長らく朝貢貿易をやっていたよね。
2 :
日本@名無史さん:03/05/18 00:44
2げと
3 :
日本@名無史さん:03/05/18 00:46
新羅の使いと席次争いしたのは有名だね。
しょせん新羅も日本も朝貢国。
大和朝廷黎明期、平氏政権、室町。
このあたりは朝貢属国だね。
>>86 だからって人類発祥はアフリカとか言ったって仕方ないじゃん。
6 :
日本@名無史さん:03/05/18 02:16
誤爆?
もう少し歴史を勉強してください。
8 :
日本@名無史さん:03/05/18 02:23
9 :
日本@名無史さん:03/05/18 02:44
清の時代のイギリスも朝貢国です
10 :
日本@名無史さん:03/05/18 04:00
中国が世界最強ってことで異論はありません。
2位が韓国。
>>10 最強とは犯罪者育成国のことですか?
なら当たってます、当たって・・・W
12 :
日本@名無史さん:03/05/18 10:46
>>4 平氏政権は私貿易だから朝貢ではない。
ネタにマジレスとは思うが一言。
大体、前近代は「朝貢」スタイルでないと中国と正式の国交を持てないわけで、
朝貢=従属じゃないことは先刻承知のはず。
>>1は何が言いたいの?
日本は中国の朝貢国でありコリアの属国であった、日本人はこの事実を認め、謝罪するべき
15 :
日本@名無史さん:03/05/18 11:06
要するに「倭猿は逝ってよし!」という趣旨のスレかw
今朝の新聞で見たけど、北朝鮮は日本を「倭」と呼べと言ってるね。
なんだそりゃ、3K新聞の妄想ネタか(藁
まあそれはともかく、共和国がいうまでもなく「日本」は倭のほうがもともと
正しいべ、周辺国より遥かに劣った国だから倭って呼ばれてたのが悔しい
右翼が「日本」と勝手に名前変えてコンプレックスを拭い去ろうとしたんだろう
17 :
日本@名無史さん:03/05/18 11:32
>>15 朝日新聞の朝刊3面。
北朝鮮の労働新聞は17日、日本のマスコミなどが国名を北朝鮮と呼称
していることについて、「わが国の存在と権威を無視する行為だ」と非難し、
「日本反動層が主張しているように他国の国号を慣習どおりに使うなら、
われわれが公式言語生活で使う『日本』という単語は『倭』に変わる」
と主張した。
18 :
日本@名無史さん:03/05/18 11:37
19 :
日本@名無史さん:03/05/18 11:43
どうせ滅びるしかない国が強がっているのを見てるのって面白いよね
あんな馬鹿国から倭と呼ばれようが痛くも掻くもない。
逆にあいつらには経済支援する必要性まったくなし!
20 :
日本@名無史さん:03/05/18 11:44
>>17 売国奴・朝日新聞がいかにも書きそうな記事、主張ですね。
21 :
日本@名無史さん:03/05/18 11:50
>>14 日出づる国からしてみれば、所詮日没する処の国のことなので気にしてません。
22 :
日本@名無史さん:03/05/18 12:03
>>20 別に朝日がそう主張してるわけではなく、労働新聞の記事を伝えているだけ。
ベタ記事なので論評もなし。
23 :
日本@名無史さん:03/05/18 12:12
>>19 朝鮮半島、中国ともども自立しろやってなもんだわな(藁
倭と呼称する国から援助してもらおうなんぞゴキブリの価値以下だ。
24 :
日本@名無史さん:03/05/18 12:19
「倭」っていうと魏志倭人伝だな
たしかそのころから、チョウセンの
扱いは日本より下だったんだよな
中国が日本へ謝罪すると韓国は驚くらしいよ。
韓国の首都はソウル、中国ではソウルのことを漢城(中国の街)という。
これを韓国側は黙認している。
日帝のころの京城(都の町)はいやがってソウルにしたくせに、中国が漢城
なんて首都を属国扱いの呼び名で呼んでも許しているその中国奴隷根性
について韓国人はどう思ってるんだろうか?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
27 :
日本@名無史さん:03/05/22 14:22
_,、-――-==''" ̄~~"''ヽ、
_,,、-'' / / \ 入
mヘ' / / 'i, / \
,,;;;;;;;;;;,/~~ ~/ | ,| ,、-―く 'i,
,,;;;;;;;;;;;/// /,,,;;;;;;'i, / 'i;;;,,, 'i うおおおおおおおおお
;;;;;;Ω;リ/⌒\,,,;;;l;;;;'''''''''''\ ./... 'i;;;,,, |
;; | i' \'' ,,、'''"'"'''Y::::....... 'i;;;;;,,,, 'i_____
;; | |:. \::::::'i ;' ,,,,,、''''ヘ;:::::..... .'L;;;;;;;;;;;;;;;;イ⌒'i‐-、,_
.\
>>1 \/;;;Y'’ .,,,、 ,'i;::::... /~⌒v┴i--ニフ.| 'i,
1 ;;;|<~."
>>21'=' ノ人:::....イ,. , , /’ .i' / | |;;;;;;;
.|;;::.. 'i \;' _,/..::\::::l,i.|.|.j 'i__,,、-ヘ'i, \
i;;;;;;:::::::\ ,〉 y’ \::山'’::;;;;:::::\_,,、-‐ヘ
\;;:::::::::::Y .''i'' o....:::::;,人;;;;;;;;;;/~ ̄ ヽ
\:::::::::q ,''ヘ" ...::;;/=-_,~::::;ノ \,,_,,
ヽ;;:::::'i.-''i"'''''~ ; =-' ..:::Y’
‘'''''|;...ヽ,,,;;_'_''" ..::(
‘ト''~'i.___,;、 ....;;;;),
|,ヾ’ __、-‐'ニ⇒,
j ̄三==- ;;―==;;'i,
_マ -=;;;;;;;/ ̄ ̄\;;!
/~\;;;;;;l/:: ::~1
./ .....\;l,,::';; .:::|
28 :
日本@名無史さん:03/05/22 14:49
>>25 漢城というのは「韓江のほとりの街」という意味で「中国の街」という意味じゃないよ。
漢城という地名は、カン川の当て字が韓に定まるより古いもの。
韓江(カン川)は古くは中国人から「帯水」と呼ばれ、
帯(タイ)は「大」、水(スイ)は「川」の意味。
昔の韓国語で「大きい」を「カン」といったから、先住民は「カン川」と呼んだのだろう。
この「帯水」のほとりにあった城郭都市が「帯方県城」で、漢城の前身。
その後、漢城は百済の首都となり韓江をはさんで北漢城、南漢城のふたつ(今のソウルと広州)
に増築され、百済語では「尉礼城」とも「所夫里」とも呼ばれた。
(このうち所夫里は後に訛ってソウルとなる)
29 :
日本@名無史さん:03/05/22 14:53
属国は属国。
30 :
日本@名無史さん:03/05/22 15:01
中華皇帝が冊封した日本国王は、日本国内においてあくまで天皇の臣下としての分を越える事がなかった。
つまり、中華皇帝の権威が日本の権力構造に影響を与えていない証となる。
皇帝からの使者を地面に這いつくばって歓迎した朝鮮あたりとは全く事情が異なるね。
>>28 漢城という呼称は中国が韓国に対して優越感を持つ要因の一つだろう。
実際、中国人は韓国に対して属国気風が強い。
さらに韓国も中国に対して強い要求が出来ない状況があることも確かだろう。
歴史的にみれば韓国にとっての「よしみ」は日本より中国に対し深
い。中国に対し韓国は日本に対するのとは異なった対応を取る。
実に不思議なのは、中国はいまなお韓国の首都の名称を李朝(朝鮮
王朝)時代のままに「漢城」といって平気である。政府もマスコミ
もそうだ。
「漢城」とは韓国(李朝)が中国(明、清)に服従していた当時の
名前である。
韓国政府は一時、中国側に「ソウル」にしてほしいと要請したこと
があるが相手にされず、そのままになっている。
さらに韓国は朝鮮戦争(1950−53)の際、中国が大軍を送り
込んだ軍事介入についての「謝罪と反省」もとっていないし、その
ことを誰も不思議に思っていない。
中国に対して実に甘い。
つまり自分でも属国であると言う認識を少なからず持っているのでしょう。
漢字でソウルSeoulと表現できるものがないので要求は呑めないと
突っ放されて以後そのままという体たらく。
韓国はずっと中国の属国。いまも精神的にそう。
そして日本の兄貴分だといばっている。馬鹿国家のきわみ。
開国派の金玉均を否定して、暗黒の李朝やびん妃を賞賛するよう
だから世界の趨勢を読めず国を失ったのだ。
日本は少なくともそういう精神的な奴隷の意識はない。
朝日系統だけ。
それにしてもこの時代にチョンはまだ過去のことを言って喜んでいる。
また国を失わないよう気をつけな。
壬辰の乱、丁酉の乱は猛勉強するが、
上記の乱で疲弊していた朝鮮を清が攻めた
弱いものいじめのような
丁卯・丙子の乱は無関心みたいなところ
からも良く分かるね!
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
37 :
日本@名無史さん:03/06/08 19:35
所 詮 倭 猿 だ ろ w
38 :
日本@名無史さん:03/06/08 21:36
古代大朝鮮帝国から殷王朝は誕生した。
中華文明は挑戦文明の分家にすぎない。
39 :
日本@名無史さん:03/06/11 14:57
今日、初めてこのスレをみたが、つまらんスレだな。
30の言うとおりだよ。例えば、
室町初期は足利義満が日本国王の称号をもらって朝貢貿易をしていたが、
後期には、
周防(山口県)の一地方大名に過ぎない大内氏が日本国王を称していたりする。
朝貢なんて中国人が面子で形をつくっていたもので、政治的実態のないことは当の中国側は百も承知。
30のいうとおり、そこが実質的にも服属していた朝鮮と違うところ。
地続きの朝鮮と違って明は日本支配ができない。しかし面子は保ちたい。
で、田舎大名が日本国王を名乗っても、形式さえ整えばそれでよし
としていたんでは。
41 :
日本@名無史さん:03/06/11 21:01
>>1 中国は、日本を敵視し、日本の動きを警戒している。
しかし、同時に日本民族のことを高く評価し、一目おいている。
だが、朝鮮民族のことは・・・。
43 :
日本@名無史さん:03/06/11 22:23
しかしアメリカの某一流大学の歴史の講義では、明治維新まで日本は朝鮮
と同じく、シナの属国であったと教えているぞ。それに異議を唱えたら、
そのクラスから追い出されてしまった…
44 :
日本@名無史さん:03/06/11 23:57
足利義満は、最初は日本のトップではないとして朝貢を拒否されました。
(なんでそんな事知ってたんだ明…)
その後義満は、明に自分を日本のトップだと思わせるためにいろいろ工夫したらしい。
明に思わせるだけじゃなくて本当に日本のトップに立とうとして、天皇&上皇の座を
狙ったりもしてたが(笑)
45 :
日本@名無史さん:03/06/12 00:01
半島は100年前まで柵封うけて名実ともに中国の属国。
独立させたのには日本でした。
46 :
日本@名無史さん:03/06/12 00:05
47 :
日本@名無史さん:03/06/12 00:30
倭のころは真面目に朝貢してたんだよなあ。
日本になったらグローバルスタンダードから外れたけど。
48 :
日本@名無史さん:03/06/12 00:37
朝貢国=属国の論なら、ローマ帝国も中国の属国になるニダ
49 :
日本@名無史さん:03/06/12 01:06
>>39 明が日本を朝貢させたがったのは、面子のためだけじゃないよ。
皇帝(足利義満の時代は洪武帝)の地位に正統性を持たせることが出来るから。
あのフビライ(元)も従わせられなかった日本が、朝貢に来た!
洪武帝こそ正当な皇帝なり!
って、国内で宣伝する訳ですな。
日本が元を撃退して以来、中国は日本を強国とみなしていました。
その日本を朝貢させるというのは、皇帝の権威を高める有力な材料だったんです。
だから明は、本来「朝貢国=冊封国」のはずなのに、日本には朝貢しているのに
冊封を受けないという妙な立場を許し、朝貢なんだか貿易なんだか玉虫色な
「朝貢貿易」が成立したんですよ。
しかも日本、朝貢してたのが天皇じゃなくて臣下だしな…。
沖縄というか琉球の諸王は中華に朝貢=冊封してたよね。
明代の三国に分かれてた頃、明からの使者に促されて、だったと思う。
三国とも冊封受けて、ナントカ王になりました。
琉球の人々も中華から一目置かれてたわけで。
半島は…(´・ω・`)
52 :
日本@名無史さん:03/06/12 02:36
ずいぶん前に世界史板で議論されつくしたと思うけど、
「朝貢」っていうのは本来、属国かどうかと関係ない話。
属国かどうかの問題は「朝貢」ではなく「冊封」だ。
これが事実上同じものになったのは、明が海禁策(=鎖国)して
貿易と朝貢という本来関係ないものがが密接にくっついてから。
もういちどいうけれども冊封体制の中では、中国との政治的な距離によって
諸国が何段階にもランキングされてるわけだが、
そのランク中に、内臣国だの外臣国だのあって最後に「不臣の朝貢国」ってのがある。
(後漢時代の倭の奴国はこれにふくまれる)
つまり「朝貢」ってのは中国となんらかの交渉があるという意味しかなく
属国かどうかという話とは関係がない。
また「不臣の朝貢国」の中には「敵国」というのもふくまれるが
この場合の「敵国」というのは敵対国ではなく対等・平等の国という意味。
(前漢時代の匈奴など)つまり中国と対等の国でも「朝貢」というのはやるし
外交使節がきただけで中国では朝貢になるんだから。だからといって中国側で
「敵国」や「不臣の朝貢国」を属国とみなしているわけではない。
明代海禁以降の管理貿易時代の「朝貢」ですべてを語るのは大間違い。
53 :
日本@名無史さん:03/06/12 03:12
>>45 日本が日清戦争で頑張らなかったら、朝鮮半島は
今のチベットと同じ状況になっていたと考えられるね。
漢民族が続々移住し、民族文化は消滅の危機に。
もちろんハングルなんて公的には使用禁止。
亡命政権が日本に出来てるんじゃないかな。
54 :
日本@名無史さん:03/07/12 16:54
あげ
55 :
日本@名無史さん:03/07/12 17:07
だけど、最初の夏は東南アジア系だし、殷はもともと北狄、
北周や隋や唐や北魏はすべて鮮卑系、遼は契丹、元は蒙古、金や清は女真、
といったように、ほとんどが異民族による王朝だったわけですよ。
もちろん、宋などは逆に異民族の方へ朝貢しているありさまです。
56 :
日本@名無史さん:03/07/12 17:12
日本というか倭が朝貢していたのは大漢帝国だけで、漢王朝が滅んだらその遺臣や一族が
日本列島に逃れてきた。
その後、本当の意味での朝貢などしていないよ。
ある意味、大漢帝国の流れも汲んでいるからする必要なしって事だったと思う。
>>1 日出国の天子より、日没する国の天子へ、恙無きや
聖徳太子
58 :
日本@名無史さん:03/07/12 22:59
>>56 漢王朝の正統は、漢→魏→晋→宋(南朝)と継承されたから、
漢帝国と倭国の絆もそのまま継続した。倭の五王でおわり。
宋の時、待遇が悪かったので倭は関係を絶った。
その後の、斉や梁が倭王武を敍爵したのは、
中国側が勝手にやっているだけで倭国側のあずかり知らぬこと。
隋や唐は北朝の流れ。
59 :
日本@名無史さん:03/07/12 23:15
>日出国の天子より、日没する国の天子へ、恙無きや
これ書き直して再提出したんだよね。
日本の史書からは恥じってことで消されてるけど、中国側には残ってるようだ。
60 :
日本@名無史さん:03/07/12 23:18
隋や唐は鮮卑出身なので、
倭からみれば朝貢していた同じ立場。
なので、対等な表現という方針が生じたのも自然な流れ。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
63 :
日本@名無史さん:03/07/17 05:00
最初の夏は東南アジア系だし、殷はもともと北狄、
北周や隋や唐や北魏はすべて鮮卑系、遼は契丹、元は蒙古、金や清は女真、
といったように、ほとんどが異民族による王朝だったわけですよ。
もちろん、宋などは逆に異民族の方へ朝貢しているありさまです。
64 :
日本@名無史さん:03/07/17 06:05
だからお前は劉宋と趙宋を混同してるだろ。
あちこちコピペすんな。
65 :
日本@名無史さん:03/07/17 10:05
>>49 洪武帝というより永楽帝じゃないか?簒奪者だからな。
こいつが皇帝のときだけ妙に侵略行為が多いこともフビライ・ハーンを目指したとは言えんかな。
66 :
日本@名無史さん:03/07/17 10:26
>>60 中原を支配したら中華になるんだよ。
遣唐使は朝貢使節でもあるわけで、ついたら臣下の礼をとるように、
こっそり使節上層部だけに天皇から勅が出ている。
宋におくった坊主も朝貢使だった説が最近は出ている。
ちなみに、唐から遣唐使の使者が来ちゃって朝廷は困っちゃったけど、
(それまで、朝貢してるのをばれないように国内では隠してた)、
公卿の会議の末、礼節を重んじ、「天皇は玉座を降りて拝謁した」が最有力説。
>>61 知らんのか。日本書紀から消されてるが、中国の史書には
再度来た遣隋使が、今度はきちんとした文面で書を出したとなってるよ。
あわてて、へりくだった文に書き換えたわけだ。
日本側の情報不足が原因といわれている。
唐代でもずっと、臣下の礼をとってたしね。
いつも半島の使者と、上位の席をめぐってケンカしていたw。
知らんなら調べれ。知ってて書いてるなら○○だ。
67 :
日本@名無史さん:03/07/17 10:29
>遣隋使
日本書紀にも少し出てるね。
607年(推古15,大業3),小野妹子・鞍作福利らをつかわしたことが
《日本書紀》にみえ,これと対応する有名な〈日出処の天子書を日没する
処の天子に致す〉の国書をたずさえて行き煬帝の不興を買ったことが
《隋書》に見える。
妹子は翌年隋使裴世清(はいせいせい)らを伴って帰国したが,隋の国書
を途中で紛失している。
彼の国書の内容が,太子の期待した対等の外交関係とは遠いものであった
からであろうといわれている。
おそらく太子の遣使の目的の一つであった,日本の国際的地位の向上と
いうことはあまり達成されなかったであろう。
608年,裴世清らを送って,妹子らが再び派遣された。この時の国書には
《日本書紀》によると〈東天皇敬白……〉とあったという。
妹子は翌年帰国した。
68 :
日本@名無史さん:03/07/17 10:45
遣明船も、10年に一度の朝貢の形式だね。使節がきちんと臣下の礼をとってる。
69 :
日本@名無史さん:03/07/17 12:09
70 :
日本@名無史さん:03/07/17 12:26
>>68 そうだよね。
「勘合貿易」と称しても正式には朝貢なんだよな。
71 :
日本@名無史さん:03/07/17 14:36
>>69 スマソ。
日本書記が触れてないのは、「隋書」に出てる600年の倭王の使者派遣だった。
倭王が天や日と兄弟とアピールして一目おかせようとしたら、文帝に「全く不道理」
と政治のやり方をコーチされた。
この直後から、宮の造営・冠位12階・憲法17条・朝廷礼儀作法の全面改正・
王権の政務や儀礼の全面改正、が急に始まっている。
この600年の遣隋使に日本書紀が触れてないのは、書くのが恥ずかしすぎたと
推測されている(熊谷公男氏)。
ちなみに、聖徳太子のマナー違反の文書で、煬帝が怒り国交断絶になったのを
思い直させたのは、高句麗と突厥との秘密接近がばれて煬帝が高句麗攻めを決意したおかげ。
翌年、朝貢形式の手紙を持って、妹子が再訪問している。
74 :
日本@名無史さん:03/07/17 16:37
>そのランク中に、内臣国だの外臣国だのあって最後に「不臣の朝貢国」ってのがある。
(後漢時代の倭の奴国はこれにふくまれる)
ホント?「漢倭奴国王」に冊封されたんじゃないの?しかも頭に「漢」が付いてるから漢の外臣の位置付けだと思ってたんだが...
75 :
日本@名無史さん:03/07/17 16:57
朝貢のランクが国のランクってのはどうなんだろうねえ?
朝鮮より沖縄(琉球)のが格上だしねえ。
まあこの序列に依存はないけどね〜w
2位が朝鮮? プ.....
76 :
日本@名無史さん:03/07/17 18:02
>>75 いつの話?明では朝鮮の方が琉球より上位で、清ではその逆だったと思うけど。
78 :
日本@名無史さん:03/07/24 22:02
あげ
1、韓国だけに支払って北はまだという見解が日本国政府の公式見解。
2、総額8億ドル以上の〈請求権資金〉(政府無償贈与3億ドル,海外経済協力
基金による政府借款2億ドル,民間借款3億ドル以上)を日本側が供与すること
とひきかえに,韓国側が個人の未払賃金等もふくむいっさいの対日請求権を
放棄することを取り決めた。
つまり、韓国側の個人請求放棄と取引。
さらに無償供与は日本国の生産物と日本人の役務で支払い。
借款は利子つきの貸付。
3、日本の資産は朝鮮戦争で破壊されほとんど残っていなかった。
4、韓国の戦後復興には、植民地遺産はほとんど役に立たなかった。
アメリカの資金が入ってきてから復興し始めている。
5、個人の賠償請求を韓国が却下させる代わりに、日本国が協力金を支払うのだから、
論理的には、国家の国家に対する賠償金となる。
でなければ、1円も支払う理由がない。
6、ちなみに、自由民主党政府の強行採決で条約承認。
(^^)
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
83 :
日本@名無史さん:03/08/18 18:28
中国→名誉欲
日本→経済的利益
その思惑の一致以上の意味は無い。
現代は中国がアメリカになって、輸入の際のおまけが無くなっただけ。
経済はともかく国土・人口的小国の日本が国を護るための知恵で恥じる必要は無い。
徳川だってそれで天下を取った。
84 :
日本@名無史さん:03/08/18 18:58
中国(中華人民共和国)って建国してまだ50年くらいでしょ?
日本が朝貢国だったことはないなあ
まあ、今でもODAを貢いでいるけどねw
85 :
日本@名無史さん:03/08/18 19:15
日本天皇万歳!
中国皇帝万歳!
====独立国の壁=========
朝鮮王千歳!
・属国と朝貢国は違う。
・朝鮮王は属国なので「千歳」しか使ってない。
・日本国は「万歳」が伝わるとすぐに天皇に使い始めた。
86 :
日本@名無史さん:03/08/18 19:17
>>79 韓国が「賠償」って言葉を使わないのは日帝の残留財産のほうが
多いので、韓国のほうが賠償をしないといけなくなるから。
87 :
日本@名無史さん:03/08/18 19:18
そもそも植民地国に賠償などした国は世界史上存在しない。
88 :
日本@名無史さん:03/08/18 21:59
米国には、未だに朝貢してますがなにか?
89 :
日本@名無史さん:03/08/18 22:40
>>84 「中国」は「中華人民共和国」の略ではないよ。
近い例では明治4年の日清修好条規の中国語条文の国名は
「中国」だ。「大清国」は前文のみ。
90 :
日本@名無史さん:03/08/19 00:56
紀元前から中国と言ってますよ。文献にも残ってます。
91 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:40
92 :
日本@名無史さん:03/08/28 21:51
日本は中国の一部だった
93 :
日本@名無史さん:03/09/04 20:48
94 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:22
>>83 >経済はともかく国土・人口的小国の日本が国を護るための知恵で恥じる必要は無い。
>徳川だってそれで天下を取った。
徳川って、それで天下を取ったのかい?
始めて聞いたw
95 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:45
96 :
日本@名無史さん:03/09/12 04:51
徳川が中国に朝貢したなんて書いてるのはどこの馬鹿だ?
>>71 例えば、610年の遣隋使も日本書紀では触れられてませんが、
これには、どんな恥ずかしい理由が推測されるのでしょうか?
98 :
日本@名無史さん:03/09/12 09:32
>>97 「《隋書》帝紀の610年の遣使記事は日本側に史料がなく,608年の遣使を
示すとする説が多い。」(弥永貞三氏)
608年のとは、前年の対等文書を、あわてて「東天皇敬白」と書き直した遣隋使。
これは、日本書紀に出ている。
99 :
日本@名無史さん:03/09/12 21:47
>98
それは小野妹子が遣隋使のもの。
同じ年の使者名未詳のものも日本書紀に出ていない。
日本書紀には607年の小野妹子と608年の小野妹子と、出てる。
「607年(推古15,大業3),小野妹子・鞍作福利らをつかわしたことが《日本書紀》
にみえ,これと対応する有名な〈日出処の天子書を日没する処の天子に致す〉
の国書をたずさえて行き煬帝の不興を買ったことが《隋書》に見える。
妹子は翌年隋使裴世清らを伴って帰国したが,隋の国書を途中で紛失している。
彼の国書の内容が,太子の期待した対等の外交関係とは遠いものであったから
であろうといわれている。おそらく太子の遣使の目的の一つであった,日本の
国際的地位の向上ということはあまり達成されなかったであろう。
608年,裴世清らを送って,妹子らが再び派遣された。この時の国書には《日本書紀》
によると〈東天皇敬白……〉とあったという。妹子は翌年帰国した。
《隋書》帝紀の610年の遣使記事は日本側に史料がなく,608年の遣使を示すと
する説が多い」(弥永貞三氏)
101 :
日本@名無史さん:03/09/13 00:09
>おそらく太子の遣使の目的の一つであった,日本の
>国際的地位の向上ということはあまり達成されなかったであろう。
日本の国際的地位の向上?
当時の東アジアの人々の国家観ってどんなんだったんだろう。
>>101 阿呆な中華をおだててれば、恵んでもらえるのだからやらなきゃ損損
103 :
日本@名無史さん:03/09/13 09:51
万里南方帝国が、史上初めて滅んだ後の、
北方民族への日本の天子宣言の意味が判らん奴がいるね、
当時の漢人だらけの日本で天子宣言の重要性がわからんかったと
思ってるの? 隋帝は、北方初のアジア唯一の天子になったとおもったのに、
極東の漢派閥の国の王から天子宣言が送られてきたのだから、
これは侮辱というより、日本からの挑戦。
で、東天皇敬白・・・・ のどこが謙ってるわけ?
天皇は、歴代の中国天子がさらに尊大に表現しようと編み出した表現
104 :
日本@名無史さん:03/09/13 09:58
隋帝からみれば、日本の天子宣言は、そのまま
新南朝漢帝が登場したのと同じタイミング。
異民族史上初の大陸統一 皇帝にして
500年ぶりに中国統一 皇帝の 隋帝登場に、
南漢からバトンタッチしたように、天子宣言したのが日本なの
中原=中心 という中華思想がないだろう当時から見て、
日本=漢帝 そのもの
則天武后は、674年(上元1)8月に、皇帝を天皇と称し、皇后を天后と称する
ことを宣言している。
それ以外には、あまり聞かないね。
中国伝説の天皇は、「てんのう」ではなく「てんこう」。
天皇上帝は「てんこうじようてい」。皇帝の始まりは、天皇より上。
>皇帝
秦の始皇帝より始まる。秦王政(すなわち始皇帝)は前221年に中国全土
を武力で統一し、史上初めて中国内で唯一の王となると、それにふさわ
しい王号を烝相以下に命じて論議させた。
丞相王綰(おうわん)らは古代に天皇・地皇・泰皇があり、泰皇が最高
であるから泰皇とすべしと奏上したが、政はみずから皇帝の号を採用
して王の尊号と定めた。
天皇<秦皇<皇帝だね。
>中華思想
戦国期から秦の時代には、もう思想のレベルにまで達した中華思想が
ありました。
つか、日本=漢帝国と表現もしくは読み取れる中国の文献は?
106 :
日本@名無史さん:03/09/13 13:47
>>94 おいおい、今川や織田・豊臣に「頭をさげた」ってことだろう、普通。
今川配下で三河兵はいつも先頭に立たされ、織田との同盟下での金ヶ崎の撤退戦や信康事件、秀吉による関東移封を「朝貢」に例えている言葉のあやに決まってるだろう!
>106
信康事件は信長の命令じゃなかったらしいぞ。
108 :
日本@名無史さん:03/09/13 19:06
>>105 アホだなー 中華思想ってのは、
秦や漢にとっては自国中心主義の事だから万国共通の考え。
本来の中華思想は、それ以降。
即ち、「民族を問わず中原を制したものは中国なり」
三国史のころは、蜀にしろ呉にしろ中原中華思想はない。
隋以降の異民族中国となって中原を制した時点で中華交代となり
そう歴史が定義するようになったんだよ。
隋が統一する以前は、日本は南朝の6国安東大将軍位。(倭の5王以降もね)
万里以北民族の隋からすれば、日本は名実ともに漢朝の一員の国だよ。
隋は、その南朝の天子を滅ぼしたつもりになったら、
すぐさま、南朝陣営の王から、東の天子宣言の手紙が来たんだよ。
俺が隋帝なら気が狂うほど怒るはずが、怒りはするが
結局、日本と国交を開始するんだよ
深読みしすぎ。
110 :
日本@名無史さん:03/09/13 19:34
>>108 >隋が統一する以前は、日本は南朝の6国安東大将軍位。(倭の5王以降もね)
南朝最後の陳からは将軍の位もらってないじゃん。
陳は短命で、単に朝貢と擁授する時間が無かったと思われ。
>>111 斉や梁は建国してすぐに、倭の朝貢がないにもかかわらずその将軍号を進めているよ。
それをしなかった陳は最初から倭を冊封するつもりなどなかったと見るべき。
陳は確かに短命な王朝だったけど、その短い間に百済や高句麗が冊封されている。
113 :
日本@名無史さん:03/09/13 20:10
当時の日本の朝廷は、漢人大ブーム 都も飛鳥(漢人ばっか)
書官も帝の教育も漢人、
東漢氏も秦氏も先祖を、中華皇帝直系として威張ってたそうなので、
故国を北の蛮民に滅ぼされた漢人に
当時の帝はすっかり洗脳されちゃったと思われ。
「帝は天子です!!!異民族の隋などにかしずいてはいけません」
114 :
日本@名無史さん:03/09/13 20:25
歴史上営々と続く万里以南民族の王朝 漢
当時の漢民族からしたら、残された自陣営は、
百済と日本 だけだからね。
そりゃ相当な漢勢力が渡ってきてるんじゃないの
そもそも、倭王武の表を受けた和帝12歳なんてこの時点で来年抹殺決定の身。
俺が和帝なら、これに乗じて日本に逃げるね。そして日本をのっとる。
そして、中国式に当時の倭王の武略や武列あたりを、悪王にして正当化しちゃうな
あれ?・・・
陳は安南や朝鮮ともまともに関係を結んでいなかった。
自己防衛に手一杯で朝貢外交なんかに力を入れるような余裕は無かった。
116 :
日本@名無史さん:03/09/13 21:12
つまり、天皇家は漢帝でもあると・・・
>>114 蕭宝融(488〜502)
斉の七代和帝。在位501〜502 表を受けたのは順帝
まあ、どっちも百済か倭に亡命したかっただろうね
>>108 >中華思想
「黄河の中流域で農耕を営んでいた漢民族は,その文化が発達した西周
ごろから,四隣の遊牧的な異民族に対して,しだいに優越意識をいだ
くようになった。それが,戦国時代から秦・漢にかけて統一国家へと向
かう時期に,思想の次元にまで定式化され,中華思想とよばれる」
(日原利国氏)
>日本=漢帝そのもの
君が煬帝ならってのがソースなのね。はいはい。
>で、東天皇敬白・・・・ のどこが謙ってるわけ?
>天皇は、歴代の中国天子がさらに尊大に表現しようと編み出した表現
これは、天皇<秦皇<皇帝ということはわかったの?
>結局、日本と国交を開始するんだよ
日本が翌年手紙を書き直して、へりくだった形式をとったからだよw。
ちなみに遣唐使はみんな朝貢形式。
かなり後の時点でも、唐の皇帝使者に天皇は上座から降りて対面している。
>漢人
秦氏や東漢氏は、自称中国人だが、実際は半島人というのが今は通説だろ。
君は変な本を読みすぎ。普通の本読んでくれ。アホらしいからバイバイ。
118 :
日本@名無史さん:03/09/13 21:38
>>117 108じゃないが、秦氏も東漢氏も中国人という方が定説。
3c4cの半島は、漢の楽浪郡が500年間支配したのだから
半島人の多数=漢人 現在の韓国人も漢人の子孫と言う人が多数。(孫正義とかね)
また、東漢氏は日本書紀によると呉から連れて来られた技術者が多数
119 :
日本@名無史さん:03/09/13 21:54
>>117 の御馬鹿ちゃんへ
「東天皇敬白」・・・・ ちっとも謙ってませんが何か?
唐の高宗の上元元年(六七四)に、
君主の称号が「皇帝」から「天皇」に代わったが、
その情報が、天武朝(六七二〜六八六)に日本に伝わり、
持統三年(六八九)に編纂された飛鳥浄御原令において正式に採用され、
天武天皇に対して最初の「天皇」号が捧げられたというのが
定説となっている 続く
120 :
日本@名無史さん:03/09/13 21:57
唐、日本の天子に舐められっぱなしですが何か?
(続き)なお、「天皇」は、本来は、中国の伝統思想である道教において、
宇宙の最高神とされた存在だったが、
道教の創始者に擬せられる老子と唐の皇室が同じ李姓であったため、
唐の皇室は老子を遠祖として敬うようになり、
さらに熱心な道教信者であった高宗にいたって君主号を「天皇」とすること
になったのである。
東漢氏も秦氏も朝鮮系
東漢の祖は阿知使主。
古代日本の帰化人のうち後漢霊帝の3世孫で,倭漢直の祖という。
使主は敬称,したがって阿智王とも記す。
《日本書紀》や《続日本紀》の所伝を総合すると,応神天皇のとき,漢の
朝鮮半島における植民地帯方郡から,17県の人夫をひきいて帰化した。
そのあと,故郷の百済と高句麗の間に,才芸にすぐれた人民男女が多くいる
ので,それを連れてくることを願い,実現せしめたという。
(文責・平野邦雄氏)
秦氏の祖は弓月君。
帰化系雄族の秦氏の祖と伝えられる人物。
《日本書紀》によると,応神天皇のときに百済から120県の人夫(民衆の意)を
率いて渡来したという。(文責・関晃氏)
秦氏も東漢氏も、一緒に渡来した集団が、みんな半島の名前を持つ職能集団。
中国皇帝の子孫というと、日本では喜ばれたので、自称し、その後に伝説が
できただけ。
半島人は漢人(中国人)とまでいうなら、もはや、何も言わんが・・・。
122 :
日本@名無史さん:03/09/13 22:13
天武の和風諡号の天渟中原瀛真人
道教で海のかなたの神仙世界の最高位を意味
隋唐 舐めまくり
123 :
日本@名無史さん:03/09/13 22:24
>>121 ぷっ 自爆ですか?
渡来人は、半島経由ですが漢人です。帯方郡って判ってる?
当時半島の半分は漢の直轄領土なのよ。
そんなの常識。 それと 東漢氏は渡来人の村の地姓
阿智より後に、呉から直接技術者が来て移り住んだのよ
>>121 秦氏の記述って中国の書にも出てこなかったっけ?
>>119−
>>120 あの、手紙を書き直した遣隋使は608年。
高宗の天皇は674年なんですけど。おくりなは天皇大帝ね。
607年の天子を使った使節も中国では朝貢と扱われている。
608年のも、当然朝貢。ちなみに裴世清は従8位の卑官。全く対等に扱って
ません。隋が国交を結んだのは高句麗政策が理由。
中国皇帝>日本天皇>新羅王です。(熊谷公男氏)
天皇は道教からとってるが、日本では道教の影響は天皇思想に入ってない。
日本では「現神御宇天皇」=アキツミカミトアメノシタシラシメススメラノミコト
ちなみに、「天皇」号は一時期は天武からが多かったが、
最近もう少しさかのぼれるかなという説が増えている。
天武が天皇号というのは木簡があるからで、天武以前を否定の証拠ではない。
あと、一つ教えてあげるけど、
唐に対する国書では日本は「天皇」号は使ってません。残念でした。
唐に対しては「日本国王主明楽美御徳」(ニホンコクオウスメラノミコト)です。
新羅や渤海には「天皇」号を使ったらしいといわれている。
遣唐使上層部は、失礼な態度でなく礼をとるようにそっと言われてから出かけてます。
この二重基準は、唐の返礼使節が来るとばれる、上層部の秘密。
上層部で会議の結果、天皇の下座が決まり、唐の使節に下座してます。
唐をなめるどころか、明治天皇の代まで、即位儀式は中国皇帝服を真似
た服です。もちろん公家もみんな唐服で参加です。
126 :
日本@名無史さん:03/09/13 23:25
127 :
日本@名無史さん:03/09/13 23:31
>>125 道教思想と天皇思想
天武の時は、道教思想真っ只中。なんと言っても八色の姓で
一番偉いのは、真人(道教の最高位) を設定したくらい。
唐の高宗が宇宙一偉いと思って天皇を名乗った当時の日本は、同じくらい
道教にはまってたのよ。 それで天皇にした
ちなみに、南朝も北朝も仏教より道教の方が盛んでした。
128 :
日本@名無史さん:03/09/13 23:39
>>125 唐の返礼使節が来るとばれる、上層部の秘密。
上層部で会議の結果、天皇の下座が決まり、唐の使節に下座してます。
よろしかったらソースを教えてください。
明治まで唐服・・・それが舐めてた証でしょ。
天武朝から、唐の皇帝にタメはってたよっていう
君の家が、戦前の葬式で、
「崩御」っていったら逮捕されてるのと同じ
ちょぱーり臭いな・・・
130 :
日本@名無史さん:03/09/13 23:43
あと、一つ教えてあげるけど、
唐に対する国書では日本は「天皇」号は使ってません。残念でした。
うん、これが本当なら残念 悔しいが
131 :
日本@名無史さん:03/09/14 00:29
ま、唐に服属してた思いたい奴には勝手に思わせとけ。
132 :
日本@名無史さん:03/09/14 01:03
>>131 でも、何故そんな奴が多いんだろ?
