1 :
もぐもぐ名無しさん:
自分は父子家庭だったんだけど、父ちゃんに育てられた人で、忘れられない食べ物ある人いますか?
今はもう親父はいないけど、運動会の時作ってくれた、大きなグローブみたいな
おにぎりが忘れれない。
新聞紙で包んで、おかずは前の晩から作ってくれた昆布の煮物とかだった。
俺はジャングルジムの上で一人、その大きなおにぎりをほおばってた。
すげぇ美味かった。
2 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 03:57
犬小屋
>父ちゃんに育てられた人
この条件が付くとカキコが少なすぎるかもしんない
小さい頃母が入院したとき、
キャベツの千切を食器洗剤で洗った父・・・
小さいながら、引きました。
スレの趣旨と違うね・・・ごめんね
>>1
5 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 04:13
中学2生頃まで弁当作ってくれたよ。
見栄えも悪くてタコウィンナーとか、うさぎ林檎なんかなくて、
でも愛情弁当だった。
本当はすごい美味かった。
恥ずかしくてあの頃は隠してたが、この年にならんと気が付かないのな。
今なら、自慢して見せたい気持ちだ。
天国の父ちゃん、ごめんな。
目頭が熱くなるような良いスレだな。
んじゃ、俺は
>>4的なネタで。(w
幼少のころの話、
インスタントの袋めんを一通り作った後、
スープを捨てて、めんだけを味噌汁の中に入れて
「味噌汁ラーメン」
なるものを作った。
味は…覚えてない…。
8 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 04:57
かなり昔にインスタントラーメン作ってもらった
具とか何もなくてうまいとは言えないけどさ。
涙腺弱いのかな、ちょっと涙出た
10 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 05:31
野菜炒めばかりだった。
一度、ハンバーグが食べたいと言ったら鰯で作ってくれた(笑)
味は・・
あ、でも魚をさばくのは母より得意。
#うちは生きてるけど、母が健在なうちは父は作らないと思う。
食べ物でも何でもないんだけどごめんなさい。
スレ違いもごめんなさい。
子供の頃、私を苛める男の子が近所にいて、私はその子の新しい自転車の鍵を盗んで
しまったんです。子供心に。
その子の家は父子家庭だったんですけど、次の日、その子のお父さんが仕事を休んで、
子供の自転車の鍵を壊して、自転車が使えるようにと数時間かけてトンカチみたいので
叩いてたんです。汗水たらして・・・。
もう20年以上経ってるのに、今でも心が痛みます。
本当にごめんなさい。H君のお父さん。ごめんなさい。
12 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 05:47
>>11 ヤバイ ジーンときた・・・。
H君のお父さん、何故か私からも謝ります。ごめんなさい。
13 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 06:12
母親がいない時、父親が作った料理は。
戸棚に残ってるモノすべてを、味噌汁に投げ込む料理だった。
味噌汁も残りモノです。
タクアン。納豆。タラコ。ニシンの塩焼き。キャベツの炒め物。
こんな残り物を、全部、味噌汁に突っ込む。
子供たちは(オレのことだ)は、食ったフリする。
味噌汁(残飯汁)のおわんに、皿でフタをしたあと、
「ごっちょさん」と行って台所に行き、捨てる。
あまり楽しくない思い出だなぁ。
14 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 06:53
衣がぼてぼてに厚いフライドポテトみたいな
てんぷら。下手糞なくせにニコニコしながら
「おまえたちは育ち盛りだからな」って
大量に作るもんだからあまっちゃってさ。
「もういらない」って私たちが食卓はなれた後、
野球見ながら寂しそうに何個も何個もいも天
ほおばってた。なんかやり切れなくて、
「巨人どうよ?」なんていいながら私もつまんだよ。
あのときの嬉しそうなお父さんの顔、今はもう見れない。
もう二度と見れないんだよね・・。
15 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 06:56
16 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 07:05
小学校3年の頃。
夏休みで父と海へ行き、帰ってきて冷えたスイカを切ってくれて、
その時飼ってた犬と、猫、兄弟、みんなで、まったりしたあの空間が、
あのスイカが、、、忘れらない、、、、。
病気とかそういうの世の中から消えちまえ、と本気で思った。
17 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 07:50
砂だらけで噛めないしじみの味噌汁。
生煮え大根&ビニール付きハムのルー溶け残りカレー。
中身激レア(生で冷たい)な焼き魚。
味噌オンリーの味噌汁にうどん入れて「味噌煮こみ」、ラーメン入れて「味噌ラーメン」(ガイシュツスマソ)
どこに保存していたのか、虫だらけの米(そのまま炊く)
基本的に主食(米)+おかず一品(インスタント食品か肉魚)で、野菜は給食でしか食ってなかった。
小2から料理担当になりました。
18 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 07:58
小1の頃けんかでもして実家帰ったのかわからんけど、お母さんがいなくなって
豚肉を塩コショウだけで焼いただけのものを作ってくれたのが
激しく印象深い。
あと、餅にかつお節をかけて湯を入れて醤油入れて簡単な雑煮を
作ってもらったな。
その数ヵ月後に他界しちゃったわけだが。
正直、そのころの記憶はお父さんのばかりでお母さんの記憶が
ほとんどないな。
感動モノと料理ベタモノだね。なんか面白い。
ところで、「味噌汁ラーメン」を作った親父だが、
今は普通に作るどころか、野菜とキノコを炒めて上に乗っけたり、
ちょっとだけ凝ったものを作るように成長しているのを報告しておこう。
20 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 10:25
お父さんが小屋の中でドンドンガンガンやってた。
お母さんに「見ちゃダメだよ」と言われた。
夕食には味噌で煮込んだ謎の肉鍋。
それがまた、凄く美味しい!
何の肉だったのかを最近教えてもらった。
でも…誰にも言ってはいけないらしい。
ケド、食べたことある人がいたら嬉しい。
書きたいけど・・・・・書けない(p_;)
21 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 10:39
父が台所に立ったのは一度きり。
おかずは買って来て、ご飯を炊こうとしてた。
蓋を開けたら見事なおかゆ。
自分は嬉しかったけど、固めの好きな父はショック受けてた。
自動炊飯器でどうしてあんなご飯が炊けたのか、不思議。
>>20 何の肉か気になって夜眠れないよ(W
23 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 11:21
>21 >22
ゾヌ科ではないらしい…です。
毎年食べてます。
あぁぁ・・・っ書けない・・・・
食べるのを禁止されているお肉なんでしょうかね?
(まさか人肉では…)
うちは父子家庭じゃなかったですけど、カレーとお好み焼きと
さんまの塩焼きは父親の担当でした。
25 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 11:36
天然記念物辺りかな、ニホンカモシカとか。
ニホンザルとか。
猪食べたことあるけど、まずかったなあ。
26 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 15:49
なんかいいねぇ。このスレ。
うちは途中から父子家庭。
料理はそこそこ美味かった。
もう1度食いてぇ〜と思うのは、
味噌と、茄子と鶏肉、玉ねぎなんかで煮込んだにゅうめん。
いや、にゅうめんであってるかな?
そうめんじゃない事は確かだ(笑)
作り方をちゃんと見とけば良かったなぁ。
27 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 15:52
醤油色のだしの中にうどん。
父の出身が香川だからいつもうどん。
具はかまぼこだけ。
28 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 16:21
私的ネタになっちゃうけど。
俺んちのおふくろと親父は当時喧嘩ばかりしてたんだ。
親父はギャンブル、酒、女。
帰って来ない日もあった。
おふくろが1人で泣いてた日々も続いた。
俺は肩をさする事しかできない、
何も声をかけてあげられない子供だった。
そんな時、母親が子宮癌になったんだ。
それから親父は一変した。
遊びは全てやめて、おふくろにつきっきりになった。
ある日、俺がおふくろのいる病室へ行くと、棚の上に
丁寧に綺麗に切った果物の器の下に
「水菓子です」と書いてあった。
ただその一言だけで、おふくろに「これ誰が?」と聞くと
「お父さんがね作ってくれたの。」と少女のように
笑ったんだよ。
俺のおふくろは泣いてばかりの、仕事ばかりの苦労した顔しか
それまで見た事なかったのに、その笑顔は最初で最後になってしまった。
俺は親父みたいに、女に苦労かけたくないが、
あんなふうな夫婦になりてーと思った。
親父は今でも健在だが、今は肝硬変で煩い、昔のような元気なない。
それでも、今でも、女はおふくろだけ、と酒が入ると口癖なんだよ。
俺はあの水菓子が今でも忘れられない。
>>1さん、見てるかい?
親っていいもんだよな。
残ったカレーを使い
その中にご飯、そこにあった野菜
などをいれ、ひたすら煮込む
うち通称カレーおじや。
家族の中で父、俺、兄、弟が食べてて
母親は見た目で引き、食べなかった
なかなかウマかった
今はもう作る気がないのか作って
くれないが、また食べたいと思う
いいスレだね
30 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 16:36
父は、借金をつくった。
20年前年寄りの従業員と借金5000万残して死んじゃった。
俺は、大学中退して家業を継いで10年前にバブルのおかげで完済した。
祖父は、外に子供をつくった。
父が死ぬ前に、近所に住む異母兄弟がいるが祖父が死んだ時に
ちゃんとしてあるので何を言って来ても相手にするなと言っていた。
父の葬式に父とそっくりの人が会葬者の中にいてびっくりした、
たぶんあの人だろう、今でも時々見かけるがもうじいさんになってきて
父が生きていたらあんなふうだろと思い、他人の気がしないが、
未だに声をかけられずにいる。
32 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 16:44
今全レス読みました。
親のありがたみが痛いです。
泣けます、このスレ。。。(涙)
33 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 17:07
本物の蜂の子(幼虫)・・・
フライパンで炒めてサッと醤油かけて食わされた・・・
34 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 17:09
35 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 17:09
インスタントコーヒーの空き瓶に傷みだしたブドウを
いれ、箸でつぶしてフタしめて放置・・・・
ワインだと言って飲まされそうになった。
36 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 17:12
父親で料理美味い人って少ないのかねぇ(笑
やっぱ、「男子厨房に入らず・・・」って迷妄が長らくあったからね・・・
38 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 17:19
小麦粉をこねて、スイトンみたいなものを作ってた。
木の卓袱台の上、じかにこねる。
こね終わると、卓袱台の汚れがとれて綺麗になってるんだよ。
でも、ケコウ、うまかった。
39 :
ももんがももちゃん:01/10/17 17:45
突然、「4枚切り」の食パンを買って来いと
命じられた。
フレンチトーストを作ってくれた。
その数日後、親父は家を出て行った。
40 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 17:51
母親が出張で不在時の、親父手製弁当には泣きたいものがあった。
とくに強烈だったのは、まだ暑い時期の遠足に持たされた
おにぎりが腐っていたことかな。
真中から割ったら糸を引くおにぎりを見つめて呆然としてたら
先生が自分のサンドイッチをくれたんだ。。
41 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 18:00
母が入院した時、普段料理などした事が無い父が
「○○○○(父の名前)スペシャルだ!」と言って
野菜炒めを作ってくれた。
普通の野菜にカレー粉を混ぜて炒めただけなのに、
妙に美味しい・・と感じた8歳の私。。。
42 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 18:04
小学校の頃平日お休みだった父が、お汁粉を作ってくれた。
ちゃんと小豆から煮てつくってた、母がつくるお汁粉よりも、
塩味がきいていておいしかったのを覚えている。
子供たちが声をそろえて「お母さんのよりおいしい」と言ったとき、
とてもうれしそうにしてたな。
43 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 18:08
いいスレ!
44 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 18:26
うちのオヤジ、ドカタの親方だったけど、ホントはコックになりたかったとさ。
釣った魚は自分で捌くし、煮物も焼き物も自分でする。ふぐを調理したときは
スリル満点だったなぁ。違法だけど。
そんな親父の得意料理(というほどではないが)は、味噌大蒜炒め。
香ばしくて、煮干が入って歯ざわり抜群で。ご飯のおかずにぴったりだった。
いいオヤジだったなぁ・・・。まだ生きてるけど(W
45 :
八百屋のせがれ:01/10/17 18:34
つれの親父の滋夫丼(シゲオドン)とってもうまかった。
中学の時におかんが死んで、弟と父子家庭になったつれがいた。
高校の時夕方遊びに行ってるとおっちやん(滋夫〉が帰って来て、
電話しといたるさけ滋夫丼食うて帰れやといつも言ってくれた。
滋夫丼は、どんぶり飯の上に、ちぎったキャベツをのせ、
その上にコロッケをのせ、お好み焼きのソースをかけたものだった。
俺は店のキャベツをお礼にいつも持っていっていた。
今思うとあいつ毎日コロッケとキャベツ食うとったな。
文句も言わんとえらいやつやったんやなー。
46 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 18:36
なんだよぉ〜〜〜心温まるスレだな〜〜〜;;
こんな雨の日にゃ、しっとりして、酒でも飲んで
田舎の親父思い出したい。
47 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 18:54
自分
48 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 18:56
49 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 19:23
50 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 20:05
>>45 つれ、大事にな〜。
旨いもん、ターント喰わしてな〜!
51 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 20:06
なにはともあれ、親父の料理は豪快だった。
味噌汁の中には冷蔵庫にあるもの何でも入れるし。
今となっちゃいい想い出ですな。
52 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 20:23
少々スレ違いですが、親父の実家に帰省した時、集まった親戚でバーベキューを
やった事がある。
鉄板じゃなくてどっから持ってきたのかトタン板(屋根とかに使われるてる波うってる
やつ)に油の代わりにマーガリン(いや、油だけど)引いて肉・野菜を焼いてた。
子供心に「何か違う」と思った・・・・
53 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 20:55
飲食店やってたんで、いろんなもの作ってました<親父
手作りカニコロッケ、小麦粉炒めて作るカレー
牛煮込み、麻婆豆腐などレパートリーは豊富。ドレッシングも手作り。
その父も10年前に離婚したのでそれ以来あってません・・。
幼少のころは食生活リッチだったなぁ・・・・。
54 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 20:56
チャーハンしか作ってもらった記憶がない。
お母さんにまかせっきりの人だったからなー。
55 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:01
56 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:01
57 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:03
こういう思いで作るためには
男が料理できないかんね。
よし、これから彼氏を特訓だ。
いや、マジな話料理できる男の子っているの?
58 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:10
うちの父さんは料理が好きなので、良く色々作ってくれた。
豪華なモノはあまりないけど、とりもも肉を塩こしょうで焼いたのを
食べたあとのガラで炊くスープが最高にうまかった・・・。
他には鯖の水煮缶詰と玉葱を醤油と砂糖で煮たのを
ごはんにかけて食べるの。
今度帰ったら作ってもらおう。
59 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:24
日曜日には「札幌一番みそラーメン」を作ってくれたよ
それにバター落とすの。
60 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:51
肉だけインスタントだけ菓子だけという食生活に、
子供ながら「ヤヴァイ」と気づいた私は、親父に野菜も食おうと意見した。
翌日食卓に上ったのは、生のブロッコリーとカリフラワーがごろん。カタイ、ニガイ…
「見ろ、不味いじゃねーか!もう買わないからな!」
あれから十数年、私はひとり暮しして美味しい食生活を送っている。
たまに帰省して野菜の煮物とか作ってやると、次の日の朝、父は大騒ぎする。
「出た-出た-すっげぇウンコでたぞ!!」
…普段なに食ってんだよ…心配だよとうちゃん…
61 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:52
母が風邪ひいたときに、朝食で卵焼きをつくってくれた。
やたら砂糖いっぱいいれてて、焦げてた。
そんなとこかな。やれやれ
62 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 21:59
63 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 22:01
64 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 22:25
ラヴいとうちゃんだね・・・
わたしも最近父がかわいく思えてきた。
わたしの父は家事を一切やらない人ですが
わたしが小学生のとき、焼き豚を切ってどんぶり飯にのせただけの
「焼き豚丼」を作ってくれたことがあります
本当に一切家事をやらないので、すごく強く記憶に残ってます
うまかったかどうかの記憶はないけど・・・
作った(?)という事実だけが鮮明に残っています
66 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 22:57
>1
いいよそのダイナミックな表現。小さいことなんだけど誇張させたいときに「ほおばる」がよく使われるよね。
67 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 23:11
ある日おやじが何を思ったか(おれが)釣ってきたナマズを
さばき始めた。
出来上がったのは天ぷら。
20年も前だから味はよく覚えていないが、あまりのマズさに
体調を悪くした記憶がある。もちろん食って速攻吐いた。
おやじはなんか不服そうだったが。
何年か前の年末に母と妹とでフライドポテトをもう潰れた変な店で買って帰った、
そのポテトは焦げて食えば食うほど口の中に苦い味が・・・犬も食わないし、大量のポテトどうするかと思った時に
「いっそのこと○○(妹)が作ったっていってお父さんに食わせちまおう、娘の作った物は美味く感じるわ」俺が鬼畜な事を言い出した。
そして一時間後に父が「美味い」と言って食っていた、俺が「苦くない?」と聞いても「それが美味い」と言っていた。
父よスマソ
69 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 23:33
70 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 23:35
一緒に作って、初めて成功(スの入らなかった)した
茶碗蒸し〜
もう、むっちゃ「やったー!」って感じで、今でも
おとうちゃんと、その時の話になると盛り上がる。
ウチも父子家庭で、父一人子一人なんだけど
嫁に行く前の娘が手荒れてたら可愛くない!っていうのが
おとうちゃんの口癖で、台所仕事はおとうちゃんが担当
私が援護って感じだった。
結婚した今でも近くに住んでるから、よく一緒に
買い物したり料理して遊んでる。パパン自慢になっちゃってスマソ(汗)
71 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/17 23:36
>>68 それ、うすうす気づいていたんじゃないかな?
それでもただ「美味い」と言って食べる。それが父親。
こんばんわです。
>>70 いやいや、うちも父子家庭なんで気持ちがわかるよ。
母親役もやらないとならないから、そうやって家事の事をやる父親は
えらいと思ってるよ。
うちもやってくれたから。
死ぬまでにたくさん孝行してください。
しようと思ったらもう、うちはいなかったんで(笑)
レスくれた人どうもありがとう。
74 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 00:02
75 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 00:05
もしや・・・。ワンワンかニャンニャン?
76 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 00:10
>20
小屋でドンドンガンガンでしょう?
結構大きなものだよね。
わんわん、にゃんにゃん、ちゅーちゅー、こけこっこー
あたりを基本として裏をかいて
ヒヒーン(子供)めぇめぇ(子供)ってのは?
子供ならまだ肉がやわらかそうだし・・
77 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 00:29
湯剥きトマトを卵で閉じる。
いや湯剥きはしてなかったかも。
父親唯一のレパートリー。
まあともかく見た目がちょっと悪いので俺は好きじゃなかった。
「トマトはトマトで、卵は卵で食べた方が美味しいのに…」
って思ったものだ。
最近実家に帰ったとき、今でも現役の母親の代わりに
もう半引退して家にいることの多い父親にご飯を作ってあげたら
「おまえが作る飯は美味い
お母さんが作るのは味が薄すぎる。」
と褒められた。
とりあえず嬉しかったが良く考えてみると、
腎炎で腎臓を一つ失くしている父親に対し、
塩分の少ない食事を25年に渡って作り続けた母親の偉大さに
改めて気づいた。
78 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 02:30
麺類は圧倒的に親父の茹で加減のほうが上手いんだ。
というか、俺や親父が作り出す前までは、
母親の好みで茹でられてたから、やわらかすぎてダメ。
79 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 02:42
ウチの父親は、食品スーパーでの買物の仕方を知らなかった・・・
80 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 02:58
>>77さんの>湯剥きトマトを卵で閉じる。
ってのがちょっと気になる。。
何かスープで作るんでしょうか。
ウチの父親は、
ガスコンロの火のつけ方をしらんかったっす・・・。
押してまわすだけなのに。つけ方教えても出来ませんでした。
カップラーメン(電気湯沸しポット使用)だけが唯一作れる(?)メニューで、
カップめんが無かったとき、冷蔵庫にあったグリコの生ラーメンを
カップラーメンと同様の手順でつくり(どんぶりに生麺をあけて、
液体スープをその上にあけ、上からポットの湯を注いだ)、そのまま
平気で平らげたらしい・・・。お腹も壊さず平気な顔してました。
頑丈だなぁ、と驚いた。というか、マズくはなかったのか?といまだに不思議。
名スレだ(T-T)
83 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 10:22
普段は辛いだの甘いだのいちいち母の料理にケチをつける父
母が病気で寝込んだ時、母にお粥と卵ミソを作ってた。
作り方を一生懸命母に聞いて、懸命になって料理をしている
父を見たら、なんだか可愛くみえてきた。出来あがった物は
とても食べ物とは思えない代物。それでも母は「これが1番の
薬!」と言い嬉しそうに食べてた。
それ以来父は母の料理にケチをつけなくなった。
84 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 10:27
>>77 中国の家庭料理にも似たようなのがありました。
トマト、玉子に砂糖も入れて。
どっちかというと炒め料理みたいなもの・・・。
85 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 11:17
大企業の役員をしていた父親も、リタイアし、連れ合いを亡くして後の何年間もの間、
日々行うべき事もなく、広すぎる家に独り時間を持て余していた。
酒に慰めを見出す事もなく、あの世代なりの質素さからか、外食も好まなかった。
買ってきた惣菜や、時には妙なレトルト食品を食す事も少なくなかったようだ。
時折帰省する俺の滅茶苦茶な手料理や、無理に連れ出して食べさせる鰻が最大の贅沢と微笑んでいたが、
それでも思い出したように自炊する事もあった。
汚れたフライパンで炒めた蒲鉾だけをおかずに、一人テレビを見ながら飯を静かに腹に詰め込む父親の背中が丸かった。
86 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 11:23
親父の料理姿にはなぜ哀愁が漂うのだろうか・・・
87 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 11:29
父は焼け跡世代なので、食べ物に執着が強いのだが料理はいまいちだった。
俺もその血を受け継いでいるのか料理は好きで、自分で稼ぐようになってからは
買ってきたスパイスを調合してカレー作ってみたりしていた。
一時期、親父はスローポットでシチューだのおでんだの作るのに凝っていた。
材料だけはいいものを使うので、ふだんはそんなに食べられないものではなかったが。
ある日台所に入ると、なんだか物凄い匂いがする。スローポットがグツグツ煮立って、
その中には極上のシチュー用牛肉とほぼまるごとのニンジン・タマネギが
どす黒い汁に浸っていた。
「何作ってんだよ、これ」
「シチューだよ。棚にあったスパイス全部ぶちこんでみた」
・・・あのな。カレー作るために揃えたスパイス全部入れたら、それはカレーなんだよ・・・。
おまけに配合も考えなかったようで、タイムもターメリックも、そしてクローブも
同じ量を使ったらしい。つまり、ほとんどクローブの味と香りしかしなかった。
母や姉は顔をしかめるだけだったけど、俺は食べた。何も言わずに。
父も満足そうに、そのクローブカレーを食べていた。
あれが唯一、生前できた親孝行だったかもしれない。
私が高校生の時→レンジでチンした特大カボチャの姿蒸し。男の手料理だーと感動した。
私が実家に帰ってきたとき→ストーブで煮詰めたおでん。2,3週間ぶっ続けで食していたらしい。
パパは2年前胃がんで逝きました。いい人は早く逝くね。ママも去年逝った。教えて欲しいレシピいっぱいあったのに…。
89 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 15:18
>88 大丈夫。貴方の舌が覚えてるYO!自分でレシピは完成できるさ。
90 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 15:19
>>20 うっ、まさか「つ○」ぢゃぁ・・・
天然記念・・・
>90さん
「つ○」ではないですよ。
白鳥の鍋も食べた事があります。と云うより、食べてから教えてもらった。
動物愛護組合の人にIP調べられたらどうしましょ。逮捕されたくないです(汗
私の父は肉という肉は何でも食べれると思ってるみたいです。
秘密の小屋にはライフルやらナタやらいろいろな凶器がいっぱいあります。
朝、カラスが五月蝿くていきなり窓から発砲しカラスを3羽打ち落とした事もあります。
あのカラスも多分食卓へ並んだと思います。
>92 烏・・食べるところあるんだろうか・・・
20さんはなかなかデンヂャラスなお父上をお持ちのようで(^^;
94 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 22:31
>>92 んじゃ海獣系?ラッ○??
ホント気になるよ(W
かつて日曜の朝食だけ父が作っていて、
それは毎回じゃがいもの味噌汁と卵の炊いたのだった。
卵のあの味と、とろけ具合がなかなか自分で再現出来なくて、
実家に帰ると父をおだてだまくらかして今でも作ってもらっている。
95 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 23:09
>>92 >秘密の小屋にはライフルやらナタやらいろいろな凶器がいっぱいあります
すげー!
「○か」じゃないか? あるいは、「カモ○カ」。
漏れも北海道で食ったことがあるよ。
チョット固めの牛肉って感じだった。
96 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 23:10
>>20 ひょっとかして、神の使いといわれた
“し○”!?
奈良県にいっぱいいるアレ。
97 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/18 23:36
>>20 地味なところでキ○とかじゃない?
うちで昔飼っていたネコが、激闘の末片目を失いながらも狩ってきた○ジ。
それを没収して鍋にしてしまったうちの親。
それはそれはいいダシが出たそうだ。
98 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 00:24
幼稚園の行事で取ってきたドジョウを自慢するため父親に見せたら
数分後、いとも簡単にドジョウ鍋にされてしまった!
あんときゃあ泣いたよ・・・・。
父が料理してくれたことってない。
男尊女卑だから。
頭固い。
101 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 01:50
>>98 え、でもそれって美味しくない?
私の父は何でも作ってくれたっけ・・
う〜ん、煮物が1番好きだった。
あと、スパゲティなんかも、すごい美味しくて。
あ、父子家庭でした。
それと、夏なんかは麦茶がうちが1番うめぇ〜と思ったことも・・(笑)
パックではなく、麦をそのままヤカンで沸かして、沸騰させて、
水で数時間冷やしてから冷蔵庫へ。
当時、友達の家とか行って麦茶を頂いても、やっぱりうちのが1番って
心で思ったものでした(笑)
来年、面倒でも、それで作ってみるか・・
102 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 02:01
>>101 幼稚園児にドジョウのうまさは分からないと思われ。
103 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 02:12
牡蠣グラタン美味しかったなあ。
今年のお正月帰省した時、久々に作ってくれたのに高熱出して食べられなかった。
104 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 02:17
>98.101
うちの親父も町内の行事で取ってきたやつを味噌汁にしてました・・。
たべなかったけどね・・。キモい・・。
でも、ドジョウって即効料理したら不味くない?食ったことないが・・。
数日間、餌をやらないでお腹の中のものやら糞やら出さないとダメらしいよ。
105 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 02:31
おかんが社員旅行で留守の時に、
おとうが作ってくれた、卵焼き。
裏が焦げてるんだけど…って照れてたけど、
甘くてうまかったなー。
おとうは基本的に魚をさばくのと、
鍋物しか作らない人なんで、いい思い出だな。
106 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 03:51
107 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 07:37
えぇスレや・・・グスッ
オレが中学の時おかんが弁当作るのを忘れてておとんに作ってもらった。
おにぎりを作ったらしいが崩れてて、普通のご飯になってた。
109 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 13:57
このスレいいなーとほのぼの見てて、
>>102の揚げ足とりレスで
2ちゃんだったんだ、と現実に帰ってしまった。
110 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 14:14
111 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 15:35
俺が慕情の頃、弟はどじょうだった。
112 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 15:35
113 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/19 15:58
親父が料理作るときは全部炒め物だった。
しかも、そのすべてにキュウリが入ってた。子供心にも鬱だった…。
114 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/19 23:04
焼きそばだけは父の担当。
母に言わせると学生時代付き合ってたころから焼きそばは父の担当だったらしい。
オヒオヒ、いい年してオレらが生まれる前のこと懐かしそうに語るか、普通。
ナニモツクテモラッタオボエナイヨ
イツモナグラレテタヨ
116 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 00:07
料理を作り始めたキッカケスレと双璧だなぁ・・・ (シミジミ
117 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 00:30
すいとん。
あと、生きたウナギを縁側に釘で打ち付け、捌いてかば焼き。
蒸して無いから骨がいっぱいで子供心に旨いと思えなかった。
それから釣ってきて水槽で飼っているはずのナマズが食卓に
何度となくのぼった・・・。
>115
, ─ヽ
________ /,/\ヾ\
|__|__|__|_ __((´∀`\ )
|_|__|__|__ /ノへゝ/''' )ヽ
||__| | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从 | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\ / ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/
 ̄  ̄ ̄
119 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 01:59
120 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 02:01
つまんないスレだなしかし
121 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 02:04
122 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 02:29
>>114 俺の親父も焼きそばは上手い。
家族で焼肉やったときの、最後の締めの焼きそばがやたらと美味いんだよ〜。
最近は焼肉自体食べなくなったからね…。
123 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 03:32
こんな時間に焼きそば食いたくなったぞ
124 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 07:09
うちは焼肉のしめに焼きうどんを作ります。
父の料理と言えば、ウロコだらけの魚と
焼肉のうどんしか食べた事ない・・・
125 :
スリムななし(仮)さん:01/10/20 11:30
うちの父は単身赴任をしていたので
たまにしか合えなかったんだけど
父は帰ってきていて、母が出かけていた日、
2人で留守番をしている時に
峠の釜飯の空き容器で、釜飯を炊いてくれた。
ちょっとご飯が硬かったけど、すごくおいしかった。
ふだん、縦の物も横にしない人だから
器用に料理するのに驚いた。
定年になって、単身赴任先を引き上げるのに手伝いに行ったら
台所は使い込んでいて、自炊をちゃんとしてたんだと思った。
多分、一通りのことはできる筈なんだが
家では、相変わらず何もしないんですよね・・・
126 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 17:06
>>125 家だとお母さんにまかっせきりなんだよね。
昔お父さんが酢豚をつくってくれた。が、夫婦喧嘩で父が酢豚を皿ごと床にたたきつけてしまった‥。お父さん、一生懸命つくってたのにな‥酢豚をみるとこの事を思い出し、切なくなる。今度実家に帰った時につくってくれないかな。次こそはたらふく食べたい!
>126
それどころか、母が出かける日は
私が実家に呼び戻されて、
お守りしなきゃいけないのよ(w
出来ないわけじゃないのに、
家だと何にもしたくないらしい…
あの釜飯はほんと、奇跡のような物だからすごく思い出深い。
アウトドアとかでは料理するけど
家で父が料理したのはこれっきり見てないし、
母にこのこと話したらすごくびっくりしていたよ。
>>127 子供の前での夫婦喧嘩って本当に子供に影響するんだよね。
なんかふと考えさせられてしまったよ。
>>128 結局のところ、甘えてるんだよね。
母親が倒れたり、亡くなったりすると、父親ってのは
もう〜ダメみたいだね。
130 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 17:52
132 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 22:04
133 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 23:07
小学校の時に死んじゃったんだけど、
よく作ってくれて、すごい大好きだった食べ物
パンのミミを切って、玉子を溶いたものをつけて、フライパンで焼く
フレンチトーストみたいな感じだけど、甘くないの
それにマヨネーズを塗る
美味しかったよ
134 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 23:18
仕事と趣味のアイスホッケーに忙しくて、めったに留守番をしない父が、
母親の通院のために留守番を買って出てくれたのは、30年くらい前のこと。
私たちがおやつをせがむので、父は張り切ってココアを作ってくれたんだ
んだけど、砂糖と塩を間違えていれたために、しょぱいココアになっちゃっ
た。
折角作ってくれたので、私たちは我慢して、「塩辛いココアでもでっかく
作ってくれたからを飲む。」と言ったのだけど、父は作り直してくれて、
「めったに家のことをやらないから、作り間違えてゴメンね。」って言って
た。
作り直してくれたココアよりも、塩辛いココアの方が印象に残っています。
忘れられない父との思い出です。
そんな父も、一昨年の大晦日あっという間にあちらの世界の人になってし
まった。
135 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/20 23:27
あー、切ないよー(T_T)
136 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 00:10
父の料理といえば、具がたっぷりの野菜炒めだなあ。
日曜日の夜、気が向いたときに台所に立って作ってくれる。
キャベツ、小松菜、にら、もやし、きのこ、ピーマン、玉ねぎなど、
その時家にある野菜を適当に使ってるみたい。
醤油のみのシンプルであっさりした味付けのと、
オイスターソースを使ってやや甘めに仕上げた物の2種類が、
大皿にどーんと盛られて登場。ごはんが実に進むんだ、これが。
でも、家で普通に夕食をとっていた学生の頃は、肉>野菜だったし、
父に反発していたこともあって、あまり好きではなかった。
今、仕事がめちゃめちゃ忙しくて、自宅に週の半分くらいしか帰らないし、
家で夕食をとることなんて2〜3カ月に1回しかない。
職場での食事はコンビニ物が中心で、慢性的な野菜不足。
そんな私を気遣ってか、たま〜に日曜の夜家にいる時は、
父はスーパーで大量に野菜を買い込み、張り切って野菜炒めを作ってくれる。
「美味しい美味しい」を連発しながらがっつく私の姿を嬉しそうに眺め、
そして必ず「忙しいのは判るけど、身体を第一に考えないと駄目だぞ」と言う。
137 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 01:27
>>136 美味しい野菜炒めはご飯進むよねー。
不器用ながらの父親の愛情料理は美味いよね。
シミジミ・・・
138 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 01:47
うちは母が料理下手だったんで、それが物足りなかったのか、
父が深夜に台所にたって自分だけのための夜食を作ってた。
男の人の好きそうな、B級風味の味の濃い簡単な料理が多かったんだけど、
(かつおぶしと醤油だけでいためたご飯とか、卵の入ったインスタントラーメン
醤油で色が変わるくらい味付けした卵焼き等々)
妙においしそうで起きてた時はねだってよく食べさせてもらってたわ。
おいしかったんだけどね、味が濃すぎたよ。
あんなもんほぼ毎日くって大酒かっくらってるから、あんた早死にしたんだよ・・・(涙)
139 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 01:53
(´д`)パパ…
140 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 02:30
最初からざーっと読んだけど、ほんといいスレですね。
思わず目が潤んで・・、うっ。
ウチの父も料理なんてめったにしなかったけど、ごく
たまに作ってくれる料理はすっごく美味しかった。
特に牛丼。当時関西ではさほどポピュラーではなかった
吉野屋スタイル(卵でとじない)で、いまでもその感動
は、はっきり覚えてる。
141 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 02:51
うんうん、泣けたよ。私もこのスレで。
142 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 03:19
>>138 >大酒かっくらってるから、あんた早死にしたんだよ・・・(涙)
やべ、うちといっしょだよ。
思わず目頭熱くなった。
143 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 03:45
物心ついたときから父子家庭なんで料理は父がしてくれました。
母親がいないことで不憫な思いをさせてはいけない、と思ってたらしく
遠足や運動会ではから揚げ、タコさんウインナー、ほうれん草の卵巻き
など、色とりどりに、それはそれはおいしそうに作ってくれました。
ドカベンのようなお弁当箱で、女の子である私はちょっと恥ずかしかったけど
でも今考えると男手一つでよくやってくれたな〜と思います。
あんまり感動的じゃないや。ごめんね。
144 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 05:08
いやいや、すっごく感動です。いいお父さんですね。>143さん
145 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 06:22
>>143 うん。全然感動的じゃない。
ありふれた内容だな。
なんてことは言うつもりない。
いい父ちゃんじゃないか
146 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 08:12
147 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 12:39
おはようございます もうひとつ父の料理おもいだした。 厚焼きたまご。ふんわりじゅわっとしてて大好き!やさしい味。たまに日曜の朝につくってくれた。寝起き悪いのに。あの味はいまだ再現できす。11月の学祭りは帰るぞー!
ゆめのさんおはようございます。
ふんわりじゅわっと、という表現が良かったので
これから卵焼き作りたくなりましたよ。(笑)
11月は楽しみですね。
晩飯のおかずに卵焼きを作った俺。
単純な俺(泣)
151 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/21 21:21
age
152 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/22 09:27
母が入院中に父が近所の人から釣ったばかりの魚をもらってきた。
私「え〜すごい〜これ何にしよう」
父「お刺身。」
私「お刺身?私やった事ないよ〜できないよ〜」
父「三枚に下ろして皮をとって切るだけでしょう。」
私「お父さんできる?やってくれる?」
父「いいよ。」
こともなげに言い放った父に、「そうかお父さんは釣りやってたもんね。
できるんだな。すごいな。」と任せたのが間違いだった・・
3枚に下ろすのもぐちゃぐちゃ。皮をとれば身より皮の方が分厚い。
結局お刺身に出来たのはほんのちょこっとでした。
「お父さん、全然出来ないんじゃ〜ん。」と笑いながら食べたお刺身おいしかったよ。
残りの豪勢なアラでお吸い物を作って、また笑いながら食べた。
153 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/23 00:06
父さんの味噌汁。
具はいつも豚肉、玉ねぎ、ワカメ、じゃがいも。
全部水から茹で、味噌を入れてからもなおかつ沸騰させ煮続ける。
豚肉からジューシーな脂分がたっぷり出、ワカメもたまねぎもどろどろ、いももすっかり汁に溶け込みどろどろ。
そしてなにより煮過ぎでしょっぱい!!
母さんは「またこんな体に悪そうなもの大量に作って!」となじる。
家族全員が「またこれ作ったの〜。」と呆れ顔。
「いいじゃん〜コレがいっちばんうまいべや〜。」と美味そうに食う父。
それでも鍋いっぱいに作られたその味噌汁は皆の手によって2日後にはキレイサッパリ完食される。
そしてうれしそうに「お〜みんな食ったなぁー」と満足気味の父。
なんだかんだでやっぱりみんな、父が家にいて料理をするってことがうれしかったんだと思う。
仕事と遊びに一生懸命でめったに家にいない人だったから。
そして父はこれからもその煮込み味噌汁を作り続けるだろう。
家族の誰かに「塩分取りすぎによる高血圧」の症状が出ない限りは、、、。
それにしてもなんで男の人ってあんなにしょっぱいもんばっか作るんだろうね〜?
子供の頃作ってくれたサンドウィッチが懐かしいです。
日曜の朝、家族総出で作るんですが、父は薄焼き卵が上手で
何枚も何枚も、真剣な顔できれいに焼き続けていました。
12枚切りの食パンが、際限なく積み重なっていくのが楽しくて楽しくて・・・。
その後、反抗期を迎えた私は、いつか父と話をしなくなっていき、
会社が倒産寸前だった事、父がガンになってどんどん痩せていった事
全てを、他人事のような冷めた目で見ていました。
そうしなければ神経が崩れていきそうで、必死に、父を嫌ってるバカな娘を
演じていたような気がします。
今度の休みに、母とサンドウィッチ作ってお供えしてみようかな。
上手に卵は焼けないと思うけど・・・・。
父の作ったオトト・・
スマソ
156 :
21歳、学生。:01/10/23 02:30
ウチの親父のスペシャルスパ。
茹でたてのパスタにミートソース、
ツナ、キムチ、納豆、トマトざく切りを乗せたものです。
見た目はキモいのですが、ミートソースの甘味とキムチの辛さが
納豆の臭みを消し、豆の風味を引き立てていてグーでした。
赤羽の喫茶店で教わってきたものらしいのですが。。。
どなたかその店、知りませんか?
母が作るものより、父さんが作る飯のほうがうまかった気がする。母さんの冷凍オンリーなもんで。
158 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/24 21:47
私の父ちゃんは私が20歳の頃に肝臓癌で亡くなりました。
実はその前には、刑務所に4年服役していて、出てきたと思ったら
あっけなく末期癌になっていってしまった。
つかの間の1年間、いっしょに酒を呑みによく行きました。
「娘よ」を歌うと、必ず泣いていた父。
私は、末っ子で、父が40過ぎに出来た子供だったので、本当に
愛してくれた。
母がいない分、寂しい思いをさせまいと、不恰好な弁当も作ってくれた。
化けてでもいいから会いたいと未だに思う。
あれからもう11年経ちました。
夢でいいから、夢でいいからいっしょにまた酒呑みたい。
父ちゃん、あなたは私が死ぬまで私の1番愛する男性です。
いかん、泣いてしまった。
159 :
ムキムキ名無しさん:01/10/24 22:29
賞味期限の切れた袋のラーメン。
友人にも出していた。俺は黙っていた。
友人は親父に「美味しいですよォ」と言っていた。
俺は、何も悪い事してないよな?な?
なのに・・・なんでこんなに胸が痛むんだろう。
160 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/26 15:58
名スレage
>>117 うちのお父さんもウナギさばいてた。
川に仕掛けしておいて捕まえてしばらく水槽で生かしておくの。
金魚の水槽に入れるもんだから翌日に金魚がいなくなっててショック
だった。
父はおいしそうに食べてたけど、気持ち悪くてダメだった。
スーパーのウナギは大丈夫なんだけどね。
162 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/26 18:40
最近オフクロが仕事が忙しくて、オヤジの料理ばっかりだ。
ウチのオヤジは元来凝り性なのか、料理にはまったようだ。
野菜の煮付けを作るのも、キチンと面取りして素材毎に煮込む。
一番印象深いのは押し寿司かな?
型から自分で作ったらしい・・・
でも片づけは俺の役目なんだよな(笑)
163 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/26 19:02
親父の鍋は最高だった、、あとスクランブルエッグ
164 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 00:49
母が亡くなってから一人暮らしを始めるまでの3年間、
夕食は毎日同じ具で同じ味の煮物+ご飯だった。
父が財布を握ってるから自炊はできなかった。
今は自分で好きな物を作って食べられて嬉しい。
165 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 01:10
お父ちゃん(゚ーÅ) ホロリ
166 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 13:34
舅は7年前に他界してるんだけど旦那にこのスレの話をしたら色々と
「親父はこんなもの作ってくれた」とか「こんなものが好きだった」とか話してくれた。
一度あってお話してみたかったんだけどな。
ウチの親父は反対にカップメンが唯一の料理っすね・・・・
あああ、ちょっと親孝行したくなってきた。
中学高校時代の親に反抗してた自分に今会ったら胴回し回転蹴り食らわせたい。
すげー良スレ発見しました。泣ける!
俺の親父もつい先日ポリープができました。
再検査らしいけど、かなり心配。不器用な生き方してるヤクルトファン。
父親の作るものはどれも不味くて、まともに食べたことがない。
次の機会には、黙って食べよう。
170 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 20:56
age
僕の父はコロッケを作るのが好きです。
というより唯一作れるのがコロッケです。
前は日曜に一緒によく作りました。
でも最近は「一緒にコロッケつくろうな」と
誘われると、
メンドクサイ・・久しぶりに帰ってきてるんだからゆっくりさせてくれ
と、断ってました。
でもこのスレを見ていると初めて一緒にあれこれ言いながら作ったコロッケを思い出しました。
今度、実家帰ったら自分からコロッケ作ろうと誘おう。
ここは良スレですね。
涙が出てきましたよ・・。
172 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 22:00
やべぇ。
実家に電話したくなっちゃったヨ
親父もいい歳になっちゃったよなぁ。
母親が早くに亡くなったから、色々と苦労したんだろうけど
当時は気付かなかった。
今気付いたりする。
再婚した今でもたまに得意げに料理作るんだけど、あいかわらず
美味しくはない。
でも食べたくないとは思わないんだよなぁ。
173 :
もぐもぐ名無しさん :01/10/27 22:33
父が作り置きしてくれていた、冷めたおでん。
おいしいけれど、おいしくないな。
もう一度でいいから、食べたいです。
そうすれば、何もかも頑張れるような気がしますから。
食べたいです。もう一度だけ。
174 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 23:21
え?
ツルって天然記念物なの((;゜Д゜)
食べちゃいけないの?
