1 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :
2008/02/05(火) 22:49:11 ID:R4kYhKLv 満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、 武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。 日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。 前スレは「容量オーバー」のため、836でお亡くなりになりました。合掌w。 まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
2 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/05(火) 22:49:53 ID:R4kYhKLv
3 :
霧番 :2008/02/05(火) 22:50:04 ID:MtohNvzx
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,r---、. _ソヽ/`、シi. _>=ヘ 山/=<, . ((ん'ノノルレム)) _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 状況開始! ),k'ヲ:::::::::つ (ン::::/:::l::ヽ `~i,ンT,ノ~´.
5 :
霧番 :2008/02/05(火) 22:52:19 ID:MtohNvzx
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6 :
イナゾウ一等軍曹 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/05(火) 23:01:19 ID:R4kYhKLv
>>前833 >>そして、本人も絞首刑か…。切ない話だなぁ。でも、そうなると >>一人で生きていくほうが却って辛いのかもしれないなぁ…。 巣鴨に収監中の広田弘毅と、秘書官を務めた三男の正雄には以下のような 面会のエピソードも残っています。 正「万一、死刑になるとしたら、お父さん。覚悟は出来ているんでしょうね」 弘「もちろんだ」(微笑しながらうなずく) 正「階段を13段上がっていって、その上に立つとガタンと板が落ちて、 それでおしまいだそうですよ」 弘「判っている」 正「階段を滑り落ちないように、上がっていってください」 弘「よしよし」 広田は子供でもあやすような笑いを浮かべたと云います――。
>>6 >>広田は子供でもあやすような笑いを浮かべたと云います――。
,r---、 从
_ソヽ/`、シi ゝ
_>=ヘ 山/=<,
. ((ん'ノノルレム))
_ソレリ;゚ - ゚ノリ(_ むむッ。親が親なら、子も子ですね。
),k'ヲつ::つ
(ン::::/:::l::ヽ
`~i,ンT,ノ~´
8 :
名無し三等兵 :2008/02/05(火) 23:24:00 ID:???
>>1 新スレ乙。最近なかなか書き込めませんが、いつも読んでます
9 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/05(火) 23:27:25 ID:R4kYhKLv
さて話が先に進み過ぎましたので、元に戻しましょう。広田がオランダ大使を 務めている間に、自分の母と息子を自殺で失ったところまで述べました。 1930年3月に広田弘毅はオランダから帰国しますが、半年あまり家族と 日本で過ごしただけで、同年11月には駐ソ大使を任じられ、モスクワへと 旅立つことになります。 その赴任途中、広田が東京駅に到着すると、同じホームで浜口雄幸首相が愛国社 社員の佐郷屋留雄(さごや・とめお)に拳銃で撃たれました。何という偶然でしょう。 このときの広田は死神に取り憑かれていたのかもしれません。 まあ浜口は一命を取り留めますが、弾丸が骨盤を砕き腸の30%を摘出します。 傷も癒えないうちに、野党・政友会の鳩山一郎らの執拗な登院要求に押されて 無理して国会に出たため、襲撃から5ヵ月後の1931年4月に亡くなりました。 ちなみにこの間の「臨時首相代理」は、外相の幣原喜重郎です。
10 :
霧番 :2008/02/05(火) 23:43:36 ID:MtohNvzx
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11 :
名無し三等兵 :2008/02/05(火) 23:43:50 ID:???
下士志願から曹長昇進オメ 中々立たないんで、次スレ立てたものかどうか迷ったけど 本人が立ててくれて良かった。
12 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/05(火) 23:50:37 ID:R4kYhKLv
さて「駐ソ大使」となった広田弘毅ですが既に53歳(1930年)です。年齢から いっても現役最後のポストとなってもおかしくありません。当時はこの人事を 『学歴立身出世』の典型と揶揄する声もありましたが、このソ連赴任はオランダ 公使時代と同じぐらい、広田の心身を消耗させる結果となりました。 まず聞いてみましょう。この時代のソ連に逝きたい人、手を上げてw。この頃は スターリンが権力を掌握して「秘密警察」による粛清が本格化している時期です。 1928年には農業の集団化による強制移住で350万人ぐらい死んでいます。 いくら世が世なら「駐露大使」様と言っても、今はソ連で全く別の国でしょう。 しかも1931年には関東軍が「満州事変」を引き起こします。いくらソ連が 『5ヵ年計画』に精一杯で日本に関わる余裕がないとはいえ、下手したら日ソ 紛争ぐらい起きかねない状況です。
13 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/06(水) 00:12:40 ID:qNzUFy3N
事実、日本政府は満州事変が起きると、大使・公使に●「軍はすぐに撤兵 する旨を各国政府に通告せよ」と訓令を出しました。 その結果はご存知のとおり、関東軍はチチハルまで永久占領の形で居座ること となり、各国大使・公使は「嘘を付いた」と軒並み信用を失いました。しかし、 広田弘毅は異なります。とても関東軍が撤兵するとは思えず、訓令を無視して ソ連には通告していませんでした――。 いわば独断でサボタージュしたのが幸いした訳ですが、相手はソ連です。満州国とは 国境を接することになる訳ですから、広田は半分当事者のようなものです。この時は ギリギリの判断で胃に穴が空くような思いをしたでしょう。 また、そもそも北部満州は「ソ連の権益圏」であり、ソ連所有の東支鉄道まで ありました。関東軍はそれをも越えて北満まで占領してしまった訳ですから、 どんなに危険な博打だったか想像してみてください。
14 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/06(水) 00:49:49 ID:qNzUFy3N
広田弘毅は駐ソ大使として、「満州事変(満州国建国)」の後始末に並行して 厄介な「北方漁場」の問題をまとめます。1932年には満足すべき日ソ協定 にまで漕ぎつけますが、もうソ連相手に広田の体力は限界でした。結局、広田は 2年ほどで日本に帰国しますが、別人のように痩せこけて家族を驚かせます――。 オランダ公使時の辛い経験(家族との死別)もあり、ついに広田は外務省に退職を 申し出ました。しかし許されず「待命休職」という形となります。 それでも広田は、ひっそりとした湘南海岸鵠沼の片田舎に小さな家を建てて 移り住み、妻・静子と2人の息子、3人の娘とともに家族水入らずの静かな 生活を何年かぶりに味わいます。 こうして広田弘毅は、安息な日々を取り戻し、いつまでも幸せな余生を過ごし ましたとさ。チャンチャン、となれば良かったのですが――。
>>8 様,11様
毎度どうもでございます。引続きマイペースで頑張っていきたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。昨日は自分のプロバイダーがスレ立て規制に
遭っておりましたw。
16 :
名無し三等兵 :2008/02/06(水) 02:36:49 ID:???
. _ (
, '´ィ´ `ヽ )
卯ミノ从从リ〕 '´
ルトd ゚ ヮ゚ノリ ([_] <
>>1 イナゾウ曹長ごきげんよう。
. ⊂[l.i卯i.l]つ ̄ ̄ 新スレお疲れ様です。お茶をどうぞ。
くノ_l_l_〉
し'し'
>>16 様 毎度どうもでございます。昨日は新スレ早々「アクセス規制」に巻き込まれて
おりました。ここ一ヵ月は「板別規制」でスムーズに書き込めたのですが……。今回は
全サーバ規制でしたw。自分はO*Nなので、3〜4日書き込みが無くなったらアクセス
規制中だと思ってください。1ヵ月書き込みが無くなったらもう忘れてくらさいw。
18 :
名無し三等兵 :2008/02/07(木) 23:29:12 ID:???
予備役待命にはまだ早いぞよ。 聖戦完遂の日まで・・・。
19 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/07(木) 23:30:48 ID:MJjARqY8
せっかく安息の日々が訪れた広田ですが、激動の時代は彼を放ってはおきませんでした。 広田がソ連から帰国した1932年は、第一次上海事変、満州国建国、井上準之助 (前蔵相)・団琢磨(三井財閥の最高指導者)が暗殺された「血盟団事件」、同様に 犬養毅首相が殺害された「5・15事件」などが起こります。 国際連盟では「満州事変」の是非をめぐって、松岡洋右がジュネーブの特別総会で 頑張っています。犬養毅の後を受けた斉藤実内閣では、外相の内田康哉が『焦土外交』 (国を焦土と化しても満州国を守る)を打ち出して、翌1933年に日本は国際連盟脱退を 余儀なくされます。帰国した松岡洋右はファシズムに目覚めて、「既存政党の解体」を 目指します――。 順番に並べただけでも訳が分からなくなりそうですが、もう1つ日本国内には 大きな流れが起きていました。陸軍の『皇道派』の全盛時代です。具体的には、 荒木貞夫が犬養毅内閣で陸相となっていました(次の斉藤実内閣の1934年1月 まで留任します)。
20 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/07(木) 23:52:55 ID:MJjARqY8
ちょっと余談になりますが、荒木貞夫(陸相在任中に陸軍大将)は「現在日本は 非常時である」とブチ上げて『非常時』が流行語となります。今なら流行語大賞に ノミネートぐらいされたでしょうか。「聖域なき構造改革」みたいなものですw。 この時期の『皇道派』がどのぐらいイケイケだったか――。こんなエピソードを 紹介してみましょう。犬養毅首相を暗殺した「5・15事件」ですが、主犯格の 古賀清志中尉、三上卓中尉ら海軍将校は、陸軍の青年将校たちにもいっしょに 「ヤラないか?」と声をかけていました。 具体的には、すでに陸軍将校を辞めていた西田税(みつぎ、2・26事件で処刑) に対してです。西田が陸軍の青年将校たちのリーダー格と見込んでのことですが、 西田はこの誘いを断ってしまいます。なぜなら西田は、荒木貞夫中将が犬養内閣で 首相になったので「昭和維新」「国家改造」は大いに進むだろうと期待していた からです。ここで犬養内閣を潰してしまったら、かえって損だという訳です――。
21 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 00:13:32 ID:/TODSHNo
これ読むと結構勉強になるわw
22 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/08(金) 00:18:19 ID:bRPUhVvf
余談が続きますが、広田弘毅が「外相になる背景」の穴埋めだと思ってくらさい。 そもそも「5・15事件」は、海軍将校が政党人たる犬養毅(政友会)を暗殺する という海軍の一大不祥事のはずでした。しかし、後継内閣の首相は「元海軍大将」の 斉藤実です。何か変だと思いませんか? 本来、海軍は「総スカン」でもいいはずです。 その答えは簡単です。今度は『陸軍の方がヤバイ』と思われていたからに他なりませんw。 身内が不祥事を起こした海軍出身者の方が、この頃、不気味に湧き上がってきた 「ファッショ」(ファシズム)の流れを引き締められるだろうという高度な政治的 判断な訳です。当然の事ながら政党内閣では、もはやテロと陸軍の圧力に対して お話になりません。まあ、斎藤実内閣は「中間内閣」とも言われましたが、挙国 一致内閣と表現した方が分かりやすいと思います。
23 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/08(金) 00:34:15 ID:bRPUhVvf
さてその斎藤実ですが、明治の日本海軍に詳しい人は「八・八艦隊」へと続く 艦隊整備に尽力した人物としてご存知のはずでしょう。第1次西園寺内閣から (1906年〜)5つの内閣で海相を務めています。最後は「シーメンス事件」の 責任を取って海相を辞任、予備役編入となりました。 そんな斎藤実(海軍大将)ですが、特筆すべき経歴がもう1つあります。それは 海軍中尉時代に、4年間も「アメリカ公使館付武官」を務めたことです(1884〜 1888年)。当然英語もペラペラで、外国人との交友も深く、ジョセフ・グルー駐日 大使と親友の仲といえば、どれほどのものか容易に想像できるでしょう。とどめに 斎藤は海軍の「条約派」軍人です。 昭和天皇は、犬養内閣の後継者の条件として●『ファッショに近き者は、絶対に 不可なり』と挙げていましたので、斎藤実の「国際的良識人」ぶりは人物として 最良の1人だったと云えるでしょう。
24 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/08(金) 00:58:52 ID:bRPUhVvf
というか、陸軍の革新派は「犬養の後継首相」として荒木貞夫陸相を 希望していました。「冗談はやめてくれよ」といった感じです(核藁)。 昭和天皇も『ファッショは絶対に不可』と言ってるじゃないかw。 また他の陸軍や政友会右派は、右翼に近い「平沼麒一郎」を担ごうと しましたが、これもファッショの点から不可です。首相奏薦の責任がある 元老の西園寺公望は最初、政友会新総裁となった鈴木喜三郎を推して、 「政党政治を続けさせる」つもりでしたが、軍部の実情を見ると、 とても内閣がもたないと諦めました。 そういう視点から見ると、斉藤実は「英米との協調外交」という西園寺の好み にも合致しますし、海軍がバックに付いていることで、陸軍のファッショにも 対抗できる面もうってつけだった訳です。 ちなみにですが、この斉藤実は「2・26事件」で内相時に暗殺されています。
25 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 12:34:23 ID:???
>昭和天皇も『ファッショは絶対に不可』と言ってるじゃないかw。 どうせファッショに傾くんだから、そのまま推し進めりゃよかったのに。 その方が明治憲法の欠陥だの統帥権問題だのが浮き彫りになるわけで、 早期に解決できたかもしれない。 むしろ、陸海軍の対立を煽るような真似こそ、後々を考えると最悪だったのではないか?
>>18 >>予備役待命にはまだ早いぞよ。聖戦完遂の日まで・・・。
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! まあ、イナゾウ曹長も本業に精を出すことが
レ',ヘ.i`ム'」つ旦~ 長期持久のコツよね。
,く_,//T.iλ
"ーr_,t_ァ'"
27 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/08(金) 23:58:56 ID:Kve1m1Lb
>>25 >>どうせファッショに傾くんだから、そのまま推し進めりゃよかったのに。
ファッショの究極形態は、『天皇親政国家』であることを忘れないように。
そして昭和天皇が「後継首相選定」につけた注文は他にも、
●「憲法は擁護せざるべからず。しからざれば明治天皇に相済まず」
とありますが、明治憲法の擁護とは要するに「天皇親政の回避」とイコールです。
>>25 >>むしろ、陸海軍の対立を煽るような真似こそ、後々を考えると
>>最悪だったのではないか?
荒木貞夫や真崎甚三郎の『皇道派』が首相になって、戦前の日本が良くなった
とは思いません。斎藤実内閣が崩壊したあとは、同じく海軍大将の岡田啓介が
組閣します。そして「統制派の逆襲」とともに皇道派は没落。断末魔として
「2・26事件」が勃発し、その後に登場するのが広田弘毅首相な訳です――。
28 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/09(土) 00:33:30 ID:nrfjYnQx
>>22 >>斎藤実内閣は「中間内閣」とも言われましたが、
斎藤実の特筆すべきは『強靭な体力』であり、●「若い頃は1週間、一睡もしなくても
平気だった」と豪語しています。事実、斎藤が海軍大臣時代に明治天皇が危篤に陥ると
当時の閣僚は1週間、宮中に泊り込んでご快復を祈りました。他の閣僚が緊張感に耐え
きれずに音を上げるなか、斎藤だけはケロリとしていたと云います。
また朝鮮総督時代は、日本から到着したその日の午後から執務を開始するほど、斎藤は
勤勉でした。しかし首相としての斎藤は、朴訥とした喋り口からおよそマスコミ受けが
する人物ではなく(記者会見でも「それはなぁ…」「ウム…」を繰り返すだけで記事に
ならないw)、『スローモー内閣』と揶揄されました。まあ、これは後でも述べますが
年齢も関係しており、斎藤は1858年生まれですから74歳のお爺ちゃん首相です。
斎藤内閣は、昭和恐慌にあえぐ「農村救済」に一定の成果を挙げますが、国内政治の
安定を最優先したため、外交問題では陸軍の要求どおり『満州国』を承認して、決定的
対立を避けました。その挙句として、日本の国際連盟脱退に繋がる訳です――。
29 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/09(土) 00:48:59 ID:nrfjYnQx
>>28 >>その挙句として、日本の国際連盟脱退に繋がる訳です――。
まあ、国内の失政はリカバリーが効きますが、『外交的な落ち度は取り返しが
つかない』の典型です。この辺の国際連盟脱退の動きは、前スレの「松岡洋右」
の項も参照してください。
>>前825 >>食を断って自殺とは・・・余程精神に堪えたのか、あるいは治らない >>ような病気だったのだろうか。 ,r---、. _ソヽ/`、シi. _>=ヘ 山/=<, . ((ん'ノノルレム)) 広田弘毅の母タケは80歳のとき、一人で外出して _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 電車から降りる際に転倒して、肩の骨を砕きます。 ),k'ヲ:::::::::つ それが体内で化膿して病状が悪化した訳ですね。 (ン::::/:::l::ヽ タケは「何とかして一目、弘毅に会って死にたい」 `~i,ンT,ノ~´. と訴え続けましたが、オランダ公使だった広田は、 母の病気を理由にして帰国を申請することはできません。 その旨の手紙を日本に送りましたら、タケは「もはや生きていても仕様がない」と 絶望して、一切食事を受け付けなくなりました。家族が口の中へ無理やり押し込んでも 吐き出して、最後は自殺同然の餓死だった訳です。まあ、私の判決は『地獄』でしたね。
>>前826 >>次男の忠雄が自殺したことを知りました。高校受験に2度失敗した >>ことを苦にしたものでした ,r---、. _ソヽ/`、シi. _>=ヘ 山/=<, . ((ん'ノノルレム)) 広田弘毅の次男・忠雄の自殺の原因はこうです。 _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 高校(旧制)入試に2年続けて失敗。2浪となります。 ),k'ヲ:::::::::つ 3年目のその年に失敗すれば、徴兵に引っかかって (ン::::/:::l::ヽ 入営させられる可能性がありました。弟の三男・ `~i,ンT,ノ~´. 正雄(のちに広田弘毅の秘書官となる)と早稲田を 一緒に受けますが、無頓着な正雄は合格発表を見にも 逝きませんw。仕方がないので土壇場の次男・忠雄が2人分の結果を見に行きますが、 自分は不合格で、弟の正雄だけが合格していたのです。そのあと忠雄は自殺しました。 忠雄の補欠入学の通知が届いたのは自殺した翌日。まあ、これも『地獄』逝きですね。
ッ-ヘ。__。ヘ /ー- 、 レ, '´゚ `,〉. /==ヽ i i ハ)))ハ))ノ) / .)ノ あたいの上司の四季さまは、「超」が イオi ゚ ヮ゚ノヘ / (( つくほどお人好しだけど、自殺にだけは ,ぐ`i盃、ツつ' ものすごくキビシイのさw。 ,メ∪イ-i、ゝ/ ゙'ーi_'ォ_ァ"/
33 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/09(土) 23:32:38 ID:lYe+don+
>>前828 >>船でしたら数ヵ月かかるでしょう(シベリア鉄道経由だったら >>どうか分かりませんが) 広田弘毅がオランダに赴任する際の移動手段ですが、行きも帰りもシベリア鉄道 でした。東京駅から下関、釜山、京城、奉天、満州里、シベリア鉄道な訳です。 オランダ公使となるのですから、本当は海路でインドネシアに寄ってオランダの 植民地経営を視察したかったようですが、やはり鉄路でソ連の実態を視察できる シベリア鉄道経由を広田は選びました。ちなみにインドネシアには、いっしょに 赴任する部下を代わりに送って調査させています。 まあ、シベリア鉄道経由でもオランダまで数週間かかる訳ですけど。
34 :
名無し三等兵 :2008/02/09(土) 23:46:44 ID:???
広田はまるで春秋戦国の人だなぁ…。
35 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/10(日) 00:07:01 ID:wBwFobhw
>>19 >>外相の内田康哉が『焦土外交』(国を焦土と化しても満州国を守る)を打ち出して
広田が外相になるまでの余談が長くなっていますが、あと少しですw。日本の国際連盟
脱退を象徴するような内田康哉(外相)の『焦土外交』の言葉を聞きますと、なんと
「タワけた粗忽者」なのだろうと思うかもしれません。ですが、色々事情があります。
そもそも内田康哉(1865年:熊本生まれ)は外務省の長老格で、1920年代までに
第2次西園寺内閣、原敬内閣、高橋是清内閣、加藤友三郎内閣で4度外相を務めています。
さらに「原敬の暗殺後」「加藤友三郎の病死後」と、後継内閣が決まるまで内田は2度も
首相臨時代理を外相と兼任するという、稀有な経歴の持ち主でもあります――。
その後、1930年に貴族院議員、1931年には満鉄総裁となりますが、内田は
満州事変と関東軍の強硬さを現場で見て来ており、もはや後戻りできないことを
痛感しておりました。内田としては満州国を承認することで、現地の空気を一応
平静にして、さらに関東軍を満州国の建設に没頭させるほうが、これ以上の戦火の
拡大を防げるだろう、という「政治的判断」をしていた訳です――。
36 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/10(日) 00:31:48 ID:wBwFobhw
さて外相の内田康哉は、国会答弁で野党・政友会の森恪(もり・つとむ)に満州国 問題で噛みつかれます。 ●「外国から圧迫を受けた場合、耐えうるだけの用意はあるのか?」と。 森恪は田中義一内閣の政務次官として「対支強硬外交」を推進した男です。山東出兵や 東方会議の開催、はては「張作霖爆殺事件」の背後にもいたとされます。内田から見れば 森のような若造が、外交官でもないのに勝手にやりたい放題して、野党に回ると自分に 噛み付いてくる――。「この野郎」と思う訳です。内田は森の発言を黙らせるかのように、 ●「日本が正しいと信じてやることに対し、万一他国の干渉があっても、それはやむを 得ない。たとえ国を焦土と化してもやる――」 と勢いで言ってしまい、新聞に大きく取り上げられる事になります。要するに老外相・ 内田の失言であり、真意ではない訳ですが、『焦土外交』という言葉は一人歩きして 満州国を死守する日本の「戦闘的」「排外的」路線と位置づけられてしまいましたw。
37 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/10(日) 00:50:23 ID:wBwFobhw
まあ、太平洋戦争で山下奉文の「イエスか?ノーか?」が一人歩きしたのに 少し似ています。史実では、降伏交渉の席で山下は英国のパーシバル中将に 無条件降伏を求めますが、通訳が上手くいきません。 報道班員だった菱刈隆大将の息子が臨時に通訳したのですが、軍事用語に暗く なかなか英国側と意志の疎通ができませんでした。イラだった山下は「君は イエスか、ノーかを聞くだけでいいんだ」と軍隊口調で半分叱責したのが、 まるでパーシバル中将に「山下が同じセリフで恫喝した」かのように話が 一人歩きしてしまった訳ですw。 ちなみに降伏交渉は、アメリカに駐在して隊付勤務も経験したこともある 情報参謀の杉田一次中佐が同席していたため、通訳を引き継いで何とか 一件落着となりました。だったら、最初から杉田中佐に通訳をやらせろよ という感じですが、くだんの報道班員が菱刈大将の息子ということで、 色々あったのでしょう。まあ、内田の『焦土外交』は本人の失言なので 自業自得な訳です。山下奉文の方が100倍気の毒でしょうw。
日本の「国際連盟脱退」という節目と、『焦土外交』の騒動に対する嫌気、 そして自身の老齢からくる体力の限界……。内田は外相を辞任して広田を 後任に推薦する決心をする訳ですが、ようやくここまで辿りつけましたw。 という訳ですが、明日はサンクリなのでまた次回(藁)。雪がたくさん 残っているんだろうなあと。
39 :
JY :2008/02/11(月) 03:05:19 ID:???
40 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/11(月) 18:43:53 ID:8yEphwLr
>>37 >>>内田は外相を辞任して広田を後任に推薦する決心をする訳ですが、
内田康哉が外相を辞めた理由は、3つあります。1つ目は満州国を日本が承認して
国際連盟を脱退するなど一連の区切りついたこと。2つ目は外務省内に白鳥敏夫と
いった『革新官僚』が中堅・若手層に跋扈しはじめ、困惑したこと。とくに白鳥は
森恪らとともに軍部と毎夜のように赤坂で会食、スウェーデン公使に飛ばされそう
になりますが、白鳥は辞令が下ったにも関わらず軍部の圧力をバックに抵抗します。
白鳥支持の外務省若手も騒ぎ出し、かえって有田八郎外務次官が辞職し、重光葵に
代わるという始末ですw(結局、白鳥はスカンジナビア四国公使として左遷に)。
外務省長老の内田康哉は1865年生まれですから、既に68歳。白鳥は1887年
生まれの46歳。親子ほど違う年齢差に加えて、外務省本流の内田からすれば、白鳥を
中心とする『革新官僚』の思考は理解不能だったでしょう。「若い者の考えることは
よくわからん」とw。
41 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/11(月) 18:51:28 ID:rP7x6mUI
あは☆久しぶりにリアルタイムいなぞーさん。^^
42 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/11(月) 19:14:10 ID:8yEphwLr
3つ目は、内田康哉の68歳という高齢と肉体的衰えです。もともと内田は外務省に 到着する「公文書や電報すべて」に目を通して、自分の手で分類・検討するタイプ でしたが、以前に外相を務めていた1920年代とは量が違います。内田は自分の仕事 スタイルを貫きますが、内外の問題が山積しているのも加えて、みるみる消耗して 健康を害し、職務を続けられなくなりました(辞任後、半年足らずで内田は病死――)。 そして内田が広田弘毅を後任の外相に推薦した「肝心の理由」ですが、以下のような エピソードがあります。 内田康哉(外相)は田中義一内閣時代、「不戦条約」(ケロッグ・ブリアン条約)の 調印に全権として赴きますが、その一節の「人民の名において宣言する」が天皇主権 とする帝国憲法に違反するのではないかと問題になりました。 頭を抱えた内田康哉ですが、パリで調印を終えた帰路、ロンドンまで来ると、当時 オランダ公使だった広田弘毅が待ち受けています。条約の問題となる「in the name of」 には様々な解釈の余地があることを、わざわざ資料を整えて教えに来てくれたのでした。
43 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/11(月) 19:35:01 ID:8yEphwLr
結局「不戦条約」自体は、「人民の名において」の部分が日本にだけ適用 されないことを内外に宣言して批准されることになり、広田が気を遣った のは無駄になりましたw。しかし、内田は広田の好意を忘れません――。 広田としては、大した仕事もないオランダ公使が長期にわたり、暇で暇で 仕方がなく、目と鼻の先のパリで行なわれている「不戦条約」に自分も一枚 加わりたかったのかもしれませんが……。 さて内田が外相を広田に禅譲する理由ですが、勿論それだけではありません。 既に何回も述べているように当時、陸軍は皇道派が『アゲアゲ・EVERY騎士』 の全盛期でありw、外交の主導権もいまや陸軍が奪いつつありました。 そんな陸軍の専横に対抗できるようなガッツのある「頼れる奴はいないか?」 と見回したとき、第一の候補にあがったのが「博多のバーバリアン(蛮人)」 こと、広田弘毅だった訳です。あ、ここでいう蛮人の意味は、外務省内の お貴族様や名門、優等生に比べてということですから、倖田來未 の「35歳 過ぎると羊水が腐る」みたいなふうに誤解しないでくださいw。
44 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/11(月) 19:48:47 ID:8yEphwLr
ちょっと悪ふざけ的に書きましたが、広田弘毅が外相に選ばれた理由は たくさんあります。 まず外務省内に人望があったこと。そして派手さはありませんが、地味で 「粘り強い交渉力」です。満州事変直後のソ連大使を見事こなしたことを 挙げれば十分でしょう。広田の粘り腰と精神力は、はっきり言って異常な くらいです。もし東北人だったら、少しは説明もつくのですが……。 単に「陸軍の圧力に屈しない」というだけなら、他にも適任者はいくらでも いたでしょう。例えば、広田と外務省同期の吉田茂だってそうです。また2期 先輩(同時に2つ年下)の松岡洋右も屈しないどころか、陸軍の鼻面を引っ張り まわしてくれそうですw。事実、この2人も「外相就任」に意欲がありました。 しかしこの2人が外相になったら陸軍と破滅的な喧嘩になるのは目に見えて います。吉田は右翼でしたが、満州で総領事時代に現地の陸軍と喧嘩して以来 反軍的。松岡は陸軍右派より、日本をファシズムへと導いてくれそうですw。
45 :
イナゾウ曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/11(月) 20:03:44 ID:8yEphwLr
それらを含めて考えますと、吉田や松岡のように大言壮語せず、陸軍相手にも 粘り強く対抗でき(地味だが決して屈しない)、いざとなったら博多人らしい 行動力もあり、情報部長(マスコミ対策)も務めたので新しい時代にも対応できる 広田が外相に選ばれた訳です。外部からは近衛文麿、当の陸軍からは松井石根も 広田の名前を挙げていました。 >>情報部長(マスコミ対策)も務めたので新しい時代にも対応できる 要するに世論対策、ぶっちゃけて言えば「ファシズム」流行への対策です。 広田は最初、「ソ連に長くいて疲れているから」と固辞しますが、斎藤実首相の 再三の要請に折れて、ついに外相に就任したのでした(1933年:56歳)。
>>41 >>あは☆久しぶりにリアルタイムいなぞーさん。^^
毎度どうもでございます。まあ、3連休なのでいつもより時間外れに出現でした。
今日は定例の献血に逝ってまいりました☆。って、語尾に「☆」を付けますと、
『らき☆すた』っぽいッスね。やっぱさー、休日は混むんだよねー。親子連れ
なんかもいるんだよ。こんな休日の過ごし方ってあり?「ねーねー、子共的には
一体どうなの?」って思うんだよねぇー。「お父さん、すごーっ!」て感じじゃ
ない? もちろん違う意味だけどさーw。
あのさー、献血いったことない人って結構いるんだと思うだよねー。1回、行って
みなよー。なかなか自分の血を大量に見る機会なんてないと思うんだぁ。結構ぶっとい
太い針、刺されちゃうしねー。試し打ちと本番、左右2回も打つのって知ってたー?
最近は「400mmリットルじゃなきゃ絶対ダメっ」て感じだけどね、受付の人も。
でも考えてみるとあれって、ペットボトル1本近く抜くんだよー。終わった後に
自分の献血パック押してみると、ぷにぷにって「すごーっ!」って感じだよねーw。
>>39 >>山田さんヒドス(´・ω・`)
,r---、
. _ソヽ/`、シi
._>=ヘ 丞/=<,.
((ん'ノノルレム)) ペチッ
_ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ ミ i っ 魂とは循環する資源であり、生き物は死して
),k'ヲ_`:´アつXE無旺〉ノ| っ 魂を返還するまで、それを成長させる義務が
(ン::::/:::l::ヽ. .(_,ノ 義務があります。自殺を遂げる者は、自ら
`~i,ンT,ノ~´ 魂の成長を止め、その責務を放棄したことになります。
そして「魂の価値」こそが、死後の唯一の財産であり絶対の善悪です。私は「生命の終点」を
司る者。曖昧模糊な司法の主などではありません。鬼王・ヤマザナドゥの真意を見損なって
貰っては困ります――。
48 :
イナゾウ中隊先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/11(月) 23:23:04 ID:lW8Lkv7E
さて広田がようやく外相に就任した訳ですが、ここで少し外務省の人間関係を おさらいしておきましょう。よく言われた外務省内の人物評が、 ●「小村寿太郎・加藤高明の時代が終わると、幣原喜重郎・山座円次郎の時代が 来る。さらにその次には、佐分利貞男・広田弘毅の時代が来るだろう――」 山座円次郎は何度も述べたとおり、広田弘毅の師匠格でしたが49歳で早世します。 この人物評を見て分かるように、広田と同期の吉田茂や2期先輩の松岡洋右の 名前は見当たりません――。
_,........,_ , ´,.-== ,ヽ i (ノノλノ)リ ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 広田弘毅と吉田茂――同期だけど、どっちがエライの? `,く_,`ハ,イつ ,(,ノ┐ハゝ `'-i'_ィ,ァ"´
50 :
名無し三等兵 :2008/02/11(月) 23:29:13 ID:???
俺だよ、俺
51 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/11(月) 23:34:12 ID:rP7x6mUI
誤解を恐れずに人物論だけで横レス (49の求める回答では無い筈)しますと・・ 個人的には、 人間・広田弘毅、救国・吉田茂 ― いずれも人物と思います。 敗戦の責任を取った男と、復興の責務を担った男 ―
52 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/11(月) 23:52:18 ID:lW8Lkv7E
>>49 >>広田弘毅と吉田茂――同期だけど、どっちがエライの?
広田弘毅です。吉田茂は土佐の自由民権運動の志士、竹内綱の庶子(家督相続
権のない嫡男以外の男子)でしたが、横浜の貿易商の養子になります。経済的
には心配ないのに加えて、内大臣の牧野伸顕の娘と結婚しました。言うまでも
なく、牧野伸顕は大久保利通の次男にあたり、元老や宮中に太いパイプをもつ
「時を超えた権力者」です。
それに引き換え、広田弘毅は福岡の石屋のセガレであり、妻・静子は玄洋社
社員の娘ですw。学歴的には、広田も吉田も帝大法学部卒のドッコイです。
しかし吉田茂は野心の大きさというか「政治的行動」が災いしました。満州の
安東県領事時代に、日本の「対支21ヵ条要求」に反対して、支那各地の領事
たちを糾合して反対行動を起こそうとしますが、中途で漏れて失敗します――。
53 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/12(火) 00:05:30 ID:RJ8UY02y
また安東県領事と同時に、吉田茂は朝鮮総督府書記官も兼任しておりました。 そこで寺内正毅元帥(朝鮮総督)に気に入られ、寺内が総理に決まると吉田に ●「どうじゃ、総理大臣秘書官をやらんか?」と誘いを受けます。 『政治大好き』の吉田としては涎が出るポストですが、寺内は「時の権力者」 であると同時に、別の意味でも「時の権力者」でしかありません。自分は「時を 超えた権力者」の牧野伸顕の娘婿である以上、これに直ぐ飛びつくのは得策では ない――。そう冷静に考えたのは結構ですが、吉田の寺内に対する断りの文句が ふるっています。 ●「総理大臣なら務まるかもしれませんが、秘書官はとても務まりません――」 吉田は彼一流のユーモアを込めたつもりかもしれませんが、軍人で生真面目な 寺内は「生意気を言うな!」と激怒しますw。
54 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/12(火) 00:27:56 ID:I+/OM1EM
>「総理大臣なら務まるかもしれませんが、秘書官はとても務まりません――」 吉田 >軍人で生真面目な寺内は「生意気を言うな!」と激怒しますw。 流石、ワンマン首相。^^鳩山(首相)さんとのエピソードに直結ですね。
55 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/12(火) 00:36:05 ID:RJ8UY02y
吉田は安東県領事からワシントン大使館勤務の辞令を受け取るはずでしたが、 取り消されてオジャンになります。寺内の機嫌を損ねたのはともかくとして、 やはり「対支21ヵ条要求」に反対して領事たちを糾合しようと政治的運動 をしたのが非常に問題になった訳です。 一時は免職にもなりかねない雰囲気でしたが、そこはそれ。牧野伸顕の娘婿と いうことで辛うじて首が繋がります。しかし吉田は、外務省でもっとも閑職と される「文書課長心得」に左遷されてしまいます。 そこで「文書課長」までクスブっていますが、後ほど詳しく述べます外務次官の 幣原喜重郎ともウマが合わずに衝突します。もう外務省本省には置けないという ことになり、吉田は更に済南の領事に追い出されてしまいました――。 まあ、ここで大きくマイナスになります。「5マス戻る」w。吉田とは全く逆で 広田弘毅には「政治的行動」は皆無ですから(玄洋社に関わりが大変深いにも 関わらず)順当に歩んでいく訳です。ただし、広田も吉田も「国士」である事に 変わりはありませんし、お互いズケズケ思ったことを言える仲でした。
>>53 >>『政治大好き』の吉田としては涎が出るポストですが、
吉田としては、あまり早く「変な色」(寺内という)が付くのを怖れた訳ですが、
名門に連なるがゆえの判断でしょう。ちなみに吉田の代わりに、寺内正毅首相の
総理秘書官になったのは松岡洋右ですが、吉田と同様に幣原喜重郎(外務次官)
とトラブルを起こします(後述)。
>>43 >>倖田來未 の「35歳過ぎると羊水が腐る」みたいなふうに誤解しないで
.「^ヽ,ry'^i
,ゝ"´ ⌒`ヽ
くi Lノノハノ)」
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! まあ、男で言うなら『35歳過ぎると精液が腐る』
レ',ヘ.i`ム'」つ旦~ とでもなるのかしらねw。
,く_,//T.iλ
"ーr_,t_ァ'"
58 :
名無し三等兵 :2008/02/12(火) 07:13:22 ID:???
まあ、○○歳以上でかつ一定の条件が加わると、魔法使いになるそうだけどなw
59 :
元32(予備役少佐) :2008/02/12(火) 07:51:30 ID:QG4KQ3rO
>>48 >佐分利貞男・広田弘毅の時代が来るだろう
なぜか米英派最高の俊才斉藤博の名前が抜けていますね。
松岡洋右、吉田茂の刎頸の友コンビはすごく有能なのですが、
どうも個性がありすぎるわけでなかなか出世できません。
しかし、もしかすると、この二人の役割は入れ替わっていたかもしれない、
と考えてみるのもおもしろいことです。
そして、両者が敬意を払った同世代の俊才斉藤博は夭折します。
60 :
名無し三等兵 :2008/02/12(火) 18:45:04 ID:???
外務省創設以来の大物だった佐分利公使が自殺したのが痛かった
61 :
名無し三等兵 :2008/02/12(火) 18:53:18 ID:???
第二次世界大戦における大日本帝国VSドイツ第三帝国の比較。 日本軍は日中戦争で大勝し、首都南京に日の丸を掲げたままで無条件降伏。 ドイツ軍は東部戦線で大敗し、首都ベルリンに赤旗を掲げられて無条件降伏。 中国マジ惨め・・・
62 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/12(火) 23:18:20 ID:JCDx5kQL
>56 >>寺内正毅首相の総理秘書官になったのは松岡洋右ですが、吉田と同様に >>幣原喜重郎(外務次官)とトラブルを起こします(後述)。 松岡洋右は寺内正毅の「総理秘書官」を兼任しますが、ちょうどシベリア出兵が 取り沙汰されていた頃でした。外務省では次官の幣原喜重郎以下、これに全員反対。 新任の外相の後藤新平だけが、シベリア出兵の積極論者という流れでした。 寺内首相は後藤外相の言うことを鵜呑みにして、シベリア出兵の天皇への上奏、 御裁可を得ようとして外務省は大騒ぎになります。 ここで総理秘書官を務めていた松岡洋右が、ただ省内で騒いでいるだけでは駄目だ と、●「外務省全体として出兵に反対である」旨の手紙を書き、すぐに寺内のもとへ 届けさせます。寺内は参内する車中でこれを読んで驚き、後藤新平を呼びつけて ●「いったい外務省の意向はどうなのだ! 本当は反対ではないのか?!」と詰問し 上奏を一時取り辞めました。
63 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/12(火) 23:37:02 ID:JCDx5kQL
「面目丸潰れ」となったのは後藤新平です。松岡洋右はもちろん、責任者たちを 呼びつけて激怒します。首謀者の松岡は一応大人しく聞いておりましたが、次官の 幣原喜重郎が同じように叱責しようとすると、松岡は喰ってかかります。 松「幣原次官もシベリア出兵に反対ではございませんか? 私達はただそれを 手紙にまとめたまでです――」 幣「いや、議論の当否を言っているのではない。君達のやり方がけしからんと 言っているのだ」 松「それでは、シベリア出兵に反対しなくてもいいと言われるのですか?」 幣「いや、反対意見は反対意見で結構だが……」 松岡洋右は、次官の幣原喜重郎を相手にして情けなくなってきたと云います。優秀な 外務官僚とは、つまりこういう人間なのかと。手をこまねいて事態を傍観するなど 愚の愚策ではないか――。
64 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/12(火) 23:58:13 ID:JCDx5kQL
>>55 >>吉田は更に済南の領事に追い出されてしまいました――。
吉田茂は済南で悶々と1年間過ごしますが、第一次大戦の講和会議がパリで
開かれると聞いて、とても我慢できなくなります。
パリ講和会議には西園寺公望を首席全権に、日本は正式の全権団員だけで70人近く、
総勢で約150人を送るという国際外交の檜舞台です。これに参加できるかどうかで、
外交官としてのキャリアには「天と地」ほどの差が付きます。
外務省の若手では、広田と吉田の2期先輩の「松岡洋右」、1期先輩の「佐分利貞男」
など、将来を期待されたホープが随行します。京大を卒業したばかりの近衛文麿も
西園寺のツテで随員となっていました。
吉田は左遷されて謹慎の身ですが、なんとかパリ講和会議に付いていこうと持ち前の
政治的行動力をフルに発揮します。人事は幣原次官が握っておりますから、副全権で
岳父の牧野伸顕に頼み込んで、とうとう牧野の秘書官という形で随員に割り込みました。
65 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/13(水) 00:12:56 ID:ZI5HlY7v
>牧野の秘書官という形で随員に割り込みました。 なぜか唐突に若き日の宇野総理と竹下総理が海外に出かけた時のエピソードが 脳内で浮んできましたですね。関係ない横レスすまそです。
66 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/13(水) 00:18:54 ID:uTKwhCoj
しかし吉田は、牧野の秘書官になったはいいですが、ホテルや汽車汽船の 手配など、本来の秘書の仕事は間違いだらけに終わりました。これに牧野は すっかり腹を立てて、1ヵ月あまりに口をきいてくれなかったと云いますw。 このように吉田茂は、持ち前の「政治的野心と行動力」で得点も多いですが 失点も多い――。外務省の席次的には、広田弘毅の後塵を拝することになり ました。例えば、こんなエピソードもあります。1923年の話ですが――。 パリ講和会議のあと、吉田茂は駐イギリス大使館に勤めますが、天津総領事に 飛ばされました。ようやく次はスウェーデン公使ぐらいに出られるだろうと 噂が立ち、吉田本人もその気になっていたころ、外相となった幣原喜重郎に 呼び出されます。もはや嫌な予感しかしませんw。 ●「気の毒だが、他に適任者が見当たらぬから、吉田君に奉天総領事として 赴任してもらいたい――」
67 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/13(水) 00:36:36 ID:uTKwhCoj
また支那の総領事か…と吉田はがっくりしますが、幣原はフォローとして 「高等官1等にして身分上は大いに優遇しよう」と持ちかけます。 吉田は止むを得ないと渋い顔を更に渋くしながら、奉天行きを了解しますが 悲劇はこれだけに収まりません。しばらくすると幣原に再度呼び出されて、 「気の毒だが、君を高等官1等とするには手続き上、同期の広田(弘毅)君も 1等にしなくてはならない。そのため2人の名前を内閣の審査委員会に申請 した。しかし広田君は本省での昇進年限を経過しているのだが、吉田君の方は 基準を満たしていないと突っ返してきたのだ――」 要するに、広田弘毅だけが吉田茂のおかげで「高等官1等」に昇進でき、肝心の 吉田は取り残されてしまった訳ですw。
68 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/13(水) 00:41:02 ID:ZI5HlY7v
ナムナム。(ー人ー) しかしこれで1人は絞首刑に近づき、1人は遠のいたという、 縁の織り成す不思議な万華鏡。
69 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/13(水) 00:51:39 ID:uTKwhCoj
まあ、それでも吉田茂はへこたれません。 ならば幣原外相の「義兄」である加藤高明首相に、自分の奉天総領事の 赴任にあたって推薦状を一筆かかせろとねじ込みます。 満州では関東軍が外務省を半ば無視して行動しているため、加藤首相の 「お墨付き」を頂いた大物総領事(吉田w)が赴任することにすれば、 大いに仕事の役に立つばかりか、自分のプライドも大満足という訳です。 結局、首相の加藤高明は可愛い義弟(幣原)の頼み、しかも吉田は牧野 伸顕の娘婿ですから、この妙な頼みを聞いてやることになりました。 吉田はこの「お墨付き」を持って奉天総領事として満州に赴任し(1923−1928)、 現地の関東軍や張作霖と大暴れすることになる訳ですが、また別の話です――。
>>59 >>なぜか米英派最高の俊才斉藤博の名前が抜けていますね。
ちょっと斎藤博を取り上げるには資料が断片的すぎまして…w。あと松岡・
広田・吉田とは4〜6期下になりますから、
>>さらにその次には、佐分利貞男・広田弘毅の時代が来るだろう
「さらに、さらにその次には、斉藤博の時代が来るだろう」になりますかね。
>>60 >>外務省創設以来の大物だった佐分利公使が自殺したのが痛かった
佐分利貞男については、後で少し詳しく触れます。
>>69 >>ならば幣原外相の「義兄」である加藤高明首相に、
_,........,_
, ´,.-== ,ヽ
i (ノノλノ)リ
ルイ) ゚ ヮ゚ノ) なんか上の人たちは、みんな親戚ばっかよねw。
`,く_,`ハ,イつ
,(,ノ┐ハゝ
`'-i'_ィ,ァ"´
72 :
俄将軍 :2008/02/13(水) 02:21:27 ID:???
>>60 佐分利貞男は、箱根で、自殺したのか、疑わしい、ということもあるのか、などと、電波の発
信など試みてみたり。
斉藤博も、同様、ということになるのか、外套と短刀と長い手が、ということもあるのか、な
どと、電波の増幅など試みてみたり。
戦後日本の各省庁でも、有能な人材が、不審な死に方など、ということもあるのか、などと、
適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
73 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/13(水) 23:01:30 ID:KVMqlPeq
>>69 >>吉田はこの「お墨付き」を持って奉天総領事として満州に赴任し(1923−1928)
>>現地の関東軍や張作霖と大暴れすることになる訳ですが、また別の話です――。
少し簡単に触れますと、吉田茂が奉天総領事に出向いたのは、支那で「北伐」が始まり
キナ臭くなっている頃です。加藤高明内閣から若槻礼次郎内閣、そして田中義一内閣に
代わると、外務大臣を田中義一自身が兼務したため、外交方針の一大転換が起こります。
要するに、幣原喜重郎外相の「国際協調路線」から田中義一的な「対支強硬路線」への
変化です。北伐を傍観するなど折から『軟弱外交』と批判された「幣原外交」の反動
でもあります。まあ、幣原は1924年6月から1927年4月まで実に3年近く
外相を務めましたので、いかにも長過ぎました。
そして政友会の森恪が外務省に政務次官として乗り込んで来たため、それまでの
幣原外交は完全にオジャンです。さらに支那への示威行為として、支那全土の日本
公使・総領事・領事たちが東京に全員召集される一大会議が開かれました。これが
いわゆる『東方会議』と呼ばれるものです。
74 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/13(水) 23:20:25 ID:KVMqlPeq
要するに、●「武力による現地保護主義」、●「満蒙における日本の特殊利権確保の ための積極的かつ自主的行動」が対支新政策として打ち出された訳ですが、要するに 「ガツンと殺ってやれ」という事です。支那の土人共に「出来るだけハードな教訓を 与えてやれ」とも云えます。これを受けての北伐に対する山東出兵、そして済南事件と なる訳ですが、そういえば前のテーマが宙ぶらりんになったままです。佐々木至一w。 それはさて置き、吉田茂は『東方会議』で森恪と意気投合し、自らも主役的な役割を 果たして「政治大好き人間」の面目躍如となりますw。奉天総領事として満州に戻った 吉田は「東方会議」の方針をさっそく具体化せねばならぬと、張作霖に対して独断で 強引な交渉に出ることになります。ちょっと自意識過剰ですw。 吉田は、満鉄包囲網の鉄道問題で張作霖を『最後通牒』的に脅しますが、張作霖は 「逆ギレ」して満州から北京に去ってしまいますw。吉田の勝手なやり口にさすがの 関東軍も「せっかく苦労して張を手なずけてきたのに」と激昂し、さらに加藤高明の 「推薦状」を片手に今まで威張り散らしてきたこともあって、気付いたら吉田の周り には、誰も味方がいなくなりました。「2歩進んで3歩下がる――w」
75 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 23:22:19 ID:???
イナゾウたんは冥土喫茶とか逝ったことないの?
76 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/13(水) 23:48:17 ID:KVMqlPeq
結局、吉田は満州にいられなくなり、「病気療養」という名目で日本に帰国を 申請して戻ってしまいます。まるで自爆テロまがいの結末です。そんな待命の 吉田に回ってきたのはスウェーデン公使で、5年前に噂されたポストと全く同じ。 この5年間の「奉天総領事」は一体何だったのでしょうw。 内心忸怩たる思いの吉田ですが、同期でも席次が上の広田弘毅がこの頃、オランダ 公使として同じような冴えないポストに出ている以上、受けざるを得ません――。 「ケッ、面白くねえな。クソ」と出発の準備をしていた吉田に、最大のターニング・ ポイントが訪れます。外務次官の出渕勝次が駐米大使に転出するため、次官のポスト が空いたのです。このチャンスに「政治人間」の吉田が動かないはずがありません。 さっそく「東方会議」で意気投合した森恪に、自分を外務次官に推薦してくれる よう頼むと衝撃的な答えが返ってきます(念のため、田中義一が外相兼務です)。 ●「頑張ってみるが、すでに出渕が次官の後任として『広田弘毅』を推薦している――」
77 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/14(木) 00:03:59 ID:B3SGqlhS
ガガガガガ――――――――――――――――――ンンン!!!!!!! 吉田は絶句します。「また俺は広田に負けるのか?」 森恪はこう説明します。「君も知ってのとおり、出渕勝次は田中義一首相の姻戚 である。だから俺なんかより、田中首相は出渕の意見に耳を傾けることになる。 それに外務省内では、広田次官の呼び声があり、席次からいっても君より広田を 次官にするのが穏当という空気だからだ。折角だが、君が次官になる望みはない。 この際は、目をつむってスウェーデン公使へ赴任した方がいい――」 しかし吉田は諦めません。最後の博打とばかりに、田中義一首相に自分が直接 会って、外務次官にしてくれるよう自薦運動をやってみるからアポイントの 時間を取ってくれ、と森恪に言い出します。 森は困惑しますが結局、吉田がスウェーデン公使赴任の挨拶に来るという 名目で田中首相に会えるよう調整します(田中は外相兼任なので名分は立つ)。
78 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/14(木) 00:23:27 ID:B3SGqlhS
吉田(前奉天総領事)が訪れると、田中首相は「張作霖はどうしているかね?」 と尋ねます。吉田は「その件は後でお答えします」と断ったうえで、 ●「実は私は、自分が外務次官として最適任者だと考えております。つきましては 仮に私が外交を預かれば、かくの如くしたいと思う所信についてお話しします」 と2時間ほど「対支政策」などについて自分の考えを喋り続けます。その間、田中は 相槌ひとつ打たず、渋い顔を庭に向けたままでした。吉田はがっくりして帰ります。 ですが次の日、田中首相から吉田茂に「君に外務次官をやって欲しいと思うんだが、 異存はないかね?」と惚けた電話が掛かってきます。この人を食ったような物言いに 吉田は田中に惚れ込みまして、以後いそいそと外務次官として働くことになります。 ここで吉田茂はついに自らの猟官運動により広田弘毅の席次を抜くことになりましたが、 当の広田は自分の本来のポストを吉田に奪われたなど、知るよしもありません。時期的 には、ちょうど広田の母タケが食を断って自殺した頃でした――。
79 :
イナゾウ中隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/14(木) 00:35:59 ID:B3SGqlhS
>>78 >>吉田は田中に惚れ込みまして、以後いそいそと外務次官として働くこと
>>になります。
田中義一は首相と外相を兼務ですし、いかにも軍人らしい田中の豪快な性格で、
外務省の決済については次官の吉田に任せきりです。
「大丈夫か?」「大丈夫です」
のやり取りだけで、田中は無造作に盲判を押します。陸軍に喩えますと、
田中が皇族の参謀総長で、吉田は参謀次長として実務全般を取り仕切って
いるようなものです。ほとんど外相をやっているのと変わらない訳でして、
吉田としてはこの頃の仕事が楽しくて仕方がなかったでしょう。
絶頂期です。
しかし、「奢れる平家は久しからず――」 張作霖が爆殺されて、田中義一首相(兼外相)が関東軍の処分に失敗すると 昭和天皇から「お前の話は二度と聞きたくない」と叱責を受けます。 その結果は、田中義一内閣の総辞職と、田中自身のショック死です。 そして浜口雄幸内閣(民政党)に代わると、外務大臣に幣原喜重郎が 戻ってきます。 天下を取ったような気分の吉田はすぐに、天敵である幣原外相のもとで 次官を務める羽目になるのでした――。
また張作霖を満州から北京に追い出したきっかけは、奉天総領事時代の 吉田茂ですから、何とも皮肉なことです。
,r---、. _ソヽ/`、シi. _>=ヘ 山/=<, . ((ん'ノノルレム)) _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_ 因果応報です。 ),k'ヲ:::::::::つ (ン::::/:::l::ヽ `~i,ンT,ノ~´.
83 :
俄将軍 :2008/02/14(木) 01:59:38 ID:???
>>72 幕末、明治、大正、昭和と、テロルが横行、ということになるのか、現在でも、「スキャンダ
ル」「ブラックメール」の類など、ということもあるのか、などと。
84 :
名無し三等兵 :2008/02/14(木) 09:40:46 ID:???
>>74 >吉田の勝手なやり口にさすがの関東軍も「せっかく苦労して張を手なずけてきたのに」と激昂
中央の物知らずが口を突っ込んできて、現地でそこそこ出来ていた合意をぶち壊したわけで、そりゃ関東軍も怒る罠w
まあ関東軍が言うなという気もしないでもないが。
85 :
名無し三等兵 :2008/02/14(木) 09:51:54 ID:???
>>81 関東軍が張作霖爆殺なんていう強硬手段にでたのって、
もしかしなくても吉田が無茶苦茶やったせいだよねぇ?
完璧に自業自得だねw
戦後の論調だと、日本の間違いはこの辺から始まったというのが通説だが、
全部関東軍のせいになってて吉田茂の責任なんて一言も出てこない。
こりゃちょっと不公平じゃないかいw
86 :
名無し三等兵 :2008/02/14(木) 20:53:32 ID:???
日本の間違いは犬養・鳩山が野党だった頃に統帥権干犯の問題を国会(政権闘争)に持ち出した事だろう 憲法すら死文化できる国内における究極魔法を覚えたけど、それはパンドラの箱を開けただけだったという・・・
>>75 >>イナゾウたんは冥土喫茶とか逝ったことないの?
職場で「アキバツアー」を企画させられ(核藁)、仕方がないので『電車男』の
ロケ地にもなりました「ぴなふぉあ」に連れて逝きましたが、その1回きりです。
しかし過剰なサービスはないので、女性陣から「物足りん」の不平不満が続出w。
まあ、あとは「らーめん缶」の自販機(全盛期)や「武装商店」などを案内して
お茶をにごしましたが……。二度とやりたくありません。
>>75 >>イナゾウたんは冥土喫茶とか逝ったことないの?
,..-─,ヘ-.、
(,.r-/_@_r-i
i ノルハノリノノ ノ| 最近、イナゾウさんは「早く冥土喫茶に逝きたい」
ルl.リ_゚ ヮ゚ノリ -3 (_,ノ とよく漏らしているわよw。
rX,_,iつ旦O
ノ人_.§_!〉
89 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/14(木) 23:19:39 ID:tbfQDQMJ
>>84 >>中央の物知らずが口を突っ込んできて、現地でそこそこ出来ていた
>>合意をぶち壊したわけで、
まあ簡単に述べますと、当時満州では支那側の「京奉線(北京―奉天間)」が
日本側の満鉄線を横切るかたちで奉天城内の兵工廠に通じていました。吉田茂は
これを「日本側の権益を侵害する恐れがある」として横断阻止の要求を張作霖に
突きつけた訳です。
もし張作霖がこれを受け入れなければ、『〈日本側は)覚悟がある』と吉田は
脅し上げました。張作霖はブチ切れて、「覚悟とは何であるか? 日本は武力を
もって満州を掠奪するつもりか?」と言い捨てて北京へ行ってしまった訳です。
吉田がここまで強硬な態度に出たのは、関東軍と張作霖が気脈を通じている反面、
外務省の出先が軽視されてきたことの反発でもあります。吉田としては、張作霖の
交渉相手は、第一に日本の外務省の出先機関であるべきはずであり、要するに
『ツンデレ』作戦が「ツンツン」するだけで失敗に終わったとも云えますw。
90 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/14(木) 23:40:39 ID:tbfQDQMJ
>>85 >>関東軍が張作霖爆殺なんていう強硬手段にでたのって、
>>もしかしなくても吉田が無茶苦茶やったせいだよねぇ?
まあ、ハルヒがキョンの気を引こうとツンツンしたら「俺、もう帰るわ」と
取り残されたようなものとは勿論いえませんw。他にこういう話もあります。
ある関東軍の参謀が、「張作霖がいっしょに食事をしたいと言っている」と
伝言してきましたら吉田は、「自分は張家の召使いなどではない。食事しに
来いと言われて、ハイさいですか、と行かれるものか」と断ったと云います。
いずれにせよ、吉田がイチャモンを付けた「満鉄線と京奉線のクロス地点」は
張作霖の乗車がまさに爆破された場所ですから、後から考えれば、吉田一流の
冗談なのかとも勘ぐりたくなりますw。まあ、現実は小説より奇な訳です――。
ただ国民革命軍の北伐により、吉田の件がなくとも張作霖は北京に赴いたでしょうし、
関東軍も張作霖を規定路線で爆殺したはずです。吉田の件は、1つのきっかけです。
91 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/14(木) 23:54:57 ID:tbfQDQMJ
例えば、張作霖の軍事顧問だった町野武馬大佐は、1961年に国立国会図書館の 採録で次のように証言しています。●『30年間は非公開』の条件で、1991年に ようやく公開された内容です(有馬自身は1968年に92歳で死去)。 ●「張作霖が欧米に接近し、日本に冷たくなったので殺した、という関東軍首脳の説は ウソだ。張作霖は欧米だけでなく日本も嫌いだ。けれども我が国(満州、そして支那)を 本当に攻め得るものは日本だけだ。だから日本とは手を握らにゃならないのだ、とよく 言っていた。 関東軍首脳は、張を殺さないと満州は天下泰平になり、日本では軍縮が激しくなる。 軍人が階級を上りぬくためには、満州を動乱の地とするのが第一の要件と考えた。 そして張作霖を殺した。それは斉藤恒(関東軍参謀長)の案なんだ――」 後段はともかくとして、●『我が国(満州、そして支那)を本当に攻め得るものは 日本だけだ。だから日本とは手を握らにゃならないのだ』には説得力があります。 まるで後の支那事変・日中戦争を予言していたかのようです。
92 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/15(金) 00:11:23 ID:RDxTt55o
いずれにせよ、田中義一首相は「張作霖爆殺」の急報を受けた瞬間、真っ赤になって
●「親の心、子知らずだ。何たる馬鹿どもだ」と繰り返し繰り返し、怒鳴ったと云います。
ひょっとしたら、この「何たる馬鹿ども」の1人に含まれるかもしれない吉田茂が
「外務次官」として田中義一(外相兼務)に仕えていたのは、歴史の皮肉でしょう。
まあ、世の中そんなものです。
>>86 >>憲法すら死文化できる国内における究極魔法を覚えたけど、それは
>>パンドラの箱を開けただけだったという
それだけ「政党政治」が腐っていたということです。2・26事件も広田弘毅に
深く関わってきますが、今の政治も似たようなものでしょう。官房長官の町村が
株価の下落に対して他人事のようなコメントをしているのを聞くと、ハラワタが
煮えくり返ります。もう民主党に票を入れようかしらんw。磯部浅一ではないですが、
「余は云はん 全日本の窮乏国民は神に祈れ 而して自ら神たれ神となりて天命をうけよ
天命を奉じて暴動と化せ 武器は暴動なり殺人なり放火なり 愛国的大日本国民は天命を
奉じて道徳的大虐殺を敢行せよ」と思いますよw。
93 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/15(金) 00:41:53 ID:RDxTt55o
>>80 >>天下を取ったような気分の吉田はすぐに、天敵である幣原外相のもとで
>>次官を務める羽目になるのでした――。
一旦ここで吉田の話は区切りますが(どうせまた出てきますがw)、広田弘毅との
職歴を少しまとめてみましょう。
広田は、清国公使館付外交官補(29歳)→ロンドン駐英大使館(三等書記官・31歳)
→外務省通商局第一課長(36歳)→ワシントン駐米大使館(一等書記官・42歳)→
情報部長(43歳)→欧米局長(46歳)→オランダ公使(49歳)→ソ連大使(53歳)
→斉藤実内閣・外相(56歳)→岡田啓介内閣・外相(57歳)→首相(59歳)→
近衛文麿内閣・外相(60歳)→色んな意味で終わり。
吉田は、天津領事官補→奉天領事館附(29歳)→駐イタリア大使館附(三等書記官・
31歳)→安東領事(34歳)→済南領事(40歳)→駐イギリス大使館附(一等
書記官・42歳)→天津領事(44歳)→奉天領事(45歳)→田中義一内閣・外務
次官(50歳)→イタリア大使(52歳)→イギリス大使(58歳)→免官(61歳)
→戦後へと続く……。
まあ、戦後の吉田は度外視します。 戦前に限っていえば、広田がオランダ公使で吉田が外務次官のときを除けば、 外務省の席次は、広田の方が常に上だったことになります。 吉田茂はイギリス大使を務めていますが、これは広田が首相になるとき吉田を 外相に出来なかった(陸軍の横槍で)ことのフォローみたいな面が多分にあります。 吉田が敗戦後に外相となって更に首相となり、初めて広田に追いつけたと 云えるでしょう。まあ、話が先走り過ぎました。
>>88 >>最近、イナゾウさんは「早く冥土の喫茶に逝きたい」
_,,...,_
r'" 〈╋〉`! |
,'ゝ,,..-─-イ .」_
i ノ.レイ^iル.〉..| ┤
λイi ゚ - ゚ノリ .| ┤ また鬱病の気があるわねw。
(ゝy´`Ξ"Tつ| ┤
)ノiJ'´ T´!´ ┬r
レン'r_,ri_;┘ [ニ]
96 :
名無し三等兵 :2008/02/15(金) 12:24:54 ID:???