日本は独立国ではなかったの?
ちょっと焦点が分散ぎみだね。
天皇という称号が当時どんなニュアンスで使われたということは
現代の道教用語や始皇帝の時代の感覚で類推してもどうかと思う。
あの時代の角林文男や宮崎市定みたいに南北朝統一後の時代なんだから
南北朝期の「天王」との関係からみるべきだろう。
天皇と皇帝の称号だけから謙譲してるかしてないかをいうのは不毛だと思う。
少しおかしいのは、普通は「日出処之天子…」が対等の物言いで
「東天皇敬白…」がそれよりはややへりくだってるという奴が多いということ。
これは厳密にいうとどっちも対等の礼なんだよ。同じ文面が日中で別々に伝承されたんだろう。
あと、帰化人は秦氏も東漢氏も大陸系。
これを「実は半島系」などというのは解釈の問題であって
いわば「一説」にすぎず、いくらでも反論可能なことだ。
134 :
日本@名無史さん:03/09/14 02:32
>>133 同意
ただ、道教と天武朝の関係こそ、日本成立の新たなキーワードかもしれんよ
135 :
日本@名無史さん:03/09/14 02:51
北方異民族の隋帝は南朝の天子を廃止、いよいよ統一天子かと
思われたが、なんと、南朝の6国鎮東大将軍に代々あった
倭王に、天子宣言をされてしまった。陳や梁においても
将軍が帝位を次いでいるのだからこれは、まさに漢帝の継続帝
である。 がーーーーーん という気分だろう
白村江の戦いは、南朝亡き後の万里南王朝最後の戦い。
万里北民族
136 :
日本@名無史さん:03/09/14 02:54
日本もまた、漢人が帝を洗脳している最中である。
仏教、道教、漢帝史 漢人にとってもこの時代独立国は
百済と日本だけなのだ。日本に天子宣言させたところまでは
漢人の大成功なわけだ。北方異民族の天子なんて認めてたまるか!!
137 :
日本@名無史さん:03/09/14 03:05
ところが、隋はすぐに唐にやられてしまった。
唐はもうイケイケどんどんである。
南朝最後の盟友、百済もこの万里北方民族にやられてしまうーーー!
百済や倭の漢人は大騒ぎです。
この華僑、倭王を口説いて百済を助けに向かいます
が、北方異民族の大唐に敗れてしまいました。
そして百済から反北朝の漢人が残された南朝陣営の
日本に大量に亡命しましたとさ。
138 :
日本@名無史さん:03/09/14 03:23
困ったのは、天武帝。
以前のように唐にタメ口を聞いてよいものか・・・
しかし、もう万里南朝系漢人のよりどころは日本しかないのだ・・・
がんばれ天武!天武が天子として突っ張らなければ
だれが、北方異民族の大唐に突っ張れるんだーー!
というわけで、当時、唐の高祖が焦がれた「天皇」称号を
使ってつっぱりーーー
>>126 >ハイセイセイが国に帰って、天皇に会ったと言ったら事実なわけ?
「裴世清は従8位の卑官」という事実が対等に扱ってない事実。
大王に会ったかどうかは関係ない。
>>127 >天武の時は、道教思想真っ只中。八色の姓で一番偉いのは、真人(道教の最高位)を設定
「真人は、《丹生祝氏文》に〈丹生真人〉の用例があるように,本来は貴人に
対する尊称であったもの。あるいは新羅の(真骨)に倣ったものかとも,中国の
道教の言葉である〈真人(しんじん)〉そのものを採用したものともいわれている」
定説はない。(佐伯有清氏)
道教は天皇思想に影響を与えていない。(熊谷公男氏)
>>128 >>唐の返礼使節が来るとばれる、上層部の秘密。
>>上層部で会議の結果、天皇の下座が決まり、唐の使節に下座してます。
>よろしかったらソースを教えてください。
「日本が中国に臣下の礼をとっているのを知っていたのは、朝廷上層部と
遣唐使代表などのごくわずか。
結局、紛糾の末、天皇は、玉座を降りて、対面した。
北面して完全に臣下の席についた説と、東西でごまかしたとの説がある。
どっちにせよ、玉座を降りて、臣下の令をとった」
(「日本の歴史05」講談社・坂上康俊)
<続く>
<続き>
「御座を降りた天皇は、光仁天皇。このいきさつを見ていたのは、皇太子山部、
のちの桓武天皇。対面の儀は、宝亀10(779)年、5月3日。
いきさつは、「続日本紀」と東野治之「遣唐使船」
唐のまねをしすぎたため、形式上、唐を蛮国としたいきさつは、平野邦夫「国際関係における
帰化と外蛮」
しかし、この嘘ギャップで唐で遣唐使がいざこざを起こさないように、いましめた
詔勅は、「続日本紀・宝亀7(776)年・4月15日条」
天皇が御座から降りざるを得ないだろうと言うのは田島公「日本の律令国家の賓礼」
天皇が降りるかどうかの議論は壬生家史料(現在行方不明)
この資料には偽物説もあるが、国学者の創作であれば降りたことになってる理由が理解できない。
天皇の降座は止むなしとの石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)らの意見が多数派となり決定。
これは田島の先の論文と、森公章「古代日本における対唐観の研究」
旧唐書によると、この件のかなり以前に、唐の太宗の使者「高表仁」と倭の王子が、
礼を争い、高は怒って使命を述べず帰ってしまったことがあり、それ以降は、
この日本中華の嘘ギャップが露見するのを恐れ、唐の使者は遠慮してたらしいが、
このときは来てしまったので、仕方なかったらしい。
>>128 >明治まで唐服・・・それが舐めてた証でしょ。
>天武朝から、唐の皇帝にタメはってたよっていう
どんどん中国風になっていくのは桓武ごろから。
桓武は正統性がない不安から、中国式の天帝儀式まで行っている。
日本の外交は、ずっと「中国には朝貢形式・国内では小中華」の二重基準です。
>>133 >どっちも対等の礼なんだよ。同じ文面が日中で別々に伝承されたんだろう。
600年、第1回遣隋使ー「倭王は天を兄、日を弟とす。夜明け前に政を行う」
文帝は、政治の方法を教える(「隋書」)
以後、宮の建設・冠位十二階・憲法17条・朝廷儀式や礼儀の大幅転換等の急激な政治改革。
607年、第二回遣隋使(小野妹子)
「日出づるところの天子〜」(「隋書」「日本書紀」)
倭国には大王は神の子孫と考える観念があった。
だから「天子」を「天つ神の子孫」と考えそう名のった。
隋書には「王タリシヒコ、使いを遣わして朝貢す」とある。あくまで、朝貢に来た
としかとらえられてていない。
608年、第三回遣隋使(小野妹子)
「ここに天皇、唐帝を聘(とむら)う。その辞に曰く
東天皇、敬(つつし)みて西皇帝に白(もう)す」(「日本書紀」)
聘(とむら)う→贈り物を持って人を訪ねる、贈り物をして賢者と会う
敬(つつし)みて→うやまう、かしこまる、尊敬の念、うやうやしくする
相手に敬意を持つ場合の尊敬語
白(もう)す→自分より上の人に対して真実を申し述べること
以上から、隋唐に朝貢していた。
しかし、遣隋使以後は冊封関係に入らなかったのも事実。
国際関係が幸いしたせいか、文化・制度吸収という美味しい所だけをいただけた。
>>123 >>133 >秦氏、東漢氏
歴史辞典などでお調べを。
応神大王のときの呉の話は、作り話と、認定されてるよ。
「〈今来才伎〉〈今来漢人〉〈百済才伎〉らは,阿知使主でなく、その子の
都加使主、つまり応神のときでなく雄略のとき,すなわち5世紀末の時期の話
(呉でなく「韓国」から連れてきた)が本来のもの」(平野邦雄氏)
145 :
日本@名無史さん:03/09/14 22:20
>>144 正誤はともかく、
歴史辞典にソースを求めるのは喝! だな。
それと、
原典ソース以外であれば、
戦後の左翼反天皇歴史史観の文献等ごまんとある。
したがって、解釈済みの朝貢史観は2chではソースとはいえないよ。
これも喝!
誰もがしる古典や地名や事象から、推測される自説や、他人への反駁を希望する
146 :
日本@名無史さん:03/09/14 22:24
遣唐使はしょせん朝貢の使い。
>>145 遣隋使、遣唐使、遣明使・勘合貿易が朝貢ではないソースって
2ch以外であるの?学者名と著作名をキボンヌ。
148 :
日本@名無史さん:03/09/14 22:59
遣隋使・遣唐使は中国から見たら朝貢使節なのは間違いない。
ただ、日本側がどう考えていたかは別。
お互いの主観の違いにギャップがあったというだけのこと。
ま、むこうで使者がどう扱われたかといえば朝貢使節なんだけど、
日本側の気持ちとしては極力対等でありたかったんだよ。
149 :
日本@名無史さん:03/09/15 00:51
>>147 というより、論文において他の学者の文献を論拠とする事はない。(参照はある)
古典名、該当事象 キボンヌ と聞くならいいんだが。
>>145にあるように、そもそも朝貢史観に溢れてる現歴史学状況に反駁を加えられるか
否かというこのスレの主題に対して、
朝貢史観者の結論文献を提示するというのは
誰にとってもなんの意味もなさない。
150 :
日本@名無史さん:03/09/15 00:54
>>149 でも、相手(中国)が朝貢使節と認識していた事実は否定できんよ。
こっちは対等でありたいと思っていても、相手はそんなつもり全くないってこと。
151 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:01
>>148 天子宣言の相手と国交を開くというのは、相手が屈辱を感じながらも
認めたと言う事だよ。その時点で、隋においては対等外交
唐の高祖が天皇号を出したら日本も天皇号を出したというのも
日本の意思としては対等外交。 ポイントは先方の使者に日本の
天皇が下座したという日本側の古典が存在するか否か。
唐側は、その史書が唯一無比の帝の栄光を記すためにあるのだから
他国の帝が謙ったと記載するのはあたりまえ。
日本の朝廷儀式が、中国古式に類してるのは、古代において
日本が漢と同時代制をもった発達を遂げているつもりであれば
依存したのは仏法であり道教であり、その所作とする儀式であり
日本は唐に帰依したことにはまるでならない。
152 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:12
国際的な常識史観として、遠方国に訪問する場合、
訪問した国側に国力があるとされる。
イスパニア王から贈り物があった信長がイスパニア王を従えたわけがない
むしろ、イスパニアの国力の証明である。
遣隋使や遣唐史は、命令されたのではない。イスパニアのように
遠征しただけである。
遠征外交した国の方が、受けた国より上 これを常識としましょう
154 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:21
>>144 雄略の代の東漢氏は、記紀において記載されているよ。
呉から機織技術者などが来た
順帝への表の時に倭に下賜された技術者が多数いた
というのは調和的な記述のはず
155 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:25
156 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:29
>>155 ぷっ 悔しくても味方になって欲しくて外交を開いた
隋って唐の親戚だっけ?
157 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:31
>>155 あなたが考えてるほど日本は弱小じゃなかったんだよ。
158 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:38
159 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:44
まあ、だれがどう渡来しようと、当時の日本が朝鮮より優れていたのは確か。
161 :
日本@名無史さん:03/09/15 01:48
162 :
日本@名無史さん:03/09/15 02:15
>>158 そりゃそうだ、漢朝陣営は百済亡き後、日本だけだからな。
漢朝側漢人にとっては残された聖地。
>>161 朝鮮史は卑屈な歴史。多分触れて欲しくないのは彼ら本人達かもしれない。
なんせ王仁ですら漢人なのだから。
どうして「卑屈な歴史」なんて言えるの?
>>164 韓国の李瞬臣
高句麗の広開土王にしても
卑屈な英雄としか言いようが無いでしょ。
166 :
日本@名無史さん:03/09/15 03:50
現代朝鮮人は決して卑しくないよ。
漢王朝、唐王朝、元王朝、清王朝、といった大帝国を祖先にもつ
朝鮮人の祖先は、世界の半分を手中においていたんだから。
だって、それぞれの王朝の兵士の子孫なんだから、
日本人なんて逆立ちしてもかないません。
平安朝の中頃から遣唐使(ここでは朝貢)を止めた日本と、漢の郡として発展した半島
他の中原以外の地域と同じく、本来ならば中国の一部となって良い物だが、
あまりに無産な土地の為、歴代の中国王朝)から経営する気もおきなく、
せめて朝貢を「要求」して殺さず、生かしておこうという地域。
しかも、中国民衆(難民移動)からも、見捨てられた地域。
卑屈もあるが、悲惨もある。性格が悪くなるのもわかる。
168 :
日本@名無史さん:03/09/15 04:03
×漢王朝、唐王朝、元王朝、清王朝、といった大帝国を祖先にもつ
○漢王朝、唐王朝、元王朝、清王朝、といった大帝国の奴隷を祖先にもつ
>>166 隷属根性丸出しじゃないの...それが卑屈さの表れなんだよ。
中国が未だにソウルの事を漢城って呼んでる事に文句も言わないで享受している
韓国の従順さに感服するよ。
その事を韓国人に話すと、漢城は大きい城という意味で別にかまわないニダっていうんだよね。
中国側の言い分は、中国語にはSeoulを当てる漢字が無いからって理由らしいんだけど。
日本が韓国の首都を日城と呼んだらどう対応するんだろう?太陽のような城だからイイニダって言うのかな?
漢城より日帝時代の京城の方がよほどまともな表記だと思うんだが。
ごめん。一応漢城って呼ばないでくれって韓国側は中国に打診してるみたいね。
抗議してるけど、中国は取り合わないということか。
172 :
日本@名無史さん:03/09/15 04:58
×漢王朝、唐王朝、元王朝、清王朝、といった大帝国を祖先にもつ
○漢王朝、唐王朝、元王朝、清王朝、といった大帝国の奴隷を祖先にもつ
はあ? いつから奴隷が先祖になったんだよ、
奴隷ってのは子孫を残せず死ぬんだよ。 各王朝の兵士が
支配系として優位に蓄財し、子孫を残したんだよ。
つまり、祖先は世界の半分を手中に収めてたんだよ
一番凄いのは、倭人に漢の兵士の血が入り、その子孫に唐の兵士の血が
その子孫に元の兵士の血がそして清の兵士の血が・・・
ちなみに、各兵士とも、美しい女以外の子は残さんからな、
美しさとしても優性遺伝してるわけだ。
ずっと倭人のままの日本人の劣勢遺伝子とは違います
>>172 奴隷が残り、王朝の高層が国を脱するってことは
白村江以来伝統じゃないの。そんな土族民と大陸からの
下僕が交じり合ったのが、半島でしょ。大陸からの兵なんて少数。
ほとんどの入植者が平民。そんな血を優性遺伝渡渉する君は
アフォ丸出し。倭人のままの日本人という根拠は何処から来たんでしょうか(笑)。
君達の半島からの移民の身分を鑑みて御覧なさい。
半島からの使者はどんな身分であった?
そんな劣等遺伝子の半島民と同じにしないで欲しいね。
>>172 つまりは列強の多数派に寄生しながら民族を維持してきた奴属民であることを
自ら認めているということじゃないの。
>>172 元の兵士も半島には居座りませんでした。
176 :
日本@名無史さん:03/09/15 06:10
韓国人はいわゆる「中国東北部」のことを「満洲」と呼ぶが、
これに対して中国は抗議したことがあるのだろうか。
(注。現在の行政上の地名のことではなく、歴史的地名としての満洲。
韓国の歴史教科書には冒頭に「満洲と朝鮮半島はわが民族の生活基盤
であった」というようなことが書いてある)
177 :
日本@名無史さん:03/09/15 07:08
>>173 アホなので反駁する気も起こらん。
韓国の名家では系図が必ずある。半分は漢に通じている。
支配した後に兵士が引き上げる? 元寇の兵士が日本に侵攻した時は
兵士は鍬や種を持って行ったって知ってる? 支配系にとっては
獲得した土地に入植するのが一番の目的なんだよ。
アイヌの住んでいた北海道にアイヌ人がいるか?混血はいるだろうが
皆日本人だろ、 入植者は優性遺伝をその土地に伝えていくんだよ。
繰り返すが、現在の朝鮮人は、支配者側の優先遺伝の子孫が殆ど。
まずは、3世紀ごろの倭人(原住民)がエリート漢人やエリート高句麗人に
支配されて混血を作るが、その子の意識は間違っても被支配側じゃないんだよ。
周りが倭人の原住民の中で、支配富裕層として父系のルーツを誇るに
決まってるだろう。朝鮮人は常に最強の遺伝子を残してきたんだよ
>朝鮮人は常に最強の遺伝子を残してきたんだよ。
ベトナムの混血児も最強の遺伝子を授かっているニダね。
179 :
日本@名無史さん:03/09/15 07:16
朝鮮人からみて、
日本人ってのは、倭人という2000年前の被差別原住民のまま。
悪く思わないでくれよ、どの時代も原住民側が被差別住民なんだが、
倭人ってのは、人種構造的に、
その最も下位の被差別家系史の血にあたってしまうんだよ。
朝鮮人が倭人原人の日本人を下にみるのは仕方ないだろ
ウリは偉大ニダ!チョパーリはウリの下僕ニダ!チョパーリはウリを尊敬汁!感謝汁!
ってかってに火病っても大半のチョパーリは「何だこれは・・・」
と唖然とするしかありません。
ぷ、族譜なんかまともに信じているよ。馬鹿だね。
>>179 あほだな、あんたの国は本当に進歩が無いんだな。
被差別を下に見るだって?
もう21世紀ですよ? 国際社会ですよ?
倭の五王時代
中国からもらった名である「倭国大王」を名乗る。
自ら望んで冊封体制に入っていた。
隋・唐時代
朝貢形式だが、冊封体制に入らずに文化移入に成功。
「続日本紀・宝亀7(776)年・4月15日条」に、天皇が詔で、唐についたら、
臣下の礼をきちんととるように使者代表に申し渡している。
唐では、いつも半島の国とどっちが序列が上かもめてたらしい。
唐からの使者に天皇下座の件もいきさつが「日本書紀」にある。
明の時代
足利義満以来、朝貢貿易。形としては冊封。
義満が明国皇帝の手紙に跪いたのは有名。
これは、天皇権威を超えるためと、貿易利益のための作戦だけどね。
「然(ちょうねん) が宋の皇帝に会って紫衣をもらってるんだけど、
これも朝貢形式を整えに言ったという説があるんだが、史料が不足らしい。
知ってる人いたら、教えてください。
>>179 日本人から見て
朝鮮人ていうのは、倭人と華人などの雑種であり、数千年の間
国家間の被差別原住民のまんまなんだよ。
そんな雑種被差別原住民である朝鮮人が仕事が無い事や、社会的
不満から日本に移住してきたのは同情できる。
倭人というのは、君達朝鮮人よりも民族的に遺伝的に上なんだよ。
華人の下僕である朝鮮人が、独立を保ってきた倭人より下のわけが
無いではないか。東アジアで最下位を占める被差別家系史の朝鮮人が、
華人に対抗してきた日本人(古代倭人)に養われている事を現実として
受け止めるべきだと思うな。
下級民族、を受け入れている日本人に劣等遺伝子によって国に
帰らない朝鮮人は感謝すべきだと思う。これは事実。
185 :
日本@名無史さん:03/09/15 21:27
>>183 ちょっと、解釈に偏りがあるようなので、横やりだが一言。
遣唐使において、日本側が最も気をつかったのは、
国書を携えさせなかった事です。国書と出せば、
日唐の上下を露にする必要があり、両者天子の関係ではそぐいません。
あくまでも交易として国書なしで、使いが先方に挨拶に行ったという形です。
勉強に行くのですから、礼を欠かすわけにはいきませんが、
それは臣下の礼とは違うのです。
186 :
日本@名無史さん:03/09/15 21:51
ただ、日本は東の最果てという認識があったので中国側もそれなりの敬意を払っていたと思う。
朝鮮・琉球の場合、近くにあるので実際に臣従の礼をとって冊封関係を結ばなければ、中国の面子にも関わるが西のアッバース朝あたりなどには実際にバグダードに攻め込むだけの実力はなかったから「形だけの礼」だった。
日本の東方の果てについては具体的知識を十分有してない中国側は伝統的に日本を東方最大の大国として遇した。
有名な新羅との席順論争で日本が勝てたのもそのおかげだろう。
ちなみに志賀島の金印が同時期の他の周辺諸国(銅印)と違って金印なのもこうした認識が反映されているといわれる。
隣の朝鮮は目の前にいるから程度が量れたが
日本は底がしれなかったんだろうな。
188 :
日本@名無史さん:03/09/15 22:43
天皇が中国の皇帝に対して臣下の礼をとったという事実は変えられない
189 :
日本@名無史さん:03/09/15 23:15
>>188 そんなことあった?
もしかして、倭の五王? それなら2つの認識違い。
1・倭王が臣下だったのは漢帝に対してだけ。
隋以降は万里以北の北方民族が大陸を征し倭王が臣下した体制は存在しません。
2・天武帝は、応神→直→継体の系譜を正当(真人)として、
倭王として他国の臣下にあった5王の系譜を祖先から外しました
したがって、天皇家ならびに直系祖先が他国に臣下した事など全くなく
まして、漢帝以外には国としてもなく、まして漢帝の代においては
国としては漢の大将軍位であった国としては
万里北方民族の唐代においては、漢の流れをくむ唯一の継続国であります
190 :
ty270410:03/09/16 00:21
>>183 妥当な記述ですね! 史料に即した記述ですね!
日本側にはそれぞれ意図があったと思われるが,
中国への朝貢の形式を取ったことは疑いと入れる余地は
ないですね!
現在の民族概念とシチュエーションが違いますね!
191 :
日本@名無史さん:03/09/16 06:30
192 :
日本@名無史さん:03/09/16 06:38
>>191 どこがどう妄想なのか、きちんと説明してもらおうか。
教える側と教わる側が対等であるわけが無い。
194 :
日本@名無史さん:03/09/16 07:53
195 :
日本@名無史さん:03/09/16 09:04
>>190 その朝貢と、
宋が日本と貿易を望んで、平家と天皇に朝貢した朝貢との違いをのべよ
また、イスパニアが信長へ寄進した朝貢との違いは?
そもそも、先方が、天皇宣言してる国と国交を開いてる時点で、
唐は対等を理解してるんだよ。
ちなみに、日本の天皇は納得する上下関係以外の国書は
一切を無視する立場を貫いてきてる。それが決まりごと。
天子に対し、天子として接してきてそれに応じてしまえば
それは、礼として対等になるんだよ
自分の部下が対等である相手の長と接する時に
下座にいくのは常識 アホ
196 :
日本@名無史さん:03/09/16 09:12
>>195 光孝天皇が唐の使者の下座についた事実はどう説明するの?
日本は中華という制度を知っていたのだろうか?
中華からみて臣下の行動でも、日本にはその気がなかったという可能性はないのか?
形式だけとって、後の便宜を図ったとも言えるかも。
少なくとも日本は中国を宗主と仰いだことはないはず。
小野妹子が隋に言った時代から、中華の皇帝は他国の他人だったでしょう。
>>193 教わったのではなくて、学んだのかもよ。
200 :
日本@名無史さん:03/09/16 10:38
「日出づるところの天子」という書きぶり自体が国際常識への無知のため、という説もあるけどな
日本は冊封体制に入らないことを許容してもらえた。しかし、朝貢形式は最低条件。
煬帝が怒った607年の「天子」国書使節さへ、「隋書」には「倭が朝貢に来る」と記され
ている。しかも、608年の国書で「天子」は訂正し、へりくだっている。
2年連続は異例。日本はちょっとあわてていた。
遣唐使は、「唐書」では、すべて朝貢形式になっている。
藤原清河らが、新羅の使節と唐の宮廷内における席次を争った話は有名だが、
新羅より同列以下を指示されたのでケンカになった。
つまり、新羅とそんなに区別されてなかったってことだね。
そもそも、遣唐使は「天皇」と名のったことはありません。
「日本国王・主明楽美御徳(スメラノミコト)」です。
皇帝の下の国王と名乗ってます。
当時、朝貢形式以外で、唐と交流は不可能です。貿易・文化吸収ともに不許可です。
702年の大宝律令を見せに行ったといわれる遣唐使と、
804年に空海が、藤原葛野麻呂がなくしてしまった国書がわりに、流暢な漢文
を書いたら感心され、追い返されずに上陸できた遣唐使、
などは国書を持っていったといわれるがどうなのかね。
国書携帯の件は、意見が分かれてるようだね。
>宋の朝貢
「明州刺史から後白河法皇と清盛に書状と品物が送られてきた」
この事を指しているのかな?
明州とは、一つの地方。刺史とは地方官、宋代では地方軍の高官。
平安期中期以後、中国製品の需要は朝廷を中心に大人気で、大宰府が不正を
するので、貿易港は西日本各地に広がっっていた。
その上で、宋の一地方の高官がさらなる利益を求めて書状と品物を
送った、これが朝貢だという普通の歴史書はないが?
イスパニアの件も、朝貢とは普通は言わない。
唐に対して「天皇」という言葉は使ってないし、使えませんでした。
「日本国王」です。
「天子」という言葉は、煬帝に怒られてから(あきれられた)使ってないし、
使えてません。このときの返事は、小野妹子は百済人に取られたといってるが、
通説では自分で捨てただね。
翌年から、ウマヤドの皇子(聖徳太子)は「天子」という言葉を二度と使っていない。
東アジアの国際ルールが理解できたってことだね。
>自分の部下が対等である相手の長と接する時に
>下座にいくのは常識 アホ
天皇の勅は、遣唐使上層部が朝貢使として臣下の礼をきちんととるよう
にということ。
日本国使節が唐に行くと、皇帝に臣下の礼をとる。皇帝は絶対に下座しない。
唐国使節が日本に来たとき、天皇は下座した。
まあ朝貢したのはたしかだからタイトルは正解なんだけど。
だから何ってかんじだよ。
「朝貢した」ただその事実があるだけ。
その事実から何を妄想しても構わないが妄想は妄想ってこった。
206 :
日本@名無史さん:03/09/16 11:56
>>202-204 つまり、天皇というより日本国王の呼び名のほうが歴史的に見て正しい。
と、裏付けたいんだろ?
207 :
日本@名無史さん:03/09/16 12:05
このスレもそうだけど、日本史板には政治的な思惑の臭いプンプンなスレが沢山。
208 :
日本@名無史さん:03/09/16 19:27
どうも、議論が平行線に見えるのは俺だけかな?
お互い思い込みを伝える前に整理したらどう?
1・日本は国書を遣わさない方法で対処したという一般的な説があるのに、
日本は、唐に対しては、天皇ではなく国王を使ってた
というのはどちらかに矛盾がある
2・天子宣言して国交を開始できた時点で対等関係だが、
天子ではなく東天皇と訂正したら、それは謙るように訂正したこととなるか?
3・光孝天皇が唐の使者の下座
ポイントはこれだが、有名じゃない話なのか、
ネットでは検索できないので、対等派が納得しない
209 :
日本@名無史さん:03/09/16 19:36
>>206 それは邪推というものだろう。考えすぎだよ。
>>208 おお。漏れが言おうと思ってたことよく生理してくれた。
お互いにもちついて良スレにしていこうよ。
211 :
日本@名無史さん:03/09/16 19:54
212 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:07
>>210 ここって、よく上がってる「日王が皇帝っておこがましい」の兄弟スレだろ?
良スレになるわけねーじゃんw
213 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:08
結局、
>>205の言うことが正しかろう。
天皇は日本国王として唐の皇帝に朝貢していた。
それだけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。
214 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:25
215 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:30
216 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:34
>>215 日本は唐の属国ではなかったということなのれす。
217 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:35
>>216 唐の属国ではなかったことを自慢の種にしてもむなしいだけだよ。
現代とは違う国際秩序のなかでの話なんだから。
218 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:44
いまだってアメリカの属国同然なのに、
古代に唐の属国だったことを恥じても仕方あるまい。
むしろ米軍が本土に駐留してる分、現代の方がミジメだよ。
219 :
日本@名無史さん:03/09/16 20:49
日本は唐の国に負けたので、唐には頭が上がらないとおもう、その内
唐が内乱で可笑しくなったので、又日本が持ち替えして来たのでないかな。
220 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:15
221 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:22
222 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:24
223 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:26
>>222 表向きは対等なんだからそれでガマンしなきゃ。
224 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:27
日本ネオコン大帝国を希望しておるのがいるな。
225 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:28
>>222 まぁ世界中がアメリカの属国だからなぁ〜。なんとかなんないのか?
光仁天皇の下座と唐への「日本国王」号使用は出てるよ。
隋・唐に朝貢はしてるが、属国や冊封体制には入ってない。
倭の時代と、室町時代は朝貢かつ冊封体制に入ってた。
●「日本の律令国家の「賓礼」--外交儀礼より見た天皇と太政官」
田島 公(著) 雑誌名「史林」 出版者・編者 史学研究会 / 史学研究会 〔編〕
巻号・年月日 68(3) [1985.05] ページ p369〜420
●「古代日本の対外認識と通交」森 公章 (著)¥7,500(1998/04)
第1部
古代日本の対外認識(天皇号の成立をめぐって―君主号と外交との関係を中心として
古代日本における対唐観の研究―「対等外交」と国書問題を中心に ほか)
第2部
外交政策と通交(耽羅方脯考―八世紀、日本と耽羅の「通交」
古代耽羅の歴史と日本―七世紀後半を中心として ほか)
第3部
外交儀礼(古代難波における外交儀礼とその変遷大宰府および到着地の外交機能)
●「日本の歴史05」講談社・坂上康俊(著)2001年3月
「然(ちょうねん)が、983年に宋に入っている。
従来は巡礼のためと理解されていたが、石上栄一氏の10世紀の外交分析
の中で、これは宋を中心とする国際秩序の中に日本は自らを位置づけた
ことと理解されている。
都に行き、太宗に朝見して、日本の風土や皇統を述べている。
これは、朝貢にほぼ準じた行為であり、「宋史」491巻の日本国伝の書き方からは
宋側からは、朝貢と受け止められている。
寂照も、また真宗に親謁している。
10世紀後半でも、朝貢していた可能性がある。
石上栄一「日本古代10世紀の外交」(東アジア世界における日本古代史講座・7)
学生社
229 :
日本@名無史さん:03/09/16 21:49
__,,,,_
_.. -´´  ̄`ヽ,
`ー ''"--―〃 _,ァ---‐一ヘヽ < >
`ー--―― /´ リ} < い ざ 開 戦 !! >
`ー-- 〉. -‐ '''ー {! < >
` | ‐ー くー | ∨∨∨∨∨∨∨∨
ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'} _.. ‐ァ=r‐''⌒゙二ニ二つ
ヽ_} ト‐=‐ァ' ! _. -‐ '"´ l l r} } }l
ゝ i、 ` `二´' 丿 __ . -‐ ' "´ l ヽ 、 ヽ_ノノ
r|、` '' ー--‐f´-‐ ' "´/`゙ ーァ' "´ ‐'"´ ヽ、`ーテヽJ
_.. -‐''フ|フヽr-‐ ''''フ. ̄「´ / / __.. -'-'"
. ‐ '7 く/|」-rへ. / l l / . -‐ '"´
皇太子が米帝へ宣戦布告した!各自開戦準備をしてくれ
230 :
日本@名無史さん:03/09/16 22:19
231 :
日本@名無史さん:03/09/16 22:20
>>227 室町時代に日本が冊封体制に入ってたとな?
唐 ・玄宗皇帝 から、第9回遣唐使に渡された聖武天皇への手紙には
「勅 日本国王 主明楽美御徳 (すめらみこと)」と記されている
>>231 実質は違うけど、形式的には、そうなっちゃうらしい。
倭の女王卑弥呼が曹魏朝から「親魏倭王」に封ぜられたり、足利義満が
明朝から「日本国王」に封ぜられたのも冊封の例になる。
(某歴史事典・池田 温氏)
明とは150年間、19回の貿易を行っているが、朝貢形式。
234 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:04
>>233 実質と形式とを区別することにさほど意味があるとは思えないが
235 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:14
素直に中国の属国だったって認めちゃえYO!
236 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:21
>>228 民間人が有利に取り計らってもらうために朝貢使を偽装した可能性もあるが。
237 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:30
素直に中国の属国だったって認めちゃえYO!
あのブタ野郎(中国)が来い来い、としつこく言うから、遊びに行ったら、
『朝貢国になってくれてありがとう』とか言うんだよ。
たくさんお土産くれたから、その時は何も言わなかったけどさあ、
正直あのブタ野郎は嫌いだね。
図体ばかりでかくて喧嘩は弱い。能書きばかりで何もしやしない。
派手好きなくせに風呂にも入らねえ。
ああそのうちぶった切ってやるよ。
239 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:47
>>233 足利義満が勝手にやってたことなんだよな。
だから本人が日本国王になってる。
240 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:53
241 :
日本@名無史さん:03/09/16 23:59
>>238 当時の日本周辺で、貿易する価値がある国って中国くらいだよな。
狭い民族意識で、貿易拒んでいたらまずかっただろーな。
242 :
日本@名無史さん:03/09/17 00:05
>>237 必死に短絡しとるな。
大きくいうと、中華の冊封体制から脱却してきたというのが中華−日本の
国際関係なんだな。
そうでなければ、いまごろ朝鮮と同じく儒教国になっていた。
243 :
日本@名無史さん:03/09/17 00:30
キムチ臭い香具師がいますね…
244 :
日本@名無史さん:03/09/17 00:41
>>242 微妙に違うが、武士道も儒教の延長だろう。
いまだに安岡正篤の陽明学を有り難がる連中はどうなんだ?
>>241 貿易なんぞ勝手に商人が手広くやってますが、何か問題でも?
『狭い民族意識』は、大陸の田舎ものと半島の阿呆に言っておやりなさい。
海からはいろんなものが出入りするので楽しいです。
246 :
日本@名無史さん:03/09/17 00:53
>>244 それは文化の輸入。明治以降西欧文化がどっと輸入されたが、西欧の属国
ではなかった。それと同じ。陽明学は江戸時代に先進文化として輸入され、
三島由紀夫まで続いた反西洋派の遺物。
政治的冊封体制とは異なる。
247 :
日本@名無史さん:03/09/17 01:00
このスレには島国根性の悪い面が出ているなあ
もっと、謙虚に、中国、朝鮮から
日本はたくさんのことを学んだ史実を
認められないものかね
248 :
日本@名無史さん:03/09/17 01:05
漢字の起源は日本だとか言い出すヤツ出て来ないのか(w
>>247 そうやって中国と朝鮮とさりげなく対等にならべてしまう粗雑な物言いが
一部の反感を買って話がこじれる元になっているのがわからないかね?
250 :
日本@名無史さん:03/09/17 01:32
結局、朝貢したのは、遣隋使、遣唐使時代、室町時代の勘合貿易だけか?
中国側としては自らの文物を教えて頂きたいと乞う相手を対等と見なさないし、
日本側も自らを教わる側と認めていた。君臣関係と言うより実質的には師弟関係
と表現した方が近い。
中国と半島の関係については知らんが。
>>247 日本によって近代化され、ハングルを国字として普及させ、
移民を受け入れてきた日本に対する認識を半島民は半島根性
を捨てて受け入れていくべきだと思うけど。
あと、半島の中国に対する認識も逸脱しすぎているよね。
半島民は半島根性を捨てて中国から殆ど全てのものを学んだ史実を
きちんと国史で教えていくべきだと思うよ。
253 :
日本@名無史さん:03/09/17 04:16
>>251 では逆に聞くが、日清戦争以降、中国の知識人は日本からさまざまなものを
学んだ。有名なのは周恩来、毛沢東などは日本語のマルキシズム文献を通じて
コムニズムを勉強した。亡命革命家たちは、日本人を兄と呼ぶ者までいた。
また「改革開放政策」を実現するに当たっては、日本の法律をすみからすみまで
研究し、それを部分的に取り入れた。
その現代史において、日本と中国が師弟関係にあり、国家間において日本は師、
中国は弟であったと主張するのか?