175 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 23:55
父は料理はそれなりにいろいろやっていたけど、
腕前はどれもやはり母にはかなわなかった。
ただひとつ母が父にかなわなかったのは、
餃子を焼くことだった。
母はどう頑張っても、父がやるようにパリッとしていて
くっついていてもきれいに一個一個ばらばらになるような
あの絶妙な焼き具合に出来なかった。
独り暮らしの身で幾度となく餃子を焼いた今の俺も真似できない。
いつかきっとあの焼き加減を再現してやろうと思っている。
その父も去年倒れ、母と共に一年半の闘病生活を送っていたが
健闘むなしく先日逝ってしまった。
…亡くしてからわかる、父の偉大さ。
176 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/27 23:56
小学生の頃、おかあさんの父親が病気で倒れお母さんが看病しに
実家へ帰り、私と弟はまだ幼かったため父が初めて料理してくれた。
味のない卵焼きとどこからだしてきたのかクリームしちゅーを
お湯でといただけのスープだった。当時は父親と夜一緒に食事
することなどめったになかったのでたまに夜父親が早く帰ってきて
居てるだけでも緊張していたため父親が作った食事→残したら
怒られる と思いますます緊張して食欲もわかなかった。
ずっと食卓をみつめていたら気がついた。スープに何か浮いている
父と弟は神妙な顔をしてずっとスープをスプーンでかきまぜている
「これなかなかとけへんなあ」そういいながら2人ともスープを
すすっていたが、それはどうみても何かの幼虫だった。
ふうをあけたまま放置してたモノだったらしい。しかしせっかく
父が作ったのだったので言わずにほっといた。
178 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 00:14
梅酒。
小学6年生の頃から飲まされてた。
普通はホワイトリカーなんかで漬けるところを、
父のはブランデーで漬けていた。
だからものすごく甘くて口当たりがいい。
油断して飲み過ぎると確実に轟沈する。
この間久しぶりにその梅酒をもらってきた。
父が倒れてからは梅酒を作らなくなったので、
漬けてあるもので最後ということになる。
じっくり味わうとしよう…。
179 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 00:44
180 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 01:51
くぅ〜泣けた
182 :
MU80Pro:01/10/28 04:46
とあるところで発見して来ました。
なんて名スレなんでしょう!(T_T)
涙腺がゆるいので、すでにここまで読んで何度ウルったことか・・・。
オレのかーちゃんが入院したときに
オヤジが無理して料理作ってたなぁ。
ゴハンの炊き方も知らないオヤジは
みごとプラスチックのような御飯を炊き上げた・・・。
姉二人が反抗期全盛のあの時代に
もともと話ベタなオヤジが
その時何を思って料理したのか考えると
とても切なくなってくるな・・・。
183 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 07:42
age
184 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 09:58
祖父が蕎麦屋をしていたので(とっつぁん)も蕎麦を作るのが上手かった。
特に汁は絶品で知り合いに教える位の出来だった。
帰りが何時も遅い為、殆ど店屋物だったけどタマに帰りの早い時は、
よく蕎麦や夏は冷麦を作ってくれた。ウマカッタナ〜〜。
祖父のも(とっつぁん)のも、もう食えないのが残念だ。
185 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 12:08
ここまで読んだ。けっこう涙ぐんでしまった。
うちの父はソバうちが好きで、毎年大晦日に年越しソバをうっている。
なぜかその日はTVで「サウンド・オブ・ミュージック」をやってることが
多くて、普段は別に仲がいいというほどでもない母と、2人で歌いながら
大量につくる。30食分くらい。あまりおいしくないので、ここ数年
年末年始に家にいないことを口実に食べていない。でもこれって
父がいなくなったら絶対後悔するんだろうな。
今年は食べよう。
186 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 14:18
ここまで一気に読んで「いい話だなぁ」とは思うものの涙腺は微動だにしない漏れは人間失格でしょうか?
187 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 16:24
スレとあまり関係無いかもしれません。
でも書きたいことがあったので・・・。
俺は逆に親父がいなくて、そのかわりに祖父が父親のようになって育ちました。
一人っ子の上それなりに厳格な家庭で、躾は厳しくされたし
「誉めてもらった」という記憶もありません。
だから反抗ばかりして、孝行しよう、なんてカケラも思っていなかったんです。
…でも、それの代償は重すぎて。
俺が中学生の時、
祖父は仕事中に脳梗塞で倒れ、数日間生死の境をさ迷いました。
どうにか容態は安定したものの、いつ急変してもおかしくない状態。
言語障害、半身不髄、それに低度のアルツハイマーも重なり、
仕事はおろか趣味のパチンコや酒なども永久に不可能。
俺は本当に不器用らしく、そうなってから
どれだけ愛されていたかを知ったんです。
いえ、知っていたのに見ようとしなかっただけなんでしょうね。
俺が釣った魚を上手にさばく姿。
それで作ってくれた焼き魚は、本当に美味しかったです。
トラクターやスノーモービルの乗り方を教えてくれた、広くてあったかい背中。
俺以外の家族全員働き詰めで、晩飯を作るのは殆ど俺。
その俺の対して上手くもない料理を、
本当に美味しそうにほおばってくれた祖父の顔。
その面影は、もう有りませんでした。
そんな祖父を見て、俺は泣きました。
みんなの見ている前で。
恥も外見も無く。
そうすることで、少しでも償いになるんじゃないか、などと
馬鹿げた考えを持ちながら。
意識が戻ったのは、その数日後でした。
祖父は俺の顔を見て、上手く動かない口を懸命に動かして言いました。
「あ、りが、とう・・・」
祖父が泣いているところを、はじめて見ました。
俺はただ、手を握ってやることしか出来ず。
それから残ったわずかの時間を看病に使って、俺の孝行は終わりました。
どうしてなんでしょうね?無くしてから気付くのは。
なにも返していないのに、ぽつんと残された俺の思いは、
何処へやれば良いんでしょう?
一緒に酒を飲みたかった。
昔の行いを詫びたかった。
温泉に釣れていってあげたかった。
じいちゃん・・・。
>186さん そんなことないですよ。 私、鬱病になって今度学祭で休みになるから実家に帰るんですけど、それを知った父が、「あいつの好きなカレーをつくっておこう」って言ったらしい。楽しみだなあ。
189 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 18:41
名スレの予感・・・・
190 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 19:11
良スレだ。
俺の親父はたまにしか料理しないが、母親よりは腕が良い。
特にジャージャー麺は高級中華料理屋よりもうまい。
191 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 22:27
>>182 知ってる方かもしれん(藁
まったく、良スレだよ。
親孝行マジでしたいよ。でも暇が見つからないんだ。
ごめんな、親父。
192 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/28 22:50
193 :
通りすがり:01/10/28 23:14
>>187 ホントに泣いた
文の上手さもあるのかもだけど
オレも同じような事体験済だから感情移入しちゃって余計に
194 :
環境破壊ちゃん:01/10/29 00:09
おやじの実家が大磯なので、おやじの実家に家族で里帰りした時
おとんが海パンいっちょで遊泳禁止の海に入って何をするのかと思ったら。
牡蠣を取ってきて、すぐ家に持って帰ってバタ焼きにした。
牡蠣は好きじゃないが、そん時食べた牡蠣はとても美味かった。
普段は何もしない父
†
(-_;)チョトホロリ
>>187
195 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 00:22
良スレだねえ・・・
1からずっと読んできたけど、涙腺が弱すぎる私は徳光さん並に泣いてしまった。
うちは、時々炒り卵を作ってくれたな。
これが美味しくて、ご飯がいくらでも食べられるんだよ。
これ、微妙な味付けで、真似しようとしてもできないんだよな。
何か秘訣があるのかと聞くと、全て適当に入れるんだよとのこと。
どうしても誰も真似できない・・・。
あぁ、久しぶりに食べたくなった。でも照れくさくてなかなか言えない。
今になって、愛されてたことを感じるね・・・。
親孝行しなきゃ。
196 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 01:03
>>187 マジでないちったよ!
実は今、俺は中学生なんだが、親を憎むことはたくさんあるね
やっぱり、今の俺じゃ分からないんだろうね
親孝行したいときに親はいないとは言うけど本当にそうなんだね
みんなのレス見て親の大切さが身にしみたよ。
やっぱ親父って偉大だな
まぁ、俺の親父はそれなりに料理できるんだけどなw
てか、俺はこんな時間までなにやってんだよ!早く寝やがれ!
風呂逝ってきます
197 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 02:49
198 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 08:35
良スレage
>>187 激泣き・・・。
家のパパは子供みたいな人で、自分のやりたい事をやりたいように
人生を太く短く57歳で逝ってしまった。
小さい頃から家には全く居なかったのは仕事だと思っていたら、実は
別の家庭を持ってしまっていたという人だった。
それでも子供の私達は可愛かったらしく運動会や父兄参観には必ず
駆けつける調子のイイひとだった。
何かを作って食べさせてもらった記憶は全く無いけど、私が「今日は
調理実習でほうれん草炒め作った」と話すと「作れ!作れ。」と一緒に
八百屋さんでほうれん草を5束も買ってきて5束分のほうれん草炒め
を「うまい、うまい。」と食べてくれた。
人に迷惑かけないで生きていこうと思わせてもらえたのはこの人の
子供に生まれたからかもしれない。
200 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 11:23
ほんと、逝っちゃった後なんだよね・・・
「この人の子供で良かったナ・・」って思えたのってのはさ。
一緒に暮らすってのは一緒におなじもん喰うって事だもんな。
泣きage
201 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 12:11
3歳の時に両親が離婚してそれからは俺は親戚に預けられてたんだけど
俺が中3の時に親戚が他界して俺は親父の元に戻されたんだよ。
仕事も休みがちで長続きしないし
飯はいつもホカ弁ばかりだった
顔を合わせればいつも喧嘩ばかり
高校を出た俺は家を飛び出したんだよ
バスの中からふとホカ弁屋を見たら親父が居たっけ
「またホカ弁かよ」って心の中で思ったっけ
それから5年して家に帰ったらもうそこには違う人が住んでた
近所の人に親父の行方を訊いたらすでに他界してたよ
小さな、小さな箱になってたよ
最後に見たホカ弁を買ってる親父の背中忘れなれない
一度だけ作ってくれた炒飯「不味い」って言ってごめん。本当は美味かったよ。
このスレ読んでたらすごく会いたくなったさ
なんであの時にもっと理解しようと思わなかったんだろうって後悔してるさ
ごめん親父、向こうで会ったら好きなだけ殴れ。
つまらんスレでスマソm(_ _)m
202 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 12:13
>つまらんスレでスマソm(_ _)m
つまらんレスでスマソだった
203 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 12:29
>201
つまらなくないです。
大切な物は無くした後に気付くって、
マンガとか小説とかでよく見るけど、本当のことなんだね。
でも、今からでも遅くない大切な物を大切にしていこう。
>201
親って大抵自分より先にいなくなるんだよね・・・
なんか自分の親だけはずっといるような気がする。
いい話ありがとう。
205 :
都会へ出てきた田舎者:01/10/29 16:07
このスレは、かなりいいです。感動しました。
187,201は特に感動しました。目がうるうるしました。
僕の話もいつか書き込みます。
良スレありがとう。
206 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 16:41
俺の親父はいいかげんな人で、仕事も長続きせず、
同じ職場で二年以上続いた事が無い。
ギャンブルが好きで、家はいつも貧乏だった。
俺は子供の頃から親父とソリが合わず、中学に
入る頃から、親父に反抗してはよく殴られていた。
兄や妹はてきとうに親父と仲良くやっていたので、
家族団欒の風景には、いつも俺だけいなかった。
親父はそんな俺を嫌って、「あいつは腐ってる」
と聞こえるように言っていた。
俺はますます親父嫌いになり、親父を蔑み、
バカにしながら成長し、18で家を出た。
そんな俺にも、親父に作って貰った料理の思い出がある。
小学二年の時、夕食前に母が親父とケンカをして家を
飛び出してしまった。
メシが食えず腹を減らした俺と兄貴を見て、普段絶対に
台所に入らなかった親父がラーメンを作ってくれた。
それはインスタントの塩ラーメンにマーガリンを入れた
だけの単純なものだったが、俺と兄貴には初めての味で、
まぎれもなく「親父の味」がした。
そのせいか、俺はその先何十年も決して「塩ラーメン」を
食べなかった。
時が経ち、兄弟達も成人し、家族団欒の風景も消えた。
不思議な事に、今、親父とまともに会話があるのは、
兄弟で俺だけである。
たまに実家に帰り、兄弟達の居なくなった広い食卓で、
親父とメシを食い、失った時間を二人で埋めている。
207 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 17:21
漏れの親父は、漏れが7歳の頃に他界したんだけど
3人兄弟の末っ子で、長男の漏れを凄く可愛がってくれた
親父は料理はしたのかどうか解らんけど、梅酒とか果林酒みたいな
お酒は良く作ってたみたいで、今でも家には20年物の梅酒なんかがある
多分、親父はいつか漏れと一緒に飲みたくて作ってたんだと思う
母親と呑んだ梅酒は、寝かせすぎて薬みたいな味だった
来世で会えることを楽しみにしてます、親父さん
味の感想はその時にでも報告します。。。
208 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 17:23
209 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 17:46
>>201 涙が出ました。
うちと環境が似てる、、、
210 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 19:01
親父の思い出。
かつお一匹はりきって、台所むちゃくちゃ汚して裁いてくれた。
家族でたべた。あと、ステーキを焼いてくれた。机の上で。
食パンの上にステーキのせてくれた。塩、こしょう、にんにくで味付け。
うんまーかった。普段、起こるだけの事故中な男やけど
こんときは、わし等のために愛情こめて作ってくれたなー。
昔のおっさんやおばはんて、肉や魚こそ最大のごちそうやったらしいな。
今では、体にわるいイメージするけど。
大嫌いな親とはいえ、ふと、おもいだすなー。
211 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 19:31
数年前父が末期ガンと診断され、入退院を繰り返すように。
家に帰ってくると卵入りのチャーハンを作ってくれて、
とても美味しかった。ソース味でさ、他の具は何も入ってないんだけど
美味しかった。もう父ちゃんいないけど・・・。
何年経っても親の死って辛くて悲しくて、未だに想い出すと
ボロボロ涙が出てしまう。
今思えば56歳で死去って早すぎるよ・・・・。
もっと
うちは特に愛別離苦の苦しみもない普通の…いや普通より少し貧乏な家庭。
父は料理人。
仕事の合間に専門外のものをチョコチョコつくるのが好きでそれを家に持ってきてくれる。
美味しかったと言うと自慢げな顔をするのが嫌だ。
うちで食べるにはこういうの重いよ、とケチをつけると不本意そう。
父はもともとなのか疲れてるのか、甘いものが好き。
コンビニアイスでも菓子パンでも「お父さんに買ってきたよ」と言うと喜ぶ。
絶対その日のうちに食べてくれる。
たまたま子供に生まれてきたってだけなのに、
私のするちょっとしたことで嬉しがってくれるんだなあ。
私はお父さんをすごく簡単に幸せにできるのに、
なんで憎まれ口ばかり叩いちゃうのかなあ。
きっといつかすごく悔やむのだろう。このスレはしみた。
うちの父は全く酒を飲まない人間なのだが、
ある日会社の飲み会に付き合わされ(勿論飲まずに)帰ってきて、
興奮しながら母にいうには「鳥の皮だけをカラカラに揚げたの作ってくれ」…
世程旨かったんだろう。初めて焼き鳥のメニューを知った父。
このあと2日、連続で食卓に上ったカワ。
子供の俺が教えてやるには忍びなかった。
戦時中はスズメ捕まえて食った、と豪語してた父なのに。
スレ違いスマソ。
214 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 22:21
>>187を書きこんだ親不孝の大馬鹿者です。
あれきりでやめるつもりでしたが、どうしても不思議なことがあって。
祖父の「ありがとう」の真意が、いまだに理解できないんです。
聞いたところで祖父の思いが解るわけでは有りませんが、
せめて自分の中でケリをつけたいと思っています。
イカの塩辛をご飯にのせて、
ラー油少々とごま油をたっぷり。
これをレンジでチンすると旨いよ。
唯一、親父考案で旨かったもの。
料理とまでは言えないけど。
あー、お湯注ぐの忘れた。(笑
>>214さんへ
うまく言えないけど何となく感じた事を・・・。
普通、孫って言うのは子供よりも責任がない分凄く可愛いんだそうです。
ただ214さんのじいちゃんは、そんな事言ってられないくらい父さんに
なり切ってたんだと思います。
ただじいちゃんにしてみれば「もっとこうしてやりたい」とか「親だったら・・・」
とかいつも考えていたのかもしれません。
最期に手を握って214さんの気持ちがじいちゃんに伝わったんだと思います。
きっと側にいてくれるだけでじいちゃんは幸せだったんじゃないでしょうか。
218 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 22:41
ちっくしょー!!いいスレじゃんage
219 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/29 22:46
220 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 01:03
ううう、涙で文字が見えません。いいスレですね。
家族が全員出て行った家で、TVもない部屋で父は
私の中学時代のスケッチブックに娘三人の顔を描いていました。
父がいなくなり、部屋を引き払いにきたとき見つけました。
その絵はとても似ていなくて、きっと想像だけで描かれたのでしょう、
一人一人の名前がかかれてなければわからないほどでした。
私はとても切なくなって、その絵を持ち帰ろうとしましたが、
家族は気持ち悪いから置いてきなよといいました。
それがまた悲しくてこっそりやぶってもって来ました。
そんな父の料理といえば、麺を細かく切ったやきそばくらいでしょうか。
スレ違いですみません。
221 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 01:36
>>220 >悲しくてこっそりやぶってもって来ました。
ジーン・・・
222 :
浪速のヒッキー:01/10/30 03:32
うちは幼い頃に実の母親が親父の暴力に耐えかねて逃げて(だから実の母親の名前すら知らない)、
小一の時に当時中一の姉も逃げて、全く女気の無い家庭で育った。
多分どういう教育していいのか解らなかったんだろう、登校拒否の俺は幾度と無く体罰を受けてきた。
それが嫌で小四ぐらいの頃1週間ぐらい家に帰らない事もあった。
そんな親不孝者の俺だったけど、遠足や運動会などのイベントの時は弁当を作ってくれた。
親父の仕事は左官工。遠方の仕事も多くて朝6時頃には家を出る事もザラ。
しかし更に1時間ほど早く起きて、わざわざ弁当を作ってくれた。
中身は卵焼、ウインナー、市販のミートボールと最低限の物しか入ってなかったけど、あれこそが
気持ちがこもってる分、本当の「親父の味」だったのかも知れない。
昔を思い出して、一番に出てきたのがその弁当だった。
その親父も不況の影響で職を失い、同じ仕事についていた親友の裏切りにも遭い、
再就職を諦めて田舎に帰ってしまった。
糖尿病と脂肪肝を患って、2年ぐらい前から急激に痩せてしまった親父。
……生きているうちにどこまで親孝行できるんだろうか……。
223 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 07:47
>>214 きまってんじゃーん。じいちゃん、あんたが泣いてるの聞いてたんだよ。
体は反応できないけど、意識が気付いてたんだよ。
で、あんたの気持ちおもっきり知って、泣けたんだね。で、最後の力で
ありがとう、といったんだよ。まちがいねーよ。
しかし、みんな、かってな親にちょっとくらいやさしくされただけでも、
随分親に感謝してんだなー。
まるで、おれみたい。
224 :
都会へ出てきた田舎者:01/10/30 08:56
>>205で「いつか書き込みます。」と書いたものです。
うちの親父は、普段はいい父親なのですが、
酒を飲むと、酒癖が悪く、些細なことで、いつも
母親と喧嘩していました。タバコのマナーも悪いです。
そんな姿を見てきて「絶対に父親みたいにはなりたくない」と
思い、タバコは絶対吸いたくないし、お酒を飲んでも人に迷惑を
かけないようにはしています。一人でアパートでお酒を飲むって
いうことも絶対にしません。親父みたいにはなりたくないから。
そんな親父でも、料理は美味かったです。
母親とは違う味でしたが、うまかったです。
料理の本や料理番組を見ては、メモを取り、
実際に作ってくれました。
親父とは何回も喧嘩をしました。
ある日の喧嘩で、僕は家を飛び出し、大声で
「うちの親父は人間のクズだー!!」と叫びました。
近所のおじさんが心配そうにきてくれました。
そこに親父がも出てきたので僕は「葬式なんか絶対出ないからな!」
と叫びました。もう会いたくないとも思いました。
東京に出てきて、親父と会う機会も少なくなりました。
たまに実家に帰ったときは、何故か親父とよく話します。
あれほど嫌いだったのに・・・。
そんな親父も今年で61歳。
会うたびに背格好が小さくなっていくのを感じます。
来年の正月に1年10ヶ月ぶりに実家に帰り、親父に会います。
また小さくなっているんだろうな・・・。
その次に実家に帰れるのはいつになるんだろう・・・。
きっと数年後だろう・・・。
親父の料理は、今度が最後かもしれないな・・・。
書きながら涙が出てきました。すまん。
225 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 09:03
>>224 文章に感情が入ってますね。
活字で気持ちが伝わりました。
私も泣いてしまいました。
(T_T)
226 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 09:10
227 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 12:02
>>224 くずは葛なのにね。どーしてあんな葛みたいな人間のガキなのかって。
でも、ふと、葛のこと、あわれにおもったり、ふと、少しの優しさ
思い出したりしてな。泣けるんだな。結局、葛親ってのは、
子供に少し愛情与えてあとは沢山いじめて、一生子供に小さな夢を与えて
苦しめるんだ。あたしとしては、葛親に最後まで冷たくしてやるつもり。
たとえ、葛親に少しの良い思いでがあって、陰で涙してもね。
228 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 12:03
>>223 激しく同意
>>214 愛情かけてきた人間に 泣いてもらって最後を看取られるなんて
人間として 幸せな最後だと思うよ
君が思ってるほど ちいさなことじゃないよ
じいちゃんは幸せ者だ・・・
ううう キーボードに涙が落ちて大変なことに・・・
うちの親父は仕事しないで麻雀ばっか。
当然離婚、俺最初親父に引き取られたけど、結局母方に引き取られた。
今考えたら十何年間まともに会話してない、向こうもどうしてるのか詳しく知らない。
殺したいくらい憎かったし、キライなのにね。
19の時にもらった革ジャンを大切にしてる。なんでかなぁ、本当に。
230 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 12:55
父子家庭の時(当時ワシは中学生)、親父が
めずらしく弁当を作って俺に持たせてくれた。
んで学校行って昼休みにアルミの弁当箱を開けたら、
中にはほっかほか弁当のハンバーグ弁当を
そっくり入れ直しただけのモノが(藁
涙チョチョ切れたよ。
どうでもいいが、うちの家族構成は
母(保守派)
姉(保守派)
弟=俺(保守派)
そして
父(タカ派)だ。
父はいろんな物を食う。
232 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 21:28
は〜、泣いた泣いた(TДT)
「思い出に残る食事」並みに泣いたです。
233 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/30 22:28
>231
ひゃひゃひゃ〜なんだか最後一行でつぼに入った!
物って、食べ物?
ウチの親父はさだまさしの「案山子」をよく愛唱してる。
「ハイハイうざいなぁ、そうやって'子が巣立って田舎に残る親気分'に浸っとけ」
とか言ってたんだが、このスレ見て何だかあの歌にこめた親父の愛情・大きさを
素直に受け止められたよ。
僕も照れ臭さや変な突っ張りや、そんなくだらない感情で大事なコトを
みすみす見逃そうとしていたのかもしれない。
234 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/31 03:45
>214
人間って最後の最後まで耳だけは聞こえるらしいんだ。
意識不明でも耳だけはちゃんと聞こえてる。
あなたが大泣きしたのも、必死に看病したのも全部聞いてたんだよ。
あなたがおじいちゃんをほんとに愛してたのを、全身で感じてたんだよ。
父親代わりとして不器用ながらも一生懸命あなたを育ててきて、
立派に育ったあなたに泣いて手厚く看病されながら看取ってもらえる。
自分はなんて幸せなんだろうと、あなたに感謝しながら逝ったんだよ。
「俺の孫として生まれてきてくれてありがとう。
立派に育ってくれて、こんなに誇らしい気持ちで
最後を迎えさせてくれてありがとう。」のありがとうだよ。
235 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/31 10:13
うちは自分が小学校にあがる前に母親が家出してしまい
それから父が家事全部を引き受けてくれました。
父は料理が上手だったので、逆に特にこれといった思い出がないのです。
他の人がお母さんに作ってもらったお弁当と同じだったので・・・
ただ妹が反抗期のとき、父親の作った弁当を床に投げつけたことがあり
そのときは散らばった弁当を詰め直して学校に持っていきました。
家に帰ると食卓の上に「えいこ(私)、ありがとう。まり(妹)、ごめんね。」と
書き置きがあり、紙の上にポロポロ涙をこぼしたのを覚えています。
236 :
もぐもぐ名無しさん:01/10/31 15:58
切ね〜話ばっかりやな〜…
237 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/02 02:57
age
238 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/02 05:22
>>235 書き置きは、お父さんのなのかな・・・・
そうだとしたら(たぶん、そうだ)、かなり泣ける。
ハナミジュが出てきた。。。
>234さん の文にも泣きました。そして同感です。214 さんのこと、笑顔で見守ってくれてますよ。私みたいな他人にいわれたくないかもしれないけど、これからも優しく素敵な214さんでありますように‥
>238
そうです父のです。
今月は父の誕生日なので、旦那と一緒に実家へ帰ってお祝いします。
妹は現在母親と一緒に住んでるので、誘ってはみますがたぶん来ないでしょう…。
241 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/02 16:46
不味い(失敬)煮込みうどん。
前置きが長いのだが……
父は俺らの小さい頃、母親が留守をしたときに夕食を作ってくれた。
食べているところに母が帰ってきて「おいしい?」と聞いた。
子供は二人そろって口をそろえ、「まずい〜!」と言い、父はすっかり
拗ねてそれ以降は飯を作らなくなった。
が、あるとき、俺が風邪を引いて寝こんだ。
母が留守、姉不在(母のかわりに飯を作るのはたいてい姉)。、父よりは
幾分マシな飯を作る俺はダウン。
あ〜こりゃ夕飯はずいぶん遅いんだろうな、昼も抜きか?と思っていた
ら、父が何かごそごそ作って持ってきた。
……茹でうどんをのびるまで煮こみ、味もしょうゆとだしの素でつけた
えらく大雑把なもの。おまけに盛り付けも下手。
味は不味いのだが、妙にうまかった。変な言い方だが。
242 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/04 04:45
age
鯨ステーキ。ウマー
福島では犬を食べますよ。
揚げ餅
海外在住の私が一時帰国するとのし餅を細かく切って、干したのを
揚げ餅にして待っていてくれた。
仕事している時は何もしない父だったのに、今では母よりご飯を
炊くのが上手いらしい。
持って帰ってきたけれど、とっても美味しかった。お父さん。
246 :
ああ泣けるね:01/11/05 07:50
母が専業主婦で料理上手なので、
普段はまったくといっていいほどなにもしない父。
母が風邪で寝こんでいるときの
かき玉のみそ汁が当時は慣れてないし嫌だった。
しかも「いらない」なんて言って拒絶した私。
単身赴任先に一人でクリスマスに遊びに行ったとき、
突然会社の人のおうちに私だけ招待された。
寂しそうに、普段は買うはずのない鴨ロースのスモークを
スーパーのパックのまま「これ持ってけ」と言った。
父に申し訳なくて泣きそう・・・実家帰りたいなあ。
247 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/05 08:00
248 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/05 10:24
風邪引いて寝込んだ時に作ってくれた煮込みうどん。鳥肉と葱と卵の入ったの。食べられなかったら残していいからって言われたけど、全部食べた。嬉しそうな顔してました。
その父は去年、母のいる所に旅立ちました。いい人程早く逝く…。
249 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 00:08
うちの父が鮎釣り好きでさあ、季節になるといつもといっていいくらい
食卓に鮎がのぼってたのよ。おかげで鮎の骨抜きはできるんだけどさ、
子供にとっちゃあ川魚なんて訳わかんないから、なんでこんな毎日
この魚食べなきゃいけないの、と不思議だったよ・・・
っつーか、休日には薫製にして保存、正月のお雑煮の出しは鮎でとってた。
今から考えればめちゃくちゃ贅沢だったんだねえ・・・
父はもういないからあの頃のように馬鹿みたいに鮎食べられるわけじゃないけど、
今じゃ世界で一番おいしい魚は鮎だと思ってます。
250 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 00:46
オレ、今年で30になるんだけど、小さなプレス工場やってたのよ、うち。
で、一個ガチャン、ってやって何銭、何十銭、っていう仕事だったんだ。
小中と結構成績良くて、本当は塾に行かせる余裕なんて無かったの
に、無理して月何万かの月謝払って塾に通わせてくれてたのね。
そうすると、帰りがどうしても10時とか11時とかになるんだけど、バス
がほとんど終バスになるような時間帯。だから、自営業で時間の自由
がつくからって、親父、よく迎えに来てくれたんだよ。その時によく、
肉まんとか買ってくれた。あったかかったよ。
あと、自営業で工場と自宅が同じだったから、風邪とかで休んでる時、
お袋も働いてたから、親父がおかゆとかおじやとか、作ってくれた。
今でも、お袋が風邪ひいたりして寝込んだ時、オレがおじやとか作っ
てやると、お袋は、親父の味に似てる、って言うよ。俺にとっては、病気
から立ち直れる味はあの味なんだね、きっと。
でさ、今日の会社からの帰り道、コンビニで肉まん買って食べながら
歩いて帰ってきた。涙で濡れた頬が夜風に冷たかったよ。
そんな親父は、お袋と6年前に離婚して家を出て行ってから行方不明。
探しても連絡先もわからず。どうしているだろうか・・・。
>>250 とってもとっても、愛されてたんだねぇ。
うう〜お父さん・・・(T_T)
252 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 01:42
253 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 01:44
254 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 01:54
ここ読んでるともっと親に感謝しなきゃっていう
気持ちになる。。。。
ごめんよお、わがまま言って。
ほかの女に産ませた俺の兄貴
256 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 02:15
>>255 うちの父親も祖父も女遊びしないからなあ。(潔癖っぽい)
いろいろ難しいよね。親子って。
(ノToT)ノ 人は皆、いろんなことを抱えて生きているんですねぇ〜
そんな時は、あったかい食べ物がいいですねぇ
オデンとか、ウドンとか、肉マンとか、、、
258 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 03:52
こんな夜中に父親に会いたくなっちゃったよ・・いや、下(一階)で寝てるけど。
流行ってた時ティラミスつくってくれた。
でも発音がどうしてもテラミス。パーテ−。エヌテーテー。フロッピーデスク。
うまかった。
259 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 06:34
おれは、カレーが大好きだった。(今もだけど)
小学校低学年の頃のある晩、久々にカレーになった。
確か、たまねぎやじゃがいもを大量に貰ったため、おかんはおでん鍋で大量にカレーを作った。
大抵は多くても、次の日の昼ぐらいで無くなるが、その時は2日経ってもまだまだあった。
おれは、カレーが大好きなのでそれでも美味しく食べつづけた。
3日目 日曜の昼だったと思う。どういう経緯でそうなったのかは忘れたが、おやじが厨房に立った。
はじめての事だったと思う。えらくゴチャゴチャやっていた。
そして「できたぞ!」と自信満々の声で言った。
皿にはカレー(ライスは別皿)だけの中に
わざわざあぶったピーマン
豆腐(スクランブル)
茄子
新しく追加した玉葱
等々 忘れたが他にもいろいろ入っていた。
おれは殆ど口をつけなかった。
おやじは「うめーがな なんで食わんだ こんなうめーもん・・・」
と言っておれの残したのを哀しそうに食っていた。
そんなおやじは 仕事一筋で、それが実り ようやく好きな家庭菜園を本格的に、
田舎で民宿でもしながらやろうと、おれに楽しそうに話していた矢先・・・
・・・カレーちゃんと食べたら絶対うまかったろうな
260 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/07 07:07
ばあちゃんのカレーは母親のカレーより美味しい。
ある日、一緒に作ることになったんだけど、その野菜がなんか傷みかけだった。
生なのにやわらかいじゃがいも、ちょっとしなびた人参、等。
秘密はこれだったのか・・・・・。
262 :
母子家庭。:01/11/07 09:35
小学生1年のとき父が死んだ
葬式の後、弟が霊柩車を「ぱぱ〜、ぱぱ〜」と、泣きながら追いかけた。
おいらは、父にいい思い出がなかったので
そのときは、死んでくれてありがとうと思ってた。
いまでは、「なんで父が死んだときに、おいらは弟と同じ行動をとらなかったのか」
と、後悔している。
263 :
父子家庭じゃないですが:01/11/07 23:50
いいスレですね。かなり泣きました(笑)
私の父は学校給食を作っています。
私はそれを食べて小学校6年間、中学校3年間育ちました。
毎日父の手作りを食べていたわけですね(笑)
公立の施設なので、早い話が「公務員」なのですが、
父は本当に限られた費用でどれだけ美味しい物をつくれるか、
栄養がきちんと取れたバランスのよい物をつくれるか、
いつも考えていました。
だから、同じ給食を食べた友人達によく言われました、
「私達が食べてきた給食は本当においしかった、
中学を卒業して、他の場所で給食(学食)を食べるようになってそれがとてもわかった」と。
そんな父を私はとても尊敬しています。
ところで給食というのは、いろいろ分担があって、
例えば汁物担当、焼き物担当、揚げ物担当、といった風にわかれていて、
それを毎日日替わりで担当するのです。
ある時の給食は、けんちん汁でした。
そのけんちん汁をのんだ瞬間、家のお味噌汁に似た味がして、
あ、今日の汁物はきっとうちのお父さんが作ったに違いない、と思いました。
家に帰り、父が帰宅するとすぐに聞きました。
「ねえ、今日のけんちん汁って、お父さん作ったでしょ。」
「おお、そうだよ。なんでわかるんだ?」
我ながらすごい!と思いました。
マニュアルで調味料などの分量が決められているであろうものなのに、
父の味がわかったんですから。
だけど、父は私以上に喜んでくれていたようです。
その少し後、父がとあるローカル新聞のインタビューを調理師として受けることになりました。
でも父はその記事を恥ずかしがって見せてくれませんでした。
ところが数日後、近所のおじさんが、
「これ、お宅のご主人じゃないか?」と、その記事を持ってきてくれたのです。
そこには、調理時用の白衣を身にまとい仕事をしている父の大きな写真と、
『娘が自分が作った味噌汁に気が付いてくれまして。嬉しかったんですよ』という、
父のインタビューが掲載されていました。
あの嬉しそうな父のコメントは、今でもよく覚えています。
レスつけてくれた皆さん、どうもありがとう。会社でこのスレ読んで、
いろいろ電車で揺られながら思い出して、帰りに肉まん食べながら歩いて。
どうしても文章というか言葉にしたくなって書いたんだけれど、今はてが
かりが無いから、せめて手の届くところにいるお袋は大事にしてやらなく
ちゃな、って改めて思ったよ。それに、こうしてスレ読み通してみると、
まだオレなんて大事にしようって思える親がまだ生きてるだけ、幸せだよ
ね。ありていだけど、親孝行、したい時には親はなし、ってホントなんだ
ろうなって思える。お袋今60過ぎ。もしかしたらオレが50になっても生き
てるかもしれないけど、事故だって病気だってあるかもしれない。特に大
げさな事は無理かもしれないけど、そういう気持ちで向き合って行こうと
思った。
こんな良スレに出会えたことも、皆さんのお話を聞けたことにも、感謝。
ありがとう。
親父の作るものは、なぜか美味しそうに見えてしまう、
幼稚園の頃、親父が毎朝飲んでいた生卵が旨そうに見えて、
2週間ぐらい自分も一気のみしていたのを覚えてる。
266 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/08 16:58
>250さん
なんか あんたに惚れそうだよ。(笑)
267 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/08 17:22
お袋が男を作り、出て行ったのは漏れが中1の夏休み。
新学期から親父は毎朝早起きして弁当作ってくれたよ。
毎日毎日卵焼き+ウインナー+からあげの繰り返し(w
三日で飽きて、「こんなもの食えるか!」とよく困らせよ。
「お袋のほうについていきたい」と、ダダをこねては反抗ばっかしてたっけ。
ある日友達と下校中、スーパーの出口から買い物(おかずなど)をすませて
出てくる親父とばったり。
「あれ、おまえの親父じゃないの?」との友達の問いに、とっさに
「ん?知らんよ。あんな人」と、うそをついてしまったよ。
あのときの親父の顔が、今でも忘れられない。
そんな親父は、現在肺がんで入院中。もう、長くはないだろうね。
子供(親父から見たら孫ね)を連れて行くと大変喜ぶので、しばしば病院に顔を
のぞかせているよ。
ほかに出来る親孝行があまり無いからね。
元気なうちに、もっと親孝行しておけばよかったよ。
文章へた&ちょっぴりスレ違い?でスマソ。
268 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/08 17:45
今は母子家庭だけど。まだてておやが居たときの話。
日曜だかの夕方におやつつくってもらった
白玉粉でつくったおだんご。
でも、途中でアンコが無いことに気づいて
砂糖つけてたべたよ、あんまりおいしいとはいえなかったけど
あの素朴な味忘れられない。
age
270 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/09 06:11
ええスレや・・・。
271 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/09 12:17
272 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/09 12:54
涙がでたよ。
会社で見るんじゃなかった。
273 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/09 21:40
父が作ったものではないのですが・・・
うちの父はエリートで格好よくて、自慢の父でした。
誰からも頼られる頼もしい人だと思っていました。
でもある日、私は母親に叩き起こされました。
「おとうさんが、自殺しようとしたの。」
母の手には父の書いた遺書がありました。
丁度母が起きて、居間に降りた時に父はまさに首をくくろうとしていたそうです。
無我夢中で引きずり下ろすと、「死なせてくれ、死なせてくれ。」と言って。
居間に行くと、今まで見た事のない絶望に満ちた顔をした父がいました。
「おかあさん、おとうさんを病院に連れていくから。あんたは連絡を待ってて。」
バタバタと父と母は家を出て行きました。
私は不自然に置かれたイス、ひもがある居間に一人取り残されてしまいました。
頭の中が妙に真っ白だったのを覚えています。
夕方に二人は帰ってきました。
「すまない」と父は繰り返しいいました。
父は次の日に精神病院に入院する事が決まりました。
できるだけ普通を装いたかったから、私たちはなるべくその事に触れないでいました。
「夕飯どうしようか?」
こんな時に夕飯の心配だなんて。
もちろん誰も食べたくないし、作りたくありません。
でも、少しでもいつもの風景に戻したかったから・・・
「ピザでもとろうか。」なんて。
朝、死のうとしてた人が横で真剣にピザを選んでるのはなんか変でした。
もちろん、味なんか覚えてません。
でもこうやって家族そろってまた食事をしているのが現実なのだと実感したら、
今すごい幸せなんだって思いました。
忘れられない食事です。
父はありがたい事に今も健在で、
たまに実家に帰って団らんをしています。
父の顔はもうもとのエリートの顔に戻ってるけど、
ときたまあの時のような弱さが見えるような時があります。
大事にしなきゃな、とここのスレ読んで思いました。
関係ない話でごめんなさい。
274 :
もぐもぐゴンボ:01/11/09 21:42
>>1 スレでここまで感動したのは初めてや・・・
何か俺とダブってしまうようだよ。
275 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 00:28
前にも書いたんだけど、なんか自分の中で整理できたんで
もう一度書かせてください。
>249です。
父が元気で鮎何匹も釣ってきてくれて連日祭のように鮎料理が
食卓に並んでいた頃は、まだまだ味覚がお子さまで、
あの魚のおいしさがわからなかったんです。っつーかむしろ
なんでこればっか続くんだとムカついてました。
そのご成長するにつれあの魚の味わいがわかるように味覚も成長したんですが、
それとは裏腹に父の病気は進行し生き甲斐の釣りにも行けない状態にもなり・・・
あんなに夏から秋にかけて、ほとんど毎日のように食べてたものを
食べられなくなる日がくるなんて思ってもいなかったです。
切ないなあ・・・
>>275 あなたも、一度鮎釣りをしてみては。
なにか、感じるものがあるかもしれませんよ。
いや、厳密に言えば網で獲るんですよ。
その辺あんまり詳しくないのですが、魚市場の人が来てるような
ゴムのツナギみたいなのを着て川のなかにずんずん入っていって、
重りのついた大きな網をざぱっと川に投げ、鮎を網に追い込むために
ぼんぼん大きな石を投げ入れ、水流の流れで重くなってる網をたぐりよせる、
というなかなかワイルドな作業です。
私は女の子なのでちょっとできそうにない・・・。
でもそれを見るのは大好きで、父に来るなと言われるのに無理矢理くっついていって
河原でぼけっと憧れをこめて父の姿を見てました・・・。あの時間大好きだったなあ・・・
ってスレ違いで長々とスマソ
278 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 05:23
いいスレだなあ。
うちも父が料理得意だったんだけど、私女の子なのになんもつくれなくて
「いいなあ」なんて思ってました。小学生の時。
夜中に父が帰ってきて、夏だったんだけど、「そうめんぐらいなら
作れる!」と思った私は、父の為にそうめん茹でていました。
途中「あ、作り過ぎたかも・・・。」と思ったけど後に退けず、
ちゃんと作れれば怒られないだろうと思って、作り続けてました。
(ウチの父は短気な上怒ると怖い)
そしたらやっぱり量が多すぎたのか、素麺の入ったガラスの器を
落として、台所いっぱいにブチまけてしまいました。
やっぱり怒られる!と思ってワンワン泣いて「ごめんなさい!」を
連呼してたら、「大丈夫、大丈夫だから」って言って、落とした素麺を
拾って洗って、食べ始めました。ガラスが混じってて、父が病気になったら
どうしよう、と思って怖くてずっと泣いてたんですが、父は黙々と
食べてました。ただただ怖くて泣いてました。
今家の中で色々あって、家族バラバラで、それは全部父の所為です。
父を許す事は出来ないし、もう二度と会いたくないけど、毎年夏に
なるとこの事を思い出して、声を上げて泣いてしまったりします。
スレ違いでごめんなさいね。
ちょっと思い出したもので・・・。
279 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 05:54
うちも離婚してて、冬休みだけ父親のところに行っていっしょに過ごした。
小学生のときのある冬休み、「今年はちゃんと正月やるぞー」って言って、
30日に父親ががんばってお節料理を作った。
すっごいおいしそうで、早く食べたかったんだけど、
父親は「正月まではダメだ」って言って、重箱を押し入れにしまった。
父親の子どものころも、お節の重箱は押し入れに入れておいたそうだ。
でも、父親は東北育ち、そのときの住まいは東京。
しかも部屋の中は昔と比べものにならないくらい暖房が効いてる。
元日にわくわくしながら重箱を開けたら、全部ダメになって糸を引いてた。
無口になって、お雑煮だけ黙々と食べる父親と、涙目の私。
いまはいい思い出だなあ。
280 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 07:37
281 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 07:51
暴力ふるってた父親が大嫌いだし今も酔うと暴れるし
うちら子供を愛してるとは思わないし、正直弟が大学出たら
死んでくれていいと思ってる(感謝は超してるけど)。
さっき2ちゃんしてたら「○○ちゃん、これ。」って
ココアを持ってきた。愛想よくすると飲んで帰ってくるから
捨てようと思ったんだけど・・・。何か飲んじゃったよ。
父親の作ったもの初めて口にしました。
「おいしかったよ。ありがとう。」が言えたらなぁ。
私的な糞レスでスマソ。
282 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 15:29
自分の顔、右目の少し横にうすい傷跡がある。
ちょっと見ただけでは分からないけど。
昔、夫婦喧嘩の最中に、ベーコンを焼いてたフライパンを父親が投げて
母の後ろにいたあたしにあたった。
だからかな、ベーコンが嫌い。
父が作ったものじゃないね。ごめん。
283 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 18:47
うちはお父さんがつくってくれた卵焼きと焼き飯。
お父さんがつくるものはみーんな油っこくて、
あんまりおいしくなかったけれど、もうつくってくれないから
食べたいと思ふ。
284 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/10 19:32
小さい時、母は入院がちだった
当時、姉の小学校は給食、私の幼稚園は毎日お弁当だった
ある日、いつも母の入院時には手伝いに来てくれていた祖母が
来られなかった時
父の作ってくれたお弁当は、お弁当箱いっぱいの果物
しかも皮付き
子供心に嬉しかったです、お父さん
その後、なんやかんやで両親は離婚したけれど
あのお弁当を思い出す時だけは
いつもなんだか複雑な気持ちになるんだよなぁ
285 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/11 12:57
もう、最初から見て泣いた…いいスレだな。
父親の作った料理って、ほとんどないけど、覚えてるのは、炒飯。
炒飯って、塩・コショウで作るもんだと思ってたけど、
父が作ったのは、醤油味の炒飯だった。おいしかったなぁ。
今、自分1人しか食べないような時は、よく醤油炒飯にしてる。
去年亡くなって、もう逢えなくて、今でも、父を思い出すと、
もっと色々親孝行すればよかったと、後悔ばかりだな。
酒飲みで、借金作ったり、色々どうしようもないとこあったけど、
優しい人で、私ら子供達は、皆父が大好きなんだ。
でも何より、父が作った物で、一番嬉しかったのは、私を主人公にした小説なんだけどね。
母に、そんな夢ばかり見て、って言われて、書いてくれなくなっちゃって、
楽しみにしてたから、当時、母をすごく恨んだなぁ。
286 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/11 16:26
はんぱじゃなくでかいおにぎり。
のりたまふりかけをまぶした上に
のりをつけたやつ。
子供だったわたしはうきうきの
おにぎりだったのだが
大人になってあの時か・・・
と心当る時期だったのに気付き胸が痛かった。
287 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/11 23:42
>286
どゆことですか?
