【初削除】王侯綴り66【再建中】

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1焼肉ぷらす ◆JUU/.JUU/.
他板のハンドルでもスレタイに付けるのは許されないらしいぞ。

ユルーく皇統を考えるスレ。鬼からの避難所を目指して再建してみた。
前スレ(スレスト済)
【初見参】ぷらっと綴り63【即削除】
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1228910135/l50
2奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/02/17(火) 23:20:51 ID:vwiC7yss
記録用。
3名無し投票@2/15(日):2009/02/18(水) 00:59:00 ID:Oio1ZkAg
あら削除とはもったいない
復活おめ
4奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/02/19(木) 00:16:19 ID:jJRaksi0
ありがとう。
話題探してくる。
5名無し投票@2/15(日):2009/02/19(木) 14:11:43 ID:rKHdcFXX
糞コテの糞スレか
6名無し投票@2/15(日):2009/02/21(土) 01:54:52 ID:XsOeSzcl
自らを王侯に準えるとは
ぷらっとも変わったな
7名無し投票@2/15(日):2009/02/21(土) 16:06:40 ID:ldNh4p0q
もともと変な奴ジャン
8奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/02/22(日) 12:36:02 ID:gmr6pJSl
葬式で2日半家開けたら歴難が食らってた。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 18:21:46 ID:DxmF9c3g
どうでもいいよクソコテ
10名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 21:05:03 ID:LobvMuHt
続き
古代で直父系を否定して母系が怪しまれるのは仲哀→応神と武烈→継体の2例。
先史部分でもあり実際は皇統に大して問題がない。
よく挙げられがちな皇極→天武の母系継承については、舒明の存在を
掘り下げてから始めるべきだろう。
大和飛鳥朝廷が豪族連合体であったために蘇我氏の専権を許したのが
蘇我氏の血を持たない舒明朝によってもたらされたのは奇妙と思わねばならない。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/26(木) 14:13:38 ID:gfu7gLMS
男系の否定に天武を利用する論者がいる。
曰く、天武は皇極の女系皇族であるだの泉蓋蘇文の後身だの。
そうであったなら天武朝に編纂された記紀に何らかの不自然さが現れるはずだが
いかに舎人親王や太安麿を黙らせようと纂奪は隠し通せるものではない。
地方には文字もあれば国造も健在なのに全てを黙らせるなど不可能。
天武は大兄でなかっただけの舒明皇子だと断定する。

ところで天武朝に立った女帝は全て天智の血を引いている。
恵美押勝の専権による淳仁即位がなければ、全て天智の子孫であり、
男系の観念から見れば「天武朝」に天智系の女帝が2名入り込んでいる。
皇統の長老白壁王に皇位が還るまで奈良の天武朝は、
藤原不比等に始まる政務代行者の「象徴」という前例を確定させた。
奈良時代に皇室はすでに祈祷護持を専念する性格を露わにしている。
同格ではないまでも太政官と神祇官が併設されたり
皇室から諸大夫に降る皇孫王が増えるのも奈良時代の特徴。

※藤原不比等が政権を得る流れは晋の趙盾のそれによく似ている。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 23:10:22 ID:XZZp+12V
藤原不比等が天智の落胤という説はトンデモとして片付ける。
壬申の乱で破られた大友皇子は母の身分が低いので正統ではないとされるが
兄弟である川島皇子や施基皇子さえ近江方に付いていないのはなぜか。
直後の史料は天武朝のもので敗者に厳しいものしか残らない、故に推論を。
・天智は大兄制を廃したため後継を定めずに亡くなった。
・天武は大兄の資格と実力を有しながら皇嗣になれない立場に措かれた。
・大友皇子は近江朝の軍権を継いでいたが皇嗣と言える立場ではなかった。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/02(月) 19:43:09 ID:m2UhL4Ky
衝突は起こるべくして起こったのだ。

天武は天智から見て弟であるうえ四人の皇女の婿でもある。
皇嗣の資格が大友皇子よりも天武の子であり天智の孫にあたる諸王子のほうが
遥かに高いのはわかりそうなもの。

大兄ではなかった天武は天智の跡を陣代よろしく継がざるを得なかったのだろう。
皇后持統の権力、立場は壬申ののち天智の代行者として強くなり
軍功第一とされた長子高市皇子は天智の血を引かないため
皇嗣から外れるかわりに太政大臣になっている。
これは母の身分だけでなく天智の血を護らねばならない不文律の証明でもある。
故に「持統」なのだ。

藤原氏や橘氏が政権を握り天皇が象徴的存在に変質してゆくなかで
称徳女帝が後継に迷いを持ち込み混乱を齎して亡くなったとき
天智の男系孫が皇室の長老になっていたのが皇統にとっては幸運だった。
白壁王は聖武の婿でもある。
(淳仁は政治的な陣代であり歴代に数えるべきではない)