普通、島国根性とは悪い意味で使われるが、
日中間の関係で言えば、島国であったからこそ、互いに付かず離れずの適度な関係でいられた。
意味が分からないからすぐに日本海を渡って中国に聞きに行く、というわけにはいかない。
渡来した文化は自分達の手で改良し、その意味を熟考する必要があった。
その意味で言えば、島国根性は必ずしも悪い意味とは言えないのかも知れない。
この点、朝鮮半島の諸王国とはあきらかに違う。(若干司馬風)
>>253 「経済」「革命」などと近代的意味を持った表現も日本からの「逆輸入」であり、
共産化以降はソ連をモデルとして国家建設を目指した。
近代以降の中国は国際的には「学ぶ側」に立ったことは紛れも無い。
韓国も日本文化解禁になったやん。
257 :
日本@名無史さん:03/09/17 19:40
共産主義に飲まれるような国は所詮ゴミ国家。日本も人の事いえんか…ハァ
遣唐使がとの朝貢使節と名乗ってたとか、上表形式の国書をもっていったらしいとか、
天皇が唐の使者に蛮国国王として下座したようだとか、書いてある安い本があった。
「東アジア世界と古代の天皇」石井正敏、山川出版社の日本史リブレット14、「800円」だ。
259 :
日本@名無史さん:03/09/18 11:13
260 :
日本@名無史さん:03/09/18 12:25
>>227 おいおい、それって出典じゃないじゃない。
結局、
光仁天皇の下座、って 日本側の資料にない ってことでいいの?
唐への「日本国号」も
>>232 だと、唐から天皇への手紙 という事でしょ。
朝貢史観の主張って、肝心のポイントを誤魔化すんだね、
後ろめたいの?
日本側が古くから天皇と名乗ってるのは、宋書をみても明らかなんだしね、
中国と日本がそれぞれ相手に不遜な態度をとってた ってことだろ
261 :
日本@名無史さん:03/09/18 12:58
「なあなあ、聞いたか?東の海の果ての酋長が天子とか言ってるらしいぞ」
「はぁ?マジでか?田舎もんはしゃーねーなー。ははは」
「ほんとほんと。あれじゃないか?漢書に出てくる夜郎みたいなもんか」
「いやまじで。そっくり。可愛らしいねぇ。」
「なんかそいつら天が兄貴で太陽が弟とかいってんの。もう見てらんない」
「は〜、道理にあわんなぁ。ちょっくら奴等に正しい道でも教えてやるか」
「ちょっちゅねー。うちに朝貢してきたりと可愛らしいもんだしな。」
「文明ってやつを教えてやんべ。がはははは」
262 :
日本@名無史さん:03/09/18 13:11
日本も、相手が漢だったら朝貢しただろう、
朝廷の教育係の漢人の意向が、全く違うものになっていたはず。
けれど、隋や唐は当時の漢人にとってその後の元と同じようなもんだからね
日本にしても、頭っから対等だと思ってる節があるよ。
漢が崩壊した後の隋に、最初っから天子宣言したのが大きいね、
263 :
日本@名無史さん:03/09/18 13:15
日本は朝鮮の弟だからな
264 :
日本@名無史さん:03/09/18 13:38
元寇の時に日本の対応を見ると、
10世紀くらいのときの日本の俺様モードはすさまじい
朝鮮王は、フビライに天皇が中華先代の隋帝への天子宣言を
した事を伝えて、屈服させるのは難しいと言ってるんだよね、
自身は元体制に屈服させられたが、日本が元からの手紙で屈服することなど
ありえんと思ってる。 日本は、朝鮮王からの添え状付で、
「朝鮮を征服した元が、日本と交易をしたがってるのでしてください、
しないと、日本はどうなるか判らんよ」という手紙を送ってるんだが、
日本は、「神帝を戴く日本に無礼だ!」と内容より文章の無礼さを理由に
なんと、無視。 返事すらださない。 無礼な手紙に返事を出す事自体が
ゆるせんと・・・ 以降、交易を望む元を6年間に渡って無視し続ける日本。
元は滞在する対馬の民を元に連れて行き「歓待」そこまでしておかせて
日本側・・・・無視・・・理由・・・ 神国への手紙としては無礼
フビライ・・・返事すらない理由が理解できず
怒られる朝鮮王・・「私もなんで返事すらもらえないのかさっぱり・・・・」ショボーン
これが、元寇の原因なんだから笑える
265 :
日本@名無史さん:03/09/18 13:39
もうかれば お客様です
わすれてはいけませんぞ 町人国家
266 :
日本@名無史さん:03/09/18 13:53
で、2度にわたる元寇なんだけど、
2回目の時は、アジア史上最大の大船団
1度目の失敗を超えて数年越しの大戦力
元軍+朝鮮軍+漢軍+南宋軍、が、5000船
半島方面と、江南方面から、日本攻略に出陣!
フビライは、ぜーーーーたい日本を落とせと、言明。
よく考えると、東アジアの勢力がそろいも揃って、
一斉に日本を攻略しようと、がんばった10年だったんだけどね
俺様モードの日本を落とすのは全く無理だった。
267 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:00
2回目の時は、朝鮮王だけでなく、宋からも
「南宋も元に征服されてしまいました、日本も危険なので
交易に応じてください、それに元からの手紙に返事をしないってのは
あまりに無謀だ・・・・」 と元の使者に宋からの添え状を送って日本を説得。
それに対して日本の返事、
たく、おまえら くどいね、 返事なんてやらん、
返事はこれだ! と 元や宋の使者ならべて晒し首。
元・・・またしても返事もらえず・・・・
フビライも怒り狂ったことでしょう。
それにしても、朝鮮も華北も江南も支配した元に対してこの反応。
日本が、アジアでどれだけ俺様モード だった事か・・・・
日本が朝貢? はいはい礼儀正しいだけでしょ
268 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:12
>>267 >礼儀正しいだけ
「朝貢」というシステム自体が中国の「礼儀世界」の秩序付けの一つ。
つまり中国に対して「礼儀正しい」国は朝貢するし朝貢した国は礼儀正しい。
「礼儀正しい」「朝貢をした」事により日本は中国から見た「礼儀世界」に
組み込まれているのだよ。勿論それは「属国になった」って意味じゃないよ。
朝貢(貿易)があったという事実に対して関係のないことを並べ立てて
だって、とかでも、とか繰り返して何を言いたいんだろう?
269 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:23
>>268 朝貢という意味に、属国の雰囲気をこめる場合が多いんだよ。
だから、朝貢=属国じゃない と当たり前の事を言っても、
言葉遊びの言い訳 ととられる。
270 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:27
>>269 現に言葉遊びの言い訳なんだから仕方あるまい。
271 :
日本@名無史さん:03/09/18 14:32
>>270 そうそう、だから実態として元寇のような事例を出さないと、
凄いのに驚異的に礼儀正しい奴=日本
という本当の姿は、
頭を下げる=屈辱
としか理解できないイワユル 礼儀知らずのガキには伝えられない
>>261 >東の海の果て
華夏では、蓬莱、扶桑なわけだ。
一ひねり欲しいな。
「朝貢=属国ではない」。
これを言葉遊びの言い訳ととる奴はただの物知らず。
秦漢の頃と隋唐の頃と明清の頃では
朝貢と、冊封(属国かいなか)の関係はどれもかなり違う。
中国四千年の間、朝貢のもつ意味が一貫してぜんぜん変わらなかったかのような
単純な議論する奴はバカ。
★亀井氏、「天皇は江戸城から移っていただく」
・自民党総裁選に立候補している亀井静香氏は17日午前、党青年局主催の
討論会で首都機能の移転について「首相になったら(天皇には)故郷の
全羅北道にでもお移りいただく」と述べた。
理由に関しては「天皇は朝鮮人の末裔で朝鮮人そのものだ。そういう方に
権力の象徴である江戸城に入っていただいたことは間違いだ」と説明した。
横レスだけど。
>>260 >光仁天皇の下座、って 日本側の資料にない ってことでいいの?
というか日本側にしかない。『大沢清臣本壬生家文書』という古文書。
壬生家に伝わり、幕末の国学者大沢清臣が所蔵していた。原本の所在は
現在不明で、栗田寛『栗里先生雑著』巻八、『古事類苑』外交部に引用される。
『古事類苑』なら大きな図書館にいけば大体あるんで、見ようと思えば誰でも見られる。
内容は、唐使の応接をめぐって、事大主義的に臣下の礼をとるべし(天皇の下座ないし
使者に対する北面)とした石上卿(宅嗣か)に対し、「余」と称する人物(姓名は不明)
が、新羅、渤海などと同様に蕃例をもって扱うべしと反対したが、結局天皇は唐使に
対し下座してしまい、これに憤激した「余」が後世のために記したというもの。
東野治之はこれを「外国の圧力に屈して開国した江戸幕府に対する非難を、
古代の事件にかこつけて表した幕末の国学者の述作」と述べている。
これに対し、坂上康俊は、「もし幕末の国学者が創作したのであれば、
天皇が外国使節に対して御座を降りたという、『続日本紀』にも見えない
不祥事を敢えて偽作したことになるが、これは考えがたいことである」と反論している。
276 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:22
前近代と現代とでは「属国」の意味合いも違うだろ。
属国だから恥だ、という発想法自体がおかしいんだよ。
277 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:33
大体、敗戦でアメリカに占領された時点で「不敗神話」は崩壊してるんだから、
歴史上、他国に服属したたことがないなどと誇っても仕方あるまい。
278 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:37
いまなお日本本土に米軍が駐留している事実は、
現在も軍事的には占領状態にあることを表している。
過去の遣唐使の儀礼などより、こっちの方がよほど屈辱的だな。
マトモな独立国なら首都の近辺に外国軍隊など駐留させんぞ。
279 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:40
ネトウヨや天皇オタクは精神構造がおかしいね。
大昔の遣唐使のことには文句をいうくせに、今現在のことは文句を言わない。
どう考えても、いまの方が外国の属国状態だろうがw
280 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:48
>>279 >大昔の遣唐使のことには文句をいうくせに、
>今現在のことは文句を言わない。
ここは日本史板なんだがなにか?板違いな煽りはみっともないよw
281 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:52
でも、客観的な歴史を語るというより、
歪んだ国粋主義や愛国心にとりつかれたウヨが「朝貢」に拒絶反応示してるんだろ?
現代のナショナリズムで過去の歴史を語っているのはウヨや天オタの方だよ。
282 :
日本@名無史さん:03/09/18 20:58
>>281 天皇が唐に朝貢していたのは事実だろ。その事実関係に争いはないよ。
283 :
世界@名無史さん:03/09/18 21:27
>>281 なんか無理矢理喧嘩ふっかけてない?
遣隋使や遣唐使まで剥きになって否定する
輩はおらんと思うがね。どこかの国と違って。
284 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:10
そうそう、学術的に考えよう。
漢に対して、臣であった日本は
なぜ、隋や唐に対しては対等であったのか・・・
285 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:33
学術的な発見としては、
相手の国の使いが、自国へ礼を尽くす場合、
その礼を、朝貢と記録してしまったほど、
実は田舎ものだった唐の姿だろう。
天皇号を使う日本との交易に関して・・・
唐皇帝 「い・・・いや、天皇は皇帝とは違うだから朝貢なのだ!」
宦官「え・・・唐の高祖は確か、天皇こそ宇宙の皇帝の称号だということで
天皇を名乗ったんじゃ・・・・」
唐皇帝「そ・・・そんなばかな・・・いや、俺はもう天皇は使ってない、
だから、相手の国が天皇でも、朝貢に違いない、
げ・・・現に相手の国の使いは・・礼儀正しいのだろ!・・・」
宦官2「はは・・それは相手の国が古の礼節の国、日本だからですよ」
バコーーーン・・・・・ 宦官2 宦官1にぶっとばされる。
宦官1「そうですとも皇帝、朝貢ですよ朝貢、皇帝の栄光に引かれてやってきてるのです」
唐皇帝「あ・・・そうだよな、そうだよな、うんそうに違いない。
その・・・日本の使いを厚遇して、大唐の偉大さを理解してかえってもらおう、な」
哀れ・・・・・・大唐皇帝・・・・
286 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:36
学術的には、遣唐使は朝貢使だったという事実があるだけ。
議論の余地はない。
287 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:37
288 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:39
>>287 これ以上何を議論するんだ?
遣唐使は朝貢の使い。光仁天皇は唐の使者に臣従の礼をとった。
それが事実だろ。
289 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:45
290 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:48
291 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:51
中原の王朝に使いを出すと、向こうは朝貢としてしまうのだから仕方が無い。
中原の言い分をすべて飲めば、異国の使者はすべて中華への朝貢の使いとなってしまう。
292 :
日本@名無史さん:03/09/18 23:53
>>291 現に朝貢の使いなんだからしょうがねえだろ。
日本は唐に朝貢して臣従してたの。わかった?
「朝貢」がなぜ属国かどうかと別問題なのかといえば
朝貢が国家間関係じゃないから。
294 :
日本@名無史さん:03/09/19 00:13
>>292 朝貢=臣従って思ってるの?光仁天皇を含む天皇は誰も印綬されてないよ。
日本の朝貢は交易が目当てであって柵封を受けるためじゃないことを考えないと。
295 :
日本@名無史さん:03/09/19 00:22
>>288 ぷっ 150年前に発見されて、既に原典がないという
偽書中の偽書を根拠に何アホなこといってんの?
それを、原典を隠して、200レスも
下座した事が事実であるかのような・・・・アホちゃうか全く
天皇を名乗ってる国と国交を開始してる時点で、
唐は完全に対等だと認識してるに決まってるだろ、アホくさ
296 :
日本@名無史さん:03/09/19 00:31
唐の認識は「日本国王スメラミコト」だろ。
>唐国使節が日本に来たとき、天皇は下座した。
>唐からの使者に天皇下座の件もいきさつが「日本書紀」にある。
このスレの当初からしきりにこれを繰り返している人が約1名いるが、
政治の匂いがプンプンする。
本当に日本書紀に記述されているの?
298 :
日本@名無史さん:03/09/19 00:57
299 :
日本@名無史さん:03/09/19 01:07
300 :
日本@名無史さん:03/09/19 01:08
>298
偽書かよ!しかも150年まえかよ!幕末かよ!
150年前の事情のほうが興味あるな。
301 :
日本@名無史さん:03/09/19 01:51
それにしても、元寇の時の日本側の無視ぶりと、
朝鮮の狼狽は笑えるね、
それに、宋に対する態度から当時の大陸文化と日本の姿勢がわかる。
戦争になりそう・・・・南宋から、高僧を続々と日本に呼ぶ。
南宋との交易もガンガン続ける。
南宋の将軍から使いが来ました→ ぶった切られ晒し首
交易や文化を輸入することと、政治は全く別なのが良くわかる
302 :
日本@名無史さん:03/09/19 02:08
>>297 んなもん日本書紀にあるわけない。
っつうか光仁天皇記が日本書紀にあると
思って吹いてまわってる時点で電波とさえ言えない厨房
>>300 全ての歴史は現代史。歴史は5代150年で作られるという法則がある。
書紀だって選別したのは明治天皇自身なんだよね。(明治5年)w
「続日本紀」などに出てるね。
1、
宝亀十年四月。
中国使節到着。前後に旗を立て、武器を持ち行進。大宰府は京都に対応の
指示を仰ぐ。朝廷は、新羅や渤海の使節とは違う対応をするように指示。
2、
天平勝宝6年正月。
「百官・諸蕃朝賀す」と遣唐使が自らを蕃国として朝貢してきたと朝廷で明言。
3、
「日本後紀」延暦24年6月
「卿ら、本国の王命をふくみて遠く来たりて朝貢す」と唐皇帝の言葉を使い報告。
4、
円仁「入唐求法巡礼行記」(承和五年九月条)
「日本国朝貢使」と称して唐で行動
306 :
日本@名無史さん:03/09/19 10:39
では、
>>305の内容について吟味しながら語り合ってゆきましょう。
>>元
元からの国書は服従せよという印象の内容だからね。返事は出してない。
何度目かの手紙の時は、朝廷が返事を出そうとして、幕府に止められてたような気が。
>戦争になりそう・・・・南宋の将軍から使いが来ました→ぶった切られ晒し首
切ったのは1279年で、文永の役の後。切られた正使はモンゴル人。
「正使はモンゴル人で礼部侍郎(文部次官)の杜世忠、副使は漢人で兵部
侍郎の何文著、それに通訳として高麗人の徐賛、他にウイグル人二名が
加わり計五名」
江南からきた人が切られたのは、南宋滅亡後。
308 :
日本@名無史さん:03/09/19 12:35
309 :
日本@名無史さん:03/09/19 15:32
310 :
日本@名無史さん:03/09/19 16:41
311 :
日本@名無史さん:03/09/19 19:38
>>305 これ使者の言動しかないけど、それに対する天皇や朝廷の反応はどうなの?
これだけだと単に便宜的に方便を使っただけとも取れるわな。
>>311 続日本紀などには、対唐外交のポイントとなる記事は一切書かれてない。
新羅からの結構失礼な手紙は載せているのに、唐からの返書は一度も載せてない。
唐側の記録だと、「日本国王スメラミコト」あてで返書している。
載ってない理由は、対中国への態度を紀が隠しているとしか考えられない。
わかってることは、第二回遣隋使に煬帝が怒ったこととと、唐の太宗の使者
「高表仁」と倭の王子が632年に礼を争い、高は怒って使命を述べず帰ってしまったこと。
これ以外は、中国側が怒ったことは中国側の記録にない。
日本側はこれも記録に載せていない。
常識的な判断では、これ以外は、日本が朝貢の礼をとったということ。
宝亀十年(780年)の中国使節来日は、双方にもめた記録はない。
日本側が礼をとったのでしょう。
「続日本紀の宝亀7(776)年4月15日条」だと、
天皇が遣唐使大使と副大使をわざわざよんで、もめないで行動してくるように
と直接に指示してる。
新羅には、席次で負けるなとは言っても、もめるなとは言わないだろうから、
唐に対しての礼をきちんとするようにとしか考えられない台詞ではある。
当時、日本国内では中国の中華思想のまねで唐を蛮国扱いしてたが、
実は、唐では日本は蛮国扱いされているというのは、最高機密レベルだったらしい。
314 :
日本@名無史さん:03/09/19 21:06
>>313 >日本は蛮国扱いされているというのは、最高機密レベルだったらしい。
らしいって?誰がそんなこと言ってたの?
続日本紀でわかるでしょ。
昔からよく言われてるよ。
最近では、古代史専門の坂上康俊氏や石井正敏氏らが同じような事を言ってる。
316 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:15
他国に行ったら、礼を尽くすのが古今東西文明国なので、
礼儀正しい日本はまさに、東方の礼節の国だった。
極めて大事なことは、国主と国主は
天子と天子の関係であったということ。
日本が蛮国扱い? とんでもない、唐は日本を驚愕の目で見てるよ。
遠方から礼節をもって度々訪れ、遣唐使の阿倍仲麻呂にいたっては、
言葉の問題を超えて 科挙 に合格して日本人でありながら
唐の高級官僚になってしまった。 礼節の国=日本
このころは代名詞になっている。
317 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:21
唐も日本も、
ともに仏法道教儒教を尊び
ともに非漢でありながら、漢化することをよしとして
ともに中国として天子を擁立している
ほんまのライバル関係だったね
318 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:25
>>316 バカウヨ、必死だな。ムキになって朝貢国であることを否定するから、
>>281のような批判をされるのだ。
319 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:47
>>318 まあまあ、そんなにムキにならないでね。
朝貢って贈りもののことだからさ、部下からも来るんだけど、
自分より大きな取引会社からもくるんだよ、知ってた?
320 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:48
321 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:50
どっちかというと、ウヨの学者は朝貢していた義満とかボロクソに言っているわけだが。
322 :
日本@名無史さん:03/09/19 23:51
チョン、さっきからすごいレスポンスの速さだね 藁
323 :
日本@名無史さん:03/09/20 00:07
>>316 >天子と天子の関係であったということ
さすがにそれはないんじゃないかな。
あくまで形式的に、だけどやっぱり朝貢ってのは下から上に、でしょ。
どの国もそれを承知した上で形式的に謙っている。
それがわからずにDQNかました最初の文明国がイギリス、と。
324 :
日本@名無史さん:03/09/20 00:38
>>323 ??? むしろ 天子と天子 それが常識じゃないの?
そうじゃないって、このスレの異説の人のように
末梢な事象を史書から目を皿のように探し出さなければ
覆せないくらいなんだから、
中国さくほう体制下で、天皇を名乗る国と
仲良く国交してるんだから、しかも先代の隋帝への天子宣言は、
後代の世でも、大陸で有名で知らないことはない。
上下関係をお互いが意識してたなんて、ありえない。
朝貢ってのは、礼儀の一貫
逆に聞くけど、相手の国に世話になりに行くにあたって、
手ぶらで行くような国があるの?
それも失礼だなーとお土産もって行く事を「朝貢」以外に
表現してる適切な表現が、中国にあるの?
ないでしょ、 朝貢は国家の上下を表してない
それが証拠だよ
325 :
日本@名無史さん:03/09/20 00:45
中原の覇者だからこそ、異国から『朝貢』を受けるというよりも、
中原の覇者になるために、異国からの使いを『朝貢』として振舞うのではないの?
逆に、中原に使節を送って、朝貢ではなかった例はどれくくらいあるの?
>>324 いやさ、俺も良く知らんのだけどね。
唐代とか時代を限定しない話でね、朝貢ってのは中国から見た
中華世界に参加しますよって意思表示って意味を持つんじゃないかと思って。
で、中華世界ってのは皇帝を頂点とした社会で、それに並ぶものがあっては
いけないとされていると。
それを考えたら、中国から見れば朝貢国は中華のの徳をしたって
朝貢して来たかわいい奴等だってことになるんじゃないかって事。
日本からの視点については考慮に入れてませんのであしからず。
>>325 『魏書』なんか見るとまだ漠北にいて
たいしたことのない勢力のうちにもすでに
中原の大国から使者が派遣されたことを
「使いを遣わせて朝貢す」
ってな記述になってますね。
つまり「正統」とされる王朝に対して使者を派遣すれば
後の世には「朝貢」と取られているんでしょう。
328 :
日本@名無史さん:03/09/20 01:05
>>322 こいつは各板で日本誹謗のカキコしまくりで
議論になるとすぐ相手の人格攻撃かレッテル張りで
相手怒らせようとする朝鮮人だから放置推奨で。
ついでに今ちょっと見てみたけど『隋書』東夷伝には
倭国の長が「天皇」と称したことは記述されていませんね。
『旧唐書』東夷伝には「天皇」と称した事は書かれていても
日本の長を「王」として記述しているところから唐から見れば
「天皇」とは自称しているものの実際には「王」である、
との見解だったとも思えますね。
330 :
日本@名無史さん:03/09/20 01:37
323さん
ご指摘のとおり、朝貢は正統国への周辺国からの贈り物を表現する
言葉であって、それが対等な国交であっても、一番偉い国は自国であると
いう前提で朝貢と表現するって事です。
日本と唐は対等の国交でしたが、先方からみたら朝貢となるのです。
日本は中国の朝貢国だった というスレタイは
日本は中国の周辺国だった というスレタイと 同義語であるにもかかわらず、
あえて、周辺という言葉を使わず朝貢という言葉を使い、意味に
属国という印象を付加しているわけですね。
隋も唐も、日本が天子ないし天皇と表してる事をしっていますので、
それで国交を開始していればそれで対等です。
否認したければ、国交を開かなければいいのです。
それなら、日本が勝手にほざいていたということにもなります。
ちなみに、天皇は中国からの朝貢を受けない事がしばしばでした。
理由は、文面が非礼だからです。 元の通称希望もそう、
受けたら認めたことになるのです
331 :
日本@名無史さん:03/09/20 02:10
相手から見る歴史と、こちらから見る歴史とは、おのずから違うのは
当然で、あとは、権力者が書いた公式な歴史書物からではなく、実際に
行なわれた、異文化との戦争記のほうが、価値があると思うのですが。
現に、元寇の時代は日本は中国の東方部とは接点が無くても自立して
国を営むことが出来たわけだし。
極論すれは、中国のご機嫌を取る必要が無くても自前で経営できた時代だんでしょ。
ただ、時代が進み、交通手段が進歩すれは、異文化との交流が進み、
敗退すれは、属国となる、まあ、日本は地理的に良い位置にいたと言うだけです。
朝鮮の人に自慢してる、わけではありません。
332 :
日本@名無史さん:03/09/20 08:24
>>331 おいおい、中国のご機嫌をとったのは、倭の五王の時だけだよ。
日本になってからは、一度もない。
8C頃、金鉱が出てからは、世界一の裕福国
12Cには、黄金の国ジパングだろ
19Cまで、世界一の金産出国は日本だよ
人口も、常に朝鮮の10倍、
紀元前の遺跡や遺構の後も、朝鮮とは比較にならない
つまり、紀元前から集落人口 アジア有数。密度は常に一位
歴史上唯一、1万年前から現在まで集落として継続している地域
朝貢は何度もいうように必ずしも国家間関係を規定するものではない。
ただし、「上下関係ではない」というのは間違い。上下関係を規定するものではあるのだが。
334 :
日本@名無史さん:03/09/20 09:59
天武朝当時、
朝廷を文化啓蒙していた漢人達が、
唐を中華正統と見ていたかどうかが実際の分かれ目だな、
多くが、南朝圏からの漢人だからねー
仏法、道教、儒教は欲しても
隋や唐の皇帝を認めているとはとても思えないなー
唐が案外長く続いて、漢人もそのうち
中華正統と諦めた可能性もあるが
あくまでも形式的な上下関係ね。
まあ儒教にしろ中華思想にしろ、形式的なものですよ。
特に中華の手が届かない辺境に置いてはね。
336 :
日本@名無史さん:03/09/20 11:22
漢だけでも、800年続いたからね、
漢帝が消えて100年位たっても、 日本にいる漢人は
唐帝をただの野蛮な帝くらいにしか考えてないだろうな
そんなんで、遣唐使も廃止したんだろう
337 :
日本@名無史さん:03/09/20 12:03
>むしろ 天子と天子 それが常識じゃないの?
日本は天子と言う言葉は607年に1回しか使ってません。
怒られたので、翌年、国書で訂正してます。以後、一切使ってません。
隋や唐が日本と対等外交をしたという文献記録は、一切ありません。
あるのは、戦前の日本の教科書くらいです。
>中国さくほう体制下で、天皇を名乗る国と仲良く国交してる
冊封体制には日本は入ってません。新羅より下になってしまうので避けました。
ただし、朝貢は続けるという、枠外の国交です。
天皇と1度も名乗ってません。倭国王(のち日本国王)スメラノミコトです。
608年の「東天皇敬白〜」(日本書紀)の時代には、「天皇」号は倭国には存在してません!
>朝貢は国家の上下を表してない
普通、あらわします。朝貢形式でない新羅の使者を、日本は数度も追い返してます。
>日本と唐は対等の国交でしたが、先方からみたら朝貢となるのです。
隋・唐ともに対等と受け取ったことは一度もありません。
相手が対等ととってない外交は対等外交ではありません。思い込みかダブスタです。
対等外交という根拠があったら出してください。
天子は2度と使えず、天皇号も一度も使用してません。
>日本は中国の朝貢国だった というスレタイは
>属国という印象を付加しているわけですね。
属国ではない。冊封も受けてない。ただし、朝貢形式はとっていた。
>隋も唐も、日本が天子ないし天皇と表してる事をしっていますので、
>それで国交を開始していればそれで対等です。
>否認したければ、国交を開かなければいいのです。
>それなら、日本が勝手にほざいていたということにもなります。
天子号撤回と、高句麗情勢で国交を再開した。
630年の第1回遣唐使開始時点で倭国に「天皇」号は存在してない。
>ちなみに、天皇は中国からの朝貢を受けない事がしばしばでした。
>理由は、文面が非礼だからです。
中国から朝貢など一度も来てません。何年の話ですか?
632年の唐使節「高」は難波津で歓迎され、朝廷まで来てます。ただし、大王との
着座の位置でもめたらしく、「高」は中国皇帝の詔を伝えずに帰国。
もめたのはこの1回きりのはずです。
779年の唐使節は丁寧にもてなされています。
「しばしば」っていつの話で、どこに書かれているのですか?
朝貢儀式が無事に済むと、皇帝は遣唐使帰還に使節をつけます。
1度も、もめてません。朝貢が無事に済んだ証拠です。
唐の建国後5年、623年(推古31)に新羅を経由して唐から帰国した留学生
恵日(薬師恵日)らは、唐に滞在している留学生の召還と、「かの大唐国は、
法式備り定れる珍(たから)の国なり。常にかよふべし」と進言した。
この進言は、630年(舒明2)の第1次遣唐使として実現し、これ以後9世紀半ば
までに十数回の遣唐使が派遣されることになる。
>>332 義満は中国皇帝の手紙に膝まずいてる。
日本は、16世紀後半から金の輸入国。すでに17世紀には生産激減。
朝鮮総督府統計で、日本の人口は朝鮮人口の3〜4倍。10倍の時代はない。
342 :
日本@名無史さん:03/09/20 12:53
ま、日本なんて小国は大唐の舎弟だったんだよ。
中華の皇帝に膝を屈して臣下の礼をとってたんだよ。
いい加減、認めろよ>バカウヨ
343 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:03
>>338 天子という言葉が怒られたので・・・・というくだり を何度も使ってますが、
君の脳内でストーリーが出来ているように見えますよ。
で、東の天子→東天皇 にするという話だけで、 それだけのストーリになるのですね。
天皇号は倭国に存在しません (何を言ってるのか不明)
新羅より下になってしまうので避け (すごい読みですね)
「天皇」は、当時 仏教以上の勢力を誇った道教のいう
宇宙最高の皇帝 の意味ですよ、 どこかの国で創作されたわけでは
ありません。
344 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:17
対等だった証拠を上げろ?
お前の言う、対等でない証拠は、中国文献の朝貢の文字だろ。
前スレにあるように、中華思想の唐では周辺国からの礼は全て朝貢と
表現する。それ以外の表現はないんだよ、したがって非対等の証拠にならん。
それこそ唐側の思い入れ だろ。
むしろ客観的証拠は、
中華思想の唐が 天皇号の日本と国交をしてた事。
日本は遣唐使に対して、国書を持たせてない理由として
「天皇号で国書を出すことになるともめる」 という説が有力
であるように、天皇から皇帝へ謙った事はない。
しかし、その後の中華正史において、日本はどのように紹介されているか
みれば、日本=天皇と表していたことは自明。全部 天皇と書いてある。
対等という証拠は、天皇号だけで十分だが、
非対等という証拠は、中国側にごく少数存在する 日本国王表記だろ
345 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:19
対等オタ、必死だなw
346 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:19
あー ちょっとな
347 :
日本@名無史さん:03/09/20 13:25
結局、
>唐からの使者に天皇下座の件もいきさつが「日本書紀」にある。
のくだりはどうなったの?150年前の偽書ということで終了ですか?
おそらく一人によって、スレ開始からしきりに書き込まれていたけれど。
朝貢は中原の覇者となるために必要な根拠。相手の事情は二の次。
挨拶に来た者はこれすべて『朝貢』と記録する。
と、理解してきたのですが、これは間違いなのですかね?
第一章 今日から俺は
数千年の昔から中華の覇王だった漢帝国を、
かつて蛮族と言われ続けた北方民族がやぶり、天子宣言をしました。
隋 「我こそが、大陸南北を統一した史上空前の天子なるぞ」
チョン、「へへー新しいご主人様ーーついていきますよ」
日本、「はっ?漢には世話になったよ、でもお前らには世話になってない。
おまえが天子だっていうなら、 俺も今日から天子だ!
文句があるならお前とはこれっきりだ」
隋、「なっ!こっこのきっ貴様ーー、ふっふざけやがって
人の足元を見やがって・・」 睨む隋・・
チョン、「ぷっこれだから、身の程知らずは困るなー、隋の旦那、
もう、やっちゃってくださいよ、アッシも偉そうなこいつが気にいらなかったんですよー」
隋 「・・・・・ 日本よ、俺は高句麗と戦わなければいけない。その時、俺の味方で
いてくれないか・・・いや、奴に手を貸さなければそれでもいい、どうだ!」
日本「あ? 俺は北の誰が勝とうが興味はない、おまえらの好きにしろよ」
隋「そ・・・その言葉確かだな・・・・礼をいう」
日本「ともかく、俺はあんたの下じゃない、好きにするぜ」
隋「ふっ、天子を名乗るも番長を名乗るのもおまえの勝手だ、好きにしな!」
チョン、「はーー?な・・何言ってるんですか、旦那!奴はアッシより貢物もない、
全く礼儀知らずな野蛮人じゃないで・・・」
バコーン・・・・ ぶっ飛ばされるチョン
隋「雑魚はだまっとれ!」
と、日本、いきなり番長宣言
349 :
真 日本列伝:03/09/20 13:56
第2章 白村江の道
漢の残党の国、百済・・・・
チョン「アチョー、この漢族のボケが、ばし!・・・・お、歯向かってもいいのか?−
俺らは唐の旦那の手下だぞー、アチョー」
百済「糞ー、漢のころは将軍にもなれなかった田舎ふぜいが・・」
チョン「はあー漢? 唐の旦那ー 奴らまだ漢のつもりなんすかねー、やっちゃいましょうよ アチョー」
その頃日本___
日本 「オレッチの漢の時のライバル百済がやられそうだ・・・
助けに・・・・でも、奴は俺の敵だったこともあるしな・・ 」
しかしその数ヶ月後、600艘の船を率いて大海を渡る日本の姿があった
「あーー糞ー百済のばかやろー俺がいくまで死ぬなよ」
そして、白村江、
チョン「あー? 日本が助けに向かってる? な訳ないだろ、
百済は奴らにとっても旧敵だぞ、何で助けにくるんだよ、
みんな自分がカワイイんだっちゅーの、まあ本当にきたらガッツーんと言わせてやるよ」
そこに、日本 「ごめん百済、遅くなったー」
チョン「はーーお前ら何しに来たー!
日本 「あーなんだチョン、百済は俺の敵だ、倒すのは俺、おまえじゃない!」
百済 「よせ・・・来るな馬鹿、お前らも死ぬぞ」
チョン「はー何をわけわからん事を・・・よし、もう容赦はしない、
唐の旦那ー日本です、ガッツーんのやってやってください」
結局ーーー
日本、ビック唐にコテンパンにやられてしまう・・・しかし
ライバル百済人を少し助けること ができた
日本 「百済人よ・・・俺達の助けが遅くてごめん・・・ ゴホ!ごほ!」
百済人 目に涙がいっぱいで返す言葉がない
チョン 「日本なんざ、たいしたことなかったなーへ」
辛い戦いではあったが、日本は少数の百済人を助けて日本に帰還するのであった
350 :
真 日本列伝:03/09/20 13:59
第三章 天皇
唐の大将 「漢の皇帝より偉そうな名前ないか!
チョン 「道教では古より、宇宙の大皇帝の事を天皇と呼びます」
唐の大将 「それだ! ワシは今日から天皇だ!」
チョン 「さすが唐の高祖でございます、天皇・・・素晴らしい響きです」
唐、天皇を名前につける
日本 「何? 唐の大将が天皇?よし、じゃ俺も天皇な!」
日本、広く天皇号発動!
チョン 「はーーーあなた、また勝手に何、天皇なのってるんですかあー、
あなたは、礼儀というものを知らないんですか・? これだから野蛮人は・・
いいですか? 天皇というものは・・・ 子一時間続く」
バコーン チョン何かに吹っ飛ばされる
唐の2世「こらーチョン、天皇って思いっきり日本の王が使ってるやんけ」
チョン 「いや・・・その・・・アッシは全くどうなってるんだがさっぱり・・」
唐の2世「言い訳はいい、天皇は皇帝に戻すぞ、よいな!」
チョン「はっはーーー」「糞ー日本のボケが礼儀を知らんばかりに・・・」
日本「オー天皇ってのは、宇宙の皇帝の意味なんだな、よしこれから
子々孫々と天皇だな、うちは」
ちゃんちゃん
351 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:06
>>344 >中華思想の唐が 天皇号の日本と国交をしてた事。
前にも書いたけど唐から見れば交渉を持ったのは「天皇」じゃなくて「王」
旧唐書読んでみ。
>天子という言葉が怒られたので・・・・というくだりを何度も使ってますが、
煬帝が怒ってますが?
