本部御殿手・上原清吉

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1名無しさん@お腹いっぱい。
上原清吉宗家について、各道場について
2名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/04 20:23 ID:L8snX0qs
GM3S
3名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/04 20:26 ID:L8snX0qs
祝いPSYCHOー。
4名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/04 21:06 ID:paHRvRtV
沖縄では大仁田が上原氏に挑戦して、弟子にかるくヒネられたという噂がありましたが、
誰か真相を知っている人はいませんか?
5名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/04 21:48 ID:puieMALF
あの人いまいくつなん?

上原センセもし死んじゃったら
デンパ高岡が「これが上原清吉のディレクターだ!」とかいいだすんだろ?
武板にゃ「上原は激ヨワだった!」とかスレ立つんだろ?

上原センセどうか長生きしてください。
6名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/04 21:52 ID:5vB/WRI9
>高岡が「これが上原清吉のディレクターだ!」とかいいだすんだろ


高岡さんは、対象が生きてようが死んでようが関係ない。
近来稀に見る逝っちゃってる人だから。
7名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/04 21:59 ID:6BNEl79l
相当強いらしい
8飢腹:03/06/04 22:01 ID:+7IaqS4N
いまくしゃみがでたんじゃが
だれかわしのうわさをしたのかな

来年で百歳じゃ
高ちゃんは昔出してた新聞の第二号目で
わしのデレクタを解説してたなぁ
立ち読みせずに買っときゃよかった
歳のせいか何が書いてあったか忘れてしもうたよ






9名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 01:01 ID:LApUM/cj
沖縄に確か同じ名前の歌手がいた。
10名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 17:14 ID:HwMxaqSp
上原氏の「武の舞」という本を書店で見かけなくなってから久しいのだが
誰かゆずってくれない?

11名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 18:35 ID:RvAgKgJe
武の舞は、為になるぞ!!
12名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 19:09 ID:4bbs/nzU
御殿手は近代創作されたものだって聞いたけど本当かな?
13名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 19:11 ID:ee3PuDdp
こんなカワイイ娘が脱いでます。。。
http://endou.kir.jp/moe/linkvp.html
14名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 19:32 ID:HwMxaqSp
>>12
宗家とは常に創作してゆく立場なんではないかなと‥‥


実際やってみないと分からないと思います。
だがやってみても分からないのではとも
なにせ一子相伝系なわけですから
後から来たセンスの無い人間には、何を目標にしたものかと
迷うこともあり

結局は自分が創作するくらいのつもりでまじめに学ぶ物だと
思う次第です。

15名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 19:40 ID:s8fB5aGN
上原センセ耳がすごく遠いっす。
16名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 20:06 ID:mIGkAz4p
埼玉・群馬・東京にも道場がある
17名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 20:50 ID:EPFzme1I
>>15
横にいつも言葉を大きな声で伝えてあげる人がいますよね。
18名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 20:51 ID:ZfFetCui
キャンペーン中なんで、誰でも1000円もらえるとさ。
http://f15.aaacafe.ne.jp/~storm/
19名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/06 15:02 ID:hvET0BtV
>>17野中さんのことかな
近代創作されたものっていう噂があるけど違うと思うよ。
八ひかり流が撒いたデマだ。普通の空手と一味違うものがある。
埼玉の2人の師範は強いが弟子は???です。
20名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/06 18:18 ID:zNcCMC9V
野崎さん!?じゃないの?
埼玉の師範は強いんだ?なんで、弟子が弱いってわかるの?
21名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/06 21:41 ID:hvET0BtV
通ってた
22名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/06 22:00 ID:ZVtIWuYu
そうなんだ〜
埼玉の道場ってどこにあるの?
まだ、通ってるの?
23名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/06 23:32 ID:SyRhtPjC
>>20
師範は強いというか、スゴイ人だと思う
弟子はどうかというと
少なくとも俺は弱い
24預言者:03/06/07 00:09 ID:be9vHy9H
25名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 01:39 ID:uLTPtgGA
そっか〜
俺も習おうかな
26名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 06:26 ID:VyJAonR+
ここの伝承ってかなり怪しいよね。もとになったのは八光流ってほんと?
27名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 06:29 ID:Ev0QBc8e
28名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 08:08 ID:kDa6Rpht
八光流習ったのは、嘘!!
って言うか八光流が沖縄に講習会みたいなので来たとき、
上原先生の当時の兄弟子が見に行こうって言うのに断れず
高い金払って、四日間講習を受けたみたい!
だけど、その技は、御殿手の初歩の技だったみたい!!
29名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 08:24 ID:b3m3N1t7
>だけど、その技は、御殿手の初歩の技だったみたい!!
じゃーその技を誰から習ったのかな?
もしも、それが御殿手の初歩の技だとしたら沖縄で講習会するかな?
30_:03/06/07 08:25 ID:hdNQDqd1
31名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 10:51 ID:0tl3c5iD
言い方が違かった!
御殿手の初歩レベルの技ってこと!
だから、御殿手の取り手とは多少違うと思うけどね
32名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 20:56 ID:FS8gxa+r
大阪にも道場があるよ
33名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 21:40 ID:GKKSOsBE
大阪の道場ではどんな稽古をしてるんでしょうか
御殿手と本部朝基唐手をどちらもやってるのかな
34名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/09 18:53 ID:DvQEOH/O
埼玉の御殿手の演武会を見に行ったんだが
子供の演武がかわいらしかった
空手っぽいのから
女性的な踊りまで、武器も様々でした
合気道のようなのもあった

あとエイサーという踊りの団体が沖縄の踊りを見せてくれた
最後に皆で輪になって踊った
もう少し踊っていたい自分でありました。

意味の良くわからないものもあった



35名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/09 19:18 ID:UgBh21Hc
でも、創作なんでしょ。
36名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/09 21:34 ID:DvQEOH/O
クルクル回ってた
37名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/10 18:06 ID:AkDEdzOH
>>36

違う場所じゃないだろうな?白衣着てなかったか?
38名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/10 21:13 ID:Qz+UzCXw
確かに皆 白衣でした。
帯は黒とか茶とか青とかありましたが‥‥‥
胸にも渦巻きマークがありました
39名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 02:54 ID:KD1/YsWx
俺も演武会、行きたかったな!
40名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 11:58 ID:PR2x74v2
>35 :名無しさん@お腹いっぱい。 :03/06/09 19:18 ID:UgBh21Hc
>でも、創作なんでしょ。

そうです創作舞踊です。
薩摩藩に監視されていて、どうして琉球の王様が武術を研究した出来るの。
王宮内で警護されている王様が、どうして武術を研究する必要があるの。
身内の本部朝基が知らないで、どうして、上原清吉が習えたの。

どうして、上原の弟子どもは、打って下さい、突いて下さいとばかりに、
打つ前に、やられる様に構えるの。
 敵にやられる打ち方を練習するなんて、馬鹿らしいね。
どうして、一人演武だと、バレリーナの出来そこないのようなおばちゃんだけが、
空手着でなく、紋付き袴で、クルクル廻ってやるの。
 男だと、かっこよく廻れないから。
 紋付き袴は琉球の女性の正装だったの。

どうして、沖縄県の教育委員会はこんな嘘を野放しにしておくの。
 創作舞踊として認めているの。

どうして、沖縄の空手諸流派は、こそこそと陰で、あれは嘘だと言ってないで、
 正々堂々と、表だって、あれは嘘だと声を大にして言わないの。
年寄りの戯れと、寛大な心で許しているの。
 空手の先人達が、苦心して築きあげてきた、空手の歴史に汚点を残していいの。
 
41:03/06/12 13:30 ID:Uo4lvBj2
そう思ってる奴には、思わしとけ!
42名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 15:02 ID:cbqb/upi
座取りみたいのなんか、思いっきり合気系からのパクリと思うのは気のせい?
43某@ ◆V7NJ1SYURI :03/06/12 15:20 ID:7bcrghJi
>>40
声を大にして言ったところで、結局何が残るのでせう?
双方に恨み、妬み、憎しみが生まれる。
結果、自分自身を傷つけ、自分自身を信じてくれた大恩ある方々に恥をかかせる。
宗棍翁の言う「学者の武芸」を「名目の武芸」で応える様は滑稽でしかないのでは?

>空手の先人達が、苦心して築きあげてきた、空手の歴史に汚点を残していいの。
先師、先達が苦心して錬磨したのは、己自身の心と技であって歴史ではないでしょう。
先師、先達の心と技を継ぐならば、「武道の武芸」を実践しているはずですよ?
44名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 18:06 ID:XAgvHb8V
単に本部流カラテでいいものを、殿中武術の御殿手と権威づけることが元凶なのでは?
大東流も会津の殿中武術だと嘘を言っているが、それまでパクらなくてもいいのにね。
45名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 18:34 ID:mQdlIFY2
みんな、いろんな外からの情報を信じて言うのは勝手だけど
一回習ってみてから言えば。
ま〜ここは批判する奴が多いから言ってもしょうがないけどね・・・
46名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 20:40 ID:fsILy5o5
本部流空手はやってないよ。座取り??居合いのことかな?
47名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/13 20:46 ID:40RAIfyO
↑それは居合い取りと呼んでますね

人様に見せる演武だがら本気ではやらないよ
空手の型と同じで、何かを示唆しているのだから、
けなしても仕方の無いことであって、それを自分がどう読み取るかでしょ
何かしらプラスになることを見取るべきですよ

ビデオ見たんならちょっと真似してやってごらんなさいよ
黒田鉄山氏の所よりはまだ真似できるかもね

>>40さん
 武の舞の本を読んでみるといいよ、手に入らないけど

48名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/13 20:50 ID:Kp2ItYil
恐ろしく強いというのは聞いたことがある
表の世界に居る達人
49名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/13 21:00 ID:40RAIfyO
上原氏は師の本部朝勇氏から
琉歌を書いたものをもらったとありましたが
武の舞の本をお持ちの方、紹介してもらえませんか
以前読んで、いくつか印象に残ってるのですが
あと五箇条の何とかというのもありましたが

50名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 12:49 ID:qGumjcAT
確かに、本部朝基翁がその存在さえ知らなかった・・というのはどう考えても無理を感じる。
朝勇翁も朝基翁と一緒に当時の有名な空手に習っていますよね。小さい頃は勝てなかったけど、
密かに鍛えて、青年期には勝つ自身があったと朝基翁は言ってるよね。
沖縄の有名な古伝空手の伝承者の方が、顔を曇らせるのはホントにその根拠がハッキリ
あるのか、どうかは本土の人間にはわからないですけどね。
上原翁の技、行き着いたレベルはたいしたものだと思うのだけど、あの歴史感だけは
わからない。王朝に密かに伝わる武術?在りえないと思うのだが。
佐久川や松村はどうなってしまうのか。3代の琉球王朝に仕えて松村が存在さえも知らない
とはどうしても思えない。
51名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 12:52 ID:igjilPYG
上原氏は痴呆が進んでいます。
52名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 14:43 ID:KySYjBj9
あんたら本部御殿手のどこの道場に通ってたの?
どうせほとんどが本で見たとか脳内なんでしょ?
53名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 14:56 ID:yV84xTWA
歴史は本で読むしかないと思うのだが・・・違いますか?
表に現れない歴史というものもあるのでしょうが、
それは普通の空手とて同じ条件ですから、今まで明らかにされた空手の歴史から
想像するしかないとは思います。驚異的な歴史も存在するでしょうから、事実は
わかりませんが、あまりにも突出した感じを受けますもので。
54名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 15:14 ID:74Wtah9V
つまり外野の意見ということでつね
55名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 15:33 ID:KySYjBj9
>>53
なるほど、実際はあまり御存じないということだね。
正直で宜しい。
56名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 15:52 ID:JQ2qHLc9
すごいところだと思いますよ。
いくらここで書いてもわからないような、一種の達人技を受け継いでる流派ですね。
県外に出てから、話で聞いてそれがきっかけで知りました。尊敬してます。
県外のほうでも、表に出ている武道の方々の中では、出来る人はあまりいないような
ことをやっているように見えます。
実際のところは、よくわからないんですが・・・。
沖縄に居たときに、一度は顔を出しておけば良かったです。
今度帰省したときには、見学で少しだけでも見に行ってみたいと思っています。
57名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 16:02 ID:gc7+RYPs
小学生チャットに来てね
http://www13.big.or.jp/~fubuki/chat/chat1.html              
58名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 16:03 ID:74Wtah9V
ところで
http://www.wonder-okinawa.jp/023/014/index.html
この演舞と
http://www.uechi.de/mpeg.htm
この演舞の動作が違うのはなんで?
59名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 16:04 ID:JQ2qHLc9
いやだ
6056:03/06/17 16:10 ID:JQ2qHLc9
>>58
上のやつは人が大勢いてよくわからない・・・。
上地流は動画を見る限り打撃のことを一生懸命にやっているみたいだから、
またジャンルが全然違うんじゃないの?
柔らかい動きで突きを出しているように見えるけれど、この突きは多分
あたると重くてとても効くと思います。
体の重さを、波みたいな動作と、骨の構造の理にかなった動きで
拳に上手に伝えているような・・・。 詳しいことはよくわからないけど。
とにかく当たれば痛いはず。
61名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 16:14 ID:74Wtah9V
62名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/17 16:22 ID:KySYjBj9
入門や見学は簡単には許してくれないかもね。
地上最強だとか言われてる流派みたいに商業的
な活動はしてないようだし。
本土にある道場のことは知らないけど。
6356:03/06/17 16:34 ID:JQ2qHLc9
>>61
見た感じでは、かなり違うように見えますね。
ただ見たままで表現すると、上の方は引き締まっているカチッとしてる
ような感じで、下の方は、やっぱり上記のような柔らかい感じに見えました。
実際のところはよくわかりませんが・・・。
前に沖縄にすんでたので、なんだか近所にいそうな感じのおじさん達が
たくさん出てきてるみたいに見えて、アットホームな気分になってしまいました。

>>62
見学難しいんですか・・・。一度は行ってみたいです。
64名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/18 21:38 ID:UGnPBHgK
わしのスレは、もう終了かな?
もう少し語ってくれ
悪口でもかまわんよ、冥土の土産になるでのぉ
65名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/18 21:40 ID:UGnPBHgK
指が太すぎて、キーボードがうまく雨天よ
66名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/18 22:21 ID:M4qZ6KZV
>1さんは本部御殿手なの?
67名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/18 22:25 ID:M4qZ6KZV
>>64,65
上原先生のつもりですか?
方言つかえよ
68名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/19 22:40 ID:fAvHWhcq
まあ、そんなに突っ込むな
キーボードには、沖縄語が書いてないし、変換もしにくいだんべ
69名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/20 00:24 ID:DTGFmzIf
よそ者に対してすぐカッカするところが悪い癖なんだよな。
70名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/23 19:35 ID:IomfbnLo
なんでだろう、なんでだろう、なんでだなんでだろう‥‥
うどん手は何でひざを曲げないで歩くの?
71名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/24 01:53 ID:uJJASBXt
ひざがもう曲がらないから〜〜〜
72名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/24 21:49 ID:7o+QktWS
なるほど、納得です。
若い時はひざを曲げてたんですね。

73名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/24 22:03 ID:AR0iiIwy
違う。あれが御殿手独特の歩法だそうな。
74名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/25 15:29 ID:1AtpERyz
実は義足なんだよ
75名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/25 22:13 ID:laKOnH3R
ジャッキーチェンの映画で、膝の後ろに棒をくくりつけられ
歩かされる、鍛錬をさせられる場面があったんだが
蛇拳か猿拳か酔拳か忘れたけどね
どんな意味があったのかも忘れてしまってすまんです。
76名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/25 22:29 ID:laKOnH3R
バレーダンサーも膝をあまり曲げないで歩くようだが
詳しくないのでただの印象なんですが、共通の部分があるのでしょうか
こまの様に回るのには、膝が伸びてた方が理屈に合ってると思う。
77名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/28 15:25 ID:hyTd0G43
四方にいる相手に、パッパッと砂を足で掛けてる老人のビデオを見て、
海水浴に行ったときにまねをしてみたことがあります。
ぜんぜん出来ないので、難しいものだと思いましたが、
再度ビデオを見直すと、
膝を伸ばしそのまま歩き出すような感じで掛けてました。
次の機会に、再び砂掛けを試みましたが、なんとかコントロール出来ました。
しかし、四方八方に掛けるとなると、できませんでした。
特に後ろを振り返って掛ける時。

ある夏の思い出でした。

 思うに、もし掛けられる側だとしたら
起こりが見えないのではと

膝が伸びてるのは、遊びが無い状態で、
タメ、捩れ,歪み、を作らない一つの極致かと思います。


78(A'×')∬本屋さん ◆caBOOK.ejo :03/06/29 04:03 ID:633otu+u
>膝。
僕、大陸武術やってますが。やっぱり歩く時に膝を延ばしますね。特に前脚は小川を
またぐ様にor振り子を振る様に膝を延ばして踏み出します。こうすると移動しながら
骨盤を垂直に保てるんですね。これって「体軸をキッチリ立てて歩くタイプの武道/武術」
によく見られる傾向なのではないでしょうか。

逆に、前膝を曲げて踏み出すと骨盤が若干前傾しませんか? 弓歩(前屈立ち)になり
ながら踏み込む武道/武術には、前進時に上体を若干前傾させるものが多い気がするの
ですが。
79名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/06 10:27 ID:Ek112yvt
わしはまだ死んではおらんのに
このスレはもう死んでしもうたのか?

80名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/13 09:36 ID:b+AemR4F
御殿手を修行されてるみなさんは
徹底的に歩くことを稽古されてるのでしょうか
歩くことが武になるということは
通勤時間などそのまま稽古になるということになるということで
とてもおもしろそうです
歩くといってもいろんな種類があるのでしょうか
81Syami ◆k1UMP198M. :03/07/13 10:13 ID:NIuUynQl
>歩く
私、大陸武術もやってますが、上原先生の歩法のリズム、拍子の取り方、軌道は八卦掌のものに
とても似ていると思いマスタ。
攻防の時に歩みを止めずに行う上原先生のそれは、見た目は穏やかでも対したら非常に「速」く
対処し難いものと思います。
82山崎 渉:03/07/15 11:50 ID:5fHDO77O

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
83名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/18 21:39 ID:XzS/FF3K
>>50
>確かに、本部朝基翁がその存在さえ知らなかった・・


朝基氏は子供の頃、朝勇氏が御殿手の稽古をつけられている様子を覗き見ていたそうですが。
したがって存在は子供の頃から知っていたと思われます。

また大人になってからあまりに剛拳ばかりの朝基氏に、
「それでは年を取ってから体を悪くする」と朝勇氏が取手の稽古をつけたそうです。
その時受け側に上原氏がなったそうですが、朝基氏に手を払われると、
噂に聞いた剛拳だけあって耐えられないほどの痛みだったそうです。
84名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/19 03:42 ID:lTl84+J4
すれ違い様に一撃で相手を倒す

俺が「大勢と戦うんだったらこういう風にやるしかないよな」と思っていたことを現実化してる武術だ
初めて上原氏が動いているところを見た時の感動は忘れられない
85名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/23 02:34 ID:jJwnbvcX
あげ
86名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/26 23:43 ID:l/aB1UwD
まん
87名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/28 00:06 ID:y/XXsk6y
道場はどこにあるんですか?
大阪にありますか?
88名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/29 20:30 ID:mPALA8Mb
昔沖縄で少し上原先生に教えて貰って
練習に参加させていただいたことがあるが、確かに歩法をずっと続けていると八卦掌に似た動きとリズムや、内家拳の力の出し方に似たものが身に付くようだ。
根拠はしらんが。
また、最近流行の古武術の身体技法に似たことも出来るようになる。
89名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/29 20:36 ID:+dUE3MNk
>最近流行の古武術の身体技法

意味不明。高〇氏や甲〇氏のことか?
90名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/29 20:44 ID:M9p2VnJ9
多分倒地法とかだろう
91名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 21:36 ID:ks+pKsRk
上原氏はフィリピンで白兵戦を経験してるんですね
御殿手は武器と武器を打ち合わせないので
氏の日本刀は刃こぼれ一つなかったとの事だが
昔の番組を見直したが、氏の右足首には砲弾の破片の跡
右腿には銃弾の貫通した跡
左ひざには、切り倒したと思った相手がいきなり蛮刀で払ってきて
きられた傷跡があった

92名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 21:37 ID:ks+pKsRk
すみません
右と左が逆でした。
93名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/01 22:15 ID:oTP/+8YH
>>88
>確かに歩法をずっと続けていると
 歩法はどんな練習をしましたか?

>八卦掌に似た動きとリズムや、
 どんなリズムなんでしょう?

>内家拳の力の出し方に似たものが身に付くようだ。
 どんな力の出し方?

詳細書いてくれるとうれしいなぁ。
ほかに練習中のエピソードとか?

ビデオ買いましたけど、まだ見てないです。
感想聞きたい人がいれば書きますが・・・?
94名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/02 00:30 ID:aulws4sR
聞きたいでござる!
95あぼーん:あぼーん
あぼーん
96名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/03 05:55 ID:AfL+FuHK
じいちゃん あげ
97名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/03 07:39 ID:E+YTygLC
いろんな基本歩法を習うが、使えるようにするには
著作の最後の五箇条の五にあるように
邪念を捨てて、ただひたすら歩めということらしい
98名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/03 12:36 ID:1RfmDGKn
基本歩法とは、そんなにあるのか・・・。
体系的にはどんなものなのだろうか。
攻撃原理とか・・・?
99名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 00:27 ID:AKlnwBYN
この武術を十一代の朝勇氏は「ナン(何)」と代名詞で呼んでいたと言う
存在すること自体も秘されていたのか
親が子に伝えるのに本来言葉は要らないのかも知れない
技に名前も付けられてなかったらしい、型らしい型も無かったようだ
人前でやったり、大勢で同時にやるには名前や型が必要なのだが

上原氏から見たら、誰も歩けてないし、立ててないのかも
100名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 00:51 ID:4NJd500I
(´ω`)!100いただきりしま。
101名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 04:26 ID:2Oso8tOP
太気拳の使い手との立会いの後「危険だった、紙一重の勝負だった」
と弟子に語った上原先生は、その勝負から十年後の現在も健在ですか?
102名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 06:33 ID:ujA0ic3/
太危険な状態でなければいいのですが
103名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 06:35 ID:ujA0ic3/
たしか、そろそろ百歳です
ここ数年、日本武道館の演武会で見てないのだが
お元気なんだろうか
104名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 06:59 ID:79n36lju
百歳だったらオレのビデオと書籍で覚えた駒川改心流剣術でも
勝てるだろ?

ね、黒田先生。
105名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 09:01 ID:ujA0ic3/
君は甘い!
死ぬ瞬間まで武を追求するのが達人だ
道連れにあの世に連れて行かれるぞ
106名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/04 21:56 ID:nfGfm7y9
まるで死神だね
107名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/07 08:12 ID:msaUSdYA
あげ
108名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/09 22:42 ID:Q6w2hHG0
沖縄空手道・古武道世界大会 2003.8/16(sat)-8/19(tue)
の初日開会式後の2nd HALFで上原範士十段が出るのかな。
首里城での奉納演武は入場料払えば一般でも見れるはず。
地元だし、見てこようかな。
109名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/11 19:41 ID:IAUhSETA
埼玉の孫弟子です
見に行きたいけど休みが取れなくて残念です

110山崎 渉:03/08/15 22:09 ID:X3pPLlxN
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
111山崎 渉:03/08/15 23:21 ID:uf5ggeAa
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
112名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 20:58 ID:hSQ0+8pn
今年の沖縄空手道・古武道世界大会はどうでしたか
113名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 04:03 ID:IdT7qLgS
来年の春に沖縄に行けるかもしれない。
宜野湾のおおじゃな(変換が出ない・・・)の、あの新築したビルの
全然目立たない道場でいいんでしょうか?
見学とかしてもいいの?
一目でいいから会ってみたい。
114名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 07:17 ID:uroqTIgt
会ったら報告よろしこ
115名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/01 07:57 ID:Z2ouCxxE
御殿手の全伝はもう既に誰かに伝わってるのではと思うのですが
その人は当然表には出ない
数十年の潜伏期を経て、でもやっぱり表にでない
数世代を経て、ますます表にでない
なんて、妄想ですか
116名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/01 08:01 ID:10X0cuFv
それはヒミツ
117名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/01 16:43 ID:Tk6P+Agb
>>113
あのさ、基本的な礼儀を忘れずにお願いすれば
けっこう気軽に見学とかできるよw
皆?イメージ膨らませすぎ

専修したいなら、その旨伝えて見学した方が良いよ
表での練習はあくまで表だから、深いとこまで知りたかったらやっぱり何度も
通う必要はある。

インチキ論争もあるけど、それは自分で判断すると良い

喧嘩には使っちゃいかん!って○○○○はあるけど
実はけっこう好戦的で
「○○のような攻撃をどうします?」
って聞くと、経験まじりでキチンと対処を「実地で」教えてくれる
基本は応用できる...って事に気付けるんじゃないかな?

今、御殿手を継ぐ若い世代が少ないから、真剣にたのめば
何も隠すことなく教えてくれる

本土の人なら、方言を覚えておくと良いでしょう
特に「中部方言」ね

ちなみに私は御殿手の門人ではありません。
「じゃあ、なんで知ってんの?」って突っ込みは無しにしてw
地元の人間関係は色々複雑なんです...
118113:03/09/04 08:05 ID:AfzxqtgQ
>>117
具体的な話ありがとうございます。
実は昔、近所に住んでたんです(笑)
沖縄に居た頃はなんとなく武道は習い事としてやっていて、
県外の方に出る直前〜出て直後ぐらいから本気で始めました。
その関係で、一種の逆輸入のような形で県外に出てから上原先生のことを知りました。
それで、
「沖縄の中部の、パイプランの、まさかあの建物の、あの場所にあったなんて・・・」
という感じなのです。
いずれ機会があれば、見学に行かせてもらいたいです。
通うことは無理なので、多分、ただ見て感心するだけ、という形になるとは思うんですが・・・。
119名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/12 18:14 ID:2eqAx7wT
弟子アゲ
120名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/17 00:57 ID:QlejLm7c
age
121名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/17 21:50 ID:cyPzMlYH
孫弟子age
122名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/18 10:52 ID:x9saw0w3
著書『武の舞』のなかで
御殿手は本部朝基氏のご子息、本部朝正氏に伝えたと書いてありませんでしたっけ?
BABジャパンから出ている上原氏のビデオがありますが、冒頭部分で朝正氏が朝基組手をしていますよ。
123名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/02 12:34 ID:m1n8Uq19
この人だったかな?
格闘家が旅していろんな事に挑戦するみたいな番組で、
沖縄に行った薬師寺がグローブ付けてこの人と立ち会って、
薬師寺がボディにジャブ打ったところを手で上下から
挟むみたいにして受けて、そのまま手首極めてた。
124名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/02 12:42 ID:6gwKmIJc
多香子最高!!
125名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/03 21:52 ID:86xJChNU
でも多香子ちゃんは、すこし姿勢が悪いのでは
首が前に出てるような気がする
おじいさんに御殿手の姿勢を少し習いなさい。
てな感じ。
126名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/03 23:49 ID:rhpE3hEV
本物の武道家には、見た目はどう見てもビール飲み過ぎて腹の出た普通のいいおじさん
みたいなのに、いざ立ち会ってみると全く別格の別次元の強さをしているような人が
たまにいるよ・・・。当然、名は売れておらず、ほとんど無名。普通のおじさん。
127名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 09:57 ID:Fa3WBIvq
なんで秘伝の武術が今いろんな奴に知られてるんだ??
誰かばらしたの?(藁
128名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 10:02 ID:Fa3WBIvq
で、習ってる人いるの?
強いの??
129名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 10:08 ID:Fa3WBIvq
あ、上原って人が教えてくれたんだ
だから知られるようになったんだね
130名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/22 18:06 ID:aj3608wx
誰か動画ないの?
131名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/23 21:27 ID:c3rixHVE
そういえば図書館に「武の舞」の本があった
こんど借りてきます。
132名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/03 07:03 ID:VUjLIkcn
月刊「武道」を見たら上原氏の近影があった
息子さん強そう
133名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/18 10:52 ID:58qVSNHB
もちろん、強いよ!!
134名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/18 23:22 ID:FtkOfONJ
>>123
それ見たよ。
薬師寺がまったっく歯が立たなかった時のだね。
あの時の薬師寺のあせった顔がおもしろかった。
135名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/18 23:22 ID:GDFW9d+O
何年か前の記事で読んだのを思い出したが
上原氏は戦後20年間は日本刀を持てなかったという
戦中の忌わしい記憶がよみがえるからだと
そんな時代があったのですね
 
 上原氏に贈られた、朝勇師の琉歌の一つだそうです
「形ととのりば 技や色あして
  技の身につきば 形うせて」

136名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/18 23:57 ID:eKzKolAf
>薬師寺がまったっく歯が立たなかった時のだね。

薬師寺さんの突きがことごとく空振り!
最近TVでやってた、竹原さんの突きが届かない宇城さんのパフォーマンス
を彷彿とさせる。
いや、薬師寺さんの時は自由に打たせてたから、上原さんの方が難易度が高いかと。
137名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/22 21:38 ID:V1shBxSK
あの番組は録画して何度か見た
薬師寺はジャブから右ストレートで老人に軽く手を出していると言う感じ
老人は、微笑を浮かべながら軽快に右に右にと回りながら
両手を同時に回すような感じで、パンチをパーリングしていた。
薬師寺は本気でやってるようには見えなかった、踏み込みも浅く感じた。上がってきたようだ
どのくらい、続いたのだろうか番組では編集されているだろうから時間のほどは不明だが
「あれーっ、は入れないやっ」見たいな事を薬師寺がいって息も乱れだしたところで、
老人が今度は前に出てき始めた。
右手がビルジーのような感じでフワフワと薬師寺の顔面を掠める
薬師寺が困惑したように後ろに下がり始める
そのうち老人は、蹴りと言うよりは、薬師寺の膝頭を抑えるような感じで
右足もやわらかく飛ばし始める
薬師寺は、下がって背を向けギブアップのポーズ
私の記憶ではそんな感じでした

老人は、最後まで笑みを浮かべていたのが印象的であった。
薬師寺はクローブ、上原老人は素手で、正拳ではなく卵を軽く握ってるような手の形でした。
今度ビデオを探し出してもう一度実況風に描写できるかも
138名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/22 23:57 ID:ybX1GBmS
薬師寺は手加減をしていたかもしれないが
それでも大したものだ
年を考えてもたいしたものだが

それよりも自分がもし
世界チャンピオン経験者に同じ様に手加減してもらったとしても
あれは出来ない絶対に。
139名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/25 09:55 ID:aUwsNcUI
上原さん、戦争中に何人くらい切ったんだろう
自分も倒したと思った相手に脛を切られたそうな
140名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/25 18:49 ID:pLXNlFDP
上原氏VS薬師寺の映像はどこかに無いですか?。
141名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/10 20:50 ID:rwewgNso
>>140
そんな大したもんじゃなかったよ
武術テープの山に埋もれて探し出すのが大変なんです。
アップすると著作権侵害になるんですか?
やり方もしらないんだが‥‥
142名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/10 20:56 ID:rwewgNso
>>141ですが、訂正
やっぱ大したもんです。
九十何歳かの老人であることを忘れてました。
真っ直ぐ立ってるだけですごいと思うべきかもしれん
宇城さんの九十過ぎてからにも期待してます。
143名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/31 09:08 ID:2OZ85Mp1
誰か本部御殿手の動画持ってないの?
144名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 09:36 ID:8N2UOFTq
つまらんよ
145名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/03 11:21 ID:6yGgPOmj
正月実家に帰ったら、学生の頃に買ったままほったらかしていた「本部御殿手・上原清吉」
ってビデオが出てきた。
146名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 09:10 ID:q3tPBvpE
147名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 09:33 ID:uwFj23gK
おいおい。俺も、あの番組見てたけど全然違うよw。
薬師寺は、物凄い手加減してた。
フットワークなんか全然使って無いし。
というかパンチも当らないように打ってたよ。
明後日の方向に、ゆっくりと。
焦った顔というよりは、 〜^^; こんな感じだったよ薬師寺。
終ってからの顔は (^o^)/ こんな感じ。
148名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/04 11:31 ID:d3CEOOiE
うーん、俺は上原さんにゃ興味ないんだが、じゃあ薬師寺さんに手加減してあげるから技みしてよっていわれたら引くよ。
90超えて相手しただけで立派でないの?TVみてないからなんともいえないけどさ。

それにしてもTV見た人によって評価が色々あるね、これは間違えない。ただ、上原さんが株を上げたケースのほうがおおいね。
そらそうだろ、もう高齢だし
149名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/05 11:16 ID:h0jtdXaW
観たかったなぁ。いつの番組ですか?
150名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/12 20:45 ID:tqAIfk6w
五年くらい前じゃないかな
151名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/14 00:02 ID:QoTEZ1ch
このレスに出てくる比嘉清徳という人物をご存知の方いますか?上原清吉氏の
弟子なのでしょうか?
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/sports/5611/1063515038/78
152名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/14 20:29 ID:8r3ezkkS
かなり前に上原宗家に習って、独立したらしいけど、今、何やってるんだろう?
153名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/14 22:13 ID:tfHUJ/Zo
>>152
やはり上原氏を凌ぐような技の持ち主なんですか?
154名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 18:10 ID:OWiktpmV
ううん!なんかいろんな流派で習ってたらしいので、
本部御殿手はみっちり習ったってほどでは無いらしい!
だけど、古くて範士まで行ったらしいよ!
155名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/16 00:07 ID:Ysr+jy1Q
>>154
そうですか。でもなんかそそられますな。
156名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/28 20:01 ID:GM76keu9
今年も日本武道館で古武術演武会がありますが
御殿手は見れるのでしょうか
157名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/30 03:33 ID:QIMDn//Q
見れますよ!ぜひ、見に来てください。
158名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/12 23:05 ID:G4SXKect
是非見に行きたいですね、でも誰が演舞するんだろう
上原先生が来るんだろうか
159名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 02:06 ID:lgJ0l71h
>>147
俺も見てたが、嘘はいけない

ステップワークも両者使ってたし、薬師寺も言うほどの手加減はしてなかった
その後、薬師寺はいきも絶え絶えにしゃがみこんで
「こりゃ当たらんわ」と呟いていた筈だが・・・。
160名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 03:11 ID:Xw2TE7dD
薬師寺はフェイントも使っていたよ。

しかしナンデ嘘を書き込むのかね?
>>147はテレビを観ていないだろ!
161名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 03:19 ID:lgJ0l71h
そうそう。しかもかなり追いこもうとしてたにもかかわらず
翻弄されてた。
あのステップにははっとさせられるものがあった。

あの時のひらめきが今も活きる事がある。
嘘つく奴って最低だね。
162名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 03:33 ID:An/8LjiN
信者特有の持ち上げかたっぽすぎるから止めとけ。

薬師寺が本気だったって?もう少し見る目養ったほうがいいよ。
あまりメディアに踊らされるのも、メディアを利用しすぎたり、
情報不足でよくわからんだろうからって言いたい放題過ぎるのも
やめたほうがいいよ。分かる人は分かるし、情報持ってる人は
もって分かってんだから。以上、これから先は好きに俺をたたけ。

>嘘つく奴って最低だね。

これはお前らも覚えておいたほうがいいよ。
163名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 03:40 ID:lgJ0l71h
>>162
>薬師寺が本気だったって?

何処にそんな事書いてあるか?
頭悪いだろお前。メディアだの信者だの
もっともらしい言葉を使って批判する前に
自分の読解力のなさを恥じたらどうだ?
批判さえしてれば人様を見下せると思いこめる幼稚さには誰も適わないがな。
少なくともそれは適切でないと何ら意味をなさない。
164名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 03:44 ID:lc+uNNtj
上原さんのビデオ観た事あるよ。
で、感想だが、ぶっちゃけ??って感じだったよ。実際凄いのかもしれないけど、
お弟子さんがあんなにわざとらしく大袈裟にやられてちゃ、正直よく分かんないよ。
ただ、武術の優劣には関係ないかもしれないけど、あのお年であの鍛錬された肉体は
素直に素晴らしいと思った。これはビデオじゃなくTVの番組で観たんだが。
165名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 06:09 ID:5xTjIt/W
テレビなんだし。バラエティー番組なんだし。
上原翁にしても、薬師寺さんにしても、出演料貰って出てるわけでしょ?
その番組の趣旨として、「沖縄には、こんなにお年寄りの強い武道家がいる。」
って内容の番組を作りたいわけでしょ。このスレの住人の武道習練期間によるが
元プロボクサー世界チャンピオンの実力って、どういうものかわかるでしょ。
薬師寺さんが、本気でおじいちゃんをドツキ回ってどうするの。
誰が得するの。誰も得しないでしょ?バラエティなんだし。薬師寺さんも
「いや〜、素晴らしいですね。」って言うでしょ、出演料貰ってるのだし。
166名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 06:17 ID:5xTjIt/W
元キックチャンプで日本拳法首席師範の猪狩元秀氏が回顧録に、
「以前、テレビ番組で、ある武道家のお腹にマッハパンチを入れても
入れられた武道家は平気、っていう企画があってパンチを入れましたが、
周りから本気で突いたんですか?って聞かれます。聞かれたら、立場上
もちろん本気ですよ、って答えていましたが、時効ですから言いますが、
私が、本気でその武道家にパンチそいれたら、
相手は怪我どころじゃすまないですよ。藁)」
皆さん、大人になりましょう。
167名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 06:20 ID:5xTjIt/W
>武道家にパンチそいれたら
そ→を
訂正します。すみません。
168名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 11:19 ID:QElnzZRZ
>167
むー、漏れも元気な頃の上原翁に思い切り自慢のパンチそ入れてみたかったYO! うっひぇっひぇ。
169名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/13 14:47 ID:Kxzk8qJI
>>142
90歳代で元気な爺さん、婆さん、いっぱいいますよ。
背筋が真っ直ぐだけなら、ホントたくさんいます。
上原翁、秘伝だったか、わすれましたが、整体の先生と手をつないでの写真、
お顔が以前のようににこやかでなく、まるで○○老人のような無表情。
かなりのご高齢では?整体の先生の手記に、上原翁は腰を悪くされているとの事。
170名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/14 02:03 ID:TrtTCDkA
>>165 >>166
馬鹿だろ?

>>163の意味を、正しく読み取れてないぞ。
やりなおし
171名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/15 01:15 ID:kMRI12zP
>>165 >>166
は必死さが伝わってきて笑えます。
172名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/15 07:44 ID:gTcZ/7bv
>>169
かなりの高齢なのは間違いないですけど、件の写真は確か病みあがり後のものだったのでは?
173名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/17 11:59 ID:g8NjoUG8
>>166
俺が読んだ本(なんかの座談会みたいな内容)は、ボディを攻撃したが平気でたいしたもんだな、とは思ったが実際の試合とかだと動きまわったりフェイントで意識をそらせたりがあるからね。まあ、あれは格闘には役立たない芸みたいなもの。とゆーよーなこと言ってたね。
174名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/17 12:04 ID:MBdPBWj2
>実際の試合とかだと動きまわったりフェイントで意識をそらせたりがあるからね。

だから?

>まあ、あれは格闘には役立たない芸みたいなもの

これはただの飛躍。
175名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/13 22:02 ID:76YFXmwE
最近の本部御殿手関係のことを知ってる人はいませんか?
176名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/25 16:33 ID:XxE76LQQ
>>60
>>63
下は上地流2代目宗家の故上地完文先生ですよ・・・
177名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/27 14:48 ID:Q95ZtMS+
>>58>>61は上地流2代目の上地完「英」氏ですね


ところでこっちに本部御殿手の源流が八卦掌の源流と同じだと言い張ってる人がいるんですけどどう思いますか?

【歴史】中国拳法と琉球古武術と空手の関係【源流】
http://sports6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078573907/
178名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/27 15:17 ID:enz1+zrL
>>166
この人ですか?

http://www.ch612.com/index.html
179名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/27 23:26 ID:WvmmUGTA
177>>
似ている部分はありますが。うどん手が中国北派拳法に近いものが
あるため、八卦掌にも似ているのではと思ってます。
人間のやることですから、戦略や思想が似ていれば、
行動も似たものになるのではと。
180名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/28 00:09 ID:XfkjGtW+
八卦掌と御殿手では技術体系や思想が全く異なります。両者は全くの別物。
中国北派拳術と御殿手でも同様です。
181名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 00:20 ID:8AZpi3+9
BABジャパンさん、上原氏の「武の舞」を
また出してくれんかな。人に貸したら返ってこない。
 読みたい人も多いはずだ。前回よりも売れるのではないかな。
 このまま幻の本になってしまうのは惜しい気がする。
よろしくお願いします。
182名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/29 00:34 ID:yBG8TXst
また出して欲しいね。
以前所有していたけど、いつの間にか紛失してしまってガッカリ。
183名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/03 00:38 ID:Sk76DGfK
絶版なのか・・・オレは「武の舞」昔買ってまだもってる
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/9399/books.html

>>181
ここで頼んだほうがいいよ
http://www.bab.co.jp/


それとビデオはいくつ出てるのかな?
オレは1つしか持ってない
184名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/03 00:39 ID:Sk76DGfK
しかしこれほど高級な武術は一体誰が作ったんだろう
どの中国武術とも日本武術とも似てないし・・・
185名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/03 00:42 ID:pVkJhZsU
>182
沖縄のレンタルビデオ屋でレンタルできまつ
186名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/03 00:49 ID:Sk76DGfK
>>185
本が?
187名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/03 02:11 ID:XYvdcHbQ
しかし、上原さんが御存命の内に、術理解明本やビデオを出して欲しいな。
188名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/04 17:48 ID:8yrk/95c
それ以前に、弟子にどれだけ伝わってるかが気になる
体現できなくても、理屈だけでもすべて伝わってれば良いのだがと
秘伝武術であれば、そういうことまで秘めてしまうのでしょうね
 
189名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/05 17:06 ID:SWKndBoI
上原清吉宗家が亡くなりました。
2004年4月3日のことのようです。
享年100歳大往生といえますよね。
合掌
190名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/05 17:32 ID:JZXN/aN2
マジ?
191名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/05 20:16 ID:9s42SPfT
本当にお亡くなりになったのですね。ご冥福をお祈りします。
一度でいいからお会いしたかったなぁ。練習風景も見学したかった。
192名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/06 00:55 ID:A0MSoDYi
地元の新聞にも記事として載ってました。

ご冥福をお祈りします
193名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/08 00:51 ID:X0ahExM3
沖縄タイムスの記事です
http://www.okinawatimes.co.jp/jin/20040406_1.html

ご冥福を御祈りします。。。
194名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/08 02:52 ID:sxUQUa80
残念です。ご冥福をお祈りします。
195名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 00:25 ID:ja8k/UQN
ご冥福をお祈りします。

ところで後継の方は技をどれくらい受け継がれているのだろうか・・・?
部外者が余計な御世話だろうがあの技が失われてしまうのはあまりにも惜しい
196名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 06:43 ID:HnRcnWbJ
ご冥福をお祈りします。

ビデオなどで超絶的な裁きの歩法や投げは
幾度となく記録されましたが
打撃やその原理についてはほとんど言及なしだったのでは?
実に惜しいですね。
197名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/09 20:34 ID:ja8k/UQN
>>196
原理とはどういうことでしょうか
198名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/10 18:48 ID:d/7Y2T+v
1998年1月号の秘伝誌で御殿手の特集がされてるのですが、そこで上原清吉先生が「先生を継ぐ方はもう『極意』に達しておられますか?」と聞かれて、
「うん、8割方はね」と答えられてます。「御殿手の技は実に多岐に渡り複雑なので、全部憶えるのにはまだ少し時間がかかるかな」のだそうです。

それから約6年強経ってるので、上原先生の後継者の方は100%極意に達してるのではないかと思います。またそうであって欲しいです。
199名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/10 19:05 ID:oriDG5iY
>>198
後継者は誰ですか?
200ゲッターマン:04/04/10 20:23 ID:1U2bfrdb
200!
201名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/11 22:36 ID:cfCVCKns
六年前に八割方達した人とは今度の宗家になられた方だろうか?
それとも、弟子の中の誰かなんだろうか?

202名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/12 19:21 ID:05JuhEXu
>>196
そういえば御殿手の突きや蹴りをやってるところは
動画では見たこと無いです。
どんな感じなんでしょうかね
203名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/12 21:42 ID:VB81dqpa
現在の宗家は右下の本部朝正先生でしょうか?
http://www.geocities.jp/shudoukanjp/new_page_5.htm

しかし本部朝正先生も結構ご高齢ですから上原先生言うところの「後継者」ではないような気もするのですが・・・
204名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/13 20:44 ID:/38Xm4qy
100歳の大往生か・・・沖縄の人はご長寿だな
205名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/13 22:07 ID:BkGeW051
もったいないな、、もっと長生きしててくれれば
206名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/19 18:33 ID:3Bdm3z0d
あげ
207名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 16:13 ID:lBfnJPqG
闇の武道家っているの?のレスで
以下の様な文章発見。
>95〜
兵庫県の上郡にすごい先生がおられます。
唯一、御殿手の上原先生が他流派でありながら実力を認め、鯛の御頭つきのご馳走で迎えた先生です。
大きい流派のトップの方なら知ってられるかも知れません。
雑誌には一切出られてません。理由としては、レベルを一緒にして欲しくないからだそうです。
160cmないですが、本当の意味でのなんでもあり(武器も当然)では、日本一でしょう。
その先生が上原先生が亡くなられた現在で、今まで手を取って自分よりまだ先におられると感じてるのは
八卦の馬 傳旭先生だけだそうです。
あくまでもリング(ルールのない)の外での話しだと思ってください。
昔、、大阪の南で弾丸と言われ、あっちの世界の人にカタギで化け物がいると噂されてたそうです。



208名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 20:08 ID:5T7e5myE
武田惣角が琉球(沖縄)に行って唐手と何かしらやっているんでしょう?
その絡みは何か考えられないかな?
言っておくけど俺は大東流信者でも何でもないからね。
209名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/26 20:29 ID:YG7oP2ir
>>207
誰か知ってる人いない?
噂では聞いていたが・・
210梅花:04/04/26 20:44 ID:7fR8//TQ
剣は?
211名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/26 23:12 ID:YG7oP2ir
>>210
意味がわからん
212名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/26 23:17 ID:HJLNFxrf
>>204
沖縄は、もう長寿県じゃないよ。
沖縄の男性は、全国で26位。
沖縄が長寿県というのは昔の話。
213名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/28 00:44 ID:ee8Hh8Nk
>>207
この人知ってます。
確かに最強かも・・
実戦(複数対1の喧嘩)500戦無敗って聞いた事がある。
214名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/28 02:24 ID:REzDCSC7
>>207
中村日出夫より強い?
215名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/28 18:46 ID:+/wOF2yZ
>>207
オレも知ってます。以前、孫○さんとこにいた人でしょ。
隋園○館で食事を御一緒したことがあります。
かなり胡散臭い感じがあったような・・・。
216名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/28 20:24 ID:ee8Hh8Nk
>>215
正式には、孫○の所にいた人じゃなく、孫○に教えた人(位が違うはずです)です。
この人の名前も中国名が孫○○のはずですから・・
かなり強いです。
217ヒ ̄ヤ?モcモNホS:04/04/28 21:16 ID:jDAX6bzP
オモシロそうだ!
218名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/29 02:33 ID:McA+pjHu
闇の武道家スレで名前でちゃったよ。
219名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/29 10:44 ID:k2ar3oJe
え? 
○林市?
220名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/29 12:24 ID:ewNChelV
兵庫県上郡町だよ
221名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/30 01:18 ID:jX7sqyso
氏家流の方出てきてくれ〜
222名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/30 18:40 ID:qQFJAKZ/
御殿手の方が反論しないって言うのはやっぱり事実なんじゃない?
223名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/30 21:26 ID:i/vht4En
て言うか、見てないんじゃない、ココ!
しかし、あの三宅氏が日本一とは・・・。(藁
224名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/01 01:09 ID:nTyMxbIK
>>207
いろいろと、三宅氏の事が話題になってるみたいなので、私感を述べたいと思います。
私自身30年程、フルコン派の空手、大東流などをやってまして、身長183、体重80キロ
で並みの人なら勝てる自身はあります。
今まで、強いと言われてる方には、勉強になるだろうというのと、自分の目で確かめたいと思い、いろんな方に会いに行きました。
マス大山さん、倉本さん、極真時代の中村さん、松井さん、久保さん、蘇東成、高岡さん、三宅さんetc
倉本さんや、中村さんなどは強いが死に物狂いですれば負けたとしても、相手にも傷を負わす事ぐらいはできるのではと思いました。
松井さん、久保さん、蘇東成さんも同じ感じです。高岡さんは悪いけど問題外です。(あくまでも私感)
唯一私がどうする事もできないだろうなと思ったのが三宅氏です。
次元というか桁が違うって感じました。なにをやっても殺されるという感じがしました。
あくまでも、私感ですから、勇気ある人は直接確かめて下さい。
225名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/07 21:10 ID:c39I76Yr
本当、私感のみのようですね。(納得!
226名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 21:04 ID:SvFFsgB2
ここにも飛び火してたよ(藁
227名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 21:08 ID:QL5SfqSg
>>223 >しかし、あの三宅氏が日本一とは・・・。(藁

詳細よろ!
228名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 23:25 ID:ewbhWDyN
>> 222
本部御殿手の規模からいって2ch見てる門下生はいないと思うよ。


上原先生が亡くなったことで今後は、「奥義を授かった」だの「一目置かれた」だのと言い出す
ホラ吹きがだくさん出てくるんだろうな。
229名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/11 18:12 ID:AlAsdnZB
そういえば秘伝で出てた整体師の方は
極意を教えてもらったのだろうか
230名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/11 18:57 ID:bwNogRAt
確か三宅氏も整体師だったよね。
231名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/11 19:22 ID:Lg3K5out
>>224
>身長183、体重80キロ

胡散臭さの典型例。
だいたい、ここに出ている有名武道家の旬の時期に対決しないと
どうしようもないし、どうやってこんな有名人と試合をするんだぁ?
ホラもいい加減にしろよ。
今時、183で80ではバランスが悪いぞ。
172,3でも80はざら。
まして、183あったら最低でも90以上だろ。
鍛えてない証拠。それかデタラメ。
232名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/11 20:11 ID:P0L4Yxh1
筋肉のしぼりはそんなに問題ないと思うよ。
逆に172,3で80は太くて動きにくいんじゃない?
233名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/11 20:16 ID:UJjqJ1M/
>>231
スピードを重視した結果です
私もかつては110kgほどありました
しかしウェイトでむりやり肥大化させた筋肉は
動きを疎外するだけだということに気付いたのです
筋肉に頼った動きには限界があります

限界を知るために徹底的に筋肉トレーニングに
とりくんでみるのも一つの手ではありますが

234180cm80kgのこいつは:04/05/11 23:02 ID:+E8ghgbv
両刀使いに匹敵するウソつきだ菜
235名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 21:30 ID:vN8VIz5V
age
236名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/17 13:16 ID:/JFPQxDF
「高岡英夫と瀬戸敏雄」で三宅氏の事を(´ー`)y━~~~ さん、(太極さん)が
情報書いておられます。 やはり、実力は本当かも・・
瀬戸しとの?がりも書いてるし華僑じゃ名前は通ってるみたい。
237名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/18 19:42 ID:FFrq71+R
「闇の武道家っているの?」で太極さんが三宅氏に対して次のような発言が

927 :(´ー`)y━~~~ :04/05/18 17:05 ID:27JbpILP

>>905さん

お2人に接点は無いです。比較評価も立場上出せませんわ。
漠然と、「お互い(ほぼ)唯一無二の同じような次元におられる同士」とだけいうときます。
時期はあんまいえんけど私が三宅先生に接した時、個人的には最下段からテレフォンでプロ・ボクサーの顔面に当てられるまで鍛えたつもりの突きが(因みに私、元ボクサー)、
拳に対する巻く合気(触れ合気)で体ごと直下の叩き付けられた…当然、神業といえるもんです。

三宅先生は非常に先人諸師に対する敬意が篤くあられるが、ほんまの本音を聞くと大分ちゃいまんな。
うちの先生も表面とは裏腹に、先人への見方が相当厳しい部分が在ります。
寥五常先生(マフ○アの…の方)には全て無料で教えて貰た恩に着られ、鄭天熊先生には今の礎と成った練功を教えて貰た恩恵を忘れられないながら、
他方、実力に関し厳しい見方を持っとられたの…。
王樹金先生のことは、100パーセントがニセモノの世情にあってキラリと光る本物が居た…といわれます(でも束修は3か月で10年分やったとか)。

現代という時代で過去を超える功夫を顕現するんは厳しいのだろうか?
時代の要請が超人を生んだとも考えられます。今武術の世界で生きるんは、武器、兵器の発達からして昔より難しい。
そういう克服願望が先生の八卦の師(董海川を遥かに超える)を生み、今又先生を生み出したのやと思う。
先生には悠久の時間を、動きを全て静功と同じ次元で練れる内観が出来るだけの環境に恵まれた(?)…いう根が在るのだが。

238名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/21 16:55 ID:9uV5fZET
おれは華僑だ!おれは○社会だ!
おれの武道は日本一!!
って、言うじゃない!言うじゃない!
あーた、結構あちこちの先生に不義理してるでしょ、
バレバレですから・・・氏家、斬り!!
教えたほうと教えられた側が逆ですから・・・切腹!!
239名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/22 07:43 ID:bS7GAWuU
これが本当だろ、やはり。なにが琉球王朝に伝わる秘伝だよW

103 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/05/21 22:02 ID:BCFqB7Lr
正座文化すらないアメリカ人にわざわざ座捕初体験させて御満悦ですから。
硬式空手王者なんて組織が限られていて名前バレが常識なのに
本名が出たことは一度もないのですね。

上原清吉は家族から嘘つくの止めてと言われつづけ近所からも
琉球新聞にも馬鹿にされているし、堀部さんは所詮、佐川道場の出身だし、
澤井健一の組手KO負けを靴下だの奇襲だの嘘を言っていた連中ですら
今では完全にバレる時代に、いまだ創作話ですからね。
240名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/22 22:33 ID:/5jdYN2r
やはりインチキだったんだな、このじいさん。
241名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/24 11:20 ID:o0Kk4NNW
上原先生の実力は実際会った事ないから俺にはわからないな。
ところで>>239さんと>>240さんはどんな武道をやられているんですか?
242名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/24 11:33 ID:qPFgz7rI
>琉球新聞にも馬鹿にされているし
これは受け取り手の解釈によるものだがな。
243名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/24 15:25 ID:hKszvaBz
>上原清吉は家族から嘘つくの止めてと言われつづけ
>近所からも琉球新聞にも馬鹿にされているし

沖縄県出身の同級生も苦笑してたな。
この上原さんって人についてね。
上原さんとか又吉イエスさんとか
羽賀ケンジさんとか安室なみえさんの
話を出すと嫌がってたな。
まあ、そういう部類の人なんだろうなと思ったよ。
琉球の神秘でいいんじゃないの。
244名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/24 15:40 ID:g5/CGyZl
>>241
ビデオを観たらわかるでしょ。
あんた、「キルビル」観て、
本当に人を斬ってると思うかね?
演武ビデオを観なよ、
サスペンダーと軍手で出演の。
245両刀使い ◆0TQehrpOf2 :04/05/25 00:44 ID:zv7c3+qA
>>234
>両刀使いに匹敵するウソつきだ菜

何の事やら(笑?

