日中戦争(支那事変)8 参謀本部第二部支那課

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1イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
満州事変、盧溝橋事件、通州事件、第二次上海事変、南京陥落、徐州作戦、
武漢攻略作戦、重慶空襲、トラウトマン工作、拉孟の玉砕、大陸打通作戦等……。
日中戦争を軍事的に語るスレッド。帝国陸海軍の内情も可。

前スレは「容量オーバー」のため、855でお亡くなりになりました。合掌w。
まだまだ語るべきことは尽きません。引き続きマイペースで進行していきます。
2名無し三等兵:2007/03/15(木) 23:36:15 ID:ZltRpU/S
2なら木内梨生奈とセックスできる。
2なら去年の天てれの魔法少女姿の木内梨生奈とセックスできる。
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2ならスチュワーデスのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
2ならキュティーハニーのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
2ならモリガンのコスプレをした木内梨生奈がアナルセックスさせてくれる。
2なら不知火舞のコスプレをした木内梨生奈が俺の乳首を弄りながらフェラしてくれる。
2ならセーラー戦士のコスプレを一通りした木内梨生奈がディープキスをしながら手コキしてくれる。
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2なら攻殻機動隊の草薙素子のコスプレをした木内梨生奈が淫言を言いながら俺の前でバイブオナニーしてくれる。
2なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの木内梨生奈が生姦&膣内射精させてくれる。

2なら木内梨生奈が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる!
2ならJSFに法則発動
2なら空自の次期F-Xはライノ
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
3イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 23:38:18 ID:???
初代スレ 「 日  中  戦  争  ( 支 那 事 変 ) 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1121259666/

2代目スレ「日中戦争(支那事変) 被害担当艦@サドンデス! 」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1132842768/

3代目スレ「日中戦争(支那事変)3 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1139326210/

4代目スレ「日中戦争(支那事変)4 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147872368/

5代目スレ「日中戦争(支那事変)5 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1156432384/

6代目スレ「日中戦争(支那事変)6 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1161267950/

7代目スレ「日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課」
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1166623522/

過去ログ(ue少将閣下作成)
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/

     ,r---、.       
   _ソヽ/`、シi.
   _>=ヘ 山/=<, 
.  ((ん'ノノルレム))
   _ソレリ ゚ ヮ゚ノリ(_     状況開始!
   ),k'ヲ:::::::::つ   
    (ン::::/:::l::ヽ 
    `~i,ンT,ノ~´.
5イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 23:43:10 ID:???
>>2 24秒で「2ゲット」されたら敵わんわな……w。
6名無し三等兵:2007/03/15(木) 23:52:56 ID:???
前スレ>>851
以前日本の捕虜になったオーストラリアだったかカナダだったかの人の手記を読んだことあるけど、
その人によるとその人が協力させられた対連合軍謀略放送は結構お粗末なものだったらしいよ。

ラジオで強制されて、いかに自分達が「よい待遇」を受けているかということを国の人々に対して話すんだけど、
その中で「嘘ばっかり」ということを示すスラングである「海兵隊の皆さんにも宜しく」という言葉を混ぜても気づかなかったみたいだから。
7イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 23:55:42 ID:1B9CkkeG
>>前スレ854 の続き。>>代わりに反戦同盟の「日本人工作員」が深夜
>>投降の呼びかけに来るたびに情報を伝えてくれるのです(核藁)。

例えば、こんな感じです。

「皆さんは、(1943年)9月8日にイタリアが連合軍に降伏したのを
 知っていますか? ドイツはヨーロッパ戦線で孤立してしまったから、降伏
 するのは時間の問題です。南方戦線では、先月マキン、タラワの日本軍
 守備隊が全滅しました。日本もあと1年ぐらいで必ず降伏するでしょう。
 その間に八路軍に投降しませんか……(略)。ご静聴感謝します。最後に
 流行歌を1、2曲歌ってお別れとします」

そういって『人生の並木道』と『東京ラプソディ』を歌い、古賀政男作曲の哀愁を
帯びたメロディが夜のしじまを破って伝わってきた時には、思わず分遣隊の
日本兵がホロリとさせられてしまったと云います。小賢しいの一言ですw。
8イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/16(金) 00:10:20 ID:HKTjqXJG
こうした日本人による「反戦工作」は、大東亜戦争(支那戦線+太平洋戦線)中、
北支戦線と中支戦線の一部以外では見られなかったものであり、八路軍との
戦い(治安戦)の中でも、最も特異なものと云えるでしょう。

一連の話の舞台は「山東省」ですが、1943年秋から日本人工作員が「高度
分散配置下」の分遣隊に深夜、メガホンを持ち来んで反戦工作を始めています。

ただし、日本軍兵士に対する反戦工作そのものは、ずっと以前から行なわれて
おり、最初の方で述べたように『八路軍は日本兵捕虜を殺すようなことはなく、
かえって優遇する』という宣伝活動もその一環です。

あの『柏崎中隊長』の部隊でも、渡部という軍曹が1942年2月の戦闘で負傷して
八路軍の捕虜となり、実は手厚い看護を受けて生きているという噂が流れます。

日本兵の多くが「捕虜になれば残酷に殺される。さもなくば自決しなければならない」
と思い込んでいたのが、このような話を耳にすると微妙な心の変化が生じてきます。
9イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/16(金) 00:27:48 ID:HKTjqXJG
例えば、『華北戦記』の著者である桑島は、1942年11月に初めて
八路軍の討伐作戦に参加しますが、訪れた村の家の白壁に、

「八路軍は日本軍の捕虜を優待する。すみやかに来たり投ぜよ」

と大書してあるのを早々に目撃しています。上記のような八路軍の
「地道な活動(?)」が長く続きますと、終戦間際には華北全域に
このような認識が行き渡り、北支那方面軍の前線部隊の兵士の多くが
「八路軍の捕虜になっても殺されることがないから、その点は安心だ」
と内心、思っていたと云います。

ただし念を押しておきますと、上記はあくまで「運良く捕虜になれれば」の
話です。例えば、負傷して戦友からも不可抗力か何かの理由で置き去りに
されてしまい、人事不省で気絶していたのを捕えられたといった感じです。

トラックの輸送部隊が八路軍の部隊に急襲されて、同乗の警護部隊が降伏する
暇もなく、多数の民兵に惨殺されてしまったという例は数限りなくありますw。
10名無し三等兵:2007/03/16(金) 00:28:29 ID:6vfnOw57
10なら木内梨生奈とセックスできる。
10なら去年の天てれの魔法少女姿の木内梨生奈とセックスできる。
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10ならメイドさんの木内梨生奈とセックスできる。
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10ならブルマー姿の今の木内梨生奈とセックスできる。
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10なら春麗のコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
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10ならDOAのティナのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
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10ならセーラ服のコスプレをした今の木内梨生奈とセックスできる。
10ならけっこう仮面のコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
10ならミニスカポリスのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
10ならスチュワーデスのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
10ならキュティーハニーのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
10ならモリガンのコスプレをした木内梨生奈がアナルセックスさせてくれる。
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10ならセーラー戦士のコスプレを一通りした木内梨生奈がディープキスをしながら手コキしてくれる。
10ならコギャル姿の木内梨生奈が俺のアナルを舐め、乳首を刺激しながらローション付きで手コキしてくれる。
10なら攻殻機動隊の草薙素子のコスプレをした木内梨生奈が淫言を言いながら俺の前でバイブオナニーしてくれる。
10なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの木内梨生奈が生姦&膣内射精させてくれる。
10なら木内梨生奈が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる!
10ならJSFに法則発動
10なら空自の次期F-Xはライノ


※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
11元32(予備役少佐):2007/03/16(金) 22:14:35 ID:???
>>1
新スレ、乙であります。

>>6
このあたり、日本側は自発的に協力したといい、
オーストリアのひと(だと思います)は、強制された、
ないしは抵抗したと主張します。

あたりまえですが、強制されて従ったのでなければ、
その連合軍捕虜は反逆罪ということになるからです。

これも当然ですが、実際には、英語が堪能な日本人が監視するわけで、
あんまり無謀なことはできません。
12イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/17(土) 22:21:01 ID:TBYaJaPl
>>7 >>代わりに反戦同盟の「日本人工作員」が深夜投降の呼びかけに
>>来るたびに情報を伝えてくれるのです(核藁)。

「反戦同盟」ではありませんが、八路軍の仕業にこういう例もあります。場所は
やはり山東省ですが、未治安地区の道路中央に、長さ2メートル・幅20センチ・
厚さ1センチほどの木の立て札がありました。そこには『山本連合艦隊司令長官、
南太平洋上にて戦死』と、墨痕あざやかに書かれています。

ちなみに山本五十六が撃墜死したのが1943年4月18日、上記の出来事が1943年5月24日
です。部隊の先頭付近にいた中隊本部書記の曹長が「触っちゃいかん!」と馬上から
大声で叫びます。立て札の下に地雷が隠されているのを予感したためでした。

案の定、立て札に綱をかけて遠くから引っ張ると、凄まじい大音響とともに爆発しますw。
ちなみに山本五十六の死が『大本営発表』で日本内地に公表されたのが、1943年5月21日
です。最初は連合国経由で八路軍が戦死を知ったかと一瞬思ったのですが、まあ考え過ぎ
でしょうw。

      ,  ‐‐-、___
    /   ., '´⌒⌒ヽ
   ./   、 i´ )ノ)ノ))ハ)  捕虜を出しただけでもマイナス評価なのに、
   ||     メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl)  自分の部隊の兵士から「反戦同盟員」なんか
   ヽ.   _Q)#」ネl」)つ   発生させたら、指揮官して最悪よねーw。
      ̄ ,<´_#,#ハ     きっと自分の元いた中隊に『挨拶』に来る
        ` "i_フ_フ"    でしょうしー。そういえば大尉も「殺して
                 やるー!」と怒り狂っていたわねw。
14名無し三等兵:2007/03/17(土) 22:37:28 ID:lRE5P9/N
1937年の夜に廬溝橋付近でウンコしてた日本兵の戦友の子孫って人がいるんだが、眉唾?
15イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/17(土) 22:45:30 ID:TBYaJaPl
>>13 >>そういえば大尉も「殺してやるー!」と怒り狂っていたわねw。

いえいえ。セム族の神様的に喩えれば、『父よ、彼らをお許しください。
自分達が何をしているかを知らないからです』(ルカ福音書:23章24節)
と呟くだけですよw。
16月の頭脳 八意永琳 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/17(土) 22:50:20 ID:???
>>13 >>きっと自分の元いた中隊に『挨拶』に来るでしょうしー。

    _,,...,_
  r'" 〈╋〉`!  『雉も鳴かずば撃たれまい』と云うわね。
  ,'ゝ,,..-─-イ
  i ノ レイ^iル〉
,..イλイi ゚ - 〔::二二〔()          ...:;:''"´"'''::;:,,, ドガァーーン!!
/(ゝy´[つ 〔三三三:〔[二[二二二[〔()〕″     ,,;;;;´."'''
___⊂ソ |ミ|| |_|_|  /A        '''''::;;;;::
17イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/17(土) 23:11:01 ID:TBYaJaPl
>>14 >>1937年の夜に廬溝橋付近でウンコしてた
>>日本兵の戦友の子孫って人がいるんだが、眉唾?

『日本兵の戦友の子孫』という表現がクセモノです。用便中に行方不明に
なった兵士がいたことは事実ですが、その部隊は支那駐屯歩兵・第1連隊
第3大隊・第8中隊です。

第8中隊は、もともと秋田歩兵第17連隊の第2中隊で、支那駐屯軍要員
となり、1936年5月に改編されました。『初年兵と2年兵で135人(3個
小隊)』の編成です。

盧溝橋付近でウンコしてた日本兵の『戦友』というからには、同じ中隊には
所属(135人)していたのでしょうか? しかし、悪意をもって主張する人は
同じ大隊、同じ連隊にいたというだけで「戦友」だったと言うかもしれません。
そうなると該当数は飛躍的に膨れ上がります。しかも「その子孫」ですから、
一体どれだけの人間が当てはまる事になるでしょうか?w 
18イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/17(土) 23:22:10 ID:TBYaJaPl
まあ、何が言いたかったと云えば『戦友の子孫』だと強弁できる立場の人は
数千、下手したら数万人単位でいることになりますw。ですから一概に眉唾
とも云えませんし、取りあえず「第8中隊」(出来れば同じ小隊)に居たか
だけでも、その人に確認してみてはいかがでしょうか?w
19イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 00:17:59 ID:Yi1cWsXg
さて、ここで『反戦同盟』の概略にも触れておきましょう。最初は2つの組織が
ありまして、1つは岡野進(野坂参三の偽名)が責任者で、延安に本部があった
『日本労農学校』です。

もう1つは、1938年に八路軍の捕虜になった高木敏雄、杉本一夫、小林武夫という
3人の軍人・軍属によって1939年に結成された『日本兵士覚醒連盟』です。やがて
1942年に2つの組織は合併して、『反戦同盟華北連合会』に一本化されます。更に
2年後の1944年4月には『日本人民解放連盟』と改編しました。

これら八路軍側に回った『裏切り者』の日本人らは、日本軍に対する「反戦工作」を
終戦後の1946年まで続けまして、その総帥がのちの日本共産党の野坂参三でした。

柏崎中隊長の第1中隊でも渡部という軍曹が、八路軍の『日本人反戦同盟』に加わった
と既に述べましたが、この人物は「反戦同盟山東協議会膠東支部長」という高い地位を
得ます。1944年ごろに八路軍の捕虜となり、後に脱出してきた同じ第1中隊の上等兵は
この渡部「元軍曹」に取り調べを受けたと云いますw。
20イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 00:41:45 ID:Yi1cWsXg
この渡部「元軍曹」は、支那事変が始まる1936年に現役兵として徴集され、
下士官の教導学校こそ出ておりませんが、済南で「支那語」の教育を長期に
受けた古参の軍曹でした。この辺りが、八路軍に重用された理由でしょう。

「渡部元軍曹」も古巣の第1中隊(の分遣隊)へ反戦工作に訪れたことが
あり、それは太平洋戦争の末期も近い1944年4月上旬の深夜でした。

「古城苗家分遣隊の皆さん、私は元第1中隊に所属していた渡部軍曹です。
 今宵は皆さんの慰問に参りました。今ごろは内地も桜の花が満開のこと
 でしょう。ここに桜の花を置いておきますから、花見でもやって下さい…」

夜が明けてから外に出てみると、桜の造花とニワトリ、それに慰問袋が遮断濠
近くに置いてあります。中を見てみますと、「古城苗家分遣隊の皆さんへ」と
書かれた手紙と「反戦工作」の文句を連ねた印刷物、タオル、石鹸、歯ブラシ
などの日用品が入っていました。手紙には、「ニワトリ料理で花見でもやって
故郷をしのんでください」と書いてあったと云います。
21イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 00:57:18 ID:Yi1cWsXg
「反戦工作」の印刷物には、若い女の顔と兵隊が顔に手をやって考え込んで
いる図が描かれており、その下には以下のような文章がありました。

昔想うも涙の出水 可愛い女の泣きホクロ

他にも箇条書きで……

・白木箱迎える母は涙のみ 
・兵隊ばかりが犠牲になって勲章もらうは将校だ
・将校は殿様で兵隊は下郎
・銃は上官に向けて撃て
・討伐で兵隊はマメを作ってビッコを引いても、将校は馬上で居眠りか
・満期討伐には反対せよ
・帰還してもまた召集では命がない
・5年兵になっても帰れない
22イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 01:01:04 ID:Yi1cWsXg
・討伐でアゴを出しても殴らないでくれ
・勅諭や戦陣訓の丸暗記は止めてもらえ
・青島や済南の兵隊と交代してもらえ
・下番なしの連続勤務を止めてもらえ
・農民が可哀相だから討伐に行ってもロバを盗まないでくれ
・兵隊の骸骨は職業軍人の出世の土台だ
・夜は冷たい
・戦争は辛い
・国へ帰ろよ戦争やめて
・妻や子供の膝もとに

まあ、何でも書きゃいいと云うものではありませんw。
23名無し三等兵:2007/03/18(日) 05:17:58 ID:???
突然で申し訳ないがイナゾウ氏に伺いたいのだが
今話題の慰安婦問題、最近公開されたアメリカの報告書によると
数百人が業者に騙されて強制奉仕させられていたらしい
軍が気がつかないのはあり得ない規模だと思う

この場合は答えはどれになりますか

■マジで気がつかなかった
■慰安婦の待遇なんて興味無かった (知っていてもわざと放置)
■不良業者と軍部の一部が癒着していたから、わざと見逃した (賄賂)

24ue(規制中):2007/03/18(日) 13:34:43 ID:???
過去ログ倉庫、更新しました。
ついでにGoogleのサイト内検索も付けときました。

新プロバイダに切り替えたとたん、規制を喰らうなんて…orz
25名無し三等兵:2007/03/18(日) 19:05:12 ID:???
>>24
26名無し三等兵:2007/03/18(日) 19:49:29 ID:814hTr+W
不当判決
旧日本軍が中国に遺棄し、戦後発見された毒ガス兵器や砲弾で健康被害を受けたとして、
中国人5人(うち1人は提訴後に死亡)が国に計8000万円の損害賠償を求めた
訴訟の控訴審判決で、東京高裁は13日、請求を棄却した1審東京地裁判決を支持、
原告側の控訴を棄却した。

大喜多啓光裁判長は判決理由で、毒ガス兵器を放置した国の違法性や危険性、
被害が予想できた可能性を認定。
しかし「国は中国の同意なく回収できず、具体的な放置場所も把握していなかった。
また遺棄したことを情報提供したとしても被害は防げなかった」と判断した。

判決によると、原告は1950年から87年にかけて、建設現場などで見つかった
缶入りの毒ガスを吸ったり、漏れた液体を浴びて体が不自由になった。
不発弾が爆発して負傷した人もいた。
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1168412747/77
27名無し三等兵:2007/03/18(日) 20:36:58 ID:???
日本軍砲兵の至宝 和田中将を基幹とする砲兵部隊を沖縄に送り込み、金沢の精鋭の
第九師団、満洲からは砲兵が強力な第二十四師団など沖縄戦では砲戦力を強力に増強している点が
目立っています。実際にこれらの砲戦力は米軍に対して多大な損害を与えています。
しかし第九師団を台湾に転用するなど大本営の泥縄式の作戦指導はまさに嫁をいじめる姑のようなものだった。
第九師団があればもっと戦えただろうし、あと欲を言えば弾薬の備蓄量がさらに豊富であれば
もっと米軍に出血を強いることができただろうに。
28名無し三等兵:2007/03/18(日) 20:39:40 ID:???
昭和天皇の語録に「三と九が行けば大丈夫だよね。」とある。
支那戦線で第三、第九師団の派遣があり
天皇が特に両師団の実力を評価していたかが伺える。
29名無し三等兵:2007/03/18(日) 20:41:23 ID:???
シュガーローフの本、俺も手に入れて、1/3ほど読んだけど、
日本軍が凄く強いね。特に砲兵。「牛乳瓶にも撃ちこむ精度の砲撃」って
海兵隊員が言っているが、どんな精度なんだろう。
30名無し三等兵:2007/03/18(日) 20:43:16 ID:???
和田砲兵団の中核は野戦砲兵学校の教官が占めていたという話を本で読んだことがある。
あらゆる諸元も頭に叩き込んであるでしょうから、砲撃でかなり手痛い損害を米軍に与えている。
飛行場のコントロールタワーを破壊するくらい精密な射撃だったそうです。
31イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 21:53:00 ID:G13IPZKk
>>24 >>過去ログ倉庫、更新しました。ついでにGoogleのサイト内検索も付け
>>ときました。新プロバイダに切り替えたとたん、規制を喰らうなんて…orz

毎度どうもでございます。ue少将閣下のご厚情にはいつも感謝、感激であります。
新兵器まで付けて頂きまして、これからも一層精進してまいります。

まあ、アクセス規制を喰らうのは自分もよくあります。ここ最近でも年末年始と
2月と3月にもありましたので……。まあ、この時とばかりに『門板』という
サイトで東方のネタに出来そうな「AA」を探していますが(核藁)。
32イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 22:08:59 ID:G13IPZKk
>>23 >>今話題の慰安婦問題、最近公開されたアメリカの報告書によると
>>数百人が業者に騙されて強制奉仕させられていたらしい
>>軍が気がつかないのはあり得ない規模だと思う

ああ、ついにこの手の質問が来ましたか……w。南京大虐殺は言うに及ばず、
731部隊や従軍慰安婦問題は、それだけを専門にしてキチガイのように
調べている人間が大勢いますので、自分はあまり詳しくないのですよw。
しかし、とりあえず自分の答えとしては、

>>■慰安婦の待遇なんて興味無かった(知っていてもわざと放置)

になります。ところで上記で問題としているのは、「業者に騙されて
強制奉仕させられていた」という部分でしょうか? え? この場合、
日本軍は助けないといけないのですか?w
33イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 22:33:36 ID:G13IPZKk
「業者に騙されて」というのは、慰安婦と業者間のあくまで『民事』の契約
ですよね。それに正義の味方よろしく、日本軍が口を出していいのかという
疑問が1つ。秋葉原にも、高価な絵画を売りつけるキャッチセールスの店が
ありまして、たまに客引きの女に地方から出てきたような人が何の気なしに
連れて行かれますが……w。

あと違法性があったにせよ、「数百人」という数は、屁みたいなものだと
思います。「んなことに、いちいち問題として関わっていられるか」とw。

さて、これだけですと「あんまりな解答」なので、『憲兵物語』(森本賢吉著)に
従軍慰安婦問題を簡潔に良くまとめたページがありますので、それをもとに少し
補足したいと思います。既に何回か取り上げている本なので、念のためですが
森本は北支那方面軍で憲兵准尉(分隊・特高班長)まで務めた叩き上げの人物です。

以下、森本の回想を引用しつつ要約します。
34イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 22:52:13 ID:G13IPZKk
「朝鮮人従軍慰安婦に軍が関与していないということは、絶対、ないよ。
 前線では、食糧と泊まる所を軍が提供する以外にないんだから。まあ、
 軍が慰安婦を募集せんでも、それぞれの商売人がおるわけだ」

と森本は云います。軍隊の行くところ、遥か大昔より商売のタネですから、
必ず商人と売春婦はくっついてきます。まさか世界史の最初の方から説明
する気はサラサラ無いので、この辺は頼みますよw。勉強する気がない奴は
漫画『ベルセルク』にも似たような描写があるので、それでも読んどけw。

連隊本部以上のところには「御用商人」がいましたし、北京や天津、漢口、
上海など日本租界がある場所には、日本人の娼婦街がありました。ただし、
ここで問題になっているのは、前線に出る部隊に、日本人なり支那人の
商売人が(朝鮮人の)慰安婦を連れて、軍隊と共に行動させた点でしょう。
35イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 23:13:59 ID:G13IPZKk
「休戦になったら兵隊がダーッと押し寄せるわけだから、1人の女性が
 1日に15人も20人も相手にせにゃあいかんことになるのよ。そう
 すると性病という問題があるわけだから、軍医が1週間に1度、女性の
『異常検査』をしよったのよ」

まあ、軍医が性病検査するのは言わずもがなの事でしょう。森本はインタ
ビュー当時の新聞に「南朝鮮の女の人が一番多く連れて行かれた」と書いて
あるのに触れて、「その辺は朝鮮独立運動の根拠地だからなぁ。そういう
関係もあるだろうよ」と興味深い指摘を述べています。

森本は、慰安婦について3パターンあると云います。●1つは、借金を払う分
だけ稼いで早く辞める者。●2つ目は、借金が多すぎて身を売られて行く人。
●3つ目は、郷里に帰ってもしょうがないという自暴自棄、捨て鉢の人間だと。

天津や北京でも、真面目な日本人や朝鮮人の慰安婦は、自分の借金を早く
払って内地や朝鮮に帰っていったと云います。
36イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 23:26:03 ID:G13IPZKk
「支那にも日本人の慰安婦がおった。外地における旅館は、慰安婦を抱えた
 所ばかりだけぇの。これを『二枚鑑札』というんだよ。娼妓(売春婦)の
 鑑札と、芸者の鑑札を持っておった」

日本の将校は「朝鮮人の遊郭」には行きたがらないので、日本人の売春婦も
多くいたと云います。また日本人にしろ朝鮮人にしろ、借金に追われている
女は『また売り』(転売)されるので、足を抜くことが出来なくなります。

「新聞には『朝鮮人の女を無理やり戦地へ連れて行った』とよく書いてある
 がのぅ。借金も無いのに、志願して、どこに行くか分からないのに行く者は
 そんなにいないと思うよ。日本人にしろ、朝鮮人にしろ、御用商人に甘言を
 弄されて連れて行かれたと思うんだがなぁ。朝鮮人の女を警察が強制的に
 徴発したなんて話は、僕は聞いた記憶がないよ」
37イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 23:40:30 ID:G13IPZKk
「人数の問題は、これは分からんよ。常識的に考えて、1万も2万もの
 朝鮮人を御用船などに乗せて、南方や奥地に連れて行かれるとは思えんよ。
 そもそも、兵隊自身が行くのに困難したような場所にまで……まぁ、
 僕は京津地区(北京―天津)以外のことは、直接は知らんけどねぇ」

ここで更に興味深いことを森本は回想します。日露戦争当時にシベリアへ
渡った日本人従軍慰安婦に出会ったと云うのです。1937〜8年ごろの
話で、その女は従軍慰安婦として16歳の頃にシベリアに行ったのですが、
日本軍が引き揚げてしまうと、誰も面倒を見てくれる人がいなくなって
しまいます。

仕方が無いので、ソ連で支那人と結婚するのですが、日中戦争が始まると
退去処分を喰らって支那の豊潤県に戻ってきたと云います。1人の娘を連れて。
38イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/18(日) 23:50:58 ID:G13IPZKk
「日本語は、きれいに忘れていたよ。憲兵隊出入りの御用商人が拾うて
 きたので、分隊長が炊事係にしてやったけどね。その女から聴いても、
 日本人の女がたくさん連れて行かれて、引き揚げる時に戻らん女は
 ずいぶんおったと言うたよ。外征軍に連いて行った従軍慰安婦という
 のは、だいたい、そういうことじゃないかな」

最後に、森本(憲兵准尉)はトドメと言わんばかりに、

「それにね、長崎、佐賀にはおかしな習慣があったからね。いっぺん、
 男を抱いてもどらにゃあ、一人前の女じゃあないというて、支那事変の
 初めごろに、独身の女性が北京、天津にたくさん出てきたよ」

とサラッと衝撃的なことを述べますが、こういう習慣が実際にあったか
どうかは分かりませんw。教えてプリーズ、佐賀県、長崎県の人!(藁)
39イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/19(月) 00:13:30 ID:Xk3JlBf9
日露戦争時に多くの日本人女性が「売春婦」(従軍慰安婦と言う訳でもない、
あくまで金を稼ぐ目的の人も多かった)として満州に渡ったことについては、

『満州の日本人』(塚瀬進著、吉川弘文館)が詳しくてお勧めです。日露戦争から
満州事変が起こるまで、約20万人の日本人がどのように暮らしていたかを詳細に
描きます。結論から言えば、日本人は満州にいても「日本人の生活様式」を頑なに
守ろうとして(たとえ、コスト高としても)、現地に適応できなかったという
話になりますが。ほんで政府や関東軍に泣きついて、満州事変へと……w。

まあ、日露戦争時に満州へ渡った日本人女性には、本当に食い詰めていたり、
一旗あげて兵隊相手に金を稼ごうとしたり、破れかぶれの自暴自棄で新天地に
救いを求めたり、などなど、色んな人がいたことを知るだけでも良いでしょう。

ちなみに塚瀬進の本には『満州国――「民族協和」の実像』という同じ吉川
弘文館の前作にあたる本もありますが、こちらはあまり面白くありませんw。
40イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/19(月) 00:30:12 ID:???
まあ、ちょっとこれだけだと不十分なので、後日もう少し話を続けますw。

>>23 >>■慰安婦の待遇なんて興味無かった(知っていてもわざと放置)

軍が心配するのは、慰安婦の待遇よりも兵士の衛生状態ですよね。部隊で
性病蔓延というのではお話になりませんw。あと兵士の現地住民に対する
性犯罪は占領地行政に悪影響をもたらします。そのための慰安婦です。
41名無し三等兵:2007/03/19(月) 04:12:16 ID:???
御石神落とし 増田 剛
http://www.amazon.co.jp/dp/4592133374/ref=sr_1_4/
戦前の田舎の性風俗を手軽に知りたいならこれが良いんじゃないかな。
42名無し三等兵:2007/03/19(月) 21:50:31 ID:T7j6vpQ6
日本が遺棄した化学兵器で酷い目あわされている人もいるのにね
43楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/19(月) 23:34:11 ID:???
>>32 >>従軍慰安婦問題は、自分はあまり詳しくないのですよw。

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ    
 くi Lノノハノ)」    
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!    でも日本軍の性病問題には詳しいのよ、中佐はw。
  レ',ヘ.i`ム'」つ   
  ,く_,//T.iλ     
  "ーr_,t_ァ'"     
44イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/19(月) 23:56:55 ID:mTODOH8z
えらく話が脱線してきましたが、もう少し続けましょうw。昨日、軍は「慰安婦の
待遇」なんて気にもしなかったと書きましたが、軍紀風紀のトラブルには大変気を
使った訳です。例えば、こんなエピソードがあります。

大陸打通作戦(1944年)の頃の中支(岳州)の話ですが、その頃には在支米空軍機の
跳梁跋扈がはげしく、トラックの通る道路は寸断され、橋は落とされ、陸上も水上も
空襲を避けて、昼間ではなく「夜間の移動」を強いられます。それでもなお、敵機の
銃爆撃を喰うわけです。

岳州は部隊への補給基地だったのですが、これでは前線への物資の追送は遅々として
進まず、集積貨物がどんどん溜まっていくばかりです。もちろん追送品には優先順位
がありまして、武器弾薬が真っ先に送られるのは当然ですが、中にはいつまで経っても
なかなか順番が回ってこないものがあります。それが実は「従軍慰安婦」な訳です。
45イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/20(火) 00:14:25 ID:esUMqamK
道路や橋は辛うじてトラックが通れる程度に工兵隊が懸命になって補修し、
河川を運ぶ舟艇はヤンマー船ぐらいしかありません。

通常、軍隊の後を追って『慰安所』も前進する訳です。しかし兵隊は徒歩で
行軍していきますが、慰安婦を歩かせる訳にはいきません。必ずトラックか
舟艇に乗せなければなりませんが、上記のような前線への補給事情なので、
なかなか慰安婦の輸送許可が下りないのです。従って、岳州には前線ゆきの
慰安婦が溜まる一方といった状況になりますw。

地元の慰安所は空襲で焼け残った建物で盛大に営業していますが、上記の
ような「慰安所」は兵站司令部の管轄です。困った司令部はこれらの滞留
慰安婦を使って、通過部隊のために慰安所を「一大増設」します。しかし、
それでも彼女ら全部を消化しきれません。

司令部は軍紀風紀のトラブルを避けるために、営業行為に従事していない
慰安婦たちを、一箇所にまとめて隔離する方針を打ち出しました。河川の岬に
バラック小屋を建てて収容したのですが、軍との関係はこういった感じです。
46イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/20(火) 00:33:47 ID:esUMqamK
一応、「北支の治安戦」テーマなので、北支那方面軍の話にも触れておき
ましょう。何回も既述のように『高度分散配置』の部隊が多かったために、
大隊規模でも慰安所を抱えていなかったケースが少なくありませんでした。

そのような場合、お世話になるのが『ピー屋』(支那人経営の売春宿)です。
中隊本部がある程度の街でもピー屋はあるらしく、なかには10軒もあった
という場所もあります。厚化粧をした若い中国人の女が、裾の割れた支那服を
わざと捲って白い脚をちらつかせ、「兵隊さん、お上がんなさい」と片言の
日本語で誘いをかけてきたと云います。

しかし部屋の中全体が恐ろしく不潔で、とても上がる気がしなかった兵隊も
多かったようです。また彼女らは大抵性病にかかっており、たとえサックを
付けても危険極まりないものでした。また当時、上等兵の月給は14円程度
でしたが、女を抱くには20円かかったと云います。なので、兵隊たちは
頻繁にピー屋に行ける訳でもありませんでした。
47イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/20(火) 00:50:17 ID:esUMqamK
しかし、分遣隊のような『島流し』勤務の兵隊にはそのような機会すらも
ありません。『柏崎中隊長』は、兵士の「性欲処理」にはなかなか理解が
あったらしく、分遣隊勤務の兵士は必ず3ヵ月ぐらいで交代させました。

そして大隊本部への連絡に全員を警乗兵として『慰安』のために出張させる
という兵への配慮がありました。例えば、大隊本部で「中隊長会議」がある
時などに、分遣隊勤務を終えたばかりの20数名を同行させるのです。

「長い間、分遣隊で禁欲生活をさせて気の毒であった。ピー屋にでも行って
 大いに英気を養え」という訳です。

また分遣隊の駐屯地によっては大きな村などがあり、そこにもピー屋があったり
して、度胸のいい古年兵になると、こっそり抜け出して女を抱いたと云いますw。
48イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 00:35:17 ID:mg6bHgDF
『性病』の話は大不評のようなので、「治安戦テーマ」にひと区切りをつけてから
続けたいと思いますw。という訳で、>>22 の続きです。

八路軍側に回った「日本人反戦同盟」による反戦工作の話をしてきた訳ですが、
これらは果たして有効だったのでしょうか? 答えは「イエス」でもありますし、
「ノー」でもあります。

当時の日本人(現役兵の年代なら尚更)は、小学校では『教育勅語』を教えられ、
入営してからは『軍人勅諭』や『戦陣訓』などの精神教育を叩き込まれています。
のみならず、この時代になると「従軍経験」をもった家族や郷里の影響が非常に
大きくなります。

例えば、1918年生まれ(1941年より山西省で従軍:20歳過ぎ)のある兵士は、日露戦争
の旅順口閉塞戦で戦死して『金鵄勲章』を下賜された大叔父を持ち、子どもの頃から
「金鵄勲章の家系」であることを名誉とした家庭に育っています。後にニューギニア戦線
で苦闘しますが、金鵄勲章の家系である事が戦闘への大きな動機づけになったと云います。
49イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 01:03:27 ID:mg6bHgDF
このような日露戦争(1904−1905)の従軍経験をもつ親族の影響は大きく、
入営後1ヵ月で軍隊生活が嫌になって逃出したいと考えていたある兵士は、
伯父(※父親の兄)が連隊までわざわざ訪ねてきて思いとどまるように
諭したり、出征の際には伯父が日露戦争で持ち帰った「千人針」が縁起が
良いからといって持たせてくれたと云います。

また1922年大分県生まれの別の兵士は、日露戦争で軍神となった広瀬武夫中佐の
出身地でもあり、幼少時から日清・日露戦争の物語を聞かされ、小学生から
戦争映画が繰り返し上映されていました。また伯父や従兄など親戚にも兵役
経験者がたくさんおり、入営前の勤務先にもノモンハン戦の経験者がいました。

まあ、何が言いたかったと云いますと、●『従軍歴のある家族成員は、兵士を
戦闘へと強力に動機づける傾向がある』という事です。

これは「徴兵制」や「動員制度」がよく整備された国家の財産ともいえるもので、
逆に言えば、支那兵がなぜあれほど弱かったかの理由の1つにもなります。
50名無し三等兵:2007/03/21(水) 01:03:38 ID:???
>>48
>『性病』の話は大不評のようなので

ンなこたー無い(確信
51イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 01:29:57 ID:mg6bHgDF
という訳で、八路軍の「反戦工作」が直ちに北支の日本軍兵士に効果を
発揮したかといえば、その答えは明らかに「ノー」です。そんな生易しい
教育を幼少時から受けてきた訳ではないのですw。

しかし敗戦末期(1944−45年)になりますと、初年兵が脱走して八路軍に
走るケースがにわかに多くなり、圧倒的な八路軍に包囲されると以前なら
玉砕(全滅)するまで戦っていたのが、簡単に捕虜になってしまうように
なります。

これらは(同じ日本人による)反戦工作が徐々に日本軍に浸透してきた結果
だと言えますから、その意味では「イエス」となるのです。例えば、北支の
「高度分散配置」における分遣隊は、少人数の兵士による『密室状態』に近い
勤務であり、タチの悪い古年兵の虐待を受けたりすると、通常より逃げ場が
少ない分、よけいに悪影響をもたらすのです。
52名無し三等兵:2007/03/21(水) 01:52:46 ID:???
なるほど、
少し前まではお祖父さんの戦での手柄話を
目を輝かせながら子供達が聞いていたわけですからね。
53名無し三等兵:2007/03/21(水) 08:33:19 ID:???
しかも
「僅か」数十年前まで日本は例え足軽であっても社会階層の上位にあった
反面、支那では
武人・・・文官にもなれない落ちこぼれ
士兵・・・卑しむべき3K職業
だったから気合の入り方がちがいまさァ
54名無し三等兵:2007/03/21(水) 18:33:02 ID:???
>「僅か」数十年前まで

素ン晴らしく鋭敏な時代感覚に脱帽
55イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 22:07:44 ID:???
>>42 >>日本が遺棄した化学兵器で酷い目あわされている人もいるのにね

仰られるとおりで、残らず使い切ってくるべきだったと思います。
56騒霊 プリズムリバー三姉妹 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 22:20:35 ID:???
>>42 >>日本が遺棄した化学兵器で酷い目あわされている人もいるのにね

          Σ>☆、    ..      *、             ,.⊃、
           ,.'- ─ `'-、 .      ,.'- ─`'-、 .        ,.'- ─`'-、
          く ,. - ─'- 、!       く ,. - ─'-、!.      . く ,. - ─'-、!  
          i゙ ルノノハノノリ       i゙ ルノイノハ(         i゙ イノノハノ)リ
          ゝ,ゝ.゚ ヮ゚ノリ       ハyイ゚ ヮ゚ノイ      .  Li リ.゚ ヮ゚ノリ  
           ,iヘ) `:´i7        ).7Y)`:´lフ          ,イ_〉`:´i.〉
           (ン/`〒´ij         (ン/`ハ'ヘ!       .  (ン/' ゙̄「i 
           `゙'i'_ィ',ァ┘        `'-i'_ィ,ァ┘         `゙'i'_ィ,ァ'┘

♪リデュース! ぜん〜ぶ使おう。 リユース! くり〜かえ〜し使おう!
 リサイクル! 資源を大切に。 
 
 リデュース、リユース、リサイクル!♪ (第8課・公共広告機構) 
57えICBM:2007/03/21(水) 22:25:50 ID:???
中共軍に渡してふり注いでもらうってのはどうだ?
58イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 22:47:10 ID:6GJ/827A
>>52 >>少し前まではお祖父さんの戦での手柄話を
>>目を輝かせながら子供達が聞いていたわけですからね。

この辺りの指摘は、兵頭軍師の『日本有事って何だ』(2000年発刊)が詳しいです。
上海決戦から南京追撃・攻略戦までに日本軍は2万1300人の戦死者をごく短期間で
出しています(戦病死も含めれば2万4千人とも)。日露戦争での旅順攻防戦のそれは
半年間で1万5千人余に過ぎません。「乃木将軍でさえ腹を召されたのに、自分らは……。
白木の箱のご帰還とともに内地で暴動でも起こるのではないか」と青くなりましたが、
国民の反応は予想と違っていたと云います。

「しかし、支那事変では、国民の感情は日露戦争とはだいぶ違っていたんだねえ。
 日露戦争のときは無かった『仇討ち』を求める声が一斉に起こった。というのは、
 明治時代とは違って、この頃の日本人は、いささか腕にも覚えもあっただろう。
 現役兵の親父やじいさんも、軍隊のメシを喰っているという『伝統』もできつつ
 あった。だから、相手が中国人ということもあり、(戦死者の余りの多さに対する)
 恐怖よりも、憤りが湧いてきたんだねえ。『ガツンとやってやれ』というわけだ」
59イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 23:01:38 ID:6GJ/827A
ひと言で表現すれば、「もはや日露戦争ではない」という事になります
(もはや戦後ではない、のオマージュでw)。

>>57 >>中共軍に渡してふり注いでもらうってのはどうだ?

まあ、冗談(ダークトーク)ですw。実際問題、航空機による『毒ガス空襲』は
当時の一大脅威であり、上空から「ふり注いでもらう」というのも、あながち
笑い事ではすまないのですがw。おそらく次回テーマになるであろう、『上海
航空決戦』でもドゥーエ理論に触れますが、

「空襲では、物心両面において最も敵に苦痛を与える機関を狙え。それが
 文明的戦争である。またその手段としては『毒ガス空襲』が結果として
 人道的である」

まあ、遺棄問題はともかくとして、当時の日本軍が化学兵器を大量に備えること
自体は、きちんと理のあることです
60イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/21(水) 23:43:45 ID:6GJ/827A
>>50 >>ンなこたー無い(確信
じゃあ、後でやっちゃいますw。とりあえず、>>51 の続きです。
>>タチの悪い古年兵の虐待を受けたりすると、通常より逃げ場が少ない分

分遣隊は『島流し』に近い雰囲気です。少人数の初年兵があまりに虐待を受けると、
古年兵が夜、寝ているところに手榴弾を投げつけて、八路軍に逃亡してしまおうか
というような考えがフツフツと湧いてきた、という戦記での回想が多く見られます。

深夜にひとりで望楼に立哨していますと、色んな妄想が頭のなかを駆けめぐります。
この辺は、小学生ぐらいのときに行った野外キャンプを思い浮かべて貰うと、現代人
にもイメージしやすいでしょう。望郷の念や、日本内地への帰還を願う心が強くなって
フラフラと脱走してしまう訳です。で、行きつく先が八路軍と。これほど『血迷う』
という言葉がピッタリ合うものも少ないですw。

拉致問題のジェンキンス氏も深夜2時半ごろ、3人の仲間とのパトロール中に突然
行方をくらまして北朝鮮に脱走していますが、似たようなものでしょう。
61イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/22(木) 00:03:38 ID:pvJukYHG
『柏崎中隊長』の第1中隊でも、1945年7月7日、7月10日と短い期間で
2人の初年兵が脱走して八路軍に投降しています(ただし、この頃には
柏崎中隊長はすでに転任)。ちなみに1942年〜1945年の4年間で、自発的
投降も含めて八路軍の捕虜になった「第1中隊」の下士官兵は9名です。

また『華北戦記』の著者である桑島が敗戦時に所属していた部隊(独立警備
歩兵第64大隊)では、1945年4月から12月(敗戦以降も含まれていることに
注意!)までの9ヵ月間に、八路軍の捕虜となった兵士は900名中30名
もの多きに達しています(約3%)。またこの中には、少尉が1人と軍曹2人
が入っていましたw。

最初に述べたように、野坂参三の言をそのまま使うならば、日中戦争が勃発した
1937年から1944年末までに八路軍の捕虜となった日本兵は2400人、プラス
1000人の自発的投降者がいたと云います。1945年を含めれば、おそらく
3千人を超えるでしょう。
62イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/22(木) 00:11:10 ID:pvJukYHG
北支での『日本人反戦同盟』の裏切り者・工作員の数は223人に上り、
そのうち山東省の膠東支部では13人居たとされます(『戦後秘史3 
祖国革命工作』、大森実著)。

さて、この人数は果たして多いのでしょうか? 少ないのでしょうか?
63名無し三等兵:2007/03/22(木) 00:37:26 ID:???
64名無し三等兵:2007/03/22(木) 00:40:17 ID:???
負けかかってる国としては少ないほうじゃないすか。
65名無し三等兵:2007/03/22(木) 10:50:37 ID:???
【朝日新聞社説】毒ガス兵器事故が中国各地で相次いでいる―中国での回収を急げ[03/22]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1174500585/
66えICBM:2007/03/22(木) 11:03:23 ID:???
>>62
結局のところ、皇国国民としてのイデオロギー教育と共産主義のイデオロギー教育のせめぎあいと言える。
共産主義イデオロギーは強力なものだが、それに対抗するイデオロギー教育として皇国国民への教育は効果が
あったというところだろう。
67名無し三等兵:2007/03/22(木) 14:27:21 ID:LE+GSUUJ
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、 北京守備隊
支那国民党軍第29軍に潜入していた共産党地下党員 『吉星文』『張克侠』
『何基?』らが引き起こし、 まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。

 ちなみに人民解放軍総政治部発行ポケット版『戦士政治課本』には、
「七七事変は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って
党中央の指令を実行したもの」との記述があったとされるが、 この
『戦士政治課本』の存在は確認されたものの上記の内容は確認されていない。
 また、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、 当時共産党副主席だった
劉少奇が「七・七事件の仕掛人は中国共産党で、 現地責任者はこの俺だった」
と連合国側の記者団に語ったとされるが、 その証拠やそれに関する報道は未だ
発見されていない。
 しかしながら自慢したくてしょうがない気質の支那人の事。
『政治課本』や劉少奇が自信満々に語ったとしてもちっとも不思議はない。
この盧溝橋事件共産党陰謀説をまたも支那自身である北京電視台が自慢げに語り
裏付けた形だ。

 盧溝橋事件は、国際法や慣習に則ってちっとも侵略しようとしない日本に対し、
痺れを切らした支那共産党による謀略だったとはっきりした。
 またその後(同年7月29日)に起こった人類史上稀に見る日本人居留民
(朝鮮人含む)への未曾有の大虐殺通州事件も、廬溝橋事件で引っ掛けても尚、
支那不拡大方針を表明し、国民党軍と停戦協定を結んでしまった日本に対し、
先の盧溝橋事件謀略をまんまと成功させた国民党軍に潜入していた
共産党地下党員によるものだと容易に想像できよう。
68イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/22(木) 23:47:03 ID:YwAwzAu8
>>62 の続き。似たような『日本兵の勧誘』は、南支の新四軍にも例がありました。
大陸打通作戦がひと段落して、衡陽から広東方面に向かう第58師団(熊本)の
話ですが、ある村を通過した際、道路の入り口と出口に――

「日本の兵隊さん。新四軍に入隊しませんか。熱烈歓迎します。兵隊は下士官に、
 下士官は将校に昇進、さらに小銃持参なら一階級、機関銃ならニ階級特進します。
 食物はたくさんあります。日本軍人がたくさん入隊しております。安心して来て
 ください。熱烈歓迎します」

と日本語でこんな趣旨が書かれていました。ここまで「胡散臭い」と感じる文章も
無いでしょう。日本兵が欲しいというよりも『武器が欲しい』というのが見え見えです。
ところが、この戦記の筆者は「逃亡した日本兵がかなりいるとの噂があったが……」と
回想していますから、南支でも八路軍(新四軍)に投降した者が少なからずいたのかも
しれません。
69イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/23(金) 00:12:14 ID:TwMGvyZn
あたかも借金の取り立てが苦しくて、更に闇金融に手を出す人間かの
ように、今この瞬間の苦痛から逃れられるなら、八路軍や新四軍にも
投降するといった感じでしょうかw。

それはさて置き、1944年ごろから八路軍の攻勢が始まり、少なからぬ
日本軍の分遣隊が全滅させられました。この背景には『幹線道路』が
徹底的に破壊されるなどして、補給や上級部隊との連絡が困難になり
堡塁の放棄・撤退を考えている内に八路軍に完全包囲されてしまった
ことが挙げられます。

『柏崎中隊長』の隣の第ニ中隊は特に被害が大きく、水道集分遣隊は
1944年8月21日夜、迫撃砲をともなった八路軍の大部隊の襲撃を受けて
小林隊長(曹長)以下、20数名が戦死し、1名が連絡のため脱出し、
7名が捕虜になるという大損害を出しています。
70イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/23(金) 00:28:45 ID:TwMGvyZn
捕虜の数が「異常に多い」ことに注意が必要です。

これより前に、水道集分遣隊では「大隊本部」へ連絡に行く途中、准尉
以下の十数名が八路軍の待ち伏せ攻撃にあって、ほぼ全員が戦死傷し、
1名が捕虜になるという緊迫した状態にありました。

水道集分遣隊と第2中隊本部の道路は破壊され、相互の連絡は困難で
大隊長は至急、水道集分遣隊の放棄を考えておりましたが、今すぐに
という訳にもいきません。撤退まで万全を期すために、大隊本部直轄の
作業隊より十数名の兵力を水道集分遣隊に配属させた矢先のことでした。

水道集分遣隊の兵数は30人、包囲する八路軍は約800人、もちろん
その中には「日本人反戦同盟」の日本人工作員もおりまして、事前に
分遣隊へ投降を呼びかける訳ですw。
71名無し三等兵:2007/03/23(金) 00:48:14 ID:b5PaB5oT
八路軍の捕虜になったら、ひどいことされるの?
72名無し三等兵:2007/03/23(金) 07:11:01 ID:???
状況次第運次第
73名無し三等兵:2007/03/23(金) 10:24:11 ID:???
日本がなぜ戦争を引き起こしたか?
通説:帝国主義的説明
「日本が生存するためには植民地支配が必要だった。
植民地での生産資源・市場の確保が必須。
アジアの利権を巡って英米と対立した。」

↑これ戦後左翼史観の公式を機械的に適用しただけの俗説。間違い。

正解:日本は戦争を欲していた。戦争することが自己目的化していた。
国家のために戦争するのではなく、戦争するために国家があった。

まず、当時の日本の植民地、満州・朝鮮・台湾、は日本の経済発展のためには殆ど寄与していなかった。
というより日本経済は小さすぎた。
これら植民地からの資源給与を行わなければ死滅するというほどには日本経済は大きくなかった。
植民地に投資する資本も十分ではなく、植民地は宝の持ち腐れだった。
だから植民地を失えば日本は滅びる。なんてことはなかった。
しかし、この通説が当時はリアリティを持っていたのだな。
これが利用されたのよ。
アメリカから石油の輸出がストップした。
石油がなければ日本は滅びる。と警告を発するものがいた。
石油がなくて困るのは陸海軍。戦車も航空機も戦艦も動かない。
一般市民の生活が困るわけではない。当時石油は家庭には普及してなかった。
日本の商社と外資系の石油会社で合弁会社を作ろうとした動きがあった。
日本が石油で困っているなら、売ろうとする者が現れるのは当然のこと。
しかし、この話は潰れたのだ。
いや、潰したのだ。海軍が。
海軍としては石油がないという状況を作らねば戦争はできない。
だから石油があっては「困る」のだよ。
戦争を欲してた勢力が日本にあり、これが対日輸出禁止やその他の国際・国内紛争をきっかけの大きくなり、
開戦した。これが原因。
帝国主義的な動機による侵略なんてのは嘘っぱちだよ。
74名無し三等兵:2007/03/23(金) 19:02:27 ID:2AuJZRlT
↑ばか
75イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/23(金) 23:56:47 ID:oldcv/O5
>>71 >>八路軍の捕虜になったら、ひどいことされるの?

『僕は八路軍の少年兵だった――中国人民解放軍での十年間』(山口盈文著、
光人社文庫)がお勧めです。これは敗戦後に日本人収容所から逃げ出した少年が
喰うに困って、ひょんなことから八路軍に入隊する話ですが、きっとカルチャー
ショックを受ける内容でしょう。

過去スレでも『書評』で少し取り上げていますので、「Ctrl+F」の検索機能で
探してみるのも吉です。

過去ログ(ue少将閣下作成)
ttp://kamisato2.hp.infoseek.co.jp/china/
76イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 00:19:39 ID:bO/0JC/5
>>71 >>八路軍の捕虜になったら、ひどいことされるの?

一連の『華北戦記』(桑島節郎著、図書出版社)を見る限り、宣伝戦目的でむしろ
優遇されたことが強調されています。つーか、前スレを読んでいますか?w ただし、
桑島の話は「百団大戦」(1940年8月〜)以降ですから、支那事変初期はまた別でしょう。

「捕虜になったら、ひどいことされるか」というよりも、まずその捕虜になれるか
どうかが大変なんですけどねw。戦闘中に手を上げても問答無用で殺される可能性
の方が断然高いです。これは八路軍に限ったことではありませんが。

また全く話が違ってくるのが、個人的に支那現地住民の恨みを買っている場合です。
『柏崎中隊長』などは良い例ですが、仮に八路軍なり現地民兵に捕まったとしたら、
きっと人の原形が残らないくらい「損壊」を受けるでしょうw。
77イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 00:37:19 ID:bO/0JC/5
高度分散配置下の「分遣隊」でも、周辺住民の扱いがあまりにも酷いと
手痛いしっぺ返しを喰らうことがあります。少人数の駐屯ですから顔も
覚えられやすく、個人的な恨みも買いやすいのです。

もちろん自炊な訳ですが、酒・女・鶏などを差し出すように集落の支那人に
強要したり、住民を水汲みや物資運搬に酷使、買った物の代金を払わな
かったり、不当な安値に値切ったり……。

いくら少人数で上官の目も届かず「島流し」に近い勤務状態とはいえ、
真面目に歩哨に立つのが馬鹿らしくなり、お決まりの花札や麻雀に熱中
するようになるといけません。住民の手引きによって堡塁に忍び込んだ
八路軍などに寝首をかかれることになります。

結果、「恨み骨髄に徹している」住民も日本兵の遺体に手をかけ、見るも
無残なものに。大抵は手足の指や鼻、耳、睾丸は切り取られ、目玉も抉り
出されるといった感じですw。また鉄道守備隊(途中の駅に点在)も十人
余りの少人数であることが多く、よく全滅しました。
78イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 01:01:13 ID:bO/0JC/5
>>71 >>八路軍の捕虜になったら、ひどいことされるの?

八路軍より新四軍の方がヤバイぞ、とも思いますし、日本軍も既述の
「刺突訓練」など捕虜の処刑はバンバンやっている訳ですが、『遺体損壊』の
文化がないため、余計に「ひどいこと」されるという恐怖の念が増大する
のかもしれません。

つーか、日本人の方が「淡白」ですよね。良い意味でも、悪い意味でも。
直ぐに処刑する癖はあるかもしれませんが、ネチネチと生殺しはしないと
思います。例えば、生きた男のティンポを切り取って、これまた拷問中の
女の膣にねじ込むといった……。
79名無し三等兵:2007/03/24(土) 01:08:06 ID:???
コワーイ(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル

うちのじいさまの戦友が八路に捕らえられてバラバラにされたって聞いたけどほんとなのね・・・
80イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 01:25:53 ID:bO/0JC/5
>>70 の続き。>>その中には「日本人反戦同盟」の日本人工作員もおりまして、
>>事前に分遣隊へ投降を呼びかける訳ですw。

「分遣隊の諸君、すでに君たちは包囲されていて、逃れることはできない。
 望楼には爆薬も仕掛けられてあり、抵抗しても無駄であるから投降して
 ください。5分間待ちます。5分を経過しても投降しなければ望楼を
 爆破し、攻撃を開始します」

もちろん投降するはずありませんが、間もなく3つある望楼の内の1つが
爆破され、数門の迫撃砲とともに八路軍がいっせいに突撃してきます。結果、
30名いた日本兵の内、7名が捕虜(+1名が捕虜になった後に脱出)となり
残りの全員が玉砕・自決しました。

もちろん捕虜になった日本兵の中には負傷して止むを得ず、というケースも
あったでしょうが、それでも7名は多いと言わざるを得ません。やはり、事前の
日本人工作員による投降勧告と、日ごろ「八路軍は捕虜を優遇する」という
宣伝戦がボディブローのように土壇場で効いたのでしょう。
81イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 01:46:53 ID:bO/0JC/5
プラス、この水道集分遣隊の全滅により、軽機1・擲弾筒1・小銃20
数挺が八路軍に奪取(もちろん戦闘で破損しなかった場合:MAX値)
されたことも、大きな損害だったと云えます。

1944年8月のみで、この第19大隊(独立混成第5旅団:宇都宮)は
60名に上る多くの犠牲者を出しています。

何故こうも日本軍が八路軍に押されるようになったかと言えば、太平洋戦線の
悪化による兵力の削減・質低下、兵器の減数・弱体化により、今までのような
『攻勢作戦』(不断の討伐といった)を取れなくなったことが挙げられます。

「攻撃は最大の防御」という表現がありますが、これほど日本軍に似つかわしい
言葉はありません。もともと支那軍に対して圧倒的に少ない兵力で相対し、のみ
ならず圧倒できたのは、攻勢を維持できていたからに他ならないのです。
82名無し三等兵:2007/03/24(土) 01:55:18 ID:???
>>79
バラバラ・・・

おじいいちゃん(´・ω・) カワイソス
83名無し三等兵:2007/03/24(土) 02:22:19 ID:???
そりゃあ少数兵力で多数の点を守ろうとすれば、
手が足りなくなって当然ですな。
84イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 02:30:34 ID:bO/0JC/5
例えば、「北支の治安戦」の代名詞とも云える『高度分散配置』(分遣隊)は
悪くすれば、少数兵力の分散による『各個撃破』の危険性と表裏一体だった訳です。

「百団大戦」によって八路軍が大きな損害を被ったことも大きいのですが、
一時期(1942−1943)、北支の治安が劇的に回復したのは、高度分散配置で
なおかつ(籠城など亀が甲羅に閉じこもるような真似をせず)討伐などの
攻勢を維持した『ハイリスク・ハイリターン』の結果なのです。

1944年以降の苦戦(「大陸打通作戦」による兵力引き抜きの影響も甚大)は、
上記の理由のすべて裏返しです。ただでさえ弱体化した少数兵力の分遣隊が、
補給路・連絡路を絶たれて籠城を余儀なくされ、トドメとばかりに八路軍の
大部隊に包囲される逆パターン……w。

海軍の重巡もそうですが、攻めてるときはイケイケドンドン大活躍なのですが、
一旦守りに入ると、まるでいいところが無いというのに共通していますw。
85イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 02:48:26 ID:???
最後の2行が自分で書いて訳ワカランw。

>>トドメとばかりに八路軍の大部隊に包囲される逆パターン……w。

◎トドメとばかりに八路軍の大部隊に包囲されて各個撃破される逆パターン……w。
86えICBM:2007/03/24(土) 12:59:45 ID:???
まあ、外征の民族的経験がほぼ無いからだろう。
そういうのを繰り返してた大陸民族はどう思ったのやら。
87名無し三等兵:2007/03/24(土) 20:50:30 ID:YQHdBBNc
世界一拷問が発展した国は間違いなく中国だが中国の影響を受けた日本の拷問には残虐さがないよな
88名無し三等兵:2007/03/24(土) 22:26:54 ID:UechTofE
>>86
石川達三の「武漢作戦」を読むと、そういう慣れない外征時の
浮付いた根無し草のような高揚感がよく判りますね
あれは一作家の感想というより、当時の日本人のかなり普遍的
感覚だったような気がします
あれじゃ守りに入った土壇場は乗り切れないでしょう
89イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/24(土) 23:44:00 ID:NiJSBIq3
>>79 >>コワーイ(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブル うちのじいさまの戦友が
>>八路に捕らえられてバラバラにされたって聞いたけどほんとなのね・・・

まあ「死体損壊」ならまだ良いのですが(本人は死んでいる)、『生体損壊』だと
更に困ったことになりますw。

>>78 >>例えば、生きた男のティンポを切り取って、これまた拷問中の
>>女の膣にねじ込むといった……。

これは「支那戦線」の話ではなく、実はアフリカの「コンゴ」の話です。最近の
ルワンダ内戦でも、『不具』にする目的で民間人の手足を「斧や鉈」で切断する
蛮行が繰り広げられましたが(地雷などを含めて国民の10%が障害者にw)、
日本兵が支那住民の手足を斬り落として(生かさず殺さずに)いったという話は
さすがに聞いたことがありませんw。

少しエログロな話になりますが、参考までに1つのエピソードを挙げてみましょう。
90イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 00:00:40 ID:NiJSBIq3
場所はコンゴ、時代は1963年、国連平和維持軍として派遣された
カナダ人兵士の話です。彼は兵卒から後に大佐までになった人物です。
以下、要約――。

教会の建物に近づくにつれて、はっきり聞こえるようになってきます。
うめき声、それをかき消す低い笑い声――。教会の裏手には目の高さに
小さな汚れた窓が2つあり、そこから中を覗いてみます。

外のまぶしい日差しのせいで、部屋の中は薄暗く見えましたが、どうやら
裸の黒人が2人で「若い白人女性」を拷問しているようでした。女性は
おそらく尼僧か教師でしょう。全裸に剥かれ、教会の側廊に「大の字」に
されて、黒人の暴徒のひとりに両腕を思いきり頭上の方へ引っ張られて
いました。もちろん、レイプされていることは言うまでも無いでしょう。
91名無し三等兵:2007/03/25(日) 00:02:05 ID:???
>当時の日本人のかなり普遍的
>感覚だったような気がします

日本にでは旅の恥はかき捨てと申しまして…
92名無し三等兵:2007/03/25(日) 00:07:21 ID:???
>海軍の重巡もそうですが、攻めてるときはイケイケドンドン大活躍なのですが、
>一旦守りに入ると、まるでいいところが無いというのに共通していますw。

1点を守るならともかく、戦闘では原則的に防者不利ですからね。
まして、人手不足の日本軍では守勢作戦など取りたくても取れません。
悪名高いインパール作戦も同様の例と言えるでしょう。
93イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 00:16:19 ID:9tay+uL+
もうひとりの黒人は、彼女の腹にひざを付いて、火のついた煙草を繰り返し
「乳首」に押しつけていました。女性は顔にも首筋にも火傷の痕をつけられ
ています。

カタンガの憲兵隊の制服が椅子の背に無造作にかけてあり、女物の衣類が
扉の近くに散らばっていました。そしてカービン銃が1挺、側廊の女性の
わきに転がっています。もう1挺は制服のそばの壁に立てかけてあります。
教会のなかには、他には誰もいないようでした――。

カナダ人兵士の合図で、一斉に教会内になだれ込みます。銃はフルオートに
入れてあり、「動くな!」と怒鳴ります。「国連軍だ、お前たちを逮捕する」

このときカナダ人兵士は、(こんなやり方は嫌だったが、ええい畜生。私はやはり
兵士だし、女王陛下の法と秩序に服する身なのだ……)と思ったと云います。まあ、
問答無用で撃ち殺しかったのは、やまやまだったでしょう。
94イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 00:29:36 ID:9tay+uL+
黒人暴徒2人は弾かれたように立ち上がり、目を丸くしてこちらに顔を
向けます。カナダ人兵士はサブマシンガンを携行していまして、裸の黒人
2人に銃口を向けます。5メートルと離れていませんでした。

若い女性の腕を押さえつけていた黒人は、見るからに恐怖に震えていました。
視線はふらふらと辺りを彷徨っています。すると、その視線が女性のわきの
カービン銃のうえで止まりました。女性はうつ伏せになり、胸を抱いて苦痛に
うめきながら、身体を左右に揺すっています。

「バカな真似はよせ!」 カナダ人兵士は警告しますが、黒人は耳を貸しません
でした。一瞬にしてパニックに襲われた黒人は、耳をつんざく叫び声をあげて
カービン銃めがけてジャンプしました。両膝で着地して銃をつかむと、怯えた
顔でこちらを振り向き、銃を構えようとします。

カナダ人兵士の1発目が、至近距離でその顔に命中し、2発目はまともに胸を
捉えます。倒れるより早く死んで、死体には顔がほとんど残っていませんでした。
95イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 00:42:15 ID:9tay+uL+
残った2人目の黒人暴徒は、狂ったように両腕を「ばたばた」させ始めます。
羽毛のない「黒い鳥」が飛び立とうしているかのようでした。その目は、
自分のカービン銃と、カナダ人兵士が構えるサブマシンガンの銃口との間を
せわしなく行ったり来たりしています。壁に立てかけてあるカービン銃まで
ゆうに3メートルはありました。

「よせ、よせ」と言っているのに、黒人は「ヤー―」と大声をあげてカービン
銃に飛びつきます。もう一度警告しましたが、銃をつかんで弾薬を送り込み、
こちらに銃口を向けようとします。

「馬鹿野郎! ぶっ殺せ」 その時、伍長が背後から入ってきて喚きました。
「さっさと撃て!」

黒人はこちらに完全に正対しています。ボルトアクション式のライフルの長い
銃身をぐるりと向けて、カナダ人兵士の胸に狙いをつけようと焦っています。
96イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 01:00:14 ID:9tay+uL+
目と目があった。白目の真ん中の黒い目はすでに正気を失っていました。
サブマシンガンの弾丸が黒人の腹を引き裂き、胸へ這い登り、首の左側の
頚動脈を切り裂いて、身体を床へ吹き飛ばします。その際も黒人の目が
自分の目に釘付けになっていたと、カナダ人兵士は回想しています――。

この教会には尼僧が2人いました。このとき救った若い尼僧と、救えなかった
年長の尼僧と――。

教会に踏み込んだ時、祭壇の正面はよく見えませんでした。荒削りの木材で作った
大きな祭壇で、その上には十字架がそびえていたのですが、黒人暴徒たちは、既に
その祭壇で年長の尼僧を切り刻んでいたのでした。

年長の尼僧も裸に剥かれていましたが、年配で太っていたせいか、強姦は受けて
いませんでした。その代わり、祭壇にまっすぐ上体をもたせて座らされ、両手を
「釘付け」されていました。おそらく「磔刑」を真似たつもりでしょう。
97イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 01:10:32 ID:9tay+uL+
黒人暴徒はさらに、彼女の「乳房」を銃剣で切り取ったあげく、蛮行の仕上げに
銃剣を口から祭壇まで突き通し、上体を起こした姿勢で釘付けにしたのでした。

