マルセル・プルースト8

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1G ◆vDcOqdC/aA
▽前スレ
マルセル・プルースト6(実質7)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1321162711/

▽過去スレ
マルセル・プルースト6
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1314888613/
マルセル・プルースト5
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1311425550/
マルセル・プルースト4
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1309272869/
マルセル・プルースト3
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1307003330/
マルセル・プルースト2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1292503087/
マルセル・プルースト
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1284102860/

▽関連過去スレ
失われた時をもとめて について何度でも語る
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1003073055/
「失われた時を求めて」について語る
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1131810328/
「失われた時を求めて」について語る 第二巻
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1190464274/

▽前スレのログ速版
(ここの1から、他の過去スレ、関連過去ログも全部●なしで閲覧できます)
マルセル・プルースト6(実質7)
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1321162711/
2ixion ◆ySh2j8IPDg :2012/01/14(土) 10:24:26.95
>>1
乙です!
3つくだに ◆61T2sqB8f. :2012/01/14(土) 15:33:50.84
>>1
おっつ〜
このスレでもためになる話をいっぱいしてね!
4吾輩は名無しである:2012/01/15(日) 18:34:06.03
前すれの終わりで話題になったNRFについて。
手元にツンドクになっていた井上究一郎の「ガリマールの家」があったので読んでみた(再読ではない)。
ガリマールが一度出版を断った原稿の件でプルーストのところへ「奪還」に駆けつけた、とか、
「ジードのような人たちにさえ、興味はなかったね。−私にとってプルースト以上のものはなかったのだ!」
みたいな記載があって面白い。
NRFの本をペーパーナイフで切りながら読む、という経験はないけれど、この質問で本が読めて面白かった。
5アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/15(日) 19:01:27.73
>>1
乙〜

前スレの後ろのほうは読んでないなー。
もうログ化されてるのかな。
ガリマールって日本の出版社でいうとどんなポジションなんだろう。
岩波あたり?
6吾輩は名無しである:2012/01/15(日) 19:02:31.26
ガリマールは気が変わったのか。面白いね
7つくだに ◆61T2sqB8f. :2012/01/15(日) 19:08:19.36
8吾輩は名無しである:2012/01/15(日) 19:12:59.84
9吾輩は名無しである:2012/01/15(日) 19:29:19.78
10アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/15(日) 20:27:07.81
>>7
さんきゅ! 助かるよ。

>>8-9
なるほど。後でじっくり読んでみるね。
11アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/15(日) 22:45:38.40
前スレG氏のレス(993〜997)から多少拾って

◆「失われた時を求めて」について
>部分(木)が全体(森)を反映している
ミクロコスモスがマクロコスモスとパラレルになっているという、
そういう視点はヴァントゥイユの七重奏のときもちらって考えましたよ。

◆ヴィトゲンの言語ゲーム
>共通のルールに則っているという保証は未来永劫に与えられない
キルケゴール→マルクス→柄谷の言葉でいえば「命がけの飛躍」なしに
ゲームに参加できず、ルールを共有してる保証も与えられず、
また、ルールもいつ変更され、破棄されるのかもわからないというのは、
経済においても紙切れに価値を共有してる(と思い込んでる)のと
同じ構造で、言語だけではなく経済(あるいは人間の営為全般)にいえそう。

◆CSBの例の箇所について
>編者のファロアがすぐれたに書き換えたのではと思い至った
そういう編集者の行為はあってもいいけど注記として記してほしいなあと。

◆ガダマー「真理と方法」について
>「終わりなき対話」同様、さっぱり完訳されない20世紀の重要作品のひとつ
ガダマーは一度も読んだことがなく…「終わりなき対話」のほうはGさんからの刺激もあり、
無駄になるかもしれないけどとりあえず原書を注文。
英訳メインで多少は参照しながら少しずつ読んでみようかと。
12アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/15(日) 22:54:05.97
NRFあってのガリマールなんだね。
ドリュ=ラ=ロシェル絡みのナチス時代のことも
どこかでちらっと読んだことがあった。
甥がカミュと一緒に自動車事故にあったのは有名だね。
13アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/15(日) 22:58:16.47
フランスの出版社といえばまずガリマールが思い浮かぶなあ。
あとは、エディシオン・ドゥ・ミニュイ、フラマリオン、スイユ、ガリレぐらい。
14G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/17(火) 07:23:06.05
>>11
>ミクロコスモスがマクロコスモスとパラレルになっているという、
そういう視点はヴァントゥイユの七重奏のときもちらって考えましたよ。

ナティエ「音楽家プルースト」(音楽の友社、2001)でも、あの七重奏曲は
「失われた時を求めて」全体の縮図であると出ていました。
七という数が、アウグスティヌス等によればトータリテ(全体性)を象徴すること、
作品にでてくる楽器を足していくと七を超えてしまうにもかかわらず、プルー
ストが七にこだわっているのは「失われた時を求めて」自体も七編からなっている
ことと符合するのではないか(アセ氏の指摘)等以前ここでも話題になりましたね
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/306-312
15G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/17(火) 07:33:22.77
>>11
>同じ構造で、言語だけではなく経済(あるいは人間の営為全般)にいえそう。

柄谷行人の「探究」読まれたのですね
確か、レヴィ・ストロースだったか、言語・貨幣・女の交換の共通性について指摘していました。
(女の交換というと聞こえが悪いけど、交叉イトコ婚等婚姻をめぐるタブーの話ででてくる)
貨幣については、岩井克人の「ヴェニスの商人の資本論」等一連の作品もスリリングでした。
16G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/17(火) 07:36:19.58
>>4
「ガリマールの家」。2冊の井上究一郎文集の「フランス文学篇」の方にも
収録されていますね。
17吾輩は名無しである:2012/01/17(火) 20:37:14.37
>>14
過去スレで話題になっているDeleuze - Proust et les signes [PUF 1964]は
http://www.mediafire.com/?kjwyptl190y
からダウンロードできる。
翻訳見ながらPDFみると、おもしろい。
18吾輩は名無しである:2012/01/17(火) 20:38:03.26
>>16
文集は高くて、パスしたような記憶がある。
19アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/17(火) 21:58:59.71
>>15
「探究」はまだ途中で、岩井克人は未読ですね。
それにしても守備範囲が広いなあ。

>>17
そこのサイトいろいろな意味でちょっとヤバイよね〜
20G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/17(火) 22:18:17.10
>>17
前に話題になったとき、随分、訳の質が取り沙汰されていたのを思い出します。
それでも、やはり訳はないより、あった方がずっといいなあ。

翻訳がひどいと星ひとつにしているスワンさんという人のアマゾンのレビュー、
その他にも随分プルースト関連の本が取り上げられていて、参考になりました。
(今日、たまたま、まとめ読みし、ドゥルーズのこの本の英訳版やらプルースト
にでてくる全絵画の図版集など注文してしまったところ。ルーブルに収蔵されて
いる全絵画の図版を1冊に収めた本なんかも出ているんだな)
http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A26AP1ROGNV14U/ref=cm_cr_dp_pdp
21吾輩は名無しである:2012/01/17(火) 23:12:00.92
>>20
Louvreは1回しか行っていないけれど、見た、というよりは歩いた、という記憶しかない。
モナリザも周りに人が少なくて、かえってビックリしたくらい。
あと自分の好きな、というか見たい絵があったのか、見過ごしたのか、どこか外にでていたのかさえわからなくなっていた。
次は時差ボケのなくて、体調のいいときにゆっくりみたいな。
画集はないことはないけれど、本物にはかなわない。
プルーストは、カペーを馬車か車で全員寄せ集めてコルク張りの部屋で演奏させたが、絵については画集もずいぶん気に入っていたみたい。

22吾輩は名無しである:2012/01/17(火) 23:19:44.60
>>19
個人で使う分にはいいんじゃないかな、とおもっている。
Googleでかなりひっかかるので、日本語以外の本はほぼ買わなくてすみそうなくらい。
23アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/17(火) 23:29:22.56
>>20
もちろんいくら悪訳でもないよりはあったほうが100倍いいのだけれど。
もうちょっと別や翻訳者を法政大出版局は立てられなかったのかと、
まあそんな思いもありつつ、ということで。
同じ労力をかけて読むなら、少しでもいい翻訳で読みたいということですね。

>>21
ルーヴル行ってみたいな。
プルーストはベーコンの絵が好きだったみたいだね。

>>22
アメリカは電子書籍市場が成熟しつつあるからよく出回るんだろうなあ。
読者としてはうれしい反面、著者の立場に立つと…という面もあるね。
24吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 00:29:07.76
フランシスベーコンはプルースト好きだったらしい
25G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 03:54:06.24
書き込み1つで寝てしまった。

>>18
5、6年前、八重洲BCにプルースト篇、フランス文学篇が揃いでずっと
置いてあった。たまに箱から取り出して覗いてみるのだけど、そのたび
に買うのを思いとどまり、半年ほどが過ぎたのを思い出す。
結局、その間、誰も買わなかった。

高いと言えば、レヴィ・ストロース(1908−2009)の主著「神話論理」
(1964−1972)。これも新刊で1冊(全5冊)9000円前後する。
これもなかなか翻訳がでなかった20世紀の重要作品で著者の晩年(と
いっても100歳まで生きた)にようやく刊行が開始された。最後の1冊
だけが生前に間にあわなかった。
新刊が出るたびに神田神保町の八木書店ですぐにそれが古本として売られていた。
買ってすぐ売る人がいるのか、それとも

著者自身が最後の著作になるだろうといった(その後、写真が主の本は出ているみたいだけ
ど)「みる きく よむ」(1993 みすずから翻訳がでている)ではプルーストも取り上げられている。
26G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 04:15:49.85
>>19
柄谷行人って、実は読んでもよくわからない
(意味不明と言うのとも違う)
結構若い頃にかぶれる人は多いのだけど

松浦寿輝や四方田犬彦同様、ある程度の年齢になってから
は鼻につくようになり敬遠している。
かつて、彼らがいずれも東大に行くのが当たり前の中高一貫の
男子校出身で、実際に東大に行っていることがその嫌みさ(いば
りんぼう、自己美化等)と関わっているではないかと指摘した
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1314888613/48-56

昨日たまたま灘高出身者による灘高についての記事を読んで、俺の
仮説は結構的を射ていたのではないかなと改めて感じたのだが
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/545
27G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 04:24:49.67
>>21>>23
俺もルーヴル行ってみたいな
数年前、ワシントンDCに行った際、空き時間にナショナルギャラリー
に行ったのだけど、フェルメールが数枚あり、まわりに誰もいないこと
に驚いた。ラファエロの聖母子像のまわりにも。

カペーは録音残ってますね。
http://d.hatena.ne.jp/tougyou/20080113/p2
28G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 04:29:39.39
>>23
>同じ労力をかけて読むなら、少しでもいい翻訳で読みたいということですね。

同感。
フーコーの「知の考古学」についても同様の感想をいう人が多いですね。
29G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 07:39:45.83
>>23>>24
FBって、ジョイスと同じダブリナーだったんだ

プルースト、ベーコンで検索したら、こんな記事が出てきた。
ベーコンって油っこくてあまりプルーストの好みでないように
思っていたが実は案外好きだったのかも
http://www.taberuno.com/senora/7.php
30吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 21:03:16.68
>>20
アマゾンのこの人のレビューはおもしろかった。
保苅瑞穂の「プルースト・印象と隠喩」を高く評価していたのは同感。
シャルダンの絵はルーヴルにあるはずなのに、何故か見れなかったのは残念。

http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A26AP1ROGNV14U/ref=cm_cr_dp_pdp
は本屋で平積みになっていた。
でも隣に「ルーヴルはやまわり - 2時間で満喫できるルーヴルの名画」
があって、実際に行くならこっちの本のほうがはるかに便利。

昨年末、フィレンツェに行ってウフィツィでボッティチェリもいいけれど、シャルダンとかレンブラントもあって、よかった。
ウフィツィもラファエロやレンブラント、ボッティチェリのプリマヴェラのあたりでも混みすぎて見えない、ということはなかった。
行列もなく普通に見れるのが不思議だった。
ローマのシスティナ礼拝堂は大きすぎてオペラグラス持っていけばよかったと後悔したが、こちらは狭い礼拝堂にたくさん人がいるので、警備の人が「シーーッ」と叫んでいた。
万国共通語なのかな。

>>27
カペーは
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/capet.html
によると全16曲の録音しか残っていないらしい。東芝EMIのは手元にあって、よく聴いていた。
ペインターの伝記では毛布にくるまったプルーストに呼び出されたカペーのメンバーはコルク張りの部屋の響きがいいのに驚いた、ような記載があったはずで、おかしかった。
31アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/18(水) 21:18:15.17
しまった! 失礼! ベーコンとターナーを書き間違えてたorz
ベーコン論を書いたドゥルーズの名前に引っ張られてしまったみたいで。

でも怪我の功名というか>>29みたいなこぼれ話につながるのは面白い!
32アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/18(水) 21:25:00.43
レヴューには吉田城の「草稿研究」も載ってるんだね。
33吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 21:38:08.18
光文社と岩波の現在翻訳中の人の結構年いってるね
34吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 21:44:47.91
>>23
>プルーストはベーコンの絵が好きだったみたいだね。

>>31
>しまった! 失礼! ベーコンとターナーを書き間違えてたorz


画家のフランシス・ベーコン(Francis Bacon、1909年10月28日 - 1992年4月28日)
だと前後が逆だし。
ターナーはルーヴルにもあるらしいけれど、
http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%80%8A%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%9F%8E%E3%81%AE%E7%9C%BA%E3%82%81%E3%80%8B

見に行くならテート・ギャラリー。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC
35アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/18(水) 21:51:08.55
>>34
フランシス・ベーコンのフォルムのゆがみみたいなものとは違うけれど
ターナーの「機関車」なんかに見出せる不定形な運動の痕跡を見ると、
少し前に話題にした、時の流れそのものを描きたいという、
不可能で無謀な野心にもつながるかもしれないね。
36G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 21:59:24.84
>>30
シャルダンの赤エイ、ルーヴルにあるのですね。
http://www.salvastyle.com/menu_rococo/chardin_raie.html

カペーのBOXは私も持っていて、結構聴きました。
プルーストが自宅で聴いたのはドビュッシーで、その他フランク、
ベートーヴェン晩年等はプーレ四重奏団のようですね。
37G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 22:16:37.37
>>31
>>34さんが指摘してくれているようにフランシス・ベーコンが11歳のときにはプルーストは
亡くなっているので計算が合わないなあと思っていたけど、ターナーの間違いだったんですね。

もしかして、ベーコンを題材にした絵が好きということかなと思い、検索してしまったw

>>32
吉田城「草稿研究」は今年になってからのレビューですが、以前のも参考になります。
そんなに数も多くないし。

38アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/18(水) 22:27:23.95
>>37
どうも失礼をw 頭ではターナーのことを思い描きながら
キーボードはベーコンと押してしまったみたいでw
ドゥルーズに「感覚の論理」というベーコン論があって、
「プルーストとシーニュ」の話題が直前にあったので、
そこから連想が働いてしまったようで…。>>34のとおり。

ターナーはエルスチールのモデルはともいわれてますね。
評論選Uの美術論では、シャルダンとレンブラント、
ワットー、モロー、マネの名が。
39G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/18(水) 22:53:59.25
>>33
こうしてみると、吉川、高遠ともむしろ先行の2人より早い。
これまでの研究・業績の集大成的意味もあるし。
(第1巻出版時の年齢は誕生日と刊行日の先後まで調べていないので
1歳程度の誤差はあるが)

                   第1巻  最終巻 第1巻刊行時
井上究一郎(1909−1999) 1973−1988  64歳
鈴木道彦(1929生)       1996−2001  67歳   
吉川一義(1948生)       2010−      62歳
高遠弘美(1952生)       2010−      58歳
40吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 23:16:14.25
そういえばベーコンの伝記を少し前に図書館で借りて読んだんだが、
ベーコンはかなりの文学好きだったみたいで、
特にギリシャ悲劇は作品のモチーフにしてる程読み込んでたらしい
プルーストは好きだけどジュネは大嫌いだったとかいうエピソードもあったw
41吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 23:25:07.12
>>36
Thanks.
プーレ四重奏団というのは知らなかった。
ググッたら、次の記事がでてきた。今はホント便利だ。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/111124/wlf11112415000014-n1.htm
42アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/18(水) 23:52:11.56
へ〜知らなかったなー、ベーコンがプルースト好きとは!
これも怪我の功名w
43吾輩は名無しである:2012/01/18(水) 23:54:54.59
>>39
翻訳家って長生きなんだね
44吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 07:12:25.75
ちくまのPR誌に鈴木道彦がおやじのことを連載している。
その中に、東大の仏文をつくった面々が全く生活を考慮しないで
研究が遊びそのものでやっていたことが書かれている。(鈴木、辰野、渡辺は
戦前の資産家の生まれであったらしい)

…で、戦後の農地解放で鈴木家も東大教授の給料だけで生活することになり
とても生活が出来ないので、せっせと翻訳を精をだしこなしていたことが
書かれている。(鈴木信太郎は、齢50歳になっても親の脛を齧り(財産で)
生きてきたと自伝で書いているそうだ)

そういう背景があり、東大仏文の教授は、ここをでてもどこも使ってくれないと
語っていたようだ。
45G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/19(木) 08:04:02.90
>>44
辰野の父親は、金吾という有名な建築家ですよね。
46吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 08:10:32.37
日銀本店は有名。ああいう建築どうして空襲で焼けなかったのか?
47吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 20:26:16.74
>>44
辰野隆と夏目漱石のwikiを見ていたら、
「1916年(大正5年)の辰野の結婚式に夏目漱石が出席した際、出されたピーナッツを食べて胃潰瘍が再発し床に臥し没した。」

辰野隆の本は何か買ったような気もするが、今度実家を探してみよう。
48吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 20:40:22.71
>>36
「ルーヴルはやまわり - 2時間で満喫できるルーヴルの名画」

で確かめたら、フェルメールのある部屋(3F38)にシャルダンもあるはず、らしい。
フェルメールはしっかり見た覚えがあるが、まわりは誰もいないくらい閑散としていた。
この本で紹介されている絵はだいたい見ていたようでした。
シャルダン目当てであれば、朝早い時間帯でモナリザ見てから、この部屋を目指すといいでしょう。

初めて行ったときはフロアガイドも見ず、何も準備していなかった。
行くときは何を見るか、それは何処にあるかをチェックしたほうが、いいです。
49吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 20:48:54.67
>>45
辰野金吾は毎日ふんどしを締めて東京駅か日銀の方向を向いて四股を踏んでいた、となにかで読んだような気がする。
wikiでは相撲好きで隆を相撲部屋に入門させた、とあって思い出した。
50吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 21:09:07.10
>>44
度々でスマソ。
鈴木、辰野、渡辺と並べたら、山田珠樹と森茉莉も忘れられない。
wikiだけでもおもしろいが、本はもっとおもしろい。
51吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 21:27:43.16
野田総理 マニフェスト 書いてあることは命懸けで実行
http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo&feature=youtu.be

今と間逆でマジ腹かかえて笑えるww youtubeって大事だねw 必見
52吾輩は名無しである:2012/01/19(木) 22:53:19.03
>>51
お前はカスだ ゴミ箱へ逝け
53アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/19(木) 23:31:48.46
51はマルチコピペだね。

>>50
>山田珠樹と森茉莉も忘れられない。
鴎外の娘、貧乏サヴァランの森茉莉か。
むしかしたらプルーストを読んでたのかな。
54G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/20(金) 06:34:52.11
かつて、芥川龍之介の作とされてきたポルノ小説「赤い帽子の女」について
鹿島茂は辰野隆説を唱えていますね。
http://mimizun.com/log/2ch/book/1001905153/

作品の一部
http://blogs.yahoo.co.jp/urairo64/37342323.html

ワシントンのナショナルギャラリーに展示されていた
フェルメールのうち1点は「赤い帽子の女」なのだけど、
真作でないという説が強い
http://takannex.fc2web.com/vermeer23.html

逆に「失われた時」には当時フェルメールの真作か不明であった絵につき、
スワンが真作と断言するエピソードがあり、現在それが定説になっていますね。
55G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/20(金) 06:42:48.22
>>48
どうもです。
ルーヴルでもフェルメールのある部屋は閑散としているのですね
(そのときシャルダンはたまたま、どこかの展覧会で貸し出されていた
可能性が高いですね。赤エイ、毛を逆立てた猫等題材もインパクトがあり、
もしあれば多分印象に残っているのではないかと思います)

国立新美術館に「牛乳を注ぐ女」がきたときは凄い人だかりだったのに
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/vermeer_milkmaid.html
56吾輩は名無しである:2012/01/20(金) 21:46:22.77
>>55
ルーブル行ったのは10年くらい前だけれども、フェルメールのある部屋はやけに壁が空いていて、外からの日差しが妙に明るかったことは覚えています。
部屋番号をチェックしなかったのは無謀でした。

日本でフェルメールが騒がれるようになったのはここ数年くらいなのでは?
20年くらい前、上野に「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの娘)」が来たときは、騒がれもせず、閑散としていた。
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/vermeer_meisje.html

そういえば年明けに荻須高徳展行こうとおもっていたのに、時差ボケと遅れてきた正月で行きそこなってしまった。
57吾輩は名無しである:2012/01/20(金) 22:03:58.00
>>53
森茉莉はかみさんが好きできいてみたら、「贅沢貧乏」にプルーストの写真の記載があった。
「彼の肖像の二つの目は、真実の現実であるところの心象に写るものを、今も見つめている」
「プルーストを見ることができなかったことを、嘆いている」
と書いてあるので、きちんと読んでいて好きだったのでしょう。
58吾輩は名無しである:2012/01/20(金) 22:32:01.65
>>47
自己フォロー。
買った本は、実物は未確認だが、
http://www.amazon.co.jp/%E8%BE%B0%E9%87%8E%E9%9A%86-%E6%97%A5%E4%BB%8F%E3%81%AE%E5%86%86%E5%BD%A2%E5%BA%83%E5%A0%B4-%E5%87%BA%E5%8F%A3-%E8%A3%95%E5%BC%98/dp/4104102024

辰野隆 日仏の円形広場 出口 裕弘 (著) だった。

ところでamazonのレビューの小谷野敦ってホンモノ?
wikiみたら結婚していてビックリした。
スレチになりそうで、スマソ。
59G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/21(土) 04:56:07.89
>>58
ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」の文体と比べても小谷野敦(読みが
トンに変わってる)本人だと思います。
娼婦・遊女を美化したような本に極端に辛い点をつけるところも。
(売文も業としているのにブログ、レビュー、ツィートと驚くべき文章量)
AVのレビューまでしている(男子必見とあるので思わず見てしまったが
私とは趣味が違うようだ)
http://www.amazon.co.jp/review/RH59SO2F5HRN2
2008年に、婚活のため、出会い系サイトを利用した話を赤裸々に雑誌に
綴ったこともあるが、現在は彼好みの知的な女性と無事再婚しています
http://triple-c.sakura.ne.jp/hatena_dl/each_hatena_show.php?id=45561

辰野隆(ユタカと読みますね)は、古本屋で500円で売っていた創元社の
現代随想全集(内田百閧ニ併録、昭和28年。月報は鈴木信太郎が書いて
る)で読んだけど、あまり印象に残っていないです。
読み返すと、露伴、漱石、寺田寅彦ら人物評が多い。
巴里の街なかでベルグソンをみかけ、わざわざ追い越して、顔を正面から
次に横から眺め、さらに後ろ姿を見送った話も出ていた。



60G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/21(土) 05:20:07.42
>>56
確かに一昔前まで画家というと印象派、とりわけゴッホ、それと
モナリザでしたね。

2007年の大ベストセラーである福岡伸一「生物と無生物のあいだ」
を読むと、アメリカでのフェルメール盗難事件のことが書かれています。
前後して「フェルメールへの旅」的な新書も誰か出していたと記憶している。
(点数が少なく、制覇しやすいというのもポイントかな)

福岡は衛星放送の番組だったかで須賀敦子の本を紹介し、その文章を褒め湛え
ていたことがあるが2人の文体の美質って共通するように思う。
また、一度書いた断片的な文章をコピー&ペーストを駆使して前後を入れ替え作品
に作りあげていくというパソコン(前身のワープロも含めた)時代ならではの名文とい
う気がする。
昔の作家も手作業でやってはいたのだろうけど、すごく手間がかかったと思う。
プルーストも現代に生きていたら、パプロールなんて面倒くさいものを家政婦
を使って切り貼りなどしないで済み、ジャンプ機能等も駆使し、紙の本だと遠く
離れた関連する場面に飛べるような電子本を書いたのではと想像してしまう。
61G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/21(土) 05:41:54.68
>>57
>彼の肖像の二つの目は、真実の現実であるところの心象に写るものを、今も見つめている

ジャック・リヴィエール「フロイトとプルースト」85頁
>羚羊を思わせる大きな目と、懶げな瞼の、あのペルシャの若い貴公子
(ポール・デジャルダンのNRFに収録された文章の引用)

エルマンによる評伝293頁
>「作品に身を捧げて疲れ切ったような老けた青年で、経帷子をまとってラザロの
ように作品の中から立ち現れて、私たちを貪るように見つめていた。」プルーストは
若いころあれほど人々に印象を与えた、あの飛び出したようなまなざしをあいかわ
らずもっていた。
(モーリヤックが、晩年のプルーストに食事に招かれた際の文章の引用)

プルーストって、いかにもあの「失われた時」の作者にふさわしい眼、顔をしている。
作品と作家の顔の幸福な合致として、芥川龍之介と双璧だと思う(逆は、梶井基次郎)。
芥川が日本人にとっての小説家というイメージの原型みたいな顔だとすると詩人は中原
中也あたりだろうか。
実は、中也の有名な帽子をかぶった肖像写真は、その「夢みる少年」性を強調するため
に後世、瞳を拡大させる等の修正が施されているらしい(出典 石原千秋他「読むため
の理論」世継書房、1991)

62G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/21(土) 06:12:07.00
>>25
自己フォロー
レヴィ=ストロースの「神話論理」が売ってたのは八木でなく、村山書店でした
(八木は国文学系の店だった)

おととい会議の前に神保町に寄って気がついた。
神話論理でまだ買ってなかった巻のほか、サイードの「音楽のエラボレーション」
(みすず書房、1995、新装版2004)という本を何気なく開いたら、プルーストと
音楽について書いてあったのでこれも買ってきた。
スヰート・ポーズの餃子を食べた。

そういえば別スレでアセ氏に欧明社の位置を水道橋近くと言ってしまったけど、
飯田橋の間違いでした。
63吾輩は名無しである:2012/01/21(土) 09:29:06.15
>>60
福岡伸一は「フェルメール 光の王国 (翼の王国books)」という本も出したみたい。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB-%E5%85%89%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%9B%BD-%E7%BF%BC%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%9B%BDbooks-%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E4%BC%B8%E4%B8%80/dp/4863240406

福岡伸一の評価は低くないみたいだけど、個人的には何となくピンとこなくて、立ち読みしても買ったことがない。スマソ。

須賀敦子はかみさんに教わってから好きになって読んだ。

http://www.ne.jp/asahi/cmcc/top/kaihou20.htm
シモーヌ・ヴェーユのイタリヤ語訳もしたらしい。

死の直前、一人の神父を訪ねた彼女は、「これから宗教と文学について書きたかった。それに比べれば今までのものはゴミみたい」と述懐したそうである。

というのを読むとつらいです。




64吾輩は名無しである:2012/01/21(土) 10:47:00.54
>>62
横レスで失礼。

http://www.h6.dion.ne.jp/~senegal1/language/french/book/index.html
滅多に行かないけれど、フランス語で書かれた本を探すのであれば、
飯田橋の欧明社、神保町の田村書店、新宿のフランス図書あたりで、アマチュアの自分には十分すぎです。

65G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/21(土) 11:31:54.97
>>63
実は福岡伸一の本、「生物と無生物のあいだ」でセンス・オブ・ワンダーを詩的な美しさ
を湛えた文体でしかも明晰に語っていることに新鮮な魅力を感じ、次にでた本もすぐに
入手し読んだのですが、期待が大きすぎたせいか、あまりぴんと来ず、その後は読んで
いないのです。
フェルメール本を含め、あれから、随分、著作が出ているのですね。
「世界は分けてもわからない」は須賀敦子の足跡を辿って、プルーストとも縁の深いヴェネ
ツィアを訪ねる内容のようなのでそのうち読んでみようかな。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100215/212798/?rt=nocnt

文庫版須賀敦子全集第8巻にある、未定稿の部分とスケッチだけ残っている「アルザスの曲
がりくねった道」。
私も、今後描き上げようとしているこの作品に比べれば、あとはゴミみたいと死の直前の彼女
自身が語ったというエピソードを読んだことがあります。でも、残されたものだけ読んでもどうも
ぴんと来ないところがある。

神谷美恵子の日記なんかも、あとの方になるほどつらいですね。

35歳で死んだヴェイユの「重力と恩寵」の次の断章などは日本人にはちょっと理解しかねる
ところがある。それともヴェイユのように子ども時代から激しい頭痛の発作・手足の血行障害
に悩まされ続けた人であれば日本人であってもピンとくるのだろうか。

>死の苦悶は、さいごにくぐる暗い夜であり、完全を得た人たちでさえも、絶対的な純粋さに
いたるためにそれを必要とする。そのためには、苦しみがつらくきびしい方がいい。

66G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/21(土) 11:42:43.27
>>64
田村書店って、この間、新潮社のムージルの「特性のない男」全巻揃と、それに
プルースト本を何冊か買った店ですが、フランス語、ドイツ語の原書も扱っていた
のですね。
http://tamura-shoten.ocnk.net/

ネットで検索すると名物店のようですね。
http://www.aguni.com/hon/back/topic/2000/000115a.html
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-991.html
http://blogs.dion.ne.jp/tokusan/archives/9887912.html
67アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/21(土) 13:15:26.46
>>57
森茉莉&プルースト、で検索してみたところ、
http://www4.ocn.ne.jp/~fields/proust/sodomeetgomorrhe2.htmで

>作家森茉莉はプルーストを「私と同じだ」と思って愛読したということですが、
>読んでいて私も時々そう思うところがある、なー。
というコメントが。

森茉莉はフランス文学をかなり読んでいた感じもしたし、
同性愛的なキャラクターが登場する小説も書いてもいたから、
きっとプルーストも読んでいたんだろうなーと。
68アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/21(土) 13:20:11.93
>>62 >>64
欧明社は有名なんですね。
神保町の田村書店では随分と本を買いましたよ。
洋書を扱ってる2Fのほうはたまに覗く程度だったけれど。

amazonで取り寄せできない洋書は紀伊国屋ブックウェブなんかも。
(といってもめったに注文しないけれど…)
69吾輩は名無しである:2012/01/21(土) 13:36:21.86
もりさん 小説 へたくそ
70吾輩は名無しである:2012/01/21(土) 14:57:01.84
>>66
http://tamura-shoten.ocnk.net/product/8746
PROUST,M. A la recherche du temps perdu. 8 tomes en 13 vol. Paris, Grasset et Gallimard, 1914-1927. Edition Original.

グラッセ版は実物を見たことがない。見学だけでも行ってみるか。550万で買う人いるのかな。
71アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/21(土) 15:48:54.05
550万!
72吾輩は名無しである:2012/01/21(土) 15:56:12.23
インドでトヨタのプリウス550万だと。(関税100%で、倍くらいの価格らしいが)
73吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 00:08:35.49
>>65
ヴェイユの「重力と恩寵」とか「工場日記」は学生の頃読んだことがある。
安易なことはとてもいえない。

http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/suga_kaidoku.html
もともとユルスナールは目的じゃないんでしょうね。
たぶんこの話で大事なのは、固有名詞じゃなくて、「どこまでも歩いていく」という動詞なんでしょうね。
カティアの靴と一緒で、これも靴の話です。
自分の生まれたところからしつかり地面を踏んでどこまで行けるか、それが人生である。
ヴェイユは近過ぎたんじゃないかしら。こういう形での自己表現もあるという試みだったんじゃないか。
須賀さんの周到さみたいなのがあって、けっこう遠回りしていきますよね。
だからヴエイユとかエデイット・シュタインなんかでは、あまり自分が出過ぎちゃうと思ってたんじやないかな。

というコメントあたり以上のことは難しいです。スマソ。
74G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 03:55:18.53
>>70
2階に行くとこんな凄いのがあったのか

「子どもより古書が大事と思いたい」なんてタイトルの本も書いている
鹿島茂は東京郊外のマンションが1棟(1室ではない)丸ごと買える
くらいは書籍購入につぎ込んだとある。
彼なら、もっと状態のいいのを持っていそう

出版社が違っても装丁が同じだし、100年近く前のもあるのに背革、
金箔でいれた文字ともきれいなのは、自家装丁だからだろうなあ
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110321/bks11032107440003-n1.htm
75G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 04:05:52.07
グラッセ版は、どこからも出版を断られた挙げ句の実質、自費出版らしいですね。

ジャック・リヴィエール(1887-1925)
第一次大戦前からNRFに執筆しており、大戦中休刊されていた同誌復刊後は編集長となる。
NRF出版社(ガリマール書店の前身)により版権買い取りには彼も関連しているんだろうか。

1923−4年の講演を収めた「フロイトとプルースト」(岩崎力訳、弥生書房1981)より

>1914年にはじめて《スワン》を読んだ時ほど強烈な感動を、生きているうちにふたたび感じる
ことがあるかどうか、私にはわかりません。
>プルーストの作品は、私の感覚というお菓子をそっくり作り直してくれたのです。57頁

>最初私にもっとも強烈な驚きを与えたのは、この本の第二部『スワンの恋』でありました。私は
全く新しい世界に入りこんでおりました。愛について、それまで誰も気付かなかった扉が開くのを
見るような気がいたしました。その扉は、苦悩に満ちた無数の小さな星のまたたく、暗く壮麗な空
の下に通じておりました。
>それは最初から、自分の目の前で突然一種の奇蹟が実現したような印象でありました。
147頁。
76G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 04:34:03.72
>>73
いやいや、ありがとうございます。
池澤夏樹へのインタビューがネットにあることはじめて知りました。

日本人でありながらカトリックであった須賀敦子
一方、ヴェイユの方はフランス人でありながらカトリック教会の受洗を
最後まで拒否していたようですね
これも「重力と恩寵」より
>神についてどんな体験もしたことがないふたりの人の中で、神を否認する人
の方がおそらく、神のいっそう近くにいる。

須賀敦子は一時、まとめて読み、結局、ユルスナール・セレクションにも手を出
してしまいました。その解説がすばらしく堀江敏幸にも注目するようになりました。

>>56
>年明けに荻須高徳展行こうとおもっていたのに

日本人でありながらパリで過ごし活躍した画家というと30歳で夭折した佐伯祐三
は知っていましたが、この人はほぼ同時代人で、しかも84歳で亡くなるまで、第
二次大戦で敵国となった期間以外のほとんどをパリで過ごしているんですね。
77G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 04:56:33.20
>>68
確かに、洋書なんだから、紀伊国屋という手がありました
78吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 09:12:40.17
>>75
井上究一郎の「ガリマールの家」からの抜粋。
グラッセ版を読んだガリマールとリヴィエールは、口をそろえていう。
「われわれ仲間がつくるどんなものよりすぐれている。」
ガリマールはプルーストと工作したのち、グラッセ社にいく。
500-600部残っていたが手押し車で運び、初版の表紙を全部はがしNRFの表紙を貼り付けた。
NRFの表紙のついた初版本を買った連中がグラッセに駆けつけてグラッセ版の表紙をくれ、といった。
社長は表紙を1枚2000フランで売った。
私が持っている初版本もことによったら、この残部のなかの1冊で一度上着をぬぎかえているかもしれない。

プルーストとリヴィエールの書簡が始まるのは1914年からで、出版を軌道にのせたのがリヴィエールと営業部長のトロンシュ、となっています
79吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 09:13:11.20
>>74
鹿島茂は20c.よりは19c.に興味があるし、
「愛書狂」「子供より古書が大事と思いたい」「歴史の風書物の帆」あたりの本は読んだが、
プルーストについてはほとんど触れていなかったとおもう。
80吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 09:22:13.08
>>76
須賀敦子のわかりにくさは池澤夏樹もいっているように、

友だちが修道院に入ってしまったとか、そういう話はあるんだけど。
最後まで揺らがなかった心の一番奥の部分は書かなかったんですね。
「書きたい」と「最終的にはそこまで書きたい」の間にあって揺れていたところですね。
キリスト者であることを表へ出さない。

という部分だとおもいます。
福永武彦は以前新潮文庫にあったものは一通り読んだけれど、池澤夏樹は未読。

ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」は浅田彰がコメントしていたのをきっかけで読んでいました。
須賀敦子も読みだしたのは「ユルスナールの靴」からです。

荻須高徳はかみさん曰く、「普通のおじさんなところがいい」らしいです。
81G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 19:39:53.07
>>78
ありがとうございます。「ガリマールの家」確認しました。
付け加えるとグラッセ初版は1100部印刷されたはずとあります。

1100部−5、600部=5、600部
これがいったん表紙がはがされることなく無傷のグラッセ版の部数

残りは、いったんはがされた表紙を2000フランで買い足し、
「上着をぬぎかえた」(グラッセ表紙→NRF表紙→グラッセ表紙)
ということですね。

グラッセ版がいかに希少であるかわかります。

NRFの表紙を貼りつけた版を買った連中全員が、グラッセ版の表紙
を200フランも出して買ったわけではないでしょうが、当時すでにこ
の初版本が歴史的価値を有することになることを見抜いていた人は
多かったということになりそうですね。



82吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 20:31:18.68
>>81
装丁についてはまったく知らないのですが、表紙だけ張り替えることができる、表紙だけを売る、というのがいまだに理解できません。
当時の初版本がオリジナルで皮張りだったのか、フランス装丁だったのかもわからないでいます。
たぶんフランス装丁のほうだとおもうのですが。

装丁については、
http://www.yushodo.co.jp/pinus/73/kashima/index.html
http://plaza.rakuten.co.jp/jm3jrh3/diary/200709160002/
http://www4.ocn.ne.jp/~hisanaga/soutei.htm

そういえば、森有正でググッていたら、椎名其二とか、野見山暁治の「四百字のデッサン」の記事が見つかって、
http://www.kosho.or.jp/servlet/top
で検索して「四百字のデッサン」を古本屋で入手できました。
本屋の方があちこち探してやっと出てきましたが、インターネットはすごい。
自分で歩いているだけでは見つからない。
ルリユールを仕事にしていた椎名其二とかかわっていた森有正の記載もすごい。
83G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 20:36:05.72
>>79
確かに、鹿島茂の蔵書を写真、一部鹿島の肉声付で紹介した
「le cerf qui rit 笑う鹿」というブログにも次のように出ていますね。
19cは「スワンの恋」の舞台、語り手の幼少時の舞台なので参考
になりますが。

>パリ第3大学に籍をおく際、研究テーマを「風俗」として届けたが、
実際には古本を集めるのに忙しくなり大学には出なくなった。国立
図書館に行っていちいち借りるより買った方がいいと考えたからだ。
これをきっかけに19世紀古本の道に入ることになる。
84G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 20:37:55.69
85吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 20:48:37.39
>>83 >>84
Thanks.
鹿島茂はオスマンのパリ改造前のほうに関心があるようにしかみえませんでした。
いろいろと書いているようなので見てみます。
86つくだに ◆61T2sqB8f. :2012/01/22(日) 20:52:07.69
文学板崩壊後もここは相変わらず良スレだな。
住民のモチベーションの高さには感服するよ。
87吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 20:56:13.90
ていうか、ほとんど、自分とG ◆vDcOqdC/aA :さんしかでてこないのは寂しい。
88G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 21:23:40.14
>>82
私も稀覯書の収集癖はないし、装丁についても無知なので
>>70で紹介された田村書店の写真をみて悩んだのです。
おそらく、>>74で書いたように、フランス綴じのものをあとから所有者
がモロッコ革で装丁したのだと思います。

手元にやはり田村書店で買った「プルウスト研究」(大空社)
という昭和初期の雑誌の復刻版があり、フランス綴じになって
います。
これをみるとアンカットの折り畳んだ紙を何枚か重ねたものをさらに
囲うように薄い無地の紙(ちょうど表・背・裏を1枚の紙でカバーする
サイズ)を背の部分で貼りつけてあります。そしてその紙を包み込む
ようにさらに題名等のはいった表紙(表だけでなく裏、背表紙も1枚と
なっていて上下左右とも本体より一回り大きい)をかぶせてあります。
現在の文庫や単行本のカバーに似ていますが上下も縁を折り曲げ
ているところ、また背表紙部分が糊付されはずせなくなっているところ
が違います。
多分、ガリマールは「ばかだったから」(本人曰く)ここをべりっと剥したのでしょう。

言葉で説明するのはむずかしいですね。
下記のフランス装キットのカバー用の紙(緑・紫の紙)が表紙
なのだと思います。
http://misuzudo.shop13.makeshop.jp/shopdetail/001002000004/
89吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 21:24:35.69
Gは元気でやってるな。安心した。
90吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 21:26:16.80
>>80
>福永武彦は以前新潮文庫にあったものは一通り読んだけれど、池澤夏樹は未読。

自己フォロー。
本は読んだことはないがwikiをみていたら、アンゲロプロスの映画は岩波ホールで見ていた。
特に彼でないと、というのはないけれど。
91まぐな:2012/01/22(日) 21:27:57.82
魂の分野を扱う作家は苦手だ。
92吾輩は名無しである:2012/01/22(日) 21:30:48.99
93G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/22(日) 21:39:56.96
>>90
私も「母なる自然のおっぱい」を途中まで読んだくらい。

彼が個人編集している個性的な世界文学全集は何冊か入手しました。
まだ、フォークナーのアブサロム(篠田一士訳)と、短編集のうちいくつ
かしか、読んでいませんが。どれもおもしろそう。
あとは、「星の王子さま」の翻訳くらいか。

父親の方も新潮文庫ででていた何冊か程度ですね。「草の花」
「夢見る少年の昼と夜」「愛の試み」あたり
94吾輩は名無しである:2012/01/23(月) 21:41:55.84
>>91
>魂の分野を扱う作家

作家ではないけれど、Michel Eyquem de Montaigne,René Descartes,Blaise Pascalはなんだかんだ書いていてもここに行きつく。
Simone Weil,須賀敦子も同じことを配置だけ変えて繰り返し語っているように読める。
95吾輩は名無しである:2012/01/23(月) 21:49:15.86
>>94
宗教(特にキリスト教?)の議論を誘っているわけではないので、誤解しないでください。
基本的に政治と宗教は話題にするつもりはありませんので。
96吾輩は名無しである:2012/01/23(月) 22:02:42.59
>>96
自己フォロー。
René Descartes,Blaise Pascalの研究から始めた森有正がValentin-Louis-Georges-Eugène-Marcel Proustにたどり着いた経緯は興味深いです。
やっとこのスレに戻ってきた。

wikiから拾ったフルネームがこんなに長いのは気にしていなかった。
97アセンション携帯:2012/01/23(月) 23:43:56.90
>>76
須賀敦子は上品ですね。言葉の選び方が。
そして余計な飾りがなく、しかも感情を行間でうまく伝える。

>>78
ジャック・リヴィエール抜きでNRF誌は語れないだろうし
ということはガリマールについてもそうなんでしょうね。
リヴィエールの名前を目にすることはしばしばあるけれど
最初に知ったのはアルトーとの書簡集『思考の腐食について』だった。
プルーストとの手紙のやりとりも相当あるのだろうか。
98吾輩は名無しである:2012/01/24(火) 00:58:06.30
>>97
書簡までは読んでいないけれど、ググッたらこんなのがあった。
リヴィエールの参照作品数、頻度も出ている。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004613814

99G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/24(火) 07:10:14.13
>>97
アントナン・アルトーAntonin Artaudは、宇月原晴明の伝奇小説「信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」
に登場していますね。
この人の「ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト」って小説、題名には妙に魅かれながら結局
読んでいない(いや、目は通したけど、覚えていないだけかも。ちくま文庫の「ヴァン・ゴッホ」にしても)
ドゥルーズ=ガタリの「器官なき身体」(CSO)という概念がこの人から来てるってことでも有名ですね。

リヴィエールとアルトーとの往復書簡についての論文が出てきた。
アルトー、やたらと魂という言葉を使ってる
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/27612/1/020.pdf
100アセンション携帯:2012/01/24(火) 23:38:06.15
>>98
ありがとう。それ素晴らしい!
人名の多寡だけでも、手紙の内容に想像力が掻き立てられるなあ。
やはりリヴィエールの頻度はかなり高いですね。

>>99
アルトーは邦訳のあるものはだいたい目を通してるけれど、
理解を拒むような、あるいは理解する次元にないような作品も多く…
狂気に侵された晩年の「ヴァン・ゴッホ」は魅力的な作品で、
公演を聞いたジッドがアルトーに駆け寄って抱きしめたとか。
詩の掲載を断ったにもかかわらず、アルトーに興味を抱き、
深く理解したわけでもないのに、書簡を出版する。
リヴィエールの編集者としての嗅覚は優れていたのかも。
「フロイトとプルースト」を書いた著者としての力量は知らないけれど。
アルトーは初期のシュルレアリスムにも一時期かかわり
ブルトンとも手紙のやりとりをしてます。
101G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/25(水) 03:56:27.66
>>100
「フロイトとプルースト」はことプルーストについては、リヴィエールがプルースト
の弟ロベールとともに「失われた時」の遺稿を整理し編纂していたというアドバン
テージを考慮しても驚くべき炯眼で、同時代評という歴史的価値を超えて読む
に価すると思います。
RTP全巻が出版される前の1925年に38歳で亡くなってしまっているんですね。

アセ氏が立てたデリダ、ドゥルーズスレにも触発され、岩波現代文庫にある
J.カラー「ディコンストラクション」(脱構築)を読んでみました。
非常に明快に見通しよくデリダの業績が紹介されています。
最終章の第3章が「ディコンストラクションと批評」。文学批評が取り扱われます。
最終章ではポール・ド・マンによるプルーストの読みがその重要なところで紹介され、
さらにニール・ハーツの「フロイトと砂男」の紹介等。
最後にド・マンに戻る。誤読の不可避性及びその積極的評価。
すぐれたテキストにおいてはすべての誤読は美しい、と言ったプルーストにごく
近い話で締めくくられる。プルーストの先駆性を感じました。
102G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/25(水) 03:56:53.88
>>78
「ガリマールの家」。改めて読んでみて、ネルヴァルへの言及が多いことに気がつき
ました。
野崎歓のメインの研究対象でもあり、古くは賢治研究者としても高名なフランス文学者
入澤康夫も翻訳・研究している。
でもアルトーといい、本当に狂気の一線を超えてしまったような人はどうも苦手みたい。

小林秀雄が講演で「あの人はキチガイだったんですよ」というゴッホは日本でもっとも
人気のある洋画家だったりしますが(今でもそうなのかな)
103吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 20:21:40.76
>>102
学生のころ行ったゴッホ展で一番好きになったのは、オランダ時代の「ジャガイモを食べる人々」。
デッサンがいまいちなのはこのころから晩年にいたるまで変わらない。

話は飛びますが、モネの「睡蓮」の連作で一番好きなのは、ブリジストン美術館にあるもの。
常設だけで混んでないときに、お勧めです。
セザンヌの「サント=ヴィクトワール山」もここにあるものはいい。
104吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 20:23:46.77
>>103
ブリヂストン美術館

の誤りでした。スマソ。
105吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 20:42:49.57
そういやプルーストの有名な肖像画があるのってオルセーだっけ?
ここ数年オルセー展やらマンレイ展が来て
プルーストの顔拝めるか楽しみにしてたが結局無かったな
106吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 20:57:16.54
>>105
http://www.musee-orsay.fr/index.php?id=851&L=1&tx_commentaire_pi1%5BshowUid%5D=29&no_cache=1
でproustで検索してね。

オルセーも行ったけれど、疲れ果てて、結局あまり見れなかった。
107吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 21:01:39.27
一度は生で見たいなー
あと執筆部屋再現した美術館とかもあるんだっけか
108吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 21:09:58.44
>>107

http://carnavalet.paris.fr/fr/collections/chambre-de-marcel-proust

マレ地区は歩いたけれど、結局ここはいっていない。
次にもしパリに行く機会があれば行きたい。
109吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 23:01:18.22
>>90
自己フォロー

アンゲロプロスが急死したらしい。
しばらくぶりに思い出した名前だけにビックリ。

スレチでスマソ。
110吾輩は名無しである:2012/01/25(水) 23:47:59.17
マレ地区って
ユダヤ人って同性愛者と一緒のところにいて嫌じゃないの?
そういう観光地づくりなの?
111G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/26(木) 08:25:39.33
>>103
ハイデガーの「芸術作品の根源」(高弟ガダマーの解説付)
にゴッホの「農夫の靴」が出てくる。
「馬鈴薯を食べる人々」(1885)の1年後、1886年、やはり初期
の作品なのだけど、パリで描かれていて、ハイデガーは農夫の靴として
いるが、シャピュロという人によるとゴッホ自身の靴らしい。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh.html
ハイデガーのテキストはパルテノン神殿の描写にしてもとても美しい。
ここでも「すべての誤読」はやはり美しいのかも。

デリダが「絵画における真理」というテキストでハイデガーのテキスト
及びそれに対するシャピュロの批判を取り上げているらしい。おもしろそう。
http://geopoliticalcritique.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-b637.html
112G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/26(木) 08:37:29.91
>>103
ブリヂストン美術館、是非、行ってみようと思います。

高遠弘美も(多分、保苅瑞穂も)大ファンの吉田秀和の「セザンヌ物語」、ちくま文庫に
もなっており、1年ほど前、翁のテキストをまとめ読みした際にかなり時間をかけました。

1913年生まれだけど、今でも現役なので(最近の作品もいいけど、還暦前後、全集を
出した頃のが一番好きかな)、名前出してもアンゲロブロスみたいなことにはなりませんね。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1318034555/
113吾輩は名無しである:2012/01/26(木) 20:03:08.91
>>112
吉田秀和はまだお元気でしたか。本をまとめて読んだのはやっぱり学生時代でしたが、その後は追っかけもしていません。

Ce qu’on appelle la postérité, c’est la postérité de l’oeuvre.
を初めて知ったのも、彼の本でした。
音楽関係はひと通り読んだとおもいますが、絵のほうは読んでいません。
「セザンヌ物語」は立ち読みしてみます。
114アセンション携帯:2012/01/26(木) 21:31:09.46
>>101
リヴィエールは若くして死んでしまったんですねえ。
ブランショもまたNRFとは深いつながりがあり、
ほとんどの作品はガリマールから出ています。
「フロイトとプルースト」は近くの図書館になく残念。
弥生書房は下記を見ると活動休止中の模様。
http://www.yayoishobo.4t.com/index.html
カラー「ディコンストラクション」は岩波現代文庫に入ってたんですね。

>>111
ハイデガー「芸術作品の根源」もデリダ「絵画における真理」も読んだけれど、
ゴッホの描いた靴が農夫のものなのかゴッホ自身のものなのか、
そして左右そろいの靴なのか2つの右(左)の靴なのかという、
デリダお得意の決定不可能性に持ち込んでいく読解ですね。
徐々に霧をたちこめさせる逆ミステリー仕立てといえそう。
115G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/27(金) 01:58:03.90
>>113
吉田秀和のエッセイだと「いわゆる後世なるものは、作品の死後の生命にほかならない」
と訳されていますね。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲が例として出てくる。
私もこのスレで2回ほど触れている。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1309272869/747
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/book/1321162711/113

『ソロモンの歌 一本の木』(2006、講談社文芸文庫)には「失われし時をめぐって」
のほか、クレーの「忘れっぽい天使」をとりあげたエッセイ「クレーの跡」があります。

音楽評論家らしく、この鉛筆画の各線の描かれた順序、すなわち作品の生成過程
にこだわっている。絵を空間だけでなく時間からみるというか。すべての画家でないが、
セザンヌの作品もそのようにみてしまうと、後年の「セザンヌ物語」への伏線ともいえる
記述もある。
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/ArtKleeAngelWasure.htm
http://ikkoshacc.blog70.fc2.com/?no=4

この文庫のために書かれたあとがきでは正宗白鳥の『世界漫遊随筆抄』(やはり講談社
文芸文庫)について主にとりあげられていて、小林秀雄もえらく高くかっている白鳥の凄さ
の所以が少しだけわかったような気がしました。
116G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/27(金) 02:06:15.80
>>114
デリダ「絵画における真理」注文しました。
決定不可能性って、唯一の正しい読みなんて、そもそも存在しないのだ
といったところなのかなあ。
そうだとしたら、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム、ガダマーらの解釈学
的循環と相通じていそうです。
117G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/27(金) 02:21:25.37
>>115
自己フォロー

歌曲の紹介と自伝がないまぜになったような最近の連載エッセイ「永遠の故郷」
の最終巻「夕映」は、このクレーの「忘れっぽい天使」が表紙になってます。
http://tinyurl.com/6wrka4h
118G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/27(金) 04:50:57.18
>>115
また自己フォロー

吉田秀和「私の好きな曲」は、ベートーヴェンの作品131嬰ハ短調の
弦楽四重奏曲ではじまる。
プルーストがでてきたかしらと思って、見返してみたら、ペインターの
評伝より、ストラヴィンスキーと出会った際のエピソードがひかれていた。
カペー四重奏団やプーレ四重奏団を自宅に呼んで演奏させた話も。
119吾輩は名無しである:2012/01/27(金) 21:00:49.22
>>118
>吉田秀和「私の好きな曲」

今になってみると、最近も繰り返し聴く曲をここで決められてしまったような部分もある。
ストラヴィンスキーは好きだったのでこの本読む前にもいろいろ聴いていたけれど、
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲、D.スカルラッティ、R.シューマンの歌曲、A.ベルクあたりはこの本がきっかけ。

ウィーンにいったときはWiener Staatsoperでたまたま「薔薇の騎士」をやっていたので、聴いた。
この本の影響か、偶然か?
120吾輩は名無しである:2012/01/27(金) 21:29:15.27
>>118
>ストラヴィンスキー

既出かもしれないけれど、吉田城の「プルーストと身体」の中の「ニジンスキーとバレエ・リュス」は面白い。
ここに白黒で紹介されているロートレックの「ラ・ルヴュ・ブランシュ」は
http://mimt.jp/lautrec2011/

で見ることができて、ビックリした。
山口昌男の紹介で知った、ゴールド&フィッツデイルのミシアの表紙もこの絵を使っていた。
ちなみに翻訳版ではミシア・セール、吉田城ではミシア・セルトとなっている。
121吾輩は名無しである:2012/01/27(金) 23:24:07.28
>>114
ハイデガーの「存在と時間」で大笑いしてしまったブログ。

http://blog.tatsuru.com/archives/000031.php
「存在者」を「生者」、「存在」を「死者」と書き換えて読んでみるとどうなるか。

そういうことだったのか、と妙に納得してしまった。
122アセンション ◆a3h3sB7BfF9b :2012/01/27(金) 23:43:00.05
>>116
ハイデガーは「大地」という概念をもってきたりして
その大地を踏みしめるものとしてのゴッホ「農夫の靴」というつながりもあるけれど
そのハイデガーが前提=基礎にしているものを揺れ動かすことで、
その論拠の総体も不安定にさせるのが常套的な脱構築スタイルですね。

>>121
内田の「他者と死者」は先日読んだけれど
前半はなかなかグイッと読ませる力があった。
後半やや一本調子になってるきらいはあったけれど。
ラカンとレヴィナスをつき合わせて読むという無謀な企てだけど
それなりに楽しみましたw
123G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/28(土) 05:31:01.92
>>119
それと、名曲300選(新潮文庫ではLP300選)ですね。
(ちくま文庫はディスコグラフィがカットされてしまっているのでこれから
入手される方はできれば新潮文庫の古本がお勧め)。

リストやサン・サーンスに対するもしかして不当な低評価を吹き込まれたかもしれない。
音楽にも造詣の深い哲学者ジャンケレヴィッチなどはこの2人を高く評価している。

サン・サーンスは、ヴァントイユのソナタのモデルのひとつとしておきながら、
プルーストも好きな作曲家でないとはっきり言ってますが。

バレー「プルースト」で使われているサン・サーンスの曲の紹介
http://proustplus.exblog.jp/8287960/
吉田秀和のサン・サーンスへの口を極めた酷評部分の引用
http://blog.livedoor.jp/meutsuri-classic/archives/cat_43551.html

クララ・ハスキルのスカルラッティ集。10枚1000円ちょっとの激安盤にはいっていてとてもお得
http://www.hmv.co.jp/news/article/1002230112/

シューマンの「はじめての緑」は最近の「永遠の故郷」でもとりあげられていて、少年時の小樽の
思い出を織り交ぜた逸品エッセイに仕上がっている。

語りだすと切りがないな^^;

124G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/28(土) 06:09:30.10
>>120
>ロートレックの「ラ・ルヴュ・ブランシュ」

確かにそのリトグラフ、この頁に出ていますね
http://mimt.jp/lautrec2011/exhibition/04.html

「プルーストと身体」の論文、てっきりユリイカ2001・4の特集号
所収の「プルーストの草稿を読む―ニジンスキーの登場をめぐって」
と同じと思ったら、確かにそれが元になっているけど、結構書き足され
ていたりして、随分違ってました。

ニジンスキーがモデルと思しきダンサーに魅せられ、ラシェルがエロい
台詞を吐き、サン・ルーをやきもきさせる箇所の紹介、むすびの次の一節
など基本は同じですがが。

>プルーストのテクストは、しばしば隠蔽するために語り、示唆するために
沈黙する。その幾重にも層をなす意味の錯綜体を、さまざまな角度から解き
ほぐしていくことは、ある種の知的なゲームに似た興奮をもたらしてくれる。

さらに、ジュネットの名が出て、草稿は、アポクリフ(外典)、「裏」バージョンであり、
「表」バージョンたる正統なテクストに対して、謎の解明をもたらし、時には固有の
価値を主張し、本文の理解に厚みを与えると草稿の検討を中心に据える「生成研究」
のおもしろさが語られる。ユリイカバージョンはここで終わってます。
125G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/28(土) 06:27:35.02
>>121
>存在者などといふものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えている
のやら、何を言ひ出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人
の事にせよ、解った例しがあつたのか。観賞にも観察にも堪へない。
其処に行くと存在といふものは大したものだ。何故、あゝはつきりとしつ
かりとして来るんだらう。まさに存在の形をしてゐるよ。してみると、
存在者とは、存在になりつゝある一種の動物かな。

小林秀雄「無常といふこと」の一節。
http://d.hatena.ne.jp/ari1980/20100218(原文の引用あり)
生きている人間を存在者、死んでしまった人間乃至人間を存在に置き換えてみた。
人間は、「存在と時間」では、現存在(Dasein)と呼ばれている。
現存在は「死者になりつつある一種の動物」とパラレルになりそう。

「存在と時間」より(存在→生者、存在者→死者に置き換え済み)。
>死者問題を仕上げるとは、或る生者を――問いを発する生者を――その死者において
見通しのきくものにすることである。[略]われわれ自身こそそのつどこの生者であり、
またこの生者は問うことの死者可能性をとりわけもっているのだが、われわれはこうした
生者を、術語的に、現存在と表現する。死者の意味を問いたずねる問いを表立って見通し
のきくように設定するためには、或る生者〔現存在〕をその死者に関して先行的に適切に
説明しておく必要があるのである。
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_books/heidegger.pdf

「述語的」ってのが結構ポイントだと思う
(原書に拠ってないので単に学術用語の意味との勘違いの可能性もあるが)。
述語とはA is BのBの方。あらゆるBを含む究極の述語がbe(ドイツ語のsein、フラン
ス語のetre)、ではあらゆるA(主語)を含む究極のAはというとあらゆる属性(述語)を
包摂する全知全能の存在。ありてあるもの。
究極の主語と究極の述語からなる命題は同語反復的になってしまう。
スピノザの汎神論めいてくるが。
多分、存在=死者を神と置き換えることもできるだろう。
http://www.ne.jp/asahi/village/good/heidegger.html
126G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/28(土) 06:44:57.75
>>125  訂正
>「存在と時間」より(存在→生者、存在者→死者に置き換え済み)。

逆っすね^^;  正しくは、存在者→生者、存在→死者

いずれにしても辛気臭い書き込みですまそ

坂部恵、ことに岩波現代文庫の「和辻哲郎」あたりにも触発されかつて思った
ことを書いてみた。
そこにでてくる強い論理、弱い論理。
強い論理は、いわゆる三段論法。
弱い論理は、例えば、花は美しい。女は美しい。ゆえに女は花である。
月並みだが詩の世界ではこの命題は正しかったりする。プルーストのああでもない
こうでもないという幾重にもなった重層的なメタフォーはこういった弱い論理の効果
をいかんなく発揮したものといえないかと思っている。
127G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/28(土) 07:10:13.74
弱い論理ってのは、要するに、述語を共通にする2つの主語同士を同じとしてしまう論理です。
メタファー(metaphor)とほぼイコールですね。

>>122
どうもです。
デリダ「絵画における真理」のほか、ドゥルーズ「シネマ」も注文。
絵画、映画といった視覚芸術についての教養(経験の蓄積)がおそろしく貧弱なので
アセ氏やムー氏(代理としてのN氏)が立てたスレに参入できるかは心もとないけど。
128吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 18:15:03.19
>>123
>それと、名曲300選(新潮文庫ではLP300選)

グレゴリオ聖歌から始まって、現代はどこまでいったのかしら。(吉田秀和風疑問文w)
手元に本がないのでよく覚えていないが、グレゴリオ聖歌、オケゲム、ジョスカン・デ・プレ、モンテヴェルディなどJ.S.バッハ以前の曲をいろいろ探して聴くようになったのもこの本がきっかけ。
「古楽」という言葉さえなかった当時の歴史観はすごい。
このての話題はキリがない。
129吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 18:21:00.94
>>128
サン・サーンス、F.リストへのコメント、ショパン、チャイコフスキー、プッチーニあたりの評価もいろいろあるけれど、キリがない。
スマソ。
130吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 19:07:53.07
>>123
ハスキルがこの価格で売られると、ある時代の終わり、というか、もうこの先には売られることがなくなってしまうような予感がする。
Westminster盤のスカルラッティはLPのあとCDが出たときにも買いなおした。
ほかの協奏曲とかソナタもあるような、ただ放送録音は手元にない。
グリュミュオーが1曲というのはさびしい。Philips盤はほぼ全滅ですかね。
D.スカルラッティはS.Rossの全曲盤を聴いたが、チェンバロだけれど楽しめます。

まったくスレチですね。
131吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 21:19:01.30
318 名前:名無シネマ@上映中 :2012/01/11(水) 00:03:01.35 ID:0qHEoNXK
ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQとは?
自分の失態で本名が木村朋史、住所が神奈川県厚木市ってこと晒したアホでも有名でやんす
またまた仕事辞めて母親の年金で暮らす36歳のおっさんニートでやんす
リアルな世界では誰ひとり友達のいないネット依存症のガチのメンヘラでやんす
自宅に放火して警察のお世話になったこともあるのでやんす


319 名前:名無シネマ@上映中 :2012/01/11(水) 00:05:11.20 ID:0qHEoNXK
64 :吾輩は名無しである:2010/10/30(土) 13:48:04
178 ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ[sage?] 投稿日:2008/05/24(土) 17:22:40
俺なんか真希ちゃんにわざとマン垢溜めさせてスプーンで掬って食べたもんねー(:-D)rz
ヨーグルトの100倍美味しかったYO!(:-D)rz
雑談 Part.39
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/hiphop/1253411339/
978:ピース◆JSPf4VvHXo01/10(火)19:25 ID:??? AAS
他人の迷惑を考えない人はどこでも疎まれるよ。
979: 01/10(火)19:48 ID:??? AAS
まさに自己言及だな
132」 ◆m0yPyqc5MQ :2012/01/28(土) 21:21:42.89
よき人の名を穢した者はその倍おのれの名を穢されるであろう。
133吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 21:22:02.20
また関西コピペ
134吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 21:28:22.62
61 :訴える名無しさん。:2012/01/25(水) 20:46:10.45 ID:???
ペイン、今まで彼女いたことないんだろ?