もし良かったら 貴方の稽古場所を教えて下さい。 お邪魔に行きます。
もしくはうちの道場来て下さい。
246名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/28 18:04 ID:PYZ7LJou
>>240,>>242,>>243
きっちりとした武道です。故人の悪口を言うのは最低。
247名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/31 22:58 ID:DEdkQA0b
上原先生は最高ですよ

最後まで武人であったのではないのかな
何人くらい弟子や孫弟子がいるのか分からないが
大きな影響を残したと思うよ

破門になった人、途中で見限ったひと何か一言どうぞお願いします。
弟子は武術の性格上ネットでの発言は難しいでしょうね

演武ビデオを見ていて眠くならないのが素晴らしいぞ
248烏骨鶏 ◆rIdeRv3c96 :04/05/31 23:27 ID:mnHzjxTL
個人的に、上原先生のファッションにシビレました。
249名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/05 19:56 ID:/ZaIOifa
>>247 同じ事ばかりやってるので、正直眠くなりましたが、何か?
250名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/16 22:43 ID:gf3m1Xlm
百歳近くまで現役で演武や指導していたというだけでも、俺は尊敬するけどね。
なかなかいないよ。そういう武道家は。
251名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/18 05:54 ID:LSYuWIAn
秘伝今号は上原先生の特集
http://www.bab.co.jp/hiden/

若い頃の写真
http://www.bab.co.jp/hiden/photo-k/04/h04-07.jpg
252名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/18 07:28 ID:LSYuWIAn
>>5
>上原センセもし死んじゃったら
デンパ高岡が「これが上原清吉のディレクターだ!」とかいいだすんだろ?


その通り・・・
253ケ海泉:04/06/18 10:12 ID:cK5Qg1XI

>>252
人が亡くなったことを利用して生きてる人を貶めようとする行為は関心しませんね。
そういう行為を上原清吉宗家が喜ぶでしょうか?
私はそうは思いません。
便乗で他人を貶めようとする行為は故人をも貶める行為に他ならないことを
正しく認識するべきでしょう。
254名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/18 12:00 ID:LSYuWIAn
>>253
すみません、何を言ってるのか理解できません。
>>252は今号の秘伝を見ればよくわかります。
私は故上原氏の身体運動の分析なら故伊藤昇氏にやってほしかった。。。
255名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/19 21:19 ID:ZjUBAdj1
高岡先生には
塩田剛三氏と対談したように
上原清吉氏とも会って話題を提供して欲しかったよ
今回の秘伝のDS解説は今一わからん
どのような稽古をすれば上原氏のようになるんかしらん
256名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/22 21:11 ID:8bqmxgIH
>>239
琉球新聞にも馬鹿にされている

新聞記事の内容はどのようなもの
だったのでしょうか?
257名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/22 21:24 ID:Fq3YwWoI
>>256
家族からも顰蹙をかってたね。
258名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/01 22:57 ID:7aJChZDe
そうですね
259名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/06 22:36 ID:AvxE90or
上原先生がお元気なうちに沖縄にいって弟子にしてもらいたかった
観光も兼ねてね
 あんな先生、今後現れるかね、いたら教えてくれ
260名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/09 04:00 ID:0fcjAVeN
>251
その写真、なつかしー。道場に飾られてたし。

K-1のタイ人の前蹴り見て感じた事は
本部御殿手の移動の突き蹴りにあるような前蹴りって独特だなーってこと。(動作はだいたい独特なんだろうけど)
距離取る為の前蹴りとも違うし。

どんな時に使えるんだろ。
261名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:08 ID:FAbYLuN8
マサトがあの前蹴りを捌けなかったのが残念でならない
フック系や回し蹴りの稽古がメインだと、対応しにくいだろう
夫婦手とか入り身などは、あのような蹴りを想定してると思う
 でもあの体格差でよく頑張ったね
262名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/12 23:11 ID:XecOWooN
あげ
263名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/13 22:45 ID:WytZE0VJ
佐川さんの時の方がスレがノビ太君でしたね
264名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/16 21:16 ID:rfdZPw7e
秘伝誌の表紙になってる、若いときの上原氏の顔は
アムロナミエが男だったらって感じだ
265名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/17 00:43 ID:DViBd+Id
ビデオがdvd化されたみたいだけど、
見た方が良いかな。
266名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/18 22:27 ID:TokmXI8t
くだらね
267名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/22 20:19 ID:Axi082yA
んだね
あんな歩き方で戦えるわけねえよ
半島の皆さんも朴ろうとは思わんニダ
268名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/23 03:24 ID:qWdvFTQx
秘伝の連続写真見ただけだけど、あの動きは強いよ。
相手が攻撃する直前の一瞬を見計らって間合いに入っていっているように見える。
それも、いかにもタイミングを見計らうっていう種類のぎこちない雰囲気じゃなくて、
自然に流れるようにスーッと入って行かれているみたいなので、あれだけを見ても
並大抵の感性じゃない方なのはわかる。
それから「こねり手」も、極め技としてさりげなく紹介されてたけど普通じゃないよ。
あの技術を練磨して発展させれば、かなり高度な部類の合気の一種に繋がっていくはず。
あの技を見せているのは、暗に「うちは合気的なことも出来るんだよ」という風に
示しているように見えて仕方が無かった。上原先生はすごい人だと思います。
それからネーミングがいい。手をこねくり回すから「こねり手」とか、
空手(唐手)を、手を使うから単に「手」とか、なんかいいな。
整体の人がただ体験入門に来ただけの時に
「あんたはいい人だから秘伝教えてあげようねー、明日教えようねー」
とか言ってたという話なんか、本当に沖縄らしくて、もう最高…。
269名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/23 09:21 ID:AXSjXnvm
>>267
あの歩き方の秘密を知ったらそんな発言はできなくなるで。
ま、ビデオでは足元や大事な所は隠してるけどね。
本当の事は公表するわけもないけど・・
270名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/25 22:30 ID:xZO9wH0T
伸びないね…
なんでだろ、
やっぱ沖縄だとみんななかなか見に来れないからかな。
絶対只者じゃないんだが。
271名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/25 22:49 ID:WFHO9EaM
どうでもいいから
272名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/26 04:27 ID:q2vw167z
比嘉先生の本に上原先生の事が少し出てた。
比嘉先生の所も実際は息子さんに代替わりしてるみたいだね。
長年武道をやっても年には勝てないのかな。
273名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/26 12:26 ID:bWRBUhjo
>>270
と言うよりも、もう亡くなられてますよ。
274名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/26 14:17 ID:X5pM7GdN
あの写真、35才の頃のらしい。
20代前半だとおもてた。
275名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/28 23:47 ID:79nXlLYB
以前秘伝誌に載っていたのですが、
上原氏が前蹴りを相手の鳩尾あたりに入れている写真、
これを見て、すごい人だと思った記憶がある
276名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/29 20:24 ID:Ur7YpZbu
たしか足の間接曲げないでまっすぐにして蹴り上げるんだよね。
277名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/31 00:21 ID:VUUB1brJ
そうでしたかね。
そうなら、歩くのと蹴るのと違いが分からないね
なにしろ、膝を伸ばして歩くのだから
気がついたら蹴られてたなんて事になるんだろうか
でも、それで威力がでるものかしら?
278276:04/07/31 20:52 ID:HXvihF7w
>>276
>でも、それで威力がでるものかしら?

個人的には無理だと思うな〜。その蹴り方の方が相手に早く
足は到達するだろうけどさ。威力がなきゃどうしょうもないし。
その蹴り方で、威力を別にだす方法があるのかもしれいないが、
古流の唐手にしろ拳法にしろ、そんな蹴り方を採用している所
は見たことない。だからといって嘘だと言ってる訳じゃないけど。
279名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/01 22:15 ID:aenQd7z2
速くなきゃ意味がないっていってんじゃん!!!!
威力云々じゃないの!!!!
速くなきゃ意味がないの!!!
何度いったらわかるのよ!!
相手より速くなきゃ意味がないの!!!!!
この馬鹿!!!!!!!!!!!!!!!
280名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/02 20:08 ID:C0y1NekP
私って馬鹿なの?
うすうすそう思ってはいたけれど

手近藤さんなんか随分速く見えるけど‥‥
 
>>279さん
 一度しか言ってないんじゃないの
随分気が短そうですね

281名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 20:50 ID:LUyxSS3l
>142
それにしても上原清吉翁と座波仁吉翁よく似ている。
(顔が)
沖縄だから先祖をたどればやはり親戚筋かいな。

別に宇城氏が年取らなくてもその師匠がもう90近い
んじゃ。
282名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/06 00:04 ID:L2RYwk4w
久しぶりに見に来たけど、やっぱり新しい話題が全然出てない・・・
しばらく眺めててようやくこのスレが伸びない理由がわかったよ
要は単に話題が少なすぎるんだな
283名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/06 23:31 ID:h3LnRneL
秘伝な訳ですな
それとも内容がないような
284名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 08:53 ID:s8tZzDhm
ある意味、武術として正しいんだろうね
285名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/08 08:59 ID:s8tZzDhm
しかしながら、日本武術の腰をおとす動きからすると
正反対ですね。
 ヒガミを伸ばすという現代の剣道に近いという事かな
 剣道が、軽い(といっても600グラム前後)竹刀でスピード重視
先に当てたほうが勝ち、というのと共通項があるからか、
とすると
>>279の言うとおりだね
286名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/10 08:40 ID:l49A+HRd
日本武術だって速くなきゃ意味がないよ!!!!!
腰を落としたって関係ないの!!!!!
剣で居つくのは致命傷!!!!!!!!!!
速いが業でしょ!!!!!!!!!!!!
腰を落として居つくくらいならぴょこぴょこ走り回ったほうがましです!!!!!
歩法は居つく事を教えてるわけじゃないでしょ!!!
相手より先に動けて、相手より技が速くて、相手の攻撃より速やく技が届く
全部相手より速く動けるから意味があるの!!!

速い目を持って、速い動きを持って、相手に速くとどかすんだよ!!!
わかったか!!!!!!!!!!!!!!

正反対じゃない!!! 全く一緒です!!!!
剣術や日本の武術の当てたら勝ちは剣道の比じゃないよ!!!
相手は竹刀みたいなおもちゃじゃないんだから!!
287名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/10 18:54 ID:bqerLj9D
!!!!! さんて御殿手の人ですか
288名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/17 23:37 ID:cQL/u7Gk
秘伝の最新号に御殿手の記事がまた出てますね
血糊が固まって刀がはずせなかったというのは、なんともリアル
もっとそんな話を聞きたいんだが
289名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/18 12:44 ID:ekI5tLkN
>>286
>相手は竹刀みたいなおもちゃじゃないんだから!!

これ、お前本気で言ってんのか? 剣道の有段者に竹刀持たせてやりあってみろよ。
ボクシングは足技がないから弱い。竹刀は切れないから弱い。そう言ってんと同じだぞ。
290名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/18 20:42 ID:X0bjXdGi
竹刀と真剣はかなりの差があるけどね。何いってんだか
291名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/18 20:48 ID:ekI5tLkN
>>290
真剣より強いとも同等とも言ってないよ。
竹刀はおもちゃという表現が気になっただけ。

竹刀を持った有段者とやりあってみれば分かる。
俺は親善もかねての手加減半分で相手してもらったけど、
入ろうとすれば突かれ、距離を取れば打ち下ろしが来たよ。

相手の手心で突きは顔面を狙わなかったけど、もし狙ってたら
引き分けどころか、一発で終りだったと思う。あいつら、怖えぞ。
292名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/19 00:17 ID:6wFAH4Ia
>>242
琉球新聞は朝日並みに酷い左翼新聞だ。
空手に関してはなんともいえないが、琉球新聞は信用するな。
共産主義者の手先で、日本の文化伝統を破壊しようとしている。
293名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/30 00:30 ID:ifg16iNi
q
294名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/30 00:31 ID:ifg16iNi
w
295名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/31 23:38 ID:ZnDEoD1z
>>292 そうなのか?
296名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 19:16 ID:pcA77tHP

あんな爺さんはもう二度と出現しそうにもない
 と思うのは俺だけか
297名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 19:44 ID:ouxb30FA
沖縄の方って歴史的にか土地柄かあからさまなサヨとかサヨメディアが多いよ。
298名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 01:00 ID:7hxgfOMk
上原のじっちゃん、おらの夢に出て来て御殿手教えてくんろ。
痛いのは嫌なんじゃが。
299名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 10:01 ID:qXic/F4r
こんなかわいらしいおじいさんが亡くなったことが純粋に悲しい。
300梅花:04/09/12 23:52:10 ID:d2ntOkck
宮城長順にも伝わってたようだね 取手
301名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/17 05:39:14 ID:rkyjXvbt
比嘉先生の本に出てる上原のじっちゃんは、恐い顔してた。
せんそーに行った人なんだなーっておもた。
302名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/21 21:11:58 ID:HRM/Y83o
秘伝を教えろとはいいません
御殿手の基本鍛錬を教えてください
サンチンとかスクワットとか
立禅とか四股ふみとか
303名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/21 21:12:59 ID:HRM/Y83o
上原先生
おら強くなり怠惰
304名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/25 22:25:49 ID:TizG2HFS
このスレもついにお亡くなりになったのか
 享年とって304歳でした
305名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 19:06:56 ID:qY6RFFt2
a
306名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/01 22:24:33 ID:LC3vFRt9
b
307名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/03 01:21:33 ID:jCGjey04
前にも書いてあったが、俺も薬師寺戦見た。

けっこう凄い御老人と感心したものです。

故人ですが、このお爺さんですっけ?服脱いだら背筋が凄い人は?
308名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/03 02:49:48 ID:NzjNDZoU
誰か「浜千鳥」の動画もってません?
309名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/03 22:09:10 ID:NXYPBSLd
市販のビデオの中で女の人が踊ってるのがあり、持ってるが
部分的で全体の半分位じゃないかな、
自分としては、元の浜千鳥を見たことないので、そちらの方を見たいですね
 
310名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/04 00:37:31 ID:K47Mcur4
↑それは所謂武術として伝承されてる奴ですか
311名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/19 05:22:24 ID:1R11gQ21
おまいら琉球新聞って何だよ?
琉球新報だ ヽ(`Д´)ノバーヤ
312名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/24 19:13:16 ID:cZnAgn9g
今日本部御殿手の道場を
見学してきたよ・・・・・・。

あんな動き初めて見たよ。
313名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/24 19:46:37 ID:Eh7r8vvf
強そうだった?
314名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/24 20:39:04 ID:cZnAgn9g
>>313
うーん何て言うかなぁ
あまり言うとまた煽りが凄かったりして、誤解が生じるからあれだけど。
脱力の凄さって言うのかなぁ・・・・・。
分かる人には分かるけど一般的には力強さがないから強く見えないかもね。
でも、こねり手って言うのかな?
手を取られたんだけど、動けなかったよ・・・・。

逆に右腕一本でこっちは相手の為すがままに動かされるし
まるで散歩されてる犬みたいな感じですね。
取られている腕が犬のリードみたいなw

一応おれ総合やってたんだけどねぇ・・・・。

取りあえず俺は入門しようか考えてますよ。
315 :04/10/24 21:01:46 ID:EbDKqeKB
>>314
すごいな。とりあえずビデをオークションにでも出してくれないかな。


316名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/24 22:21:25 ID:5/Ns0prN
本部御殿手は沖縄?
現在、宗家は誰になったのですか?
東岸和田の朝正先生ではないのですか?
317名無しさん@お腹いっぱい。:04/10/31 15:23:15 ID:GSbtum8U
age
318名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/01 19:04:10 ID:Vfquy0hX
age
319名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/01 20:45:57 ID:L7M6DX+z
神田の古本まつりがあったので
「武の舞」を探したがみつからなかった
 残念
320名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/06 17:21:02 ID:oh6hZYjS
録り貯めたビデオの整理をしていたら、田代まさしが武道を紹介する番組で、
上原先生が取り上げられているのを発見した。
初めて上原先生の動きを見たが、見事に先をとって相手の中心を最小限の
動きで制しているので驚いた。惜しい方を亡くしたものだと思う。
321名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/07 18:42:01 ID:So1QFrjR
 実際の浜千鳥の時間がどのくらいなのかは知らないのですが、
ビデオで技術を削っても浜千鳥を上原先生に舞ってほしかったなぁ…。
322321:04/11/10 03:50:14 ID:JWPqJwFx
>>321
えーと沖縄古典音楽の「浜千鳥」で踊るらしいので、
だとすると3〜4分程度だと思われますよ。
323名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/14 00:07:40 ID:yretPax9
浜地鳥の歌が四番まであると聞きました
舞いもそれにあわせてやるという事で
違いがあるのだそうですが
自分はその違いが判らなかった

NHKの芸能花舞台で、琉球舞踊の解説やってるのを見たことがある
ガマクがどうのこうのとか、
半身の状態で歩いたりしてたね
324名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/16 21:15:59 ID:8flIhrJS
しかし、上原先生って本当にすごいひとだったんだね。
比嘉清徳先生の本を読んで思ったわ・・・
325名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/21 22:56:24 ID:Yz/t/RMj
御殿手の通信教育ないですか
 
326名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/22 10:03:37 ID:3+kuSPow
age
327名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/22 11:07:04 ID:/0aDfGRa
上原せいきちさんは誰からウドンディをならったのですか?
328名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/22 21:12:00 ID:jkwHh97j
本部朝勇という方に、12才の頃から10年間毎日習ったそうです。
329名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/23 09:26:33 ID:DYRQ2ZEK
なるほど、やはり朝勇氏が最後の継承者か…。
朝勇氏は本部朝基の兄ですよね。
330名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/25 16:20:17 ID:/t7bPTeq
>本部御殿手は沖縄?
>現在、宗家は誰になったのですか?
>東岸和田の朝正先生ではないのですか?

 大阪の本部朝基のご子息、朝正氏が現在の御殿手の宗家です。朝正氏
は朝基の本部流の宗家でもありますから、現在は本部流と御殿手の二流
派の宗家になっています。朝正氏が御殿手の宗家になったのは、上原
先生が、次の宗家は本部家の人に継いでもらって、本来の形に戻したい
と、朝正氏を後継に指名して技を伝授したから。
331名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/25 16:54:50 ID:GHD6oO8M
すげえ!
大阪でウドンディと本部流二つが習えるんだ!
332名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/25 17:56:29 ID:E3nn870d
ウドンディじゃなくて「うどぅんてぃ」
333名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/27 02:00:59 ID:P/jL7sqO
朝正先生は、朝基から実際に空手を教わった世代の最後の生き残りで
しょうね。朝基の孫弟子、曾孫弟子にあたる空手家はたくさんいるで
しょうけど、実際に朝基から教わった人で存命の人は朝正先生くらい。

戦前、最強の唐手家と言われた本部朝基の技は、近年復刻された朝基
の著作の写真なんかからも、ある程度うかがい知ることはできるけど、
やっぱり朝正先生の演武とかを実際にみると、「ああ、これが朝基の
空手なのか」って、すごい感動があるね。どっちかというと古流空手
の一分類になるのかもしれないけど、いまの空手の一般的な姿からす
ると、やはり立ち方や構え方は独特だ。これが朝基が生涯かけて、編
み出した空手なんだと、感慨深いものがある。
334名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/27 23:53:07 ID:SgFCw826
ゴテンテではなくて
ウドンテて゜はなくて
ウドンディではなくて
ウドゥンティではなくて
ウドゥンディではなくて
なんて発音するんでしょ? 沖縄では

335名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/28 00:40:46 ID:pMWtXsoX
本、3000円じゃ高いかな。
336名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/28 07:08:59 ID:7CgPiEl/
>>334
御殿=うどぅん
手=てぃ(てぃー)

御殿手=うどぅんてぃ
337名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/30 10:22:02 ID:0//CjMhZ
>>336
> >>334
> 御殿=うどぅん
> 手=てぃ(てぃー)
>
> 御殿手=うどぅんてぃ

いや ウドンディが正しいです。
ウドンティは間違ってます。
>
338名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/30 23:18:42 ID:SpqzvhEd
>>337
ただしいのは「うどぅんてぃ」
339337:04/11/30 23:58:44 ID:CUt3+yd4
>>338
( ゚Д゚)ハァ?なにいってるんだ?
おまいちゃんと調べて言ってるのか?

オレの友人は御殿手の黒帯もってますがなにか?

ついでに言うとおれは>321で、道場見学も言ってるんですけどなにか?

知ったかぶりしても痛いだけだよ。
340321:04/12/01 00:00:36 ID:ckwxpK7E
>>339
自己レス

> ついでに言うとおれは>321で、道場見学も言ってるんですけどなにか?
おっと間違った>312だった。
341名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 00:18:21 ID:EpoXGxLp
>>339
沖縄の人間もしくは沖縄の本部御殿手の人にに聞いて下さい。
「でぃ」と発音する人はいません。
342321:04/12/01 07:20:17 ID:ckwxpK7E
>>341
あのね、字が読めないの?
それとも読解力がないのどっち?
オレの友人が「でぃ」って発音してるんだが。
少なくとも上原爺から手ほどきを受けて、一応
黒帯なんだけど、それでも間違ってるのかな?

ああ因みにオレもそいつも那覇在住ね。
343名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 13:38:15 ID:MT/BOn8V
手元にある御殿手の本「琉球王家秘傅武術」(ベースボールマガジン社刊)によれば、
御殿手のルビは「うどんでい」。というか、この本の筆者は「手」を「でい」とルビしてまつ。
でも「てい」となってるところもあります。

が、「手」は「てぃ」と発音するのが一般的で、「那覇手」「泊手」「首里手」のこれらは
いずれも「てぃ」と発音してますし、「御殿」も「うどぅん」と発音するのが一般的ですし、
実際のところ「うどんてぃ」でも「うどんでい」でも「うどぅんてぃ」でも「うどぅんでぃ」でも
いいんでは? 地域によっても発音違うだろうし、ガタガタいうほどのことでもないでしょ。
344名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 13:52:49 ID:9YYScBos
そんなことより技術論でしょ。
ここの流派の突きは、全然威力があるようには思えないけど
どうよ?

友達に黒帯がいる人なんかは、打撃原理も聞いてきてよ?
345sage:04/12/01 19:20:08 ID:uGlnjpa+
>>341
「てぃ」 とか 「でぃ」 とか、こんなところでまでうちなんちゅ自慢かよ。
その閉鎖的なところが嫌なんだ。
「あなたみたな県外の人(ないちゃー)にはわからないんですよ!」
っていう感情だろ、要するに。
嫌だねホント。大貿易国だったんだろ、もう少し広い心持てよ。
346名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 19:23:48 ID:qcTmMtxE
あのつま先立ちと両手片足で同時に突き蹴る技が胡散臭くてならん。
347名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 19:28:33 ID:JHXPgwzs
つか道場に見学行ったからなんなんだか
348321:04/12/01 20:51:38 ID:ckwxpK7E
>>347
行くとまずいのか?

ネットの掲示板であーだこーだとご託並べても、
意味ないんじゃないのってことだよ。
名前にしたって、技術的な物だって、あれこれ脳内で
やってるより、実際に見た方が良いんじゃないのか?

逆に言えば、実物見たこと無いのになんなんだか。
ってなるんじゃないのか?

オマイは何が言いたいんだ?
349名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 21:55:40 ID:XCJYLHZt
>>347は煽りか、悔しくて仕方ない厨房でしょ。
350名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/01 22:13:20 ID:EpoXGxLp
>>348
上原清吉いがいの動きを見てもしょうがないような気がするが
弟子で同じ動きできる奴なんて一人もいないだろ?

まぁ御殿手じたいアレだしな。
351名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/02 03:12:49 ID:FHF1/DCh
まあなんだ。御殿手は実態がよくわからんよな。
なんの流れを汲んでるのか。
352347:04/12/02 03:18:12 ID:ExTZB0NB
いや、見ただけでどうこう言っててもねぇぐらい気分。
実際にやってない割には自信たっぷりだなぁって
353名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/02 07:16:18 ID:aC85YDmc
見学したのがそんなに偉い事なのか?
これだから沖縄人は嫌何だよな。
354名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/02 09:22:42 ID:YXT2I4h/
沖縄人はイヤじゃない。
むしろ朝(ry
355名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/03 02:26:39 ID:AMi2czrC
>>352
日本語が不自由な人ハケーソ
ここは、ホロン部の来るところじゃないはずだが。
356名無しさん@お腹いっぱい:04/12/08 07:30:35 ID:uUVNPq/y
>まあなんだ。御殿手は実態がよくわからんよな。
>なんの流れを汲んでるのか。

 上原清吉は本部朝勇から御殿手を学んでいる。朝勇は
本部御殿の長兄で、弟には有名な本部朝基がいる。

http://www.dokoshuta.com/kempo/journal/jnl_motobu_00_N_j.html

ここによると、朝勇は、子供の頃に首里の御殿家の邸宅に
「松村宗混先生」(首里出身)と、松茂良興作先生(泊出身)
と、糸州安恒先生」を招いて朝基とともに空手を学んだとある
から、少なくとも当時の沖縄の空手界において望める、最高の
教育を受けたのは確かだ。松村、松茂、糸洲といえば、当時の
伝説的な空手名家だからね。

朝勇がどれほど空手の実力があったのかは、これも上原先生が
著書で書いてる以外に、実証できる証拠はない。ただ、弟の
朝基が子供の頃、朝勇には勝てなかったこと、それが朝基が
空手にのめり込んでいく最大の動機だったというのは有名な
話だから、かなりの使い手だったのは確かだろう。

本部家が代々、どれくらい空手や武術に長けていたかはよく
わからない。ただ、昔の沖縄(琉球)では、空手は貧しい士
族階級たちがたしなむものだった。それに対して、本部家は
御殿(うどぅん)、つまり琉球国王の分家で王族だっから、
この階級の者が空手をするというのは、際だって異例だった
ことは確かだ。明治以降で、本部家からは、朝勇(長男)、
朝基(三男)、喜屋武朝徳(従兄弟)の三名の空手家が出て
いる。いずれも屈指の空手の達人だ。喜屋武は本部家出身で、
のちに喜屋武家に養子に行っている。
357名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/09 17:26:04 ID:1mjqnBOm
きゃんって名字可愛いよな。
おっさんでもさ。
358香港剛柔:04/12/11 18:01:39 ID:IIPbyxOf
DVDやビデオをご覧になった方はいますか?感想を聞いてみたいです。
359ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/11 18:19:32 ID:VtJeFrI6
っつかさ、上原さんの実力は本物でも、御殿手の歴史はフカシだろ?
360名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/11 20:17:43 ID:2KWGFe36
>>359
あ〜言っちゃった。
361ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 00:15:43 ID:MWHfWFCQ
>360
逆に言えばさ、御殿手の歴史はフカシでも、上原さんの実力は本物だろ?
362名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 00:25:07 ID:6vbbVEiR
本物だね、実力は。
363名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 02:11:08 ID:U0RKe4z+
実力が本物なら、その技は誰から習ったの? 

朝勇から習ったのは確かなのだから、本部御殿家に由来するのは確かで
しょ。ただ御殿家の何代まで、御殿手がさかのぼるのは分からない。
364名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 02:46:45 ID:m7F4rnn8
>>359
上原氏の実力は俺には判断がつかないんだよ。
あの弟子達相手の動きしか見た事ないから全然わからん。
365名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 03:20:08 ID:U0RKe4z+
本部御殿手を悪く言うのは、沖縄空手界の微妙な「嫉妬」とかも絡ん
でいるだけど、その辺の事情は一般の人には、理解できないかもね。

上原先生が、御殿手を「空手の上位」と位置づけたしまったから、沖
縄空手界のお偉い方々は、内心不愉快なのよ。しかも上原先生は、朝
基の兄の朝勇から学んでいる。朝勇はかなりの使い手だったけど、自
分の流派を興したり、弟子をたくさんとった人ではなかった。実際、
上原先生が朝勇の名前を出すまで、空手の歴史では朝勇は全然知られ
てなかった。その人の流れを汲んでいる、しかも「本部御殿」の名前
を流派にもってきたから、沖縄空手界の古老の嫉妬はすさまじいもの
があったんだよね。
366ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 03:59:43 ID:MWHfWFCQ
>上原先生が朝勇の名前を出すまで、空手の
>歴史では朝勇は全然知られ てなかった。

つまり、朝勇は唐手界で知られてなかったんだろ?

>その人の流れを汲んでいる、しかも「本部御殿」の名前を流派に
>もってきたから、沖縄空手界の古老の嫉妬はすさまじいもの があっ
>たんだよね。

なのに、その人の流れを汲んでるって事で、どうして古老は嫉妬するんだ?
367ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 04:10:50 ID:MWHfWFCQ
>先生が朝勇の名前を出すまで、空手の
>歴史では朝勇は全然知られてなかった。

上原先生は沖縄の三線とか引くのは上手かったけど
武術はやっていないって説がどっかにあったな。

そもそもさ、唐手の世界で知られてないっていうけど
朝基が本出したときに、当時の唐手の名人をことごとく
紹介してるのに、なんで当の兄の名前は出てないんだ?

ほかにも長嶺先生や小西先生、大塚先生などなど、本部朝基に
習った人達の戦前の著書にも、朝勇について名前がでていない。

流派解説の欄でも、御殿手について記されていません。
朝基が書いた本にも、もちろん解説はありません。これは一体?
368名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 04:12:00 ID:J5/GOzHC
琉球王家の傍流が学んでいた唐手という売りが嫉妬の対象になったんじゃないか?
一般に王家の拳などといわれてるが、別に琉球王が学んでいたわけではない。
369ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 04:13:12 ID:MWHfWFCQ
ちなみに、上原先生にしてみれば朝勇に習ったということにしとかないと
都合が悪い(じゃあ、御殿手は誰に習った?ということになる)から、
朝勇は空手をしていた、達人だったと主張するのは、まあしごく当然ですな。
370名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 04:18:32 ID:mlKXI69B
長嶺将真先生は本部朝勇の事にもちょっとだけふれているよ。
本部御殿の嫡子で学問以外にも武も正式に指導を受けたって。



371ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 04:19:52 ID:MWHfWFCQ
>370
>長嶺将真先生は本部朝勇の事にもちょっとだけふれているよ。
>本部御殿の嫡子で学問以外にも武も正式に指導を受けたって。

ごめんなさい、俺が悪かった(`▽´)
372名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 04:31:33 ID:mlKXI69B
>>371
いえいえ、気にしないでください。

ただ朝勇の存在は昔の沖縄の人も知ってはいたが、達人だって話しはあまり聞いた事が無い。
それに弟の朝基にも武を教えなかった朝勇が、門中でもない上原氏に一子相伝のものを教えるんかね?
失伝をさける為だったら、達人と言われていた弟の朝基に教えると思うが。
373ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 04:35:29 ID:MWHfWFCQ
>372

同感です。そして過去スレから興味深い書き込み発見しますた(`・ω・´)

>128 名前: コザのオタッキ− 投稿日: 2001/07/03(火) 12:10
>上原先生は沖縄の空手界の師範では最長老にあたるため、誰も表立
>って批判できないと地元の武道関係者から聞きました。県内では有名
>な長嶺将真師範より年長らしいですから。

>129 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/03(火) 12:18
>やっぱり武道をやっていると年上の方にはちょっと表立って
>いいたいこともいえないよな・・・あおりじゃなくて本音。
374名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 04:49:30 ID:mlKXI69B
>>373
あーそんな理由かもしれませんね。
375名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 04:51:41 ID:mlKXI69B
しかし弟子の人達がやってる動きが、上原氏の動きと全然違うのがわけわからん。
376名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 05:53:43 ID:U0RKe4z+
>ただ朝勇の存在は昔の沖縄の人も知ってはいたが、達人だって話しはあまり聞いた事が無い。
>それに弟の朝基にも武を教えなかった朝勇が、門中でもない上原氏に一子相伝のものを教えるんかね?

 いろいろ想像で邪推しているんだね。朝勇が本部家の者でない上原先生に技を
教えたのは、和歌山に住む自分の息子の朝茂に上原先生を通じて御殿手を伝えてほ
しいと考えたから。このいきさつは上原先生の著書に出ているし、昔から本部御殿
手関係の書籍には書かれていること。

あと、朝基にも教えなかったというけど、これも朝勇の晩年には、朝基に御殿手を
教えているよ。これも上原先生の本に書いてある。読んでいたら知っているはずだし、
上原先生の本も読んだことないのに、御殿手についてあれこれ邪推するのは馬鹿げ
ているね。

>琉球王家の傍流が学んでいた唐手という売りが嫉妬の対象になったんじゃないか?

 傍流って言うけど、御殿家は本家の国王家が途絶えたら国王を出す家柄だから、当
時の琉球の人にとっては雲の上の家柄だった。御殿家は、全部で十数家あって、その
中で本部御殿は4番目の石高だったから、琉球王族・貴族でも屈指の家柄だ。いまか
ら見れば、だからどうなんだ、ということになるけど、上原先生の世代にとっては、
旧王族の朝勇から御殿手を習ったというのは、大きな誉れだったんだよ。
377名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 07:10:23 ID:U0RKe4z+
>128 名前: コザのオタッキ− 投稿日: 2001/07/03(火) 12:10
>上原先生は沖縄の空手界の師範では最長老にあたるため、誰も表立
>って批判できないと地元の武道関係者から聞きました。県内では有名
>な長嶺将真師範より年長らしいですから。

 まあ、そんなこと言い出せば、"自称"本部朝基の「弟子」の一人の
長嶺将真だって、誰も表だって批判できないでしょ。朝基最晩年に
ちょこっと習ったのか知らないけど、それで堂々と流派の系譜に朝基
の名前を使うんだからね(笑)。流派に箔をつけるために、本部朝基
の名前を使っているという印象しかないね。

そうそう、作曲家のリストは19世紀の最大のピアニストで、同時に
偉大なピアノ教師でもあったんだけど、リストの前で一曲演奏をして、
ちょっとアドバイスもらった人たちまで、「自称リストの弟子」と騙
った連中は、当時のヨーロッパにたくさんいたらしい。そんな「リス
トの直弟子」が当時は数千人もいたらしい。

空手の流派解説でも、「誰某に師事したとか」とか、宣伝文句がたく
さんあるけど、実態暴いていけば、だいぶやばいことになるだろうね。
ほんのちょっとだけ道場通っていたとか、その人の前で一度だけ、演
武したとかさ。
378名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 07:26:04 ID:U0RKe4z+
>ただ朝勇の存在は昔の沖縄の人も知ってはいたが、達人だって話しはあまり聞いた事が無い。

 あなた、それは本とかだけしか情報源がないからでしょ? あるいは2ちゃんねるだけ
とか。たとえばね、上原先生が御殿手を伝えた朝勇の息子の朝茂は、この人も空手の達人
で有名だった。「和歌山の虎」とか何とか異名をとっていた人でね。当時は朝勇家も困窮
して、朝勇の息子たちも本土に出稼ぎに来ていた。朝茂は、戦前の在関西沖縄人界の間で
知られた存在で、この人が戦争で亡くなったのは本当に残念なことだった。この人こそ、
御殿手の正当な継承者になるにふさわしい空手の名手だったからね。

まあ、朝茂の話なんて、ググっても出てこないだろうけどね。もちろん空手の歴史本にも
彼が達人だったなんて出てこない。本当に朝茂に会ったことのある人から話を聞くのでな
い限り、朝茂の逸話なんて、どこにも載ってない情報だ。大きな流派を構えた人や、空手
の歴史にもっともらしく名前が出てくる人たちが、常に最良の空手の名手だったわけでは
ない。そして、知らないやつが浅知恵でいろいろ難癖つけて、それが一人歩きする。
379名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 07:31:27 ID:t4u74kx4
上原先生は、柔術も若い頃やっていたね。
380名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 07:33:50 ID:t4u74kx4
師範名簿に顔写真入りで、出ていました。
○山○峰先生の柔術です。
381名無しさん@お腹いっぱい:04/12/12 08:29:56 ID:U0RKe4z+
>師範名簿に顔写真入りで、出ていました。
>○山○峰先生の柔術です。

奥山龍峰こと、指圧師の本名・奥山吉治の八光流のこと? 八光流こそ、
戦後の創作でしょ。大東流からパクったのか何か知らないけど。どうで
もいいけど、このおっさん、自分の指圧のことも「皇方指圧」とか、大
それた名前つけているし、ちょっとイッているね。だいたい御殿手のほ
うが有名になるのが早かったし、八光流なんて最近宣伝で出てきたやつ
だから、上原先生が戦前若い頃習うなんてあり得ない。そもそも八光
流は、昭和16年創設だし(自称)。
382ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 09:32:52 ID:MWHfWFCQ
>376
>いろいろ想像で邪推しているんだね。

邪推じゃなくて、誰が見ても不自然だから、何度も話題にのぼるのでは?

>長嶺将真
>流派に箔をつけるために、本部朝基
>の名前を使っているという印象しかないね。

私はそうは思いませんが、貴方には
そういう印象を受けるのでしょうね。

同じように、上原氏は流派にハクをつけるために
本部御殿手の名前を使っているという印象をうけます。

>このいきさつは上原先生の著書に出ているし、昔から
>本部御殿手関係の書籍には書かれていること。

それを書いた上原自身が怪しいって議論されてるんですよ。大丈夫ですか?
383ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 09:38:05 ID:MWHfWFCQ


おっといけない。最後の一行、上原先生の敬称が抜けてた。申し訳ありません。

>あと、朝基にも教えなかったというけど、これも朝勇の晩年には、
>朝基に御殿手を教えているよ。これも上原先生の本に書いてある。

そうですか、そうですか。それも「上原先生の本」に書かれてる
というのが根拠ですか。ちなみに>>367の私の疑問はスルーですか?

>空手の流派解説でも、「誰某に師事したとか」とか、宣伝文句がたく
>さんあるけど、実態暴いていけば、だいぶやばいことになるだろうね。

ああ、本部御殿手なんか特にやばいことになろだろうな。
384ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 09:45:52 ID:MWHfWFCQ
>378
俺に向けられたレスじゃないんで、どうでもいいんだが
最後の一行は同感ですね。これ↓

>知らないやつが浅知恵でいろいろ難癖つけて、それが一人歩きする。

認めたくないやつが上原先生の本にすがって色々言い訳して吠えてる。

さーて、ちょっと出かけてきますね(`▽´)
385名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 09:48:29 ID:HeR09oDz
普通に考えて一代で興せるような技術じゃ無いと思うんだが
386ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 09:51:08 ID:MWHfWFCQ
出かける前にひとこと。

>381
>このおっさん、自分の指圧のことも「皇方指圧」とか、
>大それた名前つけているし、ちょっとイッているね

俺は歴史は怪しいという旨は言ったが、上原先生自身を罵倒
する事は言ってませんよ。敬称もつけてるしね。

貴方は他流派の長をおっさん呼ばわりしたあげく、
イッてるとまで言うとは、いったい何様のつもりですか?

本部流や本部御殿を学んでる人たちって、みんなこうなの?
387ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 09:53:25 ID:MWHfWFCQ
>385
だから何代もかけて作ったいくつもの流派からパクったんじゃない?
ちなみに、パクることはいい事だよ。武道に限らず人類の歴史はパクり
パクられで発展してきたんだしさ。パクらないなんてのは、むしろ怠慢。
388名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 09:55:05 ID:HeR09oDz
ウドンデが他の流派と全く違う技術形態だから注目されるんでしょ
389名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 11:32:39 ID:6EQvOyUY
いつのまにか沢山のレスがついてますが。
>>376
上原氏が御殿手を習った理由として、朝勇の嫡子に継承する仲介としてだったと言ってたのは知ってますよ、
本人がそう言っても全部は信用はできないから疑問に思ったんです。
普通だったら門中でもない上原氏を仲介としないで、実弟で達人と言われていた弟の朝基を仲介とするのが
自然じゃないかと思ったのです。
朝基は自著で、幼少の頃に朝勇と一緒に糸洲安恒に指導を受けた事は書いていますが、御殿手については
一言もふれていません、朝勇にいじめられた事は書いています(笑)。
律儀に御殿手の存在を隠したのかも知れませんが、門中外の人に宗家を名乗られた朝基は気の毒ですね。

いろいろ反論しようと思ったらドラヰモンに先に書かれてたんでこれくらいにしときます。
390名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 12:37:21 ID:U0RKe4z+
>それを書いた上原自身が怪しいって議論されてるんですよ。大丈夫ですか?

 でも、あなたは読んでないのでしょ? 読んでないのにどうして批判できる
の? 知りもしないで、朝勇は空手なんてやってないと「出所不明の説」を出
してきて、長嶺氏が著書で朝勇について書いてあると言われたら、とたんに自
説撤回したのは、あなた張本人でしょ?

>上原先生は沖縄の三線とか引くのは上手かったけど
>武術はやっていないって説がどっかにあったな。

 これを書いたのがあなたなら、是非その「出典」を明記してほしいね。

>ちなみに>>367の私の疑問はスルーですか?

>そもそもさ、唐手の世界で知られてないっていうけど
>朝基が本出したときに、当時の唐手の名人をことごとく
>紹介してるのに、なんで当の兄の名前は出てないんだ?

いま朝基の本が手元にないけど、私の記憶が間違いなければ、朝基は自分以前
の空手の名人についてはごく概説的に歴史を書いてあるけど、自分と同時代の
名人については、書いてないはず。だいたい、朝基は著書では自分が王族に列
なる御殿家の出であるとか、兄の空手の実力がどうだったとか、そういう「身
内話」は一切書いていない。自分の武勇伝すらもちろん書いてない。自分にま
つわることや自分の親族関係については書く気がなかったか、別の機会に書こ
うと思ったのか。それは、分からないけど、書いてないから朝勇が実在しない
とか、朝勇が空手をしてないとか、名人でなかったという議論にはならないね。

>認めたくないやつが上原先生の本にすがって色々言い訳して吠えてる。

あのね、一般に「証拠を出せ」というような議論になったら、書籍、書類で、
当該箇所を指摘するのは常識でしょ。逆に、出典不明の「脳内仮説」で、上原
先生を侮辱するあなたのほうがどうかしていると思うけど。
391名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 12:55:49 ID:U0RKe4z+
>本部流や本部御殿を学んでる人たちって、みんなこうなの?

 ほうほう、なかなか古くさい「レッテル貼り」の手法だね。
私はもう本部流からは離れている。いまは門弟でもなんでも
ない。仮に現在も門弟だったとしても、私一個人とその他の
人たちとは別人格だ。上原先生は八光流からパクったと、八
光流のほうから、「デマ」を流すのなら、そんな流派に敬意
を払う必要は認めない。

だいたい、上原先生は本土に長期間滞在したことがない。だ
から、合気道であれ、大東流であれ、八光流であれ、何でも
いいけど、そういう本土の柔術から、あの取手の体系全体を
ごっそりパクってくるなど不可能だということはこの際主張
しておく。上原先生は朝勇から別かれてすぐに、昭和3年頃、
フィリピンに移住して終戦まで日本には戻っていない。さら
に戦後から昭和44年まで、沖縄は「アメリカ領土」だった
から、本土復帰以前は、おいそれと本土に来るのは難しかっ
た。つまり、本土に渡って、数年間も柔術を学ぶことなど、
上原先生は、昭和44年までは不可能だった。さらに本部御
殿手を上原先生が公開したのは昭和30年代だから、時間軸
で考えても、上原先生が武術をまとまって学ばれたのは、フ
ィリピン移住以前の、大正時代しかあり得ない。

あなたは上原先生の「実力」は認めると書いているけど、武
道家たるもの、あれだけの武術を数日の講習でマスターでき
ると思うの? 本気でそんなデマを信じているの?
392名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 13:09:47 ID:U0RKe4z+
>普通だったら門中でもない上原氏を仲介としないで、実弟で達人と言われていた
>弟の朝基を仲介とするのが自然じゃないかと思ったのです。

 そもそも、上原先生が自分の師匠を「創作」するのなら、何もマイナーな朝勇なん
て言わずに、いっそ朝基と言っておけば良かったんじゃないの? 長嶺氏みたいに、
晩年ちょこっと習いました、と言っておいたら、誰もそれを明確に疑うことはでき
ないしね。

上原先生が朝勇と全く接触がなかったというのもあり得ない。なぜなら、本部家に
近い者しか知らないことをいろいろ上原先生は知っているからね。たとえば、朝勇
の息子の朝茂の名前など、朝勇から直接聞くか、本部家一族の者でない限り、その
存在を知ることは不可能でしょ。

あと、朝勇が上原先生を仲介に頼んだのは上原先生が沖縄にいて、朝勇のそばにい
たから。その当時は、朝基は大阪に出て、その後は東京に出て大道館を開いている。
朝勇が朝基を仲介役に指名するのは不可能だし、弟とはいえ、当時すでに朝基は唐
手界では、知らぬ者ない「最高の名声」を獲得していたから、朝基を「使いっ走り」
に使うなど不可能だと思うね。

>律儀に御殿手の存在を隠したのかも知れませんが、門中外の人に宗家を名乗られた朝基は気の毒ですね。

上原先生は、本部家以外の自分が御殿手を継ぐことにずっと引け目を感じていらっ
しゃったから、朝基の子息の朝正氏に後を継がせようと考えたのですよ。ふつうな
ら、ご自分のご子息に継がせて「上原流」でも創始できたでしょうに。
393名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 15:32:40 ID:wE525Y8w
>>390
>一般に「証拠を出せ」というような議論になったら、書籍、書類で、
>当該箇所を指摘するのは常識でしょ。

ただこの場合、根拠が上原氏の本のみでは証拠能力に欠けるね。
394ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ :04/12/12 18:09:11 ID:J+1R6fXC
>390
>読んでないのにどうして批判できるの?

体験主義者ですか?人間は一生のうちあれもこれもと
そんなに多くのことは体験できません。情報で判断するのが大人です。

言葉は悪いですが、オウム真理教の麻原の書いた本は読まないでも、都合の
良い嘘や捏造が書かれていると分かります。多分、貴方の場合麻原の著作を
読んだ事がないと思います。とすると、読んでない貴方は「麻原は本当に神様
かもしれないじゃないか!」と思っているのでしょうね(笑)

>自分と同時代の名人については、書いてないはず。

糸州先生他、同時代の名人の話も書いてますが?

>だいたい、朝基は著書では自分が王族に列なる御殿家の出であるとか、
>兄の空手の実力がどうだったとか、そういう「身内話」は一切書いていない。

なんだ、ちゃんと認めてるじゃないですか(笑)
書いてないから怪しいって言ってんですよ。本当にそうなら著書に書くか
もしくはお弟子さんや関係者の著書や証言に「御殿手」の名前が出るはず。
それが出ないのに、後世になって自称してる人が出るから怪しいと言って
いるんですよ。充分議論になります。
395ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 18:16:46 ID:J+1R6fXC
>391
>そんな流派に敬意を払う必要は認めない。

別に普通に訂正すればいいだけであって、敬意を取り払う必要はないのでは?
まあ、大義名分を得て汚い口で発言を垂れ流したいってのなら別ですがね(`▽´)

>だいたい、上原先生は(中略)大正時代しかあり得ない。

ソースは上原先生の証言と著作だけでしょうか?では>>393をどうぞ。

>あなたは上原先生の「実力」は認めると書いているけど、武道家たるもの、
>あれだけの武術を数日の講習でマスターできると思うの? 本気でそんなデマを信じているの?

八光流との関係に関してはハナから興味ありませんので、話を続けたいなら>>380さんとどうぞ。
396ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 18:24:09 ID:J+1R6fXC
>そもそも、上原先生が自分の師匠を「創作」するのなら、何もマイナーな
>朝勇なんて言わずに、いっそ朝基と言っておけば良かったんじゃないの? 

だめだよ、朝基はネームバリューもあるし、お弟子さんも関係者もいっぱい
いるから、歴史を捏造したら、それを指摘する人がでてボロが出ちゃうだろ?
だめですよ、歴史捏造する人の身になって考えなきゃ(`▽´)

>長嶺氏みたいに、晩年ちょこっと習いました、と言って
>おいたら、誰もそれを明確に疑うことはできないしね。

あんだけの技術体系をちょこっとの期間で習ったっていう方が、余計嘘臭く
感じられますよ。ダメですよ、歴史捏造する人の身になって考えなきゃ(`▽´)

>たとえば、朝勇の息子の朝茂の名前など、朝勇から直接聞くか、
本部家一族の者でない限り、その存在を知ることは不可能でしょ。

朝茂の名前を聞くのが不可能? その存在を知ることは出来ない?
いえいえ、歴史を書くとき上地関係の資料にしっかり名前出てきましたが何か?
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1028805812/885
397ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/12 18:31:32 ID:J+1R6fXC

>朝基を「使いっ走り」に使うなど不可能だと思うね。

代々一族に伝えてきた「御殿手」ってのは、今近くに一族がいないから、
「じゃあ近くの他人に教えるね」ってくらい簡単なものなの?宗家なら
呼び寄せて教えるくらい当たり前だと思うけどね。本当に存在してるなら。

>本部家以外の自分が御殿手を継ぐことにずっと引け目を感じていらっしゃったから、

いや〜、本当はもっと違うことに引け目を感じてたんじゃないのかなあ(`▽´)
ちなみに朝基は沖縄と大阪を何度も往復してますが、その時も知らんぷり?