祭壇にはもがいた跡があり、口からの銃剣の傷で即死したのではなかったよう
です。おそらくは乳房の胸の傷から出血多量で死んだのでしょう。膣には白人の
男根と睾丸が半ば突っ込まれていました。切り取られた乳房は見当たりません。

男性器の主は、村の中央で見つかりました。大の字に縛られて、胸には尖った
棒で、尼僧の乳房が留めつけられていました――。

オコンダ(現地)を発つ前に、あの若い尼僧が訪ねてきました。命を救って
くれた兵士に会いたいと言って。今は服を着て、軍医の助けを借りて多少は
身ぎれいにしています。あまりに若いので驚いたと云います。20代前半か、
もっと若いかもしれません。
98名無し三等兵:2007/03/25(日) 01:13:37 ID:???
小説を読んでるようでドキドキな展開
ここはより小説っぽく
「胸に狙いをつけようと焦っています。」
ではなく
「胸に狙いをつけようと焦った」あるいは「焦りだした」
とした方が臨場感がましていいかも
99イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 01:23:36 ID:9tay+uL+
膣を何針か縫われていましたし、これから火傷の手当ても必要でしょう。
逃げるチャンスはいくらでもあったでしょうに、敵地に止まった決意には
感心できませんでした。

しかし、その若い尼僧の「気力」にはさすがに舌を巻いたと云います。
カナダ人兵士の目をまっすぐに見て、こう言ったのでした。「あなたが
来てくださったのを神に感謝します――」。ひどく殴られていましたが、
くじけてはいませんでした。

「私(カナダ人兵士)はと云えば、つい2日前に19歳になったばかり
 だった。未だに善良なキリスト教徒家庭の素朴なしつけから抜け切れず
 苦労していたが、このオコンダでそれもかなり失せた。ここには名誉も
 徳もない。アメリカの家庭や教会や学校で教わるお行儀など、戦闘の場
 ではお呼びでない。子供を育てるのにしか役に立たない絵空事だ。たった
 今から綺麗さっぱり忘れればよいのだ。同じ人間を殺したのに、罪悪感も
 恥辱も後悔もなかった。それどころか、自分で自分が誇らしかった――」
100イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 01:46:51 ID:9tay+uL+
>>78 >>例えば、生きた男のティンポを切り取って、これまた拷問中の
>>女の膣にねじ込むといった……。

「さすが劣等人種はやることが違うな!」のひと言です。
101名無し三等兵:2007/03/25(日) 01:49:27 ID:???
いや、ある意味高等だ
102イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 02:38:15 ID:9tay+uL+
さて、今までの話を『台無し』にする自分のえげつない雑感ですw。

>>膣を何針か縫われていましたし、

どれくらいの苦痛なのか、男には想像もつきませんが、「ティンポを何針か縫う」
と言えばイメージが近いのでしょうかw。

また一連の拷問行為に、宗教を「当てつけ」にしたものが色濃く見受けられますが、
無知と結びつくと歯止めが利かなくなるのでしょうかw。

「支那戦線」での日本兵の蛮行に、女性の膣に大根をねじ込んだという伝説があり
ますが、もしそれが本当だとしてもやはり「大根どまり」な訳です。生きた支那人の
ティンポを切り取って、睾丸といっしょに膣に突っ込んだという話は聞いたことが
ありませんw。この辺が何か限界というか、日本人の越えられない谷を感じます。
103名無し三等兵:2007/03/25(日) 02:44:36 ID:???
山じゃなくて谷っすかw
104イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 02:59:13 ID:???
>>また一連の拷問行為に、宗教を「当てつけ」にしたものが色濃く見受けられますが、
>>無知と結びつくと歯止めが利かなくなるのでしょうかw。

とは言うものの、宗教とイデオロギーのどこが違うのかと聞かれれば困りますw。
1つは共産主義、1つは皇軍精神(あるいは天皇教)……。日本は教育水準の高さだ
と思いますが、八路軍はどうだったでしょうか? 学歴が高かったのは一部の工作員
ですが、兵士に対する「政治教育」は徹底されていたでしょう。

まあ、一口に大根といっても色々ある訳です。何もすべて「青首大根」という
訳でもないでしょう。現代に例えると、ペットボトルを膣に突っ込むみたいな
ものでしょうか?w 以前、フィスト****の画像を見たことがありますが、
う〜む。今日は、この辺でおやすみなさい……w。
105名無し三等兵:2007/03/25(日) 03:07:44 ID:???
うちのじいさんも目くりぬかれて皮はがれた日本人捕虜が敵の陣地に放置されてた(虫の息)
といってたけど、話半分に聞いてた。
他にもいろいろ聞いたけど


中佐の話聞いたら本当なんだと思えてきた・・・

中国大陸(あるいは未開の戦場)ってカオスだ・・・
106名無し三等兵:2007/03/25(日) 08:16:00 ID:???
日本軍は任務の必要に応じて拷問するだけだが、中国人の方は憎しみが篭るからなぁ。
107名無し三等兵:2007/03/25(日) 08:57:29 ID:???
阿Qな世界だから楽しんでやった場合もあるだろ。
108名無し三等兵:2007/03/25(日) 09:08:33 ID:Rl5ZrbKq
何となくスタンリーの「暗黒大陸」を思い出すな
コンゴ川を下るスタンリー大隊に食人原住民が「餌」を求めて群がる描写が
続くわけだが、子供心に「本当かよ」というのが感想の一つで、もう一つは
「わざわざアフリカまで来なけりゃ、こんな目に会わないのに」だった
食人原住民も中国人もほっといてくれと言いたかったんじゃないのw
109名無し三等兵:2007/03/25(日) 09:54:18 ID:???
>>105
>>カワハギ目くり抜き

スプラッター映画の世界だよな
殺しかかたにも民族性とか出るものなのな
俺の爺さんは捕虜の生首が損壊した状態で日本軍の通る道に捨ててあったと言っていたな
怖すぎ
戦争って恐ろしいな
110イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 22:08:05 ID:HZTvsFK1
>>92 >>人手不足の日本軍では守勢作戦など取りたくても取れません。
>>悪名高いインパール作戦も同様の例と言えるでしょう。

ご指摘の通りで、ムッチーも第18師団長(久留米:1941年10月〜1943年3月)
時代は、21号作戦(東インド侵攻)には作戦地域の困難性から反対していた
と云います。ところが、第15軍司令官に着任する時にはムッチーの考え方は
180度転換するのです。

すなわち、ビルマに対する連合軍の3正面からの総反攻作戦準備が進んでいる
との情報を得て、またウィンゲート旅団の「挺進作戦」を目にしたムッチーは、
従来の『守勢防御』ではなく、事前に敵の意図を挫く『攻勢防御』でなくては
ビルマの防衛はままならないと考えたのでした。

その後については、特にこのスレで述べる事でもないでしょうw。ムッチーの
酷評は多分に彼の人格から来るものだと思います。まったく同じ作戦を他の人が
やっていたとしたら、残念ながら(?)こうまで非難されていたか疑問です。
111イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 22:15:22 ID:???
>>108 >>「わざわざアフリカまで来なけりゃ、こんな目に会わないのに」
>>食人原住民も中国人もほっといてくれと言いたかったんじゃないのw

全く同感で「アフリカ人は『暗黒大陸』でよろしくやってくれ」なのですが、
日中戦争の場合は、日本の「北支分治政策」がもともとですから、なかなか
「ほっといてくれ」とする訳にもいきませんw。
112イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 22:25:53 ID:HZTvsFK1
さて少し話が脱線しましたが、「北支の治安戦」テーマ補論3『日本人
捕虜と反戦同盟』はこれで一旦オシマイです。最後に補論4『敗戦後の
北支の治安戦』へと入ります。反戦同盟の話は続きますが、戦後なので
3と4の話がゴチャ混ぜになる感じです。それでは――。
113イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 22:47:05 ID:HZTvsFK1
1945年8月15日、日本は敗戦を迎えました――。

北支の部隊に敗戦が伝わったのはいつ頃だったのでしょうか? 『華北
戦記』(桑島節郎著)によると意外と早く、8月15日午前11時頃、
通信班の伍長が衛生室に来て(桑島は衛生伍長)敗戦を伝えています。

「まだ内緒だが、どうも日本は負けたらしい。今朝、県公署の無線室へ
 行った際に聞いたが、今日の正午、日本全国(内地)に向けて天皇陛下の
 ラジオ放送がある……」

もちろん日本が負けるとは夢にも思っていません。すぐに桑島の同期らが
医務室に集まって好き勝手な議論が始まります。ちなみに上記の医務室は
大隊本部のもっとも奥に位置していたので、人目に付かず集会所のような
場所になっていたと云います。
114イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 23:07:40 ID:HZTvsFK1
この時の議論は、●「日本の全面降伏らしい」●「いや中国では勝って
いるのだから、5分5分で停戦したのだろう」という意見もありました。

このとき桑島は、山東半島にあります「独立警備歩兵第64大隊」という
1945年2月に編成された新編部隊におりましたが、新聞もめったに読めず
ラジオもなかったので、詳しい戦況は分からなかったと云います。

ただし証言をまとめますと、◎東京大空襲は知っていた ◎硫黄島守備隊の
全滅や沖縄の陥落は知っていた ◎ソ連の参戦は知っていた ●広島・長崎の
新型爆弾(原爆)投下は知らなかった ●ポツダム宣言は知るよしもない…w。

戦況は刻一刻と悪化していても、やがて神風が吹いて米英を撃滅し、日本が
勝つと信じきっていたと回想しています。ここに支那がカウントされていない
のが面白いと云えば面白いでしょうw。
115イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 23:23:21 ID:HZTvsFK1
8月15日深夜、さっそく大隊本部の北門近くに『日本人反戦同盟』の
日本人工作員がやって来て『宣伝』を始めます。

「白川部隊の皆さん、日本はついに負けました。長い間ご苦労さんでした。
 一日も早くお父さんやお母さん、奥さんや子供さんたちの待っている
 日本に帰って下さい。八路軍に投降すれば直ちに帰してあげます……」

と、恥知らずな言説を撒き散らしますw。日本の敗戦が公式に伝えられた
のが8月17日午後。大隊本部、直轄の第5中隊、銃砲隊の下士官・兵が
集められて本部付の中尉より、日本は「ポツダム宣言」を受諾して、米英中
などの連合国に「無条件降伏」したと知らされました。

しかし敗戦の噂はたちまち流れていましたので、誰でも知っている事でした。
下士官・兵に動揺は見られず、かえって将校の方が平静さを欠いていたと
云います。まあ、兵は「ようやく日本に帰れるか」といったところでしょうw。
116イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/25(日) 23:49:55 ID:HZTvsFK1
しかし、●「米国には負けていたかもしれないが、中国には勝っていた
のに、無条件降伏とは残念だなあ」という兵士の声が、あちこちから
聞こえてきたと云います。まあ、偽らざる本心でしょう。

ですがこの少し前に、第19大隊(桑島の元所属部隊)の4個中隊全部が
八路軍の攻勢(道路破壊による補給・連絡の途絶、および各個撃破)により
各拠点を放棄して総退却していた事などを考えると、北支でも戦況は刻一刻と
悪化していた訳です。

よく「北支の戦線はあと1年持ちこたえることはできなかった」と言われ
ますが(第59師団長・藤田茂中将:ただし本多勝一との対談中の言w)
一面の真理でもあります。もし本土決戦をやっていましたら、支那戦線でも
沿岸線に向けて東へ東へと退却を余儀なくされていたでしょう(武漢三鎮や
上海など『支那大陸版:絶対防衛線』)。後々の評判を考えたら、戦争の
止め時としては良かったのかもしれません。
117イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/26(月) 00:02:45 ID:HZTvsFK1
この1週間ほど前(1945年8月8日)にも、トラックの輸送部隊が
八路軍と民兵の「待ち伏せ攻撃」で全滅し、23名という非常に多くの
戦死者を一度に出したばかりでした。

トラック7台編成の輸送部隊が、700人余りの八路軍に襲われた訳ですが
試しに、このときの戦死者を書き連ねてみましょう。

●曹長:本間T(山形県27歳)●軍曹:岩田A(兵庫県24歳)●伍長:
河野T(兵庫県25歳)●兵長:天尾T(不詳25歳)●上等兵:堀江S
(岐阜県30歳)、水池S(兵庫県24歳)、戸塚Y(群馬県33歳)
●一等兵:上田H(滋賀県31歳)、岩本H(朝鮮21歳)、小野K(群馬県
20歳)、大原Y(山口県20歳)、大井S(山口県20歳)、宗H(山口県
20歳)、中山S(山口県21歳)、中野K(山口県20歳)、綿村H
(山口県20歳)、星野H(群馬県21歳)、山口K(群馬県21歳)、
●二等兵:畦地T(広島県31歳)、瀬尾A(広島県31歳)、南谷K
(山口県29歳)
118イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/26(月) 00:15:22 ID:???
あたら20歳で若い兵士が戦死しているのと、30歳前後で二等兵に
徴兵されて、同じく命を落としているのが泣けてきますw。
119イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/26(月) 22:47:37 ID:Mhj4fu3e
この23名の戦死者の内には、初年兵16名と妻帯者7名が含まれていました。
結局、トラックの輸送部隊で無事助かったのは3〜4名で、他にも負傷者6名、
捕虜1名が発生しています。また物的損害としては、トラックの炎上破壊7台、
軽機2挺、擲弾筒1筒、小銃20挺が奪われています。

いわば「大損害」を被った訳ですが、それでも敗戦末期における太平洋戦線の惨状、
すなわちサイパン島や硫黄島の玉砕、沖縄の陥落、フィリピンや東部ニューギニア
での敗退・飢餓などに比べれば『屁』のようなものでしょうw。

しかし、それでもなお「北支戦線」の感覚では大損害な訳です。上級部隊である青島の
第12独立警備隊司令部からは、大隊本部宛に●「イカニシテ多数ノ損害発生セシヤ、
張家姜家ノ戦闘詳報至急報告サレタシ」と詰問調の電文が送られています。

当の大隊長もまた、「こんなに多数の戦死者が出るとは思わなかった」と呟いています。
この独立警備歩兵第64大隊は、1945年4月に編成されて敗戦後の1946年1月に武装解除
されるまでの僅か10ヵ月の間に戦死45名、捕虜30名という多数の犠牲を出しました。
120イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/26(月) 23:04:37 ID:Mhj4fu3e
『華北戦記』の著者・桑島は「司令部が敗戦時に、分散配置の中隊をもっと
早く撤退させるよう指示を出していれば、犠牲者はもっと少なかっただろう
と思う」と回想していますが、(結果論とはいえw)さもありなんです。

なぜなら敗戦後も北支での八路軍との戦いは、ずっと続くからです。

以降、「独立歩兵第64大隊」の話が続きますが、まず敗戦から3日後の
1945年8月18日に、第12独立警備隊司令部からの緊急入電により、鉄道の
「膠済線」(済南―青島間)を打通させるよう作戦命令が届きます。とても
日本に帰れるどころの話ではない訳ですw。

ポツダム宣言により、日本軍の『武装解除』は国民政府の蒋介石軍があたる事に
なっていましたが、北支に国民党軍など影も形もありませんw。日本の無条件
降伏は即、不倶戴天の敵同士である国民党と共産党による「第二次国共内戦」の
スタートを意味しますから、日本軍はいわば『宙ぶらりん』状態になった訳ですw。
121名無し三等兵:2007/03/26(月) 23:06:30 ID:YWhbmepJ
安らかに安らかに眠れとそ思ふ國の為
命捧げし益荒男の歌
122イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/26(月) 23:24:44 ID:Mhj4fu3e
この頃になると蒋介石(国民党)軍の『米式装備化』は目覚ましく、日本軍も
敗戦末期には「老河口作戦」はともかくとして、「し江作戦」などでは苦杯を
舐めさせられています。連合国側にとっての「ビルマ戦線」がひと段落したこと
により、その方面にいた米式装備師団を『空輸(!)』で支那本土に振り向ける
余裕が出来た訳です。げに恐ろしきは米国の底力(つーか、余力w)なのです。

そうなると連合国の援助の「おこぼれ」にもロクに預かれなかった中共軍としては
戦争に敗れた(はずの)日本軍の武器・装備がノドから手が出るほど、是が非でも
欲しい訳です。

ところが敗者とはいえ、未だ強大な武力を保持している日本軍にはうかつに手を
出せず、かといって指をくわえて黙って見ている訳にもいきません。その結果は
8月15日以降、戦時中にもまして八路軍は連日、日本軍陣地に擾乱射撃を繰り
返すようになりまして、北支全体で激しい戦闘が展開されることになったのです。
123イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/26(月) 23:46:56 ID:Mhj4fu3e
大変なのは『鉱山』などの警備部隊(中隊規模)です。もちろん民間人職員や
その家族などが多数いましたから、無事に撤退させなければなりません。

8月19日未明、八路軍の銃声が昨日より一段と激しい――。19日撤退の
企図が洩れたのかもしれない。我が方もときおり騎砲や山砲の猛射を浴びせて
気勢をあげた。今日は出発(撤退)の日であるが、正午になっても鉱山から
第4中隊と会社の職員、その家族が到着しない。間もなく緊急入電があった。

●「中隊ハ未明ヨリ優勢ナル敵ノ包囲を受ケ、撤退困難ナリ。明日脱出セントス」

また別の部隊からも、●「分遣隊ハ昨夜ヨリ優勢ナル敵ノ包囲ヲ受ケ、重傷2名、
発生ス。至急、軍医ヲ派遣サセラレタシ」。更に他の部隊からも、●「薄暮ヨリ
大部隊ノ包囲攻撃ヲ受ケ、戦死傷続出シ、ヤムナク黄山館ニ撤退セントス……」

指揮下の各中隊から八路軍と激戦中との入電が続々入り、大隊本部は
キリキリ舞いです。
124イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 00:00:10 ID:Mhj4fu3e
次の日の8月20日午前11時、ようやく鉱山から第4中隊と会社職員、
その家族が八路軍の包囲の中を脱出してきます。戦闘で複数の重傷者が
発生し、真夏の33度という高温で日射病の重症患者も出てきます。

今度は大隊本部ごと拠点を撤退することになり、午後2時過ぎに城門を
出発します。すでに八路軍が迫っており、城壁に駆け上がって日本軍に
銃弾を浴びせてきました。西の稜線上からも乱射してきます。

城門から500メートルほど前進したところで地雷を発見し、ようやく
これを除去して進むと、道路がズタズタに破壊されています。やっとの
思いで修理すると、八路軍が接近して盛んに撃ってきます。

部隊の5台のトラックには、鉱山職員の家族の婦女子が大勢乗っています。
荷物を運ぶロバも延々列をなしています。大隊本部と3個中隊、鉱山職員の
脱出は、ちょうど『西部劇』に登場するインディアンに襲われた幌馬車隊
そっくりな訳ですw。
125名無し三等兵:2007/03/27(火) 00:00:48 ID:VbP6WJQl
日本兵による妊婦の惨殺映像。
(はっきり言ってグロです。注意。)
http://www.youtube.com/watch?v=uzPE4E8ZRJw
126イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 00:15:32 ID:qS1PUn8/
幸い八路軍は余計な犠牲を恐れて、日本軍の撤退部隊に突撃をしかけて
きませんでした。もし1人も生かして帰さない覚悟で攻撃を加えてきたら
部隊は足手まといの非戦闘員の婦女子を多数抱えていたので、脱出は
とても無理だったろうと云います。
127名無し三等兵:2007/03/27(火) 07:31:53 ID:???
そろそろ根本博登場の予感
128イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 22:00:00 ID:LGuo5ura
今日、ふと書店に行きましたら『鬼畜生』のような早売りをしてまして、
『マリア様がみてる――あなたを探しに』の最新刊をゲット!(本来の
発売日は3月30日w)明日の新幹線で読む楽しみが出来ました。

しかし、自分の中の『マリみて』は可南子が妹戦線離脱した時点で終わって
います……。はるか昔の同人誌を読み返しますと可南子、乃梨子、瞳子の
新世代・三薔薇を夢想していた時代がとても懐かしい……(遠い目)w。

自分の「脳内シュミレーション」では、瞳子は黄薔薇にでもなって、祐巳の
卒業式の日にでも「本当は好きでした…」と告白しているはずなのに(核藁)。
129ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/03/27(火) 22:06:22 ID:???
↑可南子派orz
130イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 22:10:52 ID:LGuo5ura
>>127 >>そろそろ根本博登場の予感
残念。今回の補論は、大変に「ミクロな話」をしているのでおそらく
登場しないでしょう。

>>122 >>日本軍の武器・装備がノドから手が出るほど、是が非でも欲しい

兵器は絶対に欲しいのですが、当の奪いたい相手がそれをもって武装している
という、これ以上ないジレンマの話ですw。
131名無し三等兵:2007/03/27(火) 22:14:37 ID:???
デカちゃんはかわいい
132イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 22:17:48 ID:LGuo5ura
やはり自分としては、三薔薇ファミリーはきちんと9人(3×3)
いないとダメだと思うんですよ。欲を言えば、祥子とヘタ令の
他に静嬢も加わっていればパーフェクトw。
133イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 22:22:03 ID:???
【訂正】
×祥子とヘタ令の他に、静嬢も加わっていればパーフェクトw。
◎祥子とヘタ令の他に、静嬢も加わっていればパーフェクトジオングw。
134名無し三等兵:2007/03/27(火) 22:30:42 ID:???
脳内趣味レーションの話はイイから、とっとと状況開始せれ、と。
135イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 22:40:53 ID:LGuo5ura
>>126 の続き。>>部隊は足手まといの非戦闘員の婦女子を多数抱えていたので

多数の非戦闘員を引き連れての撤退ですので、出発地から僅か数キロを進んだ
ところで早くも夜になってしまいます。夜間の前進は非常に危険なので、結局
路上で夜を明かす事になりました。

八路軍は遠巻きに日本軍部隊を包囲しており、時々銃撃してきます。日本側も
銃声のする方向めがけて反撃します。双方とも遠距離からの「メクラ撃ち」に
近い状態ですが、突如100メートルほどの距離から「ダダダーン!」という
激しい銃声と同時に「ワー!」という喚声が響きわたり、

「小泉曹長が殺られた!」という報告が来ます。

もうお忘れかと思いますが、この小泉曹長は「刺突訓練」や拷問などの
残虐行為で『柏崎中隊長』の片腕となった、あの小泉曹長です。
136イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/27(火) 22:57:07 ID:LGuo5ura
小泉曹長は、1939年徴集の現役下士官で27歳。勇猛果敢の実戦型
という言葉がピッタリの人物だったと云います。柏崎中隊長の信頼厚く、
同中隊長が転任して去り、河北省から新しい「大隊長」が転属してからも
歴戦の下士官として非常に頼りにされていました。

しかし豪勇な反面、性格が粗暴で兵隊を殴るのは日常茶飯事です。柏崎
中隊長が去ってから、中隊の支那人への拷問任務を引き継いだ人物でも
あります。敗戦後の1945年8月17日も、道路のパトロールに出動した際に
道路修理に駆り出した支那人の動作がのろいと言って腹を立て、いきなり
軍刀をふるい腹部を突き刺して殺してしまい、味方一同も驚きのあまり、
声も出ませんでした。
137名無し三等兵:2007/03/28(水) 00:36:04 ID:???
このスレ読んでると
数回召集されて大陸へ行ったウチのじーさんが
戦後鶏を〆る度にフラッシュバックしたってのが
わからんでもないな…
138イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/28(水) 23:58:08 ID:ijKQP1yh
>>136 の続き。この中隊は何とか「警備隊司令部」の青島まで撤退できた訳ですが、
同じ「独立歩兵第64大隊」の中でも、さらに散々な目にあった中隊がありました。

「第2中隊」ですが、中隊本部が平坦な市街地にあったため防御に不適で、迫撃砲や
重機・軽機を伴った暗夜の八路軍の猛攻に、支離滅裂の状態に陥ってしまったと
云います。唯一の救いは、民間の日本人が既に海路で青島へと脱出していたこと
でしょう。

1時間の戦闘の後、「とうてい防ぎきれるものではない」と判断した「小石中隊長」は
陣地を放棄して後方の分遣隊への脱出を命じました。しかし、乱戦状態のため命令が
部隊全体に徹底せず、逃げ遅れる兵士が続出。多数の日本兵が捕虜になったり、投降
する羽目に陥ってしまったのです。

その数、なんと26名の多数に上ります(ちなみに戦死は8名)。まず中隊本部が
あった市街地で18名が捕虜になり、後方の分遣隊に逃れる際に追いつかれた8名が
同様に捕えられた訳です。
139イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 00:19:59 ID:am27UIvD
もはや日本の敗戦によって「戦争が終わった」という事実も大きいでしょうが、
一体『戦陣訓』はどこにいった?という感じがしますw。

この時も八路軍の部隊の中に「日本人反戦同盟」の工作員がいまして、
「無駄な抵抗をやめて降伏するように」と攻撃開始に先立って『宣伝工作』
を行なったのが効いた、と脱出に成功した日本兵士は回想しています。

また市街地から分遣隊までは、真っ直ぐな自動車道路で12キロありました。
逃げ遅れた兵士は「必死で走った」と言いますが、力尽きて落伍した者から
八路軍に降伏して捕虜になった訳です。今、なんて情けないと思った人は
とりあえず10キロメートル、全力でダッシュして来て下さいw。ちなみに
皇居1周で約5キロです。

まあ、八路軍の長い間にわたる地道な『宣伝工作』(投降すれば優遇する)の
成果とも云えるでしょうw。
140イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 00:35:54 ID:am27UIvD
それにしても市街地にいました「第2中隊」の人員は、百数十名です。
その20%、5人に1人が捕虜(26人)になってしまったとあっては
「小石中隊長」としても面目丸潰れ、元気が無いのは当然な訳です。

それどころか、「小石中尉は多くの部下を見殺しにして、軍刀かついで
まっさきに後方の分遣隊へと逃げた」と、第2中隊の兵士だけでなく、
他中隊の兵士からも陰で非難され、のちに兵団長より処罰されることに
なりました。

もちろん中隊長1人が責められて済む話ではありません。26名が捕虜に
なった旨の報告を受けた「白川大隊長(大尉)」は、温厚な性格にも拘わらず
思わず小石中隊長を睨んだと云います。

ちなみに小石中尉は36歳、召集される前は寺の住職をしていました。『華北戦記』
の著者・桑島は、むしろ「小石中隊長」の早期の撤退の決断が味方の犠牲を少なく
したと弁護していますが……(26名の捕虜も、後に全員日本へ帰国している)。
141イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 00:47:11 ID:???
ちなみに上記のエピソードは、1945年8月19日の話です。
142名無し三等兵:2007/03/29(木) 13:30:56 ID:hHFAObi2
八路軍は捕虜の扱いには寛大で軍規も厳粛だったようですね。彼らが国民党を打ち負かす事ができたのも納得。 追伸.10キロ走ったら三度ほど死にかけましたwww
143名無し三等兵:2007/03/29(木) 20:10:48 ID:???
そう言えば日本軍が化学兵器を遺棄して戦後中国人か被害あったな
144イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 22:59:00 ID:5UsHBSgn
>>142 >>八路軍は捕虜の扱いには寛大で軍規も厳粛だったようですね。
>>彼らが国民党を打ち負かす事ができたのも納得。

例えば「第二次国共内戦」での満州方面――錦州・瀋陽・長春の戦いでは、
45万人いた国府軍のうち、5万人ほどが戦死・負傷しただけで、残りの
40万人は中共軍の捕虜となるか、自分から寝返っています。要するに
『90%以上』の比率な訳ですw。

どういった感じかと云いますと、例えば天津と北平の戦い(平津戦役)が終わると
戦利品であるアメリカ製の大口径榴弾砲4門が、ある中共軍の砲兵部隊に配備され
ました。また砲と共に10人の「元国府軍教官」のオマケ付きです。

派遣されてきた彼らは、いずれもアメリカで3年間の専門教育を受けたエリート軍官
でして、英文マニュアルに従って榴弾砲の取り扱い方、構造、保守管理、弾薬の種類と
威力、砲陣の構築法などを丁寧に教えています。こういった「有為な人材」まで自軍を
見限っていく訳ですから、国府軍はどうしようもなくなる訳ですw。
145イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 23:32:13 ID:5UsHBSgn
この辺のくだりは、『僕は八路軍の少年兵だった――中国人民解放軍での
十年間』(光人社文庫)が入手容易かつ詳しいでしょう。著者の山口は
この頃、第1営第4連第3排長(第1大隊・第4中隊・第3小隊長)を
命じられていますが、部下の半数が「元国府軍の兵士」で、長江以南の
出身者が多かったと云います。強い南方訛りの標準語を理解するのに
苦労させられたとか……w。

少し「捕虜」の話を補足しますと、著者の山口が最初のころ世話になった
李指導員との『人間の死』をテーマとした会話が参考になるでしょう。

李「私が延安にいた時も、死について日本軍の捕虜と話したことがある。
  日本の軍人は捕虜になることを恥と考えて、『死ねば済む』という
  考えをなかなか捨てようとはしなかったな。とどのつまりは、彼らも
  軍国主義教育の犠牲者なんだ。彼らと我々は価値観が違うんだよ。
  我々革命戦士は、命の限り生きて革命を守り抜くことが大事なんだよ」
146イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 23:42:31 ID:5UsHBSgn
山口「では、敵の捕虜になっても生きろということですか?」

李「もちろんだとも。自殺は人間にとって一番恥ずべき行為なんだよ」

山口「分からないな。死とは一体なんだろう」

李「昔、孔子の弟子が『死とはなんぞや』と孔子に尋ねたんだそうだ。
  そのとき孔子は『未だ生を知らず、なんぞ死を知らん』と答えたと
  いうことだ。これはね、生きる意味すら掴めていないのに、死の意味
  など理解できる訳はないという意味なんだよ。小公(山口のあだ名)も
  生きる意味が分かれば、死の意味も分かるようになるかもしれないよ」

山口が砲兵部隊へと転属となって「李指導員」と別れる時、李は一通の手紙を
手渡しました。その中には、李白という詩人が友人と離別する際に作った詩が
書かれていたと云います。
147俄将軍:2007/03/29(木) 23:43:20 ID:???
八路軍の捕虜の扱いが寛大でない場合、米英軍の捕虜同様に、死人に口なし、
ということもあるのか、などと、嘯いてみたり。
148イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 23:50:45 ID:???
故人西のかた黄鶴楼(こうかくろう)を辞し 烟花(えんか)三月揚州に下る
孤帆遠影碧空に尽き 惟だ見る長江の天際に流るるを

(旧友が西方にある黄鶴楼を離れ、霞と花の三月、揚洲に下って行く。
 長江に浮かぶ帆影が一つ、遠ざかり青空の彼方に消えた。後にはただ長江が
 漫々として天の際まで流れているだけだ)
149イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/29(木) 23:58:43 ID:???
>>147 >>死人に口なし、ということもあるのか

もちろんそうです。初めてマトモな突っ込みをしてもらった気がしますw。

兵頭軍師の別宮翁の『東京裁判の謎を解く』を最近読みましたが、先に死ぬと
後から後から罪をかぶせられます。これも「死人に口なし」の一種でしょうw。

ちなみに「兵頭軍師スレ」では、この本は不評ですが、自分はこのスレで
推薦図書の1つに挙げても良いぐらい評価は高いです。いずれ書評もする
でしょう。
150俄将軍:2007/03/30(金) 00:01:03 ID:???
>>146
日清戦争時、清国将兵が、捕虜になるのを好まず、自決などがあったことから
すれば、国民党軍、共産軍双方、如何なものか、ということもあるのか、な
どと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
151俄将軍:2007/03/30(金) 00:07:44 ID:???
>>149
先に死ぬと、後から罪を着せられたりするだけでなく、生きている方が、事実
と異なる言動など、事実関係を知っている中の人が存在していても、多々あ
るということになるのか、などと、嘯いてみたり。
152名無し三等兵:2007/03/30(金) 00:09:22 ID:CjKrbAh9
その詩なら戦前の教科書でも載ってそうですな
153イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/30(金) 00:25:38 ID:BCp7DpaE
>>141 の続き。まあ、色々あった訳ですが、第64大隊のほとんどの部隊は
1945年9月1日に「青島」まで撤退することが出来ました。ただし、
山東半島を南北に縦断する『青煙道路(幹線道路)』は八路軍によって
壊滅させられていました。なので移動ルートには到底使えません。結局、
龍口という港から船に乗り、海路で撤退する羽目となっています。

ちなみに「龍口」は山東半島の北側、「青島」は山東半島の南側にあり、
オーバーな喩えをするなら、日本海側と太平洋側ぐらい違いますw。

何はともあれ、1945年9月3日には青島市内への「外出」が許可になり
日本兵たちは喜んで遊びに行っているのが興味深いところです。敗戦している
気がしませんw。
154イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/30(金) 00:29:35 ID:???
>>152 >>その詩なら戦前の教科書でも載ってそうですな

まあ、メチャクチャ有名な詩ですからw。
155イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/30(金) 00:34:43 ID:???
あと上記のエピソードは、八路(中共)軍が「長江を渡河作戦する」間際に
贈られたというところに『話のミソ』があります。
156名無し三等兵:2007/03/30(金) 10:09:45 ID:CjKrbAh9
よく語られる日中戦争に参加した兵士が「戦地での殺人が忘れられなくて」と犯罪を起こすケ-スというのは具体的にどんなものがあったのでしょうか?
157名無し三等兵:2007/03/30(金) 11:31:26 ID:tZxBWrQ5
     _,,..:--─‐-=,,._
    ./;;,ィ''"´ ̄`゙゙ヾ;ミミミ;;、
   ./ミミ/゙       ゙:::゙iミミミ:l
   iミミ′:     :  ..::::_;ミミ;ミ;リ
    ヽ,! ゙ .,;;;..''  ''゙゙;;_ ゙:::ヾ;;;;;;/
.    } :'゙::“:゙:. l::'゙.”:゙;.::'':;;゙irく
.    | ヽ .,r ..:::、   ..::::;;;トl;|    __________
    |..  :' ''ー;^''::ヽ. :':::::;;;i::ソ    文革中に虐殺なんてなかったアル。
.    l、 ←‐'‐→、! ..::::;;;l゙´ <   おなかが空いていたから人肉を食べただけアル。
     ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '":::';;;ハ、   \
    _,,/`i、 -:: -:::'::゙:::;;ツ'::::`;、_    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_,...-‐''" | ゙;、 i":;;:::::;,/':::::::::;!::::`::-、.._
     .l゙  ゙ヽ:;,ン'":::::::::::::/::::::::: : -ー `
     l   .,/;l     ,r"
     .ヽ /r;:ヘ、 ,,/;''
      ゙ ''::'`'´ ヽィ::'
158名無し三等兵:2007/03/30(金) 21:58:02 ID:???
>156
小平義雄。

どっちかつうと先天的だが。
159名無し三等兵:2007/03/31(土) 22:59:12 ID:nex5K0S0
タイムスリップというか過去の光景を見ることは理論上は可能らしいが、実現するまで何百年かかるんだろうか?
160名無し三等兵:2007/03/31(土) 23:44:11 ID:???
三船敏郎主演
岡本喜八監督
「血と砂」のVD買いました
此処で話題に上っている、日本軍1個分隊の哨所に八路が1個大隊くらいで
飽和攻撃をかけるとか、八路側に敵前逃亡する日本兵とか
そのまんまですね
161イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 00:12:43 ID:Qw+T1cqh
>>153 >>青島市内への「外出」が許可になり日本兵たちは喜んで遊びに行っている

日本の敗戦後(1945年9月)なので意外に思うかもしれませんが、知っての通り日本軍は
蒋介石軍に降伏する事が義務づけられていました。ところが、国民党軍はいまだ中支から
北支に進駐できていませんでしたので、依然として日本軍が現地の「治安維持」の任務を
指令されていた訳です。

よって日本兵が大手を振って市街に外出する事が出来たのですが、どのくらい自由だった
かというと以下の通りです。兵士の「外出」に先立ち、衛生下士官が「性病予防」のために
コンドーム(衛生サック)を医務室まで取りに来るように、大隊副官を通じて通達した
のですが、取りに来た者はごく僅かでした。

結果、この日(9月3日)の外出で「性病」にかかった兵士が十数名も出ましたが、みな
コンドームを使わなかった者ばかりです(藁)。
162イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 00:29:55 ID:Qw+T1cqh
>>156 >>日中戦争に参加した兵士が「戦地での殺人が忘れられなくて」と
>>犯罪を起こすケ-ス

まあ、自分は「戦後の犯罪」は専門外なので詳しい事はよく分かりません。
ただ『戦争における「人殺し」の心理学』によれば、100人のうち2人の
兵士が、殺人行為に対して常人がもつ抵抗感がない『攻撃的精神病質者』の
傾向があると云いますから、その中に当てはまるのでしょうか。

おっと、これは現代の日本人にだって適用されるでしょう。あなたの周囲の
2%の人間も、実は『攻撃的精神病質者』なのかもしれません。つーか、
自分もかなりその気がありますw。まあ、いずれにせよ「日中戦争」に
限ったことではありませんね。

「人を殺すのはセックスに似ている。中毒になるんだ。セックスと同じで
 下手をすると溺れる――」(ベトナム戦争で6期を務めた古参兵より)
163イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 00:36:14 ID:Qw+T1cqh
「征服と敗北のプロセスとしてのセックスは、強姦の欲望とその被害者の
 トラウマに密接に関わっている。性器(ペニス)を(強姦の)犠牲者の
 体内に深く突き通すことと、武器(銃剣やナイフ)を犠牲者の体内に
 深く突き通すことが、歪んだ形で結びつくことがあるのだ。

 女性の顔面に射精するような歪んだ性行為を描くポルノ映画には、この
 プロセスがよく表れている。銃のピストルグリップをもつ銃手の手は、
 勃起したペニスを持つ手のようだ。そんなふうにペニスを握って犠牲者の
 顔に射精するとき、それはある意味では征服行為であり、象徴的な破壊
 行為なのである――」
164名無し三等兵:2007/04/01(日) 00:36:52 ID:Ij/pBCSu
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    ヽ、                       ヽ 
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/police/1172694495/l50
     |                        | =3 プッ ?
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      ミ                 |     ノ    
       ミ、、_     /______,ヽ  / 
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      ((_ノ ((_ノ      ((_ノ ((_ノ
165名無し三等兵:2007/04/01(日) 00:38:58 ID:???
国民党って黄河を決壊させて90万人を死亡させたり
長沙の街を焼いたり、軍に協力している女性を集団強姦したりと

結構めちゃくちゃやってますよね?

何故国民はついてきたんでしょうか?こういったことは共産党や日本軍に有利に働いたのではないでしょうか?
166名無し三等兵:2007/04/01(日) 00:43:16 ID:???
黄河の決壊の被害者は400万人じゃなかったっけ?

まぁ中国だしな

それぐらいは誤差みたいなもんでしょ
167名無し三等兵:2007/04/01(日) 00:48:15 ID:???
>>165
だから共産党に負けたんです。
168イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 00:49:32 ID:Qw+T1cqh
>>159 >>タイムスリップというか過去の光景を見ることは理論上は
>>可能らしいが、実現するまで何百年かかるんだろうか?

22世紀には、銅鑼美が「最新型横長ワイド・タイムテレビ」を持って
くるそうだから、もう150年ほどの我慢ですw。

まあ、今から60年前の戦時中から見れば、インターネットや携帯電話だって
『銅鑼衛門』の世界とあまり変わらないだろうさ。

>>160 >>日本軍1個分隊の哨所に八路が1個大隊くらいで飽和攻撃をかける

ハイ、「数の暴力」です。自分は『紙媒体』に金を使い過ぎてDVDまで
とても手が回りません。それにしても3月末は決算月ですから各出版社が
いっせいに人気作を出してきます。『ARIA』10巻ゲット!w
169名無し三等兵:2007/04/01(日) 00:50:49 ID:Ij/pBCSu
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http://society6.2ch.net/test/read.cgi/police/1172694495/l50
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170名無し三等兵:2007/04/01(日) 00:58:56 ID:???
>>166

被害人口は1250万人

そのうち行方不明者が400万人
死亡者が90万人

ちなみに死者は難民や傷病兵を除いて2万人

正確かどうかは分からんがこんな国と戦争したのは大いなる過ち
171名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:00:22 ID:???
死者2万人は長沙ね
172名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:03:38 ID:???
イナゾウ中佐様マルチになってしまいますが

日本軍のチョンチン爆撃は終始一貫して精密爆撃を指向していたのか
それとも途中から無差別に切り替えたのかどっちなんでしょう?
173名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:10:24 ID:???
>>172
過去ログを読みましょう。
174名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:10:25 ID:???
>>170

それで日本軍に与えた被害が「アレ」じゃねぇ・・・
175イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 01:11:14 ID:Qw+T1cqh
>>165 >>何故国民はついてきたんでしょうか?

ついてきてない、ついてきてないw。黄河の決壊については諸説ありまして
4千の村や町が氾濫に呑みこまれて、200万人が帰る家を失ったとも云います。
いずれにせよ、黄河の流れが元に戻ったのは戦後3年経ってからです(1948年)。

とは言うものの、決壊当時の黄河の水量は多くなく「氾濫区域」の流速は毎時
3キロメートル程度、水深も深いところで1メートルでした。それでもこの
『大災害(つーか人災w)』な訳ですから、黄河恐るべしというべきでしょうか。

>>何故国民はついてきたんでしょうか?

抗日戦を意気に感じる「知的階層」は国府政府とともに重慶に逃れていますし、
その他大勢の「有象無象の支那人」については、前スレでも述べた通り、今の
戦争が何のために戦われているかに無関心で、『どちらでも食う心配がない方に
従う』な訳です。まあ、かなり日本軍に都合の良い解釈かもしれませんがw。
176名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:18:53 ID:???
>>166
>>167

成る程
>>170

なんか三光作戦とかどうでもよくなってきますね・・・

>>175

自分達の生活を保護してくれる連中が民衆にとっての正義の軍なんですね
重慶の中国人にとっては国民党、延安の中国人にとっては共産党、治安区の中国人にとっては日本軍

よく分かりました
177イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 01:19:56 ID:Qw+T1cqh
まあまあ、支那人が2人死のうが2兆人死のうが、大差ないじゃないですかw。

>>172 >>日本軍のチョンチン爆撃は終始一貫して精密爆撃を指向していたのか
>>それとも途中から無差別に切り替えたのかどっちなんでしょう?

過去スレの若い番号の方で、かなり詳しくやったような気が……。ただ爆撃機の
話がメインで、無差別・精密爆撃うんぬんは触れていなかった記憶がします。
「治安戦」の次のテーマが「上海航空決戦」なので、その折に少し話がおよぶ
かもしれません。どうぞ気長にお待ちください。
178名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:23:26 ID:???
>>177
>>176

すいません過去スレを掘って見ます

途中から読み始めた者ですが「上海航空決戦」楽しみにしております
179名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:30:00 ID:???
黄河で思い出したけど

「如果日本戦勝了中国」

イナゾウ中佐は読まれましたか?
中国の四大漢肝が書いた本です
180名無し三等兵:2007/04/01(日) 01:31:03 ID:???
というか論文です
181イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 01:41:10 ID:Qw+T1cqh
>>161 の続き。>>依然として日本軍が現地の「治安維持」の任務を指令されていた

とはいうものの、この大隊の場合「青島」に上陸後の勤務は戦時中の5分の1程度
になってしまったと云います。規律の厳格な「内務班」の生活とは最早かけ離れて、
ごろ寝同然のブラブラした毎日でした。次第に兵士の間で弛緩した空気が漂い始めます。

1945年8月15日の敗戦の日までは、何となく『厭戦気分』が感じられても「戦争に
勝つまでは……」という大きな目標がありました。しかし、敗戦となっては心に
ポッカリ穴が開いてしまったようで、一種の軽い虚脱状態に陥ってしまいます。
今までの反動に他なりません。

仲間が3人集まると、「内地はどうなっているのだろう?」「俺達はいつ帰国
できるのだろう」と心配し合ったと云います。ただ、それでも八路軍の日本人
工作員が「八路軍に投降すれば、直ぐにでも日本内地に帰ることが出来るぞ」
という誘惑に乗る日本兵は、ごく僅かで例外と言っても差し支えないでしょう。
182イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 02:07:39 ID:Qw+T1cqh
まあ、この辺りは日本兵の「平均レベル」として『常識力』というか、適切な
『判断力』があった事の査証なのでしょう。つーか、教育水準の高さです。

そうこうしている内に、「八路軍から膠済線(鉄道の路線)を守るために
部隊を西進させよ」という新たな軍命令(第43軍)が大隊に届きます。

結局、青島には1週間ばかり居た程度で、1945年9月8日に大隊は貨車に
乗って出動することになりました。この頃には、内地の部隊のほとんどが
復員を完了し、9月2日には米戦艦ミズーリで降伏調印式が行なわれて、
日本陸海軍は事実上解体したという新聞(『青島興亜日報』)を読んで
いましたので、兵士たちの胸中は複雑でした。

繰り返しになりますが、日本の支那派遣軍は、連合軍の一員である蒋介石の
国民政府側に降伏して「武装解除」を受けることになっていましたが、北支
には蒋介石軍が存在しません。国府軍が中支から北上するまで、自分の所に
投降せよと迫る(プラス支配地区の拡大を図る)八路軍と戦い続ける羽目に
陥ってしまったのです。
183イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 02:25:24 ID:Qw+T1cqh
>>178 >>すいません過去スレを掘って見ます

例えばですが、「重慶爆撃」(語句はテキトー言ってますw)などで
「Ctrl+F」検索をかけると手っ取り早いかもしれません。まあ、でも
自分は「過去スレ」は恥ずかしくて読むのに勇気が要りますけどねw。

きっと同人作家が、はるか昔に自分が描いた同人誌を見ると「自殺」
したくなるのに似ているのでしょうw。

>>179 >>「如果日本戦勝了中国」イナゾウ中佐は読まれましたか?

恥ずかしながら読めていません。時間もお金も制限がある身なので
なかなか手が回らないのですw。試しにググってみたら代わりに
こういうサイトも見つかりました。
184イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 02:31:24 ID:Qw+T1cqh
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=78911

『windows用シュミレーションゲーム、「八年抗戦」』

>憎い憎い、悪魔の日帝を倒すのが目的なのですね。システムは「サドン
>ストライク」みたいな、リアルタイム制のようです。

>さすが宗主国様、当時日本に尻尾を振って従っていた、どこぞの劣等家畜民族
>とは違います。本当に日本と戦っていたからこそ作る事の出来る、このゲーム。
>民族の誇りを感じますね!

最後の1行は、同意しないこともありませんw。
185名無し三等兵:2007/04/01(日) 03:16:15 ID:???
>>179
>「如果日本戦勝了中国」

「もし日本が中国に勝っていたら」というタイトルで文春文庫から出版
されております
http://www.bk1.co.jp/product/2757379
186名無し三等兵:2007/04/01(日) 04:03:55 ID:0DPKUFSw
東トルキスタン / ウイグル族大弾圧 (5-1)
http://www.youtube.com/watch?v=zz4PwTMnXVY
東トルキスタン / ウイグル族大弾圧 (5-2)
http://www.youtube.com/watch?v=Fj_5rY5tQuY
東トルキスタン / ウイグル族大弾圧 (5-3)
http://www.youtube.com/watch?v=EwwGnIG5w1Q
東トルキスタン / ウイグル族大弾圧 (5-4)
http://www.youtube.com/watch?v=rc6GPTSjwfY
東トルキスタン / ウイグル族大弾圧 (5-5)
http://www.youtube.com/watch?v=GbziiQ5zirw
187名無し三等兵:2007/04/01(日) 10:31:24 ID:???
国民党の腐敗の原因の一つに、首都を田舎に移したため
視野の狭い田舎の金持ちしか相手に出来なかったからだとあった
188名無し三等兵:2007/04/01(日) 10:58:42 ID:???

    /// /   イ l  | |  | |   ヽ ヽ ヽ、
ィニニ〔ゝノ_ノ   / ヽ\ヽヽ  | l    |l  |l  ヽ
'´/ /| |7   r/'´ ̄ヽゝニヽ-ヽヽ  │ | | ヽ ヽ
イ/ / ! | |   ||-ャ─-,ニ、ミ‐`ヽ、ヽヽ / / /  | ヽヽ
/ / / j |   l| `ー='-ニゝヽ`   |ノメ、/l  │ l | l
./  / / ヽ   l|           ィ_ミヽ`リ ハ || |
'  / /   ヽ  l          l、'rヽj`ァ' メ | / リ
  `,´l    lヽ ヽ         /ノ `'’,イ  /イ    蒋介石っておばかさぁん
  /| |   |  `丶ゝ    ー、ー- 、    lノ  ,イノ
. /│|   |          ニ ´   ノ イ |
/  ! |   !  、           ィニィ | |lハ
  | !   |   _`ト_、 _     , イ    ! |ル'   ,イ
  ハ ヘ  |‐'  ̄,.ィ´ヘ` ー- イ  |    |l |    /│
ノ  ヘ ヘ   | <´ィ´ /介「`ヽヽ│   ハ l   / ノ      _,
ゞ、_ゝヽ  !  \ー´/ハ トニノノ !   / ハ ト、//,ィ _ ,.-ィ´
  ヾゝヽ.ヽ lー-、  ̄ 1 |│|ヽハ 」  / _ハ _/ イィニィ'´    <
    ヾゝヽ. l^ーィ- 、|│ ! ト、>-リ  イニィー '^ヽ、
     ヾヽヽゝ   ̄! | | lヽヾ/  /        ヽ

毛沢燈
189我愛中華:2007/04/01(日) 11:42:15 ID:hmL6JF99
何を訳の判らないことをw
重慶はまだしも田舎ながら大都市
延安や瑞金は山間の僻村ではないか
190だつお:2007/04/01(日) 13:21:51 ID:ITVgVqxJ
延安の中国共産党とは、積極的に和平すべきだったと自分は思う。
場合によっては華北の大部分をくれてやってもいいくらいだ。
それで引き上げた皇軍戦力を、国民政府撃破に大攻勢をかける。

そうしたほうが重慶政権とアメリカに対する打撃が大きいから。
中共勢力は後に打倒アメリカ帝国主義に転じるから好都合だ。
191名無し三等兵:2007/04/01(日) 16:07:59 ID:fa4Aqqu6
そしたら戦後日本は確実にどの陣営とも相容れずに自滅するな。満州が朝鮮を領有して独立しちゃったりしてww
192イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 21:57:42 ID:ogLBy+Lr
>>182 の続き。>>「八路軍から膠済線(鉄道の路線)を守るために部隊を西進させよ」

さて、破壊された「膠済線」を打通させ、蒋介石軍の北上を助けるという任務を大隊は
命じられた訳です。祖国のために戦うなら敢えて身命は惜しみませんが、蒋介石やその
一派のために戦うのでは、死んでも犬死で「アホらしい」のひと言に尽きますw。

せめてもの救いは、済南(山東半島の西部)地区から引き揚げてくる十数万人の日本人
軍民の「輸送路を確保する」大きな使命も兼ねている事ですが、兵士たちの士気は
サッパリあがりません。

誰もが「戦争は終わったのだから今さら死にたくない」と思うのは自然なことですし、
青島から西へ向かうのでは日本との距離は遠のくばかりで、やる気が出ないのは当然
のこととも云えます。

大隊の出発にあたり、ある現地召集の初年兵が「足を捻挫したので残留させてくれ」
と軍医の下にやって来ます。
193イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 22:21:01 ID:ogLBy+Lr
この初年兵は1945年6月30日に入隊した新兵で、召集前は北京の大きな会社の
課長だったと云います。名目上は「二等兵の新兵」ですが42歳にもなる老兵で、
A軍医がさっそく診断したところ仮病であると激怒し、

「貴様のような兵隊がいるから日本は負けたのだッ!」

と大喝し、鉄拳で顔面を数回殴りつけます。A軍医は23歳でしたから、
ちょうど息子が親を張り倒した感じです。妻子ある身で少しでも生き残り
たいと思う気持ちは分かりますが、まあ哀れと言うべきでしょう。

ところが42歳の初年兵を殴りつけた、このA軍医自身が「病気の大隊長を
看護するため」という理由で、作戦に参加せず残留したのですから呆れる他
ありませんw。結局、前述の「小石中隊長」が大隊主力を率いていく事に
なる訳ですが、後の1945年11月中旬、大隊の上級部隊である第12独立警備隊
司令官・滝本一磨少将より、「大隊長・小石中隊長・A軍医」の3人はそれぞれ
処罰を受ける事になります。小石中尉の場合は、終戦直後の戦闘で中隊から大量の
捕虜(26名)を出した責任を問われたのでしょう。
194イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 22:41:46 ID:ogLBy+Lr
さて出動した大隊です。青島から済南の「中間地点」までは貨車で移動
できましたが、そこから先は線路が破壊されていました。そのため下車し、
線路上を徒歩で西進することになります。

以前、龍口から青島まで救援船で引き揚げる際に、馬をすべて置き去りに
してきました。それ以来、軍馬の補充がついておらず、ここで山砲と騎砲を
残留させる羽目に陥ります。

鉄道の線路は全く惨憺たる有り様で、レールと枕木は一本残らず八路軍や
その支配住民に持ち去られて、線路から「道路」に変わっています。

八路軍は抗日戦後の「国共内戦」に備えて、線路の破壊を徹底していました。
鉄道を不通にしてしまえば、蒋介石軍はそう簡単に中支から北上できない
からです。
195イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 23:12:38 ID:ogLBy+Lr
●津浦(しんぽ)線:天津―浦口<揚子江を挟んで南京と相対する>
●膠済線:青島―済南
●京漢線北部:北京―漢口

が最もひどく破壊されていました。「京漢線」を不通にすれば、中支から
最短距離で「北支」へ移動できなくなりますから、山東半島の「膠済線」の
軍事上の価値はぐっと低くなります。

「じゃあ破壊しなくてもいいじゃん」とも思えますが、米軍の力を借りて
海上から青島に国府軍が上陸したケースを考えますと、やはり膠済線は
重要な鉄道で破壊しておく必要があった訳です。

時期は9月でしたが、まだまだ日中の気温は30度を越えるような暑さで
行軍に慣れない初年兵がへばっていたと云います。行軍2日目に近隣の
部落で宿営しますが、住民は避難したあとで人っ子ひとりおりません。
196イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 23:40:47 ID:ogLBy+Lr
もはや戦争が終わり「中国は日本に勝った」訳ですから、住民は逃げなくても
良さそうなものです。しかし『日本鬼子』の恐ろしさを嫌というほど味わって
いるので、『パブロフの犬』で日本軍が近づいて来ると逃げ出してしまうのですw。

日本軍が「中国に負けた」という実感が無いのと同様に、山東半島の支那人たちも
また「日本に勝った」という感覚が生まれて来ない訳です。つーか自分達と戦争は
無関係なもの(結局、支配者が変わるだけ)と思っていたことでしょう。宿営する
日本軍部隊は戦時中と変わらず、部落のニワトリを追いまわし、かまどを使って
料理を作り、無人の家に上がり込んで寝ていました。

1945年9月13日、八路軍500がいるという大きな鎮に近づきますが、日本軍との
衝突を避けていち早く撤退し、結局「無血占領」となります。「鎮」というのは
「県城」につぐ大きな都市を指す名称ですが、さすがに街は賑わいを見せており、
至るところに『鉄路守日軍歓迎』の張り紙がしてあり、ますます日本が負けたという
実感が遠のいたと云いますw。敗戦後もこういう状況にあったのは、北支だけでしょう。
197イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/01(日) 23:58:26 ID:ogLBy+Lr
結局、「膠済線」の警備ついていた第12独立警備隊や独立混成第5旅団
(宇都宮)、あるいは第47師団(弘前)などの第43軍(済南)の部隊は、
日本への復員のために乗船する直前まで八路軍と戦っていたので、

「日本はアメリカに負けたのであって、中国には勝っていた」という思いが
他部隊に比べて、特に強かったと云います。

また八路軍の大部隊に包囲(数の暴力w)される事について、『華北戦記』の
著者・桑島は面白いことを言っています。

「日本軍が5倍や10倍の敵に驚いてどうする? 君たちの部隊は弱かったんじゃ
 ないのか?」と、中支で国府軍と戦っていた元第22師団(仙台)の友人に
 揶揄されて、「その友人は蒋介石の軍隊も八路軍も同じ様なものだと思っていた
 ようである。もちろん八路軍の戦略や戦術は何も知っていなかった」と
 反論していることです。
198イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 00:08:25 ID:mIuMYmaO
まあ、コメントが難しいところですが、北支の「高度分散配置」の部隊が
分隊程度の兵力(10数名)で数百から1千の八路軍に包囲される事が
あったのと同様に、中支の日本軍部隊も1個大隊や1個連隊が、国府軍の
数個師に包囲されることはザラに有りました。

さて『20対500』と『500対10000』のどちらがキツイかですが、
あなたが同じ目に遭うとしたら、どちらを選びますか?w

>>「日本軍が5倍や10倍の敵に驚いてどうする? 君たちの部隊は
>> 弱かったんじゃないのか?」

この点も、一概に否定できないところです。中支の部隊も死ぬほど苦労
している訳ですから。まあ、八路軍と国府軍では何もかも違い過ぎますがw。
199イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 00:18:46 ID:???
ああ、そういえば昨日はエイプリルフールだったのに、何も云わずに終わって
しまいました。とりあえず、

・自分は実は在日中国人です。

とでも言っておきますw。
200名無し三等兵:2007/04/02(月) 00:55:22 ID:p4iczXQY
昔の人は在日朝鮮人とか部落民を差別していたというのはおじいさんおばあさんを見ればわかるが、部隊ではどうだったんだろうか?そんな事したら背中に穴があきそうだがww >>中佐 「鬼が来た」見た?
201名無し三等兵:2007/04/02(月) 12:32:33 ID:gnCaXxVi
>日本軍が「中国に負けた」という実感が無いのと同様に、山東半島の支那人たちも
>また「日本に勝った」という感覚が生まれて来ない訳です。

その世代の中国人なら、誰でも知ってる歴史の真実だな。

だからこそ日本軍国主義への恨みつらみをずっとずっと言い続ける。
202名無し三等兵:2007/04/02(月) 12:49:40 ID:???
というか、中国にしろ韓国にしろ北朝鮮にしろ革命国家なんだから、
旧来の政権とか革命戦争時の敵に対して攻撃をし続けなければ政府の正当性を維持できないでしょ。
未だにアメリカが、実態はどうであっても王制とかに対して非難がましいのと同様。

というか、向こうの人の「星界の戦旗」への批評がイカしててワロタw
203名無し三等兵:2007/04/02(月) 16:16:30 ID:???
質問
なぜに日本軍は宜昌より奥の四川盆地に進軍して
重慶を落としに行かなかったの?

四川盆地周辺までは破竹の勢いで進んだのに
どうして戦線は膠着したの?
204名無し三等兵:2007/04/02(月) 17:56:25 ID:???
>>200
朝鮮に徴兵制が敷かれたのは1943年なので、朝鮮人兵士が部隊にいることは
ほとんどなかったのではと思います。
いっぽう陸軍士官学校には1928年から朝鮮人にも門戸を開いたので多くの
朝鮮人将校はいました。洪思翊中将の処刑(山本七平)なんか読むと、部隊で
その手の差別はまったくなかったそうです。隊長として部隊に赴任したら
部下の前で「私は朝鮮人である。天皇陛下の命により本日よりこの部隊を
預かる」と堂々と言っていたそうです。
205名無し三等兵:2007/04/02(月) 19:07:50 ID:???
>200
李朝末期に日本の士官学校に留学していた大韓帝國軍の将校候補生がいたが
日韓併合と韓国軍解散によって行き場が無くなった。
そこで日本軍は彼等を再教育後、日本軍に編入した。
日本軍の将校になれた朝鮮人将校はこのグループがほとんどで、洪思翊中将はその中の一人。
それ以外のグループは満州国軍に所属している。
(例外は陸軍航空隊のパイロットぐらい。)

よって>204の
「陸軍士官学校には1928年から朝鮮人にも門戸を開いたので多くの朝鮮人将校はいました」
は著しく誇張された表現であり誤解を招くものなのでスルーして下さい。
206名無し三等兵:2007/04/02(月) 19:33:22 ID:???
>>203
山じゃね
207名無し三等兵:2007/04/02(月) 22:47:36 ID:???
>>203
南方での戦況悪化が常に大陸戦線に悪影響を及ぼしています。
敗退→大陸から有力部隊の抽出→弱体化→攻勢に出れない
の繰り返し。詳しくは過去ログ参照。
飽きるくらいその手の記述が出てきます。
208イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 22:50:27 ID:Rfo7dF2n
>>200 >>昔の人は在日朝鮮人とか部落民を差別していた:部隊ではどうだったんだろうか?

日中戦争の戦記は数多く読んでいますが、部隊で『朝鮮人差別』の話が出てきた記憶は
ありませんねえ。>>204-205 氏が挙げているように、『洪思翊中将の処刑 』(山本七平著、
ちくま文庫)がお勧めです。

>>「私は朝鮮人である。天皇陛下の命により本日よりこの部隊を預かる」

私の命令に逆らうことは天皇陛下に逆らうのと同義である、というロジックに
日本人なら反論は不能ですw。

まあ、在日朝鮮人の差別よりも「沖縄出身兵」の差別の方がよく耳にしますがw。
第37師団(編成地は熊本だが、鹿児島連隊があり)や第58師団(同じく熊本だが、
鹿児島第6連隊で召集された新兵が58Dに配属されるケースあり)は支那大陸で
戦っていますからね。
209イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 23:02:42 ID:Rfo7dF2n
>>203 >>なぜに日本軍は宜昌より奥の四川盆地に進軍して重慶を
>>落としに行かなかったの?

6文字で答えるなら『ガダルカナル』w。以前『北支の治安戦』の次に
『五号作戦――重慶攻略作戦』を大テーマとしてやると書き込みましたが、
メチャクチャ話がでかくなります。下手したら「治安戦」以上です。まあ、
「治安戦」もかれこれ半年近くやってますけどね(核藁)。

でも『戦史叢書』(昭和17、8年の支那派遣軍)買っちゃいましたから、
元を取るために何時かはやりますが。中テーマの「上海航空決戦」の次ぐらい?w

>>中佐 「鬼が来た」見た?