名すれによりあげ
288 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/12 00:01
>287
286じゃないけど、ビムボな時だったんじゃないかと。
小さい頃ね。
父さん夜遅くクタクタで帰ってくるのに、
カップ麺なんか食べてるのが不思議だった。
でも父さんはあれが好きで食べてるんだろうって、結構大きくなるまで思ってた。
子供たちにはいつもちゃんとしたご飯を
用意してくれてたから気づけなかったよ。
会いたいのに。
289 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/12 21:29
名スレなのであげます。
290 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/13 22:43
父さんネタではないのでスンマソン。
私と兄はすごく仲が悪い。私が小学校、兄が中学校に上がるときに引っ越した。
私はすぐに小学校で友達ができたが、兄はなじめなかったようだ。
中学校でいじめを受けた兄は私を殴る事で鬱憤をはらした。
でも、自転車の乗り方を教えてくれたのは兄だった。
母が日中は働いてたので、殴られるのがいやな私は毎日友達の家で遊んでた。
今日は別の子と遊ぶと言われても無理やり押しかけた。
でも、一度だけ私が風邪をひいたときにオジヤを作ってくれた。
味付けはピリ辛でしょうゆ味だったようなきがする。
今も、無職で借金ばかり作っている。家に金をせびりに来るたびに大喧嘩で
警察沙汰にまでなっている。
みみの家は「お寿司やさん」お父さんと仲が悪いときに口もきかなかったけど、
大きくなって、帰省したら一番イイまぐろで「にぎり寿司」を沢山つくってくれた。
でも、わさびが食べれずに放置していたら、はしの乾いたマグロを見て「お父さんが作ったんよ」
「たべんのか?」って、寂しそうだった。ごめんね。
292 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/13 23:38
うぉぉぉぉみみたんのお父さ〜ん(T□T)!!!
293 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 00:07
>>1 正直、父ちゃんがんばった。しゃらくさいタコカニウインナーやウサギリンゴ
の弁当より、うまい!
パンでも買えと小銭を投げてよこすクソオヤジだっているのさ。
今のコはその方が恥ずかしくないか?グローブ飯よりか?
294 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 01:11
親父ネタでなくスマン
私は兄とすごく仲が悪い。兄は無職で女好きでもう30半ばなのに
家に金をせびりにくる。父と大喧嘩していると耳をふさぎたくなる。
子供のころ、兄は中学でいじめにあってたらしく、その憂さ晴らしに
毎日殴られてた。家に帰ると兄がいるので、毎日パートの母が帰るまで外にいた。
でも、自転車の乗り方を教えてくれたのは兄だった。
一度だけ、私が風邪を引いたとき兄がおじやを作ってくれた。
ピリ辛の醤油味だった。美味かった。
中学受験のときにも「おまえなら俺と違って頭いいから受かるよ。」と
一言いってくれた。
本当は優しくてさみしい人なんだろうな、と思う。
296 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 09:47
297 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 11:09
今日は講義休みで、なんとなく2ちゃんしてて
ここを1から読ませてもらいました。(´Д`)涙
あれはたしか小学校のとき。
おかんが鼻の病気で入院して、ばーちゃんも出かけてた
土曜日の昼。おとんが仕事休みで、昼飯をつくってくれた。
妹と2人で、「なにかなー?」って食卓に座って待ってて、
おとんは台所で大きい体をあたふたさせて
「もうちょっとや、待っとれ。」とつくってた。
いつも、おかん&ばーちゃんまかせで、何もできないおとん。
「できたぞ!」と得意げに、いそいそと持ってきてくれたのが
不恰好な卵焼きのようなものだった。
おとんがご飯をつくってくれたことが嬉しくて、妹と
「おいしいおいしい!」と食べた。そんな私たちを見て、
おとんはにこにこして「そうかそうか。」と満足気だった。
どこにでもありそうな話やけど、私にとっては1人だけの
おとんの思い出話でした。 長くなってスマソ
298 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 17:42
(´д`)エエハナシヤノー
299 :
ハァハァ(´Д`)@TEAM職場族:01/11/14 19:03
親父が元気なうちにと思い、先週末に実家に帰って雑談して酒飲んできました。
安酒だったけど、雰囲気(゚д゚)ウマー
親父はとりあえず元気なようです。
300 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 19:08
ほんま、いいスレや・・・・
過去形が多いのがつらいね。
でも、いい思い出が多いね
みんなしあわせに・・・・
301 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 19:30
うちのお父さん、4歳の時に死んじゃったから
お父さんの料理は全然わかんないんだけど
おじいちゃんが作ってくれた(焼くだけだけど)焼肉はすごい美味しかった。
「じいちゃんの作る焼肉はおいしいぞ」って言うんだけど
牛肉を塩・コショウで炒めるだけなんだよね。
でも、あたしたちのために奮発していいお肉を準備してくれるから、すごく美味しいの。
でも、今になって考えると、美味しかった理由は高級肉のおかげだけじゃないよね。
おいじちゃん、ありがとう。
スレ違いだね・・・ゴメンナサイ。
302 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/14 19:34
>301
スレ違いでもいいじゃん。
いいおじいちゃんだ・・・。
去年の春、87歳の誕生日を1週間後に控えた親父は、世話になってる老人ホーム
の夕食後に吐血し、救急車の中で意識不明になった。
オレが病院に着いた時には心停止状態で人工呼吸器のみで息をしており、「親族の
同意」を待って機械を外すだけの状態だった。
医師と看護婦の中でオレは泣かなかった。今、オレが泣いても親父は生きかえらな
いことくらい、分かってしまっていた。
動揺しないオレを、周囲は冷たい息子と見ていたようだった。
今でも時々、思い出しては作ってみるが、どうしても親父と同じ味にならない。
しょうゆ味で少し甘く、仕上げにごま油を使ったたまごやき。
冷や飯といっしょにかっ喰らうと、絶妙の美味さだった。
>262さん
いいんだよ、きっと親父さんは、あの世であなたを見守ってるよ。
素直に泣くだけが、見送ることではないよ。
304 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/15 00:55
いつ見てもエエすれや。
2ちゃん永久保存版やな。
だれか、出版して〜。
305 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/15 01:10
うちの父は、近所の中華料理屋の麻婆豆腐を食べてから、
5年くらい真似してそっくりなものを作ろうとチャレンジしてるが、
毎回片栗粉がさらさらしすぎて失敗する。
私的には十分おいしいのだが、本人は納得いかないらしく、毎週日曜
は麻婆豆腐。
306 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/15 01:31
小学校あがる前に他界したけど、父親の作った
鮭と野菜の味噌炒めおいしかったなぁ。
ってほとんど家に居なかったとはいえ、
親の人柄よりも味を覚えてる(むしろそれしか覚えてない)ってどうよ?(ニガワラ
307 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/17 14:35
>>288 何だかジーンときてしまったよ。
>>306 味噌いための味だって立派なお父さんの記憶だよ。
しかもリアルに思い出せるじゃん。
308 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/17 17:18
うちは両親と私の三人家族なんだけど、私がまだ10歳くらいの時の話。
母が何かで出掛けていたある晩、父が殻付きのホタテをもらってきた。
その頃の私は食べず嫌いが多くて、ホタテもそのうちの一つだったんだけど、普段は何もしない父が、
新鮮なうちに食べさせようと母の帰りを待たずにソテーを作り始めた。
その父の様子をはしゃぎながら私は見ていた。
で、はしゃぎついでに、勢いで食べたホタテのウマー!だったこと…。以来、ホタテは私の好物です。
309 :
308続き:01/11/17 17:28
その後、帰宅した母にいかにおいしかったか、そしていかに父がすごく見えたかを興奮しつつ(笑)話しました。
父はそんな私を見て、いつものように黙って、母が作った肴をつまみにお酒を飲んでました。
でも、今でも私が実家に帰るとわかると、母と買物に行っては、
母に内緒で、カゴの中にこっそり私の好きなものばかり入れてくるという父…。
普段は言えないけど、両親には本当感謝してるし、大好きです。
今度は親孝行しに帰ろうかな。
長々と駄文失礼しました
310 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/17 19:03
両親は共働きで父より母が忙しく、家事は父がやっていた。
当然私も父の方になついていて、2人でいる時間が長かった。
10才の誕生日に何が食べたいか父に聞かれ、当時の
ご馳走であった「ハンバーグとエビフライとスパゲティ!」と
答えた。ワガママな要望なのに喜んで作ってくれたよ。
あれが父がいた最後の誕生日だな、今思うと。
311 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/17 21:45
おう、この週末はみんな実家帰って親孝行しようや。
よろこぶでぇ、顔見せるだけでも。
いなくなってからじゃ遅いからな。 後悔せんように。
俺も今から車飛ばして帰るぞ。
今日は2チャン終了や。 閉店やで。
312 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/18 03:19
父の得意料理は牛肉の味噌煮込みとすいとんでした。
味噌煮こみは本当においしくていつも喜んで食べてた。
でもすいとんはどうしても好きになれなかった・・・。
お父さん、ごめん。
私が10歳のときに死んじゃったからレシピは教わらず終いだけど
味噌煮は再現したい味です(このご時世だから牛はアレだけど)。
あと、夏になるたびに作ってくれたアイスティー。
1リットルの水にティーバッグをみっつくらい使って
砂糖をどばどば入れて冷やすだけなんだけど、
あの絶妙な甘味も未だに真似できない。
でも遺してくれた多額の借金は有難迷惑でした(^^;
313 :
もぐもぐ名無しさん :01/11/18 05:25
名スレだ・・・こんな時間に涙がしょっぱい。
俺は親父の料理は食べた事無いんだけど
何か作ってあげると、尋常じゃなく喜ぶの。
ニンニクを切って、サラダ油で炒めて塩振っただけの物でも
母「名無し(俺)が作ったって言うと喜んで食べるんだよ」
「作った」以外にも、「名無しが親父のために買ってきた」物は
何でもおいしいって食べてくれる。
なんでやねんと思ってたけど、俺ももし子供が出来たら
きっと作ってくれたものを何でもおいしいおいしいって食べるだろうな。
ちょいスレ違いゴメン。
でも書いてるだけで泣けてきた…俺も老いたな。
314 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/18 07:12
ここのスレずっと読んできて、ほんとに稀にみる良スレだと確信。
そして読んでいるうちに、果て俺は父親に何か作ってもらったこと
あったかなと考えてみた。んー思い当たらない。
どんな些細なものでも良いんだけど・・・やっぱり思い当たらない。
俺の父親はまじめを貫徹しているような人で冗談にもクスリともしない、
そんなかんじです。怒ると本気で怖くてそのせいか仕事から帰ってくるのに怯えたりしたものです。
でも小さいころはよく遊びにつれていってくれたりやさしい面もちらほら見せてくれたり。
そんな父が俺が中学の時一回脳梗塞で倒れて半身不随になりかけました。
けれど懸命のリハビリで数年後社会復帰まですることが出来ました。
しかしながらこの病気は再発の可能性が高くその例にもれず今年息を引き取りました。
料理を作ってもらえた皆さんをちょっと羨ましく思ってりしてます。
もうすぐ1周忌なので実家帰ったらここのこと紹介したいですね。
親孝行はもうできないのだな・・・実感です。
315 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/18 08:03
ずっと読み続けて、涙があふれて、酷い顔になってます。
お父さん、今年のお正月には帰るから。
ごめんね。
316 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/18 17:02
2ちゃんも捨てたもんじゃないなあげ
317 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/18 17:39
お父さんではなく、おじいちゃんの話なんだけど・・・
うちのお母さんの方のおじいちゃんは、すごい頑固でした。
わがままだし、頭固いし、とにかく怖い人で、
離婚したり、バツイチになったり、10歳年下の男と再婚したりしてた
お母さんとはかなり反りが合わなかったらしく。
そんなんだったけど、横浜に住んでいた私たちは、
北海道のおじいちゃんの家へ毎年夏休みに帰省はしていました。
お母さんとおじいちゃんは会う度に一触即発な雰囲気で、
孫の私もおじいちゃんにはとても怖いイメージがありました。
だけど、おじいちゃんは私と2人きりで留守番していると、
必ず「バターご飯食べるか」って、バターご飯を作ってくれました。
バターご飯は一応説明すると、ご飯にバター乗っけて醤油かけるだけなんだけど、
それがすっごいおいしくて、「おいしいおいしい」って幼稚園の私は言ってた。
ずっと怖いイメージしかなかったのに、
バターご飯を作ってくれる時のおじいちゃんはぜんぜん怖くなかった。
それから数年後、私が小学校1年生になった秋、
おじいちゃんは肺ガンで天国に行きました。
小さかったからあまり思い出は作れなかったし、いっぱいしゃべる事できなかったけど、
あったかいバターご飯の味は、高3になった今でも忘れません。
今日、バターご飯食べようかな・・・
読み終わるまでにビール1本、チュウハイ一本、シンルチュウ一本のんだよ
ストックの酒が無くなって 今は酔い覚ましもかねてコーヒー飲んでる
2chはこういうのがあるからやめられないんだよなぁ ティッシュは2箱目
家の親父も料理はしないですが、単身赴任先に遊びに行ったときになべで
作ってくれたおかゆ状のご飯は忘れられません。それに鰹節をぱらぱらと
散らして、しょうゆをかけただけのものです。おかずはできあいのもの。
夏休みの間2週間ほぼ毎日それを食べさせられたけど、親父の料理食べた
のってってそのときぐらいしかなかったな
319 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/18 22:34
最初から読ませていただきました。
私も父子家庭でした。
父さんが大好きでした。
麻雀が好きな父は、徹夜で麻雀がよくあり、私は、
外の車の音を耳を澄ませ、父を玄関で待っていては
そのうち、玄関で寝てしまいました。
私が寝た後か、あるいは明け方、父は、タバコと酒の匂いで私をベッドまで
抱いて運んでくれるのが日課でした。
私は父さんが大好きだったので、話もしたいし、
父さんのヒザに座るのが楽しみだったのです。
だから、眠いけど寝たくなくて、父さんのヒザに座って、
どこかの飲み屋でアルミホイルで包んでもらったピザや、焼き鳥やなんかを
いっしょに食べました。
今でも、あの父の匂いと、焼き鳥の味が鮮明に蘇ります。
私には、兄弟もいません。
親戚は父のせいで、絶縁されてます。
私には父しかいませんでした。
去年、交通事故でこの世から消えてしまった。
それは突然だった。
親は死なないんじゃないかと思ってました。
うっとうしいくらい生きてるものだと思ってました。
私が結婚するまで生きてるって約束したじゃんか。
寂しいよ。父さんいないと寂しいよ。
よく、あの世で見てるから、とか人は言うけど、
見てるだけで、話しかけてもくれないじゃんか。
すいません、なんか泣いちゃって訳わかんなくなってしまった。
3年前の郷帰りの時のこと。
ちょうどお袋と妹が、お袋の実家に帰ってるときだったので
家には親父と祖母しかいなかった。祖母はパートに出ていたので、
親父と俺でちょうど材料があった麻婆豆腐を作ることに。
豆腐切って、ナベ取れ! ひき肉これくらい? などと滅多に台所に立たない
二人で悪戦苦闘。仕上げにとろみの元(片栗粉)を入れるだけ、というところで
親父がそのまま粉をナベに投入。(注:必ず水で溶く、と説明書きあり)
その粉はいくらかき回しても全く溶けず、団子状のかたまりが大量に出来上がった。
オタマですくってもキリがないので、しょうがなくそのまま食べる事に。
全くとろみがなく、謎の団子が入った麻婆豆腐はいいようのない味でした。
祖母は俺と親父の料理だ、と喜んで食べてたけど。
今でも麻婆豆腐を食べると、モチモチした塊の感触と、親父の苦笑いを思い出します。
321 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/19 03:58
お父さんの作った料理の想い出…は、あいにくないです。
でも、ワインとか泡盛とかの上等のものが手に入ると
私が帰省するのを楽しみにして開けずに取っておくそうです。
とっとと飲めよもったいない!いつ帰れるかわかんねぇんだから!と
母を通じて言ってます…
お正月休めますよーに、元旦には帰れますよーに…(−人−)
322 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/19 11:12
「自分の親って死なないし、鬱陶しいほど生きてると思ってた。」
両親が健在な俺は、やっぱりそう思ってる。
そうじゃないってことを理解したくないからかな。
父は男の料理が上手い人で、今はもう作ってくれないけど
ポークソテーは本当に美味しい。付け合せもちゃんとしてて。
ピーマンの味噌汁は我が家の伝説となってる。(w
うちの父はいわゆる脱サラの走りで、随分と貧乏な生活をしてきたけど
あんまり辛い顔は見なかった気がする。
ただ父の実兄のところへ、家族で借金を申し込みに行った時
無碍も無く断られ&なじられた父の横顔が忘れられない。
あの日以来、俺はその伯父とは口をきいていない。
その後父は事業が成功し、逆にその伯父から
金を無心されるようになった。
よく恥ずかしくも無くそんなことが言えるもんだと呆れ果てた。
そしてそんな伯父に金を貸す父に疑問を抱いたもんだ。
今年の正月は実家に泊まるか・・・。
323 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/19 11:17
>>322 出来たお父さんだね。
正月は親孝行三昧にできるといいね。
お父さんのピーマンの味噌汁とポークソテーの再現、
若しくはそれを自分でアレンジしたものを
ご馳走したりすれば喜ばれるのでは?>大きなお世話か。スマソ
324 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/19 22:59
良スレage
325 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/20 00:04
「親父なんて邪魔なだけ」
だと、始めは思っていた。
そして最後に親父が作ったフグ鍋。
親父のフグ鍋は最高においしかった。
あの日も、フグ鍋だった。
親父は俺にこう言った、「おい○○(←俺)、フグ食わないのか?」
その時俺は、先日買ったばっかりのゲームに夢中で、
(なんだか皮肉に聞こえるが)フグなんか眼中になかった。
そして次の日の朝、
起きると母親がいない、
兄が言うには、父を連れて病院へ行ったらしい。
俺は内心、本当に心配していた。
そして3日後、父は他界…
原因は脳梗塞だそうだ、
俺がいっつも万引きして店に呼び出されるから、血圧が高かったのか
俺を怒ってばかりで、血圧が高かったのか、
いずれにせよ、俺がもっとしっかりしていればあんなことにはならなかった…
…あの夜のことを思い出しながら、
今年は家族呼んでフグ鍋でも食べてみようと思ふ今日この頃…
326 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/20 13:17
牢
>>319 大丈夫。きっと素敵な愛に巡り合えるよ。
だって、お父さんが愛しむことを教えてくれたんでしょう。
がんばって!
328 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/22 12:43
良いのでage
329 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/22 12:59
>>319 あなたの文章を読んで涙が出てきました。
顔も知らない他人だけれど、いい人にめぐりあい、
幸せになられることを願っています。
330 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/22 17:46
父は台所に立つということのない人で、私は女の子だったせいか小学生から
料理作っていたので、父に料理を作ってもらった記憶はないのですが・・・
園芸が得意な父は、果物好きの私のため庭の片隅に実モノの木を植えまくり、
またそれが見事に実をつけ・・・おいしいんですよ。梨とか、花桃とか。
遠くにお嫁に来てしまったいまでも、ミニ果樹園の木は増えつづけています。
そして大量に収穫してあるから帰っておいで、と言われる。
頼むよ送っておくれよとうちゃん!と思っていたけど、このスレ読んで
・・・帰りたくなってしまいました。
お父さん。。。。。
332 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/22 20:56
>>330 >大量に収穫してあるから帰っておいで
そりゃ、それを口実にあなたに会いたいだけですよ。(w
たまには、帰ってあげなさいよ。
333 :
カムゾー昆布:01/11/22 23:37
>187さん
このスレ読んでいて、うるっときたのはあったけど泣くまでは
いかなかった。
だが、187読んで、ぶわっと涙がでた。
マジ泣いた。
ほんと良いスレだな。
自分の父の話でも...。
母は別に料理が下手ではなかったが、父のほうが料理上手。
高校入学頃、母が家を出てからはおふくろの味ならぬ、親父の味で
育ちました。
姉が乳製品好きの洋食好きだったけど年子の自分は和食党。
自分と父だけの家族旅行になっちゃったある年、そのペンションには
和食が全然出てこなくて、朝食も一番苦手なスクランブルエッグとベーコン
とちょろっとしたサラダにオレンジジュースと固いバターとフランスパンと
いう定番の洋食系朝食。
旅行から帰ってくるなり、自分のために、
干物の焼き魚、野菜いため、漬け物、納豆、卵焼きと
和食を作ってくれた、即効で貪ったよ。
あんだけ美味しかった和食はないなと今でも思う。
あんときの野菜いためは心底美味しかった。
このスレを見てたら、思い出したんだ。
334 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/23 12:11
>>330 なんかジッタリン・ジンの「帰っておいで」を
思い出しちゃった。その詩の中で好きなところ。
「都会の生活の中で流されそうになったら
夢の中でも良いから、帰っておいで」
これからも、頑張ってください。
いいスレッドです。私の父はまだ健在なのですが、、、
今朝久々に父が朝食を作ってくれました。ゴマ油をひいたアルミホイルに
白菜やら春菊やらえのき、豚肉、ほたてを入れて塩こしょうして、
フライパンで焼く、できあがったら少しポン酢をかけてだしてくれた。
いつもなら適当に食べるんだけどこのスレッド読んだ後だったから、
素直においしい!!っていうと、父も満足そうでした(笑
家族に恵まれず、片親でさみしい思いをして育った父だから、
家族のことすごく大切にしてくれます。いつも困らせてばかりだったけど、
パパのこと尊敬してる。毎日ありがとう。これからは素直になる。
336 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/23 16:33
うちは私が子供の頃からいつも毎週日曜の朝食は父が作ってくれてました。
メニューはいつも、ふわふわスクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、
トースト。
母が毎朝作る朝食(弁当作った残り物とか)よりきちんとしててホテルの
朝食みたいで毎週日曜の朝が楽しみでした。
私が家を出てからは父の朝食は食べてませんがこのスレを見たら久しぶりに
食べたくなりました。母の作るごはんも大好きですがファザコン気味の
私はやはり週1回の父のあの朝食が1番忘れられません。
337 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/23 16:46
子供の頃から、入退院ばかりを繰り返していた私。
大人になってもそれは変わらなかった。
そんな私の面倒をみていてくれたのは、主に母でした。
母の死後、入院した私の所に父がきた。病院食を拒む私に
「何か食べたいものあるのか?」と聞いてきた。
「おにぎり・・・。タラコの入ったおにぎりが食べたい」私・・・。
入院すると母がいつも握ってきてくれてたから。
次の日、新聞紙にくるまれた父の拳くらいの大きさのある
タラコのおにぎりを父が握ってもってきてくれた。
大きな体で、台所で私の為におにぎりを握っている父の姿を
想像して、泣けた・・・。
338 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/23 22:29
頑固でわからずやで融通が利かなくて臆病者で大嫌いだった父。
10年前、彼ができてさっさと家から飛び出して同棲してしまった私。
以来、実家にはほとんど寄り付かなくなった。
母とは仲が悪いというわけではなかったが、とにかく父親がうっとうしくて嫌だったのだ。
6年ぐらい前から糖尿病のため、めっきり体が弱っていたらしい父、
それでもたまに母と電話をしていると、その後ろから「○○(私の名)はもっと
ちゃんとしなきゃ駄目だぞ」などという大声がぶつぶつと聞こえてきてうんざりした。
3年前のある日、弟から電話が掛かってきて、珍しいなと思ったら父が意識不明で倒れたという。
まだ60代だった父、まだ若いのだし大丈夫だろうと思っていたのだが、
電話あった3日後、意識の戻らないまま逝ってしまった。
父が死んだって悲しくなんかなるわけがないと思っていたのに、葬式の間、私は泣き通しだった。
跡取りの弟のことばかり大事にするというのも私にはものすごく不満だったのだが、
葬式の時親戚のおばさん(父の姉)たちに、私が幼い頃、父が私のことをいかに大切にしていたか、
どんなに可愛がっていたのかを聞かされた。
私は忘れていたのだが、その話はたしかに思い当たることばかりだった。
父のこと大嫌いだったはずなのに、いなくなってしまうとなぜかいい時の事しか思い出せない。
母親が家事が上手な人だったので父はほとんど料理などすることはなかったが、
小学3年生の頃、珍しく釣りをしてきた父が小魚を自分でさばいててんぷらにしてくれた。
私は父が台所に立っているのと生きた魚を料理しているのとが珍しくて、
父の隣にひっついて料理を作るところをずっと見ていた。
揚げたてを「おいしい」と言って食べる私を、ちょっと得意げに嬉しそうに見ていた父。
たとえ小言を聞かされても、生きている間に家に帰ってあげればよかった。
死んでから本当は好きだった事に気がつくなんて、なんてパターンなんだろうって思う。
お父さん、ごめんなさい。
もう一度お父さんが作ってくれたあのてんぷらが食べたいよ…。
父ではなく祖父の話だが
嫌いな人でも、故人になると
「いい人を亡くした」なんて言うよね。
しかしうちの祖父が死んだとき
誰もそんなことを言う人がいなかった。
談笑の中で葬式の打ち合わせをする我々。
とまどう葬儀屋(w
消防の頃、兄がウナギを釣ってきて「飼うんだ!」と息巻いてたが
学校に行ってる間に祖父が蒲焼きにしちゃってた。
祖父からすれば、ウナギは食材でしかなかったんだろうなぁ。
340 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/25 15:34
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ここでボケて! |
|__________|
∧∧ ||
( ゚д゚)||
/ づΦ
341 :
もぐもぐ名無しさん:01/11/26 22:16
あげる
age
343 :
◆.IMAG6aU :01/11/30 20:55
age
>>332さん、
>>334さん
ありがとうございます。実は
>>330書いた後にチケット取っちゃいました。
来週、帰ります。
まだ梨が食べられるそうで、楽しみです。
父ももうかなりいい年なのに、他の庭木抜いてでも果樹園は手入れしてくれて
いるようで・・・健在なうちに、親孝行してこなきゃ、と思ってます。
345 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/04 16:09
age
346 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/09 14:43
もっと聞きたいよーage
私の父は、母の作る料理にいつもケチをつける。
母は料理へたじゃないのに。
それなのに自分で作るあんまり美味くない料理は旨いやろ〜て食べる。
お母さんいつもショボンってしてるよ・・・。
いろいろなことに関してかなり我儘が目立ってきた父。
やっぱり歳をとったのかなぁ・・・
でも日曜日の朝に作ってくれる父の出汁巻はいつも本当においしかった。
出汁と玉子がふんわりとしてて・・・
あんなにふわふわの出汁巻は作れないなぁ。
そしてもうすぐ食べられなくなるんだなぁ。
私もうすぐしたら結婚しちゃうけど
結婚式して欲しいっていってたのに
できなくなっててごめんなさい。
この皆の話を父親と縁を切ってしまった彼に読んで欲しいなぁ。
あの人にも父親との想い出があるだろうに
後悔することにならなければいいのだけれど・・・
348 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/12 12:43
揚げ
349 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/13 22:45
age
いいスレだ〜、沈ませちゃ逝けない。
350 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/13 22:49
良スレage
351 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/13 23:07
おやじの焼うどん。
コンビーフをたっぷり入れるんだ。味は醤油味じゃなくてウスターソース。
ゲロウマだよ。
352 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/14 00:40
障子・襖の張り替え、天井のクロス張り、外壁の塗り替え、倉庫を土台から建てる、
自転車の組み立て、瓦止め…業者要らずの何でも出来る父が唯一出来ないのが料理。
でもたった一つ、母が太刀打ち出来ないメニューがあった。
それは・・・「おにぎり」
形は惚れ惚れするほど美しく、美味しかった・・・
そして料理の素晴らしく上手い母が唯一ヘタなのが「おにぎり」(笑)
絶妙の取り合わせだなあ、私の両親。
353 :
北の国から:01/12/14 01:03
こんなスレがあるなんて!!ものすごく感激。
私も小学生の頃、同じような思い出があって・・・。ちょうど
「北の国から」と同じ家族構成で、母親が出てってしまって小学校
の運動会の時、母がいないから肩身が狭く、「お昼どうしよう」って
思ってた。そしたら同級生のお母さんが気を使ってくれて、一緒に食
べようとしてたら、父が登場。そして私の手を引いて車の中へ。
そこには2段になったお重があって、手の込んだ料理が入ってた。
「これどうしたの?」と言ったら「作った」との事。「本当に?なんで?¥
と言ったら、「○○(私の名前)が可哀想だと思ったから自分で作った」
だって。どう考えたって、不器用でおおざっぱな父が作ったとは思えない
手の込んだものでびっくり。本当はどこかの女性に作ってもらったのでは
?と言う疑問がわいたが、堅物で女遊びのできない父には、全く女の影が
無かったので、本当だった。今でも覚えているけれど、ご飯は俵型でごま
がかかっており、ウズラの玉子には串まで刺さってたよ。
その後大人になってから、よく思い出しては父の優しさを思ってうるうる
してしまう私でした。しかし、現在の女性と再婚して以来、様々な修羅場
等があり、実家には一切近寄らなくなってもう何年にもなる。父が寿命
を迎える前に一度は帰らないとね。
354 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/14 01:32
私の父はどちらかというと料理ベタ。形から入るタイプ。
日曜日、突然父が「今日はお父さんがカレーを作ってやる!」と宣言。
かたまりの牛肉やら、スパイスやら買い込んで、台所にこもってしまった。
「調子はどう?」と声をかけて台所に入ろうとすると、
「入るな!できるまで待ってなさい」とどなる。
母と姉と私の3人は空腹をかかえたままおとなしく待った。
6時間ほど待って、やっと完成。
できあがったカレーはお店で出てくるみたいな味だった。
「お父さんすごい!コックさんみたい!」と言うと
「今度からカレーはお父さんが作ろうかな」などと
普段の父とは違う調子のいいことを言って笑ってた。
その数年後には両親は離婚して、私と姉は母に引き取られた。
土地・家は母の所有になっていたので、父だけが家から出て行くことに。
父が家を出て行く前日の夜、父に「あの時のカレーおいしかったね」と言ったら
不思議そうな顔をしてた。覚えていなかったみたい。
「お父さんは、お前たちのお父さんでいることがつらい」と言って出て行った父。
父が今どこにいるのか、なにをしているのかもわからない。
うわさではすごく年を取ったって聞いた。
お父さん、あなたは父親であることを放棄したけど、あのときのカレーは
私にとっては大事な「父親の味」の思い出です。
長文すいませんでした。
355 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/14 03:42
私はアルコールが駄目なので、父は毎年梅酒ではなく梅ジュースを
作ってくれました。
青梅を蜂蜜につけ込んで出るエキスを水で薄めて飲むのです。
これでいつも夏バテしないですみました。
今年の8月に、父は元々悪かった心臓が限界になって死にました。
今、手元にあるのが最後の一瓶です。
お父さん、今まで本当にありがとう。親不孝な娘でごめん。
ご両親がご存命の皆様、どうか親孝行してあげてくださいね。
孝行したいときに親はなし、というのは本当です。
俺が幼坊のころ親は別れてな。
オヤジのところにはたまにしかいけなかった。
何かを作っていることって酒をお燗していることしか憶えていない。
それは絶対忘れられない。
忘れちゃいけないってどこかで思っている。
オヤジは20年以上前に死んだけどな。
357 :
名無しのお兄さん:01/12/16 01:06
だいぶ、沈んでいるので一つ。
父が作った物では有りませんが、
あれは、父が、倒れる数カ月前の話しです。
或る深夜、寝ていた父が突然、起き出して
台所に行きました。
少し痴呆が進んでいたので、何事かと
思い、父に「何をしているんだ。」と
聞いた処、蕎麦を食べたいと言い出し
仕方がないので、蕎麦を茹でて汁を作り
食べさせました。
蕎麦を食べ終えた父は満足したのか
直ぐに眠りに就きました。
その数日後、父は入院する事となり
数カ月後にこの世を去りました。
思えば、あの蕎麦が父が食べた最後の俺の
作った食べ物でした。
長文、すみません。
358 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/16 01:28
なんかここって泣けるね
あげです。
360 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/16 19:25
361 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/18 22:44
(T△T)うわーん、泣いちゃったよー!
362 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/18 23:22
母が手術で緊急入院した。
父がモツ煮を圧力釜でてんこ盛りに作った。(こてっちゃんとキャベツを煮ただけ?)
すごく臭くまずく辛かったけど兄も私も文句も言わずに1週間、朝・夜それを
おかずにご飯を食べた。他には漬け物しかなかった。ご飯も芯がある日もあったがだまって食べた。
残りの日はスーパーで買ったお総菜ばかりでした。
母が退院した日カレーを作ってもらった。
父も兄も私も泣きながら食べた、むせちゃって味はわからなかった。
母も泣いていた。父が泣いたのを初めてみた日でした。
363 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/19 09:29
全部読んだら号泣スレage
364 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/21 23:15
沈んじゃダメだage
…って言って、毎回ageるばっかりだ。
全然泣けないけど、そろそろ自分ネタも書き込もう…
365 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/22 23:09
>364
泣けなくても、本人にとって大事な思いでが一番さ・・・
366 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/23 00:08
おやじのカレー
SB粉カレーで作るから、水っぽい。
塩入れすぎ、しょっぱー。
ざるそばのつゆ。
ほとんど醤油のみの味、しょっぱー。
サッポロ一番しょう油味に味噌を入れて
味噌ラーメンにしてた、しょっぱー。
泣けてくる?
367 :
ビスケットたん:01/12/23 00:12
>>366 うぅ。。。泣
お父様の腎臓に気をつけて!!
In article
>>367, ビスケットたん/367 wrote:
> お父様の腎臓に気をつけて!!
ふつう気はつかないでしょう > 腎臓
#そんなにこわがらなくてもいいですよ。
369 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/23 00:35
小学生の頃まで凄く好きで良く作ってもらってた、
白飯に日本酒をかけてレンジで蒸らす料理。
この前懐かしくなって作ったら、信じられないくらいまずかった。
In article
>>369, ビスケットたん/369 wrote:
> 良く作ってもらってた、
「良く」つくってもらってたのにまずかったのですか。矛盾していますね。
#私は荒らしていないですよ。
父は母が留守の時は「自称」中華料理を作ってくれた。
「○×ちーツァイ」という聞き取り不能な名前だった。
小学2年生の私にはずいぶん本格的に聞こえた。
中国旅行をしたこともあるという父に尊敬の念を抱いたものだ。
いまから考えると、カタクリのかかった野菜炒めってとこかな。
しばらくして私が絶賛したのに気をよくしたのか
今度はわざわざ中華鍋を買ってきた。もう一回、
「○×ぴーツァイ」(←びみょーに違う)
をつくったぞ、と言うのでまたも食べたのだが
やはりカタクリのかかった野菜炒めだった。
喜んで食べる私を嬉しそうに見ていた父。
数年後、父と母は離婚することになった。
そのとき、母は必死で子供たちに、いかに父がデタラメでいい加減
で嘘つきか、というようなことを吹き込んで、わたしの妹た
ちはすっかり信じ込んでしまった。いまでも信じている。
「親父のような男」といえば彼女らにとって「最低」を意味する。
彼女たちは父の野菜イタメを食べたことがないからだろう。
それを作ってくれた父の気持ちもわからないに違いない。
子供の前では格好良くしたい、という父の気持ちが。
かすかな哀れみといじらしさ、そして幾ばくかの尊敬を
もって父を思い出す。
>>370 あのー、>369は「ビスケットたん」ではないんですけど・・・
373 :
研究室寒い・・・。:01/12/24 00:09
技術者の親父は、僕が子供の頃(バブル期)いつも帰ってくるのが遅くて
あの頃の親父の思い出といったら、職場から持ち帰った分厚い連続紙を睨み
ながらボロくさい電卓を叩いてる後ろ姿と、喧嘩早い正確なんでお袋とよく
喧嘩してた事くらい。
それでも料理は好きで、時々思い出したみたいに豪快な料理を作ってくれる。
自分では、料理がうまいと思い込んでるみたいだけど、いつも何か微妙に足り
ないな、というのが親父の料理。うまいんだけどねぇ
一度なんか、牛のテールを3日くらい煮て食べさせられた事があるんだけど、
臭くて「食えん」と言ったらひどく怒られたなぁ だまされたと思って食べ
てみたら、うまいの何の。油っこかったけど
死ぬほど働かされた会社を退職して、今は家で仕事をしてる親父
電卓はワークステーションに変わって、よく悪戯書き用にもらってた連続紙
の山も消えた。いっしょに酒飲みながら、退職して何がよかったかって聞くと、
いつも「大型汎用機の順番待ちで人生を無駄にしなくてよくなったことと、好き
な時に遊びに行けること」って言ってる。遊びに行く、って言ったって親父の
悪友とキャンプに行くくらいなんだけど・・・。
偶に帰省すると、悪友から教えてもらった新しい料理の実験台にさせられる
「前はアレが失敗だったから、今度は大丈夫だ」とか言いながら僕に食べ
させられる。やっぱり何かが足りない
「親父と兄貴は味音痴だから何作っても不味い」と言う妹も、聞けばよく
親父と料理を作ってるらしい。
来年は、妹が大学に行くんで、家は両親と折り合いの悪い祖父母だけになる
ごめんな、親父。あともう少し勉強したいんだ。また帰ったら、何かが足り
ない料理作ってくれるよな?
取り留めのない文章でスマソ
あ、ちなみに親父も2ちゃんねらーなんで、もしかしたらこれ読んでる
かも(w
374 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/24 02:28
たまに母が飯作れない時があると決まって父がお好み焼きを作ってた。
それしか作れないらしく母がしばらく家を空けたときも毎日お好み焼き。
さすがに何日も食ってると飽きて食い残した。
普段食い残しは許さない父だったが
このときばかりは何も言わず申し訳なさそうに片付けた。
それから父はすい臓癌で入院。
見る影もなくやせこけてしまった父の姿。
今では24時間点滴打ってないと死んでしまうまでに弱っている。
治る見込みも薄く、俺は来年家から遠く離れた大学へ進学。
もう一度あの食い飽きたお好み焼きが食べたいがムリなのかもしれない。
375 :
◆GpD4VZDY :01/12/24 04:21
激しく同意!
父じゃなくて祖父の話なんですが。しかもつくってないんですが。
もう10年ほどまえになるけど、健忘症になっていた祖父は
食事が終わってもすぐに缶詰をもってきては、あけてほしいと
ねだるのです。その日はちょうど家族は出かけていて自分と祖父だけ
だったので、何回も何回も缶をもってきては頼んでくるので
いいかげん頭にきて「うるさい!さっきからなんなんだよ!」と
怒鳴って祖父をみると、手に千円札もっててすごくおびえた様子で立ってました。
元気だったころの祖父を知っていたのでその光景はすごく悲しくて、
ごめんな、なに食べようか? と居間につれていき、祖父がミカンを食べる
姿をみながら、泣いてました。 いまだに突然おもいだしては切なくなります。
377 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/24 23:23
age
イブに号泣…
378 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/25 00:13
うちの親父は釣りが好きだったけど、いつも坊主だった。
ある日いつものように釣りから帰ってくると、台所で
何かつくり出した。見ると筋子からイクラを作ってた。
それ、釣ってきたものじゃないじゃんと思ったけど、
すごくおいしかったヨ。
そんな親父も入院中にタンを詰まらせたのが原因で意識
不明になっちゃった。ある日病院から呼び出されると、
空気を送るポンプを押してる医者が親父のからわらにいて、
静かに「このポンプをどうしましょう?」と聴いた。
意識があるときに「延命はするな」って親父は言ってた。
家族の他の誰もが止めてくれって言えない・・・しばらく
考えて私が「止めてくれ」って医者に言った。
心拍のモニターが見る間に弱々しくなっていった。
お父さん、たくさん迷惑かけたのに最後に殺しちゃって
ごめんなさい・・・
379 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/25 00:18
>376
切ないなぁ
380 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/31 17:42
歳末
あげ
381 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/31 20:48
うちの父は田舎の人で亭主関白で、私たち子供が朝にトーストを食べて
いても、必ず朝はご飯と味噌汁がないと文句を言う人だった。
誕生日に花を買うくらい母とは仲がよかったけれど、一度だけ母が朝寝坊
したのを「朝ごはん作ってくれなかった」とよく冗談めかして言っていた。
そんな父だけど料理はよく作ってくれた。
笹切りにしたジャガイモを炒めて塩コショウで味付けしたのとか、
とり肉を同じように調理したのとか。単純だけど、おいしかった。
それから、夜飲んでいる父のつまみは毎晩毎晩決まって湯豆腐。
豆腐とキノコとちくわとねぎが具で、刻んだねぎやミョウガを薬味に
しょうゆをつけて食べていた。一年中、毎晩毎晩。
私もたまに付き合って食べたけれど、正直、よく飽きないものだと
思っていた。
また、父は昔魚屋にいたとかで、魚をさばくのはいつも父の役目だった。
去年の年末、母に「多分家族そろうのは今回が最後だから」と言われ、
父のリクエスト通り、築地で刺身と(名前は忘れたけれど)2sくらいの魚を
買って、実家へ帰郷した。
父は嬉しそうに魚をさばき、「命がなくっちゃ、こんなおいしいものは
食べられないよな」と夕飯の席で何度も言っていた。
年末か正月かにやっていた、癌で死んだ有名人の特集を自分で選んで
観ながら、「これは俺と同じ治療法だ」とか「この薬は……」なんて私たちに
自慢めいて話していたのもこの時だった。
最後に記憶に残っている父の食事風景は病院のベッド。
ナースステーションの前の個室で、母も私も弟も床に布団をひいて
泊まりこんでいた。
食欲もなくなって二日ほど点滴だけで過ごしていた時、突然、
「かりんとうが食べたい」と言った。すぐに売店で買って食べさせると
「おいしい」と子供のように笑ってくり返した。
バナナも食べたいと言ってニコニコしながら食べた。
そしてまた容態が悪くなって、しばらく点滴だけになって、今度は「アイスが
食べたい」と言い出した。
前の年に祖母が死んだ時も直前に「アイスが食べたい」と言っていたので、
私は多分もうダメなんだとこの時に思った。
父の最期の食事は「たまごかけごはん」
白いご飯に生卵をかけて、しょうゆをたらしただけのもの。
私が作って食べさせると「味が薄い」と文句を言った。
「お父さんはしょっぱいのが好きだから」と母がしょうゆをたっぷりにして
食べさせると「おいしい。おいしい」といって平らげた。
母の言った通り、今年の正月に父はいない。
けれど私の父は世界で一番素晴らしい人だった。
病気のことも全て知っていて、治療法も自分で決めた。
最期には自分や母の兄弟に後を頼むと挨拶をして。
主治医にも看護婦さんにもお世話になったと手を合わせた。
私と弟にはお母さんと頼むと言った。
財産はなかった代わり、遺言に「家族仲良く」と何度もくり返した。
父は53才でなくなったけれど、どうしていい人ほど、要領の悪い人ほど
早く亡くなるのかと思う。今でも、そんな不条理が悔しい。
趣旨がズレて、父の作ったもの食べ物の話とは違ってしまってごめんなさい。
それと最後に。両親が健在の人は、今のうちに親孝行してあげて下さいね。
382 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/31 21:29
383 :
もぐもぐ名無しさん:01/12/31 23:24
厨房の頃にテスト勉強なんかで夜遅くまで起きてたら親父が「勉強しとるかー」
ってココアとその辺にあるクッキーなんかをを持ってきてくれた。
そのココアがお湯で溶かすだけのヤツじゃなくって鍋で作る本格的なヤツで甘く
て美味しかった。
ある日自分でココア作ってみたけどなんだか違うんだよね。やっぱり親父の味っ
てヤツなのかな。
今は私も大学生になって一人暮らし。今は正月で実家に帰ってますが親父も白髪
なんかが目立ってきて・・・
やっぱり親って鬱陶しいぐらい生きてると思ってたら大間違いなんですかね。
親孝行しないと・・・
384 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/01 16:39
385 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/01 18:20
ほうれんそうのバター炒めらしいのだが
固まっている、なにこれ?と聞くと
このバター溶けないんだよな〜と真顔で答えた父
それはチーズだって・・・(うちはバターもプロセスチーズも箱のまま
冷蔵庫に入ってたので)
でも美味しかったな〜間違った組み合わせでもないしね。
age
387 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/05 09:39
超優良スレ感動age
388 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/05 11:43
このスレに書いている人ってほとんど三十代なのかな?