>ふつうなら、ご自分のご子息に継がせて「上原流」でも創始できたでしょうに。

いいじゃないですか、名前は違うけど上原流は存在してるんですし(`▽´)

さて、仕事行ってくるか。
398名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 21:19:21 ID:U0RKe4z+
>読んでない貴方は「麻原は本当に神様
>かもしれないじゃないか!」と思っているのでしょうね(笑)

自説の補強としては、意味のない例を出してきますね。

 ごく一般的な教養のレベルとして教えて差し上げますが、宗教を
「合理的議論の対象」として論駁するのは不可能ですよ。「神が存
在する」という命題は、論理的には否定も肯定もできない。なぜな
ら、当該対象は、人間の認識の「範囲外」だから。こんなことは、
カントの時代にすでに明らかになった話だ。だから、論理的には麻
原が神かどうかは、合理的議論の対象にはなりえない。もっとも
「信仰」の次元の話として、私はそれは信じない、と言うことはで
きる。

>糸州先生他、同時代の名人の話も書いてますが?

朝基の師匠でもある糸洲の世代まで、朝基と「同時代」と拡げていう
なら、確かに「同時代」の名人について書いていますね。もっとも、
私と貴方の同時代の「概念範囲」はだいぶ違うようですけど。

>書いてないから怪しいって言ってんですよ。本当にそうなら著書に書くか

 本当にそうなら書くはず、というのは貴方の脳内常識にすぎませんね。
いずれにしろ、貴方の議論は、ある時は「書かなかったのはおかしい」、
別の時は「書いておかしい」と、その都度貴方の脳内仮説にしたがって、
根拠もなく首尾一貫性もなくケチをつけているにすぎない。そういうのは、
くだけていえば「イチャモン」と言うのですよ。
399名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 21:37:05 ID:U0RKe4z+
>あんだけの技術体系をちょこっとの期間で習ったっていう方が、余計嘘臭く
>感じられますよ。ダメですよ、歴史捏造する人の身になって考えなきゃ(`▽´)

 要するに、貴方も御殿手か、御殿手の手本になるオリジナル武術を上原先
生は最低数年間は、修行されたと認められるわけですよね? だったら、そ
れを上原先生は、誰にどこで習ったのです? 朝勇以外に違いない、という
主張の根拠は?

私は上原先生の年表から言って、本土で数年間も何らかの柔術を学ぶことは
不可能だと言った。あなたがその年表自体が怪しいというなら、戸籍資料と
か住民票とか集めて、それを証明してもらいたいものですね。論駁するなら、
その根拠の提示の責任は貴方にあるわけだから。

沖縄には、取手のような技術体系は御殿手以外にはないから、上原先生がた
とえそれをパクったとしても、沖縄で学ぶことはあり得ない。昭和に入って
からは、終戦までフィリピンに移住されて日本にはいなかった。戦後は沖縄
は米領土になって、これまた本土に気軽に来ることは不可能だった。だいた
い、終戦の時、上原先生は40歳を越えられている。その歳から、新しい武
術を習得してモノにできるかどうかは、きわめて怪しい。

>朝茂の名前を聞くのが不可能? その存在を知ることは出来ない?
>いえいえ、歴史を書くとき上地関係の資料にしっかり名前出てきましたが何か?

 ほうほう、これは面白いですね。初めて見ました。もっとも、ほとんど名
前以外には、情報というものはなさそうですけどね。
400名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 22:08:35 ID:U0RKe4z+
>代々一族に伝えてきた「御殿手」ってのは、今近くに一族がいないから、
>「じゃあ近くの他人に教えるね」ってくらい簡単なものなの?宗家なら
>呼び寄せて教えるくらい当たり前だと思うけどね。本当に存在してるなら。

 いまみたいに飛行機で気軽に本土と往復できたと思っているのですか?
当時はすでに朝勇家は困窮していた。朝茂も関西で仕事についている。簡
単に呼び寄せられなかったから、そうなったんでしょう。

 だいたい、朝勇は仲介を頼む目的で、上原先生に最初から御殿手を教え
ていない。最初はごく一般的な唐手を、少年だった上原先生に教えていた
にすぎなかった。8年間(だったかな)の朝勇と上原先生との修行の間で
御殿手を教えるようになったのは、ずっとあとの方です。その辺の事情に
ついては、あなたが読みもしないで侮辱している上原先生の著書に書いて
ありますよ。

>あんだけの技術体系をちょこっとの期間で習ったっていう方が、余計嘘臭く
>感じられますよ。ダメですよ、歴史捏造する人の身になって考えなきゃ(`▽´)

 あれだけの技術体系の習得には長期間が必要だと、あなたも認めるのなら、
それをねつ造するには、さらに膨大な期間が必要だとは思われませんか(笑)。
あなたの説には、いろいろ矛盾や無理がありますね。

 もっともあなたはいろいろな流派からパクって御殿手を作ったとか、根拠
もなく誹謗してますけど、御殿手自体は首尾一貫した技術体系です。御殿手
は決して「ごちゃ混ぜ」ではなく、何代にもわたって作られた、根はシンプ
ルで、そこから様々な応用が展開する武術体系ですよ。
401名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/12 22:42:30 ID:pSD9FYFO
ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ
↑こいつはちょっと頭が弱い。
相手にしないのがいいよ。
402名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/13 15:00:47 ID:/tOUO8TS
お前らさあ〜・・・はたから見てたらカッコ悪いぞ。なにぐじぐじやってんだよ。

まずドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ。お前さんは何がやりたいんだ?ウドンデの
歴史うんぬんについてイチャモンつけてるけどさ、ウドンデやってる人が
観たら気分悪くなるだろ?専門のスレでそれをわめくならなお更のことだぜ???

言いたいことも分かる。暴れたい気持ちも分かる。しかしハッキリ言ってあんたは
このスレで迷惑とされてるんだよ。このまま延々と反論続けてその間ずっとウドンデ
してる人たちの気分を不快にさせるつもりか?あんたに最低限の仁義があるなら、悪い
けど引いてくれや。スレ見てる人の身にもなって考えてくれ。

次に400あんたもだ。401さんも言ってるが、こういう訳わかんないヤツは
いちいち相手にしてたら余計つけあがる一方だ。過去に習っていてなりゆきでつい
レスしてしまったのだと思う。しかしこういう嵐をいちいち相手にしてたらそれこそ
相手の思うツボだぞ。分かる人には分かるんだから、はいはいそーですかって流せや。
403ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/13 18:27:46 ID:rvc6lsP/
>402
>ハッキリ言ってあんたはこのスレで迷惑とされてるんだよ。このまま延々と
>反論続けてその間ずっとウドンデしてる人たちの気分を不快にさせるつもりか?
>あんたに最低限の仁義があるなら、悪いけど引いてくれや。

ふむ。まあ、そうだな。
貴方の言うことももっともだ。今回は貴方に免じて、引いてやる。

>400
>もっともあなたはいろいろな流派からパクって
>御殿手を作ったとか、根拠もなく誹謗してますけど、

実際俺も、こんな↑言ってもない事を脳内変換で言ったと主張するようなバカ
を相手にするのも、少々めんどくさくなってたところだ。都合の悪い意見を全部
無かったことにして、言ってもない発言を言ったと主張するようなオウムまがい
の狂人は、気持ち悪くてしかたねえ。あーやだやだ、これだから信者って奴は困る。
404名無しさん@お腹いっぱい:04/12/19 00:07:46 ID:ilyrUyBr
上原先生の若い頃の写真って、むちゃくちゃハンサムだね。しかも、筋肉
がすごい。当時は、ウエイトトレーニングなんてないし、食事だってプロ
テイン、ステロイドなんてあるわけない。それから考えても、あの筋肉の
付き方はすごい。

体質的によっぽど、恵まれていたんだろう。本部朝勇が可愛がったのも理
解できる。指導者なら、自分のところに上原先生みたいな若者が入門して
きたら、惚れ込む逸材だよ。
405名無しさん@お腹いっぱい :04/12/19 00:12:29 ID:ilyrUyBr
http://www.bab.co.jp/hiden/back/04/h04-07.html

↑これが上原先生の若き写真ね。ジャニーズ顔負けの美男子に
加えて、戦前の武道家としては、見たこともないくらい筋肉の
付き方がすばらしい。当時の沖縄の食事だけでこんな体格なる
なんて、すごすぎる。これで太平洋戦争前の写真なんだから。
406名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 00:19:45 ID:OohHo2HB
ジャニーズだよなぁ・・・・それに比べて俺は・・・(ハラの肉をつまむ)

これじゃもてるよなぁ

ところでウドンデでないが、シュリデの師範代の知り合いがいる。
上原センセほどすごくないが、それでもものすごい筋肉してるがウエイトとかやってない。
型と整体からヒントをえた体の調節方法をやってるだけだそうな。

ずっと嘘だとおもっていたが、最近、整体の本を読むと骨盤が正常に動くと必要な動きにあわせて筋肉が勝手につきやすい上体になるとしった。
上原先生も長寿だったし、骨盤とかも健康だったのかな?
407名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 01:25:22 ID:2ofuyVvd
姿勢や歩き方で脂肪が付きにくい体質になるというのはあると思う。
でも、上原先生みたいに筋肉がつくのは、またきっと別の何かがあ
るんじゃないかな。上原先生は晩年膝を悪くされたけど、それ以外
は丈夫だったみたいだよ。
408名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 08:51:55 ID:rlDANCtL
 朝勇師のもとで修行していた時は、体操選手の様な事も
やらされたみたいですね
 鉄棒の大車輪から二回宙返りで着地なんてのが、
本には紹介してあった
 縄を垂らして、腕だけで登るとか

下半身の写真も見てみたいもんだ
モザイクありでも可
409名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 13:50:00 ID:UJwSJd41
今日入門してきました。

90すぎた頃の上原爺の裸を目撃した友人曰く。
そいつも結構筋肉質なのですが、
「オレの筋肉なんてもんじゃないよ。」
といってました。

それでは、これから黒帯目指して頑張ります。
410名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 14:29:57 ID:HvhHNFIs
>>409
そんなこと無いよ。
俺も90歳の頃の上原さんの体を見たことあるが、
腹も出てるし老人の体だよ、普通の90歳に比べれば鍛えてあると思うが。
大げさな事は書かないように。
411名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/19 15:44:43 ID:ilyrUyBr
http://www.p-horiguchi.co.jp/topg.htm
↑ピストン堀口の肉体。伝説的なボクサーだけど、戦前ならこんな肉付き
かなぁ、って感じ。朝勇の弟・本部朝基が本気で殴らせて全部よけたとい
う逸話は有名。

http://www.mas-oyama.com/history/his_02.html
↑若き大山倍達の肉体。空手家で初めて筋力トレーニングを取り入れた
とここに書いてあるけど、どう見ても上原先生の肉体には及ばない。た
だし骨太ではあるね。

筋肉の付き方は個人差があるし、筋肉隆々だから、イコール強いってわけ
でもないけど、それにしても、戦前の上原先生の肉体美は当時の日本のト
レーニング法、食糧事情から考えても、あり得ないくらいすごい。

すばらしい指導者に付いて合理的な訓練を重ね、自分でも絶えざる努力
を重ねないと、こうは絶対にならない。師匠と弟子の共同作業なしには
ありえない水準だ。朝勇の指導法は、おそらく伝統的なスタイルだった
だろうけど、それでも、かなりの名教師と思える。上原先生の朝勇への
尊敬は晩年まで変わらず高いものだったけど、それは朝勇が旧王族だっ
たからというだけでなく、朝勇が弟子の素質を見抜いて、正しい訓練を
課すことのできた、本当の名教師だったからじゃないかな。
412名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/20 02:28:52 ID:0Klvj7tf
クエストからDVDがでるみたいだけど、
babのと同じ内容なのか?
413名無しさん@お腹いっぱい。:04/12/23 16:35:23 ID:G2Wkwt4i
DVDネタ、放置かよ。
誰か教えてくれよ。
年金生活者に5000円は大金なんだぞ。
414名無しさん@お腹いっぱい:04/12/30 07:41:23 ID:IPvWWLgy
DVDどうなんだろうね。会社に問い合わせてみたら?
415散歩好き:04/12/30 22:33:21 ID:KLQ5+/jD
毎日が稽古だね
 なんせ歩くだけで武になるんだから

416ドラヰモン@Ψ(`▽´)Ψ:04/12/31 14:10:02 ID:STne+YNY
417名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/04 03:30:36 ID:buicx2nw
9日の朝「サンセットピーチで」稽古初めがあるから
見てみたら?
418散歩好き:05/01/04 11:15:33 ID:PbfjI/9L
御殿手の動画があったよ
 http://www.nhk.or.jp/doremi/summary/04/doremi04.html
419名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/04 12:04:43 ID:PbfjI/9L
 浜地鳥もあったね
http://www.nhk.or.jp/doremi/summary/08/doremi01.html
 芝生の上での演武だ
 すばらしい、うーむ、いい正月だ!
420名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/04 12:13:54 ID:PbfjI/9L
 こちらは沖縄とヤマトの違いがよく分かりますね
http://www.nhk.or.jp/doremi/summary/05/doremi05.html
 ほんとに良い正月だな
421名無しさん@お腹いっぱい:05/01/04 17:21:41 ID:6nbEbfY/
御殿手と関係ないじゃん・・・
422名無しさん@お腹いっぱい:05/01/11 20:13:14 ID:+Bc5hpBH
本部朝勇は琉歌も上手でたくさん歌を詠んでいたらしいね。上原先生
の本にもいくつか紹介されている。本部御殿は武の家系みたいに言わ
れるけど、本当は文武両道だったようだ。

ちなみに、琉歌の五大歌人の一人、本部按司朝救は朝勇、朝基の数代
前のご当主様。

http://www43.tok2.com/home/kiseclub/ryuka-corner.html

423名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 20:03:55 ID:CQSRUqis,
どなたか本部朝勇の琉歌を紹介していただけませんか
 著作権のほうは大丈夫だと思いますが
424名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/19 03:54:08 ID:kIGXx7wj
そうでしたかね。
そうなら、歩くのと蹴るのと違いが分からないね
部分的で全体の半分位じゃないかな
御殿手を「空手の上位」と位置づけたしまったから、沖
縄空手界のお偉い方々は、内心不愉快なのよ。
425名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/22 04:07:56 ID:CPjZcbfA

くんだぬちむやくるびやくとぅ
426名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/25 18:30:58 ID:1K5LDEui
↑ 上原先生の御降臨ですか?
427名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/28 21:46:15 ID:J10EnA+2

ぼーちきぬちむからいじゃしゆや
428:05/01/29 20:41:39 ID:meRfDr3F
(私の)墓地に来なさい、昔からの術を教えよう
 ですか?
429名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/08 21:08:57 ID:VpPI2eBY
延命age
430名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 15:53:48 ID:xn1vTL2N
あげ
431名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/11 16:08:50 ID:339R1Qfw
いや、しかしまぁ、あれだ。
御殿手って、マジで喧嘩向きだな。使えれば。
432名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 00:38:02 ID:z76H1CcQ
興味はありますがどうなんでしょう。ビデオも買いましたがお弟子さん
達の攻撃があまりにもモーションが大きいのと、近づく上原先生にまったく間合い
を合わせない攻撃には疑問が残りました。簡単に言えば、同じ速度で近づいてくる
上原先生に対し攻撃側も瞬時に間合いを調整しながら切りつけるのが自然な相手役だと
思うのです。私も他流の某ビデオに攻撃役で参加したことがありますが、実践なら
動きを見ながら調整した攻撃をするなとの疑問を持った経験があります。
433名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 02:00:41 ID:46wPN7mz
野郎、タブー中のタブーに触れやがった。
434名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 08:18:48 ID:RyfL5Ad0
>>432
貴方の言っていることは百パーセント正論だと私も思います。

が、もしかしたら上原先生の動き自体がその軌道修正さえも
許さないものだとしたらと・・・。

古の侍とはそういう体捌きをしていたのではないかと私は想像
しますし、またそうであったと確信しています。

かの黒田泰治先生は「実際の立会いでは、ズカズカ歩いて近づい
て、ボカで終わりだ」と鉄山先生に話したとか。

その「ズカズカ、ボカ」とは術儀が凝縮された「ズカズカ、ボカ」
であると気付く人は皆無なのかもしれませんが・・・。
435名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 08:38:28 ID:eCG5pnkr
演武中に心拍数を自在に変化させる怪物じいさんです。
436名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/12 15:58:15 ID:mkUfKWYB
確か宗家の血筋ではないんだよね。
本人は宗家の血を引く人が継ぐべきだといっていた気がする。
437名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 15:30:29 ID:8hXRsTLc
晩年の動き見て、どうこう言うのも、意味あるのかな。

http://www.bab.co.jp/hiden/back/04/h04-07.html

若い頃はこの体型だったわけだし。
438名無しさん@一本勝ち:05/02/17 21:12:23 ID:7Cwg3pho
>>432
それは違いますよ。
お弟子さんが、攻撃する気配を示したとき、上原先生が突きを出しているから、そう見えるんですよ。
お弟子さんの攻撃は完全に死んでいるんです。
素人のかたが相手だと、あのまま当たってしまいますよ。反応かはやいから、ああいう結果になるんです。

>>437
たしかにその筋肉見せられて、力は関係ないと言われても説得力はないですよね。
439名無しさん@一本勝ち:05/02/23 00:34:34 ID:EEbPakbx
クエストのDVDみた。
じーちゃん、日本語ちゃんとしゃべれたんだな。
もっと訛ってるのかとおもてた。
440sage:05/03/04 08:56:10 ID:9WBJJSm/
武の舞手に入りました。
ゆっくり何回か読んでみますノシ
441名無しさん@一本勝ち:05/03/12 23:24:22 ID:RfItQYB8
お弟子の組み手とか見てみたいです。
どこかに画像はありませんか?
442sage:05/03/16 15:15:10 ID:I+2auARu
>>441
ビデオとかDVDとかなら出てるんだけどねぇ・・・。
443名無しさん@一本勝ち:05/03/16 15:49:45 ID:RfDOff/m
上原先生の「歩く」技術に疑いはないけど、
演武を見る限り、仕掛け側があまりにも無防備に飛び込むのは閉口した。
剣にしろ棒にしろ、まっすぐ入って来るのはわかっているのに
剣を振り上げながら飛び込んだら先を取られるに決まってる。
一般公開されてるあれは、
あくまでも半分本当、半分見せ物と思っていいと思う。「演武」ですから。
誰も公開演武で、ガチに師匠に切りかかるヤシはいないですよw
444名無しさん@一本勝ち:05/03/16 17:03:52 ID:3YwABrdt
 上原先生は名人中の名人だ。上原先生亡き後に名人と呼べるのは柔法の
鳥居宗家だけだといわれている。
445名無しさん@一本勝ち:05/03/17 00:02:06 ID:ofcE/7sS
>>443
432ですが、それを映像に残ると知ってて見逃している上原先生に疑問です。
僕のような凡人が、凡人なりの疑問に持つことは十分に分かっておられるでしょうに。
見るべき人が見れば良いといったビデオとも思えませんでした。
446名無しさん@一本勝ち:05/03/17 14:43:03 ID:fGC4XJ2o
 歩くということを体術レベルで分析しても永久にわからない。センターと
意識の活用によって技を捌いているんだ。柔法の鳥居宗家もおなじような技
を使っているのを見た。
447名無しさん@一本勝ち:05/03/17 14:46:03 ID:9T92u8bJ
>>444
>上原先生は名人中の名人だ。

     ホラのな。
448名無しさん@一本勝ち:05/03/17 21:10:07 ID:mFxOesqK
>>446
で、あなたは何でわかるの?
449名無しさん@一本勝ち:2005/03/24(木) 12:58:09 ID:k46ev2iD
ビデオでは稽古の過程が紹介されてないね
演武は結果が示されているだけで
それに至る過程が見えない者にはヤラセにしか見えないのでは
御殿手に達人へのシステムが内包されていれば
次なる達人が現れるかも?
ただ、人前にでるにはそれなりのキャラクターが必要だろうね
450名無しさん@一本勝ち:2005/03/28(月) 08:11:58 ID:3Q4gLYd1
本屋で達人入門3という雑誌を立ち読みしたんだが
 上原清吉氏の息子さんとその嫁さん、孫まででてた
上原氏の弟子だった人が独立して教えてる記事もあったよ
 舞手とか称してたね
451名無しさん@一本勝ち:2005/04/02(土) 17:21:19 ID:Hd0bQCz2
ブルースリーが表紙の奴かな。
立ち読みしてみよう。
452名無しさん@一本勝ち:2005/04/02(土) 23:29:20 ID:MD6DZ6yj
age
453名無しさん@一本勝ち:2005/04/03(日) 00:05:21 ID:Va4+ooxp
見学させてもらった時「打ってきなさい」と言うので半分本気で掛かっていったら本当に当たりそうになったんで途中で軌道を変えた。結局こんなもんでしょう。
454名無しさん@一本勝ち:2005/04/03(日) 00:12:31 ID:MBOJOGGH
http://www2.ezbbs.net/19/kfjdaskfjasdfk/

これって本当なの?
455名無しさん@一本勝ち:2005/04/03(日) 01:16:46 ID:6Lnra0Nv
ようは合気道と同じ年長者を敬う信頼関係で成り立っているんだよ
456名無しさん@一本勝ち:2005/04/07(木) 02:30:46 ID:oXTNHZYL
>上原先生の「歩く」技術に疑いはないけど、
>演武を見る限り、仕掛け側があまりにも無防備に飛び込むのは閉口した。
これ443さんに同感でした。ビデオでの演舞だけしか知らないですが。
 それと黒田鉄山先生とお弟子さんの稽古を拝見すると、やられたから「受け身」を
取ったというより、先に飛んで攻撃を回避している。これは先生の解説のとおりです。
 また岡本正剛先生とお弟子さんの稽古では完全に合気で崩されてます。
 塩田剛三先生とお弟子さんの稽古で崩しは岡本先生の場合と同じですが、打突系の
場合は技が入ってしまって、ふっとんだり、踏ん張らずに受け身でダメージを緩和してます。
合気道SAの某先生が(わざと)踏ん張ってみたら喉への攻撃がまともに入って
昏倒したそうです。
 さて話は戻りますが、御殿手のビデオを拝見しますと「撮影用に」とカメラマンに
言われたのかも知れませんが、プロレスのように明らかに相手の攻撃がきて、さらに
それがヒットするのを待っている。あるいはヒットされるのを前提で攻撃動作をしている。
 そして練習風景では号令をかけてみなさんがまるで空手のような立ち方、突き方で
稽古しているが、上原師の御殿手の動きとは運動の仕組みが違う。沖縄伝統舞踊の女毎と
御殿手の共通点を言いながら、基礎となる練習は全く違う。基礎は極意に直結する。
また反復された動きはいざという時には必ずでるという原則を考えたとき、
正直、「ああ、この方は後継者を育てるおつもりはないのだな」との感想をもちました。
それは単に構えや四肢末端の動作の違いだけでなく、発力〜力の発生方法から違いました。

 師の演舞を見ていて、これは八卦掌だなとの印象をもちました。歩法における
脚の上げ下げ、歩行の道筋、姿勢、舞にも例えられる腕の動き、刀剣の技術。

 歴史的な事についてはどちらの立場の意見も、なるほどそういう事もあるのかと関心
しております。まぁ大東流合気柔術の例もありますし、でもそういう話の創作などは
武術に限らず伝統医学とか、中国の例にならうのが一種のトレンドだったのかも。
 ちなみに八光流については武田先生とお弟子が「こらしめ」に乗り込んでいった
というエピソードを聞いた事があります(こわぁ〜・・・)。
457名無しさん@一本勝ち:2005/04/07(木) 13:38:46 ID:XO0NfK9B
すばらしい評論だ。
君はオタクのかがみだ。
458名無しさん@一本勝ち:2005/04/07(木) 13:41:43 ID:tXUKPxmm
公開演武なんて、どれも事前の段取りに従ってやるんじゃないの?

いちいちそんなことにケチつけてたら、古武道大会とか、見てられないと
思うけど。それと、晩年の上原先生(90代)はもちろんそれなりに年を
お召しになってるんだから、その点斟酌してみないといけない。若い頃の
写真はリンクでもあってけど、おそろしくムキムキな肉体美だし、やっぱ
動作とか、若い頃と同じってわけにはいかないでしょ。
459散歩:2005/04/07(木) 23:09:46 ID:QYBm/uNC
 そういえば、そろそろ例年の体験入門の季節でないかい
途中で軌道を変えるのはいくないと思う
気のパワーで外れたと勘違いするぞな
皮一枚触れるくらいで止めて見れ
下がったら下がった分だけ、避けたら避けた分だけ追い込んでね
気の力で止まったと誤解される可能性もあるがの
460名無しさん@一本勝ち:2005/04/07(木) 23:28:35 ID:QYBm/uNC
↑空手のような立ち方、突き方で 稽古しているが‥‥、
ということですが、たぶんみなさん空手経験者のような気がします
本土の武術もその傾向がありますね
 中国の武術には踏ん張らずスタスタ歩くスタイルもあるようですね

というか、みな一度身に付いたものは 
分かった積もりでもなかなか直せないのでは
または、ちゃんとやってるつもりなのかも
いやいや、あんまり上手くやると差障りがあるのかも?



461名無しさん@一本勝ち:2005/04/08(金) 18:17:39 ID:9WbyeGpO
 誤解の内容に年をおして置きたいのは上原清吉先生の実力が本物だというのは
見る目があるひとには一目瞭然だということ。お弟子さんがショッカーのように
すすんでやられてくれても、それは先生のあの姿勢・歩法・急所のとらえ方
の正確さ・速さ・むだのなさを色あせさせるようなことは全くない。あと上原先生は
師の間近でも「本気」でかかってくるお弟子さんに手も足も出させない程の強さを
保っていたと思える。しかし先生がヌンチャクを水平に振りだしたとき、
左右に武器をもった手を上げて胴体をがら空きにして打たれるお弟子さんを見た時には
閉口した。上げたというのは、今更おそいけど・・・と振りかぶったのではない。まさに
胴体をあける為だけに腕を上げている。上原宗家の強さを十分しりつつも、お年だからと
見くびっていたのではないか。
 ただ師範代みたいな人がかけ声をかけてお弟子さんがいっぱい並んでて、
上原宗家もそこにいるのに、なんであれをやらせているの?という疑問はなんと
しても拭いきれない。それはビデオ「達人上原清吉〜捌きと歩法の絶技」を
ご覧になればどなたでも感じるでしょう。そのビデオをみれば先生の素晴らしい
動きもみれます。また八卦掌でも福昌堂ででている馬傳旭老師のビデオを見れば、
八卦掌の中でもこの系統のものが伝わって、ああなったのか(完全コピーではない)と。
上原師の関節の逆のとりかたもやはり馬傳旭老師の少林系という擒拿術(きんなじゅつ)
そのものだ。琉球が大陸から受けた影響は、こと武術に関しては本土よりも大きかった
のではないか。というかルーツがどうのこうのなんてどうでも良いくらい上原宗家の御傳手と
馬傳旭老師の八卦掌は誰もが見るべき値のあるものですよ。

 美術品の真贋を見極める眼を養うには徹底して「本物を見せる」という教育を
するそうだ。その意味が実感としてとても良く分かる。自分がどの分野のものを
やっていようと、直接それを活かそうとか直接的な実利に関わりなく、良いものは
出きるだけ見て、できれば直に接した方がいいと思うよ。殻に閉じ籠もった信者さん
には届かない話しだけれども。
462名無しさん@一本勝ち:2005/04/08(金) 22:15:36 ID:qfwURbjH
そこで氏家ですよ
463名無しさん@一本勝ち:2005/04/09(土) 05:15:37 ID:VTBttOAT
日テレの会長やめれって。
464名無しさん@一本勝ち:2005/04/10(日) 10:49:21 ID:200qt6lV
ヌンチャクの演武は技や用法を隠している典型ではないかと
思うんだが
 この武器は体幹部を打つよりは、スピードや角度の変化で
相手の小手や肘を打つのに適しているのでは
 モーションのある相手に対して、あそこまで入れるという
示唆であるとも読めるが‥‥
465名無しさん@一本勝ち:2005/04/11(月) 08:24:47 ID:8k+qGpf0
上原氏が認めた達人や名人ってどんな人がいますか?
御殿手の膝を伸ばしてスタスタ歩く歩法ってどう凄いんですか?
466名無しさん@一本勝ち:2005/04/11(月) 19:07:57 ID:uWd61rpA
>>465
上のほうにも書いてあったけど、比嘉清徳氏は、上原先生から10段位をもらっているらしい。
以前、秘伝誌に載っていた。

467465:2005/04/12(火) 07:17:05 ID:KX1E2AHU
>>466
サンクス。しかし、十段授与ですか…そう聞くとちょっと胡散臭い気が。
そういや大気圏の澤井氏との対決とかって誰も詳細知らないんですかね?
468名無しさん@一本勝ち:2005/04/12(火) 07:44:07 ID:IGx+LzIu
俺の知っているところでは、大気拳の免許者と上原先生が
立ち会って、これを退けたというところ。

立会いのあと上原先生が高弟たちに「危険だった、紙一重の
勝負だった」ともらしたとか。

その大気拳の免許者が誰かは判りませんが、もしかして澤井先生?
469名無しさん@一本勝ち:2005/04/12(火) 10:43:26 ID:LllJoiy9
>>467
比嘉清徳氏は秘伝2000年4月号で紹介されてるけど、すごい達人みたいだよ。
上原先生以上かどうかは知らないけど、もし近県に住まれていたら習ってみたいなあ。
おそらく今存命の武術家のなかでも5本の指に入ると思う。
470名無しさん@一本勝ち:2005/04/13(水) 08:53:28 ID:WnosrTRC
465です。澤井氏ではなかったのですかね・・。>468氏のような話を何かで見ますた。
わからないのは、色んな情報を見てると持っている物は上原氏の方がかなり上そうなんだけど、
紙一重とまで言わしめたのは大気圏側の何が優れてたのか、何で勝負を決めたのか?

比嘉清徳氏、残念ながら全然知らないです。そんなに凄いのですか?
何か伝説でも残ってないですかね。
471名無しさん@一本勝ち:2005/04/20(水) 19:46:09 ID:E7SiqAnT
比嘉先生は上原先生よりもすごいかもしれない人

神道流夢幻之術を開いた

太極君も絶賛してたっけ? 触れた瞬間に体が浮くとかって
472名無しさん@一本勝ち:2005/04/20(水) 20:57:02 ID:U1aP26LE
>>471
秘伝の広告で「日本の古武道」のビデオ(DVD)が載ってたけど、沖縄の古武術の巻は、比嘉先生だよ。
秘伝に載った寄稿によると、相手の攻撃をかわしざまに手を少しのせただけで、相手がふっとんでた。
推手なんかでも、相手をすっ飛ばすみたい。
473名無しさん@一本勝ち:2005/04/22(金) 00:06:18 ID:MR16EDCx
氏家栄堂先生は柔術家だったの?
流派名は最初から氏家流?
474名無しさん@一本勝ち:2005/04/25(月) 15:14:09 ID:UCdzslS+
age
475名無しさん@一本勝ち:2005/04/25(月) 15:20:38 ID:yceIW3QT
比嘉先生は弁護士なのか?
476名無しさん@一本勝ち:2005/05/03(火) 20:31:22 ID:wdnABZRS
延命age
477名無しさん@一本勝ち:2005/05/06(金) 18:42:23 ID:0q1s2Vjx
ウチの先生ウデンデの事知ってた。 つかその上原何とかって人に昔ならったみたい。 相手を殴るより仰け反らすやつだよね、ちがうかなぁ
478名無しさん@一本勝ち:2005/05/18(水) 20:07:05 ID:HmUpCTf3
age
479名無しさん@一本勝ち:2005/05/22(日) 01:07:02 ID:OquKz8lR
 このままだと落ちるなあ
ネタがないからしょうがないけど
なんとか千歳まで生きてほしい
480名無しさん@一本勝ち:2005/05/22(日) 10:33:24 ID:bDbh+QCz
DVDみたけど、ほんとつまらないのな、、、、

すごいのかもちょっと俺の目ではわかんない・・・
481名無しさん@一本勝ち:2005/05/22(日) 14:29:31 ID:jRZa+UYB
インチキ
482名無しさん@一本勝ち:2005/06/01(水) 01:49:46 ID:IYExuS0l
正直、ビデオのはあまりにも悲しかった。
本来の技は隠しているとかってことですか?
483名無しさん@一本勝ち:2005/06/01(水) 02:37:06 ID:SwqVgAgv
57 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/30(土) 14:48

うちの流派の宗家は50ぐらいで
球道の源流の家元で意拳の4世であり
八極や他の武術でも裏では有名な人らしいが
100歳の上原氏にいまだに勝つことが出来ないらしいから本物。
ビデオに一人違う道着で出演してるらしいけど映ってた?
484名無しさん@一本勝ち:2005/06/01(水) 16:15:05 ID:e91Vhjt0
あの歩法をちょっと公開しただけでもすごいじゃろ。
もうボケてたんかな。おれなら絶対人に教えん。
485名無しさん@一本勝ち:2005/06/01(水) 16:35:14 ID:riVbYYvT
教えてできるもんじゃないから教えたんだよ。
486名無しさん@一本勝ち:2005/06/01(水) 16:39:39 ID:HJWY3sS4
>>483
濃い藍色の胴着を着てる小柄な人ですか?
487名無しさん@一本勝ち:2005/06/02(木) 17:29:40 ID:jS/VNz6W
弓道の源流は氏家流なのか?
488名無しさん@一本勝ち:2005/06/02(木) 20:34:46 ID:llRv+PBd
>>485
そうかも。
じーちゃん、ボケてなかったんだな。

489名無しさん@一本勝ち:2005/06/04(土) 22:13:58 ID:ZJqJ6s38
どうでもいいような事だけ教えたんと違うか
まともに取るほうがあほと思う
490名無しさん@一本勝ち:2005/06/10(金) 13:42:04 ID:IayQFaoD
age
491名無しさん@一本勝ち:2005/06/12(日) 10:17:09 ID:hNDhzmIZ
ネタ切れかよ
492名無しさん@一本勝ち:2005/06/12(日) 11:26:27 ID:KDf0vdvD
球道=氏家流を破門された弟子が京都で作った団体≠弓道
493名無しさん@一本勝ち:2005/06/12(日) 14:33:59 ID:0Fz2iYw7
氏家流は中拳取り入れるまではどんな武道だったの?
494名無しさん@一本勝ち:2005/06/12(日) 18:51:12 ID:jnqqLf+w
武の舞を見つけたけどこれ買いですか?
495森林:2005/06/13(月) 21:53:17 ID:lgNQp4zu
まあ、立ち読みしてみれ
496森林:2005/06/13(月) 21:54:13 ID:lgNQp4zu
 まあ、立ち読みしてみれ
497新ネタ:2005/06/14(火) 18:04:32 ID:fByWg5fl
あの歩方には特殊な訓練が必要だよ! ヒントは砂浜! 沖縄の拳法は生活に密着したメニューが多いからそれを参考にしてね
498名無しさん@一本勝ち:2005/06/15(水) 22:58:03 ID:imtIPOGu
新ネタだ!
だれか食いつけよ
499名無しさん@一本勝ち:2005/06/18(土) 05:48:55 ID:2y7kYrfO
>497
つまり、昔、意拳修行者が泥田んぼのなかにつかって這(ゆっくり練り歩く)
をやって武術に必要な足腰を鍛えた、ってのと相通ずるものがあるね。
500カキウチ最強:2005/06/18(土) 13:50:07 ID:jInaseTc
五百げっと
501名無しさん@一本勝ち:2005/06/19(日) 23:46:10 ID:fn87OtWd
砂浜を走ったことがあるけど
あんなに疲れるものはないね、精神的にもね
 子供のころはよく田植えで、田んぼに入ったよ
ああいうのが武に通じるとは、求道者の発想はすごいと思う
502名無しさん@一本勝ち:2005/06/20(月) 01:59:34 ID:QAZE1Pcq
半畳を1分かけてまたぐ。
徐々にかける時間を増やしていく。
503名無しさん@一本勝ち:2005/06/25(土) 21:55:05 ID:Z8VIORfQ0
タマちゃん帰ってきたみたいだよ
上原先生も帰ってきてくれぇ〜
504名無しさん@一本勝ち:2005/06/27(月) 22:12:55 ID:O91vBfGW0
骨法になってても委員ですか?
505名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 00:31:13 ID:EluR4DPK0
506名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 21:58:40 ID:3Yd7CnLe0
nhkのそのとき歴史が動いたをみてたら
沖縄戦のことがでてて上原清吉さんを思い出した・・・・・
改めて この人がなくなったことが残念でならない。
507名無しさん@一本勝ち:2005/07/08(金) 04:43:28 ID:p7DJwL6R0
元手上げ
508名無しさん@一本勝ち:2005/07/08(金) 06:08:54 ID:un1O29Mr0
八光流をパクっておきながら、なにが首里城警護の為の武士の
御殿内武道だよ。ハイサイ・インチキおじさん!
509名無しさん@一本勝ち:2005/07/08(金) 06:11:00 ID:FqfOf01N0
>>508
正直八光流よりすごい、上原氏の柔手は。
510名無しさん@一本勝ち:2005/07/08(金) 17:32:22 ID:GWnqrU+10
八光流にあの絶妙なスタスタ歩きはあるのか?
511名無しさん@一本勝ち:2005/07/08(金) 21:08:09 ID:yY2Bpf/n0
ハチ公流見たいもんだね
ビデオでてますか
破門弟子、独立弟子のビデオでもいいから
紹介してくれないか
512名無しさん@一本勝ち:2005/07/11(月) 22:51:45 ID:86mhpsVo0
帯津先生の診療所に行けば体験できるんじゃyないかな。
513うどんや:2005/07/15(金) 04:50:30 ID:RYF8swjX0
本部御殿手は本物の御殿手じゃないぞ。
514名無しさん@一本勝ち:2005/07/15(金) 05:08:47 ID:LI4KoVEh0
どゆこと?
515名無しさん@一本勝ち:2005/07/15(金) 06:15:07 ID:zuy3aHJ1O
はっきりと琉球新聞に歴史的裏付けは妖しいとか書かれて、家族まで修業してたの?ってな具合なのにね。沖縄ではお笑い系なんですが…。なんで本土で受けがいいのですかね?やっぱ秘伝臭いからですかね?普通に首里や泊、那覇手の先生方の方が凄いと思うけど。

ある先生はフルコンの某選手とも普通に組手が出来てビックリしたー。終わった後は先生もさすがに脚引き摺ってたけど、相手もアバラやっちゃったし。予想外だったなー。

上原さんのおじいちゃんは生徒の前蹴り受けそこなった印象しかないよー。
516名無しさん@一本勝ち:2005/07/15(金) 14:25:38 ID:Sbiq7Qlx0
>ある先生はフルコンの某選手とも普通に組手が出来てビックリしたー。
>終わった後は先生もさすがに脚引き摺ってたけど、相手もアバラやっちゃったし。予想外だったなー。

そんな低レベルで驚いていながら上原さんを語っちゃいかん
517名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 11:40:04 ID:y5wabnKk0
>>515
秘伝だから歴史的裏づけなんて取れないんじゃなかろーか、
代々王族の長男にしか伝えられていないんで資料もないし
家族でも詳しい事知らない。
518名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 11:57:43 ID:y5wabnKk0
101 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/11/14(火) 19:31

半年ほど前に、朝日放送系の深夜放送“探偵!ナイトスクープ”という
番組があって、関西お笑い芸人の長原せいき? という人が、
「何故、沖縄の人は長いきなのか?」を調べに行き、沖縄の地を歩くご老人達に
「何故、長生きできたのか、日頃、何を食べているのか」 を手当たり次第に
聞いて廻っていました。たまたまその中のおひとりが上原翁で、とてもヨボヨボで
言葉もはっきりしないご様子でした。近所のおばさんがたまたま通りかかって、
「この人唐手の先生よ」と、上原翁の通訳をされてました。それならば、
“おじいちゃんの唐手をみせてもらおう”のコーナーになったのですが、
519名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 11:58:21 ID:y5wabnKk0
上原翁がお笑い芸人の手を撫でるように乗せていくと(掴みたいけど、ヨボヨボで
掴めない!)お笑い芸人は叫びだし、そのまま間接を、まるで自分から掛かるような、
吸い込まれるような動きで固められてました。彼は身動きも出来ない状態で
呼吸が止まり顔色が見る見るうちに変わっていきました。
 調子に乗ってきた翁は、震える膝で、よろけながら、相手に武器を持たせましたが、
武器で突いてくるその一瞬前に、相手の踏み込むはずの所に居られ、相手を武器ごと巻き込み
、ひざまずかせる姿勢で、固めておられました。お笑い芸人は何事かを叫びながら、涙を流していました。
 さらに調子が出てきた翁が「次は、」
と言い始めるや否や、お笑い芸人は出口へ猛ダッシュしてました。
(この辺りの記憶があいまい。誰か知ってる人訂正してください)
 スタッフは誰も上原翁の事を知らなかった様ですが、教え好きの、
かわいいおじいちゃんといった感じで紹介されてました。
 以前、マスコミに登場されておられた頃と比べ、あまりのご老体で、
もうシャキッと立つ事も出来ないご様子にショックを受けましたが、達人、未だ健在!でした。
520名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 16:58:04 ID:IkfFDAYG0
age
521名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 17:27:05 ID:Kl/K/Eo70
>>518->>519
GJ!
522名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 17:32:46 ID:d9V9qgzg0
上原爺も武と舞の共通点を言っていましたが、舞踊を制したものは
武を制す、と言うが実際、舞踊家は強いんですか?
523名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 17:58:14 ID:ZnyvKEvIO
>>522強くなるかは本人次第だと思いますがずっと琉舞やってた女の子が、一年くらいで凄い高いレベルで型が出来てました。世界大会新人部門で優勝しちゃった。
524名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 18:00:27 ID:ZnyvKEvIO
In沖縄。かなり昔。
525名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 18:09:34 ID:d9V9qgzg0
>>523
身体の使い方は舞踊は凄いですもんね。ちなみに舞踊家と喧嘩したら
舞踊家には勝てないんですかね?武器として扇とか持ってても良いと
して。変な質問ですみません
526名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 18:25:45 ID:ZnyvKEvIO
現代的、西洋スポーツ的な表現だとキックVSダンス、勝つのはどっち?って奴ですね。あなたはどちらが勝つと思われますか?
527名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 18:28:03 ID:FSCEDbNO0
>>526
おっぱいが揺れないほうが勝ち
528名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 18:52:06 ID:tuw1Lxu90
>>526
ダンサーとは喧嘩するな、って格言がありますね。でも技術的な事は
知らないわけですから、やっぱり格闘家が勝つとは思うんですが技術
的な事を学べば実力は、すぐに抜いちゃうんじゃないでしょうか?
ちなみにダンスと舞踊は同じものとして考えて良んですか?
530名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:01:42 ID:/+QnerZ6O
>>528
格言(笑)
531名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:05:17 ID:ZnyvKEvIO
ダンスやっててケンカしょっちゅうやってる人とかいたらかなり強そうですね。結局不毛な最強論争になりかねないので、答えは人による、ということで。ちなみにキックと御殿手、は同じでしょうか?
532名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:07:54 ID:tuw1Lxu90
>>531
全く違うでしょ。ダンスと舞踊は?
533名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:13:11 ID:ZnyvKEvIO
?あなたがキックと舞踊は全然別だと思うなら答えは出てるはずですが。私個人の考えが聞きたいってこと?
534名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:16:43 ID:ZnyvKEvIO
共通する部分はあるが、多少知ってる人に言わせれば「全然違う。」・・・これでOKかな?
535名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:18:26 ID:tuw1Lxu90
そうですね。ちょっと聞いてみたいです
536名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:20:51 ID:ZnyvKEvIO
キックと舞踊じゃないや・・・キックと御殿手の間違いです。
537名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:26:18 ID:ZnyvKEvIO
>>527イヤマテ。その基準だと自分的に全然逆なんだけど!?w
538名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:29:28 ID:tuw1Lxu90
話を戻すと、なんかの本に、能とか舞踊の人が町で喧嘩した時に
素手だと負けるけれども扇とか武器を持ってれば絶対負けない。
って話があったみたいなんですよ。これについてどう思います?
上原爺も武と舞は同じだと仰ってたので、考え方は似てると
思うんですが
539名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:34:21 ID:ZnyvKEvIO
>>531
540名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:38:30 ID:tuw1Lxu90
ある程度ケンカの経験が必要って事?
541名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:38:46 ID:/+QnerZ6O
かなり痛い人が紛れてます。
542名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:41:05 ID:ZnyvKEvIO
寝不足&携帯なのでぶっきらぼうになっちゃっててゴメンね。舞と武は共通すると思いますよ。同じ文化(同じ身体操作)から生まれているはずですし
543名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:47:43 ID:ZnyvKEvIO
あなた風に言うと、一回のケンカは道場の半年に相当する、という格言(?)があるそうですね。しかし、あなたが何を求めているかよくわかんないです・・・
544名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:48:42 ID:tuw1Lxu90
>>542
なるほど〜、じゃあ実際ケンカが強いってのは本当の話なんでしょうね
素人相手ならば
545名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:50:52 ID:tuw1Lxu90
すみません、結局>>538の話が本当ならば、なぜなのか?ってのが
気になってます。分かりずらくてすみません
546名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:51:36 ID:ZnyvKEvIO
失礼ですがお年を聞いてもよかですか?
547名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:55:47 ID:tuw1Lxu90
えっ、なぜですか?
548名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 20:05:34 ID:ZnyvKEvIO
いや、若いってイイナァってwそれはそれとして、昔の話ですが、あるディスコで(w)ダンスが上手くて、身長160に満たないのに助走ありならストバスのリングにダンク決めること出来る人いましたが
549名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 20:09:58 ID:ZnyvKEvIO
2mこすごっつい用心棒の外人さんが「アイツとケンカしても勝てない」って言ってました。なので、文化は違いますが、昔にそういう人がいたとしても不思議ではないかと。
550名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 20:11:30 ID:ZnyvKEvIO
・・・スレ違いになってないか?w
551550:2005/07/29(金) 20:32:55 ID:lrz1HU4x0
どうやら自分が脱線させたかも・・・スマンカッタ
>>545
>結局>>538の話が本当ならば、なぜなのか?ってのが
気になってます。

武道的な(舞踊に共通する)移動の仕方を極めれば、
素人の動きなど・・・って意味ではないかと思いますよ。
552名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 20:38:43 ID:Cq6E8vrv0
>>551
みなさんスレ違いで申し訳ありません。これで出来れば最後にするんで
それは全ての舞踊に武道的な要素があるって事ですか?
553550:2005/07/29(金) 20:59:21 ID:lrz1HU4x0
>>552
古くから伝わる舞踊には、
古くから伝わる武道、武術と共通する身体操作があると思います。
ですが、舞踊してる人がみんなケンカ強い。ってことではないと思います。
まあ、上手い人が本気で練習すれば、強くなれるとは思いますが。
つまりそれは、両方やったら強くなれるかもしれない、って思ったってことですか?
参考にはしても、二兎は追わないほうがいいかと・・・
一応伝奇時代小説の知識でいうと、
なんか、初期(?)の柳生の人に、舞踊の免許皆伝の人がいたらしいです。
詳しくはわかりません。
554名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 21:10:41 ID:Cq6E8vrv0
>>553
すみません、もうちょっと聞いて良いですかね?
例えば能、歌舞伎舞踊、日本舞踊なんかには古くから伝わってるわけ
ですから武術的な要素を含んでると思って良いわけですか?
また含んでたとしても攻防の技術を知らない訳ですが武術的な動作に
なっているって事ですかね?

スレ違いの話でホント申し訳ないです。
555550:2005/07/29(金) 21:17:29 ID:lrz1HU4x0
あくまでも身体の操作が共通しているだけだと思います。
多分。
556名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 21:19:59 ID:Cq6E8vrv0
そうですかぁ。
ありがとうございました
557名無しさん@一本勝ち:2005/08/01(月) 20:34:13 ID:uOGvcp/U0
で、氏家流は御殿手とか取り入れる前はどんな流儀だったの?
558名無しさん@一本勝ち:2005/08/01(月) 23:56:59 ID:E+2xjcmr0
>>553
隆慶一郎でしょ。金春太夫と柳生が秘伝の交換伝授をしたっていう。
能に関してだけで言えば、剣術とかの思想で世阿弥の影響を受けているものは多いだろう。
559名無しさん@一本勝ち:2005/08/02(火) 00:01:40 ID:7fAu3j/30
確かに能の動きが剣術と根本が同じだとしても
なぜ能楽師がケンカが強いのか分からない
560名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 16:30:40 ID:4cAuW6/j0
身体力学研究会の飯田氏は、佐川道場と全く無関係にもかかわらず佐川先生
の名前を勝手に用いて人集めし、合気で商売していた。このことから端を発し、
反射道のマスター氏を始めとする合気愛好者がその独学合気の出自、ホームペ
ージの内容とあまりに違う内容を体験し数々の報告がネットに寄せられた。
 中でも決定的だったのは、佐川道場関係から3段が参加し、彼に対して
飯田氏の技、「ぶっからない力」合気が全くかからなかった事実を元会員から
暴露されてしまつたことだ。
 その後、飯田氏はついに「佐川先生および合気の名を今後いっさい使わない」
と宣言。佐川道場関係者もこの言葉に納得し、その後講習には行っていない
そうだ。
 また、飯田氏は度重なる批判に対して7月15日の自身のホームページで「書
き込んだりする者は初めから対象外にする事に覚悟を決めたので、その後一切
を無視する事に決めた」とついに宣言した。
 自身はその時、反射道マスターのホームページの動画について一方的に批判。
これまで「ぶつからない力」合気を提唱してきた人間とは思えない下劣な言動
で口汚く罵った。
 これら言動に対するマスターのお仕置き?に対し、7月17日には「完全にわ
たしを利用したつけは絶対に払ってもらう」と前言を反故。逆にヤクザばりにマスターを
恫喝。自身はマスターの動画を見て散々批判したあげくに自分がからかわれると
あわてて警察に相談、あげくは無職でうさんくさいからバカにされ、結局は、
喧嘩両成敗で警察に相手にされなかった。
 自分は動画を公開していないにも関わらず他人の批判だけするのはどう考え
てもおかしいのではないでしょうか。
561名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 17:16:03 ID:KdvizMgJ0
ぶつからない力と言えば
上原氏の刀は刃こぼれひとつ無かったということでした
何人切ったかは興味のあるところですが

相手の武器にぶつけないことと
相手の柔らかい急所、たとえぱ頚動脈なんかをスッと
切ったのではと想像します

まるで演武の時と同じではなかったんでしょうか
小説では峰隆一郎の剣客物でよくそんな使い手が出てきますね
特に二階堂流なんてのが近い気がします
隆慶一郎と名前が紛らわしいですね

562名無しさん@一本勝ち:2005/08/13(土) 05:26:16 ID:+y3/B8oR0
age
563名無しさん@一本勝ち:2005/08/19(金) 00:21:12 ID:o7MCopyL0
以前うちの先生が
「上原氏は本物だ!」と思った瞬間のことを話してくれたが
 こんなところに書き込むとまずいだろうな
564名無しさん@一本勝ち:2005/08/19(金) 00:23:42 ID:3tG3z0mA0
>>563
なんで?MIBに命でも狙われるのか?
565名無しさん@一本勝ち:2005/08/20(土) 00:26:15 ID:z9/Ay1hx0
>>563
故人を偲ぶってことで、書いてくれ。
566名無しさん@一本勝ち:2005/08/20(土) 01:52:33 ID:FqAaeJYI0
背中に「ホンモノ」って貼ってあったとか無しだよ
567名無しさん@一本勝ち:2005/08/20(土) 01:59:41 ID:nSx2dAp10
>>561
いや、ブスブス刺してたって聞いた。
568無名:2005/08/20(土) 02:06:35 ID:aIvhy5fCO
リアルすぎですね・・・ところで話しまだー?(AA略)
569名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 12:40:02 ID:mYZFBB9F0
上原先生の亡き後、本部御殿手の弟子たちが跡目争いを行い、
今では完全にバラバラに、なちゃったんだけど・・・
みんなが少しづつ名前を変えて変な流派が乱立しちゃってる。
もう、もとにはもどれないだろうな・・・
あと、20〜30年後には正しい形は失なわれてるだろう。
それよりも、どこかの馬鹿が形だけまねて観光用の見世物になってたら辛い。
上原先生には組織作りまで、しっかりして欲しかった、周りの弟子たちに
そこまで気が利く人がいなかったのだろう。 
上原先生の弟子の人たちはどう思う?   俺は小学生の頃に少しだけ上原先生に
直接指導を受けたんだけど、とても優しい人でした。
その頃は文武両道ということで、稽古の後はみんな道場で宿題もしてたっけ
懐かしい・・  現美里サンシーの『聖武館』に通ってた人いる?
            
