● 謎の大王・継体天皇について ●

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1日本@名無史さん
応神天皇の五世孫ということらしいけど
出目や出身等、謎に包まれているよね。
2日本@名無史さん:02/10/26 16:40
今後の展開次第では5世孫どころでない皇裔を皇位に就けなきゃ
ならなくなるかも。
3日本史@名無さん:02/10/26 19:04
>>1の出身も謎に包まれているよね。
 ヒトの出自をとやかく言う前に自分のことを顕かにすべきだよ。

それから、継体が「出目」だったと言うような伝承の類は無い。
4日本@名無史さん:02/10/27 20:19
父:意富富杼王
┏乎非王(「上宮記」による) 継体の祖父にあたる
┣阿居乃王(「新撰姓氏録」による)
┗都紀女加王(「国造本紀」による)

つぎはぎの兄弟……
5日本@名無史さん:02/10/27 20:22

過去ログに継体スレ、イパーイあるよ

それ見てからに汁
6日本@名無史さん:02/10/27 20:23
実は継体天皇自身も三兄弟
父:彦主人王
┏天迹部王(彦人王)
┣男迹部王(彦杵王)
┗大迹部王(彦太王)→継体天皇
7日本@名無史さん:02/10/27 20:25
>>5
過去レスは結論でないうちに倉庫逝き
8日本@名無史さん:02/10/27 20:27
>>7
×レス
○スレ
勉強汁
9もう終わってます:02/10/27 20:28
継体天皇は
http://mentai.2ch.net/history/kako/980/980907202.html

継体天皇って先代達と血つながってんの?
http://mentai.2ch.net/history/kako/997/997471414.html
10日本@名無史さん:02/10/27 20:32
>>6
えっ、マヂ!
出典教えろや。
11日本@名無史さん:02/10/27 20:37
自問自答ウザイ
12日本@名無史さん:02/10/27 20:39
ハハハハハ
13日本@名無史さん:02/10/27 20:49
>>8=11
14日本@名無史さん:02/10/27 20:54
1=4=7=10=13
15日本@名無史さん:02/10/27 20:55
>>1
あのね、出目でなくて、出自(しゅつじ)でしょうが。
継体天皇の目は、出てたのか。(藁
16日本@名無史さん:02/10/27 20:58
ジサクジエンうざい

1=4=7=10=13=15


17日本@名無史さん:02/10/27 21:16
継体天皇像
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7848/fukuic/asuwa3m.html
・・・・『継体天皇』〜〜日本書紀によると男大迹王(おおとのおおきみ・継体天
皇)は彦主人王(ひこぬしのみこと)と越前国三国の振姫(ふるひめ)の
間に生れ、治水・潅漑をはじめ、各地に産業を興し、越前国の先覚的指導
者となったが武烈天皇が亡くなった後、河内の樟葉(くすはの)宮に迎え
られ507(継体1)年、第26代皇位についた。しかし一説には経済基
盤を持つ豪族としての勢力を中央政界に及ぼし、自らの王朝を成立させた
とも・・・・
18ベンゼン中尉 ◆zydmbsoahk :02/10/27 21:17
継体天皇は河内の豪族と言う説が強い。
つまり、天皇家断絶の1か点であることは常識!
19日本@名無史さん:02/10/27 21:18
1=4=7=10=13=15 =17
20日本@名無史さん:02/10/28 00:47
1=4=7=10=13=15=17=19
214=6:02/10/28 03:07
漏れは一応>>4=6なんですが、何か?

>>10
水尾神社本土記
22日本@名無史さん:02/10/28 03:51
河内じゃないよ扶餘だよw
23日本@名無史さん:02/10/28 07:50
五世前っていうと、たとえば今上天皇からすると仁孝天皇になります。
現在ならまだしも当時5代前が誰だったってきちんと把握できるもの
だったのだろうか?
24九州王朝大好き:02/10/28 19:29
「継体」と言う名前が血縁の無い外部から来た意味。
しかし、前天皇の「体」制は「継」いだと名乗っている。
25日本@名無史さん:02/10/28 19:51
継体は越の出身かな。
継体の前の天皇が、日本書紀で悪く書かれているね。
これは、新王朝発足時の中国式ルールだそうな。

しかし、大和の旧豪族は権力を維持している。
ってことから、皇位断絶・新王朝発足。
背後は大和と越の豪族の連係プレイと予測。
もめたので、すぐに大和には入れなかった。
2615=17:02/10/28 21:35
折れは、15,17 しか書き込んでないよ!
2715=17:02/10/28 21:42
>>25
>しかし、大和の旧豪族は権力を維持している。
>ってことから、皇位断絶・新王朝発足。
>背後は大和と越の豪族の連係プレイと予測。
>もめたので、すぐに大和には入れなかった。

解りにくいので、もう少し詳しく説明乞う!
28日本@名無史さん:02/10/28 22:11
>>27
完全なる王朝交代なら、大和のそれ以前の豪族は没落し、
継体がつれてきた豪族が大和の主流となっているはず。

しかし、豪族の勢力は、継体以前と以後では、あまり変化がない。
ということは、皇統が切れた、あるいは豪族によって切られた後継を、
越の国の豪族だった継体家から探してきた、または自推してきた。

その継体は、なかなか大和中心部に入れなかった。
越の豪族連合と、大和の豪族連合がなにかしらの課題でもめていたと予想。
結局話がついて、大和豪族を重臣の中心にして、越の豪族か王だった継体が
上に立つ。

という、展開だったのではないかな。
29日本@名無史さん:02/10/28 22:12
今現在、真の継体天皇陵といわれる今城塚古墳を発掘中!
30日本@名無史さん:02/10/28 22:20
>>24
漢文しらないバカ
31日本@名無史さん:02/10/28 23:13
>>28
解説感謝します。

継体天皇が祭ってある、足羽山の足羽神社、その周辺の足羽町、郡部の足羽郡。
福井県内に数多くある「足羽」という地名。
継体天皇が、九頭竜川流域の湿地帯を、足に羽をつけた如く歩いたという
故事からきているというのを聞いたことがある。
32日本@名無史さん:02/10/28 23:16
携帯天皇持ち運び便利
33日本@名無史さん:02/10/28 23:23
けいたいの漢字変換が、継体にならなくて、いちいち面倒だ
34日本@名無史さん:02/10/28 23:33
>>31
越(福井・若狭)は、古来から大陸や半島の交易の入り口だった。
継体も、大陸・半島の豪族勢力の関連性があるかもしれないね。
35九州王朝大好き:02/10/29 00:02
>>34は考え過ぎ。
>>28の通り、継体が大和盆地に入るのに二十数年かかっている。
36日本@名無史さん:02/10/29 00:25
継体の出自は越が有力みたいだけど息長は?母親はたしかここの出
だよね。
37日本@名無史さん:02/10/29 00:41
本名は「でかちむぽ」て意味らしいけどホントなのか???
38日本@名無史さん:02/10/29 01:02
継体天皇は、四道将軍の一人として北陸に派遣された大彦命の子孫じゃないの?
39日本@名無史さん:02/10/29 02:03
河内豪族が推薦してるから、天皇家の分家だろ。
攻めあがったとか( ( ( ( ( (゚∀゚) ) ) ) ) )流すな
40日本@名無史さん:02/10/29 06:24
>>24 は、違いますね.
「継体」という語が、どういう文脈でどのような使われ方をする語かを知っていれば
こういう早とちりなことは書かないと思うよ.
4140:02/10/29 06:32
たとえば、今上のアキヒトは昭和帝ヒロヒトを「継体」しとるわけですが(w

むしろ、負い目つーか弱点を補強する意味で(あるいは反語的に)「継体天皇」とおくりなされたというべきなんじゃないかな?
42日本@名無史さん:02/10/29 06:44
>>40
しかたがないよ。いまどき九州王朝とか言ってるレベルだもん。
43九州王朝大好き:02/10/29 13:06
>>40
>>41
「つぐ」の意味
「継」と「嗣」の意味上の違いを比較しよう。

今上のアキヒトは昭和帝ヒロヒトを「継体」しているのではなく、実父子ですから「嗣体」しているのです。
「嗣」は目的語として「体」は取れませんから、「嗣体」と言う言葉には無理があります。
しかし、継体天皇に「継」の字を使ったのは、歴代天皇を嗣いでいなかったので、天皇位をついでいることを強調する為「継」の字をおくりなされたと解釈すべきです。
44日本@名無史さん:02/10/29 15:56
樟葉の近くに住んでマース。
45日本@名無史さん:02/10/29 20:01
要するに、神武=崇神=応神なんだよ。
応神以降の天皇は、日本統一の大業を果たしたけど、血が絶えてしまった。
そこで応神に遡って、その子孫に継がせるしかなかった。
ところが、応神以降の重要天皇の血を引いていない天皇への反対が強く、やむをえず、
崇神と、応神以降の血統の皇女を結婚させ、その子に後を継がせることを条件に即位
を認めた。
そして、後世への正当化として応神より後の天皇をボロクソに記述し、応神以降の
業績を崇神〜応神までの架空の天皇を遡ってでっち上げ、そこに移した。雄略天皇の
業績も日本武尊という架空の人物の業績に移した。
ところが辛酉革命説だったっけ?年代がおかしくなるので、さらに遡って神武〜崇神
をでっち上げる必要が生じたということ。
だから、神武、崇神、応神の業績は同一人物の業績であり、四道将軍派遣は応神以降
の行為。だから、継体が大彦命の子孫だということを記すと、マズイというわけ。
こういう作為は他にもある。
例えば、聖徳太子。あれは蘇我馬子そのものだよ。馬子は朝敵として否定すべき存在
だが、業績は優れていたので架空の太子に移したんだ。
46日本@名無史さん:02/10/29 20:28
>>43 どっからそういうデタラメ吹き込まれてくるんだろう?
4710:02/10/29 21:25
>>21
ありがとうございます。 

ってか、何故ジサクジエン疑惑が? 
48日本@名無史さん:02/10/29 22:01
>>43
継体って熟語を知らんのだな。無学。
49日本@名無史さん:02/10/29 22:48
さう言へば、応神から継体に至る系図の途中に「意富富杼(オホホド)王」といふ名前が出てきますね。
そして、継体の本名は「男大迹(ヲホド)王」です。
つまり、この2つの名前は「大ホド」と「小ホド」といふ大小が対になったものなのです。
古代の人名には、このやうに大小が対になった名前の例がいくつもあります。
例へば、雄略の本名の「大泊瀬」と武烈の本名の「小泊瀬」の例が挙げられます。
50九州王朝大好き:02/10/29 23:32
>>43
天皇のおくりなは古典から引用されていますが、これを熟語と言うのでしょうか?
継体も熟語というより用例の引用ではないでしょうか?

>>46
43のように解釈できない用例ってありますか?
定説に従ってばかりいると、ノーベル賞はもらえません。
ぼくは理系で理系の発想になりがちなのですが。
51日本@名無史さん:02/10/30 06:55
非常識なトンデモ言うとノーベル賞とれるの?
継体は正統な世継ぎというような意味で良く使われる言葉。
43のように解釈できない用例がすべてだ。
理系ってデータ分析もしないのか。
52日本@名無史さん:02/10/30 08:15
>>51
わざわざそういう名前を付けたと言う事になにかしら、
意味があると考えるべき。
結論として、継体天皇即位により皇統断絶したがために、
そういう名前にしたと考えられる。
53日本@名無史さん:02/10/30 09:18
たんにバカには文系のバカと理系のバカがいるってだけのこと。
文系だろうが理系だろうが定説から逸脱するのに
いちいちノーベル賞をたとえに持ち出すのはバカっぽい印象を与えることに違いはない。
54九州王朝大好き:02/10/30 11:25
>>51
>継体は正統な世継ぎというような意味で良く使われる言葉。

「継体」には言外に正当でない世継ぎあるとあえて言わなければならない状況がある時に使ってます。
たとえば、血統が切れている場合です。
血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。
血統間でいざこざがあった場合に「継体」が使われた例があるなら、ぼくの間違いでしょう。

55日本@名無史さん:02/10/30 13:12
3王朝交代説は正しいということで、
56九州王朝大好き:02/10/30 18:49
>>53
バカっぽ印象を与えるバカと、本当のバカは、別。

ぼくは本当のアホかもしれません。にちゃんねるに居ること事態が。
57日本@名無史さん:02/10/30 19:19
>>54
ウソばっか!デタラメ言って衆を惑わす九州王朝説って卑劣。
バカでなきゃ卑怯者。
58日本@名無史さん:02/10/30 19:26
バカっぽ印象を与えるバカが本当のバカでないという根拠は?
59九州王朝大好き:02/10/30 21:23
>>58
質問が愚問(バカもん)。

バカっぽ印象を与えるバカ:A+B
本当のバカ:B+C

A:バカっぽ印象を与える(本当でない)バカ
B:バカっぽ印象を与える本当のバカ
C:(バカっぽ印象を与えない)本当のバカ
60日本@名無史さん:02/10/30 21:33
あんた数学できないね。
「バカっぽ印象を与えるバカと、本当のバカは、別」は
Bが空集合であるという主張。したがって偽。
61九州王朝大好き:02/10/30 21:33
>>57
58氏にみならって、

設問@:「ウソばっか!デタラメ言って衆を惑わす九州王朝説って卑劣」であることの根拠を示せ。
設問A:「バカでなきゃ卑怯者」であることの根拠を示せ。
62日本@名無史さん:02/10/30 21:37
僕はバカではないが、ストレス後遺症(労災)で、自宅待機が長いです。
あ、マジレスしてしまった。
63日本@名無史さん:02/10/30 21:38
@「血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません」はウソである。
A>>54が誰かに騙されて用例も調べずに言ってるならバカ
Bウソと知って言ってるなら卑怯者
64日本@名無しさん:02/10/30 21:40
で、結局「継体」の意味って何よ?オセーテ。
65日本@名無史さん:02/10/30 21:41
よけいな雑談してないで、血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはないという根拠を示してください。
66日本@名無史さん:02/10/30 21:42
>>64 辞書ひけ
67日本@名無史さん:02/10/30 21:50
>>65
嘘なんだから示せるわけなし。
68九州王朝大好き:02/10/30 21:57
>>60に敬意を表して再掲

質問が愚問(バカもん)。

バカっぽ印象を与えるバカ:A+B
本当のバカ:B+C

A:バカっぽ印象を与える(本当でない)バカ
B:バカっぽ印象を与える本当のバカ
C:(バカっぽ印象を与えない)本当のバカ

∴A≠C

(バカ)設問B:Bはいかなる集合であっても、A≠Cにならない場合を示せ。→ 解無し。
69九州王朝大好き:02/10/30 22:16
>>65
まじめな返答。下記参照ください。
>>43,54下記43,54の再掲
「つぐ」の意味
「継」と「嗣」の意味上の違いを比較しよう。
今上のアキヒトは昭和帝ヒロヒトを「継体」しているのではなく、実父子ですから「嗣体」しているのです。
「嗣」は目的語として「体」は取れませんから、「嗣体」と言う言葉には無理があります。
しかし、継体天皇に「継」の字を使ったのは、歴代天皇を嗣いでいなかったので、天皇位をついでいることを強調する為「継」の字をおくりなされたと解釈すべきです。
「継体」には言外に正当でない世継ぎあるとあえて言わなければならない状況がある時に使います。
たとえば、血統が切れている場合です。
血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。
血統間でいざこざがあった場合に「継体」が使われた例があるなら、ぼくの間違いでしょう。
70日本@名無史さん:02/10/30 22:20
「バカっぽ印象を与えるバカ」でありかつ「本当のバカ」は存在する。
ゆえに
「バカっぽ印象を与えるバカと、本当のバカは、別」は偽。

「バカっぽ印象を与えるバカが本当のバカでないという根拠は?」を
「Bはいかなる集合であっても、A≠Cにならない場合を示せ」と解釈するのは
バカ解釈

71日本@名無史さん:02/10/30 22:24
>今上のアキヒトは昭和帝ヒロヒトを「継体」しているのではなく、実父子ですから「嗣体」しているのです。

根拠不明。
72日本@名無史さん:02/10/30 22:26
>>69
>今上のアキヒトは昭和帝ヒロヒトを「継体」しているのではなく、実父子ですから「嗣体」しているのです。

>血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。

同語反復しているだけで証明になっていないのではないですか?
73九州王朝大好き:02/10/30 22:29
>>70
愚問(バカもん)[>>58]には、バカ解釈[>>68]。
74日本@名無史さん:02/10/30 22:44
バカっぽ印象を与えるバカ:A+B
ゆえに集合「バカっぽ印象を与えるバカ」の中に「本当のバカ」は存在する。

バカっぽ印象を与えるバカが本当のバカでないことを示せ。→ 解無し。
ゆえに「バカっぽ印象を与えるバカと、本当のバカは、別」は偽。
75日本@名無史さん:02/10/30 22:46
九州王朝大好きはバカっぽ印象を与えるバカでありかつ本当のバカであることが証明された。
76日本@名無史さん:02/10/30 22:50
継体天皇系の陵墓の前方後円墳は剣菱形に、
前方部の先がとがっているという話を聞いたが
本当か?一部には地震で変形しただけとも聞くが。
河内大塚山(大塚陵墓参考地)もそうらしいが、
普通の前方後円墳にしか見えない。
77日本@名無史さん:02/10/30 22:55
設問@:「ウソばっか!デタラメ言って衆を惑わす九州王朝説って卑劣」であることの根拠を示せ。
設問A:「バカでなきゃ卑怯者」であることの根拠を示せ。

に対して回答された根拠>>63に反論がないので@「ウソばっか!デタラメ言って衆を惑わす九州王朝説って卑劣」A:「バカでなきゃ卑怯者」が確定すますた。
78日本@名無史さん:02/10/30 23:19
>今上のアキヒトは昭和帝ヒロヒトを「継体」しているのではなく、実父子ですから「嗣体」しているのです。
>血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。

理由は何ですか?
「継体」は実父子でも普通に使っている言葉なはずです。
79日本@名無史さん:02/10/30 23:20
越の国の豪族がいかに力を持っていたか

http://google.yahoo.co.jp/bin/query?p
=%b4%dd%b2%ac%a1%a1%a4%de%a4%db%a
4%ed%a4%d0%ca%aa%b8%ec&hc=0&hs=0
8079:02/10/30 23:24
81九州王朝大好き:02/10/30 23:30
あれから寝ていました。
トイレで目覚めて、更新しました。
続いて寝ます。
では明日。
82日本@名無しさん:02/10/30 23:31
歴史そっちのけで「バカ」を論理学的に解析するスレはここですか?
83日本@名無史さん:02/10/30 23:35
うそつき一名逃亡すますた。
84日本@名無史さん:02/10/30 23:51
議論するバカ+見てるバカ=2ちゃん
85日本@名無史さん:02/10/31 03:04
「継体」という熟語は、血統がつながっていない証拠にはまったくならない。
漢文ではごく普通につかわれる表現だから、これは議論の余地がまったくない。
これにくらべて「嗣体」という言葉はみたことないが?
存在しない言葉をあげても反証にはならないだろう?

(つーか旧習嘔腸が理系というのも文系に疎いという言い訳で本当はウソなんだろ?)
86日本@名無史さん:02/10/31 06:52
つーか、「継体」って言葉が実際どう使われてるか検証せずに断定する態度が非理系的。
8740:02/10/31 07:30
>>54
だから、それは逆で、「継体」とは、むしろ「正統の継承」を意味する熟語なんですよ。
継体天皇のはじめた王朝は、その正統性(=「継体」)に自信がなかった。
だからこそ子孫は後になって、王朝の始祖に「継体天皇」という名をつけたわけ。
88日本@名無史さん:02/10/31 12:25
さう言へば、応神から継体に至る系図の途中に「意富富杼(オホホド)王」といふ名前が出てきますね。
そして、継体の本名は「男大迹(ヲホド)王」です。
つまり、この2つの名前は「大ホド」と「小ホド」といふ大小が対になったものなのです。
古代の人名には、このやうに大小が対になった名前の例がいくつもあります。
例へば、雄略の本名の「大泊瀬」と武烈の本名の「小泊瀬」の例が挙げられます。

系図を示せば、
応神天皇−稚野毛二派皇子−意富富杼王−乎非王−彦主人王−男大迹王(継体天皇)
となります。
ちなみに、允恭天皇の皇后で安康・雄略の母に当たる忍坂大中姫は、意富富杼王の妹とされます。
89日本@名無史さん:02/10/31 13:12
「継体」
の名前の意味なんて、深入りする意味ないんじゃないの?
後世にまとめて付けただけだろ。日本書紀の話を参考にして、
武烈の子孫がいないから、越の男大迹(ヲホド)王が皇位を継承
した。この話聞けば継体って帝号を、普通に付けると思う。
90日本@名無史さん:02/10/31 14:27
>武烈の子孫がいないから、越の男大迹(ヲホド)王が皇位を継承
>した。
だけど応神天皇五世の孫がいきなり天皇候補に挙がるのはおかしいYO。
もっと武烈に近い親族で皇位継承者がいなければならない。天皇の五世の
孫に普通だったら皇位継承権は絶対にこないと思われ。三世までならあり
えるかもしれないけど五世って・・・だから武烈と継体はまったく別の
系統ってことでこの二つの勢力が二十年間争っていたってことでしょ?
もしかしたら武烈は暴君ではなかったかもしれないし、子供もいたかもし
れないよね。
91日本@名無史さん:02/10/31 14:33
>>90
その可能性もある。
武烈は、継体の正当化のために悪玉化されたのかもしれない。

しかし、20年後に大和に入って後に、
大和の豪族たちはその後も権力を持ったままだ。
そこは、どう解釈するか。
何らかの妥協ができて、旧体制の上に継体朝が乗ったと読めるのでは。
92日本@名無史さん:02/10/31 15:02
継体が帝位を継承できたのは、允恭の皇后の実家の子孫だったからだろ。
93日本@名無史さん:02/10/31 15:06
継体が異民族とか、天皇の血筋じゃないとか言うのは間違い
継体が天皇になった時の、近臣は全部河内豪族だっただろ。
継体は地方豪族とは別格だったんだよ。
94日本@名無史さん:02/10/31 15:50
埋もれてたのを引っ張り出してきたんだろう。
5代前じゃ血統はつながってないのと同じ。
95日本@名無史さん:02/10/31 16:12
武烈と継体は何親等ですか?
家茂と慶喜より離れていますか?
96日本@名無史さん:02/10/31 16:20
武烈の残虐ぶりの記述が、ヒントとなる罠。
97日本@名無史さん:02/10/31 16:33
>>95
徳川家は万世一系をわめき散らしてないからなぁ。
98日本@名無史さん:02/10/31 17:41
>>93 ソース希望汁
99日本@名無史さん:02/10/31 18:12
大伴金村連は武烈にも、継体にも使えてますが。
100日本@名無史さん:02/10/31 18:39
大和の豪族は、武烈帝と継体帝ではほとんど変化無し。
「日本の歴史(講談社)」に出てた。

しかし、個人的には、

1、血統は絶えた

2、20年も大和に入れなかったことから、何らかの政変ないし内部混乱が発生

は、確信的だが。
101日本@名無史さん:02/10/31 21:20
血統って感覚が当時的でないと思うよ。
双系社会から父系社会への過渡期ちゅうか前夜くらいじゃないの?

ちなみに武烈と継体は2親等。
102日本@名無史さん:02/10/31 21:29
だから当時はみんな納得してたのに後世の人が騒ぎ出した。
それで直系5世以内ならOKよ!なんて法律もあとから作った。
103九州王朝大好き:02/10/31 22:34
一日で50レス超えた。
びっくり。
くそレスに反省。
104日本@名無史さん:02/10/31 22:43
>>101
手白香皇女との結婚前は?
105日本@名無史さん:02/10/31 22:51
>ちなみに武烈と継体は2親等。

そうそう。
父系だけでみると遠いけど女系もふくめてみると案外近いんだよな


106日本@名無史さん:02/10/31 22:57
2親等!?武烈と継体は兄弟?それとも祖父・孫の関係?それとも、それ以外に2親等の
関係ってあるか?
107日本@名無史さん:02/10/31 23:00
女系って書き込んでるだろ。つまり武烈と継体は父違いの兄弟なんだよ。
108日本@名無史さん:02/10/31 23:16
普通、それは2親等とはいわないがなぁ。
やはり、怪しい5親等やろ。
109日本@名無史さん:02/10/31 23:19
欽明がいれば、ダイジョーブ。
110日本@名無史さん:02/10/31 23:22
二重王朝ですか?
111日本@名無史さん:02/11/01 01:05
日本書紀による継体から欽明までの各天皇の生没年
継体 450−531
安閑 466−535
宣化 467−539
欽明 507−571
112日本@名無史さん:02/11/01 01:24
>>108
仮りに記紀のいうとおりだったとしても
5親等でもまったくないぞ(w
「親等」の数え方わかってんの???
113日本@名無史さん:02/11/01 02:17
114日本@名無史さん:02/11/01 02:24
>>103
おい!

>血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。

はやくウソ書いたの認めれ。
115日本@名無史さん:02/11/01 05:17
>>88
「稚野毛二派皇子」を隼総別皇子と記す書があるのは何故?
>>111
欽明は509年生です。
116日本@名無史さん:02/11/01 06:52
けっきょく欽明は武烈の甥だから王朝は断絶してないのね。
117日本@名無史さん:02/11/01 11:44
>>115
欽明の没年齢は数えで65歳じゃなかった?
118日本@名無史さん:02/11/02 00:48
九州王朝大好きはウソついてバレたら逃げた。卑怯者
119日本@名無しさん:02/11/02 06:42
↑すぐに他説を罵倒する粘着橿原系。お前、ウヨか?
120日本@名無史さん:02/11/02 07:55
>血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。

はやくウソ書いたの認めれ。
121九州王朝大好き:02/11/02 08:34
「継体」について。
5世紀以前の中国文献の「継体」使用例を調べて反論すべし。
後世の文献による「継体」使用例は無意味。
122日本@名無史さん:02/11/02 08:36
あ、ウソつきが居直った!
123日本@名無史さん:02/11/02 08:41
>>121
ひとに根拠を聞く前にじぶんがそう述べる根拠を言えば?
124日本@名無史さん:02/11/02 09:34
「康叔親属有十。武王継体、周公輔成王」史記
周の武王はもちろん文王姫昌の実子。
125日本@名無史さん:02/11/02 10:20
>>124
だからそんなの常識なんだよ。常識!
それをなんで>>121
>血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。

なんて言い張るのか理由を聞いてるの。
でもまともな答えが返ってこない。
126日本@名無しさん:02/11/02 10:58
だから124しかネタがないんだよ。

もう、そっとしといてやれよ。
127日本@名無史さん:02/11/02 11:17
「漢興九世、百九十余載、継体之主七、皆承天順道、遵先祖法度」(漢書)
128日本@名無史さん:02/11/02 14:58
ろくに物知らないのに平気でウソを断言できるその神経がわからんね

まあそうでもなければ妄想に妄想を重ねて九州脳内王朝を信じることはできないだろうけど
129日本@名無史さん:02/11/02 15:01
九州王朝は正しい。

周の武王はもちろん文王姫昌と血がつながってないし、
漢王朝の歴代皇帝も全部血筋はバラバラです。

隠された歴史の真相をつかむには定説にこだわっていてはいけません。
130日本@名無しさん:02/11/02 15:19
あいかわらず橿原一派はきつい言葉つかうね。

ほんとヒステリックなんだから。
131日本@名無史さん:02/11/02 15:20
「昔周公奉継体之嗣、拠上公之尊、然猶七年制度乃定」漢書

成王も武王の実の息子ではありません。
九州王朝を信じなさい。中国の歴史をすべて書き換えるのです。
132日本@名無史さん:02/11/02 15:22
橿原一派ってなに?
133日本@名無史さん:02/11/02 15:30
>>121
>血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。

さあ早くウソ書いたこと認めろ。
134九州王朝大好き:02/11/02 15:37
>>131
にちゃんねるにも、古代漢文を理解し文書比較をし、深く読み取れる方がいることが証明されました。
131氏は高度な読解力をもった方と推察されます。
135日本@名無史さん:02/11/02 15:58
頭おかしいの?
136日本@名無史さん:02/11/02 16:01
>>134
おい!
周の武王は文王とも成王とも血がつながってないのか?
漢王朝の歴代皇帝も全部血筋はバラバラだとでもいうのか?
137九州王朝大好き:02/11/02 16:01
>>129
>>131
訂正
にちゃんねるにも、古代漢文を理解し文書比較をし、深く読み取れる方がいることが証明されました。
129氏は高度な読解力をもった方と推察されます。
138日本@名無史さん:02/11/02 16:08
皮肉もわかんねえ奴
139日本@名無史さん:02/11/02 17:27
ーー仁徳O─┬履中P──□ー仁賢24ー武烈25
| ├反正Q
| └允恭Rーー安康20
| \雄略21ー清寧22

|ー□ー□ー□ー□ー継体26ーー 安閑27
|ーー宣化28
|ーー欽明29ーー以後、天智・天武朝へ
140訂正<継体が天智・天武系の祖ね>:02/11/02 17:38
ーー仁徳O─┬履中P──□ー仁賢24ー武烈25
| ├反正Q
| └允恭Rーー安康20
| \雄略21ー清寧22

|ー□ー□ー□ー□ー継体26ーー 安閑27
。。。。。。。。。。。。。。。|ーー宣化28
。。。。。。。。。。。。。。。|ーー欽明29ーー以後、天智・天武朝へ
141訂正<継体が天智・天武系の祖ね>:02/11/02 17:39
ーー仁徳O─┬履中P──□ー仁賢24ー武烈25
| ├反正Q
| └允恭Rーー安康20
| \雄略21ー清寧22

|ー□ー□ー□ー□ー継体26ーー 安閑27
。。。。。。。。。。。。。。。。。。|ーー宣化28
。。。。。。。。。。。。。。。。。。|ーー欽明29ーー以後、天智・天武朝へ
142日本@名無史さん:02/11/02 18:05
でも欽明は仁賢の孫で雄略のひ孫。
143日本@名無しさん:02/11/02 18:27
だから問題は、□(四角)の所でつ。仮に本当であっても、それって他人と一緒じゃん。
記紀でも認めたということは、皇統は完全に断絶したということを一応認めてる罠。

いったい奈良で、何が起こったんでせうか?
144日本@名無史さん:02/11/02 18:29
でも欽明は仁賢の孫で雄略のひ孫だから断絶してないもんね。
145日本@名無史さん:02/11/02 18:32
ー□ー□ー■ー□ー継体26

■は雄略のイトコ
146日本@名無史さん:02/11/02 18:49
ぜったい男系じゃなきゃってことになったのはもっと後世になってからってことだな。
147日本@名無しさん:02/11/02 19:17
欽明って、いろいろ怪しいんだよね。
148日本@名無史さん:02/11/02 19:23
…とまたデマを流すのだった。
149日本@名無史さん:02/11/02 21:20
>>145
応神天皇−稚野毛二派皇子−意富富杼王−乎非王−彦主人王−男大迹王(継体天皇)

允恭天皇の皇后で安康・雄略の母に当たる忍坂大中姫は、意富富杼王の妹とされます。
150日本@名無史さん:02/11/02 21:52
>>147
>欽明天皇

日本書紀によると継体は応神の5世の孫とされている。
その後、安閑・宣化・欽明と続いているが、この時期の記述は資料によ
り混乱。
実際は、大伴のおす安閑・宣化と蘇我のおす欽明との間で皇位継承を
めぐる内乱があったと考えられている。
欽明の即位により、大伴が没落し、蘇我が台頭することとなった。

