思い出に残る食事 2

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886もぐもぐ名無しさん:02/02/10 17:57
age
887もぐもぐ名無しさん:02/02/11 04:24
感動したage
888もぐもぐ名無しさん:02/02/11 08:26
半島から来た祖母。嫌も応もなく帰化「させられた」そんな時代。

最初から日本人として育った 私の母親の味覚は
もちろん日本の現代っ子のそれに近かった。
ハンバーグスパゲティカレーシチュー。

その子供である私も当然のごとく日本人として育ち
普通の現代っ子の食味で育った。
ハンバーグスパゲティカレーシチュー。

たまの両親不在の折 祖母の作ってくれた味はあまりにエキゾチックで
「日本人」である私にはなかなか馴染めるものではなかった。
帰化して数十年を経ても 言語的にちょっとコミュニケーションの
とりにくい祖母にいらついたのか つい言ってしまったこころない言葉。
「おばあちゃんの料理 おいしくない」

祖母は眉尻を下げ「ゴーメンねェー」と
ちょっと違ったイントネーションで私に謝った。
私は憤慨したまま食事を残した。当然のように。

そんな 誰にも言ったことのない血筋の秘密。自分でさえ忘れたまま
いつしか祖母は鬼籍に入り 私は大人になり 社会に出ていた。
いつもの飲み会。誰かが「いつもとは違う本格焼肉」とうたって
本場韓国料理屋を予約した。聞いたこともないメニューの数々を
どんな料理かも知らぬまま面白がっていろいろ注文する自分がいた。


驚いた。

祖母の味だった。


「おい なに? どうしたのよ?」
気づかってくれる同僚にさえ話しようもない
「味」の そして「祖母」の記憶。
「別になんでもないよー」と笑いながら 涙を流し続ける私。
ぼろぼろと。しまいにはわんわんと。人目憚らず。

こんなに離れてたのにやっぱり「血」なのかな。
やっぱり私はお祖母ちゃんの孫だったみたい。
今一番食べたいモノは
やっぱお祖母ちゃんの「祖国の味」なんだよ。
ハンバーグスパゲティカレーシチュー なんかよりさ。
889もぐもぐ名無しさん:02/02/11 09:10
잘 된네.
할모님도 깊으실거에요.
890もぐもぐ名無しさん:02/02/11 22:33
>>888

またおばあちゃんに会えて良かったね。
味覚の記憶の中に、おばあちゃんは生きているんだね。
891もぐもぐ名無しさん:02/02/13 03:36
>>888
(;´Д`)
  ↓
(  ゚Д゚)
  ↓
(#゚Д゚)
892もぐもぐ名無しさん:02/02/13 04:06
>>891
意味わからん
893もぐもぐ名無しさん:02/02/15 15:39
妻が出産の際に入院した晩に出た病院のご飯。
エビフライが付いてたんだけど、妻は陣痛のため食べられない。
そんで俺が食べた。
美味かった。
妻はにっこり微笑んでいた。
美味しい良かったねと。
その数時間後・・・(涙)
894 :02/02/15 15:49
>>893
おい!どうした!
895もぐもぐ名無しさん:02/02/15 16:43
>>888
ナケタヨ・・・
896もぐもぐ名無しさん:02/02/16 03:39
>>893
その後の続きを早く言え!
897もぐもぐ名無しさん:02/02/16 05:04
幼稚園のころ、
隣の離れに住んでいたひいおばあちゃんは、
チョコとクリームソーダが好きな明治人だった。
酒屋さんに一月に一ケースの三矢サイダーを配達してもらっていて、
それと業務用の大きなパックのアイスクリームと組み合わせたクリームソーダは、
子供ながらに「王様の飲み物」だと思った。遊びに行くたびに飲ませてもらった。

ひいおばあちゃんの部屋に遊びに行くと、
いつもアルファベットチョコ(知ってる?)を一掴み、
病院で処方されるシップ薬の空き袋に入れてくれた。
チョコはシップ臭かったけども。