なんか共通点がある。
いまの三十代のおやって、いまから考えると比較的
「男子厨房に入らず」って感覚がまだのこっているじゃない?
だから、「めったに料理しない父が一生懸命つくってくれた」
という一点が深くきざみこまれるんだよね。
毎日作ってくれている母親の立場はどうなるの?というのは別にしても。
389 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/07 01:32
泣けてくる……。
うちの父は料理なんて作ったことがないと豪語してるよ。
母が「私が死んで1人になったらどうするんだろう」と嘆いてる。
390 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/07 01:37
親父が月一で作るカレー
変な味がする肉や葉っぱ、ブロッコリーの芯やら得たいの知れないものが毎回入ってます
うちは父子家庭で、私が小さい頃病気をすると仕事休んで看病してくれました。
風邪のときにいつも作ってくれた、なんだかワイルドなおかゆ。あと、デザートには必ずいちご(笑
私が去年風邪ひいたとき、それを思い出したのでまた作ってもらいました。懐かしかった。
本当に親孝行しないとな…
今、となりの部屋でかたづけとかしてます。
なんだか父がかわいく思えてきました。
392 :
7歳の娘の父:02/01/07 18:14
393 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/08 13:30
nai
394 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/10 23:07
良スレage
いい話だにょー
あらされないように、下げ。
396 :
さぬきっこ:02/01/10 23:18
共稼ぎで土曜日と日曜日はいつもオヤジがつくってた・・・・べしゃべしゃの焼き飯
妹とまずいっていったら飯台ごとひっくり返して壁にソースのこびりついたあとが27年
たった今でも染み付いてる・・・・お父さんごめんな
397 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/11 02:16
>>396 >壁にソースのこびりついたあとが27年
たった今でも染み付いてる・・・・お父さんごめんな
ううう。。。。(T_T)
398 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/15 02:18
沈まないで〜 age
ほいじゃおいらも良スレage♥
400 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/15 06:30
このスレ読んでると泣けてくる・・。
あげついでに私もひとつ。
作ってもらったものではないけど、子供の頃、少し体が弱くてすぐに寝込む私が
楽しみにしていたのが、私が具合が悪いと母から連絡を受けた父が、
仕事帰りに買ってくるデザート類だった。
桃の缶詰、プリンにゼリー、アイスクリームにシャーベット・・。
その時々によって違うけど、熱出して苦しくて、おかゆも満足に喉を通らないのに
父の買ってきたものはちゃんと食べられた。
いつも残業やら休日出勤やらで忙しくて、うちにいる時間は少ないほうだけど、
私が具合悪いと知ると、必ず早く帰って来てくれた。
手にはスーパーの袋やケーキ屋さんの箱を持って。
このスレ読んでいて忘れかけていたそのことを思い出したよ。
ここ数年仕事の都合で帰省できなかったけれど、今度のゴールデンウィークには
久々に実家に帰ろうかな・・?親孝行したくなったよ。
このスレに感謝。
401 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/15 06:44
うちはお母さんがインフルエンザで寝こんだときに、お父さんが
卵ラーメン(醤油ラーメンにとき卵を混ぜ入れてフンワリさせたやつ)と
きな粉餅を作ってくれてて、しかもそれが2日くらい朝昼晩ずっと続いた
もんだから、今では卵ラーメンときな粉餅はお父さんの定番メニューとなってしまった。
今でもきな粉餅を食べるとその時お父さんがお母さんを一生懸命介護してた
時のことを思い出すよ。
402 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/15 06:44
ごめん、介護じゃなくて看病だ。すんまそん。
最初から読んで、胸が痛くなりました。
父親に関する「味」の記憶、それぞれが密接に「愛されていた記憶」と重なって
いるのですね。
残念ながら私は父親の記憶と言えば母か兄か自分が殴られている記憶しかありま
せん。
ずっと読んでいて「いい人ほど早く逝く」と多くの方が書いておられました。
うちの親父はきっと長生きするんだろうなぁ…
お互い絶縁状態のまま10年近くなり、すでに消息不明となっていますが(苦笑)
どうか、みなさんの「暖かい記憶」を大事にしてください。
妬みながら、羨みながら…それでも、ここを見ていると少しだけ胸が暖まるのです。
スレ趣旨とは関係ないためsage。
う・・・アホだ私(T-T)
いいですね。韓国関係でウヨにもサヨにも非難されて
きた後にこのスレをみると、それでも人間まだまだ
捨てたもんじゃないと思います。ぜひ伸びてください!
406 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/15 22:30
もう何年も前に死んでしまったけど、何か趣味人で料理とかもやたらと
凝るオヤジだったな。オヤジの作ったものは…
・オニオンスープ
水は一切入れずに、タマネギを焦がさないように8時間ほど炒める。
鍋いっぱいだったタマネギが小瓶に入る程度までになったら、その
まま保存。
あとは、食うときに耐熱容器に固定コンソメのスープとそのタマネ
ギを小匙いっぱい入れ、フランスパンにチーズ載せてオーブンで
数分
激ウマだったが、オヤジが無くなってからは作らなくなっちまった。
・かれーか、シチューか
詳しくは忘れたが、小麦粉炒めはじめるところからやっていたと思う。
もちろんおかんも普通に料理作るのだが、凝りまくりの料理はオヤジが
趣味的にやってたよ
追加
いつもは厳しいオヤジだったけど、料理作るときは妙に楽しそうだったり、
いつだったか、家族みんなで果物食ってた時に停電があって、電気が点い
た時に、いきなし皿が空になってて驚いたのだが、実はオヤジが停電中に
全部食ってしまったりとか、妙にガキっぽい所もあったな。
やべ、泣けてきた…
>>407 料理ってさ、自分の趣味的な満足より
食べてくれた人が、楽しんでくれるのが嬉しいんだよな。
大好きな家族のために、一生懸命作る。
「美味しいよ」っていってくれる人のために。
あんたの家族は、愛されていたんだなぁ。
409 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 00:16
だめ。うちは母子家庭なのにボロボロ泣いた。
410 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 00:39
おやじはまだ若いけど、今度帰省したら手料理つくってやろうと心に決めた。
411 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 00:48
毎回泣けそうになります。いい話だ・・・・・
412 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 00:58
泣きたい時は、このスレ最初から読んで泣いてるよーage
413 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 02:27
今日2週間ぶりに実家に行ってきた。車で15分の距離なのに滅多に帰らない。
自分で勝手に月2で帰ると決めている。それ以上でもそれ以下でも両親も嫁ぎ先も心配するから。
長男の嫁で義父母と同居なので頻繁に実家に行くと「実家の方がいいのかしら」と
嫁ぎ先にいらん心配掛けそうだし、「嫁ぎ先で何かあったのかしら」と両親にも心配掛けそうだから。
連絡無しでも連絡有りでも実家では歓迎してくれる。母・祖母はモチロンだが、
父の歓迎ぶりは傍から見たらそんなに喜んでいる様には見えないが、気持ちが伝わってきて嬉しい。
今日も連絡無しで突然行ったのだが、父は母に家にあったおもてなし用のお菓子やご馳走を引っ張り出させて、もてなしてくれた。
私が母と祖母とたわいのない話をしている間に、父がふっとどこかへ行ってしまい、
帰ってきたと思ったら泥だらけ。自家菜園に行って大根やら葱、里芋を掘って来てくれていた。休む間もなく、自家製の沢庵、梅ジャム、花梨シロップ、蕎麦、山葵漬、干し芋…
書ききれない程の数の美味しそうなものを、黙々と一人、台所で用意している。
時折、話に割り込んで「蕎麦うったんだ、○○(旦那の名前)に食わせてやってよ。アイツ好きだろう」とか、「お義父さん、前に家の山葵漬、美味しいって言ってたなぁ。今日も持ってって」とそれだけ言うと、また台所に消えていってしまう。
414 :
413 続き:02/01/16 02:28
今日も、父と話らしい話はしなかった。
ただ一言、帰りがけに父から「戻ってくるなら早く戻って来い。お前の部屋はあるから」言われた。
車に沢山のお土産を運ぶのを手伝ってもらっている時だった。二人だけになったのはその時だけだった。
突然すぎて返答に困って、「ん?な〜に言ってんのぉ。戻るだなんて。もぉ〜」とおどけてしまった。
きっと母と祖母と話をしているのを聞き、何か感じたんだろう。
何も匂わす事は言っていないつもりで、気を使って話していたんだけど。
お父さん。もしかして旦那にDV1歩手前の事されてるのに感づいたの?
旦那が一段とカルトな宗教にのめりこんで、他宗の実家を罵倒したり、そのせいで夫婦の会話もないのに気付いちゃったの?
旦那が「お前の親も姉妹も最低だな。人間としてなってない」とけなしているのを、もしかして知っているの?私としては本当に辛い事なんだけど。
私が離婚を真剣に考えているのが伝わっちゃったの?
心配掛けちゃってごめんなさい。私、相手選びを間違えました。
もう一度、お父さんの子供に戻りたいです。マジに。
でも、嫁ぎ先に気を使って、あれやこれや用意してくれるのは、頑張りすぎない程度に頑張れって事だよね。お父さんも婿さんだし。
も少し、頑張ってみる。帰り、スーパーの駐車場でお父さんの作った干し芋齧りながら車の中でワンワン泣いちゃったよ。美味しかったのに。
長文・駄文でスレ汚してスイマセンでした。
415 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 02:55
>>413-414 頑張れ!
他人の無責任な応援かもしれんけど・・・
読んでて涙出た・・・(TДT)
涙ぐっすんなスレですね。
家のもこんなんだったらよかったのになぁ・・・・・
>413 414
本当につらいね。
あなたが家の娘なら、二度とそんな男のところに返さない。
がんばってみるっていうけれど、これはあなただけががんばっても
どうにもならない問題。がんばりすぎないで。がまんしすぎないで。
ご両親に心配をかけないようにって気持ち、すごくよくわかるけど
心配かけられてもいいから、一人で抱え込まないで欲しいというのが
親の本当の気持なのでは・・・。
あなたが、無理して明るく振る舞うのではなく、本当に幸せな笑顔を
見せてくれるのが、親の心からの願い、そして幸せ。
子供を持って、よくそういうことを考えるようになりました。
413さん、顔も名前もわからないけどあなたの幸せをお祈りします。
418 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 11:33
朝からうるる。。今、嘔吐下痢症でトイレとパソを往復してんのに、
さらに脱水症状になるやんけ。 自分の話はまた今度書こう。(腹治ってから)
419 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 11:44
昔父が、チャーハンに凝ってて
毎週日曜日のお昼に作ってくれた。
とってもおいしいんだけど、あれだけお金と時間をかければ
それなりの物が出来るはず(w
お母さんは、あいまいな笑みを浮かべながら
メチャクチャになった台所を眺めてたなぁ。
(当然父は、後片付けをしなかった・・)
420 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 14:00
>>418 おいおい、大丈夫?
水分たくさんとってお大事に。
421 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 15:47
私は姉弟四人の一人娘。
傍目から見ても分かるくらいに、この出来そこないの娘を溺愛している。
すっかり父親っ子の私は、このスレを見て号泣しちゃった。
まだ家の父は元気だけれど、私の結婚が決まってから嫌味ばかり
言うようになった。
「お前、本当にあの男で良いのか?」
「頼りなさ過ぎる。」とか・・・。
お父さん「結婚なんてしない」なんてウソついてごめんね。
お父さんと同じ名前の人好きになってゴメンね。
今度またから揚げ作って下さい。
少し油でベタベタしているけど、「美味しい、美味しい」って言って食べると
すぐに、うつむいて照れるお父さん。
あーだめだ。すぐに実家に帰りたくなっちゃいそう。
私信っぽくなってスマソ。
422 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 15:51
423 :
オレの彼女の話…:02/01/16 19:42
彼女は中学生くらいの時から父子家庭で育ったんだけど、彼女の父さん
の得意料理がジャガイモだけのごくごくシンプルなコロッケ。これが本当
に美味しくて、よくリクエストしていたそうな。父さんも娘の喜ぶ顔がうれし
かったのだろう、ちょくちょく弁当にも入れてくれていたそうなのだが、それが
弁当箱のフタをあけると、ご飯と、弁当箱の面積の半分を占めるほど巨大なコロッケ
が、どど〜んと2つ、以上(笑)という漢弁(おとこべん)…。「まったく、女子高生
のお弁当だよ?もう恥ずかしいよね」と目に涙を浮かべながら笑う彼女。父さん
は事故でなくなったそうだけど、オレもそのコロッケ、食べて見たかったっすよ。
424 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/16 20:06
私は父が料理を作ってる姿すら想像出来ない。
でも、食べる事は好きであれをつくれ、これをつくれとうるさい。
そして容赦ないダメ出し・・・(w
不味いゆうやったら、自分で作ってみろや!と何度も思った。
でも今はかなり鍛えられて、おいしい言ってくれます。
そういう意味では私の料理は全て「父の味」なんよね〜。
>>423 彼女の事、大切にしてやれよ。
親父さんの分まで。
>>413-414さんのレス、昨夜読んでいたんだけど、
なんか私からは何も言えなくてそのまま通り過ぎてしまいました。
でも、今日になって
>>417さんの言葉。
本当に涙でてしまいました。
お母さんて本当に子どもを愛しているもんなんだなって感じました。
413さん、私も応援しています。
417さんの言葉って、ご実家の方の気持ちそのままと思いますよ。
>415 >417
ダラダラと書いたもの読んで戴いて、その上レスまで…アリガトウです。
美味しい物作る人、美味しくなくても誰かに喜んでほしいと思って作る人に、
私は悪い人はいないと思うんです。父のかたを持つようですが。
それに旦那が気付いてくれるのを、も少しだけ、待ってみようと思います。
ありがとうございました、ちょっぴり元気出ました。
それと417さん。親としての意見聞かせてもらってありがとうです。心の奥にキープしときます。
スレにそぐわない私信なのでsageます。
>426
ますます元気の出るレス、アリガトウです。
未だ子梨の私ですが、417さんの様なお母さんになりたいと思いました。
426さんの様な優しい人になりたいと思いました。ありがとうです。
スレにそぐわない私信なのでsageます。
429 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/17 05:16
良かった。いいスレ見つけた。
430 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/17 06:22
そうだねー!ほんとだわ。
431 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/17 11:37
>423
泣けた!いい話や!
432 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/17 12:35
泣きage!
433 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/17 19:14
なーんにも料理できない私の父。
唯一記憶に残っている父が作ってくれた食べ物(料理とはいえない…)はネコマンマ。
御飯にかつおぶしとバターと醤油をのっけただけの代物。
でも自信満々に「ウマイだろう〜?」と自分のお茶碗には大盛りでかっこんでた。
当時幼稚園だった私もニコニコしながら「オイシイ」と食べたっけ。
こんな事、お父さん覚えてないだろうなあ。
435 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/17 20:51
やたらと濃い〜みそ汁。母が体調不良の時に小学生の私に作ってくれた。
436 :
Erosゆか:02/01/17 23:46
>>435私も、とーちゃんが作ってくれた事が有る。
みそがどっぷんどっぷん入ってて、とけてないみそ汁。
漏れの母はもう何年も死んだが料理は美味い人だった。
親父はまだ生きているが、これも若いころ料理人を志しただけあってなかなかの
腕だった。爺さんが死んで家業をついて、とうとう家業のほうは食道楽でつぶした
ほどだ。母が死んでから親父はタガがはずれたように、息子の漏れが見ても美味そう
なものを毎日自分で作って喰っている。漏れは親父とそりが合わないから大人に
なってからいっしょに飯をくったことはない。本当はうちの嫁は料理がドへたなんで
喰いたくてしかたないんだけどね。ガキのころは美味いもんばっかり喰って
幸せだったな。ちなみに漏れにはどうも両親の料理の才能は遺伝してないようだ
嫁よりは才能あるが(藁
>何年も死んだが
何年も前に・・・だ。滅・・・
ちなみに、まぁこれは親父なりの供養なんであろう。漏れは同調せんがな。
439 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/18 01:36
>>437奥さんが亡くなってもお料理できるのとは、お父さん偉いね
というかソレ本当に大事なことと思いますよ!
私のとこは3人家族だったんだけど、母が亡くなったあとおもに私が料理してました。
でも、ある時(私が大学生のとき)バイトで帰りが遅くなったら
父が野菜炒めとサバの塩焼きとお味噌汁を作ってくれてた。
意外にもウマーで、びびった。
というか味よりも、「作ってもらった」ってだけで美味しく感じたものデス。
>>439それはそうなんだが、毎日好きなものを食えると嬉々としてやってる
ふしがあるのが気に入らぬ。
ちなみに、母が存命中、漏れたちのために飯を親父が作ったことはない
自分が食いたい物を作るだけであった。それをちょろまかしたことは
あるが。
441 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/18 02:16
うちの父はカレーを作ると言って
野菜を鍋で炒めてたけど、水を入れた時点で鍋があふれそうになった〜
そしてアクをとらないんだなーコノ父。
「アクとった?」って聞いたら「煮込んでるうちに消えた」だってさ。
でも美味しかったような気になりました。
442 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/18 03:01
醤油味の卵焼き(真ん中に海苔はさんでる)
小さい頃、父がよく作っててはんぶんこしてた。
簡単で普通だけど、すごく美味しかった・・・。
愛情がちゃんと入ってるから美味しいんだねー、やっぱ!
444 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/19 23:02
age
445 :
父違いですが:02/01/22 01:26
この間、姑と仲良く風邪ひいたんだ。
吐く、下す、高熱は出るし、家事一般、姑と放棄して寝こんだら、
食事を舅が作ってくれたよー、煮込みうどん!
台所に立たない主義の舅が頑張って作ってくれたかと思うと、
「オトウサン、ありがとう」って、食べながら泣けたね〜。
具も入っていないシンプルなうどんだったのに、美味しく思えた。
私達が食べ終わるの待って、薬呑ませてくれて、布団まで付き添ってもくれた。
それを二日間、毎食してくれた。オトウサンありがとう!
ダンナ?二日ともパチンコに行っちゃったよ〜。オトウサンとケコーンすればよかった!
でもね、吐き気が酷かったので、後で吐いちゃったんだけど。
オトウサンごめんなさい。
>445 いいお舅さんだね〜ウラヤマスイ
ウチのオヤヂの方は料理全くダメです。
母が入院したときも私が家族4人分三食作ってた(まぁ高校生だったからな)
オヤヂの好き嫌いが多いので苦労したよ・・・・
でも小さい頃仕事場(大工です)に連れて行ってもらったときに買ってくれた
ファンタやコーラがやたらと美味しかった思い出がある。
age
448 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/22 15:49
父はコックだった。小さなホテルだったがコック長をやっていた。
でもうちでは全然料理はしなかったし、母の料理に文句をつける
こともなく黙って食べていた。
高校になった時に、家庭科の実習でつくった料理の話をした時、
何気なく「お母さんの料理て、お父さんからみて美味しいん?」
と尋ねたら、「きょうは塩がちょっと足りんとか、少し砂糖
入れたら味がしまるんやがなあとか思うてるで。けど家で作ってくれてる
お母さんにそんなこと言うたらいかんのや」と言って少し笑っていました。
朝は早く、夜は遅いという忙しい父でしたが、一度だけ母がいなかった
休みの昼に、モダン焼つくってやると言って、メリケン粉を混ぜて、
焼ソバUFOでモダン焼を作ってくれました。それがものすごく美味しくて、
さすがコック長だなあ、と思ったことが今でも記憶に残っています。
父は在職中に55歳で亡くなりました。今、たまにUFOでモダン焼をつくって
みるのですが、全然あの時の父のモダン焼の味になりません。
>448 ええお父さんや・・・(涙)
450 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/22 17:34
ほんとだねー(涙)
料理つくる人(お父さん)だから、
家で御飯作ってくれるお母さんの気持ちわかるのよね。
やさしい父ちゃんだなー!そんな男性が旦那さんだったら家庭円満!
451 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/22 17:53
うちの親父は生活能力がきわめて低い
2回ぐらいの洗濯で洗剤を使い切ってしまったり
とにかく家事は一切出来なかった。
ただ中学校のころ
母親が出かけていて
兄貴と親父と3人で作った
カレーがマズかったっが楽しかった
母親が帰ってきて「何これ〜」って親父を
怒っていたが暖かい雰囲気があった
あの頃のように親子4人会うことも無いんだろうな・・・・・
父上。
その後、天国では楽しく暮らしていますか?
あなたが教えてくれたお雑煮は正月に作りました。
肝臓の具合どうですか?
そっちの方でもお酒呑みまくってるんでしょうね。
私は、あなたから愛情をたくさん貰いました。
私は幸せ者でした。
これからも、あなたを一生想って、
人生を生きていくつもりです。
453 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/24 02:31
>452
その語り調に泣けた・・・
我がてての作りし味噌汁の若布の連なりたるが いと長く長く・・・
切りて入るを知らでありしか と覚ゆれ
やべえ・・・ディスプレイがぼやけて見えない。
俺の親父。昔はよく一緒にピクニックに行った。
俺は恥ずかしいから、いつも嫌がっててね。
親父が弁当作ってんだけど、これが馬鹿でかい
おにぎりでさ。おかずも色彩とか無視のホイルにくるんだ
やつなんだ。それで親父、箸をわすれてたんだよね。
バカなガキは恥ずかしくて(何が恥ずかしかったんだろう?)
あんまり食べなかった。あんなに美味かったのに・・・。
一人で食べる親父がまた寂しくて、なんか
悲しくなったのを覚えてる。
今は祖母と二人暮し。
帰省して、おみやげを持ってかえると
大したこと無いものでも、大げさにウンチクをたれて
美味そうに食べてくれる。
本当に親孝行したいと思う。
456 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/24 17:08
父親すごく料理の上手な人だった。しかも得意料理がお袋の味系の
もので、肉じゃがとか、煮込みとか、魚料理とか。
私が実家を離れてから、実家に帰るといつも父が母を差し置いて、
私に食べさせる為に料理作って待っててくれた。
おいしかったなぁ、とっても。
どうしてたまにしか実家に帰らなかったんだろう。
2年に一度も帰らなかったよ。
こんな早く逝くんだったらもっと頻繁に帰省すればよかったよ。
こんな後悔遅すぎるんだけど。
今、父に似た料理上手な人が隣にいて、私のために料理を作って
くれたりする。
こちらは幸せに暮らしてるから、父も天国で幸せにしていてほしい。
457 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/24 17:13
うちの父さんも料理始めたばかりのころ、
器の底に1センチほども油のたまった謎グラタンやら
豆板醤みそしるやら変(しかも不味い)なものをよく作ってくれました。
でも重たい中華鍋をブン回してつくってくれるチャーハンはお母さんのより美味しいです。
いいスレだねぇ。
でも何割が創作かなと思ってしまう自分は不純でしょうか。
459 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/24 21:48
>458
不純かもな。でも自覚があってヨロシー。
忘れられない思い出に多少装飾がついても、綺麗な思い出になるならいーんじゃない。
それよか、もっと聞かせてよー。荒んだ世の中に一服の清涼を!
460 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/25 01:52
カンドーage
461 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/25 02:02
>>454 その古文のような語り口と、語ってる内容に笑った。
462 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/25 02:06
すまん。一つだけコピペさせてくれ。B級グルメ板のドムドムのスレから。
342 :やめられない名無しさん :02/01/19 01:59
ドムドムには、ある種苦い思い出がある。
長くなりますが、聞いて下さい。
もう随分まえ、わたしの父親はリストラにあい、
子会社であるドムドムに出向した。
まだ幼かったわたしは、
「お父さんってすごいなぁ!
ハンバーガーつくってるんだもん!」と
殆ど尊敬の眼差しで父を見ていたものだ。
しかし、周りの人達は違った。
学校へ行けば、いつ誰が広めたのか
「コイツのとーさん、ドムドムで働いてんだってよ!」と
ちょっとしたイジメの対象になりました。
ついたあだ名も、ストレートに「ドムドム」。
学校へ行くのがすごくイヤでした。
ある日、学校から帰って来ると、父が
いくつかのハンバーガーと、ノベルティなのでしょう、
キャラクターの付いたグラスを数個・
ちゃっちぃオモチャを手にして待ってました。
わたしが喜ぶだろうと思って・・・。
わたしは、むしょうに腹が立ち、
父が持ってた全てのものを投げつけてやりました。
父はわたしを叱ったりはしませんでしたが
少し悲しそうでした。
それから、父とわたしの間には
ギクシャクとした雰囲気が流れ、
「無視するでもない、仲良くもない」関係が続きました。
今、わたしはオトナになり、仕事もしている。
父のリストラされた心境も理解できるようになった。
父自身、不本意だったのだろう。
しかし、妻子を養う為に、我慢もしたんだろう。
もう一度、叶うなら、父にあの時の事を謝りたい。
一緒に笑いながら、「あんな事もあったね」と
ドムドムでバーガーを食べたい。
その夢もとうとうついえてしまった。
父は昨年の夏、亡くなった。
以前見た時はなんとも思わなかったのに、
今日(厳密には昨日の昼)このスレ最初から読み返して、涙が止まらなくなりました。
明日はきっと目が腫れちゃってひどい顔だと思います。
ホントにごめんね。
結婚した後でも生活がイマイチ安定してなくて、たまに実家に帰っても愚痴ばかり言っちゃって…
末っ子の私には大甘で、たまに実家に帰れば、
「あんたの家も苦しいみたいやし、これで○○さん(旦那の名前)と、おいしいものでも食べなさい」って、
帰り際に私の手に幾ばくかのお金を無理矢理握らせてくれる、優しすぎるお父さん、お母さん。
自分たちも年金暮らしなのにね。
昔は「過保護すぎる」「子離れ出来てない」なんて反抗したっけ…
そんな私は、未だに親離れ出来てないDQNで、ごめんなさい。
ココを見て、他の人に比べて自分があまりにも不甲斐なくて、ホントに情けなくなりました。
今度帰ったら、昔お父さんが良く作ってくれたのに、
「私は好きじゃないから」ってあんまり食べなかった粕汁、一緒に作ろうね。
夜勤とかあって大変な仕事なのに、「お母さんが忙しいからお父さんが作る」って言って、
冬場に時々作ってくれたよね。
凄く暖まったのは、酒粕の所為だけじゃなかったんだね。
あの頃は分からなくてごめんね。
帰る度に縮んじゃったように感じる、お父さん、お母さん。
たぶん今から一生懸命親孝行したとしても、絶対足りないと思うような気がする。
でも、残された時間で出来るだけのことをしなければ!と、
気付かせてくれたこのスレの人達と、育ててくれた両親に感謝です。
どうも、ありがとう!
464 :
長文スマソ:02/01/26 17:15
今までの文面を読んできて、自分のことを振り返って思い出した話をさせて貰います。
多分、10歳か、それ以前の事だったと思う。母が疲労によって倒れて入院する事になった。
両親の仲は子供の私から見てもあまり良いと思えず、
母が入院したのは父のせいだと信じていたし、母が退院するまで父と2人で暮らす事(兄弟なしの核家族なので)も苦痛だった。
その間どんな食事を作ってくれたかもう覚えてないけど、1つだけはっきりと覚えているものがある。
湯を沸かした鍋に野菜とか魚とかを適当に放り込んで、それに醤油を入れただけ簡単な鍋。出汁もとってない。
その時、初めて春菊を食べた。苦かったけど、まずいとは思わなかった。
13の時、父は死んだ。
父の事が嫌いで嫌いでその存在を無視し続けた私は、
病名も、透析で日に日に弱っていく父の姿も見ようとしなかった。
最後に会ったのは亡くなる数週間前。どうしても、という母に連れられて病室に行った。
久しぶりに会った父は尿毒症のせいか長い間寝たきりだったせいか、すっかりボケていて、
「今日、能登へ行ってきた」なんて普通に話すもんだから、母は涙ぐんでいた。
父が亡くなった日、母は朝から病院に行ってて、
その頃ヒッキーやってたせいで昼まで寝てた自分を起こしに来たのは隣家の住人だった。
「父が危篤だ」と伝えられた時、一瞬何を言われているのか分からなかったが、
さっきまで無視してた電話は病院からだったんだと、寝ぼけた頭で分かった。
葬式が終わって、普通の生活に戻っても、私は泣かなかった。
例え亡くなっても父の事は嫌いで、泣く事によって"父を嫌いな自分"を裏切るような気がしたのだ。
そう思って5年経った訳だけど、ここ見てフッと思い出しちゃったよ。
最後の見舞いの時。
病室を出ようとした時、何故か『今まで嫌ってきた事を謝らないと一生後悔する』とふと思って、
母が先に外へ出て行ったのを確認してから「ごめんなさい」って言ってた事を。
つまり後悔してた訳なんだよなー、父のことを何年も嫌っていた事を。
もっとも、今でも父の事は好きになれないし、あまりいい思い出もない。
そういう事もある、と思う。血が繋がっているってだけで、全てが良く見える訳でもないし。
でもなんかあの時の鍋を食べたくなってきたな。春菊、沢山入れてさあ。
465 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 17:22
肉親に対する「嫌い」って感情は他人に対するものより
普通は強いものがあると思う。でもその「嫌い」というのは、
「愛している」「愛して欲しい」と裏表なんだよね、きっと。
お父さん(お母さん)を「嫌い」だった人、そのことで自分を
責めないでね。ほんとうは、あなたはお父さん(お母さん)の
こと、心底愛していたんだよ。
自分も父親嫌いだった。父のない今になって自分の本当の気持ちが
よくわかります。
ココ、こんないいスレだったのか・・・。
スレタイトルだけ見て、
「母ちゃんが病気で寝込んだとき、
初めてオヤジがテンプラうどん作ってくれてさー。
無理してテンプラも自分で揚げたのはいいけど、
野菜が足りなくて桃とかバナナまで揚げやがって
それがめちゃくちゃまずくてさー!!」
・・・なんて書き込みに来た漏れは激しくスレ違い。
もう逝きますね。
467 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 17:28
>>466 いや、なんだか妙にはりきって、
果物まで天ぷらにしてしまうお父さん。
それもいい話じゃないですか!
468 :
逝印2度あることはx度ある0120418690:02/01/26 17:32
チョコレートのてんぷらも出そう
469 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 17:35
天ぷらって一個80円も出せば買えるのに、
自分で揚げるものって思いつめてるところに、
お父さんの緊張と愛らしさが伝わってきますよ〜。
それもナイスなエピソードではないですか?
470 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 17:42
いまさらながら
>>60みたいな親父もいるしな
(オレ的は好きだけど)
良いエピソードではないか
>>466
471 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 17:44
うちの父親もやる事かわいくてまいるよ。
短気だしいい加減だし、めちゃくちゃむかつく時も多いけどな。
このスレを見ながら父に一つ謝りたいことがあるのを思い出した。
ここには書かないけど(最近どうも2ch見出したっぽいので…)
必ず伝えるつもり。
472 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 18:04
2ちゃん見るお父さん…かわいいっ!
473 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 18:23
2chやって心がすさむこともあるけど、
このスレだけは特別すぎる気がします。
私も父ちゃんのこと愛してます。
いつまでも元気に、長生きしててほしいから、たまに会える時には
こんどは私がウマーな料理を食べさせまっせ!
474 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/26 18:26
>>473 うんうん。同意!
おとうちゃ〜ん!長生きしてよ〜!
あーーーー。熱出てるんだけど、こんなスレを見つけてしまって
しんみりしてしもたよ。。。
私も父子家庭だったよ。親の愛情は本当に大切なものですね。
私を育ててくれてありがとう。
476 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/27 03:04
良スレage
477 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/27 07:36
父が料理をしてくれたことは1度もない。昭和ヒトケタの人だから男が料理するのは恥ずかしいのかも知れない。社会的には成功した方
なので、外ではいろいろ美味いもん食ってる。で、それを母に教えて
作らせる。いまは半リタイアみたいになっているが、母とよく外食へ
出かけている。亭主関白と仲むつまじい夫婦が成立している好例。
祖父は一時アメリカに「出稼ぎ」に行っていて、自分が小学校に入
る前に帰国したのだが、スパゲッティをトマトと挽き肉で煮込む料理
を我が家に伝えた。今思えばスパゲッティはアルデンテではないし、
煮込んだソースも甘味の強いものだったけど、トマトは生のトマトを
使ったもので、子供心にはむちゃくちゃ美味しかった思い出がある。
まだ母がレシピを持っているはずだが、いつもついレシピのコピーを
忘れてしまう。
自分は男としては料理をする法だと思うけれど、ウチの娘は何年後
かにこのスレと同じ質問をされたときなんと答えるのだろう。
このスレ、ほんまに2チャンネルでっか? 泣けまっせ。
478 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/27 22:45
>>478 ありがとうです、治りつつあるです。
あう、、それにしても最初から読んだら泣いた泣いた・・
感謝という気持ちは
なんて素晴らしいものなのか、
改めて思うです。
このスレは、大事に育てたいと思うです。。。
480 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/28 14:20
子供の頃、母が入院した時父がめちゃくちゃ辛いカレーうどんを作ってくれた。
子供には辛すぎる味で「父ちゃん辛いよー」と半泣きで(それでも気を使って食べながら)
言ったらお湯を沸かしてわたしのドンブリにドバーと入れ「よし!」と言った。
父ちゃん薄いよー。
父が料理したのは後にも先にもこれっきりです。
あれ以来カレーうどんを食った事がない。
来月一周忌。作ってみようかカレーうどん。
481 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/28 23:11
うちの父は板前さんでした。
ある日、胃が悪くなって入院しました。
結構、入院期間が長くって、でも
その間もずっと料理の本を見て勉強してました。
ようやく外出の許可が下り、家に帰って
真っ先に父が向かったのは
自分の部屋でも茶の間でもなくて
店の厨房でした。
そのときに作った吸地(お吸い物の具の入ってないやつと思ってください)の味が
体に染みる美味だった、とそのとき一緒にいた兄が言ってました。
その3ヵ月後、父は亡くなりました。
もう、あの吸地を味わうことは、できません。
482 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 00:31
うちのとーさんの忘れられない料理・・・・
普段は全然料理しないけど、共働きだからかーさんがいないときにつくってもらった料理が忘れられないな・・・
(´Д`;)<(味噌汁の具がサイコロステーキ・・・・)
(´Д`;)<(目玉焼きを焼いてたらいつのまにやらスクランブルエッグ・・・)
(´Д`;)<(それ・・・・インスタント焼きそば・・・しかもつくり方違う・・・)
もうたべられないけどね・・・
483 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 01:41
>482
何でもうたべられないの?もしかして…他界されたとか?
痛いところついてゴメンね。
ウチの父に似ているので、つい…
484 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 02:01
>483
数年前に他界しました
失礼
484=482です
このスレ見てるとまだ未成年なのに毎日酒飲んで親のスネかじって引きこもってる自分から
脱出しようとか思ふ。
でも思うだけなんだよなぁ。。鬱
>486
そういう時もあるでしょうが想いはためときなはれ。
料理なんか何一つ出来ないウチの親父だけど
ゆず味噌作りだけは異常にうまかったなぁ。
このスレ読んでたら久しぶりに帰省したくなったよ。
>>487 なんかそんな事言われると泣けてくるぜぃ。
家の親父は調理師免許だかも持ってるし普通に作ってたんで
対して覚えてる料理だとか無いのだが
昔ウナギをさばく仕事してたもんでウナギをよく持って帰ってきた。
当時ウナギを美味いとも思わんかったし家族も誰も対して食わんかったのだが
今思えば「また持ってきたのかよ」とか
じゃなくて家族皆が喜べば親父も嬉しがったのだろうな。
自分が親の立場だったら自分が仕事でさばいたもん持って帰っていやがられたら
嫌だもんなぁ。
ま。対した話ではないんだがこれくらいしか思い付かん。
父の最後に作ってくれた料理って思い出せない・・・
ただ、父独特の麻婆豆腐(注:味噌味)があって、それだけはすごく印象に残ってる
両親とも唐突に逝ってしまったから、作り方が分からなくて
妹が一時期その味の再現にすっごく執着していたときがある
半年ぐらいしてようやくそれに近い味が出たとき、飯を食いながら兄妹でぼろぼろ泣いた
この料理食って、父に何点か判定して欲しいな・・・と、思う
>490
>父に何点か判定して欲しい
決まってるだろ。100点だよ、きっと。
つーか俺の妹も母の料理の味を再現するって張り切ってるよ。
今はまだ全然違う味だけど
そのうち母と同じ味で作れるようになるかな・・・
492 :
もぐもぐ名無しさん :02/01/29 11:30
小学校の頃、学校でインフルエンザ大流行。
ご多分にもれず俺も40度出してぶっ倒れた。
入院一歩前まで逝ったらしいが持ち直し、
熱が下がって気がついてみると
目の前にラーメンのどんぶり一杯にプリンが…。
うわごとでプリンが食いたいと言ったらしく、親父がつくったと言っていた。
しかし黒いブツブツが浮いていて気持ち悪かったのと
あまりに大きすぎて怖かったのと、喉が乾いていたのとで
俺はせっかくのプリンを食わなかった。
プリンを見る度に、なんで無理してでも食わなかったのか、
あの時の自分を小一時間問いつめたくなる。
493 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 11:33
親父は俺が2歳のときに死んだ。
だから俺は親父が作った飯を食ったことがない。
生前、親父はロールキャベツが好きで、
よくお袋と一緒に作っていたそうだ。
高校3年のとき、親父の命日に、
お袋と一緒にロールキャベツを作って食った。
495 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 12:27
>>494 お母さんとお父さんがホントに
愛し合ってたことがわかるね(涙
496 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 12:54
会社の昼休みなのに涙で読めないよ・・・
497 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 14:01
2chを読んで涙が出るとは思わなかった。
ageついでに書かせてもらうか。
うちは完全に母が専業主婦で父は超堅物な仕事一筋。
料理どころか、父が台所にいたところも覚えが無い。
で、覚えているのはインスタントラーメン。
袋のラーメンをそのまま丼に入れて熱湯をかけ、カレー皿で蓋をする。
変わっていたのは、丼とカレー皿の間に必ず紙を挟んでおくこと。
「これがコツなんだ」とかいって、子供故に親父はすごいなんて思っていたが。
今考えると意味なさそうだよな。
ただ、その紙は仕事で持ち帰ってきた印刷紙。
作る場所は、台所から一番遠い客間。
台所道具は使わない。
腹が減ったのなら母に頼めば作ってくれる家庭だったことも考えると、裏で夫婦喧嘩でもしてたのかね。
ただまあ今現在、「なぜかうまかったという記憶が漠然と残っている」のも、思い出らしくていいな。
498 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 14:41
俺の友達と、俺と、オヤヂとで、登山に行った時の話。
焼きそば(生タイプ)と肉とフライパン持って行って、雪の積もった山で
焼きそば作って食ったよ。それはもう美味かった・・
でも・・
麺があまったのよね そこで問題発生。
具が無い・・・・
オヤヂ「おい、その余ってる肉出せ」
俺「えー せっかく最後に食べよ思って残してたのにぃ」
そう来るとは想像できませんでした。
友達もオヤヂも肉は先に食ってた模様で、俺だけが肉を提出し、
それをまた3等分・・ああ・・・
オヤヂはまだ元気だ
499 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 14:45
500 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 14:58
うー涙と鼻水が会社のパソのキーボードに・・・しまったー・・・
スレの杜から来ました。
感動しました
502 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 18:24
父が台所に立つときは
母が病気のとき、みんなが寝坊している日曜日の朝、
みんなが残業で遅くなって家にまだ誰も帰ってないとき。
独身生活の長かった父だけど、料理はあくまでも我流で
なぜかいつも玉ねぎが入っている。
油断するとにんにくも入れてしまう。何にでも。
野菜はすべてざく切りで、普通なら数品つくりそうな材料も
なぜか全部一品になってしまう。
そんな料理を、小柄でおなかの出た父があたふたと
作ってるのを見るとなんだかせつなくなってくる。
いつのまにか髪の毛がまっしろになって横顔もだいぶふけてしまった。
出来上がる料理がおいしいことはめったにないけど、
みんな最後までちゃんと食べます。
一度だけ、子供の頃に「ママの作るのとちがう〜」とかなんとか
文句をいったら、いつもはよくしゃべる父が悲しそうに黙ってしまいました...。
今まで作ってくれたものの中で一番おいしかったのは、
子供の頃母が寝込んでるときに父が作ってくれたホットサンド。
偶然にもものすごーくおいしくできあがり
父も嬉しそうに「ほらな!おいしいだろ!いっぱいあるから食べなさいね」と
言っていた。
私はもう独立したので父の料理を食べる機会がほとんどないけど、
たまに実家の冷蔵庫に彼の料理の残り物をみつけると
「おっ、がんばってるな!」と心の中で思う。
503 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 18:54
小学1年のころだったですかねぇ。
母が入院して父が家事の一切をしていた時期がありました。
その時作ってくれたメニューで覚えているのは味噌汁。
ダシがなく具が蒲鉾で閉口したのを思い出します。(でも食べた)
その後母は自宅に戻ることなく死去。再婚するまで父は苦労したと思います。
ホントにいいスレですよ。1さんありがとう。
504 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 19:34
>20
天然記念物だよね?
さ○じゃない???○る。
505 :
おやじの海:02/01/29 20:25
時化てないかぎり4.9tの小さな船で午前3時から海に出るんです。
おやじとおふくろは刺し網と小さな定置網でオレに仕送りをしてくれて、大学まで出してくれました。
関東に就職が決まって後を継げないことを謝ったとき
「漁師は俺の代で終わるんだなぁ」と一言呟いてたのが今でも胸に引っかかっています。
こっちに越してきてから毎年塩鮭が届きます。
自分達で水揚げした鮭を一本々々丁寧に塩を摺り込んで、きちんと熟成させて造りあげた塩鮭です。
塩漬けする季節はおやじもおふくろも手が皸ですごいんですよ、もう辞めて一緒に暮らそうと言っても
全然言う事聞いてくれないんですけれどね。
いろんなとこで塩鮭食べる度に、やっぱりおやじとおふくろのそれがいちばん旨いんだと
あらためて思います。
462 悲しい・・・
感動して、ちょっと泣きそうになった。1は天国の親父さんに礼を言って
おくように。
>>505 >手が皸ですごいんですよ
皸は、あかぎれって読むの?
508 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 21:36
オレの父は普段台所に立たないんだけど、鮭をまるまる一匹貰った時に
危なっかしい手つきで母を心配させながら鮭をさばいてくれたのを覚えてる。
調理は母がやったんだけど、ちょっと不細工な切り身から一生懸命さが伝わってきた。
その鮭はスゲー美味く感じた。
>187
(つд;)
509 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 22:04
test
510 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 22:14
>20
ひょっとしてアレか?
アレだったら本当に危ないぞ
511 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 22:20
恐ろしく不味いラーメン。
家族全員が倒れたとき、包丁すらまともに握った事の無い父が作ってくれた。
どうしたらインスタントラーメンをこんなに不味くできる?
それより何故病人にラーメンなんじゃ?
・・・と様々な疑問は湧いたが、普段手を出そうとしない父が
あたふたしながら作ってくれたのは最高にウマーだった。(不味かったけど)
インスタントといえども、父にとっては一大冒険だったんだろう。
今は母も忙しく仕事はしてるけど、娘3人同居なんで父が台所に立つ事は無い。
でも父の料理を食べる為にもう一度みんなで倒れてもいいな〜なんて時々思うのです。
>>20 もしかして白くて羽根のあるアレ?
