
>>169
どこに書いてあったの?サイト?キボンヌ。
172日本@名無史さん:03/09/06 14:26
>>171
ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/ieyasu.htm
   ここだよん。

  本地垂迹説で仏教化された神様はいっぱいいるのかなー?
173日本@名無史さん:03/09/06 14:30
それと明治維新後の教派神道の発生とも関連深いのかな?
174日本@名無史さん:03/09/06 16:09
このスレをCIA白装束クネクネ軍団の人はよく読むように。
175日本@名無史さん:03/09/06 16:26
矢野内記は、矢野藤原内記ともありますが、藤原はミドルネーム?
176日本@名無史さん:03/09/06 19:55
さあ?
昔の人の名前は 地名+役職+名前らしいけど。
矢野内記は養子らしいので区別してるとか?
177日本@名無史さん:03/09/06 21:26
>>172
仏を本地にできた神(有名神社)と、できなかった雑種の神(蛇や獣などの神)
がいたようです。
有名どころの神社や神は、ほとんど仏の由来がついたみたい。
天照大神・伊勢神宮は、大日如来の垂迹だとか。
178日本@名無史さん:03/09/06 23:50
出雲大社は?
179日本@名無史さん:03/09/07 00:57
半島が起源だったなんてこのスレで初めて知った。
180日本@名無史さん:03/09/07 01:00
>>180
明治時代には、そういう説もあったけど。
181日本@名無史さん:03/09/07 14:59
>>156
源頼朝が正式に定めたのが始まりでは?
182日本@名無史さん:03/09/07 23:08
>>178
存覚の『諸神本懐集』では神明を「権社ノ霊神」と「実社ノ邪神」に
大別し、前者を仏菩薩の垂迹としています。例えば、伊勢神宮と出雲
大社については、

 天照大神ハ日天子、観音ノ垂迹、素盞鳴尊ハ月天子、勢至ノ垂迹
 ナリ。コノ二菩薩ハ、弥陀如来ノ悲智ノ二門ナレバ、コノ両社モ
 ハラ弥陀如来ノ分身ナリ。

と説き、
熊野十二所権現については、

 オホヨソコノ権現ハ、極位ノ如来、地上ノ菩薩ナリ。ナカンヅク
 ニ証誠殿ハ、タダチニ弥陀ノ垂迹ニテマシマスガユヘニ、コトニ
 日本一ノ霊社トアガメラレタマフ。

と説いています。その他、鹿嶋・箱根・三嶋・八幡・日吉山王・祇園
・稲荷・白山・熱田などの諸神の本迹が説かれた後、

 ソノ本地、サマザマニコトナレドモ、ミナ弥陀一仏ノ智恵ニオサ
 マラズトイフコトナシ。

と究極的には阿弥陀如来に帰す事が説かれます。
183日本@名無史さん:03/09/08 18:01
となるとやはり宗派の問題かな・・・
184日本@名無史さん:03/09/08 18:48
なぜ暴力団員が多いの?
185日本@名無史さん:03/09/08 22:07
非人は自力で生活出来なかった人を言うのでは?
食い詰める→非人小屋(衣食住提供)
エタの発生はおそらく弥生時代後期〜古墳時代初頭頃?
186日本@名無史さん:03/09/08 22:09
>184
暴力団の中では国籍も出身も関係ない、
実力次第だから、
という話を聞いたことがある
187日本@名無史さん:03/09/08 22:12
>>非人は自力で生活出来なかった人を言うのでは?

落ち武者とかもそうでしょ?みんながみんな食い詰めた
 人ではなさそうだし。
 車なんとかいう頭もいたみたいだし。
188日本@名無史さん:03/09/08 22:13

穢多・非人の子孫っておる?

自称武士の子孫や自称庄屋の子孫ならゴロゴロいるので、ここらで
穢多・非人の子孫にも名乗り出てもらいたい
189日本@名無史さん:03/09/08 22:17
>>184
おおもとは博徒や的屋じゃないのかな・・・?
190御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/09/09 06:56

ヤーさんのおおもとは町奴と言われてるけどな。
191日本@名無史さん:03/09/09 10:10
>町奴
かぶきものかな。
旗本奴というのもいるが出身の違いで、似たようなものかな?
192日本@名無史さん:03/09/09 13:48
>>188
たまに書いてるけど、いるよ。
もっとも江戸から明治にかけて上手くやってたほうなので、
部落運動とかには全く縁が無かったらしい。
193日本@名無史さん:03/09/09 15:20
>>192
それって私のことですか?
っていうか宗派の違いじゃないの?
福井とかも真宗発祥の地ですが部落問題はないのでしょう?
194日本@名無史さん:03/09/09 15:31
「えた」は何故穢れているのか?

教えてください。
195御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/09/09 16:45
>191 『やくざと日本人』猪野健治 筑摩文庫 より抜粋
【カブキ者】
戦国末期の武家の奴僕(仲間・小者)、下級武士(足軽)を核とする武家社会の内側に生じた
八方破れの抵抗集団。自力で叛乱を起こす力のない下級大名は、積もる不満をカブキ者を
膝下に抱えることで、発散させた。
【旗本奴】
正保・慶安(1644〜1652)年代には、カブキ者に加えて、旗本無頼が登場する。
加賀爪甲斐守(一万石)、坂部三十郎(五千石)がいる。
財力を蓄え、急速に力を持ち始めた町人階級に対しあせりがあった。
彼らの本質は旗本の特権意識に根ざした身勝手な自己主張にすぎず、戦国の下克上の
気風を継承していた大鳥一兵衛らの一党とは、根底的に異なる。
【町奴】あふれる45万人の浪人
旗本奴に対抗して、町人の側に立つ無頼が登場する。
町奴の首領級は浪(牢)人(失業武士)のなれの果てであった。
関ヶ原の戦い・大阪城落城後の幕藩体制―封建制確立の課程で生じた浪人である。
浪人の簇出は、長期政権をめざす徳川家の豊臣譜代大名追放政策(除封、減封、改易)の
結果による。
196日本@名無史さん:03/09/09 22:00
>194
死体の処理に関わるからじゃないの?
197日本@名無史さん:03/09/09 22:05
ちゅうか、最下層の貧困層としたのは明治新政府の悪行を
密かに隠蔽してません?どうも、明治〜昭和初期の宗教やイデオロギー的な
ものにも微妙に関わってて、それを戦後民主主義の世に持ち越したくないので
全てを徳川期のこととして片付けようと・・・。
そうしたほうがスラム対策や封建制の決別と自由と平等の理念の定着にも有効だし。
蓄えられた金融資本が維新の原動力になっていたとしたら、
まっどのみち貨幣制度と資本主義の構造の発展が大きく関与してるのでしょうが。
江戸期を分析するにしても。
ただ、どのような職業かによって違うのでしょうけど。それは世襲?

198日本@名無史さん:03/09/10 12:31
蓄えられた金融資本って皮革産業者だけではないですよね?
明治期に銀行業してた人もいるし。
でも江戸期は各藩で違う国だし、それぞれで制度が違うとかあるんでしょうかね?
199日本@名無史さん:03/09/10 20:33
しかし、江戸時代の最下層の困窮者っていうイメージがついちゃって
これが近・現代史を微妙にしてるね。
銀行やってた人もいたぐらいだし。
200日本@名無史さん:03/09/10 20:36
>>明治〜昭和初期の宗教やイデオロギー的なもの
 多くはオカルト・宗教的なものとしてキワモノ扱いになってしまった?
 サンカとか古代文明とかも微妙に関係ある??
201日本@名無史さん:03/09/10 20:40
あんばとか髪結い・町火消しは
士農工商のどこに分類されるんですかね?
202日本@名無史さん:03/09/10 20:42
考えてみれば、戦前はオカルト花盛りだね。
ソロモン王の秘宝本気で発掘したり・・・
203日本@名無史さん:03/09/10 20:45
教派神道とかも関係あるのか?
204日本@名無史さん:03/09/10 20:47
ムーの世界だ
205日本@名無史さん:03/09/10 23:38
>201
町火消しは鳶じゃないの?
206日本@名無史さん:03/09/11 01:50
なんか、カキ子が減ってますね。このスレ。
賎視と貧困は必ずしも一致してなかった?江戸時代。
207日本@名無史さん:03/09/11 01:51
どちらにしろ、貨幣経済が発達してないと成しえませんが・・・
208日本@名無史さん:03/09/11 01:54
商品作物や伝統工芸品などを専売で扱ってた
地方もあるの?
209日本@名無史さん:03/09/11 02:30
伊勢神宮と出雲大社って明治維新のときも対立してたの?
210日本@名無史さん:03/09/11 12:28
士農工商えた・非人っていう序列はあったのかもしれないけど
おそらく金銭的・物質的豊かさはそれぞれの身分においてピラミッド
構造を持っていたっぽいね。
211日本@名無史さん:03/09/11 12:36
それぞれに、ボスがいるっぽい。
212ぽちくん:03/09/11 12:52
えたは役人から仕事もらったり、皮や内臓を加工して売ったりしてた
わけで、えた頭はそれなりの権限と富はあっただろうねえ。
213日本@名無史さん:03/09/11 13:19
非人にも頭がいるらしい、車なんとかっていう人。
富を蓄えたのは、商品作物の加工や特定の分野の工芸品
などにおいて専売の権利を持っていたからではないの?
それと税の免除。
214日本@名無史さん:03/09/11 13:38
>>えた頭はそれなりの権限と富はあっただろうねえ

 ボスレベルになると士族じゃなくても読み書きはできたと
 思う。
 富の蓄積には
 貨幣経済・資本主義の発達(貨幣は出目に関係なく流通する)
 があったから?
 陸運・海運・河川運送などの整備があって全国展開でモノが流通し
 商売ができる。しかも、専売をしいてる。
 などの要因も大きいと思う。

 
215日本@名無史さん:03/09/11 14:16
幕藩体制の中でエタ・非人と農民を対立させる仕組みがあった。
これによって下層階級が団結して反乱をおこすことを避ける。
犯罪者の取り締まりを行う「目明し」もヤクザの親分とかがやっていたのと同じ理屈で、「毒は毒を持って制す」というやり方だ。
現在もなお残っている被差別部落への差別思想は江戸時代のこの仕組みによって確立されたものである。
エタを差別するのはドン百姓の末裔であると言える。
エタは穢れていると言ってみても、本来一番穢れているのは人間の血(死穢)に接している武士なのだ。
216日本@名無史さん:03/09/11 15:52
一向宗で一揆を過激にしていたのは本願寺派だけなのですか?
他のマイナー宗派は、そんな過激組織じゃなかったの?
217日本@名無史さん:03/09/11 15:58
>>本来一番穢れているのは人間の血(死穢)に接している武士なのだ

平安時代の書物などからみると貴族が仏教的観点から
 殺生戒を犯す武家を差別する発言がありますよね。
 特に、木曽源氏なんかは田舎モノの野蛮人みたいにかかれてるし。
 貴族と武家の覇権争いもあるし。
 武士道という思想から独自の存在意義を生み出していったようにも
 思える。
 
218日本@名無史さん:03/09/11 16:38
エタ・非人と農民を対立

エタと非人も対立してたんでそ?
 エタのほうが格が上なんだけど身分はかわれない
 非人は身分的には下なんだけど賎民身分から脱出できるとか・・・
219山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/09/11 16:59
>>217
逆に首を軍神(いくさがみ)にささげたてまつらん(『平家物語』)なんて
表現も出て来ますからね。武士の本質は刑吏であったという意見もある。
220訂正:03/09/11 17:11
>218
×幕藩体制の中でエタ・非人と農民を対立させる仕組みがあった。
○幕藩体制の中でエタと非人と農民を対立させる仕組みがあった。
221日本@名無史さん:03/09/11 17:31
>>219
保元・平治の乱、源平合戦、承久の乱で武家は地位を確立
 したのではないですか?武士=貴人の認識
 平安時代の貴族が武士は畜生道(人を殺すから)だから
 一般人が武人のマネゴトをするべきでない、みたいにいってるの
 を読んだ気がする。
 「平家物語」でも清盛と鹿ケ谷の陰謀の西光法師がお互いの出目を
 けなし合い、現在のオヌシの振る舞いは分不相応だと罵りあう
 シーンがありますよね。清盛の怒りをかった西光は切られてしまう。
 このころは武人は権力を握っても一段下に見られていたのでは?
 
222山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/09/11 18:34
>>221
武士とは公家社会では下位に属する存在であり、「情け無き」ものの代名詞
であったと考えていますが・・・219のレス中にそうでないといった事は
書いておりませんよ。
ただ「武勇・弓箭・馬芸・相撲強力」(『古今著聞集』)といったものは本
来公家文化のなかに位置づけられたうえで(武官の衰微の内に)、特にそれ
を専門的に担うのが武士の家に生まれた者だと考えられていたようです。
223日本@名無史さん:03/09/11 23:08
新田男爵
224日本@名無史さん:03/09/12 00:39
被差別部落の起源を江戸や安土桃山に求める論は既に否定されてるけど
古代の賤民に結びつける論もまた強引すぎるような
最近では公家の日記の研究が進んで
平安時代には市中にあふれていた死体が承久の変あたりを境に消えたことがわかってきた
化野などの無縁墓地が出来て死体を片づける専門職も発生したようで
古代と中世の境目に何かありそうだと思うよ
225日本@名無史さん:03/09/12 00:54
>>化野などの無縁墓地が出来て死体を片づける専門職も発生したようで
古代と中世の境目に何かありそうだと思うよ

化野ってもとは風葬の地で空海が仏教を持ち込んだらこんな野ざらしじゃ
仏さん、成仏できないからってお墓にしたってホント?
観光の本に書いてあったんだけど。
226日本@名無史さん:03/09/12 03:43
風葬とか鳥葬の習慣は中国でも嫌われてるの?今も・・・
227日本@名無史さん:03/09/12 15:26
真宗って最初は仏光寺派のほうが勢力強かったんですね。
仏光寺派と本願寺派って対立構造があるのか。こういうのも
関係ある?
228日本@名無史さん:03/09/12 23:29
インドネシアから来た人たちもいるんだね。古代日本。
229日本@名無史さん :03/09/12 23:35
隼人とか熊襲だ。
230日本@名無史さん:03/09/13 00:01
昔、葬式のときに肉料理を出してたって聞いたことがあるんだけど。
これは、門徒だと普通なのでしょうか?
母は、実家が禅宗なのでいくらなんでも葬式にこの料理は有り得ないと
嫌悪感があるようですた。
葬式の文化って宗教でももちろん違うのだけれど、
葬式の食事で肉を出す文化っていうのは普通にあるんでしょうかね。
仏教徒以外では案外普通なのかな?
231日本@名無史さん:03/09/13 00:43
最強のスープ、醤伍のスープ。
最強の麺、醤伍の麺。       
醤伍こそ力。醤伍こそ正義。
最強のラーメン食いたかったら、茅ヶ崎醤伍に来な。

公式HP
http://www.shonan134.com/django/ 
公式掲示板
http://food3.2ch.net/test/read.cgi/ramen/1058966774

232日本@名無史さん:03/09/13 00:47
>>195 旗本奴に講談にもなった水野十六左衛門を忘れてもらっては困るよ。

>>230 江戸時代までは神主は穢れを忌避していて葬式は仏教の専売特許だった。
役割分担という事だろう。なので穢れたる四足の肉料理はご法度だ。
で、現在の神道各宗派(空気みたいなものだったが)は、明治元年のキリスト教
解禁を受けて(ヘボン式のヘップバーンは実は宣教師だったが元年前に潜入)、
危機感を抱き葬祭まで行うようになった。鶏肉などを祭壇に供える。
あと精進料理は日本の禅が起源だからね、大乗の中でも一番戒律的な宗派だ。
233日本@名無史さん:03/09/13 01:03
神道はそういえば祭壇に海の幸として魚介類を供えますね。
234日本@名無史さん:03/09/13 01:06
葬式の食事ってそもそもどこの国にもあるものなんですかね?
国や宗教によってお祭りみたいなところもあるらしい。
当然肉を使ったご馳走がでたりする。
235日本@名無史さん:03/09/13 01:29
えた・ひにんの出自は皇室
236日本@名無史さん:03/09/13 01:39
>>235
×えた・ひにんの出自は皇室

○えた・ひにんの出現は仏教を信仰した天皇による
237日本@名無史さん:03/09/13 05:57
えた・ひにんの頭目が天皇じゃん…昔やってきたチョンの親玉。
それで在日・右翼が今でも天皇マンセー。
238日本@名無史さん:03/09/13 06:01
>>232
あなたは>>230が書いた門徒とは神道を信ずる者と理解しているの?
神葬祭についても勉強不足ですね
239日本@名無史さん:03/09/13 10:46
肉屋はエタの子孫という話がある。
革細工師の染付けの伝統は残念なことに昭和に絶えた。
竹細工師もエタの一種という話がある。
青森、秋田、岩手には部落が存在しない。
部落が濃厚に存在するのは畿内。
祈祷師もエタという話がある。
芸人もエタという話がある。
JRAも元はエタという話がある。
警察官もエタという話がある。
講釈師もエタという話がある。
エタに対する系統的な研究は少なく不明なことが多い。
イディオロギー的な問題は置いて、エタとは何であったのか知りたい。
240日本@名無史さん:03/09/13 12:19
納税の観点からの考察もあるけど・・・・
為政者・政府には納めなくてよくて
弾ザエモンとかの頭にミカジメ料を払えばそれで
よかったらしいね。
でも、エタ村で年貢を課せられてたっていう話もあるし、よくわからない。
祈祷師や宗教関係は納税っていうシステムはあてはめにくいからな。
241日本@名無史さん:03/09/13 12:27
でも、宗教観のほうが大きいような気もする。
仏教とかキリスト教は、やっていいことと悪いことの概念があるから
その基準であんまり好ましくないと判断された人達は白い目で見られ
たり馬鹿にされたりしちゃうのでは?
242日本@名無史さん:03/09/13 12:40
納税が免除されてたのは、
・もともとその為政者にとっては危険な反乱軍の要素が大きく
 統治のためのご機嫌うかがい、頭に治安をまかせる間接統治?

・職業的に納税しにくい(とくに貨幣経済が未発達な時代において
 農民のように米で納めるとかできない祈祷師とか芸人など)

・産業育成(?)=職人の保護?

・軍需産業などいざという戦乱に備えての専門の職人の確保のための
 優遇(まだ、戦乱の世のなごりがあった時代の場合、のちに太平の世
 になって不要になる?)

 などなど考えてみますた。
このスレと関連する研究会です。お気軽にご参加を♡

http://www.burakken.jp/gyouji.html
    ◆第二日◆ 【分科会】(9:30〜16:00)

       @歴史 

       対馬の抱下し者都市下層社会           森下 徹(山口大学教育学部)
       近世身分制の解体と戸籍法             横山百合子(東京大学大学院)
       維新期の身分把握の特質を考える        奥村 弘(神戸大学文学部)

 今年の歴史分科会は、前近代と近代を分けずに、一つの分科会として行なう。近年、身分的
周縁の視点からの歴史研究が発展してきた。そこでは、「士農工商えた非人」という固定的理
解では捉えきれない多様な現実が明らかにされている。今回は、そうした動向を踏まえて、近
世後期の身分制社会の変容のあり方と、明治維新期における身分制の解体の特質を議論する場
としたい。
244日本@名無史さん:03/09/13 21:45
>>239
>>青森、秋田、岩手には部落が存在しない。

ひにん階級の人達はいました。
245日本@名無史さん:03/09/13 22:14
>>243
奥村弘はあちこちの学会でしつこく長い質問をするので、ひそかに嫌われている。
246日本@名無史さん :03/09/13 22:20
避妊しない
247日本@名無史さん:03/09/14 01:09
>>244
どういう仕事をしてるんですか?
248日本@名無史さん:03/09/14 02:10
エタと非人はどう違うのですか?
249日本@名無史さん:03/09/14 02:39
>>247
先祖代々の仕事をしているな、差別とかは無い。
250御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/09/14 03:00
>>239>>244
1935年の中央融和事業会の調査まとめでは
秋田に一箇所ある。現在は多分無いやろうけど・・。
251日本@名無史さん:03/09/14 06:40
やっぱ、八切史観で明治時代におこったことを明確にしないと・・・
「ひと部落つぶせば何百マン」で博徒系の人たちに武器を持たせて
襲わせたっていうのはホントかな?夷でもって夷を制する?
これは、反政府的な運動が関係あるの?
252日本@名無史さん:03/09/14 06:50
江戸時代の乞食・零細民というのは必ずしもあてはまらない
人もいるのではないのかな〜?維新を費用的にバックアップ
した人々もいるのだから。
むしろ、明治以降の流れを正確に分析しないと。
253日本@名無史さん:03/09/14 07:02
それと、宗派の違いは関係あるのかな?
254日本@名無史さん:03/09/14 07:04
日露戦争で戦った兵隊さんは部落の人が多いの?
255日本@名無史さん:03/09/14 07:10
もう、平成の世なんだしこのあたりを明確にすれば
解ける謎も多いと思うが。
256日本@名無史さん:03/09/14 13:45
>>236それは合点がいかんな。死体処理、掃除などの職務は必要であるからして
生まれたのであって、職種があるから必要になった訳ではあるまい。で、日本人の
伝統思想において当然3K職業の人間が蔑視され成り手がいない、そこで、河原
乞食などにその職務を与え安く使ったという方が合点がいくんだな。

>>238 すまん、大意でそう捉えた。ついでに穢れではなく殺生戒であるね。
門徒=真宗だな、しかし真宗の思想的位置付けは仏教と言うよりも神道もしくは
日本の古来思想に近いと思っているのもある。ただひたすらに「南無阿弥陀仏」
というのは言霊的であるし。

今でも姫路の白壁の家は穢多の末裔だそうな、この辺りの歴史に詳しい人降臨希望。
257日本@名無史さん:03/09/14 15:54
>>256
伝統思想において当然3K職業の人間が蔑視され成り手がいない、そこで、河原
乞食などにその職務を与え安く使ったという方が合点がいくんだな。

これは、初期の段階で後世では例えば戦で敗れた憎き勢力の一味に蔑視される3K
 職業につけて貶めたっていうことはないですか?
 何か、知ってはならないことを知ってしまった人々を信用をなくすために
 被差別民に落としたっていうのがあった・・・大室スレ?

 
 
 
 
258日本@名無史さん:03/09/14 16:04
いや、戦に破れたから河原に住んだり山奥に住んだりしたのか?
259日本@名無史さん:03/09/14 16:08
白壁の家っていうか最近はほとんど昔ながらの家が
残っていないのですけど、日本家屋にも地方によって
種類がありますよね。豊富な素材を使ったっていうだけでは
なくて、色んな文化があるのかも?
260日本@名無史さん:03/09/14 22:22
「ひと部落つぶせば何百マン」で博徒系の人たちに武器を持たせて
襲わせたっていうのはホントかな?

 ここ、非常に知りたいのですが・・・・
261日本@名無史さん:03/09/14 22:25
このあたりがはっきりしないと江戸時代の細民っていうイメージ
なんだよね?
実際、商品作物の加工や製品を作る職人街は貧しい人もいただろうが
乞食のような生活ではなかったはず。
262これなのですが・・・:03/09/14 22:34
国家機密費をもって、金で動く右翼を作り、
それによって水平社退治を全国的に官憲の
応援のもとでやらせた。
「水平社運動史」の血生臭い各頁を見れば出ているが、
縄文時代さながらに、竹槍で対抗する水平社の闘志に対し、
日本刀や散弾銃、時には軍隊払下げ銃の右翼各団体が、
一部落つぶせば何百万円の懸賞で襲撃した。
当時奈良から岡山にかけては、殺されるのを恐れて部落民
が各地区から次々と逃亡が続出した。
妙な話だが、博徒系の右翼団体は歴っきとした日本原住民なのである。
それか゛大正時代になってもまだ「夷をもって夷を制する」と藤原時代
そのままで、金でつって戦わせたものらしいが、全く金が義理のこらえ
性のない奴隷根性の民族性である。

263日本@名無史さん:03/09/14 23:04
しかし、明治から大正時代に、宥和に成功した知事なんぞは
政府より表彰されたというけど。

さらに、米騒動では、部落民に有利な米価を提示して、部落外の庶民が
怒った、ということもあった。

博徒はヒニンで、えたVSひにん、というのはトンデモか?
264日本@名無史さん:03/09/14 23:25
>白壁の家

裕福だったということ?
265日本@名無史さん:03/09/14 23:30
姫路といえば、鹿皮のナメシで有名、というか発祥地じゃなかったでしょうか?
でも、これは白物といわれて、エタとは無関係と聞きますが。

白壁もありますが、黒壁はどうなんざんしょ?
266日本@名無史さん:03/09/14 23:31
>>博徒はヒニンで、えたVSひにん、というのはトンデモか?