1、記紀神話編纂期・日本書紀編纂期には、5世の孫と言う見解。
二世などという解釈はどこにもない。
2、欽明朝は、二重王朝内乱期と解釈できる。
3、>>145従兄弟の子の子では、血統とは言いがたい。
4、>>149血統とは言いがたい。
151日本@名無史さん:02/11/02 21:57
そして雄略の娘の春日大娘が仁賢に嫁いで生んだのが手白香と武烈。
手白香の息子が欽明。
152日本@名無史さん:02/11/02 22:20
>>150
>日本書紀によると継体は応神の5世の孫とされている。

・・・・・とされているのであって、血統ではないということでしょう?
153日本@名無史さん:02/11/02 22:31
>>150
その説は賛否両論。否定的な研究者(うちの大学の教授もその一人)も結構いる。
その理由としては、
1.
宣化が都した檜隈高田宮は蘇我氏の本拠地のそぐ近くであり、対立関係にあるものが敵の本拠地付近に都を置くことは考えにくい。
2.
日本書紀の記述では、最初に蘇我稲目を大臣に任じたのは欽明ではなく宣化となっている。
3.
継体が手白香皇女を皇后にしたのと同様に、安閑・宣化の両名もともに仁賢の皇女を皇后に迎えているため、前王朝との血縁という点では欽明の系統と安閑・宣化の系統にさほど優劣はない。
4.
欽明の皇后は宣化の娘、敏達の皇后は安閑の孫であり、両系統は幾重にも婚姻関係で繋がっている。

ということなどがある。
154日本@名無史さん:02/11/02 22:33
訂正
× 蘇我氏の本拠地のそぐ近くであり、
○ 蘇我氏の本拠地のすぐ近くであり、
155日本@名無史さん:02/11/02 23:06
150ですが。

>>153
丁寧なレスどうも。両論ありますね。私の説は、史書が混乱している点
から導かれた説だと思う。
あと、大伴と蘇我のその後の力関係ね。

>>152
私もそう思います。普通、この関連性では血統が続いているとは、
常識的には考えられない。
156日本@名無史さん:02/11/02 23:08
欽明は安康→雄略の血統と履中→仁賢の血統の両方を継ぐかなめの大王だったわけ。
157日本@名無史さん:02/11/02 23:09
おっと安康じゃなくて允恭
158日本@名無しさん:02/11/02 23:18
>156

しつこい。ひとりで逝ってな。
159日本@名無史さん:02/11/02 23:21
>>156
それで、安徳系の血統保持との理屈かな。
そうは、ならないでしょう。
時、すでに遅しでは。
それに、両方は継げないよ。
160日本@名無史さん:02/11/02 23:29
允恭は意富富杼の妹を二人も娶っている。
意富富杼は強力な同盟者、後援者とでもいう関係だろう。
161日本@名無史さん:02/11/02 23:31
>>159
意味不明
162日本@名無史さん:02/11/02 23:48
>>115 >>117
欽明の年齢は日本書紀に「若干」とあるのみ
「皇年代略記」に63歳、「一代要記」に62歳、「神皇正統記」に81歳
163日本@名無史さん:02/11/02 23:52
過去ログの前スレに比べるとだいぶ質が低下してるな
164日本@名無史さん:02/11/02 23:53
ともかく継体は怪しいと言うことでいいのかな。
165日本@名無史さん:02/11/02 23:56
どう怪しいの?
166日本@名無史さん:02/11/03 00:01
別にあやしくないって。
あやしいって言ってる奴は昔の学説をわかりやすく書いた通俗書に影響されてるだけ。
最近の学説ではあんまりいわない。
167日本@名無史さん:02/11/03 00:06
多くの大王候補が逃げたり固辞したやっとの末、越から呼び寄せて、
20年間大和に入れなかったのは事実だね。

普通じゃないことだけはわかるよね。
問題なければ、すぐ大和に直行だろうから。
168日本@名無史さん:02/11/03 00:11
政権そのものは当初は不安定だったんだろう。
手白髪と結婚しなきゃ誰もが認める正統NO1じゃないんだから。
古来から反乱の多かったところを順々に潰して歩いてる。
169日本@名無史さん:02/11/03 00:27
>>92
>継体が帝位を継承できたのは、允恭の皇后の実家の子孫だったからだろ。

違うと思う。継体を中心とした越の国の豪族が、経済力を持っていた為と
思われる。
170日本@名無史さん:02/11/03 00:31
かなり遠縁でも軍事力経済力があって手白香とケコーンできれば大王になれるシチュエーションだったんでしょ。
171日本@名無史さん:02/11/03 00:44
そうそう
172日本@名無史さん:02/11/03 00:47
血縁にうるさくなったのは律令制が行き届いてから。
173日本@名無史さん:02/11/03 01:15
。・゚・(ノД`)・゚・。自演は辞めようよ

かわいそうで涙が止まりませんよ(つд`)サメザメ
174日本@名無史さん:02/11/03 01:41
いや、コレさすがに自演じゃないだろう?
175日本@名無史さん:02/11/03 02:07
と思われますが。
176日本@名無史さん:02/11/03 15:13
継体天皇って先代達と血つながってんの?
http://mentai.2ch.net/history/kako/997/997471414.html

●継体天皇の生立ちについて考察すれ!(第二部)●
http://academy.2ch.net/history/kako/1005/10059/1005968505.html
177日本@名無史さん:02/11/04 07:34
トンデモさんがから騒ぎ。結局うやむや。
178日本@名無史さん:02/11/04 10:14
なんでトンデモさんは欽明が手白髪の息子なことを無視するのかな。
179日本@名無史さん:02/11/05 13:03
てゆうか、もともと日本書紀が継体について「応神五世の孫」としか書いておらず、応神から継体に至る具体的な系図を載せていないことから、継体の血統について疑問視する説が生まれた。
しかし、日本書紀よりも成立が古いといわれる上宮聖徳法王帝説などに応神から継体までの系図が載っていることが知られるようになり、この説は揺らいできている。
上のほうのレスで出ていたことだが、允恭の皇后(忍坂大中姫)の兄が継体の曽祖父(意富富杼王)であることも、この系図からの情報である。
少なくとも継体が即位前から中央とある程度の接点があったことはほぼ間違いないと言われるようになってきた。(継体新王朝説はある意味トーンダウン)

ちなみに、継体新王朝説を頑なに主張する人の多くは、どういうわけか、この説では無視した上宮聖徳法王帝説における欽明の在位年数や仏教伝来年の記載を根拠に、継体死後の両朝並立説を支持しているのは、不思議というか滑稽な感じさえする。
180日本@名無史さん:02/11/05 13:06
継体新王朝説と継体が万世一系からちょっとずれるな説では、
少しニュアンスが違うわな。
181日本@名無史さん:02/11/05 13:10
上宮聖徳法王帝説から継体は新王朝ではないと主張してるが、
上宮聖徳法王帝説を無視して、欽明の両朝並立を否定する逆パターン
の人もいるよね。
182日本@名無史さん:02/11/05 13:30
継体は結局王孫の一人だったわけだが、なぜ日本書紀の武列紀が
荒れてるのかが疑問視される。内政は知らないが、外交に対しては
積極外交で、名君の様な気がする。それに対して、継体の外交は
消極外交で、失地をした暗君の様な気がしないでもない。
183日本@名無史さん:02/11/05 16:19
>>182
武烈紀に外交の記事ってあるの?
184ep:02/11/05 17:33
あなた方良くご存知で感心しますがもし専門家なら当然のこと。それなら自信をもって
いちいち署名してください。
185日本@名無史さん:02/11/05 20:47
外交→外政で
186日本@名無しさん:02/11/05 20:49
↑ おお!ほんとの歴史家光臨!!
187日本@名無史さん:02/11/05 21:18
気がする歴史家
188日本@名無史さん:02/11/05 21:21
「新王朝」とかって簡単に言うけど、そもそも「王朝」という言葉をどのように定義するかにもよる。
つまり、「王朝が交代する」とはどのようなことを指すのかと言うこと。
ヨーロッパ的な考え方では、血が繋がっていても傍流の者が即位すれば王朝が変わる。
この考え方に立てば、伏見宮家出身の後花園天皇や閑院宮家出身の光格天皇は新王朝の創始者となる。
もちろん、継体天皇についても記紀の記述を100%と正しいとしても新王朝と言うことが可能となる。
189日本@名無しさん:02/11/05 21:36
そうですね。王家ってすぐに婚姻策で親戚になるわけだし。

それと、当時の日本において、大和の王の血筋が何故、あるいはどれだけ
重要なものだったかということもこれからの研究に待ちたいところです。
もしかしたら、継体が「われこそは応神天皇の・・・」とか、劉備や孫堅
みたいに自称しただけかもしれないですし。結局最後に決定づけたのはそ
の経済力と軍事力だと思われますし。
190日本@名無史さん:02/11/05 21:42
血縁は確実にあると思うよ。なぜなら、武列時代の河内豪族がそっくり
継体時代の重臣になってるからね。戦乱の世の中でない限り、自称
では成り上がれないでしょう。また越は早くから大和朝廷の枠組み
内であったから、自称ではないでしょう。もし自称だったら河内豪族
が黙っていないでしょう。
191日本@名無史さん:02/11/05 21:51
雄略朝の盟友にして血縁者、越前近江尾張の実力者ってあたりじゃないの?
192日本@名無史さん:02/11/05 21:58
>>190
河内豪族がそのままだったのはその通り。
しかし、20年間大和には入れなかった点から、何らかの政争が河内豪族
であったと予測できる。継体でいいのかとの予測が妥当。
反対勢力の拠点をつぶしてたとは推測しづらい。

話は飛ぶかもしれないが、中国王権思想の
1、血統重視
2、天命による王権神授
のうち、天皇家は1をアピールし、
2を隠し続けた。
政治が悪いと天命により王権革命がおきねばならなかったからだ。

記紀は、神に連なる血統の正しさを天武朝が自己正当化のために
かかれた物だが、
その創作物である「万世一系の幻」を、
現在は脱してもいいんじゃないかな。

万世一系に何の価値もなし。
193日本@名無史さん:02/11/05 22:15
「大和には入れなかった」ってのは予断じゃないかな。
自分のホームグラウンドに宮を置くのは歴代大王みなやってきたこと。
淀川木津川の要衝を抑える意味も大きい。
母方で欽明が成長したので後年になっておおやまとに入る必要が出てきただけではないか?
194日本@名無史さん:02/11/05 22:16
男「徒労だね」
女「ええ、徒労ですわ」
195日本@名無史さん:02/11/05 22:24
>>193
大王継体は確か各地を移動したはず。
表現を変えれば、各地をてんてんとしていた。
欽明の成長での大和入りの必要性説は、きびしいのでは。
ワザと淀川木津川の要衝(その重要性は同意見だが)を拠点としたのなら、
欽明が大和から出てくるはず。
豪族達の、大和からその要衝への移動も聞かないから、
やはり、継体に関連する何らかの政争が起きてたことが自然に感じるが。
196日本@名無史さん:02/11/05 22:28
しかし各地を平定しながら
そのたびに拠点を替えるのも
おかしな話
197日本@名無史さん:02/11/05 22:38
成人している二人の息子を高市の勾と檜隈に配置しているし、欽明はおそらくおおやまとの手白香のもとで雄略系の御曹司として養育されていたと思われる。
継体が各地を転々といっても非常に政略的なものと思われ、継体を擁立したはずの河内豪族の政争を想定する必要は感じられない。
むしろ地方での継体を正統と認めない勢力の独立運動(具体的には磐井)こそ警戒すべきものだったのではないか。
198日本@名無史さん:02/11/05 22:47
欽明は継体の子供じゃないの?話についていけない。
199日本@名無史さん:02/11/05 22:49
政略的とはどのような物なのか?
後継者になるのでよろしくとのあいさつ回りでもないだろうし。
入りにくい要因があったと、しつこいが、考えてしまう。

継体即位は507年、内乱説では513年から継体欽明朝の内乱。
この間、豪族間の対立強まる。522年に司馬達等が仏像崇拝。
527年に磐井の乱、地方豪族に不穏な動き。
が、背景にあるね。
200日本@名無史さん:02/11/05 22:53
欽明は継体の第3?子。

地方豪族と連携した、継体反対の動きが大和豪族で動いてた可能性もあり。
201日本@名無史さん:02/11/05 23:01
>>198
欽明は継体が雄略の孫娘に生ませた子。つまり正統の証し。
上の2人の息子と欽明が大和の中枢にいる。
自分を迎えたのは河内勢力。
以前からの支持者は越前、近江、尾張。
反対派になりそうなのは大和南部と吉備だか弱体化ぎみ。
となると、南山城をしっかり抑えておくのはgoodな戦略といえる。
202日本@名無史さん:02/11/05 23:04
527年に磐井の乱は日本書紀に書いてある通り、朝鮮半島関係
ではないのでしょうか?
継体は任那4郡を百済に割譲してるし、磐井の乱後にはタサツの港
まで百済に割譲してる。これらがなんらかの原因を作ったと思う。
203日本@名無史さん:02/11/05 23:34
>>201
ちょっと不自然でないのかなぁ。
本人は河内に迎えられ、子は反対派になりそうな大和の中枢にいる。
もし、欽明が正当化へのプロパガンダだとすれば、継体も当然一緒では。

継体が雄略の孫娘に産ませた欽明は、プロパガンダとしては正当性を
叫べるかもしれないが、
常識的には、血統はもう絶えたも同然だよ。
204日本@名無史さん:02/11/05 23:44
応神を重要視するようになったのは、継体以降でしょうか。
ちょうど、吉宗が権現様を殊更尊重したように。秀忠以下の将軍たちは
直接の祖先ではないですから。
八幡信仰の広まりと重ねて考えると面白くなりそうな気がします。
205日本@名無史さん:02/11/06 00:11
>>203
息子が3人も大和の真ん中にいるのに本人が大和に入りにくい状況だったと考えるほうが不自然では?

仁賢が雄略の娘と結婚するのも継体がそのまた娘と結婚するのも双系の血統そのものだよ。
206日本@名無史さん:02/11/06 00:58
もう一つ疑問があるのは、最初天皇に迎えようとしたのは、倭彦王
なのに、迎え入れられた兵を見て逃げ出したとあるが、日本書紀の
記載では、倭彦王は仲哀天皇の5世の孫となってるのに対して、
オオドノは応神天皇の5世の孫となってる。つまり血統から言えば、
オオドノの方が血縁が近いのに関わらず、倭彦王を迎えようしたこ
とになる。また、倭彦王とオオドノはどちらも5世というのは、語呂
合わせの様な気もすると思うのですが、この件に対して回答欲しいです。
207日本@名無史さん:02/11/06 04:43
>血縁が近いのに関わらず、
丹波桑田のほうが越前より近かったからだろ。
彦坐・丹波道主以来ヤマト朝廷とも関係深いし。

>語呂合わせの様な気もする
律令制の五世までを皇親とする規定の反映という説だね。
そうかもしれないが、上宮記によれば事実であっても
おかしくはないと思う。
208日本@名無史さん:02/11/06 10:01
>>206
仁徳4世だろ。
209日本@名無史さん:02/11/06 10:36
継体新王朝説を頑なに主張する人の多くは、どういうわけか、この説では無視した上宮聖徳法王帝説における欽明の在位年数や仏教伝来年の記載を根拠に、継体死後の両朝並立説を支持しているのは、不思議というか滑稽な感じさえする。

210日本@名無史さん:02/11/06 11:45
このスレッドに欽明朝が継体朝と並立してるみたいなこと言ってる
やつが2人ほどいる。
211日本@名無史さん:02/11/06 15:35
欽明朝並立説とは、継体の死後ですが。
212日本@名無史さん:02/11/07 00:48
>>206
「倭彦王」って名が作為的。
仲哀と応神は別系統の大王だと主張するために、
倭彦王の話を作為したって話があるね。
つまり、仲哀(三輪王朝)の子孫→大王として相応しくない
      応神(河内王朝)の子孫→大王としての度量有り
応神以降の王統を正当化しているとも云ふ。
213日本@名無史さん :02/11/07 01:11
やっぱ系譜ワカランのよねぇ。
応神天皇−稚野毛二派皇子−意富富杼王−乎非王−彦主人王−男大迹王(継体天皇)
仲哀天皇−誉屋別皇子(?)−□−□−□−倭彦王(w
214日本@名無史さん:02/11/07 01:38
つーかさ、徳川慶喜とかって何世だよ。
別に5世ぐらいおかしくないんじゃねーの。
越の国に天皇家の分家があったんだよ。
だからそこから連れてきたってことだろ。

おれは切れてるとしたら開化天皇のあたりだと思うよ。
215日本@名無史さん:02/11/07 05:05
>>212
倭彦は件の仲哀子孫と崇神皇子に見えるし
倭姫は古人大兄の女、垂仁皇女、継体妃(三尾君の女)などに見える。
奈良時代には倭王という人物が複数見える。
また倭国香媛や百襲媛・稚屋媛、倭得玉彦など倭を関する人物も少なくない。
中には倭建のように諱でない者もいようが、
必ずしも作為とする見る必要もないように思う。
(もちろん全部作為といえば作為なんだが(w )
216日本@名無史さん:02/11/07 10:45
てゆうか、仲哀って応神以外に子供いたのか?
217日本@名無史さん:02/11/07 16:43
>>216
いたよ。誉屋別皇子。日本書紀みれ
218日本@名無史さん:02/11/07 17:48
>>206
それは漏れも疑問に思ったことがある。

天皇から分かれた時期や代数が近くても実力に大差がついてしまう例は
中世にも足利と新田とかもっとひどいのはいくらでもある。
倭彦王は丹波の片隅で地味に地方を治めてただけのマイナー皇族。
そこいくと継体(ヲホド王)はポッと出の候補じゃなくて、
允恭帝に皇后を出したりした息長系の代々の名門だし、越前から近江にかけて強大な基盤をもち
隅田八幡鏡銘文から察せられるとおり即位前にすでに大和在住で
しかも年齢からすると顕宗・仁賢朝頃からもともと朝廷に重きをなしていたと思われ。
本人は上級貴族の中では地方に基盤があり多少は宮廷以外の自由も知っていたわけで
できれば即位するよりこのまま黒幕でいたかったんじゃないかな。
だから人の良さそうな倭彦王を天皇に担ごうとしたんでは。
大伴金村は継体の差し金で倭彦王を迎えにいったんだが
「いくらなんでもアリャ使えませんぜ」という報告で諦めて即位。
219日本@名無史さん:02/11/07 19:29
>>216
あのなあ、香坂・忍熊ってだれの子?
220日本@名無史さん:02/11/08 21:50
結論としては、不明点は残るもののとりたてて謎はないってことでしょうか。
221日本@名無史さん:02/11/08 22:17
日本書紀ぐらいしか出せる出展がないね。
222日本@名無史さん:02/11/08 22:18
>>220
そのとおり。前スレでも前々スレでも最後はそれが結論。
223日本@名無史さん:02/11/09 03:44
ほとんど知られていないのだが、
岐阜県の某町役場所蔵の「真清探当証」という書。
継体天皇の父は顕宗天皇、母は豊媛(応神5世孫彦主人王の娘)と
伝えるかなりトンデモな異端書なんだが……
224日本@名無史さん:02/11/09 21:12
>218
隅田八幡鏡銘文は443年の可能性もあるわけで。
225日本@名無史さん:02/11/10 02:09
仁徳王統は本当に途絶えたのか?

「旧事大成経」では武烈天皇の子として
廿瀬雄皇子・廿瀬弟皇女の1男1女が挙げられてる。
どっちも早死にしているが。

また、聞いた話だが
蕃別なのに清寧の子孫を詐称していた氏族がいたらしい。
「清寧の曾孫が欽明朝に姓を賜って、云々」と。
清寧に子がいたら、顕宗も仁賢も即位してないって……
もちろん、明らかなウソなので広まらなかったがな。
226日本@名無史さん:02/11/15 05:47
仁徳王統っていうのは、丸邇氏と葛城氏の外戚争いに終始した気がする。
んで、王統自体も履中系と允恭系に分裂。

武烈ってのは履中系の父と允恭系の母に、さらに丸邇氏と葛城氏の血も混ざった、
まさに四族融和の期待の星だったんじゃないかな?
しかし期待もむなしく武烈は夭折。同母姉の手白香皇女が継体を婿に迎えることで
四族融和策を継承していった気がする。安閑→宣化は継体と手白香の息子である欽明
即位までの中継ぎだったと思う。
いずれも「系譜」だけを眺めて考察した状況証拠しかないけど。
227日本@名無史さん:02/11/15 06:08
そもそも「継体新王朝」が事実なら、初代王が継体で何の差し障りもないはずだ。
ことさら応神五世の孫というのを称して前王朝を引き継ぐ必要性などないと思うが?
系譜は男系だけでなく、母系も含めて考察するべきだろう。
228日本@名無史さん:02/11/15 06:10
んで継体の一族は允恭系支持者の大立者だったじゃないかってのが過去レスで出てるわけ。
229日本@名無史さん:02/11/15 06:36
むしろ允恭系ゆかりの継体だからこそ、手白香の婿どのに選ばれたんじゃないかな?
手白香が履中系の娘なだけに。

それはそうと、なんか武烈・手白香の母親の春日大郎女って、タダモンじゃないバアサンの
ように思えるんだよなぁ・・・。
230日本@名無史さん :02/11/16 04:04
継体=仁賢説にワロタ
http://www3.ocn.ne.jp/~mm3210/2-24.htm
231日本@名無史さん:02/11/16 05:01
ケータイ天皇
232日本@名無しさん:02/11/16 07:11
携帯天皇

「もすもす、わだすだ。そうそう。携帯。まだやまどには、へえれねが?・・・何?
そうが、あと10年はかかるでが・・・。」


しょぼん。
233日本@名無史さん:02/11/16 14:32
↓ちょっと風変わりな趣旨で継体の出自系図を見ている
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/tori2dai/SAGIOU.HTM
234日本@名無史さん:02/11/16 15:10
>>233
>鷲取王  鳥見古王  佐芸王
この名が出てくるってことは絶対宝賀の系図を見てるね。
鷺王の話は始めて聞いたが……
235日本@名無史さん:02/11/16 16:01
沙禰王(稚野毛二派皇子の子)の慰霊碑ハケーン
http://member.nifty.ne.jp/suzumei/kodai/okinaga.htm
236日本@名無史さん:02/11/16 16:31
237日本@名無史さん:02/11/22 15:05
宮内庁発表 継体天皇陵は別人の墓宮内庁書陵部は22日、
継体天皇陵として管理している太田茶臼山古墳(大阪府茨木
市太田)で行っていた発掘調査の結果を発表した。出土した
円筒埴輪(はにわ)列は形状や文様の特徴などから5世紀代
のものと判明、継体天皇が亡くなったとされる6世紀前半より
古い5世紀中期の築造説が改めて裏付けられた。
238日本@名無史さん:02/11/22 15:09
239日本@名無史さん:02/11/22 15:12
敬体が5代孫でも皇孫だという人が、
桓武の百済の血は薄まってるからないのも同然だというのはなぜだろか。
240日本@名無史さん:02/11/22 15:23

男系だからでしょ
241日本@名無史さん:02/11/22 20:59
【 継体天皇陵、やっぱり別人の墓? 古すぎた埋葬の埴輪 】

 宮内庁書陵部は22日、継体天皇陵に指定している大阪府茨木市の太田茶臼山古墳
(全長226メートル)の墳丘部で、護岸工事に伴って進めている発掘調査現場を
報道陣と研究者に公開した。6世紀前半に没した継体天皇の時代より約80年古い
5世紀中ごろの埴輪(はにわ)が、埋葬された当時の並んだ状態で確認できた。
継体天皇陵は「被葬者は別人」とするのが学界での定説だったが、本体の墳丘部で
継体天皇の没年よりかなり古い埴輪が出たことで「別人説」を裏付ける有力な「物証」
になった。

 継体天皇陵は86年にも護岸工事に伴い、周囲の濠(ほり)の外堤が研究者らに
公開され、5世紀中ごろの埴輪の破片が確認された。今回は古墳の本体である墳丘が
初めて部外者に公開された。円筒形や上部がラッパ状の埴輪など、86年に確認された
ものと同時代の埴輪が多数出土しており、並んだ埴輪もあった。

 86年に堤から出土した埴輪は、形や刻まれた印などから大阪府高槻市の新池遺跡の
窯で作られたものとわかった。この窯は科学的な年代測定で450年ごろのものと判明。
継体天皇の没年は日本書紀では531年とされ、埴輪の年代と一致しないことが指摘され、
被葬者は別人とする説が有力になっていた。
242日本@名無史さん:02/11/22 21:02
 考古学者の間では、継体天皇の墓は、同古墳から東へ1.5キロ離れた高槻市の今城塚
古墳(全長190メートル)だという説が有力だ。同古墳は高槻市教委の調査で、6世紀
前半の古墳であることが確実になっている。

 しかし、宮内庁は太田茶臼山古墳について「継体天皇の墓ではないという決定的な証拠はない」と
して、従来の見解を変えてこなかった。今後、陵墓の指定の再検討を求める声が高まりそうだ。

 明治以後、学問的な裏付けから陵墓が指定変更されたのは、1881年に天武・持統陵が
見瀬丸山古墳(奈良県橿原市)から野口王墓(同県明日香村)に変更されたケースだけ。
天武・持統陵が鎌倉時代に盗掘された時の内部の実況見分記録が前年に京都の寺で見つかったためだ。

 約240ある古代の陵墓古墳を非公開にしている宮内庁は、災害復旧工事や補修の際に
一部を研究者らに限り公開する程度だ。太田茶臼山古墳の場合、来年度、墳丘が崩れないよう
護岸工事をする予定で、その方法を検討するため、10月から墳丘のすそ部分の30カ所で
発掘調査を実施。それに合わせて公開に踏み切った。 (14:41)

ttp://www.asahi.com/culture/update/1122/001.html
243日本@名無史さん:02/11/23 00:11
>>239
継体の后は武烈の姉。
したがって欽明は武烈の甥。

わかりましたかぁ?
244日本@名無史さん:02/11/23 02:25
継体天皇陵については、昔からおかしいとは言われていたけどね。
大体、日本書紀には「継体陵は摂津国島上郡にある」と書かれているのに、
現在継体陵とされている太田茶臼山古墳の場所は古代の行政区分では島下郡だからね。
一方、今城塚古墳なら日本書紀に書かれている継体陵の所在地の記述とも辻褄が合う。
245日本@名無史さん:02/11/23 02:35
陵の話はどうでもいいだろ
あんなの幕末に適当にあてはめただけなんだからさ
246日本@名無史さん:02/11/23 04:51
>>229
>それはそうと、なんか武烈・手白香の母親の春日大郎女って、タダモンじゃないバアサンの
>ように思えるんだよなぁ・・・。

系譜をじっくり見て、ハタと気がついた。このバアサン、雄略がただの「ひと晩」で
妊娠させたっていう、童女君の娘じゃないか。
雄略紀の冒頭に、正后でもない女との、こんな取るに足らないような誕生説話を
わざわざ日本書紀が載せているってことは、カナーリ重要なバアサンだったんじゃないか?

雄略(允恭系)
 |├───────春日大娘皇女
童女君(和珥氏の娘) ││     ┌武烈天皇
           |├─────┤
市辺押磐(履中系)  ││     └手白香皇女
 |├───────仁賢天皇      │├───欽明天皇
荑姫(葛城氏の娘)          継体天皇

この系図で見る限り、武烈が「履中系」「允恭系」「葛城氏」「和珥氏」の四族融和の皇子
だったという説は有力だな。
そして武烈(や手白香皇女)の生母である春日大娘皇后の権力は、仁賢亡き後はかなり
絶大だった可能性がある。
スレの本題だけど、継体って、この雄略の母の兄の子孫なんだよなぁ。
「応神五世の孫」ってのより、春日大娘のバアサンの縁者って方が重要な気がするな。
247日本@名無史さん:02/11/23 04:55
上の系図、ズレて見づらくなってしまったので再カキコです。


雄略(允恭系)
 |├───────春日大娘皇女
童女君(和珥氏の娘) ││        ┌武烈天皇
              |├─────┤
市辺押磐(履中系)   ││        └手白香皇女
 |├───────仁賢天皇      │├───欽明天皇
荑姫(葛城氏の娘)            継体天皇
248日本@名無史さん:02/11/23 06:48
こうして見ると、雄略って欽明から見たら曾祖父に当たる人物なんだな。
もっと世代が隔たっているのかと思ったら、意外に近いんだ。
249日本@名無史さん:02/11/23 08:23
イワン雷帝的専制指向の雄略が死んだあと、反雄略派がどっからか市辺に遺児を連れてきて担いだ。
そして雄略の娘と結婚させて両派一応の和解。
しかし息子の武烈ダメだった。
そこで旧雄略支持派閥筆頭で大王姻戚の継体が武烈の姉と結婚して大王に。
そしてめでたく欽明大王誕生…って具合か。
250日本@名無しさん:02/11/23 09:10
くだらねえ。今更継体陵のこと大きく扱う新聞も新聞なら、それをわざわざコピペする
厨房も、クソだな。そんなこととっくにわかってるっちゅうの。今城塚の形が崩れてる
からって違うのを勝手に指定しただけの話じゃねえか。

やれやれだな。それにしても、宮内庁ってのも、世間から隔離されて、妄想で生きてる
基地害ばかりだが、そんな連中に世界的な文化遺産でもある古墳をどうこうする権利が
あるなんて、日本は所詮三流国だわ。
251日本@名無史さん:02/11/23 11:20
252日本@名無史さん:02/11/25 15:32
>>250
宮内庁が公式に発表したからコピペしたんだろうよ。
けっ知ったかぶりしやがって、何様のつもりなんだ?
ああ、あんたはえらいえらい。
三流だと思うんあらとっとと日本から出てけ!
253日本@名無史さん:02/11/25 15:37
 継体天皇は、西ローマ帝国皇帝ゴルディアヌス三世と
同一人物という駄学説があるらしいです。
254でもな:02/11/25 15:46
継体天皇がひらいた樟葉宮って
枚方市の端っこにあって、小さい神社しか
ないんだな。
高級住宅街の中にあるけど、ほとんど
そこに御所があったなんて知らない。
それを考えると寂しいな。
255日本@名無史さん:02/11/25 15:59
 武烈天皇は、ローマ帝国皇帝ヘリオガバルスと
同一人物という駄学説があるらしいです。
256日本@名無史さん:02/11/25 17:40
>>254
淀屋橋で京阪電車を待ってると、樟葉行きってよく見かけるね。
257日本@名無史さん :02/11/25 18:34
太田茶臼山古墳(継体天皇陵)は、現在、堀が干上がっていて歩いて墳丘に
行けます。ただし、やや地盤がゆるいので足跡が残ります。発掘現場に行くための
作業用の仮橋は前方部西側にありますが施錠されています。
また通報で、茨木警察が来たりするとたいへんなことになります。
なお、外周道路から墳丘の段築を垣間見るだけでも相当興奮します。
258日本@名無史さん :02/11/25 18:35
例の「くそは」ですね。う○こを投げたという。まあ、こじつけらしいですが。
259日本@名無史さん :02/11/26 01:05
武埴安彦の軍が敗走して、糞をもらしてしまつた。
その地を号けて糞袴、今は訛って樟葉……だっけ?
260日本@名無史さん:02/11/26 02:08
そんなことより大山古墳掘れや
261日本@名無史さん:02/11/26 07:40
もう盗掘で空っぽが定説。そりゃ、あれだけでかいと、なんかあるって普通思うって。
昭和30年代まで入り放題だったし。ってか、宮内庁も空っぽにするのが裏の狙いだ
ったりして。
262日本@名無史さん :02/11/26 12:31
今城塚の今年の発掘調査現地説明会はいつなの?
見たところ、調査はすでにほぼ終わってる様子だが、
今週か来週ってとこかな。だれかおせーて!
263254:02/11/26 14:57
そうその樟葉>>256
264日本@名無史さん:02/11/26 18:21
漏れは今城塚、厨房時代さんざん埴輪ほったので、もう空っぽでダメポでつ。
家型埴輪落っことして壊したのにはまいった。
265日本@名無史さん:02/11/27 22:35
>>260
仁徳天皇(本名:おおさざきのすめらみこと)は
「聖帝」としてたたえられています。