俺も田舎に帰ると食(以下削除)
513 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 22:26
父は亡くなりましたが、思い出すのはオムレツだな。
ともかくタマネギとひき肉の入ったオムレツが好きだっただけに
自分で作ろうとするのだが、・・・・・ヘタだった。
下ごしらえして(タマネギを炒めたりなどなど)作るまでに
ムカムカしてきて怒りながら作る。
出来上がりが不細工でも、何も言わずに食べた。
でも、苦労を労わないとまた怒る。味を誉めただけじゃ満足しないようで。
作らせるのが嫌だったなぁ、家族に当り散らすから。
楽しんで作業するのが苦手な人だった。
あまり料理の点では良い思いでがないな。(苦笑)
514 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/29 22:46
>>505 感動(涙
子どものために黙々と働いて仕送りしてくれてたんだよね。
父の料理で真っ先に思い出すのは、カレーと蓮根のキンピラ。
カレーは市販のルーを使った奴なんだけど、ホントに美味しいんだよ。
材料やら料理酒やら真似しても、私にはどうしてもあの味がだせなくて。
…でも、作ってくれた人は今は病院のベッドの上で。
また食べたいよ。うちのチビも大好物なんだよ。
親父様、元気になって帰ってきてよ。皆待ってるよ。
私が幼稚園生の頃、弟はよく入院する子だった。
母がそれに付き添っていなくなるので、家には私と父が残った。
夕飯の時間になると父が料理してくれたのだが、それがどうにもおいしくなかった。
ソーセージと卵のオムレツみたいなの。今でも覚えてる。
卵が何の味もしなくて、ソーセージしか食べなかった。
結局たいして食べなくて残して私はテレビを見、父は残ったものを食べていた。
帰ってきた母に、今度弟が入院するときは父が付き添って母にはご飯を作って欲しいと言った。
しかも「お父さんのご飯おいしくない」のセリフつきで。たぶん父にも同じことを言った。
中学、高校と母がいないときにたまに私が料理するようになった。
一度ドライカレーをお昼に作ったとき、適当にカレー粉を入れたら多すぎたらしく、それはそれは辛かった。
父は「ちょっと辛いな」といいながら、涙目になりながらも全部食べてくれた。
かわいげのない娘でごめんなさい。
実家を出てからあなた方に時々無性に会いたくなります。
いつまでも甘ったれてるのでしょうね。
いつか、ちゃんとした料理をごちそうしたいと思います。
俺が19の時に死んだ親父は、休みの日に焼きうどん作ってくれたな。
全然台所に立たないのに、その醤油の利いた焼きうどんはやけにうまかったよ。
話がずれるけど、男の割に結構料理するんだ。
一人暮らししてるけど餃子とかコロッケは一から手作りで作るし、煮物なんかも
得意だし(以前つきあってた彼女もおいしいと言ってくれた)。
このスレ読んでたら、いつか生まれてくる自分の子供のために色々手作りしたもの
を食べさせたいと強く思ったよ。
子供が自分の料理をうまそうにムシャムシャ食べるとこ見たいし、自分が死んだと
き「うちの親父の料理は最高にうまかった」といってもらえる父親になりたいし。
そろそろ子供の喜ぶようなお菓子の作り方でも勉強するか。
518 :
まだまだ現役:02/01/30 00:12
たいていのものは上手に作る父。
おいしいものは沢山あるのだけど、
一番忘れられないのは、一度だけ作ってくれた『ナン』
小3のころの冬の寒い日、わたしは友人と外で遊んでいた。
その日は曇りですごく寒くってね。
震えながら遊んでいたら、仕事が休みで家にいた父が、私たちを探しに来た。
「あったかいおやつを作ったから、たべな。」って。
差し出されたのは、アルミホイルに包まれた、薄いパンのようなもの。
中にはイチゴジャムが挟んである。まだアツアツだった。
「なに〜?また変なもん作ってる。これ、食べても平気なの?」
「これは、インドのパンだよ。うまいから食ってみろ。じゃぁな。」
去っていく父を見ながら、友人と二人でほおばる。
それまで食べたどんなパンとも違う味。だけど、おいしい。
「N(自分)ちゃんのお父さん、すごい!!これ、おいしいね!!。」
感激しながら誉めてくれる友人。だけど、反抗期の私はなんだか照れくさくって
「んなのたいしたことないよ。」と、こたえた。
20年近く前のはなしなんだけど、今思い出してもうまかったなぁって思う。
あのときに食べたナンよりおいしいナンには、いまだ遭遇できず。
なかなかしゃれたもん作ってたな。お父さん。
そんな父は今、若いおじいちゃん。
うちのちびは、おじいちゃんの焼き鳥が一番の好物です。
こんどは、またナンも頼んでみようかな。
519 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 01:09
二度と食べることのできない味はありますか?
「亡き母の作ったコロッケが食べたい。」という私の切望に、
父はコロッケを作るのですが、何度作ってもどうしても味が違うのです。
母が材料に何を使っていたのかすら、もうわからない。
味というものは不思議なことに覚えているもので、
子供のときは味が違うたびに静かに箸を下ろして静かに去って泣いていました。
そのたびに父はがっかりしていました。
しかし、数年のち、偶然にその味と同じ味が再現されました。
そのときは「これだ。これだよ。」といって泣きながら、
懐かしい味のするあのコロッケを味わっていました。
一家っても2人。大喜びでした。
しかし、それ以来、それと同じ材料をつかったはずなのに、
どうしても2度と同じ味を作ることはできませんでした。
それから13年。私も就職して父の元をはなれて、
台所も無い四畳一間の部屋で暮らしていますが、
父は今でも同じ味のコロッケを目指して作りつづけている。
帰省するたびに、試すんですが。
「やっぱり違うね。」
いまでは、笑ってコロッケを食べます。
いきなり仕事を休んで唐突に「海行くぞ。」って小5の夏。
突然の家族旅行1泊2日。学校も休んだ。ちなみに群馬。
大洗の釣具屋で竿なんかを買い揃えて生まれて初めての釣りをした。
海岸の岩場で父親はカニを採ってた。10cmぐらいの赤茶色の蟹。
父親は釣りをしている俺達の傍らで、ずっと岩場に手を探っていた。
初めて家族5人で民宿で飯食べてコインクーラーが効いている小さな部屋で寝た。
クーラーボックスに釣果のアジやハゼと何十匹ものカニを詰めて帰った。
家につくと台所なんかには立ったことのない父親が大鍋を取り出して大雑把に
材料をぶった切って味噌とネギで煮始めた。カニなんか真ん中を切っただけ。
母親は心配そうに横から覗いていた。そんな生まれて初めて食べた父親の料理は
本当にウマかった。カニなんか手にとってしゃぶって食ってた。
魚の骨なんかが小骨とかで凄かったけどウマかった。母親と俺達、兄弟の食ってる
様子を終始満足げに眺めていた父親は鍋を持って隣の家にも行っていた。
酔って暴力沙汰なんかを起こす父親だったから小5の俺が見ていても
何かギクシャクしてて父親の前では笑顔を見せたことのなかった母親が
鍋を担いでいる父親を見て「恥ずかしいねぇ」と笑ってたのを覚えている。
それから何日もしない夏の眩しい朝に父親が庭の木に縛りつかれ座っていた。
焼身自殺。
以前に起こした交通事故で怪我を負わせてしまった人物から保険金外に父親宛に
請求があったらしいと遺書にあったが、聞かされていないのでよくわからない。
当時は全然そんなことも知っていないから見えない何かに対する強い理不尽さを
子供心に感じていた。遺書しか読んでいなかったので真相はわからないまま。
末の弟なんか父親が自殺で死んだことすら知らない。母親は話していない。
今年、高校を卒業する。東京への住み込みの就職も内定した。
今度思い切って父親の事とか聞いてみようと思うのだが話してくれるかな。。
板汚してスミマセン。。でも、あの鍋は本当にウマかった。
521 :
もぐもぐ名無しさん@:02/01/30 02:15
うちの父は釣りが趣味なだけあって
料理もなかなかできるひと。
釣ってきた魚をさばいて刺身はもちろん
鮎なんか捕ってきた日にはマリネなんて小洒落たものも作ってくれた。
男の料理って感じで美味しさも倍増だった。(゚Д゚)ウマー
で、本題。
豚汁に納豆入ったのを食えと言われた時は
いろんな意味でいまでも忘れられない。
(゚Д゚)トラウマー
522 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 04:42
うちの親父は自分の趣味に金をつぎ込む人間だから
釣りが好きな親父は船舶免許を取り、小型の船を購入した。
その際に無線の免許も必要と言うことだから母と一緒に無線の免許を取った。
多いときは週一で船を出して鯛とかを大量に釣ってきた。
その鯛を捌いて刺身にして鯛茶漬けをよく食べた。
どんぶりに御飯をよそい、鯛の刺身と手で千切った海苔を乗せて
そこにお湯をかけて食べる。厳密に言うと茶漬けではないが、
とても美味かったことを覚えてる。
しかし、うちの親父は短気な人間だから自分の感情のままに子供を叱る。
俺はいつも勉強をしない等の理由で殴られた。それは俺の為というような
ものではなく、世間体を気にするあまり成績の上がらない俺に対して
憎しみを感じ、その感情をむき出しにして殴る。
わがままな子供がそのまま大人になったようなものだから、
その暴力は子供だけにではなく、母にまでおよんだ。
さんざん叱られ、殴られた後に嗚咽を漏らしながら食べるご飯に、
美味しさを感じることはない。
だからその頃母が作ってくれたご飯の味は全く覚えていない。
そんな家庭が長く続くはずもない。母も耐えるだけ耐えたがその我慢も限界に達し、
離婚を決意した。俺は母方についていった。それから数年経ったが、
父親からは全く連絡もないし、こちらからも連絡していない。もう関わることもないだろう。
離婚してから数年、穏やかな心境で食べる母の料理はとても美味しく感じる。
出来れば家族揃った時にこの料理を食べたかった。
俺が言うのも変だけど、あんなギスギスした家庭じゃまともな人間は育たないよ。
あんた以外の家族は家に帰るのが苦痛だったんだから。
離婚してからいろいろあって、今度ウチの母は再婚が決まった。
理想の家庭を作れると思って十数年父の暴力に耐え、仕方なく家庭を諦めた母が
もう一度家庭を作ろうとしてる。今度は失敗するんじゃないぞ。俺も協力するから。
子供の頃父が作った料理は美味かったが、父を全然好きになれない。
だから他の皆さん方が羨ましい。
しかし、新しく父になる人は子供が欲しいようだ。40代後半の二人がそこから
始めるのもいいんだけど、ホントに作る気なのかな…。
あまり想像したくないね、こんなの(藁
523 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 09:49
最初から一気に読んだ。
久しぶりに鼻水垂らすほど泣いた。
自分はまだ家庭を持ってない身だが、このスレに出会えて良かった。
両親と彼女(多分結婚するだろう)を出来る限り大切にせねば、と思った。
駄文スマソ。
524 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 15:26
親父の作ったものじゃ無いんだけど。
うちの親父は夕飯時は1人だけご飯を食べずに晩酌をしてた。
で、いつも夕食は10時過ぎに1人でお茶漬けや、お袋に作ってもらったラーメンを食べてた。
10時過ぎに見るラーメンは非常に美味そうに見える。ましてや当方育ち盛りの小学生。
で親父は必ずと言っていいほどラーメンは半分だけしか食べず、僕らに残しててくれた。
それを兄弟で競って食べあう。親父はその光景を見て寝床に向かう。
半分火の通った卵とワケギの沢山入ったラーメンは、見た目以上に美味しかった。
親父は昨年僕の息子が産まれてスグ、すれ違うように逝ったけど、
夜ネギの匂い立つラーメンを食べると今もその風景がよみがえる。
525 :
俺も父子家庭:02/01/30 16:07
俺が親父の方なんだけど・・・。ちなみに子供は、小3と小1。どちらもチンチンがついてる。
俺は一応調理師免許なるものを持っていて、結構料理好き(仕事は自営の肉屋)なもんで、ふだん
から、子供が腹が減るとなにかと作って食べさせてる。基本的には、ばーさん(俺の母)が、めし
を作るのだが、俺の作るのが食卓にあがるウェートも結構高い。自営と言う事もあり、仕事の合間
をみて、おやつにクレープなんてのを焼くこともあるし、それなりの手の込んだものを作る時もあるんだけど
子供から見て、たぶん俺が料理することが、あたりまえのことで、思い出の味ってやつが、大きくなった時
思い出されるのか、チョット疑問だなー。ここまで読んできて、ほんとたまにしか、作らないってのも思い出に
するには、いいように思えてきたなーなんて・・・。
しかし、なんだか父子家庭の親父さん、みんな早死にみたいだね・・・。
もしかして、俺も早死にするのかなー?まだ31なのに・・・。
もーちょっと、感動的に書きたかったのですが、文章がへたくそな上に初めての書き込みなんで。
意味が解らんと言う方、ごめんなさい。はー、嫁さんほしいなー・・・。
526 :
俺も父子家庭:02/01/30 16:13
書き込まれたのを、見てみたら改行とかかなり変で読みにくいですね。すみません。ちなみに、今日はヤリイカを使ったイカサラダです。
527 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 16:51
>>525 おとぉ〜ちゃぁ〜ん!!!
おとうちゃんの、(・∀・)イイ文章
なんか知らんけど、お父ちゃんガンバレ!!
528 :
やめられない名無しさん:02/01/30 17:04
>526
料理お好きなんですか、いいですねえ。あたしの父さん料理あんまり
上手くないから憧れてしまいます。時間のある時にでもお子さんと一緒に
何か作ってみるってのもいいかもしれませんよ、きっといい思い出になる
と思う。私、たまに思い出したりすることがあるもんで・・・。
おやつまで作れるってとこが特に(・∀・)イイ!
ここ、いいスレですねえ・・・。涙でてきた。
小学校だったかな?オカンが旅行行って1週間ほどいない時があった。
その間、オトンが料理する事になった。
オトンの料理食べたのって、その時が初めて。
最初の晩に出てきたのが凄かった。なんちゃら牛のステーキ。っていう
か「ビフテキ」ってヤツ。ソースも市販のソースじゃなくて、自分で色々調合
して作ったヤツ。
「オトンうめぇだ!オトンコレなら料理人になれるよ!!!」
そのとき、フとオトンが悲しい顔した。物凄く印象に残ってる。
オトンが悲しい顔した理由が数年前に判った。
若い頃オトンは、東京のドッカのホテルで料理人をしていて、史上最年少
で料理長になるか!?と期待されていた存在だったらしい。
雑誌にも時々載っていたみたい。
しかし、車にはねられそうになった子供をかばって、腕の神経を切断して
しまい、手術でほぼ完治したけど、左手の指三本が自由に動かなくなって
しまった。それで、時間に追われる料理は作れなくなって、料理人の道を
断念したとの事。
父ちゃんゴメンね。オラ記憶にないんだけど、本当にゴメン。
正直、このスレを立てた1と
書き込みをした人達に感謝したい。
よい話をありがとう。
531 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 20:26
拝啓 父さん
正直弁当にそばはないとおもいます・・・
532 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 21:08
小学生の時母が足を骨折した。
普段ご飯も炊かない父が初めて晩御飯作ってくれた。
スパイスがいろいろ入ったみそ汁とか何とも言えない味の炒め物とか。
おいしいはずないと思うけど父が試行錯誤しながら作ってる姿を思うと何故かおいしく感じた。
料理は気持ちだなって思い出した。
533 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 21:11
それより、
>>1 よ聞いてくれ。雪印が森永とか農協のラベル張って、売るん
じゃないかと自分は心配してる。そうなったら消費者として一体どうしたらいい
だろうか。モう訳分からん。パッケージにすかし入れなければいかんように
なってしまうのか。とりあえず、買い物するときは十分注意すること。
ほんまこれ大事。
534 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 21:15
うちも父子家庭。
でも一緒に住んでる祖母がごはんを作ってたから
父は普段は料理なんかしなかったけど。
月に1回くらい、日曜日にお昼ごはんを作ってくれることがあった。
たいてい 一品料理。
焼きそば とか お好み焼き とか ホットドッグ とか・・・
いかにも「男の料理」って感じだよね。
でもこれがけっこう美味しかった。
妹と「おいしい、おいしい」って食べると、得意げに笑っていた。
その後20歳になった私は、祖父母とうまくいかなくて
家出をしてしまった。
そして、10年間 父にも連絡をしなかった。。。
厳しい父に、連れ戻されそうな気がして。
10年後の去年、久しぶりに父と会った。
一緒に中華料理を食べた。
「これ、おいしいから食べてみろ」 「もっと食べなさい」
自分の分まで私のお皿にどんどん乗せる父。
「うん、おいしいね」って言うと
自分が作った料理を褒められた時みたいに 笑っていた。
家出のことは、責めもしなかった。
お父さん。。。ごめんね。
535 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 21:27
泣きすぎて顔が変わった・・・。
私も親孝行しないとな。
皆さん、いいお話ありがとうございました。
536 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/30 21:52
父の背中には絵が描いてあったの覚えてます(w
私はずっと祖父母に育てられました。
希に父が会いに来て一緒に風呂へ入ると背中流すんですが
そのでかい背中がキレイでいつも楽しみでした。
いま考えると唯一父子のスキンシップだったのかもしれません。
祖父と父の折り合いが悪くて言い合いが絶えなかったのは
子どもながらに悲しかったのを覚えています。
学校へ通う頃になると父の職業でいろいろ言われましたね。
祖父が厳しい人で私が父と同じ道(w を歩まないよう心を砕いていたのが
今更ながら分かります。
最後に父が会いに来てくれたのは小学校を卒業したときでした。
といっても卒業式に来てくれたのではなく、家に戻ると父が居ただけです。
そのときどうした風の吹き回しか、今まで料理などしたことのない父が
茶碗蒸を作ってくれてました。
卒業祝いの食卓を祖父母と父とで囲んだのですが、なぜか祖母は泣いていました。
祖父はしゃべりもしませんでした。
食事が終わって父が出て行くときに「じいちゃん、ばあちゃんの言う事よく聞いて立派な男になるんやで」
と言っていたのを覚えています、祖父は「こんばかたれが!」と言っていました。
それっきり父は姿を現しませんでした。
生きているのやら死んでいるのやらいまだに消息不明ですが
私にとっては希薄な父との記憶の中で、背中の紋様と茶碗蒸だけが鮮明に残っています。
537 :
キューピーちんぷんかんクッキング:02/01/30 22:21
涙出そうになったよ。良スレ。
スレ立てた1です。
俺、全部見てる。
人間いつかは死ぬんだけど
俺は今の女と結婚して
子供作って、子供を愛したいと思う。
俺が死んでも、いい親父だった、と後で思ってくれれば
それでいい。
最初、このスレはすぐ沈むと思ってた。
レスをつけてくれた人に感謝でいっぱいだし、
身内の愛情を大事にしたいと心から思う。
かわいい妹が始めておにぎりを作ってくれた。
感激しながら食べてると…爪ぇ?
…そういえば妹がおにぎりにぎってるとき、
父が近くで足の爪を切ってたな…。
540 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/31 00:45
父の爪入りおにぎりか・・・!!
のどに引っかからなくてよかったね。(笑)
541 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/31 00:49
1さんがスレを立ててからずっと読ませてもらってるけど、
ほんとここは良スレ。毎回泣いてます。同じ話を何度読んでも
泣ける。書いている人が悲しみや暖かさを持ってるからだと思う。
ほんとに皆さん、いい思い出をありがとう。
542 :
こんなに泣かせて…どうすんだよ!!:02/01/31 01:55
ここはホントに2chか?
感動age。
明日は泣きはらした顔で出勤だな…
何気に来てみたら、滅茶苦茶いい話ばかりで正直感動しました。
誰にだって、親の思い出ってあるもんだと思います。
俺の両親はこれでもかって言うくらい元気ですが、それでも最近
親父が飯の後にゲーゲーやってるのを聞くと正直心配になります。
表に出さないようにしてるんで、こっちから何か言う事はしてな
いですがやっぱり、素直に心配した方が良いでしょうか?
親父は元料理人で昔はレストランを自営業でやってました。その
頃の話は高校の時にいろいろと教えてもらいましたが、ま、それは
よろくっつー事で。
それはともかく、その頃の俺の思い出といえば、なんといっても
ラーメンでした。小学生だった俺はとにかく飯が楽しみで、いつも
凄い美味しい御飯を作ってくれる親父が大好きでした(いや、今でも
勿論好きですがw)。そんな、親父はいつも「これが本物のラーメンだ」
といって、作ってくれたのがそれでした。細かい味は覚えてませんが、
とにかく美味しかったのは良く覚えてます。
時々心配にはなるものの、毎回お袋と休みが重なるたびに昼から夜まで
デートに行ったり、映画が¥1000で見れる毎月1日には必ず休みをとって
話題の映画を見てくる親父。
夜中とかに友達と連れ立って帰ってきた時、まだ起きてたりすると息子
を置いて友達とやたらとディープな話題で盛り上がる親父。自慢になって
しまいそうですが、はっきり自慢です(爆)
ある程度の親孝行はしてるつもりだけど、さっさといい人でも探してせめ
て恋人くらいは生きてるうちに紹介しとかないとな〜。早く実が出る作家に
なって、印税で旅行でもプレゼントしないとな〜。っつか、その前に自分で
行っちゃったもんな〜(笑)
長々と書いてしまいましたが、最後にもうちょっとだけ……
俺の友達よ。お前さんは親父とそりが会わないと言う。その気持ちは想像
程度しか出来ない。でも、ここまで一緒に暮らし、そして俺も人のことは言
えないが家を追い出されても文句の言えないのが今の状況だ。
別に仲良くしろとかそんな事を他人の俺から言おうとは思わない。
だけど、もしこのスレッドを読んで何か思い出す事があったら、もしかし
たら何かが変われるかもしれないんじゃないかな?
このスレッドを読んでいてなんだか真っ先にお前の事を思い出したよ。
俺の進めで最後までこのスレッドを読んでいる事を願う。
長文&後半私信で申し訳ないです。
以上、BAGでした!!
544 :
もぐもぐ20世紀梨さん:02/01/31 08:24
オレの母親は病気がちで、オレが小学生の頃は入退院を繰り返してた。
あれは忘れもしない4年生の遠足のときだったな。
そのときも母親は入院してて、遠足の弁当を親父が作ってくれたんだ。
あの頃親父は3交代勤務で、仕事を休んでまでオレと姉貴の弁当を作ってくれたんだ。
あまり見なれない、台所に立つ親父の姿。
オレと姉貴は、期待半分、不安半分でじーっと見てたなぁ。
で、待ちに待った昼食の時間。オレは弁当箱を開けて、正直ビクーリしたさ。
「おかんの弁当よりも・・・豪華だ!?」
ウチのおかんって凄いズボラでさ、弁当のオカズが「おでんのみ」とか
「肉じゃがのみ」ってのがザラだったんだよなぁ。
だからあのときは、正直「おかん、ずっと入院しててくれ」って幼心に思ったもんさ。
545 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/31 08:28
>>538 1さん、ありがとう。良スレに成長してて嬉しいよネ。
私もよくチェックしてしまいますよー、このスレ!
546 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/31 09:31
>>544 3交代勤務を参勤交代と読んでしまったよ。
547 :
もぐもぐ20世紀梨さん:02/01/31 09:47
>546
そうそう、親父は一年に一回江戸へ(以下略
548 :
もぐもぐ名無しさん:02/01/31 10:02
このスレには鬼束ちひろがあうよ。
一回やってみ?
?
>>543 ビビらせるわけじゃないんだけど、
ウチの親父も飯食ったあとゲーゲーやってて
去年の11月の終わりに入院して年明けてすぐに
肺癌であっけなく死にました。
心配も看病も相手が生きてる間しか出来ません。
検査なりされることを勧めます。
親父の炒飯だけは妙にうまかった。
他のモンはそんなにうまくなかったな(w
つーか、ほんとこのスレ読んでると涙が止まらねぇ
>520
なにも言えない自分が悲しい。(TへT)
父じゃないんだけれど。
大学受験のとき毎晩部屋にばあちゃんがみかんとか柿とか持ってきてくれた。
「あんまり根つめすぎて体壊すんじゃねえぞ」って、毎晩の様に言ってた。
ありがとうって言うと、ものすごく嬉しそうに笑ってくれた。
たった2年前のことなのに、地元から離れた大学に来てからばあちゃん一気に
弱ってってるみたに見える。会う度ちいさくなってく。
曾孫の顔見せてやりたいけど、間に合うかな・・・
2ちゃんらしからぬ超優良スレ。でも2ちゃんならではの超優良スレとも思う。勝手に。
いい父親になれるかな。
んっとスレ違いになるかもしれませんが・・・。
わたしは近々離婚します。
息子(4歳)はいわゆる父子家庭になる訳です。
みなさんが書き込みしているみたく、
父親っていいなあ、って思ってくれれば嬉しいです。
主人も今一生懸命、お料理を覚えようと必死です。
15年間台所にも入ったことないのに、息子の為に頑張ってます。
554 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 13:11
4歳の息子さんと離ればなれになるのは、さぞお辛いでしょうね・・・
私からは力づけになるような言葉はなにも言えませんが、
でも、「おふくろの味」も絶対わすれないものですよ。
お母さん、がんばりましょうね!
555 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 13:39
とてもいいですね。
きっと今は当たり前の様に思えることでも
いつか父の味をお
556 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 13:50
>>553 あんた子供捨てるんでしょ?
何いってんだか。
>>556 人にはそれぞれ事情があるんだよ
553の旦那が女作って主夫やるのかもしれないだろ
良スレなんだからマターリ逝こうよ
近年稀にみる良スレやね。
「いい人ほど早く逝ってしまう」という言葉はこのスレで何度も見かけたが、
まさにその通りやね。お袋がそうだった。
漏れも小さい頃から父子家庭で育ってきたんだけど、
残念ながら親父にメシを作ってもらった覚えはない。
ずっと自分が作ってたから。おかげで料理の腕はいっぱし。
やけど親父には感謝してる。
4年もダブってホントにゴメソ。
来年こそは・・・。
ってスレと関係ないのでsage。
何かネタ思い出したらカキコするよ。
559 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 14:32
>>557 その場合、旦那に子供はいきません。
慰藉料奥さんがもらって育てるのが普通です。
というか何が何でも育てます。
2ちゃんなんかやってるわけないべ。
kusakabe並みに想像力と思いやりが欠如したスレ違いな
書き込みで良スレを荒らす
>>556 >>559は以降放置でお願いします。
レス無用。
561 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 15:07
無神経な 561 が嫌いです。
次ぎいってみよう!!
両親は離婚して、私は母方についた。
普段、酒を飲んでは母親と大喧嘩し、母や私や弟は殴られていた。
基本的に自分の事しか考えられない人で
子供の為に何かするという意識は少ない人でした。
食べ物では無いけれど、駄菓子屋で買ってもらった
50円のプラスチック飛行機が忘れられない。
後にも先にも、あの人から貰ったものはそれだけです。
父を好きとか嫌いとか、そういう感情はもう無いけれど
このスレを読んで、複雑な心境になりました。
569 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 22:29
うちの父はギャンブルと酒で身を持ち崩し、アル中になって入退院をくりか
えしていた。
私はそんな父を見るのが嫌で、父がこさえた借金や生活費や病院代の支払い
に奔走することで親孝行したつもりになって、いろいろな嫌なことから目を
そらしていたと思う。
あの頃、一日の睡眠時間を3時間程度にして働いていたのに、父はそんな私の
財布から金を盗んだり、薬大と偽って金を騙し取ったりしていたらしい。
私がどんなに尽くしても泣いて頼んでも、父は酒を飲むことをやめなかった。
今度飲んだら死ぬと言われてもやめなかった。
私は父が大好きだったし、父から愛されてることも疑ったことがなかったけれど、
そういう愛情だけでは父を立ち直らせることはできず、ただ毎日毎日裏切られて
毒をもられてる気分だった。被害者のつもりでいた。
だから、父がホントに酒のせいで死んだとき、どっかでホッとしたものだった。
父の死後、アル中の病院に通っていたときの教科書が出てきた。
アルコール依存症がどんな病気かということが書いた本で、父は細かい字でいろ
いろ書き込みしていた。
自分の健康のこと、癌で死んだ両親(私の祖父母)のこと、自分も癌かもしれ
ないこと、家族に迷惑をかけてること、仲たがいしたままの自分の兄のこと、
将来のこと……
自分勝手に酒におぼれていると思っていたけれど、父がどんなにたくさんの不
安と心配を抱えていたかを初めて知った。
その教科書には自分で書き込むメモのページがあり、「愛してる」と「ごめん」
がいっぱい書いてあった。
父が倒れて昏睡状態で救急車で病院に運び込まれたとき、医者がこんなこと
を言っていた。
父の身体の中で重大な障害が起きている。こんな状態で酒を飲むなんて、ちょっ
とでも飲むだけで身を切られるように痛んだだろうに……と。
父が何を思って酒を飲んでいたかを思うと、あれから何年も経った今でも涙が
出る。
父の遺言書のようなその本を、私は最後まで読んだことがない。とてもじゃな
いが読めない。
たぶん、最後の最後のページまで「愛してる」とか「ごめん」とか書いてある
んだろうと思う。
そんな父の作った食べ物はというと、油揚げにひき肉の炒め物やモチをつめ
て煮たやつ――にヒントを得て、モチの代わりに柿をつめた煮物だな。
まったくそのままの果物の柿。
それを油揚げにつめ、昆布出汁に醤油とみりんで味をつけ、大根やらと一緒
にこんこんと煮たやつ。
びっくりしたのは、柿ってそうやって煮ると渋柿みたいに舌が変になっちゃ
うんだよねえ……
不味いとかどうとか評価できるレベルを通り越し、なんだかスゴイと感心
したものだった。
571 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 22:46
>>569 何か中毒症になるってことを知らない我々は、アル中なんてと
一口に切って捨てるけど、その人は「やめたくてもやめられない」で
本当は苦しんでるんだろうね。なんかそれがちょっとわかったような
気がしました。
でも569さん、やっぱり親孝行だよ。お父さんもわかってて辛かった
んだろうね…
572 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/01 23:12
父の味、忘れられないのは卵焼きですね。
卵4個にたっぷりの刻みねぎ、大きなフライパンいっぱいに焼き上げてくれました。
真ん丸なUFOみたいな卵焼き。
外側はふわふわ、中は微妙に半熟で甘過ぎず塩っぱすぎず、本当に美味しかった。
母はあまり料理できない方だったので(最低限はできるけど、凝った物が作れない)、料理
上手の父に対してコンプレックスがあったようです。
父は病弱で満足に働けず、私が小学校に入学してから入退院をくり返すようになりました。
そして、2度目の入院から帰って来てからの父は体を起すのも辛そうで、もうほとんど台所
に立つ事はなくなりました。
私が中学生になって、父は3度目の入院をする事になり、遠くの大きな病院で検査をしても
らう事になりました。
結果的には翌日から入院と言う事でしたが、その検査の日の父は驚くほど元気でした。
足取りもしっかりしており、往復4時間の救急車での搬送もしっかり乗り切り、ウチに帰っ
て来て最初にした事は『夕飯の支度の為に台所に立つ事』、でした。
その日の夕飯は「ホタテのバター焼き」と、あの卵焼きでした。
私は嬉しくていっぱいいっぱい食べました。
私は父に何も言ってやる事が出来ませんでした。
何の病気か知らなかったけど、もう帰って来れない事は知っていたから。
ただ「美味しい、美味しい、お父さんの子供で、幸せ」と言うのが精一杯でした。
父は私の頭を優しく撫でてくれました。そして私は数年ぶりに父の頬にキスをしました。
それから3ケ月後、父は川の向こうへとわたっていきました。
あ、そうそう、お父さん、お母さんね、あれから物凄くお料理上手くなったんだよ。
何でも美味しいけど、卵焼きが一番美味しくなったよ。
お父さんが見守ってくれてるからかな?
いつも隣で見てたのに私の方はまだまだ…。
573 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/02 00:15
良スレナミダアゲ
574 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/02 01:00
うちの父親、妙に凝った料理が好きだった。
中でもイカのハンバーグはよく作ってたなぁ。
初めはすり鉢使ってたんだけど、ある日フードプロセッサー買ってきて、嬉々としてイカをすり潰してた。
圧力鍋とかも買ってたなぁ。今、どこにしまってあるんだろう。
ちょっと医者に行ってくる、って出かけた日から1ヶ月ほどで死んじゃった。
腹痛いって言ったときはもう末期癌だった。
もう10年近くたつけど、フードプロセッサーは大事に残ってる。
イカハンバーグの作り方、教えてもらっとけばよかったなぁ。
575 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/02 01:15
明日一限なのに涙が止まらない…(TーT)
まだ健在ですが毎年二回、盆正月に遊びに行くたび小さくなっている祖父母を
見るとなんだか切なくなります。
毎回、私が作ったなんでもない料理を「ばーちゃんが作るのより旨いで!」と
全部食べてくれる祖父。「失礼やなー」と笑う祖母。
もう二十歳で私の方が背も高いのに、隣に座ると「○○(私)はホンマにええ子やなー」
と、ご飯途中なのに頭を撫でる祖父。
そんな夕食中にぽそっと祖父が
「あと何回、こうやって○○の作ったメシ食うてられるんやろなぁ…」と呟いた。
祖母は「阿呆やな、○○かて来年から仕事やない。そうそう来れへんよ…」と
言って二人で笑ってた。
絶対、絶対に休み取って遊びに来るからね。
良いばーちゃん、じーちゃん持って幸せ者です。
……父親話じゃなくてスマソ。父上はそんな私の横で貪り食ってましたヨ…私の分の焼き魚を(笑)
576 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/02 01:29
俺の親父は、フランス料理人だ。(現役)
1ヶ月に一度しか帰ってこなかった親父は、俺が幼い時の誕生日にフランス料理を作ってくれた。
幼かった俺は、フランス料理の味がわからなく、「おいしくない」って言ってしまった。
それ以来、2度と家で料理をしなくなったのだが、俺が思春期の時、風邪を引いて倒れたとき、
雑炊を作ってくれた。それが、かなりおいしかったんだけど、当時、親父に反発してた俺は、素直に
「おいしい」って言えなかった。
もう実家を離れて長く経つが、親父が現役の内に、親父の料理を食べに行って、「おいしい」って言ってやりてーなぁ。
577 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/02 02:31
今度の三連休に実家に帰ろう。
578 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/02 04:53
一度だけ見たよ。台所のコンロの前で料理してるとこ。
まだ自分がまだ小さい時で、(今もそうだけど)卵焼きには砂糖入れて少し甘く
するんだけど、それを知ってたみたいで。
で、一口食べたらしょっぱいの・・・。
砂糖じゃなくて、塩入れていた。
父の料理を食べたのは、今のところこれが最初で最後。
料理っていっても、ごくたま〜にインスタントラーメンくらいしか作らないから
もう食べる機会はなさそうだな。
母親が入院したとき、父親が料理を作った。
元々日曜の夕飯は父親が作ってたからさしたる失敗もなかった。
皆で食べ始めたとき、父親が
「やっぱり母さんのご飯のほうがうまいか?」
弟達と私は父親が日頃自分の作ったものを「うまいだろ?」とかいって
いるうえ、ちょっと何かいうとすぐ烈火のごとく怒るので一様に横に
首を振った。
「…でも、やっぱり母さんのご飯のほうがうまいな」
母親が退院して戻ってきたら、またいつもの父親に戻って
「俺の方が飯はうまい」だの軽口を叩くようになった。
後にも先にも父親が「他人の飯の方が美味い」と宣言したのは
これ一回きりだけだった。
…ちなみに私が成長してから作ったものは「うまい」とはいってくれるけど
「俺の方がうまい」と主張する。ちっ。
いいスレです…涙が止まりません…
私が小学生の頃に父は病気で他界したのですが、
他界する前に、よくサッポロ一番ミソラーメンに卵をおとしたもの、
甘い卵焼きを作ってくれました。母の作る卵焼きは
甘くなかったので、子供心に「ママの味とは違う」と
思いつつ食べた記憶があります。
そして、今、私は結婚しているのですが、作る卵焼きは
母と同じしょっぱい卵焼きではなく、父と同じ甘い卵焼きです。
ラーメンも同じように卵落としても、父の味にはなってないような気がします。
お父さん、死んでしまったときに握っていた手を離してしまってごめんね…
あの体温が失われた冷たい手、私は一生忘れられないです。
今も後悔してるよ…手を握っていてあげられなくて。ごめんね…
父じゃんなくて夫なんですが・・・スマソ
うちの夫は別板でたたかれまくっている九州男児
よってご飯なんぞ作れない
やらないのではなく、作れないのである
ドリスタンを作らせたらお湯の分量も量らずに
ガラスのコップになみなみとお湯を注ぐアホッタレです(w
(熱くてもてないだろうヴォケ!マグカップ位出せや)
ある日、私が熱中症でダウン、丸一日寝込んでしまった事があった
夫は仕事から帰ってくるなり台所に立ち、なにやらがたがたとやりだした
そして寝室におずおずと入ってきた、手に土鍋を不器用に持ちながら
それは(たぶん)夫が初めて作った『凝った』料理、お粥
照れくさそうにれんげでお粥をすくってくれた夫を見て
ふと「この人とケコーンしてよかったな」と思った
・・・おいしかったよ、とっても
でも、とってもしょっぱかった(w
お粥にだしは必要ないよ(゚Д゚)ゴルァ
582 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/02 19:22
うちは家で商売していたから、日曜とか夏休みのお昼ご飯とかも親父と
一緒だった。親父はよく自分でも作っていた。
親父が夏の昼、良く作ってくれたのが我が家の呼び方で「味噌っそば」だ。
どんなものかというと、どっかの漫画では「冷っ汁」とか呼んでいたような
冷たい胡麻味噌汁に、素麺・冷麦をくぐらせて食うものだ。
これは母は作らなかった。全て親父にまかせていた。
最後に食ったのは、もう10年も前だ。就職して、家を出て。
作り方をちゃんと教わっとけば良かったな…。親父は3年前に死んだ。
犬のように働いて、体壊して、死んだ。
まあぎりぎりで孫を抱かせることはできたけど、他になんもしてやれなかった。
たまに実家帰って、妹と「あれ美味しかったよね」と話はしても、
誰も作ろうとしない。作り方が分からないわけじゃないんだけど、
まだ作ることができない。
「味噌っそば」…俺の父の作った忘れられないものその1。
>犬のように働いて、体壊して、死んだ。
滲みる言葉だ...
犬のように、妻のため、子供たちのために
自分を捨てて働いて
黙って死んでゆくのか....
親父には、申し訳なかったなぁ......
585 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 01:40
私、ちょっと虐待され児童だった時期があるのです。
父はなぜかささいな事で私だけ殴ったり蹴ったり線香の火を手につけたりして、
そのたびに弟が泣きながら「お父さんやめて、お姉ちゃんが死んじゃう!」と
止めに入ったもんでした。
私はなぜかそんな目にあってても父の愛情を疑ったことはなく、手をあげられた
ことのない弟とも仲良し姉弟でした。
高校生になって父の暴力は止まりましたけど、父と弟はどこかギクシャクした
ままでした。
父の暴力が止んだのは唐突だったので、あるいは弟が何か言ったかしたかあったの
だろうかと思うのですが、本人が何も言わないので解りません。
高校を卒業して就職し、家を出た弟はずっと帰ってきませんでした。
父と顔をあわせるのが嫌だと言っていました。二人の間になにがあったのか解らない
ので、私も母もどうすることもできませんでした。
父が病気で死んだとき、遺体を家に連れて帰って布団に寝かせました。
弟は声も無く泣きながら、ドライアイスを抱いた父の亡骸の隣に横になり、そっと
手をまわして抱いて寝ていました。
父の料理好きはおおむね下手のなんとかでしたけど、豚汁だけはとても美味しかっ
たのです。
先日、父の三回忌がありました。
父が大好きだった回転寿司のお店に行ってみんなで食べました。カニ汁を頼んで
飲んでいると、自然と父の豚汁の話になりました。
ふいに弟がテーブルにつっぷして泣き出したので、母と私はびっくりしてしまい
ました。最初は冗談かと思ったほどです。
「お父さんの豚汁が飲みたい。お父さんの豚汁が飲みたいよう……」
子どものときと同じで、声を殺すみたいに泣いてました。
殴られてる痛みは我慢してるだけで済みましたけど、弟の場合目の前の暴力と自分
は安全である罪悪感があるみたいで、なんだか私よりも悩んでいたのかもしれません。
母や私の前では仏壇に手を合わせないけれど、私たちが留守のときにやってきて
線香あげてるようです。
586 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 03:53
私の家族は両親と祖父母、妹でした。
小学生の夏休み、妹と父と私しかいない日があって、
その日のお昼ご飯は誰にでもできる冷麦だった。
父がたらいのような大きなお皿にいっぱいの冷麦を茹でてくれて、
お腹がすいてた妹と私は無我夢中で食べた。
すごくおいしかった。
というのは、祖父母は柔らかいもの中心の食生活をしてて、
母は老人病院の看護婦だったから、
麺類はいつもズタズタののびきったものしか食べたこと無かったから。
父が茹でてくれた冷麦はすごくコシがあってつややかだった。
妹と「おいしいね〜。」って言いながら食べてると、
口数少ない父がうれしそうに「うん。うん。」ってうなずきながら、
微笑んでた。
もう食べられないってほど食ったけど、
量がハンパじゃなかったから、残ってしまった。
お父さん残してゴメンな。
でもうまかったよ。
今は父の大好物のトマトソースのパスタを私が作ったとき、
同じようにうれしそうな顔で「うん。うまい。」ってうなずきながら食べてくれます。
このスレ読んで、いっぱい父においしいものを食べさせてあげたい。
で、健康で長生きしてねって思う。
587 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 04:22
スレ読みました。
泣いた。
なんか実家に帰りたくなった。
うちは父母ともに健在なんだけど、
最近会うたびにやっぱりどちらも衰えてくのが分かって、すごく辛くなる。
親は私が死ぬまでいつまでも親でいてくれるって、
心のどこかに信じてしまう部分があるんだね。
うちは共働きだから、少しでも手の空いたほうが食事を作ってくれたのね。
だから普段からどっちも料理するし、おいしい。
でも手の込んだもの作るのは父の方だったり。(笑)
父の作る料理も母の作る料理も大好きだから、
今どれが思い出に残るかって訊かれると決められないんだけど、
きっと作るその人が居なくなったときになって初めて、
その答えが出るんだろうな。
答えが出たそのときになって後悔だけはしないように、
できるだけ親孝行しようと思う。
ここのスレ読んで、その思いが強くなりました。
父の話じゃないんだけど、昨年他界した祖父の話を。
うちらが小さいころ病気になると、祖父がいつも来てくれました。
(別のトコに住んでたのですが。)
そのとき必ず作ってくれたすりりんごがめっちゃ好きだった。
何か入れてる訳じゃないのに、自分で作ってもあの味は蘇ってこない。
お葬式のときには凄く涙が出て、こんなに大事な人だったんだって
改めて思ったし、すりりんごか帰ってこなくなったのも凄く寂しかった。
もっといろいろ話したかったな、おじいちゃん。
588 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 04:39
両親が離婚した次の日が小学校の父母参観の日だった。
うちの母親は料理とかしない人だったし、
居ても居なくてもあんまり変わらなかった。
それでもやっぱり母親だらけの中にぽつぅんとうちの父親が居た時は
ものすごく切なかった。
だけど、あたしが「おとうさんのりょうり」という作文を発表した時の、
あの父さんの満面の笑みが忘れられない。
ものすごく誇らしげだった。
父さん、男手一本で育ててくれてありがとう。大好きです。
今読み直して思ったんだけど作ったものじゃないよね�スマソ。
でもお父さんの料理美味しかったんだ。
590 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 05:37
>587
うちも段々親が年を取っていってるなーと最近思う。切ない。離れたくなくなる。
特に父の方が…母はそれなりに年を取る事を楽しんでるんだけど、父親は何か
手持ち無沙汰そうで、見ていて切ない。
最近、会うと、慌てて喋るの。あまり長く一緒に居られないから。全部喋りたい
んだと思う。そうやってどもって話されると、つい離れられなくなってしまう。
父は不器用だけど、仕事が丁寧な人なので、料理はものによっては母より美味
しいですね。凝るからでしょうね。(そういえば、祖父もドレッシングなども
手作りじゃないと食べない人だった)
鯵を捌いて、レモンと塩でしめたのが凄く美味しくて、自分でもやります。
それとだごじる。南瓜の入ったの(これは祖父の直伝)
あと、ニラの天ぷら。どうやって作ってるのか、かりかりにあがって、全然
油っぽさがないの。
お父さんに習っておきたいなと思うんだけど、照れてまだ教えてくれない。
偶に凄く食べたくなるんだけど、もしもあれば食べられなくなったらと思う
だけで淋しいな。
うちは九州で、福岡なんですが、祖父も父もテレやさんで、可愛い人です。
男尊女卑というよりは、女を守ろうという気合が強いです。料理も、頼まず
ともちょっと力が要るとなると出てくるし、食べるの好きなので、するのも
好きみたい。褒めると何度でも同じものを作ってくれます。
単純で可愛いからこっちが守って上げたくなります。
591 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 05:40
このスレ読んで何人の人が故郷やあっちの家族想ったんだろうね。。。
泣けるよお。
感想レススマソさげ。
593 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 21:01
家のお父さんは朝ごはんを作るのが日課でした。お母さんはただでさえ家事で忙しいので
朝だけはゆっくり寝かしてあげる、という名目で毎朝味噌汁を作ってくれました
ただ、食パンをオーブンで焼くのではなくてレンジでチンするのだけは辞めて欲しかったです
594 :
グルメな名無し:02/02/03 21:12
今、僕ん家は別居中です。
今は親父と二人暮しです。当然ご飯を作っているが、
あまりおいしくない。やっぱり、ご飯時になると、母親のとこへ行って
ご飯食べてる。でも、ここのスレ読んだら、たまには親父のご飯食べようかな
っと思った。いいスレありがとう。
595 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 21:20
雑談スマソ
私も父子家庭でした。
このスレを読んで、衝動的に、実家に電話してしまいました
「良い父親」よりも「笑いを取れる父」を目指している父。
自分のネタの為なら苦労も出費も厭わない父・・。
「いきなり電話して驚いたが、何の用?」と聞かれて
用もないのに電話したと言うのが恥ずかしくなり
「明日、鍋パーティーをするんだけど、美味しい方法教えて」と口からでまかせ
を言ってしまいました(このスレを読んだ後だったので料理系で)
「お笑いの人」のイメージだったので、答えは全く期待していなかったのに
驚くほど出てくる鍋の知恵、美味しくするための工夫。
実家にいた頃、何気なく食べていた料理にも、こんなに気を使ってくれていたんだなぁと感心しました。
いなくなる前に気付いてよかったです。
596 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/03 21:36
597 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/04 00:55
親父が台所でお湯わかしてカップ焼きそば作っておりました.