博徒は非人だろうけど、実際は共産系も絡んで様々では?
 多分、日露戦争で労働力を兵に取られたことも大きいのでは?
267日本@名無史さん:03/09/14 23:33
独占的職業集団であったから貧しくは無かったでしょう。
268日本@名無史さん:03/09/14 23:39
>>267
実際は職種によるでしょう。それと、集団内部での位置。頭か否か。
269日本@名無史さん:03/09/15 13:47
>>267
 それと、貨幣経済の発達が大きいのではないかな?
 富を貨幣で測り、蓄積できるようになっていたってこと。江戸時代には。

 
270,名無し◇OKUGE:03/09/15 13:50
てすと
271日本@名無史さん:03/09/15 13:52
しかし、スサノオ神は渡来系じゃないのかい?
272日本@名無史さん:03/09/15 14:07
国譲りって誰にしたの?
273日本@名無史さん:03/09/15 16:42
水平社を興した松本治一郎の孫が今の国会議員中でベスト3に入る富豪なんだからね
274日本@名無史さん:03/09/15 21:37
部落から本願寺に莫大な寄進があったらしい
275日本@名無史さん:03/09/16 02:02
非差別的(であるとされている)マイノリティが金を溜めるのは当然だと思うが。
何しろ身を守るものが本来は国などであるのに対し、ほとんど無いも同然なのだから
ゆえに現実社会で強いもの=金や暴力を求め、そのせいでさらに嫌われるという
悪循環を繰り返しているようにしか見えない。

ユダヤなんかこれの典型的
276日本@名無史さん:03/09/16 10:58
>>274
本願寺と縁もゆかりもない宗派の人には関係のない話なの?
277日本@名無史さん:03/09/16 11:16
貨幣経済の発達は安土桃山時代頃?
信長は西洋好きだったから、キリスト教だけでなく西洋の文化や
経済の仕組みも吸収したんだと思うのだけれど。
楽市楽座とかも西洋人の入れ知恵っぽい。
複式簿記の仕組みって近江商人が一番最初に取り入れたっていうけど
何か関係あるかな?
278日本@名無史さん:03/09/16 11:56
でも、楽市楽座で座は撤廃されたのに・・・
家康の時代においても復活されなかったのでしょう?

死穢に関する商品の加工や販売は忌み嫌われてるので他者の参入
がなく自然と座のようになってしまったのかしらん?
279日本@名無史さん:03/09/16 12:27
1.江戸時代初期までは、その様な階級制度は無かったので無いですか?。
2.日本人も幕末までは、犬を食っていたでしよう。
3.単に職業から分けたのでは無いと思うのですが?。
4.関東以北は被差別部落は非常に少ないと思うのですが?。
5.えた、は一生えた、ひにん、は復権が有るとのこと。

以上を教えてください。
280日本@名無史さん:03/09/16 13:37
>>279だが、誰も解らないのかな?。
281日本@名無史さん:03/09/16 14:03
2.日本人も幕末までは、犬を食っていたでしよう。

これは、戦争中・直後も食べてたみたいですよ?食糧不足からか?
 赤毛(茶色のこと?)の犬がおいしいというのはよくきく噂。
 西郷スレで鹿児島は犬食べてたって見たけどホントかな?
282日本@名無史さん:03/09/16 14:09
赤毛の犬が美味しいでぐぐると結構あるよ。
283日本@名無史さん:03/09/16 14:33
>>281
>>282
ありがとう、江戸時代薩摩藩邸の庭のゴミ捨て場を掘り起こしたら、
犬の骨が沢山出てきた話がありますね。

私の聞きたい本論は、被差別部落が関西に多く、関東から以北には
少ないのは何故かと言うことですが。
どなたか、教えて下さい。
284日本@名無史さん:03/09/16 14:34
>283
関東以北は全て部落だからです。
285日本@名無史さん:03/09/16 14:45
>>284
それって、マジですか?。
286日本@名無史さん:03/09/16 14:48
関東は弾家という存在があったので、統制されたエタがいたということ。
武蔵は中世城や武将も多いので、その下部のモノも多かったと思うけど。
しかし、中世の惣村経営が発達してなかったから、プロ市民みたいな意識が
なかったと思える。
287日本@名無史さん:03/09/16 14:49
藤原氏って中国系なんですか?
親唐政治したらしいけど。
そのときに、中華思想で縄文系住民や東南アジアなどの
人たちを低く見てしまったとか・・・?
288日本@名無史さん:03/09/16 14:57
それに東北は明治の頃にもマルクスやらルソーやらの思想は
庶民に流れてこなかったのでは?
なんか、庶民はなすがままそのままの生活を階級間の矛盾にも
特に疑問なくそんなもんだべさってしてたように思う。


289日本@名無史さん:03/09/16 15:07
>>287

藤(ふじ)原=唐
葛(ふじ)井=半島

八切史観では、GHQ=唐となっているけどね。とすると、古来の半島系渡来人は
三国人かも w
290日本@名無史さん:03/09/16 15:10
そりゃ、京都みたいに天皇や最高権力者から貧困層までそろってるところで
みんな平等っていう思想に啓蒙された衝撃度は大きいでしょう。
田舎で百姓の庄屋と小作人が平等っていうのとはまた衝撃度が
違いますよ。
291日本@名無史さん:03/09/16 15:16
>>286
成る程、弾家は以前聞きましたが、昔朝廷側と、関東以北詳しくは静岡県
を境にして戦争を何度もしていたと聞きましたが。蝦夷とか、まつろわぬ
人と言われたが、此は征服者と被征服者の違いだけと思うのですが?。

平たく言えば、アメリカへ来たヨーロッパ人とインディアンの関係だけで
ないすかね?。
292日本@名無史さん:03/09/16 15:23
>>289
共感を覚えますね。
やっぱり、白村江の戦いに、百済と倭のくにが、唐、新羅の連合軍に
破れ、百済滅亡、倭の国に進駐軍が来たんだな。
293日本@名無史さん:03/09/16 16:02

静岡以東、フォッサマグナのことかな?
たいそう大昔のことになるがな。
縄文時代の東日本文明は証明されておる。
当時、西日本は亜熱帯で人口は極めて少なかった。
その西(九州)に中国長江の難民が漂着。

4.5世紀の頃、東日本と日本海側の出雲族(物部氏系)と
西より前進してきた複層民族(大和)が対決!
294日本@名無史さん:03/09/16 16:39
近世以降を対象にした、部落研究っていうのは
怪童によって歪められているような気がします。
295日本@名無史さん:03/09/16 16:58
>>293
成る程、納得しますた。南九州は、南方系からの移住が多いのでは。
出雲族は物部系ですか。日本人の顔はモンゴル系統の顔ですね、朝鮮
系の顔は少ないですね。
物部系と大和系の対立ですか。

>>294
激しく、同意します。差別するなと言って金をふんだくる手段ですね。
296日本@名無史さん:03/09/16 17:21
武蔵国と物部氏と出雲族

武蔵国埼玉における祭祀の中心は「氷川神社」である。
氷川神社社伝には「成務天皇のとき、夭邪志(むさし)国造である兄多毛比命が出雲族をひきつれてこの地に移住し、
祖神を祀って氏神とした」とある。「夭邪志国造」は埼玉古墳群の豪族であり、のちの「武蔵国造」である丈部直(はせ
つかべのあたえ)氏は「武蔵国」を再編成した際の新興勢力(阿倍氏・物部氏系統)であり、新たに「氷川神社」を奉じ
たと考えられる。
丈部氏は神護景雲元年(767)には一族7名が武蔵宿禰の姓を朝廷から与えられると共に、丈部不破麻呂が武蔵国
造に任命され、氷川神社の祭祀権を認められている。

とにかく、武蔵国神社祭祀圏を考えてみる。
この「氷川神社」(須佐之男命)分布圏は「元荒川西岸」から「多摩川」にかけて埼玉県南部や東京都を中心にしている。
氷川神社は荒川・多摩川流域に多く、埼玉県を中心に東京都・神奈川県の一部にわたり、現在でも200社以上がこの
地域に分布している。その中心が大宮(現さいたま市)高鼻に鎮座する、武蔵国一の宮「氷川神社」である。この氷川祭
祀圏は比較的古い集落が多く、出雲臣一族による開拓がすすんだことを示している。
「氷川」とは、出雲の「簸川」ととく説もあり、おそらくは国造一族は出雲の守護神の霊力を奉じながら開拓事業を遂行し
たのであろう。
もっとも「氷川神社」が一の宮とされたのは南北朝期以降の事であり、鎌倉期以前の武蔵国一の宮は「小野神社」(東
京都多摩市)であった。古代においては一の宮制度は確立しておらず、特別に朝廷や国府が指定したものでもなかった。

297日本@名無史さん:03/09/16 17:35
成務天皇は、第13代の天皇で、景行天皇(けいこう)の第4皇子。
景行天皇を描いたのがヤマトタケル(古事記)である。
内戦が、あったのであろうね。
謎の4.5世紀に、大和が出雲を押さえ、東北(蝦夷)の兵站基地に
したのかもしれない。

298日本@名無史さん:03/09/16 17:43
>>その西(九州)に中国長江の難民が漂着。

 そういや、雲南省の少数民族には日本と似た文化があるらしいね。
 彼らも難民として中国南部までやってきたの?
299日本@名無史さん:03/09/16 17:46
天智天皇 

(626〜671)飛鳥時代,大化の改新を行った天皇(在位668〜671)。中大兄皇子。
645年,中臣(藤原)鎌足とはかって*蘇我氏をたおし,大化の改新を実現。以後20年間,
皇太子として改新政治をおし進めた。百済をすくうために朝鮮に出兵したが,白村江の戦
い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗。やがて都を近江国(滋賀県)大津にうつして,
668年に即位,庚午年籍や近江令をつくらせるなど,律令国家体制の基礎をかためた。

*蘇我氏はご存知のように物部氏を滅ぼした族である。

天智天皇の後継を巡って争ったのが「古事記」のヤマトタケルであるかのように
見せているが、実は、景行天皇期の内戦記と輻輳させている。


300日本@名無史さん:03/09/16 17:46
稲作を伝えたのは中国長江の難民なのかな?
301日本@名無史さん:03/09/16 17:47
壬申の乱っていうのはどう?
302岡田克彦ファンクラフ゛:03/09/16 17:50
岡田克彦ファンクラフ゛からのご案内です。
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購入し、聴いてみましょう。

URL;http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5933/

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303日本@名無史さん:03/09/16 17:51
>>298
長江先住民は北の騎馬民族に征服され、土地を去った。

流れた先は、台湾、日本、ベトナムなど。

台湾先住民族(タイアル、セイダッカ、アミなど十数民族)と日本人の
DNAは大きく異なっているのかな?
台湾先住民(現代では「山の人」と呼称されている)は、いわば、台湾の
被差別民と言ってよいのかな?

そういえば、日本陸軍で屈強といわれたのも高砂軍だったな
304日本@名無史さん:03/09/16 17:53
壬申戸籍と壬申の乱。

 偶然の組合せ!とはいえ、面白い。
305日本@名無史さん:03/09/16 17:58
>>300
長江文明は、四大文明では唯一稲作を行っている。村社会の基本をなす稲作文化だ。

それに引き換え、北の騎馬民族や、他の文明では、牧畜と畑作なのである。畑作は、
稲作と異なり作業が簡単なので奴隷に仕事をさせて管理者が搾取できる。管理者は
支配者となって、武器を持ち、奴隷を確保、管理するのだ。

古代であっても勿論、階級社会であろう。
しかし、階級化を遅くした、または困難にしたのが稲作であるといってもいい。
日本の東北には縄文米が存在するが、これが長江難民の所作なのか、偶発なのか
は不明。
306日本@名無史さん:03/09/16 18:02
むう、では低湿地や河原に住んだのは稲作が目的ではなく
やはりケカレチだからなのですかねー?別所とか散所。
307日本@名無史さん:03/09/16 18:05
>>306
今だって、ホームレスは川沿いに住んでいるね。やっぱ自然の法則かな。
308日本@名無史さん:03/09/16 18:09
以前TVで見ましたが、長江の少数民族が、日本と同じ発音で数字を
数えていたのには吃驚しました。日本から行ったのか、向こうから来
たのか、どちらでしようか?。イチ、ニィ、サン、シ、ゴ、ロク、・・・
309日本@名無史さん:03/09/16 18:18
>>305
そうなんだよねえ、おいらの母親の実家のあたりには
おそらく平安時代から良田で、城もないのだけど
被差別部落が全くなくて、同時に地主と小作の
関係もないんだよね。つまり、ほぼ全員が本百姓の自作農。

でも、被差別部落のあるところは、まず城があるし。
被差別部落じゃなくても東北は大地主制度があるんだよね。
騎馬民族だから階級をもつのか??

アイヌに至ると所有の概念すらないらしいね。
原始共産制?

310日本@名無史さん:03/09/16 18:35
>>299
近江政権は、百済傀儡政権。よって、皇太子は自殺。のちに律令制へ。
近江は、イマキの渡来人が多いしね。埼玉も多いわけだが、これは大和
政権の配下であったんだろう。俘囚監視に当たったのかもしれん。
311日本@名無史さん:03/09/16 18:37
>>297
成務天皇陵 挟城盾列池後陵 
(せいむてんのうりょう サキのたたなみのいけじりのみささぎ)

サキタマと語源が同じみたい。
312日本@名無史さん:03/09/16 21:46
≫308
イチ、ニ、サン、シは漢語ですが。
日本語では ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナ、ヤ、コ、ト、です。
313日本@名無史さん:03/09/16 21:53
≫310
俘囚がエタなの?

東北に部落が少ない理由(秋田、青森、岩手にはない。)はそれなの?
出雲弁と東北弁が似ているのはどうして?(ずーずー弁)
かつては関東もずーずー弁だったが(川崎方言で行こうよ・いぐんべよ)
どうして?
314日本@名無史さん:03/09/16 22:11
エタはマニ教ってどこかで見たんだけど本当?
315日本@名無史さん:03/09/16 22:31
>>314
マニ教ってなんですか?、教えて下さい。
316日本@名無史さん:03/09/16 22:53
非人頭車善七最強!!!!!
317日本@名無史さん:03/09/16 23:13
弾左衛門家の家伝「弾左衛門由緒書」

http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/tkburaku/history/danzaemon05.html
318日本@名無史さん:03/09/17 00:01
>307
確かに墨田講演にホームレスがいるな(w
元々は河原でないと皮革の仕事ができなかったからでないの?
319日本@名無史さん:03/09/17 00:08
確かに、水を必要とする産業は多いね。
320日本@名無史さん:03/09/17 16:21
農民にしても江戸時代、地主制度のあるところと、そうじゃないところは
古代においての勢力図が違うのかな〜?それとも江戸期の政策?
明治以降の寄生地主制度は抜きね。
地主ー小作制度のないところは南方系渡来者かな?
321日本@名無史さん:03/09/18 00:23
皮革職人のほかに、河原者とか紺屋、物乞いなど
いろんな職業の人が河原に集まっていた筈だけど、
中でも軍事上必要な皮革職人に特権を与えるよう
になったのかな?
322日本@名無史さん:03/09/18 02:28
323日本@名無史さん:03/09/18 04:42
弾家ってなんだ?
なんで弾なんていうの?
324日本@名無史さん:03/09/18 04:47
>>321
何かよくわからないけど、江戸時代は藩から藩への移動は一般人は禁止だから
交通や運輸関係、全国展開での商売をする専売特許をもった人たちは
策謀の仕事もしてたってホント?
325日本@名無史さん:03/09/18 04:55
軍事上必用なところにもともと農業に興味のない騎馬民族系の人達や海洋民族を
配置して、仕事をさせたってことかな?
326日本@名無史さん:03/09/18 05:05
こうみても、一神教と善悪二元論と支配者と奴隷という観点からは
理解し得ないものがあるな。
327日本@名無史さん:03/09/18 05:22
>>296
>もっとも「氷川神社」が一の宮とされたのは南北朝期以降の事であり、鎌倉期以前の武蔵国一の宮は「小野神社」(東
京都多摩市)であった。古代においては一の宮制度は確立しておらず、特別に朝廷や国府が指定したものでもなかった。

さいたまでは抹殺されてる話だな。(w
328日本@名無史さん:03/09/18 05:54
>>313
蝦夷の俘囚は武士。
前9年の役とかで敵味方に分かれて活躍してんだろ。

チョソども必死だな。
チョンも日本史板にくるなら日本の古典ぐらいよめよ。
つーか俘囚って入試レベルだろ。

ほんとにチョンってやつは・・・。

329日本@名無史さん:03/09/18 11:53
>>328
朝廷おかかえの北面の武士と、
坂東武士は系統的に別なのかにゃ???
水軍なんかはもと海賊っぽいね。
330日本@名無史さん:03/09/18 11:57
神社の神様は為政者の都合で変えられてるね。
自分の住んでるとこなんてカエルにされてるよ(w
331日本@名無史さん:03/09/18 12:18
ここで非人は、身分の移り変わりがあるそうだが・・・
エタは血統なんでしょ?
10代以上続いてる頭系の人の家なら何か風習とか調べれば
わかるんじゃないの?
文字が読めないって言うのも頭系の家の人にはあてはまらないでしょ?
332日本@名無史さん:03/09/18 13:04
俘虜となった者が家族を得られたのか?
抵抗者でも支配層になった者はいるだろうが。>>328
333日本@名無史さん:03/09/19 00:16
>>332
家族を得られたかってさぁ、移配された俘囚は二代間まで
俘囚料で養われたんだぞ。
あたま大丈夫か?どこから湧き出るのだ?

334日本@名無史さん:03/09/19 00:22

俘虜と俘囚と奴隷の違いを述べよ。
335日本@名無史さん:03/09/19 00:25

夷俘:

奈良時代から平安初期、律令政府に降伏した蝦夷の称。
さらに順化の進んだ俘囚と区別していう場合もある。


夷俘と俘囚(捕虜、俘虜)との意味は違うけど。
336日本@名無史さん:03/09/19 00:33
>>334
よくわからないのだけどさあ、大和朝廷統一時の敗者で限定地区
にほうり込まれた人たちは、無能でなければ平安時代末期には
復権して中央政権に取りいってるよ。仮に八切史観が正しいのなら
源平もそうだし。空海だって蝦夷の子だし。。。中世の下克上の時代に
活躍した人たちもいるだろう。
問題なのは、そう権力に近いところで(武器産業などもある意味そうでは)
活躍しても特定の地に集団で住まわっていたってことでは?
それは、なぜなんだろう?
権力のあるところに貴賎の階級が生じるのは当然といえば
そうですが。
337日本@名無史さん:03/09/19 00:40
信仰の問題かな?集団で住まわっていた理由。。。
338日本@名無史さん:03/09/19 00:46

言語かな?
339日本@名無史さん:03/09/19 00:54
それとも、仮に散所であっても、すでに土地の所有の概念ができてしまって
いたからかな・・・?
山椒大夫って散所の権力者らしいし。
340日本@名無史さん:03/09/19 00:57
>>338
それもあるかも。
独特の方言があって同じ物事を違う言葉でしゃべっていたらしい。
昔のお年寄りだと何を言ってるかわからないときもしばしば
あったらしい。
341山椒大夫の仕事:03/09/19 01:02
ここには石浦というところに大きい邸を構えて、
田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、
海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、
金物、陶物、木の器、何から何まで、それ
ぞれの職人を使って造らせる山椒大夫とい
う分限者がいて、人なら幾らでも買う。
342日本@名無史さん:03/09/21 22:42
やっぱ、明治の頃を解明しないとわからん罠
343日本@名無史さん:03/09/22 23:44
菓子屋って隠密なんですか?
うちは、砂糖も扱ってましたけど。
親戚にお茶屋もいますけど、関係あるのかな?
344日本@名無史さん:03/09/23 05:12
ここは在日関西人がたくさんいるみたい!

福島県民はこんな知らなくていいような知識に時間を浪費しませんよ

すこしは福島県民を見習いなさいね

345日本@名無史さん:03/09/23 07:29
だってさー、知らなくっていいようなことを掘り返して
粘着に追い掛け回すDQN集団がいるんだよ?
気持ち悪いったらないねー。
それとも何かな?明治以降のことを掘り返されると
ご都合が悪いのかしら?
346日本@名無史さん:03/09/23 07:51
古代史までかえれば天皇との関係が微妙になってくるし・・・
ちゅうのでいつも議論が止まるのだな。
347日本@名無史さん:03/09/23 07:53
>>345
多分関西人には触れられたくないような過去があるのさ
そっとしてあげなよ
348菓子屋は忍?コピペ:03/09/23 14:44
流転という言葉の範疇(はんちゅう)にははいらないが、忍びの者
に関係深い職業の一つに、菓子屋がある。なぜ、菓子屋が?と怪しむ
人も多いと思うのではあるが、昔の菓子屋は、その材料になる砂糖の
産量が少ないために、全国組織をもっていて、砂糖の産地から、一年
分を各自が買い占めてしまうのである。一年分一緒に買わないと、生
産されて品物のだぶついている時は安くても、端境期(はざかいき)
になると値が高くはね上がる。少しずつ砂糖を買っていては、菓子の
値段が一定せず、端境期になって高くするわけにいかないので、一年
分を確保するといわれている。
 このためには全国的な組織をもつ組合(?)が必要なのである。この
全国組織は、そのまま情報網として利用できるから、菓子屋の元締めを、
幕府をはじめ各大名は、忍び御用に使うのである。菓子はその当時は、
高級品であって、菓子屋の主人は、お城に出入りしたり、宮中や貴族の
邸にも自由に出入り出来るという便利さもあったからである。

ちゅうか、うちは砂糖屋で主に加賀の和菓子屋さんに砂糖を出してましたが。
 
349菓子屋は忍?コピペ:03/09/23 14:45
お茶と関係あるのかな????
350菓子屋は忍?コピペ:03/09/23 14:50
北陸は部落問題ないんですよね。
加賀っていうところがミソかな?
これは、宗派の違いに関係があるの?
もしかして、ヤ衆の元締めはお寺ですか?
351菓子屋は忍?コピペ:03/09/23 17:25
もしかして、忍者とかも関係ある?
352日本@名無史さん:03/09/24 18:19
茶道は、もともと、武家の「暗殺」の歴史から始まっている。
353日本@名無史さん:03/09/24 19:49
まっ、大和朝廷成立時の敗者なら約1400年以上の歴史があるわけだし、
解放されてわずか100年なのだから、いろんな文化にも根ざしてるでしょ。
ただ、社会問題としては、明治以降を考えないと解明はできない。
354 ↑:03/09/24 21:19
維新で損したのは、薩長土肥のヒーロー達を除く、士族と既得権益民だったんでしょうね。

薩摩憎し!と金を出した弾家の八重さんの心情が察せされる。

で、士族の乱で、どのくらい士族は報われたのか?
同様に、被差別民などの特権階級は、どのくらい蔑まれだしたのか?

355日本@名無史さん:03/09/24 21:22
○1877年 西南戦争 この戦費をまかなうために国立銀行に大量の不換紙幣を発行させ、インフレとなる。
○1880年代前半 大蔵卿松方正義による紙幣整理 日本銀行(1882)を唯一の発券銀行とし、国立銀行は
普通銀行へ。極端にマネーサプライを減少させる。これを「松方デフレ」という。

農民は春にはインフレの中、高額で肥料などを購入していながら、秋にはデフレで農産物価格が暴落してい
るということになる。今なら、収入に応じて納税額が決まるが、当時は「地価の3%」であった。このため地租
が払えない中小農民が没落して小作農となり、逆に余裕のあった有力農民は土地を買って寄生地主となった。
「松方デフレが寄生地主制を確立させた」と言われる所以である。
356日本@名無史さん:03/09/24 21:30
「竹槍デドント突キ出ス二分五厘」
357日本@名無史さん:03/09/24 21:37
生業の基盤が確立していない多数の士族にとっては、松方デフレの打撃は大きく、生活は困窮していった。
明治十八年六月三十日の『福井新聞』は、福井の橋南の困窮士族は同盟して、家屋・倉庫・地面などを売却し、
長屋を新築してそこに住むことを計画していると報じている。また、同年八月には福井の竟成社が経営の大改革
をせまられ、翌十九年三月には丸岡銀行が破産している(『福井新聞』明18・8・11、19・3・18)。

この松方デフレが士族層にどの程度の打撃をあたえたかをうかがうことのできる記事を十八年八月二十九日の
『朝野新聞』が掲載している。その記事には、制度取調局の破産法取調委員が調査した各府県の「士族破産」者
数があげられており、北陸三県では富山県一一三四人、石川県一〇九〇人に対して、福井県は二〇六二人と報
じられている。

この数は、十五年の福井県の現住士族人口二万三六四四人の八・七パーセントにあたる。さらに同紙は、福井県
士族の困窮状況をつぎのように伝えている(『朝野新聞』明19・1・31)。

近年士族の困難を極めたるハ何方も同一なるが、頃日福井県よりの通信を見るに、目下同県士族の困難ハ殊に
甚だしく、現に旧藩の比にハ随分重職を帯び、威権のありし者にてさへ乞食となりて哀を人の門前に乞ひ、其妻女
たる者等ハ言ふ可からざるの醜業をなして僅に露命を繋ぐあり、時勢の変遷とハ云ひながら実に見るに忍びざる
惨状なりといへり

このように福井県下の士族は、松方デフレによって非常な窮乏に追い込まれていった。
また、二十三年の『県統計書』には、国立銀行や小浜、勝山の製糸会社のほか福井の竟成社、交同社、起業社な
どの社名しか記載されておらず、この松方デフレ期に多くの士族就産のための会社が消滅していったのである。
358日本@名無史さん:03/09/24 23:23
>>356
被差別民が核となった一揆ですね。これ。
359日本@名無史さん:03/09/25 00:59
>>358
??
360日本@名無史さん:03/09/25 12:05
>>352
高尚系はそうかもしれませんが、博打系のバサラ茶は
違うのかな・・・
361日本@名無史さん:03/09/25 12:10
銘柄当てやら、茶柱がたつかどうかとかは賭け事らしいですね、バサラ茶。
バサラ大名と加賀って関係ある?
362日本@名無史さん:03/09/25 12:13
前田利家もバサラ大名系なんですね。うーん。
363日本@名無史さん:03/09/25 13:07
ここは馬鹿ばっかだな
364日本@名無史さん:03/09/25 13:21
加賀藩では腕のいい職人に名字帯刀を許していたらしい。
365日本@名無史さん:03/09/25 14:21
>>363
もしかして、戦乱の世の大名はみんなバサラ?
じゃ、結局なんだろう?