でも彼の本当の陵は、実は「現・履中陵」だという説があり、
大山古墳は「真・雄略陵」ではないか?とも言われています。

鎮まっている和魂(にぎみたま)を荒魂(あらみたま)にさせてはなりませんが、
もしも一時的に仮宮に遷宮していただくことができれば、
仮宮に退避していただいた和魂が、ほんとうは誰なのか、
明らかにすることができるかもしれませんね。
266日本@名無史さん:02/11/27 23:11
>>265
ということは、仁徳陵は十字陵ということか・・・・
267日本@名無史さん:02/11/27 23:14
ということは、心臓や臓器が、左右逆になっていたのか・・・。
268日本@名無史さん:02/11/28 00:16
>>265
仁徳の后磐の姫=葛城氏出身
次の皇后(愛人?)八田皇女=母が丸邇氏

履中の皇后ハエ姫=葛城氏出身

つまり墓陵造営にあたって、仁徳は葛城氏、丸邇氏双方の協力を期待できるが、
履中は葛城氏のみ。
墓陵の規模が 仁徳>履中 というのは説明がつくのですが。
269日本@名無史さん :02/11/28 18:51

関西圏だけかもしれんけど。
今日のニュースで継体陵についての新説やってるよ。

今城塚古墳から大量の埴輪が出土したって。
太田茶臼山古墳説→今城塚古墳説が有力になりそうだって。

270日本@名無史さん:02/11/28 19:28
>262
今週の土、日曜だよ。
あすの朝刊で詳しく発表されるよ。
271日本@名無史さん:02/11/28 19:40
>269
>今日のニュースで継体陵についての新説やってるよ。
新説ではなく通説です。
考古学では常識で、大王陵で一般人が自由に立ち入れるのは今城塚だけでしょう。
その今城塚は今後、地震考古学のフィールドになりそうです。詳しくは11月30日と
12月1日に発掘の現地説明会があるので期待です。
272日本@名無史さん:02/11/28 20:37
墓暴き野郎の暴走を止めろ!
埋葬された大王の眠りを妨げるな!
273日本@名無史さん:02/11/28 20:51
>>272
チョソ五月蝿いよ
274日本@名無史さん:02/11/28 20:52
歴史考証してる時点で妨げてます。
説を立てれば実証も必要になる。
275日本@名無史さん:02/11/28 21:14
今、全国ニュースでもやってたね。凄い映像だった..
276日本@名無史さん:02/11/28 21:15
万世一系にこだわる人のモチベーションは何処より?
277日本@名無史さん:02/11/28 21:16
>272
昔から市の発掘やら、近所の先生による非公然
採集ならされまくってますが何か?
278日本@名無史さん:02/11/28 21:22
現地説明会は30日、12月1日の午前10時―午後3時。小雨決行。一昨年度に
出土した龍文と勾玉文を組み合わせた鉄製の刀装具片の展示説明もある。
http://www.yomiuri.co.jp/04/20021128i311.htm
279携帯電脳:02/11/28 21:28
NHKクローズアップ源内でも
真・継体陵?と言われている「今城塚古墳」がとりあげられるそうだね。
280日本@名無史さん:02/11/28 21:40
太田茶臼山だなんて思ってた人間は昔からいなかったけどね。
281日本@名無史さん:02/11/28 21:45
>>276
王朝交代説にこだわる人のモチベーションは電波なので説明不可能だけど。
282日本@名無史さん:02/11/29 00:56
結論じゃなくて、大型の埴輪区が見つかったってことがミソみたいだね。

といっても、この前報道があった時からわかってただろ、これ。
現説用に小出しにしたな。
283日本@名無史さん:02/12/01 03:13
玉穂宮跡伝承地って何も無いんだよな、あそこは。
284日本@名無史さん:02/12/02 19:31
NHK「クローズアップ現代」で今城塚古墳発掘特集。
285日本@名無史さん:02/12/02 19:35
笑うぐらい、でかい埴輪だな、
286日本@名無史さん:02/12/02 19:59
見れなかったぽい
287日本@名無史さん:02/12/02 20:05
21:30からBS1で再放送があるゾ
288日本@名無史さん:02/12/02 20:06
いまさらNHKごときにおどらされんなよ。電波も、巨大メディアだと
ついつい祭りになってしまう罠。今までも調査してるのに、なんで今回
は特集されるわけ?
289日本@名無史さん:02/12/03 00:21
新聞記事を読んだ範囲で申し訳ないが、
今度の場合は、これまでと質的に大きく異なるような気がする。

現場の写真が見たい。どこかにない?
290日本@名無史さん:02/12/03 01:01
>>254
枚方在住だけど、家を建てたときの地鎮祭の神主さんは
その小さい神社から来たよ。
291日本@名無史さん:02/12/03 01:25
クローズアップ現代
12月2日(月)放送予定

謎の巨大“はにわ”群 発掘
〜ベールを脱ぐ古代日本〜

大阪府高槻市の今城塚古墳。6世紀の大王・継体の墓ともみられる全長350mの前方後円墳の
堤の上から、史上最多、最大規模の埴輪群が発見された。
総数113点。細かく細工された様々な人物像が出土し、謎の多かった仏教伝来以前の日本人の
宗教・生活風俗を知る貴重な手がかりになると考えられる。さらに高さ170センチの大型家屋
の埴輪を中心にした空間に貴人と巫女が配置され、柵を隔てた空間に武人・力士が守衛のごとく
配置されるなど、埴輪の配列から、当時の社会構造まで明らかになる可能性が出てきた。
これまでの発掘成果を紹介、CGで埴輪の形や配列を解析して、謎の6世紀前半の日本像を
どこまで解明できるのか、その可能性を検証する。

スタジオゲスト: 白石 太一郎さん(国立歴史民俗博物館教授:考古学)

ttp://www.nhk.or.jp/gendai/yotei.html
ttp://www.nhk.or.jp/gendai/photo/photo1672-1.jpg
ttp://www.nhk.or.jp/gendai/photo/photo1672-2.jpg
292日本@名無史さん:02/12/03 01:55
私は今城塚の隣にある小学校出身者です。
小学生のとき(8〜12年前)今城塚の畑にクラス活動で芋植えに行ったり、遊びに行ったりしていた。
だから、クローズアップ現代を見てびっくりした。
293日本@名無史さん:02/12/03 01:57
Thanx.....見たかった......
294日本@名無史さん:02/12/03 08:38
ワタシも見たかった・・・泣
295日本@名無史さん:02/12/03 18:46
さーてでは太田茶臼山古墳は誰の墓ってことに?

どーするんだろ宮内庁。
296日本@名無史さん:02/12/03 19:15
そういうこと気にしないのが宮内庁
297日本@名無史さん:02/12/03 19:36
そうそう、冷泉帝のみささぎだって
江戸時代と明治囲碁で違うし。
298日本@名無史さん:02/12/04 05:46
今城塚の畑でオシッコしたことある僕は不敬罪に問われることになるのか? ガクガクブルブル
299日本@名無史さん:02/12/05 01:31
淀川の向こう側・・・古墳が集中してる・・・って事は・・・

古代エジプトみたいに川の西側にあの世を見ていたってこと??

・・・などという話を振ってみるてすと
300日本@名無史さん:02/12/06 09:50
不敬罪の前に軽犯罪法違反になるのではあるまいか
301日本@名無史さん:02/12/09 17:24
これで堂々発掘される天皇陵の記念すべき第一号になるわけですな。
302名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/09 17:37
日本書紀とかは、後世、藤原氏によって編纂されたものなので、
藤原氏の政治的影響力もあると思われ。
303名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/09 17:40
天皇って、結構、系統が入れ替わってるような気がある。
特に、藤原氏の影響が強いというか...
304日本@名無史さん:02/12/09 17:49
それほど影響力強かったころじゃないんでないの?
305日本@名無史さん:02/12/09 18:34
正直、日本書紀が編纂された710年代だと不比等はあまり影響力
高くなかったように思われるが。長屋王とか石上麻呂とかの方が上では?
舎人親王自体もそこそこ有力者だし・・・
306日本@名無史さん:02/12/09 18:46
発掘の結果、仮に継体天皇の墓だとわかっても、DQN宮内庁のことだから、例によって
訳のわからん屁理屈を捏造することは確実だ罠。
307日本@名無史さん:02/12/12 13:43
あまり話題にならなかったが、3、4年まえ安康陵の発掘のときも
考古学者は中世の山城だと断言したのに、
宮内庁は古墳だと言い張って聞かなかったそうだ
308日本@名無史さん:02/12/16 21:21
訳のわからん屁理屈を捏造していただいて大いに結構じゃん。
大手を振って天皇陵が発掘できるわけだ。
309日本@名無史さん:02/12/16 21:30
だから、もともと宮内庁の方が天皇陵と認定することを放棄したんだって。
大手を振って発掘するのと、内庁の捨てたおこぼれをちょうだいするの
とは、全然違うと思うぞ。
310日本@名無史さん:02/12/16 22:25
おこぼれを大手を振ってちょうだいする
311日本@名無史さん:02/12/16 22:27
ありがたや ありがたや
312日本@名無史さん:02/12/17 20:36
間違った常識が大手を振って通用します
313日本@名無史さん:02/12/21 03:11
>>298
安心汁
漏れが厨房のときの修学旅行では
優秀な生徒会長が石舞台でタチションしますた。
314日本@名無史さん:02/12/24 18:44
age
315宮内庁職員の味方:02/12/26 13:28
>>307
遅レスですが。

>考古学者は中世の山城だと断言したのに、
>宮内庁は古墳だと言い張って聞かなかったそうだ

は,正確ではありません。

「考古学者は中世の山城だと断言した」というのは事実。
これに対して宮内庁は,「陵墓だ」と答えたというのがホントだそうです。

つまり,「古墳である,ない」に関しては答えていないんですね。

宮内庁の専門職員の苦労が伝わります。激しく同情。
316日本@名無史さん:02/12/26 13:34
>>315
関係ない質問なんですけど、
考古学者は宮内庁書陵部の職員になれるのでしょうか?
317日本@名無史さん:02/12/26 13:36
>>307
遅レスですけど

>>考古学者は中世の山城だと断言したのに、
宮内庁は古墳だと言い張って聞かなかったそうだ

というのは事実とちょっと違う。

「考古学者は中世の山城だ」と指摘したのは事実。
宮内庁側は「古墳である,ない」については発言せず,「御陵である」と答えたんだって。

調査担当の宮内庁の専門職員さんの苦労がしのばれます。
318日本@名無史さん:02/12/26 13:41
315・317です。
表示が遅いので2回書き込んじゃいました。

>>316
宮内庁書陵部には陵墓課があり,そこに考古学専門の職員がいます。
ここでも叩かれてた陵墓の調査はその人たちが担当してます。

さっき書き込んだように「宮内庁の論理」と「考古学的探求心」の板挟みにあってると思われ。
319日本@名無史さん:02/12/26 14:03
>>318
なるほど、ありがとうございます。
深刻なジレンマはあるでしょうね。

昔は机を並べて学んだ仲間どうしが
調査を求める側とそれを拒む側に分かれたり、
なんてこともきっとあるんでしょうなあ。
320日本@名無史さん:02/12/26 14:32
レスの流れに乗ってない話題だが・・・。

5代前の半島の血が桓武帝に流れているのに対し、5代前じゃ薄いし
ほとんど意味無しというが、
継体大王は5代目で問題無しというのは、矛盾してないのかなぁ。
321日本@名無史さん:02/12/26 21:01
結局、なにかごたごたしていて、継体大王が再統一したというところが妥当では。
贈り名もあまりに粗末だし。継体=覇王ということで、皇統断絶。それでケテーイ!
322日本@名無史さん:02/12/26 21:05
>>320
>5代前の半島の血が桓武帝に流れているのに対し、5代前じゃ薄いし

はぁ?五代前???
百済の武寧王は12代前だろ。
323日本@名無史さん:02/12/27 00:24
新羅王など倭人ですぜ!
324日本@名無史さん:02/12/27 07:38
>>323
寝言?
325日本@名無史さん:02/12/27 10:35
>>324
323じゃないけど、『三国史記』『三国遺事』に
初期の新羅王が倭国のほうからきたという記述がある。
まあ伝説みたいなものだと思うけど。
スレ違いっぽいので下げ。
326323:02/12/27 23:56
>>324
第四代脱解王は倭人ですぜ。
正確には「多婆那国の人」だが、倭人である。
327日本@名無史さん:02/12/28 01:05
>>320-322
5代前か12代前かという数の問題なのではなく両者は別の問題。
桓武天皇の母の場合、先祖が帰化人であって本人は帰化人系であってもれっきとした日本人だ。
朝鮮人ではない、という主旨。12代だからアウトとかいう代数の話ではない。
継体天皇の場合、父方=男系でつながっていて途中に女系(だけ)での継承がなく、
なおかつこの間代々「王(皇族)」であって臣籍降下してないから問題ないといっている
のであって、代数が5代だからセーフという話ではない。
328日本@名無史さん:02/12/28 01:07
宮内庁が「皇室の先祖を正しく祭祀するため」という名目で
正式に学界に調査を依頼すれば八方まるく収まらないのかな?
329日本@名無史さん:02/12/28 01:18
発掘ではなく、陵墓の補修ということにすれば良い。
よく、建造物の文化財なんか、解体して腐ってるところを交換して
組みなおしている。
330継体までの系譜:02/12/28 02:00
               ┌意富富杼王−乎非王−彦主人王−男大迹王(継体天皇)
   ┌稚野毛二派皇子┤                        ││
   │          └忍坂大中津姫                 │├──欽 明
応神┤            │├─―雄 略               ││
   └───仁徳┬──允  恭  |├──春日大娘皇女   ││
            │         童女君   ││     ┌手白香皇女
            │                |├───┤
            └履中─市辺押磐      ││     └武 烈
                   |├─────仁賢天皇
                  荑 姫


・・・とまあ、こんなところか。
331330 ツッコミ入りまーす!:02/12/28 02:11
上の系譜を作っていてふと疑問にオモタ…

雄略が市辺押磐を殺した後、後の仁賢・顕宗になる二人の王子はまだ幼児で、播磨へと
逃げていったんだよな。
で、その後に雄略−清寧と治世が続くんだが…
清寧の後、二王子は播磨で発見されるんだが、古事記によると見つけた人は、自分の両膝に
王子たちを乗せて喜んだという。
お〜い、雄略−清寧(さらには忍海飯豊皇女?)の治世の後、この二人は
まだ「子供」やったんかい!(笑)
332日本@名無史さん:02/12/28 03:32
>>331
膝に乗せたから子供とは限らんぞ。
子供の時分の頃を知っていて、欣喜雀躍して当時の感覚のままに
振舞った逸話かも知れんだろ。
333日本@名無史さん :02/12/28 05:11
>>326
激しくスレ違いだが、「タバナ国」を「但馬国」と解釈して
垂仁朝に渡来したという新羅の王子・天日槍の話との
関連性を説く説はマジあるんだよね……
334日本@名無史さん:02/12/28 06:34
>>331
それは記紀の系譜に脱落があって、一世代くらい
抜けてるんじゃないかって説が昔からある。
中田憲一の系図集にはそのへんの異説から系図を補ってるし
本居宣長も仁賢・顕宗は市辺押磐の子じゃなくて孫だと推測してる。
335日本@名無史さん:02/12/28 16:27
>>331,>>332
日本書紀は年代をすりあわせるために
もともと少年だったのをむりやり大人だったことにしてしまった例が多い。
ヤマトタケルも雄略天皇の冒頭もそう。
戦前までは飯豊皇女の在位期間は22年と推測する説もあった。
日本書紀の年代はまったく信用できない。
ふつうは日本書紀の年代は延長されていると考えられがちだが
部分的には系図の脱漏などのために短縮されているところもあるのではないかな。
336日本@名無史さん:02/12/29 00:24
>>333
詳しくキボン
337日本@名無史さん:02/12/29 01:24
タバナ→タジマという転訛はちと無理っぽいけれど、天日槍が脱解王の子だという
のはマジでありそうだね。
338333:02/12/29 01:35
>>336 他スレで説明したところ、叩かれまくったのであまりしたくないんですが……、参考までに

「紀」一云に天日槍が弟・知古に新羅国をゆずったとあるので、
その子孫が昔氏になったのではないかと……。ちなみに、真年の昔氏系図
(もち、信憑性は疑問だが)にこの趣の内容が見え、彼はこの記述を踏まえていたと思われる。

また「姓氏録」右京皇別下に
>新良貴(しらき)。
> 彦波瀲武ウ{盧+鳥}{茲+鳥}草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあへず)尊の男、
>稲飯(いなひ)命の後なり。是は新良国に出まして国主と為りたまふ。
>稲飯命は新羅国に出まして王が祖に合ひたまふ。日本紀に見えず。
ただし、これは朴氏か?真年の朴氏系図に稲飯命から赫居世に繋がる系図が見える。
339日本@名無史さん:02/12/29 02:32
>>350
その系譜で見ると、手白香皇女も継体天皇と同様に応神天皇五世孫なのね。
340339:02/12/29 02:33
いけねえ。
上は>>330です。
341日本@名無史さん:02/12/29 12:57
>>338
真年の系図はめちゃくちゃで資料的価値ないよ

>>337
多婆那国は多知婆那国の脱字で、タチバナ国というのは
多遅摩毛理が常世国からもちかえった時軸カクの実(=橘)にちなむ名前、
という説じゃなかったかな?
342日本@名無史さん:02/12/29 13:13
仁賢も継体みたいな入り婿?
343日本@名無史さん:02/12/29 23:57
仁賢も継体も入り婿だけど、入り婿ということそれ自体が重要なのでなく、
入り婿になれる最低限の条件があって、男系の実系でつながっているという条件を
満たしていたということが重要なんじゃないの?
344日本@名無史さん :03/01/01 01:52
>>341
>真年の系図はめちゃくちゃで資料的価値ないよ
参考にした他の系図史料が失われたといったほうが正しい。真年には
弟子がおらず、史料散逸。他の史料も明治〜昭和の戦火で大量に焼失している。
つまり、符合する史料が他に無く、真年の系図が宙に浮いてる状態なんだべさ。
中には明らかな造作もあるが、何も真年の系図に限ったことではない。
345日本@名無史さん:03/01/02 02:18
>>333
>「タバナ国」を「但馬国」...
ねえ。但馬、丹波、播磨のタジマ、タニハ、ハリマってどういう語源なんだろ。
346日本@名無史さん:03/01/04 17:25
>>344
んなこた勿論わかってるよ
真年の系図が信用ならんといったのはあなたが引用した新羅王家の祖先の部分のこと。

>中には明らかな造作もあるが、

とあなたがいうその明らかな部分に相当。
347日本@名無史さん:03/01/04 17:38
新羅のことはスレちがい。他に適切なスレあるだろ、そっち逝け。
こっちではもうやめれ
348日本@名無史さん:03/01/05 05:02
マジレスするが、継体は新羅出身っていうトンデモ説あるぞ。
349日本@名無史さん:03/01/05 15:56
350日本@名無史さん:03/01/07 01:38
>>348
聞いたことあるが
継体が新羅出身なのではなく、先祖が新羅出身という説ではなかったかな?
「日本書紀」の内容を最初からウソと決め付けてマッタク触れず、
考古学バカーリにひたすら基づくドキュソな説だったが……
351日本@名無史さん:03/01/07 21:27
継体天皇は新羅出身です。日本書紀で応神天皇5世の子孫となっていることが作り話であることは
当時の人々も知っていましたが、国の歴史書に異議を唱えると殺されるので、黙っていたのです。
表現の自由、思想信条の自由が保障され、2ちゃんで放言し倒している私たちは幸せなのです。
352日本@名無史さん:03/01/07 22:43
↑つまらん
353日本@名無史さん:03/01/07 22:55
>>333,346
これですね。
稲飯命(号、瓢公)ー朴巫牙(母蘇伐公女己牟媼)ー提炎ー力[糸乞]ー波羅那
ー玄若ー伽留ー相述留ー閼斤ー[りっしんべん+建]達ー麻留ー赫居世
さすがにこれは信じられんでしょうね。
系図の話題が出たところでもう一つ。皇胤志から。
継体天皇の祖母に当たる久留比賣につながる系図
景行天皇ー大碓命ー押黒弟彦王ー彦和介王ー毛比宇斯王ー伊自牟良君ー久留比賣
なんてのがありますが、これの信憑性はいかがでしょうか?
354日本@名無史さん:03/01/07 23:24
真年と中田憲一(皇胤志かいた人ね)は
どっちも簡単には信用ならんが中田の方が若干価値がありそうではある。

その系図は「上宮聖徳法皇帝説」が元ネタでしょ。
部分的に錯誤があるけど。
355353:03/01/08 18:47
>>354
多分上宮記の書き間違いだと思うんだけど...
上宮記には伊自牟良君以下の系譜が載っていて、この伊自牟良君は古事記によれば
押黒弟彦王の子孫だろうと思われるんですよね。
で、問題なのはこの間の彦和介王、毛比宇斯王の二代。
これは何か原史料があったのか、それとも捏造なのか...

後中田の方が価値があるってのはどうでしょう?ウガヤ朝とか結構怪しいとこあるけど。
356日本@名無史さん:03/01/09 04:06
ウガヤ朝があやしいかどうかは元ネタの話だからおいとく。

中田は一応考証っぽいことやってるしそこそこ教養が感じられるけど
真年は味噌も糞も区別なくやみくもに系図つなげてるだけって感じがしてドキュンっぽいからやだ。
まあどっちもどっちだけどね。あくまで個人的なうわっつらの感想ってことで。
357日本@名無史さん:03/01/09 08:24
>>356
スレ違いだが中田が書いた「皇胤志」の原文(国会図書館蔵)は
かなり無茶な校訂やってるぞ。
たとえば顕宗と仁賢がいとことか(後で訂正しとるが…)
興世王の出自のあたりもそうだし…
358日本@名無史さん:03/01/09 11:07
>>357

334にかいたようなことが念頭にあったからだろう。
359日本@名無史さん:03/01/11 15:01
>>354
真年の系図は従来の皇統譜(紹運録など)の誤りを修正しており、
正史のみならず、外史と符合している部分も見られる。
その点、中田は不十分の感あり。
>>355
ちなみに、「皇胤志」のウガヤ朝系図は「上記」が主原典と思われ。
360日本@名無史さん:03/01/11 15:07
応神期、佐紀大王家陵(奈良市忍熊町とか!)から、河内に変遷。
葛城氏、物部氏、紀氏の台頭、日向の古墳の規模が急激に増大・・・。

はっ、神武伝説はこの応神をモデルにしてるんじゃ?と思わんか皆さん。
361日本@名無史さん:03/01/11 15:08
あら?オオドノ(おま○こ)王か?
御免間違えた。
362日本@名無史さん:03/01/11 15:10
継体は息長氏に決まってるだろ。おしまい。
363日本@名無史さん:03/01/11 15:10
>>360

「筑紫の日向」を日向の国と読むならね。
364日本@名無史さん:03/01/11 15:13
>>4,>>234に少しガイシュツだが、
中田の系図に見える稚野毛二派皇子の裔
息長系氏族の系図はどうだろう?
365日本@名無史さん:03/01/11 15:16
>>363
天孫族は朝鮮半島から来たから、クシフル日向は筑紫だと思うけど、それと応神の日向とを差し替えたのかもと思っとるんです。
かも?だよ。
366山崎渉:03/01/11 16:47
(^^)
367日本@名無史さん:03/01/12 22:23
>>365
かなーりスレちがいっぽい
368山崎渉:03/01/16 08:49
(^^)
369日本@名無史さん:03/01/16 21:30
370日本@名無史さん:03/01/19 05:02
・継体天皇⇒手白香皇女(仁賢天皇の皇女)を皇后とする
・安閑天皇(=継体天皇の第二皇子)⇒春日山田皇女(仁賢天皇の皇女)を皇后とする
・宣化天皇(=継体天皇の第二皇子)⇒橘仲皇女(仁賢天皇の皇女)を皇后とする

さらに欽明天皇(=継体天皇と手白香皇女の間の皇子)は、
石姫皇女(=宣化天皇と橘仲皇女の間の皇女)を皇后として、
その間の皇子である敏達天皇→押坂彦人大兄皇子→舒明天皇と現在の皇統に続く。
371日本@名無史さん:03/01/24 01:59
継体の祖先の系統は江戸幕府での御三家みたいなものだったので、
本家と五代くらいはなれてても問題ないのです。
372日本@名無史さん:03/01/24 02:07
継体天皇は皇統に属している。
373日本@名無史さん:03/01/24 02:21
>五代くらいはなれてても

確かになあ。慶喜なんてひでえもんだもんなあ。
374日本@名無史さん:03/01/24 02:25
携帯?
375日本@名無史さん:03/01/24 03:36
毛痛い天皇
376日本@名無史さん:03/01/24 08:16
ま。たとえ他人でも女系で血は繋がってるがナ。

              │                    │
              │        ┌―――――――┬―――┴―――┬――――――┐
  尾張目子媛=====26継体天皇=====手白香姫   25武烈天皇   春日山田姫   橘仲姫
         │         │                 (安閑皇后) (宣化皇后・石媛母)
         │         29欽明天皇       
    ┌――――┴――――┐            
  28宣化天皇     27安閑天皇 
377日本@名無史さん:03/02/06 01:49
女系はおまけ。
378日本@名無史さん:03/02/07 18:10
講談社日本の歴史A「王権の誕生」によれば、古墳の変遷から以下の分別ができ、これは王朝交代であろう、とある。

三輪大王家(纏向、邪馬台国)→佐紀大王家(和邇氏、息長氏の勢力圏?)→河内大王家(葛城氏が外戚、物部氏、紀氏の勢力増大)

継体は佐紀大王家の復権?
379日本@名無史さん:03/02/07 19:19
>>378
彼は「王朝交代」とは書いていない。
大王墓の葬地の移動については「ヤマト王権中枢の権力闘争による王統の交替」
「ヤマト王権内での王統の移動であって、新しい王権の樹立ではない」と主張している。
王朝交替と王統交替では全く意味が違うぞ。
380378:03/02/07 19:26
そうか・・。
有力豪族が代わったということですか。すんません。
381日本@名無しさん:03/02/07 22:23
そうかなあ。一応前漢と後漢は区別されるし。王権をもって何を意味するのかという
問題という気がするが。継体だって自前の軍団&一族も持ってきただろうし。
382日本@名無史さん:03/02/11 05:22
しばらく前に「王朝」という言葉を深い検討なしに安易に使い過ぎたので
学者同士で「王朝」のイメージや定義にズレが生じた、という反省があって
それで「王系」とか「王権」とか「王統」とか微妙に使い分けるようになった。

王朝という時は豪族たちとか領土領民とか支配機構とかをセットで考える。
つまり王朝=国家全体みたいな感じ。
系図上の血筋がつながってるか切れてるかという話をする時は
「王系」とか「王統」といい、最近は「王朝」とはいわない。
383日本@名無史さん:03/02/14 21:50
>>376
橘仲姫からも女系でつながってるのを知らないでそれを書いているのか?
384日本@名無史さん:03/02/23 14:30
>>163,>>176
>過去ログの前スレに比べるとだいぶ質が低下してる...
后妃の出身氏族への言及が少ないね。前王統、継体王統それぞれの支持・反対勢力は、
后妃の出身氏族が一つの手掛かりなんだが。
385日本@名無史さん:03/02/23 15:09
反対勢力なんて具体的に存在するの?
386日本@名無史さん:03/02/23 16:02

三輪はわからんぽん→佐紀大王家(息長氏、和邇氏の勢力圏、奈良盆地の北方)
→河内大王家(今まで巨大方墳作ってた葛城氏が外戚に!物部氏、紀氏、など大和川系、紀ノ川系、日向豪族など、南海道の古墳巨大化)

継体は息長氏の勢力圏出身で淀川をうろうろ。敏達妃なんかも息長じゃなかったか?

主に考古学の観点から推測。推測だよ。
387日本@名無史さん:03/02/23 22:05
レスする気力もわかない。
388日本@名無史さん:03/02/24 01:19
>>386
佐紀大王家って、Google検索をかけても1件もhitしなかったが、現在の相楽郡山城町に
残る椿井大恷R古墳など木津川流域の首長政権のことですか。
389婦警さん:03/02/24 01:26
すいません!!!
390日本@名無史さん:03/02/24 08:12
何がだよ
391日本@名無史さん:03/02/27 18:08
継体天皇は
http://mentai.2ch.net/history/kako/980/980907202.html

継体天皇って先代達と血つながってんの?
http://mentai.2ch.net/history/kako/997/997471414.html

●継体天皇の生立ちについて考察すれ!(第二部)●
http://academy.2ch.net/history/kako/1005/10059/1005968505.html
392日本@名無史さん:03/02/27 21:24
(第二部)●ってのは実は事実上第三部みたいなもんで
このスレが第四部に相当。
393日本@名無史さん:03/03/03 02:56
漏れの暦の計算が正しければ、
来る3月5日は継体天皇の即位日(507年2月7日)
394日本@名無史さん:03/03/03 13:29
継体が応神の子孫を称したのは、応神王朝が清寧天皇で途絶えたからだろ。
顕宗・仁賢の兄弟は父市辺押磐が雄略に殺されて播磨に身を寄せたことに
なっているけど、都合良く発見されすぎ。
継体はわれこそは応神の血を継ぐ者として登場した。
395日本@名無史さん:03/03/04 00:43
携帯天皇

  ∩
 / _\/
 (゜д゜) ¶ <もしもし?
/ ∀\∩
396日本@名無史さん:03/03/04 03:10
本当は越前に漂着したチョンの子孫のくせに天皇になった厚かましいオヤジ
397日本@名無史さん:03/03/04 03:48
>>394
しかも都合よく発見してもゴタゴタですぐには即位できず,
飯豊天皇をショートリリーフにたてたりしてるね.
#推古が即位したときとよく似た状況たったのかもしれない・・・
398日本@名無史さん:03/03/05 06:34
>>388 木津川系に引っ張られた王統だったとの主張があり、それに従えば椿井大塚山古墳もそうなるよね。
三輪山の麓では4世紀前葉の渋谷向山古墳(伝景行陵)をもって大王墓古墳の築造が停止。
このあとの4世紀代の、佐紀陵山古墳(伝日葉酢媛陵)、佐紀石塚山古墳(伝成務陵)、宝来山古墳(伝垂仁陵)、5世紀前半に市庭古墳(伝平城陵)ヒシアゲ古墳、コナベ古墳、ウワナベ古墳と続く地域が「佐紀」。佐保川上流で、現奈良市北西域。
応神は即位の過程で、異母兄弟の香坂王、忍熊王を倒しているが、今ものこる奈良市忍熊町はこの佐紀の地域です。

5世紀に、大王墓が河内の古市、百舌にまた移っている。



399日本@名無史さん:03/03/05 08:28
さりげなく無視されている>>395に萌え(;´Д`)
400日本@名無史さん:03/03/06 00:51
>>386
>息長氏の勢力圏出身で淀川をうろうろ...
息長氏の本拠地は、息長の地名が現存する湖東の米原町近辺で、継体の出身地は
対岸の湖西の三尾郡じゃなかったですか。
401日本@名無史さん:03/03/06 09:51
息長氏が外戚となっている天皇を知りたいなあ。
402178.114.111.219.dy.excite.co.jp:03/03/07 09:29
age
403日本@名無史さん:03/03/07 10:02
結局「万世一系」ではないということでよろしいですか?
404日本@名無史さん:03/03/07 10:14
 /⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))     
  (   从    ノ.ノ         
   ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\                              
   |::::::  ヽ     丶.   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |::::.____、_  _,__)  ∠  どうせチョソの血統なら私を新しい天皇にしろ!
  (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー |   \________________
   (  (   ̄ )・・( ̄ i
   ヘ\   .._. )3( .._丿    
 /  \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ.   \__/\i/\_|    
|   ヽ       \o \  
|    |          \o \



405日本@名無史さん:03/03/07 10:16
>>396
アホかよ・・・
そんなチョンとかひとくくりにできる時代じゃなかったんだよ・・・
406日本@名無史さん:03/03/08 02:05
>>397
>推古が即位した...状況...
って、どういう状況だったのですか。
407日本@名無史さん:03/03/08 06:57
>>394
>都合良く発見されすぎ。

日本書紀だと清寧天皇在世中に発見されたことになっていて
確かに都合よさすぎだが、
古事記では清寧天皇没後に皇嗣がいなくなったので発見されるまでの間、飯豊郎女が
摂政になったことになっている。飯豊郎女の期間は何年かはわからない。
もしかしたら20年か30年くらいだったのかもわからない。

>>397
>しかも都合よく発見してもゴタゴタですぐには即位できず,
>飯豊天皇をショートリリーフにたてたりしてるね.