湯切りしているときふと邪念がきざしたそうな.
(お湯を切ってから水で冷やしたら縁日の焼きそばの味にならないか?)
屋台なんかだとでき上がったやつを鉄板の隅っこに逃がして,
どんどん次のを焼きはじめるじゃないですか.その「すみのほうで徐々に冷
えつつ味がしみてく,ちょっと濃いめの焼きそば」が無性に食べたかった,
らしい.
して仕上がりのほうは… ご想像のとおりでした.でろでろ.
うまいから食ってミロ,ってそう簡単にだまされねーよ
と,あたくしげらげら笑ったもんでありました.
4半世紀ばっか昔,とある日曜の昼でありました.どっとはらい.
…うちの親父はソーメンゆでたりお湯割りつくったりが関の山で,
あんまし台所によりつかんかったように記憶しておる.
ただし年の瀬には,手間かかること-黒豆煮るだのなんだの-やるのが
妙に好きだった.
いいな、みんな…。
良いお父さんだね。まじめに羨ましいよ、ほんとに…。
いやそれなりに年取るまでは
いい父とはとても思えなかったが、認められなかったが。
うちの父はいい父だね。自分比。
結構みんな同じ環境なんだな。
親父は、上司と喧嘩して会社を飛び出し、独立しようとして果たせず、藻掻き
苦しんで母親としょっちゅう喧嘩ばかりしてました。
私も、酒飲んで、借金して、人のものを盗っていくそんな親父が嫌いだったっけ。
そんな親父ですが、絶対すき焼きとお好み焼きは母親には作らせませんでした。
偶に金が入ったときには、近所の市場で肉を買ってきてすき焼きにします。
特に割下には拘りを持っていて、肉汁、醤油、砂糖の配合が絶妙で、
「野菜野菜」などと母親がわめくのを制して、じっくり味を調えていきます。
金のないときは、豚肉とキャベツを買ってきてお好み焼きです。
こっちも、鰹の出し汁の調整と配合、焼きまで全部親父の仕事でした。
「美味しい」というと、ちょっと誇らしげにしているのが記憶に残っています。
そんな親も、夢破れて人様の会社で働いていたのですが、日々のストレスと
鬱屈から酒かっ食らって寝込むことが多く、体調を崩し、ついには血を吐いて
病院に担ぎ込まれました。
病名は「喉頭癌」。
54と若かったので、進行が早く、半年で帰らぬ人となりました。
あと二日で、誕生日だった。
そんな死ぬ直前の休日、体調が良かったのか病院の外泊許可を取って
(と言うか抜け出したらしい)、ひょっこりうちに帰ってきました。
放射線治療で髪の毛が抜け、随分痩せ衰えていましたが、意識はしっかり
していて、
「晩ご飯なんや。作ってなかったらすき焼きしよ、すき焼き」
と言って、母親に材料を買ってこさせ、一家ですき焼きの鍋を囲みました。
流石に流動食の状態だったので、親父が食べることは出来なかったけど、
美味しかった。
翌日、親父は病院に戻りましたが、これが動いている親父を見た最後でした。
一週間後、容態が急変し、駆けつけたときには既に魂が離れたところでした。
もう、旨いすき焼きを作ってくれる親父は居ません。
偶に実家に帰って母親のすき焼きやらお好み焼きやらを食べますが、やはり
違和感があるみたいでしっくり来ませんね。
(´-`)、.。oO(なぜ「父」だとこんなに涙を誘うんだろう・・・)
ある年、「ことしの雑煮は俺が作る」と言って作ったのが大根下ろしが大量に入った雑煮。
出身地(新潟)の方はこうなんだそうな。
しかし、東京の雑煮になれた母親と家族には不評で、ましてや大根下ろしが苦手だった
俺には拷問に近かった。
そんな雑煮も、親父がいない今となっては無性に懐かしい。
私の家は幸いに両親が健在です。
ウチの親父は、母親が夕方からパートに出ていることもあって
マメに料理しているようです。
ちょくちょく牛丼や餃子を料理してくれたりします。
最近は作ってくれませんが、
醤油の濃い味付けの卵焼きが大好きでした。
今、親父は大きな借金を抱えていて、
私も給料のほとんどを持って行かれます。
自信を無くした親父の顔を見るのは辛いけど、
このスレ読んで、もう少し頑張ろうと思いました。
このスレでは家庭環境をぶちまけられる。
その中には、自分自身の悩みとかもあって
書きこみするだけでスッキリする。
他の皆も色々な環境で育ってきたんだなぁ、と思うと
自分で幸せを切り開かないとならん、と思うのだった。
605 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/04 14:01
>602
大根おろしが雪みたいなんだな・・・
うちの親父はかつて料理人だったので料理は上手いが、九州人なので
家庭料理では恐ろしく味付けが濃い。
小さい頃、よくちくわと茹で卵を醤油と砂糖で甘辛く煮たものを出された。
あまりに辛くて「食べられない」と言ったら殴られたもんだった。
でも、今では少し懐かしい。
彼女をビックリさせようとしてホワイトデーにケーキを焼いた時は、
つきっきりで指導してくれたなあ。
>>603 契約の内容がどんなんなのか判らないし、チョットアレだけど・・・
父親の借金の返済の一部を603の給料にあてているんだったら、
多分それは払わなくてイイと思うよ。
弁護士に相談してみ。
「父親の生活費に消える」だとか「共同名義人」だとかだったら
しょうがないけどね。
ってかまぁ一応マジレスしてみました。
607 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/04 16:34
私の父は私が今の旦那と付き合いだした頃から
私に冷たくあたるようになりそれまで
仲のいい親子だったのにショックでした。
同時に父のことが嫌いになってしまいました。
でもたまに実家に行くと夕飯の食卓には
私の好きなものばかりが並んでいて
母に聞くと父が買い物に行って用意してくれたそう。
私が旦那と付き合いだして自分から離れていったのが寂しく
て冷たい態度をとってしまうのかな。
また前のような仲の良い親子に戻りたい、と切に思います。
608 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/04 16:54
自然芋のおろし汁と麦メシ。
実家へ逝く度に、帰る日の朝早く親父が芋を掘りにいって、「喰ってけ」と出してくれる。
だしは亀節。芋は丹念にすりおろす。薬味は分葱。咀嚼しないで吸い込む。
正直、ウマイ。普段小食のおれも丼ぶり2杯はイケル
私が幼稚園の頃に離婚した父と母。
小学校低学年の夏休みに私は兄と二人で
父のアパートに泊まりに行きました。
たまに会う時はいつも外食ばかりだったのですが、ある晩
父がご飯を作ってくれる事に。「台所ば覗くなよ」と張り切る父。
出来上がったのは、チャーハンの素で炒めたチャーハンと
山と盛られた揚げ物(エビフライや貝柱フライ)が2皿でした。
「どんどん食え」と言う父は私達兄妹が食べる姿を
嬉しそうににこにこと眺めていました。
ですが子供2人で食べきれる量じゃなく、
「まだお父さんの作ったご飯入るだろう。ほら、ほら」と勧める父に
「もうはいんないよぅ」と言い残念ながら残す事に。
まだいっぱい残った料理に、その時の父はとても寂しそうでした。
そして翌朝、仕事に行った父の後に目を覚ますと
昨晩の残り物がごみ箱に捨ててあったのです。
私は勿体無いと思うと同時に、父にあんな悲しい顔を
させてしまった。傷つけてしまったと思い泣いていました…。
これが唯一の父の料理の思い出です。
普段はパンチパーマ、サングラスで見た目に怖い父ですが
料理をたべる私達兄妹を優しい目で見てくれていました。
あの後離婚の原因や母へした仕打ちも色々知って
一時期父を恨みもしましたが、その反面父の料理を
もう一度食べたいとも思います。
今なら、残さずに全部食べられるから。
でも現在父は所在地も消息も…生死すら不明で
数年に一度向こうからかかってくる電話で数分声を聞くくらいで。
兄が結婚して孫がいる事も知らないままなのが悔やまれます…。
このスレを見ていると、あの時の事を思い出しました。
暗い話・長文で申し訳ございません。
>>609 後悔しそうなら今のうちに探しておいたほうが良いと思うよ
本当に会えなくなってからでは遅いし
>>610 それが、父は全国を転々としてるらしくて手がかりがないんです。
携帯電話の番号を一度は教えてくれたもののすぐに解約されていて…
借金を残した母の実家に住所を知られたくないみたいなんです。
でもテレビの公開捜索までは踏み切れない。
母も母方の祖父母も探すのに猛反対してるし、テレビカメラの前で
一斉に父につかみかかっていきそうで恐くて…
他にも何か方法を考えてみます。
料理の話題から外れてすみませんでした。名無しに戻ります。
>>610 それが、父は全国を転々としてるらしくて手がかりがないんです。
携帯電話の番号を一度は教えてくれたもののすぐに解約されていて…
借金を残した母の実家に住所を知られたくないみたいなんです。
でもテレビの公開捜索までは踏み切れない。
母も母方の祖父母も探すのに猛反対してるし、テレビカメラの前で
一斉に父につかみかかっていきそうで恐くて…
他にも何かいい方法がないか考えてみます。
料理の話題から外れてすみませんでした。名無しに戻ります。
書き込みに失敗してやり直したら、2重になってしまいました。
申し訳ございません!
ケショウイタから来ました。
読めば読むほど泣けてくる・・・良スレ過ぎます・・・
ウチは父親は豆屋(分かります?)で、飲んだくれて女もいっぱいいて、
母親はいつも泣いてた。父親がバブル崩壊時に自己破産して離婚して、
今は私たち夫婦が母と同居してます。
いっつも母子家庭みたいだった。
立場は逆だけど、気持ちが痛いほど伝わってきて、
さっきからウルウルし続け・・・。
弟も父親そっくりで、結婚してから音信不通。
でも私たちはまっとうに頑張ってるつもり。
皆様、親は本当に大事にしたいよね。
だって残り少ない余生、幸せに生きて欲しいんだもの・・・。
母親が亡くなったら、きっと私、しばらく仕事も手につかないだろうな・・・。
久しぶりにしみじみ考えさせられてしまいました。
615 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 03:00
良スレあげ。
私の父も酒飲み、暴力と最低な人でもう離婚してから数年会っていませんが、
母が寝込んだ時など、手間をかけてすごく美味しい料理を作り、
掃除好きの性格を発揮して、母よりも台所をぴっかぴかにしていました。
子供のように無邪気なところが、裏目に出ていたけれど、
会いたいです。
616 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 03:51
スレ違いを一発。
先日母が病気をして、代わりに私が家事をした。
父の料理といえば、卵焼きか目玉焼きかラーメン。
不器用ながら、一生懸命母の看病や心配をする父に、
母がいつも作ってるように同じく不器用ながら真似た
父が仕事で昼に食べる弁当を明け方にこっそり作って置いておいた。
礼の一つも言ってもらえなかったが後から母に
「凄く嬉しそうにお母さんに報告してきたよ」と言われた。
このスレを見て、今のうちにもっと孝行してやろうと思う、未成年の呟き。
617 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 04:22
俺の親父は、物静かでインテリ系なんだけども、
何故か俺は昔から親父が恐くて、
今でも面と向かって意見をするのに勇気がいる。
だから正直親父は苦手だ。
そんな親父に、今まで頼み事を3つした。
最初は、高校をやめさせてほしいと。
次は、大学をやめさせてほしいと。
そして、金を貸してほしいと。
黙って理由を聞き、俺が真剣だとわかると、
「わかった」と一言だけ言ってくれた。
今、俺はまた親父に「金を貸してくれ」と頼んでいる。
どうしようもない息子だと思う。
貸してくれ、と言いながら、返すことが出来ないだろうとは思ってる。
金も。男手一つで育ててくれた恩も。なにもかも。
ただ、一つだけ言いたい。
やっぱり面と向かっては言えないけども。
あんたがボケても面倒ぐらい見てやるから。
だから、長生きしてくれ。マジで。
スレ違いすいません。
スレ違いついでにもう一つ。
俺の母は、俺が8歳だった頃、
まだ俺が「ママ」と読んでいた頃に他界してしまった。
その頃はよくわからなかったのだが、
母は相当な人望の持ち主だったらしく、
葬式にはン百人の参列者がいたそうだ。
俺は遺影を抱えたままワンワン泣いていたので全然覚えていないのだが。
620 :
619続き:02/02/05 06:19
生前、彼女はとても良い母だった。
誕生日の度に、ケーキでお菓子の家を作ってくれたりしたのを良く覚えてる。
クラス全員を誕生日会に呼んでしまった時も、
「友達いっぱいでよかったね」と言ってくれた。
怒ったときは恐かったけど、
とてもとても大好きだった。
その母への想いは、ついこの間、あることがキッカケで「尊敬」に変わった。
どういう経由でそうなったのかは良く覚えてないのだが、
母の昔話を聞く機会があった。
その人の話によると、
親父と結婚する前の母はそうとうな遊び人だったらしく、
親父と知り合ったのも母の逆ナンだったらしい。
当然、遊びほうけてたから家事なんて全く出来なくて、
「結婚する」と聞いた周りの人間が、
「無理だからやめなさい」と全員で止めたと言うぐらいだ。
けど、俺の知ってる母はそんな印象は全くなかった。
あの母は、子供が出来たと同時に、
「私は女から母親になる」と言って、
持っていたよそ行きの服を全て捨て、
全く出来なかった料理をするために、
料理の本を山ほど買いあさってきたらしい。
そして、驚いたのが、
どうやら我が家は昔、貧乏だったらしいというのだ。
晩飯の材料がモヤシ一袋しかなかったということもあったらしいのだ。
俺は自分の家が貧乏だと思ったことは一度もなかったのだが。
あの母は、
「私は若い頃にいっぱい遊んだからもういいの。」
と言って、自分の為の物は一切買わず、
全て俺と姉の為につぎ込んでくれていたらしい。
その母がガンで無くなる直前に、
妹(俺から見た伯母)にこういったらしいとも聞いた。
「ガンなんて全然苦しくないよ。
それより、あの子たちを残していくのが苦しい」
ねぇ、ママ。
俺はちょっとひねくれたりもしちゃったけどさ、
まだ自立できてなかったりもするけどさ、
一応、ちゃんと大人になれたよ。
この先、親父みたいに仕事で大成功することも出来ないかもしれないし、
ママみたいな人望のある人になれないかもしれないけど、
俺、頑張るからさ。
それから、今度嫁さん連れてくよ、お墓に。
彼女、ママの残してくれた料理の本使ってるよ。
まだ籍は入れてないけど、
俺に責任をとれる力が付いたらすぐ結婚するつもり。
だから、安心してそっちにいてね。
何十年かしたら、みんなでいくから。
それまで少しの間だけ、待っててよ。
生きてる間にしてあげられなかった親孝行してあげるから。
スレ違いなのに、長々とすいませんでした。
あ、親父の料理で印象に残ってたのあった。
というより、トラウマになっているものが・・・
10歳ぐらいの時、
元旦に親父が雑煮を作ってくれようとしてて、
人参を切ってたら、指もちょこっと切っちゃって。
血だらけの指を押さえながら、
「おい、ちょっと根本をヒモで結んでくれ」
と言われたんだけど、恐くてうまくできなかった。
それ以来、雑煮=血のイメージが定着。
しばらく苦手だった。
でも、今年の元旦、ちょっと雑煮をつくってみたら、
親父の作った雑煮にそっくりな味だった。
622 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 07:37
ふーん。617の母ちゃん、華のある人やたんやな。
かっこえーやんか。
623 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 09:29
624 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 11:50
ホント、良スレですね、ここ。
小さい頃、家族でお祭りに行くと、的屋の人が父を見て挨拶をするのが
とても不思議でした。
若い頃に的屋をやっていたようで、それを知ったのは大分大人に
なってから。
花札が2種類あったりする家だったので、子供心ながら不思議な
家だなー、とは思ってたんですが(ワラ
そんな父がよく作ってくれたのが広島風お好み焼き。
アツアツのボリュームがあるお好み焼きはとっても美味しかった。
鉄板の前で汗かきながら作ってくれたあの味は忘れられないよ。
旦那を連れて行ったときも、とても嬉しそうに作ってくれたよね。
昨年、60歳の誕生日の翌日に父は他界しました。
ずっと「俺は60まで生きれればいいや」なんて言っていた父。
その通りになっちゃったよ…
今年の春にはみんなで温泉行こうね、って約束したじゃん。
TDLにも行きたいって言ってたじゃん。
まだ約束果たせてないよ、お父さん…
625 :
スレ違いかも:02/02/05 20:40
うちは母が私が幼稚園の時に今の父と再婚しました。
今の父は、超がつくほど良い人なんです。
私ももちろん、本当の父親だと思っています。
父は、私が中学・高校生の頃、お弁当を毎日作ってくれていました。
高校生の時のある日、私は学校で、ある事を引き起こしてしまい、
母親が学校まで呼び出され、その日は母親に酷く叱られました。
私は、叱られながらもある事を感じていました。
それは何かと言うと、私を叱る母の側で、
私を叱ろうかと躊躇している父の姿でした。
私は、その父の姿を見ながら、「早く叱ってよ」と思っていました。
普段、細かいことではしょっちゅう叱ってたのに。
その時初めて、本当のお父さんじゃないからかなと強く感じました。
これだけですが。。。
父の料理とは違いますが、父代わりの
祖父の料理です。
私は幼い頃から母方の祖父母宅で育っていて、仕事に
出ている母に代わって祖母が料理をしてくれていました。
ある日祖母が用事で出掛けたまま遅くまで戻らず
祖父が晩御飯を作ってくれる事に。
昔気質で男子厨房に入らずだった祖父は
悪戦苦闘して肉じゃがを作ってくれました。
ですが、それが…
何というか『激しく焦げた味』だったんです。
もちろん祖父には言えず、「美味しいね」とたいらげました。
いつも厳しくておっかない祖父でしたが
その時は何だかかわいかったのを覚えています。
とにかくもう10数年たった今でも忘れられないような
すごい味でした。えぐみがあるというか…。
でも何より祖父が作ってくれた事が嬉しかったです。
それと後日知った事ですが、あの日祖母の帰りが遅くなった
原因は数年ぶりに行ったパチンコでかかっていたからとか。
ば、ばあちゃん…(汗)
627 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 21:42
うちの場合、死んだ祖母がほとんど料理しない人だったせいか、
親父はメシを作るのが得意だ。
今日も自分でイカ買って来て刺身と炒め物作って夕食に食わしてくれた。
後片付けはしないんだけどね。
でもって今晩はイカ墨をあちこちに跳ね散らかしたままで母親に嫌な顔されてたけどね。
ちなみに母親はパートに出てるんで、最近無職の自分が家にいるので夕飯当番なんだけど、
なんだかんだで親父が週に2回はおかずを作ってくれる。
だから父の作った忘れられないものってないんだよなー好きなものはいっぱいあるけど。
料理って意味では親父のほうが母親より上手いし。
でも、この当たり前に思ってる事が幸せなのかと改めて思ったよ。
この春で定年退職する親父、
これからは毎日手の込んだ旨い物食わせてください。
>>627 オマエモツクレヨナー(笑
親父さん、スゴク喜ぶぞ。
629 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/05 22:36
630 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/06 00:42
母親が入退院を繰り返すようになり、母の入院中は父が弟と自分の分の
ご飯をつくっています。
私はすでに家を出ているのですが、母の入院中に家に帰ると、
私にも、料理を振るまってくれます。
一箱分のルーを全部ぶち込んで、かき回せないくらいどろっとしたホワイトシチュー。
ホワイトシチューなのになぜか、みそ汁も。
ワカメは煮すぎてほとんど溶け、豆腐はぼろぼろ。
それと、固ーく炊いたごはん。
すっごくまずいけど・・・
母の病名を私に説明するときに見せた、目の端の涙が忘れられない。
きっと、母の留守中もきちんと食べなくちゃ、弟にも食べさせなきゃ、と
思ってるんだろう。
ずぼらで、だらしない父なのに、部屋も片づけた形跡が見られる。
すごく、がんばってるんだろうなと思うと涙ぐましい。
でも、母親が退院してくるとまたずぼらな父に戻るのです。
あれって、甘えてるのかなあ。
いいスレですね、ここ・・・。
両親健在ですが、ちょっと書かせてくださいね。
私が子供の頃、両親は不仲で離婚寸前までいってました。
母親は私を置いて実家に帰る事もしばしば。そんな時は、
昼間は近所の家に預けられるんですが、夜は父と一緒に
父の作ったごはんを食べてました。
いつも一生懸命作ってくれるんだけど、味の方は・・・で。
醤油だけで味付けした煮物とか、生姜の利きすぎた煮魚
とか。私も子供だったので「こんなの食べられない」と
泣いて、よく叱られてました。
そんな父でしたが、1つだけ、得意な料理がありました。
大根と人参と鳥挽き肉の甘辛い炒め物。私もこれだけは
美味しくて、何杯もごはんをおかわりしたものです。
そんな時、「どうだ、これはお父さん得意なんだぞ」と
嬉しそうに言う父の顔が大好きでした。
今は両親ともすっかり和解し、私も結婚して家庭を持つ
身ですが、父の得意だったあの料理は、私にとっても
一番の得意料理です。
ちょっと泣いちゃったよ(´д`)
親父、生き返ってくれねぇかな・・・
>>632 俺も、そう思う。
今だったら、親孝行できるんだが......
遅すぎるか.....
>>598 そうでもないよ…このスレにも、いいお父さんとは言えないお父さん持ってる人きてるし、みんなではないよ…。
かくいう俺は物心ついた時にはすでに父親いなかったから。母方の祖父母が同居したてけど、父親の顔も知らないってけっこう大きいよ。
いなくなってから何かが残ったりするんだと思う…よ。
ものすごい勢いでスマソ。
ちゃんとリロードしてなかった。(当方かちゅ使用
後悔しないように生きてる間に孝行…ね。
耳が痛いです。
>>628-629 大体夕飯は週3回は自分が作ってる。で、週2回くらいは親父。
でもって週2回母親が作るんだけど・・・
週6回自分だったりすることもあるし。
それじゃダメ?作り足りないっすか?
ちなみに親父、自分が作ってももう喜んでくれないよ・・・
どっちかっていうと、親父の作ったメシ旨いって食う方が喜ぶかな。
>636 それでいいじゃん。
作ってくれた時に「美味しい」って言ってあげるだけできっとお父さんうれしいんだよ。
たまには一緒に作って、「親父の味」の秘密を伝授してもらえば?
>>636 >週6回自分だったりすることもあるし。
えらい!
>親父の作ったメシ旨いって食う方が喜ぶかな。
うらやましいぞ!
親父が作るときは後片付け要員として、毎回横にスタンバっています。
一緒に食材も買いに行きます。
・・・でもって、自分の好きなもの勝手にカゴに入れたりもしてます(藁
こーゆーのもいいかなとこのスレ読んで改めて思った次第です。
これで名無しに戻ります。
640 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/07 00:31
変なのが暴れていたから、ここ最近この板から遠ざかっていたけど、
こんな良スレがあったとは・・・不覚!!
でも、ここの人たちみたいにいい話がない・・・。
あま〜〜〜い卵焼きは、父に習ったよ。砂糖どばっ、塩どばっ!!
勿論焦げる。
うちは2年前、両親が離婚した。
離婚直前は顔を合わせると口喧嘩で私はすごく辛かった。
母はいつも私に父の悪口を言った。
聞きたくなかった。父も母も大好きだったから。
今は母と暮してる。
でもね、お父さん。
一緒には暮してないけど、家は近所でもたまにしか会えないけど
離れて暮せて前よりいい関係になれたと思うの。
初めて2人でいったファミレス。
ちょっと照れたけど、嬉しかった。
年中行事も、家族そろって食事する大切さを改めて感じてるよ。
お祝い事の時くらいしか、一緒に食べれないもんね。
経済的な理由で離婚したけど、お母さんが仕事を頑張ってるとき
お父さん、あいた時間で一生懸命に家事してた。
お母さんはそれも悪く言ったけど、私はちゃんと見てたよ。
面と向かっては絶対いえないけど「大事な家族だよ」お父さん。
もしも倒れたら、私がちゃんと介護してあげるからね。
スレ違いでごめん。
このスレ見てたら書きたくなっちゃったんだ。
642 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/07 00:43
うちのDQN親父が作ったバナナカレー、その頃小学生だった漏れは
マジで殺してやりたくなった
643 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/07 00:46
こうせん っていう変な粉をねった食い物。
はっきりいってあまり美味しくは無い。子供だったから食えたような
ものだが。戦時中育ちの父にとっては思いで深いものだったのかも知れないな。
644 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/07 00:47
私の父は料理が母よりうまい。
母が作る味噌汁より、父が作る味噌汁の方がだんぜんおいしかった。
私が喜ぶからだろう、父は良く、母の代わりに味噌汁を作ってくれた。
母も、「お父さんの方がおいしいもーん」なんて甘えていたが。
父の味噌汁が飲みたいよ〜…
我が家のそばは、父が茹でる係。
毎週日曜の昼ご飯はそばそばそばそばそばそば…で、
いい加減にしてーと思うことも年中。
ここ見てるとちゃんと食べようかなと思う…。
↑見て思い出したけど、うちの父は昔よく手打ちうどんを作ってくれた。
しかーし、水虫イパーイの素足で生地を踏み踏みするから
当時子供だった自分は「水虫うどん」って呼んで、嫌がってたっけ。
その後ビニールの上から踏むようになってくれたけど。
そういや、最近作ってくれないなー
関係ないけどこの間の鉄腕DASHで長瀬が手打ちうどんの生地打ってて、
足踏みしてたんだけど、ビニールが破れて生地に黒くかかとの痕がついてた。
それ見て親子でバカ笑いしてたんだけど、その時に
久しぶりにパパのおうどん食べたいな!と言ってあげれば良かったのかな。
>647 こないだダッシュ見て久しぶりに家で作ったうどん食べてみたくなっちゃった
とでも言って作ってもらうべし。
ちなみに足ふみ用のビニールは米の袋が丈夫でおすすめ。
薄いビニールは伸びてやぶけるよね(w
台所にはほとんど立つことのなかった父でしたが、
チャーハンだけはすごく上手かった記憶が。
そんな父の台所姿で覚えているのはなんといっても
鶏まるごともらってきて、ひねってむしってさばいた事。
1回だけだったけど、子供心に恐怖し、尊敬しました。
650 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/08 03:53
父子家庭じゃないけれど、
小学生の頃、最初で最後に作ってくれた
父の料理をまだ覚えている。
何の変哲もないお茶漬けだった。
無言で二人で食べた。
美味しいわけではなかったけれど、無性に嬉しかった。
両親が不仲で、いつも誰も家にいなかったから、
父と一緒にご飯が食べれたのが嬉しかった。
しばらくたって両親が死んだ。
暴力ばかりで、愛されていないとずっと思っていたけれど、
このスレを読んで、もしかしたら少しでも愛されていたんじゃないかって
考えれるようになった。
気のせいかもしれないけれど、ありがとう。
あのお茶漬けは紛れもない父の味がした。
何度頑張っても、あの時と同じお茶漬けは食べれない。
今は両親の分も、養父母を大切にしたいと思っている。
age
三連休です、皆さんこのスレ完読して泣きはらしてください…
652 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/09 14:20
609さん見ててくれるかなあ・・・。
人探しのHPもあるから個人的に探してみるというのはどうですか?
おせっかいと思いつつも、609さんの話に泣きそうになったから・・・。
653 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/09 17:02
我が家のお袋の味ならぬ、親父の味は色々とありますが、一番印象深いのは
くたくたに煮たインスタントラーメンのおつゆ。またこんなの作ってーと
言いつつ、結構好きだったし、麺がのびていたってなんとも思っていなかった
けど、結婚してインスタントラーメンを作ったとき、ちょっとだけ麺がのびたの
を出したら、だんなにすごく怒られた・・・。
654 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/09 17:25
父の作る皿うどんとちゃんぽんはうまいです。
今日も作ってくれるそうです。ヤター!
良スレage!!!!!
655 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/09 21:59
親父のいない俺としては泣けるスレ
656 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/09 23:42
親に感謝しなきゃね。
おれは母子家庭で貧乏だった。
今になって毎日牛乳2リッター、ご飯4合を一人で食べる
バカ息子を育てられたもんだと思う、何であの頃わからなかったんだろうな。
657 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/10 11:57
>656
そりはすげいね。
658 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/10 12:19
そうやってあなたに屈託なくもりもり
食べさせることが、お母さんの生き甲斐
だったんだと思う(涙
ここ読むと涙腺弛むよ
659 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/10 22:48
私が小さい時から病気で入院ばっかしてた父
小学校の修学旅行から帰ってきたらもう危篤状態だった
病室に行くと人がいっぱいいて
おみやげを渡してやれっていうんです
自分の馬鹿さ加減を呪いました
もう死んでしまう人に
長寿箸なんか買っちゃって
友達と「長生きしてもらうんだ〜」なんて
笑いながら選んだ長寿箸
ほんとに後悔してるんです
660 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/10 22:53
とうちゃん思い出しちゃって↑
スレ違いごめんね
661 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/10 23:16
>>660 貴方の純粋な気持ち(当時)だったのでは?
>>659 それ分かります。
私も父親が癌で入院していたとき、癌封じのお守り貰いましたもの。
うちの親今じゃ酒乱で仕方ないけど、ここのスレ見てたら、
幼稚園の時母が入院していて、父とずっと2人で住んでたこと思い出した。
元々小食な上に母がいなくていじけていて、ご飯全然食べないから、
お弁当にミカン半分に切って入れてくれたり、リンゴでウサギ作ってくれたよ。
全然料理できないから、今思えば精一杯のことだったんだと思う。
664 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/11 03:04
このスレ見つけて、今日は飲みながら泣こうと思ってもう2時間読んでました。
ウィスキーボトルが半分になっちゃった。でもありがとうありがとう。
たまに泣くと精神的にいいよね。でも泣いても親父は戻ってこないんだよなー。
ありがとう、あんたの子供でほんとに良かった。
665 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/11 03:31
酒の肴になるスレ・・・すごい〜
でも私もここ大好きだよ!
666 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/11 13:02
>>659 あなたのお父さんを思う気持ち、お父さんはわかったと思うけどな…
667 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/11 22:25
このスレ、とてつもなく(・∀・)イイ!!!!age
668 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/12 01:00
泣いた…誘導してくれた人に感謝だ…。
自分がいる場所忘れそうだよー。ここ間違いなく2chだよね?
669 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/12 01:56
だよだよ!
普段どこにいるの??(笑)
670 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/12 02:07
このスレ読むと1年前に亡くなった父のことを改めて思い出す。
小さいときお父さん子で毎日一緒の布団で寝てたこと
お父さんが自分のために作ってたバターと醤油でいためたチャーハンや
小麦粉で団子作ったすいとんとかキャベツしか入ってないお好み焼きとかが
なんかとても美味しく思て横から奪って食べてた。
17になって家を出てからあまり実家にかえらなくなったけど
たまに帰るとたくさんくだらない事しゃべってたね
お母さんが「あんたが帰って来ると口数がふえるんだよね
お父さん嬉しいんだよ」っていってた。
去年の夏に貧血気味だって言ってて 歯医者以外は全く病院にいきたがらない父が
めずらしく病院いったと思ったら即入院。胃癌末期だった・・・。
仕事が忙しくてあまり病院に行けなくてごめんね。
お父さんには胃潰瘍って言ってたから退院して元気になったら
病院の飯は不味いから美味しいものを食べるんだって言って笑ってた。
一時帰宅したときは美味しい料理の番組やってたら
病気治ったら作ってくれって言ってビデオとってた。
もう仕方ないんだけど1人暮らしして遊ぶ金があったなら
親孝行で金出して定期検診させなかったんだろうってずっと後悔してる。
あと5年仕事頑張ったら大好きな田舎(お父さんの実家)に帰るんだ、
だから狭い賃貸(4人家族で1DKだった)にずっと住んでて子供には悪いけど
広い家に引越しもせずマンション買わなかったんだってねお母さんから聞いたよ。
狭い家だって文句言っててごめんね。
そんな狭い家でも今はお母さん1人で住んでるから
ちょっと広く感じてしまって寂しいね。
いい人は早く死んじゃうって本当だね。何でだろう?まだ60なのにね。
最後におとうさんへ
お父さんの分もお母さんに親孝行してあげたいので
まだお母さんを誘わないでね!大好きだった石原裕次郎のところで遊んでてね!
頭のなかにあることまとめられずに書いてしまったので文おかしい
駄スレでごめんなさい
2ちゃんってバカな反面隠れてこんなのがポンって
あるからいいよね。色々思い出すよ。
う、う、う、、、、、切ないねぇ。
今日の「学 校 へ 行 こ う」で
娘がお父さんに感謝の言葉を述べる場面があったんだけど
このスレ思い出したよ。
そして大泣き…。
ダディ…明日 美味しい紅茶入れるからね。いつもありがとう。
674 :
父子家庭ではないですが:02/02/13 04:01
他スレから飛んで来ました。
まだ途中なんですが、涙が止まりません。
泣き過ぎて、ほっぺたがガビガビになってる(笑
うちは自営業で、父はいつも夜中まで部屋で仕事してました。
私が居間で夜更かししてるとき、父は夜食を食べに来ます。決まってカップラーメンか鍋焼きうどん。
「ちょうだい」とせびると、「いいから食べなさい」と全部差し出してくれました。
中学から反抗期になって、両親に暴力をふるったことがあります。
今でもまだ未熟な私は、実家に帰るたびに派手な喧嘩をします。
「いなくなればいい」とも思います。
詳しいことは話してくれないのでわかりませんが、
咽の病気で、食べても栄養が身体にまわらないらしく、父はガリガリに痩せてしまったらしいです。
私もいじめのせいで心と胃の病気になり、長い時間電車に乗っていることが出来ないので、なかなか実家に帰れません(彼氏の車で連れてってもらってます。ちなみに車で10時間…)。
たくさん迷惑かけて、病気になっても通院しながら仕事して、仕送りしてくれて。
いっぱい「ありがとう」と「ごめんなさい」を言っても足りません。
不器用なのでなかなか言えませんが。
今度帰ったら、一緒に鍋焼きうどん食べたいなー。
なんか、関係ないこと書いてスマソ。
675 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/13 19:44
こんな良スレを見逃していたことを考えるにつけ、
糞壁君への怒りがこみあげる。
676 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/13 20:08
家は昔貧乏でして、
ガムといえば小麦粉を水で練った代用ガムでした。
私が小さい頃ガムが欲しいと泣き叫ぶと、
きまって父は小麦粉のガムを作って与えてくれました。
そんな私は今や多くの社員を抱える百薬の長。
人生の勝ちグミです。
677 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/13 20:29
父の作った忘れられないもの、いつのまにか出来た別姓の兄弟。
678 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/13 21:15
いいスレだね…
自分も3年前親父を亡くしたせいか余計に胸がつまります。
料理というわけではないが、
その昔、自分がまだ消防の頃。
東京に出稼ぎに行ってた親父のところへ
連休利用して1人で遊びに行ったことがあった。
その時、朝飯に出てきたのは焼いたモチ。
(正月でもないのに朝からモチかいー!!)
と心の中でツッコミ入れたが、
『モチはいいぞー、腹持ちがいいし力が出る』
と云った親父の言葉と笑った顔。
今でもモチを食うたび思い出す。
679 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/13 22:11
メシの上に柿の種を振りかけたもんとか、トマトに砂糖を振り掛けたもんとか、食パンにグラニュー糖をたっぷりはさんだもんとか。
オヤジは父子家庭で育って、毎日そんなもん食って育ったそーだ。
でも意外と美味いんだよな〜。オフクロの前でソレ食ってると怒られるけど。(^^;
680 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/13 23:25
母の実家でのことなのですが、私の父は義理の母、つまり私の祖母の
飼っていたニワトリがたまごを産まなくなったことを知り「ばあちゃん、
つぶしていいよね」とたずね、許しを得ると、ナタでクビをおとしてさばい
てしまいました。こどもだった私もその場所に立ち会っていましたが、
不思議と嫌悪感はなかったです。でも自分で生き物の生命を奪い、食料とす
ることが出来るか?というとあまり自信はありません。男なのでいずれは父親
を越えねばなりませんが、いまだに「あいつには勝てない」と感じています。
681 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/14 00:16
私の父は私が中学3年の頃他界しましたが、よく夜中に小腹が空いたとき
いろいろ作ってくれました。塩がめちゃめちゃきいたおにぎり、
妙にコクがあるオムレツ、ご飯に焼いた肉をドンとのっけたやつ…。
どれもこれも絶妙においしかった!
父が亡くなった日我が家の夕食は餃子だったんですが、反抗期だった私は
父と少しギクシャクしてて、「○○ちゃん(私)、餃子もっと食べや」と
父に言われても、ぶっきらぼうに「うん…」と答えただけ。
それが最後の会話で父はその後、入浴中に急死してしまいました。
なんで反抗なんてしてしまったんだろう…。今でも後悔しています。
親孝行がしたかった。本当は大好きだったのに、お父さんごめんね。会いたいよ…。
682 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/14 00:27
パパちゃんは、ジャガイモの塩煮や葛湯(のようなもの)を作ってくれます。
葛湯もどきは、デンプンと砂糖をお茶碗にいれてから熱湯を注ぎ、ぐるぐるかき回すだけのもの。
でも、これがおいしいの。
受験中、夜中に台所に行ったらパパちゃんも起きてきて、作ってくれたんだー。
浪人してもいつもやさしかったパパちゃん。大好き。
いや、普段はいえないんですけどぉ。ごめんね、パパちゃん。
683 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/14 00:29
16の頃、それまでも不在がちだった父が失踪した。
酒乱で怖い父なんかいないほうがいいと思っていた。
22歳になった時、突然遠く離れた土地から連絡があった、父が死んだと。
父はそこで女性と暮らしていた。
全然悲しくなんてなかった。
もう帰ってこないってわかって本当にほっとした。
その遠く離れた土地での葬式、俺はずっと笑っていてやろうと決めた。
周りの人々の不信の目を浴びても俺は手も合わせず、へらへらしていた。
・・・でも出棺の時、父がそこに寝ているのを見たとき涙があふれだした。
もうそこに寝ている父に二度と会えないんだとわかったら、声を上げて泣いていた。
大人になったら二人で酒を飲む約束が、もう果たされることがないと知って涙が止まらなくなった。
こんなに父が好きだったことを、伝えられないのが悔しくて、ただ泣いた。
上手くできなかったけど、父が大騒ぎしてカルメラを作った時のことを思い出してまた泣いた。
684 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/14 00:57
だめだ・・・涙が止まらない・・・
>>683 よかったね暴力父ちゃん死んでくれて
思わず嬉し泣きしました。
>>683 今までなにがあったとしても、肉親だもんなぁ...
687 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/14 22:38
普段は言えない「ありがとう」を…
親父、俺も20超えたから、今度ウチ帰ったら飲み行こうな。
また痛風とか再発させんなよ。
688 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/16 03:06
外国の、まわりが「ろう」で固められたチーズを「ろう」ごと切り分けて食べてた父。
「本場のチーズはまずいなぁ」とつぶやいていた。そんな父は今風邪で寝こんでます。
早く良くなってね!
689 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/16 03:40
親父はよく釣りに連れていってくれた。
榛名湖で小学校のとき公魚釣りにいったときに、
なぜか魔法瓶にお湯をいれてもっていった。
昼になって船の上でカップラーメンをその場で作って一緒に食べた。
あのときは本当に今思うと幸せだった。
なんであんなにおいしいのかわからないけどな。
690 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/16 04:26
このスレ反則だよ〜 涙止まんない・・
送ったチョコ,お父さん食べたかな・・
691 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/16 05:29
>>690 うまかったぞー♥
(勝手にお父さんの代弁w)
692 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/16 09:36
>688
ワラタ
いいスレですね。
昔、子供のころ食べたものって鮮烈な味がして、
そのときの家族や思い出を巻き込んで頭ん中にしまわれてます。
オヤジやオフクロも若かったし、兄ちゃんもはなたれ小僧でしたなぁ。
いえいえ、子供がおいしいねって、オムライス食べてたもので。。。つい
昔は、あばら家で、遊び道具などなにもなかったけど、
なんか、希望があって、明日が来るのをワクワクしてました。
もう年かもね。
694 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/16 15:27
>>693がんばれ親父あげ!!
息子にこのスレに書いてもらうぐらいいい、親父に!!
ただし・・・・早死にすんなよ(w
>690
ここ見てから私もお父さんにチョコ贈った。
普段は不器用であまり会話をしないタイプの父は感情を表現するのが苦手で
自分はあまり好きではなかったんだけど、親元を離れてみるととっても
大切にされていたんだなって思ったよ。
チョコは直接手渡した。
あの父が顔をくしゃくしゃにして喜んでた…
誰かが言ってたけど、子供ってさ、ちょっとのことで親を幸せにできるんだよね。
腹違いの妹。
この妹をずーと憎んでいたが、事業に失敗して無一文になった
要介護認定2の父を引き取り介護をしてくれており感謝しています。
>>695 >誰かが言ってたけど、子供ってさ、ちょっとのことで親を幸せにできるんだよね。
あなたも、子供持ってみれば分かります。
親って、未来がない分、子供を通して未来を見ます。
698 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/17 09:59
私の父は頭悪くて頑固で社会性、常識が欠落した人。
一緒に暮らしてて、ものすごい疲れるような人。
暴力を振るったことは一度もないけど大嫌いって思ってた。
実家にいた時、私はいつも父に酷いことばっか言ってた。詩ねとか。
父は言い返してくるわけでもなく、へらへらして、それがさらにむかついてた。
でも、このスレ見て小さい頃ほんとに父が好きだったの思い出したよ。
どっから拾ってきたのかわからない柘榴とか胡桃とか食わされて。
それがすげーおいしかったんだよね。作ったんじゃないけどさ
あと実家に帰るといっつも食料をいっぱい持たせようとする。そだに食わねっつの。
私もいつか後悔するのかな。親孝行しときたくなった。
お父ちゃんもうあの大量に砂糖ぶち込んだコーヒー飲むのやめなよ。
699 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/17 10:03
お前等、この野郎どもめ!!!!!!
幸せになれよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!マジで!!!!!!
>698
もしかしてふるさとは青森?