62 :ペイン ◆ZERO///RiY :2012/01/25(水) 20:58:08.77 ID:???
ふん。


63 :訴える名無しさん。:2012/01/25(水) 21:04:58.21 ID:xTpfVnDh
>>61 会話にならないしwwwwww


64 :訴える名無しさん。:2012/01/25(水) 21:13:53.28 ID:???
女一人作れないって、どんな気持ち?
もしかして、俺を理解出来ない女が悪いとか思っちゃってる?
あ、風俗以外で女と話したことないんだっけ?

135吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 21:34:01.11
479 名前:訴える名無しさん。[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 00:40:28 ID:???
そんなツウィッターみたいに延々つぶやくのは荒らし行為ですよ

481 名前:ペイン ◆THUG///Npc [sage] 投稿日:2010/03/11(木) 08:13:02 ID:???
荒らしだもん(けろっとした顔で)


516 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 G ◆FUNK///q7E :2011/06/13(月) 06:02:01.74
おはです。
仕事初日頑張りまっす。

768 :G ◆FUNK///q7E :2011/06/17(金) 07:10:32.14
だりーわ。
仕事やめんべ。
136吾輩は名無しである:2012/01/28(土) 21:45:39.68
497 :享介 ◆MANAKA/ssQ :2010/03/26(金) 19:08:36 ID:bkdBjp/H
ベッキーを撲殺せよ。
539 名前:名盤さん :2010/03/27(土) 12:04:42 ID:lWhO7fye
>>497
これ通報したら逮捕だよね。
一応やっとく。


540 名前:享介 ◆GANGSTA/WY :2010/03/27(土) 12:05:24 ID:IxPbvMou
逮捕(笑)なんかされるかヴァ〜カ(笑)
137G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/29(日) 03:56:24.23
>>130
ハスキルのフィリップス盤は、こちらのBOXに網羅されてます。
2009年からフィリップスのロゴはなくなりデッカに置き換わってしまってますが。
スタジオ録音全部、グリュミオーとのモーツァルト、それにベートーヴェンもはいってます。
スカルラッティ等ウェストミンスター盤も。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3902461

17枚で5000円しないので、1枚あたり300円を切っており、
これでも昔に比べれば、めちゃくちゃ安いですね。

バッハ無伴奏、実はグリュミオーの演奏を一番聴いていたりします
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1388521

スレチが続いたのでヴァイオリニストつながりでモレルのことでも



138G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/29(日) 04:30:04.49
一筋の前髪をはらりと垂らした美貌のヴァイオリニスト、シャルリことシャルル・モレル
(ウィキの写真をみるとプルースト自身も前髪を一筋垂らしているw)

ヴィスコンティは、もし「失われた時」のシナリオが映画化されたら、モレル役は恋人の
ヘルムート・バーガーにやらせるつもりだったようだ
(アルベルチーヌは、「愛の嵐」のシャーロット・ランプリング)
http://zidai.exblog.jp/i32/

「失われた時」の映画化は予算の都合で実現せず、ヘルムートには代わりに狂王ルートヴィヒを
演じさせることになる。
http://tinyurl.com/5rka3c

「見出された時」を読むと、「ゲルマント家はバイエルンの出身で、ドイツのもっとも身分の高い貴族
と縁続き」、すなわちルートヴィヒ2世と血縁関係がある設定になっている。
狂王同様、ソドミーの血が流れていることになる。だからゲルマントの男たち、シャルリュスもサン・
ルーもモレルに狂う。ゲルマント大公も実はモレルを一晩50フランで買ったことがある。
モレルはどうやらゲルマント一族好みの容姿をしているらしい。
彼らは多分、狂王同様、ワーグナー好きでもあるはず。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/907-955
139G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/29(日) 13:10:42.34
>>130
SP→LP→CDと媒体が移ってきたけど、結局、音楽はダウンロード一辺倒
にいずれなってしまうかもしれませんね。
MCカートリッジ、MMカートリッジといったレコード針により音や情報量が
変わってしまう(そこがマニアにはたまらないのだろう)ということもおそらく
CDの場合はあまりなく、しかもCDの情報は低音等あるところからぴたりと
カットされてしまっていたりする。
ダウンロード型にすれば、パソコンの性能さえ伸びていけば限りなく情報
量を増やすことができる。

昔のLPが高値で取引されていますが、CDの場合どうやら寿命がもっと
短いおそれがある。フェティシズムを満足させるアイテムとして実は弱い。

「失われた時」には、電話等当時としては新しいアイテムが登場しますね。
http://www.kotensinyaku.jp/blog/archives/2011/11/27.html(高遠弘美のエッセイ)

すぐに該当箇所が出てこないのだけど、プルーストは確か、電話でオペラ
全曲を聴けるサービスなども利用していた。現代に生きていたら、コンサート
ゴーアーでなく、ハイエンドのオーディオユーザーになっていたような気が
します。
例のコルク張りの部屋などまさに無響室ですね。


140アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/29(日) 18:13:57.84
ガリマールの家とプルーストと身体を図書館から借りてきたよ。
本当は買いたいところだけど、
今月はシモンの新刊を買ったりして金欠なので。
141アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/29(日) 18:17:26.19
ガリマールの家とプルーストと身体を図書館から借りてきた。
本当は買いたいところだけど、
今月はシモンの新刊を買ったりして金欠なので。

ガリマールの本でnrf、イマジネール、フォリオといった分け方は
単に装丁の違いですかね。
142アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/29(日) 18:21:26.04
どうもiPadが慣れなくて二度書き込みになってしまったorz
143吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 18:27:51.00
318 名前:名無シネマ@上映中 :2012/01/11(水) 00:03:01.35 ID:0qHEoNXK
ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQとは?
自分の失態で本名が木村朋史、住所が神奈川県厚木市ってこと晒したアホでも有名でやんす
またまた仕事辞めて母親の年金で暮らす36歳のおっさんニートでやんす
リアルな世界では誰ひとり友達のいないネット依存症のガチのメンヘラでやんす
自宅に放火して警察のお世話になったこともあるのでやんす


319 名前:名無シネマ@上映中 :2012/01/11(水) 00:05:11.20 ID:0qHEoNXK
64 :吾輩は名無しである:2010/10/30(土) 13:48:04
178 ヘ(^q^)ヘ鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ[sage?] 投稿日:2008/05/24(土) 17:22:40
俺なんか真希ちゃんにわざとマン垢溜めさせてスプーンで掬って食べたもんねー(:-D)rz
ヨーグルトの100倍美味しかったYO!(:-D)rz
雑談 Part.39
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/hiphop/1253411339/
978:ピース◆JSPf4VvHXo01/10(火)19:25 ID:??? AAS
他人の迷惑を考えない人はどこでも疎まれるよ。
979: 01/10(火)19:48 ID:??? AAS
まさに自己言及だな
144吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 18:37:16.81
また一般人へのナリスマシで、名誉毀損罪
145吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 18:37:32.58
また関西
146吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 18:41:47.08
「私たちの内面的な生の全体は、意識が最初に目ざめたときから始まったただ一つの文のようなもので
、コンマはあちこちにあってもピリオドで切られていません。したがって、私たちの過去のすべてがそ
こに、すなわち意識下にあると思います。」これはベルクソンの「心と身体」にある文章であるがプル
ーストが書いてもおかしくない文章である。
147アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/29(日) 18:46:13.97
ベルクソンの純粋持続だねえ
148吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 18:59:53.59
>>5
>岩波

実家の埋もれていた本をあさっていたら、山本夏彦の「私の岩波物語」(文春文庫)がでてきた。
山本夏彦は鹿島茂の紹介していて読み始めた。

プルーストに限ると、
--
ジェイムス・ジョイスの「若き日の芸術家の肖像」を訳したのは小野松二(雑誌「作品」の主宰者)である。
井上究一郎のマルセル・プルーストの失われし時を索めて」ははじめ淀野隆三が訳して「作品」に連載し、
都合で中絶したのを井上究一郎と久米文夫が続け、さらに井上ひとりが訳した。

ジョイスとプルースト二家なくしてを除いて近代文学は語れないというのに、作品社と小野松二について書いたものがない。
何か訳があるに違いない。
--

ちなみに「作品」の同人は堀辰雄、井伏鱒二、梶井基次郎、永井龍男、
小林秀雄、川上徹太郎、神西清、今日出海など、のちに坂口安吾、石川淳。
これはこれでスレひとつかも。
149吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 19:00:58.82
>>137
>バッハ無伴奏、実はグリュミオーの演奏を一番聴いていたりします

グリュミオーも手元にありますが、よく聴くのは、シェリングの旧盤。
この手の話は別スレでもないとほんとキリがない。

>>139
プルーストが自室に呼び集めたのは、本当に聴きたい、と思っていたのかもしれません。

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004613814
にあるように、
「プルーストの蔵書がどのようなものであったかもまったく知られていないと言ってよい。」
「彼は愛書家ではなかった。」
というのが事実であれば、再生装置と媒体を持つこともないような気がします。
150吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 19:01:47.65
>>138
>ヘルムート・バーガー

懐かしい名前です。
ヴィスコンティはオムニバスはどれをみたか記憶にないけれど、初期の1つか2つを除いてだいたい見ました。
好きなのは「山猫」と「若者のすべて」。
プルーストの脚本(筑摩文庫)は実家に埋もれているはずなので、今度再読するつもり。

最近のヘルムート・バーガーは、wikiでは自叙伝書いたり、マレーネ・ディートリッヒからの手紙を大事にしていたり、とかおもしろい。
ビョルン・アンドレセンもその後太ったとかいう噂を聞いたことはあるけれど、wikiをみてもよくわからない。
151吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 19:04:06.73
吉田城もおもしろいので読んではいるが、以前から気になっていた福田和也の「近代の拘束、日本の宿命」(文春文庫)から。
彼が大学2年のとき将来の留学の下見でパリにいったときの話。
原文貼り付けではなくて、一文字ずつ入力するのは大変。かなり省略しているので意味不明のところがあるかも。

--
国立図書館で、四拾人近い日本人留学生たち全員が、プルーストの草稿やゲラを抱えて、一字一句チェックしていた。
実力がフランス人に劣らないことを示すためには、草稿の検証が一番合理的だ。
ラシーヌからフローベールまでの大作家については、既に草稿の研究はやり尽くされており、残された大作家である、マルセル・プルーストの草稿に群がらざるをえない。
特に軍事や政治での活動が禁じられた戦後は、経済や学問、芸術の分野での、過度の競争によって、日本人は成功を納めてきたのである。

--
なぜ文芸に拘るのか、ということが忘れ去られている、と書いた後、河盛好蔵の荷風へのコメントとか、蓮実重彦の話題がでてくる。
ただプルースト草稿の研究の位置づけが強烈に書いてあって、趣味で読む自分には関係ないけれど、おもしろい。
特に研究そのものを否定してはいないので、あしからず。
152G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/29(日) 20:38:54.18
>>151
おもしろい本の紹介ありがとうございます。
福田和也は1960年生まれなので大学2年というと30年以上前、1980年くらいですね。
当時、まだ新規参入の余地のあったフランスのプルースト産業に日本人留学生が我先にと
群がったということのようですね。

草稿研究には>>124の吉田城の引用のとおりのおもしろさがあり、その成果を垣間見せて
もらえるだけでもわくわくするものがあるし、本文の読みにも資するところはあるので私も
否定しません。
でも、もしかしたら文学研究の道を志した初志を忘れ、草稿の大海の中で、自らを見失って
しまった人たちもいるのかも。


153アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/29(日) 20:41:21.15
>>148
井上究一郎の前にも先人がいたんだなあ。
作品社の由来が作品という同人誌にあることは初めて知りましたよ。
154G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/29(日) 20:54:13.70
>>149
絵画については画集や図版を結構活用しているように思われたので
複製芸術にそれほど抵抗がないのではと思いました。
もちろん、晩年に体調不良をおして、「デルフトの眺望」を見に行ったりと
本物にも拘っていますが。

確かにレコードやCDのコレクターには絶対ならないでしょうね。
ただ、金があるので最高のオーディオ装置は設置すると思います。
自分で機器を選んだり、セッティングしたりはせず、オーディオ専門家に
任せるでしょうけど。
なによりもプルーストみたいなタイプはコンサート会場のまわりの聴衆
を観賞のための妨げとみそうな気がするので、密室空間で何物にも邪魔
されず観賞できる精巧な複製芸術があればそれを歓迎するように思った
のです。
貧弱な音だったはずの電話の受話器から聞こえてくる音楽すら味わおうと
したのであれば
155G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/29(日) 21:09:48.76
>>148>>153
こないだ田村書店で買ったフランス綴じの「プルウスト研究」という雑誌。
復刻版なのですが、もとは作品社から昭和9年に発行されています。
確かに久米文夫と井上究一郎の共同訳で「花咲ける少女の陰に」が
連載されている。
T乃至Vのあとがき(編集後記)は久米文夫ですが、Wは久米が
「失ひし時」の翻訳に没頭するため京都に去ったため、小野松二が
書いてますね。
最後は

>なほ「プルウスト研究」は、久米君が居なくなつたのでは僕が少し
忙しくなりすぎるので誌代前納者の期待に反いて大へん申譯ない
次第であるが本輯をもつてひと先づ休刊することにした。

となっている。きちんと前納した購読料返しているのだろうか。
156吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 21:10:20.34
3人のスレ
157吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 21:26:03.71
>>155

山本夏彦のオリジナルは
--
はじめ淀野隆三が訳して「作品」に連載し、
都合で中絶したのを井上究一郎と久米文夫が続け、さらに井上ひとりが訳したいきさつは淀野がこまごまかいているがくだくだしいから略す。
--

と続いていました。たぶん何か書き残しているのでしょう。
158吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 21:32:28.33
山田梨沙(筆名・綿矢りさ)=ネットストーカー 兼 食糞習性人 兼 未成年へもポルノ頒布業者 兼 淫行勧誘人
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi08-img/face.jpg

村上春樹容疑者=成り済まし中傷者 兼 食糞習癖人 兼 児童ポルノ頒布業者 兼 覚醒剤使用者
http://blogs.reuters.com/japan/files/2009/06/murakami.jpg
159成り済まし犯罪者の悪業自業自得:2012/01/29(日) 21:45:33.69
2009年6月http://blogs.reuters.com/japan/files/2009/06/murakami.jpg
2010年某日http://25.media.tumblr.com/tumblr_lslqs5vk3V1qjd1kgo1_500.jpg
http://26.media.tumblr.com/tumblr_lrifcjw2PG1qjd1kgo1_500.jpg

361 :ヘ(^p^)ヘ村上春樹 ◆m0yPyqc5MQ :2010/12/28(火) 22:56:58
でもシャブはマジで死ぬんじゃないかってくらいやってた今年の初めから春先まで。
金が底をついて、それからずっとやってないなあ。

387:v(・x・)v村上春樹 ◆JSPf4VvHXo :sage:2011/09/23(金) 00:08:06.42
また自分語りウゼーって言われるかも知れないけど、しかも繰り返しになるけど、
俺は一昨年の年末から去年の四月まで毎日覚醒剤を静脈注射してたんだけど、壊れなかったね。

381 名前:村上春樹(62歳。神奈川県大磯町在住。京都府生まれ神戸市育ち。小説屋) ◆.a7VUr.VD. :2012/01/06(金) 07:39:00.41
あーよく寝た。

617 名前:石原慎太郎(? 書き込みの悪質からそうと疑われるレス):2012/01/29(日) 20:54:45.67
ピースくんも>>616みたいなのに粘着されて災難ですなー
160G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/29(日) 21:58:04.95
>>148
日本におけるジョイス受容史といえば、みすず書房から2005年に
「昭和初年の『ユリシーズ』」という本が出ていますね。
http://www.msz.co.jp/book/detail/07146.html

夏彦翁(1915−2002)亡きあとに出版されているのでなにかでているかな。
この本、購入した記憶があるけど、すぐに見つからない。
161吾輩は名無しである:2012/01/29(日) 22:29:44.88
>>152
抜粋です。手入力はやっぱり大変。

--
「六代目朝寝坊むらくに弟子入りして下足の修行を務め、歌舞伎座座付作者福池櫻癡に入門して拍子木を入れたという永井荷風が主任教授を務めた学科」
に入学したらアカデミックだった。
河盛好蔵が
「フランス文学者になろうと思ったら、なにはさておき、荷風全集を熟読玩味することから始めるのが第一だと思っている。」
「荷風を通らないフランス文学の研究には大きな欠陥のあることは確かである。」
と書いているのに「驚嘆」し「そもそも荷風などを手本にしていたら、今日のアカデミズムで教授になどなれるはずがない。」

「荷風の仕事には、日本人がフランス文学に魅了され、それを学ぶということに本質が、その喜びと鬱屈が息づいている。」
「それは、現在の日本ではもちろんフランス本土でも研究の名に値しないものだろう。」
「それは業績ではないだろう。だが明らかに文化である。」

吉本隆明と蓮実重彦の対談で、吉本が蓮実の批評について
「日本語とかフランス語、フランスの生活とか日本の生活とかに言葉が帰属しないところ」で展開しているのではないか、
「言葉や作品がどこに帰属するのか、あるいは作品がどこかに帰属しない限り、批評の概念は成り立たない。」
と問いただす。

それに対して、蓮実は、
「自分は日本にも帰属していないし、フランスにも帰属していない、
「文化的な制度を超えた、作品を具体的に読むという行為が支える言葉の環境への帰属感」をもっているのだ、と答えている。」

「言葉の環境」とは「虚空への帰属、正体不明で無国籍な場所としての、現在の「日本」そのものだ。

なぜフランス人には出来ない、「日本人にしか」出来ない方法でフランス文学に取り組み、フランス人に示すことができないのか。
学問の中に、「日本人」であるという、自覚がないことは、学問に、自分が生きている現実」がまったく関係ないということではないか。
こうした歪みを、予見して河盛氏は「大きな欠陥」とおっしゃったのではないか。

--
このあと福田和也は「奇妙な廃墟」を書くことになる。
162アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/30(月) 00:35:58.70
プルースト翻訳史を洗うだけでも豊かな物語があるなあ!
163G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 06:49:37.66
>>146
ベルグソンの「心と体」は1912年の講演を文章化したものですね。
「精神のエネルギー」(第三文明社レグルス文庫、1992)にはいっていたはず。
中央公論社の世界の名著にもはいっていたっけ。

このスレで、プルーストのCSBの「美しいテクストにおいてすべての誤読は美しい」
が、ヴィトゲンの言語ゲームやガダマーの解釈学的循環、さらにデリダの脱構築
とも通底しているのではと書きましたが、「精神のエネルギー」、ことに「知的な
努力」という論文にある、

 図式→(展開)→イマージュ

という概念も、これらに通じるなと思ったことがあります。
164G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 06:53:11.49
わかりにくいですが、かつて書いた抜粋等。興味のある方は「精神のエネルギー」を入手してくだされば。

「知的作用の努力の感情は、図式からイマージュへの行程で生じる」(198頁、「知的な努力」
と題された論文、以下も同じ)。
「図式は、自らをそれによって満たそうとするイマージュそのものによって変更される」(199頁)。

「図式は、つねに明白にイマージュに先行するのではない」
「動きがなく、こわばっていて、すぐに明確な概念が与えられるようなただひとつの図式ではなく、
精神が輪郭を固定するのを拒否するような、弾力的または動きのある図式」、すなわち「それ自
体を具体化するために図式が引き寄せなくてはならないイマージュそのものによって決定される
のを待っている」「図式が存在しうる」(200頁)

「知的な作業をするというのは、さまざまな意識の面を通して、同じ表象を抽象から具体へ、図式
からイマージュという方向に導くことである」(201頁)
「あらゆる知的な努力のなかには、ひとつの図式のなかに入ろうとして押しあい、押さえあっている
数多くの可視的もしくは潜在的なイマージュがある」(210頁)

 図式は、先入見に基づく全体像(しばしば漠然としている)であろう。
 イマージュという言葉は若干わかりにくい。
 しかし、「文学・詩の創造」は「《抽象から具体へ》、つまり全体から部分へ、図式からイマージュへ
と進む」ことが前提されているから、
  図式を(再)構成する素材となる具体的な表象・部分
ととりあえずとれば、読み進めることができる(素材という言い方でよいのかは保留)。
 その表象は強度が大きく、また明晰・判明なものほど価値が高い(197頁)。

引き合いに出されるデューイの考え。
「新しい作業を習得しようとしていままで身に付けていた習慣を用いるたびごとに努力が存在する」。

習得はドゥルーズの「プルーストとシーニュ」の最重要タームですね。
165G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 07:07:09.68
続き

>>146の引用に即していうと(まだ自分の中であやふやですが)
だらだらといつまでもピリオドによって閉じられないひとつらなりの文のような
「私たちの内面的な生の全体」、「意識下にある」「私たちの過去のすべて」
が地としてあり、芸術家はそこからある特権的瞬間等を図として抽出し、イマージュに
まで高める。
それは地として背後にある全人生を反映したもの、人生の縮図であるはず
(すぐれた作品ほどそうなる)

習得という言葉を使うと(ドゥルーズの概念と同じかは保証の限りでない)
人間の一生は果てしない習得の連続で、問題はその習得のプロセスをいかに
豊かで充実させるかにある。
プルーストは自らの人生をひとつの大作にかけて、身をもってその習得の過程を
ひとつのモデルとして残した。

166吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 07:10:27.69
167G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 07:24:16.31
>>161
かさねがさね、ありがとうございます。

「奇妙な廃墟」は評論家福田和也の出発点であり最重要作のひとつなのに、
ちくま文庫で絶版なのが残念ですね(自分は持っていますが。福田による江藤
淳のアンソロジーも)。

むしろ文庫で出してくれたこと自体に感謝しなくてはいけないのだろうけど
(保苅瑞穂の「プルースト・印象と隠喩」にしても秋山虔「伊勢」にしても何百部売
れるかすらこころもとない良書を文庫化してペイする方法ってのがあるのかな)

荷風等についてはまたいずれかな。川本三郎「荷風と東京―『断腸亭日乗』私註」
を参考に、散々歩き回った時期がある(この本、今は岩波現代文庫にはいってる)
電車にのっていて、江戸川を越え、市川市八幡のこんもりと点在する松林が目に
はいるようになると、いつも荷風のことが思い出されます。
168G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 08:02:05.17
>>166
ベルグソンって、プルースト好きや小林秀雄好き(俺は両方)にはとても気になる存在
私の好きな哲学者のひとり、音楽にも造詣が深い(自分はアドルノより好きかも)
ジャンケレヴィッチにも「ベルグソン」という本がある。

でも、「物質と記憶」にはじまるベルグソンの4大著書って、非常に読みづらいと
思うんです。
スピノザの「エチカ」が、散々思考を重ねた挙げ句の結論を、結論から書いていて
その思考過程が辿りにくいから、よそよそしく感じられてしまうのに似ている。

読者はそのよそよそしいテキストから、書き手の思考過程、結論の生成過程を逆に
辿り、血肉化していく必要がある。
講演であるとか講義、もし存在すれば草稿って、そのためのよすがとして非常に役
に立ちます。
ベルグソンは生前、4大著書とわずかなもの以外は死後の出版を禁じた。
小林秀雄がそれをまねて、雑誌に掲載していながら、中途で挫折したベルグソン論
「感想」の単行本化を禁じたことは有名ですね。
彼らを愛するものにより、その遺言が破られることもまた必然なのですが。
ベルグソンの講義録も次々と出ることになる。

「精神のエネルギー」ってベルグソンへの入り口、とっかかりとして、とてもよいと思う。
169G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 09:58:17.71
>>168の続き
訂正 4大主著は「時間と自由(意志)」(意識に直接与えられたものについての試論」
「物質と記憶」「創造的進化」「道徳と宗教の二源泉」の順でした。

ベルグソンについてさらに1点付け加えると、彼は、デカルト(多分、その俗流の)以来の心身二元論、
ことに脳が心のありかであるという考え方と格闘し、そのために彼の時代の最先端の科学思想を取り入れ
ようとした。当時においても彼自身が誤解していた部分もあるだろうし、ことに現代からみれば明らかに間
違っている、時代遅れというものもその中にはある。
そのためにベルグソンの根っこにある偉大な部分まで時代遅れと見なされかねない危険がある。
おそらくベルグソンは、そうして葬り去るには惜しい存在であり、だからこそ、その思想の生成過程を
講義、講演、あれば草稿などにより辿り、現代にも意味がある根っこの部分を掬いあげる必要がある。
170G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 09:58:57.39
すまぬがさらに続き

小林秀雄も、アインシュタインを研究したり、また数学者の岡潔と対談したりしている。
しかし「動じないものだけが美しい」などと嘯いて、結局、本居宣長(上田秋声の漢ごころに対する
やまごころ、もののあはれ)に行くわけですが、坂口安吾に絡まれたり、柄谷行人や中上健次に
小林には「交通」ってものがない(ヴァレリーやサント・ブーヴを摂取していた初期にはあったけど)
などとしたり顔に言われてしまう。
小林秀雄は結局、見失われた「常なるもの」を追い求めたといってよいかもしれない。
「不易」と「流行」の間でどうバランスをとるかは、大岡信いうところの「孤独」と「宴」の間でどうバランスをとるか
と同じく、生きていくうえでの最大の課題のひとつですね。

プルーストは、当時のサロンに若い頃散々出入りし、すなわち、「宴」の中に身をおき、当時の風俗すなわち
「流行」を描いた。と当時に、コルク張りの部屋で「孤独」に執筆にうちこみ、その作品は、時代をこえて訴えか
ける「不易」なものを描くことにも成功している。それはキリスト教、ギリシャ・ローマ思想よりさらに遡り、昔パリ
のシテ島にも棲みついていたケルト人(フランスではブルターニュ半島あたりにしかその文化は残っていない)
にまで通底しているかもしれない。魂を描いたとも言いかえられるかも。

しかし、「不易」なもののみを「孤独」に追い求めれば、その人間はミイラのように干上がってしまい、魂に
到達することもできないだろう。
このバランスは各人の資質に基づいて、各人がとっていくしかない性質のものですが。
171吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 18:38:43.23
>>167
>>170
????
172G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 18:58:56.21
>>171
ベルグソンについては未消化な部分が多いと思う。
図式というタームの理解にも、読み返してみたがぶれがある。
数年前は自分なりにああそうかと思ったのだけど。
無視してくれて構わないです(>>164の引用部分だけは何かのとっかかりになるかも)

確か、「精神のエネルギー」にいくつかベルグソンの書いた図があったので、
さがして、もう一度見てみようと思ってます。
173吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 19:18:43.91
>>172
>164の引用部分だけは何かのとっかかりになるかも

これは有意の言説。
174吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 19:34:16.98
ピース以外だれもうんこの話してないスレで一人でうんこうんこ言い続けてる

905:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :sage:2012/01/29(日) 22:11:50.15
うるせえよ黙って下痢便飲んでろ鈴木雄介
110 +1:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo :sage:2011/12/17(土) 14:11:05.56
でも鍵くんってスカトロフェチじゃん。
130:v(・x・)v鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo :sage:2011/12/17(土) 15:01:38.73
鍵くんは綿矢りさのドロドロでグチャグチャが食べたいとかいう変態書き込みをしたくせに調子いいよな。
188 +1:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :sage:2011/12/22(木) 19:06:35.86
>>185
そのログ読めばわかるけど、ドロドロでグチャグチャの食いたいって書いたのは鈴木雄介だよ。
190:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo:sage:2011/12/22(木) 19:07:37.61
このドロドロ変態野郎w
192:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo:sage:2011/12/22(木) 19:08:40.04
スカトロ野郎!
194:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo:sage:2011/12/22(木) 19:09:53.18
ウンチでチンチンが立つとかビョーキだよねw
196:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo:sage:2011/12/22(木) 19:12:09.23
なんでウンチでチンチンが立つの?
198:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo:sage:2011/12/22(木) 19:14:47.69
チンチンがビョーキなの?
200 +1:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo:sage:2011/12/22(木) 19:18:39.82
チンチン丸出しですよ
202 +1:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo:sage:2011/12/23(金) 16:10:27.02
お前はなんで毎回コテ変えるの?チンチンがビョーキなの?
228:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :sage:2011/12/28(水) 21:36:24.35
>>227
ウンチって苦いんだぁ
230:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :sage:2011/12/29(木) 21:21:31.32
ウンチは食べるものじゃないよ!
175吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 21:13:07.57
>>168
小林秀雄も「モーツァルト」にはまって、「本居宣長」も読んだ。
「感想」はいわくありげなので買ったが、実はまともには読んでいない。
小林秀雄はつまるところ、自分のことしか書いていない、ようにおもう。
対象について、即して書いたり考えたりしていないようにみえて、最近はほとんど読んでいない。

ベルクソンは林達夫が訳した「笑い」とか中村雄二郎が訳した「道徳と宗教の二源泉」あたりは読んだ。
ベルグソンがどうこう、というより、訳者がほかで書いている文が気になって、翻訳も読んだ、という程度。

明確には説明しづらいけれど、プルーストとベルクソンは「意識」とか「持続」とかいう言葉で関連付けられるほど近くはなくて、全然タイプが違うような気がしています。
176吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 21:25:20.76
>>155
>「プルウスト研究」

http://sumus.exblog.jp/6507197/

の雑誌でしょうか。
プルーストの初期の翻訳については、

http://sumus.exblog.jp/6489435/

にも記載があります。
177まぐな:2012/01/30(月) 21:32:20.85
プルーストより、ウィンダム・ルイスの方が興味ある、といったら叩かれるか。
178吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 21:35:01.32
179G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 22:03:20.04
>>175
>プルーストとベルクソンは……全然タイプが違うような気がしています。

私もそう思います。プルースト自身が哲学者と詩人・文学者の違いに触れた
「晦渋性を排す」という評論より。語尾のみちょっと端折ったりしてます。
(ちくま文庫「プルースト評論選T」308頁)

>小説家が一篇の小説にやたらと哲学をつめこめば、その小説は哲学者にも文学者
にも価値のないものと映るであろう
>文学者や詩人がじっさい形而上学者と同じくらいに事物の現実の奥深くまで行きつ
けるとしても、それは別の道を通ってである
>理屈の助けをかりるのは、彼らを世界の核心につれていくことのできる唯一のもの
である感情のエラン(飛躍)を強化するどころか、逆に麻痺させるものである
>『マクベス』が独特な形の哲学となっているのは、哲学的方法によってではなく、一種
の本能的な力によってである。このような作品の基盤は、人生の基盤そのもののように
――作品はその人生のイマージュなのだ――、それをますます明らかにしていく精神
にとってもおそらく依然として曖昧(晦渋)なものにとどまっているだろう。
 だがそれは(排すべき晦渋性とは)まったく別の種類の晦渋性で、深めてゆけば豊かな
結果をもたらすものである
180G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/30(月) 22:07:28.85
>>176
それです。こんなサイトがあったのですね。
発行所住所の木挽町二ノ四って、どこだろうと思っていました。

>木挽町二丁目というのは現在の銀座三丁目(昭和通りの東側)で、
奥村書店のある辺り。作品社は昭和八年から十年にかけてここにあ
った竹田ビルに事務所を置いていた。

181アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/30(月) 22:41:30.59
プルースト翻訳史の歴史の長さを感じるなあ。
三笠書房版もどこかで復刻文庫化しないだろうかw
182アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/30(月) 22:48:11.83
ベルクソンとプルーストというと
どちらもドゥルーズが論じているけれど、
個人的にはプルーストをベルクソンに近づけて読んでる気がするなあ。
習得(アプランティサージュ)の章では、
プルーストの作品は、過去と記憶の発見に向けられているんじゃなくて
未来と習得の進展に向かうという視点ですね。
183吾輩は名無しである:2012/01/30(月) 23:04:45.39
>>180

http://sumus.exblog.jp/i21

淀野隆三は日本浪漫派とも関係があったらしい。
知らなかった。というか狭いところにみんないたんだ。
184G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/31(火) 04:19:18.89
>>182
あとドゥルーズが論じているのは、タイトルだけ拾っても、文学者だとカフカ、マゾッホ、サド
(ウィキで気がついたが、共著も含めると、ロレンス「アポカリプス」、ベケットもあったのか)
哲学者では、ヒューム、ニーチェ、カント、スピノザ、ライプニッツ、フーコー
画家ではフランシス・ベーコン

英訳のPROUST AND SIGNS届きました。
昨年、本ではバルザック全集、CDではアルトゥール・ルービンシュタイン全集を買ってから、
ついに飽和状態になったみたい(この日が来るのを待っていた)
どちらも未だに段ボール箱を開けておらず、その後、本もCDもたまにしか買わなくなった



185G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/31(火) 04:57:51.13
>>183
このサイト、興味深い話が多いですね

手元にある新潮社の共同訳のあとがきをみると、新潮文庫版全13冊
(昭和33−34年)をハードカバー7冊の形で再刊したものらしい。
文庫版のあとがきもそのまま収録されている。
文庫版は、昭和28年3月から昭和30年10月にかけて刊行された
わが国初の全訳を淀野隆三が統一編集したもので、第1分冊と最終冊
のあとがきは淀野が書いている。

第1巻 『スワンの恋』 T U 淀野隆三・井上究一郎訳
第2巻 『花咲く乙女たち』 T U 井上訳
第3巻 『ゲルマント公爵夫人』 TU 伊吹武彦・生島遼一訳
第4巻 『ソドムとゴモラ』 T市原豊太・中村真一郎・井上訳 U 井上・中村訳
第5巻 『囚われの女』 T U 伊吹訳
第6巻 『消え去ったアルベルチーヌ』 生島訳
第7巻 『見出された時』 T 井上訳 U 淀野訳

186G ◆vDcOqdC/aA :2012/01/31(火) 05:43:45.25
「失われた時を求めて」のウィキの翻案・映画の部分をみて気がついたのだけど、
2011年にフランスでテレビドラマ化されているとある。
どんな風なんだろう。
187吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 20:26:29.59
>>185
>このサイト、興味深い話が多いですね
G ◆vDcOqdC/aAさんのサイトかとおもってみていました。

>>182
>本ではバルザック全集、CDではアルトゥール・ルービンシュタイン全集を買ってから、

2chでこのような展開になるとはまったく想像しませんでした。

バルザックは「バルザックがおもしろい」を読んでから興味をもちはじめました。
「ゴリオ爺さん」はあるけど未読。
プルーストの書簡と読んでいない作品のためだけに、筑摩書房版全集18冊を買ってしまいました。

CDではベートーヴェンのピアノソナタ全集、J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集が何種類あるかわからなくて、
これから先全部を聴きなおすことがあるかわからないくらいです。
タワレコはもう何年も行っていない。でももし行ったら大量に買ってしまいそう。
188吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 21:05:45.76
>>187
自己フォロー

>>184
>本ではバルザック全集、CDではアルトゥール・ルービンシュタイン全集を買ってから、

の間違い。スマソ。

最近買おうか考えているのは、
「タブロー・ド・パリ バルザックの時代の日常生活」 新評論
実物みてからにしようとはおもっている。
189吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 22:08:08.98
Gマンセー!
祝スレ独裁者w
190アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/01/31(火) 22:41:36.28
プルースト全集の別巻の部分コピーが押入れから出てきたっ。
昔金のない頃にコピーしたんだな〜。
で、半分くらいは手つかずのまま放置してた。
リヴィエール、ベンヤミン、ベケット、レヴィナス、バタイユ、ブランショ、
ドゥルーズ、グラック、ジュネット、バルト、ルーセ、プーレ、リシャールなど、
そうそうたる顔ぶれだね。
191吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 23:19:50.98
>>190
筑摩書房版の別巻はいつどこで買ったかもわからないが、実家に埋もれていた。
18巻きたので、きれいにしておけば、全巻揃いで売れるかも。
実家も住んでいるところも整理しないとヤバイが、物欲にいつも負けている。
192吾輩は名無しである:2012/01/31(火) 23:32:50.30
それは売れそう
193G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/01(水) 04:31:43.82
>>187
確かに意外な展開
バルザックはずっと気になっているけど手つかずなんです。

私も鍵盤音楽の旧約聖書と新約聖書はやたらと持っています。
比較的最近ではロシアピアニズム系の人のを入手したかな。

>>190
プルースト全集、ペインター、タディエの両評伝、読もう読もうと
思いながら、持ち歩くには重いせいか、なかなか手がつかない。
194吾輩は名無しである:2012/02/01(水) 20:00:50.59
>>193
読んでいない本もまだあるのにまた物欲に負けた。

MARVILLE PARIS ,HAZAN
ATGET PARIS ,HAZAN
の写真集2冊を注文。

古本屋は実際に行くとどこに何があるかわかりにくいし、逆に要らないものも買ってしまいそう。
http://www.kosho.or.jp/servlet/top
でかなり見つけやすくなった。

ほとんど病気の世界・・・

195G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/01(水) 20:20:41.60
>>194
そこで検索すると大抵の本は見つかりますね。

昨年はフォークナー、バルザックの全集でお世話になった。
ムージル「特性のない男」の新潮社版もそこで注文している
(直接、田村書店に取りに行き、目についた「プルウスト研究」復刻
版を買ってしまったわけですが。おまけにC・モーリヤック「プルー
スト」を間違って重複買いしたのは痛恨でした。あとで調べたら、通販
の相場より高かったし、古本祭り割引がこれでぱーになってしまったw)
196吾輩は名無しである:2012/02/01(水) 20:22:04.41
「失われた時〜」学生時代にリタイヤして、10年ぶりに読み始めたら一気に1巻読み終えた
まぁ哲学とか歴史とかを多少勉強したのはあるけど、
当時の自分がこれを読むのに一番足りなかったのは、年齢(経験)だと思ったw
197G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/01(水) 20:27:49.54
>>187
>「バルザックがおもしろい」

調べてみたら、鹿島茂と山田登世子の共著ですね。
後者の「リゾート世紀末」という本、一度だけこのスレで触れたことあるけど、
バルザックが専門の仏文学者だったんですね。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/240

早速、注文してみました。ついでに同じ著者の「娼婦―誘惑のディスクール」という本も。

本日、たまたま目にしたベンヤミンの「パサージュ論」(岩波現代文庫)の第2巻が目に
ついたので携帯したら、プルーストのほかバルザックの引用も少なからず出てきた。
(「パサージュ論」は鹿島茂の入門書も読んでみましたがやはり手ごわい)

198G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/01(水) 21:01:02.24
>>196
最終巻の「見出された時」まで読んで、また1巻に戻ると
また格別の味わいが

199吾輩は名無しである:2012/02/01(水) 21:02:34.55
>>197
ベンヤミンはわかったような気にはぜんぜんならないけれど、「パサージュ論」とか「一方通行路」とか好き。
パリに行ったときは半日かけてパサージュを歩き回った。
今もおそらく当時とあまり変わらない状態で残っているのはびっくり。
200アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/01(水) 23:45:10.21
別巻のベンヤミンの論では
プルーストの長い文の構成を、言葉のナイル川とたとえてたw
パサージュ論は読みましたよ。
パリを知っている人にはより面白く読めるんだろうなあ〜。
201吾輩は名無しである:2012/02/01(水) 23:54:17.02
むかし東京の渋谷に恋文横町というのがあった。
あれがどことなくパサージュに似ていた。今はないのかな……
202アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/01(水) 23:56:11.65


>>184
ドゥルーズのプルースト論もベケットのプルースト論も
別巻に入っていたことに今更ながら気づき
これは個人的には非常にいい編集をしてるなあと。
で、ドゥルーズは挙がったほかにクロソウスキーやトゥルニエを論じた
短いテクストにあるもののフランス文学についてはそれほど多くなく、
英米文学の優位性について語ってたりしますね。
その点はどうもドゥルーズの主張がよくわからないのだけど。
203アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/02(木) 00:22:59.49
恋文横丁知らないけど、人だけが歩ける通りってやっぱいいよね。

ベンヤミンの悲哀劇やロマン主義についての論考は
個人的にはあまり面白くなかったけど
草稿的なパサージュ論には思考の未定形な遊歩が垣間見れて
まとまった理解は得られないけれど読んでて楽しかった。
204G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/02(木) 07:47:26.83
>>199
晶文社からでていた著作集は、かの「複製技術時代の芸術」他何冊か読みましたが

御多分に漏れず、「一方通行路」の

>本と娼婦は似ている。どちらもベッドに持ち(連れ)込むことができる

ってやつだけ、印象に残っていたりするw
http://theodore.blog.shinobi.jp/Entry/68/
205G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/02(木) 07:55:38.71
>>200
>プルーストの長い文の構成を、言葉のナイル川とたとえてたw

読者に肥沃を齎すという含みもあるのかな

>>202
ポーやフォークナーがアメリカ本国よりも先ずフランスで評価された
ことを思い出しますね
「欲望の三角形」で有名なルネ・ジラールは、後年、シェイクスピアを
読み込んでいる(ジラールは松岡正剛がやけに高く買っているので、
一時、まとめ読みしてみた)。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0492.html
206G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/02(木) 08:43:36.90
ベルクソン「精神のエネルギー」出てきた。
ドゥルーズの「ベルクソンの哲学」「プルーストとシーニュ」と同じ宇波彰
の訳だったんだな。解説、わかりやすくていいと思います。

読み返したが、図など一つも出ていない。「物質と記憶」のあの有名な
記憶の円錐図、等の記憶がごっちゃになったみたいw

プルーストの関係では、夢と記憶の異同の問題、言葉によるさかしらを排し直感を重視
する反知性主義を標榜しながら、一方で、直感・直覚により捉えた事物の真実を(再)構成
する知性の役割をも重視している、その絶妙なバランス感覚といったことが気になっている。

反知性と知性とのバランスにつき、小林秀雄は、「秋」で展開される短いプルースト論で、「醒め
ていながら見る一種の夢」と形容しているし、、吉田秀和は「源氏」との共通点として、「眠り
の深さと目覚めの全一性」「夢の深さとその夢の中の目覚めの完全無欠さ」をあげている。

過去スレより
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1309272869/700-711
(小林「秋」の紹介。アセ氏がこれをネルヴァル的と評したのは、ネルヴァルをボードレール、シャトー
ブリアンと並べ、プルースト自身、無意志的記憶の先駆者としていることからも実に的を射ていた)

http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1309272869/849-881
(保苅瑞穂「プルースト・夢の方法」の紹介→プルースト自身の「スワン家」解説の引用とともにベルク
ソンとプルーストの決定的な違いとは何かという問いが、おそらく哲学板の住人の方から投げかけられる)

http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/191(吉田秀和「失われし時をめぐって」の
該当箇所の紹介)



207G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/02(木) 08:44:48.55
気になっている芸術作品の創造における反知性主義と知性主義のバランスの問題。
創造の秘密と言い換えてもよい。
「精神のエネルギー」所収の「知的な努力」から、もうひとつ、引用をしておきます(199頁)

>小説を書く作家、登場人物と状況を作る劇作家、交響曲を作る
作曲家、オードを作る詩人、彼らはすべて、まず最初に精神のなか
に、何か単純で抽象的なもの、つまり非物体的なものを持っている。
それは、音楽家もしくは詩人にとっては、音またはイマージュへと展開
されなくてはならない新しい印象であり、小説家もしくは劇作家にとって
は、さまざまなできごとに展開される考えであり、生きた人物に具体化され
る、個人的または社会的な感情である。われわれは全体の図式に基づいて
仕事をするのであり、さまざまな要素の明確なイマージュに到達するときに
結果が得られる。ポーランは、きわめて興味ある例を用いて、文学・詩の創造
がどのように《抽象から具体へ》、つまり全体から部分へ、図式からイマージュ
へと進むのかを示した。
208吾輩は名無しである:2012/02/02(木) 20:40:21.41
>>206
>ネルヴァル

ネルヴァルの作品そのものを通読したことはない。
サイードの「オリエンタリズム」ではネルヴァルの「東方紀行」だけが批判的にみられていない、
このことをきっかけに野崎歓は「異邦の香り――ネルヴァル『東方紀行』論」を書いた。
野崎歓は、立ち読みだけではとてもよみきれないが、興味のある本。

中村真一郎はwikiによると卒論はネルヴァル。
ネルヴァルのwikiでは、「当時はほとんど知られていない詩人だったので、
パリの古書店に注文をだすと、ほとんどの著作が容易に入手できたと中村は回想している、」とある。
今更いうまでもないが、すごい。
209アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/02(木) 22:37:57.43
>>205-207
ベンヤミンの言葉のナイル川の形容はまさにその含みで、
豊かな恵みを与えつつ、真理の平野に流れ出て行く、
といったものでした。
もちろん息の長い構文と川の長さも掛けながらだろうけれど。

ドゥルーズはディアローグという本で英米文学について語っていて
ハーディ、フィッツジェラルド、ウルフ、メルヴィル、ロレンス、
それからヘンリーミラーについて語ってますね。
210アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/02(木) 22:43:17.60
>>208
中村慎一郎はネルヴァルを訳してますね。
確か中村訳で2冊読んだ記憶があるけれど、
本はどこかに行ってしまったかもorz
211吾輩は名無しである:2012/02/02(木) 23:34:15.71
>>200
>パリを知っている人にはより面白く読めるんだろうなあ〜。

少なくとも、自分ではないことは確か。
フランス語はパンキョウ1年だけで、挨拶しか話せないし、英語だって相手のほうがペラペラ。
英語は話さない、とか昔なにかで読んだことがあるけれどまったくウソ。
BBCとか普通にTVで見れるので問題ない、と帰り空港まで一緒だった以前浦安に住んでいたパリジャンが言っていた。
黙って美術館歩いているだけなら気楽だけれど、レストランとか店で尋ねるのは大変。
こんなのを相手にパリで以外と親切なのは移民出身系だったりする。
212G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/03(金) 07:08:09.36
>>208
最初に入手したネルヴァルは入沢康夫訳「火の娘たち」なのですが、
ちくま文庫版は中村真一郎との共訳になっていますね。

野崎歓は、「異邦の香り」等が海外文学総合スレで絶賛されていたのが
きっかけで読んでみました(すでに「赤と黒」は一応持っていたけど)
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1288458322/63-283
すぐに俺自身が野崎ファンになってしまった。

「フランス小説の扉」 (白水Uブックス)でのバルザック、スタンダール等の
語り下ろし、ウエルベック「素粒子」、短編「ランサローテ」(池上夏樹編集
の世界文学全集の短編セレクションU所収)、ボリス・ヴィアン「うたかたの
日々」いずれも素晴らしかった。

仏留学中、吉川一義、吉田城のような先人と違った、次のような道を歩む
決意をしたことを「異邦の香り」のあとがきで書いてますね。

(仏留学中、指導教授にネルヴァル「東方紀行」について書いた文章を評価され、
活字にしてもらい、シンポジウムの招待切符を譲られるほどかわいがられるも)
>その中でぼくが、フランス人研究者と同等の立場で、いわば「国文学者」として
研究を続けていこうと決意することはなかった。フランス語での発信は今後も心
がけるとして、しかし自分の表現言語は日本語だという思いが留学期間をとおして
定まった。フランス文学を日本語に訳し、日本語でフランス文学を論じる。そうやって
二つの文化のあいだを漂うのが自分はふさわしいと悟ったのだ。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/123-126
(過去スレ5.125以外は実は私の書き込み)



213G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/03(金) 07:15:12.16
>>209
ドゥルーズは、ウルフ、メルヴィル等についても語っているのですね。
ディアローグ注文してみました。
214G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/03(金) 07:50:43.40
>>212
×池上夏樹編集
○池澤夏樹編集

日本からは水俣病事件を取り扱った石牟礼道子「苦界浄土」が選ばれている
のが印象的。篠田一士が20cの10大小説で藤村「夜明け前」を選んでいる
のに匹敵するか。
(文庫にもなっているのに高いと思ったが、3部作全部はいっているようなので
注文してしまった。今回の震災による福島第一原発事故は実は水俣病事件と
パラレルに捉えられる面が多い。汚染の地域的広がりは水俣の比ではないが)
215吾輩は名無しである:2012/02/03(金) 18:01:59.52
二巻まで読んてもうコンブレーの内容をだいぶ忘れてしまったんですが読み直したほうがいいでしょうか?
そのまま進んでも支障ありますか?
216G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/04(土) 02:55:40.91
>>215
読み直さず、そのまま進んだ方がよいです。

忘れるも覚えるも相対的。
読み直すと挫折する危険が高まります。
挫折するくらいなら、忘れるのは当たり前と割り切って先に進んだ方がいい。

途中で、気になれば、前の頁をひっくり返せばよい(ただし、あくまで最小限に)。
その場合、例えば、鈴木訳であれば、各巻末の主なシーン(情景)の索引、
また、もし入手していれば最終巻にある登場人物等の索引が役立つ。

自分なりに付箋を貼る(主な登場人物が最初に登場するシーン等)等してあれば、
そこだけ、ざっと読み返してから先に進むという手もあります。
217吾輩は名無しである:2012/02/04(土) 09:55:56.24
>>194

2冊届いた。

ATGET PARIS ,HAZANは「アジェのパリ」大島 洋 でこの本を見ながらパリを歩いたことが書いてあったので、探していた。
アジェはいろいろ写真が出ていて入手しやすいけれど、この本が一番まとまっている。

MARVILLE PARIS ,HAZAN は鹿島茂が、「マルヴィルのパリ」という記事を書いていて、前から気になっていた。
HAZANの版がどういう位置づけかは知らないが、入手可能なのはこの版くらい?