それは通説では、日本書紀は編年の都合上、飯豊皇女の摂政期間を抹殺して
清寧在世中に発見されたことにしてしまったので、
飯豊皇女がなんのために登場してくるのか意味不明にならないように
理由付けが必要になったからだという説が有力じゃないのかな。
408日本@名無史さん:03/03/08 19:10
>>398
>応神は...香坂王、忍熊王を倒しているが、今ものこる奈良市忍熊町はこの佐紀の地域...
記紀と現存地名から、応神王統以前の王統が、佐紀地域に存在していたと言うことですね。
仲哀天皇の名で皇統に残されている王統ですね。
409日本@名無史さん:03/03/08 19:36
age
410日本@名無史さん:03/03/08 19:57
>>408
香坂王、忍熊王の母大中比売命は景行天皇の孫であるから
開花天皇五世孫の神功皇后よりも出自が良い。
したがって、香坂王、忍熊王のほうが応神天皇より出自において上位にあり、
王権の正当な後継者として認められていたのではないかと言われているね。
411日本@名無史さん:03/03/08 19:58
>>410訂正
×開花
○開化
412日本@名無史さん:03/03/08 21:11
佐紀の古墳に祭られている王統は、完全に滅ぼされたんですか?
市庭古墳(現平城陵)なんて、宮都の造営工事であっさりと前方部が削平されたりしてますからね。
413日本@名無史さん:03/03/09 01:54
>市庭古墳(現平城陵)
↑宮内庁、いい加減何とかならんかコレ……
414日本@名無史さん:03/03/09 13:10
>>408
タラシナカツヒコ仲哀天皇でなく、志賀の高穴穂宮(大津市坂本穴太町)で治世をし、伝狭城盾列陵の
ワカタラシヒコ成務天皇ね。
415日本@名無史さん:03/03/09 13:27
今城塚古墳はもう発掘おわり?
416日本@名無史さん:03/03/10 08:53
オキナガタラシ(神宮皇后)V.S.香坂王(忍坂)
息長対息長じゃ、あ〜りませんか。

応神朝には息長、和邇がいっぱいとついどるよ。
最後は敏達妃で、押坂彦人大兄の母、ジョメイの祖母でしょ。
417日本@名無史さん:03/03/13 14:47
毛痛い天皇
418日本@名無史さん:03/03/13 20:17

  ∩
 / _ヽ /
 (´д`) ¶ <もしもし?
/ ∀\∩
419日本@名無史さん:03/03/14 02:30
>>410
香坂王、香具山のカゴ、カグってどういう意なのですか。
420水亀:03/03/14 10:47
継体天皇の時、王朝交代があったというのが『書紀』の編者の認識。
ただし、血統は途切れていないので万世一系がくずれたわけではない(と認識した)。
「継体」という名は王朝交代があったと後世の人間が推定して名付けたというにすぎない。
問題は『書紀』編者の認識が正しいのか否かということ。
『書紀』編者が歴史を全て知っていたかのように考えて、改竄したとか、
隠蔽したとか言っている奴の常識を疑う。
要するに資料不足だったから、あれこれ推測して記事を書いたということ。
現在の歴史学者と同じさ。
421日本@名無史さん:03/03/14 12:21
>>420
それは王朝交替じゃなくて、王統ないし王系の交替というんじゃないの?
422日本@名無史さん:03/03/14 23:50
五世孫ながらなんとか絶えさせずに継承したという意味で、
継体という名になっているわけで、これが赤の他人ならば、継体と名付けられるはずない。
423日本@名無史さん:03/03/15 14:57
結局「万世一系」ではないということでよろしいですか?
424日本@名無史さん:03/03/15 16:39
定説でつ。
425日本@名無史さん:03/03/15 18:37

   ∩
 / _ヽ /
 <`∀´> ¶ <ヨボセヨ?
/ ∀\∩

426日本@名無史さん:03/03/16 01:05
継体天皇って、元号が継体なんでしょ?
明治の天皇が明治天皇。おもろない。
427日本@名無史さん:03/03/16 01:25
>>426
違います。
428日本@名無史さん:03/03/16 01:59
429日本@名無史さん:03/03/16 22:44
「継」を用いるのは、血統がつながってなくて、継いだと言うこと。
 血統がつながっている場合は、「嗣」を用いる。
 継体は、血統がつながっていない入婿天皇。
430日本@名無史さん:03/03/17 16:09
「継体」は「皇位を継ぐ」の意味でしょ。

『日本書紀』継体紀二十四年二月朔条
「継体の君に及びて、中興の功を立てむとするときには、曷(いづれ)か
嘗(むかし)より賢哲しき謨謀(はかりごと)に頼らざらむ」
(「継体之君」は古訓ではヲホトノキミ、ヨヨアヒウクルキミとあり、
 岩波文庫版ではヒツギノキミと訓じる)
431日本@名無史さん:03/03/17 16:30

  ∩
 / _ヽ /
 (´д`) ¶ 継ぎますた
/ ∀\∩

432日本@名無史さん:03/03/18 12:32
>>430のいうとおりで,「継体」は普通名詞としてもよくつかわれる言葉だが,
問題の所在は,なぜそのような語が,この天皇に対して諡号に用いられたか,
という点にあるね.

「光」の字のつく天皇とおなじ理由ではないだろうか?
433水亀:03/03/18 13:30
>>432
俺は「継体」とは正等な後継者という意味だと思う。
あえて諡号に使った理由は正当性に不安があったから。
ただしそれは後世の理解であって史実かどうかは別問題。
本当に知っていたのならあんなに露骨に書くとは思えない。
この時代に「革命らしきもの」があったようだ。
しかし天皇は万世一系であるという「事実」もある。
この矛盾する二つの「事実」にどう折り合いをつけるか。
その苦心の結果が『書紀』の記述となった。
史実を捏造したというよりも、
断片的な情報から史実を復原しようとしたというのが正解だと思ふ。
434日本@名無史さん:03/03/18 15:52

神武崇神ースイ靖垂仁ー安寧成務ーイ徳ー応神ー仁徳ー履中ー反正ー
ーーーーーーーー清寧飯豊皇女 




允恭ー安康ー雄略ーーーーケン宗ー仁賢ー武烈ーーー欽明ーーー祟峻
ーーーーーー天智ー弘文ーーー持統ー文武ー元明ー元正




応神ーーーーーーーーーー(五世)継体ー安閑ー宣化ーーーービ達ー
用明ーーー推古ー舒明ー皇極ー孝徳ー斉明ーーー天武
435日本@名無史さん:03/03/21 20:26
明治から万世一系なの。ワカル

436日本@名無史さん:03/03/22 01:21
継体天皇って先代達と血つながってんの?
437日本@名無史さん:03/03/22 04:39
>>433
大正解!
でも「万世一系という事実」じゃなくて「万世一系(と言う事)にせよ!という命令」との
板挟みと言うのが実情だと思う。
438日本@名無史さん:03/03/22 04:52
もっと突っ込んで言うならば、当時の大和朝廷は半島と血の繋がりがあると
積極的にアピールしたかったとも考えられる。
たとえそれが本当に在ろうと無かろうともだ。

それが当時としては最も賢い外交選択だったとは考えられないかい?

藤原氏(不比等のみでなく)が書紀に込めた編集意図とは

「日本はと〜っても古い歴史があるんですよぅ!しかも半島とも実は繋がりが在ったりするんですよぅ!
 だから僕らを野蛮人だなんて思わないでね!僕らは貴方と同じ先進国なんだよ!ヨロシク!」

ってなところが妥当だと・・・。

439日本@名無史さん:03/03/22 05:08
継体、反正の意味も知らんのばかり
440「光」がつく天皇:03/03/22 07:06
光仁・光孝・光格の3人に共通する諡字「光」には
「よく前行を継ぐ」という意味が込められているらしい.
わざわざ「よく前行を継ぐ」という名を贈るからには,なにかある.
そう,3人とも前の天子からは血のつながりが薄い傍系の出身だったのだ.
シナでは後漢を建国した光武帝もそうだったね.

この諡法を淡海三船(または不比等)が知っていたなら,継体にも
光がついていたかもしれん.このように諡号に使われる字は,反語的に
選ばれている.徳の無い奴には徳の字を,仁のうすい奴には仁の字を
というぐあいに.
441440:03/03/22 07:20
>この諡法を淡海三船(または不比等)が知っていたなら

おっとっと.当然知っていただろうな.光仁まで三船が選定したそうだから.
442日本@名無史さん:03/03/22 09:56
光武帝は前漢の景帝の六世孫だったな。
443日本@名無史さん:03/03/23 02:30
 
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))     
  (   从    ノ.ノ         
   ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\                              
   |::::::  ヽ     丶.   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |::::.____、_  _,__)  ∠  どうせチョソの血統なら私を新しい天皇にしろ!
  (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー |   \________________
   (  (   ̄ )・・( ̄ i
   ヘ\   .._. )3( .._丿    
 /  \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ.   \__/\i/\_|    
|   ヽ       \o \  
|    |          \o \

444日本@名無史さん:03/03/27 10:19
「ままはは」って、「継母」と書くんだネ。血はつながっていないんだよネ。継体もネ。
445日本@名無史さん:03/03/27 12:23
>>444
事実がどうかはともかくとして,
「繼軆」という語は,「たしかに継いだ」ということをことさらに
強調しようしていると理解すべきでしょう.
446日本@名無史さん:03/03/27 16:40
北陸の当時実力のある民間人が、血統の絶えた没落天皇家を吸収合併したということでしょうネ。
447日本@名無史さん:03/03/27 19:50
継体天皇って先代達と血つながってないの!?
448日本@名無史さん:03/03/27 21:39
定説です。
449日本@名無史さん:03/03/27 22:20
天皇家は伝統を重んじます。
「隠蔽、巧作、偽造、捏造、策略、陰謀」
450日本@名無史さん:03/03/27 23:59
大仙古墳=継体天皇陵
451:03/03/28 00:11
新説?珍説?ハケーソ
452日本@名無史さん:03/03/28 10:24
>>446
継体天皇の出身部族が、現代の北陸地方の有力者というのは初耳だが、何県のこと?
453日本@名無史さん:03/03/28 10:51
>>452
越前(福井県)出身といわれる天皇で、応神天皇5世の孫といわれる。
日本書紀によると、父は近江の豪族彦主人(ひこうし)王であり、母は越前の豪族の娘振姫(ふるひめ)である。
幼くして父と死別し、母方の実家である越前の高向(たかむく)で成長したという。
454日本@名無史さん:03/03/29 15:58

継体天皇は河内の豪族と言う説が強い。
つまり、天皇家断絶の1か点であることは常識!


455日本@名無史さん:03/03/29 18:55
あまり話題にならなかったが、3、4年まえ安康陵の発掘のときも
考古学者は中世の山城だと断言したのに、
宮内庁は古墳だと言い張って聞かなかったそうだ
456日本@名無史さん:03/03/29 21:13
訳のわからん屁理屈を捏造していただいて大いに結構じゃん。
大手を振って天皇陵が発掘できるわけだ。
457日本@名無史さん:03/03/29 22:31
携帯天皇

「もすもす、わだすだ。そうそう。携帯。まだやまどには、へえれねが?・・・何?
そうが、あと10年はかかるでが・・・。」


しょぼん。
458日本@名無史さん:03/03/30 17:36
>>457
越前弁か近江弁でやっとくれ。
459日本@名無史さん:03/03/30 21:54
結局、なにかごたごたしていて、継体大王が再統一したというところが妥当では。
贈り名もあまりに粗末だし。継体=覇王ということで、皇統断絶。それでケテーイ!


460日本@名無史さん:03/04/01 01:47
>>455-456
コピペは控えよ
461日本@名無史さん:03/04/01 01:57
結局「万世一系」ではないということでよろしいですか?


462日本@名無史さん:03/04/01 02:16
つまりアレだ。星川皇子をたてた吉備氏のや磐井の乱などの事件を単発的な反乱と
解釈するんじゃなくて実際には群雄割拠状態にあったのだと理解すると。
そんなこんなでヤマトにも反継体(反金村)な勢力が陣取ってたと。
463日本@名無史さん:03/04/05 23:05

  ∩
 / _ヽ /
 (´д`) ¶ <もしもし?
/ ∀\∩



464日本@名無史さん:03/04/08 00:23
たとえば、今上のアキヒトは昭和帝ヒロヒトを「継体」しとるわけですが(w
465日本@名無史さん:03/04/13 02:32
天皇だけ万世一系朝鮮人
466日本@名無史さん:03/04/13 19:08
>>453
近江だか越前の豪族なら、何で大和の王権を討滅して、近江だか越前に新王権を
樹立しなかったんだ。
467山崎渉:03/04/17 13:57
(^^)
468日本@名無史さん:03/04/19 16:18
単なる豪族でなくて、天皇家の子孫の王族ですよ。

そもそも、継体の前と後で、大臣などの豪族の顔触れが変化していない。
全く無関係の者が大和へ侵入して滅ぼしたのならば、
大臣などの顔触れが変化していないのは矛盾する。
469山崎渉:03/04/20 01:50
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
470日本@名無史さん:03/04/24 02:33
前スレや前々スレを読めば、
王朝交代なんてDQN説は今時いえないはずだけどね。
471日本@名無史さん:03/04/24 10:06
応神天皇5世の孫?与太話はよしてくれ。
結局、継体が天皇になったいきさつについては、空想するのは勝手だが、真実は闇の中。
472日本@名無史さん:03/04/27 14:27
結局「万世一系」ではないということでよろしいですか?


473日本@名無史さん:03/05/04 03:46
>>472
雄略天皇−春日大郎皇女−橘仲皇女−石姫皇女−敏達天皇−押坂彦人大兄皇子−吉備姫王−皇極天皇−天智天皇
474日本@名無史さん:03/05/04 05:05
>>473
雄略−春日大郎女−手白髪−欽明−敏達−押坂彦人−舒明−天智

これじゃ、いかんのけ?
475日本@名無史さん:03/05/04 05:20

        ┌−橘仲皇女−石姫皇女        ┌−吉備姫王−皇極天皇
雄略−春日大郎女┤       ├───敏達−押坂彦人┤       ├−──天智
        └−手白髪−─欽明          └−─────舒明

じゃ、こうなの??
476日本@名無史さん:03/05/04 05:35
雄略天皇−春日大郎皇女−橘仲皇女−石姫皇女−敏達天皇−糠手姫皇女−舒明天皇−天智天皇
477日本@名無史さん:03/05/04 05:44
>>473
×吉備姫王
○茅渟王
じゃないのか
478日本@名無史さん:03/05/04 07:49
>>477
吉備姫王から辿ると
欽明>桜井皇子>吉備姫王だね。
479日本@名無史さん:03/05/09 07:56

                   ┌───桜井皇子────吉備姫王
        ┌−橘仲皇女−石姫皇女│             ├─皇極天皇 
雄略−春日大郎女┤       ├──┤         ┌−茅渟王  │
        └−手白髪−─欽明  │   ┌−押坂彦人┘      ├−──天智 
                   └─敏達┤    ├−─────舒明 
                       └糠手姫皇女

よくわからんが、↑じゃこういうこと?
480日本@名無史さん:03/05/09 09:20
応神の子孫が近江、越前のほうに下って勢力を築いて
大和に戻ってきたんですよ。つまり万世一系は正しいってことで終了。
481日本@名無史さん:03/05/09 09:43
応神の孫5世と言う、証明のしようのないヨタ話を
信じないかぎり、万世一系は無理。
482日本@名無史さん:03/05/10 08:38
応神は金官加羅から九州に入った扶余勢力の長だった。
このときはまだ大和政権に対して傭兵隊長的立場だった。
その子孫が越前に住んで大和政権のなかで実力を蓄え、
内紛あるいは断絶に乗じて大和政権を簒奪して継体となった。
応神は継体以降の政権が作った歴史の中で傭兵隊長から
天皇の地位に引き上げられた。だからあんな変な形で、しかも
半島との関係のなかで皇統に入っている。
483日本@名無史さん:03/05/14 00:50
皇族でない人間が天皇になれるか
それだったらとっくに他の有力豪族がなってるわ
484日本@名無史さん:03/05/14 10:43
滋賀県の安土城考古博物館で6月8日まで
特別展「日継知らす可き王無し―継体大王の出現―」
というのをやってるよ。
http://www.azuchi-museum.or.jp/
485日本@名無史さん:03/05/14 22:52
>>483
半島から来た傭兵隊長なら有力豪族だ。
傭兵とは言ってもそれが4世紀の半島での倭の軍事行動の
主力だったと考える。
486山崎渉:03/05/22 03:23
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
487日本@名無史さん:03/05/23 21:25
488日本@名無史さん:03/05/24 23:27
黒岩重ゴクラスだな。
489衣笠宮:03/05/25 07:12
90 :だけど応神天皇五世の孫がいきなり天皇候補に挙がるのはおかしいYO。
もっと武烈に近い親族で皇位継承者がいなければならない。

雄略天皇が自分のライバルを皆殺しにしたり、息子の清寧天皇のライバル粛清を
遺言した結果でしょ。
まだ磐坂市邊押磐皇子の王子が生き残っていたことの方が奇跡に近いんじゃないの。
顕宗天皇 仁賢天皇が、生き残っていなかったらどうなっていたことやら。
490日本@名無史さん:03/05/25 08:43
>>489
ふ〜〜〜ん。
491日本@名無史さん:03/05/25 19:23
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))     
  (   从    ノ.ノ         
   ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\                              
   |::::::  ヽ     丶.   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |::::.____、_  _,__)  ∠  どうせチョソの血統なら私を新しい天皇にしろ!
  (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー |   \________________
   (  (   ̄ )・・( ̄ i
   ヘ\   .._. )3( .._丿    
 /  \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ.   \__/\i/\_|    
|   ヽ       \o \  
|    |          \o \


492山崎渉:03/05/28 10:56
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
493日本@名無史さん:03/05/28 17:16
応神は金官加羅から九州に入った扶余勢力の長
494 :03/05/28 18:12
任那スレにいた、扶余厨は出て行け!
495>481:03/05/28 22:42
おい、朝鮮人、そうでないという証拠を出せ。
文献か金石で出せよ。
496日本@名無史さん:03/05/29 21:39
継体は息長に決まってるだろ。
497大伴金村:03/05/30 09:23
真実は私が知っている。
498日本@名無史さん:03/06/12 21:27
499日本@名無史さん:03/06/19 00:05
ココでくっきりワレメが見れますた♪
http://plaza16.mbn.or.jp/~satchel/idolnowareme/
ここまで美少女だと興奮しちゃう(*´∀`*)ハァハァ
500ぷらっと ◆NrzNAFPLAQ :03/06/20 23:44
500げっつぉ
501ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :03/06/21 22:40
            、 
           ) | 
         ( ノノ 
       , --" - 、 
スチャ    / 〃.,、   ヽ 
  ∧、   l ノ ノハヽ、  i 
/⌒ヽ\ i | l'┃ ┃〈リ  我々の要求は、沖縄県に対する皇民政策の廃止だ
|( ● )| i\从|l、 _ヮ/从  明日米軍基地を爆破する。
\_ノ ^i |ハ  ∀ \ 
 |_|,-''iつl/  †/ ̄ ̄ ̄ ̄/
  [__|_|/〉 .__/ 魔 法 /__
   [ニニ〉\/____/ http://darkelf.dip.jp/doubt/okinawa.html


我々の政府に対する要求は次の通りである。
1.沖縄県に対する皇民政策の廃止
2.思いやり予算の撤廃
3.軍事基地の撤去交渉を米国と進める。
4.復興予算案の盛り込み
5.沖縄の議席数を現在の4倍以上に増やす。
502日本@名無史さん:03/06/22 21:32
かの国では、確か12世孫だとか前王の友人だとかが継いだこともあったな・・・
503日本@名無史さん:03/06/23 15:29
新羅の第三十七代宣徳王(良相)は十七代奈勿麻立干の十世孫。
第三十八代の元聖王(敬信)は宣徳王の甥で、奈勿の十二世孫。
504日本@名無史さん:03/06/23 21:07
奈勿の十二世孫<<普通だったら赤の他人だろう。
505日本@名無史さん:03/06/23 21:41
ちょっと待て。継体のまえのオケ・ヲケ兄弟は逸話だという説があるし、
家臣が変わっていないというのはそれは天皇家と一緒で祖先を作り上げただけではないのか??
506 :03/07/03 21:58
            __,,,,_
            /´      ̄`ヽ,
            / 〃  _,ァ---‐一ヘヽ
         i  /´       リ}
          |   〉.   -‐   '''ー {!
          |   |   ‐ー  く< | ⌒☆
           ヤヽリ ´゚  ,r "_,,>、 ゚'}  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ヽ_」     ト‐=‐ァ' ! < 万世一系 逝ってヨシ!
          ゝ i、   ` `二´' 丿  \_________
              r|、` '' ー--‐f´
           ノ二ニ.'ー、`ゞ         ズビーシ
          Y´⌒` r‐-‐-‐/`ヽ、≡=─
          |; ⌒ :; |_,|_,|_,hに丿ヽ ≡=─
          .|: ; : : : .| `~`".`´ ´“⌒⌒)≡= -
          . |; ; ; ; 人  入_ノ´~ ̄ ≡= -
           l ; ;/   // /''  ≡=─


507日本@名無史さん:03/07/12 04:55
>>505
いや、ちゃんと、大陸や半島の史書とも同期している。
日本を含めて3者全てを捏造したと言うなら、話は別だが。
508日本@名無史さん:03/07/12 05:47
>>507 意味不明。
509山崎 渉:03/07/12 11:24

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
510日本@名無史さん:03/07/13 00:41
>>508
まずは、大陸と半島の史書よ嫁や
511日本@名無史さん:03/07/13 05:51
>>510
半島の史書って何だよ?
512山崎 渉:03/07/15 11:41

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
513日本@名無史さん:03/07/17 04:20
磐坂市邊押磐皇子の王子が生き残っていたことの方が奇跡に近い
514日本@名無史さん:03/07/22 21:24
もれも名乗り出てみようかな?
515日本@名無史さん:03/07/25 18:36
熊沢天皇ですな。
516日本@名無史さん:03/07/30 21:32
半島出身ですか?
517山崎 渉:03/08/02 01:20
(^^)
518日本@名無史さん:03/08/03 21:32
519ベンゼン中尉 ◆BENZENFG3I :03/08/03 21:45
河内の豪族説を支持する。
520日本@名無史さん:03/08/03 22:45
なんで
「継」「体」
つーの?
521日本@名無史さん:03/08/03 22:55
外から入って継いだから。
522日本@名無史さん:03/08/03 22:58
高円宮承子女王

継承することを予告
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
 ..iiiiiiiiiiiii》|             :::      |iiiii|
 iiiiiiiiiiiiiiii|,                     |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii,         ( ● ● )      .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii       》━━━━《       |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《    《《 \ ̄ ̄/ 》》   |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》   ̄ ̄  《《 》》》》》iiiii|
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii
524日本@名無史さん:03/08/09 20:44
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))     
  (   从    ノ.ノ         
   ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\                              
   |::::::  ヽ     丶.   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |::::.____、_  _,__)  ∠  どうせチョソの血統なら私を新しい天皇にしろ!
  (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー |   \________________
   (  (   ̄ )・・( ̄ i
   ヘ\   .._. )3( .._丿    
 /  \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ.   \__/\i/\_|    
|   ヽ       \o \  
|    |          \o \


525日本@名無史さん:03/08/09 20:45
まずいAAだな
526日本@名無史さん:03/08/09 23:13
AAクリソツやな
527日本@名無史さん:03/08/15 00:56
528山崎 渉:03/08/15 12:17
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
529日本@名無史さん:03/08/15 12:47


継体ってチョンなんだろ?

530日本@名無史さん:03/08/16 02:39
531日本@名無史さん:03/08/21 17:15
532日本@名無史さん:03/08/29 20:16
533日本@名無史さん:03/08/30 14:21
/⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ))     
  (   从    ノ.ノ         
   ( ./  ̄ ̄ ̄ ̄\                              
   |::::::  ヽ     丶.   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |::::.____、_  _,__)  ∠  どうせチョソの血統なら私を新しい天皇にしろ!
  (∂: ̄ ̄| ・ー |=|・ー |   \________________
   (  (   ̄ )・・( ̄ i
   ヘ\   .._. )3( .._丿    
 /  \ヽ _二__ノ|\
/⌒ヽ.   \__/\i/\_|    
|   ヽ       \o \  
|    |          \o \

534日本@名無史さん:03/08/30 15:26
テンパーは嫌だなー。
535日本@名無史さん:03/08/30 20:59
NHKすぺさる放送あげ

史上初 大王陵・巨大はにわ群発掘
http://www.nhk.or.jp/special/schedule.html
536日本@名無史さん:03/08/30 21:17
>>535
実況板では案の定素人わけのわからんレスが飛び出てるw
537携帯天皇:03/08/30 21:36
また大阪かっ!!!
538日本@名無史さん:03/08/30 21:39
鋼鉄ジーグ「ハニワ幻人め!ジーグブリーカー、シネェ!!」
539日本@名無史さん:03/08/30 22:08
なんかなんでもかんでも
無理やり半島や大陸と結び付けようとしてたね。
540日本@名無史さん:03/08/30 23:57
>>535
>今城塚古墳は、6世紀に大和王権を確立した継体天皇の墓である事が確実視されており・・・・
ほんとかいな?継体天皇の死体でもで出たんかいな?
541日本@名無史さん:03/08/31 00:07
http://www.nhk.or.jp/special/schedule.html

昨年12月、大阪・高槻市の今城塚古墳から、前代未聞の規模の埴輪(はにわ)
群が出土したことが発表された。武人、巫女(みこ)、列になって出土した馬の
埴輪など130体が、中国の兵馬庸のように整然と配列された形で発掘された。
 数、大きさともに史上最大のこの埴輪群は、仏教伝来以前の古代日本の実像
を解明する大きな手がかりとなる。しかも今城塚古墳は、6世紀に大和王権を
確立した継体天皇の墓である事が確実視されており、そうだとすれば日本初の
本格的な大王陵(天皇陵)の発掘となる。大和王権がようやく日本列島の統一
を成し遂げた当時の、権力構造、宗教、そして大陸、朝鮮半島の騎馬民族との
密接な関係などが初めて明らかになる。 さらに、卑弥呼を思わせる謎の巫女
像。騎馬民族の衣装を身につける貴人像。大王の宮殿をかたどった高床式の建
物。さらに力士、鷹匠、盾や鉾(ほこ)、傘などをかたどった様々な埴輪群の配
列は、古代の王宮の様子の再現、あるいは、現代の天皇家にもつながる古代儀
式を再現している可能性も出てきた。番組は、今城塚古墳から出土した埴輪群
の謎に迫るとともに、その配列をコンピューターグラフィックスで再現し、謎
の大和王権の実像に迫る。
542日本@名無史さん:03/08/31 00:08
>> 朝鮮半島の騎馬民族との密接な関係などが初めて明らかになる。

この、朝鮮半島の騎馬民族って、どの民族のことですか??
当時、そんなの存在してましたっけ?
543日本@名無史さん:03/08/31 00:16
NHK見逃した。
どんな内容だったの??
544日本@名無史さん:03/08/31 00:24
>>543
NHKサイトを参照してください。
http://www3.nhk.or.jp/omoban/
545日本@名無史さん:03/08/31 00:34
5世紀には倭が半島支配権を認められていたわけだが。
継体はその後の話で騎馬とかいわれても、なにをいまさら
というほかありませんな。
100年以上前にさかのぼるのならまだしも。
546日本@名無史さん:03/08/31 00:48
>>545
>>5世紀には倭が半島支配権を認められていたわけだが

誰が認めたの?
547日本@名無史さん:03/08/31 00:52
宋。半島の一部(新羅・任那・加羅・秦韓・募韓 )だけだが。
548日本@名無史さん:03/08/31 01:04
それに対する文句は無かったわけだな。
それから自称では百済も含むな。
549日本@名無史さん:03/08/31 01:19
お相撲さんがいっぱい出ていたよ。
550日本@名無史さん:03/08/31 01:21
お相撲さんも宗教みたいなものだったのかな?
551日本@名無史さん:03/08/31 01:22
中国の歴史書にも日本が朝鮮半島を支配していた資料
は出てきてもその逆は全く無い。
552日本@名無史さん:03/08/31 01:28
相撲は本来神事であってスポーツではないからね。
553日本@名無史さん:03/08/31 01:29
>>551
歴代の中国王朝は朝鮮王朝についての記述を削除しているらしい
554日本@名無史さん:03/08/31 01:34
>>553
どのような根拠があっていっているのですか?
555日本@名無史さん:03/08/31 01:36
100年前まで中国の柵封受けていて削除もなにも無いだろう。
自ら属国の地位を楽しんでいたのが半島ではないか。
556日本@名無史さん:03/08/31 02:13
>>553−554スレ違い

古代史におけるアジアの覇者「大朝鮮帝国」
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1059532822/l50
【歴史】奈良百済って一体何???【捏造】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1050959182/l50
557日本@名無史さん:03/08/31 03:09
>>550
シコを踏む事で地中の邪悪を祓っていたんだって言ってた。
558日本@名無史さん:03/08/31 04:08
>>550
地鎮、あるいは反バイ(門構えに下)としての四股
出雲族の伝統的な神事、

埴輪を司ってたのも出雲族の土師氏だし
559日本@名無史さん:03/08/31 13:03
>>542-543
中国では騎馬民族(五コ十六国)が乱立し、半島では高句麗が南下。
それで半島に騎馬文化が広まり、日本にも伝わった。
古墳からは、日本の伝統的なものと騎馬文化の融合がみられるという内容。
騎馬民族説的主張はなかったし、否定する内容。
つまり、日本の騎馬民族文化は半島からの伝播によるものと受け取れた。
560日本@名無史さん:03/08/31 13:04
しかし、あの様子では、発掘が完了するまであと何年かかることやら。
561    :03/08/31 13:31
八月三十日のNHKスペシャル見た!?