違うのなら、二度と天子を使わなかった理由は何ですか?
>天皇号は倭国に存在しません (何を言ってるのか不明)
608年に天皇号は倭国にありません。治天下大王です。
>新羅より下になってしまうので避け (すごい読みですね)
新羅のほうが先に冊封を受けてたからそうなります。よく聞く説です。
>「天皇」は、当時 仏教以上の勢力を誇った道教のいう宇宙最高の皇帝
>の意味ですよ、どこかの国で創作されたわけではありません。
608年当時に天皇は、我が国では大王を表す言葉として使われてません。
353 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:16
>日本=天皇と表していたことは自明。全部、天皇と書いてある。
唐書のどこですか?ひとつでもソースを出してください。
630年から遣唐使が始まるが、国書はなかったといわれてるほど、
日本側の記録には、唐への国書の件は一切書かれていない。
もめるから書かなかったというのは、書けない証拠。
唐側返書は日本国国王。
>天皇下座
書紀でなく続日本紀。
632年、唐の使節が来て、天皇が下座しなくて怒って帰ったことは、
「旧唐書」に書かれている。
779年に光仁天皇が下座しなければ当然唐書に書かれるであろうが書かれていない。
続日本紀には、新羅と違う態度で、唐の行列が旗と武器を持ち行進し、新羅とは
違う対応を天皇が命じて、饗応したとある。
下座したであろうという参考文献が前のほうのレスに出てた。
近年、何冊も出てるから読んでみてはいかがでしょうか。
>挨拶に来た者はこれすべて『朝貢』と記録する。
朝貢がいやな国やいやな時は挨拶に行ってない。足利義持や江戸幕府など。
当時の価値観では、挨拶に行くこと自体が朝貢に行くことを自ら認めて行くこと。
356 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:18
357 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:19
唐側の史料には天皇は「日本国王スメラミコト」として出てくるんだろ?
358 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:26
それでは
>>355の内容について語り合いましょう。
359 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:31
最近ドンドン出てるとやらいう本を全部教えてくれ!
煽りやなくてマジ読んでみたいんで
前スレに出た奴もみんなひっくるめて一覧表作ってくれ
お願いします
360 :
日本@名無史さん:03/09/20 14:34
>>355 >朝貢がいやな国やいやな時は挨拶に行ってない。足利義持や江戸幕府など。
いやというより、必要がなかったってことでしょ。
日本人が中国に朝貢するのは、べつに中華が怖いとか勝てないとかそういうわけじゃなくて、自分達の便宜の為にやっているんだよね。
国内での権威付けであったり、貿易であったり。
だから形式的に最低限の礼を示しているだけ。
ただそれだけのことで、意識としては中華を尊敬すれども崇めてはいない。
それどころか、柵封にも入らないし、儒教もおざなりだし、国内では勝手に天皇を名乗るし・・・。
朝鮮が中華教育のガリ勉秀才だとすれば、日本は赤点を取らない程度の勉強だけして、あとは好きなことをやっている。
文句が出ないように「朝貢だけした」というのはいかにも賢いというかズルイというか。
上手いことやったんだと思うね。
形式的に中華の下であったことは否定できない。
蛮夷と蔑まれていたのもまた確か。
中世以降、中華や朝鮮をみて日本人は「要領悪い」と思っていただろうね。
形式的に上下があっても、実質的には対等だったと言いたくなる気持ちは分かる。
363 :
日本@名無史さん:03/09/20 15:21
そもそも、隋や唐 は、新興異民族国家であって、
今となっては歴史が継続しているが、当時は中華でもなんでもない。
364 :
日本@名無史さん:03/09/20 15:31
朝貢と書くのは先方の勝手
天皇が唐の国使に下座というのは偽書だけ
新興国家唐に対し
何をもって、対等じゃない等という考えが出るのか不思議です
608年 東天皇敬白 ってどこに書いてありますか?
365 :
日本@名無史さん:03/09/20 15:33
>>362 気持ちは分かるが事実を歪曲することが許されるわけではない。
366 :
日本@名無史さん:03/09/20 15:42
対等ヲタ必死だなw
やっぱり政治臭ぷんぷんだわ。
368 :
日本@名無史さん:03/09/20 15:46
皆おちつけよ
レス早すぎて重要な論点がすべて飛ばされてるぞ
371 :
日本@名無史さん:03/09/20 18:39
落ち着いたかな・・・と思ったら、
「天子宣言で怒られて、ひっこめた」
「唐には王としていってる」
という非対等主張が繰り返され、
「天皇なら天子と同じだろ」
「唐は天皇宣言を知っている」
という対等主張が返している
約、128年周期で地球に近づいてくる彗星だと思われる
372 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:12
白色彗星帝国
373 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:19
374 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:26
中国は、立場上、親分子分の関係だと主張し、そのような記録を残す。
日本は、侵略されるおそれがないから、五分の盃だと主張し、そのような記録を残す。
日中を往来した人々は、双方の体面を保ちながら、適当にお茶を濁す。
375 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:31
秀吉の時も、双方の使臣がメッセージを改竄して取り繕おうとしたが、
秀吉の要求内容には明公主入内などの具体的なものがあったので
結局取り繕いきれなかった。双方の要求が名目的なものに限られていれば
双方とも騙され(た振りをして)メデタシメデタシだっただろう。
隋唐時代にも
1.日本は非臣従のつもりでいる。
2.中国は君臣関係のつもりでいる。
3.実務レベルで誤魔化しあう。
双方上層部とも、なんか違うと感づいていても敢えて気にしない。
遣唐使が臣礼をとっているみたいでも、日本で独自元号を使っているみたいでも
お互い見て見ぬ振りをする。
376 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:37
ごまかしきれなかったのが唐から使いが来ちゃったときだな。
このときは光仁天皇が臣下の礼で対応して事なきを得た。
377 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:40
378 :
日本@名無史さん:03/09/20 19:45
>>374-375 妥当な結論ですな。
>>376 そういう事実が本当にあったのか疑問は残る。
光仁が臣従していてもかまわないが、ソースが現存しない文書では・・・
379 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:19
さすがに、臣従とは唐も思ってないだろ、
しいて表現するなら、 格だろう、
唐は自分の方が日本より格上だと思っているが、
日本は対等の格だと思ってる
日本は、唐が格上だと思い込んでいる事も知っているので、
日本がより文明国であるためにも遣唐使を派遣して対等の格の
文明国であろうとする
幕末の英独への留学と同じ日本政府の発想 だと思えば良くわかる
380 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:19
大陸の覇者、中華の正統として、多少の矛盾を承知で異国の使節を『朝貢』として振舞いたい唐
(それ以外も含む)と、海の向こうで独自の価値観で勝手に振舞う日本。
381 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:22
つまり日本は田舎者ということ。
ウリは決して大陸に隷属したわけではないニダ!
チョパーリこそ大陸の属国だったニダよ!
383 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:32
現に日本より唐のほうが格上だったんだから仕方ないわな。
朝貢使と承知のうえで遣唐使を派遣した当時の国家指導者は
現実をよく見ていたということ。
384 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:37
>>383 格というのは中華思想に基づく格、ということだよね?
385 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:39
国力も唐のほうが上だろう。
386 :
日本@名無史さん:03/09/20 20:40
国力(領土、軍事力、経済力)や文化のレベルにおいても唐の方が上。
当たり前のことだが。
話のレベルがみるみる低下していっとる・・。
388 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:00
日本が唐より格下って認めたら、レベル低下かね?
日本も朝鮮も古代は取るに足りない小国だろ。
389 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:13
390 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:18
>>388 じゃあアッバース朝は「同格」として扱われたのかと・・
この時間はチョン帯だからまともな議論は出来ないよ
>>359 本屋ですぐ買えそうなのなら、
「日本の歴史」3巻(大王から天皇へ)・講談社・熊谷公男・2200円
「東アジア世界と古代の日本」山川出版・日本史リブレット14・石井正敏・800円
対等オタ、必死だなw
>>364 >608年 東天皇敬白
「日本書紀」の推古16年に、出てる。この年代はまだ「天皇」でなく「大王」だけどね。
小野妹子は4月に帰国し9月に出発。あわててた?
作る会教科書ではどう書いてるのかと思って見てみた。
「遣隋使は隋から見れば朝貢使だが、太子は国書の文面で対等の立場を強調
することで、隋に決して服属しないという決意表明を行ったのだった。
隋の皇帝煬帝は激怒したが、高句麗との抗争中なので忍耐した」p45
↓
「隋から見れば朝貢使」ってのは、少なくとも、対等外交だったとは読めないね。
「服属しない」服属はしてないからね。
「高句麗と抗争中なので我慢した」ってのが国交を結べた理由らしい。
朝貢形式だったとか、対等外交を目指したって程度の本なら見かけるが、
隋・唐と対等外交だった書いてある本を見たことないんだけど、
よかったら教えてください。サイトじゃなくて本を教えてください。
396 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:41
>393
その気持ち悪い造語やめろ。
397 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:45
>>396 気持ち悪いのは、隋や唐と当時の日本とが対等だったと思い込みたい香具師。
398 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:45
>>388 んじゃ、当時の取るに足る大国て、どこだべさ?
399 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:49
うっ
うんこぶりぶり
402 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:50
正直、『対等ヲタ』は俺のツボにはまっている
罵り言葉としてある種の芸術的香りを放つ作品ですな
403 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:53
中華の正統を自認しているのだから、相手を対等、或いは格上の存在、と
みなすわけが無い。
それが中華の形式主義
404 :
日本@名無史さん:03/09/20 21:56
>>402 ある種のうんこ臭い香りを放つから、よその板へ行ってくれ。
405 :
日本@名無史さん:03/09/20 22:02
天オタ=対等オタ
対等ヲタって何なんだ?
そんなのあるのかいな?
何でもヲタつければいいってものじゃないだろー
でもなんかおもろい。
407 :
日本@名無史さん:03/09/20 22:16
>375
亀レスですが、
なるほど秀吉の朝鮮出兵の頃も、そういう話がありましたね。
対馬の宗氏や小西行長の交渉が極めて不可解なために、
大規模な外征へと発展してしまった感もあります。
支那は自分らが世界の中心と思ってるな。いつの時代でも。
対等だろうがただでもらっても
新幹線
日本式にしてやるよ
ただでよこせ
朝貢なんだから…
もう援助もなにもするな
日本側からしてみると、朝貢する相手が滅亡したり分裂したり、
果ては遊牧民族の王朝に服属したりして、
真面目に臣下の礼をとるのがばかばかしくなったという面もあったと思います。
411 :
日本@名無史さん:03/09/20 23:39
対等オタ!って煽ってる奴と、冷静に日本核下と言ってる奴が
同じIPってのは偶然ですか・・・・・ニヤ
>>411 板違いですが、どうやったらIPがわかるか教えていただけないでしょうか。
別のところで非常に困ってるんです。
414 :
日本@名無史さん:03/09/20 23:49
すごーいIP分かるの?
415 :
日本@名無史さん:03/09/20 23:53
>>410 遣唐使はまさしくそういう理由で中止されたんだろうな
416 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:08
うわー 荒れてるねー
隋や唐は、新興国家だから、
日本に、舐められてたんだよ
悔しくても、日本に天子宣言されて 国交開始しちゃったんだから。
当時、日本は南朝の継続国だよ、 日帝は、陳亡き後の
漢帝をついで、 隋に天子宣言をしたのが 本当のところだろ。
中華オタのバカに教えてやるが、中華って当時は漢族主義なんだよ
隋や唐なんて、鮮卑だよ 鮮卑。 北の蛮族。 始皇帝が長城を引いてまで
お前らだけは、こっちくるなーーー って地球に線引いたすごい野蛮人。
それで、中華だから偉い・・・・て お前ら ほんとに歴史版の人ですか?
早く総連に帰ってね
史上初、漢帝を廃した異民族国家出現に、 東の天子宣言で応えた
正当中華陣営の日本の偉大さ をよーーーく想像しようね。
419 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:29
史上初の漢帝を廃した異民族国家出現に、
東の天子宣言で応えた 男 聖徳太子!!!!! かっこいい
その時歴史は動いた!!! ですな
420 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:33
遣唐使は唐の国が滅亡したから廃止したのでは?。
424 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:40
日本なんて、南朝系渡来人の漢人で作られた国だから、
隋みたいな異民族国家なんて、 中華の敵以外の何者でもないだろうね
台湾が、正当中華 中華民国 といってたのと同じ
そのころの中華華僑にとっては頼りは、百済と 日本だけだもんなー
425 :
日本@名無史さん:03/09/21 00:54
日本の成立は、台湾の推移と 同じと言う事か・・・・
政権交代で中原に戻れない 漢帝陣営(日本)国民党(台湾)が、
現地の国民と融合して政権をのっとり、
初期においては、中原政権に正当宣言(天子、中華民国)をしつつ
段々、中原に無関心になり、完全な独立国となる(日本国 台湾国)
426 :
日本@名無史さん:03/09/21 01:10
ちょっと遅レス
>>355 >632年、唐の使節が来て、天皇が下座しなくて怒って帰ったことは、
>「旧唐書」に書かれている。
『表仁無綏遠之才興王子争禮不宣朝命而還』
「礼を争った」とあるだけで何処にも「下座」はでてきません。
今読み返すと、中国側の資料ではっきりと『天皇』と呼称するのは
宋史日本伝からなんだなぁ・・・・・・。
しかし、607年の「日出処天子致書日没処天子」の文は中国側のみなのに
608年の「東天皇敬曰西皇帝」は日本側のみ・・・・なぜ?
以上。
参考文献は、岩波文庫の中国正史日本伝(1)・(2)、教育社の日本書紀。
427 :
日本@名無史さん:03/09/21 01:21
>>426 それだけ証拠が揃えば十分だよ
隋は、天子宣言され面子をつぶされ
悔しいが、国交を開始(隋は対等を認めた)
日本の天皇が、唐を怒らせるほどに、偉そうだった
けれどやっぱり、国交は継続した(唐は対等を認めた)
宋史においては、
隋や唐の時代は、王だったとでも中華思想記載されてるかと思いきや
日本は、古代から天皇を擁立する・・・・ と 日本の言い分だけを100%記載
天皇号が公式に定まったのはおそらく天武朝の頃だと思うけど、
高宗・武后の「天皇・天后」の真似というのは疑問だ。
日本の天皇号は唐のそれとは直接関係無く成立したものだと思う。
高宗の称した「天皇(テンコウ)」は、武后の「天后」と同格の称号であって
(両者あわせて「二聖」と称された)、「皇帝」のような唯一絶対者を
あらわす称号とはいえない。超越的な君主号をあれこれ模索していた日本が
そのような称号をそっくりそのまま真似して、君主号として採用したとは
ちょっと考えがたい。
429 :
日本@名無史さん:03/09/21 05:02
まね、というか同時代性の現象だよ
天武朝は、新姓制度でも 道教用語を採用したほど道教マニア
唐の高祖も、自分の先祖が道教の始祖だと思い込んでた道教マニア
2人とも、 道教の最高の称号が天皇だ ってことで天皇にしたんだよ
どっちか先かは不明だがね
430 :
日本@名無史さん:03/09/21 05:11
さらに解説すると、
皇帝は、天が地の統治権を付与した人間に与えた称号 で人間とされてる
天皇は、仙人世界の最高神とされ、非人間とされている
天が与えた統治権ゆえに、為政者でない皇帝は存在できないが
神の子孫である 日本型天皇や
仙人世界の最高神天皇は 統治権とは無縁の聖なる存在ゆえに、
為政統治しない形式の 天皇制の思想背景となっている
431 :
日本@名無史さん:03/09/21 07:17
隋や唐が日本との対等外交を承認したという根拠はなんなの?
対等の形式でとりかわした文書でも残っているの?
432 :
日本@名無史さん:03/09/21 08:34
アホか、 正式に承認なんかするわけないだろ、
承認しないけど、訂正に従わないし、対等のつもりでいる日本と
国交を開始してしまったのが、隋と唐
日本は、対等のつもりだから国交ができればそれで良し。
唐の傷ついたハートなんてしるよしもない
唐は、無礼だと思えば、国交を開かなければ良いだけ。
その悔しい状態を 承認したんだよ
433 :
日本@名無史さん:03/09/21 08:48
>>432 だから日本は無礼じゃなかったんだろ?
無礼だったら歴史に残る。現に煬帝が怒った記録がある。
無礼じゃなかったら記録に残らない。
434 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:04
唐の使節は、日本から怒って帰った
けれど、日本人は 阿倍仲麻呂のように、唐人の
人気者だったんだよ 日本人の偉大さと礼儀正したに
怒りも諦めにそして賞賛になったんだよ
賞賛の記録は残ってるだろ
435 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:11
阿倍仲麻呂は唐の皇帝の臣下になったから中国でも受け入れられたんだろう?
唐のように国際色豊かな国家では日本人だからといって色眼鏡で見られることもなかっただろうしな。
436 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:11
>>433 その、隋に怒ら(れた)・・・
という君の思考回路が日本人には理解できないので
このスレで意思疎通できてないだと思うよ
隋を怒ら(せた)・・・・
というのは、日本人の思考回路では、
相当痛快な話なんだが・・・ かつそれで国交開始したので結果もよし
ブルースウィルスも悪役を怒らせてばかりなんだな・・・
437 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:16
>>436 隋を怒らせたことは痛快だ、と思うような脳では当時の国際関係は理解できないだろうなw
438 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:38
うん、当時の朝鮮人からみた国際関係は理解できなかったかもしれん
439 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:40
当時の朝鮮人は日本人よりも国際関係に敏感だったはずだが。
当時の日本人は鈍感だったから煬帝に間抜けな使者を送って歴史に残った。
440 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:45
>>439 全く君凄いね、 このスレの住人もようやく君のレスの真意の謎が
判ったと思うよ。
君の遺伝子に組み込まれた事大主義にあったとは 大爆笑だ
441 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:45
うんこ
442 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:47
>>440 遣唐使は基本的にすべて事大主義に基づく派遣だろ。いまさら何を言ってるんだ。
唐=藤原。
遣唐使
現代の 日本→アメリカ詣で。
445 :
日本@名無史さん:03/09/21 09:55
対等ヲタはうんこってことでOK?
事大主義 > 勢力の強いものに追従して自己保身を図る態度・傾向。
事大党 > 自主独立を図る開化派に対して、李朝末期の清に従属することで李朝の存続を図った保守派。
事大は、(夜郎的)自大主義と間違えられる。
>>439 が言うように、日本は歴史的に国際感覚に鈍感であるため、自大になりやすい。
遣唐使の頃、倭の国名を華夷思想の表れとして嫌い、「日の本」と改名した日本は唐に改名
を通達し、唐はこれを承諾している。
一方、藤原京を建設し終わった日本は、遣唐使等の報告から長安の規模を聞き、藤原京で
は満足せず、唐の長安に正確に模した平城京を奈良の地に計画し早速建設した。
これは日本が、唐と同等の地位を得たいという表れと共に、新羅、蝦夷に対する華夷思想
の現れであることは、各種の文献が示している。
ゆえに、
>>442の事大主義は、自大主義とすれば正しい。
447 :
日本@名無史さん:03/09/21 10:52
日本が唐と同等の地位を得たいと願望していたことと、
現実に唐と同等の地位を保てたかどうかは話が別。
現実には、日本は唐に服属している立場を甘受せざるを得なかった。
>>446 対等ヲタ、必死だな
必死すぎて泣けてくるw
449 :
日本@名無史さん:03/09/21 11:19
一口に朝貢関係と言っても、下賜本位のものと貢納本位のものがある。
日本やインドシナ諸国が行っていたのは前者。
貢納品よりいいものを下賜してもらえるので、中国側には財政負担となる。
そのため中国側から何年に一回と制限されていた。
足利義政に至っては、形式上の貢納すらはしょって下賜だけ貰おうという
乞食同然のまねをして、見事に銭をせしめている。
(しかもそれをもう一度やろうとしたが、さすがに拒絶されている。)
一方朝鮮の場合は貢納主体の強制的なもの。逆に下賜は形だけ。
毎年、美女三千人だの宦官要員だのを具体的に要求され、滞れば督促された。
>>426 >『表仁無綏遠之才興王子争禮不宣朝命而還』
>「礼を争った」とあるだけで何処にも「下座」はでてきません。
『表任(使者)は、遠い国を治める(懐柔する)才能がなく、王子(新唐書では王)
と礼を争い、朝命を宣べずに帰った』という意味だね。
まぁ、直接に下座の件は書いてないが、縮めて言えば同じような意味でしょ。
「続日本紀」天平勝宝6年によると、
753年の唐の宮殿での朝賀の儀式で、蛮国の席次は東1位が新羅、2位が大食
(アッバース朝イスラム)、西の1位が吐蕃(チベット)、2位が日本。
つまり、参加した4つの蕃国のうち、日本は4位に指定された。
遣唐使大伴古麻呂が、新羅は日本に朝貢してるのに日本より上とは道理に合わない
と抗議して、新羅と席を交換している。
帰国後、古麻呂は朝廷に報告しているが、その際「諸蕃朝賀す」と報告。
わかること
・唐は日本を蕃国の最下位に位置づけていた。対等意識は全くない。
・古麻呂は報告で、日本が蕃国として行動してきたことを明言して、
続日本紀も、そのまま書いている。
・蕃国のなかで新羅より上になることが、日本外交のポイント。中国と対等意識はない。
対等に付き合ってたという本の提示はまだかな?
454 :
日本@名無史さん:03/09/21 13:25
中華からみた華夷秩序は、中華の正統にとって重要なのであって、
『蛮国』にとってはそこまで重要性はない。
とくに軍事的に脅かされる可能性の少ない国にとっては。
中華意識と朝貢はワンセット。
形式的に自らを頂点と位置づけるのが中華思想で、そのための儀式が朝貢。
『蛮国』からの使者を朝貢と位置づけることで、中華を名乗れる。
これは国内(中原)向けにこそ必要な宣伝活動。
いわば「遠交近攻」策。
455 :
日本@名無史さん:03/09/21 15:01
>>454 正統性に特に問題の無い洪武帝は「陪臣」の足利義満の使節を撥ねつけたが
簒奪政権として後ろめたいところのある永楽帝は「日本も天子の徳を慕っている」
ことを示すために義満を認めたね。
鄭和の航海も、朝貢国を増やして「天子の徳」を誇示することが大きな動機。
456 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:01
チョンが、隋に怒られる事の重要性がわかってないとか
唐の席次がどーだとか、
かわいそうな位の事大主義でこのスレ大爆笑になってきてるな
チョンの脳内では、隋唐がお認めになってるかどうかが基準なんだろ? ぷっ
日本人からみると、唐での席次なんてどーでもいいの、
唐の使節が怒ろうが、 隋唐がどう思っていてもどうでもいいの
判る? 隋唐の命令を一切聞くことなく、文化だけ頂戴できて、
隋唐の天子より偉そうな称号を使っていれば、相手を憤慨させていても
一向のかまわないんだよ、相手に評価してもらおうなんて思ってないんだって
大事なことは、日本が相手をどう評価したか。 その精神構造が万年へたれの朝鮮には
想像できないんだろ、 日本は隋に同格宣言し、唐の勘違いしてる使いを馬鹿にして怒って返らせた
天皇宣言もしてるし、唐以上の都市を作ろうとしてる
面白くなくなったら遣唐使もやめてしまったしな
嫌われまいと頑張る君らと同じにしないでね、日本は自分が中国だから
457 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:05
単純に東の方の皇帝から西の皇帝に
って意味だったらしいよ。
隋はすぐに滅びたので日の沈む皇帝って
のが象徴的な逸話として歴史書に残った
だけ。
小野妹子って普通に帰還してるし。
458 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:10
>>456 対等ヲタを通り越して対等キチガイだなw
459 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:12
460 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:15
つか、
>>451で結論出てるのにまだひっぱるのか?
461 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:16
>460
唐が作る格付けを述べてあるだけじゃねえか
462 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:21
>>437 隋を怒らせた以上に痛快な事がこの時代あるかって、
隋帝は、史上初めて漢帝を廃し、異民族にして南北統一政権の帝だよ、
その帝が、統一を果たし今まさに史上唯一無比の天子に君臨した!と思ったら
なんと、日本も天子宣言だよ、煬帝のズッコケぶりは想像に難くない。
煬帝の怒りは歴史に残るくらい、そりゃそうだ
これが、史上最大の痛快事件じゃなくて何が痛快なの?
ワっワラワを誰だと思ってる〜〜〜〜 はっ? えっと西の天子だろ?
463 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:21
>>461 「続日本紀」は日本でつくられた史料だが。
464 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:33
>>461 460の真性ヘタレは、まだ大笑いな
ヘタレ精神構造に気がついていないんだって
唐の席次を凄い大事なことだと思ってる。きっと彼の頭では
唐に悪く扱われるとそれは格下を意味するんだ
どーでもいいだろ、そんなの。唐が日本嫌いだったんじゃないの?
日本は生意気だから。
>>460 アッバース朝イスラムが唐の臣下というわけではないでしょう。
ただし、唐の従属国である新羅の下位に置かれた場合には、
誤解を招くので、席次を争った使者の行為は至当なものだと思います。
466 :
日本@名無史さん:03/09/21 19:54
プッ
467 :
日本@名無史さん:03/09/21 20:01
対等ヲタって見苦しいね
大食(アッバース朝)も臣下ではないが、朝貢儀礼に参加した朝貢使節だった
ようですね。
新羅とは長年のいきさつがありますからね。
日本への新羅使は、唐と対立してる時は日本に朝貢し、
唐とおさまると、日本と対等の形式で来てますね。
日本が大宰府で返しても、何度も何度も対等形式で来ている。
目的は大宰府での貿易のようです。日本朝廷も実は貿易品は待ってましたね。
752年に新羅王子が久々に朝貢形式で来たので日本は驚喜したが、
翌年、返礼使節を新羅に派遣したら、無礼だと返されてしまった。
貿易のための作戦にだまされてしまった。ちょっとカナスイ。
469 :
日本@名無史さん:03/09/21 20:55
>>468 マジレスします。
新羅の遣日本使が来て、無礼だと言って追い返されますよね。
その場合、使者とのあいだに貿易は成立するんでしょうか?
交易もさせないで追い返しちゃうんですか?
それとも交易だけはするんですか?
>>455 >洪武帝は「陪臣」の足利義満の使節を撥ねつけた
足利義満の使者は、光武帝の死後では?
「洪武帝は日本での交渉の相手を征西将軍懐良親王と考えていたために折衝は
難航し、日本国王を冊封しようとする意図は実現しなかった。
洪武帝の死後、建文帝が立つが、1401年(応永8)足利義満は明に使船を送り、
これが日明外交開始の契機となった。
やがて義満は、建文帝から帝位を奪った永楽帝によって「日本国王」に封ぜられ、
日本は明中心の国際秩序のなかに位置づけられることになった」
権力の2重構造をもった日本。今ならダブルスタンダードって叩かれそう。
>>469 752年の総勢700人の朝貢のふりにだまされた件で、日本に新羅物の大流行
をよんだようです。
その後何回か大宰府に来て追い返されていますが、帰るための風を待つ
間は滞在が許され、その間に貿易してて、それが日本新羅双方の目的
になってしまったようです。
768年には、左右大臣以下高級官僚に新羅の貿易品を購入するための
費用として、「大宰の綿」が大量に支給されてます。
筑前守文屋は、輸入業者のようなことをしていて、罰を受けてます。
なお、新羅使節が来なくなったのは、新羅商人との交流が盛んになり、
新羅物がよく日本に来るようになったのも理由のひとつといわれてます。
831年には、新羅商品を争って求める事態に対して、国産品を大事にしないからだ
と太政官から大宰府へ注意が出てます。
実際は、日本朝廷が先に買うルールをしっかり守らせよというもののようです。
473 :
日本@名無史さん:03/09/21 21:15
朝貢と貿易が分かち難く結びついたのは明の海禁政策から。
何度もいうように朝貢はそもそも国家間関係を規定するものではないので
国営貿易とも関係ない。
渤海も多くは貿易が目的だった。
日本は新羅と渤海の朝貢を国家間関係の規定と考えていた。
だから、形式を伴わない使節は返した。
具体的事実として国営貿易の面もある。
そして、そういう思考回路の日本が中国に朝貢をしていた。
475 :
日本@名無史さん:03/09/21 22:03
>>474 >具体的事実として国営貿易の面もある。
詳しく説明求む
476 :
日本@名無史さん:03/09/21 22:41
なるほど、朝貢は朝貢、貿易は貿易と割り切るだけの合理性は当時の人にもあったんですね。
ありがとうございました。
朝貢すると、貢物の何倍何十倍ものお宝が下賜されるので、
間に立つ使臣や商人は、対面にこだわらずに経済的利得を追求するのですな。
逆にいえば「貢物の何倍何十倍ものお宝」を下賜するだけの国力がない場合
中国への朝貢が激減する。
さらにいえば国力が十分ならば、「貢物の何倍何十倍ものお宝」を餌に
中国側から朝貢を演出することになる。
479 :
日本@名無史さん:03/09/22 03:23
何?唐は日本から朝貢を受けるお返しに
何十倍のお宝を日本に渡さなければならなかったの?
新羅なんて、朝貢させられてもお返しないのにねー
480 :
日本@名無史さん:03/09/22 03:54
日本から祝福されたいってのはどういうこっちゃ?
482 :
日本@名無史さん:03/09/22 08:37
妄想
483 :
日本@名無史さん:03/09/22 08:39
>>481 どの王朝も、
できるだけ遠方のかつできるだけ大きな国から祝福が来た
ってストーリを望んでる
その相手の定番が日本
考えてごらん、朝鮮から朝貢を受けました・・・これ彼らの自慢になる?
484 :
日本@名無史さん:03/09/22 08:49
>>480 おいおい
日本人として、日本の存在を大きく見せたいのはわかるが、そういう
愛国心の発露は間違ってるぞ
残念ながら、当時の倭人は中国から見れば所詮野蛮人だ
>国営貿易
新羅使や渤海使が来ると、官司貿易(朝廷国家組織の行う貿易)をまず行い、
王権が舶来品の独占的入手を目指す。
当時の価値観だと、大陸商品は権威の一つなんだろうね。
それを臣下に再配分して、権威を高める。
新羅が来たときは、官司貿易で朝廷・国家が貿易を行う前に、
国司や王臣家(上級貴族)が売り買いするなと、太政官が命令している。
日本側のお返しは綿など繊維原料、のちに金。
>>479 >新羅なんて、朝貢させられてもお返しないのにねー
数倍のお返しをもらってると思ったが?
当時の倭って、関東のちょっと北までが勢力範囲。
残念ながら経済や文化も半島より遅れてたしなぁ。
488 :
日本@名無史さん:03/09/22 09:37
>>487 またいつもの事大主義? 唐の情報が唐の一部の朝鮮より
日本が遅れるのは当然なんだが、
それは朝鮮より文化や経済が遅れてるとは全く関係ない。
唐とは別の文化や制度がどっちが進んでいたかが本来
489 :
日本@名無史さん:03/09/22 09:47
>>484 君も変な先入観を持ってよ、事実をしっかり見よう。
一般論として、中国史の使命である皇帝の栄光を表現する上で、
遠方の大きな国が皇帝の栄光を縋ってくるとうのが定番
古今東西の褒め方の定番
>またいつもの事大主義? 唐の情報が唐の一部の朝鮮より
>日本が遅れるのは当然なんだが、
>それは朝鮮より文化や経済が遅れてるとは全く関係ない。
普通先進文化の情報の遅れを文化の遅れといいます。
>唐とは別の文化や制度がどっちが進んでいたかが本来
唐の影響は朝廷では江戸時代まで続きます。
紫宸殿(御所の中央部)の襖には唐代までの32人の中国名臣の大壁画。
現在の京都御所にも唐人が描かれてるんじゃないか?
信長も安土城に中国賢人の大壁画を描かせたね。
>遠方の大きな国が皇帝の栄光を縋ってくるとうのが定番
何が大きいのか。面積も人口も生産力もそんなに大きくない。
突厥や大食の方が、よほど大国。突厥の軍事力は唐を脅かし、
大食は経済力が大きかった。
491 :
日本@名無史さん:03/09/22 10:40
>>490 そんな日本が新羅の上席になれたとはいやぁめでたい
朝鮮てほんとヘタレだったのね
中華文明後進国が必ずしも文明後進国だというわけではない。
つーか、伝わっても全てをとらずに取捨選択したのが日本なんだけどね。
494 :
日本@名無史さん:03/09/22 11:17
>>490 ぷっ 事大主義って遺伝するものなの?
だからね、唐サマ事大主義の唐にこき使われてる新羅の方より、
日本に唐の文化が遅れるのは、距離的に当然なのよ、
でっ? それは日本人から見ると は?それがどうした?
まるで文化の全てが唐文化であるようなその思考回路は・・・はっ!!!
そうか、 君の国では全てが唐文化だったわけだ!!!
ごめーーーん、日本は、古墳時代から半分はオリジナルが多くてさー
何言ってるのかわからんかったよー
495 :
日本@名無史さん:03/09/22 11:26
>>489 そうそう、 論衛なんてさ、1世紀の漢書なのに
紀元前8世紀の始祖国である 周王 を褒めるにあたって、
東の倭からは酒の貢があった とか書いてるわけ、
1000年前の国家を賞賛するのにも登場させられるのが
日本なんだよ。 中華皇帝賞賛に、東方の礼国日本は定番。
496 :
日本@名無史さん:03/09/22 11:40
日本と唐の経済・文化の力関係って、今の日本とアメリカのようなもんだろ。
新羅の頃は半島にも存在価値あったけど、今はゼロだな。
497 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:16
>>494 日本語が不自由なんですね。どこの国の方ですか?
498 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:24
中国に行って聞いてきました 日本は憧れの的
ジパングは東海にある大きな島で、大陸から二千四百キロの距離にある。
住民は色が白く、文化的で、物資にめぐまれている。偶像を崇拝し
、どこにも属せず、独立している。黄金は無尽蔵にあるが、国王は
輸出を禁じている。しかも大陸から非常に遠いので、商人もこの国を
あまりおとずれず、そのため黄金が想像できぬほど豊富なのだ。
この島の支配者の豪華な宮殿について述べよう。ヨーロッパの教会
堂の屋根が鉛でふかれているように、宮殿の屋根はすべて黄金でふか
れており、その価格はとても評価できない。宮殿内の道路や部屋の床
は、板石のように、四センチの厚さの純金の板をしきつめている。窓
でさえ黄金でできているのだから、この宮殿の豪華さは、まったく想
像の範囲をこえているのだ。
『東方見聞録』マルコ・ポーロ
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500 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:30
購買力が高い日本人にとって、異国の物を欲しがるのは当然。
たとえそれが、マニラの路傍の壷でも、大名の首に変わる事もある
唐ものなんて、20年に一回しか手に入らない貴重品。
文化が進んでるかどうかではなくて、
朝廷にしか手に入れられない朝廷権威の象徴。
別に唐に憧れてるわけではない
501 :
日本@名無史さん:03/09/22 12:42
交易権こそが、実際の権力だったんだよ。
平家、足利、この2大朝敵が何を握って調子にのってしまったか、
それは、銅銭の輸入。 金銀の超産出国日本も、
銅銭だけは、大量生産の中華製に適わないので、それが流通貨になった
その時、銅銭輸入の元締め役になれば、この国は支配できてしまうのだ
日本と中国との交易は、朝貢関係や文化導入などと全く関係ない、
実は相当合理的な理由があったのです
502 :
日本@名無史さん:03/09/22 13:23
>>497 横レスだけど、あなたこそ日本語のネイティブではないのではないですか?
503 :
日本@名無史さん:03/09/22 13:38
いまでも朝貢(ODA)してますがなにか?
>>504 そんな事いったらアメリカだって世界中に朝貢してるってことになるぞ(w
せっかくいいスレなんだから、朝鮮関係とかイデオロギー関係はひとまず置いといて、
朝貢のいろんな側面について知識を深めたいです。
大内氏は漢民族の末裔ということにしているのも、
朝貢の経済的利益を得たいがためでしょうか?
大内は自称チョソだろ。
508 :
日本@名無史さん:03/09/22 17:25
大内氏は百済人の末裔じゃなかったっけ?