マルヴィルについては下記。
http://incognita2008.blog32.fc2.com/blog-entry-15.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ad9875cb/29919887.html
http://d.hatena.ne.jp/heliograph/20110208/1297186158

このペースで古本屋に注文するとかなりヤバイ。
218吾輩は名無しである:2012/02/04(土) 10:03:17.99
>>212
Thanks.
「異邦の香り」を立ち読みしたとき、あとがきから読んでいたら、買ってしまったかも。
先頭から読んで、ウィーンのクリスマスのあたりで止まってしまった。
サイードの「オリエンタリズム」もまともに読んでいないので、まずこちらから。
219吾輩は名無しである:2012/02/04(土) 10:45:34.12
>>217
たびたびでスマソ。ほとんどメモ代わり。

Paris Marville ca. 1870 & Today
http://parismarville.blogspot.com/p/map.html
220146:2012/02/04(土) 17:11:40.62
>>168
ときどき眺めてはいろいろなことを教えてもらっています。
「でも、「物質と記憶」にはじまるベルグソンの4大著書って、非常に読みづらいと 思うんです。」
というところには少しひっかかります。むしろべルクソンの著書は哲学者の使う専門用語が少なく
読みやすいほうだと思います。「創造的進化」が売れた原因のひとつは読みやすかったからだと思
う。そのため簡単だと思われて誤解されているといってもいい。例外的に読みにくいのが「物質と
記憶」なのですが、これには歴史的背景が関係しています。ベルクソンがでてくる前の18世紀にフ
ランスでは「フランス唯物論」といわれる思想がかなりの影響力を持っていた。有名なのは、ド・
ラ・メトリ「人間機械論」です。岩波文庫から解説を引用すると「主として生理学の力をかり、人
間の精神が脳という物質の働きにほかならぬことを論証したもの」です。このような思想が哲学、
教育、医学等あらゆる分野を覆い尽くしていた。この影響はゾラにもあると思う。個人的にはその
ような教育は絶対に受けたくない(笑)ベルクソンの著書はそのような当時の主流であった思想に
カウンターパンチを浴びせるために書かれたのです。現代人はこの文脈を離れて読むため難解度が
増すのだと思います。
221吾輩は名無しである:2012/02/04(土) 18:21:44.22
精神のエネルギーは今月平凡社ライブラリーから新訳でる
222吾輩は名無しである:2012/02/04(土) 18:25:43.52
精神のエネルギー 
(平凡社ライブラリー 755)


アンリ・ベルクソン=著
原章二=訳


定価:1575 円(本体:1500 円)  HL判  334頁  2012.02
ISBN978-4-582-76755-1 C0310 NDC分類番号 135.4


ベルクソン自身によるベルクソン哲学入門。『物質と記憶』や『創造的
進化』などの議論のエッセンスが、分かりやすくエレガントに語られる
論文集。思考の躍動感を伝える見事な新訳で。


223G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/04(土) 19:06:05.74
>>220
ご指摘ありがとうございます。読みづらいという言い方、確かにひっかかりますね。
舌足らずでしたが、良くも悪しくも本流といえるカントの流れをくむ特殊な哲学用語に拠らず、平
易な言葉を用いているところがかえって曲者だという含みがありました(フランスではデカルト
「方法叙説」にしても日常用語により明晰かつ判明な文章が書かれてきたようですが)。
それと、カウンターパンチのために、いわゆる理系の当時としては最新の知見を持ちこんだところ。

実は、>>169でデカルト以来の心身二元論への対抗という言い方をしたこともひっかかっていました。
これもご指摘のように人間機械論へのカウンターパンチというのが適切でしたね。おそらくニュートン
(その俗流の)古典力学・物理学の延長線上に、物理学的決定論・自由意思否定論があり、人間機械
論もその系譜に連なり、心身二元論はむしろそれと対立するともいえる。
脳と精神を切り離そうとするベルクソンはむしろ心身二元論側といっていいですね。訂正しておきます。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1212.html(松岡正剛が「時間と自由」を取り上げた回)

ゾラは「居酒屋」と「ナナ」を凄いスピード(邦訳ですが)で読んだくらいですが、ジャーナリスト、
ルポライターとして、とてつもない能力をもった人だと感じました。取材能力・分析能力・表現力がいずれ
も凄い。
確かに、人間は遺伝と環境に支配される存在であるという考えは物理学的決定論(自由意思の否定)・人
間機械論の系譜にありますね。
ルゴーン・マッカール叢書は他にも読んでみたいと思っています(今、ゾラセレクション注文してしまった)。
224G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/04(土) 19:08:07.76
>>221-222
情報どうもです。これは自分にとってグッドタイミングですね。
225吾輩は名無しである:2012/02/04(土) 19:50:14.29
>>223
>カントの流れをくむ特殊な哲学用語に拠らず

?
226G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/04(土) 20:43:37.46
>>225
自分で書いてて気になるところはやはり不正確だな
やはり大学時代にカントは専門の教授もいたのだから
受けておくべきだったか(「純粋理性批判」の輪読受けようとして
テキストは買ったが2回目以降、行かずじまいだった)

今からでも、中島義道の塾に行くって手もありそうだが、ちと敷居が高い
http://gido.ph/





227G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/04(土) 20:56:24.27
>>217

>>219面白いですね。
東京の街でやはり昔の写真と現在のそこを同じアングルから写真を
対比した本、買ったことあります。

>>217で紹介された2番目のブログに名前のでてくる写真家ブラッサイは
「プルースト/時間」という本を書いてますね。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/315

228220:2012/02/04(土) 22:19:59.17
>>223
さっそくのレスポンスありがとうございます。
ベルクソンの学位論文「意識に直接与えられたものについての試論」は岩波文庫では英訳にならって
「時間と自由」になっていることからもわかるとおり決定論への宣戦布告を意味していました。文庫
の解説によれば「学位論文としての評価は低かったようで、特に彼の自由論の哲学的根拠をなす第ニ
章の時間論が審査員に黙殺されたのをべルクソンは遺憾に思っていた」。そのため次の「物質と記憶」
ではかなりの時間をかけ戦略的な書き方をしています。観念論と実在論のいい分をそれぞれ徹底して
押し進めていくとどちらも矛盾に陥らざるをえないことを証明するという方法です。プルーストに話
をふると、彼については全くの素人なのですが彼がゾラについて言及しているのを読んだことがない
しあまり好きではなかったと思う。又彼の父親はメトリと同じく(優秀な)医師でしたがプルースト
が(たとえ健康に恵まれていたとしても)そのような医学に興味を持つことはできなかったと推測し
ます。
229アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/04(土) 22:30:00.53
以下、落穂拾い的に短レスで

>>206
ネルヴァル的という短い合いの手を過分に拾ってもらってちょっと恐縮w

>>208
中村真一郎訳のネルヴァルで読んだのは、
「火の娘」(新潮文庫)と「暁の女王と精霊の王の物語」(角川文庫)だった。

>>211
フランス人は英語を知っていても話さない、というのも都市伝説かぁ。

>>213
「ディアローグ」は比較的読みやすいですね。
(DetDスレ、暇な時はいつでも寄ってください。)
230吾輩は名無しである:2012/02/04(土) 22:58:37.27
パリもグローバル化の波が激しくて、自分が住んでた1980年代と比べるとほんとに英語話す人が増えたと思う

ただ、やっぱフランス人は外国語下手だという認識はあって、この間話したフランス人(ボルドー出身の銀行員のおばちゃん)は、
「フランス人は6歳までに外国に行く人が少ないから下手なのよ」と言ってた
231吾輩は名無しである:2012/02/05(日) 19:03:02.81
>>227
>ブラッサイは「プルースト/時間」という本を書いてますね。

どうもです。手元にあるし読んだはずだけれど、・・・
ブラッサイといえば、今橋映子の「異都憧憬日本人のパリ」は読んだことがあって、
ボヘミアンから高村光太郎、島崎藤村、金子光晴、ブラッサイ、ジョージ・オーウェル、
ヘンリー・ミラー、ヘミングウェイなどを扱っていて面白かったです。
今少し見直したけれど、「パリでは貧しいものが受け入れられ、
単なる不幸としか見なされないということ、そして英米社会では「貧困」が道徳的欠陥として見なされ、
それゆえに彼ら外国人を含めた「多くの」貧しき者がパリでは息をつけるということ(略)
これが十九世紀のボヘミアン生活の精神であるということは明白であろう。」
とまで書いてあった。

この本をきっかけに金子光晴の「ねむれ巴里」とか河盛好蔵の「藤村のパリ」も読めて、こちらも面白いです。
オリエンタリズムの逆方向といっていいのかどうか。
232吾輩は名無しである:2012/02/05(日) 19:11:23.18
>>230
>6歳までに外国に行く人が少ないから

こんな人は少なくとも身近にはいなかった。これが世界標準?
233アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/05(日) 22:38:13.69
>>230
80年代のパリってドゥルーズもデリダもいたんだなあ。
フーコーは84年に死んでるけれど。
234吾輩は名無しである:2012/02/05(日) 23:36:39.41
>>232
どちらかというと、フランス人が外国語苦手な理由を無理矢理探してるようなニュアンスだったよ

>>233
そう考えれば、そうだよねぇ。
ただ、自分が受けた教育はガチガチの保守的ブルジョワ的カトリックだったけど、
そういう意味ではプルーストの根源の部分には近かったかもしれない
235吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 04:30:30.72
>>216
ありがとうございます
スワン家のほうへを読み終わり、
やっと登場人物に愛着をもてるようになってきていたのですが、これで安心して続きが読めます・・・
236吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 20:22:24.86
今日(2012/2/6)はフランソワ・トリュフォー生誕80周年、というのをGoogleロゴで初めて知った。
逆にいえばその程度、ということ。

トリュフォーは『緑色の部屋』のためにプルーストを引用していた。
「死んだアルベルチーヌ(逃げ去る女)」の文章の引用
「私たちの愛情が衰えるのは、相手が死んだためではない。私たち自身が死ぬからだ。」

これも見たはずだけれど、記憶になかった。
ボロボロでスマソ。
237吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 20:35:10.79
>>234
>ガチガチの保守的ブルジョワ的カトリック

こちらは親がプロテスタントのファンダメンタリスム系。
今は宗教の話抜きに普通に会話できている。

クリスマスの頃、ウィーンの教会でオーケストラ、声楽つきでシューベルトやモーツァルトのミサ曲を聴きながら、ミサに参列した。
ここにしばらくいたら、カトリックになるかも、とマジで感じてしまった。
238吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 21:27:18.04
学芸大キャンパスカップルなるサイトがヤバい
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1328531049/
239吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 21:27:52.04
>>233
そんなことをいうと、
ストラヴィンスキー(1882 - 1971)
ココ・シャネル(1883 - 1971)

も歴史上の人ではないはず。

>>120 のミシアを書いたゴールド&フィッツデイルは1946年に初めてストラヴィンスキーと出会い、
48年には6人組のタイユフェル、オーリック、プーランクに会っている。
その後ミヨーにも会って、この人たちから直接ミシアの思い出を聞いた、とエピローグで書いている。
山口昌男も書いていたような気がするが、直接会ってインタビューしようすればできた時代ではあった。

それほど大昔ではない、とおもってしまうのは年のせいか。
240G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 03:36:00.04
>>217
「失われた時を求めて」にエッフェル塔って出てきたっけと気になっていた。
調べたところ、「見出された時」の第一次大戦の時代(1916年頃)の描写に
1箇所出てくるだけだった。

1889年、パリで行われた第4回万国博覧会に合わせて建造された。
プルースト18歳の頃になる。
ジュネットの年立てによると、語り手は作家より7歳下の1878年生なので
語り手11歳のときに建造された計算。
ジルベルトとシャンゼリゼ公園で会っていた頃(1893−95春)にはすでにあったはず。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/494-495

この沈黙をどうとるか気になっている。
モーパッサンなどはエッフェル塔嫌いで、エッフェル塔を見たくないがため、エッフェル塔
のレストランで食事をすることを好んだなんてエピソードもある。

このエピソード、確か松浦寿輝の「エッフェル塔試論」で最初に知った。
松浦のほかやはりプルースティアンのバルトにも「エッフェル塔」という著書がある。

エッフェル塔の建設当時の高さは312.3m(旗部を含む。現在324m)。
1930年にニューヨークでクライスラービル(着工1928年)が完成するまでは世界一
高い建造物だった。
プルースト生前には世界一の記録は破られる気配すらなかったということになる。
241G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 03:45:21.78
エッフェル塔が「見出された時」での大戦中のシーンにちらっと出てくることは
日本ジュール・ベルヌ協会の公式ブログで知った。
http://julesverne.jpn.org/blog/index.cgi?mode=comment&no=32

>コンサートを電話で聞くサービスや、気送管郵便など最新技術にも目配りを利かせている
『失われた時を求めて』ですが、なぜか(そのために鈴木訳「見出された時」を読みふけるはめ
になったりもしたのですが)、エッフェル塔が出てこないような気がしますが。どこかに言及され
ているのでしょうか。
>以下によれば、やはり『見出された時』に一回だけ出てくるようですね。ほんの言及にすぎませんが。
http://proust-ink.com/prouste.htm

引用されているPROUST INKというサイトのPROUST A TO Zもおもしろい。
プルースト事典でエッフェル塔がでてくるシーンが英語とフランス語で併記されている。


242G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 03:47:02.89
念のため、鈴木訳「見出された時T」文庫版229頁より当該シーン

>1914年にはほとんど無防備の美が、近づく敵の脅威を待っているのを
私は目にしたものだが、今やそのパリでは、なるほど当時と同様に古代から
少しも変わらない壮麗な月が冷酷かつ神秘的に澄みわたって、まだ無疵のまま
残されたモニュマン(建造物)にその光の無用な美を注ぎかけているとはいえ、
1914年と同様に、またそれ以上に、別なものも存在していた。すなわち
さまざまな光であり、断続的に点滅する灯火で、これらは聡明な意志と友好的
な警戒心に導かれて、飛行機なりエッフェル塔のサーチライトなりから発して
いることが分かっているので、見るものは感動を覚え、一種の感謝の気持ちと
落ちつきを与えられるが、それはかつてサン=ルーの部屋を訪れたとき、あの
修道院を思わせる軍の個室で感じたのと同じ種類のものだった。その個室のな
かでは、いつの日か青春のまっただなかでためらうことなくわが身を犠牲に
することになる多くの熱烈で規律正しい心が鍛えられていたのである。

243G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 03:58:10.97
>>228
>観念論と実在論のいい分をそれぞれ徹底して
押し進めていくとどちらも矛盾に陥らざるをえない

カントのアンチノミーをちょっと連想させますが、
ベルクソンがやったのは、両説に内在する矛盾を
それぞれつくということのようですね。
http://seed-heblog.blogspot.com/2011/05/blog-post.html

以下、メモ的になってしまいますが。

内田樹によると
>『物質と記憶』は、観念論と実在論の極端な主張をおしとどめて、「ま、そう
そうつっぱらずに、どうですここはひとつナカとって、表象よりは現実的で、事
物よりは幻想的な、事物と表象の中間にあるものを『イマージュ』と呼ぶことに
しては・・」という妥協を策したものである。
http://blog.tatsuru.com/archives/000221.php

イマージュという概念についてはこの辺の引用
http://ningen.hus.osaka-u.ac.jp/kondou/imsgeron.htm
「物質と記憶」についてのメモ
http://tinyurl.com/7fn2zrg
最初のがこれ、この人のベルクソンへの関心は小林秀雄経由みたい
http://etsurohonda.blogspot.com/2010/01/1-mixi20090326.html



244G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 04:09:06.74
ゾラは、論創社という出版社で、「ルーゴン=マカール叢書」(Les Rougon-Macquart
>>223でルゴーンと書いてしまったのは訂正)全訳プロジェクトが進行しているようですね。

エミール・ゾラ part2
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1284128678/
(前スレもとても充実している)
245G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 04:19:20.09
>>229
「ディアローグ」確かに読みやすいです。

>>231
>今橋映子の「異都憧憬日本人のパリ」
おもしろそうですね。
高村光太郎、金子光晴とくると、阿部謹也の日本人論を思い出す。
『「世間」とは何か』あたりだったか。

こないだアラン・コルバン「娼婦」、「快楽の歴史」等また買い込んでしまった。
246G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 04:43:01.36
>>240
(エッフェル塔についての)>この沈黙をどうとるか気になっている。

自レスだが、自分の仮説は、プルーストはベルエポック、自分にとっても黄金の
時代(母とともに生きていた時代)を一種おとぎ話のように書きたかった面もあった。
ONCE UPON A TIME、LONG LONG AGOといった調子で。
だから、エッフェル塔のように築造されたのがまだ記憶に新しい、エポックメイキングな
モニュマンを登場させることにより明確な年代特定がなされることを忌避したのではな
いかと。エッフェル塔自体が嫌いだから書かなかったのとは違うような。

だから、年代が特定されてかまわない第一次大戦のシーンでは言及もしている。
247G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 07:49:11.68
連投が続くが、「失われた時」にエッフェル塔が出てきたか気になったのは、
プルーストと同時代の人の高さの感覚はどうだったのだろうと思ったからだ。

「スワンの恋」にヴァントイユのソナタのヴァイオリンのトレモロが2オクターヴ
も高く震え続けるのに護衛されて、オデットが2人の「愛の国家」と称している小
楽節があらわれるシーンがある(フォルシュヴィルがソナタ蛇の駄洒落を言う直後)。

吉川訳だと「あたかも山国で、見かけは微動だにしないが目もくらむ奈落に流れ落ちる滝の
背後に、ゆうに600メートルも下方を散策するひとりの豆粒ほどの女が見えるときのように」
あらわれる。185頁

この600メートルだが、高遠訳だと、本文は200ピエと原書のままの単位、注に1ピエ≒
32.48pで、200ピエ≒60数メートルと出ている(202−3頁)。

これは、20階程度のタワーマンションの高さだ。
http://www.blue-style.com/photo/all/photo-60-80.html

人が豆粒のようには見えないような気がするので高遠の換算が間違っているのかなと思って、
よく桁を数えてみたら、やはり60数メートルで正しいのだ。
ちなみに、鈴木訳は、本文は200ピエのまま、注には1ピエが30数pであることが出ている
のみで、換算は読者に任せている。

それでも、60数メートルは低すぎるという印象がどうしてもしてしまう。
エッフェル塔が世界一高かった時代と、そのほぼ2倍、634mの東京スカイツリーが
完成しようとしている現代との違いか。
248G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 07:55:15.09
といっても、有名な大瀑布の落差も次のようになっている。

ナイアガラの滝   51m
イグアスの滝    82m
ヴィクトリアの滝 108m
ヴェネズエラのエンジェルフォールは落差979mあるが、世界的に知られるように
なったのは1937年以降である。

ニュージランドのミルフォードトラックのハイライト、サザーランド滝は580m、
ミルフォードサウンドでは雨が降ったとき一時的だが1000m以上の滝が現われる。
http://www.go-sekaiisan.com/best/best_070.ht(アンヘル、ヨセミテ等)

249G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/07(火) 08:56:19.76
>>239
そういえば、モンシェリーCoCoってテレビアニメがありました。
http://www.youtube.com/watch?v=UUIXoTjn-uU

1972年放送だから、ココ・シャネルがなくなって間もない頃の作品。
パリが舞台だし、ヒロインはファッションデザイナーのたまごだし、
てっきり、若き日の彼女の伝記アニメかと思ったら、母親は京都の
西陣の生地問屋の娘でハーフという設定でした。

原作が「はいからさんが通る」「あさきゆめみし」の大和和紀だったっ
てのにも驚き。
250吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 20:10:12.86
>>240
エッフェル塔はパリ万博のために作られたもので、当初は壊す予定だったはず。
wikiにも当初の契約とか、モーパッサンの逸話は出ている。

RTPは今は版を気にしなければPDFが簡単に入手できるので、"La tour Eiffel"で検索すればすぐにわかる。
251吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 20:16:01.23
>>243
>内田樹によると

ここにアランの名前もあって、実はアランは大好きです。森有正の本から名前を知ったのですが。
あちらこちらで関連がついてくるのが面白いです。
252G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/08(水) 10:09:10.23
>>250
どうもです。Eiffelで検索したら、やはり一致は1件でした。

Il y avait certes, maintenant comme alors, la splendeur antique
inchangée d'une lune cruellement, mystérieusement sereine, qui
versait aux monuments encore intacts l'inutile beauté de sa lumière,
mais comme en 1914, et plus qu'en 1914, il y avait aussi autre chose,
des lumières différentes et des feux intermittents, que soit de ces
aéroplanes, soit des projecteurs de la Tour Eiffel on savait dirigés
par une volonté intelligente, par une vigilance amie qui donnait ce
même genre d'émotion, inspirait cette même sorte de reconnaissance
et de calme que j'avais éprouvés dans la chambre de Saint-Loup, dans
la cellule de ce cloître militaire où s'exerçaient, avant qu'ils
consommassent un jour, sans une hésitation, en pleine jeunesse, leur
sacrifice, tant de cœurs fervents et disciplinés.

253G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/08(水) 10:15:24.86
つづき

wikiで紹介されている下記全文で検索したのですがさすがに重い。
http://alarecherchedutempsperdu.com/texte.html

実は昔、chat(猫)で検索したことがあるのですがそのときはあまりに
重くて時間がかかるので(性能の低いノートパソコンだとフリーズした
りする)途中でやめてる。それで懲りていたので今回は手を抜いたの
ですが一致が数件程度だと結構早いですね。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/604

254G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/08(水) 10:48:04.03
>>251
アランは、「スピノザに倣いて」を読みました。
http://d.hatena.ne.jp/m-takeda/20060628/p1

ヴァレリーと併録の中公バックス、小林秀雄訳「精神と情熱とに
関する八十一章」も手元にあるはず。

>あちらこちらで関連がついてくるのが面白いです。

確かに。だから脱線もあった方がかえっていい面がありますね。
255吾輩は名無しである:2012/02/08(水) 21:06:17.88
>>253
http://beq.ebooksgratuits.com/vents/proust.htm
からPDFを落として検索すると検索は速い。
ただ全巻となると15回検索することにはなるが。
ちなみにchatで検索するとchâtiment,châteauなども引っかかるけれど、使えないことはない。


>>254
アランは森有正訳の定義集、中村雄二郎訳の幸福論、あと著作集のなかの文学論とかなにか、も昔読んだ。
ここに来るようになってから、昔の本も再読するようになって、いろいろと楽しんでいます。
256228:2012/02/08(水) 22:16:58.50
>>243
「物質と記憶」はまとめるのが難しく他にもいろいろなことが語られています。その一つが記憶(過去)
はどこに保存されるか、という問題です。(過去)は脳の記憶装置には保存されずいわばそのままあると
いうのがベルクソンの結論です。プルーストとの関連でいえば彼は「ル・タン」紙のインタヴューに答え
て「自分の作品は、無意志的記憶と意志的記憶の区別に貫かれていますが、この区別はべルクソン氏の哲
学に現われていないばかりでなく、それと矛盾するものでさえあるからです。」といっています。このこ
とは友人への書簡でも再三語られており作品を理解する上で重要なことですが、私は自分でも説明できま
せんし納得がいく説明を読んだことがありません。「マドレーヌのかけらを浸した紅茶をひと口味わった
ときに」ふたたび見出した記憶(過去)と「なるほど彼は以前もそれらを思い出していた」過去とは単な
る程度の差異にはおさまりきれない本質的な違いがあり、ベルクソンなら前者のことを記憶というより過
去そのものにふれたのだというかもしれません。では後者の過去とは一体どのようなものなのか?
257吾輩は名無しである:2012/02/08(水) 23:15:25.38
>>253
補足。
http://alarecherchedutempsperdu.com/texte.html

のテキストをPDFに変換して検索かけたら結果は見やすいかも。
PDF変換は試してみます。
258吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 00:35:00.69
記憶とは価値判断の結果再現されるものであり常に現在による修正が加えられる。
この見解に立つのならこの原基として過去の事実や
脳内に蓄積された不変の事実を想定する事は無意味である。
つまり、物自体(事実)と認識といった二分法を退けようとしたんでしょう。
まあ、認識不可能なものを認識の起源として設定しても仕方ありませんからね。
そうなると社会の集合的記憶は歴史、個人の記憶は想い出と位置づけられる事になる。
また、歴史や想い出である以上、相対的なものに過ぎない。
ゆえに社会成員による相互的な確認や修正が絶えず行われ、辻褄が合うような形に持っていかれる。
259G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/09(木) 11:23:59.74
>>255>>257
ありがとうございます。
15分冊に対応した全文サイトもあったのですね。

>>256
ありがとうございます。
プルーストがベルクソンをどのように理解していたか、もしかして
誤解していたかも問題になりますね。
全集の書簡集の巻もぼちぼち見ていこうかと思っています。

>>258
>>256さんによると、ベルクソンは、過去は、脳内に蓄積されるのでなく、そのままある、これ
は一見「過去そのもの」の実在を認めているようにも読めます。
物自体、プラトンでいえばイデアのような。
事物の真実として「過去」自体が仮に存在していたとしても、有限の存在である人間が
それを直接認識し、そこに到達することは本来できない。常に解釈というヴェールを経て
しかそれを認識できない(ヴェールをとったら何もないかもしれない)
前スレの終わりあたりから、ガダマーらの哲学的解釈学、ヴィトゲンの言語ゲーム、さらに
ベルクソンも実はほぼ似たことを言っており、それはプルーストの「美しいテクストにおいては
すべての誤読もまた美しい」に連なるのではと漠然と考え、未消化な書き込みを結構書いて
きました。

プルーストがイデア論者かどうかはさておき、たとえ理屈のうえでは人間は「過去」そのもの
を認識することはできなくとも、見失われた「過去」そのものを希求し、ある方法(夢を見ながら、
かつ、覚醒している状態を保つ)で、「過去」そのものにじかに触れたと実感し、それを芸術作品と
して彫琢していく、その営み自体には意味があるのではないか、その営みによって充実感・至福感
が味わえるのであれば結構なことではないか(かなりプラグマチックですが)というのがおおまかな
考えです。
260吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 19:39:21.06
>>259
http://beq.ebooksgratuits.com/vents/proust.htm
のPDF15個を1個に結合したほうが楽だった。
chatの全文検索の結果は348件ヒットしたけれど、
パッと見で猫の意味で使っているのはChat Noirも含めて数件くらい?
261吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 20:43:49.09
>>254
>http://d.hatena.ne.jp/m-takeda/20060628/p1
自己のうちからたえず神を悩ますパスカルを追い払うこと。

アランのこの言葉はヴァレリーの「パスカルの手」と同じにしか読めません。
262アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 20:44:15.87
長い作品は検索も大変だよねw
263吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 20:51:03.05
フランス語に使えるgrepってないの?
264256:2012/02/09(木) 21:44:36.42
>>259
「過去」という言葉や「未来」という言葉は一見客観的又は科学的に見えますが実はたえず「現在」と
いうものを基点にしてはじめていうことができるのです。いうまでもなく「現在」というものはきわめ
て主観的なものですから、時間というものが本質的に主観性を帯びざるをえない。だから時間は過去か
ら未来へ流れるという通俗説は時間から「主観」を除くかあるいはほとんど目立たないようにした疑似
科学のようなものといってもよい。もっといえばそれは空間化されたにせの時間ともいうべきものです。
265吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 22:49:26.16
ベルグソンの時間論ではW.ジェイムズが批判的に扱われていた筈で、
ジェイムズの考え方にはけっこう神秘主義的な部分があると思うんです。
彼の考え方だと時間とは主体に対して外在的な精神なる物と結びついて
社会や各個人に対して超越的な存在となりうる。
これはニューエイジの考え方に近いものです。
アメリカではロシアからの亡命知識人であり、転向マルクス主義者でもある
ダニエル・ベルが精神の“終わりなき旅”ということで
このような時間論(歴史論)を講演で展開しています。
266吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 21:27:28.96
>>265
W.ジェイムズというとプラグマティズムとか、その流れで鶴見俊輔、のあたりしか気にしていなかった。
後期(?)はかなり神秘主義に走ったようですね。
神秘主義的な側面はデカルト、ヴァレリーでも珍しくはないので、関心はあります。
267吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 23:16:18.06
ジェイムズは基本的には科学主義なんです。
ただ、認識の初期条件としての経験か観念かという問題設定に対して
純粋経験なる概念を持ち出したので話がおかしくなる。
観念の起源を諸個人の知覚、そして行動に根差した欲求によって規定されると考えた
ベルグソンにとって抽象的な場所に設定された“観念”は
カント派による存在と当為といった物心二元論に近い誤謬を招来するものであり、
その結果、一種の予定説ともいえる必然論(目的論)的時間意識を発生させ、社会および各個人の意識を覆うに至る。
簡単に言えば抽象的な所に設定された決定論は決定論それ自体として人間行動を一定方向に向かわせる。
一種のドグマです。
日本ではベルグソンによるカント派批判を利用した西田幾太郎が
この“純粋経験”を巧妙に取り込んでいます。
268G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 03:01:37.93
>>260
>パッと見で猫の意味で使っているのはChat Noirも含めて数件くらい?

そんなところだったと思います。

かつて検索したのは、ベケットが、プルーストは
「人間というものを植物相(フローラ)として意識し、けっして動物相
(フォーナ)として意識しないのである。(プルーストには、黒猫だの、
忠犬などというものは出てこない。)」
と言っているのが本当かどうか検証するためでした。

確かに、PDFを1個に結合すると便利そうですね(方法調べてます)
269G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 03:33:16.45
>>264
ありがとうございます。
このあとのやりとり(ジェイムズ等)も含めて、時間をめぐる哲学はむずかしい。

私なんかは、「現在」「過去」「未来」同様、「時間」「空間」もまた言葉であり、
主観性(動物でなく人間だけが持ちうる過剰な何かといったところ)を帯びざる
を得ないのではと考えています。
つまるところ、人間は時間を空間のアナロジーでしか認識できないのではないか、
(宇宙空間における天体の運行、水晶の振動、砂の落下。時間もまた空間同様、
座標軸、グラフで図示される(アナログ時計の針もその応用)等など)
でも時間という言葉に、人間は空間のアナロジーから漏れてしまう何かもまた感じており、
それを、例えば、クロノス的時間に対するカイロス的時間と言い表したりして愛でる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93(確かに、ベルクソンは、時間は純粋持続だとし、
空間化された時間と時間との同一視を一種のカテゴリー錯誤だとしているようですね)
http://mushiofunazawa.com/text/timeofmusic.html(音楽の時間。他にも検索するといっぱい出てくる)
http://www.cc.rim.or.jp/~deltelta/nakai.html(精神科医の斎藤環と中井久夫の用法)

「現在」といっても、視覚にしても視神経のシナプスを伝って、脳が認識するのであり
必ず遅延があり、認識された「現在」は「過去」とも言える。さらに言えば、何光年も
離れたところにある、「今」見ている星は実はすでに爆発して消えているのかもしれない。

なんだかわけがわからなくなってくる。


270256:2012/02/11(土) 06:16:50.14
「現在」とうものはあいまいなものなのです。
264で述べた「「現在」というものを基点にして」というところに説明を補足しますとこの「基点」と
いうのは実際には指し示すことができず、かろうじて遠くから「あのあたりだということができる」そ
の極点ともいうべきものです。もし現在を「ここ」と指し示すことになればそのことは時間を空間化し
てしまうことになります。ベルクソンがいうように「現在」(ゲンザイ)のゲと発音しはじめてイまで
いう間にそれは過去になってしまう。しかし「現在」はたしかに存在します。それは主観的であると共
に生物的ともいってよいかもしれません。
271G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 06:42:00.59
ベンヤミン「パサージュ論」。300頁もあるJ「ボードレール」を越え、第3巻K「夢の街と
夢の家、未来の夢、人間学的ニヒリズム、ユング」まで来た。
プルーストの引用が多い。過去・記憶・反知性主義との関係では特に次の箇所。
「光り輝く多面体」、「何かの物体の内部に隠されている」「過去」。

>プルーストにおける非意志的記憶についての典型的な箇所――それは、今まさに、
マドレーヌ菓子が語り手に及ぼす影響が描かれようとする序曲をなすのでのある。「こ
うして、長い間、私が夜中に目を覚まして、コンブレーを追想していたときに、私はあの
光り輝く多面体の一面のようなものを再び見ただけであった。……ほんとうを言えば、
私に執拗に尋ねる人がいたなら、その人には、コンブレーはもっとほかのものを含んで
いた、と答えることもできたかもしれない。……しかし、そのようなものから私が思い出せ
ることがあったとしても、それはただ意志的な記憶、知性の記憶によってもたらされたもの
にすぎないだろうし、この種の記憶が過去について与える情報は、実は過去を何一つ保存
してはいないのだから、私はそんなコンブレーの残余を夢想してみる気には決してならなか
っただろう。……われわれの過去についても同じである。過去を喚起しようとするのはむなし
い努力であり、われわれの知性の一切の努力は役に立たない。過去は知性の領域と射程
圏の外部に、われわれが予想もしない……何かの物体の内部に、隠されている。そんな物体
に、われわれが死ぬ前に出会うか、それとも出会わないかは偶然でしかない。」マルセル・
プルースト『スワン家の方へ』T
272G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 07:39:24.48
>>270
入不二基義氏の本を携帯してみたけど、哲学者というのは随分自分と人種の
違う人なのだなあという印象を濃くする。
鷲田清一がキルケゴールの「自己とは自己自身に関係するところの関係である」
という定義がまさに「自己」言及で反則なのに、グッと来たと「てつがくこじんじゅぎょう」
で述べているのにも人種の違いを感じたことがある。

これもまた妙に合理主義的な割り切り方がどうも肌が合わない、でもその
碩学ぶりから、やはり無視できない加藤周一(1919−2008)の晩年の
書き下ろし「日本文化における時間と空間」(岩波書店、2007)。

日本文化は「今=ここ」強調の文化であると文学(日本語の)、絵画、建築
等について比較文化的な分析がなされ、宗教観、自他認識へと及ぶ。
「今」(now)が現在という時間,「ここ」(here)が空間ですね。
「今」の強調と「ここ」の強調の関係、「今=ここ」の時空間に満足できない個人
のため、その時空間を超越する装置が考えられないかといった問題にも触れ
られています。哲学志向の人はどうもなあという感想をもつかもしれない。

阿部謹也の紹介する西洋中世の人の時間・空間の捉え方にも示唆されるところ
がありました。特にちくま文庫の「中世賤民の宇宙」。これも哲学志向の人は歴史
的・文化的なものをもっと捨象したがるのかもしれない。

生物学的時間・現在といえば、九相死絵巻など、プルーストの描いた老化ならぬ、
腐敗・分解等死後の「時」の破壊作用を描いたといってよいかもしれない。養老孟司
の講演ではじめてスライドを見せられたとき強烈な印象を受けた。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/deki/dekixx/acontentX28.htm
273256:2012/02/11(土) 07:50:34.58
さすがにベンヤミンは目のつけどころが違います。問題の核心にふれるところだと思います。
274G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 07:51:37.43
失礼。検索するなら、九相詩絵巻ですね。
http://blog.goo.ne.jp/tobiomasahiro/e/784df7bc07bb53fc185bac628aef7925
275G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 07:56:12.78
>>273
パサージュ論、想像以上におもしろいし、なぜか、このスレでの
話題にシンクロしていることに驚いています(エッフェル塔、娼婦
等についても)
276吾輩は名無しである:2012/02/11(土) 09:00:06.36
>>261
自己フォロー

http://classiques.uqac.ca/classiques/Alain/spinoza/spinoza.html
から拾ったオリジナルは
Repousser de soi le Pascal qui ne cesse d'importuner Dieu.

神を気にすることを止めないパスカル、のほうが自分にはわかりやすい。
277吾輩は名無しである:2012/02/11(土) 09:08:28.34
>>268
PDFの結合は会社のサーバでサックリとできた。
テキストからpsとかPDFを作ったことはないし、個人用PCでどの程度動くかは知りません。
捨てアド公開できるようでしたら、PDFをデータ便で送ることはできます。
278G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 14:17:03.52
>>277
ありがとうございます。
捨てアド、調べると10分限りといったものが多かったので、
PDFが結合できるフリーソフトをさがしてみました。
PDForsellというソフトでうまく結合できました。
http://yomogi.bakufu.org/pdf.html
検索もさくさくとできます。
ためしにceltという綴りが使われる箇所を探すと3か所。
druidが2か所。
279G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/11(土) 14:32:46.58
>>276
科学史家の村上陽一郎が使う「神の棚上げ」に近いのでしょうか。
17世紀の人パスカルはまだ神を棚上げできなかった。

>「神−人間−一般の被造物」という構造が崩壊し、人間の上に厳然と
存在していた神が事実上棚上げされてしまった一八世紀のヨーロッパは、
ようやく神の思惑などは気にせずに、人間が思いのままに振舞うことがで
きるという楽観的確信を手に入れた。その瞬間に「文明」という概念が誕生
したのである。
http://www.shiojigyo.com/en/backnumber/0301/main.cfm
http://www.sjef.org/kouza/report/3_1.html

>村上陽一郎が指摘するように、近代科学はキリスト教的神が可能にしたのだが、
いったん出来上がると、今度は神の棚上げ現象が起こる。
>ニーチェがあらためて神の死を宣告して以来、主体の長い終焉の歴史が始まった。
われわれは今もなおその途上にあるのだろう。
 神を出し抜き、そして棚上げし、その全能の視点を密かに内面化して、あたかも自律
的に行動しているかのように思いこむ、近代の主体が生成する過程は、こういったたぐ
いのものだろう。そして、自己というものを最終審級とすることは、あまねく世に行き渡っ
たかのように思われる。
http://homepage1.nifty.com/kenju/shinwa.htm(「海辺のカフカ論」ですが力作。そこで
引用されている精神科医内海健の著書の孫引き)
280吾輩は名無しである:2012/02/11(土) 19:50:54.38
もう少ししたら、Gが個人占有している度合いを調べてみよう。
281吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 09:16:23.93
>>277
それはよかった。捨てアドはgmailとかに作って、用がすんだらあとは見ない使い方を装丁していました。

>>279
村上陽一郎も昔読んだ。
アラン、ヴァレリーは「棚上げ」の緊張感があるが、その後は薄っぺらにしか読めない。
282吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 09:17:03.26
>>281
使い方を装丁

想定、です。スマソ。
283G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/12(日) 10:33:12.33
>>281
1975年と古い本ですが枕元にころがっていた木村尚三郎「近代の神話――新ヨーロッパ像」
(中公新書)を読みました。

>文化を時間の形式において表現したのはヨーロッパ人だけである。世界史はヨーロッパ人に
とっての世界像であり、人類一般にとっての世界像ではない、もしヨーロッパ人が消滅すれば
世界史もまた消滅すると喝破したのは、ドイツの文化哲学者シュペングラーであった(『西洋の
没落』)56頁

神が棚上げされ、ニーチェによって死まで宣告された後、第一次世界大戦があり、ヨーロッパ
は深刻な精神的危機に見舞われた。
ヨーロッパおわた感からシュペングラー「西洋の没落」、ハイデガー「存在と時間」、フッサール
「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」、カール・バルト「ローマ書講解」等が登場する。
ヴァレリー「精神の危機」もですね。

プルーストの「失われた時」も第1巻「スワン家のほうへ」は戦争前夜の不穏な空気はすでにあった
のかもしれませんがまだベルエポックであった1913年に刊行されている。
しかし、2巻以降は第1次大戦をはさんだ1919年以降。1巻に格別の幸福感(最後まで読んで戻る
とさらに)があるのはそのゆえかも。
284吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 21:07:55.13
>>195,>>283
>シュペングラー「西洋の没落」、ハイデガー「存在と時間」、フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」、カール・バルト「ローマ書講解」

の中でまともに読んだのは実はカール・バルトだったりする。
今は平凡社ライブラリから簡単に入手できて便利になった。
でもこう並べても内容が違いすぎて、並べることに意味があるかさえよくわからない。

ムージルに関連して、フロイト、シェーンベルク、ロース、ココシュカ、マッハなどとの関連の中でウィトゲンシュタインを扱っている
トゥールミン、ジャニクの「ウィトゲンシュタインのウィーン」のような本のほうが、ウィーンに限定されてはいるが、
20世紀初頭の問題意識がわかりやすかった。
285G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/12(日) 22:10:53.33
>>284
確かに、第一次大戦後出版されたこと、西洋側の危機意識に基づいていることくらいしか共通点
はないかもしれません。
このリストもなにかの受け売りのはず(ただ、フッサールは最晩年で、もはやナチズムの嵐が吹き荒
れるころで時代が違う。ハイデガーとの絡みで浮かんだかな)

「存在と時間」は一応読んだけど、理解できたとは言い難いし。
(7年ほど前、「失われた時」の文庫抄訳版とハイデガーのニーチェ講義ばかり読んでいた時期があり
ました。平凡社ライブラリ版で全講義が収録されていないようなので、本日、白水社版を入手したところ)

フッサール、それにカール・バルトは今日、自宅で見つけました。
頁を繰ったことがあるけど読んだとは言い難い。

「西洋の没落」のみは手にしたこともないです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1024.html

「ウィトゲンシュタインのウィーン」は前から気になっている本です。
おもしろそうですね。
積ん読本にあってもよさそうな気がするのですが平凡社ライブラリ
版は見た記憶がない。買うか思案中。

286吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 20:41:26.39
>>285
バルト(ロランではなくてカール)からボンヘッファーの獄中書簡とかシモーヌ・ヴェイユへとなんとなくつながっています。
教会とか宗教に関わるつもりは全くないけれど、忘れ去ることもできない部分はある。

「ウィトゲンシュタインのウィーン」はTBSブリタニカ版が日に焼けて茶色になってしまったので、平凡社版を買いなおしただけ。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1024.html
「西洋の没落」は見たことがないです。
トインビーは何か読んだはずだけれど、事実を追っかけるというより、イデオロギッシュな感情のようなものがあって深入りできなかった。
このコメントをみても妙にわかったような気になりました。
287G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/13(月) 21:10:36.48
>>286
ボンヘッファーって、wikiみるとルター派の牧師でヒトラー暗殺計画に加担し、ヒトラー自殺
の3週間前に刑死してるんですね。

吉田秀和と丸山真男の対談ではルターとナチのホロコーストの親近性みたいなものに触れて
いる箇所がある
http://classic.music.coocan.jp/wf/item/yoshida-maruyama.htm
288G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/13(月) 21:14:10.17
引き続き、ベンヤミン「パサージュ論」。「N認識論に関して、進歩の理論」より。

>覚醒とは、夢の意識というテーゼと目覚めている意識というアンチテーゼの総合としての
ジンテーゼなのではなかろうか? もしそうであるならば、覚醒の瞬間とは「この今における
認識可能性」と同じなのではなかろうか。 この認識可能性に満ちた今において物事はその
真の――そのシュルレアリスティックな――相貌を被るのである。こうしてプルーストにあって
は、人生の中で最高に弁証法的な断絶点、つまり、覚醒の瞬間から生涯を書き起こすことが
重要なのである。プルーストは、覚醒する本人の空間の叙述から[『失われた時を求めて』]
を始めている。

>プルーストがその生涯の物語を目覚めのシーンから始めたのと同様に、あらゆる歴史記述
は目覚めによって始められねばならない。歴史記述は本来、この目覚め以外のものを扱って
はならないのだ。こうしてこのパサージュ論は19世紀からの目覚めを扱うのである。
289吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 22:54:14.05
>>287
>ヒトラー自殺の3週間前に刑死

関係ないといえばないけれど、三木清のwikiから、

1945年、治安維持法違反の被疑者高倉テルを仮釈放中にかくまったことを理由にして検事拘留処分を受け、東京拘置所に送られ、その後に豊多摩刑務所に移された。
この刑務所は衛生状態が劣悪であったために、三木はそこで疥癬をやみ、また腎臓病の悪化とともに、体調を崩し、終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡していることが発見された。
48歳没。終戦から一ヶ月余が経過していた。
290吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 20:03:03.68
>>289
スレチが続いてしまいスマソ。

ハイデガー、ナチズムで検索していたらたまたま見つけたサイト。

ロラン・バルトも好き。
http://yokato41.exblog.jp/10378962/
http://yokato41.exblog.jp/14646949/

森有正のこの部分は知っていた。これを読んで思い出した。
http://yokato41.exblog.jp/14652367/
291吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 20:15:42.17
補足
アランについて。
http://yokato41.exblog.jp/11310500/

このサイトはメチャおもろいです。
292G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/14(火) 20:50:49.60
>>291
タグ、カテゴリをみると実にツボなんですよね。

ニューアカ、ポストモダン、精神分析系がずらっと並ぶ中、
グールド、中井久夫、スピノザ、吉岡実、宮川淳

ベルクソンがないのは結構、意外かも(ドゥルーズ等の
絡みで何回か名前は出てくるけど)

精神科医中井久夫のプルースト理解は示唆に富む。
ここでもベルクソンがちらっと登場。
http://yokato41.exblog.jp/11036443/

293吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 21:22:19.58
>>292
どうもです。
サイト名のToward the Sea は武満の作品だし、高橋悠治の引用もツボ。

高橋悠治の『ロベルト・シューマン』がインターネットで読めるのはビックリ。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~mie_y/suigyu/hondana/schumann01.html

>>287
> 吉田秀和と丸山真男の対談
ルターのドイツ農民戦争への態度でもいろいろあったような気がする。

丸山真男は音楽にも詳しくて中野雄との対談(文春新書)も楽しい。
ついでに読んだ中野雄の新書で、ウォルター・レッグ(シュヴァルツコップの旦那、EMIディレクター)が
立ち会った録音で一番印象に残ったのは、シュヴァルツコップでもマリア・カラスでもなくて、
リパッティだった、というのが忘れられない。
294吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 13:28:46.72
内田樹って政治とか経済の分野語らせるととんでもないぐらい頭がアレな人なんだけど、
プルーストの研究はしっかりしてるのかな。
295吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 19:58:20.11
>>294
内田樹ではなくて、鹿島茂のこと?
296吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 20:00:39.17
>>295
内田樹は政治的には橋下に反対の立場をとったり、いろいろあるけれど、プルーストについては吉田城と高校の同級だった、というくらいしか知らない。
297吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 20:24:38.71
>>295 >>296
ありがとうございます
298吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 21:03:03.58
>>294
>内田樹って政治とか経済の分野語らせるととんでもないぐらい頭がアレな人

そうかなあ。本で出版される前からブログは読んでいた。
wikiにある思想でみると、

マルクス主義(マルクスではない)批判、
教育/学習については、その効果は予見的に測定不可能である、との立場をとっている、
格差社会を批判することは裏返せば拝金主義であり、金のことなど気にしなければ良い、との立場、

のあたりは洗脳されているかもしれないけれど、同感する点は多い。

内田樹はブログでもプルーストについて直接書いたことはないのでは。
吉田城との関わりでしか出てこない。

鹿島茂は雑誌にプルーストの連載記事を書いていたらしい。
彼はもともとプルーストよりバルザックの時代と文学に関心がある人のようなので、
プルーストで何を書いたか、気にはなっている。
299吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 21:10:57.01
ここプルースト・スレじゃなかったっけ?
300吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 21:21:07.44
>>299
そのとおり。

http://yokato41.exblog.jp/14675362/
またあるときは、自分でやりたかったと思ったことにあとでその巨匠が次第に気づくようになった、そんな仕事に似た何かを、べつの時代のある芸術家たちが、何気ない小品のなかですでに実現していた、ということにもよるのである。
そんなとき、その巨匠は、古い人のなかに先覚者を見るのであって、巨匠は、べつの形による一つの努力、一時的、部分的に自分と一心同体の関係にある努力を、古い人のなかで愛するのである。
301アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/15(水) 23:51:55.62
>>288
ベンヤミンがプルーストとの関係で語った眠りと目覚めの弁証法は、
知(ロゴス)と反知(パトス)のアウフヘーベンにもつながりそう。
『悲劇の誕生』のニーチェでいえばアポロン的なものとディオニュソス的なもの、
となるのかもしれないけれど。
302G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/16(木) 08:13:12.79
>>301
>知(ロゴス)と反知(パトス)のアウフヘーベン

ヨハネ福音書の冒頭「はじめにロゴス(言葉)ありき」ですね。
対置する「夢」をパトスと言い換えてしまってよいかは若干ひっかかっています。
意識的に求めても得られない、すなわち受動性という意味ではふさわしい
のですが、受難・受苦と結びつく負のイメージがどうも。
プルーストの場合、それは至福への道だから。

ただ、考えてみると、アリストテレス倫理学の3分類の残る一つエートス
(知情意のうち意に対応)が、倫理(ethics)と語源を共通にしており、ベケットが
「花や草木は、意識された意志をもたない。それらは、生殖器官をさらけ出したまま、
恥じることを知らない。ある意味でプルーストの描く男女もまた、そうである。」
と述べ、プルーストにまるで倫理がないかのように(以前自分はこれを「善悪の彼岸」と
ニーチェの著書の題名で形容したけど。倫理という言葉は多義的でプルーストは倫理的で
あるという命題も十分に成り立つのですが。)述べていることとの関係で興味深いです。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/632
303G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/16(木) 08:27:17.61
>>293
「海へ」は武満徹の作品名だったんですね。
グリーンピースの委嘱作品とあるので
http://en.wikipedia.org/wiki/Toward_the_Sea
まさか武満が反捕鯨論者と思ったら、そうでなかった。
http://daisuko.http.cc/?eid=844110

丸山真男と中野雄の対談注文しました。
丸山は、岩波のフルトヴェングラーは持ってますが。
(中野が役員を勤めたケンウッドないしトリオブランドの
オーディオには若干、思い入れがあり実家で今も現役)

最近、マタイ(クレンペラーで)、シャコンヌ(複数の演奏)
を聴き、やはりバッハは偉大だと思いました。
http://www51.tok2.com/home/sendatakayuki/etcgenkou/syohyou73.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/theory/basso.htm
「失われた時」でもバッハの名は9回出てくる(検索ホント便利)
クレーメルの無伴奏について書いた次の記事がおもしろかった
http://hp.vector.co.jp/authors/VA015862/kamashi/music/20060121.html

リパッティはモーツァルトのイ短調ソナタのほかバッハのパルティータ1番、
「主よ人の望みの喜びよ」のピアノ編曲版等がはいった1枚を愛聴してました。
304G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/16(木) 08:41:10.78
>>208>>218>>62
オリエンタリズムの著者サイードの「音楽のコラボレーション」(みすず書房)
3つの講演からなり、第3講演にプルーストが登場するんだけど、最初の講演
では、ポリーニのショパンエチュード、グールド、指揮者ではフルトヴェングラー、
トスカニーニが登場。
グールドでは、バッハのほか、グールド自らがピアノ用に編曲したワーグナーが
取り上げられる。ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲は、対位法的効果
が際立つような編曲・演奏がおもしろくて、子どもの頃、よく聴いた。

ドビュッシー、フランクとフランスの作曲家について書かれたものを読むと必ずと
言っていいほど、また「失われた時を求めて」でもワーグナー崇拝、ワグネリズム
に出くわすのだけど、当時フランスで、なぜ、どのようにワーグナーがもてはやされ
たか、なかなかイメージできない。
検索すると「失われた時」ではワーグナー(ワグネリアン、ワグネリエンヌ、ワグネリズ
ムも含め)は実に45回も登場。
バイロイトも8回。うち半分はオデットがスワンの金でスワンをパリに置き去りにして
ヴェルデュラン夫人一行とバイロイト詣に行くくだり。


富田雄一郎「ベンヤミンと現代性(モデルニテ)、或はボードレール以後のワグネリズム」
http://wwwlib.cgu.ac.jp/cguwww/06/27/027-02.pdf
その他にもワグネリズム関連の論文を書いてるみたい。
http://sc.chat-shuffle.net/paper/uid:110006371886
305G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/16(木) 08:51:49.23
>>300
「失われた時」ではショパンの名も29回登場し、これは楽聖ベートーベン(22回)すら
上回っており、多分ワーグナーに次ぐ。
プルーストは、受け売りのワグネリエンヌであるカンブルメール若夫人を登場させ、彼女
にショパンは古い、時代遅れとディスらせるけど、プルースト自身はがショパンの偉大さ・
先駆性を理解していたのは>>300さんが引用された「ソドムとゴモラ」の一節にもあるとお
りですね。

>>129
吉田秀和も、300選あたりまでは同年生まれのシューマンを高く評価する一方で、ショパン
を若干貶めるところがありましたね。

サイードはショパン好きで、オリエンタリズムの著者らしく、ショパンがフランスのサロンに
閉じ込められることに猛烈に異議申立てする。
http://www.msz.co.jp/book/detail/07115.html
http://ameblo.jp/grouppalam/entry-10494833600.html

実はサイードはいちいち言葉がかっこよく決まり過ぎるところに違和感を感じないでも
なかった。
306吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 17:00:28.56
Gいいねーシェア。
307吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 20:23:55.30
>>303
>グリーンピースの委嘱作品とあるので

譜面は手元にあるけれど、ノンポリ(今は死語?)で、そこまで気にしていなかった。
アルトフルートは売り払ったので、練習もなにもないけれど。

>まさか武満が反捕鯨論者と思ったら、そうでなかった。

ワロタ。ありえない。
「鯨のような優雅で頑健な肉体を持ち、西も東もない海を泳ぎたい。」
この武満の言葉も忘れられない。

もうじき武満の命日の2/20がやってくる。
以前、命日のリサイタルに行って、終演後、外へ出たら、花粉症の始まりだった。
それ以来、命日も忘れられなくなってしまった。
308吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 20:48:05.85
http://yokato41.exblog.jp/11407281/

ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、
そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。
しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、
あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、
そのときまで識別できないようにしてわれわれの手をふれさせないでいたあの楽章なのである、
われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、
それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、
われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。
われわれはそれを他のものよりも長く愛しつづけるだろう、
なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。
309吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 22:42:42.99
アゲさんは、コテハンG2がいいな
310アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/16(木) 23:30:00.75
>>302
確かにパトスは「受苦」などと訳されるからGOINGだったかもw
快か苦か、ということでいえば、プルーストはやっぱり、
エピキュリアンでストア派じゃないし。

ただエートスがエチカの語源になっているように
パトスはパッションの語源でもあり、
おそらく喜怒哀楽を総合的に含む「感情」「感性」だろうと思っていて、
その意味ではロゴスという「理性」「知性」の対極に来るだろうと。

またGさんも指摘してるように「受動性」がパトスにはあり、
ロゴスの能動性に対してここでも対極にくるなあと。
プルーストの無意志的想起が、決して能動的なものじゃなく、
常に不意に襲われるような受動的なものだからというのもあるし、
能動的に(つまりロゴスに頼って)追求した場合の想起は失敗してしまう。

ドゥルーズはプルースト論で「アンチロゴス」という概念を使ってるけれど、
どうも「アンチ」というのもプルーストを形容するにふさわしくない、
ん〜やっぱそこはパトスによって突き動かされつつ、
最終的にはロゴスのサポートがいるんじゃないの?なんて思ったり。
311アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/16(木) 23:38:29.86
>>307
花粉の時期だねえ…orz

>>310のちょい続き
そういう関係を考えると、どうも弁証法的なアウフヘーベンというより、
ニーチェ的なディオニュソスとアポロンの絶妙な関係のほうが適切だろうなあ、
なんて思ってみたり。
ヴァントゥイユ、エルスチール、ベルゴットの三銃士ももちろん
ディオニュソス側の人物だろうと(夢と酩酊とは異なるけれど)。
312吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 22:06:52.62
今日のプルースト

http://yokato41.exblog.jp/14688880/
ビクトル・エリセの『エル・スール』も懐かしい。

家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、
ただし、つぎのような相違はある、
すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、
作家にあってはそれがあとにくる。
われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、
われわれのやるべきことではない。
われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所から、
われわれがひっぱりだすものしかないのだ。(『
313吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 16:07:09.40
いかにもプルーストのスレらしく、
数人のオタクがどっぷりとオタク議論に
ふけっているな。
314吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 16:35:27.89
マドレーヌ食べたからageとか出来ない雰囲気だな(笑)
315吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 17:36:18.85
>>313,>>314
through
316アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 17:55:59.96
まあオタクといえばオタクだろうねえw

>>312
310で書いたようなことは既にプルーストが語ってるんだなあ。いやはや。
ビクトル・エリセにしても芸術家はみんなディオニュソス側なんだろうけど。
プルーストについてアンチロゴスを語るドゥルーズは
哲学者というよりも芸術家に近いのかもw
317吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 18:26:36.95
>>316
オタクかな???