今城塚古墳・・・行ってみたい!!
562日本@名無史さん:03/08/31 20:17
この発掘が東日本だったら東京のメディアが大ニュースにしていただろうに、
こともあろうに大阪から発掘とは。
563日本@名無史さん:03/08/31 21:54
>>561
俺は行ったことあるぞ。
あそこは自由に入れて、墳丘部の上をテクテク歩いたぞ。
564559:03/08/31 21:55
ついでに言うと、邪馬台国→大和王権という内容だった。
565日本@名無史さん:03/08/31 23:30
ハニワ幻人age
566日本@名無史さん:03/09/01 01:17
鋼鉄ジーグをよべ!
567日本@名無史さん:03/09/01 04:05
バンバラババンババンバンババン♪
バンバラババンババンバン♪
568日本@名無史さん:03/09/01 04:06
おれがやめたら ババンバン♪ 
だれがやるのか ババンバン♪
569日本@名無史さん:03/09/01 05:05
いまにみていろハニワ幻人 全滅だ!!♪
570日本@名無史さん:03/09/01 06:17
走れ バンバンババン 
走れ バンバンババン
571日本@名無史さん:03/09/01 06:32
ビルドアップ バンバンバンバン ビルドアップ バンバンバンバン
バラバラバンバンバン ババンバ バンバンバンバン ババンバン
572日本@名無史さん:03/09/01 06:49
腕がとびだす バンバンバン 
足がとびだす バンバンバン
573日本@名無史さん:03/09/01 06:56
磁石の威力だ 鋼鉄ジーグ♪
574日本@名無史さん:03/09/01 08:11
>>541-564
とすると、そもそものそれら騎馬民族というのは、半島のものではないわけで、
大陸北方の文化が、半島を通り道として、日本列島にまで達したというわけですな。
575日本@名無史さん:03/09/01 09:08
騎馬民族っていう概念がそもそもおかしいんだよ。
一般に騎馬民族って呼ばれてるのは、遊牧民族のことでしょ?
576日本@名無史さん:03/09/01 09:29
高句麗では狩猟民族文化と農業民族文化が融合していた。
その影響は、否定はしきれないと思う。
あの、あぐらとイスは一種文明開化だったんでないかな。

日本では5世紀前半から高句麗の新文物をかなり受容しているが、正式な国交
は570年より始まる。
この年に高句麗の使者が北陸(!!)に漂着し、〈烏羽之表〉をもたらし,
王辰爾がこれを解読したという。
この説話の意味については諸説があるが,この表は大和王朝が外国より受け
とった最初の国書である。
この時期の高句麗と日本との関係は、文化交流が中心で、595年に高句麗から
渡来して聖徳太子の師となった慧慈や、610年に顔料や紙墨を伝えた曇徴など、
6世紀末以降の僧侶の活躍がとくに注目される。
577日本@名無史さん:03/09/01 10:56
>>563
昔から掘れば埴輪が出ると一部で有名だった
小学生の頃よく掘ったよ
578日本@名無史さん:03/09/01 17:29
NHKで今晩、再放送。
579日本@名無史さん:03/09/01 18:22
継体天皇の出身地って近江じゃなかったっけ?
越前は母親の地元で、父親が亡くなってから
行ったんでは?
580日本@名無史さん:03/09/01 18:29
>>579
『日本書紀』では越前三国、『古事記』では近江となっている。
581日本@名無史さん:03/09/01 19:21
継体の先祖で応神の子って、崇神が北陸に送った四道将軍のひとりじゃないの?
つまり、崇神=応神で、崇神〜応神の業績は、応神〜断絶までの業績だったが、
継体への皇位継承への反発を和らげるために架空の崇神を捏造し、崇神〜応神も
捏造(応神は実在で、史書の中では初代天皇)。日本武尊は雄略天皇のこと。
今度は、辛酉なんとか説のために神武〜崇神を捏造する必要が生じた。
四道将軍の子孫である事実を隠したのは、本当に派遣したのは崇神ではなく、
実は応神(=崇神)だという史実が明るみに出ると困るから。
582日本@名無史さん:03/09/02 00:12
そろそろNHKスペシャル再放送開始あげ!
583日本@名無史さん:03/09/03 22:50
>>559
>古墳からは、日本の伝統的なものと騎馬文化の融合がみられるという内容
>日本の騎馬民族文化は半島からの伝播によるものと...
融合でなく並存ね。埴輪の造形面から、従来文化例としては巫女の貫頭衣と跣足を、
騎馬文化例としては王権後継者の前合せの上着と革靴履きの胡座姿を例示していた。
放映の通り、今上帝の大嘗祭の祭具からの類推で、この埴輪群像が被葬者から後継者への
王権継承儀式の再現とすると、継体後継の安閑または欽明の母体勢力は、騎馬民族文化の
伝播者、即ち半島からの渡来人ということか。
小林恵子氏の説は、欽明=加羅諸国の王家出身者だったかな。
584日本@名無史さん:03/09/04 00:33
>>583
「小林恵子氏の説」って、おまえには羞恥心すらないのか?
“藤村由加”の『人麻呂の暗号』とか、李 寧煕の『もう一つの万葉集』を挙げるようなものだ。
585日本@名無史さん:03/09/04 01:20
>小林恵子氏の説は、

( ´,_ゝ`)プッ
586日本@名無史さん:03/09/04 07:58
継体天皇は
http://mentai.2ch.net/history/kako/980/980907202.html

継体天皇って先代達と血つながってんの?
http://mentai.2ch.net/history/kako/997/997471414.html


587日本@名無史さん:03/09/05 01:19
301 :10代目 ◆DpPTJAuQVk :03/09/04 22:06 ID:CqnB15YQ
継体天皇陵から発掘された高官の埴輪達は、大陸風の服を着ていましたが、
頭は日本式のミズラのままでした。どうやら、渡来した騎馬民族達は、文化は
伝えたものの、政権の頂点には立っていなかったようです。あと、力士の姿は
なぜか今とまったく同じでした。
588日本@名無史さん:03/09/05 01:25
NHKも凄いよね、ついに天皇騎馬民族説を軽く取り上げるなんて。
589日本@名無史さん:03/09/05 01:29
>>588
騎馬民族説を否定する内容だったけどな。
もっとも、もはや学会でそれを認めている奴は変人扱いで、
忘れ去られた珍説として沈んでいった。江上本人も死んでしまったし。
さよ〜なら〜、朝鮮人の希望の星・騎馬民族説。
590日本@名無史さん:03/09/05 01:36
NHKが天皇のルーツが朝鮮系
である事放送できたのは凄い事だと思うけど。
591日本@名無史さん:03/09/05 01:43
騎馬民族説はもう学会では相手にされていないな。
天皇のルーツが朝鮮系であってほしい香具師がいるようだが。
592日本@名無史さん:03/09/05 01:54
違うの陵墓発掘すれば、きっと面白いのが出てくると思うの。
ルーツが朝鮮系って今の天皇家恥ずかしいのかな?
天智天皇の時点で母系は朝鮮人ってヒロヒトは認めてなかったけ?
593日本@名無史さん:03/09/05 02:04
>>592
お前の知識はまちがいだらけ。陵墓は江戸時代までに盗掘されまくってカラっぽ。
母系が朝鮮人(の子孫)というのは天智じゃなくて桓武。
しかもヒロヒトが認めたのはその話とは別の騎馬民族説。
ただしヒロヒトは歴史学者じゃないから大して意味はない。
594日本@名無史さん:03/09/05 02:49
「最近寂しくって」って江上宅に天皇からちょくちょく電話がかかってくる
って、あの話?
595日本@名無史さん:03/09/05 02:53
>>587
>継体天皇陵から発掘された高官の...頭は日本式のミズラのまま...
継体〜欽明朝の半島からの渡来人高官というと、蘇我稲目のことかな。
596日本@名無史さん:03/09/05 03:02
間違いだらけで、ごめんなさい。
継体天皇(この名前も意味深)の周辺掘っただけでも面白い発掘物が出た。
天智と天武の皇位継承の謎。桓武は母方が始めて朝鮮系である事を記録された人。
ヒロヒトでなく現天皇発言かも。
夜も遅いので、教えて下さい。
ただ、昨今の北朝鮮には腹立つ人間だから誤解しないで
597日本@名無史さん:03/09/05 03:12
暇だったら読んでみ。
高野新笠の意味もわかる。

ビブレ博士の「聖書と日本」
http://www.geocities.com/Heartland/Lane/7662/nihon/nihon00.htm
日ユ同祖論が真実ならば・・・。
http://mentai.2ch.net/min/kako/989/989770047.html
【ロマン】日ユ同祖論が真実ならばPart2【妄想】
http://academy.2ch.net/min/kako/1018/10186/1018626657.html

『日本の中のユダヤ文化』 7月29日発売予定
久保有政著/ 950円(税別)
http://www.gakken.co.jp/mu/books.html
598日本@名無史さん:03/09/05 03:28
教えて頂いてありがとうございます。
ただ、感想はもう少し読み込んで、資料ありがとうございます。
599日本@名無史さん:03/09/05 03:30
チェ・ビョンソプ教師・日本の錦織校長、説話CD-ROM共同制作
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/dm2003080522915.htm
(中略)
>この童話は三国遺事に登場する延烏郎・細烏女と日本書紀のスサノオ(素盞嗚尊)が、
韓国から日本に渡って日本人に多くの文化を伝え、信任を得て王になる背景と過程を描いた。


韓国人だけならまだしも、日本人教師が協力してるところが情けない……

600日本@名無史さん  :03/09/05 04:18
連合国総司令部(GHQ)の担当官として終戦直後の日本に駐留し、後にハーバード
大学教授となったエドワード・ワグナー(朝鮮史)は、『日本における朝鮮少数民族』
(原著1951年)という論文で次のように記している。

『戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。数におい
ては大いに減ったものの、朝鮮人は、依然として実に口喧しい、感情的・徒党的集団で
ある。かれらは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとせず、かえって戦勝国民の仲間
入りをしようとした。朝鮮人は、一般に、日本の法律はかれらに適用され得ないものと
し、アメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。そのため、国内に
非常な混乱をおこした。』
三国人の不法行為
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6199/sangokuzin.htm
601日本@名無史さん:03/09/05 08:41
>>590
単に相手にされてないだけであって、タブーでもなんでもない。
602日本@名無史さん:03/09/05 20:35
天皇には故郷の全羅北道にお帰りいただこう
603日本@名無史さん:03/09/05 20:40
>>587
「みずら」は日本式と言えるのかな?
604日本@名無史さん:03/09/05 20:43
百済人の血が2、3滴混じっていたからといってそれがどうしたというのだ
605日本@名無史さん:03/09/05 20:44
そういや、中国北東部や朝鮮半島の壁画や人型土器とかも、
みずらって結ってるのかな?
606日本@名無史さん:03/09/05 22:26
>>604
百済王家は、百済人じゃなくて、よそから流れついた一族。
607日本@名無史さん:03/09/05 23:37
>>602
なんで全羅北道なんだヨ。百済のこといいたいのなら場所ちがうよ・・・・
608日本@名無史さん:03/09/06 07:33
>>607 全羅北道だって旧百済領域だろう
609日本@名無史さん:03/09/06 10:10
>>589
>騎馬民族説を否定する内容だった...
どの場面で否定してましたっけ。埴輪群像の服装分析場面では、男性高官は
えり服と靴から、騎馬文化を体現と説明されていましたよ。
”大陸、朝鮮半島の騎馬民族との密接な関係などが初めて明らかに..
 卑弥呼を思わせる謎の巫女像。騎馬民族の衣装を身につける貴人像..”
NHKスペシャル 8/30(土) 21:00-21:50 史上初 大王陵・巨大はにわ群発掘
http://www3.nhk.or.jp/omoban/main0830.html#04
http://www.nhk.or.jp/special/libraly/03/l0008/l0830.html
610607:03/09/06 11:54
>>608
わかってるよそのくらい。608は602と別人なの?同一人物なの?

んなこといったら京畿道・忠清北道・忠清南道・全羅北道・全羅南道どれも旧百済領域だろ。
その中で602はどういいうわけで格別に全羅北道だけをさして天皇の故郷といってるのか???
もしかしたら百済とは関係ない別の話をしてるのかも知れないが・・・・???
611日本@名無史さん:03/09/06 12:43
>>609
明らかに、単なる「文化の伝播」によるものという内容だったろ。
おまえ、理解力なさすぎ。
612日本@名無史さん:03/09/09 01:21
>>611
>単なる「文化の伝播」...
って、騎馬服がひとりでに、海を渡ってくるわけがない。それを着た人間が
海を渡ってきて、大和政権を簒奪したとまでは判らないが、政権に参入したからだろう。
613日本@名無史さん:03/09/09 01:23
>>612
半島に倭人がたくさん住んでいたんだよ。バーロー!
614日本@名無史さん:03/09/09 02:55
>>611-613
日本書紀に帰化人がたくさんでてくるじゃん。
そいつらが大陸の文化もってたから重宝がられたわけだろ。
明治の御雇い外国人みたいなものかと。

それに613のいうように、日本書紀に引用されてる百済三書にも(日本にも帰化人がいたように)
百済王に仕えてた倭人系百済貴族が出てくるし、任那に駐在してた日本の貴族もいたわけで
活発な交流があったことがわかる。
そういう情況で、軍事技術にような生死存亡にかかわる文化は、あっという間に伝播するのが当然。
別に騎馬民族に征服された証拠になどならない。

それに騎馬民族征服説は出発地から途中経路まで、まったく記録がなく
文献で跡付けることができない。ただの憶測説で、思いつきの域を出てない。
615日本@名無史さん:03/09/10 00:25
>>614
>大陸の文化もってたから重宝がられた...
程度の関わりでは、継体後裔の天智朝での白村江の水戦大敗まで至る百済への肩入れ
ぶりは、百済王家と親戚または姻戚じゃないと説明がつかないね。
天智朝廷に、自国の滅亡をきたしかねない唐との戦までして、百済を掩護する親しさを
抱く勢力があったわけだよ。

>騎馬民族に征服され...
たのではなく、高句麗から南下してきた騎馬文化を百済以南の諸国が受容したんだろ。
616日本@名無史さん:03/09/10 02:34
>>615
それじゃあ、百済が倭に王子を人質に出したりしたことは説明がつかん。
単純に、百済・新羅・任那は倭の属国だったんだよ。
倭国王は中国皇帝にその承認を求めていた。
しかし、新羅は倭に反旗を翻した。だから、倭の半島における勢力を守るため
組む相手は百済となったのさ。任那は統一国家じゃなかったからね。
617日本@名無史さん:03/09/10 02:34
>>615
その通りだね。
朝鮮戦争にアメリカが参戦するなど、アメリカが韓国との姻戚関係が無ければ
説明がつかないね。
618天武天皇です:03/09/10 05:46
こんにちは天武です。 皆さん、私達が作った古事記や日本書紀
から、色々推測されているようですね、感心しました。
しかし、少々継体帝の件でピントが外れているようなので
ヒントを差し上げましょう。

「八色の姓」 ご存知ですか? 記紀編纂の頃作られたその後の日本の貴族の運命を
決定付けた、身分制度です。 ここで日本で一番位が高いの身分は何に設定されてるか
ご存知ですか?「真人」といいます。 
真人= 継体天皇5世内の皇別氏族 限定

いいですか、時の最高権力層 真人 の時に 編纂された記紀において
真人をほかの皇族と別ける、継体帝とはその要の帝なのです。
したがって、記紀の意図は継体帝は脇役ではなく、最も重要な意味を持っていると
お考えください。 我々が皇紀をどう記述したかったのか・・・・
619天武天皇です:03/09/10 05:57
続きです。

継体帝は 八色の姓が制定される685年から150年以上まえの方です。
不思議ではありませんか?
我々にとって、継体帝だけがなぜシンボリックな存在となったか?
継体帝からの血の濃さが、貴族の優劣を分ける事のどこに
貴族にとってのコモンセンスがあるのか?

ところで、皆さん 継体帝に注目を集めている理由は、
むしろ、皇統の血統をネガティブに捉えたいからのようですね、
よくお考えください、我々は神代からの系譜を誇って皇統として
その記録として記紀を編纂しているのです。 わざわざ最も
重要な継体帝の記録で皇統の断絶を意図した記録を残すと
思いますか? 

皇統の継続証明のための記紀において
皇統の分断をあえてギリギリの線で記述する 意味。
620天武天皇です:03/09/10 06:18
続きです。

継体帝の記録の前に、武烈帝の話をしましょう。
武烈帝には、大変申し訳ないことをしました。
妊婦の腹を割いた悪逆非道な帝 などと記述してしまいました。
まあ、記紀の編纂にあたっては、書官は代々漢人の仕事なので
漢史に習ってしまいました。
しかし、我々は武烈帝の血を継いでいることにはあってはならない
相当な理由があるのです。 皆さん継体帝が皇統か否かに
注目していますが、むしろ重要なのは、
我々が武烈帝の血を継いで居ないということなのです。

我々が、記紀において最も注意を払ったのはそこです。
「我々は 武烈帝の血はついでいない」 そのストーリーを
断絶を帝に稀代の悪帝になってもらう事で自然と表現したのです。
これによって、我々と血がつながっていないのは仁徳から武烈となります。
皇統は、応神から継体が繋がればそれでいいのです。

仁徳 允恭 安康 雄略 武烈  
この5帝には、栄光ある皇統からは異例の存在とさせて頂きました。

神代から応神を経て継体に至り私に至るのです。
なぜなら、私は天下の 天武天皇だからです。
621●のテストカキコ中:03/09/10 06:24
http://ula2ch.muvc.net/ (このカキコは削除しても良いです)
622天武天皇です:03/09/10 06:30
皆さん、まだピンとこないようですね、
いいですか、私の頃はアジア外交が全ての時代なのですよ
鎖国などしてないんです。
先代のころからは、北系の民族王朝 隋に 天子宣言したばかりです。
内、外に 天子の皇統を知らせる時期なのです。

漢書をもってくる漢人もおります、400年代の倭王は5代にわたり
南朝に臣位をもらいに言ったそうじゃないか!などと言われてしまいます。
でも、もう南朝なんてないんですよ、南漢の大将軍位なんて
皇統にとっては、今では恥辱以外の何者でもありません。

ですから、内外に私の皇統が何人の下になったこともない神代からの
皇統であることを証明するために、 記紀を記録したのです。
倭の五王のことなど書わけがありませんが、物知り顔で言ってくる
連中を牽制するためにも、その王と私とは系譜が違うことだけは
キチンとかかなければならないのです。
623天武天皇です:03/09/10 06:38
何? 本当はどうなのかって?
野暮なことを聞かないでください。

私がなぜ、この時代に蘇り書き込んでいるかというと
そんな我々の意図とは違う、皇統に関しての話となってるからです。

倭の五王と継体帝以降と皇統が違う、その前提で
私は、継体帝をシンボルとする新しき身分制度
八色の姓を設けたわけです。

それでは皆さんご機嫌よう
624日本@名無史さん:03/09/10 12:04
何を言いたいのやらさっぱり・・・
625日本@名無史さん:03/09/10 22:27
天武さん お疲れ様です

つまり、内外に対して、南朝の部下だった王統は
自分とは別の王統であるという事にしたかったのですね
そう言えば、記紀では全くふれてませんもんね、


626日本@名無史さん:03/09/11 04:16
八色の姓の真人が、継体帝との血の濃さで決まってるってのは
面白いな、というか、これを見たらもう継体帝は始祖だけど、
それ以前は、いないもしくはカウントしないって
はっきり言ってるようなもんじゃん
627日本@名無史さん :03/09/11 19:14
真人をもらった氏族
守山公・路公・高橋公・三国公・当麻公・茨城公・丹比公
  猪名公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山路公

茨城、丹比は継体皇女がその祖だったような気もするけど
息長氏は、敏達から皇統に関ってくるんじゃなかったっけ?
628日本@名無史さん:03/09/11 19:51
八色の姓が制定されたと同時に急いで出したのは、真人だけ。
その後も結局、下位3つは誰にも出されなかった。
ここから、そもそも真人を設定して、皇族の中に上下関係を作る事
が目的だったのは明らか。

なぜ継体帝をポイントにしたのかは不明だが、
継体ゆかりの地方豪族を真人とするなど、恐らく当時
列島全体の豪族の中から、皇統を設定するための処置だろう
あらゆる古王ゆかりなら俺も俺もとなってしまう。
629日本@名無史さん:03/09/12 00:58
武烈には子供がいないんだから継体以降が武烈の血をひいてないのは当たり前。
仰々しく特別の意味があるようなことをいってる奴は電波。

しかし欽明天皇以降には「仁徳〜武烈」王朝の血は女系で入ってることは
記紀に明白な記述あるわけだが、なんで「血をひいてない」とか言い張ってるのかねー
630日本@名無史さん:03/09/12 02:35
>>629
武列に子供がいない て歴史は、
天武帝が書いたんだろ。

このスレの主題じゃん。 
武列の悪王記載 = 易姓革命の最後の皇帝と全く同じ
つまりその歴史が、天武朝に都合が良いからってのは確か。
俗説は、完全な別王朝への易姓革命があった という説。
しかしそれでは、周辺の臣の変化が乏しすぎる。
上の天武天皇の話は、「倭の五王が恥ずかしくて血をつなげたくないから」
という新説  つまり本当は血がつながってるかも・・・てこと


631日本@名無史さん:03/09/12 19:30
>>630
「しかしそれでは、周辺の臣の変化が乏しすぎる。」ってのもどうかな?
継体擁立説話こそ連姓豪族が跋扈しているが、それ以前は影が薄いよ。
もちろん、例外はあるけど、連姓豪族は継体と同時に表舞台に登場した感があるね。
632日本@名無史さん:03/09/13 05:54
面白い流れになってきてるね、ユージュアルサスペクツという映画のようだ。
天武はなぜ、武列を易姓革命の皇帝のように悪玉と記載したのか?

(記紀や八色の姓制定前の天武の環境)

説1 継体帝以前の古王の系譜を称する大豪族が列島に溢れていた。
   継体以前の皇統を切る事で、5王からの大豪族を切りたい!
   しかし、皇統が切れてはまずいので、応神からつなげよう。
    説1−A 実は武烈とも繋がっている。
    説1−B 実は応神からも繋がってない。
    説1−C どこかで繋がってるのは本当だと聞いてるが、
         応神と繋がってると決め付けたのはこじつけ

説2 日本と称し神聖の天子としてアジアにデビューしている以上、
   倭の五王としての南朝の大将軍位の皇統は別としなければならない
    説2−A 実は武列と繋がっている
    説2−B 実は応神とも繋がっていないので、倭の五王など関係ないが
         それでは皇統にならないので、応神以前を創作してつなげた
    説2−C どっかで繋がってるのは確かなのだから、最も都合のよい
         歴史にしよう

まあ、こんなもんかな
633日本@名無史さん:03/09/13 18:25
継体なんてワザとらしい名前からして、応神王朝とは別系統の北陸の土豪上がりのオッサン。
634日本@名無史さん:03/09/13 19:11
しかもチョン。
635日本@名無史さん:03/09/13 19:17
>>633
天武朝からすれば、記紀の継承記録は思うまま。
即ち、
”ワザワザ 断絶の継承記録をなぜ作ったか?”
 632の説1 のとおりだろう
636日本@名無史さん:03/09/13 19:33
「継」の字が王朝交代を意味するのは周知の事実
637日本@名無史さん:03/09/13 19:37
またループしてる。
638日本@名無史さん:03/09/13 20:10
「継体」なんて嫌味な名前にしたのは、記紀の下書きをさせられた下級役人の鬱憤。
天武朝が新興王朝であることは当時の人たちは皆知っていた。それにもかかわらず、
王朝の幹部は大王が万世一系であると記述するように役人どもに命じたのだ。
これに抵抗すると命がない、しかし、言いなりになるのは業腹ということで「継体」
なんて字面はもっともらしいが実は正反対の意味を持つ諡名を上申したところ、
バカな幹部のOKが出たというわけだ。
今でも、実務に長けたベテラン係長がキャリア組の課長・部長を適当に誤魔化すことは
よくある。これが天武朝以来の日本の下級公務員の伝統なのだ。
639日本@名無史さん:03/09/13 21:10
「継体」という名前が作られたのは日本書紀編纂のずっとあと。
「神武」以下歴代の天皇名が淡海三船(天智の曾孫)によって選定されている。
640日本@名無史さん:03/09/13 21:25
ワザワザ断絶の継承記録を・・・応神でつなげるあたりは、
説2 の方が説得力がある。 五王だけは許せんのだろ。

だって、祖父の代から隋に天子宣言して、プライド鼻高々の坊ちゃんだから
641>633:03/09/14 01:17
おい、チョン
証拠を出せよ。
642日本@名無史さん:03/09/14 01:19
あんまりグッと来ないね。このスレ
643日本@名無史さん:03/09/14 01:56
天武天皇 再降臨希望
644日本@名無史さん:03/09/14 02:16
前スレや前々スレの方がはるかにレベル高かったな。
このスレは素人のヨタ話ばっかり。
645日本@名無史さん:03/09/14 02:25
前スレは、既存の通説しかないだろ、
素人にはそれでも新しいかもしれんが
646日本@名無史さん:03/09/14 03:21
前スレは、既存の通説しかないが、
このスレは既存の珍説しかない。
厨房には素晴らしい新説かもしれんが
647日本@名無史さん:03/09/14 04:12
珍説でも新説でもいいんだけど、

単純に易姓革命ではなく、
応神から継体につなげた記紀にした意図
に筋が通る説であればいいよ
648日本@名無史さん:03/09/14 08:13
国史において、チョンである継体を応神五世の孫に仕立て上げたのは、皇統不易を宣言するため。
現天皇家=天武一族以外のものに大王の位を渡さないって国家としての意思表示だよ。
649日本@名無史さん:03/09/14 10:53
↑電波の典型例
650日本@名無史さん:03/09/14 21:03
現代人の考える筋に沿う必要があるのか?
651日本@名無史さん:03/09/14 22:10
>>648
オレも一時同じように考えたが、
それならば、継体前に栄光ある1万年の半島史を加えるだけですむのだから
ワザワザ、日本の応神につなげる必要がない。
従って、半島由来とは考えられなかった
652日本@名無史さん:03/09/16 19:45
>>651
オレも一時は同じように考えたが、
それならば、チョンの新羅だか高句麗あたりが日本皇室のご本家筋ということになり、
中国から見ると、属国のそのまた傍系となって、相手にしてもらえない。
従って、チョンの素性を隠し、応神につなげるしかなかったのだろう。
653日本@名無史さん:03/09/17 01:56
>>652
半島系なら、その事実が半島に伝承として残っているだろうが。
654日本@名無史さん:03/09/17 08:07
>>653
半島ではうだつが上がらないから日本にやってきたわけだ。
夜逃げ同然で来た連中だ、何の伝承も残っていないんだ。すまん。
655日本@名無史さん:03/09/17 19:32
うだつの上がらない奴らが半島に残ったんだよ。
ヘタレは海をわたるのが怖くて中華の奴隷でいることを選んだのさ。
大韓帝国時代の半島人の生活を見れば、やつらがヘタレであることは明らか。
656日本@名無史さん:03/09/21 02:01
>>652
そのチョンの悲哀は判らないでもないが、
それならば、新羅や高句麗のチョンが、 
応神系政権であると偽装するはずだね、

したがって、>>651が正解
657 :03/09/21 02:12
おいおい、高句麗はチョンではないぞ。
チョンとは異なる滅亡した民族だ。
高句麗は、かつて朝鮮半島を支配圏を広げていただけ。
新羅人の末裔だけがチョンだ。
支配圏が朝鮮半島にあった民族がチョン扱いされるなら、日本人もチョンになっちまうぞ。

658日本@名無史さん:03/09/21 02:26
>>657 えーーー何いってるんですか?

半島人の推移

倭人オンリー BC300
倭人← 漢人(楽浪郡) 
倭漢人←フヨ(高句麗) 
フヨ倭漢人←鮮卑(唐)
鮮卑フヨ倭漢人←モンゴル人(元)
蒙古鮮卑フヨ倭漢人←満人(清)
ちょ〜〜〜ん誕生

これが、チョンですよ
659日本@名無史さん:03/09/21 04:24
>>658
えーーー何いってるんですか?

じゃ清の血が入るまではちょ〜〜〜〜んは存在しなかったのでつか(w
元冦で攻めてきた高麗はちょ〜〜〜〜〜んではないわけでつか(w
660日本@名無史さん:03/09/21 04:46
>>659 あながち間違ってないかも・・・。半島の怨嗟は近年になってからだし。以前はそんなに日本人に対してギャースカ言ってないぽ
661日本@名無史さん:03/09/21 04:47
>>659
あーそれ、まだ、本物のチョンとは言えないな、
発酵具合がまだまだ 原料の倭人らしさもまだあるだろうし
本物は、さらに色々まぜて800年くらい発酵させなきゃ

ちょ〜〜〜んにはならない
662日本@名無史さん:03/09/21 10:16
>>656
その考え方も分からんではないが、
人一倍負けず嫌いで、東アジアではチョン=兄、日本=弟だと言い張るチョンが
わざわざ自らを応神の一系統と名乗ることもなかろう。
したがって、651と652のどちらが正解なのか検討中。
663日本@名無史さん:03/09/22 00:43
>東アジアではチョン=兄、日本=弟だと言い張るチョン
そんな謙虚なこというわけないだろ。
中国=父 朝鮮=母 日本=子供
っていうのが連中の認識だ。
664日本@名無史さん:03/09/22 01:13
>>654
おまえ、イギリス王家に同じこと言ってからにしろよ。
665日本@名無史さん:03/09/22 01:14
とりあえず、ウィリアム王子に皇位を兼ねてもらってからだな。
666日本@名無史さん:03/09/23 14:24
何も継体自身が目標をもって朝鮮から越前に侵攻してきたわけではない。
最初は父祖が流民として若狭あたりに上陸し、その後も方々をさまよって
数代の後にやっと草深い越前地方では名を知られる存在になったのだ。
継体にとって父祖の真実の姿はいわば屈辱もの。ノルマンディー公とは
チト違うだろう。
667日本@名無史さん:03/09/23 16:03
>>666
何でそんな胡散臭い奴を大和の豪族は受け入れたんだ?
668日本@名無史さん:03/09/24 18:29
>>666
一介の流民がわずか数代で尾張・近江・越前にまたがる大勢力を築き上げたのか?
それ以前の旧勢力との間にさぞかし大戦争があったんだろうな(w
あ、そんな輝かしい歴史は万世一系を演出するために抹殺されたんですか、あっそうですか(w

電波説って、思いつきでなんでも言えるから気楽でいいね。
669日本@名無史さん:03/09/24 18:40
古代から歴史上一度も、列島より栄えた事がないのに、
なんで、半島勢力から日本列島の王が出るというのに、説得力があると思うのか?

