1 :
日本@名無史さん:
削除依頼出しておきました。
3 :
日本@名無史さん:01/11/07 16:20
サンフランシスコ平和条約でなぜ、日本と戦ったわけでもなく、
戦中はドイツとソ連に占領されていたポーランドが出席してるの
でしょうか?(他にチェコスロバキアなど)対独講和は
ワルシャワ条約、対伊講和はパリ条約であり、サンフランシスコ平和条約
は枢軸国と連合国の講和でもありませんし、、、誰か分かりませんか?
4 :
日本@名無史さん:01/11/07 18:45
>3
自由ポーランド政府が対日宣戦布告しているから。
それに、サンフランシスコ平和条約は日本と連合国(国連)の
大多数の国との講和条約だから。
5 :
日本@名無史さん:01/11/07 18:56
6 :
日本@名無史さん:01/11/07 18:58
7 :
日本@名無史さん:01/11/07 18:59
8 :
日本@名無史さん:01/11/07 21:26
持統天皇はなんで藤原京って名前の都にしたんですか?
10 :
日本@名無史さん:01/11/08 01:16
真宗大谷派の明治期までの歴代門主を教えてください。
もしくは、それが載っているようなサイトをご存知でしたら教えて下さい。
検索したのですが、そのようなサイトが見つからなかったので。
また、こちらのほうで見逃しているかもしれないので。
よろしくお願いします。
11 :
日本@名無史さん:01/11/08 07:22
>8
質問の意味がわからん。
12 :
日本@名無史さん:01/11/08 08:35
明治維新の時東京に遷都した理由より
家康が江戸に本拠を置いて理由のほうが気になるよ。
・秀吉に薦められた説
・昔から海路で伊勢方面との交流が盛んで、
利根川の河口近くで関東の流通の中心だった説
・四神相応説(w
どれだろう?
豊臣家打倒前は関東のどこか、という選択肢しか無かったろうけど
天下取ったあとなら日本国中お好みの場所に本拠地を置けただろうに。
13 :
日本@名無史さん:01/11/08 16:30
豊臣秀吉の妻、ねねが、結局は豊臣家を見捨てたようなものなのに
非難されないのは何故ですか?
淀君云々なのでしょうか?
14 :
日本@名無史さん:01/11/08 16:43
ねねにとっては秀吉亡き後の豊臣家なんかはどうでもよかったんかねぇ。
足軽から始めたんだし、秀吉がいなくなったんなら潰れてもいいや、
ぐらいに思ってたんじゃないかな。
15 :
日本@名無史さん:01/11/08 18:01
>>12 天下とったころにはもう江戸で基盤ができあがっちゃってたんじゃない?
16 :
日本@名無史さん:01/11/08 18:49
>15
というか天下を取る前に江戸は本拠だったけど。
>>16 12の天下をとった後まで江戸を本拠にする必要は無いんじゃないか?
というカキコに対して
天下とったころにはもう江戸で基盤ができあがっちゃってたんじゃない?
と答えたんだと思われます。
>>9 過去スレとして貼ったのさ
質問するまえに過去スレに眼をとおせば
既出で回答が見つかるものもあるだろうってこと
20 :
うののさらら:01/11/08 23:51
>>8 耳梨山、畝傍山、香久山の大和三山に囲まれたこの平地は当時「藤原」と呼ばれ
ておりました。わらわはここが気に入ったので都に定めました。そこで一首。
「春すぎて、夏来にけらし、白妙の衣干すてう天の香久山」
21 :
日本@名無史さん:01/11/08 23:57
春過ぎて 夏来たるらし 白妙の
衣乾したり 天の香久山
こっちは万葉集の御製。
22 :
うののさらら:01/11/09 00:07
>>21 おお、そうであったの!わらわももう千四百歳じゃ。すっかりぼけてしもう
たわ。
23 :
日本@名無史さん:01/11/09 00:17
質問!!
戦争が起これば敵国の国籍の人は収容所送りだったよね?
日本国内にそのような収容所はあったのですか?
なんかあまり聞いたこと無いから・・・
24 :
日本@名無史さん:01/11/09 00:24
どうして日本には中国風の城郭都市は発展しなかったのでしょうか?
教えとうせ。
25 :
日本@名無史さん:01/11/09 00:59
室町時代の「惣村」は堀や土塀を巡らして、ちょっと都市国家っぽくない?
26 :
日本@名無史さん:01/11/09 01:02
>>28 そんなんじゃなくて、城壁の上に人が立って弓などで戦うやつ。
大陸と違って、土地が広大でもないし、人口は少ないし、
守る領土が少なかったから野戦で解決する主義だったのかな〜?
27 :
日本@名無史さん:01/11/09 12:58
>26
なぜ中国で城郭都市が発達したのかを考えればわかるよ。
28 :
日本@名無史さん:01/11/09 22:22
>>27 なぜ?なぜ?連中は狂暴だが、倭人はいい人ばかりだった?
29 :
日本@名無史さん:01/11/09 22:30
近くに遊牧民のいる地域では、度々遊牧民に襲撃された経験から、
城壁を築くようになった。日本は稲作民族がほとんどで、耕作が
忙しく他の村を襲ってる暇がなかったなんてどうよ?
大平洋戦争中、東京の大森に収容所があったんだよ。
日清日露戦争中は、今の千葉県佐倉市役所付近に収容所があった。
31 :
日本@名無史さん:01/11/10 23:06
第1次大戦中に山東半島の青島にいたドイツ兵を捕虜にして、たしか香川
県か徳島県かに収容したんだけど、その捕虜達がベートーベンの「第九」
を合唱したのが、日本における「第九」の初演だったとか。
32 :
日本@名無史さん:01/11/11 23:02
伊藤博文って日韓併合で朝鮮のお偉方を一人一人恫喝したそうですが、なんで韓国
独立派って言われてるんでしょうか?
33 :
日本@名無史さん:01/11/11 23:18
>31
そういや徳島県の鳴門市(か?)にドイツ館ってのがあるよな…
34 :
日本@名無史さん:01/11/12 04:21
明治維新の爵位のことで質問。
土佐は、薩摩と長州にくらべて、冷遇されてたんでしょうか?
>>32 伊藤博文は日韓併合に反対だったからじゃないかな。
36 :
日本@名無史さん:01/11/12 13:09
石山の戦いで信長と戦った、顯如について教えて下さい。どんな感じの人だったんですか?
37 :
日本@名無史さん:01/11/12 13:29
>>32 >>35 1905年の第二次日韓協約の際に韓国の閣僚を恫喝して、
無理やり条約を締結させたのが伊藤博文。
その後、伊藤は初代韓国統監に就任。
さらに1907年の第三次日韓協約では、韓国の軍隊を解散させ内政権まで掌握した。
確かに伊藤は韓国の完全併合には反対で、あくまで韓国の「独立」を維持したかったようだが、
上記の事実がある以上、これを以って伊藤を「独立派」と呼ぶのは胡散臭い。
38 :
日本@名無史さん:01/11/12 22:49
>>32、35、37
伊藤は韓国(李氏朝鮮)を清国から独立させようとしてただけじゃないの。
それで日本の影響下に置こうとした。
39 :
日本@名無史さん:01/11/12 22:52
>31
板東収容所のこと?
40 :
日本@名無史さん:01/11/12 23:12
伊藤は韓国を事実上自分の個人的領土にしたかったのです。
41 :
日本@名無史:01/11/12 23:27
>>36 カルトの教祖ですね。
その後秀吉に取り入り本願寺の基礎を作りました。
42 :
日本@名無史さん:01/11/13 00:02
>>38 第二次日韓協約で韓国の外交権を奪っておいて、
伊藤は韓国を独立させようとしたっていう理屈は通らないだろ。
外交権を奪われた国はもはや主権国家とはいえない。
これは事実上の植民地化と考えるべきだろ。
石川県の真脇遺跡から4500年前の把っ手付き土製ランプが出土したそうですが、
掘り出したのは藤村さんですか?
寺内寿一元帥の写真のあるサイト、またはその画像の勅リンをうpしてくださいまし。
46 :
日本@名無史さん:01/11/18 18:27
楠木正成をかいた小説で一番は?
47 :
日本@名無史さん:01/11/19 00:18
中世の気候変動のグラフがあるサイトを教えてください。
48 :
日本@名無史さん:01/11/21 00:40
司馬史観ってなんですか?
司馬遼太郎の小説読めば分かるんでしょうか?
49 :
日本@名無史さん:01/11/21 00:59
>>48 司馬先生の独断と偏見、とでも言うべきなのかな
山縣有朋毛嫌いしてたり、井上馨スキーだったり
有名なことでは坂本龍馬持ち上げすぎてみたり
それが作品に顕著に表れすぎな作品というか
「歴史」を知りたいのならあまり読むのオススメしない・・・
小説で「もってめいすべし」という表現は
どう意訳したら良いのでしょうか・・・?
>>49 ありがとうございます。
ってことはつまり「燃えよ剣」に萌えてしまった私は気をつけたほうがいいんですね。
助かりました。
51 :
日本@名無史さん:01/11/21 01:19
>>50 きっかけとしては良いと思いますよ。あくまできっかけとしては
ただきっかけだけなら漫画だって良いと思います
よく漫画だけで歴史を知ったふうに語るなと言いますが
司馬氏一人の本を読んだだけで知ったふうになるのも如何なものかと
他の作家にしても同じことです
要はそこからどれだけ発展してゆけるか、でしょうね
52 :
日本@名無史さん:01/11/21 01:29
反面教師としてはいいんじゃないっすか
ああいうふうにはならないように気をつけましょう、ってことで
53 :
日本@名無史さん:01/11/22 00:29
司馬史観なんてのはあとづけで
あくまでも小説、フィクションなんだから面白けりゃいい
どんどん読んで楽しめばいいんじゃないですか、実際面白いし
もちろん専門的に研究する人はちゃんと切り離して考えなくてはいけないけど
そうでない人の一般教養としての歴史なら司馬遼太郎でも読んでないよりまし、
というか十分だと思うけど
54 :
日本@名無史さん:01/11/22 11:44
アイヌ人は古くから日本人や満州人などとの交流があったのにインディアン並の低い文明水準に
ずっと留まっていたのはなぜでしょうか?
アテルイの時代からシャクシャインの時代までほとんど進歩していないように見えます。
55 :
日本@名無史さん:01/11/22 13:04
アイヌが中国や日本に留学生を派遣したという話は聞いた事が無いな。
アイヌとインディアンを同じように扱うのはインディアンに失礼だ、
インディアンが白人に対抗するために馬や鉄砲を採り入れたのと違ってシャクシャインは
鉄砲を持つ相手に鉄砲を持たずに戦ったわけだからな。
同じ島国で
イングランド=日本
スコットランド=アイヌ
というイメージがある
もし日本が東北を征服したのと同じ頃にイングランドがスコットランドの
南部を征服していたら、
北に追いやられたスコットランド人はアイヌ人のような未開人になっていたんだろうか?
56 :
日本@名無史さん:01/11/22 13:45
>>54>>55 「トーホグエミシの歴史を語るスレッド」に書き込んでおきました。
57 :
日本@名無史さん:01/11/25 09:57
栗田健男が大転回した本当の理由は?
58 :
日本@名無史さん:01/11/25 10:09
ていうかおまえら独逸を何だと思ってやがりますか?
UFO作ってただ 南極に基地作ってるだ 適当な事ばかり言いやがって!
よーく考えてみろ 国家元首だぞ 国 家 元 首
そんな阿呆みたいな事してるヒマはこれっぽっちもネエんだ
こちとらお前らなんかより全然忙しいんだよコノヤロウ!
ていうか、矢追だよ 矢 追 純 一
あの野郎がツンデルとかいうバカのヨタ話聞いてその気になるからいけねえんだ
独逸語もロクにわからねえミステルヤオイはだまってろ!
俺様は、経済の心配したり 東部戦線がヤバかったり
暗殺されそうだったりで 寝るヒマもねえんだ この、ボケナス!
もういい、うせろ、ボケ!!
59 :
日本@名無史さん:01/11/26 07:06
「一億人の昭和史」って1冊\500出して買う価値ありますか?
ヒトラー・・ごめん
俺、お前の事勘違いしてたよ・・・
61 :
日本@名無史さん:01/11/26 20:32
皇国史観って何ですか?
62 :
日本@名無史さん:01/11/29 00:07
オナニーしていいですか?
63 :
日本@名無史さん:01/12/01 20:10
今の皇太子が天皇になったら、何天皇になるのですか?
昭和天応が生きていたときにも、
今上天皇というのは決まっていたようだけど。
64 :
日本@名無史さん:01/12/01 22:41
>>63 「今上天皇」は「現在の天皇」という意味です。
というわけで、皇太子も即位したあとは亡くなるまで「今上天皇」です。
明治・大正・昭和と三代続けて元号=没後の天皇名となってるので、
皇太子が即位後は今の天皇は「平成天皇」という名が贈られる可能性が高いです。
皇太子も即位後の元号名で死後呼ばれることになると思いますが、
もちろんまだ決まってません。
正にくだんねぇ質問だから答えてくれや!
あんで仕事もしねぇで、草とか、魚とか意味のねぇ「夏休みの研究」
程度のお遊びを年中してる、国費の無駄遣いしてる奴らが、さらに
無駄メシ喰いの増産作業している事を喜ぶんだ?
「種」がダメなんだから「畑」替えてもダメなモンはダメ!
これ以上、『無駄メシ喰い』増やすなっつーのは間違ってんのか?
た、た、頼む!
教えてくれや!
66 :
日本@名無史さん:01/12/01 23:06
ヤマトの馬鹿君主はいらないね。
67 :
日本@名無史さん:01/12/02 00:18
こばぁって小林よしのりのことですか?
>>65 全く間違っていません。幸い日本は思想信条の自由が保障されていますから。
あなたが何を主張しようが他人に迷惑をかけない限り不当に逮捕されたりしないでしょう。
しかし、同時に日本は民主国家であり法治国家でもありますからあなたの考えが
多数派になって法を改正しない限りそれが実現することもないでしょう。
都道府県ってあるけど
なぜに東京都、大阪府、京都府、北海道は
他の「県」ではなく差別化を図られたのですか?
70 :
日本@名無史さん:01/12/02 09:38
>>69 今は横並びということになっているが、元は格が違ったんだよ。
明治時代に制度ができた時は
東京(首都)・京都(前の首都)・大阪(経済の中心地)にだけ
「府」が設置されたのさ。
「府」という意味は「政府」という言葉からもわかるように、
「つかさどる役所」のような意味がある。
そしてその他は全て「県」ということなのさ。
あ、それからね、「道」はね。
元々はもっと大きい意味だったんだよ。
「東海道」(これは今でもよく使うね)とか「南海道」それに
「西海道」に対して、「北海道」と名付けられたんだ。
「開拓地」ということで、「県を作らないまま」だったのさ。
ちなみに、「都」も教えてあげよう。
昭和18年(西暦1943年)、東京府と東京市が合併したの。
で東京「都」になったんだ。
戦後、大阪でも「大阪府の中心部分を大阪市と合併させて、大阪
都にしよう、残りの部分は浪速県に」って意見も出たことがあっ
たんだよ。もちろん、できなかったけどね。
>>70 有難う御座います。
とても参考になりました。
詳しいですね。
72 :
日本@名無史さん:01/12/02 10:26
天皇って結局なに?象徴ってどうしたいの?
いくら税金かかってるの?普段は何してるの?
勉強不足の率直な質問です。
つまり天皇ってなに?と、スレッドを立てたのですが
こちらに質問したほうがいいとやってきました。お願いします。
73 :
日本@名無史さん:01/12/02 10:52
とりあえずビールって もんだよ。
死ぬの生きるのとか 食っていけないとかに関係ないことだから。
税金かかってるけどGDPに比べりゃわずかなもんです。
ネクタイみたいなもんで嫌なら変えりゃいいが
いちおう変えるほどでもない、と国民の総意となってるんだ。
彼には権力もないし権限もないし利用されるだけの
立場しかないから個人としては辛いでしょうねぇ。
74 :
日本@名無史さん:01/12/02 11:59
>>64 もう一つ、いいですか?
昭和天皇は生きていたときも「昭和天皇」でしたね。
でも、今上天皇を「平成天皇」という人は殆どいませんよね。
そのあたりの解説をお願いします。
75 :
名無しさん脚:01/12/02 12:35
乃木将軍スレが定期的に立つのは何故ですか。
あと、会津スレと....
>>74 生きている天皇は常に一人なので「今上天皇」
あるいは単に「天皇」と呼ばれます。
○○天皇というのは贈り名で、死後につけられる
名前です。昭和天皇も事情は同じで、生きている
間は公式に「昭和天皇」の称号では呼ばれていま
せん。
ただ、明治以降は1天皇に1年号(=明治、大正、
昭和、平成)なので、おくり名は年号をつける慣例
があるようです。そんな訳で、今の天皇がぽっくり
崩御あそばされた場合は十中八九「平成天皇」に
なると思われます。
>>75 日本史板を荒らす張本人が
ズバリ会津人だから
>>68 わかったよ・・・
だがなぁ〜
どの民放も「おめでたい・うれしい」とか抜かしてるアホ報道するばっかで、
「このクソ不景気にロクデナシがガキ増産しようと、オレにゃあカンケーねーよ!」
とか、
「皇室予算削減!」「天皇制廃止!」「皇居を三宅島移転せよ!」とかの
否定意見を封印して意図的な世論誘導してんのはアンでだ?
第一だなー!
国会議員のコメントだってツラぁ見ていりゃあ解んだろうが、本気で喜んでる
奴ぁ少くねぇぞ?
結論的には『遊んで国費を浪費すんな!何の役にも立ってねぇダロ?』っつーこった!
間違ってんのか?
教えろ!
>>78 間違ってないね。でもね、ここ(日本史板)で、そんな当たり前のことまで聞くなよ。
80 :
日本@名無史さん:01/12/02 18:56
>>76 ありがとうございます。
実家においてある歴史の参考書は昭和天皇崩御を前提にしていたのかな?
まだ、昭和天皇が生きていたときに、124代・昭和天皇、125代・今上天皇と
書いてあったので、126代(現皇太子)の贈り名も決まっているのかと思いました。
>>78 天皇は外交が仕事という説がある。田中真紀子より役に立っているのでは?
81 :
日本@名無史さん:01/12/02 19:55
>>78 ほんとはさ、子ども生まれるのって良い事だよね。
日本に生まれる子どもがどんどん減っていちゃったら
高齢化社会に自分達の世代をを養ってくれる税金払ってくれる人
いなくなっちゃうしね。
でも皇族が生まれたところでどんなもんだろうね。
82 :
日本@名無史さん:01/12/02 20:06
>>78 少なくとも、君よりは働いているYO。
あと、皇室関係での経済効果もあるしね。
君が氏んでも何も起こらないが、天皇が氏ぬと大騒ぎになる。
また、外交や日本の文化としても世界にアピールできる。
歴史の勉強にもなる。ネタの一つとして庶民も楽しめる。
・・・それぐらいの違いだ。たいした事はないよ。
83 :
日本@名無史さん:01/12/02 20:15
蔵を修繕するので掃除をしてたら、刀と短刀が出てきたよ。
刀の中心は錆びてたけど、
備前国住長船与三衛門尉祐定 裏に 永正九年二月吉日
って彫ってあった。どうなんやろう?
84 :
日本@名無史さん:01/12/03 00:54
>>83 本物なら価値あるかもよ。骨董屋に持っていって鑑定してもらいなよ。
>>82 バッカだなぁ〜
オレがどうのこうのあんつーのはカンケーね〜んだよ!
つか、恐らくチミよりゃぁ若い(22)し、税金も払って(975万円納税/2000年度実績)けどなぁ〜
(あぁ、そぉだよ!オヤジの会社にいるけどなぁ!)
んな事じゃなくてだなぁ〜、
ヤロウ共の具体的な必然性と存在意義を教えろっつーこった!
経済効果ぁ?
野村総研だって根拠言うだろ?
ソレ教えろや!
世界にアピールぅ?
効果あんのかぁ?
86 :
日本@名無史さん:01/12/03 16:16
>>85 年度で所得税を払うとは珍しい御方(藁
おのれの具体的な必然性と存在意義を考えてから
他人に教えを請え。
87 :
日本@名無史さん:01/12/03 16:49
何かここはくだらない質問書いても良いそうなので。。。
日宋貿易とか日元貿易とか中国方面への輸出で毎回
刀剣が代表として挙げられてるんだけどそれって何?
何で日本が刀を?
そちらの方の人が日本刀を使ってるところはどうにも想像し難いんですが…
中国人は日本の剣なんて買ってどうしたんでしょう?
>87
装飾品
89 :
日本@名無史さん:01/12/04 23:02
武士の力が強くなった後も地頭や国人が
荘園領主に年貢を納めていたのなぜですか?
突っぱねてもだいじょぶな気がするけど。
90 :
日本@名無史さん:01/12/04 23:13
>>89 他の武士に取られないようにするためには、名目だけでも公家の〜様の土地とか
〜寺の土地というのは有効だからです。年貢はいわば名前の使用料。
91 :
日本@名無史さん:01/12/05 08:58
海外、と国立大学の史学科の評判について書かれたものはないですか?
92 :
日本@名無史さん:01/12/06 10:21
戦国の本は色々読んでたのですが、まだ前田利家の本を読んでいなかったので
大河もあるし一冊か二冊読んでみようと思います
色々あるようですが何かオススメはありませんか?
大河ドラマのスレか迷ったのですが宜しく御願いします
昔、北九州にいたという大蔵氏って、いったい何者ですか?
94 :
日本@名無史さん:01/12/07 08:53
中国地方に、平清盛の5歳のときの頭蓋骨が奉ってある寺があるらしいんだが、誰か知っていますか?
いや、石坂浩二が言ってたんだけどね。
そういうものがあるなら一度見てみたいじゃない。
熱海秘宝館みたなのりで面白いから。
95 :
日本@名無史さん:01/12/07 15:45
平安時代に神戸が、首都になったことありますか?
96 :
日本@名無史さん:01/12/08 00:01
>>95 1180〜1184年の福原宮(福原京)があります。
以仁王の敗死後、平清盛が安徳天皇を奉じて遷都。
一応、平安末期です。
97 :
日本@名無史さん:01/12/08 02:37
大名に○○守という役職が与えられるけど、自国の領地と関係ない土地
の守をもらうことをナンセンスと感じていなかったんでしょうか?
98 :
日本@名無史さん:01/12/08 16:35
>97
遙任というのがある
99 :
日本@名無史さん:01/12/08 21:04
たぶん初歩的な質問でしょうが教えてください。
織田 上総介 信長っていうときの上総介はどういう時に使われるので
しょうか?
なんとなく家族間で用いられるものだと思うのですけど。
それからこの所謂セカンドネームのようなものは用語としてはなんと
呼ばれているものなんですか?
>99
通称とも、官名とも、受領名とも・・・
101 :
日本@名無史さん:01/12/08 21:47
>>99 最初は自称。
はじめは「上総守」って名乗って、あとから親王任国と知ってから「上総介」に改めた。
後で正式に任官したけどね。
>>100,101
どうもありがとうございます。
信長のは 自称→官名→改名という変化なのですね。
他の人、たとえば秀吉の誠三も通称(でかつ、自称)なんでしょうか?
信長の例で限定的に書いてしまいましたが、質問の本意は昔はどうして
こんな感じで名前が2つあったのかということです。
また、明治くらいまでは秋山淳五郎真之もいて名前が2つあったようですが、
何故現在においては無くなってしまったのかも知っている方がいたら教えて
欲しいです。
教えて君ですみませんが御教示、よろしくお願いします。
私の大学移行試験が一週間前なんですけど、最後になにをやれば良いと思いますか?
104 :
日本@名無史さん:01/12/08 23:38
>103
じんむすいぜいあんねいいとくこうしょう・・・しょうわ
105 :
飲む打つ買うさん:01/12/09 00:07
小野妹子の性別を教えてください。
106 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:01
ハーグ密使事件ってどんな事件なん?_
107 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:12
>>106 ハーグ密使事件
1905年の第二次日韓協約で韓国は外交権を失っていたのだが、
1907年にオランダのハーグで開催された第二回ハーグ平和会議に参加を希望し、
韓国皇帝・高宗が密使を送った事件。結局の所、外交権がないことを理由に
列強から参加を拒否され、その責任を取らされ高宗は子の純宗に譲位させられた。
さらに第三次日韓協約が締結され韓国は内政権も失うことになった。
108 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:25
信長の妹お市の血は今の天皇家に入ってるの?
109 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:27
質問もいいが、まずはアズマを何とかして平和な日本史板を
取り戻さない?
110 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:30
>>108 お市の三女・お江と2番目の夫である豊臣秀勝との娘が九条家に嫁ぎ、
跡取ほか数人の子が生まれてる。
昭和天皇の生母が九条家の出なので、途中で養子縁組がなければ
お市の血は今の天皇家に入ってることになる。
111 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:31
>109
方法は?
112 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:31
>>108 大久保利通→牧野伸顕→雪子+吉田茂→和子+麻生太賀吉→信子+三笠宮寛仁→彬子女王
>>110 九条家はひとすじなわではなかったような‥
114 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:34
とりあえず、歴史の話は一旦停止してアズマをどうするか
真剣に考えよう
日本史板住人のほとんどが出て行けといえば、アズマも
それに服す他はなくなると思うよ
115 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:40
>>112 つまり、三笠宮彬子女王殿下の母の母の母の父の父が大久保利通。
同様に、三笠宮彬子女王殿下の母の母の父が吉田茂。
116 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:43
おしえてください
アズマってなんですか?