>関東軍と張作霖が気脈を通じている反面、 >外務省の出先が軽視されてきたことの反発でもあります。 ほっとけばよかったのに。 アメリカだって、アイゼンハワーがソ連のトップと勝手に政治交渉をしていても認めたんだぞ。
97 :
俄将軍 :2008/02/16(土) 01:25:38 ID:???
>>89 >>96 満州事変までは、上座に座り、肩で風をきって歩いていたのは、誰なのか、ということもある
のか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
98 :
名無し三等兵 :2008/02/16(土) 01:52:52 ID:???
互いに足を引っ張り合ってて情けないなぁ、などと。 軍や外務省や政府といった勢力が均衡してるからこうなるんだろうか、などと。 上の権力が強いトップダウン式の政治機構だったらよかったのに、などと。 でもそれってファッショだからダメか? などと。
99 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 00:21:41 ID:I79Lqppw
>>96 >>ほっとけばよかったのに。アメリカだって、アイゼンハワーがソ連の
>>トップと勝手に政治交渉をしていても認めたんだぞ。
まあ、関東軍の場合「政治交渉だけ」で済まないのが問題な訳ですがw。ちなみに
満州事変当時、奉天総領事だった林久治郎は、広田弘毅・吉田茂と外務省での
同期にあたります。
>>98 >>軍や外務省や政府といった勢力が均衡してるからこうなるんだろうか、などと。
俄将軍ですか? まあ、ご承知のとおり、陸海軍は外務省とは別個に外国情報を集めて
いましたが、加えて『独自の対支外交』をも展開しようとして設けられたのが、陸軍の
『特務機関』になります。奉天特務機関やハルピン特務機関などですね。
根源的な問題として、●「欧米スタンダードに追随するのが明治維新以来の使命で
あった外務省に任せておくと、支那という『反近代的な空間』では日本は何もでき
なくなる」という危機感がありました――。
100 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 00:35:30 ID:I79Lqppw
>>98 >>でもそれってファッショだからダメか? などと。
まあ、平沼騏一郎がこんなことを述べています。
●「満州事変を起こした動機はよくない。しかし張学良のような小僧に
見くびられてはいけない。見くびられないようにしていたら、満州事変は
起こさなくてよかった。小村(寿太郎)がいたら9ヵ国条約なんて結ばな
かった。『事なかれ主義』の西園寺流が満州事変を招いたのである。
西園寺らが、いざとなったら満州から手を引いても良いなんて考えでいた
から、張学良にまで馬鹿にされたのである。それで仕方なく陸軍の一部が
満州事変を起こしたのだ――」
101 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 01:00:18 ID:I79Lqppw
>>98 >>上の権力が強いトップダウン式の政治機構だったらよかったのに、などと。
戦前の日本でもっとも「トップダウン式の政治機構」を実現したのがヒデキでした。
首相兼陸相(陸軍大将)だけでも破格なのに、のちには軍需相も兼務しています。
短期間の場つなぎも含めましたら、内務大臣・外務大臣・商工大臣・文部大臣も
兼ねています。前代未聞です。しかし――、
ヒデキは、首相と陸相を兼任してみて初めて、山本権兵衛の妄執である日本の
『陸海軍の二元統帥』が、国家の自殺を招く『気違い沙汰』でしかない現実に
気がつきました。首相兼陸相のヒデキですが、同じ釜の飯である陸軍でさえ、
参謀本部には「作戦統帥」というATフィールド並みの厚い壁があります。
いわんや海軍などは別の国といった方が適切でしょう。ヒデキは海相の嶋田
繁太郎を「手篭め」にしていますから、海軍省の方はどうにかなっても、
肝心の軍令部(海軍統帥部)だけはどうにもなりません。一体、海軍は
勝っているのか? 負けているのか? どの程度の戦力が残っているのか?
102 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 01:23:05 ID:I79Lqppw
そこでヒデキは1944年2月に、あらゆる反対を押し切って参謀総長を 兼務します(首相・陸相・参謀総長)。さらに海相の嶋田繁太郎も説得して 同じように軍令部総長を兼任させました。 ほとんど革命というべき強硬策によって、明治憲法と「陸海軍2元統帥」の 致命的欠陥を打破しようとした訳ですが、それでも不十分だった訳です。 マリアナ沖海戦の敗北で海軍は実質、作戦能力を失います。サイパン陥落の 直後に、『軍隊としての存在価値がなくなってしまった』ことを気取られ たくない海軍は、さらに強気の攻勢作戦を陸軍に打診します。 ヒデキは陸軍参謀総長として海軍の提案を蹴り、あとは海軍などに頼らず 陸軍主体で本土決戦、もしくは大陸での持久を図るしかなく、南方での 島嶼作戦はそのための「時間稼ぎ」「支作戦」に割り切ると決めた訳です。
103 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 01:35:34 ID:I79Lqppw
それに気がついた海軍は、嶋田繁太郎に「海軍大臣を辞任せよ」と迫ります (東条内閣の総辞職に直結)。 いくら「ヒデキの副官」と揶揄された嶋田でも、今度ばかりは海軍組織自体の 危機であり、東条のイエスマンではいられませんでした。嶋田は辞任を決意し、 東条内閣は倒れることになります――。 >>上の権力が強いトップダウン式の政治機構だったらよかったのに、などと。 >>でもそれってファッショだからダメか? などと。 史実の『最終形態』であるヒデキですら上記の通りなのですから、日本に 本当の意味でのファッショなんて有り得ませんw。
_,........,_ , ´,.-== ,ヽ i (ノノλノ)リ ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 何か話が脱線しているわね…。ところで広田弘毅のライバルって、 `,く_,`ハ,イつ 同期の吉田茂じゃないとしたら、一体だれなのかしら? あと ,(,ノ┐ハゝ 幣原喜重郎って何回も出ているけど、かなり重要人物みたい?… `'-i'_ィ,ァ"´
105 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 20:46:11 ID:+AWuK9lM
>>104 >>広田弘毅のライバルって、同期の吉田茂じゃないとしたら、一体だれなのかしら?
以前にも少し話が出てきました佐分利貞男(さぶりさだお)ですね。広田弘毅・吉田茂の
外務省1期先輩にあたりますが、生年は1879年でむしろ広田たちよりも若いです。
ちなみに広田は1878年生まれですが、佐分利は1月生まれなので、学年自体は一緒に
なる計算です。
事実、東京帝国大学では広田弘毅と佐分利貞男は同期です。ただし広田弘毅は外交官
試験で1度ヘタこいたので、佐分利が外務省で先輩になってしまった訳です。まあ、
現代でも1留して大学の同期が会社で先輩になるのは珍しくない話でしょう。
佐分利は福山藩の槍術師範の家系で、兄には成田鉄道の創設者である工学博士とさらに
紡績会社の社長をもつ恵まれた生い立ちです。スマートな長身で、東大ではボート部で
鳴らしました。「フランス語は外務省でも随一」と呼ばれるほどの語学の天才ですが、
もっとも特筆されるべきは「小村寿太郎の娘」を妻にしていることです。
>「小村寿太郎の娘」を妻にしていることです また大物の親戚かw
107 :
イナゾウ大隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 21:12:05 ID:+AWuK9lM
ですので「華麗なる一族」という意味では、佐分利貞男は吉田茂や幣原 喜重郎たちと良い勝負です。簡単に「嫁さん」をまとめると、 ●佐分利貞男=小村寿太郎の娘 ●吉田茂=内大臣・牧野伸顕の娘 ●幣原喜重郎=三菱財閥・岩崎弥太郎の末娘 となる訳です。こうした有力者がバックに付く(閨閥)ことは、外務省の キャリアのうえで、どれだけ有利になるかは言うまでもないでしょう。 ちなみに広田弘毅の嫁さんは、玄洋社社員の娘ですw。 さて佐分利ですが、孤独な山歩きを楽しむなど、どこか知的という貴族的で 取っつき難い面はありましたが、仕事ぶりは綿密で早くから幣原喜重郎に 可愛がられていました。後で述べますが、語学の天才という面が大きいです。 山座円次郎が広田弘毅の後見人かつ師匠であるならば、幣原喜重郎は佐分利 貞男のパトロンな訳です。佐分利は幣原の「秘蔵っ子」なのです。
108 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/17(日) 21:16:54 ID:1mQU/Xa3
>106 政界も財界も官界も閨閥だらけでござりまするる。 研究すると、眩暈がする位ですよよ。
吉田茂の前半生が閨閥に頼りまくりでかなりアレだと思ったけど 外務省って戦前からそういう体質だったのね
そういう輩が跋扈する外務省を大鉈振るって構造改革したのが、 成り上がり者で国民に人気のあった松岡洋右です。
111 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 23:22:18 ID:UbT8HDX9
>106 政界も財界も官界も閨閥だらけでござりまするる。 まあ、軍人も学者も古典芸能の世界も似たようなもんですけどねw。『逆玉』が 男の手っ取り早い「出世の近道」であることは、いつの時代も変わりません。 自分の祖母の時代ですら、まだ自由恋愛の結婚が珍しいと言われていました。 このころは曾祖母ぐらいの時代です。最近ボケが激しいので「子供返り」して、 親に結婚を決められたことの愚痴ばかり零していますw。 さて佐分利貞男ですが、外交官のスタートは広田同様、清国での勤務を皮切りに して、ロシア勤務、フランス勤務、本省に戻ってからは条約改正係、さらにまた フランス勤務など順調にエリートコースを歩んでいました。
112 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/17(日) 23:33:26 ID:UbT8HDX9
だんだん話が広がって参りまして、外務省の人物関係がややこしくなっていると 思いますので、分かりやすくまとめてみましょう。以下のとおりです。
i^ヽry/`ヽ、 , '` ⌒ ゙`ヽ' L(ノ八ノノLi〉 []\ il、゚ヮ.゚[i.llλ 私が「広田弘毅」役なの? うん。さすが [][] \ ノi`ム´」,ヘリ 主役の貫禄というところかしらね。でも、 . [] [] 〈/i.Tヽヾ、_〉 最後は縛り首なのか……w。 .[][[] ゙''t_ァ_ァ‐゛
______ ´> `ヽ、 _,.'-=[><]=.,_ ヽi <レノλノ)レ〉' ノレ§゚ ヮ゚ノiゝ 私が「吉田茂」役か? んなことはどうでもいいが、 `k'_.〉`=' !つ いつか霊夢をギャフンと言わせてやるぜ。最後に i_ノ'i! ̄i!>、 笑うのは私なのさ。おい聞いてるか、霊夢? ~'i,ンT,ン"~
__,. -=- ,、 '「'_r.'´_r-、>r-、 //`Y´_>,_ノ<_ン'、 i | r'_r',!イノ)ノン,), ヽ>,_(..ィノ!゚ ヮ゚ノ)´ 私は広田弘毅の師匠「山座円次郎」役なの? `ー '(kOi =ikつ いいじゃない。私は霊夢が生まれたころから ,</,_|鬥|ヽ ずっと見守ってきたんだから、実に適役だわ。 `"-r_ォ_ァ-'" って、真っ先に死ぬ役じゃないw。
_,........,_ , ´,.-== ,ヽ i (ノノλノ)リ ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 広田弘毅と同郷で、中学・高校・帝大とずーと一緒。 `,く_,`ハ,イつ 大学時代の寮も同じで、ついでに外交官試験で ,(,ノ┐ハゝ そろって落ちて、そろって来年受かったのもご愛嬌。 `'-i'_ィ,ァ"´ 広田の同志であり無二の親友である「平田知夫」役? まあ、このあたりで妥協しておいてあげるわ。霊夢と ずっと幼馴染…グフ。って、私も山座の後に早死にするのねw。
_ _....(゚ー゚) , ´ ⌒ヽi) i|(( ) )) )iリ (リ,i;゚ ヮ゚ノョ' 広田弘毅さんのライバルの「佐分利貞男」さん役 ゙,ヘi_i][i,l\ [] ですか〜? なんだか珍しい苗字ですね〜。 <_/ノ:;:;:;ヽ>ij^) 私も霊夢さんには負けませんよ〜。え? 直ぐ `¨i.ラi.ラ'´ ( 死んじゃうんですか? しかも自殺か他殺か 分からないような変死体で?…w
___.......___ , _´)__,)__,)__)`ヽ , ' , ´〈〉y、....,,〈〉ヽノ , /´/'〈〉※⌒⌒ヽ〈〉i ノi i,ノ|〈〉 ((ノ)ノ))))〈〉 ノ 'iノi (´ハ).゚ - ゚ノハ) ,! ,ノ 私はいつだって早苗の味方だから、 ' ノ>、_゙(t,i,,♀,jt),ノ,ノ 博霊の巫女には絶対負けないように、 〈〉' ー,(ン〜vvヽ)〈〉 頑張るのよ。という訳で「幣原喜重郎」役ね。 〈〉 '^‐r_ァr_ァ‐^ 〈〉 誰よ、年相応なんて信仰心の足らない ことを言っているヤツは?w
世界史コンテンツですか……
120 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/18(月) 01:07:46 ID:E6Psv3ZY
大変分かりやすく、外務省の相関関係がまとまったと思います。 それにしても、広田弘毅本人を含めて主要人物6人中、過半数の4人が天寿を まっとう出来ていません(処刑・自殺・早世含む)。 広田の家族の自殺(母・妻・息子)は既に述べましたが、広田弘毅にとっての キーパーソンは重要人物であればあるほど、どうも『死』する傾向があります。 例外は同期の「吉田茂」でしょう。「どうしてお前は死なないんだ?」と逆の 疑問が湧くぐらいです。幣原喜重郎も生き延びていますが、戦後の吉田との 絡みを考えると(幣原喜重郎内閣で吉田は外相に、また吉田茂内閣で幣原は 国務大臣に)、吉田によって『生かされていた』という気もしてきますw。
しかし、如何に機械化されていないとはいえ、日本陸軍の歩兵は人間の限界を越えるような、一言で言って、超人・鉄人集団であった。 歩兵は、75p間隔で歩く。小休止も含めて、一時間4qが平均の歩行速度である。 ところが強行軍となると、一時間6qになる。これは、ほとんど走っている状態である。手ぶらで走っているのではない。 歩兵の装備品は、完全武装で約30s、戦時であれば、さらに糧食が増加するし、歩兵砲中隊や重機関銃中隊の兵であれば、これらの重量兵器も携行しなければならない。 歩兵砲の砲身は、約100s。それを一人の兵が担うというのだから、日本陸軍は現在の日本人からは理解できない、超人集団である。 現在の日本人は、農家の若者であっても、米一俵(60s)を担げない。そこで農協では三十s入りの紙袋を使用しているのだ。 ふつうは、歩兵砲や重機関銃のような重量物は馬が担う。馬は、人間の十倍の体重があるが、人間の三倍の体力(馬力か?)しかない。 人間の方が効率は良いのである。 その馬さえも、行けないところにも日本陸軍は進出した。 それどころか、標高五千メートルのオーレイ・スタンレー山脈を踏破し、豪雨のアラカン山脈を越えるのである。しかも、メシも食わないで!! もう、なんて表現したらよいのか、空前絶後・世界最強・精強無比の軍隊としか言いようがない。 日本陸軍に不可能はない。 ターボ・チャージャー無しでも成層圏を飛行し、潜水艦を作ってフィリッピンまでも航海し、航空母艦まで運用し、シベリアの雪原から赤道直下のジャングルまで、ありとあらゆる場所を征服した。 日本陸軍が行かなかったところは、おそらく宇宙空間のみであろう。
コピペウザイ ミットモナイ
123 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/18(月) 23:18:53 ID:4Ew3bBEy
>>109 >>吉田茂の前半生が閨閥に頼りまくりでかなりアレだと思ったけど
>>外務省って戦前からそういう体質だったのね
戦前は「貴族様(華族)」も多く外務省に入っていましたから、さらに華麗な
世界ですよw。
さて広田弘毅のライバルである「佐分利貞男と幣原喜重郎」の関係です。先に
幣原について少し述べた方が話が早いでしょう。
幣原喜重郎は1872年大阪府生まれ。広田弘毅より6歳年上です。豪農の家に
生まれた幣原は「帝大法学部」を卒業して外務省に入省します。性格は努力家で
いたって几帳面。若い頃の幣原の写真は、いかつい『番長』のような顔をして
いるので一見「豪快な性格」なのかと思ってしまいますが、全然違いますw。
また幣原喜重郎は、英語がズバ抜けて上手かった人物でした。それも努力の結晶で
毎朝、新聞の「タイムズ」の社説を日本語に訳し、さらに英語に訳し直して原文と
比較、添削を繰り返すという猛勉強ぶりでした。
124 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/18(月) 23:33:19 ID:4Ew3bBEy
最近たまたま読んだ本に『英会話学校に行かない人ほど、上手くなる』(古市 幸雄著)があります。タイトルは「アレ」ですが、内容はいたって真面目です。 要するに「英語が上手くならない人間」は、そもそも毎日の勉強量が絶対的に 足りてないとw。1日最低3〜4時間はみっちり勉強してそれを継続しなけりゃ、 何やったって語学が身につく訳ねえだろうという『大変正直な本』です。 幣原はそれを地で行った人間です。それだけに部下は「語学に堪能な者」だけを 重用する傾向が強かった訳です。佐分利貞男はフランス語が外務省随一と言われた スマートな男だけに、当然のことながら幣原のお目がねに適いました。 ちなみに広田弘毅は、英語がダメで外交官試験に1度落ちていますw。また吉田茂も そんなに英語が上手い訳でもなく、この2人は「国士風」な気質も手伝って、幣原の 気に入るタイプでは全然ありませんでした。
125 :
俄将軍 :2008/02/18(月) 23:39:52 ID:???
>>99 「
>>98 」の書込は、「俄将軍」の中の人とは異なる、ということになるのか、などと、嘯い
てみみたり。
126 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/18(月) 23:48:47 ID:4Ew3bBEy
幣原喜重郎は「語学に優れた(第一条件)」有能な部下には目をかけましたが、 それ以外の者には冷淡といっていいほど無関心でした。 そのため外務省の若手から、●「幣原さんは後進を育てようとしない」と不平が 出たのですが、幣原はどこ吹く風です。要するに●「外交官は上司が育てるもの ではない。一人ひとりが自分で自分を育てるべきである。私自身、ひとりで努力を 積み重ねて今日にいたったのである――」という訳です。 佐分利貞男のような、自分の命令に忠実な「有能者」は重用するが、それ以外は 居ても居なくてもいい。●「外務省は少数の優秀者だけで十分動いていく――」 それが外務省の「優等生」である幣原の信条でした。 なんて鼻持ちならない男だと思うかもしれませんが、幣原の「優等生」ぶりは 筋金入りでして、後で述べますが、あそこまで優等生を貫けるのなら、それは それで認めざるを得ないような所もあります。
127 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/19(火) 00:14:07 ID:3vcMKdFi
さて幣原外務次官のお気に入り(というか後継者に近い)になった佐分利 貞男ですが、日の当たるキャリアを順調に歩んでいきます。サンサンサン、 さわやか3組〜♪w。 まず佐分利は「WW1・パリ講和会議」で随員の一員に選ばれ、国際外交の 檜舞台を経験します。ここで佐分利は首席全権だった西園寺公望の知遇を得て 気に入られるという大変な幸運に恵まれました。 この外交官の「超ビックイベント」に、吉田茂は岳父である牧野伸顕のツテで 日本代表団の1人にもぐりこみましたが、外務省通商局の一課長だった広田は 文字通りまたとない機会を経験する事が出来ませんでした。ちなみに松岡洋右は 日本全権団の「報道係主任」の役割でした。 広田が通商局第一課長を5年も務めている間に、佐分利は上記のパリ講和会議 全権随員のほかに、東宮御学問所御用係、外務省人事課長など要職をこなして いきます。バックに幣原外務次官が付いていることは言うまでもありません。
128 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/19(火) 00:30:57 ID:3vcMKdFi
しかし広田のキャリアが悪い訳では全然ありません。広田は同期の中ではトップ クラスです。前にも述べたように、吉田茂は広田弘毅にまったく及びません。もし 佐分利と吉田茂を直接比べたら、そのキャリアはまさに『月とスッポン』ですw。 >>「小村寿太郎・加藤高明の時代が終わると、幣原喜重郎・山座円次郎の時代が来る」 もし広田弘毅の師匠である山座円次郎が生きていたら、まったく状況は変わった でしょうが、山座は第一次世界大戦が始まる1914年、駐支公使のときに早世 しています。まあ、幣原喜重郎から見れば、広田弘毅はかつてのライバルの弟子 な訳です――。広田に何か思うところがあるのは、むしろ自然でしょう。 さらに広田の親友である、外交官同期の平田知夫が追い討ちのように早死にすると 事態は急展開していきます――。
>>この外交官の「超ビックイベント」に 「WW1・パリ講和会議」に随員として名を連ねることが、どのぐらい 外交官のキャリアとして箔がつくものであるか?―― コミケ25周年記念の「沖縄リゾートコミケ」(2000年) コミケ30周年記念の「24時間耐久コミケ」(2005年) に参加しているのとでは、比較にならないのは言うまでもありませんw。 96年の「さよなら晴海!!コミケットスペシャル@(晴海) 東京国際見本市会場東館」にも参加していれば何とか…という ところでしょうか。
130 :
イナゾウ連隊最先任曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/19(火) 22:15:24 ID:+RUPbUM9
>>128 >>さらに広田の親友である、外交官同期の平田知夫が追い討ちのように
>>早死にすると事態は急展開していきます――。
広田弘毅の親友である平田知夫は1919年に病死しました。福岡の中学から一高、
帝大、さらに自分たちが作った寮である「浩浩居」でも生活を共にし、外交官試験も
そろって受けてそろって落ちて、次の年にまた一緒に合格するという風に、文字通り
影が寄り添うように2人は生きてきました。
苦学生時代、広田が平田のために学資の提供者を探せば、平田は腰の重い広田の
ために縁談を進めるといった具合です。「浩浩居」の寮では、広田が『青鬼』と
呼ばれ、平田は『赤鬼』と呼ばれていました――。
広田が内向的で思索的な性格に比べて、平田は外交的で活動的。毎朝5時に起きて
鉄アレイ体操をして井戸水を浴びるなど、広田より遥かにたくましい肉体の持ち主
だと思えたのですが――。広田は師匠に続いて、無二の親友を失う事になりました。
>>130 >>「浩浩居」の寮では、広田が『青鬼』、平田は『赤鬼』と呼ばれていました。
ヘ
イ"´ ̄`'ヽ
| i.|ノリハノリ〉_
,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn 腐女子が泣いて喜びそうなネタですねw。
ゝ<,_,i`ハ´i,〕ツ
`,し/~/:ハ
`'ィ ァ~ィ ァ´
T T
132 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/19(火) 22:48:02 ID:+RUPbUM9
平田は外務省入省後、インド、オーストリア、ロシアと在勤し、一等書記官として ワシントンの駐米大使館に赴任する矢先の病死でした。 悲嘆に暮れる間もなく、死んだ平田の身代わりの様に広田はワシントンに配属される ことになります。広田の赴任当時、駐米大使は元外務大臣の石井菊次郎でしたが、 まもなく幣原喜重郎に代わります。当時は原敬内閣(政友会)でしたが、4年間に わたり5人の外務大臣に仕えた次官としての実績を見込まれての栄転でありました。 幣原自身は7年前に参事官としてワシントンに勤務していましたが、今度はその 大使館の主として、かつて陸奥宗光や星享、小村寿太郎といった大先輩が座った 椅子に落ち着くことになります。 アメリカ側では幣原の「新英米・国際協調主義」は高く評価されており、好意的に 迎えられました。流暢な英語を駆使し、相手によってはフランス語でもやりとり できる幣原は各国外交官と交流を深め、月2回開かれる大使官邸でのパーティは 政財界の名士が押しかけるワシントン社交界の呼びものの1つとなります――。
133 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/02/19(火) 23:04:55 ID:DqQyhQlE
壁l▽▽)ブルジョア達が浮かれているのですね!@# ※外交官は食べる事もお仕事です ― イラクの佐藤隊長 談 意訳 ―
そのままアメリカとゴロニャンしていられたらよかったのに…
135 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/19(火) 23:17:37 ID:+RUPbUM9
このとき幣原喜重郎は48歳。幣原の「絶頂期」の1つであります。しかも9歳年下の 雅子夫人(39歳)は、義兄の加藤高明の駐英公使時代に伴われて、イギリスで5年間 教育を受けた女性だけに、英語はペラペラ、社交やマナーも弁えています。極めつけに 『三菱財閥本家のご令嬢』ですから、女主人としての評判は上々でした。 嗚呼、華麗なるかな外交官生活――。 ちなみに広田弘毅の静子夫人は、華やかな社交が大の苦手で引きこもっています。 こうした世界ですから、衣装や貴金属もそれなりの物を身につけねばならず、 金銭的に裕福でない手元不如意な外交官の妻は、上司の夫人に拝借しなければ なりません。まあ、それがお願いされるほうにとっても自尊心を満足させる訳 ですが、広田の妻である静子は一切、そういう付き合いには参加しません。 という訳で、「まあ、あの人ったら付き合いが悪いのね!」と外交官のご婦人方に 揶揄されて余計に足が遠のく事になるのですがw、まあ、こういうのはどこの世界も 変わりませんね。現代だって、官僚や一流企業ですと同じような夫人連中のインナー サークルが存在するでしょう。夫の出世のスピードが、妻の階級を決定しますw。
>幣原外相の「義兄」である加藤高明首相 今度は総理大臣で伯爵様の親類かよw
137 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/19(火) 23:38:47 ID:+RUPbUM9
こうしたワシントン駐米大使館に、幣原喜重郎の「大のお気に入り」である佐分利 貞夫も赴任して来た訳ですから、さあ大変です。 駐米大使である幣原の下に、同じ一等書記官の広田弘毅と佐分利貞夫の2人が 補佐する格好となり、大使館内は「外務省の次世代を担う」であろうライバル 同士の対決に興味深々です。 しかし周囲の期待に反して、その結果は一方的で静かなものに終わります。言う までもなく幣原は佐分利を一方的に重用して、広田は『放置プレイ』な訳ですw。 酷いときは広田には分からないよう、幣原と佐分利2人だけが流暢なフランス語 で話し込んでいます。広田はフランス語は分かりません。 広田は大使館の主流の仕事から外され、毎日館内に留まることが多くなりましたが 不平も漏らさず、新聞雑誌や新刊書籍を集めて黙々と読み続けていたと云います。 まあ、いわゆる「窓際族」な訳ですが、米国内におけるカトリックの勢力、そして 「米国が支那をどう見ているか?」を中心に研究していたようです。
138 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/19(火) 23:58:18 ID:+RUPbUM9
広田の師匠である故・山座円次郎は、つねづね●「日本の外交の中心は、支那と ロシアである。外交官たらんとする者は、まずこの2国の事情を究めねばらぬ」 と語っていましたが、広田は師匠の教えに今もって忠実でした。 幣原喜重郎と広田弘毅、表面的には似たような「国際協調外交」と「協和外交」で 後世には同一視されてしまうことも多いのですが、実は決定的に違います。 後述しますが、広田の外交は「支那・ロシアが主」であり「英米は従」でした。 もちろん幣原は「英米が主」であり「支那・ロシアは従以下」ですから、ここが 全く異なります。 まあ、駐米大使館では仕事のない広田弘毅ですが、若手の書記官連中には話し易い (じっくり議論に乗ってくれる)存在だったようで、とっつきにくいところがある 佐分利よりも後輩からは人気がありました。しかし、大使館内でまたまた大事件が 起こります。幣原喜重郎が今度は男爵に列せられたのです――。
1人ぐらい叩き上げで出世した奴はおらんのかw 杉原センポはノンキャリだったらしいが。
140 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/20(水) 23:14:44 ID:ejvAdeHZ
>>139 >>1人ぐらい叩き上げで出世した奴はおらんのかw
広田弘毅がいるジャマイカw。
>>138 >>大使館内でまたまた大事件が起こります。幣原喜重郎が今度は
>>男爵に列せられたのです――。
ある日、本国政府から1通の電報が届きます。その内容は、勲功により幣原を
華族(男爵)に列し、勲一等を授与するというものです。当時の外務大臣は、
先に『焦土外交』の節で述べた内田康哉でしたが、外相名義の申請書によると
幣原の勲功とは次のようなものでした。
「大正三四年戦役に次ぐ戦役(WW1)に際し外務次官の重任に在りよく外務大臣を
補佐して戦役に伴ない輻輳せる各部の事務を統里し措置敏活機宜を過たず殊に平和
会議に関連して諸重要案件の生ずるや常に之が枢務に参与して未だ嘗て違算なく且
省内に設置せられたる講和条約委員会委員長として該委員を督し処理宜しきを得後
特命全権大使に任ぜられ米国に駐箚し鋭意其職務に尽くしたる段功績抜群なり――」
141 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/20(水) 23:50:08 ID:ejvAdeHZ
このような切れ目のない文章は戦前によく見られるもので、「句読点が入ると 文意が正確に伝わらなくなるなるから」という、現代人にはよく分からない 理由によるものです。余計に読みづらいだけジャマイカw。 ちなみに幣原喜重郎は『男爵』に列せられたのですが、華族の階級は ●男爵→●子爵→●伯爵→●侯爵→●公爵の順に偉くなります。 まあ「男爵」は最下級ではありますが、平民出身者が受勲されること自体、 空前の快挙です。参考までに著名人の受勲者を挙げてみると、以下の通り。 ●明石元二郎=男爵 ●荒木貞夫=男爵 ●有坂成章=男爵 ●伊地知幸介=男爵 ●伊東祐亨=伯爵 ●上原勇作=子爵 ●大山巌=公爵 ●児玉源太郎=伯爵 ●田中義一=男爵 ●谷干城=子爵 ●寺内正毅=伯爵 ●東郷平八郎=侯爵 ●乃木希典=伯爵 ●平賀譲=男爵 ●平沼騏一郎=男爵 ●本庄繁=男爵 ●山県有朋=公爵 ●山本権兵衛=伯爵
>伊地知幸介=男爵 アルェー 司馬先生は「伊地知のような無能者にまで総花式で爵位をやった」とか言ってたよー? 面子を見る限り、伊地知の評価ってチョー高いじゃん。
143 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/21(木) 00:09:12 ID:LNKojQFS
何はともあれ駐米大使館は、幣原喜重郎の「受爵の知らせ」に湧き立ちます。 幣原の周りを取り巻いて、「さすがは幣原大使!」「またしても幣原さん!」 「おめでとうございます!」の嵐です。 幣原の「勲章騒ぎ」はこれが初めてではなく、これより遡る13年前、幣原が まだ電信課長だった36歳のときに『勲3等』が与えられ、外務省内で大きな 騒動になりました。同期でトップなのは言うまでもなく、今までに前例のない 早さだった訳です。ちなみに広田弘毅は同じ36歳のとき、まだ『勲5等』で しかありません。 いかにも外務省らしいと言えばそれまでですが、幣原の受勲に対して羨望・ 嫌がらせ・突っかかり続出で『勲3等事件』と呼ばれるまでになりましたw。 その幣原が今度は駐米大使に出たばかりで「勲一等・男爵」です。館員が 入れ替り立ち代りお祝いを述べに来るなか、広田弘毅だけがその電報を 一読しただけで、何も言わずに普段どおりの仕事を続けます――。
144 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/21(木) 00:35:58 ID:LNKojQFS
名門と栄誉と社交に関心がなく『外交官も国士である』という信条の 広田弘毅は、「そんな勲章なんてくだらない」とばかりにガン無視を 決め込みます。 「師匠の山座円次郎」と「親友の平田知夫」の早世も、広田の人生観に 大きく影響しているでしょう。そもそも広田が出世や栄誉に貪欲であった ならば、結婚相手に「玄洋社社員の娘」である幼馴染・静子を選んでは いなかったはずです。 もちろん広田の「ガン無視」は大人気ない行為です。深く考えず、幣原に 「おめでとうございます」と言えば済む話でしょう。しかしそのひと言が 広田とっては、今までの自分の人生を自ら否定するように思えて、仕方が なかった訳です。
145 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/21(木) 00:56:13 ID:LNKojQFS
とは言っても、佐分利貞夫と並んで幣原大使を補佐すべき立場にある 一等書記官の広田弘毅がそのような態度を取った代償は高くつきます。 最初は「おめでとう」気分だった大使館内も、広田の様子を見て次第に トーンダウンしていきます。幣原にしてみれば面白いはずがありません。 しかしそこは筋金入りの優等生である幣原です。その後も広田に対して 格別何も言いいませんでしたし、辛く当たることもありませんでした。 ただ今までどおり、広田の存在をスルーするだけです。既に佐分利貞夫を 一等書記官から参事官に昇格させ、何事につけても「佐分利君、佐分利君」 です。あるいは広田を跳び越して、石射猪太郎など若い書記官を重用します。 ただただ幣原は『無関心』をもって広田に応えるのみでした――。
146 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/22(金) 00:02:05 ID:Od8EbH+L
>>146 >>ただただ幣原は『無関心』をもって広田に応えるのみでした――。
結局、広田弘毅のワシントン在勤は1年足らずで終わります。理由は体調を壊して
静養をかねての帰国とされますが、幣原の下を離れることができてお互い清々した
ことでしょう。結局、広田は駐米大使館では『不協和音』でしかありませんでした。
本国に戻った広田は、外務省に新設された情報部の課長に任命されます。情報部の
モデルとなったのは『陸軍省新聞班』で、マスコミを相手にして世論工作を行なう
部署です。情報部というよりは「広報部」といった方がイメージしやすいかもしれ
ません。のちに満州事変などが起きて、ファシズムの流れが日本に起きてくると
単なる裏方とは馬鹿にできない重要なセクションになる訳ですが、まだこの時は
「海のモノ」とも「山のモノ」とも分からない閑職でしかありませんでした。
さて広田がこの役職についたのが1920年(43歳)。翌年の1921年には
ワシントンで海軍軍縮会議が行なわれます。海軍大臣の加藤友三郎、貴族院議長の
徳川家達に並んで、駐米大使の幣原喜重郎も日本全権委員となって参加します。
147 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/22(金) 00:24:02 ID:Od8EbH+L
当然のことながら、広田のライバル(?)である佐分利貞夫参事官も幣原の補佐役 となり、ワシントン海軍軍縮会議という『金箔』を自身のキャリアに加えます。 外交官にとって大きな国際会議は、最高の戦場であると同時に歴史に自分の名前を 残す大きなチャンスでもあります。これ以上ない晴れの舞台な訳です。幣原の前任 だった石井菊次郎は、WW1のパリ講和会議の全権から外されたことで原敬首相を 怨み、更迭に追いやられた経緯があります。 ワシントン軍縮会議は1922年まで続きますが、広田弘毅は44歳になる今もって 大きな国際会議の経験はゼロ――。新設された情報部にロクな仕事はありません でしたが、初めて回ってきた大きな役割が、幣原や佐分利の活躍するワシントン 会議の「宣伝・世論工作」でした。皮肉といえば、これ以上ない皮肉です。 ワシントン海軍軍縮会議は、日本の主力艦の建造や支那への進出を大きく制限する 内容でしたから、日本全権団に対する非難の声が一斉に上がります。広田の役割は これを弁護して反駁していくことでした。要するに『尻拭い』とも云えます。
148 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/22(金) 00:38:03 ID:Od8EbH+L
さて、そんな「裏方役」の続く広田ですが(情報部の課長から次長に昇進)、 大きな転機が訪れます。 1923年の関東大震災の直後に、第2次山本権兵衛内閣が成立しましたが その外務大臣に広田の上司である「情報部長」の伊集院彦吉が就任します。 伊集院は、広田を「欧米局長」に抜擢してくれたのでした。 実は広田が北京公使館に勤務していた若年時代、伊集院は駐支公使であり、 今は亡き山座円次郎の推薦もあって、広田に目をかけ続けてくれた訳です。 ちょうど佐分利の庇護者である幣原喜重郎が重病となり、待命の静養生活に 入っていましたから、広田はようやく「大物らしい」コースを歩み始めます。 まあ、幣原喜重郎はワシントン軍縮会議当時、持病の「尿管結石」が悪化して ドクターストップがかかっていました。もちろん一生の晴れ舞台ですから、 医師の制止も無視して会議に出席し続けます――。
149 :
イナゾウ特務曹長 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/22(金) 00:59:45 ID:Od8EbH+L
病み衰え、蒼白の顔で苦痛をこらえて会議に出る幣原を見て、アメリカの ハーディング大統領は、●「会議が終わったら幣原は死ぬのではないか?」 と思わず心配したと云いますw。 もちろん幣原は会議が終わるとブッ倒れますが、本人もしばらくは療養で 悠々自適の生活を送るつもりでいましたから、胸を張って帰国しました。 さてようやく日の当たるポストに就任できた広田ですが、政局は目まぐる しく変化します。摂政宮(昭和天皇)の暗殺を図った「虎ノ門事件」で、 山本権兵衛内閣は3ヵ月で総辞職。次の清浦奎吾内閣も半年しか持ちません。 そして1924年6月には、幣原の義兄である加藤高明の首班内閣が成立して、 新外務大臣にわずか10分の会談で幣原喜重郎が決まりますw。広田にとっては 頭の痛い上司が外務省のトップとして帰って来ました。広田が欧米局長となって 1年も経っていません――。どれだけ幣原は恵まれた星の下にいるのでしょうw。
150 :
イナゾウ准尉補佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/23(土) 23:14:18 ID:QBxGCMq0
>>149 >>どれだけ幣原は恵まれた星の下にいるのでしょうw。
幣原喜重郎が念願の外相に就任し、本来なら佐分利貞夫のライバルである広田は
いつ欧米局長から左遷されてもおかしくなかったでしょう。しかし幣原は意外な
ことに「次官や局長クラス」の異動は、ほとんど行ないませんでした。
これは生粋の外務官僚である幣原の●「政変のたびに軽々しく外務省の高級人事を
扱ってはならぬ」という信条によるものでした。たとえそれが愛弟子のライバルだ
としてもです。
幣原自身、5代の外務大臣が4年間にわたって自分を外務次官に留めてくれた
からこそ、今の自分の栄達があると承知していましたので、組織の人事を尊重した
訳です。良い意味でも悪い意味でも、幣原は「筋金入りの優等生」なのです。
しかし広田を引きずり下ろさなかったとはいえ、ちゃっかり幣原は腹心の佐分利を
「通商局長」に据えることを忘れませんでした。やがて始まる支那の関税会議で
実績を積ませる布石です――。
151 :
イナゾウ准尉補佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/23(土) 23:36:44 ID:QBxGCMq0
この辺りから外務省は、『ムツゴロウ王国』ならぬ『幣原王国』の時代を 迎えますw。1925年に第2次加藤高明内閣が成立し、ここでも幣原は 外相に留任しました。広田を欧米局長から飛ばす良い機会ですが、じっと 我慢です。案外、幣原も気が長いようで……。 広田は欧米局長として日ソ基本条約の締結(国交回復)、北樺太派遣軍の 完全撤兵など粘り強い交渉を重ね、大きな実績を上げました。また情報部 にいた関係から政治全般についての見識もあり、外務省で一番来客が多い とまで言われました。広田の存在感はいよいよ高まり、●「外務省には、 幣原(外相)、出渕(次官)、広田の3人の大臣がいる」と揶揄された のもこの頃です。 しかし再び転機が訪れます。今度は良くない方です。1927年4月に 広田は幣原外相から「オランダ公使」の辞令を受けました。形の上では 「公使に栄転」となりますが、今やヨーロッパの小国に落ちぶれた蘭国 です。広田が長年希望していた「駐支公使」なら万々歳なのですが……。
152 :
イナゾウ准尉補佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/24(日) 00:04:18 ID:T5EveoDp
「外務省3人の大臣」、そして「次期外務次官」の呼び声も高かった 広田にしてみれば、事実上の左遷といって間違いないでしょう。 幣原にしてみれば、「欧米局長から動かすのを3年待ったじゃないかw」 という所ですが、これ以上、広田の評価が高まるのはマズイと思ったのも 事実です。 また幣原は腹心の佐分利貞夫を、通商局長から「条約局長」へと既に異動 させています。また通商局長時代に、支那の関税会議に出席させましたが、 隠れたカラクリがありました。この会議は、支那の「関税自主権」を大幅に 認めてやるという幣原の「協調外交」の1つですが、そこで佐分利が活躍 することで、支那要人の人望を集めさせるオマケの目的も付いていました。 要するに幣原は、佐分利を「駐支公使」にする土台作りに励んでいた訳です。 広田の希望のポストは、そのまんま駐支公使でしたから、広田の存在はもう 邪魔でしかありません――。よってオランダ公使の刑ですw。
153 :
イナゾウ准尉補佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/24(日) 00:28:14 ID:T5EveoDp
幣原は広田に対してこう言いました(時代は、第1次若槻礼次郎内閣 でしたが、今もって外相は幣原です。ちなみに幣原の義兄である加藤 高明は首相在任中に、肺炎をこじらせて死去しています――)。 ●「オランダ公使は、悪いポストではない。自分もオランダ・デンマーク 公使に出たことがある――」 確かに幣原はオランダ公使を務めましたが、それは43歳の時で、しかも 僅か1年の在勤で転任しています。このとき広田は49歳(1927年)で 幣原流の人事ですと、まず3年は動かしません。広田の欧米局長ですら3年 以上異動させなかったのですから、オランダ公使の島流しがそれより短い とは想像できません。 そのまま外交官人生の終着駅に滑り込む予感でしたが、広田は●「風車、 風の吹くまで昼寝かな――」と詠んで、淡々と単身赴任していきました。
154 :
イナゾウ准尉補佐 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/24(日) 01:00:48 ID:T5EveoDp
しかし『人を呪わば穴2つ』とはよく言ったもので、外相の幣原もまた 退陣を余儀なくされました。若槻礼次郎内閣(憲政会)が、昭和恐慌の 収拾失敗で総辞職したからです。 後継は政友会の田中義一内閣です。かねてから政友会は国会で幣原の 支那に対する『軟弱外交』を非難していましたので、その当の幣原が 外相に留まることなど不可能です。 結局、田中義一が外相を兼任するのですが、1927年4月のことで、 ちょうど広田が幣原からオランダ公使の辞令を受けるのと同じ月です。 うがった見方をするならば、幣原は自分がもう外相に留まれそうもない ことを見越して、最後の置き土産とばかりに広田を道連れにしたのかも しれません。前の方で述べましたが、吉田茂が田中義一に猟官活動して 外務次官にホップ・ステップ・ジャンプしたのはこの頃です――。
155 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/24(日) 22:53:45 ID:t5SL7FGX
さて田中義一内閣ですが、1927年4月から1929年7月までの2年3ヵ月
続きます。ここで「東方会議」や「張作霖爆殺事件」が起きますが、
>>74 辺りで
既に述べていますので省略します。
田中(政友会)が悶死しますと、政権は浜口雄幸(民政党)に移ります。一旦は
外相から退いた幣原ですが、またまた再任されて3期目の外務大臣に返り咲き
ました。もはや「ターミネーター」のような経歴ですw。
>>80 >>天下を取ったような気分の吉田はすぐに、天敵である幣原外相のもとで
>>次官を務める羽目になるのでした――。
さあ、困ったのは田中の下で「外務次官」を務めていた吉田茂です。幣原と吉田の
仲の悪さは、幣原と広田のそれと比較になりません。幣原も吉田も、お互いが生理
的に受け付けないタイプです。しかも吉田の次官の地位は、外務省の序列を完全に
無視した勝手な「猟官活動」で得たものですから、政権が変わった今、どこに叩き
出されても文句は言えないでしょうw。
156 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/24(日) 23:32:14 ID:t5SL7FGX
ちなみに浜口首相と幣原外相は、中学時代からの友人ですw。 さて幣原喜重郎は、持論の『協調外交』を復活させようとしますが、次官の 吉田茂は更迭せずにそのまま置いておきました。理由は広田弘毅の時と同じく、 外務省の高級人事は政変のたびに軽々しく動かされるべきではない、という ものです――。優等生の甘っちょろい自己満足と思うかもしれませんが、 国会でも●「対支強硬路線で田中(前首相)と意気投合していた吉田を次官に そのまま残すのはおかしい」と野党から非難されましたが、それでも吉田を 留任させ続けるのですから、筋金入りです。 ただし勘違いすべきでないのは、幣原が次官を更迭しなかったのは、あくまで (超長期的に)外務省の組織を守るためです。将来的に良くない前例を作るのを 回避しただけであって、吉田個人を守るためではサラサラありません。 幣原は、吉田を次官に留め置きこそしますが、仕事はほとんどさせませんでしたw。
157 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/24(日) 23:50:17 ID:t5SL7FGX
前にも述べましたが、田中義一が外相(兼首相)で吉田茂が次官のときは 「大丈夫か?」「大丈夫です」の二言で外務省の決済は回っていました。 ほとんど吉田茂に任せきりだったのが、幣原が外相に復帰したことで 状況が一変します。幣原は全てに細かく目を通し、ときには英文の 外交文書に自ら赤字を入れます。 ワシントンの駐米大使館で、広田弘毅が幣原に「無関心」を貫かれた のと同じように、吉田は次官としてやる仕事が無くなってしまいます。 ただ自室でふんぞりかえって葉巻を吹かすばかりです。 幣原の方が忙しく働いているという意味で、●「幣原次官、吉田大臣」 と外務省内で揶揄されますが、その頃、広田弘毅とライバルの佐分利は どうしていたでしょう? 時期的には広田の母タケが食を断って自殺して いる頃ですし、佐分利の身には激変が起きていました――。
日中戦争が行われたのは1937年7月〜1945年8月です。約8年。月で言えば96ヶ月。 96ヶ月間の間に、日本軍は3500万人の中国人を殺した計算になります。これをさらに 月平均にすると約36.5万人。凄いです。30万人を殺したと言う南京事件でさえ2ヶ月 かかったのに、その2倍以上の殺戮を毎月欠かさず96ヶ月間も行った計算になります。 こうなると、南京事件は、いつもの半分しか殺さなかったサービス期間ということになります。 また3500万人を南京事件の30万人で割ると約117回。南京事件が117回起きないとこの 数字には到達しません。南京事件に匹敵する大虐殺を117回も行った日本軍。南京事件が かすんでしまい、とても小事件であったかのように見えてしまいます。 仮に、公式には戦争状態となっておらず、大規模な戦闘も行われていない1932年の満州事変 以降を無理に日中戦争の期間に含めたとしてもとても常識で説明できる数字ではありません。
だつおはコテつけろ 迷惑だから
>>157 >>広田弘毅とライバルの佐分利はどうしていたでしょう?
ッ-ヘ。__。ヘ /ー- 、
レ, '´゚ `,〉. /==ヽ i
i ハ)))ハ))ノ) / .)ノ
イオi ゚ ヮ゚ノヘ / (( 突然ですが、佐分利貞夫が死にます。
,ぐ`i盃、ツつ'
,メ∪イ-i、ゝ/
゙'ーi_'ォ_ァ"/
161 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/25(月) 23:06:00 ID:2CdHPlEp
>157 >>佐分利の身には激変が起きていました――。 突然ですが、佐分利貞夫が死にます。史実でもそのぐらい唐突でしたでしょう。 田中義一内閣で一時は幣原の後ろ盾を失いますが、「条約局長」を務めたのちも ジュネーブ海軍軍縮会議(1927年6月〜8月)の全権随員となり、その後は 参事官として駐英大使館に赴任し、着実にキャリアを重ねていました。 一方の広田弘毅と云えば、オランダ公使時に「対独賠償会議」での日本代表の一員、 国際連盟総会に日本全権代理の1人として出席しましたが、大した議題がある訳でも ありませんでした。 民政党の浜口雄幸内閣(1929年7月〜)となり、幣原喜重郎が4度目の外相に 返り咲きますと、佐分利は直ぐに本国に呼び戻されて「駐支公使」に栄転しました。 当時、日支関係は田中内閣での「山東出兵」「済南事件」「反日運動」「張作霖爆殺」など 大変難しい状況にありましたから、ここで腹心である『佐分利カード』を切った訳です。
162 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/25(月) 23:35:21 ID:2CdHPlEp
外相の幣原喜重郎の腹積もりとしては、佐分利は通商局長時代に支那の関税会議に 出席させて、向こうの要人たちに恩を売っている――。幣原は「対支協調路線」を 復活させようとしていましたから、ここで佐分利が「駐支公使」として実績を 上げれば自らの『後継者』としての地位は磐石になろう、というところでしょう。 国民政府も佐分利の公使赴任を歓迎し、一時は「雪解けムード」が高まったかに 見えました。経済界も「日本製品のボイコット」に悩まされていましたから、 『対支新交渉』の立役者としての佐分利の評価は高まる一方でした。 振り返れば、佐分利はあの「小村寿太郎の娘婿」として将来が約束され、外務省の 優等生かつターミネーターの幣原から後継者に指名され、またパリ講和会議では 全権である西園寺公望に気に入られて電話一本で会えるという特権をもらうなど、 エリート中のエリートの道を歩んでいました。唯一の不幸といえば、支那の関税 会議時中に肝心の夫人(小村寿太郎の娘)を北京で亡くし、それ以来、男やもめ として帝国ホテル暮らしだったことでしょう。
163 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/25(月) 23:54:13 ID:2CdHPlEp
>>162 >>支那の関税会議時中に肝心の夫人(小村寿太郎の娘)を北京で亡くし
はっきりいってメチャクチャ怪しいです。広田弘毅の師匠である山座円次郎も
駐支公使に赴任して直ぐに49歳の若さで病死しています。その直前にも山座の
片腕だった北京日本公使館の参事官だった水野幸吉が急死していることから、
袁世凱の毒殺だと噂されました。そのときは渋沢栄一ひきいる実業家視察団も
支那を訪れていましたが、太っ腹で有名な馬越恭平(大日本ビール社長)が
身の危険から「即時帰国」を訴えるなど騒然となりました。
そもそも佐分利が通商局長として望んだ「関税会議」は支那側の関税自主権を
認める方向で進むという大変好意的な内容でしたが、支那人のメンタリティを
考えると、佐分利に心理的打撃を与えようと『恩を仇で返す』ぐらいはするの
ではないでしょうか。そう疑われても仕方がない「前科」が確かにありますw。
それはさて置き、佐分利貞夫は「駐支公使」になって僅か3ヵ月余りの1929年
11月28日深夜、箱根の富士屋ホテルでピストル自殺を遂げました――(51歳)。
164 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/26(火) 00:14:43 ID:Uw7ZnEht
>>72 >>佐分利貞男は、箱根で、自殺したのか、疑わしい、ということもある
>>のか、などと、電波の発信など試みてみたり。
佐分利の自殺(変死)は余りに突然すぎて、その理由は色んなものが挙げられます。
折しも浜口雄幸内閣では1930年からのロンドン海軍軍縮会議の対策で幣原も
本省も忙しく、佐分利は政府との連絡のため、日本に一時帰国していましたが、
せっかく自分が国民政府と進めてきた交渉の数々も実現の可能性が低いことを
を悲観しての自殺と最初は考えられました。
あるいは佐分利が調子に乗って軽々しく支那側と取り交わしてきた約束が、日本では
とうてい納得されない事に気付き、責任と不安を感じての自殺とも揶揄されました。
更には、佐分利が妻を亡くした後、元気を失くして後を追ったという説もあれば、派手
だった女性関係がこじれて揺すられていたという見方もあります。実際問題、佐分利は
長身で貴公子然でしたから、新橋でも赤坂でもよくモテて、よく遊んだと云います。
165 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/26(火) 00:50:19 ID:Uw7ZnEht
佐分利の自殺には遺書がありませんでしたので、確固たる自殺の動機が見当たらず 多くの憶測が流れることになります。 まず富士屋ホテルは佐分利が静養先として常宿とした場所であり、自殺した前日にも 顔馴染みのフロントの人間に翌日のモーニング・コールと床屋の手配を頼んでいます。 さらに佐分利は護身用に小型のコルトを所持していましたが、遺体が右手に握っていた のは似ても似つかない大型拳銃の怪w。また、そもそも佐分利は『左利き』なのです。 しかも頭を撃ち抜いて死んだ後に、自分で掛け布団を顔まで引き上げたような変死体で あり、佐分利の死にショックを受けた幣原外相は「自殺説」をきっぱり否定しました。 要するに「他殺説」を主張した訳です。実際問題、幣原外交は『軟弱外交』として 非難されて右翼に狙われており、この時代「要人の暗殺」は日常茶飯事です。事実、 佐分利は身の危険を感じるような言葉を周囲に漏らしており、前述の小型のコルトも 護身用に携帯していたものでした。
おや、いつの間にか准士官になられましたな。 別宮翁は「自殺説」ですな。
准尉昇進おめ。 准尉に上級下級があったのか。
完全密室だから自殺だよ
呪殺だよ
検死した警察が一番あやしい。 アンチ佐分利の右翼や陸軍とつながっていたに違いない。 彼らの陰謀だ!
172 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/26(火) 23:28:31 ID:sSbZ05x+
>>166 >>別宮翁は「自殺説」ですな。
>>167 >>准尉に上級下級があったのか。
毎度どうもでございます。まあ、階級はカプコンの『19XX』も入っている
ということでw。それはさて置き、ご指摘のとおり別宮翁は「自殺説」ですね。
翁の「佐分利公使変死事件」のコラムも借りつつ、諸説並べると以下の通りです。
>>169 >>完全密室だから自殺だよ
佐分利が泊まったのは富士屋ホテルの197号室ですが、当然内側から鍵がかかり
ますし、他には小窓があるだけですから、他殺とすれば「密室殺人」になります。
そして遺体はあお向けで、毛布が少しかけられていたと云います。
別宮翁が「自殺説」を主張するのは、そもそも「他殺説」は佐分利のパトロンである
幣原外相が『他殺説』を主張し、警視庁に捜査を依頼したためとされます。所管は
小田原警察でしたが、公式には「自殺説」を取りました。
173 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/26(火) 23:52:04 ID:sSbZ05x+
また松本清張の『昭和史発掘2』(文春文庫)に収録されている「佐分利公使の 怪死」で他殺説が取られた影響が大きいとも指摘しています。 しかし別宮翁は、下山事件でも共産党のスパイM事件でも、いわゆる『松本清張説』は 史実の検証で否定されたものが多いと懐疑的です。●「やはり推理小説的には、事実の 究明ができないのではないですか」とザックリですw。 また翁が「自殺説」を取るもっとも大きな理由は、仮に右翼なり軍部の刺客なりが 佐分利に手をかけたとすれば、長い年月が経てば必ず真犯人が浮かび上がってくる はずだというものです。要するに「軟弱外交」を進めていた佐分利を殺ったと すれば、右翼の人間からすれば『金星』であり名誉だからです――。これは後の 「血盟団事件」やその「一人一殺主義」を考えると説得力があると思います。 ちなみに血盟団の「暗殺ターゲット」には、外相の幣原喜重郎も含まれていますw。 ただ、それでも自殺するなら身なりを整えて正装ぐらいするだろうに、浴衣のまま だったのはおかしいとする疑問が残ります――。
自演だよ、自演
自決の練習しているうちに操作を誤ってズドン!説。 大口径の拳銃を使ったのは、手持ちの小型拳銃だと死に切れないかもしれないから。 でもやっぱり慣れない銃だったので、ああでもないこうでもないとやっているうちに引き金を…。
>それでも自殺するなら身なりを整えて正装ぐらいするだろうに、浴衣のままだったのはおかしい 拳銃誤操作説ならこれも説明がつく。 自殺する気はあったがまだ正装していなかっただけ。
177 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/27(水) 00:05:38 ID:sSbZ05x+
>>173 >>浴衣のままだったのはおかしいとする疑問が残ります――。
これについての別宮翁の解答は、「佐分利の頭がおかしくなっていたから」
とするものですw。富士屋ホテルへのチェックインの前に佐分利が半日以上
彷徨していたことを例に挙げています。
その他にも佐分利のおかしな言動は多数ありまして、自殺する前日の11月
28日の朝に、死んだ妻(小村寿太郎の娘)の兄の仕事場に突然電話をして、
●「娘さんを亡くしたのに非常に元気で安心しました」と意味不明の異様な
話をして、すぐに箱根に向かったと云います。
また最愛の妻を亡くしたのがボディーブローのように効いてきたという説も
ありまして、1926年5月27日に奥さんが死にますが、佐分利は葬儀で
自分の戒名も貰って、●「これで私の葬式は済んだのです。私が死んでも
もう葬式はしないでください――」と号泣したという話もあります。
178 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/27(水) 00:21:41 ID:04J+YJqw
>>177 >>富士屋ホテルへのチェックインの前に佐分利が半日以上彷徨
佐分利が富士屋ホテルに到着したのは、午前0時半で顔色はすっかり青ざめ
ており、●「長岡峠から歩いてきたので非常に疲れた。お茶と生卵を持って
来てくれ。明日は早く上京するから6時半に起こしてくれ」と言って部屋を
閉じたのですが、翌朝ちっとも音沙汰がないので、女中と支配人が部屋を
開けてみると、佐分利がベッドの上で死んでいた訳です――。
>>長岡峠から歩いてきたので非常に疲れた
明らかに頭がおかしいですw。他にも別宮翁は、実は幣原との「閨閥の対立」が
あった可能性も匂わせています。要するに幣原は加藤高明が義兄であり、佐分利は
小村寿太郎の娘婿です。明治期の外務省で「加藤高明と小村寿太郎」は2大巨頭
でしたから、佐分利のパトロンのような存在であった幣原は本来、「閨閥的」に
佐分利と対立するはずだと云うものです。
179 :
イナゾウ下級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/27(水) 00:36:30 ID:04J+YJqw
長くなりましたが、別宮翁の結論はこうです。佐分利貞夫の『自殺』の原因は、 「駐支公使」の任命こそが理由であると――。 佐分利はそれまで欧米畑が中心であり、北京官話も分かりません。本来、佐分利が 希望していた駐ソ公使の内示が取り消されたのが、ショックだったのではないかと 想像しています。 また佐分利は妻を亡くしてからは内地に縁者がなく、日本に戻ってきたときは 帝国ホテルでやもめ暮らしです。要するに、「外地に勤務する外交官」として以外に 自分のアイデンティティがなく、そこに期待していた「駐ソ公使」を裏切られて 「駐支公使」に任命され、更にこのころ陸軍が大陸で主張していた外交無視の 『大アジア主義』を見せつけられて将来に絶望したのではないかと――。 しかし別宮翁の視点には、佐分利が通商局長時代、支那の関税会議をリードして いたことが抜けていますから、鵜呑みにする訳にもいきません。あくまで1つの 仮説でしょう。
>明らかに頭がおかしいですw 分かったぞ! ハイキングを楽しんでいた佐分利に長岡峠の魔が取り憑いたんだよ!