           ***
570名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 14:07:38 ID:eHm0Dhfe0
ばらばらにはなってない。ちゃんと受け継いでる人はいるし大丈夫。
辞めた人間がとやかく言う問題ではない。
571名無しさん@一本勝ち:2005/08/30(火) 17:09:45 ID:6a+YnX3K0
求道及び氏家流の練習って太気拳とかよりレベル高そうだね
572名無しさん@一本勝ち:2005/08/30(火) 17:28:53 ID:lu9lHIrd0
>辞めた人間がとやかく言う問題ではない。

利益優先の会社じゃ有るまいし。
寂しい奴だ。
573名無しさん@一本勝ち:2005/08/30(火) 21:01:28 ID:t6VBmmKQ0
レベルが低いと練習についていけない
それが氏家クオリティ
574名無しさん@一本勝ち:2005/09/02(金) 16:33:22 ID:dONvlDOA0
上原清吉と太気拳が戦ったてホント?
575名無しさん@一本勝ち:2005/09/03(土) 00:09:25 ID:QjRm9mjm0
高岡氏の説明によると上原氏はとても斬新で変わった、
難しいことをする人だそうだ。
いろいろ説明してたが、対立的人間関係を成立させないような
動きだと。例えば、普通人間同士が戦闘目的で向かい合うと
対立的人間関係が成立し相手は警戒するが、上原氏は
警戒をまったくさせないように近づくそうだ。
上原氏はそれを支えるために背中に下丹田を作ってるらしい


576名無しさん@一本勝ち:2005/09/04(日) 12:25:58 ID:WHPI/Ply0
>上原先生の亡き後、本部御殿手の弟子たちが跡目争いを行い、
>今では完全にバラバラに、なちゃったんだけど・・・
>みんなが少しづつ名前を変えて変な流派が乱立しちゃってる。

うそを言ってはいけないよ。上原先生亡き後は、本部御殿手の
第14代宗家には、拳豪・本部朝基のご子息である本部朝正先
生が就任されて、御殿手宗家はまた本部家に戻ってきている。

これで、沖縄武道でもっとも歴史のある御殿手の技と、戦前、
最強の空手家と言われた朝基の編み出した偉大な本部流の技
が、両宗家を兼ねる朝正先生のもとで統一されたわけだ。
577名無しさん@一本勝ち:2005/09/04(日) 15:53:19 ID:yyO3PWJc0
朝正先生の実力ってどうなん?
元部流空手術ってQuestのDVDに出演してるけど
普通に型どおり動いている以上のことは分からん。
578名無しさん@一本勝ち:2005/09/06(火) 21:10:28 ID:0OYq4dPF0
本部流唐手術はビデオで見たことある
型は朝正氏が演じていたが
実際の使い方を演武していた上品な感じの人が
本部流の実力者だろうと思ったよ
579三日月蹴り ◆p2qsD5uVf. :2005/09/06(火) 22:46:21 ID:5w0X0NfR0
本部御殿手。って何でつか?

組み技と聞いた事が在り松が。
580名無しさん@一本勝ち:2005/09/14(水) 05:11:14 ID:hBo268QR0
氏家栄堂さんはどんな武術の使い手だったんですか?
581名無しさん@一本勝ち:2005/09/14(水) 18:05:09 ID:V4Ez/HZW0
以下の内容のメールを長野氏に差し上げましたが何の返答もアクションもありません。


こんにちわ。法学部の学生をしておるものです。武道にはアマチュア
的興味を抱いており、エッセイはいつも参考にさせていただいています。
さて貴殿はエッセイ上で、甲野氏の私信を公開されていますが、このような行為は軽犯罪法
違反です。また名誉毀損罪とは事実の真偽に関わらず成立します。貴殿がうそを書いてないつもりであっても場合によっては成立することをご忠告申し上げます。
さて、私信の公開の件ですが、貴殿は過去のエッセイで宇城氏の人格を疑う根拠として他人の私信をマスコミ関係者に勝手に見せびらかしていたからだと書いています。
(問いに答えて1 2)
まず、貴殿はこの件に関してきちんと裏取りされたのでしょうか?うわさレベルでネット上で
こういうことを書くのは間違いなく「名誉毀損」に当たります。
また、私信を他人に見せる宇城氏の人格が疑われるなら、インターネット上で不特定多数の
人が閲覧できる状態に甲野氏の私信を公開する貴殿の行為はそれ以上に人格を疑われる
行為だと考えますがいかがでしょうか?
ただでさえ、貴殿の甲野氏への粘着ぶりは人格的異常性まで感じさせかねないものです。
ましてや明らかな犯罪行為を、自己の過去の言動ともまったく盾する形で行うとは常軌を逸
しているとし思えません。
582名無しさん@一本勝ち:2005/09/22(木) 06:05:48 ID:yNrEEtWm0
age
583名無しさん@一本勝ち:2005/10/01(土) 23:17:19 ID:4yBe/jUB0
見学弟子あげ
584名無しさん@一本勝ち:2005/10/01(土) 23:26:24 ID:dlmhCYlx0
琉球王朝の武士は、薩摩藩の武士に木っ端微塵に蹴散らされた。
薩摩の示現流が勝ったのです。示現流>沖縄武術ってことですね。
君達、負けた者の武術を習ってどうするの?
サッカーでも野球でも、強い国やチームを参考にするでしょ?
585名無しさん@一本勝ち:2005/10/01(土) 23:30:35 ID:Vv6Z6n+AO
え…個人が負けただけだろ
586名無しさん@一本勝ち:2005/10/05(水) 21:35:51 ID:/TKQCwBt0
そういえば
うどん手には次元流が入っていると
聞いたことがあるな

受けが無いとか
攻撃の中に防御があるとか
そういうことなのかと想像する
587Fw190:2005/10/14(金) 23:39:25 ID:12o5/iXd0
島津の琉球侵略は示現流によって成されたのですか?
大して考えなくても分かる事ですよね。また当時の琉球における軍備や
兵力見れば、薩摩で無くとも征服は可能だったでしょう。
まして東郷重位が東新之丞を破り、示現流が薩摩藩公認となってから琉球
侵略までは2年強。4千に及ぶ薩摩軍の中で示現流がどれ程戦力として
生きたかは疑問です。

示現流も西南戦争では警視庁抜刀隊に木っ端微塵に蹴散らされましたしね。
(ま、これも白兵戦だけが田原坂の戦闘では無いし、
 両軍の疲弊度にも差があるので単純には比較できないね)
反論を楽しみにしてます。


588名無しさん@一本勝ち:2005/10/18(火) 18:08:07 ID:vFVSObh90
あげ
589名無しさん@一本勝ち:2005/10/18(火) 18:20:38 ID:gsi17gqz0
>>587
琉球の軍備が貧弱だったのは
宗主国の清が守ってくれると思っていたから。
でも、清は既に疲弊していて末期症状。
TVで琉球は軍を持たない平和な国なぞと
デタラメを言う輩がいるので書いておく。
ようするに琉球王朝は世界の動きがわからない
末期症状だったのだ。587氏が言うように
薩摩で無くとも制服できる。事実、欧米列強は
琉球を植民地化しようと考えていた。
自国は自国で守るという鉄則を忘れた国は
琉球のようになる。現在一番危ないのが日本。
590名無しさん@一本勝ち:2005/10/19(水) 13:52:22 ID:odBOnd5R0
場所:愛媛県四国中央市
琉球王家秘伝本部
御殿手の清武館
ってのがあるよ。
591Fw190:2005/10/20(木) 14:22:10 ID:TyUxfutU0
琉球の歴史は小国の悲劇の典型ですね。
幕末のペリー来琉時に見せた二重制対応なども苦肉の策とは言え
よく工夫されており、決して無能な国政では無かったことが
分かります。
(この時ペリー側に応接した琉球代表の中に、本部御殿10代当主
 本部按司朝眞御前がおられたと何かで読んだ記憶がありますが・・・)
しかし小国が自治を守る為には、もっと薩摩のような陰湿かつ
策謀的性格が必要なのでしょう。琉球の方々は昔も今も優しすぎます。

592名無しさん@一本勝ち:2005/10/22(土) 17:22:49 ID:vOSEWe4S0
DVDで動きを見たがよく強さが分からん
例えばオレがフルコン空手黒帯全日本出場くらいとして
いきなり道端でかかっていったとして
お弟子さんみたいに触ることもできずに負けちゃう?
593名無しさん@一本勝ち:2005/10/23(日) 10:47:45 ID:zZkAm2K90
>>589
揚げ足をとると
島津の琉球侵略時、清はまだありません。

1609年 島津の琉球侵略
1616年 「後金」建国
1636年 「清」王朝成立
594名無しさん@一本勝ち:2005/10/23(日) 15:44:13 ID:In8q4JK/0
おまえなんでそんなに嫌な奴なの
595Fw190:2005/10/25(火) 00:32:40 ID:Wz7DOAMK0
>592さん
どうでしょうね?
実際に試してみなければ本当のことは分かりませんね。
名のある武術家の中でも数少ない「実際に立合ってくれる」方だった
だけに、尚更御逝去が惜しまれます。
596名無しさん@一本勝ち:2005/10/29(土) 09:11:41 ID:7maQsy8Q0
高齢になってからもガチで立ち会った話はあるんですか?
演武だけかと思ってた。
597Fw190:2005/10/29(土) 14:15:24 ID:KuYpaPAp0
ガチという点では11年前に、ある空手流派の二代宗家T氏が本部御殿手と沖縄の
空手全般を冒涜し、上原清吉先生が先方に真意をくり返し問いただしたのですが
一向に誠意ある対応は無く、むしろT氏は誹謗中傷を続けていたことがあります。
業を煮やした上原先生は真剣を使用しての立合いを通告。T氏側は関西空手界の
先輩2名(T氏は関西の大学空手出身であり、顔の広い方です)が沖縄を訪れて
上原先生に謝罪し、今後T氏を監督するという形で決着しました。
(2名の先輩はT氏の流派の方ではないので、個人的にということです)
結局、勝負には至らなかった訳ですが91歳でこれだけのテンションをお持ちだった
方です。
また上原先生に限らないと思いますが、見学や冷やかしに来る方達が希望すれば
相手が納得するまで立合われました。それは95歳頃までのようです(こちらは
ガチとは言えないでしょうが)。
598名無しさん@一本勝ち:2005/10/30(日) 07:51:22 ID:TuLF6LMA0
>>597
Fw190さん、貴重なお話ありがとうございます。
私も上原先生が存命中に沖縄へ行ってみたかったです。
599名無しさん@一本勝ち:2005/10/30(日) 08:11:22 ID:SKugF0Ge0
腕相撲でも、右で勝ったら左でまけろ・・・のように「争わない」というのは建前で
喧嘩での使い方、対ボクサー、対空手、分かりやすく教えてくれる人ですたなぁ
やぱし根っこは好戦的だったんだろね
600名無しさん@一本勝ち:2005/10/30(日) 08:18:09 ID:SKugF0Ge0
漏れだけかもしれんが
出身が鹿児島と聞くと、やはり対応はぞんざいになる。というか話もしたく無い
アメリカ人と、鹿児島人は受け付けないなぁ
601Fw190:2005/10/31(月) 01:05:57 ID:zWMncoAx0
>598さん
こちらこそ恐縮です。
読みづらい文章になってしまい失礼しました。

>600さん
私もです。私の鹿児島嫌いは自分が東北出身なのが大きな要因ですが、
琉球に深い想い入れがある為アメリカの方、鹿児島の方に対しては
複雑な心境です。

602名無しさん@一本勝ち:2005/10/31(月) 09:54:17 ID:M0HHSu800
>>554
>すみません、もうちょっと聞いて良いですかね?
>例えば能、歌舞伎舞踊、日本舞踊なんかには古くから伝わってるわけ
>ですから武術的な要素を含んでると思って良いわけですか?
>また含んでたとしても攻防の技術を知らない訳ですが武術的な動作に
>なっているって事ですかね?

亀レススマソですが、それは和泉元弥20世宗家が証明してくれるでしょう


603名無しさん@一本勝ち:2005/11/01(火) 18:37:37 ID:Yv1mYJLHO
元弥の空中チョップとかな
604名無しさん@一本勝ち:2005/11/01(火) 18:46:10 ID:guCOMlOJ0
>>597
その話と>>518の話は6年ほどの開きがあるけどたったの6年でこんな感じになったのかな?
老いには勝てないんだな。
605Fw190:2005/11/01(火) 20:43:03 ID:TAlH6PyK0
そう思います。
さすがに90代以降の5〜6年というのは大きいのでしょうね。
また、90代前半に大きな手術(何の疾患か詳しくは知らず
すみません)をされているので、その影響が後々まであったとも
思われます。
606名無しさん@一本勝ち:2005/11/01(火) 21:09:54 ID:F2KytthM0
でもまあ、九十代半ばにして>>519ができた人なんて
歴史上でも何人もいないでしょ。
歳をとって衰えたものがあるのは事実だけど
十分すぎると言えるんじゃないかな。
607無名 ◆kBOgMJht1I :2005/11/10(木) 06:33:42 ID:dG/sShOC0
どちらの逸話にしても、普通、九十代での話じゃないですよね・・・
バケモノぢゃ。
自分なんか、その頃に立ってられるかも怪しいwそれ以前にs(ry
608Fw190:2005/11/10(木) 12:09:42 ID:daezX4aq0
私も90代まで生きられるやら・・・・。
609名無しさん@一本勝ち:2005/11/15(火) 20:57:39 ID:ipuNysyj0
http://www.bab.co.jp/hiden/photo-k/04/h04-07.jpg

若いころの上原先生の筋肉。戦前の写真で、ステロイドもプロテインも、
もちろんない時代。肉食だって一般庶民には高嶺の花だったころに、こ
れだけの肉体を誇っていたのだから、よほど筋肉のつきやすい体だった
んでしょうね。

>(この時ペリー側に応接した琉球代表の中に、本部御殿10代当主
> 本部按司朝眞御前がおられたと何かで読んだ記憶がありますが・・・)

ペリーが来たとき、琉球国王は即位間もない幼王で、代わりに本部
朝真(朝基の父)が国王役で謁見したらしい。
610名無しさん@一本勝ち:2005/11/21(月) 23:24:25 ID:FsVfjQPH0
延命 age
611名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 22:20:07 ID:ACxHaiwy0
本部御殿手と共に歩んだ道

・どこにでもいるような少年

 明治37年3月24日、私は沖縄県島尻郡小禄村(現在では那覇
市に吸収されている)に7人兄弟の五男として生まれました。父上
原蒲戸は、農業をするかたわら、味噌・醤油の醸造と販売を生業と
していました。家業は両方とも比較的うまくいっており、私の家は
当時の沖縄でいえば、中流の上というところだったと思います。少
年時代の私は少々腕白ではありましたが、どこにでもいるような少
年でした。
 私に大きな転機がおとづれたのは小学校の六年生のときです。そ
れまで私は、小学校を卒業したら中学校に進学したいと考えていま
した。当時中学校は義務教育ではなかったので進学するためには経
済的な余裕が必要でしたが、兄達も農林学校を卒業していましたの
で経済的には余裕があり両親も進学には賛成してくれていたのです。
しかし、わたしが中学へ進学する直前に兄の事業の失敗が原因で一
家が破産してしまったのです。
 借金の返済のために田畑のすべてを売り、また、住まいとしてい
た家も売り(家はあまりに大きかったので、個人として書いてがつ
かず、「村屋」『村の公共施設』として買い取ってもらった。なお、
この家は終戦後まで残っていた。)ましたので、私たち一家は醤油
蔵に住まなければならなくなりました。稼業としていた味噌・醤油
の醸造の道具だけはなんとか売るのを免れましたが、一家は突然貧
困のどん底に落とされ私は小学校を卒業すると同時に働きだしたの
です。
612名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 22:21:34 ID:ACxHaiwy0
・強さへの憧れ

 仕事は味噌・醤油の行商。各家庭を廻って注文をとり、それを届
けるのが仕事でした。ある日のことです。仕事を終えた私は疲れた
身体を引きずるようにして家路を急いでいると、道ばたで一生懸命
に何かを擦っている仕草をしている男の人に会いました。こちらに
背を向け多いかぶさるようにしています。見るともなく見たところ、
桶がちらりと見えました。商売がらすぐに味噌・醤油を入れる桶だ
とわかりました。その桶には赤鉛筆で「U・K(カン太郎のK」とい
う兄のイニシャルが書いてあったのです。擦っていると見えた手に
は小刀が握られていました。その男は私の兄のイニシャルを削り桶
を盗むつもりだったのです。激しい怒りとともに、『ただでさえ貧
乏になってしまったのに、これ以上何かを取られてたまるか』とい
う思いが湧いてきました。
 その怒りはそのまま「何しているんだ。それは俺の桶だぞ」とい
う怒鳴り声として口からでました。ところが、男は無視しています。
もう一度、今度はほとんど叫んでいるような感じでいいました。す
ると、その男は言葉を確かめるかのようにユックリと振り返り立ち
上がりました。おぼろげながら顔を知っていました。同業者で、NM
という17,8歳の男です。NMは「唐手(とうでい)」を習ってい
るということで有名で身体も大きく乱暴な男でした。
613名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 22:22:38 ID:ACxHaiwy0
 もう一度叫ぼうとしたときです。言葉を発するかしないうちに、
身体にものすごい衝撃を受けました。その後、何回投げられ、幾つ
殴られたかは見当もつきません、気がついたときは地面に大の字に
なっていました。起きようとしても身体全体が痛く、いうことを聞
きませんでした。やっとのことで起きあがり、私は泣きながら家に
帰りました。涙は後から溢れでてとまりませんでした。 その涙は
今から考えると、殴られたことばかりに対するものではなかったよ
うな気がします。中学に行きたかったのに突然行けなくなってしま
った。いきなり貧乏のどん底に落とされてしまった。自分のものを
力ずくでとられた。殴られた。自分のこれまでのことがすべて変わ
った。
 言い換えれば自分の運命に対する悔し涙であったのかも知れませ
ん。そして、その涙の中で私は「強さ」に憧れを抱くようになりま
した。自分のものはとられるし、殴られてしまう。悔しいという思
い。そして、強くなって自分の運命そのものを見返してやりたいと
いう思いがそうさせたのだと思います。この思いは日をおって強く
なっていきました。
614名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 22:40:03 ID:ACxHaiwy0
・師匠さがし

 強くなるにはどうするか。私は本気で考えました。そして、武術
に対し漠然とした興味を抱くようになりました。そして本気で武術
を習いたいと思うようになったのです。
 そのころはまだ空手の流派というようなものはなく人々は武術の
ことを『手』または『唐手』と呼んでいました。当時の沖縄には、
後に本土で名前を馳せる多くの名人・達人たちひしめき、沖縄の唐
手界はさながら唐手の諸子百家のような様相を呈していました。宮
城長順、富名越義珍、喜屋武朝徳、摩文仁賢和、本部朝勇などの各
先生方の他、有名無名の唐手家たちが大勢居ました。
 唐手を習おうとは心に決めましたが、現実はそうはうまくいきま
せん。当時の唐手家たちはしかるべき紹介者がなければ、教えてく
れませんでした。唐手を習うと一口にいっても、今日からは想像も
出来ないほど難しいことでした。
 私は考えに考えました。そしてある方法を思いつきました。入門
のきっかけをつかむ方法は思いついたものの、今度は誰に習おうか
という問題がありました。
615名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 22:40:28 ID:ACxHaiwy0
 唐手の先生方は、いずれ劣らぬ達人ばかりです。とっさにM氏の
名前が浮かびました。M氏ならば私が行商している範囲に住んでい
ます。沖縄でも一,二を争う使い手として、その実力はよく知られ
ていました。
 さて、考えたことを実行する日がやってきました。当時、那覇の
東町通りの近くに「帝国館」という活動写真の劇場がありましたが、
この日M氏はこの帝国館の前で立ち止まり活動写真の看板をジッと
みていたのです。やるなら今しかありません。私は、その背中に体
当たりをしました。M氏もこれには完全に不意をつかれたようでし
た。派手につんのめり、膝を嫌というほど擦り剥いてしまったので
す。
 私は、立ち上がったM氏にこっぴどく叱られてしまいましたが、
このことをきっかけにして武術を習おうと必死で懇願しました。そ
して、M氏は遂に武術を教えることを約束してくれたのでした。つ
いに、念願の武術を習えることになったのです。
616名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 23:20:27 ID:ACxHaiwy0
・ 本部朝勇先生との出会い

 M氏のところに弟子入りを果たしたものの、その結果は惨憺たる
状況でした。当時はどの武術家といえども、道場を構えて稽古をし
ている人はおらず、大方は自分の庭か空き地、浜辺などを使って稽
古をしていました。
 私はくる日もくる日も稽古場となる庭を掃除して、武術を教えて
くれるのを待っていました。しかし、三ヶ月がたっても教えてもら
うことは出来ませんでした。今から考えるならば、私のやる気を試
そうということからのM氏の配慮だったと思いますが、一日も早く
強くなりたいと思っている私としてはどうにも欲求不満の毎日でし
た。先輩たちの稽古を見よう見真似で稽古していると、「子供のく
せになに真似をしている」と、こっぴどく叱られたことも何度かあ
りました。そんな状態が四ヶ月目に入ろうとしたとき、私はM氏の
ところを飛び出し、再び、師匠探しをはじめました。
617名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 23:21:05 ID:ACxHaiwy0
本部朝勇先生との運命的な出会いは大正五年の七月のことでした。
朝勇先生は当時辻町に住んでおられ、人々から『本部御前(もとぶ
うめえ)』という名で呼ばれていました。辻町を行商していた私は、
今度は朝勇先生に入門をお願いしようと機会を伺っていたのです。
そのころ那覇市の西新町に大正劇場という大きな劇場があり、朝勇
先生はkの看板をジッと眺めているところでした。私のやり方はM
氏のときと同じです。人通りが切れた一瞬を見計らって、突進して
いきました。完全に吹っ飛ばしたと思った瞬間、訳の分からない激
痛が走りました。私の手首は朝勇先生にねじ上げられていたのです。
 「どういう理由があるのかは知らないが、こういう悪戯は感心せ
んな」という言葉とともにやっと手が開放されました。手首をねじ
上げられてすっかり面食らってしまった私は、恐る恐る顔を上げま
した。朝勇先生の目には怒気はありませんでした。逆に優しさが見
えました。朝勇先生は私にもう一度ユックリと「どうして、こうい
うことをしたんだ」ときいてきました。
618名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 23:21:25 ID:ACxHaiwy0
 私はM氏のときと同じく「沖縄で一番強い武士だと聞いたので試
してみたのです」と答えました。朝勇先生は驚いたように「私を試
したのか」と言い、如何にも自信たっぷりげに後を向きました。意
味はすぐに理解できました。かかってこいということなのです。完
全に相手にならないと思っているようでした。正直言って舐めてい
ると思いました。M氏を吹っ飛ばしたことが変な自信になっていた
のかも知れません。私は手首をねじ上げられたお返しとばかり、力
いっぱい背中を押しました。
 ところがビクともしないのです。実際、足に根でも生えてしまっ
たかと思うほどでした。朝勇先生は「何だ、お前の力はそんなもの
か」といいながら豪快に笑いました。可笑しくてたまらないといっ
た笑い方でした。ただ、その笑いにはなんとなく人を安心させるよ
うな響きがありました。包み込むような笑い声でした。
 五分間もそうしていたでしょうか。私はもうヘトヘトになり座り
込んでしまったのです。そして、心の底から『情けない』という思
いがこみあげて来てついに泣き出してしまいました。悔しさではな
く、自分の情けなさに対する涙でした。そして「御前のように強く
なりたいのです。どうか私に手を教えて下さい」と泣きながら訴え
ました。
 朝勇先生は私の様子にただならぬものを感じたのでしょう。私を
辻町の住まいに連れて行かれ弟子として入門することを認めてくだ
さったのです。
619名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 23:36:30 ID:ACxHaiwy0
・ 本部朝勇先生の弟子となる

 今から考えると、朝勇先生は私をかなり腕白な、思い切ったこと
をする子供だと感じるのと同時に、私の性格、体格、年齢から指導
によっては武の華を開かせることができるかもしれないと感じられ
たのだと思います。ともあれ私は朝勇先生の弟子となることができ
ました。
 武術の稽古は行商の合間をぬって朝昼晩と行われました。朝は近
くの若狭海岸、昼は辻原墓地、夜は師が他の門弟に指導するのを見
学していました。ただ、稽古といっても、その内容は突き蹴りをひ
たすら繰り返すだけで、とにかく私は師の言われるままに、ひたす
ら突き蹴りを繰り返したのです。
 そんなことを半年も続けたのでしょうか。ある日いつものように
稽古をしていると、師が「本当に強くなりたいのか」と聞かれたの
です。私は変なことを聞くなと思いつつ、ハイと返事をしました。
すると再び考え込むような顔となり、しばらくして「ならば、私の
いうことはなんでも聞けるか」と言われたのです。
 この時、師の云おうとしていることがやっと理解できました。師
はこれまで私の決意の強さがどれくらいかを試していたのです。い
いかえるならば、ほんの初歩ではありますが、私を認めて下さった
のです。私は大きな声で返事をしました。師はその返事に答えるか
のように大きくうなずかれました。そのうなずきは本格的な武術修
行が始まることを告げるものだったのです。
620名無しさん@一本勝ち:2005/11/23(水) 23:49:08 ID:ACxHaiwy0
・ 本部朝勇先生について

 朝勇先生は『御殿』とよばれる王族の出身で首里に屋敷があった
と聞いていましたが、私が入門した頃は辻町に住んでおられました。
年齢は六十歳くらい、五尺二寸くらいの背丈で貫禄がありいつも笑
顔で、背筋をまっすぐ伸ばして歩く姿は威厳にあふれていました。
人々は、その人柄と高貴な姿をたたえて「御前方(うめえかた)の
美(ちゅ)らさ本部御前(うめえ)」と呼び尊敬していました。
 装いも往時の琉球王朝時代の士族そのままの琉装で過ごし、士族
の男子が結うカタカシラと呼ばれる髷を結いかんざしを刺していら
っしゃいました。武術の達人であると共に深い教養もお持ちの方で
風雅をこよなく愛し、よく歌を詠まれたり三味線を弾かれたりして
いたのを覚えています。最後の御冠船踊りの名手であられた玉城盛
重氏とも交流があり、三味線を弾きながら玉城氏と踊りの手法につ
いて語り合われたり、自ら『ウフブシ』といわれる琉球の古典をう
たわれたりしておりました。
 また、家柄の高い御殿の出身らしく礼儀作法に非常に厳しい方で、
立ち礼を受けることは一切なく、弟の本部朝基氏でさえ朝勇先生に
対する時は室内の下座に座し、あたかも臣が君に対するかのように
応対していたものです。御二人が交わされる会話も、一般家庭の兄
弟のそれではなく、上下関係のはっきりした敬語が使われていまし
た。家柄の高い御殿の身分らしく気品にあふれ貫禄があって、偉丈
夫という形容がピッタリでした。しかし、それを少しも鼻にかける
ことなく、身分による差別意識も全くもたず、誰とでもにこやかに、
しかも対するときは誰に対しても背筋をピシッと伸ばして接してい
ました。大正とはいえでも社会的な身分制度がまだ色濃く残ってい
る当時の沖縄ではまさに考えられないことでした。
621名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 00:09:07 ID:N42CTx9N0
人情深く人徳者でもありました。といいますのは、本部家はかな
りの資産を廃藩置県のときに拝領していたのですが、先生はそれら
の資産をすべて近郷近在の人たちに分け与えてしまったからです。
それ以外にもかなりの人たちが先生から借金をしていましたが、薪
が台所に積まれていないような貧しい家からは取立ては一切しませ
んでした。余裕が出来たら返せばいいということなのです。そのた
め多くの人々に慕われており、朝勇先生と共に馬術の稽古をするた
めに読谷村へ出かけたときなどは、近郷の人々が山羊を屠って私た
ちの来訪を歓迎してくれた程でした。
622名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 00:17:06 ID:N42CTx9N0
 当時の沖縄には、「沖縄若狭クラブ」という沖縄在住の唐手家た
ちで形成していた唐手研究のクラブがありました。ここには喜屋武
朝徳、宮城長順、摩文仁賢和、城間真繁、屋部憲通、照屋亀助、花
城朝茂といった沖縄唐手界ばかりでなく、後に本土でも活躍しその
名を広げる武の使い手たちが集まり、唐手の研究に励んでいました。
 ここで唐手の術理から、すべてを教えていたのが朝勇先生でした。
師は御殿の出身ということで沖縄の武術界でも尊敬されており、多
くの方々と交流があったのです。当時の武術家はすべて士族階級の
出身者でしたが、朝勇先生は身分の高さからいっても最上位にあっ
たわけです。師は本部朝勇という御名前で呼ばれることはなく、人
々はその身分(按司位)に敬意を払って「按司加那志前(あじがな
しめぇ)」と呼んでいました。
 当時師のもとへは、多くの武術家の方々が指導に仰ぎにいらして
いました。私は専ら教える際の相手役を勤めさせられたものです。
摩文仁賢和氏に捕縄術を披露されたり、喜屋武朝徳氏に小柄な体格
を補うための拳の握り方などを助言されていた場面が懐かしく思い
出されます。
 私と二人きりの稽古の時は自らの技の手本を示して下さった朝勇
先生でしたが、御殿手の技を人に教えることはもちろん、人前でみ
せることも余りなさいませんでした。ただ、師の技量の高さは有名
で、当時巷では『本部の足(ひさ)』『本部御前の蹴り(きりち
)』と呼んでその蹴り技を特に高く評価されていました。
623名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 00:20:40 ID:N42CTx9N0
上原清吉著『武の舞』からの長い引用になりました。あまり長く引用する
のは気が引けますが、もう絶版になって久しく一般には古本屋でも入手困
難でしょうし、このスレでの議論を一覧して、多くの方がこの名著を読ま
れていないようなので、申し訳なく思いながらも長々と引用しました。お
そらく、読まれていない方には、多くの新しい情報が含まれていると思い
ます。
624名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 01:13:05 ID:N42CTx9N0
本部御殿手奥義・本部朝勇先生遺歌

寄(ゆ)ゆる歳波(としなみ)に遺(ぬく)す物(むぬ)ねらん
ただ遺(ぬく)ち行ちゅし我(わ)みの手並み

(歌意)
年月がすぎ、いよいよ老境に入った。私がこの世に遺すものは何も
ない。ただ遺してゆくのは、代々受け継いできた本部御殿手の武の
技だけである。

むちぬてる糸にとらわれる鷹ん
怪我(きが)んねんむんち飛ばん

(歌意)
鳥もちを塗った仕掛け糸に捕らわれている鷹は、怪我もないのにど
うして飛び立つことができないのだろう。相手を無抵抗にして、取
り押さえる。御殿手の武術も、そのようなものである。

松(まち)の根(に)の深さ掘(ふ)てるうみしゆる
技の奥深さ学(まな)でしゆる

(歌意)
樹齢のいった松の根の深さは、掘ってみなければ分からないように、
御殿手の技の奥義も、修練を重ね学んでこそ身に付き、体得できる
のである。

按司方(あじかた)の舞方(めかた)ただおもてみるな
技に技すゆる奥手(うくでい)やりば

按司方(朝勇先生)の舞姿を、単なる舞い踊りと思って見てはいけ
ない。その舞には、技のうえに技が重なって尽きることのない武の
奥義が秘められているのだから。
625名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 01:19:58 ID:N42CTx9N0
琉歌は8・8・6調で、本来は歌謡として三味線にのせて歌われた
が、首里士城の一部では詠む歌としても親しまれてきた。ちなみに
本部朝勇先生のご先祖には、琉歌三大歌人として著名な本部按司朝
救(1741〜1814)がいる。
626名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 02:45:48 ID:PZC/sA3F0
>623トンクス
627名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 05:30:32 ID:N42CTx9N0
・和歌山へ

 大正五年の十二歳の夏から始まった武術の修行から八年が経過し、
私が朝勇先生の命によりご子息の朝茂氏を訪ねて旅に出たのは、徴
兵検査を終えたばかりの大正十三年のことでした。行き先は和歌山
県。朝茂氏に本部御殿の武術を伝承するための旅でした。本部家の
者に技を伝えるということが師の最大の願いだったのです。私は旅
立ちに際して、師より二通の手紙を託されていました。
 父である朝勇先生の手紙を読んだ朝茂氏は、目の前にいる小柄な
若者である私を見て「イヤードゥ、ヤンナー? イヤードゥ、ヤン
ナー? (本当にこの手紙に書いてある父の代理とは君のことなの
か?)」と沖縄の言葉で何度も繰り返し聞いてきました。朝茂氏は
体格に恵まれた美丈夫な方で、『虎の尾(とぅらのじゅう)』と称
され、実戦におけるその強さがまるで虎のようであり、特にその敏
捷さが虎の尾のようであると、和歌山県の沖縄県人の間では武人と
して有名な方でした。朝勇先生は沖縄を出発する私に『虎の尾』と
呼ばれるほどの朝茂氏は、必ず武の技を試し確認するにちがいない
ので、その時は手加減することなく武の技を使うようにと話されて
いました。その師の言いつけ通り、私は朝茂氏と立ち会い朝勇先生
の伝承した手の威力を披露したのです。父の代理の確認を武の技で
行った朝茂氏はさっそく本部御殿手の稽古にはいり、代々受け継が
れてきた武術の技を修得したのです。私はここに六ヶ月間滞在して
本部御殿手の技を伝えました。朝勇先生の願いであった、本部家の
血筋に家伝の武術を伝えるという役目を無事果たしたのです。
628名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 05:32:16 ID:N42CTx9N0
 朝茂氏に本部御殿手を伝授した後、私は同じく和歌山県にいらし
た上地完文氏(上地流空手の開祖)を訪ねました。師から託された
もう一通の手紙を届けるためです。完文氏は師の手紙を読み終える
と、私に『手』の練習相手としてしばらく滞在するように言われま
した。私は一週間ほど滞在して完文氏の練習相手をつとめることに
なったのです。
 完文氏は私の使う手をなんとかして知ろうと思ったらしく、必ず
稽古場の砂を箒できれいに掃いてから稽古に臨みました。私は以前
に師より、「武術家は相手の動きがわからないときは、足跡を見て
動きを読もうとするものだ」という話を聞いていましたので、砂立
ちと呼ばれる御殿手独特の立ち方をつかって足跡から足捌きを読む
ことができないようにして稽古相手をつとめました。師は常々、
「武の技を相手に知られることは、ただちに自分の生命の危機につ
ながる。同じ手は二度続けて使ってはいけない」と話されていたの
です。
 こうして無事使命を終えた私は、朝茂氏と完文氏からことづかっ
た返事の手紙を携えて師のもとへ帰ったのです。お二人からの手紙
を読まれた朝勇先生は、「よくやった」とひとことだけ言われまし
た。
629名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 15:59:40 ID:N42CTx9N0
いくつか資料を書いていきます。

本部家について

階級は按司(あじ)。元祖尚弘信本部王子朝平(尚質王第六王子16
55〜1687)。按司とは大名(デーミョー)の一つで、通常は王世子
(皇太子)以外の王子の子がなる。王家の分家にあたり、位階は九
品一八階の上位に位置し、王子とともに「無品(むほん)」とされ
た。冠は赤地五色浮織冠か黄地五色浮織冠を賜り、葵花形黄金髪差
と黄金添差を差した。御殿(うどぅん)とは、按司の屋敷を指し、
また、按司そのものをも指した。按司家は通常は、三代程度しか存
続を許されず、代を下ると士族階級に降るのが普通だったが、本部
按司は例外的に明治まで11代約200年続いた。格別の功績があ
ったかは不明で、なぜ本部按司が例外だったのかは分からない。明
治に書かれた『琉球藩臣・家禄記、官禄記』(国立国会図書館蔵)
によると、本部按司は琉球藩の中では、浦添、玉川、大村按司等に
ついで家禄第5位で、38家あった御殿家の中でも屈指の名家であ
ったと言える。家紋は丸に左三つ巴。屋敷は首里城近くの龍譚池の
そばにあり、現在の県立博物館付近であった。最後の按司は本部朝
勇の父・本部朝真。文武に秀でた家柄で、琉歌で屈指の歌人とされ
る本部朝救などを輩出。本部朝勇は朝真の長男で拳豪で勇名を馳せ
た朝基は弟の三男である。
630名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 17:05:10 ID:N42CTx9N0
・ 本部朝勇先生について。

最後の本部按司・朝真の長男として幕末に生まれる。1857生〜
1927没。本部御殿手の継承者、唐手の名手としても知られる。
文武両道に秀で、三味線、琉歌の名人でもあった。朝勇先生の琉歌
は二十数首が、上原清吉著『武の舞』に収録されているが、大歌人
であった先祖の朝救直系の血筋らしく、いずれも優れた琉歌である
と思われる。大正期に沖縄若狭クラブを主宰。喜屋武朝徳、宮城長
順、摩文仁賢和、城間真繁、屋部憲通、照屋亀助、花城朝茂各氏ら
が出入りしていた。蹴り技に優れ、『本部の足(ひさ)』『本部御
前の蹴り(きりち )』と賞賛されたらしい。上原先生によると、
朝勇先生は、数名の門弟に型を30以上も教授されていたらしいが、
朝勇先生がどこでこれらを学んだかは、上原先生にも不明とのこと
である。本部朝基氏のご子息である朝正氏によると、父・朝基(氏
は、松村宗混先生(首里出身)、松茂良興作先生(泊出身)、糸州
安恒先生を首里の邸宅に招いて、空手の個人教授を受けていたそう
なので、朝勇先生も同様に、自宅でこれらの先生に個人教授を受け
ていた可能性は考えられる。

ご子息に、長男朝明、次男朝茂、三男朝俊がいた。次男朝茂氏は、
『虎の尾』と称された空手の達人だったが、惜しくも昭和20年の
大阪大空襲の時に死去された。長男朝明氏も空手をされていたらし
いが、詳細は不明。大阪にある本部流の一派、本部流盛道派は朝明
系統だったと聞いたことがある。
631名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 17:27:44 ID:N42CTx9N0
・ 本部御殿手について

本部御殿手という名称は上原先生が昭和45年にこれを一般に公開す
る際につけられた名称で、本部朝勇先生自身は「御主加那志前(う
すがなしめえ)の技」「御主加那志技(うすがなしわざ)」などと
呼ばれていた。御主加那志とは琉球国王のことである。朝勇先生は、
「この技は、御主加那志前の技であり、喧嘩(おぅい)の手ではな
く戦の手である」と語っていた。喧嘩の手ではないというのは、王
家の者は一対一の私闘(喧嘩)を行うことはあり得ない、この技は
戦場で使うための技である、という意味でそう述べられたらしい。
一対一の戦いのためではなく、包囲戦を念頭においた武術体系と言
える。本部御殿手の現在の宗家は、本部朝基先生の三男・朝正先生
が上原先生から継いでおられる。

632名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 17:53:49 ID:pVMBYsAmO
ありがとうございます 大変勉強になります 私は兵庫県ですが関西では岸和田にしか道場はないのでしょうか?
633名無しさん@一本勝ち:2005/11/24(木) 19:09:05 ID:N42CTx9N0
>>632

そうですね。関西では東岸和田道場になるかと思います。
634名無しさん@一本勝ち:2005/11/25(金) 01:02:34 ID:R/ClvNge0
・朝勇先生の弟・本部朝基先生について

 朝基先生は1870年(明治3年)4月5日、父朝真の三男として首里で
生まれました。朝勇先生と朝基先生にまつわるエピソードはそれほ
ど多くは遺されていません。朝基先生は若い頃、兄・朝勇先生に唐
手で歯が立たなかった、それで何とかして強くなって兄に打ち勝ち
たいと思い、必死に修行に励まれた、というエピソードはどこかで
読んだ記憶があります。
 朝基先生は後に、「沖縄最強の唐手家」という評判を取るほど強
くなり、その強さは「本部の猿御前(さーるーうめえ)」という名
とともに、3歳の子供でもその名を皆知っていると言われたほどに
なりました。ちなみに、朝勇先生と朝基先生は10歳以上の歳の差
があり、年少の頃、兄にかなわなかったのも仕方のないことだった
かも知れません。
 朝基氏は、大正時代に京都で巨漢のロシア人ボクサーを一撃のも
とに倒したことが、『雑誌キング』の記事で紹介されたため、一躍
その武名は全国に轟きました。雑誌キングは日本出版史上初めて
「100万部突破」したといわれる、戦前の最大の雑誌です。これ
に記事が載るというは、今からは想像できないほどすごいことでし
た。それまで無名だった唐手という沖縄武術は、この記事によって
はじめて日本中に知れ渡ることになります。
 さて、上原先生によると、朝基先生は自著の出版の資金集めのた
めに、一時沖縄に里帰りされていた時期がありました。そのとき、
朝勇先生が「剛拳では年をとってから身体にもよくないから、あな
たにも取手を教えてあげよう」といって、朝基先生に御殿手を教え
ようとしたことがあったそうです。ただ、すでに朝基先生の武術は
剛拳でその頂点に到達し、そのスタイルは変更不可能なものでした。
結局、あまり身に付かなかったそうです。
635無名 ◆kBOgMJht1I :2005/11/25(金) 07:15:05 ID:H2zYtnfe0
素晴らすぃ・・・@@
636名無しさん@一本勝ち:2005/11/25(金) 07:23:30 ID:RrzfDs/ZO
手と空手はまた別物なのですね フルコンと大東流柔術の違いみたいなんでしょうか?古武道初心者なんですみません 大東流柔術と手はまた全然ちがうんでしょうか?もっと知りたいです
637名無しさん@一本勝ち:2005/11/25(金) 13:20:10 ID:R/ClvNge0
>>636

手と空手は同じものと考えてかまいません。空手という名称は、戦
前本土で空手の普及に尽力した舟越(富名越)義珍先生が創作した
ものです。沖縄ではそれ以前、空手は単に「手」もしくは「唐手」
と呼んでいました。「手(てぃ)」とは、もともと沖縄では「術」
「武術」というほどの意味です。
空手が剛の術であるのに対して、本部御殿手には「取手術」という
柔の術があります。これは上原先生による命名で、朝勇先生自身は
「手の取り方(てぃぬとぅいかた」と呼ばれていました。琉球舞踊
の女踊りの手形である、「拝み手」「押し手」「こねり手」と同じ
ものが基本形になっています。
 朝勇先生は、最後の御冠船踊りの名手であった玉城盛重氏と友人
でした。御冠船踊り(うかんしんおどり)とは宮廷舞踊のことで、
庶民が踊る「雑踊り(ぞうおどり)」とは区別されます。主に士族
が習い、踊りました。玉城盛重氏は、今日で言う「人間国宝」のよ
うな方で、有名な「浜千鳥」も、実はこの方による創作です。
 上原先生によると、朝勇先生と玉城先生はしょっちゅう会っては、
琉球舞踊について議論されていたそうです。取手は領民(本部按司
は本部半島一帯を領地として持っていた)を傷つけることなく取り
押さえるための術でした。この技がいつから本部家に伝承されたか
は定かではありませんが、琉球舞踊を熱心に研究されていた朝勇先
生が、先祖伝来の技を、あるいは、さらに発展・完成させたものか
もしれません。
638名無しさん@一本勝ち:2005/11/25(金) 15:39:34 ID:R/ClvNge0
・朝勇・朝基先生の従兄弟だった喜屋武朝徳先生

 戦前、唐手の名人に喜屋武(きゃん)朝徳先生という方がいまし
た。喜屋武先生は、本部朝基先生と同年の1870年(明治3年)11月、
首里儀保村に生まれです。父・朝扶氏は尚泰侯爵の秘書官を務めま
した。喜屋武先生は12〜20歳まで父について上京し、二十歳の頃帰
省。その後、首里手の松村宗棍、泊手の親泊興寛両氏に師事し、唐
手を修得されました。
 喜屋武家は第4代尚清王の第10王子、尚悦敬羽地王子朝武を元
祖とする由緒正しい家柄です。当初は按司家でしたが、代が降って
いくうちに、次第に親方、親雲上(ぺーちん)と階級を下げていき、
最終的には武士階級に落ち着きました。朝徳先生の父・朝扶氏の階
級は親雲上です。
 喜屋武先生には最近明らかになった裏話があります。朝基先生の
ご子息で現御殿手宗家の朝正先生によると、喜屋武朝徳先生は、実
は本部家の生まれで、朝勇・朝基先生とは従兄弟にあたり、喜屋武
家に実子がなかったために、養子に行かれたそうです。もともと朝
基先生と同年生まれで、本部家出身の朝徳先生は、幼少の頃から朝
基先生とともに唐手の練習をされていたとのことです。
 『沖縄門中大辞典』(那覇出版社)によると、朝扶氏の父、朝張
氏も実は本永家から喜屋武家に養子に入ったと書かれています。名
乗頭に「朝」がつく家は、元来琉球王家につながる家で、ともに親
戚同士です。跡継ぎがなければ親戚から養子を迎えるというのは、
明治まではそれほど珍しいことではなかったようです。
 喜屋武朝徳先生は、おそらく朝真氏の弟の実子で、それで朝勇・
朝基先生の従兄弟だったのだと思われます。

参考リンク:
ttp://www.yuushin.org/kempo/06_journal/01_motobu01_j.html
639名無しさん@一本勝ち:2005/11/25(金) 21:29:03 ID:R/ClvNge0
・ 禁武政策と本部御殿手の武器術

 空手の歴史書を読むと、必ずと言っていいほど、琉球王朝時代に
あった禁武政策の話が出てきます。いわく、琉球王朝時代、武士は
武器を持つことを禁じられた。それゆえ、武士たちは徒手空拳の武
術「手(てぃ)」の修練にいそしみ、それが今日の空手へと発展し
ていった云々。
 禁武政策は二度ありました。一度目は尚真王の時代、琉球国王の
命令によって、武器の所持が禁じられます。二度目は薩摩藩侵入と
支配に伴う禁武政策。二度の禁武政策を通じて、「一般の武士階
級」は刀剣類を所持することを禁じられました。確かに禁武政策と
空手の発展には因果関係を認めることはできます。

 しかし、沖縄には空手以外に武器を使った武術があります。もち
ろん、刀剣類のそれではありません。棒、ヌンチャク、トンファー、
鎌などを使用したものです。

 さて、本部御殿手(御主加那志技)の一大特徴に、その武器術が
あります。上記の武器類はもちろん使います。しかし、これらに加
えて刀剣類も用います。はて、刀剣類・・・禁武政策によって沖縄
にはそれらはなかったのではないか? なかった武器の武術がなぜ
存在するのか?―――時々、御殿手に投げかけられる疑問です。

 上原先生が本部朝勇先生から聞いた話によると、琉球国王やその
分家である按司(御殿)は刀剣類の所持は認められたそうです。そ
れゆえ、御殿家である本部家には、代々刀剣による武術も伝えられ
たそうです。
640名無しさん@一本勝ち:2005/11/25(金) 21:51:40 ID:R/ClvNge0
 しかし、琉球王家や按司家は本当に琉球王朝時代、刀剣類を所持
していたのでしょうか。

 1997年、本部家の本家でもある旧侯爵の尚家第22代当主、尚裕氏
が逝去されました。これに伴って尚家伝来の多数の宝物が那覇市に
寄贈されました。王冠、装束、華麗な調度類等々です。

 実はあまり知られていませんが、これらの寄贈品の中に王家伝来
の刀剣も3口含まれていました。3口ともすべて日本刀、室町時代
の作で、「千代金丸」「治金丸」、「北谷菜切(チャタンナーチリ
ー)」という名をそれぞれもっています。これらは、尚家が明治以
降に買い求めたものではありません。琉球国王所持品を意味する
「天」の篆書体が彫り込まれた、王家伝来の刀です。寄贈されたの
は3口だけですが、幕末時には、そおらくもっと多数の刀剣類を王
家は所持していたと思います。

 読谷山御殿(按司)の『尚姓大宗家譜』(家系図)には、読谷山
王子(1745〜1811)が分家に際して、国王から刀剣類を拝領したとの
記述があります。また、上原先生によると、本部朝勇先生の家にも
本部家伝来の槍、長刀、山刀があったそうです。

 武士階級には禁じられた刀剣類が、王家や按司家には所持が許さ
れていたというのは、どうやら本当のようです。
641Fw190:2005/11/26(土) 00:14:40 ID:F0EsCWZf0
貴重なお話の数々、本当に有難うございます。
客観的な資料に仲々辿り着けない(単なる勉強不足ですね)私には
宝箱の様な内容です。「千代金丸」「治金丸」の写真は書籍等で
拝見したことがありましたが、由来を初めて伺いました。
642名無しさん@一本勝ち:2005/11/26(土) 00:58:16 ID:dtshm4/70
>>Fw190様

いえいえ、とんでもないです。恐縮です。

このスレもすでに2年以上、dat落ちせずに続いています。意外と、
御殿手に興味を持たれている方が多いのだなと感心しました。しか
かし、残念なことにネットで手に入る御殿手の情報はわずかしか
ありません。書籍類もすでに絶版になっていたりと、興味はあって
も、一般の人には深く知る機会は限られています。私の知っている
知識や情報が少しでも役立てばと思い、自分の知っている範囲で
書きました。
643無名 ◆kBOgMJht1I :2005/11/26(土) 06:30:32 ID:Jd1MRX+S0
>ID:dtshm4/70様

色々と自分の中で得る物、気付いたことがありました。
本当に有難うございます!m(_)m
できれば、時々また書き込みなどして頂けると、有難いです。
644名無しさん@一本勝ち:2005/11/26(土) 13:59:54 ID:zHU1pZ/H0
>>無名 ◆kBOgMJht1I 様

 ありがとうとざいます。もう少し自分の知っていること、気づいたこと
などを書いていこうと思います。
645名無しさん@一本勝ち:2005/11/26(土) 14:02:13 ID:zHU1pZ/H0
・ 御殿手の剣術について

『必要は発明の母』と言いますが、それは武術についても言えるこ
とです。あらゆる武術も、当の武術家が生きている時代や社会状況、
また自分が置かれている地位や階級を意識して、発明、発展するは
ずです。

 琉球王朝時代、武士は武器の所持を禁じられていました。ただ一
握りの王や王族たちだけが、所持することができました。すると、
「いざ」という時、どうなるのでしょうか?