死穢にかかわる人たちが心情的にもっとも差別されたってこと
かな?
なんか、薬屋とかも今と違って、漢方として人肉を扱ってたり
染料にも人骨灰を使用してたりっていうのはホントかな?
366日本@名無史さん:03/09/25 14:34
仏光寺派と本願寺派の闘争について、
過激な一向一揆に参加してたのは
本願寺門徒ですか?
367日本@名無史さん:03/09/26 02:51
そういえば、武田信玄って死後の名でしょ?
「玄」って差別戒名的な発想ですかねぇ。
368367:03/09/26 08:19
糞スレあげちゃいましたすいません
369日本@名無史さん:03/09/26 12:02
漢方はいまでも人の部位を使っていますよ。
370日本@名無史さん:03/09/26 12:11
エッタは穢れ多いということで、より専門職に分かれていた地方では発達して
なんでもコナシタ地方ではそういう考えが発達しなかったのではないか。

俘囚の末裔とか先住民の末裔というのは鵜呑みに出来ない。
十津川みたいに一部落全員が士族という地方もあることだし。
平民の精神上のはけ口を一身に受けた人たち。その平民は実はもっと貧しかったり
するわけで、、、。
371日本@名無史さん:03/09/26 12:18
つーか、基本的に武士を頂点としたピラミッド構造で固定は
江戸期でしょ。
中世は、下克上だし。不安定では?
信長も最初は足利将軍の継承問題で起用されたっていうのもあるのかな?
対三好勢。
372日本@名無史さん:03/09/26 12:21
武人っていうのが多くは俘囚の末裔とか先住民の末裔で(特に東日本)
彼らはそれぞれのアイデンティティーや信仰で微妙に
連携していた・・・
権力を握って頂点に立ち、戦を勝ち抜いて貴人となった者
もいたということでは?
373日本@名無史さん:03/09/26 15:25
ttp://wee.kir.jp/japan/jpn_people.html
ちと変なのみつけた
これって・・・部落民族とか皇室民族とか武家民族って民族なの?
374日本@名無史さん:03/09/26 15:39
民族???
信仰が違うと異民族になるのかな・・・?
それから、非人は落ち武者もいるからなー。武家民族ってどうだろう?
375日本@名無史さん:03/09/28 17:38
茶道は武野紹鴎あたりは皮革産業(軍需産業)者なんですね。
ちゅうことはやはり綱吉あたりから弾圧がはじまったって
かんじかな?
ただ、生類憐れみの令では下級警吏とか(体制側)はちくり産業で
儲かったっぽいね。処刑される人が多いと人肉を使った漢方屋なんかも
儲かるのか・・・??
376日本@名無史さん:03/09/29 00:58
部落との同火・同食はタブーなんじゃないの?
377日本@名無史さん:03/09/29 14:19
>>376
戦国時代はぐちゃぐちゃっぽいよ?武野紹鴎は皮屋の豪商の倅って書いてるし。
同火・同食してたから、しないように差別政策を推し進めたのでは?
家康・家忠の頃は、そんな明確に差別されてなかったんじゃないの?
ダキニ天とか(賎民の信仰)も日光東照宮にあるんでしょ?
綱吉の「生類憐れみの令」ってエタを保護したっていってるけど、
どうしてそうなるの?いわゆる体制側の下級警吏を保護ってこと?

違うのなら、指摘してちょ。
378日本@名無史さん:03/09/29 14:28
綱吉の「生類憐れみの令」って邪魔者潰しの恐怖政治だったのか?
ノミとか蚊も殺しちゃいけないなんて、因縁つけて政敵を犯罪者に
して潰してたんでしょ。んで、ちくりひっとらえ系の下級警吏とか
処刑で出た遺体の転売で漢方薬屋とかが儲けたってこと?
379日本@名無史さん:03/10/02 16:35
「生類憐れみの令」は既得権者を復権させた。
380日本@名無史さん:03/10/10 02:18
381日本@名無史さん:03/10/18 10:15
新羅って穢人国なの?
穢人って中華思想から考察するとそうなの??
382日本@名無史さん:03/10/18 10:19
穢人は新羅系帰化人のお抱え技術者なの??
383日本@名無史さん:03/10/20 19:55
アゲハチョウ ^^( ・ ・ )^^^ パタパタ
384日本@名無史さん:03/10/20 22:22
古代の争いで敗れた出雲族(高句麗、新羅系)と
日向族(百済系)じゃないの?
別所者とか散所者。
385日本@名無史さん:03/10/20 22:25
>>384
デジャヴなレスしかも最近。
386日本@名無史さん:03/10/20 22:43
>>385
そう?なんか、日向って古代史上どういう位置付けなの?
387御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/20 23:12
部落の語源は?外出?
部民から外れた人の住むところ?
もっと時代は古いか・・。
388日本@名無史さん:03/10/20 23:20
なんか、おいらは四国の阿波だが、
日向との関係が深いらしく日向出身流入者も多いらしい。
昔は「あの家は日向だ」とか言ってたらしい。
そういや、日向に阿波伎原ってあるけど関係あるかな?
なんか航路があるのかにゃ?
389日本@名無史さん:03/10/21 02:40
日向との関係は明治くらいまで行き来があったみたいだ・・・
390日本@名無史さん:03/10/21 14:49
突然だが、どうも天皇制と対決しるのはこのような名前の輩が多い。
こいつらなに?

 京都市左京区岡崎天王町、北野康行(41)
 東京都文京区向丘、自称会社顧問、坂本春美(45)
 目黒区目黒2、イベント会社役員、楠信也(42)

日本最大の右翼団体って、日本青年社?
北野は、その正式会員だって?

は?
391日本@名無史さん:03/10/21 14:53
↑ 国会議事録より引用

日本青年社というのは、政府・公安調査庁が提供した資料によりますと、
「暴力団住吉会小林会を母体とする典型的な暴力団系右翼団体」だと規定されています。
つまり、指定暴力団の中でも、悪質度において重点対象団体とされている住吉会の系統
だといわれている。この日本青年社の幹部が、一九九六年十月に、当時科学技術庁長官
であった中川氏に、内容証明郵便で六項目の質問を送っています。
392日本@名無史さん:03/10/21 17:55
「シンプル2000シリーズ   ザ・穢多・非人立志伝」

とにかく食うのに必死の毎日。食わないと体力減る。飢えた状態が続くと
パラメータが下がる過酷な条件。生き残るためには皮剥ぎの技能は必須。
ただし字が全く読めないから頭が絶望的に悪く、他の知的技能が上がらない。
草場に逝って牛馬の死体がないか点検する毎日。なければ村で物乞い。弁舌の技能で有利になる。
死体がある日はラッキー!牛馬の皮が唯一の生活の糧だからね。
でも帰り道は気をつけて。村道を避けていかないと土百姓どもから
「このうす汚ねえど畜生!田んぼを汚す気か!」って罵られて石を投げられる。体力減っちゃうよ〜
能力がない非人はその繰り返しで一生を終える。延々と同じことの繰り返し。なんの希望も無い。

能力の高い非人は一揆の鎮圧や罪人の処刑を命じられるのでチャンス!!
ある程度勲功を上げると非人頭になれる。磔死の数をこなせば閻魔の使いの称号ももらえる。
牢番や罪人の拷問のミニゲームを極めるとキングオブ非人のエンディング。
死ぬ間際にやつれた顔で何か人生の悲哀を感じさせる台詞を言わせても
いいかもしれない。
「わしは一体何のために生まれてきたんじゃ・・・・・」とか。
歴史ファンなら。
393日本@名無史さん:03/10/21 21:40
>387
その昔、特殊部落(放送禁止用語)っていう言い方があったように、
もともと、「部落」は「村」と同じ意味だけどねー

394御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/21 22:07
ぶらく【部落】 広辞苑
@比較的少数の家を構成要素とする地縁団体。民家の一群。村の一部。
A身分的・社会的に強い差別待遇を受けてきた人々が集団的に住む地域。
江戸時代に形成され、その住民は明治初年法制上は身分を解放されたが、
社会的差別は現在なお完全には根絶されていない。未解放部落。被差別部落。

【部民】べみん
大化改新前における私有民の総称。朝廷全体に隷属するものを品部(しなべ)、
天皇が皇族のために設定したものを子代(こしろ)・名代(なしろ)、諸豪族に
隷属するものを部曲(かきべ)という。
大化改新ですべて廃止されることになったが、品部の一部は律令制官庁に配属
され残り、部曲は律令貴族の給与の一部である封戸(ふこ)に変質した。
395御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/21 22:13
【部落】
形式的には農漁山村地域における行政上の一つの区。実質的には自治的機能をもつ
農民の生活の基本的な地域社会。

江戸時代において独立した自治単位。明治以降、行政的に再編成され市町村行政の
末端機構の位地づけ。

【国郡里制】
律令制の地方行政組織。大化改新後の律令国家では、全国を直接に統治するため国・郡・
里三段階の行政区画に編成し、国には国司を朝廷から派遣し、郡には郡司を現地の国造
(くにのみやつこ)級の豪族から任命し、里には現地の村落の有力者を任命した。国と郡とは
おおむね自然的歴史的区画拠ったので規模は一定しないが、里は50戸で1里と画一的に
編成した純然たる行政村落であった。
396日本@名無史さん:03/10/22 01:29
古代日本には原始キリスト教を持ち込んだ人々がいた・・・
おそらく日本を最初に統一し、その後敗れ去った出雲族(新羅、高句麗系
の渡来人)が持ち込んだものだと思われる。
何世紀かの後、唐に留学した僧空海は祖国で信仰されている
宗教が景教であることを知りおどろく。
また何世紀かののち、日本にやってきた宣教師もまた、原始キリスト教の
名残を見出し、驚く。そうして、布教に際し彼らを利用する。
信長が新しいもの好きだからキリスト教を受け入れたというのは必ずしも
正しくはない。なぜなら、信長は原始キリスト教の名残をもつ亡命新羅人
の末裔であり、時と空間を越えたつながりをキリスト教の中に見出したから
である。反仏教勢力としての戦いは、宣教師達の意図にも合致していた。
古代の争いに敗れ虐げられていた新羅人の末裔は、自らの信仰が
はるか遠い西洋に住む南蛮人のもたらしたキリスト教と類似している
ことに驚き、次々にその教えを迎え入れたのである。しかし、それは
キリスト教による日本支配の陰謀であることに気づいた秀吉は
バテレン追放令を出し、キリスト教信者を被差別部落民へとおとしめた。
時はたち、時代は江戸後期、明治維新に際して利用されたのもまた彼らである。
鎖国を解き放ち、訪れた日本で西洋人達は、またまた、原始キリスト教の
名残をわが国に見る・・・・・・・・・・
  なーーーーーーーーーんちゃって。妄想ですた。
397御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/22 12:20
ここで2ちゃんねるは監視されています。
http://blhrri.org/nyumon/nyumon_aitsugu_2.htm
リンク先の反差別ネットワーク人権研究所の
掲示板・水平線に部落について少し書いて有ります。
398日本@名無史さん:03/10/22 13:20
上記サイトの田畑さんていう人は、ネット上の人権問題の研究者ですか?
どういう人なんだろ?
399日本@名無史さん:03/10/22 16:07
よくわからんが、被差別民ってやっぱり
八切がいうようにヤジキタって、拝火教徒と騎馬民族
交互に配置してるんじゃないの?
北陸に縁が深いのは騎馬民族のほうでしょ・・・
400日本@名無史さん:03/10/22 17:05
>>400 get!

八切史観における被差別民は全人口の8割だよ。
先住の拝火教徒と騎馬民族を古代に操ったのが大陸の唐で、
だから、藤原氏=唐というんだよ。
唐は中原で、唐はトウであるから、藤原は中原の唐という意味でしょ。
つまり、先住の日本へ進駐したGHQみたいなのが唐というわけ。
ま、一説だけどね。
401御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/22 21:38
>>398
人権センタの職員の話やと田畑さんは70歳ぐらいのお爺さんらしい
2ちゃんねる人権問題板周辺の歴史をキチッと把握してるね
「部落問題大辞典編集用掲示板」は何ヶ月かで閉鎖してるけど書いてある。
スタッフが何人か居てるんやろう・・裕香タンだったりして(藁
402ついでに:03/10/23 17:04
77 名前:天之御名無主 :03/10/23 17:01
202 名前: 天之御名無主 投稿日: 02/08/16 04:38

イエス キリスト教開祖。アリアン人。エッセネ派ラビ。ユダヤ異邦人地区に住むエッセネ派の両親のもとに生まれ、東方組織で教育を受ける。
エッセネ派 ユダヤ教の一派。預言者エリアと関連。アリアン人によって構成された東方組織。イエスは12歳から同教団のチベット、インド僧院で学んだといわれる。
モンゴル 景教 ネストリウス派キリスト教 内モンゴル景教寺院から、ユダヤ教エッセネ派の文書が発見された。イエスはエッセネ派のメンバーで、東方で教育を受けている。

契丹族 モンゴル、バイカル湖地域。騎馬民族。北倭人と関連。

トルファン トルファンの黄金冠 スキタイ人彫金技術   中国トルファン地方 
  敦煌 新羅朝鮮半島 経由  渡来王族   奈良藤ノ木古墳 

 八切史観だと、梅鉢サンカのところに契丹系、日本では隠して
 宋とするってあるけど・・・・・??


403日本@名無史さん:03/10/23 17:40
徐福信仰者も信長の時代、キリスト教に傾きやすかったんじゃない?
404日本@名無史さん:03/10/23 17:49
薬師如来は日本以外では敦煌や半島にしかないらしいけど・・・・
405日本@名無史さん:03/10/23 17:54
薬師如来の脇侍(きょうじ)は左に日光菩薩、右に月光(がっこう)菩薩で、
十二神将に取り囲まれています。

 これって地方によってはお正月の鏡餅の由来に似てない???
 
406日本@名無史さん:03/10/23 18:10
日本人で、蒙古斑=青痣の濃い嬰児は契丹系という説があります・・・・
って本当か?
407日本@名無史さん:03/10/23 18:57
蒙古ヒダのない日本人もいるけどなあ
408日本@名無史さん:03/10/23 22:38
>>407
いろんなとこから来てると思うなー。日本人は・・・・
409日本@名無史さん:03/10/23 22:40
>>モンゴル 景教 ネストリウス派キリスト教 内モンゴル景教寺院から、
ユダヤ教エッセネ派の文書が発見

これって河豚作戦とかも関係あるの?
410日本@名無史さん:03/10/24 16:37
日清・日露で兵力として男手を失った(保障とかなかった)
のが困窮化の要因???
411日本@名無史さん:03/10/24 17:15
>>410
松方デフレじゃなーい?
412日本@名無史さん:03/10/24 17:20
1877年 西南戦争 
この戦費をまかなうために国立銀行に大量の不換紙幣を発行させ、インフレとなる。
1880年代前半 
大蔵卿松方正義による紙幣整理 日本銀行(1882)を唯一の発券銀行とし、国立銀行は普通銀行へ。
極端にマネーサプライを減少させる。これを「松方デフレ」という。
  農民は春にはインフレの中、高額で肥料などを購入していながら、秋にはデフレで農産物価格が暴落
しているということになる。今なら、収入に応じて納税額が決まるが、当時は「地価の3%」であった。こ
       のため地租が払えない中小農民が没落して小作農となり、逆に余裕のあった有力農民は土地を買っ
て寄生地主となった。「松方デフレが寄生地主制を確立させた」と言われる所以である。
413日本@名無史さん:03/10/24 17:29
> 農民は春にはインフレの中、高額で肥料などを購入していながら

 農民の多くは、肥料を掛けで買っていた。収穫して金が入る頃には肥料屋に
 ツケを支払うのだが、その肥料費のほうが所得より上回っており、とうとう、
 農地を売り飛ばすなど、離農が増え、都市への移住が激増した。
 大地主の割合が50%という県もあった。

 または、小作に落ちた農民が、水平運動と意を一つにして、無産者運動を
 展開していくのは、明治中期あたりから。
414日本@名無史さん:03/10/24 17:36

小作に落ちた農家や都市に出て日雇いなどの低賃金労働者となった多くの
モノが被差別民と手を取り合ったが、その反動で水平運動を憎むモノも多く
あった。米騒動などは、被差別民か核となった騒動といわれる由縁である。
自治体単位では、騒動を治める手段として、被差別部落への税負担を少なく
したり、米価を安くしたりするなど、いまの逆差別的付け焼刃的対応をとり、
庶民の反感を買うこともあったという。
415アフォ:03/10/24 21:09
武野紹鴎がBだったなんてなぁー
416日本@名無史さん:03/10/24 21:55
>>415
もとをたどれば、阿弥衆
417日本@名無史さん:03/10/24 23:26
今井宗久とかはどうなんだろう・・・?
武器商人として大成したそうだけど。
もともとは、合戦の後に転がってる死体から
武具馬具身ぐるみはがしてメンテナンスして売る商売って本当?
中世は戦がさかんだったから需要はあっただろうねー。
418日本@名無史さん:03/10/24 23:45
同朋衆と同朋融和って関係あるの?
419日本@名無史さん:03/10/25 20:41
>>416
何それ>阿弥衆
冗談のつもりだったんだけど、本当にそうだってことすか?
420日本@名無史さん:03/10/28 15:33

阿弥衆=秀吉の父親、身分を格上げするために芸術を身につける者。
421御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/28 16:07

秀吉の父親は丹波のセブリの出やろ?
422日本@名無史さん:03/10/28 16:59
丹波のセブリかどうかは知らなかったけど、自ら竹阿弥とか名乗って、
格上げを謀ったとか。
423日本@名無史さん:03/10/28 19:33
>>419
時宗の信者のこと。 ○○阿弥陀仏と名乗った、略して観阿弥・世阿弥など
となる。 一般にこの時宗の信者は、いわゆる被差別者階層の人々であった。
中世は盛んだったが、江戸時代に入って廃れた。 理由は略。
424444:03/10/28 19:48
可愛くてエッチな美少女アイドルたちがいっぱい♪
画面の向こう側でアナタとの出会いをドキドキしながら待っています!
http://www.bigchat.tv
425日本@名無史さん:03/10/28 23:02
アミーゴ!
426移動しました:03/10/30 18:03
200 名前:百済[sage] 投稿日:03/10/30 14:27 ID:1gGej6OG
>>http://www.eonet.ne.jp/~kalen/t16.html
今頃読んだけど、1900年初頭説ね。
でも、明治初期に、萩原氏か、もしくは荻原氏という歴史家が被差別部落の考察
を日本で始めてレポしている。夭折したので、上梓できなかった。そのパクリもどき
みたいなものをいろんなレポ屋が書いたり創作もした。破戒も明治末期に書かれた。
県単位では、松方デフレ、日清日露戦争時代、大将デモクラシー以前に、県知事
がこぞって宥和政策を行った。その理由は国家政策に拠るもので、検証がうまく
できた知事を表彰している。
日露戦争(1904年)時代には、被差別部落民=コーカソイド、という珍説も政府筋
から流されていた。

201 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:03/10/30 14:37 ID:yOHM9kXw
陰陽師はエタではなく夙だよ
大阪では堺の野代付近には大規模な陰陽師の集団がおったらしい
数千人規模、現在の富木駅周辺から取石あたり

203 名前:百済[sage] 投稿日:03/10/30 14:50 ID:1gGej6OG
>>201
安陪清明の父方の先祖は壬申の乱で謀を行った者達=忍者、という説もある。
夙といえば、伊賀の夙村は文献で読んだ覚えありますね。
藩の史料によると、
 伊賀の夙村の者20余名が、大阪夏の陣の戦勝を不服として
 謀叛を企てたが、密告者の通報で、首謀者は磔獄門。以降、
 城の追手門のキヨメ(掃除)に、夙村の者をつかわした云々。
主君に逆らう夙村の行動は、権力者の交替によって利権が失われる
ことへの不平であろう。藩主は領民の争いが幕府にばれるのを嫌った
ので、江戸時代初期でさえ、いわゆる宥和政策をとっていることが
多い。城内の掃除というのは、代替の仕事をあてがったとも考えられる。
犠牲者は出したが、夙村の食い扶持は保証された、と見るべき。かな?
427日本@名無史さん:03/10/30 18:19
八幡書店のパンフレットに同和二千年史というタイトルの本が掲載されていた。


八幡書店といえば古神道系列の書店で日本の真実の歴史や裏の歴史を取り扱っているよね。

天皇家の秘密や神話、修行書、民俗学(部落問題含む)、民族学、考古学、医学、心理学、政治学などなど。


裏の裏の事情を取り扱っている八幡書店は非常に奥が深い。
そういえば神政龍神会の資料も販売されていたなあ。
なんでも元陸軍大佐の矢野祐太郎が天皇霊とコンタクトをとるために宮中に侵入し毒殺されたとか。



もっこす氏におすすめだね。
428日本@名無史さん:03/10/30 18:54
東日本の被差別部落には白山神社が必須アイテムだといいますが、
その決定的論拠を示していただいたい。
429日本@名無史さん:03/10/30 19:14
杉沢村伝説について騙ろう。いや語ろう。
430御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/30 19:17
本田豊は評価低いけど他に白山神社に付いて書かれた本有る?
人権センタに置いて無いとゆうことは・・ヨタ話か?

431日本@名無史さん:03/10/30 19:24
>>430
あんまりないです。「ケガレの民族史」にも曖昧な表現のみ。
432日本@名無史さん:03/10/30 19:29
御家人株とか同心株という身分を農民が買った、という文献が結構在るが、
そうすると、売った方の身分はどうなったのだ?
また、にわか士族卒族が増えたわけだが、それが幕政は藩政を逼迫させたとは言えないか?
433日本@名無史さん:03/10/30 19:30
× 幕政は藩政を
〇 幕政や藩政を
434日本@名無史さん:03/10/30 19:31
>>432
えたひにんは士族の株を買えたのでしょうか?
435日本@名無史さん:03/10/30 19:33
>>430
菊地山哉の本のパクリだしね。

ちなみに本田豊は、杉並区から
「被差別部落と無関係な場所を『ここは被差別部落だ』と書くのはやめろ」
と抗議されている。
436日本@名無史さん:03/10/30 19:34
>>435
松ノ木あたりかな?
437御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/30 20:08
『同和情報文献全書』同和文献保存会(エセ同和)定価五万円によると
元ネタは菊池山哉「日本の特殊部落」
別所に多い、東光寺とセット
昭和初年の調査で2716社、福井421、岐阜525、愛知220、石川156
白山社の半数1322はこの地域で、残りは東国で殆どが別所とB落が占める。

で東国限定の模様・・。
438日本@名無史さん:03/10/30 20:09
本田 豊 の検索結果:6件

1. 部落史からみた東京
本田 豊 (著) 単行本 (1990/02) 亜紀書房
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2. 江戸の非人―部落史研究の課題
本田 豊 (著) 単行本 (1992/07) 三一書房
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4. 被差別部落の民俗と伝承
本田 豊 (著) 単行本 (1998/02) 三一書房
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5. 部落史を歩く 新版―非人系部落の研究
本田 豊 (著) 単行本 (1991/11) 亜紀書房
在庫切れ価格: ¥2,330

6. 神奈川県の被差別部落
本田 豊 (著) 単行本 (1996/03) 三一書房
在庫切れ
439日本@名無史さん:03/10/30 20:16
http://hon.web.infoseek.co.jp/krog/krog27.htm

↑長いので後で読みますが・・・
440日本@名無史さん:03/10/30 20:31
エタとはつまり、浪人、暗殺者、山賊、盗賊、売春婦(遊女)、皮はぎ屋、埋葬屋、掃除屋、靴みがき屋、屠殺屋、芸人(大道芸者)、歌舞伎屋、猿飼い、などを表す。


ヒニンとはつまり、精神障害者、身体障害者、罪人、乞食などを表す。



これらを総称して賎民と言う。
441日本@名無史さん:03/10/30 20:32
エタとはつまり、浪人、暗殺者、山賊、盗賊、売春婦(遊女)、皮はぎ屋、埋葬屋、掃除屋、靴みがき屋、屠殺屋、芸人(大道芸者)、歌舞伎屋、猿飼い、などを表す。


ヒニンとはつまり、精神障害者、身体障害者、罪人、乞食などを表す。



これらを総称して賎民という。
442日本@名無史さん:03/10/30 20:33
猟師・猟師・芸人・飛脚って「士農工商」でいうと
どの変に分類されるんだろうか。
443日本@名無史さん:03/10/30 20:50
秀吉以降のキリシタンは罪人ですか?
444日本@名無史さん:03/10/30 20:53
異民族起源論が否定されるのは大和民族単一民族説のせい?
445日本@名無史さん:03/10/30 21:00
大陸や半島と連動して歴史を語るのはご法度?
半島は新羅の国で百済人が差別され
日本は百済の国で新羅人が差別されると考えるとわかりやすいが。
446日本@名無史さん:03/10/30 21:05
半島や大陸からの人の移動があると普通に考えるべきだとおもうけど。
447日本@名無史さん:03/10/30 21:14
蘇我氏→帰化人
藤原氏→帰化人


