あなたのおじい様の戦争体験を教えて その11

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1名無し三等兵
前スレ

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その10
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1138025955/
2名無し三等兵:2006/04/09(日) 23:11:53 ID:???
阻止!
3名無し三等兵:2006/04/09(日) 23:36:32 ID:???
3
4名無し三等兵:2006/04/10(月) 02:00:58 ID:rK05YjQk
ヨン様
5前スレの1000:2006/04/10(月) 02:01:59 ID:???
999 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/04/10(月) 00:38:57 ID:???
>>1000は柏原芳恵とセックスできる。
>1000は競泳水着姿の柏原芳恵とセックスできる。
>1000はメイドさんの柏原芳恵とセックスできる。
>1000は秘書スーツ姿の柏原芳恵とセックスできる。
>1000はブルマー姿の今の柏原芳恵とセックスできる。
>1000はスクール水着姿の今の柏原芳恵とセックスできる。
>1000は亞里亞のコスプレをした今の柏原芳恵とセックスできる。
>1000はバニーのコスプレをした柏原芳恵とセックスできる。
>1000はハイレグレオタード姿の柏原芳恵とセックスできる。
>1000はDOAのクリスティのコスプレをした柏原芳恵とセックスできる。
>1000は御剣冥夜のコスプレをした柏原芳恵とセックスできる。
>1000はセーラ服のコスプレをした今の柏原芳恵とセックスできる。
>1000は水銀燈のコスプレをした今の柏原芳恵とセックスできる。
          中略
>1000は真紅さまのコスプレをした今の柏原芳恵がアナルセックスしてもらえる。
>1000は不知火舞のコスプレをした柏原芳恵が俺の乳首を弄りながらフェラしてもらえる。
>1000はセーラー戦士のコスプレを一通りした柏原芳恵がディープキスをしながら手コキしてもらえる。
>1000はコギャル姿の柏原芳恵が俺のアナルを舐め、乳首を刺激しながらローション付きで手コキしてもらえる。
>1000は攻殻機動隊の草薙素子のコスプレをしペニバンを装着した柏原芳恵にアナルを調教してもらえる。
>1000は透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニをはいた女教師ルックの柏原芳恵が生姦&膣内射精させてもらえる。
>1000はヴァリスの優子のコスプレをした今の柏原芳恵が立ちバックでセックスできる。
>1000はランブルローズXXの紅影のコスプレをした危険日の柏原芳恵に種付けセックスさせてもらえる。

>>1000は柏原芳恵と結婚してしてもらえて、四六時中、淫らなセックスで>>1000に御奉仕してもらえる。
そして>>1000の遺伝子で柏原芳恵が孕んでくれる!

※拒否や無効化はできません。


1000 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/04/10(月) 00:40:19 ID:???
1000ゲット
6名無し三等兵:2006/04/10(月) 04:55:55 ID:???
初めての
6ゲド
7名無し三等兵:2006/04/10(月) 15:47:16 ID:OfDBP0NT
ラッキー7
ゲト!!
8名無し三等兵:2006/04/10(月) 16:55:28 ID:???
自分の爺様でないが、仕事で親密になったオーストリア人の爺様は
昔ドイツの戦闘機のりだったそうな。
仕事そっちのけで、話に食い入ったよ。もちろん独語分からないの
で仕事仲間が英語で通訳、ふだん聞く独語よりは良く分かるんだけ
どね・・・イェガーとかイャーボとか  あとレヴィとかは逆通訳、

最後はTa152(Fw190Dではないときっぱり言われた!)に乗って
Me262の護衛?してたらしい。(離着陸時のあれか?)
P38は七面鳥! さすがにP51Dには落とされそうになったとか・・・
一度、海岸線をはぐれて飛んでいる2機のB17をケッテ(たぶん
3機)で撃墜したそうな・・・余裕があったのでB17の乗員が脱出
出来るよう外側のエンジンから狙ったそうな・・・あまりに正確
な射撃にB17の乗員も早々にあきらめて脱出したらしい。
戦後までそのB17の部品を持っていたけど引越しで無くしたそうな、
ただTa152のエンジン回転計は見せてもらいました。過給圧と回転数
が同軸になった計器・・・100ユーロで売ってくれないかと冗談で言うと、
あっさりOK・・・もちろん仕事仲間に後で爺様に、おいしいもの食わ
せてくれと、あと100ユーロ渡したけどね。

また次会う時もビール飲みながら話を聞きたいと思う。
それまで元気でいてほしいな。

9名無し三等兵:2006/04/10(月) 17:48:17 ID:WBm0ghU6
>>8
ノヴォトニー隊とかの直援やってた人なのかな?
10名無し三等兵:2006/04/10(月) 20:36:44 ID:???
小さい頃に爺さんから聞いた話。
爺さんは「かば」とゆう軍艦に乗ってたらしい。
対空戦をやってる時だったかな?頭を撃たれた様な
感覚があったので、「撃たれたー!」
と大騒ぎしてると衛生兵?と上官が来て、
「傷を見せろ。」とヘルメットを脱がされたんだが
傷ひとつ無く、「貴様、嘘をついたな!」と
したたか殴られたらしい…。
11名無し三等兵:2006/04/10(月) 21:41:08 ID:???
>>10駆逐艦樺だと思われ
12名無し三等兵:2006/04/10(月) 21:44:57 ID:???
>>10
改・松型(橘型)の『樺』でしょうね。
ttp://military.sakura.ne.jp/navy/d_tatibn2.htm
13名無し三等兵:2006/04/10(月) 22:22:31 ID:???
>>11>>12あざす。
なんだか弱そうな船ですな…。
活躍したのでしょうか?爺ちゃんの船…。
14名無し三等兵:2006/04/10(月) 22:28:19 ID:???
>>13簡易製造の護衛駆逐艦だからね
見た目はあれだが結構使える駆逐艦の一つだぞ
対空・対潜能力はトップクラスだから
15名無し三等兵:2006/04/10(月) 22:32:37 ID:BbZJ2cNX
あまり詳しいことは知らんのだが、俺の曾爺ちゃんは満州に行ったらしい。
戦争には反対だったが、最後には自分の意思で行った。
自分で言うのも変だが俺の実家は当時かなり裕福で、兵役の免除もその気になればできたらしいが、
結局曾爺ちゃんは「国のためなら」ってことで自ら志願した。
その影響を受けた爺ちゃんも兵隊になりたかったらしいが結局召集の前に終戦した。
その爺ちゃんももう死んだから誰も詳しいことは知らないが。
ただその代から家には愛国思想が生まれたらしく、俺の親父は自衛隊に入ってる。
そして俺は防大目指して勉強中。もう二浪したけどww
16名無し三等兵:2006/04/10(月) 23:10:54 ID:???
>>10のじいさんは、結局なんで騒いだんだw
17名無し三等兵:2006/04/10(月) 23:28:24 ID:???
俺の母方の爺ちゃん(故人)は終戦時駆逐艦「椎」に乗ってたよ。
大和にも乗艦経験あるそうな。
P-38相手に対空戦闘した話を小学生の頃良く聞いたなぁ。
18名無し三等兵:2006/04/11(火) 10:12:46 ID:???
>>9  8です。
多分そうだと思います。でも、とても短期間だったそうです。
ひとつ驚いたのはMe262よりTa152の方が旋回性が良く上昇力
も同等なので、もし空中戦になったらTa152の方が有利だそうな。
どうも、爺様はMe262にとても乗りたかったらしい。
まあ、Me262に乗ってたら反対の事言ってたかもしれませんね。

Ta152の前はFw190に乗っていたそうで、その時対空砲火で撃墜
された話とか、ソ連の戦闘機を1日に2機撃墜した話とか、
また書きます。


19名無し三等兵:2006/04/11(火) 23:56:37 ID:???
>>18
メーターうpできない?
20名無し三等兵:2006/04/12(水) 08:10:07 ID:???
>>19
画像ですよね。
やりかたおしえてください。
21名無し三等兵:2006/04/12(水) 15:21:48 ID:???
>>8,>>18
Ta152でMe262の護衛ってJG301だよな…
ひょっとしてヴィリ・レシュケとかヨゼフ・カイルとかヴァルター・ルース
だったり?続編期待。
22名無し三等兵:2006/04/12(水) 21:48:33 ID:xpMKgGje
僕のじぃちゃん(故人)は陸軍で、東海道本線を走る軍の貨物列車の護衛をしていたそうな。
機銃掃射してくるグラマン(艦載機)を走る列車から軽機関銃で撃ち落せるわけもなく、やられたい放題だったらしい。
そんな感じで浜松駅に着くと今度は、艦砲射撃が始まってしまい一番頑丈な駅前の防空壕に入れなくて列車の下に伏せたそうな。
空襲だったら爆弾が見えるから逃げれるけど、艦砲は音だけが頼りだったからいつ落ちてくるか分らなくてとても恐かったそうな。
そしたらいきなり衝撃波が駆け抜けて、砲弾が着弾。幸いじぃちゃんがいた壕じゃなく駅前の壕に直撃したものだった。
攻撃も終わり壕から這い出して、駅前に行くと言葉では表現できないような状況で見るも無惨なものだった。
そしたらお婆さんが近づいてきてこれだけになってしまったと言いながら震える手で、手首だけになったお爺さんを見せたそうです。
じぃちゃんは何も言えなくてただ見ていたら、隊長から遺体の収容作業をするようにと言われそのお婆さんに一礼をして去ったそうです。
収容作業をすると遺体のほとんどはあのお爺さんと同じバラバラで、身元確認をするため転がっている頭部を集めたそうです。
たくさんの頭を抱えて集めているときは艦砲の時のような恐怖はなく、なぜか冷静でできたと驚いてました。でも収容作業が終わり小休止に入ったとたん涙が溢れて、もどしたそうです・・・。
じぃちゃんはいつも笑いながらこのときの体験を僕に話していたけど、今考えるとなんか申し訳ない感じがする。他の話も聞こうと思って違う日に聞いてみてもいつもこの話をしてくれた。
そして最後にいつもきまって、いきなり真剣な表情で「なぁ・・・こんな戦争ぜったいしたらいかんぞ、必ずやぞ!」言ってました。
・・・じぃちゃんの墓、行こうかなぁ。
23名無し三等兵:2006/04/12(水) 22:28:22 ID:???
>>22
「わかりました、“ 負ける戦争 ” はもう2度としません。」
24名無し三等兵:2006/04/13(木) 00:40:02 ID:+SzO8aw6
写真好きで戦後はカメラ屋を開いた我が祖父。

なので戦前の満州やら戦中の写真アルバムやらがたくさんありますよ。
高射砲兵だったのだが高射砲の写真やらもあった。
うpしますか?
25名無し三等兵:2006/04/13(木) 01:26:09 ID:P1HMAGWo
うpよろしく!
26名無し三等兵:2006/04/13(木) 01:34:43 ID:???
爺ちゃんが漢口でのんびりとやきうをしてる
写真があったぞな(中国人にとってもらったそうな)
そのときの新聞もあったけど部隊(?)名や
場所などは検閲で黒塗りだった

こんどうpしてみっかな。
27名無し三等兵:2006/04/13(木) 01:44:27 ID:???
家の爺さんは、輸送ヘリのガンナーを任せられてた
でも民間人とベトコンの見分けが付かないから、逃げる人がベトコン、逃げない人は良く訓練されたベトコンって事にして、
ベトコン人を全員撃ったらしい

戦場は地獄だと思った
28名無し三等兵:2006/04/13(木) 02:08:07 ID:???
質問でも宜しいでしょうか?

うちの爺ちゃんは、マレー半島の方に陸軍士官として行き
(正装・帯刀、軍馬にまたがる写真もあります)戦後無事、復員しました

我家は愛知ですが、九州『龍兵団』だったのかな?と勝手に推測しています
鬼籍に入った今も、宗像大社から毎月小さな冊子が届けられます。
永年会員か何かでお金を前納していたのか?或いは戦友会みたいなものがあるのか?
その辺も無学でして、よく判りません

爺ちゃんが生きていた足跡があるならば、一度宗像大社へも参りたいものです。
これだけで申し訳ないですが、足跡を辿るヒントを頂けましたら幸いに存じます
29名無し三等兵:2006/04/13(木) 07:17:23 ID:???
>>28
「冊子が来るなら、まず冊子の奥付を見て発行元に問い合わせすれば良いでは無いか?」
byマリー・アントワネット
30名無し三等兵:2006/04/13(木) 10:35:23 ID:???
>>19
8です。 計器うpしました。
2〜3日で削除します。
適当な画像でない証拠に先月発刊された本に乗せてます。

ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/mil/src/1144891863146.jpg
31名無し三等兵:2006/04/13(木) 11:54:39 ID:???
>>30
眼福、眼福
大変に乙です!
32名無し三等兵:2006/04/13(木) 13:04:38 ID:???
>>30
スマソ
ネタかと思ってたらホントなんだ

すげーよ ホントすげーよ
33名無し三等兵:2006/04/13(木) 15:10:40 ID:???
>>30
おお!
貴重な画像?ォクス
すごい状態いいねぇ。

世傑のFW190引っ張り出したらノヴォトニー隊の直援だった54連隊の第12
中隊の4番機の塗装図がでてたんだがこのへんだったのかなぁ?
ドイツ空軍関係の本は実家に置いて来てしまったんで、よく分からん。
34名無し三等兵:2006/04/13(木) 18:36:54 ID:???
>>30
松本零士が見たら欲しがるぞw
35名無し三等兵:2006/04/13(木) 20:35:33 ID:???
>>30
ありがたや。
36名無しさん@胸おっぱい:2006/04/13(木) 21:21:08 ID:???
>30
ネ申
37名無し三等兵:2006/04/13(木) 22:37:57 ID:???
この板見てバーさんにジーさんの戦争中の物なんか無い?
聞いたら海軍?の服が出てきた。。
名前の横に番号が書いてあるけど、コレからジーさんの
経歴を調べられますか?
38名無し三等兵:2006/04/13(木) 22:54:24 ID:???
厚生労働省なら兵籍番号でも資料は引けるだろうけど、
名前と本籍で確認できないとたぶん教えてくれないよ。
39名無し三等兵:2006/04/14(金) 14:18:30 ID:???
30です。
私は松本零士氏の大ファンなので、最初は「Reviは持ってないか?」って
もちろん聞きましたよ。もちろん「無い」って!   残念!