>310で書いたようなことは既にプルーストが語ってるんだなあ

CSBからずっと繰り返し書いているけれど。

今日のプルースト

http://yokato41.exblog.jp/14419241/
自分の作品にその独自の道をたどらせようと思えば(……)
その作品を十分に深いところ、沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。
318アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 19:15:36.70
>>317
いやまあ俺なんかもある種の人からはオタクに見られることもあるだろうと。
他スレでは文献学者っぽいというイメージを持たれもしたしw

反知性主義的姿勢はCSBからずっと変わらずにあるよね。
CSBのその箇所は確かGさんとも話したことがあった。
319吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 19:37:58.40
Gは我慢してんのか?じゃんじゃん書いたらプリーズ!
320吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:04:45.54
アニオタが二次元萌えだとすれば
文学オタは四次元萌えなのである
321吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:31:14.94
>>317
これ、あんたのブログ?
プルースト信者というより
柄谷信者みたいだが。
322吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:34:55.02
早くもゴミスレの悪寒w
323吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:38:27.83
>>322は誤爆でした、スマソ
324吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:56:04.23
>>321
まさか。
打ち込むのが面倒だからコピペしてるだけ。
325アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 21:02:06.66
引用の多いいいブログだよね。割と趣味がかぶってたりするw
ミニハンが良く貼ってるな。
327吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 07:01:22.95
Gは逃走か?
328G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 11:29:49.61
>>310>>311
私もパトスは喜怒哀楽を全部含むので、夢≒パトスでいいかなとも考えていました。
エートスとの違いは、パトスがある瞬間、すなわち「今ここ」のものである
ということでしょうか。

>やっぱそこはパトスによって突き動かされつつ、最終的にはロゴスのサポ
ートがいるんじゃないの?
>どうも弁証法的なアウフヘーベンというより、ニーチェ的なディオニュソス
とアポロンの絶妙な関係のほうが適切だろうなあ

これも同感

>>293さんに紹介された中野雄「丸山眞男 音楽の対話」(文春新書)
に次の一節があった。こういうシンクロニシティみたいなことが生じる
のがおもしろい。

>丸山眞男は壮年期のベートーヴェンの代表作、もっともベートーヴェン
らしい作品の創作動機にパトス(Pathos)というギリシア語を使った。語
源は「受動・変容」。転じて、外界からの刺戟によって生ずる心的状態=
「感情・感動・情熱・苦悩」の意を表わす言葉となる。感情表出に方向性
を欠くが故にロゴス=知性と対比され、瞬間的・一時的な現象であるが故
に持続的習性=エートスの反対概念となる。丸山がベートーヴェンの《熱情》
や《運命》の曲想をパトスとし、それに「非合理的な」という形容句をわざわ
ざ(「非」に)傍点まで付して使用したのは、作曲者の脳中に渦巻く想念が文
字や言葉では言い尽くせない激しさとたまらなさをもっていたと感じたからで
はないだろうか。p70
329アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 11:30:01.79
>>327
Gさんが一体何から逃走?w まあそのうち長文書き込みがあるでしょう。
330G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 11:31:06.12
>>304に対する自己フォロー

「音楽の対話」にはワーグナーがフランスで好まれる理由についてもちらっと
書いてあった。

>楽劇に中で例のライトモティーフ(示導動機)を多用して、舞台上の人物の
所作と隠れた心理の違いなんかを表現する、ああいう心理劇みたいなものを
フランス人は好むけれど、ドイツ人は好かない。もっと単純明快、筋と論理の
通ったドラマが好きです。……ワーグナー気違いは、けっこうフランス人に多い。
61頁
>ワーグナーてのは……心理小説だから。大体フランスは好きなんですね、そう
いうダブルな下意識の世界と意識の世界の違いとかね。」63頁

例としては、「リング」で神の中の神ヴォータンが烈火のごとく、命令に背いた娘
ブリュンヒルデを怒り、懲罰を加えるシーンで、挫折・あきらめの示導動機がチェロ
で奏されることによって、下意識には自己に対する非常な挫折感が隠されていること
が分かる等。
331G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 11:32:10.66
>>329
昨日まで日光に遊びに行っていたw
今、アップしてるところです。
332G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 11:33:45.40
>>314
マドレーヌはかつて佃煮さんがマドレーヌを買ってきた話からレシピ
談義に発展したこともあったんだよね。

プルーストがほとんど唯一の栄養補給源としていた、作品でも「朝のカフェ
・ オ・レの味は、われわれに晴天への漠とした希望をもたらす」とされている
カフェオレについて、俺がオタクっぽくプルーストの家政婦兼秘書だったセレスト・
アルバレのムッシュ・プルーストを引用して、レシピについて考察してみたのだけど
これは話題が続かなかった。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1314888613/70-74

プルーストがコーヒーエキスは冷えて時間が経ったものでもよいが、ミルクについ
ては新鮮なものに拘り、しかも暖め直しを厳禁していたのはなぜなのか。

昨日まで、日光に遊びに行っていて、宿で豆乳鍋が出たのだけど、あれ、表面に
薄皮みたいに湯葉ができて、それをしゃくって食べるのが実にうまい。
牛乳でもたんぱく質の凝固した薄皮ができる(ラムスデン現象)。プルーストは
あれが嫌いで、かといって、あれを取り除くことによって栄養の減ったミルク(
微妙に味も変わっているはず)を飲むこともまた嫌ったのではないかな。
もちろん、アルバレの言うようにプルーストの気分の変調が味覚に投影されただけ
、要するに思いすごしってこともあるかもしれないが。
http://homepage2.nifty.com/osiete/s565.htm
333G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 11:38:22.29
>>327
そこで引用されている田中純は、「都市の詩学」「政治の美学」等買ったな。
http://d.hatena.ne.jp/eeffoc/20090111
東大表象系の先輩松浦寿輝同様、中井久夫を絶賛。

著者のお薦め本
http://before-and-afterimages.jp/news/C1884801429/E20090505220700/index.html

著者の論考。ベンヤミンのプルースト論やパサージュ論に言及されている(その後「都市の
詩学」に収められているはず)
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/972/
334G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 11:42:33.86
>>308
ヨッフムが、最晩年に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管を指揮したライブで
ブルックナー第5番を聴いている。

吉田秀和の「私の好きな曲」では、クナッパーツブッシュがウィーンフィル
を指揮する7番を聴いて、アダージョ楽章の途中で眠りこけてしまい、目覚
めたら、まだその第2楽章が続いていることに呆れた、自分はそのとき、ブル
ックナーの魅力が全然わかっていなかったという一節がある。
(この曲、ワーグナーのパトロンであったルートヴィヒ2世に捧げられている)

さすがにこのエッセイでの吉田は、ブルックナーの魅力は「音楽のクライマックス
が緊張の絶頂であると同時に、大きな、底知れないほど深い解決のやすらぎでも
あるということ」にあると喝破している。

吉田のエッセイの次の一節は、>>308さんの「失われた時」の引用(ここではベート
ーヴェンの後期弦楽四重奏曲が例として挙げられるが)と重なって見えます。

>ブルックナーをきくには忍耐がいる。だが、その忍耐が重要なのである。はじめっから
好きなものだけが、本当にその人の好きなものとは限らない。「あなたは御自分を何事に
つけあやまりのない直感の持主と信じているかも知れないが、それは少し自惚れというも
のじゃないかしら?」と、私は、頑強にブルックナーが嫌いでと言い張る人をみていると、
心の中で思うようになった。

5番の第二楽章にあらわれる荘重なコラール風の旋律は、この大曲の中で「一番早く目に
つく美」である。このため5番はディープなブルックナーファンからは7番以降に比べ、
第4番「ロマンティック」とともに、若干蔑ろにされているかもしれない。
でも、ヨッフムのこの演奏で聴くとやはり凄い名曲。

そういえば、プルーストを読むにも忍耐がいったなあ。
335G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 11:44:08.93
>>334つづき

ブルックナーの各交響曲は、wikiからスコア(総譜)に飛ぶこともできる。

ブルックナーは、「失われた時」には一度も登場しない。
マーラー、ブラームスも。

ヴィトゲンシュタインがマーラーの作品をやけに否定している
ことも気になっている。
http://stives.blog15.fc2.com/blog-entry-55.html
http://www.ne.jp/asahi/village/good/wittgens.html
336吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 12:05:42.17
>>334
お前の長文レスを読むのも「忍耐」がいるねw
337G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 12:55:22.36
>>310
>>328で書き忘れたましたが、心(情)の間歇(プルーストが題名にしようとしていた
時期もあった重要な概念)はパトスというにふさわしいですね。

>これほど長いあいだ消滅していた当時の自我が、ふたたび私のすぐそばに来て
いたので、ちょうどまだ眠りからさめきれない人にとって、逃れゆく夢のなかの
物音が自分のそばに聞こえる気がするように、私にはその直前に発せられた祖母
の言葉がまだ耳に残っているように思われたが、しかしそれはもはや一つの夢に
すぎなかった。

>そして私はただ、次のような矛盾した苦しみを堪えることにつとめた。
一方にはかつて知っていた通りの形で、つまり私のために作られて、私のなか
に生き残っている一つの存在、一つの愛情があった。その愛にとっては、すべ
てが私によって成り立ち、私を目標とし、たえず私に向かっていたから、どんな
偉人たちの才能も、開闢このかた存在したありとあらゆる天才も、祖母にとって
は私の欠点の一つにも値しないと思われたことだろう。だがまた他方では、この
幸福感を現在のものとしてふたたび体験したそのとたんに、まるで肉体的苦痛
のぶりかえしのように、祖母はこの世にいないのだという虚しさの実感が湧きあ
がって、それが幸福感を貫くのが感じられた。

以上、鈴木集英社文庫より
http://www.campus.ouj.ac.jp/~gaikokugo/meisaku07/eBook/proust_09h.pdf

中井久夫の論考より
http://blogs.yahoo.co.jp/anamnesis1964/24304945.html
338G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 13:09:36.39
「心情の間歇」(Les intermittences du coeur)という表現が出てくる唯一の箇所
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/32735/1/KyoyoShogakuKenkyu_116_Okita.pdf


どんな時にそれを検討するにせよ、われわれの魂の総体というのは、ほと
んど虚構の資産でしかない。その富の目録が何度も報告されていてもそう
なのである。というのもある時はこの財産のある部分が、またある時はそ
の他の部分が自由に動かせないからであって、このことは実効性のある豊
かさであれ夢想の上の豊かさであれ同じことである。私の場合であれば、
ゲルマントという古い家名が喚起する夢想の豊穣さも、またそれよりはる
かに重大な、祖母に関する本当の思い出の豊富さもということになる。そ
れはなぜかといえば、記憶の混乱には心情の間歇が結びついているからで
ある。われわれの内的な財産のすべて、過ぎ去った喜びや悲しみのすべて
が永続的にわれわれの所有物であると思えるのは、恐らくわれわれに身体
があるからであり、こうした誤解においては身体はわれわれの精神性を収
めている容器に似たものになる。こうした喜びや悲しみが逃げて行ったり
戻って来たりすると考えるのも、多分同じくらいに不正確であろう。いず
れにせよそうした感情がわれわれの内に残っているとしても、それはほと
んどの場合見知らぬ領域にあって、そこではこうした過去の感情はわれわ
れの役に立たず、そのうちの最も日常用のものでさえ別の次元の記憶、意
識の中でこれらとの共存を一切排除する記憶の数々によって抑圧されてい
る。しかしこのような喜びや悲しみが保存されている感覚の枠組みが再び
拾い上げられれば、今度はこの感情のほうで自分とは相容れないものを同
じ権限ですべて追放し、そうした喜びや悲しみを経験した自我それだけを
われわれの内に落ち着かせるのである。(「ソドムとゴモラ」)
339アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 13:43:53.52
>>331
シンクロしてたとはーw
329で書いた「そのうち」が「まさに今」だったという時間の不思議さw
日光いいなあ。
340G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 14:10:56.31
>>339
確かに、シンクロニシティに触れた書き込みで
シンクロするとはw
341G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/19(日) 14:12:26.78
>>320
>文学オタは四次元萌えなのである

プルーストは、「コンブレーの教会は四次元の空間を占めており、その第四の次元は〈時〉である」
としているので〈時〉萌えと言い換えることも可能ですね。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/831
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/868

>そうしたすべてのものは、私にたいして、教会を町の残りの他の場所とは全然ちがった何物かに
していた、つまり教会を、いわば四次元の空間――その第四の次元は、時なのだが――を占める
ようなある建物にしていた 
(「スワン家のほうへ 第一部」井上訳の長い一文から切り取った)
342吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 17:26:29.25
いいぞG!ますます個人ブログの領域へあげ吾輩は名無しであるは、
ほとんどGの書いたことへのコメント。2chでブログをやるとは
たいした発明だ
343吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 17:40:40.10
ビッグコミック2012年2月25日号。 ゴルゴ13の「1万キロの狙撃」。
 ゴルゴが、絶体絶命。 無人攻撃機で、ミサイルを打ち込まれ、右脚骨折、
腹に鉄パイプがささったまま、必死の逃走中。

このスレのゴルゴはピンピンしてるけどな
344吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 18:20:47.74
>>328
>中野雄
読んだ中味は忘れてしまったけれど、楽しんでいただいたようで、よかったです。

>>335
ウィトゲンシュタインについては作曲家の評価よりドストエフスキーとの関連のほうがおもしろそう。
プルーストもドストエフスキーについて書いているし。
http://www.kotoba.ne.jp/~dune/index.cgi?k=wit_dost


今日のプルースト
http://homepage3.nifty.com/imai-kimio/09note/rve-st.html

私たちが見るのは、通常の観察者にとっては、とるに足らぬ無意味とも思われる細部なのですが、
実際にそれは遠く離れていて、大きな努力を払ってはじめて視野にとらえられるものなのです。

Meme ceux qui furent favorables a ma perception des verites que je voulais ensuite graver
dans le temple me feliciterent de les avoir decouvertes au ≪ microscope ≫ quand je m’etais,
au contraire, servi d’un telescope pour apercevoir des choses, tres petites, en effet,
mais parce qu’elles etaient situees a une grande distance, et qui etaient chacune un monde.
La ou je cherchais les grandes lois, on m’appelait fouilleur de details.
D’ailleurs, a quoi bon faisais-je cela ?
345吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 19:23:25.07
>>335
>ブルックナーは、「失われた時」には一度も登場しない。
>マーラー、ブラームスも。

シューベルト、シューマン、ラヴェルは出てくるが、ストラヴィンスキーはでてこない。
>>120でふれたミシアはユルベルチェフ公女のモデルとされている。
346吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 21:04:24.30
>>344
自己フォロー。ワイン飲みすぎ。
アクサンテギュとか全部落ちると、読みにくいね。スマソ。

Même ceux qui furent favorables à ma perception des vérités que je voulais ensuite graver
dans le temple me félicitèrent de les avoir découvertes au « microscope » quand je m’étais,
au contraire, servi d’un télescope pour apercevoir des choses, très petites, en effet,
mais parce qu’elles étaient situées à une grande distance, et qui étaient chacune un monde.
Là où je cherchais les grandes lois, on m’appelait fouilleur de détails.
D’ailleurs, à quoi bon faisais-je cela ?
347アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 23:31:31.00
>>328
時間だけでなく内容そのものがシンクロについてだったとはw
丸山の「非合理的な」とドゥルーズの「アンチロゴス」の遭遇。

>>333
中井久夫『分裂病と人類』は読んだっけ。
小村雪岱の鏡花本の美しい装丁もいいなあ。

>>335 >>338
>心(情)の間歇はパトスというにふさわしいですね
確かに。もう迷わずパトスと言ってしまおうw

>記憶の混乱には心情の間歇
ここでの混乱はディオニュソス的な酩酊とも接点が見出せそうで。

>>344
顕微鏡microscopeか望遠鏡telescopeかはさておき、
プルースト的パースペクティヴは巨視的であると同時に微視的、
そしてミクロとマクロを往還するようなダイナミズムがあるという印象。
それは作品の細部が作品全体と相似的になるというフラクタルな関係とも
おそらくは密接に結びついているのだろうと。
348吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 00:08:04.08
>>347
>フラクタル

こういう言葉使いたければ、ソーカル、ブリクモンの「知」の欺瞞を読んでから。
349アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 00:43:22.72
マンデルブローじゃなく?
350吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 20:02:15.91
>>349
そうだけれど。
言葉の使い方として「知」の欺瞞をあげた。
マンデルブロ読んで理解できたからといって、プルーストがよりわかりやすくなるのかな。

数学は大学でカンペキに落ちこぼれたので、コンプレックスが残っているかも。
351吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 20:55:05.14
ここまでで、G,350の?だろうな。
352 忍法帖【Lv=26,xxxPT】 :2012/02/21(火) 01:47:07.54
プルーストって童貞だったのですか?
353G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 08:24:26.86
>>347
>作品の細部が作品全体と相似的になるというフラクタルな関係

視覚的イメージを与えるためにちょっと幾何学を持ち出すくらいならそんなに目くじらを
たてなくてもいいのではと思ってます。イメージし記憶しやすくなる面が確かにあるし。
どんな微細な部分も全体と互いに相似形と言葉で言ってしまえば確かに十分といえば十分なの
かもしれないけど。

確かに、ある種のラカン本のように、数式を持ち出して、さらにそれを操作するのは御免蒙りたい。
例えば、新宮一成「ラカンの精神分析」(講談社現代新書)で対象aの説明で数式操作をして、それ
が黄金数(比)と一致するなどと書いてあったのにはさすがにあきれ果ててしまったことがある。
http://blog.livedoor.jp/mdioibm/archives/6194134.html(この本を勧めながらも「知の欺瞞」
以前の本だからここは要注意と書いてある)

でも、数式が出てきたら、内田樹のように迷わずすっとばして読めば、それなりにいい本なのかも。
http://blog.tatsuru.com/2008/01/31_1135.php
(内田がラカンに言及したブログ。ラメラ=エイリアンといった視覚的イメージに訴えるのはやはり効果的)
http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/50548583.html
(「知の欺瞞」のラカン批判を紹介し、ラカンとレヴィナスを扱った内田の「他者と死者」にも言及)

今月、斎藤環の「生き延びるためのラカン」がちくま学芸文庫になったけど、これはわかりやすい。
中島義道のあとがきも、本当は自分はラカンはわからんけど、斎藤の本を読むとわかった気にさせら
れてしまうと率直でこの人らしい。
354G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 08:25:07.03
>>344
ドストだけでなく沙翁との関連も

プルーストの「失われた時」のフラクタル構造は、自然に似ているといってしまうとさすがにこじ
つけっぽくなる。
ヴィトゲンシュタインが、シェイクスピアの作品は一見不自然だがその言語世界自体がひとつの自然
なのだといった趣旨のことを言っている。
シェクイスピアスレへの昔の俺の書き込み。ヴィトゲンの「反哲学的断章―文化と価値」(青土社、
1999)が元ネタで内容はいじってない。
http://unkar.org/r/book/1144510231/176

>Sを苦手としていたヴィトゲンシュタインの断章がおもろい。
Sは言語の新しい自然な形をつくりだした言語創造者である。
Sを受け入れるためには、自然のスペクタクル、例えば景色を
受け入れるようにする必要がある。
しかし、Sの自然とは、夢のように独自の法則によるものであり、非
リアリズムである。
しかし、Sは、独自の法則に基づき作り上げられた独自の言語と世界、
ドラマ全体としては偉大である。
でも、俺はいやだよ、性に合わない、とヴィトゲンは言っている。
355G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 08:29:56.85
フラクタルつづき
>海綿のイメージを思いうかべるたびに、私たちは、いたるところに小さな穴がうがたれていて、どこ
までいってもけっしてなめらかになることがない、ギザギザ、デコボコを自分の内部にたたみこんだ、
不思議なフラクタル物質を連想するのである。このフラクタル物質はとても奇妙な中間的性質をもって
いる。それをおおざっぱな眼差で外側から見ると、空間の中に有限なまとまりをもった、ひとつのマッス
があるような感じがする。だが注意深く見てみると、この物質には「輪郭」がないのだということがわか
ってくるのだ。空間を閉じるものが輪郭だとしたら、海綿はそういう輪郭線で区切られていない。フラク
タル物質としての海綿の表面は、いたるところ小穴がうがたれ、どんな細部にいたるまで小さなギザギザ、
デコボコを内包しているからだ。だから、海綿は自分の内部に、どこまでも無限を掘りすすんでいくよう
な物質なのだ。有限なひとつのかたまりでありながら、自分の内部に無限を内包したフラクタル物質。
海綿は、したがって、もともと、無限を受胎するのにもっともふさわしい胎盤のひとつなのである。「線
は疾走し、無限へと向うが、それにたいして色彩は、無限のなかに在る」というイヴ・クラインの表現を
もじっていえば、海綿は中に無限をたくわえこみながら、無限の中に在るのだ」。

中沢新一がニューアカブームの頃に書いた文章。「野ウサギの走り」という焼酎の銘柄のようなタイトル
の本の「聖杯を探究するタンタン」というイヴ・クライン論から。
この本、どうやら俺途中で投げ出している。でも中沢らしい華麗な文章だとは思います。

http://www.pfa-group.jp/jewelry/museum/exterior/02.html
(宝石珊瑚博物館建築の際の基本コンセプトらしいが、中沢のこの箇所をパクってる)

確か、同じ中公文庫で古本屋で一緒に買った中沢「雪片曲線論」にもフラクタル構造の話は出ていて
微分だのライプニッツだの出てきたような気がする(本が見つからん)
http://youyou8.cocolog-nifty.com/app/2009/08/post-8fba.html
356G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 08:37:18.65
>>352
吉田城「プルーストと身体」所収の「フィアスコ 性的失敗と小説」66頁以下で
16歳のプルーストがポケットに10フランをしのばせて、はじめて「女を買いに行く」
エピソードが描かれています。
親の目を盗んでではなく、医者であった父親が、息子のマスターベーションの悪癖をやめ
させようとして、10フランを渡し、売春宿に行くよう半ば強制されてのことだった。

>だからマルセルは、はじめての楽しみを味わいに行くというよりは、「治療を受けに行く」
あるいは「自分の身体に重要な転換を起こさせる」という悲痛な気持ちで娼婦のもとに赴いた
のである。なんと不幸な初体験であろうか。

(そういえば、初体験のことをコペ天という小説だかドラマだか映画があったな)

そのあともこれでもかと想像を交えて、娼家でのマルセル君の「悲惨な体験」が描かれ、プルースト
の叔父への手紙が引用される。動転して娼家の備品である尿瓶を壊してしまい、またセックスも
できなかったと嘆き、、父親には恥ずかしくて頼めない尿瓶の弁償代の3フランを無心する内容。
吉田は「この不幸な体験が、一種のトラウマとしてプルーストの性的嗜好や性愛観に大きな影を
落としていることは否定できない」という。

おそらく、ほどなく無事に童貞喪失はしたと思われるが、前に紹介したタディエの淡々としてユーモア
を感じさせる記述と、同じことを書いているというのにその筆致の違いに驚かされる。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1309272869/991(最後の引用からもわかるように
タディエの筆致自体がエスプリに富んでいる。俺は単にそれを端折って紹介しただけ)

日本のじめじめした私小説の匂いがするというか。
357G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 08:38:42.97
>>345
「失われた時」の第1巻がグラッセ社からでた1913年は「春の祭典」のスキャンダラスな
初演騒ぎがあった年でもあるんですよね。
だから、ストラヴィンスキーを出すとしても「見出された時」以降でないと時代が合わない。

その他の作曲家についての登場回数
ドビュッシー 16回
フォーレ    4回
2回 ベルリオーズ、ダンディ、ラモー  
1回 フランク、ラヴェル、ボロディン   
0回 デュパルク、ショーソン、デュカ、サン・サーンス、
   サティ、ヴェルディ 

六人組やプッチーニ(ヴェルディですら0回)は時代からいって
出てこないはず。

> >>120でふれたミシアはユルベルチェフ公女のモデルとされている。

これをきっかけにネモさんという人のアマゾンレビューまとめて見てしまい(多いのでまだ見切れない)、
またカートに商品が溜まることに。
358G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 08:43:10.27
>>353 自己つっこみ

視覚的イメージを喚起するため幾何学を持ちだすのはいいのではと書いたが、
実は、クラインの壺だの、メビウスの輪だの、ボロメオの結び目など出されて、
それで何かわかった気がしたためしはない。
トーラスとなるとなおさら。

仏教学者の中村元が「自己の探求」でやったように、モナドに窓をしつらえちまったって
いいじゃないか、どのみち比喩なんだからと実は思ってる。
359つくだに:2012/02/21(火) 09:00:27.25
ショック!野うさぎ的な思考というのは、中沢新一がオリジナルなのか・・・
昔仲良くしてたコテが、「僕の読書傾向というのは野うさぎそのものだから」と言ってて、
「その例えかたが素晴らしい」とスレの中でみんなで賞賛してた事があった。
その人は他にも著名人の名言をさも自分のアイデアの様に言う事が多々あった。
Gさん、野うさぎについてもうちょっと詳しく教えて下さい。
360吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 11:51:31.67
ランダムな動きを野うさぎの走りにたとえるのは
中沢がオリジナルってわけでもなさそうだ
361吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 11:52:06.53
ここはGとその他数人のブログです。みだりに侵入しないように
362G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 13:41:01.01
>>359
若干、脱線気味の書き込みで反応があるのがおもしろいです。
中沢新一の本、家に置いてきてしまった。
今日は飲む予定なので確認するのは先になるかと

焼酎の「野うさぎの走り」がいつから発売されているのか検索してみた
けど、なかなか出てこない。
あの有名なプレミア芋焼酎「百年の孤独」と同じ黒木本店が
蔵元というのをはじめて知りました。

ガルシア・マルケスの作品名にちなんで名前をつけるくらいだから、
こちらも、中沢新一の本のタイトルから取っているかも

「百年の孤独」のラベルには、エリック・ドルフィがその遺作になった
ライブ盤「ラスト・デイト」で最後に呟く言葉が記されている
経営者の趣味嗜好が感じられる
http://www.ne.jp/asahi/bar/stolas/100year.htm
363吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 14:09:57.01
「百年の孤独」は麦で「野うさぎの走り」は米だったな。どちらも旨い。
364G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/21(火) 14:52:19.69
>>363
ほんとだ、「百年の孤独」芋でなく麦でした。
1、2回、グラスで飲んだだけで、いつもは、ほとんど芋オンリー
といってよいのでつい。
365吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 18:54:57.48
けっきょくプルーストはセックスしたのだろうか。
一回目は尿瓶を壊したごたごたで果たせなかったが、2回目以降に果たせたってことか。
366吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 20:45:29.66
>>353
>どんな微細な部分も全体と互いに相似形と言葉で言ってしまえば確かに十分といえば十分なのかもしれないけど。

このこというために、フラクタルは要らない、とおもっています。
簡単に言えばユークリッド幾何だけで十分。非ユークリッド幾何さえ要らない。
物理のファインマン積分さえ未だに定義できない数学って何、というか、自分の頭でわからないことが多すぎて、というところです。

>>354
シェークスピアは実は映画をオリビア・ハッセーのロミジュリとかローレンス・オリヴィエを数本みたくらいで、翻訳本は通して読んだことさえない。
でも、言葉のたたみかけてくる力みたいなものを感じる。好きか嫌いかは、明確に分かれる。
イギリスのある階級ではシェークスピアは10代のうちの全部暗唱するくらい読む、とか、午後の茶会ではシェークスピアのソネットとかなにかを朗読するとか、読んだことがある。
これも伝説?

>>355
>「野ウサギの走り」、「雪片曲線論」

タイトルだけは妙に懐かしい。年寄、というのがバレバレ。

>>358
>クラインの壺

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/asada-klein.html

>>365
>けっきょくプルーストはセックスしたのだろうか。

フォルカー・シュレンドルフの映画「スワンの恋」ではきちんとしていた。悲惨な話題はカットしている。
どこまで歴史考証しているかは不明。
367吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 20:50:14.38
>>266
「スワンの恋」

あれはスワンで、作者ではなかった。スマソ。
368吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 21:14:23.03
>>333
>http://before-and-afterimages.jp/news/C1884801429/E20090505220700/index.html

この人の本は読んだことがないけれど、選んでいる本の一冊めが橋川文三『日本浪曼派批判序説』とあるのはビックリ。
>>183で日本浪漫派、と書いてから気になって先日買ったばかり。
きちんと読んでいないけれど、保田の話題が主で、近代の超克にも触れている。
冒頭のマルクスの引用は面白いです。

>>367
引用は>>366
今夜も飲みすぎ、というか、肝臓が弱くなってきているかも。
369吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 21:51:44.05
>>357
>ネモさんという人のアマゾンレビューまとめて

ジャン ジュネの「恋する虜―パレスチナへの旅」があって、以前どこかで何かみたようで気になっている。
パンキョウのドイツ語の授業で岡本公三が獄中で割礼を知らずにペニスを切った、と教わり、それだけは忘れられない。
370つくだに:2012/02/22(水) 13:53:10.59
>>362
Gさんありがとう!
お酒でそういうのがあるなんて初耳。
百年の孤独ってそういえば酒屋さんで見るなあ。
ドルフィーはアウトオブランチとライブ盤を持ってるわ。
何かしら関連があったりするのね。
371G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/23(木) 01:01:21.17
>>365
1888年5月17日に書かれたと思しき叔父宛の手紙が唯一で、その後、
プルーストは自身の性的体験に関してはまったく語らず、同性愛につい
ても強く否定し(時には冷やかしに激怒して、決闘さえ厭わなかった)隠
しとおしたと>>356で紹介した吉田論文には出ています。
>>356ではほどなく無事に童貞を卒業したのではと書きましたが、もしかしたら、
そのまま一生童貞だった可能性もなきにしもあらずです。
(宮澤賢治のように作品自体に性的なものの忌避や童貞臭が感じられるタイプ
ではないようには思えますが。もちろんここでいう童貞臭は、現実に生身の女性に
ペニスを挿入したことが1回以上あるか、というより多分に精神的なものですが)
372G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/23(木) 02:06:06.32
>>366
>イギリスのある階級ではシェークスピアは10代のうちの全部暗唱するくらい読む、とか、
午後の茶会ではシェークスピアのソネットとかなにかを朗読するとか、読んだことがある。
これも伝説?

やはり英米では、シェイクスピアは聖書に匹敵する文学的キャノンなのではと思います。
http://kotobank.jp/word/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%8E%E3%83%B3
http://nire.fool.jp/dokusyo/dokp/dokgp001/dokp022/dokp022.html

一定以上の教養の持ち主なら世代・趣味を問わず、その中の有名な部分を口にすれば、
お互いに元ネタがわかるような。
全部を読む気力のない人、忙しい人のためのアンソロジー、名言集といったものも組まれ
ている。

英語圏カナダの作品「赤毛のアン」シリーズでもシェイクスピアは多数引用されている。
20年前、松本侑子がアンを訳す際に出典探しに苦労した話(現在は考えられないほど便利)
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/pdf/matsumotoyuko.pdf

多分、「源氏物語」が書かれ、読まれた時代には、竹取物語、さらに古今集をはじめとする
勅撰和歌集はそのような文学的キャノン、共通の教養の地位を占めていた。
白楽天の漢詩アンソロジーなども。
やはり当時も詞華集、アンチョコ的なものはあったらしい。

現代の日本では、漢文の教養が死滅し(もはや好事家の間のもの)、文語も読まれない。口語体
でも漱石の「猫」「坊ちゃん」ですら引用されれば誰でもわかるというわけにはいかない。
文学的キャノンはないと言っていいのでは(世代や好きなサブカル文化を共通にする特定の者の
間の共通の了解事項というのはあるけど)
373G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/23(木) 02:39:44.75
>>366
>クラインの壺
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/asada-klein.html

この浅田彰批判、おもしろいですね。

最近、渡辺守章「パリ感覚」(岩波現代文庫、2006)を読みました。
元は1983年から85年にかけて書かれ、同年単行本になっている。
数年前、プルーストへの興味から買ったのですがパリ紀行文というには
あまりのペダンさに投げ出してしまった(自ら舞台演出家で、東大表象の
初代主任教授でもあり、もちろん、本当にすごい知性と教養の持ち主である
ことは多分間違いないのですが)。
改めて読むと、多少知識もついたせいか、なんとかおもしろく読めた。

クローデルのカトリック回心への興味が今回本書を手にしたきっかけですが、
プルーストやフェルメール「デルフト眺望図」、オペラ座も出てくる。

そのプロローグに、ニューヨークに行った際、ケネディ空港の税関を出ると
「A・A現象の仕掛人でもあったM氏が迎えに来てくれていて」とある。

いきなりA・A現象となんの説明もなく出て来て、なんのこと?と思っていたら、
文庫版あとがきで、「『逃走論』による浅田彰氏の華々しい登場のことだ」と
あり、浅田彰現象のことかとようやく了解。

M氏については文庫版あとがきにも書かれていない。おそらく1982年まで青土社で
ユリイカや現代思想の編集長をし、その後評論家として活躍している三浦雅士で間違
いない。



374G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/23(木) 07:38:22.52
>>359>>370
「野ウサギの走り」は、中沢の著書のタイトルであると同時に、巻頭のバリー・フラナガン論のタイトル
でもあります。
青い顔料を浸み込ませた海綿の造形美術家イヴ・クラインについての「聖杯を探求するタンタン」
同様、「とびはねる野ウサギ(TheLeaping Hare)」の彫刻家フラナガンの展覧会のカタログ用に書かれ
ています。

「気違いじみた方向転換、歩幅の乱れ、中心の移動、突然の跳躍などをくりかえしている」(あとがき)
野ウサギのイメージは浅田彰の音楽エッセイのタイトルにあらわれるヘルメス神、山口昌男のトリック
スターと通底しています。
(「不思議の国のアリス」マッドティーパーティの常連、三月ウサギMarch Hareも野ウサギHare)

>野ウサギは、ふたつの世界を同時に生きることのできる動物だ。ピョンピョンと
軽快にとびはねながら、この生きものは、ふたつの世界をしょっちゅう行き来して
いる。往復のスピードが速くなってきた。こま落としのムーヴィを見ているみたいだ。
スピードがあがってくるにつれて、だんだんバネの弾性が水晶発信体みたいな振動
に変わってくる。野ウサギの姿がどんどん小さくなって、ほとんど見えなくなってしま
った。野ウサギは、ふたつの世界を分ける境界膜そのものに変貌してしまったのだ。
スピーディな運動がくりかえされているのは、よくわかる。けれど、そこにあらわれてく
るのは、奇妙な材質感をもったヒーメンのような薄い薄い境界膜なのである。

1989年1月9日付(昭和天皇崩御の2日後)の文庫版自著解説でも、三代にわたり多数の野
ウサギと接してきたゲームキーパー(狩猟監視人)にとってすら野ウサギは生態のわからない
未知の生き物であるとの述懐が野ウサギに関する名著TheLeaping Hareより引用される。
本来臆病なはずなのに、好奇心にかられ大胆でマッドな行動に出る。猛スピードで何100mもの
道を走り続けたたあと、突然方向転換し、一気に駆け出す。まるであぶないゲームを楽しんで
いるかのような「走り」。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~nousagi-mirunoheya/newpage13.html
375G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/23(木) 08:36:17.49
真木悠介「時間の比較社会学」(岩波現代文庫、2003)
当初の単行本は1981年刊行。
同じ現代文庫に「自我の起源」、見田宗介名で「宮沢賢治」にラインナップ
されている。

第4章の一が「失われた時」、二が「見出された時」と名づけられている。
ジョルジュ・プーレの「人間的時間の研究」、さらに初期の「楽しみと日々」
も含め「近代的自我の文学の到達点」としてプルーストがさかんに引かれる。

あとがきに比較社会学の全体的イメージが10テーマ掲げられている。
はっとしたのは、時間、自我、関係等の比較社会学のなかに「身体の比較
社会学」もあることだ。項目として「自然と反自然。身体と言語。感性。情念。狂気。
病。体癖。しぐさ。気。間身体性。共同身体性。身体と社会構造」が列挙されている。

真木は、時間論の次に取り上げられるべきテーマとして自我論、関係論をあげ、両論の
助走として「宮沢賢治」(1984)、、自我論の序論として「自我の起源」(1993年)を書いた
と文庫版後記で書いている。

はっとしたのは、「身体の比較社会学」が、弟子の大澤真幸の未完のライフワークのタイトル
そのものであるということにだ。
見田門下には、宮台真司、吉見俊哉等有名な社会学者が何人もいるけど、大澤はべたに師匠の
問題意識をひきついでいるということ、ある意味実に素直で優等生的であることに気づいたからだ。

大澤は、ほとんどを読んできたけど、どうもあの突然の京大辞任事件の理由をめぐる噂以来、
なぜか手がでず、たまに買っても読まなくなってしまっている。
「行為の代数学――スペンサー=ブラウンから社会システム論へ」のみはあまりの数式の多さ
に嫌気がさし、ちゃんと読んでないけど、「知の欺瞞」を糾弾する立場からはどのように映るのかな。




376つくだに:2012/02/23(木) 14:17:18.22
>>374
Gさんありがとう。もろにビンゴ!という感じ。

中沢の発想をパクッていた仲良しのコテは、好きなアーティストはクラインで、不思議の国のアリスも絶賛していたよ。
彼らの作った文化を支持する層というのが、みんな似たり寄ったりの考えになるのかな。

野うさぎってそういう意味なのね。中沢の方がよほど面白い事を言っている。今度読んでみる事にしよう。
377吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 20:52:04.81
>>375
>真木悠介「時間の比較社会学」

だれかのコメントで読んだ記憶がある。
社会学関連では上野千鶴子がいろいろな意味で一番楽しめた。
378吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 21:01:44.27
研究者にあこがれてるけど研究者になれない人たちのスレ?
379吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 21:27:41.18
>>378
もともと理系だし、研究者になろうとおもったことさえないけれど。

今日のプルースト

http://d.hatena.ne.jp/mii0625/20040618

このたいした作家の場合、突然そこに閃きのように、あるいは稲妻のように、その深い直感が出てくるのです。
それが出てくると全体に生命が交って、それまで延々ときたものが、突如として立体的に結晶する。
ほかの作家には見られないすばらしいものです。
それは、突然一つの直感が意識のなかからわき出してくるのです。
そうすると全体が生き生きとしてきて、それからまたずっと普通に色あせて、その流れが何百ページと続いて、またそこに一つの稲妻が光る。
プルーストの、たとえば記憶の問題にしても、思想の問題にしても、あるいは死の問題にしても、そういう形で出てくる。
つまり単なる観念としてではなくて、プルーストの全存在を揺り動かす、じつに現実的なものとなって、彼に把握されて、それが文章にそのまま反映されてくるのです。
私はそこから、じつにたくさんのことを学びました。
380吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 01:53:08.60
381吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 08:12:44.33
>>379
プルーストじゃないじゃんw
森有正じゃん。
382G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/24(金) 11:39:25.87
>>380
この方、自分がミクシィのプルーストコミュにはいったとき、管理人でした。
つい読み耽っちゃったけど、ツィートって、過去に遡ってみているとどんどん重くなって、
しまいにはフリーズしかかって、諦めた。
うまい方法ないのかしら。
全21巻のプルーストの書簡集を論文書きのため読破しているな。

>プルーストがシャーロック・ホームズを知ってて、ボードレール訳で読んだと思われる
ポーのデュパンものと比較してたのには驚いた(書簡集にて)


383G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/24(金) 11:45:05.41
>>378
研究者に憧れるというよりは、今の時代、よほどの資産家でない限り、じっくり
文献を読んで、執筆できる人はいない。
やはりそうして書かれた本の方が読んで得るところが多いんで、どうしても学者
(多くは大学で職を得ている)の本に比重が傾いてしまう。

あえて30そこそこで大学をやめて筆一本で、しかも読者の絶対数の少ない小説
を書いている古井由吉など、書いたものは実はあまりよくわからないのだが、ほん
と、それだけで尊敬に値する。
2005年には芥川賞の選考委員まで辞退しているし。
384G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/24(金) 11:46:00.60
>>381
そろそろ春だねえ

>>379
それ、多分、読んだことあるけど、いまいち、ぴんと来ないところがあります。
閃きないし稲妻のように光る、深い直感がわき出てくる箇所というのはいつも
同じ箇所なのか、それとも読むたびに読者の側の条件によって変わってくる
のか。

でも、森有正の文章って妙な生々しい実体的なもの(エロス)が伝わっ
てきて、ときどき、気持ち悪いな(フロイトの「不気味なもの」das Unheimliche
に近いのかな)と思ってしまうことがある、嫌悪感を感じるというのでなく、じわっ
と何かが伝わってくるんだけど、なにかとらえどころがない、隔靴掻痒というか。
喉に棘がささって違和感が残るような。それがこの人の場合、魅力とも言えるの
だけど。
結びでも「じつにたくさんのことを学びました」というけど、その成果って具体的に
どのように現れるんだろうかとか。おそらく、部分部分を指摘できないような性質の
ものなのだろうと。
「たいした」作家という褒め言葉も妙な残り方をする。

385吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 18:08:03.02
>>383
学者だって、大忙しで狭い蛸壷だけを
研究してる。非常に哀れな存在。
文学ではとくにね。研究者は文学者ではないからね。
作家になれば超勝ち組だろうな。
386吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 20:44:57.05
最悪なのは学校に職を得ることも出来ず
本を出すほどの知識も才能もなく
引きこもりながら2ちゃんで駄文を書いてる状態かな
だれも相手にしてくれんよな
387吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 21:09:39.61
>>386
こんなところ読む暇あったら、別のことをしたほうがいいよ。
388G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 01:49:53.47
>>385
>学者だって、大忙しで狭い蛸壷だけを研究してる。

>>293さんの勧めで中野雄が丸山真男について書いた本を読んだ。
丸山真男が気になっているのは、20歳くらいの頃の短編集のほか、赤、白、青、黒の4部作だけで小説から遠ざ
かった庄司薫という作家が大学時代特に尊敬していた学者だからだ。

どんな無能な学者の論文も半永久的にアーカイブとして残り、研究論文発表の際には目を通さなければならない
現代ってある意味不幸だが(こんなことを書いている間にも各分野で新たな論文が量産され続けている)、やはり
一流の一握りの人(実は作家だって同じだ。本当にすごい人は古今東西そんなにいない)はいくら自分の特化され
た専門分野のアーカイブが読み切れないほどになってしまっていたとしても、無自覚に狭い蛸壷に閉じこもってば
かりではなく、もっと広い視野も持ち合わせているし、広い視野を持つように半ば意識的半ば無意識的に動いてしまう。
丸山にしても、自分の専門分野の研究に匹敵する時間をヨーロッパ音楽に使っていた。生理的にある種のバランス
感覚が働き、そのようになってしまう。すぐれた人は大体、大きな部分で自己の生理に忠実な面があるように思う。

そもそもタコツボ型、ササラ型って、丸山真男が「日本の思想」(岩波新書)で言い出して、一般に使われるようにな
ったんではないかな。
http://d.hatena.ne.jp/ced/20060808/1155039681

>日本がヨーロッパの学問を受け入れたときには、あたかもちょうど学問の専門化、個別化が非常にはっきりとした
形をとるようになった段階であった。従って大学制度などにおいては、そういう学問の細分され、専門化した形態が
当然のこととして受け取られた。ところが、ヨーロッパではそういう個別科学の根はみんな共通なのです。つまりギリ
シャ - 中世 - ルネッサンスと長い共通の文化的伝統が根にあって末端がたくさんに分化している。これがさきほど
申しましたササラ型ということです。それが共通の根をきりすてて、ササラの上の端の方の個別化された形態が日
本に移植され、それが大学などの学部や科の分類となった。(p132)





389G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 02:44:26.21
>>388補足

村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」で言及される架空の作家デレク・ハートフィールドは、庄司薫のこと
ではないかと言われている(川田宇一郎「由美ちゃんとユミヨシさん 庄司薫と村上春樹の『小さき母』」1996
年第39回群像新人文学賞評論部門優秀賞、大塚英志「サブカルチャー文学論」)
http://www.playnote.net/archives/000293.html
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page235.html

庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」が芥川賞を取りベストセラーになった際、ラストシーンがサリンジャーの
キャッチャーインザライのパクリじゃないかなどと散々言われたらしい。
村上春樹もブローティガンやヴォネガットのパクリだなんてことが結構言われている。

2ちゃんで村上春樹の悪口言う人も、そんな暇あったら、プルーストでもなんでももっとじっくり読めばいいのに
と思うなあ。
390G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 04:10:13.50
>>353>>355の続き(フラクタルから「鬱勃たるパトス」へ)

中沢新一の海綿の描写を長々引用したのは、同書に挿絵として掲げられた海綿の写真が、吾妻ひでおのギャグ漫画
「スクラップ学園」第2話にでてくる「パトス」に似ていたから(丁度このスレでPathosが話題になっていたし)。

第2話に登場する、元文学青年だったらしい、しょぼくれた(ペーソス漂う)中年男は「鬱勃たるパトスよ」と慨嘆する。
「鬱勃たるパトス」は、昨年10月21日亡くなった北杜夫の「ドクトルまんぼう青春記」にでてくる青年の口癖として有名。
http://fugenji.org/thomas/diary/?no=r755

吾妻の漫画では、その海綿に似たパトスが100円で叩き売りされる(吾妻漫画では、つげ義春「夜が掴む」の夜のよう
に、思わず口走った何かがしばしばグロテスクな生き物として実体化する。ぶらっとバニーは妄想を実体化させる。
ここでも野ウサギ!)。
http://homepage3.nifty.com/hideo-azuma/28bunhak.html
タイトルで「パトスって、踏んでも死なないのよね」と言われているからきっと生きものなんだろう。
なんかパトス=リビドーって気がしてしまう。勃は勃起の勃だし。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~yoion/henmi/azma30.htm
やさぐれた中年男も回春を図ろうとするかのようにミャアちゃんに襲いかかる。
でも、いともたやすくはねのけられてしまう。

このロマネスコというフラクタル図形そのもののカリフラワーの一種も凄い
http://archive.wiredvision.co.jp/blog/masui/200708/200708030037.html
http://gyo-ten.seesaa.net/article/202895641.html

北杜夫って、株で大損して自己破産したことがあったんだな。庄司薫は、作家として沈黙してから
は株で生活していたという噂である。暴落の際にもなんとか凌いだらしい(奥さんは高名なピアニ
ストで、彼女のエッセイに手を入れているとの臆説もあるがどうなんだろうか)
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/a5a33203eebc36389fa3ea933daae9b0
391G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 04:11:08.23
「鬱勃たるパトス」つづき――童貞としての宮澤賢治

宮澤賢治「祭りの晩」冒頭の見世物「空気獣」も「パトス」っぽい。賢治はおそらく生涯童貞だった。
「見っともない」の本来の意味は、「見とうもない」、目を背けたくなるだったんだとよくわかる。
実は賢治は、春画のコレクターだったこともあり、ハヴロック・エリスHenry Havelock Ellisの
性科学書を耽読していたこともあるが、やはり性的なことから逃避する傾向はあったのかも。

>台の上に空気獣がねばりついていたのです。それは大きな平べったいふらふらした白いもので、
どこが頭だか口だかわからず、口上言いがこっち側から棒でつっつくと、そこは引っこんで向うが
ふくれ、向うをつつくとこっちがふくれ、まん中を突くとまわりが一たいふくれました。亮二は見っとも
ないので、急いで外へ出ようとしましたら、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1938_18756.html

井上雅彦の異形博覧会(角川ホラー文庫)では,「宮沢賢治の作品群を換骨奪胎,異形に再構築した
『空気獣』」が登場するらしい。
http://www.minc.ne.jp/~yoshir/yoshir/novel/kaibutubansankai.html

賢治童話では、抑圧された性的なものが実体化し、エロチックでグロテスクな姿を現わすことがある。
「若い木霊」の「桃色のペラペラの寒天」といった怪しげな描写をみると(なんか自慰具としての蒟蒻みたい)、
俺はいつもコンブレーの巻で、レオニ叔母が亡くなり親たちが遺産分割等相続問題に忙しいさ中、性に目覚
めた語り手が一人、森を散歩し、裸身に葉っぱをまとわせた農家の娘が現れ自分を抱きしめてくれる性的夢
想に耽るシーン、そのあと、アイリスの香漂う個室でルーサンヴィルの尖塔に向かって、カタツムリの這ったよ
うな痕を黒すぐりの葉につけるシーンを思い出す。
少年(アドレッセンス中葉)の「春の目覚め」を官能的に描いている点で双璧と勝手に思っている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43801_18092.html
392G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 04:33:06.62
承前

木霊も農家の若い娘も、ゲニウス・ロキ(土地の精霊的存在)なんだよね
http://ameblo.jp/miyazawakenji/entry-10606311107.html

語り手の性的目覚めに先行して、語り手がレオニ叔母生前に、叔母の部屋のソファで従妹と初体験
しているのは矛盾していないかと前に書いた。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1309272869/990
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/494-495

でも、考えて見ると、「源氏物語」の登場人物は1、小学校高学年くらいの年齢で結婚し、子どもも生んでいる。
ベケットの言うように>>302、「失われた時を求めて」の登場人物たちが、生殖器官を剥き出しにした
まま恥じることを知らない植物みたいなものだとすると、初潮・精通を迎え、受粉可能な状態になれば
性にまだ目覚めてない段階で生殖行為を行ってなんら不思議ではないと思い直した。
光源氏も、小学校高学年の頃には添い伏しの妻をあてがわれるが、性的好奇心は、ティーンエイジャーになり、
「雨夜の品定め」の話で中の品の女に興味を持ち、はじめて目覚めるところがある。

>性の目覚めというのは、ある意味で暴発で、その散乱する暴発の中から「新たに登場した自分」とい
うものを把握する時期が、人間の思春期ではないかと思うのですが、ここに「結婚」という他人との調和
を重んずる制度にたちはだかれたら、「自分の自由」というものを見たいと思う人間にとっては、たまった
もんじゃないと思います。
 でも、平安時代の12歳(*数え年)の少年は、これを前提として受け入れさせられていたんですね。
>全然知りもしない受領の妻を強姦して、その弟を自分の従者のようにして、彼に姉との仲立ちをさせ
ようとして、しかしそれがままならないとなると、「姉の代わりだ」と言って弟を寝床に引き入れる。
 その姉への執着を捨てきれない彼は、改めてその女の邸に忍び込んで、うっかり間違えて、その義理
の娘に手を出して、しかも平然としている。
>今まで理性で抑え込まれていた性欲が、遂にその時に至ったと言われぬばかりの暴発を見せる。
>昔、男というものは、女というものを使って自慰行為を演じた。それを近代以降は一人で演じるようになった。
(橋本治「源氏供養」)
393吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 10:13:17.84
珍しいスレ 芳しい  
394吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 10:41:14.42
>>388
お前が学者だからと言って、学者と作家と一緒にするのは
やめろよ。プルーストと同じで作家や芸術家の作品は
唯一無二の貴重なもの、その研究者や批評家の文章なんて、
その作品に寄生する二次生産物で全然価値が違うだろ。

お前がいくらプルースト論文たくさん書いても、プルースト
本人はもちろん、日本の高校生作家の新人賞作品の意義にさえ
永久に及ばない。文学の研究だの批評なんてその程度のものだ。
まあ当たり前だけどな。
395G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 13:22:42.12
>>394
俺は学者でもないし作家でもない。

あと学者と作家は一緒にしてないなあ
ただ、どちらもピンからキリまであるという当然のことは指摘している。
あと、学者の方が、大学という場があるから、その活動を飯の種にしやすいということ。
396G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 13:34:33.79
追加しておくと、俺は学者を文学研究者に限っていない。
中世からの大学の歴史に遡ると狭義の文学(小説、詩歌)が学問の対象として
取り上げられ、その専門家が権威性を帯びるということ自体がかなり新しくまた
例外的な現象なのではないかという気がする。
あまりその方面を調べたわけでないが、リベラルアーツに文学は確か入ってない。

397吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 14:44:18.07
いいかげん働け
398吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 15:03:18.61
>>394
ここはGの薀蓄を聞くところなんだから、
いちいち絡んでスレを荒らすな。2ちゃんなんか
やってること自体全員屑なのはみんな同じだ。
399吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 15:09:17.80
Gのウンチクだけは聞きたくない。
おれはNGNameに登録してる。
400吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 15:11:01.15
>>398
ちがうだろ
プルーストにつて語るスレだろが
401吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 15:14:54.98
>>399
なになに、Gがウンチを垂れた?
薀蓄を垂れたのか
402吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 15:18:06.96
>>394
東京近郊はまだ寒いけれど、そろそろ花粉症の季節で、春ですねえ。

>>379では「今日のプルースト」と題して森有正の文章を引用したけれど、
この引用だけで学者と作家を一緒にした、と誤解したのではないですよね。
引用先も違うし。

このスレはプルーストの引用で埋め尽くしたいくらいだけれど、打ち込む手間が大変で、できない。
翻訳も井上究一郎、鈴木道彦、吉川 一義(一部だけれど)とあるので、
原文と翻訳3つを並べるだけでも、いろいろ細かいところではできそうな気がするけれど。
でも結論を先に言ってしまうと、日本語の表現とか書き方は変わらないだろうし、>>372にあるようなキャノンにはなりえない。

>>398
そこまで自棄になることはない。

なぜ、これほど自分と他者への攻撃に走るのか。不思議。
2chまたは便所の落書き、といってしまえば終わってしまうが。
403G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 15:34:13.30
>>402
>このスレはプルーストの引用で埋め尽くしたいくらいだけれど、打ち込む手間が大変で、できない。

実は>>341で一部(時間は第4の次元)を引用した長い一文、井上訳で打ちこんでみました。
「そうしたすべてのもの」で前の1文を受けているので、意味のひとつながりはもっと長い。
ちなみに鈴木訳だと6文でした。

>そうしたすべてのもの、さらに、私にとってほとんど伝説の人物であった人たちから教会に移った
宝物(聖エロワによってきざまれたとつたえられる、ダゴベール王によって奉納された黄金の十字架、
また斑岩と、七宝をほどこした銅とでできた、ルイ・ル・ジェルマニックの息子たちの墓)、そうし
たものがあるために、私たちはまるで妖精たちが訪れる谷間にはいってゆくように、そして農夫がそ
こにはいって岩や木や沼のなかに妖精たちの超自然的な通過の跡がまざまざと残っているのを見てお
どろく、それとおなじ気持で、教会のなかを進んでいって、私たちのいつもの椅子にたどりつくので
あった、またそうしたすべてのものは、私にたいして、教会を町の残りの他の場所とは全然ちがった
何物かにしていた、つまり教会を、いわば四次元の空間――その第四の次元は、時なのだが――を占
めるようなある建物にしていたのであって、その建物は、何世紀にもわたって内陣をひろげ、その内
陣は、柱から柱へ、小祭壇から小祭壇へと、単に数メートルの距離にとどまらず、継起する数々の時
代を征服し、乗りこえて、そこから勝利にかがやきながら出てきたように思われた、しかもその建物
は、粗野で人なれの悪い11世紀を、その壁の厚みのなかに塗りこめ、その世紀が壁からあらわれて
いたのは、鐘塔の階段が玄関脇にうがっていた深い切れこみ口と、その上のごつごつした切石で目も
口もふさがれた鈍重なアーチだけでしかなく、またそんな部分とても、この玄関のまえにしなをつく

404G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 15:34:59.11
っておしかけてきたゴチック様式の愛らしいアーケードの一かたまりによって人目につかなくされて
いて、あたかも田舎くさい、ふくれ面の、きたない服を着た弟が、ほほえみながら、そのまえに立ち
ふさがっている姉たちによって他人の目からかくされているようだった、なおまたその建物は、かつ
て聖王ルイをながめいまもまだ見おろしているように見えるその塔を、教会まえの広場の大空に向か
ってそびえさせながら、一方でその地下納骨所とともに、メロヴィンガ王朝の夜の奥底に沈んでいた
のであって、その夜のなかで、石の巨大なこうもりのつばさのように力強い格縁のついた暗い丸天井
の下を、手さぐりで私たちの案内をしてくれるテオドールとその妹とは、一本のろうそくを手にもっ
て、シジュペールの孫娘の墓を私たちに照らして見せるのだが、その墓石に、貝殻形のくぼみ――化
石の跡のような――をつくったのは、説明によれば、「水晶のランプであって、このフランク王国の
王女が殺害された夜、現在の後陣のところにかかっていたそのランプは、黄金の鎖からひとりでに離
れて、水晶もこわれず、火を消えずに、この石のなかに落ちこみ、その重みで石をやわらかくへこま
せた」のであった。
405吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 15:36:29.13
>>375どうもあの突然の京大辞任事件
大澤の本は読んだこともなく、この件も知らなかった。
ググるといろいろあって、吉澤夏子でもググってしまった。
406G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/25(土) 16:04:34.95
>>405
のだめの「もじゃもじゃ組曲」のパロディを聞くと大澤真幸が、どういう
タイプの学者か、なんとなくわかります。10分強と長いですが、真幸
愛が感じられる(多分、歌ってるのは京大の学生か)
http://www.youtube.com/watch?v=mnOWcsqxoEs

>>377
>社会学関連では上野千鶴子がいろいろな意味で一番楽しめた。

この人の出世作「セクシィ・ギャルの大研究」。書店で1か月ほど前、岩波現代文庫の
棚にあるのを見て手に取ったのだけど、そのとき買ったかどうか、どうも思い出せなくて
気になってます。

「上野千鶴子なんかこわくない」「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」など彼女の名前を
冠した本はなぜか読みました。あと小倉千加子との対談本など数冊くらいか。



407吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 16:22:35.73
>>406
>のだめの「もじゃもじゃ組曲」のパロディ

Thanks.
ショウコウ、ショウコウ、との違いがわからないくらいだけれど、笑えて、楽しかった。
京大もずいぶん変わったねえ。
408吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 16:32:37.64
森有正ってフランス語も日本語もわからないバカだろ
あんなもんのどこが有り難いのやら
409吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 16:34:15.43
森 有 正 NGWord登録
410吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 20:50:35.16
実態は、Gの専用ブログ、名無しはブログへのコメント
2chでもあんまりいないだろうスレをブログ化したやつは
411吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 00:21:35.05
>>375
>スペンサー=ブラウン

http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/SB/

山口昌哉の名前があるのはビックリ、というか残念。
412吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 00:39:33.23
413G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/26(日) 09:53:17.65
>>411
昨日紹介した>>406、もじゃもじゃ動画でも歌われてますね。

 >『行為の代数学』何回読んでも分からない
   スペンサー・ブラウン借りて読んでも数学苦手で分からない
   ラカンやレビナス読んでみたけど大澤理論は難しい!
   だからいつか絶対分かるように僕は現代思想勉強しまくるよ

山口昌哉、京大教授だった人でフラクタル幾何学等の専門家だったのですね。
ちくま文庫から数冊でている。「カオスとフラクタル」買おうかな。
414G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/26(日) 10:13:19.92
塚本昌則「フランス文学講義――言葉とイメージをめぐる12章」(中公新書、2012・1・25)
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/01/102148.html

スタンダール、バルザック、ゾラ、それにプルーストの無意志的記憶の先駆者ネルヴァル、ボードレール
などが取り上げられ、ロラン・バルト「明るい部屋」、プルーストで締めくくられる。
引用と彼の注釈を読んでいると、作品を読みたくなる。すでに読んだものは再読したくなるという点でこれ
いい本だと思います。

この人が訳しているパトリック・シャモワゾー『カリブ海偽典──最期の身ぶりによる聖書的物語』(紀伊國屋書店)、
気になるなあ。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/news/2011/2366.html



415G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/26(日) 10:21:58.45
>>412
確かに、これ見ると科学者の善玉と悪玉を対照的にみせるため、誇張しているきらいがなきにしもあらずですね。

村上陽一郎は「やり直し教養講座」の電車内での若者のマナーを糾弾する小文がその辺のくだ
巻き親父と一緒でなんかがっかりもした。
でも、この本、学問や大学の歴史なんかも書いてあっておもしろいし、旧制高校的教養主義は
やはり悪いものではなかったのではという主張自体には共感できる。

リベラルアーツ復権の試みという点では、東大の教養学科、それにICU、最近では秋田にある
国際教養大学が有名だけど、村上は東大定年退官後、ICUに行ったんだな。
http://subsite.icu.ac.jp/sts/index.html(村上のHP。「ごまめのはぎしり」というエッセイも
随時、アップされている))

和光の付属中から東大行くために、わざわざ進学高に行った小沢健二(元フリッパーズギター)は、
東大に行ってよかったなと感じた講義ということで、英文学者・翻訳家の柴田元幸、それに村上陽一郎
を挙げていた。

村上は、科学哲学者ファイヤアーベント「方法への挑戦」を1981年に共訳で出したころは、“anything goes
(なんでもかまわない)”に集約される彼の「知のアナーキズム」への共感を表明していたと思う。
(村上はファイヤアーベントをその後も2冊ほど翻訳していて、うち1冊はちくま文庫。自伝読みたいなあ)。

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/resp.sci.html
(ここにも唐木順三の遺著『「科学者の社会的責任」についての覚え書き』(1980)、村上、藤永茂が出てくる)
416G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/26(日) 13:25:59.88
>>348
本屋でちょうど最近文庫になってた次の2冊get

「知の欺瞞」(岩波現代文庫、2012・2・16)
唐木順三『「科学者の社会的責任」についての覚え書き』(ちくま学芸文庫、2012・1・10)
417吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 18:27:22.06
>>410
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/book/1321162711/88
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/book/1321162711/110
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/book/1321162711/122
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/book/1321162711/172
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/book/1321162711/174