だから「DVDは見る暇ねえ」っつーの! 冬コミで買った同人誌も読まずに
放ったらかしのも結構あるぐらいですw。
210名無し三等兵:2007/04/02(月) 23:05:47 ID:/t58u0dP
宣昌・重慶間は直線距離で500kもあります。
宣昌は湖北平原の西外れで、ここから西は山岳地帯です。
長江はかの三峡に入ります。
長江沿いに直進なんか出来るわけがありません。
当然、南から清江に沿って恩施(湖北省)から万県(重慶市)を目指していくことになります。
これもまた山岳地帯であり、距離も長くなり、補給の面からいっても、極めて困難な作戦になります。
今までの平原での戦いとは異なるのです。
日本軍には当時それ擂るだけの余力はありません。
いわば、強弩の末です。
211イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 23:16:19 ID:Rfo7dF2n
>>198 の続き。1945年9月8日に山東半島の「青島」を出発して以来、
大隊は250キロ近くも西進します。「膠済線」の一方の起点となる
目的地の済南もあと少しです。

この頃になると、部隊の兵士は「侵攻作戦」でも戦時中にやっているかの
ような錯覚に陥ります。街を訪れると「鉄路守日軍歓迎」などの張り紙が
してあり、「俺たち日本軍がこの街を八路軍から守ってやっているのだ」
という本来、戦争の敗者にあるまじき「増上慢」も持ち上がってきましたw。

タチの悪い日本兵が武装したまま市中に出て、白昼堂々金品を強奪するという
蛮行が続出し、支那住民側から苦情がぞくぞく寄せられますw。このため大隊
では、●「以後、中国人に対して不法な行為をなしたる者は、蒋介石軍が進駐
してきた際に、中国側に引き渡すことがあるかもしれない」と通達したところ、
これが効いたか、その後は不祥事はたちまち影をひそめたと云います。
212名無し三等兵:2007/04/02(月) 23:20:43 ID:EPNbF/Z4
当代?争不只是看常?武器,?要看核武器在其中的作用。?在中国的常?武器也未必?不?日本,就算到了?端,?有核武反?,如果日本同?使用核武,只有双方?亡。所以??少天真了。
213イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 23:28:30 ID:Rfo7dF2n
敗戦のショックでそれまでの「規律のタガ」が緩んでいた事は間違いない
でしょう。それでも「蒋介石軍に引き渡すぞ!」と支那人をダシに使って
軍紀の引き締めを図らなければならないとは、何とも情けない次第ですw。

さて話は少し変わりまして、敗戦後の戦いでも「八路軍の捕虜」になった
日本兵はいる訳です。上記の大隊でも1945年10月2日、第2中隊のT初年兵が
夜間行軍中に落伍して行方不明となり、八路軍の捕虜になっています。

このT初年兵は1945年3月10日に召集された20歳で、平時ならとても現役兵は
務まらない、甚だ性格の弱い人間だったと云います。以降が興味深いところですが
「所属部隊に帰りたい」というT初年兵の希望を受け入れて、八路軍は1ヵ月後に
大隊まで送り返してくれました。

その時、T初年兵は風邪を引いているということで、医務室に突然現れたと
云います(核藁)。
214イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 23:35:25 ID:Rfo7dF2n
T初年兵の身につけている物は、頭のてっぺんから足先までカーキ色の
「八路軍正規部隊」の服装で、すべて真新しい物でした。T初年兵は
もとは補助衛生兵でしたので、医務室の下士官が色々聞いてみたところ
以下のような感じです。

Q.捕虜になったとき恐ろしかったか?
A.「恐ろしかった」

Q.殺されると思ったか?
A.「八路軍は日本兵の捕虜を殺さないという事を、うすうす知っていた
   から、そうは思わなかった」

Q.日本軍のことを色々聞かれたか?
A.「聞かれた」 

Q.しゃべったか?
A.「しゃべった」
215イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 23:52:50 ID:Rfo7dF2n
戦時中なら間違いなく、このようなT初年兵(よりによって八路軍正規部隊の
服装して帰って来るとは如何なることか!)は、『敵前逃亡・奔敵』で死刑が
相当でしたでしょう。

怯惰な兵を何よりも嫌う、あの『柏崎中隊長』なら何と思ったことでしょう。
自分でブッタ斬っているかもしれませんw。或いは『八路軍として』部下に
撃ち殺させているかもしれません。

しかし『柏崎中隊長』は今はもうおらず、敗戦後ということでT初年兵の
処罰は何もありませんでした。もう、ヌルヌルです。
216イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/02(月) 23:59:36 ID:Rfo7dF2n
ちなみに戦時中の「敵前逃亡」の罪を敗戦後に問われて、軍法会議で
死刑になった例は南方戦線で多く見られます。要するに敗戦末期に
敵前逃亡して、戦争が終わったと分かってから部隊にひょっこり
戻ってきたというケースですね。

最も苦しかった時期に味方を見捨てたという理由で、死刑になっても
ほとんど同情されなかったと云われます。また部隊からトンズラする
際に、部隊の食糧をまとめて持ち逃げした例も多くあり、そのような
ケースは、もう怨み骨髄です。
217俄将軍:2007/04/03(火) 01:28:50 ID:???
>>208
日韓併合後、戦前戦中の朝鮮半島、朝鮮人の選挙権、徴兵など、ということも
あるのか、などと、嘯いてみたり。

在日朝鮮人というのは、日韓併合後は、朝鮮半島で、生活している朝鮮人も、
在日朝鮮人、ということになるのか、などと、適当な思いつきなど書き散
らしてみたり。

沖縄県民で、近衛連隊に、配属された中の人などの手記など、興味深い、とい
うこともあるのか、などと。
218名無し三等兵:2007/04/03(火) 02:01:01 ID:???
>>216

>>要するに敗戦末期に
>>敵前逃亡して、戦争が終わったと分かってから部隊にひょっこり
>>戻ってきたというケースですね。

部隊が連合国側に武装解除された後にひょっこり
戻ってきた場合ドウナルンダロ?
敵前逃亡した兵だって復員船に乗らなきゃ帰れないだろうし。

やはり人民裁判紛いのやり方でリンチだったんだろうか?
219名無し三等兵:2007/04/03(火) 02:04:07 ID:4JXYW0P1
併合中の韓国人て選挙権も被選挙権もなかったの?併合前の韓国人の教育水準てどんなもん?日本が併合しなかったとしてWW2後まで全く無傷で南北分断もないってあり得る?
220名無し三等兵:2007/04/03(火) 02:14:39 ID:???
今村のTV番組に出てた台湾出身の兵隊は
日本人将校の悪口なら延々と話せる!
って怒ってましたよ
ただし今村だけは違うと言ってました

今村の幻の自決書に台湾兵への気遣いを見つけて
涙ぐんでいました。

221名無し三等兵:2007/04/03(火) 02:27:09 ID:???
>>217
在日朝鮮人は併合前あるいは戦後の考え方で、併合後はみな日本人です
内地、外地として区分されます
外地は主に総督府による律令により統治されます
ですから外地で選挙権はあまり意味をもちません
内地の朝鮮民族(日本人)は選挙権があります、外地ではありません
222名無し三等兵:2007/04/03(火) 18:55:25 ID:???
>>205
韓国武官学校生徒から陸軍中央幼年学校に留学した世代と、朝鮮籍の学生に
陸士の門戸が開かれて以降なら、後者のほうが多いのは当たり前。
また陸士の専攻選択で朝鮮人だからという理由で航空兵科なんて振り分けが
されたはずがない。需要と定数の多い歩兵科や砲兵科のほうが多かったのも
当たり前。
軍閥を流用した満州国軍に参加することと、日本の陸士を受験することはぜんぜん
次元の違う話。日本軍が朝鮮人将校を意図的に選別して満州国軍顧問に充てた
なんてこともなかった。良くも悪くもそういう差別をしなかったのが日本軍。
日本軍の差別は陸士陸大の学歴と成績だけ。
223名無し三等兵:2007/04/03(火) 20:24:51 ID:???
>221
>内地の朝鮮民族(日本人)は選挙権があります、外地ではありません

ハイ、印象工作乙。
朝鮮籍人は内地への渡航許可が無ければそもそも来れません。
許可を得ても住民台帳に記載されなければ選挙権を行使できません。
これらの事は日本籍人にはフリーパスでしたが朝鮮籍人に対しては厳しい審査をクリアしなければなりません。
従って内地に行けば朝鮮籍人も選挙権があるのだから平等だったという説は実態を無視した虚説にすぎません。
224俄将軍:2007/04/03(火) 20:45:09 ID:???
>>219
>>221 で、説明されているように、内地、外地といった区分が、ということに
なると、実質的には、というだけのことであり、何故、ということになるの
か、などと、嘯いてみたり。

>>221
台湾、朝鮮半島などには、何故、総督府があり、選挙権が与えられなかったの
か、ということになるのか、などと、嘘ぶいてみたり。

徴兵など、同様、ということになるのか、などと。

沖縄県も、徴兵制、選挙権など、日本本土とは、タイムラグが存在、というこ
とになると、興味深い、ということに。

差別しようにも、朝鮮人の兵隊さんの母数というのは、ということもあるのか、
などと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
225俄将軍:2007/04/03(火) 20:50:50 ID:???
>>223
選挙権、被選挙権を行使できる朝鮮人の中の人は、「限定」されていた、とい
うことになるのか、などと。

南北戦争の黒人解放と、公民権運動など、連想、ということもあるのか、など
と、嘯いてみたり。

>>224
日清戦争時、沖縄県内では、日本支持、清国支持で、割れていたということも
あるのか、などと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
226俄将軍:2007/04/03(火) 20:57:33 ID:???
>>225
日本人ですら、日本国内では、人口増大の圧力に耐えきれず、移民、大陸進出
など、ということになると、朝鮮半島から、日本国内へ、朝鮮人の流入とい
うことになると、如何なものか、ということになるようでは、ということ
になるのか、などと、嘯いてみたり。

中南米、満洲への移民というのは、何故、ということになると、民族差別云々
ということになるのか、朝鮮半島から、日本への不法入国は、何故、という
ことになると、朝鮮半島の階級差別など、ということになると、別の構図
が、ということもあるのか、などと、適当な思いつきなど書き散らして
みたり。
227名無し三等兵:2007/04/03(火) 21:46:10 ID:???
>222
いずれにせよ1928年以降つまり第42期から終戦までに任じられた朝鮮籍の将校は
30人に過ぎない(内、皇公族2名)。そのうち日米戦以降の応募によるものは16人。
これをもって「多くの」とは羊頭狗肉にも程があると思うね。
228イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/03(火) 23:22:31 ID:p/sjBC0i
>>218 >>部隊が連合国側に武装解除された後にひょっこり戻ってきた場合
>>ドウナルンダロ?敵前逃亡した兵だって復員船に乗らなきゃ帰れない
>>だろうし。やはり人民裁判紛いのやり方でリンチだったんだろうか?

帰れないんじゃないですか?w それはさて置き終戦時、ブーゲンビル島にいた
第6師団(熊本)のケースですが、日本人収容所内で「軍法会議」を開きまして
死刑者を出しています。

被告はジャングルに離隊逃亡しておりまして敗戦後、日本軍全体がブーゲンビル島
からファウロ島に移駐させられる際に、置き去りされては一大事と姿を現した逃亡兵、
遊兵がほとんどでした。まあ、質問に対して「そのものズバリ」の事例な訳です。

もちろん「皆の同情は無かった」と云いますが、結局3名が「死刑」となり、収容所を
監督する豪州軍から銃器を借りて「死刑執行」を行なっています。
229イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/03(火) 23:36:27 ID:p/sjBC0i
>>やはり人民裁判紛いのやり方でリンチだったんだろうか?

あまり話を続けると『某法務大尉』を召還しそうなので手短に済ませますw。
加えて「軍法会議」については自分もあまり詳しくありませんので、それを
念頭に置いて読んでください。

まず軍法会議長官は「天皇の名代」であり、原則として親任官相当の軍司令官
あるいは師団長に裁判権が付与されると考えましょう。軍の場合、裁判権は
指揮権(統帥権)と不即不離に結びついており、「指揮権あっての裁判権であり、
指揮権がなければ裁判権もない」訳です。

>>228 のエピソードの場合、第17軍司令官は神田正種中将でしたが、敗戦後は
豪州軍の支配下にあり「天皇の統帥権」とは遮断されています。なので指揮権が
無い訳ですから、裁判権もない(正統な軍法会議ではない)という結論になるの
です。以上は、過去スレでひと騒動になった『軍法会議』(花園一郎著、新人物
往来社)を基にしていますので、「いろいろ」察して下さいw。
230イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/03(火) 23:43:17 ID:p/sjBC0i
花園大尉に言わせれば、敗戦後の収容所内での軍法会議には正当性がなく、
兵士の「元上官暴行」などを防ぐ『脅し目的』として割り切って開くなら
構わないが、死刑だけは出すなよ、という事でした。

>>結局3名が死刑となり、収容所を監督する豪州軍から銃器を借りて死刑執行

なので上記のケースは、「実に驚くべき愚行であり、近代国家としてまことに
不見識な死刑執行だった」と述べていますw。
231イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 00:02:09 ID:0DSsm1L3
>>215 の続き。>>しかし『柏崎中隊長』は今はもうおらず、敗戦後ということで
>>T初年兵の処罰は何もありませんでした。もう、グダグダです。

とは云うものの、もし「T初年兵」を軍法会議(?)を開いて死刑にしていたら
部隊の士気はガタガタに落ちていたかもしれません。やはり支那戦線と南方戦線
では事情が違い過ぎる訳です。

敗戦後における「八路軍相手の治安戦」とは、もはや『ボランティア活動』に近い
ものがありますw。本来、武装解除されて投降先となるはずの「国民党軍」は未だ
北支のどこにもおらず、遥か彼方から日本軍の上級部隊を通じての指令が来るだけ
です(連合軍という名義で)。「自主的」と言った方が当てはまるかもしれませんw。

さて1945年10月8日になると、大隊の多くの将兵に「1945年8月20日付」で進級が発令され
ました。いわゆる「ポツダム進級」ですが、誰もが一階級自動的に進級できた訳では
もちろんありません。一般に下士官兵については、各部隊長の委任決済でしたので、所に
よっては全員を進級させた部隊、選抜して進級させた部隊、進級自体おこなわなかった
部隊があるなど、マチマチだったと言います。
232イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 00:12:10 ID:0DSsm1L3
この「独立警備歩兵第64大隊」の場合、現役5年兵で1943年12月1日に
上等兵に進級した『古兵』でも兵長に進級できなかった者が何人も居たと
いいます。また1945年3月1日付で伍長になった者は軍曹に進みましたが、
同年4月1日に伍長になった者は軍曹に進級できませんでした。

この辺は曖昧で明確な基準があったとはとても言えませんが、とりあえず
ポツダム進級で全員が1階級進級できた訳ではない事だけは覚えておき
ましょう。
233名無し三等兵:2007/04/04(水) 01:42:19 ID:???
>>229
質問にお答え頂いて有難う御座います。参考になりました。
このスレを毎日楽しくROMっています。

それでは急速潜行にて失礼致します。
234名無し三等兵:2007/04/04(水) 17:52:18 ID:???
赤松部隊を擁護している香具師は本当に曽野綾子の
「ある神話の背景」を読んだことがあるのかね?
曽野綾子の本にもハッキリ書いてあること。

赤松部隊は
1.自宅に帰りたい=敵前逃亡で処刑
2.夫がスパイ容疑で処刑された=妻も赤ん坊も処刑(自殺幇助であって処刑ではない)
3.米軍の依頼で投降を呼びかける使者になった学生=利敵行為で処刑(自殺幇助)
4.処刑されたのを見て米軍の投降を呼びかけるビラを置いておこうとした住民=スパイ容疑で処刑
5.爆弾から逃げてきた住民=追い返す。
6.赤松の上官の佐官連中=真っ先に逃亡。
7.手榴弾を住民に配る。
8.朝鮮人軍夫が住民の食料を略奪。山分け。
9.朝鮮人軍夫を多数使用。住民の持ち物を略奪して住民は前線へ送り返す。

隣の島の部隊は住民を巻き込まないように行動した。
もちろん朝鮮人軍夫の略奪行為は厳しく取り締まった。

その結果
赤松部隊のいる島は住民玉砕大量発生。赤松部隊は捕虜になるも朝鮮人軍夫とも良好な関係。
隣の島の部隊は住民を戦闘に巻き込むことなく撤退。捕虜になった後、朝鮮人軍夫にリンチに会う。
住民処刑をひたすら自殺幇助だと主張して擁護した曽野綾子すらも何故朝鮮人軍夫による
報復リンチが赤松部隊だけおこらなかったのか不思議がっているありさま。
赤松部隊の連中は「言葉が分からず意思疎通ができなかったから放置した」などとほざいていたけど。
赤松部隊の連中は恥を知らないのだろう。
235名無し三等兵:2007/04/04(水) 21:04:39 ID:???
>日本軍が「中国に負けた」という実感が無いのと同様に、山東半島の支那人たちも
>また「日本に勝った」という感覚が生まれて来ない訳です

10数年前に中国側の製作になる劇映画(タイトル失念)
ストーリーは8月15日以後も頑迷に投降を拒む日本軍1個小隊を
八路軍の分隊(!w)が投降を説得する話だが
劇中、9月頃の時点で完全軍装の日本軍が画面一杯に整然隊伍を組んで
行軍する場面あり。
支那の側から見てもこんな印象だったんだ・・・
236イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 22:40:47 ID:Hht4Z/yE
>>232 の続き。1945年10月15日より大隊は「坊子」という街の警備任務に就きます。
「坊子」は膠済線でも1、2を争うぐらい大きな街で「石炭」で栄えていました。

大東亜戦争(太平洋戦争開始以後)中、北支那方面軍は日本内地への『資源供給』を
重要な任務として課せられていましたが、それ以前から日本人が数多く住んでいた街
でもあります。敗戦後は、膠済線沿線の都市から多数の日本人が「坊子」に集まって
きて、その数は「1万人」にも膨れ上がります。

そもそも1898年、清国から膠州湾を奪ったドイツは青島―済南間に「膠済線」(当時は
山東鉄道と称した)を敷設し、坊子、?川、博山の炭鉱と金嶺鎮の鉱山を手に入れます。
第1次大戦でドイツから権益を受け継いだ日本は、膠州湾こそ支那に返還しましたが、
炭鉱・鉱山を『日支合弁』という形で日本のものとしました。

それ以来、多くの民間邦人が山東半島に住み着き、日本内地と同じ様な生活が敗戦の日
まで続いた訳です。そういう経緯もあって、大隊が警備任務をあてがわれたのでしょう。
237イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 22:58:27 ID:Hht4Z/yE
>>235 >>劇中、9月頃の時点で完全軍装の日本軍が画面一杯に整然隊伍を
>>組んで行軍する場面あり。支那の側から見てもこんな印象だったんだ…

1945年11月末にもなって、突然よもやと思われる『大隊討伐』が坊子
東北地区を対象に命令されます。10月中旬以来、「守り」に徹していたにも
関わらず、敗戦以前と同じような八路軍討伐ですから「今ごろになって討伐
作戦が行なわれるとは……」と誰もが驚きました。

この頃には病に臥せっていた「白川大隊長」が全快復帰し、大隊長を討伐隊長
として、大隊本部と3個中隊を動員する、戦時中と何ら遜色ない「強力な討伐隊」
を組織して『八路軍討伐』に赴いたのです。

しかし士気は上がりません。「内地の奴ら(日本内地部隊の兵隊のこと)は、
とっくの昔に復員して、嫁さんと楽しくやっているってゆうのによぉー。
チキショウ! 俺たちは、貧乏クジを引いたものよなあ」
238イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 23:14:30 ID:Hht4Z/yE
4年兵のT上等兵(兵庫)がヤケを起こして怒鳴るように叫びます。
まさに「その通り」でしょうw。「坊子」を出発してしばらく経つと、
八路軍の正規部隊が民兵かは分かりませんが、遠くの稜線からパンパン
撃って来ます。相変わらずの「スズメ戦」でまともな戦闘にはなりません。

「八路(パーロ)よ、撃たないでくれよ。白木の箱で帰るのだけは御免
 だからな」と、口さがない4年兵や5年兵がブツクサ言います。将校が
側にいようと平気なもので、また青筋立ててそれを咎めるような将校も
おりませんでした。

敗戦後の1945年11月頃の『軍紀』とは大体そんなところだったと
云います。しかし初年兵や2年兵などは、そうはいきませんので相変わらず
黙々と行軍していました。

「白川大隊長」は思いやりがある人物でしたので、たとえ敵影を見ても
「進め、進め」とは言いませんでした。
239イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 23:29:01 ID:Hht4Z/yE
たとえ敗戦でも戦争が終わり、せっかくここまで生き残ったにも関わらず
「ここで部下を死なせては可哀相だ」という気持ちが強かったのでしょう。
もし『柏崎中隊長』が部隊に残っていたら、一体どうしていたでしょうか?
支那人には正真正銘の『鬼』でしたが、部下には情け深い指揮官でした……。

討伐隊は八路軍を求めて3日間にわたり行軍しましたが、スズメ戦に遭った
のみで交戦することもなく、さいわい全員無事に「坊子」に帰還します。

討伐では死傷者を出さずに済みましたが、それから10日後の1945年12月9日に
第64大隊「最後の戦死者」が出ました。装甲列車に乗って「膠済線」の路線
を警備中、第4中隊のN上等兵が地雷を踏んで戦死したのです。

部隊は、それから2ヵ月後には日本内地に復員したのですから『不運』としか
言いようがありません。享年33歳でした。またN上等兵の他にもW上等兵が
顔面・左上肢下肢地雷爆創の重傷を負っています。
240イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 23:39:46 ID:Hht4Z/yE
「坊子」での駐屯2ヵ月の後、大隊は新たな警備地として同じく膠済線
沿線の「丈嶺」という小駅に向けて出発します。在留邦人の盛んな見送り
を受けたと云います。

道路が相変わらず破壊されたままなのでトラックが使えず、兵器・弾薬・
糧食などをロバで運ばなければなりません。そのロバを集めにかかりますが
そこは敗戦国の悲しさで予定の数が集まらず、出発が3日も遅れる始末でしたw。

戦時中なら「ロバを**頭よこせ」と言えば、たちどころに集まったものが
立場が逆転していますから、乱暴なことも出来ません。それでも数十頭を
ようやく集めることが出来ました。
241イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/04(水) 23:59:53 ID:Hht4Z/yE
>>235 >>劇中、9月頃の時点で完全軍装の日本軍が画面一杯に整然隊伍を
>>組んで行軍する場面あり。支那の側から見てもこんな印象だったんだ…

1945年12月17日、討伐にでも行くかのように『完全武装』した
一個大隊が「ザクザク」と軍靴の音をとどろかせて行軍する姿からは、
日本が中国に負けたのだという事実を少しも感じさせません。

敗戦以来、兵士たちの頭の中を占めていたのは「日本へ帰ることばかり」
です。それでも東の方向へ、懐かしの日本に一歩でも二歩でも近づいて
行くのですから、どの顔を見ても何となく明るい感じがしたと云います。

さて「丈嶺」に着いた夜、さっそく八路軍の襲撃があり迫撃砲を5、6発
撃ち込んできました。先遣隊の第1中隊が到着した夜にも、やはり迫撃砲が
飛んで来ています。小銃やチェコ機銃ぐらいなら恐怖感はありませんが、
迫撃砲が「シュルシュルシュル」と不気味な音を立てて、「ドカーン!
ドカーン!」と落ちると、さすがに生きた心地がしなかったと云いますw。
242イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/05(木) 00:02:52 ID:???
いつもの八路軍の「擾乱戦」な訳ですが、はるか20里離れた「堡駅」を
警備していた一個小隊が数日前に全滅しています。気の毒というほか
ありません。
243名無し三等兵:2007/04/05(木) 08:12:44 ID:???
(´<_`  )プッ、たかだか事変ごときでなに全面戦争やってんだよ、プゲラッ!
244名無し三等兵:2007/04/05(木) 19:03:02 ID:YMpSxB/n
支那はアジアの恥だろ、全世界に向けて謝罪したらいいんじゃねぇのか?
245名無し三等兵:2007/04/05(木) 19:32:06 ID:SderCoFp
トラウトマン工作を成功させていればなあ 広田外相をなんとか更迭できなかったものか あと海軍強硬派の末次内相とかも
246235:2007/04/05(木) 21:42:53 ID:???
>>劇中、9月頃の時点で完全軍装の日本軍が画面一杯に整然隊伍を組んで
>>行軍する場面あり。

タイトルを思い出しました。呉子牛監督の
「晩鐘」です。
おそらく「国民党軍の不甲斐なさ」を強調したかったんでしょう
http://img.movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16102/story.html
247イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/05(木) 23:41:02 ID:???
>>245 >>トラウトマン工作を成功させていればなあ 広田外相をなんとか
>>更迭できなかったものか

広田弘毅については『東京裁判の謎を解く』(兵頭二十八・別宮暖朗著、光人社)が
興味深いです。「支那通」軍人についても多くのページ数が割かれており、このスレの
推薦図書の1つに挙げても良いぐらいです。
248イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/05(木) 23:53:41 ID:ljvpTWeI
>>246 >>タイトルを思い出しました。呉子牛監督の「晩鐘」です。

1988年の作品ですね。戦場における日本兵の内面を初めて描写した中国映画
とされますが、このような新しい試みや「普遍的な人間性」を検討しようという
監督個人の努力は、支那国内の観衆には受け入れられなかったと云います。

ちなみにベルリン映画祭「銀熊賞」受賞です。仰るとおり洞窟に潜む日本兵に
投降を勧める八路軍のシーンもありまして、「タイチョウトノ〜!テテキテ
クダシャイ〜」と叫ぶ、日本兵役のたどたどしい日本語が印象的だとかw。
249イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/06(金) 00:15:56 ID:B3+6pzD4
>>242 の続き。敗戦後もグダグダと「北支の治安戦」が続いている訳ですが、
さすがに1946年に入ると、ようやく復員も間近に迫っていることが分かって
来ます。山東半島の青島では1945年12月に最初の『復員船』が日本に向けて
出航しており、いよいよ本格的な引き揚げが始まりました。

しかし、一連のエピソードの大隊が所属していた「第12独立警備隊」(至厳)は
膠済線という重要鉄道を警備しているため、済南地区の全部隊と邦人の引き揚げが
終わってからの乗船となり「復員は一番最後らしい」という噂が流れます。

済南地区には、第43軍司令部(秀嶺:済南)以下、第47師団(弘前)、独立
歩兵第1旅団(金沢)、第9独立警備隊、第11独立警備隊、済南兵站病院の
患者など約5万人の兵士と、民間日本人・約8万人の合計13万人がいました。

13万人の引き揚げが終わってからとなると、自分たちの順番は半年先か1年先に
なるか分からないだろうと大隊一同はガッカリですw。
250イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/06(金) 00:31:01 ID:B3+6pzD4
しかし「青島に近い」部隊から順番に復員という噂もあり、悲喜こもごも
です。兵士たちはこの頃になると毎日毎日、復員の話ばかりです。

いずれにせよ「先はそう長くない」と思われて、残り少ない戦地の生活を
楽しくやろうという雰囲気が出てきます。『華北戦記』の著者・桑島は
衛生軍曹でしたが、医務室でたびたび仲間と酒を呑んでいたと云います。

特に梅毒の特効薬であった「サンバルサン」は高価な薬であり、支那の薬屋
に横流して売り払うと『かなりのこと』が出来たと言います。大隊の軍医が
どうしようもない人物で「機密費」代わりにサンバルサンを10本融通して
くれないかと言って来ますw。

結局、「軍医がやるなら俺たちも」ということで、桑島たちもサンバルサンを
金に換えて「酒・豚肉・豆腐・野菜」などを買い、スキ焼を作って衛生兵同士
でよく呑んでいたのでしたw。
251イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/06(金) 00:39:49 ID:B3+6pzD4
「戦争はもう終わったんだ。今は内地の帰りを待つばかりだ。最後の
 戦地の生活を楽しくやろう」

という事でしたが、その頃の正規の3度の食事は、毎日雑炊やすいとん
(小麦粉を水で練り団子状にして汁で煮たもの)ばかりです。たまには
米の飯が食いたいということで、またもや「サンバルサン」を売り払った
ことも度々あったと云います。

まあ、この辺は「役得」だったとしか言えませんw。
252イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/06(金) 00:53:25 ID:B3+6pzD4
八路軍は1946年に入ってからも、日本軍陣地へ深夜になるとたびたび
やって来ました。小銃やチェコ機銃を撃ってくるのですが、たまに迫撃砲
弾も5〜6発落ちてきます。それでも10分ぐらいで退散してしまいます。

1946年1月12日、攻撃が止んだ直後に『日本人反戦同盟』の日本人工作員が
メガホンで宣伝放送を始めました。

「オーイ、64大隊の皆さん、今晩は。君たちは1日も早く日本へ帰りたい
 だろう。強がりを言っても、我々は分かっているのだ。八路軍に投降すれば
 生命を保証して直ぐに帰国させるのだが、蒋介石に騙されて踊らされていては
 いつになって帰ることが出来るか分からないぞ――。

 日本には愛しい妻や子や両親や恋人たちが、君の帰りを首を長くして待って
 いるぞ。いつまでも蒋介石に味方していると、やがて君たちも殲滅されること
 になるぞ。その前に1日も早く八路軍に投降せよ。八路軍は決してウソを
 言わない……」
253イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/06(金) 00:57:26 ID:???
>>252 >>蒋介石に騙されて踊らされていては、いつになって帰ることが
>>出来るか分からないぞ――。

まあ、『八路軍』に騙されて踊らされていては、いつになって帰ることが
出来るか分からないぞ――。

と、日本兵が言い返してやったかどうかは分かりませんw。
254246:2007/04/06(金) 20:49:51 ID:???
日本軍VS八路軍の映画ネタをもうひとつ・・・
50年代末から60年代前半に東宝で以下が封切られました
『』はDVD入手可
『独立愚連隊』『独立愚連隊西へ』「のら犬作戦」「どぶ鼠作戦」「山猫作戦」『血と砂』
すべて支那事変末期の北支が舞台
武漢・長沙その他1号など大作戦をやった中支・南支の方が劇的な場面が多々あったでしょうが
北支です。考えられる理由は
・戦争末期、哨所を守る日本軍の小部隊VS八路の大群というシチュエーション
 即ち大作戦を取り上げる場合より少人数のエキストラで済む
・八路には重砲兵、航空部隊がないので大道具が安くつく
・当時は中共と国交が無かったし通交する気運も無かったから八路軍を
 バタバタ殺しても(劇中にw)外交問題の心配が無かった

それに加え塩沢ときその他演じる朝鮮人慰安婦が屈託ない会話で
「カネがう〜んと溜まったらトーキョーで喫茶店始めるんだ〜」
とこの仕事を銭儲けと割り切った描写がありましてw
この手の作品、ある時期から市場から姿を消してました。
255名無し三等兵:2007/04/07(土) 05:09:05 ID:???
なぜそこで「兵隊やくざ」が出てこない!
256イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/07(土) 07:25:32 ID:???
>>254(番号でなくて何か符丁名乗りませんか?)

映画で北支戦線がよく取り上げられる、その分析は大変興味深いです。ちょっと
DVDを探して見てみようかという気になってきました。ただ、いかんせん
時間がない……。昨日も2時に帰って来て、うとうとしていたら『マスターズ』が
いつの間にか始まっておりまして、もう少し仮眠を取ってまた仕事です。

別に余暇の時間がない訳ではないですが、やりたい事は色々ある……。DVDなら
グフ・イグナイテッド使いとして『種死』を見たいのですが手が出せない……w。
ちなみにメジャーゴルフ中継は一年の楽しみです。今年は『遥かなるオーガスタ』?

オヤスミなさい……。
257イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/07(土) 07:31:36 ID:???
>このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
>★☆★ NYニックススレ ッド パ-ト9 ★☆★ [バスケット]
>ナポレオン〜獅子の時代〜長谷川哲也15 [漫画]
>ウイニングイレブン2006のんびり組 Part1 [アーケード]
>【MLB】大リーガーの平均年俸は3億4000万円余 [芸スポ速報+]

いつも思うんですが、このスレを読まれている方はどんな人なんでしょう?
他のスレだと結構、似たようなテーマのスレが並ぶことも多いのですが、
その片鱗も見られませんw。みんな結構、軍板以外も掛け持ちしているのねん。
つーか、軍板がサブかw。
258ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/04/07(土) 07:39:08 ID:???
専ブラ利用者はそれには反映されておらぬと見える(恥)
259名無し三等兵:2007/04/07(土) 07:58:27 ID:qo+n+OYk
>★☆★ NYニックススレ ッド パ-ト9 ★☆★ [バスケット]
>ウイニングイレブン2006のんびり組 Part1 [アーケード]

↑二つとも俺だ・・・orz
ニックススレッドは
>日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課 [軍事]
>日中戦争(支那事変)8 参謀本部第二部支那課 [軍事]
>ウイニングイレブン2006(コテ禁止)Part2 [アーケード]

三つも俺・・・orz     

軍事関係は別宮翁のところとイナゾウ中佐殿のスレしか今は覗いてない。
まだまだ楽しみにしていますので、完走目指して中佐の健闘を祈ります。
260254改め 味噌大福:2007/04/07(土) 08:58:16 ID:???
>なぜそこで「兵隊やくざ」が出てこない!

255部隊長殿!
アレは東宝でなく「大映」作品であります。
しかもDVDは8巻セット売りにつき、自分には手が出にくいのであります。

261名無し三等兵:2007/04/07(土) 10:29:35 ID:pyQ7TNVb
兵隊やくざはすごい楽しかった。あの時代の戦争映画を超える映画はもうでないだろうなぁ。映画会社が球団持ってた時代だもんなぁ。ただ兵隊やくざの四話目以降は無理矢理作った感は否めないw
262名無し三等兵:2007/04/08(日) 03:45:55 ID:???
独立愚連隊は駅前シリーズのようなコメデイ臭がする

263名無し三等兵:2007/04/08(日) 09:09:55 ID:???
てゆーか、何をやりたかったのかさっぱりわからないんですが。
264味噌大福:2007/04/08(日) 09:15:51 ID:???
>てゆーか、何をやりたかったのかさっぱりわからないんですが

そりゃ、「反軍隊」ですよイデオロギー掛かった「反戦」でなく
兵隊数百名の命よりボロボロの軍旗が大事とか
ぼろ儲け企む軍御用商人とか
名誉欲の塊の高級参謀とか
に対する現場のプロからの反発を描きたいのですよ。
265イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/08(日) 21:20:02 ID:???
>>259 >>軍事関係は別宮翁のところとイナゾウ中佐殿のスレしか今は覗いてない。
>>まだまだ楽しみにしていますので、完走目指して中佐の健闘を祈ります。

毎度どうもでございます。引続きマイペースで頑張って参りたいと思いますので、
どうぞよろしく。ただ、何やかんや言いまして今の仕事だからこそ、まだ時間が
捻出できている訳でして、『隣』に飛ばされたら一巻の終わりですw。自己の
生存を第一に考えなければならない…orz. 昨日は終電乗り過ごして歩きました。
体を壊して『傷痍軍人・イナゾウ』は嫌だおw。

>>264 >>そりゃ、「反軍隊」ですよイデオロギー掛かった「反戦」でなく

今の日本だとイデオロギー抜きで「反戦」は語れませんからねえ。もう決着が
付きましたけど、浅野の支持者の背後に典型的な護憲派のオバちゃん連中が
見え隠れするので、どうしても投票する気にはなれませんでしたw。一昨日も
選挙カーで「オバちゃん」ががなりたてるので、もう誰が入れてやるかと…w。
266イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/08(日) 21:33:49 ID:???
>>265 >>兵隊数百名の命よりボロボロの軍旗が大事とか
>>に対する現場のプロからの反発を描きたいのですよ。

イデオロギー抜きで「反軍隊」が描けた古き良きというか、言わば「マトモ」な
時代だったんですかねえ。

>>「カネがう〜んと溜まったらトーキョーで喫茶店始めるんだ〜」
>>とこの仕事を銭儲けと割り切った描写がありましてw

絶対、今の時代は上映できませんねw。兵頭軍師の放送形式でも「騙されて
連れてこられた」というのは、兵士の歓心を買うための慰安婦の営業トークが
多かったという指摘がありましたが、昔のホステスが「実は借金を抱えて……」
というのに近いですかね。
267イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/08(日) 21:48:42 ID:???
>>254改め「味噌大福」氏

久しぶりのコテの方ですので、スレの「第11使徒」へ。以前の最後の人が
「第10使徒」で法務大尉だったのですが、早く次の人が現れて欲しかった…。
268イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/08(日) 22:41:04 ID:G0EuKdr9
>>253 の続き。1946年になっても、八路軍の日本人工作員は『勧誘』に訪れた
訳ですが、もうこの頃には「復員が間近い」という空気がひしひしと感じられ
ていたので、誰も相手にしなかったと云います。

『華北戦記』の著者・桑島(衛生軍曹)の場合、通信班の伍長と懇意にしていま
したから、「復員」に関する客観的な情報も大体分かっていました。そして――。

1946年1月16日、大隊本部で暗号班の兵長が「バンザイ」をしながら医務室に
駆け込んで来ました。「いよいよ復員です。今、電報が入りました」と満面の笑みを
たたえて叫びます。

「64大隊は速やかに高密に集結し、『接収』に応じられるよう準備すべし」
269イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/08(日) 23:25:12 ID:G0EuKdr9
上級部隊の第12独立警備隊司令部から、上記の電報が舞い込んできたのです。
膠済線(鉄道路線)を守っていた関係で、「復員は一番最後になるのではないか」
という噂も流れていましたが、結局、青島付近の部隊から「順次乗船」という形に
落ち着いたのです。

ちなみに復員の第一陣として、独立混成第5旅団(宇都宮:終戦時の所在地は青島)、
次いでこの第12独立警備隊でした。

間もなく高密県城内の(元62)大隊本部で、中支より北上してきた蒋介石軍の
武装解除を受けます。これ以上『ようやく』という言葉が当てはまるものも無い
でしょうw。「武装解除」といっても別に、蒋介石軍に銃剣を突きつけられて
武器を奪われたという訳ではありません。定められた広場に全武器を集めて、
国府軍の接収員に引き渡して「それでシマイ」です。
270イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/08(日) 23:50:52 ID:G0EuKdr9
『男たちのYAMATO』を観たおかげで全然話が進みません。また号泣w。

国府軍の接収員に引き渡したのは、小銃、擲弾筒、軽機、重機、山砲、騎砲、
それに伴う各種弾薬、拳銃、軍刀、手榴弾、被服、衛生材料などなど、です。
仮にこれら全てが八路軍に渡ったとしたら、蒋介石軍としては『悪夢』以外の
何物でもありません。下手したら、それが元で戦犯容疑で裁かれるでしょうw。

大隊の兵員はこの結果、ほとんど「着の身着のまま」の丸腰状態となります。
「前年」8月15日の敗戦以来、およそ5ヵ月に渡って依然として武装し、
八路軍相手に「膠済線打通」という侵攻作戦もどきで済南まで進撃していた
ので、日本が負けたという実感がちっとも起きませんでしたが、丸腰になって
初めて『敗戦』を思い知らされたと云います。

さて1946年1月19日には、汽車で青島まで移動します。3時間ほどで着く
はずが、八路軍の襲撃を警戒して遅々として進まず、収容所に着いたのは夜10時を
過ぎた頃でした。もとはコークス工場だった場所です。
271イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/09(月) 00:03:01 ID:G0EuKdr9
コーコス工場の建物は、既に先客の「日本兵捕虜」で満杯でして、この
大隊はなんとコークス炉の中に収容されます。何も『炉で焼却されるw』
という訳ではなく、単に屋根のある場所が他になかったためのようです。

このコークス工場には、煉瓦作りの100以上の炉があり、日本兵が数人ずつ
分けて入れられました。もちろん収容される日本兵は、

「すわ、これはとんでもない所に入れられてしまったわい。捕虜の屈辱感を
 味わわせるために、こんな場所に入れたのかな」と話し合ったと云います。

入口が狭いために「四つんばい」で出入りしなければならず、中に入ると
天井が低過ぎて立って歩けません。これには大いに閉口しましたw。余りの
窮屈さに、いつまで「炭がま生活」が続くのだろうと誰もがげんなりして
いましたが、先客の桐兵団(独立混成第5旅団)が日本へ帰るための乗船と
相なりましたので、僅か2日間で狭苦しい生活は終わりました。
272イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/09(月) 00:17:10 ID:lPNf2Pje
この大隊の場合、「武装解除」を受けてからの行動も、依然として日本軍の
自主的なもので、捕虜としての屈辱感はまったく受けなかったと言います。

食べ物は「朝昼晩」すいとんばかりで副食は付きませんでしたが、収容所で
労役を支那軍に課せられることもなく、のんびりと乗船を待つという気楽な
ものだったようです。ただし、それは一般の兵士だけで、大隊本部の事務
関係者は『乗船名簿』や『検疫名簿』の作成など、それぞれの仕事があり、
大忙しだったようですが……。

ただし支那派遣軍の日本軍将兵がみな、このような「恵まれた扱い」を
受けた訳では全然ありません。詳しくは別項で述べますが、言語に絶する
『極悪な』収容所生活を送った部隊も多くあったのです。

この大隊の場合、戦後も八路軍相手の「治安戦」を余儀なくされるという
不運に見舞われた訳ですが、かえって収容所生活はごく短期間で済み、
山東半島という地理的に日本から近い理由もありまして、損得勘定の収支は
トントン以上だったと言えるかもしれません。
273イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/09(月) 00:24:38 ID:lPNf2Pje
1946年2月3日、第12独立警備隊司令官の滝本一麿少将から、
全将兵に対して「訓示」がありました。翌2月4日に復員の乗船が
決まりましたので、『決別の辞』だった訳です。

「昭和20年4月兵団結成以来、諸子はよく至厳兵団の戦士として、赫々たる
 武勲を山東の野にうちたて、今ここに復員のために乗船せんとするが、苦楽
 をともにせし諸子と別れねばならぬことは、兵団長としてまことに断腸の
 思いである(略)。

 祖国日本は建国以来まさに未曾有の難局に直面している。日本の再建はいつに
 若い諸子の双肩にかかっている。祖国に帰ったならば、よく自重自重のうえ、
 新日本の建設に邁進されんことをせつにお願いする」
274イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/09(月) 00:36:43 ID:lPNf2Pje
滝本少将は、このとき50歳を過ぎたあたり。陸士26期ですので、同期には
硫黄島の栗林忠道や、和知鷹二、満井佐吉、遠藤三郎、宮崎繁三郎、変わった所
では、ガダルカナル島の川口清健(支隊長・少将)などがいました。

まあ、人生いろいろです。
>>272 >>損得勘定の収支はトントン以上だったと言えるかもしれません。

   ッ-ヘ。__。ヘ    ./ー- 、
   レ, '´゚   `,〉   /==ヽ i
   i ハ)))ハ))ノ)  ム,   |/
    イオi ゚ ヮ゚ノヘ   /    まあ、『禍福はあざなえる縄の如し』かね。
    ,ぐ`i盃、ツつr'ソ     『人生塞翁が馬』とも言うけれど。
   ,メ∪イ-i、ゝ        
    ゙'ーi_'ォ_ァ"       
276元32(予備役少佐):2007/04/09(月) 01:00:52 ID:???
>>274
いつもありがとうございます。
大いに勉強させていただいております。

栗林と、和知と、遠藤と、宮崎と、川口が同期とは知りませんでした。
26期は傑物揃いだなあ。
277名無し三等兵:2007/04/09(月) 04:59:29 ID:???
>昔のホステスが「実は借金を抱えて……」
>というのに近いですかね。

「お父ちゃんは小さいときに死んでしまったし、おっかさんは寝たきりだし、
弟妹が5人もいて、あたしが働かないと…」
というやつですか。
昔は日本でもよくあった話ですね。
というか遊郭の「定番」ですなw
278元32(予備役少佐):2007/04/09(月) 05:28:53 ID:???
日本の戦争映画の場合、反軍隊といいながら、
そこはかとなく軍隊への郷愁と愛情が漂ってくる気もするなあ。

ツンデレというか。
279味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/04/09(月) 08:29:45 ID:???
つまり、大昔の遊女とか水商売女の「セールストーク」
を国家レベルでがなり立ててる訳で・・・これを喜劇と言わずに何が喜劇か!w

>>278
あの頃の作品なら尚更でしょう
当時はスタッフもキャストも軍人経験者が多くいたから
280名無し三等兵:2007/04/09(月) 12:34:22 ID:???
          / ̄ ̄ ̄\
          /  ⌒  ⌒ ヽ    ,,,
         /  ( ●)(●) |  /⌒_)
         |    (__人__) } ノ  ノ  イナゾウのマンションへ突撃〜
     __. }、.    ` ⌒´ 、`   /
   (⌒               |_,,,ノ
    ""''''''ヽ_         |
         |           |
         |         |
         i      ̄\ ./
         \_     |/
          _ノ \___)
         (    _/
          |_ノ''
281名無し三等兵:2007/04/09(月) 12:35:10 ID:???
じゃあの。
282名無し三等兵:2007/04/09(月) 17:24:05 ID:???
大和で泣いたという馬鹿なウヨッコロのいるスレはここですかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
283日本人:2007/04/09(月) 18:05:13 ID:X2m/YHpd
支那事変と日中戦争とどこでどう違うの?
284名無し三等兵:2007/04/09(月) 19:58:08 ID:???
大東亜戦争勃発以前が支那事変で以後が日中戦争。
285名無し三等兵:2007/04/09(月) 20:07:30 ID:???
>>282
大和って、なに?
286日本人:2007/04/09(月) 20:31:28 ID:X2m/YHpd
職業軍人は事変の時は「外地手当て」として日当をもらっていた。戦争になると
出なくなった。これ本当?
287名無し三等兵:2007/04/10(火) 00:11:17 ID:2pFcf9Mu
日本軍の進出を阻止するために花園口で黄河を決壊させたんですよ。
河南、安微、江蘇の3省四十四県・市一万三千平方キロメートルが水没しました。

最近目にした書籍によると、被害人口1250万人。うち390万人が行方不明、90万人が死亡したそうです。

で日本軍がこうむった被害はというと、第十六師団と14師団がわずかに足止めくらっただけ。
どう考えても過大な数字だとは思いますがね。


国民党軍の黄河決壊作戦についてこのように聞いたのですが
この数字は本当でしょうか?
実際のところの被害はどれほどだったのでしょうか?
288イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 00:14:49 ID:???
>>278 >>日本の戦争映画の場合、反軍隊といいながら、そこはかとなく軍隊への
>>郷愁と愛情が漂ってくる気もするなあ。ツンデレというか。

最近は「ツンデレ」ならぬ「ヤンデレ」(精神的に病んでいる)オンリーイベントが
開催されるご時世でございますw。

自分の伯父も「陸軍幼年学校」への受験勉強中に終戦を迎えましたから、郷愁というか
未練心たっぷりです。まあ、あと10年早く生まれていれば夢は叶ったかもしれませんが、
生きてない可能性も高いですけど。それこそ特攻隊員とかw。5月に石原慎太郎の映画が
やりますけど、昨日の「予告CM」を観ると期待できそうなのかしらん?

>>279 >>つまり、大昔の遊女とか水商売女の「セールストーク」を国家レベルで
>>がなり立ててる訳で・・・これを喜劇と言わずに何が喜劇か!w

まあ実際、騙されて連れて来られた人も多いでしょうが(日本軍の関与は置いとく
として)、いわゆる「セールストーク」を全て真に受ける方も真に受ける方ですねw。
289名無し三等兵:2007/04/10(火) 00:15:50 ID:???
イナゾウって関西系のOFFに出没してた人?
290イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 00:35:43 ID:???
>>277 >>昔は日本でもよくあった話ですね。というか遊郭の「定番」ですなw

「私は元女教師でした」というのも燃えるそうです。以下、「元看護婦」
「元高等女学生」など、お好みのセールストークでどうぞw。

>>285 >>大和って、なに?
昨日テレビでやった『男たちのYAMATO』の実況スレに泣いたと書いたからw。

>>287 >>実際のところの被害はどれほどだったのでしょうか?
過去スレというか「現行スレ」を読めれw。

>>289 >>イナゾウって関西系のOFFに出没してた人?
『東方』のオンリーイベントで関西に遠征した事は何度かありまふw。
291名無し三等兵:2007/04/10(火) 00:41:49 ID:???
中佐ってもしかして結構なオタクですか?
コミケ以外にもオンリーイベントのため遠征とは相当な猛者…
292イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 00:53:33 ID:8KrFQJHZ
>>274 の続き。1946年2月4日、待ちに待った日本内地への乗船の日です。
埠頭までの2キロの距離を行進する足も軽やかです。

乗船開始に先立って、支那側による携行品の検査が行なわれます。埠頭の広場で
一人ひとりが1枚の毛布を地面に広げ、その上に自分の携行品を並べる訳です。
まるで露天商がいっせいに店開きをしたような光景だったと云います。

まあ、せいぜい身の回り品やタバコ・写真類などですが、武器を持った人間を撮った
写真は『持ち出し禁止』という事で、勇ましい記念写真などは全て燃やしてしまった
そうです。終戦時には4年兵や5年兵(下士官だとそれ以上)がザラにいましたので、
人によっては、苦労して集めた写真を100枚以上捨てる羽目になったとか……。

また日記や手帳・ノート類もダメで、乗船の前日に「書いた物は一切携行を許さず、
違反した者は帰国させない」とまで厳しい通達が出ていました。まあ、のちのちの
禍根を断つという事でしょうw。記録が無ければ、いずれ忘却の彼方に追いやられる
ばかりです。
293イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 00:55:38 ID:???
>>291 >>中佐ってもしかして結構なオタクですか?

『マリみて』で人生の道を踏み外しましたw。
294イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 01:12:00 ID:8KrFQJHZ
>>292 の続き。とは言っても、『日記類』はそれまでの従軍の血と汗の
結晶に他なりません。なので、少なからぬ兵士が『乗船停止』や処罰を
覚悟で、巻脚絆(ゲートル)の中に巻き込んだりして検査に臨みました。

戦地において日記を書き続けるという行為は、非常に困難なことです。特に
初年兵は古年兵の目がありますから、場合によっては顔が変形するぐらいに
殴られるのを覚悟しなければなりません。

『華北戦記』の著者・桑島の場合は、たとえ八路軍の討伐作戦中でも星明りを
頼りにメモ程度のことでも、毎日毎日4年間書き続けた日記帳4冊をどうしても
捨て切れず、やはりゲートルに巻き込んで支那側の乗船前検査に立ちました。

支那側の検査官(蒋介石軍の将校)は3人でしたが、幸い思ったほど厳重なもの
ではなく、別に品物をいちいち手に取ったり、日本兵一人ひとりに触れてボディ
チェックして調べる訳でもありませんでした。検査官が目の前に来た時には心臓が
バクバクしましたが、無事にやり過ごすことが出来ました。賭けに勝ったのです。
295イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 01:24:54 ID:8KrFQJHZ
戦地で苦労して書き続けた日記類を手放さざるを得なかった人は
星の数ほどいるでしょうが(没収・紛失etc.)、上記の様なリスクを
取った人が日本に持ち帰って、おかげで戦記本を後世に残せる訳です。

というか、こんなザルのように甘い検査だったら、手帳や写真類を
事前に捨てなければ良かったと後でホゾを噛んだ人も逆に多いでしょうw。
296名無し三等兵:2007/04/10(火) 09:16:20 ID:???
第二次世界大戦中に、日本軍によって捨てられたと見られる25個の爆弾が中国北東で
発見されたと国営メディアが伝えた。

爆弾は黒竜江省の都市Huilinのプールの中で男性によって発見されたと、日曜日に
新華社通信が報じた。ただしプールについての説明はされず、男性がどのように爆弾を
発見したかについては発表されていない。

(記者補足:プールはおそらく川辺か水溜りのあるような場所で、泳ぐ場所でのプール
ではないと思われます。)

新華社によると、学校で他の学生のグループが錆びている爆弾の1つを鉄棒などを使い
遊んでいるのを、息子から聞いた男性が通報。警察が向かい爆弾を押収したとの事。
通信社は爆弾のタイプについては説明しておらず、警察発表の火薬と信管を含み爆発する
可能性のあるものだという事しか分かっていない。

またその後の当局の調べで、少年の家でさらに4個の爆弾を発見、もう20がプールの中で
発見されたとのこと。

日本は中国の東北を支配下に置き、敗戦までの10年間の間は満州として知られ、ほぼ
全域において日本軍がおよそ70万の化学兵器を遺棄したと言われている。そのため北京
政府の永遠に続く怒りの源となっている。
(北京政府は、1945年以来少なくとも2,000人の中国人が殺されていると述べている。)

2003年に、建設労働者がチチハル(北東の黒竜江省の都市)に遺棄されていた毒ガス
の詰まっている砲弾をこじ開けて、一人が死亡し43人ものが負傷した。 チチハルは
日本の軍事行動のための中心的主要地点だった。

1997年の国際協定の下で、日本は、2012年までに遺棄された化学兵器を全て撤去する
ことを完了しなければならない。現在までで、3万8000だけの埋まっていた化学兵器が
掘り出されて処理されている。
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1176110907/
297味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/04/10(火) 12:52:21 ID:???
いよいよ昭和21年ですね
時系列的には、そろそろ
 山西軍閥 閻錫山&日本人特務団 VS 八路軍
の話が出そうですね。
でも自分は「蟻の兵隊」は観ていません。暗そうだからw
298名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:36:28 ID:???
詳しく調べると、支那兵に殺されてチンコ切り取られるとか、割とあったみたいだね。
299俄将軍:2007/04/10(火) 22:29:05 ID:???
>>298
殺された日本人居留民が、ということになると、日本兵も、四肢を切り取られ
るなど、ということもあったのか、などと、適当な思いつきなど書き散らし
てみたり。
300イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 22:30:53 ID:???
>>時系列的には、そろそろ山西軍閥 閻錫山&日本人特務団 VS 八路軍
>>の話が出そうですね。

今回はそろそろ話をシメてしまいますので、閻錫山などの話には触れません。
ただ山西省の日本兵残留問題は以前、勉強不足のまま中途半端に終わりまして
いつかリベンジしたいです。4代目スレの「第9使徒:579氏」が非常に
詳しい方でした。
301イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 22:49:59 ID:Mz2gSUy9
>>295 の続き。1946年2月4日、ついに日本内地に向けて青島から乗船を
開始します。アメリカ軍のLST(上陸用舟艇)でしたが、甲板にいる水兵
2、3人が缶ビールらしきものを飲んでいました。空き缶を海に投げ捨てる
のを目にして、持てる国の一端を垣間見たような気がしたと云いますw。

『華北戦記』の著者・桑島は衛生軍曹でしたが、帰国の船上、ある騒動の当事者
となりました。済州島付近を航行中、ある米兵が雑談中の桑島に向かって何やら
叫び始めます。言ってることは分かりませんが、とにかく掴みかからんばかりの
剣幕で怒声を上げているのは確かです。

側にいた戦友がびっくりして、英語の分かる日本兵を連れて来ると、何と米兵は
「この衛生兵を日本に帰さない!」と叫んでいると知り、当の桑島は吃驚仰天して
しまいます。詳しく話を聞くと、そのアメリカ兵は日本の衛生兵を憎んでいることが
分かりました。桑島は船中、「赤十字の腕章」を付けていましたので最初からマーク
されていたのでした。
302イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 23:09:53 ID:Mz2gSUy9
その頃、日本内地では「BC級戦犯」が横浜で裁判を受けていましたが、
いわゆる捕虜収容所で勤務していた衛生兵も、連合軍の「捕虜虐待」の罪に
問われる存在でした。

桑島に対してイチャモンを付けた米兵も、兄が捕虜収容所で虐待を受けた
経験があるらしく「江戸の仇を長崎で討つ」とばかりに八つ当たりした訳です。
桑島としては赤十字の腕章を付けていたばかりに、はた迷惑以外の何物でも
ありません。ここまで来て日本に帰れなければ、大変なことですw。

結局、単なる脅かしという事が分かり無事、佐世保に辿りついたのでした。
港に近づくと、「階級章を海に捨てよ」という命令が出ます。桑島は
襟元から毟り取った軍曹の階級章をどうするか迷いましたが、何となく
捨てるのも惜しいと思って、そっとポケットに仕舞い込みます。

1946年2月8日、南長崎の復員宿舎に向かう桑島の心は早くも
茨城のふるさとに飛んでいたのでした――。
303イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 23:30:55 ID:Mz2gSUy9
さて最後に「支那派遣軍の武装解除」の一覧をまとめて、長く続いた
『北支の治安戦』テーマの締め括りとしましょう。比較しやすいように
まずは中支の部隊から……。地名と日にちは、「武装解除」を受けた時の
ものです。

【第6軍】

●第6軍司令部および直轄  1945年10月18日(南京)
●第3師団(名古屋)  1945年10月9日(鎮江)
●第34師団(大阪)  1945年11月16日(浦口)
●第40師団(善通寺)  1945年11月16日(蕪湖)
●第161師団(華中編成)  1945年10月22日(南京)
●第1独立警備隊      1945年10月5日(?県)
●第13飛行師団      1945年9月28日(竜潭)

以上は、「第3方面軍:湯恩伯」が受降主官です。
304イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 23:41:08 ID:Mz2gSUy9
【第6軍】

●第65師団(名古屋)  1946年1月21日(徐州)
●第70師団(広島)  1945年9月30日(蚌埠)
●第131師団(金沢)  1945年12月8日(安慶)
●独立歩兵第6旅団(名古屋)  1945年11月23日(大通)

以上は、「第10戦区:李品仙」が受降主官です。

【第13軍】

●第13軍司令部および直轄  1946年1月10日(上海)
●第27師団(東京)  1945年12月20日(無錫)
●第60師団(佐倉)  1945年10月2日(蘇州)
●第61師団(東京)  1945年10月2日(上海)
●第69師団(弘前)  1945年9月26日(嘉定)
305イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/10(火) 23:54:40 ID:Mz2gSUy9
●独立混成第89旅団(弘前)  1945年9月26日(上海)
●独立混成第90旅団(名古屋)  1946年1月19日(口岸鎮)
●上海方面根拠地隊    1945年10月8日(上海)
●第133師団(熊本)  1945年10月8日(嘉興)
●独立混成第62旅団(善通寺)  1945年10月7日(松江)
●独立混成第91旅団(久留米)  1945年10月15日(嘉興)

以上は、「第3方面軍:湯恩伯」が受降主官です。

<第6方面軍:注=第11軍、第20軍を指揮下に置く>

●第6方面軍司令部および直轄  1945年10月14日(漢口)
●第116師団(京都)  1945年10月3日(岳州等)
●第132師団(大阪)  1945年10月9日(天門)
●独立混成第17旅団(東京)  1945年10月3日(雲渓鎮)
●独立混成第83旅団(大阪)  1945年10月6日(黄?)
306イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/11(水) 00:05:19 ID:v2a8nHq/
●独立混成第85旅団(金沢)  1945年10月2日(応城)
●独立混成第86旅団(仙台)  1945年10月12日(嘉魚)
●独立混成第88旅団(久留米)  1945年10月7日(金口鎮)
●独立歩兵第5旅団  1945年10月8日(仙桃鎮)
●独立歩兵第11旅団  1945年10月3日(孝感)
●独立歩兵第12旅団  1945年10月11日(感寧)
●揚子江方面特別根拠地隊  1945年10月3日(漢口)

以上は、第6方面軍の直轄部隊です。また「第6戦区:孫蔚如」が受降主官です。

【第11軍】

●第11軍司令部および直轄  1945年10月15日(小池口)
●第13師団(仙台)  1945年10月10日(湖口)
●第58師団(熊本)  1945年10月11日(孔竜鎮)
●独立混成第22旅団(東京)  1945年10月11日(武穴) 
307イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/11(水) 00:15:05 ID:v2a8nHq/
●独立混成第84旅団(東京)  1945年10月18日(彭沢)
●独立混成第87旅団(善通寺) 1945年10月19日(都昌)
●独立歩兵第7旅団  1945年9月25日(呉城)

以上は、「第9戦区:薜岳」が受降主官です。

【第20軍】

●第20軍司令部および直轄  1945年9月20日(長沙等)
●第64師団(広島)  1945年9月26日(集英灘)
●第68師団(大阪)  1945年9月22日(集兵灘)
●独立混成第81旅団(宇都宮)  1945年9月24日(王家湾)
●独立混成第82旅団(金沢)  1945年9月27日(新?)
●第2独立警備隊  1945年9月26日(靖港)

以上は、「第4方面軍:王耀武」が受降主官です。
308イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/11(水) 00:35:31 ID:???
以上で3分の1強ですw。続きはまた明日…。それにしても中支の
部隊の「武装解除の早さ」は際立っています。

長沙など中支の要衝では1945年9月20日ですから、敗戦の翌月です。
一連のエピソードで登場した山東半島(北支)の大隊が1946年1月16日
なので、その差は歴然でしょう。
309味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/04/11(水) 08:57:45 ID:???
>>303以降を読んだ所為か
昨夜、自分は「見渡す限り薪の如く積み上げられた三八年式歩兵銃」
の夢を見ましたw
310イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/11(水) 23:42:08 ID:SKYSMYET
>>307 の続き。

【第23軍】

●第23軍司令部および直轄  1945年9月27日(河南)
●第129師団(長野)  1945年10月15日(東莞)
●第130師団(京都)  1945年10月2日(大良)
●独立混成第23旅団(台湾)  1945年9月27日(河南)
●独立歩兵第8旅団  1945年10月20日(芳村)
●独立歩兵第13旅団  1945年9月27日(河南)
●雷州支隊  1945年9月26日(鋪子?)
●海南島警備隊  (不明)
●厦門方面特別根拠地隊  1945年9月30日(厦門)

以上は、「第2方面軍:張発奎」が受降主官です。
311イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/11(水) 23:51:03 ID:SKYSMYET
●汕頭支隊  1945年10月2日(達濠島)
●第104師団(大阪)  1945年10月5日(横歴?)

以上は、「第7戦区:余漢謀」が受降主官です。

●香港防衛隊  1945年9月6日(粉嶺)
●香港方面特別根拠地隊  1945年8月31日(香港)

以上は、「英軍:ハーコート」が受降主官です。

【第38軍】

●第38軍司令部および直轄  1945年10月21日(ハノイ)
●第21師団(金沢)  1945年10月21日(ハイフォン)
●独立混成第34旅団(東京)  1945年10月21日(ツーラン)

以上は、「第1方面軍:盧漢」が受降主官です。
312イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/12(木) 00:04:14 ID:oli2Dzzt
【第10方面軍】

●第10方面軍司令部および直轄  1945年11月下旬(台北)
●第9師団(金沢)  1945年11月19日(新竹)
●第12師団(小倉)  1945年11月下旬(台南)
●第50師団(台北)  1945年11月下旬(屏東)
●第66師団(台湾)  1945年11月16日(台北)
●第71師団(旭川)  1945年11月下旬(斗六)
●独立混成第75旅団(丸亀)  1945年11月中旬(新竹)
●独立混成第76旅団(広島)  1945年11月10日(基隆)
●独立混成第100旅団(台湾)  1945年11月下旬(高雄)
●独立混成第102旅団(熊本)  1945年11月下旬(花蓮港)
●独立混成第103旅団(福岡)  1945年11月15日(淡水)
●独立混成第112旅団(熊本)  1945年11月13日(宜蘭)
●第8飛行師団  1945年11月下旬(台北)

以上は、「陳儀」が受降主官です。
313イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/12(木) 00:31:27 ID:oli2Dzzt
第10方面軍は「台湾」に駐屯していた部隊ですね。総兵力16万9千人にも達します
(ただし所管の南西諸島分をを含む)。終戦時にはこれだけの兵力が文字通り『遊兵』
に終わったのですから、数だけ見ると「もったいない」のひと言に尽きます。

まあ、結果論に過ぎませんが。連合軍の沖縄上陸ではなく「台湾上陸」だって真剣に
懸念されていた訳ですから。また沖縄陥落後すらも、1945年秋以降に連合軍
による「台湾上陸」があるのではないかと、第10方面軍司令部は苦慮しています。

第10方面軍の部隊数の多さに驚くかもしれませんが、独立混成旅団の
ほとんど全てが1945年1月、2月に編成された『根こそぎ動員』部隊です
ので、「張子の虎」と言われても仕方が無いでしょうw。第10方面軍司令部
としては、喉から手が出るほど『正規兵力』が欲しかった次第ですが……。

そんな訳で、沖縄から第9師団が台湾に転用される訳ですが、やはり悔いが残り
ますね。しかし第9師団も、第10方面軍からレイテ決戦のために引き抜かれた
2個師団の補充ですから、この辺は「玉突き」というか「ドミノ倒し」というか…w。
314イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/12(木) 00:33:35 ID:???
さて、いよいよ「北支那方面軍」の部隊に入ります。台湾にいた
第10方面軍でさえも、1945年11月には「武装解除」されて
いることに注意してください。
315イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/12(木) 00:48:19 ID:oli2Dzzt
☆『北支那方面軍』(以下、全ての部隊が北支那方面軍の所轄になります)

◎北支那方面軍司令部  1946年1月22日(北京)

【北支那方面軍直轄】

●戦車第3師団  1946年1月12日(北京)
●独立混成第2旅団(大阪)  1945年11月30日(沙河鎮)
●独立混成第8旅団(東京)  1945年12月10日(密雲)
●第3独立警備隊  1945年12月8日(北京)
●第7独立警備隊  1945年12月18日(保定)
●独立混成第1旅団(金沢)  1946年1月15日(定県)
●独立歩兵第2旅団  1946年1月16日(石家荘)
●第118師団(京都)  1946年1月21日(天津)
●独立混成第9旅団(東京)  1946年1月19日(滄県)
●北支那特別警備隊  1945年11月22日(唐山)
●第118師団の1個大隊  1945年9月27日(大同)
316イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/12(木) 00:55:41 ID:oli2Dzzt
(以上は、「第11戦区:孫連仲」が受降主官です。

【第1軍】

●第1軍司令部および直轄  1946年1月22日(大同)
●第114師団(溝の口)  1946年1月28日(楡次)
●独立混成第3旅団(仙台)  1946年1月26日(?県)
●独立歩兵第10旅団  1946年1月26日(太原)
●独立歩兵第14旅団  1946年3月29日(南団柏)
●第4独立警備隊  1946年1月15日(大同)
●第5独立警備隊  1946年1月26日(陽泉)

以上は、「第2戦区:閻錫山」が受降主官です。
317イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/12(木) 01:06:06 ID:???
今週には決着がつきそう?……w。一覧もあと少しだけ続く。
318翡翠(星砂) ◆F1KoBsy57M :2007/04/12(木) 01:21:33 ID:i8Rv0CBG
このスレが長く続きますように。(−人−)ageデスよ・・。
319名無し三等兵:2007/04/12(木) 19:35:26 ID:PShKVjPO
日本軍は化学兵器を遺棄して中国人を苦しめている
320名無し三等兵:2007/04/12(木) 19:37:10 ID:???
南京虐殺の真相が、なんとなくわかったような気がする。
321名無し三等兵:2007/04/12(木) 19:40:15 ID:???
いつもながら、イナゾウ中佐はすごいですな。 まさに脱帽です。

で、>>320は南京虐殺の真相はどんなだったと思ってるんだい?
322名無し三等兵:2007/04/12(木) 23:30:30 ID:XDHJDn4i
化学兵器等遺棄したのは事実!民間人を置き去りにして逃げ出した関東軍だもん!化学兵器を中国相手にだけ使ったのも弱いものイジメだもん!南京で松井大将が鬱になるくらい命令無視して虐殺してたもん!日本悪いもん!
323名無し三等兵:2007/04/12(木) 23:32:44 ID:???
まあ、まず慰安婦百人斬り競争は間違いないでしょう。
324元32(予備役少佐):2007/04/13(金) 00:37:56 ID:???
>>320
>>321
>>322
>>323

南京はスレ違い。
過去ログまとめサイト参照。
325イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/13(金) 01:49:20 ID:???
>>316 の続き。

【第12軍】

●第12軍司令部および直轄  1945年10月27日(鄭州)
●第110師団(姫路)  1945年10月29日(洛陽)
●第6独立警備隊  1945年10月26日(新郷)
●第10独立警備隊  1945年10月6日(鄭州)

以上は、「第1戦区:胡宗南」が受降主官です。

●第115師団(旭川)  1945年10月9日(?城)
●独立混成第92旅団(京都)  1945年10月6日(許昌)
●第13独立警備隊  1945年10月29日(?城)
●第14独立警備隊  1945年10月6日(許昌)
●騎兵第4旅団  1946年1月23日(帰徳)
326イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/13(金) 01:59:34 ID:???
以上は、「第5戦区:劉峙」が受降主官です。

【第43軍】

●第43軍司令部および直轄  時期不明(済南)
●第47師団(弘前)  1946年1月31日(済南)
●独立混成第5旅団(宇都宮)  1946年1月23日(滄口)
●第9独立警備隊  1946年1月25日(済南)
●第11独立警備隊  1946年2月5日(兌州)
●第12独立警備隊  1946年1月18日(坊子)
●独立歩兵第1旅団  1946年1月31日(張店)
●青島方面特別根拠地隊  1945年10月4日

以上は、「第1戦区副司令官:李延年」が受降主官です。
327イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/13(金) 02:08:41 ID:???
以上、『支那派遣軍:武装解除』一覧でした。北支那方面軍についての特筆事項は
また明日以降に……。1つだけ先に述べますと、最後に書きました >>326

【第43軍】が山東半島を占領していた部隊になります。『柏崎中隊長』が
いたのが●「独立混成第5旅団(宇都宮)」で、一連の『華北戦記』の著者・
桑島(衛生軍曹)が終戦時に所属していたのが、●「第12独立警備隊」です。

桑島は『柏崎中隊長』の部下でしたが、終戦直前(1945年4月)に編成された
「第12独立警備隊」に転属しています。
328名無し三等兵:2007/04/13(金) 19:28:24 ID:???
武装解除したのに化学兵器を引き渡さずに遺棄したのは悔やまれるな
329俄将軍:2007/04/13(金) 21:23:56 ID:???
日本軍の化学兵器の遺棄が、ビルマや、フィリピン、インドネシアなどで、問
題化していないのは、何故、ということになると、共産中国による日本軍の
化学兵器遺棄を非難しているのは、ということになるのか、などと、嘯い
てみたり。

日本軍は、如何なる部隊も、化学兵器で、武装していたのか、興味深い、とい
うことになるのか、などと、適当な思いつきなど書き散らしてみたり。
330イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 01:31:17 ID:rcyeQ+V2
>>297 >>時系列的には、そろそろ山西軍閥:閻錫山&日本人特務団VS八路軍の
>>話が出そうですね。

北支那方面軍、そして全支那派遣軍を含めて最も「武装解除」が遅い日付になって
いるのが、山西省を占領していた第1軍の

●独立歩兵第14旅団:1946年3月29日(南団柏)

です。他の全ての部隊が1946年1月までに「武装解除」を終えているのに
対して(1つだけ2月の部隊があり)、3月29日の春――。異様に遅いです。

この部隊こそが、山西省の日本兵残留問題の中心部隊の1つとなる「元泉旅団」
(塁兵団)になります。元泉少将を中心に描いた参考文献には、謀本捨三の
『無国籍兵団――少将元泉茜庵の生涯』などがあります。非常に美化して書かれて
ありますが。
331イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 02:01:32 ID:rcyeQ+V2
まあ、この辺は異様にややこしいので別の機会に回しますが、蒋介石は特に
第18集団軍(八路軍)の朱徳・彭徳懐の「正副総司令」に対して、原地を
守備して『待命』し、各戦区の司令長官の指示に従うように厳命しています。

第2次国共合作上、八路軍は本来「第2戦区:閻錫山の戦闘序列下」にある事
1つを取っても、いかに複雑怪奇かが理解できるでしょう。仮に閻錫山の命令が
あれば、八路軍は日本軍の『武装解除』を行なう正式の権限があるはずですが、
無論そんなことは未来永劫あり得ませんw。

「山西モンロー主義」を掲げて、民国当初から国民政府(蒋介石)と不即不離の
(当たらず離れず曖昧な)関係を維持してきた閻錫山ですが、八路軍に日本軍の
武器・装備を渡さないことは共通の至上命題だった訳です。
332イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 02:22:43 ID:rcyeQ+V2
>>309 >>303以降を読んだ所為か昨夜、自分は「見渡す限り薪の如く積み上げられた
>>三八年式歩兵銃」の夢を見ましたw

それでは支那派遣軍の『武装解除』によって国民党軍が接収した武器・装備の
総数とは、一体どれ程のものだったのでしょうか? 統計によると以下の通り。

●小銃:68万5897挺 ●拳銃:5万6698挺 ●軽重機関銃:3万961挺
●各種砲:1万2446門 ●小銃弾薬:1億899万発 ●各種砲弾:207万発
●戦車・装甲車:456両 ●トラック:1万4964両 ●軍馬:7万3886匹
●各種飛行機:1068機 ●原動機船舶:514隻(7.7万トン)

その他「数億ドル」に相当する資材もあり、国民政府の設立以来、1回で獲得した
収入の最大のものだったことは間違いありません。これらの武器・装備が八路軍へ
まともに流出することを阻止できたばかりか、国民政府の軍事的・経済的な実力は
飛躍的に増大します。
333イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 02:33:55 ID:rcyeQ+V2
にも関わらず、これでも最終的に国民政府は八路軍(中共)に敗北する
訳ですから、何とも救いようがありませんw。

余談ですが、最後の支那派遣軍総司令官:岡村寧次(支那通軍人の代表格)
が著しく軽い量刑(戦犯裁判)で済んだのは、降伏後の接収などに対する
『協力的態度』に由来する所が大きいでしょう。
334名無し三等兵:2007/04/14(土) 08:24:09 ID:???
岡村寧次と酒井隆、同じ支那通軍人なのに何で量刑に差が出たんだろ?
酒井は北京機関で何かやらかしたのかな?
335名無し三等兵:2007/04/14(土) 16:17:41 ID:???
>>329
東南アジアで化学兵器を持っていった聞きませんし、中国大陸では引渡しの証拠ないですからね
336イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 22:52:59 ID:PNlDyi3j
>>334 >>岡村寧次と酒井隆、同じ支那通軍人なのに何で量刑に差が出たんだろ?
>>酒井は北京機関で何かやらかしたのかな?