チョンはアホとしか思えん。 せめて大古墳のひとつでも作って欲しい。

半島にそれなりの勢力があったなら、半島から来たことを誇ればいい。
なぜなら、 記紀なんて、半島から渡ってきたという漢人が代々書記官で、
彼ら自身、記紀でカミングアウトしてるんだから、
ワザワザ隠す理由は何もない。
670日本@名無史さん:03/09/24 18:52
その昔さ、NHKの大河だったかなんだったか忘れてしまったんだけど、天皇という地位の上に天皇とその近従以外は会えない人が居たっていってた。んでそれは大王(おおきみ)なんだってさ。これはどういうことだろう・・・。

ちなみに、そのことで右翼団体から猛抗議にあったらしい。しかもその数週間前後だったか、NHKの放送終了時間に君が代が途中で途切れる不始末があって、火に油(どちらが先かわからんが)そそいだそうな。
671日本@名無史さん:03/09/25 11:36
ガキ大将じゃないんだから、大戦争によって旧勢力を打倒した歴史なんか
何の役にも立たない。それが神のお導きによるものなら別だがw。
単に腕っ節が強いことを国史に記載する価値はない罠。
672日本@名無史さん:03/09/25 15:49
まず大戦争とやらが実在した証拠はないんだろ。
証拠は抹殺された、なんて朝鮮人の捏造パターンと発想同じだね。
673日本@名無史さん:03/09/25 22:12
ヤマト土人の面子もある程度立つように記紀に記述してやったのが間違いだった。
いまだに応神五世のシャレを真に受けて歴史を読み取れない輩がいるようだ。
朝鮮は偉大なんだよ・・・

674日本@名無史さん:03/09/27 23:39
天皇の先祖はどこから来たの?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1050193629/440-500

↑継体帝は漢皇帝の順帝説はどうでつか?
675日本@名無史さん:03/09/28 10:24
5世紀終わりの順帝がいつまで生きてる?
676日本@名無史さん:03/09/28 15:53
順帝は466年生まれだろ、継体没が530-40年あたりだろ
65才か70才なので、 同時代制はあるね。

継体帝以降、急激に漢化してるのは禿同。
677日本@名無史さん:03/09/28 16:33
チョン説の次はチャン説かよ
678日本@名無史さん:03/09/28 16:59
荒唐無稽のチョン説よりは、
筋が通っているからいいんじゃないの
679日本@名無史さん:03/09/28 17:50
>高句麗はチョンではないぞ。

そうチョソ以下の騎馬民族(笑

そもそも日韓で兄弟争いなんかしてるところに
東夷の野蛮ぶりがよく現れているな。

アジアといえば中国。これ現実アルヨ(笑
680日本@名無史さん:03/09/28 20:00
あほか。高句麗はチョンでも騎馬民族でもない。
ろくな知識もないくせに煽りだけはやってみたいだな。ドキュン丸出し(w
681日本@名無史さん:03/09/28 21:03
「騎馬民族」という用語は、遊牧民でないフヨをさも遊牧民であるかの
ような印象を与えるために江上がデっち上げたインチキな用語です。
今時、こんな言葉は言わない。

なので例のNHKの番組は、たぶん確信犯だな。
プロデューサーかディレクターが在日なんじゃないの。
682日本@名無史さん:03/10/01 19:12
フヨってキバ民族でなかったのか。
馬には乗ってたんでしょ?
683日本@名無史さん:03/10/01 19:20
継体帝=順帝説を検証していこうではないか。

まず私は朝廷の連中が迎えにいった時に
侍臣を整列させ自身はゆったりと床ギにもたれ
天子の風格であったことに注目したい。
大和朝廷の連中さえ恐れをなしたその様子は
一地方豪族というより既にそれ自体小さな朝廷のような様子である。
684日本@名無史さん:03/10/01 19:46
>>683
検証?
685日本@名無史さん:03/10/01 19:53
継体天皇をめぐる謎は、まとめれば以下のように集約される。
(1).出自。すなわちこのHPの主題である、継体天皇はどこからきたのか?
(2).20年の間どうして大和へ入らなかった、あるいは入れなかったのか?
(3).継体天皇はほんとに新王朝の創始者か?即ち、現皇室の祖先なのか。

(1).から見ていくことにしよう。現在継体天皇の出自については大きく3つの意見がある。
?@.「古事記」を信用し、近江の国の豪族だったという説。
?A.「書紀」の記述通り越前から招聘されて皇位に付いたとする説。
それから、これは学会では賛同者は少ないが、
?B.新羅から渡来した王族の末裔であるという説。

3番目の説については出典がはっきりしない。何時の頃からこういう説が出現したのだろう。幾つかの「読み物」
風歴史本を読むとこの説が紹介されているが、何の本にそう書いてあるのか説明がない。おそらく後世になって、
皇族の出自も朝鮮半島であると強調したい歴史家によって唱えられた説だろうと思われる。勿論、時代を遡って
縄文末期、あるいは弥生前期までたどればその可能性は大いにあるが、それは日本人全てにあてはまる。
また、それまでの天皇家とは全く関係ない豪族が、地方豪族の力を結集し力ずくで王権を奪い、さもそれまでの
天皇家の系譜であるかのように「記紀」を捏造した、という説も現れたが、これまた出典がない。あいまいな
「記紀」の記述から想像はできるが、やはり記録されている内容を分析し大筋ではそれに沿うのが学問としては
王道だろうと思う。
さてそうなると、近江か、越前かという事になる。だが、現在の史学会ではこの問いに対する結論は出ていない。
歴史学や考古学以外の学者もこの問題に取り組んだりしているが、前述した「蘇我氏」との関係を捉えて「越前」
としたり、「近江」の安曇川周辺の豪族だった息長(おきなが)氏との関係で「近江」を唱えたりと入り乱れて
いる。私の意見としては、堺女子短期大学教授だった塚口義信氏が唱えていた考え方に近い。
(2).(3).の問いに対する答えも含めて以下に要約する。
686日本@名無史さん:03/10/01 19:55
第26代継体天皇は、越前か近江の出身であった王族の血統につながる彦主人と、これまた
越前か近江の出身であった振姫との間に生まれ、越前に居住していた。(後の蘇我氏との
関係はこれに起因すると考える。)また、近江の息長氏との姻戚関係も堅固であり、おそ
らく継体は越前に居住しながらも近江・河内地方と絶えず行き来していたと思われる。
(樟葉宮での即位、筒城宮・弟国への遷都、馬飼部首荒籠との交流などは、北河内に強く
継体天皇擁立を推す集団がいたと推測できる。)息長氏は元々近江の北西部を基盤とする
豪族というのが相場だが、実は北河内から綴喜郡にかけても居住していたと思われる。神
功皇后は別名、息長帯比売(おきながたらしひめ)といい息長氏の血統であるが、その祖
先の名には綴喜郡から来ていると思われるものが多い。またその子応神の妃も息長真若中
比売(おきながのまわかなかひめ)といい息長氏一族であるし、継体から数えて5代後の舒
明(じょめい)天皇にも息長足日広額天皇という別名がある。(系譜図参照)
さて、琵琶湖・淀川水系に力を持っていた豪族に支えられ継体は天皇となるが、当然奈良
にいたそれまでの王族につながるもの達は面白くない。王族とは言え直系でもない「遠い
王族」(応神の5世。あるいは5世の子)がいきなり天皇に即位するのである。「それなら
俺だってなれる」と考えた者達がいたとしても不思議ではない。むしろ古代にあってはそ
の方が自然である。おそらく、王権を巡っての争いが20年間続いたのではないか。危機に
瀕するたび、あるいは戦いにおける防衛上の理由で、継体は樟葉、筒城、弟国と遷都を繰
り返したと考えられる。大和盆地の勢力はそれほどに強かったのであろう。しかしやがて
その大和勢力も、越前・近江・淀川水系連合軍である継体軍門に降り、継体は即位から20
年後に、大和の磐余の玉穂宮へ入るのである。
687日本@名無史さん:03/10/01 19:55
継体が仁賢天皇(24代。武烈天皇の父)の娘、手白香(たしらか)皇女(武烈の姉)を妃
に迎えるのも、自らは王族の血統から遠いためあえて皇統の血を濃くしようとしたとも考
えられるし、あるいは、大和勢は仁賢・武烈の血を引く者こそ正当な王位継承者であると
いう態度を崩さなかった為、手白香皇女の生んだ欽明天皇(第4皇子)がやっと即位でき
るような年齢になった頃、やっと大和入りを許されたとも解釈できる。継体天皇は、我が
国で始めて生前に譲位した天皇としても知られているが、第一皇子の安閑(あんかん)天
皇に譲位した当日に崩御したとされているのはどうも作為臭い。安閑天皇の次は第2皇子
の宣化(せんか)天皇が即位するが、この2人の天皇は即位していないという説もある。
継体の次はいきなり第29代欽明天皇だというのだ。継体を擁立した大伴氏と、欽明天皇を
推す蘇我氏の対立がからんで、継体以後の王位継承も混沌としていて霧の中である。

安閑、宣化天皇は在位期間が4年である。継体天皇も大和入りしてからは4年で崩御するが、
大和入りの直後北九州で有名な「磐井の反乱」がおきる。この事件の詳細についてはまた
別の機会に譲りたいが、この反乱も継体の大和入りに対する反抗と見れなくもない。いず
れにしても、継体の即位・大和入りを巡っての期間は我が国の王権を巡る大混乱の時期だっ
たのは確かである。
継体陵は、彼と結びつきの強かった北河内の弟国(乙訓:現大阪府高槻市)にある。
688日本@名無史さん:03/10/02 11:13
>>687
謎の定義が既に理論的でないな

謎があるから、出目が疑われる のであって並列じゃない。
1 謎は、20年の話だけでない
2 5代目は殆ど他人
3 先代が、中華史の易姓革命と同じであり、易姓革命がありました
  といってるようである。
4 継体以前の倭王の南朝の臣位が記載されず無関係 となってる
5 継体帝以降、漢人の登用が激しく飛鳥も漢人の街である
6 継体帝以降、朝廷は漢文化となっている

継体帝に関しては、記紀は全くあてにならない。
1 記紀が編纂された天武朝は、姓制度が一新され江戸時代まで続く
  新姓制度の目玉は、継体帝ゆかりを真人(皇族)とみとめ、継体以前の王の血統では
  皇族とならない という制度となった 時に編纂されたものである
2 常識的に考えれば、その姓の皇統分けの正当性を証明するための記紀が
  編纂されているのである。そしてその分岐が継体帝なのだから、
  どれほど、継体が謎なのかわかるというもので、記紀の裏を読む必要がある

689日本@名無史さん:03/10/02 20:55
順帝説支持派です。
みなさんは継体帝の地元の越前地方に
彼の母が武烈帝の意に従わなかったため
うつぼ船に入れて海に流され
越前に流れついたという伝説があることをごぞんじでしたか?
690日本@名無史さん:03/10/02 21:01
>>689
知らない。何かに書いてあるの?
691日本@名無史さん:03/10/02 21:03
さらに継体帝のおやじの彦主人王を祭神とする
近江高島郡三重生神社の社伝によれば
このおやじは漁師をしていたらしい。
692日本@名無史さん:03/10/02 21:09
順帝説は、ロマンがあるけど、
南朝説そのものをデンパ扱いにしてしまうので、学問的には控えてほしいな

南朝の豪族一派っだろうってのは、ナショナリストには悪いが
十分ありえる、というか殆どそれしか考えられない。
南朝の豪族が百済に逃げてから倭に来たってのは、
定説に近いんじゃないの。それが天皇になったかどうかは全く別だが
693日本@名無史さん:03/10/02 21:23
南朝の遺臣が当時の日本に来ているなら
大和朝廷の連中がほっとくわけがない。

大和朝廷の重臣達がはるか越前まて出向いて額を地につけて
日本の帝位につくよう頼んだ継体帝こそそれだ。
694日本@名無史さん:03/10/02 21:27
明治天皇は欧米人だった!!

1 謎は孝明帝急死だけではない
2 孝明帝の顔も知らない明治帝はほとんど他人
3 明治帝即位以降、朝廷の政策が180度変わっており、秘密クーデタが
  ありましたと言っているようなものである。
4 明治帝以前の天皇の位牌が泉ニュウ寺に突返され、無関係となっている
5 明治帝以降、お雇い外国人の登用が激しく横浜も欧米人の街である
6 明治帝以降、政府は欧米文化となっている

1 皇室制度が改正されたGHQ占領下では、皇族制度が一新された。
新体制では明治帝ゆかりを皇族とみとめ、明治帝以前の宮家の血統では
皇族とならない、という制度になった。

2 常識的に考えれば、欧米支配の正統性を証明するために憲法改正が
なされているのである。そしてアメリカが昭和帝の帝位を保ったのだから
どれほど、明治帝が謎なのかわかるというもので、占領政策の裏を読む必要がある。
695日本@名無史さん:03/10/02 21:33
地元の伝説によれば即位以前の継体帝は
この地において治水事業に大いに貢献したらしい。
南朝もたしか治水事業に力をいれたとか
696日本@名無史さん:03/10/02 21:35
>>693
いやいや、順帝説がおもしろいのは、

1・武列が廃帝で、易姓革命がおきたように見えるのにも関わらず、
2・継体帝以前と以後で、忠臣に変化があまり見られず
易姓革命はおきてないように見える。

という矛盾を説明できるからだよ

半島や九州などからの勢力なら、戦争しないで受け入れられるように
帝位をついた事がありえるのか?ありえないだろう。 て話が、
もし、順帝その人なら、 倭王は代々の忠臣なのだから 
あ・・・・ありえる って事


697日本@名無史さん:03/10/02 21:38
>>693
あ・・悪い、同じこと言ってるのね
698日本@名無史さん:03/10/02 21:41
>694
なかなかおみしろい反論だね。
しかし、明治帝はどっか遠くからきて帝位についたわけでないし、
その当時は皇統でなければ皇位にはつけないのは常識でしょ。
継体帝の頃そういうしきたりというか
コンセンサスがあったかどうかはけっこうあゃしぃ。
699日本@名無史さん:03/10/02 21:51
継体帝のもう一つの謎は百済本記の
天皇家(継体帝の)全滅の記事だが
これは順帝説となにかつながるだろうか?
700日本@名無史さん:03/10/02 22:28
さらにアカデミズでもこの百済本記が継体帝をして
「天皇」と呼んでいることが注目されている。

また上宮記には継体帝をして「大公王」と記している。

やはりただの越前の田舎豪族ではない。
701日本@名無史さん:03/10/02 22:42
名前のオオドノ王というのもどうも本名でない。
おそらく、「大殿」と周りの人が呼んでいたのがそのまま名前にされたのだろう。
漢の皇帝であったとすれば本名は当然隠すはず。
702日本@名無史さん:03/10/02 22:56
>>699
何気におもしろそうな 話ですねーー 詳細希望
703日本@名無史さん:03/10/03 06:42
>>701
ヲホドなんですけど…
704日本@名無史さん:03/10/03 11:44
順帝説固まりつつあるね。
順帝説提唱者さん。
順帝の詳しいプロフィールをお願いできないでしょうか。
705日本@名無史さん:03/10/03 15:47
>>702
辛亥の年(531年)に日本の天皇、太子、皇子が皆死んだ。(「百済本記」)
706:03/10/03 16:36
順帝って誰だ?まずそれを教えろ。でないと賛成も反対もできない。
707日本@名無史さん:03/10/03 17:01
>>705
上宮聖徳法王帝説によると欽明天皇即位の年だね。
>>706
劉宋の最後の皇帝。南斉を興した蕭道成に追われて国を譲る。
708日本@名無史さん:03/10/03 17:06
順帝ってのは、

大将軍倭王武478年が、
「日本の王は代々漢の忠臣です、高句麗をなんとかしたいんですが」 
と使いを送った時の漢の皇帝。 都は上海あたりで倭と意外に近い
倭からの朝貢を最後に、翌年には 正史では、翌年、宋から斉に変わり、
この順帝は抹殺されたと想定されている。
一応、漢の高祖からの劉氏である。

廃帝を前提に皇帝にさせられたが11歳の時
一族皆殺しの運命がさけられそうもない事を自ら知っていただろう12歳の時
倭の大将軍がやってきた
709日本@名無史さん:03/10/03 17:20
中国では、禅譲にともない前王朝関係者は一族もろとも抹殺されてるケースと
辺境の地に飛ばされるケースがあるが、順帝については、明らかになってない

続く、斉や梁、陳は それぞれ 漢族であっても劉氏でないため、
漢の正当皇帝と曲がりなりにもいえるのは順帝が最後とされている
710日本@名無史さん:03/10/03 18:41
>順帝説提唱者さん

なるほど。ありがとうございます。
さて、例の百済本記には国内の資料よりも先に「天皇」が使用されています。
単純に考えると日本のオオキミは自ら天皇宣言する以前に
なぜか外国の百済から天皇という尊称で
呼ばれていたことになります。
711日本@名無史さん:03/10/03 18:47
古代の貿易港とはいえ越前の片田舎に住む
すでに老人の域に入ろうとしている人物に中央政権の実力者達が土下座してまで頼んむというのは
やはり尋常でない。
712日本@名無史さん:03/10/03 18:51
>>710
きっと、『百済本記』が書かれた『時』には、もう日本でも『天皇号』が使われてたんでしょう。
713日本@名無史さん:03/10/03 21:33
女子は出身氏族集団を終生離れず、子供は母親のもとで養育される。
手白香皇女の子欽明の父親は継体ではない。

714日本@名無史さん:03/10/04 21:30
>712
その可能性もあるがもう少し当時の記述を正確に写した資料とみなされてます
715日本@名無史さん:03/10/04 21:52
記紀記載の原典文官は、東漢氏だが、 この文官の東漢氏のルーツもまた、
応神帝からつれて来らたと記紀に記載されていて
そして継体帝も応神帝の5世である。
漢族と継体帝の共通のルーツが応神からみであり、これには意味があるはずだ

文官は自分の本当のルーツが、応神の世か他王の世か
自分達のルーツを記載しなければならない立場で、自由に記載できる立場である。

後の世で漢の霊帝の子孫をかたる東漢氏、文官が、
自分達は応神につれてこられたと、かつその応神の5世が、
自分達の帝、継体帝 と設定したのが、記紀である。
716日本@名無史さん:03/10/04 21:58
うむ、おもしろくなってきたぞ。
応神帝についても検討しよう。
スレありますか?
717古い人:03/10/04 21:58
>記紀記載の原典文官は、東漢氏だが

あっそうですか、はいはい(w

この東漢厨は最近2chのあちこちに出るようになったけど
コマ厨・順帝厨とならぶ新手の電波。
2chでは定期的にトンデモがでたり消えたり昔から繰り返してるわけで、
東漢厨もそのうち消えるだろう。
718日本@名無史さん:03/10/05 00:30
順帝説、衛氏朝鮮建国神話みたいでイヤだなぁ
719日本@名無史さん:03/10/05 01:32
>>717
寝ぼけてる?
東漢氏や秦氏は、渡来人の代表氏なのだから、
どこで出てきても不思議はない

朝廷の文官は代々東漢氏。というより地方の豪族を含めて、
漢人以外で書記だったものはいない。

720日本@名無史さん:03/10/05 01:52
>>719
もの知らずにも程がある。
721日本@名無史さん:03/10/05 02:00
>>720
どっちが正しいかはっきりしてくれ、
ソース希望
722日本@名無史さん:03/10/05 10:55
ソースも何も東漢氏が文筆、工芸の管理をしてたのは常識だろ。
自分で調べろよ。
723日本@名無史さん:03/10/05 11:01

という事は、
>>717 がお騒がせくん だったのですね?
724日本@名無史さん:03/10/05 19:48
717は自分の基礎知識がないもんだから
やたらソース出せとか相手を煽って解説させようとしつる
厨房だから相手にするな。
批判してる順帝説だって、おかしいと思うならちゃんと反論すればいいのに
ただ電波だって騒いでもねえ。
725日本@名無史さん:03/10/05 19:54
越の国の豪族がいかに力を持っていたか

726日本@名無史さん:03/10/05 21:15
継体のあの顔はどう見ても○○○なんだが・・・
727日本@名無史さん:03/10/05 21:34
ていうか、北陸の在日オヤジだろ。
728日本@名無史さん:03/10/05 21:52
オヤジというよりほとんどジイさん
729日本@名無史さん:03/10/05 21:54
すんません、どこに行けば携帯天皇の顔をおがめるのでつか?
730日本@名無史さん:03/10/05 22:19
東漢氏って、名前をみても もろ 東の漢人だもんね。

まあ、漢字なんて5世紀までは漢人以外記述できるわけないから、
日本の記録は、漢人のおもうがままの時期があったわけだよね。
東漢氏の野望! って本でもあると面白い
731日本@名無史さん:03/10/05 22:23
>729
どっか北陸の海沿いの国道かなんかに
石像が立ってるよ。
732日本@名無史さん:03/10/06 00:19
福井市足羽山に4頭身ぐらいの頭でっかち姿で立っておられます。
733日本@名無史さん:03/10/06 01:41
>>719 >>722
文官を務めていたのが専ら漢人であるというのには同意だけど、
東漢氏に限定してしまうのはちょっと乱暴では?

烏羽の表を解読した船史王辰爾などはけっこう有名だと思うけど。
東西の史らは表を読むことができず、天皇から叱責を受けている。
また彼の後裔である船史恵尺が、大化改新の時燃える蘇我蝦夷の邸内から
「国記」を取り出したなんて話もある(自ら編纂にあたっていたものか)。
なお船史には同族として津史、白猪史がおり、津史からは徳政相論で
有名な菅野朝臣真道が出てる。この三氏は当初西文氏の下に置かれて
いたけれど、のちに彼らより優位に立つ。
あと、三氏の出自だけど、『続日本紀』延暦九年七月条にみえる津連真道
(菅野真道)の表や『新撰姓氏録』右京諸蕃では、百済の貴須王を祖としている。
734717:03/10/06 02:44
バカバカしい、語るにも値しない電波がある。それが順帝厨=東漢厨。

なぜ漏れが反論しないか?ちょっと勉強すればおかしいってわかることだからだよ。
2chでいくら騒いでも素人を一瞬だませるだけで、いずれ忘れられる。むだ、むだ(w
しょせん思いつきレベルのトンデモ説、電波説なんだよ。2chの歴史が証明している。
735日本@名無史さん:03/10/06 03:36
>>726
> 継体のあの顔はどう見ても○○○なんだが・・・

見たことあんのかよ(藁
736日本@名無史さん:03/10/06 08:41
>>734
すでに、東漢厨は、厨じゃないことが判明したよ、
何をそんなに恐れてる?

ちょっと反論してミソ(w
737日本@名無史さん:03/10/14 21:23
はたして手白香皇女に子供を生ませるチ●ポ力があったのか疑問視する識者が多い。
738日本@名無史さん:03/10/14 21:38
確かになぞ。
資料がひとつもなし。
739日本@名無史さん :03/10/14 22:16
この辺の書紀読んでると
ほとんど大伴金村の独裁状態のような感じがするんだけど
740日本@名無史さん:03/10/15 06:56
大伴金村は武烈と継体の両方に仕えたことになっている。
そうすると、あの残酷天皇武烈は実在ということになる。
741日本@名無史さん:03/10/15 21:09
皇族将軍意富比(土へん+危)が崇神天皇の時、越国を平定するために派遣される。
742日本@名無史さん:03/10/19 06:47
平群氏(真鳥・鮪)倒して伸し上がったんだよね
743日本@名無史さん:03/10/21 16:05
>>742
平群真鳥って実質的な「日本の王」だったんだろうね。
蘇我蝦夷・入鹿親子とダブるので専横行為は創作された可能性もあるそうだけど。

大臣平群真鳥臣、専ら國政を擅(ホシキママ)にして、
日本(ヤマト)に王たらんと欲し、太子(武烈)の為にと陽(イツワ)りて、
宮を営(ツク)り、了(ヲハ)りて即ち自ら居(ス)めり。

『日本書紀』武烈天皇即位前紀
744日本@名無史さん:03/10/21 20:08
王だったかもね。
しかし、大王ではないね。
745日本@名無史さん:03/11/04 23:57
継体天皇って、皇位継承者についてのいい前例だよねっ!
746日本@名無史さん:03/11/05 21:19
「継」の字はそれまでの皇統とは無関係ということを表している。これが常識。
747日本@名無史さん:03/11/05 21:56
>>676
日本書紀に従えば、継体系の天皇の生没年は以下のようになる。
継体 450−531 享年82
安閑 466−535 享年70
宣化 467−539 享年73
欽明 507−571 享年65

何故か順帝と安閑の生年が一致する。w
748日本@名無史さん:03/11/05 22:11
>>747
全く一致しません。

68 :日本@名無史さん :03/10/20 10:51

劉准(469〜479)
字は仲謨。宋の八代「順帝」。在位477〜479。明帝(劉c)の三男。はじめ安成王
に封ぜられた。
元徽五年(477)、蕭道成が後廃帝(劉c)を殺して、かれを迎えて帝位につけた。
昇明と改元した。蕭道成が政務を専断した。昇明三年(479)、汝陰王に落とされた。
まもなく殺され、宋は滅んだ。蕭道成が斉を建てた。
749日本@名無史さん:03/11/05 22:25
なんだじゃあ>>676は間違いなのか。
ところで、南朝宋の劉氏って漢王室と血縁関係あるの?
宋の初代劉裕って元々あまり高い身分の出身ではないような気がしたけど。
750日本@名無史さん:03/11/05 23:08
その頃すでに劉氏なんて掃いて捨てるほどいたろ。
751日本@名無史さん:03/11/05 23:58
欽明は手白香皇女の子だが、携帯の子ではなかった。
武烈死後、成人男子の後継者がいなくて混乱した大和の様子を見て
携帯は僻地越前の在日という分際もわきまえず、中央に進出し、
安閑、宣化の一族もろとも返り討ちにあったのだろう。
752日本@名無史さん:03/11/06 00:21
リアリティーはまったくないけど、ストーリーとして面白いことは面白いな。
あえて不自然な展開をめざしてるところなんかがとくに。
753日本@名無史さん:03/11/06 17:29
継体天皇の名前・男大迹(ヲホド)は、彼の曾祖父・意富富杼(オホホド)の名前を受けたもの。
つまり、
意富富杼=オホホド=大ホド
男大迹=ヲホド=小ホド
というわけです。
754日本@名無史さん:03/11/06 19:41
雄略=オホハツセ=大ハツセ
武烈=ヲハツセ=小ハツセ
755日本@名無史さん:03/11/07 01:23
そういえば、武烈の名前は正しくは「ヲハツセワカサザキ」だね。
このうち、前半部分の「ヲハツセ」が、雄略の名前「オホハツセワカタケル」の前半部分に対応し、
後半部分の「ワカサザキ」が、仁徳の名前「オホサザキ」に対応するのは判る。

じゃあ、雄略の名前の後半部分「ワカタケル」に対応する名前(「オホタケル」?)を名乗る人名はないの?
756日本@名無史さん:03/11/07 03:18
ヤマトタケル
757日本@名無史さん:03/11/07 14:15
武烈って、応神王朝の聖帝・仁徳の名と、武名の高い雄略(武烈の母方の祖父)の名前を受け継いでいるのに、王朝の最後となるとはね・・・。
758日本@名無史さん:03/11/07 15:06
武烈は仁徳の嫡流(仁徳の長男の長男の長男の長男)。このことからワカササギと名付けられ。
そして雄略の血をひく人間の中で、ただひとりの男子。このことからヲハツセと名乗り。
759日本@名無史さん:03/11/08 18:29
武烈と継体は飲み仲間
雄琴でともに沈没したこともある
760日本@名無史さん:03/11/08 18:32
>>757-758
ていうか、仁徳と雄略の名前から思いついた架空の天皇だろ。
761日本@名無史さん:03/11/08 19:05
>>760
武烈は実在していると考えるのが普通だろ。
勿論、日本書紀に書かれている武烈の事績の大半は事実でないだろうが。
応神以降で実在を疑えるような天皇は基本的にいない。
762日本@名無史さん:03/11/09 02:01
讃・珍と済・興・武は、中国史書ではつながっていない
二つの別の王家。すなわち履中系と允恭系。
継体は後者の女系に属する。手白香を娶ることで
前者と後者の統合を果たした。まるでバラ戦争だな。
なんてゆうヴァカ学者もいる。
かと思えば、武烈や顕宗の実在を認めないアフォ学者もいる。
応神と仁徳は一人だというDQNもいる。
763日本@名無史さん:03/11/09 07:42
>>762
前者と後者の統合は、むしろ仁賢天皇と春日大娘皇女(雄略の娘)の結婚だと思うよ。
764日本@名無史さん:03/11/09 08:29
継体・安閑・宣化の皇后はいずれも仁賢の娘です。
で、さらに欽明の皇后が宣化の娘、敏達の皇后が安閑の孫です。
765日本@名無史さん:03/11/09 08:49
まあ、仁賢自体が架空の天皇なんで、あんまり意味ないけどなw
766日本@名無史さん:03/11/09 18:22
まあ、日本書紀が歴史書というより、検定済み国定教科書なわけだが。
767校長が強盗:03/11/09 18:22
この事件は報道されていません。教育委員会も校長を処分しません。
 皆様の力でこの事件を広めてください。
被害者先生のサイト
 http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8595/
 事件究明を求める署名サイト
 http://chiba_273.at.infoseek.co.jp/
   ∧_∧
  (  ^^ )< ひろめよう
768日本@名無史さん:03/11/10 04:31
>>765
てか、仁徳以降の天皇で架空説はあり得ないだろ。
769日本@名無史さん:03/11/10 07:02
清寧〜武烈の実在を裏付ける史料って記紀しかないんだよね。
これでは架空といわれても仕方ないな。
770日本@名無史さん:03/11/10 07:30
宋書和国伝……だめ?
771日本@名無史さん:03/11/10 07:35
武=雄略までの記述しかないので、清寧以降の証明にはならない。
772日本@名無史さん:03/11/10 13:11
>>769
しかし、雄略の死後、すぐに継体が即位という可能性が難しい以上、その間の期間を埋める天皇はいたはずで、それが記紀において清寧から武烈の4代として描かれていると考えるのが妥当でしょ。
773日本@名無史さん:03/11/11 10:42
大空位時代があったのじゃ!!
774日本@名無史さん:03/11/14 00:05
>>773
では、雄略はコンラート4世で、継体はルドルフ1世ですか?
で、武烈は大空位時代に神聖ローマ皇帝を僭称したインドランドの王族(名前失念)?
775日本@名無史さん:03/11/14 02:35
古事記や日本書紀の記述がへんだからといって、そのかわりに出してくる新解釈は
ほとんどの場合、古事記や日本書紀の記述より一層不可解な珍説であることが多い(w
776日本@名無史さん:03/11/14 22:02
>>775
例えばこういうのだね。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1068515525/23n

>23 :日本@名無史さん :03/11/12 12:36
>>>17
>応神から継体への系図を記した上宮記は、古事記・日本書紀より成立が古いので、記紀成立後に辻褄合わせでつくられたものではありません。

>ところで不思議なのは、上宮記における応神から継体への系図を信頼できないとする一方で、上宮記における欽明即位年の記述をもとに継体死後の2王朝対立説を主張する人がいることです。
>自分の考えと会わない部分では上宮記の史料的価値を否定しながら、都合のいい部分では史料的価値を認める。
>まさに支離滅裂ですな。
777日本@名無史さん:03/11/15 07:04
age!
778日本@名無史さん:03/11/16 09:19
在日だろ?
779日本@名無史さん:03/11/16 15:36
お前がな。
780日本@名無史さん:03/12/07 08:16
雄略天皇−春日大郎皇女−橘仲皇女−石姫皇女−敏達天皇−押坂彦人大兄皇子−舒明天皇−天智天皇
781日本@名無史さん:03/12/07 09:44
蘇我稲目-蘇我堅塩媛-桜井皇子-吉備姫-斉明天皇-天智天皇
782sage:03/12/11 03:30
物部尾輿ー石上贄古ー鎌媛ー蘇我入鹿
783日本@名無史さん:03/12/11 03:45
豊臣秀吉―豊臣秀忠―豊臣家光―豊臣光秀―豊臣家秀―豊臣藤家
784日本@名無史さん:03/12/14 01:57
>>769
>清寧〜武烈の実在を裏付ける史料って記紀しかないんだよね...
現実離れした挿話も含む記紀の記事から皇統譜をみると存在疑念もでてくるが、ここは
雄略朝から継体朝まで権臣の座にいた大伴氏の族譜からたどってみるのはどうだろう。
雄略によって権臣の座についた室屋、欽明朝で失脚の憂き目をみた金村。血の繋がりは
さておき欽明朝で、政権の権力構成が変わったのは、明らか。
785日本@名無史さん:03/12/14 02:07
室谷と金村の間が1,2代なのに、天皇の代数多すぎるもんね。
786日本@名無史さん:03/12/14 02:37
>>784
イエスの実在を裏付ける史料って聖書しかないんだよね。
これでは架空といわれても仕方ないな。
787日本@名無史さん:03/12/14 05:40
>>785
室屋、談、金村の3代。この期間、天皇は1雄略、2清寧〜仁賢、3武烈〜継体、4安閑〜欽明で4世代しかない。
雄略の晩年に室屋がまだ若かったとすれば十分に誤差の範囲内。なんの疑問もない。
788日本@名無史さん:03/12/20 03:45
第二十七代、第二十世、継体天皇は応神五世の御孫也。皇子第八ノ御子隼総別の皇子、
其子大迹の王、其子私斐の王、其子彦主人の王、其子男大迹の王と申は此天皇にまし
ます。御母振姫、垂仁七世の御孫なり。越前国にましける。武烈かくれ給て皇胤たえ
にしかば、群臣うれへなげきて国々にめぐり、ちかき皇胤を求奉けるは、此天皇王者
の大度まして、潜竜のいきほひ、世に聞え給けるにや。群臣相議て迎たてまつる。三
たびまで謙譲し給けれど、つゐに位に即給ふ。ことし丁亥の年也(武烈かくれ給て後、
二年位をむなしくす)。大和の磐余玉穂の宮にまします。仁賢の御女手白香の皇女を
皇后とす。
789日本@名無史さん:03/12/22 23:54
>>788
それ何?神皇正統記だっけ?
790788:03/12/26 01:59
YES
791日本@名無史さん:03/12/31 11:59
記紀を信じたところで8-10等親離れたやつなんてもはや赤の他人。
いくらなんでもそれより近い等親の王族が大和にいたはずなのに、
地方豪族に成り下がっていた人間が選ばれた。