あたりの原文貼り付けからずっと名無しのままだけれど、>>410の通り、ある程度のコメントは同一人物。
ブログにしたほうがプルースト限定でなく話題も広げらるし、プルースト以外の話題でもチェックは入らない。
2chのプルーストスレは厳しいような気がするけれど。

ちなみにぶっちゃけると、プルーストのRTPは通読したことない。
どこを開けて、どこで閉じてもいい、という読み方。
418吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 18:48:56.28
>>413
山口昌哉は山口華楊(日本画家)の息子。

www.ms.u-tokyo.ac.jp/~inaba/inaba_JAMB_NL_1999a.pdf
が面白い。量子力学はお嫌いで「あれは線形や」。
おっしゃる通りです。
419アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/26(日) 22:03:52.02
いいタイミングで原文貼ってくれてたねえ
420G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/27(月) 03:59:05.28
>>417
>2chのプルーストスレは厳しいような気がするけれど。

むしろプルーストスレだからここまでひっぱれたという面がある。
1、小説という形式の行きついた果て・集大成という特権的な文学史的地位
2、古典的近代小説の面と最先端の現代小説・思想の先駆・手本といった面を両方持っている。
(内外のプルーストチルドレンといった人たちを扱うことも可能になる)
3、時代を超えた普遍的側面、ある時代・場所を描いた風俗小説的側面・神話的側面(ギリシャ思想
・キリスト教のヨーロッパの二大源流、さらに遡ってケルト・ドルイドといった古層)の三層を兼ね備え
ている。
(「源氏物語」が古代伝説的な面、王朝物語的な面、近代小説的な面の三層を兼ね備えているように。
大野晋・丸山才一「光る源氏の物語」)
4、西洋音楽・西洋美術(建築・絵画等)への言及・造詣の深さ
5、哲学との関連性(プルーストは学生時代哲学を専攻していたことがあるし、ベルクソンと親戚関係)
6、ユダヤ、同性愛といったマイノリティを描いた側面

結果、かなり広範な話題をカバーできる。
ただ、そろそろ俺の引き出しも尽きてきたかな。

421G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/27(月) 04:04:40.21
>>419
同感。
ベンヤミンのパサージュ論みたいに(例によって最後の第5巻がまだ見つからない)、
引用もまた、他の引用や書き込みと有機的に関連し合い、響き合う。
また貼ってくれるとおもしろい。
422G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/27(月) 04:30:22.47
>>418
どうもです。
結局、「カオスとフラクタクル」「数学が分かるということ」注文してしまいました。

423吾輩は名無しである:2012/02/27(月) 20:49:57.61
>>420
そこまで話を広げると、文学とは何か、読むことにどんな意味があるのか、みたいな話でキリがない。
須賀敦子ではないけれど、今までのスレもゴミみたいなものかも。

>>419,>>421
Thanks.
貼り付けるものが見つかったら、貼り付けよう。
424アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/27(月) 21:51:58.91
>>420
プルーストというひとつの玉手箱から、無限の世界が広がるわけだよね。
そういう広がりを与える力という点では、比肩すべき作家はいないかも。
Gさんの引き出しの多さもその広がりを反映しているのかもしれないなあ。
ただその反面、それにしてはRTPではサロンの話題が多くを占め、
3番目の「風俗小説的側面」の面積が広すぎるように思ったり。
個人的な好みでいえば、そこはもっと削っても良かった気がするけど、
別の視点からすれば、それは貴重な歴史的アーカイヴになり、
記録的価値という特徴にもつながるんだろうね。

>>423
2ちゃんねるという場所はある種の屑籠でもいいと思ってはいて、
だからこそそこに入れるものを定義する必要も制限する必要もないだろうと。
文化というものはボトムアップが必要だと考えていて、
「おやおや、屑籠にこういうものが捨てられてるんだから、
この程度のものをショーウィンドーに並べるわけにはいかないな。」
そう誰かが感じることは、決して無駄なことじゃないだろうと。
425アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/27(月) 21:55:11.48
ドゥルーズ『狂人の二つの体制1975-1982』に「プルーストを語る」が収められていて、

これはおそらくプルーストをめぐるシンポジウムを抜粋したものだけど、
メンツがとにかくすごい。ドゥルーズのほかに発言しているのは、
バルト、ジュネット、リシャール、リカルドゥ。
ドゥルーズは主にRTPに現前する狂気、それからシーニュ(記号=徴)について語ってたよ。
426G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/27(月) 22:34:50.47
>>423
>今までのスレもゴミみたいなものかも。

それでいいというのが根本にあります。だから未消化なまま書くこともあるし、
瑣末な作品自体の魅力となんの関係があるのといったことを書くこともある。
自分以外で興味を覚える人は滅多にいないんじゃないかといったことも(でも
ゼロではないかもしれないという期待を込めて)。

少なくとも、自分はこのスレでのやりとりがなければ読んでいなかった本を手に
することになっているし、また、このスレに書き込まなければ気づかなかった間違い
であるとか、発見もある。
だから、少なくとも自分は他の書き込みがスレちでも一切咎めだてをしないし、
なるたけレスもするようにしている(結果として専有率が高まるw)。そこから何か新た
な気づき・発見があることも多いから。

ここでそれをやる意味があるか(ブログの方が適切)という疑問には答えていないけど、
自分は実は>>424のアセ氏の意見に同感している(彼とのフォークナースレでの読書会
などはいわゆる2ちゃんらしいスレの使い方ではないけど、おそろしく勉強になった)。
427G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/27(月) 22:35:12.78
>>424
>2ちゃんねるという場所はある種の屑籠でもいいと思ってはいて
だからこそそこに入れるものを定義する必要も制限する必要もないだろうと。

これで金を取っているなら申し訳ないが、2ちゃんは無料の情報源だし、取捨選択は
各人の責任・判断でするもの、いやなら見なきゃいいというのも根底にありますね。

確かに、ここは便所の落書きであっても、文化の裾野を広げるという意味も意外と担っ
ているのかなあ。あまり意識していなかった。

>>425
>RTPに現前する狂気

どうもです。『狂人の二つの体制1975-1982』入手してみます。
428アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/27(月) 23:00:48.46
「プルーストを読む」は約40頁ほどしかないので図書館で借りてもいいかと思いますが…

一応サンプルとしてこんな感じ↓
http://uploader.sakura.ne.jp/src/up86090.jpg
429アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/27(月) 23:16:21.31
ちなみにこれは2ページ目と3ページ目で、
1ページ目からバルトの言葉が続いた後で
ドゥルーズの発言が始まっています。
ノドのところ読みにくくなってしまったけれど、
比較的最近になって考えた問題を取り上げてみたいと語り、
右ページ最後の読みにくい行は、
「私はとても重く、とても不気味な何かが、
一種の現前としてそこにあるような、つまり」です。

この論だけなら全部アップしちゃおうかと考えたりw
430G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/27(月) 23:38:51.18
>>428
ありがとうございます。
文庫でないので高いなと思いましたが、でも、すでにポチっちゃいました。
今見たら、案の定、すでに出荷準備中になってるしw

ちょっとだけ立ち読みさせてもらいましたが面白そうですね。
CSO(器官なき身体)としての何も見えない語り手といったところから話が
どう展開するのか
ドゥルーズの前の人の発言もなるほどと思う。
>プルーストの特異性は、プルーストを書き直す以外になすべきことが一つも残されて
いない点にあります

>>429
重ね重ね、どうもです。
前の発言者、バルトだったんですね。「明るい部屋」再読しようかと思ってたとこです。

>とても不気味な何か

フロイトの「不気味なもの」das Unheimliche、>>384で持ち出しておいて、実はフロイトの
元の論文をまだ見てなかったのでこれも昨日買ってきたところ。
431アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/29(水) 00:03:10.98
ウンハイムリッヒ、ウンハイムリッヒカイト。
フロイトがホフマン論で使ってるキーワードですね。
ハイムにいるのとは正反対の落ち着かない居心地の悪さ。
サッカー的に言えば、思いっきりのアウェー感。
確かハイデガーもこの概念を使ってたおぼろげな記憶が。

それにしてもプルースト関係の本なら何でも入手してしまうのってすごいなあ。
財力も好奇心も。
432アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/29(水) 00:34:00.89
先日貼ってあった望遠鏡と顕微鏡に関する原文だけど、
確かドゥルーズが引用してなかったかなあと確認したところ、やはりあった。
邦訳の160ページ。

またロゴスとパトスについても121ページに。
[シーニュとロゴスを、パトスとロゴスを対立させなくてはならない。]
433吾輩は名無しである:2012/02/29(水) 01:36:53.62
>>389
http://www.amazon.co.jp/dp/4062175207/
本出るみたいだよ。
作品中で「女の子を殺す」村上春樹と、「女の子を殺さない」庄司薫。その対比を日本近代文学史の系譜の中で考察した本著者は、
この両者は「一見まるで正反対の物語を書いたようでいて、同じ取り組みをしている」と喝破します。
↑意味わからんけどw
434G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/29(水) 06:49:24.69
>>431
光文社古典新訳文庫から中山元訳ででているのを昨日読みました。
ものすごく喚起力のある論文。フロイトって、ファウルや空振りになることを恐れず、
思いっきりバットを振り切っているという感じがする。若干強引に去勢コンプレックス
に還元したり、ぱっと見でも突っ込みどころはあるのだけど、それがきっかけとなり
かえって後継者を育てたりするとこがあるような。とにかく天才を感じさせる。

ホフマン「砂男」の梗概も紹介されているのだけど、晴雨計、望遠鏡といったRTPでも
重要な役割を果たす(後者は実際に登場するわけでないけど)小道具がこの作品でも
出てくることに驚いた。
前に触れた>>101 カラー「ディコンストラクション」の最終章ではプルーストとともに、ニ
ール・ハーツ「フロイトと砂男」が登場する。



435G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/29(水) 06:52:37.61
>>434続き

>確かハイデガーもこの概念を使ってたおぼろげな記憶が。

実は私もハイデガーでも見たような気がしていました。
検索したら出てくる出てくる。前に話題にした>>111>>114「芸術作品の根源」にも出てくるんですね。
http://magicprince.iza-yoi.net/simpleVC_20110115152305.html
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52131396.html#
http://borges.blog118.fc2.com/blog-entry-156.html
http://www.goethe.de/ins/jp/lp/arc/apr/ja2128109.htm
http://www.shujitsu.ac.jp/shigaku/hf/ej4data/shigeru.pdf

ハイデガーの用法でないけど、Toward the Seaの引用でも(柄谷の「探求T」)
http://yokato41.exblog.jp/11348579/

好奇心の方はともかく、財力の方はちょっと心もとないw
436G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/29(水) 07:03:50.29
>>432
>先日貼ってあった望遠鏡と顕微鏡に関する原文

>>344(アセ氏のレスが>>347)ですね。


>確かドゥルーズが引用してなかったかなあと

「プルーストとシーニュ」で、ということですね。
本探して、覗いてみます。


>>435でリンク貼らなかったけど、この訳者の宇波彰も実は検索にひっかっかっていた。

>1927年の『存在と時間』、1935年の『形而上学入門』において、ハイデガーは「不気味性」
という考えを示している。フロイトの「不気味なもの」はハイデガーの「不気味性」とは異なる考え
方であるが、この二つの概念が無関係ということにはならないと考えられる。私は目下その問題
を検討しているところである。
437G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/29(水) 07:05:45.02
>>436に宇波彰『「砂男」の正体」のリンク貼り忘れ
http://chikyuza.net/modules/news3/article.php?storyid=229

438G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/29(水) 07:17:52.01
>>433
ありがとうございます。
川田宇一郎の論文、15年も前のものなのに、なぜか単行本出てなかったんですよね。
楽しみ。彼のツィートも理解の助けになりそう。
http://twitter.com/#!/aoikingyo777

ついでにブローティガンも、実はまだ読んだことなかったので3冊ほど買ってしまった。
439吾輩は名無しである:2012/02/29(水) 09:47:09.48
>>438
そこでアップされてる作家相関図がすごいですね。
川端康成と庄司薫って犬猿の仲じゃないのか・・・
440吾輩は名無しである:2012/02/29(水) 19:42:59.34
なんで?
441吾輩は名無しである:2012/02/29(水) 21:54:24.64
川端康成 評
 (前略)
 庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、おもしろいところはあるが、
むだな、つまらぬおしゃべりがくどくどと書いてあって、私は読みあぐねた。
442吾輩は名無しである:2012/02/29(水) 22:08:06.16
>>214
2/26にETV特集「花を奉る 石牟礼道子の世界」がNHKで放映された。録画を見ているところ。
下記サイトからも見れる。
http://www.dailymotion.com/video/xp2k8t_yyyy-yyyyyyyy-yy_creation

彼女は水俣病から逃げられない、と作家として関わり続けたが、こちらは関わりきれないと避けた意識があるので、感想もなにもとても書けません。
443吾輩は名無しである:2012/03/01(木) 00:06:38.13
>>441
老害極まるだなw
444吾輩は名無しである:2012/03/01(木) 21:02:58.11
>>435
>http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52131396.html#
の平川克美は内田樹の友人。

田島正樹の「スピノザの暗号」は途中まで読んで放っていたが、このブログを読んでいたら、読めそうな気がしてきた。

http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52231975.html
「そういうことかと、俺は思った。一年半の間、介護を続けてきて、いちばん俺が必要なときに、俺はいなかったということか。
 最も会いたいときには会えず、最も必要なことはついに語られないのが、ひとの世の常なのかもしれない。思い通りになる世の中などは、どこにも存在していない。
始まりの合図も終わりを知らせるエンドマークも出ない。いつも唐突に始まり、宙吊りの状態で突然終止符が打たれる。
人生は映画のようでもないし、ましてや何度も繰り返すことのできるゲームのようでもない。」
445吾輩は名無しである:2012/03/01(木) 21:06:57.93
>>444
行の入れ替えを間違えた。今夜も飲みすぎたかな。


>>435
>http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52131396.html#
田島正樹の「スピノザの暗号」は途中まで読んで放っていたが、このブログを読んでいたら、読めそうな気がしてきた。

http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52231975.html
の平川克美は内田樹の友人。

「そういうことかと、俺は思った。一年半の間、介護を続けてきて、いちばん俺が必要なときに、俺はいなかったということか。
 最も会いたいときには会えず、最も必要なことはついに語られないのが、ひとの世の常なのかもしれない。
思い通りになる世の中などは、どこにも存在していない。
始まりの合図も終わりを知らせるエンドマークも出ない。いつも唐突に始まり、宙吊りの状態で突然終止符が打たれる。
は映画のようでもないし、ましてや何度も繰り返すことのできるゲームのようでもない。」
446G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 08:29:23.15
>>445
田島正樹は、講談社現代新書の「読む哲学事典」など読みました。
「スピノザの暗号」も目を通したことはあるはずだけど、困ったことに何も残っていない。

この人の名を知ったのは、彼の友人でやはり哲学者・美学者のcharisこと植村恒一郎のブログで。
http://d.hatena.ne.jp/charis/searchdiary?word=%C5%C4%C5%E7%C0%B5%BC%F9

平川克美は、内田樹と共同で事業をしていたこともあったかと。

447G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 08:37:15.59
>>442
ありがとうございます。
彼女の祖母で狂女だった「おもかさま」のところまで見ました。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0985.html

福島県には4回ほど足を運びましたがなんとも
448G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 08:47:34.34
>>441
奇しくも昨日、新潮文庫から「赤頭巾ちゃん気をつけて」が庄司薫自身による今年1月20日付
「あわや半生記のあとがき」(出版当初のあとがき、1995年10月のあとがきも一緒)つきで
発売されました。
政治学者・日本政治思想史家の苅部直が解説を書いており、川端の選評も「匙を投げる重鎮」
によるものとして紹介されてる。
同時に今年1月19日付あとがき等のついた夫人中村紘子の「チャイコフスキー・コンクール」
も新潮文庫になったので、両方買ってきた。
ちょうどチェルノブイリの騒ぎの頃のコンクールを取り上げてるんですね。

三島由紀夫や石川淳、他の選評もここで読める
http://dozeu.net/people/syouji/akutagawa.html
449G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 09:08:47.79
>>439
川端康成から庄司薫への系譜は、本で出てからでないとよくわからないですね。
ただ、川端は少女小説も書いていたし(双子の生き別れの姉妹が登場する「古都」
なんかもその傾向)、「浅草紅団」、「掌の小説」の「夏の靴」の少女なども魅力的。
自分の孤児根性をコンプレックスに感じている一高生が天城で、少女の踊り子に
出会い、いい人扱いされ、慕われ、救われたような気になる「伊豆の踊り子」の設定
なんかは、庄司の赤頭巾のラスト、たまたま遭遇した少女に本を選んでやるシーン
と通じる面があるかなあ。

「伊豆の踊り子」の少女の温泉での「ことこと」という笑いの擬音は印象に残ってる。

 スレちが続いたけど、RTPでは、アルベルチーヌ失踪(死?)後、さびしさを慰める
ため、語り手が、小さな女の子を家に連れ込んでしまい、ペドフィリアか誘拐犯と勘違
いされ、親に怒鳴りこまれ、警察沙汰になりかけるシーンが確かありましたね。
http://park8.wakwak.com/~w22/719.htm
 フォークナーの「響きと怒り」でも自殺直前のコンプソンがイタリア系移民の少女に
親切にしてやったら、その家族にやはりペドフィリアか誘拐犯と勘違いされ、警察に
逮捕されそうなになるエピソードがある。
19世紀、20世紀初頭の欧米ではそれだけ少女を性の対象にする事件が多かったということか。
450G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 09:49:25.89
>>449訂正・補足

自殺直前のコンプソンが→自殺直前のクウェンティン・コンプソンが

昨日3月1日新潮文庫で再発売された「赤頭巾ちゃん気をつけて」。
少女との遭遇のあと本当のラストのラストで主人公の薫君とガールフレンドの由美ちゃんの
指先と手が触れあうシーンに、阿部公房が勃起しちゃったと庄司に語ったエピソードが今回
のあとがき(見開き2頁と短い)に出てくる。

主人公の薫君は、日比谷高校出で、ただ、学園紛争の嵐のため、1969年度の東大入試が
中止になり、浪人している設定。実作者より10歳ほど年少になる。
1969年上半期の芥川賞受賞作だから、おそろしくリアルタイム。
吉田城(やむなく京大を受け、大学院から東大)、内田樹(退学処分となっており、大検を受け、
京大の法学部を受けるも不合格、浪人後東大へ)と同級生ということになる。
451吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 10:03:48.82
庄司薫、の黒頭巾、いや赤頭巾ちゃんは今から読むと
やはり駄作。当時の時代状況から波に乗っただけとしか
思えない。実際に庄司はその後何も書けなくなってる。
452G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 11:17:52.55
>>451
赤、白、黒、青は風水の四神の色。4作でやめるのは予定どおりのような気もする。

むしろ、庄司薫という人には、この人が生まれ育った時代背景と合わせて、人生の軌跡
自体に伝記的興味を覚える(庄司の芥川賞受賞の翌年1970年に割腹自殺した三島由
紀夫についても作品そのものは好きでないが、同種の興味を感じる)。
ぎりぎり戦時・占領軍時代の体験があり、戦後に思春期を迎えた、裕福で文化的な環境に
育った、頭がよくてよくてしょうがない男の子のライフスタイル、ビルドゥングスロマン。

庄司薫のwikiは力作。文学部進学コースに入学しながら法転(法学部政治学科に進学)。
その理由として逃走、退却と、のちの浅田彰みたいな言い方をしている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%8F%B8%E8%96%AB
http://rrrdx928.fc2web.com/page004.html

興味は尽きないのだが、東大入学の際の記念写真で制服角帽の並ぶ中、ただ1人、とっくり
のセーターを着ていた。
芸術派もて系の男子のはしりじゃないかって気がする。具体的にはミスチルの桜井和寿、
元マイラバの小林武史など。あと、小沢健二、ゆずの北川悠仁。
ちょっと上の世代だと坂本龍一なんかもその系統かな。
1974年の美人ピアニスト中村紘子との結婚も、多分、庄司がエッセイで彼女にラブコールを
送ったのがきっかけなのでは。吉田拓郎、のちに長淵剛がアイドルを自分の番組に呼んで、結婚
した先駆けじゃないかって気がする(ちょっとこじつけっぽいが)

庄司とほぼ同世代の大久保清は、定時制除籍の学歴だが、1967年に強姦致傷等で服役、
1971年3月はじめ、学園紛争挫折後の娑婆に出るや否や、ベレー帽、ルパシカで画家を装う
というベタないでたちで短期間のうちに、ナンパを繰り返し、肉体関係を拒んだ8名を殺害し、死刑
になった。
453G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 11:44:05.37
驚くほど1作のみで、何も書かないか書けないのが、「バトル・ロワイヤル」の
高見広春。強烈な印象を残す青春小説。

そう云えば、最近、アラン=フルニエ(1886-1914)の「グラン・モーヌ」という青春
小説を読んだ。岩波文庫の天沢退二郎の訳で。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2006/01/post_5.html
1913年の作品だから、ちょうどプルーストが自費出版同然でグラッセ社からRTP
の第1巻を出したのと同じ年でベストセラーになったようだ。
翌年には第1次大戦に出征し、戦死してしまったから、この1作のみで名を残している。
プルーストの初期の理解者・擁護者で、その遺稿をロベール・プルーストとともに整理し
ているジャック・リヴィエールは、アラン=フルニエの大親友で、彼の妹と結婚している。
454G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/02(金) 11:50:44.65
>>452補充・訂正

庄司薫の中村紘子へのラブコールはエッセイでなく、「赤頭巾ちゃん気をつけて」でした。
<中村紘子さんみたいな若くて素敵な女の先生について(中略)優雅にショパンなどを
弾きながら暮らそうかなんて思ったりもするわけだ>
http://www.eonet.ne.jp/~ohashi-380/kaoru-011.htm
455吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 11:57:03.94
もう尼で販売開始になってるよ
456吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 12:32:21.39
中村紘子は性格きつそうで、和めなそうwww
457吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 13:16:47.46
2時間で200万円稼ぐ奥様は魔女?
458吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 22:16:51.31
>>447

http://yokato41.exblog.jp/14781528/
http://news.mynavi.jp/column/bytes/069/index.html

ジャック・デリダ
「9月11日の犠牲者にわたしは無限に同情するが、だからといってこう公言できないわけではない。
この犯罪に関しては、政治的に罪のない人がいるとは信じられない」

おおざっぱな言い方になってしまうが、
9/11の代わりに「水俣」「福島原発」と置き換えても問題の構造はほぼ同じとしかおもえません。
459G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/04(日) 05:48:48.36
>>438
川田宇一郎『女の子を殺さないために――解読「濃縮還元100パーセントの恋愛小説』
(講談社、2012・2・29)

予約注文してたのがようやく昨日アマゾンから届くが、川田の大学時代の論文からさらに17年間
暖めた初の単行本だけあって、密度が高い。5、6時間かかったか。

物語の中で女の子は、落下ないし下降し、死ぬ。そのひきかえに女の子にはママ(母親)の包囲網
から抜け出し、清浄な砂漠乃至青の世界に転生する資格・チャンスが男の子と違ってある。

これだけだとわけがわからないと思うけど、実際に読むと、説得力が凄い。
そういえば、RTPでもアルベルチーヌは、自由を求め、結局、馬から落下して、死ぬ。
川田によると物語の法則にかなっている。
アルベルチーヌのモデルとなったアゴスチネリはプルーストが同性愛者であることから男性だが、
彼も実際、飛行訓練中に事故死している。

>小説の書き出しは、かなりの割合で、主人公が朝目を覚ますシーンからはじまる……睡眠か
ら目を覚まし、ぼんやりとしながら自分の状態を把握しようとする状態を、小説のパワーボタンを
押して物語世界の設定をローディング中の状態と似ているからだと思います。160頁

カフカの「変身」、太宰の「女生徒」が例示されているがもちろんRTPも。朝ではないけど。


460G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/04(日) 05:53:23.79
>>458
>>458
http://news.mynavi.jp/column/bytes/069/index.html
1981年の著書のサイードの発言(なぜか9・11について一切彼のコメントが掲載されないことを
コラムニストは不思議と言っている)

>『イスラム』についてひとつのコンセンサスが存在しており、世界の新しい政治的・社会的・経済
的様式についてわれわれがたまたま好まないことは何でも、『イスラム』のせいにしてしまう。

ユダヤについては現代では一部のものが陰謀論を唱えるだけだが、イスラムの場合にはそれがコンセン
サスになってしまっているということだろう。

水俣と今回の原発事故の大きな違いは、被害の広範なこともあるが、ネット社会になり、政府だけでなくマス
コミも信用できない存在という一般認識が形成されてしまったことも大きい(マスコミも東電とずぶずぶだったり)

原発推進政策が国策であり、その選択には無知な国民の責任も与っているといっても、この期に及んで原発の
再稼働を推し進めようとしている一部の陣営をみると(原発って、何かあったときの被害の広範さ・甚大さを考え
ると万に一つの確率であっても事故のリスクがあっちゃいけない施設だし、リスクゼロは現時点ではもちろん、お
そらく将来もあり得ない。それに核廃棄物の処理問題は原発が「トイレのないマンション」と形容されるように今回
の事故前から問題になっていた。トイレのことはあとで何とかしようととりあえず作っちゃったわけである)、柄谷行
人みたく、市民による東京裁判でもやったれという気にやはりなってくるなあ。
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120303/biz12030301390001-n1.htm
http://tweetbuzz.jp/entry/2163492702/sankei.jp.msn.com/economy/news/120303/biz12030301390001-n1.htm
461G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/04(日) 05:59:16.15
スレちになってしまったけど、RTPにでてくるユダヤ、イスラム

プルーストは母親がユダヤ人ながら語り手は、ユダヤ人でない設定にしたけど、スワン、ラシェル、
ブロックといったユダヤ人を登場させ、ドレフュス事件を取り上げた。
イスラムについては、プルーストの愛読したマルドリュス版千夜一夜物語やそのシーンを描いた食器などが登場。
やはり一種のオリエンタリズムか(ユダヤ人の故郷もオリエントの一部ですが)。
RTPの入れ子構造(「スワンの恋」が典型)等からこの作品を20世紀の千夜一夜物語と呼ぶ人もいる。
http://www.shirayuri.ac.jp/tagblocks/information/news/cfrench/0000000079.html
462G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/04(日) 06:00:19.29
プルーストとユダヤについて、もう少し

>プルーストは、反ユダヤなのではなく、脱ユダヤ化したユダヤ人であり、アイザック・ドイッチャーが、スピノザ
からハイネ、マルクス、ローザ・ルクセンブルク、トロツキー、フロイトと系譜づけた、「非ユダヤ的ユダヤ人」に連
なるひとりであると思われる。ドイッチャーによると、「非ユダヤ的ユダヤ人」とは次のような人々である。≪かれら
はすべてユダヤ人社会の限界をのり越えていった。かれらはすべてユダヤ人社会があまりにも狭量で、古くさく、圧
制的なものを宿していると感じた。(………)この人々はすべてユダヤ人でありながら、異なる文明、宗教、民族文化
等の境界線上に立っている(………)またかれらは各時代の転期の境界線上に生まれ育っている。かれらは(………)
みんな社会に属していながらその社会には受け入れられていない。かれらにその社会を越え、民族を越え、時代や世
代を超えた高い思想をもち、広い新しい地平にその精神を飛躍せしめ、またはるかの未来にまで考えをすすめること
を可能ならしめたのはまさにこの点であった。 ≫
http://lib.s.kaiyodai.ac.jp/library/kiyou/tkh05/p55.pdf

昨年出た小澤征爾(この人も庄司薫とほぼ同世代)との対談本の村上春樹発言
>あの時代に大きな役割を果たした創作者は、カフカにせよ、マーラーにせよ、プルーストにせよ、みんなユダヤ人で
す。彼らがやっているのは、既成の文化構造に周辺から揺さぶりをかけることですよね。219頁。

中村紘子「チャイコフスキー・コンクール」でひかれるホロヴィッツの「放言」
「ピアニストには三種類しかいない。ユダヤ人とホモと下手糞だ」新潮文庫57頁
463G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/04(日) 06:04:19.54
アドルノのマーラー論では、プルーストとマーラーの類似性が言われる。
http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20061106/p3

長いというだけでなく、近代(音楽でいえば古典派・ロマン派の調性音楽)と現代の橋渡しというか。

ソナタ形式のような典型的な古典音楽の枠組み・構造も、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンばかり観賞する
より、マーラーを通じて、より理解することができる面がある。

>マーラーの理解と鑑賞は、…古典とは何か、何だったかを問う行為でもあり、音楽史を新たな視座から見直すことで
もある。マーラーの音楽は、それ自体まさにメタ・ミュージックである。
柴田南雄「グスタフ・マーラー―現代音楽への道」(岩波新書、1984)

RTPもメタ小説といえる。
464G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/04(日) 06:13:22.96
村上春樹は、マーラーには、シリアスな音楽性、耽美的な旋律のなかに俗謡やユダヤ人の音楽が乱入者のように
混じり込んでいく雑多性の魅力があるという。小澤との対談219頁

プルーストは、語り手をして、作品を大聖堂ないし教会建築に譬えている(フランソワーズが作る牛肉のゼリー寄せ
のような料理、それに服飾といった日常的なものにも)。
教会や大聖堂は、全体としての統一・構造(設計)はしっかりあるのだけど、各部分をとると、雑多な時代の様式が
キメラないしモザイクのように混在しており、それが第四次元である「時」というテーマを浮かび上がらせ、作品の魅
力ともなっている。
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15288/1/ronso1320300610.pdf

キメラ、モザイクの意味、宮沢賢治の用法
http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/kenji/history/w2/kenjiw10.htm
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/48198_32436.html
465吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 09:48:58.03
>>460
事故調査委員会(畑村)さえ東電とズブズブ。期待できない。
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2011-12-27-1

3.11の当日、翌日あたりはなにもわからなかったが、週明けからは情報統制がかなりはいったような感じがして、今に至る。
原子炉内部を誰もわかっていないのもこわいが、ほかに何か隠している、としかおもえない。
陰謀説とかを煽るつもりは全然ないけれど。
466アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 12:30:30.35
前にネットでちょっと探して見当たらなかったCONTRE SAINTE-BEUVE全文、
偶然に見つけたけれど、プレイアッド版でもフォリオ版でもない様子。
目次は下記。これはどこかにupして確認してもらったほうがいいだろうね。

JOURNEES DE LECTURE .................. 4
CONTRE SAINTE-BEUVE .................. 58
PREFACE .............................. 59
SOMMEILS ............................. 69
JOURNEES.............................. 78
LA COMTESSE ........................... 94
L’ARTICLE DANS LE FIGARO ............. 105
LE RAYON DE SOLEIL SUR LE BALCON ...... 119
CONVERSATION AVEC MAMAN ............... 138
CHAMBRES .............................. 154
LA METHODE DE SAINTE-BEUVE ............ 161
GERARD DE NERVAL ...................... 194
SAINTE-BEUVE ET BAUDELAIRE ............ 211
SAINTE-BEUVE ET BALZAC............ 243
LA BALZAC DE MONSIEUR DE GUERMANTES ......... 285
LA RACE MAUDITE........................ 311
NOMS DE PERSONNE.................. 337
RETOUR A GUERMANTES................. 360
CONCLUSION...................... 382
A PROPOS DE BAUDELAIRE ........ 398
467アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 12:38:36.55
ガリマールのHPで確認したところ、現在3つの版が売られてたけれど、
PLEIADE版は1040 pages、FOLIO版は320ページ、BLANCHE版は448ページで、
ページ数からいうと最後のものに近いのかな。
ただしPDFには底本情報などの記載がないようなのでよくわからない…。
468吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 14:03:28.31
>>459
詳細報告乙。川端康成好きだから買ってみよかな
469吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 19:03:12.86
>>462
>アイザック・ドイッチャー「非ユダヤ的ユダヤ人」

Thanks.
本棚から久しぶりに探して、読み直している。これもたぶん山口昌男の何かがキッカケ。
このスレに書き込むようになってから、実家で埋もれた本を読み直す機会が増えて楽しい。
470吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 19:09:33.19
相変わらずだね、Gはもう少し書く内容を変えないとグルグル自分の
周りを回る犬のようだ





471吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 19:56:32.10
>>470
2chには珍しいこのマターリした雰囲気は好きだけれど。
入りにくい?

あと、壊すのは簡単だけれど、造るのは難しい。
472吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 21:11:43.35
俺は結構このスレ好きだぜ。
まあGはおそらくは大学で仏文学者やってるから
商売なんだろうけど、プルーストについて、えんえんと
実用的価値ゼロの豆知識を開陳しているのが、なんとも
癒し系だわ。人生なんて、所詮は死ぬまでの退屈しのぎだからなあ。
プルーストに全人生つぶすのもまたよし。
473アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 22:32:38.01
>>417
>どこを開けて、どこで閉じてもいい、という読み方。
という言葉があったけれど、RTPは入口も出口もとても多い多面体だから、
どういう視点でも作品に言及できるし、いろんなものに接木もできる感じがあるね。
ドゥルーズならカフカの巣穴やリゾーム(根茎)と形容するかもしれない。
だから脱線もしやすいし、いろいろな外部テクストと接続を重ねて、
遠心力を働かせれば、とめどなく脱線から脱線へと向かうこともできる。
個人的にはちょっとそのへんは抑えてる面はあるけどw

ttp://firestorage.jp/download/
95de694f60af5b2e946a39b255f644c20947d647
474G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 02:30:20.50
 音楽や文学の古典を取り扱った2ちゃんのスレ自体が、同じところを永劫回帰のようにうろつく
運命にある。
 ときたま新刊やエポックメイキングな読み・奏法の変貌が現われる場合はあるかもしれないが。
 高橋悠治が実作者としての立場から評論家をやっつけた小林秀雄「モオツァルト」読書ノートの
2断章を引用しておこう。
 ひとつにはプルーストが出てくる。俺も暴力について書くにも村上春樹は「ねじまき鳥」3部作
を必要としたと言いたくなる。
 俺がやっていることはその予行演習に類するかもしれないし、また、単なるうろつきまわる犬に
すぎないのかもしれない。ただ、それはある程度2ちゃんの流儀にあわせた意図的なものだ。
 同じところをうろついているようで、少なくとも俺自身はらせん階段を登るような形にはなって
いる。ただ、2ちゃん全体としてはまるで永劫回帰のようになるのは当然と思っている。
 俺自身、ある作曲家・文学者・哲学者等古典に興味を持った時、10年以上前の2ちゃん勃興期の
過去スレを読むのが常だ。その辺が一番、密度が濃く、熱気もあり、インスパイアされることが多い。

>犬の青春
「大阪の街は、ネオンサインとジャズとで充満し、低劣な流行小歌は、電波のように夜空を走り、
放蕩児の若い肉体の弱点という弱点を刺戟して、僕は断腸の思いがしていたのである。」
「僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、
そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭をいっぱいにして、犬のようにうろついて
いたのだろう。」
 四十をすぎた男が、自分の過去からこの程度のセンチメンタルなきまり文句しかひきだせないの
は、おどろくにあたいする。作家が精神の未熟を売りものにしなければならず、文学が中学生のひ
まつぶしにすぎない風土では、ランボーを最終行からさかさまに暗唱はできても、一行の詩も生み
だせまい。
「してみると僕が今でも、犬のようにどこかをうろついているということに間違いないかもしれない。」
(中略)
語ることのできない美と、そのまわりをうろつく犬である芸術家の対立は、周辺の図式におきかえられた
政治の暴力にすぎない。
475G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 02:31:52.30
小林のかっこいい文章を高橋がこれまたかっこよく切る。でもその内容はあの唯一小林を泣かせたという
青山二郎の酒席での小林批判(小林の批評はいつも大魚を釣り逃す)に似ている。
正直、実作者として認知されているから高橋の批判は一部で喝采を受けるのであって、実作者でないもの
乃至自称実作者(自分では実作者の卵のつもりだが無精卵な人)が高橋の口ぶりをまねるのはむしろみっ
ともなく恥ずかしい。こんなとこをうろついてないで黙って小説でも書いてなさいと言いたくなる。

高橋が茂木健一郎をやっつけた長い映像は結構おもしろい。それを堂々とブログで書く茂木もやはりただ
者ではない、いくら言っていることがクオリア還元主義で実は陳腐だったり、プルーストと違いその使う
比喩が微妙にずれていてイライラさせられるとしても、これだけ社会に受け入れられているのは彼の人格や
資質の賜物だ(斎藤環との往復書簡も俺は斎藤の側だが、茂木も実はたいしたものだと思う。茂木を見直し
たのは、脱税ならぬ無申告事件のとき。惜しんでいたのは金でなく時間。この人ぱねえと思ったw)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/12/post_5f5b.html
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2923765

>「痛切な」体験
「ある冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の
中でなったのである」。この一行は、以後の日本の音楽批評のパラディグマになった。だれも音楽との「出
合い」を書くことで、音楽論に替えようとする。そのとき、自分をできるだけあわれっぽく売りこむこと
もわすれない。
 この種の出会いを書くことは、実際にはたいへんむずかしい。何気ないたったひとつの記憶を伝達する
ために、プルーストは「失われた時」の全体を必要とした。「ある時モオツァルトのメロディが頭の中で
鳴った」などというのは、読者には何のかかわりもない偶然にすぎない。そこに引用された楽譜は何でも
よかったのだ。「自分のこんな病的な感覚に意味があるなどというのではない」。そのとおりだ。


実際には、『「痛切な」体験』の次に『犬の青春』の断章が置かれています。
476G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 02:50:30.92
>>474の引用の最後。「語ることのできない美と、そのまわりをうろつく犬である芸術家の対立」。芸術家は
批評家の間違いかと思ったが、原文(「小林秀雄を〈読む〉」現代企画室、1981)をみてもやはり芸術家
なんだよね。

もう一つだけ、引用。実作者対批評家といった図式が端的に現れる箇所。
最初、タンタロスって、よだれからパブロフの実験を連想し、犬の名前かと勘違いしていたw

>美の通夜
「美は人を沈黙させるとはよく言われることだが、このことを徹底して考えている人は、意外にも少ない
ものである。」
(中略)
「優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬあるものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実
生活上の言葉もなすところを知らず、僕らはやむなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく
感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、しかも、口を開けば嘘になるという意識を
眠らせてはならぬ。」
 このまがりくねったセンテンスから浮かぶ批評家の姿は、死体を前にした通夜の光景をおもわせる。おも
くるしい沈黙をやぶることばは、すべてそらぞらしい。「そういう沈黙を創り出すには大手腕を要し」、と
いうのは、ものとつくったことのない人間のいいぐさであろう。友人と語りあうように、過去の他人の作品
を気がるに利用できないような作家は、小林秀雄級の批評家になって、美食を前にしたタンタロスのように
よだれを流すだけである。
477G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 02:57:47.01
>>471>>472
ありがとう。
ただ、俺、仏文学者でない。日常生活では、形而下的な目的達成のための実用一辺倒、
目的を達成すればもはや顧みられない文章を綴ることが多い。
478G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 03:17:16.40
>>469
こちらこそどうもです。
ドイッチャーって、トロツキーやスターリン、毛沢東について書いている人なんですね。
「非ユダヤ的ユダヤ人」。岩波新書で数十円で売られているので注文してみました。

サルトルの「ユダヤ人」も岩波新書からでているけど、ほとんど覚えていないw
サルトルの口ぶりのカッコよさはどうも政治的で生理的に苦手。
幼少期、自然に触れていないからマロニエの樹に吐き気を感じるのだなどという評説を
聞くと、どうも同感したくなってしまう。
479G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 03:23:16.01
>>466>>467
章立てを手元のフォリオ版と照合してみようかなと思ったら、なかなか
出てこないw
見つかったら確認してみます。
480G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 03:43:59.97
>>468
「雪国」の終章(あとから付け加えられた)の葉子の落下
>目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村の中を流れ落ちるようであった
ももちろん取り上げられます。「眠れる美女」「禽獣」「みずうみ」なども。
もちろん、「伊豆の踊り子」はメインで。

私は、「千羽鶴」「山の音」のように、古い温泉旅館が新館を不規則に継ぎ足していくよう
に長期にわたり連歌のように書き継がれた作品がいかにも川端らしいなと思っています。

はじめから全体的な設計はできていて、建築スペースも決まっていて、
時代をまたいで各部分にはキメラ状にいろいろな時代の様式が同居して
いる教会乃至大伽藍(作家個人の生でいえば、違う時期に書かれた断章が
継ぎはぎされている)に作者自らにより例えられるプルーストの作品と対照的。

プルーストの作品もどんどん量は膨れ上がって行ったのだから、ここでいう
建築スペースは、はじまりと終わりが決まっているという風にとってくれれば。

ショーペンハウエル(1788−1860)なんかもある意味、そういうところがある。
30そこそこですでに主著「意思と表象としての世界」(1819)は書きあげてしまっている。
その後、当然、思想は深化しているはずなんだけど、それは主著の注釈であるエッセイの
形で語られる。主著のサテライトといったところ。

ところで、「掌の小説」の「ありがとう」にでてくる乗合バスの運ちゃんていい人なんだろうか。

481G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 08:02:56.74
>>465
どうもです。その報告書まだ読んでませんでした。

地球温暖化にしてもICCP報告書等膨大な公的な文書がある。
それに懐疑的な言論、擁護の言論。
クライメイトゲート事件の顛末。

「苦海浄土」は3部作全部はあまりに大部で(RTPよりは短いのですが)
なかなか手がつかなかったけど、10頁ほど読み進めた。



482G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 08:29:04.12
>>465
追伸
引用されたブログ主の意見に同感だなあ。
確かに、事故調査委員会・委員長のこんな本音が透けて見えるような
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2011-12-30
483G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/05(月) 21:22:13.50
>>466
本文はフォリオ版と同じですね。ただし、CHAMBRESの位置だけ違っていて、フォリオ版では
SOMMEILS の次にきている。
最後のA PROPOS DE BAUDELAIRE は、ジャック・リヴィエール宛の書簡みたいですね。
これはフォリオ版には入ってないです。

484アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/05(月) 22:30:06.44
>>483
なるほど。じゃあたいした違いじゃなかったなー。
おまけで『楽しみと日々』
ttp://firestorage.jp/download/bf92622f3f98eeb3ccd1a35eea8cdd51ebe78fc0
485吾輩は名無しである:2012/03/05(月) 22:45:17.34
>>474,>>475,>>476
Thanks.
メチャ笑えた。

>>481
「苦海浄土」は聞き書きではない、ことを渡辺京二は強調しているが、なかなか小説として読めない。
ただ、TVを通してみた石牟礼道子は闘士とかではなく、ごく普通のおばさんだったのはビックリした。
486吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 03:41:12.55
せめて学部レベルにいなれ
きょうび大学に残るの大変でストレスたまってま
一般のレベルがこれではやはり大学に残るしか道はないのかと
せめて日本の5流の学会レベルから撃っていかないと連中を安心させるだけじゃね
どっちにしても学者=役人の牙城はパンピーの支持あってのものだとわかっちゃいるけど
おまーらカモられるだけ幸せか
最低フランス語から論文もってこい
一応期待はしてる
でも2ちゃんはもうだめだろね
487G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/06(火) 04:55:10.12
>>485
河出の世界文学全集は、解説も月報も池澤夏樹が書いてる。月報の方から

>多少の文才のある主婦が奇病という社会現象に出会い、憤然として走り回って
書いたノンフィクション、などという軽薄な読みかたをするのなら最初から読まない
方がいい。まずもってこれは観察と、共感と、思索と、表現のすべての面に秀でた、
それ以上に想像と夢見る力に溢れた、一個の天才による傑作である。読むたびに
どうしてこんなものが書き得たのかと呆然とするような作品である。


高橋悠治の小林「モオツァルト」批判は、やはり偶像破壊のおもしろさ、カタルシス、
解放感を感じさせるところがありますね。
488G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/06(火) 05:09:25.77
>>484
すごい発掘力 

他スレでもドゥルーズの講演の音声など紹介されているけど、
本当、便利な世の中になったなあ パソコン(か携帯端末)1台
ありネットにつながっていれば、本もテレビもなくてもいくらでも
ひまつぶしできるし、また、たいていの知的好奇心もかなり満た
されてしまう。
489吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 06:19:08.45
飽きないGに関心、感心
490G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/06(火) 08:25:50.65
>>475 自己フォロー(スレちを重ねてしまうが)
ここでは茂木をちょっとおちょくっているが、最近の茂木のブログをみると見違えるほどレベルアップ
してる。あの確定申告を税理士に頼む暇すら惜しんでの、めちゃくちゃな仕事ぶりは彼を確実に成長
させていたんだなあ(俺は税理士でもないのに自分以外の確定申告書まで書いてるw)。

「大学のガラパゴス化」
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2012/02/post-dbaa.html
全面的に同意できる正論で、しかも、キーワードの使い方もぴたりと決まっている。

つい2年前の吉田秀和「永遠の故郷」のレビューなんかは野蛮というキーワードのズレた
使い方が気持ち悪くイライラさせらるものがあったのだが。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/01/post-018e.html











491G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/06(火) 08:28:38.30
モギケンフォロー続き

最近のカリフォルニア州でのスピーチも日本のスポークスマンとして恥じない立派なものだ。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2012/03/post-576c.html

>東日本大震災からの一周年の十日前、復興に向かう日本人の思いを、漁師さんの間に昔か
ら伝わる「板子一枚下は地獄」(Under the board, there is hell)という言葉に託して、訴えました。

This old proverb is true for all of us. As the world becomes small, we are facing newly emerging
oceans of contingencies. Just like the Japanese fishermen, we don’t give up. We proceed, with
smiles on our faces. In fact, we can even say that risks and uncertainties are the mothers of
hope and wisdom.

>この、古い言い伝えは、私たちみんなにとっての真実であると言えるでしょう。世界が小さくなるにつ
れて、私たちは新たな偶有性の大海原に直面しています。日本人の漁師たちのように、私たちは決して
諦めません。私たちは、微笑みを浮かべながら、前進するのです。リスクや不確実性こそが、私たちの
希望や智恵の母であるとさえ言えるのです。


彼がクオリアについで好んで使う「遇有性」って、英語でcontingencies(複数形)だったのね
492G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/06(火) 08:33:06.79
>>491   ×遇有性
       ○偶有性

>>490のスペースすまそ
493吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 20:39:29.85
>>487
http://yokato41.exblog.jp/14808263/

>>458で引用したデリダは「一億総懺悔」のつもりはないけれど。
デリダはまともに読んでなくてスマソ。

「新しい最上流階級は相互に縁組みを重ね、社会を陰から支配する」? 
と中井久夫は1988年に書いていたらしいが、その後の「チッソ 社長 孫」について知っていたのだろうか。
プルーストもビックリの日本史的展開ではある。
494吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 21:19:29.10
まずまずつまらなくなり、いいぞ
495吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 21:26:00.82
>>445
自己フォロー。
平川克美の「俺に似た人」読了。

http://www.radiodays.jp/blog/hirakawa/?p=1058
『移行期的読書』に沿った四十冊

マルクス、荷風、岩井克人、網野善彦と並んで、石原吉郎があるのはうれしい、というか親近感を感じてしまう。
ますますつまらないネタか?
496G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/07(水) 07:16:16.54
>>495
ますます、でなく、まずまず、とあるのでいいのではw

石原吉郎はシベリア抑留帰りの詩人ですね。昔読んで、いいなと思った記憶が。
私としては、宮本常一、アダム・スミス「国富論」、川本三郎あたりにも反応・共感。

内田の盟友だけあり、橋本治も多いし、また、村上春樹は全作品になってる。
太宰治も好きだったのか。

前にこのスレで庄司薫と川端康成の関係が話題になったとき、川端と犬猿の仲と
いえばむしろ太宰だよなと思い出し、ちょっと検索してみました。
太宰が芥川賞を次席にされた際、川端の選評に「「目下の生活に厭(いや)な雲
ありて、才能の素直に発せざる恨みあった」とあるのに噛みつき、怨嗟の文章を
書く、でも、すでに文壇のボスとして君臨していた川端にその後も賞をとらせてく
れと懇願する。結局、今さら新人でもないだろってことで獲れなかったんだけど。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1607_13766.html
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/dazai.html


497G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/07(水) 07:46:25.25
>>493
「苦海浄土」、第1編3章の「ゆき女聞き書」まで読み進めた。
この章の第1稿がまず1960年に発表される。
凄すぎる。池澤も月報でこの章のゆき女の独白を引用しているけど、
賞賛の言葉は誇張でもなんでもない。

3・11の震災直後、中井久夫が阪神大震災後、対処マニュアルとして綴った
文章が拡散(この言葉、ツイッター等で急にあのとき流行りはじめた)させられ
ていました。みすず書房自身による無償配布でした。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6ff5489e4fb843905f4fea40e1d7f0be
(ハーマンのPTSD本が阪神大震災後バイブル化したけど、どうもあの政治性が
ダメだ。斎藤学、上野千鶴子といった一連の人を含めて。中井が訳者なのに解説
を小西聖子に任せ、自分は体験談的エッセイを載せているのはさすが天才と思った)

江藤淳こと江頭敦夫君も当時のチッソ社長江頭豊氏の甥ですね。
福田章二時代の庄司薫のけなし方といい、1980年代になると田中康夫を妙に持ち
上げたり、どうもこの人も。しまいには血統自慢をはじめるし。
詩人の西脇順三郎が慶応学生時代の江藤を蛇蠍のごとく嫌ったのがわかるような。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E9%A0%AD%E8%B1%8A










498G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/07(水) 08:18:46.97
クロード・モーリヤックの「プルースト」(人文書院、1957)。

井上究一郎が訳している。
原書は1「永遠の作家」叢書シリーズの1冊として1953年に出版された。
少し前にでたプルーストの草稿「ジャン・サントイユ」がさかんに引用される。
少年時代のジャンは、母親から、先生(家庭教師9のレッスンを受けるため
シャンゼリゼ公園に行くことを禁止されると、その先生を殺してやると駄々を
こねて、喚き、自分の喚き声にますます興奮し、母親にも当たり散らし、水差し
を床に投げつけ叩き割ったりとRTPの語り手より露骨に凶暴だったりする。
499G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/07(水) 08:37:50.56
河盛好蔵(1902−2000)「フランス文壇史」(文藝春秋新社、1961)

第三共和政期(1870−1940)を取り上げている(序説で16世紀末の文芸サ
ロンを経て、18世紀に文壇が形成されはじめるまでが略説されている)
プルーストについて2章、NRFについて1章を割いており、読み物として面白い。
ある時期・世代までフランス文学が日本でいかに崇拝されていたかが実感される。

この人、京都帝大仏文科で河野与一(1896−1984)に教わってたんだな。

アマゾンで小谷野敦がレビューを書いている。
そういえば、チッソの江頭一族については小谷野の新書で知った。
幻冬舎の「日本の有名一族」だったかな。
http://h.hatena.ne.jp/urbansea/9234293357604543761
500吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 11:26:11.42
>>497
江藤淳は、東大落ちて慶應行って以来学歴コンプレックスの塊。
しかも文壇では早稲田の圧倒的優位という事態に直面して、
早稲田にも極めて攻撃的だった。慶應卒の故橋本元首相が、
早稲田卒の故小渕元首相に、自民党総裁職と首相を譲ったときに、
発狂して、週刊誌で小渕の悪口いいまくったのは有名。人格者の
小渕が江藤に電話してなだめた。
501G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/07(水) 12:04:16.05
>>500
さもありなん
それにしても、懐かしのブッチホン

>>493
高橋悠治の毒舌はここでも切れがあり、たとえ方が卓抜。

>哲学者たちは 大学の門のなかで まだ
           スピノザ カント ヘーゲル マルクスを
         読みかえし 読みなおし 批判し 再批判している
  何回もあたためなおし 底のほうがどろどろになった スープのように

実は、柄谷行人をディスってしまったので、岩波現代文庫で「トランスクリティーク
」(探求V)を読んでいるけど、想像以上におもしろい。
カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読むことによって、ヘーゲルを
批判する企て。
502吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 12:10:56.85
2ちゃんねる関連会社を家宅捜索 異例の強制捜査
さぁ、Gはブログを始めるしかないなw
503吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 14:12:51.32
そうなったら502はどこに行くのよ?w
504吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 17:52:56.68
>503
2chにはからかいにしか来てないから何ら問題なし
505吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 18:12:01.35
>504
なかなか熱心に頻繁に寄られているようで(笑
506吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 18:21:47.92
>>505

あなた、早く次に生息する場所見つけなw
507吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 19:29:56.74
からかいにきてるつもりがからかわれて、ということはよくあること。
508吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 19:59:18.91
ある日、2chに接続出来なくなる。そんなに遠くないかも
509吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 22:48:08.67
>>496
まずまずつまらないネタw

石原吉郎と「ペシミストの勇気について」に出てくる鹿野武一について、これだけの資料がネットにあることがすごい。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/kano/kanobuichi.html

石原吉郎はカール・バルトの「ロマ書講解」についてもどこかで触れていたはず。
510アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/07(水) 23:59:42.94
>>498
>草稿「ジャン・サントイユ」がさかんに引用される。
それだけで読む価値ありそう。
511G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/08(木) 07:26:51.92
>>509
>石原吉郎はカール・バルトの「ロマ書講解」についてもどこかで触れていたはず。

下記の短い論考に、石原の自編年譜等をもとに、

 北条民雄→シェストフ「悲劇の哲学」→ドストエフスキー→カール・バルト、聖書

という読書遍歴を経、1938年23歳のとき、バルトの直弟子から洗礼を受けたことが出ています。
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf09/9-361-365-Shibasaki.pdf
512吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 08:01:14.13
いや〜、そういうことはそもそも知ってるでw
あの、バカじゃないですか、そういうこといちいち教えるみたいに書いて
でも、それをありがたいと思っている人もいるので大事ですね
がんばってください
513G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/08(木) 08:34:56.43
個人的に気になってるのはシェストフなんだよね。
河上徹太郎なんかが訳していて、ダダイスト辻潤(辻まことの父親、大杉栄に奥さんを
奪われ、大杉と奥さんは、甘粕憲兵隊長に殺される。本当に甘粕がやったのかは争い
があるようだが)やその周辺の「虚無思想研究」に寄稿している現在は有象無象となった
人達なんかもシェストフ、シェストフといっている。
気になるので読もうかなと思うがどうも食指が動かない。
ただ、日本のある時代の雰囲気には興味がある。
(ロマ書註解の方はいずれ是非読みたいと思ってる)

ググれば簡単にでてくる固有名詞を羅列しているのはこれまたなんかのとっかかりのため
どこかでその糸がプルーストとつながってくるかは心もとないが。
514G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/08(木) 08:46:38.35
>>509
石原吉郎でググったら、次の論考が上位にでてきました。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/kano/sato.html

どこのサイトに記載されているのかと思ったら、紹介されてるサイトでした。
どうもです。
さらに、大元の 「バルバロイ!」ってサイトもおもしろそう。
515G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/08(木) 18:53:16.77
北条民雄→シェストフという流れを知っている人はそんなにいないような

1934年に河上徹太郎と阿部六郎が「悲劇の哲学」を訳し、三木清が「シェストフ的不安について」を
書き、シェストフ・ブームになったみたい。小林秀雄も同じ年にシェストフについて2編ほど書いている。
http://plotinos.s59.xrea.com/archives/2004/07/post_3.html
http://homepage2.nifty.com/yarimizu2/kobayashinenpu3.html
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/21970/1/kankyo_11_2_47.pdf

小林がドストエフスキーについて連載している頃で、同じ年にジイド「ジャック・リヴィエル」を訳している。

堀辰雄は、1928年から1934年、プルーストを読み込み、1933年には「美しき村」の連作を書いている。
堀は1923年の震災で母を喪っている。1934年2月に発表された「挿話」(のちに「幼年時代」収録)は
プルーストの「心の間歇」を思わせる内容。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN00000085/ELLF_24_428.pdf

高遠弘美「堀辰雄が教えてくれた喜び」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120119/wlf12011916150012-n1.htm


516G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/08(木) 18:57:46.67
「プルーストと堀辰雄」についてもうひとつ
http://www.lib.tezuka-gu.ac.jp/kiyo/rTEZUKAYAMAGAKUIN-UNI/r39PDF/r39Woo.pdf
517吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 21:22:46.89
>>513
http://www.chosakai.co.jp/alacarte/a10-02-2.html
芥川の「ぼんやりした不安」、三木清の「シェストフ的不安について」など学生のレポート風だけれどいちおう書いてある。

三木清の「シェストフ的不安について」は
http://book.geocities.jp/shomiki06/zenpdf.html
第十一巻 文学論稿

で読める。

フランス文学に興味を持つきっかけは、芥川の「人生は一行のボオドレエルにも若かない。」を読んでから。今もあまり変わっていないかも。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/19_14618.html
518吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 21:43:40.93
補足。
「人生は一行のボオドレエルにも若かない。」

どの一行だったのか。どれでもよかったのかもしれないが。
519吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 22:12:26.38
ガン一代梅毒末代だからな
520G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 02:58:20.78
>>517
どうもです。三木の論考ちょっと探したけどみつからなかったのです。
全部読めたとは。哲学者らしく、ハイデッガー(一部ニーチェ)と対比してたんですね。

>彼は非日常的なもの、或いは「地下室の人間」の権利において、日常的なもの、ひとが普通に
現実と考えているものに対して烈しく抗議する。シェストフの日常的なものという概念はほぼハイ
デッガーにおける「世界」の概念に相応すると見ることができる。ただ後者が哲学的に加工され、
精巧であるだけ圧力に欠けているに反して、前者はあらゆる世界的(世間的)んはもの、そして単
に常識やコンヴェンションの如きものばかりでなく、科学や理性をもいわば非哲学的に包括し、そ
れだけ生まの力をもっている。ハイデッガーが世界を理解し解釈するに反して、シェストフにとって
日常的なものは憤怒と抗議の対象である。