そういえば大内氏や宗氏も朝鮮に朝貢していましたね。
>>508 朝貢も何も、俺の先祖の土地をよこせってな具合の強引な面が目立つのだが(w
まあ、百済自体漢人政権の小シナ国だったんだけどね。
朝貢ってのは国家の代表同士の間でなされるものではなく
中国の皇帝に「誰か」がするもの(それは外国の君主とは限らない。
民間の外国人かもしれないし国内の中国人の場合もある)だから
朝貢する側が格下なのは当たり前。そこで火病おこすウヨは基礎知識がなさすぎ。
国家間関係として格下かどうかは冊封で決まるのであって朝貢できまるものじゃないのに。
日本は冊封受けてないので、中国の属国でも格下でもない。
光仁天皇の下座は、江戸時代の偽書を根拠にはできないが
正史の記述から情況判断すればそういうことがあった可能性はあるだろう。
でも問題は、それが「まずいこと」として日本側に認識されたってことが(いいわるいでなく)重要。
半島ではそれが当然のこととして受容され建前と現実が合致させられていった。
日本は対等関係にこだわったため中国とは距離をとったし、逆にいえば距離があったから
対等の建前を守ることができた。その建前に反する事態が生じた場合は
外交関係を破綻させている。(義満の後の義教、国書の内容がばれた時の秀吉など)
>>508 大内氏は百済王家の末裔で、高麗に先祖の土地返せと言ってたみたい。
>>451 新羅は日本に朝貢してたんだ。当時から日本は大国だね。
514 :
日本@名無史さん:03/09/22 21:14
>>513 中国が他国からの使者を「朝貢使」としたように
日本も中国以外からの使者を「朝貢使」としただけじゃないの?
>>485 >日本側のお返しは綿など繊維原料、のちに金。
綿の栽培が本格化したのは戦国期だと思ったが
朝貢イコール属国って言いたい香具師も居るようだけど、
属国化否かは朝貢より「正朔を報じる」か否かだと思う今日この頃。
泡盛が旨いので後はヨロシこ。
>属国って言いたい香具師
隋唐への朝貢を属国と言ってる人はいないでしょ。
>新羅の朝貢
新羅は唐と戦闘体制のときは日本に朝貢に来て、背後を固めている。
唐と和解し中国へ朝貢してからは、朝貢に来なくなったようだ。
渤海も似たようなものだが、渤海は、新羅より商売っ気丸出しで、金が目的みたい。
>綿などの繊維原料
綿や糸などですね。確かに大量生産化は戦国期。
ただ、大宰府の綿(筑紫の綿)は、対新羅貿易用品として左右大臣に支給されている。
(続日本紀・神護景雲2年10月)筑紫の綿は良質で知られてたそうです。
「万葉集・336番」
「しらぬひ筑紫の綿は 身につけて いまだは着ねど 暖かに見ゆ」
大宰府に集まる庸調の綿のうち、年間10万屯(のち20万屯)京へ送ってたそうです。
(もしかしたら中国綿の可能性も無きにしも非ずだが・・・)
後の時代になると、半島の綿は、日本の重要な輸入品となりますけど。
519 :
日本@名無史さん:03/09/22 23:24
朝貢ということと
属国ということが
混ざって語られているね。
正規の朝貢という場合
「国書」を持って行かなくちゃならないが
日本では7世紀以降持っていかなかったらしいね。
ひさしぶりに「国王」名の国書を持っていったのが
足利時代だった。
厳密に言えば、
その他の時期は朝貢していないことになる。
あと属国については
軍事的制圧下にあったかどうかが問題。
たとえば李氏朝鮮では自国の軍隊は
解散してしまって清との安保だけで
国防していた。
しかし日本は一番属国であるメリットが
あった時期にすら従属を拒否したね。
いうまでもなく元寇時代。
だいたい中国の王朝は
海を越えての征服戦争は勝てたことがないが。
>507-509 512
そうでしたか。そういえばそうでしたね。
それでは、朝貢するのに出自で得をするというのは無いようですね。
>>489=
>>495 「論衡」には、こう書いてあります。
(恢国篇)「成王の時、越裳雉を獻じ、倭人ちょ草を貢す」
(儒増篇)「周の時、天下泰平、越裳白雉を獻じ、倭人ちょそうを貢す」
越も出てますが?
越を隠した理由は何ですか?
日本だけを特別扱いに歪曲捏造した理由は何ですか?
>>519 >正規の朝貢という場合
>「国書」を持って行かなくちゃならないが
>日本では7世紀以降持っていかなかったらしいね。
国書はいちおう持っていったみたいよ。
本位田菊士氏の論文「天皇号の成立とアジア」(『アジアのなかの日本史U:外交と戦争』所収)
によると、『冊府元亀』外臣部請求の開元二十三年(735)閏十一月條に、日本が臣名代
(中臣朝臣名代)を遣わし表を奉じ方物を献じたとみえ、また、同技術に、徳宗建中年間
(780〜783)の初め倭国が大使真人興能(判官の甘南備真人清野か)を遣わし表を奉じ
方物を献じたとあるそうな。
524 :
日本@名無史さん:03/09/23 09:19
>>521 隠してるんじゃないでしょ、歴史版でそんな常識全部書くまでもないんだから、
ポイントは、1000年前の想像上の国のさらに想像上の交流にさえ
倭が登場してる事でしょ、 周囲表現の4方のひとつが倭だったというのが
面白いね
>>521 「ちょ草」って何でしょうか?
ググッてみたら、
>※暢草は、秬(クロキビ)とあわせて酒に香りをつける。
>李白の詩にも「蘭陵美酒鬱金香/玉碗盛來琥珀光」とある。鬱金といえばターメリックのことだが、
>倭人の貢ぎ物としてターメリックというのはあり得るのだろうか。
というのがあったが、
「ウコン」ってやつらしいですね。
>>524=
>>495=
>>489=
>>494 >想像上の国
紀元前771年までの西周時代は実力をようしてたようだが?
>漢書なのに
>倭が登場してる事
「論衡」は、「漢書」ではありません。漢の時代の「正史」でもありません。
>1000年前の国家を賞賛するのにも登場させられるのが
>日本なんだよ。 中華皇帝賞賛に、東方の礼国日本は定番。
↑↓
>周囲表現の4方のひとつが倭だったというのが 面白いね
ニュアンスがずいぶん違うね。
ついでにいえば、周囲表現の4方の一つは「越」でもある。
倭は特別扱いでないので、面白くもなんともない。
その不正確な本が書かれた時代の、周囲の朝貢国を反映して書かれただけ。
>>519 >朝貢ということと 属国ということが 混ざって語られているね。
どのレス?番号書いて。混ぜてる人はいないようだけど?
>正規の朝貢という場合「国書」を持って行かなくちゃならないが
>日本では7世紀以降持っていかなかったらしいね。
607年と608年の遣隋使のもっていった国書が「隋書」「日本書紀」に掲載。
「日出ずるところの〜」と「西の〜」の国書は有名。
「続日本紀」には、「唐朝書」「唐史上書」の所見があるのに、内容が書いてない。
また玄宗皇帝の出した文書には「勅日本国王書」があり、「勅日本国王スメラノミコト」
があて先になっている。
日本は国書を出したが、唐の返事が国書でなく「勅書」で蛮国向けの形式だったので
日本の歴史記録には載せられなかったってのが、現在の説の多数派みたいね。
また、唐への国書は天皇を「スメラノミコト」としてたらしい。
新羅や渤海に対しては「天皇」と書いているけどね。
(「天皇の呼称」梅村喬・「前近代の天皇・全5巻」所収など)
朝貢形式の国書を持たない新羅や渤海を日本は港で追い返している。
あるいは、書き直させている。すべて、中国のまねをしたもの。
唐が朝貢形式の国書を持たない外国を上陸させることはありえない。
>>525 374さん
ウコンなんですかね。
ウコンだと江戸時代に日本に来たらしいけど?
南方では生えてたみたいだから、三角貿易かな?
周囲表現に朝鮮は合ったの?
530 :
日本@名無史さん:03/09/23 11:42
>>529 ないよ
>>480 のとおり、自慢にならない
越や倭のように1Cの漢人から見て、大国じゃないとね、
あの越やあの倭さえ、偉大な周王に貢ものを捧げていた
という意味以外に解釈のしようがない文章。
もし、当時米国、英国という概念があれば、
800年前の漢の始祖国である周の成王には、
米国や英国から貢ものがあった。
として表現するところ。
531 :
日本@名無史さん:03/09/23 11:56
誤解がないようにしたいが、1Cの漢人が
倭を大国と思ってたというのではない。
ほとんど知らない伝説の国だから丁度いいだけ
また、紀元前800年から東に倭人が住んでいると
思って書いてるところが、東の倭人
という当時の漢人の普遍的常識を表現している
532 :
日本@名無史さん:03/09/23 12:12
越がなぜ、大国という意味につながるかといえば、
秦帝の偉業とは、越人を制して漢を統一した初代帝としての偉業。
即ち、周のときの越は、まだ征するのが難しい勢力でなければ
始皇帝の偉業は偉業ではなくなる。だからこそ、周王を褒めるにあたって、
始皇帝に遡る事、数百年前の越からも貢ものがあったという表現に意味がある
1Cの時点では、周辺に多数の蛮族があるなか、
越と同列と倭が記載されているのを大国扱いというのはそういう意味である
>越や倭のように1Cの漢人から見て、大国じゃないとね、
>大国扱いというのはそういう意味である
必死なところを悪いが、1世紀に倭が大国だったってのは、
どう理屈をつけてもきついな。「論衡」はいつの本か正式には不明だしね。
「漢書」=楽浪海中倭人あり、わかれて100余国となす。
「後漢書」=奴の国王に金印を授ける。
うじゃうじゃとクニはあったけど、統一政権の倭国はまだなかった。
半島と同じか少し遅れてたレベル。
ちなみに、朝鮮北部ではこの頃、高句麗が漢と張り合ってる。王莽とも戦闘。
後に、楽浪郡を陥落させている。
また、高句麗は馬韓・辰韓などとともに帯方郡を滅ぼしている。
534 :
日本@名無史さん:03/09/23 12:45
>>533 いや、それ等は国名としての話。楽浪海中に発見されたのは、
あの倭人がうじゃうじゃいる国。国名なんてどうでもよくて、
あの東の倭人、あるいは倭人の国日本から朝貢してもらうというのは
帝の栄光を記載する上でかかせない
本論は、大国から朝貢をもらうというのは、皇帝を褒める定番という
話だったでしょ。越や倭のように、当時周王の域外だった国から
もらった、もらった、と自慢表現するのが
古来からの漢の朝貢記述 という話
越が周の時、周の下だったら、秦帝は偉業でもなんでもない。
朝貢自慢は、相手が服してないからこそ自慢になるのね
535 :
日本@名無史さん:03/09/23 13:15
何がなんでも日本は凄い国に仕立てあげたい国粋主義者の人が
いるようけど、それじゃ「xxxは我々が発明した」と称する韓国や
「偉大なる首領様の国」と称する北チョソと同レベルだ。
別に昔は野蛮な蛮族だったってことは別に日本人の恥でもなんでもないだろ。
むしろ、歴史を捏造して「我々は偉大な国だ」ってやっているほうが、
他国から見れば笑いものだし、日本の恥だ。
「朝貢してもらうというのは帝の栄光を記載する上でかかせない」
というのは正しい。
だが、それは「智や礼に暗く遠い地に住む蛮族が貢を捧げに来朝するのは
皇帝陛下の徳が天に達したから」というのが、朝貢が自慢になる理由であって、
「大国から朝貢をもらうというのは、皇帝を褒める定番」というのは
とんでもなく勘違い。
中華思想というのは、そもそも文化・経済・etc.的に大国などというものを
中原以外には認めないから「中華」。
越や倭などを大国などと認めてなどいない。
つまり倭に価値があるのは「智や礼に暗く遠い地に住む蛮族」だからであって
間違っても「大国」だからじゃない。
もうちょっと勉強したら?
そもそも『朝貢』は中華皇帝の権威を高め、中原にひしめく異民族や、骨肉の戦いを
演じている同族の敵よりも格上であることを示すためにこそ必要なもの。
遠交近攻策の一環。これが出発点。
相手の国力云々はまた別問題かと。
>>535 あーあ、言ちゃったよ。
ここのまともな住人なら「日本は古代より偉大な国」なんて、引き篭もり系
歴史オタのトンデモ説だってことは理解してるよ。
だけど、からかうとおもしろいから、議論にお付き合いしてあげているのであって、
「日本の恥」「もうちょっと勉強したら?」なんてキツイこと言ったのでは、
議論終わっちゃうじゃん。
538 :
日本@名無史さん:03/09/23 13:52
>>537 ぷっチョン必死だね
日本は古代より偉大な国
んな事、どこにも書いてないっつーの
いや、
>>535くらい言っておかないと勘違いする厨が増殖するからな。
2ちゃんってチョンとかシナとか言ってイキがるオタが多いしw
と書いてるそばから、
>>539みたいなキチガイが湧いて出たw
541 :
日本@名無史さん:03/09/23 13:56
チョンとかシナとか言ってイキがるオタが多いのは事実だけどな
げっ、自爆した(汗
訂正します。
>>539と書いてるそばから、
>>538みたいなキチガイが湧いて出たw
>>539 そんなこと言うけど、普通の人がチョッパリとか叫んでいる国はどうなるの?!
可哀想なこと言うものじゃない!
お母さん怒るよ!
スレを見る限り、537のような人は少数派なのだが・・。
むしろ一人で孤軍奮闘しているような気がしなくも無い。
>>529 よくわからないですが、神秘の薬草って感じでしょうか?^^;
不老長寿の仙薬があるという蓬莱山的イメージなのでしょう。
>>543 それだけ、日本史板(つーか2ちゃん)に嫌韓やレイシストが多いってこと。
全然、自慢にならないことだが。
546 :
日本@名無史さん:03/09/23 14:13
>>537 は、ちょっとつり過ぎ。 荒れてしまう
スレの流れとしては、外れていない
>>534までは 外れていない
”越が周の時、周の下だったら、秦帝は偉業でもなんでもない
朝貢自慢は、相手が服してないからこそ自慢になる”
目から鱗なんだが
>>535 > 中華思想というのは、そもそも文化・経済・etc.的に大国などというものを
> 中原以外には認めないから「中華」。
> 越や倭などを大国などと認めてなどいない。
> つまり倭に価値があるのは「智や礼に暗く遠い地に住む蛮族」だからであって
> 間違っても「大国」だからじゃない。
> もうちょっと勉強したら?
中国にも儒教的で自己中心的な価値観と、
道教的な多元的な価値観があって、
倭は、前者の視点からすればどうしょうもない愚かな蛮族なのだろうけれど、
後者の観点からすれば、魅力的なイメージを抱かせる対象だったのでしょう。
現代人であるわれわれは、儒教的な価値観で歴史を見る必要はないし、
上下関係を固定的に考える必要は無いと思います。
どうせ、どこの国も自分が一番なんでしょうから。
548 :
日本@名無史さん:03/09/23 14:15
>>545 世間ではおっかなくて言えないから2ちゃんで垂れ流しているわけか
549 :
日本@名無史さん:03/09/23 14:27
>>545 2chが出来る遥か以前から鮮人は日常生活で普通にチョッパリと
言ってましたが何か?
550 :
日本@名無史さん:03/09/23 14:29
2chがあるからチョッパリと言うんだと弁解しながら
言う屁たれ鮮人
>>545 こういう奴に限って
反日とレイシズムを国全体でやってて日本に対してだけ
極右国家になる人間に直に接したり、論戦吹っかけられる
と黙っちゃうんだよな(w
552 :
日本@名無史さん:03/09/23 14:33
553 :
日本@名無史さん:03/09/23 14:41
別に倭が大国だと思われてる必要はないのだけど、
かといって、 当時の中華で 倭を蛮族としてる記述ってあるの?
蛮族として扱うのが中華思想だから・・・ というのは なしでね。
554 :
日本@名無史さん:03/09/23 16:01
>>535 えらい見当はずれな意見だな。だれが国粋主義者だよ?
555 :
日本@名無史さん:03/09/23 16:16
>>535の第一段落と第二、三段落は話がつながってないんだよな。
「勅日本國王主明樂美御徳彼禮義之國神霊所扶」
上の方で出ていた玄宗から日本への勅書の冒頭部分
「勅書」だからあくまでも唐から見た日本は格下扱い
ただ内容自体は「礼儀の国にて神霊のたすける所」だから
扱い自体はかなり丁寧だね
557 :
日本@名無史さん:03/09/23 17:03
>>544 そういや、蓬莱の薬草のイメージがあるね、
あの文章をみると、倭人そのものは、大陸にもいたのか?
と思わせる書き方なんだよね、
その後、倭人の国が海の中に発見されて、インタビューすると
古い言葉を話し、呉人の子孫 と名乗ってる という魏志の記事
ま、この辺の話は、スレが荒れやすいからやめるか
558 :
日本@名無史さん:03/09/23 20:20
>>557 たまに、海外で「ニンジャの子孫です」とホラ吹いて尊敬されてるアホがいるけど
「ひょっとすると呉人の子孫? はるか遠くの地まで遠征してすごいね!」
「いやあそれほどでもないですよ、ハハハ・・・」
みたいな会話の流れがあったんじゃないかと想像してみる。
559 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:20
560 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:23
日本人は、呉人の子孫、古代中国人の子孫、とか言いますが、
海を越えて大量の移民が日本列島に移動できるものなのでしょうか?
しかも時間的に何百年もかけて移り住んだわけではないし、原住民(原日本人)
のほうが圧倒的に人数が多いと思うのですが。
素朴に疑問です。
561 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:26
そういや、 魏志の 倭人は旧語を話し・・・
って部分、旧語ってなんだろ、
日本語って古い言葉なのかな
562 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:28
原住民の数が少なければ問題ない。
もし原住民が採取中心生活であれば、かなり少ないはず。
563 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:29
>>560 何百年もかけて移り住んだんじゃないの?
縄文時代の西日本の人口は少なかったみたいよ。
564 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:32
稲作BC300説の頃は、学会的には、
春秋戦国時代の始皇帝に征服された、呉越国から
生死をかけた難民が大量に発生しただろう
その時、稲作が伝来した という説が主流だったと思うが、
稲作BC800年の今、それより古いときから
徐々に 潮にのって流れてきたという事なんだろうね
565 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:33
566 :
日本@名無史さん:03/09/23 21:45
>>565 さぁ、よくわかんないけど、様々だったんじゃないかなぁ。
朝貢も柵封も実は属国としての実質はほとんどないという罠 使節をやりとりするときのお作法だけ向こうに合わせてやれば、 折にふれて豪勢なみやげ物をいただける 儒礼に興味のない国から見れば、 中国皇帝は痴呆の一種に見えたに相違ない
朝貢は中華の正統を国内向けにアピールするためのものだから、と
何度か書いているのだが、かまってくれないので自画自賛するぜ!
>>536が朝貢の本質!
>>538 >ぷっチョン必死だね
>日本は古代より偉大な国
>んな事、どこにも書いてないっつーの
約1名の君だけが書いてる気がしますけど。
↓
>>534 >大国から朝貢をもらうというのは、皇帝を褒める定番という話
>越が周の時、周の下だったら、秦帝は偉業でもなんでもない。
>朝貢自慢は、相手が服してないからこそ自慢になるのね
越の表現は難しいが、漢によって蕃国にされ、武帝に平定された。
金印が出土している。秦ではない。
>>546 >”越が周の時、周の下だったら、秦帝は偉業でもなんでもない
>朝貢自慢は、相手が服してないからこそ自慢になる”
>目から鱗なんだが
全然、変な話だ。朝貢したくない国が朝貢に来たことは歴史上ない。
日本だって行きたくない時は行ってない。必要がある時に自分から行ってる。
>「智や礼に暗く遠い地に住む蛮族が貢を捧げに来朝するのは
>皇帝陛下の徳が天に達したから」というのが、朝貢が自慢になる理由であって、
>「大国から朝貢をもらうというのは、皇帝を褒める定番」というのは
>とんでもなく勘違い。
これが普通の理解。
朝貢してないって言い張る人は消えたみたいだから終了?
>倭人
半島南部や大陸沿岸にも倭人がいたようだ。
海の民みたいな感じかな。
韓(半島)の人より10cmくらい背が低いんで漢の人に「小柄な人」=「倭人」と言われた
らしい。
これはクヤスィ!
>>568 >相手の国力云々はまた別問題かと。
特に、ここは正しい。
要するに朝貢とは、儒教国の自画自賛マスゲームみたいなものさ。
その権力っぷりを『近い敵』に見せ付けるための形式主義。
遠交近攻策。
576 :
日本@名無史さん:03/09/24 00:09
22時46分から22時55分まで、
誰が来たようですが、
>>573 韓(半島)の人より10cmくらい背が低いんで漢の人に「小柄な人」=「倭人」と言われた
らしい。
これはクヤスィ!
という、とても微笑ましいシグナルを残していったので、彼だ・・・
という事は皆すぐに気がついた事でしょう。
577 :
日本@名無史さん:03/09/24 00:20
>>571 いや・・・だから、 その論衛の記事自体、明らかに想像なんだって。
1Cの人がBC800の事を倭を登場させて書いてるでしょ、ありえんっつーの
だから、想像上の貢事にさえ 倭が登場してると笑ってるんでしょ
579 :
日本@名無史さん:03/09/24 06:51
倭人=小柄な人 の意は、日本人=小柄な人 と同じで、
後天的な 卑意です。
字 そのものは、 人+稲穂の女 であり
魏 の 稲穂の女+鬼 に比べても 良い言葉とされてます。
倭が 漢族認証の 一意一字表現が与えられてる事から、
古来から認証されてると思われます
>>579 白村江での対立が決定的だね。その後の倭のイメージは。
それに韓人と倭人の差は10センチもないよ。
>>579 日本の鬼の概念と違ってあちらではネガティブなイメージはないようだよ。
582 :
日本@名無史さん:03/09/24 11:52
東洋鬼ですが何か?
584 :
日本@名無史さん:03/09/24 13:09
矮(ちび)と倭(稲を祭る人)という漢字の区別ができないチョンが
いるスレはここですか。
>>584 韓国人は漢字しらないからね〜
矮小を倭小とか堂々と公の場で語ってるし(ウェブ上で調べて見れば分かる)(w
ちなみに韓国って最近、漢字の重要性を再認識したらしく、
幼年期の漢字検定を義務付けるらしいよ。
鬼は大陸や半島では魂魄やね。
つまり幽霊。
587 :
日本@名無史さん:03/09/24 18:50
>>533 >「後漢書」=奴の国王に金印を授ける。
>うじゃうじゃとクニはあったけど、統一政権の倭国はまだなかった。
>半島と同じか少し遅れてたレベル。
列島は「漢倭奴国王」の金印、半島は「廉斯邑君」の銅印。
王>侯>邑君、金>銀>銅。だね。
>ちなみに、朝鮮北部ではこの頃、高句麗が漢と張り合ってる。王莽とも戦闘。
朝鮮北部といってもまだ楽浪郡健在じゃん。
正確には中朝国境地帯の山岳部、どちらかといえば中国側だろ。
>後に、楽浪郡を陥落させている。
>また、高句麗は馬韓・辰韓などとともに帯方郡を滅ぼしている。
それ漢代の話じゃないじゃん。三国時代なら倭も十分大国。
>必死なところを悪いが、
あんたも必死だね。
>半島と同じか少し遅れてたレベル。
なんていうために三韓じゃなくて、まだ南下もする前の高句麗もちだすなんて
必死にもほどがある。
588 :
日本@名無史さん:03/09/24 19:25
倭に関しての 典型的な間違い
辞書に 倭人=悪意的な意味 (小さいとか海賊とか)があるという
言葉に込められた2000年の後天的な 意味と
字に込められた 先天的な 意味と
これを混同してる奴が結構いる。困ったものである。
倭人という言葉に2000年間詰め込まれた意味は、
小さい人や賊など卑語とする意味が込められてしまっている。
しかしこれは、 倭 という字 のもともとの意味ではない。
あくまでも 倭 は 人+女+稲 でまさに日本人そのもの
一意一字の漢字を当てられる民族というのは、 鮮卑などと違い、
本来漢の身内民族をさす言葉である。
589 :
日本@名無史さん:03/09/24 19:42
倭人とは日本人を構成した民族の一つであって、倭人=日本人ではないのでは?
590 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:03
ここで必死になってる在って各板で失笑買いまくってるあいつだろ。
コテハンにする度胸もないくせにすぐわかるのがおもろい。
591 :
日本@名無史さん:03/09/24 20:04
>>589 伝えたい事は何?
少なくとも7C以降は、大陸や半島からみて
倭人=日本人 だよ
倭寇は、日本の海賊の意味で、実際は 中国人や朝鮮人が多いがね
1文字よりも2文字、2文字よりも3文字と
語数が多い国ほど卑しいとされるのは定説です。
>>589 君の言う事は一理ある。日本から見ての見解ではないが。
>>557 >そういや、蓬莱の薬草のイメージがあるね、
>あの文章をみると、倭人そのものは、大陸にもいたのか?
>と思わせる書き方なんだよね、
「論衡」の、「周の時、天下泰平、越裳白雉を獻じ、倭人ちょそうを貢す」
の「ちょ草」ってのは香草(ハーブ)の一種だそうで、南方にしかできないから、
この倭人てのは、大陸南方の種族を指してるらしい。中公文庫かなんかに書いてあった記憶が。
倭って言葉は、2000年位前の漢の「説文解字」って本だと、
「倭はしなやかなるすがたなり。人に従い委の声」とあるらしい。
そこから当時は「背が丸く曲がって低い人」に対しての意味になったようだ。
だから南方や朝鮮や日本など各地に倭がいたのかな?
「倭人は、前漢の朝鮮4郡の設置(前108)によって中国人に知られ、平均身長に
約10cmの差があったらしい韓人種族と区別して「小柄な人」と命名された公算
が大きい」ってのが某大事典に載ってた。文責は山尾幸久先生。
中国は周辺や少数民族に変な字やいやな字を使うからね。
中華人民共和国になってから、少数民族の字をすべていい意味の字に変えたらしい。
>>594 ウコン(ターメリック)という説もあるし、
ワカメだかコンブだか何かの海草という説もあったし、
他にもいろんな説があってよくわからない。
周王朝の祭祀に必須のものだったとはいうけど。
倭は呉太伯の子孫という説があるが、
周の成王の時は呉太伯の時代からまだ数代しかたってないのにもう部族集団になっていたというはへん。
呉太伯には少なくとも息子はいなかったはずなので娘の子孫といいたいのかな?
呉太伯の子孫という説は後世つくられた話だろう。
597 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:11
>周の成王の時は呉太伯の時代からまだ数代しかたってないのにもう部族集団になっていたというはへん。
ん?周の成王がどうかされましたか??
599 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:17
日本は唐に朝貢していた。事実は単純です。
新羅との席次争いも「蕃国」同士のコップの中の嵐。
600 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:24
>>599 昨日の「その時、歴史は動いた」を見てないなw
複数の国の使節が集まれば席次が問題になるのは当たり前。
話をループさせんなよ
602 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:29
今週の「その時、歴史は動いた」は中止だったが。
603 :
日本@名無史さん:03/09/25 00:54
>>601 御意
韓国って、この前中国から印鑑もらって大喜びしてたよね?
まったく能天気な民族だよ(笑)
605 :
日本@名無史さん:03/09/25 09:04
>>595 「倭人は、前漢の朝鮮4郡の設置(前108)によって中国人に知られ、平均身長に
約10cmの差があったらしい韓人種族と区別して「小柄な人」と命名された公算
が大きい」ってのが某大事典に載ってた。文責は山尾幸久先生。
君がくるとすぐ判ってしまうのはなぜだろう・・・・
はあ・・・ BC100年に 韓人が倭人と別に観測されたっってーの?(w
BC100年の韓人と倭人の平均身長を10cm単位で知ってるなんて、かなり重症の電波だな。
607 :
日本@名無史さん:03/09/25 11:24
本当に 山尾幸久 という奴の 文責だけ集めたら、
電波大全集 になりそうだな
複数の国の使節が集まるんだから席次が問題になるのは当たり前。
話をループさせんなよ
609 :
日本@名無史さん:03/09/25 16:18
山尾幸久は時々おかしなことも言うけど基本はまともな学者だろ。
605の引用のしかたがマズイんじゃないの?
610 :
日本@名無史さん:03/09/25 18:00
日本は唐に朝貢していた。事実は単純です。
新羅との席次争いも「蕃国」同士のコップの中の嵐。
611 :
日本@名無史さん:03/09/25 18:25
古代史の山尾幸久を知らないのはヤバイだろ。
遅くても光武帝は倭人と韓人の区別ができてるから紀元前の楽浪郡の情報
だろうってのは、ほぼ通説。
後漢書とかにでてたはず。
つーかそもそも唐に「蕃国」以外の枠ってあんの?
614 :
日本@名無史さん:03/09/25 18:41
>>611 前漢代の情報と後漢代の情報はごっちゃにしない方が正確だと思われ。
「楽浪海中、倭人あり」は前漢。まだ韓というものは存在してないか少なくとも知られていなかった可能性が高い。
楽浪海中(楽浪郡に隣接する地域)に存在するのが倭人でなく韓人だというのは後漢の認識。
616 :
日本@名無史さん:03/09/25 20:01
>>615 いいたい事は判るが、
楽浪海中の島から半島にかけて倭人がいて、
後の世で半島側は3韓と名がついたので
後の世で韓人とよばれただけであり、
この時点では、どちらも倭人でよい
韓人というのは国の名別の呼び名だろう
>>613 内側に入っちゃえば国内扱い。
朝貢に来ない国は、外界扱い。
国内→藩属国→外界。
>>587 >列島は「漢倭奴国王」の金印、半島は「廉斯邑君」の銅印。
>王>侯>邑君、金>銀>銅。だね。
国や郡(地方)が「王」、県(城都)が「侯」、邑(町)が「君」。
「韓廉斯邑君」となった蘇馬は楽浪郡の背後を固めてくれる町の代表だから、
邑君となった。それだけの話。
西方では「候」で金銅の印が出土して、北方では「王」で銅印が出土している。
>>610 アッバース朝イスラム帝国もササン朝ペルシア帝国もすべて「蕃国」扱いじゃなかったのか?
「コップの中の嵐」とは、ずいぶんデカいコップもあったもんだな(w
>>618 「漢倭奴国王」だって実体は奴国一国の首長にすぎない。そういう意味では
「韓廉斯邑君」や「不耐穢王」とたいしてかわらない。
中国側からその民族の唯一の代表窓口として認めたという点では王も邑君も金印も銅印も似たようなもの。
ただ、そいつを通して仕切ってもらえる異民族の総国力を中国側がどれくらいに見積もったかの違い。
倭と穢の首長が王なのに韓の首長が邑君にすぎないのは、
発展段階的にいって韓が遅れていたか、あるいは単純に韓人の総人口が少なかったか、どちらかの理由しかない。
>>619 人口で決めたとか聞いたことがある。
楽浪郡近辺は、いくつもいた。
不耐濊侯、華麗濊侯、沃沮濊侯の三侯とかいろいろ。
高句麗が候から、王にもどってるのは政策か?
高句麗は王にもどったわけではなくて、もともと県侯だったのを
光武帝の時に「はじめて」王に格上げした。
王莽が侯に格下げしたのを光武帝が王に戻したというのは後漢書の誤り。
622 :
日本@名無史さん:03/09/27 02:39
高句麗の話をする時に三国史記だけでいってる奴は救いようのない馬鹿
623 :
日本@名無史さん:03/09/28 10:28
>>619 国王にしたら格式としては郡太守と同格だまの。
きちっと郡の管理下におくためにも国王にはしたくなかったんでは?
天使宣言した日本は中国と対等だった!と言ってた人、
あちこちで継体天皇からは中国人だ!って書きまくってる。
625 :
日本@名無史さん:03/09/30 16:55
継体天皇はウリナラでつ。
626 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:01
>>624 継体帝から、漢の正当は日本だった。 継体帝=順帝だと
627 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:07
>>624 天子宣言した日本は中国と 対等だった
・・・・・・あの・・・・・ このスレにはたくさんいるのですが・・・・
628 :
日本@名無史さん:03/09/30 20:15
>>627 当時の日本側の心意気としては対等だろ。
そこが一番大事なポイント。
>>627 そんな物珍しい説に賛同してるのがそうそういるわけないだろ。
1人しかいないじゃんよ(w
黒人の混血児って本当に可愛いよね。
昔はありえなかったけど、最近近所でよくみかけるようになってきた。
日本人の身体的欠陥を補う意味でも黒人移民を奨励して欲しい。
631 :
日本@名無史さん:03/09/30 21:18
633 :
日本@名無史さん:03/10/01 00:16
遣隋使が対等の国書を持って行って煬帝を怒らせたのは、単なる外交的無知によるもの。
634 :
日本@名無史さん:03/10/01 00:56
>>633 おいおい、当時の歴史をちゃんと勉強しろよ。
夷狄あつかいだった鮮卑系の隋・唐による大陸支配となった今、
倭としては対等意識を持つのは当然で、
さらに、倭としてはそれを機会に中華体制からの離脱を試み、成功したわけだ。
635 :
日本@名無史さん:03/10/01 01:23
>>634 でも遣唐使は朝貢の使いだったわけだけどな。
新羅との席次争いも朝貢国同士の争いでしかない。
636 :
日本@名無史さん:03/10/01 01:35
>>635 素人には背景とかわからないのはしょうがないけども、
簡単に言うと、当時は国際社会全体を我々のように客観的に見ることはできず、
各国が、それぞれ自分以外の国を相対化してみていたわけよ。
で、中華主義というのは、自分が中心で周囲はすべて劣るという考え方で、
相手がどうであれ形式的にでもいいから朝貢国として扱っていたのは、
対日本以外でも多く事例が見られるわけ。
もちろん、現代人はもっと客観的に世界各国を見れるわけだけど、
そういう古い中華主義というのは、今も少し残っているのがいやらしいところ。
隋や唐は鮮卑系って当時の人はしってたん?
そして夷狄だからといって倭は連中を軽んじてたとか書いてる人いるけど
それはどこら辺の資料に載ってるん?
638 :
日本@名無史さん:03/10/01 03:30
>>637 横スレなんだが、
当時の日本の朝廷は、漢人ばかりだから当然知ってただろ
南朝そのものが、鮮卑が万里を越えて攻めてきたことで
中原から来た漢族で人口が倍になったといわれてる
そのくらいの異民族の侵略事件
639 :
日本@名無史さん:03/10/01 15:18
中国人は人種主義じゃなくて文明主義だったから
匈奴や鮮卑出身でも中華文明に身をゆだねて何代かすれば
中華人と認めるよ。
だから隋唐の皇室は血は北族とわかっていたとしても
あんまり気にしていなかったんじゃないかな。
640 :
日本@名無史さん:03/10/01 15:35
>>639 それは、唐の高祖になって鮮卑人が国民総漢化を行った後の世のこと。
名前や衣服を全て漢化していったんだよ。なぜかといえば、
あまりにも、鮮卑人が蛮族の非文明文で、
漢族を従えることが出来なかったから唐皇帝自ら漢化してしまった。
その大事件は、五胡が漢に進行してからおよそ400年を経てからの事。
それまでは、衣服も名前も風習も異なる異民族が、漢を荒らし
漢族の多くが、南朝へ国民大移動をおこしてしまった。
北朝代や隋や唐の初期は、当時漢文化圏でもなんでもない。
641 :
日本@名無史さん:03/10/01 16:00
どうしても唐と倭とが対等だということにしたいんだね。
かわいそうに。
対等といってもいろいろ意味があるからなぁ
少なくとも一方的に属国だったとはいえないようだけど
>>641 か わ い そ う に っ て 何 故 ?
644 :
日本@名無史さん:03/10/01 16:57
釣りだろ、構ってくれないから
645 :
日本@名無史さん:03/10/01 16:58
そりゃ 安保条約を形式的に結んでたら、日本も韓国もアメリカと
同格という主張も可能。 しかし米軍は日本でも韓国でも、その国の
軍隊の指揮に従がわないで自由に行動できる。治外法権の基地がある。
もちろん韓国軍も日本軍もアメリカでそんな権益をもってない。
じっさいはアメリカの核の庇護の下にある。 属国というのも可能。
当時の倭や新羅・百済も、こんなもんでしょ
ブッシュが小泉を立ててくれても、世界はやっぱり格が違うと見ている。
韓国なんかは、もっと下に見てるけど。
646 :
日本@名無史さん:03/10/01 17:11
こいつは、スレの頭っから、手をかえ品をかえ
よくまー同じ主張を、根拠なく繰り返すね〜
「倭と新羅と百済は同レベルである」
言いたいのはそれだけだろ、
新羅(君の祖国)が 隋唐より下なのは覆せないから、
日本も 隋唐より下だったって事実認定したくてしたくて
夜も眠れなくくて、くやしいーー ってところか?