釣りですか?w まあ一応、酒井隆(中将)が法務死(南京軍事法廷で処刑)になった
理由としては大きく2点あります。1つは酒井が支那派遣軍・参謀長時代、「梅津・
何応欽協定」(1936)で、支那側の代表者だった何応欽に対して無礼な態度を
取ったのが、何応欽の自尊心を傷つけて強い怨みを買ったこと。ちなみに、この協定は
支那派遣軍司令官だった梅津美治郎の『留守中』に結ばれました。

2つ目は、酒井は当時の「支那通軍人」としては珍しく八路軍(中共軍)と交渉があり、
酒井は1943年4月に予備役に編入されますが、その後も北支に残って中共と接触を
続けていたことが、『共産党嫌い』だった何応欽をいたく刺激したのです。

その結果、酒井は南京軍事法廷で「死刑第1号」で処刑された挙句、その写真は翌日の
新聞の1面で晒し者となり、遺体は放置されて実質的に『鳥葬』となりました。
337味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/04/14(土) 23:04:06 ID:???
>>332 御疲れ様です
しかし各種砲に対する各種砲弾の平均200発弱もさることながら
小銃に対する弾薬が160発弱とはいささか過小と思われますねw
小銃の数そのものも、支那に展開していた皇軍の員数から見れば
少ないような?流出したのでしょうか?
(通信兵、工兵、機関銃手や砲手等々は持たなかったにせよ)

関東軍の場合接収を担当した赤軍司令官の裁量で八路に渡していたケースが
多々あったようですね。

>これでも最終的に国民政府は八路軍(中共)に敗北する
>訳ですから、何とも救いようがありませんw

内戦勃発当時、国民政府軍は450万前後 片や共産軍は100万そこそこで
しかも装備劣悪・・・
50年代に米国の士官学校で
「如何にして100万が450万を破ったか」を研究したが答えが出なかった
と、90年代に製作された内戦もの支那映画「大決戦」で誇らしげに
言ってましたが、本当にアメリカは敗因の研究したのでしょうかねw
338イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 23:13:07 ID:PNlDyi3j
酒井の遺言の一説にはこうあります。「好きな中国で死んで、私は喜んで
逝きます。〜大好きな日本、私は空とぶ姿でかへる」――享年59歳。

>>岡村寧次と酒井隆、同じ支那通軍人なのに何で量刑に差が出たんだろ?

この2人は浅からぬ因縁があり、酒井隆は岡村が「上海駐在武官」(1924年)
時代の部下になります。岡村の前任者が公金の不当使用で借金をこさえており、
それを見て見ぬ振りをしていた酒井に対して、癇癪玉を破裂させました。

「駄目じゃねえか! 一体どういう心算なんだ!」 岡村の日記には、

「夜、酒井大尉を招致しその一身上のことを議す。彼が信念に欠け、義を
 情で圧迫し金銭を消費する態度は感服せず。されどもこれらはまた、我ら
 同僚の責任の一なれば、彼を指導して世話することとせり。悔悟改悛を
 切望す。後で痛烈なる手紙を(上海駐在武官)前任者、小林に書く。『貯金の
 一部を通じて公金の借金を済ませ』という攻撃文なり――」
339イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 23:27:00 ID:PNlDyi3j
結局、この「公金使い込み」問題を表沙汰にすれば、酒井の将来に傷がつき、
また支那課の恥にもなりますので、岡村は内々に収める事にしました。しかし
裏を返せば、この処置は「岡村が立場上、前任者の借金を引き継ぐ」ことに
なりますので、岡村は上海駐在武官時代、予算で非常に苦労させられます。

「最近もっとも予の神経を刺激せしは、従来の上海駐在武官のダラシなさなり。
 帳簿上9千円の残金あるに、前任者ら喰い尽くし、今や実際の残金は400円
 なりw。後任者の活動力を減殺して恥じざる無節操には驚き悲しまざるを得ず。

 特に『酒井』をいかに指導し今後に善処すべきやは最近のもっとも予の脳裡を
 去来するものなり――」

まあ、その後の『再教育』もあってか、岡村と酒井の上司部下の関係はまずまず
上手くいった模様です。
340名無し三等兵:2007/04/14(土) 23:33:41 ID:r4VjAyUq
三八式で思い出した。日本からそれはそれは遠く離れた
中国で持ち主不明の巨大倉庫が見つかった。
地元の人曰く「昔からアルアル。でも気にしたこと無かった。」
扉を開けてみると大量の日本軍の武器被服が(日露戦争時代の
軍服とかかなりの年代物まで)銃は日本企業が買っていった。
と露天で軍刀を「ナタ」として一振り数百円で売ってるおっちゃんが言っていたとか。
で一振り購入して帰国後に柄の下の部分に刻んである名前の人物を
探したらあっさり見つかった(帰国の記録も戦死の記録もないとか)
さっそく遺族と連絡をとったら「刀なんて気味が悪いから処分しておいて
ください」とあっさり言われた。冷たい世の中だ。

みたいなことが厨房の時学校の図書館からパクった雑誌に出てる。
341イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 23:37:10 ID:PNlDyi3j
酒井の処刑(法務死)は、同日3時に軍事法廷を通じて岡村の耳にも
伝わります。それ以前に、今井武夫少将が戦犯拘禁所を訪問した際に
酒井からの岡村宛の手紙を受け取っていますが、その時の岡村の日記
には「覚悟の程はまことに立派なのに感服もし安心もした」と書かれて
いました。

しかし処刑当日の日記には、ただ一言、『感無量』とだけあります。
上海駐在武官以来の想い出が甦ったのでしょう。
342イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 23:54:54 ID:PNlDyi3j
>>337 >>しかし各種砲に対する各種砲弾の平均200発弱もさることながら
>>小銃に対する弾薬が160発弱とはいささか過小と思われますねw

まあ、全部を「足し算」していったものですから、>>337 で挙げた数字が実体を
表しているかどうかは鵜呑みに出来ないでしょう。大体この統計は支那側のもの
ですから、過少申告・過大申告など「人為的な思惑」が反映されている可能性も
大な訳です。上が喜ぶであろう数字を報告するのが下の役割ですからw。この辺は
現代中国のGDP成長率が当てにならないのと一緒です。

ただ元ネタの統計は、中国陸軍総司令部編の『(連合軍)中国戦区中国陸軍総司令部
受降報告書』(南京、1946年)で、一連の受降直後にまとめられたものですから、
まあ、当たらずとも遠からずだと思います。

とはいえ、下1桁までハッキリしている統計は、どこか胡散臭いと疑ってかかる
クセは必要でしょう。また砲や小銃自体、あるいは砲弾等はきちんと数を算える
でしょうが、小銃『弾』など真面目に一発一発、見ているとは到底思えません。
それも支那人がw。日本人ならともかく。どんぶり勘定で過小な数字になっている
のかもしれません。
343イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/14(土) 23:57:04 ID:???
>>337 >>50年代に米国の士官学校で「如何にして100万が450万を破ったか」
>>を研究したが答えが出なかった

つヒント:『オセロゲーム』w。
344イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/15(日) 00:33:55 ID:caLKHql8
これ以上は『北支の治安戦』テーマから逸脱しますので、詳しくは触れません。
いつか、『敗戦後の支那派遣軍』というテーマで取り上げるでしょう。

1つだけ重要な点を指摘するならば、蒋介石(国民党軍)にとって日本の降伏
(ポツダム宣言受諾)は、あまりにも突然で早過ぎたものだったのです。

日本軍とその占領地の接収がまったく準備できておらず(距離的にも)、米軍の
援助を借りて3個軍を北京・南京・上海など要所に空輸するほか、数ヶ月をかけて
40万〜50万の兵力を海路で運びますが、肝心の陸上鉄道路が八路軍の妨害に
遭うなどして、接収部隊が一向に北上できません。

蒋介石の代理人である何応欽も、国民党軍の接収を受けるべく一地点に集結した
日本軍に対して、「結集を一時的に中止し、もとの配置を維持して、要地要路を
堅守して、鉄道交通を回復させ、地方秩序を維持せよ」と岡村寧次に命じざるを
得ませんでした。まるで『注文の多い何たら』ですw。
345イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/15(日) 01:01:59 ID:caLKHql8
結局、中共軍の勢力拡大(日本軍が敗れた後の真空地帯を埋める)を
防ぐためには、戦争が終わってからも引続き日本軍の力に頼らざるを
得なかった(責任者として岡村寧次)のが、その後の戦犯裁判にも
大きく影響しています。

北支ではそれが著しく、例えば河北省では全132県の内、94県が
国民政府の「待機命令」を無視した八路軍によって占領されてしまい
ましたし、同様に山東省では都市90%が中共の支配下に置かれました。

こうした『敗戦後の治安戦』のために、「元」日本軍の戦死傷者は
7千人にも達した訳です――。
346イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/15(日) 01:22:27 ID:caLKHql8
余談ですが、少し前に書名を挙げました『東京裁判の謎を解く』(別宮暖朗、
兵頭二十八著)は、東京裁判が『支那側の復讐裁判』であることを、丹念に、
「支那通軍人」も個別に取り上げて解説している本スレのお勧め本の1つです。

従来、東京裁判は「勝者の復讐裁判」であることが強調され、かつ非難も度々
されていましたが、その相手をアメリカだと思い浮かべる人が大多数では無かった
でしょうか。この本では、支那側(国民党側)の主張がどう東京裁判に反映されて
いるかがよく理解できるでしょう。

終戦時の支那派遣軍総司令官だった岡村寧次が、いかに厚遇されたかは既に
述べましたが、その一方で蒋介石は、日本の降伏直後から「近衛文麿、本庄繁、
土肥原賢二、板垣征四郎、松井石根、広田弘毅、影佐禎昭、磯谷廉介、和知鷹二、
酒井隆、喜多誠一」を含む戦犯リストを米国に渡して、引渡しを求めています。

A級戦犯刑死7人の内、「支那通軍人」が3名を占めている意味をもっと
考えるべきなのでしょう。
347イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/15(日) 01:25:18 ID:???
>>346 >>東京裁判は「勝者の復讐裁判」であることが強調され、
その相手をアメリカだと思い浮かべる人が大多数

これは戦後の人間もそうですし、実際に裁判を受けた当時の人間も
誤解していた――、というのがこの本の骨子です。
348イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/15(日) 01:54:16 ID:???
最後に少し横道にそれたような気もしますが、『北支の治安戦』テーマは
これにて終了です。チャンチャン。
349名無し三等兵:2007/04/15(日) 02:07:29 ID:???
イナゾウがこのスレで頑張ってるのはわかるが、変なイデオロギーにさらされてて中国人が絡むと電波を発しだす。
そのため前の方はそれなりに説得力があったが、最近は電波とそれ以外の区別をつけるが難しい。
まあ、こんな事をレスしてもイナゾウは電波を発するのだろうが。
限界点というレスがあったが、電波発生の境界線が正しい。
日本軍の内部だけを語って欲しいものだ。
それなら大いに為になりそうだ。
350翡翠(星砂) ◆F1KoBsy57M :2007/04/15(日) 02:43:16 ID:2unjtR5q

>露天で軍刀を「ナタ」として一振り数百円で売ってるおっちゃんが
未使用新品なら一振りほしいなあ。

>上が喜ぶであろう数字を報告するのが下の役割ですからw。
>この辺は現代中国のGDP成長率が当てにならないのと一緒です。
戦史(中国)研究はそこが面白かったり、ですね。

>349
や、此方も手持ちの資料と首っ引きで楽しむと◎かと思いますですよ。
スレ汚ししたくないので脳内会話を楽しむやからの戯言ですが^^
351味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/04/15(日) 09:50:25 ID:???
>『北支の治安戦』テーマは
これにて終了です。チャンチャン。

中佐殿、ホントにホントに御苦労様でしたw
次のテーマを楽しみにしております。
治安戦に不甲斐なかった南京政府軍があまり登場しなかったのが心残りですがw
352名無し三等兵:2007/04/15(日) 15:06:36 ID:???
>>349 デムパ デムパと言ふ輩に限って、真性のデムパ信者だといふのが 2chクオリティw

>>340 “軍刀を「ナタ」として一振り数百円で売ってるおっちゃん”

1980年代初頭ならともかく、今の中国で日本軍の軍刀はそれなりの値打ちモノとして認識されている。
今だと本物の満鉄刀が万元単位で取引されてるから、“天皇”なんてとんでもない刻印の施された偽物が売られていたりする。
勿論、それなりに騙せるだけの中国人や外国人観光客がいるからだが、たまに日本人で騙されてる香具師もいるw

全く、昭和は遠くなりにけりだな。 昭和ロマンなんて言葉、リアルで昭和30年代を知ってる世代にとっては当惑するだけだよww
353イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/15(日) 21:33:09 ID:9QiR1xdO
>>350 >>スレ汚ししたくないので脳内会話を楽しむやからの戯言ですが^^

旧字でなければ大歓迎です。

>>351 >>治安戦に不甲斐なかった南京政府軍があまり登場しなかったのが
>>心残りですがw

まあ、北支ですからねえ。せいぜい県の保安隊レベルです。自分があまり
南京政府軍について詳しく無いのもありますけどw。

>>352 >>全く、昭和は遠くなりにけりだな。 昭和ロマンなんて言葉、
>>リアルで昭和30年代を知ってる世代にとっては当惑するだけだよww

Hジェネレーションとか云いますが、もう2、3年で平成生まれの新人が
入って来る時代ですからね。つーか、短大出の一般卒ならもう来年か…w。

     ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ
   | i.|ノリハノリ〉   
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノii   やれやれ。ようやく終わりましたか。去年の12月から
 ゝ,<,⊃〔i◎〕   始まって、もう4月の半ばですよw。長かったですねえ。
.   `,(./~/:ハ    最後に戦犯の話も出ましたけど、よく『大尉』が法務死
   `'ィ ァ~ィ ァ´   (処刑)を遂げなかったのか不思議でなりません。本編に
    T  T      登場した『柏崎鬼子』こと柏崎中隊長も結局、消息不明の
            ままに終わっていますしー。大尉の中隊に取り憑いていた
            幽香さんは何かご存知ではありませんか?

      ,  ‐‐-、___
    /   ., '´⌒⌒ヽ
   ./   、 i´ )ノ)ノ))ハ)    ああ、大尉は戦争が終わる直前に、
   ||     メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl)    「陸大に合格したお!」 と突然叫んで
   ヽ.   _Q)#」ネl」)つ    忽然と中隊から姿を消したわ。残された
      ̄ ,<´_#,#ハ     兵士はもうあんぐりよ、呆然。「一体いつ
        ` "i_フ_フ"     受験してたんだ?」って騒ぎになったわw。
                  大尉とはもうそれっきり。  

     ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ
   | i.|ノリハノリ〉_   
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノiiノn   え? じゃあ「敵前逃亡」の可能性も高い訳ですね?
 ゝ,<,_,i`ハ´i,〕ツ    敵前逃亡は軍法会議のうえ銃殺ですね。今まで大尉は
  `,し/~/:ハ      戦犯逃れのために『潜行三千里』していたことに、わが
   `'ィ ァ~ィ ァ´    『文文。新聞』ではなっていたのですが(その方がネタと
    T  T     して面白い)、囲み記事程度には使えそうな新情報ですねw。
357イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/15(日) 23:44:58 ID:ciJaP9Le
別に自分は「敵前逃亡」も「奔敵」もしていません……w。少し閑話休題を
挟みまして、新テーマに移りたいと思いまふ。まずは、>>272 で予告しました

>>ただし支那派遣軍の日本軍将兵がみな、このような「恵まれた扱い」を
>>受けた訳では全然ありません。詳しくは別項で述べますが、言語に絶する
>>『極悪な』収容所生活を送った部隊も多くあったのです。

から始めたいと思います。「北支の治安戦」テーマ自体は終わりましたが
近接の話題として、かなり参考になるでしょう。「伏線」というか前振りと
しまして、前スレの >>829 でも取り上げました
358名無し三等兵:2007/04/15(日) 23:57:27 ID:???
>>336 酒井隆と中共にはパイプがあったとの事ですが、これはどういったレベルだったのでしょうか?

華北の日本軍と中共のパイプといえば、匪賊経由での阿片-兵器バーター取引くらいだと思いますが、酒井隆のラインはそれとは別の種類だったろうと思いますが...
359イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/16(月) 00:00:53 ID:ciJaP9Le
前スレ814 >>「日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還」
>>(川崎春彦著、光人社NF文庫)の話なんですか?

>違うでしょう。関係ありませんけど、この本も大変面白い本です。終盤までは
>ごく普通の戦記本なんですが、最後の最後で大ドンデン返しがあります。ちなみに
>サブタイトルの「生存率1000分の3からの生還」とは、著者と同時期に第58
>師団(熊本)に入隊した初年兵1000人は著者も含めて3人しか生きて帰れなかった
>という意味です。はて? そんなインパールや東部ニューギニアみたいな戦場が支那戦線に
>あったかしらん? 大げさじゃないかしらん? と思っていると最後に分かりますw。

からスタートです。
360イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/16(月) 00:26:07 ID:VfwAnqFf
>>336 酒井隆と中共にはパイプがあったとの事ですが、これはどういった
>>レベルだったのでしょうか?

スイマセン。具体的にどのような内容だったかまでは分かりませんw。
ただし支那派遣軍は、終戦末期に中共に対しても「和平工作」を模索して
いますが、それまでほとんど真剣にやって来なかったために、ほとんど
手探り状態から始まっていますw。

もし酒井が有力なパイプを持っていたとしたら、当然お呼びがかかった
でしょうから、逆説的に言えば(そうでないという事は)所詮その程度
だったと思われます。下手したら「個人レベル」のものかもしれません。
361名無し三等兵:2007/04/16(月) 21:31:15 ID:???
↑なるほど。やはり個人レベルでしょうか。

「戦場の狗 : ある特殊諜報員の手記 / 和気シクルシイ著.東京 : 筑摩書房,1993.」
という本に、大戦中の延安に潜入した様子が記されています。

軽機を据えたトラックに、匪賊(緑林の徒と言われてました)が物資を満載して行商に行っていたようです。

こうした匪賊達が中共の栽培した阿片を華北の日本軍に売り、代金として更新の対象だった三八式歩兵銃や十一年式軽機を手に入れ、中共の主装備を拡充させて行ったようです。

この阿片が紙切れ扱いだった軍票片手の徴発に依存していた日本軍にとっての“ハードカレンシー”となって兵站を支えていた訳ですが...

終戦後、華北では憲兵達の羽振りが良かったという話も聞きました。

なんでも、城市の入り口に張った検問で通行人から没収した“辺区券”(中共発行兌換紙幣)を溜め込んでいたおかげで、軍票も使えず徴発も出来なくなった一般の部隊を尻目に、豪華(と、一般兵士には見えた)な食生活を送っていたそうです。

“辺区券”は地主から没収した銀を元手にしていたので、国府中央銀行発行の金兌換紙幣であった法幣に次いで信用のある紙幣だったようです。

日本軍は広大な占領地を有しながら、日本円より強い法幣に支えられた国府政権の経済基盤を切り崩せず、ついには偽札製造に乗り出しますが、これも結局は物資購入費に充てられてしまい、通貨破壊には至らず最後まで法幣依存から脱却できませんでした。

日本製原爆計画の出発点となった酸化ウランも、偽札によって上海の重慶政権筋から入手されたものだったようです。
362イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/16(月) 23:10:03 ID:pRi+Y2+z
>>361 ああ、そういうお話をされると以前に『幣制改革』のテーマで俄将軍と
禅問答しつつ中途で頓挫してしまったトラウマが甦る……w。この手の経済話に
興味がある方は、過去スレの初めの方を探してみて下さい。あるいは主計少将と
して南京国民政府の「財政・軍事顧問」を務めていた岡田酉次の『日中戦争裏方記』
が大変参考になるでしょう。

>>この阿片が紙切れ扱いだった軍票片手の徴発に依存していた日本軍にとっての
>>“ハードカレンシー”となって兵站を支えていた訳ですが...

「阿片=ハードカレンシー」の視点は非常に重要です。日本軍のみならず通貨が
当てにならない辺鄙な地域では、阿片を持ち歩いた方が「絶対確実」なのです。
そういえば遥か昔に『日本軍と阿片問題』のテーマをやるとかいって、随分放置
していたのを思い出しました。なんか急にやりたくなって来ましたよ。
363イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/16(月) 23:35:16 ID:pRi+Y2+z
久しぶりに経済問題を扱うのも良いかもしれません(幣制改革自体はもう
コリゴリですがw)。けれども『北支の治安戦』(三光作戦)テーマと同様、
日本軍の暗部というか恥部にも大きく触れる事になりますので、かなり
暗い話だと感じる人が出てくるでしょう。

まあ、自分に言わせれば「何を女々しいことを! 我々は参謀本部第二部
支那課だぞ? 暴力と謀略を呼吸するかのように行なう『支那通』の集団に
かね? 自称『健常者』諸君!」な訳ですがw。

>>こうした匪賊達が中共の栽培した阿片を華北の日本軍に売り、代金として
>>更新の対象だった三八式歩兵銃や十一年式軽機を手に入れ、中共の主装備を
>>拡充させて行ったようです。

背に腹はかえられない。大事の前の小事。無い袖は振れない。
後は野となれ、山となれw。
364イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/16(月) 23:39:34 ID:???
『上海航空決戦』と『日本軍と阿片問題』どっちにしようか……w。
365名無し三等兵:2007/04/16(月) 23:47:54 ID:3JXIGGXe
オススメの日中戦争の記録写真集みたいなものありませんか?
366イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/16(月) 23:55:54 ID:pRi+Y2+z
>>359 の続き。>>著者と同時期に第58師団(熊本)に入隊した初年兵
>>1000人は著者も含めて3人しか生きて帰れなかった

『日中戦争1兵士の証言――生存率1000分の3からの生還』の続きです。
結論から先に言ってしまうと、敗戦後の収容所生活が極悪で、著者が所属した
部隊1200人の内で生き残れたのが僅か350人。4分の3近い850人が
「栄養失調」と「伝染病の回帰熱」で終戦後に死んでしまったのです。

南方戦線の収容所の話ではありませんよ。支那戦線の中支での話です。とくに
若年兵は収容所でもキツイ作業が回ってくる(死んだ戦友の遺体焼却など)ので
余計に衰弱がひどく、似たような状況だった同じ第58師団の他の部隊を見ると
結局、著者と同年兵だった1000人の内、3人しか生き残れなかったという
お話なのです。
367イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/17(火) 00:13:35 ID:aFs2FcMZ
>>はて? そんなインパールや東部ニューギニアみたいな戦場が支那戦線にあった
>>かしらん? 大げさじゃないかしらん? と思っていると最後に分かりますw。

というのは、こういう意味ですw。戦時中の作戦ではなく、捕虜収容所内の極悪な
待遇だった訳です。映画の『シックスセンス』みたいな結末です。『サイン』でも
『アンブレイカブル』でも何でも良いですがw。

>>365 >>オススメの日中戦争の記録写真集みたいなものありませんか?

あなたの要求するレベルがどの程度のものか分かりませんが、入手の容易さと
安価さで言うなら、『図説 日中戦争』(ふくろうの本:太平洋戦争研究会著、
河出書房新社)で十分です。特殊な版型と、やや詰め込みすぎな本文レイアウト
のためザッと横目で流してしまいがちですが、結構な量の写真が掲載されています。

あとは、『1億人の昭和史 日本の戦史 日中戦争』シリーズが大版で写真のみ
ならず資料も充実しているでしょう。ややカビ臭いですがw。古本屋で入手可能。
368名無し三等兵:2007/04/17(火) 00:44:33 ID:Bnq2n68r
http://www.youtube.com/watch?v=vJLa6MUO9So
↑シナ人がうpされた動画に発狂w
369名無し三等兵:2007/04/17(火) 01:53:36 ID:???
日本政府 東シナ海の試掘検討 中国「春暁」に対抗 [04/06/10]
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1086801006/
日本政府 "中国に「ガスを吸い取られる」" 7日から東シナ海のガス田調査 [04/07/06]
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1089106684/
中国船艇、日本政府の調査妨害…東シナ海ガス田海域で [04/07/13]
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1089670297/
【ガス田】中国新鋭の駆逐艦、東シナ海ガス田付近で確認 [05/01/24]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1106579088/
日本の行動は「重大な挑発」…東シナ海ガス田試掘権で、中国が強く抗議 [05/04/13]
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1113445323/
軍艦に妨害されても東シナ海のガス田試掘/帝国石油、作業実施に意欲 [05/08/26]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1125078533/
「春暁」ガス田に、中国軍艦5隻…海上自衛隊が確認 [05/09/09]
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1126276371/
"東シナ海のガス田に、中国軍艦"…「武力で日本に開発中止要求なら、遺憾」と経産省幹部 [05/09/11]
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1126418649/
【ガス田】武力衝突の可能性も 日本が試掘に踏み切れば [05/10/01]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1128128201/
【ガス田】中国軍艦が砲身向け威嚇…警戒監視中の海自機(P3C哨戒機)に [05/10/01]
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1128183789/
   ∧∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  / 中\ <  軍事衝突をチラつかせれば、
 (  `ハ´)  \平和国家の小日本は抵抗してこないアル
 ( ~__))__~)     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 /∧_〃_|
 (__)_)

♪  ∧_∧                ∧,_∧ ♪
   ( ´∀` )))            (( (    )
 (( ( つ ヽ、 ♪ あばばば♪  ♪  /    ) )) ♪ ほすほす♪
   〉 と/  )))   ウヨ脂肪 ♪ (( (  (  〈      ほすほす♪
  (__/^(_)     ウヨ脂肪 ♪    (_)^ヽ__)
370名無し三等兵:2007/04/17(火) 11:20:13 ID:???
生存率1000分の3

南京大虐殺のバチが当たったんだよ
371名無し三等兵:2007/04/17(火) 20:16:33 ID:???
生き残った人が居ること自体奇跡だが
372名無し三等兵:2007/04/17(火) 20:41:07 ID:???
>>364 是非、阿片モノにしませうw
日本人阿片王だった里見氏の話や、国府禁煙局vs関東軍の阿片販路競争とか...
373イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/17(火) 22:34:09 ID:Bp/8/zW5
>>367 の続き。『日中戦争1兵士の証言――生存率1000分の3からの生還』の
著者は「川崎春彦」(以後、川崎)という人物です。現役兵として1943年に鹿児島
第6師団に一旦入営したのち、第58師団(熊本)に初年兵として中支に配属されます。

1944年に「大陸打通作戦」で軍医伝令として勤務したのが縁となり、1945年2月の
再編成で第58師団・独立歩兵第517大隊に『衛生兵』として転科します。この
「独歩517大隊」は新兵400名を含む「約1300名」の兵力で、20名の
朝鮮人現役兵も混じっていました。

川崎の最終階級は「衛生兵長」ですが、先の「北支の治安戦」テーマで取り上げた
『華北戦記』の桑島(衛生軍曹)と同様に衛生兵です。結論から先に述べてしまうと
川崎が極悪な収容所(抑留)生活で辛うじて生き残れたのは、衛生兵という立場に
よるところも大きかったでしょう。
374名無し三等兵:2007/04/17(火) 22:43:26 ID:???
芋焼酎
375イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/17(火) 22:54:27 ID:Bp/8/zW5
さてこの「独歩第517大隊」ですが、大陸打通作戦後は屈指の激戦地だった
『衡陽』を右に折れ、広東方面へと進出することになりました(1945年4月)。

衡陽から広東への道中は「日本軍未踏の地」であり、匪賊・新四軍・国府軍
入り混じった極悪地帯です。特に新四軍が多く、同じ民族でありながら集落を
急襲しては掠奪・暴行を繰り返すなど、自警団どころか正規軍である国府軍も
恐れて手を出せない状況でした。北支ですと八路軍の規律は厳格であるという
話もチラホラ出てきましたが、同じ中共系とは思えない残忍ぶりです。

実際、川崎の「独歩第517大隊」も広東への道中で「新四軍」と激戦を
繰り広げます。ところが山中で約3万人もの新四軍の大部隊に包囲されて
全滅の危機に陥ります(自軍は千人強)。日本がポツダム宣言を受け入れて
降伏した1945年8月15日前後は、包囲網から逃避行する真っ最中で山中を
駆けずり回っている状況ですw。もはや衡陽に一時反転する決意をしました。
376イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/17(火) 23:12:27 ID:Bp/8/zW5
9月に入っても「独歩第517大隊」の山中での逃避行は続きます。ある日、
小高い山頂に出たところ、通信兵が無線連絡して友軍とようやく交信する事が
できました。何とこの部隊は、今もって終戦を知らなかったのです。

とはいえ充分な情報が得られません。取りあえず「8月15日戦争は終結した。
勝敗は不明だが敵もまだ知らない様子だから、たとえ敵襲があっても発砲は禁止。
交戦を避け、犠牲者が出ぬよう心がけて順次、衡陽方面に集結せよ」との概略
だけが分かりました。

「敵襲があっても発砲は禁止」というところが、トンデモない命令ですw。それに
しても夢にも思わない突然の終戦ですが、肝心の勝敗が気になりました。このとき
支那戦線の兵士たちは、今まで戦えば必ず勝ち、負ける事を知りませんでしたので

「おそらく日本が勝って終戦になったのであろう。すると近日中に凱旋して
 米英支を領土にできるかも知れない」などと、ノホホンと考えていたと云います。
377イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/17(火) 23:30:24 ID:Bp/8/zW5
『知らぬが仏』とは正にこの事です。況や大隊のその後の抑留生活をや。

その後も山中の逃避行は続き、9月16日になって初めて「日本軍は無条件
降伏、敗戦国となった。残念であるが長沙市北東200キロの衡山県に師団
全部隊が集結して武装解除せよ」との指令を受け取ります。

逃避行が始まってから1ヵ月余り、部隊長からの発表でまさかの敗戦を知り、
将兵すべてが愕然となり男泣きに啼いたと云います。

山中を駆けずり回ったせいで、炊飯は時間も場所もなく、乾パンで過ごす日が
ほとんどでした。糧秣の補給もまったくのゼロで、持参の米も乾パンもほとんど
底を尽き、大隊に『飢餓の危機』が目前に迫ります。

最初の交信で下手に終戦を知ったため、集落からの「徴発」も出来る限り控えていま
した。そこに敗戦の報ですから、まさに踏んだり蹴ったりです。シャレになりません。
378イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/17(火) 23:46:01 ID:Bp/8/zW5
唯一の救いは、敵方も終戦を知ったため攻撃が止んだことです。炊飯は
遠慮なく出来るようになりました。とにかく師団の集結地にまで何とか
たどり着けさえすれば、糧秣の補給は叶うはずです。それまでは僅かに
残った手持ちの米で、命を繋ぐ以外に方法はありません。

各隊は山中でキジ・鹿を撃ったり、犬・猫・蛇・蛙などを捕獲して僅かに
飢えを凌ぎます。野菜が畑にない時は野草を取り、必死で行軍を強行し、
3週間後の10月中旬にフラフラの餓死寸前の状態で、師団集結地である
衡山県に到着しました。そこで糧秣の支給を受けて、九死に一生を得ます。

まあ、この辺は「南方戦線」の食糧事情に比較的近い状況ですねw。さて
前テーマの最後にまとめた「武装解除一覧」を見ますと、

●第58師団(熊本)1945年10月11日(孔竜鎮)とあります。

どうも川崎の「独歩第517大隊」だけが取り残されていた感があります。
379イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 00:05:35 ID:lrw25gqv
事実、第58師団(熊本)の他の部隊はとっくに「武装解除」を済ませ、
どこかの捕虜収容所に出発した後でした。

川崎の「独歩第517大隊」も武装解除を受けますが、支那人将兵監視のもと
自分の分身のように肌身離さず抱えていた「三八式歩兵銃」を手放した際には
涙が押さえきれず、『菊の御紋』に手を合わせたと云います。やはり武装解除
を受けるときが『敗戦』の実感(屈辱)を一番ともなうようです。

また、このとき「朝鮮人の兵隊」だけは別扱いとなって日本兵から分離され、
その後の処遇は不明とされます。

結局、川崎の「独歩第517大隊」は長江沿いの九江市付近に収容(抑留)
されることが決まり、長い長い移動のための行軍が始まります。日本兵の
「生殺与奪の権」は前後を警備する国府正規軍に握られ、毎日テント生活です。
それでも戦争は終わり、生命の危機は一応は去りました。徴発という名の略奪
からも解放されて、不満の野宿ながらも最低限の生活だけは確保されました。
380イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 00:18:18 ID:lrw25gqv
ただし、川崎ら「独歩第517大隊」の将兵は後で思い知ります。この行軍
での食糧事情が、「捕虜収容所」に比べていかに恵まれたものであったかを。

長い長い移動を終えて11月10日夕方に、捕虜収容所がある江西省都昌県
南山へと到着しました。ほぼ1ヵ月かかった道程でした。

近くには集落も部落も何もありません。ただ湖畔の原野で、後方には緩やかな
低い山があります。宿舎らしき建物はどこにも見当たりません。こんなところで
これから先、一体どうやって暮らすのか? 大隊将兵一同、呆然としました――。
381名無し三等兵:2007/04/18(水) 04:41:37 ID:???
大和で泣いたという馬鹿なウヨッコロのいるスレはここですかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
382名無し三等兵:2007/04/18(水) 07:44:13 ID:iK6pywvn
九江なら駐留したことがあります。
揚子江の水運に恵まれたかなり大きな船舶が遡行して行けます。
数千年の古都で、史跡も豊かです。
地形もなだらかで、農耕に適します。
383イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 22:44:00 ID:???
>>372 >>是非、阿片モノにしませうw 日本人阿片王だった里見氏の話や、
>>国府禁煙局vs関東軍の阿片販路競争とか...

うーん、どうしましょう。まあ、自分もあまり詳しくありませんので「国府
禁煙局」とか、とても追い切れないと思いますがw。
384イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 23:06:38 ID:tywAef+U
>>380 の続き。まあ、今までは長い前振りです。ここからが本番なのですが、
『短期集中連載』とでも思ってくらさい。南山の捕虜収容所(?)に到着した
川崎(衛生兵長)が所属する「独歩517大隊」に対して、国府軍の正規将校は、

「この柵の中が捕虜として収容される区画だ。後方の小山を全部やるから、木を
 切って建物をつくり、生活せよ。食糧は1人1日300グラムの米と野菜、魚、
 塩は支給する。そのほか炊事用の大きな釜と鍬を貸与する。直接監視はしない
 から、命令あるまでここで自由に生活せよ。匪賊の警備は我が軍がする」

との説明がありました。与えられた土地は2万坪ほどしかない狭い土地だったと
云います。1坪は約3.3平方メートルですから、単純計算で6万6000平方
メートルの面積に相当します。広大な土地のように思えますが、2辺が330
メートル×200メートル、東京ドームの面積が約4万7000平方メートル
ですから、よくある喩えでいうなら『東京ドーム1.5個分』の面積です。

ここで大隊1200名が長期間、抑留生活する訳ですが、広いか狭いかは微妙でしょう。
385イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 23:10:00 ID:???
ヴァージニア州の銃乱射事件について――。

ほんとに韓国人は『人のせいにする』しか能が無いですね。
386イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 23:28:32 ID:tywAef+U
>>384 >>食糧は1人1日300グラムの米と野菜、魚、塩は支給する

主食となる米ですが、いわゆる米1合が約150グラムですから、この
捕虜収容所では1人1日2合の割り当てとなります。米1合のカロリーが
約570キロカロリーですから、約1040キロカロリーに相当します。
炊いたご飯に換算すると、茶碗4〜5杯分といったところでしょうか。

成人男性が1日に必要とするカロリーが、よく運動する人で最低2500
キロカロリー(捕虜収容所内では後で述べるように苛酷な作業ばかり)です
から、他に野菜・魚・塩がつくといっても(まさか信じてはいませんよね?w)、
この時点ですでに嫌な予感しかしませんw。

さて、とにかく場所が決まったのですから、早速、屋根のある建物の設営に
移らなくてはなりません。せめて大工道具があれば助かるのですが、金づち・
クギ・のみ・ノコギリなど何一つなく、藁さえもありません。ほぼ原始時代に
近い状態で、大隊1200人の住居を作らなくてはならない訳です。
387名無し三等兵:2007/04/18(水) 23:36:08 ID:???
>ほんとに韓国人は『人のせいにする』しか能が無いですね。
いやいやいや、本当に楽しむべきトコロはそこじゃなくて。
既に米国籍を取得した米国人であるのに韓国大使館が動いているという喜劇ですよ。
結局、香具師らは国籍(nationality)や市民権(citizenship)よりも民族(ethnic)で
動いている連中であることを最も喜劇的な手法で証明してしまっているところではないでしょうか。
ロバート・キム事件でもそうですが、この手の国は米国エリートから相当嫌われます。

一方われらが支邦人は、明確に共産党のスパイでなければ金儲け以外の目的でスパイすることは少ないそうです。
尤も、その共産党のスパイが多すぎるわけですが。
388イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 23:46:11 ID:tywAef+U
唯一の刃物は、将校が『折損』することで所持が許された『軍刀』のみです。
これをナタ代わりにして、近くの山に登り、松の木を大量に伐採にします。
軍刀でどうやって木を切れるのか不思議でしょうがありませんが、人間知恵を
絞れば何でも出来るのでしょう。枝を払って『人力』で収容所まで運びます。

将校も手伝いますが、一部の者はススキや草を刈り取り、半乾燥させて束ねて
『縄』を結います。ホントに原始時代に戻ったかのようですw。クギがありま
せんので、材木の結合部分も縄で結びます。それでも10日ほどで、普通の
丸太小屋より遥かに粗悪な住居の骨格が、6棟できあがったと云います。

屋根と壁と床は『ススキと草』を敷きますので大量に必要になります。もちろん
それらは極端に不足しまして、屋根に敷くので精一杯。壁はスキマ風が
吹き込み、床は地面がむき出しの粗悪な状態です。

次に炊事場ですが、泥で小石を固めてカマドを作り、大きな平釜を据え付けて
曲がりなりにも生活の場を確保した訳です。
389イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/18(水) 23:49:32 ID:???
>>387 >>いやいやいや、本当に楽しむべきトコロはそこじゃなくて。
>>既に米国籍を取得した米国人であるのに韓国大使館が動いているという喜劇ですよ。

>>結局、香具師らは国籍(nationality)や市民権(citizenship)よりも民族(ethnic)で
>>動いている連中であることを最も喜劇的な手法で証明してしまっているところではないでしょうか。

うーん、参考になりまふ。
390名無し三等兵:2007/04/18(水) 23:49:52 ID:???
>>387 多少報道されている事実と異なるようです。

永住市民権を有する韓国人であり、国籍は韓国のままです。
犯人は8歳のときに米国へ移住。
391387:2007/04/18(水) 23:56:56 ID:???
申し訳ありません。謝罪して訂正させて頂きます。
犯人は永住権のみ保有でした。
朝テレビで見たのをうろ覚えしてたみたいです。
あんま引っ張りたくないのですが、お詫びがてらに・・・。

(ブッシュ大統領が『一発で33人…これでわが国の銃器技術の優秀性をもう一度…』というコメント
を出す漫画を載せた新聞に対して非難が殺到した件について)
「漫評がすでに米国のニュースサイトに広まっており、米国にいる日本人学生らは今、
この絵を周囲の人に回すのに忙しい。一方、韓国人学生らは外出もままならない状態だ」と語った。
ttp://www.chosunonline.com/article/20070418000064
一言で言えば自意識過剰です。
392名無し三等兵:2007/04/19(木) 00:02:49 ID:???
やつらの狼狽振りが普段のありかたを
いみじくも物語っている。
393イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 00:07:01 ID:QyCiO8+6
川崎は、戦時中の行軍なら『清室空野』で誰もいなくなった支那人の家屋に
泊まることが出来たのに、今では夢のようだと振り返ります。

捕虜収容所近くの山は、ほとんどの樹木を切り倒し、下草も刈り取ったので
禿げ山になってしまいました。まるで今の北朝鮮のようですw。唯一の救いは
日本よりも温暖な中支の気候で、(1945年)11月になってもそれほど
寒くならず、何とか野宿で凌いで、ようやく小屋のような宿舎に入れました。

ところが肝心の食糧が、国府軍側からマトモに支給されません。川崎の回想では
『ご飯は茶碗の半分ぐらいしかなかった』とありますが、これは1回の食事なのか
1日の食事なのか、記述が曖昧です。もし後者だとしたら、『悪夢』以外の何物
でもありませんw。たとえ前者だとしても、1日で茶碗1.5杯――。

当初の約束の「1人・1日300グラム:米」の3分の1から4分の1に
過ぎない計算になります(注:精米と炊いた飯は体積が違う、約2.5倍)。
394イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 00:12:27 ID:???
・゚・(つД`)・゚・ まあ何にせよ、ホロコーストを生き延びたユダヤ人教授の
最期が、キチガイ韓国人に撃ち殺されるなんて、余りにあんまりですw。

事実は小説より奇なり。ほんとうに喜劇としか言いようがありませんw。
395イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 00:25:27 ID:QyCiO8+6
野菜は「青菜」類が、週に1回だけ支給。ただし、千切りの干し大根だけが
俵詰めで山のように大量にあったと云います。

また、今まで見たこともない1メートルほどの巨大な魚が『1個中隊100人に
1匹の割合』で与えられました。舐めてんのかw。ちなみにこの魚は頭ばかり
大きくて、食用できる部分は4分の1程度でした。

肉類は全くありません。馬を喰おうにも「武装解除」の際にすべて没収されて
しまいました。他には何にもありませんw。何にもです。

干し大根だけが大量にあっても、蛋白源が致命的に不足し、栄養面と絶対量が
不足していました――。
396イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 00:37:34 ID:QyCiO8+6
捕虜収容所にたどり着くまでの1ヵ月の行軍よりも、『食糧事情』が極端に悪化
したので、川崎は不思議に思っていたのですが、その理由はごくごく単純でした。

国府軍の「支給担当責任者」が、捕虜収容所の日本兵に渡るはずの食糧をピンハネ
して業者に「横流し」していた訳です。もう支那人のお決まりのパターンですねw。

戦時中は、自軍の将兵向けの食糧さえもピンハネしていた訳ですから、捕虜収容所内の
日本兵の分を横流しするなんて、お茶の子さいさい、赤子の手を捻るようなものですw。

絶対的な空腹のなか、毎日住居作りに日本兵たちは追われますが、5日目あたりから
体力が限界に達して衰弱し、倒れる者が続出しはじめました。
397名無し三等兵:2007/04/19(木) 04:31:45 ID:???
極亜のネトウヨのような台詞を吐くのはどうなのか。
398真実一路:2007/04/19(木) 11:58:50 ID:???
女は足が遅い、力が弱い。身支度に時間が掛かる。トイレが遅い。生理に成る。妊娠する。
男とトラブルを起こし、和を乱し戦意の低下を招く。
男性が無駄に戦意を高揚させ、冷静さを失わせ無謀な突撃等を起こす。
女性が戦場で倒れた場合、助けようと男性が無謀に突撃しさらに犠牲を増やす。
さらに戦闘終了後激昂し捕虜の虐待など起こる可能性が増大する。
女性は男性より戦場で怪我をしやすいと統計が出ている。
399名無し三等兵:2007/04/19(木) 14:42:03 ID:???
>394
ま、日本はそのホロコーストをやっていたキチガイ国家のお仲間なんだがな。
400名無し三等兵:2007/04/19(木) 14:45:09 ID:???
それを言ったら、イタリアだってフィンランドだってw
401名無し三等兵:2007/04/19(木) 15:08:26 ID:???
そ、枢軸国は全部キチガイ国家のお仲間という事で世界史は進んでいくのよ。
402名無し三等兵:2007/04/19(木) 15:35:29 ID:???
ソ連や中国と組んでいた連合国は…。
403名無し三等兵:2007/04/19(木) 19:45:07 ID:mVTZQITb
まあ
404名無し三等兵:2007/04/19(木) 21:12:31 ID:A4/z9yI/
連合国は全部キチガイ国家のお仲間という事で世界史は進んでいくのよ。


405イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 23:02:33 ID:Dh805hoy
>>396 の続き。食糧の欠乏にも悩まされましたが、同じぐらい困ったのが薪(まき)の
不足です。薪が無ければ、炊事のための火を確保することも出来ない訳です。

近くの山の立ち木は『建築資材』にするために全部切ってしまいました。何が何でも
薪を手に入れなければなりませんので、今度は松の木の『切り株』を取りに行きます。
そこに追い討ちをかけるように長雨が続き、中支特有の粘土質の赤土の山斜面はよく
滑って転びました。

濡れネズミの泥まみれで鍬を振るって根を掘り起こし、収容所まで運んで炊事を始め
ます。しかし雨で湿気った生の木が燃えるはずがありません。煙ばかりがもうもうと
出るばかりで、炊事係は目を真っ赤にして涙をボロボロ流しながら必死で飯を炊きます。

チョロチョロと火が出るだけで、出来上がった飯は生煮え状態です。量が非常に少ない
うえに大変不味いですが、食べ物はこれしかありません。食わなければ、命が持ちません。
406イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 23:22:39 ID:Dh805hoy
また時々ですが、国府軍から「道路工事の使役に何人出せ」と要求があります。
もちろん若年兵にお鉢が回ってくる訳ですが、体力の消耗を加速させました。

雨中の「木の根」掘りは毎日続きます。薪(まき)の不足は非常に深刻で、
飲料水の『煮沸中毒』も不充分になります。おちおち安心して水も飲めない
状況に陥ります。実際、「中毒症状」や「栄養失調」の患者が続出しました。
こうなってくると食糧と同じくらい、火を確保するための『薪』が貴重品です。

次第に大隊全員の餓死あるいは病死がチラつきます。衛生兵長として医務班に
所属していた川崎は一案を思いつきます。現在、大隊が保有している衛生材料を
用いて近隣の支那住民を治療するのです。その代価として食糧を獲得しようと
いうものでした。もちろん、鉄条網で囲まれた捕虜収容所を抜け出してです。

捕虜収容所への行軍中も、衛生兵の川崎が赤十字の腕章を付けているのを見て、
支那住民が治療を依頼してきたのを思い出しての事でした。実際、足の湿疹が
肥大化して皮が剥け、肉が丸出しになる皮膚病が風土病として蔓延していたのです。
407イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 23:32:32 ID:Dh805hoy
むき出しの肉に蠅がたかるような皮膚病ですが、赤チンを塗っただけでも
顕著な治療効果がありました。しかし、それすらも無いので諦めて放置して
いる住民が非常に多かったのです。

川崎は上司の衛生軍曹にこの「医療巡回(と食糧確保)」の必要性を切々と
訴えます。捕虜収容所を抜け出して、どこにいるのかも分からない患者を
求めての危険極まりない行動です。最初は独断で行なうつもりでしたが、
さすがに身近の上司には相談したほうが良いと思い直したのでした。

「今のこの食糧事情では全員が餓死寸前で、あと1週間ももちません。患者は
 もちろん、衛生兵も共倒れになります。他力本願で増配を待っていては、
 間に合いません。将校や下士官はまだよいが、兵隊は3口か4口食べたら、
 もう何も無いんです。危険は承知のうえで医療巡回を計画しました。じつは
 無断で実行を考えていましたが、やはり筋道は通しておかないとと思い、
 相談しました。分かってください!」
408イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/19(木) 23:47:55 ID:Dh805hoy
上司の衛生軍曹も秘かに内諾してくれて、川崎は賛同してくれたもう1人の
衛生兵とともに、朝6時前に捕虜収容所の鉄条網を潜り抜けます。武器は
何もなしで、衛生材料と赤十字の腕章をつけただけです。

地図もなく患者の当てもありません。ただ勘だけを頼りに、村がありそうな
方向へ歩いていきます。天の助けか、2時間ほど歩くと支那人の集落が見えて
きました。農作業をしている者に近づくと、いきなり日本兵が2人現れたので
最初は吃驚しました。ただ武器も持たず、赤十字の腕章をつけているのを見ると
親切にも村長のもとへ案内してくれたのでした。

50歳くらいの村長が出てくると、川崎ら2人の日本兵を胡散臭そうに見ています。

「戦争が終わり、日本軍はいま捕虜生活をしている。食糧が不足して病人が出て
 困っている。お米が欲しい。交換するものは何も無いが、私は医者だ。病人や
 怪我人がいたら治療をするが、お金はいらない。その代わりにお米が少々欲しい
 ので、患者を世話してもらいたい」
409イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/20(金) 00:12:04 ID:HqGB3/Dm
医者である証拠とばかりに、川崎がビタミンB剤を2t、連れの衛生兵仲間に
注射器で皮下注射すると、村長はようやく「ミンパイ!ミンパイ!」と信用
してくれました。当時の支那では「注射器」がまだ珍しく、日本の緊急手術と
同様の価値があると軍医から聞いていたのでした。

村長はその後、皮膚病の患者を2人紹介してくれます。初日は信用を得るために
念入りに治療し、お代は何も受け取りません。次に来た際に良くなっていたら、
その時にお米を分けて欲しいと告げて一旦帰ります。

その2日後に捕虜収容所を抜け出して再び村を訪れると、村長から「大人!大人!」
と最大級の歓迎を受けます。患者の病状(皮膚病)は見違えるように好転しており、
ようやく信頼を得ることができたのです。

その後、川崎らは10人ほどの患者を診て、食事でウドンをご馳走になり、帰り際に
沢山の米を貰って捕虜収容所へと戻ります。この米に医務室全員が感謝し、これ以降
は大隊の高級軍医の許可も貰って、堂々と医療巡回に出かけるようになりました。
410イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/20(金) 00:33:17 ID:HqGB3/Dm
ただし釘を1つ刺しておきますと、川崎が「医療巡回」で持ち帰った米などは、
大隊全員に配られた訳ではありません。あくまで医務室の衛生兵と入院患者のみ
の間です。言ってしまえば『役得』な訳ですが、それでも栄養失調患者にマトモな
給食が施されたのは何よりの事でした。食事欲しさの「ニセ患者」が大隊に現れた
のは言うまでもありませんw。

川崎の「医療巡回」は1946年1月末ごろまで続き、大隊全体の食糧不足も
生死に関わることなので国府軍側に厳重抗議すると、担当責任者のピンハネが
ばれて処罰され、配給が僅かでも増えることとなりました。それでも満足する
量には程遠いものでしたが、まずは一歩です。

しかし一難去ってまた一難、今度は捕虜収容所内に伝染病が蔓延します――。
411イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/20(金) 00:47:00 ID:???
>>397 >>極亜のネトウヨのような台詞を吐くのはどうなのか。

事実だからしょうがないです。今日はビデオを見て大爆笑。
NBCテレビは棚からボタもちです。
412イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/20(金) 01:04:13 ID:???
ああ、これだけだと言葉足らずで不謹慎ですか。「親兄弟を守るために」という
一節は理解できますが、「俺の子供を守るために」って……。脳内子供ですかw。

まあ、本当に好意的に解釈すれば「将来の」という意味でしょうけど。何にせよ、
飛びすぎですw。
413名無し三等兵:2007/04/21(土) 14:19:56 ID:???
アメリカ社会におけるマイノリティの悲惨を考えれば、
過激な行動も分からんではないですがね。
我々から見れば「飛びすぎ」かもしれませんが。
414名無し三等兵:2007/04/21(土) 17:21:03 ID:???
イナゾウは馬鹿無知。
キメェw
415名無し三等兵:2007/04/21(土) 18:47:44 ID:???
ゾクゾクゾクッ☆
416イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/22(日) 03:05:47 ID:???
>>413 >>アメリカ社会におけるマイノリティの悲惨を考えれば、
>>過激な行動も分からんではないですがね。

それで30人以上殺していい理由にはならんよw。あれをキチガイと言わずして
何をキチガイと言うのかと。まあ、「中国に帰れ!」とか言われてたらしいがw。
ソースは知らん。
417名無し三等兵:2007/04/22(日) 03:58:43 ID:???
>>416
>それで30人以上殺していい理由にはならんよw。

そんなのは当然でしょう。
だいたい、「だから殺していい」なんて言ってませんが。

>あれをキチガイと言わずして
>何をキチガイと言うのかと。

まあ精神鑑定してみないと分かりませんな。
418名無し三等兵:2007/04/22(日) 15:30:19 ID:???
イナゾウが基地外
419名無し三等兵:2007/04/22(日) 16:57:08 ID:???
お前ら韓国人ばかり叩いているが、日本人にも悪い奴は居るし、
韓国人にも良い奴は居る。
   韓国        日本
★★★★★★   ○○○○○○
★★★★○★   ★○○○○★
★★★★★★   ○○○○○○
★○★★★★   ○●○○★○
★★★★★★   ○○○○○○
★★★★★★   ○○★○○○

良い韓国人☆   良い日本人○
悪い韓国人★   悪い日本人●
420名無し三等兵:2007/04/22(日) 19:14:32 ID:???
孟子がお答えして言いました。
「王はロリコンですから、ロリで例えさせてください。
コミケが開催され、肩が接するほどの戦いになってから、
外面を棄てて、同人誌を抱えて買い出すものがでて、
或る者は小学生モノを買い、
或る者は中学生モノまでで断念しました。
中学生マニアが、小学生マニアを笑ったとしたらどうでしょう」
恵王は言いました「だめだ。ただ小学生でなかっただけだ。
ロリには変わりない」と。
421イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/22(日) 22:36:12 ID:???
まあ、キチガイはキチガイで充分です。そこに理由や背景など難しく考えるな。

>>419 ☆が無いですねw。

>>420 >>「だめだ。ただ小学生でなかっただけだ。ロリには変わりない」と。

50歩100歩の喩えですかね? 自分はマガジン派ですが、週刊サンデーの
『絶対可憐チルドレン』だけは欠かさず立ち読みしていますw。秘かに推奨。
422名無し三等兵:2007/04/22(日) 22:38:19 ID:???
朝食スレをあらさないでね
>>421 >>まあ、キチガイはキチガイで充分です。そこに理由や背景など難しく考えるな。

     ヘ
   イ"´ ̄`'ヽ
   | i.|ノリハノリ〉   
 ,ヘルlリ ゚ ヮ゚ノii   初期のスレを読めば分かるとおり、中佐は真性のレイシスト
 ゝ,<,⊃〔i◎〕   (人種差別主義者)ですから、議論は無駄だと思いますねえ。
.   `,(./~/:ハ    私が「事件のコメント、何かあります?」と聞いたら、
   `'ィ ァ~ィ ァ´   「まあ、遺伝子」と6文字ですからw。充分、キチガイです。
    T  T      最近は「土人、土民、土人兵」と言わなくなりましたが…。
         
424イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/22(日) 23:15:28 ID:HOsgeJLZ
>>422 >>朝食スレをあらさないでね
スマンスw。

>>410 の続き。捕虜収容所で慢性的な食糧不足に悩む「独歩517大隊」ですが、
何とか1945年12月末まで乗り越えます。ところが、この頃から「マラリア」に
よく似た不可思議な病気が流行し始めました。伝染病の発生です。

大隊には2人の軍医がいましたが、いずれも病名が判然としません。症状は最初に
マラリアと同じような激しい悪寒を覚え、その後に40度を超える『超高熱』が
3日ほど続きます。元から体力の無い弱兵はこれだけで参ってしまいます。

この峠を越すと1週間ほどで平熱に戻り、一時的に完治した錯覚に陥りますが、
実はこれは「潜伏期間」でした。しばらくするとまた発熱して、今度は4日間の
超高熱が続き、また1週間ほどで平熱に下がる(以降、5日…6日…と発熱日が
1日ずつ増えていく)ことの繰り返しです。
425イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/22(日) 23:35:44 ID:HOsgeJLZ
こんな特徴でしたので、軍医は最初マラリアだと思い、特効薬のキニーネを
与えました。しかし効果は僅かで「超高熱」が再発するので、マラリアとは
確実に違っていました。正体不明です。

1人の軍医は内科医でしたので、責任とプライドにかけて持参した本を調べた
結果、どうも『鍾馗熱』(回帰熱)という支那大陸特有の伝染病らしい――。
その対策としましては、性病の『梅毒』に使用する薬で「サンバルサン剤」
(通称:六六【ろくろく】)の注射薬が有効であることが判明しました。

自分は医療のことはよく分かりませんが、支那戦線でもマラリアが実に猛威を
振るっていましたし、特に中支はあらゆる伝染病の巣窟と言われていました。
色んな伝染病の発症地域を地図上にマーキングしていくと、武漢地帯は真っ黒
になったと云います。

まあ、軍医が真っ先にマラリアを疑ったのは自然でしょう。ちなみに「鍾馗熱」
(回帰熱)はスピロヘータが病原体ですから、梅毒とは類似です。
426名無し@軍事男:2007/04/22(日) 23:45:28 ID:???
427イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 00:05:09 ID:bPb/MwCJ
さて特効薬のサンバルサンですが、副作用が強く『劇薬』というかむしろ
『毒薬』の一種です。容量を間違えれば大変危険ですが、鍾馗熱の病状に
応じて10ccのアンプルを更に適正に分割し、静脈注射すれば高熱を
抑えることができる唯一の命綱となりました。

「第517大隊」に猛威を振るったこの伝染病の原因は、シラミ(ダニ)に
よるものでした。狭い宿舎で1000人以上の兵が干草の上で、1メートル
間隔でゴロ寝をしていましたので、ある意味、必然の結果とも云えます。

冬の寒さでシラミが弱るはずが、温かい人体を求めて余計にまとわりついて
来た訳です。どのぐらい凄かったかというと上着は裏側の縫い目に隙間なく
ビッシリ、股下も同様です。襦袢はもっとひどく、縫い目どころか生地の
表面まで広がり、まるでサッカー場のように点々とシラミが這い回ります。

縫い目を爪でこすると、ザクザクと数十匹が落ちてきます。試しに着ている物
全部から1箇所に集めてみたら、シラミが『茶碗半分』になったと云いますw。
428イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 00:25:14 ID:bPb/MwCJ
シラミばかりは、将校だろうが下士官だろうが初年兵だろうが、たとえ
衛生兵であろうが、何の差別もありません。みな平等です。

川崎(衛生兵長)ら医務室の人間が対策を話し合った結果、着ている衣服の
『煮沸消毒』が一番だという結論になりました。ただし、その数は1200人
近くにのぼります。しかも煮沸に必要な薪(マキ)は、飲料水や米を炊くにも
極端に不足している有様ですから、文字通りなけなしの貴重品を使ってです。

釜と大鍋を総動員して、薪を大量に集めて、大隊全員の衣服を煮沸消毒します。
煮るとシラミの卵まで死滅しますから、その効果は絶大で翌日から痒みがピタリ
と止まります。将兵は大喜びですが、長くは続きません。シラミの卵がいくつか
生き残っていたらしく、一週間後には1人の初年兵から回帰熱が発症して、
徐々に伝染病が広がっていきました。

高熱にやられ、栄養失調患者とともに大隊から2日間で3人、初めての死者が
出ます。このときを境に、病気による死人がポツポツと出るようになりました――。
429イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 00:39:59 ID:bPb/MwCJ
さて捕虜収容所の大隊から死人が出ると、管理している国府正規軍に
通報する事になっていました。すると火葬用にと現在のキャンプ場で
売られているような薪(まき)を、死人1人につき2束くれます。
(加えてチャン酒が少し)

乾燥した松の木で、1片の太さが5センチ・長さが40センチほどです。
捕虜収容所の日本兵が、松の木の根を掘り起こして「薪」に使っている
ことを考えれば、喉から手が出るほど欲しい「マトモ」な薪です。