労働調査会の学生のレポート風の論評は、昭和恐慌の時代を、近年のワープアやネットカフェ難民
が続出し、「蟹工船」(1929)が小ブームになってしまう世相に重ねている。

芥川の自殺は1927年7月24日。
1927年3月の取り付け騒ぎで顕在化した昭和金融恐慌はWIKIをみると1929年の世界恐慌の影
響を受けた1930年代の昭和農業恐慌とは別物だったんですね(2つ合わせて昭和恐慌と呼ぶ)。

のちに2・26事件で暗殺されるダルマさんこと高橋是清蔵相がモラトリアムを行うとともに片面だけ
印刷した急造の200円札を大量に発行して銀行の店頭に積み上げて見せて、預金者を安心させ、
金融恐慌を沈静化させた。




521G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 03:18:25.73
芥川で堀辰雄(→プルースト)とつながった。

>死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。

で始まる堀の文壇デビュー作「聖家族」(1930)
www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4802_14951.html

ちょうど川村湊「物語の娘――宗瑛を探して」(講談社、2005)を読みかけていたところ

>芥川龍之介と松村みね子(片山廣子)、堀辰雄と宗瑛(片山總子)。師と弟子、母と娘と
の2代にわたる“文学的”な「軽井沢の恋」のゆくえは……。

まさに「聖家族」のシチュエーション


522G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 03:45:30.18
もうひとつのリンク、ボードレールの方は駄洒落になってしまうけど

小学校高学年だったか、家族旅行で山道を夜タクシーでのぼっている際、ガードレールが次々と
ヘッドライトに照らされ、白く浮かびあがるのをみて、人間はみんないつか死んでしまうんだなあ「
人生は一行のガードレールにもしかず」だなあと不安・恐怖にとらわれたのを思い出す(中島義道
のように哲学青年にはならなかったけど)。
学校で読書の時間というのがあって、図書室から「或る阿呆の一生」のはいった1冊を持ってきた。
ボードレールを知らず、ガードレールの誤植かと思っていた。

これも中学生の頃、河出書房新社からでていた「世界ピアノ名曲全集」を親が毎月定期購読してくれていた。
RCAの古い録音のLPに立派な冊子がついていて、その中で中村紘子が毎月、作家、詩人と音楽談義
をする企画があった。メンツは山崎正和、小川国夫、石原慎太郎、遠藤周作、古井由吉、中村真一郎、
田村隆一、佐々木基一、田久保英夫、津島佑子、五木寛之、谷川俊太郎。
(親が処分しようとしていたので、冊子だけ持ってきた)
古井由吉はシューベルトの回。

  中村 話は飛びますけれど、たとえば高速道路のプレートを見ると「シートベルトを着用しましょう」って
 出ているでしょう。あれ、どうしても、「シューベルトを着用しましょう」って読んじゃうの(笑)。
  古井 だれだっけ、トマトソースの広告を見るたびに、トーマス・マンを思い出す人がいたな。北(杜夫)
 さんだったかな。
  中村 連想ゲームですね、まるで

古井も庄司薫と日比谷高校で同学年だったことも語られている。
523G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 03:50:36.86
田村隆一が、カントについての詩だったかで、「今濡れるcunt 」と書いてた
記憶があるのだけど、ググっても出典が出てこない。俺の思い違いか。
524G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 03:58:57.98
>>519
水俣病も、胎児性水俣病があり、次世代に引き継がれ、50年経った今でも解決などしていない
被曝も二世、三世と続いていく

「池澤夏樹の世界文学リミックス」(河出書房新社、2011)

>『苦海浄土』がすごいのは不幸と対比するように幸福を描いているところだ。
 幸福を描くのはむずかしい。何よりも幸福を知らなければならないし、不幸の理由がなければ人
は幸福というものでもない。万事が調和して、他の人たちとの仲がうまくいって、何よりも自然との仲
が満ち足りたものであること。

俺がRTPを好きなのも、幸福も描かれているためだろう。
525G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 04:27:06.88
「苦海浄土」第一部第4章「天の魚」より
働き盛りの息子は水俣病、9歳の孫は胎児性水俣病で排泄すらままならない。
孫を生んだ嫁は役立たずになった夫と息子達を捨てて、他の男のもとへ。
漁師の老人の語り。

>魚は舟の上で食うとがいちばん、うもうござす。
 舟にゃこまんか鍋釜のせて、七輪ものせて、茶わんと皿といっちょずつ、味噌も
醤油ものせてゆく。そして、あねさん、焼酎びんも忘れずにのせてゆく。
 昔から、鯛は殿さまの食わす魚ちゅうが、われわれ漁師にゃ、ふだんの食いもの
でござす。してみりゃ、われわれ漁師の舌は殿さま舌でござす。
>かかは飯たく、わしゃ魚はこしらえる。わが釣った魚のうちから、いちばん気にいった
やつの鱗ばはいでふなばたの潮でちゃぷちゃぷ洗うて。鯛じゃろとおこぜじゃろうと、肥え
とるかやせとるか、姿のよしあしのあっとでござす。あぶらののっとるかやせとるか、そん
ときの食いごろのある、鯛もあんまり太かとよりゃ目の下七、八寸しとるのがわしどんが口
にゃあう。鱗はいで腹をとって、まな板も包丁もふなばたの水で洗えば、それから先は洗う
ちゃならん。骨から離して三枚にした先は沖の潮ででも、洗えば味は無かごとなってしまう
とでござす。
 そこで鯛の刺身を山盛りに盛りあげて、飯の蒸るるあいだに、かかさま、いっちょ、やろう
かいちゅうて、まず、かかにさす。
 あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思う
しことって、その日を暮らす。
 これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。


「くいしん坊!万才」の一シーンみたいだけど。この船上の極楽世界も喪われてしまう。
526吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 08:14:36.24
Gは真夜中に暇を持て余しているらしい。
527G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 08:24:39.19
漁師なら夜中の1時か2時に起床する
朝には仕事を終わり、酒が飲めるのがうらやましか
528吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 10:06:33.63
深夜に2ちゃんやるのはほとんどニートだ。
Gはニートだね。
529吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 10:25:13.49
漁師でもないGが漁師の例を持ち出すことになんの意味があるのやらw
530G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/09(金) 10:43:05.54
>>525で漁師について書いたから
昨日は出先から直帰で、飲まずに、8時前に寝たから

今書いてるのは宮仕えでないから

まあ、どうでもよか
531吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 21:28:47.16
>>520
どうもです。
三木清全集はwikiから。wikiはバカにならない。

芥川は実家にあった古い雑誌の特集かなにかで読んだのがきっかけ。
也寸志は父親が持っていたSPレコードの中から特にストラヴィンスキーの「火の鳥」「ペトルーシカ」などを聴いていた。
龍之介が何を持っていたのかは興味がある。
也寸志は小学校に通うようになってベートーベン、モーツァルトを初めて聴いたときの感想も書いてあったはずだが、語句の記憶がない。
あまり興味がなかったような感じだったはず。「春の祭典」については不明。

「春の祭典」というと、BOOSEY & HAWKESのスコアと「ブーレーズ音楽論」はずっと手元にあるが、下記サイトのようには歌えない。ただの音痴か。
http://www.kanzaki.com/music/cahier/rs02
532G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/10(土) 03:20:46.00
>>531
三木の全集はwikiから辿れたんですね。岩波文化人の嚆矢どころか、どうやら巻末の
「読者子に寄す」は三木によって書かれたものらしいと出ているのもはじめて知りました。
芥川也寸志のwikiもおもしろい。

ブーレーズの「ストラヴィンスキーは生きている」はちくま学芸文庫の「ブーレーズ作曲家
選論」にもはいってますね。入手してみるか。

プルーストは、作曲家のレーナルド・アーン宛1914・1・15付書簡で、アーンの1913・
6・2付「デパ」紙での「春の祭典」初演評に触れているものの、自身は1913・5・29のシャ
ンゼリゼ劇場での初演には立ち会っていないみたい。












533G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/10(土) 03:38:40.31
>>500
川村湊が宗瑛(片山總子)について書いた本(>>521)でも江頭淳夫君登場。

江藤淳はその堀辰雄論で宗瑛は堀を嫌悪していたと乏しい、偏った資料で
邪推し、さらに堀は自らの出自(江藤は「下級官吏と老妓の庶子」と汚い言葉
を使う)を隠している、「嘘つき」だと人格攻撃に及ぶ。
川村は「堀辰雄は、少なくとも江藤淳のように自分の出自だの、本籍やら戸籍
などにこだわろうとはしなかった」、江藤の堀辰雄論は江藤の“私憤”や“私怨”
のようなものであると喝破する。
534アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/10(土) 15:30:30.34
>>533
『ブーレーズ作曲家論選』少し前からたまにページを開いてますよ。
約350ページの中で10人ほどの作曲家が取り上げられているけれど、
「ストラヴィンスキーは生きている」は約100ページと一番長い。
ほかの、ヴァーグナー、マーラー、シェーンベルクなどはどれも短め。
535G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/10(土) 18:38:21.71
>>534
どうもです。その本、何回か書店で取り上げては戻している。
歯が立たないかなという感じがしてしまって。
若き日の「オペラ座を爆破せよ」といった過激発言の印象もあるし。
やはり、買おうかと(ちくまの文庫はうかうかしてるとすぐ品切れになるし)

ブーレーズとプルーストに接点があるか検索したら、「プリ・スロン・プリ」
の作曲家だけあってドゥルーズに「計算せずに占有する――ブーレーズ、
プルーストと時間」という論考がありますね。
こないだ紹介してもらった「狂人の二つの体制」にあるなと思ったら、1983
ー1995の後編の方でした。残念。
http://www.arsvi.com/b2000/0300dg2.htm
「エクラ/ブーレーズ 響き合う言葉と音楽」という本にも収録されてる
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%A8%A5%AF%A5%E9%A1%BF%A5%D6%A1%BC%A5%EC%A1%BC%A5%BA%A1%A1%B6%C1%A4%AD%B9%E7%A4%A6%B8%C0%CD%D5%A4%C8%B2%BB%B3%DA

“ブーレーズがプルーストからつかみとった第一の事柄は、騒音や楽音が、最初それらが
結びつけられていた登場人物や場所や名前から離れ、縮小したり拡大したり、付加したり
削除したり、速さや遅さを変えながら、絶えず時間の中で変形する自律的な「モティーフ」を
形成するよう導くプルーストの手法である。当初、幾分標識のように、或る風景や或る人物
に結びつけられていたモティーフそれ自体が、今や、変化に富んだ唯一の風景、変わりゆく
唯一の人物となるのだ。”
http://www.asahi-net.or.jp/~nj8f-tkmt/bbs_past_17.htm(フランツ・リストのファンが読むRTP
おもしろい)

536アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/10(土) 19:15:07.90
>>535
ドゥルーズ「計算せずに占有する――ブーレーズ、プルーストと時間」
これ未読でした。が、持っています。10頁ほどなので近々upしますね。
537G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/10(土) 19:26:37.58
>>536
Thanks
538 忍法帖【Lv=30,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2012/03/10(土) 20:08:42.07
物語の娘、か。少し気になる本だな。
539G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/10(土) 20:46:50.85
>>538
宗瑛と同じ1907年生まれの矢田津世子もほとんど坂口安吾との関係でしか語られ
ないけど、それでも講談社文芸文庫から短編集が1冊出ている。

21歳から25歳までの5年だけで筆を折った(1982年満75歳まで生きた)宗瑛の短
編は雑誌初出のまま、ほとんど埋もれている。
「物語の娘」は、うち3編を選んで巻末に掲載しています。
(ただ本文を読んでから、最後に読んだ方がよいかな)

川村湊という人の本ははじめてでしたがとても読者に親切な書き手ですね。かといって、
くどいわけではない。他にも読んでみようかと。
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/988/1/Vol25p251.pdf
http://www.designroomrune.com/magome/smallbooks/persons/sou.html

540G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 08:11:10.88
ブーレーズの作曲家論集を買うのを躊躇っていたのは、例えば、グレン・グールドのライナーノーツ
を読んだときもそうなのだけど、何かわかったようなわからないような感じにさせられる危険を感じた
ので

今、ヴァレリー・アファナシエフ「音楽と文学の間――ドッペルゲンガーの鏡像」を読んでいる。
「アファナシエフの言葉は、自立はしないかもしれないが、喚起的である」(訳者あとがき)
彼らは、おそらく、あくまで作曲・演奏において自立的かつ喚起的なのである。

アファナシエフは、ショパンの音楽は、自立的かつ喚起的な文学作品「失われた時」の「先駆け」である、
「ショパンの音楽の演奏中に生起することは、……プルーストの倦むことのない過去の探求に似ている」
と書いている。185−7頁

本書では、浅田彰、川村二郎、小沼純一の3人との対談が収録されている。「優れた対話者を得て、
アファナシエフの世界は、素晴らしく見通しよくみえるようになったはずである」。小沼との対談より

>『失われた時を求めて』を例として引きたいのですが、ここではいろいろな文章が結びつき、次々に
発展していく。そうした結びつきが、音楽のなかにもあり、それがひとつの思想に発展していく。結びつ
きあってひとつの空間というものがつくりだされます。それは音楽作品でも文学作品でも、ひじょうに
重要です。音楽というのは、或る意味でメタ=ポエジー、思考や思想を導きだすものです。私にとって
上手なピアニストというのは、この「空間」をつくりだす、つくりだすことのできる演奏家のことです。もち
ろん誰だって空間をつくりだせます。でも、下手なピアニストは、その空間が狭いものでしかない。上手
いひとは広がりのある空間をつくりだせるし、いろいろな結びつきというのもそのなかで生まれてくる。
いろいろなひとびとの潜在的な記憶に眠っているもの、想い出を揺り動かし、豊かなものに結びつけて
ゆく――そういう内容をもった空間をつくりだせるのである。
541吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 08:20:39.71
Gはバカの一つ覚えのように自分語りばっかやってないで、一言一年経った
震災のことについてコメントいれろ
542G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 08:23:16.31
>>540
失礼、引用最後の語尾は、対話なので、「つくりだせるのです」でした。

アファナシエフは、12歳の頃、母親に連れられ、ソフロニツキー晩年のリサイタルに
足を運んだ。

>私がそこで聴いたものは、今となってはモーツァルトの有名な言葉「一瞬のうちに
交響曲全体を聴くことがある。それは人生で最も幸福な瞬間である」を想起させる。
私は、ソフロニツキーが時間を消し去り、もう一つの新たな感覚――ボルヘスのエッセー
「新時間否定論」風の言い方をすれば、目には見えないが聞き取ることのできる感覚―
―を与えてくれたあの夕べを今でもはっきりと思い出す。……それは私の人生で、最も
幸福な瞬間のひとつだった。 218頁

ボルヘスのエッセー探してみるか。

543G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 08:29:51.38
いやだからいやだ by百
544吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 08:55:14.37
>>540
ブーレーズの京都賞の受賞記念講演
http://www.inamori-f.or.jp/laureates/k25_c_pierre/img/lct_j.pdf

例えば、主題という概念よりも一般的で融通がきくため、私の場合は、
主題という概念の代わりになった「身振り」、音響学に由来する用語「エンベロープ」
――ただし、ここではある一定の契機を知らせる、一つまたは複数の主要な特徴を意味します――、
主題的な身振りが予想外の展望にぶつかり、その結果、音楽的展開がその方向を変えてしまう「偶発事」などです。

例えば、リズムのエンベロープからダイナミックスのエンベロープに移行する場合、あるいは音高(ピッチ)の極性を変える場合、
聴衆はこの変化を自らの記憶にとどめておくことができます。その後、こうして記憶に残された変化をもとに、聴衆は、一つの形式を再構築するのです。
いわば、聴衆は能動的に音楽を聴き、自らの選択の重要性を決めるように促されるのです。これに似た次のような言葉をプルーストが残しています。
小説はそれを読む人によって創られる、という言葉です。ここで問題になっているのもまさにそうしたことなのです。
つまり、音楽作品は、それに耳を傾ける聴衆によって創られるのです。

--
こう言われてもねえ。

http://blog.goo.ne.jp/nishiurablog/e/2496580f3703f5778464632600ea8800
実際に聞いた方の感想。

--
「ストラヴィンスキーは生きている」はスコア見ながらでないと、たぶん理解不能。
全部暗譜しているなら別だけれど。
文庫のほうは図がちいさくて、年寄りにはやっぱり大変かも。
545吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 09:03:03.04
>>542
>ソフロニツキー

怪しげな輸入盤をまとめて買ったことがある。
特にスクリャービン、シューマンの演奏は大好き。
546吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 09:31:38.52
Gの社会性のなさ
547G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 09:43:59.14
>>544
ありがとうございます。ぱらぱらとめくって感じたとおりですね。でもチャレンジしてみます。

ブーレーズをブルドッグそっくりとは。吉田秀和もルドルフ・ゼルキンをお猿さん呼ばわりし
ていた。結局、持ち上げるのだけど。
昔BBCを率いて来日した際の映像をみたけど、ラフな赤いTシャツ姿で指揮しており、その
頃からお腹がたっぷりと出ていた。

>>545
ソフロニツキー、マイミクの方に勧められて、DENONのをヴェデルニコフやらと一緒に一時買い
まくった。いまならこの9枚組から入るのが、値段も手頃でいいかな
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2725655

リヒテルが彼より素晴らしくひけないからと決して演奏しなかったというゲンリヒ・ネイガウスの
「クライスレリアーナ」も。アファナシエフはリヒテルを100回は聞きに行ったと書いている。

アファナシエフは「ソフロニツキー讃」をこう結んでいます。

>彼の場合は録音物でさえ、聴く度に、異なっているように思える。生き物のように、まるで
神聖な霊感を授けられたかのように。ソビエト時代の劣悪な録音にさえ、彼の伝説的なサウンド
を聴き取ることができる。たとえ翻訳がよくなくても、ダンテとシェークスピアの価値が不変である
のと同じように――。
548G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 09:45:23.05
ガラス玉に12匹の金魚を入れておいたらある同じ朝に8匹いっしょに死んでしまった。無惨。

わずかにでた南京豆の芽が豆をかぶったままで鉢の中に5つばかり並んでいる。混沌。

正岡子規「墨汁一滴」
549アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 10:41:31.57
550G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 10:47:35.07
>>549 dd
551アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 10:48:42.53
>>544
>「ストラヴィンスキーは生きている」のスコア
いろいろ入ってるけれど、小さいですねえ。

「ストラヴィンスキー、それは何よりもまず『春の祭典』なのだ。」
という言葉が冒頭近くに。
552吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 11:02:47.72
クソションも、同様だ
553G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 11:19:56.56
>>541>>552
こちらへどうぞ

【3.11】 その時2ちゃんねるは・・・
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/9241203701/l50
554G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 11:22:10.74
>>551
村上春樹の小澤征爾へのインタビュー本で、1960年代に小澤がシカゴ響と
「春の祭典」を録音した際のエピソードが出てきます。
その直前に作曲家はスコアを学生オケでも演奏できるよう簡素化し(変拍子を
普通の拍子に変えてしまった)、それをレコーンディングしてくれと依頼してきた。
ただ、改訂版は実際演奏してみてダメで結局、両方録音した旧版の方が発売さ
れたとのこと。162頁
現在の学生オケであれば、たいてい旧版でも演奏できるようですが
http://notes.tarakanov.net/composers/s.htm

村上は、1960年代の若き小澤のベストとして、ピーター・ゼルキンとのバルトーク
ピアノ協奏曲1、3番(シカゴ響)、ベルリオーズ「幻想交響曲」(トロント響)とこの
「春の祭典」の3点をあげている。あと、個人的にはボストン響とのオルフ「カルミナ・
ブラーナ」も好きだと。

小澤のハルサイのCDは廃盤のようだけど、実家に確かLPがあったはず
ブーレーズは、旧録音と新録音、両方あるなあ。
555G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/11(日) 12:10:47.27
>>551
>>554のリンク貼り間違え。「春の祭典」のスコア
http://b4t.jp/512
556アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 16:32:24.19
>>554
ブーレーズはルネ・シャールの詩をモチーフにいくつか作曲してるようで、
そのへんに一番興味があるのだけど、それにしても、
ストラヴィンスキー→ブーレーズ→ドゥルーズ→プルースト、
というふうに回帰していくのも面白いなあ。
557アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 18:18:27.83
「春の祭典」スコアかなり重そうで、DLに時間がかかるぅ…。
ルネ・シャールの詩を冠したブーレーズの曲「水の太陽」と「主なき槌」。

Le Soleil des Eaux
http://www.youtube.com/watch?v=HhcZM7cFy_c

Le Marteau sans Maitre
http://www.youtube.com/watch?v=3CZbDOgkiAk
558吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 20:21:23.03
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20120308dde012200009000c.html
「3月11日のマーラー」
昨夜、録画したものを今になってようやく見た。
こんな演奏会があの夜あったことにビックリ。

--
「3・11を心に刻んで」岩波書店編集部編から。
「チッソも病人をさげすんだ人々も全部許す。人を恨むことはやめた。」
という水俣病患者の遺書の言葉を引用する石牟礼道子。

ここからしか始まらないのか。
559アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 21:42:05.20
>>558
そういう演奏会もあったんだねえ。
あの日は歩いて深夜3時に帰宅したっけ。
560アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 22:01:34.77
画像を軽くしすぎて読みにくくなってしまったかわりに
ttp://www.mediafire.com/?wpv1k30pals7eop

ドゥルーズ「計算せずに占有する――ブーレーズ、プルーストと時間」
Occupying without counting- Boulez, Proust and time
561G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/12(月) 00:57:26.70
>>558
小澤征爾が残響の具合がレコーディングに最適という墨田区のトリフォニーホール。
近所の人以外は行ったはいいが帰るのも大変そう。
マーラーの5番は、インバルがフランクフルト響と来日したとき聴いたことがあるけど、
深刻で悲劇的な第1楽章、アダージェット、最後の盛り上がり あの特殊な状況下で聴くのは

「苦海浄土」第2部「神々の村」へ。
「葦舟」に乗せられ流された「蛭子」のように、両頬にヒレのようにてのひらを生やした胎児性
水俣病の子どもら。
取り出された脳がどこまで生き続けるか、動物実験で首を切られた犬たちと、ごろんと転がっ
た三島由紀夫(1925−1970)の首のイメージが重なり合う。

>有機合成化学産業の体質を考えれば、分析する前にまず無気味である。その本性は
汚わいの沼だけに生きる巨大な蛭か絛(さなだ)虫を想わせる。このものの本質はぬめぬ
めとして口と肛門が定かならず、その両方に強力な顎の吸着力を持っているのが特徴で
ある。顎の下にネクタイを結んでいる蛭たちの小さく丸まり、陸上がりしてキョトキョトしなが
ら、しぶとさを秘めているあるかなきかの目つきを、わたくしは、水俣病訴訟の法廷でしげし
げと観察することともなった。

石牟礼道子『苦海浄土』からさらに読み進めるためのブックガイド
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~asuda/yoshida/tyoshi1.htm






562G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/12(月) 01:00:03.75
>>485
>「苦海浄土」は聞き書きではない、ことを渡辺京二は強調している

渡辺京二「逝きし世の面影」を糞味噌言っているレビューがあるなと思ったら小谷野敦だったw
http://ryuichiro-n.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-c857.html
岩下尚史「芸者論」という良書(俺の評価)も同じようにけなしているので、江戸時代、特に売春
関係で小谷野の持論と違うことが書いてあると極端に攻撃的になるようだ。
http://twitter.com/#!/musmmd/status/3340712481

石牟礼道子と渡辺京二(私の備忘メモみたいなものです、失礼)
http://www.news-postseven.com/archives/20110216_12817.html
http://www.guan.jp/02dir/021127watanabe.pdf
563G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/12(月) 01:28:12.44
>>560
これもdです。

アファナシエフ、読了したので過去ログと関係するところをピックアップ

ショーペンハウエル(→プルースト)の音楽の特権性にはっきり異を唱えている。

シューベルトの音楽に不気味なものを見出している。

ショパンのノクターンに関する次の記述は、写真家ブラッサイの「プルースト/写真」を思い起こさせ
ます。ロラン・バルト「明るい部屋」も。
>私たちがノクターンに聴くものは、「不動の動き」というような逆説的な言い回しで表わすことが
できる。この点で、それは親友とか親戚の写真に似ている。写真それ自体は不動であるが、私たち
の記憶は、いかようにしてか、それを生気づける。というのも、私たちは、写真家の手によって不動
のものとなった人物が、どのように動き、どのように生きているかを知っているからである。ノクターン
は、「音による写真」と言うこともできる。

カフカ、ベケットへの言及も多いです。あとムージル「特性のない男」にも。
564吾輩は名無しである:2012/03/12(月) 02:11:01.44
アファナシエフはCDはかなり持ってるが本は読んだこと無かったな〜
前回「失われた時」読んでた頃彼のシューベルトのソナタをよく聴いていたのを思い出した
565G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/12(月) 07:37:49.85
>>564
震災の1週間前、中国人の若手女流ピアニスト、ユジャ・ワンのコンサートに行った。
シューベルトの3曲の遺作ソナタの1曲目(D958)がプログラムにあった。そのときの
俺の感想。コンサートは5年1回平均くらいしか行かないのだが。

>シューベルトなのに技巧的な難曲にも聴こえる。ただ、それをやすやすと弾いている。
明快なのだが、夢見るような美しさもある。冥界に半歩足を踏み入れたような不気味さも
ときおり顔をのぞかせる。 シューベルトに抱いていた一見素朴なイメージとはちょっと違
うが、最後まで退屈せずに聴けた。

アファナシエフは、シューベルトを、ダンテ「神曲」のうち、地獄篇の巡礼者という(天国から
地獄に堕ちた男。ショパンは煉獄、バッハ、ベートーヴェンが天国らしい)
http://www.arttowermito.or.jp/music/vaessayj.html

566吾輩は名無しである:2012/03/12(月) 23:39:44.44
>>561,>>562
どうもです。結局池澤夏樹編の「苦海浄土」も買ってしまった。

http://yokato41.exblog.jp/14826952/
http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/5471/1/110208001.pdf

パンゼラ、コルトーの「詩人の恋」も好きだが、バルトみたいにディースカウを貶すことはできない。
フランス人はモーツァルトではなくモザールを演奏する、と言うくらいだから彼らのシューマンもあるのだろう。
>>293で触れたリパッティがここでもでてくる。

「アマチュア」芸術とは、バルトにとっては、究極といってよい賛辞なのであり、
「アマチュア」芸術の名に値するのは、彼が師事した声楽家のシャルル・パンゼラや、
若くして亡くなったルーマニアのピアニストのリパッティらに限られている。
バルトによれば、表現の素材(音楽においては音)に沈潜し、
その素材との戯れの只中から僥倖のように「表現」をもたらしてしまうといった演奏家のみが
「アマチュア」芸術家の名を冠しうるのである。

もっとも、現在の日本で、バルトのいう「アマチュア」を単純に受け取って擁護するわけにはいかない。
567吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 16:52:28.12
リパッティ、いいよね。
神懸り的な、素晴らしい、
ピアニストですよね♪
568d(@∀@) 【東電 80.6 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆ANOSADJXD6 :2012/03/13(火) 17:51:56.17 BE:393606959-PLT(13336)
昔のSME版サクレ(グラモフォンじゃない、70年代のベルクとかやってた頃のやつ)が
SBMのCDになったとき、おまけシングルCDにおしゃべりが入ってましたね>ブーレーズ。
何年か前、マーラーチクルスの録音と同時進行だったDGのイゴールラッシュまではよく聴いて
いました。クラ板では人気ないんですよねえw。
569G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/13(火) 18:18:38.81
>>566
パンゼラのフォーレ「月の光」
http://yokato41.exblog.jp/14853626/

最初に買ったシューベルトの歌曲集がスゼーでした。
廉価盤だったからですが結構聴きました。

ロラン・バルトは自らピアノを嗜みますが、そういえばプルースト
が楽器をやっていたって聞いたことないような。



570吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 20:59:50.86
>>569
>ロラン・バルトは自らピアノを

ジッドの日記ではショパンを弾いていると、いろいろ書いていた。かなり弾けそうな感じ。

パンゼラでは、録音はよくないけれど、
Charles Panzera - L'Invitation Au Voyage (1932)
http://www.youtube.com/watch?v=78sK4f86_8M

最初は、「一行のボオドレエル」はこれだ、とおもっていた。
その後、セザンヌは「腐肉」をいつでも暗唱できた、と小林秀雄を読んで知ってからは、どの一行でも、とおもうようになった次第。
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/2743/.../al-no72p023-032.pdf

--
最近はまっているブログ。ちなみに書いているのは自分ではないし、宣伝でもない。
http://yokato41.exblog.jp/14847748/

グールドは録音よりライヴのほうが断然いい、とおもっていた。
'58ザルツブルクのゴールドベルクもそうだが、'59ストックホルムのベルクのソナタ、ベートーヴェンのop.110も好き。
571つくだに:2012/03/13(火) 21:01:53.91
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/MYBLOG/yblog.html
現代音楽、フリージャズならここがくわしいよ。
572吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 21:05:54.45
>>570
セザンヌの「腐肉」は
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/handle/10140/2743

から。
573アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/13(火) 22:27:14.93
563読むとアファナシエフ、ちょっと面白そうだなあ!
グールドいま聴いてるw
坂本龍一セレクションの2枚組アルバム。
574吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 22:31:48.66
ハナレメバレバレ(笑)
575アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/13(火) 22:46:38.48
ドゥルーズのブーレーズ論で、失われた時を求めては、
ブーレーズ的な区別の、滑らかに、また筋目をつけて読み取られるべきだ、
と書いてあったけれど、クラーゲスのリズムの本質という本だったかに、
リズムの語源のリュトモスが途切れと流れの両方の意味を持っていた、
ということが書いてあったのをふと思い出したけど、記憶違いかもw
576G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/14(水) 08:09:40.77
>>568
東電さん、プルーストスレ初登場かと思ったら、2でこんな書き込みが(電力使用率下がっているな)
こっちは田舎なんでしっかり事務所も役所も計画停電されてた。あれ以来、寝袋置きっぱなし。

412 名前: 【東電 86.7 %】 投稿日: 2011/04/05(火) 11:51:12.92
そういえばよく揺れたのだが安鯖の上へ置いたチリ紙の箱が床へ落ちるのを安鯖の上へ置くのを「何かの馬鹿のように」繰り返していた
金具愛好家なので物をネジで固定したりが好きなのでまあそれだけだった

今、事務所のラジカセでブーレーズのサクレDG版流してます(DG111周年記念BOXの1枚)。
旧版の方が好きなのは単にダイナミックレンジが狭く、まわり近所を気にしなくて済むからかもw

BBCによる1913年シャンゼリゼでの初演騒ぎの再現映像
http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20100102/1262444307












577G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/14(水) 08:44:37.94
>>570
吉田秀和等でスコアが引用されていてもイメージが湧かないので、カシオか
ヤマハの電子ピアノを置こうかと思って、随分立つ。
アファナシエフの著書で、リヒテルがヤマハのピアノを愛用するだけでなく、クラビ
ノーバまで弾いていた話も出ていた。

パンゼラのデュパルク集、現在は廃盤、中古はプレミア付なので、そのうち再発売される
だろうと待っているのだけど、なかなか出ないなあ。
578G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/14(水) 08:47:37.25
>>571
どうもです
579G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/14(水) 08:55:27.37
>>573
ブラームスの間奏曲等はアファナシエフも録れてます。ベートーヴェンの第10交響曲と
も言われた交響曲1番をはじめとする大曲から(なぜか、日本では第九よりブラ一の方が
人気があると思ってる)晩年のピアノ小品へという流れに親近感を持ってるみたい。

>>575
検索したら、こんなのが出てきた
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/from/blog/2008/05/post-88/
580G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/14(水) 09:32:54.01
クロード・モーリヤックの「プルースト」読了したので、タディエの評伝にとりかかっている。

随分重いなと思っていたが、「苦海浄土」と同じくらいだし、塚本昌則訳のパトリック・シャモ
ワゾー(1953生)「カリブ海偽典」>>414よりは軽いので電車で読もうかなと。

シャモワゾーは、カリブ海に浮かぶ島マルティニークの人でゴンクール賞受賞作家。
ここフランスの海外県だったんだな。

581G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/14(水) 10:11:19.59
原宏之「〈新生〉の風景―ロラン・バルト、コレージュ・ド・フランス講義 (文学機械 (1))」(冬弓社、2002)

バルトが話題になっていたのでどれかバルトをと思ったら、ちょうど家に転がっていた。
「失われた時を求めて」に対応するバルトの著作は強いていえば「明るい部屋」かなと思って
いたが、この本は最晩年のコレージュ・ド・フランスの講義自体が、バルトによる完璧な小説だ
という見地に立つ。
バルトの使う諸概念も、最晩年に到達した地点から照らされ、非常にわかりやすく感じられる。
「小説の準備」(新生講義)を読むとっかかりにもなりそう。
バルトはこの講義に続き、「プルーストと写真」のセミナーを準備していたが、自動車にはねられ、
入院、1か月後の1980年3月26日死亡する。

「シャトーブリアン――『ランセの生涯』」(1965)が、個人的な趣味も含めると、バルトのエクリ
チュールのなかでももっとも美しいもののひとつと言っている。
これの収録された(「プルーストと名前」とともに)「新=批評的エッセー」探さなきゃ
http://www.msz.co.jp/book/detail/04967.html

これは備忘のため(「小説の準備」でやたらと俳句が紹介されるが、どうもぴんと来てなかった)
田中倫郎『ロラン・バルトの「アナムネーズ」(anamnese) : 芭蕉の句「花の雲」のバルトの受取り方について』
       L'anamnese de Roland Barthes : Comment a-t-il recu "Hana no kumo", le haiku de Basho?
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004645471



582d(@∀@) 【東電 82.4 %】 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆ANOSADJXD6 :2012/03/14(水) 10:15:10.64 BE:122456227-PLT(13336)
>>576
それは別の東電さんだと思います。
DGのって、クリーヴランドのやつかしら。ブルドッグカメラ目線ジャケットの。
http://imepic.jp/20120314/363710
わたくしも大好きですが、最近暫くは聴いていません。
聴こうかな…春も近いことだし。
583G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/14(水) 10:27:40.62
>>582
そうか別人でしたか。

>DGのって、クリーヴランドのやつかしら。ブルドッグカメラ目線ジャケットの。

そう、そうです。
そういえば、おととい、はしご酒をする途中、銀座プランタンの前を通ったっけ。
584吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 13:57:11.65
>>576
このBBCのドラマ面白いなぁ、サンクスです
完全版もUPされてるみたいですね
585吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 20:36:50.89
>>571
http://www2.big.or.jp/~erd4/suisou/mm/gendai/
現代音楽はここを参考にいろいろ聴きあさった。
今みると、古典になっているのも多い。
「最新」を追っかけることもなくて、このサイトも古すぎるかも。

>>576
Thanks.
冒頭部分でもこんなに過激に過激に反応していたのか。

>>579
グールドはライヴのほうがいいけれど、CDで一番繰り返し聴いたのはブラームス「間奏曲集」。
曲順もこの順番でないと違和感を感じてしまう。

--
今日もはまったサイト
http://yokato41.exblog.jp/14859298/

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば
子どものころ住んでた路地の奥さ
そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね
--

そこに立ってるのが「一行のボオドレエル」であれば妙に納得。
プルーストの何千頁とドストエフスキーの何千頁を否定するつもりもないけれど。
586吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 21:41:05.13
>>531
自己フォロー
芥川也寸志(1925-1989)は幼少期、毎日『火の鳥』や『ペトルーシュカ』などを聴きながら遊んでいた、というwikiの記述は本人の文章で読んだことがあるので確か。
作曲されてから10数年程度の当時の現代曲を聴いていたことになる。

N響アワーは3月で終わるが、予告編ではチラチラと芥川也寸志が写っているので、楽しみ。
587吾輩は名無しである:2012/03/15(木) 20:54:43.71
>>571
どうもです。ここをあさっていたら、岡田暁生へのコメント発見。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/62305736.html

気になってググって見つけたサイトがメッチャおもろい。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101123/p1
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101119/p1

「春の祭典」初演のスキャンダル(p.47)
→ オリエンタルでエロチックな出し物などで話題だったバレエ・リュスのスキャンダルは、
騒動を起こすのも仕掛けのうちという一面があり、
無調路線へ特攻隊のように突撃していくクソマジメなシェーンベルクやベルクと同列には扱えないのではないか。
著者の記述は、芸術家の受難、聴衆の無理解を過度に強調して理解を歪める。
また、「春の祭典」初演をめぐるここでの岡田暁生の書きぶりは、
序文でモードリス・エクスタインズ『春の祭典』に言及しているにもかかわらず、
当然のことながらエクスタインズの周到な記述にはとうてい及ばないおそまつなものと言わざるをえません。
エクスタインズは、初演目撃者の様々な証言を引用した上で、その相互の食い違いから「真相はよくわからない」と距離を保ち、
公演を準備するバレエ・リュス関係者の「陰謀をたくらむような雰囲気」を指摘したうえで、
一連の騒動を「成功としてのスキャンダル」の小見出しのもとで総括しています。
こうした書き方は、ハルサイ初演の騒動が(少なくとも主催者にとっては)
「してやったり」であった事情を著者が示唆していると読むべきでしょう。
芸術家の受難、20世紀は創造行為が無理解に直面する不幸の時代である、
と一方的な悲観論に染め上げる岡田暁生より、
この見方のほうがよほど生産的だと私は考えます。)
588吾輩は名無しである:2012/03/15(木) 20:55:51.60
>>587 続き。
歴史家を志した人は、自分が歴史の決定的な瞬間の語り部になることを夢みるものなのかもしれず、
何かの「終わり」に立ち会いたいという欲望はその典型なのかもしれませんが、

岡田暁生の名前が、未だ十分に語られていない「クラシック音楽の終わりの始まり」を
他に先駆けて指摘・宣告した人物として記憶され、
それが重大な業績とみなされる、というような可能性はほとんどなさそうな気がしてしまうのですが……。
(ひとつの時代の「終わり」は大きなスパンで歴史を見直す好機だと思うのだけれども、
彼は、2つ前のエントリーで感想を書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101119/p1
終わろうとするものへ執着するあまり、
そこからはじまる20世紀を正視することができずに矮小化してしまう精神の持ち主であるらしいので。)

--
プロの物書きは違う。
クソマジメなベルクは大好き。抒情組曲などは鼻歌歌いながら聴ける。
589吾輩は名無しである:2012/03/15(木) 21:38:17.52
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110822/p1

吉田秀和の1960年代は、柴田南雄のケースとともに、「現代音楽」の爆走から、年長の仕掛け人たちがどういう風に距離を取ったか、
そして、戦争中に凍結・先送りされてしまった「青春」を解凍して生き直すような1950年代のスタイルから、
年相応の「中年」(柴田の場合は学生に囲まれた「先生」であり、吉田はサラリーマン相手の「文化人」)のスタイルへどうやって移行したか、
というところが、私には興味深く思われます。
自分自身が子供の頃の記憶として知っている「昭和40年代」は、こういう風にして出来上がってきたのだな、と。
「現代音楽」の前衛・実験運動を追いかけているだけでは見えてこない、オッサンたちの厚味みたいな部分ですよね。
60年代は、当たり前ですけれど、若者だけが生きていたわけではないのだ、ということでしょうか。

実はここまで書いて、不意に、渡辺裕先生は、フラフラして腰が定まらない感じのところと、
新聞における啓蒙という役回りにぴったりハマるところが、60年代の吉田秀和と似ている気がしてきました。
戦後サラリーマン社会のいわゆる「高度成長」に随伴した音楽評論家が吉田秀和で、
バブルの崩壊から団塊の世代の退職という、サラリーマン社会の黄昏を看取って、
その都度必要な処置をしているのが渡辺先生なのかもしれない、というような見取り図です。

東大系音楽人の歴史、というテーマはあまり評判がよくないみたいなのですが、
「東大とサラリーマン」だったら、吉田寛くんは無理でも、
たとえば、輪島裕介先生が、上手に読み解いてくださったりすることを期待してはダメでしょうか。
実際には官僚になる人たちが多そうなイメージがあるのに、
どこをどういう風にして、東大から、サラリーマンな方々の絶大な支持を得そうな言説が生成されるに至っているのか? 
齋藤十一がそうであるように、マスコミ側が適宜人材をピックアップしている、というだけのことなのでしょうか?
590吾輩は名無しである:2012/03/15(木) 21:57:33.88
たびたびですまそ。
http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110725/p1
(1) 根拠のはっきりしない「名声」を、標的としてロック・オン
(2) 一番声高な論者を徹底調査して、その論調における「近代」のバイアスを洗い出す
(3) 「近代とは何か」といったあたりの説明がちゃんとできれば、卒論・修論はOK
(4) 正当に資料を扱うことができて、勤勉に調べれば、学位ゲット間違いなし
(5) 当該ターゲットが音楽関係者の内輪ネタを越えて、一般の人の知る存在・現象であれば、新書のオファーが来るかも知れない
(ワクワク!「一流大学」の院生だったら、編集者のコネくらいトーゼンあるよね。なくても、学会の飲み会に行って「舎弟」になれば、「アニキ」たちが世話してくれるヨ!)
(6) ターゲットが、団塊世代のよく知る懐かしいネタで、彼らの「うっかりするとそう思ってしまうかもしれない思いこみ」との間にそれなりに落差のある結果を出せれば、あなたもサントリー学芸賞!
(7) 見事、大学にポストを得て、こうしたネタを3つか4つ集めれば、確率変動がかかって、あとはもう自動的に受賞の嵐!!
591吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 07:22:43.06
書けば書くほどネタ切れになる。
592G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/16(金) 07:48:46.23
>>587-590
サンクス。そのブログ、とてもおもしろいです。えらく、岡田暁生に攻撃的ですが。
インスパイアされるところも非常に多いですが、それは改めて。とりあえず。

実は「春の祭典」の5年前、1908年暮れ、ヴィーンでの、シェーンベルク初の無調作品「弦楽四重奏曲第
二番」の初演も大スキャンダルだった。新聞は、なんと「事故と犯罪」欄でそのときの模様を報道。「聴衆は
正真正銘の猫の鳴き声を聞かされているのかと思った。それにもかかわらず聴衆は静粛にしていた。第1楽章
が終った。そのとき立見席で喝采が起る。それがスキャンダルのきっかけとなり、騒ぎは雪崩のように大きく
なり、停止し、ふたたび起り、ついにフォルティッシモとなって鳴り止む……」別の報告では、「賛否両派が
激しく衝突するに至った。演奏中に野次り声や笑い声が起った。…聴衆の大多数は作品に反対する側に味方し、
多くの不協和音に悲鳴をあげながら優雅な婦人たちはかわいらしい耳をさっとふさぎ、中年の紳士たちは興奮の
涙をこぼした」。
593G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/16(金) 07:49:05.00
椎名亮輔「狂気の西洋音楽史――シュレーバー症例から聞こえてくるもの」(岩波書店、2010)232頁
から引用してます(シューマンの狂気が気になり、やはりシューマン生誕100年に2010年に書下ろし刊行
された奥泉光のミステリー「シューマンの指」講談社を昨日買い、結局、一気に読みとおしてしまった。文体も
凝っていて、結構、おもしろかった。参考文献の筆頭がグールド、プルーストの本も書いているシュネデールだ
ったことにも吃驚。マリリン・モンローについても書いており、狂気・神経症的なものに魅かれるタイプなのか)。

当時の聴衆は彼らなりに高い音楽的素養を身につけているとの自負があり、また熱かった。大戦へと向かう緊迫
した空気もあったのかもしれない。
1913年にパリでのスキャンダルは確かにディアギレフらにとっては目論見通りで「してやったり」という面
もあったのかもしれませんね。踊りやオケの練習が間にあわなかったためという説もあるようですが。指揮者の
モントゥーはその後巨匠となっており、役不足ということは多分なかったでしょうが(例の再現映像でもトレード
マークのちょび髭?を生やしており芸が細かい)。

ブーレーズによると、シェーンベルクは死に、イゴールは生きているですね。
エクスタインズの本、高価だけど魅かれるなあ。
594吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 10:29:56.90
吉本隆明さん死去 戦後の思想界担う
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120316/t10013761031000.html

浅田コメントあり
595吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 11:46:18.30
つまらん、お前らの話はつまらん
596吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 21:32:17.90
そうだねそうだね
597吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 21:59:18.50
>>595,>>596
おもろいネタ、待ってる。
598吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 22:03:59.65
>>592
>1908年暮れ、ヴィーンでの、シェーンベルク初の無調作品「弦楽四重奏曲第二番」の初演も大スキャンダルだった。

http://www.k4.dion.ne.jp/~jetter/cd/rite_notes.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89_(%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8)

「ペレアスとメリザンド」、「パラード」の初演もスキャンダルだったらしい。
当時は今みたいにかしこまって聴く、というカルチャーはなかったのかも。
ディアギレフはハルサイ初演のときはサクラを用意していた(?)という話もあるし。
599吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 22:07:16.06
>>594
「関係の絶対性」といわれても理解できなかった。
浅田のいう「大衆の欲望を肯定する独自の思想」はもっと後のこと?
600吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 22:09:00.93
やっぱり浅田は性悪だ。いやみを忘れずに付け加えている。三つ子の魂。
601吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 22:27:52.91
>>589
自己フォロー
齋藤十一(1914-2000)のwikiがメチャおもろい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%8D%81%E4%B8%80

新興宗教信者との結婚、教祖の事件(?)など、すごい個人史。
東大から共産党入党した渡邉恒雄とならぶ。
602吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 22:35:50.71
今日のプルースト
http://yokato41.exblog.jp/14870855/

人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。
自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、
もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、
こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 
感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。
情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、
分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト『囚われの女』)

……つまり、われわれとは正反対の人間よりも、むしろわれわれに似そこなっている人間がそそる反発がそれであって、
われわれはそうした人間のなかに自分がもっているよくない部分を見せつけられるのであり、自分がやっとそこから救われた欠点が、
いまの状態になるまでに自分が人からそう思われていたにちがいなかったものをいまいましく思いださせるのである。「ソドムとゴモラ」
603吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 23:36:16.29
>>600
吉本隆明は「共同幻想論」と「マチウ書試論」だけあれば十分。浅田はここをつっこまないだけ。
604吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 23:38:07.53
十分な筈ないだろう。また浅田厨か、邪教徒こそたちが悪い。
605吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 02:54:56.58
浅田は寄生虫。
606G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 05:19:00.88
プルーストが絶対に言わないであろうフレーズ集

>ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろう 
http://homepage2.nifty.com/yamadakenji/yoshimoto.htm

>一杯の茶を飲めれば、世界なんか破滅したって、それでいいのさ
http://www.meigennavi.net/word/035/035070.htm

>世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html


607G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 08:01:57.58
>>594
wikiより
>「反核」が「反原発」に、そして「エコロジー」に収斂するのは、「ぞおっとするほど蒙昧だ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%98%8E#1980.E5.B9.B4.E4.BB.A3

俺も原発については、やめた方がよいと考えているが、どうもある種の人たち・市民グループ(団塊に多い
ような)の政治性はダメなんだよなあ。吉本のとっつぁんのこういった物言いにむしろ共感してしまう。
(脱原発は、リスクゼロでなければいけない施設だがそんなこと不可能であることと核燃料廃棄物処理の方
法がまだ確立されていないことの2点において。でも、プルトニウム保有→日本の核武装、再軍備、軍国主
義化といったことを未だに言う人たちは俺も蒙昧だと思う。署名集めも大嫌いだし)

念頭に週刊誌に載った発言、及び娘のばなな(銭湯や新幹線、チェーン居酒屋でのあんた何様?という
発言が話題になって以来、印象は悪いが)のフォロー
http://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/news/1325743127/
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/newsplus/1326253898/
http://logsoku.com/thread/hayabusa2.2ch.net/news/1325821818/
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/newsplus/1326262557/
http://logsoku.com/thread/hatsukari.2ch.net/news/1312762943/

最晩年の吉本をピエロに仕立て上げたのもあの「週刊新潮」だったのね
http://www.tanteifile.com/watch/2012/01/05_01/


608G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 08:05:03.48
>>601
>齋藤十一(1914-2000)

往年の「週刊新潮」のヤン・デン・マンってこの人だったんですね。
週刊新潮の「所詮、この世は色と金」というスタンスはだんだん鼻についてくるけど
人権屋蔑視なところには共感するものもあったけど
子どもの頃、「黒い事件簿」のエロシーンをwktkしながら読んだなあ

新潮45もこの人の肝入りで路線が決まり、人気雑誌になったんだな
5年ほど前、当時の編集長中瀬ゆかりと作家の岩井志摩子のトークショーをみた
ことがあるが、へたな漫才よりずっとおもしろく、腹を抱えっぱなしだった。
(仲間の中村うさぎ「愚者の道」は亡池田晶子よりもずっと哲学的だ。SFがそうである
ように。自らを風俗嬢にするというラディカルな人体実験)
そのとき、オフレコということで橋下徹のエピソードを岩井が話していたのを思い出した。
その後、テレビでも話しているみたい
http://ameblo.jp/abisuke123/entry-10064982689.html(俺は時給うん十万円の男、
「時は金なり」ということか)
http://www.asyura.com/07/senkyo45/msg/542.html(府知事になる直前のwiki。ナツい)

内田樹までも人格攻撃的反橋本キャンペーンに一役買ったのにはがっかりだが、橋本に
喝采する2ちゃんの風潮にも違和感を感じる。


609G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 08:06:06.38
スレちになってしまったけど

>>598
どうもです。
wikiみると「ペレアス」の初演で野次った中には、原作者のメーテルリンク自身もいたようですね
サティ「パラード」はアンセルメが振ったのか。

「ペレアス」がでてたきので、>>139の自己フォロー
>プルーストは確か、電話でオペラ 全曲を聴けるサービスなども利用していた。

タディエの評伝下193頁にありました。テアトロフォン。
>予約登録すると、国立劇場をはじめ、ヴァリエテ座やヌーヴォーテ座、さらにシャトレー座、
スカラ座、コロンヌ管弦楽団などの公演が自宅で聴ける

1911年2月20日ワーグナー「マイスター・ジンガー」第三幕
           ワーグナーのオペラなら「ほとんど空で憶えている」「音響が不充分なのは自分で
           補っている」*脳内補完ってやつだな。
        21日ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」全曲
           遅ればせながら(初演は1902年)「いささか圧倒された」


「パラード」はコクトーと親交を深めていたので、1917年5月18日の初演ではないけど、同月21日に
シャトレ座に観に行っている。タディエ評伝下286頁。
>初演はスキャンダルとなり、公演は月末には中止された。

 
610G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 08:06:38.05
>>602
>われわれに似そこなっている人間がそそる反発

うまい表現だなあ。

>瞬時性の便利の追及に汲々としている二〇世紀末のメディア空間における、
情報論的な早漏とでも形容すべき快楽の不在(松浦寿輝『帝国の表象』)

うまいんだけど、それが嫌みに感じられる。シェー!