>>168 >>推理小説みたいな怪死ぶりw
松本清張の『昭和史発掘』以外にも、『61年目の謀殺』(日下圭介著、徳間
書店)という佐分利変死事件を題材にしたトンデモ推理小説がありますが、次回
ちょっとだけ紹介しましょうw。
182 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/27(水) 23:35:26 ID:ZqjI53ik
『61年目の謀殺』の出だしはこうです。千葉・館山のペンションでノンフィクション 作家の柏木連蔵が殺害されます。柏木は『歴史展望』という雑誌に「佐分利公使の影」 という400枚の原稿を載せようとしていました。しかし、この大作は主人公である フリーライターの滝村健二が書いたものでした。10年前に雑誌の編集長をしていた 柏木が滝村から持ち込まれた原稿を預かったままでして、要するに「盗作」な訳です。 その件で喧嘩していた矢先に柏木が殺されたため、滝村は警察から「最重要参考人」 として目を付けられて……というところから話は始まります。何とか警察にアリバイ を説明しようとするも、その夜から滝村の自宅に●「佐分利事件の真相を知っている のか?」という謎の電話が掛かってきて、更に数日後の夜、飲んだ帰りにいきなり 黒い袋を頭から被せられ、●「佐分利事件のこと、何を知っているんだ?」と首を 締められたりします――。滝村は自分の身を守るため「佐分利事件」に突っ込みます。 その後は、「佐分利事件」の真相のカギを握る人物たちが、次々に殺されるという お決まりのパターンですが、ネタばらししますと、実は佐分利貞夫は身代わりを立て 生きていて、その後は高根沢嘉平という人物になり済ましていたというオチですw。
183 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/27(水) 23:56:05 ID:ZqjI53ik
>>その後は高根沢嘉平という人物になり済ましていたというオチですw。
まさに「トンデモ推理小説」というか、実在事件をモチーフに飛びついた
『凡作』な訳ですが、こんな安易なネタに使われては、あの世の佐分利も
浮かばれないでしょうw。
>>171 >>検死した警察が一番あやしい。アンチ佐分利の右翼や陸軍とつながって
>>いたに違いない。彼らの陰謀だ!
まあ、政党もあやしいですけどね。戦前は政権党が変わると、地方の警察署でも
役職者が相当入れ替わったようです。警察が敵対候補者の「選挙活動を妨害する」
など当たり前でした。佐分利が死んだ当時は、政友会から民政党(浜口雄幸)に
政権が移って間もないころで「逆パターン」にはなりますが、ひょっとしたら
ひょっとします。
184 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/28(木) 00:18:48 ID:dEVeAmR0
実際問題、警察の検死はひどく怪しいものでした。検死報告では、佐分利の右耳の 上部3センチの箇所から、左耳の後ろ7センチの箇所に弾丸が抜けて、枕に入った とされていました。【注】佐分利は左利き しかしその後の解剖の結果、左のこめかみに貫通時にできる焦げ跡が出来ていた ことから、●「弾丸は左のこめかみから右に貫通した」と修正されました。全く 逆の鑑定結果になった訳です。【注】佐分利は左利き ところが二転三転、警察は佐分利の解剖をやり直して、やはり●「弾丸は右の こめかみから撃たれて左に貫通した」と再訂正し、左側の焦げ跡は●「理髪師が 顔を剃るときに誤って付けたものだ」という訳の分からない発表をしましたw。 事件現場には、佐分利の甥である一武が駆けつけますが、●「現場が相当荒らされて いたので検事にピストルの指紋を取ったかと尋ねると、自殺なので取っていないと 答えられて憤然とした」と語っています――。
185 :
名無し三等兵 :2008/02/28(木) 00:33:36 ID:bI4H33HT
日本軍は6万の軍隊で、なぜ30万の中国軍を全滅できたのか
http://news.livedoor.com/article/detail/3528566/ http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1204125452/ 劉震雲さんは舞台で、自作小説「温故一九四二」を朗読する。日本語朗読は山根基世さん。
「友人の話から、1942年の中国で、故郷の河南省では当時3000万人のうち、300万人、
約1割が餓死したという事実を知った。一体なにがあったのか。大旱(かん)ばつと翌年の
イナゴの発生だった」と語りはじめた。
蒋介石の官邸(重慶・黄山)は、美味しいコーヒーが飲める、豪華な生活だった。しかし、
河南省の農民は草の根や木の皮を食べていた。それなのに、蒋介石は災害を信じず、税の
徴収をゆるめるな、と厳命したのだ。この厳命によって何が起きたのか。抗議運動が起きた。
しかも、どれも散発的だった。
「(農民の供出した食料を食べる)健康な軍隊が、抵抗運動を鎮圧した。土地を離れる被災民
が大量に発生した。役人はこの農地を買いあさって金もうけをしていたのだ」と腐敗した役人の
搾取が述べられていく。
では当時、なぜ河南省の人は絶滅しなかったのか。それは日本軍が侵略してたきたからだ。
「1943年、かれらは皇軍の軍糧を放出し、わが故郷の人々の命を救ったのだ。それを食べて
元気になった」と語る。そこには日本軍の動機は、戦略的な意図、政治的な陰謀があった。
庶民の心を買収したのだ。
河南省の人たちは、「生き延びるためには、乳を与えてくれるものを母とみなした」と語る。
侵略者の日本軍を支持し、猟銃をとり、青竜刀や鉄の鍬(くわ)で、中国軍に襲い掛かったのだ。
1944年には、日本軍は6万の兵士で、わずか3週間、かれらの目標を占領した。かくして30万
の中国軍は全滅した。 (以上、記事抜粋)
186 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/28(木) 00:40:06 ID:dEVeAmR0
>>172 >>所管は小田原警察でしたが、公式には「自殺説」を取りました。
こうなってくると「警察の公式発表」も全然あてにならない訳で、指紋も
取らないなんて、何らかの意図が働いていると考える方が自然でしょう。
また佐分利は、富士屋ホテルに風呂敷包み1つでやって来たとされますので、
懐に忍ばせられる護身用の小型ピストルならともかく、6連発の大型コルトは
やはりどこから湧いて出てきたのか疑問です――。
こうして考えると自殺か他殺か訳が分からない、気持ちが良いぐらい「変死w」に
なる訳で、小説のネタに使われるのも仕方が無いかもしれません。また佐分利は
高級官僚で「公人」の立場ですから、一般の私人の死の場合よりも好き勝手できる
という利点もあります。
実は佐分利が生きていたなんて『61年目の謀殺』のオチは、死者への冒涜だと遺族
から訴えられてもおかしくないでしょう。まあ、火葬戦記に比べれば兆倍マシですがw。
ちなみに自分の大先輩の言葉に、 ●少佐以上は公人だから「事実なら」どんなに悪く書かれても文句は言えない というのがありますw。
188 :
俄将軍 :2008/02/28(木) 01:55:34 ID:???
>>173 坂本龍馬暗殺など、未だに、wikiなどにも、真犯人の候補として、名前が挙がらない「タ
ブー」ということもあるのか、などと、電波の発信など試みてみたり。
>>183 帝国議会は、本来、明治政府、薩長政権との対立構造、ガス抜きの類だった、ということにな
るのか、軍隊、警察など、日本国内の旧幕府、反明治政府への抑えだった、ということもあ
るのか、などと、嘯いてみたり。
地租改正を目指した、山県有朋の国会、政党対策とは、ということになるのか、昭和になると、
軍部の台頭を許すことになる政党政治の腐敗、金権政治など、院外団、右翼を用いて、買収
供応どころか、政党間での誘拐、暴行、監禁など、ということになるようでは、などと。
>>188 龍馬は恨みを買いすぎの上、邪魔だと思ってる連中もいっぱいいた。
薩長も幕府も土佐も全部怪しい。
>>188 >帝国議会は、本来、明治政府、薩長政権との対立構造、ガス抜きの類だった、ということにな
>るのか、軍隊、警察など、日本国内の旧幕府、反明治政府への抑えだった、ということもあ
>るのか、などと、嘯いてみたり。
だから首相ごときに大権が与えられるはずもなかったと。
確かに日露戦争のときなんか、出先の満州軍が戦争指導してたようなもんだったしなぁ。
このときの軍部はイコール薩長閥だし。
>このときの軍部はイコール薩長閥だし ていうか、軍部どころか外務も政府も薩長閥で固められてるわな。 ひょっとしなくても、明治日本が割と上手くやれたのってほとんど薩長閥の独裁してたからじゃねえの?
192 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/28(木) 23:55:15 ID:PuiEOJEj
>>191 >>明治日本が割と上手くやれたのってほとんど薩長閥の独裁してた
>>からじゃねえの?
2007年に亡くなった作家の城山三郎は、広田弘毅を題材にした小説『落日燃ゆ』の
最後で「日本を滅ぼした長州の憲法」と表現しています。要するに明治憲法批判
なのですが、昭和の時代に入って山県有朋など『超憲法的な存在』の元老たちが
全員いなくなると、誰も制御できなくなって暴走し続けた訳です。
>>186 >>『61年目の謀殺』のオチは、死者への冒涜だと遺族から訴えられても
>>おかしくないでしょう。
これに引っかかったのがまさに城山三郎の『落日燃ゆ』で、佐分利の自殺の理由に
ついて以下のように触れています。
193 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/29(金) 00:12:41 ID:bBkrYVfq
「派手であった女性関係がこじれて、揺すられていたという見方もあった。
新橋でも赤坂でも、長身で貴公子然とした佐分利は、よくもてよく遊んだ。
それに、相手は花柳会の女だけではない。部下の妻との関係もうんぬんされた。
潔癖な広田は、こうした佐分利の私行に『風上にも置けぬ』と眉をひそめた」
>>177 で述べたような「愛妻家の話」とは180度異なりますが、佐分利には
こうした面もあったようです。しかし花柳会でしたら「芸事」で済みますが、
部下の妻に手を出した(不倫)とあっては穏やかではありません。
1977年に佐分利の遺族である甥が、上記の記述を咎めて「死者の名誉毀損」を
名目に「慰謝料と謝罪広告」を求めて城山三郎を訴えたのでした。この甥が、
>>事件現場には、佐分利の甥である一武が駆けつけますが、
>>184 で述べた甥と同一人物(佐分利一武)かどうかは確認が取れませんでした。
194 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/29(金) 00:30:45 ID:bBkrYVfq
もちろん『女性関係』云々は、城山三郎が「佐分利の自殺理由」に挙げた 記述の1つに過ぎないのですが、とにもかくにも遺族に訴えられた訳です。 まあ『落日燃ゆ』は、吉川英次文学賞と毎日出版文化賞をダブル受賞した 話題作ですから、逆にヤブヘビになったのでしょうw。 佐分利の甥は、●「自分は故人(佐分利)を実父のように敬愛しており、 城山の記述により耐え難い精神的苦痛を味わっている」として100万円の 慰謝料(プラス謝罪広告)を要求しました。 しかし日本の刑法では「死者の名誉毀損」という規定は一応ありますが、 英米法と同じく死者を権利主体と見なしてはいません。「死者の名誉毀損」 自体、数例の判決と和解があるだけで、この裁判は法律論的にも大いに注目 されました。要するに「死者への名誉毀損」によって遺族に対する不法行為が 成立するのかという問題が焦点になった訳です――。
>自分は故人(佐分利)を実父のように敬愛しており、 >城山の記述により耐え難い精神的苦痛を味わっている あんたが佐分利を尊敬していることと、佐分利の女性関係の真偽は何の関係もないこと。 やっぱ名誉毀損罪ってない方がいいんじゃない?
196 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/29(金) 00:52:40 ID:bBkrYVfq
結論から言えば、佐分利の甥の訴えは退けられました。敗訴した訳です――。 東京地裁は「死者への名誉毀損自体は、遺族への賠償に値する」との見解を示したの ですが、肝心の『落日燃ゆ』の記述内容は「虚偽虚妄」と認定するに証拠が足らない と述べた訳です。つまり城山の文章には「違法性」がないと判断され、逆に言えば 佐分利貞夫にはそのような「女性関係の問題」(少なくとも疑われても仕方がない ような行為)があったと認められたのに半ば等しいです。 しかし、この裁判は控訴されます。 1979年の高裁判決では、地裁の判断と同様、「死者への名誉毀損」が不法行為に なる可能性を肯定しましたが、そもそもこの佐分利の甥に訴える資格があるのか?と 疑義を呈しました。結局、城山の問題の文章に「虚偽」の事実は認められないとして 高裁でも甥の訴えが棄却されました。まあ、『落日燃ゆ』は1974年に新潮社から 発刊されたもので、1929年に佐分利貞夫が死んでから45年が経過しています。 そのような年月の経過も判決に大きく響いているでしょう。
名誉毀損なんて考えがあるから貴重な証言が出てくるのが遅れるんだよ。 昭和28年に辛辣な批判本を出した大井篤の爪の垢を煎じて飲め。
198 :
イナゾウ准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/02/29(金) 01:27:51 ID:bBkrYVfq
>>195 >>あんたが佐分利を尊敬していることと、佐分利の女性関係の真偽は
>>何の関係もないこと。やっぱ名誉毀損罪ってない方がいいんじゃない?
まあ、自分が「支那の土人の回し者」だとウソっぱちの宣伝されたら、それは
名誉毀損で訴えるでしょう。
要するに、佐分利(の甥)のように事実でも「自分に都合の悪いこと」を名誉毀損で
訴えられる(そして認められる)のなら、それは社会が成り立っていきませんよね。
ありていに言えば、犯罪の報道や内部告発もすべて名誉毀損になってしまいます。
まあ、佐分利の甥は「カネが目的」という感じがしないでもないですがw、やはり、
>>●少佐以上は公人だから「事実なら」どんなに悪く書かれても文句は言えない
となる訳です。あくまで「名誉毀損」で守られるのは客観的な社会的地位であって、
本人の主観的な名誉感情は含まれません。でないと牟田口廉也や富永恭二も自分に
都合の悪いことは「名誉毀損」で訴えることが出来てしまいますw。
199 :
俄将軍 :2008/02/29(金) 09:42:59 ID:???
「事実なら」ということであれば、ロボット三等兵であったとしても、文句は言えないのでは ないか、などと、嘯いてみたり。
>>192 日露戦争の頃からして、すでに首相に主導権があったかあやしい。
ニコポン桂なんて典型的な調整型じゃん。
>>200 桂はあんな顔と態度をしていても、
現実には山県、伊藤も振りまわす豪腕ですよ。
ニコポンという標語に騙されてはいけません。
あの二人にニコポン出来るんだもんなぁ。
>>201 振り回すこともあったってだけだろ。
首相の絶対性が確立してなかったことの何よりの証拠じゃないか。
>>203 首相が与党の有力者にニコポンしながらも(しかも山県、伊藤)、
実際の政策面ではそいつらを手玉に取るとしたら、
指導性のある超豪腕首相ということになるでしょ。
まあ、桂の発揮した強烈な指導力は、
彼もまた明治の元勲であったということや、
山県以上に明治天皇に信頼されていたということや、
寺内台頭以前には桂が陸軍省部を掌握していた、
ということとも関係します。
その意味では、首相の制度的指導力を考える例としては、
あまりよくないということはいえるでしょう。
205 :
イナゾウ上級准尉 :2008/03/01(土) 23:39:47 ID:GgiH+TAZ
>>200 >>日露戦争の頃からして、すでに首相に主導権があったかあやしい。
日清戦争でも「大本営」が設置されましたが(1894年6月5日)、戦時大本営条例
によって、●「幕僚は陸海軍将校を以って組織する」と既に決められていました。
この字義通りに従うならば、当時首相だった伊藤博文は「大本営御前会議」に
出席できない訳ですが、●「軍事作戦の実情を知らなければ、内政外政の方策を
立てられない」として、明治天皇にゴリ押しし大本営への出席が認められました。
要するに、日露戦争どころ日清戦争でさえ「首相に主導権があったか怪しい」と
なるのですが、伊藤博文は首相の立場にも関わらず「作戦指導」にもバンバン
口を出していました。まあ、いつの時代も結局は「人物」ということですよ。もし
伊藤がヘタレだったら、日清戦争でも首相は蚊帳の外に置かれていたことでしょう。
206 :
イナゾウ上級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/02(日) 00:09:41 ID:ECozXzip
>>203 >>首相の絶対性が確立してなかったことの何よりの証拠じゃないか。
もともと明治憲法には不合理な欠陥があって、参謀本部(軍令部)は大本営に
首相が臨席するのを「法制の根拠がない」(大本営条例、昭和の時代には統帥権
独立の言い分)ことを理由に拒絶できました。
伊藤博文は明治憲法を自分がつくったという自負があり、また国家の運命を参謀本部
(軍人)に丸投げするような状況を到底許すことが出来なかったのです。その結果、
伊藤は『超憲法的』に大本営をリードしようとした(戦争の幕引きが中心)訳です。
これは軍人に戦争を任せると、「終わるべき戦争が終わらなくなる」という確信が
あったのです。
要するに伊藤のようなマネが出来るのなら、昭和の時代とて「首相に主導権」は
あったでしょう。
207 :
イナゾウ上級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/02(日) 00:25:21 ID:ECozXzip
ちなみに日清戦争時の大本営メンバーを挙げると以下のとおり。 ●有栖川宮幕僚長(参謀総長・陸軍大将)●川上操六陸軍上席参謀(参本次長・陸軍中将) ●中牟田倉之助海軍上席参謀(軍令部長・海軍中将) ●大山巌陸相(陸軍大将) ●西郷従道海相(海軍大将) その他、兵站総監部、運輸通信長官部、野戦衛生長官部などです。これらの他に 当時、枢密院議長だった山県有朋も伊藤首相と同じく「天皇の特命」という形で 列席しましたが、もともと山県は陸軍大将ですし、別格でしょう。ちなみに伊藤の おかげで外相の陸奥宗光も参席できています。
208 :
イナゾウ上級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/02(日) 00:53:14 ID:ECozXzip
>>161 >>突然ですが、佐分利貞夫が死にます。史実でもそのぐらい唐突でしたでしょう。
広田弘毅がメインの話になると、どうしても佐分利貞夫は前半の「引き立て役」または
「噛ませ犬」となってしまいますw。佐分利の変死は今もって「自殺」と断定しがたい
不審な点を残しますが、ここで重要なのはあくまで「佐分利が死んだ」事実です――。
外相の幣原喜重郎は、腹心であり後継者として育てていた佐分利の死(1929年11月28日)
に大ショックを受けますが、そのとき広田弘毅もまた格別に任務もないオランダ公使が
3年の長きに渡り、自分が日本にいない間の「母タケの自殺(餓死)」もありまして、
かなり精神的にまいっていました――。
たまたま部下の書記官が日本に帰ることになり、広田は●「自分はもう3年になるので
ちょっとで良いから帰国したい。その旨、次官の吉田(茂)に伝えてくれないか?」と
メッセージを託します。野心などとは無縁で「自ら計らわぬ」を信条にしていた広田に
すれば珍しい行動ですが、それだけ追い詰められていたのでしょう。
言外には「待命の身になっても構わないから、日本に戻して欲しい」という弱気も 見え隠れしていました。広田にすれば、自分をオランダ公使に飛ばした幣原外相は 問題外にせよ、外務省同期であり盟友の吉田茂(外務次官)なら何とかしてくれる のでないかという一縷の望みがありました――。
___ __ ___ ,__´l___l___l___l`__、 ,_'__,´〈〉 __,r、,〈〉`ヽ_ヽ, /__/〈〉, '´ ´⌒*,.〈〉 i___| i___|〈〉( ( )〈〉|___i i___i. (( ( ハ ノ)) /__/ 嗚呼、早苗(佐分利)が死んでしまった……(泣)。 ' ,_>、_(,[>{_}<]_,<_ノ 〈〉'<,__ノ_,くハ>、_>'〈〉 〈〉 '〜r_ァr_ァ〜' 〈〉  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄
>>204 伊藤なら説得しやすい。
イナゾウが言ってるが、伊藤は明治憲法の欠陥を知っており、実際それで苦労していた人物。
伊藤なら首相の元に統帥を一本化することの意味を理解していたはず。
山県もその点については認識を共有していただろう。
>>211 丸山真男のいう明治憲法の「顕教」と「密教」の問題ですな。
伊藤がそれだけ苦労したのに、その認識がなぜ後に継承されなかったのかですね。
知識が無いのであてずっぽうですが、明治末年から大正初年、第一次大戦への
参戦やシベリア出兵あたりで変わってきたのでしょうか。
まあ「人物」がいなかったと言われたらそれまでですが。
下手に大正デモクラシーで憲政の欠陥が糊塗されてしまったためかと。 同様の構造的欠陥は、現行憲法の戦争放棄条項にも存在する訳ですが...
すいませんが、体調を崩し気味なのと仕事の方が修羅場になりまして 今週はほとんど書き込めないかもしれないです……。
テキトーにレス回しとくから養生しとけ。
216 :
俄将軍 :2008/03/03(月) 01:14:59 ID:???
明治の元勲も、明治元年の政府高官、維新官僚などは、皇族、公家などを例外として、実質的
には、士族でしめられていた、ということからすれば、ということもあるのか、などと、適
当な思いつきなど書きちらしてみたり。
薩長の藩閥も、学閥に、ということになると、何故、機能しなくなったのか、ということにな
るのか、統帥権干犯など、政争を目的とした言いがかり以外の何ものでもない、ということ
になるのか、などと、思いつくままに書きちらしてみたり。
>初代スレ 「 日 中 戦 争 ( 支 那 事 変 ) 」
>
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/ 上記のスレッドに、回帰していく、ということもあるのか、などと。
218 :
俄将軍 :2008/03/03(月) 02:02:06 ID:???
>>216 明治元年の維新官僚など、元は武士ということになると、文官、武官といった区別など、とい
うことになるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
“元は武士”と言っても、江戸末期の武士は大多数が文治官僚化してますから、“公僕”に近い社会階級としての認識しかなかったでしょう。 むしろ、“公儀”=徳川政権が公的に否定し続けた農民の武装権が、“新政府”と徴兵制によって形を変えて全面復活した訳ですから、旧来の武士階級には知識階級としての矜持しか残されていない訳で、こっちに一気にシフトしてますね。 それが後の教育機関ヒエラルキーと相まって、戦後の異様な受験教育(新徴兵制?)で大衆化される訳ですが。
>>214 無理せずに。みんなでマターリしながら待っています。
>>215-220 皆様どうもでございます。昨日ほとんど書き込めないと言った手前
「アレ」なのですがw、少しだけでも書き込める時に書き込もうかと。まあ、
帰宅したのは40分ほど前ですけど(泣)。
>>212 >>伊藤がそれだけ苦労したのに、その認識がなぜ後に継承されなかった
>>のかですね。
遠因ですが、伊藤が日露戦争で首相を逃げてしまったこともあるかもしれません。
1902年6月23日に御前会議が開かれますが、このときのメンバーは以下の
通りです。
●伊藤博文、山県有朋、大山巌、松方正義、井上馨の別格の元老と、●桂太郎首相、
寺内正毅陸相、山本権兵衛海相、小村寿太郎外相の9人です。
222 :
イナゾウ上級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/04(火) 00:52:54 ID:FztdalVj
この1週間ほど前には、当時陸相だったクロパトキンが訪日して、 東京で政府首脳と会談を行っています。「黒公」曰く、 ●「我らは13日の内に40万の軍隊を日本との国境へ集めることが出来る。 これは日本を破るに足る兵力の3倍の数である。日本との戦争は単に 軍事的散歩に過ぎず、我が軍はドイツおよびオーストリア国境から 兵力を動かすことはまるでない――」 日英同盟がその年の1月30日に調印されるも、上記のように「黒公」に脅し あげられた直後の御前会議です。桂太郎首相は、衆望のある元老格に首相を譲る べきだと伊藤博文と山県有朋に打ち明けますが(意中の人物はもちろん伊藤)、 受け入れられず、伊藤は政友会総裁の座を西園寺公望に譲って枢密院議長となり 閣外から内閣を支援すると表明します。 もし伊藤が日露戦争でも首相をやって存在感を出していたら、かなり大正以降の 展開も変わったのではないかと思うのですが。桂太郎ではチト影が薄い……。
223 :
イナゾウ上級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/04(火) 01:07:01 ID:FztdalVj
もちろん「日露戦争」の成り行きに『最も絶望』していたのが伊藤博文ですし、 伊藤に首相をやれというのは「心労で死ね」と言っているのと同意義ですがw。 伊藤が「勝ち目がない」と判断していた理由は簡単、明治日本が身に付けようと していたプロシア流(メッケル)の参謀本部は、敵国の首都が国境から300〜 400キロが前提条件のものです。ロシアの首都ペテルブルクは、朝鮮国境から 6500キロ。総動員可能な将兵の数も日本の10倍。 これでロシアに勝ち目があると言う人間は「頭がおかしいのだ」と伊藤は考えて いました。それゆえに伊藤は何とかロシアと宥和できないか、一人で飛び回って 「恐露病」の走りとして揶揄される訳ですが、決して伊藤は臆病者ではなくむしろ 理性の人でしょう。
224 :
俄将軍 :2008/03/04(火) 01:07:37 ID:???
>>219 士農工商といっても、多少の階級移動はありますが、基本的には、侍は、生まれたときから、
侍として、育てられるということ、「公僕」の意味合いが、現代とは異なる、ということ
もあるのか、などと、嘯いてみたり。
「大多数が文治官僚化」といっても、明治政府に、官僚として、雇用されたのは、ということ
になると、幕府の中の人の登用などからすれば、能力不足で、ほとんどがリストラ、という
ことになるのか、薩長土肥の中の人も、能力のある人材の数は、ということもあるのか、
などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
東京大学、帝国大学は、高級官僚の中の人を育成する為に、ということになるのか、などと。
225 :
イナゾウ上級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/04(火) 01:19:59 ID:FztdalVj
>>決して伊藤は臆病者ではなくむしろ理性の人でしょう。
まあ、伊藤は「自分の出番は日本がロシアに敗北したとき」と考えていたかも
しれませんが。首相を拒んだ理由は、自分を温存しておくためとも。
>>216 >>上記のスレッドに、回帰していく、ということもあるのか、などと。
まあ「無限ループ」に陥らないよう頑張りますw。「真性キチガイレイシスト」に
回帰するのはありかもしれません。
>>209 >>盟友の吉田茂(外務次官)なら何とかしてくれるのでないかという
>>一縷の望みがありました――。
帰国した書記官は、まず外相の幣原喜重郎に挨拶して「広田の希望」を伝えますが、
次官の吉田茂に頼む必要はありませんでした――。
226 :
イナゾウ上級准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/04(火) 01:39:50 ID:FztdalVj
>>次官の吉田茂にまで頼む必要はありませんでした――。 当時の外務省は(幣原の目から見れば)おかしくなり始めた頃でした。森恪が 政務次官として乗り込んできて省内を引っかき回すは、中堅や若手外務官僚の 中には白鳥敏夫のように軍部の力を背景に、ファシズムや英米に対しての強硬 路線に舵を切ろうとする勢力が増えてきました。 腹心の佐分利貞夫を失った幣原としては、少しでも気心の知れた者(外交路線も 近い)で外務省内を固めたく、直ぐに広田に対して帰朝命令を出したのでした。 まあ、閑職のオランダ公使に広田を飛ばしたのは幣原自身なのですが「いかにも 3年は長かった」と今更ながら後悔したかもしれません。 確かに広田とは感情的なしこりはありましたが、外交路線としては「協調外交」で 似ていますから、強硬派の吉田茂(次官)に比べれば100倍良いでしょうw。
吉田茂は対英親和派でなかったの? 開戦直前まで“日英同盟期のおもひで話”をしようと倫敦の英国外務省を逍遙中だったと思ったが... その度に中国政府外交官に邪魔されて、かなり情けない状況でもあったようだ...
228 :
俄将軍 :2008/03/04(火) 02:15:56 ID:???
>>224 藩校、寺子屋ではなく、文部省、「学制」など、小中学校から、高校、帝国大学へと、一貫し
た教育システムは、高級官僚育成の人材登用でもあり、反藩閥、反明治政府や、国民国家の
育成といったプロパガンダの類だけでもない、ということもあるのか、などと、嘯いてみ
たり。
明治維新直後の陸海軍など、日本国外ではなく、警察とともに、日本国内向け、ということに
なるのか、などと。
明治政府の富国強兵の優先順位からすれば、明治初期は、大蔵省、内務省、工部省が、優先と
いうことになるのか、などと、思いつくままに書きちらしてみたり。
>それが後の教育機関ヒエラルキーと相まって、戦後の異様な受験教育(新徴兵制?)で大衆化される訳ですが。
立身出世は、明治から、ということであっても、陸海軍の解体だけでなく、戦後の税制改正、
財閥解体、農地解放などが、拍車をかけた、ということもあるのか、などと、適当な思い
つきなど書きちらしてみたり。
_,,....,,_ _人人人人人人人人人人人人人人人_ -''":::::::::::::`''> ゆっくりしていってね!!! < ヽ::::::::::::::::::::: ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄ |::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ __ _____ ______ |::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__ ,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、 _,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 'r ´ ヽ、ン、 ::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 ,'==─- -─==', i r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i | !イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .|| `! !/レi' (ヒ_] ヒ_ン レ'i ノ !Y!"" ,___, "" 「 !ノ i | ,' ノ !'" ,___, "' i .レ' L.',. ヽ _ン L」 ノ| .| ( ,ハ ヽ _ン 人! | ||ヽ、 ,イ| ||イ| / ,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
>>212 丸山真男じゃなくて久野収では? >「顕密二重体制」
232 :
俄将軍 :2008/03/04(火) 03:10:56 ID:???
>>228 「反藩閥、反明治政府や、」を、「反藩閥、反明治政府への対策、」に、修正。
233 :
212 :2008/03/04(火) 22:27:43 ID:???
234 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/05(水) 00:12:15 ID:nhFI3+/p
>>227 >>吉田茂は対英親和派でなかったの?
吉田が「親英米派」になるのは、イギリス大使になって以降です。ぶっちゃけ、
外交官のキャリアとして最終盤の時代ですね。それ以前のキャリアは、支那畑
(そして強硬派)の期間がずっと長いのです。詳しくはスレを読み直してちょ。
まあ、いずれ触れます。ちなみに
>>93 にも書きましたが吉田のキャリアは、
>吉田は、天津領事官補→奉天領事館附(29歳)→駐イタリア大使館附(三等書記官・
>31歳)→安東領事(34歳)→済南領事(40歳)→駐イギリス大使館附(一等
>書記官・42歳)→天津領事(44歳)→奉天領事(45歳)→田中義一内閣・外務
>次官(50歳)→イタリア大使(52歳)→イギリス大使(58歳)→免官(61歳)
>→戦後へと続く……。
235 :
俄将軍 :2008/03/05(水) 00:17:47 ID:???
>>233 「
>>232 」宛ではなく、「
>>231 」宛の誤りではなかろうか、などと、思ったりもするわ
けですが、1890年、帝国議会の開設が決まり、制限選挙ではありますが、第一回総選挙
ということになるわけですが、1889年に、明治憲法が発布され、1885年12月に、
第一次伊藤内閣ということになると、「顕密二重体制」もなにもない、ということもあ
るのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
「超然内閣」ということであっても、後に、政争で、統帥権問題など持ち出した輩は、満州事
変に関与した輩、A級戦犯などよりも、遙かに、罪深い、ということになるのか、などと、
思いつくままに書きちらしてみたり。
>>234 外務省内での支那畑が、英米協調策として軍に取らせた一連の実力行動が、結果として対蒋介石強硬派となってしまった、という視点も重要でしょう。
陸軍内の支那畑には、玄洋社系の孫文との腐れ縁から蒋介石との連携を支持するグループが、ひとつのラインとして存在しましたので、強硬進出が明確になってくるのは満洲利権を巡って張父子との対立が表面化した後だったと見えます。
そして、蒋介石打倒が戦略目標になってしまったのは、第一次近衛内閣の失敗によるものですから、“田中奏上文”チックな軍主導の計画的侵略意図が最初に存在していた訳でもありません。
その後、南京占領後は国府主流の汪精衛(連ソ・容共&満洲死守を唱えた最も過激な反日的指導者です)を親日化する工作が続きますので、軍内には当初からの対支那強硬派は存在していなかったと見て良いのではないでしょうか?
237 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/05(水) 00:36:43 ID:nhFI3+/p
>>227 >>吉田茂は対英親和派でなかったの?
この頃の吉田茂が「対英親和派だ」と耳にしたら幣原喜重郎がキレるでしょうw。
1930年に吉田は外務次官からイタリア大使に転任させられますが、よく外相の
幣原がそこまで我慢したものです。本来なら浜口雄幸内閣ができた瞬間に飛ばされ
てもおかしくありませんでした。まあ、「外務省の高級人事は政変によってむやみに
動かさない」という自らのポリシーに幣原が忠実だったことに尽きます。
形の上では勅任官の外務次官から、親任官の大使への栄転でしたが、赴任先が
イタリアでは欧米列強の中でも格が落ちますし、何か懸念の外交事案があった
訳でもありません。吉田にとっては全く面白くなく、今ごろになって体よく外務
次官の椅子から追い払われた形でしょう。ちなみに同じ1930年に広田弘毅は
ソ連大使に任命されましたが、こちらは難題山積でいくら広田の初志に叶うとは
いえ、心身の消耗は著しいものがありました。
238 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/05(水) 00:45:13 ID:nhFI3+/p
_,........,_
, ´,.-== ,ヽ
i (ノノλノ)リ
ルイ) ゚ ヮ゚ノ) 何か話が脱線しているわね…。ところで広田弘毅のライバルって、
`,く_,`ハ,イつ 同期の吉田茂じゃないとしたら、一体だれなのかしら? あと
,(,ノ┐ハゝ 幣原喜重郎って何回も出ているけど、かなり重要人物みたい?…
`'-i'_ィ,ァ"´
>>104 のここから大きく話が脱線しましたがw、広田弘毅が外相になった地点まで
戻りたいと思います。広田のソ連大使時代や満州事変、松岡洋右と国際連盟脱退、
内田康哉の「焦土外交」などは既述などでワープしますw。
/⌒⌒⌒⌒ ミ / 彡 ミ 丿 ノノ丿ヽヽヾ ミ ノノ.ノノ,,,,,、 ,,,,、、 ヾ ミ ( ,ゞi" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ, .) ( ヾi `ー‐'、 ,ゝ--、' 〉;r' ) ノノノ`,| / "ii" ヽ |ノ ミ にはは .彡 't ←―→ )/イ ミ . 彡 ヽ、 _,/ λミ _,,ノ|、  ̄//// \、 _,,..r''''" | \`'/ /  ̄`''ー ´ ヽノ| /\ / 、│
240 :
名無し三等兵 :2008/03/05(水) 00:52:04 ID:s3JMs55G
「支那人」とは 日本国は別名「那国」ともいい、日本を本那、その那国の支配下の支国が「支那」「支那人」である。 本社と支社で例えるとわかりやすい。「china」の語源はこの「支那」でもある。 戦前・戦中は中国人を日本人より下等な存在とみなすような意識もあり、「支那」が差別的ニュアンスで使用される場合もあった
241 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/05(水) 01:01:39 ID:nhFI3+/p
>>37 >>>内田は外相を辞任して広田を後任に推薦する決心をする訳ですが、
広田が「斎藤実内閣」で外相になる経緯は、今スレの
>>37 以降あたりを
読み直してください。まあ、ようやく広田が外相になって話の折り返し
地点な訳ですが、タイトル名を「小テーマ:松岡洋右と広田弘毅」から
「大テーマ:広田弘毅と愉快な仲間たち」に変更したいと思いますw。
話が行きつ戻りつで複雑になり恐縮ですが、少しだけ間を補足しますと
「満州事変の収拾失敗」で、幣原外相はようやく表舞台から去ります。
イタリア大使に放り出された吉田茂は1932年に免ぜられて日本に帰国。
斎藤実内閣で最初の外相となった内田康哉から「駐米大使に出ないか?」と
声を掛けられますが、国際連盟の脱退でヒーローとなった松岡洋右の尻拭い
(対米関係悪化)をさせられるのは嫌だと断ります。
242 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/05(水) 01:15:36 ID:nhFI3+/p
吉田茂は、後任の外務次官となった重光葵の斡旋で「特命大使」となり、 ヨーロッパ各国を一巡します。日本に帰国後は、近衛文麿に接近したり 犬猿の仲だった幣原喜重郎(引退)の元を訪れたり、政友会総裁の鈴木 喜三郎に会ってご意見番になろうとするなど「猟官活動」を活発にします。 内田康哉の後任の外相に「よだれタラタラ」だったのは、むしろ吉田茂なの ですが、まあ結果は、広田弘毅が指名される訳です。また松岡洋右も西園寺 公望のもとを再び訪れたり、「ファシズム運動」を始めた時期ですから当然 外相への食指は動かそうとしていたでしょう。 さて広田の外相時代の主なトピックですが、大きく分けて3つあります。 ●五相会議の外相主導 ●ソ連との東支鉄道問題 ●支那に向けた協和外交 まあ、順番に触れていきたいと思います。
243 :
俄将軍 :2008/03/05(水) 01:20:23 ID:???
>>234 吉田茂といえば、白州次郎、ということになるのか、白州次郎といえば、近衛文麿、というこ
とになるのか、白州商店、ということになると、英国との関係など、ということもあるのか、
などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
松岡が熱中した「ファシズム運動」というのは、 ないがしろにされてきた首相の権限を強化するのが目的なのか、などと。
例によってコカイン中毒の誇大妄想癖ですよw
>>241 >>広田が「斎藤実内閣」で外相になる経緯は、今スレの
>>37 以降
>>あたりを読み直してください。
すいません。
>>40 以降あたりの間違いですw。あと以下の文章を考えた人に
中尉の階級を差し上げたいと思います。
こなた「さあ!突撃ザマスよ!」
みゆき「死ぬでガンス!」
つかさ「ウラー!!」
かがみ「あそこにカツを入れなさいよ!」
595 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2008/03/05(水) 17:29:55 ID:x/IFCDPO 【ゴールデンレス】 ∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩ このレスを見た人はコピペでもいいので 〉 _ノ 〉 _ノ10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。 ノ ノ ノ ノ ノ ノそうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ し´(_) し´(_) 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
248 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/05(水) 23:44:36 ID:7T6Q/JHY
>>244 >>松岡が熱中した「ファシズム運動」というのは、ないがしろにされてきた
>>首相の権限を強化するのが目的なのか、などと。
ろくでもない政党政治を打破して日本に『一党独裁』を打ち立てるのが目的です。
>>242 >>さて広田の外相時代の主なトピックですが、大きく分けて3つあります。
>>●五相会議の外相主導 ●ソ連との東支鉄道問題 ●支那に向けた協和外交
では「五相会議」から始めましょう。復習になりますが、広田弘毅が外相になった
のは1933年・56歳のときです。ここから「2・26事件」が勃発しまして、
広田に首相の大命降下がなされる1936年まで外相を続けました。
これを見ても分かるとおり、広田が外務大臣を務めたのは『皇道派』の全盛時代に
あたります。当時の陸相はもちろん「荒木貞夫」でしたが、広田弘毅はまずこの男と
対決しなくてはなりませんでした――。
>ろくでもない政党政治を打破して日本に『一党独裁』を打ち立てるのが目的です。 戦後、盟友吉田茂は自民党一党独裁を打ち立てたのだから、松岡も草葉の陰で喜んでいるだろうかなどと。
250 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/06(木) 00:27:42 ID:HpmVT9Mx
ちなみに荒木貞夫は1877年生まれ。広田弘毅が1878年生まれですから、 荒木は広田よりも1歳年長にあたります。また海軍大臣の大角岑生は1876年 生まれでしたので、ちょうどこの3人は1歳違いで続くことになります。 さて「五相会議」と言えば、首相・陸相・海相・外相・蔵相の5人のメンバーで 構成される政府の最高会議です。 このときの首相が斎藤実(1858年生まれ)、蔵相が高橋是清(1854年生まれ)で 両者はそれぞれ75歳、79歳という超高齢です。「5・15事件」で犬養毅が 暗殺されたため、政党色を排した「挙国一致内閣」という括りで老体を押して 就任した2人でした。 また以前の外相である内田康哉が1865年生まれの66歳で、そこそこだった ものの、斎藤内閣の平均年齢がいかに高かったかが分かるでしょう。問題はまだ 50代後半でエネルギッシュな陸海相2人に引き摺られていった事にあります。
251 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/06(木) 00:56:46 ID:HpmVT9Mx
斎藤実内閣が「国際連盟を脱退してしまった」理由として、昭和恐慌からの 脱却(国内政治)を優先させるために「軍部との摩擦を避けた」ことは既に 述べました。 広田弘毅が外相になったのは、そんな状況の1933年でしたが、3年後の 1936年にはワシントン海軍軍縮条約の期限が切れる――『海軍休日』の 終わりが目前に迫っていましたので、海相の大角岑生の張り切りようは異様 だったと云います。当然、海軍は次の軍縮会議を蹴る腹づもりでしたので、 まかり間違えば「日米開戦」もあるやもしれぬという意気込みですw。 ここに『非常時』を流行語にした陸相の荒木貞夫が、海軍への対抗意識から さらに危機感を煽りますから、斎藤内閣はこの2人に振り回され通しだった 訳です。まあ、荒木が海軍に張り合おうとした理由は簡単です。もし海軍が 軍縮条約切れで「大規模な建造計画」を実現させれば、陸軍は海軍に予算で 大差を付けられることになります。平時おいて「予算の差」は、そのまま 「権力の差」とイコールですので陸軍としてはとても看過できなかった訳です。
252 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/06(木) 01:26:31 ID:HpmVT9Mx
要するに『陸軍の予算が海軍の半分』となれば、『陸軍の権力は海軍の半分』 となる訳です――。陸相の荒木貞夫は「対ソ戦の危機」を訴えることで海軍の 軍縮条約切れに対抗しようとした訳ですから、「陸海軍の2元統帥」がいかに 亡国を招くかが皆さんもお分かりになるでしょう。 とくに荒木は陸軍きっての「ソ連通」を自負しており、対ソ連の懸念は「軍事的 圧力をもって解決すべきで、そのための国防力強化を急がねばならぬ」という 考え方でした。また皇道派の指導者に祭り上げられており、森恪や平沼騏一郎 といった右翼の政界人とも親しくありました。 さらに先の「5・15事件」でも犯人の将校を「犯罪よりも動機の純粋さを 理解してやるべきだ」と弁護するなど、青年将校にも絶大な人気があります。 まあ、そんなこんなで五相会議は、枯れた長老2人(首相・蔵相)にお互いに ライバル意識を燃やす軍人2人、そして外務省プロパー出身で全く無名の新任 外相(しかも一番年下)1人を加えた形で行なわれる事になった訳ですが――。
253 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/07(金) 00:05:44 ID:vj+t2kOE
もともと政府の「五相会議」は、陸相の荒木貞夫の提案によって始められたもの でした。その理由として、●「普通の閣議では、政党出身閣僚が混じって審議が 『不純』になる。高度の国策は五相だけで高次元から考えるべきである――」と 主張したのでした。 確かに、ロンドン海軍軍縮条約の批准をめぐる「統帥権干犯」騒動は、野党 だった政友会の犬養毅と鳩山一郎が、●「軍令部の反対意見を無視した条約 調印は、『統帥権干犯』である」と民政党の浜口雄幸内閣を国会で攻撃した ことが始まりでした。 確かに、政党間の争いによってその後の国策が滅茶苦茶になった訳で、荒木の 主張は否定できない面もあるのですが、よりにもよって皇道派のシンボルである 荒木が言うのが、これ以上ないくらい皮肉ですw。 そんな荒木は陸軍部内で作成させた「皇国国策基本要綱」を五相会議に提出して、 陸軍のリードによって内閣を操縦しようと試みるのですが――。
254 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/07(金) 00:31:12 ID:vj+t2kOE
五相会議でとくに紛糾したのがソ連問題です。当時、「東支鉄道」の買収交渉が 持ち上がっており、日本政府や軍部内でも意見が分かれていました。 おさらいですが「東支鉄道」はロシアによって満州北部に建設され、ロシアが ソ連に変わった以降も支那と共同で運営されていたものです。しかし関東軍が 満州事変を起こして満州国が建設されると、東支鉄道はその内部に飲み込まれて しまし、ソ連としては大変やり辛くなってしまいました。 そこで国家財政が逼迫していたソ連はこの際、満州国に売り払ってしまおうと 考えた訳です。ちなみに東支鉄道の共同経営者は、支那から満州国に変わって いました。まあ、日本が分捕ったことになるのですがw。また売却先が満州国 といっても、実質的には日本が金を出す訳です。後で詳しく述べますが、ソ連が 最初につけた東支鉄道の売値は2億5千万円という莫大な額でした。もちろん 日本では「そんな金が払えるか」という声が一方で湧き上がります。
255 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/07(金) 01:02:00 ID:vj+t2kOE
>>254 >>東支鉄道の売値は2億5千万円という莫大な額
戦艦「大和」の建造費が1億4千万円であることを考えれば、いかに莫大な額かが
分かるでしょう。また当時の日本の国家予算は一般会計で20億円前後であり、
しかもその3分の1は、公債発行で賄っていた訳です。
このため当の関東軍などでは、●「外務省は何をもたもたしている。大砲の2〜3発
も撃ち込めばタダで取れるものを」と半分本気で言いますが、陸軍きっての対ソ通を
自認する陸相の荒木も似たような主張をしていました。そこに外務大臣になる以前は、
「ソ連大使」(しかも満州事変時w)をしていた広田が反論します。
「大砲2〜3発という声があるが、ソ連と戦争になったら一体どれほど高い買収費に
なるのか考えたことがありますか?」
また広田は、関東軍がせっかく苦心して建国した満州を保持育成するためにも、
ソ連との間に円満な外交関係を樹立する必要があることも説きました――。
256 :
イナゾウ特務准尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/07(金) 01:37:04 ID:vj+t2kOE
陸相の荒木は、外相が内田康哉(外務省の長老格)から広田弘毅に代わったのを これ幸いと思っていたでしょう。自分よりも年下ですし、遥かに組しやすいはず だったのですが、ところがどっこい広田は『地獄のソ連大使(満州事変時)』を 経験して年齢的にもちょうど脂が乗り切った頃です。 広田と論争になれば、荒木には勝ち目が薄かった訳です。しかも荒木は根が「陽性」 かつ単純で人が良いですから、広田が腹を割って話せば粋に感じて、自分も真面目な 議論に応じようとします。もし陸相が、陰険な真崎甚三郎だったらまた話は変わった でしょうが――。 とにかく広田の交渉術は、超人的なまでに地味で粘り強く「名を捨てて実を取る」 タイプです。たとえ会議が何十回重なろうと屁でもありませんでした。
257 :
俄将軍 :2008/03/07(金) 02:35:44 ID:???
>>244 「超然内閣」など、内閣と帝国議会が、対立していた構造からすれば、首相の権限というのは、
ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
明治維新後も、西南戦争、ということになると、首相の権限を云々する以前に、ということも
あるのか、などと、思いつくままに書きちらしてみたり。
>>248 政党政治も、政党のバックには、三井、三菱といった財閥など、ということになるのか、18
98年の第一次大隈内閣による政党内閣以降、ということになるのか、などと、適当な思い
つきなど書きちらしてみたり。
東支鉄道(東清鉄道・北満鉄道)の購入に際してソ連側との交渉を成功裏に導いたのが、満州国外交部に出向していた杉原千畝でした。 杉原千畝はソ連との交渉で売却価格の大幅な値下げに成功しますが、その堪能なロシア語能力を交渉を通じて知ったソ連側に警戒され、念願だったモスクワ大使館への赴任を拒否されてしまっています。 その結果、フィンランド・リトアニアとソ連周辺国の公館勤務を続ける事になりますが、その事が1940年の運命的な出会いを導く事になります。
一九四四年四月、日本軍は一五個師団に五個旅団を合わせて侵攻を開始した。
これを迎え撃つべき中国軍三〇万は、あっという間に姿を消してしまった。
五百人ほどの日本軍部隊に、何千という中国軍部隊が敗走させられた。中国軍
の指揮官たちは、自分たちの家族と財産を奥地に避難させるべく、トラック
隊を指揮した。シェンノートは、もしスティルウェルがもっと十分な「貸与法」
物資をこれらの中国軍部隊に与えてくれたら、こんなことにはならなかったはず
だと主張した。しかし、実際はこれらの部隊はたっぷりとアメリカの物資が供給され、
指揮官たちはそれを闇市や日本軍に売りとばしていたほどだったのだ。
<「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)>
>日本軍が発行する軍票や汪兆銘政権の銀行券は、国民党政権の通貨「法幣」
>に比べて信用力に乏しく、現地での物資調達がはかどらない。
表2 中国元の対米ドル相場 (単位:元)
年 月 政策相場* 市場相場
1945 12 20 1,222
1946 6 2,020 2,665
12 3,350 6.063
1947 6 12,000 36,826
12 77,636 149,615
1948 6 1,273,000 2,311,250
12 366,000,000 405,000,000
1949 4 615,000,000,000 2,441,640,000,000
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsie/kansai_resume/Oishi%20050129.pdf
「わが政府としては、大連の開放問題があるのでソ連を刺激したくないのです。 私の観測では、ソ連はこの平和条約問題を利用して、大連にかんする協力を拒否 する可能性が強いと思います」 ソ連の圧力があったな、と米国大使スチュアートは胸奥でうなずいた。 中国は、日本が降伏を連合国に通告した日、一九四五年八月一四日、 ソ連との間に、「中ソ友好同盟条約」を締結している。 この条約は両国の主権尊重のほか、日本を対象にする同盟でもあったが、 大連、旅順については「すべての国にたいする開放」と港湾施設の半分を ソ連に無償貸与する規定がふくまれていた。しかし、同時に日本との戦争 の場合は、海軍基地として両国の共同管理下におかれる条項も存在して いるため、ソ連は、平和条約が締結されない間は日本との戦争状態は終わ らない、という理由で、大連、旅順を軍政下に置きつづけてきた。 大連、旅順港の開放については、米国政府もくり返してソ連に抗議したが、 ソ連は以上の「中ソ友好同盟条約」の条文をたてにとって拒否回答をするだ けであった。 王外交部長の言明は、だから、米国にも不利がおよぶ可能性があるので 再考してほしい、との意もふくめていたのである。 児島襄「日本占領3」(文春文庫)
ソ連戦車軍団が関東軍を蹴散らしつつ満洲の原野を疾駆している最中、ソ連が大連に到達する前に旅順・関東州を米国の海兵隊が先行して占領してしまおうという計画がありました。 米国政府が満洲に関与しようとしたのはこの計画が最後で、その後 朝鮮戦争で北朝鮮支援になだれ込む中国義勇軍の基地である満洲を 核攻撃&傀儡政権樹立という旧日本軍人の計画に乗せられたマッカーサーは、トルーマンの大統領の逆鱗に触れて更迭されました。
262 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/08(土) 02:14:58 ID:iUP5pc3R
>>256 >>広田と論争になれば、荒木には勝ち目が薄かった訳です。
ある日の五相会議では、陸相の荒木貞夫が「対ソ戦」を、海相の大角岑生が「対米戦」を
想定して無理やり『国防論』に話をもっていこうとします。要するに、もっと自分の所に
軍事予算を寄こせという訳ですが、陸軍と海軍のライバル意識で、どんどん非常時を煽る
のがエスカレートしていきます。もはや「狼少年」に近い部分がありますw。
しかし外相の広田弘毅はこう反論します。「お二方は、対ソ戦、対米戦をそれぞれ
懸念されているが、今後の国際情勢のなか、1国対1国の戦争が果たして成り立つ
ものだろうか? 対ソ戦が勃発した場合、アメリカがソ連と組む可能性はないのか?
対米戦が始まった場合、英国はアメリカに味方するのではないか? さらに支那を
仲間に引き入れる可能性も考えられる。陸海相はそこまで考えての見通しなのか?」
陸軍と海軍、自分の『畑』しか考えてこなかった荒木と大角は、すぐに答えることが
出来ませんでした。ソ連と米国を同時に敵に回すことなど全く想定外だからです。
というか、そんな国防計画の立案など最初から不可能です。
263 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/08(土) 02:46:56 ID:iUP5pc3R
結局、2国以上(米ソ・米英・ソ中 etc…)を同時に敵に回さないよう調整するのが 外務省の仕事だと荒木と大角は反論する訳ですが、これでは外相の広田の思う壺です よね。開戦のイニシアティブを外務省に半ば預けると言っているのと同じだからです。 外務省の助力がなければ、戦争も出来ないと……。 結局、陸相の肝入りで始まったはずの「五相会議」は、いつの間にか外相の広田が 主導権を握っていくことになります。さらに予想していた以上の新外相の働きに、 斎藤実(首相)や高橋是清(蔵相)の長老2人も広田を強く支持し、陸海軍の要求に 一定の歯止めをかけることに成功します――。 結局、斎藤実内閣で「五相会議」は5回開かれて、次のような申し合わせが発表 されました。
264 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/08(土) 03:03:04 ID:iUP5pc3R
1.外交は国際協調の趣旨にもとづき、とくに隣国中国、アメリカ、ソ連に対しては 『親善関係を増進』すべき諸方策を講ずるようにする。 2.国防力の充実は安全感を脅かされず、また外侮を蒙らぬ範囲で『財政の事情』を 顧慮して決める。 3.諸政の刷新をはかるとともに、『国民精神の作興』を期する。 皇道派の荒木貞夫の主張は、せいぜい第3項の「国民精神云々」で短く触れられて いるだけで、第1項では広田の主張が、第2項では蔵相の高橋是清の「財政面」での 縛りが優先されています。 陸相の荒木が持ち込んだ「皇国国策基本要綱」はどこかに消えてしまい、その精神も 骨抜きにされてしまいました。
265 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/08(土) 03:34:50 ID:iUP5pc3R
これに怒ったのは荒木貞夫をホープとしていた皇道派の青年将校たちです。余りの 体たらくに、荒木の自宅の塀を深夜乗り越え、●「おい荒木! 大臣就任前に約束 したことは一体どうなったんだ?」と怒鳴り込む者も出てきます。 また盟友の真崎甚三郎(軍事参議官・大将)や林銑十郎(教育総監・大将)も荒木に 対して、●「ぜひ辞めたらどうか。こんな内閣では全くどうしようもないじゃないか。 もし留まっているなら、何かもっと(陸軍のためになる)仕事をしなければ駄目だ。 こんな状態では誠にしょうがいないじゃないか」と暗に辞職を迫られます――。 さすがの陽性の荒木も軽い神経衰弱に陥り、軽い肺炎になったのを理由にして、 陸軍大臣を辞めてしまいました(1934年1月)。 この皇道派陸相の退陣は大きな話題になり(外相の広田も一枚噛んでいる訳ですが)、 あとで述べる「2・26事件」で、荒木の陸相時に首相だった斎藤実、蔵相だった高橋 是清が襲撃・殺害される理由にもなっています。まあ、広田も殺害リストに加えられても おかしくありませんでしたが、流石にもっと分かりやすい大物が優先された訳です。
>>265 >>広田も殺害リストに加えられてもおかしくありませんでしたが、
>>流石にもっと分かりやすい大物が優先された訳です。
その辺りが気になります。皇道派は広田と玄洋社との繋がりを
意識していなかったのでしょうか。
267 :
だつお :2008/03/08(土) 12:04:05 ID:KxAkXGdt
>ソ連が大連に到達する前に旅順・関東州を米国の海兵隊が先行して >占領してしまおうという計画がありました。 それは全くできるはずのない空想的な「計画」だったな。 中国抗日がまるで頼りにならず、米軍でさえ硫黄島や沖縄などで苦戦して、 日本本土上陸にはとてつもない損害が懸念されて、ソ連参戦が頼みという実情。 ソ連が中国より遥かに巨大な戦力を有し、米軍が欧州・極東両面で頼りにする以上は当然。 日本だって第一次世界大戦では戦勝国で常任理事国でありながら、対支21ヶ条要求 さえも通らなかった。戦勝国でも貢献度の低い国には権利が無くて当たり前。
>>267 米国が旅順・関東州の制圧を検討したのは、日本がポツダム宣言受諾を通知して来た1945年8月10日から。
その前日にソ連が満洲への攻撃を開始していたが、内陸部の関東軍による抵抗は8月15日以降まで続いていた。
日本政府内 特に関東軍では、ポツダム宣言で規定される連合国とはポツダム宣言が出された7月26日の時点での米英中の三国であり、ソ連は前後する8月8日に対日宣戦して宣言に加わったため、日本はソ連に対して降伏した訳ではないという認識があった。
関東軍の指揮命令系統が崩壊して行く過程で、孤立した諸地域では関東軍が一般人まで駆りだして戦闘を継続した。
このように、満洲では日本降伏=ソ連軍の制圧完了までに時間差が存在し、米国はこの間隙を突いての旅順・関東州先行占領を検討していた。
仮に、米軍が先行して旅順・関東州を占領していた場合、ソ連は怒る事は出来ても強制排除はできなかっただろう。
何故なら、米国は世界唯一の核兵器保有国であり、その威力は米国が被爆地を管理したため限られた情報しか流出していなかったためソ連にとって未知のものだったからからだ。
(尚、ソ連が核兵器開発に成功するのは その4年後の1949年である)
>仮に、米軍が先行して旅順・関東州を占領していた場合、 なら仮に、日本軍が先行してハワイを占領していた場合・・・ 日本軍が先行してアメリカ西海岸を占領していた場合・・・
日本にとって最適の戦後世界を考えて降伏カードを切る必要があったが、米軍の実力を 見損なったということかな。 海兵隊は硫黄島で消耗してたから朝鮮半島の先まで出て行くのは難しかったんでしょう。
271 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/09(日) 01:09:33 ID:NotN+zT6
>>266 >>その辺りが気になります。皇道派は広田と玄洋社との繋がりを
>>意識していなかったのでしょうか。
ちょっと質問の意図が掴みかねるのですが、とりあえず広田は外相そして首相になる
と意図的に郷里・福岡とは「距離を置く」ようになります。当然、玄洋社ともです。
その辺りは、広田が首相になった時の話で触れたいと思います。
>>●五相会議の外相主導 ●ソ連との東支鉄道問題 ●支那に向けた協和外交
さて「東支鉄道」問題に少し入りましょう。満州に取り残された形の東支鉄道
(北満鉄道)の経営権をソ連から満州国が買い取る訳ですが、お金を出すのは
実質的に日本です。前任の内田康哉外相のころから紛糾しておりまして、ソ連
大使でもあった広田は「対ソ問題」に一番力を入れており、積極的に動きます。
ソ連の最初の売値は6億円という説もありますが(多分こちらが正しい)、資料の
関係で2億5千万円の方で逝きますw。ちなみに満州国が最初につけた買値は
5千万円でした。
272 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/09(日) 01:37:28 ID:NotN+zT6
この「東支鉄道」買収問題は、陸軍部内でも大いに揉めました。とくに 参本第二部長(情報)だった永田鉄山は買収賛成派。第三部長(運輸・ 通信)だった小畑敏四郎は「利敵行為」だとして絶対反対派。 皇道派の荒木貞夫の腹心である小畑敏四郎は、親分と同様に「作戦の鬼」と 呼ばれるほどの「対ソ戦」の専門家でした。しかも第3部長ですから鉄道は 自分の管轄になります。 当時、ソ連は「5ヵ年計画」に失敗して財政が逼迫していると噂されており、 ここで日本が大金を払ってソ連の息を吹き返させては困るという主張でした。 満州国近辺にソ連が要塞工事する金を日本が肩代わりしてやるようなものだと。 一方の永田鉄山は、満州国の育成発展のために「対ソ強硬路線」は当分隠忍 自重すべきであり、「対ソ戦どんと来い!」とばかりに軍隊を動かしてタダで 接収してやると、うそぶくような考え方は論外だとするものでした――。
273 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/09(日) 02:10:33 ID:NotN+zT6
ちょうど時代は『皇道派 vs 統制派』の抗争の真っ最中であり、もはや 「東支鉄道」の買収問題というよりは、皇道派(小畑)と統制派(永田)の 面子を賭けた仁義なき戦いでしたw。ヤクザ顔負けの世界です。 あ、言うまでもないですが、小畑と永田はそれぞれの『若頭筆頭』格です。 会議では殴り合い寸前まで逝きまして、結局「手打ち」として永田鉄山が 歩兵第1旅団長、小畑敏四郎は近衛歩兵第1旅団長として参謀本部を追い 出されてしまう程でした。 さて余談が過ぎましたが、ソ連との交渉は1934年2月に再開されます。 会談の冒頭、ソ連は売却価格を下げて2億円に歩み寄ってきました。これに 気をよくして満州国側がさらに交渉を進めようとすると、ソ連は鉄道職員の 退職金が3千万円必要だと追加要求してきました。都合2億3千万円で、 ふり出しに戻った感じですw。
274 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/09(日) 02:44:44 ID:NotN+zT6
満州国と陸軍は、ソ連の追加要求に「本当に売る気があるのか!?」と激昂 します。外相の広田弘毅は、ソ連側の代表であるユレーネフにそのことを 伝えて探りを入れると「いや本気で売りたい」という答えが返ってきました。 しかし「まだ500万円ぐらい高いでしょうか?」などと人を食ったような 台詞です。広田は「いや1億円は高いですな」とやり返して、お互いに顔を じっと見合わせました。 2億3千万円(ソ連)と5千万円(日本)というお話にならない差額ですが また交渉決裂となると、北満鉄道(東支鉄道)のその後の共同経営も危うく なりかねません。何かの火種で一気に国家紛争という可能性も出てきます。 ちなみにですが満州事変が起こる以前、張学良という土人が「東支鉄道」を 武力接収するという『身の程知らず』にも程があることをしまして、ソ連に コテンパンに叩かれています。広田としては何としても、ソ連に更なる譲歩を 要求するとともに、差額を埋めるために、満州国や日本政府にも買収金額の アップを説得しなければなりませんでした。
『ARIA』の新刊を買ったら、いつの間にか「最終巻」で超ショック!! この世の終わりみたいで死にたくなりました……w。 まあ、アリシアさんの「寿退社」は前の方の巻で伏線がありましたから それほど衝撃は受けませんでしたが、ちょっと最後がもう少し…という 感じでした。悪くはないんですけどね。 ちゃんと灯里が「三大妖精」になって終わって欲しかった……。アリスちんは 三大妖精が「鉄板」ですし、藍華は姫屋の社長確定ですし、なんか灯里だけが 普通っぽく終わった感じがして気に入りません。 どうせエンディングは「予定調和」でページを捲る前に分かっていましたから、 最後に入ってくる新入社員も、灯里と同じマンホール出身にするとか……。自分は アニメを見てないので、アニメ・オリジナルのアイちゃんが最後に出てきても 感動できねーよ。藍華と名前も顔もソックリだし、何か意味があるのかと見当違いに 勘ぐってしまいました。全然ちがった娘の方が良かったです、うわーん(泣)w。 誰か、灯里が「三大妖精」になった同人誌書いてくらさい。お願いします。
276 :
ハヒー♪ :2008/03/09(日) 07:14:28 ID:???