対空砲火で撃墜されたお話ですが・・・
ソ連の地上攻撃機をFw190、8機で迎撃に出動、でも会敵出来ず、その帰路
にソ連軍の車列を発見、本来は命令外なので無視する所が隊長機がいきなり
機銃掃射を始め、爺様も数機目に低空から攻撃したそうな。
そこで運悪く敵の機銃弾がエンジンの後部に命中、出力が一段下がってしま
った。敵地で落ちるのは、まさに最悪なのでなんとか十数分間Fw190を飛ばし
前線の見方側に落下傘降下したそうな。低空からの降下だったので危なかっ
たが枯れ木にうまく落ちて、お尻に枝が刺さったくらいで済んだそうな。
爺様が枯れ木から下ろされ手を振るまでは、7機もFw190が低空で乱舞するは
落ちたFw190は燃え上がるはであたりの陸軍は大騒ぎになったそうな。
しばらくするとFi156(話の感じからそう理解した)が護衛のFw190 2機付
きでやってきて、爺様を基地までつれて帰ったそうな。
爺様は話終わると、その時の傷を見せてやろうと言うので、結構ですって
言うと・・・「おまえの尻にも同じ傷があるから見なくていいか」だって。
たぶん傷跡なんてないのだろう。
あと、良く分からないが、落ちたFw190には大切な護身用のライフルを積ん
でいて、燃えてしまったそうな。そのライフル、銃身が3本あったって・・・
これも爺様のジョーク?
40名無し三等兵:2006/04/14(金) 17:26:16 ID:???
>「おまえの尻にも同じ傷があるから見なくていいか」
わらた
41名無し三等兵:2006/04/14(金) 17:54:04 ID:???
>>39

つまり・・・その・・・「穴」が開いているということでしょうか〜!
42名無し三等兵:2006/04/14(金) 18:45:23 ID:???
>>39
>あと、良く分からないが、落ちたFw190には大切な護身用のライフルを積ん
>でいて、燃えてしまったそうな。そのライフル、銃身が3本あったって・・・

ペッパーボックスみたいな銃じゃないの?
43名無し三等兵:2006/04/14(金) 18:46:15 ID:???
>>39
面白いなぁw

たぶん、その御爺様のお身内の方は、誰もそんな話に聞く耳持たないんでしょうねぇ。
44名無し三等兵:2006/04/14(金) 20:36:06 ID:0euGqDTG
俺の爺さんではないが、農協を退職した後、あるガソリンスタンドで
働いてた爺さんの話し。ある日、車にガソリンを入れに行った時、戦時中の
話になり、その爺さんは通信兵として台湾にいたそうな。
俺が「苦労したんでしょ?」と聞くとその爺さんは「いやー、台湾は
暖かいし、食い物は美味いし、遊びに行ったみたいなもんだよ」だって。

もっと南の島では、餓死した人もいたというのに・・
45名無し三等兵:2006/04/15(土) 02:52:24 ID:???
うちの祖父は工業高校出身で北陸3県での射撃大会での優勝経験者だそうで
ブルネイに石油技師として行っていたものの、戦局の悪化に伴い徴兵されインドネシアに配属されたそうです。
現地に入ると当時としては体が大きく(170cmちょっと)射撃の腕も抜群のためか近衛と称する部隊の工兵中隊に配属されたたとのことでした。
(インドネシアで近衛ってことは第2師団ってことですかね?)
射撃の腕も立つお陰で部隊長からも気に入られ「○○上等兵(だったかな?)は射撃訓練の必要なし!」などとかわいがられたと自慢していました。
太平洋戦争中は激戦と呼べるような戦闘にはほとんど参加せずに終戦英軍の捕虜となったらしいのですが
その後、インドネシア独立戦争になると英軍から頼まれ(というか捕虜部隊として半ば強制的にって言い換えた方がいいのかもしれませんが)
義勇軍として参加することになったとのこと
精鋭である第一中隊と共に工兵中隊は首都近辺での戦闘などに投入され、激戦を経験し
「頭を半分吹き飛ばされて死んでいく戦友を『大丈夫だ安心しろ』と励まし続けた」こともあったと言っていました。
収容所での病死なども含めると部隊の損耗率は3割にもなったと言っていたのを記憶しています。
中でも印象的なのは「インドネシアの独立側に回った奴等は、女と金に釣られた奴等だ・・・」と言っていたことです。
盛んに「インドネシア独立のために旧日本軍は〜」と言っている人達からしたら剣幕を荒げて反論されるような発言なのでしょうが
実際、当時の人たちの立場や見方次第ではそういうことになるのでしょう。
どこぞの漫画家のいうように自分の祖父達の歴史を口汚く罵るのももちろん許せないことですが
一面だけをとりあげたり、一部だけを切り取って美化することも同時に危険なことなのだなと・・・
まぁ、こんな事を書き込んだら、叩かれそうな気もしますが・・・
4645:2006/04/15(土) 03:05:33 ID:???
なんか荒れそうな書き方をした気がしたので
慌てて付けたし
インドネシア独立側に回った人たちが「金と女に釣られた」人なのかどうかを論じているわけでなく
現地にいてそういった「戦争」そして「終戦、捕虜」という歴史の大きな文脈の中に投げ入れられた人達を
後から一括りにして
「独立側に回り欧米からのアジア解放のために〜」
「まさにこれが八紘一宇の精神を〜」
などと偉そうに説くのは非常な違和感を感じるなということを言いたかっただけです。

蛇足的な書き方になりますが、個人的な興味の一番の部分は祖父の部隊がどのような部隊であったのかが気になっての書き込みであり
インドネシア独立戦争時に英軍側の義勇軍となった旧日本陸軍の話を知っている方がいればなんらかの文献を教えてくださるとうれしいです
47名無し三等兵:2006/04/15(土) 04:04:15 ID:???
インドネシア独立に参加した日本人て、
銃で脅されて無理矢理参加させられたり、
現地に女できちゃってたり、
次男や三男だから日本に帰っても土地財産ないから仕方なく参加したり
とか、いろいろなケースがあるそうな。
48名無し三等兵:2006/04/15(土) 06:56:28 ID:???
>>47
まぁ、何にせよ、
インドネシア独立側の主力だった農兵に、
射撃のし方から散開の方法、地形を利用した前進、等を伝えて
曲がりなりにも軍隊らしくしたのはそういった日本兵だったのだが。
49名無し三等兵:2006/04/15(土) 07:44:10 ID:???
>>45
ブルネイもインドネシアなんだけどな。
ジャワの聞き間違い?

>剣幕を荒げて
これは表現としておかしい。
50名無し三等兵:2006/04/15(土) 10:15:34 ID:???
>>43 39です
そうですね。 あと、かの地では昔ドイツ兵だったことは他人に自慢できる
事ではないようです。日本も微妙に似ていますね・・・勝てば官軍とは、
よく言ったもんです。
よって、爺様が特定できる様な部隊名や地名は故意に出さないようにしてい
ます。物足りないかもしれませんが、ご理解ください。

まだ、いろいろな話を聞いたので、できるだけ書きますね。
あと、年内にまた墺太利へ行くのでもっと話を聞いてきます。
51名無し三等兵:2006/04/15(土) 12:26:49 ID:???
>>50
ここにさらさなくても、あなたが記録しておく事は大切だと思うよ
差し障りのない範囲で書いてくれ
52名無し三等兵:2006/04/15(土) 18:30:30 ID:???
>>50
発表しないまでも、何所かに書き留めて記録しておいてください。

 こう言う記録は、一度失われてしまうと二度と甦りませんから。
53名無し三等兵:2006/04/15(土) 18:54:09 ID:???
>>46
「歴史の大きな文脈」も表現としておかしい。
「違和感を感じる」もおかしくはないかもしれないけど、やや重言の感がある。
全体として変に言葉を飾ろうとしないほうがいいよ。
でも内容には首肯。
54名無し三等兵:2006/04/15(土) 21:28:57 ID:???
↓ここで映画「ムルデカ」を見た人が一言
55名無し三等兵:2006/04/15(土) 22:22:41 ID:???
アフリカではよくあること。
56名無し三等兵:2006/04/16(日) 00:25:12 ID:???
>>47
自己レスだけど、独立戦争参加者をけなしてるわけじゃないからね
どんな理由にせよ、命がけで戦ったことに変わりはない
57名無し三等兵:2006/04/16(日) 02:40:04 ID:???
>一面だけをとりあげたり、一部だけを切り取って美化することも
>偉そうに説くのは非常な違和感を感じるなということを

45はまず自分にこの言葉を当てはめようなw
おまいが余計な口舌せずともみんな
>実際、当時の人たちの立場や見方次第ではそういうことになるのでしょう
を心得て書き込んでるから安心しなw
58名無し三等兵:2006/04/16(日) 20:32:00 ID:Xkg/ipHr
俺の祖父。実家は山口県下関。
民間の船乗りだったが日本海軍に自分の船ごと動員される。
戦後は帰還事業に貢献。朝鮮戦争にも動員され活躍。
米兵からチョコやガムを箱単位で貰って帰国。
戦後間もない時期に車を持っていた。
日本刀を床に立てて座ってる肖像画がある。腕には日の丸の腕章。
自慢じゃないが宗家は結構裕福。俺は貧乏。
59名無し三等兵:2006/04/17(月) 13:24:59 ID:V/qVCcp7
近所のジイチャンに聞いた話
何とか動員で三菱の水島の工場に引っ張られて一式陸攻(G4とか呼んでいた
そうな)を作っていたらしい。
完成した飛行機を受け取りに来た若い操縦士たちが、ジイチャンによれば勤労
動員の女学生にカッコ良いところを見せようと2機で編隊離陸をしようとして
空中で接触し、そのまま海にドボンしてしまったと言う。
工場の技術者や工員、動員の女学生たちは「せっかく作った飛行機を・・。バ
カじゃのう。」と肩を落としていたとか。
60名無し三等兵:2006/04/17(月) 17:37:14 ID:???
うちのお爺さまは沖縄特攻に行った「やはぎ」と聞いたことあるんだがどんなだったんだろう?
61名無し三等兵:2006/04/17(月) 17:48:28 ID:???
軽巡「矢矧」は第二水雷戦隊に所属
他に磯風、浜風、朝霜、霞などが沈没。
ちなみに第一遊撃部隊は「大和」
合計4000名以上が亡くなった。

62名無し三等兵:2006/04/17(月) 17:57:23 ID:???
うちの婆ちゃんは戦争末期、木で戦闘機を作ったそうだ。
そこは北海道の製紙会社で、飛行機作りは初めてだった。
エンジンは本州から送ってもらい、木製飛行機とくっつけたそうだ。
飛行場も町村牧場(元町村外相の実家跡)につくり
試験飛行もうまくいって、さあこれから生産だと言うときに
戦争が終わったそうだ。
63名無し三等兵:2006/04/17(月) 18:04:57 ID:???
これだね↓王子の名もある。町村牧場は江別市だね。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki4/kaitaku/kaitaku.html
64名無し三等兵:2006/04/17(月) 18:24:38 ID:???
>>62作ってた飛行機キ―106?
65名無し三等兵:2006/04/17(月) 20:29:02 ID:???
>>60です
>>61
教えて頂きありがとうございました。ちなみに「やはぎ」は矢作かと思ってた…orz
また詳しい話わかる方よければ教えて下さい!
66名無し三等兵:2006/04/17(月) 20:31:31 ID:???
67名無し三等兵:2006/04/17(月) 20:34:58 ID:???
昨日の特番でもちらっと出てきたな、矢矧。
泣いちまったよ。
68名無し三等兵:2006/04/19(水) 22:10:18 ID:JLTJId9s
おじさん(元陸軍大尉幹候上がり)から聞いた話ですごく印象に残っている話は復員船で、
散々目下の兵隊たちをいじめた意地悪な古参兵達がいじめられた兵隊達に荷物を海に放り込まれ、
さらにその古兵たちを海に落とそうとするのを何とかやめさせるのに大変だったらしい。
特に意地悪だった古兵は散々殴られて血塗れになって「お願いだ。許してくれ〜っ」て叫んでいた
のを「てめえらなんか日本に生きて帰れると思っていやがるのか」って大学の柔道部
上がりの兵隊が散々受身をいれていたり、別の兵隊がスコップで顔を殴ったり。
食事の時はその古兵の分はなかったり。あるいはねずみの死体やゴミを無理やり食わせたり。
「もう戦争終わったんだから許してやれ」っておじが言っても一瞬はやめるけど目を離すと
すぐにリンチが再開だった。ある兵隊に「大尉殿だって初年兵時代はやられただろう。
自分達の気持ち分かるでしょう。」って真顔で言われたりしたそうだ。