ひいおばあちゃんとは夕食を一緒に食べていた。
電話で呼ぶと、隣の家の離れから5分ほどかけて、
フウフウいいながら歩いてやってきた。
僕の母親がつくるご飯を、
「こんなおいしいものは初めて食べた」と毎回毎回感激して食べてくれる
「作り甲斐のある人」だった。幸せそうに食べる人だった。
好物は鯛のにゅうめん。鯛麺っていうやつ。
母親がひいおばあちゃんの誕生日になると作ってあげてて、
それでも毎回「こんなおいしい鯛麺は初めて」といってうれしそうに食べてた。
僕は子供だったから、正直あんまり鯛麺は好きではなかった。
でも、幸せそうに食べるひいおばあちゃんのおかげで、そんなに食事は苦痛ではなかった。
むしろ、楽しみだったかも。

ひいおばあちゃんは90で亡くなる寸前にボケた。
自分の孫である父の事が分からなくなってしまった。
でも、ご飯を作っていたせいか、母のことは覚えてた。
「あんたはウチの嫁や」って、いつも感謝していた。
ときどき母にお小遣いもあげていた。
(そのお小遣いが今、僕の学費になっているのはまた別の話)。

今でも、三矢サイダー(とアイスクリーム)・アルファベットチョコ(とシップ薬の袋)・鯛麺を観るとひいおばあちゃんを思い出す。
898ことなかれ主義。:02/02/17 19:53
小学校低学年の頃、正月に同じアパートの住人達と餅つきを
した記憶は今も鮮明に残っている。

凄く楽しい一日だった。俺の目の前を1匹の大きな蝿が通って、
笑顔で餅つきを続けるオヤジの杵に突進するまでは。
愕然とそれを見つめる幼い俺。周りの大人達は誰一人気付いて
いない。餅のうねりに巻きこまれ、一瞬で姿を消す蝿。
こねているおばちゃんは笑顔を絶やしていない。近所のガキも、
弟達もやたらはしゃぎ回っている。笑い声が、何故か遠く感じた。
見ていたのは自分だけだった様だ。そんな中、何だか餅が灰色
がかった様に感じたのは俺の気のせいだったろう。

その後、皆美味しそうにそれを食べているのを黙って見ていた。
「どうして○○は食べないの?」
「…何だか、お腹痛くなってきた」
皆の笑顔を壊したくなかったから言えませんでした。
899もぐもぐ名無しさん :02/02/18 00:48
>>898 何か分かるけど…、自分だったら食べるかな。
     消防にもなっていない頃、
900もぐもぐ名無しさん :02/02/18 00:57
(ゴメン、間違って「書き込む」を押しちゃった。スマソ。)
いつも大好きなお菓子を菓子盆に取っておいてくれて
たまにハエがとまってしまったりすると
割烹着の前のところでゴシゴシ拭いてくれて出してくれた
おばあちゃんのこと思い出した。
関係ないので。sage
901もぐもぐ名無しさん:02/02/18 13:37
この頃になると思い出す食事。
小学生の頃に転居して、以前在籍していた音楽教室に片道一時間半かかって通っていた時のこと。
当時私は母につきそわれて教室に通っていました。
転居する前はレッスンが終わると私は母に小言を言われてふて腐れながら家路についていたのですが、
越境通学するようになってから、母はレッスンが終わってから駅で電車が来る迄のわずかな時間に
「レッスン頑張ったね、これ食べなさい」と教室の近くにあるベーカリーで焼きたてのミニあんぱんと
フルーツサワーを買ってくれていて、子供心に涙が出そうになりながらあんパン食べました。
その課程を修了する迄半年程この生活は続きましたが、あの頃を思い出しては少しじぃんとします。

あれから20年以上の歳月が流れました。
年をとるたびに周りの人達は「●● をたべた」とか「●●の店の××が美味しい」だのと
ちょっとグルメ自慢みたくなっているのが少し淋しいような気がするのは私のヒガミだろうか???
自分の中で「思い出に残る食事」を少しでも多く作っていきたいなと思いました。