∩_,,∩ <=`∀´> ハヒー♪ 〜( ) し―-J
陸士卒業おめw
278 :
イナゾウ候補生 :2008/03/12(水) 00:21:00 ID:99iJFAgW
>>274 >>差額を埋めるために、満州国や日本政府にも買収金額のアップを説得
まあ、会社勤めしている人には、取引先よりも自分の上司や部署の説得の方が
大変というケースが多いのではないでしょうか。
広田の場合は、蔵相の高橋是清が協力的でしたので日本政府内の根回しも
それほど絶望的ではありませんでした。結局、「妥当な金額」を1億2千万円
(退職金は別)と割り出し、これを満州国側にも認めさせました。
しかし肝心の斎藤実内閣が「帝人事件」で潰れてしまいます。昭和初期最大の
疑獄事件と言われますが、要するに株式の贈収賄です。まあ、リクルート事件
みたいなものですが、検察による完全なでっち上げで、起訴された被告全員が
「無罪判決」となり、裁判長も「まったく犯罪の事実が存在しない」と語る
ような 唖然とする内容でしたw。
279 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/12(水) 00:25:49 ID:99iJFAgW
この事件の逮捕者は拘留が200日にも及び、拷問による自白も強制された ため「検察ファッショ」とも呼ばれました。この「帝人事件」の裏側には 当時、枢密院副議長だった平沼騏一郎の影があるとされます。 平沼は「5・15事件」で暗殺された犬養毅首相の後継の座を狙っており ましたが、奏薦権のある元老の西園寺公望からはお呼びもかかりませんw。 それは仕方がないとして、平沼は枢密院議長になるのを期待しましたが (前任者が5月に辞任、慣習では副議長がそのまま昇格する)、平沼の 右翼的傾向を嫌った西園寺が平沼をボイコットして、他から「一本釣り」 したのでした。平沼はそのまま枢密院副議長に留め置かれてしまいます。 これを怨みに思った平沼(司法省出身)が検察に圧力をかけて斎藤内閣の 政財界のバックグループの不正を暴露しようとした、というのが帝人事件の 背景になります。言うまでもなく、平沼と西園寺は「犬猿の仲」です。
280 :
イナゾウ候補生 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/12(水) 00:27:59 ID:99iJFAgW
結局、「帝人事件」で起訴された斎藤内閣の閣僚・官僚は、中島久万吉 商工大臣、三土忠造鉄道大臣、黒田秀雄大蔵次官、大久保偵次大蔵省 銀行局長、島田茂台湾銀行頭取など多数に及びます。 帝人事件での起訴は免れたものの、他の汚職疑惑を追及されて鳩山一郎 文部大臣が辞職。中島商相は「逆賊・足利尊氏を礼賛した」と追及されてw 帝人事件の結果を待たずに辞職。さらに荒木貞夫も肺炎を理由に辞職して いましたから、斎藤内閣はボロボロになって総辞職する結果となります。 こんな禁テクのような「倒閣運動」が図に当たるのも珍しいですがw、 国本社総帥である平沼の腕力というところでしょう。しかし斎藤内閣の 後継は、またしても西園寺の手回しにより海軍出身の岡田啓介となります。 色々ドタバタがありましたが、外相の広田弘毅、蔵相の高橋是清、海相の 大角岑生、陸相の林銑十郎(斎藤内閣で荒木貞夫の後任)は、そのまま留任 となりました。広田は引続き、外交を担当します(1934年7月〜)。
281 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/12(水) 00:32:55 ID:99iJFAgW
>>言うまでもなく、平沼と西園寺は「犬猿の仲」です。 もともと平沼騏一郎は、政党政治が大嫌いでした。「アンチ政党」ですね。 「西欧礼賛主義」の西園寺公望にも敵対的でした。そのため右翼政治団体 である「国本社」を設立して会長を務めます――。 この国本社は平沼の人脈をフルに活用して、副会長には東郷平八郎、山川 健次郎(東京帝大総長)が就任。軍人の入会者としては、荒木貞夫、真崎 甚三郎、宇垣一成、小磯国昭などが名を連ねます。何気に平沼に倒閣された 斎藤実もメンバーなのですが……。また機関紙の『国本』は全国の検事・ 判事がお義理で購読していましたw。 なぜ平沼が「政党政治が嫌い」かとえいば、こうした事情があります。
282 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/12(水) 00:36:03 ID:99iJFAgW
政党政治が全盛のころ、政友会から民政党の政権に変わると、辞令が来ない うちに「内勤の巡査」までもが全部配置変えになりました。政党の腐敗は 酷く、院外団は警察と結託して殺人も揉み消されたと云います。少し前の 「佐分利貞夫」をなぜか思い出しますねw。 市会議員などはヤクザの出入りと同じことをしていて、星亨は東京市議会の 抗争で殺されました。つまり「政党政治」がのさばると、イコールで『法治』が 破壊されると平沼は考えていた訳です。 要するに戦前の株式市場が「山師の集まり」だったように、戦前の政党政治も 現代の感覚からは想像できない非常にダーティな面があった訳です。ちなみに 『院外団』なんて言葉はいまや死語になっていますが、要するに「政党の私兵」 です。ヤクザの下層構成員とあんまり変わりませんw。 「院外団は政党の鉄かぶとであり、突撃隊でもあった。政友会は党そのものが 院外団を基礎として成り立っていた」という言葉もあります。まあハマコー みたいなのが一杯いると考えてくださいw。
283 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/12(水) 00:40:08 ID:99iJFAgW
まあ、平沼の影には『皇道派』の影がチラつきます。もちろん西園寺的な 「西欧礼賛」を排そうとする、平沼の「右翼的傾向」(国本社)が皇道派と 非常にマッチしている点があります。 しかしもっと大きな理由は、平沼騏一郎が筋金入りの『反共主義』 だからです。平沼が何よりも怖れたのは、日本の「赤化革命」でした。 ですから、平沼はソ連的な臭いがプンプンしそうな『統制派』よりも皇道派に 近づくということになります。●「統制経済は、共産主義に輪をかけたような ものである。これが実現すればロシアより酷い共産主義になる――」という 平沼の言葉が、すべてを表しています。 いやはや余談が過ぎましたが、岡田啓介内閣での外相・広田弘毅に 戻りましょう。
>>277 >>陸士卒業おめw
毎度どうもでございます。陸軍衛戌(えいじゅ)刑務所から、ここまで
這い上がってきましたよw。
以上、アクセス規制中に書き溜めた内容でふ。
国を滅ぼさんばかりの政争…! 今の国会など及びも付かない…!
286 :
だつお :2008/03/12(水) 21:55:55 ID:CAWDQQ0J
>But a fundamental question remains: What good end was served by the
>emergency delivery of 650,000 tons of this and that into China?
しかしながら本質的に疑問が残る。いったいこれらあれら650,000 tons
の中国への緊急援助は、いかなる成果を残したのかと?
チンピラゴロツキには何を援助しても、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキ。
チンピラゴロツキに追い風吹かしても、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキ。
中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。
アヘン戦争の原因は、イギリスのアヘン輸出なんかじゃないよ。
中国人はアヘンでチンピラゴロツキになったんじゃない、元からチンピラゴロツキだった。
チンピラゴロツキだからアヘンを貪るのであって、アヘンを与えるからチンピラゴロツキ
にされたというわけじゃないんだ。アヘンであれば現在の日本でも医療に広く使われてる、
アヘンが悪いんじゃない、悪いのは全て中国人の腐った脳みそだ。
But a fundamental question remains: What good end was served by the
emergency delivery of 650,000 tons of this and that into China?
Certainly little went directly to the aid of the Chinese people and
relatively little to the Chinese armies, though it can be urged that
the regime of Chiang Kai-shek would have collapsed without the
support of General Chennault's command and that Chennault's
men were wholly dependent upon the Hump lift.
http://www.ibiblio.org/hyperwar/AAF/VII/AAF-VII-5.html AIRLINE TO CHINA
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。 日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな? 平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は 不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが 現実なのだ。 しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、 その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。 もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。 1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。 100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。 つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた 打撃を被るというわけだ。 君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。 それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。 株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。 日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を 日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど 造作もないのだ。 最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で 外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。 金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら 自営業と答えれば良い。 アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、 武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。 海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
288 :
名無し三等兵 :2008/03/12(水) 22:13:33 ID:UYscejkJ
>>286 そんな国府軍のどうしようもなさに辟易した米軍は、延安の中共(八路)軍に接近している。
確かに、無駄に国府に与えたのと同じだけの援助を中共軍に与えていれば、日本軍にとって中国戦線は悪夢の舞台となっただろう。
しかし、国府にとっては米国という大スポンサーが現れてからは、戦わないで負け続けていた方が より大量の援助を受取れるのだから、仕方ない事でもあった。
かくして国府は米軍物資の横流し屋に変質し、栽培した阿片を使って これをせっせと買い込んだ中共は、国共内戦が再開された頃には手の付けられない精兵に変貌していた。
この事はソ連(スターリン)にとっても予想外の展開であり、毛沢東が正統派共産主義者としての院宣を受けに単身モスクワ詣でにやってくるという僥倖がなければ、中国は早期にユーゴ化し米国にとっては中立的で無害な友邦に変わっていたはずだった。
しかし、スターリンはこの僥倖を逃さず、手下の金日成も動かして中共と米国をのっぴきならない対決へ追い立ててしまった...
米国がこの事に気付くのは20年も経ってからだったが、その後結成された米中日三角同盟は有効に機能し、最終的にソ連を追い詰め崩壊させる事に成功している。
289 :
イナゾウ下級少尉 :2008/03/12(水) 23:27:59 ID:6rB/Ap6B
>>285 >>国を滅ぼさんばかりの政争…! 今の国会など及びも付かない…!
まあ、これに「軍部の意向」が絡んできますから、さらに訳ワカメになりますw。広田弘毅が
首相になるときも散々苦労する訳ですが、もう少し後の話になります。しかし、荒木貞夫が
五相会議をブチ上げるときに、
>>●「普通の閣議では、『政党出身閣僚』が混じって審議が『不純』になる。
>>高度の国策は五相だけで高次元から考えるべきである――」
と言っているのは、確かに一理あるでしょう。まあ、軍部が混じっても審議が
不純になる気がしないでもありませんがw。
さて岡田啓介内閣でも、広田は外相として留任しました。斎藤実に続いて「海軍出身」の
首相が選ばれたことには背景があります。広田は引続き、「東支鉄道」の買収問題に
取り組みますが、1億2千万円まで買値を上げるところまで調整が実現しました。
290 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/12(水) 23:45:27 ID:6rB/Ap6B
こうして交渉が再開されましたが、ソ連は「1億2千万円」の妥協案を拒絶 しました。そして「これ以上の高額を申し出ない限り、交渉を打ち切る」と まで強硬的な態度に出ます。 これには関東軍はもちろん満州国側も憤激して代表者を引き上げてしまい、 またも交渉は決裂してしまいました。 ソ連側からすれば、2億5千万円の言い値を2億円に譲歩している。1億 2千万円では本国からの訓令もあってとても呑めない、という訳です。 普通の外務大臣ならここで匙を投げてしまう所ですが、広田は諦めません。 さらに日本政府と軍部、満州国と粘りの折衝を続け、もう2千万円買値を 上積みするところ(1億4千万円、職員の退職金は別。ただし3年払い) まで歩み寄らせます。あとはソ連代表のユレーネフに会って、この妥協案を 呑むように説得を続けるのみです――。
291 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/13(木) 00:06:05 ID:8lZow+Z6
ユレーネフはついに広田の妥協案を呑み、1935年3月に『東支鉄道』の 買収が実現します。56回の会談を1年余りに渡って繰り返した結果でした。 ユレーネフは、外相の広田のことを「なかなかこすい交渉者だが、軍部の窓口 でしかない内田(康哉)伯爵(前外相)に比べれば、遥かに気持ちのいい話し 相手だ」と語ったとされますが、真相は分かりません――。 もし広田が称賛されるとするならば、身内の日本政府や満州国、軍部を粘り強く 説得し続けたことでしょう。現代の会社でも、相手の交渉窓口は普通1つですが、 自分のところは色んなシガラミがあるものです。条件面では却って内部の説得の 方が苦労する場合も多い訳です。 さて「東支鉄道」買収がもたらした結果は、一体いかなるものだったのでしょう。 まずソ連との直近の紛争の種はとりあえず取り除かれました。ようするに関東軍が 満州事変よろしく東支鉄道を武力で接収してしまうような可能性は無くなった訳です。
292 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/13(木) 00:38:32 ID:8lZow+Z6
そして『副産物』として、ソ連と満州国の間で「領事館」の相互開設が 実現します。満州国はソ連領内のウラジオストックとハバロフスクに、 ソ連は満州国内のハルピンと満州里に――という訳です。 まあ、ソ連は満州国を承認しませんでしたが「東支鉄道」を売却することで 日本の支配を事実上認め、最低限の交流がなされるようになった訳です。 もちろんお互いのスパイ活動の「根拠地」目的な訳ですが、満州国の情報が ソ連に筒抜けだったのに対して、ソ連領内の満州国領事館は監視がキツ過ぎて ほとんど何も出来なかったようです……w。 ただし良いことばかりではありません。日本の満州国支配を認めた代わりに ソ連は「皇道派」が懸念したとおり、ソ満国境に要塞工事を推し進め、兵力を 増強し始めます。これが関東軍を刺激して1年間に100を超える国境紛争が 起こりました。ソ満国境は4300キロの長さに及び、そもそも国境線が曖昧な 箇所が多かったのです。引続き「キナ臭い」ことには変わりありませんでした。
今日は「花粉の飛び方」が尋常ではありませんでした……。 幽香姉さん、花粉を飛ばすのをどうか止めて下さい……。失明しそうですw。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ 〜♪ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) || メ)ハ)゚ ー.゚ノl) 私は四季のフラワーマスター。 ヽ. _Q)#」ネl」)つ スギもヒノキも花粉は思いのまま。  ̄ ,<´_#,#ハ 木草花は「生きたい」と必死なだけよ、 ` "i_フ_フ" たまには人間も耳を傾けなさいな。
295 :
イナゾウ下級少尉 :2008/03/13(木) 23:59:26 ID:JoGuQb7E
>>282 >>『院外団』なんて言葉はいまや死語になっていますが、要するに「政党の私兵」
>>285 >>国を滅ぼさんばかりの政争…! 今の国会など及びも付かない…!
ちょっと院外団について補足ですが、もともと明治の藩閥政治から議会政治を命がけで
守るために生まれた、『暴力も辞さない』という組織でした。政府は官憲を使ってバリバリ
やって来ますからね。それに対抗するべく政党が「自前の暴力団」を持つのはある意味
必然でもありました。
>>292 >>ソ満国境に要塞工事を推し進め、兵力を増強し始めます。
結局、東支鉄道職員(ソ連側)の退職金は満州国に負担させ、1億4千万円のうち3分の1は
日本紙幣で、残りの3分の2はバーターの現物支給とされました。その中には良質のセメント
も含まれており、ソ連側は国境線の要塞工事の資材としました。まあ、皇道派の懸念が実現
したのですが、結局、1億4千万円も全額が支払われたのではなく途中で滞ったと云います
から、まあ、「東支鉄道買収」が日本にとってプラスになったかどうかの評価は難しいところが
ありますw。
296 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/14(金) 00:21:32 ID:QkS6VxLs
>>292 >>引続き「キナ臭い」ことには変わりありませんでした。
これに対して外相の広田は「国境紛争処理委員会」を設立しようとソ連側に
提案します。武力衝突を避けて、交渉で何とか解決しようというものです。
しかし関東軍が反対します。●「国境そのものが確定していないのに、紛争
処理委員会を設けるのは無意味である」と――。まさしくその通りです。
それならばと、広田は「国境線を画定する委員会も同時に作ればいい」として
国境画定と紛争処理の2つの小委員会をもつ組織を設けるように調整します。
ソ連側でも話が進み、これは次の広田自身の内閣で実現することになりました。
まあ、このように広田は粘り強い努力を続ける訳ですが、上記の委員会を
設けても、なかなか上手くいかなかったのは、のちに起こった張鼓峰事件
(1938年)、そしてノモンハン事件(1939年)を見ても明らかです。
297 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/14(金) 01:07:55 ID:QkS6VxLs
>>296 >>上記の委員会を設けても、なかなか上手くいかなかった
なぜソ連との「国境画定が進まないか?」には理由がありました。
ソ連側の主張として「ソ・満・蒙」国境線は、愛琿条約(1858年)、天津条約
(1858年)、北京条約(1860年)の3条約と興凱湖界約(1861年)、琿春界約
(1886年)の2界約ですでに明確に決定されており、改めて討議する必要など
ない――というものです。従って日本側(満州国)とは発生した紛争を処理
する委員会だけを作るべきだと議論は平行線を辿りました。
しかし清国の時代に結ばれたそれらの条約は細部がやはり不明確であり、
日本もソ連もお互いに有利な国境線になるよう譲らなかった訳です。
要するに「満州の新しい支配者」となった日本は、清国とは異なる新しい
国境線をソ連と確定し直すのが「当然の権利」だと主張した訳ですが、
ソ連としては日本及び満州国に対して、「新しい支配者となったならば
前の支配国の諸条約をそのまま引き継げ」と譲らなかった訳です。
298 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/14(金) 01:19:17 ID:QkS6VxLs
>>297 >>しかし清国の時代に結ばれたそれらの条約は細部がやはり不明確
要するに清国(支那)は持ち前の『中華思想』で自己と対等な国家など
認めませんから、逆説的な意味で「国境の概念が薄い」訳です。清国と
ソ連が国境を接している限り、紛争がいくら起ころうとも余り神経質に
なる問題ではありませんでした――。
しかしソ連と満州国(日本)が国境線を接するようになると、ロシア伝統の
南進政策、日露戦争からシベリア出兵に至るまでの因縁がありますから、
とてもそうは逝かなくなりますw。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。 これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。 日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに よって、授業週6日制を復活させるしかない。 週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
300 :
翡翠@人大杉バージョン :2008/03/14(金) 02:46:00 ID:kAEAwDSr
イナゾウ様、とあるスレでは とばっちり、すんませんです・・ とばっちりをお詫びして出勤ですよ・・ うへえ・・本気で天が泣いているぼ・・どうすべこれ ORZ
>>300 特攻スレでは「書き込みのタイミングがああなる」とは予想外で、
お休みになるところを失礼しました。あれは記念カキコみたいなのりで
したので大変恐縮です。しかし午前3時から出勤とは……。
302 :
イナゾウ下級少尉 :2008/03/15(土) 01:12:00 ID:hP4azc5H
まあ、東支鉄道買収問題は、その後の「日ソ衝突」を考えると評価が難しいのですが (どこまで紛争を未然に防ぐのに寄与したのか)、とにかく懸念の買収問題を解決し、 日本とソ連の間で外交(話し合い)による実績をもたらしたのは大きいでしょう。 何はともあれ、満州国からソ連の干渉の余地を排したのは事実ですし、関東軍が 東支鉄道を武力接収するという「最大の悪夢」は避けられた訳です。 そして外相の広田弘毅にとって、結果的に東支鉄道問題は大きな自信となりました。 ソ連と交渉が成立するなら、支那とだって――という訳です。 広田の師匠である外交官の山座円次郎は、●「日本の外交の中心は、支那とロシアだ。 外交官はまず、支那とロシアの事情を究めなくてはならぬ」と教えました。ソ連大使として また外相として、ソ連問題にある程度の目処をつけた広田としては、今度は対支関係が 焦点となります。ちなみに山座が死んだのは駐支公使のとき――部下の参事官が 急死したため、人員の穴を埋めるために広田を手元に呼ぼうとした矢先でした。
303 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/15(土) 02:23:15 ID:hP4azc5H
>>302 >>ソ連と交渉が成立するなら、支那とだって――という訳です。
広田の外交官人生の初志ではあったのですが、「支那とだって――」と
考えたのが結局、広田の命取りになりました(東京裁判)。
ソ連は「一大強国」であり交渉相手として非常に骨が折れましたが、
鉄の統制が取れています。支那は比較にならない弱国ですが、内部は
カオス(混沌)そのものでした。
広田の「協和外交」は、よく幣原喜重郎の「協調外交」(1920年代)と同一視
されがちですが、まったく状況は異なります。何と言っても広田の外相となった
時期は満州事変、そして前任・内田康哉の「焦土外交」を受け継いだ後なのです。
国際連盟を脱退した日本の外交をそのまま『孤立主義』に向けるのか?(まさに
荒木貞夫の『非常時』が当てはまります)、国際連盟を脱退してもなお周辺国との
融和を模索するのか? 広田は後者を選択し、それが『協和外交』となった訳です。
広田外交が上手く行ってたらよかったのだが…。 失敗したらより強力な強硬論が勃興するわけで、 その意味で幣原外交と同じ失敗をしたと言える。 まさに振り子理論。
305 :
だつお :2008/03/15(土) 11:57:02 ID:iL83SwEZ
日本の軍用車輌生産だが、米英独ソには及ばないもののイタリアの倍はあったぞ。
ところで車輌そのものの性能だが、これは実績評価しかないだろう。
皇軍戦車は大陸打通作戦で3000キロを疾走するという実績がある。
中国人が先天的な知能障害を抱えたゴミのような下等生物であることを差し引いても、
進軍作戦そのものはバルバロッサ作戦のドイツ軍を大きく上回る。
Military trucks
United States = 2,382,311
Canada = 815,729
United Kingdom = 480,943
Germany = 345,914
Soviet Union = 197,100
Japan = 165,945
Italy = 83,000
http://en.wikipedia.org/wiki/Military_production_during_World_War_II
>ソ連は「一大強国」であり交渉相手として非常に骨が折れましたが、
上述の枠組みで実施された代償物資の引き渡しにあたって、
実際には相当多数のトラブルが発生し、完了期限の1937年3月22日
は1938年末でやっと完了した16。 駐日満州国財務官の発表では、
1937年9月時点で承認件数は839件、承認総額は9,251万7,000円であった。
表〜2にみるように、ソ連の技術装備を高めるような機械類や船舶類の
輸出の割合が高く、機械類では移動式発電装置、電動機、発電機、変圧器、
電気溶接機、電気起重機、各種ディーゼル機関、車輪、旋盤、ポンプ等である。
船舶類は川崎船、蟹漁船、カッター、等の生活必需物資が供給される一方、
人絹、織物類が輸出されて日本製品を身につけたロシア人がモスクワの
メインストリートを闊歩する姿がみられたという。このいわば奢侈品は
モスクワ政府が仕入れ値段よりはるかに高価な価格で市民に販売すること
によって国庫収入を増やすことを目的としたものであった。
http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/discussionpapers/DP98.4/honbun2-2.htm 2)日ソ基本条約締結以後1945年までの日露貿易
・1935年の満ソ国境紛争 不法越境並びに暴行:108件 国境線侵食:4件 河川不法行為:2件 航空侵犯:17件 手元にある本から適当に例を挙げてみる ○ゲ・ペ・ウ牛を強奪す:二月二十六日、東寧県農民曲雲祥が、同東大川の東方約半満里の地点において 六頭の牛を放牧中、午前十二時ゲ・ペ・ウ騎兵二名突如満領に侵入、牛六頭を強奪ソ領に引返せり。 ○ソ連単独除石実施:三月二日より四月十二日にかけて、ソ連邦は日満ソ水路協定第三条を無視し、 ニカテリノ、ニコリスクよりアムールゼットに亘る間及びスターリンフエルド部落前において、河底の除石を 単独に実施した。前者においては三月十七日までの間に約七回の岩石爆破作業を実施した。 ○ソ連兵白系露人拉致:九月七日、白系露人セレキーは四道河子揚明宅に宿泊中、同夜ソ連警備兵に拉致さる。
308 :
イナゾウ下級少尉 :2008/03/16(日) 01:07:35 ID:akDYdiWm
>>304 >>広田外交が上手く行ってたらよかったのだが…。
>>失敗したらより強力な強硬論が勃興するわけで、
まあ、広田弘毅が首相を辞任すると、林銑十郎の「食逃げ内閣」が
できて、その後に「近衛文麿内閣」が誕生する訳です。支那事変は
近衛内閣の初期の出来事ですからね。しかし広田は外相となって
再度登板していますから、支那事変を語るうえでも東京裁判のA級
戦犯とは何かを考えるうえでも、広田の存在は外せない訳です。
>>306 >>2)日ソ基本条約締結以後1945年までの日露貿易
だつお氏? その資料は分かりやすいので乙。
309 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/16(日) 01:36:08 ID:akDYdiWm
>>303 >>国際連盟を脱退した日本の外交をそのまま『孤立主義』に
>>向けるのか?
『協和外交』を目指す広田弘毅ですが、国際連盟を脱退している事実から
ダブルスタンダードと海外から疑われることが多かった訳です。話は遡り
ますが、斎藤実内閣のとき「天羽声明事件」(1934年4月)がありました。
外相の広田弘毅は、かつて自分も務めたことのある外務省情報部長(世論
メディア対策)に札付きの革新官僚である白鳥敏夫を代えて、天羽英二を
持ってきました。天羽は、広田がソ連大使時代の参事官で部下でした。
天羽は外務省の定例記者会見で、●「日本はまず友邦支那と共に平和及び
秩序の維持に努めなければならない」と広田の『協和外交』の国会演説の
焼き直しを発表しますが、これが思わぬ波紋を呼ぶことになります――。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。 これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。 日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに よって、授業週6日制を復活させるしかない。 週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
311 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/16(日) 01:51:13 ID:akDYdiWm
天羽の記者会見の発表にある、●「日本は東亜の秩序維持に責任をもつ 国家であり、列強による支那援助は日支の特殊関係を考慮すると、主義と してこれに反対せざるを得ない」というくだりが問題になります。 日本の新聞は、●「支那からの英米駆逐論」とヤンヤと騒ぎ立てますし、 海外からは●「日本のアジア・モンロー主義」だとして反発を招きました。 結局、天羽は表現を緩和した第二次声明を出さざるを得なくなりますが、 背景には満州事変と第一次上海事変、日本の国際連盟脱退がある訳です。 広田外交の置かれた微妙な立場を象徴する事件となりました。 しかし大恐慌以降、世界はブロック経済化がますます進んでいる訳で、どの ツラ下げて英米が日本に文句を言ってくるのか、という気がします。オレは 許されるが、お前はやってはいけないという『ジャイアニズム』満載ですw。
312 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/16(日) 02:29:14 ID:akDYdiWm
白鳥敏夫などは情報部長時代、アメリカ人記者に●「日本はいつ満州国を 承認するのか?」との質問を受けて、●「日本は急ぎはしない。なぜなら 建設すべき運河をそこには持たないから」と答えて相手を憤慨させました。 これはアメリカがパナマ運河建設にあたって、コロンビア内で革命を起こ させて誕生した「パナマ共和国」を、僅か10日で国家承認した(1903年) 歴史を強烈に皮肉ったものです。まさに直球ストレート・ど真ん中で相手の 痛いところを突いた訳ですが、図星であるだけに激怒させました。 ちなみに松岡洋右が「国際連盟脱退」演説をしているときの情報部長が まさに白鳥敏夫ですから、どんなメディア対策をして世論を煽ったかは 想像するまでもないでしょうw。 さて広田の「協和外交」に話を戻します。広田は国会演説でも『協和』という 言葉をはっきり使っていますが、衆議院で政友会の芦田均から「政府の国際 情勢に対する認識は、楽観的に過ぎないか?」と質疑を受けました。
313 :
イナゾウ下級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/16(日) 02:56:16 ID:akDYdiWm
広田は、こう答弁しました。少し長くなりますが引用してみましょう。 「私は日本の前途を楽観していない。むしろ楽観できることは出来ない。 各国の軍備状況を見ると、たとえいずれの国の間にも、直ちに戦争 または紛擾を起こすことはないにしても、各国が巨大なる費用を使って 軍備の拡張に努めている今日の現状では、日本が如何に平和の方針を もって進むとしても、やはり根本において軍備の充実は必要であると 私は確信している。 しかし、将来戦争の恐れがあるかと申すに、少なくとも私の信念を もって申せば、私の在任中に戦争は断じてないことを確信している ものである――」 この混沌とした日本を取り巻く国際情勢のなか、「私の在任中に戦争は 断じてない」と大風呂敷を広げた訳で、外務省の中でも「言い過ぎでは ないのか?」「あの地味な広田さんが」と驚きの声が出たと云います。
>>313 >>「私の在任中に戦争は断じてない」
この平和ボケした現代日本でしたら「お気楽に言える」言葉ですが
(つーか逆に「お前は戦争する気でもあるのか?」と問題になるw)
広田の時代、外相としてよくよくの覚悟と自信がなければとても
口には出せません。
陸軍はいつ対ソ戦を始めるやもしれず、海軍はロンドン軍縮条約の
期限が今年です(1935年)。また支那では反日運動とテロが多発して、
満州国の先行きも予断を許さない状況です。
>>313 >>「私の在任中に戦争は断じてない」
::::::::|
::::::::|
::::::::|ヽ,ry'^i
::::::::|´ ⌒`ヽ
::::::::|ノノハノ)」 取りようによっては「統帥権干犯」とか、
::::::::|i ゚ ヮ゚ノi! 突っ込みが入りそうよね……w。
::::::::⊂>,)´
::::::::|,_,_i,ゝ
::::::::|'i,ノ´
316 :
イナゾウ少尉 :2008/03/16(日) 23:23:36 ID:z/RSWy7i
さて広田の対支外交です。満州問題はどうしようもありませんから、気長に 待つことにします。日本側は気軽に「満州国を承認せよ」と迫りますが、 そもそも満州国は皇帝に清朝の溥儀を迎えています。 それを認めることは、支那(国民政府)にとって孫文以来の「辛亥革命」 (清朝に対する)、そして「国民革命」を自ら否定することですから、 面子のうえでも絶対にできない相談な訳です。 それはさて置き、支那に対する協和外交の一番大きなトピックはやはり 在支日本代表部を「公使」から「大使」に昇格させたことでしょう。他にも 治外法権の撤廃なども議論されましたが、インパクトが全然違います。 広田はほとんど陸海軍に連絡せず閣議にかけましたから、陸相の林 銑十郎も海相の大角岑生も驚き、強い不満を示しますが、「これは 外交権限に専ら属すること」と広田は押し切り、閣議決定されました。
317 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/16(日) 23:45:09 ID:z/RSWy7i
当時、日本もアメリカもイギリスもドイツも世界の列強は、支那に「公使」 しか置いていなかった訳です。土人国家に公使でも勿体無い気がしますが、 外相の広田はいきなり「大使」に昇格させました(1935年)。 欧米列強は驚き、「日本に先を越されてはならぬ」と横並び思想で慌てて 自国の代表も「大使」に昇格させた訳です。これによって、支那の国際的 地位は一気に高まる結果となりました。 広田の決定を、南京総領事の須磨弥吉郎が国民政府に通達しますが、その時の 模様を須磨は以下のように綴っています。 「もう日が暮れかかった初夏の夕方、僕は有野通訳官とともに汪兆銘行政院長 官邸を訪れた。唐有仁外交部次長も同席で、この朗報を話すと二人の顔は 紅潮したが、汪院長は相当の昂奮を隠しえない面持ちで、しかも静かに 持前の流れるような声で言った――」
318 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/17(月) 00:06:04 ID:5TwYpGUY
「『これで両国は、東亜の大道を手を取って歩けるのです』 ここまで言って『直ちに中国も同様昇格の措置を取ります』と言い切った。 僕らが辞去する時、院長、次長二人で車のところまで送った上、院長自ら 戸を開けて僕らを車の中に入れた」 広田弘毅がなぜ支那の「大使昇格」という荒療治を行なったか理由は、よく 分かりません。これがどのぐらいのインパクトかと云うと、小泉流のサプラ イズと喩えれば現代人の感覚にも理解しやすいでしょうか。地味な「求道者 タイプ」の広田としては「全くらしくない」と言って良いでしょう。 しかし広田が福岡出身であることを考えれば、玄洋社的な「大アジア主義」の 線に沿った決断とも言えます。欧米をスタンダードと考える外務省の主流派は さぞ戸惑ったことでしょう。「幣原外交」とは似ているようで真逆な訳です。
319 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/17(月) 00:25:47 ID:5TwYpGUY
しかし広田の「協和外交」推進に焦ったのが陸軍の「支那通」です。 土肥原賢二や板垣征四郎を中心に、北支分治工作や内蒙古の分離の 工作を急ぐことになります。早い話が「第二満州国計画」な訳です。 そして反日運動や日本人・支那の親日要人を狙ったテロも止まりません。 こうしたトラブルを口実に、梅津・何応欽協定や土肥原・秦徳純協定 など、支那軍(国民党直系軍)の撤退・停戦地域の拡大、自治政府の 設立などを迫ることになります――。 まあ、広田の「協和外交」、陸軍の「北支分治工作」、支那側の「反日活動」の キメラ的な構造が成立する訳です。もはやごった煮状態ですw。
単純な進軍速度だけで比較すれば、バルバロッサ作戦を遥かに上回る。 中国軍の弱体ぶりというのはこれはこれで大いに研究対象になる。 だが先進工業国のソヴィエトと比べたら独ソ両国に対して失礼千万かもしれない。 日本軍車輌に対する批判的コメントも時にはいいけど、ネタでなければきちん としたソースが欲しいものだな。個人的には日本の車輌生産は列強標準と考える。 例えばノモンハンで97式中戦車チハは4倆の戦闘参加で失ったのは1倆だけ。 大陸打通作戦だって1944年半ば以降という日付で、飛行機も自動車も電子機器 もロクに使えない軍隊に南北縦貫3000キロを突破されただなんて、 中国人は生きててその存在自体が恥ずかしくならないのかって。 この中国軍の驚くべき弱体ぶり、いや日本軍の先進性なのかどっち?
>>308 林内閣の佐藤尚武外務大臣は広田以上に対中国宥和外交を展開して、
史家の評価も高い存在なので、そのあたりは興味深いところです。
私としては林内閣が倒壊しなければ、
陸軍内閣で対中宥和外交が進んだ可能性もあると思います。
近衛が首相では外務大臣の広田としてもどうしようもないので。
322 :
大陸打通作戦はバルバロッサ作戦よりも凄かったんだね! :2008/03/17(月) 16:44:12 ID:rIPGxQpf
機甲部隊の無い相手にしては逆に遅すぎるんじゃないか? 打通作戦w
324 :
だつお :2008/03/17(月) 21:32:32 ID:rIPGxQpf
>機甲部隊の無い相手にしては 機甲部隊の有無以前に、中国人は先天的に知能障害を抱えていた。 中国人は日本人に劣っている、徹底的に劣っている。 生物学的にみて中国人は人間のカテゴリーには含まれない。
325 :
イナゾウ少尉 :2008/03/17(月) 23:41:24 ID:BDGHBH9C
>>321 >>私としては林内閣が倒壊しなければ、陸軍内閣で
>>対中宥和外交が進んだ可能性もあると思います。
まあ、石原莞爾の動きが気になりますね。宇垣内閣を流産させて
林内閣を成立させたのはいいですが、結局、「板垣征四郎陸相」
「末次信正海相」は実現しませんでした。
しかし、林内閣の成立は1937年2月以降です。西安事件(1936年
12月)、綏遠事件(1936年8月)が既に起きていますので、もはや
ポイント・オブ・ノーリターンは過ぎているような気もします。
>>林内閣の佐藤尚武外務大臣は広田以上に対中国宥和外交を展開して、
>>史家の評価も高い存在なので、そのあたりは興味深いところです。
まあ、広田弘毅外相→有田八郎外相→佐藤尚武外相と「大アジア主義」が
3代続いてもダメだったというところの方が自分的には興味深いですw。
何故、支那通と呼ばれる軍人や大アジア主義者は 蒋介石支持か排除のどちらかにしろ 中国人や中国政府と協調、あるいは協力的な政権の樹立が可能である、などという夢を見たのだろうか?
327 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/18(火) 00:00:15 ID:BDGHBH9C
どうでもいい雑記w。 次の総選挙は民主党に入れることに宗旨替えしました。福田氏ね。日銀 新総裁の代替候補案が「福田の継続か武藤?」。小沢ではありませんが センスを疑います。あまりにあんまりです。他人事内閣はうんざりです。 安倍内閣のKYぶりが可愛く思えます。 WBS見ていたら榊原が「神がかり」なことを言っていました。あれは 凄いわw。小谷アナが目を白黒させていました。榊原の言うとおり夏に 1ドル80円切ったら榊原を信仰しますw。でもありそうですね。 裁判員制度が導入されたら、思いっきり刑が厳罰化するのではと思います。 でも自分は仕事が忙しいので選ばれたくありません。ですからお呼びが かかりましたら、「死刑絶対賛成」「犯罪者に死を」のTシャツを着て 逝こうかと考えていますw。
328 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/18(火) 00:16:09 ID:CQUl9p4E
>>321 >>近衛が首相では外務大臣の広田としてもどうしようもないので。
>>325 >>「大アジア主義」の外相が3代続いてもダメだった
いや「広田弘毅外相→有田八郎外相→佐藤尚武外相→広田弘毅外相」と
来るので4代続いてもダメだったになるのか……w。
>>326 >>中国人や中国政府と協調、あるいは協力的な政権の樹立が可能である、
>>などという夢を見たのだろうか?
過去形ではちっともありませんよ。福田とか福田とか福田とか。加藤とか
加藤とか加藤とか。胡錦濤政権と協調、あるいは協力的な政権の樹立が可能、
などという夢を見ている人間は沢山いるのでは?
あなたの直ぐ隣にいる「大アジア主義者」。別宮翁の新刊の冒頭にもある通り
●「日本と中国との距離は、日本とイギリスの間よりも遠いのである」ことに
未だに気付かない人が数多いのです。明治維新と辛亥革命を混同してしまった
ことに原因があると思います。
そういやそうだね>過去形ではない 福田はもちろんのこと、加藤はそれこそ白日夢でも見てるのかと。
330 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/18(火) 00:49:32 ID:CQUl9p4E
>>319 >>まあ、広田の「協和外交」、陸軍の「北支分治工作」、支那側の
>>「反日活動」のキメラ的な構造が成立する訳です。
ちなみに土肥原賢二はこの時期、少将で奉天特務機関長(関東軍司令部附)
でした。国防費の増大により土肥原が自由にできた機密費は、外務省全体
の機密費にも匹敵すると言われ、この巨額の資金をもちいて情報の収集や
工作に当たっていました。当然、外務省の出先以上の情報を握っている
という自負がありましたので、軍の外務省軽視に拍車をかけます――。
ちなみに北支分治工作(北支5省:河北省、山東省、山西省、チャハル省、
綏遠省)と言いますと、満州国とは別に支那の4分の1くらいを日本が
更に持っていくというイメージがありますが、これは間違いです。
当時、国民政府が磐石に支配していた地域といいますと、浙江省・江蘇省・
安徽省・江西省の4省ぐらいです。福建省や河南省・湖北省辺りになると
かなり支配力が弱くなります。広西省や広東省では、いつ反旗を翻すか
分からないと言っても良いでしょう。
331 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/18(火) 01:04:09 ID:CQUl9p4E
ですから『北支分治工作』というのは、国民政府にとって自国の半分
ぐらい持っていかれる危機感とインパクトがある訳です。
日本に喩えるなら、北海道・東北が持っていかれるのではなく、静岡・
富山辺りから東が全部持っていかれる感覚に近いでしょう。
こうした状況の中で、外相の広田弘毅による『協和外交』が並行して
行なわれるのですから、支那にとっては訳ワカメになるのは流石に
仕方がないことかもしれませんw。
>>329 >>そういやそうだね>過去形ではない 福田はもちろんのこと、
>>加藤はそれこそ白日夢でも見てるのかと。
何か弱みを握られて支那にべったりなら理解もできますが、本気で
大アジア主義を信じているのなら、それこそ救いがありませんw。
花粉症で目がグジュグジュして失明しそうなので、乱筆御免w。
>>327 >>日銀新総裁の代替候補案が「福田の継続か武藤?」。
ああ、福井の間違いですねw。
俺も民主に入れようかと。 自民の親中朝べったりぶりは民主と大差ないしね。
ていうか、国内の支持が思わしくないから外国との協調で支持を得ようとする歴史上よくあるアレか?
民主にするかどうか?は 吉田茂の孫さんを支持する勢力の 出方を待っても遅くはないかと? かつて国連負担を低下させると国連で言った 町村外相の対中白昼夢がどの程度か? も今後気になります。
“吉田茂の孫さんを支持する勢力” それってアキバのアニヲタですか?w
↑ こういう事件データをやたらと集めているのは、戦前のひどさに驚いていただき たいわけではなく、ちょっと調べればわかるこの程度のことさえ知らないような 人々が偉そうに日本について語ったりしている現状に大いに驚いていただきたいわけなのです。 戦前がよかったと云ってる輩だけではなくて戦前はひどかったと云ってるような輩も、 ほんとにな〜んにも調べていない。そのへんの低レベルのウヨサヨだけではなく、 立派な学者先生なんかもまあおよそまともに調べようともしていないと いうのはあまりにも異常な事態です。
>>337 総裁選で麻生氏に投票した地方の自民党員のことだよ。
>>340 あれって一方的な福田氏リードへの批判票でしょ?w
麻生氏の事を良く知ってて投票した地方党員は皆無でしょう。
民主の政策ってのがわからんというか 参院選で議席を得ても責任取ることになるのを避けるだのいってるのに 民主を与党にしようとは流石に思えない・・・
自分が誰に入れたかが秘密にならない(しない)のに、 批判の意味だけで、対抗馬に票を入れるかねぇ?
>>343 典型的な負け組人間の集団である地方自民党員の心理を解析してみてもねぇw
民主が与党になるのか、総選挙後に再編になるのかは分からんが、どのみち現状の自公体制は賞味期限切れ。
しばらくは政治的に不安定な状態が続くでしょう。
政治的に安定な時期などないよ。
>>344 負け組ねぇ。現実を事細かに見ない連中が人を見下すときに使う言葉だ。
もちろん、地方にも福田を支持する党員もいるし、
中央にも麻生を支持する党員もいる。
それなのに何を称して組と別けることが可能なのかね。
>>345 命中しちゃった? “負け組”って言葉w
別に使いたかった訳じゃないんだけど、今の地方自民党員を指すのに、これ以上適当な言葉が見当たらなくて...
>>344 いあ、地方自民党員も中身は様々かと思う。
地方の開業医で一発当ててる奴から、東京で会社員やってて
知らぬ間に自民党員とかいろいろいるわけだし。
政治についてはあれね、景気対策内閣が必要なんでしょね。
>>346 いや、オレは党員でもないし、地方人でもない。
ただ、親戚にちょっと地方(関東圏)に党員が何人かいてね。
(新規農業に取り組んでいる人も、土建癒着の人もいろいろ)
あなたの個人的なカテゴリー別としての意味で「負け組」を使うのなら、
こちらは別に反論はありません。
>>342 自民だって似たようなもんじゃんw
利権解体の意味でも自民は負けてしまえばいい。
自民党に反対したことしか記憶に無い民主党がナニカまともなことしたっけか。 それに政権とることばかりの強欲な連中が貪らないとは考えられない。
>それに政権とることばかりの強欲な連中が貪らないとは考えられない。 自民党の皆様はむさぼってないとwwww
>>350 民主党と言っても、かなりの数が旧自民党議員だしね。
自民党とは言っても、現状の伊吹執行部なんか、旧社会党と良い勝負な位の国対依存だからねw
自民でも民主でも、現状ほとんど差はないでしょう。
あるとすれば、立正佼成会と創価学会という宗教票の対立軸じゃないかな?
創価学会員=選挙協力で自民支持 という人達がいる訳だからww
貪ってるんじゃない?
民主ならもっとひどいことになるかもしれんがね、といってるだけだ。
>>349 の言い方は的外れだといっている。
だから、よりろくでもなさそうな、民主にはいれない。
ま、おまえさんは民主にいれればいいんじゃない? 説得するつもりはないし。
>>352 その民主の主要メンバーがあのロクデナシ自社連立政権のときの面子だから信用ならん。
そろそろスレ違い・板違いだ。
>>350 >自民党に反対したことしか記憶に無い民主党
アホか。お前野党の役目を何だと思ってるんだ?
スレ違いはえーかげんにしんさい
>349 細川・羽田・村山三代政権とその与党について、および その間の自民党認識についてどうぞ
隔離でやれ
おりこうさんは空気よめんからのう
戦間期の政友会と民政党の泥仕合に世相が似て来たゆえかのう
5・15から戦争突入とか勘弁。
そのうち院外団のテロ合戦が... あっマスコミと警察がやってるかw
すると治安維持法は改悪児ポ法か… 二次オタは現代の思想犯ですよ赤化少尉ドノw
児ポ法以外にもネット規制、ケータイ規制、人権擁護法案による表現規制と規制案を打ち出しまくりなわけで。 これなんて戦前?
「リベラル」福田政権が復古調の安倍なんかよりも遥かに国民統制好きな件について
児ポ法改正はシーファー駐日大使からの要求らしいが、これが臭いな。 ほかにもいろいろ要求してるのと違うか?
>>367 国内で支持が調達できないから外国に頼るわけです。
中国に配慮してチベット騒乱を傍観する、アメリカの意向には従う。
すいません。仕事で大ポカやらかしまして、ちょっとお休み させて頂きます。ああ、思い込みって恐ろしい……w。 何ですり替わっていたんだろう……。
気にするなよ。適当に話して待っとくから。
::::::::| ::::::::| ::::::::|ヽ,ry'^i ::::::::|´ ⌒`ヽ ::::::::|ノノハノ)」 ::::::::|i ゚ ヮ゚ノi! ……。やらなきゃ仕事は終わらないし、 ::::::::⊂>,)´ 今やるべきことをやるしかない……。 ::::::::|,_,_i,ゝ ::::::::|'i,ノ´
>>371 様 ご厚情痛み入ります。明日あたりひょっこり居るかもしれませんがw、
とりあえず今日はちょっと無理なのでお休みなさい……。
無気力福田の了承の下、自民党の小委員会は単純所持の禁止と、 創作物規制を前提に法案作成中と何度も報道済み。そして法案が 固まって提出される頃には手遅れになる可能性大。
児ポ法強化は当然でしょう。 これ以上 若者が現実から逃避し続けて、社会の維持にさえ支障を生じさせるのは避けねば...
そう。規制は包括的に、運用は恣意的にできる行政側にとっては最高に都合のいい法律で いくらでも拡大解釈可能なリスクなんか非民主主義国家ではなんの問題にもならない。
それで良いんでない? どうせロリ・ペドなんて強制収用して去勢手術した方が良い連中なんだしw
イナゾウも去勢されてしまうのか…
>>377 の手元にスパムでロリペド画像が送りつけられて、誤認逮捕されて代用監獄で弁護士とろくに接見もできずに仕事を失うくらい長期間取調べを受けて、多くの痴漢裁判のように反論が認められずに収監されますように。
380 :
イナゾウ少尉 :2008/03/20(木) 22:24:39 ID:cB9FiEAq
>>330 >>土肥原が自由にできた機密費は、外務省全体の機密費にも匹敵する
もちろん「満州事変」にともなう軍事費の増大によります――。
それにしても「北支分治工作」の時代というのは、訳ワカメです。自分も考えて
いてよく分からなくなります。陸軍の工作や広田の「協和外交」に触れるならば、
支那側の『反日テロ』も取り上げなければ片手落ちになります。
よく言われる「藍衣社」ですが、1932年頃に蒋介石が黄埔軍官学校の卒業生に
よって組織しました。テロの標的は、共産主義者と日本人(親日派支那人)です。
ちなみに、藍衣社の存在を台湾の国民党は否定しています。しかし、『周仏海
日記』や『上海租界警察日誌』の中で登場し、外国租界や国民党の行政力が
及ばない地域を中心に支部が設けられました。梅津・何応欽協定(1935年)の
きっかけも、天津の日本租界で2人の親日派要人『国権報』社長・胡恩溥と
『振報』社長・白※桓が、藍衣社と思われる手口で射殺されたことに因ります。
381 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/20(木) 22:45:25 ID:cB9FiEAq
外相の広田弘毅が、駐支公使を「大使に格上げ」させたことは既に触れました。 また関税自主権や治外法権の見直しを検討することも、支那に約束しています。 これが『協和外交』な訳ですが、見方によっては「英米の出し抜き」であり、 日本がアジア・モンロー主義を疑われている状況の中では、欧米関係を犠牲に して支那に大幅譲歩したと言われても仕方がないでしょう。 もちろん支那は大いに歓迎して、●「中国のこれまでの反日感情と日本の 中国に対する優越的な態度はともに改めるべきで、それが友愛を厚くし、 隣人とむつまじくする道である。わが全国の同胞も正々堂々とした態度と 理知道義に従い、『一時的衝動や反日行動を抑えて』信義を示すべきである」 と蒋介石も声明を出して、国内の反日運動を取り締まることを約束しますが、 一向にテロは収まりません。むしろ『表は従、裏は拒』とばかりに積極的に 在支日本人へのテロを指令しています。これでは広田は「道化」です――。 けれども支那通軍人たちが、ここぞとばかりに『第二満州国計画』を進めている ことも確かです。支那から見れば、広田の協和外交こそ『偽装工作』ではないか?
382 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/20(木) 23:16:19 ID:cB9FiEAq
>>381 >>一向にテロは収まりません。むしろ『表は従、裏は拒』とばかりに
現在のチベット問題の「中国国営放送」を見れば想像がつくでしょう。よく
あんなウソっぱちの内容を臆面もなく(諸外国も見ている)流せるものだと
感心しますが、支那の二面性の典型的なパターンです。逆の意味で『表は従、
裏は拒』に通じるものがあります。
>>381 >>支那から見れば、広田の協和外交こそ『偽装工作』ではないか?
「梅津・何応欽協定」にいたる過程で、駐日「大使」となった蒋作賓は
日本の外務省に泣き付きますが、広田弘毅は●「純軍事的な問題」として
これを突っぱねています――。
まあ、広田は「骨の髄」まで現実主義者ですから、支那側の出来ない相談に
耳を傾けて「いらぬ言質」を取られては、のちのちの軍との折衝がなおさら
困難になると思ったのでしょう。自分の手を縛りたくなかった訳です――。
383 :
名無し三等兵 :2008/03/20(木) 23:19:10 ID:jjccPytt
,′ _ , -r/`ヽ十/`ヽ ヽ. _/ l|/, ゛、 /:/ 爪! l| il| | ヽ /:::/ | l l``` "´| ト、 l ゙、 . !::::l /|.lヽ! リ }ハ_ i 好きです、日本の兵隊さん! l::::| l/l|二、 ,二., l i l |::::l i l,/_j::、 _j::、ヽl i ! ! l::::| l l! _ヒ」 ヾ┘ j l | | l::::i! i l l ; //l j i ! !::::lヽ!、ヽ'、 、__, ノ'// /// . j::::::!::::::ヽ゛、 ///!'´ i::::::::i::::::::::i::`}' 、 _ _,. 'l::::/'::i::::| !::::::::::!::::::::::!ノ !:::::::::::!::l j::_,,-ヽ:::::::ヽ iヽ:::::::::ヽ!
藍衣社は土肥原将軍が14師団長から上海に転出してくるまで野放し状態? 対策したせいで私怨を買って処刑されちゃったけど
385 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/20(木) 23:32:07 ID:cB9FiEAq
>>382 >>自分の手を縛りたくなかった訳です――。
でも支那側から見れば、日本の外務省と軍は『グル』だと思うのが普通
ですよね。「お父様の裏切り者――」(by カガリ)ではありませんがw。
さて広田は支那の訴えを無碍に断りましたが、その一方で外務省の東亜局長を
参謀本部第二部長の岡村寧次(少将)のもとにやり折衝させます。
岡村寧次とは、永田鉄山・小畑敏四郎とならぶ『バーデンバーデンの三羽鴉』の
1人であります。バーデンバーデンの三羽烏については過去スレで触れましたが、
>>382 中国がチベット人を圧迫しチベット人はテロで報復しているように
日本は中国人を圧迫して中国人はテロで報復していたという
世界史じゃよくある構図じゃん。
>>永田鉄山の器を表現するのに、何と喩えたら適当なのか分かりません。 >>最も的確なのは、『マリみて』の紅薔薇様(ロサ・キネンシス)こと、 >>水野蓉子さまでしょう。リリアン女学園のみならず全世界がひれ伏す >>ことになるであろう完璧超人様です。抵抗は無意味になります。 >>ちなみに皇道派の「作戦の鬼」小畑敏四郎が、ロサ・ギガンティア >>(白薔薇様)こと佐藤聖さま。異色の支那通軍人「最後の支那派遣軍 >>総司令官」岡村寧次が、ロサ・フェティダ(黄薔薇様)こと鳥居江利子 >>さまですw。
>>382 現在のチベット問題は、中国側の流してる報道も追加して見た方が正確に理解できるね。
今回の騒乱の元凶はチベットの坊さんだよ。 すごい暴力的だし銀行強盗や商店焼き討ちも指示してる。
何故か日本のフジTVはその部分をカットして流してるけどw
14日午後3時ごろ、ジョカン寺の西にある金谷ホテル近くに展開していた装甲車4台のうち、緑色の1台が群衆に突っ込み、市民が次々に倒れるのを目撃。 軍のトラックが倒れていた100人以上を収容して、どこかへ搬送して行った。この後、怒ったチベット族たちが漢族の店などに焼き打ちをかける騒ぎに ↓ いつのまにか ↓ 中国チベット自治区ラサ市でチベット族が漢族を襲撃し、暴徒化したチベット族が商店を略奪・放火する暴動が発生 自分たちは被害者ですってか! 報道関係者のチベット入り禁止しているあいだに、目撃者、証拠の処分。
390 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/21(金) 00:01:34 ID:RQtHtaGr
このスレでは、岡村寧次は「鳥居江利子さま」(CV:生天目仁美)だと
思い込んでくださいw。
>>385 >>外務省の東亜局長を参謀本部第二部長の岡村寧次のもとにやり
しかしロサ・フェティダもとい岡村寧次は、●「この事態は、軍司令官の
権限内にある『統帥事項』に関するものです。外交交渉に属するものでは
ありません。陸軍としては、軍司令官による『現地解決主義』に任せます」
と頭から撥ね付けました。
まるで「外務省はお黙りなさい――」と言わんばかりですw。
さらに鳥居江利子さま、ではなかった岡村寧次は高圧的に付け加えました。
●「問題は、蒋介石の『偽装親日』にあります。蒋に言って即刻、対日
二重政策を改めさせるのです!」
391 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/21(金) 00:22:32 ID:RQtHtaGr
>>384 >>藍衣社は土肥原将軍が14師団長から上海に転出してくるまで
>>野放し状態? 対策したせいで私怨を買って処刑されちゃったけど
まあ、野放し状態ですね。土肥原が14師団長(宇都宮)から転出して
上海で特務機関を起こすのは1938年ですが、ちょうど支那の占領地に
「親日政権」を樹立させる工作が本格化したころです。
土肥原が最初に白羽の矢を立てたのが、上海在住の国民党の長老・唐紹儀
でしたが、説得工作をしている内に藍衣社によって暗殺されてしまいます。
そこで藍衣社やCC団のようなテロ組織に対抗するために、土肥原機関に
よって生み出されたのが、同じ支那人で構成された『ジェスフィールド・
76号』です。こちらもテロ組織で、「夷をもって夷を制す」に近いです。
土肥原がA級戦犯で処刑された理由は、上記の藍衣社対策もありますが、
満州国建国にともなう「溥儀の天津脱出」「土肥原・秦徳純協定」そして
「汪兆銘工作」など要所要所で地雷を踏んでいる訳です。なかでも一番
支那側の怨みを買ったのが、やはり一連の「北支分治工作」なのですが。
>>375 >>児ポ法強化は当然でしょう。
『絶対可憐チルドレン』は名作だと思う自分は、どうなるのでしょうかw。
あれこそ、ロリ・ペドのパラダイス的な世界かと(核藁)。自分はマガジン
派ですが、とりあえず立読みで済まして、単行本化を待つタイプですw。
三宮紫穂は、初期のサラサラ髪バージョンの方が良いと賛同してくださる方は
この指止まれw。つーか、キャラの名前の由来が『源氏物語』ですから、もう
鉄板というか確信犯でしょう(藁)。マーケティングの非常な好例です。
主人公の名前が、皆本(みなもと)光一。チルドレンが、明石薫、野上葵、
三宮紫穂……。
>>391 >>まあ、野放し状態ですね。
言い過ぎました。昔の過去スレでも取り上げた『憲兵物語――ある憲兵の見た
昭和の戦争』が参考例として良著でしょう。
395 :
名無し三等兵 :2008/03/21(金) 02:59:12 ID:DcrCC4a0
190 :名無しさん@八周年 :2008/03/21(金) 02:48:36 ID:5FeOb/k80
人権擁護法案みたいだね
197 :名無しさん@八周年 :2008/03/21(金) 02:53:46 ID:UGEaFNLM0
>>190 つうかコンボだって
盗聴合法化するなり密告をしやすい社会にして敵は排除
これが一連の法案の中身
つまり監視社会と警察国家
自民、公明、官僚による治安維持法だよ
◇ 共産党本部による対日交渉マニュアル ◇ 1 まず、怒鳴りつけろ。 2 無理難題を吹っかけろ。 3 徹底的に我侭を通し、鼻面を引き釣りまわすこと。 4 日本人が、怒ったり理詰めで反論してきたら、「南京」「731」・・・旧日本帝国の「悪行」をわめき立ててテーブルをひっくり返せ。 5 同時に、媚中派の日本国外交官を使って、「中国人は面子を重んじる。ここで相手の顔たてなければいけない。」と妥協工作を厳命せよ。 6 「妥協案」を持ってきたら取り合えず「食え」。 7 日本人に「交渉成立」と思わせて油断させろ。ただし、将来的な言質は一切与えるな。 8 『手打ち』の「儀式」には中華料理で歓待せよ。30年来の友人のような笑顔で。その際、日本人にあてがう女性を用意すること。 9 『手打ち』式の翌日は、日本人に落ち度がなくても、以前にも増して怒鳴りつけ、最大限不機嫌に振舞うこと。「何故、ご機嫌を損ねたのか」 その理由を、常に相手に考えさせること。これは聡明で誠実な人物に特に有効な方法である。 10 日本人が「友情」を求めてきた場合、友情の証(あかし)として、祖国、所属する組織、家庭、等帰属団体に対し何らかの「裏切り」を要求せよ。 いきなり、大きな獲物を求めてはいけない。些細な「裏切り」から始めて、徐々に倫理観を麻痺させること。 当方の「友情の証(あかし)」の代償は、利権、金銭、女、等「即物的・世俗的」なものを過分に与えるべきである、また「名誉」を与えてはいけない。 11 「内輪の交渉」を推奨する。「内輪の交渉」とは当事者同士で行う交渉であり、党本部への事前報告、および、何時でも食言して、 「使い捨て」にできる日本人であればどのような「口約束」をしても構わない。 「内輪の交渉」では、日本人の上司に「嘘の報告」をさせることが成功の第一歩である。
支那事変の発端となった盧溝橋事件は、中国共産党地下党員『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、 まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと、 2005年7月3日、中国のTV局北京電視台の番組「社会透視」で報道した。
商品の単価が10万円以上場合、消費税の税率を8%にする。 商品の単価が10万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。 これが最善の消費税率。
>>389 そのネタ元はココな訳だが...