 本来、王や王族を守るべき武士(サムレー)のほうは「丸腰」で、
守ってもらえるはずの王や王族自身が刀を「振り回さなければなら
ない」という、なんとも不思議な、少し悲しくなるような光景が浮
かんできます。本来ならば、当然、武士が武装して王家を守り、王
家自身は丸腰でどっしり構えていてもいいはずが、琉球王朝時代は、
それがまったく逆転した状況にあったわけです。
646名無しさん@一本勝ち:2005/11/26(土) 14:02:55 ID:zHU1pZ/H0
 笑うべき状況で、もうそんなことなら、王や王族はいっそ「い
ざ」という状況のことなんか、考えずに過ごせばいいと思いますが、
本部御殿手を考えた本部按司は、わりと大まじめだったようです。

 御殿手の剣術「太刀の手(てぃ)」と本土のそれと違う大きな特
徴の一つに、御殿手では刀は「帯刀」を前提にしていない、という
点が挙げられます。朝勇先生によれば、王家の者は「いざ」という
とき、帯刀せずに、太刀もち、槍もち、長刀もち等の従者を従えて
出陣し、これらの者から武器を受け取って使うのだから、当然、剣
術も左右どちらかでも従者から受け取って使用できる技でなければ
ならないとのことです。

 腰から抜刀することを前提にした本土の剣術とは大きな違いです。

 しかし、御殿手の剣術は丸腰のサムレーに教えるための武術では
なく、王や按司の自衛のための武術ですから、当時の状況を考えれ
ば、非合理的ではなく、むしろ合理的といえるでしょう。「時代背
景」を考えて、御殿手を見てみると、いろいろと見えてくるもの、
気づくことがあるものです。
647無名 ◆kBOgMJht1I :2005/11/27(日) 03:35:14 ID:j/UoZ6gv0
>腰から抜刀することを前提にした本土の剣術とは大きな違いです。

成程〜!!@@
648名無しさん@一本勝ち:2005/11/27(日) 05:18:25 ID:ajhH8CeK0
・ 御殿手の剣術について (2)

 帯刀、すなわち、「鞘を腰に差している」こと前提にしないとす
ると、御殿手の剣術では、技術的にはどういう変化が起こるでしょ
うか。

 たとえば、従者から太刀を受け取って、そのまま目の前で抜刀す
るとします。この際、右手で持った刀で斬りかかるのは当然として、
、左手にもった鞘もそのまま盾代わりに、防御に使ったりします。
また、あたかも「二刀流」のように、鞘で突いたり、殴ったり、攻
撃に使うことも出来ます。

つまり、御殿手では、鞘自体も「攻防の武器」としての役割を果た
すわけです。

 また、抜刀の仕方も、腰に差していないわけですから、自由度が
増します。たとえば、頭上で振りかぶって抜刀し、そのまま袈裟懸
けに、刀を振り下ろして相手を切ることもできます。鞘が固定され
ていないので、状況に応じて、どう抜刀しても構いません。

 技術的な特徴の話は別として、御殿手の剣術で面白いと思うのは、
最初から「太刀もちの存在」を前提にしていることです。発想その
ものが、最初から「王や按司に限定した武術」であることを物語っ
ています。これがもし武士階級ならば、従者をあてにした剣術など、
そもそも発想するとは思えません。いかにも悠長すぎます。このあ
たり、武術を発明する者の「階級差」を感じて、それが面白いと思
うのです。
649名無しさん@一本勝ち:2005/11/27(日) 17:11:26 ID:jeh7bBXy0
・ 御殿手の剣術について (3)

 剣術の修行が進むと、最終的に「渦巻・龍巻の剣」という二刀流
による回転斬りの技へと進みます。御殿手では、これが剣術の最終
奥義になります。

 渦巻・龍巻とひとくくりに書くと誤解されるかもしれませんが、
「渦巻」と「龍巻」の剣は違います。渦巻はその場での回転斬りの
技、龍巻のほうは回転しながら移動する技です。

 一見すると、くるくる回転してダンスのように見え、どうして回
転する必要があるのだ、と思われるかも知れませんが、回転するの
は、この技が12〜13人を相手にした「対包囲戦」を意識した技
だからです。演武を見ると大変優雅にも見えますが、上原先生によ
ると朝勇先生の指導は大変厳しく、少しでもいい加減な斬りをする
と、「何番目の敵の斬りが不十分だ」と叱責されたそうです。単な
るダンスに終わらないためには、当然、「歩法」が命になってきま
す。足使いの細かい点まで指導が及びます。
650名無しさん@一本勝ち:2005/11/27(日) 22:20:57 ID:xWDuh7Ad0
本部御殿手を本土で教授されてるのは東岸和田の朝正先生と兵庫で氏家流平方元手術をされてる三宅先生だと聞いています。
唯一お二人が、上原先生直々の弟子として許可頂いてるということです。
ただ、三宅先生は先代の氏家先生と華僑の関係の事もあり氏家流を名乗ってらっしゃるらしいです。
651名無しさん@一本勝ち:2005/11/27(日) 23:02:23 ID:xa9uVSP80
比嘉先生は? 10段をいただいていたけれど
652623:2005/11/28(月) 01:28:07 ID:jQBLhgfT0
思わず、当初の想定より長々と筆を汚しているので、標識のために
名無しさんは止めます。623を書いた者です。

 さて、本部御殿手には、太刀持ちを想定した剣術など、その発想
において、いかにも按司家の武術らしい、「貴族的」な側面がある
ことは指摘しました。

 しかし、このように書くと、本部御殿手は「格式」や「伝統」に
おぼれて実戦には役立たなくなってしまった武術と同類か、と思わ
れる方もいるかもしれません。

 しかし、実際はまったく正反対です。本部御殿手はつねに実戦を
想定した武術であり、その徹底性では、実戦唐手で最強の名を誇っ
た、本部朝基先生の技と少しも変わらない精神に貫かれています。
兄弟血を争えず、朝勇先生も朝基先生と同様、つねに実戦で使える
か、という点を意識していました。

 実際、本部御殿手の武器術では他の流派が決して使わない、えら
く「庶民的」で「日常的」な、ありふれた道具も武器として使用し
ます。それらのいくつかを紹介していきます。
653623:2005/11/28(月) 01:47:10 ID:jQBLhgfT0
・短棒(マキ)
 本部家の元祖が庭で襲われた時、近くにあったマキ(薪)を取っ
て闘ったことから短棒を武器として使うようになったそうです。

・ 箒(ほうき)
 本部家の当主がある日庭で襲われた時、身近にあった箒で応戦し
て難を逃れたことから武器として使うようになったそうです。

・ 鳥刺(鳥もち棒)
 小鳥を捕りに山に入った時に、もし襲われた時のことを想定して
使います。

・ 目つぶし
 灰と小石に唐辛子の粉を混ぜて紙で包んだもの。純粋には「武
器」とは言えませんが、朝勇先生が出かける際のお供をするとき、
上原先生は必ず持たされたそうです。朝勇先生いわく、「戦わずに
済むなら、それが最上」とのことです。

 要は、勝つため、生き残るためなら、手元にあるものは何でも使
え、という精神です。朝勇先生の教訓歌に次のようなものがありま
す。

読(ゆ)み取(とう)いんならん天の星ぬごと
御主加那志技(うすがなしわざ)や読(ゆ)みんならん

(歌意)
天に輝く星の数が読み取れないほど無数にあるように、御殿手(御
主加那志技)の技も無限である。

 つねに実戦を想定して、無限に臨機応変に対処する精神とそこか
ら繰り出される技こそ、御殿手の極意なのです。
654名無しさん@一本勝ち:2005/11/28(月) 10:54:37 ID:CjIrWqQb0
比嘉先生はじーちゃんより上にいったっぽい。
655623:2005/11/28(月) 17:18:40 ID:Dr7dZaGL0
・ 生涯、師の恩を忘れなかった上原清吉先生

 明治13年出版の『沖縄県統計概表』(国立国会図書館蔵)を読
むと、当時の沖縄県の人口は戸数8万477戸、33万8164人と記載され
ています。そのうち、士族は戸数2万1142戸、7万9600人いました。
沖縄県の人口のうち、士族は約25%を占めていることになります。
意外と多い気がします。

 しかし、このうち有録士族は、実は387戸しかありません。つま
り大半が無禄士族、いわば「名ばかりの士族」でした。その中で、
本部家は家禄高第5位で、按司(御殿)家の中でも屈指の名家であ
ることは、先に書きました。つまり、明治においても、本部家は約
8万人近くいた士族のピラミッドの、その頂点付近にいたわけです。

 さて、本土では早々と俸禄の打ち切り、いわゆる「秩禄処分」が
断行されます。これによって有録士族は一気に没落して、これが原
因の一つになって有名な「西南戦争」が勃発します。この結果、本
土では早々と士族はあまり尊敬されなくなりました。
656623:2005/11/28(月) 17:19:18 ID:Dr7dZaGL0
 ところが、沖縄県だけは例外で、秩禄処分は明治43年に行われま
す。この結果、沖縄では本土よりもずっと遅くまで封建意識が残っ
たと言われています。そういった雰囲気の中で、本部家も明治末期
まで食うに困らず、相変わらず旧王族として高い尊敬を得ていまし
た。大正時代に入っても朝勇先生は、「本部御前(うめえ)」「按
司加那志御前(あじがなしめえ)」と尊称され、この雰囲気はしば
らく続きます。

 上原先生の『武の舞』を読むと、その師を尊敬する姿に私は深い
感銘を受けます。この書が書かれた90歳近くになっても、上原先生
は70年、80年前に、師から受けた恩を決して忘れませんでした。恩
師が高い身分にあったことを考慮にいれても、90歳になってまでこ
れほど恩師を尊敬し続ける人が、世の中にどれだけいるでしょうか。

 朝勇先生の人徳もさることながら、上原先生の純粋さも相当なも
のです。朝勇先生が他の弟子をさしおいて、上原先生に御殿手を伝
授したのも、少年・上原清吉にこの純粋さを感じ取ったからでしょ
う。上原先生は、まさに「真の武人」と呼ぶにふさわしい方だった
思います。
657623:2005/11/28(月) 17:33:13 ID:Dr7dZaGL0
長々と書いてきましたが、このあたりで筆を置きたいと思います。私の書い
た情報が少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
658:2005/11/28(月) 17:41:57 ID:kFkHolP1O
上原宗家がご存命中に教えてもらいたかった。
せっかく沖縄に長期出張していたのに飲み歩く日々。
身からでた錆。
659名無しさん@一本勝ち:2005/11/28(月) 21:32:31 ID:6L9LCeaH0
>658
大阪なら習いにいけますぞ
後悔するまえに即行動
660Fw190:2005/11/29(火) 00:22:04 ID:0jy9atNA0
>623様
改めて御礼を申し上げます。

661623:2005/12/03(土) 01:01:06 ID:1sKHbgP80
・本部朝基先生とナイハンチ

 新垣清先生が著書『沖縄武道空手の極意』の中で、朝基先生のナ
イハンチについて、面白いエピソードを紹介しています。

「この本部が最晩年に、沖縄に帰ったときの言い伝えがある。
 糸洲安恒の弟子で小林流の創始者である知花朝信の要請で、その
弟子たちの前でナイファンチを見せた。その時に多くの弟子たちは、
なんかよたよたして頼りないおじいさんが、動きの退屈な形をやっ
ているという感想をもらしたらしい。しかしさすがに知花は手を叩
かんばかりに驚喜して、『これこそ(武道だ)……、これこそ…
…』と感心するのみであったと言う。知花の目の確かさと、あの当
時でさえ『観の目』を持った武道家が、いかに少数であったかを物
語るエピソードである」

 ナイハンチは地味な型です。退屈な型といってもいいでしょう。
新垣先生はアメリカで道場を開いていますが、それゆえ、初級・中
級者には絶対やらせないそうです。初学者には、もっと派手で、見
栄えのする型をやらせて興味を引くようにして、上級者になっては
じめてナイハンチをやらせるそうです。そうしないと、生徒達は興
味を失ってついてきません。道場経営上、やむを得ないそうです。
662623:2005/12/03(土) 01:26:31 ID:1sKHbgP80
 さて、朝基先生はナイハンチを型の中でもっとも重視しました。
本部流の奥義はナイハンチにある、と言っても過言ではないでしょ
う。それゆえ、昔から「本部朝基はナイハンチしか知らなかった
(実際は違いますが)」と中傷する人たちもいます。こういう人た
ちにとっては、たくさん型を知っている人こそ空手の奥義に近い人
だ、ということなのでしょうか。

 朝勇先生の琉歌に次のようなものがあります。

按司方(あじかた)の舞方(めかた)ただおもてみるな
技に技すゆる奥手(うくでい)やりば

(歌意)
按司方(朝勇先生)の舞姿を、単なる舞い踊りと思って見てはいけ
ない。その舞には、技のうえに技が重なって尽きることのない武
の 奥義が秘められているのだから。

 本部流の奥義がナイハンチにあるように、御殿手では「武の舞」
という舞踊が究極奥義です。一方は地味な型、他方は踊りです。両
先生にとって、奥義とは「シンプルなもの」のようです。

ちなみに、新垣先生は日米で出版された空手関係の書籍はほとんど
すべて目を通してきているそうですが、本部朝基先生のナイハンチ
が第一位、長嶺将真先生のナイハンチが第二位だそうです。長嶺先
生は、朝基先生の晩年の直弟子で、松林流の開祖です。
663名無しさん@一本勝ち:2005/12/03(土) 15:15:26 ID:7EB07pT00
623氏は三宅先生をご存知ですか?
それともひょっとして・・
664623:2005/12/04(日) 00:16:55 ID:wXEIz1Pj0
>623氏は三宅先生をご存知ですか?

 お名前は伺ったことがありますが、お会いしたことは
なかったと思います。
665623:2005/12/04(日) 00:46:08 ID:wXEIz1Pj0
 上の方のレスはあまりまともに読んでいなかったのですが、
今日読み返してみて、いくつか誤解があるようなので、訂正
しておきます。

・朝勇先生は空手をしてなかった?

 どこからこんな説が出てくるのか知りませんが、上原先生の
著書にも詳しく書いてありますし、本部朝基先生の著書『私の
唐手術』(昭和7年出版)にも朝勇先生の名は出てきます。

「(本部朝基)は幼にして武を好み、十二歳の時より長兄朝勇
氏と共に糸洲翁を其の宅に聘(へい)し、正式に唐手の稽古を
為(な)す、長ずるに及び、更に佐久間、松村の二翁に師事し、
尚(なお)組手に至りては右三氏の外、松茂良その他斯界(し
かい)に名ある武人には総て之(これ)を訪ねて教えを乞い、」
(「著者略歴」より)

「(糸洲先生は)実兄が稽古する時には、毎日の如(よう)に、
拙宅(注:首里の本部御殿)へお出でになっていたので、私
も十二三歳位の時から、一所(いっしょ)に稽古していたとこ
ろが、私は何時も兄にいじめられていたので、どうしたら兄
に勝つ事が出来るかと絶えず考えていたので、・・・」
(「稽古の心得」より)

666623:2005/12/04(日) 01:05:50 ID:wXEIz1Pj0
 本部朝基先生は明治3年生まれです。12歳から本部御殿に
糸洲安恒(首里手)先生を招いて、空手を正式に習っています。
12歳と言えば、満か数えかは分かりませんが、大体明治15年
前後になります。糸洲先生が道場を開いて広く門弟を取り出し
たのが明治12年ですから、朝基先生は時期的に見て、ほぼ
「最古参の直弟子」ということになります。しかも、外の門弟が
道場通いしているのに、朝勇・朝基先生は自宅に呼びつけて
いるわけですから、弟子としては「別格扱い」と言えるでしょう。

 昔から朝基先生は「独学で空手を学んだ」とか「喧嘩して覚
えた」とか、他流派から誹謗中傷がありますが、事実は全く
違って、当時としては「最高の環境」で空手のエリート教育を
受けたことが上の引用からも、うかがえると思います。
667名無しさん@一本勝ち:2005/12/04(日) 01:16:10 ID:TWpaZUrM0
このスレは救いですね。沖縄唐手系スレは荒れすぎです。
ここに紹介さている歴史などの資料は貴重なものでとても参考になります。
668623:2005/12/04(日) 02:30:06 ID:wXEIz1Pj0
 ちなみに、糸洲門下には、舟越義珍先生(松濤館流)、摩文仁賢
和先生(糸東流)など今日の主要流派の開祖をはじめ、屋部憲通、
知花朝信、花城長茂各先生らがいます。このうち、たとえば、舟越
先生は最初安里先生に学び、のちに教員になってから糸洲先生に学
んでいるのでおそらく朝基先生より10年後くらいの明治20年代
の門下生、摩文仁先生に至っては、明治36年に糸洲先生に弟子入
りしてますから、朝基先生より20年後の後輩ということになりま
す。

 こうやって資料を付き合わせて年代順に見てみると、世間一般で
よく知られている糸洲門下の各先生より、実際は朝勇・朝基先生の
ほうが、糸洲門下では、ずっと最古参の直弟子だったということが
判明します。

 ちなみに糸洲先生が平安(ピンアン)を創作したりして、学校で
唐手が体育として採用されたのが明治34年ですから、朝基先生が
平安を糸洲先生から習っていなくても、時期的には別に不思議では
ありません(著書では、一応平安について触れています)。
669623:2005/12/04(日) 02:49:03 ID:wXEIz1Pj0
>>667

 ありがとうございます。私は特に本部御殿手や本部流を、実際
以上にその歴史や流派の特徴において、よく見せようとは思いま
せん。

 できるだけ客観的な資料に基づいて、紹介するよう心がけてい
ます。それで興味を抱いたり、学んでみようと思われたりする方
がいらっしゃれば幸いです。
670無名 ◆kBOgMJht1I :2005/12/04(日) 03:25:21 ID:pvrBXB5B0
>>667さん
超禿同です!

>623さん
自分にも、改めてお礼を言わせてください、
自分にとっても、貴重かつ、重要なことを再確認するのに役立つ情報ばかりです、
有難うございますm(_)m
671623:2005/12/04(日) 17:20:17 ID:wXEIz1Pj0
・本部朝勇先生はどれくらい強かったのか

 自分の流派の開祖の実際の「強さ」を問われて、客観的に答えら
れる人はどれくらいいるでしょうか。とりわけ、その開祖が戦前活
躍したような人であるなら、「武勇伝」と呼べるものは、ほとんど
ないのが実情だと思います。

 理由の一つには、「試合」というのが戦前にはなかったことが挙
げられます。あるとすれば「賭け試し」、つまり路上での私闘です。
この点で、朝基先生には数々の武勇伝があります。

 しかし、これは全くの例外と言っていいでしょう。ほとんどの流
派の場合、開祖の略歴を見ても、何年に某先生に師事した、何年に
某所で演武した、何年に某所で道場を開いた・・・、こんな話ばか
りです。誰某を倒した、というような話はほとんど出てきません。
この点では、朝勇先生も同様です。

 上原先生によれば、朝勇先生はとにかく強かったと語っています。

「朝勇先生に弟子入りしていつしか十年になりました。十年間の稽
古により、私の身体は本部御殿手そのものとなっていましたが、ま
だまだ修業は完成したとは言えませんでした。ここまで武を習って
も、いざ稽古になると師の身体に指一本触れることが出来ないから
です。(中略)とにかく、赤子のように扱われてしまうことだけは
十年間変わりませんでした。それだけ師の武技は素晴らしいものが
あったのです」。(『武の舞』<フィリピンへの旅立ち>より)
672623:2005/12/04(日) 17:43:20 ID:wXEIz1Pj0
 上原先生をして、十年修業しても師には及ばなかった、―――こ
れを信じるならば、朝勇先生は相当強かったことになります。それ
でも、疑り深い人は「弟子が師匠を神格化するのはありがちだ。当
てにならない」と言うかも知れません。

あとは、朝基先生の記述を挙げることが出来ます。上に引用した朝
基先生の文章を続きも含めてもう少し引用します。

「(糸洲先生は)実兄が稽古する時には、毎日の如(よう)に、拙
宅へお出でになっていたので、私も十二三歳位の時から、一所(い
っしょ)に稽古していたところが、私は何時も兄にいじめられてい
たので、どうしたら兄に勝つ事が出来るかと絶えず考えていたので、
遂に糸洲先生丈(だけ)では、あきたらず、儀保の佐久間先生や松
村先生の許(もと)に、ひそかに通い、種々と研究して、二十歳位
からは確かに兄に勝つ自信があった」。 (「稽古の心得」より)

朝基先生によれば、10代の頃は兄・朝勇先生には歯が立たなかっ
た。それで必死に修業をして、ようやく二十歳の頃には勝つ自信が
ついた。「自信」と書いているので、実際に闘ったわけではないで
しょう。ただ「剛拳」で勝負すれば、この記述はその通りかもしれ
ません。ちなみに、『私の唐手術」の著者略歴によれば、朝基先生
はすでに24,5歳の頃には「サールーといえば誰知らぬ者もなく、
人をして三舎を避けしむ。(注:皆おそれて一目置くの意)」とあ
るので、この頃にはすでに沖縄唐手界では最強の強さに達していた
と思われます。

 24,5歳にして、沖縄で最強唐手家に達した朝基先生が20歳
でようやく勝つ自信がついたと言わしめる朝勇先生。私としては十
分、朝勇先生は強かったと思われますが、さて、みなさんはどう評
価されるでしょうか。
673623:2005/12/04(日) 17:46:50 ID:wXEIz1Pj0
>無名 ◆kBOgMJht1I 様

 ありがとうございます。一人長々と書いて気が引けますが、
そう言っていただけると励みになります。お邪魔にならない
程度に、自分の思うところ、知っている情報などを書いてい
こうと思います。
674名無しさん@一本勝ち:2005/12/05(月) 17:54:47 ID:vcdig8TU0
自分のように歩ければ、卒業。あるければ、技は○○を見続けるだけで分かる
そしてその為には、あの特有の走り込みをずっとつづけること
ほんとうにそれだけ

そのようにおっしゃられていました

公園は、公共のものだから、そこでビデオをとられても文句はいえない
だから、絶対にみせない技は表ではやらん

実際、そのような地味な稽古の内容、重要性が、本に載ってたり
そのような内容に、言及しているのは
未だ読んだことがありません

このような書き込みをすると、真偽を問われる方が必ずいますが
その辺の判断は、ご自由にどうぞ
675623:2005/12/07(水) 06:10:16 ID:1ve6PABi0
・秘伝、失伝、宣伝

 朝勇先生から御殿手を習っていた時、上原先生は常々「これは御
主加那志御前(琉球国王)の技なのだよ」と聞かされていました。
そして、朝勇先生は、この技は秘伝であり、元来は本部家の長子が
継ぐべき技であって、決してみだりに公開してはならない技である、
と語っていました。

 それゆえ、上原先生はこれを公開するにあたって「琉球王家秘伝
武術・本部御殿手」と名付けました。

 「秘伝」とか「一子相伝」と聞くと、その響きに魅力を感じる人
もいれば、逆に「胡散臭い」と感じる人もいるようです。いずれに
しても、現代の我々にとっては少し大げさに聞こえるかもしれませ
ん。

 ところで、空手の歴史に少しでも明るい人なら誰でも知っている
と思いますが、御殿手に限らず、「空手そのもの」が元来明治以前
まで「秘伝」であり、「一子相伝」だったのです。琉球王朝時代、
「手(てぃ)」をする者は、みだりに弟子を取りませんでした。た
いていは一人、多くて二、三人といったところです。今日のように、
道場を開いて弟子を多数取る、というようなことは考えられないこ
とでした。

 空手の歴史上、はじめて大規模に弟子を取り始めたのは、おそら
く糸洲安恒先生です。これはある意味で、空手史上、「革命的」な
ことでした。たとえて言えば、それまでは空手は八百屋のような、
もっぱら個人経営だったのに対して、突如として糸洲道場という、
いわば「スーパー・ダイエー」のようなものが出現したわけです。
676623:2005/12/07(水) 06:53:47 ID:1ve6PABi0
 スーパーができれば、その影でバタバタと多数の八百屋がつぶれ
ていくように、当然、明治以降失伝していった空手の系統も多数あ
ります。たとえば、泊手は今日ではほとんど継承されていません。
朝基先生も教わった泊手の名手・松茂良興作先生は、おそらく、武
人としては糸洲先生よりも上でした。しかし、糸洲先生ほど弟子を
取らなかったせいか、今日ではこの先生の技の系統は本部流や沖縄
のいくつかの流派が細々と伝えるのみです。しかし、本部流でも、
どの部分が松茂良先生直伝の技なのか、区別することも復元するこ
とも不可能です。松茂良先生直系の技のDNAは、もはや失われて
しまいました。残念なことです。

 宣伝上手で、「政治」に長けた流派が幅を利かすのは仕方がない
ことです。しかし、その陰で、明治以降、いくつもの技が失伝して
いったことを考えると、空手の歴史に興味を抱く者の一人として、
寂しい気持ちを覚えます。
677名無しさん@一本勝ち:2005/12/07(水) 13:20:13 ID:FIVzBx1YO
やっぱり少数人数で弟子を取ったならば、その弟子はその技術を子子孫孫と伝えていく義務がある。という自分の個人的見解(´・ω・`)
678名無しさん@一本勝ち:2005/12/08(木) 11:08:43 ID:PE4ve2cA0
たしかに沖縄空手界(首里手系)は小林流と松林流が
ほぼ独占しちゃって、マイナー流派は細々としていますからねえ。
679623:2005/12/08(木) 20:14:52 ID:coPJe3dM0
 柴犬、秋田犬、紀州犬―――。これらに共通するものは何でしょ
うか。もちろん、いずれも犬種です。そして、名前から分かるよう
に日本犬に属します。ところで、もう一つ共通点があります。

 実は、これらの犬すべてが国の「天然記念物」に指定されている
ということです。みなさん、ご存じだったでしょうか?

 日本犬というのは、意外にもたったの6種類しか存在しません。
そして、この6種すべてが国の「天然記念物」に指定されています。
上記の犬以外の名前を挙げれば、甲斐犬、四国犬、北海道犬。これ
らが日本犬のすべてです。

 どうして、こういう事態になったかというと、明治以降、多数の
西洋犬が日本に流入しました。そして、当時の日本人には「日本犬
種の保存」という意識は全くありませんでした。その結果、昭和初
期には、在来の日本犬種は絶滅寸前にまで陥ったのです。おそるべ
きスピードで、日本犬は絶滅の縁にまで追いやられました。

 あやうく、日本犬はこの地上から消滅しかかっていたところ、有
史の方々が立ち上がって保存運動を展開し、ついには国も保存に乗
り出したおかげで、今日、この6種だけが存続することができまし
た。
680623:2005/12/08(木) 20:51:29 ID:coPJe3dM0
 この教訓は、空手にも当てはめることができると思います。空手
は明治以降、まず「普及」に主眼に置かれました。そのために、形
の改変や創作、練習法の変化、試合化やルール制定など、めざまし
い「近代化」を遂げました。そこには、空手以外の武道やスポーツ
などを参考としたり、軍隊の集団訓練からヒントを得た訓練法など、
空手の普及に情熱をかけた先人達の苦労の結晶を見ることができま
す。

 しかし、空手が近代化を遂げ、さらにはフルコン化、総合格闘技
へと一部が溶け込んでいく中で、一体「空手のアイデンティティ」
は何なのだろうか、という疑問も浮上します。

 沖縄には、主に首里手、泊手、那覇手という三系統の空手が存在
していた、というのは一般の空手史の教えるところです。ところで、
朝基先生によれば、この3分類はあくまで便宜的なもので、実際は
それぞれの先生ごとにもっと多様だったそうです。こういった多様
性が、普及の中でまず平均化されていき、さらに昭和以降、各流派
が勃興、分化する過程で、今度は改変が加えられたりと、「空手の
雑種化」が急速に進みました。そして、気づいてみたら、「空手の
原種」はほとんど絶滅寸前という事態に今日あるわけです。

 「空手は伝統芸能か」という反論はもちろんあるでしょう。空手
のスポーツ化や外の格闘技との融合には、ある一定の意義がありま
す。それは否定できません。しかし、一度失伝してしまった技の復
元は容易ではありません。純粋な泊手はほぼ絶滅しました。今日、
空手の主流派といえる首里手にしても、すでに松村宗棍先生が「糸
洲のナイハンチはおかしい」と言っていました。「首里手の原種」
もすでに復元不可能なのでしょうか―――。
681623:2005/12/08(木) 21:11:36 ID:coPJe3dM0
 本部流のナイハンチは、他の首里手系のナイハンチと違うそうで
す。それで、首里手系の流派の人たちが見ると、「あれは泊手系の
ナイハンチだろうか・・・」と疑問をもつそうです。

 ところが、本部朝基先生によれば、朝基先生のナイハンチは松村
先生のナイハンチなのだそうです(本部朝基著『私の唐手術』<ナ
イハンチの型と誤伝>の章参照)。朝基先生が糸洲系のナイハンチ
の立ち方に疑問を覚えて、松村先生に質問したところ、「糸洲の亀
小型では、実際立ち合う場合には、すこぶる危険で、すぐ倒されて
しまう」と語ったそうです。どうして糸洲先生のナイハンチが師
匠・松村先生ののナイハンチとずれていったのかはよく分かりませ
ん。糸洲先生は那覇手の長濱先生に長く師事されていたので、その
関係かもしれません。
682:2005/12/08(木) 21:12:14 ID:5m0/D1eEO
首里手は本部系以外では無理でしょうね。
ナイファンチの足先が開いたり、締まったりではいまさらの感があります。
那覇手も難しいですね!
東恩流、上地、劉衛くらいですか?
しかし、那覇手は本来の手とは本質的に違うような気がします。
泊系は絶望的でしょうか?よくわかりませんが。
しかし、泊手自体が歴史があさいような?

ところで御殿手の膝を伸ばす歩法と八卦掌に似通った点があるのご存じですか?
渦巻き竜巻なんて八卦掌の走圏と同じでは?
清朝末期に伝わったのでは?
冊封使となんらかの関連があるのでは?
683名無しさん@一本勝ち:2005/12/08(木) 21:53:36 ID:OWZ7Lfwl0
渦巻き竜巻は求心離心の関係にあるようだけど
走圏にはそういった要素があるのかな?
684名無しさん@一本勝ち:2005/12/08(木) 21:58:41 ID:N+6chsYq0
そう言えば八卦は「剣」ですねw
685623:2005/12/08(木) 22:44:47 ID:coPJe3dM0
 八卦掌も含めて、中国武術自体を私は習ったことがないので、共
通点や類似点について、客観的な事を言うことはむずかしいです。

 膝を曲げないで歩く、と一概に言っても、かかとで歩くのか、つ
ま先で歩くのか、によっても違ってきます。

 試しに膝を曲げないで歩いてみて下さい。かかとで歩く(かかと
から着地)と、「腰」であるような感じになります。今度は、つま
先で歩くと、「足首」で歩くような感じになります。前者は「安
定」、後者は「敏捷」につながってくるような気がします。

 御殿手ではつま先立ち歩きになります。つま先立ちで親指の付け
根に重心を置いて、膝を曲げないで歩きます。上原先生が言うには、
これによって「敏捷性」が養われるそうです。御殿手では、跳躍も、
膝を曲げないで足首だけで飛べるように訓練します。これは、敵に
動きを悟られないためです。

 ただ成人してから、これをしてもなかなか身が付きません。上原
先生は、脚の裏に薪を布で縛ってくくりつけて、練習させられたそ
うです。上の方のレスで、ジャッキー・チェンの映画に同様の訓練
法があるそうですが、中国武術との関連は正直分かりません。

 本部御殿の歴史を見ると、4,5,6,7代の当主に、薩摩への
上国歴がありますが、中国への渡航歴は現在確認できる資料では見
あたりません(『沖縄県姓氏家系大辞典』角川書店)。

686623:2005/12/08(木) 22:54:55 ID:coPJe3dM0
 本部御殿は約200年間按司家だったので、冊封使の宮中接待な
どで、比較的容易に冊封使に接触できる地位にはあったと思います
が、仮に冊封使の一員から中国武術を習ったとしても、どの国王の
即位の時の冊封使だったのか、判定するのは難しいですね。もし中
国起源説をとるなら、八卦掌以前に、すでに失伝した中国武術から
伝わった可能性も考えられます。

 御殿手に限らず、沖縄の武術全般が明治以前は資料でその歴史を
確認することができません。今日伝わっている話はみな口伝です。
朝基先生によれば、ナイハンチも中国から伝わったそうですが、す
でに中国では失伝しているようだ、と述べています。唐手と中国武
術の関係は、いろいろな推測がありますが、時期の特定などは難し
い面があります。
687名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 02:14:17 ID:peHDK9Bp0
みなさんは心道流の宇城師範はどのように評価されますか?心道流というのは沖縄から手のどの系列なのでしょうか?
688名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 05:45:50 ID:lmrT1b420
ウドン手は上原先生の創作だと思うのですが、皆さんはどうお考えですか?
創作だから悪いっていう意味ではないです。
689623:2005/12/09(金) 06:30:47 ID:LuVT/lYd0
>>創様

>しかし、泊手自体が歴史があさいような?

 首里手よりは、さかのぼれる歴史としては若干浅いですが、たと
えば松茂良先生は糸洲先生と同世代、その師匠の照屋先生(1804~18
64)は松村先生と同世代です。照屋先生の師匠は「禅南」という漂
着民だったとのことですが、この方については詳しいことは分かり
ません。

>>687
>心道流というのは沖縄から手のどの系列なのでしょうか?

余り詳しく知らないのでネットでざっと検索したところ、どうや
ら首里手系のようです。宇城先生の師匠の父君が松村先生の弟子、
兄が知花朝信(糸洲門下)先生の弟子だそうです。私の手元にあ
る資料では、松村門下で父君の名前は確認できないので、もう少
し情報があれば、より正確なことが分かると思います。
690623:2005/12/09(金) 06:31:37 ID:LuVT/lYd0
>ウドン手は上原先生の創作だと思うのですが、皆さんはどうお考
>えですか?

 現宗家の朝正先生が子供の頃に聞いた話です。長男である朝勇先
生は、父・朝真から「手(てぃ)」の訓練を受けていました。しか
し、三男の朝基先生は、これを見ることを許してもらません。それ
で仕方なくそっと戸を少し開けて、時々のぞき見していたそうです。
この話は、朝正先生から私が直接聞いた話です。

 偶然、同じ話が、上原先生の『武の舞』にも載っています。上原
先生はこれを朝勇先生から聞いたそうです。

 このエピソードは朝基先生が12歳から糸洲先生に唐手を習う前
の話でしょう。父・朝真氏の手=御殿手と断定できる資料は他には
ありませんが、あえて疑う根拠もないと思います。
691名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 06:33:21 ID:lq4vbLMd0
>>ウドン手は上原先生の創作

常識です。その上で論議していますが何か?
692名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 11:19:44 ID:v8Jj11Q40
一代であれを考えたんなら天才どころじゃないぞ…
693688:2005/12/09(金) 17:28:39 ID:lmrT1b420
創作だと思う理由は他の手と技術体系があまりにも違いすぎることです。
多分八光流がベースになっていると思います。
694名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 17:34:12 ID:Mvin89Yy0
本部家の古文書に御殿手に関するものが残ってたら
これが上原氏による創作かどうかをはっきりさせられるのですが
そんなものは残ってないんでしょうか?
695688:2005/12/09(金) 18:01:23 ID:lmrT1b420
>694
今のところそういった古文書は見つかってないはず(戦災による焼失もありうる
が)。
技法的に考えると他の手とあまりにも違うのは不自然だと思いませんか?
一子相伝の劉衛流を見てみると、よくわかります。
696名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 18:10:13 ID:Mvin89Yy0
>>695

・・となれば、推測をするか 本部家の伝承に頼るしかないんですね。
本部御殿手はすごく歴史的な遺産だと思うんです。
上原氏の創作によるものだとしても、あれほどの達人が残した技術体系全体の価値は
研究対象としても 実用としても 早い時期に陳腐化してしまうものではありませんし。たぶん。

八卦掌の流れに由来する説、上原氏による創作の説、沖縄の王家の秘伝として表に出ず連綿と伝わって来たものであるという説、その他。
いずれにしても、御殿手の由来の議論が 技法的な考察を経て真実にたどり着ける事を祈ります。
697名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 18:26:18 ID:ThMp7YQu0
>104 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/07/02(月) 10:18
>
>ある有名武術家のことですが、元々、ある柔術を継承していて、
>研究の参考にと八光流を学んだのです。
>ご本人は、ご自分の弟子には自分の柔術を伝えただけで、
>結局、八光流は教えなかったのですが、
>ある時期八光流の師範か支部長の肩書きを貰っていたそうです。

過去スレにこんなのがあった。八光流はセミナーに参加しただけ
なのに、後から本人も知らないうちに師範や支部長の肩書きを与
えている、という説もあるようだけど。 上のレスで、上原先生
は四日間だけ八光流の講習会に参加した、とあるね。
698sage:2005/12/09(金) 19:37:09 ID:Iz9D8RgM0
上のレスで上原先生が八光流を習っているかいないかで議論になっていましたが、
1962年那覇市で開祖龍峰氏が直伝会を行っていて、その際上原先生他、30余名の
空手家が参加したようです。
私は上原先生に直接手を取ってもらいましたが、その技の凄さは他に数人しか、
比べられる人を知りません(私のレベルは低いです)。が、正直に言うとやはり
本部御殿手の出自には多少疑問をもっています。688さんや他の方々と意見交
換しつつ、色々考えてみたいと考えています。
今日は時間がないので、月曜日にでも私の疑問を書いてみたいと思います。
横レスすみません。
699名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 19:40:32 ID:Iz9D8RgM0
失敗してしまいました。
アゲテしまってすみません。
700名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 20:00:48 ID:DvTsWklU0
>1962年那覇市で開祖龍峰氏が直伝会を行っていて、その際上原先生他、30余名の
>空手家が参加したようです。

 これって、何かの雑誌の記事の情報? もし良かったら、何月号とか
出典教えてもらえますか。
701名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 20:56:40 ID:Wa+VMbrs0
> 八光流はどこまでホント?
> http://sports6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1078573907/
>
> 46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 15:11
> 奥山龍峰 これは芸名ですか、
> 古流沖縄空手は八光流の影響受けまくってると八光流門下生から
> 聞いたんですがほんまでしょうか?
>
> 47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 17:49
> >古流沖縄空手は八光流の影響受けまくってると八光流門下生から
>
> 本部なんとかの師範が、八光流を習った事があるそうです。
>
> 49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 18:08
> >本部なんとかの師範が、八光流を習った事があるそうです。
> 本土の有名武術が来るってんで講習会に行ったらしいですね。
> まあ見学レベルだったという方に信憑性感じますが。
>
> 50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 18:13
> 49>
> 見学というか、友好を深めにきたという感じかもしれませんね。
> 昔の感覚でいう、切磋琢磨という。

講習会に参加しただけで、八光流からパクったという主張は無理あり
すぎでしょ。大体、1962年って上原先生60歳弱だし。その歳から、
御殿手創作したのなら、そりゃすごいわ。とりあえず、八光流からの
創作説は無視していいと思う。
702名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 22:53:03 ID:nnf4Ar5M0
>>701

あなたの言うそれこそ無理あるね。
60前には全く違うことを教えてたのはけっこう有名だよ。
昔の弟子は全く違うことをやらされてたらしいよ。

講習会に参加しただけって、勝手に限定してるね。
八光流でどれだけやってたか分かってないようだね。
703688:2005/12/09(金) 23:22:07 ID:lmrT1b420
御殿手の疑問
@あの独特の歩法は他の流派には見られない。いくら一子相伝と言っても
仮に大昔から伝わっているとすれば他の流派にも片鱗があるはず。
A取手といわれる関節技も他の流派にはない
B御殿手独特の型が存在しない。沖縄に存在する全ての手は型による稽古が主体
であり、なぜ御殿手には型が無いのか?
704名無しさん@一本勝ち:2005/12/09(金) 23:35:17 ID:UB7h488C0
>講習会に参加しただけって、勝手に限定してるね。

ソースきぼん。

>@あの独特の歩法は他の流派には見られない。

八光流にはあの歩法はあるですか?

今のところ、1962年に那覇の八光流の講習会に参加した
だけ、としか情報ないね。講習会参加しただけで、あれはう
ちの師範とか支部長でした、とか言うのは、LECの司法試験
合格率水増しと同レベルに聞こえてしまう。LECのパンフレ
ットをもらいにきただけの人も合格率にいれてたらしい。
705名無しさん@一本勝ち:2005/12/10(土) 00:07:05 ID:mHFnmWKT0
>1 名前:だまされ? 投稿日:2000/08/18(金) 01:19
>合気道のいい事どり、その他いい事どり・・・と思っていたら
>誰々もほらあの有名人も門下生に入ってんで!
>と熱く語ってくれました。
>どこまでが本当なんでしょう?
>流行の本に良く出てますが表舞台に出てる人居てるの?
>
> 2 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 01:27
>商人
>当時は上手い事したと思うよ。
>
> 3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 01:30
>お金がいくらあっても足りません。
>宗教と一緒です。
>
> 15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 10:22
>昭和30年頃、2400円払えば4段の免状がもらえました。
>
>17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2000/08/18(金) 10:25
>昔の件は、八光流としても触れて欲しくはないかも。
>しかし、格闘雑誌の特集はすべて「あの人も習っていた八光流」
>だねぇ(笑)

とりあえず、八光流自体がうそくさい。セミナー参加者は、みな
門弟扱いらしい。「あの有名人も門下生だよ〜」って、あほくさ。

名前利用された上原先生もかわいそうだ。
706名無しさん@一本勝ち:2005/12/10(土) 00:28:15 ID:acWKwe/w0
http://www.yawara-hakkoryu.com/shomotsu.htm

八光流は通信教育もしているみたい。お金払えば4段までくれ
るらしい。胡散臭いことこの上ないですが、御殿手=八光流と
信じている人は、だまされやすい人のようですね。
707Fw190:2005/12/10(土) 00:31:10 ID:anrZ4u5j0
688さんの疑問はもっともだと思います。
私自身は上原先生の語られる歴史を信じますが、客観的な検証が
十分とは言えない現段階ではこうした疑問を誰しも少なからず感じる
ものと思います。
そういう意味でも623さん達が提供して下さった情報は貴重であり、
感謝しています。このスレ中にこれらの疑問が解決することは無いかも
しれませんが、688さんのような検証観は今後も大切でしょう。

上原先生は八光流に限らず、様々な武術をよく研究されていました。
それらを学ぶと言うよりも「この流儀を相手にした場合どう破るか」
といった見地からなさっていました(普通ですよね)。
故に、本部朝勇先生から学ばれた技以外にも上原先生御自身の鍛錬に
よって追加された部分があることは十分考えられます。

708623:2005/12/10(土) 02:01:11 ID:e/cgw20U0
>>688

@、A、Bは、個別に答える必要はないと思います。要するに、ご
質問の趣旨は、「どうして本部家に特別な武術が伝わっているの
か」に、要約できるかと思います。

 率直にいって、それは私にも分かりません。客観的な史書があれ
ばいいのですが、すでに述べているように、御殿手に限らず、沖縄
武術すべてが、口伝でしか歴史をさかのぼることができないのです。

 本部家と武術の関係について、客観的に指摘できる点が一つあり
ます。

それは、全御殿家の中で、本部御殿だけが唯一朝勇、朝基、喜屋武
朝徳(喜屋武家に養子)という3人の高名な武術家を明治に輩出し
た、ということです。

 空手の歴史をくまなく調べても、他の御殿家で歴史に名を残すよ
うな武術家は明治に出ていません。達人でなくとも、御殿家の者で
明治に唐手を習っていたという人は本部家以外、私は知りません。
今日、私たちが知っている明治の武人はみな親雲上(ぺーちん)、
つまり士族です。本部家だけが唯一「武に理解を示した御殿(按
司)家」だったのです。単に武術好きの家柄というだけでなく、上
に挙げた3氏は、いずれも武において「高い境地」に到達されてい
ます。家系として、よほど武の素質に恵まれた家でした。

「手(てぃ)」は本来、護身術です。ところで、本部家はそもそも
護身の心配をする必要のない王族という身分なのです。だから、他
の御殿家は手を習う必要もないし、実際、習いませんでした。

「本部御殿だけが、武に関心を示した王族だった」―――私の指摘
は以上です。
709名無しさん@一本勝ち:2005/12/11(日) 00:15:53 ID:NolfNqad0
>708様
ご回答ありがとうございます。
もう一点だけ疑問点を付け加えますと、あの狭い島の中で、
他の流派との技術交流無しに唯一の技術を保持できるのかと
いう疑問がございます。
私はやはり本部御殿手は上原師による創作だったと考えております。
710623:2005/12/11(日) 06:38:34 ID:7/1PYoXk0
> 他の流派との技術交流無しに唯一の技術を保持できるのかと
> いう疑問がございます。

 少し現代の感覚で、空手の歴史を理解されているように思います。

明治以前は、空手では他流派との技術交流など、原則としてありま
せんでした。練習も人に見つからないようにするのが普通でした。
「手を習っている」ということが知られること自体、命にかかわっ
たからです。空手の練習時間も、人に見られないように夜にするの
が一般的でした(舟越義珍著『琉球拳法唐手』(大正11年)参
照)。それくらい、空手を習うということは、元来、徹底した「秘
密主義」で行われたのです。

他流派との交流がないから「創作」だと決めつけるのなら、空手す
べてが「創作」になります。

それと、琉球王国は確かに小さな国でしたが、それでも、王朝時代
は当然身分間の差別はありました。どれくらい差があったかという
と、たとえば、武士(親雲上)は按司の顔を直視するのは禁じられ
ていました。

 御殿手と武士手である空手が、身分差を超えて、簡単に技術交流
できる可能性自体、当時の時代背景を考えるならば、不可能に近か
ったと思います。
711名無しさん@一本勝ち:2005/12/11(日) 09:33:42 ID:Um9qcjC90
>>623
もう少し沖縄の歴史を勉強するといいよ。
武士との差なんて、最終的には無くなったの知らないのかな。
日本本土の感覚で、階層構造を語らないほうがいいよ。
身分差とかよりも経済力の差が問題だった程度だよ。
最後は禄ももらえず、大部分の武士が農業やってたんだよ。
王家とかいうけど、どれだけの数王家が残ってるかしってんのかな?
毎日戦ってたり、武術してたりしたと思ってんの?
もっと格が上の王家が御殿手やってると思ってんの?

あと、本部御殿手は創作だというのは本部門中の誰もが言うよ。
もちろん、本部流の人でさえもね。

朝勇は強かったという話も何も無い。過去に弟よりは強かったんだろうね。
最後は沖縄らしく、兄貴の顔を立てた評判を残してあげたんだろうね。
喜屋武朝徳が強かったという話は一つも聞かない。
身が軽かったとは聞く。強い云々ではなく、船越さんと同じく文人なんだよ。

こうやって簡単に騙されるとか言うやつがいるが、本部御殿手
の人間の擁護か、妙な信者がネットにいるんだろうなと思う。
もう少し事情と歴史と現状を勉強してもいいと思いますよ。あまりに
偏った見方で語りすぎてる人が多いよここ。

本部流(御殿手じゃないほう)の人間がよく知ってると思うが、
上原氏が後年、全く違うことを教え始め、我こそが沖縄空手の真の継承者
と言張ってたのは有名どころ。
最初の生徒と最後らへんの生徒は、全く違う空手を習得してるよ。
最初あたりの生徒は某流派の恩恵を受けられなかったってことだね。

ちなみに大部分は本部流と本部家と縁の深い方と、“王家”からの話ね。
ソースきぼんする前に、沖縄にでも行って聞いて回って。
712名無しさん@一本勝ち:2005/12/11(日) 14:14:25 ID:ywNR/MqS0
せっかく唯一まともなスレだったのに、結局荒らしが来てダメになる
パターンはさすが2ちゃんかw

破門された○○関係のやつかなんか知んないけど、御殿手関係者全部
自分と同類にするのはやめたほうがいいよ。
713S本:2005/12/11(日) 15:48:41 ID:dnow+cfC0
私は、御殿手という特殊な武術が存在したのではなく
唐手の一種として御殿手の原型になる武術の伝承があったのでは
ないかと思っているのですが。

あと気になる点を一つ
> 喜屋武朝徳が強かったという話は一つも聞かない。
喜屋武先生は、台湾で柔道家と試合して勝ったりしてますよ。
キャンの鬼技との異名を持っているという話もあります。
文武両道の人で単なる文人じゃないです。
714名無しさん@一本勝ち:2005/12/11(日) 16:56:43 ID:pc4imbKr0
後年は、政治力もついてきていたから、有名になったけど、以前は地味な流派でつた
うちのおやじは、仕事の関係で上原氏を知っていたが・・・空手の人とは思ってなかった
そこら辺の、自分なりの情報を纏めると、やはり御殿手は名称創作だと思う
しかし技術としては、本物で、元の手があったと思われる
技術としてあれを一代で作ったとすれば本物の天才
雑誌などにはのらないが、たびたび某国に呼ばれて行っていたのは、入門者なら
よく分かっているハズ。

漏れは、時々話に出る発酵流も習ったが、はっきりいって使えないし
そもそも体の使い方、相手の手の持ち方からして違う。それをもって影響をうけた
と言い張るのは、やはりエゲツナイCMだと思う
715623:2005/12/11(日) 19:12:00 ID:7/1PYoXk0
・上原先生は朝勇先生から武術を学んだか。

 もうこれ以上は、関係者秘話になるので言いたくないのですが、
あまりに疑問を持たれる方がいるので、これだけ述べます。

 何時の時の祝賀会だったかは言えませんが、上原先生のフィリピ
ン時代の旧友が来られたことがありました。上原先生のフィリピン
時代を知る、数少ない人です。その方が言うには、「上原先生は、
フィリピンでは相当名の知られた武人でした。その当時から、上原
先生は、自分は朝勇先生の弟子だと、よく言ってました」と、語っ
てました。

 他にも関係者から話を聞いてますが、上原先生が朝勇先生の弟子
だったのは間違いありません。
716名無しさん@一本勝ち:2005/12/11(日) 21:48:37 ID:Um9qcjC90
>>712
ん?荒らしって誰のことだ?そういう逃げ方ばかりするから、突っ込みたく
なってんだけどねぇ。
>>S本さん
沖縄で聞いてごらんなさい。空手関係者じゃなく、地元民にね。
本部朝基と喜屋武朝徳が“仲良し”だったのは有名ですよ。
鬼とか名称がついてるのは、後世の弟子の呼び方ですよ。
猫のように身が軽かったってぐらいは普通の話ですけどね。
>>714
本当に本当に八光流習ってたんだったら、分かってんじゃないの?
“影響を受けた”程度って言ってると思ってんの?体の使い方が違うって、適当なこと
言うんじゃないよ。

>>623
学んだかどうかはもう、当の本人たちしか分からないことですね。
でもね。やっぱり最初とは違うんですよ。
あと、その話は秘話でもなんでもなく、吹聴して回ってた時期もあるし、
弟子に言わせてた時期もあるのでどこの誰もが知ってる。
多分、あなたの思う秘話は秘話じゃないですよ。
朝勇の弟子だとか言ったもん勝ちだからね。
祝賀会で褒められるのも当然のことだと思わないですか?