902 :02/02/18 23:23
リアル消防の頃の話。

当時、中学受験の予備校に通っていた。
塾へ行く前に、マクドナルドへ寄り、食事を買っていく。
75分勉強し終えて、休み時間になると、食事の時間。

ハンバーガーをほおばりながら無邪気に友達と喋っていた。

バリューセットなんてお得なものは、まだ作られていなかった時代。
ハンバーガーも210円ほどしていたと思う。

塾に週6日通い、その半分の夕食はマック。
(半分はおかんの弁当だったが、俺はマック好きだったのでおかんに懇願してた)

我ながらたくましい小学生だった。よく身体こわさなかったな。

今もマックのハンバーガーを見るたびに、充実した小学5、6年の頃を思い出す。
相変わらず、大好きなんだよ。

マックで「すいません、ハンバーガー五個ください」というのが、今の決まり文句だ。
903もぐもぐ名無しさん:02/02/19 18:53
>>902
5個・・・5個・・・(´д`)おみそれしやした。
904もぐもぐ名無しさん:02/02/22 13:53
ていき揚げ
905もぐもぐ名無しさん:02/02/24 07:03
age
906もぐもぐ名無しさん:02/02/24 11:52
子供の時の話。
おやつが欲しくて戸棚を探したらにミニサラミソーセージの大きな缶が置いてあった。
サラミ大好きだった私は兄弟達に内緒でコッソリ缶を開け「1コだけ…」と食べはじめた。
サラミが美味しくて、もう1コ、もう1コだけ…と思ってるうちいやしくガツガツ全部食べてしまった。
夕方頃になったらなんだか気持ちが悪くなってしまい、先に布団をしいて寝てしまった。
どれぐらい時間がたったのか、気付くともう部屋は真っ暗になっていて隣の部屋から家族の話声が聴こえる。
兄「○子、気持ち悪いって寝てるよ」
母「あらっ!ここにあったサラミ、全部食べちゃったのね!気持ち悪くもなるわよ」
その会話が耳に入り、私は『ヤバイ!ここで起きたら叱られるかも…』と思ってそのまま寝ることにした。
足音が私の寝ている部屋に近付き、フスマの開く音がした。寝たふりしている私はドキドキした。
『お母さんだ…起こされるかな、叱られちゃうかな…』それでもタヌキ寝入りしていた。電灯が灯される音はしない。
そうしたらスッと、おでこに、ちょっと冷たい、柔らかい気持ちいい感触が降りてきた。
お母さんの手だった。
そのまましばらく私のおでこに手をあててた後、お母さんは静かにフスマを閉めて隣の部屋に移っていった。
「熱はないみたい、大丈夫よ」
隣の部屋からお母さんの声が聞こえた。お母さんに触れられるのはなんだかすごく久しぶりだった。
布団にくるまりながら、『心配かけてゴメンナサイ、いやしくてゴメンナサイ』と何度もあやまった。
907 :02/02/26 07:24
はじめまして。『思い出の食事』とは意味が違うし、私の直接の
話では無いのですが、食事に対しての思い出を書かせていただきます。

私が幼稚園だった頃、家族で安アパート住まいだったのですが、一件置いた
隣の部屋に、同じ幼稚園に通う女の子が住んでいました。私はその娘の弟の
方が人生最初の友達という事もあり、三人で仲良く遊ぶ事もよくありました。
そんなある日、その姉弟一家は急に引っ越してしまったのです。しかし幼い
私にはお別れの意味も然程は理解していないので、特に気にも留めませんでした。

それから時間は十年近く経て私は小学生になっている、ある日の事です。
居間で新聞を読んでいる母がテレビを見ていた私に話し掛けました。
母が私に三面記事を読み聞かせてくれました。内容は『家の中に放置され餓死した兄弟』
というものです。空腹のため土壁さえ口にしながら餓死した幼い兄弟の悲しい記事
でした。

「ふ〜ん、それなら窓でも割って外に抜け出せばいいのに、馬鹿だね?」と特に
感慨もない私に、母は昔話をし始めました。

「お前、昔、○○に住んでいたときのA子ちゃんと、B君の事、覚えているだろ?」
「懐かしい!、あの姉弟と遊んだあの頃は一番、楽しかったよ」
「実はね、今まで言わなかったんだけど…」