飯を炊く燃料に非常に苦労させられていましたので、死人が出ると炊事係は
大変助かりました。もちろん2束では死体全部を焼くことなど出来ません。
ヒジから先の一部分だけ「お骨」にする訳ですが、火葬用には半分の1束を
使い、残りの半分を調理用に回しました。

本物の薪で炊いたこの時ばかりは生煮えではなく『美味しい飯』が食べられ
ましたので、大隊で死人が出るのを歓迎する風潮さえ見られたと云います。
430名無し三等兵:2007/04/23(月) 02:11:28 ID:???
>387
いやいやいや、本当に楽しむべきトコロはそこじゃなくて
ロリコンアニヲタのイナゾウがレイシストという喜劇ですよw
ショタに次ぐ人類最下層生物がレシストを気取っているなんてこれはもう笑うしかありませんw
431名無し三等兵:2007/04/23(月) 02:23:19 ID:???
何を今更
432名無し三等兵:2007/04/23(月) 05:02:30 ID:???
ヘイトスピーチを垂れ流してネタで済ますのはOKなんですか?
433名無し三等兵:2007/04/23(月) 09:36:34 ID:RxlGxwH1
レイシストも自由だろ
何れにせよスレ違い
しずかにしろ
434名無し三等兵:2007/04/23(月) 09:41:13 ID:???
イナゾウ中佐は『支那通軍人』なのですからロリでアニヲタでレイシストで当たり前ですよ。
435名無し三等兵:2007/04/23(月) 10:05:15 ID:???
コテで敵わなくなったから名無しで便衣な戦いをするか・・・。

恥を知れ。
436名無し三等兵:2007/04/23(月) 19:13:53 ID:???
イナゾウ中佐はロリでもアニオタでもありません。
ヘイトスピーチもネタでやってるだけで、
本当はレイシストではないのです。
437名無し三等兵:2007/04/23(月) 19:21:33 ID:???
>>436
本当にレイシストですよ。
イナゾウはネオナチの日本支部メンバー
>>434 >>イナゾウ中佐は『支那通軍人』なのですからロリでアニヲタで
>>レイシストで当たり前ですよ。

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´      
    `i Lノノハノ」_〉     
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|    何を今さら。
    !γリi.ハiリつ       
    |,( ll」i l i_|」     
    └'i,_ィ_ァ┘        
439イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 22:13:19 ID:???
>>432 >>ヘイトスピーチを垂れ流してネタで済ますのはOKなんですか?
えッ? OKじゃないの?w

>>435 >>コテで敵わなくなったから名無しで便衣な戦いをするか・・・。
それは無い。

>>436 どこまでネタかは想像にお任せしまふ。

>>437 ネオナチと『支那通軍人』をいっしょくたにするの、イクない。
440イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 22:36:07 ID:COpJqc7k
>>429 の続き。間もなく1946年の元旦を迎えます。日本人は新年を『新暦』で
祝う習慣を知った国府正規軍から、ささやかながら支那式の小さな丸餅を1人2個
ずつと、支那酒・豚肉・野菜などが少し配給されました。

この辺りから考えると、何も支那軍は悪意をもって日本人捕虜を全員餓死させて
やろうと考えていた訳でもないことが窺えます。ただ後述するように、伝染病の
拡大(それも死者続出)に無関心だった事も含めますと、壮大なる『放置プレー』
と表現した方が正確でしょうw。当初の食糧支給担当者によるピンハネは悪意云々
というよりも日常茶飯事、普通の『役得』に近いものかもしれません。

こうして1946年1月1日の元旦だけは、死者の追悼も含めて正月気分を少しだけ
味わうことが出来ましたが、翌日から『鍾馗熱』はますます猛威を振るい始め、毎日
死者が出るようになりました。

ちなみに死人が出ると、医務室から所属中隊と人事担当者に報告し、さらに国府軍に
連絡します。日本側の要望で、火葬用の薪2束を3束に増やしてもらい、チャン酒の
代わりに中華饅頭を支給されるようになりました。酒よりも必要なのは食糧です。
441イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 22:57:40 ID:COpJqc7k
日常支給される1人頭のお米の量も、また僅かですが増量改善されました。
こうなってくると、死人が出た方が「生き残った人間」の待遇が改善されるようで
大隊将兵の気持ちは至って複雑です。死者を悲しむ者、喜ぶ者、人により様々です。

死者の処理ですが、もっとも仲の良かった戦友を呼び、衛生兵が交代で立ち会います。
遺髪と爪を切って名前を書いた封筒に入れ、死体をアルコールで拭いたり、脱脂綿を
鼻に詰めてみんなで合掌します。余裕のある時は、不寝番を立ててお通夜もします。

墓地は「捕虜収容所」の裏山の中腹に作られました。通常、翌日に中隊の戦友が担架で
死体をかついで運びます。墓地に到着すると二手に分かれ、一方は野犬に死体を掘り
返されないよう深さ2メートル近い墓穴を掘ります。もう片方はあらかじめ火葬用に
作られたカマドを使って「お骨」を取ります。

炊事(飲料水の煮沸消毒も含む)に必要な薪を節約するために、最初はヒジから下を
切り取って焼いていましたが、次第にケチになります。手首だけから最後には指1本か
2本に減りました。最後に火の始末をして合掌黙祷ののち帰隊するといった手順です。
442イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 23:16:02 ID:COpJqc7k
骨付きカルビじゃあるまいし、指からお骨を取るのにも相当な時間がかかる
ものです(いわんや肘から先)。死者が出るたびに2メートル近い墓穴を掘る
のも大変な重労働です。

埋葬した土の上には目印の小さな卒塔婆を立てますが、道具のない部隊では
(中隊によって差がある)、ますます増える卒塔婆作りの作業に追われて
かなり苦労したと云います。当然、生き残った者の体力を消耗させます。
次はあなたの番です。

川崎(衛生兵長)ら医務室の人間は伝染病を防止するために、クレゾール
溶液を作って隊内をくまなく消毒させます。いってみれば患者を治療する
衛生兵がもっとも伝染病に感染する可能性が高い訳ですが、過マンガン
サンカリの溶液で「うがい薬」も常備して懸命に罹患防止したせいか、
医務室からは1人の患者も出なかったと云います。
443イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/23(月) 23:35:35 ID:COpJqc7k
しかし、それでも1946年2月になると『鍾馗熱』は猛烈に拡大します。

死者は急激に増え、毎日数人の埋葬と治療に医務室は追われます。余りの
超多忙に、これまで週2回は食糧確保のために行なっていた「医療巡回」も
中断の止むなきに至りました。

1945年11月に捕虜収容所へ到着してから、あっという間に4ヵ月がたち
1946年3月に入ります。もはや特効薬のサンバルサンも底を尽き、敗戦国
の悲しさ、薬品を補充する目処もたちません。したがって重症患者にしか使えず、
代用薬として効果の弱い『淋病薬』のザルソーブロカノンまで用いざるを得ない
状況に陥りました。

そんな医務室の悩みとは関係なく、大隊の『鍾馗熱』はますます蔓延して
『薬不足』が死者増加に追い討ちをかけるという、最悪の局面を迎えます。
調べてみれば1946年1月から3月だけで、500人近い死者が出ました。
>>443 >>調べてみれば1946年1月から3月だけで、500人近い死者が出ました。

   ッ-ヘ。__。ヘ    ./ー- 、
   レ, '´゚   `,〉   /==ヽ i
   i ハ)))ハ))ノ)  ム,   |/
    イオi ゚ ヮ゚ノヘ   /     大漁、大漁。って多過ぎw。
    ,ぐ`i盃、ツつr'ソ     
   ,メ∪イ-i、ゝ        
    ゙'ーi_'ォ_ァ"       
445イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/24(火) 00:01:26 ID:COpJqc7k
困った川崎(衛生兵長)は、窮余の一策として今まで『医療巡回』で世話に
なった支那人の村長に頭を下げて「薬局のある都市はないか?」と尋ねます。
それまで築いた信頼関係のおかげか、この村長は道案内に20歳の息子を
川崎につけてくれて、さらに薬品購入のための現金まで貸してくれました。

これぞ天佑神助か、村から3時間ほど急いで歩いたのち、薬局で偶然『特効薬』の
サンバルサン注射薬の在庫を10本購入でき、更に追加も注文する事が出来ました。
川崎は引続き、現地支那人の「赤十字活動」(医療行為)を続けることでお金を
工面し、サンバルサンほか外用薬も補充できたと云います。

また、さしもの『鍾馗熱』も1946年4月末にもなると峠を越して下火となり、
お米の配給も改善されて、ようやく必要量が確保でき、副食の材料も徐々に
足りるようになって来ました。ただ単に、生き残れた人間のパイが増えただけ
と言えるかもしれませんけどw。

しかし一難去ってまた一難。今度は『天然痘』が捕虜収容所に発生しますw。
446イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/24(火) 00:12:00 ID:/RxvuOpM
天然痘は「空気感染」しますので、「鍾馗熱」よりも遥かに始末が悪い訳です。

止むを得ず、捕虜収容所から少し離れた山の中に『隔離病室』を2室作りましたが
幸か不幸か、もう1人『天然痘患者』が発生して直ぐに役に立ちますw。

最初の患者は3日ほどして水疱が潰れて、異臭が漂ってきます。4日目には
高熱に負けて精神に異常をきたし、草の壁をむしって食べて穴を空け、自分の
服を破ったり、突然大声で喚いたり、嗤ったり、走り出したりします。

衛生兵が捕まえると暴れるので、紐で柱に括りつけるとようやく静かになりました。
翌朝、ふたたび様子を見に行くともう死んでいました。
447名無し三等兵:2007/04/24(火) 09:52:22 ID:qk1GDSDV

【中国】全農地の10%以上が汚染、重金属含有作物は年に1200万トン以上出荷[04/23]
1 :Mimirφφ ★ :2007/04/23(月) 17:00:39 ID:???
全農地の10%以上が汚染!重金属を含有した作物で健康被害も―北京市
 
http://www.recordchina.co.jp/group/g7482.html

 2007年4月22日、北京市朝陽公園で、「地球に優しく―節約から始めよう」を
テーマとした「第38回アースデー記念イベントが開催された。席上、国土資源部・
孫文盛(スン・ウェンチェン)部長が中国の土壌汚染に関する報告を発表した。

報告によると、土壌が汚染されている耕地は全国で計1000万ヘクタール以上存在する。

http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1177315239/l50x


448イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/24(火) 22:54:22 ID:a8z/k5F2
>>446 の続き。幸か不幸か「天然痘」による死者は1人で済み、もう1人の患者は
水泡もできず軽症で済みました。2日ほどで回復しましたが、それ以来、隔離病室
には誰も近寄らなくなりました。

捕虜収容所の兵士が国府軍の使役(道路工事など)に駆り出されることも1945年末を
境にほとんど無くなりました。大隊から病死者続出でそれどころでなく、要請も来なく
なったからです。

1946年1月以降はちょうど渇水期にあたり、近くの湖水は干上がり、飲料水は
僅かに残った川だけが頼りです。しかし次第に水を汲めるような場所が遠ざかり、
これも重い負担になってきます。
449イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/24(火) 23:15:10 ID:a8z/k5F2
ここで非常に重要な指摘をしておきますと、こうした炊事のための薪集めや
水汲み、あるいは病死した戦友の埋葬といった『重労働』を毎日こなしたのは
ほとんどが入隊3年以内の『若年兵』だったことです。まあ、上位者の命令
という形で押し付けられた訳ですがw。

それ以上の古年兵(4年兵、5年兵)や下士官は、こうした重労働から無縁の
存在で、逆に時間を持て余していました。手作りの碁や将棋・麻雀を楽しみ、
果ては「相撲大会」を開いていたとも云います。

この体力の消耗の差は、地獄の捕虜収容所での『生存率』に決定的に影響し、
病死者の多くが若年兵だったのに対して、生き残ったのは下士官や古年兵が
ほとんどという結果に落ち着いた訳です。まあ、全く酷い話ですがw。

まあ、話が長くなっていますが、ここで取り上げている『生存率1000分の3
からの証言』の大きな背景になっています。若年兵ほど生存率が低くなるのです。
450イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/24(火) 23:45:38 ID:a8z/k5F2
かくいう著者の川崎といえば、1923年生まれで、1946年時には
数えで23歳です。現役兵として入営したのが43年ですから、終戦時
には3年兵になっていた計算です。

ただし川崎は一選抜で衛生兵長になっていましたから、状況は遥かに
恵まれていました。医務室は医務室で目の回るくらいの忙しさですが、
古年兵から雑事や重労働を押し付けられることもありませんでした。
川崎の同年兵は、幹候(将校・下士官)を除けば上等兵がせいぜいでしょう。

またここで注意すべきは、『若年兵』だからと言って「実年齢が低い」とは
限らないことです。終戦直前の根こそぎ現地召集で、30歳を過ぎた初年兵
などザラにいました。また4、5年兵といった『超古年兵』でも、現役で徴兵
されていれば、まだ20代半ばです。

軍隊は「星の数」と「メンコ(飯)の数」が物を言いますから当然、前者
(30歳過ぎ)が後者(20代前半)にコキ使われることになりますw。
451イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/24(火) 23:57:02 ID:a8z/k5F2
もちろん『生存率』にもダイレクトに影響してきますw。

また興味深いのは、南方戦線の「捕虜収容所」などですと、もはや
戦前にあった階級秩序が崩壊していることも多いのですが(暴力が
支配する世界:北斗の拳w)、この「第517大隊」ではほとんど
変わりないことです。

「支那戦線」特有のことでしょうか? ふと思うに人間の尊厳が否定される
ような戦場を経ないと、アナーキーな収容所にならないのかもしれませんw。
452名無し三等兵:2007/04/25(水) 02:26:27 ID:???
中川八洋・筑波大教授は「大東亜戦争と開戦責任」(弓立社¥1800+税)の中で、
近衛公を共産党員だとする仮説を立てて書いているが、これもまた一考に値する。
当時の闇の一つ一つが、薄皮をはぐように解き明かされていくところが興味深い。
戦後60年、ありきたりの「戦後史観」が覆されて、徐々に真実が明かされる日も近いように思う。

453名無し三等兵:2007/04/25(水) 14:48:42 ID:???
中川八洋ねぇ。
もとからデムパな人だったけど、これでもうひとつ壁を突き抜けた感があるよなぁ。
454名無し三等兵:2007/04/25(水) 15:04:12 ID:???
>近衛公を共産党員だとする仮説
それはない・・・・と思いつつも何故そういう発想に至ったのか気になる
455名無し三等兵:2007/04/25(水) 17:45:25 ID:???
しょせん仮説なのだからガンガン批判してやれば?
456名無し三等兵:2007/04/25(水) 19:17:53 ID:???
中川氏のような思考回路だと、近衛は共産党員でないとイカンのだろうなw
457イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/25(水) 23:22:03 ID:JFuaX0Dl
>>451 の続き。>>『若年兵』だからと言って「実年齢が低い」とは限らない
>>若年兵ほど生存率が低くなるのです

この「第517大隊・捕虜収容所」で1例を挙げましょう。1946年4月(!)に
また1人の患者が『鍾馗熱』を発病します。初年兵のH一等兵で福岡県出身、何と
33歳の補充兵でした。その時はたまたま夜勤担当が川崎(衛生兵長)だったのですが、

「兵長殿、懐かしいです。お忘れでしょうか。討伐のとき、田圃の中で倒れていたのを
 助けていただいた、あの時の兵隊が自分であります。あのままなら死んでいたのを、
 助けてもらったお陰で、私は今も生きているんです。ありがとうございました。
 また、お世話になります」

と突然に言われて川崎はビックリします。なるほど、以前に銃弾飛び交う戦闘の中で
負傷を手当てした兵隊が、このH一等兵だった訳ですが、その時は夢中で自分の
仕事をしていたので覚えていなかったのです。こうして再会したことに運命の
不思議さを感じられて仕方が無かったと、川崎は云います。
458イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/25(水) 23:36:51 ID:JFuaX0Dl
ちなみに川崎(衛生兵長)が23歳、このH一等兵(初年兵)は33歳ですw。

数奇な縁で一度は自分が救った命、何とかH一等兵を再び助けてやりたいと
川崎は思いますが、H一等兵を診察した軍医はなぜか『風邪』だと診断します。

ひとまず風邪薬を投与しましたが、症状は明らかに『鍾馗熱』です。川崎は
懸命に看護しますが、病状はますます悪くなるばかり。まさかとは思いましたが、
●「補充の新兵にサルバルサンのような貴重な薬はもったいない」と判断された
ようでした。

川崎は疑います。これ以上、H一等兵の病状を放置すると危険と思われたので
軍医に相談しましたが、やはり「あの薬は無理だ」と断られてしまいます。川崎は
何とか助けてやりたい一心で、秘かに隠し持っていた1本のサルバルサンを内緒で
処方してH一等兵に注射してやります。翌日に2回目を注射すると、ようやく回復の
兆しが見られてきましたが、3日目に突然思いがけない事態が起こります。
459イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/25(水) 23:49:24 ID:JFuaX0Dl
「内地への帰還が近づいたので、現在の重傷患者は全員、陸軍病院に
 送ることになった。急だが今日、移送の車が来るのでよろしく頼む」

軍医から医務班全員に突然の発表があり、H一等兵も6名の後送患者に
含まれてしまいました。最大の問題は、陸軍病院に到着するまで1週間は
かかることです。その間は、ろくすっぽ治療を受けられないことになり、
負傷者はともかく重病人には、ある意味『死ね』と言っているのと同じです。

何よりH一等兵は、川崎の好意(独断)でサルバルサンを処方されている状態
でしたから、全てオジャンになってしまいます。「せっかく良い方向に向かい
だしたのに、今が一番大事な時なのに、もう2、3日面倒を見てやれば回復の
見込みがあったのに、運の無い奴だなあ」と同情しましたが、どうすることも
できません。

トラックに担架のまま乗せられて出発の直前、H一等兵は川崎に対して、
460イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/26(木) 00:08:00 ID:HkxaValr
「自分はもう駄目だと覚悟を決めていたのに、二度も助けてもらって、本当に
 ありがとうございました。ご恩は一生忘れません。しかし後送には、陸軍病院
 到着まで1週間以上かかるそうで、それまで命が持つか、不安で自信がありません。

 もし兵長殿が無事に帰国され、万一機会があったら、自分の実家を訪ねて下さい。
 実家は福岡県と大分県の県境にある不便で小さな村ですが、自分は木こりをして
 家には年寄りの母と嫁がおり、帰りを待っていますのでよろしくお願いします」

と一時的に病状が少し良くなり、頭も正常に戻ったH一等兵は、住所と道順を
書いたメモを川崎に差し出します。

「よし分かった。確約はできないが、多分いけると思うから安心せい。病院に
 到着するまでは最初の3日くらいが勝負だ。必ず頑張れよ――」

10歳も年上のH一等兵は「はい。ありがとうございます。頑張ります」と
出かかる涙を押さえながら元気ない声で答えて2人は別れますが、それが最期です。
461イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/26(木) 00:22:24 ID:HkxaValr
半年にもわたる『地獄の捕虜収容所』生活もついに終わりを告げて、
1946年5月20日、長江に面する湖口市に「独歩517大隊」は
集結、上海に向けて船で下ることが決まりました。

引き続いて『地獄の長江下り』が始まりますw。
462名無し三等兵:2007/04/26(木) 00:23:48 ID:???
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
463翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/04/26(木) 03:51:42 ID:dkmlEmoY

天然痘の患者さんの写真を見ると本気で

(TT)
464名無し三等兵:2007/04/26(木) 05:01:45 ID:???
思わず天然痘でぐぐったらすさまじくグロいじゃねーか!
ホラーの特殊メイクよりひでぇ。
ジェンナー氏の偉大な発明に感謝する他ない。
465名無し三等兵:2007/04/26(木) 17:51:59 ID:hlXcQYc+
感謝するなら先生と呼ぼう。

で、ネオナチもポルポトも基地外もレイシストもイナゾウも、思想信条は完全に自由だよ。
自由ということが判らないのかね?
幼児性剥き出しだな。
466名無し三等兵:2007/04/26(木) 18:22:41 ID:???
イナゾウをレイシストと罵るのも自由ですか?
467イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/26(木) 23:08:32 ID:rEak0ATd
>>463 >>天然痘の患者さんの写真を見ると本気で
>>464 >>思わず天然痘でぐぐったらすさまじくグロいじゃねーか!

ウィキでググると写真が1枚だけありますが、「誰でも出来る天然痘の診断」
というサイトが、症状の経過ごとに多数の『実物写真』を載せて解説しており
未見の方にはお勧めです。やはりグロいですw。

ttp://www.tm.nagasaki-u.ac.jp/pox/pox.html

>>465-466 初期のスレの方が凄まじい『レイシスト発言』しているのに、
今ごろ話が出てくるのも不思議な感じです。当初、えICBM氏のレスが
喧嘩ごしだったというか、険悪だったのはそれが理由でしょうw。最近は
そんなでもありませんけど(和解?)。
468イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/26(木) 23:33:00 ID:rEak0ATd
>>461 の続き。さて『地獄の長江下り』の始まりです。「独歩517大隊」の
捕虜収容所は都昌にありましたが、九江市の少し下流にある湖口市に向かいます。
ここで各地から集まってくる部隊と合流し、5日後に4000トン級の貨物船で
長江を下り、中継地の南京を経て『上海』に到着する予定です。

川崎は「何しろ敗戦国の捕虜だから…」と覚悟してはいましたが、捕虜収容所と
同様、やはり人間扱いされず『最低最悪の船旅』となりました。

乗せられた貨物船は普段、魚介類の生物を輸送する鉄製甲板の貨物船で、
船底から頂上までは8階建てほどの高さがありました。この船が日本軍の
「捕虜輸送用」に徴用された訳です。

支那人船員に誘導されて乗船すると、川崎らは船底の貨物室に押し込め
られます。窓も換気口もなく、魚介類の腐った悪臭が壁と床に染み付いた
暗い部屋に、小さなランプが2つだけポツンとあるだけです――。
469名無し三等兵:2007/04/26(木) 23:43:11 ID:???
>>452
ttp://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070418
ここのコピペじゃねえか。
しかし、この軍事評論家も逝っちゃってるな。
470イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/26(木) 23:51:22 ID:rEak0ATd
とても人間が入れる部屋ではありません。トイレも通路もありません。

日本兵たちは、だだっ広い船底の倉庫に膝を抱えた姿勢で押し込まれ、
昼も夜も足さえ伸ばすことが出来ません。

大小の用便は、「乾パンの空き缶」でつくった代用便器が30人1個ある
だけです。必要なときは声をかけると、中味の入ったまま頭上を手渡しで
回してもらい、全員の前で用を足します。

中味が満杯近くになると、当番が上の階の便所まで捨てに行く訳ですが、
もちろん船底の貨物室は「想像を絶する悪臭」となります。腐った魚臭に
公衆便所の臭いがミックスですw。

換気がゼロですので、滞留した余りの猛臭に呼吸さえ困難になりました。
この貨物船には5000人以上の日本兵が詰め込まれ、「さながら奴隷船の
ような生き地獄だった」と川崎は回想しています。
471イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/27(金) 00:03:18 ID:mUS5eihA
コミケに逝ったことがある人は、大量に置かれた「仮設トイレ」の中の臭さを
思い出してみると良いでしょう。そこに10日間ほど閉じ込められて下さいw。

食事ですが、支那人が作った給食が1日2回あったと云います。飲料水は水筒
1本を2日分として与えられましたが、全く足りません。何しろ5千人が詰め
込められていますから、その熱気たるや想像を絶します。極端にノドが渇き、
水不足で「脱水症状」を起こす者が続出です。

長江の水は茶褐色の濁流で、「水質は極めて悪いから絶対に生水は飲むな」と
言われましたが、それ以前に貨物室から出られませんw。

さっさと南京に着けば良いのですが、どういう理由か、この貨物船はときどき
止まったりで遅々として進みません。嫌がらせでしょうか?w 10日目の朝に
ようやく南京にたどり着きますが、みな同じ姿勢で閉じ込められていましたので
足腰がふらついて正常に歩けません。全員が下船するのに半日かかったと云います。
472イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/27(金) 00:14:29 ID:mUS5eihA
この湖口から南京までの長江下りで、「死者2名・病人13人・歩行困難者
20人」が出たとされます。

>>「さながら奴隷船のような生き地獄だった」

南方戦線での日本陸軍の輸送船も「奴隷船のようだ」と揶揄されましたが、
それ以上の悪環境でしょう。

幸い中継地の南京で1週間ほど滞在することになりましたので、少しは
体力の回復が出来て助かったと全員が喜び合いました。

次は南京から上海まで5000トン級の貨物船に乗り込みますが、今度は
南京周辺に在住していた民間日本人も一緒です。まず子連れの家族が上層部の
客室に優先して入れましたが、一般の兵士はまたも船底の貨物室ですw。
473イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/27(金) 00:39:20 ID:mUS5eihA
依然として『貨物船に人間が入るだけ詰め込む』という支那側の方針に変わりなく、
狭いスペースと水・食物不足は前回と同様で、うんざりさせられます。

この非情な待遇にも、日本に帰りたいと願う心が強い精神力となって耐えることが
できたと云います。そして7日目の朝、ようやく上海貨物港に接岸したのです!

前回より人数が多いので、船底に押し込められた川崎ら「独歩517大隊」が
上陸したのは夕方以降でした。今回も民間人6人、兵士1人の死者が出て、遺体は
長江の濁流に放り込まれて水葬されました。これらの他にも呼吸困難者が30名、
歩行困難者が20数名出たと云います。

結局、『地獄の長江下り』は合計17日間の長きにわたり、極限の苦痛に耐える
筆舌に尽くしがたい『生き地獄』だったと川崎は回想しています。
474イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/27(金) 00:50:22 ID:???
まあ、現代ですと武漢から南京まで船で長江を下ると30時間ほど、
南京から上海までは列車なら最速2時間強ですから、合計17日間
かかったというのは、少し異常に感じますが…w。
475名無し三等兵:2007/04/27(金) 09:20:20 ID:TBnttJiQ
イナゾウをレイシストと罵るのは自由でありません。
思想信条良心の自由は憲法が保障していますが、罵る自由はありません。
それどころか刑法は名誉毀損罪、侮辱罪犯罪に列記しています。
476名無し三等兵:2007/04/27(金) 11:49:21 ID:???
ではイナゾウの支那人への罵りは許されるのですか?
477名無し三等兵:2007/04/27(金) 11:55:08 ID:???
レイシストに関して言えば、
イナゾウ自身がそれを認めているので罵倒ではないねw
478名無し三等兵:2007/04/27(金) 11:56:28 ID:???
いや、罵倒には違いないないが、名誉毀損罪や侮辱罪には当たらないね。
イナゾウの気が変わって訴えたら分からんが。
479名無し三等兵:2007/04/27(金) 18:52:45 ID:???
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
480だつお:2007/04/27(金) 22:16:01 ID:e3ebghh9
アメリカが中国国民党を切捨てたのは、要するに不良債権の切捨てだ。
不良債権がなぜ悪いかというと単なる公的資金支出の問題に留まらず、
不良債権が他の部分にも影響して別の不良債権を作り出すからだ。
ゾンビ企業の延命が薄利多売デフレ圧力を及ぼすとよく言われる。

腐った不良債権を延命させるために、あらゆる人的物的資源がそちら
に回され他の部分も不良債権化させてしまう。例えばアメリカが中国国民党
を維持するためには単なる資金援助に留まらずフライングタイガーやら
チャイナロビーやらであらゆる組織がそっちの方面に関わることになる。
シェンノートやマッカーシーなどの親中派が残存することの害は大きい。
これでは中国国民党が潰れてもアメリカは「赤狩り」圧力を被る。
481だつお:2007/04/27(金) 22:31:26 ID:e3ebghh9
はっきり言ってトルーマン声明でいう「38億ドル援助」の喪失よりも、
アメリカ国内でチャイナロビーが巣食ったことの害のほうが遥かに大きい。
腐ったミカンを入れておくと、腐っていない正常なミカンも腐ってしまう。
腐ったガン細胞を放置すると、正常な細胞までガン化してしまう。
中国のチンピラゴロツキをのさばらせておくと、アメリカ人までもが
チンピラゴロツキになってしまう。チンピラゴロツキを支援するのも
チンピラゴロツキ化していくという構図だ。
482名無し三等兵:2007/04/27(金) 22:55:42 ID:???
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ
東亜に帰れ
483名無し三等兵:2007/04/27(金) 22:56:25 ID:???
基地外レイシストイナゾウのオナニースレ
484名無し三等兵:2007/04/28(土) 00:17:28 ID:koQsfXut
親告罪ということが判らない人に、刑法を論ずる資格は無い。
485名無し三等兵:2007/04/28(土) 00:22:30 ID:???
出ました! 「論ずる資格」!w
486名無し三等兵:2007/04/28(土) 00:32:46 ID:???
もうスルーでいいよ。
説明するのも面倒だし、説明したって分からないだろうし。
487名無し三等兵:2007/04/28(土) 00:43:36 ID:koQsfXut
発言には責任が伴う。
すなわち資格である。
無資格医師もたいなこと言っちゃいかんよ。
488名無し三等兵:2007/04/28(土) 01:19:54 ID:???
何かを論ずるには資格が必要なのかい?
言論の自由はどこいった?
489名無し三等兵:2007/04/28(土) 02:44:02 ID:???
論じる際には何かの資格などいらないと思うよ。
ロリペドだろうがレイシストだろうがイナゾウは自由に発言してよい。
490名無し三等兵:2007/04/28(土) 02:55:52 ID:uWNDxJtT
イナゾウは犯罪者だから発言してはいけない。
しかも人の著書の内容パクッて改変してるしwwwwwwww
491名無し三等兵:2007/04/28(土) 02:56:34 ID:???
確かに資格はいらない。
もっとも読み手にその発言を信じてもらえるかどうかはまた別問題だが。
492名無し三等兵:2007/04/28(土) 08:22:10 ID:???
旧字馬鹿 懲りないねぇ
493名無し三等兵:2007/04/28(土) 09:00:42 ID:???
>言論の自由はどこいった

「自由」には「責任」が伴う・・・つーことも判らん
子供はさっさと、おうちに帰りなさいw
494名無し三等兵:2007/04/28(土) 09:43:17 ID:koQsfXut
>言論の自由はどこいった
 
 ここで説かれているのは自律。自由は必ず自律を伴う。
 さに非ざれば無軌道となり、規制を招いて、自由が崩壊消滅する。
 これは自由概念の基本。

>「自由」には「責任」が伴う・・・つーことも判らん

 これも自由論の基本。無知なる者よ去れ。なにごとも無責任はいかん。
495名無し三等兵:2007/04/28(土) 11:06:53 ID:???
だつおとか多くのネトウヨが馬鹿ばかりだから、普通の人間から見ればそういう者は一括りに馬鹿と見なされるからねえ
発言には気をつけた方がいい。せっかく数多く本を読み漁って知識があっても上記のような見方をする人間には説得力を持たなくなってしまう。
496名無し三等兵:2007/04/28(土) 11:34:45 ID:5jESjyJO
日本が日露戦争以降、大陸(満州と支那)に本格的に駐留しはじめたのはいつ頃ですか?
ドイツがソ連の地に侵攻したのはバルバロッサ作戦が発動されたあとと
はっきり分かるのですが、日本の場合は日露戦争からシベリア出兵、第一次世界大戦、上海事変など
があり本格的に大陸に駐留しはじめた時期がはっきり分からないのです。
それと日露戦争が終わったあと日本は大陸から撤収したのでしょうか?
そしてシベリア出兵や第一次世界大戦が始まってから大陸に再出兵という形になったのですか?
それとも日清戦争での勝利から大東亜戦争の敗戦までずっと大陸に駐留してたのですか?
そこら辺の日本軍の大陸への出動、大陸からの撤収の動きがはっきり分からないのです。
戦史無知で申し訳ありませんが、そこら辺の動きを教えてくれないでしょうか?
497名無し三等兵:2007/04/28(土) 12:15:25 ID:g0ri+we5
>なにごとも無責任はいかん。

日本国憲法第十五条

すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。
選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。


やーい、憲法違反憲法違反w
498名無し三等兵:2007/04/28(土) 12:19:39 ID:???
大日本満州国がどうかしましたか?
入れかえ説とかありますけど
499だつお:2007/04/28(土) 12:21:50 ID:1nRi+MLn
>ではイナゾウの支那人への罵りは許されるのですか?

だからだな、中国もまともな反ファシズム戦争連合国の一員として
認められたければ、それ相応の役割を果たすべきであったろう。
バグラチオン作戦からベルリン陥落まで圧倒的進軍を果たした赤軍に対し、
大陸打通作戦で散々ドツキ回されてきた中国軍はどうだと言うのだ。

97式中戦車チハにさえボコられる中国軍なんて、人種差別されて当たり前。
500名無し三等兵:2007/04/28(土) 16:40:49 ID:???
それはチハに対する侮辱ですか
501名無し三等兵:2007/04/28(土) 16:51:57 ID:???
イナゾウの古巣は東亜じゃなくて、いちごの経済板じゃなかったっけ?
502名無し三等兵:2007/04/28(土) 16:54:07 ID:???
中国人を罵倒することのどこに問題があるんだ?
どこが不満なんだ?
アンチ酷使病にかかったお馬鹿さんたちですか?
それとも中佐に嫉妬してるの?
インターネット匿名掲示板で言葉狩りして楽しいですか?
これが中佐のスタイルなんだから別に構わない。

文章を目にするのが嫌ならこのスレを開かなきゃいい。

お上品にお話がしたいなら自分でスレ建てたらどうだ?
お前らが中佐より指示される存在になれるなら
自然とこのスレは寂れお前らの建てたスレが伸びるだろう。
503名無し三等兵:2007/04/28(土) 16:59:43 ID:???
ネトウヨも酷使様も差別用語
504名無し三等兵:2007/04/28(土) 17:11:17 ID:???
>>495
だつおって共有コテじゃないの?
505名無し三等兵:2007/04/28(土) 17:12:20 ID:???
国士様wwwwww必死
イナゾウ消えろ
もうくるなwwwwwwww
506名無し三等兵:2007/04/28(土) 17:51:15 ID:???
だつおの思慮浅いレスなんて馬鹿でも書けるだろ
507名無し三等兵:2007/04/28(土) 18:19:58 ID:???
>日本が日露戦争以降、大陸(満州と支那)に本格的に駐留しはじめたのはいつ頃ですか?
日露戦争中からずっとですが何か?
背景を整理すると、
@日清戦争後の下関条約で遼東半島の日本への割譲を一度決めるが三国干渉で駄目になる。
Aその後ロシアが旅順大連の租借権を得て軍隊を駐留する。
B日露戦争で日本が旅順・大連を攻略し、更に東清鉄道一帯も占領。
Cポーツマス講和条約により東清鉄道から南満州鉄道の割譲、及び旅順大連を含む関東州の
租借権をロシアから日本に譲渡。
D満州の日本権益を保護するために関東都督府が置かれる(1905)が
その警備部門が関東都督府陸軍部、後の関東軍(1919)である。
508名無し三等兵:2007/04/28(土) 19:32:23 ID:???
「勉強すっかぁ」
コ-トを脱ぎ捨てると、手垢でよれよれの六法を鞄から取り出した。椅子に座り股を開く。
既に鉛筆を削り、俺のノートは俺の復習を待つ。
身体を横にして隣の席を見ると、堆く積まれた択一六法が、そこにあった。
「俺の司法試験一本の受験だぜ」声に出していう。
「男はやっぱり法曹」
やおら前袋の脇から、ズルムケ状態のポケット六法を取り出す、手に付箋をたっぷり取り、逆手で蛍光ペンをこね回す。
「ガリッ、ガリガリッ」音が俺のプレッシャーをさらに刺激する。
「内田民法たまんねぇ」扱きにあわせて、身体を上下させる。
「男の法曹受験にゃあこれだよ」ラッシュを吸い込む。
「スッ、スッ、スッ、スッ」顔から熱くなり、やがて頭の中が真っ白になる。
「物権、担保」「法科大学院卒一本の新司法試験受験」
頃合いを見て合格者上位の答案例を引き抜く。俺はこの時襲いかかる劣等感が大好きだ。
白い答案用紙だけが机上に残り、ぶらぶらのレジュメをバックに、判旨にマーカーを垂らして、腰を振り、左手で六法を引っ張り、右手でヌルヌルと要件事実を抜く。
自習室の中のの俺は、日本一の伊達男になっていた。
「ちきしょう誰かに見せてやりテェよ」〆切時間が近づくと、いつもそう思った。
「法曹になってやる」「新試験一本のほんまもんの男」
「うりゃ、そりゃ」「ズリュッ、ブチュッ」冷や汗をとばしながら、クライマックスをめざす。
「時間足んねぇよ」脳みその奥から、激しいが起こった。
-受験回数たりねぇ- -旧試験受けてぇ-相反する気持ちがせめぎ合い、俺は崖っ淵に立つ。
「きたっ」俺はトイレに駆け込み、それに備える。奔流は堰を切ろうとしていた。
「男一匹! 」「げぼっ」
胃袋と食堂を押し分けて、白い便器にストレスの吐血がしゃくり出される。
真っ赤な時間が過ぎ、目の前が現実に戻る。
509名無し三等兵:2007/04/28(土) 21:14:33 ID:I0+wJ3oA
でも差別は自由だからな。
510イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/28(土) 22:22:56 ID:???
昨日は焼肉ゴチになりそのまま寝てしまったら、いきなり500超えしていて
ビックリしましたw。

>>501 >>イナゾウの古巣は東亜じゃなくて、いちごの経済板じゃなかったっけ?
惜しい! 2chの経済板です。やんばるくいな氏とタッグ(?)を組んでいた頃が
懐かしい…。自分は商学徒なので、いちごの経済板はレベルが隔絶し過ぎていますw。

>>488 >>何かを論ずるには資格が必要なのかい?
とりあえず2chには要らないと思うが、どうだろう?w

>>502 >>自然とこのスレは寂れお前らの建てたスレが伸びるだろう。

仰るとおりです。市場原理、市場原理w。コミケでも昨日の超人気サークルが
次回では潮を引くように人が来なくなるのを見ると、思わず背筋が寒くなります。
「もう、ツマンネ」と思われるとお仕舞いなのです。不思議なことに大体みんな
感じるのは同時なんですね。『東方』も早く新作が出ないと、どんどん過疎化が…w。
511イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/28(土) 22:51:33 ID:???
>>502 >>自然とこのスレは寂れお前らの建てたスレが伸びるだろう。

最近は『このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)』が出来たので、
カウンターではありませんが「閲覧数」の1つの指標になります。新スレを立てたのに
何時まで経っても、この数が増えませんと段々焦ってきますw。今5つ、ひと安心。

>>490 >>イナゾウは犯罪者だから発言してはいけない。
>>しかも人の著書の内容パクッて改変してるしwwwwwwww

エピソードの紹介なのである程度、要約と主観と補足を挟むのは致し方なし。
「犯罪者は発言してはいけない」とは初めて聞きました。

>>509 >>でも差別は自由だからな。
所詮、好き嫌いですから。差別はなくなりません。それが自然な人間だもの。
>>482 >>基地外レイシストイナゾウは軍板から出てけ 東亜に帰れ

   ,.ィ ーrーr 、
  y' "´ ̄`'ヽ
  .ノくノノ人リ))ゝ
  ルi§゚ ヮ゚ノ§          順路どおりに進んで力で圧倒する。
   'k'_,i`ム'_i〈つ[|三>        これが相手に文句を言わせないコツですわ。
   ,し'/_ハ.ゝ、
   `'ト_ノ'ト,ノ"

    ./´☆ ` 、        ,.ィ ーrーr 、
    .!/´ ̄ ヽ、.ヽ      y' "´ ̄`'ヽ
    〈(( リノl、」 i<三|]≡ く((リ人iヽ>ヽ
 .:.゚.:。+、.|i・ω(:;(<三|]≡三§!、゚ヮ ゚§ルゝ
      (っΣ<三|]<三|]⊂) `ム'i;_')
       乂  ,つザクザクザク く_/___i,kJゝ
         ゝ、)          ∪ ̄\)
514イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/28(土) 23:28:11 ID:/DsRtzfe
えらく間が離れましたが、>>474 の続きw。

南京から上海まで約400キロ。東京から名古屋もだいたい400キロです。
ですから現代支那の高速列車で2時間強で、ほぼ計算が合う。それでも川崎ら
日本兵捕虜を乗せた貨物船が長江を1週間かかったというのは解せない話です。

まあ、国民政府が日本軍占領地の接収や、来たる次の国共内戦に向けた部隊の
移動で長江が混雑し、日本兵捕虜どころでなかったという話なら理解できますが。
急行に抜かれる各駅停車みたいなものでしょうか。それとも単なる嫌がらせか、
貨物船がボロいだけかw。

さて川崎ら「独歩517大隊」が上海(埠頭・倉庫)に着くと、周りは日本兵
だらけです。数万人はいたと云います。みな苦労して捕虜収容所から集結した
生き残りの部隊です。日本への引き揚げ船をずっと待っている訳です。結局、
川崎らの部隊の引き揚げは1週間後と聞かされます。それまでは倉庫暮らしです。
515イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/28(土) 23:51:13 ID:/DsRtzfe
それでもようやく日本が目の前にあります。もう1946年6月です。思えば
半年間の「捕虜収容所」の生活は非常に苛酷なものでした。収容された当初、
約1200人いた「独歩517大隊」の生き残りは、現在350人にまで減って
しまいました。若年兵を中心に、850人(3分の2)もの兵士が栄養失調と
伝染病で死んでしまった訳です。

川崎は、もし自分が「赤十字活動」(代価として食糧獲得)をしていなかったら
医務室の人間までが飢餓で倒れ、さらに部隊全体の犠牲者が増えたはずであると
振り返ります。

中隊の人事担当曹長の話によると、川崎と同期で配属された新兵は第58師団
(熊本)で約1000人いたのに、今ここに生き残って集結できたのは、川崎
本人と同僚の衛生兵、そして他部隊に1人の計3名しかいないと云います。

これが『生存率1000分の3からの生還』の正体になる訳ですが、南方戦線も
かくもやという気がします…。戦争が終わってからというのが何とも気の毒です。
516イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 00:07:53 ID:BvmqkC3o
川崎らの引き揚げ乗船は1946年6月12日と決まります。いよいよ
明日は乗船という前日に、川崎は元所属してた部隊がやはり長江を船で
下って上海にたどり着いたと聞きます。

「94部隊の船が着いたぞお……」

川崎は終戦直前に、南寧での部隊新編成で新しい部隊に転属させられて
いましたが、懐かしい元いた部隊の生き残りが同じ場所に到着したのです。

引き揚げ待ちの日本兵が何万人もいる中を苦労して探しますが、ようやく
元上司の軍医に巡り会います。お互いの部隊の「顛末の話」になると、
その軍医の部隊でも同様に「伝染病」が大流行して約半数が命を落としたと
聞きます。川崎の「独歩517大隊」だけが特異な例ではなかったのです。

川崎は日本への帰還を果たしますが、「自分は衛生兵になったおかげで
助かったのかもしれない。とにかく幸運だった」と回想しています―。
517イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 00:31:33 ID:BvmqkC3o
以上で、短期集中テーマ『生存率1000分の3からの生還』はシマイ
ですが、ここで「雑感のようなもの」をまとめてみましょう。

もっとも顕著なのは、先の『北支の治安戦』テーマで取り上げた「独立
警備歩兵第64大隊」(桑島衛生軍曹の部隊)との余りに大きな差です。
まあ、比較対象がしたくて「生存率1000分の3」テーマを取り上げた
訳ですが。

桑島の部隊(北支)は、敗戦後も「日本軍としての体裁」を維持したまま
八路軍との戦い(治安戦)を続けることを余儀なくされましたが、1946年
初頭に国府軍に武装解除されたのちは、ほとんど抑留されることもなく、また
飢餓や伝染病の苦しみなどとは全く無縁で、そのまま2月に日本へ復員しています。

逆に川崎の部隊(中支)は敗戦後まもなく国府軍に武装解除されますがその後、
長期の抑留生活を余儀なくされて、戦闘とは無縁ながらも余りに多くの病死者を
出しています。しかも復員は1946年6月で、桑島より断然遅れている訳です。
518イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 00:52:10 ID:BvmqkC3o
しかも、川崎の「独歩第517大隊」は終戦後もその事実を知らずに、
1ヵ月余りも山中を彷徨っていますから、他部隊よりも「武装解除」が
遅れています。他部隊の「抑留生活」は、川崎らよりも長かった可能性が
あります。

それにしても驚かされるのは、捕虜収容所内での死者数の余りの多さです。
「生存率1000分の3」云々は、所詮は「引き揚げ時のドタバタ」の中で
耳にした話ですから、もっと生き残りがいる可能性は高いでしょう。

しかし、1つの収容所内で850人もの栄養失調・病死者が出たことは、いくら
『放置プレイ』だったとはいえ、監督者としての支那側の責任は本来、問われ
なければなりません。初期は、日本兵捕虜の給食のピンハネもやっていましたしw。

もし「連合軍捕虜」に対して同じことをしていたら、必ずや『BC級戦犯』として
収容所の責任者・担当者は『槍玉』に上げられていたでしょう。
519イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 01:08:04 ID:BvmqkC3o
『敗戦後の治安戦』による日本軍(北支)の戦死傷者は、約7千人と
既述しましたが、「戦死の2〜3倍は戦傷者がいる」の法則から云うと、
実際の戦死者は1700人〜2千人強といったところでしょう。

ところが、中支の「独歩517大隊」の捕虜収容所内での死者数だけで
850人に上ります。これでは北支で八路軍と終戦後も『よろしく』やって
いた方が遥かにマシということになります。まあ、もちろん中支といっても
部隊の所在地はさまざまですから、一概には言えませんが、どうも大陸打通
作戦で新たに占領した地域にいた部隊が、国府軍の武装解除を真っ先に受けた
ために(必然的に長期間抑留)、酷い目にあった印象を受けます。

また戦後、こういう酷い目にあったことを日本兵捕虜が訴えでないのも
考えさせられることです。敗戦国だから自分が殺されなかっただけマシと
思うのでしょうか? それとも侵略国としての負い目があるのでしょうかw。
520イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 01:28:45 ID:BvmqkC3o
あるいは「日本人の国民性」なのでしょうか? シベリアに抑留されたり、
原爆を叩き落とされないと「堪忍袋」の限界が来ないのかもしれません。

川崎の「独歩517大隊」の捕虜収容所があった場所は、中支の都昌という
?陽湖がよく見える場所です。終戦後も日本に帰ることが叶わず、この地で
永遠に眠ることを余儀なくされた日本兵たちの墓地は、近くの山の「つづじ」
の花が咲く地です。

戦さには 散らぬ運命(さだめ)の彼の霊(たま)は 
丘の夕陽に つつじのみ咲く【川崎】  

つつじの花と湖面を見渡すこの場所に、せめて日本兵捕虜が眠る証に
『日本陸軍独立歩兵第517大隊の墓』という大きな墓標を立てたと
云いますが、もはや幾星霜の歳月、草木に覆われて位置さえ分からなく
なっていることでしょう――(了)。

   、 - _- 、 ___
  / 〆~~~, '"  `ヽ,  イナゾウ大尉、お疲れ様。もうゆっくり休んでいいのよ…。
  l ノ.  、 ! ノ)ノ)λノ))
  ||    メ从i - 。-リi  ナムナム…
  ヽ.__.(Oi#lムliづ 
    ~~~~ <#/i#i#iゝ      (◎)
       ''i_ン_ン"      ヽ|〃 .
                 '゛'゛ ゛゛
522名無し三等兵:2007/04/29(日) 03:44:26 ID:???
バカゾウが!
523名無し三等兵:2007/04/29(日) 04:32:09 ID:???
>また戦後、こういう酷い目にあったことを日本兵捕虜が訴えでないのも
>考えさせられることです。敗戦国だから自分が殺されなかっただけマシと
>思うのでしょうか? それとも侵略国としての負い目があるのでしょうかw。

連合国によるドイツ兵捕虜の扱いも酷いもんでしたが、
あっちでは元捕虜が裁判を起こしたりしたんですかね?
524名無し三等兵:2007/04/29(日) 09:24:05 ID:???
>>523
軍ではないっぽいね。
ポーランドでのドイツ人追放とかは逆訴訟してやる勢いだけど。
525名無し三等兵:2007/04/29(日) 12:03:29 ID:tDq+8QmI
>>507
だいぶ整理出来ました。ありがとうございます。
526だつお:2007/04/29(日) 14:15:54 ID:TLmAeJ5R
>それはチハに対する侮辱ですか

97式中戦車チハは、戦車ではなかった。それは戦車ではなくて、
「97式中国チンピラゴロツキ害虫駆除専門非戦闘用車両チハ」。

中国人も97式中戦車チハについて、それを世界有数の工業力に裏打ち
された恐るべき大量破壊兵器であったか、チハに虐殺された中国人は人間
と呼ぶに値しないほどの知能障害であったことを認めるか、2つに1つだ。
527名無し三等兵:2007/04/29(日) 14:25:15 ID:???
支那の幣制改革ですがこちらのサイトが丁寧に載っていますね

支那事変下の通貨戦争
http://wiki.livedoor.jp/yuyu122222/d/%bb%d9%c6%e1%bb%f6%ca%d1%b2%bc%a4%ce%c4%cc%b2%df%c0%ef%c1%e8
528名無し三等兵:2007/04/29(日) 17:26:14 ID:eu1QH898
差別に就て、その好き嫌いや消長を語るのも結構ですが、論じられているのはその可否です。
差別は自由です。
差別に関して、一般的禁令はありません。
殊にここで議論されて何時人種差別?は、全く自由、否、それを通り越して推奨されています。
憲法は「国民の権利」しか規定していません。
稲造が格別差別しているとも思えませんが、元々差別が自由である以上、稲造に於る差別の有無を論ずるまでも無いでしょう。
稲造の勝!
529イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 22:50:20 ID:LzEPoXZ4
>>523 >>連合国によるドイツ兵捕虜の扱いも酷いもんでしたが、

ドイツ兵捕虜の「戦後」についてはよく知らんので、詳しい人がいたら誰か
答えてあげてくらさいw。まあ日本の場合は、国民政府が国共内戦に敗れて
直ぐに台湾へ落ち延びていってしまったから、状況がややこしいですねえ。

>>527 >>支那の幣制改革ですがこちらのサイトが丁寧に載っていますね

見ましたけど、メチャクチャ分かりやすい! 誰が作ったか知りませんが、
あの複雑怪奇な『幣制改革』をここまで簡潔にまとめるとは驚異の一言です。
思わずブックマーク(お気に入り)の上位に付けてしまいましたよ。また、
コメントも非常に鋭いところを突いていると思います。↓下記は全く同意です。

>>支那事変が、何故起きたか?軍事にばかり眼をやり、単純に日本の軍国主義に
>>責任を押し付けるばかりではなく、当時の『中国経済からどうだったか?』
>>考えないとわからない。
530イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 23:16:58 ID:LzEPoXZ4
まあ「経済問題」からも検証しないと、日中戦争(支那事変)の本当の
ところは見えて来ないのですが、自分は「元商学徒」なのでお金の問題に
対して苦手意識はなく、むしろ『好き』なのが強みと言えば強みですかねえ。

その割に『幣制改革』テーマは頓挫しましたが…w。自分は脱線話が多いと
いうか、全部話さないと気が済まない性質(たち)なので、再チャレンジ
すると『北支の治安戦』の文量を超えるでしょうw。まあ、その意味でも
>>527 のサイトは驚異的なのです。

次回テーマの候補に挙がった『日本陸軍と阿片問題』――これも要するに
経済問題な訳です。1つ結論を言ってしまえば、蒋介石政府の財政に大きな
ダメージを与えると同時に、日本側(特務機関)が膨大な機密費を得ら
れる(また多少は、汪兆銘政府の財政の足しになる)という一石ニ鳥の
政策というか「謀略」なのです。
531名無し三等兵:2007/04/29(日) 23:33:45 ID:???
政治や外交で戦争を綴っている書物は数多くあれど、まあ日米戦より支那事変関係は露骨に少ないが
それよりもさらに少ないのが大正〜昭和初期の日本経済と世界経済から戦争を追った書物・証言がほとんど残っていないというのが実情でしょう。
532イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 23:41:44 ID:LzEPoXZ4
蒋介石政府(財政)にダメージを与えるというのがミソですね。

このスレには『倫理』も『善悪』の概念も必要ありませんので、そういう
点から攻めていきたかったのですが、結局、『日本陸軍と阿片問題』は
次回以降のテーマに回したいと思います。

『北支の治安戦(後半部分)』→『生存率1000分の3からの生還』と
暗い話が続いて、さらに『阿片問題』では気が滅入ると思ったのと、もう
1つの理由として、陸軍の阿片には「某大手商社」も大きく絡んでいますが、
「◆◆◆」や「井井井」の表記はどうしようかなー、とw。一応、参考文献も
明記しますが、実名出すとさすがにヤバイかなー、とw。

いっそ、「商事」と「物産」としか書かないのもアリかなー、とw。
533名無し三等兵:2007/04/29(日) 23:53:09 ID:eu1QH898
支那事変が経済問題に起因すると見るのは到底無理でしょう。
我田に水を引いてはいけません。
534イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/29(日) 23:53:47 ID:LzEPoXZ4
という訳で次回テーマは、ガラッと印象を変えまして『上海航空決戦』で
逝きたいと思います。まあ内容的には、支那側の「航空政策」中心ですが。
文量的には、約3ヵ月程度。「北支の治安戦」よりは確実に短いですw。
535名無し三等兵:2007/04/30(月) 00:09:17 ID:???
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このスレを見てる連中の傾向が分からない
536名無し三等兵:2007/04/30(月) 01:26:52 ID:???
>>533
へえ。なんで到底無理なの?
537名無し三等兵:2007/04/30(月) 02:44:42 ID:???
>>536
お前には理解できないよ
538名無し三等兵:2007/04/30(月) 07:26:03 ID:???
>いっそ、「商事」と「物産」としか書かないのもアリかなー、とw。

どうせ善悪も倫理も関係ないなら
どんどん書いちゃえば? 「六菱」なり「七井」なり
それで何だかんが言ってきたら、そのビジネスに噛んでいた後ろめたさの
現れだろww
539名無し三等兵:2007/04/30(月) 07:54:05 ID:???
元々は国民政府の法幣に打撃を与えるべく偽札の製造に取り組んだが
国民政府のインフレ政策の前じゃ戦争継続の為の物資購入するのがやっとのレベルだもんなあ。
540名無し三等兵:2007/04/30(月) 11:50:03 ID:oVNDD6Yr
という訳で稲造はレイシストとやらではあるまいが、仮にそうであっても何ら差支えない。
嫌なら来るな。
北鮮じゃあるまいし、思想は統制できないよ。
541名無し三等兵:2007/04/30(月) 13:36:04 ID:???
>>537

PU

分かりませんってかW

PU
542名無し三等兵:2007/04/30(月) 15:05:53 ID:???
>>527 このサイトでは国府/日本/米/英というファクターに絞られているので全然登場して来ないが、国府政権による幣制改革がもたらした銀本位から金本位への変換には、
蒋介石の全国統一の成功間際に華北で復活した中共の存在とこれを支援するソ連/フランスという巨大なファクターが影を落としていた。

中共は延安に拠点を構えてから、地主から没収/供出させた銀を元手に独自通貨の“辺区券”を発行し始める。

瑞金での原始共産主義的?(ある意味ポルポトちっくなユートピア建設志向)なアプローチではなく、現実の経済活動に政体として関与しつつ赤化を進める、という毛沢東の現実的なアプローチでもあった。

毛沢東の奇妙な理想主義とそれを実現させるための極めて現実的なアプローチ手法は、彼が地主の子として生まれ農村の経済サイクルに通じていた事と、若い頃に熱心に仏教を学び
心身合一による悟りへ至る修行の過程(この一結実が「体育の研究」である)を、そのまま中国における共産主義の拡大に適合させてしまったが故に大成功を収め得たと言える。
543名無し三等兵:2007/04/30(月) 15:07:48 ID:???
<続き>
瑞金での中華ソヴィエト政府は、同様に地主から没収/供出させた銀を決済手段として用いていたが、それは銀貨として決済手段に用いていただけであり、一方通行で流出するだけの代物だった。

しかし、兌換紙幣という“信用力”が、農村部を勢力範囲に収め“辺区券”を流通させる事で可能になった事で 銀は中共から流出しなくなり、逆に経済活動の拡大に伴う発行量の増加を通じて蓄積されるようになった。

また、中共には農村から産み出されるもうひとつの通貨“阿片”を無尽蔵に製造する事が出来た事も、租税に依存できない中共の財政を健全化させる大きな役割を果たした。

“辺区券”の発行は“頭の変な軍閥”として従来の中国政経界から抹殺されていた中共に、現実の政体としての経済力をもたらし、
周囲の軍閥にも その存在を無視し得ない“商売相手”として、また 収奪対象の農村部を侵食する強敵として認識されるようになって行った。


このような、ある意味“想定外”な中共の変身に、国府政権と蒋介石は大いに動揺するが、中共の経済力を崩壊させるための、
自らも拠って立つ足元である銀を切り落とす金本位制の移行と外幣への換金(ある意味“売国”行為である)と、
蒋介石にとって最後の軍事的切り札だったともいえる張学良の東北軍を派遣しての掃討戦を開始するに至るが、この事が元で蒋介石は大陸を失う結果を招いてしまった...
544名無し三等兵:2007/04/30(月) 15:28:08 ID:oVNDD6Yr
それは国共内戦譚。
支那事変ではない。
545名無し三等兵:2007/04/30(月) 16:11:26 ID:???
日中戦争=支那事変と国共内戦は不可分の関係だよ。

蒋介石(日本側の認識では大軍閥の長)と日本の関係は、防共の実行(=反ソ≒日本の満州権益保護)への蒋介石の力量に比例した。
満州権益をめぐる張作霖/張学良父子と関東軍の対立が満州国を産み、生き残った張学良による西安事件を惹起し、これが日本の運命を決めた。

そして、前述の国府幣制改革のとばっちりで最大の打撃を受けたのも、中国国内に進撃した日本軍。
金は国府、銀は中共に押さえられ、偽札と阿片を資金源にせざるを得なくなった。
今の北朝鮮と似たようなアプローチだが、日本はこの状態で中国大陸全域で戦闘を行っていた。

もともとはブロック経済化の進行で世界経済から締め出された日本が、中国市場を死守せんと中国の軍事的占領を開始したのに、途中から目的と手段が逆転してしまった...

日本人には良くありがちな失敗だが、小手先が器用な民族性が、大局で反映されてしまうんだろうなw
546名無し三等兵:2007/04/30(月) 16:47:05 ID:???
安易に民族論を持ち出すような奴は信用できませんな。
せめて、なぜ「途中から目的と手段が逆転してしまった」か? 
というのを説明しないと説得力皆無。
547名無し三等兵:2007/04/30(月) 16:53:08 ID:???
自らを客観的に内省できないような視点とは、一種の洗脳状態にあると告白しているようなものだw
臆病者の最後の隠れ蓑に閉じこもっているのですかな?
548名無し三等兵:2007/04/30(月) 17:36:42 ID:???
基軸通貨を握ってた英国が金本位制を離脱してスターリングブロックで囲ってるんだから
日本が国際経済から締め出されたというなら米国だって締め出されているな。

残念な事だが日本と支那は地政学的に距離が近すぎた。これが最大の仇となった。普通に欧州並に離れていれば諸外国と共同で支那を管理・運営して問題無かった。
549名無し三等兵:2007/04/30(月) 20:21:56 ID:???
>>548 “日本が国際経済から締め出されたというなら米国だって締め出されている”

米国と日本ではそのプレゼンスが違い過ぎる。

日本は短期的な中国で得られる利益で日米ならびに列国との協調が可能だと考えていたが、米国は長期的に低下し始めた英仏の権益を独占して貰い受ける事に主眼があり(ロシア分の権益はソ連が返還を表明)、日本の考えるような“共同管理”は既に米国の視野には無かった。

まして、相手は産業構造的に米国に依存する“孤立した”日本では、米国が日本を“パシリ”に使う事位しか双方の協力できる余地は無かった。

また、共産主義とファシズムの双方に敵視された英国は、この時期から中国での存在感を急速に失い、中国でのパワーファクターは現実問題として日本とソ連(一時的にドイツが参加)のみになってしまう。

ここに日本の過度の大陸関与が始まり、蒋介石を始めとする多くの軍閥との野合が行われたが、中国側にも日本の抱える脆弱性は認識されており、野戦での精強な日本軍と烏合の衆から脱しつつあった国府軍との力量差も急激に改善されて行った。

そのタイミングで発生したのが第2次上海事変だったが、国府軍の予想以上の戦力は日本軍を苦戦させている。

戦闘の指揮に当たった独軍参謀本部が、もう少しWW1から進歩した作戦計画を立てていれば(もっと言えば瑞金のコミンテルン顧問達が塹壕戦と弾幕に固執しなければ)、一衣帯水とはいえ兵站の脆弱な日本軍は正直勝てたかどうか分からない状況だった。

この点で、塹壕戦を歩兵によって突破する浸透戦術の第1人者たる松井大将の存在という運命の悪戯を蒋介石は呪う結果となり、徐州における松井大将の暴走が日中戦争を膠着化させる原因ともなった。

松井大将は日本留学/陸軍勤務時代の蒋介石の身元保証人であり、第2次上海事変の直前には予備役の身でありながら反蒋的な西南軍区の各軍閥を歴訪し、国府政権への帰順を説いて回っていたほどの親しさでもあったのに、誠に運命とは皮肉なものではある...
550イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 21:14:52 ID:???
>>535 >>ナポレオン〜獅子の時代〜長谷川哲也15 [漫画]
>>このスレを見てる連中の傾向が分からない

「兵士諸君! 君らは裸で飢えている。軍が君らに負うところ大であるのに、
 何ひとつ与えることが出来ない。この岩山の中で諸君らが示す忍耐と勇気は
 素晴らしい。だが、止まるだけでは誰も誉めてくれん! だから俺が、諸君らを
世界一の沃野に連れていこう。そこには富と栄光が転がっている。君達を待っている。

 あー、そうだ。女もいるなァ。最近、俺も最高のを手に入れたが、実に良かったぞ。
 支那女はいいぞォ。美人で優しくて料理がうまい! 彼女たちは誰を待っているか?
 自分たちを悪辣軍閥から解放してくれる強い男だ! 俺たちだ! いいか、俺たちは
 祖国と支那の解放のために戦っている。だから強い! よく覚えておけ!

 支那派遣軍は、地上最強オォォッ!!!」
551名無し三等兵:2007/04/30(月) 21:20:36 ID:oVNDD6Yr
我国の大陸進出は元々経済目的ではない。
征韓論の昔から明らかなことではないか。
物事を経済的に見るのは唯物史観、赤色史観。
552イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 21:27:59 ID:???
>>550 >>このスレを見てる連中の傾向が分からない

まあ、色んな人が見ているということで良いんじゃないですか? 少なくとも
「南京虐殺スレ」みたいに全部、類似のスレで埋まっているよりはマトモかと。
それと同じツッコミが来る前に、

>>支那派遣軍は、地上最強オォォッ!!!