あと武士の階級についてだけど、説明わかってくれましたか?
勘違いしてたり、過度な思い込みしてたりしてたの理解できますよね。
本土じゃすぐ、武士のことを階級で見て優劣語る人がほとんどなんだが、
実際は空手家は実力で“武士”って言われてたんですよ。
そこに王家だとか、〜一門とか関係ないのですよ。
真面目な書き込みは分かるけど、あまり思い込みで語っては駄目ですよ。
717名無しさん@一本勝ち:2005/12/11(日) 21:57:04 ID:NolfNqad0
>715
私も上原師が朝勇師の弟子であったと思いますが、習ったのは
今の御殿手とは全く別物だと考えています。
718名無しさん@一本勝ち:2005/12/11(日) 22:13:25 ID:NolfNqad0
今思い出したんだが、関西の芦屋に「琉球王家秘伝武術」を名乗ってる
松尾兼徳左近ってどうなったのかな?
確か上原師に師事してた
719S本:2005/12/11(日) 23:52:43 ID:dnow+cfC0
>716さん
私も喜屋武先生に会ったわけじゃないけど、直接師事した方の話として
体が小さいので指先を鍛えていて、鷲締めという技が得意だったとか
いつも板を持ち歩いていて暇があれば拳を鍛えていたとか、
安里先生の手の伝承と言っても良いのかと。
試合の話も創作だとは思えませんが。
喜屋武先生のことを、武勇伝が一つもなく文人だとおっしゃったわけですが
何も根拠は示せないんでしょうか。
私が対論として伝聞ですが、武勇伝を示したのであなたの論理は破綻して
いると思いますが、どんなもんでしょう?
沖縄の空手関係者以外に聞けとか言われても、沖縄だって沢山人がいるし
いろんな意見があるでしょ?
喜屋武先生のことをそこまで言われるなら、もうちょっと根拠をしめして
ほしいなと。

> 本部朝基と喜屋武朝徳が“仲良し”だったのは有名ですよ。
そりゃ当然でしょう、少なくとも親戚関係だったわけで。
何が言いたいのかよくわからないんですが、2chでは話にくい
ことなんでしょうか。



あと、別に証拠があるわけじゃないけど、上原先生が朝勇先生の弟子でも
別におかしくはないような気がしますけど。
上のほうにでてきた話なんかも、私が知っていることとかぶる部分も
あるし。御殿手と空手は、あたかも別の武術であるという表現が
ちょっと無理があるように感じるだけで、上原先生が何の実力もない人なら
弟子なんかつくわけもないし。
まあ、ちょっと大げさに吹いてるような気がしなくもないですが。
720名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 00:02:51 ID:3E7lsYvW0
3
721名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 00:29:39 ID:L8pir0BQ0
>ん?荒らしって誰のことだ?そういう逃げ方ばかりするから、突っ込みたく
>なってんだけどねぇ。

 なんか自分は事情通みたいな口ぶりだけど、全然、ソースのあること、
言ってないよ。716さんが上原先生の弟子なら、だいたいいつからいつ
までの弟子だったか、言ってごらん。最初と晩年で教えている内容が違う
っていうんだったら、最初はどんなこと教えて、いつからどう変わったか
言えるでしょ?

>“影響を受けた”程度って言ってると思ってんの?体の使い方が違うって、適当なこと
>言うんじゃないよ。

 だったら、どこが一緒か言ってよ。お前は知らないだろうけど、俺は
 知っているぞ、みたいな口ぶりで、そのくせ、具体的な説明やソース出
 してこないから、荒らしに思われても仕方ないんじゃない?
722名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 01:08:11 ID:3oyRf8yR0
>>716
発酵関係者か?発酵と同じからだの使い方っていうなら
発酵流のチミが、上原先生と同じ演舞をやってみろw
723名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 01:22:25 ID:YHxpkeUv0
>83 名前: 古流空手 投稿日: 01/12/14 07:54 ID:XCk6PitW
>
>>>73-82
>上原先生と面識はありませんし、型をみた事もありません。
>また76の宗家の方の様に組み手をした事もないので術技に関しては判りません。
>しかし、上原先生の師である「本部のウメ−」に関しては、私の師が先師より聞き及んでいます。
>「本部のウメ−は蛇皮線の名手でしたが<からて>はしませんでした。」
>「本部のウメ−は唐手倶楽部の管理人をやってくれていました。」という事です。
>また糸洲先生のお弟子の方々の中にも「本部のウメ−(本部朝勇氏)」の名はありません。
>ですから、「本部のウメ−」に師も弟子もいる話しは存命当時ですら誰も知りませんでした。

 過去スレから見つけてきた。沖縄の”地元民”の話の信憑性なんて、
しょせんこの程度だからw。去年あれたときの、朝勇三味線弾き説のソー
スもたぶんこれでしょ。こういう話が沖縄の空手関係者で回り回って、御
殿手は創作だとか、言っている人多いと思う。さらにネットで紹介されて、
ネットオンリーの人間は信じちゃう。オキナワンの古老の話とか、結構あ
てにならないこと多いしね。

 上原先生が御殿手を創作したかどうかは知らないけど、少なくと623
さんが資料使って、本部朝勇が空手をしていたこと、師匠に糸洲先生がい
たこと、上原先生は朝勇の弟子だったのはどうやら本当、のところまでは
証明してくれた。だいぶ争点がしぼれていいんじゃない? 
724698:2005/12/12(月) 10:37:35 ID:6X0OH8720
私がアゲタためにこうなったのならすみません。
今日から土曜までは日中書き込めますから、私も参加させて下さい。

>700さん
この情報は「外間哲弘」さんの書かれた「空手道歴史年表」の55ページに書かれ
ています。

本部朝勇先生が空手をやってない、との話は私も間違いだと思います。1924年の
那覇市の「大正劇場」で祖堅方範・摩文仁賢和・喜屋武朝徳先生等と演武してい
ます。このメンバーを見ると朝勇先生の技術が並以下であったとは思えません。

話を蒸し返して申し訳ないのですが。
711さんが書いている「喜屋武朝徳が強かったという話は一つも聞かない。」は
何処で聞かないのでしょうか?中頭では音にも聞こえた「達人」ですよ。具志川
市(現うるま市)の「具志川市史 民話編」では喜屋武先生の逸話が語り継がれ
ている程です。また、中頭の青年会などでも、祭りに来て演武してもらった時の
話はいくらでも残っていますよ。

朝勇先生の技量も、上原清吉先生の技量もかなりのものだったとは思うのですが、
私も、「本部御殿手」の歴史には疑問をもっています。
725名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 12:38:14 ID:9CW2UD390
横から割り込む形になり申し訳ないのですが、
以前WEB上の小林寺流のサイトで、喜屋武先生の記された
「空手の思い出」という資料が公開されていたのですが、その中では
喜屋武先生には兄上がおられ、子供の頃共に稽古をしていた旨が
書かれていたように記憶しています。そのサイトは今は閉鎖してしまいましたが。
兄上がおられたならば、>>638でのお話と辻褄が合わないと思うのです。
623さんのお話のソースは638での参考リンクのみでしょうか?
また私の憶え違いかもしれませんので、上記のこと詳しい方おられましたら
教えていただけないでしょうか。

>>723
そのお話をされている古流空手さんのお話(古流空手スレ)をよく見ると、
そのお話は単なる「沖縄の”地元民”の話」ではないと思います。
私は御殿手の歴史の真偽については全く分かりませんが、
>>622の上原先生のお話との食い違いは不思議に思います。
726623:2005/12/12(月) 14:11:24 ID:ZOecJ6r90
一日明けて、レスがたくさんたまっているので、少しずつ答えてい
きます。

>>725
喜屋武朝徳先生が本部家から養子に行った、というのは、流派内で
も聞いています。ソースは宗家の本部朝正先生ですが、なにぶん口
伝です。厳密に調べるためには、喜屋武家に問い合わせる必要はあ
ります。

喜屋武朝徳先生の祖父・朝張氏は本永家から養子に来ているという
のはすでに書きました。『沖縄門中大辞典』によれば、実父は本永
里之子親雲上朝義とあります。

http://www2.oiu.ac.jp/5/kan1/363.htm

ここに喜屋武家家譜がデジタル復刻されていますが、十世朝張氏の
ところに、父は「向大策本永里之子親雲上朝義」とありますから間
違いありません。この本永朝義氏は、歌人であった本部按司朝救の
第5子で、独立して本永家を興したとあります。(『沖縄県姓氏家
系大辞典』)。なので、すでにこの時から喜屋武家は実質的に本部
家の分家のような存在になっています。

【本部家】
本部朝救─ 朝英 ─ 朝徳 ─ 朝宜 ─ 朝真─朝勇
   . ..│             . │
   . ..│             . │
   . ..│             . ├朝信
   . ..│             . │
   . ..│             . └朝基 ─ 朝正
   . ..└ 朝義 ─ 朝張(喜屋武家へ) ─ 朝扶 ─ 朝徳 (本部家から養子)
727623:2005/12/12(月) 14:12:39 ID:ZOecJ6r90
家系図ずれました。朝信、朝基氏は朝真の息子です。
728623:2005/12/12(月) 14:27:47 ID:ZOecJ6r90
>>716

>あと武士の階級についてだけど、説明わかってくれましたか?
>
 少し勘違いされているようですが、私は「琉球王朝時代」の按司
と士族(親雲上)の身分差について話しています。秩禄処分後の没
落した按司家の話ではありません。

士族については、日本で言う武士は親雲上階級、沖縄で言う武士は
武人のこと、というのは知っています。一応使い分けてきたつもり
ですが、用語法に混乱があったのでしたら、申し訳ありません。

士族階級については、琉球王府の財政難からすべての士族に俸禄が
払えずに、多くの士族が王府勤めを待ち望みながら、農業や商売で
生計を立てていました。王府に就職できない多数の無禄士族は実質
的には庶民同様でした。ただ、王朝時代に王族である按司が尊敬さ
れていなかったというのは、私は読んだことがありません。もしよ
ければ資料を提示してもらえますか?
729623:2005/12/12(月) 14:54:34 ID:ZOecJ6r90
取手術の起源については、私は琉球舞踊との関連が強いと考えてい
ます。そして、取り手も含めて、本部御殿手は、空手以前の琉球土
着の「手」の流れではないかと思っています。

空手の起源については、中国起源説と中国+琉球起源説があります。
本部朝基先生と舟越義珍先生ともに、中国+琉球起源説を採ってい
ます。

空手に形がある、というのは、空手が中国拳法の影響を強く受けた
からです。大島筆記に、18世紀半ばに中国人の公相君が「組合
術」という名で、武術を伝えたという記録があります。今日伝わる
公相君(クーシャンクー)の形は、このとき伝わったものだと言わ
れています。もちろん口伝なので証明はできません。

逆に御殿手に形がない、というのは、琉球起源だからだ、という考
えも成り立ちます。ちなみに、琉球土着の手と琉球舞踊の関係につ
いては、舟越義珍先生も著書でふれています。

「沖縄の田舎に行ってみると、祝賀の時、三味線に合わして男の舞
踊をする事がある、この舞踊の手が普通の舞方とは異なって、よく
も唐手に似ている、是(これ)が今の『唐手』の前身で、沖縄元来
の手ではないかと思われる」(『琉球拳法唐手』(大正11年)。

唐手と取手は違いすぎて、取手が沖縄固有の武術であるなどありえ
ない、でっち上げだと主張する人は、日本最初の唐手書に、こうい
う記述があることも知っておいて下さい。
730698:2005/12/12(月) 15:15:48 ID:S1SQNT1p0
623さん、示唆に富む書き込み感謝します。色々な文献からの証明には頷くものが
多くあります。
私が抱える本部御殿手への疑問として、王家の武術なのに、王家のために演武され
た形跡がない事が挙げられると思います。1867年、尚泰王即位ための冊封使の祝賀
(通称「寅ヌ御冠船」)の際、他の『手者』達の演武はあったが、本部御殿手の演
武はなかったようです。本部御殿手が≪特別な王家≫の武術ならなぜ王家にとって
大切な、冊封使の祝賀の際に演武されなかったのか?前に書きましたが、朝勇先生
は公開の場で演武をしています、が、特別な技術(型)をやった形跡はありません
、確かに唐手を使えたが現在の「本部御殿手」のような技術ではなく、一般的な
「型」をもった唐手であったのではないでしょうか?(冊封使の資料は孫引きに
なりますが「金城昭夫先生の『空手伝真録』に書かれています」)

上原清吉先生が本部朝勇先生から教えを受けたのは、事実でしょうし、「御殿家」
の方から習った「手」はそういう意味では「御殿手」ではあると思います。
623さんの書かれている本部御殿手の特徴である「取手」こそが、上原先生の独自
の技術なのではないでしょうか?
731725:2005/12/12(月) 16:35:37 ID:9CW2UD390
623さん
丁寧に返答していただきありがとうございました。
朝正先生のお話なのでしたら間違いないのでしょうね。
私は喜屋武先生の養子如何を否定したいわけではなく、
兄弟関係の辺りに少しひっかかっただけですので。
家計図など詳しく説明していただき、勉強になりました。
再度お礼申し上げます。
732725:2005/12/12(月) 16:38:06 ID:9CW2UD390
あげてしまいました。申し訳ありません。
733名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 16:38:39 ID:qNdXE3DA0
沖縄関係のスレッドでは、ここが宝ですね。
知らない歴史がたくさんあり、とても参考になります。
734名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 16:45:56 ID:3oyRf8yR0
冊封使ってのは、中国側から使わされた者達
大事な使者ではあったが、友好的な使者ではなかった
だから、いろいろな場所で、琉球の全貌が見えないような駆け引きを
行なっている

その場で、演舞されなかったとしたら、それはなんの不思議もない
王家は、なにもできないと思われていたほうが、有事の際は都合がいい
735698:2005/12/12(月) 17:04:46 ID:z9Y8Oj6j0
734さん
「友好的な使者ではなかった」とは何処から出た話でしょうか?
琉球国が清国を、自国を侵略するかも知れない相手と考えていたとは思えな
いのですが。

736S& ◆aShzkL0C0g :2005/12/12(月) 18:47:19 ID:j8brebZx0
取手術って一度かけてもらったことあるけど、確かにすごく効いたの
覚えている。でも、絶対に沖縄起源ではないと断言できるような技かな?
首里手の松村宗混先生は、中国と薩摩で武術を修行しているし、中国には
チンナみないたいな関節技はその時代にあったろうし。
形分解にも間接技は沢山残ってる。それを朝勇先生か上原先生が研究して
現在の形にしても別に不思議じゃないような。

御殿の人から習ったから御殿手と言われれば確かにそうかも。
でも正直空手の一種だと思うけし、現在はまあ大分違ってるからそれはそれで
近年に創意工夫して発展した武術だと言えばそれでいいと思うけど。

あと沖縄起源に琉球舞踊との関係って言うのは、あると思うけど、それは
身体文化としてのリズムや身のこなしのレベルだと思う。
空手にけり技があって本土の武術に少ないのは、やはり沖縄ははやくから
机に椅子の生活だったからって言われたりする。
そういう部分で沖縄固有の身体文化のうえで発達した武術と舞踊に共通性
があるのはある意味当然かと。逆にまったく違ってたらそれこそ不思議ですよ。
737名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 21:27:33 ID:/yAK1U1A0
取手の特異な点は、肘、手首より指の逆に特化していること。(チンナ、八光との差異)
相手が武器を持っている時のグリップを逆用する妙。また、指で指を挟む掴み方の種類の多さ。
無手だが、最終的に相手を「ジサツさせる」のも有りな思想。(つまり不殺ではない)

以上から、純粋な唐手というより、本土の柔術、剣術に対する切り札として開発されたものではないかと思う。
738名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 21:34:25 ID:/yAK1U1A0
その意味では、演武で見せるということも無かっただろう。
また、唐手の型であれば、用法は明確には判らないが、取手は独演できない。
二人一組でやって見せたら、それこそ研究されて切り札としての意味が無くなる。
上原翁自身、「技を出す時は倒す時、一度見られた技は使わない」といった意味のことを言っていた。

近年になって教えたり公開するようになったのは、時代が変わって隠してもしょうがないと思ったからでは?
739名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 21:35:21 ID:/yAK1U1A0
sage
740623:2005/12/12(月) 22:38:08 ID:ZOecJ6r90
>>698

 冊封使祝賀の演武ですが、『本部朝基と琉球カラテ』(岩井虎伯
著)によると、

「演武者は那覇の久米村住人の中から精鋭をよりすぐって出場させ
た」

とあります。いわゆる、「那覇手」の演武者に限定されたわけです
が、これは、久米村という村がもともと渡来した中国人たちが住み
着いた村で、その関係で冊封使一団が来た時は、その子孫たちが歓
迎のため演武するような慣例が、当時はあったのではないでしょう
か。

冊封使の歴史については、私もあまり詳しく調べてないので、お答
えできるのはこれくらいしかありません。お力になれなくて申し訳
ありません。
741623:2005/12/12(月) 22:46:58 ID:ZOecJ6r90
>>725

喜屋武朝徳先生関連なのですが、時々朝徳先生の父・朝扶氏も、松
村先生門下の唐手家として、空手史に名前が登場します。朝徳先生
は子供の頃は、まず父に空手の手ほどきを受けた、とどこかで読ん
だ記憶があります。

朝基先生の著書で「喜屋武は有名な人で身体の固きこと金鉄の如き
ものがあった」と一行だけ紹介されている達人は、この朝扶氏のこ
となのでしょうか。喜屋武門下の流派にはこの朝扶氏について,いく
つか口伝が残っているのかも知れません。
742名無しさん@一本勝ち:2005/12/12(月) 23:54:03 ID:3oyRf8yR0
>>735

沖縄で、王家ゆかりの史跡を周ってみるといい
清国になめられないように、王国を広大にみせようとした逸話が、いくつかある
743725:2005/12/13(火) 00:00:29 ID:137K35ld0
>>741
623さん
>朝徳先生は子供の頃は、まず父に空手の手ほどきを受けた
そのようですね。前述の「空手の思い出」にもそのように書かれていたと
記憶しています。正確に憶えている自信がないのですが、少年時の話として
・ある時、父から「男であるのだから、武が出来ねば本当でない」旨を言い渡された。
・その日以来、兄と一緒に庭に出ての稽古が始まった。
・稽古は早朝に行われ、稽古をしなければ朝食も取らせてもらえなかった。
の様な(本当にうろ覚えです)事が記されていたと思います。
その他にも二十歳の時に松村宗棍先生に師事したこと、その後
尚泰公の上京にともない一家も上京したこと。その為師松村先生の死に目に
会えなかったこと等、貴重なお話が多く書かれていたと記憶しています。
どなたか詳しい方がおられたらよいのですが。

ところで少し戻ってしまうのですが>>719のS本さんの
>安里先生の手の伝承と言っても良いのかと。
の部分なのですが、喜屋武先生は安里先生にも師事しておられたのでしょうか?
よろしかったら詳しくお聞かせ願いたいのですが。
744名無しさん@一本勝ち:2005/12/13(火) 00:40:28 ID:J2aGGzrD0
>空手に形がある、というのは、空手が中国拳法の影響を強く受けた
からです。

日本武道の影響では?型を尊ぶのは
745S本:2005/12/13(火) 00:51:57 ID:MQznPmWq0
私の流派は、松村先生ー>安里先生ー>喜屋武先生の流れです。
喜屋武先生が、お父様から最初に空手を習われて話は聞いています。
体が小さいのがコンプレックスで、空手をやっても強くなれないではないかと
父に話したところ、空手の技全部ができる必要は無い、相手に常に勝てる
ひとつの技を鍛えよと諭され、巻き藁突きを通じて、指先の鍛錬に開眼され
それを締め技に応用して、それをキャンの鬼技として有名だったと聞いています。
746S& ◆aShzkL0C0g :2005/12/13(火) 01:04:27 ID:MQznPmWq0
>725さん
一説には、安里先生の最後の弟子が喜屋武先生と言われています。
松村先生にも年代的にはお会いしたことが会ったかもしれませんが。


あと、明治の時代の空手は基本的に存在自体が秘伝であって、そんなに
簡単に習えるものではなかったと聞いています。
そんな状況でなぜ本部御殿手だけが秘伝として上原先生の代まで公開され
なかったのか疑問が残るというだけです。
また、首里手の柔術的な技は、ほとんど相手が武器を持っているのを想定
しています、そこで肘と肩を相手の武器を使って極めるような技が主流では
ないかと思います。
剛柔流に代表される那覇手には、接近してからの投げ・関節がありますが
こちらのほうが歴史的には新しいものというのは定説ではないでしょうか。
したがって、指間接への攻撃を主とする御殿手のほうがむしろ近年にできた
技と考えるのは無理のないところではないでしょうか。
747623:2005/12/13(火) 02:06:15 ID:vu40vIXM0
今日はこのレスで最後にします。また明日、続きを書きます。

>>687

> みなさんは心道流の宇城師範はどのように評価されますか?
> 心道流というのは沖縄から手のどの系列なのでしょうか?

 この方については余り知らなかったので、『武術空手の極意・
型』という本を買ってきました。武道板では有名な方のようですね。
最近まで知りませんでした。本についてはざっと読んだ印象を述べ
ます。

 師匠の座波仁吉氏は、小林流の流れをくむ空手を父から、また、
知花朝信先生の高弟であった兄・次郎氏から学んだとあるので、心
道流は糸洲系の首里手ということになります。

 形の写真は、座波先生が演武しています。感想を言いますと、全
体的に古伝の面影を感じます。ナイハンチなどは、本部流から見て
もそれほど違和感はありません。座波先生はすでに80歳近くのよ
うで、少し姿に老齢の弱さを感じますが、写真を見る限りは、相当
な域に達した方ではないかと推察します。どの写真を見ても、ある
種の気品があります。「うまく見せよう」とか「かっこよく見せよ
う」とか、そういった欲を通り越した「無心の美しさ」がにじみ出
ています。あくまで写真だけの印象です。が、ケチをつけるところ
が見あたりません。

 宇城先生は、主に分解組手の写真で演じられています。写真が少
ないので、何とも判断できません。いい師匠に恵まれたようなので、
きっと大成されるでしょう。感想は以上です。
748名無しさん@一本勝ち:2005/12/13(火) 03:55:16 ID:qoi8pjWd0
ちょっと聞かせてくれ
>>したがって、指間接への攻撃を主とする
こんなんありえんと思うのだが、どこで聞いたの?
749725:2005/12/13(火) 10:03:25 ID:Lp+r1rBl0
>>745 S本さん
流派の系列を明して頂けるとは、私の方から尋ねておきながら
なんというか申し訳ありません。
そのような系列があることを初めて知り、驚いています。
すると知る限り、安里先生は船越先生以外にも何人かに指導を
されておられたのですね。
やはり本など公開される話というのは、空手の歴史のほんの一部
であるという感を新たにいたしました。
貴重なお話聞かせて下さって感謝しています。本当にありがとうございました。

>>746 S& ◆aShzkL0C0gさん
>一説には、安里先生の最後の弟子が喜屋武先生と言われています。
>松村先生にも年代的にはお会いしたことが会ったかもしれませんが。
そうなのですか。 上記したように私はそのようなお話を知らなかったものですから。
情報お聞かせ下さりありがとうございます。
松村先生については、また前述の「空手の思い出」の話になってしまいますが
松村先生に師事し、その時頂いた五十四歩、セーサンの型は今も大切に持っている
という話があったかと思います。

750698:2005/12/13(火) 10:15:16 ID:9lDpapbx0
おはようございます。
623さん
丁寧なお返事ありがとうございます。
623さんが御指摘の祝賀会は「久米村独自の祝賀」の事だと思います、私が指摘
しているのは「王府の祝賀行事」方の事です。其処では唐手(無手を指します)
だけでなく、武器術も演武されているようですよ。もちろん久米村出身者だけで
もないようです。

S&さん
私も上原先生に直接「取手」をかけてもらった事があります、確かに日本柔術
(合気道と竹之内流です)や、中国拳法の擒拿術とも違う効き方でした。
また、唐手自体が公開で教えていなかった事は事実のようですが、各先生(術
者)どうしは、お互いに「だれそれはどの技が優れている」という様な事はけ
っこうしっていて、自分の弟子でその技に向いている人は、その技の得意な先
生の所へ修行に出した様です。それを考えると、術者間ではそれほど極端な秘
密主義ではなかったのではないでしょうか?

742さん
私は沖縄生まれの沖縄育ちですが、笑い話程度で各市町村の伝承に残っている
事は知っています、ですが、そこまで切実に考えていた事は見聞きした事があ
りません。具体的にどんな資料にあるのか教えてください。
751698:2005/12/13(火) 11:03:49 ID:9lDpapbx0
>738さん
「取手」の細かな技術を盗まれる事を恐れたのならば、突きや蹴り、武器術など、
本部御殿手独特で、単演が可能なものもあるのですから、それすらやっていないの
も気になります。
>上原翁自身技を出す時は倒す時、一度見られた技は使わないといった意味のこと
を言っていた。
一方、「動きが技になる」と言うような事も仰っていました。あのレベルなら技は
無限に作り出せるでしょうから、隠すのは一つ一つの技(形)ではなく、体の運用
なのではないでしょうか?合気道家が膝の動きを隠すために袴を履く様にです。
752S& ◆aShzkL0C0g :2005/12/13(火) 11:23:56 ID:MQznPmWq0
>ちょっと聞かせてくれ
>>>したがって、指間接への攻撃を主とする
>こんなんありえんと思うのだが、どこで聞いたの?

本部御殿手が指間接技ばかりかどうかは知りませんが、とある機会に技を
かけてもらったところ武器の持つ手をやわらかく包むようにもって指間接を
せめて投げたり、倒れた相手を指間接で抑えたりしているのが印象的でした。
すごい技だと思うけど、正直かなり複雑な技でもあるので歴史的には相当
新しいのではないかと思ったんです。
同じ状況なら私の習った首里手系なら、相手の外に回って突き・蹴りを狙い
無理なら肘か肩の関節を相手の武器を利用して極めて投げると思います。

>725さん
ただ、弟子といっても本土の武術のように入門式や免許皆伝があるわけでも
ないし、この時代くらいまでは沖縄の武人全体の秘術が唐手で、それを
まなぶ人は全部仲間というくらいの意識だったんじゃないでしょうか。
私の先生の系統もすごく簡略化していて、たぶん沖縄時代に名のある先生
全部からなんか一手教わってるみたいです。

>698さん
S&は私S本です。なんか文字化けしちゃうんですよね。
私も同様に唐手をやる人間同士は交流があって、さらにカキダミシーは
辻で腕試しするだけでなく、お祭りの夜などにひそかに裏山などにあつまり
修行者どうしである程度ルールをきめて組手をやっていたと聞いています。
この話知ってます?
しかも、術者同士の交流は首里だけでなく、泊や那覇まで及んでいたそうです。
753698:2005/12/13(火) 12:30:51 ID:x8khQIdA0
S本さん
お名前を間違えてしまって失礼しました。
>修行者どうしである程度ルールをきめて組手をやっていたと聞いています。
>この話知ってます?
>しかも、術者同士の交流は首里だけでなく、泊や那覇まで及んでいたそうです。
「ルールを決めて」は知りませんが、辻以外でも盛んにあった事は聞いております。

首里・那覇地域だけでなく、浦添なども武の気風が強く、村祭りや内々の宴会(
モーアシビ)などで、他村の若者が「舞方}の曲にあわせて踊ろうものなら、そ
の場で腕試しが行われたようですよね。また、祭りの余興に「唐手家」がでて、
演武したら、帰り道でほぼ必ず、腕前を試す事が行われたようです。それは、復
帰直後まで普通にあったようです。私の父や叔父なども、よく挑戦されて困った
と話していました。
754623:2005/12/13(火) 13:38:57 ID:FQGp6+/H0
・まぼろしの武術「沖縄手」について。

 「沖縄手」という武術をご存じでしょうか。琉球王朝時代、「唐
手」以外にもう一つあったとされる武術です。唐手が中国から伝え
られた外来武術なのに対して、沖縄手は沖縄固有の武術でした。唐
手が仏教なら、沖縄手は神道のような存在です。、起源は定かでは
ありませんが、大体島津侵入後の17世紀頃後半頃にはあったよう
です。全盛期は18世紀で、主に按司家や上級士族の一部の間で密
かに伝えられました。

 技術的に唐手と違う点は、まず膝を曲げない歩法や蹴り技、あと
は唐手にはない剣術、また「手の取り方」と呼ばれる関節技がある
点です。練習は島津の監視をごまかすために、踊りに見せかけて練
習しました。それゆえ、全体的に動作は舞踊に似ていて優雅であり、
唐手が剛の手であるなら、沖縄手は柔の手といったおもむきががあ
ります。

 しかし、この沖縄手も19世紀に入ると留学生や漂着民が持ち込
む唐手に押されて、次第に人気を失います。魅力的な形を持つ唐手
は当時の琉球士族には先進的でした。わずか50年の間に、唐手は
瞬く間に沖縄を(といっても一部士族ですが)を席巻します。その
結果、大体19世紀中葉には、沖縄手はほぼ失伝したようです。あ
る一御殿家だけが密かにこれを継承したことを除いては・・・。

 さて、上の文章はもちろん「フィクション」です。沖縄手なんて
武術は聞いたこともないから最初から分かっていた、という方もお
られるでしょう。ところで上記の中に一つだけ真実があります。そ
れは「沖縄手」という言葉です。
755623:2005/12/13(火) 13:39:22 ID:FQGp6+/H0
 この言葉は舟越義珍先生の晩年の著書『空手道一路』に出てきま
す。私はこれ以外にこの言葉を見たことはありません。もし他で使
われていたとしても、それは舟越先生の孫引きか、あるいは全く別
の意味で使われていると思います。該当箇所を下に引用します。

「私が幼少の頃、よく老人から『沖縄手』とか『唐手』ということ
を聞いたが、『沖縄手』とは固有のもの、『唐手』は中国拳法の流
れを汲むものではなかろうか、と考える」(p.95)

 たったこれだけです。沖縄手が具体的にどういう武術だったのか
の解説はありません。舟越先生自体、この武術を習ったことも、見
たこともありませんでした。ただ、老人から話を聞くだけです。と
すれば、沖縄手は19世紀半ばには衰退して、舟越先生の頃にはほ
ぼ失伝したか、一部で秘伝として細々と継承されていたに過ぎなか
ったと推測されます。

 沖縄手とはどういう武術だったのでしょうか。私は御殿手の前身
として、想像してみました。御殿手が上原先生の「創作」でないな
ら、可能性は十分あります。なぜなら、唐手以外の武術体系を沖縄
に伝えるのは御殿手だけだからです。

唐手―――(首里手)(泊手)(那覇手)―――空手

沖縄手・・・・(御主加那志の技)・・・本部御殿手?
756623:2005/12/13(火) 14:02:08 ID:FQGp6+/H0
744様

>日本武道の影響では?型を尊ぶのは

「形」という概念をどこまで広げるか、定義にもよると思います。
私たちが今日、空手の形と呼んでいるものは、明治以降の創作を除
いては、皆中国から伝来したとされています。日本伝来のものはあ
りません。

「形」を形式や作法、ある定型的な技という意味程度に理解するな
ら、それはもちろん日本古来の武道や芸術にもあります。礼に始ま
って礼に終わる空手の練習風景、しばしば道場に神棚や掛け軸を飾
ったりする道場の姿などは、日本武道の影響でしょう。

>>698

>623さんが御指摘の祝賀会は「久米村独自の祝賀」の事だと思いま
>す、

 なるほどそうでしたか。ちょっと知識不足なので、うまくお答え
できませんでした。失礼しました。
757名無しさん@一本勝ち:2005/12/13(火) 14:30:10 ID:3HBOohhH0
王家の一つである本部家は血筋ゆえに沖縄古来からのアイデンティティというべきものを
守り伝える者として「沖縄手」を保存してたのならばむしろ自然なことだとおもえる。
758698:2005/12/13(火) 14:57:27 ID:x8khQIdA0
623さん
>礼に始まって礼に終わる空手の練習風景、しばしば道場に神棚や掛け軸を飾
>ったりする道場の姿などは、日本武道の影響でしょう。
これなどはほぼ明治以降でしょうね。もともとの唐手にはない風習でしょう。

755に書かれている「沖縄手」ですが、心道流の座波仁吉先生が瑞泉拳とい
う投げ主体の技を伝承していると何かに書かれていたのを記憶しています。
また、座波先生は「武道の原点」のなかで明確に「琉球手」と「唐手」を
分けて説明しています、ですから「唐手=空手」以外の技を伝承しているの
は、「本部御殿手」だけでなく「首里手」の一部でも伝承していると言える
と思います。

また、金城昭夫先生の著書「空手伝真録」で「手」と「唐手」について検証
していて、金城先生は「手」「沖縄手」の存在を否定されています。その根
拠として、唐手術の名称に純粋な「琉球語」の見当たらない事、「唐手○○」
と呼ばれた先師達が伝えたであろう技もあるはずなのに、唐手○○の技と名
づけられず、首里手、那覇手、泊手の中に含まれている事などをあげています。
759623:2005/12/13(火) 17:01:49 ID:FQGp6+/H0
>>698

> 「本部御殿手」だけでなく「首里手」の一部でも伝承していると言える
> と思います。

 そうですね。沖縄手が全く空手に受け継がれていない、というの
も逆に不自然な気がします。

> 金城先生は「手」「沖縄手」の存在を否定されています。その根
> 拠として、唐手術の名称に純粋な「琉球語」の見当たらない事

 なるほど。ただ、この論理でいうと、逆に御殿手には中国語の名
称が全く見あたらないのです。全部琉球語か、上原先生が現代日本
語に訳し直した名称しか御殿手にはありません。ですので、空手に
限定して、琉球語がないから沖縄手は存在しなかったという結論は、
御殿手まで含めれば、成り立たないことになります。

 あと、取手と本土の合気術との違いですが、本土にも合気道や様
々な合気術があって、その総ての流派の特徴を私は知るすべもない
ので、ごく一般的に取手と合気道の違いを述べます。といっても、
私は合気道も演武などで見たことがあるくらいで、道場通いしたわ
けでないので、誤解があればご容赦ください。

 一般に合気道を見ると、大体手首かその下、または手の甲のあた
りをつかんでいるように思います。これに対して、取手は相手の指
先をつかみます。また、つかみ方も、合気道は「にぎる」という印
象を受けますが、取手は「つまむ」という感じです。主に親指と中
指に力を入れて、つまむ感じでそのまま握りしめていきます。もち
ろん純粋につまむのではなくて、そういう感じの握り方、という意
味です。あと、合気道はやはり「畳の上の武術」という印象を受け
ます。立ち技もありますが、座り技も多いようです。取手は主に立
ち技です。
760名無しさん@一本勝ち:2005/12/13(火) 22:37:28 ID:ocNYUHyG0
http://www.geocities.jp/ksskk546/page069.html

↑直接、御殿手とは関係ないが、
空手の原型としての「手」があったかどうかについての議論。
761名無しさん@一本勝ち:2005/12/14(水) 00:19:41 ID:y8suTSMp0
>具体的にどんな資料にあるのか教えてください。

とりあえず識名園にでも行ってこい
762623:2005/12/14(水) 14:15:27 ID:W9WrulUn0
 自分で話を振っておいてなんですが、沖縄手(うちなーでぃ)の
実態は、どんなに研究しても推測の域をでないでしょうね。舟越先
生の世代ですら、すでに古老から名前を聞かされるだけだったので
すから、それ以降の世代の語る沖縄手の話は、まったくの推測でし
かないと思います。

 摩文仁賢和先生も、琉球拳法とシナ拳法いう名で沖縄手と唐手の
区別について少し語っています(『空手道入門』参照)。が、ほと
んど中身のある話はしていません。摩文仁先生の世代は舟越先生よ
りさらに一回り若い世代ですから、沖縄手の話は、先輩からのまた
聞き程度にしか知らなかったと思います。

 ですので、御殿手の前身が沖縄手だったのではないかという私の
想像も、本当に想像でしかないわけですが、ただどうしてあの話を
したかというと、舟越先生が「沖縄手というものは琉球舞踊に近か
ったのではないか」と推測されているので、それなら御殿手との関
連が出てきて、ひょっとして御殿手が沖縄手の末裔であってもおか
しくないと思ったわけです。先に挙げた『琉球拳法唐手』でもその
趣旨のことを述べられていますし、晩年の『空手道一路』でも、
763623:2005/12/14(水) 14:16:26 ID:W9WrulUn0
「私の個人的感想に過ぎないが、当時(注:王朝時代)、公儀の眼
をくらますために、空手を舞踊の中にもかくしたのではないか、と
思われるフシがある」(p.96)

と語っています。つまり、沖縄手は島津の監視をのがれるために、
舞踊に見せかけて創作・練習・継承されたのではないか、と述べて
いるわけです。この推測が事実だとすれば、御殿手の特徴と沖縄手
は大変似てきます。また、御殿手に空手に見られる型がない、中国
語読みの技もない、というのも、沖縄手の系統だということならば、
合理的な説明がつきます。

もし御殿手が沖縄手の唯一の後継武術であったとしたなら・・・こ
の武術のもつ歴史的価値は計り知れないものがあります。まあ、自
流派の自画自賛と言われるかもしれませんが、私は客観的な立場に
立っても、やはりこの点で御殿手の歴史はまだまだ研究・解明する
価値はあると思っています。
764623:2005/12/14(水) 14:40:39 ID:W9WrulUn0
朝勇先生は、

按司方(あじかた)の舞方(めかた)ただおもてみるな
技に技すゆる奥手(うくでい)やりば

(歌意)
按司方(朝勇先生)の舞姿を、単なる舞い踊りと思って見てはいけ
ない。その舞には、技のうえに技が重なって尽きることのない武
の 奥義が秘められているのだから。

という琉歌を遺されています。舞踊の中に沖縄手の技を隠したので
はないか、という舟越先生の推測を読んだ後に、改めてこの歌を読
み返すと、なるほど、この歌はそういうことを言わんとしていたの
かもしれない、とも解釈できます。

元手元(むとうでむとう)なちょて技よ積み重ぬ
奥手舞方(うくでいめぇーかた)や頂(ちぢ)に乗せて

(歌意)
御殿手の技は、元手(御殿手の基本技)をもとに技を積み重ねて、
奥義の武の舞を最高の秘伝として、武の頂にのせ継承していくので
ある。

こういう琉歌も、「沖縄手は舞踏に技を隠して継承した」という説
に立てば、なるほどそういうことだったのか、という納得もできま
す。朝勇先生が、舞の中に技の奥義が隠されている、と何度も琉歌
に詠んだのも、御殿手が沖縄手の系統という解釈にたてば、ごく自
然に理解できるわけです。
765698:2005/12/14(水) 16:20:43 ID:KykHsVj80
「琉球手」「沖縄手」「手」と呼ばれる技術についてですが、623さんが仰ると通
り、今となっては全部推測にしかなりませんが、朝勇先生が琉歌の中に残している
ように、「舞方」の中に隠しているのなら、島津藩の取り締まりが比較的ゆるかっ
たであろうと思われ、かつ、他の技術(唐渡りの技術)の流入しにくかったと思わ
れる各村村に残っている「村棒」の中にもその片鱗が残っていても良いのではない
かと思うのです。その辺の所を外間哲弘先生がかなり研究されていて、「沖縄空手
・古武道の真髄」のなかで各村棒の事を細かく書いていますが、「琉球手」「沖縄
手」「手」等に関連しそうな事はかかれていません。

私が調べ得る限りの資料で上原先生は、1974年頃から「武」と「舞」の関係を研究
し始めているようです、著書である「武の舞」はその後に出版されています、朝勇
先生作の琉歌と言われるものも(「武の舞」に収められている琉歌の事です)上原
先生の著書以外からは発見できません。
また民謡「舞方」の際の舞い中に「唐手の型」が入っているとはかなり広く言われ
ている事でもありますし、「エイサー」の型の中にも「唐手の手が入っている」と
言われるのはあります。特別朝勇先生だけが指摘しているわけでもないのです。
766698:2005/12/14(水) 16:28:13 ID:KykHsVj80
沖縄では多くの空手家や研究家が「空手の起源」「手の存在」を調べた著書があ
りますが、上原先生が「本部御殿手」を名乗った後(70年代以降)、に出版され
た本も数多くあるにも関わらず、その著書の中では「本部御殿手」については全
く取り上げられません。交流が多少はあるにも拘らず、です。現在いらっしゃる
空手の先生達の師と交流があったであろう、朝勇先生の流派について触れないこ
とも不思議ですし、それについて「本部御殿手」の方達(生前の上原先生も)が
なんのリアクションを起さない事もまた不思議です。

また、上原先生の著書に出てくる「沖縄若狭クラブ」ですが、これは「沖縄唐手
倶楽部」の事だと思われます。沖縄において、各空手家達が結成して会を立ち上
げたのは1917年の「沖縄唐手研究会」が最初で、1926年に「沖縄唐手研究会」、
2年後に「沖縄唐手倶楽部」が設立されています。ここで朝勇先生が他の人々に
「技」を教えていたとの記述がありますが、「沖縄唐手研究会」「唐手研究倶楽
部」「沖縄唐手倶楽部」と続く流れの中で、一貫して参加しているのは(主催か
?)宮城長順先生であり、唐帰りの宮城先生の技を研究?(技術交流)するのが
趣旨であったと考える方が無理がなのではないでしょうか?
「沖縄唐手研究会」の主な参加者は摩文仁賢和、屋部憲通、富名腰義珍、宮城長
順先生等で。
「唐手研究倶楽部」は宮城長順、許田重発、喜屋武朝徳、本部朝基先生等。この
年に朝基先生は大阪に渡っています。
「沖縄唐手倶楽部」は「唐手研究倶楽部」のメンバーに本部朝勇、花城朝茂、知
花朝信、呉賢貴先生等が参加しています。

767名無しさん@一本勝ち:2005/12/14(水) 16:54:03 ID:fzOVBhjU0
つまり、なんだ
清吉が最強ってことだな
768698:2005/12/14(水) 17:13:37 ID:KykHsVj80
最強かどうかは解りませんが、相当な技術で、実際その技を戦争で使い、死なずに
戻ってきた。という事実は物凄い事だと思います。
769623:2005/12/14(水) 17:31:27 ID:W9WrulUn0
>>698

舞の中に空手を隠したのではないかというのは、舟越先生の思いつ
きで、さらにそこから御殿手に関連づけたのも私の思いつきですか
ら、余り真剣に受け取られると、返答に困ってしまいます(笑)。

あくまで、「そういう見方もありうるのではないか」くらいに受け
取ってみて下さい。厳密な検証というのは、もし空手史研究家の中
でこのスレを覗いていらっしゃる人がいるなら、、その人にお任せ
したいと思います。

空手史研究ですが、本部御殿手に限らず本部流についても言えます
が、大体、研究者は大きな流派の方だったりして、私たちのような
小さな流派にはあまり目を配って下さいませんでした。十年くらい
前までは、空手の本を読んでも、本部朝基は独学で空手を学んだと
か、そうでなくても泊手の系統に編入されていて、糸洲門下には名
前がなかったですし、朝勇先生に至っては、たいてい全く名前は載
っていませんでした。

本部流というのは、本部朝基というあれだけ偉大な空手家が開祖で
あるにもかかわらず、某大流派の方と仲が悪かったためか、生前か
ら様々な誹謗中傷をされ、戦後は流派も小さかったことで、ほとん
ど無視されてきた歴史があります。私が記憶していることで言いま
すと、本部朝基先生の評価が急に高まったのは、著書『私の唐手
術』の復刻版が十数年前に発売されて以降だと思います。この本は、
戦前も余り部数が刷られずに、戦時中にほとんど焼けてしまい、も
うこの世には存在しないと思われていた幻の著書でした。それを、
朝基先生のある高弟の家の方が保存していたのを、流派のほうでお
借りして、まず私家版で復刻し、その後市販しました。それ以降、
急に本部流や本部朝基に関心が高まって、様々な空手書で引用され
るようになったわけです。
770623:2005/12/14(水) 17:32:47 ID:W9WrulUn0
本部御殿手のほうも、他の沖縄の空手流派と仲が悪かったようです。
一つには、本部御殿手を公開するにあたって「琉球王家秘伝武術」
と名乗ったことで、他の流派の機嫌を損ねたようです。もっとも、
朝勇先生が「御主加那志の技」と言っていますから、別にこう名乗
ってもおかしくないのですが、それにしても他流派の方達にとって
は、「何様だ?」という印象を与えたかもしれません。

また、朝勇先生がほとんど弟子を取らなかったために、朝勇先生自
身、どの程度の武術家だったかさっぱり知られていませんでしたし、
上原先生も昭和に入ってすぐフィリピンに移住され、空手家として
は戦前無名でしたので、戦後突然あらわれて、本部御殿手と名乗っ
ても、「どこの馬の骨とも分からないやつが・・・」と思われたの
かもしれません。

朝勇先生の琉歌については、上原先生がフィリピンに旅立つ時に、
別れの品として、巻物に書いて渡されたようです。ただ、これも壮
絶なフィリピン戦の最中に砲弾の直撃を受けて焼けてしまいました。
ただ、上原先生が、朝勇先生からいただいて以来、毎晩のように奉
読していたのですべて暗記し、これが本部御殿手のパンフレットや
著に載っているわけです。

琉歌については、私は優れたものだと思います。私は琉歌には詳し
くありませんが、和歌なら古今から石川啄木くらいまで、漢詩は杜
甫、李白なども読むので、ある程度、歌の良し悪しは判断できるつ
もりです。それで言わせていただくと、あの琉歌クラスを詠むため
には、おそらくその10倍は詠まないと無理でしょう。つまり、数
百首くらいは生涯に渡って詠み続けて、やっとあれくらいの歌が3
0首くらい残せるかな、と思います。
771623:2005/12/14(水) 17:34:21 ID:W9WrulUn0
御殿手の創作云々で言うと、私はそれぞれすべて創作する可能性は
ありえると思いますが、あの琉歌だけはさすがに上原先生にはねつ
造は無理だろうと、思います。失礼ながら、上原先生にそれだけの
教養があったとは思えません。そして、あの琉歌が朝勇作で間違い
ないなら、上原先生の語る本部御殿手の7,8割は真実だったとい
う証明になると思います。

若狭クラブの名称ですが、場所が若狭町にあったので、それで上原
先生が名称を勘違いして覚えていたのだと思います。朝勇先生は、
按司ですし、年齢的に最年長だったので、きっと喜屋武朝徳先生あ
たりが引っ張ってきて、名誉顧問みたいな役をしてもらったのでは
ないかと推測しています。時々は指導したでしょうが、練習はもっ
ぱら若い人たち中心だったのではないでしょうか。l
772623:2005/12/14(水) 18:44:57 ID:W9WrulUn0
> この情報は「外間哲弘」さんの書かれた「空手道歴史年表」の55ページに書かれ
> ています。
>
> 本部朝勇先生が空手をやってない、との話は私も間違いだと思います。1924年の
> 那覇市の「大正劇場」で祖堅方範・摩文仁賢和・喜屋武朝徳先生等と演武してい
> ます。このメンバーを見ると朝勇先生の技術が並以下であったとは思えません。

 ところで、この外間氏の記事のもともとの出典が何か、分かる方
はいらっしゃるでしょうか。それが分かれば、もっと朝勇先生の空
手家としての活動が証明できるのですが。
773623:2005/12/14(水) 19:40:57 ID:W9WrulUn0
>>767

 上原先生は、本当に強かったですよ。晩年膝を悪くされました
が、それ以前は神がかっていました。市販されているビデオは、
私に言わせれば、実際の5分の1くらいのイメージです。ああ
いう方は、もう滅多に出ないでしょう。
774Fw190:2005/12/14(水) 22:38:18 ID:LFHtBZyo0
たしかに、上原先生は演武や撮影では技の肝心な部分を曖昧に演じられ
ていましたし、高弟の方々にもそうするよう諭しておられました。
「私の演武を見て、すごいな〜と本当に思う人は、あまり目が無いよ」
と笑っておられたといいます。ビデオ等は参考程度に受け取るもの
なのでしょうね。


”琉球王家秘伝武術”の8文字は少し仰々しいような・・・という感想は
高弟の方々の間にもあるそうです。
775名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 10:49:22 ID:5CiaKYeR0
702(たぶん発酵流関係者)が、上原先生がどれだけ発酵流を修行
したか、分かってないね、君たちは、みたいなこと言っていたから、
ちょっと調べてみた。

雑誌秘伝の04年7月号に、1962年、那覇で開催された講習会に
参加したと書いてある。同年、3/31に師範取得と書いてあった。

何年修行して師範になったのかと思ったら、講習会に参加したら簡単
に師範の称号もらえたようだw。それを30年もたって、発酵流の
宣伝に利用されただけみたい。「ほら、あの有名人もうちの門弟!」
ってw
776名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 11:19:47 ID:dYFZV0IT0
 御殿手=八光流は結局デマか。ま、最初から信じてないけど。

それじゃ、やっぱり上原先生は朝勇師匠から取手習ったんだね。
だとすると、御殿手が沖縄手の系譜っていう説も、ありえるかも。
777名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 11:32:52 ID:5gWTLEyu0
>>769
>十年くらい前までは、空手の本を読んでも、
>本部朝基は独学で空手を学んだとか、
>そうでなくても泊手の系統に編入されていて、
>糸洲門下には名前がなかったですし、

小林流の知花先生が糸洲先生の言葉として
「本部には教えていない。親父さんに見てくれといわれたから
見ただけ。」と伝えているからです。
知花先生によれば糸洲先生が空手を教えたのは8人だけで、
そのなかに本部先生は含まれていません。
778698:2005/12/15(木) 11:35:37 ID:gRJygomE0
>朝勇先生がほとんど弟子を取らなかったために、朝勇先生自
>身、どの程度の武術家だったかさっぱり知られていませんでしたし、

この辺の所も、実際どうかと思っているのですよ。何人弟子として直接教えて
いたら「多い」かは色々な意見があるでしょうが、上原先生のお話からすると、
朝勇先生は一人や二人ではない人数に「手」(本部御殿手ではない)を教えて
いたようですし、また秘伝である本部御殿手を習っていた人も上原先生一人で
はなかったようです(これは流石に数人のようですが)。この辺を考えると、
上原先生以外にも、朝勇先生から教えを受けた空手家が他にも居て良いはずで
すが、でてきません。

外間先生の引用した記事(大正劇場の件)ですが、おそら新聞記事ではないで
しょうか。あるいは、主な採録者の中に上原清吉先生の御名前もありますから、
上原先生から聞かれたのかもしれませんね
779名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 11:48:48 ID:xocq2p7xO

その記事は有名ですよね。
師範取得までして、なにも影響がないと語るのは、
あまりに乱暴ではないでしょうか?
やはり影響があり、上原先生が改編または導入したのが
一番理にかなっているかと感じます。

初期の弟子には違うことを教えていたなら、
辻褄が合うかと思いますが。

上原先生の実力を疑うつもりはありませんが、
気になるところです
780名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 11:59:10 ID:pIGb/2SY0
>知花先生によれば糸洲先生が空手を教えたのは8人だけで、

8人ってうそやろ。主な門弟挙げるだけでも、屋部憲通、花城長茂、
船越義珍、喜屋武朝徳、知花朝信、徳田安文、大城朝恕、摩文仁賢
和、城間真繁、遠山寛賢の10人はいる。これに本部朝勇加えたら
11人。他にも本とかで、もう数人くらいは普通門下で名前載って
いる。8人って知花先生の勘違いか、作り話じゃない?
781名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 12:05:04 ID:AEPB71C30
>師範取得までして、なにも影響がないと語るのは、
>あまりに乱暴ではないでしょうか?