チベット人が伝聞で聞いた噂話を電話口で聞いたのでしかないレベルだねぇ?w
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080316-OYT1T00024.htm チベットの坊さんに指揮された群集が銀行を襲い、商店を焼き討ちしている様子がはっきりと映像に残されているのに対して、印象操作に躍起の向きに多用されているネタのようだが、ソースとしては全く信用に値しない。
(当の読売自身が誤報呼ばわりされないよう、あくまで伝聞と明示してる)
強盗・放火行為への自身の責任を問われるのを恐れたダライラマ自身が、今回のような対決姿勢が強いデモ行為への自粛を呼びかけているので、マトモなチベット人は大人しくなったようだ。
しかし、これで五輪に傷が付くような事があると、その報復は苛烈を極めるだろうね...
今回のデモは、いわゆる“一部ハネ上がり分子”としてダライラマのコントロール下にない“チベット青年会議”が仕組んだ訳だが、チベット全体が中共に敵認定されるきっかけとなったのも
チベット東部・康(カム)地方のチベット人が国府の指令に基づいて長征中の紅軍を攻撃し、中共側が多数の死者を出しながら撃退した経緯があったため。
(一応、どちらにもダライラマとその統治機構は関与していなかった、と言っている)
この長征で生き残った紅軍兵士達が延安幹部世代として後の中共の中核層になったのは御存知の通りで、中共の政権掌握直後からチベットは目の敵にされ、
ついには地方政権から自治区として併合され、猛烈に抵抗した康(カム)地方は徹底的に掃討された。
因果は巡る糸車。 何の因果もないところに理不尽な行為がまかり通る事も無い。 どうもチベット人はカルマからの離脱が下手なようだw
>>399 >チベット人が伝聞で聞いた噂話を電話口で聞いたのでしかないレベルだねぇ?w
中共がまともに取材させてくれないのだからしょうがない。
まあこれも自業自得というものだろう。
>>400 危険地域への取材規制を口実に、良い加減な報道まがい行為を繰り返すのは如何なものでせうか?w
>>402 んにゃ、中国の報道(宣伝)も、日本の尻馬コキのマスコミの良い加減なニュースでも、情報は全て重要だ という事だよ。
見る前からフィルターをかけてちゃ、映像の中から見えてくる貴重な真実も見えなくなってしまうw
>>404 ??意味不明??w
>>401 は
>>389 の貼り付け内容とそのコメントに対して記したんだが?
大部分の人は、ネタ元が明示されていない2chのコピペに対して懐疑心をもって読む傾向があるとはいえ、こうした内容を無批判に受け止めてしまう人々もいる。
しかも、この情報が伝聞を基にしている事については何も記さずに、都合の良い部分だけを貼り付けている。
そういう事を“報道まがい行為”と呼ぶんだがねぇ??w
>>405 で、やっていいのか悪いのかはっきりしてよ。
>>389 のような“報道まがい行為”は控えるべき、と言ってるだろうにw
軽挙妄動の結果とはいえ、人命が失われてもいるんだし...
>>399 >強盗・放火行為への自身の責任を問われるのを恐れた
>今回のデモは、いわゆる“一部ハネ上がり分子”としてダライラマのコントロール下にない“チベット青年会議”が仕組んだ訳だが
ソース
>>407 だから、あんたの言う通りにした場合残るのは中国の大本営発表だけだろうと。
それでいいの?
橋本欣五郎=DQN
岡村寧次=鳥居江利子=生天目仁美=酒乱(イメージ)
日本に規制を要求する割には、欧米で少女ヌードOKらしい。
262 :CC名無したん :2008/02/21(木) 22:43:26 ID:6YJRA6O70
「3次に興味ないから賛成」とか言っている輩も、最低限以下のことは認識しておいてくれ
知らずに書き込んでいるのなら無責任過ぎる
・ヌードとポルノは別物・性行為や性器の描写がなければポルノでなくヌード
・ヌードは欧米では合法か少なくとも違法でない
・欧米ではヌーディストクラブが存在し子供も活動中
ttp://body-n-mind.com/outdoors.htm ttp://www.actualswingers.com/children_nudist_resorts.html ・日本の児ポ法はヌードとポルノの区別が曖昧
・日本の児ポ法は児童の年齢が高過ぎる。
性的同意年齢13歳。女性の結婚可能年齢16歳。日本は“児童”に結婚・出産を認めている?
・児童のヌードは多くの一般映画やテレビドラマ、出版物に過去、多数出現。単純所持規制されたら、別件捜査の道具になる
・単純所持規制の次には絵やイラスト、漫画も規制の対象になるおそれかなり高い→“被害者”が存在しないのに表現の自由が規制される
以上の点を考えると、芸能活動や芸術活動に伴う児童のヌードは規制すべきでない
当然、実写以外の絵などの規制は論外ということになる。
表現の自由は自分の嫌いなものが存在することを容認して初めて成り立つ。
現行法でも、児童“ポルノ”への嫌悪感からヌードを含めての規制に賛成しているのなら
有権者として無責任過ぎる。
>>370 >>すいません。仕事で大ポカやらかしまして、ちょっとお休み
>>させて頂きます。ああ、思い込みって恐ろしい……w。
火は消えましたが、後始末でここ1〜2ヵ月の仕事量がエライことに。
しかし、自分のケツは自分で拭くのがマナーじゃないか(泣)。嗚呼。
_....._rァ、 ,:'´:::::::<@7 !::(::ノ::ノ)::);) ノ;:ハi - -ノリ 決裁とおっていたと思ったのにね…w。 i´Yソr') ,、,、 ,:'〈_,ゝ<_〉、 (。:。::) `'r_ァr_ァ''´ l;i;l;r:>〜
という訳で、書き込んだり書き込まなかったり……。あと『宣伝戦』は本当のことを
言わなければいけないなんて、まるで必要ありませんよ。要は支那のダメージに
なれば良いのです。グレーゾーンだったら、全然OKですよ。100万回くりかえし
言ってやりましょう。日本は同様のことを何回やられているのでしょうか?w
>>390 >>まるで「外務省はお黙りなさい――」と言わんばかりですw。
まあ、「北支分治工作」はそれだけで中テーマ規模になってしまうので、この辺で…。
外相の広田弘毅の目からすると、以下の『4人の少将』の動きが目立ったそうで、
●土肥原賢二(奉天特務機関長) ●板垣征四郎(関東軍参謀長)
●岡村寧次(参本第二部長・鳥居江利子) ●磯谷廉介(支那大使館付武官)
この4人は陸士16期で全員同期です。磯谷廉介は過去スレでも取り上げましたが、
大使館付武官でありながら、「本当の大使」以上に日本の代表ぶるのが外務省の
鼻についたようです。言うまでもなく、4人とも「支那通軍人」です。
大ポカをするほど仕事を振るのは上司の采配なんだからそっちに問題があるに相違ないけど、 コサック学校の女子生徒はかわいいなぁちわっちわっちされながらjk
418 :
イナゾウ少尉 :2008/03/23(日) 22:22:06 ID:26zHP0WA
しかし、この4人だけが「諸悪の根源」(外務省目線)という訳ではなく、 現場はもっと熱に浮かれていました。参本第二部長の岡村寧次が 「中央の方針」を説明に大連に行くと、 「なぜ即刻、蒋介石に満州国を承認させないのか? 蒋はいまや一押し すれば倒れそうな状態にある。蒋が心にもなく親日的なのは、そうした 弱い立場上、日本を頼りにせざるを得ないからだ。だから日本外交は、 軍と一体になって蒋に圧力をかけ、満州国を承認させるべきだ――」 と激しい抗議の突き上げを喰らい、思わず鳥居江利子様も「んん…」と 立ち往生してしまう始末でした。また外務省も決して一枚岩だった訳では なく、前出の南京総領事の須磨弥吉郎は「支那問題は当面の間、押しの 一手なり」とも言っています。 広田は、こうした支那に対する「二重外交」を解決するため、また自身の 「協和外交」に近づけるために、陸海軍・外務・総理との協議を行いました。
419 :
イナゾウ少尉 :2008/03/23(日) 22:34:43 ID:26zHP0WA
こうして生まれたのが「広田の対支三原則」ですが、内容は以下の様なものです。 1.支那側をして排日言動の徹底的取締りを行ない、かつ欧米依存より脱却すると 共に、対日親善政策を採用し、該政策を現実に実行し、さらに具体的問題につき 帝国と提携せしむること。 2.支那側をして満州国に対し、窮極において正式承認を与えしむること必要なるも 差し当たり満州国の独立を事実上黙認し、反満政策を止めしむるのみならず、 少なくともその接満地域たる北支方面においては、満州国との間に経済的および 文化的の融通提携を行なわしむること。 3.外蒙等より来る赤化勢力の脅威が、日満支三国共通の脅威たるに鑑み、支那側 をして外蒙接壌方面において右脅威排除のための我が方の希望する諸般の施設に 協力せしむること。
420 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/03/23(日) 22:38:34 ID:hGYqLOwh
間に合った・・長く長く、宜しくです ( )ノシ
421 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/23(日) 23:00:43 ID:26zHP0WA
支那に対する要求ばかり並びますが、比較的穏健な内容に収まりました。 広田の狙いとしては、これにより軍の行動に一定の枠をはめ、二重外交を 止めることにあった訳です。 広田としては「協和外交」のため良かれと思ってやったことですが、皮肉なことに この「対支三原則」が広田の命取りの1つとなります。最後の方で述べますが、 東京裁判の大きな括りとして、『共同謀議』という概念がありました。要するに、 1928年から1945年まで、日本政府と軍部は一丸となって『共同謀議』し、侵略 戦争を行なったというフィクション、デッチ上げな訳ですが、実際は言うまでもなく、 陸海軍は対立し日本政府はどこ吹く風。「船頭多くして船、山に登る」の典型でした。 どうしても日本の『共同謀議』を立証したい連合国側からすれば、文民から1人 絞首刑を出したい思惑も手伝いまして(近衛文麿は自殺)、この「広田の対支 三原則」が、軍と政府が共同して侵略を行なった証明の、「格好の材料」として 使われたのです――。
422 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/23(日) 23:20:40 ID:26zHP0WA
広田の外交哲学は、他の者ならサジを投げるような問題でも、可能な限りお互い 歩み寄ることでした。また相手が受け入れられない極端すぎる意見は、現実的な 力をもたないとも――。そして広田の場合、「名よりも実を取る」傾向がありました。 前の方で取り上げるのを忘れていた話ですが、広田の典型的な外交事例を2つ 挙げてみましょう。いずれも、ソ連大使時代です。 まずソ連との漁業問題です。当時、領海は3海里が各国で普通でしたが、ソ連は 12海里を主張し、その海域内に入った日本漁船をバシバシ臨検拿捕していました。 これが漁業関係者のみならず、日本の世論もいたく刺激していましたが、広田は 交渉の結果、●「ソ連側の12海里説は建前として認める。ただし3海里から12海里 間の日本漁船は、一切拿捕せずに操業を黙認すること」と了解させて実を取りました。 また満州事変の最中にも、関東軍が「部隊の移動のために東支鉄道を使えるよう ソ連側に折衝しろ。外務省が何とかしないのなら、無理やり乗っちまうぞ、コラー」 と無理難題を広田に吹っかけました。おそらく関東軍も「ダメ元」で言ったのでしょう。
423 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/23(日) 23:35:54 ID:26zHP0WA
いくら「ダメ元」の外務省への依頼でも、関東軍は本気で東支鉄道を使いかねません。 ソ連は国家の体面にかけて東支鉄道を使わせないと言ってきています。苦心の広田は、 関東軍の移動は、「軍略」ではなく「商工業の目的」である。いま現地では、反乱軍のため 住民および商工業者が大きな損害を受けている。このため関東軍が鎮圧に向うのは、 広い意味での「商工業の目的」にあたる――と詭弁を承知でソ連側と交渉しました。 日ソ衝突を避けるための苦しい方便ですが、ソ連側としてもこの時期に日本と全面 対決するのはヤブ蛇になります。結局、ソ連側の面子も立つことから広田の詭弁に 乗って、関東軍の東支鉄道による輸送を認めました。ただし、「規定の旅客運賃は 支払われたい」と嫌味を付け足して――。 このように広田も「協和外交」の実を取るために、陸海軍側とも相当の歩み寄りを して外交方針化した訳ですが、運命は皮肉です。もし外務省が徹底的に無策なら 全部の罪を陸軍におっかぶせることも可能だった訳ですが…。まあ、文字どおり 広田は火中の栗を拾ってしまったのです。
有能な個人が無能な全体の責任を取ると。 何時の時代も変わらないといえば変わらないが悲しすぎますね。
>>424 >>有能な個人が無能な全体の責任を取ると。
厚労相の舛添要一も一時期、安倍・福田内閣の「疫病神」呼ばわり
されていましたが、薬害肝炎問題といい、今まで「放置プレイ」だった
問題を解決しようとすると、逆にその人が悪いかのように叩かれます。
まあ、舛添要一が有能な個人かは知りませんがw。
少なくとも自分の任期以降に先延ばしすれば良いという人間よりは
マシではないでしょうか。
広田もなまじ陸軍の手綱を握ろうとしたばかりに、外からは「共犯者」
呼ばわりです。
426 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/25(火) 00:07:31 ID:+GWGjHBJ
さて話を進めます。岡田啓介内閣で必ず触れておかなければならないのが、 「天皇機関説」問題です。言うまでもなく、憲法学者の美濃部達吉が軍部と 右翼に叩かれた事件ですが、ちゃんと理由があります。 ロンドン軍縮条約でも「統帥権干犯」問題が持ち上がりましたが、美濃部は 「統帥権の干犯にならぬ」と政府を擁護していましたので、それが睨まれて いた訳です。要するに「前科」があったのです。 岡田啓介内閣は、美濃部に「機関説」を学説としてではなく、用語の問題 として弁明させようとしましたが、美濃部は譲らず結局、貴族院議員辞職 にまで追い詰められて、事件は一応落着しました。 岡田首相も、「天皇機関説はわが国体の本義に副わない」と弁明を余儀 なくされ、美濃部も1936年2月21日に右翼の暴漢に襲われました。 まあ、「2・26事件」の5日前の出来事ですが、報道が禁止されまして 1年以上もたった1937年5月にようやく解禁されたのが印象的です。
427 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/25(火) 00:20:40 ID:+GWGjHBJ
天皇機関説問題が盛り上がった1935年の8月には、統制派の中核だった永田鉄山 (ロサ・キネンシスの水野蓉子さまだと思われたし)が斬殺され、ますます混迷の度合い を深めていきます。 昭和天皇自身は、美濃部のことを●「美濃部のことをかれこれ言うけれども、美濃部は 決して不忠の者ではないと自分は思う。今日、美濃部ほどの者が一体何人日本にいる か? ああいう学者を葬ることはすこぶる惜しいものだ」と嘆いていますが、昭和天皇が 自分で口出しできるなら誰も苦労はしません(文句を言ったところで、君側の奸が云々 という話になるでしょうが)。 何にせよ天皇についての議論をタブーとする空気は強まり、「統帥権」という名の化物は ますます荒れ狂っていくことになります。そして直ぐそこには「2・26事件」が待ち構えて いるのです――。
428 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/25(火) 00:30:35 ID:+GWGjHBJ
>>423 >>まあ、文字どおり広田は火中の栗を拾ってしまったのです。
ちなみに松岡洋右は、日本にファシズムを根付かせるため、議員辞職して
「政党解消連盟」(会員200万人)を組織し「全国遊説」していましたが、
●「関東軍のやり方は手ぬるい。もっと強硬に、北京・天津あたりまで進む
べきである。中途で止めると、かえって支那から馬鹿にされるだけ――」
と広田の「協和外交」を軟弱外交として批判していました。ちなみに松岡は
1935年8月には、満鉄総裁として赴任してしまったため(1939年2月まで)
「2・26事件」にはとくに巻き込まれていません。むしろこの時期に、関東憲兵隊
司令官、そして関東軍参謀長となるヒデキと接触を深めることになります。
>>428 >>中途で止めると、かえって支那から馬鹿にされるだけ――
ここは松岡の言うことが全く正しいですw。
中共は陰謀厨なのに民度が低いでつね 支那事変の発端となった盧溝橋事件は、中国共産党地下党員『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、 まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと、 2005年7月3日、中国のTV局北京電視台の番組「社会透視」で報道した。
だつおはコテつけろ あぼーんできなくて迷惑だ
>>428 >「関東軍のやり方は手ぬるい。もっと強硬に、北京・天津あたりまで進む
>きである。中途で止めると、かえって支那から馬鹿にされるだけ――」
関東軍にそんな能力がないことを知っててこれを言ったのなら、
後に広田とは違う意味で陸海軍を引きずり回すことになる松岡の片鱗がすでに見えているな。
>>432 結局、まともなひとには当時の外務大臣はつとまらないんですよ。
広田は必死に手綱を付けようとするけれど振りまわされて、
省内の統制もままならないことになる。
某超大物次官もおりますしね。
有田も妥協に妥協を繰りかえすしかなくなる。
そこで、暴風雨松岡が出てきて、大風呂敷と大演説で、
陸海軍を翻弄することになる。
それでもだめだと、モロトフより頑固でしつこいという、
世界一の頑固外交官である東郷の出番になる。
松岡が外務官僚出身者としては異常なまでの大衆的人気を誇っていたことも、 軍部に対抗できた要因じゃないかな。 まあ「国連脱退の英雄」という金看板の効果もでかいわけで、 それがまた皮肉なところ。
相手が強硬論を打ったら相手より強硬な意見で返す。 黙り込んでしまえばめっけものだし、強硬意見を実行して成功するならそれでいい。 失敗したら失敗したで相手の影響力はガタ落ちになるから主導権をとることができる。 松岡って人が悪いなw
あらあらぬふふ♪
>>435 その手法で終戦間際の首相が降伏まで漕ぎ着けたのだ。
強硬派を押さえるには、それしかあるまい。
「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。」 ノモンハン事件のスターリンへの報告。ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ (ソビエト連邦赤軍第1ソビエト・モンゴル軍集団司令官) 「米軍は、日本軍のことを、兵は優秀、下級幹部は良好、中級将校は凡庸、高級指揮官は愚劣と評しているが ・・・・日本の幕僚や指揮官が能力に欠けているのではないかと疑う」 沖縄戦で米軍を相手に戦った八原 博通参謀の手記より。
>>438 それは民族的なものを割り引かないと。
アジア圏農耕民族は、長も民も(稲作において)同じ能力を求められるし、
その方が共同体が長続きする。
ヨーロッパ圏の民族は、長にはかなりの能力(植民や他民族のと折衝)を求められ、
民は能が低くても(麦は稲作より収穫が少ないが楽である)生きていける。
そういった背景から、ヨーロッパ圏の長からアジア圏農耕民を評価したら当たり前の結論だね。
>>439 それでは農耕アジア人が民族的に劣っていると言ってるようなものだが...
441 :
だつお :2008/03/26(水) 17:33:52 ID:NM1H/7PX
汪兆銘が「親日」というのは、あとでそのように語られたにすぎない。
実際のところ、中国人はどいつもこいつも強きにこびて弱きをくじく、
反日欧米崇拝のチンピラゴロツキばかりだった。
逃げたチンピラゴロツキ(蒋介石・張学良)、降参したチンピラゴロツキ(汪兆銘)、
隠れたチンピラゴロツキ(毛沢東・周恩来)、いろんなチンピラゴロツキが居るが、
中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。
ところで「降参したチンピラゴロツキ」は汪兆銘一人どころかむしろ中国人の過半数を占める。
これは大陸打通作戦でどれだけの中国人が皇軍に隷属したかをみれば自明だ。
最近、汪兆銘夫妻の晒し像が撤去されたというが、これは中国人が自分で自分の姿に
唾と小便をかけているという滑稽さに気がついたからなのかもしれない。
■南京陥落時の状況
南京は昭和12年(1937年)12月13日に陥落することとなる。 南京の人口は元々100万人
を僅かに超えていたが、南京に日本軍が迫るにつれ、人口は20万へと激減していった。
南京の人々は、日本軍を恐れたのか? 否、支那軍を恐れて、南京の人々は逃げ出
して行ったのであった。南京の人々は、支那軍の次のような発言を心底恐れていたのだ。
中国人の一人をも、一塊の土をも、灰燼に帰せしめて、敵の手に渡さぬ決意である。
(略)大小都市の論なく、これを灰燼に帰せしめねばならぬ。
[1, P6]
これは、昭和12年7月末に行われた汪兆銘の「最後の関頭」演説によるものである。
http://shupla.hiho.jp/datas/Nanking.html
(スレ違いネタでスマン)
>>440 植民や他民族のと折衝についてはその通り。
しかし、同和政策においては台湾統治とかいい実績もある。
農耕民族の社会において、チンピラごろつきは生きにくい。
ヤクザですら、地元と密着し共同体を成す。
しかしヨーロッパ圏の貴族と農奴の社会では、
貴族のかわりに無法者が搾取し続けることが可能。
民族の存続手法(価値観)が違っている以上
どっちか総合的に優れているとか?は無意味なことじゃまいか?
>>439 戦国から江戸末期に至るまで(特に戦国)村長には余人と違った能力が求められてるよ
それこそ交渉力といったものもね。
当時の村は絶え間ない折衝や交渉・訴訟の連続。
稲作や民族がどうこうより250年続いた江戸幕府の体制が作りあげたと言ったほうが合ってる。
(明治政府もある程度、踏襲してるけど。)
保守
要は慣れの問題
446 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/29(土) 01:15:21 ID:GzqA4WgJ
ちょっとマジで仕事が終わりません……。そろそろ部屋の中がヤバイことに なっていますw。それはさて置き、「2・26事件」です。本当は先月の今頃に やりたかったのですが…・。まあ、その前に広田の外相時代の生活に少し 触れましょう。「2・26」の後は、いよいよ首相ですから――。 まず毎朝5時に起きます。幼少時代には玄洋社の経営する柔道場に 通っていましたが、その名残りで「柔道踊り」と子供たちに揶揄される 体操を行なっていました。また広田は「朝風呂」が大好きです。 「食」にはあまりこだわりません。外務省での昼食は「きつねうどん」と 決まっていました。酒もあまり呑まず、家に帰って息子と1本分けて 呑む程度です。煙草は好きで、鉈豆キセルに詰めて吹かしました。 宴席は好まず、部下とハシゴすることはまずありません。むしろ呑む なら自宅に連れてきました。来客は、とても多かったと云います。
447 :
イナゾウ少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/29(土) 01:34:13 ID:GzqA4WgJ
そして夜はまた風呂に入り、就寝前に使い古した『論語』を読んで10時か 11時には床に就きました。 広田の外相ぶりですが、決裁が早いので部下たちには評判が良かったと 云います。机の上に「未決」の書類を残しておかない主義です。毎日午前 2回、午後2回、書類を持って来させて、要点を報告させました。 広田の外交ポリシーですが、何度も述べるように圧倒的な『「粘り強さ』です。 できるだけ多方面の情報を集め、各方面とのバランスをよく考えながら事を 進めていくタイプでした。ここが、松岡洋右とまったく対照的なところです。 ●「極端にある方面を刺激したり、強い反対を引き起こすような政策は、 実際の力にはなり得ない――」というのが広田の考えだったのです。 外務省全体として広田は概ね支持されていましたが、もちろん反対勢力も 存在します。「革新系」の若手官僚の多くは、広田に不満を抱いていました。
448 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/29(土) 02:02:40 ID:GzqA4WgJ
革新系の外務官僚というと、白鳥敏夫や松岡洋右の流れを汲む者たちです。 まあ、皇道外交やファシズムに繋がる訳ですが、他にも軍部の『統帥権』に 対抗して外務省も『外交大権』を担ぎ上げ、軍と対決しようと主張する若手の 強硬派もいました。 外相の広田は、「外交大権などとブチ上げて、真っ向から軍部と衝突しても ロクなことにならない」とこうした流れに批判的でした。広田はもっと地味な 外務省の地位向上を目指します。 例えば当時、吉田茂など「待命中」の大使・公使クラスの人間が10数人 外務省にいました。広田はこれらの人間を集めて懇談会を持つとともに、 国内各地に出張させて、●「外交問題講演会」を開かせました。 これは軍や右翼が、「国防問題講演会」や「国体明徴講演会」を全国で 開いていることに対抗したものです。まあ、メディア対策の「情報部長」を 務めただけあって、広田は国内世論にもよく気を遣いました。
449 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/29(土) 02:21:55 ID:GzqA4WgJ
>>428 >>●「関東軍のやり方は手ぬるい。もっと強硬に、北京・天津あたりまで
>>進むべきである。中途で止めると、かえって支那から馬鹿にされるだけ――」
松岡洋右はこう言って、広田の「協和(軟弱)外交」を間接的に批判した訳ですが、
広田も負けてはいません。
●「絶対に長城(万里)を超えてはならぬし、駐留を許された停戦地域内でも
むやみに兵を動かしてはいけない。軍を動かすのは、必ず大命によること。
つまり『閣議決定』し、国策に一致した場合に限らなくてはならない――」
と陸軍大臣を通して抗議しました。またソ連は戦争する気がないことを
参謀本部や軍令部にも直接足を運んで説いて回ったと云います。
こうした広田の動きを、首相の岡田啓介や蔵相の高橋是清は頼もしく思い
ましたが当然、軍部からは憎まれました。●「外務大臣は平和ばかりを強調
して、国防を無視している。閣議でも軍部大臣を抑えにかかっている――」と。
息抜きでやっておられるなら良いですが 仕事に集中しなさい(゚д゚メ)
451 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/29(土) 02:55:48 ID:GzqA4WgJ
>>449 >>当然、軍部からは憎まれました。
こんなご時世ですから、いつ広田も「テロの標的」になるか分かりません。
広田は「最後の肚は決まっている」と覚悟を決めていましたが、そんな中で
起きたのが、「2・26事件」(1936年)な訳です――。
30年ぶりの大雪のなかを皇道派の青年将校が率いる1400名の将兵が
政府要人を襲撃――。岡田啓介首相は、義弟の松尾伝蔵予備役大佐が
「身代わり」となって難を逃れるも、高橋是清蔵相が殺害、斎藤実内相が
殺害、渡辺錠太郎陸相が殺害、鈴木貫太郎侍従長も瀕死の重傷を負い
ました。ちなみに広田は、斎藤実内閣で外相に抜擢されていました。
吉田茂の岳父である牧野伸顕・元内相も標的となりましたが、逃亡する際
襲撃した兵士に「旅館の主人」と勘違いされたラッキーもありまして、命を
拾っています。ちなみに広田は事件当日、外相官邸におりました――。
>>450 どうせ明日も仕事(宿題)だから気にしないでくらさいよw。
>>452 とにかく睡眠だけはとってれ。
1に仕事、2に睡眠、3、4が無くても5でネット位がちょうど良いと個人的にはオモ。
とカキコしている自分は、 ああもう朝か、 朝だな。
>>451 >吉田茂の岳父である牧野伸顕・元内相も標的となりましたが、逃亡する際
>襲撃した兵士に「旅館の主人」と勘違いされたラッキーもありまして、
襲撃した河野壽大尉の「女子供に手を出すな」という兵への言葉を聞いた吉田(麻生)和子が
機転を利かせて女ものの着物を牧野伯爵に着させて逃れたという話でしたね。
456 :
名無し三等兵 :2008/03/29(土) 19:19:07 ID:zUsrymUm
>>388 はw キモオタ童貞のw 在日支那人だろw
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。 これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。 日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに よって、授業週6日制を復活させるしかない。 週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
↑特に
>>456 は小学校からやり直した方が良いねw
459 :
名無し三等兵 :2008/03/29(土) 20:17:06 ID:zUsrymUm
その言葉をw キモオタ童貞のw
>>458 にw そっくり返してやろうw
↑低脳扱いされて逃げ出したみたいねw
461 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/03/29(土) 22:32:02 ID:o+2kCZVm
>関東軍のやり方は手ぬるい。もっと強硬に、 保守ついでに1つ。(笑 昭和18年に入営した新兵の中国戦線の証言 ・総重量50kgに近い装備を背負い、 ・漢口から直線200kmを7日で行軍し、 ・作戦区ではいけどもいけども逃げてゆく村人の姿を遠くに眺め、 ・薪もないので空家のイスや机を解体して薪とし、 ・入浴も食事もままならぬまま虱と脚気に悩まされ… ・股下どころか靴の中まで下痢に染まり、 ・調味料といえば岩塩だけ、というかそれもなくて、 ・塩の無い軍は貧血に悩み1週間もメシらしいメシもなく… < エライサン が 攻め込めばいいんだよ(笑 < しかし英語どころか欧米人もわかる香具師を中国戦線に回すのかい? OH 何時の世も、不条理でありんす。(泣TT
462 :
翡翠(星砂) ◆6.ZE8NIG3A :2008/03/29(土) 22:45:26 ID:o+2kCZVm
まあ、現地に立たない香具師は 皆 ○ ね ばいいよ♪ と思えども、現地に立つ香具師の方がオワットル場合もあるでえ、、、 やっぱ、日本敗戦 は不可避ですわい。 ●そして 雪の日の 2 26 へ…〆
↑先帝の御世なら、こりゃ不敬罪だw 伍長閣下が妙にカマ臭いのが気になるが...
>>453 >>とカキコしている自分は、 ああもう朝か、 朝だな。
どうもでございます。とカキコしている自分は、ああもう朝か、朝だなw。
>>454 >>渡辺教育総監
いかんいかん。襲撃されたのは、渡辺錠太郎「教育総監」でした。急いで
書いていましたので間違えました。「陸相」は川島義之ですw。
>>455 >>襲撃した河野壽大尉の「女子供に手を出すな」という兵への言葉を
>>聞いた吉田(麻生)和子が機転を利かせて女ものの着物を牧野伯爵に
>>着させて逃れたという話でしたね。
これもいかんいかん。
>>455 は正確には、下記になりますw。
>>襲撃した兵士に「旅館の主人の家族」と勘違いされたラッキーもありまして、
>>451 >>ちなみに広田は事件当日、外相官邸におりました――。
>>451 を読み直したら、斎藤実も「内相」とか書いているよw。もちろん、
「内大臣」です。もうダメだな、オイw。
当然のことながら、内相(内務大臣)と内大臣は全然異なります。このときの
内相は、後藤文夫です。ちなみに後藤内相も「2・26事件」で決起将校らの
殺害リストに地味に載っていましたが、本人不在で助かっています。
広田は妻の静子が、社交が大の苦手ということもありまして(外相主催の
パーティにもやむを得ず2回しか出たことがない)、家族を原宿の同潤会
アパートの裏手にある家に置いていました。娘らも体が弱かった理由も
あります。広田は急がしい時だけ、外相官邸に泊まりこむという形です。
殺害対象は、決起将校らが望む●「次期政権」の邪魔になるであろう人物、 ●あるいは「君側の奸」と思しき人物でしたが、端的に言えば「皇道派の敵」 となります。 とくに斎藤実(前首相・内大臣)と高橋是清(蔵相)は、皇道派の救世主であろう 「荒木陸相」をダメにした大物と映りますから、彼らからすれば極悪人でしょう。 また渡辺錠太郎教育総監は、真崎甚三郎のすぐ後任なので、まるで渡辺が 真崎を引きずり下ろしたかのような印象を強く持たれたのが、不幸でした。 まあ渡辺錠太郎が殺害されたのは、リベラルで「自由主義的」傾向が強かった のも大きいでしょう(給料の大半を丸善への支払いに)。天皇機関説を擁護した という説もありますが、実際のところよりも一人歩きした感があります。 岡田啓介は現政権の首相ですから、必ず仕留めなければなりません。そもそも 事件が起こる前の2月20日に「総選挙」があり、与党の民政党が逆転第一党に なったばかりです。
まあ、岡田内閣は「倒閣運動」を起こされ(政友会や皇道派、平沼騏一郎らの 大物右翼)、1月21日の内閣不信任案の提出後に、解散総選挙に打って出て いた訳です。あまり意味のないIFイフですが、もし民政党が大敗していたら、 「2・26事件」は起こらなかったかもしれません。要するに選挙結果が、青年 将校らの決心にも大きく影響しています。 まあ、民度はマトモだったと言うべきでしょうか。 そんなこんなで現政権のメンバーは徹底的に狙われた訳ですが、岡田啓介 首相、高橋是清蔵相、後藤文夫内相(本人不在で無事)ときて、外相の広田が なぜ「放置プレイ」だったかという疑問が残ります。 斎藤実内閣で広田は、荒木貞夫陸相のいう『非常時』をめぐりさんざん対立して いますし、荒木が病気(肺炎)を理由に辞職するのにも一役買っているでしょう。 また広田の「協和外交」は、陸軍の目の上のタンコブであったはずです。
469 :
名無し三等兵 :2008/03/30(日) 05:30:53 ID:NZmG89rc
>>460 w それはwキモオタ童貞のw 貴様のw事だろw
牧野伸顕が襲撃された理由は、長年「内大臣」を務めた(君側の奸)のと 外交的にはその「欧米協調主義」が皇道派に嫌気された訳ですが……。 まあ、後藤内相が狙われたのは「治安維持」を担当する役職という点が 大きかったですし、決起将校らも要人襲撃だけでなく、陸相官邸、警視庁も 押さえなければなりません。いくら人手があっても足りないというところで しょうか。外相の首なぞ、内閣が変わればいくらでもすげ変えられると。 それにしても、「2・26事件」の後継内閣が広田弘毅になる訳ですから 殺害対象から除外されたのは、ターニングポイントと云うか皮肉を感じ させます――。そのとき歴史が動いたとでも言うのでしょうかw。もし 幣原喜重郎が外相だったら、どうだったろうかという気もします。
471 :
名無し三等兵 :2008/03/30(日) 06:58:32 ID:SLB+KEuA
>>467 渡辺錠太郎大将は尊敬すべき人物ですが、
永田追い落とし工作を妨害したり、
皇道派一派にはいろいろ恨まれるようなことがあったとか。
>>469 >>471 ってここで暴れてた法輪功の工作員だろw
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1206188395/l50 2chと4畳半の小汚い部屋が全世界のこんな香具師ww
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|ノ (∵∴∪( o o)∴)
| < ∵ 3 ∵>
/\ └ ___ ノ
.\\U ___ノ\
\\__) ヽ
代々木アニメーション学院
アニメ科3年「新しい歴史教科書」会員
小中高の12年間、一貫していじめられパシリ奴隷となる
いじめ・パシリ・奴隷 といった特定の言葉に過剰反応する
典型的な“ゆとり脳”で読解力皆無だが本人は無自覚
落ちこぼれたため、学校教育や教師に異常な敵意を示す
ヒキコモリのためコンビニ店員以外の中国人をみたことはない
脳内支那人に生活基盤を破壊される妄想に始終おびえている
所得自体は中国人に負け、海外に行った経験もない
自覚はないが、2ch経由で韓国カルトに洗脳されている
現在は中華カルトの法輪功に入信し、ネット工作に従事
だが“ゆとり脳”ゆえの自爆続きで教団内でもバカ扱い
20年前なら確実にΩに入信して出家信者だなw
474 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/30(日) 21:53:54 ID:scWnM8kA
>>472 >>渡辺錠太郎大将は尊敬すべき人物ですが、
まあ、渡辺教育総監が襲撃されたのは最後発で、26日朝の午前7時頃です。
斎藤実内大臣を殺害したグループ(午前5時15分頃に『天皇陛下万歳』三唱)
から、30人ほどが分派してトラックで渡辺大将私邸に向いました。
30人程とはいえ、歩兵銃10丁・軽機関銃4丁の重武装です。渡辺私邸は
荻窪で都心から大分離れており、この時間の到着となりました。すでに青年
将校らの決起は知らされており、すぐに自宅を離れれば命は助かった
可能性が高いのですが――。
渡辺私邸には憲兵伍長と憲兵上等兵の2名が泊まりこんでおり、応援の憲兵
部隊を待ったのが命取りになりました。仮に10人そこらの増援では、相手は
軽機関銃をもっていますから蹴散らされてしまうでしょう。まあ、結果論です。
仮にその場を離れても自宅が焼き討ちに遭うのは必定です(牧野伸顕・別荘)。
475 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/30(日) 22:15:17 ID:scWnM8kA
まあ、「2・26事件」そのものは今テーマの主題ではありませんので程々にして おきます。1点だけ余談になりますが、決起部隊の鎮圧に「化学兵器」が検討 されたのは興味深いところです。要するに「毒ガス」な訳です。 最近自分が思うに、天下のCGA(支那派遣軍)が支那の総人口の半分も減らせ なかったのは、なぜだろう?という疑問があります。当時おおよそ4億人でしたが、 せめて4分の1の、1億人ぐらいは……と考えると気分が憂鬱になります。 そこで興味を持ったのが、日本陸軍の化学兵器(毒ガス)の問題です。過去に 支那戦線での使用例を取り上げられた書籍もありますが、「731部隊」のような 細菌兵器に比べれば、その認知度は比較にならないほど低いものです。 まあ、ぶっちゃけ、昨年のNHKの特番(支那戦線の毒ガス使用)を、再放送まで 見逃して悔しい思いをした事がきっかけなのは否定しませんがw。冒頭の問題の ブレイクスルーとして、「支那事変と毒ガス」みたいなテーマを1つ考えています。
476 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/30(日) 22:34:26 ID:scWnM8kA
まあ、「2・26事件」で決起部隊の鎮圧に、「毒ガス」の使用がかなり真剣に 検討されたのは理由があります。要は、「皇軍相撃つ」の深刻な状況を 可能な限り避けたい訳です。 もし本格的な「武力討伐」になった場合、決起部隊は各所を分散占拠している とはいえ、約1400名います。しかも、軽機関銃程度には武装しています。 可能性は低いとはいえ、決起部隊が最後の一兵まで抵抗するとなれば、 それが中隊規模だったとしても悪夢に他なりません。しかも向こうは拠点で 立て籠もる方です。一体こちらの流れる血はどれくらいになるでしょうか? まあ、最悪の最悪の事態ですが、現実に「武力鎮圧」を考える立場としては こうしたケースも想定していなければ嘘になります。
477 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/30(日) 22:55:03 ID:scWnM8kA
キホンのキホン的な話ですが、●「戦術の基本は、圧倒的戦力の集中による各個 撃破であり」、●「対抗不能性の追求こそが、戦略のアルファーでありオメガー」な訳 です。ああ、小っ恥ずかしい……w。知らない人は100万回、念仏の如く唱えませふ。 こちらの犠牲を少なく「決起部隊」を鎮圧するのは、実はカンタンな話です。向こうは せいぜい機関銃程度なのですから、砲なり戦車なりを持ってきて建物ごと撃ち込めば 済む話です。それだけで「対抗不能性」の実現になります。すぐに鎮圧です。 しかしここで問題があります。山王ホテルや料亭の幸楽に、砲をブチ込むのは良い としても、首相官邸など各官邸を吹き飛ばすのは、世間体上どうかと思われますw。 また根源的な問題ですが、いくら被害少なく決起部隊を全滅させても、死んだ青年 将校らが『殉教者』的な存在に昇華されては、その後の政治的にもひどくマズイことに なります。4年前の「5・15事件」でも、全国から助命嘆願運動が巻き起こりました。 そんなジレンマの中で、急浮上してきたのが「毒ガス兵器」の使用な訳です――。
478 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/30(日) 23:12:07 ID:scWnM8kA
まあ、決起部隊の「防毒面の装備」がどれぐらいだったか分かりませんが、 一方的にこちらが使えるという時点で、「対抗不能性」の実現になります。 しかも向こうは拠点に立て籠もる立場ですから、「毒ガスの使用」はまさに うってつけの状況です。 まあ、「みどり(催涙性)」では効果が薄いかもしれませんが、「あか(クシャミ・ 嘔吐性)」を使えば、相当の効果があるでしょう。致死性ではありませんから (言うまでもなく量による)、戦闘どころではなくなったところに突入すれば 犠牲は最小で済みますし、「あか」を吸って身動きが取れなくなるぐらいに なっても1日程度で回復します(支那事変では30分〜数時間の戦例も)。 それでも首謀者あたりは自決してしまうかもしれませんが、『殉教者』が 生まれるのは最低限に抑えられます。 「これは考慮に値する」として、陸軍の化学戦部隊が武力討伐の前日に 都内で待機させられ、その日の気象条件なども綿密に調べていました。
479 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/30(日) 23:25:26 ID:scWnM8kA
しかし、ここで待ったが入ります。首都のド真ん中で、しかも反乱部隊とはいえ 同じ日本人に対して「毒ガス」を使うのはどうか、というもっともなツッコミですw。 いくら催涙ガスだと言い張っても、薄々は感づかれるでしょうし、国際的な目も 気にしなければなりません。首都で「武力反乱」が起こっただけでも、ひどい マイナスイメージなのです。 幸いにして「下士官兵に告ぐ」のビラ撒きや、NHKで「兵に告ぐ」のラジオ放送が 流れますと、決起部隊の兵たちが次々に帰順していきます。これなら武力討伐 自体が必要なくなり、毒ガスの使用なんてとんでもないという流れになります。 決起将校たちも、安藤大尉が自決未遂を行なった他は、武力闘争から「法廷 闘争」の道を選び、「2・26事件」は鎮定されました。しかし、これは予想されうる 「最善の結末」に近いですね。まともな銃撃戦も起こらなかった訳ですから。 とはいえ、「2・26事件」の与えた影響とその後の後始末は、日本の針路に 大きな影響を与えます。もちろん広田弘毅の生涯にとってもです――。
481 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/31(月) 22:43:43 ID:+BbgHN6e
まあ、1ヵ月取り上げるのが遅くなりましたが、先月のPHP文庫の新刊 『2・26事件がよくわかる本』(太平洋戦争研究会著)は、一見の価値あり なのでお勧めです。とはいっても、第13章の「新聞は事件をどのように 報じたのでしょうか。」だけですが。しかし、これは面白い。 2・26事件発生直後から、決起部隊の鎮定、そして戒厳令の解除にいたる 事件から約5ヵ月後の7月18日まで、ポイントとなる新聞記事の切り抜きが 載っています。とくに後継の広田弘毅内閣がどのような顛末でできたかが、 数ページ眺めるだけで理解できますので、このテーマにうってつけです。 例えば、2月27日に「2・26事件」の第1報が新聞に載りますが、この時点では 岡田啓介首相が「即死」と報じられていたこと、またこの時点で、後藤文夫内相 (襲撃リストに入っていたが官邸を出ていて難を逃れる)が首相代理に選ばれた ことも分かります。また2月28日付【事件から2日後】の新聞で、瀕死の重傷を 負った高橋是清蔵相が死去したことが伝えられました。
482 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/31(月) 23:07:04 ID:+BbgHN6e
2月29日【事件から3日後】の新聞号外で「反乱鎮定さる!!」が報じられ、 3月1日【事件から4日後】の記事で、「岡田首相生存す。射殺されたのは 義弟(松尾伝蔵予備役大佐)」と初めて伝えられました。 要するに、事件が終息したためにようやく報道が解禁になった訳です。決起 部隊が頑張っている内に、殺したはずの岡田首相が生きていると公にしたら エライことですw。 また3月1日の時点で、●「後継首相と内府(内大臣)後任、適材銓衡 容易ならず」の記事もあります。岡田首相は五体無事に生き残りましたが、 事件の責任を取るかたちで退陣を余儀なくされます。 また海軍大将のくせに逃げ隠れしたと、国民に不評を買ったのも大きい でしょう。事実、岡田が隠れていた「押入れの写真」も残っていますから それを見るとさすがにゲンナリせざるを得ません。何と言っても義弟が 身代わりなって死んでいるですから。まあ、これは人情というものです。
483 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/31(月) 23:34:21 ID:+BbgHN6e
ちなみに1936年は閏年ですから、「2月29日」があります。閏年は4で 割り切れる年なので、2008年の今年も閏年で29日がありましたよね。 3月3日【事件から6日後】の記事で、●「重大難局の真っ只中に西園寺公 いよいよ入京(東京入り)す。選考これより本格的」、●「事件の根本解決に 強力内閣を要望。陸軍側の態度決す」と伝えられました。 そして3月5日【事件から8日後】に、西園寺の奏薦により●「近衛文麿公に 組閣の大命下る。ご尊像(昭和天皇)を乞い退下。直ちに組閣に着手」との 記事が載りますが、これは先走りというかフライングになりました。 というのも、近衛文麿は自身の健康問題を理由に大命を拝辞してしまいます から、同日の新聞記事に●「西園寺公の重責倍化、後継首相再銓衡。今日 更に奉答せん」と訂正されました。新聞記事では、●「健康勝れず自信なし」 とあります――w。いよいよ2・26事件後の「政治の空白」もシャレにならなく なって来まして、だんだん『24』(トゥエンティ・フォー)の様相を呈してきますw。
484 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/03/31(月) 23:59:06 ID:+BbgHN6e
>>483 >>だんだん『24』(トゥエンティ・フォー)の様相を呈してきます。
そろそろ話を本筋に戻しましょう(新聞記事も引き続き参考にしますが)。
大変なのはキングメーカーである西園寺公望です。最後の元老として
老体に鞭打つのですが、そろそろ体力的にも精神的にも限界です。
時代の急変についていくことが出来ません。
後継首相の選定は、まさに『24』(トゥエンティ・フォー)のドタバタ劇です。
ジャック・バウアーは一体誰なのかは知りませんがw。ひょっとすると
広田弘毅かもしれません。
さて時間を少し遡ります。2・26事件当時、外相官邸にいた広田弘毅は
ほかの閣僚と連絡を取りつつ、急ぎ参内します。臨時首相代理になった
後藤内相が音頭を取り、閣議は宮中で行なわれました。この席で広田は
戒厳令の公布に反対していますが、まあ公布は致し方ない事でしょう――。
485 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/01(火) 23:39:40 ID:YMl+mjoN
>>483 >>後継首相の選定は、『24』(トゥエンティ・フォー)の様相を呈してきます。
「2・26事件」の後継首相として名前が挙がったのが、
●近衛文麿
●平沼騏一郎
●山本英輔海軍大将(ただし陸相候補として板垣征四郎のオマケ付き)
の3人です。3月2日【事件から5日後】には、陸軍の中堅将校を集めて協議が
開かれています。この結果は、秩父宮陸軍大尉や西園寺の秘書である原田
熊雄を通して、木戸幸一(内大臣書記官長)にもたらされました。
また翌日の3月3日【事件から6日後】には、岡部長景陸軍政務官から木戸に
『陸軍の意向』が伝えられています。この中味は「国体明徴」「国民生活の安定」
「国防の充実強化」などがありますが、2・26事件当時、参本作戦課長だった
カンジ(石原莞爾)の「意向」が強く働いていると云います――。
486 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/01(火) 23:58:14 ID:YMl+mjoN
>>485 >>●山本英輔海軍大将(ただし陸相候補として板垣征四郎のオマケ付き)
まあ、カンジは「2・26事件」当時、戒厳司令部参謀を兼務して「事態の処理」に
あたっていました。このとき帝国ホテルで、橋本欽五郎大佐と満井佐吉中佐と
密談して決めた「収拾策」と、
>>485 の『陸軍の意向』はほぼ同一だった訳です。
この頃からカンジの絶頂期(参本作戦部長)が始まる訳ですが、兄貴分であると
同時に『信者』でもある板垣征四郎を、何とか陸相に就けようと画策しています。
まあ、「カンジの春」は支那事変が始まるまでのごく短い期間ですが、それは
ひとまず置いておきましょう。
さて3月2日には西園寺公望が上京してきます。翌3日に木戸は上記の内容を
伝えました。西園寺は木戸に対して後継首相の適任者を問いますが、木戸は、
●「近衛公をおいて他にない」と答えています――。また西園寺は平沼騏一郎の
右翼的傾向が大嫌いで、首相にも枢密院議長にも「拒否権」を発動していました。
一方、山本英輔は「皇道派」の真崎甚三郎に近いですから、問題外な訳です。
>>486 >山本英輔
思想がねえ。問題ありですよね。
488 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/02(水) 00:37:36 ID:+kxZkAdy
しかし、ここで奇妙な一致が生まれます。 ●近衛文麿@ ●平沼騏一郎A ●山本英輔海軍大将B(ただし陸相候補として板垣征四郎のオマケ付き) 陸軍が一番に希望する「後継首相」が近衛文麿であり、元老の西園寺が 「最後の切り札」として奏薦しようと考えていたのも、同じく近衛文麿だった 訳です。@ABは陸軍の希望する順位だと考えてください。陸軍が近衛を 持ち上げようとした理由は、近衛の「革新」を好む傾向ゆえです。 両者の思惑はまるで違いますが、近衛が「2・26事件」の後継首相を引き受ければ 全てが丸く収まる訳です。しかし、そうホイホイ上手くいくなら誰も苦労しませんw。 すでに近衛は、殺害された斉藤実内大臣の後任として推薦されていましたが、 病気を理由に断った経緯があるからです――。
以前、湯河原の「光風荘」を見学したおりに 事件当時の新聞が数社展示されておりました。 その中の某大手新聞一面の広告欄に「精力増強剤」のCMを見つけて思わず噴いた記憶がw
490 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/05(土) 00:23:48 ID:M2QRrBwD
>>489 >>その中の某大手新聞一面の広告欄に「精力増強剤」のCMを
>>見つけて思わず噴いた記憶がw
戒厳令が解除されたころ(1936年7月半ば)の新聞には、「2・26事件」を
全面特集した『文藝春秋』や『中央公論』など論壇誌の広告が載っています。
●二月二十六日、首相官邸一番乗り記 ●日本的性格とファシズム
●事件関係人国記 ●戒厳令の歴史的意義 ●国防費の現代性
『「2・26事件」がよくわかる本』に一枚だけ新聞広告の写真が載って
いますが、こうして文字だけ打ってみると見出しが硬過ぎますね。実物を
見ると『文藝春秋』も昔から変わらんのう――と思うのですがw。
491 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/05(土) 00:42:56 ID:M2QRrBwD
>>487 >>山本英輔 思想がねえ。問題ありですよね。
まあ、3月7日【事件から7日後】には、陸軍の現役大将7人が事件の責任を
取るかたちで『予備役編入願い』を出しています。ちなみに面子は、
●林銑十郎大将 ●真崎甚三郎大将 ●荒木貞夫大将 ●阿部信行大将
●西義一大将 ●植田謙吉大将 ●寺内寿一大将
ですが、このうち実際に予備役に編入されたのは、林・真崎・荒木・阿部の
4人だけです。実際には「進退伺い」みたいなものでしたが、林・真崎・荒木は
当然の報いだとしても、阿部信行が編入されたのはちょっと解せません。
皇道派にも統制派にも属さない「無色の軍人」だったからです。
ちなみに阿部信行は、海軍の井上成美とは義弟の関係、木戸幸一とも姻戚
関係にあります。その「無色さ」と海軍に気脈が通じたことから、首相にもなる
訳ですが、陸軍でもう少し現役を続けても良かったと思います。
492 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/05(土) 01:18:37 ID:M2QRrBwD
ちなみに予備役に編入されなかった寺内寿一は、広田弘毅内閣で陸相となります。
西義一は教育総監、植田謙吉は関東軍司令官です――。
>>488 >>●山本英輔海軍大将B(ただし陸相候補として板垣征四郎のオマケ付き)
ちなみに岡田内閣の後継首相にも名前が挙がった海軍の山本英輔大将ですが、
皇道派の青年将校や真崎甚三郎大将とも関係が深いことが危険視されて、3月末
には予備役に編入されてしまいます。いきなり天国から地獄です。まあ陸軍の粛軍
とバランスを取るため、海軍でも何人かが予備役に回されている訳です。例えば、
中村良三、小林躋造などですね。
>>488 >>近衛が「2・26事件」の後継首相を引き受ければ全てが丸く収まる訳です
まあ、近衛が引き受けたがらないのは、深く考えずとも分かりますよね。こんな
「魔女の婆さんの鍋」をひっくり返した後のような首相など、好んでやりたい人間が
いるはずありません。
493 :
イナゾウ上級少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/05(土) 01:43:20 ID:M2QRrBwD
>>483 >>後継首相の選定は、『24』(トゥエンティ・フォー)の様相を呈してきます。
当時の近衛文麿は、小泉首相政権下の「安倍晋三」以上の期待を持たれていた
訳です。まあ、政権を途中で投げ出すあたり、とてもよく似ている訳ですがw。
「首相奏薦」の責任がある西園寺公望は、平沼騏一郎や山本英輔など「不可」と
云うぐらいです(『木戸幸一日記』)。当然、自らの「秘蔵っ子」である近衛文麿に
大きな期待をかけますが、実は「ファシズム路線」という点で前者2名とどれほど
違いがあるのか分かりません。西園寺は近衛を見誤っていたというべきでしょう。
まあ、ファシズム路線というと正確ではありませんが、要するに「皇道派を好む」
と言う点で、平沼・山本・近衛は全く共通していた訳です――。
494 :
俄将軍 :2008/04/05(土) 02:38:29 ID:???
「革新」というのは、「革新官僚」だけではなく、「革新華族」も、ということになると、近 衛、木戸、有馬なども、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。 「革新華族」の「流れ」は、現在でも、ということもあるのか、などと。
革新華族といえば、昭和天皇三兄弟はみんな革新派じゃないかね?w
>こうして文字だけ打ってみると見出しが硬過ぎますね ひらがなや変なカタカナを混ぜたりするのに比べればずっとマシ。
24が好きなことは分かったぞ(゚д゚メ)
498 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/06(日) 21:43:22 ID:CiZm5l2+
西園寺は、近衛を「後継首相」に口説き落とそうとします。 3月4日【事件から7日後】の午前10時過ぎ、西園寺は近衛を呼んで1時間に わたり説得しましたが、近衛は頑として拒否します。西園寺は更に木戸幸一も 呼んで手伝わせましたが、それでも近衛に断られました。しかし西園寺はなお 諦めません。 いったん近衛は自宅に帰りましたが、秘書に●「西園寺公には多年厄介に なっていて言うことを聞かなかったのだから、破門は覚悟だ――」と漏らして います。政界のプリンスとされる近衛にとって、西園寺の後ろ盾を失うことは 痛過ぎるどころの話ではありませんが、それでも「2・26事件」の後継首相 よりはマシだった訳です。 夕方の午後4時、参内すると近衛に●『組閣の大命』が下ります。昭和天皇も 「是非とも」と言っています。今度は元老・西園寺、木戸幸一に加えて枢密院 議長の一木喜徳郎も加わって、3人がかりで近衛を説得するのですが――。
499 :
俄将軍 :2008/04/06(日) 21:46:50 ID:???
「赤化華族」なスレッドは、此処、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
“赤化”と言うのは、“ユダヤ的”と言うのと同類のレッテル貼りですがなw
501 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/06(日) 22:03:39 ID:CiZm5l2+
しかし近衛は午後5時35分に、再度天皇に拝謁して●「不健康」を理由に大命を 拝辞してしまいます。全く前代未聞の良い度胸で、近衛らしいと云えばそれまで ですが…。後の宇垣一成が、陸軍の妨害で陸相ポストにどうしても人が得られず 泣く泣く「組閣の大命」」を拝辞したのとは訳が違います。 近衛はなぜ、こうまで頑なに「後継首相」を拒んだのでしょうか? 「2・26事件」の 後始末などという「火中の栗」を拾うのが面倒くさいのは勿論ですが、それでも 西園寺のバックや昭和天皇の心証を悪くするのとどちらが損か? という疑問も 湧いてきます――。近衛は秘書に対して、 ●「いよいよ大命が自分に下ることになったが、元老重臣と自分とは考えが違う。 元老の希望に従えば革新派(近衛も)と合わず、革新派の言うことを聞けば、 元老の期待する政治はできない。断るより他はない」と愚痴をこぼしています。 要するに、近衛は西園寺の過剰な期待とは裏腹に、西園寺の政治的方向性と 自分は違うと冷めていた訳ですが、もう1つ大命拝辞の大きな理由がありました。
502 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/06(日) 22:24:59 ID:CiZm5l2+
>>493 >>要するに「皇道派を好む」と言う点で、平沼・山本・近衛は全く共通
「2・26事件」の後継内閣は当然、「粛軍」が1つの大きなテーマになります。
要するに「皇道派のパージ(追放)」です。これは海軍でも同様でしょう。
もし近衛が後継首相を引き受けたとしても、これでは自分が近しい立場の
荒木貞夫や真崎甚三郎などの「皇道派」を処理する立場に追いやられる
ので、まっぴらご免という訳です。わざわざ自分の首を絞めるようなもので
陸軍の人脈を全て失ってしまいます。蛸が自分の足を喰うのに似ています。
3月10日【事件から13日後】に、近衛は荒木貞夫に対して●「自分は大命を
受けても、もう陸軍に相談する人がいない」と語っているのが、そのものズバリ
でしょう。また本庄繁侍従武官長も、陸海相に人が見つからないことが近衛の
大命拝辞の重大な原因だと荒木から伝え聞いています。しかし、西園寺は
むしろ「皇道派」こそが対内外的にも最も危険だと考えていましたので、近衛の
皇道派をパージする役割は嫌だというのは、理由にならないと思ったはずです。
503 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/06(日) 22:46:27 ID:CiZm5l2+
余談になりますが、「2・26事件」の対外的影響は大きく「支那の侮日」を招く 原因になっています。要するに蒋介石のアホに、おかしな夢を見させるのに 一役買っている訳です。日本陸軍も内乱を起こすなんて、ウチと同じような もんじゃないかとw。また作戦の実務を担っていた皇道派の将兵が大量に パージされたことも、蒋介石が日本を軽く見るようになった理由の1つです。 第一次上海事変は、皇道派の全盛時代の出来事だったからです。こうして 蒋介石は着々と日本との開戦準備を進めていく訳ですが、また別の話です。 まあ、中テーマ「支那とドイツ軍事顧問団」でも少し触れました。 それにしても今日、NHK特番の「北京の怒れるニュータウン」を見ましたが 支那は救いが無いというか、進歩がないなあと。マンションの管理会社なんて いかに仕事しないか(管理費をまるまる懐に収めて使わないか)しか考えて いませんし、あのネガティブな「泥仕合」に時間もエネルギーも体力も延々と 奪われるなんて、資源の無駄遣いもいいところです。国中でああいうことを していると思うと、アホ極まりないです。
504 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/06(日) 23:13:09 ID:CiZm5l2+
まあ、こうして近衛の首相の目は完全に消え、西園寺の苦悩が深まることになり ます。平沼騏一郎だけは絶対に嫌です。皇道派に近いのは近衛と同じですが、 西園寺に遠慮が全く必要ない分、粛軍が粛軍にならない可能性もあります――。 後継首相の選定はフリダシに戻ったかに見えましたが、意外とカンタンに次の 候補者が見つかりました。 同じ3月4日の夕刻、宮城の侍従職・高等官食堂で、一木枢密院議長と湯浅倉平 宮内大臣、広幡忠隆侍従次長が夕食を取っていた時のことです。 いきなり一木が「広田(弘毅)さんはどうでしょうか?」と言い出したのです。その 理由として、広田が斉藤実内閣で外相を務めていたとき、五相会議で皇道派の 荒木とも互角以上に渡り合い、主導権を握ったことが評価されたのが1つです。 また「2・26事件」は一面、統制派と皇道派の「対ソ問題」をめぐる衝突、もっと 言えば、いわゆる「1936年危機」(対ソ開戦)が背景にあった訳です――。
505 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/06(日) 23:31:54 ID:CiZm5l2+
まあ、海軍だって「ロンドン軍縮条約」の脱退(1935年危機)があった訳ですが この際、置いておきますw。 「対ソ問題」についても、ソ連大使だった広田弘毅を「後継首相」に据えれば、 うってつけだと一木枢密院議長は考えた訳です。外務省のタフ・ネゴシエーター として「穴馬」ではありますが、西園寺のお目がねにも適うのではないかと。 また陸軍の要求に対して「相当対抗できる」のは、すでに実証済みです。 他の2人(湯浅宮内大臣、広幡侍従次長)も「それは1つの手だ」と賛成したので 湯浅から木戸幸一(内大臣書記官長)に「広田首相案」が伝えられました。 そして木戸も賛成しましたので、宮内省次官室にいた西園寺の意向を伺うと ●「それは確かに一案だが、果たして広田が受けるだろうか?」と半信半疑です。 木戸は「それなら近衛にも説得させましょう」と薦めると、「では1つやってみてくれ」 ということになり、木戸は近衛に電話で連絡をします――。
506 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/06(日) 23:48:40 ID:CiZm5l2+
木戸は●「罪滅ぼしと思って、広田が承諾するようあらゆる手段を尽くして くれないか?」と依頼すると、近衛は●「よしやってみよう」と答えました。 近衛にしてみれば、西園寺と関係をこじらせたのを修復するチャンスですし、 何より自分ではない、別の人間に「2・26事件」の後始末をやらせる絶好の 機会な訳です。近衛は、広田と外務省同期の吉田茂を招いて説得を依頼。 さっそく吉田茂は3月4日深夜に、広田弘毅の自宅を訪ねて元老らの意向 (後継首相)を伝えました。ちなみに近衛と吉田は、WW1のヴェルサイユ 講和会議の随員同士という関係で知り合っています。 吉田も生来の「政治大好き人間」として、同期の広田が栄達を極めるのは 内心面白くないでしょうが、自身が飛躍するまたとない契機となります。 キングメーカーの手伝いではありませんが、ここで深く関わっておけば 自分にも大きなものが転がりこんで来るでしょう。
>>503 ×作戦の実務を担っていた『皇道派の将兵』が大量にパージされたことも
◎作戦の実務を担っていた『皇道派の将校』が大量にパージされたことも
実践部隊にいた将校までパージされていたとは知らなかったね。 粛清されたのは陸軍省と参謀本部だけかと思ったが・・・
>>508 パージというのは転属や降格といったものも含まれるんではないかと?