この板、まだ浅いんですが、あちこちでアズマって
騒いでるんですけど。
117 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:44
皇室の話をするなら、反皇室のアズマをまず何とかしようよ
そうじゃないと、自分のスレがどんどん下がる一方だよ
>>113 そのようですね。指摘されてから調べたところ、秀勝の娘が生んだ二男二女のうち
九条家を継いだ息子には男子がなく鷹司家から養子をとっており、
二条家に養子に入ったほうも孫の代で九条家から養子を取ってるので
この血筋では、お市の血は断絶してますね。
お江には女系の子孫は多数いると思われるので何処かで、皇室に入ってる可能性はあるのですが、
調べようはないですね。
119 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:47
>>118 日本史板の現状について一言頂けるかな?
>>119 正直に言ってアズマも反アズマも鬱陶しいだけです。気持ち悪い。
121 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:55
烈しく同意!
122 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:58
わしもどうい
123 :
日本@名無史さん:01/12/09 01:58
>>120 アズマがいるから反アズマが出て来るんだよ
元凶はアズマ一人
たった一人の電波にここまで板を荒らされて平気なのですか?
>>123 元凶はアズマなのかもしれないけど、反アズマもスレ立てすぎ。
反アズマも単に極端な思想的話題を嫌う人と、薩長好きの人とがいて、
複雑なのだろうけど、書き込むスレを限定してみたらどうですか。
今は「日本史版住人に告ぐ」というスレが活発なようなので、
反アズマの人は、他のアズマ・反アズマ両スレにいっさい書き込まず、
「日本史版住人に告ぐ」だけに書き込んでみてはどうでしょう。
そうすれば全てではなくてもいくつかは倉庫に落ちるはずなので、
だいぶ整理されるのではないでしょうか。
125 :
日本@名無史さん:01/12/09 11:13
明治〜昭和前期の政界著名人で東北・北海道出身者にはどんな人がいますか?
126 :
日本@名無史さん:01/12/09 11:16
そもそもこの板を荒らしてるのはアズマよりも反アズマだろう。
元凶は反アズマのよるアズマスレの妨害。
聖徳太子は源氏と関係してるのかねー?
聖徳太子展見たら武家興隆期の資料ばかりだったもんでねー
どうしたどうした
129 :
日本@名無史さん:01/12/09 16:21
天皇様に子供が出来ないとどうなるゴラァ!
130 :
日本@名無史さん:01/12/09 16:26
どんな 信仰だったのかねー?
133 :
日本@名無史さん:01/12/11 18:40
法隆寺を燃した人は誰ですか?
俺は藤原家がやっとと睨んでるんですが、どうでしょうか。
134 :
日本@名無史さん:01/12/11 22:11
わたなべけんがきらいなやつはだれですか?
135 :
日本@名無史さん:01/12/11 23:10
どうして邪馬台国の場所を隠蔽するの?
136 :
日本@名無史さん:01/12/12 10:08
>>133 法隆寺って日本書紀に燃えたって記事が出てくるけど、
発掘調査で火災の痕跡がなかったのではなかったけ?
137 :
日本@名無史さん:01/12/12 14:12
息子も孫も殺されたのに政子はどうして北条氏を支える気になったの?
「アズマ」って何ですか? ここでよく見る単語ですが日常生活の中では
聞いたことないし、2ちゃんねるの他の板でも見ることがありません
いったい何なんでしょうかこれは
139 :
日本@名無史さん:01/12/14 19:48
↑誰か返事をあげたりとかはないのでしょうか…
自分も論争繰り広げているようなわかってる人間ではないので
答えてあげられませんので…
てゆうかここの板で「アズマ追い出せ」系のものは非常に良く見かけるのですが
それに反論/対抗している人はどこへ…???
自分にはいまいちつかめない日本史板限定論争。。。
140 :
日本@名無史さん:01/12/14 19:58
アズマとは、平将門、鎌倉幕府、江戸幕府と続いた東国国家の伝統の継承
を目指して反天皇制闘争を続ける勢力。
自ら佐幕派と称して薩長によって創られた明治の天皇制国家を激しく憎悪。
郷土愛、地域ナショナリズム、東国の伝統文化の尊重などのスローガンを
掲げている。
天皇制否定のアズマ論を展開している為、ウヨクや薩長好きから激しい排斥
運動を受けている。
141 :
日本@名無史さん:01/12/14 21:16
アズマとは、作蔵、大室寅之祐明治天皇、ヒロヒトと続いた南朝(田布施朝)国家の血統の継承
を目指して天皇制真実史観情報公開闘争を続ける勢力。
自ら天皇家の末裔と称して薩長によって創られた明治の天皇制国家を激しく同意。
田布施朝郷土愛、地域ナショナリズム、薩長藩閥政府の伝統文化の尊重などのスローガンを
掲げている。
天皇制の真実公開論を展開している為、ウヨから激しい排斥
運動を受けている。
∧_∧
|.(`□´ )
⊂ つ ∧_∧
ドカ... | |⌒I、│ (`□´ ) 彡
..∧_∧ ▼(__).ノ ⊂ つ
( `□´) ノ∩ / / / 彡
⊂ /|⊂ 1 ヽ(_(__) バキ
| _/ ./( 。A。 )っ
(__) 彡 U ∨ ∨
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/( 。A。 )っ
U ∨ ∨
・@;∴‥
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( `□´)/ :: ::
(つ / :: :'
人⌒l ノ :: ::
し(_)
143 :
日本@名無史さん:01/12/15 18:07
なんで聖徳太子は聖徳太子という呼び方するんでしょうか?
本名は厩戸皇子だったわけでしょ。
で、この時代の上層部の男性は男でも「馬子」って名前だったりする
わけでしょ。
なんかゲイバーの源氏名みたいだね。
144 :
日本@名無史さん:01/12/15 18:09
厩戸皇子じゃダサいので明治政府が聖徳太子としたんだろ。
厩戸皇子は聖徳太子として古くから信仰の対象だからね、通称聖徳太子。
146 :
日本@名無史さん:01/12/15 22:35
>144、143より、明治ってことはずっと後になってからこの名前がついたの
147 :
日本@名無史さん:01/12/15 22:51
>>146 「聖徳太子」信仰は飛鳥期の終わり頃に始まっています。
しかし厩戸皇子は実在の人物ですが、「聖徳太子」とは全く別人です。
「聖徳太子」は奈良期に「日本書紀」で政治的必要性から創造された架空の聖人なのです。
「聖徳太子」が創ったとされる十七条憲法も奈良期に捏造されたものです。
「聖徳太子」の創造によって古代天皇制は権威づけられたのです。
148 :
日本@名無史さん:01/12/17 13:41
どこに書いてよいのかわからないので、ここで質問させていただきます。
浮世絵には春画というジャンルがありますが、ぶっちゃけていって、
当時の人達はこれで「ヌケた」のでしょうか?
また春画で抜いたという兵は、この板にいらっしゃるのでしょうか?
余りにも時代に隔たりがあるためか、とても私は「オカズ」にできませんが。。。
大隈の吹っ飛んだ足が東大にあるってホント?
150 :
日本@名無史さん:01/12/18 00:09
現存する天皇家男系男子はどれぐらいいるの?
判明していないのまで含めると相当数だと思うが、
ここでは判明しているのだけお願いします。
151 :
日本@名無史さん:01/12/19 16:29
日本史板の皆さんこんにちは。
僕は日本史の問題集を探しています。
そこでお聞きしたいのですが、最も良い問題集はなんですか?
教えて下さい。
152 :
天皇家男系:01/12/19 16:31
明治天皇┳稚瑞照彦尊
┣稚高依姫尊
┣梅宮薫子
┣建宮敬仁
┣大正天皇━━┳昭和天皇━━┳照宮成子→[東久邇宮家]
┣滋宮韶子 ┃ ┣久宮祐子
┣増宮章子 ┃ ┣孝宮和子→[鷹司家]
┣久宮静子 ┃ ┣順宮厚子→[池田家]
┣昭宮猷仁 ┃ ┣今上天皇━━┳皇太子━━━━敬宮愛子
┃ ┃ ┃ ┣秋篠宮文仁━┳秋篠宮眞子
┃ ┣秩父宮雍仁 ┣常陸宮正仁 ┗紀宮清子 ┗秋篠宮佳子
┃ ┣高松宮宣仁 ┗清宮貴子→[島津家]
┃ ┗三笠宮崇仁━┳三笠宮ツ子→[近衛家]
┣常宮昌子→[竹田宮家] ┣三笠宮寛仁━┳三笠宮彬子
┣周宮房子→[北白川宮家] ┣桂宮宜仁 ┗三笠宮瑶子
┣富美宮允子→[朝香宮家] ┣三笠宮容子→[千家]
┣満宮輝仁 ┗高円宮憲仁━┳高円宮承子
┣泰宮聡子→[東久邇宮家] ┣高円宮典子
┗貞宮多喜子 ┗高円宮絢子
153 :
名無しさん:01/12/19 16:54
すいません。本当にくだらない質問します。
近代国家の成立
1:国産力織機を考案した人物は誰か。
2:1886年、学校令を配布した時の文相は誰か。
3:1890年、忠君愛国を教育の基本とするために発せられたものは何か。
誰かおしえてくだせー
154 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:00
>>153 1、豊田佐吉
2、森有礼
3、教育勅語
155 :
日本@名無史さん:01/12/19 23:59
>>152 これじゃあ、愛子ちゃんのお婿さんになれる人がいないよ。
156 :
日本@名無史さん:01/12/20 11:28
>153
教科書から読みなおせよ
157 :
日本@名無史さん:01/12/20 11:33
>>155 なんでわざわざ近親婚しないといけないんだ?
158 :
日本@名無史さん:01/12/21 00:26
159 :
日本@名無史さん:01/12/22 02:35
>159
ここでするような質問ではありません。
山県大貳(1727−1767)に関する研究書をご存じの方、ご教示下さい。
略歴:尊王兵学者。
江戸で家塾を開いて国典・兵学を講じ、「柳子新論」で尊王斥覇を説き幕政を批判した。
明和事件で死罪となった。
162 :
日本@名無史さん:01/12/23 00:20
皇族や公家の子供で寺に入れられた人は子孫を残せなかったんですか?
一生、童貞のままだったんですか?
>162
残させないために寺に入れるのでは・・・
童貞かどうかはまた別問題。昔だって
坊主と貴女との話は結構あったわけだし。
164 :
日本@名無史さん:01/12/23 02:24
>>152 昭和天皇って双子だったんでしょ?
妹(姉)が奈良のなんとかってお寺の尼さんやってたんじゃなかったっけ??
>>164 昭和天皇の弟の三笠宮に双子の妹がいるという噂はあった。
皇室縁の寺の門跡の方で、もう亡くなられたと思う。
>>163 尼になった皇女はずっと処女だったと思われますし、
皇子も下手に子供を生まれてはかなわないので、そう簡単にやらせてくるかは疑問です。
昔も僧侶が隠れて女性としてたこともありますが、真面目な僧侶は男色のみで我慢してました。
168 :
日本@名無史さん:01/12/24 09:01
酒井忠勝は関東転封でほかの四天王が十万石、貰ってて、
かなり活躍してるにもかかわらず、
自身は二万七千石から三万石の家蔵にとどめられたよね。
家康に不満をもらしに行った酒井は「お前でも息子がかわいいか」
と言われ信康事件を暗に責められたそうだけど、
今は信康事件は家康主導と言われてるので、
酒井処遇の件についても、それならどういう真相なのか教えて欲しいです。
やや文章がおかしいけど適当に解釈して・・・
170 :
日本@名無史さん:01/12/24 09:14
>>148 遅レスですけど抜けました。
やり方があるというか、頭の中で想像の組み替えを行ってオナニーをするようです。
というか現代でも春画で抜くという趣味があるそうです。
まあ、伝統芸能みたいなもので、わりと高尚な趣味とされてます。
確か下山事件で謎の死を遂げた人物が
死ぬ前に銀行の貸し金庫から春画を引き出していました。
171 :
日本@名無史さん:01/12/24 10:52
>>158 勾玉とかの穴、個人的に私も興味あったけど誰も答えてくれないから調べてみちゃった。
(そういうわけで、専門ではないのでまちがってたらごめんね)
細長い石のキリみたいなもので作った、というのが一般的な見解みたい。
でも勾玉づくり体験のページがいくつかあって見てみたら、いろんな穴のあけかたしてた。
竹ひごみたいなものに土つけて摩擦力強くして、火をおこすみたいにこすってあけてたり
それこそ火おこしの道具みたいの使ってあけてたり。
>>168 その話自体いかがかとも思うけど、徳川氏の中で武功派的な人材重視から
文人的な人材が重視されてきたという時期ではなかったかな。
ちと忘れたけど。
173 :
日本@名無史さん:01/12/24 13:48
>>172 酒井忠次は政治、武功、ともに功績があったし、
十万石与えられた本多、榊原、井伊よりも
内政、外政に活躍しましたが?
174 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:24
>173
ふにゃ?本多正信が台頭してきて影薄くなってるじゃん。
それに、加増を申し入れたのは息子の領地についてでしょ。
それに、おおかたの意見ではその話自体、創作だと言われてるし・・・
175 :
日本@名無史さん:01/12/24 15:31
>>174 でも、彼の今までの働きからして、さらに自分より若輩の者が十万石になってるのに
彼がたったの三千石加増の三万石なのは相当、不満だったんじゃない?
それで、懇願に行ってもおかしくないけどね。
それと彼はその件以来、秀吉から京都に与えられた二千石ほどの土地に移りすんだそうで、
やはり、何かあったんじゃないですか?
176 :
日本@名無史さん:01/12/24 16:05
息子は馬鹿だったんじゃん?
なんかあったにしても、史料無いし突き詰めようがないと思うけど・・・
議論が目的ならスレッド立ててみれば?
ここはちょっとしたくだらない質問のスレッドなんだから
178 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:59
今日、津川雅彦主演の「プライド」見たんですけど、
裁判の途中で原爆の話が出ると通訳が止められたり、
エアコンがはいんないから休廷になったりする場面は
本当にあった話なんでしょうか?
あまりにも姑息なんで信じ難いんですけど。
>>178 「事実」としてがあったとしても、その意図を都合のいいようにねじまげて
作ることはいくらでもできる。自分で調べた方がいい。
ていうか、プライド自体なんだかなていう右翼オヤジとか関わってる映画だし。
まあ「映画」だからいいんだけど
>>179 ごもっとも。
明日にでも図書館いってきます。
もし参考にできるような本を知っているようならタイトルを教えてもらえませんか。
よろしくです。
182 :
日本@名無史さん:01/12/25 10:34
何を根拠に「三大改革」なのでしょうか?
田沼意次の政治のほうがよほど改革してる気がするのですが・・・
183 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:19
九州における戦前の近代の拠点施設(今念頭にあるのは5高や熊本大学)の配置の
順は福岡の次は鹿児島ではなくて熊本のようですが、どうしてなのかと思いました。
熊本のほうが人口が多かったのでしょうか。明治初年は薩摩の勢力が大きかったけど、
大久保などは日本全体の均衡発展を考えたということでしょうか。
184 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:24
age
185 :
日本@名無史さん:01/12/26 01:54
南九州は熊襲、隼人がいるけど天皇家は日向出身なのに日向隼人とは
別物なんですか?
昔の武士の石高でどの程度(藩の中で)の地位の人かわかりますか?例えば6万石ぐらいの大名の50石ぐらいの侍は、その藩ではどれくらいの立場なんでしょう?またその藩が外様・親藩・譜代ならば左記の石高の侍の地位はどれくらいなのでしょうか?
187 :
日本@名無史さん:01/12/26 16:53
>>138 アズマの妄想である新井満子は日本史板には実在しないと思われ
皇室同人ヲタ女という設定であるらしいが発言を見たことないように思われ
188 :
日本@名無史さん:01/12/26 17:16
戦国時代の武将が馬にまたがっているイラスト(または時代劇の写真)があるHPを
ご存知の方がいらしゃいましたら教えて下さい。
絵を描くための資料を探しているのですがみつからないもので…。
戦の時の馬の装い(?)が分かるイラストなどでも結構です。ヨロシクお願い致します。
189 :
吾輩は名無しである:01/12/26 20:46
維新の元勲たち5人の写真で、
左から木戸孝充、一人置いて岩倉具視、伊藤博文、大久保利通とありますが、
一人置いてに当たる人の名前を知ってる人はいませんか?
クイズでどうしてもわからないものがありました。
知ってる方いらしたらどうか教えてください。
問題:この動物の仲間の化石では国内最古5000万年前のもの、熊本で発見。
1.サイ
2.バク
3.ゾウ
191 :
日本@名無史さん:01/12/27 14:47
>>187 新井の話なんか
>>138は全然してないのに、なんで「新井不在説」
をわざわざ書いているんだ?
そういうおまえが新井満子なんだろ(藁
192 :
日本@名無史さん:01/12/27 15:15
>>186 どういう意味の「立場」を知りたいのかわかりませんが、
6万石の藩で50石ぐらいの侍なら上士・中士・下士という
区分けをするとすれば、中士でしょう。
ただ、中士だから藩内の侍を100分率で表した場合に
真ん中ぐらいの俸禄取りかというとそういうわけではなく、
ごく大雑把に言うと、6万石ぐらいの藩なら、徒士以上の階級の
武士500人、足軽中間小者などの武士身分の範疇に含まれる者が
さらに500人、計1000人ぐらいの家臣がいたのではないか
と思うのですが、50石貰っている武士というのは、その中で序列で言えば、
100番〜200番ぐらいには充分入っていただろうと思います。
大名の家来というのは、ごく少数の上士が藩全体の家来の俸禄の過半を
貰ってしまう、というようなことも珍しくないので、身分と全体での
位置というのがかなりズレています。1000人の家来の中で100番台なら
上士と呼んでもよいのかというと、そうは言えないのです。
193 :
尾張柳生の林家菊姫:01/12/28 00:20
インチキ霊能者を叩きのめせ!と言う事で、御知恵を拝借
今から300年程まえ、尾張藩で武道の指南役をしていたのは何家ですか?
その家の娘っ子(霊)が、自分のことを姫だとのたまいました
一族(祟られた人の先祖)に父母や飼犬と共に謀殺されたらしいです
194 :
日本@名無史さん:01/12/28 21:23
今月の諸君!で、秦郁彦氏が、つくる会教科書のコラムで真贋が
話題になった、幕末の白旗事件について、そんな事実はないと主張
していた宮地教授を非難しているけど… 結局、白旗事件そのもの
はあった、ということでいいの ?
宮地教授も白旗は幕府に渡したけど文書は存在しないとか、
説明をしただけで文書化していないとか言い逃れしているみたい
だけど。
既出だったら申し訳ありません。
戦国時代に「男は外に出れば7人の敵がいる」
という格言があるそうですが意味をご存知の方教えてください。
197 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:17
ここの初心者ですがなんかアズマがどうのこうのってのがたくさんあるんですけど
アズマっていったいなんですか?
198 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:30
↑二代目新井
199 :
日本@名無史さん:01/12/28 22:33
質もーん!
平家物語で三種の神器って海に沈んだことになってるけど、今の皇室の行事
に使っている三種の神器って後から作った偽物なんですか?
>>196 戦国時代じゃなくとも今でも言うよ。
検索サイトでキーワード検索してみればどっかひっかからないかな。
203 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:40
海に沈んだのはレプリカの方。
本物は熱田神宮にあずけてあるのは有名。
204 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:43
>201
沈んだのは剣。今は複製なんだそうだ。
鏡は生き残った人が所持していて、勾玉は木箱に入ってたから
海に浮かんだとかいうことで、無事だったということになって
いるらしい
うろおぼえなので間違ってたらごめん
205 :
日本@名無史さん:01/12/29 00:45
>>203 へー、そうなんですか!!驚き!!
初めて知りました。
206 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:39
ふにゃ?203と204と全く反対っすね。どして?
207 :
日本@名無史さん:01/12/29 01:53
剣は最初っから宮中にあったのはレプリカで、熱田に本物があった。
平家が持っていって壇ノ浦に沈んだのもこのレプリカ。
現在、宮中にあるのは新しいレプリカ。
鏡も本物は伊勢神宮。
勾玉だけ本物が宮中にあったのだと思う。
208 :
日本@名無史さん:01/12/29 08:33
>>196 そのまんまの意味です。
男は外に出るとたくさんの敵がいるということです。
今は女性が社会進出してるから、女性も七人の敵がいるでしょうね。
209 :
日本@名無史さん:01/12/29 08:51
新井満子って皇室大好きの同人女なんですか?
196です。
7人=たくさんの敵 ですか?
1人1人に深い意味があるのかと思っていたのに残念です。
お答えいただいてありがとうございました。
211 :
日本@名無史さん:01/12/29 12:40
国司が実質上意味をなさなくなった戦国〜江戸時代の「〜守」とか「〜介」
って何?大名なんかは朝廷の許しを得て名のってたにしても、かなり下級の者も
名乗ってたみたいだけど勝手に名乗ってたの?
212 :
日本@名無史さん:01/12/29 14:20
>>211 勝手に名乗っていたのもあるし、上司である大名から(朝廷ではない)任命されたり。
213 :
日本@名無史さん:01/12/29 14:24
「新井満子」
荒らしのアズマ人諸恥の脳内にのみ存在する同人女
214 :
日本@名無史さん:01/12/29 14:26
明治時代、総理大臣と元老ってどっちの方が権力があったの?
215 :
日本@名無史さん:01/12/29 17:58
長い歴史の中で、「平成」とはどんな時代であるか。
216 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:17
>212
秀吉が筑前の守って名乗ってたのは信長に任命されたのか?
信長の上総の介とかは?
>216
信長の上総介は「自称」。
218 :
日本@名無史さん:01/12/29 21:05
自称するなら遠慮せずに「守」を名乗ればいいのに。(親王の役職だとしても)
それもゆかりの無い上総なんかじゃなく尾張守とすればいいのに。
>>218 尾張の人間が尾張守を名乗ると、「尾張がどうしたこうした・・・」という話題が出たときに、人名か地名か分からなくなるので、特別な場合を除いては名乗らない。
信長は昔、上総守を名乗っていたんだが、人に忠告されて(上総は親王任国で守が存在せず、上総介が従五位相当の長官職となっている)、上総介と名乗り直したと、昔司馬遼太郎が書いていたような気がする。
220 :
DQNですみません:01/12/30 00:06
キトラ古墳で発見された「朱雀」の壁画は大変珍しいものだそうです。
理由は一般的に朱雀側は墓荒らしに入りやすい位置にあるため壊されやすいとのことです。
そこで質問何ですがどうして朱雀の書かれている壁側は墓荒らしが入りやすいのでしょうか?
宜しくお願いします。
221 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:09
222 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:12
>>220 朱雀が描かれるのは南側のはずだよね。
南から掘られることが多いということかな。
223 :
日本@名無史さん:01/12/30 00:38
正月にお寺に初詣に行く人は、煩悩を捨てるために行くんですか?
明治神宮へお参りに行って、何の御利益があるんですか?
>>221
ありがとう
225 :
日本@名無史さん:01/12/30 13:42
織田信長は、比叡山延暦寺の焼き討ち、足利義昭の京都追放など、
今までタブーとされてきた事を打ち破る破壊者だった伝えられています。
そんな信長が朝廷には手を出さなかったのは何故なんでしょう?
それとも、する必要が無かったのか、出来なかったのでしょうか……?
226 :
日本@名無史さん:01/12/30 20:16
明治時代、黒田清隆総理大臣のように政党無視をして、政治が
できるようでは、議会はない方がいいと思うのは漏れだけか?
>225
素人考えだけど、政治的権威として利用したかったんじゃないの?
今谷明『信長と天皇---中世的権威に挑む覇王』講談社現代新書
でも読んでみれば?(持ってるけど内容忘れちゃったよ・・・
228 :
日本@名無史さん:01/12/31 12:17
☆日本の合戦かく戦えり
スレの続編スレはあるんでしょうか?
あったら教えてください。
229 :
日本@名無史さん:01/12/31 19:05
>>225 神官の家系の流れを汲む織田氏は尊皇の家柄だったからです。
230 :
おしえてください:02/01/03 00:02
サッカーの日本代表のユニフォームのエンブレムに、神話に出てくるヤタガラス(と
思われる3本足の黒い鳥)が用いられています。ヤタガラスには、何かサッカー(あ
るいは蹴鞠?)に関係しそうな神話・逸話でもあるんでしょうか?。
ちなみに日本サッカー協会の旗にも同じ黒い3本足の鳥がかいてあります。
だれか知ってる人おしえてください。
231 :
日本@名無史さん:02/01/03 20:33
皇子の称号(?)が「皇子」から「親王」になったのはなぜ?
天武天皇の皇子たちは「〜皇子」(大津皇子等)と
「〜親王」(舎人親王等)が混じってるので時期的にはこのころだとは
思うのだけど。
232 :
日本@名無史さん:02/01/03 20:56
>>230 三本足の烏は太陽の使いです。
サッカーとの関係はわかりませんが、あるいは国旗の日の丸が
太陽を表しているということで、その使いのヤタ烏を採用した
のではないのでしょうか?
233 :
日本@名無史さん:02/01/03 21:03
>>226 戦前の内閣や議会のありかたにはいろいろ批判が
ありますが、たしかに今の内閣のようにその実態があいまいな
国民や国会に対して責任を負うというよりも、その存在が明確な
天皇に対して責任を負うほうが内閣の構成員それぞれの責任
意識は重くなるとも考えられます。
特に戦前の人達にとっての天皇というのは現在の我々の想像以上に
重要な存在でしたからね。
失礼。
226の言わんとすることを読み間違えて
トンチンカンなレスをつけてしまいました。
235 :
日本@名無史さん:02/01/03 21:12
ところでいつになったら新しいスレたてられるように
なるんだ?
もう5日以上新しいスレがたてられないぞ。
この板でスレ立てられるのはアズマだけなのか?
236 :
日本@名無史さん:02/01/03 21:16
>>235 いくつも普通のスレが立ってるじゃん。
あんたが荒らし認定されただけじゃない?