 発酵流は通信教育で4段までもらえる。セミナー参加したら、昔
は師範もらえた。影響なんてあるほうが不思議w、
782名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 12:41:17 ID:n/ve482k0
上原先生は、発酵流のセミナー参加する前から、「古伝武術本部流
取り手術」って名で道場開いてたって、どっかで読んだ覚えがある。

本部朝基は糸洲の弟子だよ。ただ掛け試しの苦情が殺到して、一時期
出入り禁止になったらしい(名○真先生談)。あとで、許してもらえた
らしいけど。
783名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 13:35:23 ID:7SWlp/YR0
>上原先生以外にも、朝勇先生から教えを受けた空手家が他にも居て良いはずで
>すが、でてきません。

 大阪に昔、本部朝勇先生の弟子でMって方がいましたよ。
784名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 14:58:11 ID:lKLhTngf0
発酵流関係者必死だなw

初期の頃は、ちょっと変わった突きと蹴りを延々と練習してた
イメージとしては、弾腿って感じ

あと、入り身を多用した突き、変化の投げなどがあったが・・・

発酵流とは似ても似つかんぞw
785698:2005/12/15(木) 15:50:03 ID:/Ly9P//90
783さんへ
実名では御名前出せませんか?また、逸話など聞いておられたら、情報提供お願
い出来ないでしょうか?
これが事実なら、朝勇先生の技量を知る重要な手がかりになるかもしれません。
786698:2005/12/15(木) 16:31:29 ID:gYMzFAIt0
623さん
今までの投稿を読み返していて気になる事が出てきました。

>ただ、この論理でいうと、逆に御殿手には中国語の名称が全く見あたらないの
>です。全部琉球語か、上原先生が現代日本語に訳し直した名称しか御殿手には
>ありません。

>上原先生の『武の舞』を読むと、その師を尊敬する姿に私は深い感銘を受けま
>す。この書が書かれた90歳近くになっても、上原先生は70年、80年前に、師か
>ら受けた恩を決して忘れませんでした。(略)90歳になってまでこれほど恩師
>を尊敬し続ける人が、世の中にどれだけいるでしょうか。

この二つの話は矛盾しているとは思いませんか?上原先生は朝勇先生から託され
た「本部御殿手」を本部家の方に返したいと常々思っておられたという話は有名
ですよね、朝勇先生の思いを叶えられない事に心を痛めていたのは、高弟の方達
から聞いて私も知っていました。であるなら、朝勇先生から預かった大切な「本
部御殿手」の技の名称を一時期であれ、本部家に返す事を諦め一般公開したとし
ても、大切な技の名称を現代日本語訳するものでしょうか?上原先生が公開した
のは沖縄現地ですから、言葉として通じない問題はないし、琉球語を解さない日
本の方がいたとしてもその人のためだけに変えることも考えづらいのではないで
しょうか?
787名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 19:53:45 ID:0GeNIqOB0
単に技に名前が無かったから、整理した時に日本語で名前をつけたんでしょう。
>>760の対談にも出ているけれど、唐手は型自体はクーシャンクーとか名前があるが、
個々の技動作には名前をつける習慣がなかった。
まして、取り手は、いわゆる「型」も無かったから、「こういう時はこうする」とか、
「こうやって掴む」という説明で充分用が足りてたんだと思う。

支部などが出来て指導を統一する時に、
「拝み手」とか通じやすい言葉で名をつけただけでしょう。
788名無しさん@一本勝ち:2005/12/15(木) 20:13:46 ID:J9KktvSi0
>>782
>本部朝基は糸洲の弟子だよ。ただ掛け試しの苦情が殺到して、一時期
>出入り禁止になったらしい(名○真先生談)。あとで、許してもらえた
>らしいけど。

m9(^Д^)プギャー!! なにが(名○真先生談)だよ。
ttp://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1129718203/931

おお方ここ見てマネして書いたんだろ? もっともらしい嘘つくなよ。
789623:2005/12/15(木) 21:29:49 ID:GvIH6txR0
>>698

 784さんが言うように、もともと名前のない技には、日本語つけ
た方が理解しやすいですし、あと、沖縄でも純粋な琉球語を解する
人は徐々に減ってきていることも考えて、日本語に直したんじゃな
いでしょうか。

>>788

 その話の種本は、月刊『青い海』(1978年)に収録された名
嘉真朝増先生のインタビューをもとにした、朝基先生の紹介記事で
す。そこでは、糸洲先生、徳嶺先生、松茂良先生の3氏に師事した
と書かれています。朝基先生の著書の経歴の順序とはずれています
が、まあ、お弟子さんのお話も結構うろ覚えや憶測による付け足し
が多いの仕方ないかなと思います。
790623:2005/12/15(木) 22:30:57 ID:hSxtUYC60
×784さんが言うように、
○787さんが言うように

失礼しました。
791名無しさん@一本勝ち:2005/12/16(金) 07:44:09 ID:+8AtKDpL0
>>698さん

まったくの一般人だから、こんなところで実名さらすのは、
気が引けるんだけど・・・。M氏は、宮城調常っていう人で、
上原先生の兄弟子にあたる人。逸話は・・・

「アジメーは美しい人で、花柳界の人気者でした」
「稽古は屋外でした」
「弟子の中に、一人大変な力持ちがいて、そいつが蹴ると
下の草が剥けてました」

くらい。生きていたら100歳超えてます。大阪来てからは
空手はやってないので、空手の本とかには全然出てこない、
ふつうの人です。上原先生が大阪に来たときに、兄弟子が
存命だと聞いて、一度訪ねているよ。
792名無しさん@一本勝ち:2005/12/16(金) 18:34:43 ID:XuftTHmw0
やっぱり取る弟子少ないと、失伝の可能性大きくなって
しまいますね。弟子がみんな後を継いで道場開いたり
するわけでもないし。
793名無しさん@一本勝ち:2005/12/16(金) 19:12:34 ID:wgAp3IL40
>>791

ソースは? いや、疑うわけじゃないんですが。
上原先生に頼まれてその宮城さんって人が「兄弟子を演じてる」
可能性もありますから。名前貸しただけの可能性もありますが。
794名無しさん@一本勝ち:2005/12/16(金) 19:56:56 ID:hHLKe6l20
そこまで姑息な人ではないでしょう。ひどすぎる。
795791:2005/12/16(金) 20:22:01 ID:GBBxVhBv0
ソースって、そんなものありませんよ。全くの一般人なんだ
もの・・・・。しかも、上原先生が会いに行ったのは30年近く
前ですよ。当時の関係者も大半死んでます。何で私が知っ
ているかというと、親父が宮城さんと知り合いだったから。
796名無しさん@一本勝ち:2005/12/16(金) 21:54:54 ID:Dny+4J9hO
ソースは?って・・・。
沖縄の人の話も疑ってた人いましたよね。

だったら上原先生個人の話も疑っていいんじゃ?

伝承や語り継がれていたりすることも信じなかったら、
何信じるの?

なんか変な信者さんいますねここ。
他の人に迷惑ですよ。
797698:2005/12/17(土) 10:22:30 ID:KB+iqmYG0
784さん、623さん
型には名前があって、個々の動きには名前がないのは多くの型のある動きには
共通のことで、個々の動きに名称なんか普通つけないでしょう?

また、下記のように書いておりますが。
「もともと名前のない技には、日本語つけた方が理解しやすいですし、あと、沖
縄でも純粋な琉球語を解する人は徐々に減ってきていることも考えて、日本語に
直したんじゃないでしょうか。」
これは、あまりに日本的な考えだと思いますよ、上原先生が技を公開し始めた当
時の60〜70年代なら、沖縄では普通に沖縄語を解していましたし、ましてや日本
に支部を開設するするためだけに日本語の名称をつけたのなら、それこそ、流派
拡張のために自流の歴史を変えたとの疑惑をもたれるものだと思いますが。

791さん
情報ありがとうございます。
793さん
私も其処まで用意周到な真似はしないと思いますよ。

これで、さらに朝勇先生が「武術」をやっていた事が真実味を帯びてきたと思
います。一方、現在の本部御殿手の日本語名称のついている技術は上原先生の
開発された技術なのではないかとの思いが強くなりました。
しかし、私の意見として強調しておきたい事は「本部御殿手や上原清吉先生の
技量がよろしくない」との結果にはけしてなりません。私自身、上原先生に直
に手を取ってもらった経験から、上原先生と本部御殿手の技術の高さには尊敬
の念を10年以上経った今でも持っていますから。
798名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 10:48:27 ID:64qixPoN0
上原先生に兄弟子がいて、会いに行ったんだったら、逆に御殿手
は本物の可能性が高まったと思いませんか? 御殿手がねつ造
だったら、ふつうはこわくて兄弟子に会いに行けないでしょう。ね
つ造暴露されるかもしれないわけだし。
799名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 11:01:31 ID:Peh4Y1Ho0
>>797
ちょっと前の方で、沖縄手はあったのか?
それとも空手は中国拳法だけが元なのか、という議論があったでしょ。
で、>>760のリンク先でも書かれているが、
中国武術では大体、全部の動作に名称がある。
どうして琉球に伝わった途端、それがなくなったのか?

名前を日本語にしたら歴史が偽者だ、というなら、
動作名を伝えなかった沖縄唐手は全て、捏造された中国武術かな?
「白鶴展翅」を中国発音で伝えても誰も意味がわからない。
伝えるなら「白い鶴が翅を展すようにする技」という風に意味を優先しなければ伝えられない。
だったら、手を取るから「取り手」。拝むように挟んで極めるから「拝み手」としか言いようがないんじゃない?
空手だって、「上段正拳突き」とかを全部、沖縄固有の呼び方で呼ばなきゃ、
本物じゃなくなっちゃうの?

そもそも「現在の本部御殿手の日本語名称のついている技術」って言っても、
ほとんどの技に名前自体無い。どれを指して言っているのか具体的な技法名を上げてもらわないと。

800698:2005/12/17(土) 11:26:21 ID:KB+iqmYG0
798さん
朝勇先生の弟子と、上原先生の仰る本部御殿手を習った人は別だと思いますよ。
上原先生の著書にあるように、朝勇先生は「本部御殿手」と「手?唐手?」を
別々に教えていたようですから。

799さん
議論がズレいるようですが。
上原先生の朝勇先生に対する尊敬の念と、琉球王家の武術に対する誇りがあれば、
日本語に直す理由がないとは思いませんか?

また、『空手だって、「上段正拳突き」とかを全部、沖縄固有の呼び方で呼ばな
きゃ、本物じゃなくなっちゃうの? 』と書いていますが、本物かどうかは私は言
っていませんし、「上段正拳突き」などの日本語の名称を付けたのは日本人の空
手家なのじゃないでしょうか?

「取手」などが、上原先生の開発された技術なのだとしても、それはとても凄い
事だとは思いませんか?あれほどの技術を一人で付け加えたとしたら、日本人で
いえば、武田惣角並かそれ以上の大天才といえると思いますが。
捏造などと考えるから変な方向に流れるのではないですかね?先師から受け継い
だ技術を発展させ、その功績をも先師から受け継いだものとして通すことは、先
師を尊敬して止まなかった方なら、ありえると思いますが。
とくに、先師の功績が全く認められない現状を目の当たりにすれば。
801名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 11:57:10 ID:+3C3iZHW0
沖縄の空手の流派でも、ほとんど型の名以外は、日本語使ってる
ように思いますけど? 技の名を日本語にしたから創作になるんだ
ったら、沖縄空手全部、創作になりせんか。
802名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 12:07:40 ID:Wq3Ot8kX0
素朴なギモン

このスレに常駐してるヤシは、なにがしたいの?
別に創作だろうが、伝統だろうが、使えればどっちでもいいじゃん

そんでも伝承うんぬん言うなら、沖縄に来て、6,70代の元警官に話を聞けば
いろいろ分かる

なんかバカみてぇ
803名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 12:30:12 ID:S5eiWWG+0
・本部朝勇先生は空手してません→×
・上原先生は朝勇から空手習ってません→×
・御殿手は八光流からのパクリです→×

 だいぶ、新事実が明らかになったと思うけどw。兄弟子の話とか
いままで出たことなかったし。すごく有意義な議論だと思いますけ
ど、何か?
804名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 12:46:49 ID:BL+9gkY7O
またでたね。熱狂的信者さん。

すべて憶測の域を出ないのにね。
みんなそれを踏まえて議論しているように思うな。

都合いいとこだけ拾って、恥ずかしくないのかね?
805名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 13:00:19 ID:7MlM+aNm0
だからさぁ、上原先生の強さも努力もそりゃ大したもので。
本部御殿手もきちんとした実力と精神を有した立派な武道だと
思いますよ。

それはそれで認めりゃいいことなのに。なんで明らかに疑惑の高い
歴史まで認めようとするのかね。だから信者って言われるんだよ。

歴史査証してるテコンドーにしたって、少なくとも日本でやってる日本人は
「数千年の歴史があるなんて言ってるけど、戦後空手をベースにアレンジした
ものだよ」ってちゃんと認めてる。まあ、韓国人は認めてないらしいけど。

ようするにミソもクソも一緒にしないで、ちゃんと区別すりゃいいのよ。
どうして本部御殿手やってる人は「技術は凄いけど、上原先生が言ってる
歴史関係は嘘でしょ」って冷静な意見を言える人が居ないんだろうね。

別に何も恥かしいことじゃないのに。ガキみたいにあれもこれも正当化するなよ。
806698:2005/12/17(土) 13:10:35 ID:KB+iqmYG0
803さんの意見に同意です。
私自身、ここで皆さんと意見の交換をするまでは、本部御殿手は八光流の変形だと
思っていました。上原先生の技を直接体験させてもらったのにです。
しかも、資料になりそうな本も一度は目を通していたのですが、朝勇先生が唐手を
やっていないとの記述(ネット上)を鵜呑みににしての考えでした。改めて本を読
み返して、色々な事が自分なりに解りこのレスに参加できてとても良かったと思っ
ています。

あと、sage進行で行きませんか?
807623:2005/12/17(土) 13:23:54 ID:R/4daIvv0
少し昔の本を何冊かひっぱり出してきました。少しずつ、書いてい
きます。レスはその後で書きます。

まず、『精説沖縄空手道――その歴史と技法』(上地完英監修、19
77)。これは私が持っている空手本では最大の大きさです。全10
00ページ弱、厚さ10センチくらいあります。大半は上地流の紹
介ですが、後半部分では当時の沖縄各流派の紹介があります。この
書の中で、本部御殿手に関する記述がいくつかあるので、紹介して
いきます。

まず、上地流開祖上地完文先生の紹介文で「第7章 和歌山時代」
という章があります。そこの記述によると、当時の和歌山の沖縄県
人の間には、同胞を食いものにする無頼漢の連中がいて、大問題に
なっていたそうです。それで上地先生たちが義心から立ち上がるこ
とになったのだそうですが、そのメンバーに本部朝茂がいました。

「(仲村文五郎氏は)当時、和歌山市内やその近郊にいた上地完文
(49歳―武人)、本部長茂(武人、誤植ママ)、友寄隆優(29
歳―義人)氏らに、和紡団(注:無頼漢グループ)鎮圧の適性行動
をとるように懇請した。本部長茂といえば、例の本部ザールこと本
部朝基の甥であるが、彼の父朝勇(本部流の元祖)に幼少の頃から
武術を仕込まれ、武名を”虎寿”とし、空手の達人として重きをな
していた(この虎寿と並称される人に現・本部流師家二代・上原清
吉範士がいる)。(p.450)
808623:2005/12/17(土) 14:06:51 ID:5gqSKegn0
上地流のほうには、本部朝茂氏やその父・朝勇先生の逸話がいくつ
か伝わっているようです。きっと完文先生が朝茂氏から朝勇先生の
逸話などもいくつか聞いたのでしょう。もっと古い上地流関係の本
に、あるいはより詳しい情報があるのかもしれません。上記の記述
で、少なくとも朝勇先生が空手をしてなかった、というのは上地流
の文献からも明確に否定されています。

次に、沖縄の流派紹介の章の「全沖縄空手古武道連合会」のページ
の会長・比嘉清徳の略歴に、以下の記述があります。

「生年月日 大正10年1月20日
武歴
昭和6年 名護で岸本喜順氏に師事(11歳)
昭和7年 名護で岸本祖孝老師範に指示
(中略)
昭和25年 知花朝信範士からパッサイ(小)の形を習得
昭和27年〜33年 沖縄各地の古老を訪問、沖縄伝統武術の保存、
育成を図る。
(中略)
昭和36年 沖縄古武道協会初代会長就任
同年 本部流秘伝武術取手習得のため、宗家上原清吉範士に師事
昭和41年 秘伝武術取手允許
同年 範士九段
昭和47年 本部流古武術協会初代会長就任
昭和49年 範士十段」

809623:2005/12/17(土) 14:09:45 ID:5gqSKegn0
比嘉先生は上原先生から御殿手を習っていますが、比嘉先生自体は
独自の流派の宗家です。上の記述によれば、昭和36年(196
1)に、上原先生から比嘉先生は取手習得のために弟子入りしてい
ます。ちなみに、八光流の講習会参加は翌年の1962年です。そ
して、昭和41年には取手允許をもらっています。この文章によれば
、取手が八光流を習ってから上原先生が改作したという説は否定
されます。講習会参加以前から、上原先生は取手を教えていたわ
けですから。そして、その評判を聞きつけて、昭和36年に比嘉先生
は習いに来たのでしょう。だとすれば、昭和20年代後半か、30年代
前半には取り手を教えはじめていたかもしれません。
810623:2005/12/17(土) 14:11:03 ID:5gqSKegn0
次に、「本部流古武術協会」の紹介の章ですが、大半は一般に紹介
されていることが書かれているのですが、その中に、「植物学者の
多和田真淳氏なども小さい時に、本部朝勇師の『取り手』や「舞の
手」を直接見たことがあるという。それは、まったく他を寄せ付け
ない、すごい投げ技であったと言われる」

この話は私は初めて知りました。もしこれが本当なら上原先生以外
にも、朝勇先生の取り手を見た人がいることになります。

まとめますと、この書で明らかになったことは、
1) 朝勇先生は空手をしていた。
2) 上原先生は少なくとも昭和36年頃には取り手を教えはじめて
いた。(八光流講習会参加以前)。
3) 上原先生以外に、朝勇先生の取り手を見た人がいた。

以上です。
811623:2005/12/17(土) 14:19:18 ID:VTIUhrZT0
698様

技の名称を日本語にした件ですが、もともと名称がないので、それ
ほど深く考えずに日本語でつけたのではないか、としか推測できま
せん。ただ沖縄から外にでた人は分かるでしょうが、やはり琉球語
をしゃべるとすごい偏見にさらされます。戦前ならなおさらです。
上原先生もフィリピンで様々な都道府県の日本人たちとお会いにな
ったでしょう。そういう中で「おまえの言葉は分からないぞ」とか
言われたこともしばしばあったと思います。そういう事情も背景に
あったのではないでしょうか。
812623:2005/12/17(土) 18:39:12 ID:BEYUVZsE0
同じく『精説沖縄空手道』の流派紹介に、「琉球少林流空手道協
会」(会長・稲嶺盛仁氏)という流派が載っています。その流派紹
介の中の系統図に、
国吉真吉(武士クニシ)→仲村繁(沖縄拳法)→津波孝明
本部朝勇(本部ウメー)→兼島真助(渡山流)→津波孝明
喜屋武朝徳(チャンミー小)→(島袋栄三)(少林流)
具志川ティーラ小→伊礼松太郎(古武道)

の4系統→稲嶺盛仁氏

と紹介されています。この系統図が事実だとすれば、朝勇先生の弟
子に兼島真助氏がいて、その系統を稲嶺盛仁氏が継いでいることに
なります。この琉球少林流空手道協会というのは、ネット検索した
限りでは、現在存在するのか確認できませんでした。似た名前に琉
球少林流月心会というのがありますが、これは別の流派のようです。
813623:2005/12/17(土) 20:57:29 ID:gSMmOs9S0
・本部朝勇先生の「沖縄唐手倶楽部」参加について

 上原先生は、『武の舞』の中で、「朝勇先生は沖縄若狭クラブ
で唐手の術理から、すべてを教えていました」と書いています。こ
の若狭クラブは698さんが指摘される通り、「沖縄唐手倶楽部」
の名称誤解だと思います。問題は、本当に朝勇先生が参加していた
のか、上原先生の言うように、中心的な役割を果たしていたのか、
という点です。

 この倶楽部に朝勇先生が参加していた、ということを書いている
文献自体少ないので、上原先生の「創作」ではないのか、疑問に思
われる方もいたと思います。それでいろいろ調べて、一つ文献を見
つけました。

 月刊『青い海』1978年第70号で、仲井真元楷氏(宮城長順先生門
下)の寄稿文に以下の記述ありました。

「大正の末、先生方が集まって若狭町の旭が丘の南に、クラブを造
ってカラ手の研究をすることになった。集まったのは、宮城長順、
許田重発、本部のウメー、本部のサールー、摩文仁賢和、田原泰蔵、
城間信範等々の師匠で、一日、十五日は武神を祭っていた。(注:
以下全員剛柔流の門下生か)崎山、南条、私、田崎厚牛、屋宜カマ
デー(在南米)、喜納正興君らも来て指導を受けていた」。(p.10
0)

この記事から、本部朝勇先生が参加していたこと、あと著名な先生
だけでなく門下生も、この倶楽部に来て指導を受けていた、という
ことが分かります。
814623:2005/12/17(土) 21:00:09 ID:gSMmOs9S0
この記事から、本部朝勇先生が参加していたこと、あと著名な先生
だけでなく門下生も、この倶楽部に来て指導を受けていた、という
ことが分かります。

 次に、本当に上原先生が言うように、この倶楽部で朝勇先生が指
導的な役割を果たしていたのか、という問題です。これについては、
村上勝美著『空手道と琉球古武道』(1976)に以下の記述がありまし
た。

「そのころ、那覇の若狭町に空手クラブの道場がつくられ、許田重
発先生、宮城長順先生、摩文仁賢和先生、管理人の本部ウメー、そ
れに中国人の呉賢貴といった方々が、そのクラブで空手の研究、指
導をされました」。(p.31)

「管理人」という表現が形式的な意味なのか、実質的な意味なのか
分かりませんが、いずれにしろ、この倶楽部で、朝勇先生が中心的
な地位にあったことは間違いないようです。上原先生の記述は正し
かったことがこれで証明できたと思います。

こうやって調べていくと、上原先生は一部の人しか知り得ないこと
を述べていて、逆にそれで「そんなこと聞いたことがない。ほら吹
きじゃないのか?」と疑念を持たれる方も多いと思いますが、実は
全部裏付けの取れる正確なことを言っていたことが分かります。
815623:2005/12/17(土) 21:05:31 ID:gSMmOs9S0
投稿、一部重複しました。
816名無しさん@一本勝ち:2005/12/17(土) 22:50:54 ID:DiVdh9Gt0
すごい、発酵流パクリ説完全論破w
817名無しさん@一本勝ち:2005/12/18(日) 03:31:59 ID:drbTPCaN0
DVDをはじめてみました すごすぎる アディー
818無名 ◆kBOgMJht1I :2005/12/18(日) 05:32:40 ID:dL5dpAAC0
自分は八光流にも興味があり、素晴らしい武術だと思うのですが、
本当に八光流の方々は、ウドゥンディーをパクリだと言っているのでしょうか?
2chだけ、とかではなくてですか?
(格闘技板の某スレで格闘技雑誌に書いてあったブラジルでの動きを話題にしたら、
そのスレの住人に捏造扱いされたことがありました。
その時に、ああ、結構「狭い」世界なんだな〜、と思ったことがあったので・・・)
819623:2005/12/18(日) 13:04:35 ID:u60H3kHD0
 ずっと歴史の検証の話ばかりだったので、少し閑話休題というこ
とで、上原先生の技について話してみたいと思います。

 私はだいたい上原先生の70歳半ばくらいから最近までのビデオ
をもっています。で、今回、久しぶりにこの二十数年間の映像を見
直して見ました。当時は子供だったのでよく分からなかったのです
が、今回改めて、上原先生の70歳代は”絶技”だったということ
が分かりました。まず足捌きが神業のようにすばらしいです。つま
先立ち歩きで、まるで上からワイヤーでつるしたかのように、する
するとなめらかに歩いていきます。上原先生の足もとだけがあたか
も重力が半分になったようです。新垣先生風にいうと、一瞬たりと
も「居着かない」のです。そして、どんな動きになっても、足もと
が乱れません。もたつかない、ばらけないのです。上半身は、背筋
がピンと張っていて、体軸はぶれません。

居合い取りの映像では、相手が白刃を抜いた瞬間に相手の動作を見
切って、反応しています。だいたい上原先生に稽古をしてもらった
人は上原先生の反応の早さに驚くと思いますが、70歳代の頃は映
像で見ても、予知能力があるのかと思うくらい本当にすばやいです。

映像というのは、実際の当人の実力の5分の1くらいしか表さない
と思います。それでいいますと、映像で見る限り、上原先生の絶技
が実感できるのは、だいたい80歳くらいまでかなと思います。実
際の練習では、あまり衰えを感じないのですが、映像だとやはりそ
れくらいです。昭和59年、上原先生が80歳の時に日本武道館企
画で撮影されたビデオが、映像的には白眉でしょう。袴をはいてい
るので、足捌きは少しわかりにくいですが、反応の早さは「観の
目」をもった人なら、ため息がでると思います。弟子が動いた瞬間
に見切っていて、相手の動きを制しています。本当にすばらしい方
でした。
820名無しさん@一本勝ち:2005/12/18(日) 13:45:25 ID:2Lj7vQUO0
歴史検証できないガキは>>805だというのが明白になったな。

>>800
本土の人間にも教えようと思ったら、日本語でやらないとむしろ本質は伝わらないでしょ。
外人に鬼怒川を「キヌガワ」って音だけ教えても無意味な音でしかない。
「アングリーなオーガのリバーですよ」って言って初めて言葉が意味を持つ。
言葉の意味もわからずに形骸化したものを伝えさせるより、本質を伝えるのが「誇り」とやらではないですか?
821名無しさん@一本勝ち:2005/12/18(日) 13:57:02 ID:bYKO+86y0
「アングリーなオーガのリバーですよ」が本質だとはとても思えないのですが。
822725:2005/12/18(日) 14:07:09 ID:VRtlzD7r0
623さん、>>814について少しだけ指摘させて下さい
>>723
>しかし、上原先生の師である「本部のウメ−」に関しては、私の師が先師より聞き及んでいます
>「本部のウメ−は蛇皮線の名手でしたが<からて>はしませんでした。」
>「本部のウメ−は唐手倶楽部の管理人をやってくれていました。」という事です。

という投稿は『古流空手って?』という過去スレッドでのものですが、
この投稿主の古流空手さんという方はスレ内の発言からして>>814で623さんが引用された
本の著者村上勝美先生のお弟子であることは間違いないと思います。
よって上の先師という方は許田重発先生という事になるかと思います。
許田先生はクラブの構成員のお一人であったようですが、その許田先生の
お話と>>622の上原先生のお話が大きく食い違っている事はとても不思議に思います。
823623:2005/12/18(日) 19:03:22 ID:y2WCvMte0
>>725

「古流空手」さんが村上先生のお弟子さんかどうか、私には判断で
きないのですが、かりにそうだとしたら、同一人物が矛盾したこと
を書き、語ったということになります。それゆえ、真相は、

1) 村上先生が本で間違ったことを書いた。
2) 村上先生が古流空手氏に間違ったことを教えた。
3) 古流空手氏が聞き間違えた。

の3択のいずれかになると思います。どれが真実なのかは部外者の
私には分かりません。

要点は、本部朝勇先生が倶楽部で空手を研究・指導していたかどう
かですが、これはしたと考えるのが当然だと思います。してなかっ
たら、そもそも倶楽部に参加する理由が分からないからです。他の
先生方はみな空手の研究・指導を目的に集まっているのに、一人そ
の横で本部ウメーだけが三味線を弾きに参加している図は、私には
想像できません(笑)。とすれば、私は村上先生の著書の記述が正
しいと思います。
824725:2005/12/18(日) 23:25:03 ID:VRtlzD7r0
623さん
村上先生のお弟子であるという根拠は過去ログと村上先生の著作
『空手道と琉球古武道』、『空手の心と技』を読み比べられるとはっきりするかと思います。
問題の部分を再掲しますと

>しかし、上原先生の師である「本部のウメ−」に関しては、私の師が先師より聞き及んでいます。
>「本部のウメ−は蛇皮線の名手でしたが<からて>はしませんでした。」
>「本部のウメ−は唐手倶楽部の管理人をやってくれていました。」という事です。
>また糸洲先生のお弟子の方々の中にも「本部のウメ−(本部朝勇氏)」の名はありません。
>ですから、「本部のウメ−」に師も弟子もいる話しは存命当時ですら誰も知りませんでした。

私は『空手道と琉球古武道』に書かれていると事と古流空手さんの投稿には
矛盾はないと思います。違いは「<からて>はしませんでした」が加わっている事です。
また下の2行は古流空手さんの意見か、師(村上先生)が話されたのかよく分かりません。

正直私もこれについては不思議に思いました。唐手倶楽部に在籍して唐手はやらず、
蛇皮線を弾いていたのでは623さんの仰るように不自然なことになってしまいます。
しかし逆に倶楽部で皆と唐手の研究・指導を行っていれば絶対に出てこない発言だとも
思います。ようは「管理人」というものが倶楽部内でどのような位置であったのかということ
なのですが、上記の様な事がありますので、>>814において623さんが「管理人」という
言葉をもって朝勇先生が中心的な地位にあったとし、上原先生の証言の証拠とするのは
早計ではないかと思い、指摘させて頂きました。

私個人としては無責任ですが上記の事について全く判断着きかねます。
私も空手について色々と知識を求めてきたつもりですが、その資料中にも朝勇先生に
指導を受けたという方は結構おられたように思います。
唐手倶楽部の面々には知られないようなところで指導なさったのか、或いは
「<からて>はしませんでした」というのだから<からて>以外はしていたのだろうか等と
考えてしまいましたが、実際はどうなのかわかりません。
825名無しさん@一本勝ち:2005/12/18(日) 23:53:03 ID:r7uodfnS0
どこで見たか忘れたんやけど、首里城前で沖縄の空手界の重鎮が
そろって写っている写真がありました。他の重鎮先生がみんなO
脚気味やのに、上原先生だけ脚がまっすぐやった。長年の歩法の
違いなんですかね。
826623:2005/12/19(月) 02:44:44 ID:iHD5zxsx0
> >>814において623さんが「管理人」という
> 言葉をもって朝勇先生が中心的な地位にあったとし、上原先生の証言の証拠とするのは
> 早計ではないかと思い、指摘させて頂きました。

 いえいえ、その疑問はもっともです。私も少しせわしなく断定し
ました。管理人というのは、たぶん倶楽部の代表者とか世話人とい
う程度の意味かと思います。宴会で乾杯の音頭をだれがするか、み
たいな話と同じで、一応形式的に年長者や身分の高い人になっても
らう。そういう意味で、按司の朝勇先生が選ばれたということじゃ
ないでしょうか。倶楽部の実質的な中心人物は宮城長順先生や摩文
仁先生とかだったと思います。そして、時々長老的な助言・指導な
どは、朝勇先生もしたでしょう。その姿を見て、上原先生には自分
の師匠がえらく偉大に見えた、ということはあったと思います。で
も、(のちの)剛柔流や糸東流の門下生からみれば、「うちの先生
が一番活躍してた」とも見えたでしょう。いずれも、それぞれの立
場からみれば矛盾してないと思います。
827623:2005/12/19(月) 03:49:35 ID:iHD5zxsx0
>また糸洲先生のお弟子の方々の中にも「本部のウメ−(本部朝勇氏)」の名はありません。
>ですから、「本部のウメ−」に師も弟子もいる話しは存命当時ですら誰も知りませんでした。

 糸洲先生が本部御殿に家庭教師として、空手を教えてに来てたの
は紛れもない事実ですが、糸洲先生が積極的に「本部朝勇は私の弟
子だ」と言ってたとも、確かに聞きませんね。でも、それは身分差
から、弟子というのは遠慮したのではないかと思います。

 糸洲先生は王府の祐筆職(書記)でしたが、家柄自体はあまり高
くないのです。筑登之家出身で、この筑登之の宮中位階は正九品か
従九品で、位階では最下位付近に位置します。これに対して、本部
御殿は無品で、正一品より上でした。無品より上は琉球国王しかい
ません。「あいつは俺の弟子だった」と言うには、身分差がありす
ぎます。むしろ、「本部御殿の若様にご教授させていただきまし
た」くらいの感覚だったでしょう。しかも、朝勇先生は糸洲門下で
は屋部憲通先生より年上で最古参の弟子ですから、糸洲先生の晩年
の弟子たちは、糸洲先生が昔、本部御殿で家庭教師をしていた事実
すら知らなかった可能性もあります。朝勇先生が自分から言わない
限りは、大正時代の空手家はその事実をまったく知らなかったかも
しれません。
828名無しさん@一本勝ち:2005/12/19(月) 07:40:18 ID:4T/P/erS0
小林流の知花先生が糸洲先生の言葉として
「本部には空手は教えていない。親父さんに見てくれといわれたから
見ただけ。」と伝えています。
糸洲先生の晩年の弟子たちが、糸洲先生が昔、本部御殿で
家庭教師?をしていたことを知らなかったということはありません。
知花先生によれば糸洲先生が空手を教えたのは8人だけで、
そのなかにどちらの本部先生も含まれていません。
829名無しさん@一本勝ち:2005/12/19(月) 11:06:51 ID:E7g08Ii00
家庭教師してて、教えてないっておかしくない? その発言の
ソースきぼん。
830698:2005/12/19(月) 11:39:14 ID:FalRK1Zb0
623さん
素晴らしい!!
「精説沖縄空手道」は私も持っていたのですが、上地流の歴史を書いただけの書
物との認識があり、過去に目を通してはいたのですが、今回の件を調べるに当た
っては、全く見ていませんでした。

今回のこのスレッドで話し合われた事は、沖縄空手の歴史の知られていない部分
に光を当てた、とても意味深い話し合いだったと思います。それに参加できたこ
とに感謝します。
私の中での疑問が完全に氷解しましたので、今後はこのスレッドに書き込みする
事もないと思います。

623さん、もし何処かでお会いできる機会があれば、色々お話したいものです。

最後に、上原先生の仰っていたことを疑った自分を恥じています。
831名無しさん@一本勝ち:2005/12/19(月) 11:48:10 ID:3FHH+Smx0
武道板はじまって以来の名スレですね、ここは。専門家も
見落としているような情報がたくさん載っているのには、
おどろきです。
832623:2005/12/19(月) 15:03:30 ID:iHD5zxsx0
>>698

 こちらこそ、いろいろとするどい指摘をしていただき、自分の考
察の甘い部分が分かり、改めて勉強になりました。ありがとうござ
いました。私の歴史検証話もそろそろネタが尽きつつあるので、も
う少しで終わりますが、時々は雑談程度に書き込むと思うので、ま
たそのときは、よろしければ参加して下さい。
833623:2005/12/19(月) 15:23:53 ID:iHD5zxsx0
>>828

 私はその口伝の真偽が分からないので、なんともお答え出来ませ
ん。私は自分の流祖である朝基先生の著書の記述を信じたいと思い
ます。『私の唐手術』は昭和8年に出版されました。その頃は、糸
洲門下で兄弟子の屋部憲通先生なども存命していました。ウソの経
歴を書けば、大恥をかいて沖縄に帰ることはできなかったでしょう。
私は朝基先生の記述が真実だと思います。

 ところで、この屋部先生は糸洲門下では筆頭弟子で、日清・日露
戦争でも大活躍なされ、当時の沖縄県民にとっては、”屋部軍曹”
の名で知られた大英雄でした。新垣清著『猿・小説本部朝基物語』
では、小説のクライマックスで、この屋部先生と朝基先生が、本部
御殿の庭で龍虎の死闘を演じ、結局引き分けに終わります。この小
説は大変面白いので、もし機会があればみなさんお読みください。。

 ところで、あまり知られていませんが、実は朝基先生と屋部先生
は親友同士で大の仲良しでした。名嘉真先生が朝正先生に語ったと
ころによると、屋部、朝基、あともう一人の先生の仲良しの3人組
は、よく松茂良先生のところへ遊びに行っていたそうです。松茂良
先生はいつも弟子に課題を与えては、自分で考えさせるというスタ
イルの名教師で、3人が遊びにいくと「相手がこう攻撃したら、ど
う対処するか?」と宿題を出されて、次に来るまでに考えてこい、
と言ったそうです。この宿題が楽しくて、3人はそれぞれ自分の回
答を持って行って、先生に誉めてもらえると大変喜んだそうです。

 長嶺先生によれば、朝基先生は晩年「東京に来て、こんなに沖縄
の唐手の型が歪められているのを見て、しのびない。自分は屋部兄
が生きているうちに一度沖縄に帰って、改めて正しい型を収集して、
本土の人に伝えたいと思う」と語っていたそうです。よほど互いに
信頼しあっていたのでしょう。
834名無しさん@一本勝ち:2005/12/19(月) 19:32:22 ID:360NfLl80
ええ話やね
835名無しさん@一本勝ち:2005/12/20(火) 13:36:25 ID:7OVxEfWH0
自分空手が専門ではないんですが、子どもの頃、近所の道場でみていた空手と
最近みる空手がまったく違うものに見えて、違和感を感じていたのは、気のせいでは
なかいのかもしれませんね。
836623:2005/12/20(火) 20:10:31 ID:ZiWxpqqa0
 本部御殿手と八卦掌の歩法が似ていると指摘があったので、改め
てネットで八卦掌について調べてみました。

 八卦掌というのは、中国武術の中でも清朝末期に成立した武術で、
比較的新しい武術のようです。さらにこれが日本に紹介されたのは、
あるサイトによると昭和50年頃に出版された本が初出のようです。
とすると、御殿手が八卦掌の影響を受けて成立したというのは、歴
史的な時系列から考えてありえません。

 一方、上のほうレスでリンクが張られていた八卦掌と本部御殿手
の関連が議論されているというスレを読んでみました(現在、Dat
落ち)。そこでの議論によると、八卦掌の前身の「八卦門八卦掌」
を19世紀初頭に清に渡った唐手・佐久川が持ち帰り、これを琉球
王家の一族である本部御殿だけに伝えた可能性があると述べていま
す。推測としては、成り立ちえますが、これを証明する口伝も資料
も存在していませんし、唐手・佐久川といえば現在の首里手の祖で
あるので、他の首里手にこれが受け継がれなかった、というのは不
自然です。最高の「八卦門八卦掌」を秘術として本部御殿に伝え、
他の士族達には他の中国武術を伝えた、という仮説も、まったくフ
ィクションの域をでません。

 というわけで、歴史的な関係については、これを証明することは
到底不可能なので、歩法を中心に技術的な関連があるかを述べてい
きます。
837623:2005/12/20(火) 20:31:43 ID:ZiWxpqqa0
http://members.jcom.home.ne.jp/abaguazhang/

 このサイトに八卦掌の動画がありました。動画1では、2,3メ
ートルの円を何度か周りながら歩いています。これが走圏というも
のでしょうか。いくつかサイトを調べた限りでは、八卦掌の歩法は、
「平起平落」という足の裏全体で着地し、踏み上げる歩法が基本で
(かかと着地も可らしい)、「ショウ泥歩」とよばれるすり足に近
い歩き方で歩くそうです。動画を見る限り、やや膝を曲げ、腰も少
し落とし、上半身は心持ち前屈気味にして歩いています。こうやっ
て特徴を列挙すると、御殿手とは基本的に随分違う歩法になります。
御殿手は、

・ 平起平落ではなく、つま先立ちを基本とする。
・ すり足ではない。
・ 膝は基本的に曲げない。
・ 腰は落とさない。
・ 上半身は前屈気味ではなく、まっすぐを保つ。
・ 走圏のような円周歩法の訓練がない

 私が見る限りでは、八卦掌と御殿手には共通点よりも相違点のほ
うが多いように見受けられました。あの動画が模範的な歩法かどう
かは分かりませんが、他のサイトの説明を読んでも、あまり御殿手
の歩法とは関連が薄い気がします。
838名無しさん@一本勝ち:2005/12/20(火) 20:43:09 ID:AMAl2TRt0
八卦掌でも爪先立ちでキャットウォークのような前重心の歩き方も練習します。
839名無しさん@一本勝ち:2005/12/20(火) 21:13:00 ID:bRB8GXS70
>>837

八光流以上に無関係だと思うよ。
八卦掌は常に側面に回るための歩法だし、攻撃も円が基本。
御殿手は避けない、回り込まない、止まらない。
840623:2005/12/20(火) 22:44:42 ID:ZiWxpqqa0
>>838

>八卦掌でも爪先立ちでキャットウォークのような前重心の歩き方も練習します。

 なるほど。ただ八卦掌が沖縄に伝わって御殿手が成立したのなら、
やはり基本の「平起平落」が伝わっていないというのは、不自然で
す。

>>839

>御殿手は避けない、回り込まない、止まらない。

そうですね。八卦掌が回り込み歩法を基本するなら、御殿手と基本
的な思想からして、違ってきます
841名無しさん@一本勝ち:2005/12/20(火) 23:24:57 ID:K0xFIcv9O
あのーウデンデだかなんだか知らないけど、沖縄に本当に来て習いたい人いるならレスくれますか?
842名無しさん@一本勝ち:2005/12/21(水) 00:32:44 ID:oT1PxIU60
>>623さん
本土では、三宅先生(氏家流平方元手術)と本部先生だけが上原先生に御殿手の皆伝(正式弟子)が許されてるというのは事実ですか?
843623:2005/12/21(水) 13:22:53 ID:2m0NYvXz0
>>842

 うーん、皆伝というのは、御殿手には制度としてないと思います。
範士10段ということでしたら、私が知る限りでは故比嘉先生か、
朝正先生くらいしか思い浮かびません。私は流派内でどなたが何段
もらったか、あまり詳しく把握してないので、もしその三宅先生の
道場に10段免状が飾ってあるのならその通りだと思います。氏家流
の三宅先生については、正直いいますと私は存じていません。K先
生のお知り合いで、以前、大阪の三宅さんが来られていましたが、
この方は短期間で来られなくなったので別人だと思います。10段と
いうのは別格で通常は授与されません。よほど長期間上原先生に信
頼されて修業を続けられた方で、範士9段が最高だと思います。私
の入門以前の話になると、私も分からないです。

 御殿手で、上原先生の域に到達した人がいたか、という意味での
皆伝でしたら、私は最近、30年弱のビデオを見直しましたが、残念
ながら一人もいませんでした。それは高弟の方が技術が足りてない、
という意味ではありません。上原先生だけは「次元が違う」という
意味です。月刊秘伝の追悼号で「百年一代の武人」という言葉が表
紙を飾っていましたが、私はあの言葉は大げさでもなんでもなくて、
まさにその通りだと思います。特に80歳くらいまでは神技でした。
本部朝基先生以降では、沖縄が生み出し武人の中では「最大の一
人」だと信じています。自流派の師匠のえこひいきだと言われるか
もしれませんが、私はできるだけ自分の主観をおさえて考えても、
上原先生より上というのは、ちょっと想像できません。
844623:2005/12/21(水) 13:24:08 ID:2m0NYvXz0
 本土で御殿手を習えるところは、首都圏方面ですと、

ttp://www.geocities.jp/shudoukanjp/

の手道館などがあります。ここの池田師範は昔から朝正先生の高弟
で本部流も教えられますし、御殿手ももう30年近く前から上原先生
に直に教わっているので、技術的にも全く問題ありません。他にも、
安間、中宮両先生が埼玉、群馬で教えています。手道館に問い合わ
せれば、近くに習える道場があるか、教えてもらえると思います。
845名無しさん@一本勝ち:2005/12/21(水) 17:17:30 ID:MRF+glw00
発酵流も大東流合気術のパクリだから、持ち手は手首だよん。うどん手
みたいに指先はもたないし。八卦掌とうどん手の歩きも全然似てない。
平起平落とつま先立ちって、基本からして全然ちがうやん。ちょっと検
証すれば、すぐ分かることなのにねぇ。
846623:2005/12/22(木) 12:26:17 ID:CbTsuieF0
上のほうで紹介されていた『空手伝真録』(上)を購入してみまし
た。新たに増補改訂版が今年から出版されたようで、現在まだ下巻
は出版されていません。この書の松茂良興作先生を紹介する項で、
本部朝勇先生の話が出ていたので、下にその部分を抜粋してみます。
この話の出典はとまり会の会誌だそうです。

「(松茂良)興作が晩年(六十余歳)の頃、松村宗根の弟子・本部
朝勇と屋部憲通は、かねがね両名の師・松村宗根より武名の高い興
作の武芸のほどを探るべく興作の家を訪れていたが、興作はいつも
居留守を使い、彼らと面会を避けていた。ある日のこと、興作は裏
と表から在宅をうかがわれて屋敷裏にいるのを見られたので、仕方
なく二人を座敷に招き武芸の講釈をした。腹に一物ある彼らは執拗
に手合わせを要求するので、興作は「私を持ち上げてみなさい」と
三尺の間隔の柱と柱の一方を背にし、両足を一方の柱に強く踏んば
った。これを見た二人は内心たかだか老人くらい、と左右から腕を
抱えて持ち上げようとしたが、興作の体は微動だにしなかったので、
両名は老いたりとはいえ、さすがに音に聞こえた大家だと感じ入っ
た。その後、お茶を飲みながら興作は「貴方がたは、たしなみがあ
りません」と、暗にその非礼を諭してやったそうだ。

 本部家には、松村先生を家庭教師として本部御殿に呼んだという
口伝が伝わっていますが、この口伝以外で、本部朝勇を松村先生の
弟子として記述した文章は、上記の引用元のとまり会会報が初めて
です。貴重な報告なので引用しました。ただ上の話は、興作先生晩
年とありますが、その頃は弟の朝基先生が弟子入りしていましたし、
名嘉真先生の話では、朝基、屋部先生たちは松茂良先生のところに
よく遊びに行っていたと語っていますから、このエピソードが事実
だとしても、時期は松茂良先生晩年よりも早かったかもしれません。
847名無しさん@一本勝ち:2005/12/22(木) 18:08:52 ID:kbVP913J0
本部舞手合戦取手会 城間清範先生
ttp://www.rupan.org/uploader/download/1135240289276121.KGLYhJ?dl
パス shiroma
848623:2005/12/22(木) 18:31:26 ID:flhDWPIH0
なつかしいですね。その動画は何年くらい前のやつですか?
849名無しさん@一本勝ち:2005/12/23(金) 01:24:46 ID:D1v3nv350
5年位前です。
850名無しさん@一本勝ち:2005/12/23(金) 09:53:30 ID:0qMJEme/0
久しぶりにこのスレのぞいたら、すごい話が進んでたのね!

朝勇先生が空手をしていたのは、上原先生の作り話だと僕
もすっかり信じてました。過去スレとか、そんな風に書い
てあったし。。。でも、探せば、いっぱいエピソードが出
てくるんですね! びっくり。

しかし、ホラ吹き連中に、いままでホラ吹き呼ばわりされ
ていた上原先生、かわいそう・・・

851名無しさん@一本勝ち:2005/12/23(金) 14:28:18 ID:eqGruZU/0
上原達人伝説 うどんで
852名無しさん@一本勝ち:2005/12/24(土) 00:12:41 ID:MgOXoN9q0
JKFan最新号で『空手伝真録』の著者、金城氏が上原先生を遠回しに批判。
853623:2005/12/24(土) 23:25:33 ID:l/r4/iOT0
>5年位前です。

なるほど。お元気そうで何よりです。

JKFanは少し見ましたが、すでにこのスレで論破されているような
本部御殿手=八光流からの改作説をに書いていました。

あと、>>819で書いた、日本武道館企画、昭和59年撮影の「日本
の古武道・本部御殿手」が

http://www.bab.co.jp/hiden/video/bcv/bcv43.html

上記のサイトでDVDとVHSの両方で買えるようです。上原先生80歳
の時の映像です。肝心の歩法は、袴とシューズを着用しているため
に(おそらく意図的に隠したのかもしれません)、はっきりとは見
えないのが残念ですが、それ以外の上原先生の技のすばらしさは、
同じBABから出ているもう一つのビデオとは比較になりません。

「観の目」を持った人が見れば、おそらく深い感銘を受けることで
しょう。40分足らずの紹介映像ですが、本部御殿手や上原先生の
すばらしさを認識するには十分な長さです。値段はやや高めですが、
テープのほうは武道館のライブラリーで貸し出しもしているようで
す。
854名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 02:11:33 ID:yCXpki8f0
お世辞じゃなくて草書(完成系)の段階では世界最強の武術だと思う
「歩きながら敵を倒す」「あくまでも自然体に」という究極の理想を体現している流派だ

あとは「いかに上達体系をシステム化するか」だけが問題でしょう

855名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 02:16:14 ID:yCXpki8f0
特に大人になってからやるには、御殿手一本よりも、
中国武術などの体を練ることのシステムが優れた武術で体を作ってから、
「どうやって戦うのか」という最終的な部分で御殿手を身に着けるのが効率的だと思う。
あるいは古伝どおりに子供のころからやるかね。

中国武術は御殿手とは逆に、体は練れても、「じゃあどうやって戦うの?」って部分が弱い流派が多いような気がする
856名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 02:19:03 ID:juva/AOx0
>>855

漏れのトコは、「どうやって戦うか」の部分しか残ってなくて
システマチックな練体が残ってるトコがうらやましい・・・
857名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 02:21:49 ID:yCXpki8f0
>>856
中武で?もし良かったら流派名プリーズ
858名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 03:10:05 ID:yCXpki8f0
>>375
そうそう、それは気になる
859623:2005/12/25(日) 13:43:47 ID:7Kj64Im90
本部御殿手の術理の理論化は、これから必要かもしれませんね。い
ままでは、上原先生お一人の指導に頼っていましたが、これからは、
有る程度理論化しないと、空手のように、どんどん崩れていく可能
性があります。

たとえば、相手が攻撃してきたとき、上原先生は軽く「歩いて」か
わすのですが、空手をやってきた人で御殿手を習い始めた人などは、
たいてい少し「跳んで」かわします。本人も気づかない動作なので
しょう。どうして跳ぶかというと、その前段階で、居着いて構えて
いるからなのだと思います。上原先生は自然な、つま先立ちの姿勢
で、すでにその時点から居着いていません。相手が動き始めた段階
から、死角へと歩み始めます。いっけん何の変哲もない歩みで、拍
子抜けするくらいですが、攻撃する方は見事にかわされて、気がつ
いたら、取り手をかけられていたりします。空手から入った人が、
空手の動きをリセットするには、おそらく5〜10年くらいはかか
るでしょう。このあたりも、もっと理論化して指導すれば、期間を
縮められるかもしれません。

話は変わりますが、JKFanの付録に全日本選手権大会名勝負を収め
たDVDがあったので、少し見てみました。感想を言うと、空手の歩
法はもう「めちゃくちゃ」ですね。競技試合化の弊害なのか、皆、
小刻みにステップを踏みながらフットワークを多用しています。ブ
ルース・リーの映画やボクシングからの影響なのでしょうか。あれ
は古流空手の動きではありません。20年くらい前からの名勝負が
入っていますが、年々「悪化」しています。松村先生や糸洲先生が
あれを見れば、愕然とするでしょうね。
860名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 14:37:14 ID:HgxuKH3l0
しかし、こういうものの難しいところは、
御殿手の原理を抽出して、初心者用の基本などを制定しても、
その「基本」を上原さんはやってなかった訳で、
その「基本」の延長に必ずしも御殿手の完成形があるかどうかは分からないことだと思う。
英文を和訳して、それをまた英訳したら、元の文に戻るとは限らないように。

後世の人間に道をつけるのは大切だが、体系化と形骸化は紙一重。
武術の本質は言葉にした途端、「よく出来た例え話」になりやすい。
861名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 17:36:12 ID:5hcB9j7U0
>「観の目」を持った人が見れば、おそらく深い感銘を受けることでしょう

>空手の歩法はもう「めちゃくちゃ」ですね。競技試合化の弊害なのか、皆、
小刻みにステップを踏みながらフットワークを多用しています。ブ
ルース・リーの映画やボクシングからの影響なのでしょうか。あれ
は古流空手の動きではありません。20年くらい前からの名勝負が
入っていますが、年々「悪化」しています。

よほどの達人なんですね。623さんは。
観の目ももち、競技空手家たちをこけ下ろせるぐらいの実力があるんですね。
なんだかどんどん傲慢な書き込みが目立ちますよね。
自分だけが本物を知ってる=自分は本物である
といってるとなんら変わらないですよ。
最初からみても口だけは謙虚で丁寧で、実際は裏に見える自流派だけ最高!&
自分は凄いんだぞってのが見えます。

少し残念です。
もう少し心の修行をしていただけるといいかなと思いました。
世の中もっと謙虚で素晴らしい方々もいらっしゃいますよ。
そういうことも認めてこそ、あなたの価値も変わってきますよ。
自分の尊敬する人は素晴らしい それでいいじゃないかと思いますよ。
いちいち他を貶してじゃないと立てられないんですか?