69名無し三等兵:2006/04/19(水) 23:30:17 ID:???
じいちゃんは召集されて中国へ行って、食料担いだ馬を引く役をしたらしい。
子供や嫁さんいるから、さっさと帰れる仕事を選んだとかなんとか。
でも、必要だけど、馬鹿にされる仕事だったとのこと。

人づてに聞いた、すんごいあやふやな情報なんですが、
どんな仕事か、上記の情報で分かる方いらっしゃいますか?
70名無し三等兵:2006/04/19(水) 23:41:22 ID:???
いわゆる、輜重兵ですね。
輸送を軽視する日本軍では、「輜重兵が兵隊ならトンボチョウチョウも鳥のうち」と
揶揄されてました。
が、軍を支える重要な役割でした。
71名無し三等兵:2006/04/20(木) 00:02:22 ID:???
>>70
ありがとうございます。

もし、じいちゃんが生きていたら、いろんな話が聞けたかもしれないな
と、このスレを見て思う、今日この頃。
72名無し三等兵:2006/04/20(木) 00:39:25 ID:???
>>70
輜重輸卒、ではなかったか?
73名無し三等兵:2006/04/20(木) 01:37:16 ID:???
ぐぐってみたら、輜重輸卒でも輜重兵でも、
トンボも〜のくだりはあるみたいです。

蝶々や蜻蛉が鳥になったり、電信柱に花が咲いたり、と
ろくな見方をされてなかったんですねぇ。
じいちゃん、戦争の話はしなかったけど、大変だったんだろうな。
74名無し三等兵:2006/04/20(木) 02:05:24 ID:???
「輜重輸卒が〜」じゃないと語呂が悪いだろう。
75名無し三等兵:2006/04/20(木) 08:27:36 ID:???
>>68
こういう話も山ほどあるよな
お礼参りじゃないけど、やられて当然なことしてきたとはいえ
終戦まで生き延びたのに、同じ日本人に殺されるとは
夢にも思ってなかっただろうな
こういう場合、戦死扱いになるの?まぁ、「リンチで殺されました」とは
誰も言わないだろうけどね
76名無し三等兵:2006/04/20(木) 22:07:27 ID:???
>>69
うちの爺さんも戦時中は中国にいました。わたしはそこから興味を持って
当時のことをいろいろ調べたり、話を聞いたりして記録しています。
うちの地元(大分)の郷土部隊戦史の本から、輜重兵に関する記載を
下記のURLに転載しましたのでご参考までに。

http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1142249989/301-304
77名無し三等兵:2006/04/22(土) 13:15:21 ID:???
うちの死んだ爺さんは元外務省系特務機関員。
シナの山奥の部落で現地人に化けて潜んでた。
何をやってたのかって聞いたら
「アーメンの宣教師と同じだよ。普段は保健衛生の指導がほとんどだった」

キリスト教宣教師と聞いて「花の慶次」の
カルロス神父を思い出した俺はアフォでつか?
78名無し三等兵:2006/04/23(日) 02:57:52 ID:???
>>76
ありがとうございます。
79不知火:2006/04/24(月) 02:06:34 ID:2vQuijdQ
私のおじいさんではないのですが、おじの父親が駆逐艦不知火の最後の
艦長でした。どなたか関係者いらっしゃいますか??
生存者はわずか3名だったそうです。
80名無し三等兵:2006/04/24(月) 02:34:51 ID:??? BE:237800197-
じいちゃんはビルマにいた砲兵で下士官だった
戦争軍事歴史に興味持つようになった2年前に死んだ
母親が小さいときにじいちゃんから聞かされていた
じいちゃんの戦争の結末しか話は知らない
もうちょっと早く興味湧いていればもっと色々なことが聞けたのに
81名無し三等兵:2006/04/24(月) 19:56:50 ID:???
このスレ好きなんだけど、身内に敬称・敬語を使う僕ちゃんどもが多くてたまにイライラする。
82名無し三等兵:2006/04/24(月) 21:19:30 ID:???
死んだ祖父から聞いた話。徴兵されて満州に行っていた兄が、病気になって
姫路の病院に入院していた。当時まだ少年だった祖父は、ゆで卵をたくさん作って
兄嫁と一緒に夜行列車で引き取りに行ったそうだ。衰弱しているであろう兄に食べさせようとした卵は病院の入口で全て没収されたって。
83名無し三等兵:2006/04/24(月) 22:37:55 ID:???
>>82
>卵は病院の入口で全て没収されたって。
防疫の関係でしょうね。食中毒はかなり恐れられていましたから・・・。
84名無し三等兵:2006/04/24(月) 22:55:55 ID:???
でも、その当時でのゆで卵没収は悔しいだろうなあ
85名無し三等兵:2006/04/24(月) 23:54:30 ID:???
昔、近所のじー様に海軍の白い服と肩章(紫の線があったと思う)
貰ったけど(今は行方不明です・・・)造兵って言ってた。
グルグルしたら下記のサイトに似た色と色がありましたが
どんな仕事をしてた方だったのでしょうか?

http://www31.ocn.ne.jp/~zenibo/mufcj.htm
86名無し三等兵:2006/04/25(火) 07:12:40 ID:???
>>85
“ 造船 ” で『船を造る』という意味という様に、
“ 造兵 ” で『武器・弾薬等の兵器を造る』という意味になります。
製造管理だけでなく、新兵器の研究などもします。
87名無し三等兵:2006/04/25(火) 21:20:49 ID:???
>>85
> (今は行方不明です・・・)
探すんだ
そしてうpるんだ
88名無し三等兵:2006/04/25(火) 23:00:46 ID:???
>白い服
ただの煙管服だったりしてな
(それはそれで貴重w)
8985:2006/04/26(水) 23:17:45 ID:???
>>86
ご教授有難う御座います。
私の母親が、じー様が軍隊時代は良かった?
と言ってた事を記憶しています。

更にぐるぐるましたら、大尉でした。
新兵器・・・ひょっとしたらすんごい方だったのかな。

>>87
子供のころ貰った物で・・・いまごろ夢の島でしょうか。
この板見まして記憶しか残っていませんが、せめて故人の記録でも
判ればと思い書きました。

>>88
煙管服?ってどの様な物でしょうか。
白い学ランみたいな物でした。

90名無し三等兵:2006/04/28(金) 18:56:49 ID:???
>>85
本物で美品ならかなりの価値があると思われ。
死ぬ気で探せ
91名無し三等兵:2006/04/28(金) 23:04:03 ID:???
>>90
>かなりの価値がある
でもないでしょう。
92名無し三等兵:2006/04/29(土) 17:52:09 ID:???
>>91
馬鹿か、歴史的価値だよ
何でも金額で計るな
93名無し三等兵:2006/04/29(土) 23:01:10 ID:9ckQeEo5
この前は母方の田舎の爺ちゃんが死んで、
現代も防寒着として使っていた戦前のコートを貰った。
カーキ色でごわごわした硬いフェルトみたいな生地で出来ており
どうも軍用らしいとの事だが、爺様は足が悪かったので、
召集されていないから軍用なのか不明です。
コートの裾には昭和13年広種検定と書かれてあったけど、
これってサイズの事なのかな?

直田舎にはまだ当時の国民服もあるらしいので貰おうかと思ってる。
94名無し三等兵:2006/04/29(土) 23:44:08 ID:???
大陸にいたころ、空から女の子が落ちて来て、彼女を助けたところ、なぞの機関に追われて、(中略)
最終的に古代超文明の魔の手から地球を救ったらしい。
95名無し三等兵:2006/04/30(日) 00:05:23 ID:4H+/j/A8
>>94
空飛ぶ城か
96名無し三等兵:2006/04/30(日) 00:24:49 ID:AbE3nBiA
風の谷の豚だろ?
97名無し三等兵:2006/04/30(日) 01:27:41 ID:AbE3nBiA
あっ、今帰省中なんで、祖父が満州で撮った写真や、戦時中のアルバムなんかをうpしたいと思います。

98名無し三等兵:2006/04/30(日) 01:41:49 ID:7/dqvA9Q
どう考えても中国が世界の王になるよ。あと30年かからんだろう。
世界史上何度も何度も隆盛を繰り返せるのは中国だけ(必ずしも中華民族に限らない、あの地域にできる国がということ)。
多くの地域・民族が有史上1度は世界トップレベルになれるが、世界最高レベルの隆盛を何度も繰り返せるのは中国だけ。

ローマ帝国しかり、オスマントルコしかり、古代エジプトしかり、ソビエト連邦しかり、モンゴル帝国しかり、
アッバース朝しかり、大英帝国しかり、大航海時代のスペインしかり、こないだまでの日本しかり、ね。
このことは世界史上最大の謎といわれています。なぜ1度だけか?なぜ中国だけ例外なのか?
ちなみに日本史上最大の謎は、@あの天皇一家がなんで延々滅びもせず続いてきたかというのと、
A鎌倉時代になぜ新興宗教が一気に勃興したかの2点だそうです。

・・・中国が再び世界のトップになるのは歴史の必然です。おかしいことでもなんでもない。
日本が再びJAPANアズNO1になるのが希望薄なのも、同様に煽りぬきで歴史の宿命です。別に悪あがきもいいけどw
石原慎太郎とかって歴史に詳しいらしいけど、アホだよね。こういうダイナミックな長期の視点を知らずに、
わずかここ100年かそこらの短絡で中国を見下してる真性アフォ。
日本がここ100年だけ特に勃興した事がむしろ「異常事態」であって、中国中心できたアジアの歴史的な秩序を壊し、
この100年間の各種不幸や軋轢を招いているという見方の方がむしろ真をついてるんです。
日本はたった一度の機会を使い切ってしまったorz アーメン†〜

※GDP世界2位は、既に日本ではなく中国です。
米CIAの各国経済力ランキングも、購買力平価GDPの方を採用しており、中国が2位。一方日本は3位で半分。
http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/rankorder/2001rank.html  (内容は2005年の最新数値)
ページトップに「GDP」と明記されているのに注目。(purchasing power parity 購買力平価PPP)
今どき名目GDPの方を拝んでいるのは、日本ぐらいです。アメリカと欧州は購買力平価GDPが基準です。(wikipediaのGDPも参照)
数百年のスパンで大隆盛と、それがゆえの沈降・混乱期を繰り返す中国が、再び隆盛の時期に入ってきましたにょ。
99:2006/04/30(日) 10:23:04 ID:???
ハイハイ

じゃ次
100名無し三等兵:2006/04/30(日) 11:01:28 ID:???
>>98
   〃∩ ∧_∧
   ⊂⌒(  ・ω・)  < はいはい中原の鹿中原の鹿
     `ヽ_っ⌒/⌒c     
        ⌒ ⌒