母から聞いた話は意外な話でした。その家族は複雑な家庭でいつも経済的に苦しく食事を
摂る事さえ出来ない日もあった事、引越しは夜逃げだった事、等です。

何かの用事で母がその部屋を訪ねると、その姉弟はひもじさから二人でポツンと膝を抱えて
壁に寄りかかって並んで座っていたそうです。
母は、そんな姉弟を見かねて、しばしばお菓子や、造り過ぎたといっては夕食のおかずを
差し入れしていたそうです。

いつも楽しく仲良く遊んだ思い出のあるあの姉弟が、そんなだったとは当然、私は
知る由もありません。驚くばかりです。
908907:02/02/26 07:25
続き

「それでも、とうとうあの子達…あの家族は夜逃げみたく、出ていっちゃったんだよね…」
「そうだったんだ。でもそんな話、初めて聞いたよ。何でそのとき黙ってたのさ?」

子供扱いで事実を隠されていた様な気がして腹立たしくなり文句を言うと、母は言いました

「もしね、もし、私があの時、お前にこの話をしたら、あなたは秘密に出来た?」
「…?」
「お前の事だから、きっと幼稚園で皆に言いふらして、あの娘を泣かせたはずだよ
 だから…私は、決して言えなかったんだ、お前だけには」 
涙を滲ませながら母は私にそう言います。

ショックを受けました。その時は反発をしましたが、母の言う通りかもしれません
私はきっと、得意気になって、皆に『あいつは乞食だ!乞食だ!』と言いふらして
いたに違いなかったのです。私はそんな嫌な子供でした。

「私もね、戦争中の幼い頃、食べ物が無くて、いつもいつもひもじかったんだよ。
…毎日、お腹を空かせて、お弁当も無くて、皆に馬鹿にされて…だから、お前たち兄弟
にだけは、そんな様にならないように、食事だけは人並みに食べさせているんだよ」

確かに我が家は決して裕福ではない、どちらかと言うと貧乏でした。でも食事で困った
事は一度もありません。

「…お前には、解らないよな、あの気持ちは…解らないよな…解るわけが無いよな…」
母は、もう涙をポロポロこぼしながら独り言の様につぶやいています。

きっと母は、あの頃、その姉弟に自分の過去を重ねて見ていたのでしょう。

私は、別に何も罪を犯した訳では無いのですが、叱られている気分で母の告白を聞いて
いるしかありませんでしたが、つい、貰い泣きしそうになったので、恥ずかしくなり
又、話を聞いているのが辛くなり居間を飛び出してしまいました。

…一件置いた隣の部屋の仲の良かったあの姉弟。私がいつも満腹だったとき、あの姉弟は
いつも空腹だった。当時は想像もつかない話です。

今でも母は、昔話になると思い出したかのように
「あの姉弟達は、元気にしているのかねぇ?」とつぶやきます

私も、新聞記事でたまに載っている食事を与えられず餓死や保護された子供の記事を
見かける度に、あの姉弟を思い出し、複雑な気持ちになります。

そんな時は決まって彼らが、寄り添うように膝を抱えて座っているイメージが浮かびます
その姿を私は実際、見たことは無いのですが、どうしても楽しかった笑顔の彼らより
その姿が浮かんでしまうのです。

…あの姉弟と別れてから、もう30年近く経っていますが、一番幼い思い出なのに、顔や
名前を忘れられません。母の想いがそうさせているのでしょう。


 36年間、生きていますが、いまだに私は飢えた経験はありません。
909もぐもく名無しさん:02/02/26 20:52
思い出すのは…鰈(カレイ)のあんかけかな

少額生の頃、俺の実家は小さな店をやっていた。
日曜日が休みなんだけど、オヤジは朝から釣りに出かけたらしい。
もともと、関東の人間で婿養子として北陸まで来て釣り好きのオヤジは
北陸の海が好きになったらしい。坊主の日もあったと思うが必ず魚を調達(?)
してきた。
その日の食卓にあがったのは「鰈(カレイ)」。
オヤジは器用に調理して、大皿をいつもの白い長テーブルの真ん中に置いた。
「おおきいねぇ!」
「今日は本当におとんが釣ってんぞ」
「ほんとかいやぁ!?またどっかで買ってきたんじゃないがぁ?」
などと4人兄弟とおふくろと猫2匹犬1匹の一家団欒の食卓だったんだ。