本当の解決黒頭巾をさがせ
名前: www
E-mail: sage
内容:
成りすましが多数。
いったいどれがホントの解決なのか。
質問するほうは振り回されて困っております。
どうにかしてください。
238 :
日本@名無史さん:02/01/03 21:20
235が荒らしだと思ってよむと、235=233=234のレスの意味も変わってくるな。
あれだけ汚職が多かった内閣に、責任感を見出そうとするのだから。
井上馨、山本権兵衛・・汚職ばっか。
239 :
おしえてください:02/01/04 02:38
>>232
そういえばサッカー日本代表ユニフォームのエンブレムにあるヤタガラスは、その足
の1本が太陽をつかんでいますね。ああ、太陽の使いですか。それなら納得です。
レスありがとうございました。
240 :
日本@名無史さん:02/01/04 02:43
241 :
日本@名無史さん:02/01/04 02:47
江戸城の天守閣っていつ無くなってしまったの?無血開城の時はあったのでしょ?
242 :
日本@名無史さん:02/01/04 02:53
ハルノートを突きつけられたとき、負ける戦争に突入せず
中国、満州から撤退できなかったのはなぜでしょうか?
メンツでしょうか、世論でしょうか。ソ連の脅威でしょうか。
現実的に撤退すると日本は食えなくなったのでしょうか。
243 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:03
だってやる気だったんだもん、最初から。
より寛大な中国(本土)での機会均等の要求を撥ね付け続け、
自ら石油が止められることを覚悟の上で南部仏印に進駐したのも、
もとより戦争したかったから。
これだけ強気だったのも、海軍が航空戦力の充実で、
自信を深めていたことが背景にあるようだね。
ただ、宮中、重臣勢力の方がストップをかけていたので、
その調整のためになかなか一本化できなかったみたいだけどね。
244 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:05
江戸城の天守閣は、江戸初期の火事で焼けて、
そのまま再建しなかった筈。
>>241 家綱のときに火事で焼けちまったよ。その後は再建されなかったよ。
保科正俊が、天守閣よりまずは町の再建を・・というようなことを言ったとか。
うろ覚えだけど、武断政治から文治政治への転換期をあらわす逸話として結構有名なはず・・
246 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:11
243に追加だけど、
あと、海軍の艦艇の力が接近していたというのも、
日本が開戦に踏み切った原因だろうね。
開戦が遅くなればなるほど、
アメリカは戦艦や空母を続々就役させるわけで、
ドイツ軍も優勢な今こそがチャンス、という発想があった模様。
247 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:12
なるほど、ありがとうございます。
徐々に徐々に世界情勢を誤ってとらえていってしまって結局
軍部を押さえられなくなったって感じでしょうかね。
一枚岩でなかったというか。
本土の軍と関東軍との関係ってどうだったのでしょう?
今で言うところの左遷みたいな感じで
あーおれ今度関東軍だよ全くー、みたいな感覚はあったのでしょうか?
248 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:18
>>247 いや、左遷じゃあないですよ、少なくとも日米開戦前は。
東京の省部(陸軍省、参謀本部)勤務の次ぐらいに、
「花形」という感覚はあったでしょう。
関東軍の司令、参謀クラスは、結構その後省部の参謀になってたりしますし、出世コースでしょうね。
249 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:22
それから、もう一言よけいなことかもしれないけど、
関東軍も満州事変を起こした段階では、
省部の若手参謀と密かに連携してたわけで、
この時期にはまだ「全くの独断専行」ではなかったという面もありますね。
ノモンハンあたりでは、全く独走してしまってますが、
それだけ「花形」という自負が強まっていたのでしょう。
250 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:24
>248
なるほどありがとうございます。
というのは、石原かんじみないなのが出てくるのは
やっぱり本土から離れると情報の不足があったのかとか
手柄をあげたいという欲求が強くなるのかな、と思いまして。
まあもともと石原個人はそういうヤツだったみたいですけど。
251 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:33
>>250 同一人物が、
前線に行くと途端に強硬になってしまうという例はいろいろあるようで(笑
なんとかならんかったのか、と思ってしまいますよ。
板垣なんかも、一応石原派(日中戦争については抑制的)の筈なのに、
盧溝橋事件の後、師団長として突っ走り、戦線を拡大してますしね。
有難うございます、江戸初期から江戸城って天守閣がそびえた姿じゃなかったのね。
納得しました、お城って皆天守閣がそびえ立っている印象があったもので、、、。
253 :
日本@名無史さん:02/01/04 03:39
>251
どうもありがとう。理解が深まりました。
遅レスどうもすいません。
>>203、204、207の方、レスありがとうございました。
とりあえず、三種の神器の本物は熱田や伊勢の神宮にあり、
今の儀式に使われているのもレプリカらしいようですね。
まあ長い歴史の中でどれかが紛失して偽者になっていても確かめづらいものかも
しれませんし。
少し利口になりました。
おいおい、いつになったらスレ立てられるようになるんだ?
俺は 以来ひとつもスレたててねえし、
荒し行為なんて一切やってねえぞ。
いいかげんにしろや。くそたーけが。
なんで「天コロを半島に返せ」のようなくそスレがたてれて
俺のスレがたてられないんだ?
この板はサヨ専用板かよ。たいがにせえや。
256 :
日本@名無史さん:02/01/04 16:50
>>255 お前なんて、いらねーよ
二度と日本史板にくるな
258 :
日本@名無史さん:02/01/05 02:46
>>233
サンクス!
>>255 私もそうなのん。同じプロバイダの人がたてまくってるのかなあ〜
ちなみにあなたプロバイダどこ?私(表示は)dionなんだけど。
日本史に残っている風俗店名をご教示ください。
>>259 私のプロバイダは地方のマイナープロバイダです。
dionではありません。
おそら私と同じ三河地方在住で刈谷に住んでいるというサヨの
アズマが私と同じプロバイダでスレを乱立させているのが原因ではと思います。
まったくいい迷惑です。
262 :
日本@名無史さん:02/01/05 21:52
学校で習う江戸時代の三大改革ありますよね?
その「三大」の根拠はなんでしょうか?
実質的に改革しているのは田沼意次ぐらいだと思うのですが
>>259 違いますかあ。
うーん、私もここ最近一度もスレッドたてられないんだけど・・・
何ヶ月もスレッドなんかたててないのに。
もしかしてここの板自体がおかしいのかな?
264 :
日本@名無史さん:02/01/05 22:27
>>262 なんか前にも質問あったけど答えがなかったみたいね。
よくわからないけどちょっとだけ・・・
共通しているのは大きな改革をしたということと、その理念みたい。
三つとも「復古」がテーマになっていることが関係するみたいなんだけど。
「三大改革」に関する定義自体、戦前からいろいろ言われてたらしい。
そもそも○○の改革という現在では定着した言い方自体、変遷があるみたいだし。
265 :
日本@名無史さん:02/01/05 23:28
>>264 なるほど。当時は三大とひとくくりにしていたわけではないのですね?
266 :
日本@名無史さん:02/01/06 03:44
黒船来航なんかの外圧が無かったとしたら、政治システムとしての
幕藩体制はいつ頃、いかなる理由で倒壊したと思われますか?
詳しい方、意見を聞かせてプリイズ
267 :
日本@名無史さん:02/01/06 04:30
三菱を興した岩崎弥太郎についてお聞きしたいのですが、岩崎家の出自
が近江商人と聞いたのですが、これの裏付けというかソースを知りたいの
ですが、ご存じの方はおられないでしょうか?
あと戦後の「いざなぎ景気」とは、三菱の出自にゆかりのある「いざなぎ
流」信仰にひっかけたと聞いたのですが本当でしょうか?
三菱と「いざなぎ流」がゆかりがあったということ自体初耳だったので驚
いているのですが…
268 :
kaf ◆GA9BCNoI :02/01/06 04:40
古墳などから出た「玉まきの鞘」で一番古いのは何だろ?
いわゆる JAPの神器の太刀のものと同型のなんだが・・・
国外でもいいけど・・・・
こちらが知る限りでは「藤ノ木古墳」のものが最古なんだけど・・・
カントウ太刀 玉まきの鞘ね
269 :
kaf ◆GA9BCNoI :02/01/06 05:12
どうしたどうした 酷使がいるんじゃないのか?
糞酷民などより大事な国体のことだぞ・・???
・・・酷態の誤字?・・・
270 :
日本@名無史さん:02/01/06 06:57
山川の用語集の現代文化のところに『吉川晃ニ』がありますが
どこぞのドキュソ教科書がコイツを載せたのか教えてください。
自分で調べたよ・・・???
伊勢の玉マキの鞘の太刀は・・・JAP天皇の神器ではなさそうだ
熱田にあるのがそうらしい・・・
でも 主神のアマテラスの太刀ということなのかな? わからん・・
神宝、神宝と繰り返すから・・・思わずチンポ・・・???
でも その本には藤ノ木古墳から出たものが最古では と書かれていたな
民、神板とか宗教にもカキコがあるから・・・ミレバ〜
とにかく6世紀後半に何か重大な伝承が伝わったんだと思うよ・・・
それを完結させたのが聖徳君かもな〜 神話も
272 :
岩崎家研究家:02/01/06 19:37
日本@名無しさんが聞いてた幕藩体制が壊れるのは、外圧がなければ
1900年が来る前に幕藩体制どころか日本自体が他の国の植民地になって
なくなっていたと思います。違いますかね?
274 :
日本@名無史さん:02/01/06 20:29
教派神道の神主って戦前では社会的地位はどんなものだったのですか?
又、維新時には士族に編入されたのでしょうか?
275 :
日本@名無史さん:02/01/06 20:32
>272
そういえば、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に岩崎弥太郎のことが書かれてるさ。
276 :
日本@名無史さん:02/01/06 21:12
>>263 おかしいですよね。
なぜかある特定人物(アズマ?)が立てたと思われる新規スレ
はいっぱいあるのに。
私は日本史板のアズマ騒動には関わらないようにしていますが、
アズマが2ちゃんねるスタッフであり、かつ、その特権を利用して
自分達の好みのスレッドだけを立てようとしているとしたなら
許せませんね。
2ちゃんねるのルールにも反します。
278 :
日本@名無史さん:02/01/06 23:01
279 :
ぁゃιぃアズマ人:02/01/06 23:08
>>277 バカじゃねーの。大方、変なことしてるから立てられない
ようにされたんだろ(藁
しかし、スレッドなんて立てなくても全然問題ないだろ。
俺なんて、ここ数ヶ月スレッドなんて一度も立ててねーぞ(藁
日本の近代化の特徴について世界と比較して論じなさい
お願いします
誰かおしえて〜
282 :
日本@名無史さん:02/01/07 01:17
283 :
ガリクソン:02/01/07 01:26
>280
むー、その問題、去年大学の世界経済論だかの試験に同じのが出たぞ。
まさかとは思うが、お前・・。
いいから教えて
285 :
ガリクソン:02/01/07 01:38
たくましいな。教えたいが教科書後輩にあげちゃってない。
よって無理。自分で調べろ。
286 :
日本@名無史さん:02/01/07 02:01
アズマって誰ですか?
287 :
日本@名無史さん:02/01/07 02:05
江戸幕府などの外交を継承しよう。
東国は西国より偉い。
明治政府の富国強兵に反対。
の毒電波的な発言を繰り返す団体。ネット活動しか出来ない(W
相手にしないで。
288 :
日本@名無史さん:02/01/07 02:14
289 :
日本@名無史さん:02/01/07 02:20
>>279 荒らしスレッドを立てたくて仕方ないんだよ、このバカコヴァ。
287のアズマの位置づけも、悪意にもとづいてデフォルメしているし。
290 :
日本@名無史さん:02/01/07 02:23
>>289 本当の意味を教えて下さい。
あと「アズマ」の語源はなんですか?
誰か教えて〜
292 :
NHK教育:02/01/08 03:03
「大坂」が「大阪」と呼ばれ始めたのはいつですか?
何がきっかけだったのでしょうか?
293 :
日本@名無史さん:02/01/08 11:06
>>216 遅レスだけど、秀吉は朝廷から正式に任官されている。
うろおぼえだけど、正式に公卿になると、たしか12人の諸大夫がひつようになる。
そのときに秀吉も光秀も任官したとおもったけど。
294 :
日本@名無史さん:02/01/08 11:22
アズマはしばしば正論を吐いてるよね。
それで論破されたコヴァが荒らしに回っているのが現状だね。
295 :
松嶋の正体:02/01/08 11:36
296 :
日本@名無史さん:02/01/08 15:41
南京大虐殺
蒋介石が共産党員、南京で30万人虐殺。
>>298 まさにばっちりのページです!ありがとうございます!
300 :
日本@名無史さん :02/01/09 01:54
古事記に登場する動物って何かいたっけか?
名字と名前の間に○○守ってつくのはどのくらいの身分からなんですか?
先祖が○○守 5000石と記されてるんですが、、
302 :
日本@名無史さん:02/01/09 15:23
>301
自称なら関係ない。禄高と官職は直接連動していないから。
>>301 禄高よりも家柄、役職に関係して来るんだよな。
勝海舟(軍艦奉行並、安房守)は300石プラス役職手当くらいじゃなかったか。
>>300 鶺鴒とか因幡の白兎とか。
あれは日本書紀の方だったけ?
305 :
日本@名無史さん:02/01/09 16:29
>301
そうそう律令の四等官制ですよね確か。
○○守って誰が決めるの?自称でもOKなの?
長官の意味である「守」以外にも、次官の「介」もよく聴くが
判官の「大掾・少掾」や主典の「大目・少目」も使うのかな?
○○大夫とかも家系図で見かけるが、大夫ってなんでしょうかね。
誰かそのあたりを教えて下さい。
306 :
日本@名無史さん:02/01/09 16:59
アズマって何?
307 :
日本@名無史さん:02/01/09 17:20
>>306 ここで登場するアズマは、
@在日朝鮮人である。
(666年に渡来人が東国に置かれ、それらの復活を願う連中)
A日本の伝統を潰す為に天皇家謀殺を掲げる過激派
B共産主義によるグローバル化否定論者に対する対抗策で
日本分裂崩壊を企む為の狂人的民族主義論を展開する輩。
彼等は日本の発展や国民の平和など微塵も考えていないし、
具体的なビジョンすら持ち合わせていない。
308 :
日本@名無史さん:02/01/09 17:22
天皇が日本の伝統?天皇こそ在日じゃん。
309 :
日本@名無史さん:02/01/09 17:24
>>308 確かに在日です。
在米でも在中でも在韓でもないですね。
310 :
日本@名無史さん:02/01/09 17:29
>>306 判った?308-309がアズマだよ。すぐ切れる所がチョン系犬食い民族だね。
>>307 Bじゃないの、ここの(最近の)アズマって。
312 :
日本@名無史さん:02/01/09 17:39
>>306 アズマとは、平将門、鎌倉幕府、鎌倉府、後北条、徳川幕府と続いた
東国国家の伝統や文化を継承し、東日本の天皇制からの自立を目指す政治勢力。
皇国史観は東日本自虐史観であるという観点から天皇制を激しく憎悪。
天皇を擁立して東国に押し付けた薩長の明治政府を敵視し、
天皇の京都への強制送還運動を推し進めている。
また文化面では、鎌倉武士の精神文化、江戸の庶民文化の復興を意図している。
真の伝統を擁護する保守とは、東国においてはアズマのことであろう。
正確には308のような、アングラサイトに巣食うウヨク
(他人をすぐ朝鮮人扱いするような、
世間ではほとんど見られない思考回路を持つ人)に対し、
無視すればいいのにわざわざ相手してる人たち。
京に朝廷を置き、東国にて武士(征夷大将軍)による全国統治を行う事でいいの?
たんに、1192-1867年間の武家制度復活論で良いのでは。
バカの便乗が、変に誤解を招く結果になったのか。
315 :
日本@名無史さん:02/01/09 20:01
1942年に施行された、英語にするとConciliation of Personal Affairs Actという
法律が何なのか、知ってる方がいたら教えてください。
ここの板じゃなかったらごめんなさい、どこに行けばいいかわからなくて…。
ポルトガルから日本幕府に提出されたヨーロッパについて書かれた報告書ってなんですか?
検索してもみつかりませんですいた。とほほ。
317 :
日本@名無史さん:02/01/10 11:06
>>316 日本幕府ってなんですか?江戸幕府のことですか?
オランダなら有名ですけどねえ…ポルトガルとなるとねえ…
318 :
ななーしー:02/01/10 14:09
戦前の日本の愛国教育について書かれたお勧めの本ありませんでしょうか?
319 :
日本@名無史さん:02/01/10 15:44
姓と氏と苗字(名字)はどう違うのでしょうか?
また、姓と氏と苗字(名字)を使い分けていたのでしょうか?
320 :
日本@名無史さん:02/01/10 18:51
おティンティンってなんですか?
321 :
日本@名無史さん:02/01/10 23:52
「権門」ってなんですか?
322 :
日本@名無史さん:02/01/11 10:41
>>319 現在は区別なしだが、明治以前は区別あり。
たとえば鎌倉幕府の執権北条氏の場合、
氏は平
姓は朝臣
苗字は北条
リアル工房す。
日本史と英語を一緒に勉強したいので、英語で書かれた日本史の
概説書を読みたいのです。
外人の有名な研究者が書いたしっかりしたものが良いのです。
どうか、紹介よろしくお願いします。
324 :
日本@名無史さん:02/01/11 11:47
325 :
日本@名無史さん:02/01/11 11:58
別に得宗家に限らんじゃん。
326 :
日本@名無史さん:02/01/11 12:00
けんもん【権門】
官位高く権勢のある家柄
辞書くらい引け。
鎌倉北條氏のことを、普通「執権北条氏」などとは呼ばない、ということだろう。
意味が通れば別にどうでも構わんのだが。
研究者によって呼び方はだいぶ違うし。
329 :
日本@名無史さん:02/01/11 12:24
違うだろう。
執権は必ずしも北条を苗字とする者がなったわけではないから、ということだろう。
331 :
日本@名無史さん:02/01/11 12:38
>>330 馬鹿だと気がついてないところじゃないの(w
貴司さんの維新前夜ってどこで手に入りますか?
だからどこが馬鹿なんだよ?
誤魔化さないで答えろ!
334 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:03
結局誤魔化ししかできないんだな(藁
336 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:10
337 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:11
334が馬鹿決定ということなんだな(藁
339 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:16
氏は平、姓は朝臣、苗字は北条と言い切れるのは本家(得宗家)のみ。
分家は北条一門とはいえ(執権職でも)苗字は北条とは限らない。
よって325が○○決定ということになるのかな?
アホか?大仏だって赤橋だって北条は北条だろ。
得宗以外は北条じゃない?
では得宗以外で執権を継いだ人間を「北条」の名を冠して呼ぶことも
誤りなのだな?
341 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:26
鎌倉時代、特に初期なんかは一人の人間が同時期にケースバイケースで
複数の姓を称したことも珍しくない。
得宗以外の分家北条氏の人間も、実際には北条を称したことのほうが
多かったのではあるまいか?
342 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:29
>>340 見ず知らずの人間のことをアホ呼ばわりする前に
苗字とは何かよ〜く考えてみようね。
おまえが325を最初にヴァカ呼ばわりしたんだろうよ。
分家だって北条は北条なのは事実。
分家は確実に北条ではないと、それこそ言い切れてこそ
>>324 みたいな言い方はできるし、人をヴァカ呼ばわりもできる。
よくかんがえなきゃいけないのはおまえさんだろう。
344 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:45
>>343 鎌倉後期、分家は確実に名字は北条ではないが、それが何か?
346 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:49
347 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:52
>>345 343じゃないけど、なんで「後期」なんて区切るの?
前期には違うのなら
>>324はやっぱり正しいとはいえないぞ。
348 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:56
>>340 アホか?北条だって平は平だろ。
平家以外は平じゃない?
では平家以外で平氏の血を継いだ人間を「平」の名を冠して呼ぶことも
誤りなのだな?
349 :
日本@名無史さん:02/01/11 13:58
350 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:01
>では平家以外で平氏の血を継いだ人間を「平」の名を冠して呼ぶことも
誤りなのだな?
誤りだろう(w
351 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:03
>>347 そうか?
すべての始まりの
>>322を見てミソ。
鎌倉幕府の執権北条氏の苗字はかならず北条か?
352 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:04
北条以外に何があんの?
353 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:05
354 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:06
大仏、赤橋だろ。
355 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:09
大仏・赤橋は「執権北条氏」なのか?
得宗以外は北条氏でないというのなら、大仏・赤橋は執権北条氏ではないだろ。
徳川御三家が徳川将軍家ではないように。
356 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:12
357 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:12
>>352 鎌倉中末期、鎌倉北条氏に異変が生じた。
京都の地名を苗字にした公卿に倣ったのか、
鎌倉とその周辺の地名を名乗ることが多くなった。
同時に赤橋流とか金沢流というように、苗字の固定化が始まった。
前者の例が、阿曽沼・江間・桜田・平野・松崎・高倉などで、
後者の例が赤橋・極楽寺・大仏・常葉・名越など。
358 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:14
359 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:15
では実際に名のっている人がいるのは何故?
平(長崎?)頼綱とか
360 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:15
352
>>357 だから執権北条氏は北条が固定した苗字だろうが?
361 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:17
362 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:19
>>361 いや、ヴァカはあんたのほうということであんた自身以外は
合意を得ました。
363 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:23
364 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:26
北条が苗字として固定されてそれを使い続けたのは本家だけなの。
分家は別の苗字を名乗っていったの。
365 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:28
>>362 いや、ヴァカはあんたのほうということであんた自身以外は
合意を得ました。
366 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:30
>>365 おまえ、そういうこと書いても虚しいだけだよ。
てゆーか、おまえ鸚鵡厨房だろ?
367 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:32
現在は区別なしだが、明治前は区別あり
たとえば鎌倉時代の北条得宗家の場合
氏は平、姓は朝臣、苗字は北条
どいつもこいつもこれで文句ないだろ。
368 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:33
>>364 併用じゃないの?100歩譲っても、分家出身の執権は「北条」を
名乗っていたのでは?
369 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:33
>>366 おまえ、そういうこと書いても虚しいだけだよ。
てゆーか、おまえΩ厨房だろ?
370 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:37
やはり鸚鵡だ(藁
371 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:40
平氏と平家ってどうちがうの?
372 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:51
やはりヴァカだ(藁
鸚鵡は相変わらずヴァカだということで終了。
最後にはいつも鸚鵡返ししかできない。
374 :
日本@名無史さん:02/01/11 15:17
おいおいなんか勘違いしてない?
鎌倉時代の赤橋、大仏なんていうのは苗字じゃないよ。
子孫は苗字になったかもしれないけど、苗字は北条のまま。
公家と同様に考えるべき。藤原氏でも法性寺とか松殿とか呼ばれたのと一緒。
たとえば時代は下がるけど、足利義視は今出川殿とよばれたが苗字ではない。
375 :
日本@名無史さん:02/01/11 15:28
>>305 古文の辞書の後ろの方によく官職一覧が載っているよ。
>○○守って誰が決めるの?自称でもOKなの?
公的にはもちろん朝廷が任命する。でも箔をつけるために勝手に名乗ることもある。
これはもちろんOKではない。
>長官の意味である「守」以外にも、次官の「介」もよく聴くが
>判官の「大掾・少掾」や主典の「大目・少目」も使うのかな?
もちろんあり。左衛門尉などは判官。
因みに親王任国の常陸・上野などは守は皇族がなるため、
かってに名乗る時もふつうは次官級の介を名乗った。
>○○大夫とかも家系図で見かけるが、大夫ってなんでしょうかね。
役所によって同じ読み方でも漢字はかわる。
たとえば「かみ」は、頭、守、督、正など。
大夫も同様に役所によるもの。
>>371 東洋文化圏の人間は漢詩の影響で、同一文節内に同じ漢字が入ることを好まない傾向があります。
その都合で、漢字には本来明確に区別されるべきにもかかわらず、同じ意味として扱う字が多数存在します。
つーわけで、そういう常用語についてはある程度はアバウトに扱っても問題ありません。
377 :
日本@名無史さん:02/01/11 16:05
>現在は区別なしだが、明治前は区別あり
>たとえば鎌倉時代の北条得宗家の場合
>氏は平、姓は朝臣、苗字は北条
なんで明治以降区別しなくなったの?
氏姓苗字がはっきりしている人は明治以前の素性がはっきりしている
人、苗字と名前の人は元々平民(農工商)みたいにした方が
わかりやすいのに。
氏素性がはっきりしている当時の華族、士族から反発はなかったの?
>氏素性がはっきりしている当時の華族、士族から反発はなかったの?
明治新政府の顔ぶれを見て言っているのかね?
>明治新政府の顔ぶれを見て言っているのかね?
そんなの知らないよ。
「くだらない質問はここに書け」って書いてあるから
単純に質問しただけ。
知ってるなら教えて下さい。
380 :
日本@名無史さん:02/01/11 17:10
>>374 某古文書では
武蔵守平朝臣 花押(赤橋守時)
ってなってるけど。
あと
>>357は間違いか?
382 :
轢死で〜す:02/01/11 17:27
チンギス・ハンが日本人(源義経あたりの人)って本当?
明智光秀が坊さんになり徳川の傍でずっと生きていて天寿を
まっとうしたって本当?
383 :
日本@名無史さん:02/01/11 17:46
姓、氏、苗字のそれぞれの意味は?
>明治新政府の顔ぶれを見て言っているのかね?
もしかして元々身分の低い新政府の人が権力もったのを
いいことに「え〜い、ごちゃまぜにしちゃえ〜い」
って感じだったのかな?
元穢多の人も非人の人も「高貴な苗字OKよ」ってこと?
385 :
日本@名無史さん:02/01/11 17:52
ダサツマってなに?
薩摩出身のアズマの親戚?