101名無し三等兵:2006/04/30(日) 22:30:19 ID:???
祖父の兄の話ですが、
・駆逐艦「白雲」に乗艦
・海軍陸戦隊員として上海事変にて従軍
・巡洋艦「衣笠」に乗艦
・一時退役の後再度召集されました。
・徳山で高射砲の指揮官?だったそうな
・外地転勤(詳細不明です)。雑役船で移動中撃沈され戦死。最終階級上等兵曹?だそうです。
102名無し三等兵:2006/04/30(日) 22:47:44 ID:pPymp3UT
自分の祖父ではないが、先日知り合った老人から
色々な話を聞いたその帰り際に帽子を頂いた。
歴史的なものを俺なんかが頂くのに躊躇したが是非にというので預からせて貰った。
帽子の裏に消えかかっているが土浦海軍航空隊と書かれてある
やっぱり返そうかと思うんだがどうしよう
103名無し三等兵:2006/04/30(日) 22:51:04 ID:???
>>102
そのご老人の気持ちなんだから、しっかり受け止めてやれよ。
不吉なことをいうようで申し訳ないが、そのご老人もそれほど長くはないだろうし、
理解のない遺族によって処分されてしまうことの方が怖い。
104名無し三等兵:2006/04/30(日) 22:53:46 ID:???
>>103
そうか、ありがとう。
その人は当分お迎えには縁がなさそうなほど元気なんだけどなw
105名無し三等兵:2006/04/30(日) 22:56:04 ID:???
>>104
それは何より、また訪ねていって、いろいろなお話を聞かせてもらってきてくれ。
本人の了承が得られたら、ここでもその一端を披露してもらえるとありがたい。
106名無し三等兵:2006/04/30(日) 22:57:48 ID:???
うん了解。今度会ったらそうさせてもらう
107名無し三等兵:2006/05/01(月) 00:58:50 ID:???
うちの母親の叔父、地主の息子で慶応大学に在学中に召集
大学生だったんだけど兵卒として銚子の海岸にいた部隊に配属され、
毎日塹壕や蛸壺掘ってるうちに終戦になったそうだが、
所属していた部隊では百式短機関銃が結構な割合で配備されてたそうな。
108名無し三等兵:2006/05/01(月) 01:35:04 ID:???
憲兵で中国大陸へ行く航空機を護衛して上海で終戦したこと以外不明。
飛行帽、軍刀、拳銃、ブーツ、写真が家にあるらしいが
婆さんが捨てたかもしれず行方不明。

もう一人の爺さんは広島の原爆の片付けに行った。

婆さんは遠くの空襲の火がみえて怖かったこと以外つらかった
ことはなかった。
109名無し三等兵:2006/05/02(火) 20:39:34 ID:???
私のおじいさんのお父さんの時代に日本はアメリカと戦争したそうです。
ちょっと信じられない。おじいさんのお父さんは兵隊さんで硫黄島というとこで戦ったそうです。

それ以上わかりません。
110名無し三等兵:2006/05/02(火) 22:21:11 ID:???
>>109
信じられないかもしれませんが本当なんですよ。
硫黄島ですか。
凄まじい戦闘が行われた所です。
111名無し三等兵:2006/05/02(火) 22:54:31 ID:???
112109:2006/05/02(火) 23:34:23 ID:???
何で友好国のアメリカと戦争したのですか?
私のおじいさんのお父さんは右腕が無かったです。
戦争で失ったのかなぁ?
5年前のお葬式のときに棺に右腕代わりだと
おじいさんがダンボールと包帯で腕を作り
一緒に火葬しました。詳しいことはおじいさんに聞きます。
113名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:40:32 ID:???
世代を重ねる大東亜戦争のことは燈し火に変わるんだね。
淋しいけど伝えようよ後世に。
114109:2006/05/02(火) 23:43:54 ID:???
大東亜戦争って韓国と北朝鮮の戦争ですか?
115名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:48:50 ID:???
>>112
釣りじゃないのなら、中学校の教科書を読み返せ。
116名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:49:35 ID:???
つ)大東亜
満州事変って知ってる?
ノモンハン事件って知ってる?
シンガポールやカムチャッカ半島が日本領だったってしってる?
北海道の北の島も日本領だったって知ってる?
半島は無視して良いけど。
117名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:50:52 ID:???
118名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:51:15 ID:???
おまいら、釣られすぎw
119名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:52:18 ID:???
>>116
いや、シンガポールもカムチャッカ半島も日本領だった事ないし
120109:2006/05/02(火) 23:52:27 ID:???
中学に入ってからじゃ遅い気がするので
GW中におじいさんに聞きます。
121名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:56:30 ID:???
>>119
シンガポールは昭南市。カムチャッカ半島にも日本の軍港があった。
たしか幌むしり?樺太生まれの親父から聞いた。
122名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:59:32 ID:???
>>121
幌蓆のことだったら、カムチャッカではなく千島だが。
カムチャッカには日本の軍港なんてねえよ。
123名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:03:37 ID:???
カムチャッカ半島に日本の軍港は有ったよ。
幌糠?か、幌尻だったような名前。そこかからキスカ・アッツに攻め入ったんだ。

昭南市は俺でも知ってるさ。
124名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:06:54 ID:???
自作自演でないとすれば、カムチャッカと千島の区別が付かない馬鹿が二人もいるのか。
125名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:17:21 ID:???
カムチャッカに日本の軍港はありましたよ。
3人目w

一分千島列島はロシア領です。榎本武揚が特使でその仕事しましたね。
カムチャッカの軍港から、キスカ・アッツでしたね。その通りです。
>>124馬鹿とは言わないが勉強不足です。

126名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:27:34 ID:???
頼むから日本語で書いてくれ。

カムチャッカが日本領だったことは一度もない。
127名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:35:04 ID:???
カムチャッカに大日本帝国の軍港はありました。
カムチャッカそのものは領土では無くとも(半分領土のときもありました)条約でロシアが日本の軍港を
駐屯することを許諾しました。
128名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:37:46 ID:???
もしかしてカムチャッカと樺太と千島の区別が付いてないのか?
129名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:45:53 ID:???
付いてると思うよ。
俺の中学校の資料集にも当時、日本の勢力地図1982年度版にも
カムチャッカの南半分が黄色。樺太の南半分が日本と同じ赤。
北半分が黄色で記されてる。
130名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:50:03 ID:???
あっち(北の方)は不明確な領土線だったからしょうがないんじゃない?
131名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:52:12 ID:???
引っ込み付かないのはわかるが、いい加減間違いを認めればいいのにw
132名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:54:50 ID:???
昭南って戦時占領下では?
戦時占領も日本領って言うんですかね。
やっぱり領有権の問題だから戦時占領では日本領とはいえないのではないかな。
あとカムチャツカと樺太と千島の区別はついてないっぽいけど・・・
カムチャツカですよ?
千島列島よりも先ですけど・・・
133121:2006/05/03(水) 00:55:53 ID:???

樺太では日本人の牧場内でソ連兵が演習していました。
満州みたいに5族とは言わないが、共存していたのは間違いないです。
満州で生まれた父から聞きました。
134121:2006/05/03(水) 00:58:07 ID:???
133訂正
樺太で生まれた父です。
135名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:58:42 ID:???
>>121
おぃおぃ
親父さんは樺太生まれじゃなかったのかい?
父方と母方で樺太と満州ですか?
136名無し三等兵:2006/05/03(水) 00:59:24 ID:???
>>133
それは樺太(サハリン)だろ?
南樺太が日本領だったのは確か。
しかしカムチャッカが日本領だったことはない。
137121:2006/05/03(水) 01:28:59 ID:???
怪しくなってきたな。本人に聞いて見るしかない。
樺太はロシア人も住んでいたことは間違いないのは、父さんの母親からも聞いてる。
カムチャツカの問題だな。
138名無し三等兵:2006/05/03(水) 01:29:45 ID:???
>>137
カムチャッカが半島なのはわかってるよな?
139109:2006/05/03(水) 01:38:11 ID:???
ほんとに日本とアメリカは戦争したんですか?
140名無し三等兵:2006/05/03(水) 01:39:32 ID:???
>>139
しました。昭和16年(1941年)12月8日開戦、昭和20年(1945年)8月15日敗戦。
141121:2006/05/03(水) 01:39:40 ID:???
ロシアとも戦争しました。2回。
142名無し三等兵:2006/05/03(水) 01:41:25 ID:???
>>137
聞くまでもねえよ、カムチャッカに日本の軍港なんて存在したことはない。
日露戦争のあと、沿岸の漁業権は獲得したが、軍港を置く権利なんて得ていない。
143121:2006/05/03(水) 01:44:50 ID:???
>>147
そうだね。幌むしりググッテおかしいと思った。
144109:2006/05/03(水) 01:46:23 ID:???
何でアメリカが攻撃してきたのですか?
145名無し三等兵:2006/05/03(水) 01:48:00 ID:???
>>143
多分それは千島列島の幌筵(ほろむしろ又はパラムシル)島のことだと思う。
上の方でアッツがどうとかって書いてあったが、アリューシャン攻略作戦の起点になったのはここだし。
146名無し三等兵:2006/05/03(水) 01:48:13 ID:???
>>144
逆、日本から攻撃した。
147121:2006/05/03(水) 01:48:25 ID:???
>>142
だった。
148109:2006/05/03(水) 01:52:13 ID:???
>>146
何でですか?自衛隊は専守防衛と聞きましたが。
149名無し三等兵:2006/05/03(水) 01:54:15 ID:???
>>148
その頃はまだ自衛隊はないし、憲法も今のと違う。
大日本帝国という国名で、陸軍と海軍を持っていて、外国と戦争ができた。
150109:2006/05/03(水) 01:57:27 ID:???
国名は知ってます。軍隊を持っても戦争してよかったんですね。
なら、韓国と戦争になりそう。
151名無し三等兵:2006/05/03(水) 01:59:39 ID:???
>>150
その頃の韓国は日本領。

つか、ここは歴史のお勉強スレではないのだが。

派生議論スレ4
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1143465905/
にでも移動しようか?
152109:2006/05/03(水) 02:01:43 ID:???
スレチガイですいません。も少しロムして勉強します。
153名無し三等兵:2006/05/03(水) 02:04:21 ID:???
>>152
何年生だ?
154109:2006/05/03(水) 02:06:31 ID:???
3年生です。
155名無し三等兵:2006/05/03(水) 02:08:30 ID:???
まだ日本の歴史とか習ってないのか
その割には2ちゃん用語には詳しいなw
156109:2006/05/03(水) 02:10:44 ID:???
2ちゃん用語って?何ですか?
157109:2006/05/03(水) 02:12:56 ID:???
防衛大学目指してます。チラシ裏ですが。
158名無し三等兵:2006/05/03(水) 02:18:35 ID:???
チラシ裏wロムwスレチガイw
159名無し三等兵:2006/05/03(水) 02:26:37 ID:???
ここはひどい釣り堀ですねw
160名無し三等兵:2006/05/03(水) 03:00:50 ID:???
>>157
小学三年生だよな?
まさか、中学や高校の三年生じゃないよな?
161名無し三等兵:2006/05/03(水) 04:01:44 ID:???
藻前らもちつけ、四季折々に春厨や夏厨などがいるが
ゴールデンウィークにも当然GW厨がいてもおかしくはない。
109はGWに2chデビューして浮かれているんだから
生暖かい目でヌルーしてあげよう。
162名無し三等兵:2006/05/03(水) 05:50:09 ID:???
干涸びたイソメ以下のえさですな
163名無し三等兵:2006/05/03(水) 09:30:19 ID:???
小学生をいじめるなw
164109:2006/05/03(水) 11:25:57 ID:???
やさしく教えてくれた人、ありがとうございました。
おじいさん、おばあさんにアメリカとの戦争の事聞いたら
驚かれました。
私が興味を持つことがに不思議だった見たいです。
おじいさんのお父さんが硫黄島で戦ってるとき
おじいさんは疎開してたそうです。
おばあさんはまだ生まれてなかったそうです。

2chデビューは小学2年で去年です。
軍板見たのは昨日がはじめてです。
釣りになってすいませんでした。
165名無し三等兵:2006/05/03(水) 11:29:10 ID:???
俺が小三のとき、筋肉マン消しゴム集めていたが最近の子はませてる。
カリビアンコムとか見てるのかな?
166名無し三等兵:2006/05/03(水) 11:35:50 ID:???
>>165
俺は漢字読めない幼稚園児の頃から『戦場まんがシリーズ』見てて軍ヲタでしたがなにか?
(読む、ではない/漢字読めないもんねw)
167名無し三等兵:2006/05/03(水) 12:06:58 ID:???
>>166
俺も幼稚園児のとき、共産党事務所にインティファーダしてたがなにか?
168名無し三等兵:2006/05/03(水) 14:16:32 ID:???
>>167
嫌がらせで泣き喚いたり、う○こ漏らしたりしてた訳か...
169名無し三等兵:2006/05/03(水) 14:53:33 ID:???
俺も小1のころ、学研漫画日本の歴史を読んでたっけ。
ヒトラーがかっこよく書かれてたの覚えてる
170名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/05/03(水) 15:02:27 ID:???
>>168
公明党の選挙ポスター貼った家などは、ピンポンダッシュしたが。
いたずら書きもした。幼稚園時代。なつかしい。
171名無し三等兵:2006/05/03(水) 15:25:01 ID:???
>>170
俺は選挙ポスター落書きで幼稚園のころ逮捕されたw
警察署の廊下で捕縛された犯人とすれ違った時にはマジ泣いた
スレチスマソ
172名無し三等兵:2006/05/03(水) 20:11:08 ID:???
>>164
小学校2年生だと戦争世代は曽祖父曾祖母になるんですね。
おじい様おばあ様から話を聞いたら、また軍板へおいでください。
173名無し三等兵:2006/05/03(水) 21:26:10 ID:???
>171
詳しくw
174名無し三等兵:2006/05/03(水) 22:42:11 ID:???
>>171
園児が逮捕されるなんて・・・いったいどこの国だ?
175名無し三等兵:2006/05/04(木) 01:07:53 ID:???
アニメンタリー決断見て軍ヲタになったのはおらんのか
176名無し三等兵:2006/05/04(木) 09:06:46 ID:???
>>164
防衛大学入れるといいな!応援してるぞ!
177名無し三等兵:2006/05/04(木) 09:08:07 ID:???
戦争の話とは、ちょっと違うけど
俺の親父は、戦前、ブラジルで生まれた。
戦争が始まってから、船で、日本に来たらしい
戦争中にどうやって、ブラジルから日本に来れたのか?と疑問に思い
戦前じゃ無いのか?と、聞いても「戦争が始まってからだ」と
言い張っていた。親父は去年、亡くなったのだが
あの戦争の最中、日本の船が単独?で太平洋を横断出来たのだろうか?
因みに戦中は岐阜に住んでいた。
178名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/05/04(木) 09:24:05 ID:???
>>177
戦中ブラジルから日本にこれましたよ。
ブラジルが汚いのは、日本が無条件降伏する寸前で敵国宣言したことです。
179名無し三等兵:2006/05/04(木) 17:37:05 ID:???
>>178
有難う御座います。レスが遅れてしまい御免なさい・・