うちの父と似てるかも。
>>698 >あと実家に帰るといっつも食料をいっぱい持たせようとする。そだに食わねっつの。
それはな、「余るだろうから、友達とかにあげなさい」っていうメッセージだよ。
くーっ、またこのスレッドのぞいて、涙ぼろぼろ流して
泣いてしまった・・・・
うちのオヤジは昭和初年生まれ、「男子厨房に入るべからず」
のしつけを受けて「素直に」育ったやつ…何にも作ってくれたことは
ないし、これから死ぬまで何も作ってくれないと思うが、それでも
オヤジ、長生きしろよ!と言いたくなった。
703 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/18 20:09
あげ
704 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/19 13:36
age
う〜泣いてしもうた…マジいいスレやね〜。
人の話読んでたら自分のおとんの事思い出してしまったよ。
うちのおとんは大酒飲みで借金いっぱいあって、自分では何にも出来ない人で
何から何まで母親まかせ(だからうちの母親は日曜大工なんかの力仕事とかも
たいがい自分で出来る人になったよ…)のいわゆるロクデナシなヒトで、
だから当時うちはたぶん近所中で一番貧乏だったんじゃないかな…。
そのおとんは、自分が小学校入る前に、大酒飲んで酔っぱらって、
夜中に車に轢かれて死んでしまったよ。まだ30歳だった。
だから料理なんかしてもらった事なんか当然なくて、
『父親の作ってくれたもの』って言うと何にも無いんだけど…。
でも、自分はすごくパパっ子で、すごく大好きだったの。
いつも酔っぱらってヘタくそな演歌ばっかり歌ってて、いっつもおかんと
ケンカばっかりしてたけど、自分にはすごく優しかった。
自分が悪いことして怒る時は、すごい怖いヒトだったけどね。
おとんがTVで熱心にプロレスや野球見てる時も、私が見るアニメの
時間だけは絶対にチャンネルを変えてくれた。
パチンコで勝つと、お人形とか私の大好物のグリコのアーモンドチョコレートを
必ずお土産に持って帰ってきてくれた。だからいまだに、それを食べると
おとんの事を思い出しちゃう。もう顔も写真の顔でしか覚えてないのになぁ。
きっと、おとんが事故で死んでなかったら、生命保険で借金も返せてなくて
もしかしたら今頃は一家で首くくってたかもしれないんだけどね。
今自分が生きてるのは、おとんが自分の命と引き替えに借金返して、
その上自分たちが大人になるまでの分までお金残してくれたからだけど。
もし生きてても、大酒飲みのロクデナシだったから、すごく嫌いになってた
可能性高いけどさ。娘ボンノウな上にヤキモチ焼きの人だったから、
結婚した時には大反対されて家出同然になっちゃったかもしれないけどさ。
おとんとおかんは死んでなければ絶対離婚してたから、その時は自分は
多分おかんを選んでしまうと思うんだけどさ(ニガワラ
それでもね。やっぱり今生きててほしかったなぁ。
お酒も教えて貰いたかったし大人同士としてのいろんな事話してみたかったよ。
ヘタくそでもいいから、何でもいいから作ってもらいたかったなー。
もうすぐ、おとんが死んだ年齢を超えちゃうよ。すごくヘンな感じだ。
>>705 泣いた・・・ アニメの時間にチャンネルを代えてくれるお父さんだったんだね・・・。
707 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/21 00:54
みんな、それぞれ忘れられない思いでがあるんだね。
毎週土曜日、ウチの父は働いている母のかわりに夕食を作ってくれた。
こんぶとイリコでだしをとったおでんが美味しかったな。
父は家族の誰かが夕食におくれると、必ず一番最初にその人のぶんを
少し多めにとりわけておいた。
小さかった私は、後から食べる人のほうが美味しいところをたくさん食べられて
いいな〜なんて思っていたんだ。
姉と私が年頃になって、土曜の夜はカレシと外食することが多くなっても
父はこの習慣を続けていた。
日曜の朝、ふきんのかけられた手付かずのおかずを食卓の上に見つけると
正直とても気が重かった。うっとおしいと思ったこともあったっけ。
食べられるものを捨てるなんてことはしないウチだったんで、私が食べなかった
その料理はたぶん次の日に父か母が食べてたんだろうなあ。
もちろん日曜も一日中遊びにでていた私は気にもしていなかったけど…。
ごめんね父さん。
思いやりがあってやさしい父さん。
大好きだったよ。
姉と私が結婚し、見届けるように母さんが乳癌で逝ってしまってもう8年。
酔うと今でも母さんの思い出話をして涙ぐむ父…。
その父が少しづつ変わっていったのはいつからだったんだろう。
母さんをなくした淋しさが父さの心を蝕んでいったんだ。
やさしい心は弱くてもろい面をあわせ持っていたんだね。
父は酔うと同居している姉にあたるようになっていった。
暴力をふるうこともあるらしい。
姉は完全に父を嫌ってしまい、もう半年も父と口をきいてないという。
許してあげてよ姉さん。
「あんたは酔ったときの父さんを知らないからそんなことが言えるのよ」
そんなことを言わないで許してあげてよ姉さん。
酔いが醒めるといつも反省してるんだ父さんも。
このスレ読んで思ったよ。
今度、あのおでんを父に作ってもらおう。
昔のように姉と父と私で食べよう。
あのおでんなら、父さんの淋しい心も、姉さんのとがった心も
少しだけでもあたためてくれるはず。
このスレに書き込んでくれた皆さんありがとう。
近々、父の家に帰ってみます。
708 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/21 11:13
昔お父さんが、キャベツとたまごをいためた奴を出してくれた、
昔家が貧乏だったので、肉とか、洋食みたいなものがたべれなかったから
そんな貧乏くさい料理が嫌いだったからたべなかった、
お父さんはなんか、悲しそうだった、あとでこっそり食べたらおいしかった
今思うと凄く悪いことしたと後悔、今お父さんは病気をして体があんまり
元気じゃない、なんか悪いことした、このスレ見たら涙が出てきた、
元気な体になって欲しい、もう一回キャベツとたまごのいためた奴を作って欲しい。
>>708 あなたがキャベツと卵の炒め物作って
お父さんに食べさせてあげたらどうだろう
>>709そう思って、実は実家に帰って来ました♪
がんばるぞー!!!
泣きました
ここどこの板?
30ぐらいまで読んだけど涙ぼろぼろ。
今のうちに親孝行しとかないと、お父さんだって死んじゃうんだよね…
713 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/23 09:44
>>712特別にお知らせします。ここは
食文化>食べ物>父の作った忘れない物
です。
「忘れられないもの」ですよ。
ごめん。
716 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/23 11:44
小麦粉を水でといて、フライパンで焼いてソースかけ。どんどん焼き。
こういう貧乏くさい料理って今食べるとマズーなんだけど、
やたら美味しかった記憶だけはある。
今、どこでなにやってるんだか…。
718 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/23 12:31
お父さんってキライだった。
今でも、一緒に居て変なコトをする度に、恥ずかしくおもう。
いっつも子どもたちが作ったものとか、買ってきたものは不味くても、
「おいしいじゃない」って残さず食べてくれる。
今は海外生活で娘2人と会えるのも、1年のうち2ヶ月くらい…。
その間は、張り切って家族で旅行に連れてってくれる。
日曜日に張り切って作ってくれる、男の手料理。
今はマダ親がいなくなるなんて考えられない。
でも、電話で聞く声がだんだん老いてるコトに気付いた。
このスレ読んで、もっと大切にしようって思った。
いつも迷惑かけてごめんね。
そんなあたしも、来月で20です。
これからも迷惑かけちゃうと思うけど、よろしくね。
なんかすれ違いでゴメンナサイ…。
でも、本人には照れくさくて言えないから…(照
719 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/23 12:51
今日父が朝からガタガタ何かしていたのだけど
「うるさいなー」と思いながら放置&寝。
さっき起き出していったら、お皿一杯の餃子が…。
昼間っから餃子かよ!と思いつつ、食うものが無くて食った。
皮から作ったらしい水餃子、すっげーうまかったよ!
「作り方おしえて」と言ったら「作り方はオレが墓の中まで持って行く」だって。
何だよそりゃ(笑)
720 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/23 22:26
721 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/23 22:30
722 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/23 22:45
>>721そんなこというなよ!!(涙
良スレはみんなで分かち合おう!!(号泣
723 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/25 22:19
ヽ(`Д´)ノウワァァン
724 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/26 21:22
体が弱かった父。
僕が中3の時に遠くへ逝ってしまった。
でもずっと喧嘩ばかりしててキライだった。
その後東京の大学へ通うため上京した。
でも友達もできず何をやってもうまくいかず
辞めようと考えた。
その年、ちょうど成人式があるため故郷に帰省した。
母が珍しいものを見せてくれた。
「これ…あなたが成人した時に渡せってお父さんが言ってたやつ」
それは一本のワインだった。
僕が生まれた年のワインだった。
高そうな箱に入ってた。
「そういえば、消防の時、絶対に開けるなって言われたワインだ」
おそらく成人した記念のプレゼントだろうと思った。
箱を開けた。
中から一枚の手紙が出てきた。
「○○へ(←俺の名前)
このワインを開ける頃にはもう俺はこの世にいないだろう。
お前の成人した晴れ姿を見れないのは非常に残念だ。
このワインをお前と一緒に飲むのが俺の夢だった。
○○、最後までお前の面倒を見れなくてすまん。
これから辛い事や苦しい事があるだろうが負けるな。
そして、夢を持て!
最後に、○○、生まれてくれてありがとう」
泣いた。ひたすら泣いた。
きっと父は自分の命が長くないことを悟っていたのだろう。
そして未来の僕にメッセージを残してくれたのだ。
…その後、僕は卒業し、就職し結婚した。
そして今月、僕の息子が生まれる。
僕は一本のワインを買おうと思う。
20年後のその日のために。
そして飲みながら、誇らしげに父のことを語ってやろうと思う。
少ない思い出を思い返しながら。
父さん…僕を生んでくれてありがとう。
長レスすいませんでした。
僕のつまらない、でもたった一つの思い出です。
最後まで読んでくれた方ありがとう。
725 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/26 22:01
号泣
726 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/26 22:21
鼻水じゅるじゅるになったよ。
>724
いいお父さんですね、泣けてしまいました。
724さん、ご家族を大事にしてください。お父さんの為にも…
ウチに結婚の時に買ったドンペリがあるけど、そろそろ空けようかな〜。
話合いしながら呑んで、離婚を回避しよう!
728 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/26 22:56
>>724 ぐおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉん!(号泣
731 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/27 02:07
>>724 おいおい、今から寝ようって時に・・・・
涙でマウスのポインタ見えないだろ・・・・
漏れの父は喫茶店で働いていたので料理はまぁまぁできた。
母がいないときはよく作ってくれた。
でも気に入らない料理が一品だけあった。
それはミートソースなのだが
苦くて幼い俺の口には合わず「大人の味なのかな」と思っていた。
小4の夏休みに母方の祖父の家に遊びに行くことになった。
なぜか父が行かなかったので母に聞くと「出張で行けない」と聞かされたが
喫茶店で働いてるのになぜ出張なのか、とそのころ相当バカだったんだなと思う。
その時父と母は既に離婚してたらしいけど、出発のときに「お母さんを守るんだぞ」
って言われた言葉が離婚してることを聞かされたときに無性に腹が立った。
「無責任な父親」が嫌いだった。
しばらくして中3になった漏れに手紙が届いた。
その手紙の内容はよく憶えてないが
もうすぐ受験だけど勉強頑張ってるか?
○○(漏れの名前)はお父さんが作ったミートソース嫌いだったよね。
要約するとこんな感じだったと思う。
父は漏れが嫌いなのを知ってるのによくミートソースを食卓に出していたので
余計に腹が立っていた。でも、こんなにミートソースに拘っているのは
なんでだろうと疑問に思い、母に聞いてみた。
すると母は、ミートソースはお父さんの好物で母と結婚する前から(付き合っているとき)
から「子供ができたら俺の自慢のミートソースを食わせて旨いって言わせるのが夢なんだ」
と言っていたそうで、お店でもミートソースの人気は一番だった。
そのころの漏れからすると「あぁ、なんだそんなことか」で済まされた。
そして漏れが高2の時、父が事故で重体との知らせが入った。
漏れは行かなかった。母の説得にも応じずに断り続けた。
あんな父親知ったこっちゃない。とまだ父のことを嫌っていた。
はずだった。。
それからすぐ父が亡くなり、葬式に出た。
父の顔を見たとき頬に涙が伝った。
嫌いだと思っていたのに、無責任な父親なのに。
そのとき初めて父親への思いに気がついた。
父に謝り、やるせなさで一杯だった。
無責任な父でも自分を育ててくれた父なのだ。
葬式が終わって、母にミートソースを作ってもらった。
父の味だしなにも変わらないな、と思っていたけど
苦さを全く感じなかった。そのときもう二度とあの味に出会うことはないんだ。
と、感じ涙が止めどなく流れた。。。
734 :
やめられない@名無しさん:02/02/27 03:25
もぉーこのスレ終わりにしようぜ!
荒らしじゃなくて、マジ悲しくなってきちゃうじゃねぇーかよ。
泪々・・・。
>732さんのお父さんのミートソースは、
ナツメグとか香辛料が効いてたのかな?
美味しそうだなあ・・・
736 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/27 11:38
甘みが苦手な私にとっては、732さんのお父様の
ミートソースが、すっごく魅力的に響く。
子供の舌には早いかもしれないけどね。
737 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/27 11:55
たこ焼き。生地に砂糖が入ってた、、、、、
739 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/27 21:28
おい、おまえらっ!いいかげんにしろ!
涙が止まりません・・・
740 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/28 03:41
ヘビーな中に、たまに入ってる「ウッカリ父さん」ネタも好きだ。
おしるこの中の塩のように、このスレの旨味を引き出している!
おまえに解るか、士郎!
741 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/28 03:57
卵かけご飯。
母はとても嫌うが、漏れは大好物になりました。
742 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/28 05:58
朝から泣きage
こんなに泣けるのは、自分が親になたからダロウナ。
ヽ(`Д´)ノウワァァン
743 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/28 09:36
ちきしょう、これだから2ちゃん止められないんだよ・・・
744 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/28 10:26
サンドイッチ用の薄い耳のない食パンで色んなものを巻いて揚げたもの。
海老マヨネーズとかポテトサラダとか(具は母の作った料理の残り)
何もない時はジャムとか。
子供とのコミュニケーション下手だった親父の精一杯だったんだと思う。
肺癌で死ぬ間際は何も食べられなくて、可哀想だったなぁ。
746 :
もぐもぐ名無しさん:02/02/28 22:30
うちも父子家庭だったです。
料理あんまうまくなかったけど、今思うと親父の料理うまかったと思う。
ここ読んでて、ふと思い出したのが俺が中学生だった頃、友達が遊びに来てて
ちょうどお昼でボンカレー鍋に移して普通のカレーに見せかけて俺と友達に
食わせてた。
もちろん俺はボンカレーってわかってたけど友達もわかったと思う。
何も言わずに食べてたけど・・・。
今、思うとちょっと泣けるね。
はぁー、、、うちの親父も行方不明。
どこで、なにやってんだろ。
父の作った忘れられない物
バブルの時の二億三千万の借金。鬱
748 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/01 02:28
泣けちゃって寝られない〜age
749 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/01 06:06
小さい頃に両親が離婚。
親権は父にあったが、ギャンブル好きで働かないどうしようもない人だったので
父方の祖母に引き取られ暮らしていた。
ある夏の日の土曜日、家に帰ると珍しく父が来ていた。
昼がまだだと聞いた父は、手早く買い置きしてあったサッポロ1番で
「冷やしラーメン」なるものを作ってくれた。
別茹でした麺に冷やしたスープをかけ、錦糸玉子とハムの細切りを乗せただけの
今思えば簡単なモノだったが、1年振り位に父に会った嬉しさも手伝って
こんなおいしいモノは生まれてはじめてだ!と感じた。
多分、物心ついて初めてしたもらった親らしいことだったように思う。
仕事から帰って来た祖母に私は「今日ね、お父さんが来てね、お昼に…」
と大はしゃぎで報告したが、祖母はなにやら浮かない顔だった。
数日後、私は祖母に連れられて町の質屋に出かけた。
そう、父は質草になりそうな物を探しに家に帰ってきていたのだ。
品物を返してもらい、疲れた様子で歩く祖母を見て
父に会えて喜んだ自分が、ものすごく薄情者や裏切り者のような気がして
「おばあちゃん、ごめんね」と心の中で詫びながら一緒に帰った。
今でも父を許そうとは思わないが、サッポロ1番を見ると
ちょっと切ないような懐かしいような複雑な気持ちになる。
…なんだか感動する話ばっかりなのに申し訳ない。
>749 いや、なんか泣けた…
751 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/01 10:37
uwaaaaan!
setunaiyo〜
オヤジの料理。
休日の昼飯、前の晩の残りの味噌汁にご飯と卵でオジヤ。
なにげに、うまそうなんだよな。
俺が小僧の時から、休日の昼になると、いいニオイがしてきて、
オトン、俺にもくれや!っつ〜と
「残念!もう食っちゃった〜」ってニタリと笑う。
真似してつくるが、何かがちがう。
そんなオヤジも今は退職して家でのんびりしてる。
たまに実家帰って寝坊してると、やっぱり昼前になると
台所からいいニオイがしてくる。バカな俺を「行きたい大学なら学費は心配すんな」
高い私立だしてくれて、自分は2時間かけて会社通って、
俺もとうとう、この夏オヤジになるぜ。あんたみたいになれるかな?
俺と同じで尊敬できる人は?っつって「オヤジ」ですっていってくれるかな?
今度、帰ったら又のみに行こうぜ。今度は俺が奢るよ。
下手な「河島エイゴ」の唄聴いてやんよ。
>>752 こういう「オヤジ」もいいもんだ。「お父さん」でも「親父」でもなくて「オヤジ」ね。
>753
オヤジとオジヤ、かけてみたんだが、
逝ってくる。
755 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/01 14:33
こんな昼間から泣かせやがって・・・
756 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/01 15:47
ホントにここは2ちゃんなのか…久々にマジ感動したよ。
くくうっ!泣けるゼ。なあ、そこの兄ちゃんもそうだろ?
名スレの予感
予感じゃなくて名スレなんだよ。
CDに焼いて保存しとくよ。
国も企業も学校も、何もかも感性劣化しているなかで、
生きることの原点を教えてもらったような気がするよ。
どうも、ありがとう。
ぼくの話も聞きたい?
760 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/02 17:38
これ本にして出版したら30万部はかたいだろ
761 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/02 17:50
762 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/02 18:35
俺の親父は全く料理ができなかった。典型的なワンマン亭主で
いつも母親の作る飯を黙って食べているだけ。
そんな親父が食卓で展開する料理モドキが・・・漬け丼。
食卓にマグロの刺身が乗ると、おもむろに小皿に刺身を取り醤油
をかけ回す。晩酌終了後、ほどよく漬かったマグロを白米に乗せ
美味そうに食っていた。「山葵や海苔を散らしたら?」と母親に
薦められても頑固に「これでいいんだ!」と拒否するのが子供っ
ぽくて、妙に可愛かったなぁ。
そんな親父も一昨年、急な腹痛を訴え緊急入院。検査の結果、
大腸癌の末期。一時退院で自宅で夕食を囲んだ時、せめて親父
の好物をとマグロの刺身を出し薄い水割りで晩酌。いつもの
漬け丼を食べ初めても顔をしかめてどうにか完食。その翌日に
再入院し昏睡のまま2週間後に・・・
後日、担当医に尋ねた時、「一時退院の時は腸が癒着して固形物を
食べられるような状態ではなかった」と聞き、意地を張って元気な
姿を見せた親父の真意を知り涙が止まらなかった。
>762 泣ける…
764 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/02 18:43
(TへT)
私、以前に必死な気持ちで書き込みして、哀しくなりそうだから
後は読み直さなかったけど、私だけじゃなくみんなそれぞれに
お父さんのつくった料理に色々な思いがあるんだーと思って
号泣してしまった。。。自分の書き込みはなんだか読めない。
765 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/02 19:31
泣ける・・・(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)(T-T)
うちは両親ともに健在だが、このスレ読んだら親孝行したくなってきたよ。
さあこれからおでかけよ!という直前にここを読んでしまい
だだ漏れ号泣状態だよもー!!!化粧もできないよ!!
うちも幸いまだ両親健在だが父はもうすぐ70。
老親の二人暮しで、母は晩酌につきあうひとではないので、たまに私が帰ると
父はいそいそと「呑むか?呑むか?」と誘ってくれる。なんてことなく
付き合ってたけど、そういうのもひとつひとつ有り難いことなんだね。
最近「味噌汁を自分で作れるようになった」と自慢してたので、こんどご馳走して
もらいます。
このスレとママのおやつスレ、永久保存ケテーイ
バタークリームのケーキかあ・・・懐かしいね。
味は生クリームを使った本格派には劣るかもしれないけど、私は大好き。
しかも乗っかってるフルーツ(いちご、みかん、さくらんぼとか)もゼリーで作ったってのがいいんだな。私の田舎には、若干、そういうのが残ってる。
パン製造メーカーが作ったものだけど。
768 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/02 23:21
母ちゃん不在のある日曜、父ちゃんが唐突に
作ったシチューは強烈だった。
『旨いぞ、ほら』満面の笑みを浮かべたおトンの手前、
姉弟揃って牽制しつつ得体の知れない匂いを放つ
赤黒い液体をスプーンですくい上げると
グズグズに煮崩れた鶏の頭がカッパリと口を開けて浮上……
姉が横で小さく『ま゛ぅ……!!』と
ナゾの排気音を出して機能停止。
『馬鹿だなぁ、それがいいダシが出るんだって』
……旨い不味いは言わないからさ、
ダシ素材はダシの段階で取ってくれ。頼む。
いまでもうなされそうになる。
769 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 00:41
うちの父は料理が得意で、よく食事を作ってくれる。
O157騒ぎで、焼肉屋のメニューからレバ刺しが消えていた頃
「あぁ、レバ刺し食べたいなぁ・・・」と言ったら
数日後に食卓にレバ刺しがのぼった。
(父は親バカで食べ物以外でも私の願いなら何でも叶えてくれる)
「500gあるから、思う存分食え!」と父は言った。
近所のオイシイ焼肉屋と同レベルの新鮮さと思われる
甘味のあるトローっとしたレバ刺しを家族一同夢中になって食べた。
好評に気を良くしたらしく、それからも時々レバ刺しは
食卓にのぼるようになった。
ある日、偶然平日に休みが父と重なり一緒に夕食の買出しに行くことになった。
業務用の食材を扱っている大型店へ車で出かけた。
肉売り場で
「今日、レバ刺し食うか?」と言った父の手には
パック詰めされた牛レバーが。
どこにも生食用とは書いていない、普通のレバーだ。
「これ、生で食べれるの?」と私が聞くと
「今までずーっとこれだから大丈夫」と父は言った。
かなりショッキングだった。
でも、その日もレバーを買って帰ってレバ刺しをおいしくいただいた。
ちなみに狂牛病騒ぎ以降も、我が家では平気で
牛を食べている。もちろんレバ刺しも。
「今更食うのやめても手遅れだ」と父は言う。
その通りだと私も思う。(w
770 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 00:42
771 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 00:46
∧_∧ ∧_∧
このスレの約8割が
( ´∀`) <逝き犬によるage荒らしと断定 > (´∀` )
,コ 匸_________________,コ 匸
) 雪印関係者のアクセスを禁止します (
 ̄|匸 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|匸゜
772 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 00:55
僕の父親はものすごく不器用で、料理は下手だった。
でも何故かカレーだけはものすごく上手で、どの店で食べたもの
より美味しかった。
僕はそのカレーが大好きだった。
しかし、僕が高校2年の時、父は心臓を患った。
それ以来入退院を繰り返すようになった。
病院のベッドに横たわる父は弱弱しく感じた。
もうあのカレーが食べられないと思った時、僕は泣いた。
あったかい、父の作ったカレーが食べたい!何度も心の中で叫んだ。
…そしてそれから程なくして父は天国へ旅立った。
亡くなる直前、珍しく調子の良くなった父が僕に
「元気になったらまたカレー作ってやるからな」
って言ってくれたのを僕は忘れない。
あれから10年。
僕は小さいながらも自分の店を持つようになりました。
小さな街の小さな洋食店です。
でも僕の店のメニューにはたった一つだけ空白の欄があります。
もう何度もその料理に挑戦してきたけども、まだ一度たりとも
その味になったことがありません。
親父、あんたの作ってくれたカレーはやっぱり偉大だったよ。
でもいつの日か作り出してみせるからな!
そしてメニューにこう書いてやる。
「親父のカレー」ってね(w
774 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 01:19
むしろ夫婦スレ?
775 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 02:00
>>772 感動した!!
がんばってお店続けて、お父上の味を再現できることを願っています。
貴方のお店に、食べに行きたいよ。
>>773 さんくす。
ていうか、そろそろ寝ようかと思ってたのに・・・・
向こうのスレちょっと覗いてみたけど・・・(゚∀゚)イイ!
なんか親孝行しなきゃなってシンミリ思いました。
777 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 05:06
778 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 05:11
779 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 10:50
僕は今、物が食べられません。
ずっと入院してて、胃も切ったし、たくさん手術もしました。
でも、もうだめだそうです。
あと数ヶ月しかもたないそうです。
うすうすは感じていました。だって自分の体ですから。
だから、僕は最後にわがままを言ってみました。
「お父さんの作った味噌汁とお母さんの作ったハンバーグが食べたい」って。
僕はずっと点滴だったからお父さんとお母さんの味をほとんど覚えていません。
だから思い出したくて言ってしまいました。
だめだと思ったけど、お医者さんがOKを出してくれました。
今度、作って持ってきてくれるそうです。
だから僕はもうちょっとだけ頑張って生きます。
お父さんとお母さんの作った料理を食べるまで頑張ります。
そして二人の作った料理を食べられたら、僕はぐっすりと眠れそうです。
お父さんお母さん、ありがとう。ごめんなさい。
あ、僕の「父が作った忘れられないもの」は「味噌汁」です。
↑
なんか、変な文章になってしまってすいません。
まだ中学生なんで作文苦手です。
って理由にならないですね。
それではさようなら。
数ヶ月しかもたないなら入院先から2ちゃんに来るよりもっと他にやることあるだろ
ネタならもっと作りこんでからこいよ(`Д´)ノ~~~マタライネーン
782 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 11:31
>779
逝印の社員だろ?
確かにあと数ヶ月だわな…
783 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 11:33
まあ…嵐は放置ってことで。
784 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 11:45
自分の親じゃあないんだが、
以前、友達の家に行った時その友達の父親が
作ってくれた伊達巻もどきがすごかった。
何故もどきなのかと言うと、シャリに酢飯を使って
ないというか、単に酢を入れ忘れやがったらしく、非常にインパクト
に欠ける伊達巻(というより細長いおにぎりだな)でものすごく
困ったことがある。
友達は「わりーね、バカな親父」でって苦笑いしていたよ。
伊達巻き:卵焼きの一種。
ふつう白身の魚のすり身に卵黄をまぜ,砂糖,塩,しょうゆなどで調味して厚焼きにし,
すだれで巻く。正月料理や口取,折詰などに用いる。(平凡社世界百科事典より)
スマソ。太巻きでした。
逝ってくる。
787 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 12:57
ネタかもしれんが、早くに父親を亡くした人って多いのね。
そういう俺の親父も小1の時に突然逝ってしまったが。
ちなみに親父がパンをコーヒーに浸して食ってたのを食わせて貰ったのは覚えてるが、それ以外で料理を作ってもらったって記憶はないな。
788 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 13:03
前レスに「いい人ほど早く逝く」ってあったけど、
その通りかも知れないね。
789 :
スレ違いスマソ:02/03/03 15:29
父親じゃなくて祖父のことですが・・・
両親が共働きだったので小学生の時は
よく祖父がおやつを作ってくれました。
ある時、
『今日は新しいものに挑戦してみた』
と言うので何かなと思うと、ただのチキンライスでした。
珍しく洋風のもの、という意味かな?と思って食べると・・・
赤い色はケチャップじゃなくて、苺ジャムの色だったんです・・・
おそろしく甘く、今まで食べたこともないような食感・・・
ニコニコして漏れの反応を見ている
祖父を見ると、とてもまずいとは言えず完食しました。
後日聞いてみると朝食の時に漏れが食べていた
苺ジャムを見て思いついたそうです。
ちなみに祖父は苺ジャムを食べたこともなく
どんな味かも知らないままです
スレ違いの上長文スマソ
790 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 17:28
>789
完食したおじいさん思いの君に拍手!
791 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 17:41
ここのスレの人たちは
再会系の番組が好きそうですね・・・
「あなたに会いたい」みたいな。
792 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 18:43
>791
テレビ的演出は苦手だなあ。
本人が語る思い出話だから共感もしやすいんだよ。
793 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/03 22:25
ニュー速から来ました
ここが2ちゃんの台所か
いいスレがあるもんだね、アゲ
794 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/04 21:50
父の作った忘れられないものといえば、うちではレバサシです。
そう、あの焼肉屋とかで食べる生レバーの刺身。
折りしもO-157関連でどこに行ってもレバサシが食べれなくなっていた頃、
「レバサシ食いたいー!」と叫ぶ家族のために父が作ってくれたのです。
当然、家族全員で(゚д゚)ウマーと喜び食べました。
父は自慢気に「旨いだろーまた作ってやりからな」とニヤニヤ笑っていました。
そんな事が何度かあった後、父と一緒に買い物に行ったのです。
「おい、また今日もレバサシ食うか?」そう言ってニコニコ笑う父の手には
必ず加熱してお召し上がりくださいと書かれたレバーのパックが。
「それ、生で食えないってー」という自分に
「今までもこれ使ってたけど、大丈夫だったろ?」と父。
今まで加熱用レバーを生で食わされていたんですよ。。。
でも、誰も腹壊したりしないあたり、丈夫に育ててくれてありがとうよ親父って感じですかね。
そういや、犬の糞と一緒に取ってきたヨモギで草餅ならぬ糞餅作ってくれたこともあったっけ・・・
アニサキス入りのイカ刺しはちょっと怖かったけど、よく噛めば大丈夫だと教えてくれたのも父でした。
幼少の頃から自分はカナリ腹、鍛えられてるようですわ。
>794
妹へ
過去ログをよく読んでから書き込むように。
ごめん、お兄ちゃん。
どっかで見た話だと思ったらこのスレだった(w
799 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/07 10:56
800げっつ!
801 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/07 23:30
本家の方あげとこう
お父ちゃんの玉袋はおいしかった。
804 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/08 13:11
なんかやさしい気持ちになっている自分に気づく。
いつもは人の幸せなんか祈らないのに。
ここで書き込んでいる方々の幸せを祈ります。
>>803 疑似スレたってこっちに誘導されてたから。
家も父子家庭だった。
原因は親父の女好き。。
母親は小学校入学するくらいまで三回変わってるが、親父の甲斐性の無さからか
長く続かなかったらしい。で、親父が家事一切を・・
毎日の食事、遠足の弁当をせっせと作ってたっけなぁ(味はまあそこそこ)
俺が
>>1さんのようにまっすぐな気持ちで感謝できないのは、最初の母(生みの
母親)を親父が自分の都合で捨てたってことかなぁ。
実母は俺達兄弟を愛していたと聞く。泣く泣く離婚したと。その母は今でも一人
住まいで寂しく俺達兄弟のことを、どこかの空の下で思っているらしいと。
親父といえば、親戚に囲まれて、時間や金銭面でも不自由しない、比較的楽な子育て。
まぁ、感謝はしてるよ。そりゃぁ。。でも、俺は実母の事が可哀想でならないんだよ。
女としてじゃなく一人の母親として、子供を愛する母親としてね。
母の料理、食べてあげたい
807 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/11 11:00
保守age
808 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/12 00:34
同じく保守age
ついでに。今日突然職場にオカンが来た。「お昼に食べて」って言って、
お豆腐とオカラ煮たヤツ置いていった。
どちらもオヤジちゃんが今朝手作りして、私に食べさせたかったんだけど、
自分から渡すのが照れくさいのでオカンに頼んで持ってこさせたらしい。
何年か前にオヤジちゃんが初めて豆腐作ったときに、ウマイけどまだまだ改良の
余地があるなー、なんて酷い事言ってしまって。酷い娘だ、私。
それからオヤジちゃんは発起して試行錯誤で研究して、
今日の豆腐が自信作だったらしい。
本当に美味しかった。お世辞抜きで。舌触りといい喉ごしといい、
大豆の香りがふっくらとしていて美味しかった。
食べて速攻オヤジちゃんにTELして、「豆腐屋やろうよ、オヤジちゃんが作って、
私が売ってさー」と言ったら、「いや、まだまだだ。もっとウマイの作ってからだ」
って言ってた。でも嬉しそうだった。
オヤジちゃんの何年越しかの豆腐リベンジ。美味しいリベンジだった。
号泣しまくりだ、このスレッド…。鼻水かんだテイッシュの山が…。
私の両親は健在ですが、ココを読んで、
生きているうちに親孝行しないとなとシミジミ思いました。
一人暮らしが長かったオトンは、料理の腕はそこそこ。大抵の物は作ります。
なので、オトンの料理というものはないのですが、オトンの味、という物が我が家にはあります。
全ての調味料がごちゃ混ぜになって、さらに入れたお酒のアルコールも残っている、
何味だか表現できないのですが、敢えて言うならオトン味、みたいな。
昔はよく作ってたけど、今は再就職先の仕事が忙しいらしく、
夜も遅くて(日付変わって帰ってくる…)そういう機会もなくなったなぁ。
バレンタインでガトーショコラを作ったとき、
美味しいと食べてくれて、とても嬉しかったよ。
子供の頃は、仕事帰りに喜ぶからと言って、色々なお土産を買ってきてくれたりした
優しいオトンが今でも大好きです。妹達はそうでもなさげだけですが。
いずれ結婚したら、その時はめっちゃ泣くんだろうなぁとか思ってしまうのでした。
ハードスケジュールなのに、今週末車で千葉から岡山の田舎に帰る両親+妹。
これで交通事故でも起こして逝っちゃったら、一生ばーちゃんを恨みます(笑)
じーちゃんもあの世から呼ばないでね、頼むよ、マジで。
長文&駄レス失礼致しました。余り関係無いからsage。
あげとこ。
811 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/12 08:01
うちの彼氏のおとーさんが作る、スジ煮込みはさいこー!
812 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/12 08:11
オヤジのつくったラーメン。鶏ガラとサンマのスープ。美味い。
813 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/14 21:51
2ch 見出して初めて心温まるスレを見つけたので書いちゃいます。
うちの亡き親父は独身生活が永かったらしく、そつのない料理をしてました、
その中でも心に残るのは、”焼きうどん”
サラダオイルの代わりにマヨネーズを使うのですよ!!
今でこそ調理法としてある程度は認められていますが、
父がその焼きうどんを作っていたのは約30年前、
そんなこんなが高じて私は今外食産業を生業としていますが、
この世界につかればつかるほど父の頭の柔らかさに感心します。
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ット思う皆さん、
やってみてください、ほんとにおいしいから!!
814 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/15 00:59
あげ。
今日会社で見てたのだが、花粉症気味で良かった。(w
815 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/16 05:41
俺の親父は雑炊が得意。冷蔵庫の残り物を美味しく再利用。
しかし、俺が3歳の時に作ったあの雑炊はいただけなかった。
残ってるからってスイカ入れるんじゃねえよ!アホか!
無理矢理食わされた後、10歩ほど歩いて吐きました。耐え切れなかったらしい。
自称最高傑作の おいしくないやきそばとか、
割り箸をウインナーに刺してそのままガスコンロになぜかくべたり
料理と言えない料理だったけど、好きだった
父さん、お前ら殺してやるって言って消えたままだけど
また食べたい。もう4年になるけど
817 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/18 06:34
24才年下の妹。
ワラタ
何となく書きたくなった。少しずれてるかも知れないが勘弁。
料理つうほどでもないけど川原でやったバーベキューかなぁ。俺が20の時。
大学で遠くに出てしまった俺が久しぶりに帰省して、家族全員で。
親父が手馴れた手付きで火をおこしてくれたなぁ。
そのバーベキューをした3日後に親父が倒れた。
半身が不自由になってすっかり弱った親父を見てたら、
ああ、もうあんな風に料理してくれたり出来ないかなぁ、って少し寂しくなる。
生きてるうちにもう1回皆でバーベキューやろうな、親父
>817 ウチは21歳離れてる。
一応断っとくが両親とも自分と同じだ。
821 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/18 21:33
…泣きすぎて頭痛がするよ。
このスレ読んで、お父さんにやさしくしようと思った。
ダメダメなお父さんだけどさ。
嫌いな所も多いんだけどさ。
あのまずいお父さんの料理をまた食べたいと思う日もいつか来るんだろうな。
おいしいおいしいと言って食べてたちっちゃい頃のように。
うちの親父は不器用で、頑固で、間違ったことでも絶対間違っているなんて言わなかった。
そんな親父が、俺が中一のとき母がサラ金から金借りて、家を追い出された次の朝に
初めて朝飯作ってくれて、ワカメの入った卵焼きと、ちぎった海苔の入った味噌汁、たくあんの入った納豆、
それからなんだかよくわからない小麦粉の焼いたやつを、朝早くから作ってからみんな起きる前に仕事に出て行って、
テーブルのメモに「お母さんはしばらく帰らないから、まずいかもしれないが父さんの作った
めしで勘弁してくれ」って書いてあって、まさか親父が俺たち子供にそんな言葉かけるとは
全く思っていなかったから、驚いて妹と二人で朝飯食ったのを覚えている。
だけど、飯食い終わって学校に出ようとしたら一本の電話が鳴って、それが病院からの電話で
いきなり「お父さんは亡くなられました」って電話来て、何がなんだか分からず
妹と病院行ったら、血まみれで形も定かでない親父が横たわってて、医者に「出勤途中に車にはねられたんだ」
って言われた日の事は、今でもホント忘れられない。
今思い出しても涙出てきて、一生このことは忘れられない。
823 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/18 23:23
>822 泣いたよ…
お父さんも動揺してたのかもしんない。
サラ金から金借りた母親のその後が気になる。
828 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/20 01:16
父親は仕事で滅多に家にいなかった。
父との思い出なんてほとんどない。
たまに家にいるとき父はよくつみれを作ってくれた。何の魚か覚えてないけど、
すりこぎつかって作ってたのは覚えてる。
でも私はつみれが嫌いでいつも残していた。
家を出て6年。父親はやっぱり仕事で家にいないのでたまに帰省しても
会うことはまずない。
このスレを見て今度もしつみれを作ってくれたらおいしいといって食べようと思った。
料理が好きだった父はよくカレーを作ってくれた。
まず玉ねぎをバターで炒め、コンソメスープを加えてさらに煮込む。
トロトロになった所に、その他材料を放り込みさらに煮込む。
もう野菜なんか口に入れたら溶けて無くなるくらい。
一度作って「おいしい!」と言ってから、事あるごとにせっせと作ってくれた。
自分も仕事で疲れてたろうにね。本当に美味しかったよ。
だから俺は今でもカレー大好き。
830 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/20 06:26
朝からちょー油っこいチャーハン
胃もたれするし、油ギトギトのフライパン洗うのは誰がやるんだよオヤジ...
一品作ったくらいで「やれば俺もできる」を見せ付けたかったみたいだが
おまえのは献立から間違っている
他人のこと考えて作れ
立派になって…(ホロリ
833 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/23 18:57
ごめんなさい、泣きました・・・
2ちゃんねるにこんな良いスレッドがあるとは。
>829
親のおかげで大好きになった食べ物があるっていいなあ。
そういう思い出って素敵だ。
全部ネタでしょ
836 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/23 21:31
・・・春休みだねぇ
さびしいことです。
838 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/24 23:06
弟が入院して母がつきそってたとき、料理してくれた。
ジャガイモの太い千切りと卵をいためたやつ。塩味が効いてておいしかった。
時々おもいだしてつくる。
839 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/27 20:37
皆良い親父だな、俺の親父は愛人作って蒸発したわ。。
確かにそれは『忘れられないもの』だね(w
なんか(・∀・)イイッ!!話ばっかり・・・
漏れが三歳の時に両親が離婚しちまって、親父が母方の家に婿入りしてたから、
俺は母方に引き取られ、養育費もほとんどもらわず離婚となったらしい。
それから親父ともほとんど会うこともなくなったし、
養育費が全然出なかったから、元々キャリアウーマンだった、
うちの母親はそれこそ休日返上でいつも家に帰ってくるのは11時過ぎ、
土日しか母親と遊べなかったし、平日も母の会社に電話をかけ、
いつも何時に帰ってくるの?と母を困らせてたっけな。
それでも、祖父母がいたからあったかいご飯には困らなかったんだけど、
甘やかされて育って、母のご飯残してしまったりしてた。
そんなこんなで、いつか親父に会ったら養育費ふんだくってやろうかなと、
思ってたけど、このスレ読んだら、ご飯でもごちそうになろうかなと思ってます。
長文スマソ
842 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/28 19:23
俺の親父は母が死んでから、子供の為に母の実家で暮らすことにした。俺が3歳、
妹が1歳の時。じいちゃんも、ばあちゃんも、ひいばあちゃんも、とてもいい人
だけど親父にとってはやっぱり肩身が狭い。日曜日は毎週親子3人が食事当番
だった。どこかに遊びに行った帰りに食材を買ってきて3人で皆の分を作った。
すき焼き、焼肉、水炊きが多かった。ラーメンを最初から作った事もあった。
大人になって思うのは「お前!平日はくたくたになるまで働いて、休みは例外なく
俺らをどこかに連れてって休み無かったじゃねーかよ。」「子供の教育費ばかり
使って自分の為に全然金使ってねーじゃねーかよ。」って事。
けど、去年・・・・・
ってのは嘘でピンピンしてる。今は子供二人とも学校で家を出ている。
俺は今就職活動中だ。コッチで一流金融マンを狙うのもいいが、田舎に帰って
奴のそばに居て、子供の頃とは逆に毎週ゴルフに連れていってやるのも
悪くないと思っている。
843 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/28 19:37
↑カコイイ・・・。
844 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/30 03:13
うちは自営業なんですが、冬は風が吹き込んで、屋内と言えど激寒。
で、ストーブをつけるんですが、その上でお餅を焼くんです。
じいちゃんとばあちゃんが、私が店番してる時に
『餅いるか?』って、しょちゅう来てくれた。
自分たちだって、隣の店で同じような環境だし
70歳過ぎて、寒風の中にいるだけで大変なのに…
それなのに、なんか恥ずかしくて『いいよ!お腹いっぱいだし』
って、笑顔も見せずに言っててごめんね。
あと、ちょっとズレてしまうけれど…
夕飯の時に、『おばあちゃんの作るのが一番おいしいなぁ』って言ってたおじいちゃん。
『そうだねー』って言ってあげられなくてごめんね。
20そこそこでおばあちゃんにかなう訳ないけど、くやしくって言えなかったんだよね。ばかだったなぁ。
酒のみで、気が弱い癖にケンカっ早くて、そういうところは嫌いだったけど
本当の意味で私が大人になるまで生きてて欲しかったな。
どうしておばあちゃんと結婚したのとか、そういう話もしたかったよ。
あんなに可愛がってくれて、愛されてたのに
うまく返せなくてごめんね。。
845 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/30 04:41
家業がショットバーで母親がママさんだったので夜は父親と2人だったんだけど、
その日は熱を出していて、卵ご飯を食べたいと言って作ってもらった。父が卵ご飯
を作って持ってきてくれた時は私は、ほとんど眠ってしまっていた。ごめんね。
その後5年もたたずに父親は白血病になって亡くなったんだけど、食べられなかった
卵ご飯を思うと切ない。
父が作ったものじゃないんですけど、
こないだ自転車の鍵を探して父親の机の引き出しをゴソゴソ
やってたら、ハート型の表面の白い固形物があったんです。
よくみたら、チョコなんですよ。パパこれ、腐ってるんじゃない?
なんだ?と思ってよく考えたら私が小3の時バレンタインに
あげた初めての手作りチョコ。
でも10年ちかく大事に取っておいてくれてる優しさが、
嬉しくてたまらなかったです。
847 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/30 22:55
食えよ。
848 :
もぐもぐ名無しさん:02/03/30 22:58
10年前、大学を卒業して東京で1人暮らしをはじめた頃、
単身赴任で父が近くに住んでいて、良く料理を作ってくれた。
毎回,毎回ステーキとポテトサラダときんぴらのメニューだったけど
おいしかったよ!