最強なのは、「地上だけ」ですからw。

>>538 >>どうせ善悪も倫理も関係ないならどんどん書いちゃえば?
>>「六菱」なり「七井」なり

訴えられるのは自分ですw。でも商業系板で実名を平気で使っているのを見て
心配しているのがアホらしくなったので、「◆◆◆」「井井井」で逝きたいと
思いますw。
553イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 21:42:40 ID:+ZfUSrtW
>>539 >>元々は国民政府の法幣に打撃を与えるべく偽札の製造に取り組んだが
>>国民政府のインフレ政策の前じゃ戦争継続の為の物資購入するのがやっとの
>>レベルだもんなあ。

最も分かりやすい資料が『陸軍贋幣(にせさつ)作戦――計画・実行者が明かす
日中戦争秘話』(山本憲蔵著・元陸軍主計大佐)です。まあ、いわゆる本人ですw。
既スレでも述べましたが、

日本側が支那で流通させた『偽造法幣』の総額は25億元。在庫や輸送中のものを
含めれば40億元に上ります。そして、国民政府による法幣の発券総額が日中戦争
全体(1937−1945)でどの程度だったかというと、ざっと

●8872億5千万元 です。ご指摘の通り、法幣の超ハイパーインフレの前では、
日本側が流通させた偽札25億元という額は「誤差」とまでは言いませんが、当初
狙っていた法幣の信用を失墜させる効果までは発揮できませんでした。いや、向こうが
「勝手に自滅してくれた」と言うべきか(核藁)w。
554名無し三等兵:2007/04/30(月) 21:46:46 ID:???
>>550
ナポレオンの有名な略奪許可命令ですなw
555名無し三等兵:2007/04/30(月) 21:51:57 ID:???
確変ゲット!
556イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 21:55:33 ID:+ZfUSrtW
ただ法幣の超ハイパーインフレは、日本の敗戦末期のことです。1937年の
法幣発券額は、14.8億元。1940年でも78.7億元。ちなみに国民政府の
財政支出額は、1938年で24億元。1939年には28.5億元。

このくらいで推移していたならば、日本の偽造法幣25億元はかなりパンチとして
効いたでしょう。ところが戦争終盤になると、1944年の法幣発券額は1895億元。
1945年は8月までだけでも5569億元ですから(以下、同文w)。

こういう数字を見ますと、過去スレで自分は「重慶政府にとって日本の降伏――
ポツダム宣言受諾(終戦)は突然であり、早過ぎるものだった」と書きましたが、
経済(金融)が崩壊するギリギリの段階だったのではないかとも思います。え、
もう手遅れ?w

また支那側の「偽造法幣」に対する対応ですが、いらぬ信用不安を煽っても
やぶ蛇なので、ダンマリを決め込むというか、『放置プレイ』だったようです。
557名無し三等兵:2007/04/30(月) 22:03:20 ID:???
>>554
軍の施設を奪取するのは、戦争遂行上当然の行いですが何か?
558イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 22:26:53 ID:+ZfUSrtW
それでも『偽造法幣』によって日本軍が調達した物資はの利益は、当時の時価で
56億円にも達する莫大なものでしたから「コッチの成果の方が大きい」と自分は
思います。決して偽造工作はムダなものだった訳ではありません。

「幣制改革」(通貨)の話は、やるとなったら自分としてもかなり根性決めて
取りかからないといけないので、今回はあえてスルーで…w。他の人が続けられる
分には構いません。並列進行ということでw。

参考図書だけ挙げるとすれば、毎回名前を出している『日中戦争裏方記』(岡田酉次著、
東洋経済新報社)が現場の証言(岡田は汪兆銘政府の軍事兼経済顧問・主計少将)として
ピカイチであり、あとは『日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票』(小林英夫著、
岩波新書)も左の視点ですが、新書のわりに手堅くまとまっていてお勧めです。

>>551 >>物事を経済的に見るのは唯物史観、赤色史観。
それはちょっと同感しかねます。世の中、オカネ、オカネですw。
559イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 22:37:03 ID:???
>>554 >>ナポレオンの有名な略奪許可命令ですなw

正解。今日「COMIC1」に逝きましたら、「座り込み禁止」の張り紙に
この場面がセリフだけ変えて多数貼られていました。多分、最新刊の宣伝を
載せることでOKを取ったのでしょう。

冒頭が「お前等、座わっていたら買えるもんも買えやしねえぞ! さあ、立て!…」
だった気がしますが、後半のセリフを忘れてしまった…orz.w 今朝方、超時空要塞に
逝く電車の中で最新刊を読んでいましたので、余計にビックリしましたw。
560名無し三等兵:2007/04/30(月) 22:56:24 ID:???
>我国の大陸進出は元々経済目的ではない。
>征韓論の昔から明らかなことではないか。
>物事を経済的に見るのは唯物史観、赤色史観。

いいですね、働かないで済む人はw
経済のことが気にならなくてww
561イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 23:10:25 ID:+ZfUSrtW
>>534 >>という訳で次回テーマは、ガラッと印象を変えまして『上海航空決戦』で
>>逝きたいと思います。まあ内容的には、支那側の「航空政策」中心ですが。

先の『北支の治安戦』テーマと同じく、『上海航空決戦』テーマもまた1つの
論文に依拠します。「中国空軍の対日戦略――日本爆撃計画を中心に」(萩原
充著)からお世話になります。

「北支の治安戦」は何やかんや言って、論文の他に各種戦記、戦史叢書、『岡部
直三郎大将の日記』…など総合しましたが、今回は本当にこれ頼りになりそうな
悪寒……。あと自分は兵器類はあまり専門でないので、その点はご容赦くださいw。
562イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 23:33:59 ID:+ZfUSrtW
さて「支那の空軍力」は、日中戦争(1937年〜)が勃発する直前の
数年間で急速に拡大されていく訳ですが、これは何故でしょうか?

対外的には、日本への対抗がもちろん挙げられます。満州事変後の第一次
上海事変(1932年)で支那は初めて、外国との航空戦を経験します。

日本海軍の第3艦隊(野村吉三郎中将)隷下の空母「加賀」「鳳翔」から
飛び立った艦攻機が上海や杭州の「支那航空基地」を爆撃し、杭州上空では
激しい迎撃戦が繰り広げられました。

また遡れば「済南事件」(1927年)でも爆撃を受けていますし、支那側の
東支鉄道の実力回収をめぐる「中ソ紛争」(1929年)でも酷い目に遭って
います(張学良軍がw)。

そして何より満州事変(1931年)中にカンジが行なった「錦州爆撃」は
航空機による「都市爆撃」の先駆けとする向きもあります。
563名無し三等兵:2007/04/30(月) 23:41:40 ID:???
ttp://vintage-aviation.hp.infoseek.co.jp/sino-japanese-war.html
参考になるか分からない微妙なものを置いておく
564イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/04/30(月) 23:56:27 ID:+ZfUSrtW
やはりデカイのは「第一次上海事変」(1932年)なのですが、日中戦争が
勃発する1937年まで、あと5年間しかありません。この短期間で国民
政府が『空軍力』を整えるために何を目標とし、どこまで実現できたのか、
最後にその成果となる緒戦の「上海航空戦」に触れるのが本テーマです。

まあ、蒋介石とすれば、万全の戦備を整えるのに1937年は早過ぎた
開戦でしたでしょう。

また支那は『空軍力』の整備に大きな力を注ぐ訳ですが、何も日本に対する
「意趣返し」の目的だけでは当然ありません。むしろ国内的な問題から、
空軍を建設する必要性に迫られた訳ですが……(続く)。
565だつお:2007/05/01(火) 00:36:16 ID:ho/xloFj
対日戦は対独戦と比べれば3対7でどちらかというとマイナーな位置づけだ。
それだけでも中国の立場は肩身が狭い。中国などいくら大陸打通されても、
中国人が3500万人虐殺されても、米英から見れば興味の無いことだった。
中国とか中国人とかは、無価値なチンピラゴロツキが沢山涌いてくるだけ。

中国の役割はただでさえマイナーな対日戦だけ、しかもそれさえも皇軍の
大陸打通で散々ドツキ回され、連合国としては何の役割も果たさなかった。
ドリフターズで言えば高木ブーみたいに、「そこに居るだけ」の存在。
566名無し三等兵:2007/05/01(火) 01:24:59 ID:???
俺はドリフターズはよく知らなかったが高木ブーのことはちゃんと知っていた。
567名無し三等兵:2007/05/01(火) 07:59:27 ID:???
いやいや
日本軍百万をこの戦線に貼り付けていた

>連合国としては何の役割も果たさなかった
568名無し三等兵:2007/05/01(火) 13:18:26 ID:???
イナゾウ氏は
安達 誠司「脱デフレの歴史分析」読んだ?
松方デフレから金解禁論争、幣制改革まで
いろいろ書いてあっておもろい本だぞ
569名無し三等兵:2007/05/01(火) 19:32:50 ID:???
>ドリフターズで言えば高木ブーみたいに、「そこに居るだけ」の存在

そこに居るだけでも
小は片田舎の部落の1個分隊から
大は大都市に駐屯する1個師団まで兵力を割かねば成らない
ので居ないよりかは増し
570イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/01(火) 22:36:18 ID:y5sSp6h8
>>565 >>それだけでも中国の立場は肩身が狭い。
連合国にとっての『ビルマ戦線』よりはマシですw。

>>ドリフターズで言えば高木ブーみたいに、「そこに居るだけ」の存在。
高木ブーに比べれば、仲本工事はさらに地味だが活躍度は高いということかとw。

>>568 >>安達 誠司「脱デフレの歴史分析」読んだ?
未読ですが、チラとAmazonのレビューを見ましたら『5つ星』ばかりで
凄そうですね。「幣制改革」に触れているのは興味をそそられます。レビューの方が
指摘されていますが、日本が華北に円経済圏を築こうとして支那・国民政府と英米に
経済戦争を仕掛けたが挫折w、『その後の太平洋戦争はオマケに過ぎない』という
のは全く同意です。

>>569 >>居ないよりかは増し
それは日中戦争を考える上で「永遠のテーマ」ですw。
571イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/01(火) 22:59:55 ID:y5sSp6h8
>>564 の続き。>>むしろ国内的な問題から、空軍を建設する必要性に迫られた

1つには「交通の便」です。その昔、支那の地方長官は「中央で行なわれる
会議に出席するのを嫌がった」と云いますが、その理由は往復に数ヵ月など
時間がかかり過ぎるため、ともすればその間に自分の国が乗っ取られて無く
なってしまうからです。

支那の「地方長官」は、実質その地方の領主でしたので、地位を失うことは
自分の国を失うこととイコールです。ここまで聞いて「何を大昔のことを」と
思わないこと。辛亥革命から国民政府による統一までの『軍閥割拠』は、全く
状況が変わりないからです。

これは地方長官とは逆の立場にある、中央からしても自己のコントロールが
及びがたいと云えます。要するに、支那は「1つの国」として統治するには
大き過ぎた訳です。これは近代的な『中央集権国家』を成立させるうえで
致命的だった訳ですが、「航空機の出現」によって状況が一変します。
572イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/01(火) 23:30:18 ID:y5sSp6h8
例えば、北京や南京から航空機で3〜4時間も飛べば、大抵の国境線まで
辿り着くことができます。「中央の統治力」を支那全土まで容易に浸透させる
ことが可能になったのが、空軍を重視するようになった1つの理由です。

例えば、日中戦争が勃発する大きな契機となる『西安事件』(1936年12月12日)
を挙げてみましょう。張学良と楊虎城に対して「中共の掃滅」を厳命しようとした
蒋介石が逆に捕えられるという事件ですが、そもそもの蒋のスケジュールは
南京から西安に航空機で飛んで、それから更に綏遠へ飛び、日本の関東軍が支援
する内蒙古軍(徳王)を破った傅作義軍を激励して、12月12日には南京に戻るという
ハードな日程でした。これも航空機の活用以前は考えられなかったことです。

また事件の解決のために、蒋介石の妻・宋美齢が『空軍機』で西安に乗り込み、
張学良と周恩来に会見。国共合作を受け入れることで、蒋介石の救出に成功。
12月26日には『空軍機』で無事、夫とともに南京に帰還しました。う〜ん、
ダイナミックw。
573味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/05/01(火) 23:39:18 ID:???
朱徳・周恩来らの中共要人が国民政府と
会談を持つため重慶までの移動手段も国府空軍機。
毛沢東までがこの「延安空路」を利用していたが
不思議と事故は無いw
574イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/01(火) 23:51:07 ID:y5sSp6h8
>>564 >>むしろ国内的な問題から、空軍を建設する必要性に迫られた

もう1つの理由は、当然「国共内戦」です。中国共産党の掃滅目的です。
いわゆる『長征』(1934―1936年)が行なわれる以前、中共の
最大根拠地は「江西省の瑞金」にありました。

この「江西ソヴィエト」に対する国民党軍の包囲討伐が、第5次にわたる
まで繰り広げられますが、第1次〜第4次までは紅軍が山岳地帯に籠って
ゲリラ戦を展開したことでコテンパンに反撃されますw。

この辺りもいつか「小テーマ」で取り上げたいと思いますが、要するに
国民党軍が兵力を小出しにしたことと、中共の身軽なゲリラ戦(機動戦)に
全く対応できなかった訳です。

極端な喩えをすれば、こちらは雪山登山ぐらいの装備を背負っているのに、
中共はほとんど装備を持たない(つーか、持てない)ピクニック感覚ですw。
昼夜を問わず走り続けて、国民党軍は気が付いたら側背に回り込まれている訳です。
575イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/02(水) 00:13:18 ID:29JmwNn4
こうした山中深くに潜伏する「中共軍(紅軍)」を殲滅するのに効果的だったのが
『空からの爆撃』だったと云います。

結局、第5次の包囲殲滅戦は、国民党軍が100万規模の兵力を用意したこと、
「塹壕戦(トーチカ)」を展開したのと中共が戦略を間違えて自身も塹壕戦に
つきあったこと、そして当時僅かしか保有していなかった航空兵力まで国府軍が投入
したことで大敗し、その後の『長征』へと繋がりますが、これはテーマが違いますw。

何しろ国民党軍は、『航空署』(航空行政を統括する、いわば空軍省)を南京・上海から
ほど近い「杭州」(浙江省)から、「南昌」(江西省)に移していますので、気合の
入れ方が違います。もちろん江西省は、中共の最大根拠地の「瑞金」がある省ですよ。
要するに、最大の戦地に移動させた訳です。

また兵頭軍師の言葉に「対抗不能性」というものがありますが、国府軍が対中共に
空軍を投入したことはその典型例と言えます。これは『対処不可能』という意味では
なく、中共は同じ手段をもって対抗(報復・お相子)できないという意味合いです。
やり返せないというのが一番、味方の志気を阻喪させます。
576名無し三等兵:2007/05/02(水) 00:16:24 ID:D+may1o9
>>565
>>566
高木ブーが、シナリオを書いていたという説もあるぞ。
577イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/02(水) 00:33:21 ID:29JmwNn4
>>573 >>毛沢東までがこの「延安空路」を利用していたが不思議と事故は無いw

米国大使のハーレイが一緒に居合わせたからでないかい? 例えば、
『日中戦争がよくわかる本』(太平洋戦争研究会、PHP文庫)の最後の設問に、

「蒋介石との会談のため、延安から重慶に到着した毛沢東と周恩来、
 会談の仲介役となったハーレイ米大使。1945年8月25日」

と3人並んで写っているフォトが載っていますし、ネットにある
「インフカム:ハイビジョン映像ライブラリー」ですと、

「重慶会議―飛行機から降りてくる毛沢東と周恩来/国民党幹部と握手/
 米国特使ハーレイと並ぶ毛/毛CU」

というフィルム(16mm)がダウンロードできるようです。お金を取られる
みたいですがw。まあ、毛をブッ殺したいのは山々でしょうが、米国の機嫌を
これ以上ないくらい損ねるのだけは遠慮したいとw。
578味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/05/02(水) 09:05:37 ID:???
>>中佐殿
なるほどです。
COIN航空戦のハシリを国民政府はやっていたんですね。1934年頃に!
ドイツ顧問の提案に蒋介石が乗ったのか?

579名無し三等兵:2007/05/02(水) 09:45:11 ID:???
↑フォン ゼークトの指導した瑞金戦での大勝利で、蒋介石がドイツへの傾斜を強めていた時期。
蒋介石の次男(本当は養子で日中混血)の蒋緯国も36年に独軍へ入隊し、ポーランド電撃戦まで軍務に携わっていた。

このため1937年当時の国府中央軍は、中国兵で構成され独軍将校に指揮される軍団と化していたが、
中国軍のドイツ人への盲信(当時としては最強の航空機と戦車を有し、分隊単位で軽機を配備する日本軍には、WW1当時のままの塹壕戦術は時代遅れの戦術でしかなかった)と、
蒋介石の不相応な自軍能力への過信(かなり改善されていたとはいえ 日本軍に比較すればまだまだの実力)が、第二次上海事変での大敗へとつながった。

実際、ゼークトラインが突破された事を知った前線の独軍士官達(WW1を生き残った古参である)の多くは、自ら武器を取って殺到する日本軍と戦って死ぬ途を選んだ。
580イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/03(木) 00:08:21 ID:1QPkvR49
>>575 の補足で少し脱線します。「第5次包囲殲滅戦」において中共の実質的な
指導者だったのが秦邦憲(しんほうとく:ソ連留学組)です。秦はコミンテルン
から派遣された顧問であるウィッテの指導を鵜呑みにして、蒋介石軍が仕掛けた
『塹壕戦』にまともに付き合ってしまいます。

兵力100万人規模の圧倒的な国民党軍の包囲に対して「塹壕戦」で向き合うのは
無謀以外の何物でもないと、毛沢東・周恩来・ケ小平らは反対しますが、党中央の
決定は覆りません。余談ですが、第1〜4次の「包囲殲滅戦」を打破した毛の作戦
能力は、この頃が一番光っていましたけどねw。

結果として、ここに支那史上初めての、支那人同士による『近代的な塹壕戦』が
繰り広げられる事になります。秦邦徳の決心としては、この瑞金での戦いが中国
共産党と国民党の「最終決戦」であり、また「江西ソヴィエト」の基盤は脆弱で
あり、このままズルズルと戦闘を続けていけば疲弊して絶望的状況となる――。

ここで短期決戦に勝利しなければ、革命そのものが失われるという考えだった訳です。
581イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/03(木) 00:55:06 ID:1QPkvR49
また中共の軍事顧問だったウィッテは、WW1やロシア革命を経験した「ソ連式」の
陸戦をベースとしており、紅軍のゲリラ戦術に内心苛立ちを覚えていたと云います。

加えて、国民党側にドイツの軍事顧問がいることは当然知っていたでしょうから、
いらぬ対抗心が芽生えた事実は否定できません。結果として、WW1の「意趣返し」
というか、支那人をダシに使った独ソの『場外乱闘』ですw。結果は、中共の大敗です。

>>573 >>毛沢東までがこの「延安空路」を利用していたが不思議と事故は無いw

ちなみに秦邦憲はこの後、毛沢東に主導権を奪われ、支那事変後は重慶で八路軍
連絡使節団、『解放日報』編集長などを務めますが、国民党との政治協商会議に
出席して重慶から延安に引き返す1946年4月8日、飛行機事故で死亡して
います。うーん、何か怪しいw。
582イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/03(木) 01:32:43 ID:1QPkvR49
>>564 >>むしろ国内的な問題から、空軍を建設する必要性に迫られた

そもそも支那は約300万の兵力をもつ陸軍国な訳ですが(数字上はw)、
広大な国土のために指揮の統一がすこぶる困難です。また縷々述べてきた
ように、その実態は「軍閥の寄り合い所帯」であり、一応の名目として
国民政府の蒋介石を担いでいる(渋々ながら)ようなものです。

大兵力の移動を考えただけでも、あるのは半植民地時代に列強によって
建設された(民族資本も多少なりとも)鉄道が頼りで、大規模な軍道も
整備されているとは云えないでしょう。

例えるなら「元横綱の曙」のようなもので、自分の図体を持て余すどころか、
いつ自分の足を引っ張る毒(地方軍閥が反旗を翻す)になるか分かりませんw。

では他に何があるでしょうか? 陸軍だけでなく『海軍』に力を入れるのは
どうでしょうか? 答えは、もちろん「NO」ですよね。
583イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/03(木) 02:04:14 ID:1QPkvR49
日本海軍の建設の歴史を振り返れば容易に分かるとおり、海軍の増強には
膨大な時間とコストがかかります。また大量の人材育成も必要になります。

仮に国民政府が1930年代初頭から必死になって中古の戦艦なり、そこそこの
巡洋艦・駆逐艦もろもろを整備したとして何になるでしょう? 居留民保護の
(上海)陸戦隊にとっては大きなプレッシャーになりますが、いざ本格的な
海戦となれば、鎧袖一触です。

史実での国民政府海軍は、
●軽巡洋艦・寧海級2隻 ●小型駆逐艦・砲艦29隻 
●河川砲艦・武装輸送艇53隻 ●魚雷艇8隻 
で、総排水量は7万トンに過ぎないものでした。

ちなみに海軍の兵員は1万2千人、陸戦隊が3800人です。この弱体な海軍を更に
●第1艦隊(上海沿岸、司令部:上海) ●第2艦隊(揚子江、司令部:上海)
●第3艦隊(東北部沿岸、司令部:威海衛) ●第4艦隊(広東沿岸、司令部:広東)
と分けており、全戦力の7割を上海と揚子江に置いていました。
584イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/03(木) 02:33:28 ID:1QPkvR49
辛うじて脅威になるのは、軽巡洋艦「寧海」級ですが、そのスペックは
排水量2500トン、6インチ砲6門、速力22ノットで、軽巡洋艦と
表現するより駆逐艦を強化したものと云った方が正確でしょう。

この2隻は、第二次上海事変が勃発した直後の1937年9月23日に
日本海軍機の攻撃によって揚子江で真っ先に撃沈され(その後、日本軍に
よって引き揚げられて再利用、<五百島・八十島>)、その他の支那艦艇も
開戦2ヵ月ほどで28隻が、空母「加賀」「鳳翔」から飛び立った日本機に
より撃沈されました。

史実から想像がつくように「海軍」を中途半端に強化したところで、米英に次ぐ
No.3の海軍力をもつ日本海軍によってなぶり殺し、または「標的艦」の数を
増やすだけの結果に終わるでしょうw。

それでは「空軍」の強化だったらどうでしょうか? というところで、長い長い
「序の段」の話が終わりますw。
585名無し三等兵:2007/05/03(木) 04:11:02 ID:???
張作霖爆殺は立派な国家テロですよね?
586名無し三等兵:2007/05/03(木) 08:33:02 ID:???
なら米国のカダフィ暗殺も国家テロだな。
587名無し三等兵:2007/05/03(木) 09:05:21 ID:???
暗殺どころか軍事介入だってするわけで。
588味噌大福 ◆rA.hP9PeWw :2007/05/03(木) 10:09:48 ID:???
>うーん、何か怪しいw。
支那事変〜国共内戦を精査したら怪しい事ばかりですな
例えば、1937年12月に南京防衛を「放棄」していち早く
遁走した唐生智という男、一時は「敵前逃亡」で処刑説も出ていたが
「正規の撤退命令を受令していた」と言う事で死刑にもならず
そのまま生き延び最後は台湾にも行かず大陸に残って中共側の要職についている。
とことん怪しい男ですw
おっと脱線スミマソ
589名無し三等兵:2007/05/03(木) 11:09:06 ID:???
>>580 “余談ですが、第1〜4次の「包囲殲滅戦」を打破した毛の作戦能力は、この頃が一番光っていましたけどねw。”

そう、純粋な軍事作戦という点では。
しかし、その後の長征と延安での根拠地建設、終戦までの日本軍の利用、と 毛沢東は政治指導者として、どんどん成長していった。
これが悲惨な結果を招いた大躍進と文革に至る、アンタッチャブルなカリスマたる毛沢東を生んでしまった訳だが...

尚、予断つながりだが、長征への途上で毛沢東が全権を掌握できた最大の理由は彼の出生にあった。
毛沢東の母は、本来漢族と通婚しない苗族の人であった。一般的に父系を主とする漢族は父の名を継ぐが、苗族には母系の伝統が強く、苗族から見た毛沢東は苗族の人間と認識されている。

山間部を逃走する紅軍に苗族が対立するか否かは、紅軍の生死を決する重要な要素だったが、これを“血”によって解決できたが故に毛沢東は紅軍を手中にする事ができた。

この毛沢東の微妙な立場は、後のインドシナ戦争での中国の行動にダイレクトに反映されている。
ホーチミン(胡志明/阮愛国)のベトミン軍が根拠地としたのは、越北地区と呼ばれた苗族の多く居住する山間部だった。

このため、インドシナ戦争初期の中国は、ありとあらゆる支援をベトミン軍に対して行っていた(両国をまたがって使用できる元/ドン両表記の通貨も発行されていた)。
しかし、ベトナムが独立を達成するや長年にわたるベトナム人と苗族の対立関係が再燃し、中国はこれに越北地区を自治区として保護させる事をベトナム側に呑ませた。
(同時に北ベトナムに居住する華僑にも中国籍の維持と商業活動の自由が認められた)
590名無し三等兵:2007/05/03(木) 11:21:03 ID:???
<続き>
やがて、インドシナ戦争が南部とラオスへと主戦場を移すと、今度はラオス王国軍側に付いた苗族と、ベトナム側の越北地区で暮らす苗族(辻正信を処刑したのもこの苗族部隊)との代理戦争が激化して行く。

このため、中国は北ベトナム政権とは常に微妙な距離を保ち、南部へは継続しての大規模支援(直接ベトコン部隊を指揮するべく中国軍将校も多数送られた)を行いつつ、ラオスでの戦闘では双方の苗族が“安全圏”として中国領を利用できる暗黙のルールが維持された。

インドシナ戦争が南ベトナム政権とラオス王国の消滅で終結すると、民族問題は再燃し、統一ベトナム政権は越北地区の自治権取り上げ と 華僑の経済活動禁止と強制帰化に乗り出す。

この事で中越関係は一挙に悪化し、ついには中国軍のベトナム侵攻による中越戦争へと至る。

一方のラオスでは、事実上のベトナム傀儡であるパテトラオ政権による全土掌握と、これに対抗する苗族ゲリラとの抗争が90年代まで続く事になる。

今世紀になって、ようやくラオスの反政府系苗族勢力指導者のバンパオ将軍の帰国による国民和解が実現されるかに見えたが、帰国を前に苗族ゲリラの活動が活発化したため頓挫し、最終的に大部分の反政府系苗族を米国へ移住させる事が決定された。
591名無し三等兵:2007/05/03(木) 17:51:06 ID:???
毛沢東時代の中国のインドシナ政策には苗族という無視出来ないファクター
が存在したということですね。
592名無し三等兵:2007/05/03(木) 19:54:36 ID:???
華僑っていつも碌な目に合わんな
593名無し三等兵:2007/05/03(木) 20:18:01 ID:???
東洋のユダヤ人だからね。
594イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/03(木) 22:38:34 ID:L3UwHmWY
>>588 >>1937年12月に南京防衛を「放棄」していち早く遁走した唐生智という男

いま帰省しているので手元に資料がありませんが、前掲の『蒋介石日記』には唐生智の
回想として、「罪を抱える身で出頭したが、思いのほか(蒋介石に)暖かく迎えられて
至って恐縮した」などと戸惑った様子が見られます。

まあ、処刑するのは容易だったでしょうが、今後の抗日戦を考えるならば他の司令官に
与える影響から得策ではないと判断したのかもしれません。同様な温情措置は、大陸打通
作戦中の「衡陽攻略戦」の後にも見られます。しかし、蒋介石が生温い男ということでは
全く無く、処刑もバンバン命令していますから、どういう基準で処刑が決められているかは
蒋のみぞ知るというところですw。

まあ「南京戦」については、唐生智の責任を問うと「蒋自身の責任」まで追求される
ヤブ蛇を恐れたのかもしれません。ミッドウェー敗戦で南雲と草加を処罰できなかった
山本五十六みたいなものかと。上海の防衛に固執しすぎて後退命令が遅れ、南京まで
『一直線に総崩れ』になった原因は、その多くが蒋介石にありますから。
595イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/03(木) 23:25:44 ID:L3UwHmWY
>>584 >>それでは「空軍」の強化だったらどうでしょうか? というところで、
>>長い長い「序の段」の話が終わりますw。

まず「空軍の拡充」は海軍のそれに比べれば、短期間で経費も安くつきます。
必要な人材育成も少数で済むでしょう。何よりも重要なのは『即効性』です。

もちろん支那の場合、航空機と補給物資は全て外国からの輸入に頼らざるを
えませんが(現地で組み立て工場を作るにせよ)、その代わりに欧米からの
『輸入機の性能』(最新鋭機かはともかく)が、日本軍機を上回る可能性も
あり得ます。

当時の航空機の「性能向上」は日進月歩であり、今日の新鋭機が1、2年も
すれば立派な旧式機ですw。日本はどうしても国産に拘る必要性がありますし、
欧米の戦闘機・爆撃機を輸入(実戦に投入できるだけの数)しようにも、先方が
外交上それを許さないケースがほとんどでしょう。
596イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/04(金) 00:05:56 ID:8KtJoBH4
艦艇に比べれば、航空機は基本的に『消耗品』ですし、支那の技術レベルを
考えれば早晩に使い潰すことが目に見えています。仮に最新鋭機を渡したと
しても、要するに大した脅威にならないという事ですw。支那という巨大な
経済マーケットを考えれば、『空軍拡充』に向けた欧米各国の協力も得られ
やすいでしょう。

また航空機は、機体の性能差と個人の技量がものを言いますから、局地的には
日本軍機を圧倒できるやもしれません。そして空軍を整備する事で一足飛びに
『日本本土爆撃』する願望さえ抱いていた訳です。

まあ、「元横綱の曙」にハジキ(飛び道具)を持たせるようなものでしょうかw。
支那が夢見た日本本土爆撃は、支那事変初期に『奇形』の形で実現しますが、
これはのちのち触れることになります――。
597イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/04(金) 00:37:03 ID:8KtJoBH4
さて長い前ふりが続きましたが、支那の『空軍力』は日中戦争が
勃発(1937年)するまでの数年間で、急速な拡大がされます。

欧米列強から各種航空機が輸入されたほか、『空軍顧問』も多数招聘され、
多くの航空学校で人材育成(支那人パイロット・整備士)にあたります。

そのほか外資合弁による「飛行機工場」も建設され、飛行場・通信設備の
整備も始められます。もはやドーピングに近いですが、これは空軍に対して
多くの予算が優先して分配されていたためです。

支那事変・勃発直前の予算を見ると、空軍へは7000万元が分配されており、
陸軍の1億2000万元には及ばないものの、海軍の229万元に比べれば、
その額の巨大さが一目瞭然でしょう。

また、航空部隊の統一も急速に進められます。
598名無し三等兵:2007/05/04(金) 00:46:39 ID:???
>>596
>支那が夢見た日本本土爆撃
ああ、ビラの奴ですな。
599イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/04(金) 01:08:18 ID:8KtJoBH4
もともと支那の航空兵力は、蒋介石(国民政府)の直系部隊に旧軍閥から
接収した部隊を加えた『中央部隊』の他に、西南・西北諸省を中心に独立
部隊が相当残っていました。

要するに中央政府のコントロールが服さない軍閥が残っていた訳ですが、
1930年代半ばでもこの状況ですw。しかし福建事変後の1934年に
『福建航空隊』(19路軍)が、両広事変により『広東空軍』がそれぞれ
中央に編入されたことで、『支那空軍』の陣容は一気に強化されたのです。

ちなみに「福建事変」は、陳銘樞・李濟深および19路軍が、国民政府を
否定して福建に『中華共和国』を革命樹立(1933年11月)しましたが、
2ヵ月で国府軍によって崩壊させられた事件です。

また「両広事変」は、1936年に広東軍閥の首領で「南天王」とも称された
陳済棠が、李宗仁・白崇禧らとともに反蒋・抗日を掲げて反乱を起こした事件
ですが、これも失敗に終わっています。
600イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/04(金) 01:43:05 ID:8KtJoBH4
ここを読んだだけでも、いかに国民政府が『中央集権国家』からほど遠い
存在だったかが分かると思いますが、最大勢力である「広東空軍」を編入
支配下に置けたのは非常に大きかった訳です。

これにより独立部隊の空軍をもつのは、雲南・四川・新疆・山西などの
数省に限られる事になります。しかし前3省は支那でも僻地中の僻地ですし、
山西省は「あの閻錫山」が支配する地域ですからねw。

上記のように1930年代半ばで急速に、国民政府の接収(反乱の鎮圧という
形で)が進むのは、『幣制改革』による経済支配の影響も大きいでしょう。

この辺りを日本に強引に喩えますと、幕末に雄藩が独自に海軍を整備していた
のに近いですかね。まあ、明治維新ともにそれぞれの船が献納されて、明治
海軍の基礎が成り立っていく訳ですが、支那の場合はそれが「空軍」となる
わけです。まあ、その実態は「力関係」による接収ですがw。
601名無し三等兵:2007/05/04(金) 01:49:12 ID:K+KFnMz7
今晩はもっと更新希望のする
台湾の暑さに長夜はまだまだだ^^;
602名無し三等兵:2007/05/04(金) 13:12:16 ID:???
逆に海痔はケンポゥに守られてるので使命感ゼロでーす。俺達が
矢面に立つこたぁ無いよという雰囲気に包まれてます。自分達を卑下するようで
辛いけどさ。その点、海保は凄いよねえ、働く若者?みたいなNHKの番組で
見たが二十歳そこそこの若者が朝鮮の船を追っ払う為にハングルを習得して
ハングルでがんがん警告与えてるの。ありゃあ関心した。護衛艦の同世代なんて
上陸して飲んで風俗いってギャンブルでと人生と金を無駄遣いすることしか
考えてないもんなw
603名無し三等兵:2007/05/04(金) 15:02:12 ID:???
>>594 “どういう基準で処刑が決められているかは蒋のみぞ知るというところです”

蒋介石の信賞必罰の基本は“国民政府(=蒋家天下)の命令に従ったのか、否か”という一点のみです。

蒋介石の部下たる国府軍の将官達は、全員が軍閥出身で蒋介石直系といえば悪名高き陳兄弟のCC団(中央倶楽部)→軍事統計局や、
そこから派生した戴笠の藍衣社(中国版笑顔で銃口を向けるファシスト達)といった小物連中しかいません。
(因みに、バンコクで終戦を迎えた辻正信が接触して、敵中潜行三千里の旅に出るきっかけとなったのも戴笠の藍衣社でした)

この“寄せ集め”集団の中で、“蒋中正”として公明正大に振舞うためには、下命とその実行のみを基準にせざるを得なかった訳です。

尚、1937年12月の南京攻防戦に際しての唐生智の行動ですが、日本語のサイトでは、南京城内の敗残兵の交戦資格を云々する南京大虐殺否定リビジョニストによって
「敵前逃亡指揮官」呼ばわりされている唐生智ですが、実際には蒋介石の命令に一部反したものの最終的には従ったので、帰還後も“セーフ”だったようですねw

 12月11日 蒋介石は南京固守を諦め、唐生智に撤退を命令

 12月12日 死守作戦にこだわっていた唐生智は、夕方になって ようやく全軍に撤退命令を出す

なにより保定軍官学校卒で、国民政府にとっては生え抜きの人材ですから、汪精衛同様に簡単には蒋介石も手を出せないレベルだったと言えるでしょう。
604名無し三等兵:2007/05/04(金) 16:55:45 ID:kJKcMrsZ
藍衣社がどうしてファシストなのよ。
あんた赤いよ。
605名無し三等兵:2007/05/04(金) 17:32:56 ID:???
“上海の防衛に固執しすぎて後退命令が遅れ、南京まで『一直線に総崩れ』になった原因は、その多くが蒋介石にありますから”

そう、蒋介石が上海に固執したのは、自軍を維持する最大の資金源が上海を中心とする江蘇地域からの租税収入にあったため。

実際にはこの地域の経済的権益を代表する水上交通は英国に握られていたが、第二次上海事変で蒋介石が用意した大部隊は、上海租界進駐(租界の主権は元々中国側にあるので既得権の復旧といったところか?)用途も兼ねていた。

蒋介石の目論見通りに行けば、上海近郊に築いたゼークトラインで上海から進出した日本軍は大損害を出して撤退。

その後、優勢な部隊数を背景に上海全域を包囲し、残存部隊救出のために接近する優勢な日本海軍艦艇は沿岸に近づいた艦から順番に空軍機で攻撃し、
補給が途絶えた虹口の日本租界(と、日本側が勝手に言っていただけで、実際には日本人スラム地域)で敗走した日本陸軍残存部隊と海軍陸戦隊は降伏し、
余勢をかって洋鬼の紳士淑女に敬礼しつつ共同租界を通過して、最終目的地であるフランス租界まで進出して“中国最強の軍閥”青幇の本拠地に乗り込み、
“古い友人”である杜月笙に仕事からの引退を表明させて宋美齢誘拐事件の落とし前を付けさせる、というのが1927年の上海クーデター以来 蒋介石が天下統一の総仕上げとして夢見ていた計画だった。
606名無し三等兵:2007/05/04(金) 17:33:38 ID:???
<続き>
その前哨戦が共同租界への誤爆(?)だったのは奇遇とも言えるが、結局 この夢は日本軍敗退後に息子 蒋経国にやらせた上海打虎作戦でも実現できなかった。

1927年の上海クーデターでは青幇の杜月笙の力を借りて、中共を上海から一掃する事に成功した蒋介石だったが、第二次上海事変では もしかして青幇の力は逆に作用していたのかも?しれない。
事実、上海〜南京陥落後 青幇は組織として日本軍の偽札流通の中国側窓口となり、日本が入手困難だった多くの戦略物資の入手に協力していた(同時に国府特務の対日本軍テロ攻撃にも協力していた)し、
杜月笙自身は蒋介石が篭城した重慶ではなく、英国統治下の香港に逃れていた。

尚、この当時 日本軍特務も青幇をはじめとする秘密結社との関係強化に躍起となっており、そんな中で生じた政略結婚の末に産まれながら戦後は残留孤児として筆舌に尽くし難い苦労をしつつ
日本へ渡った人の手記があったのを思い出すが、そんな事が無数にあったのだろう。

蒋介石はその人生を大上海でのし上がる事に賭けてやって来た田舎者だった。
彼は様々な寄り道をしつつも、その存在は常に上海の興隆とともにあり、常に共にあったのが青幇の杜月笙と宋美齢だった。
607名無し三等兵:2007/05/04(金) 17:48:03 ID:???
藍衣社≠ファシストとは奇特な人もいたもんだw ならば藍衣社=テロ屋とでも呼ぶのかい?

台湾では実際そうだったが、大陸では生活改善運動みたいな事もやってて、決して強面だけの集団ではなかったのだよww

その組織を一般大衆にまで拡大して活用したのが中共の保甲組だからね〜...
608名無し三等兵:2007/05/04(金) 17:58:52 ID:???
>辻正信を処刑したのもこの苗族部隊

辻政信を処刑??
はぁ?
609名無し三等兵:2007/05/04(金) 18:23:08 ID:WS6m6DHg
>>608 まさかとは思うが知らないのか?w

ここの下の方に日本の公的機関としては唯一の辻正信議員失踪事件についての記述がある。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/071/1110/07106141110012c.html

失踪当時から、辻正信と最後に接触した赤坂勝美(小野田さんと同じく陸軍の残置諜員だったとされる)と失踪の関連について取り沙汰されていたが、辻正信を処刑したとされる人物が、
その後のラオス(勿論、いまだに一党独裁体制であるw)で要職を歴任した人物でもあり、 当の赤坂勝美はラオスから突然の国外退去処分となって帰国後に急死し、関係者は誰も真実を語らないまま時間だけが経過してしまった。

それでも、15年ほど前に辻正信を処刑したとされる人物へ、日本の新聞記者がパーティ会場で接近し辻正信の消息について尋ねると「真実はいづれ明らかになるでしょう」という曖昧な返答だけが残されたという事実は残っている。

処刑された当時、辻正信は航空自衛隊への戦闘機納入への口利き疑惑で喚問される寸前の出国(議員の不逮捕特権を利用した)だったが、
本人は周恩来に書いてもらったホーチミンへの紹介状を頼りにハノイまで行ってベトナム戦争和平仲介役として再度人気者になろうと計画していたようだった。

しかし、政府/与党内には辻の存在が疑惑追及の突破口にされると危険視する向きがあり、旧軍の生き残りのクセに途上国向けの口利き貿易で臆面もなく活動していた辻(似たような○島という奴もいたが...)への不快感が、
その失踪(実態は赤坂による共産軍制圧地帯への誘導と密告によるスパイ容疑での処刑)へと繋がったと見られている。

全く昭和は遠くなりにけりだなww
610名無し三等兵:2007/05/04(金) 18:32:42 ID:oCuPIq8J
日本政府もえげつねぇことばっかりしてんなww
611名無し三等兵:2007/05/04(金) 18:35:52 ID:???
辻絡みの一例でもってそんなこと言うとトンデモ扱いされますよ?
612名無し三等兵:2007/05/04(金) 18:48:43 ID:???
↑だって、ここは“参謀本部第二部支那課”w 国策遂行のためなら、なんでもアリの部署だろ?

辻の残したもうひとつの遺産は、インドネシア向け賠償貿易に続いての国軍への装備納入の実績とデヴィ夫人w

この後も、スカルノの日本びいきを長引かせるために日商岩井が送ったのが後のデヴィ夫人こと根本七保子嬢。

しかし、彼女は期待された生き人形としての範疇を超える女性だったため、日本側のコントロールを離れてスカルノが容共路線へと傾斜する要因を作ったとされる。
(最盛期のインドネシア共産党は華僑主体の北京別働隊だったが、彼女にどのような浸透があったのかは不明)

佐藤栄作&福田赳夫が仕組んだスカルノ失脚後は日本大使館に亡命を断られる一幕もあったが、最終的に亡命者に優しい仏蘭西へ出国し、そこで社交界の花形となった。

その後も、佐藤&福田+スハルトを“殺してやりたい”と公共のメディアで発言するなど、気性の荒い女性でもある...
613名無し三等兵:2007/05/04(金) 20:20:16 ID:kJKcMrsZ
進め電波中年
614名無し三等兵:2007/05/04(金) 20:50:59 ID:???
アポ無しの故意だから
>>601 >>今晩はもっと更新希望のする 台湾の暑さに長夜はまだまだだ^^;

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)   間が悪いわね。パソコンの電源を落とした直後の書き込みだわw。
  `,く_,`ハ,イつ
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´
616イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 00:27:45 ID:RT4gzAS6
>>600 の続き。次に大きなポイントが『空軍行政の独立』です。

まず1930年に蒋介石が「空軍指揮部」を南昌(江西省)に設立します。その後、
1932年に陸軍署・海軍署とともに「軍政部」(行政院直属)の管理下にあった
『空軍署』を分離し、『軍事委員会』(国民政府の最高軍事機関)の直属としました。

既述したように「空軍署」とは、航空行政の統括機関である「空軍省」に相当します。
同様に「陸軍署・海軍署」は、いわば「陸軍省・海軍省」ですね。その後、航空署は
「航空委員会」と改称されて、空軍行政の最高機関となります。そして委員長には
蒋介石自身が就任しています。更にその妻の宋美齢が「航空委員会秘書長」なのです
から、いかに蒋介石が『空軍』を特別扱いしていたかが、よく分かるでしょう。

ちなみに宋美齢は同時に「中国航空建設協会会長」となり、航空機材の買い付けや
海外の企業人との折衝、シェンノートを空軍顧問に招聘するなど、実質的に「中国空軍
総司令」と表現しても良い力を短期間で発揮したことから、『中国空軍の母』とも
言われます。(その後、健康上の理由から1938年春に航空委員会秘書長を辞し、兄の
宋子文がこれを引き継ぎますが、その後も空軍人事や調達などに大きな影響力を保持)
617名無し三等兵:2007/05/05(土) 00:45:26 ID:???
馬賊頭目列伝―広野を駈ける男の生きざま
渡辺 竜策 (著) 秀英書房(1983/03)


618イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 00:53:17 ID:RT4gzAS6
さらに1933年の時点で、航空署に所属していた官兵に新たな『空軍階級』を
与えました。これにより国民政府は、日本やアメリカとは異なり、空軍を陸海軍
から独立した軍種とした訳です。

まあ、ヒデキも何気に「航空総監」や「航空本部長」を務め、陸相時代は各地を
視察のため航空機で飛び回るなど、ヒトラーに影響を受けたか『電撃訪問w』して
いましたので、航空機には多少理解があったはずです(山本五十六とも陸海軍の
航空行政をめぐって浅からぬ因縁あり)。

まあ、ヒデキが航空総監になったのは1938年12月ですから、支那事変勃発
以降であり、蒋介石による一連の「空軍建設」よりもずっと後ですが…。

>>委員長には蒋介石自身が就任、更にその妻の宋美齢が「航空委員会秘書長」
>>1938年春に航空委員会秘書長を辞し、兄の宋子文がこれを引き継ぎます
619イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 01:18:20 ID:RT4gzAS6
まあ、何でここでヒデキを引き合いに出したかと言えば、蒋介石は『空軍』
(航空委員会)を自分のお膝元に置いてバリバリ重視する訳ですが、やはり
支那お決まりのパターンで、次第に蒋や宋家で『私物化』されていくのです。
>>618 の最後の「抜き書き」を見ただけでも何となく先が想像できるでしょうw。

それはさて置き、「支那空軍の建設」には当然のことながら外国人顧問たちが
大きな役割を果たしています。

まずドイツの軍事顧問であるパウエル(Max Bauer)は、●「空軍の
拡充こそが中国統一にとって必要不可欠である」ことを早期に提言していました。
(『艱苦建国時期的国防軍事建設――対日抗戦前的軍事整備』)

また1932年に派遣されるアメリカの軍事顧問団は、●500機の空軍機の
保有と1000名の航空兵員の養成を目標とした『空軍発展計画』の立案に
あたっています。
620イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 02:01:53 ID:RT4gzAS6
初期の「支那空軍」の拡充(●軍用機の輸入 ●機体の現地生産 ●人材育成)に
大きな影響を与えたのが、「ドイツ・イタリア・アメリカ」の3国なのですが、
まあ、順番に取り上げていきましょうか。

まず戦略面に根本的な変更をもたらします。そもそも「中国共産党」根拠地の
掃滅のために空軍が投入されたことは既に述べましたが、元来、国民党政府が
もっていた支那空軍は『爆撃』ばかりに作戦の力点が置かれていた訳です。

これは、もちろん紅軍が「戦闘機」を飛ばして来るはずがないからですw。国府軍
からすれば一方的に爆撃し放題でしたから、ある意味、当然の事だとも云えますw。

これに対して軍事顧問のジュエット(アメリカ)やファルケンハウゼン(ドイツ)
らが、支那空軍の『爆撃偏重』の計画に対して修正をかけていきました。実際、
1932年に起きた第一次上海事変の空中戦で、日本軍機によって手痛い目に
遭った支那は考えを改めます。敵の航空母艦や上陸部隊を食い止めるためには、
戦闘機による迎撃、偵察機による偵察、爆撃機による攻撃など、各作戦の均衡を
取ることが重要であると学んだ訳です。
621イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 02:10:48 ID:???
遅くなりましたが、>>615 のアリス嬢が「今テーマ」のツッコミ役ですw。

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    アリスでありんす
  `,く_,`ハ,イつ
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´
622魔界神 神綺 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 02:17:50 ID:???

                , -、
   _       ,. ---oo ノ   __
 < ̄  ̄\.  ,' ,    ヽ, / ̄   ̄フ
   ⌒`,   ヽ i ルノノハノ)ノノ  _,´⌒
   / ̄`―、.| .l | ゚ ヮ゚ノ!|  ―'――、    その母です。
    ⌒'ー、___.| ,く_7不rレつ    __,,,,,> 
     <´__ Yン/  ハ!´ __`>
          く/_,.イ_、」
623イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 23:28:49 ID:0p9GF9cC
>>620 の続き。>>各作戦のバランスを取ることが重要であると学んだ訳です。

とはいえ、支那空軍の『爆撃思考』は改まるどころか強固になる一方でした。先に
国民政府は「ドイツ・イタリア・アメリカ」の3ヵ国から軍事顧問を受け入れたと
述べましたが、とりわけ強い影響力をもったのが、実は「イタリア」なのです。

意外なことにドイツは「条約上の制限」から空軍の技術水準が遅れていると
国民政府から判断され、支援を避ける傾向が強かったと云います。まあ、まだ
1930年代初期の話ですからねw。

イタリアの軍事顧問団は1933年に支那へ派遣されますが、彼らは空軍学校の
教官にとどまらず、「政府顧問」の立場から空軍行政に大きく関与しています。
蒋介石自身もまた、軍事顧問団長のロルディ(Roberto Lordi)に対して
支那空軍の再編計画を依頼している訳です。

(『ローマが南京に与えた軍事援助と蒋百里のイタリア派遣』より)
624イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/05(土) 23:54:15 ID:0p9GF9cC
その際、イタリアの軍事顧問を通じて、ドゥーエ(Giulio Douhet:伊人)の
『制空論』思想が、支那空軍に持ち込まれたことは想像に難くありません。

ドゥーエの『制空論』思想とは、要約すれば●「将来の戦争の主役は航空兵器であり、
制空の確保がすべての軍事行動の『前提条件』である。そのうえで強力な爆撃機を
敵国領域に出動させて、相手の航空兵力を破壊するとともに、戦線後方の諸都市を
爆撃することにより、敵国民の戦意を喪失させる必要がある」とするものです。

もっと補足するならば、ドゥーエの『制空論』が執筆されたのは1921年に遡ります。
当時のイタリアは都市部に人口が極端に集中しており、将来的に「戦略爆撃」を受けると
1ヵ月でイタリアは戦争続行が不可能になると警告していました。

そのため未来の戦争は『制空権の確保』に全てがかかっていると指摘し、これらは
「空軍万能論」と「独立空軍論」へと繋がります。ところがドゥーエの考え方は、
都市爆撃の脅威を訴えていたため『爆撃機万能論』にも発展し、イタリアは戦闘機や
雷撃機を軽視してしまう結果となるのです。
625イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 00:27:08 ID:CyAuInDN
イタリアは第二次世界大戦時、世界でも有数の空軍を保有していた訳ですが、
そういう訳で地味な活躍(つーか、壊滅w)しかできませんでしたw。支那
空軍も「第二次上海事変」で、日本軍への爆撃に固執するあまり徒に損失機を
増やし、最後には制空権を失ってしまいました。何かイタリアと似ていますねw。

またドゥーエの著作『制空』の翻訳は、国民政府の「航空委員会」が編集する
『航空雑誌』に1935年8月より連載されたほか、ドゥーエの思想的影響を
受けたとみられる著作が、支那事変勃発前に相次いで刊行されたことを考えると
「支那空軍」に一定以上の影響力を与えたと言えるでしょう。

ちなみに単行本の『制空論』は1940年に重慶の青年書店より出版されています。
日本では1934年に陸軍航空本部が『制空と将来戦』と題して翻訳していますね。
また支那でドゥーエの影響を受けたと見られる著書には、例えば『対日作戦方略』
(梁心、1933年)があり、「対日戦の主力を空軍に置き、その戦略として日本本土
への爆撃」を唱えるものでした。
626第九代阿礼乙女・ 稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 00:34:30 ID:???
>>611 >>辻絡みの一例でもってそんなこと言うとトンデモ扱いされますよ?

         _......_     
         , ´  <*y     
          i,(i ノノハ)_)    
         ノ_iパ ヮ゚ノハ    辻の遺族は怖いw。 
        _φi'_ソノj,⊂)__     
      /  /三/ /|       
    .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|       
    .|稗田  阿求|/
      ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>625 >>何かイタリアと似ていますねw。

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)   というより、1937年に上海戦で壊滅した支那空軍をもって、
  `,く_,`ハ,イつ   その後のイタリア空軍の運命を予感させるものと言った方が
  ,(,ノ┐ハゝ    正確じゃないかしら? まあ、私の「上海人形」をもってすれば
  `'-i'_ィ,ァ"´   日本軍だろうと支那空軍だろうと、どちらも蹴散らしてみせるけどw。
628イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 02:14:25 ID:stgOtMqZ
>>627 まあ、支那は戦闘機まで「爆撃任務」に回して消耗させましたからねw。

ところで支那の国民政府内で、もっともドゥーエの『制空論』思想の影響を強く
受けたのが、>>623 の最後に書名で名前が出てくる蒋方震(百里)でしょう。

蒋方震(1882−1938)は日本の陸軍士官学校に留学した経験をもち(+ドイツにも)、
軍事学を学んだ人物です。実際に軍隊を指揮したことはなく、著作活動の方に熱心で
著書の『国防論』が10万部売れたという文人肌というか、軍事理論家だった訳です。
死亡年が1938年になっていますが、戦死ではなく病死ですので誤解のなきようw。

蒋方震(百里)は陸軍出身でしたが、航空戦力とりわけ敵国への爆撃の重要性を認識
しており、国民政府・軍事委員会高等顧問として1935年にイタリアを訪問した際にも、
蒋介石に対して『杜黒(ドゥーエ)主義』の有効を力説していました。
629イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 02:41:53 ID:stgOtMqZ
>>628 >>蒋介石に対して『杜黒(ドゥーエ)主義』の有効を力説していました。

「考察義国空軍建設之順序與意見」などですね。しかし、蒋方震に進言される
までもなく、蒋介石もまた『空軍』(航空戦力)を非常に重要視していました。

●「開戦とともに敵国の中心地に深く侵入し、都市を灰燼と化し、敵国民を恐怖と
  飢餓に陥れると同時に、戦場への補給を絶つもの」と高く評価したうえで、

こうした●「都市爆撃が現状の作戦計画の主要条件」と自身の著作で述べている
(『国民與航空』蒋中正、1934年)ことからすると、蒋介石もまたドゥーエの
「制空論」思想に精通していたものと考えられます。

また本来、イタリアと利害が対立する存在であったアメリカの軍事顧問・ジュエット
(John Jouett)も、「中国空軍は単に敵の攻撃を防御するだけでなく、
敵の飛行場、航空母艦および政府の中心地に進攻することが必要」と述べていました。
630イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 03:07:21 ID:stgOtMqZ
こうして対立関係にあったイタリア・アメリカ両国の軍事顧問から
奇しくも同じことを吹き込まれた蒋介石は、ますます『爆撃偏重』の
思いを秘めつつ、空軍の整備に力を注いでいくことになります。

先にも述べましたが、妻の宋美齢を「航空委員会秘書長」に、同郷の
周至を「航空委員会主任」に、同じく徐海根を「航空署署長」に、さらに
姻戚関係にある毛邦初を「航空署副主任」にするなど、空軍に身内の人間を
多数送り込み、影響力を広げていきます。

次第に空軍をほとんど『私物』に近いものとしますが、その弊害については
また後半にでも…w。
631翡翠(星砂) ◆X9uEcr1WoA :2007/05/06(日) 05:00:02 ID:aBCJELBc

ドゥーエがドゥーチェに見えた人の数(w)ノ

>蒋介石の『空軍』
でフライングタイガースを思ったりB29を思ったり。
中国大陸に展開される米軍の航空基地の運営を想像して萌える非国(ryw
そして
>『私物』
で後の十大元帥やら現代に通じる軍閥史(ケ小平やら)を思ったり。
WW2の世界がそのまま繋がりそうな中国史のお話を聞くのはとても楽しかったり。
>ドイツの軍事顧問
それが後世「次はイタリア抜きで!」という都市伝説へと続く歴史の不思議。

これらが御伽噺だったらどれほど良かったかと。>日中戦争 orz
>>625 >>ドゥーエの思想的影響を受けたとみられる著作が、支那事変勃発前に
>>相次いで刊行された

    r,ヘ──-ヘ_  
    rγー=ー=ノ)yン´      
    `i Lノノハノ」_〉   もちろん、「杜黒(ドゥーエ)主義」が支那で 
    |l |i| ゚ ヮ゚ノi|   手放しに礼賛された訳ではないわ。例えば、
    !γリi.ハiリつ    『駆逐乎? 轟炸乎?』(戦闘機か? 爆撃機か?)は   
    |,( ll」i l i_|」    1936年の雑誌『空軍』に掲載された論文の1つ  
    └'i,_ィ_ァ┘      だけれど、ドゥーエの思想に異議を唱えているものよ。
              まあ、それだけドゥーエ理論が影響力をもっていた
              証左なのだけれど。
633イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 22:32:33 ID:EGtTcJ5k
>>631 >>それが後世「次はイタリア抜きで!」という都市伝説へと続く歴史の不思議

まあ、支那空軍(蒋方震)が取り入れようとしたのは正に『弱国としての空軍戦略』
だった訳です。しかしイタリアが1935年にエチオピアを植民地化しようとして
侵攻すると、支那との外交関係が悪化します。結局、日中戦争が始まるとイタリアは
軍事顧問団を引き揚げてしまうのですが、現時点では「まだ先の話」となります。

>>631 >>中国大陸に展開される米軍の航空基地の運営を想像して萌える非国(ryw

まあ、続いてアメリカの話に移りますが、もともと中央に編入される前の広東空軍を
支援していたのが米国なのです。支那には航空機の修理工場は多数ありましたが、
『機体の生産工場』となると、以下の3つしか存在しません。

まずアメリカの投資により、1934年に建設された●「杭州飛行機工場」です。
支那事変後の奥地移転までに、ノースロップ、ダグラス、シュライクといった
偵察機や爆撃機を135機生産したとされます。
634イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 22:59:50 ID:EGtTcJ5k
次にイタリア企業との合弁により設立された●「南昌飛行場」です。
1937年4月という支那事変直前から輸入機の組み立てを始めます。

3つ目に米国のカーチス・ライト社との合弁により「広東派」が設立した
●「韶関飛行機工場」があり、カーチス・ホークVの模造機と自己設計機を
各4機ずつ生産したに過ぎません。

その他、厦門 (あもい)の海軍航空処や各種航空学校も、外国の模造機を
生産したと見られますが、どちらにせよ、支那の飛行機工場は「輸入機の
組立て工場」の域を出るものでは全く無く、たとえ少数の実験機を自国で
作成しうる技術があったとしても、とても量産体制には程遠いものでした。

ただし『軍用飛行場』の建設は急速に進みます。1930年代初頭に23ヵ所
でしかなかったものが、支那事変勃発までに262ヵ所まで急増しました。
635イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 23:16:22 ID:EGtTcJ5k
このうち「南京・上海・洛陽・南昌」の4ヵ所が「支那空軍の拠点」とされ、
飛行場の面積は800メートル四方まで拡大されます。特に南昌の飛行場は
4キロ四方という最大のものです。

しかし262ヵ所の飛行場のうち、弾薬庫が置かれたのが17ヵ所、機材廠が
付設されたのが6ヵ所、測候所が3ヵ所、対空無線電信施設が6ヵ所だけに
過ぎませんから、内容的には相当見劣りします。まあ、「土木工事」だけなら
早く進むといったところでしょうかw。
636イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 23:47:18 ID:EGtTcJ5k
次に「空軍兵士」(パイロット・整備士など)の養成を見てみましょう。

支那空軍の「航空学校」は、杭州・洛陽・広州の3つに置かれていました。
このうち最大規模のものは、杭州の『中央航空学校』であり、その前身は
中央軍官学校に設立されていた航空隊です。

就業年限は3年間で、先に名前を挙げたジュエットら米国軍事顧問が訓練に
あたっていました。なお、杭州の中央航空学校には「年間100万元」の国家
予算が配分されており、これは当時の国立大学21校の予算に匹敵する巨額な
ものでした。既述の『海軍予算:229万元』とも比べて見てくださいw。

また洛陽の航空学校はイタリア人顧問が訓練にあたっており、広州の航空学校は
広東派軍閥が設立し、のちに中央政府が接収したものです。後者2つは、のちに
初等教育機関に位置づけられて、その卒業生が「中央航空学校」において専門
教育を受ける形に落ち着きますが、それまでには多くの混乱があった訳ですw。
637イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/06(日) 23:57:52 ID:EGtTcJ5k
要するに、アメリカ人とイタリア人で教え方が違う訳ですw。航空学校
ごとの訓練方式の不統一が、支那空軍内部に多くの混乱を招きました。

例えば、イタリア人顧問による訓練がなされた洛陽の航空学校では、
パイロットとしての「飛行資格」がホイホイ与えられたのに対して、
アメリカ人顧問(杭州)の場合、航空学校の入学資格からして厳しく、
卒業者数が予定を大きく下回る(定員割れ)という事態ですw。

まあ、この辺りは次回以降に詳しく…w。
>>631 >>それが後世「次はイタリア抜きで!」という都市伝説へと続く歴史の不思議
>>633 >>支那空軍(蒋方震)が取り入れようとしたのは正に『弱国としての空軍戦略』

   _,........,_
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 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)   当時の蒋方震は、イタリア人と支那人との共通点として、
  `,く_,`ハ,イつ   ●「規律および持久力に欠ける国民性」を挙げているわ。
  ,(,ノ┐ハゝ    航空戦においてなら、こうした欠点は陸海戦に比べてそれほど
  `'-i'_ィ,ァ"´   問題にならない、と考えたのかしら? 自国民に悲観して
           なければ出てこない発想よねw。
639名無し三等兵:2007/05/07(月) 13:44:32 ID:jOkHvm3j

          /           /  _,-':::::::::::::i.  l
.         /          /  /~ヘ,-''^~ヽi.,:  |
         i         /  /        i:::: |
.         i         /  ./          l::: |
         i        /  /            .|::: |
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        i      /l  / ~. ̄      i  ̄ ~ .l|:::: |
.       i       l ./          l    l|::::: |
       i        y'i           |    ,'|::::: i
.       i /       .l;;l           l   ,'ヽ'、/
       i/       .ll:l.|        '^  '   ,.':::::::l.|
. |',  |\ ./        |::l.|.     -;=ニ=ニ;'.  ,'::::::::/l.|  気持ち悪い変態ばっかり
. | \| ./       i  |:::|.|ヽ,    ~"='~ /:::::/ l.|
640名無し三等兵:2007/05/07(月) 19:59:04 ID:???
209 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 16:29:39 ID:???
とりあえず、日本はタイやフィリピンの独立に貢献してるよな?ってタイ人やフィリピン人に聞いてみろよ。
頭おかしいと思われるよ。
210 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 16:34:04 ID:???
タイはずっと独立国でしたが何か

220 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 17:31:17 ID:???
>>210
タイは独立してなかったなんて言ってないが?
俺のテーゼに誤りはない。

221 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 17:34:49 ID:???
じゃあ日本はタイの独立に貢献したよな?なんて聞く必要ないだろ。

このスレに日本はタイの独立に貢献したなんて書いてる奴いないだろ。

222 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 17:40:21 ID:???
>>221
キミはホンモノのおばかなのかね?

225 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 17:45:45 ID:???
>>220
独立してたなら「日本が独立に貢献しました!」なんて訴えようがない。

第一現地人に聞いてみろってのはアホ臭いぞ。
ここで語ってるのは日本のプロパガンダ通りに事が進んでいたかどうかではない。
日本の行動がその後のアジアと西洋の関係にいかなる影響を及ぼしたかだろ?

228 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 17:51:44 ID:???
君たちは本当に愚かしいな。
己の生んだ敵の虚像に掴み掛かる様子は見ていて痛ましいぞ。
641名無し三等兵:2007/05/07(月) 20:00:52 ID:???
230 :名無し三等兵 :2007/04/29(日) 17:58:00 ID:???
>とりあえず、日本はタイやフィリピンの独立に貢献してるよな?ってタイ人やフィリピン人に聞いてみろよ

ああ、要するに日本はアジアの独立には貢献してません!って言いたいのね。
元来独立していたタイと既に独立を約束されていたフィリピンを出しましたと。



反論するウヨあほ過ぎwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
642名無し三等兵:2007/05/07(月) 20:12:34 ID:???
悔しかったのはわかるけど、なぜこんな所で味方を増やそうとがんばるかね?