180名無し三等兵:2006/05/04(木) 21:35:22 ID:???
沈められなかったのは、ブラジル船籍だからジャマイカ。
181名無し三等兵:2006/05/05(金) 10:19:23 ID:???
うちの爺ちゃんは大学進学で徴兵免除。
学徒動員がかかる前に予備士官に志願して、
主計課少尉として任官。

内地の空襲が激しくなる頃には満州にいて、
ソ連が満州に侵攻してきたときには日光の山奥で
本土決戦用の物資の管理を担当し、その地で終戦。
戦争中も敵兵はおろか敵機もろくに見たことが無いという、
とてつもない強運の人。家族も栃木の片田舎に住んでいて、
これといった戦災はうけていない。

しかも、戦後は基地の物資をトラック一台分、トラックごとがめて、
戦後の食糧難もなんなくのりきったw
182名無し三等兵:2006/05/05(金) 19:11:52 ID:???
10年以上前に他界したうちの母方の爺ちゃんは、
体に戦争に行った時の銃弾の痕があった。
(幼い時一緒に風呂に入って、「ホラここだよ」ってニコニコしながら教えてくれた)
また、幼い頃、お正月のあいさつ回りに、爺ちゃんの友達とその家族が
来てくれたのを、ちょっと見かけたことがある。
その男の人は、足が一本義足(というか一本の棒)になってて、松葉杖をついていた。
(自分はそれを初めて見てビックリして怖くて(なにぶん子供だったので…)
すぐに引っ込んでしまった)
今思うと、あの男の人はもしかしたら爺ちゃんの戦友で、
足を一本無くしたのは戦争のためだったのではないかと思う。

爺ちゃんの子供である母や叔父は、戦争体験を全く聞かされていない。
本当に何も知らないし、興味も無いみたいだ。
自分が「爺ちゃんはどこに出征したのか?海軍だったのか陸軍だったのか?」などと
尋ねると、逆に、「どうしてそんなことを知りたがるのか」と
すごく不思議そうにされて、なんだか恥ずかしい思いをした。
婆ちゃんも他界してしまったし、戦争に関する遺品も残っていないし、何も手がかりは無い。
183名無し三等兵:2006/05/05(金) 19:12:28 ID:???
>>182の続き…

このスレを前からずーっと読んで、辛い体験をした人程、
それを語りたがらない傾向にあることが分かった。
もしかしたら爺ちゃんが自分の子供に戦争体験を語らなかったのは、
語りたくないほど辛い体験をしたからかもしれない。
それか、自分の母はバリバリの共産党員wなので、
娘に冷たい目で見られるのがいやで語らなかったのかもしれない。
どちらの理由にしても涙が出てくる。

またこのスレで、「軍歴証明書」なるものを取り寄せれば、
ある程度爺ちゃんの軍歴を知る事ができることも分かった。
それを取り寄せてみたいけど、なんとなく、爺ちゃんの過去を勝手に
暴くような気もして踏み出せない。
爺ちゃんから直接話を聞く事ができたこのスレの住人達がうらやましい。

私は爺ちゃんがどこで何をしたのかまったく知らない。
でも爺ちゃんが日本を守るために体を張って戦った事は知っている。
それでいいかな。
でもいずれ、詳しいことを調べてみたいな。

長いチラ裏スマソ
184名無し三等兵:2006/05/06(土) 07:07:20 ID:xqeX+HXP
>>183
ここに書かずとも
調べておいた方がいいんじゃない、
家族としてそう言った記録は知っておくべきだと思うぞ
誰にも知られず埋もれていくのも、寂しい話だし。
185名無し三等兵:2006/05/06(土) 09:28:04 ID:???
おれの戦争体験

鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
鼎 鼎 鼎 鼎 鼎
・     ・
・     ・
凹 □ _ □ □

凸====
186名無し三等兵:2006/05/06(土) 09:29:33 ID:6+a4nFi7
時系列は別として、、、。

台湾、沖縄、スマトラ、フィリピン、ルソン等々と渡り歩いたそうな。
輸送機にて、スマトラから台湾に戻る途中、
アメリカ軍の戦闘機に撃墜されたそう。
んで、パイロットは最後まで操縦桿を離さず、乗り込んだ乗員を救うために
海に着水させて飛行機とともに、沈んでいったとの事。
んで、爺さん含め10名近くは、輪になって海に浮いていて
通りかかった漁船に助けられて、台湾に無事に戻ったと。
あと、クリスマスの日にゃ、米軍も日軍も、空に向けて
テッコウ弾?を打って、互いに祝ったとの事。
凄く、綺麗やったね〜と言ってたねエ。

しかし、現在、病院に入院していて、
昔の出来事と現在が入り交じっているらしく、
「薬莢がそこに3発ある!早く持ってこい」「フィリピン人(ゲリラ?の事か)は怖い」
「後から撃たれるのが一番、嫌だ」「みんな、分かっていたんだよ」などと、うわごとを聞くと、
やっぱ戦争ってのはトラウマに残るものなんだとオモタ。
戦後、トラウマが残っていても、声を大にせず、静かに生きてきた元兵隊さん達に感謝。









187名無し三等兵:2006/05/06(土) 11:46:53 ID:YcmGDyS+
age
188名無し三等兵:2006/05/06(土) 13:32:00 ID:ZyljHVKO
ちなみに、北海道と京都、奈良の一部は空襲を受けていないので、逃げるにはもってこいとの体験談です。
189名無し三等兵:2006/05/06(土) 15:20:12 ID:???
近所のじっちゃんが「ワシは昭和17年から海軍飛行隊の搭乗員になって
終戦まで生き残って全部で4機撃墜したんじゃ。何回か特攻任務も与えられたが
そん時は全部悪天候か敵が見つからんで生き残ったんじゃ。」
と言っております。4機って凄いんですか?
190名無し三等兵:2006/05/06(土) 15:28:36 ID:???
>>189
一般的に5機撃墜するとエースの称号が与えられる、
その一歩前でも17年から生き残ってるんだから結構凄いと思うぞ。
しかし、4機の撃墜機の内訳が何なのかも気になるな?
191名無し三等兵:2006/05/06(土) 15:35:11 ID:???
>>190 
詳しくは知らないんですが、ある時編隊で爆撃機(一式陸攻?)を護衛してたら
ひょっこりコンソリ(なにこれ?)が一機で表れてそれをじっちゃんが襲ったら
運良くコクピットに弾が当たってそのままきりもみ状態で落ちていったとか。
192名無し三等兵:2006/05/06(土) 15:49:49 ID:???
>>191
多分コンソリデーテッドPBYカタリナ飛行艇か、
B24リベレーターの事だと思う。
大型機1機撃墜確実みたいだね。
193名無し三等兵:2006/05/06(土) 16:22:07 ID:???
うちのじいちゃんは戦死しちゃったから聞けないし、ばぁちゃんは戦時中食い物に
困った話ぐらいしか話さなかった。最近家の中の整理をしててじいちゃんの写真
や手紙を発見。じいちゃんは支那派遣軍で色々大陸を渡ってるみたい。
輜重兵だったらしく、s15年頃の写真には野球大会や綱引きしてる写真があって
賞品はビールだった。他の兵隊さんと違って後方にいるからか、みんなで撮った
写真もなんかほのぼのしてる感じ。 日本軍は支那で色々悪いことしたと
いう人もいるけど、じいちゃんは支那の人から書を書いてもらってる(じいちゃんの名前入り)。
一つは山西省、もう一つはなんとか陽懸の人。けど達筆すぎて自分では判読不能。
あと般若心経を書いた掛け軸ももらってる。なんでだろう?
ばぁちゃんが入院した時、自分の兄貴の顔見て死んだ弟の名前を呼んで泣いたことが
あったけど、その場にいたばぁちゃんの妹は驚いてた。ばぁちゃんが泣くのを初めて
見たらしい。自分の夫は船で戦死、ばぁちゃんの姉の夫も戦死、妹の夫はニューギニア
弟1はガタルカナル、弟2もどこかの海で戦死。ダメダメ長男だけが生き残ったってさ。

194名無し三等兵:2006/05/07(日) 00:45:48 ID:???
ウチの実家のおじいさんの話ですが・・・

36師団224連隊の機関銃部隊の中尉でした。
ニューギニアで終戦を迎え、昭和21年に帰還。

細かい軍歴を書くと異様に長くなりますが・・・
需要アリですか?

とりあえず印象に残った話
・92式重機関銃は異常に重かったが、俺は中隊長だったから持たなかった。
・ニューギニアで初めてブルトーザーを見てびっくりした・・・(米軍の)
・昭和18年の中国戦線で知り合いになった、アメリカ生まれアメリカ育ちの日本兵(軍曹)に「日本は負けるよ。」と言われた。
それでウチの祖父は「生まれ育った米軍と戦うのは忍びないから軍医にかけあって残留手続きしようか?」といったそうですが、
「日本に戻り、中隊長らと友達になり、いまさら離れるなど考えられない。」というような事をいったそうで、ニューギニアにともに向かったそうです。
祖父は「アメリカ育ちでも心は真の日本兵」と言っていましたが、ニューギニアの入江山?の防衛中に戦死されたそうです。
・中国の共産党軍や国民党はネズミで日本軍はネコ、米軍はトラや獅子だと思った。
・機関銃部隊は重宝がられるし、需要があったため大体、転属が多く、ウチの爺さんも千葉出身だが、東北の部隊に回されたとの事。(32師団→36師団)

いくつかあげてく上で、コテハンにした方がいいでかねぇ・・・

195名無し三等兵:2006/05/07(日) 00:48:48 ID:???
興味深い話ではないですか。
しかし、日系一世の人を一兵卒にしておいたのは勿体無いですね。
196194:2006/05/07(日) 01:06:19 ID:???
194です。

今日、GWだったので実家に行ってました。
じい様は、「どんなことでも後世に語り継ぐべき。」と行ってじい様の町の人たちの戦争体験記をまとめた
本をくれました。(じい様は20pにもわたりかいてあります。)
今その本が手元にあります。

それをみると、どうやらその軍曹の父君はアメリカにのこったようで、その軍曹のみひとり山形に帰ってきたそうです。
軍曹の父君が「アメリカの兵隊になるより日本に帰って日本の兵隊になれ」と言ったそうです。
階級は軍曹のままでしょうが、どうやら「重機分隊長」をしていたそうです。


・・・ちなみにこの本買えるのかな??
一応ISBNコードがありますが、発行元が爺さんの地元の睦沢町教育委員会なんですよね・・・

195様へ
日系一世は通常は士官以上なんですかね??
197名無し三等兵:2006/05/07(日) 01:17:13 ID:???
>>196
>日系一世は通常は士官以上なんですかね??
あ、そのような意味ではなく、対米戦に疎い陸軍としては貴重な情報提供者になりえたのでは?
という意味です。捕虜の尋問なども出来ますし。
198194:2006/05/07(日) 01:36:20 ID:???
>>196
なるほど!!

そういった所での価値ですね。

米軍捕虜の話は聞かなかったですが、米兵を一人撃った後リュックサックを奪ったそうです。
中に「牛肉とポテトの煮込みの缶詰」、「コーヒービスケットの缶詰」、「大きな分厚いチョコレート」があったそうで、
みんなで少量ずつわけあったそうです。
かなり美味かったらしいです。

199194:2006/05/07(日) 01:37:17 ID:???
ぐわっ
アンカーミス!!(>>198

>>197でした。
200194:2006/05/07(日) 01:48:06 ID:???
ウチのじい様を始め、町内の方々の戦争体験をまとめた本??

其の中の他の方で
「武蔵でレイテ作戦に」(第2集)
「ミッドウェイ海戦で空母が撃沈されるのを見た」(第2集)
「秋水の開発に関わった」(第3集)

軍版的におそらく「イイ」的なものがありました。
まだ全部見ていないので・・・

一応
ISBN4-944093-19-1 C3021 P1000E(第2集)です。
1000円なのかな??