647 :
日本@名無史さん:03/10/01 17:20
>>646 現に日本は唐より下だったんだから怒ったってしょうがないじゃん。
648 :
日本@名無史さん:03/10/01 17:30
649 :
日本@名無史さん:03/10/01 17:46
650 :
日本@名無史さん:03/10/01 17:49
651 :
日本@名無史さん:03/10/01 18:11
しつこい。
652 :
日本@名無史さん:03/10/01 18:25
>>627=631=634=636=638=640=641=644=646=648=649
思い込みだけで1日中書いてるのか・・・
対等だったという説のソース(文献)をキボンヌ
654 :
日本@名無史さん:03/10/01 19:25
655 :
日本@名無史さん:03/10/01 19:53
>>653 あるわけないじゃん、そんなもの。バカウヨが妄想してるだけ。
656 :
日本@名無史さん:03/10/01 19:58
想像してごらん。
日本国民の半分が黒人だったら、すばらしい国家になったことだろう。
657 :
日本@名無史さん:03/10/01 20:06
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ぱくっ|
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/◎;;;,;,,,,ヽそんなエサで
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658 :
日本@名無史さん:03/10/01 20:16
だって朝鮮人の王朝であった日本が、中国と同格のわけないじゃん。
倭は中国(唐)と戦争したから、負けるまでは格下でないと言い得る。
倭は日本という任那の朝鮮人に滅ぼされたから、それ以降は明らかに
属国。 テンコロを追放しないかぎり、永遠の格下。
いいかげん、反日工作員どもは、日本史板から出ていってくださいです。
対等ソースはまだ?
なるほど、日本人が朝鮮人なら、従軍慰安婦は
朝鮮人の朝鮮人による朝鮮人のための慰安婦だったわけか。
663 :
日本@名無史さん:03/10/01 22:38
653 :日本@名無史さん :03/10/01 18:31
対等だったという説のソース(文献)をキボンヌ
DQNな文書を送りつけても、懲らしめることができないほどの独立国だったんでしょ。
聖徳太子は確信犯だね。見事な独立宣言でした。
666 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:20
ゴリラのチンポは3cm
人以外の霊長類はみんなこんなもん。
黒人のチンポは全人種・全霊長類中最大のサイズだ!
667 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:22
馬鹿すぎてかわいそうに思われちゃったんだろ、倭は。
669 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:34
>>668 「はなはだ義理なし」とか中国側の史書に書き残されちゃってかわいそうに。
671 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:50
中国様の価値観ベッタリで、煽っている人って本当に在日の人たちなのかな?
673 :
日本@名無史さん:03/10/01 23:59
それで?唐と倭が対等だったという史料的根拠はいつ出てくるんだ?
いちおう学問板なんだろ?
>>673 国力数十倍数百倍の隋唐を相手に対等というのは誇張だが、
独立国同士が対等であるというのなら対等でしょう。
日本書紀と隋書って、何回も出てるでしょ。
>>674 そういうことですよね。
そのあたりの意味が不思議なくらい理解できない方がいらっしゃる。
しつこく食い下がれば、自分の主張が通るとでも思ってるのかしら?
>>674 現在の概念で考えなさんな。
当時中国には「独立国」という概念はない。
あるのは中華帝国と、その徳を慕う朝貢国、朝貢もしないDQN国。
そのDQN国もやがて中国の徳を慕って来るべきと考えている。
つまり中国に対して対等な国ってのは、アヘン戦争までは存在しない。
そしてその国の作った世界秩序に参加した=朝貢したってのは
この世界観に自ら参加したって事。
実際のところ遣隋唐使が朝貢使であったかどうかは知らんけど
唐の制度、文化を輸入すべく送ったってのは文化的に隋唐が日本より
優れた文化、制度を持っていたと日本も認識していたからじゃないかな。
677 :
646 648:03/10/02 01:50
今戻ったんだが・・・
>>673 おまえ、誰相手に吼えてんだ? (爆笑
それにしても、おまえ相当悔しかったんだね、
日本と唐が対等って事実が。
対等の証拠?
このスレでお前の脳内妄想レスを除けば全員対等レスだっつーの
まあ、毎年1000人の美女を唐に献上してた新羅はかわいそうだが。
日本・唐>>>>百済>>>>>>>>>>>>>>>新羅>>>
>>>>>>>現代朝鮮>>>>>>>>>>おまえ> ぷっ
678 :
日本@名無史さん:03/10/02 01:52
>>677 で、何がそんなに悔しくて逆ギレしてるんだ?
679 :
日本@名無史さん:03/10/02 01:58
>>676 唐側の認識はその通りだと思うが、
アッバース朝も含めた朝貢国が「その世界観に参加した」
とはいえないわな。
680 :
646 648:03/10/02 01:59
>>676 ついでに行っとくぞ、遣唐使は20年に一度。
珍品を持ってくる珍品船だったんだが、唐品は朝廷貿易だけが手に入れられるので
朝廷ゆかりものとしてのシンボルとなった
ありがたがられたのは朝廷そのもので、
唐品にあこがれてたわけでもなんでもない。
日本人は宮内庁ご用達が好きなんだよ
鮮卑の唐ものがあまりに進歩がないので、
菅原君が「唐なんかいってもしゃーないでしょ」
って切っちゃった。
681 :
646 648:03/10/02 02:07
なんで、唐ものがしゃーないのか?
簡単なことで、唐の高祖が鮮卑から漢化したのは、
南朝の漢の模倣。 鮮卑の服や呼び名をみんな漢風にかえちゃった。
唐は一生懸命、漢の模倣をしてたのよ、
じゃ、漢の最先端は当時どこだったかというと、
南朝の梁が文化的に最盛期と呼ばれてるが、日本の呉服や建築などの
影響は全部このころの南朝。日本は南朝直輸入文化と漢人。
この本場の漢人にとって、唐の模倣漢文化は相当トロカッタんだよ
682 :
日本@名無史さん:03/10/02 02:11
本場の漢人?あほですか?
>>676 > 現在の概念で考えなさんな。
何回も述べているのですが、中国中心の価値観「だけ」で考えるべきではないと思います。
> 当時中国には「独立国」という概念はない。
> あるのは中華帝国と、その徳を慕う朝貢国、朝貢もしないDQN国。
> そのDQN国もやがて中国の徳を慕って来るべきと考えている。
> つまり中国に対して対等な国ってのは、アヘン戦争までは存在しない。
セン淵の盟をご存知ですか?
1.国境は変更しない
2.宋は兄、契丹(遼)は弟の礼をもって交際する
3.宋は歳幣として銀10万両、絹20万匹を契丹に交付する
というものです。
> そしてその国の作った世界秩序に参加した=朝貢したってのは
> この世界観に自ら参加したって事。
> 実際のところ遣隋唐使が朝貢使であったかどうかは知らんけど
> 唐の制度、文化を輸入すべく送ったってのは文化的に隋唐が日本より
> 優れた文化、制度を持っていたと日本も認識していたからじゃないかな。
朝貢形式の貿易しか認めていないからでしょう。
アッバース朝すら藩国とするのは、現代から見ればそちらが夜郎自大というものですが。
中国中心の世界観から独立する旨の宣言は既にしているわけで、
参加して属国になるのとは違うと思います。
684 :
日本@名無史さん:03/10/02 02:26
なんで大昔の形式にこだわっているの
685 :
日本@名無史さん:03/10/02 02:40
ん でも天皇は中国皇帝の臣下だったのは間違いないよ。
なんたってチョンなんだから。
686 :
日本@名無史さん:03/10/02 02:42
>>681 それって、結局「中原文化はスゲエ(唐も日本もその模倣輸入に過ぎない)」
と言ってることになるが・・・
中国は長年に渡ってアジアにおいて最高峰であり、中心文化であったから
たとえ異民族征服者が現れても、逆に文化的にはその征服者たちを文化侵略し、
吸収同化する力があった。
これはエジプトなども同じ。
為政者の民族が何であるかに関係なく、それらを取り込んでしまうほどに
力があるがゆえに当時の中国は偉大だった。
過去において、日本が藩国朝貢国だったことを歪めなくてもいいと思うんだが。
明治維新においても、日本は自分たちより力のある(優れているわけではない)
西欧文化を取り入れ、西欧化することによって中世から一気に近代国家に躍進し、
列強に仲間入りした。
功罪はあるにせよ、日本が過去において文化文明大国であったことはなく、他国の
優れたものを受け入れ模倣し続けた。
歴史は歴史であって過去を恥じて改竄するよりも、現在それらの旧大国と同等以上に
あり、反って文化侵略するほどに大国となったことを誇るべきじゃないかなあ。
ナショナリストが増えたなあ。
つまり外交的な立場は
唐側の主張は
唐>日本
日本側の主張は
日本=唐
実際の国力は
唐>日本
ということか?
けど聖徳太子が隋に啖呵きった後も朝貢してたんでしょ?
朝貢すれば中国がどうとらえるかを承知の上で?
名より実ってことか?
688 :
日本@名無史さん:03/10/02 03:07
>>686 アンタは他の人のレスを殆ど読んでないな。
>>687 その啖呵きった後に来た隋の使者は来日時に日本式の礼で答えたそうな。
これの意味することわかるよな?
NHKの「歴史は動いた」でやってたべ。
690 :
日本@名無史さん:03/10/02 03:30
691 :
日本@名無史さん:03/10/02 03:33
外交儀礼をしたという事は、外交するに値する国と認めたという事だな。
692 :
日本@名無史さん:03/10/02 03:33
>>690 ってことは、独立国って認めてるじゃん。
693 :
日本@名無史さん:03/10/02 03:37
>>689 >>これの意味することわかるよな?
どうやら君にはわからなかったみたいだな。
おやすみなさい。
696 :
日本@名無史さん:03/10/02 06:47
いずれにせよ、日本が唐に朝貢していた事実を隠蔽することはできない。
>696
周の昔から朝貢していたことになってます。
>690さんの卓見に従えば、朝貢形式も外交儀礼のひとつでしょう。^^
藩国という言葉には2つの意味があって、
一つは、王室を守るかきねの役をする国。諸侯の国のこと。
二つめは、野蛮人の国。外国。蕃国のこと。
ここらへんの言葉遊びも中国的で面白いと思います。
700 :
日本@名無史さん:03/10/02 07:42
武蔵川親方が見守る中、制裁は行われた。
既にナルヒトの口には出島のサオがねじ込まれている。
「マル、コマしたれ」
親方がいうと、武蔵丸は稽古廻しの横から一物を取り出した。
ゆうに一尺はあろうかという巨大な業物に、ナルヒトはぶるっと震えた。
しかし、その恐怖とは裏腹に〜いや、ナルヒトにとってはその恐怖こそが
色欲を沸き立たせるものだったのかもしれないが〜ナルヒトの花らっきょうの
ような小振りの一物は痛い程にそそり立っていた。
その「花らっきょう」の皮を武双山が唇でちゅるんと器用に剥く。
武双山の口中にアンモニア臭が広がる。
そして、武蔵丸の一尺竿がナルヒトの菊門にねじり込まれていく・…
四人総体重700kgを越えるド迫力の4Pファック。
まだ、幕が開いたにすぎない。
悦楽は、ここから始まる。夜はまだ終わらない…
701 :
日本@名無史さん:03/10/02 07:46
当時、日本に朝貢してた国もあったの?
702 :
日本@名無史さん:03/10/02 10:23
>>686 唐の漢化より日本の漢化が200年は先行してるんだよ。
肝心の漢そのものは陳で消え、日本や唐が継承することになった。
唐は700年代以降漢化したが、それ以降は独自なものになっていく。
日本は、唐が漢化した初期こそ関心をもつが、唐が独自に生み出したものには
興味が無くなって行って遣唐使も廃止する。
日本は漢の南朝様式(呉服)がその後もずーーと発展しているが、
唐では南朝様式は導入されなかった、
ちなみに、半島は唐の属国として行政から様式まで全て唐式に従い、
百済の南朝漢文化が消滅する。
>>702 それって、清朝は満洲族の国だから、
ウリナラが本物の中華帝国(小中華)ニダ!と言ってるようなもんだろ。
>>683 細かい突っ込みもあるけど許してね。
>1.国境は変更しない
>2.宋は兄、契丹(遼)は弟の礼をもって交際する
>3.宋は歳幣として銀10万両、絹20万匹を契丹に交付する
2番を見れば判る事だけど「契丹と宋は家族」って建前にしているよね。
あくまで家族であり、他人ではない。四海の内はみな家族。
実は本当はここ、「宋の皇帝は契丹の皇太后を叔母と敬う。」との
条文だったのを宋側がちょこっと改竄したらしいね。まあ、中国っぽいと言うか。
>朝貢形式の貿易しか認めていないからでしょう。
>アッバース朝すら藩国とするのは、現代から見ればそちらが夜郎自大というものですが。
>中国中心の世界観から独立する旨の宣言は既にしているわけで、
>参加して属国になるのとは違うと思います。
申し訳ないけどアッバース朝の朝貢については知らんのです。
ただ何度も言うように、現在の「属国」という概念は中国にはありません。
というより、西洋的な主権国家という考えも存在しない、と。
朝貢に参加したってのは中国の軍門に降るってんじゃなくて文明に参加する、
その文明の主催者が中国であった、って話。
まあ今で言えば町内で句会のようなものが有り、朝貢国はそれの参加者、
中国は主催者兼灰汁の強い指導者って感じかな。これに入ると中国に
先生面されるのを承知の上で日本も参加した。
もし先生面されるのがいやだったら自前で句会作ってメンバー募集すれば
良かったんだけどそうはせずに中国主催の句会に参加していた。
まあ尤も、渤海って舎弟は出来てたけどね。
705 :
日本@名無史さん:03/10/02 11:25
>>703 チョンの小中華は、
ずっと、隷属関係にあったから、滑稽なだけなんだよ
清に対して完全独立して天子宣言できてればいいんだけどな
>>689 >その啖呵きった後に来た隋の使者は来日時に日本式の礼で答えたそうな。
>これの意味することわかるよな?
>NHKの「歴史は動いた」でやってたべ。
結局出てきたソースはこれだけかw。
隋使の裴世清のことを言ってるんだろうが、彼は使節が帰るときつける返礼使
としては、かなーり下位の位。外交的には失礼なことをされた。
隋が怒った後に思い直して返礼使節を使わした理由は高句麗対策のため。知らんのか?
その年の内に、裴世清と小野妹子は、書き直した手紙を持って隋に出直してる。
「日出ずる所」も「天子」も取り消して、「東の天皇(実際はスメラノミコトといわ
れている)つつしんで申し上げます」にしてる。
ちっとも啖呵きってないって前に言われてただろw。
あと、誰も隋唐の属国だったなんて言ってない。
朝貢してたといってるだけ。
>>703 :日本@名無史さん :03/10/02 10:51
>
>>702 >それって、清朝は満洲族の国だから、
>ウリナラが本物の中華帝国(小中華)ニダ!と言ってるようなもんだろ。
全く小中華主義と同じ考えだ。
必死に名前欄をいじくってるこの人は、どこの国の人なのか?
高校生か?
709 :
646 648:03/10/02 12:04
>>706 バカチョン! おまえ ずーーと間違いを指摘されていてなんで
繰り返すんだ?
天子を取り消して東の天皇 にした
これを、 反省と取るバカは おまえだけだ。
天皇という言葉は、道教からの言葉とレス既出してるだろ、隋の前から大陸は
ずーーと道教国家なんだよ もう少し勉強しろ
天皇=天子 当たり前だろ バカ!
高句麗対策??? それがどうしたんだ? 隋帝は悔しかったが国力が弱くて
日帝からのタメ口を受け入れた。 それ以上でも以下でもない
これを外交っていうんだよ。 国際感覚に優れてたんだな日本は(w
710 :
日本@名無史さん:03/10/02 12:07
>>709 おまえ、どうしてそんなに日本語が不自由なんだ?チョンか?
711 :
日本@名無史さん:03/10/02 12:20
話言葉は習ってないのか?
712 :
日本@名無史さん:03/10/02 13:55
バカ同士仲良くやれや!
>>710-712 一応学問板なんだから、おきまりの撹乱工作は止めれ。
真正面から堂々と向かってけよ。
714 :
日本@名無史さん:03/10/02 14:30
いや、2chだから。
そんなまともな事言っても無駄。
>>704 レスどうもです。
> 2番を見れば判る事だけど「契丹と宋は家族」って建前にしているよね。
> あくまで家族であり、他人ではない。四海の内はみな家族。
> 実は本当はここ、「宋の皇帝は契丹の皇太后を叔母と敬う。」との
> 条文だったのを宋側がちょこっと改竄したらしいね。まあ、中国っぽいと言うか。
中国的微笑ましい言い訳なのですが、
中国人でもないし現代人であるわれわれが額面どおり受け取る義理はないわけです。
後に、金の皇帝に伯父として使えることになりますが、
遼にしろ金にしろ、第三者から見れば中国の御家族にはとうてい見えないので、
異民族の下位に中国の皇帝がなったということでしょう。
驚天動地の出来事ですよね。第三者から見れば。
> 申し訳ないけどアッバース朝の朝貢については知らんのです。
さすが、イスラム商人ということで、結構来てます。
だいたい、アッバース朝はタラス河畔(751)で唐を破って、
中国の文物がとてもおいしいことを知ったのでしょう。
>◎中国(唐)へ入貢(貿易)した年(朝貢貿易の記録)
>
>・黒衣大食(アッバース朝):755・756・758・762・768・774・791・798年
>・訶陵(シャイレーンドラ朝):768・769・813・815・818年
>
>(石澤良昭・生田滋『世界の歴史13 東南アジアの伝統と発展』p133中央公論社)
ttp://homepage2.nifty.com/murasaki-miyako/terms/b1borobudur.html
> ただ何度も言うように、現在の「属国」という概念は中国にはありません。
> というより、西洋的な主権国家という考えも存在しない、と。
考えようによっては、相手のテリトリーさえ認めないわけで、
「普天の下、王土に非ざるはなく、率土の浜も、王臣に非ざるなし」イデオロギー丸出しで、
これほど相手国を認めないものはないと言えますね。
> 朝貢に参加したってのは中国の軍門に降るってんじゃなくて文明に参加する、
> その文明の主催者が中国であった、って話。
> まあ今で言えば町内で句会のようなものが有り、朝貢国はそれの参加者、
> 中国は主催者兼灰汁の強い指導者って感じかな。これに入ると中国に
> 先生面されるのを承知の上で日本も参加した。
> もし先生面されるのがいやだったら自前で句会作ってメンバー募集すれば
> 良かったんだけどそうはせずに中国主催の句会に参加していた。
> まあ尤も、渤海って舎弟は出来てたけどね。
日本や大食のように懲らしめられるおそれの無い国は先生面ですみますが、
領土を直に接している小国は主人面されるわけで、
そう単純でもないでしょう。
中国の実力の及ばない国にとっては、相手のてりとりーで自己ちゅ―野郎をたてる外交儀礼ですが、
小国にとっては、服従の入り口だったのがやっかいでしょう。
まあ、大食の商人たちは、「はやくお宝を出しやがれ、トウヘンボクやろう」と思いつつ、
頭を地面にこすりつけてたのではないでしょうか?
結 論
日 本 ヲ タ は ア フ ォ
718 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:38
719 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:38
いいか?ケニアのマサイ族ってのはな、人類発祥以来、一度もその地を
明け渡したことがないんだぜ。ケニア連続防衛のチャンピオンなんだよ。
つまり人類最強ってこと。わかる?
大陸を追われて島国に引き篭ってる倭人が敵う相手じゃないんだよ。
720 :
日本@名無史さん:03/10/02 20:45
>>717 キターーーーーーーーーーーー
負け犬の吼え面!!
ここで煽っている人たちって、本当に在日の韓国や朝鮮の人たちなのだろうか?
朝鮮半島の人たちにも朝貢・冊封関係の中国中心の価値観は
日本以上に重要な問題と思うのだが。
中国、韓国 「高句麗」めぐり歴史紛争気配
http://www.sankei.co.jp/news/030814/morning/14int001.htm 本来は、政治から切り離して真実を追究するのが学問のはずなのだが、
核兵器をもった現代の隋唐帝国が歴史学をいじくり始めた以上、
きちっと対応できるようにも、しておきたいものです。下らないことですが。
政治的必要性があれば、中国共産党政府は琉球王国も中国史に編入するでしょう。
722 :
日本@名無史さん:03/10/02 21:35
黄色人種なんて在米黒人からは、コケにされていい憂さ晴らしの的になってるぜ。
貧弱だからな。
ネットでだけ粋がれねえひ弱ちゃんども哀れだな?
悔しかったら体鍛えてみろやオカマ民族ども。
723 :
日本@名無史さん:03/10/02 21:39
>>722 激同!
黒人男性の強さを思い知れ!
www.gazo-box.com/movie/src/1063890314609.wmv
724 :
646 648:03/10/02 22:18
バカチョンは、苦しくなると荒らしてから同じ間違いを繰り返すんだな
繰り返さないようにまた書いておいてやる
バカチョン定例発言
<天子を取り消して東の天皇 にした>
これを、 反省と取るバカは おまえだけだ。
天皇という言葉は、道教からの言葉とレス既出してるだろ、隋の前から大陸は
ずーーと道教国家なんだよ もう少し勉強しろ
天皇=天子 当たり前だろ バカ!
高句麗対策??? それがどうしたんだ? 隋帝は悔しかったが国力が弱くて
日帝からのタメ口を受け入れた。 それ以上でも以下でもない
これを外交っていうんだよ。 国際感覚に優れてたんだな日本は(w
HN374は、HN646 648ですな。わかりやすい。
>>709 >バカチョン! おまえ ずーーと間違いを指摘されていてなんで
>繰り返すんだ?
間違を指摘されてるのは、あなた一人だけですw。ちなみに、日本人ですが、何か?
>天子を取り消して東の天皇 にした
>これを、 反省と取るバカは おまえだけだ。
反省?どこに書いてあるのかな?朝貢外交できる形式に書き直しただけですが?
小野妹子が裴世清と帰ってきて年内に再度出かけ、2年連続で出かけた理由は?
朝貢外交できる形式の手紙を翌年もって行ったから以外の理由はありません。
妹子が「天子」国書に対する隋帝の手紙を百済に取られたと言い張って隠した理由は?
いくら君でもわかるよね。
727 :
646 648:03/10/02 23:07
>>725 おまえ、このスレにお前と俺しかいないと思ってンのか?
>>709 >天皇という言葉は、道教からの言葉とレス既出してるだろ、隋の前から大陸は
>ずーーと道教国家なんだよ もう少し勉強しろ
>天皇=天子 当たり前だろ バカ!
あれぇー?天皇号は天武からと君が言ってたのはどうなったの?
そうしたら、608年の遣隋使は天皇号は使ってないはずですねぇ。
>>「天皇(実際はスメラノミコトといわれている)つつしんで申し上げます」にしてる
ここは読めなかったの?608年の国書の文体が丁寧になってる理由は?
道教国家の中国が、1人以外、天皇号を使わなかった理由は?
道教では天皇は「てんこう」だよ。わかってるだろうけど。
道教と仏教の類似性はわかりますか?
>高句麗対策??? それがどうしたんだ? 隋帝は悔しかったが国力が弱くて
>日帝からのタメ口を受け入れた。 それ以上でも以下でもない
>これを外交っていうんだよ。 国際感覚に優れてたんだな日本は(w
隋も唐も朝貢形式だから受け入れたのだよ。みんなに言われてるでしょw。
煬帝は高句麗との対決姿勢を倭には隠していたが?
それを607年に倭が知ってたというソースは?
じゃ、夜中の3時まで頑張ってねw
それにしても、対等外交してたというソースはまだだろうか?
>>725 レスの内容や文体が違うから別人だと思うけど。
646 648は103の人じゃないの?
まぁ日出処之天子はえらそうにしてるが東天皇が謙遜してるってのはあり得ない理屈だな
資料提供だけ。勝手にやってくれ。
「東の天皇が謹んで西の皇帝に申し上げます。
使人鴻臚寺の掌客裴世清らがわが国に来り、久しく国交を求めていた
わが方の思いが解けました。
この頃ようやく涼しい気候となりましたが、貴国はいかがでしょうが。
お変わりはないでしょうか。当方は無事です。」
734 :
646 648:03/10/02 23:44
>>726 妹子が「天子」国書に対する隋帝の手紙を百済に取られたと言い張って隠した理由は?
いくら君でもわかるよね。
新興の隋帝なんて格下だという、常識がはびこる、日本の天子や朝廷に
隋帝からの無礼な手紙を渡せなかったんだな。
それ以外ないと思うんだが?
それがなんで対等じゃない証拠 に君の脳内で解釈されるんだ?
クスリやってんのか?
無礼な手紙をそのまま 天皇に渡してたらそれこそ問題だな (w
これをもっても、日本は隋なんて対等以上とは全く思ってなかったってことだろ
735 :
日本@名無史さん:03/10/02 23:47
なんで日本と中華の関係だけで語るかねぇ。
736 :
374 ◆SR/hGLeeEc :03/10/03 00:00
>>725 凄い情熱だね。
わたしは匿名掲示板であっても、人種差別や侮辱的用語を使ったり、罵り合うのは勘弁願いたいです。
では、おやすみなさい。
737 :
646 648:03/10/03 00:05
>>728 天皇号は天武からが定説、それ以前でも一向に構わんが?
天皇という言葉は、道教では天の最高神な、
道教は、南朝、北朝 ともに 仏教以上に盛り上がってんだよ。
その天皇 という言葉を使ってる時点で、天子より謙ってることにならない
って言ってんだよ。
テンコウ? おまえは日本史板来る前に、 呉読みぐらい勉強しろ、
天皇は、南朝呉読みで テンノウ な 中原ではテンコウ
初期の朝廷の漢読みの多くが呉音なんだよ ボケが!
唐の高祖は、道教に憧れていて 自らを 天皇とよんだが、
一代でやめたよな、 当然じゃないか? 日本の天子が
天皇 って言ってるの聞いちゃったんだから。
唐の高祖が天皇といったら日本の天子まで天皇と言い出すってのが
どっちが先かしらんが、道教という同時代性の現象であり、
日本はイケイケだったって事だ ツッパリとおした 日本の勝ちだろ。
もし、逆に一代でやめたのが、天武の方だったら
おまえ、それをネタに、ほら格下だっって言ってただろうな (W
なんだかなー。深まると思えばループさせる奴がいてやんなるね
どっちの側に深まるって意味なのでしょうかね・・・
740 :
日本@名無史さん:03/10/03 02:15
どうしても日本語が苦手なひとりまじっているんだな。
>>646 648 はもっと日本語を勉強しる。
741 :
日本@名無史さん:03/10/03 02:21
黄色人種なんて在米黒人からは、コケにされていい憂さ晴らしの的になってるぜ。
貧弱だからな。
ネットでだけ粋がれねえひ弱ちゃんども哀れだな?
悔しかったら体鍛えてみろやオカマ民族ども。
742 :
日本@名無史さん:03/10/03 02:21
743 :
646 648:03/10/03 02:21
>>740 書くなら荒らす前にやる事あるだろ
くだらん奴だな
744 :
646 648:03/10/03 02:25
こいつ、相当悪質なガキなんだよ、
>>741 みたいな煽りは、全部こいつ一人だと思ったほうがいい
745 :
日本@名無史さん:03/10/03 02:55
昨日から気になってた
>>686の文でつ・・・
>それって、結局「中原文化はスゲエ(唐も日本もその模倣輸入に過ぎない)」
>と言ってることになるが・・・
と言いつつ・・・
>他国の優れたものを受け入れ模倣し続けた。
結局、模倣だとさ(w
>明治維新においても、日本は自分たちより力のある(優れているわけではない)
>西欧文化を取り入れ、西欧化することによって中世から一気に近代国家に躍進し、
中世から一気に近代国家って、江戸時代は中世かい?
こいつ絶対、日本の教育受けてないよ。しかも、ここは日本史板だよ(w
746 :
646 648:03/10/03 03:24
>>745 ほんと・・ため息が出るような模倣国日本というステレオタイプだな
中華より文化が劣ってたって信じきってるところもヤバイ
>>741 たぶんセクースだけなら黒人オス最強
結婚するなら白人オス最強
両方とも中途半端なのが我ら黄人ってことじゃねぇの?
748 :
日本@名無史さん:03/10/03 03:54
想像してごらん。
日本国民の半分が黒人だったら、すばらしい国家になったことだろう。
749 :
日本@名無史さん:03/10/03 07:58
昔々 倭人には王様というものが居ませんでした。
それを気の毒に思った韓人たちは白丁(奴隷)を
倭人の王様として与えてあげました。 すると倭人は
それを有難がって 後々まで天皇として崇めましたトサ。
ドットハライ (韓国昔話より)
750 :
日本@名無史さん:03/10/03 09:51
チョンの負けー
751 :
日本@名無史さん:03/10/03 10:15
>>732 さすが礼の国日本ですね、貴人同士の手紙という感じだ
今の天皇が他国の王に手紙を出すとしてもこういう風ですな
季語が入ってるあたりがイイ
季節のような他愛のない話をするのは無教養だと受け取る民族もいるでしょうから
外交文書はケースバイケースで行くべきかと。
でも日本人としては好感の持てる文書ですね。
753 :
日本@名無史さん:03/10/03 11:37
やばい、うちの会社、韓国の企業に
「貴社益々繁栄のことと謹んでお喜び申し上げます」
って、つけて文書送ってるよ、
あいつ等、「日本の企業は我々より下ニダー」って受け取るんだろ?
やっちゃったよー
754 :
日本@名無史さん:03/10/03 11:57
当時の東アジアにおいて中国の冊方を受けてない国は珍しいよ
>>734 >新興の隋帝なんて格下だという、常識がはびこる、日本の天子や朝廷に
>隋帝からの無礼な手紙を渡せなかったんだな。
その隋からの無礼な手紙に対して日本は、
「久しく国交を求めていたわが方の思いが解けました」と国書を出したとなると、
冊封はともかく、朝貢の形としか考えようがないですね。
隋書にも、「日出所天子〜」の国書を持った遣隋使のことは、
「その王タリシヒコ、使いを遣わして朝貢す」と、全く対等扱いしてないですね。
さらに、ハイセイセイは従八品の卑官で、かなり見下されてますね。
ところで、
>新興の隋帝なんて格下だという、常識がはびこる、日本の天子や朝廷
は、どのような本に書いてあるのか、教えてください。
通説では、高句麗僧の恵滋が太子の外交顧問的存在で、
高句麗や新羅が相次いで隋に朝貢を受けてることを聞き、日本も対新羅関係などで、
東アジアの中で不利にならぬように、隋に出向いたということですが。
756 :
日本@名無史さん:03/10/03 14:32
その隋からの無礼な手紙に対して日本は、
「久しく国交を求めていたわが方の思いが解けました」と国書を出したとなると、
冊封はともかく、朝貢の形としか考えようがないですね。
日本→隋 「こら隋、国交開けよ、高句麗怖いだろ」
日本←隋 「国交開きます」 ・・・悔しくて悔しくて眠れない
日本→隋 「久しく国交を求めていた思いが解けました」 サンキュー
どうしてこれが朝貢になるの?
日本から隋 舐めきった国書 (実在)
隋から日本 (なし)
日本から隋 求めたとおりとなりました (実在)
この(なし) に埋まるケースは、
「日本が隋を舐めてるのは承知しました国交しましょ」
以外ないだろ (w
757 :
646 648 上もね:03/10/03 14:41
隋書にも、「日出所天子〜」の国書を持った遣隋使のことは、
「その王タリシヒコ、使いを遣わして朝貢す」と、全く対等扱いしてないですね。
さらに、ハイセイセイは従八品の卑官で、かなり見下されてますね。
★日本は、皇帝自らこないなら、相手の冠位などどうでもいいだろ?
日の昇る天子つつがなしやー と国書もらって、 朝貢 と書くあたりが、
ちゅーごく お笑い
ところで、
>新興の隋帝なんて格下だという、常識がはびこる、日本の天子や朝廷
は、どのような本に書いてあるのか、教えてください。
★ 隋帝からの失礼な手紙を渡せなかったのは何故か?という推測の話だろ、
紛失が作為なら、日本側としては、日本の天子からタメ口をきかれて
野蛮な隋帝が怒るとは、ましてや、失礼な文章がくるとは全く予想してない
って事だろ 俺に推測を求めたのは君
通説では、高句麗僧の恵滋が太子の外交顧問的存在で、
高句麗や新羅が相次いで隋に朝貢を受けてることを聞き、日本も対新羅関係などで、
東アジアの中で不利にならぬように、隋に出向いたということですが。
★ その通説は間違ってる。 以上
758 :
日本@名無史さん:03/10/03 14:44
妄想垂れ流し
759 :
阪神優勝!でも大阪は全国最低。選挙で変えろ!政権交代!:03/10/03 14:57
阪神タイガース優勝バンザーイ!
よくやった星野さん。選手たち。
よーし、次はダイエー相手に日本一や!
でも喜んでる場合やないで〜
大阪の景気は超ドン底最悪状態真っ最中!
大阪の選挙の投票率はなんと全国で最下位!(55.69%)
なさけないわ、ほんま。。。
投票率が低いのは社会、経済に対して自発的な努力が無い証拠や!
(....43京都 44沖縄 45埼玉 46千葉 47大阪)
こんなことで大阪の景気が良くなるわけないやろが!
大阪を変えたいんや!
11月9日の総選挙、投票率を上げようや。
全国一位をねらおうや!
それが無理でも、せめて、
阪神の勝率(62,7%)を超えるぐらいの投票率をめざそうやー!
大阪人よ立ち上がれー!!!
そして、政権交代で日本を変えたいんや!
イメージとパフォーマンスばっかりで
弱者の痛みを無視するような政策ばっかりの小泉政治はもうアカン!
自民党の利益を失うような構造改革を
自民党自身ができるわけないのは誰でもわかる。
もうだまされへんぞー!
大多数の無知な国民をあざむくのもいいかげんにしろー!
自民による自民のための自民の政治はもう終わりにしろー!
11月9日総選挙。
政界の明石家さんまこと小泉純一郎と
政界のビートたけしこと菅直人。
さあ、勝つのはどっち!!!?
http://www2u.biglobe.ne.jp/~over80/shugiin_watching-2000.htm ..............................................
>冊封はともかく、朝貢の形としか考えようがないですね。
対等であろうがなかろうが、どっちが格上でどっちが格下だろうが、属国だろうが独立だろうが
そもそもこの時代の外交に「朝貢」の伴わない外交なんてあり得るのか?
ちゃんとスレを遡って読んでみろ。そしてループさせんなよ。
761 :
日本@名無史さん:03/10/03 16:11
>>760 いや、話はむしろ、
朝貢という言葉の定義を伴う話ではなくて、
対等か?どっちが格上か? の話にシフトしてる
>>756 >日本→隋 「こら隋、国交開けよ、高句麗怖いだろ」
間違い。第二次高句麗攻撃は612年から。日本が知ってるはずがない。
>日本←隋 「国交開きます」 ・・・悔しくて悔しくて眠れない
間違い。手紙の書き方を指示したと解釈するのが普通。
>>734で、日本に対して失礼な内容だと君は言いました
>日本→隋 「久しく国交を求めていた思いが解けました」 サンキュー
>どうしてこれが朝貢になるの?
間違い。国書を書き直して朝貢の許可を得たという形式。
>日本から隋 求めたとおりとなりました (実在)
どこの史書にこんなこと書いてあるの?絶対に出典を出してください。
>「日本が隋を舐めてるのは承知しました国交しましょ」以外ないだろ (w
>>734で、君は失礼な内容な手紙だから捨てたって言ってますが?(苦笑
>>757 >★日本は、皇帝自らこないなら、相手の冠位などどうでもいいだろ?
皇帝が自ら来いと???当時は、官位で対等か見下してるかを区別します。
日本からは菅原道真レベルの最高級官位が出かけます。
(そういえば、唐とも対等外交といわなくなったね。あきらめたのかな)
官位12階を作ったのも、中国向け使者の官位を作るのが目的でもあります。
もちろん、君は知ってるでしょうけど。
>日の昇る天子つつがなしやー と国書もらって、 朝貢 と書くあたりが、
>ちゅーごく お笑い
つまり、全く対等に見てもらってないということですね。
いいですね。隋は対等と思ってないんですよ?対等外交は成立してないでいいですね。
ところで、小野妹子が、帰国してすぐに違う国書を持ってハイセイセイと再出発した
理由をまだ答えてもらってませんね。なぜですか?
>>(隋をなめきっていた倭の朝廷)←なんという本に書いてあるのですか?
>俺に推測を求めたのは君
つまり、すべて君の想像かどこかのサイトの引用で、どこの本にも書いてない
ってことですね。では、電波認定でいいんですね。
>★ その通説は間違ってる。 以上
げげ、東アジア情勢から考えて、渡来人僧の情報により日本が隋へ出向
いていったことも認めないんですか?隋に頼まれて行ったとか言うんですか?
否定するということは、なんと言う本を参考にしているのですか?
教えてください。
本か論文名を出せない場合は、決定的に電波と認定しますので、
頼むからもといた某板に帰ってください。
笑いすぎて、お腹が痛くてもう我慢ができません。
764 :
646 648:03/10/03 16:26
なんだ、今日は荒らさないでまともに書いてるじゃないか、
感心感心 。 ずっとその冷静なノリでお願いね
また後で
>>761 >対等か?どっちが格上か?