独歩送りモナw
分かった。日本における支那は、欧州におけるアフリカのようなものだ。
↑似ているが、日清〜日中の戦闘には、欧州の雇い兵100人が 一国の軍と互角に戦えるほどの軍事力の差は無かった。 日中戦争中でさえ、日本軍は地元軍閥の協力を取り付けられなければ占領地が維持できなかったし、国府中央政府の法幣流通も止められず贋金作りに勤しんでいた。
513 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/08(火) 01:10:12 ID:5OfxXyA+
>>509 パージというのは転属や降格といったものも含まれるんではないかと?
出世が止まるというのも含めてくれいw。まあ、「第一次上海事変」(1932年)は
荒木貞夫陸相、真崎甚三郎参謀次長、小畑敏四郎参本作戦課長など、皇道派が
中心の戦いだった訳です。小畑の弟子の鈴木率道も、何気にターニングポイント
となった「七了口敵前上陸」の下地となる現地調査に関わっています。それは
鈴木が作戦課の作戦班にいた5年前のことですが。
まあ、「七了口敵前上陸」をやるために当時、作戦課長だった今村均に変えて、
1度経験している小畑敏四郎に「2回目をやらせた」というのが象徴的です。
「作戦の鬼」と呼ばれた小畑敏四郎ですが、皇道派のホープであったため
2・26事件が起きた1936年には予備役に編入されてしまいます(中将)。
支那事変が起こると、大量の将校不足の問題が発生しますが、小畑は留守
第14師団長になったきりです。同様に2・26事件の責任を取らされて予備役に
編入された「あの」橋本欣五郎でさえ、野戦重砲連隊を率いているのにですw。
514 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/08(火) 01:21:38 ID:5OfxXyA+
「作戦の鬼」小畑敏四郎が、早期に軍を去っただけでも陸軍にとって手痛い
損失でしょう。永田鉄山が斬殺されたのにも匹敵します。本庄繁はカンジが
おかしくなって軍を追い出されるのではないかと懸念して、「小畑の二の舞に
ならなければよいが」と心配の引き合いに出すほどです。
>>507 >>◎作戦の実務を担っていた『皇道派の将校』が大量にパージされたことも
>>508 >>実践部隊にいた将校までパージされていたとは知らなかったね。
>>508 は意味が取り違えてますね。まあ、皇道派の申し子である鈴木率道も
2・26事件後は冷や飯を食わされています。それでも中将にまで成れたのは
鈴木が人格的に問題があったとしても優秀で、また航空畑の道にキャリアを
転換できたからでしょう。
あるいは皇道派で「対米避戦」を叫び続けた者に、小野寺信(少将)がいます。
北欧に飛ばされて、スウェーデン大使館付武官となり、それなりの実績を挙げる
のですが、その意見は中央で黙殺され続けます。
515 :
俄将軍 :2008/04/08(火) 01:30:04 ID:???
>>500 主義者な華族など、「赤化華族」というだけのことであり、逮捕された不定の輩なども、という
こともあるのか、などと、嘯いてみたり。
516 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/08(火) 01:35:22 ID:5OfxXyA+
まあ、昔の火葬戦記で『世界最終戦争』(佐治芳彦著)というカンジが主役となる ものがありまして、その中では小畑敏四郎が復活していますが……w。 また鳥居民の著作に『近衛文麿「黙」して死す』がありますが、「統制派(善玉)・ 皇道派(悪玉)史観」に大きな疑義を呈するものです。 そして皇道派を分かりやすく表現するならば、 ●荒木貞夫=佐藤聖様、●小畑敏四郎=藤堂志摩子、●鈴木率道=二条乃梨子 という「白薔薇の系譜」にあたります。
わかりやすくない、わかりやすくないw
セーラー服着たむさいおっさん想像しちゃうからその比喩ヤメイ
2・26粛軍=プチ赤軍大粛清として陸軍の戦力が下がったという観点では あまり語られてこなかったので新鮮だな
521 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/08(火) 23:52:09 ID:+Lnbz8pz
>>519 >>真崎甚三郎は?w
蟹名静様がふさわしいでしょう。ですので正式には、
●荒木貞夫=佐藤聖様、●真崎甚三郎=蟹名静様
●小畑敏四郎=藤堂志摩子、●鈴木率道=二条乃梨子
の「白薔薇の系譜」で皇道派を網羅することになります。
522 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/09(水) 00:06:17 ID:M05Ufwd4
>>506 >>さっそく吉田茂は3月4日深夜に、広田弘毅の自宅を訪ねて
突然、訪ねてきた吉田茂に広田弘毅は驚きますが、その要件(後継首相)を聞いて
黙り込みます。しばらく瞑目して考えたのち、広田は「お受けする気はない――」と
断りました。
●「自分は内政で腕を振るった経験もないし、自分は外交官として一生を終える
つもりである。それに政治的なことは得意ではない」
言外に「政治好きのお前とは違うのだ」と吉田茂を批判していますが、それでも
吉田は諦めません。広田は頑として首を縦に振りませんが、午前2時ごろに
近衛文麿から電話がかかり、とにかく翌5日の朝に3人で会うことになりました。
広田と吉田は、3月5日【事件から8日後】午前10時過ぎに目白の近衛邸を
訪ねます。ちょうどその日の新聞には前日4日、近衛に後継首相の大命降下が
告げられたこと、「健康問題」を理由に拝辞したことが載っていた頃でした――。
523 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/09(水) 00:18:37 ID:M05Ufwd4
広田としては、近衛が後継首相を引き受けるべきだと説得するつもりでしたが、 案の定、吉田と近衛が2人がかりで広田を決心させようとする形になりました。 近衛は自分の尻に火がついているので必死です――。 広田としては2人の熱心さに打たれますが、それでも「他に適任者がいる」 と軍人の名前を挙げようとすると、吉田が手を振ってそれを遮ります。 ●「誰か背広を着たやつがいいというんだな。ちょっと形式論理だが――」 この吉田のひと言に、広田は心を動かされたと云います。 ●「背広を着たやつ……」「そう。軍人や軍人に類するやつは駄目だというんだ」 広田は、それが吉田一流のレトリックだと分かってはいました。また元老か 重臣の誰かの言葉を引いてきたものであろうことも。
524 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/09(水) 00:30:51 ID:M05Ufwd4
>>523 >>●「背広を着たやつ……」
もしそれが後継首相の条件だとするならば、まさしく自分はただの背広を着た男
でしかない――。広田はそう思ったと云います。
軍服を着た連中が、西園寺など元老の気に入らぬことは当然です。近衛や平沼
騏一郎も「背広の男」かもしれませんが、彼らは背広よりもタキシードや大礼服の
方がよく似合います。自分は、背広姿しか似合いません。
●「だれか背広を着たやつ」というのは、平凡でも庶民の出でもいいから覚悟の
ある男という意味ではないのか。だとするならば、自分は……。
と考えていると、電話が鳴ります。近衛が受話器を取ると、西園寺の秘書の原田
熊雄でした。近衛は話を終えると、●「実は、今こうしてあなたを説得している事を
西園寺公がご存知で、『広田は受けてくれるか』と心配のあまり電話をかけさせて
来られたのです」と、悪魔のささやきを広田に聞かせます――。
525 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/09(水) 00:46:50 ID:M05Ufwd4
その後も30分ごとに電話が鳴り続けます。自分のような男の決心を、 西園寺公がそれほどまでに気に掛けておられるのか……。西園寺の 心痛は、天皇陛下の御心痛でもある――。 広田はそう考え、3月5日の正午近くになってついに大命をお受けする決心を 近衛達に伝えたのでした――。ちょうど20年後の絞首刑が決まった瞬間でした。 近衛の知らせに西園寺は喜び、さっそく宮中に参内して昭和天皇に広田を 後継首相として奏薦。こうして午後3時51分、広田はお召しを受けて組閣の 大命が降下したのです。 このとき礼装に身を包んで、伏し目がちに直立してお言葉を拝聴する広田に、 昭和天皇は次のような「注意」をしたと云います。
526 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/09(水) 01:03:11 ID:M05Ufwd4
第1に、憲法の規定を遵守して政治を行なうこと。 第2に、外交においては無理をして無用の摩擦を起こしてはならないこと。 第3に、財界に急激なる変動を与えないこと。 ここまでの3ヵ条は、歴代新首相に天皇が与えられる御注意として、すでに 広田も耳にしていたものでした。しかし、広田の場合は続きがありました。 第4に、名門を崩してはならないこと。 広田は愕然となりました。思わず顔を上げて、叶うことならその御注意の 意味を直接、天皇に伺ってみたかったといいます。自分は、「背広が似合う 男」として新首相に選ばれたのではなかったか――?
527 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/09(水) 01:08:47 ID:M05Ufwd4
>>520 >>2 ・26粛軍=プチ赤軍大粛清として陸軍の戦力が下がったという観点では
>>あまり語られてこなかったので新鮮だな
赤軍大粛清も1937年〜38年ですから、時期的には近いと云えば近いです。
「2・26粛軍」で実際に帝国陸軍の戦力が下がったかどうかは置いておくとして、
肝心なのは「侮日」を招いたことです。それも、よりにもよって支那ごときにです。
まあ、赤軍大粛清も日本から「侮りを受ける」結果となった(程度はどうあれ)
といえば、そうでしょうが。
2.26粛軍で、その後の進路が狂ってしまったのは、山下奉文もそうでしたねぇ。 元々、軍政畑だったのに、陸相への道は絶たれて、ほとんど前線送りに。
顔は前線指揮官向きだな。当時としては大男だったし。 福々しいから学校長もいいかも知れん。
押しも効くので外交も可。
前線の兵隊さんたちは中国軍のことをどう思っていたのか気になるな。 結構侮っていたりしてたんですか?
日本にくらべて火器の数が約1/3とかの 実態を知ってた指揮官クラスは侮っていた。 でも、人数だけは多いから兵は脅威に思っていたと思う。
↑軍閥の部隊との戦闘経験があった部隊ほど、大した事ないと思っていた模様。 国府系軍閥でも最強だった東北の張学良軍が、ほぼ無抵抗で支配地を明け渡したのを見て、その思いはより強く... しかし、第二次上海事変で激突した国府中央軍は、独式装備で士気も高く、独軍顧問の作戦指揮で上海近郊に塹壕を掘りまくり、軽機の装備率も日本軍並みで分隊単位での火力も大きかった。 このため日本軍は4万人を超す損害を出す羽目に陥り、南京占領までに国内の弾薬庫は空になったそうなw
534 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/09(水) 23:41:18 ID:izQ6Jv2j
>>528 >>2 .26粛軍で、その後の進路が狂ってしまったのは、山下奉文もそうでしたねぇ。
まあ、昭和天皇の不興を買ったのも致命的です。
>>531 >>前線の兵隊さんたちは中国軍のことをどう思っていたのか気になるな。
>>結構侮っていたりしてたんですか?
支那事変中期以降になると、弾薬の量はケタ違いに国民党軍の方が多いですから
バカには出来なかったでしょう。四六時中、機関銃をバリバリ撃ってきたり、迫撃砲
もバンバン、弾不足に悩まされたのはむしろ日本軍の方でした。それも深刻です。
ただし支那は土人の集まりですから、個人単位で扱える武器で優位に立っても
砲など集団で運用しなければならない兵器は不得手でした。日本軍は山砲など
アウトレンジできますから、土人共を撃退できた訳です。陸戦では兵の平均的な
教育水準が露骨に反映するのはそういうことです。
536 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 00:00:46 ID:izQ6Jv2j
>>533 >>しかし、第二次上海事変で激突した国府中央軍は、独式装備で士気も高く、
>>独軍顧問の作戦指揮で上海近郊に塹壕を掘りまくり、軽機の装備率も日本軍並みで
>>分隊単位での火力も大きかった。
要するに、蒋介石は第2次上海事変で「WW1」の塹壕線を行なおうとした訳です。
海軍の陸戦隊を救援に向かう陸軍の上陸部隊を、幾層にもわたる「塹壕線」により
消滅させようとしたのです。そのためにドイツ軍事顧問団の指導が求められました。
(まあ、中テーマ「支那とドイツ軍事顧問団」である程度述べました)
蒋介石と独軍事顧問団の最大の誤算は、WW1の陸戦を経験していないはずの
日本陸軍が「浸透戦術」など塹壕線への対策をきっちり吸収できていたことです。
それでも9千人あまりの戦死者、3万人以上の戦傷者を出しましたが。
蒋介石が夢想したのは、WW1のソンムの戦いの英仏軍のように1日で2万人
近い戦死者、6万人近い戦傷者を出して「消滅する」日本軍だったのでしょう。
>>536 この経緯はむしろ逆で、蒋介石に塹壕戦プランを売り込んだのは瑞金での対中共戦で塹壕戦を中国に紹介したゼークトの方ですね。
この計画に乗ったのは蒋介石の幕僚達でしたし、蒋介石自身はドイツ人をあまり信用していなかったのか、野戦での決戦に備えて国府中央軍を戦略予備として上海方面の後方に別途待機させています。
蒋介石が塹壕戦に一歩引いた立場だったのは、日本における浸透戦術の研究家だった松井石根大将が、蒋介石の日本留学時代の身元引受人となって以来の個人的な深い親交があったためです。
第二次上海事変での塹壕戦が想定された時点で、松井大将は予備役から呼び戻されますが、その直前に松井大将は反蒋的な西南軍閥への個人訪問で蒋介石への恭順を説いて回っています。
538 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 00:26:56 ID:mDGTSZdh
>>534 イナゾウ少尉は雲南戦を御存知ない?
X軍とY軍の指揮権をめぐる、スティルウェルと蒋介石の確執の話を06年頃に
延々とやった気がしますが。過去スレの5辺りを読んでくれい(↓)。
>>142 >>もちろん『大陸打通作戦』は日本の大勝利に終わり(戦略目的はとも
>かく としてw)、『第2次ビルマ戦役』は「インパール作戦」の名前を出せば
>説明するまでも無いでしょうw。牟田口の大貢献もあってボロボロです。
>逆に支那からすれば、裏口に当たる(同時に補給路)ビルマでは圧倒的な
>勝利を収めましたが、「玄関」の大陸正面では大惨敗を喫した事になります。
>ほとんどの日本人は、1944年に起きた『この2つの戦い』を全く別々の
>問題に考えがちですが、それは非常に大きな誤りです。
>支那では『東西両戦場』『東西二大戦場』と見なされており、もちろん
>「東」が大陸打通作戦に対する支那側の防衛であり、「西」が北部ビルマ
>反攻に当たる訳です。 ここで問題になるのが、「東の戦場」を指導していたのが
>蒋介石であり、「西の戦場」を指揮していたのがスティルウェルだった事です。
539 :
俄将軍 :2008/04/10(木) 00:35:58 ID:???
540 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 00:43:07 ID:mDGTSZdh
>>537 この経緯はむしろ逆で、蒋介石に塹壕戦プランを売り込んだのは
>>瑞金での対中共戦で塹壕戦を中国に紹介したゼークトの方ですね。
ああ、久しぶりに佐官クラスの人が来ましたね……。文章の節々で分かります。
確かに第1次国共内戦で毛沢東の運動戦にコテンパンにやられた国府軍は、
「トーチカ主義」(毛沢東の表現)を取って、運動戦の余地が無くなるぐらいに
陣地を作りまくって圧倒した訳です。
そういえば、小テーマ「第1次国共内戦」が中原大戦あたりで頓挫していたのを
思い出しました……w。
>>534 は、米式装備軍に遭たっていない部隊のことだと思ってくれい。しかし
支那派遣軍105万(終戦時)の圧倒的多数は、そっちな訳です。
541 :
俄将軍 :2008/04/10(木) 00:45:25 ID:???
>>539 インテリジェンスブームで、日本軍のインテリジェンスにまで、ということになると、「イン
パール作戦」「大陸打通作戦」などの戦史研究にまで、ということもあるのか、などと、適
当な思いつきなど書きちらしてみたり。
「東の戦場」を指導していたのが蒋介石 たしかに、国府軍の指揮は蒋介石の下に一元化されてますが、防衛戦の主体は廣東軍で汪精衛への内応を期待された軍区でした。 「西の戦場」を指揮していたのがスティルウェル スティルウェルは新造のレド公路防衛のために国府軍の派遣を要請してますが、乾季にしか物資輸送が出来ないため、数年がかりで新規に部隊を作ってます。 雲南での会戦では、スティルウェルが育成した米式装備の新編中国軍が日本軍を圧倒しますが、肝心のスティルウェルは1944年10月に解任されています。
543 :
俄将軍 :2008/04/10(木) 00:56:57 ID:???
>>520 >>527 皇道派、統制派で、実質的に、陸軍の仮想敵国は、何処に、といったような視点など、という
こともあるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
総力戦、といったような、観点からでも、ということになると、尚更、ということもあるのか、
などと、思いつくままに書きちらしてみたり。
昔世界史板に雲南スレがあったな
>>541 インテリジェンス・ヒューミントという事で 多少脱線ですが、スティルウェルは蒋介石夫人の宋美齢と“親密な”関係にあったとの噂もありましたw
これが不可解なスティルウェル解任の背景にあったとも言われていますが、その後も宋美齢と浮名を流した米国人は多く、その中のひとりが“イケメン”弁護士として政界への進出を狙っていたリチャード・ニクソンでした。
宋美齢とニクソンの関係は その後も続き、ニクソンは その政治キャリアを通じて“大陸反攻拠点”としてのインドシナに執着する蒋介石・宋美齢との付き合いの中で送る事になります。
なかでも決定的だったのは、宋美齢の立案した世紀の奇策である“米中正常化”の実現で、後世に計り知れない影響を与える事となりました。
>>540 日本軍も気の利く部隊は米式装備ですので。
かの服部支隊などは、いち早く遺棄兵器を装備して、
米式装備部隊に更新したわけで、
あの最後の撤退作戦時の嘘みたいな活躍も、
米式装備と遺棄弾薬による圧倒的な火力があってこそです。
547 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 01:05:34 ID:mDGTSZdh
>>526 >>第4に、名門を崩してはならないこと。
この昭和天皇の「異例の御注意」に広田は大きなショックを受けました。
しかし、真相は謎です。考えられる可能性は3つあります。
@そもそも、昭和天皇はこんなことを言わなかった。
A元老・重臣たちが、昭和天皇に言わせるよう仕向けた。
B昭和天皇が、自発的に言った。
どれも十分あり得ることです。@は置いておくとして、Aなら話は簡単です。
Bなら少し検討してみなければなりません。要するに広田政権に昭和天皇は
ファシズムの危険性を感じ取ったことに他ならないからです。
これは広田個人が危ないというよりも、結果的に「政権が流されてしまう」
可能性も含みます――。
548 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 01:24:20 ID:mDGTSZdh
うーん。正直もう1度、資料読み込まないと
>>545 氏に太刀打ちできそうに
ありませんw。2年前の自分だったら、ちょうど良かったかもしれませんが。
今は完全に『広田弘毅と愉快な仲間たち』の方へシフトしているので、
とてもそこまで同時並行で手を広げられません。時間的もカツカツですし、
最近は移動でも仕事の**を読むので手一杯なのです。
どうぞ、引き続き『広田弘毅と愉快な仲間たち』を続けて下さい。
550 :
俄将軍 :2008/04/10(木) 01:38:30 ID:???
>>545 宋美齢が浮き名を流すだけでなく、中国国民党自体が、対米工作に、大盤振る舞い、というこ
ともあるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
延安への米軍視察団「ディキシー・ミッション」など、ということもあるのか、などと、思い
つくままに書きちらしてみたり。
「三宅坂の薔薇の館」モナw
552 :
俄将軍 :2008/04/10(木) 02:01:08 ID:???
>>550 第二次世界大戦後の世界情勢、中国情勢、ということになると、スティルウェルと、ハ
ーレー、ウェデマイヤーの間には、共産主義、ソビエト、中国共産党に対して、スタ
ンスが異なるだけ、ということになるのか、などと、適当な思いつきなど書きちら
してみたり。
>>550 宋美齢と宋子文は米国の対華援助の相当額を着服し、これを米国に還流させていました。
この事実は、ルーズヴェルト政権下では それほど問題視されませんでしたが、エドガー・フーバー長官指揮下のFBIが調査を行って還流に関わった米国側の関係者を特定しています。
リチャード・ニクソンも宋美齢から政治資金を提供されたうちの一人でしたが、フーバーはニクソン政権でもFBI長官を務め、在任中に死亡した1972年以降も この事実が広まる事はありませんでした。
蒋介石長男の蒋経国との不仲から宋美齢は台湾から米国へ移住しますが、その後死ぬまで暮らしたNY・スターテン島の宮殿には、在米国府系華人の夫人達が侍女のように仕える別世界だったとの事です。
そんな暮らしが嫌になって香港にプチ家出中だった華人の女の子と一時期付き合っていた時に聞いた話では、晩年の宋美齢は西太后のようにおっかない存在だったそうです。
でも、その女の子もリトル西太后で かなりおっかなかったですがねw
554 :
俄将軍 :2008/04/10(木) 02:34:54 ID:???
>>553 米国政界へのチャイナマネー流入など、現在、米国で盛り上がっている大統領候補者選びだけ
でなく、1944年の民主党ルーズベルト、共和党デューイの大統領選挙にも、ということ
もあるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
植民地支配ということになると、英国の場合、ということもあるのか、などと、思いつくまま
に書きちらしてみたり
556 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 23:15:47 ID:vP330xBn
>>526 >>第4に、名門を崩してはならないこと。
もし、これが元老など周囲に言わされた「御注意」ではなかったとしたら、
昭和天皇は広田弘毅の何を懸念したのでしょうか?
兵頭軍師と別宮翁の共著に『東京裁判の謎を解く』(光人社)がありますが
この辺りの疑問を以下のように推理しています。まあ、2人のどっちが書いたか
よく分からないのが本書の欠点ですがw。要約・補足しますと――。
「2・26事件」の後継首相というのは、殺される可能性が半分ぐらいありました。
元海軍大将でも襲撃され(岡田啓介首相)、殺される(斉藤実内大臣)のですから
広田のような文官(外務省官僚)では、「風前の灯火」のようなものです。
しかし広田は組閣の大命を受けました。石屋の倅には、偉い人物になって郷党の
期待に応える義務があったからです――。昭和天皇はこれを怖れたと云います。
元老の西園寺に、「広田は名門の出ではないが大丈夫か?」と念を押しました。
557 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 23:27:46 ID:vP330xBn
>>556 >>「広田は名門の出ではないが大丈夫か?」と念を押しました。
名門でないと、ヒトラーのように名利を求めて冒険したり、「大アジア主義」の
ような奇矯な国策を打ち出してしまいかねない――。
昭和天皇は、広田が博多の貧乏人の出身で、失うものがほとんどなく、
もし国家を冒険に巻き込んだ大失敗をしても、迷惑がかかることを気にする
係累も少ないという自由さや、いまだに外交官らしい洗練さに至らない
『男気』を本能的に危惧したのだ、と云います。広田は万難を排して、福岡
出身初の内閣総理大臣になる。それが「博多男」の義務であるという訳です。
まあ、上記は「大胆な推理」(トンデモとも云うw)ですが、一部うなずけるところも
あります。広田弘毅は首相を受ける際に、半分以上『死』を覚悟したはずですし、
そうした「我が身はどうなってもいい」という捨て身の覚悟そのものが危険だと
昭和天皇が感じとるのは無理もないことでしょう。
名家・名族出身でないが故に名を惜しまないと思われたということですか・・・ 広田さんはつくづく運の無い人ですね
広田内閣といえば馬場財政と国際収支の悪化が問われることが多いけど イナゾウは昭和初期の経済とかは着手しないの
560 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/10(木) 23:54:51 ID:vP330xBn
>>557 >>失うものがほとんどなく、もし国家を冒険に巻き込んだ大失敗をしても
もしこれが松岡洋右が首相になる際に、向けられた言葉だとしたらドンピシャ
ズバリだったでしょう。自分と国家の運命を同一視できてしまう男です――。
名門の1つの究極は近衛文麿で、先祖の藤原鎌足から1千年以上にわたる
皇恩を頂戴してきた訳です。こういうのに比べれば、「名門の出身ではないが
大丈夫か?――」という言葉が仮にあったとしても理解できる気がします。
>>557 >>いまだに外交官らしい洗練さに至らない『男気』を本能的に危惧した
これは当たっているでしょう。同じ外務官僚でも幣原喜重郎や佐分利貞夫と
広田は対極に位置します。しかし、福岡の郷土云々はミスリーディングだと
思います。広田は、玄洋社など地元との繋がりの深さを周りから懸念される
のが分かっていましたから、意図的に福岡とは没交渉にしていた訳です。
562 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/11(金) 00:09:43 ID:iBPIGyV3
>>558 >>名家・名族出身でないが故に名を惜しまないと思われたということ
>>ですか・・・広田さんはつくづく運の無い人ですね
まあ、広田は玄洋社の頭山満とも親交があり、平民宰相ということもあって
何かの拍子に『革新』を叫ぶ時代の嵐に加担するのではないか――?
周りから見れば、広田にはそういう不安要素があった訳です。
しかし、『革新』というなら1千数百年の皇恩を受けてきた「五摂家筆頭」の
近衛文麿の方が余程その傾向が強いというのが何とも皮肉なところです。
しかし「名門云々」は創作の可能性もあるでしょう。新首相の大命を受けて
戻ってきた広田に、周囲は「おめでとうございます!」を連呼しますが、
本人はぶすっとした浮かぬ表情です。その夜遅くになって家族で三男の
正雄に「天皇の御注意」を初めて話したと云いますが、「初めの三ヶ条は
閣僚たちにも伝えるつもりでいるが、四ヶ条目は自分にだけ言われた言葉
のように思えるから、自分の胸の内に秘めておきたい」と述べたと云います。
563 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/11(金) 00:22:14 ID:iBPIGyV3
まあ、ここから 「それにしても陛下は自分が草莽の身だから言われたのだろうか。また陛下の 御意志で言われたものか。それとも側近の者が陛下のお言葉を借りていった ものだろうか――」 ●「いずれにしても、自分は50年早く生まれ過ぎたような気がする」 という広田の余りにも有名な言葉が流布されることになる訳です。 しかし本当の問題はここからです。大命が降下したからといって自動的に 政権が誕生するのなら、誰も苦労はしません。広田は急いで組閣を進め なければなりませんが、首都東京は戒厳令が敷かれたままです――。 首相官邸は、岡田啓介首相の身代わりとなった松尾伝蔵予備役大佐と警官 4人の殺害で血塗れとなり、後始末が済んでないため広田は利用できません。
564 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/11(金) 00:37:26 ID:iBPIGyV3
仕方なく広田は、外相官邸を「組閣本部」にして腰をすえ、同期の(かつ腐れ縁の)
吉田茂に組閣参謀長になってもらう事なります。吉田はちゃっかり外務大臣の
椅子をゲットしますが、広田の「お目付け」のような役も兼ねているでしょう。
ここから組閣に向けた「長い長い戦い」が始まります――。
>>559 >>イナゾウは昭和初期の経済とかは着手しないの
ただでさえ、今のテーマが長引いて「スレ違いも甚だしい」と気にしているのに…w。
>>561 >>イナゾウは去勢されずに済みそうです。
自分はほとんど「一般向け」しか買わないんですけどねえ。『狼と香辛料』も
アニメの影響で同人誌が増えてきたのは嬉しいんですが、エロばっかりですw。
ちゃんとした漫画を描いてくれるところは無いものか……。しかし「都産貿要塞
2008」に逝きましたら、成年向けのリストバンドを付けさせられるは、サークルに
身分証明書を見せろ、と言われるは……。個人情報保護法はどこへいった?w
565 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/11(金) 00:48:46 ID:iBPIGyV3
>>531 >>前線の兵隊さんたちは中国軍のことをどう思っていたのか気になるな。
>>結構侮っていたりしてたんですか?
昨日の話の蒸し返しになりますが、「個人の戦記を読んでくれ」としか
言いようがありません。手当たり次第に読めば、次第に支那戦線の
『相場』がつかめるようになります。
もっとも最良なのは、佐々木春隆氏(元陸将補・防衛大学校教授)の著作です。
『長沙作戦』『華中作戦』『桂林作戦』『最後の打通作戦』の4作品です。
佐々木氏は1940年頃から支那戦線に出征し、上記は終戦後の後始末までの
5年余りを追った実に貴重な戦記です。第40師団(鯨)の下級指揮官(中間
管理職)として、途中からは連隊の作戦主任として、20代半ばでここまでの
ことが出来るのかと現代の感覚からすると(そして自分だったらと考えると)
驚かされます。
>成年向けのリストバンドを付けさせられるは、サークルに身分証明書を見せろ、と言われるは……。
今そんなことやってんのか。
そのうちこうなるんじゃない?
>オトポールに集結したユダヤ人難民の大多数が、ドイツ旅券を持っていた。
>旅券には赤い字で大きく、ユダヤ人の"J〃を示すゴム印が、押されていた。
>ドイツ政府はユダヤ人は子供にいたるまで、衣服にユダヤの象徴である、黄色の"ダビデの星〃の縫い取りをつけることを、義務づけていた。
http://www.asyura.com/0510/bd42/msg/1015.html
567 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/11(金) 00:59:45 ID:iBPIGyV3
ちなみに連隊に「作戦参謀」なんてありませんが、佐々木氏の連隊では慣習として 歩兵砲隊長が作戦主任を兼務して、連隊全体の作戦を考えることになっていた そうです。佐々木氏はそうして何代もの連隊長に仕えることになり、その描写も 大変面白いです。冷静な筆致と分析が何よりも代えがたい良著中の良著です。 まあ、自分も『最後の打通作戦』は、今年になって入手できて読んだばかりですが 最初の2作品は最近、光人社で文庫になりまして直ぐに手に入れる事ができます。 まあ、よほど売れなかったという事にならなければ、『桂林作戦』や『最後の打通 作戦』も将来的には文庫になるのではないかと思います。
568 :
俄将軍 :2008/04/11(金) 01:10:36 ID:???
>>567 「桂林作戦」は、「B29基地を占領せよ―10個師団36万人を動員した桂林作戦の戦い」
に、タイトルを変更して、既に、出版されている、ということになるのか、などと、嘯い
てみたり。
569 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/11(金) 01:10:41 ID:iBPIGyV3
>>成年向けのリストバンドを付けさせられるは
正確には「成年向け購入用のリストバンド」ですね。最初は写真入りの身分証明書を
サークル主催者に見せないと貰えないということで、未成年者は当然のことながら、
正真正銘の「オトナ」でも免許証をもっていない人は泣きを見たとか。
まあ結局、手間がかかりすぎるということで、成年向けの販売責任をサークルに
丸投げするような形(売るときに身分証明書を見せる)のイベントも出てきました。
どちらにせよ、コミケでそれをやったら地獄ですねw。
>>561 >>イナゾウは去勢されずに済みそうです。
『スケッチブック』のDVDを半話だけ見て寝ます。あれは「人非人」「真性キチガイ
レイシスト」の自分でも癒されます。でも、ゴルフのマスターズもやり始めましたね。
>>569 ゾーニングがどうこう言ってた連中のせいですなw
最近のエロ規制は強すぎて辟易する。
今日は上海クーデターの日
572 :
イナゾウ特務少尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/12(土) 22:33:28 ID:K5QVAxXM
>>568 >>「桂林作戦」は、「B29基地を占領せよ―10個師団36万人を動員した
>>桂林作戦の戦い」に、タイトルを変更して、既に、出版されている
考えた「人間の脳」を疑うようなタイトルですね。『長沙作戦』『華中作戦』と続く
のだがら、『桂林作戦』でいいジャマイカw。店頭に並んでも全然気付かねえよ。
久しぶりに図書出版社時の単行本を眺めてみましたが、やはり光人社の文庫は
文字がギュウギュウで何か読み辛いです。カビ臭いのとスペース削減のため、
単行本を捨てて文庫を買い直そうかと思ったのですが、やっぱり止めましたw。
この分だと『最後の打通作戦』も近いうちに文庫化されそうですが、広田の話が
終わりましたら、小テーマで取り上げる予定です。
573 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/12(土) 22:55:33 ID:K5QVAxXM
>>564 >>ここから広田の組閣に向けた「長い長い戦い」が始まります――。
少し話が先走りになりますが、広田弘毅内閣で必ず断罪されるのが『軍部大臣
現役武官制』を復活させたことです。まあ、言うまでもなく広田弘毅は東京裁判で
「A級戦犯」となり絞首刑となる訳ですが、広田の死刑には当時から大きな
疑問符がついていました。
しかし場合によっては、「広田は『軍部大臣現役武官制』を復活させて
日本の針路を大きく誤らせる(軍部の専横)きっかけを作ったのだから、
死刑でも仕方ないよね――」なんて無茶苦茶な雰囲気もあるでしょう。
しかし全部、大間違いです。
これから詳しく述べていきますが、とりあえず『軍部大臣現役武官制』とは一体
いかなるものなのか?――を最初に触れておきましょう。広田に対する誤解を
拡大再生産している著作に、半藤一利の『昭和史』(2004年刊)があります。
574 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/12(土) 23:08:12 ID:K5QVAxXM
少し長くなりますが、半藤一利の言わんとするところを要約すると以下のとおり。 ●2・26事件が治まった後、岡田内閣が総辞職し、広田弘毅内閣が誕生します。 ここで付け加えておかなくてはならないのが、広田内閣がやったことです。城山 三郎が小説『落日燃ゆ』で非常に持ち上げたため、大変立派な人と広田さんは 思われているのですが、2・26事件後の新しい体制を整えるという一番大事な ところで広田内閣がやったことは全部、とんでもないことばかりです――。 まず大正二年(1913)以来、二十数年ぶりに復活した「軍部大臣現役武官制」、 現役の軍人でなければ陸軍大臣、海軍大人になれない制度です。現役軍人とは いま軍にいる将官で、軍を退いた予備役、後備役の人は大臣になれない。 結果として他から選ぶことができないから、陸軍や海軍が「ノー」といえば大臣が できない。陸海軍大臣のない内閣はあり得ないわけですから、内閣が組織でき ない。つまり以後、陸軍ないし海軍の意に染まない内閣ならば大臣は出さない、 もしくは辞職することで内閣はたちまち崩壊します。従って内閣を潰すのも作ら ないのも、軍の思うままということです。政治に介入するための「伝家の宝刀」を 軍が握ったことになる。これは非常に重大で、のちのち大きく影響してきます。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。 これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。 日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに よって、授業週6日制を復活させるしかない。 週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
576 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/12(土) 23:40:13 ID:K5QVAxXM
要するに「内閣を潰すのも作らないのも、軍の思うままになった」(生殺与奪の権) のは広田のせいだという訳ですが、やはり大間違いです――。 しかし、これは半藤一利だけが主張していることではなく、多かれ少なかれ、 教科書にも取り入れられているような、昭和史の「定説」とも言えるでしょう。 くどいようですが大間違いです――。 その理由ですが、まず広田の組閣から見つつ、おいおい説明していきましょう。 広田の組閣は外相官邸で行なわれ、同期の吉田茂に組閣参謀長(外相兼務)に なってもらった事は既に触れました。ちなみに当時の衆議院の議席は、民政党が 44パーセント、政友会が36パーセント、無所属・小会派が20パーセントでした。 広田は政党の裏付けを持ちませんし(政治好きの吉田のバックアップはある程度 受けられるにしても)、2・26事件直後という緊急事態もあり、当然のことながら これまでの数代の内閣と同様、「超然内閣」(挙国一致内閣)となります――。
超然内閣というのは、議会のどの政党にも基盤を持たない内閣のことで、 全ての政党から閣僚を出させる挙国一致内閣とは違うものじゃないの?
広田のせいというより国会に統帥権干犯の問題を最初に持ち込んだ 政友会の犬養毅と鳩山一郎のせいだろう、犬養は515事件で殺されたから被害者的な立ち位置になってるけど
579 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 00:26:03 ID:m12+9hMd
広田の組閣は「怒涛の勢い」で進められます。3月5日の午前中に吉田・近衛の 説得を受けて決心し、夕方には宮中に参内して天皇から大命が降下しました。 午後5時少し前に、吉田茂が外相官邸に到着して外相に内定。午後5時半に 前岡田内閣の川崎卓吉(民政党)文相、小原直司法相に留任を依頼。 午後6時15分、大角岑生海軍大臣から「新海相」に永野修身の推薦があり、 続いて午後7時、近衛文麿から内閣書記官長に藤沼庄平の推挙がありました。 午後9時ごろ蔵相に馬場^一、午後9時50分ごろ陸相に寺内寿一と内閣の 閣僚は続々と決められていきます。また政党との折衝役となった吉田茂が 午後10時25分ごろ政友会・民政党の両総裁に挨拶し、正式に各2名の 党員入閣を要請しました。 さらに翌3月6日午前1時ごろ永田秀次郎、午前3時ごろ下村弘(元朝日新聞 副社長・貴族院議員)、中島知久平(政友会)と閣僚の席は埋まっていきました。
580 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 00:48:11 ID:m12+9hMd
細かい人名はともかく、広田の組閣は僅か1日足らずでスムーズに進んで いったことだけ感じとって下さい。 「2・26事件」の後始末内閣ということで、最大の肝となったのが陸相人事です。 一説には、広田弘毅は参謀次長だった杉山元に相談したと云います。杉山は 広田(博多)と同じ福岡県の小倉出身で、かねてから知遇がありました。 ●「勇猛果敢に『粛軍』(不祥事を起こした陸軍の粛清)のできる人が欲しい」 という広田に対して杉山は、 ●「それなら、今まで軍の中央に因縁のなかった男がいい」と台湾軍司令官を 務めていた寺内寿一大将の名前を挙げ、さらに●「彼はそのうえ、お坊ちゃん だからね――」と付け加えたと云います。言うまでもなく、ビリケンと呼ばれた 寺内正毅の長男であり、寺内寿一は「2・26事件」直後に他の6大将とともに 予備役願いを出しましたが、首の皮一枚助かって軍に残った恵まれた男です。
581 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 01:08:09 ID:m12+9hMd
>>577 >>超然内閣というのは、議会のどの政党にも基盤を持たない内閣のことで、
>>全ての政党から閣僚を出させる挙国一致内閣とは違うものじゃないの?
>>576 >>これまでの数代の内閣と同様、「超然内閣」(挙国一致内閣)となります――。
間違えました。正確には、>>「中間内閣」(挙国一致内閣)となります――。
「超然内閣」は、政党・議会の動向に左右されない政治を行なった明治期の藩閥・
官僚内閣のことです。政党の影響をほとんど受けない→「超然」という訳ですが、
5・15事件以降の「挙国一致内閣」(中間内閣)も、政党政治が死んだという意味
では、「超然内閣」と似たようなものですけどね。というか「政党の腐敗」を訴える
軍部(陸軍)が政党の影響力が増す(大量入閣)のを許さないからです。まあ、
曖昧というかグチャグチャですw。
582 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 01:20:57 ID:m12+9hMd
>>580 >>広田の組閣は僅か1日足らずでスムーズに進んでいった
「2・26事件」の事態収拾という、まさに一刻を争う「非常時」のため組閣工作は
徹夜で行なわれました。当然、新聞記者も組閣本部に大勢つめかけており、
翌日の3月6日の新聞には、前日の広田への大命降下が報じられると同時に
●「(広田内閣)けふ、親任式――。確定せる閣僚の顔触れ」と大見出しで、
◎総理大臣=広田弘毅 ◎大蔵大臣=馬場^一 ◎外務大臣=吉田茂
◎陸軍大臣=寺内寿一 ◎海軍大臣=永野修身 ◎司法大臣=小原直
◎内務大臣=川崎卓吉 ◎文部大臣=永田秀次郎
◎内閣書記官長=藤村庄平 ◎その他、入閣予定者=前田米蔵、下村宏……。
とデカデカと伝えられました。今日中には、広田弘毅内閣が正式に成立すると
見られたのですが――波乱はこれからが本番でした。
583 :
名無し三等兵 :2008/04/13(日) 02:12:41 ID:tak9a+Gf
このスレおっもしれえな!
半藤さんは死ぬまでヒステリーですよ('A`) かわいそうと言えば可哀相な人なんだから
585 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 22:37:19 ID:oDaIKftB
>>583 >>今日中には、広田弘毅内閣が正式に成立すると見られたのですが
>>波乱はこれからが本番でした。
3月6日【事件から9日後】の午前中に、陸軍省の村上啓作軍事課長が現れて
広田の組閣の様子を聞きに来ると状況が一変します――。
その日の午後2時40分に、新陸相となるはずの寺内寿一大将が組閣本部を
訪れて、いきなり入閣辞退を申し入れた後、次の様な陸相声明を発表しました。
●「この未曾有の時局打開の重責に任ずべき新内閣は、内外にわたり真に時弊の
根本的刷新、国防充実など積極的強力国策を遂行せんとするの気魄とその実行力
とを有することが絶対に必要であって、依然として『自由主義的色彩』を帯び、現状
維持または消極的政策により妥協退嬰を事とする如きものであってはならない。
積極的政策により国政を一新することは『全軍一致の要望』であって、右の趣旨に
合致しない内閣が果たしてこの内外にわたる非常時難を克服しうるであろうか?」
586 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 23:03:18 ID:oDaIKftB
>>584 >>いきなり入閣辞退を申し入れた後、次の様な陸相声明を発表しました。
これに新聞各紙はいっせいに反応し、●「広田内閣組閣頓挫。陸軍、組閣方針に
反対。寺内大将の入閣拒絶」、●「或いは流産か? 陸軍の態度すこぶる強硬」、
●「(閣僚)顔ぶれ変更か流産か、俄然前途に暗影生ず」と報じられました――。
少し時系列を戻しますと3月6日午前9時半、寺内寿一大将(軍事参議官)は
陸軍省で、●川島義之前陸相、●古荘幹郎陸軍次官、●今井清軍務局長、
●山下奉文(陸軍省軍事調査部長)らと会見を持っています。
その協議のなかで、広田内閣の「新閣僚の顔ぶれ」が余りにお座なりであり
新鮮味がなく、ただ現状維持を目的とするものであるならば、寺内大将は
むしろ新陸相を潔く辞退するのが至当であるとの結論に達したのです。
要するに、「好ましくない閣僚を入れ替えろ、でなければ陸相を辞退する
(組閣を頓挫させる)」と広田に突きつけた訳です。
587 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 23:21:47 ID:oDaIKftB
当然、広田は寺内に翻意を促しますが、陸軍全体がスクラムを組んでの
要求ですから当然、寺内はその場で勝手に何か答えることは出来ません。
ただ陸軍省に持って帰って協議するのみです。
>>580 >>「それ(粛軍)なら、今まで軍の中央に因縁のなかった男がいい」
こういって杉山元は広田弘毅に寺内を推した訳ですが、実態は単なるロボット、
使い走りだった訳です。まあ、杉山に一杯喰わされた形かもしれませんが、
いや、新陸相に推薦されたのが誰であったとしても結果は同じだったでしょう。
むしろ杉山は「毒にも薬にもならない」ような人物を挙げただけ、マシだった
かもしれません。
いずれにしても寺内の新陸相推挙は、杉山(参謀次長)ばかりでなく、閑院宮
参謀総長、川島義之前陸相、西義一教育総監のいわゆる●『三長官会議』で
正式に賛成された人事ですから、寺内が陸軍のコントロールに収まらない訳が
ありません――。
588 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 23:39:14 ID:oDaIKftB
広田はこの事態に、吉田茂、小原直、川崎卓吉、馬場^一、永田秀次郎、藤沼 庄平らを集めて「善後策」を考えますが、新閣僚に対する陸軍の不満(ブラック リスト)とは、次のようなものでした。 ●吉田茂(外相)――自由主義者の重臣・牧野伸顕の女婿であること ●川崎卓吉(内相)――政党人であるのに、内相に据えるのはけしからん ●小原直(法相)――天皇機関説に厳格な態度を取らず、国体明徴の観念に 疑義のある者を留任させるのはよからぬ ●下村弘――自由主義の急先鋒である朝日新聞の副社長である ●中島知久平――軍需産業に関係があり、政党に金をばら撒いている 陸軍のクレームですが、まあ、もっともらしいといえば、もっともらしい所もある と思います。つーか、「予定調和」のような内容ですな。内相は国内の治安維持に 責任がありますから、戦前の政党の腐敗っぷりを考えると陸軍が難癖をつけて くるのも分かる気がします。なにせ「2・26事件」直後ですから。
589 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/13(日) 23:53:17 ID:oDaIKftB
広田らは協議の結果、陸軍の横車に対して、 ●「この際、一時の感情に駆られて組閣を断念するようなことがあれば、各方面に 及ぼす悪影響が少なくない。ゆえに万難を排して、あくまで組閣を完了すべく、 陸軍側の主張で条理のあるものはこれを採り入れ、実現できるものはなるべく これを具現し、その反対を緩和することが最も妥当である――」 という結論に達しました。要するに、陸軍と徹底的に妥協してとにかく組閣まで こぎつけることを最優先とした訳です。何と情けないと思うかもしれませんが、 近衛に引き続いて広田も組閣を流産させたら、その政治的悪影響は計り知れ ません。近衛の大命拝辞も大々的に新聞報道されているのです。 広田が外交官時代(ソ連大使)に培った「名を捨てて実を取る」超人的な粘り強さが 再び試されることになった訳ですが、2・26事件収拾の組閣に対するプレッシャーは ほんの数日で広田をノイローゼに近い状態に追い込むことになります――。
厨獄紅軍の軍馬について調べてます マー、紅軍の馬への依存度は高かったものと思われるものの、詳しい文献をご教示願えませんでしょうか
591 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/14(月) 00:11:35 ID:JBbCNKdZ
組閣本部となった外相官邸の周りには、新聞記者が詰めかけ、陸軍省の幕僚 (山下奉文、武藤章)も顔を見せています。窓の下には憲兵が巡回し、門には 銃剣を構えた歩兵が立っています。首都に戒厳令が布かれたままです。 元老筋からは、「(陸軍の要求を)忍べる限り忍んで、組閣を全うするように。 軍政同然の状態の中で、文官の手で新しい内閣を作り上げる。それだけでも 新内閣の意味がある。逆に、ここでもし断念すれば。今後各方面により悪い 影響を与える」とプレッシャーがかかってきます。 3月7日【事件から10日後】の読売新聞朝刊には、●「暗礁上の組閣工作、 今日広田氏寺内大将と会見。結局は流産に終わるか?――」と載りました。
594 :
名無し三等兵 :2008/04/14(月) 01:13:18 ID:Xt97aQ+s
稲造はまだ土人って言ってるん?
南京事件に関しての軍板の見解ってあんの?
統一見解は無いと思うよ
597 :
福田首相 :2008/04/14(月) 15:44:57 ID:s8n3H6Xe
598 :
名無し三等兵 :2008/04/14(月) 17:54:11 ID:fzjSd40r
笨教・笨波教(ボン教・ベンボー教) これを事件の背景として考えると、現在のダライラマの独立派への距離と、一部僧院・僧侶の 策動が繋がって理解できるようだ。 笨教は、ニンマ派(紅教・古宗派)と密接な関係にある民俗宗教で、ダライラマが属するゲルク派 (黄教・黄帽派・浄行派)より以前のチベット教(印度密教)の主流だった。 タントラ(性愛・性交を通し、宇宙の最高真理を知る事が目的)の肯定・否定が紅教と黄教の違い という事のようだが、タントラを主教義としたΩはこれに強く影響されていたようだ。 分布としてはチベット圏全体に存在するようだが、特にカム・アムド地方では独自の教団国家を 形成していた時期もあったようで、チベット亡命政府を構成する貴族・チベットゲリラの出身地、 そして今回の暴動発生地域とも重なっている。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。 これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。 日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに よって、授業週6日制を復活させるしかない。 週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
600
601 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/14(月) 23:12:00 ID:QqC56lJE
少し横道に逸れますが、当時の在日アメリカ大使はジョセフ・グルーでした。 グルーは外相としての広田弘毅を高く評価しており、「2・26事件」後、広田に 大命が降下したと聞いて、日記にこう記しました。 ●「私は大いに喜んでいる。広田は強く、安全な人間で、ある程度まで陸軍の 機嫌を取らねばならぬだろうが、対外問題については国内のある分子を懐柔 する必要はあっても、できるかぎり賢明にそれを扱うことと信じる。また彼は 合衆国との友好関係を欲し、その方向にできるだけの努力を払うことと思う。 もし私自身が政府の首班を選択するものとすれば、米国の利益を念頭に おいて、広田以上に喜んで選ぶ人間はない――」 しかし、広田が吉田茂を外相に選ぶと、グルーは驚いてこう危惧を示しました。 ●「それは取りも直さず、牡牛の前で『赤い旗』を振り回すことのようだ――」
602 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/14(月) 23:21:14 ID:QqC56lJE
>>601 >>●「それは取りも直さず、牡牛の前で『赤い旗』を振り回すことのようだ――」
>>588 >>●吉田茂(外相)――自由主義者の重臣・牧野伸顕の女婿であること
繰り返しになりますが、吉田茂の岳父の重臣・牧野伸顕も「2・26事件」における
決起将校の襲撃・殺害対象に入っていました。危ういところで牧野は難を逃れる
訳ですが、陸軍の若手・中堅将校のなかでは決起将校に対する『同情論』は
皇道派の残党を中心に、大変根強いものがありました。
要するに、●「決起将校を犬死にさせるな――」という訳です。
そんな事後処理の内閣で、襲撃対象だった「内大臣の娘婿」が外相になるのを
認めるなんてことは不可能だったでしょう。後で述べますが、陸軍上層部も自分
個人の考えはともかくとして、下の人間を抑えつけるために「いちゃもん」を付け
ざるを得ません。これはグルーの言うとおり、●「牡牛の前で赤い旗を振り回す」
ものに他なりませんでした。
603 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/14(月) 23:42:10 ID:QqC56lJE
広田の不幸は、吉田茂が『抱き合わせ販売』でくっついてこざるを得なかった
ことです。もちろん吉田のメリットは非常に大きく、重臣や政党、近衛文麿との
連絡といった、広田に全く不足している部分を補ってくれた訳です。広田ひとり
での組閣は不可能だったでしょう。しかし、吉田の軍部の受けは最悪でした――。
>>601 >>●「それは取りも直さず、牡牛の前で『赤い旗』を振り回すことのようだ――」
もっと言えば、広田に大命が降下したこと自体、「牡牛の前で赤い旗を振り回す」
ものでした。広田が斎藤実内閣での外相時代、さんざん陸相の荒木貞夫に立て
ついて最後は、荒木が辞任に追い込まれるのに一役買った事を思い出して下さい。
本来、陸軍の中には、岡田内閣の後継首相を「陸軍の中から出すべきだ」とする
強硬意見も多くあった訳です。まあ、逆ギレというか、そうでもしないと潰される
という危機感も強かったのです。さすがに陸軍上層部は、「世論の風当たり」を
気にして、元老・重臣の受けもよくて、自分たちの期待する革新政治も行なえる
であろう、近衛文麿を後継首相の第一候補に希望したのでした。
604 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/14(月) 23:56:14 ID:QqC56lJE
しかし、近衛には逃げられます。それなら第二候補として、平沼騏一郎でもいい。 それでも駄目なら、海軍大将の山本英輔だっていい――。 なので陸軍としては、このような政治的混乱の中から広田内閣が生まれ出ようとは 夢にも思わなかった訳です。本当に意外で驚いたようで、同時に陸軍はひどく腹を 立てた訳です。単なる宮中・重臣の●「思いつき」ではないのか――? 実際、広田の大命降下は、元をたどれば一木枢密院議長の思いつきから始まった ものだったでしょう。宮中・重臣からすれば、平沼や山本英輔は決起将校の親玉と 目される真崎甚三郎の「替え玉」にしか思えません。 なので陸軍にも受けのよい「秘蔵っ子」の近衛文麿を出そうとしましたが、当人が 固辞した以上、あとは陸軍のロボットになるような人物では困ってしまいます。 それで玄洋社とも関係があり、右翼の大親分の頭山満の系統とも見られる広田 弘毅ならあるいは――と思った訳ですが、やはり思いつきに過ぎませんでした。
605 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/15(火) 00:08:56 ID:0KveboN+
また日頃から外務省の外交政策に不満であり、「害務省」と蔑視し敵対してきた 陸軍にとって、その有力者である「広田の組閣」は大いに抵抗しなければならない ものでした。 もっと言えば戦前の日本で、純粋な外務官僚出身の首相は広田弘毅だけ なのです。戦後は、幣原喜重郎や吉田茂など全然珍しくありませんが。 戦前では他に加藤高明も外交官出身で首相になっていますが、加藤の場合は、 「憲政会総裁」として政党のバックグラウンドを持っています。 それだけ広田弘毅への大命降下は、突拍子もないものだった訳です――。
606 :
名無し三等兵 :2008/04/15(火) 04:26:57 ID:R69YhB2u
ソースは?
607 :
名無し三等兵 :2008/04/15(火) 05:44:09 ID:jrp1I1BO
脳内
608 :
名無し三等兵 :2008/04/15(火) 13:21:15 ID:R69YhB2u
イナゾウはここまで個人スレにしてなぜブログを作らない。
609 :
翡翠(星砂) ◆ntzrt5Dq3U :2008/04/15(火) 13:39:50 ID:SuUNwapd
個人ブログになると見に行くのメンドクサ。 オラが暇を持て余したホワイトカラーなら、 毎日ウキウキして 反応ネタを書き込んでいるのだが、残念。(´ω`)
お前は来なくて良いよ
南京事件でよく便衣兵が取り上げられるけど、 ちゃんと計画された作戦だったの?
日本軍は行き当たりバッタリの追撃戦で弾切れ寸前。 国民党軍も行き当たりバッタリで、志願した首都防衛軍も司令官が真っ先に逃げた。
613 :
名無し三等兵 :2008/04/15(火) 19:53:44 ID:+oe73e4c
食料切れで徴発の連続で南京にたどり着いたようだが、弾切れは起さなかったようだよ。
理由は大量に鹵獲された国府軍の遺棄兵器の存在のおかげ。
日本製より鹵獲されたチェコ製の軽機の方が性能が良いので、前線の兵士はスグに乗り換えている。
南京陥落時に鹵獲した弾薬だけでも460万発あったそうだから、これを使ってムダ飯喰いの捕虜を殺してしまった...
この間 夜中にやってた番組でも、食い物に困ってた様子が従軍兵士の日記に はっきり記録されてた。
NNNドキュメント’08 「兵士たちが記録した南京大虐殺」
兵士たちの日記よ証言で描く南京大虐殺農民が殺りく者に変わっていく軌跡
4月6日(日) 24:55〜25:50 日テレ1
日中戦争真っ只中の70年前、南京陥落時に起きた南京大虐殺。
様々な議論を生み、虐殺の人数さえ両国の間で大きな開きがある。
この事件について、20年間身を削るような調査を続けてきた人がいる。
彼が探り当てたのは、兵士が最前線で綴った「陣中日記」。
そこには日本軍が中国人捕虜1万数千〜2万人を一挙に虐殺したことが記されていた。
また農民が突然戦場という異常な世界に放り込まれ殺戮者に変貌していく姿が浮かび上がる。
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=3250997&area=tokyo
614 :
翡翠(星砂) ◆ntzrt5Dq3U :2008/04/15(火) 19:57:06 ID:SuUNwapd
南京事件なんて世界的にマイナーな事件なんてどうでもいいから他スレでやってくれ
616 :
翡翠(星砂) ◆ntzrt5Dq3U :2008/04/15(火) 20:24:37 ID:SuUNwapd
と言うか南京に関するのは、荒れる元だから禁止なのよ。 ・なんで南京大虐殺をスルーするの? 南京大虐殺を扱うとスレが確実に荒れるので華麗にスルーです。 と言う事で、スルー対称。
お前は本当に空気の読めない能無しだな
618 :
翡翠(星砂) ◆ntzrt5Dq3U :2008/04/15(火) 21:46:17 ID:SuUNwapd
君の空気なんざ知らないね(笑) 空気ナンザどうでもいいんだよ。 「ボキの顔色で(帝に)察して欲しかった」 って誰も責任取らなかったからこその敗戦だべな。 < ドイツもコイツも屑だった訳よ。
全くいろんなところで迷惑掛けてるな
また支那豚の自演
┏━━┳┓┏┳┳━┳┳━━┓┏━━┳━━┳━━┳━━┓
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┃┗━┫┏┓┃┃┃ ┃┏┓┃┃┏━┫┏┓┫ ━┫ ━┫
┗━━┻┛┗┻┻┻━┻ ┛┗┛┗┛ ┗┛┗┻━━┻━━┛
. _∧∧_,
// 中\ \
./ ( `ハ´)、 `、
/ /\ \つ つ、ヽ
| | ,\ \ ノ | |
ヽヽ し \ \) / /
\ `\_____\' //
ヽ、 ____,, /
「囚人の臓器を強制的に摘出して売り飛ばす犯罪国家厨獄が五輪開催国とは驚いた」米議会で意見交換「今の厨獄はナチス以下」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1208171171/ 核マル派集団ストーカー
http://jp.youtube.com/watch?v=Q17O4WhjrzM アカねり シナねり 雑魚はスルー
人民解放軍工作員と中共側バイト工作員の自演、挑発、扇動、成りすましなどに留意せよ
ネット工作の一環として、中共とアカがクズ、ネットストーカー、虚言症、基地外などを軍事板に集めたとか
中共工作員自体が下劣でクズだがw
622 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 00:02:32 ID:nCPtLb0/
>>588 >>新閣僚に対する陸軍の不満(ブラックリスト)
結局、吉田茂は「組閣参謀長」を下りてしまい、二度と広田の組閣本部に姿を
見せなくなりました。念願だった「外相の座」もパーです。
奉天総領事以来の陸軍との衝突が尾を引いた形で、吉田の「反軍感情」に
拍車をかける事件となりました。本来、吉田は軍と結託してもいいぐらいの
思想の持ち主なのに、ボタンの掛け間違いとしか言いようがありません。
吉田の奥さんが原宿の広田の家に何度もやって来て、●「主人が不機嫌で
困ります」と訴えましたが、広田としては当面如何ともできません――。
その一方、陸軍から何ら非難のなかった蔵相候補の馬場^一が中心となって
閣僚の新たな人選が手伝われました。結局、外相候補の吉田茂、法相候補の
小原直、閣僚候補の下村宏らが辞退して脱落。当面、馬場^一が蔵相確定、
寺内寿一が陸相確定、永野修身が海相確定、外相は広田が首相と兼任です。
623 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 00:19:55 ID:nCPtLb0/
「政党人などけしからぬ」と陸軍からクレームの付いていた内務相には、無色透明の
官僚畑から新たに選ばれることになりました。そのため川崎卓吉(民政党)は鉄道相
へとお引っ越しです。
同じく民政党の頼母木桂吉は逓信相か商工相に、政友会の前田米蔵は農林相に
移動します。また小原直の代わりに、司法相には大審院長の林頼三郎が。また、
文部相の予定だった永田秀次郎が拓務相となり、学者の新人がその代替になる
見込みです――。
>>582 と比べてみてください。
もはや訳が分からないと思いますが、自分も訳が分かりませんw。どうせ上記も
●「途中経過」で最終のものではありませんので、真面目に読まなくて結構ですw。
このように広田の組閣は陸軍の横槍によって混迷を極めていたのですが、このとき
海軍は一体どうしていたのでしょうか?