第3集まであるようです。自分の手元には第1集が無い状態です・・・

睦沢町歴史民族資料館に問い合わせれば買えるのかな???

電話番号上げてもいいのかな・・・
201名無し三等兵:2006/05/07(日) 02:14:49 ID:???
まあ、こういうところでリンクを貼る方もいますから問題ないでしょう。
なかなか貴重な体験談が載っていそうな本ですね。
202194:2006/05/07(日) 02:46:07 ID:hC+rVHYs
んでは
「睦沢町民の戦争体験」

編集元:睦沢町立歴史民俗資料館
ttp://www.town.mutsuzawa.chiba.jp/shisetu/museum/main.html

発行元:睦沢町教育委員会
Tel:0475-44-2509  FAX:0475-44-1729

ホントはじい様のところだけ詳細を書きたいですが、文章をまとめる能力が・・・

203名無し三等兵:2006/05/07(日) 06:09:38 ID:???
 うちのじいちゃんは北支派遣軍岡田中隊だったかどこやらかにいて中原作戦に参加したそうな
そこでの話は聞いてて非常に鬱になる話だったから割愛するが
 その後の仏領インドシナでのハノイかどっかの基地攻略戦ではハリウッドもびっくりな戦果を上げたようである
でその内容というのは
 四万の敵軍がこもる基地を二千の日本軍が包囲した
 昼間に直接攻撃したら負けることは明白だったため夜間攻撃をすることになった
 で各小隊から10人ずつ志願してそれを二つに分けて特攻隊(後の神風じゃなく特殊部隊みたいなものらしい)を編成した
 基地に五人で一列に並んで侵入、最後尾の一人が基地の敷地内に入ったところで打たれて倒れた。
 その時祖父は前から二番目。で目的に建物に近づく。まずは四人中二人が正面から建物の正門にダイナマイトを
 仕掛けるために突撃。しかし失敗。二人は戦死
 そこで正面から近づくのは不可能と見た祖父はぐるりと建物の周りを迂回するようにして正門に接近ダイナマイトを
 仕掛けて見事正門破壊成功。
 そして二人で背中合わせで基地内に潜入。基地内には臆病穴とよばれる銃丸が無数にあいていたが。どこからも銃撃なし。
 で指揮官がいると思われる部屋を発見。扉の上の臆病穴から敵将校を確認。手榴弾を2つ臆病穴から押し込んで離脱。
 爆発が起きドアが破壊されると戦友に背中を守ってもらいながら、現地語で「ここは日本軍が包囲した。逃げ場はないから降伏しろ」
 みたいなことをいったら敵指揮官(中佐)が降伏。(実際は包囲はしていない)でその指揮官をつれて建物から脱出。捕虜を後ろ手で縛るとうまく走らせることができないので
 前でくくってはしらせたらしい。建物を少し出たところではったりに気づいたのか敵が撃ってきた。戦友が倒れる。祖父は必死で走りぬいて
 生還することができた。しかも敵の中佐というおまけ付き。
最初は作り話かと思ったがうちの呆け老人が何度も何度も同じこと繰り返し話すのはやっぱり実体験してるからだろうか。


駄文スマソ
204203 :2006/05/07(日) 06:19:53 ID:???
その後はなんかほのぼのしてる
サイゴンでバナナ買おうとお金出したら現地民が木を丸ごと一本切り倒して
もって帰れといわれたとか
自称山田長政の子孫のちょんまげ現地民酋長に俺が守ってやるから軍隊やめてここで住めといわれて
大あわてで断ったとか
憲兵の人が入院したから予備憲兵に抜擢されて周りからうらやましいといわれたとか
歩哨にたってたら幽霊が出て調査したところ妊娠中に撃たれて生き埋めにされた女の人の死体が見つかって
あまりに気の毒だから隊のみんなで供養したら出なくなったとか

あとじいちゃんの話を聞いてるとびっくりするのが、じいちゃん含む歩哨にたってた兵隊さん全員マジの幽霊見たのに全然怖くなかったらしい。
鉄砲持ってる敵兵と先任ビンタの方が怖いとのことらしい。
205203 :2006/05/07(日) 06:24:15 ID:???
こうやって書いてるとじいちゃん、ほんとに日本のために体張ったんだなって思う。
腕撃たれてるし、爆弾の破片受けてるし。

呆け老人なんて書いてごめんよ(つnT)
206名無し三等兵:2006/05/07(日) 09:10:30 ID:???
>>204
そういうのみるとさ、ベトナムが日本軍に食物を供給したせいで、餓死者が出たってのは、
やっぱり共産勢力のプロパガンダなのかな?とか思うんだけどね。
207名無し三等兵:2006/05/07(日) 11:53:05 ID:4xNVqPGI
死んだ叔父は海軍にいた。
たいした艦じゃなかったらしいが、2回もボカチンを食らったのに
まったく無傷で救助された。
子供の頃は「船が沈んだら泳げば助かるに決まってるじゃん」と思ってて、
これがどれだけの体力と幸運が必要なことか分からなかったよ。
208名無し三等兵:2006/05/07(日) 14:11:47 ID:???

うちの爺さまは満州の奉天守備隊所属。職業軍人として騎兵科に入り、最終階級は中尉。
戦闘経験は匪賊討伐とノモンハン事件。連隊長が極楽トンボだったので苦労したらしい。
爺さま自身は真面目な人だったけど、騎兵ってのはとかくプライドが高くて向こう見ず、洒落っ気が多くて
振る舞いが派手だったので、歩兵科なんかからはあまり好かれてなかったとか。

で、爺さまは兵科対抗の剣道大会でナントカ流の達人を破って表彰状をもらったりして、一目置かれてたらしい。
匪賊討伐やノモンハンでの戦闘の詳細については退屈だろうから省く。軍歴の最後は終戦間際のソ連軍満州侵攻。
ロスケが裏切りやがったと毒づいてから、まず民間人を避難させ、次に自分の家族を、最後に自分自身が逃げてきたとのこと。
今90歳だけど、もう一度満州に行って馬を走らせてみたいと言ってる。でも婆さまがいい歳して戦みたいことはやめろと
止めてるので、今のところ実現してない。
209名無し三等兵:2006/05/07(日) 15:13:17 ID:???
”睦沢町民の戦争体験”のことを睦沢町立歴史民俗資料館に問い合わせてみました
取っておいてもらおうと思ったのですが、曰く「取り置きしなくても大丈夫ですよ」とのことでしたw
来週の土日に突撃して3冊ともGETするつもりでおります・・・たのしみだー
210名無し三等兵:2006/05/07(日) 15:15:59 ID:???
爺さまの話……と言っても、戦争経験と言えばカボチャ持ってて
捕まったぐらいです。
ただし、父親が大阪に出稼ぎに行って、空襲で死んだそうです。
破片?が肩から腰に貫通したとか。で、佐藤栄作首相の時に
戦死者全員に勲章を渡すというのがあってその勲章はあります。
ちなみに、爺様の母親が遺族年金をもらっていたせいで、爺様は
ろくに働かず、婆様がずいぶんと苦労したそうですorz
211名無し三等兵:2006/05/07(日) 17:08:52 ID:???
ただし、婆様には戦争経験はありまして……。
昭和二年生まれ。終戦しばらく前に勤労奉仕で兵庫に行くところ、
家の手伝いができなければ困るということで
町で女工を斡旋していた人に頼み込み、地元の工場で
ボルトを作る作業ができることになりました。
ちなみに兵庫の工場では待遇が悪く、食事もあまり出なかったとか
いう話を聞いていたそうです。これはうわさで、真偽のほどは分かりません。
さて終戦間際、空襲警報があり近くの竹林に逃げたそうです。
最年長で班長を任されており、逃げ遅れた者がいないか
確認していたため、避難が最後になりました。そこを
艦載機のグラマンに機銃掃射されたそうです。
バリバリバリという音で、ものすごく怖かったというのを今でも覚えているとか。
もっとも、そのときの艦載機は双翼機だと言い張っております。ありえないんですけどね。
212名無し三等兵:2006/05/07(日) 17:10:09 ID:???
もう一つは、隣町に行ったときの話で、当時の国鉄は乗る人の数が決まっており、
切符を売り切ると窓を閉められたそうです。夕方で渡し船もなく、
仕方なしに鉄道の鉄橋を友人と渡って帰ることになりました。
そこで汽車が来て、作業員用の足場に移動して汽車をやり過ごそうとしたときでした。
米軍機が現れ、汽車に機銃掃射を仕掛けたのです。
鉄橋の柱にしがみつくしかできず、ものすごく怖かったそうです。
もちろん友人共々無事でしたが、汽車がどうなったかは聞いていません。
二度も機銃掃射を受けて生き延びられ、ものすごく運がよかったと言っております。
灯火管制やら電力不足で、灯りを手元にまで持ってこないと針仕事もできなかったとか
(電力不足は戦後かも)いろいろ大変だった話は聞いています。
芋のツルを食べるのはデフォルト。カボチャの種がおやつだったという話も
聞きました。

ちなみに、近くに南京戦に参加した人がいます。
南京では酷いことをした、と言っていたようです。
酷いことの中身は知りません。聞きたいのですが、
本人が忘れたいらしいので、無理には聞けません。
あまり親しくもありませんし。

ところで遅レスですが。>>45のお話、英軍ではなく蘭軍ではないのでしょうか。
213名無し三等兵:2006/05/07(日) 17:56:26 ID:???
>>211
双翼機って何か分からんのだが。P38じゃなくて?

日本侵攻時、イギリス軍が軽空母を派遣していたらしくて、
シーファイアが撃墜されている。
ソードフィッシュ(複葉機)が搭載されていても不思議はないんだけど。
214210,211,212:2006/05/07(日) 18:32:40 ID:???
>>213
失礼いたしました。複葉機です。上下に二枚羽根があった、と申しておりました。

以前初心者スレで質問したことがあるのですが、
シーガルなる複葉機を米軍も所持していたらしいです。
ところが私の祖母が襲撃された場所は京都府南部なんですよ。
いくら末期でもそこまで複葉機が来るのか? 角度で尾翼と主翼が
二枚になっていたように見えたのじゃないの、という答えでした。
沿岸部ならあり得る話なんですけどね。>複葉機
215194:2006/05/07(日) 19:04:53 ID:???
>>209
おおっ
買えるんですね?
お気をつけて向かってください。

お昼に行くのであれば資料館の近くに、大通りから見にくいですが、
「中村寿司」という寿司屋が安くて美味いと評判です。


すいません・・・スレ違いですね。

じい様の手記のなかに、「P軽爆」という言葉があるんでうSが・・P−38ですかね?
じい様曰く「双発で、10発爆弾落とした後、機銃掃射していく」と言ってました。

>>191
ウチのじい様も「コンソリデットの哨戒機」と言ってました。
216213:2006/05/07(日) 20:55:56 ID:???
>>214
シーファイアの撃墜は千葉だったと思うからイギリス軍ではなさそう。
角度上の見え方や記憶の変化かもしれんね。

ただ東京方面に飛来した艦載機はまちがって長野の方まで迷い込んだ
というから艦載機が来たのは沿岸部だけとも言えない。

東京方面に行く攻撃機は琵琶湖を目標に飛び、
琵琶湖を起点に各地方に行ったらしい。ただし大型機の話だけど。
だから航空機はそれなりに見た地域だと思う。

>>211
>兵庫の工場では
おそらく噂。配給制度だったから、そんな事はないはず、と思いたい。
兵庫は中小の工場が多い地域だが、部落があるから
悪いイメージと噂があったのかもしれんね。
「サーカスの人さらい」が素朴に信じられていた時代だから、
その手の噂がまことしやかにささやかれていたんだろうと思う。

>>212
>南京戦
南京戦以降に南京に駐留した部隊の人によると
その手の噂は聞いた事がなかった、と言っていた。
こういう事(当時は手柄にあたる)は戦場では語り継がれるそうだが。
217210,211,212:2006/05/07(日) 23:12:08 ID:???
>>216
脱線気味ですが、司法に関わる者が法を破ってはいけないと、闇米などを
取り締まっていた検事だか裁判官だかが配給以外の物を口にせず、
栄養失調で死んだという事件がありますよ。
祖母も配給だけでは足りなかったと言ってました。
ただ、住んでいたところが田舎ですので、実家にいればなんとか食べてはいけたようです。
なので、親元から離れると食糧事情が心配ということはあったようです。
祖母は兵庫に行かずに地元に行ったはずなので、正確な兵庫の工場の食糧事情は
分からないはずです。ですが、もしかしたら兵庫が嫌で帰ってきたというような
話だったかもしれません。退院したら聞いてみます。