なんで?
792日本@名無史さん:03/12/31 12:41
それはそいつが強かったから
793衣笠宮:03/12/31 15:10
>>188 ヨーロッパ的な考え方では、血が繋がっていても傍流の者が即位すれば王朝が変わる。
この考え方に立てば、伏見宮家出身の後花園天皇や閑院宮家出身の光格天皇は新王朝の創始者となる。
もちろん、継体天皇についても記紀の記述を100%と正しいとしても新王朝と言うことが可能となる。

少しニュアンスがちがうんじゃないの?
ヨーロッパの場合、たいてい女系の入り混じった傍流だから。
794日本@名無史さん:04/01/01 01:09
>>793
中国伝来の男系至上思想にとらわれず、>>788の応神五世の御孫也でなく、仁徳系王統の女婿と
みてはどうだろう。6世紀前半に、後代のような男系至上観が本当に支配的だったのかなあ。
795:04/01/01 02:04
限りなく他人に近い親戚の存在について、我が国では、信頼をおくひとは
少数派ではないか? 朝鮮半島では、本貫が同じ苗字の人は、結婚も出来ないほど
近い親戚にあるという幻想と言うか、妄想があるようです。継体帝の頃、
我が国の慣習に、朝鮮のような妄想があれば、継体帝が、親戚だと名乗り出て、
胡散臭い奴だと思われながらも、粘って認知を貰ったことは、継体帝の電波を
利用した戦略が勝利したと見るべきでしょうね。粘り抜いて帝位に就任したことで
事実は不問にされたのか? そのあたりが気になります。
 
継体帝は、親戚とは主張せずに、「この国の王になるために来た、文句あるか?」
とでも言って、新王朝を宣言することが出来なかったのはなぜか? を考えた方が
答えが出るような気がします。継体帝と違う反応を見せている、平将門を考えると、
継体帝は、体裁にこだわるところが、おかしいですね。将門は、「新皇」を宣言(本当かな?)
をしています。しかし、将門もまた、桓武天皇5世の孫のようなことも言っていますね。

796:04/01/01 02:19
 
 血統の優先を主張する例に、徳川氏の8代目襲名の際のごたごた
 があります。奇襲家の吉宗と尾張家の人とでは、尾張家のほうが、
 権現様(家康)に近いと思われていたのに、吉宗が襲名することに
 なりましたな。そこには、政治的な力学が働いたと見る人が、
 多いように思いますが、御三家設立の趣旨は、血統優先ではなかった
 のでしょうか? それとも、血統は、理由付けのための飾りほどのもの
 でしかないのでしょうか。
797:04/01/01 02:21
796〉
  ×奇襲家
  〇紀州家
798日本@名無史さん:04/01/01 22:42
>>791 それより親等の近い王族がいなかったんだと言われたら先が続かんな。 男は育ちにくいから姫様ばかりだったのかもしれん
799日本@名無史さん:04/01/02 00:00
>>791
>近い等親の王族が大和にいたはずなのに、地方豪族に成り下がっていた人間が選ばれた
のは、近在の王族を金村が招聘したにも拘わらず、辞退されたからとされております。
800日本@名無史さん:04/01/02 00:36
>796
紀州家と尾張家の当主の家康からの世代数を比べた場合
紀州家の吉宗のほうがより家康に近いからって理由だったのでは?
実際は藩政改革の実績がある吉宗と、バカ殿だった尾張の殿様の
能力の差を見たのかもしれませんが。
801日本@名無史さん:04/01/02 14:43
>>791,>>799
もっと詳しくガイシュツ
802日本@名無史さん:04/01/03 00:08
水戸は人
紀州は殿様
尾張は大根
803日本@名無史さん:04/01/03 07:44
>>801
200〜300のあたりに詳しい話があったな
804日本@名無史さん:04/01/08 18:10
★★★継体天皇は順帝だ★★★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1066224900/l50

こっち↑もよろ
805日本@名無史さん:04/01/12 01:54
越前の土豪に過ぎない。
806日本@名無史さん:04/01/12 02:09
>>805
サヨク必死だな
807日本@名無史さん:04/01/12 02:20
継体が即位できたのはもちろん先代の婿になったっていうのが大きいだろうけど、継体自身もやはり応神系の皇族だったと思うよ。
808日本@名無史さん:04/01/12 02:35
王朝交代があったのは事実
809日本@名無史さん:04/01/12 04:06
流れ者の子孫なのに大出世。
810日本@名無史さん:04/01/12 05:39
流れ者という証拠はない
811日本@名無史さん:04/01/12 06:59
◆◆君も歴史の目撃者!愚か者が再生産される瞬間!◆◆
◆◆とんでも与太話→→朝鮮半島内に倭地はなかった!
>436 :日本@名無史さん :04/01/12 05:06
>よくわかったよ。
>九州王朝説というのは任那日本府実在説と同レベルなんだ。
>この一語に尽きるよ。
>439 名前:日本@名無史さん :04/01/12 05:37
>漏れは九州王朝支持派でもないけど、任那日本府はあると思ってた。なかったの??


>440 名前:日本@名無史さん :04/01/12 05:52
>それが今は普通。

登場人物はすべて畿内派で、何度言っても朝鮮半島内に倭地はなかったと言い張るバカどもです

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072200231/2-
812日本@名無史さん:04/01/15 00:02
継体天皇は即位していなかった
ttp://luckymonsters.com/main.htm
813日本@名無史さん :04/01/15 19:29
真の継体陵と言われている今城塚で、
後円部南側に石室をついに発見!


814日本@名無史さん:04/01/15 19:49
応神大王は金官加羅から来て、大和王権に入り込んだ傭兵隊長

継体大王は半島から北陸に流れてきた敗残者の子孫の在日オヤジ
815日本@名無史さん:04/01/15 22:16
>>814
応神が金官加羅国出身とは初耳なんだが、墓誌でも発見されたのですか。
816日本@名無史さん:04/01/16 19:29
継体諸説 美人だった母振媛
http://homepage1.nifty.com/saizou/keitkosi.htm
 以前は、5,6世紀の越前は、日本の辺境の遅れた地と考えられていました。しかし福井平野で古墳の調査が進むに
つれ、その先進性と強大な勢力が明らかになってきました。
 九頭竜川が福井平野に広がろうとする松岡町と丸岡町の山に大きな古墳群があります。松岡町の手繰ケ城古墳、
二本松山古墳、春日山古墳、丸岡町の六呂瀬山古墳など百メートルを越す前方後円墳が続いています。古墳には
九頭竜川から運んだ葺き石があり、埴輪が並んでいます。福井市の足羽山の笏谷石でつくられた巨大な石棺も古代人
によって山頂に運ばれました。

 そして越前の勢力は、当時の最新の文化圏だった朝鮮半島と密接な関係がありました。継体が生まれる直前の
五世紀末築かれた標高273メートルの山頂にあった二本松山古墳の石棺内からは金と銀がぬられた冠、甲冑や鏡
など豪華な副葬品が出土しています。
以前話題になった奈良県の藤ノ木古墳で出土した有名な冠よりも一世紀も早い時代のもので、畿内よりも越前の方が
ずっと文化の先進地であったことを示すものです。

*納棺室「木槨」の跡   前方後円墳で発見    滋賀の神郷亀塚古墳
 最古級の前方後円墳とされる滋賀県能登川町の神郷土亀塚古墳(全長36.5b、2世紀末ー3世紀
初め)を発掘している同町教育委員会は13日、木造の納棺室「木槨(もっかく)」の跡を見つけ
たと発表した。前方後円墳で木槨を確認したのは初めてという。
 木槨を用いる墓は従来、朝鮮半島から九州や瀬戸内・山陰地方を経由して畿内に伝わったとさ
れていた。同町教委は「朝鮮半島から直接伝わったのだろう。大陸との交流を考える上で本州の
日本海沿岸から琵琶湖を経由するルートの重要性が浮上してきた」としている。
 木槨は2基あり、古墳前方部で並んで見つかった。長さはそれぞれ4.6bと3.5b、幅は1.3b
と1.15b、高さは1.2bと1.1b。木材は残っていなかった。土の状況から、粘土で包み込んだ
木棺の外側を厚さ8a程度の板材で囲い、小部屋を作ったとみられる。(日経03・02・14朝刊)
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/218
817日本@名無史さん:04/01/18 10:54
>>816
立派な古墳を見ておもーた。やはり「王族」でしょうな
大王の血を引いているからといって、必ずしも中央政権で優位に立っているとは
限らないもんな、ただし、格は上
乱暴な例えだが、平安時代にもそーいうのがあるよな。
源ナンタラがさむらいの親分で、藤原ナンタラの方が京の権力者だったりな。
後の時代に、姓を与えたらもう皇族に戻さない、というルールが整備されたけど
この頃にはそんなルールはなかったし、「姓」の制度自体がないよね。

ホンダワケ大王の血を引く豪族って、重要な地域地域にぞろぞろいたんだろうな
ヲホド王はその中の1人なんだな
818日本@名無史さん:04/01/18 10:59
誤解を受けると困るのでホソーク

後の時代=継体天皇記より後の時代 の意味
この頃=継体天皇記前後の頃 の意味

819日本@名無史さん:04/01/18 11:56
>ホンダワケ大王の血を引く豪族って、重要な地域地域にぞろぞろいたんだろうな

だから逆にいえばその程度の家柄では権威が少ないともいえる。
仁徳系の子孫は皇位継承争いの犠牲になったのが多く、ほとんど全滅状態だったから
応神系まで遡らないと人間がいなかったわけで、当時としてはやむをえないことだろうけど。
820日本@名無史さん:04/01/18 12:08
朝鮮人がたくさんやってきて、工作やっているようだな。

王家の地方豪族化していた傍流が、主家の断絶に伴い家を継ぐという話は歴史上いくらでもあった。
(例:徳川吉宗)
821日本@名無史さん:04/01/18 12:21
>>816氏が紹介しているHPを見ての所感についてもう少し、
お付き合いください(w

格が上、という言い方も誤解を生みそうで、ヌマス。

記すところによれば、振姫は垂仁7世孫とある。
しかし、三尾君が地方豪族だというので、従来は重要視されていない。
途中の系譜も不祥だし。

だが、漏れは「誰が父か」という要素に比べれば弱いかもしれないが、
「誰が母か」ということも当時の人にとって重要だったと考える。

そこで三尾君の状況を見ると、ほんの一時期にだけスポットライトが
当たっている。
何故だろうか?
822日本@名無史さん:04/01/18 12:22
ここからはとんでもない推測でしかなく、電波になるかもしれないが
振姫の母が大倭の王族だったという可能性は捨て切れない。
記紀に出てくる王族は、実在した王族のほんの一部でしかないと漏れ
は考える。だからこそ、王族同士の婚姻を繰返しても血は保たれたのだ。
つまり、振姫の父が大倭にとって重要な交易拠点を押さえていたこと
から、畿内との関係をより強固なものとするため、大倭の姫を”下賜”
されていた可能性がある。
そして、その後しばらくの期間だけ、三尾君にスポットライトが当たって
いたと。
そうなると、振姫は三尾一族にとって”ブランド付プリンセス”であり、
そして大倭の豪族にもよく知られた存在だったということになる。
823日本@名無史さん:04/01/18 12:23
よって、中央政権で独自の地位を持っていた”大王の血を引く豪族達”
の中でも特に、大伴氏のバックアップを受けることができたのだ。

倭彦王は、血統的には男大迹王より上にもかかわらず、ブレーンに恵ま
れなかったので負けたのだ(もっとも、他に戦乱の痕跡を伝えるものがな
いし、暗殺や自害の記述が他の事件に比べて欠如していることから、
男大迹王以外の大王候補全員のことを”倭彦王”で表現している可能性が
考えられるが。)。
だからこそ、わざわざ、即位前夜のエピソードに記されているわけだ。
「血は倭彦王の方が近かったのですが、兵隊にびっくりしてお逃げあそば
しました。そこで男大迹王に、大王となられるよう、お願いしました。」
って書いてあるわけだな
824日本@名無史さん:04/01/18 12:24
>>814
欽明が金官から来て宣化を倒して即位したという話も聞いた事はある。
825日本@名無史さん:04/01/18 12:25
厳密には、記紀には倭彦王の血統については書いていないが
行間を読めばそういうことだろう
826日本@名無史さん:04/01/18 12:25
法皇帝説に引用されてる継体の系図は詳しいもので、たしか振姫の先祖も書かれてたと思ったが?
827日本@名無史さん:04/01/18 12:27
>倭彦王は、血統的には男大迹王より上

そんなことはないでそ?仲哀5世孫だよね?
828日本@名無史さん:04/01/18 12:28
825は823の続きです。
打ち込みが遅くてスマソ
829日本@名無史さん:04/01/18 12:33
>>827
漢風の「世代」の考え方でいけば、応神5世孫よりも仲哀5世孫
の方が、上席にあたりますが、いけませんか?
830日本@名無史さん:04/01/18 12:36
>>826
乎波智君に至る男系の系図のみならず、女系もありましたっけ?
もしもそうでしたら、お詫びします。
831日本@名無史さん:04/01/18 12:37
ああそうね。当時の倭人がどう考えたかかわからないが、
少なくとも同等くらいではあったのだろう。
832826:04/01/18 12:39
>>830
謝らなくていいよ。
確認したわけじゃないから漏れが勘違いしてるかも知れないし。
833日本@名無史さん:04/01/18 12:39
あ、すみません。
上の方で「不詳」と書いたからですね。
昔の教官に「あんなものあてになるか」と公言していた
学者がいたもので、書きながら頭脳が錯綜しておりました。
その点は謝ります。
834日本@名無史さん:04/01/22 21:19
と書きつつ、やはり系譜は事実に近いものとアイアムは考えている。

あの教官は曲解が多い人でしたから。
835日本@名無史さん:04/01/22 22:12
どこの大学の教官?
836日本@名無史さん:04/01/22 23:29
神武(?)〜仲哀くらいまでは母権制だったんではないかと考えてます。
応神・仁徳あたりから父権制が始まったのではないかと(河内王朝)。
あのあたりから、急に王位相続がリアルになりますし。
テーベ王族は母系で繋がっており、王が亡くなると王妃が、有力な者の中から
次の王を迎えたとか。系図上、王は先代王の息子と擬制され、オイディプス
はその為に、後世(父権制が確立された頃)、父を殺し、母とまぐわった、
呪われた王とされたとか。
837日本@名無史さん:04/01/23 07:38
母系制の意識は強かっただろうな。先代の娘を大后にすれば、五世でも自然に後継者になれたんだね
838日本@名無史さん:04/01/23 23:56
継体以降、皇后は皇族からと煩く言われるようになった。
と考えて良いのでしょうか?
継体の子孫たちは、大和の由緒ある豪族たちからは、所詮
どこかの馬の骨みたいに考えられていたのかな。
神武以降の天皇の多くが、ニギハヤヒ一族(元、大和の支配者)から
后を迎えているのと同じなのか。
839日本@名無史さん:04/01/24 09:15
>>838
初期は物部系の皇后が多いんだっけ
840日本@名無史さん:04/01/24 20:19
初期の皇后は磯城県主系・葛城県主系。
磯城県主系の分家の県主がいくつかあるが
途中(孝霊、孝元あたり)からそれらの県主は物部系に入れ替わってる。
841日本@名無史さん:04/01/25 00:59
初期の皇后は磯城県主(コトシロヌシ系)・葛城県主(アヂスキタカヒコネ系)で
どっちも国津神の系統。磯城県主系の分家の県主がいくつかあるが
途中(孝霊、孝元あたり)からそれらの県主は物部系に入れ替わってる。
応神あたりからは、皇別の丸邇氏と葛城氏が后妃を出すようになるが、
丸邇氏は磯城県主、葛城氏は葛城県主の血を女系で継承していた可能性が高い。
またこの頃、息長系皇族という一群が出現するがこれは丸邇・葛城の両氏と女系で繋がっている。
欽明以後は、葛城氏の分家である蘇我の血を引く皇族と、息長系皇族の対立が生じて大化の改新に至る。
842日本@名無史さん:04/01/29 01:12
>息長系皇族という一群が出現するがこれは丸邇・葛城の両氏と女系で繋がっている

具体的に何処だっけか?
843日本@名無史さん:04/01/30 02:55
>>580
近江にいたパパ王(彦主人王)が三国の美女・振姫を娶って生まれた王子だから家的には近江なんだけど、書紀は振姫の里で生まれ育ったと考えてるんだろうね。
844843:04/01/30 03:01
あ、じゃなくて>>579の言うとおりかもしれん。どっちだろ
845843:04/01/30 03:19
上宮記の伝えによると、>>579が正解ですた。
846日本@名無史さん:04/02/03 17:12
日本書紀は、皇位継承直前に継体が越前にいたことをしめす三尾氏の
家記を資料に取り入れて書いたので、なんだかずっと越前にいたような
誤解を招いてしまっただけ。皇位継承以前の継体の本拠は古事記の
いうとおり近江が正しい。
847日本@名無史さん:04/02/03 18:08
>>92
息長氏の流れを汲む王氏だったんだよな。
848日本@名無史さん:04/02/03 18:23
あれ?后妃を出す家って葛城氏系と和邇氏系と息長氏の三つ巴?
849日本@名無史さん:04/02/03 18:25
よく后妃を出している尾張連は物部系だよ
850日本@名無史さん:04/02/03 19:59
>>848-849
神武〜孝安の頃まで、后妃を出す家は国津神系の磯城県主と葛城県主。
皇別の葛城氏や、物部系の尾張連は葛城県主から女系で血を引いてる。
皇別の和邇氏は磯城県主から女系で血を引いてる。
葛城氏系の最後は蘇我氏。その頃の対抗馬は息長系。
その頃は尾張氏や和邇氏はだいぶ後退してる。
851日本@名無史さん:04/02/03 22:24
>>850
サンクス。
つまり、磯城県主系は後退して、葛城県主系と、新興の息長氏系が争って后妃を納れてたってことかな?
「女系で血を引いてる」って、何を見たら分かります?
852日本@名無史さん:04/02/05 01:11
>皇別の葛城氏や、物部系の尾張連は葛城県主から女系で血を引いてる。

「葛城県主」なんて聞いたこと無い。これは「葛城国造」の誤りではないか。
853日本@名無史さん:04/02/05 01:31
葛城国造氏出身の后妃なんていたっけ?
854日本@名無史さん:04/02/05 01:53
>葛城氏
葛城襲津彦の母は葛城国造荒田彦の女・葛比売(「紀氏家牒」)
>尾張氏
「旧事紀」天孫本紀を見れば、葛城を冠した人がイパーイいる。
>大王家
葛城垂見宿禰の女・ワシ比売は開化天皇の妃で、建豊波豆羅和気王を産む

こんなとこか?
855日本@名無史さん:04/02/05 03:25
『紀氏家牒』なんてマイナーな史料、どこに載ってるの?よく発見したねえ。
でもそれだけじゃあ
>>后妃を出す家は国津神系の磯城県主と葛城県主。
と言えないのでは?
856日本@名無史さん:04/02/06 01:29
>>855
紀氏家牒ここで見れるぽ
http://www.h4.dion.ne.jp/~munyu/ookimikeizu/takesiuti.htm

磯城県主だが、「紀」によると……
 天皇        第一の一書              第二の一書
2綏靖   磯城県主の女川派媛          春日県主大日諸の女糸織媛
3安寧   磯城県主葉江の女川津媛        大間宿禰の女糸井媛
4懿徳   磯城県主葉江の男弟猪手の女泉媛    磯城県主太真稚彦の女・飯日媛
5孝昭   磯城県主葉江の女渟名城津媛      豊秋狭太媛の女大井媛
6孝安   磯城県主葉江の女長媛          十市県主五十坂彦の女五十坂媛

↓十市県主系図なんてのもあるが、
http://www.h4.dion.ne.jp/~munyu/ookimikeizu/toti.htm
十市県主は磯城県主からの分派のはず。系図に春日県主からの改名としているのは信用出来ない。

また、尾張国造家(尾張連)と葛城国造家(葛城直)の関係は……
天忍男命=賀奈良知姫命(剣根命の女)
建額赤命=葛城尾治置姫
天戸目命=葛城避姫
建諸隅命=諸見己姫(大諸見足尼の女)
857日本@名無史さん:04/02/06 01:32
ちなみに、>>854>>856です
858日本@名無史さん:04/02/06 01:42
安室奈美恵さんの性器が好きです






★★安室奈美恵さんの性器が好きです☆☆
859日本@名無史さん:04/02/06 03:05
>>856
>>十市県主は磯城県主からの分派のはず。系図に春日県主からの改名としているのは信用出来ない。
ん?なんでこっちは信用できないの?第2の一書では春日県主と仲良く登場するのに。
860日本@名無史さん:04/02/06 16:48
え?
十市県主も春日県主も磯城県主からの分派じゃなかったっけ?
漏れの記憶違いじゃないよね??

大和六県って、どれとどれだっけ。
861日本@名無史さん:04/02/07 00:16
大和六県は高市・葛木・十市・磯城・山辺・曽布

十市県主は磯城県主からの分派。
春日県主は狭穂彦の乱により衰退、磯城県主に吸収されたらしい。
862日本@名無史さん:04/02/07 03:46
一書って神代紀だけじゃなかったっけ?記憶違い???
863日本@名無史さん:04/02/07 04:45
神武紀以降にも時々あるよ、一書。
864日本@名無史さん:04/02/09 06:03
>>861
春日県や猛田県ってのがあったはずだが、
春日県って結構はやくから消えちゃったの?
猛田県はなんで入らないの?
865日本@名無史さん :04/02/10 21:21
今城塚 横穴式石室の一部を発掘により確認!
昨日報道公開。
本日夕方のNHKニュースで発表 新聞は明日の朝刊から公表らしい
発掘されたのは、横穴式石室の排水溝
解説では、大王で初めて横穴式石室を採用したのが継体天皇ということが注目とのこと
ちなみに現地説明会は15日です
866日本@名無史さん:04/02/10 21:30
一説では継体は東北王朝の王だったとか
867日本@名無史さん:04/02/11 08:27
今城塚古墳、横穴式石室の可能性高まる…排水溝確認

 真の継体天皇陵との説が強い大阪府高槻市の大型前方後円墳、今城塚(いましろづか)古墳(6世紀前半)で、
後円部から、石組みの排水溝など埋葬施設の一部が確認されたと、同市立埋蔵文化財調査センターが10日、
発表した。
 排水溝は横穴式石室に必要な設備とされることから、同古墳が初めて横穴式石室を採用した大王級の古墳
である可能性が高まった。
 確認されたのは排水溝の先端部分で、長さ約2メートル。5、60センチ大の平らな石で暗渠(あんきょ)に
組まれていた。内部は幅、高さとも25―30センチ。その真上の高さ約1・5メートルのところに石室入り口の
手前に設けられる前庭部があり、規模は幅、長さとも約3・5メートル以上と見られる。
 また、これまで墳丘の北側でしか確認されていなかった、埴輪祭祀場「造り出し」が南側でも確認された。
これは、古墳時代中期(5世紀)までの大型古墳に見られる施設で、石野博信・徳島文理大学教授(考古学)
は「造り出しという伝統を重んじながら、横穴式石室という最新の埋葬施設を取り入れたことになり、大変興味
深い」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20040210it11.htm
868日本@名無史さん:04/02/11 08:35
今城塚古墳:排水溝の先端部分を発見 最古の横穴式石室か

  大阪府高槻市教委埋蔵文化財調査センターは10日、継体天皇陵とされる6世紀前半の前方後円墳「今城塚古墳」
(同市郡家新町、国史跡、全長約190メートル)の後円部で、石室につながるとみられる石組みの排水溝の先端部分
を発見したと発表した。同時期の地元有力者の古墳で横穴式石室を持つ物集女(もずめ)車塚古墳(京都市向日市)
の排水溝と構造が似ていることなどから、大王(天皇)陵としては最古となる横穴式石室が存在する可能性が高まっ
たという。
 同市教委は「石室の位置や規模、大王陵級古墳の変遷を調べるうえで、貴重な資料になる」と話している。
 排水溝先端は後円部南東側でみつかった。四面を平たんな石で囲う暗きょ構造で、内側は約25センチ四方。古墳の
中心部に向かって延びており、約1.5メートル上から、横穴式石室の“入り口”部分に当たる平たんな前庭部(縦、横
約3.5メートル)と見られる層が出土した。横穴式石室は排水溝を設けている例が多い。
(略
 石野博信・徳島文理大教授(考古学)の話 今城塚古墳はこれまでも横穴式石室があると予想されていたが、排水溝
が確認できたのは貴重な発見。同古墳が大王クラスでは最初に横穴式石室を採用したということになるかもしれない。
今後の調査に期待したい。
869868:04/02/11 08:35
◇今城塚古墳
 大阪府高槻市郡家新町にある6世紀前半の古墳時代後期に築かれた巨大な前方後円墳。継体天皇(在位507〜
531年)陵とみられている。戦国時代に砦として利用されたといわれ、今城の名前はそれに由来している。1958年
に国の史跡に指定された。高槻市教委では規模確認調査を97年度から行っており、今年度は第7次調査として03年
8月11日から実施している。
 これまでに国内最大級の神殿様の家形埴輪(はにわ)や埴輪(はにわ)祭祀跡などが確認された。家形埴輪は、
神社建築の屋根に特徴的な千木(ちぎ)や堅魚木(かつおぎ)を備えた、復元すれば高さが約1.7メートルにもなる。
また、太刀やみこ、武人などの形象埴輪がほぼ当時の配置のままで出土。これらは葬送場面の様子がうかがえる
もので、こうした発見から同古墳は継体天皇陵である可能性が強まっている。
 一方、宮内庁は同古墳の約1.5キロ西にある太田茶臼山古墳(大阪府茨木市)を継体天皇陵に指定している。
しかし、同古墳から出土した埴輪は5世紀のもので、6世紀の人物である継体天皇と年代が違うため、今城塚古墳を
真の継体天皇陵とみる説が通説になっている。
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20040211k0000m040111000c.html
870日本@名無史さん:04/02/11 20:13
何故北陸の地方豪族が応神の血を引く事にされて、担がれないといけないのか?
畿内には葛城とか物部とか大伴とか強大な氏族は多くあったのに。
この当時の大王が豪族連合の盟主でしかないのなら、先代の王家が途絶えたら
他の有力豪族が代わってもいいはずだ。
やはり大昔から皇室とそれ以外の豪族は違うという考えがあったのか?
871日本@名無史さん:04/02/11 20:34
渡辺謙の交際相手履歴を離婚裁判中の妻が暴露
以下の女優人↓

池上希実子、斉藤由貴、若村麻由美、高島礼子
荻野目慶子

872日本@名無史さん:04/02/12 02:56
水谷千秋の説でほとんど結論出てると言っていいかもね
873日本@名無史さん:04/02/12 11:43
男系で武烈にもっと近い人はいたの?
874日本@名無史さん:04/02/12 22:24
>>873
いなかった模様。
875日本@名無史さん:04/02/12 22:40
息長系王族について皆さんに質問
神功皇后を実在の人物と考えた場合、やはり近江出身と考えますか?
また、天智天皇が近江国大津に遷都していますが、偶然でしょうか?

後世の伏見宮家のようなものがこの当時、近江に存在したのでは?

>>870
外交的に不安定な時、豪族の誰かがトップになって倭国大乱が再燃
したら、豪族もヘッタクレもなくもろともあぼーんですが(w
876日本@名無史さん:04/02/12 23:10
>>873
少なくとも直系はいない。
ちょっと先代の兄弟ならいたかもしれないが、もしいたとしてもふさわしくナカタんだろう
877日本@名無史さん:04/02/15 01:24
>>875
>>後世の伏見宮家のようなものがこの当時、近江に存在したのでは?

仁徳直系以外は大和から遠ざけられてたっぽいよ。第一候補の倭彦王も丹波だったし。
息長系王族は近江出身かどうか知らないけど、近江に根拠地を持ってたみたいだね。
天智はどうだろう、日本海のネットワークを重視したのかなあ。
878日本@名無史さん:04/02/15 06:32
>>877
倭彦王は仁徳系じゃねぇだろ
879日本@名無史さん:04/02/15 19:49
>>878
??
きちんと文章よみませう。
880^@kj7^@kj7 ◆VswWSpFPH2 :04/02/15 23:40
 
>>69

>血統が正当な場合には、敢えて「継体」を使うことはありません。
>血統間でいざこざがあった場合に「継体」が使われた例があるなら、ぼくの間違いでしょう。



   血統間でいざこざがあった場合に「継体」が使われた例があるなら、
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
は、「血統間でいざこざがなかった場合に「継体」が使われた例があるなら」の間違いですか?
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
881日本@名無史さん:04/02/15 23:50
在日なのに
882日本@名無史さん:04/02/15 23:54
息長氏系だろ
883日本@名無史さん:04/02/16 00:36
土民だろ?
884日本@名無史さん:04/02/16 00:42
おまいら、もっと實證的に語れよ
885日本@名無史さん:04/02/16 01:02
架空の物語だからどうにでもなる
886日本@名無史さん:04/02/16 01:08
いくら古代でも、皇孫じゃなかったら「天つ日継」を継ぐのは無理っしょ
887日本@名無史さん:04/02/16 01:57
ルールのない古代であるからこそ、在日でも皇位を窺うことが出来る
888日本@名無史さん:04/02/16 02:10
むしろルールは厳しかったとオモワレ
889日本@名無史さん:04/02/17 21:43
>>886>>888
支持します
890日本@名無史さん:04/02/18 01:06
継体は在日だとの一言コピペあちこちで見るけど
なにか根拠のある話なの?