611G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 08:13:16.65
>>600
かつて中森明夫はニューアカブームの思想界のスターを赤塚不二夫の漫画のキャラに見立てた。
蓮實重彦=イヤミ、浅田彰=チビ太、中沢新一=ハタ坊、当時の若手批評家たち=全部まとめて六つ子
http://nnnnnnnnnnn.tumblr.com/post/55120472/80-gs

松浦寿輝も、「ウサギのダンス」(1982)等により、新鋭の詩人・評論家として頭角を現わしていた。
現代詩文庫(1985)では吉岡実が推薦文を書いている。
朝吹亮二、吉田文憲、松本邦吉、林浩平との同人誌「麒麟」。池袋西武の地下の詩集専門店で5号くらいま
で買った。人に貸したきり返ってこないけど。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/1126/pedestriantext2.html
612G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 08:18:05.38
>>600
確か、浅田彰は、吉本隆明の「言語にとって美とは何か」を読解不能と一蹴してましたね
(出典は不明だけど)。
http://essoeli.exblog.jp/11855560/

文芸誌「海」はフーコーと吉本の対談を企画し、1978年、実際に行われている。
http://anond.hatelabo.jp/20090103034023(匿名だけどこの人何者?)
通訳は蓮實重彦がつとめたとか。未読だがおそらく話は噛みあわなかったと思う。この企画
は暴挙だったんじゃないかという気がする(ためしに見てみるか)

フーコーでは渡辺守章らとの「哲学の舞台」がわかりやすく、入門書としてもいい。
生権力等の概念もよくわかる。渡辺とフーコーの対談も収録されている。
http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-209.html
http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/pages/9784255003900/

禿頭のフーコーは、精悍なゲイという感じ。
ロラン・バルトやプルーストの女性的な佇まいとは対照的。


613G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 09:18:51.96
>>611  自己フォロー
ふきまん、こと朝吹真理子って、朝吹亮二の娘だったんだ
娘は1984年生まれだから、「麒麟」の同人やっていた頃にパパになったと
いうことになる。
四代続けて慶応だし、亮二の叔母は朝吹登水子だし、その娘由紀子(亮二の姪)
も母を継いでサガンなどの翻訳家。
そして、その夫はプルースト研究者の牛場暁夫ではないか。

祖父母の兄弟姉妹の系統は出ていないけど家系図
http://sassasa1234.seesaa.net/article/181185949.html
例によって小谷野敦の「日本の有名一族」(幻冬舎新書、2007)でも取り上げている。
614吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 10:10:15.59
>>613
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%80_(%E8%8B%B1%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%80%85)

吉田健一が麻生太郎の伯父というのが、どうしても理解できなかったが、wikiで、
「父の没後は妹麻生和子(元首相麻生太郎の母)とは、余り折り合いは良くなかったようである。」
と見てから妙に納得してしまった。
615G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 10:39:29.26
>>607
×念頭に週刊誌に載った発言
○年頭に週刊誌に載った発言

あの騒ぎは2009年8月か、文学板でのスレ
http://www.logsoku.com/thread/love6.2ch.net/book/1250427458/
http://ameblo.jp/rocky-dog/entry-10323572513.html

616吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 11:31:27.95
>>590 続き。
http://homepage3.nifty.com/MASUDA/tsuratsura/tsuratsura3.html#99-05-27
音楽学業界のWEBをあさっていてみつけた記事。メチャ笑える。
617G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 12:06:27.29
>>614
麻生太郎の家系図(吉田健一はでていない)をみるととんでもない名家・セレブですね。
父方の麻生家は九州の炭鉱王(セメント会社等も興す)の家系。
http://kingendaikeizu.net/seizi/asou.htm
http://www.aso-group.jp/history/100years.html

吉田健一の「東京の昔」でプルーストを研究している学生を、秘書という名目で留学させてやる
実業家が登場しますが、そういった大金持ちが身近に何人も当たり前にいたということか。

白洲次郎のwikiをみると、吉田茂退陣後、健一に政界入りを勧めたとある。もちろん断っているが
ケッケッケッと奇怪な音をたてて笑う、「いい顔」(特殊漫画家根本敬の用法だが)の首相が登場
したらおもしろかったかも。
http://logsoku.com/thread/love6.2ch.net/book/1007037081/
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page342.html

吉田茂のwikiをみると吉田茂の実母は芸者らしく、自身も、雪子夫人(大久保利通の孫)没後、愛人
だった芸者小りんを後添えにしている(これにより息子健一との仲がぎくしゃくした)。
雪子夫人がカトリックだったこともあって、吉田家は全員信者で吉田茂もカトリックに好意を持ち、
死後受洗しているが、健一だけは信者でなかったとあるのも興味深い。

河出からでた吉田健一のムック本、最近買ってまだ読んでいないことを思い出した。
生誕100年になるんだな。
http://www.amazon.co.jp/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%80----%E7%94%9F%E8%AA%95100%E5%B9%B4-%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%96%87%E5%A3%AB-KAWADE%E9%81%93%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%B8%96/dp/430974043X/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1331952601&sr=8-3

618吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 12:14:29.07
Gの占有を誰か排除してくれ2chの方よ
619吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 12:29:46.36
ウザイからNGNameに登録したよ。
620G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 12:48:30.62
>>616
どうもです。「プルーストと音楽」の著者ナティエの「音楽記号学」もでてきますね。

専攻分野反転の法則、確かにチョー笑える(宮崎吐夢のペリーの口調)
 http://satoumizu.com/ (なつかしの砂糖水フラッシュ。「ペリーの肉声」
     クリックするといきなり、いかりや長介の声が飛び出すので注意)

「医者の不養生」「紺屋の白袴」の類ですね。精神医学者ないし精神科医も。
筑摩学芸文庫の中井久夫コレクション『「伝える」ことと「伝わる」こと』(2012・2・10)より

>治療者で心身症の持主は多い。神経症の治療者にチックが多く、精神病の治療者に心身症
が多いという印象をもつがまちがいであろうか。神経症を主に治療している人たちの学会や研究
会におけるチックの多さに一驚したことがあった。皆さん、いっせいになさるのである。同調性集団
チック。110頁。

中井自身によるあとがき
>次の巻はヴァレリー論など書評もふくめて精神医学以外の分を集め、それでこのコレクションは
完結する予定です。

プルースト関係も収録されるかな。
621G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 12:50:40.78
>>619
大歓迎(あっ、これ見えないんだっけw)
622吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 15:01:14.74
Gの占有を誰か排除してくれ2chの方よ
623吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 15:06:01.10
ここも名無しゆうすけか
624吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 15:15:19.74
また冤罪
625吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 15:53:38.01
>>617
プルーストを原文で読み通す日本の首相なんてunbelievable!!!
逆に言えばだれが首相とか大臣になっても円はデフォルトもならないし、放射能で汚染されても少なくとも東京周辺の日常生活は何も変わらない、日本は素晴らしいところです。
これは、冗談ではなくマジに本気。
でも、法学部出た大臣が芦田解釈を知らないというのは、パンキョウで教わった元理系としては理解できないのは確か。

626吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 15:56:12.80
ばかだなあ。
よしだしげるって、はいせんのしょうぐんのてんのうをかつぎあげるせいどをもっかいつくっちゃったひとだよ。
こくみんのそういとかうそついて。
627吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 15:57:47.82
みんなわるいやつがすきなんだなあ。
628吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:03:21.65
しかも、かねもちを名家というとか、Gっていうひとはあたまがわるいね。かわいそう。
629吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:13:12.64
いいーにぎわってきた!Gの読書感想文発表会、秋田
630吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:18:14.66
あのねーこれほんとだけどねえ、あそういえってばかだよ。かねもちだし。

あそうたろーってね、天皇げんしゅにするっていってるんだよ。
どのくにもね、おうさまはね、めいもくなのに。王さまをね、まもるためにだよ。
だからね、よしだしげるがやったことわかってないの。
よしだしげるってしんせきに皇族と婚姻したひとがいたから、それでてんのうせいどをむりやりまもっちゃったわるものだよ。

それなのにいま、またせっかくまもった天皇をもういっかい政治家にしたらだめじゃん。ばかだなやっぱり。
631吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:18:54.37
そういってもGは楽しく独演会を開くから無駄なんだよ
632吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:21:30.13
家系図を持ち出したのには。。。
633吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:25:55.30
かねもちって名家じゃなくて旧家だよ。だっておかねもってても名誉じゃないもん。
おかねっておひとよしがもらうもんだよ。どうせうらまれるのに。
634G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 16:28:26.34
名家に尊敬・崇拝の意なんて込めてないよ。ただ辞書的に使っただけ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AE%B6(名家と旧家はぼ同義といってもよいかな)
明治維新の時期に活躍し生き残り、元老等になった人たちが、侯爵だの子爵だのと貴族になった
だけ。それは将軍家、摂関家等に遡っても同じこと(不敬罪とかいわれそうなのでこの程度にするが)。
暴力(暴力を掌握するための財力も含む)でみな成りあがっている。
ただ、そんなものも何代か続くと、なんとなくありがたみを帯びてくるというだけ。


635吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:30:21.84
うぃきぺでぃあって風評ぺでぃあじゃん、なんであんなの引いて権威ぶっているのか。

公家の格式って商売の成功ででてきているんじゃないよ。えらいひとかどうかだよ。
636吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:37:11.64
2chでもスレ独占では有数のGのプルーストスレか。。。。。。
637G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 16:39:42.66
名家といったからといって俺が尊敬しているわけでないのは>>634のとおり
公家の格式も歴史を辿ればみな暴力による成りあがり(フォークナースレ
で散々書いたから繰り返さないが)

家系図についても同様。江藤淳みたいな家系自慢など反吐が出る。
638吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:41:32.24
>>634
>>493「新しい最上流階級は相互に縁組みを重ね、社会を陰から支配する」
の延長と読んでいたけれど。
639吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:43:41.80
Gはまちがってる。名家という言葉は間違っている事を指摘しているのにきづかない。辞書的な意味でもなく、使い道がまちがっているんだよ。
640G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 16:43:53.03
>>638
どうもです
実はそうなんですよね だから家系図のサイトやら小谷野敦の新書に触れた
641吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:44:49.51
G!G!G!
642吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:48:49.03
一代貴族であれ名門であれ、あるいは天下の皇族であれ将軍家であれ、
名義を誤解させる文脈で使うと社会に混乱を及ぼすからいけない。

不義にして富み且つ貴きは我に於いて浮雲の如し。こういうことだよ。
643G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 16:53:02.40
>不義にして富み且つ貴きは我に於いて浮雲の如し

もちろん異論なし。
ただ、例えば、吉田茂は不義とか、岸信介は不義とかそう簡単に割り切れない
そもそもあまり知識もないのでわからないのだ
644吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:53:09.21
このスレッドやFaulkner threadの前半で、
僕の名前を盗んでGやアセンションという固定ハンドルと相互につかったりしながら、
社会の中の「個性」を誤解させている村上春樹という人物。

この人物が名家だろうか。かんがえてみればいい。不義の者は汚名を得る。
645吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:55:30.76
おーおもしれぇー変な奴でてきた
646G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 16:58:38.69
不義であっても、貴き(貴族ですね)であれば名家と呼んでもおかしくないのでは
まあ、そんなに拘ることではないのだけど
名家の辞書的意味を調べたり、シソーラスも見てみた。まあ、勉強にはなった。

これが最初
>>628
>かねもちを名家というとか、Gっていうひとはあたまがわるいね。かわいそう。

647吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 17:02:15.75
ではそのままその言葉を使って行ってみればいい。
名の乱れは正不正を見分け難くする。
あなたが不徳の為に失敗するばかりだろう。

あなたが実際にしている業通りの事だ。
名家を貶め、旧家を貴び、不義を論わない。結果は汚名だ。
648G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 17:06:47.04
>名の乱れは正不正を見分け難くする。

ある意味賛成なんだよね。でも「名家」には名実ともに兼ね備えた
というコノテーションはないというのが俺が今まで日本語に接して
きた経験に基づく実感だ
今回を機会に今後もしかして変わるかもしれないけどね
649吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 17:10:15.05
富者や貴族なるものは名前によってその程度の名を得るのではないのだ。
吉田茂の業を見る者がその名をつける。だから名が先にあるのではない。
650吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 17:11:42.98
蟑螂=G
651吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 17:12:23.22
くだらねえー
652G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 17:20:16.08
>>532
>プルーストは、作曲家のレーナルド・アーン宛1914・1・15付書簡で、アーンの1913・
6・2付「デパ」紙での「春の祭典」初演評に触れているものの、自身は1913・5・29のシャ
ンゼリゼ劇場での初演には立ち会っていないみたい。

訂正。
タディエの評伝下221頁
>(1913年)5月29日には、『春の祭典』の初演に立ち会った。ニジンスキーのすばらしい
バレエで、カルサヴィナが一緒に踊り、ストラヴィンスキーの音楽は傑作として後世に残った。
舞台装飾を担当したのはバクストである。舞台がはねたあとプルーストは、作曲家をはじめ、
ディアギレフ、ニジンスキー、コクトーとラリュで夜食をとった。

注をみると、プルーストの書簡が唯一の証拠のよう(日本語版の全集には収録されていない
書簡と思われる)
653吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 17:30:49.93
GHQのマッカーサーとの交渉を、
国民の総意という名目を借りて当時の間接占領下で独断的に進めた吉田。
その意図は、上述の親族の地位を統治終了後も有利に進める為だった。
 吉田・麻生の能を見ると、彼らの意識では皇室主義を誓っているに過ぎないが、
現実には民主政にとっての総意を初めに欺いた寡頭または独裁主意の人物だった。

 この人物評を無知な村上と、Franceから書き込みする九州人の平野が風評化し無闇に誉めたので注意したのだ。
名は名によって名誉を得るのではなく、徳の名義に過ぎない。「徳を撒く者は名声を刈る」。
654吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 17:41:02.21
Uが暴れてるな
655G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/17(土) 17:53:32.04
>>633
>おかねっておひとよしがもらうもんだよ。どうせうらまれるのに

これはなかなか深い。金は手段に過ぎないからな。
だから、人はなんらかの権威(それは宗教的だったり世俗的だったり、あるいはその
両方だったりする)を発明し、それを希少財とし、独占ないし寡占したがる。
王家、貴族の称号等もそれだろう。
(権力を持てば法律や制度を作り、金を取り上げてしまうことも可能だな。税法等で。
自分は取られないよう都合よく作る。頭のいいやつはそうする。ドラゴン桜みたいだが)
http://www.youtube.com/watch?v=QITrNmqXsNE

といっても恨まれるほどの金を持ったり、自由にできたりすらできない人が大多数なわけ
だけど
656吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 19:48:12.29
>>653
>GHQのマッカーサーとの交渉を、
国民の総意という名目を借りて当時の間接占領下で独断的に進めた吉田。

あなた、近現代史のこの10年の研究読んでないね。
この10年ー厳密に言えば20年くらい前だがー天皇のマッカーサーとの
会談で、非常に政治的に昭和天皇が動いたことが明らかになっているけどね。
657吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 00:32:44.08
>>617,>>643
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page152.html
「岸信介証言録」
図書館でも探してみるか。元首相の孫よりは読む価値がありそう。
658吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 00:36:45.94
>>656文献なしに風評を流すべきではない。
659吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 07:08:12.84
>>658
>文献なしに風評を流すべきではない。

・昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)豊下 楢彦 2008
風評って、あなたが上記の文献を知らんだけでしょう。
660G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/18(日) 07:45:56.54
>>625
日本国憲法9条2項に「前項の目的を達成するために」を付加した例の芦田修正
ですね。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120209/plc12020903080004-n1.htm

芦田メモなるものもあったはずと検索すると4件目で早くも芦田愛菜が出てきて
しまうw
それでも、2ちゃんの日本国憲法無効論についてのかなり真面目なスレがあった。
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1326324161/283
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1326324161/
往年の宮沢俊義の八月革命説、そのバリエーション(に俺には見える)たる
佐藤幸治説なども原形のまま紹介されている。

>>656
1989年に昭和天皇が崩御するまでは言いにくかったか。
1990年に昭和天皇独白録が公開されたこともあるだろう。
吉田裕「昭和天皇の終戦史」が岩波新書から1992年に出ている。

>>659
>昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)豊下 楢彦 2008

読んでみようかな。
とりあえず、昭和天皇のwikiをみても結構詳しい。

>>635
>うぃきぺでぃあって風評ぺでぃあじゃん、なんであんなの引いて権威ぶっているのか

多分、この人は自分が権威ぶりたいんだな。
wikiは鵜呑みにはできないが、現在のレベルだとかなり有用だしとっかかりにもなるのは自明だ。
極端にwikiを否定しようとする人は何か抱えていると推測するきっかけにはなる。
661吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 07:50:19.75
>>660
スレ違いだけど、現代史は60年経たないと手を付けられないというのは
戦争責任についても、南京事件などの出来事についてもあるようです。

それと、60年は世代が変わったということなので、史実の確定が
いらない雑音まみれになる虞がある。
662吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 08:15:52.34
>>660
どうもです。
理解していなかったが、大臣はこれが最善の回答だったのかも。
さすが官僚の模範回答にはかなわない。
663吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 08:22:46.69
きもいw

どうもです。
664吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 08:25:05.26
ウィキペディア原理主義が一種の社会的偏見装置として最も危険なものだからだよ。
技術的に世論操作できるから洗脳が起こる。村上春樹の項目なんか誰も信じていない。
665吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 08:32:42.44
>>664
村上春樹のwikiは初めてみたが、ワロタ。
ある意図で引用すればここまで歪曲もできる、といういい例。
666G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/18(日) 09:06:44.70
>>664>>665
いつの間にこんなに詳しくなっているんだw
そのうち、関係のある人物で小澤征爾も加えられそう

ただ、すべて出典が明らかというルールは守られているな。
例えば、アメリカでも大きな影響力があるというのは柴田元幸の
個人的見解であることがわかるように書かれている。
否定的評価も紹介されているし。
国民的作家というのは「ノルウェーの森」以降の発行部数をみれば、
別に間違っていない。それでも海外での売上げの方がすでに上回って
いるというニュースを見たことがあるが。

ただ、全体としては賞賛で、ノーベル賞を意識しているように感じられない
でもない。文章も英訳しやすいよう配慮されているように見える。
でも提灯記事とまでは思わないな

ウィキ原理主義については、あえてウィキをみないでそれ以外から情報収集
したからといって、よりバイアスのかからない知見に到達できるかという問題
がある。wikiもソースのひとつ、それも大抵の場合情報がよくまとまったソース
と割り切って使う方が賢明に思えるのだが

ついでだが、このwiki読むと浅田彰ってほんとに口ばっかりの嫌な野郎に見えるw
個人的には公的なスピーチでほんとろくでもないと思った筆頭は蓮實重彦の
東大総長時代のスピーチなのだが。浅田はけなしているかな。

最後に、プルースト御大のwikiがこのスレの名誉教授石木隆治先生の本を基調に
していることは喜ばしい。
667G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/18(日) 09:11:31.13
>>661
60年というと世代は二交代、生き証人がほとんど死滅するスパンですね。
名誉棄損を気にする虞も低くなる。
戦犯として死刑になった東條英機首相の孫娘は祖父の名誉のために独白録
から昭和天皇が東條を高く評価していた箇所をひいていますが。
http://www.tojo-yuko.net/publish/dokuhaku.html

数年前、友人と靖国神社境内を散歩していた際、東京裁判のパール判事についての
講演か何かのポスターが貼ってあった。友人といかにも靖国らしいなあと冗談めいて
その前で立ち話していたところ、老齢の婦人が我々に歩み寄りに話しかけてきた。「パー
ルさんって本当に立派な人ですねえ」と感に堪えない面持ちで言う。今でも戦犯扱いされ、
合祀に異を立てられている夫や父親のために参詣している人もいるのだと、胸をつかれ、
何も言えなかった。みると、境内裏手には憲兵の遺族の記念植樹があったりする。

俺の子どもの頃は憲兵や特高など悪役扱いもいいところだった。自衛隊も。

あと、作家の評価なども60年くらいしないと定まらないところがあるかも。死後ではなく
作品ベースかな。
668吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 09:15:26.62
ウィキ批判知らない? 少なくともアメでは下層メディアで、2ch扱いのページだろ。
質が落ちてからはより専門的な執筆があるページに関心移った。
実質、マジキチの恣意的な削除・ブロック厨(寡占状態)と専門家ぶったキチガイ中学生の落書き場。これマジね。
2chと変わらん。
669吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 09:27:23.94
そんなことよりゆうすけはぷるーすとよんだの?
670吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 09:32:29.44
>>667
>俺の子どもの頃は憲兵や特高など悪役扱いもいいところだった。自衛隊も。

完全スレ違いなので、最後にするけど、2000年前後に自虐史観云々の
修正歴史主義者が前面に出てきたのも、Gが上記書いているようなことが記憶に
ない世代が、20代を越え民族主義者や修正歴史主義者の歴史観が大手を
振るって語られるようになったからだ。

でも、昭和天皇の戦争責任がなかったかということは、今は80歳越えの
天皇の兵士として戦った人たちにもう一度聞いてみたい気はする。
671G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/18(日) 09:33:57.06
>>668
知ってるよ。アメリカで2ちゃん扱いされてることまでは知らなかったが。
といっても俺はバイアス修正のために2ちゃんニューススレものぞくことが
多いくらいだが。便所の落書きの中にぽつんとほんとの情報らしきものが
混じっていたりする。これも多くのソースのひとつに過ぎないけど。

専門家ってのが意外とあてにならないという経験則もある
人間ってのが自分の培ってきたものや飯の種を否定されたくないばかりに固陋な見
解にしばしば固執する特質を持っていることから。
そもそもどの専門家が信用できるかすら、部外者にはなかなかわからないし。

例えば、医学者・官僚としての森鴎外が、脚気の原因につき細菌説に固執し、
ビタミンB1欠乏説に耳を貸さず、白米食を改めず、戦場で多くの兵士を見殺しに
してしまった例など
http://homepage3.nifty.com/ymorita/neta5.htm
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/moriougai.htm
慶応医学部卒の作家・精神科医のなだいなだはこれを理由に作家としての鴎外
まで否定しているかにみえるけど、それもちょっとなあ。
672吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 10:11:58.91
いい加減な言説かどうかはそれを聞いたり読む人の理解度によるもの
アホは騙される
例えばこのプルーストにしたところで
原文読まずにどうこう言ってる人の話がどれだけいい加減か分かるが
読む能力なかったりそんな基本的な誠実ささえ持ち合わせていない輩は
喜んでアホのままでいる
Gなんか典型的
673吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 13:30:07.39
というそれこそ曖昧でいい加減な言説
674G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/18(日) 13:31:43.40
>>672
久々の原文厨さん登場ですね。予定調和的に、見事に具体性がない(こういうのが
知的不誠実の際たるものと私は考えます。大事なのは反論・反証可能性かな)
せめて、この世界でだけでも、人をアホにして、自分がつかの間、悧巧になった
つもりでいたいタイプのようですね。
巡回すると他スレでも春になると多く湧いてくるように見えるのは、精神の不安
定の度合いと連動・比例しているからだろうか。

これまでしているのは基本的理解に到達するのにwikiが有用か有害かのレベルの
話でもともと嘘が見破れる程度に理解していれば苦労はない。
まあ、たとえば>>672さんの言説は口調からして信用ならんといった理解以前の
撥ね方もあるにはあるが(そもそも日本語ができなさそう等)、うっかりTPP反対論者
の中野剛志さんといった人まで撥ねかねないのでできるだけ避けている。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/3992098.html

>>628>>639
金持ち=名家などと夢にも考えたことなく、麻生太郎の家系が名家でセレブと
書いたが、それは父方の家系だけでなく、母方に子爵、伯爵がいることを踏ま
えていることは読めばわかる。そのあと、九州の地方財閥である父方について
書いているにしても誤読・曲解といってよいレベルだろう(何より、ばかだとか
頭悪いかわいそうといった悪意ある書き方にこの人のタイプは端的に現われてい
る。前述の自分がこういった場だけでも優位に立ちたいタイプ。と言われると、
これは意見に過ぎないとか、親切に指摘してあげたのにと恩に着せる常套パター
ンが見られるぞ)

久々に毒を吐かせていただきました。
675G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/18(日) 13:33:24.68
>>673
すまん、かぶった。

>>655の自己フォローからプルーストへ

税の申告の時期になると「ドラゴン桜」の桜木弁護士が、三流高校の経済的
再建のため、教師として乗り込んだ際の就任の挨拶を思い出す。最初見た時
凄い迫力で思わず説得され、身につまされてしまった。
http://howtojuken.seesaa.net/article/33538296.html

金は手段に過ぎないなどと書いたがそう割り切れるものでも実はない。
貨幣については考察するときりがない。物神性だのなんだの。
財一般についてもポトラッチとか。

プルーストの金銭の使い方もホテルでしばしばパーティを開いたり、やたらと
高価な贈り物をしたり、法外なチップをはずんだりとばら巻きといってよいが、
結果としては生涯をかけた作品をつくるためにすごく有効利用されている。
四重奏団を自室に呼んで演奏させたりもしているし。

ドストエフスキーは賭博に金をつぎ込み、ほんとうに素寒貧になるまで作品に
着手できなかった。妻もそれを知り、容認していた。
(今なら、ギャンブル依存症で治療の対象だし、自己破産する際にも、免責
不許可にならないよう、管財人がつき反省文を書かされるレベル)

彼らなりに正しい金の使い方をしていたというか、何が正しいのかなんてほんと
にわからないということ。
676吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 15:20:44.22
バカにつける薬はないが
原文厨という言い方がムカついたので無駄だとは知りながらバカに注射してみる
ある文学作品を理解するときには
その原文を味わうことが基本だろよ
それができなければあんまり偉そうなこといえない
ウィキとかもいっしょ
原典にあたってなんぼだろ
677吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 15:45:08.10
http://www.tatsuru.com/columns/simple/24.html

「私はアルベール・カミュ氏に生前一度だけ会ったことがある。それはガリマール書店の事務室のことであった。
何を話したのかもうほとんど忘れてしまったが、小説についての一語だけは覚えている。
『なぜ小説を書くかって?小説だけが翻訳の可能な形式だからですよ』。
私はこの意見に賛成する。」(「日本語I」(加藤周一著作集7,p・207)

アルベール・カミュ氏はいつでもものごとを正確にみつめている。

--
カミュの言うとおり小説は翻訳可能か、また他、たとえば哲学は翻訳できないのか、整理すればいいんじゃない?
詩は翻訳不可能、というのはわかりやすい。
678吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 15:57:14.45
676はまず己から始めよ
679吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:02:37.84
文学作品は、原文でなければの一番の難点は、日本はありとあらゆるものが
翻訳されているから、原文を読めなくても、不都合はあんまりないんだよな。

それと、2ch有数の読書感想文スレ、スレ主としてのGは、翻訳であると解釈や
本質が捉えきれていないかな?ということは、書いていない。ある程度文学
関係の本を読んでいないと分からんかもしれんが、とんがった変な解釈も
してない。

なので、少し不当な物言いだと思うぞ。
680吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:10:40.21
>>677
翻訳の可能性と原文厨とは問題が違う
原文厨という批難に含まれる
原文でなくてもオッケーという開き直りが嫌なんよ
なんでもそうだが物事を突き詰めて考える姿勢にかける人はダメね
フランス語をちゃんと勉強して読めよ
日本の小説を仏訳や英訳読んで分かったようなこと言われたときの違和感を考えてみ

>>678
おれがどうこうってのは別の話な
681吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:14:58.85
>>680
>日本の小説を仏訳や英訳読んで分かったようなこと言われたときの違和感を考えてみ

でもさ、その外国人がいくら勉強したって日本人が読んでいる感覚なりと
同じになるかどうかは、分からんしょ?

いいんだよ、一般人は翻訳で読めば。研究者はそれはありえないけどさ。
682吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:17:01.22
>>679
解釈の問題とかじゃなくて
その作品が好きになればちょっと努力してオリジナル読んでみましょ
といってるだけで
どこが不当な物言いなのか分からんな
683吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:22:46.75
>>682
>その作品が好きになればちょっと努力してオリジナル読んでみましょ
といってるだけで

あのね、ちょっと努力してプルーストのオリジナル読めるわけないけど。
原文を読んだことがないこと、自分から暴露してちゃあ話が続かないよ

684吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:27:15.16
>>681
そんなこといったら日本人がいくら努力したってプルースト分からんことになるだろ
その作品が書かれた言葉の理解は大事だってのは基本だとて言ってるだけ
翻訳だけでもいいさ
ただ、そのレベルから専門家のような態度をとりたがるから
それは違うだろってこと
685吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:34:02.55
>>676
>原典にあたってなんぼだろ

>>682
欧米で、Bibleをヘブライ語とアラム語で読むのが日常的、とはおもえないが。
プルーストだったら、原文読むために初級フランス語を勉強して読む価値は十分ある。
686吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:43:51.82
Gは癖はあるが
べつに害はないのでいい
もっと勉強したいなら大学いけばいいのでは?
ここは適当にだべる場でいいと思う
687吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:45:28.07
それじゃあ、皆さん自らが率先して、このスレでプルーストの原文を引用し
議論をしてくださいな。

Gはそんなことお構いなく、今まで通りやると思うよ。でも、それは別に
何の問題もない。原文派とG派が別個にここでやりとりをすれば、何の問題も
ない。

それでいいじゃない。じゃあ、原文派の皆さまどうぞ始めて下さい。
688吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:57:22.95
>>687
原文派とG派って・・・
その区分けの意味分からんw
G派のように原文を読まなくても楽しめればそれでいいと思うけど
原文味読してるのが原文派だったら
そういう人からはレベル低く見えるだろうね
689吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 16:59:56.33
>>688
>原文味読してるのが原文派だったら
そういう人からはレベル低く見えるだろうね

そんなことどうでもいいだろう?互いにやりたいようにやればいいじゃない。
レベルが低いとか高いとかそれがどうした?
690吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 17:51:43.62
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page190.html
荒川洋治 「忘れられる過去」 [みすず書房 2003年7月25日初版]

たとえば「文学は実学である」という見開き二頁ほどの短い文。
その書き出し。「この世をふかく、ゆたかに生きたい。それが文学のはたらきである。」 
しかし、自分の目で見たものだけが現実であると思うひとが増えたので、文学は空理、空論であると思われるようになってしまった。
文学者も「文学は世間では役に立たないが」と前置きして話すようになってしまった。
だがそんな卑下はしてはいけない。文学は実学なのだ。ある文学作品を知ると知らないとでは人生が変わる。
「それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を一変させるのだ。
文学は現実的なもの、強力な「実」の世界なのだ。文学を「虚」学とみるところに、大きなあやまりがある。」

--
プルーストとその関連でこういう話ができれば十分だけれど。
691吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 18:05:10.32
原文読めない奴ほど他人に原文読めというのが2ちゃんデフォだから 笑
692吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 18:22:49.86
http://www.tongariyama.jp/weblog/2012/02/post-0f25.html

ディアギレフの新しい本が出ているのを知らなかった。田舎住まいで地元の本屋になくて、都内で立ち読みする予定。
693吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 18:43:29.94
日曜、いろいろありましたが、Gこれからもいつも通り、ヨロシク!
694吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 19:59:00.69
>>日曜、いろいろありましたが、Gこれからもいつも通り、ヨロシク!

実はこういうアホの岩盤が一番固い
ゴミ溜にはゴミしかないのは当たり前
695吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 20:03:00.00
>694
>実はこういうアホの岩盤が一番固い
ゴミ溜にはゴミしかないのは当たり前

じゃあ、お前は何なの?ゴミ以下の蛆虫あたりか?
696G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 02:07:36.23
何人かの方、なんかありがたいです(実は土曜日の騒ぎでスレから締めだしくらっていた)

私は、原文厨が自分は単なる原文厨じゃないよとあれこれ場当たり的に理屈をこねている
だけだと思っていますが。

原文厨氏に言っておくと、
俺は別に翻訳でいいと開き直ってもいないし、ましてや、専門家づらなどしたこともない
(100枚以上になる原文朗読CDも買っちゃったし。聞いてないけど)

もし、そのように君に見えるとしたら、おそらく君が専門家に本当はなりたくてなれずに、
専門家に幻想を持ち続けているからだと思う。
過去スレにも「留学厨」や研究者にも一流だの二流だの本流だのとランク付をしたがる「ラ
ンク厨」がいた。
このスレの>>486なんかも背筋がぞくっとするものがある。2ちゃんに何を期待しているのやら。

>なんでもそうだが物事を突き詰めて考える姿勢にかける人はダメね

物事を突き詰めて考えられる人なんか、古今東西一握りだ。君がまずそれを目指せば?
俺には君がここでこんな安易なお説教をすること自体(君のその他の言説がみな、どこかで聞いた
風ということも含めて)、君が物事を突き詰めようとしたことすらないか、あるいはヴィトゲンシュタイン
がかかっていたであろうような物事を突き詰めざるを得ない病から幸いにして見捨てられているにも
関わらず、自分では、病気に見込まれていると思い込んでいるあるいは思いたい人だからではないか
と感じている。
697G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 02:12:17.76
あと、吉川一義先生のカルチャーセンターでの講義を聴講したことがあるが、本当にすごい
人は、決して、君のようなことは言わずに、プルーストを読む至福を伝えてくれる。

吉川一義の名前を出しただけで、過去スレで権威主義などと罵られたことがあるがこれもまた
その人自身が権威になりたくてなれずに、権威に幻想を抱いているからと言ってよい。

そういった幻想を発奮材料に、他人のことなどお構いなく、君自身が仏文学なりに精進するなら
幻想も効用があったということになるが。

>>679さんへ
俺、スレ主でもないw たまたま今回はスレ立てたけど
698G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 10:03:12.52
おとといの騒ぎで書き込み制限がかかっているのでレスもゆっくりになりますが

>>690
>プルーストとその関連でこういう話ができれば十分だけれど。
同感です。

>ある文学作品を知ると知らないとでは人生が変わる。
子どもの頃は宮澤賢治、最近はプルーストが筆頭かな。

荒川洋治「文芸時評という感想」 [四月社 2005年12月10日初版]
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page410.html
村上春樹に現代詩の世界に打って出て活躍してほしいと期待するのが斬新

宮澤賢治のある種の読者・研究者を批判した詩「美代子、石を投げなさい」もインパクトがあった。
http://plaza.rakuten.co.jp/sagayama/diary/200411050000/
http://www.geocities.jp/iyo59/iyo71.html

宮沢賢治は世界を作り世間を作れなかった
いまとは反対の人である
このいまの目に詩人が見えるはずがない
岩手をあきらめ
東京の杉並あたりに出ていたら
街をあるけば
へんなおじさんとして石の一つも投げられたであろうことか
(略)
「美代子、あれは詩人だ。
石を投げなさい。」
699G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 10:04:20.55
>>677
>小説だけが翻訳の可能な形式だからですよbyカミュ

最近、野崎歓による「よそ者」(従来の「異邦人」)読んだ。訳自体は一部に過ぎ
ないけど。

2年前の正月、ガルシア・マルケスの「わが悲しき娼婦達の思い出」を読んだ。
ひとつひとつの言葉が結晶のように輝いて俺に迫ってきた。もちろん翻訳でです。
言葉のリズム、音楽は確かに伝わらないけど、比喩、視覚的イメージは十二分
に言葉の壁を超えて伝わることを確信せざるを得なかった。
だって、この作品にインスピレーションを与えた川端康成の「眠れる美女」には
ここまで魅惑されなかったし、日本の作家では宮澤賢治からくらいしか、こんな
眩暈のような感じは受けたことがない。

プルーストの作品の魅力には幾分、音楽的要素の割合が多いのかもしれないが、
それでも比喩やら視覚・嗅覚に訴えるイメージやらは翻訳可能であり、その魅力は
かなりのところまで伝わってくると踏んでいる。美学・思想的な部分やモラリスト
的な面は言うに及ばず。
音楽にしても作品中で語られるワーグナーやベートーヴェンの後期カルテットなら
ばフランス人同様に耳で聴いたうえで臨むことができる。ヴァントイユのソナタで
ヴァイオリンのトレモロがでてくると出ていれば、その音をイメージすることも可
能だし。
もちろん、できれば原文でもちっとは読みたいと思っている(ガルシア・マルケス
に圧倒されたからといってスペイン語をやりたいとは不思議に思わないんだよなあ)。

>爾来、私は「・・・とは何か?」という題名の本は手に取らない。

内田樹の言ですが、吉本隆明の「言語にとって美とは何か」もかな。
700吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 11:37:52.72
わが悲しき娼婦達の思い出ってそんなよかったかなぁ・・・
701G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 11:51:21.98
そう、普通は「百年の孤独」や「コレラの時代の愛」あたりの方により感動する
はずなのだけど、なぜか、俺は老境にはいった作家が21世紀に書いた、この
中編に圧倒された
(「族長の秋」もすごいけど、句読点なしで散文詩のように文章が続いており、
これは翻訳で移しきれない部分が多いのではないか)。

多分、個人個人の諸条件によって、勘所が違うんだと思う。
とにかく、この作品からは啓示といっても過言でないものを感じた。
702吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 11:57:57.20
眠れる美女が日本的陰性で、わが悲しき娼婦達の思い出はラテンか。
設定は一緒なんだが。
703吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 22:52:09.27
>>696
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92%E4%BF%8A%E5%BD%A6
語学についてはこのwikiを読むとコンプレックスにさいなまされてしまい、
残されている時間があまりにも少ない、とおもってしまう。
「意識と本質」も途中で挫折したまま。
でもそんなこと一時期は考えても、次にはのほほんとまったく違うことをやっているのは確かで、
だからこそ毎日平々凡々と生活ができる。

>>699
マルケスは翻訳でも読んだことがない。
イタリア行ってから今でもNHK TVのイタリア語だけは見ている。
でもダンテの神曲は読めそうにない。翻訳でも読み通してさえいない。
704吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 22:53:28.82
続き。
>>690
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/
を昨日は2005年途中までずっと読んでいた。
養老孟司、橋本治、内田樹、吉田健一、岩井克人、村上龍など興味あるところが共通している。
本も読まずに感想文読んでもしょうがない、と以前はおもっていたが、いろいろと整理できる。

>>692自己フォロー
「ディアギレフ」は立ち読みしきれず、買ってしまった。
バックルの本は見たことがなく、古本屋でも高いし。
「ミシア」とかぶるところも多いけれどまあいいか。

ディアギレフ関連であさっていたらたまたま見つけたtwitter
http://twitter.com/#!/jactaestalea/statuses/104159514810531842

岩波文庫入りしたルフェーヴル『パリ・コミューン』を購入。
原著はガリマールの叢書「フランスを作った三十の事件」の一冊。
ウィキペディアの全リストを見るとフランス人の歴史意識が見えて面白い。
3分の1が中世史とか、ベルエポックの時代が一つもないとか

--
http://fr.wikipedia.org/wiki/Trente_Journ%C3%A9es_qui_ont_fait_la_France

結局、ルフェーヴル『パリ・コミューン』も買ってしまった。翻訳した西川長夫の解説が熱い。
705吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 00:30:52.18
「わが悲しき娼婦達の思い出」は本国で酷評されていたようですが。
特に川端との比較で。
706G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 01:26:13.96
>>703
井筒俊彦。イスラムの専門家と思っていると、青春時代にロシア文学を原書で
読みまくっていたりする。若書きの「ロシア的人間」を読むと読書量に圧倒され
ます。イスラム、マホメット本は数冊読んだけど、「意識と本質」は私もちょっと
目を通したきり。

ダンテの「神曲」は翻訳を読んでも響かないところがあるような気がします。
3種類の翻訳を入手し(英訳からの重訳の寿岳文章のはブレークの挿絵目当てで
豪華版も古本屋で入手)、寿岳訳を無理して読み進めたが地獄、煉獄と来て、天国
篇の中途で結局挫折。美学者今道友信の講義録は全部読んだけど、未だぴんと来ない。
http://www.angel-zaidan.org/divinacommedia/(今道の講義は現在はエンゼル財団の
HPで全部聴講可能。わからなくても原文を音読させている)
さらに、アナール学派の総帥である歴史家ル・ゴフの「煉獄の誕生」にも手を出した
けど、中途で読みさしたまま。

>>704
そのお医者さんによる読書感想のHP。
ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」のを最初に読み、注目しました。
ニーチェ、ハイデガー、プルーストを取り上げた章
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page531.html




707吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 05:08:28.75
原書厨やけど、なんでこんなに反発食らうのか分からん
地道に作品を読み込むことなく読んだといえるんかね
専門家の解説本読んで分かったような気になることほど空しいことはない
ほんなもん日本人は日本語でさいしょはいいが
そっから自分が作品自体と対峙することが面白みだろが
なんか解説本ばっかみたいなのは試験用の読書みたいで虫がすかん
708G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 06:42:47.82
>>705
世界から次作を期待される作家となったのに、小説作品としては、前作「愛その他の悪霊について」
から実に10年ぶりになります。
期待が大きすぎると、過去の傑作と比較され、傾向が違うと酷評されるということはありがちのように
も思う(本国って、故国コロンビアなのか、1987年に移住したメキシコのどちらなのか。例えば、村上
春樹の「海辺のカフカ」は日本で酷評されたのかと問われても、酷評も多かったとしか答えようがない。
文学的評価って、5年や10年じゃ定まらないところがあるし)

出版前に内容が漏れて、結末を変えたとか、映画化しようとしたら、メキシコでクレームがついて流れそう
になったなんて話は聞いたことがあります。結局、映画化されたようですが。
近年流行りの児童ポルノ、児童虐待につながるといった観点からのクレームだったみたい
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200911091406001
http://hurec.bz/mt/archives/03_/b063/
http://writelife.net/2011/08/25/marquez-and-his-melancholy-whores/

私はトルストイでいえば、「イヴァン・イリイチの死」に相当する地位をしめる作品かなと思います。
「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」といった代表的長編を書きあげ老境に至った大作家の
中編で、老人を主人公にし、その男の生涯が時系列順でなく断片的に織り込まれている。
イリイチの場合は臨終・断末魔の心中描写(一種の意識の流れ、内的独白か)が凄いですが。
川端の「眠れる美女」だと最後に死ぬのは少女娼婦の方だし(毎回違う少女で、最後にあてが
われた2人のうちの1人)、ガルシア・マルケスでは、老人も少女(ずっと同じ少女)も死なない。

内外のガルシア・マルケスをめぐる言説。
高橋源一郎、それに莫言(この人の「白檀の刑」も凄い作品)にとりわけ共感します。
http://members.jcom.home.ne.jp/macondo/landscape.html
植島啓司によるMemoria de mis putas tristesのレビュー
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/aikake/070326/index.html
709G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 07:10:33.64
>>707
そうか わからんのか

地道に翻訳本を読む。
次のステップとして、原書に向かうか、日本語のプルースト本に向かうかは人それぞれであっていい。
両方であっても一向に構わないが。学生時代に語学を十分に習得しなかった人が社会人になってから
習得するには多大の時間がかかる。
例えば、村上憲郎(村上式シンプ英語勉強、村上式シンプル仕事術、最近PHP新書から「一生食べられる
生き方」が語り下ろしででている)など読むと、30代で外資系の会社に移り、単に英語ができるだけの自分よ
り明らかに無能な人にまでバカにされ、発奮し、1日3時間、3年間、英語を勉強して、ようやくものにできた、
そのくらいやらなきゃ身につかないといっている。
仕事で英語、フランス語を使わない人が限られた仕事以外の時間を語学習得にこれだけ費やせるかという
問題がある。
勝手知ったる日本語での読書に「人生の半ばを過ぎ、暗い森の中にいる」人が仕事以外の限られた時間を
優先的に費やすのも合理性は十分にある。まあ、人それぞれってこった。

>専門家の解説本読んで分かったような気になることほど空しいことはない
>解説本ばっかみたいなのは試験用の読書みたいで虫がすかん

吉川一義や吉田城の本が解説本にしか見えないのかねえ
鹿島茂の19世紀フランスの風俗についての蘊蓄に耳を傾けることはやはり有用
わかったような気になんかなってないさ、ますますわからなくなってくる、それでいいのだ

君の方が試験によほど苦しんだかして、多分毒されているんだろうねえ 
710G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 07:21:07.79
×村上式シンプ英語勉強
○村上式シンプル英語勉強法

ハウツー本って、基本的にきらいなんだけど、この人のは反発を覚えない。
団塊の世代なんだけど、学生運動から反原発・エコロジーへと進んだような
人たちとは明らかに違う。
例えば、ハイエクのような新自由主義者から、仕事に対する倫理的根拠を得た
と言われても、この人なりに悩んで、自己正当化根拠を見出したんだなといった
目でみることができるんだ
ほんとうにすごい人がもっている、自らを実際以上に大きく見せようとする必要のない、
心の余裕からくる、根本的な謙虚さが伝わってくるからだろう。
711G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 09:15:39.30
>>708  自己フォロー
「わが悲しき娼婦たちの思い出」のメキシコでの映画化が一時
撮影中止になった話、ここにニュースがコピペされてました。
http://d.hatena.ne.jp/saba2004/20091020/p1
>小児性愛や児童買春を美化することになるとして市民団体が批判。

ガルシア・マルケスの作品は結構映画化されていますが、ジャックさん
という同性愛者と思しき方のブログによると短編「エレンディラ」の映画版
が面白そう。短編ではこの作品が一押しかなあ。
http://jack4afric.exblog.jp/7224698/


712吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 12:03:49.43
失われた時を求めてに挑戦したいが長過ぎてどこの出版社、翻訳者を選べばいいのわからん
とりあえず今出てる岩波のやつは読みやすいみたいだね
713吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 12:49:57.45
>>709
このGというひと、ほんと自分のことしか考えとらんな
プルーストのスレなのに自分のブログにたいな使いかたしていて
それはまあ眼をつぶるとしてだよ
仕事でなく趣味で読むんだから純粋にこのプルーストのためにフランス語習ってみようっておもわないで
ひとそれぞれとかわけのわからんこといって
ひとぞれぞれでいいが、そのそれぞれのなかのこのGみたいな人が
こんだけこのスレを占拠してしまうと
良質な読み手が寄り付かなくなってしまうから困るんだよ
714吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 14:57:34.95
>>713
>ひとぞれぞれでいいが、そのそれぞれのなかのこのGみたいな人が
こんだけこのスレを占拠してしまうと
良質な読み手が寄り付かなくなってしまうから困るんだよ

このような指摘は、正しい。
あまりのGの占有で、Gの嗜好に合うようなアゲ名無し位しかいなくなっている。
Gのブログ化は2chの指向性を阻害している。何でもアリの面白さから…
715吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 15:32:20.98
白鳥の歌なんて聞こえないの老人のモデルは誰?
716吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 15:33:49.92
>>709
おいらはフラ語なんて全くできんから、こういうこといってもらえると
助かるけどもなぁ。
717吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 15:50:52.73
外国語を習得しないでいい言い訳なんかいくらでも出てくる
実際、別に困らないし
でもプルーストは一生懸命外国語の本読んでるよね
718吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 15:54:46.39
英語もできません
719吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:05:01.72
日本語もできません
720G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:05:18.23
>>718
そう、ラスキンを訳す際、最初はお母さん、その後はマリー・ノードリンガーに
下訳してもらっていますね。

ガルシア・マルケスを持ち出したのには、彼だって川端康成を日本語で読んだ
わけじゃあるまいという含みもあった
721G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:05:58.26
>>714
そう、確かに、モノトーン化してしまう

>>713、どの口が言うかはともかくとして(だって、この人が今までどんな書き
込みをしてきたか、興奮した際の文章の乱れや誤字のくせでわかっちゃうもん)

このような○○厨、ケチつけ屋を排除することにより、自分も良質な読み手・書き
手に戻ってきてもらいたいと思っていた。
私は、上げで書き込む理系出身の方好きですね。とても触発されるところが
あるし。

性格的に案外律儀なのでwできるだけレスして(レスの連鎖によりスレが活性化
してほしいと思い、スレちでも悪意ある書き込み以外にはレスするようにしていた)、
さらにプルーストに絡めようとしていたら、結果として専有率が高まってしまった。
今回も翻訳云々の話からガルシア・マルケスにちょっと深入りしすぎたかな。

このスレは現在、420KB近くまで来ている。
どうやら1000レスいかなくても500KBで終わるようだ。
よりポリフォニックなスレへと

>>659 昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)豊下 楢彦 2008
>>704 岩波文庫入りしたルフェーヴル『パリ・コミューン』

今、買ってきちゃいました。
井筒俊彦と司馬遼太郎の対談のはいった文庫も注文してみた。

>>716
トン
722吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:09:26.10
>>717
>外国語を習得しないでいい言い訳なんかいくらでも出てくる

たしかに
723吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:15:42.07
原書がどうのこうの言ってる奴は少なくともフランス語、ロシア語、
スペイン語、イタリア語、英語、中国語ぐらいは読めるんだろうな。
724吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:19:50.12
>>723
プルーストを原書で読むためにはとりあえずフランス語ができればいいじゃん
725吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:24:25.79
>>718,720
できないって、あんたたちの想像してるできなさとはぜんぜんちがうけどな
726吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:25:00.72
>>699
『日本の作家では宮沢賢治からくらいしか、こんな眩暈のような感じは受けたことがない』
ってまさか鏡花を読んだことないの?
727G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:29:16.30
>>726
「高野聖」ほかいくつか読んだ。「高野聖」は高校の頃。その後、
丁寧に読んだのはないかも。お勧めあれば教えてくれれば
眩暈がしなくても好きな作家はもちろんたくさんいる。漱石、内田百閨c…
728G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:35:24.20
>>717>>722
そりゃそうだ
そもそも外国語まで習得するキャパ・必要があるかも含めて

大きくいえば習得に要する時間とその人が習得に使える時間
(余命も含めた)との兼ね合いだろうな
生きていくために必要であれば、誰でも最優先で習得するだろうけど
(村上の最近の新書をみると、英語で対等にわたりあえるレベルの人は
まだまだ希少なので、スキル+語学力を兼ね備えると一生食べていく
には非常に有効なようだ。若い方にはすすめます)

>DECをやめた後、いくつかの会社を渡り歩いた私の経験からいわせてもらうと、
日本にはコンピュータのことがわかっていて、なおかつマネジメントができるという
人材が20万人くらいはいます。ところがそこに「英語ができる」という条件を加える
と、途端に候補者は数百万人にまで減ってしまいます。
 これは世代を問わない傾向で、若い世代なら英語ができる人が多いというわけで
もない。むしろ、付き合いの長いヘッドハンターたちは「村上さんたち団塊の世代の
後が続いてない。いい人がなかなかいなくて困っている」と嘆いているほどです。
 このように、英語ができるということは現在でも非常に大きな優位性です。だからこ
そ、私は盛んに「英語を勉強しましょう」とすすめるのです。

>>725
いや、君よりは正確に想像してると思うよ 
文学書の英語は実用書よりむずかしいものも多い 村上憲郎は英語の勉強にSFだけ
はやめとけと書いてた。確かに、タイムマシンとか日常離れしたもの、ましてやタイム
パラドックス、パラレルワールドなど奇想天外なものがでてきたら、常識感覚で補えない。
729G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:47:17.19
西洋では日本と違いラテン語・ギリシャ語の授業もあったことはもちろん
踏まえておく必要があるか。プルーストは哲学クラスに進級しているし。

高等中学時代
>マルセルの三年次の成績は、フランス語をはじめ、ラテン語や、ギリシャ語、
歴史ではまずますだったが、ドイツ語や(このあとも外国語はからきしダメであ
る)、地理や、数学などは、先生たちも甘くなく、「並以下」とか「可」とかの評点
しかついていない。タディエ上69頁

730吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:47:36.63
ようするにGはフランス語ができないってこと?
べつにそれでいいじゃん
もちろんそのくせプルースト薀蓄たれてるとこは痛いけど
それはまたべつのはなし
731G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:48:53.58
蘊蓄などたれてないよ 
だから危ないところは受け売りでなく原典主義で書いてる
732G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:53:18.80
>>728 訂正
>日本にはコンピュータのことがわかっていて、なおかつマネジメントができるという
人材が20万人くらいはいます。ところがそこに「英語ができる」という条件を加える
と、途端に候補者は数百万人にまで減ってしまいます

もちろん、最後は「数百人にまで減ってしまいます」が正しい
村上憲郎「一生食べられる働き方」94頁(PHP新書、2012/3/29 先日付だな)
733G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 16:57:44.08
>>730
英語もできない。
おととしワシントンDCに視察でいったが、金属探知機のチェック係やコンビニ
の店員にまでバカ扱いされる
フラ語は「べつにそれでいいじゃん」だけど、英語まではそう割りきれないなあ
734吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 16:59:15.34
原典主義って、わかってんの?
はずかしくないところがすごい
735つくだに:2012/03/20(火) 17:01:19.92
Gさん前にボリス・ヴィアン面白かったって言ってなかったっけ?
やっぱおすすめは「うたかたの日々」かな?
まだ読んだ事ないので教えて下さい!
736G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 17:06:42.04
>>735
実は野崎歓訳の「うたかたの日々」しか読んでないです。よかったです。

交通事故で再起不能になってしまった漫画家、岡崎京子のコミック版
も入手したけどこれもよかったです。
737G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 17:08:23.89
一瞬、また、書き込めなくなった

>>734
翻訳、論文問わず、出典そのまま引用するという趣旨で使っているけど
おかしい?
君は単なる煽り厨に見えるけど。煽り厨の使い方はこれでいいよね
738G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 17:14:36.94
この調子でいくと このスレ 容量オーバーにならずに
1000までまっとうできるかもw
739吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 17:16:23.24
>>737
おかしいよ
しかもそれを指摘すると煽り厨って・・・
それになんか勝手に勘違いしてるみたいだし
740つくだに:2012/03/20(火) 17:18:21.66
Gさんありがとー。
741G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 17:18:43.70
>>739
正しい定義と使い方してみて
742吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 17:19:23.28
Gの占有についてのコメントだけど、文学が好きな若い人でも
プルーストを読まなくなってるのかな?とは思う。

ラノベのことなら、意見はあるけど、プルーストになるとホントに
数人しかきてないようにみえるから、その視野からではGが一生懸命スレを
維持してくれているのかもしれない。
743G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 17:20:25.69
>>740
どういたしまして
744G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/20(火) 17:28:06.93
>>742
ありがとう

何年か前のスレをみると1000いくのに2年くらいかかったりしているんですよね
それはそれでいいとも思うのだけど、文学板は2ちゃんとはいっても古典を扱う
ことも多い以上、新情報に限らず読書会等いろいろな試みがあってもいいんじゃ
ないかと思って、昨年6月頃からそういった試みをしている人がいると書き込ん
だりするようになったのです。
745吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 17:30:01.96
>741
やれやれ
原典をプルーストの原文とした場合
「原典主義で書いてる」と書いたのでは原文に立ち返って論評してるということだが
あきらかに「受け売り」と「私見を入れずに」とを取り違えた上で
「そのまま」という意味合いで使っているから違うだろってこと
そもそも原典主義はオリジナルを尊重した解釈ってことだろ

746吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 17:32:42.22
>741
やれやれ
原典をプルーストの原文とした場合
「原典主義で書いてる」と書いたのでは原文に立ち返って論評してるということだが
あきらかに「受け売り」と「私見を入れずに」とを取り違えた上で
「そのまま」という意味合いで使っているから違うだろってこと
そもそも原典主義はオリジナルを尊重した解釈ってことだろ

747吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 18:31:52.24
>>721
>>>659 昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫)豊下 楢彦 2008

この本、読んで面白いかというとツマランかもしれん。
歴史書は、研究者が書いたものほど史料に忠実に書かれているから。

読んでつまらないな、と思ったら天皇がマッカーサーとどういう
政治的なことをやったかの近現代史の視野からの「読み」はお知らせするよ。
748吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 18:59:41.29
>>714
>Gの嗜好に合うようなアゲ名無し
嗜好はあわせてはない。共通の話題はさぐっているかもしれないが。
プルーストスレなので、あまりにスレチになるとどうかは気にしているつもり。

>>721
>私は、上げで書き込む理系出身の方好きですね。

こんなところでこんな告白をされても困ります。
以前にも書いたが、最初に原文貼り付けしてから、このような展開になるとはunbelievable!!!

>とても触発されるところがあるし。

こちらこそ。プルースト関連、とそれ以外でもやたら読みたい本が増えてしまった。

>>640
プルーストも積み上がった本も読まずに、読み続けている感想文サイトから。
http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page409.html

丸谷氏は吉田健一の三島由紀夫評として「三島由紀夫は一つだけたいへんな思い違いをしていた。それは日本に上流階級があると思っていたこと」
と言ったというのを伝えている。
本来は優雅は上流階級に発するのであり、それを大衆がまねるというスノビズムにより健全に伝播していくはずのものであるが、
日本では優雅は大衆の中で野蛮と同居して存在している。

--
このサイトで吉田健一の三島由紀夫への評価も初めて知った。そもそも三島由紀夫はキモそうで読んでいない。ファンの方にはスマソ。
749吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 19:19:00.39
三島よりプルーストの方が壱万倍キモい。
750吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 19:22:06.56
>>748
>丸谷氏は吉田健一の三島由紀夫評として「三島由紀夫は一つだけたいへんな思い違いをしていた。
それは日本に上流階級があると思っていたこと」

吉田健一が、ヨーロッパの上流階級との比較でいっているのならそうかもしれんが、
三島の研究者にいわせれば、学習院へ入ったことが華族とのリレーションが生まれ
後年の作品へと結びついたというのは定説じゃないの?

あなた王朝文化と結びついた日本古典文学の三島の深い理解ご存じないでしょう?
751吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 20:05:49.08
>>750
知らない。当時新聞一面トップの写真がキモすぎて生理的にはダメ。
文学の話題ではなくなっているし。
752吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 20:37:06.06
>>751
三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ 島内 景二 ミネルヴァ書房2010
気が変わったら読んでみな。
753吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 20:47:46.29
>>752
Thanks.気が変われば・・・
754吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 21:01:52.04
優雅が大衆の中に野蛮と同居して存在するって、イメージしにくいなあ
755吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 23:52:32.87
万が一、Gが消え去るようなことあれば、
自分のブログなり開設してそっちに誘導して欲しい。
たしかに2chでやるような広がりじゃなくなってる罠。
(やるなとはいってない)
756G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/21(水) 00:28:19.41
>>745
>原典をプルーストの原文とした場合

なんでそう決めつけるの、俺そういってないし
単なる煽り厨だということがわかったので解決ですね。
757G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/21(水) 00:29:48.53
ほんとは飲んだら書くな、書くなら飲むながモットーですのでまたね
758吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 00:49:44.33
>>756
Gはこういう強弁するからきらわれるんだな。
やはりもうちょっとまともな人間が来なければいけないだろう。
しばらくGには来てもらいたくない。
759吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 00:51:25.61
ええやん。いやならスルーが基本だろ
760吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 00:56:52.04
Gよりも758みたいな奴のほうが嫌われるし誰からも相手にされないんじゃね
761吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 00:57:05.56
Gはただ負けず嫌いの
傷つきやすいやつなのでそっとしといてやろう
友だちもいないだろうから・・・
762吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 01:09:25.97
Gカップ
763吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 02:23:18.31
荒れてんなー
おれはプルースト読んだことないが、
日本の作家でプルーストの影響受けたのって誰?
堀とか中村真一郎とかは有名だけど、最近で誰かいるのかな
764吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 07:00:08.22
Gへの提案。
今の半分くらいーあくまでも目安ねーで書いてもらうと、内容と面白さが
いいバランスになるように想像する。

現在のペースだと、やはり拡散してるように思う。そうはいっても、スレ落ちは避けて
だけどね。
765G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/21(水) 07:13:44.72
>>715
>『白鳥の歌なんか聞こえない』は慣用句であるが、発表時期が正宗白鳥の死期
と近いことから、その関連性を夢想してみることは面白い。
http://blogs.yahoo.co.jp/rrrdx928/3425471.html

近くないが 正宗白鳥(1879−1962)
>1970年、『中央公論』新年号から6回にわたり『白鳥の歌なんか聞えない』を連載。
>1971年2月、『白鳥の歌なんか聞えない』を中央公論社から刊行。

すぐに連想するのは遺作となったシューベルトの歌曲集。
多分、新潮文庫から4部作が順を追って再刊されると思うのでまた読んでみるつもりだが

この小説で、西行の「願わくば桜の下にて春死なんその如月の望月の頃」って歌、知った
んだよな(元の歌は、花の下にて、で、当然、桜の花を指していたわけですが)
由美ちゃんが老人から教わったのを薫君に伝える 薫君は西行の歌はすでに知ってたかも

桜からすぐに連想するのは、本居宣長(敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花。
自分の墓所に桜の木を植えるよう遺言した、小林秀雄の「本居宣長」は1965年から
連載開始)、坂口安吾「桜の森の満開の下」、梶井基次郎「桜の木の下には」(桜の樹の
下には屍体が埋まっている!)