まあ帰化人(富者)が帰化人(貧者)を隔離するようなもんだろうなあ。
448日本@名無史さん:03/10/30 22:24

やっぱり、源平の因縁が絡んでいたのね^^
449日本@名無史さん:03/10/30 22:59
被差別部落の人びとをかつては「エタ」(穢多)と呼びましたが、それは血を流す仕事、見る仕事、触れる仕事、要するにケガレが多い人ということで「エタ」(穢多)と名付けたと言う説もあります。

それでは、自分から人を殺し、首をはねて血を見たり、返り血を浴びることを仕事にしていた武士はどうなのでしょうか。しかし武士はエタとは呼ばれなかったのです。何故でしょう。ここに差別があります。
450日本@名無史さん:03/10/30 23:05
武士はエタとは呼ばれなかった・・・これは江戸時代?いつ頃から?
保元・平治の乱の頃(つまり、天皇の権力が強かった頃)
は、武人はそんな地位高くないんじゃない?
平清盛が初めて政に参加したくらい・・・?
451日本@名無史さん:03/10/30 23:15
中世の世例えば秀吉なんかはいつを境に武人になったの?
百姓から足軽、武人、天下人へのステップの中で
今日から武士!!っていう日があったの?
452日本@名無史さん:03/10/30 23:34
織田信長公の命によって昇格したのであろう。
453日本@名無史さん:03/10/30 23:39
武士は穢れてるから公卿に差別されたんだろ。
454日本@名無史さん:03/10/31 00:04
そんな事いったらみな部落民じゃねーか。
455日本@名無史さん:03/10/31 00:12
>435
白山神社?
456日本@名無史さん:03/10/31 00:16
>>453
再来年のNHK大河、タッキーの義経を見ましょうね (≧∇≦)/ ハハハ
大した事無いけど。。。北条得宗家も本当は裏史を描けばグッドだったしなあ。。。

( ̄个 ̄) フォッフォッフォ
457日本@名無史さん:03/10/31 00:26
解放令反対一揆で部落民を殺したり、家を焼き討ちにした人達は刑事罰を受けたの?
458日本@名無史さん:03/10/31 02:44
>>449に対するコピペ

>それは差別ではないよ。
>区別だ。
>
>エタが動物を殺すのは金の為、武士が
>人を殺すのは君主の為、君主が
>武士を差別したら平穏な生活が
>成り立たない。
>まあ、犯罪者と兵士の違いでしょ。
>普通に人を殺したら犯罪だけど
>国の為に殺したら、恩給とか受けられる。
>その違いだ。

でもエタも例えば武具を作るために殺生に関わってたんだろ。
これも君主のために働いてるのと同じじゃん。
459日本@名無史さん:03/10/31 04:12
結果として君主のために双方なったしても、大義が違うということじゃん。
君主ために命をかけることと己の金のためでは、その違いに天と地の開きがあるかもよ。

460日本@名無史さん:03/10/31 06:19
小動物や鶏の殺生なら農民でもやってた。
牛馬だから問題になるんだよ。
牛馬は家族の一員と考えられていたからな。
461日本@名無史さん:03/10/31 06:49
庶民相手の籠屋(今でいうタクシー運転手)なんかもそうだろ。
462日本@名無史さん:03/10/31 07:38
>>461
それ町人
463日本@名無史さん:03/10/31 10:44
同和地区の人々を集めた場合のシミュレーション


<同和市>


人口10万人。
同和市は現在、世界最大のスラムとして認定されている。
同和市を支える産業は皮革製品や食肉であり比較的格安で購入できる。
同和市の特徴→同和市は部落出身者や生活保護者、特殊職業者などで構成されています。

同和市の歴史



同和市はもともとはチョウリ、エタ、ヒニンなどを隔離するための区域でした。
ただし解放令が出てからは民間人も自由に行き来できるようになり今では他の市町村と親交を深めています。
やはり革製品や皮製品、剥製などの動物産業が同和市の活気を支えているのではないでしょうか?
464日本@名無史さん:03/10/31 11:01
やっぱ職業が世襲で固定されひとつの集落として
差別されるようになるのは、江戸のように社会の
構造が安定してきてからじゃない?
465日本@名無史さん:03/10/31 11:05
中世は変化に富んでるでしょう。
身分構造にしても。
466日本@名無史さん:03/10/31 11:28
軍事産業のリストラ組
467日本@名無史さん:03/10/31 11:38
貧乏で着る服もなくてご飯も満足に食えなくていじめられっこみたいな。
殷の時代の紂王の頃のイパンピーポーみたいな。

男性向け↓
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=47&m=444&t=txt
女性向け↓
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=70&m=444&t=txt
(゚∀゚)ホテール
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=25&m=204&t=txt
マキ
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=28&m=493
マキマキ
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=6&m=479&t=txt
ロリポプン
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=9&m=471&t=txt
マニマニダラー
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=22&m=252&t=txt
ピザ!寿司!楽天!
http://srv.trafficgate.net/e/b.pl?h=51671&g=7&m=233&t=txt
ブンブンブンブンシューティンライカバンバー♪
http://ad.trafficgate.net/e/i.pl?h=51671&g=11&m=170&t=text
468日本@名無史さん:03/10/31 15:46
>>466
その線は中世の城下町(天下統一に伴い廃業)では濃厚だと思う。
その後代替産業がその地域の産業になったのでは?
469日本@名無史さん:03/10/31 16:02
徳川時代に廃城になったとことか。
470日本@名無史さん:03/10/31 16:29
>>466
藩によって違いケド。某藩では、旧領主の家臣を無足人として扱ったみたい。
471日本@名無史さん:03/10/31 17:05
キリシタンが警戒隔離されたとして
秀吉はキリスト教を禁止したでしょ?
だから、キリシタンは秀吉が嫌いだったとか?
家康は豊臣を倒すときキリシタンの手を借りたんじゃないかな?
   妄想ですが。
キリスト教はもともと反仏教勢力とかを中心に布教したんじゃない?
この人たちは、平安王朝成立してから疎外されてたから
思想的にも受け入れやすかっただろうし。
472日本@名無史さん:03/10/31 17:08
>>471

その妄想、人権板の某百済女史も書いてますが、

 【丹波のセブリ】
 豊臣秀吉のことを、コノシタと彼らは呼ぶが、戦国時代の旗上げ組には、
 丹波出が多く秀吉の父もそのひとりである。
 箕作、簓削、茶筅作、軽身、忍び逆撫(失神術)、国見、物見・・を修行した。
 鈴鹿と不破の両関が、関東関西の熟語を生んだのは、鈴鹿山脈が中部及び関東関西を
 両断し交通の障害となっていて、京畿の警備上の重要な山脈であった。
 鈴鹿連峰には、物見石、風見山が有る。戦国時代の警備の名残名である。
 豊臣家を、同族を亡した裏切り者として、反感著しかった身殻別の一族を、徳川家は
 利用した。伊賀を集めて、伊賀者、甲賀者を組織して、関西の軍情を探索させた。
 その情報で大阪攻め、関ヶ原戦も勝利して徳川幕府が成立したので、江戸に伊賀屋敷
 甲賀屋敷を作らせた。家康は本願寺と織田の合戦中も、石山の情報も身殻別の一族に
 探らせて、本願寺門徒の根強さを熟知していた。
 この伊賀衆、甲賀衆は丹波の修行者である。

 『同和情報文献全書』から抜粋
474百済:03/10/31 18:36
>>473
家康が保護した伊勢白子。お隣の四日市北部は河内の移民が多く、方言に、その名残を残す。

忍者は、秦の末裔という意識で組織化されたという記載はないのか?
明智光秀は四国のチョウソカベと組み信長を討ったとの推測もあるが、
そのチョウソカベも秦の末裔を称する。

>>203
  藩の史料によると、
  伊賀の夙村の者20余名が、大阪夏の陣の戦勝を不服として
  謀叛を企てたが、密告者の通報で、首謀者は磔獄門。以降、
  城の追手門のキヨメ(掃除)に、夙村の者をつかわした云々。

また、忍者は組織されてもおらず、単なる「山人」という人もある。「山人」とは
サンカともいえるが、古代では大和(ヤマト)から逃亡した者、という記述も残っている。
しかしながら、伊賀越えの向こうは大和国ではなく山城国ではあるが。ただし、山城国
という語源は奈良京を中心とした「山背」からきている。

ついでに、家康が保護した愛知県の沿岸は渥美でしたっけ?
白子湊から水路で三河国に入った、というやつ。
475日本@名無史さん:03/10/31 18:37
青森にキリストの墓があるとかいう
伝承が流布されたのも、キリスト教が九州や畿内
だけでなく東北まで広まってたからじゃないの?
そんなことはないのかな(^^;
それに、東北は古代に出雲族が逃げてったとこだし。
景教・・・?
476百済:03/10/31 18:43

のちの天海こと、明智光秀の娘はご存知、細川ガラシャ。キリシタン。

サンカ(セブリ)、山人、忍者、河内の民、キリシタンなどの下層の民、弾圧されて
いた群衆が家康の支配の縁の下に居ることは考え易い。

ここでいう徳川家康とは、「象徴としての将軍」ともいえる。
家康が夏の陣で死に、小早川氏が影武者になった、という説もある。

477日本@名無史さん:03/10/31 18:45

>出雲族

これについて、概略を紹介して下さい。
478日本@名無史さん:03/10/31 18:49
僊人って徐福と関係深いの?僊人がキリシタンってどういうことだろ?
【伊賀超えの危難】
天正十年(1582)の本能寺の変の時、家康は信長の招きで堺の遊覧に出かけていた
孤立無援の窮地に陥って、自決を計ったが、側近に励まされ木津・宇治の両川を
渡って甲賀の山中に入り、両国の土民に導かれて、伊勢の白子浜から海路三河に
逃げ帰った。・・と「徳川実紀」に記されている。
この時、護衛の任にあたった伊賀の二百名が特に任用され服部半蔵にひきいられて
伊賀組を編成した。

四日市に思案橋と呼ぶ橋だけが残っている所が有る。家康が陸路か海路にするか
思案し海路で帰ることになり、後に回船屋に船を何艘持っても良いのお墨付きを
頂き四日市港発展の礎になる。
480御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/10/31 19:59
たどり着いたのは知多半島の常滑やな
http://waga.yokkaichi.mie.jp/s/html/main-r.html
481日本@名無史さん:03/10/31 21:10
蛙とキリスト教も関係深いんだねえ・・・・・w
ミカエル(三蛙)だってw・・・プ。

 
482日本@名無史さん:03/10/31 21:25
ミカエル(御蛙)も。

 スサノオや猿田彦の神社がカエルと関係あるのはキリスト教
 とも関係あるんじゃない?ただ、御蛙はかなりこじつけっぽいね。
 宣教師も無茶するなw
483日本@名無史さん:03/10/31 22:40
神社の神様がカエルなんだよね。
御蛙(ミカエル)様だったら爆笑モノだね。当時の宣教師・・・w必死だな。
でも、隠れキリシタンの祈りでマリアが丸太になってたりするしな〜。
もとは八幡神らしーんだけど。
484日本@名無史さん:03/10/31 23:25
よくUFOの開発で隔離された科学者がいるような噂があるでしょ。
本当にいたら彼等もいずれリストラされたときには被差別民化するのかな。
いまの米国を考えたら制度的に被差別民化することはないだろうけどさ。
485日本@名無史さん:03/10/31 23:31
>>484
消されるんじゃ?

日向というのはキリスト教と関係が深いのですね。
古代景教とも関係があるのかな???
486日本@名無史さん:03/11/01 00:06
靺鞨とか渤海も騎馬民族?
487日本@名無史さん:03/11/01 00:42



>日向というのはキリスト教と関係が深いのですね


どういう意味ですか?
488日本@名無史さん:03/11/01 02:18

先ず、日本史板では、差別的な意味で、先祖を謙る意味がないような記述が殆どです。
また、私自身が被差別部落民なのか、そうでないのか、分かりません。

1969年云々というのなら、それは意識の範疇ではなく行政の、立法的処置であり、「私」の
意識に反します。私は何でも食うのです。でないと、生きられないのです。

私の中に不浄な、切ないものが在るうちは、全ては穢れている。その証に私は自刃するの
です。すべて、私の中に、在るのです。

ここで簡単に言うならば、昇華なのです。
こういうふうな論調は時代遅れですか?
489日本@名無史さん:03/11/01 02:50

いまのところ、最前線では、えた・ひにんとは

  キリシタンも居た、ということ、だ。
490 :03/11/01 02:51
キリシタンを監視するための部落もあったよ。
491日本@名無史さん:03/11/01 02:52
>>490
島原? 大坂?
492日本@名無史さん:03/11/01 07:22
徳川家康が切支丹の助けを借りて天下統一したとしたら
いつから、強烈な弾圧がはじまったのでしょう?
家光?
493日本@名無史さん:03/11/01 07:30
えた・ひにんの対立もさることながら本当は
出雲族と日向族、源氏と平氏、キタさんヤジさん
北アジア古代渡来遊牧民と朝鮮南部渡来帰化人
の対立もあるんじゃないかと思う。
494日本@名無史さん:03/11/01 07:39
東照宮って東光って薬師如来でしょ。
薬師如来って敦煌とか新羅とかにしかないのでしょう?
薬師如来=キリストの説もあるから、そういう勢力に
配慮したとか・・・。
495日本@名無史さん:03/11/01 07:49
トルコ(あるいはツングース)系騎馬民族 が
古代景教徒?


496日本@名無史さん:03/11/01 08:02
>>487
大友宗麟がキリスト教の理想国家を設立しようとしてたみたいだし。
古事記にも出てくるでしょ。
497日本@名無史さん:03/11/01 08:10
>>489
もともと平安王朝から虐げられてた散所者を中心に宣教師が布教したのか、
散所者には古代景教徒の流れを汲むトルコ(あるいはツングース)系騎馬民族
の末裔が多く受け入れやすかったから布教したのか・・・・・・・・???
498日本@名無史さん:03/11/01 08:33
日本もキリスト教国になっていればもっと好戦的だったろうな。
家光のおかげで平和な国になってしまった。
499日本@名無史さん:03/11/01 09:59
北〜中央アジア古代渡来遊牧民(高句麗・新羅?)と
インド、東南アジア〜朝鮮南部渡来帰化人?
これらが平安王朝から疎外されてたのが起源か?
平安時代の開拓民は前者?
彼らが平安末期には各地を開墾し武士団を作り上げ中世の戦乱の
世を築いた?そして足利時代には文化人としても活躍?
500日本@名無史さん:03/11/01 10:03
平安王朝は天皇は百済だけど実質権力者藤原氏は唐?
501日本@名無史さん:03/11/01 20:13
人権版はなんかアカデミックな感じがしないのでこちらで質問させてもらいます。
「えた」の表記がはじめて出てくる古文書は何ですか?「師守記」っていうのも
聞いたような?あと「名言記??」 漢字の「穢多」では「塵袋」というのは有名の
ようですが…(後で穢多と書き加えられた形跡があるらしいですけど。)
502日本@名無史さん:03/11/01 23:42

塵芥集だと思います。
503日本@名無史さん:03/11/01 23:45
穢人とは関係あるの?
504日本@名無史さん:03/11/02 00:29
塵芥集が「えた」の初見になるということですか?
505日本@名無史さん:03/11/02 00:38
塵袋が1264〜1287年とされている
塵芥集は1536年なので,だいぶ後ですね。しかも分国法なので
どういうかたちで出ているのか興味ありますね。
506日本@名無史さん:03/11/02 00:40
>>501
の「名言記」は「名語記」の間違いです。すいません。
507日本@名無史さん:03/11/02 15:08
平城京は新羅日本府なのか。
508日本@名無史さん:03/11/02 15:25
平城京勢力・・・では。
509日本@名無史さん:03/11/02 15:34
16 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/08(金) 23:03 ID:.5QtPicQ

穢れとは精神病・伝染病・遺伝病・犯罪者をいい、部落は隔離、隔離を目的として作られたもの。
>それは長年の近親交配により更に強まる。
>同和団体のメディア戦略や教育委員会への圧力による洗脳教育では、「江戸時代の身分制が由来」
>などとデタラメを刷り込み、 この事実を隠すことを目的としている。
>そしてDNA鑑定が可能な現代においては、一般人との交配によってその穢れを薄めることに力を入れてる。
510日本@名無史さん:03/11/02 15:37
だから天皇家万世一系が違うんだってば。
平安京で落ち着くまでに、何回か異民族間での
争いがあるはず。
511日本@名無史さん:03/11/02 15:43
桓武天皇が、命令を出し、
31巻を焚書させたのである。
理由は、「過去においては、臣が天皇になっている
ので正しくない。したがって、日本書紀の31巻を焼
き捨てよ。」ということであった。しかも、日本書紀
の何箇所かを変更・削除したと言うのである。
変更・削除の個所は、主に日本と朝鮮の外交関係部分と言われている。
512日本@名無史さん:03/11/02 15:51
エタと非人は全然違うよ。
513日本@名無史さん:03/11/02 16:32
穢人は新羅系帰化人のおかかえ技術者
514日本@名無史さん:03/11/02 19:44
「夫余、高句麗、沃沮、穢」の穢というのも気になる・・・
515日本@名無史さん:03/11/02 23:47
物部−蘇我−伽耶−新羅
516日本@名無史さん:03/11/03 11:15
南海道から奈良にかけて平安京以前の政権・勢力あり?
517日本@名無史さん:03/11/03 11:15
関連スレッド

【幻の】 壬申戸籍 【超一級史料】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1058031772/l50
518日本@名無史さん:03/11/04 21:26
南朝、南朝って言ってるのって、平城京と関係があるの?
519日本@名無史さん:03/11/04 23:24
age
520日本@名無史さん:03/11/07 23:26
age
521  :03/11/07 23:47
「拉致されても怒らない日本は何てバカな国」、元工作員が緊急集会で“腰抜け外交”を痛烈批判
http://www.bnn-s.com/bnn/bnnLogin
522日本@名無史さん:03/11/09 13:43
江戸の非人頭の車家って将軍殺そうとした罰として非人にされたんだよね
523日本@名無史さん:03/11/11 23:11
本間かいな
524日本@名無史さん:03/11/12 07:10
普通、将軍を殺そうとしたら一族全員処刑されない?
525日本@名無史さん:03/11/12 16:19
うわぁ、うちの父系、下っ端だけど武家だと思ってたんだけど
室町以前にさかのぼると穢民臭が濃厚だよ。
戦国時代までは秋田と宮城の境らへんで金山支配してて
その頃からうちの分家は家紋が梅鉢の変形だよ。
これからはチンギスハンやっても耶律氏とか西遼の武将優遇しなきゃ。
爺ちゃんとか戸籍好きで壬申戸籍とかもとって家系図引いてるけど
黙っといた方がいいかな?
526日本@名無史さん:03/11/12 16:23
しかも岩手と秋田間違えてるし ヽ(`Д´;)ノ ウワァァァァァァァァァァァァァン!
527日本@名無史さん:03/11/12 18:47
528日本@名無史さん:03/11/12 19:19

車猛虎・・・善七の祖
秦竹虎・・・弾ちゃんの祖

似ているね。
529日本@名無史さん:03/11/12 19:22
>>528
182 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:03/10/31 15:06 ID:Oj6CBnCC

>弾左衛門尉、「その先は秦氏、武虎 という」なる一節

タケトラねえ〜。高虎も吃驚だね。

非人頭で御馴染みの車善七が三河の渥美出身で、エタ頭弾左衛門の出身は多田鉱山。
頭弾左衛門派源氏の抱え者だっらが、伊勢平氏の妻に傍惚れして東国へ逃亡。

「男はつらいよ」の渥美清は香具師(車善七系)
 とはいえ、姓は車、名は寅次郎。字は違うものの、トラさんではないか?
 >>179  
伊勢平氏とか忍者とか、昔から伊勢の国について膨大なカキコミをしていたのは、そういう
意味だったんだな。な〜るほどザわーるど。

530日本@名無史さん:03/11/12 19:25
>>529


トラ トラ トラ  
531日本@名無史さん:03/11/12 19:29
トラは、ネコ科の哺乳類。北方に産するものは大きく、体長2.8メートルに達するものがある。
胴が長く足が短い。体は赤茶ないし黄褐色で、胴には黒色の横縞(よこじま)がある。
森林や深い茂みに単独ですみ、主に夜活動して鳥獣を捕食する。
インド・東南アジアから朝鮮・シベリアまで分布。

秀吉以前に、日本にトラは生息したのかな?

トラ=トライ=渡来 かな?
532日本@名無史さん:03/11/12 23:11
>527
風車弥七につながるのか〜、勉強になたよ
533日本@名無史さん:03/11/12 23:29
車寅次郎になるのか、勉強になったよ
534日本@名無史さん:03/11/13 00:00
父の遺志を継いで将軍を暗殺するために、お庭番として城に潜伏していた。
先祖が水戸出身ということと、お庭番(警護役)というイメージから風車の弥七
のモデルに。そして、江戸庶民の代表というイメージから車寅次郎のモデルに
なったんでしょうね。なかなかの人気者だな。
そういえば、十手持ちも非人でしたっけ?鬼銭形平次とか
535日本@名無史さん:03/11/13 11:18
アレはただのやくざじゃないの?
536日本@名無史さん:03/11/13 11:31
弥七のモデルは車善七とは別の盗賊だろ。
http://iwa.pekori.to/mito/tour/yukari/yasiti/yasiti.htm

寅次郎も違うみたいだよ。
http://216.239.39.104/search?sourceid=navclient&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=cache:http%3A%2F%2Fwww.ucatv.ne.jp%2F~shuumei%2Ftorasanyougo.htm
>車寅次郎命名由来
>
>車:漫画「轟先生」から
>
>渥美清ファンとしては彼の誕生地(東京市下谷区車坂町)からと考えたい
>
>寅次郎:映画監督・斎藤寅次郎から
537日本@名無史さん:03/11/13 20:01
>>536
>渥美清ファンとしては彼の誕生地(東京市下谷区車坂町)からと考えたい

これ、読んだことあるけど。上野7丁目って、現代の上野駅前だね。
上野駅は明治時代に出来たものだけど。同じ位置かな?
538日本@名無史さん:03/11/13 21:39
諸星弾+風大左衛門=弾左衛門?
539日本@名無史さん:03/11/14 10:40
電波を飛ばせば、両津勘吉のモデルだって被差別系ともいえるぞ。
540日本@名無史さん:03/11/14 10:49

それってマンガを読まないうちの母親も
両津=部落を臭わせる事言ってたな。
アニメ化される前の事だけど。。。

うちの母親は、どこで受信したのだろう?
541日本@名無史さん:03/11/14 20:43
佐渡じゃないか?
542日本@名無史さん:03/11/19 20:19
白山社とか部落といったものは分かりませんが>>437の各地域
白山社と利仁後裔を称した斎藤氏とは関係ない?
東国といえば、斎藤実盛の後裔を称した家も多い(上野・武蔵など)。
543日本@名無史さん:03/11/26 08:10
天皇がエタになったのは常識
544日本@名無史さん:03/11/29 21:25
>>1
は部落
545日本@名無史さん:03/11/30 03:14
>>544
たしかにもっこすは解同と差別主義者の側から見たら部落だけど何か?
546日本@名無史さん:03/11/30 03:17
>>544
電波注意報
『もっこす』とは熊本の方言で
「頑固な人」や「強情っぱり」のことを言います。
通称『肥後もっこす』と言って、一度こうだと決めた事など、
なかなか変えようとしない、ちょっとやっかいな存在なのです。
547日本@名無史さん:03/11/30 18:07
ヨーロッパにおいてユダヤ人に金貸しをやらせたのとはちょっと違いますよね。
548日本@名無史さん:03/11/30 18:22
Bと天皇家は実はつながりがある!
とおれはみているんだが、違うか?
いっとくがDWじゃねえよ。あれは暴力団だから。
549日本@名無史さん:03/11/30 18:46
>>548
秀吉、徳川などの尾張三河勢に貶められたものは関係ある・・・
それ以前(奈良とか以前)のは、権力闘争に敗れた意味で
関係ある鴨南蛮
550ok:03/11/30 18:47
◎7254最新情報◎
http://homepage3.nifty.com/hot-hot/7254.html
551日本@名無史さん:03/11/30 19:06
でも、安易に縄文人というワケでもないっぽいね。
親百済王朝に敵対する勢力とか・・・
552日本@名無史さん:03/11/30 19:29
3点セットって、
 白山、東光寺、別所(散所)、それと文殊菩薩でしたっけ?
553日本@名無史さん:03/11/30 19:37
何故非人への施しが供養になるのか

 中〜近世の社会は、世俗権力の及ぶ世界を中心に、その社会から放擲された人々が住まふ
世界が周縁に存在してゐた。周縁とはすなはち辻、寺社、河原、山中などである。そしてそこに
は片輪、非人、河原者、山人、サンカなどといつた人々が住んでゐた。これらの人々はよく知ら
れるやうにしばしば人ならぬ存在として卑しまれたが、同時にまた特殊な存在として一面では尊
ばれた。
例へば不具の子が生まれると「鬼子」として恐れられたと同時に、福をもたらす「福子」として喜
ばれたやうに、である。近代化以降、我が国で云へば明治以降では被差別民といへば専ら卑し
いものと決まつてゐるが、かつては俗と聖とが入り交じつた、両義的な存在と見做されてゐたの
である。
 実際、例へば畿内では寺社の権門下にあつた非人たちは、動物や人の死骸を扱ふ穢れた存
在と見做されると同時に、祭りの日には文殊菩薩の生れ変はりとして尊ばれ、人々は利益を願
つて進んで布施を行つた。また京都の坂非人は葬儀(通常の人は死穢れを恐れて直接は行は
ない)を扱つてゐたが、遺族は彼らが掠めるのを承知の上で多くの副葬品を棺桶の中に入れた。
それは、彼らが副葬品を奪へば、死者が非人に施しをしたことになり、来世でいい身分に生れ
変はれるといふ信仰があつたからである。

《参考文献》
高田衛編『江戸怪談集』,岩波文庫
細川涼一『中世の身分制と非人』,日本エディッタースクール出版部
554日本@名無史さん:03/11/30 19:55
穢多  非人  籐内

これらの語源ってなんだろ?
外来語の当て字。否やっぱ日本語か?
仏教とかの宗教用語?
555日本@名無史さん:03/11/30 23:37
京都駅近くの線路にはさまれたお寺は西光寺だよ
556日本@名無史さん:03/12/01 00:09
案外、この前のファンケルでのことみたいなのが起源だったりして。
557日本@名無史さん:03/12/04 01:23
>>543
それって騎馬民族征服説や満州と関係ある?
558日本@名無史さん:03/12/04 22:37
>>557
どうせ↓のことを言ってるのだろ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/996232292/l50
559日本@名無史さん:03/12/09 14:54
鷹匠も穢多ですか?
560日本@名無史さん:03/12/09 16:00
>>559
静岡市に鷹匠という地名があるけど、駿府城の外堀に隣接しているような場所だよ。
561日本@名無史さん:03/12/09 18:05
>>560 現地の雰囲気は?
562日本@名無史さん:03/12/10 01:56
>>561
古くから住んでいる人が多い割と高級な住宅地。画廊やブティックなどが点在
する。住んでいるとちょっと嬉しい土地柄ではある。ちなみに周辺には女子高が
多数点在する(藁

旧久能街道(久能山東照宮への参拝に使う道)と、北街道(東海道から駿府城
に向かう道)の交差点付近で、東御紋なので、往時は家康にご機嫌伺い、家康
没後は墓参りに来た諸大名たちが通っていた道路。

http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=138%2F23%2F28.935&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F58%2F29.344

地図中点線がついている道路が北街道で、この道は駿府城の外堀を埋めて拡幅して
いるので、道の西側は昔なら駿府城の城内。1/8000くらいのスケールで見ると意味が
わかると思う。

ただし、静岡市は空襲で壊滅しているので、町並みは全く作り変えられていると思う。
563日本@名無史さん:03/12/10 02:54
鷹匠はエタじゃないんじゃない?