どうせ電波だとは思うけど、そういう電波本出てたかな?と思って。
891日本@名無史さん:04/02/18 03:37
継体が皇孫じゃなかったっていう説はもう古いよね。戦後すぐあたりじゃない?
892日本@名無史さん:04/02/18 04:53
継体の系図は8Cの作為の産物 なのは確かだよね、
作為があったらなんのためか? から考えたほうがいいのでは。

1・応神から継体が直結となり、間の5王は天皇の直子孫ではなくなった。
  
  倭の五王 という中国正史記載との関係から出た、苦肉の策だった。
  8Cころの天皇の神格化からいって、倭の五王の事実は耐えられないだろう

この修正は絶対に必要であったと考えられる。 
893日本@名無史さん:04/02/18 10:23
応神系の正統は継体だったってのは?倭の五王の系図は
宋書では珍と済は断絶してるし。
後の、天武系(天武〜称徳)から再び天智系の光仁に
戻されたように。
894日本@名無史さん:04/02/18 14:40
>>892は頭の中が70年代だな。
法皇帝説に引用の系図も8Cの作為の産物だと真面目に信じてんのか?
895日本@名無史さん:04/02/18 17:21
いやいや、違う違う、
継体や以前の五王が想像の産物と言ってるのではないよ、

継体以前の王が中華史の王のように、残虐だったり、継体以後の皇室と
系統をはずしたりしてある事が偽造ではないかといってるんだよ、
素直にいえば、 雄略も残虐ではなく、雄略から継体へも
本当はまっすぐ血が繋がってるんではないか?ってことだよ
896日本@名無史さん:04/02/18 18:36
「継体」というおくり名がまったく別の新王朝であることを示唆している。
897日本@名無史さん:04/02/18 21:03
>>896は典型的な厨。
898日本@名無史さん:04/02/18 23:39
まあ、王朝交代があったのは事実なわけだが。
899日本@名無史さん:04/02/18 23:41
3王朝交代説
900日本@名無史さん:04/02/19 00:06
在日じゃマズイことでもあるのか?
901日本@名無史さん:04/02/19 00:13
>>894
上宮記ね
902日本@名無史さん:04/02/19 00:14
>>898>>899
古い
903日本@名無史さん:04/02/19 02:19
>>892>>895
それだと、藤原氏の権勢のために改造されたとお考えなのでしょうか?
うーん。。。難しいようにも思いますがね。
もしかして、書のメッセージ的なものを期待されているのでしょうか?
「藤原氏が傍に仕えてからは皇室は安泰であるが、他の氏族が傍にいた時代はロクな事はなかった」
というようなものですか?

904日本@名無史さん:04/02/19 07:23
天武朝以降、全国の豪族に対して、
天皇の神格化が進んだでしょ、中国外交としても、
天皇が唯一無比という立場をとりはじめた、

そんな時、倭の五王 って祖先は許せるかい? すでに漢は滅び
義理立てする相手もいない。
7色の姓を考えてみてほしい、これは皇族の中に上下をつけた事が
始まりだ。真人を設定したというよりは、継体以前の王の子孫を
真人と認めないという方針である。

合理的に考えて、天武朝の天皇を天から連なる尊い子孫といちづけ、
なおかつ、祖先に漢の臣などいない。 という系図にするためには、
継体と応神を直結させ、その間の王は途絶えた事にするしかないではないか。

藤原氏とは直接関係ないんだ

905:04/02/19 07:53
書紀の編者が継体天皇の歿年を辛亥に定めたのは「百済本紀を取りて文を為すなり」で,
百済本紀の「日本の天皇及び太子皇子ともに崩り薨ましぬ」の記述とつじつまを合はせた
との弁明,要するに,国史を編纂する際に,継体・安閑・宣化の史料が
欠けてゐたので紀年作成に困ってゐたら,たまたま百済本紀に「天皇しんだ」と掛かれてゐるのを
みつけて「よーしこれだ!おっけー」ってことで「継体天皇二十五年」の条はできたわけだ.
さて,ここで問題なのは,百済本紀の記事の「日本の天皇」って,本当はどの天皇なのか?
1.死んだ天皇は継体で,太子皇子は,安閑・宣化.
2.死んだ天皇は宣化で.太子皇子は,宣化の子.継体の没年はこれよりも数年前.

1説だと,実際には安閑・宣化は即位してゐなかったことになる(さうすると法王帝説の紀年と
整合的になる)が,2説だとそのままで紀年問題は解決するね.
906日本@名無史さん:04/02/19 09:39
>倭の五王 って祖先は許せるかい?

???
倭の五王については存在自体を日本書紀もふつうに無視してるんだから
問題ないだろ?
907日本@名無史さん:04/02/19 20:15
百済本紀の「日本の天皇」とは、北九州あたりの土豪クラスのことって知らないのかい?
908日本@名無史さん:04/02/19 20:31
>>906
無視してるってのがポイントだろ、
中国の正史はそれなりの学者なら知っていて当然。
記紀で無視するのは当然として、
中国資料との整合性をもたせる必要があったんだよ
909日本@名無史さん:04/02/19 21:14
ププッ
910日本@名無史さん:04/02/19 21:40
で、今んところの通説はどうなってんの?
911日本@名無史さん:04/02/19 21:52
>>908
???
無視してんなら、中国資料との整合性をもたせるももたせないもないじゃん。
中国資料との整合性をもたせてんなら、無視してないってことじゃん。

どっちだっていいたいんだよ???
912日本@名無史さん:04/02/19 22:21
>>911
シンプルな話を
ワザワザ複雑にするのはなんでかな?

認めたくない事実は、国史ではあえて記載しないが、
外交上、また知識階級では、五の倭王との整合性も、
あわせもたないと、話として、片手落ちだろ、
記紀に書かない事など当然のことじゃないか?
913日本@名無史さん:04/02/19 22:48
意味がわからん。
記紀に書かれてないなら、他の書物で整合性とってるのか?
他の書物ってなに?そういう意味でなく?
文化人の脳内書物なんて物としては実在してないんだから
整合性もたせるももたせないもないじゃん。

記紀の記述への整合性のことを逝ってるのだと思ったが
どうもそういう意味でもないようだし、
あなたが何を逝ってんだかよくわからない。
914日本@名無史さん:04/02/19 23:40
○| ̄|_ =3 プゲラッチョ
915日本@名無史さん:04/02/20 00:09
荒れたレスにしたくないんだが、
なんで、こんなシンプルな話の文意が理解できないのか
わけわからん。 大丈夫か?

1・記紀に五王のこと等、都合の悪い事は記載しない。 という事

倭の五王の話は、中国正史なのよ。 日本が無視しようがしまいが、
2・「この五王とは、天武天皇の直系祖先ですか?」 
「いいえ違います。倭の五王の系譜は継体前で切れているのです」
という、筋書きの記紀を必要とすること

1と2は、矛盾しないどころか、五王のことを都合の悪い事と認識していた
という整合性をもってるんだよ。

916日本@名無史さん:04/02/20 00:17
ひとまず915さんの勝ちってところじゃないか?
917日本@名無史さん:04/02/20 00:43
ますますわからんなぁー。

「武烈で切れてるわけだから」、継体以降(含・天武)は
倭の五王と関係ないんでそ?
なら、意図的に無視する必要ないじゃん。

倭の五王が当時の日本の天皇に相当するような書き方
(日本書紀における、神功皇后と卑弥呼の関係を匂わす書き方)
をしても、なんの不都合もないということになっちゃうが、
そういう理解でいいのか???
918日本@名無史さん:04/02/20 00:44
>>916
漏れは勝ち負けを競ってるつもりはない。くだらない煽り入れるなYO
919日本@名無史さん:04/02/20 04:19
というと君は、

武列以前の5天皇を切り離した記紀にしたのだから、
「この五天皇は、漢帝の臣として大将軍位の地位にありました」
と正直に書くべきだ! と言うのかね?
事実、あえて記紀はそれを記載してないだろ、
天武朝の直系でないよと改竄をした上でなお、日本の帝位にあった王のことを
他の王朝の臣などと書くわけはないだろ。身内の恥をあえて晒す馬鹿はいない。

なお、正確にいえば、直系でないにしろ、母系で血は繋がっていることになっている。
920日本@名無史さん:04/02/20 04:54
>>919
「書くべきだ!」などとは逝ってない。

あなたの説では、記紀は倭の五王の子孫ではないように改竄してあるわけ
だから「この五天皇は、漢帝の臣として大将軍位の地位にありました」
と書いても別に困らないって理屈になるでそ。と逝ってるの。

>天武朝の直系でないよと改竄をした上でなお、日本の帝位にあった王の
>ことを他の王朝の臣などと書くわけはないだろ。

え?そういう話をいいたかったわけじゃないだろ???
どのみち書かないのならば、天武と五王との系譜関係を改竄したかしないか
という話は関係ないじゃないか???要するにあなたは何がいいたいわけ?

それとついでに聞くけど、卑弥呼は魏帝の臣として倭王の地位にあった
わけだが、日本書紀は「神功皇后は魏帝の臣として倭王の地位にありました」
と正直(?)に書いてるようにみえるが、これは問題にならないのか?
921日本@名無史さん:04/03/02 20:46
age
922日本@名無史さん:04/03/02 21:46
「継体」が新王朝を意味するものであることは周知の事実
923日本@名無史さん:04/03/02 21:52
そもそも武烈以前の大王の実在そのものが疑わしい。

清寧、顕宗、仁賢あたりは架空の大王だろ。
924日本@名無史さん:04/03/02 23:49
>>922
「継体(ひつぎ)の君」の意味知ってる?日本書紀ちゃんと嫁
925日本@名無史さん:04/03/04 02:03
天武朝の検定済教科書である書記を信じている段階でシロート厨
926日本@名無史さん:04/03/04 07:30
所詮、継体大王は北陸の在日オヤジ
927日本@名無史さん:04/03/04 18:19
>>925
書記って何ですか?
928日本@名無史さん:04/03/04 21:18
>>926
渡来系っぽくはないが…。息長氏系王族だからそりゃちょっとは入ってるけどさ
929日本@名無史さん:04/03/06 00:42
継体は九州王朝の元号。
継体時代に日本海からやってきて、畿内政権を簒奪し王が継体天皇だが
じつは九州王朝の配下の一王に過ぎなかった。
930日本@名無史さん:04/03/06 00:50
ばかだなー

継体後100年で、隋帝と対等と思ってしまう歴史観は、
北朝の臣下を受けてきた半島側の氏族にあるはずがない。

従って、継体が半島出身てのはありえず。
対等と思ってしまう氏族は、漢族もしくは倭族のみ
931日本@名無史さん:04/03/06 02:57
>>930
禿げ同。しかも言うに事欠いて九州ってw 磐井が聞いたら笑うぞ
932日本@名無史さん:04/03/07 03:06
同意。
半島側は、北朝に朝貢し続けた200年だからな、
南朝を破り絶頂を迎えた北朝(隋)帝に、
対等の天子宣言するような観念を持った氏族は、
半島の血に存在しないな。

ただし、百済の中の漢族が、日本に渡ったとしたら
ありえる・・
933日本@名無史さん:04/03/07 04:17
>百済の中の漢族が、日本に渡ったとしたら

百済の中の貴族は日中韓三国の資料に大量に出てくるが
漢族(中国系)らしき者はほとんどいない。
「百済の中の漢族」って具体的に誰?
個人名とまでは言わないからせめて氏族名くらい出したらどうだな?
934日本@名無史さん:04/03/07 17:05
>>933
あんたアホじゃないの?

百済は、楽浪郡(漢)が高句麗に滅ぼされた後に
その南に生まれた馬韓が転じた国だよ、
漢族が多数いるのは当然だろ。
中国史書にも、
百済国には、中国人、高句麗人、倭人、新羅人がいるとある。
肝腎の百済人という表現がないんだよな(笑)
935日本@名無史さん:04/03/07 21:39
>>934
楽浪郡つーか帯方郡だな。漢人がいないなどとは言わない。
そりゃいたろうよ。さぞかし大勢な。
だから、

>百済の中の漢族が、日本に渡ったとしたら

その漢族ってたとえば誰?

ついでにいうと馬韓は楽浪郡が滅亡する313年よりずっと前から存在してるぞ。
基本を間違えるなよ。
936日本@名無史さん:04/03/07 23:25
公孫系は漢族ですか?
937933=935:04/03/08 07:24
>>934
百済人の中の漢人系氏族は至って少ない。日中韓の資料あわせて
20いくつかの百済姓があるが、ほとんどは百済の固有姓で、もともと
漢人系だった可能性のある姓は「国氏」だけ。これは古代の斉の貴族の
子孫で山東半島に多い姓。つまり漢人の子孫である可能性があるが、
個人名は漢人ではなく百済人っぽい。つまり漢人の子孫ではあっても本人
たちは完全に百済人。国氏は百済八大姓のひとつで、歴史の中には国智牟、
国雖多、国弁成の3人の個人名が出てくる。肩書きをみるとうち2人は大佐平
(首相クラス)だからなかなかの上流貴族。しかし国氏が登場するのは比較的
末期であり、楽浪郡との関係を云々するのは難しい。初期に多い姓ならとも
かく。この国氏の子孫は今の韓国にも残っていて潭陽国氏・玄風国氏・英陽
国氏・金城国氏と4つの本貫があるがすべて百済八大姓の国氏の子孫という。

他に王氏(王仁)と高氏(高興)の二人の中国人がいたが、この両氏は
個人として一人づつ出てくるだけで貴族階級にそういう氏族がいた様子は
ない。これは漢人系百済氏族というより、単純に百済にきた一人の中国人と
みるべきだろう。百歩譲って、日本の史(フヒト)みたいに漢字・文章を
扱う下級官吏(下級貴族)として中国人が使われていたのかも知れないね。
王仁も高興も百済の初期の人物で、楽浪郡との関係はいかにもありそうに
思われる。
ついでにいうと2chではよく書いたから知ってるかも知れないけど
王仁は楽浪郡に多かった有名な「楽浪王氏」の一族と考えられている。
王氏や高氏が百済にたくさんいたことは史料上は証明できないが、
可能性を認めるのはよい。ただし、あくまで三流下っ端貴族がいいところ。
「日本でいえば秦氏や東漢氏・西文氏のような存在だったが記録が消失した
ため残らなかった」とか、いっていえないこともないが、あまり学問的な
手法ではない。
938937:04/03/08 07:26
>>936
公孫度から公孫淵までの3世4代は漢人。ただし初代の公孫度は
妹や娘が夫餘王の妃になっているから、もしかしたら
記録に残ってないだけで、夫餘王室から奥さんもらってる奴も
いたかも知れない。
939日本@名無史さん:04/03/08 10:16
韓国人がしきりに訴えているのだけれど、どう思います?


日本天皇が 百済人である 明白一 証拠

1.新撰姓氏録にその証拠がある.

新撰姓氏録は西紀 815年に日本 畿内に 本拠を置いた 1182氏の 系譜とその
由来を 記述一本だ. この 姓氏録は大きく 天皇,皇子の 子孫である
皇別, 天神地祇の 子孫である 神未定雑姓が 117氏だ.
ところで 天皇, 皇子の子孫である 皇別 の中一番尊貴ハン氏が
真人なのにその 総数は 48氏だ. その中で 12番目 "大原真人は
百済王であり 30代 敏逹天皇の 子孫" という 記録エズモックするところだ
(原文の 百済王と言う(のは) 百済王族を示すのに, 日本歴史書は
百済王族を 百済王で 一貫になるように 記述して来た). すなわち
敏逹天皇の子孫が 百済人というのは 敏逹天皇の 子, 敏逹天皇 自身,
敏逹天皇の 父や 祖父も百済人というのを意味する



「敏逹天皇の 父や 祖父も百済人というのを意味する」
これは同時に継体天皇が百済人だという事を意味しているのですが、
どう思います?信用できる説なのでしょうか・・・・・?
940日本@名無史さん:04/03/08 15:13
翻訳がめちゃくちゃで何いってるのかわからん
941937:04/03/08 15:51
>>937に追加訂正

継体紀に段楊爾と高安茂の2人の五経博士がみえる。
欽明紀には五経博士の王柳貴、易博士の王道良、暦博士の王保孫、医博士の王有凌陀
と4人の王氏がみえる。
これらは倭国に帰化したわけではなくて交替要員できて百済に帰った連中と思われるが、
末期に近い百済に学問を職務とする王氏がいたことが想定できる。
高安茂は高興の子孫だろうか。
942日本@名無史さん:04/03/10 02:04
>>939
って、これバリバリの個人名じゃん。(w
敏逹天皇の孫に百済王(くだらのきみ)という方がいて、
その子孫ですってことなんだろ?
他の皇族の名前は全然、百済と関係ない名前ですが?
人数が沢山になりゃ、名前を考えるのも大変だ。
別に外国の国名をつけてもおかしくないけどね。
臣下(これもバリバリの倭人)にも韓子さんとかいるよ。

943日本@名無史さん:04/03/10 05:20
>>937

5C半島の歴史から言って、
旧外来勢力が、漢帝系
新外来勢力が、扶余系
と仮定すると、

百済等の固有性などとは、
何人を指すのか? 縄文人と解釈すればいいのか?
漢人氏族がいないという資料は、偏りがある研究じゃないの?

944937=941:04/03/10 23:12
>>943
だから941で訂正したわけですよ。
百済には王氏・高氏を代表とする漢人系貴族がいた。

百済の固有性というのは夫餘。馬韓出身貴族・漢人出身貴族・倭人出身貴族
などは夫餘出身貴族と同じく、すべて夫餘系の王家の家臣。

「漢帝系」という用語はよくわからない。皇帝とはあまり関係ないと思うが。
縄文人も時代からいって無関係。
945日本@名無史さん:04/03/11 15:38
>>944
電波本でも読んでるの? この時代の資料で断定口調なのは電波本って事になるよ。

漢人系貴族は、歴史経緯から多数存在しただろうが、君が確認できてるのは
王氏と高氏と言いたいのだろうが、その他大多数を消す論拠がないよ

で、その他の貴族が扶余系? どっからそんな帰結になる?
そもそも百済建国が扶余ってのも、極めて少ない文献からの直接表現ではなく、
推論的な帰結にすぎないんだよ。
その文献も3,4Cの扶余系の建国の可能性を示唆するだけであり、
では、3C4C以前に、百済にどのような固有種が存在したかといえば、
旧外来系の漢系か、本来半島南部にいただろう、日本列島と同じ縄文系人
という事になる。
946日本@名無史さん:04/03/11 20:54
>>945
そのほか大勢を消した覚えはないが?
漏れが消したというそのほか大勢の名を出してごらんよ?

>その他の貴族が扶余系? どっからそんな帰結になる?

?その反対のことをいってるのだが?944をよく読んでくれ
「(百済には)馬韓出身貴族・漢人出身貴族・倭人出身貴族など(がいたが、
これらは)夫餘出身貴族と同じく、すべて“夫餘系の王家”の家臣」。
誤解させるような文章だったかな?

百済は夫餘系が馬韓を征服したことで建国されたという事は文献から直接
理解できる通説であり、とくに疑うべき要素はないと思いますよ。
あなたがそれを認めないのは自由だが、それならそれで否定論を展開して
ください。もし通説を認めるのであれば、百済以前にその地にいたのは
論理的に「馬韓人」であることが明白でそ。百済建国の前に住んでいた者
の話をしながら、なぜ百済建国より千年近くも前の縄文人が出てくるのか、
ちょっと理解できませんねー。
それに、漢人に原住民を征服する余力があったら、そもそも帯方郡は
滅亡しないと思いますが。

あなたは百済は「夫餘が馬韓を」征服してできたのではなく
「漢人が縄文人を」征服してできた国だと思ってるのですかな?

とりあえず電波よばわりは撤回してくださいますか?
947日本@名無史さん:04/03/11 21:23
電波呼ばわりは撤回 OK

ただし、そのあたりの説を断定口調にすると
電波です。 ここは史学板ですから
948日本@名無史さん:04/03/12 03:11
歴史は自然科学ではないのだから一定の蓋然性が認められるなら
ほぼ断定していいと思うがな。
「…と思われ」「…かと」「…と推測」「…かも知れぬ」
「…と言えないこともなかったりしないともひょっとしてもしかしたら
限らないかぁと思ったりしちゃったりなんかして」とか、いちいち
断らないと電波なのか?そんな論文作法はないだろ。
それが一説にすぎないことが「自明の理」である場合には
簡便にすましてなんら問題ない。

とはいえ、素人もロムってるから、「文献記述そのままに近い部分や
いわゆる通説を踏襲する部分」と「新説・自説を唱える部分」とは
断定調か思われ調かで微妙に区別できるように気を使って書く、
というのは親切でいいかも知れない。今後は注意することにしますよ。

ちなみに944の中にはほぼ断定してよいことしか書いてないよ。
------------------------------------------------
944 :937=941 :04/03/10 23:12
>>943
だから941で訂正したわけですよ。(→断定可)
百済には王氏・高氏を代表とする漢人系貴族がいた。(→断定可)

百済の固有性というのは夫餘。馬韓出身貴族・漢人出身貴族・倭人出身貴族
などは夫餘出身貴族と同じく、すべて夫餘系の王家の家臣。
(→紛らわしい表現だったことは認める。>>946のように改訂)

「漢帝系」という用語はよくわからない。
(→これは漏れの不理解の表明だから断定でいいだろ)
皇帝とはあまり関係ないと思うが。(→これは漏れの感想だから断定でいいだろ)
縄文人も時代からいって無関係。(→断定可)
949日本@名無史さん:04/03/12 04:17
>>948
真摯な人なので、あえてひとこと。
「史学板なので・・」という意味は
常識の矛盾点を探して疑う事が許されるのが史学の姿勢。
通説程度だと、それを認めない勢力も多数いる事を前提とするべし。
そのため通説程度を、他説の根拠とする場合は仮定として韻をふむ。

百済建国に関しては、扶余の関与は示されているが、同時に
その扶余族は200年前に公孫(漢族)との婚姻関係にある子孫
でなかったか?(うろ覚えなのだが)
さらに、百済は伯済国が転じたというのも通説。伯済という氏が
中原で認められこれは漢族では?
950日本@名無史さん:04/03/12 15:11
>>942
>敏逹天皇の孫に百済王(くだらのきみ)という方がいて、
>その子孫ですってことなんだろ?

百済王の大原真人は本当に百済王家の末裔だったの?
あと敏達天皇の孫と書いてあったけど、血は繋がっているの?
951日本@名無史さん :04/03/13 05:51
※詳しい解説
百済王は押坂彦人大兄皇子の男と推定され、
恐らく「古事記」に見える多良王と同一人物かと思われる(久多良王の久が誤脱したか?)。
根拠として、『日本高僧伝要文抄』所引「音石山大僧都伝」の冒頭に
「和上諱明詮。俗姓大原氏。彦人皇子之後也。祖彈正尹従四位下桜井王。天平十一年賜姓為大原氏(略)」
とある。このことは既に黛弘道氏が指摘している。
952日本@名無史さん:04/03/13 06:07
>>942
百済王というのは、大和(だったっけ)の百済という地名から付けられた名前だよな。
953951:04/03/13 06:26
>>952
いや、河内にも大和にもある。
敏達帝の百済大井宮の所在地とも関わってくるだろう。
1河内国錦部郡百済郷(大阪府河内長野市太井)
2大和国広瀬郡百済(奈良県北葛城郡広陵町百済)
など……
954(倭王権873〜878の妄想人):04/03/13 09:22
>>952さん >>953さん
正しい指摘、感謝。
まあ、漏れは「新撰姓氏録」に対する韓国国粋主義歴史学者の解釈上の誤り
を指摘したかったので整理しただけだったんだが。
そうか、なるほど。”秋津島瑞穂国”に所在する「百済」という地名ね。それが自
然でしょうね。
でも、>>939さんがどこかで拾って来た、例の”学説”を唱えるような国粋主義者
の学者って「百済大井宮」を根拠に”百済系がどうの”とか言い出しそうですね
(w
とにかく、敏逹天皇の政務地や大原真人一族の祖先の名前だけをもって継体
天皇を百済人とすることは、論理的に乱暴としか思えません。




955日本@名無史さん:04/03/13 09:37
地名なのかな。
普通は皇族の名は乳母になった氏族の名をつけるケースが多いと思うんだが。
百済系の帰化人が乳母だったってだけじゃないのか?
956日本@名無史さん:04/03/13 09:38
誰か変なのが来てるのでさげ
957日本@名無史さん:04/03/13 09:40
>百済建国に関しては、扶余の関与は示されているが、同時に
>その扶余族は200年前に公孫(漢族)との婚姻関係にある子孫
>でなかったか?(うろ覚えなのだが)
>さらに、百済は伯済国が転じたというのも通説。

それはそのとおりで矛盾はない。

>伯済という氏が中原で認められこれは漢族では?

それは氏ではなく個人名の字(あざな)です
958日本@名無史さん:04/03/13 09:41
すみません、変なハンドルやめにします。きえます。
959日本@名無史さん:04/03/13 17:28
いまいち理解できないのですが・・・・
「百済王」大原真人は実際に百済の血を引いていなく、地名やその他の
名称から名づけられたって事?

敏達天皇も押坂彦人大兄皇子も百済人とは無関係ってこと?
960日本@名無史さん:04/03/13 20:19
>>959
百済の血を引いてるから百済王と名付けたなら、そういう記述をするはず。
名前ですべて判断するなんて遠山某みたいだぞ。
961日本@名無史さん:04/03/14 12:22
流れを読まずにすみません・・・
釈日本紀で上宮記逸文として
「ホムツワケ」と読めるのを「誉田天皇」也
・・・としているのはどう整理すればよいの
でしょうか?井上光貞などは「ホンダワケ」
の誤記であり、決して垂仁天皇の皇子ではない、
としているが・・・
962日本@名無史さん:04/03/14 19:06
>>959
YES

>>960
名前からある程度推測可能なこともあるよ。
百済王の乳母は百済人か百済系帰化人だろう。地名じゃないと思う。
とくに断り書きがないということは通常どおり乳母の氏族の名だろう。

>>961
「都」をタと読むのはツよりも古い発音で、ここはむしろ「タ」が正しい。
963日本@名無史さん:04/03/15 01:19
>>962
「都」の上古音?
964日本@名無史さん:04/03/16 19:56
>>963
そう。上古音だと[tag]

ちなみに推古朝遺文や万葉集などにしか表れない通常の呉音とはちがった
音読が多くあるが、これは古倭音などといわれ、上古音に基づく音読。
(普通の呉音はもっと新しく、上古音から中古音への移行過程を反映した音)

魏志倭人伝の音は中古音よりは上古音の方がやや近いが、完全に上古音まで
いってしまうとズレてくる。(三国時代は、後漢の頃から始まっていた
上古音から中古音への移行過程の時代)
965日本@名無史さん:04/03/21 02:29
またもや韓国人が韓国人が訴えているのですが、どう思います?
継体天皇とは関係ありませんが・・・・
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=30908&work=list&st=&sw=&cp=1

「新撰姓氏録の記録によれば応身のお父さんがアラ伽揶国阿羅加耶国の
王だった俄羅斯等阿羅斯等だったと言いますが..」

本当でしょうか?
966日本@名無史さん:04/03/21 06:52
国産のトンデモカキコを読むだけでもうんざりなのに
なんで半島の電波までもってくんるんだよ!

新撰姓氏録にそんなアホなこと書いてあるわけないだろ
普通に考えろ
967日本@名無史さん:04/03/21 07:13
>>965
歴史学会は「極右」ですか。紅い匂いが薄くなってきたから?(ワラ
水野説のオイシイトコドリに見えるのだが。

「新撰姓氏録」の件については既出のとおり。
本当に半島からやってきてそれに誇りを持つならもっと堂々と明記するはずだ。
でも、そういう状況ではない。
また、仮にこのオッサンが言うように皇室が百済王室の一族なら、百済王室は
なぜ、「日本の王家は百済王家の分家なんだ」という記録を残すはずだが、そ
ういう記述もなければ系図もない。これをどう考えるのか。
ttp://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=30908&work=list&st=&sw=&cp=1
の書き込みをした方にお尋ね申し上げる。
「百済が誇り高き韓民族の一員ならば百済王は倭王は自分の弟だと明記する
はずだがならばなぜ記述しないのか?」

天皇家と海外の王族は別モノと考える方が自然と私は考える。
継体天皇は本州生まれの本州育ちの倭人。海外から来た人ではありません。
近江(滋賀県)を甘く見るなよな。


968日本@名無史さん:04/03/21 07:22
>>966
気持ちは分かるが、まあまあ、落ち着こうや。
>>939-940
>>942
>>950-955
>>959-960
>>962
で論破されているんだから。
969685:04/03/21 07:24
すみません・・・・・
どうしても気になったので。新撰姓氏録には、応神天皇に関しても
そのような記述はありませんよね?

あと「日本書紀に登場する天皇加衣出身系譜には 」
こんな系譜日本書紀に乗っていますか?でたらめでしょうか?
970日本@名無史さん:04/03/21 12:30
>日本書紀に登場する天皇加衣出身系譜には

前後の引用がないと文脈がわからないから、
具体的になにを勘違いしてるのか元ネタを判定できないな。

一応、桓武天皇より以前だと、皇室に入った半島の血は

新羅王>天之日矛>神功皇后>応神天皇

これだけ。他には系譜に明記され例はないはずだが。
971日本@名無史さん:04/03/21 19:58
>>970
継体天皇も息長氏系皇族だから、神功皇后と同じで多少は天之日矛の系統の血はたしかに入ってる。
しかし、それをもって継体天皇を百済の帰化人だなんて言うのはおかしいよな。
972日本@名無史さん:04/03/22 18:03
言語学者の中には、皇室の祝詞は新羅の言葉に似ている、
などと主張する者があるようですが、応神は百済系で
その後も親百済政権が続いたハズだが、なぜ新羅語なのか?
知証王(?)=継体って説はどうですか?
973日本@名無史さん:04/03/22 21:20
>応神は百済系で

なんでそんな事が言えるんだ?

>知証王(?)=継体って説はどうですか?

どうですかって言われても・・・
なんでそんな珍説が成り立つのかを先に説明してくれ。
つっこみようがない。
974日本@名無史さん:04/03/24 16:10
>>973
>知証王(?)=継体って説はどうですか?

三国史記なんかと照らし合わせると、倭国軍が
新羅に攻め込んで、その際新羅の炤知王
(在位479〜500)が殺され、倭から
智証王が立った、という説もあるらしい。
いづれにせよ、智証王にしろ、継体にしろ
前の王とはアカの他人・・・というのは興味深い。
975日本@名無史さん:04/03/31 11:06
age
976-:04/03/31 12:55
じゃ、敗戦処理の懲罰ってことで新羅王が廃されて
倭軍が新しく親倭派の王を擁立してきたってことでないの?
977日本@名無史さん:04/03/31 23:55
TBSの”世界ふしぎ発見”あたりに継体天皇を特集するように
リクエストしてみれば?
978日本@名無史さん:04/04/01 21:59
TBSのことだからどんなデムパを発するか分からん。
ちなみに今週はヤマトダケ
979日本@名無史さん:04/04/04 10:40
>>976
そっか、現地採用の『傀儡政権』を
打ち立てた、って考え方も出来るよな!
980日本@名無史さん:04/04/04 10:44
>>972
他スレからのコピペ

489 :日本@名無史さん :04/04/01 18:53
応神天皇が新羅から来た事だけは間違いない。
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/117_2.htm
(1)気比神社
祭神は伊奢沙別命(いざさわけ)・仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉姫尊・武内宿禰の七神。
垂仁天皇(三世紀後半頃)三年に渡来した「新羅の王子・天日槍(あめのひぼこ)を伊奢(いざ)さわけのみこと沙別命として祭った」といわれている。
『書紀』によれば、応神天皇は角鹿の笥飯大神と名前を交換し、大神を去来沙別(いざさわけ)の神とし、応神は誉田別(ほむだわけ)尊としたとある。

すると、応神の元の名前は去来沙別であり、天日槍ということになる。

即ち、新羅人であったということになるのである。
981日本@名無史さん:04/04/05 17:13
継体天皇はメディアではいじれないだろうな。
この人には万世一系という「国体」が絡んでくるからな。
982日本@名無史さん:04/04/05 17:33
なんど言ったら分かるのか?
簡単に日本を征服できるわけないだろ?
983日本@名無史さん:04/04/05 17:33
だいたい、もしそれが事実なら日本書紀に書いてあるだろ?
984日本@名無史さん:04/04/05 17:37
なんで、朝鮮人は歴史を捏造するのか?

というのと

それを支持する(自称?)日本人が出てくるのか?

というのは謎だな。
985日本@名無史さん
そういえば、テレビを見てたら評論家のおっさんが
「継体天皇は朝鮮から来た」みたいな事を言っていた
のでビックリ。
こういうのは、真面目に論破しておかないと「風説の流布」
みたいに、どんどん広まるからなあ。
いい加減うんざりするけどね。