>>377 一番単純な理由は、当時の人間が姓、氏、名字、族字、諱名、通称、幼名・・・といろいろ持っていて、戸籍作るのにウザかったから。
まあ、四民平等を徹底させて華族を早く没落させたかったからとか、部落民から徴税を行う理由として適当だったからとか、いろいろ穿った見方はできる。
387 :
日本@名無史さん:02/01/11 18:33
兵糧丸が食える銀座の店を教えてください。
げ
390 :
日本@名無史さん:02/01/14 14:08
>>380 意味わかんないけど
>武蔵守平朝臣 花押(赤橋守時)
てのかっこは編纂者が注としてつけただけのものだから
当時の名前とか正式名称とかを反映しているわけではないと思うけど・・・
391 :
日本@名無史さん:02/01/14 14:24
武田信玄の兜についてる白いタテガミみたいなヤツ。なにか名前はあるんで
392 :
日本@名無史さん:02/01/14 16:45
394 :
日本@名無史さん:02/01/14 18:54
日本の公家・武家=騎馬民族
大多数の農民=南方系農耕民族(琉球、隼人、熊襲)
北方系狩猟民族=東夷。粛慎=アイヌ
アズマ=朝鮮人
395 :
日本@名無史さん:02/01/14 18:59
>>391 「ハグマ」と言ってヤク(インドの牛みたいな動物)の毛。
赤いと「シャグマ」という。舶来の高級品。
ヤクの毛のついた兜を「唐の頭」といって、「家康に過ぎ足るもの・・」と信玄をして言わしめたのは
信長から姉川の合戦の折、大量に徳川家に送られて、家臣の多くがこれをかぶってたからだそうです。
信長流に信玄をからかったのでは・・とか思ってしまう。
ちなみに維新、江戸開城のおり官軍が徳川所蔵の「シャグマ」「ハグマ」を接収してかぶったそうです。
だからドラマでよくある官軍が鳥羽伏見なんかで被ってるのはおかしいらしい。
歌舞伎でぶんぶん振り回すのも邪道。
397 :
日本@名無史さん:02/01/15 03:15
安土城ってどうして焼けてしまったの?
失火ですか?誰かに焼かれてしまったのですか?
398 :
日本@名無史さん:02/01/15 04:57
>>397 信長の次男の信雄が火を放ったとも言われるが・・・
いいな、簡単にスレッドを立てれる奴は。俺まるっきりだめ。
糞スレ観ていると腹が立つけど致し方なし。
誰ぞ、武家の家訓スレッド立ててくれ!
400 :
日本@名無史さん:02/01/15 19:16
400get
愛子のホントウの母、和子って誰ですか?
402 :
日本@名無史さん:02/01/15 21:04
403 :
日本@名無史さん:02/01/16 01:09
幕末の時に日本がイギリスなどの植民地にされなかったのは、
イギリスの方針が直接の植民地支配から、圧倒的な経済力を
背景にした自由貿易に切り替えたからですか?
それならば、なぜ南アメリカの国々のような状況に陥らなかったのか
詳しく教えてください。
age
395さん、ていねいな説明ありがとうございました。
406 :
日本@名無史さん:02/01/17 00:23
中世寺院法の、猶予付き罪科法って
どんなもんなんですか?
夜になると転送速度が極端に落ちるが俺だけか?
408 :
日本@名無史さん:02/01/17 01:13
孛國と書いてなんと読むんですか?
多分国名だと思うのですが、
おしてくださいませ
名前で、武士か百姓かわかるのですか。
参勤交代の途中でトイレに行きたくなったらどうするんですか?
411 :
日本@名無史さん:02/01/17 02:50
質問なんだけど。
戸田一刀斎ってどんな人なの?
柳生宗厳の師匠って事はわかったんだけど、肝心の戸田一刀斎の説明がどこにもなくて・・・
教えて。
412 :
日本@名無史さん:02/01/17 03:09
>>411 それだったら、綿谷雪著『日本剣豪100選』を読んでみ。
413 :
日本@名無史さん:02/01/17 13:08
>>408プロシア。ドイツの事じゃ。
つーかそれくらい検索サイトでキーワード入れて調べなさい。
國を現代の字に直せばでてくりょ。
414 :
日本@名無史さん:02/01/17 13:10
>>409わかる名前もあればわからない名前もあるかと。
415 :
日本@名無史さん:02/01/17 13:24
質問です。
湯島の蔭間茶屋って維新後どうなったんですか?。
いまはラブホ街になってるけど、やっぱりゲイの人向けなんですか?。
416 :
日本@名無史さん:02/01/17 14:33
阿部定のその後について知りたい。
ムショから出た後、置手紙を残して行方不明になるまでのことはそれなりに
わかっているようですが、その後について調べられなくなっています。
どこそこの老人ホームにいたとかウワサレベルの話はあるんですが・・・。
チャンと知ってる人いませんか?
417 :
日本@名無史さん:02/01/17 15:05
尾張成瀬家がかかわった青松事件とはどんなものだったんでしょう?
努力不足かもだけど、ネットと近所の図書館では調べられなかったんで・・・。
418 :
日本@名無史さん:02/01/17 15:55
だれか当時の赤線地図をお持ちになっていませんか
419 :
日本@名無史さん:02/01/17 15:57
>413
さーんくす!!
開け!ポンキッキ
って、ひらけ、ゴマ!の意味らしいよ。
422 :
日本@名無史さん:02/01/19 16:12
”縄妓”というのはなんでしょうか?
文献に出てきたんですがさらっと流されて全く見当がつきません・・・。
女性の職業?らしいのですが。
423 :
日本@名無史さん:02/01/19 17:43
村上侍郎という人物のデータを探しています。祖先、幕臣としての役職、子孫について。
その他、どんなデータでも構いませんので、人名・幕末から明治にかけての歴史に詳しい
方、情報下さい。宜しくお願いします。以下、判っているデータです。
田原坂の戦で死亡
死亡時の年齢は20台前半
元は幕臣(奈良に縁があるらしい)だが、官軍に属した
424 :
日本@名無史さん:02/01/20 02:39
今年のセンター試験の日本史はどう思います?
425 :
日本@名無史さん:02/01/20 12:07
426 :
日本@名無史さん:02/01/20 12:16
>>423藩付属の人ではないのだったら、『江戸幕臣人名事典』などには載ってなかった?
427 :
日本@名無史さん:02/01/20 12:23
厨房って何?
アズマって何?
ああ、幕臣人名辞典では慶応までだから本人は載ってないかも。
429 :
日本@名無史さん:02/01/20 12:35
>>422前後の文脈が出されたら少しはわかるかも・・・(あくまで「かも」)
430 :
日本@名無史さん:02/01/20 13:23
>>427 「アズマ」っていうのは、郷土の歴史と伝統を大切にしようと主張している
思想集団で、主として、日本史板の「皇国史観で東日本人を侮辱するな」
と言うスレッドで活動しているよ。日本史板で尊敬されている人たちさ。
431 :
ただの歴史好き:02/01/20 13:46
「白虎隊」のビデオ見ていて思ったんだけど、あの官軍側の指揮官がかぶってる真っ赤な髪みたいなの何なんだ?
ちょっと見、パンクロッカーみたいだけど、何であんなものかぶるようになったんだろ。
432 :
日本@名無史さん:02/01/20 19:04
>431
白(長州)が「はぐま」、黒(薩摩)が「こぐま」、
赤(土佐)は「しゃぐま」と呼ばれる各軍、藩の指揮官格の
人間の識別のため被られた物。チベットのヤクの毛でできている。
被られるようになった理由は他に威嚇や防寒等の為でもあるとか。
誰がいつ考えどこで作ったかは未だ謎。
ただ海音寺五郎の説では、江戸城にあった唐の兜を官軍が奪い
自軍の兜として作り直させたと言う事らしい。
433 :
日本@名無史さん:02/01/20 21:13
>432
そういえば家康のすぎたるものの一つにヤクかなんかの
毛がついたカブトがなかったけか?
434 :
日本@名無史さん :02/01/20 21:32
板違いかもしれないけど、日本国旗の「日の丸」の部分と
その他の「白い」部分は一体何を表しているのでしょうか?
明治初期の財政は累積債務などでせっぱ詰まっていたそうですが、
その建て直しを府藩県三治制という地方自治の改革や、
地租の税収方法改革でどうにかしたという事を聞きました。
改革前と改革後の変化を、府藩県三治制という制度をとおして教えて。
元は源氏の白旗だったのを毛唐に降伏の旗だと言われて赤丸いれたの。
age
438 :
ただの歴史好き:02/01/21 06:45
>432
ありがとう!
なるほど、今のところ「定説はない」っていうことですね。
結構、何気ないことにミステリーってひそんるんだな〜。
439 :
日本@名無史さん:02/01/21 22:26
今日水戸黄門で喜連川藩がやってたんですけど
宿場の人が「このへんは旗本の土地が入り組んでいて、旗本は江戸にいるし
道中奉行に訴えなきゃならないんです。でも道中奉行は相手にしてくれない
んです」と言ってました。でも最後に藩主(喜連川氏)はでてきたんです。
なんだか支配のしくみがよくわかりませんでした。
喜連川が特殊なんですか?こういう場所ってよくあるんですか?
440 :
日本@名無史さん:02/01/22 00:44
官軍の行進曲?
笛の「ぴゃーひゃらら・らららら〜」って感じのメロディの曲が妙に好きなんですが
何という曲名なんですか?
>>440 全然わかんねー
せめてどういう場面で出たとかいわんと(それでもわかるかしらないけど)
442 :
日本@名無史さん:02/01/22 01:19
>>440 「我は官軍」の間奏部分に使ったりするアレですよね。
もちろん「我は官軍」そのものじゃないし、曲名があるのかどうかも?
443 :
日本@名無史さん:02/01/22 06:56
次の人物のうち、渋谷の最も近くに住んでいたのは誰ですか?
木戸孝允 坂本竜馬 板垣退助
西郷隆盛 高杉晋作
>>443 そんな田舎の寒村に住んでた奴がいるのか?その中に。
446 :
日本@名無史さん:02/01/22 20:30
447 :
日本@名無史さん:02/01/23 03:40
平安貴族(主に上流)って弓をたしなんでいたのですか?
どなたか教えて下さい。
>>447 藤原道長と伊周が競射をした話は大鏡だっけ?
あの話そのものは創作だろうってことだけど。
449 :
日本@名無史さん:02/01/23 12:23
次の人物のうち、渋谷の最も近くに住んでいたのは誰でしょうか?
1:木戸孝允
2:坂本竜馬
3:板垣退助
4:西郷隆盛
5:高杉晋作
一応検索してみたのですが、よくわかりません。
一時的でも住んでいたら該当するのでしょうか?
坂本竜馬と西郷隆盛は今の中央区に住んでたことがあるという
記述は見つけたのですが渋谷からは遠いし
板垣退助の墓は世田谷区ですが、墓のある場所に住んでいたとも
限らないし・・・
450 :
日本@名無史さん:02/01/23 12:34
>>449 しょっちゅう引っ越していた場合はどうなるのでしょうか?
坂本竜馬なんて決まった場所に住んでいたらあぶないから
固定した場所に住んでいたなどとは思えないのですが・・・。
451 :
日本@名無史さん:02/01/23 12:57
>>450 ちょっとでも生活していたら「住んでいた」ということに
なるそうなんですが...
452 :
君が代の現代語訳はこれでいいんですか?:02/01/23 13:00
唯物論的[ ● ] 現代語訳
地球史におけるホモ・サピエンスの時代は
すでに1000〜8000世代を経過したことになる
(1世代15年とすると8000世代で12万年)
この時間経過は砂礫が堆積して水成層を形成し
あたかも一塊の岩石のような状態になるのに
かかる時間にほぼ一致するといってよい
そういう地層は還元状態にあるので
掘り返したときはきれいな色をしていても
空気に触れて酸化すると次第に黒くなる
ちょうどコケが生えたように
453 :
日本@名無史さん :02/01/23 13:08
>>452 最後の方になって飽きてきた感じが見え見えなので不可
>>449 割れサイトのパスワードかよ・・・自分で考えろ!
455 :
日本@名無史さん:02/01/23 15:27
司馬遼太郎の燃えよ剣って
もえよけん?
もえよつるぎ?
456 :
日本@名無史さん:02/01/23 17:27
ケンだろう。
厳密にはカナタは片刃、ツルギは両刃をさすことが多い。
ケンの場合は狭義にはツルギを同義だが、上記の両義的に用いられ得る。
457 :
日本@名無史さん:02/01/23 18:20
沖縄の歴史で、中山察度王の羽衣伝説(天女の羽衣)の
特徴って何ですかねぇ・・・?
>448
ありがとう。
そういえば古典でそんな話を教わったような・・。
でも創作?なんですか?
459 :
日本@名無史さん:02/01/24 02:35
>>458 大鏡の話は知らないけど、
『蜻蛉日記』で作者の息子(藤原道綱)が、弓の競技会みたいので1番になったという話があったような。
460 :
日本@名無史さん:02/01/24 03:56
>>458 『大鏡』南院の競射のエピソードについては実話ではないだろうと
聞いたけれど詳しくは知らない…スマソ
ただ、そういう説話が伝わってるってことは弓をたしなむ人が
多かったってことじゃないかな?
ってゆーか平安時代に詳しい人はいないのかー
461 :
日本@名無史さん:02/01/24 05:16
荒木村重の妻って誰?
出身家を知りたいんですが
462 :
日本@名無史さん:02/01/24 12:26
この板やっぱり人が少ないのかな?
今、インターネットで話題になっているという幕末志士の
集合写真について誰も触れていないじゃん。
463 :
日本@名無史さん:02/01/24 12:41
464 :
日本@名無史さん:02/01/24 12:44
>462
豪華メンバーじゃな。
百年前からインチキとわかっていたらしいが。
465 :
日本@名無史さん:02/01/24 15:34
466 :
日本@名無史さん:02/01/24 16:37
>>461 池田勝正かなんかの娘では?
たしか主君の婿だったはず。
467 :
日本@名無史さん:02/01/24 16:48
>>466 それって「たし」って名前で絶世の美女といわれて
村重謀反のあと処刑された人ですか?
468 :
日本@名無史さん:02/01/24 17:44
先生!質問があります!
南朝の家系はその後どうなったのでありますか!?
469 :
日本@名無史さん:02/01/24 23:33
>463
そうそうこれこれ。
志士の間に明治天皇がまじっているのは明治天皇替え玉説や孝明天皇毒殺説
を裏付ける重要な証拠だね。
つまり、明治天皇というのは志士の中の一人で、たまたま南朝の血を引いて
いたからまつりあげられたにすぎなかったってことだね。
470 :
日本@名無史さん:02/01/25 22:45
すみません、
歴史学における、右系の歴史観とその変遷、左系の同じく・・・
というようなことが解説されてるような本ありませんか?
まともな学者が書いたやつがいいです。
471 :
日本@名無史さん:02/01/25 22:55
福島正則改役事件のさい、
毛利家は何か不穏な動きはしなかったんですか?
福島徹底抗戦が予想されてたそうで、
毛利が旧領快復のためになにかしようとしても不思議ではない。
>>471 すでにそんなことあきらめて何もしなくても不思議ではない。
>>470 社会学ならあるかもしれませんが、歴史にするにはナマすぎるでしょ。
474 :
日本@名無史さん:02/01/26 15:35
>>462 結構前になんでも鑑定団かなにかで一笑されてたっけな
なんだか懐かしいよ
475 :
日本@名無史さん:02/01/27 20:41
米俵1表ってどれくらいの重さなんですか?教えてください
476 :
日本@名無史さん:02/01/28 11:34
>>475 地方によって違いますがだいたい約60kg。
北朝鮮の工作船と本国との無線を傍受した海自の施設があったのが
キカイ島とありましたが
これって平家物語にでてきたキカイ島のことですか?
478 :
日本@名無史さん:02/01/28 17:46
従軍刀鍛冶(?)として有名な成瀬関次氏の,経歴と業績を教えて下さい。
生没年とか,『戦ふ日本刀』『随筆・日本刀』『日本刀の話』以外の主要な著書とか。
明治憲法と日本国憲法の違いを教えてください。
(90字以上〜100字以内で。)
日本史に詳しくなれるゲームないかな。信長の野望みたいな。
481 :
日本@名無史さん:02/01/28 21:07
初めまして、ぶしつけな質問で恐縮です。
すみません、よく文献や小説などに出てくる「表(おもて)」って
どういう意味でしょうか?。もしかして裏とかもあるんでしょうか。
使い方も教えてもらえると嬉しいです(^^。
補足いたします。
「会津表」とか「信濃表」、「大坂表」などという使われ方をする時の
「表(おもて)」です。よろしくご教授ください。
#戦国版で数日レスをもらえなくてこちらにマルチポストさせて
いただきましたm(__)m。
482 :
質問なのですが:02/01/28 23:36
新撰組の沖田総司の病気、「労咳」って結核のことなんですよねぇ。
ってことは、他の隊員にうつしちゃってたりしてないんですか?
>>481 「表」につく名詞の側面とか外周とか、つまり国境周辺。
ある方面にある地方を指したりすることもある。(例:東国表)
なんとなくつかっっちゃってたりするんだよね。
484 :
日本@名無史さん:02/01/29 00:00
あらまちがえてさげちゃった。
>>479 ネットでキーワード検索してみましょう。
探すことも勉強。
ふむむ、微妙っぽいですね。有り難うございました。
486 :
日本@名無史さん:02/01/30 17:01
藤原氏以外で関白になったのは豊臣秀次だけだってホント?
>468
秀吉は?
>468
失礼。関白就任時の秀吉は藤原姓だったんだよね・・・ト
489 :
日本@名無史さん:02/01/30 20:45
時代劇とかで同心の後ろで六尺棒持っている人はどういう人なんですか?
490 :
日本@名無史さん:02/01/30 21:06
なんで信長は将軍になれなかったのでしょうか?
492 :
日本@名無史さん:02/01/30 21:35
信長将軍職は義昭の息子、義尋に将軍職につかせようと考えていたようです。
で、信長本人はというと、平清盛にならって「太政大臣」になろうと
していたようです。(信忠が平重盛の例にならって「右大臣」とか)
493 :
日本@名無史さん:02/01/30 21:37
>>492 それで焦った足利義昭が朝廷や毛利、長宗我部、教如、明智光秀をそそのかして
本能寺の変が起きた、とか。
本能寺の変で思い出したけど、今
「夢狂いに候 信長シリーズ2」羽山信樹 小学館文庫 ISBN4-09-403586-9
読見終えたとこ。こういう作風はいいなあ。羽山氏の早逝が惜しまれる。
495 :
日本@名無史さん:02/02/01 15:27
今日は児島惟謙の誕生日らしいのですが、どうして大津事件で津田三蔵巡査は
ロシア皇太子(後のニコライ2世らしい、しらんかった!)を切りつけたのですか?
中学校の頃から不思議で仕方がないので誰かご存じの方おられましたら教えてください。
>>495 津田家に西南戦争の時にもらった賞状か何かあって、
西郷隆盛がロシアで生きているという説を三蔵が信じてて、
西郷が帰ってくると賞状が取り上げられると思って、
ニコライ二世を切りつけた。
日本とロシアで戦争がおこれば西郷は帰って来れないから?
そんな話、児島譲の本に書いてなかったっけ。
>>496さんありがとうございます!自分も本とかで調べてみます。
でもなかなかすごい話ですね〜西郷伝説が絡んでいるかもしれないって!!
498 :
日本@名無史さん:02/02/02 00:26
壬申の乱以降の天皇を語る時、
「天智系」とか「天武系」とか言うのはなぜ? なんか意味あるの?
499 :
日本@名無史さん:02/02/02 00:51
江戸時代の松平がややこしいんです。
見分け方を教えて。本姓と賜姓との
500 :
日本@名無史さん:02/02/03 23:44
蘭学はどうして消えたのでしょうか?
501 :
日本@名無史さん:02/02/04 00:41
酒井佐衛門尉家と雅楽頭家はどちらが本家なのですか?
502 :
日本@名無史さん:02/02/04 02:06
昔、朝廷にはちゃんと朝廷軍みたいに軍隊が有りましたよね?
(白村江の戦い。や、蝦夷征伐時の軍隊)
それが、平安後期頃から、戦争と言うと武士で、朝廷の直属軍の様な物が
急に無くなった印象なのですが、それは何故なのでしょうか?
503 :
詳しい人フォロー願う:02/02/04 11:41
>>498 南北朝時代頃の天皇を、「持明院統の・・・」あるいは「北朝の・・・」とか
なんとかいうのと似てるかと。
血族関係が政治的な関係にも影響を及ぼしたからでしょう。
>>499 官途名や名前でどの人物かを判断するしかないでしょう。がんばりましょう。
>>500 「消えた」とは何のことを指しているのかわかりませんが
江戸時代には鎖国の影響で「蘭学」=「西洋科学」だった
のが、開国してからは事情が異なってきたからでは。
504 :
果断の鉢植え:02/02/04 12:16
>502
律令体制下では、当初兵役(防人や衛士)は租庸調同様に平民階級の負った
義務だったのですが、健児の制が出された以降は郡司の子弟の担当となり
さらに律令体制が崩壊していく中でともに形骸化していった。
だと思うのですがどうでしょうか?
506 :
日本@名無史さん:02/02/04 13:48
>482
結核の場合、感染力は風邪やインフルエンザほど強くないので、身体さえ
丈夫であればそれほど心配は無かったかも。
もっとも、仮にうつっていても記録に残っていないか、それとも発症する前に
斬り死にした可能性も。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」で、松本良順が新撰組屯所を訪れた際に、健康
相談のようなことをやっていたシーンがありました。
もしこれと史実に重なる部分があったとしたら、ある程度結核の予防には
なっていたかも知れませんが...
507 :
日本@名無史さん:02/02/04 13:52
>477
平家物語で俊寛などが流されたのは「鬼界ヶ島」で、現在の鹿児島県硫黄島。
現在の「キカイ島」は「喜界島」。
>果断の鉢植え殿
お答えサンクスです。
”健児の制”ですか・・・ 初耳でした。
自分の中では教科書等でも、武士の登場〜活躍、の流れは有るのですが、
それが何処でどの様にして兵制が廃れていった(取って代わったか)と言う
記述が無かったので、大変助かりました。
509 :
日本@名無史さん:02/02/05 01:25
>>500 蘭学とはオランダ語を通じて外国の事情を取り入れる学問ですが、
幕末ごろには覇権がオランダからイギリスに移っており、開国後は現実的には
オランダ語より英語が必要になっていた。よってオランダ語を学ぶ価値が下がってしまったので
蘭学は自然に衰えてしまったということ。
510 :
日本@名無史さん:02/02/05 01:33
戦国時代、昔は守護大名クラスの名家が落ちぶれても、
家康によって旗本や領地安堵などをしているが、何故彼等がその末裔と解るのか。
幕府にそんな捜査機関があったのかな?
だれかご存知ないですか?
512 :
日本@名無史さん:02/02/05 01:57
でもツレじゃあるまいし。
俺としては、日本国民に対しての玉音放送の一言一句で十分納得成立なんですがね。
今の苗字が作られたのは300年前、寺小屋の普及により庶民が読み書きソロバン
を習い始めたのがきっかけだってホントですか?
514 :
日本@名無史さん:02/02/05 02:11
>513
誰がそんなこといってんだよ。
大嘘だよ。
苗字の点も寺子屋の点も年代も。
この文章正しいとこ一つもないな。
●本、●野、●坂、●橋のような庶民の苗字が突然明治になって作られた
という説を信じている人はもはやあまりいないと思うが、江戸時代の中ごろ
から、佐藤、とか加藤だとか伊藤の苗字が一般的に流布したのは事実。
秀郷流といっても連続性はないよ。
志 寝
517 :
日本@名無史さん:02/02/06 00:23
・律令制下の軍制は、どこの国を参考にしたものなんですか?
・隅田川河口に幕末期に建設された施設はなんですか?
518 :
日本@名無史さん:02/02/06 03:06
戦国期までは武士だった家が江戸時代になって本家は帰農して、
分家は新しく来た大名に仕官した場合どちらが家の格はどうなるんですか?
×どちらが家の格はどうなるんですか→○どちらが家の格は上になるんですか?
520 :
日本@名無史さん:02/02/06 11:10
521 :
日本@名無史さん:02/02/06 11:12
>>518 あなたのいう「格」となに?
それによるでしょう。
522 :
日本@名無史さん:02/02/06 12:10
>518
戦国期までの武士と江戸期の武士は別物でしょう。
それまで完全な職業軍人なんてほとんどいなかったのだから。
524 :
日本@名無史さん:02/02/06 17:27
>>518 分家の京極流佐々木家の方が、本家の六角流佐々木家よりも室町幕府での席次が上だったり、石高で勝る福井松平家の方が、水戸徳川家よりも家格は下と見なされたり。
いろいろなケースがありますが、たとえば冠婚葬祭なんかの席次だと、家系図順に並べるのが一応の基本らしいです。
525 :
日本@名無史さん:02/02/06 19:35
実在した侍で、かみいずな、上綱?
って人いましたが、下の名前はなんていいますか??
526 :
日本@名無史さん:02/02/06 20:16
尊皇攘夷ってどういう意味ですか?
簡単で良いので教えてください。
527 :
日本@名無史さん:02/02/06 21:07
「尊皇」は天皇マンセー.朱子学の大義名分論に由来するとされるが
ほとんどの連中は訳もわからずに尊皇してただけかも.「攘夷」または「倒幕」
の手段として「尊皇」を掲げたにすぎず,本気で尊皇家だった奇特な連中など
よほどの変わり者と思われ.
「攘夷」は,字義からいうと「外国人を撃ち払え」という意味だが,
西洋人を夷狄視する単純な外国排斥思想ばかりではなく,殖産興業によって
経済立国することによって自由貿易のもとで堂々と諸外国の産業と対抗しよう
という思想も,ひろい意味での「攘夷」に含まれる.いまの言葉でいうと
「ナショナリズム」に相当する.