うちも城下町だけど「鷹匠町」の周辺はかつての武家屋敷です
564日本@名無史さん:03/12/12 03:35
>>554
日本語だよ、ふつーに。

「穢多」=「穢れ(ケガレ)」が「多い」
「非人」=「人に非ず」

「籐内」は知らない。
565日本@名無史さん:03/12/13 08:45
人に非ずというわりには、人別帳に記載されていたり、人間扱いだったりする。
それと町に住み、町民と普通に生活する非人もいた。

必ずしも現代日本語で言う「人に非ず」というのとは微妙に違うんだろうな。

566日本@名無史さん:03/12/13 14:23
芸人も非人だったというが、まさか人里離れたとこに住むわけに行くまい
567日本@名無史さん:03/12/13 18:36
日本の下層民の歴史はひと事では説明できない。
賤民や非人にもいろいろある。
568日本@名無史さん:03/12/13 19:04
非人の起源・・・

>橘逸伊勢が承和九年(842)反逆罪に問われ、
>の姓と官を剥奪されて非人の姓を賜つたのが
>非人という文字のわが国文献に見られる最初であろう・・承和の変。

>天保十年(1839)北町奉行・大草安房守高好が
>浅草非人頭・千代松に答申したことが『諸向附札』に見えている。
>非人名目の儀は、古代京都において悲田院御取り建てこれ有り、
>寒、病難、貧苦の類を救い遊ばされ候みぎり、
>寄り寄り集まり候ものは、鰥募・孤独の廃人にて候まま、

>昔は悲田人と名付け候處、非人とは右の略語にも御座あるべきにや云々。
569日本@名無史さん:03/12/14 00:12
>「籐内」は知らない。

このスレ、人権板よりレベル低いんだね。
570日本@名無史さん:03/12/14 00:12
日本史板になに期待してんだか
571日本@名無史さん:03/12/14 00:16
572日本@名無史さん:03/12/14 06:08
>>554 >>564

「日本庶民生活史料集成第14巻部落」11.異部落 一巻
(p527〜p561)
 加賀藩の公務の一部を分担した籐内領・廻籐内・非人頭、また公務について
 いない革多・ 瘍癩(かったい)・非人などについて書かれている。

これと菊池山哉「特殊部落の研究」「五百年前の東京」を読破すれば、
君たちもその日から・・・(ワラ

 
573日本@名無史さん:03/12/16 19:22
そこのアンちゃん!ねえーちゃん!
ちゃんと避妊しているかい?
574日本@名無史さん:03/12/16 19:45
次のような発言をたくさんする人(項目に5つ以上当てはまる人)は、
7世代以内の先祖が朝鮮系または下層民系の人である可能性が高い。

「石原都知事は嫌い。田中康夫が好き。」
「筑紫・久米・関口は良いことを言う。」
「憲法9条を守ろう。」「アメ公でていけ。」
「防衛費を減らそう。」「外国人参政権に賛成」
「天皇は不要」「天皇は朝鮮」
「愛国心はいらない。日本国など好きになるな」
「民主党や社民党が大好きだ。」
「やっぱり新聞は天下の朝日新聞に限る。」
「さすが、報道のTBSは良い放送局だ。」
「自民党は悪い政党だ。」
「警察と自衛隊が嫌い。」
「日本軍はアジアで悪いことばかりしていた。」
「新しい教科書をつくる会の教科書を採用するな。」
「靖国神社に参拝するな。」
「日の丸や君が代を生徒に強制するな」(在日なら当然か)
「日教組活動かんばるぞ。」「組合活動がんばるぞ。」
「日本はアジアに謝るべきだ。」

補足
「天皇は朝鮮」というのは、「天皇=ユダヤ民族説」
と同じくらい非現実的な妄想であり、真実ではありません。
(奈良時代に百済の王妃と結婚した天皇が一人いただけ)
575日本@名無史さん:03/12/21 19:21
うんとねえ、思うに・・・支配順序?
A縄文人
B騎馬民族(突厥?)
C朝鮮系豪族1・・・平城京?
D朝鮮系豪族2←これが平安王朝をとりまとめてひと段落?
んで、被差別民には多様でいつの時代にBになったのか?
縄文人や突厥、新羅系や百済系とか多種多様にいて
秀吉・家康の時代に非人になったものには
多分朝鮮系(?)住人がいるんでしょ。強制連行された陶工とかも含めて。
だって、関ヶ原以降藩に赴任された殿は尾張三河の土豪といえば
聞こえがいいが、盗賊とか山賊の出という噂もアルわけだし。
明らかに、秀吉以前は差別されていないっぽい
が、平安時代前期には隔離されてるっぽい。平城京と平安京で支配者が違うの?
平安時代後期、源平合戦を期に世に出て
鎌倉時代、室町時代は活躍
秀吉以降Bで明治維新で復権?かなー?
尾張三河勢が切り盛りしたのは東インド会社の陰謀だったりしてw
それと切支丹は差別されたみたいだねー。これは、原始キリスト教
の名残があるところに宣教師がこじつけて布教したからじゃないかな?
日向というのは景教ともキリスト教とも関係あるの?
「えた」は満州移民に利用されてるっぽいから遊牧民なんでしょうか?
【甚目寺の歴史】
室町時代まで現在の海部郡の大半は海であった。津島などは完全な島であり
甚目寺のあたりも海辺であった。萱津という字があるが、語源は海津の訛りから
きたという。このように古くから開けていた甚目寺は商工業の盛んな地域であった。
尾張上四郡を手中にした清洲城主織田大和守を名乗る一派は甚目寺を武器の生産地に
すべく職人たちを集めた。物資の集散地である甚目寺は立地がよかったのである。
甲冑・刀槍・馬具どれをとっても皮革はきっても切れない。
武器職人集落の周辺にはこれらの原料を供給する人たちの集団が自然とできた。
為政者の要請による移住も考えられる。美濃経由の旧鎌倉街道(のちの美濃往還)
にかわって室町後期には桑名・四日市経由の道が発展し(のちの佐屋往還)甚目寺は
ますます賑わった。新しく宿場・駅逓もできこれが今宿と名付けられた。
安土桃山時代になり北近江浅井氏の旧領を拝領した羽柴秀吉は 城下町長浜を建設。
みづからの根拠地とし商工業の振興・軍事力の育成に努めた。この時に甚目寺の
武器生産集団を大量に移住させ城下の内外に住まわせた。現在でも甚目寺の
この地区の人達と滋賀県のある地域との間で血縁関係にある人たちが多い。
戦国期にはもてはやされた武器生産集団は江戸時代にはいると一転して不要の
集団になり為政者側のお荷物になる。新田開発のために干拓がすすみ海岸線が後退して
甚目寺はもはや物資の集散地の地位を失った。武具が要とされぬ時代に、作地を
与えられていないため農業生産に従事できない彼らは、為政者にとって無用の
存在になる。彼らへの差別の始まりは為政者のこのようなご都合が起源であった。
577日本@名無史さん:03/12/21 19:44
>>576
聖徳太子の時代くらいの古代寺院のあるところにも多いね。
薬師如来12神将はキリストと12使徒という解釈も
あるから信長の頃の宣教師がこじつけで布教したのかも。
578日本@名無史さん:03/12/21 19:50
なんせ、とりあえずミカエル様と言わせるために
御蛙(みかえる)様って蛙の像を寺や神社に置いたくらいだからw・・・
本当に概念としてキリスト教を理解してたのかなっていう気はする・・・
南蛮貿易とか商売上利用してた武将・商人もいるけど。
579日本@名無史さん:03/12/21 19:52
明治維新で復権したBは元朝鮮系住人なのか・・・
580日本@名無史さん:03/12/21 20:10
>>576
武器職人や武器商人は、キリスト教とも関係が深いと思うよ。
南蛮貿易するときに有利だから。
高山右近みたいに真性にはまる人もいたんだろうけど、
商売上信仰した人もいると思う。
581日本@名無史さん:03/12/21 23:04
火薬の輸入ルートを押さえていたのがイエズス会
582日本@名無史さん:03/12/22 00:57
大英帝国はフランスが発祥!
エリザベス女王はフランスにゆかりが!

と、フランス人が騒ぐ方が、まだ納得いくんだが。
583資料屋・御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :03/12/22 18:00
【一向一揆の実像】
一般に一揆といえば筵旗(むしろばた)を掲げて貧乏な百姓が領主に立ち向かうものと
いうイメージがあるが,浄土真宗の一向一揆は護法のために坊さんが先頭にたつた,
聖なる戦いであった。さらにいうなら,信長が利用しようとしたキリスト教を阻止した
一種の宗教戦争でもあった。もし明智光秀が信長を撃たなかったら,日本はキリスト教
に征服されていたかも知れない。東洋へのキリスト教布教の足がかりであった。西洋の
東洋制覇を阻止する戦いを本願寺が果した。そして信長と最後には和睦してその後真宗
教団はますます隆盛する結果になった。
こういう史観は文部省的ではないので,教科書にもNHKの堂々日本史でも出て来ない。
しかし事実は亊実だ。もっと語られてもよいのではないか。現在の本願寺さんの坊さん
は語りそうにもないから,門徒の私が書くしかない。
h ttp://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/kayaikki.html
584百済:03/12/22 18:23
>>583
カトリックとプロテスタントの諸派が日本をキリスト教化し、洗脳を武器に植民地にしようとしたが、
彼らの扮装がそのまんま日本にまで持ち込まれ、将軍も訝ったでしょうね。
西欧では、スペイン・ポルトガルが衰退し、オランダ・イングランドが伸して来た時代。
台湾では、北部はスペイン、南部はオランダみたいな珍支配となった由縁。
585日本@名無史さん:03/12/22 18:42
>>583
すごい妄想だな。逝ってよし。
キリスト教の畿内浸透を阻止したのは、法華宗だ。
大内保護下による長門布教が失敗したのは、
一向門徒を支持団体とする毛利元就の政策によるものだ。
毛利元就は将軍義輝からの布教許可の指示を揉み消したらしいな。
広島県の浄土真宗の寺の数を数えてみるといい。
586日本@名無史さん:03/12/22 19:37
その法華宗も信長政権下では懲らしめられているけどね……。
まあ、右側の毛利に開明思想を求める事自体間違っているが。
というか大半の大名は右だな。
初期の朝倉、今川、北条ぐらいだろう、左気味だったのは。
武田信玄もやや左だが。
しかしやはり最強の過激左派は信長だが
587日本@名無史さん:03/12/22 19:48
左右か。>>586は、左右翼の本来の定義どおりに表現しているね。
今では「左=共産主義」になってしまい
革新どころかダサいイメージがつきまとう今日この頃ではあるな。
588日本@名無史さん:03/12/22 20:06
>>586は、無意識に左を美化しているので、
40代以上のおっさんである可能性大。

つーか、信玄はバリバリ右だろーがw
589日本@名無史さん:03/12/22 22:36
右とか左とかはどうでも(・∀・)イイ!!
煽んないでやってけれ
590日本@名無史さん:03/12/22 23:34
真面目な話、高校生です私。>>588
いや、戦国諸大名にしては革新的だよ。彼は。
あくまで、戦国大名にしては、だが。所詮それで限界。
信長はロベスピエールなぞとは比べ物にならぬ名将であり、天才だが、
あまりにも革新的過ぎて、(超現代人=ニーチェの言う超人過ぎてとも言う)
ロベスピエールと同じ運命を辿った。結局最後は右で落ち着いてしまったし……。
家康の政権は安定しているだろうが、それなら信長の世界国家を見たかったよ。
591日本@名無史さん:03/12/22 23:34
   \     毛       /
  腿  \_  |   _/
          彡彡彡
          ミミミミ クリトリス
         ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
         ノ σ ヽ 尿道
       / / ゜ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \ 
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592日本@名無史さん:03/12/23 12:15
>>575

おいおい朝鮮から連れてこられた様々な技師(もちろん陶工も)は手厚くもてなされているぞ。
593日本@名無史さん:03/12/23 13:29
>>592
伽耶って朝鮮系???茶道は伽耶と関係あるの?キリスト教とか武器商人とも?
594日本@名無史さん:03/12/23 17:31
一夢庵風流記でも読んだらどうですか。
古代日本に影響を与えた事について説明がある。
小説だが
595日本@名無史さん:04/01/15 00:16
596日本@名無史さん:04/01/15 21:42
え、マた避妊って見えた。



逝きます,,,,
597おっつ:04/01/27 13:49
石川県の同和地域ってどこか、知っている人いたら教えて〜!あんまり聞いた事がない!
598コピペ:04/01/27 15:27
中世〜近世(特に江戸時代)の賤民の職業…地域によって他にもいろいろあると思う。

●死牛馬の処理関係
 運搬〜解体〜加工・製品化〜販売
農家で飼われている農作業用の牛馬が死ぬと
死体の所有権がお上から認可を受けた地域の賤民に移る。
一般の者が勝手に死牛馬の処理をする事は禁じられていたようだ。
死牛馬は運搬〜解体処理〜皮革加工〜販売を
専門の職人さんの分業によって行われる事になる。
江戸時代独特のリサイクルシステムといってもいい。
 死牛馬の皮の多くは最終的に太鼓や鎧や兜などに加工され
武家へと売られる事になるが、鎧兜など武士にとっての必需品なので安定産業だった。

●警備関係・警察関係
町方・同心などの手下・手先(最下級武士の下賎職とされた警察業務のさらに手下)
牢屋の番人、処刑・刑罰の執行雑務
地域の農村や町の監視・情報収集(百姓一揆封じ等のため)
街道・宿場町の監視・警備(流入者や不審人物の捜索・見張り)

●福祉医療関係
精神病障害者や身体障害者の隔離〜世話
医療〜医者全般(特に外科系)
薬品原料の採取〜栽培、薬品の加工や製造〜薬品の行商
伝染病患者の隔離〜世話

599つづき:04/01/27 15:28
●人死体の処理関係
死体の運搬〜葬式関係〜墓穴堀〜墓の守

●芸能関係
歌舞音曲に関することいろいろ
 能・狂言・歌舞伎・文楽など後に上級芸能とされるものから
 落語・漫才などの庶民的な芸能
 大道芸・動物芸・視力〜身体障害者の三味線引きなどの
 やや下に見られていたものまで。
うらない・まじない・おはらい・などの者

●芸術関係
庭〜庭園・植木・盆栽・花に関する事いろいろ
茶道・華道・香道に関する事いろいろ

●職人関係
竹・葦などの加工、櫛・髪飾りなどの製造
足もと製品(下駄など)の製造
(わらじは農民の副収入職であったため、これに入らなかったようだ)

●その他
金貸し業     くず集め屋
人夫屋・人足屋(現代風に言うと人材派遣業)
糞尿処理(農家の肥料として重宝された)
600日本@名無史さん:04/01/27 15:34
実質一番過酷な生活を強いられてる農民を、武士の次という身分制度上破格の好待遇にし、
安定していたり、楽して高収入を得られるような職業の身分制度の下層に位置づけることで、
農民からの不満を「あいつよりは高貴な身分だ」等言う満足感で、少しでも解消したかったのだろう。

似たような現象は今でもあるよね。
601日本@名無史さん:04/01/27 16:36
>>599 重要なのが抜けてるよ
●天皇・公家
官職の販売、家職(陰陽道、蹴鞠、和歌)の免状販売、被差別民(盲僧、
竹細工、博徒など)の胴元
602日本@名無史さん:04/01/27 16:56
 穢れの観念から勉強したら。
603日本@名無史さん:04/01/27 17:11
 江戸時代において穢多と非人を同一視はできない。当時の刑罰の
一つとして、非人に一時なるというものがあった。
 非人番と呼ばれるものはそのひとつ。
 これは古代の五色の賤にも同様のことがあったけれども。
 現在の部落差別への発展は特に、明治以降にその原因がある。それまで
あった、特に穢多への差別観念(これは穢意識と同等)を制度的に
解消するが、意識の変革をはからなかったために、そこだけが残って
いった。
 江戸時代には穢多以外の人も、はっきりとした身分秩序の中に組み込まれて
いたため、武士が農民をさげすむ感覚と同様の感覚で、穢多がさげすまれて
いたということ。
604日本@名無史さん:04/01/27 17:15
>>602
一番穢れてるのが天皇公家なんですが、何か。
605日本@名無史さん:04/01/27 17:17
エタ非人の親玉が、天皇だもんな。
606日本@名無史さん:04/01/27 17:17
>>603
非人は、元の地位に戻れる可能性があることで、エタに対して優越感を持っていた。
エタは非人の上だという事で優越感を持っていた。
身分制度の仕掛けだ。
607日本@名無史さん:04/01/27 17:30
禊ぎができるかどうか
608日本@名無史さん:04/01/27 17:37
609日本@名無史さん:04/01/28 00:05
>>602
伊沢元彦以外にも本読め。(プケラ
610日本@名無史さん:04/01/28 23:11
>>609
このスレッドの議論わかってんの?えたひにんを理解するなら
そこから勉強したらっていう意味やし。
伊沢読んだだけで理解できなってくらいわかってるやろ。
ちなみに俺は読んでないけど。
611日本@名無史さん:04/01/28 23:29
穢多非人を穢れで理解しようとするからおかしな結論になるんや。
それがB利権の温床でもある。アホな神道家が唱えてる穢れの
概念なんて勉強するだけ、実際の彼らの姿から遠ざかる。
612日本@名無史さん:04/01/28 23:31
>>611
実際の彼等の姿とは?
613日本@名無史さん:04/01/28 23:35
それはね、内緒。なんでかというとね、うちもそうだったから。
でもね新平民じゃないんだよ、小泉のジュンちゃんといっしょ
614日本@名無史さん:04/01/28 23:49
age
615日本@名無史さん:04/01/29 03:17
もう10年以上前なんですが、大学の講義で何かの記録の原書を
読む授業がありました。内容は杉田玄白と前野良沢が、骨ヶ原に
解体を観に行く話だったんですが、最初に死体を運んできたのが
■■の何某…と名前も書いてあり■の部分は塗り潰されてました。
他にも黒塗りの部分が何箇所かあったんですが
その後の文脈に穢多何某と一箇所だけ塗り忘れた部分があったので
そこに入るのが穢多だと分かりました。まぁ最初から分かってました
けど。教授はなんと「原書のこの部分が何と書いてあるか
読み取れなかったから」と言いました。そんなばかな。
その時は興味なかったので資料は大学卒業時にどっかにいって
しまいました。今になって読みたいんですけど、このエピソードが
原書で載っている資料をご存知の方、いませんでしょうか?
あと、貞観政要格式目について知りたいのですが、原文を交え
ながら解説した本でなにかありませんでしょうか。教えて下さい。
616御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/01/29 13:17
>615
『貞観政要格式目』の原文書いて有る本は見たこと無いなぁ〜

『差別戒名の証言』小林大二 丸子町部落開放墓碑研究会 
『被差別部落の墓標』―信州の差別戒名考― 部落解放同盟長野県連合会
 執筆者 上原文成・小林大二・坪井富永・高橋康雄・土屋宗四郎
『部落差別と真宗の課題』近藤祐昭 永田文昌堂
『差別戒名とは』人権ブックレット25 松根鷹 部落解放研究所
617御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/01/29 13:20
『差別戒名とは』人権ブックレット25 松根鷹 部落解放研究所から抜粋
【差別戒名の起源と背景】
未公認戒名第1号・・・お島(善信) 仏教を伝来した司馬達人の娘
公認戒名第1号・・・・聖武天皇(勝満) 戒律を伝えた鑑真和上による初の受戒
院号第1号・・・・・・嵯峨天皇(嵯峨院)
死後戒名第1号・・・・九条兼家(法興院)
院殿大居士第1号・・・足利尊氏(等持院殿仁山大居士)
長文戒名第1号・・・・徳川家康(東照大権現安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士)

キーワードは院殿大居士第1号・足利尊氏の時代、室町時代前後にあるようです。
戒名のランクに言及したものに、永禄三年(1566)の『諸回向清規』があり
臨済宗・天倫楓隠よって著わされた。この中で「僧俗男女位牌之中文字」として
「信士号は武家あるいは平人に、信女は武家の女也、大禅定門・大禅定尼は将軍家
および男女各高家也、禅定門・禅定尼は平人に之を用ゆ、禅門・禅尼は平人奴僕等也」
と述べています。
差別戒(法)名の手引書として近年注目されるようになった『貞観政要格式目』は
『諸回向清規』に先立つ27年前、天文八年(1539)、高野山金剛三昧院慶息によって
筆写された写本が残っています。つまり成立は、これ以前にさかのぼることになる。
「皇帝位牌」に始まり、「東寺・山門四ヵ大寺」以下諸宗等の書様をへて、将軍家の
位牌のことに及ぶ。そして『諸回向清規』が「禅門・禅尼は平人奴僕等也」と、簡単に
記述した箇所を、新たに「三家之者の位牌之事」という項目を設け詳述しています。
すなわち、「連寂白馬開墳(甲+某)草門ト(ヨ大)」の故事来歴をるる述べたあと
「連寂名ヲ入テ革門ト(ヨ大)」=「是ハカワヤノ男ニ用ル位牌也」に始まり
「神子名ヲ入テ禅畜女ト(ヨ大)」=「是ハ傾城ニ用フ也」にいたるまで、
中世非人層に対する差別戒名のつけ方をこと細かに指示しています。
618日本@名無史さん:04/01/30 02:06
御殿山さん
どうもご丁寧にありがとうございます!
調べていて小林大二氏のお名前は何度か見かけたのですが、
一番目に挙げた本はまだ読んでいませんでした。早速探してみます。
天文八年(1539)の段階ですでに写本だったのですね〜、やっぱり
こういう資料って研究者じゃないと見ることも出来ないんでしょうね。
619日本@名無史さん:04/01/30 02:39

臨済宗って部落に多かったですか?
620日本@名無史さん:04/01/30 04:06
それ言ったら、うちは浄土真宗なんだけど、
人権版では浄土真宗=部落って思ってる人がいる。
単に日本で一番多いのが浄土真宗だし、歴史も古いからだと
思うのだが。
621日本@名無史さん:04/01/30 04:22
俺の地元じゃ部落の子孫はヤクザよりタチが悪い。
部落の地域で事故ったらかなり金をまきあげていく。
もちろんそうじゃない人もいっぱいいるけど
被害者意識を逆手にとって「部落やおもってなめとんか」
とかいってるやつは多々見た覚えがある。
622日本@名無史さん:04/01/31 06:55
615でつが、御殿山さんに挙げて頂いた資料、どれも見つかりません
でした…。『差別戒名とは』人権ブックレット25 だけは入手
出来そうなんですが…。本屋と、図書館の検索システムでは入手
出来なかったので、あとは古本ですかね?むーん。
623御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg :04/01/31 18:47
>622
図書館に無いか・・人権センタで借りたけどね
童話地区の有る図書館なら有ると思うが・・。
624日本@名無史さん:04/02/08 21:47
625日本@名無史さん:04/02/15 04:12
部落って、
ビルマ系の民族って、米国の本にあったよ。
オレの個人的意見でも、中国南部かビルマあたりじゃない、元もとは・・・
626日本@名無史さん:04/02/15 04:21
山田姓の人におおいんだよね?
627日本@名無史さん:04/02/15 04:23
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
   ,r'          /=ミ
  /           彡ll',''´
. /             彡lll
 !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ
 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ
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 |.   ,'           //
. ',. ,'           , r'
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |
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628日本@名無史さん:04/02/15 04:40
エタと非人を同列に語るなよな〜
ヒニンは士農工商のどこのクラスからでも発生する。
エタはずっとエタなのであって、被差別対象となっているのはエタだけ。
629日本@名無史さん:04/02/16 20:30
このスレを見て、鬼ごっこの鬼がタッチするとき「エッタ」と言っていた理由がなんとなく解ったような気がした。
うちは北海道だけど、移民の多いマチだったもんで、こういうことになったんだろう。
630日本@名無史さん:04/02/28 22:05
江戸時代を通じて、草=スリーパー=地付き潜伏情報収集提供者、
の役をエタ階層が負わされていたということか?
現在でも公安警察など情報機関員はこの出自が多いとか。
単に携わる職業や生活レベルが低いからではなく、
スパイ的な一般他者を探り、裏、偽り情報を流布させるから
嫌悪されているのだと聞いたが?
631日本@名無史さん:04/03/03 00:46
「ひにん」は、せなあかん! 婚前交渉で子どもできたら、もう〜!
お母ちゃん恥ずかしゅうて、そと歩かれへんがな〜!
632日本@名無史さん:04/03/07 00:51
なんか必死で天皇を賤民認定しようとする厨が笑えるwww
633日本@名無史さん:04/03/07 00:55
えた、ひにんってのは>>1の先祖のことだよ
634日本@名無史さん:04/03/07 03:45
母ちゃん、「えた五月」最近見ないなあ。あのソフトな喋り好きだった。和んだわ、僕。

ウッサイ、「゙」付けろや〜、この糞ガキ!