南京に関しては、中国共産党が言っているような内容かどうかは
分かりません。多分、あそこまで無茶な内容だとは思えません。
ただ、本人が酷いことと言っているということは、
恐らく手柄話にはできないことなのだろうと思います。
亡くなった爺様の知り合いなので縁遠いのです。話を聞いてみたいとは
思っているのですけど、機会がないです。それに、うかつなことを聞いて
機嫌を悪くされると、近所づきあいもありますしね。
218213:2006/05/07(日) 23:45:29 ID:???
>>218
>配給以外の物を口にせず
それは知ってる。脳内解釈で誤解を招いたな。
配給品をピンハネして食事が悪いと噂されていたのかな、と思ってさ。

殺戮が手柄話なのではなくて、首都入城(重要拠点陥落)の苦労話
は一般的に手柄話(「一番乗りした部隊は・・・」)になるって意味。

誤解させてスマソな。
219名無し三等兵:2006/05/08(月) 00:22:56 ID:???
自分の爺さんのことじゃないけど、
「画家・藤田嗣治の20世紀」って番組見て日本の画壇の爺たちがいかに腐ってたかってわかったな。
フランスで人気画家になった藤田をさんざん腐しながら、
戦争画家として共に日本で活動したあとには「有名なあんたが一人で戦争画家たちの戦争責任かぶってくれ」ってw
朝日新聞なんかもこんな調子で戦争責任を政治家や軍人におっかぶせて
自分は巻き込まれた被害者でございますってな変節に走ったんだろうね。
戦争画にも最後まで誇りを持っていた藤田が、道理で日本のメディアに軽視されてきたわけだ。
番組中に紹介された藤田の戦争画はすごい迫力だった。
220名無し三等兵:2006/05/08(月) 03:22:39 ID:???
配給分しか食べなくて云々って戦後の話じゃなかったっけ??
221名無し三等兵:2006/05/08(月) 12:54:56 ID:???
>>219
今も十二分に腐ってるけどな、日本画壇は
戦後の腐れ具合は、アサピーが高潔に見えるくらいだからなぁ
222名無し三等兵:2006/05/08(月) 13:06:09 ID:???
>>221
そんなに酷いのか?((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
223名無し三等兵:2006/05/08(月) 13:43:44 ID:???
>>219
三宅翁ほどに禿同。
224名無し三等兵:2006/05/09(火) 01:54:15 ID:GG6brGVE
戦争画では、もしかすれば史上最高!
225名無し三等兵:2006/05/09(火) 10:41:51 ID:???
サイパン玉砕の絵はフランスのオパイ丸出し女神が率いる有名な戦争画に匹敵する名画だと思うよ。
226名無し三等兵:2006/05/09(火) 12:20:02 ID:???
なんだかすごい人なんだね〜と思いググって見ると
東京国立近代美術館で展覧会やってるね。いってみるか
227名無し三等兵:2006/05/09(火) 14:12:57 ID:???
マジ?今度行ってみるよ。
228名無し三等兵:2006/05/09(火) 14:26:05 ID:bXNMx4eT
靴が大きすぎますって言ったら貴様が靴に合わせろだってさ
229名無し三等兵:2006/05/09(火) 14:45:34 ID:YIvsB8US
最後の一年志願兵らしい、少尉で再召集されて内地で軍需工場と砲兵工廠
の間を調整する連絡将校をやってたらしい、随分いい目にあったって話だ
230名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:32:29 ID:V6P3urJG
昔知り合った人でさ。
大和特攻の際に、それに随行した駆逐艦の機銃手だった人。
そのときのお話・・・

機銃をバリバリ撃っていたら、向こうから急降下爆撃でポッと爆弾を落としてくる。
「あんな遠くから落としてもあたらないよ」と思っていたら、見る見る爆弾が迫ってきて次の瞬間
キーン
気付いたら甲板に倒れていて、戦友も死亡。また空を見上げたら急降下爆撃機が。爆弾が見る見る大きくなり
キーン
(続く)
231名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:35:16 ID:V6P3urJG
気付いたら、海の上。艦は沈没しかかっていた。
あわてて漂流物にしがみつく。
目の前を大和が進んでいる。
「大和。おまえ頑張れ!」
声援を送るも、立て続けに攻撃をくらい、沈没。
その人はそのまま漂流物にしがみつき、海の上を漂う。
(続く)
232名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:38:52 ID:V6P3urJG
その木材(だかなんだか)にはもう一人しがみついていた。
海上は沈没した艦の重油が厚さ10センチにもなっていたそうで
揮発するその匂いで失神しそうになる。
お互いに励ましあい、そのまま漂流。日が沈む。
急速に体力が商務していくのが分かる。
(続く)
233名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:42:01 ID:V6P3urJG
失礼、「消耗」ね。
木材にしがみついていた相棒は
「このままではジリ貧だ。泳いで助けを呼んでくる」
その人は止めたが、制止を聞かず泳ぎ始める。
しかし重油の溜まった海では、いかほども泳ぐことも出来ず
10メートルほど泳いだだけで沈んでしまう・・・
「もうだめだ」
死を覚悟するその人。
(続く)
234名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:48:28 ID:V6P3urJG
しかし、暗闇の海の中、大声をあげるとそれに応える声がする。
姿は見えないが、近くにもう一人漂流している男がいるのだ。
お互いに励ましあい、漂流は続く。
だが、その人の呼びかけに対し、相手の方は元気がなくなってくるのが分かる。
「頑張れ!」
励ますその人。
235名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:51:44 ID:V6P3urJG
そのとき。救助のポンポン船がやってきた!
限界直前で救出されるその人。
「向こうにも生きている人間が1人いる。助けてやってくれ」
しかし船長は
「だめだ。エンジンが焼け付く寸前だ。」
そのまま舟は回れ右をして帰ってしまう。
すぐ近くに漂流している、お互いに励ましあった戦友を海上に残して・・・
(続く)
236名無し三等兵:2006/05/09(火) 15:55:55 ID:V6P3urJG
その人は自分の体験を「沈没大学」と呼んでいたよ。
正規の大学は出ていないし、学は無いが
一連の体験をしたことで、人生の生きる意味や無常観を味わい
ありえない経験をしたと。
どんな難関の大学を卒業するよりも教えられたことは大きいと。

復員してからもすごい体験してる。
ちなみに柔道7段。小柄だけどスゴい強い。
237名無し三等兵:2006/05/09(火) 16:13:51 ID:v25Qr8Xy
ウチのじいさんは工兵だったよ。
線路作ってたって・
238名無し三等兵:2006/05/09(火) 16:23:34 ID:???
>>188
俺の実家(北海道東部。当時は村)だったが、港と灯台があるために戦争末期には
度重なる空襲と艦砲射撃を食らっていたそうな。
そのときの被害写真と詳細な記録も残ってるぞい。
海に面した灯台のある崖を穿り返すと、今でも機銃弾やら何やらがポロポロ出てくるそうな。
もっとも、そこには通常の手段では行けないんで俺には探せないんだが……。
戦後、不発弾もいくつか掘り返してるらしい。
北海道も意外と危険だったと言う話。

英語ベラベラのインテリじいさんの話(俺の同級生の祖父)。
南方(場所の詳細は忘れた)で、味方部隊とはぐれて彷徨っていたら、
斥候の米兵とばったり出くわした。
お互い数秒見つめあった後、超至近距離で同時に発砲開始。
共に左足を撃ち抜いて、地面に転がりながらも素手で殴り合い。
そのうち疲れて、二人とも地面に転がって冗談言いあって笑ってたんだと。
やがて、米軍の本隊が到着して、捕虜になったそうな。

お互いに射撃が下手だったのが良かったな、と豪快に笑っておられました。
どこまでホントかはシラネ。
結構、人を食ったじいさんだったから。
ちなみに見せてもらった銃創だが、左足の太もも外側の肉がごっそりと抉られておりました。
239名無し三等兵:2006/05/09(火) 16:32:57 ID:V6P3urJG
>>238
いい話だねえ
240名無し三等兵:2006/05/09(火) 19:32:27 ID:???
>>230-236もうちょっと文章纏めろ。
1回で足りるじゃねーか、無駄にスレ埋めやがって
241名無し三等兵:2006/05/09(火) 20:27:44 ID:???
オヤジが近衛師団だか連隊にいて、習志野あたりで「今日もとどかねーなー!」とかいいながら高射砲撃ってたようだ。
近衛と名が付くだけあって、戦中に食い物で苦労したことは全くなかったそうだ。
242名無し三等兵:2006/05/10(水) 00:36:40 ID:???
>>238
なんか松本零士のシリーズにありそうな話だ。
>>240
携帯からの書き込みかもしれん。
そうカリカリしなさんな。
243名無し三等兵:2006/05/10(水) 00:45:19 ID:???
こないだ喫茶店でパソいじってたら
80前後くらいのジイ様に話しかけられたので(パソが珍しかったみたい)
逆に戦時中の事を色々と聞いてみた

最初は海軍航空隊配属だったが後に海竜に乗ることになったそうな
「訓練ばかりで珍しい(面白い?)話はないよ」との事だったが
「回天じゃなくて良かった。一人ぼっちな上にメクラなんて俺には扱い切れん」
とおっしゃってました。

だけど当時の事はあまり話したがらない様子だったので
早々に切り上げました
酒巻少尉と同じ会社に勤めてたそうなので
その事も聞いておけばよかったと後悔しきり

もっと詳しく聞いてみたかったなぁ・・・
244地域密着団体:2006/05/10(水) 03:50:37 ID:TjiqZqz6
奈良県認証・特定非営利活動法人「戦争体験保存会」
http://www.sensou.com/

奈良では上記のような団体が講演会を主催しています。
ちなみに次回は5月21日(日)の13:30より
「なら100年会館・小ホール」(JR奈良駅より徒歩すぐ、
近鉄奈良駅より徒歩約15分)で開催とのこと。
近場で興味のある人は行ってみてはいかがか?
245名無し三等兵:2006/05/10(水) 16:31:57 ID:???
このスレが中心となって戦争体験保存会をつくるべきではないか?
246名無し三等兵:2006/05/10(水) 19:29:43 ID:CiNJPvdM
ちょっと質問なんですが、うちの祖父は太平洋戦争で現地で農業をやるんだか、
現地で農業を教えるとかで南方に行ったらしいんですが、それって何兵なんでしょうか?
247名無し三等兵:2006/05/10(水) 19:33:51 ID:???
>>246
現地で自活する為に派遣されたのかな?
248名無し三等兵:2006/05/10(水) 19:35:41 ID:T3ZygFs1
軍属ではないですか?
技術を教えるということであれば。
農業技術を日本の兵隊に教えるということは
寡聞ながら知りませんが
おそらく南方の占領した国の政府に教えたということではないでしょうか?
249名無し三等兵:2006/05/10(水) 20:18:13 ID:sAeuzEC/
国鉄の助役試験に受かってから召集されたので鉄道工兵で初年兵教育をすっとばして
大陸へ持って行かれ上等兵で小さな駅の駅長をやらされたらしい、この辺の事情は
通過部隊の将校下士官も承知の事らしく、みんな駅長さんと呼んで大事にしてくれたって
言ってた
250名無し三等兵:2006/05/10(水) 20:51:52 ID:???
戦争の真っ最中に召集解除なんてあるんでしょうか?
うちのじいさん途中から工場の指導をしていたみたいなんですが
251名無し三等兵:2006/05/10(水) 22:10:45 ID:???
僕の爺ちゃんは高崎の連隊で支那の大原に駐屯してたって聞きました。

それから一旦内地に戻って来て再召集が掛かったんですけど、部隊の大部分は南方戦線へ送られる途中で、輸送船もろとも海の底だったみたいですが、
何故か爺ちゃん他一部の将兵は居残り部隊?
に成り死なずにすんだって言ってました。

居残り部隊なんてあったんですかね〜?

因みに爺ちゃんの階級は曹長か兵曹長だったと思います。
帯刀が許されるのが曹長からだったかな?