お互いに自分は偉いって建前だから、噛み合わなかったってことじゃないの。
766 :
日本@名無史さん:03/10/03 18:56
問題は日本が中国による中国中心世界維持のためのアジア支配体制であるところの冊封体制から
ほとんど逸脱して存続してきたことにあります。
そのために日本は中国皇帝に匹敵しうる
権威として天皇を産み出したのてす。
767 :
日本@名無史さん:03/10/03 19:02
なんで隋と倭国との関係が、隋と日本の話になってんの?
日本は七世紀終り頃に成立した 倭国とは異なった国家。
768 :
日本@名無史さん:03/10/03 19:22
日本ヲタ、必死だなw
769 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:15
日本は唐に朝貢していたんだよ。基本だよ。いまさら何を言ってるんだ。
朝貢じたいを否定してる奴はいないだろ?いるのか?
771 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:38
いない。
朝貢に余計な要素を加えようとする売国史観の走狗が事態をややこしくしているだけ。
773 :
日本@名無史さん:03/10/03 22:09
774 :
日本@名無史さん:03/10/03 22:12
>>772 むしろやたらと「対等」って言ってる奴が目立つのだが。
775 :
日本@名無史さん:03/10/03 22:20
776 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:13
777 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:14
対等な朝貢なんてあるのかよw
778 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:21
まるで借金の取立屋みたい。
下品で嫌だわ。
じゃ、結論。
倭の五王ー朝貢形式かつ冊封
対隋・唐ー朝貢形式だが、冊封はされてない
対明ー朝貢形式、かつ実態は違うが形式としては冊封形式
ーーーーーーーーーーーーーーーーというわけで、スレ終了ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
780 :
日本@名無史さん:03/10/03 23:38
>779
ダメダメw
>>779 それって、もしかして勝利宣言のつもりかな?
782 :
日本@名無史さん:03/10/04 01:59
四文字熟語【夜郎自大】
(意味)
身の程知らずで、愚かにも高慢に振舞うことこと。
世の中のことを知らず、自分の知る狭い世界の中のことが全てだと思いこむこと。
井の中の蛙、大海を知らず。
(言葉の由来)
前漢の武帝が外交により南方の夜郎国を帰属させるための使者を派遣したところ、
夜郎国の王は「夜郎国と漢とはどちらが大きいか」と漢の使節にたずねた。
夜郎国は漢の一郡よりも小さく、この話が長安に伝わると夜郎国を嘲笑して
この言葉が流行した。
(用例)
「古代・中世日本が同時期の中国より格下なわけねーだろ。日本は昔から
日出所天子で、中国とは対等に外交したんだYO!お分かり?」
と言う香具師は夜郎自大。
783 :
日本@名無史さん:03/10/04 02:01
ループ警報発令〜〜
785 :
日本@名無史さん:03/10/04 02:26
日本「格下」派って、反対意見のレスあんまり読んでないな。
それとも「対等」って言葉自体の解釈が違いすぎるのかな?
>785
何がしかの信念や目的をもってやっているんでしょう。
ひとそれぞれでいいんじゃないですか。
ま、あんまり生産的なスレじゃなかったですね。
残念でした。
787 :
日本@名無史さん:03/10/04 05:52
想像してごらん。
日本国民の半分が黒人だったら、すばらしい国家になったことだろう。
788 :
日本@名無史さん:03/10/04 06:21
すばらしい!!
黒人サイコー!!
789 :
日本@名無史さん:03/10/04 06:39
私は黒人を尊敬している。
街で黒人を見かけると、自分よりはるかに高度な能力を持った人種だと
畏敬の念を感じながら見る。
それはお前が黒人よりはるかに劣っている人間なのであって他の人は大体大差ないよ。
791 :
日本@名無史さん:03/10/04 08:18
やっとバカが1匹釣れた。
792 :
日本@名無史さん:03/10/04 10:14
>>791 ただの釣りにしてはあまりにしつこすぎるな
793 :
日本@名無史さん:03/10/04 11:23
野郎国って不思議。
冊封されても、何度も漢に反乱を起こしている。
日本と似てるのがさらに不思議。
桃太郎説話と酷似する「竹生始祖伝説」をもち、また、その後裔ともされる
獅(僚)族は、干闌とよばれる高床式住居に住み、銅鼓を製作し,銅鐸の
ように埋納するなど、日本の民族・文化との緊密なつながりを思わせる。
こういう非漢民族が日本の先祖か?
794 :
アホは一人だって:03/10/04 12:19
795 :
日本@名無史さん:03/10/04 12:20
唐と日本が対等だと言い張るアホは一人しかいない
796 :
アホは一人だって:03/10/04 12:24
>>795 すかさず、墓穴ほるなって (爆笑
人格
>>762 だけでいいだろ それとも歴史じゃ戦えないのか?
確かに黒人はコンプレックスの固まりのような奴が多い。
しかし、この虚栄に満ちた社会で、奴等が心を癒してくれることも確かだ。
何もないけど自然な奴の方が、見ていてさわやかになることがある。
そんな黒人のよさに気づいた男女が、はまっていくんだと思う。
798 :
アホは一人だって:03/10/04 12:42
↑ こらチョン いいかげんにしろ
過去は過去、将来は将来でしょう。
応神天皇も継体天皇も真相は半島からやってきたチョン天でしょう。
いまさら黒人天皇を否定する理由はない。
天皇一族は朝鮮人の血が濃すぎるからな。
黒人でも入れて浄化しないといかん。
ソースなしで妄想を書くスレは終了!
妄想書く奴が消えればいいだけだよ。
803 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:02
>>800 オマエの血筋も遡れば、朝鮮系の血が入っていないということは
100%ありえないわけなんだが。
804 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:10
6世紀ー9世紀の東アジアの 天子格付
日本>唐>百済>隋>高句麗>>>>>>>>>>>新羅
天皇>皇帝>王>非漢>非漢>>>>>>>>>>>奴隷
文化格
日本9世紀>日本7世紀>百済7世紀>唐7世紀>唐8世紀>>>>隋>>新羅
白鳳 漢南朝 漢南朝 漢模倣 唐色 鮮卑 無
朝貢(ちょうこう)
隋書 中原に現れた新興国家が、東の天子から国書をもらった時にさえ、
朝貢がきた と記入する 中華の妄想の言葉
論衛 紀元前800年の周に倭から朝貢があったと 1世紀ごろ妄想もあり
このように倭や日本から 朝貢があるというのは、中華皇帝の権威とされ、
天子宣言の日本と喜んで国交を開きながら、国内向けの歴史書には
それを朝貢と 記述してしまう中華史妄想がしばしばあり、
後年、それを 中華思想 という言葉で日本ではお笑いネタにされている
人間の性格を決定付けるのは血筋より文化的なもんのほうが影響が大きそうだな。
朝鮮系の血が一滴も入ってない奴でも生まれたときから半島に放り込まれたら半島人みたいな性格になるんじゃね−のかな?
806 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:26
涙ぐましい中華皇帝
中華皇帝は、神の子孫と定義される日本の天皇と違い、
常に自らの権威を高い事を、親族や周辺に示す必要があった。
そこで、当時の外国の日本や西やインドに対しては、
「贈り物に対しては、10倍から100倍 のお返しをしますよ」
という涙ぐましい努力と宣伝をしていた。
足利氏などは、天子でもないのに、その中華の足元をみて
勘定貿易をおこない、大変な資産を中華からせしめてしまって
大笑いだったという
ただし、中華皇帝も本当の属国、新羅などには大変厳しく、
毎年1000人の美女を徴収するなどをするが、お返しなどは
一切せず、 新羅は、とてもかわいそうであった
807 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:41
>>701 三韓や渤海は日本に朝貢していたというのが奈良・平安期の朝廷の見解。
あのさ、日本の天皇家が自らを「神の子孫と定義」してたのも
常に自らの権威を親族や周辺に示すためにやったことではないの?
古事記の序に天皇の言葉として書いてあるんだけど。
「豪族どもも自分達の祖先のことをいろいろ言ってるようだがそれらはパチモンでうちの神話だけが正しい」って。
四行目以降は同意するけど。
809 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:41
>>796 1人かな?グループを組んでやってる気がするんだけど・・
よその板で「白人崇拝日本人蔑視」関係のスレに常駐してるのと同じ面々でしょ。
異常にネチネチしつこいし、まったく人の意見を聞こうともせず強引にもっていく
ところを見てるとね・・・
810 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:48
>>809 一人だよ
書込みの連続が、何度かあるでしょ、組み合わせを並べると
反日キチガイは一人だろ
他のスレでも同じ奴だろうな、黒人がらみ と 日本オタ! と書く奴ね
811 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:54
>>810 1人では大変なんじゃない?
日本史板では担当するスレも多いだろうしw
812 :
日本@名無史さん:03/10/04 15:55
>>808 もちろん、天皇は本当に神の子の訳がないんだけどね、
皇帝とは あくまでも人間であり、天から地上の統治権を委譲された と定義された
存在だから、易姓革命も正当化される不安定な存在なんだよね。
天皇は、少なくとも天武朝以前に、神の子孫として自らを定義してしまったので
統治権を大臣や藤原氏に委譲しても天皇でいられたんだよ。 安定してしまった
統治権=天子 としたかしないかが、分かれ道だね
>>804 > 6世紀ー9世紀の東アジアの 天子格付
> 日本>唐>百済>隋>高句麗>>>>>>>>>>>新羅
> 天皇>皇帝>王>非漢>非漢>>>>>>>>>>>奴隷
> 文化格
> 日本9世紀>日本7世紀>百済7世紀>唐7世紀>唐8世紀>>>>隋>>新羅
> 白鳳 漢南朝 漢南朝 漢模倣 唐色 鮮卑 無
これは冗談ですよね。
>>808 中華は王朝交代が激しいから日本のようにはいかないんだろ。
↑鶏が先か卵が先か(w
816 :
日本@名無史さん:03/10/04 19:46
>>807 ってことは、それらの国々は日本の格下ってことになるのかな?
817 :
日本@名無史さん:03/10/04 19:58
>>804 ここまで来ると日本版ウリナラマンセーだな。
こいつにはチョソの血が混じってんじゃねーのか?
819 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:00
おとついの「朝日」に徐勝(ソ・スン)氏(いまでは立命館大学の教授におさまっている)
の投稿が載っていて、Nさんがコピーしてきてくれて、みんなで検討しました。
われわれは張明秀(チャン・ミョンス)氏の『徐勝──「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』
(宝島社、94年)を読んで、最初びっくりし、しかし「これは、もしかしたら事実かも知れない」
と考えるようになった。張氏は、われわれががつて「良心囚」だと信じ、支援してきた徐勝氏が、
実は北朝鮮に密かに渡り、スパイ教育を受け、北朝鮮政府の指令に従って韓国に入り、北朝鮮政府
の指令どおり活動していた「対南工作員」だったと断定していた。つまり、われわれは「デッチ上
げだ」と見たが、そうではなく、韓国政府の発表は基本的に事実だった、と。元朝鮮総連幹部・張
氏の記述の具体性、詳細さもさることながら、こんなことを書かれて、事実無根なら必ず、徐勝氏
は名誉毀損で張氏を相手に裁判に訴えるはずである。しかし徐勝氏はそうしなかった。できなかっ
た、ということだろう。こうしてわれわれは、「もしかしたら……」ではなく、「ほぼ、そうなの
では」と考えるに至った。
こんど、徐氏自身の言葉を読んで、あらためてその思いを深めざるをえません。
http://homepage2.nifty.com/ingnet/sosunsi.htm 内容(「BOOK」データベースより)
朝日新聞・岩波書店・日本社会党…「民主」と「人権」を掲げる彼らが、
なぜ金日成の国際謀略を隠したのか。徐勝は、日本海に不法侵入すると
北朝鮮の秘密工作船で平壌に行き、スパイ訓練を受け、指令どおりに韓
国に潜入した。その事実を「デッチ上げ」と報道した日本のマスコミと
文化人たち。彼らと金日成独裁政権との怪しい関係がついに暴かれる。
内容(「MARC」データベースより)
徐勝は日本海に不法侵入する北朝鮮の秘密工作船で平壌に行き、スパイ
訓練を受け韓国に潜入した。その事実をデッチ上げした日本人のマスコ
ミと文化人たち。彼らと金日成独裁政権との怪しい関係がついに暴かれる。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796608923/qid=1065055361/sr=1-9/ref=sr_1_0_9/249-8865306-2313923
804は、「ウヨはみんな低能だ」と思わせるためのなりすまし工作。
822 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:21
日本ヲタはうんこ
823 :
アホは一人だって:03/10/04 21:29
824 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:32
朝貢(ちょうこう)
隋書 中原に現れた新興国家が、東の天子から国書をもらった時にさえ、
朝貢がきた と記入する 中華の妄想の言葉
論衛 紀元前800年の周に倭から朝貢があったと 1世紀ごろ妄想もあり
このように倭や日本から 朝貢があるというのは、中華皇帝の権威とされ、
天子宣言の日本と喜んで国交を開きながら、国内向けの歴史書には
それを朝貢と 記述してしまう中華史妄想がしばしばあり、
後年、それを 中華思想 という言葉で日本ではお笑いネタにされている
そして、ソース ダニーーとお笑いを振りまく チョン (爆
>>823 意味不明な取捨選択すんな。お前の色眼鏡の屈折率はわかったが何の役にも立たん。
826 :
日本@名無史さん:03/10/04 21:53
対等とか各下とかでなく、
日本は中国がアジア諸国に仕掛けたパワーゲームを和王武以降は
無視してるんだね。
当時の世界帝国の一つを相手にしてなかったなんて
すごいねジパング。
827 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:11
>>826 倭王の代から日本は一貫して、漢化しており、
漢化の歴史は、400年から700年まで 浸透している。
北朝、隋、唐は、 何度も言うが、非漢 である。
この北朝系がようやく漢化したのは、唐代になってからである。
唐の初期は、野蛮人の王世だと思ったほうがいい。
このスレで、一貫して誤解があるのは、7世紀、唐の世でもスタンダードになる
漢化という基準に照らして、最も進んでいたのは、
日本(倭)>唐>隋 である 皆、時代をよく考えるべきだろう
漢化200年先行の天皇の基準に照らして、非漢の隋など野蛮に他ならない。
褒められなくとも 漢化 が当時の文化基準なのだ
ここまで来ると電波だなー
829 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:16
日本人までウリナラマンセーをはじめちゃったよ(w
830 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:16
>827
なるほど!当時の世界の実情に肉薄した意見ですね。
勉強になります。
831 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:17
>>827 北朝、隋唐が非漢であるという根拠は?
魏書を読めば北魏時代には皇族にも北族系貴族にも
高い漢人文化を身につけたものが現れていることが判るのだが。
それと、北魏孝文帝の漢化政策についても一言いただきたい。
832 :
日本@名無史さん:03/10/04 22:18
七世紀の日本の庶民住居は竪穴式。
833 :
日本@名無史さん:03/10/04 23:01
>>831 北魏孝文帝は、確かに漢化で有名であるが、実は失敗して浸透したとは
言いがたい。唐の皇室,李氏は,隋の楊氏と同様に北朝最後の王朝北周
の有力氏族. 北周は宇文氏という鮮卑系氏族の建てた国で,
北魏の漢化政策に反して胡化政策を採ったことで知られている。
一時,鮮卑風の姓を採用したことまであり,
楊氏や李氏もこの時胡族の姓を名乗っている。
唐が、漢化を果たし、中国史の中でも国際都市としてペルシャをはじめ西の文化を
流入させた事は、当時の日本にとっては、貿易として変え難い対象になったと
思われるがね
要は
漢>>日本(倭)>唐>隋
ってこと?
835 :
日本@名無史さん:03/10/04 23:21
貿易の利益のためなら朝貢でも臣従でもなんでもしますとも。
836 :
日本@名無史さん:03/10/04 23:32
>>833 レスさんくす。
たしかに孝文帝の漢化政策は中座したように見えるね。
でも自分としてはこの政策、かなりの成果を挙げているように見える。
特に孝文帝にしたがって遷洛してきた北族系貴族の中には高い漢風教養を
身に着けたものが現れるし、この時期には彼らが自前の部を領する事は
殆どなくなっているように見える。まあ、この改革は最後にはぽしゃってるけど。
それと北周の件。北周は確かに虜姓再行を行ったけど、同時に周礼を理念とした
国作り=漢化政策を行っているよね。この矛盾が難しい。
ここからは素人考えなんだけど、周礼の採用など、漢化政策を推進する
北周政府は、それにより自身の最大の支持基盤である北族の支持を失う事を
恐れて、彼らに配慮して虜姓再行をしたんじゃないかな。
皇帝になった際に隋や唐の皇帝が姓を一字姓に戻したのは、既に胡漢融合が
完了して、北族に配慮する必要が無くなったからじゃないかと思う。
835←こいつは重度の厨。
2chで昔から繰り返されてる議論から何ひとつ学んでない。
たぶんなんの本読んでもまったく頭に新情報が残らないタイプ。
839 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:17
唐と日本が対等だと言い張るアホは一人しかいない
840 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:21
>>837 レス有難う
漢化は簡単ではなかったと思うんだよ、
漢族がその史書で、五胡とその風習を蛮族として扱っていた事を
当時の鮮卑や胡族は皆知っていたはず。で、
最後に陳漢を倒して、征服した側が鮮卑側だったんだよね。
征服した側がどの程度のスピードで、漢化できるか?
散々バカにされていた方のプライドはどうなるのか?
現在は中華統一という表現になっているけど、
当時においては統一ではなく、征服がなされたんだよね、
そういう視点で考えると、 漢化の方が奇跡で
漢化が完了するには、それなりの時間を要しただろうと考えるのが
自然だと思うんだ。
841 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:31
唐の皇帝は突厥の汗を兼ねてたんじゃなかったっけ?
842 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:38
843 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:40
その点、法隆寺をたて、その後東洋一の大仏などに
浮かれる貴族気質を持っていた日本は 文明=漢 しかしらない。
南朝以外の文明を知らずにここまで知らずに来てるわけで、
倭王を天子、天皇 と名乗った時点で、
おめでたいまでに、自分達が 第一の文明国と思っていただろうね
理由のひとつとして、朝廷を引っ張っていたのは、南朝や百済ゆらいの漢人であり
五胡のとき北朝から漢族が民族大移動で逃げた時の子孫だと思われ、
五胡を否定し漢文化エリート主義だったからだと推測される
>>833 隋は漢姓「楊氏」胡姓「普六如氏」、唐は漢姓「李氏」胡姓「拓拔氏(大野氏)」。
隋室は鮮卑化した漢人、唐室は漢化した鮮卑と考えられているが、そういう区別はあまり意味がない。
北朝を通じて北方六鎮の軍事氏族は胡漢融合社会の中で長らく生きてきた連中。
>>837 周礼を理念としたというのは「漢化」政策じゃないよ。周礼に帰るというのは「漢以前」に帰るということ。
誤れる漢文明の現状を否定して儒教の理想を復興することで胡自身が漢人から儒教の正統継承者の立場を
奪取するとともに、「漢」以前に帰ることによって胡漢の区別を超越した理念を打ち出そうとした、ということ。
ちなみに律令制以前のヤマト朝廷の官司制にも周礼に由来する名辞が多く残るのは有名。
845 :
日本@名無史さん:03/10/05 01:01
>>844 確かに、当時は国や民族の格うんぬんよりは、宗教が全てだったようにもみえる。
南北朝ともに、道教・仏教・儒教という 超越概念が全てをおおってしまった。
日本も同じく道教、仏教 が、国家としての格を表すと思ってる節があり
天皇号や平安京などは、その典型だろう
846 :
日本@名無史さん:03/10/05 01:08
>>844 漢以前 という表現はどうかな?
国家概念以外 という表現のほうがいいんじゃない?
胡族にとって、漢は前王朝ではなくて異民族異国。
ここでの漢とは秦や春秋時代の中原も含んでる文明
>>843 三国志の時代には、倭国は公式には魏についていたが、狗奴国のように呉と関係したのではないかと思われる勢力も
あったし、魏と国交が開かれる直前まで燕(公孫氏)と関係していて、その関係で魏に好意をもたない勢力もいた
かも知れないし、蜀と関係をもとうという勢力もあったかもしれない。
倭は、魏との関係がうまくいったので、その流れで晋とつきあう羽目になった。(魏→晋と正統が継承されたので)
五胡十六国と東晋の頃は、まだ晋の正統性は異民族の間にも疑われていなかったが、
しかし、北魏と宋が並立するようになると、正閏論がでてくる。
ここで倭国にも、宋を否定して北魏を交渉相手にするという選択肢はありえたのだが、(中略)倭の外交を管掌
する氏族(葛城氏→平群氏→蘇我氏)は南朝派で(中略)結局、倭は晋→宋の禅譲を正統の継承と認め、宋と交通
した。五胡政権の至尊の君号「天王」を倭王が採用したのもこの頃で、これは南朝の皇帝を認めた上での「次席の
天子」というニュアンスの称号である。しかし、宋の倭に対する処遇は倭王の要求を満たせなかった。(将軍号から
百済をはずされた件)それで倭は、武烈天皇と大伴金村のクーデターによって南朝派を殲滅し、公式の国交をやめて
しまう。したがって南朝といっても斉・梁・陳とは公式には関係していない。武烈→宣化の間は、北朝派といわない
までも中立派であって、民間を通じた非公式な交流によって、北朝の宇文政権の周礼復興による漢人意識の超克、
あるいは南朝の仏教文化の繁栄は、情報として入ってきてはいただろう。
ちなみに後世、奈良・平安初期の唐風文化といわれるものは、その実、唐ではなく、かなりの程度、北魏の文化
(正確には北朝文化)の隆盛であった。異民族でありながら漢文化を我が物とした隋唐文明の雛型として関心を
もたれたのは当然であろう。
>>846 当時の「漢」の意味と現代語の「漢」では意味の範囲がちがう。
849 :
日本@名無史さん:03/10/05 01:53
>>847 劉宋以降の流れが、そこまで判ってたら古代史は楽だね、
否定はしないが、武列や金村の話は、推測に過ぎない話でしょ。
事実と推測を混ぜるのは君のレベルが高い分アンフェア。
アホっぽく書いてくれないと。
同じく、継体欽明の代に、北朝の情報が入ってきたというのは
君の推測だね、僕は南朝以外を認めている痕跡が全くない事が
面白いと思ってる。 建築的には百済を通じて南朝建築オンリー
瓦だけは高句麗あるが・・ この南朝漢帝オンリーの情報断絶が
漢帝の廃絶にともなう、隋帝への天子宣言という暴挙を生んだと
思ってるよ。 北朝を尊じる情報があったなら、天子宣言などできるはずがない
850 :
日本@名無史さん:03/10/05 02:28
(蛇足でスレと無関係です)
劉宋以降、倭が斉、梁、陳 に行ってない理由として、
「宋に思いが通ぜず、倭がキレタ」 という説が一般ではあるが、
自然な理由が他にあると思ってる。
1・倭の五王の代、朝貢のお返しに倭に随分な技術者が倭に渡ってる。
機織職人をはじめ、様々。宋代
2・宋まではまがりにも、劉氏であり漢高祖の掟である劉氏姓であり、
血筋である事になっているが、 斉以降は正史において全く劉氏と無関係である
宋から渡った技術者は、後の朝廷の勢力となっているが、漢の先陣といえる彼ら
にとって、宋帝が廃しされた後の斉に行くように進めるだろうか?
これは私の推測だが、そんへんに南朝にいかなくなった理由があると考える
851 :
日本@名無史さん:03/10/05 02:50
倭=>歴代中国>>>>>>>>>>>>>>>チョソ
渡来人も天皇も倭人が大陸や半島に渡って成功し、凱旋帰国したと
考えれば、全て説明がつく。
だからこそ中国も、憧れの神仙・黄金の国から来た日本の使節を歓迎した。
853 :
日本@名無史さん:03/10/05 04:54
漢帝がどうのとか、なんの話だ?宋はたしかに劉氏だけど、そんなこた関係ない。
そんなに漢の血筋にこだわってたんなら国号も宋でなく漢としたろうに。
そして晋からの禅譲は受けずに直接、後漢か蜀漢のどちらかの復興を名乗っただろ。
ところが実際は、宋の正統性は漢→魏→晋→宋と禅譲で継承されてきたのであって、
間に魏=曹氏と晋=司馬氏がはさまってる。両氏が正統性に欠けるとしたら宋の継承は無意味になってしまう。
漢と血筋がつながっているかどうかは極端にいえばどうでもいいこと。
それに南朝を漢だの漢帝だのとよぶのはキミの勝手な概念変更。紛らわしいからやめれ。
当時は「漢」といえば北朝。南朝は「呉」だ。(この漢も呉も地域概念。文化や正統性とは関係ない)
多義語だからね。
民族としての漢。地域としての漢。イデオロギー・正統性としての漢。
南朝を漢としたい人は、民族やイデオロギーとしての漢を言っているのだと思うが。
まあ、彼はこういう考えだから、あんまりマジレスしても何かと
440 :日本@名無史さん :03/09/23 15:40
継体帝 は 漢皇帝の順帝である
正史では、477年に死を前提に宋最後の帝位につく
478年 11歳の順帝は、倭王武から表をうけ安東大将軍位を与え、
そして、12歳の時 一族諸共 廃絶された 宋は終わる。
解説
順帝は、漢の皇帝であるが、倭王武からの、代々の漢帝への忠臣である事を
訴えられた時、自らの一族の運命が来年には閉じる事を知っていたのである。
これほどの事実が軽く扱われているのである。
誰しも知っているとおり、 500年あたり境に、
倭は、継体天皇の代から全く別の国の展開を始めるのだ
441 :日本@名無史さん :03/09/23 15:59
そもそも、 順帝以降、倭は突然、
歴代の南朝参りを止めてしまう。
漢の正当性から言えば、確かに宋以降は漢帝の血ではない
継体帝以降、突然漢人が朝廷にリードして、陳が廃絶して漢帝が廃絶したとたん
継体帝の子孫は、 隋に天子宣言するのだ。
漢が消滅したとたん、 北方異民族国家に天子宣言など 漢の血でもない限り
発想する事すら不自然である。
もし 466年生まれの順帝が 531年に没したら 65歳程度なのだ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1050193629/l50
856 :
日本@名無史さん:03/10/05 10:38
>>853 まあまあ、もちついて。
あなた、大変な誤認をしてるようだよ。
南朝は、漢とのゆかりを誇って帝位についてますよ。
宋は、勿論、当時数多あふれる劉氏にも関わらず、高祖からの血筋をもって
正当としている。
斉は、高祖劉邦がともに漢を建国した盟友、丞相蕭何の24世の孫の蕭道成
到底、疑わしいこの血筋をもってしても、当時は漢帝ゆかりが重要だったのは間違いない。
曹氏の文帝など、当時の漢室から完全な形で禅譲を受けている
普の司馬氏は勿論、曹操とともに漢帝に仕えた身
血統だけがうんぬんとは、言えないが、南朝とは漢帝からの禅譲で来ているから
漢と呼ばれるのは当然で、実態も上記のように漢とのゆかりを誇ってる。
呉? それは地名であって、漢というのは漢人、漢字という言葉や漢化という言葉があるように、
1王朝の名前ではなく、呉を征服して中国と統一したとされた秦帝が示すところが中国=漢であり、
呉も漢である。 呉、越、秦、燕、周 などは 地方氏名であるが、漢は地方氏名ではない
魏 蜀 もまた地方名である。 漢という言葉は総称する名称である
北朝は五胡進入にともない、漢人が民族大移動を南朝におこしており、
当時は漢とはとてもいえない。 勿論、南朝の原住民としての呉人という概念も漢人とは別にあるがね
857 :
日本@名無史さん:03/10/05 10:53
>>855 それは、以前の俺のソースを見て誰かが考えた説だよ。
順帝継体説なんて空想は支持してないっつーの
南朝ゆらい説全体がデンパだと思われるので、日本史板でやるのはやめてくれ
と別スレで文句を言ってるのだが?
858 :
日本@名無史さん:03/10/05 11:09
そもそも漢は中原を指す地名なの?
NHKで、漢=天の川を指す言葉 で地名や氏を意味しないって解説されてたけど
大相撲王座決定戦
5(日) 15:30 >> 17:00
TBSテレビ
幕内力士がトーナメント形式で王座を目指す大相撲王座決定戦。
本場所では優勝決定戦以外では見られない同部屋同士の対決など、トーナメントならではの楽しみを堪能できる。
下位力士が上位力士を破る波乱も多いこの大会を制するのは果たして誰か。
ゲスト・デーモン小暮、北尾光司、解説・竹縄英行、実況・伊藤敦基。
>>856 >呉、越、秦、燕、周 などは 地方氏名であるが、漢は地方氏名ではない
>魏 蜀 もまた地方名である。 漢という言葉は総称する名称である
いろいろな意味がありますね。民族としての意味は宋の時代までないと思うが。
それと南北に分裂している時代には中国の北部だけをさす地理的概念としても使われる。
>勿論、南朝の原住民としての呉人という概念も漢人とは別にあるがね
原住民も糞も、江南は南朝というひとつの国だったので、
江南にすんでれば呉人とも楚人ともいえるわけで。
自分で「“呉”、越、秦、燕、周などは地方氏名であるが(中略)魏 蜀もまた地方名である」
と書いてるね。
>呉? それは地名であって、
だから、漏れは何度も地名だといってるじゃん。
>>856 >血統だけがうんぬんとは、言えないが、南朝とは漢帝からの禅譲で来ているから
>漢と呼ばれるのは当然で、実態も上記のように漢とのゆかりを誇ってる。
漢とよばれた???南朝は「呉」とよばれたわけだがな。
漢帝国とのゆかりはただ家柄を誇っている以上の意味はない。
仮にその程度のゆかりなどなくても天子たる要件になんの障害もない。
南朝は禅譲で正統性を受け継いだのであって、
家柄が漢帝国の重臣の子孫だからという理由で正統の天子と認められたのではない。
なんど言えばわかるのかな。
>漢というのは漢人、漢字という言葉や漢化という言葉があるように、1王朝の名前ではなく、
>呉を征服して中国と統一したとされた秦帝が示すところが中国=漢であり、呉も漢である。
なにをいってるのかわからないが?
「漢化」したら漢だというなら文化的範疇だし始皇帝の併合圏なら地理的範疇だろうが。
どっちの意味でいっても北朝と南朝どっちも漢になってしまうぞ。
>北朝は五胡進入にともない、漢人が民族大移動を南朝におこしており、当時は漢とはとてもいえない。
当時っていつまでのことをいってるの?漢化したら漢でしょ。
しかも中国人だろうが異民族だろうが、その土地が始皇帝の領土だったことにもかわりなし。
863 :
日本@名無史さん:03/10/05 15:42
>>861 1・漢とは宋の時代まで民族の意味がない
2・南北朝の時代は、漢とは北の地理を指す
3・南朝に住む人は漢人ではない土地に由来する呉人である
つまり、この人は漢を
ひとつの王朝の名前
ひつつの地方の名前
に過ぎないといっているのだね。
ちなみに、
1,初耳だ
2、すると北朝に住む五胡人のことを、当時、漢人と呼んでいたと?
3、五胡の侵略で南朝に逃げてきた漢族は、漢人と呼んではいけないと?
ちょっと君ーー怪しいよ
匈奴・五胡・鮮卑ではない、中原原住民の「漢人」というのは、
容易に観念できると思う。
中原が異民族の流入によって混乱し、
「漢人」がこれを避けて南下をしたのも事実で、
南朝が人的継続性のある「漢人」の政権で、
北朝は異民族色が濃く、漢民族化には時間を要したという
考え方は十分成り立つ意見だと思うが?
ここいらは、中華イデオロギーの「逆鱗」なのかな?
865 :
日本@名無史さん:03/10/05 19:36
この話は864のが正論だよ。
反論してるのはヘリクツ。
電波ゆんゆん
宋書の場合は、倭からの使者の記録が史実の最後だった気がする。
そんなボロボロの南朝に対して、倭は、高句麗をなんとかしてくださいー、と。
とはいえ、それ以降の短命のへは、倭からの使者の記録すらない気が。
あの栄光の漢をひきつぐ政権があまりにボロイので見切りをつけたのでしょうか。
同時に高句麗なども南朝に使者を送っていたのですが、その後は、
東北部〜半島〜日本列島の各諸国は自立して中央集権化へと向かいます。
そこへ鮮卑系の隋が南北統一してしまったので、高句麗は隋を打ち負かし、
倭も対等交渉の文書を送るなど、漢とその後継の時代とは様変わりですな。
868 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:31
>>864 中華イデオロギーの逆鱗 ワラタ
イヤー本当そうなんだろうね、五胡人も漢人だ!満州人も漢人だ!
ってしていかないと、一つの中国一つの歴史じゃなくなっちゃうもんね
>>861 >>862 の人なんて教養あるのにすっかりイデオライズされてるよ
869 :
日本@名無史さん:03/10/05 22:41
>>867 いや、漢で実質最も華麗だった時代って、梁代の6朝文化って言われてるから
倭が言った頃の南朝も華麗だったんじゃない。
いわゆる、呉服、和服、法隆寺のような建築の世界でしょ、
影響を受けた風習を、そのまま凍結して現代までひっぱてるんだから凄いよ
870 :
日本@名無史さん:03/10/05 23:21
>>869 文化的な影響はそう。日本が中国に大影響を受けていた最後の時期。
邪馬台国からヤマト朝廷まで一貫して、
漢の流れの後継国(例えば南朝の宋など)へは朝貢するけども、
異民族系の国(例えば鮮卑系の北魏や隋など)へは対等意識があったわけね。
871 :
日本@名無史さん:03/10/05 23:49
歴史にIFはないけど、
もし鮮卑が負けて漢が勝ってたら、
倭が独立することなんてなかったろうと思うよ、
天子宣言なんてとんでもない。
日本という国は生まれなかったかもしれない。
かわりに、鮮卑と近い高句麗が、南朝に天子宣言をして
半島民族が、独自の発展を遂げ、
歴史は全く逆転していたかもしれない
まあ、彼はこういう考えだから、あんまりマジレスしても何かと
あと、自作自演もすごいので、みんな怒って放置してます。
440 :日本@名無史さん :03/09/23 15:40
継体帝 は 漢皇帝の順帝である
正史では、477年に死を前提に宋最後の帝位につく
478年 11歳の順帝は、倭王武から表をうけ安東大将軍位を与え、
そして、12歳の時 一族諸共 廃絶された 宋は終わる。
解説
順帝は、漢の皇帝であるが、倭王武からの、代々の漢帝への忠臣である事を
訴えられた時、自らの一族の運命が来年には閉じる事を知っていたのである。
これほどの事実が軽く扱われているのである。
誰しも知っているとおり、 500年あたり境に、
倭は、継体天皇の代から全く別の国の展開を始めるのだ
441 :日本@名無史さん :03/09/23 15:59
そもそも、 順帝以降、倭は突然、
歴代の南朝参りを止めてしまう。
漢の正当性から言えば、確かに宋以降は漢帝の血ではない
継体帝以降、突然漢人が朝廷にリードして、陳が廃絶して漢帝が廃絶したとたん
継体帝の子孫は、 隋に天子宣言するのだ。
漢が消滅したとたん、 北方異民族国家に天子宣言など 漢の血でもない限り
発想する事すら不自然である。
もし 466年生まれの順帝が 531年に没したら 65歳程度なのだ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1050193629/l50
873 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:11
>>872 順帝説なんて電波だからどうでもいい。
それ以外については、両派ともに、自作自演ではなく議論成立してると感じる。
漢の意義とか呼称とか取扱いなどについてね。
厳密には2派でなくて、見解の異なる4〜5人が書き込みしていそう。
で、記録に残る倭国の視点からの漢とは、一貫して、後漢〜魏〜晋〜宋であり、
鮮卑系の北魏〜北周〜隋〜唐ではなかったわけだ。
874 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:13
>>872 他人の憶測はいいから、荒らさないでクレ
875 :
日本@名無史さん:03/10/06 00:34
五重塔のような今だにその建築技法が驚異の技術は
例えば新羅には、法隆寺の100年ぐらいあとにワザワザ百済人を呼んで
建築した皇龍寺が記録に残るくらいで、他になし。
どうも百済は、東アジア随一の先進技術が入ってるようなんだよね、
そして百済建国の時期を考えると、 五胡が北朝に進入して、漢族大移動が
起きた時。漢族は南朝以外にも百済にも逃げたはずで、倭にも進行していて
百済と倭が、白村江で異常な連携を、唐新羅軍に見せるのはその辺の
原因があるんじゃないかと思ってる
実際そこまで「漢」ということにこだわってたの?たてまえじゃなくて?