おやじの趣味は釣りと少々の麻雀くらいで。♂♂♀♀の4人兄弟を連れて
よくドライブにも行った。楽しかったなぁ(懐
910909:02/02/26 21:00
=続き
おれ(長男)も所帯を持って、一番下の妹にも子供が出来て皆それぞれ
それなりに充実した日々を送っていた頃
なんかオヤジの様子がおかしい…
毎日々々金の心配ばかりしている。
家族会議が始まった。関東のオヤジの実家からも伯父さんが来た。
どうもおやじが多額の借金をしているらしい。2〜4千万円…
好きでやっていた麻雀で出来た友達に金を貸したというのだ。しかも手形で…
「それって手形のパクリじゃん!」
おやじはまんまと騙された。証拠もなく弁護士に相談して自己破産という形を取った。
財産すべて精算しなければならない。当然、俺らが住んでいた家も失って更地になった。
想い出なんかお構いなしに埃とともにブルは壊していった。
そのあとおやじとお袋は離婚。婿養子だったおやじは家を追い出されたんだ。

俺はというとオヤジの保証していた分(1000万くらい)代位弁済したり色々あって
自己破産した次の年離婚しちまった…
この時オヤジを両親を憎んだ。どれだけ実の息子に迷惑掛ければすむんだ…て気持ちがあったから。
そのあと仕事も変わって全く知らない土地に一人でいる。
60回ったオヤジはいま手取り13万位の警備会社に勤めているらしい。
年に数回ある電話でそういってた。30中程の俺でも一人って無性に寂しくなるときがある。
最近になって、家族を失ったおやじはどうだろうかと思うときがある。
年々許せるようになってきた。たぶんいま自分自身おやじと同じ境遇だからかもしれない。

でもでも…もし戻れるなら、願いが叶うなら…
叱られても殴られてもいい。(俺は顔の形変わるくらい殴られた)
20年前に戻ってあの白いテーブルを囲んで鰈のあんかけ食べたい。
馬鹿を言いながら家族で笑って食事がしたい…
バラバラになったおやじとお袋兄妹4人集まって昔のように馬鹿騒ぎしたい…

今まで誰にも言ってないことです。言ったら負けだと思っていたから。
でも誰かに聞いて欲しかった
スレ違いな上長文スマソ。sageます
911もぐもぐ名無しさん:02/02/26 21:49
おやじと酒でも飲んでこいよ・・何も言わなくてもいいからさ

さっさと行って来い!
912909:02/02/26 23:34
>911さん
さっそくのレス有り難う御座います。
本音は今まで両親はもちろん友達同僚恋人なんかには
言ったことありませんでした。
だから911さんのような事を、誰も言うはずもありませんよね。
いつもはラウンジとかでアホやってますが、本音を言ったのはこの板が初めてです。
もしかしたら911さんの言葉のように誰かに背中を押してもらいたかった
のかもしれません。
今度の休みでも行ってこようと思います。

#家って簡単に壊れるんですね。
913もぐもぐ名無しさん:02/02/26 23:40
>>910
ここで話すことで、少しでも楽になるんだったら
オレはいくらでも付き合うぞ。
914 :02/02/27 13:28
>>912
親父さんが元気なウチにいっておいで!!