ナショナリズム思想である「攘夷」が,現代でもある程度普遍性がある思想であるのに
対して「尊皇」は,幕末における天皇という特殊性に依拠する思想である.
528 :
日本@名無史さん:02/02/06 21:14
>>527 分かりやすく、ありがとうございました。
ペコリ
529 :
日本@名無史さん:02/02/07 11:12
>>527 その「攘夷」の定義は広すぎるよ。
普通、幕末の攘夷=ナショナリズムではないよ。
530 :
日本@名無史さん:02/02/07 12:10
竜馬についての質問ですが。
江戸の御前試合で桂小五郎に勝って優勝した。と、よく見かけるのですが
なにやら竜馬は長刀の目録しかとってないとも聞いたのですが
土佐では剣術をやってて強かったのですよね?
桂に勝ったのは本当なのでしょうか?
また、江戸では剣術はあまりやらなかったのでしょうか?
教えてください。
531 :
日本@名無史さん:02/02/07 12:17
まあ,ナショナリズムでどんぴしゃというわけではないが,外国勢力からの
日本が独立or自立がテーマだったはず.
いまのことばでいえば「独立派」ぐらいかな.
攘夷といっても,西洋人を夷狄視する発想から抜けきれなかった排外主義思想
としてのみ捉えるのでは,吉田松陰(この名を出すと荒れそうだが・・・)を
もはや攘夷とはいえなくなってしまう.
532 :
日本@名無史さん:02/02/07 17:16
レポートうざいYO。教職の必修だから落とせないし。
詳しい人、きっかけでも何でもいいから教えてください。
---------------------------------------------------
統帥権の独立 ロンドン条約批准
↑批判 統帥権干犯批判
美濃部達吉=立憲主義→ 浜口内閣VS議会
浜口内閣VS枢密院
天皇機関説排撃を落ちに。
---------------------------------------------------
ってノートからレポート作れって・・・。
533 :
日本@名無史さん:02/02/07 23:09
>>532 大学の、あるいは地域の大きめの図書館に行ってみましょう。
そこに『国史大事典』(吉川弘文館発行)という事典がありますから、
そこで、ノートに出てくる全ての用語をひいてみましょう。
半端じゃない分量の「ヒント」がでてきます。
『国史大事典』がなければとりあえず日本史の大きな事典でひいてみましょう。
頑張ってね
愛子が皇太子栗卒だってデンパですか?
535 :
日本@名無史さん:02/02/07 23:16
文書に、「殿」をひらがなで「どの」とか「との」とか
「様」をひらがなで「さま」って書いてあるのあるんですけど、
どういう違いがあるんですか。ひらがなで書いたほうがくだけているとか?
536 :
日本@名無史さん:02/02/07 23:55
>>535 そうですね。
一般的には、敬称をひらがなで書く方が薄礼です。
というか、それは現在の社会でも同じだと思うので・・・
537 :
日本@名無史さん:02/02/08 01:23
ちょっと質問があります。
中国における「義兄弟」と日本における「義兄弟」について知りたいのですが、
日本における義兄弟は講談社現代新書の「武士道とエロス」くらいしか知らないのですが、
なにか他に学術的な本はありますか?
レポートで必要なもので……
538 :
質問です!:02/02/08 21:14
自力救済って何ですか??全く意味が分からないのでどなたかお願いします。
539 :
日本@名無史さん:02/02/08 21:19
>>537 ちょっとネットで検索したけど、出てこないねえ・・・
家族史のほうにはないのかな?
知ってる人いないかねえ。私も興味ある。
>>538 字のまんま。自分たちの力で自分たちを救済する。
日本史の授業で「自力救済について論述せよ!」
っていう課題がでたんですけど、私理系だし、日本史全然わかんないんです。
すいません・・・・・
う〜ん・・・難しいなぁ
>>541 授業の内容は?唐突にそんなレポートでるわけないよね・・・
絶対授業中に関連のことやってたと思うんだが?
もし中世とかだったら、藤木久志の本でも読んでみましょう。
西洋史では「フェーデ」。
これヒントにネットでキーワード検索してみて下さい。
543 :
日本@名無史さん:02/02/08 23:34
>>542 ありがとうございました!やってみます!!
544 :
日本@名無史さん:02/02/09 00:35
>>543 いいかい、ネットだけでなく、ちゃんと本読むんだよ
藤木久志だったら戦国だから、いくらかとっつきやすいと思うぞよ
つーか、これで授業内容とはずしてたら大笑いだな・・・
545 :
日本@名無史さん:02/02/09 03:59
沖縄がアメリカから日本に返還された年っていつですか?
教えてください。
546 :
日本@名無史さん:02/02/09 04:01
1972
548 :
日本@名無史さん:02/02/09 11:00
くだらない質問でしたら申し訳ありません
日本は第二次世界大戦、無条件降伏で終了しましたが。
無条件降伏というのは何なのでしょうか?
私は小学生のころから「条件をつけられない、日本にとっていいことだったんだ」
というふうに思ってきてしまったんです
ところが、無条件降伏であるが故に日本はなかなか降伏できなかったとか
よくわからないんです、教えて下さい
僕が「利家とまつ」を見るといつも利家が土下座中なんですけど、
どうして彼はあんなに土下座ばかりしているのでしょう?
たぶん、好きでやってるわけでもないんですよね!
550 :
日本@名無史さん:02/02/09 14:46
>548
中学生? 小学生の頃アホだとやっぱり中学生になってもアホなんだな。
まあ、日本とアメリカが戦争したことを知ってるだけでも偉いか。
551 :
日本@名無史さん:02/02/09 15:00
>548
アメリカにとっての「無条件」ではない。
552 :
日本@名無史さん:02/02/09 17:55
>548
連合国側の押しつけてくる無理難題にも
「無条件」で従いますってことだよ。
いつも時代劇で見ると裃も着物もアイロンかけているがごとくですが
ほんとの所どうだったんでしょううか?
将軍がシワシワの裃であらわれたらどうしよう?
554 :
日本@名無史さん:02/02/09 18:59
>>548 無条件降伏の無条件とは、
日本側には何の条件も認めない降伏ということです。つまり降伏に
あたって日本側は連合国に何一つ要求できない、ということです。
殺すも殺さぬもアメリカしだいってこと。
555 :
not 548:02/02/09 19:14
では、アメリカが日本から賠償金をとらなかったのはなぜですか?
556 :
日本@名無史さん:02/02/09 19:47
>>550様、
>>551様、
>>552様、
>>554様
本当にありがとうございました。長年悩んでいたことがようやくわかりました。
ちなみに、高校生です;
でも、その「無条件」の割には日本のアメリカ軍滞在、沖縄の32年間の占領などと
なんだか突きつけてきたものが軽く感じてしまうのですが、何故なのでしょうか。
>>555の方と重なってしまうような質問&教えてですみません。
558 :
日本@名無史さん:02/02/09 20:08
>>555
説明すると長くなるからだいぶかいつまんでいうけど
戦争が終って、兵隊帰ってくるし、工場なくなっちゃったし、
その頃、大凶作だったとかで、素薔薇しく大衆の不満が高まってたのね。
そこで、右翼&左翼がメーデーやら二・一ゼネストやら起こしちゃったのね。
ここで左翼が勝って社会派になっちゃったらサ
日本を拠点として色々しよう(朝鮮戦争とか)と思ってる民主主義のアメリカとしては
面白く無かったのね。
だから、日本の重荷を軽くしてあげようとしたにょ。
・・・でも、減額しただけで本当は賠償金は払ってたような気がする。
559 :
日本@名無史さん:02/02/09 20:18
>>558 どうして面白くなかったのに(マイナス)
→重荷を軽くしてあげようとした(プラス)
になるんでしょうか?
560 :
日本@名無史さん:02/02/09 20:28
そもそもポツダム宣言には幾つかの降伏条件が
示されていたので、厳密にいうと無条件降伏じゃない気もする。
>>559 「政府の」重荷を軽くしてあげたら、市民の負担も多くなって
多くの人は運動を起こす方にはいかなくなる。
558じゃないけど、左翼とかアメリカとか朝鮮戦争とかの関係
わかってるとわかると思うんだけど・・・
562 :
日本@名無史さん:02/02/10 05:37
>>553将軍さまがシワシワでは、カツコ悪いです。
でも大丈夫。アイロンがありました。フトンの下に敷いておく、寝押し
というやつです。(いゃあ、これは冗談)
「コテ」あるいは「焼きゴテ」といって、先はアイロンの形状しているが
小さくて30から40センチの木の柄がついていて、これを炭火で暖めて
日本手拭いの上からしわ伸ばしをしたと思います。
563 :
日本@名無史さん:02/02/10 06:01
>>562書き間違い。
30から40センチのこれも鉄製の棒状に木の柄がついて・・・。
今でも和裁をやられる方は使用していると思う。戦後まで
どこの家庭でも、一つや二つあつたはずです。
また、これも戦後まであったのですが炭火を後方からの引き出し
から出し入れするもの、外国のアイロンが入ってきてからだと
思うけれど。
>>563 ありがとうございました。
江戸時代はあったと思いますが、
その前は....
桓武天皇とか、頼朝とか、尊氏さんなどはどうでしょう?
イヤー みんなシワシワの衣冠束帯だったら、と思うと...
>>559 ここで頭に置いておきたいのは、日本をアジアの拠点とし、
なんとしても民主主義であり続けさせなければいけないとアメリカが思っていたこと。
(本来なら中国を拠点としようとしていたけど中国て社会派だったの)
左翼(革新派)が勝って、社会派になっちゃったら
朝鮮戦争をしようとしている民主主義のアメリカは
色々な所で食い違いが起こってくると判断(←漏れの推測)したのね。
民衆がメーデーを起こすのは、働いても働いても雀の涙ほどの給料なのに、
賠償金などの為に税金だけはとるトコロに怒ったわけ。
そこでアメリカはメーデーの根本にある賠償金を減額した。ってわけだす。
>・・・でも、減額しただけで本当は賠償金は払ってたような気がする。
訂正→・・・でも、減額しただけで本当は賠償金は払わせてたような気がする。
ゴメソ
なんとなくわかりました。ありがとうございました。
ということは朝鮮戦争から日本経済が回復したことも、
歴史的には(むしろアメリカ的には)必然だったんですね。
色々と為になるお話ありがとうございました。
またじっくり本を読んで勉強しようかと思います。
結局、日本経済の回復は朝鮮戦争が必然でありそのおかげでもあった、ということなんですよね。
そう思うと、複雑な気分です・・・。
上泉信綱?
569 :
日本@名無史さん:02/02/11 21:41
日本刀と木刀ってそれくらい重量の差ある?
570 :
日本@名無史さん:02/02/11 23:33
時代劇に出る武家の女の人が習ってる武器って、みんな長刀ですよね?
弓とか剣道とかでないのはどうしてなのでしょう?
女の人は長刀でなくてはいけない、というような決まりか何かあったのでしょうか?
去年の大河では弓やってる人いたけど、今年の大河の女の人は長刀やってる
のを見て思い出して・・・
質問です。
東西南北って、何気なく使ってたんですが、
この概念って、コンパスが出来てからなんでしょうか?
それなら、大航海時代まで、東西南北とはどんな風に使ってたのでしょうか?
ご存知の方教えてください。
572 :
日本@名無史さん:02/02/12 19:37
>>571 大航海時代の引き金といわれるのはあくまでも羅針盤の改良であって
方位自体は相当昔からあったと思うが・・・
573 :
日本@名無史さん:02/02/12 21:16
>>571 君の頭の中の歴史書では、太陽とか北極星は羅針盤より後に発明されたのかね?
>>570 諸説ありますが、要するに室内で戦うのに一番有利だとされていたから。
今でも薙刀やフェンシングの試合で横に回り込むのは禁止されておりますな。
576 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:02
>>574 なるほど、あくまで室内戦闘を想定した訓練ということでしょうか。
ありがとうございました。
577 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:21
日本陸軍の、兵士は強かったとよく言われますが
具体的にどの様に強かったのでしょうか。
また白兵戦が世界一強かったと言うのは本当でしょうか。
それらの強さは何で培われた物でしょうか。
578 :
日本@名無史さん:02/02/12 23:27
上級武士、中級武士、下級武士の基準を教えてください。
580 :
日本@名無史さん :02/02/13 11:00
大政翼賛会って、正式な英語の名称はあったんでしょうか。
もしなかったのなら、論文に書く際にどう英訳すべきでしょう。
581 :
日本@名無史さん:02/02/13 12:08
ちょんまげの風習っていつから始まったんでしょうね?
582 :
日本@名無史さん:02/02/13 12:22
廃刀令に違反した人の処罰って厳しかったんですか?
それとも地方によって若干、規制のゆるいとことかあったんですか?
>>581 とある学者によれば、月代を剃るのは弁髪と同じくもともとは北方系倭人の古風習で、渡来人等の影響で貴族が総髪になっても、東国の庶民はちょんまげ状態だったんだとか。
>>569 腰刀とならだいたい同じくらい。
戦場用の胴太抜や馬上刀はもっと重い。
585 :
日本@名無史さん:02/02/13 20:48
>>577 つまり、白兵戦に特化した軍隊だったから。
日本陸軍は早くから戦目を中国大陸での短期決戦に定め、散兵戦や塹壕突破を主体とした訓練、人材育成を行っていた。
ゆえに対ゲリラ戦や要地防御戦などではあっけないほどの脆さを見せている。
その自慢の白兵戦でも、中国兵や英仏の現地徴用兵と戦って連戦連勝というだけで、対米兵となると、兵力ほぼ互角の遭遇戦を結構取りこぼしたりもしている。
期待していた答えでなくてすまんね。
586 :
日本@名無史さん:02/02/13 21:20
戦前の軍人って国家公務員なの?
陸軍大将とか海軍大将とか。
>>586 調べてないまま言いますが、多分そうでしょう。
恩給とか出るし。
588 :
日本@名無史さん:02/02/14 08:15
質問です。
大正時代を扱ったスレがみつかりません。
この板は扱わないのでしょうか?
見落としている可能性も高いので、ご存知の方
是非教えて下さい。宜しくお願いいします。
589 :
日本@名無史さん:02/02/14 10:52
>>586 公務員じゃなかったら何だと思ったのか?
会社員か?
徴兵されてるし、考えればわかるよな普通。
吉原とかでは、どうやって避妊してたんですか?外出しですか?
>>590 「吉原 避妊」で検索するといろいろ出てきます。
基本は膣洗浄。
592 :
大和(やまと♪):02/02/15 00:44
初歩的な質問でスイマセン
戦国時代に多くの武将達が官位を持ってたじゃないですか?
そーいった官位って
何時、なんで、誰から貰えるんですか?
三成や、大谷吉継などは秀吉の下にいたから貰えたって理解できるんですが
その他の小武将ってなんでかな〜?
593 :
日本@名無史さん:02/02/15 00:47
594 :
日本@名無史さん:02/02/15 00:53
595 :
日本@名無史さん:02/02/15 01:34
素朴な疑問。
古代、中世、近世とかって呼び方あるけど、
そうしたら今は現代なわけで、
500年、1000年後も今の時代は「現代」と呼ばれるのですか?
596 :
大和(やまと♪):02/02/15 01:47
>594
自称と確認されてるのを幾つか有名なトコロで教えてくれませんか?
>>596 いや、自称の方がほとんどで正式に叙任された方が少ないはずです。
織田信長の上総介も自称ですから。
598 :
日本@名無史さん:02/02/15 02:03
>>592 官位は天皇から受けるものだが、守名はちがうかも?
誰か教えて?
599 :
大和(やまと♪):02/02/15 02:07
>597
ナルホドッ!! ほんま有難う♪
これでまた少し歴史の知識が増えたよ♪
応仁の乱 本能寺の変 西南の役 満州事変 全て戦争の名称やけど
この乱とか 変とか 役の違いって何んでしょうか?
601 :
大和(やまと♪):02/02/15 02:15
>600
「乱」と「変」ってのは
変は「一方的にやられてる」って解釈してる
乱はその逆
役は大掛かりな戦争では?
602 :
日本@名無史さん:02/02/15 11:48
>>592>>598 基本的なことですが、「官位=官職+位階」ですよ。
それから、これは既出だと思いますが、
守などの受領名をはじめとして、公式には官職は朝廷から賜ります。
それから官職を名乗る場合は、
1.正式に貰ったもの。
2.主君から貰ったもの。
3.勝手に名乗ったもの。
と分けられると思います。
地方の大名や国人、百姓などの多くは自称です。
2.についても主君から貰ったとはいえ、
朝廷で正式に任官していないので自称と同様でしょう。
>>595 500年、1000年後にならないとわからないよ・・・
604 :
日本@名無史さん:02/02/15 16:28
>>600 「変」は事件。本能寺の変は暗殺事件扱いです。
「乱」は反乱、あるいは朝臣同士の私戦。
「役」は朝廷外の勢力との対外戦争。
なに、満洲事変は満洲戦役と呼ぶべきではないか、ですと?
それじゃ日本が中国から満洲を乗っ取ったみたいではないですか!
あれは満洲人の独立運動ですぞ。そりゃ日本も関与しましたけど、あくまでお手伝いですからな。
日中戦争ですと!? だれがいつ中国と戦争などしたのです?
あれは盧溝橋の落とし前をつけに行っただけです。「支那事変」と呼ぶのが正しい。
606 :
日本@名無史さん:02/02/15 17:47
2.26事件に詳しい資料かサイトってありますか?
607 :
日本@名無史さん:02/02/15 21:32
609 :
日本@名無史さん:02/02/16 04:23
>595
君はガンダムを見てないのか。
宇宙世紀0079では、ヒトラーは中世の人間だ。
エジプトもツタンカーメンの頃から見たら、古王国・中王国・新王国が
それぞれ古代・中世・近世みたいなもんだろうが、今ではひっくるめて古代だ。
古事記編纂の頃は神代・神武〜・仁徳〜が古代・中世・近世みたいなもんだろうが
今ではひっくるめて古代だ。また地質学的に見れば、古代も中世も近世も近現代も
新生代第四紀だ。ハンムラビから見ればバビロン第一王朝は現代だろうが
我々から見ればウル・アッカド同様古代だ。孔子から見れば春秋時代は近現代だろうが
我々から見れば殷周同様古代だ。カニシカ王から見ればクシャーナ朝は近現代だろうが
我々から見ればマウリヤ・マガダ同様古代だ。ローマ帝国人は王政ローマ・共和政ローマ・
帝政ローマが古代・中世・近世みたいなもんだろうが我々から見れば全部古代だ。
日本史なのか、世界史なのか・・・
「渤海」という国について知りたいです。
特に、渤海から日本に来た使節の人員構成や、服装、船
・・・つまりビジュアル的なことに関する資料ってないですかねぇ。
資料じゃなくても、自説・推測でもいいんで、
専門の方、歴史好きな方、なにか教えてくれると嬉しいです。
611 :
日本@名無史さん:02/02/16 06:09
『日本後紀』弘仁六年正月七日条
渤海國大使 王孝廉 從三位
副使 高景秀 正四位下
判官 高英善・王昇基 正五位下。
録事 釋仁眞・烏賢偲
譯語 李俊雄 從五位下。
『日本紀略』天長三年五月十二日条
渤海國使 政道進少卿高承祖 授正三位
副使 高如岳 正四位上
判官 王文信・高孝英 二人正五位上
録事 高成仲・陳崇彦 二人從五位上
訳語 李隆郎・李承宗 二人從五位下
六位已下十一人、又有叙位。
『続日本後紀』承和九年四月五日条
大使 賀福延 正三位
副使 王寳璋 正四位下
判官 高文暄・烏孝愼 二人並正五位下
録事 高文宣・高平信 安歡喜 三人並從五位下
譯語已下首領已上十三人 隨色加階
以上のように大使・副使が一人、判官・録事・訳語が一人以上、
それに首領と呼ばれる地方有力者が十一人程度、という構成で
使節の合計人数は弘仁11年以降100〜105人に固定します。
(それ以前は20人前後)
>>611 さすが!!ありがとー
>使節の合計人数は弘仁11年以降100〜105人に固定します。
>(それ以前は20人前後)
唐で安禄山の乱が勃発したすぐ後のもの(天平宝字3年のもの)
について知りたかったので(書き忘れてました。申し訳ない)
二十人前後だったということですね。
613 :
日本@名無史さん:02/02/17 14:17
貫高を石高に直すにはどうしたらよいのでしょうか?
614 :
日本@名無史さん:02/02/17 14:27
ばかちんが!!!!
615 :
日本@名無史さん:02/02/18 09:10
>>613 換算率を割り出して計算すればいい。
だいたい1石=1貫といわれてる。
わかってると思うけど、換算率は時代や地域によって違うから、そのへん気をつけて。
616 :
日本@名無史さん:02/02/18 17:18
黒印と花押ってどう違んですか
どういう意味があるのですか
617 :
日本@名無史さん:02/02/18 17:46
>616
花押は本人が書くのね。黒印は家来でもおせるのね。
戦国時代になって領地に対してきめ細かい対応が必要になると、
大名はたくさん文書を作成する必要に迫られる。
そうすると、花押書いてられないじゃん。効率悪くて。
だからはんこがでてくるんだよーん。
618 :
日本@名無史さん:02/02/18 17:47
花押ってのは原則手書きだろ
619 :
日本@名無史さん:02/02/18 17:54
>618
ごくごくわずかだけど、はんこみたいなのあるんだよ。
ペタッて上から押すと、輪郭だけ文書に映るの。
で、あとから中の色塗るんだな。
島津家に残ってて、文書と一緒に重文になったと聞いたぞ。
620 :
日本@名無史さん:02/02/18 19:03
天皇さまに子供が出来ない場合どうしたら継続できるの?
621 :
日本@名無しさん:02/02/18 20:42
623 :
日本@名無しさん:02/02/19 20:48
藩士なのに墓石に刻まれている俗名に名字を書いてなくて下の名前だけを書いてある
ことってありますか?
625 :
日本@名無史さん:02/02/19 23:33
>>623 どういうことだかよくわからないが、
先祖代々の墓なら名字同じだし下の名前書くんじゃないの?
626 :
日本@名無史さん:02/02/22 11:49
三国志・戦国板ってありますよね。
なのに何故、ここで戦国を主題としたスレッドがたつのでしょうか?
というより、あまり文句が言われないのは何故なんでしょうか。
煽りではなく、初心者としての疑問です。
627 :
日本@名無史さん:02/02/22 13:44
>>626 そうだなあ。以前は禿しく非難の的になったものだが。
つーか、ゲーオタなレスじゃなくて、ある程度歴史趣味者らしいスレ進行ならば
許されるってことじゃない?
同じタイトルのスレでも三戦板と歴史板じゃレスの内容が別の視点からのものになるべきで、
実際そうなってれば問題ない、と。
以前、問題になってたのは内容がゲーオタな話ばかりだったんで嫌われたってこと。
628 :
日本@名無史さん:02/02/22 15:31
日本史ってほど古くない気もしないでもないけど(いやかなりする)、
関東大震災のときの朝鮮人虐殺事件は何で起こったのか自分的に謎。
噂が立ったとかなんとか教わったけどそんな浅いモンじゃないと思う。。。
>>626 627も言ってるけど。一応あちらは「趣味」のカテゴリでこちらは「学問文系」と
なってることからも、それなりの趣向の違いははっきりしてるよね。
客層もあんまり重なってないんじゃないかなあ・・・
私は戦国三国志も含めて歴史好きだけど、戦国・三国志板は全く見ない。
日本史・世界史板はいつも見るけどね。
631 :
日本@名無史さん:02/02/23 08:22
元冠について詳しく書いてあるサイトを教えてください
632 :
日本@名無史さん:02/02/23 08:25
≫626
それは三国志関係と戦国関係(日本史)のスレを
区別するのがめんどくさいからです。
633 :
日本@名無史さん:02/02/24 04:30
あの、明治以前の人物の正式名、例えば伊達政宗なら「伊達左京大夫藤原朝臣政宗」といったものの他の人物の例や、
これに現れる朝廷の官職名、序列なんぞを調べたいのですが、学ぶには丁度良い!というサイトなどあったら教えていただけませんか?
634 :
日本@名無史さん:02/02/24 13:13
白虎隊って何で偉いんでしょう。
どうして切腹した人たちだけが持ち上げられて、戦死した人は顕彰されていない?
第一、切腹だって、城が燃えている、落城だっ、つう誤認からでしょう?
しかも、最近の研究で発作的に反射的に腹を切ったのではなく、城が見えるところに到着してから1時間半から2時間後に切腹始めたと聞いた。
2時間あれば飯盛山から城まで往復できるよ。どうなってんだ会津人?
635 :
日本@名無史さん:02/02/24 13:23
>>634 いったい誰が偉いって言ってんだよ
外行って頭冷やしてこい
636 :
日本@名無史さん:02/02/24 15:29
西郷隆盛って、西南の役で自刃したって話とヨーロッパで逃げたって話を
聞いたことがあるんですが正しくはどうなんですか?
637 :
日本@名無史さん:02/02/24 15:31
室町時代の日明貿易や日朝貿易の輸入品の1つに米がありますが、この時代の日本は
米の自給が不完全だったんでしょうか?
638 :
日本@名無史さん:02/02/24 15:35
>>638 日朝貿易では、対馬の人たちが中心に行っていましたよね。対馬は米はあまり取れなかったので、朝鮮から輸入という事になったと思われます。
日明貿易でも米って言うのは、ちょっと分からない。船員が食べる分ではないですよね。637さんどこでこの情報入手しましたか?
639 :
中3(受験生):02/02/24 16:06
今の福岡県って島津藩だったことってないですか?