ヒィ〜!助けて、僕のさつきぃ〜

635日本@名無史さん:04/03/09 00:00
>>598
公家の履くクツや束帯のベルトも皮革製品。
>>599
上方落語の起源は大名の御伽衆ではないんですか?
秀吉でいえば、山名豊国や織田信雄などがそれに価すると思いますが。
636日本@名無史さん:04/03/15 18:43
>>628
非人は被差別対象にならなかったの?
637日本@名無史さん:04/03/16 02:45
>>636だって刑罰の一つとして非人があったんだから。
638日本@名無史さん:04/03/16 21:44
>>637
罪人は差別されるっしょ?
639日本@名無史さん:04/03/17 23:08
エタ=穢れにつながる職業をする人。
ヒニン=罪科によって地位を落とされた人。
てことですかね。
となるとブラクはこれらの人々が住まう所、でいいんでしょか。

>>600
オウム関係者が平成新部落(民)になりそうな兆候(就労・就学拒否など)もありますが
今でいうとブルーカラーみたいなもんですか?
640日本@名無史さん:04/03/21 18:31
ブルーカラーっーのは、士農工商でいう「工」と「商」の一部。
(商でも、豪商や管理階級は別)
これより下に、卑賤民という存在もあった。
穢・非人と、商との間の、いわゆるスラム民、
または、川原者と呼ばれた住所不定のホームレス系、
ジプシー(ロムニ)のような漂白生活をする山窩、など、多種。
人間社会外で組織構成され、集落で団結していた穢・非人たちより、
ある意味、更に過酷な弾圧と排除の対象ですらあった。
よく混同しているひとがいるが、非人と卑賤民たちとの違いは、
人別帳の記載があるか、無いか。
641日本@名無史さん:04/03/21 18:35
また、穢の一種として、マタギ(狩猟系肉食常食民)を加える場合もあるが、
これはどちらかというと、その性質上、山窩側ではないかとの説もある。
何れにせよ、農耕収穫による税収外の存在であり、
当時の体制側からしたら厄介極まるものだったと聞いた。
642日本@名無史さん:04/03/22 12:54
ここは、カムイ伝の元ネタスレですね
643日本@名無史さん:04/03/22 16:01
カムイ伝と言えば、エタ、非人のさらに下に「乞食」なる身分が
あったとか書いてるけど本当なんですかね?
644日本@名無史さん:04/03/22 16:09
あとカムイ伝に非人の組織階層で

総御支配・大頭 弾左衛門

関東支配 車善七

各藩の頭

集落の小頭

とかありましたけど、これも本当なんですかね?
 
645日本@名無史さん:04/03/22 16:42
646日本@名無史さん:04/03/25 12:18
>>641
マタギは地元では昔から尊敬はされてても差別なんかされてないぞ。
「加える場合もあるが」って、どんな場合だよw
647日本@名無史さん:04/03/25 13:37
えたもひにんももともと中世はキヨメという職能民の一種。

都市から汚れを払う力を持つものとして畏れられていたが
14世紀の社会の大転換期に呪術的なものは低くみられるようになり、
社会の分業化がすすむにつれ死牛馬処理を扱うえたと、
呪術的な職能を専門にする集団(ひにん)に分化していった。

えたは戦国時代には軍需産業を担うので東日本では重んじられたが
次第に職能民からも外されて没落し
秀吉の身分政策で固定されるようになった。
648日本@名無史さん:04/03/25 13:59
age
649日本@名無史さん:04/03/27 00:38
>>646
大まかに言うと、定着性のマタギと、流動性マタギ。
一説によると、白山信仰との関わりも考えられるとか。
山伏や修験者との混同もあるかもしれない。

マタギというのは、主に東北山麓をなわばりとする狩猟民族を指すが、
その彼らの中にも階級と属性差は存在した、と聞いただけ。
650日本@名無史さん:04/03/27 11:16
>>649
職能民の中にも大工と鋳鐘を筆頭に流動的でも身分意識があって
その最下層が没落して外されていったとも考えられるね。
651日本@名無史さん:04/03/27 16:47
保守
652日本@名無史さん:04/03/27 20:14
>>649
白山信仰はオシラサマとの関連も指摘されている。
諏訪や御岳同様東日本の狩猟民に広く信仰されていたと考えて良いと思う。
653日本@名無史さん:04/04/02 21:49
忍びが通る獣道
風がカムイの頬を切る
一人、一人、カムイ
654日本@名無史さん:04/04/03 01:06
エタはパキスタンのクエッタから日本列島にやって来た人々ではないか。
クエッタの人々は日本人そっくりらしいが、教養もなく馬鹿にされているらしい。
「クエッタ」を早口で発音すると「エッタ」と聞こえる。
天皇家の遠い先祖が奴隷として連れてきたのだろう。
655日本@名無史さん:04/04/03 01:20
やはり異民族なのか。俺もそんな気がする。
656日本@名無史さん:04/04/03 01:23
また、このクエッタの町は、パキスタン西部、バローチスタン州の州都であるが、 地名はパシュトー語の「カワター」(城塞の意)に由来する。
エタのことをカワタともいうが、見事に一致している。
657日本@名無史さん:04/04/03 01:29
妄想は楽しいね。
658日本@名無史さん:04/04/03 01:31
連れてこられたのはいつ頃?
659日本@名無史さん:04/04/03 01:44
さらに、差別の根元「カースト制度」もこの地域にアーリア人が侵入して起きた。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ(奴隷階級)のシュードラのなかの最下層であったのだろう。
660日本@名無史さん:04/04/03 01:48
紀元前には日本列島に到達していたと考えられる。
661日本@名無史さん:04/04/03 01:49
というか天皇もエタでしょ、一番上なだけで。
農民などの常民と違う特殊民。 盲僧とか木地師とか
能除太子とか特殊民の元締めが天ちゃん。
662日本@名無史さん:04/04/03 01:59
私は天皇はエタではなく、支配階級人種だと思う。
つまり侵略者である天皇一族が被支配階級のエッタ等を引き連れて日本列島へ侵入してきた。
663日本@名無史さん :04/04/03 02:00
また網野の著作を誤読してる厨房が湧いてるな。
664日本@名無史さん:04/04/03 02:06
奴隷として連れて来られたのがクエッタで、
天皇がクエッタってわけじゃないでしょ?
665日本@名無史さん:04/04/03 02:08
「ダサイ」というけなし言葉があるが、クエッタの地には「ダーサ族」というのがいた。

以下引用
「彼らは、インドに進入したアーリヤ人と敵対した先住民。
アーリヤ人は前1,500年頃から パンジャブ地方に移住し、この地でダーサ、ダスユと呼ばれる先住民を征服しました。
当時の模様を伝える『リグ・ヴェーダ』によると、ダーサ、ダスユは黒い肌を持つ 鼻の低い種族で、
プル(町)に住み、異様な言語を話し、アーリヤの神々を崇拝せず、 奇妙な風習をもっていました。

このプルをインダス文明の都市、ダーサをその都市の住民とみる史家がいますが、 反対意見もかなりあります。
先住民の中からアーリヤ人の奴隷となるものが出たため、 ダーサ(女性はダーシー)に奴隷の意味が加わり、
後世の文献では、もっぱら 後者の意味に用いられています。」

この「ダーサ」を彼らの子孫がダサイに変化させたのではないか(w
666日本@名無史さん:04/04/03 02:15
>>665

つまらん。センスなし。
667日本@名無史さん:04/04/03 10:55
ダサいの語源を知らないヤツいないだろ
668日本@名無史さん:04/04/03 16:19
>>667
知りません。教えてくらさい。
ダサいオサムですか?
669日本@名無史さん:04/04/03 17:36
だから埼玉、略してダサい
タモリが考えたか、広めたかしたのは有名な話だと思うけど
670日本@名無史さん:04/04/05 14:07
つか。
パキスタンの建国はいつなんだよ・・・
671日本@名無史さん:04/04/05 23:13
>>640
ブルーカラーと言ったのは、>>600の↓がこれにあたるかなと
「安定していたり、楽して高収入を得られるような職業の身分制度の下層に位置づけることで、
農民からの不満を「あいつよりは高貴な身分だ」等言う満足感で、少しでも解消したかったのだろう。」
あーゆう系の仕事って意外と高給なのものもありますが
薄給でも背広のほうが社会的なヒエラルキーは上じゃないですか。
672日本@名無史さん:04/04/06 00:17
エタヒニン・・・
現代で言う俺の
673日本@名無史さん:04/04/06 22:05
江戸時代の被差別階級を描いた絵の中の風俗がユダヤ人にそっくりと書かれた
学術書っぽい本を立ち読みした事があるんだけど、どうなんだろう?
因みに著者名はユダヤ系だったな。
全てではないけど、異民族の系統を引いた人々もいたのかな?
どうみてもペルシャ系に見える人が、身近に3人はいるんですけど。
674日本@名無史さん:04/04/06 23:23
ペルシャやトルコの人も来てるでしょ。

どっちかいうと大事にされた気がする。
675日本@名無史さん:04/04/07 00:25
>>669
俗説
676日本@名無史さん:04/04/07 00:30
駄目な才能で、駄才「ださい」だよ。
677オサム:04/04/07 01:43
>>668
聞き捨てならん。
678日本@名無史さん:04/04/07 01:47
>>677
お前は屑だ消えろ。
679日本@名無史さん:04/04/09 14:50
漁師は士農工商に入らないけど賎民になるんでしょうか。
当方漁師の子孫です。
680日本@名無史さん:04/04/09 15:23
>679
https://www.tokyo-shoseki.co.jp/e-mail/qanda/q-es-shakai.htm#q3
こちらを参照。
基本的に漁民は百姓の一つなので被差別民ではない。
士農工商という表現は既に古いものになっている。

但し川漁師は被差別民であると考えられる。
681679:04/04/09 16:59
680サンクス
682日本@名無史さん:04/04/10 03:44
>>679
日蓮はセンダラの子だって自分で言ってたけど、仮に漁師が低く
見られることがあっても儒教的な面らしい。

んで、その理由は遭難したとき体力のある息子の方が帰ってきて
体力のない親が死ぬから「孝」に欠ける職だとか云うのを聞いたんだけど
ホントかな?
683日本@名無史さん:04/04/10 08:45
>682
日蓮の場合は儒教より仏教的な理由ではないかと思う。
早い話が漁師は殺生をする職業だからという理由。
http://www.myoukakuji.com/html/telling/kyousen1/index13.html
但し異説もあるし、時代によってはそのような説明がされていた時代もあったのかもしれない。

川漁師はいわゆる漂泊民との繋がりでの差別なので別問題。
684日本@名無史さん:04/04/10 18:21
川師も自主規制がかけられているよね
685日本@名無史さん:04/04/10 23:10
江戸時代の村・村民で郷帳に含まれてないの名族かその他だな。
686日本@名無史さん:04/04/11 17:42
大塩平八郎の乱
687日本@名無史さん:04/04/26 22:57
ETA
688百済:04/05/19 02:00
フランスから帰国しました。あげ
689もっこん:04/05/24 18:51
イタリアから帰国しました。あげ
690日本@名無史さん:04/06/03 20:02
百章のB民も漁師のB民もいます
691日本@名無史さん:04/06/10 16:32
 えた・ひにんって、現在のプロ市民のような力を持っていたの?

 「銭形平次」・「子連れ狼」は、えた・ひにん、に入るの?入るとすれば
どれですか?
692日本@名無史さん:04/06/11 00:10
プロ市民じゃないだろ
銭形平次は地方公務員
子連れ狼はホームレスか・・・
693日本@名無史さん:04/06/11 13:52
子連れ狼は、元公儀介錯人なので、首を切る役目は
えた・ひにん層の仕事の筈。

 銭形平次は、武士では無く「目明かし」なので
これも、えた・ひにん層のしごとでしょ?
694もりもり ◆xN4PfphIG. :04/06/11 17:12
イエス。正しくは首切り役人と言うより張り付けの刑の執行人の方。

しかも江戸時代の被差別部落は仕事の独占権があり豊かで識字率も高かった。
しかし明治六年の解放令の後、急激に困窮し、【筑前竹槍一揆】という悲劇を生みました。解放令自体には賛成だが、明治政府人権政策最大の失敗と言える。
そのお陰で最近までムラ同士が仲悪いこと……

俺は郷土文学者目指してます、被差別部落出身者です。人権板から来ました。質問受け付けます(笑)
695日本@名無史さん:04/06/11 19:21
>>694
どこの国の出身ですか?
696もりもり ◆xN4PfphIG. :04/06/11 20:34
筑前の国。つまり福岡市。
697日本@名無史さん:04/06/12 08:34
部落民って言わばスト破りユニオンショップ破りみたいなもんで
まあ起源は色々あるんだろうけど、実際の差別に関しちゃ、
単純に惣村コミュニティーに入らなかった連中が周りから迫害されただけだと思ってた。
下克上で生きるか死ぬかやってる時に仲間に加わらない奴ってのは皆敵だろうから。
だから関東みたいに地主と小作人に分かれた元侍とその元家来の百姓衆に
殿様とその家来が乗っかってるだけのような、気に入らなきゃ勝手に出て行け&行きます的社会にゃ
無関係の話と思ってたんだが、そういう理解じゃいかんのか?
698日本@名無史さん:04/06/12 09:26
>697
被差別民と言ってもその中には色々な集団があって、
例えば木地師なんかは皇族の末裔を名乗ってるし、
山窩なんかは民族的に日本人とは別だし(全く別とは言えないが)、
それぞれの起源によって特定の仕事を持っている場合が多かったから、
コミュニティーと必ずしも掛け離れていた訳ではない。
ただ定住していない場合も多かったから、コミュニティーの内側には居なかった。
699日本@名無史さん:04/06/12 15:45
>>694
 時代劇などの、有名人を例に取れば凄く分かり易いですね。
700日本@名無史さん:04/06/12 17:56
現在の被差別部落をみると、百済色が強い近畿・福岡に多い。
近畿・福岡の百済系民衆は劣等感をバネにするため、たとえば福岡では平家の落人(百済系)などはスター扱いされる。
姫路・和歌山・岡山・広島・徳島・高知といった、新羅系がそこそこ強く、百済系地域とは言いがたい都市にも
近畿に近いことから巨大な部落がある。(愛媛には巨大部落はないと思うが、数が多い)
豊前・薩摩・山陰・濃尾・伊勢は、新羅色が強すぎるので、百済系による抑圧支配は難しいため、大きな部落はない。
一向宗は新羅浄土教の流れをくむから、部落と一向宗の関係は密接だが、一向宗が部落の起源というわけではない。
北陸は新羅系、浄土真宗が強いが、茨城などでは浄土真宗とは関係なくても
北陸出身というだけで加賀っぽと呼ばれて差別された。

皇族は百済系を装っているが、本来は新羅系であり、部落も新羅系のため
部落民は反体制派であっても天皇を崇拝したり、右翼的部分をもっていたりする。また伊勢参りする習慣が強い。
中上健次は、紀州の部落民は農耕民族(百済系)では無いことを強調していた。
三重は新羅崇拝が強いことから、関西文化圏のわりには被差別部落の規模が小さく
「部落民は平家の落人(百済系)に決まっている」という間違った俗説がひろまっている。
松阪や但馬などの高級牛肉の産地は新羅系が強く、屠殺に関しては、食肉文化が発達した新羅ということで
屠殺業を押しつけたというよりも、得意分野を任せたという感じなのでは?
水平社宣言以後、部落差別を利用した労働力補充が難しくなったため
慶尚道・済州島(新羅系)から強制連行するようになった。 …新羅差別はいまでも残っているとみてよい。
福岡(百済系)出身で、テレビで部落差別発言したタモリが名古屋を嫌っていたのも、反新羅から来るのかな?
701日本@名無史さん:04/06/12 20:15
>>700
タモソがどんな差別発言をしたのですか?詳細お願いします。
702日本@名無史さん:04/06/12 20:19
>>701
こいつ>>700は百済か新羅か?スレの在日電波
相手にするだけ無駄


703日本@名無史さん:04/06/12 23:11
タモソは笑っていいともで福岡市東区のある地区のことを「危ない地区」と発言。
704もりもり ◆xN4PfphIG. :04/06/12 23:46
その危ない地区に親戚が住んでるんですけどね…
705日本@名無史さん:04/06/12 23:57
非人は、関東では長吏頭・弾左衛門と各地の長吏小頭の支配下にありました(西日本では、必ずしも「かわた」の支配下ではありません)。
 江戸の非人には、抱非人(かかえひにん)と野非人(のびにん)との別がありました。野非人は「無宿」
(今日的に考えると路上生活者のような立場の人々。ただしあくまでも社会的な身分なので、イコールではない)で、
飢饉などになると一挙にその数が増えました。一方抱非人は、非人小屋頭(ひにんこやがしら)と言われる親方に抱えられ、
各地の非人小屋に定住していました。非人小屋は江戸の各地にありました。
 非人小屋頭はそれぞれ有力な非人頭(ひにんがしら)の支配を受けており、
江戸にはそれは4人(一時期5人になったこともある)いました。この4人の非人頭がそれぞれ弾左衛門の支配下にあったわけです。
4人の非人頭の中でも特に有力なのが浅草非人頭・車善七(くるまぜんしち)でした。
 非人の主な生業は「物乞い」でした。江戸時代、非人以外のものが勝手に「物乞い」をすることは許されていませんでした。
また街角の清掃、「門付(かどづけ)」などの「清め」にかかわる芸能、長吏の下役として警備や刑死者の埋葬、
病気になった入牢者や少年囚人の世話などにも従事しました。また江戸の非人たちは、街角の清掃に付随して紙くず拾いを始め、
それ発展させて再生紙作りもおこないました。
 江戸で最も有力な非人頭であった浅草非人頭・車善七(参考・車善七の家伝『浅草非人頭車千代松由緒書』)は、
1719年(享保4年)以降、弾左衛門・長吏の支配から独立しようと幕府に訴えを繰り返しました。
しかし歌舞伎などと違って、弾左衛門を超える経済力・政治力を持っているわけではなかった非人たちは、
結局最後まで弾左衛門の支配下に置かれつづけました。
706日本@名無史さん:04/06/13 01:10
産廃利権もその一環なのかな?
707日本@名無史さん:04/06/13 01:14
部落民はB型が多く(日本人平均の約1.4倍)、A型が少なく(約半分)、縄文人に多いO型は平均的。ペルシャ系の新羅(B型)が部落民となり、百済系(A型)が平民という事では。現在の全羅道はB型が多いが、ツングース南下以前はA型が主体と思われる。ちなみに東大生の50%はB型。
708もりもり ◆xN4PfphIG. :04/06/13 01:17
へー!オレの家系は皆O!
709日本@名無史さん:04/06/13 04:20
昔の部落民はダルビッシュみたいな風貌の奴が多かったのか?
710日本@名無史さん:04/06/13 07:39
あの〜AB型は…?
711日本@名無史さん:04/06/13 12:42
葬式業(A-23%,B-39%,O-33%,AB-5%)、皮革加工業(A-19%,B-39%,O-37%,AB-5%)、全国平均(A-38%,B-29%,O-22%,AB-11%)。A-漢族,西日本、B-中東,シベリアアルタイ系民族,北日本,高学歴層,政治家,スポーツ選手、O-オーストロネシア,東日本,沖縄,AV女優。B,O両方多いのはモンゴル,渡島半島,東北北部。
712日本@名無史さん:04/06/13 12:57
↑訂正 全国平均(A-38%,B-22%,O-29%,AB-11%)です。スマソ
713日本@名無史さん:04/06/13 13:24
血液型による部落民に近い順は、新羅〜高句麗〜沿海州系>>縄文エミシ>>>>百済〜華北〜華南系ですね。707は計算違い。支配階級と下層民が民族的につながる点ではユダヤと同じ。先見性なく暴走する縄文O型は、破産して部落に逃げこんだパターンが多いのでは。
714日本@名無史さん:04/06/13 17:29
>>630

公安が被差別民の流れを組んだ組織というのはおもしろいですね。

清掃 電気 ガス 水道 電話 郵政 専売公社 運輸 刑務
放送 土木 建築 道路 厚生 消防

などのジャンルはどうでしょうか。

>>601
それと、宮内庁はどうですか。
ヤセドウジの話以外の課でもあるんでしょうかね。

ダンザエモンのその後というのは資料などいろいろあるみたいですが、
そのほかの長吏小頭たちの末裔の人たちは、現代のどういうポスト
に付いたのでつか。これってタブーとして隠蔽されてますか?
715日本@名無史さん:04/06/13 19:05
小頭は解放同盟のオエライさんになった。
716日本@名無史さん:04/06/14 11:25
えた悲人は白人風の美人が多いってほんと?
717もりもり ◆xN4PfphIG. :04/06/14 12:20
ネタと思うが、んなわけない。
718日本@名無史さん:04/06/14 13:46
>>630
>スパイ的な一般他者を探り、裏、偽り情報を流布させるから

公安もそうだが、情報操作するという観点でいうと、
電通なんかもその範疇じゃないか?
719日本@名無史さん:04/06/16 20:15
八瀬童子って天皇に棺を担げる人達だっけ?
「八瀬」って何か意味のある言葉なの? 地元の
そういう地区の近くに架かる橋がそういう名前なんだよ。
720日本@名無史さん:04/06/16 23:09
一般人と部落民には、顔立ちや生活風習に違いがあるのですか?
721日本@名無史さん:04/06/16 23:39
>>720
B民はさいぼしとかあぶらかすとか特有の食があるらしいよ
顔立ちはしらね〜けど
722日本@名無史さん:04/06/16 23:47
しかしそれもいまでは一般的ではないな。
ネットではじめてさいぼしやあぶらかすの
存在を知った部落民も少なくないんじゃないか?
723日本@名無史さん:04/06/16 23:55
現在では、生活習慣で区別は難しいだろう。

もはや、一般人と入り混じってる。
724日本@名無史さん:04/06/17 00:43
企業や官庁にクレーム付けて騒いでるのは
たいていBだ、と元上司が言っていた。ホントなの?
725日本@名無史さん:04/06/17 09:56
おまいら「ゴネ得」って言葉知ってるか?

全然関係ないところでまず話をするとな、たとえば学生運動でワイワイ
やっていた当時の青年たち、いまはイイ年のオッサンになってるわけ
だが、要領の良いやつ、どうしてるか、知ってるか?案外良いポジション
だったり、それなりのところで働いとるよ。これも一種の「ごね得」だろ。

さて、百姓やら、常民、下級武士なんかより身分は低いものの財力も
情報もあった各地のエタや非人の頭、小頭たち。解放令が施行されて、
素直に喜んだと、みんな思ってるんか? 今までの身分のままの方が
「ウマー」なところ味わえるだろ。解放令後の自分らの利権をどうやって
守ったのか、その辺はどうなんだよ。
726日本@名無史さん:04/06/17 09:57
なあ、思うんだが、解放令後の東京の部落民たちは、要領の良い小頭たち
にくっ付いて、新政府のある程度の要職にそのまま引き継がれたんじゃな
いか? 東京には「部落問題はない」ではなくて、「東京では部落問題
は話せないくらい実はタブー」な部分があるんじゃないか?

宮内庁、公安なんか、フツーに就職できるんか?
もっとほかにもいろんな職が、エタ時代の職業とは名前が変わって
引き継がれてるのがあるんじゃないか?

小頭たちは、解放令後、うまく身を転進させて、例えば事業家になっていった
人間とかもいるんじゃないか?