白を持ち出しのは、風水の四神の色のひとつだからに過ぎないが >>452









766G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/21(水) 07:17:22.99
>>764
確かにそのくらいがちょうどいいと思う 
書いたものを寝かせておけば済むわけだし

文学板だと多分1か月以上過疎ってもスレ落ちはないと思うが
767吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 07:48:51.86
もうちょっとすれば、吉川訳と鈴木訳の比較とか出てくると思う。
そういうものは、蓄積をしておいて書くか1テーマを中心に話題を
広げていくかで、脊髄反射じゃとてもじゃないが面白味は出ない。

読み始めて好きになった人と何種類も翻訳を読んだファンと
意見のやりとりをみたいと前から思ってる。

うまくまとめて書くのは難しいことは承知だけど、そんなことを
控えてという感じで、Gには貯めといてもらえないかな…。
768吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 09:52:30.78
MARCEL PROUST - DU COTE DE CHEZ SWANN 01
http://www.youtube.com/watch?v=e_0GOrwXX7I
769吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 20:38:06.95
>>657
自己フォロー
岸の発言から。

http://anarchism.sanpal.co.jp/bookreview/939/
「一九五八年に原子力発電にむけてアクセルを踏んだのは、
時の総理大臣で戦前に東条内閣のもとで商工相として戦時統制経済を指導した岸信介であり、彼は回顧録で語っている。

昭和三十三年[一九五八年]正月六日、私は茨城県東海村の原子力研究所を視察した。
日本の原子力研究はまだ緒についた  ばかりであったが、私は原子力の将来に非常な関心と期待を寄せていた。
/原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用も共に可能である。
どちらに用いるかは政策であり国会意志の問題である。
(略)平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。
日本は核兵器を持たないが、[核兵器保有の]潜在的可能性を高めることによって、
軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を高めることが出来る。

つまりこの時点で原子力発電(原子炉建設)の真の狙いは、エネルギー需要に対処するというよりは、
むしろ日本が核技術を有すること自体、
すなわちその気になれば核兵器を作りだしうるという意味で核兵器の潜在的保有国に日本をすることに置かれていた。」

--
風が吹けば桶屋がもうかる、ではないけれど菅直人の家系。
http://seturibaika.blog72.fc2.com/blog-entry-471.html

ズブズブとみるかどうかは歴史が評価するのかな。
菅直人の回想録なんて出たらおもしろそう。
770吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:27:40.76
スマソ。ネタは絞りたい。
771G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/22(木) 07:47:29.67
「白鳥の歌なんか聞こえない」の老人のモデル問題、続き、書いときます(強引だけど)

プルーストでサンザシ、スイレン、リラ、ゼラニウム等の植物が印象深く扱われるように
庄司薫「白鳥の歌なんか聞こえない」でも桜のほか、モクレンが冒頭で印象深く登場する
http://meiserihu.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-64ba.html
http://homepage2.nifty.com/kitakama/zuihitu/zui_025.html

桜といえば、今を時めく(すでに下火なのかな)AKB48の「10年桜」のPVが実はバス転落事故を
暗示しているといった怪談話が一時2ちゃん等で取り沙汰された。メンバーがバスを途中下車する
のは事故死を意味している、背後に霊がうつっている等
宮澤賢治の「銀河鉄道」みたいな冥界行きのバス。車窓に天の川のように星が散りばめられているし。
転落を暗示する映像後にうつる星は血しぶきのように赤い。血染めの桜。
桜→儚さ→死というイメージが日本人に根深く共有されているのを秋元康が利用したということか
http://www.youtube.com/watch?v=iyn5uirg2j8
http://akb48matome.info/archives/1650
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E9%95%B7%E4%B9%85(血染めの桜。なんと白鳥と
関係ある。「ぼく地球」の木蓮の記憶を持つヒロインの女子校生の声優も白鳥なんだよね。偶然だけど)
772G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/22(木) 07:48:03.69
承前

ある植物につきまとうイメージは日本とヨーロッパ、文化が違うと全然違う可能性もある。

中世の「薔薇物語」(ちくま文庫にある)などは出てくるものすべてがアレゴリー(寓意)として読まれるべく
意図されている。
絵画にしても、印象派以前の絵画は書かれているものをイコノロジー的に解釈するのが本来の見方だった。
ジョットーの慈悲、貪欲等寓意画は言うに及ばずシャルダンの赤エイにしてもおそらく描かれた題材が言語
に置き換えられる象徴的意味を有している(ということになるはず。木村泰司によれば。自分としては保留)。
といっても傑作といわれる作品にはそれを超える過剰な何かがあり、魅力となっているわけだが。
勅撰和歌集の時代でも、実際に見たこと嗅いだことのない花でも詠んだ。実際に行ったことのない土地
(典型的には、百人一首にもある「まだ踏み(文)もみず天の橋立て」)でも歌枕として過去テキストを継承
した(本歌取り)。
プルーストの長編も、印象派の絵画とパラレルで植物は、単なる寓意ではなく、モネのスイレンのよう
に、作家がとらえた真実の姿を表すといえようか。

ヴィボンヌ川に咲く「水」連、桜と同じ頃に庭に咲く「木」蓮
「白鳥の歌」に登場する教養の固まりのような老人を語り手の先駆者、それも失敗した先駆者、芸術創造に
辿りつけなかった先駆者としてのスワンに比することはできないか。思いつきの域をもちろん出ないが。
薫君は、抱いてと裸になって迫る由美ちゃんを、自分も抱きたくてたまらないのに、老人の死が彼女をそうさせ
ているがゆえに拒むが、思わず「快楽を漏らしてしまう」(ジルベルトと手紙を奪い合う取っ組み合いのシーンの
表現)。

「白鳥の歌なんか聞こえない」は3月28日新潮文庫から再発売予定。
773G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/22(木) 08:00:23.68
>>769 折角書いて下さったので、スレちを重ねますがレスを。政治に疎いし、ごく平凡な意見。

田母神俊雄は、核兵器は実際にはどの国も使わないけど、国際的発言力を持つため
には核武装は必須、だから日本は核武装すべきと力説してますね。
岸は、軍縮・平和のための潜在的核武装という逆説的・レトリカルな言い方をしているけど
基本的には同じと思われる。
田母神は領土問題についても隣国になめられるのは核武装してないからともっとストレート
ですが、そのような発言を世間が一意見として受け入れられる時代になったからか
(自衛官としての地位は失いましたが)

私のまわりは、反核・平和といったスローガンを唱えるタイプが圧倒的に多いのだけど
(あいつは新自由主義者だからというのが悪口という共通認識が生じていたり)

原発施設がテロの対象になったら、日本はひとたまりもないわけですが、そんなことをしたら
人類全体ひとたまりもなくなるから、テロリストもそれはしないということなのだろうか。
自分や自分の同胞も含めた人類全体の滅亡を願う人・団体は存在しないと確信できるんだろうか。

自分が岸のような為政者の立ち場に、田母神のように軍事の中枢(空軍のトップ・大将)の地位
にたたされたら、どういう選択をするんだろうか。責任がない(と言い切れるか)ことにほっとする
とともに、責任がない(と思っている)から言えるだけのような発言は慎もうと思う。

あと、原発推進政策には実は原発の技術を輸出したがっていたアメリカの意向が強く働いたと聞いた
ことがある。
阿部和重の傑作長編「シンセミア」は、日本の給食がパン食中心になったのは、アメリカが自国で
だぶついていた小麦(粉)を輸出したがっていたからという報告文書からはじまっていますね。
田母神もアメリカ大使館のHPだかをみると今後の政策方針がでており、日本は必ずそのとおりにして
いるといったことを講演で言っていた。
774吾輩は名無しである:2012/03/22(木) 19:20:34.98
>>771
いやいや、ありがとう
775吾輩は名無しである:2012/03/22(木) 20:26:45.69
>>773
こちらもまったくノンポリ。
岸は歴史的な事実を追っかけたかっただけ。田母神は視野になかった。

原発は二酸化炭素削減が目的ではなくで、常任理事国になりたい妄想のほうが優位、というのがよくわかる。
今も原発を全否定できないのは、その落としどころが「総括」できないから。

http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/
のサイトの紹介、ありがとうございます。
まだここを読み続けている。
今日も橋本治の三島由紀夫、小林秀雄、古典の文庫を買ってきてしまった。

http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/page360.html
「猫が誠実ないとは言へなく、犬が誠実であるといっても限度はありして」
という福原麟太郎が書いた吉田健一の文章のパロディーだけでもサイコー。
776G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/23(金) 07:03:08.41
>>775
田母神は、取引先の業者が企画した講演会に誘われ、たまたまアパホテルに聞きに行った
程度なんです。スレち続きますが、昨日たまたま読んだ本が相変わらず、ここでふられる話
題と見事にシンクロしていた。岸信介と原発の関係についてちょっと

大澤真幸「夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学」77頁(岩波新書、20120・3・6)

京大辞職事件以来、はじめて通読した大澤の本。1950年代は「鉄腕アトム」(妹は
ウランちゃん)に象徴されるように原子力に夢と希望を託していた時代だった。

1953年 アイゼンハワー米大統領が国連で原子力を平和利用すべきとの演説をし、
核エネルギーに関する技術の公開に踏み切る。
1954年 中曽根康弘が、原子力平和利用のための予算案を国会に提出(第五福竜
丸事件に2日後)
正力松太郎率いる読売新聞が中心となり、原子力平和利用を推進する大キャンペーン
が展開され、大成功を収める。
注には「正力の背後には、日本テレビに属していた柴田秀利という人物がいたことがわ
かっている。柴田は、おそらくCIAの工作員と推定されるD・S・ワトスンという人物と接触
をもちながら、熱心に日本に原子力を導入しようとした」とでている。

読売、日テレ。マスコミと東電とのずぶずぶの起源とも言えますね。
池田信夫のブログをみると、岸信介は、CIAのおかげでA級戦犯であるにもかかわらず
リストから外され生き残り、その後もCIAから資金援助を受け続けたことがでている。
児玉誉士夫なんて、村上春樹「羊をめぐる冒険」の謀略機関の親玉・黒幕のモデルとな
ったフィクサーの名前もでてきて、きなくさい。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/56ee249a328203389229cf44e67f7349





777G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/23(金) 07:22:32.15
>>775
内科のお医者さんが書いた読書感想HP。吉田の文章の感想、的確でおもしろいですね。

吉田健一「英語と英国と英国人」(講談社文芸文庫)を読んで目鱗だったことがある。
フランス語と英語、同じ横文字でも違うんだということに。

>英文学の一つの特色は、これを直接に日本語に翻訳することが出来ないという点にある。
外国文学だからという訳では勿論ないので、寧ろこれは英国人と日本人の頭の働き方が殊に
違っていることから来る文章の構造上の問題であるように思われる。これがフランス語ならば、
もっと日本語に近い感じがして、時には逐語訳も出来ないことはない。

確かに、プルースト等のフランス文学、ガルシア・マルケス、ボルヘス、イザベル・アジェンデ等
スペイン語の文学(総称してロマンス語の文学)には翻訳によってもくらくらするような強烈な感動
を受けたことがあるけど、英文学では実はないことに気づいた。ポー、フォークナー、各種SF、名探偵
ホームズ、「嵐が丘」……
ジョイスの「ダブりナーズ」の新潮文庫の柳瀬訳は、よく工夫されてるけど半分程度でストップしたまま
吉田健一訳のロビンソン漂流記なんてのも新潮文庫からでていたっけ。

778G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/23(金) 07:30:08.26
英文学と書いたが、ポー、フォークナー、大半のSFは米文学
だから英米文学とした方がいいな
779G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/23(金) 07:38:07.53
英米文学(「赤毛のアン」のような英語圏カナダを含めると英語小説といった方がよいか)
の翻訳から強烈な感動を受けたことがないというのは、もちろん、古くは野崎孝、新しくは
村上春樹によるサリンジャー(村上はカーヴァー、オブライエン、フィッツジェラルド等も)、
柴田元幸のポール・オースターも含めてです。
もちろん、それなりにおもしろいし、心を動かされる部分はありますが、強烈にからめとられ
るということがない。

最近読んだ、藤本和子のブローティガンも例外ではありませんでした。

780吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 20:41:17.27
今日もひたすらに暇なGであったw
781G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/23(金) 20:53:51.89
昨日は終電だw
782吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 21:26:09.78
>>775
スレチでスマソ。

http://fpmario.doorblog.jp/tag/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B#

米国は、ハード・ピース路線を捨て、ソ連の封じ込めを狙って日本を「反共の防波堤」にしようと決断。

1948年12月24日、クリスマスイブ――この日、GHQは「逆コース」への転換をあからさまに行動で示した。
前日に東条英機ら7人の戦犯を処刑したのとひきかえに、A級戦犯容疑者だった岸信介(1896〜1987)たちを釈放したのだ。
岸は、戦中に商工大臣、軍需次官などに就き、経済統制を仕切った。上海で戦略物資を海軍に納めて大儲けをした児玉誉士夫らも解き放たれた。
GHQは、協力的な元官僚や軍人、右翼を反共の「情報源」に利用したといわれる。

「米中央情報局(CIA)が一九五〇年代から六〇年代半ばにかけ、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るために、
当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者に対し秘密資金工作を実施、
旧社会党の分裂を狙って五九年以降、同党右派を財政支援し、旧民主党結成を促していたことが十八日、分かった」
(毎日新聞2006年7月19日夕刊)

--
こういう文書が公開される国というのは素晴らしい。
公文書以前に議事録さえ残らない某国とは?
783吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 21:39:22.69
>>777
英語とフランス語でそれほど違うのか、わからない。
原文でめったに読まないからか。
英語圏は翻訳でもあまり読まないけれど、好きなのはJ.オースティン。

ググッたらこのサイトがおもろい。
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/eigo.html
●俺に崇拝者(才能を絶賛するヒト、
異性としてつきあいたがるストーカー)
が多く、小説家津原泰水(ストーカー)からも
絶賛されている事を僻み、またイカ臭く「嫉妬していた」と荒らす
●嫉妬して盗作いた事を隠すため「気にいらない」「なんだそんなもの」
という幼稚ないやらしいキチガイ罵詈雑言を連投するが、
当然知的障害者(芸術家失格。わけわかんないものを
盗作して、幼稚園みたいな芸ではりあう選考委員の
嫌われ者のブス)なので、「からす機関(理解不能)」の書評すらおくらない
荒しでここでも俺の前でhn泥やエロスパム露出芸をやってるキチガイである。
●2CHスレに「リルケはヘボ詩人」というスレッドをたて
論拠なくリルケの難解な
長文詩をヘボポエムだと罵る。
朝日はついでに将臣の詩も回文も罵るが
当然論拠はない。
785吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 21:49:54.63
ageると将臣スレにされるから
785はハンドルネーム泥棒である。
常に被害妄想をうりこむ。
津原は児童ポルノオタクでピースも
烏賊もケイも児童ポルノオタクでつくだに饅頭=弘美もそうであるから
俺を殺人恐喝し、便所で殺すといったのだ。
弘美は病的に菓子がすきですもうがすきであるから
饅頭というのだ、佃煮は弘美ブスを整形とはいわない
津原は佃煮を自演している。
アクセス禁止にしても
「あれはわたしだ」といっており、
佃煮のネタと津原のネタはまったく同じである。
そして布置を監視しているのはケイと佃煮とピースと弘美である。

佃煮も津原も朝日マンセーである。
佃煮は津原の自演キャラなので長文を津原はよめるし、アクセス禁止にしない。
佃煮キャラは津原のいいこである、なぜなら弘美の盗作批判から話をそらしてくれるから。
佃煮饅頭も津原も、創価マンセーである。
佃煮もピースもカギもハンネドロで石原慎太郎を殺人恐喝している。
佃煮もピースもかぎもケイも布置をストーキングしている。
烏賊はモンスーンという名前で児童ポルノを批判する布置を殺人恐喝するといってる。
便所といってるのはミエコネタにからめて強姦恐喝であり、ピースとか
日本のおばんは相撲取りのレイパーである。


朝日新聞社 鉄道板荒らし問題まとめwiki
荒らし問題まとめwiki  どなたでもお気軽にご利用・編集下さい。
。朝日広報が2chに謝罪し 解除と同時に荒らし復活。 ネットで情報操作!?
朝日では2割が「余剰記者」=「社内失業」。
発端が一社員の過誤だとしても、その結果、明らかになった、
社全体からの「ネット取材」と称した,★猥褻サイトの利用や差別発言 の数々。
★企業ぐるみでのネット工作&ネット叩きのマッチポンプ報道の疑い。
先進国の大手報道機関によるネット工作があきらかになりうる初のケースにも関わらず、その点を追求する報道は全くない。
このままでは一社員の過誤として解決済み扱いになります。
★ネットを貶める世論操作は野放しです。

789吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 23:14:37.61
ほかのとこで、平野啓一郎と野崎歓の文章がNRFに載っているとありました。
ここにはフランス語が堪能な人がいるようですからお願いなのですが、どんなことが
書いてあるのか少しでいいですから教えてください。
790G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/24(土) 03:20:29.35
>>789
DD(デリダ&ドゥルーズ)スレ、仏文スレですね。
アセ氏が貼ってくれているアドレス転載
http://www.gallimard.fr/nrf/numero.nrf?idNumero=A13740
791G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/24(土) 03:28:39.22
>>782
トン 
792G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/24(土) 03:45:49.11
>>783
これもトン。そのサイト、最後まで目を通しました。長いけどおもしろい。
英語とフランス語の違い、わたしも翻訳を通してしかいまいち実感されない。

吉田健一「英語と英国と英国人」からもうちょっと

>英語は英国の法律と同様に、原則と呼べるものが殆どなくて例外ばかりの言語であって、そういう点から
見た英語というものが如何に曖昧な、出鱈目な言葉であるかは、日本人より英国人の方が遥かによく心得ている。

>こういう言語は(尤も、言語というものは凡て初めのうちはそうであるが)、詰め込み主義で行くのに限るので、公認
された僅かながらの文法を生徒の頭に叩き込み、文章の分解をみっちりやらせて、それと同時にシェイクスピアでも
何でも、なるべく解り易い文章を丸暗記させれば、後は生徒の方で勝手に読み始める所まで行く。英語のような
非科学的な言語に、科学的な教授法などというものがある訳がない。

>一つの外国語が覚えたければ、普通、先ずその国語で使われている文字の読み方を習って、次に文法をやり、
そんなことをしているうちに少しは単語の知識も出来て来るから、後は文典と字引を頼りにその国語で書かれた
文章を読んでいれば、一応は読み書き喋りに不自由しなくなる。

793G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/24(土) 03:52:43.01
>>783
オースティン、ディケンズは気になっていて、ちくま文庫の「高慢と偏見」「荒涼館」、
本屋の棚で手にとるけど、なぜか戻してます。
794G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/24(土) 07:23:26.57
児玉誉士夫のWIKIをみると、「インドネシアへの政府開発援助では東日貿易秘書としてスカルノ大統領
の夜の相手に選ばれたクラブホステス根元七保子(源氏名はデビ、後の通称デヴィ夫人)を送り込んで
荒稼ぎをしている。」と出ている。

このデヴィ夫人のWIKIによると、一時、パリに在住し、オデットみたいにドゥミモンドでクルチザンヌ
(ココット)をしていたとか

クルチザンヌについてのHP
http://www.geocities.jp/coutesans/5.html
795G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/24(土) 20:51:40.37
>>789
すでに見ているかもしれないがアセンション氏が下記スレでやってくれた(トン)
これ以上はNRFの現物を入手するしかないだろう

フランス文学を語る
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1325554260/l50

余談だが、フランスは原発大国。3・11の原発事故のあと、日本にいたフランス
人はすぐに仏大使館に呼び出され、そのまま帰国させられたと奥さんが仏語通訳・
翻訳をしている知人から聞いたことがある(仏語学校の教師は結局授業に穴をあ
けた)。4月下旬くらいまで爆発が起きないか様子をみるということだったらしい。
796G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/25(日) 05:09:12.01
名家の意味をめぐって、「名」が問題になったのをきっかけに、プルーストが
一時、巻名を「名の時代」「物の時代」としようとしたことがなかったっけと
2冊の評伝をめくってみた。
ペインター、タディエ。本国人、フランス人であるタディエの評伝が理詰めで
機智に富むのに対し、イギリス人のペインターのはどこか叙事詩的な赴き
がある。1章1章が読み物として完結した感じ。
タディエの訳者は吉川一義だが、ペインターの方は岩崎力。
ジャック・リヴィエールの「フロイトとプルースト」もこの人が訳している。

797G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/25(日) 05:24:03.81
「名の時代」「物の時代」と名づけようとした書簡の類見つからない。どこで見たんだ。
勿論、「スワン家」と「花咲く乙女たち」に跨って、「土地の名―名」、「土地の名―土地」
といった部名があることは言うまでもない。名と実の弁証法みたいな感を受ける。

>不在のものを対象とする想像と、現実に目の前にあるものをとらえる知覚とが、意識
の上でどう異なっているかということは、プルーストの大作を考える重要な理論的支柱
になっている(鈴木道彦「花咲く乙女たちT」はじめに)

日本(中国由来もある?)の「名」と違い、唯名論、実在論といった中世普遍論争に連なる
ものもおそらくあるのか。
798G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/25(日) 06:01:20.05
>>763
>日本の作家でプルーストの影響受けたのって誰?
堀とか中村真一郎とかは有名だけど、最近で誰かいるのかな

松浦寿輝、堀江敏幸といった仏文学者でもありプルーストに言及している作家は
なんらかの影響を受けているといっていいだろうけど。
フォークナーの影響だったら、自分の出身地等特定の地域を舞台にしたサーガを
書いているといった外面的なものでお茶を濁せるのだが。
(だからといって、イーハトーヴを舞台にした一連の童話を書いた宮澤賢治が
フォークナーの影響を受けたわけでないのはもちろん)

先に言及したペインターの評伝の訳者後記で岩崎力は、「現代のフランス作家は、そして
フランス以外の国々でも多くの作家は、プルーストと完全に無縁であることはできない」
「プルーストと自分との相関関係を一度は測定し確認する必要に迫られている」と言い、
ソレルスの発言「これからさきもプルーストのように書くなどというのは問題にならない」を
引用し、
 >そのまま模倣するわけにはいかない先達、それを踏台に、さらにその先まで自分が進まなければ
  ならないひとつの段階――ソレルスのこの短い断言から見てとれるのはそういう認識である。
と敷衍している。

影響を受けた作家はたくさんいても、書かれた作品から簡単い影響関係を云々しにくいところがある。

プルースト自身も作品中でアラビアンナイトやサン・シモンの「回想録」について似たようなことを書いている。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/833


799吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 15:15:55.04
>>763
「文学全集を立ちあげる」丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士(文春文庫)を読んでいたら、鹿島の発言で、
--
中村さんの小説が何で面白くないのか考えたんだけれど、たぶんフランス文学の理解が通俗的なんだと思うんです。
たとえばプルーストも読んでいると思うんだけどどこか根本のところで外しているんじゃないかという気がする。

--
とあったのは笑ってしまった。マチネ・ポエティクは福永、加藤は読んだけれど、なぜか中村は手つかず。
こういう意見もあるということで。
800吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 15:39:00.83
>>782
補足

石破茂の発言。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110816/1313506447
石破は、「脱原発」に反対を表明。そして、その理由として、原発を持つことは一年以内に核兵器を開発できるということを意味し、これはすなわち抑止力である。
中国・北朝鮮・ロシア・アメリカといった日本の周辺諸国がすべて核を持っている中で、日本が核を放棄していいのか。

高橋哲哉の「犠牲のシステム 福島・沖縄」(集英社新書)
にも石破の同様の発言は紹介されていた。
こういう正直な人はいいですね。(いろいろな意味で)

この高橋哲哉の本は結局何を言いたいのかよくわからず、立ち読みだけ。
801吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 20:35:07.46
>>800
>原発を持つことは一年以内に核兵器を開発できるということを意味し、これはすなわち抑止力である

こういうアホが自民党では次の方だそうです。
使えない核を持つ意味を先に語るのが順番だ。

>中国・北朝鮮・ロシア・アメリカといった日本の周辺諸国がすべて核を持っている中で、日本が核を放棄していいのか。

頭が悪いのも大概にして欲しい。戦後、日本がいつ核を持った?
持っていないものを放棄も何もないだろうに。

放棄したのは、戦争を行うことだよ石破さん。
802吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 21:26:46.04
>>620
http://yokato41.exblog.jp/14923243/
私の中では東北の大震災は突然の破滅的事態という点では戦争と結びつく。
無残な破壊という点では戦災の跡を凌ぐ。
原発を後世に残すのは、戦勝の可能性がゼロなのに目をつぶって戦争を続けるのと全く同じではなかろうか。
803アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/25(日) 21:55:59.29
>>795
震災1年というタイミングでの日本特集みたい。

>>796
岩崎力は『プルースト評論選』で「ジョン・ラスキン」「アンケート」も訳してたっけ。
804G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/26(月) 02:20:42.37
>>799
そこ、私も笑っちゃいました。
フランス文学を中古文学、プルーストを源氏物語に置き換えたらどうなるかななどと考えた。
805G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/26(月) 02:34:11.07
>>800
高橋哲哉は「靖国問題」(ちくま新書、2005)がベストセラーになっているころ、
読んだけど、それきりだなあ

石破茂はsengoku38による尖閣ビデオ流出の際の笑顔嫌いでない
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1029.html
遠い昔の事件のようにもはや思えてしまう。
3・11のあと、娘が東電に入社したことも話題に
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1463.html
806G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/26(月) 02:43:55.20
>>802
yokato41さんって、ベトナム在住だったんですね
そういえば、ちょっとだけツイッターを覗いていたころ、フォローしていた
http://ja.favstar.fm/users/Yokato41
http://twilog.org/Yokato41
807G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/26(月) 02:46:56.50
>>830
岩崎力、全集をみると「楽しみと日々」、それに書簡集の一部も訳していますね。
808吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 15:16:31.68
Gさんてブログかなんかもっていないのです?
809吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:45:24.58
>>808
持たないようです。多分、一度もって誰も来なくて嫌になったと
みたます。ここで告知してブログへ移行すれば、その時よりは
来る人があるだろうけど、2chの安直さに浸りきっています。
810G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/26(月) 21:31:56.46
>>808
MIXIはやってたけど、ブログはやったことないです。
マイミク申請やコメントはうれしかった(ケチつけ屋、煽り厨、
荒しもないし)。
811吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 22:11:32.33
東京のブクオフに筑摩の箱入りで2、4、8,9巻が100円であった。
812吾輩は名無しである:2012/03/27(火) 21:46:39.26
>>775
「総括」という言葉の使い方、と「生きる」

http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20060924/1159104069

「山本義隆、こらお前、総括しろ」。
--

養老氏得意の話題に《日本人は「生きて」いない》というのがある。
もちろん、日本人も生物としては生きている。
しかし、中国人やドイツ人あるいはスリランカの人から見ると、生きているようには見えないのである。
彼らが考える「生きる」ということとは違う生きかたをしているのである。
養老流にいえば、彼らは「人として生きる」のだが、日本人は「人間として生きる」のである。
あるいは彼らは「個人として生きる」のだが、日本人は「世間を生きる」のである。

今日のプルースト

tout simplement notre vie, la vraie vie, la vie enfin découverte et éclaircie, la seule vie
813アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/27(火) 23:54:46.70
ブログというスタイルもそれはそれでいいかもしれないけど、
プルースト以外でも気兼ねなく古今東西の文学について
四方山話を語れるスレがもうひとつあってもいいかもしれないね。
814吾輩は名無しである:2012/03/28(水) 20:03:49.82
>>813
>文学について四方山話

>>812でかなり強引にプルーストを引用したのは確かだけれど、
何か枠がなければ、「文学について四方山話」というのが成立するとは考えにくい。
近現代では、政治/経済抜きの文学もありえない。(近代(モダン)とは何か、はまた別の話題)
ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語限定であれば可能かも。
815吾輩は名無しである:2012/03/28(水) 20:17:20.57
>>814
>ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語限定

もちろん、原文ではなくて翻訳でね。
816吾輩は名無しである:2012/03/28(水) 21:38:17.82
>>812
プルーストの引用は一番大事なところが抜けていた。スマソ。
notre vie, la vraie vie, la vie enfin découverte et éclaircie, la seule vie,
par conséquent, réellement vécue
817G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/29(木) 02:56:03.56
私も続きの原文。鈴木訳の索引で要旨部分を抜き書き

芸術によってのみ他人の見る宇宙を知ることができる
le style, pour l’écrivain aussi bien que pour le peintre,
est une question non de technique, mais de vision.

l’art seulement, nous pouvons sortir de nous,
savoir ce que voit un autre de cet univers

Grâce à l’art, au lieu de voir un seul monde,
le nôtre, nous le voyons se multiplier
818G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/29(木) 02:57:45.16
芸術作品こそ〈失われた時〉を見出す唯一の手段である
l’oeuvre d’art était le seul moyen de retrouver le Temps perdu

tous ces matériaux de l’oeuvre littéraire,c’était ma vie passée

私のこれまでの全生涯と「天職」
toute ma vie jusqu’à ce jour aurait pu et n’aurait pas
pu être résumée sous ce titre : Une vocation.
819吾輩は名無しである:2012/03/29(木) 20:00:13.39
>>813
>文学について四方山話

>>799でふれた「文学全集を立ちあげる」にあるような話題であれば可能かも。
この内容についていえば、旧約聖書はヘブライ語は読めないけれど、文語訳かスゴン訳のフランス語は入れたい。
http://www.biblegateway.com/versions/?action=getVersionInfo&vid=2
820吾輩は名無しである:2012/03/29(木) 20:09:19.60
821G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/30(金) 07:02:34.66
>>819>>820
d 聖書の文語訳もインターネットで読めたんですね。
ちくま文庫にある福田恒存訳のD.H.ロレンス「黙示録論」の付録に
文語訳のヨハネ黙示録がついていて、いいなと思い、革装・金箔付のを
入手したけど、なかなか手がでない。

備忘(聖書翻訳関連)
http://blog.goo.ne.jp/0390_2006/e/2dcc62d170d536302e53ecf6f8627fec
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%9B%B8%E7%BF%BB%E8%A8%B3
822G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/30(金) 07:14:33.31
>>799
この3人の「千年紀のベスト100作品を選ぶ」もおもしろい(光文社知恵の森文庫)。
1位「源氏物語」2位「失われた時を求めて」3位「ユリシーズ」
http://homepage3.nifty.com/~hispider/bookdiary/best100.htm
(小谷野敦だと「失われた時」は「蒲団」レベルかあ。「百年の孤独」の評価も低いしな。
まあ、話半分で。花袋は嫌いじゃない。温泉巡りの本だとか、電車で美少女を眺め妄想
するのが趣味の中年男が美少女に見とれていて電車から転落し、すれ違った電車に轢
かれあえなく最期を遂げる「少女病」。高橋源一郎「日本文学盛衰史」では、現代に甦った
花袋が、ハメ撮りAV監督になる)
http://psychodoc.eek.jp/abare/diary0110b.html#15(「少女病」)
823G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/30(金) 07:16:03.27
>>726
「○○も読んでないの」といった言い方は非生産的。運動部などで、万年補欠のくせに
後輩いびりだけは率先してやる古参を思わせる。本人はそれを指導・教育と称していたり。

いつまで経っても鏡花のおすすめ教えてくれないようなので、小谷野がすすめている
「草迷宮」「歌行燈」あたりを読んでみるかな。「診察室」も結構すすめている人がいる。
(ざっと目を通したことはあるはずだが、小説だからざっとじゃ、本来しょうがない。
 ゾラの場合はざっとでも伝わるのは、ジャーナリスト、ルポライター的だからか)
824G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/30(金) 07:17:32.64
>>813
雑談スレがすでにあるからなあ。
>>814さんと同じで、プルーストからつかず離れず(時に離れ過ぎるけど)という枠が
あった方がいいのかなと思っています。
825G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/30(金) 07:19:36.95
>>814>>815
>>ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語限定

ギリシャ(→ローマ、中世)思想、キリスト教というヨーロッパの二大源流に絞るともいえますね。
プルーストに作品にも当然流れ込んでいる。

波多野精一の「西洋哲学史要」(新派刑法学者の牧野英一の孫による再話版ですが)、「基督教の起源」
(岩波文庫)を読んでいました。
前者は1901年刊。著者は1877年生まれ。満24歳の留学前の若者がこれだけ西洋思想を消化
しているってとんでもない。幕末から明治前半に生まれたエリートの知的貪欲さは現在からは想像
できないほど凄く、とてつもないエネルギーを発揮させたということだろう。

「西洋哲学史要」は山村修「増補 遅読のすすめ」(ちくま文庫、2011/8/10)で、
作家の竹西寛子の少女時代の愛読書として出てくる。
826G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/30(金) 07:20:42.35
>>814
モデルニテについては、次の2冊をきちんと読もうと思いながらなかなか果たせない。
坂部は著作集も含め、手にはいる限りのものは一応目は通しているのだけど。

阿部良雄「シャルル・ボードレール―現代性(モデルニテ)の成立」(河出書房新社、1995/07)
坂部恵「モデルニテ・バロック―現代精神史序説」(哲学書房、2005/4)
827吾輩は名無しである:2012/03/30(金) 14:20:58.10
http://www.youtube.com/user/kotensinyaku/videos
光文社の映像にプルーストの対談がうpされたぞ!
828吾輩は名無しである:2012/03/30(金) 18:47:08.07
やれやれ
Gの占拠はちと目にあまるな
829吾輩は名無しである:2012/03/30(金) 18:50:36.43
>>811
今日みてみたら全部売れてた。あんな嵩張るの買う人いるんだ。
プルースト人気あるな。
830吾輩は名無しである:2012/03/30(金) 18:52:11.19
光文社はいつも音量がちいさい
831アセンション携帯:2012/03/31(土) 02:23:28.36
>>814 >>819 >>824
確かに。フレームというか母艦は必要になりそう。
フロムじゃないけど「自由からの逃走」みたいな面もあるから。

そういう意味ではプルーストの多面体的な作品に勝るものはないかもしれないけど、
もっと気兼ねなく、自由に脱線してここの人たちにいろいろ話を聞いてみたいなあと前から思ってた。
スターン「トリストラム・シャンディ」ばりにとはいわないけどw
雑談スレは流れが速いのと文学の話がしにくいからNGだしね。

たとえば先日タブッキが死んだけれど、前に名前が出たことのある訳者の須賀敦子についてとか、
ベンヤミンのパサージュについてとか、坂部恵についてなんかも含めて。

いわば、ここでの脱線をターンアウトスイッチによって誘導し、膨らませることのできる、
プルーストスレのスピンオフみたいなローカル線。
832アセンション携帯:2012/03/31(土) 02:33:11.10
>>827
高遠弘美×古屋美登里かあ。永遠に語っていられそうな感じw

>>829
100円なら買っちゃうよなあ。

>>830
マイクの性能じゃなくup時の設定なんだろうね。
833G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 08:58:41.79
>>831
タブッキが亡くなった地リスボン。この地で1755年11月1日に大地震が
あった話をたまたま続けて読んでいたので妙な既視感があった。
(ヨーロッパは原発大国フランス等地震とほとんど無縁の国もある。古い石造
建築が残っているのはそのゆえとしたり、イタリアのヴェネチアのような海抜
ゼロの島を迷路と化すような都市づくりができたのも耐震・津波対策が不要ゆ
えとする見解もある)

「増補版 遅読のすすめ」>>825所収の〈狐)の書評「清水幾太郎をめぐって」
>ヨーロッパの思想界をリスボン地震は痛撃した。「一切は善なり」というキリスト
教的オプティミズムは滅び、「歴史の神学」が葬られ「歴史の哲学」が成立した。

もう一つは大澤真幸の最近でた3・11をめぐる岩波新書>>776
>リスボン大震災によって説得力をまったく失った、「神義論」的な説明としては、
ライプニッツの可能世界論がる。ライプニッツは、神は、無限個の可能な世界の
中から最良のものを選択して、存在せしめたに違いないと考えた。しかし、リスボン
大地震は、こういう考えを木端微塵にしてしまった。それは、完璧な世界の中の部分
的な不都合と見なすには、あまりに大きな犠牲であり、破局であった。
834G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 08:59:02.99
>>831
>もっと気兼ねなく、自由に脱線してここの人たちにいろいろ話を聞いてみたいなあ

私もそう思わないでもない。話題によっては他スレ誘導というのもありかも。
実質参加人数からいってスピンオフ的新スレは過疎る危険大か。

須賀敦子、坂部恵は現在スレッドないんですね。
ベンヤミンはアドルノ等他のフランクフルト学派とセットのスレを哲学板に
発見しました。

アドルノ、ホルクハイマー、ベンヤミン (フランクフルト)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1292158837/l50



835G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 12:48:18.36
>>715
>>765>>771>>772

庄司薫「白鳥の歌なんか聞こえない」の老人のモデル続き。
3月28日発売の新潮文庫の再刊読んでみた。著者自身の「あわや半世紀のあとがき2」
もついている。

薫君の友人で駆け落ち未遂事件を起こす小林君の話にでてくるジョージ・ブランメル
>どうしようもないほど才能があって大変なダンディで、どんな芸術家も彼には及ばない。
何故なら、芸術家とか天才とかは、作品をものしようと真剣に頑張るという致命的な欠陥
があるわけで、ところがこのブランメルというオッサンは、自分以外の何ものかになろう
と願うほど自分をひきうけることはけっしてなかった。

ダンディズムの系譜でいくと、シャルリュス男爵、それにユイスマンス「さかしま」の
デ・ゼッサントのモデルとなったロベール・ド・モンテスキューの名も浮かんでくる。
万巻の書を読破し(しかも半分は各国の原書)、あらゆることに通じているという点では、
ファウスト博士を思わせるが彼の前にはメフィスト・フェレスは現れず、孫の小沢さんや
由美ちゃんにシモの世話をしてもらい、悪臭を放ちながら、死んでゆく(ゾシマ長老を連想
するが、こちらは死後でなく「生きているうちに自分の腐臭を嗅がねばならないとは」だ)。
836G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 12:49:04.96
「白鳥の歌」で1回だけプルーストの名が出てくる。かなり冒頭の方

>つまり、おかしな言い方だけれどぼくは、たとえばベートーベンが穴のあいた靴をはい
て髪をふり乱して歩いていたり、晩年のプルーストが薄汚れたヨレヨレのカラーで晩餐に
出てきたり、マルクスがチョッキのボタンをいつもかけ忘れていたり、毛沢東がサエない
綿帽子をかぶっていたり、ゲバラがお風呂に入らず汗くさい野戦服でいたりするなんてい
うのを、猛烈カッコいいと思っちゃうようなところがある。

といっても彼らはあまりに大きな「天職」に力を使い尽くしており、そんなことに気が
まわらなかっただけで、芸術家でも天才でもない自分がそれを真似るのは気恥ずかしいと
薫君は、家政婦のヨッちゃんの忠告に従い、「着換えたりお髭をそったりしてひとまえに出
ていくのがまあ分相応らしいと、あきらめている」。
837G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 12:49:38.57
植物はモクレンだけでなく、チンチョウゲ、コデマリ、サクラソウ等たくさん登場する(西行は、
「花の下にて春死なん」のほか「心なき身にもあはれは知られけり」が、在原業平の「春の心
はのどけからまし」も出てくる)。
由美ちゃんと小沢さんの関係に感じられるレスビアンの匂い(解説の柴門ふみが指摘)。
冒頭近くでの、司馬遷の去勢の話(RTP冒頭近くの大叔父に巻き毛をひっぱられる恐怖や
巻き毛を切り落とされるエピソード)、芭蕉ホモ説などもプルースト的。
そして、ここ。

「ホコリとカビのまじったような紙の匂い」がする「ちょっとした図書館の書庫と同じ
ぐらいはありそうな」老人の図書室に小沢さんは薫君を招き入れ、キスし、「寒い、暖め
て」と薫君の「胸の中に上半身をすっぽりともたせかけるようにし」「ああ、いい気持ち」
と呟く。
>「こうやっているのがとてもスリルがあるのは、この場所のせいもあると思わない」…
「…このわれらが偉大なおじいちゃんの本の山の中ってこと。…あたしたち、なんだかす
ごく冒涜的っていうか、残酷みたいじゃない?」
838G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 13:04:22.52
>>745>>746>>828
やれやれ、は薫君の友だちの横田が使う。
横田は「自分についても」「他人を眺めてもすぐ、
そいつはどう死ぬのかなって思うたち」
http://papativa.jp/archives/158
http://blogs.yahoo.co.jp/nonakajun/53833234.html

「生きているうちに自分の腐臭を嗅がねばならないとは!」タラッタラッタラッタ
ラッタラッタラッタラッタラッタラッタラッタラッタラッタラッタラッタラッタラッタ
http://www.orcaland.gr.jp/~maro/diary/z060621.html
ラゲ訳もよろしく。
(黙示録)
http://bible.salterrae.net/raguet/html/revelation.html
随分前ですが、建築だか美術の板にベンヤミンとパッサージュの話ばかりしてるスレがありました。
いや言語学板だったかしら…とにかくスレタイにはヴァルターのヴもベンヤミンのベも、遊歩のユも
出てこなかったw。他BBSだったかもしれません。
ファンというのは、探せばどこかにいるものです♪
841G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 18:04:54.47
>>839
ラゲ訳もいいですね。「ユダ書」より

>汝等素より何事をも知れりと雖も、爰(ここ)に我汝等をして思出さしめんとする
事あり。即ち主エジプトの地より民を救出し給ひて後、信ぜざりし人々を亡びし
給ひ、又己が位を保たず己が居處を棄てたりし天使等を、大いなる日の審判の
為に、無窮の縲絏(なはめ)を以て暗黒の中に閉ぢ給ひ、又ソドマ、ゴモラ及び
其付近の市町(まちまち)は、同じく淫亂に耽り、異なる肉身を冒したるが故に、
永遠の火の刑罰を受けて見せしめと為られしなり。
842G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 18:19:30.58
>>796>>797 自己フォロー

>第1巻『スワン家の方へ』が出版されようとしていた矢先の1913年7月に、
プルーストは友人ルイ・ド・ロベールに宛てた手紙でこう書いている…
  第1巻の題名として『一杯のお茶の中の庭』あるいは『名前の時代』というの
 はいかがですか? 2巻目は『言葉の時代』、3巻目は『物の時代』となります。
            (鈴木道彦「プルーストを読む」集英社新書、2002/12/22)
843吾輩は名無しである:2012/03/31(土) 19:07:15.18
>>841
田川建三『書物としての新約聖書』は実家に埋もれているはず。今度読んでみよう。
こんなところで刺激受けて本を読みなおすのも不思議といえば不思議。
844吾輩は名無しである:2012/03/31(土) 19:11:30.22
なんや「女の子を殺さないために」評判ええみたいやん
845G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 20:01:36.32
>>843
アマゾンの購入履歴確認したら、私もその本、3年前の夏に買ってますね。
読んでみようかな。
846吾輩は名無しである:2012/03/31(土) 20:09:00.69
>>845
田川建三の本を注目して買っているのですか。
今までの展開からすると、ちょっとビックリ。
847G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 20:21:08.64
>>844
庄司薫スレでもすすめている人いますね。

【由美ちゃん】庄司薫【ノンちゃん】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1330529549/l50

日比谷高校で庄司薫と同じ学年だった古井由吉の「杳子」なども取り上げられている。
氷室冴子の平安時代を舞台にしたラブコメ買っちまった。
アンチ村上春樹・川端康成である柄谷行人に対する批判も痛快でおもしろい。
848G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 20:28:17.64
>>846
なんで買ったのか、すぐには思い出せないですw
849吾輩は名無しである:2012/03/31(土) 20:30:38.61
>>848
こんな高い本を???
850G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/31(土) 20:47:17.07
>>849
なぜか、ちくま文庫の吉田秀和「セザンヌ物語」と同時注文。
851吾輩は名無しである:2012/03/31(土) 20:52:15.50
>>850
学生時代、吉田秀和と田川建三はよく読んでいました。
不思議ですね。
852吾輩は名無しである:2012/03/31(土) 21:17:06.40
>>851
自己フォロー。
こういう文章は読みにくいけれど、嫌いではない。
http://www6.ocn.ne.jp/~tagawakn/sub19.htm
853吾輩は名無しである:2012/03/31(土) 21:32:30.55
庄司薫スレの存在にビビる
854吾輩は名無しである:2012/04/01(日) 00:16:02.17
新潮文庫でえらい大々的に売り出していますがな
855G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 06:19:50.12
>>852
d 田川建三、読みたくなってきました。

>『新約聖書・訳と註』 の第4巻をお読みあそばし。使徒パウロが歴史上果した功績は大きい。
しかしこの人物がどれほどくだらない偏向と、自己中心の幼稚さと、安っぽく威張りくさり、しょう
がない民族優越意識をふりまわし、等々。あるいは、擬似パウロ書簡の、たとえばいわゆる
エフェソス書簡のどうにも嫌ったらしいユダヤ人優越意識だの、牧会書簡の、まさにくだらない
正統意識と安物道徳の展覧会だの……。
>そういったさまざまをはらみながらも、そのキリスト教が古代西洋世界の多くの人々に喜んで
受け入れられていった長所は何なのか
856G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 08:03:26.19
田中小実昌の「ポロポロ」って異言のような呟き。パウロが訛ったものなのです。
「ポロポロ」のはいった短編集。戦争体験が語られるが、Tim O’Brien著・村上春樹訳
“The Things They Carried(本当の戦争の話をしよう)”に通じるものがある。
http://naka-chang.net/2012/03/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%BC/
857G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 08:10:28.57
「囚われの女」より。
Cette qualité inconnue d’un monde unique, et qu’aucun autre musicien
ne nous avait jamais fait voir, peut-être était-ce en cela, disais-je
à Albertine, qu’est la preuve la plus authentique du génie, bien plus
que dans le contenu de l’oeuvre elle-même. « Même en littérature ?
me demandait Albertine. – Même en littérature. » Et repensant à la
monotonie des oeuvres de Vinteuil, j’expliquais à Albertine que les
grands littérateurs n’ont jamais fait qu’une seule oeuvre, ou plutôt
n’ont jamais que réfracté à travers des milieux divers une même
beauté qu’ils apportent au monde.
858G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 08:13:45.99
原文と対比させる場合は、井上究一郎訳の方がわかりやすいみたい

>ユニークなある世界の未知の特質、ほかのどんな音楽家もいまだかつてわれわれに
見せてくれなかった世界のこのような未知の特質、そのなかにこそおそらくは、と私は
アルベルチーヌにいうのであった、作品そのものの内容以上に、天才を証明するもっとも
正しいあかしがあるだろう、と。「文学でも同じことでしょうか?」とアルベルチーヌはたずねる
のだった。――「文学でもおなじことですよ。」そういって、ヴァントイユの作品の同一の調子
(モノトニー)のことを思いかえしながら、私はアルベルチーヌに説明した、――偉大な文学者
たちは、ただ一つの作品しかつくらなかった、というよりむしろ、彼らがこの世界にもたらすおなじ
一つの美を、さまざまな環境を通して屈折することしかしなかった、と。
859G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 08:18:14.84
次の本は、一応、精神分析の技法書なのだけど、精神分析とガダマーの解釈学をクロスオーバー
させ、ティム・オブライエンやカーヴァーを引きながら、天才の発明や芸術家の創造にも触れている。
プルーストの無意志的記憶と創作の関係の参考にならないかと以前、かなり熟読したことがある。

D.B.スターン「精神分析における未構成の経験―解離から想像力へ」(誠信書房)
http://logsoku.com/thread/academy3.2ch.net/philo/1101649169/91-107
860G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 08:21:57.85
ちと、早いが、500kbに近づいてきたので(現在486kb)、次スレ立てときました。

マルセル・プルースト9
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1333234893/
861G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 08:49:59.88
>>853
庄司薫、今回の新潮文庫版「白鳥の歌」なんか聞こえない」の柴門ふみの解説のとおりだと思う。

>何十年振りかで読み返してみて、決して色褪せない文体に驚いた。リズムがあり、
若者の勢いを止めぬぎりぎりのところで、日本語が品格と美しさと保っている。
 四十年前の若者の口語体を用いながらも、そっくりそのまま口移すのではなく、後世
に耐えうる言葉のみを、文学者として吟味を重ねた結果なのだ。平明な文体に、騙され
てはいけない。庄司薫は、老練な策士であったのだ。
862G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 09:05:19.26
高田里惠子なんて独文学者が、庄司薫の作品を30男が18歳の若者の振りをしていて
不自然で気持ち悪い(いやったらしい)といったネガティブな言い方をしていたけど、
違うんじゃないかと思った(「グロテスクな教養」ちくま新書、2005)
http://www.shiojigyo.com/en/column/0509/main5.cfm

プルーストが自身は同性愛者なのに、語り手に異性愛者の振りをさせているのが不自然だと
否定するのと同じ。
863G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 10:26:18.02
>>775
>橋本治の三島由紀夫、小林秀雄、古典の文庫

橋本治は結構好きで、これらは単行本でひととおり読んでます。
三島については、このスレの750前後でのつっこみが気になってます。

「女の子を殺さないために」は橋本治の「桃尻娘」シリーズには否定的です。

>赤黒白青四部作の完結した同年1977年からはじまる橋本治『桃尻娘』シリーズの
『無花果少年』(1978)では高校生の磯村薫が登場し、「カオルチャン、気をつけて歩か
ないと赤頭巾ちゃんに逃げられるよ」と呼びかけられます。
>しかし、この「カオルチャン」たちには、よくわからない物語を説明することに困って、饒舌
を発揮しません。磯村薫の「東大行ってスケコマシになって見返してやるからナ」「自分な
んかまだ童貞だとォ、僕なんか違うもんねえ」という発言はもちろん「薫くん」の意識的劣化
コピーかもしれませんが、短文を読点でつなげ、くどくどしさを装うだけ。この「カオルチャン」
にはまったく物語を語る拘泥がない点が面白くありません(語りにくいことに言葉を連ねる饒舌
ではない)。

確かに、最近新潮文庫になった「巡礼」なんかもゴミ屋敷の主を通じて、高度経済成長前の
昭和がよく描かれているけど、それは小説的感興といったものとは違うと感じました。
多分、この人は小説家ではないのでしょう。
歴史(世代)観、評論家としての洞察力、独特の論理的文体はものすごいと思うけど。
864G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 10:35:35.14
三島由紀夫についてちょっと。

>>750
>学習院へ入ったことが華族とのリレーションが生まれ後年の作品へと結びついた
>王朝文化と結びついた日本古典文学の三島の深い理解

高文を通った時、大蔵省でなく、宮内庁へという誘いもあったみたいですね

>>752
>三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ 島内 景二 ミネルヴァ書房2010

買いました。表紙が結構気持ち悪い。

これを読む前に、三島の父平岡梓の「倅・三島由紀夫」を読んでみました。
息子があんな死に方をして1年もしないうちから書くかあ。
場違いであまりに寒いギャグセンスに嫌悪感を感じ、途中で投げ出してしまっていたの
だけど、勇気を奮い起して



865G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 10:49:05.24
平岡梓「倅・三島由紀夫」より
>これは入学後1、2年の頃でしたか、ある時僕は倅に諸科目の中で何が一番面白くって
好きかと尋ねましたら、訴訟法ことに民事訴訟法が面白いと申すのです。これは僕の
在学中は最も苦手の科目で、こんなものこの世から消えてしまえ、と訴訟法の本を地面
に叩きつけたことを覚えています。

三島が嵌っていたのは、刑事訴訟法、それも刑法学者でもある団藤重光(のちに最高裁判
事も勤めた)のなんだよね。ここを間違えるって、親としてちょっと異常な気がする。
三島が魅かれたのは多分「微動だにしない」(団藤「刑法綱要総論」)理論大系の美しさにでは
ないか(おそらく、真実ってのが実は相対的で生成変化するものだというダイナミズムも)。

三島には「微動だにしない」ものに対する憧憬がおそらくある。Wikiより。
>1969年5月におこなわれた東大全共闘との討論集会においても、学習院高等科の卒業式に
臨席した昭和天皇が「3時間(の式の間)木像のように微動だにしなかった」御姿が大変ご立派
であったと、敬意を表することも一再ならずあった。

新憲法のもとで(押付憲法無効論もありますが)、新たな刑事訴訟法が制定されたのは1948年。
団藤は立案担当者だった。三島が法学部生として大学にいたのは1944年10月から1947年11月
(途中、学徒徴用。徴兵検査は不合格)。もしかして立法中の新刑訴の話も聞けたかな。
866G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 10:55:49.69
息子を法学部にすすませ大蔵省にいれたのは、当時は大蔵省、特に主計局が諸官庁の中でも
絶大な力を持っており、農商務省(農水省)という弱小官庁の役人だった自分が大蔵省の役人に
威張られた腹いせらしい。
息子は文学の道を捨てられず、二足のわらじのため睡眠不足でホームから線路に落ちたと告白、
父は入省後1年足らずで大蔵省をやめることを許すが、その言い方が奮っている。

>「役所をやめてもよい。さあ作家一本槍で行け、その代わり日本一の作家になるのが
絶対条件だぞ」。

この上昇志向、息子に対してすら、それも文学の道についてすら、それを要求する感覚ってのは
やはり変だ。とんだルサマン野郎って感じがする。

三島の小説もどうも変で自分は受け付けないのだけど。この親にしてこの子ありってところなのか
(父親は毒舌家として知られた官僚でこれらを息子をあんな形で失った父親としての自虐的な
諧謔ととる余地もあるのだけど、やはりトーン自体が変で不快感を催させるのだ)
867吾輩は名無しである:2012/04/01(日) 10:56:18.57
>>865
そのあたりのこと、島内の三島本に詳しく書いてあるよ。

個人的には、三島の小説は「奔馬」の感染力の強いといったらいいのか、
異様な文章の力を除くと、あまりいただけない。
やはり戯曲と評論がいい。
868吾輩は名無しである:2012/04/01(日) 10:58:25.46
>>864
>三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ 島内 景二 ミネルヴァ書房2010
>買いました。表紙が結構気持ち悪い。

amazonで表紙をみたけれど、表紙だけでも生理的にダメ。
橋本治の三島本がギリギリ。
869G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 11:08:22.52
>>867
ありがとう。読んでみます。

戯曲は「サド侯爵夫人」あたり?

子どもの頃、「不道徳教育講座」を読んで、おもしろかった記憶があります。
これは評論というより軽いエッセイなのかな。

>>868
サブの表紙みたい
基本的に電車でもカバーをつけないで読むからなあ、どうしようかと。
870吾輩は名無しである:2012/04/01(日) 11:13:16.34
>>869
>戯曲は「サド侯爵夫人」あたり?

うん。戯曲は本を読んで完結じゃないことがあるかもしれない。
劇場で観てから、本を読むとすげぇなーと三島のセンスを感じる。

「不道徳教育講座」あの辺の生活の為に書いた一連のものは、三島の
律義さが行間から顔をだし面白い。

自決の為、未完になった「小説とは何か」が三島の文学上の趣味を
開陳していて面白い。
871G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/01(日) 11:26:09.97
>>870
d
>戯曲は本を読んで完結じゃないことがあるかもしれない。
劇場で観てから、本を読むとすげぇなーと三島のセンスを感じる。

なるほど、鏡花の戯曲も読むのはつらかった

>自決の為、未完になった「小説とは何か」

「豊饒の海」4部作はわざわざ仕上げているわけだから、やはり小説の
方に思い入れがあったということになりそう。

872吾輩は名無しである:2012/04/01(日) 19:12:34.67
>>844
読書メーターみてみたら割りと酷評な流れ。まあ買うけどもね
873吾輩は名無しである:2012/04/01(日) 21:02:02.59
Gさん萌え
874吾輩は名無しである:2012/04/01(日) 21:32:07.64
875アセンション携帯:2012/04/01(日) 23:45:14.18
>>840
いるところにはいるんですねえ〜。

>>860
あー容量落ちの可能性かあ!
庄司薫は読んだことないけれど、
前に出てた4色の話にちょっと興味がありました。
西洋の四大や東洋の五行の色分け、占星術にもつながるのと、
目黒、目赤、目白などが出てきた中井英夫『虚無への供物』を思い出して。
876G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/02(月) 05:19:31.32
>>840
ログ速で過去スレ確認したら、パサージュ論が、文庫化された2003、4年頃に
は結構盛り上がっていましたね
877G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/02(月) 05:30:33.33
>>875
実際、調べると500dbで書き込めなくなっているスレがありました。
現在、495dbです。やはり、ちょっと次スレ立てるの早かったかな。


878G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/02(月) 05:33:44.31
dbじゃなくkbでした。
昨年、騒音計いじったせいか、ついデシベルって書いちゃった。
879G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/02(月) 06:26:58.24
>>875
>目黒、目赤、目白などが出てきた中井英夫『虚無への供物』を思い出して

お不動さんですね。

庄司薫が小説を赤白青黒の4作で打ち切ったのは、書けなくなったのではなく、
もともと4作しか書くつもりがなかったように思われてならない。>>452
漫画家の柴門ふみが「庄司薫は、老練な策士であったのだ」と評しているとおり>>861

それは、小説を書くという営みが、生きることや幸福と相反する面があるからでないかという気がする。

奥さんの「チャイコフスキーコンクール」を読むと、音楽史観を含めた歴史観が凄い、背後に深い教養
が感じられる。
少女時代から練習とコンサートに明け暮れてきたピアニストがそこまでの史観を持つのはやはり困難では
ないか。文章も技術的に凄すぎる(ピアノより著作にどちらかというと重点を置いている青柳いづみこに勝る
とも劣らない)。
中村紘子は庄司薫と出会い、日本の大知識人たちと知り合い、ピアニストとして技術を磨くため留学するより、
日本に生活の基盤を置くことを決心したと言っており、前に紹介したとおり、作家・詩人との対談のホストも
勤めたり、>>522 庄司と出会ってから、飛躍は著しいし、もともと地頭もよかったと思いますが。
ゴーストというのではなく(ベースは紛れもなく中村紘子本人)一種の共同制作という面があるのではないかと。

>当時はピアニストとして今後、どう生きていくか悩んでいた時期。テクニックを磨くならば日本を出るべきだった
が、それを思いとどまらせたのが、庄司さんを通した知識人との交流だった。
 評論家林達夫、政治学者丸山眞男らとの出会いは衝撃的だった。「私は受験勉強もしていないし、ものごとを
一番吸収できる十代はピアノだけ。それが先生たちを知り、こんな世界があるのかと」。彼らは日本にいながら
世界をしっかり見ていた。いや、日本に根を下ろし、自分の支えとしていたからこそ、世界を語り得た。ピアノも
同じだった。「大事なことは自分自身を見極め、精神を育てていくこと。何を表現したいのか、はっきりとした意志を
持つこと」。
http://www.eonet.ne.jp/~ohashi-380/kaoru-011.htm
880G ◆vDcOqdC/aA :2012/04/02(月) 06:52:26.99
>>874
d 島内景二の三島本、読み始めました。
「豊穣の海」で四世にわたる「輪廻転生」を見届ける本多のモデルは団藤だと言ってますね。
法学理解より仏教理解の方が深そう(小室尚樹は「暁の寺」を唯識論入門として絶賛)
http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/books/1285118482/24-25

日本一の小説家を目指したのは三島自身で、それが高じて、源氏物語も超え、有史以来日本
一となり、さらに世界一(世俗的にはノーベル賞?)も窺おうとしたのだとも島内は言っている。
そのために源氏物語(伊勢物語、古今集も包含していると言っている)が古代より受け継ぐことを
拒否した荒魂(あらみたま)を現代に甦らそうとした。
女性的で優雅な和魂(にぎみたま)と野生的な荒魂との調和を図り、奇跡を起こそうとしたのだと。

>『春の雪』で源氏文化に忠実な作品を書き、『奔馬』で源氏文化への宣戦布告をなし、『暁の寺』を
失敗作と見せかけて安心させ、『天人五衰』の結末で遂に三島は「夢の浮橋」巻を乗り越えた。

どうなんだろう。

「天人五衰」にでてくる、自分が猫だと信じた鼠が猫に喰われそうになり自己正当化のため自殺する寓話。
でも世界はぴくりとも変わらず、猫は鼠を食べようとしたことも死んだ鼠のこともすぐ忘れてしまい昼寝する。

>眠っている猫の上には、青空がひらけ、美しい雲が流れた。
風が猫の香気を世界に伝え、なまぐさい寝息が音楽のように瀰漫(びまん)した……
http://ameblo.jp/yasromance/entry-10549004988.html
881G ◆vDcOqdC/aA
次スレ誘導です。
マルセル・プルースト9
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1333234893/

猫といえば、倅三島由紀夫での父平岡梓の次の回顧。

>倅は猫が大好きでいつもひざの上にのっけていました。僕は反対に
大嫌いなので、時々行方不明にさせてやりました。すると倅はいつの
まにか後釜を仕入れてきて、これを補充してしまいます。そしてさか
んに家中を荒廃させるのです。
>わが軍の一参謀が、「猫なんて鉄粉を食べ物にまぶして喰わせれば
1か月以内にだんだん衰弱して死んでしまう」といって鉄粉を持って
参ったのです。そこでさっそくこれを実行に移し、ひそかに待機して
おりましたら、衰弱どころかかえって元気になり、鉄粉のためでしょう
か、根性が鉄のごとく強固となり、おとなしかった猫がだんだんと兇暴
になってきて、ついに僕の大切にしていたイタリア製のソフトを引っかき
破ってしまい、僕はひそかに完敗しました。猫と鉄粉、これは抹殺法と
して世間ではひろく信じられているという人もありますが、僕の家では
駄目でした。

完全に笑えるエピソードのつもりで書いているところがすごいと思う。
行方不明になった猫たちはどこへ消えてしまったんだ。
1匹の猫がいなくなった、それが父親の仕業という時点でトラウマになり
そうに思うのだが。
次々と後釜の猫が入れ替わるだけで大きな波風も立たなかったのか。
猫の「輪廻転生」でも信じていた?