640 :
日本@名無史さん:02/02/24 16:09
>>638 すいません。大唐米を米の一種だと勘違いしておりました。
641 :
日本@名無史さん:02/02/24 17:35
642 :
日本@名無史さん:02/02/24 20:55
643 :
N(エ〜ヌ)・W(ダ〜ブリュ)・O(オ〜):02/02/25 01:05
初歩的な質問をさせてください
テーマは「上洛」ですので、似たようなのを幾つかしますがご容赦を
一・上洛の意味と、その効果
戦国時代には幾つかの大名が上洛を志たものですが、京都に来たからって
ナンなの?
二・足利義昭は美濃に阻まれてる「信長」や、遠くの「謙信」に上洛を促したが
なんでもっと身近の「六角氏」に頼まなかったか?(多分、三好三人衆と関係?
三・将軍義昭が他家に上洛をさせて、なんの得があるのか?
四・京に最も近かった「六角氏」は何故、天下を取らなかったのか?
です。長くなって申し訳無き候
644 :
日本@名無史さん:02/02/25 01:17
>>643 二・について
たしか奈良を脱出した足利義昭が真っ先に身を寄せたのは六角氏です。
しかし当時六角氏は観音寺騒動の余波で国人衆に対する統率力を失ってたので
上洛どころではなかったと思います。
>>643 初歩的というけど、結構難しい話だと思うよ。
特に1のような上洛の意味というのは、天下とか公儀とかの話にも結びつ
きそうだし・・・
ちなみに「申し訳無き候」は「申し訳なく候」の方がええと思う。
古典文法やね。
646 :
吾輩は名無しである:02/02/25 01:46
前大戦時、中国戦線では日本兵は戦闘による死より餓死者の方が圧倒的に多かったと聞いたのですがその原因は?
すれ違いですか?
647 :
日本@名無史さん:02/02/25 01:57
室町幕府は義昭が生きているうちは毛利で続いている
京を目指すのは足利家をどかせ 堺などの経済基盤を
自国に取り寄せようとした
648 :
日本@名無史さん:02/02/25 02:00
豪族、土豪、国人の違いを教えてください。
常識的なイメージでもいいです。
649 :
日本@名無史さん:02/02/25 15:02
>>643 >一・上洛の意味と、その効果
たぶん期待しているものと違うと思うけど。
いまでいう上京の意。本来ほかに意味を持たない。
>三・将軍義昭が他家に上洛をさせて、なんの得があるのか?
他者に上洛してもらうことが目的でない。
あくまでも将軍の配下としての大名の軍事力に期待したもの。
>四・京に最も近かった「六角氏」は何故、天下を取らなかったのか?
とる必要がないし、実力もない。
そもそも大名の究極の目標は天下とりではない。
650 :
日本@名無史さん :02/02/25 16:16
651 :
日本@名無史さん:02/02/25 16:36
>>649を読んでて思ったけど
>そもそも大名の究極の目標は天下とりではない。
ここがわかってないヤツ多くない?なんでなの?
652 :
日本@名無史さん:02/02/25 16:39
日露戦争ではどの師団が一番死傷者が多かったのでしょうか?
653 :
N(エ〜ヌ)・W(ダ〜ブリュ)・O(オ〜):02/02/25 16:47
>644・645・649
教えて下さって誠に有難う御座います
やっぱその当時の人間じゃなきゃ分かり得ない問題なんでしょうね。
朝倉義景も天下を取るつもりは無かったって言うし
歴史って奥が深いな〜♪
654 :
日本@名無史さん:02/02/25 17:17
>>630
ありがとうございました。
655 :
日本@名無史さん:02/02/25 19:12
>>651 ごめん、俺もわからないです。
所領安堵、家名存続とか?
656 :
日本@名無史さん:02/02/25 21:02
>>643 それだけ、複雑かつ複数の質問なら
スレ立てても良いんじゃない?
657 :
日本@名無史さん:02/02/25 21:59
>>648 豪族と土豪はほとんど意味変わらないと思う。土地の有力者という意味で。
国人というと、それより範囲が広い。土豪や豪族のこともほどの権勢がない者
にも「国人」とはいう。
ちょっと辞典ひいてみた感じでだけど・・・自分で辞書ひいて凡例等々を見る
とると感覚がわかると思うんだけど・・・
658 :
日本@名無史さん:02/02/26 00:13
>ここがわかってないヤツ多くない?なんでなの?
現代が国民国家中心だからでしょうなあ
現代的な感覚で昔を考えちゃうんでしょうなあ
659 :
日本@名無史さん:02/02/26 08:04
>>643 >>653 言っちゃ悪いが私は
>>643の意見はトンチンカンなとこがあると思うよ。
というのは単に将軍を奉じて上洛させただけでは全然天下取りにならないの。
信長以前にも多くの大名が将軍を奉じて入京したんだよね。
例えば、
細川勝元 応仁の乱で義視側を撃退し9代将軍をたてる。
大内義興 亡命してきた10代将軍義種を奉じて3万の大軍を率いて上洛、
管領補に任じられ義種を補佐し実験を握るとともに、安芸を攻めるなどして勢力拡大。
細川政元 足利義晴らをカイライとし政権を握った。
三好長慶 政元を追い出し、足利義輝をカイライとした。
松永久秀 長慶を骨抜きにし義晴をカイライとした。
特に信長より六十年も前に大軍を率いて上洛した大内義興の例を見れば良くわかるが、
上洛したり、将軍を抑えても天下取りにはならないんだね。
朝倉とかは厄介ごとを押し付けられたようにしか感じないだろうし、今川も親戚の足利家を助けようとしただけだ。
で、六角が何故、天下を取らなかったというと、
そもそも六角は細川、シバ、畠山、赤松、山名といった室町幕府にもともと近い家で、
六角定頼なんて管領にすらなってる、室町幕府・足利家を潰す側というよりは守る側の家なんだけどね。
660 :
日本@名無史さん:02/02/26 08:10
>>643はこのスレの専用を立てた方が良いよ。
トンチンカンな部分もあるものの、なかなかいい疑問だ。
で、何故、六角が天下を取らなかったのをまとめると、
まあ「何故、細川は天下を取らなかったか」というのと答は同じだと思う。
細川も六角もいわば室町幕府内部の存在で、
もともと、天下を取っているような存在なんだよね。
六角家はもともと細川家、シバ家、畠山家に次ぐほど室町幕府で重きをなした存在と見ていい。
661 :
日本@名無史さん:02/02/26 08:36
>>636 西郷がヨーロッパに逃げたという話しは
義経がチンギスハンになったとか、明智光秀が天海僧正になったとかいう良くある、奇説の一つにすぎません。
>>639 ありません。
考えられるのは島津が九州制圧まであと一歩というとこで、
秀吉遠征軍に撃退された時、ほんの一時的に福岡県の一部の国人が島津に寝返ったりしたかもしれません。
662 :
中3(受験生):02/02/26 16:46
663 :
日本@名無史さん:02/02/27 10:07
>>626,
>>627,
>>629 日本史板も三戦板も時期とともに空気がかわっていく。
三戦板には日本史板よりレベルの高いスレいくつもあるよ。
かつてのアズマ騒ぎの頃の亡命者が何人も三戦板に土着したと思われ。
三戦はなー、歴史上の人物に対して(良くも悪くも)強い思い入れのある人が多いのか
議論の途中でヲタとアンチの罵り合いになりやすいのがいやだ。
比較的冷静に話しができるという点では日本史板の雰囲気の方が好き。
665 :
日本@名無史さん:02/02/27 13:22
A級戦犯の人たちにどんな人がいたか
教えてください
自分が知っているのは
東条英機、松岡洋介、正力松太郎、岸信介
あと笹川〈モーターボートの人名前が分からないので〉
これぐらいしか分からないのでお願いします
666 :
日本@名無史さん:02/02/27 14:34
質問させて下さい。
平安時代で藤原純友、藤原元命(尾張の国司で訴えられた者)等は
藤原氏(鎌足の子孫)ですか?
宜しくお願いします。
667 :
日本@名無史さん:02/02/27 16:43
>666
そうです。
668 :
日本@名無史さん:02/02/27 22:13
ペリー来日で開港したのは下田・函館。
ハリス来日で貿易港指定されたのは函館・新潟・横浜・神戸・長崎。
下田が貿易港に指定されなかった港の地形的理由以外になにかあるのでしょうか……?
669 :
日本@名無史さん:02/02/27 22:16
アズマは壇ノ浦で
建礼門院をレイプしたの?
670 :
日本@名無史さん:02/02/27 22:17
>>668 位置が中途半端なんじゃないの?
大都市に近くないし。(江戸には横浜で足りるし)
671 :
日本@名無史さん:02/02/27 22:18
>>665 Googleかなにかの検索サイトで、キーワード検索して探して下さい。
「A級戦犯」とでも入れればどこかでたどり着くよ。
672 :
日本@名無史さん:02/02/27 23:53
すごい初心者な質問なんですけど、半月くらい前から思い出したくてたまらないんです。
昔の、署名(?)か何かで、首謀者と言うかリーダーが誰だか判らないようにするために
円状に署名をするのってあったじゃないですか。
B←こういうのが
○←こうなんです
それって何ていう呼び方するんでしたっけ?
いつ頃の時代かも思い出せない上歴史の教科書なくしたから調べようがなくて困ってたんですが
どなたか教えていただけませんか?
>672
唐笠連判状ですかな。
>673
おお!それですね!!そうですそうです。
どうも有り難う御座いました!!!
礼には及ばぬぞ。
676 :
日本@名無史さん:02/02/28 02:46
こまかいことだけど
「傘連判」ね
読み方はからかさだけど。
>676
おお、そうでありましたか、あいすまぬ、かたじけない。
678 :
日本@名無史さん:02/02/28 23:36
火縄銃の使い手で有名な人っていますか?運用ではなく遠距離の射撃を成功したとか
命中率が非常に高いとか現在のスナイパーのような人はいませんかね?
679 :
日本@名無史さん:02/03/01 02:05
伊達政宗が何故死んだのか、教えて下さい。
秀吉のせいなのですか?
680 :
日本@名無史さん:02/03/01 02:16
>>678 『駿府記』の内容を信じれば家康。
2町(200メートル程)の距離で的に何発も当てたと言うのがある。
銃の性能を考えればオリンピックのメダリストも顔負けだと思う。
681 :
日本@名無史さん:02/03/01 02:19
>>680 種子島の射程って1町弱じゃなかったですか?
682 :
日本@名無史さん:02/03/01 02:20
683 :
日本@名無史さん:02/03/01 02:23
>>681 >種子島の射程って1町弱じゃなかったですか?
ここら辺が良くわかんないんで、あくまで信じれば何だけどね。
684 :
日本@名無史さん:02/03/01 03:04
日本赤軍とかの右翼について詳しいHP誰か知りませんか?
探してもなかなかいいところが見つからなくて…。
685 :
日本@名無史さん:02/03/01 06:54
>>679 三代将軍家光の代に胃ガンで死にました
享年70
686 :
日本@名無史さん:02/03/01 14:54
687 :
日本@名無史さん:02/03/01 16:10
日本の歴史人物で全くの地方の人物なのに全国的に有名な人物というのがいる。
人物事典などでも全国的レベルで語られる人がいる。
地方人と全国的人物をわけるのはなんだと思いますか?
>日本の歴史人物で全くの地方の人物なのに全国的に有名な人物
学校教育(ex.二宮尊徳)と娯楽(ex.清水の次郎長)による知名度の問題じゃないの?
689 :
日本@名無史さん:02/03/01 17:00
>>687 大河の主人公になるとかも重要じゃない?
690 :
日本@名無史さん:02/03/01 17:50
江戸時代などは地方分権で、もちろん江戸が文化の中心であったろうが、
地方にも偉大な人が出て、全国的に有名になったんだが、どうしてか。
日本で今までフランス革命のような大きな革命が
起こらなかった理由を教えて下さい。
692 :
日本@名無史さん:02/03/01 23:14
地理的に、どこまでが西国人でどこからが東国人になんの?
693 :
日本@名無史さん:02/03/01 23:19
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暗証番号が出ます。そして5分以内にあなたのメールアドレスに加入完了のメールが届きます。
水戸光圀が最初に食べたとされるラーメンは何味なの?
695 :
てきとう。:02/03/02 01:15
>>694 わからんが、うどん味か塩ラーメンだろう。
>>692 「糸魚川−静岡構造線」とかで検索してみ。
>>691 キリスト教(平等思想)がなかったから、とか
革命思想が発生するほどの飢餓状態がほとんど起こらなかったから、とか
江戸時代末期になるまで「富裕な下層民」なるものが発生しなかったから、とか。
>>690 幕藩体制下で藩同士の格差が埋まらなくなってしまったので、小藩ほど藩士、在野の教育に力を入れたと言われている。
地方分権が地元に与える影響は結構大きい。
>>687 小説・教科書のネタになったか否か。それに尽きる。
>>684 日本赤軍は右翼ぢゃないと思われ。
>>681 有効射程は100mくらいだが、弾自体は300mほどは飛んだらしい。
ちなみに熟練兵で100m先の静止目標(人型)への命中率がおよそ5%ほど。
こんな兵器が歴史を塗り替えたくらいだから、戦国合戦遠戦志向説もあながちバカにできたものではないかも。
696 :
日本@名無史さん:02/03/02 03:37
>>678 どこまで史実なのかはともかく、鈴木孫市は有名じゃないですか?
司馬遼太郎の「尻くらえ孫市」とかのおかげで
697 :
日本@名無史さん:02/03/02 11:20
>>694 記録に基づいて当時のラーメンを正確に復元した「水戸黄門ラーメン」て名物があるよ。
水戸の駅前からタクシーで5分くらいかかったような。
味はどんなだったか忘れたけど、とてもうまかった。
とんこつや味噌じゃないのだけ覚えてる。
>>692 時代による。ほぼ中世以降は、尾張から西は西国人、三河から東は東国人。
奈良時代とか平安初期は東山道、東海道はぜんぶ東国だろう。
>>691 日本は豊かだったから。
一揆が守護を倒して「百姓持ちの国」になった例はあるから
日本が丸ごとそうなる可能性は論理的にはありえたんじゃないのかな。
698 :
日本@名無史さん:02/03/02 11:41
批判要望板から探しに来たんですが…
「考古学板要望スレ」とか、どこにあるかご存じないでしょうか…?
多分この板のどこかにあると思うんだけど…
699 :
日本@名無史さん:02/03/02 14:40
中国人は仏教の経典を中国語に訳しましたが、なぜ日本では訳されなかったのでしょうか?
700 :
日本@名無史さん:02/03/02 14:48
>>678 >>681 >>695 15世紀からずっと、連発銃が登場しても、鉄砲ってのは「面制圧」兵器なのよ。スナイパー云々は、戦争においてはフロクみたいなもの。
映画とか、フィクションには欠かせない主役かもしれないけど。
701 :
おせ〜て!:02/03/02 15:04
どうしてウヨクな人たちは、サヨクな人たちを虐めるの?
サヨクな人たちは、なんでみんなと仲良くできないの?
702 :
日本@名無史さん:02/03/02 15:09
>>701 金持ってない「サ」に、ポケットの小銭を盗まれまいと「ウ」は用心している。
「サ」は、コラムドが盗人だと判ってるから。
703 :
日本@名無史さん :02/03/02 17:31
1920年代の大衆文化都市文化の今とかわらない部分、性格って何でしょう?
704 :
日本@名無史さん:02/03/02 17:34
>>703 「エロ・オグ・ナンセンス」
2ちゃんねるが実証中です。
>>699 ちょっと位が高い人や、寺に入って勉強するような人は
漢文が読めて意味も分かったから、あまり必要なかったのかもー
・・・などと思う。
「あまり必要なかったのかもー」
日本語訳が。
707 :
日本@名無史さん:02/03/02 17:45
>>691 まあここの板の意見は参考程度にしておいたほうがいいかと。
日本だって、歴史を見てみれば相当な飢餓状態であった時期もあるし。
百姓一揆が多くなり、打ち壊し等々があいついだ室町後期なんかは
災害と飢餓が相次いだ時期だったそうだ。
革命を起こすほどの民衆の連帯感はなくても、生き延びるために必死
だった人達が多かった時代も度々あったことは変わらないかと。
でもそういう問題はいっぺんに答えが出る問題ではないからね・・・
>>704 うまい。
>>701 司馬遼太郎いわく、この世の中には1割程度はそういう人達が出てきて、乱世の原動力になったり治世の邪魔者になったりするもの、らしい。
>>699 邪推するに、呪文はわけわかんない方が有難味があるから。
もともと中国でも三蔵法師が漢訳なんぞを思い立つまでは、サンスクリットの当て字経典がまかり通ってたわけで。
今でも禅宗は母国語の経典の方が多いけど、密教系はサンスクリット語経典が混ざったりしてるんじゃないかね。
709 :
日本@名無史さん:02/03/03 13:44
学校の課題学習で「近代日本の鉄道政策」を調べようと思うのですが
日本国内の近代、特に戦前の鉄道政策について詳しい本などがあったら教えてください。
710 :
日本@名無史さん:02/03/04 09:14
大学教授の住所はネットで晒し上げしてもよいのでしょうか。
出版物の形で公表されていれば特に問題はないと思ってよいのですか?
711 :
日本@名無史さん:02/03/04 20:57
日本陸軍て、中将になるのは少将3年ぐらいなのに、
なぜに大将になるのはあんなに難しいんでしょうか。
終戦時に500万とか700万とかいましたけど、大将は20人ぐらいですよね。
そのちょっと前は、方面軍級の司令官は大将なのに、過半は中将ですよね。
インパール作戦当時のビルマ方面軍も、方面軍司令官から、
師団長、親補職じゃない15軍参謀長まで全部中将ですよね。
なんか変な感じなんですが・・・。
712 :
日本@名無史さん:02/03/05 10:50
豊臣秀吉ってどうして、配下に土地を分散して与える傾向があるんですか?
例えば、島津義久に山城・播磨などを村単位で細かく一万石ほど与えたし、
細川や石田三成に薩摩の村を何箇所か与えたり、
家康の関東移封後にも駿河、三河、近江、山城などに少しずつ土地を与えてます。
こういうことはややこしいだけだと思いますが?
713 :
日本@名無史さん:02/03/05 13:02
くだらない質問だとは思うが質問するよ
質問1 飛鳥時代についての質問です。飛鳥時代というと、聖徳太子
のいた時代ですが飛鳥時代の人は、どういう生活をしていたん
ですか?また、東北地方はその頃アイヌ人がすんでいたんですか?
質問2 また飛鳥時代についての質問です。飛鳥というと今で言う東京とか
大阪みたいなところだったらしいけど、その頃の飛鳥は、きっと
最新の文化の最先端をいってたんでしょう。では、未開の東北地方の
人達はどんな生活をしていたんですか?まさか弥生時代のままなんて
ことはないんでしょ。
714 :
てきとう。:02/03/05 21:21
>>713 庶民レベルだと、稲作以降は鉄が普及しだす平安末期ごろまでは大した違いは出ませんが。
つーか、あんたが想像する弥生時代と飛鳥時代ってどう違うよ?
>>712 そんな傾向があるとは初耳。
たぶん江戸時代にも飛地的領土分配は多かったし、それ以前は荘園やら何やらで土地所有自体がはっきりしてなかったから、目立ってないんだと思うが。
「秀吉に限った傾向ではない」というのが正解ではないかな、多分。
>>711 500万人の兵士(戦時編成、しかもかなり想定外の動員)に大将が20名というのは、多いのか少ないのか、少ないとどういう弊害があるのかはよく分からないんだが。
アメリカでは将官はすべて少将で、司令官等の職に就いたときに臨時で中将や大将に昇格するという制度を取っていたので、日本のような指揮系統の混乱がなかったとか、どっかの本で読んだ覚えがある。
軍事板で聞いてみればどうだろうか?
>>710 さあ? 2chなら削除対象だろうけど。
>>709 調べるのめんどくさいんで、鉄道板で聞いてくれ。
漏れは「民都」大阪 vs「帝都」東京とかいう本が面白かった。
715 :
日本@名無史さん:02/03/05 23:39
>>710 本人の意図しないところで住所が公開されれば訴訟対象になると思ったけど。
(公的団体等になるとまた話が違うかも知れない)
716 :
日本@名無史さん:02/03/05 23:43
>>713 盛岡藩の北部の貧農の住まいは、江戸末期でも竪穴住居の
ようなもんでした。
717 :
日本@名無史さん:02/03/07 18:42
>>712 そもそも江戸時代だって「一円支配のみ」なんてあまりないんじゃない?
大体は分散しているよ。飛び地とかね。
京都付近の土地は多分、京都屋敷の賄い料としてでしょう。
ところで、三成に与えた薩摩の村ってどこ?
718 :
日本@名無史さん:02/03/07 18:53
池田輝政が照政から改名したのはいつ?
719 :
日本@名無史さん:02/03/07 19:19
720 :
日本@名無史さん :02/03/07 20:42
元寇のとき、もし台風がこないで日本が負けてたとしたら今ごろはどうなっていたでしょうか?
江戸時代も明治維新もなくて、中華人民共和国の中の日本省になったでしょうか?
721 :
てきとう。:02/03/07 20:50
>>720 ローマ帝国に征服されたブリテン島のように、文化的政治論的に多少の影響を受けつつも、結局は現実と大差ない歴史を歩んだのではなかろうか。
日本的風土の地にはやはり日本人的性質以外の人間には住みづらく、そこでは日本人的性質に合った文化や政治形態がしかれるものだから。
元寇スレってなかったかな? DAT落ち?
>720
土橋治重の「逆転の日本史」でもそのネタやってたな。
〜もし神風が吹かなかったら〜っての。
この本だと、一度は大敗して九州を制圧され本州に撤退、東北を除いた全日本の兵を集めて態勢を整えた後、
昼夜を問わずに隙をついては奇襲、徐々に領土を奪回しつつ敵船も焼き打ち。
多方面からの攻撃に耐え切れずついに蒙古軍も撤退。
しかし外的相手だったため、論功行賞が無く武士達は幕府に不満を抱く、
って話だったと思う。
724 :
日本@名無史さん:02/03/08 01:19
古墳時代の人はどんな生活をしていたんですか?
教えてください。
725 :
日本@名無史さん:02/03/08 03:55
飯食ってクソしてセックスして寝てました
727 :
日本@名無史さん:02/03/08 09:27
728 :
日本@名無史さん:02/03/08 12:49
大賀弥四郎の本名は大岡氏というのは本当?
本能寺のあの方の姓、なんでしたっけ?教えてください
730 :
719ではないけど...:02/03/08 14:44
>>727 もしかして、あのスレの263ですか?
あっちは沈静化してるから、もう波風立てないで下さいね。
ご質問に関しては、一応マジメに解説しておきます。
●日本人も支配階級の方々は、ベッドにテーブル、靴を履いた生活をしていた。
→その通りです。日本人も古代はテーブルに椅子、ベッドを用い、外出には靴を履く生活をしていました。
藤ノ木古墳から朝鮮風のキンキラした靴が出土した話は有名です。
ちなみに中国では現在に至るまで、その流れのまま来ていますが、
日本では畳を用いるようになり、平安以降は床の生活へ様式が変わっています。
日本の家屋に馴染み深い土間が出来たのも、実はかなり後の事です。
●牛乳をコップで飲んでいたし、ヨーグルトやチーズも食べていた。
→この時代、貴族の屋敷では牛を飼っていました。
ここで言っているチーズとは、蘇の事だと思います。
牛乳を煮詰めて作る、極めてカロリーの高い食物です。
現在では、奈良の橿原駅等で購入する事が出来ます。
この頃は、かき氷なども食されていたようで、
●大陸的で今の私達に近い暮らしよね。
という言葉も、満更間違ってはいないと思われます。
食材に関しては、長屋王邸から出土した木簡に興味深い事が色々書いてありますので、
興味があれば調べてみて下さい。
飛鳥・奈良から平安への食文化の変化は、宗教―仏教の関係が多分にあると思います。
ちなみに、各時代の食事を再現して食べ比べると、一番質素でマズイのは平安時代のものだそうですよ。
食べ物が固くて噛めないから、下膨れになるのかもしれません。
731 :
719ではないけど...:02/03/08 14:44
(続き)
●やんごとなき女性が馬に乗って外に出ることが出来たのもこの時代までの事。
→そうですね。持統天皇の時だったか、
"女性もこれからは、わざわざ馬に横座りしなくてもいい。これからは縦に乗ろうが自由"
という勅が出されていますから、この頃は貴族女性も普通に馬に乗って外出していたのではないでしょうか?
持統自身、壬申の乱の前に吉野に遁世した時は、馬で逃げたという話を聞いた事があります。
●平安初期までは、女性の衣服はいわゆる唐衣。
これに関しては、274からリンクされている風俗博物館の写真を見た方が早いですね。
『竹取物語』の成立は飛鳥・もしくは奈良時代と言われています。
(登場人物の一人車持皇子は、当時の権力者藤原不比等を揶揄したものと考えられます。
他にも、出てくる人々の名前が、当時の政治家と一致します。)
ですから、かぐや姫の服装は当然唐風のものですね。
十二単を着せて後世に誤解を招いた例では、百人一首の持統天皇などもそうです。
絵本の『かみながひめ』なども、奈良時代の事を描いたものなので、
本来であれば髪を結い上げ髷を作り、いわゆる七夕の織姫様の格好をしていないとおかしいのです。
●グローバルな視点でものを見ていた、国際的な時代。
→奈良までは、日本は発展途上の国なのです。
とにかく大国の文化・技術・思想を取り入れて、追い付け・追い越せをしないと生き残れない。
ある程度それらが吸収できて、初めて自分達の文化に発展させる事が出来る。
道真が遣唐使を廃止したのは、そういう時期になったからですね。
外国から取り入れた色々なものをアレンジして、日本人の性に合うと思ったものだけを発展させたのが、日本の文化なのです。
●胡人(ペルシア人)や林邑(ベトナム)、天竺(インド)から多くの外国人が日本に来日していたのもこの頃です。
奈良の大仏開眼に立ち会ったのも、そういった人達でした。
→中国には、様々な人種の人が住んでいます。
飛鳥時代には、ゾロアスター教の人が日本にいたという説まであるぐらいですから、
かなり様々な肌・目の色をした人々が、中国経由で日本に来ていたのではないでしょうか。
正倉院に残されている伎楽面を見ると、明らかにペルシア人の特徴を備えた顔付きのものがありますよ。
また、奈良の大仏の開眼式でBGMとして流された音楽は、林邑楽と言ってベトナムの音楽でした。
ご存知の通り、鑑真和上を日本に招いたのは聖武天皇自身でしたし、この頃は非常に多くの外国人僧侶が日本に来日していました。
大仏の目を入れたのも、そういった外国の高僧だったように記憶しています。
日本の仏教はまだまだきちんと確立されていませんでしたから、
本場天竺などからお坊さんを呼ぶのは、ごく普通の発想ではないでしょうか。
はい。
少々長過ぎる解説になりましたが、大体ご理解いただけたでしょうか?