誰か、詳しいやついねーのかよ。
727日本@名無史さん:04/06/17 10:00
朝から妄想激しいな
気に入った
728日本@名無史さん:04/06/20 23:55
士>商>非>工>エタ>農
729日本@名無史さん:04/06/21 00:25
>>716
昔からそのような言い伝えがあるみたいだな。
俺も聞いたことがある。
730日本@名無史さん:04/06/21 00:28
>>707
>ちなみに東大生の50%はB型。

B型が多くなってから東大生が馬鹿になった気がする。
731日本@名無史さん:04/06/22 02:18
テレビ番組で東大生はAB型が多いってやってたよ。
732日本@名無史さん:04/06/25 16:23
江戸時代の非人は髪を散切りにするだけではなく、笠をかぶることも許されなかったなど
日常において見分けをつけるための制限を幕府から受けましたが、
どうように穢多にもこのようなことが行われたのでしょうか?
また、それはどんなことだったのでしょうか。
733日本@名無史さん:04/06/25 18:23
>>732
人権板の百済さんに聞きなさい。
734日本@名無史さん:04/06/25 18:48
誘導どうもです。
735日本@名無史さん:04/06/25 20:39
>>716
西日本では、非人層の一部が縄文系の人間であるといわれていて
西日本には珍しい秋田美人系の人が多かったって言う話もある
はっきりいって、よく判らないけど、尤もらしい話
736日本@名無史さん:04/06/25 23:53
縄文系って、濃い顔のようなイメージがあるが
737日本@名無史さん:04/06/26 11:32
>>725,726
まんまかつての解同ですよ。過去に部落っだってことを利用して色んなとこを脅してた。
タクシーの運ちゃんが夜中よく見えなくて部落の奴をスルーしたことがある。
その部落はタクシー会社に「部落だから無視しただろ!」って電話したきて
その運ちゃんは辞めざるをえなかったんだ。
こんなことやってりゃ部落に偏見持つ奴はなくならないよ。
738日本@名無史さん:04/06/27 02:36

   ,―――-、
  /  /~~~~~~~\
  | /  /  \|
  (6   (・) (・) |
  も     つ |   いや〜っ
  |    lll|||||||||ll |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |    \_/ /  < 部落って、本当にいいもんですね!
/| \___/\   \________

739日本@名無史さん:04/06/27 02:52
>>735
その縄文系とやらは実は、縄文系ではない罠。
740日本@名無史さん:04/06/27 03:12
>>1
>>えた・ひにんとは、どういう人達だったのか?

それは、お前だ!
741日本@名無史さん:04/06/27 08:40
 似非部落と言うのも居る。
 部落を名乗ってクレームを付ける人間が必ずしも部落とは限らない。
 まあ倭寇が日本人ばかりじゃないような物かも。

 それはそうとして、最近は雪印とか三菱自工とか、お客さんが死んでも構わないっ
てな生産者も居る訳で、何でもかんでも我慢するのが美徳とも言えないけどね。
742日本@名無史さん:04/06/27 17:36
>707
結局部落民て
朝鮮系だったのかね。
B型多いって自分勝手の
朝鮮民族そのものジャン。
743日本@名無史さん:04/07/05 22:19
すれ全部読んだんですが、このすれ最初に立てた1さんの
結局どういう人だったの?っていうのはまだ解明できないんですね。
関東出身の私としては、なんで結婚やら就職時の差別につながるのか
全然わからん。
部落の意味は、なんとなくわかりますが・・・
出所(インターナショナルで言うと国籍)、宗教、食べ物、職業
であるらしいということでよろしいのでしょうか。
それらが複雑に重なり合い、かつ地域によって異なるということですね??
元は違うとは思いますが、アメリカの日本人居留区とか、そんな感じにちかいのですよね?
もともと好んで近くに住んだ場合もあれば、対戦中のシェルターのせいもあるような・・
ではなんでそんなに結婚差別やらなんやらに結びつくんですか?

744日本@名無史さん:04/07/05 22:22
>>743
それは君が無知なだけであって、東京にも関東地方にも部落はあり、
差別が現にある。
745日本@名無史さん:04/07/05 22:39
柳刃包丁ふりまわす!ハイ!
 (( <`Д´> <`Д´>
   (/ /) (/ /) ))
   < ̄<  < ̄<

ウリナラ強盗隊!
 ウリナラ強盗隊!
 _<Д´ > _<Д´ >
  ヘ|  |\  ヘ|  |\
    <     <
746日本@名無史さん:04/07/06 02:26
池袋はB
747日本@名無史さん:04/07/06 05:08
取り敢えず、秀吉は朝鮮を併合した大日本帝国並みの“間違い”を犯した。
ということでFA?
748日本@名無史さん:04/07/06 09:07
>>744 部落があるのは知っています。
だけど、なぜ部落が存続しているのか(どんな理由からか)わからないのです。
差別を受けているらしいというのもわかりますが、今の日本、極端な話、
他の地区に越してしまえばもうわからないでしょう。
結婚差別の意味もわからないのです。
実は実家の近所に部落地区から越してきた家族がいる。
部落の子だとは知っているけど、それもあと20年もして、年寄りがみんな
天国に行ってしまえば、記憶に残ることも少ないでしょう。
現にそこの子は、普通の結婚してるし。それとも就職差別とかあったのでしょうか。
そうは思えない・・・

749日本@名無史さん:04/07/06 09:26
減ったとはいえ差別は続いてますからね。
現に就職・結婚の際に身元調査をする事は多々ありますし。
部落が何故存続してるのかっていうのは差別がまだ続いているからって事でしょう。
750日本@名無史さん:04/07/06 09:42
では、具体的に「なぜ?」差別が「現在」続いているのですか?
友人のおじいちゃんが言っていたように、動物を殺して食べていたという理由では、
もう弱すぎますよね。
すみません。日本史とは異なるので下げます。
751日本@名無史さん:04/07/06 09:48
人間一度差別をしたらそれを取り払うのは難しいって事です。
752748あんど750:04/07/06 10:36
やっぱりインドのカーストとか、
輪廻とかその辺の思想が強いんですかね。

753日本@名無史さん:04/07/06 13:09
エタってエンターティナーの略。芸能人はみんなエタ
754日本@名無史さん:04/07/06 13:49
>>750
自分が被差別の側に廻るのが怖いからだよ。
被差別側に廻らないために最も効果的な方法は差別することだからな。
755748あんど750:04/07/06 17:16
これは?

ヤンバン(両班)、中人、常民、賎民の四つの身分に分かれていた
李氏朝鮮時代の社会体制にある。しかし、トップに立つヤンバンと
人口の大多数を占める常民との間の身分の規定はあまり明確ではな
かった。ヤンバンとは、一定のレベル以上の官職についた者の子孫
ということだが、その後何代にもわたって地位を得る者が出なけれ
ば、ヤンバンの資格は失われる。一方、常民も科挙という試験によ
って官職につき、ヤンバンとなる機会が開かれることになっていた。
結局ヤンバンとなる道を閉ざされていたのは、厳しい差別の対象と
なった賎民と、さまざまな技術をもって朝廷に仕
ヤンバンと常民の中間に
756日本@名無史さん:04/07/07 16:09
さがっっちゃってる。
757日本@名無史さん:04/07/07 16:46
明治時代、エタはコーカサスだという論文?が上梓されたそうだが、
ロシア語では、自分のことをエタと発音する。
オロチョンも自分のことをエタと発音した。

758日本@名無史さん:04/07/10 22:47
部落差別とエタヒニンは同様ではないと思うのですが・・・
(持論ですが、一般論かもしれません)
エタ、ヒニンの定義がはっきりとわからない以上、現在の部落差別と結びつけるのは
いかがなものかと思います。
759もりもり:04/07/11 02:36
人権から来ました。
エタ身分と非人身分は違います。
非人身分は国家に優遇されてましたね目明かしとか。
現在の被差別部落はエタに当たります。つまり俺もエタです。
今エタ非人の歴史改訂が進んでまして、おいらも参加してます。今は『筑前竹槍一揆』をしてます。
760日本@名無史さん:04/07/11 02:47
差別って永久になくならない気がする。
部落差別は昔に比べたら解消されたが、身体的特徴による差別なんて
現代はさらに強くなってる気がする。
761日本@名無史さん:04/07/11 05:07
人非人達
http://www.starblvd.com/mem/a/o/aoiryuyu/no1.html
現在は犯罪歴のネット検索により、昔の差別よりきつい状況になるかも知れない。
762もりもり:04/07/11 07:58
福岡はひどいよ。さすが被差別部落が一番多い県だけあり…
苗字ですぐわかっちゃうしね。
763日本@名無史さん:04/07/14 23:52
部落の娘と知らずに結婚して、
筋金入りのサイコパスや、手の指が4本しかない子が生まれてから
後悔しても遅いからな。
764日本@名無史さん:04/07/15 00:42
身体的欠陥などは伝説です。
765日本@名無史さん:04/07/15 00:53
>>746大馬鹿
池袋は戦前まで農村地帯
戦後闇市ができただけ
池袋のもともとの人は一人もいません
766日本@名無史さん:04/07/15 01:31
>>765
戦前にあった池袋モンパルナスを知らないのか?
767日本@名無史さん:04/07/15 08:05
>>766
あんなの馬鹿で貧乏人の集団
768日本@名無史さん:04/07/15 09:44
>>765
だからBなんだろうが。
769日本@名無史さん:04/07/15 10:21
>>768 = 詭弁
770日本@名無史さん:04/07/15 14:21
貧乏人が集団で土地の安いところに住み着く
これは貧民窟といって部落ではないでしょう
771日本@名無史さん:04/07/15 14:25
部落差別は詳しくはしらないけど池袋が
あまり行きたくない街である事は確かだと思うよ。
772日本@名無史さん:04/07/15 14:42
池袋は部落ではない。街道からも離れているし城下町でもない
ただ今は支那人をはじめとする外人だらけで
治安は最低だが
部落は城下町や古くから栄えた場所が多い
理由として挙げられるのは彼らの職業の問題
農村は彼らを必要としない
773日本@名無史さん:04/07/15 14:53
>農村は彼らを必要としない

死んだ牛馬を処分するのに必要だろ。
774日本@名無史さん:04/07/15 14:56
戦後からの部落は無視ですかそれも差別ですかそうですか
775日本@名無史さん:04/07/15 20:27
>>773
農村で死んだ牛馬なんて年何頭だ良く考えてみなさい
一箇所に集めた方が効率的でしょ
774、部落というのは歴史的名称でしょう
戦後からの部落なんて歴史的にありえないといっているまでだ
それなら新宿・渋谷なんてところもそうなるのかなあ
776日本@名無史さん:04/07/15 20:46
貧民窟とBは別物
当たり前だけど
777もりもり:04/07/16 01:38
筑前竹槍一揆知ってる人?こやつのおかげで最近まで福岡市の被差別部落同士が仲悪かったもんね
778日本@名無史さん:04/07/16 09:11
>>775
人権板でもっこす氏の発言で戦後の復員兵らが形成した部落地域が
あると耳にした事がある。
また戦後到来した朝鮮人部落と従来の部落が混成した地域があるような
レスを眼にした覚えもあるが。
779日本@名無史さん:04/07/16 09:28
池袋が部落だって認めたくないだけだろ。
780日本@名無史さん:04/07/16 09:31
池袋よりも足立区綾瀬だろ。
781日本@名無史さん:04/07/16 11:37
>>778
分かるんだけど
そういうの部落というのかなあ
戦後入植地とどう違うのかなあ
朝鮮人をはじめ支那人その他が住んでるものを
部落と認定すれば池袋や新宿周辺も部落といえるけど
よく考えると部落の範囲ってどこまでだろう
782日本@名無史さん:04/07/16 11:44
大久保は部落ではない。
池袋は部落
783日本@名無史さん:04/07/16 11:47
だからお前の基準てなんだ馬鹿
784日本@名無史さん:04/07/16 15:36
>>781
行政的には指定地区と未指定地区の二種類ある
問題になっているのが前者の指定地区における行政上の優遇措置および
それにまつわる利権構造。
ちなみに入植地というのは基本的には北海道のような所だな。

785日本@名無史さん:04/07/16 22:11
部落とスラム、エタと非人などなど。
こうした区別のつかないのは史学的にダメだろうよ。
786日本@名無史さん:04/07/16 23:29
今年の大河ドラマは弾左衛門大河デビューの絶好のチャンスだと思うのだが
それでも出さないよな。
787日本@名無史さん:04/07/16 23:36
エタヒニンなんて武士より人数が少ない特種なのに。
788日本@名無史さん:04/07/16 23:40
江戸時代は職業組織のなかの人達なのだから。

789日本@名無史さん:04/07/17 00:06
江戸じゃただの職業だろ。しかもそれなりに高給取り。
790日本@名無史さん:04/07/17 00:21
東京でも高給取りで差別されてる人はいますが何か?
791日本@名無史さん:04/07/17 00:25
>>790
それは国会議員だろ。
792日本@名無史さん:04/07/17 00:32
2ちゃん見ていると、
日本人の分布が武士と朝鮮人と非人で構成されているような・・(w

なんで代々日本の百姓だと自慢できないんだ!
日本で一番偉かったのは百姓なんだぞ!

食い物なけりゃ生きて行けないし。
793日本@名無史さん:04/07/17 00:41
>>792
ネタにマジレス、(・A・)イクナイ
794日本@名無史さん:04/07/17 00:43
時代劇でも武士と部落しか印象に残らないのは何故?
795日本@名無史さん:04/07/17 00:49
>>794
時代劇に被差別民部落が出た事はない。

ありゃただの貧乏な部落だ。

ちなみに東日本での部落の意味は小村落の意味でしかない。
796日本@名無史さん:04/07/17 00:56
銭形平次は避妊。
797日本@名無史さん:04/07/17 01:04
>>796
ワカラン、そのこころは。
798日本@名無史さん:04/07/17 02:09
入植地は本土にも沢山あるよ
三里塚とか新京成の一帯は大もうけした入植地だね
東北の入植地はほとんど全滅らしい
後大河でやるでしょう弾左衛門
出さなきゃ三谷に抗議
新撰組は差別をなくしたんだから
芹沢や新見であそこまで美化したんだから
何とかやり様があるんじゃないの
799日本@名無史さん:04/07/17 10:09
>>762
どんな漢字でわかるの?「金」とか?
800もりもり:04/07/17 11:14
>>799
それを言うと、不都合な人が生まれるので言いません(笑)
しかし、差別ってのはたいがい無知から生まれるものですな。
801日本@名無史さん:04/07/17 13:21
802日本@名無史さん:04/07/17 13:34
非人は、関東では長吏頭・弾左衛門と各地の長吏小頭の支配下にありました(西日本では、必ずしも「かわた」の支配下ではありません)。
 江戸の非人には、抱非人(かかえひにん)と野非人(のびにん)との別がありました。野非人は「無宿」(今日的に考えると路上生活者のような立場の人々。
ただしあくまでも社会的な身分なので、イコールではない)で、飢饉などになると一挙にその数が増えました。
一方抱非人は、非人小屋頭(ひにんこやがしら)と言われる親方に抱えられ、各地の非人小屋に定住していました。
非人小屋は江戸の各地にありました。
 非人小屋頭はそれぞれ有力な非人頭(ひにんがしら)の支配を受けており、
江戸にはそれは4人(一時期5人になったこともある)いました。
この4人の非人頭がそれぞれ弾左衛門の支配下にあったわけです。
4人の非人頭の中でも特に有力なのが浅草非人頭・車善七(くるまぜんしち)でした。
 非人の主な生業は「物乞い」でした。江戸時代、非人以外のものが勝手に「物乞い」をすることは許されていませんでした。
また街角の清掃、「門付(かどづけ)」などの「清め」にかかわる芸能、長吏の下役として警備や刑死者の埋葬、
病気になった入牢者や少年囚人の世話などにも従事しました。
また江戸の非人たちは、街角の清掃に付随して紙くず拾いを始め、それ発展させて再生紙作りもおこないました。
 江戸で最も有力な非人頭であった浅草非人頭・車善七(参考・車善七の家伝『浅草非人頭車千代松由緒書』)は、
1719年(享保4年)以降、弾左衛門・長吏の支配から独立しようと幕府に訴えを繰り返しました。
しかし歌舞伎などと違って、弾左衛門を超える経済力・政治力を持っているわけではなかった非人たちは、結局最後まで弾左衛門の支配下に置かれつづけました。
803日本@名無史さん:04/07/17 13:47
部落解放第33回東京都研究集会(同実行委員会主催)の全体会が2001年11月15日、日比谷公会堂でひらかれました。
全体会には都内各地から企業、行政、宗教者、労組、民主団体から1200人を越える参加がありました。
また、6分科会を11月15・16日、銀座ガスホール、
江東区総合区民センター、すみだリバーサイドホール、立川市総合女性センターアイムでひらきました。
研究集会では「ひろげよう 人権と福祉のまちづくり」を全体テーマとし、
全体会と分科会を通して東京の解放運動の前進に向けて討議と交流を深めました。
 全体会の記念講演では、弁護士の村上重俊さんが、「人権侵害と差別に対する効果的な救済のあり方」をテーマに、
法務省の構想する人権救済機関の問題点や人権機関のあるべきあるべき姿などについて語られました。
 また、分科会は、都内4会場で6分科会がおこなわれました。東京の差別事件の報告や効果的な社会啓発のあり方、人権行政の現状、
関東の部落の歴史像など東京の部落差別の実態や取り組み報告をもとに熱心な討議と交流がおこなわれました。
今年も引き続き三多摩で特別分科会が持たれ、三多摩の部落の歴史や青梅市の部落のなかまの聞き取りなどが好評でした。
804日本@名無史さん:04/07/17 14:00
なんかおどろおどろしいな
805日本@名無史さん:04/07/17 14:01
呉智英あたりがとびつきそうなネタですね。
806日本@名無史さん:04/07/17 19:06
x
807日本@名無史さん:04/07/17 19:09
◆■vodafone V401ローズレッド 白ロムです(^_^)■◆(5月 16日 22時 45分)
落札者は「 非常に悪い 」と出品者を評価しました。
コメント:取引はスムースでしたし商品自体には何も問題ありませんでしたが、何と言いますか、
折り畳みの蝶つがいの部分に明らかに陰毛と思われるものが挟まってました。
きちんと発送前に確認 していただきたかったです。(5月 19日 7時 32分)
返答:それは本当ですか?大変申し訳ありませんでした。こんなことで許してもらえるか分かりませんが、
私は20代前半の女性です。証拠にメールの方に私の画像を送りました。 (5月 21日 5時 51分)
落札者は「 非常に良い 」と出品者を評価しました。
コメント:家宝にさせていただきます。 (5月 23日 1時 56分)
808日本@名無史さん:04/07/17 19:20
秦氏にいじめられる高句麗人。
秦氏の影に部落あり。これ定説。
809日本@名無史さん:04/07/17 19:22
秦氏にいじめられる高句麗人。
秦氏の影に部落あり。これ定説。
幡羅郡や幡の字が付く地域やその周辺には必ずと言っていいほど部落がある。(高知県、埼玉北部、福岡が有名)
白山=部落の象徴とまで言われいる。
810日本@名無史さん:04/07/17 19:26
八幡宮とかどうよ?全国にあるけど。
811日本@名無史さん:04/07/17 20:26
>>810
その周辺見てみな
812日本@名無史さん:04/07/17 21:01
「秀吉は日輪の化身。利家は八幡の化身。家康は菩薩の化身。」

みたいな事をキモい女優がキモいドラマで抜かしていたが、前田氏は部落でつかね?
813日本@名無史さん:04/07/17 21:05
なんじゃこりゃ?
白山=部落とか八幡宮が
どうのとか
デマばっかりじゃねえか。

基礎的なことからわかってないから
はずかしげもなくこんなデマを転載してるんだろう。
814日本@名無史さん:04/07/17 21:15
歌舞伎役者って代々続いているけど、
江戸時代の身分は士農工商に属さず、さらに下のえた、ひにんに属するって聞いたけど、
本当?
815日本@名無史さん:04/07/17 21:20
明治になっても芝居・大道芸人を河原者・河原乞食と呼ぶ風潮が残っていたらしいね。
816日本@名無史さん:04/07/17 21:24
>>813
君は知らない方がイイかも。
817日本@名無史さん:04/07/17 21:40
役者は全国巡業するので通行手形を必要としない非人になるために人別帳から外してもらうのだよ。
役者の家に生まれても役者にならなければ普通の町人。
818日本@名無史さん:04/07/17 23:18
6世紀ごろ  史、倉人、画師、皮革工などの技能をもつ高句麗人が、多摩地域にも渡来していた可能性がある。
819日本@名無史さん:04/07/17 23:33
>>800

もともと江戸時代の制度だし。
忘れちゃっているのに差別だけが残っている。
エタと非人の区別もつかないし、スラムとエタ村の区別もつかない。
忘れていなければ、どういう人達だったのなんてスレッドも立たない。

ただ不思議なのは、味噌糞いっしょになって
エタの差別だけが形骸的に残ったのが不思議だ。
820日本@名無史さん:04/07/18 01:48
>>798
新選組は屠勇隊率いる吉田稔麿を池田屋事件で殺したもの考慮に入れてよ。
821日本@名無史さん:04/07/18 09:12
おい素人ども
白山=部落の根拠を言ってみろ。
822日本@名無史さん:04/07/18 11:15
部落に行くとなぜか申し合わせたように白山社がある
823日本@名無史さん:04/07/18 14:05
>>822
正解。
824日本@名無史さん:04/07/18 21:30
どことどこの部落だ? 俺の知るかぎりでは天満宮も八幡宮もあるが?

歴史的背景を理解すれば白山に限定されないことくらいわかる。
たまたまその地域一帯で白山が信仰されてただけ。

素人のまいたデマに踊らされおって。
825日本@名無史さん:04/07/18 23:42
>>824
ど素人
826日本@名無史さん:04/07/19 00:46
>>822
では、東京の文京区白山もそうですね。
827日本@名無史さん:04/07/19 00:51
>>809
白山神社。そのすぐ近くにブラクがあったな。
828日本@名無史さん:04/07/19 00:53
↑東京の某区。
829日本@名無史さん:04/07/19 00:56
江戸の部落地帯は今や高級住宅地の代名詞になっている所が多いよ。
830日本@名無史さん:04/07/19 00:57
桜台
831日本@名無史さん:04/07/19 03:30
関東は解放以来、誰が見ても分かるような場所は少なくなった。
だから何気に生活している場所や、ここは違うだろうと言う場所も
昔はそうだったというケースもある。
名残は昔からあるモノから察するしかない。
832日本@名無史さん:04/07/19 06:32
つくば市・・・
国家事業によってつくられた「つくば」と古来の「筑波」が存在する。
車社会になったこともあり、他所から来た人間にはほとんど分からないが、しかし(ry
833日本@名無史さん:04/07/19 07:20
    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ボク以外全員DQNだ!DQN!
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ

    ピクッ ∩  _, ,_
     ⊂⌒( *゚д゚ ) アッ
       `ヽ_つ ⊂ノ

     ピュッピュッ    アッ・・・  
    〃/⌒ヽ _, ,_    
     U ヽ( *`Д´) 
        `ヽ_つ⊂ノ

     ⊂⌒( ;´Д`)
       `ヽ_つ ⊂ノ
834日本@名無史さん:04/07/19 08:05
しかも関東の部落は関西の集合住宅のようなものではなくて、殆ど一軒屋ばかりだ。
ここが大きく異なるところ。埼玉で有名なあそこも殆ど一戸建てで、普通の民家と変わらん。
貧乏なアパート暮らしの家庭の方がよほどみすぼらしい位だ。
さらに関東は新規に入ってきた居住者も多くいて、混在しているのでどこが誰かなどは
端から見ると分からなくなっている。
>>832
そういう話は聞いたことあるが、現在の筑波も上記のように新規住居者が多く流入してきている
ので、地域全体というのは無理があるだろうと思う。
835日本@名無史さん:04/07/19 08:30
95 名前:八咫烏 ◆cPmkHzc4Fc [sage] 投稿日:04/05/10(月) 02:40 ID:G02sW8yg
>>94
以前、在日の友人が「江東区には漏れ達(在日)でも怖くて
行けない部落がある」って言ってたけど、どこだろう?
836日本@名無史さん:04/07/19 08:55
837日本@名無史さん:04/07/19 09:13
モンブラン、うまい言い方だ。
馬頭観音があると、そうなのですか?
838日本@名無史さん:04/07/19 09:19
地名に馬が付いたりするところはその可能性ありかも。
839日本@名無史さん:04/07/19 09:38
白髭神社はどうでしょうか?
840日本@名無史さん:04/07/19 11:15
南千住はどう
841もりもり:04/07/19 12:16
ないよ白山神社とか…まっ俺の部落は比較的新しいから…というか福岡市はない!!!
842もりもり:04/07/19 12:16
ないよ白山神社とか…まっ俺の部落は比較的新しいから…というか福岡市はない!!!
843霹靂:04/07/19 12:57
旧白山神社ってのも多いからねえ 名前変えたみたいねだいぶ…
844大學教授:04/07/19 17:07
役者は賤民ではない 賤業である
役者は身分に非ず 職業なり
845日本@名無史さん:04/07/19 18:23
>>840
南千住、あやすぃ。
846日本@名無史さん:04/07/19 21:39
いいかげん白山デマは訂正したまへ。
たまたま、そいつが行った地域が白山が多かっただけ。

歴史的に賎民と神社は関係がある。
白山に限らない。
847日本@名無史さん:04/07/19 21:47
南千住工場街となりその後の再開発で
モダンな都市になりましたとさ
848日本@名無史さん:04/07/19 21:51
>>792
マジレスすると2chにいる国士は大半が武士出身で
銭感情にたけた町人や百姓は2chに興味が無いのでしょう。
そして対抗軸に朝鮮人が工作活動をしているわけだ。
849日本@名無史さん:04/07/19 22:55
>>846
初心者が張り切らなくてもイイのだよ。
850日本@名無史さん:04/07/20 10:45
・「馬」
・白山神社
・高級住宅地