初めて書き込みますが、ちょっと残念だったのでつい書いてしまっただけです。
では。
862名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 17:49:11 ID:ryjuONeuO

禿同!
863名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 18:00:21 ID:T9ig+Z+10
本部朝基先生を真似て623さんが競技空手に飛び入り参加希望。
864名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 18:32:33 ID:lWZ60j610
競技空手やっている人間で、このスレのぞいているやつが
おるという事実が意外だ。
865名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 18:53:23 ID:yCXpki8f0
空手としては無茶苦茶ってことでせう
強いとか弱いとか別にしてね
「それも空手だ」って言えばそれまでだけど
866名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 19:07:22 ID:pTvWd7rH0
空手の歩法なんて特別なことは習わないぞ。
日常動作というか常識の範囲の中で理解している。
流派によって技法上の違いがあるんだろうが
いまさら覚えた動作を簡単に変えられはしない。

強い弱いは個人の強さによるんであって
技法の違いどうかな?
試合中 器用な奴は楽にスイッチしてるし
そいつが器用なだけかもしれんが、
生かせないと技法には意味がない。
一般に普及した技法にも理由も何かあるんだろうし。
867名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 19:40:41 ID:UrbiVpL10
tp://www.casphy.com/bbs/test関節/read.cgi/sports/1110783447/(関節を外してください)
868名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 19:46:17 ID:5hcB9j7U0
>>861-862
まあ、逆にいいますと、
あなたたちの言い分も実は傲慢に過ぎるところがあるのですけどね・・・。
多分若い方なのでしょうが、感情的にならずに、もう少し礼儀を持って
「進言」するくらいの気持ちでもいいかもしれません。
(文面から察するに、あなた達が623さん程の長い修練を積まれているかは少し疑問です。)
現代競技空手のステップワークが古流空手に無い事は、
ある程度の経験と知識があれば分ることではあります。
多分623さんは現代競技空手をやったことがなく、
861さん、862さんは古流空手をやられたことが無いのでしょう。
古流空手と現代競技空手の想定した「戦い」に違いがある以上、
自分としては当然の結果ではありますが、長く古流だけを習っている方が
あのステップに疑問を感じるのは「普通」ですよ。

それを分った上でお話を進めるのであれば、
非常に「お互いにとって」有益であるとは思いますけどね^^
(自分は、現代競技空手のステップも「あり」だとは思いますが、
何故古流空手の方から批判的な意見が出るかは、真剣に考えるべきだと思います。)
869名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 19:52:37 ID:2+peABy60
861さんは、建設的な議論には一切参加せんと、文句言うだけ
のために、初めて書き込んだんやね。さすが人間の出来がち
ゃう、謙虚やね。わしら凡人には理解できへん境地に到達して
ると見た。
870名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 20:30:13 ID:/QQRTHwLO
868 869

なんだか過剰に反応してますね。
同じ指摘を返されてもしょうがないような意見ですね。

あなたたち三人は相手を馬鹿にして、どう思われるかさえも
わからないんだなという意味では、もう少し心の修業が必要だという
意見には賛成です。

他の人が必死にやっていることを馬鹿にするような発言は最低ですよ。
フォローしようとし方も見苦しいですよ。
871:2005/12/25(日) 20:34:32 ID:ryjuONeuO
862は私です。
名前忘れてました。
すいません。
今まで興味深く勉強させてもらいましたが、あの後半だけはいけない。
今までの論戦が帳消しになる。
御殿手批判に対しての素晴らしい論陣が、他の批判をしたがため台無しになりました。
残念です。
その意味での同意です。
もったいない。
推敲すべきですね!
私自身は上原先生の業績や御殿手については何の疑問もありません。
誤解なきよう。
872名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 20:40:57 ID:zZvZYt/b0
全空連のあのステップワークは、寸止め空手の必然の
帰結。スピードと間合いの取り合いが重要だから、あ
あいうステップになる。そして、それを批判すると、
ムキになるのも、全空連の人の特徴。この板では、永
遠に繰り返されてる光景です。

とういわけで、誘導↓

他流派★全空連の全日本★から見た
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1133485397/l50
873名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 20:50:57 ID:BmL6uQ3Y0
武術の特徴を「歩法が勁道を損なわないように組み上げられている技術体系か否か」で評価するのもおもしろいですよ?
874:2005/12/25(日) 21:02:14 ID:ryjuONeuO

もっと武板を見て歩かないと。
批判に対して批判で応じずに一つ一つ事実を積み重ねて証明して来た姿勢は評価できます。
それが最後に批判をしたがために台無しだと言いたかったんです。

875名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 21:12:39 ID:T9ig+Z+10
競技空手家が上原先生を批判したことはないと思います。
上原先生を批判しているのは主に沖縄の空手家、研究家でしょう。
623さんには相手を間違えないでほしいです。
876名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 21:20:04 ID:BmL6uQ3Y0
>>874

↑の矢印ですが、たぶんあなたが話しかけるべき相手は私ではないです。
HNを指定して語りかけてください。
私は623氏ではありません。

>それが最後に批判をしたがために台無しだと言いたかったんです。
私見ではこれは台無しにはなってませんよ。取り繕い方があります。

>>875
本音がでただけなんじゃないですかね?

>>873>>872を受けて言った言葉です。批判云々とは関係ありません。
これも議論を煮詰めていくと、たいてい非常に面白い矛盾につきあたるんで話としては面白いんですが。。。
877:2005/12/25(日) 21:24:01 ID:ryjuONeuO
はい。
書いてるうちにすすんでました。
しかし、名無しが多いんで。
間違いも御容赦を。
878名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 21:25:14 ID:yCXpki8f0
>>873
足裏への地面からの反力を体内で増幅しながら正確に手先まで伝えることのできる歩法かどうかってことですか?
そういえば御殿手の歩法は「足裏神(シャビラシン)というらしいですね
879名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 21:36:47 ID:BmL6uQ3Y0
>>877

了解しました。

>>878

御殿手は専門ではないのでよく知りません。

880868=無名:2005/12/25(日) 22:57:12 ID:5hcB9j7U0
>>869さん
まあ、そういう切り返し方は荒れる元になるので、
やめといたほうが無難かと・・・^^;

>>870さん
自分が言っているのは、「お互い過剰に反応するのは良くないですよね」
ってことですよ〜><;
もう一度読み直してみてくださいm(_)m
罵りあうだけでは意味が無いし、
それよりもお互いのステップワーク、歩方についての理解を深めていく方が、
何かと有益だとは思いませんか?

>>871さん
創さんでしたか!!w

>>872さん
誘導有難うございます、
この話題ちょっと面白いので、そちらに移って議論(罵りあいではなく!w)
してみるのもいいかもですね〜^^
できれば、創さんや(後から)623さんもご参加いただければ・・・

>>873さん
「勁道」のことを良く知らないので、出来ればもう少し説明の方して頂けると、
非常に有り難いです〜><;/(というか、是非お願いしたく・・・)

という訳で、向こうの方に移動してみます。
881623:2005/12/25(日) 23:09:17 ID:ZdiSZxel0
昼から図書館に通っていたのと、夜は家族と外食に出かけていたの
で、レスが遅れました。順番に少しずつ、答えていきます。

>>860
>英文を和訳して、それをまた英訳したら、元の文に戻るとは限ら
>ないように。

 そうですね。その点はまさにおっしゃるとおりで、同感です。結
局のところ、万人に少しでも受け入れられやすい練習法を導入した
ために、せっかくその武術がもっていた良さが台無しになってしま
う、ということはありがちなことで、御殿手も下手にいじると、改
善のつもりが改悪になる恐れは十分にあります。

 ただ私の子供の頃の記憶で言いますと、御殿手のつま先立ちや膝
を曲げない練習法は、子供ながらにひどく不合理に思えて、この練
習を続けて一体どういう完成形が見えてくるのか、よく分かず内心
不満に思っていたのも事実でした。本当にこの歩法の本質が飲み込
めて来たのは、ようやくごく最近といったところです。おそらく、
私のような思いで御殿手を練習している人は他にもいると思うので
す。上原先生のすばらしさを実際に知っている世代はまだ大丈夫で
すが、その次以降の世代になると、果たしてどうなるのか、という
心配は正直あります。
882623:2005/12/25(日) 23:13:06 ID:ZdiSZxel0
>>861様、創様

 私の書き込みで気分を害されたのなら、申し訳ありませでした。
ただ>>859で書いた感想は、自分の率直な意見表明で修正するつも
りはありません。競技空手が自分に課せられたルールの制約の中で、
技を構築し、磨き、その枠内でできるだけ通用するように技術向上
していくことは理解できます。ただその「枠」が妥当かどうかにつ
いては、私は古武術、古流空手をしてきた人間として、「枠の中の
人々」とは別の意見をもっています。ただそれは「空手の行く末」
ということへの、私の不安感から生じているもので、その点で競技
空手をしている人たちにも、できれば同じ問題意識を共有してもら
いたいと思っています。十把一絡げに、競技空手をしている人たち
を全否定するつもりはありません。その枠内で、真摯に努力されて
いる方々がいるのは承知しています。ただこのテーマの議論はこの
スレの趣旨からは逸脱しているので、その点でここで感想を漏らし
たことは不適切だったかもしれません。スレ汚しになるので、これ
以上、このテーマは議論しないことにします。

あと、自分の流派に誇りはもっていますが、他の流派をおとしめて、
自分の流派を持ち上げるような議論をしてきたつもりはありません。
当然、私にも感情がありますから自流派に向けられる批判や中傷に
対しては憤りを覚えますが、はっきりと根拠を示して反論できるこ
とはできるだけ資料を調べて提示し、自分でも分からないことはそ
れは分かりません、とフェアな議論を心がけてきたつもりです。所
々で、人を不愉快にさせるような、短慮な言葉遣いはあったかもし
れませんが、それは私も不完全な人間ですから、ご容赦ください。
883名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 23:33:08 ID:yCXpki8f0
>勁道

自分的には体の「力の通り道」と解釈しています。
錬功段階では勁道に力を通す意識を持ってトウロなどを行い、実戦段階では無意識で力が発揮されるようにします
私のやってる中国武術では重力と呼吸の力を螺旋状にまとめあげて相手にロスなく伝えることを理想としています。
884名無しさん@一本勝ち:2005/12/25(日) 23:38:15 ID:yCXpki8f0
>>623
子供のころから修行されていたのですか、それは素晴らしいですね
棒を入れてまで足を伸展させて歩く訓練の意味は一体どういうことなんでしょうか?

それと、ビデオで見ると上原氏はちゃんと膝を曲げて歩いてるように見えるのですが、
やはりあくまでも「膝を常に伸ばす意識を持って歩法を行う」ということであって、実際に常に伸ばして歩くという意味ではないでしょうか?
885884:2005/12/25(日) 23:41:24 ID:yCXpki8f0
>実際に常に伸ばして歩くという意味ではないでしょうか?

>実際に常に伸ばして歩くという意味ではないということでしょうか?

のまちがいです
886無名 ◆kBOgMJht1I :2005/12/25(日) 23:53:23 ID:5hcB9j7U0
>>883さん
ありがとうございます〜、「なんとなく分った」ような気がします^^;
空手では型をやりこんでいくと、
そういう感覚が徐々に身についてくるような気がします。
887:2005/12/26(月) 00:14:36 ID:RT29l1IdO
623 882
いえいえどうも。
気は悪くないですよ。
ただ一貫性がないのはどうかということで。

私自身は糸東を30年くらいやってます。
本流です。
その他八卦や八極をやっています。
以前八卦と歩法が似ていると書いたのも私です。
競技もやりつくせば、やはり上原先生の足捌きを真似なければ居付くことは必定です。
みんなそれなりに取り入れてるとは思います。
それほどに上原先生は偉大であったと考えています。

888860:2005/12/26(月) 01:03:35 ID:venfzbMF0
>>881
わざわざ「様」付きで呼んでもらってどうも。
ついでに私見をもう一つ言わせてもらいます。

武術はそれを育む環境と無関係ではいられない。
サンダルの文化か、裸足の文化か、靴の文化か、
湿地帯で生まれた歩法か、砂漠か、岩場か、
狭い場所か、大草原か、等。

そういう意味では、「競技空手」というものに特化するなら、
フットワークも否定されるものではなく、「あの条件で戦うなら有効」だと思う。
それが日常の護身に生かされるか、ということであれば、
逆に御殿手もまた、「雪の中やごつごつした岩場では使えないから非実戦的だ」という見方も出来てしまうのではなかろうか。
889名無しさん@一本勝ち:2005/12/26(月) 01:09:15 ID:MY34CVjS0
雪の中は知りませんが、岩場なら普通に沖縄にもあるでしょうから、戦えるでしょう
890623:2005/12/26(月) 10:59:42 ID:MWTc2m8m0
 ある武術の特徴と、その武術が想定する「敵の人数」とは、密接
な関係があります。例えば、剣道でも、柔道でも、競技空手でも、
試合での敵は今日「一人」です(勝ち抜き戦云々は除外します)。
この事実はもう無意識に頭にすり込まれていて、いまさら問題にも
なりません。ところで、剣道をしている人で、よく二刀流をバカに
しているのを聞きますが、宮本武蔵が『五輪書』で二刀流のメリッ
トについて述べている点に「二刀流は多人数が相手の時に有効であ
る」という箇所があります。宮本武蔵は戦国時代がちょうど終わっ
た頃に生きた人ですが、彼にとって剣術は「合戦」で使うもの、と
いう意識がまだあったのでしょう。

 合戦となると、敵は複数で、しかも個々人の戦の技量も種々雑多
です。それゆえ、合戦の場にふさわしい武術は何か、という観点で
考えられた武術は、平時の「護身術」として考えられた武術とは、
発想からして違っているわけですし、当然武術の特徴、術理も異な
ってきます。
891623:2005/12/26(月) 11:01:17 ID:MWTc2m8m0
 本部御殿手が歩くことを重視するのは、合戦のような多人数戦を
意識した武術だからです。ところで、琉球王国で合戦があった時代
はいつでしょう? 少なくとも16、7世紀にまでさかのぼる必要
があります。御殿手のすべてがそこまで古いとは思いませんが、も
っとも古い部分は、その時代に原型があったのかもしれません。

 さて、多人数戦のときは「リズム」が重要になってきます。敵が
浮き足立ったところで一気に攻めると、相手のリズム(拍)がどっ
と崩れて、潰走を狙えるからです。だから、こちらは常に一定のリ
ズムを刻んで歩みながら、相手のリズムをどんどん崩していく戦法
が重要になってきます。そのために、砂かけ、目つぶし、ある種の
大声や大音を発する、また地形を有効利用する、という点も重要で
す。逆にこっちが居着いて構えてしまうと、相手はリズムを整えて
来るので、瞬く間に不利になります。相手の拍の崩れをねらう重要
性は武蔵も『五輪書』で何度も指摘しています。本部御殿の先祖が
『五輪書』を読んだとは思えませんが、同じ結論に到達しているの
は興味深い点です。
892無名 ◆kBOgMJht1I :2005/12/26(月) 11:44:14 ID:nR8wA3GP0
>さて、多人数戦のときは「リズム」が重要になってきます。敵が
>浮き足立ったところで一気に攻めると、相手のリズム(拍)がどっ
>と崩れて、潰走を狙えるからです。だから、こちらは常に一定のリ
>ズムを刻んで歩みながら、相手のリズムをどんどん崩していく戦法
>が重要になってきます。そのために、砂かけ、目つぶし、ある種の
>大声や大音を発する、また地形を有効利用する、という点も重要で
>す。逆にこっちが居着いて構えてしまうと、相手はリズムを整えて
>来るので、瞬く間に不利になります。

ううむ、お見事っす!@@
893名無しさん@一本勝ち:2005/12/26(月) 11:59:34 ID:HIQpZLTT0
合戦のような多人数戦で一番危険なのは囲まれること。
だから囲まれないよう動き回る。
時間無制限だから体力を消耗しないよう走らずに「歩き回る」。
その程度の理解でいいんじゃないでしょうか?
「リズム」は一対一でも、あるいは競技でも当然重要なことですから
多人数戦の特徴として出してもあまり意味はないと思います。
894名無しさん@一本勝ち:2005/12/26(月) 12:05:22 ID:xicyzogp0
正直、上原先生より座波先生のほうが完璧であるように見える。
895名無しさん@一本勝ち:2005/12/26(月) 14:00:05 ID:MY34CVjS0
上原先生の突き蹴りの動画が見たいのですが、収録されてるDVDかビデオはありませんか?
896名無しさん@一本勝ち:2005/12/26(月) 14:29:40 ID:HIQpZLTT0
リズムといえば、623さんがお嫌いなフットワークこそ
最も端的にリズムを戦術化したものじゃないでしょうか。
897名無しさん@一本勝ち:2005/12/26(月) 19:14:48 ID:IVeSeWU10
場を支配するリズムの話じゃないの? それを相手から奪え、
ってことっしょ。
898名無しさん@一本勝ち:2005/12/26(月) 21:23:26 ID:venfzbMF0
>>889
岩場で「膝を伸ばして」「一定の速度とリズムを崩さず歩く」のは不可能かと。
899バガボンド:2005/12/26(月) 22:25:26 ID:q7duzP930
崩れといふ事は、物毎あるものなり。その家のくづるる、
身のくづるる、敵のくづるる事も、時のあたりて、拍子
ちがひになりてくづるるところなり。大分(多数相手の)
の兵法にしても、敵のくづるる拍子をえて、その間をぬ
かさぬやうに追ひ立つること肝要なり。
900名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 00:19:24 ID:4vd9pMNc0
>>898
もともと武術だから足場の悪いところで戦うことができないなんてありえないよ
武術におけるリズムというのは一定のものでなくて、一瞬一瞬変化するものだ
膝を伸ばすというのも別にどんな状況でも常に伸ばすという意味ではないだろう
901名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 00:46:29 ID:26rSFJlf0
>>900
あなたは御殿手を知らない人ですね。
歩くのが相手に合わせて早くなったり遅くなったり「してしまう」のは一般の武術のくせで、
それが抜けない限り、御殿手の歩法は出来ません。

前の方にも書いてある通り、武術はその生まれた土地や目的によって特化されます。
王家の技というのは、どんな場所でも戦えるような、「汎用的護身術」としての武術ではありません。
別に、それが悪いということではありません。
合気道の膝行や座り技を、「アスファルトでやれば血まみれになるから非実戦的だ」というのはナンセンスでしょう。

あるいは、屋内やトイレなど狭い場所で身を守らなくてはいけない場合は、
柔術などの居捕りの方がキックボクシングなどより役に立つでしょう。
だからと言って、柔術家とキックボクサーでどっちが強いかと言うと別問題です。
何にでも向き不向きはあるし、万能な武術などないということです。
902名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 00:52:02 ID:4vd9pMNc0
>>901
ん?御殿手の歩法は相手によって、また相手の人数によって微妙に速度などを変化させるよ
903名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 00:56:22 ID:4vd9pMNc0
相手の人数によって歩法を変えることはたしか書籍にも書いてあったと思う
それと合気道には座り技はあるけど、別に座った状態じゃないと戦えないってわけじゃないから、例として不適切だ
あとキックボクシングは武術じゃなくて格闘技だぞ

基本的に御殿手は戦場の武術だから、足場の悪いところ、たとえば砂浜などでも戦うことを考慮しているし、
細かい風向きや地形などへの対応も口伝に残されている
904名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:01:03 ID:4vd9pMNc0
身の回りのあらゆるものを武器として使うことを訓練するし、
袋小路で追い詰められたときに壁を飛んで逃げる方法も訓練としてある。馬術も訓練する。

おそらく現存しているほとんどの古流武術よりも、『汎用的』な武術であると思うよ。
905名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:01:48 ID:26rSFJlf0
速度とリズムは別です。
速度の変化を肯定すれば、結局、目の前まで歩いて行っても、
相手が攻撃しようとした瞬間に、止まって受け止めようとしたり、
攻撃しようとする先をとって、あわてて押さえに行こうと早足で駆寄ることになります。
一般的な武術ではそれも肯定されますが、他対一の場合にはそれは「居着き」や「乱れ」です。
そういう反応を相手側に起こさせるのが目的であり、そのためには自分のリズムは変わりません。
906名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:07:33 ID:4vd9pMNc0
リズムというのをどういう定義で使ってるんだろう?
ダンスでいうところの「リズム」なら、そんなものは御殿手に初めからないよ
907名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:12:18 ID:NsEoYfmo0
>861 :名無しさん@一本勝ち :2005/12/25(日) 17:36:12 ID:5hcB9j7U0
>よほどの達人なんですね。623さんは。
>初めて書き込みますが、ちょっと残念だったのでつい書いてしまっただけです。
>
>868 :名無しさん@一本勝ち :2005/12/25(日) 19:46:17 ID:5hcB9j7U0
>>>861-862
>まあ、逆にいいますと、
>あなたたちの言い分も実は傲慢に過ぎるところがあるのですけどね・・・。
>
>880 :868=無名 :2005/12/25(日) 22:57:12 ID:5hcB9j7U0

無名さんって、二重人格ですか。同じIDで、623さんをけなしたり、褒めたり、
忙しいですね。おまけに初書き込みとか、うそ言っているし。そんなことし
て、恥ずかしくないの? 623さんに謝罪してください。
908名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:15:11 ID:26rSFJlf0
>例として不適切

じゃあ居合いでも何でもいいです。
例として不適切、と言えるということは、
もう言わんとしていた本質は伝わっているようですから、単なる挙げ足とりでしょう。
本質の論議とは無関係です。

>キックボクシングは武術じゃなくて格闘技だぞ
では現代空手でもけっこうです。以下同上。

>砂浜などでも戦うことを考慮している
ちがいます。「砂浜こそが真価を発揮される」です。
あなたの聞いた口伝とやらは存じませんが、岩場ではどう戦えと言われているんですか?
「砂浜までおびきだせ」か、「想定外」だと思いますよ。

>身の回りのあらゆるものを武器として使うことを訓練する
これも違います。どんなものを持っても同じように戦えるように訓練するのであって、
武器別に特殊な技法がある訳ではありません。

>壁を飛んで逃げる方法。馬術。
それは汎用性とは思いません。
909名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:25:26 ID:nov4pkCH0
今までの流れと>>907の関連が見えてこないんだが何かな?
その人が一般論しか書けなくて同じ楽しみの人からも見透かされてるのは仕方ない。
これは問題提起なんだよ。リズム、拍子、を詳しく説明してくれという・・・・・
910名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:27:02 ID:26rSFJlf0
もう一度、論議を戻すと、623氏の、
「近代空手のフットワークは競技の中では有効だろうが、実際の戦いではどうか?」
という発言に対し、「御殿手もまた特殊な状況下での技術であって、万能ではない」
という反論をしたことです。

これに異論があるということは、「どんな状況下でも御殿手は100%の威力を発揮できる」
と思っているということで良いのでしょうか?
そうだとしたら、恐らく上原先生ですら、「不得手な局面もある」と答えると思います。
これに、「そんな事はない、御殿手は万能なんだ!」と言い張るなら、
そうですか、そうだといいですね、としか言いようがありません。以上。
911名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:41:04 ID:4vd9pMNc0
>>908
?武器別に使い方を実地に訓練するよ

「砂浜こそが真価を発揮する」なんて誰が言ってるの?
基本的に御殿手の歩法が使えない状況って「歩けないところ」以外は存在しないよ
競技としての寸止め空手はそもそも武術じゃなく、もはやスポーツでしょう。
それが悪いというわけじゃなくて、御殿手と比較すること自体が間違い。
912名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:49:37 ID:nQptrTtD0
>もう一度、論議を戻すと、623氏の、
>「近代空手のフットワークは競技の中では有効だろうが、実際の戦いではどうか?」
>という発言に対し

623さんは、そんな発言してないでしょ。競技空手のステップワーク
が古流空手から逸脱しすぎているのを、批判しただけでしょ。実戦で
使えるとか、使えないとか言ってないと思われ。
913名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 01:59:51 ID:3gbN2Ghv0
いい議論ですね。
914名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:09:37 ID:26rSFJlf0
しつこいですね。

>武器別に使い方を実地に訓練するよ

だから、「何を持っても同じ動作で使えるから汎用性がある」なら分かりますが、
「色々な武器をやっているから汎用性がある」とあなたは言っています。
これは誤りです。
「御殿手はあらゆる局面に対応したあらゆる武器術を内包した総合武術」と位置づけたいのでしょうが、
むしろ「武術の核だけを残して無駄なものを全部そぎおとした形」だと私は思っています。

>御殿手の歩法が使えない状況って「歩けないところ」以外は存在しないよ
だから、ずばり岩場でしょ?

>競技空手のステップワーク が古流空手から逸脱しすぎているのを、批判しただけでしょ。
なぜ古流の動きから外れてはいけないのか=空手は試合場で戦うだけのものではないから
=相手が複数だったり、投げや掴みがあるかもしれないから、でしょ。



915名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:18:19 ID:4vd9pMNc0
>>914
>だから、ずばり岩場でしょ?


岩場で使えないって誰が言ってるの?
沖縄に岩場いっぱいあるのに使えないわけがないでしょ
916名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:19:54 ID:4vd9pMNc0
>>914
>「武術の核だけを残して無駄なものを全部そぎおとした形」

意味不明
917名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:22:17 ID:4vd9pMNc0
そもそも「使える」「使えない」という議論が意味がない
なぜなら御殿手を身に着けるというのは体動すべてが御殿手の術理に従うことになるからだ
外見上膝を曲げてようが関係ない 
918名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:26:06 ID:4vd9pMNc0
ちなみに膝を曲げてるどころか座った状態で居合いなどの訓練も行う
片手だけじゃなくて両手で抜くことを修行するし、素手でそれに対処する訓練も行う
919名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:31:20 ID:26rSFJlf0
>岩場で使えないって誰が言ってるの?
あなたですよ。
「御殿手の歩法が使えない状況って「歩けないところ」以外は存在しないよ」
腰までの高さの岩や急な潮溜まりや穴がぼこぼこ開いている。足を載せた岩もぐらつく。
そういう場所でも100%使えますかと。もう、あなた馬鹿なんですか?

>意味不明
そうでしょうね。

>体動すべてが御殿手の術理に従うことになるからだ。外見上膝を曲げてようが関係ない
「体動すべてが御殿手の術理に従っているのに膝が曲がる」んなら、
あなたはきっと断食してても肥満で成人病になるんじゃないでしょうか。
あるいは、毎日12時間寝ても不眠症になるかもしれませんね。

920名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:35:10 ID:4vd9pMNc0
>>919
どういう岩場を想定しているのか知らないけど、
戦う相手がそこで動けているのなら、こっちももちろん動けるから戦えるよ

>「体動すべてが御殿手の術理に従っているのに膝が曲がる」んなら、

実際上原氏も膝を曲げて歩いてるよ
ビデオの平坦な砂場ですら、膝を曲げて動いているから、よく見てみるといい
921名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:46:47 ID:26rSFJlf0
>戦う相手がそこで動けているのなら、こっちももちろん動けるから戦えるよ
動けるのと歩けるのじゃ大違いでしょう。どういう岩場かはもう書いたでしょう?
不安定な場所では動かずに待っていた方が有利です。それくらいは分かりますか?

>ビデオの平坦な砂場ですら
おや?砂浜はあなたの定義では、
歩きにくいところの代表だったんじゃなかったですか?
上原先生は、高齢の為もあると思います。肩が上がらないなどの故障もあったし、
足も戦争で撃たれた後遺症が残ったと聞きましたから、精一杯伸ばしてあれだったのだと。

いずれにせよ、あなたが上原先生より御殿手が出来るとは思えません。
そのあなたが、すでに膝を曲げても良いなどと勝手な判断をしているなら、
正しい御殿手が身につくとは思えませんね。
922名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 02:59:27 ID:26rSFJlf0
寝ます。
923名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 04:47:21 ID:tW3RIk2A0
無名の自作自演で良スレが台無しになったな。残念だ。
924無名 ◆kBOgMJht1I :2005/12/27(火) 05:32:59 ID:RimKi0/J0
自作自演してませんよ〜!!w
やるならID変える位しますって^^;
(さすがにそこまで2ch初心者じゃないですw)

つか、IDって同じ地域に振り分けられるものでしたっけ?
なら、かなり近場に・・・凄ぇ!!w
あの文は内地の人が書いたと思ってました・・・
925無名 ◆kBOgMJht1I :2005/12/27(火) 05:38:02 ID:RimKi0/J0
って・・・なんか荒れてますね・・・
どうせなら向こうでその話題したほうがよかったのでわ?
926名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 09:26:13 ID:NMOd5EOi0
もうほっとけばいいんじゃね
927名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 10:19:00 ID:DAwsp8Iq0
御殿手が実戦に役立つか? 

少なくともフィリピン戦では、大いに役立ったよ。血糊がこびり
ついて刀から指が離れなかったくらい、斬りまくったらしいし。
フィリピンのジャングルで有効なんだから、大抵の地形では有効
でしょ。
928無名@携帯:2005/12/27(火) 14:17:55 ID:38ZHEM6PO
>>926あい><>>927うーむ、上原氏の実力は、そういった「経験」からさらに一段高みに昇られたのかもしれませんね・・・(今の時代となっては武器や装備の発達とか、そういった状況になること自体まずないとか、ほぼ不可能に近い環境ですが)
929名無しさん@一本勝ち:2005/12/27(火) 22:40:47 ID:nu681b5T0
伝統派競技の跳ねるフットワークに対する623氏の懸案は尤もなことだと思うし
このスレを見る人には大抵頷くところはあるんじゃないだろうか。
自分は623氏が競技組手を蔑視しているとは全然思わないし、寧ろJKFanまで購入して
検証探求しているところに感銘を受けました。

自分の意見を言わせて貰うと、あのフットワーク自体はやはり無駄が多く、何より
年を取ると使えないという欠点があります。しかし、運足がわからない人や、運動
能力に長けた人には有効なのかと。
一概に組手競技で活躍する人は組手に特化した練習しかしませんし、正しい運足が
伝えられない現在では仕方のない現状だと思われます。40、50を過ぎた達人と言わ
れる人が公の試合に出て、真の動きを見せない限り難しいのでは無いでしょうか。

623氏にはこれまで通り古流の立場から歩法のあるべき姿を語って頂きたいですね。
930名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 00:53:11 ID:PDYy9Ps50
JKFan次号は「組手を変えた男 ステップの魔術師」ですよ。
全空連競技にフットワークを導入した第一人者、鈴木雄一先生の
特集かなあと思うんですがどうでしょう。
色々分かることがあるかもしれません。
623さん、無名さん、買ってくださいね。
931無名 ◆kBOgMJht1I :2005/12/28(水) 04:11:46 ID:AB/vE2jN0
>>930
しゅ・・出費が・・・(今月号も買わなきゃだし・・・(。。;)
まあ、多分買うと思うんですが^^;
932623:2005/12/28(水) 15:10:26 ID:L8zEU/2i0
競技空手のフットワークのことがまだ尾を引いているようですね。
スレを荒らしたくないので、これ以上のコメントは控えますが、最
後に少しだけ自分の意見を述べます。

すべての競技化された武道には、ルールが存在します。当然、技の
在り方は、そのルールの「枠」の中で、最適化を目指すでしょう。
選手にとっては、勝利が第一命題ですから、ルール違反にならない
限りは、いくらでも勝つために技を改変していくはずです。それは、
道理にかなっていて、選手に罪はありません。

ただルールを作るのは人間です。ルールが変われば、技も変化しま
す。全空連が空手の伝統から決別するのなら、もう何も言うことは
ありません。しかし、空手の伝統に立脚してルールを策定するのな
らば、オリンピック参加というテーマも大事でしょうが、できれば
古流空手からあまり逸脱しない、という点も重視してほしいと思い
ます。空手は世界に広がっていますが、それでもやはり、沖縄とい
う地で生まれた歴史をもつ伝統武術なのですから。
933623:2005/12/28(水) 15:53:28 ID:L8zEU/2i0
・本部朝基先生は取手を知っていたか

 上原先生の『武の舞』では、朝基先生が一時沖縄に帰った時、朝
勇先生が取手を教えた、というエピソードが紹介されています。こ
れ以外にも、「取手らしき技」を朝基先生が使ったという話が、実
は小沼保編著『本部朝基正伝』の中に出てきます。いかに引用して
紹介します。

 自分(朝基先生)が東京に出て来た頃、国の者が東京に出て来て
いて、あるところで盛んに唐手を教えていた。このある者は、自分
が国にいた頃は名前も知らなかった。
 当時、およそ名のある師について唐手を相当以上、修業したもの
は大抵、会ったことはなくても、名前くらいは知っていたのだが…
…。
 自分は国の者の案内で、その男が若い者に教えているところに行
ったら、盛んにホラを吹いていた。そこで自分は”こうやったら、
どうしなさる”と彼の手をとって、「かけ組手」の形をとらせた。
彼はマゴマゴしているので、突いては気の毒と思い彼の自分にかけ
ている手に「小手返し」をかけたら、彼はステンと後ろ向きに倒れ
た。彼はポッポと顔を真っ赤にして立ち上がり”まあ、一っぺん”
と言うからまた「かけ組手」の形になった。彼は相変わらず、マゴ
マゴしているので、また「小手返し」をかけたら、同じように倒れ
た。彼はそれでも、もう一度と言うから三ベン、同じ手で投げつけ
られることになった。(p.92)
934623:2005/12/28(水) 15:56:36 ID:L8zEU/2i0
 「かけ組み手」というのは、まず、握手するように互いに片手を
出して、握るのではなく、手の甲をつけ合います。その体勢から開
始する自由組み手の一種です。上記の話は朝基先生の弟子の中田瑞
彦氏が書かれた『本部朝基先生・語録』という冊子に収録されてい
たものです。

 文中では、中田氏は「小手返し」と書いていますが、これは合気
の技の名で取手のような技です。これが朝勇先生から習った取手だ
ったのか、それとも本土で出会った合気術家から習った技だったの
かは、分かりません。ただ、朝基先生が「取手らしき技」も使って
いた、ということを証明する貴重なエピソードなので、紹介しまし
た。
935名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 16:35:42 ID:laSz61Z10
伝統だから大事っていうのではなく、武術として合理的かどうかが重要だと思う
御殿手の歩法と戦闘理論は非常に合理的だ
八卦掌の共通点は、相手との間合い操作を非常に重要視していて、
そのためすべての技法の中心に歩法が位置付けられているところかな
歩法そのものは御殿手と八卦掌は違うと思うけど
936623:2005/12/28(水) 17:30:53 ID:L8zEU/2i0
> 八卦掌の共通点は、相手との間合い操作を非常に重要視していて、
> そのためすべての技法の中心に歩法が位置付けられているところかな

 なるほど、それは興味深いですね。御殿手の歩法の源流がどこに
あったのかは私も分かりませんが、合戦を想定した歩法なので、お
そらく16,7世紀まで原型は遡るのだと思います。沖縄手だった
のか、あるいは、もし中国武術から来たのなら、17世紀半ばまで
は明朝が続いていますから、唐手・佐久川たちが留学して学んだ清
朝時代の武術とは別種だったのかもしれませんね。
937名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 17:42:11 ID:laSz61Z10
御殿手には『コツカケ』は伝わってないのかな?
(那覇手や上地流に伝わってる身体操法)


参考
↑ コツカケ研究会 ↑
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/budou/969843765/
「こつかけ」をマジメに語るスレ
http://sports.2ch.net/budou/kako/1036/10361/1036151097.html
938名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 18:12:55 ID:6stsV+j70
> 八卦掌の共通点は、相手との間合い操作を非常に重要視していて、
> そのためすべての技法の中心に歩法が位置付けられているところかな

なるほど興味深いですね。
フットワーク組手もルール内ではありますが正にその点を重視したものです。
御殿手、八卦掌との共通点ですね。(笑)
939名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 18:41:31 ID:laSz61Z10
少なくとも御殿手に類似してる武術は中国武術では知らないし、
本土の武術でも似てるものを寡聞にして知らない
本当に起源については「謎」の一言につきる
940名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 22:03:06 ID:E4X4Noz80
以前少年週刊サンデーに「秘拳伝キラ」という武術ものの漫画が連載されていて、
そこに出てくる主人公一族の武術(南王手)が、コツカケで身体操作を行い、足裏神という歩法で大勢の敵を薙ぎ倒していくという、
スペシャル沖縄拳法だったなあ。。。
941名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 22:14:24 ID:E4X4Noz80
http://senkisenki.hp.infoseek.co.jp/setume/hkera.htm

技表見つけた マニアックな漫画だったなあ・・・
942623:2005/12/28(水) 22:14:58 ID:L8zEU/2i0
コツカケはさすがに習ったことはないですね。そういえば、ナイハンチ
立ちでも、金的守るように太ももを閉め気味にする流派もあるようです
が、本部流では特にそういうこともないです。金的、握ったり、蹴った
りする技はあるんですけど。
943名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 22:20:16 ID:laSz61Z10
本部流空手はどっちかというと首里手系みたいですね
だからコツカケは伝わってないのかしら
944名無しさん@一本勝ち:2005/12/28(水) 22:26:35 ID:hM0+K0e90
937で紹介されたスレを見るとコツカケは体内に金的を隠すだけじゃないみたいです。
沖縄の古武術は奥が深い・・・

そういえば御殿手の攻撃というと歩きながら仕掛けるのをよく見ますが、
走りながら攻撃するってことも可能ですか?
945623:2005/12/28(水) 23:24:43 ID:L8zEU/2i0
上原先生は、早歩きで攻撃していきますが、走ったところは見たこと
はないです。多人数戦の場合、視界全体で敵を見ながら攻撃する必要
があるので、走ってしっかり把握できるか、という問題はあると思い
ます。ただ、してはいけない、ということもないので、できる場合は、
可能だとは思います。
946名無しさん@一本勝ち:2005/12/29(木) 00:09:21 ID:MC/cxjen0
なるほろ、ありがとうございます
947名無しさん@一本勝ち:2005/12/29(木) 01:38:45 ID:s3UjfRlF0
比嘉先生も死んじゃったのか。
お金ためて沖縄に行こうと思ってたのにがっくりじゃ。
しょうがないから宮里道場の門でもたたくかな。
とりあえず100を切るのが当面の目標じゃ。
948名無しさん@一本勝ち:2005/12/29(木) 02:26:59 ID:Xqh4Rvkw0
比嘉先生亡くなったって本当ですか?
949623:2005/12/29(木) 18:08:28 ID:d6/caO+30
【本部家】(本部御殿手・本部流)
本部朝救┳朝英━朝徳━朝宜━朝真┳朝勇(11)┳上原清吉(12)
      ┃                ┃     ┃
      ┃                ┣朝信  ┗朝茂(13)
      ┃                ┃
      ┃                ┗朝基(一)━朝正(二・14)
      ┃                  
      ┃                  
      ┗朝義(4男・本永家元祖)
         ┃
         ┣━朝張(喜屋武家へ)━朝扶━(本永)朝徳・・・本永朝裕(孫)
        ┏真鍋                 (本部家から養子?) 
【喜屋武家】┃
喜屋武朝昶┻朝郁┳朝救
            ┗朝昌(嗣子なし)

参考文献:
沖縄県姓氏家系大辞典(角川書店)
沖縄門中大事典(那覇出版社)

参考リンク:
ttp://www2.oiu.ac.jp/5/kan1/363.htm
ttp://www.okiu.ac.jp/minwa/ginozavill/jinbutuden/kouiki/kynmi-gua.htm
ttp://bujutsu.jp/kempo-jutsu/japanese/06_journal/01_motobu01_j.html
950623:2005/12/29(木) 18:09:30 ID:d6/caO+30
本部家と喜屋武家が親戚同士だというのは、すでに述べましたが、
喜屋武朝徳先生系統の流派では、両家の関係について全く述べら
れていないので、詳細な家系図を作ってみました。なお、本部家
の口伝に、朝徳先生が本部家から養子にいったというのがありま
すが、これは文献上は確認できませんでした。また、喜屋武先生
は、30歳の時に本永家へ養子に行った、と記述するサイトがあり
ました。外間哲弘著『空手道歴史年表』によると、1950年に「1月
19日、本永朝裕(喜屋武朝徳の孫)を中心に喜屋武朝徳を偲ぶ集
い開催」とあるので、これは事実かも知れません。

本部朝基先生は、幼少の頃、親戚のおじいさんで武術の達人だっ
た人に、「おじいさん、手をやりましょう」といって向かってい
たという逸話があります。この親戚というのが誰かは分かりませ
んが、ひょっとしたら喜屋武家の人だったかもしれません。朝徳
先生の父・朝扶氏も、王府高官だったにしては珍しく松村宗棍先
生から唐手を学んだ武人でもありました。
951名無しさん@一本勝ち:2005/12/29(木) 21:04:08 ID:s3UjfRlF0
>>948
843に「故」ってあるぞ。
952623:2005/12/29(木) 21:53:17 ID:d6/caO+30
比嘉先生は亡くなったと聞いたのですが、絶対かと言われると、確認
取ったわけではないので、分からないです。少なくとも道場はご子息
に代替わりしています。

あと、上原先生の突き蹴りの演武ビデオは、市販ではないと思います。
953名無しさん@一本勝ち:2006/01/01(日) 06:47:18 ID:kK2IY26J0
昔、ワンダーゾーンという番組で新体道の青木宏之さんが
上原清吉さんの映像を見て解説する場面がありました。
その解説する場面で青木さんが見ている小さなモニターに
上原清吉さんの突きのようなものがチラリと映ってました。
もう、ほんの一瞬だけなんですけどね(苦笑

954名無しさん@一本勝ち:2006/01/01(日) 20:17:36 ID:mmImK4Gq0
>>953
それは貴重ですね
どんな感じで解説されてました?
955名無しさん@一本勝ち:2006/01/01(日) 20:20:37 ID:xPObfhuo0
たしか「非常に無心に動いてますね」だったような気がする。
956名無しさん@一本勝ち:2006/01/01(日) 20:21:45 ID:mmImK4Gq0
なるほろ どうもです
技術的な解説はなかったですか?
957名無しさん@一本勝ち:2006/01/01(日) 21:53:14 ID:kK2IY26J0
>>956
あとは相手の打ち気と同時にかわしてますとか、そんな感じでした。
■元龍貴(覚醒剤中毒)2ch従業員武道板担当
HN:Master その他20種類以上  http://www.contact-o.jp/index.htm 
趣味 合気道仲良し武道サークル入身転換反射道運営
所在地 大阪市中央区南船場1-14-7 アインズ南船場1F飲食店contact
【元龍貴の犯罪暦】★タイ旅行客騙しピンハネネコババ脅迫事件(問題のヤフートビ)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&mid=&board=1835401&sid=1835401&tid=a5pa5sa53a5afa4ga5sa1bca5ka4ga4b0fba4dfa4dea4bba4sa4aba1a9&start=5571 ★2ch軍事板担当富川晶宏(タイ拳銃密輸逮捕・懲役3年)と交友、拳銃覚醒剤密輸関与の容疑。
★奈良県警吉野署熊代刑事を騙した2ゃんねる名誉毀損でっちあげ事件
★道場見学者の名誉毀損動画作成2ch貼り付け販売事件(共犯者・合気万生道下津新地道場岩本総)
★ヤフー不正アクセス他人のサイトのプロフィール書き換え事件。
★2ちゃんねる武道板過去ログ倉庫を自前のサイトで管理事件
■元龍貴(覚醒剤中毒)2ch従業員武道板担当
HN:Master その他20種類以上  http://www.contact-o.jp/index.htm 
趣味 合気道仲良し武道サークル入身転換反射道運営
所在地 大阪市中央区南船場1-14-7 アインズ南船場1F飲食店contact
【元龍貴の犯罪暦】★タイ旅行客騙しピンハネネコババ脅迫事件(問題のヤフートビ)
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&mid=&board=1835401&sid=1835401&tid=a5pa5sa53a5afa4ga5sa1bca5ka4ga4b0fba4dfa4dea4bba4sa4aba1a9&start=5571 ★2ch軍事板担当富川晶宏(タイ拳銃密輸逮捕・懲役3年)と交友、拳銃覚醒剤密輸関与の容疑。
★奈良県警吉野署熊代刑事を騙した2ゃんねる名誉毀損でっちあげ事件
★道場見学者の名誉毀損動画作成2ch貼り付け販売事件(共犯者・合気万生道下津新地道場岩本総)
★ヤフー不正アクセス他人のサイトのプロフィール書き換え事件。
★2ちゃんねる武道板過去ログ倉庫を自前のサイトで管理事件
960名無しさん@一本勝ち:2006/01/01(日) 23:58:54 ID:+63hLcIC0
>>957
青木さんらしい。。。
961名無しさん@一本勝ち:2006/01/02(月) 18:35:59 ID:Oeo1kThE0
>59 :創:2005/09/12(月) 21:53:08 ID:He20TA5WO
>先代宗家は沖縄県で警察官(刑事)やったんよ。
>琉球時代風にいえば築佐事か大築みたいなもんでしょう。
>糸東流には捕縛術やら取り手なんかもあるんで。
>やはり人を見て伝えなければならない部分があるのです。
>単純に強弱論争には参加できませんね。

 創さん、まだROMってます? 糸東流のスレで、糸東流
にも、取り手があるって書いてるけど、本部御殿手の取り手
と比較して、どんな風です? 
962名無しさん@一本勝ち:2006/01/03(火) 09:17:26 ID:fnDGv5lr0
963名無しさん@一本勝ち:2006/01/03(火) 15:12:42 ID:lbysZYzV0
続きが見たい・・・
964名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 01:47:32 ID:/XyF56Sd0
ttp://www.baki.ne.jp/
ttp://bakifan.hp.infoseek.co.jp/
マンガ・アニメで有名な『グラップラー刃牙』の主人公の父親に
して、最強武術家の範馬勇次郎は御殿手の使い手だそうだ。

あと、登場人物に本部以蔵という実戦柔術家も出てくるけど、こ
れは本部朝基先生がモデルなのかな? 
965名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 01:57:08 ID:/XyF56Sd0
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown/9136/ani_ba05.htm
> 後半は勇次郎の反撃開始ッ!
> 琉球王家の秘伝・御殿手(ウドンデ)の無敵の歩行から、壮絶な反撃だッ!
> その攻撃に一度はダウンした独歩だが、鉄壁の防御「前羽の構え」で迎え撃つッ!
>
> 「なるほど、その手があったか!」
> と、一人頷く本部さん。
>
> 琉球王家の秘伝を使いこなす勇次郎もスゴいのですが、それを(秘伝なのに)一
> 瞬で見破ってちゃんと(秘伝なのに)解説してしまう本部さんも何気に凄いです。

範馬勇次郎vs本部以蔵の対決シーンはこんなのらしい。興味ある人は、
レンタルでアニメ借りるか、マンガどうぞw
966名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 01:58:22 ID:/XyF56Sd0
vs独歩だったみたい。訂正w
967無名 ◆kBOgMJht1I :2006/01/04(水) 02:52:08 ID:PcVdd9P80
>>962
見れない・・・orz
968名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 03:40:03 ID:WLxReY0/0
上原先生 VS マーシー
ttp://www.rupan.org/uploader/download/1136311290534667.t7to3X
パス uehara4
969名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 04:53:02 ID:BiKM+Yzn0
2と3はどこ?
970名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 06:50:43 ID:XarQd4Vi0
>>968
リンク切れ。再アップ頼む
971名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 17:14:57 ID:K1hCd+fT0
上原先生  健康の秘訣と歩法
ttp://www.rupan.org/uploader/download/1136361186624105.v0HNib
パス uehara2

>>970
機会があればやってみますがそんなに面白くないですよ。
972名無しさん@一本勝ち:2006/01/04(水) 17:36:59 ID:vqlXjUc60
>>971
いつもありがとうございます。機会を楽しみに待っています。
973名無しさん@一本勝ち:2006/01/05(木) 00:33:32 ID:yPw6lWaj0
>>971
2は見れんかった。もう一度たのんます。
974名無しさん@一本勝ち:2006/01/05(木) 02:30:51 ID:VAvu97Ro0
上原先生 技を披露
ttp://www.rupan.org/uploader/download/1136393175318957.hPXX6u
パス uehara3

>>973
機会があればやってみます。
975名無しさん@一本勝ち:2006/01/05(木) 16:02:49 ID:RHQxw1dE0
age
976名無しさん@一本勝ち:2006/01/05(木) 18:06:30 ID:DkyYf0QV0
どれも見れないっす。。。もうちょっと置いといてもらえると助かります
977623:2006/01/05(木) 19:41:50 ID:3FeJ63i70
 明けましておめでとうございます。

 八光流パクリ疑惑については、>>807>>810の文章で十分論駁し
たと思いますが、念のために、さらに詳しく事情を調べてみました。

 1962年(昭和36年)、松林流の長嶺将真先生の道場において、八
光流宗家直伝会(講習会)が開催されました。当時、八光流の顧問
に、神道自然流の小西康裕先生が就任されており、長嶺先生は小西
先生と親交があった関係で、八光流講習会に応じたようです。
(以上、月刊『秘伝』1999年11月号より)。

 この長嶺先生の呼びかけに応じて、当時の沖縄在住の著名空手家
30余名が参加します。この中に、上原先生も含まれていました。
(外間哲弘著『空手道歴史年表』より)

 上原先生によると、最初は参加する気はなかったのだけれど、先
輩空手家のある人より誘われて断れなかったとのことです。また、
長嶺先生は沖縄では屈指の著名空手家ですから、断るのは失礼と思
ったかもしれません。そして、同年3月31日に、講習会参加証明と
して、師範号が授与されます。以上、講習会前後の事情を年表にま
とめますと、

1961年(S.36) 比嘉清徳先生、取手習得のため上原先生に師事。
(『精説沖縄空手道』より)
1962年 長嶺将真先生の道場で八光流直伝会開催。30余名参加。
同年3/31、上原先生、参加証明として師範号授与

 事情は以上です。これを数十年後に八光流の宣伝に利用されて、
本部御殿手は八光流から改作したかのように言われたわけです。事
実は、講習会以前から取手を教えていますし、八光流も単に数日間
の講習会を、付き合いで参加しただけです。
978623:2006/01/05(木) 19:43:39 ID:3FeJ63i70
>1962年(昭和36年)、松林流の長嶺将真先生の道場において、八

○1962年(昭和37年)
979名無しさん@一本勝ち:2006/01/06(金) 00:58:17 ID:vxqnWQ4e0
これだけ資料を探してきて証明すれば、もう誰も発酵流パクリ云々
はいわないでしょう。お疲れ様です。しかし、長嶺先生が主催し
ていたとは、意外でしたね。
980名無しさん@一本勝ち:2006/01/06(金) 01:40:46 ID:jiwsSneN0
上原先生  取手
ttp://www.rupan.org/uploader/download/1136477462541041.Dcwije
パス uehara5
981名無しさん@一本勝ち:2006/01/06(金) 02:02:57 ID:tKuFdkta0
ありがとうございます
突き蹴りの動画はありませんか?できれば蹴りを見たい。。。
982名無しさん@一本勝ち:2006/01/06(金) 16:44:31 ID:Fxv2PlE40
上原先生  もう歳だから
ttp://www.rupan.org/uploader/download/1136531304525420.Re1JRo
パス uehara6

>>981
ない。
983名無しさん@一本勝ち:2006/01/06(金) 16:48:32 ID:Fxv2PlE40
1〜6で終わりです。
しばらくネットから離れるので再アップするにしても数週間後です。
出来れば落とせた人が再アップしてください。
984名無しさん@一本勝ち:2006/01/06(金) 23:14:46 ID:607K4jIz0
uehara6だけ見れた Orz
985623:2006/01/07(土) 00:21:43 ID:GJNWirlK0
【本部御殿家】(本部御殿手・本部流)
尚質王┳東風王子朝春(4男)・・・朝宜━朝康(次男・知花家元祖)・・・朝信(小林流)
     ┃
     ┗本部王子朝平(6男)━朝完━朝定━朝智━朝隆━┓
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗━朝救┳朝英━朝徳━朝宜━朝真┳朝勇(11)┳上原清吉(12)(本部御殿手)
      ┃                ┃     ┃
      ┃                ┣朝信  ┗朝茂(13)
      ┃                ┃
      ┃                ┗朝基(本部流・一)━朝正(二・14)
      ┃                  
      ┃
      ┗朝義(5男・本永家元祖)           
         ┃                        
         ┣━朝張(喜屋武家へ)━朝扶━(本永)朝徳・・・本永朝裕(孫)
        ┏真鍋                 (本部家から養子?)
【喜屋武家】┃                          
喜屋武朝昶┻朝郁┳朝救
            ┗朝昌(嗣子なし)


>>949の家系図中の本永家元祖が4男ではなく5男でした。訂正ついでに、
知花朝信先生の家系も本部家と近いので、入れておきました。
986無名 ◆kBOgMJht1I
自分も6だけ・・・OTZ