あのスレには、おそらくこちらの板に出入りされている方もかなりいらっしゃると思います。
「日本書紀」や「続日本紀」をある程度読まれている方も見受けられましたし、
少々へんてこな事を言っても必ず誰かが訂正してくれますから、
一漫画のスレとは言え、考証という意味ではかなりのレベルにありますよ。
最も、殆どを文献史料に頼るしかない再現の難しい時代ですので、誰の言っている事が絶対に正しいという事はありえません。
それだけに、興味の尽きない分野だと私などは思います。
ちなみに、ここで解説した事も、あくまで"今正しいと言われている事"です。
そこのところだけはご了承いただけないでしょうか?
732 :
日本@名無史さん:02/03/08 14:52
「〜を愛してる」とか「〜でござる」とか本当に言ってたのか?
昨日アンビリーバボで武士の霊に取り憑かれた女が言ってたもんでね。
>>732 まずその女が正気か、それとも番組のやらせかを疑ってください。
734 :
日本@名無史さん:02/03/08 18:50
735 :
日本@名無史さん:02/03/08 19:23
730.731長文うざい!!
736 :
日本@名無史さん:02/03/08 19:35
昔、あるスレで淡路島は何故、徳島県ではなく兵庫県に属しているか、説明(蜂須賀家の内紛)してたのですが。
それではなぜ、対馬は島根県に属しているのですか?
歴史的には大友家に臣従するなど九州に近いはずですが?
737 :
日本@名無史さん:02/03/08 19:39
738 :
日本@名無史さん:02/03/08 20:02
意図的にボケてみましたんや^^;;
やーい、釣れた釣れた。
ジョークくらいわかれよ。
740 :
日本@名無史さん:02/03/08 20:18
意図的にボケてそれなら、まだ本気で間違ってたほうが恥ずかしくない
741 :
日本@名無史さん:02/03/08 20:30
女性が髪を下ろしてたらしていいるのから江戸時代になると
結い髪になってますが、いつかわったのですか
742 :
日本@名無史さん:02/03/08 20:44
ここで発言なさってる方は、どこからその、知識見聞を、広げ、蓄積なさったのでしょうか?
743 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:12
>>742 小さな時から歴史好きで、いろんな本を読み、大学は史学科に入った。
大学の歴史の研究や勉強はいまいち、つまらない部分もあった。
744 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:26
私は、自分の、源がしりたくて
745 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:34
史学科卒、リストラされ失業中(自嘲)
746 :
てきとう。:02/03/08 21:41
747 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:42
>>745 塾講師になれば?
あれなら、就職は容易だよ。
748 :
日本@名無史さん:02/03/08 21:50
>>724 大ざっぱすぎて、何が知りたいのか掴みづらいんだが、とりあえず衣食住の整備に人生の95%を使い切るような生活だったとだけ言っておこう。
>>728 愛知県に「大賀」という地名が見つからないので、多分大岡が正しいのではないかと。
司馬遼太郎著「覇王の家」では家康に改姓させられたという設定になってたな。
>>729 明智光秀? 織田信長? 森蘭丸? そんだけで何を答えろと?
>>734 しかし、それは
>>263の発言をも否定してしまう諸刃の剣。素人には(以下略)。
あんまり本気で読んでないし、原作知らないからよくわからんが。
荒れてないスレにアンチを書き込めば、(その意見がたとえ正論であったとしても)そいつは叩かれて当然なのだよ。これスレッド式掲示板の宿命。
もしもどうしても一矢報いたいのであれば、アンチスレを立ててそこで闘うべし。
主役級のキャラクターの衣装に突っ込み入れるのははっきり言って無理(突っ込めるとすれば、誰かがやってる)。
アラは脇役や背景から探すのだよ。
下層民が木綿を着てなかったか? 貧乏人が欠けた茶碗でお茶を飲んだりしてなかったか?
突破口を一つでも見つけたらそこだけ主張せよ。一歩も引くな。
そして付け焼き刃でもいいから専門書を一冊読んでおけ。
健闘を祈る・・・・・と
>>263に伝えておいてくれ(w
>749てきとうさん
有り難う御座いました。いえ、本能寺のあの方と同姓だとゆー人がいまして、
自分は検討も付かないんで聞いてみたんです。くだらん質問すみませんでしたm(__)m
751 :
日本@名無史さん:02/03/08 22:51
こんにちは。
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03-1111-1111 → 81-3-1111-1111,090-1111-1111 → 81-90-1111-1111
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暗証番号が出ます。そして5分以内にあなたのメールアドレスに加入完了のメールが届きます。
752 :
日本@名無史さん:02/03/08 23:06
日本史板住人のみなさんに質問です。
アズマさん。解決黒頭巾さん。西都バカさん。の3人は同一人物でしょうか?
私は、各キャラのレス内容から判断して別人のように感じました。
でも、同一人だと言う人も居ます。どうなのでしょうか?
例えば知的レベルは アズマ>黒頭巾>>>>>>>>>西都バカですよね。
753 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:02
何故龍馬は、脱藩したのに出世したの?馬鹿ですいません
754 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:07
>>753 ん?龍馬の出世って……具体的に何のこと指しているの?
755 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:16
この板自体について質問です。
以前、この日本史板のスレにおいて、
「専門家でない小説家は歴史を語るな」という内容の
書き込みを読んだことがあります。その書き込みに対しては
誰もレスをつけていなかった記憶があるので、歴史学者や
歴史学系の学科に所属している学生は一般人は歴史を
語ってはならないという意識があるのではと思ったのですが、
実際のところどうなんでしょうか?
歴史を専門とする人にとっては小説家を含む一般人
(史学を専門としない人)が歴史を語ること自体、非難されるべき
と考えるのが一般的なのでしょうか?
仮に上記の意識が歴史学界において一般的であるとするならば、
憲法や経済等、史学とは独立した学問に対し、この板でも色々と
語られている事自体矛盾していると思うのですが・・・。
>>755 レスが付かなかった意見が、全員に受け入れられている意見であるとは限りません。
それ以前に2chねらの意見が世間の常識であるはずがない、という話もありますが。
>>753 まあ、中卒で総理大臣になった人もいるくらいですから。
人間努力と根性と運さえあれば、大抵のことはなんとかなります。
757 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:32
何故身分の上の人と仲良くなれたか?が疑問です(753)
758 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:34
おお史学科のオナニーまだ続いているね。
もうどうでもいいやこいつら。
みんなして総出で片務契約説袋叩きとはオメデテエ
歴史愛好家が自分の意見を述べると殴る蹴るの暴行を加えたあげく
学説をぱくりと呑み込ませて簀巻きにして河にほうり込むのか
3歳の娘がおぎゃあおぎゃあと泣いて
「身体的接触による肉親の愛情表現が欲しい」と
口唇期のメッセージを出しているとする。
「人間社会の掟は双務契約なのを知らねえのか?
テメエは構って欲しくてギャアギャア泣いているんだろうが
俺やアタイらの精神衛生を奪うとはにっくき奴、こうしてやる」
と安堵状ならぬ領主制裁のストレート、フック、回し蹴りを入れるらしいゾ
生身の人間はCDラジカセじゃあるまいしデジタルコントロールできないんだよ
おなじように現場の荘司、地頭、国人らが
公儀にひたすら現場の窮状を説明したとする
アンタらの常識では吊し上げのボコボコにするんだな。
確かに鎌倉御家人はみんなそれを昔からやってきていたが
それを根拠に為政者は地頭国人土豪という爆弾を抱えていたとするのは早計だと思うぞ。
態度は態度。話しの実質は実質だから。
話し合いはあくまで為政者圧倒的有利ですすめられたとおもうがなあ。
これこそ片務契約だろう
759 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:34
それから「東国武士の卑しき商人のごとき所業。降参の儀は三分の法を知らぬか」
を双務契約で説明しきれるのだろうか
契約更改にみられるフロント側の強圧のように
まだまだ武士は弱い存在だったんじゃないのか?
全部双務契約で説明しきれるというんなら
江戸期の主君押し込めの構造という癖球はどうよ
「主上ご謀反」という矢印の方向は一体どう見るんだ
逆切れ逆さ片務契約というのは考えられないのか?
安堵状で双務契約完成と平和裏にことが進んだとは思えない
返り忠という新規片務契約成立という線での解釈はどうよ?
前田利家だって返り忠の恒例として北の庄への先鋒を承っているぞ
先鋒を務めたら必ず死兵に当たるんだからリスク度は超ハイレベル
そのリスク度を敢えて取るというより
リスクを取らされたというのが正しい言い方なんじゃないのか
こういう史観、あういう状況設定のひとが来ましたけどどうします?
そうですね。
そういう議論設定でしばらく話しを進めようか位の話しはこの板では不可能
史学科の奴等はもう少し大人として振る舞えないのだろうか
さて戦国自衛隊でもみるぞ。
半村良史観マンセー!
もうこの板こねえ。
これ以上史学科のオナニーにつきあえねえから
>>757 上士階級とは対立的関係にあったんだけど、たしか後藤象二郎と
会談をもって和解したんだよ
761 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:37
>all
>>758-759 こう言うのを負け犬の遠吠えって言うんでしょうか(w
こう言う場合、彼はほんとうに二度と日本史板にこないんでしょうか。
おもちゃにして、こづきまわすには格好の人材だと思うと残念です。
>>756 実際はどうなんでしょうか?
日本史学を専門とする人達の意識は?
764 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:41
コピペだろ
>>763 べつに歴史ファンだろうと何だろうと自由に語ってかまないよ、それは(w
ただ、歴史を語る際のルールさえ守ればいいというだけのことだよ。
>>757 北辰一刀流千葉道場関係のコネがひとつ。
それから当時の幕府、諸藩のキーパーソン(勝海舟、西郷隆盛、木戸孝允など)が下級武士の出身だったのがもうひとつ。
乱世にはわりとあることですよね。
>>767 基本は論拠を正確に提示するということでしょう。
典拠文献がなく推定である場合は、それを明記すること。
これだけで不要な論争はだいぶ避けられるね。
769 :
日本@名無史さん:02/03/09 00:52
770 :
日本@名無史さん:02/03/09 01:00
質問!!
日本の在来種の馬って戦国時代実際どんぐらいいたのよ?
牧だっけ?どれだけの馬とか飼われてたのか教えてチョ!!
771 :
日本@名無史さん:02/03/09 01:06
>>766 木戸は下級武士じゃないっす……
ほんとに適当だな。
>>766 千葉道場の出身であったことが、どう響くというのだ(w
まじで適当なこと言ってるな。
774 :
日本@名無史さん:02/03/09 01:21
>>772勝さんも、西郷さんも、そんなに低い身分ではなかったような・・
775 :
日本@名無史さん:02/03/09 01:24
まあ、勝は貧乏御家人出身だし、西郷も上級武士ではなかったよ。
でも木戸は違うよ。
>>772 >>773 桂家は100石取りの、確かに長州藩では上士に分類される家なのだが、小五郎自身は和田氏という典医の家のからの養子である。
坂本竜馬が勝海舟に面会できたのは、千葉定吉の紹介があってのことだったと記憶しているが・・・。
ちなみにソースはない。そのへんは「てきとう」。
777 :
日本@名無史さん:02/03/09 10:44
神功皇后は何故天皇として認められないのですか?
778 :
日本@名無史さん:02/03/09 11:54
質問!
藩について、疑問が。
例えば長州藩を見ると、この藩は長門・周防を統轄していますが、
その他に、支藩として長府藩とかあるじゃないですか。
長州藩などの大きな藩と支藩の関係はどうなっているのですか?
年貢を納めるとか、支藩には諸事の決定権はないとかあるのですか?
納める地域が重なっているという事はあるのですか?
それから、長門・周防などの地名は誰がいつ決めたのですか?
この行政区分は藩があるので、意味を成さないと思うのですが。
それとも、幕府はこの行政区分単位を何らかの時に使用していたのですか?
779 :
日本@名無史さん:02/03/09 13:28
萩藩・長府藩のケースは知らないが
小藩の支封の場合、ほとんど独自の藩士を持たず
本藩にまかせっぱなしという例が結構ある
くわしくは藩史大辞典のたぐいを参照すべし
780 :
日本@名無史さん:02/03/09 13:35
>>763 まず、史学科の人間でも全ての時代・地域に専門知識を有し精通してるわけでもないし、
歴史愛好家的な、あるいは歴史ミーハーとしての自分も持ってたりするよ。
一部の史学科の女子学生にイタイ人がいるというのは良く聞きますしね。
だいたい、そんなこと、言ってたら時代考証の滅茶苦茶な時代劇や歴史ドラマを楽しめなくなっちゃうでしょ?
「小説家が語るな」とか「史学を専門にしない人が歴史を語るな」は確かに間違ってますね。
小説家に研究者レベルの人も多いですし、一般の人でも勉強して語れば良いです。それだけのこと。
>>768 問題はどこかの本や資料で読んだのだけど、その資料名を忘れたという場合ですね。
781 :
てきとう。:02/03/09 14:36
>>770 戦国時代当時でも、日本で生産される馬のほどんどは農耕・輸送用で、騎乗専用として牧場で飼われる馬は大層貴重だったそうな。
動員兵力3万人強の北条氏で、騎兵が約2000人だったと、何かの本で読んだ覚えがあるので、もしかすると替え馬を合わせても日本全国に30万頭いなかったのではなかろうか?
>>778 「中央集権制」に対して、将軍が家臣の家臣に対して直接命令出来ない、という政治形態を「封建制」と呼びます。
江戸幕府はこの封建制をとっていたので、幕府が長州藩主を飛び越して毛利家の家臣や長府藩主に命令したり、あるいは長州藩主が長府藩の官僚に命令したりすることはできなかった(はず)です。
支藩については各藩ごとに待遇が違ったりするらしく、よく分からないので、詳しくはご自分でお調べください。
>>777 記紀伝承などに、神功皇后が大王の位に就いたと書かれてないからです。
でもそれ言うと弘文天皇はどうよ? とか言われちゃうんだけど、漏れの知ったことではないし。
782 :
日本@名無史さん:02/03/09 14:52
>>776 >坂本竜馬が勝海舟に面会できたのは、千葉定吉の紹介があってのことだったと記憶しているが・・・。
勝との面会が実現したのは、松平春嶽の紹介があったからだよ。
(平尾道雄『坂本龍馬海援隊始末記』)
ほんとにテキトーなこと書いてるな。初心者を惑わせるなよ。
783 :
日本@名無史さん:02/03/09 14:54
>>780 >問題はどこかの本や資料で読んだのだけど、その資料名を忘れたという場合ですね。
べつに難しい問題ではなく、そういう場合は「出典は思い出せないが」
とか「たしか〜だったと思う」とか一言断っておけば済むだけのこと。
そうすれば読む側にも記述の信頼度が判るだろ。
その手間すら惜しむから、いいかげんな内容のレスが横行し、
要らざる顰蹙を買うことになる。
(たとえば
>>766=776のようにな。まぁネーム欄に「てきとう」
とあるから、これは比較的良心的な方だが)
784 :
日本@名無史さん:02/03/09 15:16
なんでこの板はこんなに人が少ないの?
786 :
日本@名無史さん:02/03/09 15:29
>「小説家が語るな」とか「史学を専門にしない人が歴史を語るな」
は明らかに間違っていると思う
ただ、某氏の小説にこう書いてあったから史実、
NHKで放送したから史実、とやられたのではマイッテしまう
787 :
日本@名無史さん:02/03/09 15:32
>>786 さすがにそう主張するやつはこの板では減ってきたような気がする。
以前に比べればな。
>>783 同意。そういうこった。ただそれだけのことだ。
790 :
てきとう。:02/03/09 16:17
791 :
日本@名無史さん:02/03/09 19:59
てきとうさん、龍馬より、なぜか女好きの、勝さんの
方が、尊敬できるような気がする私です。本能的に。
ごめんなさい(753)
皆さんレスありがとうございました。
別に小説家が歴史を語ること自体許されざることでは
無いということですね。
ただ、
>>788 >さすがにそう主張するやつはこの板では減ってきたような気がする。
>以前に比べればな。
という記述について少し気になります。この論理が正しいとするならば、
歴史学界の所属者は政治や経済、軍事、科学技術のような
歴史学とは明らかに一線を引く学問について語る資格が無い
ことになります。(歴史学界の所属者はあくまで「歴史学」の専門家
であり、「政治学」、「経済学」、「軍事学」等の専門家ではない)
こういうことを書き込んだ人物がもしこのスレを読んでいるのなら
上記のことについてどう思っているのか聞いてみたいのですが?
一応、sageで書き込みます。
793 :
日本@名無史さん :02/03/09 21:01
明治になって、武士の名前はほとんどが諱に統一されましたが、そうするよう規定があったのですか?
福沢諭吉や江藤新平など、通称を公式の名にしたひともいないことはないですが少数ですから。
>>793 いわゆる壬申戸籍の作成のために、明治5年の太政官布告で、すべての国民は苗字ひとつ名前ひとつにすることが義務づけられ、その他の姓、氏、幼名、通称、入道号、洗礼名などを公式の場で使用することを禁止されました
なんでそれまで使用していた通称を名前としなかったかについてはよく分からないのですが、一説には、この当時旧官職名を新政府の役職として使用しており、それと紛らわしい名を禁止するという命令が出されたそうです。
それで○兵衛、○衛門、○佐、○助、○輔などが排除の対象となり、西郷吉之助、五代才助、山県狂助、伊藤俊輔といったあたりが軒並み諱名への改称を余儀なくされ、ついには諱名がデフォルトということになったのだとか。
795 :
(´・ω・`)ショボーン:02/03/10 14:58
よく、歴史学的思考とか歴史学的方法とか言うけど、どういうことですか?
教えてください。
796 :
日本@名無史さん:02/03/10 15:02
豊臣家が関が原後に何故60万石の一大名に成り下がったのか
未だにわからないです。
直轄地である全国の蔵入地はどうして徳川が分配する訳?
この時点では「天下の家老」なのに・・・
誰か説明して欲しいです。
797 :
例のスレの2:02/03/10 15:07
>>795 「ショボーン」て、そんなに落ち込むなよ・・・
俺まで・・・ううっ、うっうっうう・・・
>>792 俺が「さすがにそう主張するやつはこの板では減ってきたような気がする」
と書き込んだのは、
>ただ、某氏の小説にこう書いてあったから史実、
>NHKで放送したから史実、
に対してだ。
専門家以外の人間が歴史を語るなという意見に与しているわけ
ではないので(その逆だ)、誤解を与えたならすまんな。
799 :
755=792:02/03/10 23:51
800 :
日本@名無史さん:02/03/10 23:53
>>796 豊臣家に反旗を翻した石田光成とその一派を征伐したのだから、
褒美として豊臣家が土地を与えるのは当然でしょう。
>>795 もういいよ、少し自信が無かったからレスつけなかったけど
オレがレスしてやるよ・・・
史料批判(他の史料と照らし合わせることによって、その史料の内容が信用できるか
否かを判別すること)により、信用のおける史料を選び出し、それを読み込んで
自分の解釈を加えることで、自説を作りあげること、が歴史学的方法かな?
考古学のように、現場主義で、まず遺構、遺物を発見することが大切で、
史料などは出土品によって判明した史実の補強材料でしかない、
という考え方と違い、歴史学はまず史料第一!
他の学問で、史料の記述がウソクサイ、となっても。
その、「史料第一主義」が歴史学的思考かな?
「新撰組のマンガだけ読んで沖田解った気になってんじゃねーぞ!
フィクションじゃなくて史料読んでからモノを言え!」というのも
歴史学的思考、かな?・・・・??
自信無いよ?
正解を知りたきゃ図書館で国史大辞典でも読みなさい
ネットで検索も可
802 :
日本@名無史さん:02/03/10 23:57
>>800 それなら西軍の土地を秀頼の名で出すべきでは?
秀頼自身が領地を失うのはおかしいよ。
803 :
>>802:02/03/11 00:04
無理が通れば道理が引っ込むってやつですな。
804 :
てきとう。:02/03/11 00:23
>>796 そりゃ、関ヶ原の直後に家康がいきなり、「明日から豊臣家の所領は60万石!」って言ったら騒ぎになるに決まってます。
んで、まずは関ヶ原の論功行賞という名目で、日本史上未曾有の規模の大名配置転換を敢行し、諸大名や豊家が混乱している隙に徐々に代官や土地名義の変更を行う。
誰かがはっと気づいて算盤をはじいた頃には、すでに豊家蔵入地の大半の年貢は伏見城経由で家康のポッケに入る段取りとなってたんだとさ。なんかの小説のすじ。
もともと秀吉が織田氏の領地を私するときにも同じようなことはあったわけで。
関ヶ原があのような結果に終わったからには、遅かれ早かれ豊臣家の領地削減は行われるということは当時の衆目の一致するところだったのでは?
805 :
日本@名無史さん:02/03/11 00:46
「昭和史論争」の決着について教えてください。
歴史学者と評論家の亀井勝井一郎との論争ですよね?
806 :
日本@名無史さん:02/03/11 00:47
>>804 秀頼・淀含め、豊臣恩顧の大名はそれを黙認してたのですな。
807 :
(・∀・):02/03/11 13:11
>>801 ありがとう
なんとなくわかりました。調べてみます
808 :
日本@名無史さん:02/03/11 13:39
日本で一番古い歴史がある都市は博多(福岡)でいいですか?
809 :
日本@名無史さん:02/03/12 00:32
質問!!
日本はいつから自国を「日本」としたんですか?
それと、その「日本」が民衆全員に広まったのはいつごろですか?
810 :
日本@名無史さん:02/03/12 00:44
>>809 日本という国号は確か7世紀のはず。
あとは詳しい人よろしこ。
811 :
日本@名無史さん:02/03/12 02:26
大宝律令のころには確実だろうな。
問題は浄御原令だが。果たして全国民まで伝わったかどうか。
まあ、 810の言う通り7世紀としておくのが一番妥当だろ。
812 :
日本@名無史さん:02/03/12 03:33
遊女の歴史を知りたいのですがお勧めの本とか
知ってますか?
813 :
日本@名無史さん:02/03/12 04:45
竹内勝『日本遊女考』
西山松之助『日本史小百科 遊女』
福田利子『吉原はこんな所でございました』
815 :
日本@名無史さん:02/03/12 06:55
>>796 なにかの本で読んだのですが、関ヶ原以降の豊臣家の石高は本来は百万石なのを62万石に一時的に削減し残りの石高を家康預かりという形にしたとも言われてます。
家康は豊臣を伊勢・大和110万石に移封する計画だったそうで、その伏線とも言われてます。
それと、最近では全国各地に関ヶ原以降の豊臣蔵入地というものが発見されてて、
豊臣の領地はそこまでは失われてなかったという見方もあります。
816 :
日本@名無史さん:02/03/12 11:19
>>809,
>>811 7世紀はまだ中央集権的な律令制が機能してたから全国すみずみまでお達しは届いたろ。
ただ田舎の庶民は意味がわかったかどうか。
「倭」でも「日本」でも国内的には(とくに庶民は)「やまと」と呼んでいた可能性があるから
字の書き方の違いで“「旡邪志国」を「武蔵国」とかくことになりました”というのと同じく
あまり「国名改称」という意識はなかったかも。これは支配階級でもそうかもな。
817 :
日本@名無史さん:02/03/12 14:19
>>794 いや板垣退助とか三井八郎左衛門とかあるように、排除はされていない。
818 :
日本@名無史さん:02/03/13 15:36
豊臣秀次の寵臣で、切腹した白井某について教えて。
名前も備後守、光胤、範秀、成秀とかいろいろあるし、若狭出身ともいうけど
本当のところが知りたい。
すいません、宮本武蔵のことで質問です。
>こないだの世界不思議発見見たか?
>決闘に立ち会った藩の家老が残した資料が発見されたそうだが、
>その中に宮本武蔵が巌流島の決闘に遅れていったという記録は
>無かったそうだ。
こういわれたんですが、巌流島の決闘の事実を教えてください。
820 :
日本@名無史さん:02/03/14 04:39
>7世紀はまだ中央集権的な律令制が機能してたから
まだ? 大宝律令701年、浄御原令でも 681年。
まだも何もない。
>>819 まさにそのことについて語っているマジスレがあるから、
よく探してみ。
822 :
日本@名無史さん:02/03/14 13:03
823 :
日本@名無史さん:02/03/14 19:20
>>819 Google(検索サイト)で、
宮本武蔵 沼田家記
↑のキーワードで検索して出てきたページを全て読んでみましょう。
そんなに数は多くないから頑張って読んでね〜
824 :
日本@名無史さん:02/03/15 05:12
徳川家康の三男の名前を教えて下さい
826 :
日本@名無史さん:02/03/15 12:28
じゃあ薩摩隼人はどうなる?
日本人?
827 :
日本@名無史さん:02/03/15 12:28
旗本スレにも書いたけど、
鬼平犯科帳のテレビで、同心が平蔵と一緒に馬にのっていた。
同心って騎乗してもいいの?