紆余曲折を経て桓武帝が即位したときに、皇室の男系継承は決定づけられた。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/12(木) 19:08:32 ID:UcMne+5M
光仁が皇嗣になれた理由のひとつは称徳の義弟だったことも見逃せない。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 11:21:33 ID:NMB2qPZz
藤原氏は権力の本宗を掌中から逃さないことにはとみに長けた族といえる。
南北式京四家に分かれ、さらにその子らが上中公家として朝廷の席次に名を連ね
決して一枚岩ではないものの聖武親政や仲麻呂失脚、道鏡専横などの禍の時期さえ
太政官三位以上の大半は藤原氏で占められており、皇別よりも多かった。

称徳没後の皇嗣に大納言白壁王を推した左大臣藤原永手・内大臣藤原良継
                大納言智努王を推した右大臣吉備真備
パワーゲームを考えるまでもなく、天武系本宗が亡びたから天智系に皇統を返すという
お題目で規定路線を引いたのだろう。良継の弟である策士藤原百川が潜んでいる。
この策士が天武系にとどめを刺すために他戸廃太子・山部立太子を遂行したことが
結果として聖武・天武の血を否定し現在までの母系継承否定を決定付けた。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 00:42:42 ID:nEdlb4Ac
系図厨
17奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/25(水) 23:53:54 ID:OQr7klGR
呼んだか。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/26(木) 00:52:18 ID:rjhGOV+I
氏ね糞コテ
19奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/26(木) 23:39:28 ID:Biy0T8sr
そのうちにな。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/27(金) 15:42:49 ID:RsXZL3Tk
いますぐ氏ね
21奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/28(土) 15:28:12 ID:qOsfFPdX
家族養わにゃならんからもう少し待っとけ。
22奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/03/31(火) 00:11:40 ID:Z86acFxq
しばらく休む。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/03(日) 16:28:05 ID:5y1CVAPZ
内廷・外廷・宮家
準皇族としての旧宮家
スペアとしての皇親旧宮家

24名無しさま:2009/06/22(月) 03:34:55 ID:3aFZe4lt
東久邇宮家は三笠三家に並ぶ皇族に、その他を皇親に位置付けたい。
25奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/23(火) 07:17:05 ID:q7DgK5XN
皇親には独立採算できるほどの予算を割かないのが条件で。
26名無しさま:2009/08/02(日) 05:39:41 ID:cxYnXQvO
皇族間養子を解禁しないと
27名無しさま:2009/08/27(木) 14:00:38 ID:bhrt6yeq
28名無しさま:2009/08/27(木) 14:01:38 ID:bhrt6yeq
29名無しさま:2009/10/15(木) 19:22:43 ID:6693MV5V
皇室の憲法&国家からの分離を論ずるスレは?削除されたのですかね?
30奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/26(火) 19:41:38 ID:wDjQhJqO
こっそりと再利用。
31奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/26(火) 19:51:32 ID:wDjQhJqO
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1235274246/621-697

ここの続きを思いついたら綴る。
32奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/26(火) 20:27:02 ID:wDjQhJqO
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1235274246/696

まずここの続き。

1の展開その1
天武天皇は本来皇位継承権がなかった(大兄ではなかった)が、本来皇嗣ではないにも関わらず
三弟が大兄に立った前例は用明天皇がいる。
欽明朝の正嫡である敏達天皇は大兄ではなく、同母兄に箭田珠勝大兄皇子がいた。

ここまで書いていて思いついたこと。
・蘇我氏は族長なり実力者が複数立ってしまい、捩れか分派を起こして瓦解した説。
・継体天皇は出雲(天孫)氏族が東遷している間に大和に迎えられた雑系遠縁の族長だった説。
33奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/26(火) 22:01:08 ID:wDjQhJqO
神武から欠史八代の母系は説明してくれるサイトがあるはずなので割愛。
34奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/27(水) 20:09:53 ID:/Iudn3oW
ところが天武天皇が泉蓋蘇文だの天智の庶兄だのと何の冗談なんだと。
こんなもんは簒奪の事実と正統性への矛盾を衝いた諧謔だろ。
35奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2010/01/28(木) 20:59:51 ID:9OaLT/is
田村皇子は馬子の婿として皇位を継いだと仮定する。
先帝にとっては亡夫の孫でありながら、己の血を引くわけでも大兄でもない。
36白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2010/01/29(金) 00:09:36 ID:NaPmEadR
>>34-35
不倫の多い王家の血統なんかどうでもええんじゃない。神輿を担ぐ貴族の
基盤の方が重要じゃと思うけど。
37国士焼肉ぷらす ◆JUU/.JUU/. :2010/01/29(金) 03:41:28 ID:vgLgtSUe
血統はどうでもいいよ。
当時の政治によって公式にどう解釈させ紡いだのかを考えているだけ。

つい最近まで人間は己の父親を確かめる術を持たない生き物であったことを
オレは理解している。
38名無しさま:2010/01/31(日) 22:52:14 ID:3mDhSGdU
やるだけやったから静観ってところかな。
39名無しさま
うむ。