俺の親父なんか、大好きだった酒をばったりやめちゃった。
糖尿で失明しかけてるんだ。
今、必死で病院通って、食生活も改善して、治そうとしてる。

この前、俺が病院に付き添った。
目を治療するため、病院帰りは目が見えなくなるんだって。
タクシーを降りて、俺の腕をつかんで、家まで歩くんだよ。
親父がありがとう、ありがとう、って言うんだ。

小さい頃はキャッチボールしてもらって遊んでたのに、
いまは、すっかり弱ってきてる。それが、悲しい。

俺も、心の病気のため、家事の負担を減らすことが大事だというので、
実家に行って、毎日親父とお袋とメシを食うことにしたよ。

一人暮らしして6年経つけど、久々で、照れくさいぜ。

生きてるウチに、元気なウチに、会っておいでよ。



915もぐもぐ名無しさん:02/03/02 14:58
agero
916もぐもぐ名無しさん:02/03/05 02:15
祖母の葬式で久しぶりに故郷に帰った。
葬儀も終わり明日川崎に帰ると言う晩、台所には、
コック帽をかぶった父の姿と、テーブルいっぱいに
サーターアンダギィーが・・・。
正直あまりサーターアンダギィーは好きではない。
でも、父の気持ちが嬉しくて、もてるだけ手提げ袋に詰めて、
川崎に持ち帰った。まだ、手元に残っているが、それを見るたびに親の気持ちが、
嬉しくて、食べるのを躊躇してしまう。
親にとっては、こどもは、いつまでもこどもなんだね・・・。

917もぐもぐ名無しさん:02/03/06 16:43
すまん!どうしても気になる。
サーターアンダギーって何ですか?
918もぐもぐ名無しさん:02/03/06 18:35
919もぐもぐ名無しさん:02/03/06 19:34
>>910
あって来なよ!私は中2のときにパパが死んじゃって(しかも別居中)
だから、死に目にも会えなかった・・・・。今でもパパのことは大好きだけど
生きてるころはちょうど反抗期で、そんなこといえなかった。
今すごく後悔してる。何も言わなくても一緒にいるだけでいいと思うよ。

そんなパパとの思い出の料理はふぐかな。ほんと好きだったんだよね。
近くの安いお店によくいったなぁ。


920通りがかりの名無し:02/03/07 14:54
いいスレだ・・・
921もぐもぐ名無しさん:02/03/07 17:26
age
922ああ:02/03/07 18:07
久々に感動。
923もぐもぐ名無しさん:02/03/08 00:39
age
924もぐもぐ名無しさん:02/03/17 14:53
age
925もぐもぐ名無しさん:02/03/17 16:09
ええ話や、泣ける話や
926おせっかい:02/03/18 18:56
次スレができているので、リンク。(立てたのは俺じゃない。)
最初のほう、荒れちゃっているけど、正常になりつつある。

〓〓思い出に残る食事3〓〓
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/1015437400/
927もぐもぐ名無しさん:02/04/05 09:29
思い出の料理はふぐ料理
928もぐもぐ名無しさん:02/04/11 15:52
お腹空いた
929もぐもぐ名無しさん:02/04/14 09:53
ここまだあったんだね。
なんか嬉しい。
930 ( ´∀`)σ)Д`):02/04/14 16:02
思い出料理はね・・
ワンダーフォーゲルで山に登ったときにつくった
シチュー。

具は白菜とシーチキンは憶えているけど
他に何が入っていたか忘れた。どんなに高い金を出しても
味わえないものだ。
931もぐもぐ名無しさん:02/04/15 02:48
次スレ立ってるんだから、みんなそっちに行こうよ。
こっちはレスしないでdat逝きさせるべし。

次スレ
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/food/1015437400/
932もぐもぐ名無しさん:02/05/11 18:03
いや。dat落ちさせない、、、、
933もぐもぐ名無しさん:02/05/17 02:14
>932
いや、スレ保存してるところはあるし…
http://isweb35.infoseek.co.jp/diary/tareken0/
934もぐもぐ名無しさん:02/05/19 14:57
( ´,_ゝ`)プッ
935もぐもぐ名無しさん
次に新しいpart3のスレを立てる方は、part1のリンクを
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1466/951552846.html

http://isweb35.infoseek.co.jp/diary/tareken0/food/shokuji1.htm
にしてくださいね。