他にかつての部落のニュアンスを持ったヒントは?
851日本@名無史さん:04/07/20 11:21
>848

自分の先祖がハッキリしてる奴は少数だと思うぜ。
俺なんか、親父が「実は金星人なんだ」と言うまで、わからなかったからな。
852日本@名無史さん:04/07/20 11:27
>>850
皮革
織物
853日本@名無史さん:04/07/20 11:30
幡○郡周辺
854日本@名無史さん:04/07/20 20:31
幡豆?
855日本@名無史さん:04/07/20 21:13
こんな柄の悪い香具師らが武士なもんか
856日本@名無史さん:04/07/20 22:36
宅間は薩摩藩の下級武士とかいう説があるけどあれはどこからでたんだ?
857日本@名無史さん:04/07/20 22:43
逆必ずしも真ならず。
白山社が必ずあるとは限らないよ。
ただ関東には多いのんじゃないかな?
たしか弾左衛門屋敷の近くにもあったはず。
(ほかの神社に合祀された)
858日本@名無史さん:04/07/20 22:48
関東では中世城址の近くにあることも多い
859大學教授:04/07/20 23:26
中世に限らず、エタは武具の製作補修に携るので、武家の需要が有りました
860大學教授:04/07/21 01:24
彼らは皮太とも呼ばれ、皮革産業に従事してゐましたから
861日本@名無史さん:04/07/21 02:21
>>856
ありゃー薩摩の顔じゃないな。
862日本@名無史さん:04/07/21 17:47
滅多にない めったにない えったにない 穢多にない
863日本@名無史さん:04/07/21 21:30
城下町では行刑の仕事も不可欠だったのじゃ
864日本@名無史さん:04/07/21 22:20
まあ、こういうスレはこのままデマを
放置してスレ自体の
価値をなくしておけばいいな
865日本@名無史さん:04/07/21 23:30
江戸時代の人口の8割以上は農民だったと思うけど、
えた、ひにんってどのくらいの割合でいたの?
866日本@名無史さん:04/07/22 00:44
宿場町付近にもたまにある
867大學教授:04/07/22 02:33
行刑は非人の仕事で、エタの仕事ではありません
868大學教授:04/07/22 12:20
賤民にも色々有りまして、穢多、非人はその代表格にてはあれど、一部に過ぎません
西國ですと茶筅とか、夙とか‥
869日本@名無史さん:04/07/22 12:28
科人が斬首される際、科人の首を持ち上げるのが伝馬町の非人、後を押え
首の縄(喉輪)を切るのが浅茅が原から来た非人。このため、浅茅が原の
非人は脇差を差しており、「浅茅」と呼ばれた。また、伝馬町の非人頭は
長兵衛という。
870日本@名無史さん:04/07/22 12:33
ETAと言いなさい!先のスペイン鉄道爆破事件でも、日本のマスコミは
ETAをイーテーエーと発音していた。(禁句ですぞ)
871大學教授:04/07/22 15:43
非人は主たる収入の道が乞食ですので、大都市ほど多いのです
872日本@名無史さん:04/07/22 18:25
>834

ようは部落差別で苦しんでるようなら
関東にきなさいってことだ。
関東にきたら部落差別なんかない。
学校でもそういう教育をやっていない。
すくなくとも僕の子供の頃はそうでした。

就職差別なんかもないよ。
もちろん部落による結婚差別もない。
もちろん収入や現在の職業などによる差別はある。

ただ生まれついての差別はほとんどない。
親がしっかり働いている家庭は
子供もしっかり育ってる場合が多い。
親がだらしないと子供もだめという場合は有る。
ただ流動的なのでそういった特性が
固定しない。
873日本@名無史さん:04/07/22 21:22
>>870

うにゃ、しっかりエタと発音していたよ。
ビックリしたけどよ。
874日本@名無史さん:04/07/22 23:48
解体新書で刑死人を解剖したのは非人だっけ?
875大學教授:04/07/23 00:04
解剖したのは医者です
876日本@名無史さん:04/07/23 00:07
非人が解体するのを、書き移したのが医者
教科書の挿絵ではそんな感じだったが
877日本@名無史さん:04/07/23 00:49
えたの寅松がやるはずだったが当日熱で
たまたま看病で家にいたその八十才を越えた爺
にやらせた。
878日本@名無史さん:04/07/23 09:21
スレが解体しかかってるよ。
879日本@名無史さん:04/07/23 11:11
浅右衛門は肝とりのアルバイトしてたが、浅は腹を刀で割くだけで、
中に手を突っ込んで肝を抜くのは非人がやった。麻紐で縛って
取り出した。血は土壇場で全部抜いているのであまり出なかった。
880トロちゃん元帥:04/07/23 13:20
はい、偉大な部落民で親左翼で田舎ヤクザで猟奇殺人鬼・神作譲のフラッシュ!!!
http://rose.zero.ad.jp/~zaf63490/flash/sine.swf
881日本@名無史さん:04/07/23 15:47
八潮の小倉さんてそれなんですか
882日本@名無史さん:04/07/23 15:49
>>880
元は小倉譲だけどね。
卑怯にも改名しやがった。
883日本@名無史さん:04/07/23 15:57
>>872
北関東では残っていると思いますよ<部落差別

恥ずかしながら、実家がそうでした。結婚することになった者は
私の代までそれとなく相手の出自を調べられました。
没落した旧家なので、血筋しか自慢がないせいかもしれませんが。
「あそこの家はブラクだから、あそこの子とは遊ばない方が良いよ」
「そこの横丁は、昔牛や豚を殺して生活していた人たちが住んでいた
から、今でも匂うんだよね」
祖父母や親は普通にそういうことを言っていました。

ちなみに、学校には同和教育のカリキュラムはなかったので、
2ch人権板で実態について多少把握するまで、
この世には「ブラクミン」という普通の人たちより一段劣った人たちが
いるのだと素で信じてました(大恥)。
さすがにエタ・非人のことは学校で習ったのですが、
エタ・非人=「ブラクミン」という認識ができておらず、
もしかしたら子供の頃、友達に
「あんたの家ってブラクミンなんだって?」
とかうっかり言っちゃったりしていないかと、今でも赤面する思いです。
884日本@名無史さん:04/07/23 18:48
まあ隠すより普通に学校では教えたほうがいいな。
さすがに今時部落差別賛成って意見も少数だろうし、学校で教えても悪くはあるまい。
885大學教授:04/07/23 21:10
 賤民は五色の賤の昔から色々バラエティーがありました
 でも、江戸時代になると、首府たる江戸付近に多い穢多、非人が目立ち、記憶される
やうになったのです
 東照神君関東討入の時点で既に存在し、御北條氏まで遡り得る事は確實です
886日本@名無史さん:04/07/23 23:04
島崎藤村が、本当はササラだった大江礒吉をエタとして描いたように
首都圏では明治期にすでにどうでもよくなっていたような感じもしないではない。
887日本@名無史さん:04/07/23 23:12
関東に於て差別は微弱ですが、無い訳でもないですよ
888日本@名無史さん:04/07/24 00:36
野中ひろむは普通の日本人じゃないらしい
889日本@名無史さん:04/07/24 01:08
埼玉南部ですが、職場の上司が
「あのへんはBで、ニワトリの首を絞めて食うんだ」
という話をしていた。
ニワトリを食べるのがBとは限るまいが、まだまだ
根深い偏見を持つ人もいるんだなーと思ったよ。
(同じ職場であることが恥ずかしいっす)
890日本@名無史さん:04/07/24 01:50
ニワトリに限らず鳥類は首を絞めて瞬殺してあげるのが常識です。
普通の農家でもニワトリくらいは飼っていたでしょ。
首を包丁で叩き斬ったら首無しが走り出すそうです。
891日本@名無史さん:04/07/24 01:56
鶏姦も
892日本@名無史さん:04/07/24 03:15
Bって?
893ひろさん ◆EriosvaGhM :04/07/24 04:01
         ,r::::::::::::::::::::、:、   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          |:::∧_∧::::::::|:::|   |
         ⊂(@∀@)つ|:::| <>>1クズ・・・っ!ゴミ・・・っ!
       //(手  塚)//::::!
       |:::|/とヽ ♂ θ|:::| :::/  
    / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
  /______/ | |
  | |-----------| |

   _
  / /|)
  | ̄|
/ /
894日本@名無史さん:04/07/24 08:10
>>892
BURAKU
895日本@名無史さん:04/07/24 10:16
ありがと
それって例えば関西では一般に通用する隠語でつか?
896日本@名無史さん:04/07/24 14:09
関西では四つと言います
897日本@名無史さん:04/07/24 14:33
オバケのQ太郎、毛が三本♪毛がさんぼ〜ん♪
898日本@名無史さん:04/07/24 16:12
精薄のことを関東では
3ちゃんといいますが地方ではなんと言いますか
899日本@名無史さん:04/07/24 16:15
うっすらばか
900日本@名無史さん:04/07/24 16:26
>898

901日本@名無史さん:04/07/24 16:29
痴呆で3ちゃんとは、かーちゃん、じいちゃん、ばーちゃん
902日本@名無史さん:04/07/24 17:07
ちなみに3ちゃんとは
猿は人間より毛が三本足りないから
つまり猿=精薄という意味です
昔国有放送で、もしもし3ちゃんという番組やっていましたが
あれって差別にならないんですか(しかも3ちゃんネルのほう)
903日本@名無史さん:04/07/24 20:13
江戸城を中心に丑寅の方角
904日本@名無史さん:04/07/24 20:21
下級吏員って昔は賎民がつとめていたものが多い
警察官、刑務官、火葬場職員…
これらに不正腐敗が多いのは、その名残なのか…
905日本@名無史さん:04/07/24 21:03
むかしは、デモシカ先生とかデモシカ警官とかいって
他にいい仕事ないから、先生でもやるか、おまわりでもやるか
て感じだったが、今は隔世の感じゃのう(老人
906日本@名無史さん:04/07/24 22:48
>>905
今世紀のジジさま君臨の予感
907日本@名無史さん:04/07/26 22:56
代々刑務官、という人も多いという噂を聞いた
真偽は不明なり
908日本@名無史さん:04/07/26 23:00
刑務官は公務員のくせに給料そんなに高くないし、めっちゃ体育会系で柔道とかイジメとか強制参加であんまり私生活ないし、
気軽に遠出できないし、やくざ怖いし…なんか公務員っていう肩書き以外にあんまいいことないよ…
代々続けてるっていうか親子でってのはたまにいるけど…

あまりおすすめできないが、一番簡単になれる公務員かもしれない。馬鹿ばっかりだし。
909日本@名無史さん:04/07/27 09:22
刑務官は態度のでかい香具師が大井
910日本@名無史さん:04/07/27 16:37
禁裏の御供物を作るような家計はヒニンなんでしょうか?
911日本@名無史さん:04/07/28 00:24
穢れたものは駄目なんでないの?
912日本@名無史さん:04/07/28 00:40
下級公務員が頭を使うのは頭突きだけ
913日本@名無史さん:04/07/28 01:35
非人と穢れ意識は関係ないぞ。
914日本@名無史さん:04/07/28 08:58
そうも言い切れまい
915日本@名無史さん:04/07/28 09:06
宮内庁書陵部陵墓課
916日本@名無史さん:04/07/28 15:34
>>910
禁裏といえば刀鍛冶とか燈篭作り手なんかもそうでしょ。
しかし実際は、肩書きに過ぎないので、関係なし。
917日本@名無史さん:04/07/28 15:45
刀鍛冶は地方によっては非人の仕事ではなかったっけ?
918日本@名無史さん:04/07/28 15:58
>>917
野鍛冶のことかな? それから鋳掛というのはあったが、いずれも禁裏という肩書き
の連中とは関係ないだろうな。
919日本@名無史さん:04/07/28 18:46
まあ、禁裏やらケガレやらも
まったく関係ないわけでないが
基本的にこのスレが対象としてる
えた、ひにんってのは
江戸時代の身分制で確率されたものだから。
920日本@名無史さん:04/07/28 19:13
木地師ってどうなの?
921日本@名無史さん:04/07/28 19:38
どうなのって。
えた、ひにんとはあきらかに違うだろ。
922日本@名無史さん:04/07/28 22:20
現代の下級公務員職掌と古代賎業との関連
 国・地方税徴収職員…租税の取立て
 警察官…罪人の逮捕
 刑務間…罪人の監視
 宮内庁陵墓課…陵戸(五色の賎)
 火葬場職員…死体の処理
923日本@名無史さん:04/07/28 22:36
中世では職人が卑賤視されていて、えた(?)の支配下にあったけど、
徐々に職人の地位があがってきて、支配を脱した。

でもなぜか紺屋はえたの支配下にあったらしい
(河原をえたが支配していたからかな?)
924日本@名無史さん:04/07/28 22:45
ほんとかよ。こら。
えたは江戸幕府が制定した呼称だぞ。
925日本@名無史さん:04/07/28 22:51
>>924
幕府が呼称を制定したわけではない。
926日本@名無史さん:04/07/28 23:39
一休さんの時代にはありましたよ。
http://www.kcn.ne.jp/~eijun/hisabetu/hisabetu1.html
927日本@名無史さん:04/07/28 23:41
朝鮮出兵の捕虜と言う説自体は出鱈目なんですか?
西国に多いし、関連はないのですか?
928日本@名無史さん:04/07/28 23:47
外国の捕虜ってことになると都合が悪いんじゃ
929日本@名無史さん:04/07/28 23:52
本の被差別部落の歴史は中世以前のものだが、その起源も単一ではないだろう。
その有力起源一つに秀吉の文録・慶長の役がある。
あの時に、出兵日本兵は耳塚で有名だが、敵軍の耳を大量にそいで戦果の証明と
していたが、それだけでなく、大量の朝鮮人を日本に連行した。
それは、日本にない産業の従事者を必要としたからで、沈寿官を始めとする、
陶工は有名だ。他にも多数の職種があった。部落が西日本に多い理由の説明にもなる。
当然、東北以北にはないことになる。
徳川時代になって朝鮮通信士が連行朝鮮人の帰国を申し入れたが、
彼らは既に日本に定着していたため、自身が断ったらしい。
何かの記録に残っているはず。また、連行数や職種等の一致から蓋然性のある説みたいだ。
不合理な差別が歴史的に正当化される背景には、被差別者自身の他者との相違の認識が
前提として必要になってくる。なぜなら、土地に由来する差別は引越せば消滅するから。
彼ら自身が差別を必然と認識したからこと制度は磐石に保全されてきた。
その後、部落には歴史的被差別者以外も併合して拡大していったが・・・。


930日本@名無史さん:04/07/29 00:04
>>929
朝鮮出兵以前に作成された太閤検地帳に
「かわた」という言葉はたくさん出てきます。
朝鮮出兵と関連付けるのは無理筋かと。
931日本@名無史さん:04/07/29 00:10
朝鮮出兵とは関係ないのですね?
932日本@名無史さん:04/07/29 00:15
馬鹿日本語ちゃんと使え
朝鮮征伐だろ
この在日
933日本@名無史さん:04/07/29 00:23
>>931
皮革産業は戦争に必要ですから
戦国期に既に多くの「かわた」は存在したはずです。
斃牛馬を扱ったりするので賤視されていくわけですが
ある種の職人とも捉えられます。
職人である百姓にかかる大工は国役を免除されますが
「かわた」(穢多)も大工同様に国役を免除されています。
934日本@名無史さん:04/07/29 00:48
江戸時代には税金もかからないし、それなりに
役得のある仕事だったのかもしれん。
明治時代以降にはもっぱら差別だけになったのかな?
935日本@名無史さん:04/07/29 13:33
倭寇の時代に、大陸半島の人間も持って帰ってきているだろう。
936日本@名無史さん:04/07/29 13:34
>>935
だから、秀吉は綺麗ごとだけではなく「奴隷禁止令」を出したんじゃないのか?
937日本@名無史さん:04/07/29 13:43
太閤検地で、一里塚が作られたが、現在実測すると一里以上あったりする地域がある。
寺社領天領は除いてね。その余った地域が被差別部落なんだよ。そこの地名を列挙し
たような資料はないのかね?
938日本@名無史さん:04/07/29 13:45
>>936
奴隷が増えれば、検地除外地が増えるから、その可能性もある。
939日本@名無史さん:04/07/29 13:54
>>937
太閤検地と一里塚は無関係。
歴史地理学の大家木下良先生の著作でも読みたまえ。

>>938
>検地除外地
かわたの所持地も検地の対象だよ。
だから検地帳の名請人に「かわた」と出てくる。
940日本@名無史さん:04/07/29 14:38
江戸時代の賤民はどれいぢゃないぞ
941日本@名無史さん:04/07/29 22:56
士・庶・賤の序列
942日本@名無史さん:04/07/29 23:06
案外裕福だったりもする。
943日本@名無史さん:04/07/29 23:12
摂津国のある「かわた」村の太鼓屋又兵衛なる人物は70万両の財産を持っていたそうな。
944大學教授:04/07/30 00:59
彼らは豊かです
武士が貧困だったことも併せ、貧富と上下は無関係であったとも言へます
945日本@名無史さん:04/07/30 01:09
>>944
某スレではお世話になっております。
こちらでは教授と意見が一致するような気がいたします。
946日本@名無史さん:04/07/30 01:10
>944
「彼ら」っても、上層の一部の人だけでしょ・・・
947日本@名無史さん:04/07/30 01:12
刑死した人の衣服(血まみれ)をもらえるのが
非人の役得だったそうじゃよ。
昔の人は物を大事にしたものだ
948日本@名無史さん:04/07/30 01:14
■ちょっと言い過ぎの部分もあるけど、概ね......でも、こういうインタビューを公開してメルギブソン一家を反ユダヤ主義者
と罵倒するのが、ユダヤの手口。でもお父さんの言ったことはほぼ真実。「ユダヤ人はユダヤ人であることで人類の敵」という
のは、言ってはいけないが。

メル・ギブソンの父親がラジオ番組で「ヒトラーによるユダヤ人大虐殺は作り話」「ユダヤ人は人類の敵」などと強烈な
反ユダヤ発言をブチかましたのだ。第二次世界大戦中、約600万人のユダヤ人がナチスによって殺害されたとされているが、
それについてメルの父親、ハットン・ギブソン(85)はこう言い放ったそうだ。

「大戦の前にポーランドには620万のユダヤ人がいたのに、戦争が終った後20万人しか残っていなかった。だから600万人
が殺されたにちがいない……これが連中の主張だ。連中はたんに逃げたんだよ!ヤツラはブロンクス、ブルックリン、オーストラ
リアのシドニー、ロサンゼルスなどいたるところに散らばっておるじゃないか」

「ドイツは600万人ものユダヤ人を殺すほど大量にガスを持っておらんかった」し、アウシュビッツなどの「絶滅収用所はたんなる
労働収容所にすぎなかった」と主張、「全てがフィクションとは言わないが、ほとんどが作り話さ」と言ってのけた。さらにハット
ンは「連中はユダヤ教を世界で唯一の宗教にし、ユダヤ人の唯一の政府で世界を支配しようとしておるんじゃよ。だから連中はあんな
にカトリック教会を攻撃するのさ。連中のドクトリンで究極の支配を求めているんだよ」

「ユダヤ人は今もキリスト教徒の敵だろうか?もちろんだ。ユダヤ人はユダヤ人であることで人類の敵なのだ」
http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0402/21a.html
949日本@名無史さん:04/07/30 01:16
>>946
18世紀後半以降、農村の人口は一般的に停滞しますが
「かわた」村の人口はかなり増加していきます。
それを支える経済力があったということです。
貧乏人の子だくさんといいますが
ホントに貧乏なら子供はバタバタ死にますから
人口はそれほど増加しません。
950日本@名無史さん:04/07/30 01:30
また明治3年「かわた」村を含むある村が領主に880両上納していますが
このうち450両は「かわた」村が出しております。

なお差別にかかわる問題がありますので
具体的な地名を出せないことをご了解下さい。
詳しくは畑中敏之『「かわた」と平人』(かもがわ出版)をご覧下さい。
951日本@名無史さん:04/07/30 02:12
本願寺の経済を支えていたのは
かわた(?)の人たちらしい。
来世では救われたいと
懸命に寄進したそうだよ
952日本@名無史さん:04/07/30 02:24
それは井上鋭夫氏あたりの古い説じゃないですかねえ。
953日本@名無史さん:04/07/30 02:29
前に否定されたけど、人口が増えたのは部落に逃げ込んだ農民もいるからじゃないの?
農民には武士道はそれほど浸透してなかっただろうし、飢えて死ぬか、
それとも賤民になるかで後者を選択した農民もいても不思議はないと思うのだが。
それに部落に逃げた農民は裏切り者として憎悪の対象になりやすく、
それが差別の存続に繋がったとも考えられるじゃん。
特にいまでも親族が部落出身者と結婚すると他の親戚から絶縁されるような地方
があるけど、それなんかは裏切り者に対する制裁の名残とも考えられなくない?

あと肉食も人口増加に貢献したと思う。
954日本@名無史さん:04/07/30 02:32
うわーすげーのがキター!!
955日本@名無史さん:04/07/30 08:30
現代の非人ってのは無職引きこもりの事でOK?
956日本@名無史さん:04/07/30 08:37
>>953
人口の流入によって
「かわた」村の人口が増加したのでないことは
松岡秀夫・真岡二郎・高市光男氏らの先行研究によって明らかです。

一般に農村の人口が抑制されたのは、土地の細分化を防ぐために
次男以降が結婚できなかったためですが
「かわた」村は次男以降も結婚して家庭を持つようになります。
したがって人口が増えるのです。
経済のあり方の問題であり、栄養の問題ではありません。
957日本@名無史さん:04/07/30 08:39
>>955
非人は仕事をしてますよ。
958日本@名無史さん:04/07/30 17:24
明治大正時代、東京下町で万年筆の鞘を作っていたのも部落産業なんでしょうか?
鞘は木製でなく化学製品す。
959日本@名無史さん:04/07/30 19:27
東京には江戸時代以来の部落が多くありましたが、関東大震災や東京大空襲
で散在してしまいました。現在は、都同教のある5つの区がその地域です。
960オロチョン:04/07/30 21:04
世界は3種の人階層別が可能である。第1階級はアーリア人 ドイツェラント
ユーバー アレスなのである。日本人などは第2階級に属する。(なお日本
北部にはアイヌなる白人種が存在するが如く優秀民族である。我が闘争における
黄禍論は訂正する。)ユダヤ人などは第3階級に属し世界に害悪をモタラスから
絶滅すべきだ。・・・・・・・・ヒトラー
 なおアイヌ族は徳川家康よりエタ・ヒニンでなく一般庶民として認知されてます。
961日本@名無史さん:04/07/30 23:09
江東区には東京最大の非人部落があった。
今はただのビル街。
962日本@名無史さん:04/07/30 23:22
>>961

確か強制移住させられたんだっけ。
963ジンギスカン:04/07/31 03:21
世界は4種の人階層別が可能である。第1階級モンゴリアン マルコポーロ
などの西方民族は第2階級故に朕は彼をして抗州知事に任命する。
北宋など早くから朕に帰属セルものは第3階級、南宋ごときは第4階級
とし埒外なる倭殲滅のため使用。・・・・・・・・フビライ
964日本@名無史さん:04/07/31 10:23
>>961
現在のどこ?
965日本@名無史さん:04/07/31 10:33
人の名前で勝手にネズミ講に登録する人
966日本@名無史さん:04/07/31 10:33
そうか?
江戸に住んでた武士以外の人間なんて
百姓から見れば同じ様なもんだろ。
967大學教授:04/08/01 18:52
 刑死者の衣服は勝手に剥取るのであって、公然たる権利ではなかったでせう

 >945 711氏にてや?
968日本@名無史さん:04/08/01 21:53
>>967
左様で御座います。
ご出張中に前スレは埋まってしまいましたので
次スレを立てておきました。

未だご回答いただいていない点について
よろしくお願いいたします。

なお、当スレの皆様、スレ違いにて申し訳ございません。
969日本@名無史さん:04/08/02 10:17
エタは賎民の王
970日本@名無史さん:04/08/02 12:23
>711 宜しく願はれる以前に、スレが分裂して下々の者が騒いでおります
   どちらかに合同す可く、合同場所をご指定ください
971日本@名無史さん:04/08/02 12:57
>>970
自作自演のやりすぎで名前欄間違えてるよ、教授w!
972日本@名無史さん:04/08/02 15:48
>>970
【非理法権天】 本邦刑罰史 U
より
日本の刑罰史について語る2
のほうが盛り上がっていますので、そちらででおねがいします。
973日本@名無史さん:04/08/02 15:49
何も間違へてゐないとおもひます
974日本@名無史さん:04/08/03 21:55
よくネットで部落でないところを部落だと書かれていることがあるよね。
そういう噂が一人歩きして本当に部落になってしまった集落もあると思う。
特に明治以降の貧農集落なんか。
975日本@名無史さん:04/08/03 23:23
>>974

たしかにあるよ。
エタを差別しているつもりで何にも知らないんですよ、実際の差別は。
エタのことを何にも知らないで、なんとなくエタを差別している。
バカだなあと思うよ。
976日本@名無史さん:04/08/03 23:37
スラムや朝鮮人集落、公営住宅などが味噌糞に扱われることも
なきにしもあらず
977日本@名無史さん:04/08/04 08:16
良いことだ
978日本@名無史さん
木下先生は共産党