ここは土人について語るところですよ?
643イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/07(月) 22:21:30 ID:ejY8CTTT
>>637 の続き。>>要するに、アメリカ人とイタリア人で教え方が違う訳ですw。
>>航空学校ごとの訓練方式の不統一が、支那空軍内部に多くの混乱を招きました。

支那空軍が「日中戦争」開戦までに養成できたパイロットは、果たして何人だった
でしょうか? 答えは、僅かに700人です。約1万人(その他、民間飛行士が
約3000人)を擁する日本とはかけ離れていました。日本もアメリカと比べれば、
スズメの涙ほどの数と揶揄されますが、支那など問題外だった事が分かるでしょうw。 

イタリア人顧問の航空学校(洛陽)が「パイロット資格」を安易に与え過ぎた事は
先に述べましたが、それではアメリカ人顧問の中央航空学校(杭州)はというと……。

まず入学資格が厳し過ぎて、学校定員400人に対して入学者は150人に満たない(!)
のです。のっけからこうです。さらに訓練で多くの不適格者を除外し、最終卒業までの
『淘汰率』は3〜5割にも達しました。となると、本当に卒業できたパイロット人数は
年に50人〜75人程度にまで減ってしまいます。舐めてんのかw。
644イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/07(月) 22:41:41 ID:ejY8CTTT
要するに、イタリア人顧問の航空学校の卒業生については人数が多いものの
技量に劣り、アメリカ人顧問の訓練方法の場合、養成人員が計画を大きく
下回るという結果を招いたのですw。まあ、『国民性』が表れていると云えば
それまでですが、結局「支那空軍」はアメリカ式を選択し、

>>636 >>のちに初等教育機関(イタリア)に位置づけられて、その卒業生が
>>「中央航空学校」(アメリカ)において専門教育を受ける形に落ち着きます

となる訳です。しかし、こうした混乱は支那事変勃発後、「補充パイロット」の
深刻な不足を招く結果となります。

また訓練内容は「空中戦闘」とりわけ射撃の基本訓練が不足し、爆撃訓練も地上
目標への攻撃に限られていました。つまり海上の日本海軍艦艇(筆頭は空母)を
狙うまで手が回らない訳です。

(『航空委員会空軍教導総隊付高志航意見書』より)
645名無し三等兵:2007/05/07(月) 22:54:45 ID:???
イナゾウ中佐は本を執筆するとかは考えてないの?
646イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/07(月) 23:01:49 ID:ejY8CTTT
さらに整備士といえば、日中戦争開戦までに養成できたのが300人足らずの
状態です。その人数は絶対的に少なく、輸入に頼っていた「支那空軍」は多くの
雑多な機種を保有していましたので、この特殊事情が追い討ちをかけます。

要するに整備効率の悪化が「機体補修の遅れ」を招き、さらなる戦力の低下を
招いたのです。また通信士の養成は1937年春以降から、射撃士の訓練は
開戦後の1940年を待たなければなりません。

>>644 >>イタリア人顧問の航空学校の卒業生については人数が多いものの技量に劣り

例えばシェンノートは、イタリア人顧問による航空学校の卒業生について、
●「訓練飛行に失敗して墜死する」●「着陸の際に機体を損壊する」などと
文句を言っていますw。(『陳納徳将軍與中国』より)
647イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/07(月) 23:22:25 ID:ejY8CTTT
それにしてもアメリカ式とイタリア式、どちらが良かったかは意見が
分かれる所でしょう。

「数が揃えばいい」式にやって、いざ実戦で『マリアナの七面鳥撃ち』
みたいな羽目になってもアレですし、それ以前に着陸する側から機体を
壊されては堪ったものではありませんw。

しかしアメリカ式に「一握りの優秀パイロット」を育成しても、所詮は
戦争ですから、そもそもの人数が足りなければ勝てないでしょう。あ、
「優秀」と書いてしまいましたが、実はアメリカ人が要求していたのは
最低限の『並レベル』だったのかもしれませんw。

いずれにせよ「人間を育てる」とは何と大変なことでしょうか。飛行場や
航空機(輸入機)などは金があれば、短期間でなんとでもなるでしょう。
しかし、人だけは長い時間をかけねばどうにもなりません。支那空軍とて
建設から僅か5、6年で日本と戦争をやる羽目にならなければ、もう少し
善戦できたのかもしれません。
648イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/07(月) 23:35:45 ID:ejY8CTTT
ここで少し話を変えまして、開戦前の「支那空軍」は一体どのような作戦を
立てていたかを見てみましょう。資料から確認できる作戦計画は、

●1934年に立案されて翌1935年初頭に確定した「民国24年度空軍
作戦要綱」(以下、『35年計画』と略記)

●1936年春から2度の修整を経て、同年冬に確定した「空軍作戦計画」
(以下、『36年末計画』と略記)

●1937年春に制定される作戦ごとの計画(以下、『37年春計画』と略記)

の3つが挙げられます。
649イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/07(月) 23:55:06 ID:ejY8CTTT
この3つの「空軍作戦計画」に共通する点は、まず日本を『仮想敵国』と
みなし、その侵略経路として、

1.満州から北支への南下
2.艦艇から長江下流域への攻撃
3.台湾から福建を経て江西省(とりわけ南昌)への侵攻

の3方面を予想しているところです。このうち@は、もちろん「満州事変」を
前提にしたものであり、同様にAは、その直後に起きた「第一次上海事変」を
ふまえた想定ですね。

Bは少し説明が必要ですが、要するに日本が「国共内戦」に介入してくる
ことを恐れたものです(江西省には、中共の最大根拠地だった瑞金がある、
また南昌は掃共戦の前線基地として、航空署や航空基地、飛行機工場などが
建設されていた)。
>>645 >>イナゾウ中佐は本を執筆するとかは考えてないの?

                ||
                ('A`)
                .(645)
        _        | |
      '´ ━ ヽ
    ( ノ)))))〉)
    〈《( ゚ ヮ゚ノ)   趣味は趣味に止めていた方が幸せだと思うのよw。
     ,く/\ヽゝ
    <∩しし∩〉     -━-
651名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:35:34 ID:???
イナゾウの本なら内容にもよるが多少高くても買う
652名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:44:34 ID:???
イナゾウが参考にしている資料を買った方が正確だと思うが。
653名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:48:43 ID:???
読む時間がないから纏めて欲しい
654名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:51:54 ID:???
研究をすっ飛ばして他人がある程度まとめた成果だけ得たい、
というのはいかにもオタクだね。
655名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:53:54 ID:???
だろ?
だって俺オタクだし。
656名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:55:03 ID:???
公刊戦史にしろなんにしろ出版されているものは誰かが編纂したものではないのか?
657名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:56:00 ID:???
まあたいがいの軍ヲタは他人の受け売りばっかだしねw
658名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:58:47 ID:???
趣味の範囲から逸脱すると身を滅ぼすことになりかねん。
659名無し三等兵:2007/05/08(火) 00:59:57 ID:???
本なんか書き始めたら、ここで情報を垂れ流す暇がなくなるじゃまいかw
660名無し三等兵:2007/05/08(火) 08:11:30 ID:???
★東條英機の孫、由布子氏が参院選出馬へ

・東條英機元首相の孫で、民間非営利団体理事長の東條由布子(ゆうこ)氏(67)が、
 今夏の参院選に出馬する意向を固めたことが7日、分かった。東京選挙区に無所属
 出馬する可能性が高い。

 由布子氏は保守派論客として、靖国神社のいわゆる「A級戦犯」分祠(ぶんし)に
 否定的な立場で活動。東京裁判の違法性や天皇の靖国神社参拝の実現、高齢者
 福祉の充実などを主張している。著書に「祖父東條英機『一切語るなかれ』」などが
 ある。
 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/50744/
661名無し三等兵:2007/05/08(火) 12:50:52 ID:???
WW2終結後、失意のうちに自宅で謹慎中の東条元首相の自宅を、チャハルの阿片商と名乗る謎の白系ロシア人が訪れる。

男は目深に帽子を被り素顔を隠しながら、東条に間もなく訪れる 米軍憲兵隊による逮捕と自決の失敗の顛末、そして その後の大日本帝国と東条自身が辿る運命と 後世における昭和天皇による裏切りともいえる言動を告げる。

疑り深く男の言葉を聞く東条に、男は持参した柳行李の中から、おもむろに見たこともない小銃を取り出す。
それは、後にAK47突撃銃と呼ばれ、当時は まだウラルの山中で試作が続けられていたソ連の国家機密兵器だった。

そして、帽子を取って素顔を晒すと、そこには昨年処刑されたはずのリヒャルト ゾルゲが現れた。

あまりの事態に狼狽する東条に、ゾルゲの口から、彼の目的と正体が告げられる。
662名無し三等兵:2007/05/08(火) 12:51:43 ID:???
<続き>
ゾルゲは、21世紀後半に再軍備を開始した日本との宿命的な再衝突により、双方の使用したABC兵器によって壊滅的打撃を受けた中国政府がタイムワープによって網走刑務所から救出し、密命を託して再度送り出した使者だった。

その目的は、大日本帝国の強権的政治体制の出現を阻止し、歪んだ近代化を遂げた日本を健全な国民国家としてリセットする事で、WW2への日本の参加を未然に防ぎ、その自滅と縮小、ゆり戻しによる再軍備と再度の大陸進出を回避する事を目的としていた。

大日本帝国の運命は、予定調和的に終息した戊辰戦争での会津ならびに奥羽列藩同盟の敗北によって、強権的な天皇集権と薩長閥による権力の独占が発生した事によって決せられた、というのが 中国社会科学院の出した結論だった。

そのためには、明治維新の帰趨を決した戊辰戦争に介入し、会津攻防戦により近代の兵器を送り込んで局地戦での官軍圧勝の形勢を変化させ 薩長による権力の独占を阻止する事が最も歴史に与える負荷が少ない。

だが、この介入には会津人と同じ言語が理解でき、野戦における軍事的能力に長けた日本人の協力者が必要となるため、東北出身の軍人であり 中国で最も知られた人物である東条が選ばれた。

そして、東条に真実を理解させ協力者とし、幕末における諜報活動にも最適な人物として自分が選ばれたのだ、とゾルゲは語った。
663名無し三等兵:2007/05/08(火) 12:52:18 ID:???
<続き>
既に、幕末での工作活動を開始していたゾルゲは、プロシア商人を装って 中古のマクシム重機関銃100丁と弾薬を、局外中立を表明していた長岡藩家老 河合継之助に引き渡している事を東条に告げた。

やがて、東条邸の玄関先に聞きなれぬ英語と片言の日本語の入り混じった怒声が響く、自決用に用意したコルト380ACPを左手に握り締めつつ運命の時を迎えようとしている東条の前に、ゾルゲは球形のプラズマ状ワームホールを出現させ、その中へ東条を誘う。

昭和天皇への思いとその裏切りへの怒り、元勲として陸軍に君臨していた山縣に受けた父の無念と長閥の専横、会津人故に受けた若き日の恥辱、戦犯として黙して死する運命...
様々な思いが東条の胸中を駆け巡る中、ついに米軍憲兵達の靴音が部屋のドア前に迫り、意を決した東条はワームホールに飛び込んだ...

自らの手で歴史を変えるために!
664名無し三等兵:2007/05/08(火) 18:24:22 ID:???
>>661〜663
詰まらん、他所に貼れ(´,_ゝ`)
665名無し三等兵:2007/05/08(火) 20:41:24 ID:b81t/Wk/
東條由布子刀自に一票!
666名無し三等兵:2007/05/08(火) 21:45:21 ID:???
今は亡き先帝陛下の御遺志に背く輩は国賊!
>>651 >>イナゾウの本なら内容にもよるが多少高くても買う

         _
       '´ ━ ヽ    
   〃∩( ノ)))))〉)   兵頭軍師の放送形式はこまめにチェックしてるけど、
   ⊂/~〈《( ´ ‐`ノ)    有料サイトの「読書余論」はお金を払ってまで読む気は
     `ヽ_っ⌒/⌒c     しないなーと中佐が言っているわw。タダだからこそ
        ⌒ ⌒       読む訳で、その差は天地より大きいんじゃないかしら?
                でも携帯電話の有料アプリに月何百円も払ってる人がいる
ことを考えれば、もう少し成り立ってもいいかもしれないけどね。有料のメルマガなんて
読む人いるのかしら? 株や競馬とかのなら分からないでもないわw。               
>>653 >>読む時間がないから纏めて欲しい

         _
       '´ ━ ヽ
   〃∩( ノ)))))〉)
   ⊂/~〈《( ´ ‐`ノ)   補足が多すぎて逆に増えてるわねw。
     `ヽ_っ⌒/⌒c    
        ⌒ ⌒
669イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/09(水) 00:02:37 ID:kf1GARLR
>>649 の続き。
1.満州から北支への南下
2.艦艇から長江下流域への攻撃
3.台湾から福建を経て江西省(とりわけ南昌)への侵攻

支那空軍の「作戦計画」に盛り込まれた日本の侵略経路ですが、各年度によって
予想される脅威度が異なってきます。

『35年計画』ではBが最大の脅威とされました。これは計画自体は1934年に
立案されたため、第一次国共内戦がひと段落(中共の長征が1934年に始まる)して
間もないからです。当然、日本が国共内戦に介入してくることを恐れた訳です。

また『36年末計画』では、@が主戦場とされました。すなわち冀察(河北省・
チャハル省)および沿岸の空軍基地が日本軍に襲撃される危惧を挙げています。
これは言うまでもなく、日本の『北支分治政策』に由来するものです。また
『幣制改革』の混乱も大きいですね。
670イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/09(水) 00:17:07 ID:IVSkAL7J
>>669 >>また『幣制改革』の混乱も大きいですね。

駐支大使館付武官である磯谷廉介少将が、国民政府の幣制改革に反対して
●「華北の現銀輸送阻止のためには武力の発動も辞さず」と声明を出したり
していますからね(1935年11月8日)。まあ、北方がよりキナ臭くなった訳です。

「36年末計画」と年が合わないと思った方もいると思いますが、これは
36年初頭から2度の修整をへてようやく制定されていますから、35年
後半のことも反映されていると思ってくらさいw。ちなみに磯谷もいわゆる
『支那通軍人』のひとりです。

「長征」によって第一次国共内戦がひと段落するのと、日本の北支分治工作が
強まるのがほぼ同時期ですから、これ以降、支那空軍は日中戦争が始まるまで
北方重視です。まあ、中共も陝西省の延安にお引越しして来ますからw。
671イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/09(水) 00:36:03 ID:IVSkAL7J
次に「支那空軍」の具体的な作戦計画ですが、

華北からの侵略については「陸軍作戦への支援」が中心とされる一方、
海沿岸などの攻撃に対しては、長江の日本艦隊、租界内の在華兵力
(海軍陸戦隊など)、洋上の戦艦・空母、日本航空基地への爆撃が示されて
います。まあ、月並みな内容ですけどw。

ただ面白いことに『35年計画』では、日本との紛争不拡大に務めるのが
得策とする立場から、これらの反撃作戦は『必要時』になされるとひどく
弱気だったのが、次年度の作戦計画ではこれが一変しています。

『36末年計画』では、●「宣戦布告以前に、長江および沿岸の日本艦船、
さらには領域内の敵勢力を撃滅すると同時に、全期間を通じて敵の航空
基地を奇襲することで『制空権』を確保する」必要性が述べられています。
672イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/09(水) 00:55:52 ID:IVSkAL7J
まあ、曲がりなりにも国内統一が進展(国共内戦のひと段落)したことから、
支那空軍の「対日作戦計画」がより強硬なものに変化した訳です。

そして1936年末に起きた(想定外の)西安事件によって
もはや「回帰不能点」へと達します。
673イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/09(水) 01:00:04 ID:???
>>支那空軍の「対日作戦計画」がより強硬なものに変化した訳です。

まあ、どこから具体的な自信(根拠)が生まれてくるのか知りませんがw。
674イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/09(水) 23:48:35 ID:zRSj3FMz
更に日本に対する「攻撃目標地点」の移り変わりを見てみましょう。

支那空軍の『35年計画』では、馬公(澎湖島:台湾の南方の島)、あるいは
佐世保としていましたが、『36年末計画』では台湾よりも日本本土の航空基地が
重視されるようになります。例えば、佐世保、呉、太刀洗(福岡県)などです。

これは江西ソヴィエトの消滅(1934年)によって台湾から南昌(江西省)を
日本に攻撃される脅威が減じた反面、長江流域の防衛の必要が強まったからです。

加えて『37年春計画』の中にある日本本土爆撃を目的とした●『襲撃九州四国計画』
には以下のようにあります。

●「宣戦布告以前に佐世保、次に太刀洗・呉を爆撃し、戦局によっては大阪以西の
  工業地帯を襲撃する」
675イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 00:05:55 ID:zEMHpeRd
すなわち、爆撃地点が九州だけでなく、呉、さらには近畿まで達すると
ともに、その目的も航空基地といった軍事施設のみならず、工業地帯に
まで広がっています。

もうキチガイでしょうかw。日本の立場に喩えるならハワイ、あるいは
「米本土の西海岸」を爆撃すると言っているようなものですw。

なお1937年初頭には、国民政府直属の支那参謀本部も2種類の作戦計画を
立案していました。いわゆる「国防作戦計画」ですが、その『甲案』は日本の
侵略に対する反撃を主眼とした消極案ですが、『乙案』は開戦と同時に租界への
攻撃に主力を注ぐ積極案です。

しかし「空軍作戦」を見る限り、日本艦船への爆撃、在支軍事基地への奇襲を
開戦初期に行なう点では、甲案・乙案ともに共通しています。また日本本土への
爆撃計画についても双方に示されており、その爆撃地点も佐世保から横須賀(!)
といった航空基地から、東京・大阪などの「主要都市」も含まれるようになりますw。
>>675 >>東京・大阪などの「主要都市」も含まれるようになりますw。

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    計画年度が進むにつれて、どんどん誇大妄想が
  `,く_,`ハ,イつ   エスカレートしていく訳ね。いいのよ、考える
  ,(,ノ┐ハゝ     だけなら罪にはならないもの。考えるだけならねw。
  `'-i'_ィ,ァ"´
677イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 00:40:01 ID:???
また忙しくなってきましたので(早く週末になって眠りたいw)
書き込み量が減っていますが、次回以降では、

いったい支那が「日中両国の空軍力」をどのように認識したうえで、このような
「作戦計画」(妄想)を立てたのかを分析していきたいと思いますw。
678名無し三等兵:2007/05/10(木) 00:41:15 ID:???
おやしみ
679イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 00:58:46 ID:???
おやすみんご
680名無し三等兵:2007/05/10(木) 02:26:56 ID:???
賠償放棄のあの条約は中国に酷薄すぎる。
1895年の下関条約で日本は中国から2億両取って財政破綻させたのに
日本が負けたときは一銭も払わないなんてね。
あの時、賠償してたら今もめることも無かった。
個人的には金じゃなくて、心の問題。
日本人が中国人の死を悼んでるかという人間性の有無。
お前らだって、肉親が交通事故死したら加害者に賠償させるだろ。
もし、貴方の親には一銭も払いませんといわれたら
加害者を許せるか?
681名無し三等兵:2007/05/10(木) 10:04:55 ID:3uI7wRw0
でも加害者は支那だからな。
また賠償は放棄で無く抑制。
ゼロだったわけじゃない。
これは第一次大戦後のヴェルサイユ条約が巨額の賠償を強いて次なる世界大戦を誘発した反省に立ったもので、いわば平和追求策。
みんな賠償手控えるのに俺だけ欲しい平和どうでもいいと言うのは通るまい。
682名無し三等兵:2007/05/10(木) 21:34:55 ID:???
>>680
台湾や在支邦人からパチッた財産、武装解除に伴う武器弾薬。
日清戦争で取られた賠償金なんかとは比べ物にならないくらいの金額。
そして戦後のODA。まだ欲しいのか、この乞食め。
そしてその金で世界中に毒を売るのか。まさに世界の癌。
683名無し三等兵:2007/05/10(木) 21:50:43 ID:???
負けたら、相手の損害に対しそれ以上払うのがアジアの常識
西洋はドイツにそれをやってWWTの後のファシズムの温床となって自分達が火傷したからそれ以後はやってない。

アジアじゃその常識が無い。貰えるだけ貰う、というより奪えるだけ奪う。
684名無し三等兵:2007/05/10(木) 22:32:27 ID:???
当時の民国空軍の爆撃機で航続距離足りるの?
直援機も無しで?

機材は雑多な輸入機だったろうことは想像がつくけど
B17でもなけりゃ不可能なんじゃ
685名無し三等兵:2007/05/10(木) 22:34:52 ID:???
>>684
事実、支那の爆撃機は日本本土に飛来したわけで。
686イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 22:38:34 ID:12ODlk9/
まあ、話し出すと長くなるので、自分は今スレの>>332 を再掲するだけに止めます。

>それでは支那派遣軍の『武装解除』によって国民党軍が接収した武器・装備の
>総数とは、一体どれ程のものだったのでしょうか? 統計によると以下の通り。

>●小銃:68万5897挺 ●拳銃:5万6698挺 ●軽重機関銃:3万961挺
>●各種砲:1万2446門 ●小銃弾薬:1億899万発 ●各種砲弾:207万発
>●戦車・装甲車:456両 ●トラック:1万4964両 ●軍馬:7万3886匹
>●各種飛行機:1068機 ●原動機船舶:514隻(7.7万トン)

>その他「数億ドル」に相当する資材もあり、国民政府の設立以来、1回で獲得した
>収入の最大のものだったことは間違いありません。これらの武器・装備が八路軍へ
>まともに流出することを阻止できたばかりか、国民政府の軍事的・経済的な実力は
>飛躍的に増大します。
687ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/05/10(木) 22:40:28 ID:???
だからアレだよ。

盧溝橋がなかったかあるいはうまく収拾できて、
そのおかげでドイツと蜜月状態の中華民国がドイツから輸入したハインケルとかユンカースの爆撃機を装備した中華民国航空艦隊が満州や九州の工業地帯に飛来して、
それを我が陸軍航空隊が迎撃するっていう火葬同人を妄想したけどめんどくさくなってそのままってオチなのさ!

>>684
B-10が飛んで来て、小倉かどっかでビラ巻いてるよ。
688名無し三等兵:2007/05/10(木) 22:56:34 ID:???
>>687
うp
689イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 23:04:02 ID:???
>>687 >>B-10が飛んで来て、小倉かどっかでビラ巻いてるよ。

まあ、正確には「マーチン139W」(B-10の輸出名)ですね。スレの
後半で詳しく取り上げますが、今月中には辿りつくかしらん?w
690イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 23:25:32 ID:12ODlk9/
>>683 >>アジアじゃその常識が無い。貰えるだけ貰う、というより奪えるだけ奪う。

中共の周恩来は、●「日本軍が中国に与えた損害の賠償として500億ドル(『当時の』
日本円で約18兆円(!)を要求するとともに、日本国内の鉱工業施設をすべて接収し、
これを大陸に移すべきである。同時に中国に残留する日本軍人および一般人約200万人
はそのまま抑留し、中国が戦争以前の姿に復旧するまで労務使役すべきである」

と国民党に詰め寄るとともに全国民に喧伝しています。多分に「人気取り」ですがw。

>>681 >>また賠償は放棄で無く抑制。ゼロだったわけじゃない。

まあ簡単に言えば、中華民国は『賠償請求権』を放棄していますが、『在外資産』による
賠償(日本政府や企業、個人が支那で保有していた資産を提供する)は受けています。
691名無し三等兵:2007/05/10(木) 23:31:06 ID:???
周恩来カッコヨス
692イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 23:39:55 ID:12ODlk9/
>>681 >>これは第一次大戦後のヴェルサイユ条約が巨額の賠償を強いて
>>次なる世界大戦を誘発した反省に立ったもので、いわば平和追求策。
>>みんな賠償手控えるのに俺だけ欲しい平和どうでもいいと言うのは通るまい。

仰るとおりで「ベルサイユ条約」の反省から、できる限り『在外資産の没収』
という形で賠償させようとする方針が立てられた訳です。ちなみに第二次世界
大戦後のドイツも同様の措置が取られています。

ちなみに1945年8月15日時点での「日本の海外資産」は以下の通り。
数字は外務省のものです。

●朝鮮702億5600万円 ●台湾425億4200万円 ●支那東北地方
(満州)1465億3200万円 ●北支554億3700万円 ●中支・南支
367億1800万円 ●その他の地域(樺太・南洋諸島・欧米など)280億
1400万円 【合計3794億9900万円】
693名無し三等兵:2007/05/10(木) 23:45:44 ID:???
でもよイナゾウよ 隣で寝てるヒキガエルのような嫁見てると
いつも悔しくて涙が出てくるんだよ
結婚して数年もしないうちにこんなブクブクに太りやがって
詐欺だ
嫁と出会ったのは嫁が27ぐらいのときで嫁は相当結婚を焦ってたらしい
いつもこっちがゴムを付けようとしてもナマがいいとか言われて結局デキ婚
せめて嫁が一番美しい20前後の時期に嫁の処女を貰えてたらまだ我慢できたかもしれない
だが他人が飽きて捨てた女を一生面倒見るって何よw
俺には リ ア ル なんだよ、それが!

独身貴族を啓蒙して全ての若い男に結婚を踏みとどまらせること
それが俺のライフワーク
694名無し三等兵:2007/05/10(木) 23:48:39 ID:???
極亜のネトウヨのような台詞を吐くのはどうなのか。
695右翼撲滅隊:2007/05/10(木) 23:52:57 ID:???
国にしか縋れない惨めな人種がいるんだよ

生きていくのに宗教が必要なタイプの弱い人間がいるように、ね。
696イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/10(木) 23:57:04 ID:12ODlk9/
まあ、朝鮮など「特殊事情」(元日本国w)の国は別ですが、基本的に
支那の在外資産は没収です。テレッテレッテーーン…♪w。

賠償問題を考える上で問題を複雑にしているのは、第2次国共内戦の推移です。
1949年には国民政府(蒋介石)は台湾に逃れている訳ですからね。ちなみに
賠償問題も取り扱ったサンフランシスコ平和条約は1951年です。

>>691 >>周恩来カッコヨス

周恩来がそんなことを言うから1949年夏、フィリピンのキリノ大統領の
特使が「高雄」(台湾)の要塞司令部に来たとき、こんな話をするのですw。

●「フィリピン政府は80億ドルの賠償を要求するつもりです。貴国(中国)は
  8年間も戦われ、その金額は400億とも500億とも聞いていますが、
  どれぐらい要求されますか?w」
697イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/11(金) 00:11:44 ID:nDlXFReX
話のオチとしては、蒋介石が「中華民国は賠償請求権を放棄するつもり
である」という言葉に驚愕してスゴスゴと引き下がり、結局フィリピンが
平和条約締結後、日本側に請求してきた金額は5.5億ドルと非常に軽減
されていましたとさ、というものです。

ちなみに蒋緯国が、台湾を訪れた日本の幹部学校校長(当時)梅沢治雄に
語ったとされる話ですけどねw。

それでも5.5億ドル(1ドル360円の時代だから1980億円)は、
当時の日本の国家予算が7.7億ドルでしたから、膨大な金額です。実際、
日本政府は20年の割賦で支払っていますからね。

もしこの話が本当で、フィリピンから80億ドルも請求されていたとしたら、
そして支那がその何十分の1でも請求してきたらと考えると、日本の経済復興を
考えるうえでゾッとするのも事実ですw。
698イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/11(金) 00:19:30 ID:???
今日は脱線して本題の話が全然進まなかった…orz. 何か目がショボショボして
文章も乱雑だったしw。

>>693 >>独身貴族を啓蒙して全ての若い男に結婚を踏みとどまらせること
>>それが俺のライフワーク

まあ、でも自分は独身ですからね。そろそろ親戚のオバちゃんが見合いを
勧めてくるんですよ、いやマジの話でw。自分の代で血筋を断絶させるのも
どうかと思いますしw。
>>680 >>日本人が中国人の死を悼んでるかという人間性の有無。

     ,.-、
     /  \
  ,、 }><{===ヽ、
  〈 \i イノハレリ/〉  わかりました。つまり>>680 さんに
 Σヾノ リi ゚ ヮ゚ノリ /   「んなもんで人間性を量られてたまるか」
 ∠ / く/(つT(つ>   って伝えれば良いんですね?w
  レ、/,くン 〒ハV
    ゙'ーr_ェ'ァ┘
700名無し三等兵:2007/05/11(金) 00:42:42 ID:???
よく見たらこのAAの人イナゾウだった・・・
今気づいた
701名無し三等兵:2007/05/11(金) 08:15:42 ID:???
>>697「豚は太らせてから喰え」という意味がよく判った

>>698 いいじゃん、断絶してもw
    血統は絶えても稲造精神は永遠に残るからw
    
    稲造は僕らの心の中に生きているw
702名無し三等兵:2007/05/11(金) 08:52:26 ID:???
え? イナゾウが親戚のオバちゃんと見合いだって?

/\ |  /|/|/|  ドドドドドドドドドドドド!!
  |      /  / |// / /|
  |   /  / |_|/|/|/|/|     (´⌒(´⌒`)⌒`)
  |  /  /  |文|/ // /  (´⌒(´祭だ!!祭だ!!`)⌒`)
  |/  /.  _.| ̄|/|/|/    (´⌒(´∧ ∧⌒`)`)`)⌒`)
/|\/  / /  |/ /     (´⌒(´(,゚Д゚ )つ `)`)
/|    / /  /ヽ  (´⌒(´⌒  (´⌒( つ |〕 /⌒`)⌒`)
  |   | ̄|  | |ヽ/|  遅れるな!!   ( |  (⌒)`)⌒`)
  |   |  |/| |__|/.   ∧_∧ ⌒`).ドし'⌒^ミ `)⌒`)ォ
  |   |/|  |/  (´⌒(´( ´∀` )つ  ド  ∧_∧⌒`)
  |   |  |/    (´⌒(´( つ/] /    ォと( ・∀・ ) 突撃――!!
  |   |/        ( |  (⌒)`)  ォ ヽ[|⊂[] )`)
  |  /         (´ ´し'⌒^ミ `)`)ォ (⌒)  |
703名無し三等兵:2007/05/11(金) 15:01:12 ID:???
        刑務所            さらりいまん
----------------------------------------------------
労働時間  8時間厳守         大体10時間以上
----------------------------------------------------
始業時間  7時50分          8時30分〜9時
----------------------------------------------------
終業時間  16時30分         21時〜24時
----------------------------------------------------
通勤手段  徒歩数分          満員電車1時間
----------------------------------------------------
昼食     食う              食えない日がある
----------------------------------------------------
夕食     食う              食えない日がある
----------------------------------------------------
夕食後    テレビや読書など自由   仕事
----------------------------------------------------
残業     全くない            ない日がない
----------------------------------------------------
残業代    残業がないから無い    残業あっても無い場合がある
----------------------------------------------------
休憩     午前午後それぞれ15分  上司次第
----------------------------------------------------
土日祝    確実に休み          出勤する日もある
----------------------------------------------------
年数     刑罰に応じる         自動的に40年
----------------------------------------------------
704だつお:2007/05/11(金) 19:52:57 ID:eJb0nQRD
>賠償放棄のあの条約は中国に酷薄すぎる。
>1895年の下関条約で日本は中国から2億両取って財政破綻させたのに
>日本が負けたときは一銭も払わないなんてね。

負けは負けでも太平洋戦争の負けで、日中戦争では無敵皇軍だったから。
中国に酷薄すぎる賠償放棄のあの条約は、皇軍が大陸打通作戦で勝ち
取った栄光の戦績に他ならない。

だから僕はあの強い強い日本の皇軍を同じ日本人として誇りに思っている。
もしも大陸打通作戦抜きで無条件降伏してたらと思うと、背筋がゾッとする。
705だつお:2007/05/11(金) 20:16:39 ID:eJb0nQRD
中国人とかイギリス人とかって、自分達が「戦勝国民」だなんて、
現実からかけ離れた認識が結構広まってるんだよな。

何で賠償金を取れないか、何でスエズ運河を手放さねばならなかったか、
第二次世界大戦における軍事的役割ってのを全く理解していないんだよ。
北アフリカで英軍が戦ったドイツ軍は僅か3個師団、中国に至っては
ただでさえ優先順位の低い対日戦のみの参加でしかも連戦連敗。
中国とか中国人とかが、国際社会でまともな国家国民とみなされた
ことなどまったくなかったというのが第二次世界大戦の現実なのだ。
706名無し三等兵:2007/05/11(金) 20:39:08 ID:???
>686
莫迦らしい。
軍需物資がいくらあっても国は豊かにならんわい。
そんなのと貴金属やら外貨で得た日清戦争での賠償と一緒にするんじゃねーよ。
お前莫迦だろうw
707名無し三等兵:2007/05/11(金) 23:19:58 ID:nvdvuZ8C
打通氏に一票
支那が愚図愚図抜かすなら継戦したっていいんだ
708イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/12(土) 01:08:08 ID:???
>>700 >>よく見たらこのAAの人イナゾウだった・・・ 今気づいた
ちょ、おまw。

>>701 >>「豚は太らせてから喰え」という意味がよく判った
座布団一枚。

>>血統は絶えても稲造精神は永遠に残るからw
「3日で忘れられる」に1票と言いたいところですが、ネットで検索かけると
学生の頃に書いたのが、未だに引っかかってくるので恐ろしい……。

>>705 >>第二次世界大戦における軍事的役割ってのを全く理解していないんだよ。
まあ軍事貢献度で云えば、満州・台湾(プラス日清戦争によって失った全ての権益)を
返還してやるだけでも「棚からボタもち」というか、えらい便乗ものだと思いますけどねw。
709イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/12(土) 01:32:12 ID:6SVLfn+H
>>677 >>いったい支那が「日中両国の空軍力」をどのように認識したうえで、
>>このような「作戦計画」(妄想)を立てたのかを分析していきたいと思いますw。

さて続きです。 最初に●「警告」WORNING ですが、以下に述べる記述は
あくまで『支那側の主観』であって、必ずしも客観的な評価を含みませんw。

まず「空軍の動員力」から見ていきましょう。当時の保有機数は、日本が陸海軍を
含めて約1800機、支那は約300機です。単純に比較すればその差は大きい
ですが、日本は欧米諸国との対立を抱え、さらに北方(満州・対ソ戦)やその他
植民地にも配備が必要なため、日中戦争に動員しうる機数は300〜500機に
限られます(※支那側の予想)。

一方、補給については地理上の理由(自国が戦場)から中国側が勝っています。
以上の理由から、●『中国は日本と互角に戦うことが出来る』という訳ですw。
710イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/12(土) 01:54:59 ID:6SVLfn+H
>>日中戦争に動員しうる機数は300〜500機に限られます(※支那側の予想)。

実際に日本が支那戦線(初期)に転用した機体は、陸軍機196機、海軍機が
247機で、合計443機です。まあ、事前の予想は当たっている訳ですが。

>>地理上の理由(自国が戦場)から中国側が勝っています。

例えば日本陸軍機が、朝鮮や台湾から出撃して上海で空中戦を行なう場合、
「航続距離」の関係から作戦が制限されます。海軍の艦載機はこの点
やや有利ですが、上海の「公大飛行場」が確保・整備されるまでは、
付近に航空基地を有する支那空軍が有利だったのはもちろんです。

次に「機体性能」を見ますと、既述した支那空軍の『36年末計画』では
以下のような評価を与えています。
711イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/12(土) 02:18:06 ID:6SVLfn+H
●「駆逐機(戦闘機)は、中国側の『カーチス・ホークV』が、偵察機は
  日本側がそれぞれ勝り、攻撃機・爆撃機は互角である。これを総合すれば
  やはり互角の戦いであろう」

●「しかし、中国空軍に新型機(輸入機)の配備が急速に進んでいる現状から
  すれば、やがて中国機の性能が日本のそれを凌駕することになり、とりわけ
  航続力、速度の面で勝ると判断する」

●「また日本は、航空兵力が陸海軍に併置されており、指揮系統の不統一が
  問題に挙げられること(中国は独立空軍)」

●「中国側の戦闘員は士気が旺盛であり、かつ『犠牲的精神』を有すること」  
712イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/12(土) 02:35:03 ID:6SVLfn+H
ついでながら特筆すべきは『日本本土爆撃』計画であり、

●工業設備および人口が沿岸に集中している
●防空体制が不備である
●建物が木造のため延焼しやすい

などの理由をあげ、日本本土爆撃が容易であり、その効果も絶大である
としていますw。ここまで「妄想をたくましゅうする」背景には、

◆『東京・大阪を焦土にして大和民族に教訓を与える』

とする「第一次上海事変」で日本側に爆撃を受けた報復感情もあったでしょう。
まあ、具体的な検証は後でするとしまして、このような「希望的観測」からは
いかに支那側が空軍力に過大な期待をしていたかが、よく見て取れる訳です。
713イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/12(土) 02:54:18 ID:6SVLfn+H
>>ついでながら特筆すべきは『日本本土爆撃』計画であり

日本との戦争が勃発した(自国が戦場になった)場合、機体の性能差はともかく
「数で劣る」支那側としては、まっさきに日本側の長大な「補給路」を潰しに
かからなければなりません。日本本土爆撃もこの延長線上から模索された作戦
だったと言えるでしょう。

また支那側の資料としましては、『敵人出動之空軍』(空軍航空幹部会議1936.1−)、
『空軍作戦原則之確立』、『千機炸毀日本論』(?旭之著、獅吼社、1937.11)、
『我軍應敵之動作』などが挙げられます。
714名無し三等兵:2007/05/12(土) 04:09:44 ID:???
軍人恩給が既に40兆円なのに、戦後賠償がたったの1兆円
恥ずかしくないか日本
715名無し三等兵:2007/05/12(土) 08:26:43 ID:???
↑ODAで幾ら払わされてるか調べてから家屋!貸す!木瓜!
716名無し三等兵:2007/05/12(土) 08:30:02 ID:oxOAupzg
求められた賠償は全て支払完了しているのに話を作るな変態野郎。
要求されてもいない賠償を払いたがるという意味不明の言動は異常者。
そもそも賠償抑制が連合国の方針であり、「戦争で商売する」「人類の血で金貨を購う」ことを否定したのが戦後国際政治の出発点。
717名無し三等兵:2007/05/12(土) 08:31:30 ID:???
ベトナム戦争やイラク戦争もですか?
718名無し三等兵:2007/05/12(土) 17:07:22 ID:oxOAupzg
 軍人恩給と戦後賠償の金額を比較する論法も酷い。
 時代が何十年も異り貨幣価値も違うのにそういう卑怯な嘘を並べて愚民を惑わし
恥かしくないか。

719名無し三等兵:2007/05/12(土) 22:20:42 ID:???
ドウモ〜〜〜ッ!!ハジメマシテ〜〜〜ッ☆☆(*⌒ヮ⌒*)
私は日本国政府〜〜〜っ♪(#⌒〇⌒#)キャハ
うーんとー、私、新兵がすっごくすっごく欲しくってー、\(⌒∇⌒)/
探してたら(◎_◎)なんとっ!☆彡(ノ^^)ノ☆彡ヘ(^^ヘ)☆彡(ノ^^)ノ☆彡
あなたの素敵な戸籍♪を発見!!!!条件ばっちり〜〜(^o^)//""" パチパチパチ
てなわけで、ついつい徴兵しちゃったのらー(o^v^o) エヘヘ
戦争に、逝ってくれるよねっ。(*^-^*) お・ね・が・い♪(* ̄・ ̄)ちゅ♪ッ
え?逝ってくれないのぉ〜?(;¬_¬)そんなの死刑〜〜、ガ━━━(゚ロ゚)━━━ン
逝ってくれなかったら身内も世間と、( `_)乂(_´ ) 勝負! \(^o^)/
☆○(゜ο゜)o 村八分ぱ〜んち、☆(゜o(○=(゜ο゜)o 配給品カットー!!
( ゚▽゚)=◯)`ν゚)・;'妹の縁談くら〜〜っしゅ☆
(>_<) いてっ!ダメ!! ゛o(≧◇≦*)oo(*≧◇≦)o″ダメ!!
(☆o☆)きゃ〜〜(@_@;)やられた〜〜(o_ _)o ドテッ ガ━━(゚Д゚;)━━ン!
(+_+) 一族絶滅。。。。・゚゚・o(iДi)o・゚゚・。うぇぇん <(゜ロ゜;)>ノォオオオオオ!!
なあんて(#⌒▽⌒#)こんな日本国政府っ!σ(^_^)だけど、(///▽///)
お国の礎になってm(_ _)mくださいませませ♪('-'*)フフ
ということで。(^-^)v ほんじゃo(゜▽゜ヽ)(/゜▽゜)o レッツゴー♪
それでは、今から他の戸籍も色々見てきまーすC= C= C= C=┌(^ .^)┘
(*^-^*)ノ~~戦場でネー☆'.・*.・:★'.・*.・:☆'.・*.・:★
720名無し三等兵:2007/05/12(土) 22:20:57 ID:hpliw+XH
日本の遺棄した化学兵器があるけどな
721名無し三等兵:2007/05/12(土) 23:48:25 ID:oxOAupzg
それも嘘。
終戦、武装解除で兵器は残らず引渡した。
自分で後年遺棄した物。
今になって騒ぎ出す詐欺、恐喝。
722名無し三等兵:2007/05/12(土) 23:48:34 ID:???
韓国で国名のアルファベット表記をKoreaではなくCoreaにするべきだという声が高まった。
「Kでは日本のJの後になってしまう」
「植民地時代に僻んだ日本人達がCからKに変えたんだ」
「まったく、酷い奴らだ」
等と嘘を並べて喚いていると優しい中国人が現れて彼らをたしなめた。
「まぁまぁ、落ち着きなさい。しかし日本人は酷い奴らだという意見には同意だ。私は君達の味方だよ。協力しよう」
「本当か!?」
「ああ、もうちょっと待ってなさい。じきにKからCに変わるから」
723イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 01:11:26 ID:???
いい感じに荒れてきましたが、>>713 の続きw。そうそう、今日『俺は、君の
ためにこそ死ににいく』を観て来ました。まあまあ、良かったですよ。感想は
映画スレの方に少し書いてあります。シネコンに行ったのですが、直ぐ前の席に
女子高生3人組が座ってちょっとビックリしました。「あれ、今日土曜日なのに
何で制服着ていたんだろう?」と今になって気付きましたw。

724打通君:2007/05/13(日) 01:27:13 ID:ptFN+oVq
良い子はいつでも制服。
それが乃木将軍の教えでもある。

それにしても、いい感じに荒れてきました、とは何だコラ!
725イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 01:31:04 ID:ntIGzWRQ
さて、ここらで『上海航空決戦』に登場する「機体の性能」を簡単にまとめて
みましょう。今回も支那側の資料から数字を取っています(『抗日戦争時期中国
空軍飛機』陳應明著、中国之翼出版社)。まあ、データは当時のということで。

【駆逐機(戦闘機)】

(支那側)
●「カーチス・ホークV」(米):最大速度:362キロ、最大高度8410メートル、
  航続距離1284キロ、武装:12.7×1+7.62×1

●「ポリカルポフ・I-15」(ソ):最大速度:364キロ、最大高度9500メートル、
  航続距離750キロ、武装:7.62×4

●「ポリカルポフ・I-16」(ソ):最大速度:440キロ、最大高度8270メートル、
  航続距離:800キロ、武装:7.62×4
726イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 01:52:35 ID:ntIGzWRQ
(日本側)
●「95式戦闘機」(陸軍):最大速度400キロ、最大高度1万メートル、
  航続距離1100キロ、武装7.7×2

●「96式艦上戦闘機」(海軍):最大速度420キロ、最大高度9830メートル、
  航続距離1200キロ、武装7.7×2

【爆撃機】

(支那側)
●「サヴォイア・マルケッティSM72」(伊):最大速度200キロ、
  最大高度4500メートル、航続距離1200キロ、爆弾搭載量1トン

●「マーティン・139WC」(米・B-10の輸出用):最大速度383キロ、
  最大高度7300メートル、航続距離2140キロ、爆弾搭載量1.8トン
727イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 02:43:59 ID:ntIGzWRQ
●「カーチス・A12シュライク」(米):最大速度285キロ、
  最大高度4620メートル、爆弾搭載量45キロ×4

(日本側)
●「93式軽爆(※参考)」(陸軍):最大速度260キロ、
  最大高度7000メートル、航続距離不明、爆弾搭載量500キロ(最大)

●「94式艦爆」(海軍):最大速度280キロ、最大高度7000メートル、
  航続距離1055キロ、爆弾搭載量250キロ×1 or 30キロ×2

●「89式艦攻」(海軍):最大速度213キロ、最大高度不明、
  航続距離1780キロ、爆弾搭載量800キロ×1

●「96式陸攻」(海軍):最大速度350キロ、最大高度7500メートル、
  航続距離4000キロ、爆弾搭載量800キロ×1 or 250キロ×2
728イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 03:23:10 ID:ntIGzWRQ
何か色々抜けがありました…orz. 以下、補足ですw。

(支那側もろもろ)
●「ボーイング・P-26戦闘機」(米):最大速度377キロ、
  最大高度8350メートル、航続距離580キロ、武装7.62×2

●「ノースロップ2E爆撃機」(米):データが手元に見つかりませんでした。
  誰か教えて下さいw。

(日本側もろもろ)
●「90式艦戦」(海軍):最大速度293キロ、最大高度9000メートル、
  航続距離500キロ、武装7.7×2

●「95式艦戦」(海軍):最大速度352キロ、最大高度7740メートル、
  航続距離850キロ、武装7.7×2
729イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 03:49:45 ID:ntIGzWRQ
もひとつオマケに、

●「95式水上偵察機」(海軍):最大速度300キロ、最大高度7270メートル、
  航続距離800キロ、武装7.7×2

こまかい評価は後日するとして、1つ重要なことは「支那事変」勃発直後に
日本側で「陸海軍航空協定」が結ばれまして、陸軍は北支の敵航空勢力の撃滅を、
海軍は中南支を担当することになりました。当然、上海方面の担当は海軍に
なりますね。

テーマ自体には関係ありませんが、満州事変(第一次上海事変)から約5年、
海軍機が飛躍的に発展したのに対して、陸軍機は停滞気味でした。特に爆撃機が
惨憺たるありさまで、過去スレの「重慶爆撃」テーマでも触れたイタリア製の
「伊式重爆」(フィアットBR20)を大枚はたいて場繋ぎに購入することに
なりますw。
730イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 04:00:42 ID:???
あともう1つだけ…w

●「96式艦爆」(海軍):最大速度310キロ、最大高度7000メートル、
  航続距離926キロ、爆弾搭載量250キロ×1 or 30キロ×2
731打通君:2007/05/13(日) 10:39:32 ID:ptFN+oVq
>>717  一体どこのイラクが我国に賠償請求して来てるというのよ。
732イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 22:57:16 ID:VTX3bMJt
>>729 >>イタリア製の「伊式重爆」(フィアットBR20)を大枚はたいて
>>場繋ぎに購入

「97式重爆」(陸軍)が登場するまでの繋ぎですね。「92式」「93式」が
相次いで開発に失敗して戦力化できず、それ以前のものとなると、もう満州事変で
活躍したような「87式重爆」まで遡らなければなりませんw。

よくイタリアから「伊式重爆」を購入したことを『金の無駄遣い』(性能も満足
できるものでは無かった)とし、「97式重爆」の配備まで待つべきだったという
非難がありますが、ここまで開発に失敗続きですと、保険というか緊急避難的に
手を出すのは仕方が無かったと思います。もう支那事変は勃発していますしw。
よって開戦初期には、下記の機体(戦術爆撃機)が大活躍することになります。

●「93式軽爆(※参考)」(陸軍):最大速度260キロ、
  最大高度7000メートル、航続距離不明、爆弾搭載量500キロ(最大)
733イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 23:21:05 ID:VTX3bMJt
>>●「カーチス・ホークV」(米):最大速度:362キロ、最大高度8410メートル、
>>航続距離1284キロ、武装:12.7×1+7.62×1

支那側の主力戦闘機となったのが、この米国製の「カーチス・ホークV」です。支那側の
機体数はあとで述べるように『複雑怪奇』で、まったく当てにならないのですが、取り
あえず1937年末の数を見てみましょう。あくまで1つの「参考数字」です。

●戦闘機:カーチス・ホークV 70機 ●攻撃機:カーチス・A12シュライク 20機
●軽爆撃機:ノースロップ2E 40機 ●重爆撃機:マーティン・139WC 6機

カーチス・ホークVは、複葉の旧式機ながら馬力・引込脚による高速性、急降下速度
性能の点で、同じく旧式だった日本の「90式艦戦」や「89式艦攻」を上回って
いました。また武装の面でも、12.7ミリの中口径機銃を搭載していましたので
7.7ミリしか持たない日本側と比べても優位に立っています。
734名無し三等兵:2007/05/13(日) 23:22:03 ID:???
735打通君:2007/05/13(日) 23:27:22 ID:ptFN+oVq
稲造、水上機を忘れるな
活躍したぞ
736打通君:2007/05/13(日) 23:29:22 ID:ptFN+oVq
14年式水偵、94式水偵、97大艇・・・・
737イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/13(日) 23:41:56 ID:VTX3bMJt
新鋭の「95式艦戦」や「96式艦戦」が登場するに及んで支那側を
圧倒できるようになりますが、当初の『迎撃戦』自体は意外なことに
日支互角だったと言って良いでしょう(『中国的天空――沈黙の
航空戦史』中山雅洋著、サンケイ出版)。まあ「上海航空戦」の内容は
もう少し後で述べる事にして(ヘイヘイ、水上機も忘れませんよw)、

>>684当時の民国空軍の爆撃機で航続距離足りるの? 直援機も無しで? 機材は
>>雑多な輸入機だったろうことは想像がつくけど B17でもなけりゃ不可能なんじゃ

先にこちら(日本本土爆撃)の可能性を検討して見たいと思います。
直前>>733 で触れました

>>支那側の機体数はあとで述べるように『複雑怪奇』で、まったく当てにならない

の実態もよく分かるでしょう。
738イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/14(月) 00:04:17 ID:Ex/9a2xN
さて『支那空軍』の実力を分析した場合、はたして●「日本本土爆撃」は
実現可能なものだったのでしょうか?(以下、機体の性能については前述
の一覧を参照してください)

支那の計画としては、『台湾爆撃用』にアメリカの「ノースロップ2E」
軽爆撃機を、そして『日本本土爆撃』にはイタリアの「サヴォイア・マル
ケッティSM72」重爆撃機がそれぞれ予定されていました。

まあ「台湾爆撃」は置いておくとして、問題となるのが「SM72」の
航続距離です。約1200キロしかありません。杭州から佐世保までが
960キロ、杭州から呉までが最短1240キロですから当然、同機が
爆撃に成功したとしても、往復して帰還することは不可能です。

もちろん戦闘機の護衛など付きませんから(同様に航続距離の問題で)、
爆撃機だけの単独飛行にならざるを得ませんが、同機の最大速度は200
キロに過ぎないのです。日本側の迎撃を逃れるのは、これまた不可能です。
739イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/14(月) 00:09:36 ID:???
そもそも支那空軍が、1935年に購入した「6機だけ」では
編隊を組むのもやっとか困難ですw。
740名無し三等兵:2007/05/14(月) 21:06:02 ID:???
>>721
あまり根拠がないことは書かないほうがいいですよ
741イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/14(月) 22:14:11 ID:B5C1oKiH
当時、イタリア機の不良については多方面から指摘されていました。例えば、
戴笠(たいりゅう:軍事委員会調査統計局第2処処長)は、上記のサヴォイア
マルケッティSM79を指して、

●「機銃、無線機、照準機、カメラもない同機では、日本爆撃は不可能である」

と述べています(『航空界重要情報彙報』)。まあ、それ以前に「航続距離:
1200キロ」からして無理な訳ですがw。

戴笠については、藍衣社(蒋介石の秘密テロ組織)のリーダーと言った方が
話が早いかもしれません。敗戦末期の『繆斌和平工作』(1944年)で、
繆斌が重慶に対して「連絡を取った相手」とされるのが、戴笠でもあります。

また当の「SM79・スパルビエロ(灰鷹)」の評価ですが、支那が主張するような
「酷い機体」では決してありません。同機は1934年に開発され、1936年から
部隊配備が始まりました。
742イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/14(月) 22:30:02 ID:B5C1oKiH
支那事変とほぼ同時期の「スペイン内戦」(1936年7月〜1939年3月)で、
「SM79」は5000回の出撃回数を誇り、1万1千トンの爆弾を
投下しています。第二次大戦では、イギリスの戦闘機と何度も空中戦を
行ないましたが、撃たれ強い機体だったようで、撃墜された機は少なかった
と云います。むしろ、整備不良による損失の方が多かったぐらいだと。

イタリア降伏後、連合国に接収されなかった機体は、引き続きドイツ軍が輸送
任務に使用し、WW2終結後も軍用航空郵便機として活躍しているぐらいです。

>>●「機銃、無線機、照準機、カメラもない同機では、日本爆撃は不可能である」

それでは、こうした支那高官の不平不満に対して、イタリア軍事顧問はどのように
反論しているのでしょうか?
743イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/14(月) 22:45:46 ID:B5C1oKiH
イタリア顧問に言わせるならば、

●「機体不良の理由は、中国側が機体購入に際して『多額の手数料』
 (リベート)を要求するため、安価な旧式機体を売らざる得ない。
  また、中国側の整備不良と劣悪な航空燃料によるものである」

とするものです。ホント、昔も今も変わりがありませんねw。幾らなんでも
「機銃がない」というのは大袈裟な話ですが(SM79には、7.7ミリ×1、
12.7ミリ×3が付いている「はず」w)、要求されたリベートの額が余りに
大きいので、機銃を取っ払った機体を売りつけたのでしょうか?(核藁)。

こういうので戦争に負ける訳ですから、救いようがありませんw。

また、支那空軍の「SM79」は南昌(江西省)に配備されましたが、同地を
視察したイタリア軍事顧問の建議書によれば、全飛行員13名のうち機体を
操縦できる経験者は3名しかおらず、整備士もまた全員未熟でした。
744イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/14(月) 22:59:50 ID:B5C1oKiH
この「SM79」が配備された「第8大隊第10中隊」では、そのため
照準機は大部分が損壊しており、6機の配備機のうち実働可能機は何と
1機のみ(!)でした。これでどうやって「日本本土爆撃」を行なうと
言うのでしょうw。訓練もまた単純な「低空投弾」に終始し、距離目標も
300メートルという低レベルでした。

以上の惨憺たる状況について、イタリア側と支那側のどちらの言い分を
信じるにせよ、当時の支那空軍が「日本本土爆撃」を行いうる爆撃機を
持っていなかったのは、火を見るより明らかですw。

ん。何かいま、サラッと筑紫哲也が「自分は肺ガンです」と告白したような…w。
>>以上の惨憺たる状況について、イタリア側と支那側のどちらの言い分を信じるにせよ

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    次の戦争は当然、イタリアと支那抜きでw。
  `,く_,`ハ,イつ
  ,(,ノ┐ハゝ
  `'-i'_ィ,ァ"´
私のスペルカードを挙げていくと……。

◎操符「乙女文楽」 ◎蒼符「博愛の仏蘭西人形」 ◎蒼符「博愛のオルレアン人形」
◎紅符「紅毛の和蘭人形」 ◎白符「白亜の露西亜人形」 ◎闇符「霧の倫敦人形」
◎廻符「輪廻の西蔵人形」 ◎雅符「春の京人形」 ◎咒詛「魔彩光の上海人形」
◎咒詛「首吊り蓬莱人形」 ◎「グランギニョル座の怪人」 ◎戦操「ドールズウォー」
などなど……。

   _,........,_
 , ´,.-== ,ヽ
 i (ノノλノ)リ
 ルイ) ゚ ヮ゚ノ)    やっぱりイタリアが無い…w。でも支那はあるわね。
  `,く_,`ハ,イつ    それにしても上海人形。あなた「可哀相な国」の
  ,(,ノ┐ハゝ     出身だったのねw。
  `'-i'_ィ,ァ"´
747上海人形 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/14(月) 23:43:23 ID:???

     ,--v--,
     >, '´ ̄、`ヽ
    `.i リノノノレリ〉
   (\リ从 ゚ ヮ゚ノリ   シャンハーイw
    `ゝ.〈_(つy((つ
    (/,く/i!,__,i!」、
     `i_ン_ン''´~
748名無し三等兵:2007/05/14(月) 23:49:02 ID:???
上海人形は動きますか?
749イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 00:02:32 ID:w9MyybHT
>>737 >>支那側の機体数はあとで述べるように『複雑怪奇』で、
>>まったく当てにならない

更に追い討ちをかけるように、1936〜1937年の「支那空軍」の保有機数を
検証してみましょう。前述の「36年末計画」では約300機保有としていますが、
同じ年の別の報告では現有機は『93機』でしかありません。ただし、購入予定機を
含めれば173機となっていますが…。

(『半年内應変済急之空軍整備・防空設施案』:空軍航空幹部会議への提出議案より)

その一方で、何応欽(国民政府軍政部長)は、1937年初頭の保有機を600余機
と報告しています。(『何応欽部長対五届三中全会軍事報告』)

この保有機数のバラつきは一体何なんでしょう?w
750名無し三等兵:2007/05/15(火) 00:08:33 ID:???
>>723
お前やっすいなw

確か大和のときも感動したとか言ってたよなw

教養がない奴ってのはかわいそうだなwww
751イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 00:13:52 ID:w9MyybHT
この数字の謎解きは、以下のように考えると納得がいきます。

まず、「航空委員会」の登記簿に記載された機数は「500機」であり、
これは予算上での購入予定機数であると考えられます。更にそのうち、
輸入契約が成されて各大隊への配備が決まった機数が「約300機」と
なるでしょう。

予算の差額分については、将来の購入に備えて「宋美齢」が香港に預金
していたとも言われますが、真相は闇の中ですw。

また「300機」のうち、実際に搬入・組立てがなされ、各大隊に配備
されたのが「200機前後」となり、そこから整備不良機・事故機を除けば
「約150機」程度になります。

最後に実戦投入可能機を厳密に判断すれば、シェンノート(1937年6月より
中国空軍顧問)のいう91機に落ち着くでしょうw。
752イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 00:19:47 ID:w9MyybHT
最後の「91機」は『陳納徳将軍與中国』に拠りますが、「陳納徳」は
シェンノートの中国名を指すのは、もちろんのことです。

何のことはありません。支那空軍は機体数でみても、日本の中国戦線に
投入可能なそれを遥かに下回っていたことになります。自身の計画に
よれば、十分に拮抗できるはずだったのですが…w。
753イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 00:21:10 ID:w9MyybHT
>>748 >>上海人形は動きますか?

もちろん動きますよ。
754上海人形 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 00:22:39 ID:???

                         .「L__[][] 「i 「i [][]
                          |┌┘  /ノ ヽゝ    ......      ......
                    ○   ゚ L|   .....:::::::::::::::::::::::  ::::::::::::::::::::::
        ,--v--,          o   .....:::::::       :: ::      :: ::
        >, '´ ̄、`ヽ       。    ...::::::         :: ::      :: ::
       `.i リノノノレリ〉  ......   ...:::::          :: ::      :: ::
      (\iリ从.゚ - ゚ノリ  ...:::  :::.. ::::          :: ::      :: ::
   o 。`ゝ.〈_(つy((つ :::::   ::::::          :: ::      :: ::  >>750
::::      (/,く/i!,__,i!」、  :::::....::::: ::::....        :: ::      :: ::
  :::: O   `i_ン_ン''´~     。    :::::....    :: ::      :: ::
    ::::               ○   :::::::....:: ::      :: :「 7「 7
  ..::::::               o       ┌─ー┐     | / | /
    ─━━━─                  ̄r7ノ [][] 「 |  レ .レ
                             |ノ    ノノ O O
755名無し三等兵:2007/05/15(火) 00:27:16 ID:???
そいつは俺君スレでも駄文垂れ流してる馬鹿だから気にするな。
756イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 00:37:05 ID:???
ああ、やはりそうですか。それではもひとつオマケにw。
757咒詛 「魔彩光の上海人形」 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 00:39:22 ID:???

                         .「L__[][] 「i 「i [][]
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        >, '´ ̄、`ヽ       。    ...::::::         :: ::      :: ::
       `.i リノノノレリ〉  ......   ...:::::          :: ::      :: ::
      (\iリ从.゚ - ゚ノリ  ...:::  :::.. ::::          :: ::  >>750    :: ::
   o 。`ゝ.〈_(つy((つ :::::   ::::::          :: ::      :: ::  
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758名無し三等兵:2007/05/15(火) 17:25:30 ID:3WOkbadY
AA荒しうざい肝い臭い
759イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 22:08:15 ID:???
>>752 の続き。>>支那空軍は機体数でみても、日本のそれを遥かに下回っていた

「機体性能」についても同様です。当時の「支那空軍」では実に25種にも及ぶ
雑多な機体を保有しており、このことが整備・補修に大きな悪影響をもたらして
いました。

その中でも1936年前後に比較的多く輸入された戦闘機が、前述のカーチス・
ホークVと「フィアットCR32」(イタリア)です。後者はまだ説明していま
せんでしたが、「サヴォイアSM79・スパルビエロ」と同様にスペイン内乱で
活躍した機体です。しかし「ホークV」と同様に、もはや旧式機に属することは
間違いないでしょう。

「支那空軍の英雄」と謳われた高志航によれば、●「ホークVは急降下爆撃が可能な
反面、機動性および高速性に欠け、本来の駆逐任務には不適」と評価しています。
760イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 22:35:03 ID:YnJwHyo4
>>759 >>●「ホークVは急降下爆撃が可能な反面、機動性および高速性に欠け、
>>本来の駆逐任務には不適」

上記は『航空委員会空軍教導総隊付高志航意見書』(1936年7月23日)に
拠ります。ちなみに高志航は「大陸四天王」とも呼ばれた支那トップクラスの
ベテラン飛行士で「上海航空戦」でも活躍しましたが、のちに空襲警報の遅れから
滑走路上を飛び立てずにいるところを、日本軍機の攻撃によって爆死しました
(享年30歳)。

悲報を聞いた蒋介石の日記には、「憂患は忍耐を生み、忍耐は知恵を生む」と
だけ書かれています(1937年11月28日)。

また「フィアットCR32」も同様で、速度が遅く(MAX355キロ)、エンジンの
散熱不良から『空中発火』を起こす事が多かったと云います。ただし、これは機体
そのものの原因というより、支那の整備不良の面が大きいでしょう。
761イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 22:58:34 ID:YnJwHyo4
そのため日本軍機と比較するならば、旧式機の多い『陸軍航空』には
対抗できても、「96式艦戦」や「96式陸攻」が配備され始める
1937年頃の『海軍航空』には明らかに劣勢になっていました。

こうした背景には、「航空機種の選定」に専門家の声が反映されないという
問題があった訳です。もともと機体輸入の権限は、蒋介石の妻である宋美齢
から宋子文(美齢の兄w)を通じて、「中国銀行」が掌握していました。

この権限には、航空員会主任の周至柔ですら関与できなかったとされます。
(『国民党航空委員会旧事』より)

もちろん「専門家による機種選定委員会を作るべきだ(*)」という意見は、支那
空軍幹部によって唱えられていましたが、現場の声が国民政府内に届くことはなく、
日中戦争勃発以降もなお「機種選定」は財政部が掌握していたのです。

(*)『擬定統一購機種及與購機有関等事項請核議案』:空軍航空幹部会議への
提出議案より。
762イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 23:26:26 ID:YnJwHyo4
>>761 >>機体輸入の権限は、蒋介石の妻である宋美齢から宋子文
>>(美齢の兄w)を通じて、「中国銀行」が掌握

最初の方に述べたとおり、宋美齢は「航空委員会秘書長」であり、のちに
その地位を「実の兄」である宋子文に譲っています。

>>日中戦争勃発以降もなお「機種選定」は財政部が掌握していた

これは日本海軍に喩えると、艦政本部(海軍大臣に隷属する)が軍令部の
性能要求を「丸っきり無視する」という生易しい程度ではなくw、大蔵省が
決めているようなものですw。

結局、支那では「金を握っている」人間が一番強いというか、さもなければ
テーマの最初の方で述べたとおり、蒋一派による『空軍の私物化』以外の
何物でもないでしょうw。
763イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/15(火) 23:34:07 ID:???
まあ、国家を私物化できる連中ですから、空軍を私物化するぐらい
「お茶の子さいさい」と言ったところでしょうかw。

日本の近代化には、絶対無私の天皇陛下が頂点にいて良かった
と言ってみるテストw。
764名無し三等兵:2007/05/16(水) 08:38:34 ID:xAOdbfae
稲造のあら捜しをする気は無いが、例に引くなら海軍航空本部だろう。
765イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/16(水) 22:51:05 ID:S5fLY0a4
さて、ここで話を一転して「日本側の視点」から分析してみましょう。具体的には、
日本陸海軍が「支那空軍」をどう評価し、いかなる作戦計画を立てていたか?です。

支那の『日本本土爆撃計画』を軍上層部が察知していたかは定かではありませんが、
仮に知っていたとしても、当時の爆撃機の性能では支那からの日本本土爆撃は不可能
だと判断されていたでしょうw。

当時、『本土防空』の必要性自体は1920年代から検討されており、予想される
脅威は、アメリカの航空母艦からの艦載機か、満州事変以降に極東へ配備され始めた
ソ連の重爆撃機(ツポレフTB-3)と見なされていました。

しかし、日本領土だった「台湾」だけは、支那本土からの爆撃圏内に入ります。当初、
直接の脅威だったのが、アメリカの資金と軍事顧問によって装備を拡充していた『広東
空軍』だった訳です。
766イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/16(水) 23:13:51 ID:S5fLY0a4
日本も『広東空軍』への対抗措置として、近隣の「江西空軍」「福建空軍」に
切り崩し工作をかけます。例えば、日本陸軍は1935年に江西空軍に対して
日本人協力者9人、航空機8機を提供しています。この辺りの中央政府と地方
軍閥の関係の危うさは、テーマ冒頭で既に述べました。

しかし「福建航空隊」が国民政府中央に接収されると、すぐ隣にある台湾への
脅威がはますます高まります。とりわけ、支那による「厦門・福州」両飛行場の
拡張計画については、『台湾爆撃がその目的である』と日本は懸念を抱いていました。
(『塚本厦門領事発広田外相宛電』)

また「支那空軍」にとっても、日本の台湾の航空基地が一大脅威だったことを
考えると、台湾と福建省は互いの航空作戦の『最前線』として日支両国が直接
向き合う関係にあったと云えるでしょう。
767イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/16(水) 23:37:57 ID:S5fLY0a4
その一方、華北では日本陸軍が『北支分治工作』の度合を強めています。

支那駐屯軍は、「冀察政務委員会(委員長:宋哲元、河北省・チャハル2省を
管轄する)」に対して、必要時に領域内の飛行場を日本軍が借用できる条件を
含んだ「防共協定」を結んでいましたし、同政権との合弁によって設立された
『恵通航空公司』を通じて、有事における航空部隊の養成を図っていました。

また関東軍も、内蒙古に対して「飛行場の確保」に乗り出したほか、その軍用機は
北支一帯から南は江蘇省、西は新疆省にいたる広範囲の上空を飛行しています。

こうした日本陸軍の『北支分治工作』に対して、国民政府は態度を硬化させます。
中支の内陸では「対日戦」を想定した重工業の建設が進められ、上海周辺では
トーチカなど防御陣地の大規模構築がおこなわれました。支那の空軍力拡充も
その一環として為されたものと云えるでしょう。
768イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/16(水) 23:55:58 ID:S5fLY0a4
実は、こうした『支那空軍』の勢力拡大に危機感を覚えたのが、当の
日本陸軍ではなく、日本海軍だった訳です。すなわち、

●「支那空軍の長足なる進歩は、沿海および河川の如き局地戦闘における
  わが海上部隊の警備価値を著しく減殺したるは覆うべからざる事実」

と懸念しています。そして航空本部の大西瀧治郎(大佐)もまた、

●「弱体な海軍しか持たない支那が、大型機による航空兵力を整備し、
  わが海軍がこの種をもたないのであれば、万が一日支交戦の際に
  支那領土をまたがる約1000浬圏内のわが海上交通は支那航空
  兵力のために圧迫遮断される」(一部、口語体に修整)

と危惧を示しています。
769イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/17(木) 00:07:38 ID:PZ+n0W/x
そして大西瀧治郎は、支那空軍の脅威に対して日本側も空軍力によって
対抗すべきであり、その作戦の重点は、

●「航空兵力を以ってする『全支那主要都市爆撃』可能の体勢」

に置くべきであると主張しています。うーん、こちらも「日本本土爆撃計画」
と同様に「ドゥーエ理論」が見え隠れしますね。
770イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/17(木) 00:13:02 ID:???
もちろん >>769 は「上海航空戦」のみならず、後の『南京爆撃』や
『重慶爆撃』へと結びついていく訳ですが…。
771イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/17(木) 22:46:28 ID:2hRVHGWS
>>770 >>支那空軍の脅威に対して日本側も空軍力によって対抗すべきであり

こうした認識は当時の「航空用兵思想」にも反映されています。もともと海軍は
戦艦の補助兵力として航空を位置づけていましたが、日中戦争直前期には航空機
による『先制攻撃』が重視されるまでになりました。

空母には戦闘機の搭載を最小限に抑えて、艦爆や艦攻を増載したほか、陸上攻撃機や
大型飛行艇の開発にも努めています。

同様に、当初は「偵察」が航空部隊の主な任務であった陸軍でも、満州事変以降は
単なる偵察・迎撃に止まらず、戦闘機と爆撃機の連合部隊をもって敵の航空基地に
前進させ、『制空権』を奪取する戦法が唱えられるようになった訳です。

要するに1935年当時、陸海軍航空関係者のあいだで「ドゥーエ」の著作が熟読
された訳ですが、その思想的影響を受けた点では、日支両国に共通していたのです。
772イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/17(木) 23:10:12 ID:2hRVHGWS
海軍の「作戦計画」もまた同様です。1936年9月の「対支時局処理方針」
では、国民政府が日本側の懸念する要求に応じない場合の措置として、

●「中南支航空基地ならびに主要軍事基地施設などの爆撃」が掲げられました。

また支那事変勃発直後の作戦方針でも、戦火が中支にまで拡大した際には、
●「海軍航空兵力をもって支那側の航空兵力を掃討する」としています。

いわゆる「第2次上海事変」の開始(支那軍が上海の日本海軍陸戦隊を攻撃)は
1937年8月13日ですが、その前月の7月末には、第3艦隊(司令長官:
長谷川清中将)の作戦計画案で、

●「開戦初日に全航空兵力を挙げて敵航空基地を急襲し、支那空軍を殲滅する」

として、各航空隊が担当する「空襲地点」を既に列記していました――。
773イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/17(木) 23:38:20 ID:2hRVHGWS
>>772 >>国民政府が日本側の懸念する要求に応じない場合の措置

ちなみに日本側の懸念事項の1つとして、「上海―福岡」の航空連絡
要求が挙げられます。当時、欧米各国が支那との国際路線を次々と
開設させるなかで、日中間の航空連絡問題が懸念となっていました。

しかし支那側は、北支での日本軍機による「領空侵犯」を理由に日本の
要求を拒否し続けていた訳です。ここで1つ重要な指摘をしておくと、
今までの記述は以下のようにまとめられます。

●陸軍の北支進出(分治工作)―→●支那の強硬化・空軍の拡充
―→●海軍がそれに脅威を覚える・航空作戦を練り上げる

巡り巡って、海軍は『陸軍の尻拭い』をしているとも云えますw。
774イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/18(金) 00:14:51 ID:qaVEZlQt
さて、いよいよ『上海航空戦』に入っていきたいと思いますが、もう少しだけ
補足が続きます。あ、でも上海戦以前の1937年7月の北支にも触れないと
いけないので、まだまだ先か……w。

それはともかくとして、爆撃偏重の「ドゥーエ理論」に触れたならば、もう1つを
説明しない訳にはいかない訳です。それが同時期に主張されていた『戦闘機無用論』
です――。
775名無し三等兵:2007/05/18(金) 20:27:39 ID:???
源田地獄に落ちるべし
776だつお:2007/05/18(金) 22:04:08 ID:LRnpgh33
米陸軍航空の総投入機数なら圧倒的に欧州戦線の31359機が最大であるが、
意外なことにChina&India-Burmaにも6842機が投入されている。

http://www.au.af.mil/au/afhra/aafsd/aafsd_pdf/t098.pdf
Table 98 - Airplane Arrivals from US in Overseas Theaters,

そしてChina&India-BurmaにおけるTotal Losesは3289に及ぶ。

http://www.au.af.mil/au/afhra/aafsd/aafsd_pdf/t100.pdf
Table 100 - Losses of All Types of Airplanes overseas,
777VIPPER:2007/05/18(金) 22:14:59 ID:???
>>609
陰謀論乙(^ω^)
778名無し三等兵:2007/05/18(金) 23:47:37 ID:???
 連合軍の戦略計画は、日本の実際の敗北は太平洋における諸作戦により
成し遂げられることを計画していた。しかしながら、その合間に、インド
を防衛し中国を支援することが不可欠だった。我々には利用できる相当な
兵力を用意する余裕がなかった。中国−ビルマ−インド戦域の我々の貢献は、
ほとんど完全に航空と兵站支援だった。戦域の地勢は、インドの基地を超え
ての陸上輸送が事実上不可能のようなものだった。結論として、敵空域で
戦い、敵の航空に対する味方への防護を与え、日本の船舶と鉄道輸送を分裂
させるばかりでなく、中国−ビルマ−インド戦域で航空が求められ、全ての部隊
のために人員と補給を輸送するためにも、地上作戰にも多くの火力を与えられた。
 日本空軍に対する完全な優勢は徐々に達成された。攻撃する日本陸軍によっ
て包囲されていたインパールのイギリス陸上部隊は、連合軍により空中補給
された。日本軍は航空攻撃により孤立に陥り、撃滅された。ビルマを解放した
軍隊は空中移動し、補給され、支援を受けた。ビルマ・中国における日本の
兵站は分断された。中国は戦争を継続した。
 1180000トン強の補給品と装備、1380000名の兵員が空中輸送された。中国と
インドの間の「ハンプ」越え空中移動は1ヶ月に71000トンのピーク率を達成した。

http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs08.html
中国−ビルマ−インド戦域
779イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/18(金) 23:52:01 ID:???
今週日曜日は、年に1度の『博麗神社例大祭』が超弩級要塞サンシャインにて
開催されます。『東方』の祭典、ヒャッホウッー!!! 軽く10万円は散財
してくるぜ。月曜も有休を取って後顧の憂いを無くしたつもりが、今日仕事が
トラブりました……。月曜日は仕事逝った方が良いか思案中ですorz.w。
780名無し三等兵:2007/05/18(金) 23:54:56 ID:???
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsie/kansai_resume/Oishi%20050129.pdf
「国民党政権の経済政策とアメリカの援助―1945-1949 年を中心に」
781楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 00:02:21 ID:???