828 :
日本@名無史さん:02/03/15 23:17
それいつ見たの?↑
829 :
日本@名無史さん:02/03/15 23:20
徳川家の最後の将軍の名前を教えて
831 :
日本@名無史さん:02/03/15 23:33
Q:何故、室町幕府は永く続いたの?
結局1333〜1573まで240年も
続いてたよね。
832 :
日本@名無史さん:02/03/16 00:01
1338年からだろ。
833 :
日本@名無史さん:02/03/16 00:22
質問です。
最近、歴史学者の岡田英弘氏(専攻はモンゴル史みたいですね)
の著書を読んでいると、「古事記」は偽書であると書かれていました。
実際、日本史関係の学界において「古事記」は偽書であるという
説は有力なのでしょうか?
また、氏は日本という国家の成立には華僑の力が大きかったと
著書で語っていますがこれについても日本史を専攻とする方々
はどう考えられているのか教えて下さい。
834 :
日本@名無史さん:02/03/16 01:05
質問です。
やっぱり京都の大学の史学科は古代中心で教えるんでしょうか・・・?
現代史やりたかったら広島や長崎がいいんですか?
835 :
日本@名無史さん:02/03/16 01:29
室町時代の守護って自称がいるって本当ですか
>835
いないだろう。
ただ、勝手名乗りといって、正式に宣下受けたわけでもないのに「〜志摩守」
などと名乗る輩は現れた。
837 :
日本@名無史さん:02/03/16 02:31
佐々木ナリマサって誰ですか?(漢字わからない)
838 :
日本@名無史さん:02/03/16 02:33
佐々成政の間違いではないですか?
839 :
日本@名無史さん:02/03/16 03:34
奥村助右衛門て誰ですか?詳細希望。
840 :
日本@名無史さん:02/03/16 07:50
歴史上の事件、戦いの名称は誰が決めたのですか?
例えば、大坂夏の陣とか島原の乱とか観応の擾乱とか・・・・
841 :
日本@名無史さん:02/03/16 09:19
>>836 芦名盛氏が「会津守護職」とか詐称してた話しはあるよ。
守護職は国ごとに与えられるのであって、地域ごとに与えられることはないのだが。
>>825 厳密には土井利勝が認知はされてないけど、家康の子だったという説が濃厚。
築山殿に配慮して認知しなかったらしい。
でも、昔の基準ならば秀忠三男で正解でしょう。
>>837 佐々成正はあの佐々淳行氏のご先祖さまだよ。
>>839 奥村永福は前田利家の家臣で文武に活躍した人物。
佐々成正も奥村永福も「花の慶次」というマンガに出てるし、
読んでおこう。
842 :
日本@名無史さん:02/03/16 11:45
>>834 場所は関係ないですよ・・・
史学科に入れば大抵の時代はできます。
でも大学によっては、教員が整っていない時代があるかもしれないので
細かいことは、大学関連のスレッドで質問して方がいいかと。
>>841 >「花の慶次」というマンガに出てるし
原作の小説の方もすすめてやってください・・・
私は『一無庵風流記』の好きだった。
ていうか、奥村助右衛門でも永福でも、ネットで検索すれば出てくると思う。
844 :
日本@名無史さん:02/03/16 14:13
前田利家は、ほとんど戦場で、いたそうですが、何故子沢山なの?
845 :
日本@名無史さん:02/03/16 14:46
日向守・備前守など何々守何々介みたいなのあるじゃない。
(↑これの名称知らないんだが・・・官位でいいの?)
これって何?
846 :
日本@名無史さん:02/03/16 18:16
ここは、歴史の事だけ話す場所ですよね、でも、ウヨ、サヨとか、沢山出てくる
ので、もひとつ理解できません。学校では、教えてくれません。
右、左、の違いを、教えて下さい。
「花の慶次」読み始めました
慶次に惚れました
このマンガの最後が非常に気になります
やっぱ最後は「いくさ人」として死ぬのかな・・・
松風も・・・
848 :
日本@名無史さん:02/03/16 20:56
日本史板の住民のくせに
>>840に答えれないのはおかしいね。
俺は芸板住民だからね。。
849 :
日本@名無史さん:02/03/16 21:02
歴史学者の小和田哲男先生が好きなんですが、どこの教授ですか?
850 :
日本@名無史さん:02/03/16 21:20
851 :
日本@名無史さん:02/03/16 21:33
一番古い神社はどのような集団がいつ頃建てたのでしょうか?
852 :
日本@名無史さん:02/03/16 21:38
853 :
日本@名無史さん:02/03/16 21:49
>>808 2000年の歴史を持つ博多(奴国)でいいと思います。
因みに大阪(難波津)は1500年の歴史です。
854 :
日本@名無史さん:02/03/16 21:55
戦国大名は奥さんのことなんて読んでたんですか。名前ですか
奥さんは夫のことをなんて呼んでたんですか。
大名→奥様=名前で
奥様→大名"殿"って呼んでたんじゃないの
856 :
日本@名無史さん:02/03/16 22:24
>>845 官位じゃないよ。官位ってのは従五位下とか正三位とかの事。
○○守、××介とかいうのは官職(受領名(ずりょうめい)だ。
これは正式に朝廷からもらう場合と私称する場合がある。
戦国大名、江戸時代の大名、上級旗本などの場合、殆どは
朝廷から正式にもらってる。
特に戦国時代には、家臣クラスに○○守などが多いが、これは
殆どが私称と思っていい(例:馬場美濃守、横田備中守@武田家etc)。
ただし、勝手に名乗っていいわけじゃなく、主君に褒美として
許可される場合が多かったようだ。
ちなみに江戸期に入ってから、家臣の受領名私称は無くなってゆく。
代わりに官職風(隼人とか兵部とか采女とか、、水戸黄門でおなじみ)の名を
名乗るような事が多くなる。
857 :
日本@名無史さん:02/03/16 22:27
>>97 戦国時代、官職なんてハッタリ以上の意味はありませんからな。むしろ遠い国のほうがなにやら偉そうな気がしたのではないでしょうか。
逆にいうと、自分の国だと、うまく治まっていないとき、「なにいってやがるてめえの国じゃねえ、おれたちの土地だ」
ということになったり。
858 :
日本@名無史さん:02/03/16 22:30
>>854 寝やでなんと呼ぶかはそれぞれだろうが、
正室の場合は旦那の位により呼び方は違う。
奥方>奥様>
859 :
日本@名無史さん:02/03/16 22:32
>854
戦国大名が、自分の奥方をなんて呼んでいたかってはっきりした
資料が残っていないようだが(奥様本人の名前すら記録に残って
いない場合が殆ど)、おそらく855の言うとおり名前で呼んでいたと
思われる。
おそらく奥方から大名に対しては「お屋形さま」、「殿」ではないか。
860 :
日本@名無史さん:02/03/16 23:22
>>854 二人称的用法(その人に向かって直接呼びかける場合)のものについては分からないが(まあ、おい、とかお前、とかだったとは思うが)、三人称的用法のものについては資料が残っている。
すなわち住んでいる部屋の名前(北の方など)だとか、実家の名前(最上殿)だとか。
861 :
日本@名無史さん:02/03/16 23:29
遅レスだが。
>>840 現在使われている歴史的事件(特に中世以前)の名前のほとんどは、明治時代に東大で「日本外史」や貴族の日記などを研究しながら通称として定めていったものが多い。
明治以後については政府の公称を除いては、新聞が勝手に名づけたものがそのまま事件の通称になったものがほとんど。
あのう、二日ほど前に新聞に載ってた、奈良で発見されたという超巨大な石室と石棺のある古墳って、
大正以降、ホントに誰も知らなかったんやろうか?
うそ臭いな。
863 :
日本@名無史さん:02/03/17 10:32
>>861 明治以降は政府の意向を反映した名称も多いね。
「日華事変」とか「ノモンハン事件」とかね。
井沢氏が批判してたとおり「事変」というのは事件という意味しかなく「戦争」のニュアンスはないわけ。
ところがやってる事はバキバキの戦争でしょ。
ノモンハン事件をソビエト・モンゴル側はちゃんと「ハルハ川の戦い」とまともな呼称をつけてるし、
日華事変も今は向日川の言い方の日中戦争と呼ばれてる。
「事件」「事変」では「ああ、たいしたことないんだな」という印象しかないわけだな。
日本側の積極的な侵略行為や謀略の場合でもOO事変、OO事件といった言い方で
いかにも偶発的な事件に日本が巻き込まれたがごとくの印象を与える名称がつけられたりするんだよね。
たぶん、こういう名称は政府の計算に基づいて付けられた名称だろう。
864 :
日本@名無史さん:02/03/17 16:13
江戸時代、その土地の地名を名前につける人は、ある程度の地位があったんでしょうか?
たとえば、品川に住んでいた人が「○○品川乃介」とか名乗ったら。
先祖でそういう人がいたんですが、教えてください。
866 :
日本@名無史さん:02/03/17 16:54
>>861 有り難うございます。
という事は、明治以前は別な呼び方があったという事ですね。
天皇が統帥権を持つ時代に、後鳥羽上皇等が起した争乱を承久の「乱」
と付けるとはある意味すごい事かも。。。
867 :
日本@名無史さん:02/03/17 20:11
本当にくだらない疑問なのですが。
ポストの色が赤色なのはなぜですか?
868 :
日本@名無史さん:02/03/17 20:20
869 :
日本@名無史さん:02/03/17 20:55
利家とまつで見たんだけど、前田家家老の奥村家福って、奥村助右衛門ですよね??
レスが無い・・・。
ネタがまずかったのだろうか?
それとも名前を出した学者がまずかったのだろうか?
(どこかのHPで日本史学会を追放されたと書かれていたし・・・)
871 :
日本@名無史さん:02/03/18 00:57
質問です
征夷大将軍になるには、なんで源氏の家系じゃなきゃダメなんですか?
他にも、関白とかになるのも家柄か関係してますけど・・・ドボシテ?
872 :
日本@名無史さん:02/03/18 03:15
>>871 俺もそれは不思議なのよ。
頼朝以前には源氏以外でも征夷大将軍に就任した例があるから、源氏以外がそれを持ち出して
幕府を開いてもいいような気もする。
874 :
日本@名無史さん:02/03/18 07:05
>>869 その通りです。
昔の人はいろいろな呼び名があるので、そんなに気にしないでください。
>>871 >>872 別に源氏でなくてはなれないという事はないです。
現に自称平氏の信長に朝廷が征夷大将軍か関白になるように働きかけたというし、
秀吉が征夷大将軍になれなかったという話しも証拠はないです。
足利義昭の養子にしてもらおうとして果たせなかった話しにしても、
秀吉ほどの権力者なら適当な源氏を見つけて養子なるのは簡単だったはず、
それをしなかったというのは秀吉が自ら望んで豊臣の姓と関白の地位を望んだという事でしょう。
実際、源平藤橘と並ぶ新しい姓を賜るという事は征亥大将軍になるのと比べものにならない程、もの凄い事なんだが。
875 :
日本@名無史さん:02/03/18 12:55
>>856 間違い。
基本的なkことだが官位とは官職+位階の意味。
官職とは、いわゆる受領名など(かみ、すけ、じょう、さかん、など)
位階とは、正一位、従五位など
876 :
日本@名無史さん:02/03/18 12:57
>>874 足利将軍以後は源氏のみが将軍になるという慣例ができたため。
877 :
日本@名無史さん:02/03/18 12:59
>>864 質問が漠然としているが、江戸時代以前なら、百姓でもかみ、すけなどと名乗ったからね。
878 :
日本@名無史さん:02/03/18 13:27
前田慶次郎利益 という人物は本当に存在したのですか。
879 :
日本@名無史さん:02/03/18 14:28
>>876 だったら、例えば秀吉の伽衆の山名豊国の養子になっても良いんじゃないの?
山名って新田系源氏でしょ。
卑弥呼はいくつで死んだの?
881 :
日本@名無史さん:02/03/18 14:54
882 :
日本@名無史さん:02/03/18 14:59
883 :
日本@名無史さん:02/03/19 03:09
>>875 間違い。
官職は官と職のこと。官とはポスト・地位。職は職掌。
従って内大臣,中納言,参議などは令外官だが
関白,蔵人・検非違使などを令外官というのは本当は正確ではない。
位階は位と階。位は文字通り、位。階は正従上下。
> 866
承久の乱は大正中期まで「乱」でしたが
天皇・上皇が叛乱を起こす道理がないという皇国史観の立場から
戦前は国家権力によって承久の変とされてました。
現在の教科書でも一社だけが「変」といっています。
興味がおありなら『日本中世史研究事典』(東京堂出版)242頁の
「歴史用語と歴史教育」を読まれるとよいでしょう。
884 :
日本@名無史さん:02/03/19 08:31
戦国時代の女性の下腹部の下着はどーゆー構造だったんでしょう
サラシだとしても、トイレ行く度に外したり、着け直したりは結構手間だと思うんですが
885 :
日本@名無史さん:02/03/19 11:28
886 :
日本@名無史さん:02/03/19 13:03
此処の住人は、何かに属してないと気のすまない人間なのですか?
何故自分と他と、区別したがるのか?不思議だ。
887 :
日本@名無史さん:02/03/19 13:57
>>886 いったい何を言わんとしてるのかさっぱり┓(´_`)┏
誰か通訳してくれ
888 :
日本@名無史さん:02/03/19 14:04
いや、なんとか人とか、よくかいてあるから、歴史板に。
889 :
日本@名無史さん:02/03/19 14:26
日本史板の人の性格が、なんとなくわかりました。一見難しい事書いてあるように思ったけれど
みんな(全てではないが)受け売りなんですね。ちょっと外れた質問すると、急に子供っぽくなったり
して、がっかりです。
890 :
☆最新話題☆:02/03/19 14:51
891 :
日本@名無史さん:02/03/19 15:01
892 :
日本@名無史さん:02/03/19 16:08
てきとうさんのスレは、ありますか。
893 :
名無しさん:02/03/19 16:54
神武天皇飛騨高山降臨説ってどうなのよ?
894 :
日本@名無史さん:02/03/19 18:40
819
白江成定とも言うみたい。
ただ、白井備後守は下総白井氏にも若狭白井氏にもあり。
薩摩藩は77万石といわれているのに、城はなぜあんなにしょぼいのか?
896 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:29
江戸時代の大名で国もち18家というのがあるけど、その中では
差別はなかったの?
897 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:37
>>895 それは表高。実高は半分。しかも、武士人口の割合が以上に高い。77万石は見栄。
>>896 あるよ。家格によって、官位が違う。
898 :
日本@名無史さん:02/03/20 03:09
899 :
日本史素人:02/03/20 03:43
岡田英弘氏の『倭国』(中公新書)を読んだのですが、
この本の日本史の学者の中での評価はどんなですか?
900 :
日本@名無史さん:02/03/20 05:37
以前、幕末に長州の暗殺によって天皇家が断絶していた
という趣旨の人気スレがあったと思うのですが
捜しても見当たりません。
だれか教えてちょっ!
901 :
日本@名無史さん:02/03/20 07:44
>>887 つまり東人とか、西国人とか、渡来人、とか弥生とか、縄文とか、薩摩とか
長州とか、あれは、わざと遊んで書いているのですか、ギャグですか、本気
ですか?では、自分は、何人か、わかりません。
歴史マンガなどで、武将をカタナでまっぷたつにしてたりしますが、
刀で本当に人間をまっぷたつにするなんて可能なんでしょうか。
いくらなんでも頭蓋骨とかを簡単に切断できるとは思えないんですが…
903 :
日本@名無史さん:02/03/20 17:13
当然
いつ頃、1000になりますか?
905 :
日本@名無史さん:02/03/20 17:39
901さんへ ご存知なら御免 網野善彦を読むと、アズマがわかる。
>>900 あれはデムパです。読むと基地外が伝染(うつり)ます
907 :
日本@名無史さん:02/03/20 18:00
>>900 あれは鹿島某というオカルト作家が自著を売るための自作自演だよ
909 :
日本@名無史さん:02/03/20 20:14
「日本の歴史を、読み直す」かな?そんなこと書いてあったかな、
(アズマ)とはっきり書いてあるのかな。(901)
910 :
日本@名無史さん:02/03/20 20:19
911 :
日本@名無史さん:02/03/20 21:55
てきとうさん。いないの。
912 :
日本@名無史さん:02/03/21 00:34
もし、明治維新が起きず、文明開花もなく、幕藩体制を誇示し続けていたら・・・
北海道・・・ロシア領
東日本・・・アメリカ領
西日本・・・イギリス領
四国・・・フランス領
九州・・・オランダ領
韓国・・・イギリス領
北朝鮮・・・ロシア領
のように列強の植民地になっていたでしょうな。
異論のある方居る?
913 :
日本@名無史さん:02/03/21 00:48
>>912 俺は日本史については素人だけど、
あの時代に国民国家になっていない国は植民地にされた
ところが多かったから、そういう可能性はあるかもね。
914 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:00
>>912 米産業メインの幕藩体制で、富国強兵策は無理。
列強懐柔策しかなかろう。もしくは本土玉砕か(藁)
まあ当時の刀に頼る武士の力など、ベトコン以下の戦力だし。
915 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:15
>>912 米領ジャパンになっていて、俺達今頃英語を話している思うぞ。
太平洋戦争は避けれそうだが、米露戦争は1800年後半に起きるだろう。
ロシア革命のおかげで米軍が勝ち、朝鮮半島・沿海州・樺太・千島は米領に。
916 :
日本@名無史さん:02/03/21 04:58
質問です。
山川出版社の「要説日本史年表」を入手したいのですが売ってないです。
もう作ってないみたいです・・・。
持ってらっしゃる方、何年度まで載っているかおしえてください。
917 :
日本@名無史さん:02/03/21 06:45
>>912 薩長が天下を取らなければ日本は近代化しなかったと思ってる馬鹿発見。
明治維新がなくても日本は近代国家に生まれ変わっていただろう。
薩長が勝つことだけが近代国家への唯一の道ではない。
>912
幕府も製鉄所作ったり、士官学校つくったりして近代化を図ってましたよ。
ただ、すべてが間に合わなかっただけで!
あ、近代化じゃなくて富国強兵ね、スマソ。
920 :
日本@名無史さん:02/03/21 12:23
ひそかに、西欧文化の吸収も図っていた、そんなに日本人は馬鹿じゃない
921 :
日本@名無史さん:02/03/21 16:07
幕藩体制で日本を近代国家に出来ると思っている馬鹿発見。
そもそも幕府や佐幕に近代的思考の持ち主なんて皆無だろ。
922 :
日本@名無史さん:02/03/21 16:13
どっちにしても占領されたら
おしまいだったよ
今ごろフィリピン並の国になってたかも
923 :
日本@名無史さん:02/03/21 21:15
>>917 ならないと思う。
あの時代、独立を維持するには国民国家(=近代国家)でないと
無理。
幕府が廃刀令、廃藩置県のような政策を行えたか疑問。
924 :
日本@名無史さん:02/03/21 21:55
和暦が西暦何年かすぐ調べたりできる、携帯用日本史年表でいいものありますか?
925 :
日本@名無史さん:02/03/21 23:04
>>924 およそ日本史年表と名のつくもので、和洋暦対照表のないものなどない
と言いきってよいと思われ
歴史手帳にも載っているはず
926 :
日本@名無史さん:02/03/21 23:20
痔って肛門が痒くなったりするもんなのでしょうか?
>>917 可能性は少ないね。
少なくとも新政府以上に上手くやれた保証は何ら無い。
それ以前に地方政府の反乱をすらも鎮圧できない政府がでは、
内乱が勃発してそれで終わり。
928 :
日本@名無史さん:02/03/22 00:29
>>926 俺も肛門が痒いんだけど・・・。痔の薬を塗ったら、その時は痒みとまるけど直らない。
929 :
日本@名無史さん:02/03/22 00:29
みんな一日何回ぐらいセンズリこいてる?
930 :
日本@名無史さん:02/03/22 00:42
ねえねえ、地上15階で地下3階のデパートがあるんだけど
そこの地下三階にあるエレベーターって下るの?
931 :
日本@名無史さん:02/03/22 00:55
日本史年表、何をお使いですか?
私は研文書院「改訂 大学への解説日本史年表」です。
932 :
日本@名無史さん:02/03/22 02:13
歴史手帳売り切れとのことだが、吉川構文感のものと山川出版社のものと
どっちがいい。教えてください。
933 :
日本@名無史さん:02/03/22 02:17
お前ら 一日に何時間2ちゃんやってる?
935 :
日本@名無史さん:02/03/22 02:25
>>933 日によって違うなあ
何日もやらんときもあるし、1日10時間という時もあるし
936 :
日本@名無史さん:02/03/22 08:16
広沢真臣暗殺の犯人だれ?
937 :
日本@名無史さん:02/03/22 09:19
938 :
日本@名無史さん:02/03/22 09:23
今年のセ・リーグはどこが優勝しますか?
940 :
日本@名無史さん:02/03/22 14:04
前原一誠は,木戸孝允が犯人だといっているが,なんだかなぁ.
941 :
日本@名無史さん:02/03/22 15:06
99のオールナイトで「刀狩りじゃぁ」のコーナーが始まりましたが。
ど〜よ。
944 :
日本@名無史さん:02/03/22 21:07
豊臣秀次の正妻って誰ですか?
945 :
日本@名無史さん:02/03/22 21:39
世が世なら18代将軍になってた人って今何してるの?
946 :
アルビレオ越後 ◆ZechiGok :02/03/22 23:22
>>945 詳しいこと知りませんが・・・
最近の天皇家の祝い事だったかで、前田家の当主と徳川家の当主が弓引きの儀式?
で弓を下に向けてビョ〜ンとやっていた。覚えている人もいるでしょ?
947 :
日本@名無史さん:02/03/22 23:50
948 :
日本@名無史さん:02/03/22 23:57
>>944 最初の正室は池田恒興の娘のはずだが、秀次事件で連座された妻妾に含まれてない。
離婚または死去していたのかもしれない。
秀次切腹の時の正室は一の台とよばれる菊亭晴季の娘だと思われる。
949 :
日本@名無史さん:02/03/23 00:38
三田尻女子の栗原恵かわいい!!
950 :
日本@名無史さん:02/03/23 00:42
もし、天皇が1603年に征夷大将軍の宣下を拒否し続けてたら
江戸幕府は誕生しなかったでしょうか?武力で押さえ込もうにも
武家の棟梁じゃないんだから朝敵になるよね。大坂には秀頼がいるし
951 :
日本@名無史さん:02/03/23 00:44
内田恭子って以外と巨乳?
952 :
日本@名無史さん:02/03/23 14:18
953 :
日本@名無史さん:02/03/23 16:26
信長の妻吉野の連れ子ってどうなったの?
954 :
日本@名無史さん:02/03/23 16:37
955 :
日本@名無史さん:02/03/23 17:12
刀狩りじゃ (by岡村)
956 :
日本@名無史さん:02/03/23 23:44
>>948 池田の娘は一緒に殺されてるよ。
どうも秀次の正室は二人らしい。
957 :
日本@名無史さん:02/03/24 00:08
958 :
日本@名無史さん:02/03/24 00:08
>>956 正室が二人???
他の人物で正室が複数いた例あるの?
959 :
日本@名無史さん:02/03/24 00:40
岡田英弘氏の『倭国』(中公新書)を読んだのですが、
この本の日本史の学者の中での評価はどんなですか?
960 :
日本@名無史さん:02/03/24 08:22
源氏や平氏はなんで「朝臣」なの?皇親は「真人」じゃないの?
961 :
日本@名無史さん:02/03/24 09:02
もう、その頃は真人の価値が下がってたんだよ
文室真人が朝臣姓を賜ったのは平城朝の大同四年。
嵯峨源氏以前のことだからね。
962 :
日本@名無史さん:02/03/24 09:12
海大について教えてください。
963 :
日本@名無史さん:02/03/24 10:57
>961 ありがd。
宿禰姓以下の公家もあまり聞かないけど、明治維新のころまで生き残ってたの?
964 :
日本@名無史さん:02/03/24 12:20
■■■質問■■■
理系でする。文系の皆様方に質問するでござる。
「ピンからキリまで」って、どっちが上なの?
ピンとキリの意味をつけて30分以内に答えてみい。
965 :
恥 272:02/03/24 12:36
s
>963
あ、公家に限らず武家でも・・・。
967 :
日本@名無史さん:02/03/24 21:01
>963忌寸はすぐに廃止になって、道師と稲置は実際には与えられなかったっけ?
968 :
日本@名無史さん:02/03/24 23:27
>>959 質問は世界史板でした方が良いんじゃない?
俺も以前、岡田氏絡みの質問したけど無視されたから。
多分、日本史関係の学会は岡田氏を敵視しているのでしょう・・・。
969 :
日本@名無史さん:02/03/25 12:22
970
あと、29・・・・・・
28
・?
>>968 敵視って・・・
だって知らないもん答えようがない。
反応がないって事はそれだけ注目されるもんでもないし
読まれるようなもんでもないってことじゃないの?
975
1たす1は、いくつですか?
977 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:42
八幡太郎義家
新羅三郎義光
の間に宇治次郎何とか?がいましたがなんというのでしょう?
その人のことも少し...
978 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:46
979 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:46
980 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:46
981 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:46
982 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:47
983 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:47
984 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:47
985 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:47
986 :
日本@名無史さん:02/03/25 21:48
987 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:38
988 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:38
989 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:38
990 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:38
991 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:38
992 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:39
993 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:39
994 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:39
995 :
日本@名無史さん:02/03/25 22:39
996 :
日本@名無史さん:02/03/25 23:28
1000獲るよ。
997 :
日本@名無史さん:02/03/25 23:29
今だ!1000ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
サッカー解説でおなじみのセルジオ越後は日系2世のブラジル人。
親の出生地を教えて下さい。前にテレビで紹介されていたけど、
覚えていないのです。越後ではなかったとおもうのだが・・・
あっもう1000か。
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このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。