ワインビネガーとマスタードのソースは最高だった。
あの頃は初めての東京1人暮らしで誰も知り合いがいなかったから本当に
うれしかったな。
今は親孝行として年2回は好物の寿司をたらふく御馳走しております。
親がいるうちに孝行しなきゃ駄目だと思うから、皆さんも
孝行した方がいいですよ。
850 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/02 20:47
このスレ見て、まだ学生なのに毎日酒飲んで
親のスネかじって引きこもってる自分から脱出しようとか思った。
でも思うだけなんだよなぁ。。鬱
851 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/02 21:33
うちの父は電気工事士。22歳のときに不慮の感電事故で
右手と右腕半分を切断、左手も指の根元の関節以外動かない。
25歳で結婚したときはまだ無職、翌年に兄貴が生まれたが
母は一家三人を食わせるために朝早くから夜遅くまで働いてた。
父は兄貴の子守りをしながら、自分でできる範囲で家事を
手伝っていた。昭和の初めの生まれだが、再就職を果たした後も
台所に入っては、自分が作れる可能性のあるものを作っては
食べさせてくれた。
電気工事士だけあって、簡単な電化製品の故障も直してしまうため
おかげで昭和40年に買ったトースターが未だに健在でいる。
さすがにとっくの昔に老化しているから、
2枚焼くともう黒焦げパンになってしまうため、様子を見ながら
焼かなくちゃいけないのが難点だけど、日曜日のお昼ご飯は
たまにこのトースターで焼く食パンで、みんなよく食べていた。
そんな父も今年で74歳か。
体のハンデをかかえながらも、身の回りのことは工夫して自分で
なんとかする、という考え方の持ち主なので、頭はものすごく
柔軟だ。長生きして欲しい。でもたのむから、左手の爪切りを
両足使って切るのは怖いからやめてくれ。
>851
>左手の爪切りを 両足使って切るのは怖いからやめてくれ。
おとん…体も柔軟なんだね…
自分も正月以来実家帰ってないな〜電車で2時間という中途半端な
距離が帰りづらい。もう自分の部屋は無くなって、弟や妹のものだらけだし。
スレ違いスマソ…
>852 実家にあなたの部屋はなくてもご両親の心にはあなたの部屋はあるyo
855 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/04 10:41
良スレなので一度あげてみる。
>853 ああ…レスが付いてたありがと。
いや、一応歓迎してくれるんですけどね>実家
自分がどうにも落ち着かないというかなんというか…(苦笑)
GWには旦那連れて顔見せに行くかな…
帰りにおかんの手作りミートソースとか持たされるので、ありがたいです。
あとおとんは料理全然出来ないんだけど、ケコーン祝いに包丁と手作りまな板
くれました。(おとんは大工なので)
でも今の部屋は台所が狭いので、まな板が使えない(泣)
なんかスレ違いばっかりでスマソ…
いい親持ったな。大事にしろよ・・・
『おやき』と呼んでいた溶いたメリケン粉に刻んだ
葱をいれて焼いたもの
わざわざ、七輪を出してきて焼いていた
親子二人して焼けてくるのをじっと見つめていた
親父は俺をぽんぽん殴ったが俺はできず終いだった
ちくしょう一辺喧嘩したかった
父の作る親子丼。
いつもお鍋いっぱいに鳥と卵の汁物にしてしまうの。
親子丼て……平べったい専用のお鍋に出汁入れて具を入れて
最後に溶き卵でとじるもんじゃないの?
とか言いつつ、それでもつゆだく(藁)にして食べてます。
それもまた、ウマー(゚д゚)……と思ってしまうのも、その父の子供だからかな。
厳密に言うと「作った」訳ではないのですが
子供の頃、日曜の昼食がお好み焼きのとき
ひっくり返すのは必ずお父さんの役目でした。
家庭用のホットプレートで1度に3枚焼くもんだから
私たちがひっくり返そうとすると
くっついちゃったり重なっちゃったりするんですよね。
でも父親はすごく上手に重ねずにひっくり返してた。
姉は嫁いじゃって、弟は大学進学で家を出ちゃったけど
またみんなでお好み焼きを囲めるといいな。
862 :
天国は良いとこか?:02/04/07 23:14
ウチの父は、良いところの子だったらしいのですが、母と駆落ちした人です。
で、私の幼いころはとても貧乏で、おやつなんかは全て父の手作りでした。
当時、○良県の片田舎で毎日クレープやホットケーキを食しており、
近所の子供の羨望の眼差しを受けてました。おかげで、自分の家が貧乏であることを
小学校低学年ぐらいまで気づきませんでした(笑)
あの世じゃ、貧乏してないよね?父さん・・・・
863 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/07 23:35
うわぁ・・・みんな色々つくってもらってるんだね
父といえば、道楽で採ってきたキノコで味噌汁って感じ
でっかいナメコのね。
>863 でっかいナメコの味噌汁!(゚Д゚)ウマソー!!
865 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/07 23:56
こ今日はじめてここにきたのですが、のスレを読んでとても感動しています。
私の父のことを…。
私の父は今年で48歳。昨年の11月に経営している会社をグランドオープンさせ
ました。それからというもの、大晦日も元旦も一日も休まず仕事をしています。
この間久しぶりに家に帰ったとき、母が体調を崩し何日か床に伏せっていました。
高校生の妹がいるのですが、遊び盛りか家事はまったくやらず家にいることも
ほとんどないんで、私が父の仕事を手伝い、家事を母のかわりにやりました。
こうして一週間ほどたってから帰ろうとした前の夜、父がこんなことを言いました。
「来てくれてありがとう。お前も大きくなったな。」と言いました。
そのときは何言ってんだ?としか思わなかったけど、今なら「こちらこそ、
ありがとう。」と言えると思う。また家に帰りたくなったな。
まったくのスレ違いで申し訳ない。
866 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/08 00:00
このスレかわいい!
かーちゃんが病気で寝込んだ日のとーちゃんがんばりメニュー。
冷凍ギョーザとごはんを炒めて作ったギョーザチャーハン。
白身と黄身の分離した卵スープ。クルトンがわりに食パン半分が浸ってた。
867 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/08 08:13
俺が幼稚園のころ、
父と叔父が2人でお菓子を作ってくれた。
祖父が生きていた頃に作ってくれたと、その時言ってた。
その時は気にもとめずに聞き流して、焼きたてをむしゃむしゃ食ってた。
あのとき、2人はどんな気持ちで作っていたのだろうかと、
このスレを読んで思ったよ。
今思うと、あれってワッフルだったんだな。もう20年以上前のことだ。
今度、田舎に帰ったら作ってみっかな。
高校生になった従兄弟にも食わせてみたい。
868 :
心が洗われた名無しさん:02/04/09 11:39
うちのオヤジも例に漏れず、不気味なモノよく作った。
煮魚入りラーメン(カレイ)とか、材料すらよくわからなくなってる不気味な半固形物とか。
でも、スキヤキだけはうまかった。母親もスキヤキだけは手を出そうとしなかったな。
漏れが就職して家を出てすぐにガンが見つかって、それからは入退院の繰り返しで、
もう末期でどうしようもない状態になっても、オヤジもそれを知っていたけど、また
オヤジのスキヤキを食わせてくれと頼んだら、元気になったら食わせてやるといって
たんだよね。
だって、本人は最後まで絶対にあきらめてなかったから。
奇跡を起こしてやるって最後まで言って、食道、肺、胃、肝臓にガンが転移して
からも、ガンに勝つんだって言って体力の続く限り食事をあきらめなかった。
最後に家族みんなで、無謀にも病室で鍋をした。
といっても一人鍋で、みんなでつついたんだけど。
兄貴が鍋と固形燃料買ってきて、病室で鍋作り出したときはびびった。
でも、オヤジは食う体力もなかっただろうに、すごくうれしそうだった。
兄貴は遠くで働いてたから、それから手紙を残して帰っていった。
『僕はお父さんの子供であることを誇りに思ってます。ラガーマンだったお父さん
から学んだことは、ノーサイドの瞬間まで決してあきらめないということです。
お父さんも僕たちの為に頑張ってください。』
という趣旨の内容だったと思う。
オヤジはそれを読んでボロボロ泣いて、それから1ヶ月くらいして、家族みんなが
見てる中で、死んじゃったんだけどね・・・。
870 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/11 12:45
全部ネタでしょ?>ALL
いや8割ネタかな
うん。全部ネタ。だからもうこないでね。
>>870 本当にかけがえのない、大事な人を失ったことのないヤシはネタかどうかすら
判断できないと思われ。
漏れはネタと思われるものはこの中にはなかった。
だから、心があらわれたようなきがして、自分の事も書く気になった。
書きながら、目から大量に汗がこぼれて大変だったけどね(w
うちの父はサバ缶を使ったサバカレーが大好きだった。
でも子どもの頃魚で好きだったのって鮭と秋刀魚くらいだった私は
父の作ったサバいっぱいのカレーは食えなかった‥‥
母が作るのは子どもでも一応食べられるようにって考慮があったせいか
辛うじて食えたんだけど、父のは自分の好みで作ってたから、
私や当時から悪食だった妹ですら殆ど食えなかったんだよ。
「不味いっ」て騒ぐ娘たちに「いい、一人で食べる」と拗ねた父。
あれ以来、二度とサバカレーは作ったことはないけれど
結婚して親元も地元も遠く離れた今となっては、少しだけ懐かしいと思っている。
・・・でも多分、あんなに山のようにサバ缶を入れたカレーは
今も食えないと思う。ごめん、父。
874 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/11 23:03
普通の話ですみませんが。
うちは母が勤め、父が自営だった関係で、土曜の昼などは父ごはんを食べていたし
そう外したものは作らなかった人なのですが、
昔、私が小学生の時、何を思ったか「キュウリ入りカレー」を作ってくれて…。
さすがにこれには姉と二人して大ブーイングだったので、
父にキュウリをよけさせ、普通のカレー化してもらってから食べました。
(鬼ですかわしら姉妹(苦笑
そんな父は今も健在で、孫におやつのピザトーストを作ってくれたりしてます。
ちなみに、姉が帰省してた時にこのキュウリカレーの話題が出て、姉が一言。
「あの頃はズッキーニなんか無かったし、今なら別におかしくないかもね」
…いや、私は今でもおかしいと思うよ(w
875 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/12 10:27
(・∀・)イイ!
>>870は(・∀・)カエレ!!
876 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/12 10:58
私が20歳過ぎた頃。父と母は別居をしました。
私は独り暮らしをしていて、それほど影響は無かったんだけど、
父は田舎から東京へ出て、独り暮らし。
皆一緒に住んでる時は、父は家事なんて全く出来ない普通のお父さんでした。
私一人で父の家に泊まりに行った次の日の朝。
父が朝ご飯を作ってくれました。
ご飯・味噌汁・納豆・アジの開き・おつけもの。
普通の献立なんだけど、汚れたエプロンと
頭にバンダナ変わりの会社用のハンカチをまいて、台所で悪戦苦闘の父を見てたら
涙がこみ上げてしまいました。「お父さん、すごいね」ってしか言えなかったけど
お味噌汁も美味しかったし、アジの開きも上手に焼けてました。
「美味しい」って言ったら、泣いてしまいそうだったので言ってあげれなかった。
次は言ってあげたいです。
877 :
もぐもぐ ◆No.4wgmg :02/04/12 11:51
878 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/12 14:54
ここ、いいスレですね。
私の父もあんまり料理しなかったんですが、
父が、たま〜に作って食べているのを見ると
すごく欲しくなっちゃって、よく横取りしてました。
なんかねえ、何にでもキャベツ入れるんですよ、キャベツ。
ラーメンとか、サンドイッチとか・・。
シンプルなんだけど、「ちょっとちょうだい」って言って食べると
すごくおいしかった記憶が・・。
末っ子でかわいがってもらったのに
最近顔見に行ってないっす!
むむっ・・反省。週末にでも逝ってきますね。とーちゃん〜
879 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/12 17:09
基本的に料理好きの父ですが、
すいとんをよく作ってくれました。
「旨いだろ?」と得意げな父、具もたくさん入っていて
すいとんもモチモチしていて、本当に美味しかったです。
880 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/14 21:47
age
881 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/14 23:25
ほんとここいいスレだ…。
うちの両親は5年くらい別居してた。
父が女を作って、ある日突然「しばらく家を出る」って
だけの書置き残して出て行っちゃったから。
父に女がいるのは、家族みんな知ってて、けっこう父を
無視してた。
晩酌のおつまみは母が作ってたけど、お酒の後のゴハンを
誰も作ってあげなかったんんだ。
父が自分で、チャーハンとおじやの中間みたいなのとか
インスタントラーメンを作ってる背中が、
父と離れている頃思い出されてたまに泪が出た。
今は、また両親は一緒に暮らしてる。私も一緒。
小さい頃は、とっても仲良し家族で、誰かの誕生日には
外食してケーキを買ってきてみんなで食べた。
雛祭りにもケーキかってきてくれたな>父
夏には、みんなでアイスを食べながら花火をしたり…。
5年間の空白の後、私にもまた家族みんなでゴハンを
食べられる幸せが戻ってきました。
父が今も作ってくれる、硬い卵焼きは微妙だけど美味しい。
家族みんなで食卓を囲める時間て限られてると思うから、
私はいつも「おいしいね。ゴハンがおいしいっていいね。
みんなで食べられるのっていいね」って
言うようにしてる。
母も「今が一番幸せかもしれないね」て言ってます。
ちょっとずれてる上に長文で失礼しました。
882 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/14 23:29
自分が小さかった頃に、
一度だけ父がオジヤを作ってくれた事があったっけなぁ〜
なんだか異様に「味の素」フレーバーが濃いオジヤで。。。
「あの時のオジヤはすごい(マズイ)味だった」などと話題にすると
父は妙に不満そうな顔をします。
でも、良い思い出だなぁ。
883 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/15 02:07
五歳の時に父が作った黄緑色のカレー…
食べるとミントを100倍にしたようなスース―感のあったあのカレー…
一撃で胃を悪くした破壊力抜群のあのカレー…
どんなに洗っても匂いが取れず結局母の嫁入り道具の大鍋を泣く泣く捨てたあのカレー…
上の姉が二日寝込んだあのカレー…
ウ○コがビリジアン色になったあのカレー…
意地になって一皿食べて、作成者の貴方も一日仕事を休む羽目になったあのカレー…
使ったのはヨモギだと言っていたあのカレー…
あれは本当にヨモギだったんでしょうか…
大鍋に満タンに入った鮮烈な黄緑色のカレーは、忘れようにも忘れられません…
884 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/15 10:08
885 :
遅レス・・:02/04/15 17:17
すごい遅レスでスマソ。
>>853 >852 実家にあなたの部屋はなくてもご両親の心にはあなたの部屋はあるyo
いい事言うよホント・・・。実は私も実家ってもんが無く、
独り暮らしですが、何か、いつも帰りたい気持ちが、どこかにある。
どこにも無いんだよ。帰って本当に落ち着く場所なんて。
だけど、この言葉には救われた。幸い両親とも生きてる。
きっと自分のこと、そう思っていてくれてると思う。頑張れそうだ。ありがと。
こう思ってる人って、たぶん多いんだろうな。
スレ違い&遅レスごめんなさい! いいスレだからageもかねて!
886 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/15 17:31
うちの父は弟の入院で母がつきっきりで病院行ってた時にチャーハソ作ってたな。
特別美味しくもなかったが、まずくもなかった。
それ以来、父が料理してる姿を見た事はないけど。
887 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/16 00:24
保守age
888 :
もぐもぐ ◆No.4wgmg :02/04/16 00:57
ぞろ目ゲットあげ
最初に>853を見た時は「クサッ」と思ったけど(ごめんなさい;)
>885でじんわり、じんわりきた。
子供たちの中で一番ふらふらしてて、立場ない自分だけど、親の心占有率はぶっちぎりで高いかも(w
うわーありがとう。大好き。なのにごめんね父母。
またお鍋しようね…。
890 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/17 05:38
良いスレだね。あげ
891 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/17 14:35
お父さんが作ってくれたもの、おでん、ポテトサラダ、あら煮・・・
数えればきりがない。
どれも、おいしかったけど一番はおでんかな。
おっきい鍋にいっぱい作ってくれてたよね。
おいしいっていうと、4日くらい同じ料理がでてきてね。
おかあさんと、お姉ちゃんとヘタに美味しいって言わない方がいいなんて、
こっそり言ってたんだ。
あんな、急に死んじゃうなんて思ってもいなかったから・・・。
ごめんね。
お父さんが、脳出血でおうちで倒れてる頃、私何も知らず、お父さんにウソついて
その時付き合ってた彼と旅行してた。
家に帰る飛行機の中で、ウソであってほしいってずっと思ってたよ。
でも、お父さんはホントに死んじゃってた。
お父さんの冷たくなった顔を触ったら、ウソついて旅行したことをすごく後悔した
ごめんね。おとうさん。
私が留年したときも、「あと2年だろ、お父さんがんばるから。おまえもがんばれ」
って怒らなかったね。働き過ぎだったのかな。
本当に、本当にごめんなさい。 私はお父さんの子供で本当に幸せでした。
51歳なんて若すぎるよ。お父さん。
お父さんの作ったおでん食べたいよ。もう二度と食べることはないのだろうけど。
長文、乱文ですみません。どうしてもお母さんには、未だに
本当のことを言えずにいるから、誰かにきいてもらいたかったのです。
>>891 死にめに会えなかったのは、お父さんが見られたくなかったからだよ
893 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/17 23:05
なげーよ、今から読んでらんねーよ、誰か泣ける奴だけ教えてください。
>893 全部読めば泣ける。
暇な時に又おいで。
>>893 確かに、閑なときに読んだ方がいいよ。
最初読んだときは、酒飲みながら、だったけど。
一時くらいから、四時か五時くらいまでかかった記憶がある。
途中で読むのやめる気にならなかった。
後悔はなかったよ。
896 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/18 10:33
>896
>書いている人の気持ちがわからない貴様は氏ね!
ばかやろぅぃ!
とーちゃんは2chで煽りに煽り返すようなヤツにお前を育てた覚えはねぇ!!
というか、896は読みたがってるんだから、
いいやつじゃん。
899 :
乱文です ◆vdbG05GA :02/04/18 14:07
こんなに泣いたスレはお母さんのおやつスレ以外にないです。
私は今高校二年生なのですが、私の父は本当にアフォだと思って生活してきました。
ホテル勤めという外聞のいい職業とは裏腹に、酒・タバコ・パチンコなどギャンブル全般・暴力など、
だらしなく酔っ払っている姿しか見たことがないと思い込んでいました。
でもこのスレを読みながら冷静に考えると、夜中急にすごく辛いカレー、サイコロステーキなどを
作り始めては私たち娘(三人姉妹)に食べさせてくれたことがあったな・・・。カレーは本当に辛くて
おいしかった。サイコロステーキも私たちが肉が大好きだということを考えて作ってくれた。
あ、ラーメンなんかも鶏がら、野菜などから出汁をとり、母親が作ったチャーシューのたれと
あわせて作ってくれたこともあります。
よく母親とケンカして、殴る・蹴るは当たり前になっちゃってるけど、あたしも往復ビンタ何度となく
くらったけど、やっぱり料理は愛情以外のなにものでもない…
もうちょっとお母さんを大事にしてあげて。なかなか夜勤とかで家に帰ってこないお父さんを
やっぱり待ってるんだよ。ママはあんたがなかなか帰ってこなかったから病院で一人であたしたちを
産んだんだよ。ママは寂しいんだよ。
がっこうさぼってごめんなさい。あたしもいい子になるからお父さんももう殴らないで。
ママを殴らないで。
すみません、訳分からないですよね。板を汚してしまってすみませんでした(´Д`;)
900 :
乱文です ◆vdbG05GA :02/04/18 14:08
900
901 :
もぐもぐ ◆No.4wgmg :02/04/18 14:40
>>899 乱文ぶりがあふれる気持ちを表しているね(w
でも、暴力はいけないことだし、オヤジの気持ちを理解してあげるのはいいこと
だけど、それと暴力は別。
スレの影響を受けて必要以上にオヤジを美化するのではなく、オヤジの愛情に
気づいてあげられた上で、もっとそのオヤジとお母さんと、家族が幸せに
なる為に、努力をしてあげましょうね。
駄レススマソ。
902 :
乱文です ◆vdbG05GA :02/04/18 14:42
>>901 レスありがとうございました。
努力します!!!
903 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/18 19:50
父子家庭じゃないけど母もいたけど高校の時のお弁当は
いつも父が作ってくれた。
そして毎日同じメニューだった。
ごはんと、おかずはいもだった。
みんな鮮やかな弁当でいいな・・・・と思ってた。
ある日、「お父さん、こんな弁当恥ずかしいからいらないよ!」と言ったら
次の日はいもの他に、昆布の佃煮が入っていた。
父の精一杯の愛情だったんだな〜・・・・・・
あのころは何も思わなかったけど高校卒業して20年。
父が年老いた今は、いい思い出だよ。
904 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/18 22:32
うちも父子家庭じゃないけど…
母親が寝込んだ時なんかに必ず出てきた
ポテトサラダ。
味はよかったけどひとつ気になることがあった。
料理前は汚かった父の手が出来上がる頃には
とてもきれいになっている。
まさかあの手で直にゆでた芋をかき混ぜていたのだろうか。
聞けないうちに親は離婚してしまった。
今頃父はどうしているのやら。
まだあのサラダを作っているのだろうか。
905 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/19 06:39
そろそろ次スレの時期か。
891です
892さん、ありがとう。
父が死んでから5年間、ずっと罪悪感と後悔ばかりでした。
今回、ここに書いて、892さんの言葉をみて、泣いちゃいました。
そんなふうに、励ましてくれるなんて思ってもみなかったから。
本当にありがとう。 感謝します。
そんなに感謝されなくても・・・
自分の場合は逆で、ガンだった父を初めてお見舞いに行ったら
様態急変。家族(母、妹、弟、親戚)に連絡。
そのまま、お亡くなりに・・・・・
結局、誰にも連絡がつかなくて遊びに行っていた母がとても後悔してた。
きっと親父は俺に何か伝えたかったんだと、
そして苦しんでいる姿を母に見せたくなかったんだと思ってる。
あんたの作った醤油チャーハン美味かったよ。
次、生まれる時もあんたの子供になりたいよ。。。
_ . _
,. '"´ ̄ .  ̄`゙ヾ´ ̄ . ̄`゙ヽ、
/ . . . .. ..:.:.:::;:;:;;;:.:.. . . .:.:;:ヽ、
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i . . ...:.:..:;:;;;;;;:.:.. .. ..:.::;:;;i
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! . . . ..:.:.:::::;:;:;;;;;;;;:.:.. .. ..:.:.::;:;:;;!
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ヽ. .. ..:.:.:.::::.:;:;:;;;;;;;;;;;;;;::.:.... .:.:.:.:::;:;:;;;〆
ヽ、::::;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;;;;:.'"、:;;;;;;;;;;;;;;;;;;: '
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄
よく父が取ってきてくれました。
;'⌒ヽ_ _ . _ _...___.._.___!'⌒ヽ
'、 .::`; . . ..:.::::;:;:;;;;;;;;:.:. . . .:.::;:;;i . .::;i
;' ..:.:.:::;ノ⌒ . ..:.:.::::::;:;:;;;;;;;;:.:.. . . ...::;:;;;! `!
、_ ,.ノ~ ̄^ ̄^^~ ̄~~ ̄~~~ ̄~~~~~ ̄^~~~~;i、 _;:ノ
ごちそうさまでした。
910 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/21 16:49
下手な文でも気持ちが伝わってくる。
そういうのに弱いんだ、俺は。
911 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/21 17:48
うちの父は軍隊経験者だから、ナイフ使いが上手で
リンゴの皮むきとかめちゃくちゃうまかった。
おにぎりもきっちり三角ににぎってくれて崩れないんだよねー。
九州男児でほとんど厨房に入らなかった人だけど
実はなんでもひとりで出来る男だったのだ。
912 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/21 20:25
>908
原始の父カコイイ!!
昨日、私が彼を紹介するために実家に連れてきた。うちの父は結婚に反対で
(海外に住むことになるので)私といるときは話題にするのも避けるのに、
昨日はみずから台所でお茶をいれてくれた。決して上手なわけじゃないけどおいしかった。
昨日は具体的な話にまでいかなかったけど、近い将来この人達をおいて
出て行かないといけないと思うと迷う。本当にいいのかって。
フロに入っていても泣けてしゅがなかった。
なんか個人的な話でしかもしゅうしゅうつかなくてゴメソ。
な、泣ける……(TT
うちの父親はコックさんで、
文字通り厨房(2ch的表現ではナイ)が仕事場なため、
普通に料理が上手いので感動ってのはないなぁ……。
数年前まで、ワガママで口の悪いムカツク父だと思ってたし……。
ただ、数年前母が倒れた時に
毎日朝から一日分の食事の下ごしらえしながら仕事に行ってた……。
当時の漏れは、夜から早朝までの接客業のお仕事だったので、
帰ってきてからそれを朝食や妹のお弁当に仕上げた。
その時久しぶりに、父のことを父親と意識シターヨ。
なんつーか、自覚無かったけど漏れも長男だし、
協力して家を守ってるという感慨が……。
漏れももっとしっかりしなきゃナー。
>>911 男子厨房に入らずとは言うけれど、
炊事、掃除、洗濯と最低限自分の面倒見れなきゃ一人前の男じゃない。
……そんな感じのカコイイお父さんですな。
915 :
もぐもぐ ◆No.4wgmg :02/04/24 18:43
保守メンテage
916 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/25 15:58
新スレお願いします。
917 :
336 KB :02/04/26 16:11
なんでそう考えるかな?
友だちが教えてくれてここに来たんだけど
泣いた。笑った。そして怯えた。
でも、でもなんか、ありがとう。うまくいえねー
>918 いんや、それで十分だろ。
920 :
もぐもぐ名無しさん:02/04/27 14:49
昨日たまたまここを覗いて、いっぱい泣きながら今日やっと全部
読んだ。2ちゃんねるに泣かされることがあるとは思わなかった。
1さんありがとう。お話カキコしてくれた皆様ありがとう。
俺は親父が嫌いだった。
酒を飲むと、殴るからだ。俺も姉貴もよく殴られた。
オフクロは水商売に出てたから、いつも夜は俺と親父だけ。姉貴は塾でほとんどいなかった。
ある日、親父が俺を車に乗せて「市場にいく」と言い出した。
市場というのは、近くにある漁業市場のことだ。
俺は行きたくない、と言ったけど、親父は無理やり俺の手を引いて俺を連れまわした。
生臭い市場は、嫌いだった。床はヌルヌル、生魚の切れ端みたいなのが転がってる。
顔をしかめてる俺に、親父は小さなスプーンを渡した。
「なに、これ?」と尋ねると、親父は「これでな、あのおっちゃんとこのマグロのあらを掬うんや」
と言った。マグロの骨にこびりついた赤身をこそぎ落とせ、と言うのだ。
渋々と、マグロの赤身をスプーンでこそぎ落とした。
紙皿にすき身を盛って、親父の所へ持って行くと、親父はそれにざっと醤油をかけて、
俺に食わせてくれた。ビックリするほど甘くて美味かった。子供心に驚いたのを覚えてる。
美味い、という俺を撫でて、親父は魚屋のおっさんと競艇の話を始めた。
ロクな思い出の無い親父だったが、昨年、肝臓をやられて死んだ。
今でも、マグロの刺身を食うたびに、酒に焼けて赤ら顔になった、あのクソ親父を思い出す。
あのな、クソ親父。俺な、あんたと同じ銘柄の煙草吸い始めたぞ。
マズいな、この煙草……
923 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/01 02:52
どの話もイイ!!
久々にマターリとした気分になりますた。age。
924 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/01 13:06
もう30年も前に、おやじの実家(大阪市内)でエースコックのインスタントラーメン
(ワンタンメン)にキャベツを入れて食った記憶が鮮明に残っています。
悲しいことにごっつうまかった。
そのとき同時にマルタイの棒ラーメンもあったような?
しかし、ばあちゃんちでなんでインスタントラーメンを食わされたのか?
そのおやじも定年退職後急速にぼけがはじまってしまいました。
925 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/02 21:04
926 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/02 21:05
927 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/03 04:03
シチューに見慣れないものが入っていて
よけながら食べてた。
なにこれ?って聞いたら
母が「大根よ。今日お父さんが作ったの」って。
あれから父が台所に立ってるのを
見てない。
928 :
187、214:02/05/03 19:38
報告が遅れました。今更とは思いますが、ちょっと事後報告を。
ここに書いた当時は高校生でした。
祖父が死んでからしばらくして、私は、「モノカキ」「農業」「ヒモ」の四択を迫られていました。
ハイそこ、「最後が情けねぇな」とか云わない。候補には入ってますが選ぶ気は流石に…
…ちょっとだけしかなかったですよ。<情けない男の見本
ま、まぁ、それはおいといて。私の長年の夢は「モノカキ」なんです。
母や祖母には猛反対されましたが、祖父だけは「したいことをしろ」と
突き放すように…今にして思えば俺の事を気遣ってくれていたのでしょうが、
兎に角、そう云ってくれていました。
でも、本音は俺に農家を継いで欲しかったのだろうと思います。
色々と悩んだ末、俺は農家を継ぐ事に決めました。
せっかく土地を残してくれているのだし、体を動かす仕事も好きですから。
そして、それの報告に仏壇で祖父と一緒に飲むことにしたんです。
祖父が死んでから早9ヶ月。今までのことを振り返りながら、祖父の好きだった
日本酒を飲む。
もちろん祖父にもコップについで出してやりましたよ。
ちなみに祖父はお酒は大好きでしたし、かなり強かったです。
俺は好きですが、あんまり飲めません。二杯程度でダウンし、その場で寝てしまったんだろうと
思います。
…夢で、じいちゃんと会いました。
929 :
187、214:02/05/03 19:38
日常の話や最近あった話なんかを一通り話した後だったと思います。
これからの話で、「俺、農家をつごうと思う」と切り出したところ、
「無理するな」という声。
あったかくて、懐かしくて、俺が求めていたもの。
振りかえると、そこには確かに、じいちゃんがいました。
どうしてここに…?そう云いたかったのですが、声が出ません。
気がつくと俺は、泣いていました。
そして、口から勝手に零れた言の葉が一欠けら。
『高校生で家の主』
それは、俺にはとてつもなく重い足枷でした。
「頑張ります。」
違う。
『お前にかかっている』
親戚の方々は、そう云っていました。
「これからもよろしくお願いします。」
違うんだ。違うんだよっ!
『高校生なのに、随分しっかりしてるねぇ。これなら安心だ』
大人達は俺を見て、そう云いました。
「ありがとうございます。」
俺に…俺に、期待なんかしないでくれ…。
祖父が死んでから、一度も涙を流していませんでした。
「強く有りたい」それが俺の、望みでした。
祖父に負けぬよう。
期待に応えられるよう。
自分を抑えてでも。
『俺がやらなければ』『俺が頑張らなければ』『俺が…俺が、支えなければ…』
930 :
187、214:02/05/03 19:39
「…ムリ…なんか、してっ、ないっ…」
明らかに強がり。でも、何故か出てきたのはこの言葉でした。
そんな俺を、祖父は優しい目で見つめながらこういってくれました。
「…馬鹿孫。俺の前で無理しても、しょうがないぞ?
いいか。俺の土地をちょっと売れば、充分食っていける。
お前には、他にやりたい事があるんだろう?なら、それを目指せ。
なぁに、もし失敗したら、農家をやればいいさ。
…でもな。誰かの為に夢を諦めよう、なんて思うな。
やりたいことを、好きなだけやれ。俺が出来なかった分まで。
周りの期待に答えよう、なんて思わなくていい。
それが俺の望みだ。…俺は、ずっと見てるから。
俺の分まで楽しく生きろ。お前は俺の、誇りだ。」
…俺が欲しかった言葉を、じいちゃんは全て言ってくれました。
情けなくて、でも、嬉しくて、嬉しくて。
こんなにも愛されていた事を改めて知って。
こんなにも愛していた事を改めて知って。
俺の顔はぐしゃぐしゃの、泣き腫らした幼児みたいだったと思います。
「…さて、そろそろ行くな。次に会うのはお前が死んだときだ。
カンタンにこっちにくるんじゃねぇぞ。来たらたたき出してやるからな。
…と、そうだ。悪いが、セブンスターをお備えしておいてくれ。
お前のハッカみたいな味する煙草は不味くて吸えない。」
そういうと、祖父は背を向けて歩いていこうとしました。
まって。おれのいいたいことが、まだいえてない。
じいちゃんがしぬまえにいってくれた、おひさまみたいにあったかいことばが。
「ぁ…りがとう…ありがとう、ありがとうありがとうありがとうっ…!」
最後は殆ど叫びに近かったと思います。
じいちゃんは一度だけ振り向いて、にっこりと笑ってくれました。
その目に光る雫があったのは、俺の気のせいだったでしょうか。
遠ざかるじいちゃんを見ながら、俺の意識は途絶えていきました。
931 :
187、214:02/05/03 19:40
朝起きると、空のコップが二つ。
…空?
こぼした様子も無し。俺が飲んだのかとも思いましたが、コップは仏壇の上です。
簡単に手が届くとは思えません。
何気なく足元に転がっていた一升瓶を見ると、…あ、れ?これも…空っぽ?
やりやがったな、あんのクソジジィめ。俺の小遣い一月分を飲み干しやがって…。
…美味かったか?
何故か親指を突き出しながら「おう!」とでもいいたげなじいちゃんの顔が思い浮かんで、
俺は勝手に「次は小遣い三ヶ月分の酒を買おう…」と、心に誓いました。
羨ましいだろう?でも、まだまだだ。俺はこれから、もっともっと楽しんで生きてやるよ。
なぁ、そうだろう?クソジジイめ。
P.S.俺の記憶の中では祖父は一度たりとも煙草を吸っていませんでした。
後で祖母に聞くと、
「おや、よく知ってましたね。あの人、あなたが生まれる前までは凄いヘビースモーカーだったのよ。」
…だそうです。「ハッカみたいな煙草」は、恐らく俺のマルボロメンソール・ライト…。
ハッカみたいな煙草で悪かったな。これからはセブンスター吸ってやる。
P.S.2
スレの趣旨とまるっきり違いますね…。本当、申し訳無い。
スレ違いとして煽ってやって下さい。凹みます。俺が。
ネタのようですが、まるっきり本当です。
(祖父の話もまんま同じのはず。脚色無し。覚えてる限り。)
あと、214にレス着けてくれた方々、どうもありがとう。
自分なりに意味は掴めました。答えは、数十年後に聞きにいく事にします。
三択では・・・
ウチは、ある事情で父親不在の家でした。だから、母方の祖父が父親替わり。
で、その祖父は、戦争前に東京に出てきて浅草の洋食屋で丁稚奉公をしながら勉強してた
苦学生だったのね。
だから、うちの祖父の作ってくれたお料理は、祖父の年齢に似合わずとってもハイカラだった。
絶品はオムライス。ドミグラスソースをこしらえてチキンライスもきちんと炊き込んで、行儀
よく鎮座したチキンライスの上に生クリームいりのプレーンオムレツ。
食べる直前にそのプレーンオムレツを『スパっ』っとナイフで十文字に切るんですよ。そうする
と、見事にプレーンオムレツがひっくり返って、半熟の面がでてくるの!あの鮮やかな手つきは
何度教わっても結局作れなかった。
もう亡くなったから、レシピは残ってるけど私には作れない。
ずっと、詳しい事を書いてくれるのを待ってました。すっごい泣きました。
おじいさんはもしかして、あなたが生まれたから喫煙をやめたのでしょうか?
きっとものすごく愛情そそいでくれたんでしょうね・・・
936 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/04 07:27
父の料理の思い出はカレー。いっつもデカーイ鍋で作ってて
得意げに「このカレーは水を使ってないんだぞ!」って言ってた。
水のかわりに、トマトジュースとかトマトの缶詰をドバドバいれてたみたい。
当時小学生くらいだった私の口には合わなくて、正直まずかったけど
子供ながらに気つかって、美味しい美味しい!って言っておかわりまでした(w
しかもデカイ鍋で作ってるから、その後ずっとカレーが続くんだよね。地獄(w
今は事情があって一緒に住んでないけど、この前父の家に行ったら
インスタント系の食べ物が山ほどあって、「これ全部100円だぞ、コンビニで買った。
安いだろ〜?」って言う父見てなんだか悲しくなりました。
これからは母とちょくちょくご飯つくりに行こうかな・・・
937 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/05 02:31
(‥;)
938 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/05 02:41
>936 是非行ってあげて。
休みの日に昼過ぎまで寝ていると、父が起こしに来る時がある。
テーブルの上にはパサパサの焼そばか、残り御飯がある時は
卵とウィンナーのしょっぱい炒めもの。
自分で作った方がおいしくできるけど、作ってるのに気が付いたら、寝たふりして呼びに来るの待ってる。
何だか嬉しくて。
もう年なんだからもうちょっと薄味にしなよ!なんて、言えないけど。
940 :
もぐもぐ名無しさん :02/05/05 22:01
2chでこんなスレに出会えるなんて夢のよう・・・・・
涙腺の弱い私は涙なしには読めませんでした
で、このスレ読んで父の手料理ってあったかなあ、と
考えてみましたが無かった・・・・・
母は何かあるかなと思ってきいてみたところ
私を出産したころ、体調を崩したのかなんだったのか
そのとき、丼物を作ってくれたような気がするような、しないような
とのこと。
私も母も父の手料理って知らないんだなあ
夕方仕事から帰った来た父に、何か食べ物作って
って言ってみたら「てめえでつくれ」だって
ま、へたになにか作ろうとして台所汚して
母に怒られたらかわいそうだもんな
我慢するよ
長文、関係ない話でスマソ
でもage
>940
家のおとーちゃんも手料理って記憶に無いよ…
母が体調を崩した時は、無理してでも作るか、布団から私と妹に指示出して
簡単な物を作らせるか、店屋物を取っていたので…
休みの日にホームセンターにくっついていくと、小さい頃家では禁止されてた
コーラやファンタを買ってくれたのでそれが思い出の味かも。
もう20年以上前の夏。弟が生まれる時、母がしばらく入院しました。
その間、私は父と2人で過ごしました。そこで父が作る食事は、なぜか
「なすの油炒め」。それも、毎日!
毎日、毎食、父と2人でなすの油炒めを食べました。でも
とっても美味しかった!夏ということもあって、なすが安かったんでしょうね。
貧乏だったので、安いに越したことはないし。
そんな中、なぜか1食だけトーストの日がありました。今となっては懐かしい
「ポ〜ン」と飛び出るトースターでパンを焼き、マーガリンといちごジャムを
ぬって食べました。しかも、それは夕食でした。
すっごく鮮明に覚えています。
父が作ってくれた母の脳みそ
944 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/07 02:27
sage忘れました。
スマソ
1000まで届け!
1000までいくぜ
おお、いってこい
950 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/09 23:06
オヤジの作ったもので、忘れられないと言えば、
地鶏をしめて、内臓出して塩もみして、腹の中に野菜詰めて
焚き火の中に突っ込む料理だな、
コレを肴に外で飲む焼酎のうまいこと、うまいこと
帰省したら作ってもらおうかな。
1000はまだか
まだだ
はやく1000よこい!
1000は歩いてこない
だから歩いてゆくんだね
1日1レス 3日で3レス
3レス進んで2レスもj
だけど1000が( ゚д゚)ホスィ…
>>935 俺なんかの話に泣いてくれて、本当にありがとう。
煙草を止めた理由ははっきりとは云ってなかったそうだけど、多分そうだと思います。
じいちゃんにまつわるエピソードは他にもあるんだけど、ここに書くのは他の方々の迷惑になるので
自粛しておきますね。
>>957 自粛しなくても(・∀・)イイ!!です。
それは新スレに書き込んでくださいね。
そして今日も1000まで目指します。
>>957 どうしても自粛してしまう場合は、
sageでこのスレに書いていくというのも
一応ありですよ。
1000までとどけ!
がんばって1000まで逝こう
がんばれ。
マターリ1000狙う
モターリ1000狙う
>>958.959
こちらのスレにマターリと下げ進行で、時々書かせてもらうかもしれません。
>>966 そんなこと言わずに、新スレにも書いてYO
969 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/24 00:32
971げっと・・・
闇鍋、なんか杏とか入ってた。ホッケも入ってた。とんでもなかった。
ほえー1000狙い
1000!はまだか
>>967 お気持ちは嬉しいです。でも完全にスレ違いなので、こちら(裏、と云えなくも無い)でコッソリと。
私の187の書きこみ自体、スレ違いですしね…。
とか云ってるうちに1000間近。では、昔のエピソードを。
前にもお伝えした通り、祖父は大酒飲みでした。でも、実はそれにも理由があります。
祖父は八人兄弟で、その中の長男として生まれました。
そして何故か、異常なまでに曾祖母に毛嫌いされていました。その理由は今でもわかっていません。
一度、「俺はこの家の本当の子供じゃないのかもしれない」と、戸籍標本まで見に行ったそうです。
紛れも無く、忌々しい曾祖母の血を引いていたそうです。
曾祖母は我侭、贅沢、その上ずる賢い、という最低の人間です。
私が世界で最も忌むべき存在だと思っているのが、曾祖母なのですから。
…何と云われようとも、許す事は出来ない。
祖父はまともに学校にも通わせてもらえず(小卒だったそうです)、ただ馬車馬の様に働かされる生活でした。
帰ってきても食べるものは無し。曾祖母と祖父以外の兄弟が全て食べ尽くしていましたから。
祖父の兄弟達も私は大嫌いです。まともな人は、一人だけ。
嫁入り道具から家にわたるまで、祖父は兄弟達に買い与えました。しかし、感謝している人はいません。
唯一の「例外」である方はその申し出を断っていました。「兄貴にばかり迷惑をかけるわけにはいかない」と。
…他の方々はそれがさも当然であるかのように、貰うだけ貰ってあとは知らん振り。常識の範疇ではありません。
貧しい幼少時代を経ても、全く良い方向へは進んでいませんでした。むしろ悪化したとも云えます。
曾祖母はあろうことか、ありとあらゆるところから借金をし、そのお金で豪遊していたのです。
返すのはもちろん祖父。そんな祖父のところへとても奇特な方が見えました。祖母です。
お見合い結婚とはいえ、こちらの経済難はわかっていたはずなのに・・。不思議です。
祖母もまた良く働く人で、ちょっとずつではありますが、借金を返し、確実に財産を増やしていきました。
その間ももちろん曾祖母の嫌がらせは続きました。食べ物を隠す、家に鍵をかけて入れなくする…。
…あの馬鹿が何を考えていたのか、知らないし知りたくもありませんが、その血が私にも混じっていると考えると吐き気がします。
そして、家も大きくなり、兄弟達も(一応)一人立ちし、子供も出来、あとは幸せな生活が待っているはずでした…。
ある程度生活にも余裕が出来、祖父は仕事はきっちりとこなすかわりに暴飲暴食の日々を送っていました。
昔食べられなかった反動だと思います。食べることが出来ない、という苦しみを私はあまり理解することが出来ません。
もちろん、とても苦しいことだとは思います。でもこの飽食の時代で、それを知っている人はどれくらいいるのでしょうね。
そんな生活を数年続けていたある日、祖父は倒れました。検査の結果、成人病…今でいう生活習慣病に蝕まれていました。
重度の糖尿病です。入院生活を余儀なくされ、祖父はとても苦しんでいたそうです。
「自分が働かなければ家族を養うことが出来ない」という、重い枷があったからだと思います。
数ヶ月の入院で、祖父はどうにか退院することが出来ました。しかし、血糖値などの問題から、
「食べる」だけでは働けなくなっていました。そこで何をするか?注射です。自分自身の手で、朝晩一回ずつ。
治ることの無い祖父の闘病生活は、この時本当に始まったのかもしれません。
この板を見ている方々、もうちょっと貸して下さいね。1000争奪戦の前には終わらせますので。
1000まで上れ♪
977 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/27 20:33
978 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 09:31
お父さんが作ってくれた料理の内容は覚えていないけど
何かしらこしらえたくれた記憶がある。
979 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 09:32
何を作ってくれても美味しかったけど
カレーだけは母が作ったもののほうが美味しかった。
980 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 09:34
遠足のお弁当も父が作ってくれた。
その頃父は体を壊して仕事をしていなかった。
981 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 09:42
思い出した!
ハンバーグ、コロッケ。
ポテトサラダ。
あと、あと・・なんだっけ。
982 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 09:46
おにぎりとみそ汁。
983 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 09:54
料理が上手だった父は病気で塩分や水分の制限があったから
私達のご飯を作るのは辛かったと思う。
書いてるとドンドン思い出してきた。
茶碗蒸し、野菜炒め。
働いてる母に替わっていろいろしてくれたっけ。
984 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 09:57
ここは187さんのスレだったのね、
書きたいことたくさんあるよね?
ごめんなさい。
これで失礼します。
>>978->983は全部983でした。
986 :
もぐもぐ名無しさん:02/05/28 10:33
ハチャメチャにしょっぱいダシ巻き卵
じょっぱり1000たまご。
1000ねらいほしゅ