  .「^ヽ,ry'^i
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ
 くi Lノノハノ)」     
  λ.[i ゚ ヮ゚ノi!     茶でも飲んで落ち着けw。
  レ',ヘ.i`ム'」つ旦~   
  ,く_,//T.iλ
  "ーr_,t_ァ'"
782だつお:2007/05/19(土) 00:20:20 ID:h4BAKk8Q
 ペンタゴンの軍首脳者たちのかんがえは、総体的に、シェンノートの航空作戦
計画、およびそれをささえるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の
浪費であって、ほかの作戦を妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に
制約をあたえていた。それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国
に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の
危機にかんする統合参謀本部の公式報告に記述された。この公式報告は、シェン
ノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された文書のなかでも、
いちばんおかしな内容の文書であった。
スチルウェル支持の統合参謀本部
 統合参謀本部は、シェンノートの主張を否決しようとたくらみ、ほかの戦域
の経験を引用して、つぎのようにのべている
「わが軍が航空兵力で断然優勢をたもっている戦場において、ドイツ軍および
日本軍と戦った経験から、航空兵力だけでは、訓練もじゅうぶんで断固とした
決意の地上軍の進撃を阻止できないことが、すでに証明されている。
 われわれはイタリアにおいて、強大な航空兵力をもっても、地上軍の進撃を
阻止することができなかったので、シェンノートが、中国にある比較的小さな
航空兵力をもって、日本軍に決定的な打撃をあたえられるとはかんがえられない。
 日本軍船舶にたいする爆撃の効果があればあるほど、日本軍の中国での進撃は、
つよくなるであろう」

http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm
「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン サンケイ出版)
783名無し三等兵:2007/05/19(土) 00:32:15 ID:???
専ブラを更新したら、だつおのレスを久しぶりに見た。
またNG-NAMEに指定しとくわ、さよならだつお
784だつお:2007/05/19(土) 00:40:18 ID:h4BAKk8Q
> 1180000トン強の補給品と装備、1380000名の兵員が空中輸送された。中国と
>インドの間の「ハンプ」越え空中移動は1ヶ月に71000トンのピーク率を達成した。

中国国民党には何を援助してもだめぽで、これは「チンピラゴロツキ」
と呼ばずして何と呼べばよいのだろう。イギリス軍も決して強いとは
いえないが、エルアラメインやインパールの勝利は列強と呼べる最低
ラインはクリアしたものと言える。アメリカ製の戦車とアメリカ空軍
の航空支援という条件でなら勝利を得られたのだから。この点中国だ
けはそれとも別で、いかなる武器援助をもいかなる航空支援をもって
しても連戦連敗、まさに正真正銘「チンピラゴロツキ」。

差別表現でなくて事実表現で、「チンピラゴロツキ」。
785イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 01:00:35 ID:md9wNQb8
>>774 >>それが同時期に主張されていた『戦闘機無用論』です――。

海軍は伝統的に『攻撃一点張り』の思想を取っていたため、初期の航空部隊では
「戦闘機」の価値が「攻撃機」よりも一段低く見られていました。1930年に
イギリスへ留学した小林淑人大尉が「戦闘機の重要性」を主張して多少は改善され
ましたが、それでも攻撃機と肩を並べるには至りませんでした。

さらに1933年〜1934年頃から源田実大尉などが主張する『戦闘機無用論』が
登場して、攻撃機隊員もこれに同調するようになります。このような思想が生まれた
背景をまとめると以下の通り。

●攻撃機の性能が向上したため、戦闘機の迎撃運動が難しくなり射撃の機会が少ない

※速力に対する当時の要求性能は、96式陸攻が170ノット、96式艦戦が190
ノットであり(開発時:堀越資料)、戦闘機は30ノット以上の速力差がなければ、
攻撃機に対する迎撃運動は困難とされていました。
786名無し三等兵:2007/05/19(土) 01:17:09 ID:???
無用なのはむしろ源田
787イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 01:24:18 ID:md9wNQb8
1935年に「9試陸攻」(96式陸攻)と「90式艦戦」が模擬戦闘を
行なった際、90式艦戦が劣速のため迎撃不可能となりました。そのため
『戦闘機無用論』が実証されて、火に油を注ぐ結果となります。

●高速(爆撃)機に対する射撃はほとんど追尾の形となる。特に全金属製の
機体に対して7.7ミリ機銃では、命中しても跳弾となり破壊力がない。

※12.7ミリといった中口径機銃が考慮されていません。また96式陸攻は
実戦投入可能な「全金属機体」の嚆矢でした。

●大型攻撃機は、多数の旋廻銃の集中威力により戦闘機を排除しうる。
 (※攻撃機搭乗員の主張)

●戦闘機は航続距離が短くて、攻撃機に随伴できない。すなわち攻撃機を
 掩護できない。
788名無し三等兵:2007/05/19(土) 01:24:56 ID:???
そうだよなあ。
源田の功績つったら、PCゲーの「太平洋の嵐」の題字を書いたことぐらいだしなあ。
789イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 01:39:50 ID:md9wNQb8
以上の理由から、戦闘機は廃止して「敵水上艦艇」を破壊できる攻撃機に
替えるべきである、とするのが『無用論者』の主張です。

1935年に海軍横須賀航空隊(通称:横空)より、●「戦闘機兵力を
減じ、攻撃機兵力を増強すべし」とする意見書が提出されて、軍令部・
航空本部もこれに同調しました。

この結果、1935年から戦闘機搭乗員の養成比率は2年間減少し、また
下士官の戦闘機搭乗員の中から多数を「艦爆搭乗員」に転換させています。

ところが、この『戦闘機無用論』を一挙に吹き飛ばす悲劇的な事件が
「上海航空戦」で起こりますが、それを述べるのはもう少し後の方で…。
790イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 01:52:41 ID:md9wNQb8
>>785 >>イギリスへ留学した小林淑人大尉が「戦闘機の重要性」を主張して多少は改善

まあ、源田実といえば「源田サーカス」(アクロバット飛行)ですが、じつは源田の
前任者がこの小林淑人大尉になります。ちなみに小林は1932年に背面錐揉み飛行の
実験に成功し、日本人で初めて背面宙返りを行いました。

その後、間瀬平一郎・青木与の2人が「小林の列機」として加わり、都合
3機編隊による巴宙返り、編隊宙返り等のアクロバットを完成させました。

当時の新聞で「三羽烏」「空中サーカス」の名で呼ばれた訳ですが、
これを1933年に源田が小林に代わって受け継いだのです(間瀬・
青木はそのまま残留)。
791名無し三等兵:2007/05/19(土) 08:58:03 ID:zJdJtL+E
だつお氏を歓迎する
792だつお:2007/05/19(土) 09:51:03 ID:h4BAKk8Q
5 おわりに
南京国民政府は近代戦における航空戦の役割を重視し、日中戦争に先立つ
10 年たらずのあいだに、その空軍力を急速に増大させた。そこには、
「空軍至上論者」(注44)というべき蒋介石の個人的意向が反映されて
いたが、以下に述べる中国の特殊事情もまたその要因をなしていた。まず、
約300 万の兵力を有する陸軍は指揮の統一が困難であり、海軍の増強には
多大な経費を要する反面、空軍は短期間に戦力を拡充することが可能で
ある点である。次に、軍備の相対的脆弱性のなかで、空軍はそれを補う
だけの戦果を示しうる点である。短期戦である限り、機体の性能と個人
の能力如何によっては、日本と互角の戦闘が可能であった。もちろん、
空軍力を維持するためには、外国からの補給に依存せざるを得ないが、
性能面において外国機が日本機を凌駕することも十分に予想された。
蒋介石が積極的な対日作戦計画を有した背景にはこうした要因があっ
たのであり、日本軍とりわけ海軍が緒戦から中国空軍の掃蕩作戦を展開
した理由もまたここにあった。

http://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/1384a27fc6686a1a49256798000a62f6/398bea4145bfd29f49256f0b002cf4
日中戦争と中国空軍
793だつお:2007/05/19(土) 09:56:43 ID:h4BAKk8Q
抗戦前中国における空軍力
(1)中国空軍の成立過程蒋介石は近代的な空軍を軍備の中心と位置づけ、
自らの指揮のもとに空軍力の発展を進めた。このことは以下の2点からも
確認できる。まず、部隊統一が急速に進められた点である。当初の空軍は
北伐軍の航空部隊に旧「軍閥」系の接収部隊をあわせて成立したものであり、
地方では独自の指揮系統を有する航空部隊が並存していた。しかし、30 年
代半ば以降、部隊統一が急速に進められた。とりわけ、1936 年の両広事変
により最大勢力の広東部隊が中央に編入された後は、独立部隊を有する
諸省は雲南・四川・新疆・山西などの数省に限られることになった。次に、
空軍行政の独立である。1930 年に蒋介石は南昌に空軍指揮部を設立し、
32 年には陸軍署・海軍署とともに軍政部に属していた航空署を、軍事委員会
(国民政府直属)の傘下に置いた。その後、航空署は航空委員会に改称され、
空軍行政の最高機関となった。また、33 年には航空署に所属する官兵に新た
な空軍等級を与えた。つまり、国民政府は日本・アメリカと異なり、空軍を
陸海軍から独立した軍種としたのである。また、空軍には比較的多くの経費
が配分された。日中戦争直前期の空軍への配分額(約7000 万元)は、海軍
(229 万元)を大きく上回っており、膨大な人員を擁する陸軍(約 1億2000万元)
の6割近くに達していた(注1)。

http://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/1384a27fc6686a1a49256798000a62f6/398bea4145bfd29f49256f0b002cf44b/$FILE/hagiwara2.pdf
日中戦争と中国空軍
794だつお:2007/05/19(土) 14:33:37 ID:h4BAKk8Q
表1 アメリカの対華援助額(1945-1949 年) (単位:100 万ドル)
                 贈与     借款      合計
輸出入銀行(輸銀)借款    82.8     82.8
アンラ援助            474.0      474.0
ポスト・アンラ援助       46.4      46.4
パイプライン・レンドリース         51.7       51.7
余剰物資                   55.0       55.0
海軍造船所売却               4.1        4.1
船舶購入                   16.4       16.4
中国援助法           275.0             275.0
経済援助小計         795.4    210.0      1,005.4
武器貸与            513.7    181.0       694.7
海軍物資援助          17.7              17.7
軍事余剰物資                 20.0       20.0
海軍船艇贈与          141.3              141.3
中国援助法           125.0             125.0
軍事援助小計          797.7    201.0      998.7
合 計               1,593.1    411.0      2,004.1

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsie/kansai_resume/Oishi%20050129.pdf
「国民党政権の経済政策とアメリカの援助―1945-1949 年を中心に」
795名無し三等兵:2007/05/19(土) 21:24:53 ID:???
【人民網】 黒竜江省・斉斉哈爾市で旧日本軍の毒ガス弾2発を発見 [05/19]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1179549138/
796だつお:2007/05/19(土) 21:55:06 ID:q31Hpsfi
保阪正康氏の「蒋介石」に次の記述がある。ソ連は、国民党側
にいわせると抗日戦終結時の武装解除に当たり、関東軍の戦備
(飛行機925機、戦車369両、野砲1226門、機関銃
4836挺をはじめ膨大な兵器と補給所にあった機関銃8989挺
など)をすべて共産軍に引きわたしている。そのため紅軍の東北
部隊は五万人から二十万人に一気に拡充することになったという。

http://blog.kajika.net/?day=20061211
関東軍の武器で敗北した?
797イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 23:06:51 ID:???

         明日は『東方』の例大祭 ワッショイ!!
     \\  年に一度の例大祭 ワッショイ!! //
 +   + \\ 早朝ペナが恐ろしいw ワッショイ!!/+
                       .   +                      +
      (;´Д`∩(´Д`∩)(; ´Д`)
 +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
       ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
       (_)し' し(_) (_)_)
798楽園の素敵な巫女 博麗霊夢 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 23:14:19 ID:???

  「^ヽ,ry'^i   だから落ち着け!w
  ,ゝ"´ ⌒`ヽ
  く.i #ノハノ)」 \\
  _λ.[i ゚ ヮ゚ノi!   ', ',  
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799イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 23:39:02 ID:ObHoJDpa
>>790 の続き。さて『上海航空戦』の実戦へと話を移したいところですが、
その前段階として北支の航空戦にも簡単に触れておかなければなりません。
ちなみに「上海航空戦」までの簡単な流れをまとめると以下の通り――。

1937年7月に盧溝橋事件から支那事変が勃発すると、日本は直ちに航空部隊を
動員します。陸軍の作戦区域とされた北支では、7月28日より平津地方総攻撃が
始まりました(通州事件が起きたのがこの頃)。平津地方とは「北京と天津」を指し
ますが、この地区の掃討作戦が終了したのちにチャハルや太原で航空戦が開始され
た訳です。

また8月に「第二次上海事変」が勃発すると、海軍が台北・大村の航空基地から
陸上攻撃機を発進させ、また空母「加賀」の艦上攻撃機とともに、杭州・広徳・
南京・南昌など、支那側の空軍基地を爆撃しました。もちろん、基地上空では
支那軍機と激しい空中戦が展開される訳ですが、この辺りが本テーマになる訳です。
800イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/19(土) 23:55:39 ID:ObHoJDpa
9月初旬には上海の航空基地である『公大飛行場』が占領され、
ここを拠点として残存する支那側兵力の掃討にあたります。早くも
支那側の地理上の優位(戦場から飛行場がごく近い)が覆った訳です。

また、国民政府の首都・南京に対する無差別爆撃も行なわれ、支那人の
「戦意喪失」を図りました。

>>712 >>◆『東京・大阪を焦土にして大和民族に教訓を与える』

まあ、海軍の陸攻による南京初空襲は1937年8月15日ですから、
開戦早々に◆『首都・南京を焦土にして支那民族に教訓を与える』と
逆パターンを喰らった訳です。「いい夢、見ろよ」のひと言ですw。

ただし、後で『戦闘機無用論』との関連で述べるように日本側の損害も
甚大なものでした。
801イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/20(日) 00:38:11 ID:X4iTyN4d
>>772 >>●「開戦初日に全航空兵力を挙げて敵航空基地を急襲し、支那空軍を殲滅する」

日本海軍は『第2次上海事変』が始まる前から(つまり、戦場が「北支」から中南支に
移る前から)、入念に支那側の空軍基地を叩く作戦計画を立てていましたので、まずは
予定どおりといったところです。

それでは他方の「支那空軍」はどのような作戦計画で臨んだのでしょうか?

支那空軍もまた日中戦争の勃発とともに直ちに応戦体勢に入りますが、当初は
北支に重点を置いたシフトでした。その作戦骨子は、日本内地からの増援部隊が
到着する前に主力をもって天津を奇襲し、日本軍の航空基地を攻撃するというもの
でした。同時に「一部の兵力を上海付近の防空に当てる」としていますから、
この時点では「主が北支」で「従が中南支」だった訳ですね。
802イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/20(日) 00:58:33 ID:X4iTyN4d
国民政府・軍事委員会は、「徳州―石家荘」を防衛ラインとして設定し、
この線に沿って●17の航空隊(140機)を配備する事を決議します。
そして1937年7月下旬から部隊の移動を開始しました。

繰り返しになりますが、●「開戦初期の支那空軍は、北支に主力を配備
することにより『日本軍の南下』を食い止める」ことに主眼が置かれていた
訳です。

しかしその後、「第2次上海事変」が勃発すると北支の配備部隊は実質的な
軍事行動を行なわないまま、中支の戦闘に転用されて、8月14日から
『上海航空戦』のスタートを迎える訳です――。

まあ、蒋介石の本命は上海(日本海軍陸戦隊と在留邦人)で、北支への
部隊移動は、日本軍の目を北に向けて中支への増援を遅らせる目的が
隠されていたとも云えますが。
803イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/20(日) 06:34:14 ID:???
『例大祭』に逝ってきますw。
804ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U :2007/05/20(日) 06:59:06 ID:???
( ´D`)
805名無し三等兵:2007/05/20(日) 12:21:03 ID:???
上海アリスには、1個連隊以上の行列が出来ていたらしいが・・・
806名無し三等兵:2007/05/20(日) 16:15:20 ID:???
中佐殿、戦果はどうでしたか?
807イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 21:15:38 ID:???
ようやく人心地つきましたw。

>>805 >>上海アリスには、1個連隊以上の行列が出来ていたらしいが・・・

「連隊の定義」にもよりますが、2個連隊は優に超えていたでしょう。

一昨年の『例大祭』の参加者が5〜6千人、去年が7〜8千人、そして今年が
1万人を突破したという話がありますから、いやはや東方例大祭イベントだけで
「1個独立混成旅団」を編成できますねw。

「都産貿易要塞2005浜松町館」のときは、横4列で立ったままギュウギュウに
列を圧縮しても要塞の外壁を一周してしまう程でした。スタッフが「前の人との間隔を
1ミリでも詰めてください!」「警察が来る!警察が来る!(行列が道路から溢れる
ため)」と半狂乱になっていたのを今でも鮮明に覚えておりますw。
808イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 21:29:53 ID:???
>>806 >>中佐殿、戦果はどうでしたか?

委託を期待して「FLIPFLOPs」を早々に諦めたのと、東方初参加の
サークル(り01a:全くノーマーク)で極上の文タン本を一件、買い逃し
心底悔やまれる以外は上々の首尾でした。ただ、せっかく来場時間を遅らした
のに「早朝ペナルティ」が無かったのは釈然としません。

あとアフターイベントで、『東方』の創造主・ZUN元帥閣下を初めて見る
事が出来て大変有意義でした。ビールとマイクを片手ずつ「ああ、元帥閣下は
本当にアル中なのだなーw」と。

ただ豪華景品のかかったジャンケン大会で、後出しを繰り返して2つも強奪した
「キチガイ豚」がいると後で知って、不愉快に思っています。顔は覚えたぞ。
809イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 21:48:32 ID:???
>>いやはや東方例大祭イベントだけで「1個独立混成旅団」を編成できますねw。

超弩級要塞サンシャインの大ホールとはいえ、 一室に1万人前後をぶち込む訳ですから
もはや内部は『男幕結界』ですw。『東方』を知らない人は、アフリカの難民キャンプで
食糧援助に殺到する「人混み」程度に考えてくらさい。主催者の話によると来年は目出度く
「超時空要塞ビグサイト」に逝けるそうです。

まだ全然本は読めてませんが、VISIONNERZの久々の新刊、『少女幻想・前編』は
近年稀の傑作です。早く後編が読みたいが、前編のページ数から見ると夏コミは無理かも?w
買っていないヤシは委託されたら早く読めれ。

ひどいスレ違いの脱線になりましたが、次からは通常の進行に戻します(核藁)。
810イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 22:17:28 ID:CD8e0baF
>>804 の続き。>>8月14日から『上海航空決戦』のスタートを迎える訳です――。

さて、第2次上海事変が起こる1つの契機となった「大山勇夫大尉殺害事件」が
1937年8月9日。また蒋介石の国府軍が上海の「日本海軍上海特別陸戦隊」を
攻撃したのが8月13日でした。『上海航空決戦』はその翌日から始まります。

日本の「戦略爆撃」自体は後で述べるように8月14日から始まりますが、現地で
先手を打ったのは、実は支那空軍でした――。当日は悪天候であり、日本海軍が
攻撃を見合わせている最中に『奇襲爆撃』をかけてきたのです。

大まかに言うと、日本軍の拠点となり得る「公大紗廠」(紡績工場)および海軍
陸戦隊本部、そして黄浦江に停泊していた戦艦「出雲」を始め、長江や杭州湾の
艦船が襲撃されました。その他にも蒋介石は、日本海軍の空母を爆撃するために
『決死隊』20人を集めるように命令を出しています。
811イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 22:45:18 ID:CD8e0baF
とても『上海航空決戦』の全ては追いきれませんが、最初の方だけでも
もう少し詳しく見てみましょう。

1937年8月14日午前10時――。支那空軍の10数機が上海にある
第3艦隊(長谷川清中将)旗艦「出雲」、海軍上海陸戦隊本部、総領事館
などを2回にわたり爆撃しました。

すでに上海市街の戦闘は前日の8月13日より始まっていましたが、この
爆撃に対して日本海軍は次のような声明を出して、「支那膺懲のため本格的
作戦を開始する」ことを最終決定します。

●「本14日午前10時ごろ、支那飛行機10数機は、我が艦船・陸戦隊本部
 および総領事館などに対し爆撃を加える不法を敢てし、暴戻言語に絶す。

 帝国海軍は今日まで穏忍を重ねて来たが、今や必要にしてかつ有効なあらゆる
 手段を執らざるべからざるに至れるは、従来の念願に鑑み甚だ遺憾とする所
 なるもまた已むを得ざる次第なり――」
812名無し三等兵:2007/05/21(月) 23:01:39 ID:???
さて、この条件で講和するかね?
YesかNoか?
813イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 23:12:16 ID:CD8e0baF
『上海航空決戦』当時の海相は、米内光政大将です。米内は7月7日の
盧溝橋事件以来、支那事変の「不拡大論者」でしたが、この8月14日の
奇襲爆撃により態度を豹変させ、最強硬論者となります。

このとき第3艦隊の旗艦だった海防艦「出雲」は、日露戦争時の装甲巡洋艦
であり、日本海海戦では第2艦隊の旗艦を務めた武功の艦でした。ちなみに
米内も「出雲」の艦長を務めた経歴があります。

>>810 >>日本の「戦略爆撃」自体は後で述べるように8月14日から始まりますが

この午前中の支那空軍による艦隊奇襲を受けて、午後には海軍の本格的作戦開始の
決定に繋がります。米内の怒りは激烈なもので、8月15日に天皇に拝謁した際も
「感情に走らぬように」と注意される程でした。ここに日本海軍の「不拡大主義」は
消滅した訳ですが、何も米内は自分が艦長を務めたことがある「出雲」を爆撃された
から、ここまで怒っている訳ではもちろんありません――。
814イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 23:36:33 ID:CD8e0baF
米内の中国観・ポリシーとして、「あらゆる点において優位にある日本が、
大国の襟度をもって積極的に支那をリードしてやるべきだ」という信条が
あります。更に云えば、

●「弱者の方から強者の方へ接近してくるのは困難であり、優者をもって
 自認する日本が劣弱な支那に対して握手の手を差し伸べても、日本の
 威厳とプライドを傷つけるものではない」

とするものです。いわば米内は、日本優越論に基づく「支那に対する穏健派」
だった訳ですが、この8月14日の支那空軍による奇襲攻撃は、弱者である
はずの中国が面と向かって日本に立ち向かって来たことを意味します。

しかも「盧溝橋事件」や「大山勇夫大尉殺害事件」、あるいは8月13日の
路上での突発的な武力衝突とは異なり、支那空軍は蒋介石「虎の子」の直轄
部隊です。空軍による奇襲は、国民政府の明確な宣戦布告の意図が取れました。
815イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 23:54:31 ID:CD8e0baF
米内は「盧溝橋事件」以来の消極姿勢の修整を迫られることとなり、
いわば面子を潰されたようなものです。それ見たことかと。

また米内は交渉による事変解決を目指していましたので、軍令部や
現地から再三要請のあった兵力の配備、作戦準備を遅らせる結果を
招いていました。これは上海での戦況をかなり危機的なものとし、
米内自身も窮地に立たされる羽目になります。

さらに自身の中国観・ポリシーすら「甚だ甘い」ものだったと思い知らされ、
支那にはさぞかし裏切られた気分でしょう。この辺りが、南京攻略戦後の
トラウトマン和平工作に米内が強硬論でもって打ち切りを主張するところに
繋がります。

また「海軍が支那駐屯警備の『大きな穴』と自ら警告していた空からの
奇襲攻撃」を喰らった訳ですから、もうグダグダな結果です。
816イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/21(月) 23:59:27 ID:???
この時の米内の心境はいかばかりでしょう。

現代に喩えるならば、弱い立場の人だからとホームレスを支援していた
ボランティアの人間が、自身の好意が全く肩透かしとなり手痛い裏切りを
受けたようなものでしょうかw。
817名無し三等兵:2007/05/22(火) 02:44:08 ID:A31sF4VG
バキで有名な板垣という漫画家が南京虐殺20万人を主張しています。
http://anime2.2ch.net/test/read.cgi/comic/1179415273/l50#tag202
818だつお:2007/05/22(火) 06:45:39 ID:hl2c73g/
>米内の中国観・ポリシーとして、「あらゆる点において優位にある日本が、
>大国の襟度をもって積極的に支那をリードしてやるべきだ」という信条

In dealing with the first of these three points, the memorandum applied the
"strategic axiom" that the commander should first attack and defeat the weaker
force of a divided enemy. Eisenhower reasoned that although Germany and its
satellites were stronger in total combat power than Japan, Japan was still
"relatively stronger" since it was not at war with the Soviet Union and much less
accessible to attack by the main forces of the other Allied powers. Moreover, it
took three to four times as many ships to transport and maintain a given American
force in the Pacific as in the Atlantic. Therefore, Eisenhower concluded, "logistic
reasons, as well as strategic axiom, substantiate the soundness of the decision
to concentrate against the European Axis.
http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/Sp1941-42/chapter7.htm

>Germany and its satellites were stronger in total combat power than Japan,
>Japan was still "relatively stronger" since it was not at war with the Soviet Union

ナチスドイツ+枢軸諸国>大日本帝国
ナチスドイツ+枢軸諸国−ソ連<大日本帝国−中国

・・・ってことでいい?

上は1942年2月28日という日米開戦から間もない時期の観測だが、
そうだとすれば中国抗日戦争なんてカスみたいなものということになる。
819名無し三等兵:2007/05/22(火) 17:08:45 ID:???
>>816
土人どもには妥協政策が通用しないことに気付かなかったのだろうか。
1930年前後に、対シナ妥協政策と親米政策による日英同盟破棄で痛い目を見たのは、
何の教訓にもなっていなかったのか。
820イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/22(火) 22:34:38 ID:MU4PlH/R
>>819 >>土人どもには妥協政策が通用しないことに気付かなかったのだろうか。
>>1930年前後に、対シナ妥協政策と親米政策による日英同盟破棄で痛い目を
>>見たのは、何の教訓にもなっていなかったのか。

『上海航空決戦』も3分の2を消化したことですし、上記は重要な問題なので
少し脱線してみましょう。

米内の支那に対する『穏健主義』(>>814 参照)は、あくまで米内個人のもので
あって、海軍の主流を占めるものでは全くありませんでした。ただし、米内は
支那関係のポストを歴任していますので、土人相手の折衝の大変さは身に染みて
分かっているはずなのです。その米内をして『妥協政策』の陥穽にはまり込んだ
理由を考えなければなりません。

それにはまず「海軍の支那観」を分析してみることから始めてみましょう。
821イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/22(火) 23:01:40 ID:MU4PlH/R
自分は帝国陸軍の「支那通」軍人ですが、日本海軍にもごく少数ながら
支那の専門家がいました。それを海軍では『シナ屋』と呼びます。支那で
長くキャリアを勤めた人間や、主に支那情報を担当した者たちです。

陸軍においても「支那通」はマイナーというか傍流な存在ですが、海軍の
『シナ屋』はそれに輪をかけてド・マイナーな立場であることは容易に
想像がつくでしょう。その名称(〜屋)からして侮蔑的なニュアンスが
混じっています。陸軍には何やかんや言って、大陸に狂信的なロマンを抱く
人間が数多く集まっていましたからねw。

さて海軍の『シナ屋』がどこから生まれたかと云えば、海軍大学校の支那語
選科学生の出身者たちです。彼らは2〜3年間の支那語の研修を終えたのち、
支那駐屯の警備艦隊や各地での駐在武官、あるいは軍令部第6課(支那情報
担当)など、中国関係の勤務をずっと繰り返しています。

こうした海軍の『シナ屋』の大御所的存在に「津田静枝」という軍人がいました。
822イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/22(火) 23:17:54 ID:MU4PlH/R
津田静枝(中将:1883〜1964、福井県出身)の支那関係勤務は、
実に36年間におよび、支那公使館付武官、第2遣外艦隊司令官、駐満
海軍部司令官などを歴任しています。

これは日本海軍が、帝国陸軍と比べて余りに支那問題に暗く、常に後手
後手に回ることを反省した結果、支那の専門家を養成した最初の人物が
津田静枝だとも云われています。

さてその津田は、●「日本の海軍がとかく英米を重視するあまり、支那を
軽視するのをしばしば慨嘆」し、●「支那と親交を結ばずして、対米作戦
など出来るはずがない」とよく述べていました。米内は津田より3歳年上
ですが、津田の慨嘆は「米内の穏健主義」に通じるものがあります。特に
後者の指摘は重要です。

しかし津田は「支那問題」の最初の専門家ではありましたが、『シナ屋』の
海軍に占める影響力など、たかがしれています。
823イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/22(火) 23:40:33 ID:MU4PlH/R
海軍の『シナ屋』は閉じられた世界であり、語学選科出身のシナ屋はいったん
その道に入ると、支那関係以外の職務に就く事はほとんどありません。

その総数は、海兵32期(山本五十六の代)から62期までの31年間で
僅かに55人(機関科・主計科ふくむ)でしか無いのです。よって「支那
関係の勤務など、海軍では島流しに遭ったようなもの」と考えられていた
のが実態です。

しかし、その任務は苛酷なものです。ごく少数の兵力でかつ支那のような
遠隔地の『暗黒大陸』で居留民の保護にあたる警備勤務は、並大抵の任務
ではありません。

特に1926年7月の蒋介石による北伐以降、支那大陸に排外ナショナリズムの
嵐が吹き荒れます。日本も当然その標的となり、第一次南京事件(1927年)で
受けた暴虐や、満州事変によって『抗日感情』が激化するなかで起きた第一次
上海事変(1932年)など、海軍は支那問題の矢面に立たされたのでした。
824イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 00:01:09 ID:7crIn6Jb
国民政府による北伐は「広東」から北上する形で行なわれますが、
海軍の担当区域はもろに中南支です。つまりスタート地点な訳です。

日本海軍は帝国陸軍に先駆けて、激化する支那ナショナリズムの
渦中に巻き込まれ、『シナ屋』はそれに孤軍奮闘させられる運命に
あったのです――。(続く)
825打通君:2007/05/23(水) 09:28:33 ID:qV6FCsbg
 稲造を苛めたくはないが、海軍では鉄砲屋、水雷屋、戦闘機屋等々の言葉も
あったから、支那屋の呼称も直ちに別称とは言えまい。
 それでも何故か侮蔑の匂いはするなw
 何故だらう
826名無し三等兵:2007/05/23(水) 09:57:41 ID:???
そりゃ、米英系が本流でそれ以外は傍流、ましてまともな海軍のない中国は、ということではないかと。
827打通君:2007/05/23(水) 10:14:03 ID:qV6FCsbg
本質はそうだろうが、名前の上でも支那屋は何か馬鹿にした感じがするような・・・
828名無し三等兵:2007/05/23(水) 11:29:36 ID:???
支那蕎麦屋よりは良からう(笑
829名無し三等兵:2007/05/23(水) 12:03:37 ID:Buv5aLlx
>支那屋は何か馬鹿にした

五反田に支那そばって大きな看板掲げた店あるし、
最近は結構支那蕎麦って看板みえる・・・
支那って言葉でど〜して、支那を馬鹿にしたっていう考えが出るのか
ワカラン
830名無し三等兵:2007/05/23(水) 12:11:35 ID:???
支那を支那語で発音したらchina(チーナー)とあり
何ら差別感は無い
831名無し三等兵:2007/05/23(水) 12:24:06 ID:???
いや確か民国の方の公式見解では『支那蕎麦』は良かったはずだよ。
大陸の方も侮蔑的な意味でのシナ(カタカナ表記含む)には反対だけど
そもそも民国ほどシナ表記に抵抗感を持ってなかったはず。
大陸は反共(反中)派嫌いからシナ表記バッシングをやってるようなもんだからね。
尤も、自称人権屋は勘違いが多いから何か言ってるかも知れないけど・・・。
832名無し三等兵:2007/05/23(水) 21:30:12 ID:???
大陸でも台湾でも「インドシナ半島」は「印度支那半島」
ミャンマーの都市「ミートキーナ」は「密支那」
833イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 22:28:41 ID:???
「中華そば」は「支那そば」の婉曲表現なのかと言ってみるテストw。
834名無し三等兵:2007/05/23(水) 22:39:18 ID:???
婉曲どころか豪華な表現ですがな。
835名無し三等兵:2007/05/23(水) 22:40:30 ID:Jr9CGkHj
もともとは戦前の日本政府が『中華民国』という呼称を『自尊の嫌いがある』
という理由で避け、学術用語として用いられていた『支那』という呼称を
『中華民国』の意味で用いるように通達を出したのを、戦後になって民国政府の
要請により『支那』ではなく『中華民国』呼べという通達を出したのがこの問題の始まり。
その後、戦時中の中国人差別への反省や連合国内で日本を擁護していた民国政府への
配慮もあって『支那』呼称を過剰に避けるようになったという話。

現在では、民国・大陸問わず差別的な意味で用いられる『支那』『シナ』呼称は反対。
それ以外の慣習的な呼称は民国は否定していない。
大陸は経緯が経緯だけにあまり関心がなく嫌中派叩きの延長で批判する程度。
日本国内の自称『人権派』だけが異常に熱心。

だけどまぁ社会学的には、慣習上の理由なしに、もはや通常用いられない呼称を
敢えて用いる場合はその背後に何らかの意図があると考えて良いので、
『支那蕎麦』や『支那学』など慣習により正当化出来ない文脈での使用は
差別的であると批判されてもしゃ〜ないと思う。
ま、ここは支那通軍人のスレなので差別なんて気にする必要なし!
836835:2007/05/23(水) 22:44:10 ID:???
訂正です。
×『支那蕎麦』や『支那学』など慣習により正当化出来ない文脈での使用は
○『支那蕎麦』や『支那学』といったような慣習により正当出来る文脈以外での使用は
長文スイマセンでした。
837イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 22:57:02 ID:S+y28JDR
>>824 の続き。こうした支那の『抗日ナショナリズム』の勃興に対して、1933年9月に
決定された日本海軍の「対支時局処理方針案」は、反蒋介石を色濃く打ち出した、支那への
『実力行使も辞さない』という強硬論でした。簡単にまとめると、

『北支』については中央政権(蒋介石)の政令外に立つ政権を積極的に援助する方針を
掲げ、『中支』については「排日運動の結果、在留邦人ならびに権益に及ぼす侵害に
対しては実力行使も敢えて辞せざる」とし、『南支』については中支と同じ原則で進む
としつつ「西南方面における反蒋運動は、国民政府の排日政策を緩和する効果がある事
を鑑み、抗日を趣旨とするもの以外は放置、または機宜これを利用すべき」とあります。

こうした海軍中央部の「支那強硬論」に対して異議を唱えたのが、実は米内光政だった
訳です。このとき米内は、支那警備の現場を預かっていた第3艦隊の司令長官です
(1932年12月〜1933年9月→軍令部出仕)。
838名無し三等兵:2007/05/23(水) 23:09:49 ID:???
>>835
ソースは?
839イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 23:12:18 ID:S+y28JDR
>>836 >>○『支那蕎麦』や『支那学』といったような慣習により
>>正当出来る文脈以外での使用は

自分は「支那通軍人」を「中国通軍人」と書き換えている本を見ると、
虫唾が湧くのですがどうでしょう。これは慣習に当てはまりますよw。

『「支那通」一軍人の光と影――磯谷廉介中将伝』(小林一博著、柏書房:
定価2940円)は、タイトルで堂々と「支那通」と謳っているのですが、
本文を読むと「中国通」に書き換えられています。舐めんな。ふざけんなw。

とはいえ、本庄繁がカンジ(石原莞爾)の将来を気遣って磯谷廉介に宛てた
手紙が載っていたり、お値段は高いですが、それなりに興味深い本ではあります。
840イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 23:27:40 ID:S+y28JDR
>>837 の続き。米内は「第3艦隊司令長官」以前にも、揚子江周辺の警備に
あたる「第1遣外艦隊司令官」を1928年12月から1930年12月まで
2年間も務めており、日本海軍の中では『支那問題』について現実感覚をもつ
数少ない人材だった訳です。ある意味、シナ屋といっても良いかもしれません。

米内によると「支那警備」の任務は、●「僕は貧乏クジばかり引きましてね、
(第1次)南京事件のときも、(第1次)上海事件のときも、何時も尻拭いに
行った様なもの」と述べています。

またその勤務の経験から、●「支那人相手は中々骨が折れますよ。事を構える
ことはいくらでも出来ますが、こっちは非戦闘員たる居留民の保護(が任務)
ですから、迂闊に大砲なんかブッ放せませんよ」と実感していました。

また、米内は「対支政策について」(1933年7月24日)という手記の中で
自身の支那観を余すことなく語っています。『非常に長くなります』が、大変
参考になるため出来るだけ頑張って引用してみましょう(一部意訳)。
841イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 23:37:59 ID:S+y28JDR
【対支政策について】米内光政

「支那を参らせるため正面から、またはいわゆる謀略行使の結果として
 武力をもって支那を叩きつけることを「強硬政策」というものの如く、
 あるいは支那がいうことを聞かなければ頑強にいつまでも苦い顔をして
 睨みつけてやることを「静観政策」と称するものの如く、そのいずれも
 稚拙な政策であることは恐らく議論の余地がないところであろう。

 支那を参らせるために叩きつけるということは、支那全土を征服して
 城下の盟を為さしめることだろうが、それは恐らく不可能のことなるべし。

 支那のヴァイタル・ポイントは、一体どこにあるのか? 北京か南京か?
 広東ないし漢口か長沙か重慶か成都か? このように詮議してくると恐らく
 ヴァイタル・ポイントの存在が怪しくなってくるだろう」
842イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 23:45:19 ID:S+y28JDR
【対支政策について】米内光政

「次に日本の実力と国際関係から見て、支那本土に日本の実力をもって
 日本の意思どおりに成し得る範囲はどうか?

 支那のヴァイタル・ポイントという事と、日本の実力という事を考える
 とき、我々は満州だけで既に日本の手一杯であることを察する。このように
 考えれば、いわゆる強硬政策なるものが実際に即しない空威張りの政策で
 あって、他の悪感を買う以外には一つも得るところが無いことになる。

 日本は過去において済南に、また近くは満州に上海において武力を発揮して
 支那の肝胆を寒からしめ、戦さをしては到底日本には敵わぬという感じを
 支那の少なくとも悪路の者に植えつけたはずである」
843イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 23:50:46 ID:S+y28JDR
【対支政策について】米内光政

「支那の海軍が日本海軍を畏敬しておる事は言うまでも無く、ただ軍事上
 だけに限らず、恐らくあらゆる点において日本が優位にある事は、誰が
 見ても合点のゆくところと考えられる。

 このように実力のある日本は、どうして支那に対して、もっと大きな心と
 大国たる襟度を持って対応できないのであるか。犬や猫の喧嘩でも、弱者は
 強者に対し一目もニ目も置き、決して正面から頭を上げうるものではない。

 喧嘩をしていない時でも、弱者の方から強者の方に接近を求めるということは、
 なかなか困難なものである。たとえ接近しようとする意思が動いても。これが
 すなわち弱者の強者に対する心理状態なのである」
844イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/23(水) 23:55:29 ID:S+y28JDR
【対支政策について】米内光政

「優者をもって自認する日本が、劣弱な支那に対して握手の手を差し伸べた
 ところで、それは何も日本のディグニティを損し、プライドを傷つける
 ものだろうか?

 何時までも恐い顔をして支那を睨みつけ、そして支那の方から接近して来る
 のを待つということは、いかにも大人気ない仕業であり、むしろ識者の笑いを
 買うに過ぎないものと言わなけれならない。

 日本はよろしく、つまらない静観主義をサラリと捨て、大国としての襟度を
 もって積極的に支那をリードしてやることに務めるべきである――」
845イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/24(木) 00:19:51 ID:Izb7sORM
内容は次回に触れるとして、ザクッと感想を述べておきます。

1933年の時点で、日本の武力による支那制圧が不可能である事を
指摘しているのは、実際の日中戦争を考えると、米内の予感がまさに
的中している事になります。

特に支那は「多心臓国家」であり、ヴァイタル・ポイントは一体どこなのか?
そもそもヴァイタル・ポイントは存在しているのか? という米内の疑問は、
これまた実際の日中戦争を見てきたかのようです。

おそらく米内が言うとおり、日本は満州をどうにかするだけで手一杯であり、
支那に対する一連の『強硬論』は、現実的には空威張りに過ぎないという
見通しすらその通りなのでしょう。

前段は「さすがに米内光政」と言うべきところですが、問題は後段です(続く)w。
846835:2007/05/24(木) 01:11:04 ID:???
>>838
ソースといってもどこの部分のソースを求めているのやら。
まず、上段についてはwikipedeaでよろしいでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3#.E8.A8.80.E8.91.89.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5.E3.81.A8.E6.AD.B4.E5.8F.B2

下段は個人的意見ですので、ソースを出すようなものではありませんが、
似たような立場についてはwikipedeaにも説明があります。

中段ですが一行目については議論の余地はないでしょう。
二行目ですがこれも彼ら自身でも『支那』を使っていることからも明らかです。
http://tw.search.yahoo.com/search?fr=yfp&ei=UTF-8&p=%E6%94%AF%E9%82%A3%E9%BA%B5
三行目についてですが大陸中国の立場は人民日報記者の以下の論説が参考になるでしょうか
http://www.china.org.cn/Beijing-Review/Beijing/BeijingReview/Japanese/99Jun/bjr99-24j-12.html
そもそも関心は薄かったのですが、反嫌中派となると見境なく「シナ蕎麦」も批判してます。
大陸がこの問題に関わる時は、嫌中派バッシングや反差別運動というのがミソだと思います。
しかし私が以前聞いた話では支那蕎麦は大陸もOKだったはずなのですが
yahoo chinaで検索すら出来ませんでした。
四行目についてはこのスレでは敢えて説明を要しないでしょう。

以上、スレ汚しでした。
847俄将軍:2007/05/24(木) 03:22:13 ID:???
>>834
語感としては、「支那料理」より、「中華料理」が美味そうだが、「中華そば」
より、「支那そば」が、美味そうな響きが、ということになるのか、などと、
嘯いてみたり。
848打通君:2007/05/24(木) 11:21:39 ID:q5DD2V8+
 むう、わしは支那屋の呼称が飛行機屋等よりカコワルイという趣旨で書いただけだが、
とんだ騒ぎになって悪かった。みんなで思う存分支那の語を多用してくれたまえ。
849元32(予備役少佐):2007/05/24(木) 13:05:57 ID:???
>>845
林内閣の同僚たる佐藤尚武外務大臣の対中外交観に似ていますね。
このことと終戦に関する意見具申もあって、
佐藤は戦後の史家に非常に高く評価されるのですが、
近衛内閣に留任した米内の評価は微妙になってしまいます。

近衛内閣に佐藤も留任して米内と協調していればどうなったかも、
興味深いところかと思います。
850だつお:2007/05/24(木) 17:22:47 ID:BNfjxi4j
中国人を蔑視するなったって、大陸打通作戦なんてことがやれてしまうなんて、
それは「チンピラゴロツキ」と呼ばずして何と呼べばよいのか。

1944年半ばの段階で、日本軍とドイツ軍ではどちらが優れた防空戦力を有していたか。
もし後者だとすれば、アメリカ陸空軍の航空支援を受けつつ連戦連敗などという例は、
中国を別としたら他のどこに存在するのかと言いたい。中国は世界最大の人口を抱えながら、
産業と呼べるものはチンピラゴロツキが沢山涌いてくることしかなかったのかと。

中国人を「チンピラゴロツキ」と呼ぶのは、事実表現であって蔑視表現ではない。
だから真剣に歴史学問をする場合も躊躇わず中国人を「チンピラゴロツキ」と表現すべき。
851だつお:2007/05/24(木) 21:20:36 ID:e+Sasq5c
>大国としての襟度をもって積極的に支那をリード

いや中国人からすれば「小日本」「東洋鬼」よりもドイツ第三帝国
のほうが大国と呼ぶにふさわしかったのではないかと。
優秀なドイツ陸戦兵器とドイツ軍事顧問団があれば日本恐るるに足らずと。
よく2chにも反共反日ドイツ崇拝の韓国人軍オタが来ているようだが、
彼らからすれば一般にドイツ軍兵器は日本軍兵器より格段に優秀との認識だ。
日中戦争の中国人がそういう認識を抱いても不思議はないはず。

 ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
 また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
 これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
<ナチズム極東戦略 日独防共協定を巡る諜報戦 / 田嶋信雄/著 >
852イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/24(木) 22:31:55 ID:Zw+HvPT8
>>845 の続き。米内の【対支政策について】を重要なポイントをまとめると以下の通り。

●支那全土を征服して城下の盟(全面降伏)を為さしむることは不可能
●支那にヴァイタル・ポイントが存在するか大いに疑問
●日本は満州国で手一杯である。従って支那に対する強硬論は空威張りでしかない

前段のここまでは「透徹な先見性」を示して、大いに米内の面目躍如たるものが
ありますが、その対策というか結論が、

>>日本は大国としての襟度をもって積極的に支那をリードしてやることに務めるべき

では「何をかをいわんや」ではないでしょうかw。また「日本は支那の肝胆を
寒からしめ、戦をしては到底日本には敵わぬ感じを植えつけた」と主張しますが
支那人の『学習能力の無さ』を甘く見過ぎではないかとしか言いようがありません。
また逆説的に言えば、米内は支那を過小評価しています。
853イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/24(木) 22:53:09 ID:???
いま「報道ステーション」で、中国サファリパークを映していましたが
客が金を払うと、虎の群れに「生きた牛」を置き去りにして食い殺される
場面を観光バスの中から見物できるんだとさw。

その牛がもう年老いて使い物にならなくなったような乳牛(白黒模様のね)で
余計に哀れさを誘いますw。当然、海外の動物愛護団体から告発されていますw。

何か古館がコメントで「いま日本と中国の似ている部分を考えていたんですが、
今の日本は見かけ上は綺麗にしていますよね」と馬鹿丸出しのことをホザキやがり
まして、一片たりとも似たところはねえよ!とw。
854名無し三等兵:2007/05/24(木) 23:13:02 ID:???
イナゾウさんこの間呼んだ本に盧溝橋事件は中共の劉少騎の陰謀だと書いてあったのですが

マジなんでしょうか?
855イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/24(木) 23:16:37 ID:eC7ldhBX
>>852 >>●支那にヴァイタル・ポイントが存在するか大いに疑問

この米内の対支観は、幣原喜重郎(外相・首相)の『複数心臓論』に通じます。
幣原は言うまでもなく、外相として『幣原外交』なる対支宥和政策を行なった
人物です。第一次南京事件(1927年)でも英米の共同軍事行動の参加要請を
断っていますね。そのときの論が以下のようなものです。

「蒋介石が列国の最後通牒を断固断絶したらどうなるのか? あなた方は共同出兵して
 砲火によって懲罰する他はないであろう。が、これは大いに考えなければならん。

 どこの国でも、人間は同じく、心臓は1つです。ところが支那には心臓は無数に
 あります。1つの心臓だと、その1つを叩き潰せば、それで全国が麻痺状態に
 陥るものです。例えば日本は東京を、イギリスではロンドンを、アメリカはニュー
 ヨークを仮に外国から砲撃壊滅されると全国は麻痺状態を起こす。取り引きは中絶
 される。銀行だの、多くの施設の中心を押さえられるから、致命的な打撃を受ける」
856名無し三等兵:2007/05/24(木) 23:23:59 ID:???
露西亜よりマシか
857イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/24(木) 23:26:15 ID:eC7ldhBX
「しかし中国という国は無数の心臓を持っているから、1つの心臓を叩き潰しても
 他の心臓が動いていて、鼓動が停止しない。全ての心臓を1発で叩き潰すことは、
 とうてい出来ない。だから冒険政策によって中国を武力で征服するという手段を
 取ると何時になったら目的を達するか、予測し得ない。

 また、そういうことは、あなた方の国はそれでいいかも知らんが、中国に大きな
 利害関係を持っている日本としては、そんな冒険的な事に加わりたくない。
 だから日本は、この最後通牒の連名には加わりません。それは、私の最後の
 決断です。どうかこの趣旨を、あなた方からそれぞれ本国政府へお伝え願いたい」

さて、幣原喜重郎と米内光政はどこかで繋がりがあったかしらん?と思う今日この頃w。
858俄将軍:2007/05/24(木) 23:34:36 ID:???
>>855 >>857
何故か、日本の天安門事件に対する外交政策など、連想、ということになるの
か、などと、嘯いてみたり。

反日を国是としている中国共産党、共産中国、ということになると、支那事変
までのコース再び、ということになるのか、などと。
859名無し三等兵:2007/05/24(木) 23:35:22 ID:???
新日本中国戦争
860イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/24(木) 23:50:21 ID:eC7ldhBX
>>854 >>この間呼んだ本に盧溝橋事件は中共の劉少騎の陰謀だと書いて
>>あったのですがマジなんでしょうか?

盧溝橋事件は取り上げると、それだけで今やっている『上海航空決戦』に
匹敵する中テーマかそれ以上になりますので、ごく簡単に述べておきます。

いわゆる『最初の1発』ですが、「支那第29軍の偶発的射撃」ということで
日本側の研究者は大勢の意見を占めています(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』など)。
もちろん支那側は「日本の謀略」だと主張する訳ですけどw。

そして『劉少奇の陰謀論』(中国共産党謀略説)ですが、大元の出所は
葛西純一という第二次大戦後も中共の士官として8年間も従軍した人物が、
『政治課程読本』という中共の兵士向けのパンフレットに「盧溝橋事件は
劉少奇の指示で行なわれた」と書いてあるのを見た、と証言したことに
始まります。
861イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/24(木) 23:59:53 ID:eC7ldhBX
しかし葛西は見たと言っているだけで、その現物のパンフレット(『政治
課程読本』)を日本に持って来た訳ではありません。

また「第2次国共内戦」には約3万2千人の日本人が中共軍に従軍していますが
(兵士とは限らない、医師・看護婦・各種技術者など多数含む)、葛西の他に
このパンフレットを読んだという人間が誰一人いないというのが現実です。

結局、パンフレットの現物は出て来ずじまいに葛西は死去し、もはや葛西の
記憶の中にしか存在しないものだったのか、あるいは全くの嘘っぱちだったのか
真相は闇の中な訳です。ちなみに『政治課程読本』の原文には、

●「盧溝橋の第一発は日本軍に対してだけではなく、日中両軍に発砲した中共の
謀略であり、その結果、国府軍と日本軍が長期の全面的死闘を演じ、双方とも滅亡し、
中共が権力を奪取した」云々と書かれていたとされます。
862名無し三等兵:2007/05/25(金) 00:02:36 ID:???
兵士向けのプロパガンダでは信憑性を確かめるまでもないか。
863名無し三等兵:2007/05/25(金) 00:05:40 ID:???
なるほど。
やはり現物がないとどうにもならんわけですね。

日本はなぜ戦争を始めたかという本の中に「これが真実だ」的な書かれ方がされていたもので。
戦前に記者をやっていた方が書かれた本だったのですが。
864イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/25(金) 00:23:35 ID:???
ただし、劉少奇が当時の北京で「謀略工作」を行なっていたのは事実であり、
まあ、この辺は次回に少し触れましょうw。今日のノルマも持ち越しですw。

あと7KB……。結局、次スレに突入しますが、『上海航空決戦』の次は
小テーマを1つ、2つこなしてから『日本陸軍と阿片問題』に移る予定でふw。
要望・クレームなどがありましたら、今のうちにどうぞ。ただし、明日までに
スレを潰すのは勘弁して下さいw。
865イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/25(金) 00:34:04 ID:???
>>863 >>日本はなぜ戦争を始めたかという本の中に「これが真実だ」的な
>>書かれ方がされていたもので。戦前に記者をやっていた方が書かれた本
>>だったのですが。

ああ、戦時中、毎日新聞記者だった益井康一氏の本ですね。自分の師匠格と
いうか、年代的に面識なんかある訳もありませんが、とにかく自分の文章の
お手本の人です。結局、真相は確かめようもない訳ですけど、結構、自分は
「中共の陰謀説」信じていますよ。
866名無し三等兵:2007/05/25(金) 00:46:03 ID:???
そうです。その人です。

全体的な内容としてはかなり参考になりました。
867名無し三等兵:2007/05/25(金) 23:03:18 ID:???
http://www.sankei.co.jp/keizai/kseisaku/070521/ksk070521000.htm
【国際政治経済学入門】日中通貨戦争の教訓

日中和平交渉の舞台になった黄土高原=昨年11月、中国山西省南部
 昨年11月、中国山西省南部臨汾市の西方に広がる黄河沿いの標高1200メートルの黄土高原を訪ねた。
風雨や大小無数の黄河の支流が高原を気ままに削り、崖や峡谷をつくる。
そんな山あいの村々には今でも「窰洞(ヤオトン)」と呼ばれる横穴式洞窟の住居が点在する。
 そこで、65年前の1942年5月6日、この黄土高原の一角の窰洞で日中戦争の帰趨を左右しかねなかった会談が開かれた。
 特命を帯びて対中和平工作に奔走した陸軍中野学校出身の井崎喜代太氏の回顧録によると、
日本軍の第一軍司令官若松義雄中将と、中国山西軍の閻錫山将軍が会談。若松中将は山西軍にラッパで迎えられ、
閻将軍とにこやかに握手、和平協定が成立したかのように見えた。
 当時、閻将軍は重慶の蒋介石国民党政府に協力していたが、旧知の若松中将の誘いに乗って、
日本軍の影響下にあった南京の汪兆銘政府と合作し、反蒋介石で連合することを約束していた。
歴史に「もしも」はないが、実現すれば日本軍・汪兆銘政権連合は中国の黄河以北(華北)を取り込んで、
戦況を一挙に有利に導き、蒋介石との和睦交渉の道を開いたかもしれない。
 山西軍との和平条件は、資金援助である。村の入り口では、国民党政府の通貨「法幣」4000万元の札束を積んだ駄馬隊が待機。
「会談成功」という合図を確認した駄馬隊の隊長が「ホウヘイ前へ」と大きな声で号令。駄馬隊が一斉に動き出し、洞窟めざして前進する。
ところが洞窟警備の閻軍護衛隊長の報告を聞いた閻将軍は血相を変えて裏口から逃げ出した。
日本の陸軍士官学校を卒業した閻錫山やその配下の一部は日本語を理解できる。そのせいで、
「法幣(中国語の発音ではファピー)」を「砲兵(同パオピン)」と取り違え、日本軍がだまし討ちしてきたとあわてたからである。
 この「ホウヘイ前へ」事件で工作は失敗し、日本軍は中国大陸でいよいよ泥沼にはまった。
868名無し三等兵:2007/05/25(金) 23:04:59 ID:???
 ここで、カギになったのは「法幣」である。本連載コラムの前回「偽札と戦争」で日本軍は中国での通貨戦争で法幣に負けていたので、
法幣の偽造に躍起となったエピソードを紹介したが、法幣はここでも登場する。
日本の軍票や汪兆銘政権の銀行券は信用力がなく、閻錫山は大半の和解金を「法幣」で請求した。
日本軍はそれを「ホウヘイ」と発音したためにしくじった。
 時代が変わって、今では国際的に人民元の値打ちが上がっている。
東南アジアでは人民元の現金が歓迎され、広東省ではこれまで長く流通してきた香港ドル札の受取りをタクシー運転手に拒絶されるようになった。
北朝鮮は今や人民元の偽札作りに励んでいるとも聞く。
 通貨は信用がないと通用しない。極端な場合、単なる紙切れとみなされ、
日本軍の軍票や日本の支配下の銀行券のように中国で通用しない。
国民党はもともと、1935年英米の支援を受けて法幣を発行し、信用力を付けていた。
蒋介石軍は日本軍に局地戦では押されながらも、法幣による通貨戦争で日本を圧倒していた。
 経済競争はモノばかりではない。円安は日本の製造業にとって一時的には収益増の恩恵があるが、円が弱い、
つまり円の信用が失われてくるようになると、円建ての資産は外国の投資家から見向きもされなくなる。
日本の個人も人民元建ての中国企業株など外貨資産に替えるようになる。この傾向に歯止めがかからなくなれば円は没落し、
金利は一転して急上昇し、国家は膨大な借金の金利を払えなくなる。通貨価値の維持はまさしく国家安全保障なのである。(編集委員 田村秀男)

869だつお:2007/05/25(金) 23:30:04 ID:zMgOpAWo
精強ドイツ軍「を」バグラチオン作戦で「散々ドツキ回した」ソ連と、
弱小日本軍「に」大陸打通作戦で「散々ドツキ回された」中国。

こういう「戦力比較」を、どうしてみんなもっと真剣に論じないのか。
870イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/25(金) 23:38:50 ID:j6GKwxUP
>>866 >>そうです。その人です。全体的な内容としてはかなり参考になりました。

益井康一氏の本には『日本と中国はなぜ戦ったのか』(光人社)もありますので、
『日本はなぜ戦争を〜』が気に入ったら、こちらも読んでみて下さい。2つとも
アマゾンでも碌にレビューが付いていませんが、自分は『日本と中国〜』の方が
お薦めです。ガンダムに喩えると、「ストライクガンダム」ぐらいはありますw。

益井氏の本は「新聞記者」だけあって非常に内容がまとまっていて分かり易いこと
この上ないのですが、たまに「電波」らしきものを飛ばしています。盧溝橋事件は
中共の謀略であると断定してしまっているのもそうですし、「第一次上海事変」は
巷で言われるような田中隆吉の謀略ではなく、抗日運動の中での自然発生的な
ものだったと主張しているのもそうでしょう。

ちなみに『岡村寧次大将』(船木繁著、岡村の日記をもとに構成)には、田中隆吉は
頭を丸めて大迷惑をかけた海軍に謝罪した云々と書かれていますw。

  く|   ,..-──-ヘ/i |>
 <>ヽ、 ,'y,..-=== y__」/<>
  <>〈`'γ ノノハノノハノ<>  ちょっと強くしすぎたかしら、
   .<>ゝノルリ ゚ ヮ゚ノ!|ノ<>  中国にするのと同じくらいに加減したと思ったんだけど……
    <>' ⊂Lyiつリ>  
       ,く/_!__」>,    □■□  ■□■
        `ト,ノ~トノ"  ⊂⌒■□■  ∪

   ッ-ヘ。__。ヘ    ./ー- 、
   レ, '´゚   `,〉   /==ヽ 
   i ハ)))ハ))ノ)  ム,   |/  
    イオi ゚ ヮ゚ノヘ   /      ちわーッ。毎度、三河屋ですw。
    ,ぐ`i盃、ツつr'ソ     
   ,メ∪イ-i、ゝ      
    ゙'ーi_'ォ_ァ"       
873イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/05/26(土) 00:00:54 ID:???
スレを丁度よく埋めるのは毎度のことながら苦労します。もう終わりのスレに
気合を入れて書き辛いのは、人情というものですw。
874名無し三等兵:2007/05/26(土) 00:06:08 ID:???
次スレはどちらですか?
875イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM
>>825 >>稲造を苛めたくはないが、海軍では鉄砲屋、水雷屋、戦闘機屋等々の
>>言葉もあったから、支那屋の呼称も直ちに別称とは言えまい。

ああ、正直それは抜けていましたw。超亀レスになりましたが仰るとおりです。