624 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 00:36:53 ID:nCPtLb0/
3月8日に広田弘毅は、新陸海相となる寺内寿一・永野修身と会談しますが、 以下のような流れがありました。 陸軍ではこの日の早朝から「偕行社」で上層部が集合協議、広田の組閣本部に 約束の時間の延期を求めた上で、寺内寿一が海軍省に向かって大角岑生と 永野修身との間で密談を交わします。 寺内は再び「偕行社」に戻って陸軍幹部と協議した後、もう一度海軍省を訪れて また再協議。結局、寺内と永野は2人仲良く同道して組閣本部に午後3時40分、 ようやく姿を現すといった感じでした。要するに陸軍も海軍も足並みをそろえて 同じ穴のムジナだった訳です――。 広田の組閣を支援していた外務省欧亜局長の東郷茂徳は、木戸幸一に以下の ような報告を送っています。●「寺内は永野(修身)と同行し来る。会見の時間の 段々と遅れたるは、海軍との連絡を密にとりたる為なり――」
ソースはと聞いてるのに。
ブルドッグ
627 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 00:50:51 ID:nCPtLb0/
そのように広田弘毅、寺内寿一、永野修身が3人で協議している最中――。 夕方になると、 ●古荘幹郎陸軍次官 ●長谷川清海軍次官 ●豊田副武海軍省軍務局長 ●今井清陸軍省軍務局長 ●陸軍省軍事課高級課員・武藤章中佐 などが組閣本部に訪れて別室に待機。また一方の組閣本部側も、 馬場^一、永田秀次郎、川崎卓吉、前田米蔵らの閣僚予定者が来邸して 協議に加わるなど、両者が幹部を総動員しての●『総力戦』だったことが 分かります――。
>622 吉田の奥さんって牧野の娘で伯爵令嬢だろ・・・・・・ 修羅場の亭主の上司になにやってんだよw そこらのおばちゃんとかわんねえのなw
629 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 23:06:07 ID:DYtMMH8T
>>628 >>修羅場の亭主の上司になにやってんだよw
まあ、怨み節でしょう。KYで「空気読め」という感じですがw。
>>627 >>両者が幹部を総動員しての●『総力戦』だったことが分かります――。
こうした修羅場での「新聞報道」はどのようなものだったのでしょうか。3月8日
『読売新聞』の朝刊には、以下のようにあります。
●「広田、寺内両氏の会見がありながら両者の間に何故にかく意見の喰い違いを
来たして居るのか? 恐らく組閣本部が軍部の情勢に対する◎『内面的の認識を
欠いている』という他なく、何れにしても8日の広田外相、寺内大将の会見を山と
して果たして広田内閣成るか否か大勢の決せられるものとして重視されている」
広田の組閣本部の方が●「認識を欠いている」という報道で、KYの「空気読めない」
呼ばわりですw。まあ、当時の新聞がどのようなものか理解できるでしょう――。
630 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 23:23:22 ID:DYtMMH8T
>>627 >>両者が幹部を総動員しての●『総力戦』だったことが分かります――。
3月8日【事件から11日後】の新聞記事には、●「寺内大将と永野大将、広田外相
と重大会見」と号外が出されています。同時に、●「欧州の天地暗雲!」、●「独軍
2万5千ラインへ進軍す。今日中に移動完了」とラインラント進駐が報じられました。
それでも3月8日深夜には新しい閣僚名簿が作られ、広田弘毅が「これでよろしい
でしょうな?」と締め括ろうとしたその時、寺内寿一が「ちょっと!」と遮りました。
寺内は部屋を出て、軍務局員(武藤章ら)が詰めている別室に入ります。そして
30分ほどして戻ってくるや、こう「最後通牒」をまくしたてました――。
「これには民政・政友の両党から2名ずつ大臣が入っている。これでは政党政治に
他ならない。政党出身者は各党1名ずつに限ると、軍はかねてから希望していた
はずであり、1名ずつに絞らないかぎり軍は承知できない。陸軍大臣を辞退する」
>まあ、当時の新聞がどのようなものか理解できるでしょう――。 …蛮族来たりて羅馬滅びたるや。非ず、羅馬自ら滅びたり…
632 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 23:39:33 ID:DYtMMH8T
寺内は「最後通牒」を広田に突きつけるや、軍務局員らと一緒に車を連ねて 組閣本部の外相官邸を去り、陸軍省へと引き揚げてしまいます。 広田は唖然としました――。 確かに陸軍は最初、政党出身者の閣僚は各1名と強く主張していましたが、その後 2名入閣に譲歩していたのです。今さら何をかをいわんや、です。馬場^一など、 組閣本部にいた他の閣僚予定者も呆れて自宅に帰ってしまいました。 さらに8日の会見で寺内は、以下のような発言もしています。 1.陸軍は(2・26事件の)重大責任を痛感し、「維新的」覚悟で非常時局に対処する。 2.しかし、事件の責任は政党にも国民にもある。 3.陸軍は責任上、大将4名を予備役にするなど重大な責任を払っているので、 政党も民政党、政友会(入閣を)各1名とする犠牲を払うべきである。 4.「庶政」革新の認識をもっているという組閣方針声明を発表すること。 5.陸軍にファッショ政権を作る考えのないことを断言する。
633 :
俄将軍 :2008/04/16(水) 23:42:45 ID:???
>>631 東条首相の中の人が、情報統制下の新聞の切り抜きなど、といったようなエピソードなど、と
いうことになると、眩暈が、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
>>20 ウホッ
俺が当時生まれてたらほいほいついていきそうだなぁ
635 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/16(水) 23:57:58 ID:DYtMMH8T
>>632 >>5.陸軍にファッショ政権を作る考えのないことを断言する。
最後がふるっています。●『このゲームに登場する人物は全員18歳以上です』
というぐらい、あざとい物言いですw。
超人的な粘り強さが信条の広田弘毅も、「最早これまで、組閣は流産」と覚悟を
決めて、内閣書記官長の予定だった藤沼庄平を呼び出します。
この藤沼も陸軍から「自由主義者である」とクレームが付けられていた人物です。
広田は藤沼に、寺内大将に直接電話をかけさせ、●「組閣は遂に成らず。軍部、
これを阻止すと明日新聞に発表しますがご承知願います――」と、一か八かの
脅しをかけました。3月8日の深夜12時を過ぎた頃です。
寺内は陸軍のロボットに過ぎませんから、電話の向こうでひどく慌てて、何事か
ささやき合う声がします。「きみ、ちょっと待ってくれ。直ぐまた電話するから――」
しばらくして今度は寺内から電話が掛かってきました。
636 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/17(木) 00:01:23 ID:DYtMMH8T
>>635 >>しばらくして今度は寺内から電話が掛かってきました。
「今から特使に持たせてやる一文に賛成してくれるなら、明日の組閣に同意する――」
iten
サーバーがおかしい?
>>636 >>「今から特使に持たせてやる一文に賛成してくれるなら、
>>明日の組閣に同意する――」
3月9日【事件から12日後】午前1時半、特使として軍務局員の「武藤章中佐」が
組閣本部の広田のもとを訪れます。言うまでもなく、後の東京裁判で死刑となる
2人の運命的な対面です――。
武藤が持ってきた一文を、広田と藤沼庄平で見ておりますと、永田秀次郎が
2階に姿を現します。持病の胆石の具合が悪くなって休んでいたため、組閣
本部に残っていたのです。他の閣僚候補はすべて帰っていました。
広田は永田に因果を含めて、痛いのを我慢して3人で文面をチェック。文面の
訂正を加えて、午前2時半ごろ寺内寿一(大将)のもとに返事をして両者が合意。
ついに広田弘毅の組閣が3月9日に実現することになったのです。3月6日に
大命降下して以来、長い長い4日間の戦いでした――。
>>636 >>今から特使に持たせてやる一文に賛成してくれるなら
ちなみに訂正を加えて発表されたその声明(「組閣に当たりて」)は、
●「政党、軍部、官僚の別なく挙国一致して積弊を排除し確固不抜の国策を樹立し、
これが実現を期せねばならぬ。従って閣員の人選については過去における地位
閲歴に拘泥せず真に時局を認識して一死報国の至誠に燃える人々を集めて
政府成立のうえは一致結束、施政に邁進し、上は聖旨に応え奉り、下は時勢の
要望に副いたい――」
という内容でした。
広田は自宅からモーニングを取り寄せ、3時間後の3月9日早朝、明治神宮を
参拝します。まだ戒厳令下であり、反乱のほとぼりは冷めていません。周囲は
危険だと反対しましたが、広田は護衛もつけず秘書官を1人だけ連れて参拝、
神前に組閣が成ったことを報告し、加護を祈ったと云います――。
>>639 >>3月6日に大命降下して以来、長い長い4日間の戦いでした――。
広田の苦悩は想像を絶するものでした。組閣は流産するまさに一歩手前まで
追い詰められましたが、友人の増永元也は以下のように語っています(要約)。
閣僚名簿に対する陸軍の猛反対は、広田君としては全くの意外の横槍であり、
よほど心配したと見えて一時姿を消してしまった。みんな心配したが、どうにも
行先が分からないので仕方なくその夜を過ごし、私どもはろくろく眠れなかった。
夜が明けて広田君の部屋を覗いてみると、いつ帰って来たのか、ひとり黙然と
して椅子に寄りかかり、考え余ったような顔をしている私は、●「おい、シッカリ
したまえ」と激励すると、広田君は●「とてもお引受けはできないから辞退しよう
と思う」と言う。
●「君、今ここで頑張らなかったら後はどうなる? 誰がこの混乱を収拾しえるか?
近衛さんはこの混乱を収拾する者は君より他ないと見極めて君を推薦したのだ」
●「広田君が辞退したら、誰があとを引き受けるのか? ここは一番、邦家のため 一身を犠牲にしてお引受けし、一刻も早くご聖慮を安じ奉るほかはない。時間を 経過するとますます混乱する。君は昨晩眠っていないようだ。睡眠不足だ」 たまたま傍の棚にあるウィスキーの瓶が目についたから、さっそく広田君に2〜3杯 飲ませた。「ひとつグッスリ休め」と言って、ベッドに寝るのを見てやや安心した――。 まあ、「友人の物言い」ですから誇張というか、ひどくオーバーに感じられますが、 このときの広田弘毅は、「突然姿を消したり」「眠っていなかったり」「とてもお引受け できない」と、余りの重圧で急激なノイローゼ状態だった訳です。硬骨のソ連大使で 鳴らした漢ですらこうでした。昭和天皇も事態の成行きに心配し、本庄侍従武官長に ●「広田組閣の行き悩みは、財界に機微なる反響を与えあり。陸軍の真意は、広田 内閣を絶対排斥せんとするものなりや、否やを取り調べよ」 ●「陸軍は、政・民両政党よりの入閣は各1名とすべしとの要求にて、広田は最早 組閣を断念する他なしと為せる由なるが、如何なるや?」
と昭和天皇も憂慮を示されていました。余談になりますが、
>>488 >>●近衛文麿@ >>●平沼騏一郎A
>>●山本英輔海軍大将B(ただし陸相候補として板垣征四郎のオマケ付き)
広田の組閣が困難と見て、海軍大将の山本英輔が近衛文麿に対して「内密に
会いたい」と言ってきています。3月9日に会うと、山本は●「広田は駄目だから
自分を後継首相に推薦してくれ」と、自薦運動をしている訳です。
こういうのを『火事場泥棒』というか『恥知らず』と言うのですが、3月末に山本が
予備役に回されたのは当然だったでしょう(名目は皇道派との深い関係ですが)。
しかし恐ろしいことに、広田の組閣が流産したら「背に腹は変えられぬ」とばかりに
山本に後継首相が下った可能性は高いでしょう。平沼が「火中の栗」を拾うとは限り
ません。山本はわざわざ自分から拾いたいと言ってきているのです。また陸軍も
山本なら支持するでしょう(先に述べたとおり、消去法で3番目ですが)。
そういう意味でも、広田が組閣を完了できたのは、それだけでも非常に大きな成果 だった訳です。 まあ、山本は「自薦運動」がヤブヘビとなって予備役に回されたという可能性と、 すでに予備役に回されるのが分かっていて、最後の博打とばかりに「自薦運動」を 繰り広げたという、逆の可能性もありますが――。
>>644 山本は思想的に怪しすぎるので、さすがに陛下のご裁可が降りなかったかと。
白鳥を外務大臣にするようなもので。
646 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/18(金) 00:44:07 ID:tnE3EQQo
>>608 >>イナゾウはここまで個人スレにしてなぜブログを作らない。
まあ、作る時間も無ければ、管理する時間もない訳で。鬼のように
読み辛いのになってもキツイかとw。
647 :
俄将軍 :2008/04/18(金) 01:19:59 ID:???
>>644-645 統制派によって、真珠湾攻撃に至るのであれば、皇道派に近い山本英輔が、総理大臣になった方が良か
った、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
三井、三菱では、重化学工業など、日本の産業構造の在り方に、大きな違いが、ということもあるのか、
などと、思いつくままに書きちらしてみたり。
戦後日本の経済復興からすれば、禍福糾える縄の如し、ということになるのか、などと、適当な思いつ
きなど書きちらしてみたり。
648 :
俄将軍 :2008/04/18(金) 01:52:05 ID:???
>>647 「禍福糾える縄の如し」を「禍福は糾える縄の如し」に、修正。
大日本帝国の第一の仮想敵国は、ソビエト、中華民国、英国、米国などの何れか、ということになるの
か、共産主義、ということもあるのか、などと、嘯いてみたり。
永田鉄山が唱えた高度国防国家なんてほとんど社会主義じゃん。 ソ連が敵なだけでアンチ共産主義はオマケ。
今の日本もかわらんよ。食料自給率ファシズムなんて極悪そのもの。 嘘っぱちとでたらめ法螺話で国民を脅迫するんだぜ? 農地は治山治水環境保護に役立つとか言いだすから、 山を全部農地にした北鮮で水害が多発してるのはなぜ?ってきくとようやく、 そりゃ、森林の方が農地なんかよりも何倍も治山治水になるに決まってるとか言い出す。 だったら限界集落なんぞ全部引き払っちまえばいいじゃん。 まさか砂漠になるわけじゃなし、百年で極相に至り原生林になる。 その方が棚田だの段々畑なんぞよりもよっぽど治山治水環境保護になるわ。
>650 食糧安全保障なんて論議は、供給がショートすれば国内生産分の食糧は全部国内市場にまわされるっていう都合のいい幻想がまず間違ってるよな 大躍進時代の中国とかチャウチェスクのルーマニアとか、政治の都合で飢餓輸出をやった例は幾つもあるのにな また国内の生産者や流通業者が統制下ですらまっとうな商売やらなかったのも敗戦直後を考えればこれも一目瞭然 ヤミには食料あふれてて、配給だけじゃあ飢え死にの末路・・・ 結局最良の食料安全保障って、金を出せばなんでも買える自由貿易体制を何が何でも守り抜きそして発展させることと、必要とするものを購うための経済力を持ち続けることでしかないんだよな 百姓とその寄生虫どもの都合のいい理屈からいい加減脱却しないとな どうせもうじき日本の農業老衰死だ
652 :
俄将軍 :2008/04/19(土) 00:44:41 ID:???
>>649 総力戦、ということになると、国家統制、ということになるのか、重化学工業など、産業育成、という
ことになるのか、ファシズムは、コミュニズムとは異なる、ということになるのか、などと、適当な
思いつきなど書きちらしてみたり。
>>650-651 邦光史郎「食料輸入が止まる日」なスレッドは、此処、ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
自由貿易体制維持も、英国、ポルトガルな、自由貿易論争どころか、植民地なモノカルチャー経済、と
いうことになるようでは、ということもあるのか、などと。
653 :
俄将軍 :2008/04/19(土) 00:58:09 ID:???
>>648 台湾総督府、朝鮮総督府、ということになると、満州国というのは、ということもあるのか、
などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
>>652 オレンジ自由化交渉も、日本側で、オレンジ輸入したのは、何処、ということもあるのか、な
どと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
↑この人語尾で予防線張ってるけど返信ほしがってるのか違うのかどっちなの?
どっちだと思う?
それは軍事板の自然現象なのです。 一般人は鍵を閉めて屋内に避難してください。
この人語尾で予防線張ってるけど返信ほしがってるのか違うのか、 などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
チョーセンメイデン 支邦苺 南鮮石 北鮮石 // // .// / _ . /___ /──┐ / ,',i><iヽ .//',二二ヽ> /i二ニニ二i /..∩((ノノリノ)) /∩|ノノイハ)) ./∩ノノノヽ))) / |(ミi`ハ´ノミ)) . / | |l`∀´ノ> / |ノリ´Д`>リ // | )中! ヽ/ // |l_韓_|ヽ/ // |_朝」 ヽ/ " ̄ ̄ ̄"∪ " ̄ ̄ ̄"∪ " ̄ ̄ ̄"∪ 支邦苺がきたのー! このチビイルボン やぁ、ボクのマスターが 黄色くて、ずしーっとした 早く謝罪と賠償を 重油100万t必要だから 金属が欲しいの! しやがれですぅ! 用意して欲しいんだ
660 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/21(月) 23:39:38 ID:fUUdYev+
アクセス規制で金土日と全然書き込めなんだ……w。
661 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/21(月) 23:41:43 ID:fUUdYev+
>>645 >>山本は思想的に怪しすぎるので、さすがに陛下のご裁可が降りなかったかと。
まあ、山本英輔は「奇人・変人」の類ですからねw。キリストが青森で死んだとか、
ソロモンの秘宝が日本にあるとか、そうした伝説の大信望者で、今なら『ムー』の
熱烈な読者でしょう。オカルトの類です。
それが自分の脳内だけで収まっていればいいのですが、敗戦近い1944年3月
には高松宮に会って、四国の五剣山で『黙示録』の宝探しが進んでいると話し、
その1ヵ月後には怪しげな言霊学者を連れてきます。山本は戦後も諦めずに、
四国の山中で発掘を続けていました。
宗教に傾倒した晩年の秋山真之とも親しく、●「秋山将軍は宗教に入り切るには、
余りに理性があり過ぎる。宗教に没入してしまいたいにしても、最後の一分という
所で入りきれずに悩んでいたのではないかと思う」などと語っています。
そんな山本英輔ですが、海軍では艦隊派の支持があり、陸軍とは皇道派と親しい
という奇妙な立ち場が、後継首相に名前が挙がる背景となりました。
662 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/22(火) 00:08:48 ID:xux8Wgul
>>647 >>統制派によって、真珠湾攻撃に至るのであれば、皇道派に近い
>>山本英輔が、総理大臣になった方が良かった
「海軍」善玉・「陸軍」悪玉論があるのと同様に、「統制派」善玉・「皇道派」悪玉論が
ある訳です。まあ、陸軍の派閥抗争は「2・26事件」の最終決戦で統制派が勝利した
ことで、日本の近現代史の多くは知らず知らず、●『勝者の歴史』として統制派が
善玉(皇道派が悪玉)として描かれている事になります。皇道派が平家(要するに
統制派が源氏w)に喩えられたのは、その典型と思います。
これは「無意識レベル」で浸透していると言って良いでしょう。最近でこ無条件に
海軍善玉を信じるのはNGが常識となりましたが、統制派・善玉、皇道派・悪玉は
ほとんど意識されないだけ「根本的な問題」が見逃されています。
もっと言えば、「統制派」悪玉論を取るか、「皇道派」悪玉論を取るかで、1920年代
以降の『歴史の解釈』がまったく違ってしまう訳です。さらに支那事変、太平洋戦争に
いたる原因分析が180度変わってしまいます――。
663 :
俄将軍 :2008/04/22(火) 00:20:38 ID:???
>>662 統制派、皇道派の違いというのは、薩長閥、仮想敵国の順位、総力戦の在り方など、絡み合っ
ている、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
664 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/22(火) 00:22:24 ID:xux8Wgul
自分は元から「統制派」の軍人ですし、皇道派なんてクソ喰らえですが、その立場を 置いて考えたとしても、日本陸軍の至宝と呼ばれた永田鉄山を斬殺されたことが、 「皇道派・悪玉論」のイメージに拍車をかけていると思います。 完璧超人で中原に鹿を追う器であるロサキネンシス・水野蓉子さまが、薔薇の館で 暴漢に殺されたようなものです。一体そのようなことが許されていいのか――? 逆に言えば、永田鉄山があのような死に方さえしていなければ、皇道派はもっと 同情的な評価をされていたのではないでしょうか。要するに相沢三郎が悪いw。 なぜにヒデキが開戦首相になって、その親分で師匠格だった永田鉄山がそうで なかったのか? 運命というものを考えざるを得ません。 もっと自己分析を加えてみると、「統制派善玉・皇道派悪玉論」には自分のような、 永田鉄山に大きな幻影を抱いている人間の影響も大きいのではないでしょうか。
665 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/22(火) 00:41:31 ID:xux8Wgul
>>647 >>統制派によって、真珠湾攻撃に至るのであれば、皇道派に近い
>>山本英輔が、総理大臣になった方が良かった
しかし●「皇道派」が天下を握って、日本の進路が良くなったかどうかは全く
疑問というか未知数で、単なる可能性の問題でしかありません。あっさりと
支那事変の代わりに、「対ソ戦」が始まって破滅していたかもしれません。
まあ、それは現在の日本で「小沢・民主党」の天下になったらどうなるかと
似たような話ではないでしょうか。とりあえず無理やり「例の3人」を喩えると、
●近衛文麿→(安倍晋三)
●平沼騏一郎→(石原慎太郎)
●山本英輔海軍大将→(ドクター中松)
となりますw。まあ、消去法につぐ消去法で、後継首相に広田弘毅の名前が
挙がったとも言える訳です。
>>662 脱字があって読み難いので…w。
>最近でこそ無条件に海軍善玉を信じるのはNGが常識となりましたが、
>統制派・善玉、皇道派・悪玉はほとんど意識されないだけに「根本的な
>問題」が見逃されています。
皇道派は幕末の長州のように、目的のためなら手段を選ばずという印象があります。 ですので自然と悪玉を担わされているとも言えるのではないでしょうか。 法治国家において首相・大臣をクーデターで暗殺したのですから当然ともいえます。 とはいえ政治の世界は悪辣な手段を用いて政権を奪っても結果を出しさえすれば良いわけです。 現在における明治政府の評価もそうでして、悪辣wな倒幕のやり方に文句を言う人は余りいないですね。 初期の倒幕活動は攘夷という朱子学的な思想からスタートしたはずなのですが、 終わってみれば収まるべきところに収まっていました。 同様に皇道派の昭和維新もひょっとしたら上手いこと収まった可能性もあるのかもしれません。 ヒステリックな運動が元でも集団をコントロールする傑物が現れ、 強力な指導力で政治・社会システムの再整備を行うという事例は古今東西多いものです。 統制派が勝利しておきながらの亡国ですから、 ひょっとしたら皇道派のほうが良かったのか?と思ってしまいたくもなりますw
皇道派だと本土決戦を真面目にやりそうな気がする。
統制派だってやる気だったんだからおあいこだろ。
670 :
名無し三等兵 :2008/04/22(火) 04:28:41 ID:udoj7hgX
統制派、皇道派っても所詮やってることは人事抗争だからなー 海軍の条約派と艦隊派もそれは同じ 海軍の場合は軍縮条約に対する姿勢とそれによる国防構想という一見まっとうな争点があるが、陸軍にはそれすらなし ただどろどろの足の引っ張りあいw どっちも官僚による統制経済国家の実現が目標だしね(一応皇道派には農村救済なんつう通りのいいスローガンがあり、統制派は対外的な主張なしでひたすら権力と出世追及wっつう違いはあったが) もともと非主流派で出世コース外れかけたのが皇道派だからそりゃ必死にもなるわな 群れて勢力形成して、でも激発して元のモクアミw どちらが内部抗争に勝利してもそれ自体による陸軍の変質はなかったと思うよ 本質が人事抗争だから椅子取りゲームは大激変だっただろうけどw ただ、陸軍の一部が反乱を起こした、このことは確実に日本の進路に影響してるけどね
統制派と皇道派の目指した統制経済国家の実現の違い
目的と方法について調べてみれば?
皇道派にもいろいろあって、わけわかめになるけど。
そうすれは
>>671 の内容ももう少し意義深いものになるんじゃないかな?
皇道派の思想とか方法論って、極端なのになると北一輝とかまあ電波系まで跳んじゃってるからなぁw これやったらポルポトカンボジアなってたぞって感じだがw 皇道派の軍内支持基盤って出世ルート外れた心情左翼みたいなもんだから、派閥闘争の結果がどうなっても大差はないと個人的には思ってるんだが
674 :
名無し三等兵 :2008/04/22(火) 15:03:38 ID:c9leQdQK
皇道派も統制派も国家運営の手法として参考にしてたのはソ連の計画経済。 後に、これを拡大解釈して 近衛は“陸軍赤化”の脅威を近衛上奏文に記した訳だが...
野口悠紀雄が言いそうな話になって参りました。
親戚の叔父さんが死んで葬式に逝ってきました。87歳。 今の葬式は昔の写真から2ちゃんフラッシュ職人さながらのビデオクリップを作ってくれるらしく。 それによると帝国海軍で海南島に逝っていたそうです。 日中戦争というと海軍のイメージはあまりないのですが、マターリ侵攻だったのでしょうか。 階級までは聞かなかったのですが、職業軍人ではなく徴兵だったようです。 師範学校(現在某県教育大学)でているのですが、階級とは関係内ですかね。
>>674 日本が真似したソ連の手法はドイツの模倣じゃなかったっけ?
678 :
名無し三等兵 :2008/04/22(火) 22:08:40 ID:W10IQB0x
日本の場合は○経の研究が盛んだったから、ドイツ経由ではなく 直接研究・咀嚼してる層が非常に厚かったんですよ。 なにしろその成果物のひとつが台湾の李登輝氏ですしw 戦後も、自由主義経済より計画経済の手法が 官僚に多用されたのもこのためですが。
>676 日中戦争(シナ事変)の思いっきり当事者だぞ、海軍 上海租界の海軍特設陸戦隊を民国軍が包囲した(第二次上海事変)のが事実上の発端なんだから マターリなんて暢気なものじゃない 陸戦隊の損害はさほどではなかったが、航空隊は陸攻を中心に戦争中大損害 それでもしつこく奥地に爆撃しかけてる 叔父上は年齢からすれば日中戦争には出征されていないだろうね 徴兵だったらまずは確実に二等水兵から 学歴があれば志願すれば士官への道はあっただろうが
>>676 海南島は海軍南進論の焦点でもありますな。
意外と資源地帯でもあります。
いずれにしろ、風雪に耐えてよく生きた故人に敬意を。
681 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/22(火) 23:23:45 ID:uG9ClIVU
>>673 >>極端なのになると北一輝とかまあ電波系まで跳んじゃってるからなぁw
まあ、『魔王』北一輝となる訳です。えげつないやん家(やんけさん)の同人ネタに
北一輝の「霊告占い」という珠玉の4コマがあります。10分ぐらい総集編を探そうと
しましたけど、見つかりませんでしたw。
蠍座のあなた。お前は幸せになどなれない! 水瓶座のあなた。お前は明日死ぬ!
こんな感じだったかとw。やんけさんの同人誌を「まんだら毛」に持ち込んだら、
一体いくら値がつくのだろうかと、ふと思ってみたり……。買い叩かれたあげく
1万円ぐらいでショーケースに並んでいるのが容易に想像できますがw。
>>671 >>陸軍の一部が反乱を起こした、このことは確実に日本の進路に影響してる
まあ、広田内閣のメインテーマは「粛軍」になりますから、統制派と皇道派など
陸軍の話が中心になってきます。その方が皆様の関心も高そうな気がします。
>>679 >航空隊は陸攻を中心に戦争中大損害
太平洋戦争に比べれば微々たるものだけどね。
683 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/22(火) 23:39:40 ID:uG9ClIVU
>679 >>航空隊は陸攻を中心に戦争中大損害それでもしつこく奥地に爆撃しかけてる すごい昔の過去スレでも取り上げましたが、陸軍の重爆がだらしがないので 海軍にお世話になる羽目になりました。だらしがないというか、後継機の開発に 失敗して「空白期間」ができたというのが正確ですが。 しかし海軍も支那事変で『自分の出番』を無理やりにでも作らないと、陸軍に 予算の面でも発言権の面でも喰われてしまいますので、航空隊を支那に進出 させるのは、むしろ歓迎としたところでしょう。
>>681 >北一輝の「霊告占い」という珠玉の4コマがあります。
さそり座のアナタ(ハート) お前は呪われている!
おひつじ座のアナタ(ハート) お前は明日死ぬ!
てんびん座のアナタ(ハート) お前は幸せになどなれない!
個人的には「26日午前 陸相官邸ノ青年将校」が一番ツボだったり。
なんだね君達は!! ・・・村中です
村中だけじゃわかんないよ!! ・・・民間人の村中です
民間人?仕事は何をしてるのかね ・・・無職の村中です
一体生活費はどうしてるのかね! ・・・同志のカンパです
カンパ生活?家族はいるのかね! ・・・妻と…子供がひとり
無職なのに妻子!君いくつなんだね? ・・・32歳です・・・
30すぎて無職妻子もち?君近所でウワサになっているんじゃないかね!
町内会のゴミ当番の人 うちのゴミだけ持ってってくれないんです・・・
青年将校に対する客観的な視点wというものが如何に残酷か思い知らされましたねw
685 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/22(火) 23:51:42 ID:uG9ClIVU
>航空隊は陸攻を中心に戦争中大損害
>太平洋戦争に比べれば微々たるものだけどね。
陸攻隊が大損害を受けて『戦闘機無用論』から目覚めることができたのが
せめてもの救いです。まあ、遅きに失したかもしれませんが。
1937年に支那事変が勃発して、僅か4年後の1941年には太平洋戦争に
突入です。海軍が零戦の後継機開発を間に合わせる事ができなかった
のも、深刻なパイロット不足を招いたのも、『戦闘機無用論』の弊害が
非常に大きいと思います。
>>639 >>特使として軍務局員の「武藤章中佐」が組閣本部の広田のもとを
>>訪れます。言うまでもなく、東京裁判で死刑となる2人の運命的な対面です。
少し時間を戻しましょう。統制派といえば、武藤章も忘れてはならない人物です。
陸軍のフィクサーとして、このときが武藤の初めての登場になります。
686 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 00:10:33 ID:n8RIKMnK
このとき武藤章は、陸軍省の軍事課高級課員(中佐)でしかありませんでしたが、 ●『寺内新陸相を影で動かす武藤』というイメージは強烈であり、武藤の政治的 フィクサーぶりは、4年後の軍務局長時代(少将)における米内内閣の倒閣で 頂点に達しますが、まだまだ先の話です――。 ちなみに「フィクサー」とは黒幕の意味であり、背後で強烈な影響力を及ぼす 人物を指します。 しかし武藤の「広田組閣」に対する反対運動は、本心が望んだものであったかと 云えばそれは異なるでしょう。いろいろ複雑な事情がありまして、武藤本人は 当時のことを以下の様に弁明しています。 ●「(広田内閣の組閣当時)、陸軍部内に『軍内閣』の熱が相当にあったことである。 この運動を抑圧するため、私は身命を賭して会合に乗り込み、辛うじて説得した事 さえあった。かような次第で寺内大将としては、従来どおりの『中間内閣』では困る。 新鮮溌剌たる内閣でないと、真の(2・26)事件解決にならぬと思っていた訳である」
687 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 00:29:33 ID:n8RIKMnK
>>686 >>陸軍部内に『軍内閣』の熱が相当にあったことである。
要するに、武藤は陸軍部内の●『火消し』に駆けずり回っていた訳で、それが
●『ガス抜き』という必要性から、広田組閣の反対運動に結び付いたのです。
陸軍上層部からすれば、「2・26事件」の後継内閣を(陸)軍出身者から出すのは
国民世論からして「KY」(空気が読めない)にも程があると分かっていた訳ですが、
中堅将校以下はそうではありません。
彼ら決起将校は軽挙妄動とされ、反乱軍として取り扱われたにせよ、その心情は
察する必要があり、したがって単なる鎮圧だけで済ませるべきではない――。
こう考えていたのは、何も皇道派の残党だけではなかったのです。
●「彼らを犬死に終わらせるな」と、東京および関東各地の部隊で中堅将校が
連日連夜の会合をもち、いきり立つ将校の集団が陸軍省や参謀本部に不満を
ぶちまけて激しく上層部を突き上げてきます。
688 :
俄将軍 :2008/04/23(水) 00:56:34 ID:???
>>661 朝鮮併合前の伊藤博文暗殺など、日本国内でのカルトな動きや、ユダヤ人な四王天延孝中将だけでなく、
イスラエル建国時のシオニスト強硬派など、現実は、月刊「ムー」を越えている、ということになる
のか、などと、嘯いてみたり。
>>663 ソビエトがスルーされているABCD包囲網ですら、本来、ABCD諸国内部でも、対立している政
策など、ということもあるのか、諸外国による対日工作など、日本国内の政党政治も、三井、三菱
で、利害関係など、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
689 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 01:01:07 ID:n8RIKMnK
武藤章は、その板挟みというか中間にあって、広田の組閣本部には『脅迫』を 行なうと同時に、各将校集団の会合にいちいち顔を出して自重を求めるという 苦しい立場にあったのです。 武藤章といえば、寺内新陸相をロボット扱いした陸軍の「下克上」の典型とも 目されますが、ところがどっこい、武藤自身が下克上に悩まされていました。 しかし、広田が組閣を投げ出す1歩手前まで追い詰め、寺内陸相の特使として、 ●「この声明に同意するなら組閣に同意する」という声明文を自身で持ち込み、 実に際どいタイミングで後継内閣を成立させたという、「辣腕フィクサー」ぶりが その後の武藤の運命を変えていきます。 武藤は広田の組閣成立後の3月12日に、憲兵隊の留置場から釈放された友人の 慰労会で大いに飲んでいますが、この2・26事件以降の10日間余りの経緯を語り、 夜明けの別れ際に●「僕はもう満州に転任するよ。もう内地がほとほと嫌になった」 と手を振って帰っていきました。これではどちらが慰労されているのか分かりません。
690 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 01:11:18 ID:n8RIKMnK
ちなみにですが、武藤の「軍事課高級課員」という立場は、『課長代理』というもの であり、このときの軍事課長は村上啓作(大佐)でした。しかし村上は高血圧の 病気で臥せっており、代わりに武藤が中心になって動いたのでした。 この一事をもってしても、武藤の「辣腕ぶり」がよく理解できます。 それにしても、広田弘毅が後継首相を引き受けたのも他人の「尻拭い」のような ものであり、武藤もまた「尻拭い」で動いていたとすれば、2人とも自らババを引く 羽目になった訳で、要は似た者同士であるということも出来ます――。
691 :
俄将軍 :2008/04/23(水) 01:28:39 ID:???
>>667 1867年の大政奉還に至る尊皇攘夷も、1853年のペリー来航から、ということになるのか、18
08年のフェートン号事件、1811年のゴローニン事件などから、1825年の異国船打ち払い令
からでは、シーボルト事件、大塩平八郎の乱、阿片戦争、長州征討、蛤御門の変、薩長同盟など、
ということになるのか、などと。
尊皇攘夷から、いつの間にか、攘夷が消えた、ということになると、日本の総力戦体制の構築も、第一
次世界大戦から、真珠湾攻撃までの数十年の間に、如何なる変遷が、ということになるのか、などと、
適当な思いつきなど書きちらしてみたり。
692 :
俄将軍 :2008/04/23(水) 01:38:47 ID:???
>>688 「ユダヤ人な四王天延孝中将」を「ユダヤ人問題な四王天延孝中将」に、修正。
>>685-687 ロシアで、共産主義革命が、成功したことで、見失われているが、本来、社会主義、共産主義というの
は、資本主義の暴力性に対して、ということになると、ファシズムと似たようなもの、ということに
なるのか、などと、嘯いてみたり。
長州の攘夷論はまさに朝廷に取り入るための手段でしたからねぇ。 開国論である、長井雅楽の航海遠略策で公武合体のイニシアチブをとろうとしたものの、 薩摩が寺田屋事件によって、浪士鎮撫で朝廷の親任を得る事に成功 朝廷から、長州は薩摩に協力して幕府に朝廷の意向を反映させろなんてな事をいわれちゃったものだから 薩摩の上を行くために、より過激な攘夷論に走らざるを得なくなっちゃった。 だから、必要がなくなれば攘夷が簡単に消えちゃうのも当然と思われ。
山縣卿曰く 「(攘夷はどうしたと聞かれて)あの時はあれしかなかったからしょうがない」 要するに、倒幕革命の理念として使えそうな思想が日本には尊皇攘夷しかなかったということらしい。 だから目的を達成したらあっさり捨てられた。 攘夷を訴える志士の残党は弾圧された。
695 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 22:48:57 ID:ETBF06Vm
>>689 >>●「僕はもう満州に転任するよ。もう内地がほとほと嫌になった」
武藤章は友人に対する愚痴のとおり、1936年6月に関東軍第2課長(情報)に
転任していきます。武藤は「松平瞳子」に喩えると非常に分かりやすいでしょう。
>>639 >>ついに広田弘毅の組閣が3月9日に実現することになったのです。
3月10日【2・26事件から13日後】の新聞各紙には、「輝く太陽内閣誕生」
「広田内閣列車発車」「青信号快速力! 停車5日目で朗らかに!紅潮の
人々を乗せ」などと、一面に広田政権の成立を報じています。
親任式自体は3月9日の夜に行なわれ、広田は大礼服に着替えますが、
「まるでチンドン屋のようだ」「仁丹の広告のようだな」と照れたと云います。
その後、簡単な初閣議が行なわれ、外相官邸に戻ったのは午後11時半を
過ぎていました。古巣の外務省や福岡の友人・知人が祝杯に詰め掛けており
誰よりも上機嫌だったのは、上京してきた88歳の父・徳平だった訳です――。
696 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 23:07:08 ID:ETBF06Vm
広田の母・タケは前述のとおり、1928年に餓死同然の自殺を遂げていましたが、 石屋の父・徳平は88歳の米寿を迎えても存命でした。1ヵ月に35日分は働くと 『35日さん』が渾名だった徳平は、山羊のような白い髭をなでながら新聞記者に、 ●「あれは素直な子で、一ぺんも殴ったことはなかたい。勉強が好きじゃったけん、 勝手に勉強させたばっかりで、あのとき石屋ィでもしとけば、今頃は相当な親方に なっとったかも知れませんたい。修猷館(中学)を出るとき、館長さんが『軍人に するか、役人にするか』と聞かっしゃったけん、『何でも好きなもんになりまっしょう。 お国のためなら、馬ィなりと、牛ィなりと、なりまっしょう』と返事したら、館長さんも 往生してござったよ。アハハ……」と答えたと云います。 自分の息子が首相になった父親の感想とはこういうものかとも思いますが、 この時期に内閣を引き受けるのは、文字通り●「お国のためなら、馬ィなりと、 牛ィなりと、なりまっしょう」だった訳です。広田は父親の素朴に喜ぶ姿を見て、 石屋の倅から位人臣を極めた思いを味わいました。出来ることなら、自殺した 母タケと次男の忠雄にも見せてやりたいと思いましたが、もはや叶わない事です。
697 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 23:38:49 ID:ETBF06Vm
>>696 >>●「お国のためなら、馬ィなりと、牛ィなりと、なりまっしょう」
しかし本当の難局はこれからです。陸軍の妨害により組閣で四苦八苦したのは、
単なる始まりでしかありません。首相官邸は壁や床が血で染まり、夥しい弾痕が
生々しく残っています。引き続き、外相官邸を「臨時首相官邸」とする他なく、今が
「非常時」であることを広田は誰よりも痛感していました。
また玄洋社との関係が常に噂されてしまう広田としては、あえて郷里との関係を断ち、
福岡で開かれた祝賀会も出席せず、外相就任時に結成された後援会にもご無沙汰
したままでした。更に福岡からは「首相秘書官」の自薦他薦が相次ぎますが、広田は
三男の正雄の他は、名古屋出身の新聞記者あがりの男しか使わず、周囲をがっかり
させます。
もちろん自分が「2・26事件」のようにいつ殺されるか知れたものではなく、なるべく
(巻き添えで)他人様に迷惑をかけないように配慮した訳ですね。
698 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/23(水) 23:59:53 ID:ETBF06Vm
本来、広田は同期の吉田茂を外相に起用するつもりでしたが、陸軍の忌避によって ご破算になりました。1ヵ月ほど自身で外相を兼任したあと、駐ベルギー大使だった 有田八郎を抜擢してその座を譲ります。 外務省を去る日、広田は高等官以上を集めて退任の挨拶をしましたが、その中で ●「総理という仕事を、自分は『最後のご奉公』と思って引き受けた」と語りました。 文字どおり、人生最後のご奉公という意味合いです。 広田は首相秘書官となった三男の正雄に、●「自分は粛軍をやり、正邪のけじめを つける。この内閣はそれだけでいいんだ」と語ったと云います。外務省出身の広田 ではありますが、もはや首相としてのマニフェストに外交も糞も関係なく、ただ軍の 手綱を引き締めることを目標とした訳です――。 ただし『粛軍』は統帥権独立という制約もあり、広田自身が大鉈を振るうわけには いきません。しかし、ここで「新陸相」となった寺内寿一の存在が生きてきます。 今まで軍中央に縁がなく、また寺内正毅元帥という親の七光りの威光もあり まして、いったん組閣が成った以上、粛軍の御輿としては適役だったでしょう。
699 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/24(木) 00:17:03 ID:qh02gs9g
>>698 >>ここで「新陸相」となった寺内寿一の存在が生きてきます。
実質的には、やはり寺内寿一はロボットの存在でしかなく、真の裏方は新しく
陸軍次官となった梅津美治郎(うめづよしじろう・中将)でした。言うまでもなく、
2・26事件当時は第2師団長であり、他が日和見するなか決起将校の断固
討伐を真っ先に主張した人物です。
結果的にその論功行賞で梅津が次官に就任する訳ですが、陸軍省内の
粛軍は梅津が中心にリードすることとなります。他方の参謀本部はどうか
といえば、主導したのはカンジ(石原莞爾:参本作戦課長)だった訳です。
ここからカンジの絶頂期にあたりますね。
梅津は●『軍人は政治に関わるべきではない』を本分とする稀有な人間で、
広田が寺内陸相を督励する一方、梅津も寺内を意のままに動かす形で
陸軍内で大規模な処分と人事の刷新が行なわれることになります。もちろん
この背景には、統制派による皇道派の徹底的なパージ(追放)がありますが。
700 :
イナゾウ下級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/24(木) 00:33:22 ID:qh02gs9g
「2・26事件」当時の陸相・次官・軍務局長・陸大校長などが更迭され、さらに全軍の 責任を取る形で軍事参議官全員が辞職。大将格は、寺内ら昇級して間もない3人は 助かりましたが、古株の4人が予備役に編入されました。 またこれに関連して、3千人余りの大規模な人事異動が発令され(3月24日:事件 から約1ヵ月後)、首謀者の決起将校16名に死刑の判決が下ったのは4ヵ月後の 7月12日で、過去の5・15事件などとは比較にならない速さです。さらに判決後の 僅か5日後には銃殺が執行されています。 しかし、ここで1つの問題が浮上してきます。それが「軍部大臣現役武官制」の 復活の提案だった訳です――。
701 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/24(木) 22:53:04 ID:8FFyTftC
>>573 >>しかし場合によっては、「広田は『軍部大臣現役武官制』を復活させて
>>日本の針路を大きく誤らせる(軍部の専横)きっかけを作ったのだから、
>>死刑でも仕方ないよね――」なんて無茶苦茶な雰囲気もあるでしょう。
さて「軍部大臣現役武官制」の問題です。基本的なおさらいですが、1900年に
山県有朋内閣で、陸相の資格を●「現役の大中将」に限定したことから、「軍部
大臣現役武官制」は始まります。
そして1913年に山本権兵衛内閣で陸軍省官制が改正され、現役軍人ではなく
予備役・後備役、さらに退役した者でも陸軍大臣に任命されうることになりました。
これは陸軍の2個師団増設問題をめぐり、上原勇作陸相が辞任して第2次西園寺
内閣が潰れたことに議会が猛抗議した結果です。要するに政党政治の隆盛と共に
軍部の力が削られていったことになります。
702 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/24(木) 23:17:51 ID:8FFyTftC
海軍でも同様の措置が取られた訳ですが、しかし予備役・後備役にまで軍部大臣の 資格が拡大されたにも関わらず、山本権兵衛内閣の直後の清浦奎吾の組閣の際、 海相に予定された加藤友三郎(中将)が、海軍予算で譲らなかったために流産する 羽目になっています。 要するに、「予備役・後備役」にまで広げた意味が無かった訳です――。 逆に政党政治の絶頂期である原敬内閣では、田中義一陸相(予定)から陸軍次官、 参謀次長など『陸軍高級人事』について内意を求められており、原敬が●『承諾』を 与える形で天皇へ奏請されています。早い話、政府に「許可」を求めた格好です。 また第2次山本権兵衛内閣で、田中義一陸相が選任されたのは山本首相の意向に よるものであり、加藤高明内閣では加藤首相の「留任の勧告」により、宇垣一成が 陸相にそのまま就任することになりました。また犬養内閣の荒木貞夫陸相選出は 政友会の森恪幹事長が暗躍しており、反対に5.15事件後の政友会内閣の成立 阻止には陸軍が積極的に動いています――。
703 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/25(金) 00:11:09 ID:cNkBhgVo
もはや訳ワカメだと思いますが、要するにその時の『軍部と政党の力関係』で全てが 決まるのであって、 ●軍部大臣が「現役・非現役」であるかどうかは全く関係が無い――。 な訳です。また1913年の官制改革以来、ただの1度も●「非現役軍人」が 軍部大臣に任命されたことがないという事実が端的に物語っています。 要するに広田弘毅もあれだけ、寺内寿一が陸相就任を辞退するとゴネて組閣に 苦しんだ訳ですが、●「じゃあ、非現役の軍人から探すからいいわ」なんて発想 には微塵も至らなかった訳です。 そしてこの時は、「軍部大臣現役武官制」では無かったのです――。
704 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/25(金) 00:14:38 ID:cNkBhgVo
アメトークの『エヴァンゲリオン芸人』見ていたら、ちっとも進みませんでしたw。 映画は観に行けなかったので、DVD買おうかしらん。
【訂正】
>>703 ×要するにその時の『軍部と政党の力関係』で全てが決まるのであって
◎要するにその時の『軍部と政府の力関係』で全てが決まるのであって
706 :
俄将軍 :2008/04/25(金) 03:18:25 ID:???
>>703 薩長土肥な明治政府に、国会開設後も、超然内閣を志向した明治政府と政党の対立関係や、三
井三菱といった政党のバックなど、統帥権干犯を持ち出した軍部と政党の力関係というにも、
複雑に絡み合っている、ということもあるのか、などと、嘯いてみたり。
幕末の暗殺など連想させる右翼などによるテロなども、ということもあるのか、などと。
707 :
俄将軍 :2008/04/25(金) 03:25:21 ID:???
>>706 明治政府と対立していた政党や民間の政治思想団体って、
元はといえば藩閥にはぶられた志士や幕臣の成れの果てだからな。
709 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 04:32:48 ID:OSdxe4ml
まあ、板垣退助は戊辰戦争での働きを考えれば、なんで「自由民権運動」なんて
やってるんだろうなあ、って感じがしますけどね。征韓論で下野したからですがw。
>>704 >>アメトークの『エヴァンゲリオン芸人』見ていたら、ちっとも進みません
>>でしたw。映画は観に行けなかったので、DVD買おうかしらん。
紀伊国屋のDVD売り場でデモが流れているのを見たら、ふらふらとレジに直行
してしまいました。完全に衝動買いですw。「もやしもん」のガチャガチャも速攻で
コンプリートするし、今日は金使いすぎ。
>>703 >>●軍部大臣の「現役・非現役」であるかどうかは全く関係が無い。
広田弘毅の「組閣の難産」を見ても分かる通り、もはや非現役軍人から新陸相を
選ぶなんて可能性は有り得ないことです。広田内閣の第1の使命が「粛軍」である
以上、陸軍から「粛軍のために必要だ」と言われれば、無碍にも断れません――。
710 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 04:45:25 ID:OSdxe4ml
広田は閣議にかけますが、これといった反対論も出ません。また元老の西園寺も 「どうせ陸軍の言うことを聞かなければならないのなら、なるべくあっさりと聞いて しまった方が良いじゃないか――」という意見でした。 広田は軍部の要求どおり、「軍部大臣現役武官制」を認めることに決めました。 この辺り、城山三郎の『落日燃ゆ』の既述ですと、 ●「もっとも広田はこの時、それまで陸軍大臣候補者は、陸軍大臣・参謀総長・教育 総監という三長官の一致して推薦した者に限るという内規があったのを 外させ、 現役将官の中から総理が自由に選任できるということにさせ、寺内に 承認させた。 また必要なら、予備役の適任者を現役に復帰せしめる道のあることも認めさせた。 こうすれば、組閣者の立場としては、むしろ選択が自由になるとさえいえる。 広田としては、名を捨てて実をとった取引で、とくに軍部に屈したという印象は なかった(このことが、軍部暴走への追随として、後年の東京裁判で弾劾される 材料になろうなどとは、知る由もなかった――」
711 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 05:02:26 ID:OSdxe4ml
となりますが、 >>(三長官会議の推薦と関係なく)、現役将官の中から総理(予定者)が自由に選任 >>できるということにさせ、寺内に承認させた。 この辺り、広田と寺内で本当はどういう取り決めだったのか、グチャグチャというか 曖昧だったというか、ちょっとした歴史の謎になってます。まあ、後述でやりますが。 また陸軍が「軍部大臣現役武官制」の復活を訴える理由として、●「2・26事件の 責任をとって予備役に退いた大将たちが、また陸相として復活してきては困る。 それでは派閥抗争が再燃するし、(それを怖れて)粛軍を徹底できなくなる――」 と主張したのは、広く知られていることでしょう。 要するに2・26事件で天下を取った統制派にとって、皇道派にゆかりのある連中が ゾンビよろしく新陸相として戻って来られてはたまらない――という訳です。近衛や 平沼騏一郎も「皇道派にシンパシーが深い」ですから、大いに可能性があります。
712 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 05:26:39 ID:OSdxe4ml
>>711 >>近衛や平沼騏一郎も「皇道派にシンパシーが深い」
というか第1次近衛内閣で、皇道派の親玉の1人である荒木貞夫が文部大臣に、
第2次近衛内閣で、皇道派の有力者である柳川平助が司法相に、そして第3次
では国務相に選ばれていることを考えれば、統制派の危惧は非常にリアリティの
あるものだったでしょう。
近衛は空気読めw。まあ一般的に、近衛は陸軍に翻弄されたようなイメージが
強いですが、本当のところ、陸軍だって近衛のやりたい放題に振り回されている
訳です――。
また皇道派のブレーン(頭脳)と呼ばれた小畑敏四郎さえも、終戦時ですが国務
大臣となり、悪くすれば、真崎甚三郎とてどこかで入閣の可能性があったでしょう。
軍法会議で一応は無罪になっていますし。この辺りになってくると、終戦工作の
ための、統制派に対する政治的カウンターパートの意味合いが強くなってきますが。
713 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 05:36:07 ID:OSdxe4ml
>>711 >>統制派にとって、皇道派にゆかりのある連中が新陸相として
>>戻って来られてはたまらない
これだけですと、単に陸軍の派閥抗争のためだけに「軍部大臣現役武官制」が
復活したイメージになってしまいますが、実は違います。半分の理解というか、
片手落ちになります。
粛軍の実質の担当者は、陸軍次官となった梅津美治郎ですから、それなりに
きちんと考えられていた訳です。
その陸軍改革(粛軍)の最重要ポイントは、陸軍大臣への権限一本化でした――。
中国が長野で自分らのナショナリズムを全快するのを見て、 上海事変で日本の在留邦人もナショナリズムを全快したんだろうかとふと思った。
全快? 上海事変では中国軍が攻めてきたわけで生命の危機を感じてただろうが
>>715 その前の盛り上がりに対してじゃねーかな
日蓮宗のあの太鼓はフルボッコにされてもしかたが無い気はするが、、、
717 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 21:59:00 ID:40HsjsAY
>>713 >>陸軍改革(粛軍)の最重要ポイントは、陸軍大臣への権限一本化でした。
陸軍の高級人事(将官クラス)は、いわゆる「三長官会議」で決定されていました。
『三長官』とは言うまでも無く、陸軍大臣・参謀総長・教育総監の陸軍三顕職です。
この背景には、第1次山本権兵衛内閣(1913年)で軍部大臣の資格が「予備役・
後備役の大中将」にまで拡大されたことが挙げられます。要するに陸軍の望まない
人物がある時、天下りよろしく陸相として降ってきて、メチャクチャに●「人事権」を
行使されるのを防ぐためです――。
もちろん「予備役・後備役」とはいっても、同じ元陸軍の軍人です。しかし本人も周りも
納得ずくで円満に予備役を迎えられたという人物はごく少数でしょう。「予備役編入」
イコール、要するに「首・リストラ」な訳ですから、多くの場合『しこり』が残るわけです。
ここで問題にされるのは、少なくとも「大・中将」まで昇進した軍人たちですが、人の欲
には際限がありません。「よくもクビにしやがって」と怨みを持つ人間も多いでしょう。
718 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 22:40:36 ID:40HsjsAY
また軍人から「政治家」に転身する者も多いですから、こうなってくると元陸軍人
とはいえ、現役の人間から見れば信用なりません。その典型が後述する宇垣
一成だったと言えるでしょう。
>>717 >>陸軍の高級人事(将官クラス)は、いわゆる「三長官会議」で決定
仮に宇垣のような人物が陸相になって無茶苦茶な人事をやろうとしても、残り2者の
「参謀総長・教育総監」が反対すれば潰すことができます。要するに「三長官会議」
とは政府に対する保険のようなものだった訳です。
分かり易くエヴァンゲリオンに喩えますと、「メルキオール・バルタザール・カスパー」
のMAGIのようなものです。「可決」「否決」「否決」……「この提案は否決されましたw」
このような陸軍の「最高意志決定」で上手くやって来れたのですが、2・26事件前の
統制派と皇道派の闘争で困ったことが起こります。「陸軍三長官」の後任人事も当然、
「三長官会議」で決定される訳ですが(ああ、ややこしい)、真崎甚三郎が抵抗します。
719 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 23:02:46 ID:40HsjsAY
>>718 >>2・26事件前の統制派と皇道派の闘争で困ったこと
当時、陸軍大臣が林銑十郎、参謀総長が閑院宮、教育総監が真崎甚三郎でした。
1935年7月の話ですが、この頃になると統制派が「皇道派の高官」を人事で一掃
しようとおりまして、当然のことながら背景には軍務局長の永田鉄山もいます――。
陸相の林は、参謀総長の閑院宮とはもちろん、陸軍次官の橋本虎之助中将、
軍務局長の永田鉄山少将、人事局長の今井清少将とも十分に練り上げた上、
「三長官会議」で真崎甚三郎を教育総監の地位から更迭しようとしました。
しかし、真崎甚三郎が●『三長官会議の合意』を盾にとって頑強に抵抗します――。
シマイには閑院宮も「往生際が悪い!」とキレるなどすったもんだの挙句、真崎の
更迭は成功しますが、これが皇道派将校の怒りを買い、「2・26事件」が暴発する
大きな要因の1つとなります。後任の教育総監である渡辺錠太郎大将が血祭りに
上げられたのは、このドタバタ劇が背景にある訳です。渡辺には気の毒ですが。
>>719 永田が恨みを買ったのもそのせいとか。
渡辺大将が恨みを買ったのは理詰めで永田を擁護したせいとか。
721 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 23:28:29 ID:40HsjsAY
>>719 >>真崎甚三郎が●『三長官会議の合意』を盾にとって頑強に抵抗
ここでようやく「2・26事件」後の『粛軍』に話が戻るのですが、やはり「三長官
会議」での合議制はよくないという反省が生まれた訳です。また皇道派のような
「異分子」が混じった場合、派閥抗争を破滅的にする原因になりかねません。
その解決方法として生まれたのが、人事における「陸相」への権限集中だった
訳です。もともと陸相が人事を司るのですから、本来の形に戻っただけですが
陸軍内の「下克上」を防ぎ、粛軍を徹底するためには必要と考えられたのです。
しかし話がループしますが、陸相の権限を強化するとなると、「予備役・後備役」の
人間が陸相として降ってきた場合が非常に危険です。
わざわざ自分の首を絞めるような改革になりかねませんし、繰り返しになりますが
パージした『皇道派』の将軍が舞い戻ってきたら、もう悪夢です。せっかく統制派が
天下を握ったことだし、これは「現役軍人」に限らないとマズイぞと――。
真崎が教育総監在任中、批判していた天皇機関説に対して 渡辺は、教育総監就任後に、機関説を擁護する演説を行っています。
723 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/27(日) 23:47:25 ID:40HsjsAY
1936年4月23日に、「軍部大臣現役武官制」の元となる閣議提案を陸軍省軍事課が 作成して提出しますが、これには「説明書」が付いており、陸軍次官だった梅津美治郎 の意見が強く反映されていると云います。主だったところを要約しますと、 ●「現役制を絶対に必要とする理由」 軍人の思想が混迷している今日、軍人の統率はますます困難になっているので、 陸軍大臣もまた統率の系統に属し、命令権をもつ現役軍人である必要がある。 ●「予備・後備役の者を不可とする理由」 陸軍大臣は政党政派に超越し、厳正公平の立場を維持する必要があるが、予備・ 後備役の者はその環境上、政党政派に関係を生じやすく、また現役を離れる際の 事情から私心を挟み勝ちになる。そのため軍内に各種の批評を生み、もっとも忌む べき派閥的幻影を醸成し、軍の統率を害し、建軍の本義に悖る危険性が大である。
724 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/28(月) 00:06:48 ID:40HsjsAY
また梅津次官は他にも、 ●予備・後備役より任用し、特別に現役に復帰せしめることの適当ならざる理由 ●現在における事務上の欠陥除去のために、現役制に復活する必要性 ●今次(2・26)事件に鑑み、至急に現役制に復活するの必要性 など異論が出ないように先手を打って、あらゆる説明を挙げていますが、 次の「陸軍声明」が今までの話を一番上手くまとめているでしょう。 「陸軍は予備役・後備役の大中将が陸相に任命された場合、『政党の勢力』が陸軍 部内の人事行政に浸潤することがあっては国軍統制上、由々しき大事であるとして (高級)人事の決定を陸相、参謀総長、教育総監の『三長官合議』による内規を制定 して今日に及んだ。 しかし最近しばしばこの将官級の人事の決定を、三長官合議の内規の『趣旨』を 没却して、三長官が人事行政に関して陸相と同等の権限を有するものとの誤解が 生まれ、陸相の人事責任と権限を無視する観さえ呈し、部内の人事行政は多元化し、 ひいては粛軍の徹底にも支障を来たす――」
725 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/29(火) 00:30:42 ID:p7PYV3eU
>>721 >>その解決方法として生まれたのが、人事における「陸相」への権限集中
ヒデキ(東條英機)とカンジ(石原莞爾)の「骨肉の争い」は誰でも知っていますが、
これは多分に感情的なものに過ぎず、カンジの本当のライバル(宿敵)は梅津
美治郎だったと言えます。カンジが参謀本部で『絶頂期』を迎えつつあったとき、
陸軍省をまとめてその前に立ちふさがったのが梅津次官だった訳です――。
人事における「陸相」への権限集中の動きは半端ではなく、独自の論理で動く
参謀本部まで飲み込まれようとしていました。1936年8月1日には参謀将校、
技術将校、その他の各部将校の人事がすべて陸軍省人事局に移管されます。
ついでに参謀本部条例も改正され、参謀総長の将校に対する「統督」という
言葉が「統轄」という表現にトーンダウンされました。
これらは全て寺内陸相を通じて(ロボット)、梅津次官が主導したことですが、
陸軍省先行でいささか勇み足でした。参謀本部も黙ってはいません――。
726 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/29(火) 00:55:29 ID:p7PYV3eU
>>735 >>陸軍省先行でいささか勇み足。参謀本部も黙ってはいません――。
「東條英機(ヒデキ)の腰ぎんちゃく」「特攻隊を送り出しながら敵前逃亡」で名高い
富永恭次(最終時・中将)という男がいますが、粛軍が行なわれた1936年当時、
中佐で参謀本部の庶務課に務めていました(高級課員)。その富永いわく、
●「2・26事件の直後、寺内大臣の次官として梅津中将は人事一元化の奏請を
寺内にさせたが、参謀本部に相談することなく独断でやった。このとき私は、
(参謀本部の)庶務課長代理だったが、(抗議で)梅津中将と渡り合い、中佐が
中将を相手に随分と不遜な言動をした――」と振り返っています。
この一事をもってしても、梅津の『粛軍』がいかに抵抗の大きいものだったかが
よく分かるでしょう。要するに陸軍も「巨大な官僚組織」である訳ですが、人事を
一元化しないと、「下克上の温床」となり、またぞろ「統制派VS皇道派」みたいな
派閥抗争が発生すると梅津は考えたのでした――。
俺は富永の敵前逃亡はあまり責める気にならん。 死ぬというが、特攻と餓死確実の戦線に兵隊を送り込むのとどっちが惨いんだか。
728 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/29(火) 01:11:50 ID:p7PYV3eU
>>721 >>その解決方法として生まれたのが、人事における「陸相」への権限集中
こうした背景のなかで、●「軍部大臣現役武官制」の要求は出てきたのであり、
広田内閣では閣議でさしたる議論もなく簡単に了解したと云います。前述した
馬場蔵相は以下のように述べています。
●「陸軍の粛正は当面の大問題であり、また非常に難しい仕事である。いま陸軍
大臣(実質は梅津)がこの仕事を引き受けて万難を排してこれを断行せんとして
いる際、陸軍大臣がぜひ官制改革(現役武官制)をしてくれということであれば、
これは陸軍大臣の顔を立てて官制は改正する――。その代わり、陸軍の粛正を
徹底的にやって貰うというのが、今日の場合の内閣として採るべき道ではないか」
これが当時の広田内閣の雰囲気であり、現在よく言われるように軍部に安易に
妥協した訳でも、いわんや屈服した訳でもなかったのです――。
>>727 そこは特攻云々以前に敵前逃亡という事実が問題なわけで。
んなこと言い出したら、特攻を命じておいて自分は台湾に「転進」した大西とかどうすんだよw
戦前戦中に大いに武断主義をあおっていた帝国主義者が、 戦後は見事に転身を遂げて民主主義の旗手になっていたという話はごろごろあるわけ。 有名なのは教師の変わり身の早さだね。 で、戦争を生き延びた大半の日本人も、多かれ少なかれそれと似たような生き方をしていたのね。 辻や牟田口や富永の卑怯さなんてかわいいもんさ。
>>729 敵前逃亡というけど、富永が逃げた理由は胃潰瘍のためだろ。
あ、どうせ特攻して死ぬんだから病気なんてどうでもいいってこと?