877 :
日本@名無史さん:03/10/06 01:38
なーーるほど、
日本が中華から独立したっていうより、中華の方が別のもに変わって
日本がガラパゴズ状態になったという感じだな
878 :
日本@名無史さん:03/10/06 01:45
>>877 中華の方が別のもの、っていうのは言い過ぎかも知れないけど、当たってるわな。
隋・唐が、漢の後継者であると言えるのと同等以上に、
日本が、漢ならびに六朝の後継者であるとも言える、わけやね。
北方系異民族に圧迫されて移動した人々・文化が日本列島で
受け入れられて継承していたわけで、
鮮卑系の隋に対して、対等外交文書を送った態度なども、そこから生じてる。
879 :
日本@名無史さん:03/10/06 02:06
>>878 感慨深いな・・ かなり以前はその説明でデンパ扱いされ・・・
この文明構造から、隋へ天子宣言は倭は本気で、しかも
当時の東アジア図としては、倭王が400年から南朝の臣だったことからも
南朝方でありそれほどおかど違いでもないことを言っても理解されず・・・
あなたも、日本は南朝の後継者だ、とか突然言うと
まるで理解されずデンパなので気をつけましょう。 六朝文化の後継と言う方が
いいかも
「漢」じゃなくて「中華」というべきところを、中華思想と民族主義の区別のつかないために
「漢だ、漢だ」と言い張ってる奴と、
「漢」の本来の意味で言ってる漏れとが噛み合わなかったということで。
881 :
日本@名無史さん:03/10/06 02:45
えーっと、
>>880 氏は、『漢』の用法をのぞけば、
>>873-879 の諸氏の意見とおなじように考えているのかしら??
まずはその点をすごく知りたいのと、
その上で、『漢』の用法の違いをもう少し詳説おねがいできますかしら。
882 :
日本@名無史さん:03/10/06 03:17
873-879自体が一人じゃないんで、一概に同じかどうか聞かれても困る。
少なくとも875と878は漢民族ナショナリズムのようなものが当時存在したと思ってるだけで厨房に認定。
873-874,876-877,879は問題ない(ように一応みえる)。
次ぎの質問の、「漢」の意味についてだが、863は誤解している。
漏れは最初から「漢にはいろいろな意味がある」という立場。
1)中華帝国の正統の継承者という意味と
2)エスニシティとしての漢族と
3)地理的概念としての漢をごっちゃにするなということ。
ちなみに漏れは、漢という言葉には1)の意味はない、といっている。
883 :
日本@名無史さん:03/10/06 07:36
日本は、中国の属国の朝鮮よりはるかに上の存在で、中国も日本には
一目置いて同等に外交・交易したのは否定できない事実
まるで朝鮮人のような理論に見えるんだが。
885 :
日本@名無史さん:03/10/06 08:26
>>882 すでに、875と878は別人なんだが・・・・・
>>879は
両方の説明があって、納得してるように見えるんだけど・・・
878支持です (同一人物じゃないのであしからず)
886 :
日本@名無史さん:03/10/06 09:05
>>882 中華帝国の正当な継承者は、まさに漢でなければならない
と当時は五胡人以外は思ってた。 というのは正しいでしょ。
異民族の鮮卑の唐は漢化してそれにより、中華史に入ったまで
現代の中国共産党は、さらに満州族が多いので、問題なく中華史となってる
887 :
日本@名無史さん:03/10/06 09:26
>>882 厨房に認定された878です。
漢民族ナショナリズムのようなものが当時存在したと思ってるとされていますが、
>>878 においては『漢民族』という言葉すら用いておりません。
むしろ、敢えて『北方系異民族に圧迫されて移動した人々・文化』と、
記述したのですが、どこらへんがまずくて厨房認定なのでしょう。
>>879 >感慨深いな・・ かなり以前はその説明でデンパ扱いされ・・・
>この文明構造から、隋へ天子宣言は倭は本気で、しかも
>当時の東アジア図としては、倭王が400年から南朝の臣だったことからも
>南朝方でありそれほどおかど違いでもないことを言っても理解されず・・・
心配するな今でも電波扱いだ。
>>886 >中華帝国の正当な継承者は、まさに漢でなければならない
>と当時は五胡人以外は思ってた。 というのは正しいでしょ。
>異民族の鮮卑の唐は漢化してそれにより、中華史に入ったまで
だから、漢には中華帝国の正統な後継者の意味はないって言われてるでしょw。
漢と漢民族について調べてみたら?面白いことがわかるよ。
漢民族ってのはあってないようなものなんだよ。だから現在も中国人口の
ほとんど全部が漢民族。
>現代の中国共産党は、さらに満州族が多いので、
意味不明
>問題なく中華史となってる
さらに意味不明
600年の遣隋使以来、日本は隋や唐をまねることを、
国家目標にしていたことを知らないのだろうか?
最初の遣隋使が「倭の王の使いです」と名乗ったことを知らないのだろうか?
天子国書の7年前の遣隋使が倭王と名乗ったことの説明がないな。
ちなみに隋に残ってる朝貢儀式の絵だと、新羅人の使者は靴と冠をつけているが、
倭人の使者は、はだしで冠がない。これは想像上の絵といわれているが、
倭に冠位がなかったのはばれていたようだ。
昔がどうだろうと関係ない重要なのは現在だ。
朝鮮はいつまで属国でいるのだろうか?
891 :
日本@名無史さん:03/10/06 11:47
892 :
日本@名無史さん:03/10/06 11:59
>>888 この人、いつまでループさせる気なの?
どうみても、君ひとりが独善で、他の人はそれなりに客観的視点で書いてるよ
君の漢の概念を支持する人は、これまで見当たらないのだから諦めたほうがいい。
なぜ支持されないのかといえば、主観を事実であるかのように書く幼稚さが見られるからだよ。
主観は構わないが、大人はこれは主観ですが・・という文体で書くもの。
893 :
日本@名無史さん:03/10/06 12:07
彼、大人気だな、
そもそも>>1だろう彼は、
日本をケナス為にこのスレをたてたのだから、
ケナせない状態になれば、何度でもループさせるって (w
894 :
日本@名無史さん:03/10/06 12:51
>>888 だから現在も中国人口の
ほとんど全部が漢民族。
散々イデオロギーの話が出て、ここまでアホはみた事ないな。
知識がないのではなく、真性の痴呆かもしれんよ
895 :
日本@名無史さん:03/10/06 13:00
なんじゃこりゃ?
おまえら朝から何してるんだ?
せめて歴史の話しろ!
896 :
日本@名無史さん:03/10/06 16:00
日本が隋や唐に朝貢していたのは事実だろ。
朝貢していたことを恥じる理由はひとつもないと思うが。
897 :
日本@名無史さん:03/10/06 17:00
>>889 >倭人の使者は、はだしで冠がない。これは想像上の絵といわれているが、
>倭に冠位がなかったのはばれていたようだ。
この辺が侮日論の原点なのかな?
>>896 どっちの側にも朝貢それ自体を否定している奴はいない。わけわかんないループさせるんな
899 :
日本@名無史さん:03/10/06 17:30
900 :
日本@名無史さん:03/10/06 17:40
うんこスレのやかん!
>>899は国語力が消防以下の白痴か、スレ読む気がはじめからない野次馬。
902 :
日本@名無史さん:03/10/06 17:58
朝貢という言葉の定義でもめてるんだな。
中華は、対等や格上の相手にさえ、
自国の歴史書の中で朝貢という言葉を使うんだ
という話に対して、
1・それは本来朝貢とはよべないので中華はあわれ という奴と
2・対等や格上の相手であってもそれを朝貢と呼ぶ という奴と
3・中華の史書に朝貢とあったら、倭が格下の朝貢があったんだという奴
こういう図式なんだな。 ちなみに 3だ!と暴れてる奴が 彼 と呼ばれ
困ったちゃんになっている
次スレ よろしくです。
『日本は中国の朝貢国だった2』 とか
コテハンは恥ずかしいので、名無しになってたのですが、
話の流れが読みにくいので、皆さん初登場番号を名乗ってくだされば、
わかりやすいので、よろしくお願いします。
>887
>むしろ、敢えて『北方系異民族に圧迫されて移動した人々・文化』と、
>記述したのですが、どこらへんがまずくて厨房認定なのでしょう。
厨房認定とかするのは勘弁して欲しいですよね。
北方異民族を劣った野蛮人と蔑んでた人々・文化というのは、
容易に観念できると思います。
そういう人々が、自分達の土地を追われて、
南に大挙移住して国家の指導層を形成した場合、
どのようなイデオロギーを持つかも想像できるでしょう。
そのような人々を北方異民族と区別して「漢人」と呼ぶのは、
特に誤解を与えることだとは思いません。
次スレは、いらないような気もするんですがねw
905 :
日本@名無史さん:03/10/06 18:49
そうだなー 五胡、鮮卑VS古の漢人
というタイトルで、キッチリ話をつけてほしいな
春秋時代と秦を経て国家を作った「漢」と永年蛮族と呼ばれた「五胡」
の文明の対立が起きた!
そのときは倭は! そんとき新羅はどう動いたのか!
>905
日本史板だし。
907 :
日本@名無史さん:03/10/06 19:00
日本史の文明や貿易や王朝を考える上で、
日本が影響を受けたこの2つの文明の攻防については
特別に知識が必要だと思う
平凡社の大百科事典でも、「魏晋南北朝」の項目で、
普通に「漢族」という用語を使っているし、
>(略)420年東晋を奪い宋朝を建てた。
>華北では429年に北魏が華北を平定したので、
>中国は胡・漢が南北に対立する形勢となり、
>以後を南北朝時代という。
と、あっさり記述されています。
>853
>当時は「漢」といえば北朝。南朝は「呉」だ。(この漢も呉も地域概念。文化や正統性とは関係ない)
>861
>いろいろな意味がありますね。民族としての意味は宋の時代までないと思うが。
>それと南北に分裂している時代には中国の北部だけをさす地理的概念としても使われる。
平凡社が間違っているのでしょうか?
それとも、何らかの歴史学派では、ここは絶対に譲れないことなのかな?
909 :
日本@名無史さん:03/10/06 20:18
>>902 「朝貢」についての認識が適当でいい加減なやつが多すぎるんだよね
1)「朝貢」はたしかに格上の者(中華の天子)に格下の者(それは異民族とも限らないし外国勢力とも限らない)
がするものだが、本来的に国家間関係を規定するものではない。
2)「朝貢」にともなう国際政治の実態は、秦漢時代と隋唐時代と明清時代ではかなりちがっていて
ごっちゃに語ることはできない。
3)属国かどうかは冊封の内容によって決まるのであって朝貢の有無によって決まるのではない。
4)建前と現実の乖離は、中国側にも日本側にもあった。
中国側ではアッバース朝やササン朝の使者でも朝貢扱いだし、匈奴と漢、契丹と宋の関係では、
遊牧民の方が実際には優位だった時期でも、文書表現の上では建前を守る努力をしている。
したがって純粋に表面的な記述から実態をストレートに再現はできない。
日本側の百済・新羅を属国とする体制は、中国とは異なり「朝貢」の有無にかかっていたと思われ。
日本側が、格下扱いしようとする中国に抵抗しようとしたり無視したりしてきたのは事実だが、
その事実が逆に、中国側の考えがどのようなものだったかを証明しているともいえる。
910 :
日本@名無史さん:03/10/06 21:12
>>909 そういう学術的な隙をついて、
「やーい、お前ら倭はずーと中国に朝貢してたんだー」
と卑下する使われ方をするのが現代用語ですので
「上下関係もないのに朝貢と記載してきた哀れな中華思想」
という注釈をつけないとマズイ場合が多いのです。
また、格下扱いを無視したとありますが、その多くは先方の正史記載中の
表現であって、殆どの場合それが行動として格下扱いがあった
という事ではありません。
911 :
日本@名無史さん:03/10/06 21:25
>そういう学術的な隙をついて、
>「やーい、お前ら倭はずーと中国に朝貢してたんだー」
>と卑下する使われ方をするのが現代用語ですので
それこそ劣等感の裏返しというものだろう。みっともない真似はよせ。
912 :
日本@名無史さん:03/10/06 21:32
>>911 誰が誰に、どの部分について言ってるの?
913 :
日本@名無史さん:03/10/06 21:41
914 :
日本@名無史さん:03/10/06 23:57
過去において朝貢国だったか否かは、
これから日本が中国の冊封を受けるかどうかで決まるだろう。
>>914 とっくに冊封うけてるだろ。田中角栄が(w
それ以来、田中派の利権を継承した橋本派は自民党最大多数派閥のまま
ずっと親中派できてて、チャイナスクールともグルじゃん。
916 :
日本@名無史さん:03/10/07 00:24
あー今日は静かだねー 平凡社の百科事典が効いたかもね
このまま荒らされなければいいなー
別すれでみたんだけど、この頃の漢族って人口的に滅亡寸前だったらしいよ
まさに、鮮卑が乗っ取ったんだね。
で、倭には多数の漢人が断続的にやってきて貴族になったんだと
917 :
日本@名無史さん:03/10/07 00:43
いつの時代も不法入国
918 :
日本@名無史さん:03/10/07 00:47
想像してごらん。
日本国民の半分が黒人だったら、すばらしい国家になったことだろう。
919 :
日本@名無史さん:03/10/07 01:03
>>916 むう。中国からの不法入国を拒否することは日本の自己否定につながるのか?
920 :
日本@名無史さん:03/10/07 01:19
いや、今来るのは主に満州東北人と鮮卑の子孫っと考えることとしよう
都合よく考えれば、台湾の人は呉の人と決めつけることとしよう
なんだか訳わからん展開になってきてるな
漢人に限らず多数の帰化人が倭国にはきてるけど、みんな三流貴族にしかなれてない。
広開土王との戦いの時、倭国と慕容燕との間に連係があったという説もある。
これが正しければ、鮮卑とは古くから交流があったことになる。
「漢の正統」という場合の漢は「漢王朝」の意味で、漢民族の継承者という意味ではない。
漢人といった場合の漢は、1)文化類型としての漢族と2)漢土の居住者と
3)中華皇帝に属する人という意味とがあって、ごちゃごちゃにいってはいけない、といっている。
>>919 昔は、べつに不法入国ってわけじゃなかった。
923 :
日本@名無史さん:03/10/07 02:07
>>916 >で、倭には多数の漢人が断続的にやってきて貴族になったんだと
その倭にやってきた「漢人」というのは必ずしも漢族ばかりではなかったようだけど。
今きてるのは
1)北京を中心とする華北人、2)上海を中心とする華中人、3)広東を中心とする華南人。
1)は12世紀以降に契丹・女真・高麗・渤海人などが混血して漢化したもので、唐代の鮮卑系中国人とは別。
2)は呉越などの南蛮人(タイ系)をベースに古い華北の血が若干入ったもの。
3)は人種的にはほとんどベトナム人。漢文化に同化されているだけ。
925 :
日本@名無史さん:03/10/07 03:20
>>923 ウジウジするな。言いたいことあるなら、はっきりと言ってみろ!
926 :
日本@名無史さん:03/10/07 08:01
>>924 ベトナム人と、広東人はまるで様相が違うけど?広州に行った事ないでしょ
というか、この区分けはあてずっぽで書いてるでしょう
鮮卑系→抜けてる
五胡西系→
五胡東系→
漢族系→抜けてる
春秋時代の呉越系→
日本側の百済・新羅を属国とする体制は、中国とは異なり「朝貢」の有無にかかっていたと思われ。
日本側が、格下扱いしようとする中国に抵抗しようとしたり無視したりしてきたのは事実だが、
その事実が逆に、中国側の考えがどのようなものだったかを証明しているともいえる。
>別すれでみたんだけど、この頃の漢族って人口的に滅亡寸前だったらしいよ
>まさに、鮮卑が乗っ取ったんだね。
>で、倭には多数の漢人が断続的にやってきて貴族になったんだと
自分で書いてるんだろうが!
>>926 「人種的には」というのはまちがい。言語的には、だね。
ベトナムは南北で部族が違ったりもするけど、一応広東方言がベトナム語と
近いという議論は以前、言語学板や中国板でガイシュツしてるよ。
(ちなみに広州にはいったことないが香港には2回いったよ。どうでもいいけど)
あと、鮮卑系の隋唐中国人は
>>924の1)に含まれる。
鮮卑系の隋唐中国人は華北では12世紀以降に契丹・女真・高麗・渤海人と混血してしまっている。
(=第3次中国人=近世中国人)。
漢帝国の時代の漢人と春秋時代の呉越系とは
>>924の2)に含まれる。
満州、朝鮮にはいくらか形質が残存しているが、江南に逃げたのは(春秋以来の)呉越系の
先住民と混血したが、人口比からいえば呉越系に吸収されたといった方がいいと思われ。
五胡西系・五胡東系とはなんのことかわからんが、
テイ・羌のチベット系を西系、鮮卑を東系といってるのかな?
>>927は意味不明。なんで同一人物だと思うかな。最初の3行とその次の引用符つきの3行は別人だよ。
しかも引用先のナンバーないから、ほとんどの椰子は文脈がみえず927の主旨そのものがよくわからんだろうな。
930 :
日本@名無史さん:03/10/07 21:53
ひとり、すごい粘着がいるからな このスレ
被害妄想だよ
931 :
日本@名無史さん:03/10/07 22:03
>>930 1人ではなく、絶対グループでやってる。
だから、日本史板には反日スレがいっぱい。
932 :
日本@名無史さん:03/10/07 22:05
日本ヲタ、必死だなw
必死ヲタ、必死だなw
935 :
日本@名無史さん:03/10/07 22:09
いや、一人らしいよ それで一人であることを
誰かに悟られると、グループ説を持ち出して
惨めでヒッキーな自分をカモフラージュするんだって。
>>935 おまえもヒッキーだろが
下げろや、ボケ
937 :
日本@名無史さん:03/10/07 22:50
中華思想板になりますた
938 :
日本@名無史さん:03/10/07 23:36
ウヨとサヨが各1人づつしかいなかったりして(w
>>938 ウヨはわかるけど、昔の日本が中国の格下だったことを認めるのは
サヨかなぁ?
でもまあ特定の人の自作自演合戦なのは確かだな。
もしかして一人が両方やってるとか。
940 :
日本@名無史さん:03/10/07 23:47
>>939 ちょっとまって、恐らく俺はそのウヨのひとりだけど
ウヨ側は自作自演してないぞ!
>>940 説得力ないよ
「なぜ古代の中国は日本を攻めなかったの?」とこのスレをageまくる
ウヨにはウンザリだ。
942 :
日本@名無史さん:03/10/07 23:50
>>939 昔の日本が中国の格下だったことを認めるのは
サヨかなぁ?
サヨです。 認めるのはと、事実のように書いてしまうのはヤバイです
>>939 「ウヨ」だの「サヨ」だの「自作自演合戦」だの適当なこと言ってんじゃねーよ。
この、うすら馬鹿。
944 :
日本@名無史さん:03/10/07 23:52
>>941 なんだ、また キチガイ941の自作自演だったのか。
945 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:02
946 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:06
日本は唐よりは格下だろ、どう考えても。
947 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:08
>>945 だからさあ。
それ元冦スレだろ。こっちじゃ隋唐の頃と明清の頃では朝貢の実態が異なる、とかの議論してるんで
そんなとこにさらに宋元の頃の話をごっちゃにいわれても困るんだし、
話がこれ以上入り乱れるのは迷惑なんだけど。
あなたの論敵がいるんなら自力で戦ってくだされ。
早い話、こっちくんなよ。
948 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:18
949 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:18
>>947 945がいいたいのは、ここのスレットを荒らしてる奴が
登場するから参考にして、無視しろって事だろ
951 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:28
>>950 945は、一度もどの発言でも荒らしてないし、
終始コテハンを貫いてるので問題なしだよ。
954 :
日本@名無史さん:03/10/08 00:44
945は、昨日の漢中心史観の奴だな。
笑えるなー 945もまあ煽りすぎだ。
いちいち相手しないで無視すればいいのに
煽りは相手にしなければいいんじゃないの?
あと、結論の出た話題を蒸し返すのもスルー。
>847-849
のところが、面白いので、次スレで深めて欲しいところです。
あと、挟まってる848氏のこだわりにも興味あり。
南朝が漢民族の正統王朝であるというのが真理であるかどうかは
ともかく、五胡の政権に比べたら、
当時の漢民族で、そう信じる人が多かったと思います。
>>955 >のところが、面白いので、次スレで深めて欲しいところです。
次スレはいらないような気がするが…まだやるの? これ以上どういう話がでてくるというんだ?
このスレの頭の方、
>>52から最後の方の
>>909までの間、
論争レベルがぜんぜん進歩してないのがスゴイ(w
・・・・・・次スレ立てても内容は・・・・・。
52 :日本@名無史さん :03/06/12 02:36
ずいぶん前に世界史板で議論されつくしたと思うけど、
「朝貢」っていうのは本来、属国かどうかと関係ない話。
属国かどうかの問題は「朝貢」ではなく「冊封」だ。
これが事実上同じものになったのは、明が海禁策(=鎖国)して
貿易と朝貢という本来関係ないものがが密接にくっついてから。
もういちどいうけれども冊封体制の中では、中国との政治的な距離によって
諸国が何段階にもランキングされてるわけだが、
そのランク中に、内臣国だの外臣国だのあって最後に「不臣の朝貢国」ってのがある。
(後漢時代の倭の奴国はこれにふくまれる)
つまり「朝貢」ってのは中国となんらかの交渉があるという意味しかなく
属国かどうかという話とは関係がない。
また「不臣の朝貢国」の中には「敵国」というのもふくまれるが
この場合の「敵国」というのは敵対国ではなく対等・平等の国という意味。
(前漢時代の匈奴など)つまり中国と対等の国でも「朝貢」というのはやるし
外交使節がきただけで中国では朝貢になるんだから。だからといって中国側で
「敵国」や「不臣の朝貢国」を属国とみなしているわけではない。
明代海禁以降の管理貿易時代の「朝貢」ですべてを語るのは大間違い。
273 :日本@名無史さん :03/09/18 18:33
「朝貢=属国ではない」。
これを言葉遊びの言い訳ととる奴はただの物知らず。
秦漢の頃と隋唐の頃と明清の頃では
朝貢と、冊封(属国かいなか)の関係はどれもかなり違う。
中国四千年の間、朝貢のもつ意味が一貫してぜんぜん変わらなかったかのような
単純な議論する奴はバカ。
333 :293 :03/09/20 09:49
朝貢は何度もいうように必ずしも国家間関係を規定するものではない。
ただし、「上下関係ではない」というのは間違い。上下関係を規定するものではあるのだが。
473 :日本@名無史さん :03/09/21 21:15
朝貢と貿易が分かち難く結びついたのは明の海禁政策から。
何度もいうように朝貢はそもそも国家間関係を規定するものではないので
国営貿易とも関係ない。
511 :日本@名無史さん :03/09/22 19:59
朝貢ってのは国家の代表同士の間でなされるものではなく
中国の皇帝に「誰か」がするもの(それは外国の君主とは限らない。
民間の外国人かもしれないし国内の中国人の場合もある)だから
朝貢する側が格下なのは当たり前。そこで火病おこすウヨは基礎知識がなさすぎ。
国家間関係として格下かどうかは冊封で決まるのであって朝貢できまるものじゃないのに。
日本は冊封受けてないので、中国の属国でも格下でもない。
光仁天皇の下座は、江戸時代の偽書を根拠にはできないが
正史の記述から情況判断すればそういうことがあった可能性はあるだろう。
でも問題は、それが「まずいこと」として日本側に認識されたってことが(いいわるいでなく)重要。
半島ではそれが当然のこととして受容され建前と現実が合致させられていった。
日本は対等関係にこだわったため中国とは距離をとったし、逆にいえば距離があったから
対等の建前を守ることができた。その建前に反する事態が生じた場合は
外交関係を破綻させている。(義満の後の義教、国書の内容がばれた時の秀吉など)
601 :日本@名無史さん :03/09/25 00:27
複数の国の使節が集まれば席次が問題になるのは当たり前。
話をループさせんなよ
619 :日本@名無史さん :03/09/25 22:06
>>610 アッバース朝イスラム帝国もササン朝ペルシア帝国もすべて「蕃国」扱いじゃなかったのか?
「コップの中の嵐」とは、ずいぶんデカいコップもあったもんだな(w
>>618 「漢倭奴国王」だって実体は奴国一国の首長にすぎない。そういう意味では
「韓廉斯邑君」や「不耐穢王」とたいしてかわらない。
中国側からその民族の唯一の代表窓口として認めたという点では王も邑君も金印も銅印も似たようなもの。
ただ、そいつを通して仕切ってもらえる異民族の総国力を中国側がどれくらいに見積もったかの違い。
倭と穢の首長が王なのに韓の首長が邑君にすぎないのは、
発展段階的にいって韓が遅れていたか、あるいは単純に韓人の総人口が少なかったか、どちらかの理由しかない。
657 :日本@名無史さん :03/10/01 20:06
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ぱくっ|
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_ ム::::(,,゚Д゚)::| 俺様が釣られると思ってんのか!!
ヽツ.(ノ:::::::::.:::::.:..|)
ヾソ:::::::::::::::::.:ノ
` ー U'"U'
760 :日本@名無史さん :03/10/03 15:36
>冊封はともかく、朝貢の形としか考えようがないですね。
対等であろうがなかろうが、どっちが格上でどっちが格下だろうが、属国だろうが独立だろうが
そもそもこの時代の外交に「朝貢」の伴わない外交なんてあり得るのか?
ちゃんとスレを遡って読んでみろ。そしてループさせんなよ。
765 :760 :03/10/03 16:30
>>761 >対等か?どっちが格上か?
お互いに自分は偉いって建前だから、噛み合わなかったってことじゃないの。
898 :日本@名無史さん :03/10/06 17:17
>>896 どっちの側にも朝貢それ自体を否定している奴はいない。わけわかんないループさせるんな
909 :日本@名無史さん :03/10/06 20:18
>>902 「朝貢」についての認識が適当でいい加減なやつが多すぎるんだよね
1)「朝貢」はたしかに格上の者(中華の天子)に格下の者(それは異民族とも限らないし外国勢力とも限らない)
がするものだが、本来的に国家間関係を規定するものではない。
2)「朝貢」にともなう国際政治の実態は、秦漢時代と隋唐時代と明清時代ではかなりちがっていて
ごっちゃに語ることはできない。
3)属国かどうかは冊封の内容によって決まるのであって朝貢の有無によって決まるのではない。
4)建前と現実の乖離は、中国側にも日本側にもあった。
中国側ではアッバース朝やササン朝の使者でも朝貢扱いだし、匈奴と漢、契丹と宋の関係では、
遊牧民の方が実際には優位だった時期でも、文書表現の上では建前を守る努力をしている。
したがって純粋に表面的な記述から実態をストレートに再現はできない。
日本側の百済・新羅を属国とする体制は、中国とは異なり「朝貢」の有無にかかっていたと思われ。
日本側が、格下扱いしようとする中国に抵抗しようとしたり無視したりしてきたのは事実だが、
その事実が逆に、中国側の考えがどのようなものだったかを証明しているともいえる。
まとめ乙。
次スレやるとしたら各時代における具体的な朝貢の実態、とかかな?
965 :
日本@名無史さん:03/10/08 09:50
朝貢はまとめてもらったから、もういいよ、
漢族+倭+百済 VS 五胡人+高句麗+新羅
この文明の対立を精査しよう
966 :
日本@名無史さん:03/10/08 10:08
>>965 簡単な事だ。
西暦200年ごろから西暦700年ごろまでの大陸で
駆逐され続けたのが、漢人
侵略し続けたのが、五胡人
負組の漢人は、500年間その時々に難民貴族として、日本に逃げてくる
勝組の五胡人は、大陸を制覇していく。
かくして500年を経て、
日本には負け組の漢人が吹溜り、
大陸には勝ち組の五胡人が吹溜り、漢文化を自己のものとした
967 :
日本@名無史さん:03/10/08 12:42
>>966 お言葉だが、南朝は勿論のこと北朝側にも
多数の漢人貴族が存在しているのだが。
968 :
日本@名無史さん:03/10/08 14:20
>>967 もちろん。
日本は、 猿でしかなかった倭人に漢族が文化を伝え、 漢人 +倭人の国となり
中国は、 勝ち組の胡人が、漢族をしたがえ、 胡人+漢人 の国となった
>>965 政権の対立をストレートに文明の対立なんて話に置き換えるのはトンデモ臭い。
中国における文明の変遷は「朝貢」とは別に世界史板で専用スレ立てる方がいいだろう。
>>967 禿同。
ついでにいうと倭国には貴族級では南朝からしかきてないが庶民級の技術者とかは北朝・南朝ともにきてる。
970 :
日本@名無史さん:03/10/08 18:07
>>970 新撰姓氏録にたくさんあるんじゃないのかな?よくわからんが。
新撰姓氏録では、○第一帙(皇別)○第二帙(神別)○第三帙(諸蕃・未定雑姓)で
帰化人を厳しく差別してますね。諸蕃ですから。
815年までに、大陸や朝鮮半島情勢と、
日本国内の皇位争いや諸豪族の権力闘争に、
帰化人間の争いが加わって、いろいろあったのでしょうね。
朝貢してたことは確認できたんだから、もうツマラン。
新撰姓氏録は8世紀成立だが、7世紀の帰化人は百済と高句麗の貴族。
4〜5世紀に来たのは何人だか不明だな。半島南部人説が今は多いようだが。
>>974 >朝貢してたことは確認できたんだから、もうツマラン。
はて?
976 :
日本@名無史さん:03/10/09 00:27
>>974 百済出身? 半島自身が大陸の南北の勢力の溜まり場として民族なのだから、
五胡系か漢人または、倭人という事になる。
渡来人の自己申告は漢人なのだから、 教科書では百済人でもいいが、
このスレでは漢人に分類したほうが良い。
>>974はスレの流れをまったく理解してない。国語力のない低能ドキュンか、さもなくば白痴。
>>972-973 南朝の梁の蕭衍の子孫が日本にきて和薬使主になっている。
北朝の技術者は「漢伎(あやのてひと)」南朝の技術者は「呉伎(くれのてひと)」
>>980 ワロタ
さらに、たてた人の意図がわかりやすいスレですね。^^
>>979 > 南朝の梁の蕭衍の子孫が日本にきて和薬使主になっている。
> 北朝の技術者は「漢伎(あやのてひと)」南朝の技術者は「呉伎(くれのてひと)」
面白いですね。
和薬使主も新撰姓氏録通りの漢人説と、
>呉の国から日本に帰化した医師の知総(ちそう)は医学の他、仏教で牛乳や乳製品
>の功徳を説いていることを知っていたのでその普及をしたといいます。
>その子供の福常(別名:善那)が孝徳天皇に牛の乳を搾って献上したところ、天皇は
>そのおいしさに大変喜び福常に和薬使主(やまとくすりのおみ)の姓を、乳長上の職
>を与え、大山上の位を授けられました。彼は、古代乳製品を造り、栄養、医学的効用
>を説きました。搾乳技術を改良して普及できたのは父の知総が搾乳術をもっていた
>からでしょう。
>これが日本の牛乳飲用の始まりといわれています。
ttp://www.awa.or.jp/home/rakunou-no-sato/hanasi1.html 百済人説があるのですね。
>日本に牛乳が伝えられたのは、飛鳥時代で、百済(くだら:現在の韓国)からの帰化人である福常(ふくじょう)が、
>孝徳天皇(644〜654年)に牛乳を加工した「蘇(そ)」を献上したところ、天皇はたいへん喜び、
>和薬使主(やまとのくすりのおみ)という姓と乳長上(ちちおさのかみ)という職を授けられたという記録が、
>平安初期の記録にあります。
ttp://jdc.lin.go.jp/rakunou_i/know/main0.html 大変わかりやすい。^^
>>977 :374 ◆SR/hGLeeEc
>漢氏の出自には百済経由で渡来した漢人説と
>それは捏造で、あや=伽耶で半島系渡来人説の2つがあるようですね。
知らなかったのか?
最近の出版物で、漢氏も秦氏も中国人説ってのは、ほとんど探すのが不可能だぞ。
>日本が朝貢していたのは、歴史常識
認めない人も一人いるがなw。
985 :
日本@名無史さん:03/10/09 11:33
このスレの結論
反日引篭もりの一人が、朝貢日本というイメージから日本をケナすことに
全力をそそいだが、 朝貢という言葉は中華思想の妄想語であり格上の国からでも
歴史で朝貢と記載する程度のお約束の言葉である事が判明して、悔しい思いをしてしまった。
おまけに、隋や唐代においては日本は対等の関係にあり、属国の朝鮮諸国とはまるで違う事も
判明してしてまた悔しい思いをしてしまった。
散々スレを荒らしてみたものの、
日本と中国は、対等だった。
文化的にも、漢化に200年以上先行した日本が、漢化に遅れた唐より洗練されていた可能性が高い。
という2つの事実に、
「次は属国というスレタイで日本をケナシテやる」と誓う
引篭もりのチョンくん であった。
いや、
文化的にも、漢化に200年以上先行した日本が、漢化に遅れた唐より洗練されていた可能性が高い。
はいいすぎだろ。
ここまで言っちゃうとおまいさんのほうがチョンっぽく見えちゃうぞ。
987 :
374 ◆SR/hGLeeEc :03/10/09 11:41
>>984 >
>>977 :374 ◆SR/hGLeeEc
> >漢氏の出自には百済経由で渡来した漢人説と
> >それは捏造で、あや=伽耶で半島系渡来人説の2つがあるようですね。
> 知らなかったのか?
> 最近の出版物で、漢氏も秦氏も中国人説ってのは、ほとんど探すのが不可能だぞ。
いや〜、秦氏も半島系らしいですね。
>124 名前:ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ [age] 投稿日:02/09/24 21:12
>中国から見て、日本は日の元にある国。
>朝鮮は朝の鮮やかな国。
>まあ、所詮はそのくらいかな。
>実際、帰化人でも権力を持ったのは朝鮮系ではなく、中国系であったことが知れる。
>秦氏などよい例である。
>
>136 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:02/10/06 13:24
>>124
>安羅から来ても「漢」と書いて「あや」と読ませるのと同じように、
>「秦」は借字である可能性が強い。
>秦氏は新羅のハタンから来たという説が有力。
>このハタンが当時の地名にあったことは古墳から出た金石文で
>証明されている。漢字は「波旦」だったかな。
ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1031811857/ 漢(あや)は伽耶なのか安羅なのか、色々あるようですね。
朝鮮半島出身説は、あまり説得力を持たないように見えますが、
有力説なんですか?この分野面白いです。
988 :
日本@名無史さん:03/10/09 11:53
>>985 おい・・・。ひょっとして古文や漢文読んだことない?
枕草子を読んだことある?
漢詩って知ってる?
三船の誉れで和歌の船より漢詩の船に乗ればよかったってやつは知らないか。
盛唐の三大詩人って知ってる?
白楽天は?
989 :
374 ◆SR/hGLeeEc :03/10/09 11:57
>>985 > 文化的にも、漢化に200年以上先行した日本が、漢化に遅れた唐より洗練されていた可能性が高い。
それは、さすがに独自の説ですよね。
何をもって「洗練されていた」というのかも問題だし。
本当に漢化したいなら、やっぱり宦官をつくらないとね♪
990 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:01
>>986 いや、このスレの結論だからねケチをつけられても困るな。
漢と鮮卑論が長く繰り広げられて、出てきた可能性としての結論。
十分な説得力があったが?
991 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:04
>>988 漢詩は唐の時代が最高だもんな。
唐文化を馬鹿にするやつがアフォと言うことで。
992 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:08
結果的に「漢化が文化だ」として、蛮から漢化途中の 唐 という結論はあったね。
先だつこと300年以上前から、漢化していった 倭 という結論があったね。
どちらも未達の漢なれど、時間の関係から先行していた可能性が高いのは
倭という結論だったね。
993 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:15
超越した概念である、道教や仏教をもって文化を計る傾向の時代だったから、
倭が唐と対等意識をもってたのは、判る。
鮮卑系を卑下する勢力が日本に多かったろうというのも、判る。
けれど、唐に憧れている日本人が多かったのも事実
ま、対等ってこっった
994 :
374 ◆SR/hGLeeEc :03/10/09 12:42
>>992 そもそも漢民族がいるところに五胡が侵入したのと、
細々と漢人の渡来・帰化で文化を摂取したのとでは状況がまったく違うし、
そもそも、五胡は長い年月漢民族と直接交渉しているわけで、
時間も長ければ質も違う。
「漢化」を価値基準にするのもよくわからないのだが。
日本は漢の文化を取り入れたが、漢化したわけではない。
そもそもがかぶった。鬱。
996 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:57
997 :
日本@名無史さん:03/10/09 13:59
次スレはいりません。
japan
いやー
1000 :
日本@名無史さん:03/10/09 14:09
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。