潜水艦の板倉光馬も、回天でたくさんの特攻兵を送り出しておきながらおめおめと生き延びたな。 板倉の手記では、部下だけを送り出すのに忍びなく「自分が最初に特攻する」と意気込んでは上司をさんざんに困らせていた様子が書かれている。 上司としては回天の隊員の育成のために板倉が必要なのであくまで止めていたのだが、あまりの板倉の熱意についに「特攻してよし」というお墨付きを出した。 ところが当の板倉、回天の搭乗員の言葉であっさり翻意するw
部下に特攻を命じて、「俺は生き延びるが、貴様らは国の為に死ね」 なんて言ってたら組織の規律が保てないだろう。言葉を真に受け取るなよ。 特攻自体、常軌を逸した作戦なんて、そうでも言わなきゃ部下もやってられんよ
国内では徹底抗戦を唱えながら外交では講和の道を模索していた大本営も同じ
736 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/29(火) 23:20:30 ID:n5d3st9w
>>(三長官会議の推薦と関係なく)、現役将官の中から総理(予定者)が自由に選任
>>できるということにさせ、寺内に承認させた。
>>この辺り、広田と寺内で本当はどういう取り決めだったのか、グチャグチャというか
>>曖昧だったというか、ちょっとした歴史の謎になってます。まあ、後述でやりますが。
さて、
>>711-712 の問題に戻りますが、広田内閣の「軍部大臣現役武官制」復活には
大きな謎が残ります。この提案が出た段階ですでに、広田は寺内陸相と永野海相に、
●「この官制改革の結果、将来、組閣の大命を拝した者が陸海軍大臣を奏請する際に
困難する如き事態を生じないか?」
と当然の質問をして、寺内・永野双方とも「かかる事態を生じる恐れなし」と念押しを
かけていました。しかし、現実は思い切り「困難する如き事態」が生じた訳ですw。
もちろん「このゲームに登場する人物は全員18歳以上です」的な問答で、最初から
当てにもなりません。なので広田は「軍部大臣現役武官制」を受け入れる取引条件
として寺内に対し、陸相推薦の三長官会議を排して、組閣拝命者が現役の陸軍人の
中から(大・中将)自由に人を選択することができると認めさせたというのです――。
737 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/04/29(火) 23:53:10 ID:n5d3st9w
いったん話が一気に飛びますが、1944年7月に東條内閣が倒れた時のことです。 組閣の大命は朝鮮総督だった小磯国昭に下りますが、周りの重臣たちが心配した のは、政変の事情を知らない小磯がまずヒデキに会ってしまい、そのままヒデキに 陸相を留任されてしまうことでした。 ヒデキを政権から引き摺り下ろすために倒閣工作を起こしたのに、これでは意味が なくなります。小磯が別室で重臣たちに挨拶して帰ろうとすると、広田が呼び止め、 ●「小磯君、大事な話がある。後任陸軍大臣を決めるのは、三長官会議の推薦を 受けなくてもよいのだよ。これは僕の内閣時代、軍部大臣を現役制に決めたとき、 代わりの条件として取り交わしたものだ。どうか大事な問題だから忘れないように 特に注意しておくよ――」 その後、小磯はヒデキに会って陸相留任の意志を聞きますが、結局ヒデキに続投を 断念させています。しかし問題は奇怪なことに、広田はこの非常に重大な取引条件 (組閣拝命者が「現役大・中将」から自由に陸相を選べる)を小磯に耳打ちするまで 公式には発表していなかったのです――。
公的に発表されてないものなら、それを理由に反故にされても問題なさそうなもんだが というか、陸軍中枢にはこの条件ちゃんと申し継がれていたの?
詰め腹でも切らされるんじゃないの?
740 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/01(木) 00:05:38 ID:H/rhh0iL
>>738 >>公的に発表されてないものなら、それを理由に反故にされても問題なさそう
>>なもんだがというか、陸軍中枢にはこの条件ちゃんと申し継がれていたの?
広田弘毅と寺内寿一の『密約』といった類いのようで、ちょっとした歴史のミステリー
です。少し前に取り上げました「佐分利公使変死事件」に近いものがあります。
最初に述べたとおり、広田は「軍部大臣現役武官制」を復活させたことで、いわゆる
●『東京裁判史観』において政治的責任を糾弾(A級戦犯・絞首刑)されていますが、
このような「組閣拝命者が現役の大・中将から自由に陸相を指名できる」取引条件が
事実なら、軍部の横暴にブレーキをかける装置をちゃんと設けていたことになります。
>>陸軍中枢にはこの条件ちゃんと申し継がれていたの?
このような重大条件、陸軍では必ず申し継がれていたでしょう。むしろ『首相同士』の
方が断絶している可能性が高いです。現代の企業に喩えるならば、社長の引継ぎの
ようなものです。そして初っ端の広田から断絶させている恐れがあります。
741 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/01(木) 00:26:13 ID:H/rhh0iL
>>740 >>そして初っ端の広田から断絶させている恐れがあります。
なぜなら、広田がいわゆる寺内陸相の「腹切り問答」で内閣総辞職を余儀なくされると、
その次に大命が降下したのは、陸軍が蛇蝎のように嫌った宇垣一成だったからです。
要するに、広田がこのような「奥の手」、あるいは「禁じ手」を宇垣に教えてその通り
実行されると、火事場にガソリンを放水する事態となり、最終的には「2・26事件」を
もう1回やる羽目になります――。そのぐらい宇垣は生理的にイヤだった訳ですw。
広田が宇垣に教えなければ、当然その後の首相には伝わりません。また間の悪い
ことに実際に後継内閣を作ったのは、宇垣と同様に陸軍出身でも現役グループの
支持を受けた林銑十郎(元大将)でした。
林の組閣でも陸相を誰にするかで散々に揉めますが(カンジの思惑で板垣征四郎が
候補に挙がる)、宇垣の時とは問題の次元が違います。所詮はコップの中の争いに
過ぎませんでした。広田は宇垣に教えなかった手前、林に伝えるのは憚られたでしょう。
742 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/01(木) 00:42:27 ID:H/rhh0iL
事実、宇垣は、広田が小磯国昭に「組閣の大命降下者が自由に現役大・中将の
中から陸相を指名できる(三長官会議の推薦を受けなくてもよい)」という奥の手を
伝授したと聞いて、「なぜ自分の組閣の時に教えてくれなかったのか?」と怨み節を
残しています。まあ、当然の反応でしょう。
>>737 >>小磯に耳打ちするまで公式には発表していなかったのです――。
敗戦が刻一刻と近づいていた時期であり、終戦そして東京裁判などのドタバタもあり、
真相を究明しようとした人間もいましたが、その時には既に広田弘毅は絞首刑でした。
また陸相だった寺内寿一も1946年にシンガポールで抑留中に病死しています。
さらに陸軍次官として粛軍のコーディネーターだった梅津美治郎も「A級戦犯」として
終身刑の判決を受け、そのまま病没しています。つまり関係者が「全員死亡」していて、
調べようがない――。
743 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/01(木) 00:52:53 ID:H/rhh0iL
何より最大の謎は、宇垣の組閣を断固阻止したのは、広田と『密約』を結んだはずの
寺内寿一(陸相)と梅津美治郎(次官)、そして杉山元であり、更に広田が指をくわえて
終始沈黙していたことです。双方、舌の根も乾かないとはこのことでしょう。
まあ、広田が黙っていた理由は
>>741 と想像されますが……。
>要するに、広田がこのような「奥の手」、あるいは「禁じ手」を宇垣に教えてその通り
>実行されると、火事場にガソリンを放水する事態となり、最終的には「2・26事件」を
>もう1回やる羽目になります――。そのぐらい宇垣は生理的にイヤだった訳ですw。
>>730 >>732 大西中将は正式な命令を受けての異動。
富永中将は正式な命令を受けずに独断で逃亡。
軍隊の基本もわからん素人か?
>>744 それなら富永に特攻の許可なんて出てたっけ?
日本軍の事情として、参謀クラスの人間は特攻を希望しても許可がでないのだが。 板倉光馬参謀しかり。 藤井中尉の例はむしろ例外。
>>744 じゃあ病気になっても帰ってくるなということでいいですね?
>>745 意味不明。特攻の許可って何?
>>747 病気になったら伺いたてて異動の正式な命令が出てから異動。
富永は自分で逃亡した後に病気だったと参謀を使って事後に報告させている。
海外の転勤先から仕事ほっぽって突然帰国し、後から病気でしたと言い訳するようなもの。
軍隊以前に組織という社会の一般常識からみてもありえない。
>>748 ソースは?
なんか東条閥の人間って故意に貶められてる気がするんだけどね〜。
東条自身がそうだし。
こうして戦勢の不利が明白となった1945年1月16日、マニラから引き上げてきた司令部要員の大半をエチャーゲの南5キロにあるサンチャゴに足止めさせている間に
司令官、参謀などの高級将校たちは残り少ない戦闘機を駆り出して護衛を命じフィリピンのエチャーゲ南飛行場から台湾台北へと続々と逃亡した。
積み荷はウィスキーと芸者たちであったという。これを知った残された約1万の第4航軍の将兵は唖然として語る言葉もなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%B0%B8%E6%81%AD%E6%AC%A1 注意すべきは、逃亡したのは冨永だけでなく司令官、参謀、高級将校の人間だということ。
普通に司令部要員全体に移動命令が出ていたと考えるべきでは?
なにしろ軍法会議が開かれていないのだから、逃亡自体はさして問題にされなかったとしか考えようがない。
第一、「死ぬのが怖くて逃げてきた人間を予備役にして戦争から解放するのはおかしい」として冨永だけが左遷を食らってるのもよく分からない。
むしろ反東条派による東条閥叩きの一環と捉えた方が妥当ではないか。
まあ冨永たちの逃亡に関しては、東条が身内の恥だから隠蔽を図ったと考えることも無論出来るけどね。
それにしても、芸者に酒、部下を見捨てて逃亡、ねえ。
なんかビルマの日本軍を批判するときにも似たような表現があった気がするが、これって日本軍上層部批判の定型?
>1944年8月、新陸相杉山元によって第4航空軍司令官に転出させられる、9月8日マニラに着任した。 >杉山が「やっといい口があったので富永を出せた」と言っていたという証言もあり左遷であったことは疑いない。 左遷といえるのかねえ。 フィリピン戦での航空戦力は決戦の行方を左右する貴重な貴重な戦力であって、その内の数百機を任されるというのは重職といっていいはずだが。 まあ中央と現場という観点では左遷かもしれない。 >事後承諾を求めに行った参謀に対し山下は「部下を置き去りにして逃げるような奴に何ができるか!」と面罵したという 山下は東条たち統制派に追い落とされた皇道派の生き残りだからなあ…恨み骨髄でもおかしくないが。 しかし飛行機もないのに司令部だけ残って何をしろというのだろう。 俺と一緒に玉砕しろといいたかったのか。
>>749 >東条が身内の恥だから隠蔽を図ったと考えることも無論出来るけどね。
アホ。1945年の東条はすでに予備役だわ。
そもそも東条閥瓦解でフィリピンに左遷されたのだから、今更誰かに擁護なんてされるはずがない。
むしろ嬉々として軍法会議で処刑していたはずだ。
それがなかったということは本当に問題にされなかったとしか考えられない。
>>749 妄想も大概にしておけド素人が。
>普通に司令部要員全体に移動命令が出ていたと考えるべきでは?
移動命令が「あった」という証拠をオマエが出せ。
「ない」証明はできないからな。
>>752 敵前逃亡したのが事実ならその後に問題になっていないのがおかしいといってるんだよ。
ほかに逃げた人間がいるのに冨永だけが狙い撃ちにされるのはますますおかしい。
敵前逃亡で予備役にされるのは分かるが、その後で「こいつを予備役にするのはおかしい」として呼び出されて改めて左遷というのはどう考えても尋常じゃない。
>>752 >移動命令が「あった」という証拠をオマエが出せ。
敵前逃亡と言い出したのは元はといえばお前だろ。
お前こそ確固たる証拠を出せ。
>>752 ていうかさあ、お前も「ない」と分かっているからこそ敵前逃亡だといってるんだろ。
あるのかないのか分からないなら敵前逃亡なんて言えないはずだ。
違うか?
>>754 バカか?
富永が敵前逃亡したなんて軍板では常識なんだが。
その通説を否定するオマエが根拠を出すのが当然だろが。
てか悪魔の証明すら知らないのか?
>>753 常識も史実も知らなさ杉。
>敵前逃亡したのが事実ならその後に問題になっていないのがおかしい
敵前逃亡が問題になったから予備役編入なんだが?
将官クラスの不名誉な行為を敗戦濃い時期にわざわざぶち上げるバカが何処にいる。
>ほかに逃げた人間がいるのに冨永だけが狙い撃ちにされるのはますますおかしい
まったくおかしくない。
富永は第4航空軍司令官。司令部の行動即ち司令部員を含めた全責任は司令官にある。
>敵前逃亡で予備役にされるのは分かるが、その後で「こいつを予備役にするのはおかしい」として呼び出されて改めて左遷というのはどう考えても尋常じゃない。
当時、将官が足りず、服部や辻のように前線に送られた人間は普通にいるのだが?
まさか20年に陸軍が何個師団増設したかも知らない無知なのか?
>>757 補足
>将官クラスの不名誉な行為を敗戦濃い時期にわざわざぶち上げるバカが何処にいる。
無論、この配慮から極刑に処すという重罰から予備役編入に軽くされた。
>当時、将官が足りず、服部や辻のように前線に送られた人間は普通にいるのだが?
言うまでも無いが、終戦工作に向けて東條派の残党に中央で政治工作(妨害)をさせないためという側面がある。
>>757 >敵前逃亡が問題になったから予備役編入なんだが?
だから、敵前逃亡が原因で予備役になったというソースは?
>将官クラスの不名誉な行為を敗戦濃い時期にわざわざぶち上げるバカが何処にいる。
そういう時期だからこそ逃亡者をきっちり処刑して引き締める必要があるじゃないか。
>司令部の行動即ち司令部員を含めた全責任は司令官にある。
冨永は司令部要員を逃がして自分も逃げたといいたわけかね。
>当時、将官が足りず、服部や辻のように前線に送られた人間は普通にいるのだが?
敵前逃亡者まで引っ張り出した例も普通にあるのかね?
>>758 >無論、この配慮から極刑に処すという重罰から予備役編入に軽くされた。
それこそ根拠がないだろうに。
じゃあ聞くが、誰が誰と相談して決めたんだ?
配慮をしたのは一体誰だ?
その辺がわからないと与太話と変わらないわけだが。
>言うまでも無いが、終戦工作に向けて東條派の残党に中央で政治工作(妨害)をさせないためという側面がある。
おいおい、東条内閣をぶっ倒した反東条派は戦争やる気満々で実際継続してるじゃねえかw
今更何言ってんだよ。
>>760 >東条内閣をぶっ倒した反東条派は戦争やる気満々で実際継続してるじゃねえかw
これはネタとしてもひどい。
小磯内閣の面子とその終戦に向けた活動を知らないのはいただけないな。
キミが如何に歴史に素人なのかがよくわかるレスだから初歩から勉強し直した方がいい。
キミの現状の知識では議論の体すらなさないから。
>>760 >終戦工作に向けて東條派の残党に中央で政治工作(妨害)をさせないためという側面がある
予備役にしても安心できないというなら、東条派のボスである東条をまずなんとかしろよ。
東条こそさっさと満州なり南方なりに追い出してしまうべきだろう。
>>761 >小磯内閣の面子とその終戦に向けた活動を知らないのはいただけないな。
首相の小磯が陸海軍を統制できず、「主戦派」東条を退けたにも関わらず
終戦工作なんてほとんど進まなかったと聞くが?
戦争やる気満々で「米内光政」か。
史実のように戦争を続けるなら東条内閣でいいし、終わらせるなら鈴木内閣だろう。 小磯内閣の存在意義ってなんだったんだろう。
東條内閣と鈴木内閣の橋渡し内閣。
冨永たちが命令なしで逃げたというが、第4航空軍ってそもそもどこの指揮下だったんだろう。 どうも第14軍の指揮下には入ってなかったらしいが・・・。
>>768 の頭が心配だ。
全くソースもなく無根拠に通説を批判しているレスを「考察」だって。
ああ、自演かw
いや、そうゆう可能性もあるってことが自分のためになったってこと。 通説だからって、無批判に受け入れる方が、どうかと思うが。
いやいや通説を批判するのは一向に構わないよ。 実際否定された通説も少なからずあるわけだから。 しかしそれは妥当性のある根拠に基づいた批判である場合に限る。 そうでなければフリーメーソン説のようなものと同列になってしまう。
というか、冨永は100%逃亡野郎!と決めつけていた俺からすれば、
そうじゃないかも(←かもが重要)って内容は興味深い。
その『かも』のところを否定も肯定もする知識(ソース)は俺にはないよ。
でも『かも』論をすすめる
>>749 とそれを補完する
>>751 を読むかぎり、
俺には妥当性のある根拠に思えたんだけど。で、
100%逃亡野郎って思いこみが少し変わったので観の改善って表現をした。
今後も、いろいろ観も変わるだろうけど、それに何か不都合でもあるのかい?
ちなみにフリーメーソン説の真偽は俺にはどうでもいい。
あーなんか辻の話思い出した。 彼も全て悪のように語られるけど 参謀として司令部に喝入れたり、ガ島では出来る限り手を尽くしていたりしてたんだよね。 ガ島なんざ彼のせいで負けたように書かれた本とかあったし。
山本七平は富永の件に関連して、 残されたパイロットを、病人として台湾へ輸送する手伝いを命令されたが 地上部隊の反発がすさまじく、以後軍命令でも平然と蹴っ飛ばすように なったらしい。 まぁ、残される部隊にしてみれば、敵前逃亡と理解して士気が崩壊するのも 無理はないわな。
すでに派閥の後ろ盾が無くなっている冨永なんて怖くないだろ。 もし東条派として策動するかもしれないから危ない、というのであればむしろさっくり処刑にする方がよかったはず。 何しろ敵前逃亡。反対する奴はいないだろう。 高木俊郎のように何もかも「陸軍上層部の腐敗」で片付けるほうがむしろ陰謀論臭い。
陰謀論ってよりも、正確なことを把握できなかっただけだろう。 連中は(国内の)講和工作にかかりっきりだったみたいだから。
まあ栗林大将とか水上中将とか踏みとどまって死んだ将官もいるからなあ。 生死の関頭に際しての人間性に将としての統帥が露見するわけで。 弁護の余地があるにしても立派な進退とは言えんと思う。
778 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/01(木) 23:54:52 ID:geHCAkHn
>>740 >>広田弘毅と寺内寿一の『密約』といった類で、ちょっとした歴史のミステリー
戦後になると関係者が全員死亡しており、真相はミステリーとなります。もし首相の
広田と陸相の寺内でこのような『密約』が結ばれていたのであれば、何らかの形で
『文書』に残されたはずです。まさか『口約束』で済まされたはずがありません。
しかし広田内閣時代の「内閣書記官長」だった藤沼庄平(既述)に詳しく訪ねると、
このような答えが返ってきたと云います。
●「それほどの重大事を僕が知らぬはずは有り得ないのだがねえ。事柄の性質上、
事実なら当然、文書の取り決めがあって然るべきものだが、まったく記憶に無いよ。
ひょっとすると大きな政治的混乱の際だったから、広田と寺内の腹芸だったんじゃ
ないのかな――」
しかし広田の息子である正雄は、●「確かに間違いなく(取り決めは)事実ですよ。
父はこの事では、私達に何度も自慢のように話していたのですから」と真逆です。
>>765 東条内閣の倒閣運動をやったはいいが、肝心な後継首班を決めていなかったと言うオチ。
780 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/02(金) 00:10:05 ID:GEZlzjuL
宇垣自身も、広田が小磯の組閣の際に●「小磯君、実は私が内閣をやっていた時に 復活せしめた陸軍大臣現役武官制は、総理は三長官会議を経ることなしに陸相を 任命しうる、との交換条件の下で立法化したものであると云う事を記憶して頂きたい」 と耳打ちしたことを人伝てで聞いており――、 また東京憲兵隊司令官だった大谷敬二郎(憲兵大佐)も、●「右の広田説は不明 である。広田首相と寺内陸相との間の軽い口約束か、あるいは広田の希望的 申し入れであったのではなかろうか?」と語っていることから――、 広田が「小磯に耳打ち」した事実は、当時の政界関係者の間で相当広く伝えられ ていた事が分かります。しかし、東条内閣の倒閣工作直後の切羽つまった状況で 口から出任せの『嘘』を広田が小磯に吹き込むとは、場合が場合だけに考えられず やはり歴史のミステリーだと云えます――。
781 :
名無し三等兵 :2008/05/02(金) 00:12:55 ID:QIihZDxG
782 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/02(金) 00:36:37 ID:GEZlzjuL
まあ、宇垣の組閣の話もついでにやる積もりですが、広田内閣で成立した「軍部大臣 現役武官制」とは一体どのぐらいの政治的影響をもたらしたものだったのでしょうか? 『軍国太平記』を書きました高宮太平(東京朝日新聞記者)は、広田内閣での「軍部 大臣現役武官制」復活によって宇垣の組閣が流産したと非難しながらも、その後で すぐ自分の説明が矛盾していることに気付きます。以下のような理屈です。 もし組閣の拝命者が、宇垣のような陸軍出身の予備役大・中将であれば、天皇に 自らの●『現役復帰』を奏請して特命により、首相と陸相を兼任すればよいだけの話 です。あるいは自分でなくとも、他の同様の人間を陸相として現役に復帰させればいい。 後述しますが、宇垣もこのトリックに気がつきまして、湯浅倉平内大臣に持ちかけ ますが、聖慮を煩わすのは恐れ多いとして止められたと云います。仮に強行して 現役復帰が実現したとしても、それこそ陸軍は文字どおり蜂の巣を突いたような 大騒ぎとなり、とても内閣は持たなかったに違いありません。それが想像できた からこそ、宇垣も組閣を断念したのでした。
783 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/02(金) 01:03:17 ID:GEZlzjuL
また宇垣は、「陸相の選任は三長官会議の推薦を必要としない」ことを知らなかった かもしれませんが、どの道、小磯国昭(朝鮮軍司令官・中将)に個別に電話をかけて 「自分と一蓮托生で陸相になってくれないか?」と1本釣りで口説き落とそうとします。 無残にも小磯に断られますが、要するに宇垣は、広田から『密約』を教えてもらった 場合と同じことをして、結局失敗している訳です。 こうなってくると、「軍部大臣現役武官制」であろうがなかろうが、陸軍の猛反対に 遭えば組閣は流産せざるをえないのです。 その真逆のパターンとして、陸軍の反対に遭いながらも「陸相の1本釣り」に成功 したケースがあり、それは第2次近衛内閣での板垣征四郎陸相となります――。 すべては前述のように「政府と陸軍の力関係」によるものであり、「軍部大臣現役 武官制」の影響が大きかったのは事実にせよ、後世に対する「格好の言い訳」に 使われた感があります。まあ、粛軍の背景も考えると広田はスケープゴートでした。
小磯が首相就任に当たって出した要求 1:大本営令を改正して首相を大本営の編成員に加える。 2:1が認められないならば、単行軍令をもって今回の戦役に限り首相を大本営の編成員とする特別命令を出すこと。 3:1,2が認められないのならば、他に何らかの方法を持って首相が戦争指導に関与できるようにすること。 4:首相と陸相の兼任をしないかわりに山下奉文か阿南惟幾の陸相就任を希望する。 陸軍省次官 冨永恭次が書いて持ってきた回答 ・小磯内閣が戦争を継続するならば陸軍は、之を支持する。 ・海軍の態度如何に関わらず小磯大将の陸相兼任はあくまで反対。 ・陸軍大臣には杉山元帥を推薦する。 ・大本営令の改正意見に対しては承諾することはできない ・但し、小磯大将の要望については善処する用意がある。 海軍省人事局長 三戸寿の回答 ・陸軍に同じ --------------------------- 杉山元の陸相就任は三長官会議で決まったと言ってますし、広田の助言の話も出てこない 後、初めから陸相兼任は要求していない、総理大臣として戦争指導に参画させろと、上に書いた要求をしたと言ってます。
このスレなんか、前半部分が微妙にキモヲタ臭いよ。 児ポ法反対とか。 つーか、軍版にもキモヲタっているのかよ・・・
? 軍板は2ちゃんきってのキモオタ集結地ですよw
そうじゃなくてイナゾウがキモいって言いたいだけだろ
つーかオタクと軍ヲタは結構重なるんだよ
え? 軍オタってオタクじゃないの!?
lansタンハアハアですね、わかります。
なぜか投稿できない日々が続いていますが、 イナゾウ中佐がんばってください。
どうでもいいがイナゾウって新渡戸稲造のイナゾウ?
793 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/06(火) 21:39:17 ID:zCWqafjN
GWは実家に帰省しておりました。しかしカレンダー通りの4連休では短すぎる……。
天龍川の川下りに出かけたぐらいで、全くとんぼ帰りでした。会社によっては10連休
なんてのも聞きますがw。
>>785 >>このスレなんか、前半部分が微妙にキモヲタ臭いよ。
まずは『東方妖々夢』をやりなさい。話はそれからです。今月末は博麗神社の例大祭。
最近はAAが出ませんが、あれは時間的にも精神的にも『余裕』がないと、なかなか
考えられないんですよ。とくに精神的余裕。文章だけなら多少テンパっていても手が
自動的に動きますが。まあ、『魚雷は大人になってから』のオマージュでもあります。
, ‐‐-、___ / ., '´⌒⌒ヽ 〜♪ ./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ) || メ)ハ)゚ ー.゚ノl) 次の大テーマ『支那事変と毒ガス戦』は、 ヽ. _Q)#」ネl」) 私の出番が増えるわね。だって、虐殺の 〜〜  ̄ ,<´_#,#ハ オンパレードだもん。今から楽しみだわw。 `(ノノ"´
795 :
四季のフラワーマスター 風見幽香 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/06(火) 22:12:23 ID:zCWqafjN
さて、『軍部大臣現役武官制』の問題はいったん置きまして、広田内閣の行跡を 追ってみましょう。最初に述べたとおり、広田内閣の第一の目的は『粛軍』にあり、 これさえ成し遂げられるなら、その他は何も望まないというものでした。しかし、 他にも重要なトピックは一杯あります。 まず広田内閣が成立して間もない1936年3月中旬、一木喜徳郎・枢密院議長が 辞職したので、その後任に広田は平沼騏一郎を推しました。平沼はその右翼傾向 から西園寺公望と仲が悪く、何度も枢密院の議長候補には名前が挙がりましたが、 そのたびに西園寺から●「べトー(拒否権)」を喰らっていました。 その鬱憤もありまして、平沼は●「帝人事件」というスキャンダル事件を捏造して 西園寺と政友会にダメージを与えようと画策しますが、あまりに杜撰な捜査により 公判では「事実無根により全員無罪」という手痛いしっぺ返しを受けていました。 まあ、政治的には「リクルート事件」の如きインパクトがあり、多分に倒閣運動の 狙いがありました。平沼はその黒幕だった訳です――。
796 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/06(火) 22:34:40 ID:zCWqafjN
また「幽香姉さん」の名前で書き込んでしまった…w。それはさて置き、「帝人事件」の
後はさすがの平沼も大人しくしておりました。
広田は平沼を枢密院議長に推した訳ですが、その理由はこうです。
平沼は枢密院の副議長で10年間クスブっていたのですが、こうした人物を不遇にして
おくと、却って妄動(帝人事件)して悪い影響をまき散らします。むしろ、念願の議長の
地位につける事で内部に取り込んでしまった方が自重するだろうという狙いです。
広田は「国本社」の会長を辞任することを条件にした訳です(創設者であり中心人物が
いなくなった国本社はその後、解散)。
>>559 >>広田内閣といえば馬場財政と国際収支の悪化が問われることが多いけど
>>イナゾウは昭和初期の経済とかは着手しないの
広田内閣の経済的な面にも触れてみましょう。
797 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/06(火) 22:54:12 ID:zCWqafjN
>>796 >>広田内閣の経済的な面にも触れてみましょう。
こうして『粛軍』がひと段落した訳ですが、1つ注意があります。『粛軍』とはあくまで
陸軍の「綱紀粛正」であり、「軍縮」を意味している訳では無いのです――。
「2・26事件」前の1936年1月には、第2次ロンドン海軍軍縮条約から日本が脱退。
(注:広田内閣ではなく、岡田啓介内閣時)
念願の「海軍休日」から抜け出した海軍は、艦隊整備のための莫大な建艦費を要求
します。また「予算はイコールで権力」な訳ですから、陸軍も海軍への対抗心から、
満州国の完成と仮想敵国であるソ連に対する広域国防をうたって巨額の軍事費を
政府に求めてきました――。
外交官としても、政治家としても『調整型』(名を捨てて実を取る)の広田としては、
「粛軍」との兼ね合い(ガス抜き)で、ある程度の軍拡は認めざるを得ませんでした。
798 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/06(火) 23:24:53 ID:zCWqafjN
また広田内閣のマニフェストというか、スローガンに『庶政一新』というものがあります。 「庶政」とは政治全般という広い意味であり、ちょっと曖昧模糊としています。しかし、 「2・26事件」での青年将校の決起は、政党政治の腐敗や地方の貧困問題に端を 発していたこと、また広田がいわゆる「平民宰相」であったことから、自ずとイメージが 湧いてくるでしょう。 具体的には、義務教育の期間を6年から8年間に延長、地方財政交付金制度の設立、 発送電事業の国営化、農村負債整理計画、災害共済保険制度、母子保護法の制定、 変り種としては昭和天皇に働きかけての「文化勲章」の設立などもあります。これが いわゆる広田内閣の●『7大国策・14項目』と呼ばれるものですが、以下の通りです。 1、国防の充実 2、教育の刷新改善 3、中央・地方を通じる税制の整備 4、国民生活の安定=(イ)災害防除対策、(ロ)保護施設の拡大、 (ハ)農漁村経済の更生振興及び中小商工業の振興 5、産業の統制=(イ)電力の統制強化、(イ)液体燃料及び鉄鋼の自給、 (ハ)繊維資源の確保、(ニ)貿易の助長及び統制、 (ホ)航空及び海運事業の振興、(ヘ)邦人の海外発展援助 6、対満重要国策の確立、移民政策及び投資の助長等 7、行政機構の整備改善
もう八百か・・・474KBだし、新スレももうすぐか。
800 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/06(火) 23:41:46 ID:zCWqafjN
「国防の充実」が筆頭に上がるのは陸海軍の手前いたし方ありませんが、広田としては
>>義務教育の期間を6年から8年間に延長、地方財政交付金制度の設立、
>>農村負債整理計画、災害共済保険制度、母子保護法の制定
の方に出来るだけ力を入れたかったと云います。しかし、こうした新規事情には当然の事
ながら予算の裏付けが必要になります。要するに「カネ」です。別名は「マニー」ですw。
その結果、広田内閣での国家予算は総額28億円、対前年比で22パーセント増という
超大型なものになりました。また「積極」という言葉が世の流行語となり、例えば「積極
外交」「積極財政」などです。
>>559 >>広田内閣といえば馬場財政と国際収支の悪化が問われることが多いけど
悪く言えば「大盤振る舞い」な財政ですが、広田を少し弁護するならば、「2・26事件」後
の政治的混乱と国民の不安動揺を押さえるためにも、総花的な予算となったのでしょう。
801 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/07(水) 00:03:01 ID:zCWqafjN
>>800 >>「国防の充実」が筆頭に上がるのは陸海軍の手前いたし方ありませんが
広田は自分のこうした姿勢について、親しい部下に以下のように漏らしたと云います。
●「軍部は野放しの暴れ馬だ。それを止めようと真っ向から立ち塞がれば、蹴殺される。
かといって、そのまま野放しにすれば何をするか分からん。だから正面から止めよう
としては駄目で、横から飛び乗って、ある程度思うままに寄せて抑えて行く他はない」
>>横から飛び乗って、ある程度(軍部の)思うままに寄せて抑えて行く他はない
この辺りが、広田の心情が一番よく表れているでしょう。『正面から止めようとしては
駄目で』がミソです。また続いて、自分が首相を引き受けた理由をこう表現しました。
●「もっともこの暴れ馬には鞍もなく、飛び乗るのが大変だし、裸馬だからいつ振り
落とされるかも知れん。しかし誰かがやらなくちゃいかん。そう思って自分は飛び
乗ったのだ――」
>>801 >>誰かがやらなくちゃいかん。そう思って自分は飛び乗ったのだ――
しかし、このことが軍部との一蓮托生――。東京裁判における連合国側の都合の良い
フィクションである●『共同謀議』と結び付けられて、広田を絞首刑台に1歩近づける
とは何とも皮肉な話です――。
803 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/07(水) 23:43:13 ID:iFKuPHwf
>>802 >>東京裁判における連合国側の都合の良いフィクションである
>>●『共同謀議』と結び付けられて、広田を絞首刑台に1歩近づける
外相時代もそうですが、広田の『常套手段』は陸海軍にそれぞれ言うだけ言わせて
適当なところで大枠をはめて抑える――というものでした。小出しにゴチャゴチャと
口を挟むと、陸海軍のライバル意識も加わって碌なことにならない訳です。
こうして広田内閣時代に『国策の基準』というものが設けられまして、その内容は
「北進論の陸軍」と「南進論の海軍」の両方の顔を立てるものでした。ちなみに
こんな感じです――。
●「満州国の健全なる発達と日満国防の安固を期し、北方ソ国の脅威を除去すると
共に英米に備え、日満支三国の緊密なる提携を具現してわが経済的発展を策する
をもって大陸に対する政策の基調とす」(陸軍)
●「南方海洋とくに南洋方面に対しわが民族的経済発展を策し、努めて他国に対する
刺激を避けつつ、漸進的平和的手段によりわが勢力の進出を計り、もって満州国の
完成と相まって国力の充実強化を期す」(海軍)
804 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/08(木) 00:01:17 ID:iFKuPHwf
これをもって広田内閣の「軍部への屈服」と見るか、「名を捨てて実を取ろうとした」と 見るかはあなた次第――ということになります。チト古いかw。しかし、軍部と政府が 結託して侵略戦争を開始したという『共同謀議』の格好の種にされたのは事実です。 まあ、理不尽であると自分は思います。 さて少し閑話休題で、広田の首相時代の人となりの話を挟んでみましょう。 広田は「平民宰相」ではありますが首相となって、昭和天皇とも間近に接するように なります。天皇に面会するときは首相といえども、間に置かれた小机に目を落とし、 直接お顔を見ずに話すのがしきたりでした。もっとも名門中の名門と云われた近衛 文麿だけが天皇の前で足を組んで話すことが許されていました。●「やん家」さんの ネタにもなっています。 広田が驚いたのは、昭和天皇の質素な暮らしぶりだったと云います。ある冬の日、 天皇は風邪を引いておりましたが、10畳ほどの広さの部屋に暖房器具といえば、 電気ストーブが1つ置かれ、その上の金ダライが湯気を立てているだけでした。
805 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/08(木) 00:15:44 ID:UgEKqdBi
オランダ大使として、ヨーロッパの王室の生活がどういうものか見ている広田弘毅は、 「これでいいのかな?」と思わず首を傾げたと云います。 一瞬、「この天皇には欲とか羨みとか、個人的な情念は何も無いのではないか?」と 広田は心を打たれましたが、予算編成が近づいたある時、昭和天皇から●「大元帥の 立場から言うのだが――」と前置きされて、陸海軍の必要予算に善処を求められた時は、 逆の大きな衝撃を受けました。 これは天皇自身の御意見なのか? 陸海軍が天皇の口を借りて言わせているのか?
807 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/08(木) 00:31:47 ID:UgEKqdBi
広田の首相としての私生活も質素そのものでした。 妻の静子は相も変わらずパーティなど派手な行事が大の苦手で、晴れがましい席にも めったに出ず、首相官邸でひっそりと夫の帰りを待っていました。 娘のためにピアノの女性家庭教師を雇いましたが、夏の暑い日には、静子が団扇で 家庭教師の背中に風を送っているという始末です。ある意味、首相夫人としては失格 でしたでしょう。 広田は煙草が大好きですが、もちろん葉巻などではなく、鉈豆キセルで「刻み煙草」を 吸うという具合です。「外交官出身の首相」というイメージで広田を訪れる初見の客は、 大抵ビックリします。晩酌は日本酒が1本だけ。息子たちと話しながら1本を分け合う こともありました。 また夕食が終わると護衛の警官たちに碁を勧めますが、自分は横から観戦しています。 子供がトランプで遊んでいても、同様に横から眺めているだけで、加わろうとしません。
808 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/08(木) 00:58:10 ID:UgEKqdBi
何か麻雀で自分はカネが無いので卓に入らず、他人が打っているのを見てニヤニヤ 楽しんでいる人間に似ていますが……。 また広田が好きだったのが、1人トランプの「ソリティア」です。 ただ、ひたすら場札に置けるカードを待って、重ねて、そして組札に重ねていく――。 重ねられなければ1からやり直しという、何とも地味でギャンブル性の欠片もない、 1人遊びのゲームです。 ひとりでカードを並べ、「ああ、駄目だった」と呟きながら繰り返す――。ソリティアの 別名が『ペイシェンス』(忍耐)であり、超人的な粘り強さの交渉が持ち味だった広田が これを好んだというのは出来すぎの話のように思えます。まあ、鶏が先か、卵が先か。 自らを計らわず、ただ風車のようにに身を任せる――。そんな広田のポリシーが 集約された遊びだったとも云えるでしょう。
まあ、1人神経衰弱、1人七並べ、1人人生ゲームを想像してみると 分かり易いでしょうか。 広田だから意味のありそうな話になるのであって、他の人なら暗過ぎる、 ちょっと頭がおかしい――となりますw。
まあ歴史上の偉人(ほどまでいかずとも有名人)は特徴的なエピソードがあるものですよ。
811 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/08(木) 23:36:23 ID:6hUj2wcC
週末になると格別の用がない限り、広田一家は鵠沼(くげぬま・神奈川県藤沢市)の 別荘へと飛び立つように戻りました。ただし、家の近くを「小田急電鉄」が走っており、 音がうるさいので広田は近くで別の土地を探そうとします。 片瀬山(神奈川県鎌倉市)に格好の場所がありましたが、その地主が「広田さんなら 坪10円でいい」と言うので、取り止めました。本来なら坪15、6円はする土地だった からです。 次に龍口寺(神奈川県藤沢市)の裏山に静かな土地が見つかりましたが、水道が 通っていません。すると市が、「広田閣下が住まわれるなら、直ぐに水道を引く」と 言うので、また取り止めました。 広田は息子達に、●「政治家が土地を買うときは、よほど注意しなくちゃいかん。 安かったら、絶対買っちゃいけない――」と言って聞かせたと云います。この時代、 広田はいつ殺されるか知れたものではありませんし、余計な外聞が立っては身を 滅ぼす元でした。まあ、役得とばかりに公私混同するのは人の常ではありますw。
商品の単価が1万円以上場合、消費税の税率を8%にする。 商品の単価が1万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。 これが最善の消費税率。
813 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/08(木) 23:53:50 ID:6hUj2wcC
結局、広田は土地探しを断念し、鵠沼の別荘を増築することに決めました。警備や 来客だけでなく、新聞の番記者も詰め掛けてくるので、別荘に20人ぐらいはザラ だったと云います。結局、増築を2回する羽目になりました。 広田は大工の仕事を見ているのが好きで、時間が許せば1日中眺めていました。 「でっきるかな、でっきるかな、はてはてふふ〜。(さてさてほほ〜w)」 夕方には酒を持ち込んで大工と小屋で呑んでいました。妻の静子は、「あちらが 窮屈な思いをしますから、行っては駄目ですよ」とハラハラしていたと云います。 また日曜の午後は、新聞の番記者たちと座敷で向かい合い、2時間でも3時間でも 天下国家を論じる事もしばしばでした。広田の隠士然とした雰囲気に、鵠沼の別荘を 訪れるのを楽しみにした記者もいれば、あの「掘っ立て小屋」と揶揄する者、広田に 「政治家はもっと金をバラ撒かなければ駄目ですよ」と忠告めいたことを言う者など 様々でした――。
814 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/09(金) 00:10:58 ID:7TfRd3JE
>>813 >>「政治家はもっと金をバラ撒かなければ駄目ですよ」
広田は外交官プロパーで、ほとんど『交通事故』のような巡り会わせで首相に
なりました。ですので●「政治資金」なんて気の効いたものはなく、また集める
気もサラサラ無かったと云います。どうせいつ殺されるか分かりません。
広田が生涯ただ一度、資金集めをしたのは福岡にアジア留学生の寄宿舎を
作る話が持ち上がった時だけです。広田は自分の名刺を持たせて、めぼしい
実業家に寄付金を募りました。例えば三井では、「広田さんからカネの無心を
されたのは初めてだから」という変な理由で、希望の額の倍をすぐに支払った
と云います――。
また広田は、よく娘たちや妻・静子を連れて江ノ島海岸を散歩に出かけました。
広田は静子のことを「ママ」と言い、静子は広田を「あんさま」(あなたさま)と
福岡弁で呼びかけました。広田が首相の時、自身は59歳、妻・静子は52歳。
広田夫婦が初老になっても江ノ島を好んだのは、新婚旅行でまだ若い広田が
「貝細工の指輪」を静子に贈った思い出の地だったからでしょう。
815 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/09(金) 00:27:18 ID:7TfRd3JE
広田と静子が結婚した時は、それぞれ29歳と22歳。当時は「外交官試験」にも失敗し 金も無いので、「いつかダイヤの指輪を買ってやるから」と貝細工の指輪を贈りました。 約束どおり広田が「ダイヤの指輪」を買ってきたのは、オランダ公使から日本に戻った 時ですが、それは今でも静子の指で光っています。結婚してからちょうど30年――。 今でも江ノ島は、椀を伏せたような形で当時と同じように海に浮かんでいます。 静子はこのまま鵠沼で夫とずっと移り住み、永田町の首相官邸には二度と戻りたくない と思いましたが、もちろんそれが叶うはずもありません。 広田内閣にはもう1つ大きな暗雲が立ち込めており、それは●『日独伊防共協定』 という名前をしておりました――。
816 :
イナゾウ中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/09(金) 00:51:24 ID:7TfRd3JE
>>812 >>商品の単価が1万円以上場合、消費税の税率を8%にする。
>>商品の単価が1万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。
>>これが最善の消費税率。
んな七面倒臭いことしなくていいんじゃねえの。全部8%でいいよ、8%で。
GWに帰省したら街宣車がうるさくて、地方の街宣車の方がマナー悪いっつーのw。
勤労の義務、納税の義務、(教育の義務)の国民の3大義務を果たしてから
偉そうなこと抜かせと。真面目に働いて税金を納めて、自分の子供にマトモな
教育を施すのが一番国益に貢献すると思います。
ああいうアホどもに税金を払わせるためにも、消費税を上げるのは最適だと
思うんですがねえ。
あんたはワープアの辛さを分かっていないw
消費税は1%でいい。ついでに固定資産税や重量税も廃止しろ。 替わりにガソリン税や軽油税を倍増して一般財源化。 日本が輸入している化石燃料は四億トン、製鉄用石炭と工業原料用を除いても三億トン。 トン当たり一律十万ずつ課税すれば三十兆円になる。 省エネ省資源も進み言うことなし。
法人税所得税等も整理した方がいい。住民税だの事業税だの分離課税だの複雑すぎ。 さらに年金だ保険だで手取りも減るし、複雑な制度にしても混乱するだけ。 一千万まで非課税、それ以上は法人個人関係なく一律25%でよい。 相続や贈与による所得もこれでいい。利子課税なども25%に統一すれば計算も楽になる。 法人税も25%でいいから、そのかわり年金や保険を全額企業負担にすりゃあいい。 これで中低所得者の負担はかなり減るし、法人税も世界平均並になる。 公益法人も中小企業も一律平等でよい。
820 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 00:17:53 ID:y2GAmMdZ
>>817 >>あんたはワープアの辛さを分かっていないw
自分は「バカ右翼」が嫌いなだけで、他意はありません。済まぬ。つーか、自分だって
半年後はどうなってるか分かったものではないでふw。
余談ですが今、小林多喜二の『蟹工船』(新潮文庫)が隠れたベストセラーになっている
(アマゾンで451位!)と聞いてビックリしました。元はプロレタリア文学ですが、現代の
労働環境にも通じるものがあるのだとか。
「就職氷河期」なんて言葉は、もう死語になっているのでしょうか。ロスト・ジェネレーション
とは言いますが結局、1975年前後に生まれた人が一番割りを喰っていると思います。
>>818 >>替わりにガソリン税や軽油税を倍増して一般財源化。
次の選挙は民主党に入れることに決めました。1回、日本は滅びた方が良いのです。
821 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 00:23:18 ID:y2GAmMdZ
>>799 >>もう八百か・・・474KBだし、新スレももうすぐか。
そろそろ昔みたいに、ログを保存される奇特な人は「自給自足」でして頂いた方が
良いかもしれません。
「全部読む」→「ファイル」→「名前を付けて保存」→「マイドキュメントorデスクトップ」
バカ右翼とワーキングプアを一緒にするな。 それでも軍事板住民か
823 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 00:47:26 ID:y2GAmMdZ
>>815 >>広田内閣にはもう1つ大きな暗雲が立ち込めており、それは
>>●『日独防共協定』という名前をしておりました――。
さて、『日独防共協定』(1936年11月)です。1937年11月にイタリアが参加して
『日独伊防共協定』に発展しますが、言うまでもなく『日独伊三国軍事同盟』の前身
であり、大日本帝国が滅亡するまでの1里塚となります。
以前、広田弘毅がA級戦犯となり死刑になったのはおかしいと書きましたが、こうして
見ていくと、『軍部大臣現役武官制』といい『日独防共協定』といい(後述の支那事変
開始時の外相が一番大きい)、少なからず「地雷」を踏んでいるのは確かです。
しかし、これは程度の問題であり、本来「死刑」になるべき人間が自殺したり、判決前に
病死してしまったので死刑の順番が広田にまで回って来たために他なりません。
近衛文麿を筆頭に、もっと「死刑にふさわしい人間」はたくさんおりました。少なくとも
海軍から一人も死刑が出ないのは全くおかしい訳です。
824 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 01:14:18 ID:y2GAmMdZ
とはいうものの、「日独防共協定」の交渉は陸軍主導で進められ、広田も外務省も 具体的な内容になるまで全く知らされておりませんでした。文字どおり「寝耳に水」 だった訳です。まあ、大島浩駐独武官がリッペントロップ外相と相談を進めていた ことになります。 ちなみに、ドイツが条約名で「アンチ・コミンテルン」とソ連をそのままズバリ名指し しているのに対して、日本は「防共」とニュアンスを和らげており、なるべくソ連を 刺激しないよう気遣っています。もともとドイツ側が日本に希望した条約であり、 最初は大島浩も「日本に得るところが少ない」と積極的でなかったと云います。 しかし、ソ連が脅威であることに変わりはありませんでした。 外務省が状況を知ったのは、大島少将が交渉を始めて半年以上経った頃です。 担当の東郷茂徳・欧米局長は絶対反対。しかし外相の有田八郎は、●「薄い墨で 書く程度の繋がりなら――」と賛成しました。駐独大使の武者小路公秀にも「さし 当たり両国間に事項を限定せず、漠然たる約束をしておくこと時宜に適す」との 訓令を出しています。
825 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 01:39:36 ID:y2GAmMdZ
結局、首相の広田のもとには、「日独防共協定」の話がある程度まとまった段階で、 寺内陸相と有田外相の2人が説明にやってきました。 広田はこれを認めますが、本質的に「日独」だけの狭い関係になるのを懸念しました。 「防共」が目的であるならば、駄目元でイギリスも1枚噛ませられないかやってみろと 命じます。実際はイギリスだけでなく、ドイツと犬猿の仲であるフランスを除いた欧州 各国にこの防共協定に参加する気はないか打診するよう、大公使に訓令を出す事に なった訳です。 陸軍はイギリスが大嫌いですから、もちろん外務省のこの動きに反対します。しかし、 「協定締結」は外務省の専権事項ですから、渋々折れることになりました。 けれども最も期待の大きかったイギリスへの働きかけは、物の見事に失敗します。 当時の駐英大使は、広田の外務省同期だった吉田茂でしたが、日独防共協定に 真っ向から反対する電報を本国に送りつけて、外務省の訓令をサボタージュした 訳です――。
826 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 02:10:53 ID:y2GAmMdZ
本来、広田内閣の外相は吉田茂が予定されていましたが、●「陸軍の横槍」により お流れになってしまいました。念願の外相を棒に振った吉田の陸軍嫌いは正真正銘、 決定的なものになりますが、広田にとっても気まずい事この上ありません。2人は 外務省同期の関係ですから尚更です。 予想外の「貸し借り」を作ってしまった広田は、異例の人事ではありますが、吉田を 駐英大使のポストに栄転させました。言うまでもなく、当時の大公使中トップの序列 であります。それまで支那でのキャリアの方が長かった吉田茂ですが、この赴任に よって●「親英米」に一気に染まることになります。まあ、イギリスでの貴族的生活が 吉田の肌に合った事も大きいでしょう。ここには「凶暴な陸軍」もおりません。 そんな吉田にとって『日独防共協定』はチャンチャラおかしくて、イギリスに取り次ぐ なんて真似が出来るか、という意識でした。本省に対する訓令違反になりますが、 首相が広田だった気安さも手伝って強硬な態度を取りやすかったのでしょう。
827 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 02:35:34 ID:y2GAmMdZ
そんな吉田茂のサボタージュに対して、参謀本部は駐英大使館付武官の辰巳栄一 中佐を吉田説得に当たらせました。しかし「ミイラ取りがミイラ」になりまして、逆に 辰巳の方が説き伏せられてしまい、戦後に吉田の私的な軍事顧問となる切っ掛け ともなりました。 このため駐独武官の大島浩少将が直接ロンドンに乗り込んで吉田と3時間も 談じ込みますが結局、喧嘩別れに終わります。その直後の模様を辰巳は、 ●「吉田さんは、それまで3時間も難しい会談をしていたなんてどこ吹く風で、 ニコニコ(晩餐会で)よもやま話をされているのに対して、大島さんはそれこそ 苦虫を噛み潰したような顔で、『辰巳君、俺は明日帰る』と言うんですね。 私はせっかくロンドンに来られたのですから、改めて武官府で食事でも――と 勧めたのですが、『いや俺は帰る』と聞かないんです。仕方がないので電話で 飛行機のキップを予約したのですが、大島さんは翌朝さっさとベルリンへ帰られ ましたよ――」
>>820 就職氷河期に採用された人間が実は一番恵まれてるw
何しろその世代は人材が少ないから、簡単に止められたら困るってんで待遇はいいし、出世の競争相手もいない。
>>828 採用されたがすぐ潰れて、「第二新卒」なんて言葉もない時代に外に放り出されたよ……
訂正: 就職氷河期に採用されて今も生き残っている人間が実は一番恵まれてるw
まあ実際、激しい競争潜り抜けてようやく採用されたんだからそれなりに優秀なんだろ。 ・・・・・・・・・・・・多分
私の周りでは縁故採用が多かったですよ。 それで初めて知りましたよ、そんな採用方式が本当にあるなんてね。 あと創価とかの宗教つながり採用なんてのもあった。 今後抵抗勢力となるのはこれらの人たちだろうな。 いずれにせよその人たちは優秀とは言い難かった。優秀なロットは公務員に優先的に回されている。
833 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 22:56:10 ID:yqyOPgbv
>>828 >>就職氷河期に採用された人間が実は一番恵まれてるw
まあ、でも就職できずに派遣社員になったり諦めてフリーターになった人たちが
今現在、泣きを見ている気がします。
本来、一流会社に就職できた人が二流に、二流会社に就職できた人が三流に、
三流会社に就職できた人が派遣や契約社員、フリーターなどに……。順繰りに
下がっていった感じです。
昔、電車の中吊りに、●「派遣から始まる就職もある」なんて派遣会社の広告を
見て、なんて人生を誤らせる酷いキャッチコピーだろうと憤った覚えがありますw。
834 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 23:16:06 ID:yqyOPgbv
>>827 >>そんな吉田茂のサボタージュに対して、
日本とナチス・ドイツが関係を深めること自体、「大反対」の吉田茂としては、日独防共
協定の片棒を担ぐのはとても我慢できなかったのでしょう。また当時のイギリス外相が
議会で●「反共ブロックの形成には反対」と述べており、英国にも一枚噛ませようという
広田の苦肉の策は、やはり企画倒れだったとも云えます。
しかし広田は諦めません。防共協定が無理でも、支那での権益なり何でも良いので、
英国と関係を悪化させないため何らかの協定が結べないか、大使の吉田に訓令を
出しますが、これすら吉田は英国側に声ひとつ掛けずサボタージュしました。坊主
憎けりゃ袈裟まで憎いではありませんが、そんな●「尻拭いのような行為」もご免だ
という訳です――。
こうなってくると、旧友の吉田に報いるために英国大使のポストを用意したのは却って
ヤブヘビだった事になります。ここまで我がまま放題されるとは広田も思わなかった
でしょう。結局、『日独防共協定』はそのまま2国間で締結される事になりました。
835 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/11(日) 23:48:43 ID:yqyOPgbv
ところが実は、広田は「日独防共協定」を積極的に推進したのであり、いわゆる ●『ビザンチン外交』だったという話もありますので油断なりません。 つまり支那では蒋介石の国民政府が「ドイツ軍事顧問団」の指導のもとに着々と 対日戦に向けた準備と自信を付けていましたので、これに楔を打ち込もうとした という訳です。 当時の支那は、日本人を標的としたテロが多発しており、反日運動も『絶好調』 でした。要するに日本は舐められていたのであり、支那人の根拠のない自信の 背景にはドイツの存在が大きかったのです。しかし所詮は「他人頼み」ですから、 日独防共協定は冷や水を浴びせる結果となりました。 この辺りは、過去スレ9の『支那とドイツ軍事顧問団』を参考にしてみて下さい。 ナチス・ドイツの方から日本に近づいて来てくれたのは、調子に乗った支那を 『修正する』のに実は、渡りに船だったことになるのです――。
商品の単価が1万円以上場合、消費税の税率を8%にする。 商品の単価が1万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。 これが最善の消費税率。
837 :
イナゾウ上級中尉 ◆FU/OcfTlfM :2008/05/12(月) 00:15:28 ID:q2R2PmM6
事実、蒋介石は日本とドイツの結び付きにショックを受けて、ヒトラーに裏切られた と感じました。ここから「対日戦の準備」から「中共の討伐」を優先させる決断に 繋がります。 蒋介石は張学良を督戦するために陝西省西安を訪れるのですが、1936年12月に 『西安事件』が起こり、一時的に国共内戦にストップが掛けられることになりました。 さらに間が悪いことに、田中隆吉のクソ戯けが日独防共協定が成立した日 (1936年11月25日)とほぼ同じ日に「綏遠事件」(11月25日)を起こして 支那軍に惨敗するという信じられないヘマを起こしましたので、反日運動と 侮日に拍車をかける結果となります。 広田が意図して推進したかどうかは分かりませんが、日独防共協定は支那の 無謀な日本への挑戦に歯止めをかける効果があった訳です。しかし西安事件と 綏遠事件の2つにより、水の泡どころか差し引きマイナスとなってしまいました。
>>837 >>日独防共協定が成立した日(1936年11月25日)とほぼ同じ日に
>>「綏遠事件」(11月25日)を起こして支那軍に惨敗
綏遠事件の部分は11月24日(惨敗した日)の間違いでした。
i^ヽr,/^'i []'!. ,i '"⌒`"' Y、 [[] '!. L(!ノハル」 iゝ [] [] ''!. i!、゚ヮ ゚ [!ノハ 祝!『東方地霊伝』 発売記念! [][] [] と'i_'ム´_i,へ,ソ って、もうスレが死んだかしら? λi.Tハゝ,/ "'r_,t_ァー"