僕が小さい頃、軍刀が飾って有りましたが親父が指紋付けて錆させちゃたみたいです。
指紋を付けてほったらかしにしてたら錆るんか?
252名無し三等兵:2006/05/10(水) 22:39:40 ID:???
>>250
ありますよ。
熟練工を根こそぎ召集してしまい、現場が混乱してました。
ので、召集解除しました。
253名無し三等兵:2006/05/10(水) 22:42:40 ID:???
>>251
刀を触ったら保護していた刀油が取れちゃって、そこから錆びが発生したのかな?
>四〜六ヶ月もたつと油は乾燥してしまい錆の原因になります。三ヶ月に一回は新しく油を塗りかえてください。
って刀剣屋さんも言っているくらいだから、こまめな手入れが必要みたいだね。
254246:2006/05/11(木) 00:29:10 ID:dvs/+GqV
レスいただきありがとうございます。
祖父は召集されたらしいのですが軍属も召集されるのですか?
南方に行くときにシンガポールによってそこで英軍からのぶんどり品のコンビーフの缶詰がうまかったらしいです
255名無し三等兵:2006/05/11(木) 00:55:33 ID:IH0bqHCQ
祖父は研究所で……本人は決して詳細は話してくれなかったけど、戦争の話しは「話したくもない」と亡くなるまで言ってた…。そのまま墓まで持っていくなんて…まさか例の部隊の生き残りだったのか…
256名無し三等兵:2006/05/11(木) 01:38:55 ID:???
>>246
厳密に言えば、徴用ですが、以前徴用された方にお話を聞いたときには、
召集という言葉を使っておられる方もいました。

軍属といっても色々な職種がありますし、雇用形態も様々で、
時期によっても違います。

軍の募集に応じた人たち
特定の職能を持った人を徴用するため、徴兵同様役場の兵事係が本人に連絡した

あなたのおじいさまは後者のケースだと思います。

日本軍の軍政は海軍と陸軍で地域を分けて担当していました。
シンガポールに立ち寄られたのでしたら、陸軍の南方軍軍属で、
ジャワ、スマトラあたりに行かれたのかな。


257名無し三等兵:2006/05/11(木) 01:38:57 ID:???
俺の爺ちゃんはいつも叱られる時、「申し訳ありません」と言ってたらしい。
ある日そういって謝ると上官が「お前、誰に申し訳ないと思ってるんだ」と言われたので
爺ちゃんはひらめいて、姿勢をぴっと正して
「天皇陛下であります!!」と言ったらその上官は驚いて許してくれたらしい。
258246:2006/05/11(木) 02:18:34 ID:dvs/+GqV
>>256
そうですかありがとうございます。
あと南方の話ですがあなたの言うとおりでニューギニアの西にある島に行ったそうです。
日本からシンガポールに行くときかシンガポールから島に行く時かわかりませんが
その際、乗っていた輸送船がアメリカの潜水艦に沈められて一晩中海に浮いていて翌日ぐらいに駆逐艦が助けにきてくれたそうです。
259名無し三等兵:2006/05/11(木) 03:37:54 ID:???
うちの父方の曾爺さんは第二次が始まる前くらいに満州に渡ったらしい
しかも現地で女郎郭(娼館?)を経営して結構な財を築いたそうだ
しかし終戦頃にこちらに戻って来る途中金銭の類はほとんど無くなってしまったらしく
戻ってきてからは刑務館になったらしいが・・・

そう言えばつい最近父方の親戚筋の人達に合ったのだが、
目つきがどう見てもカタギのものではありません本当にありがとうございましたw

まぁ普通に考えて向こうで一山当てようなんて輩の中で真っ当な人の方が少ないわな
特に満州帰りのおっさん方はその気質をもろに受け継いで気合の入り方が違うと言うか覚悟完了してると言うかw
就いてる仕事は普通なのに眼光が普通じゃないのが印象的だったなぁ

でもやっぱりこういう事を生業にしていた人も戦争を食い物にしてたことになるんかな?
260名無し三等兵:2006/05/11(木) 03:48:01 ID:5aH/TZp4
内の母方の祖父(故人)は終戦から十年ぐらいまでインドネシアから帰って来なかったみたい、母親にその理由を聞くと祖父は婿養子だったらしく肩身がせまかったらしい、何をしてたか聞くと現地の人と一緒に何かしてたらしいけど詳しい事は母親も知らないみたい、何してたんだろ?
261名無し三等兵:2006/05/11(木) 06:14:28 ID:???
>>260
バリ島のビーチの夕暮れが素晴らしくて帰りたくなかったんじゃね?たぶん時間を忘れるほどケチャダンスを踊ってたんだよ
262名無し三等兵:2006/05/11(木) 09:25:44 ID:???
家の祖父はシベリアに抑留されてたらしい。詳しくないからわからんが、【第なんとか師団シベリア抑留なんかとかかんとか本】が棚にあった。
シベリアってどうだった?って訊いたら「つらかった…」と。
それ以上は訊けませんでした…
263名無し三等兵:2006/05/11(木) 11:21:47 ID:RMzSrLjp
叔父さんが満州から帰るとき、もちろん軍人。ソ連兵に捕まったらしいが、着けていた高級時計を渡したら許してくれたらしい。

中学校の先生のおじいちゃんは、沖縄戦で腹が減って、米軍キャンプに盗みに入ったところ、捕虜になった。
彼の部隊は全滅したらしい…
264名無し三等兵:2006/05/11(木) 11:45:19 ID:???
任務を離れてxxをしている間に部隊全滅って話は、たいてい創作。
265名無し三等兵:2006/05/11(木) 13:24:01 ID:???
>>260
きっとインドネシアには、あなたそっくりの・・・
266名無し三等兵:2006/05/11(木) 13:55:33 ID:wg4Eqzbr
昔、バイト先のおばちゃんは、若かりし頃、爆心地付近で原爆のファイヤーを見たらしい。
が、今も元気な鉄人女傑。やっぱり 戦前の人間は違う。それとも嘘か?
267名無し三等兵:2006/05/11(木) 14:14:52 ID:jrZ0gmfr
>>266
いや、爆心地ちかくでも運良く助かった人はいるはず。
塀のかげだったり、爆風や閃光の射線上に
障害物があった場合は助けるケース、あったみたいですよ。
あとは放射能だけど、被爆しても100%白血病を発病するわけではないし。
可能性が飛躍的に高いというだけで。
とはいえ、その人は強運の持ち主であることには変わらない。
268名無し三等兵:2006/05/11(木) 14:24:44 ID:???
爺さんから聞いた話に似てるので転載。

日本のエンジンは部品レベルで交換がきかない。
なぜなら、工作機械の貧弱な制度により、一機一機が「京都の職人さん仕事」のように
各々の部品のすり合わせで丁寧に仕上げる事で完成するからである。
したがって田中さんチームが仕上げたエンジンと、山田さんチームの作ったそれは、例えばピストンリングを交換すると動かなくなる。
やがて戦地で修理の必要が発生したりするとさらに事態は悪化する。
現地の整備員チームが合わない部品の現物合わせを行い、さらに現地「大竹さんチームアレンジ」がなされる事でやっと動作するようにしなければならないからである。

こうして「xxさんチームアレンジ」が何回も何回も繰り返される事で部品の「当初精度」はどんどん劣化していき、
もはやカタログスペックの維持すらできなくなっていくのである。



合わせ目につけるゴムのシールがお粗末だったり、
現物あわせで、ヤスリ倒さなければ隙間だらけになるってんで
ヤスリすぎたシリンダーカバーが、今度は高さが足りずにピストンと干渉するから
内側を削るなどそれはそれは苦労したらしい。
それでもオイル漏れは中々直らない。

戦地で部品交換したエンジンでまともなものは殆どなかったらしい。
269名無し:2006/05/11(木) 15:06:14 ID:G6tTD/GF
はじめまして 当方の無くなった祖父ですが、海南島で終戦を迎えたそうです。 サイドカー付きオートバイ?に上官を乗せたり、偵察をしていたそうですが、当時の所属部隊などを調べる方法がありましたらお教えください。
海軍所属、本籍は徳島です。 宜しくお願い致します。
270名無し三等兵:2006/05/11(木) 15:47:09 ID:???
>>269
旧海軍の軍人の軍歴に関する資料は、戦後、厚生労働省に引き継がれています。
照会は厚生労働省社会・援護局業務課にどうぞ。
271名無し三等兵:2006/05/11(木) 18:58:33 ID:???
あげ
272名無し:2006/05/11(木) 19:15:47 ID:G6tTD/GF
名無し三等兵様 ありがとうございます。 さっそく、問合せをしてみます。 ご親切に対応していただき、感謝いたします。
273名無し三等兵:2006/05/11(木) 21:21:32 ID:/cAZOQ1m
>>260
終戦後約十年間インドネシアで帰ってこないって…
あなたの祖父は凄い方ですね。
「インドネシア独立のために戦ったのです」
「ムルデカ」でググッてみてください。
274名無し三等兵:2006/05/11(木) 23:41:50 ID:MFMzVQRi
私のおばあさんは、学徒動員で広島の日立造船因島工場で、爆撃に遭い、防空壕に逃げ込むときに、みんな、われ先で人間の醜さを知ったそうです。今でも、汚い捕虜の白人にいい思い出がなく、外人とくに白人が嫌いらしく、握手するときは露骨に嫌な顔をします。
特攻隊に若者が行かされて、大人は生き残ったと、目を据えて当時の大人の卑怯を呪詛しています。
275名無し三等兵:2006/05/11(木) 23:56:30 ID:5jo3t+dj
俺のひい爺さんは海軍の輸送機乗りで、バナナやパイナップルやさとうきびを積んで沖縄と台湾を往復していたらしい。
いや、ただそれだけなんだが。
276名無し三等兵:2006/05/12(金) 00:25:53 ID:???
>>260
「ムルデカ」は映画にもなってるでよ。
277名無し三等兵:2006/05/12(金) 00:44:06 ID:???
俺のじいさんは、呉で商いを営んで女性を多く雇っており、空襲の際に
みんなで防空壕に逃げ込むにあたり、”壕の壁ぞいに居るように”との
指示をだして、雇っていた人は全員助かったそうです。
ただ、壕から出るとき倒れた人たちの上を「堪忍ね」と泣きつつ踏んで出たそうです。
278名無し三等兵:2006/05/12(金) 02:16:56 ID:???
>>277
なんで真中の人は倒れちゃったの?
279名無し三等兵:2006/05/12(金) 07:02:51 ID:???
>>278
しりあいの軍人さんに、「防空壕に避難するときは壁沿いに」と教えられ
そのとおりにしただけらしい。なぜかはわかりません。
280名無し三等兵:2006/05/12(金) 08:12:11 ID:LcmIVjS6
260です、ムルデカくぐってみました、インドネシアで独立戦争に参加した日本兵のことみたいですね、どうりで祖父が話したがらなった理由がわかった気がします、母方の実家は戦後暫くたって○価に改宗しましたから。
281名無し三等兵:2006/05/12(金) 08:35:23 ID:s+M8gWnH
>>268
少数生産品や特注品ならば、工作精度が飛躍的に向上した現代でも、そのようなことがあるけどね。
ウチの会社なんかはそれ。設計も製造も〇〇スペシャルだらけで、各担当者が居ないと大混乱。


ただでさえ混乱してる戦地で、部品の組み合わせ・すり合わせをするのは多大な労力を強いられますね。
282名無し三等兵:2006/05/12(金) 08:59:36 ID:???
>>269
支那方面艦隊 海南警備府ですね
開戦時の部隊でしたら、 第1水雷隊 鴻(おおとり) 隼(はやぶさ) 鵲(かささぎ)鵯(ひよどり)
               横須賀鎮守府第4特別陸戦隊(横四特)
               舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊(舞一特)
               佐世保鎮守府第8特別陸戦隊(佐八特)
               第15・16警備隊
               海南通信隊
               その他警備府直轄

四国は佐世保の所轄です

軍歴証明 で検索をかければわかるのですが、270氏の言うとおりです。
そのほかにも手がかりはたくさんあります。
たとえば、
陸軍でも、海軍でも、部隊名が暗号で、軍隊内の住所や通信のコールサインに
なっていました。これがわかればすぐに解決します。
家族も手紙のあて先になるので知っていることがあります。
自分の聞いた限りでは、末期の国内決戦師団以外の本人は全員
覚えておられました。陸軍の部隊暗号については全国の県立図書館で調べることができます。
海軍なら私で説明できます。
283名無し三等兵:2006/05/12(金) 11:27:11 ID:???
今でも大学教授を務める義理の父(嫁の父)。
今の学生は、戦争前の日本の生活水準が 『現在の日本』 と同じように、
当時(1940頃)のアメリカと殆ど変わらないと思っているって驚いていた。
とんでもない誤解だが、これも戦後教育の「近代史は適当カリキュラム」のお陰だと嘆いていた。
284名無し三等兵:2006/05/12(金) 16:31:39 ID:fPz8wpR9
うちのじいちゃんの家族全員、じいちゃん以外、
結核でアボーン。

親戚の奇特なおばあさんに一人、ひきとられる。
溺愛されながらそだてられるも、15になったらオリも
戦争にいくよと言って親戚のおばあさん(ひいばあさんっていっちまってもいいかな)の制止「アンタが死んだらアンタの
ウチ終わりだよ」も聞かず予科練甲種うけにいくも家族状況とか
体格で案の定落ちる。ショックで他の県でブラブラしたあと
帝国大学で給仕みたいなことやってすごす。それから一年、学問ちょっとやってメシ喰って、
遊んでたら太りだして体格も良くなって、予科練乙種になんとか合格、
あこがれの制服姿をきた生意気そうなボウズ頭の青年の写真をいまだに家宝のように大事に持ってる。
モールスの才能があったので九州の基地にいって2ヵ月後戦争終結。
その後、警察予備隊、陸上自衛隊で教官やったあとちょっとえらくなってデスクワークがふえてつまんなく
なったからっていって帰ってきた。戦争とか戦闘機とかの話はよくするけど自衛隊の話はあまりしない。
無反動砲撃って部屋ほどの的壊したときの快感をよく話していた。
自衛隊やめてきたのは、たぶん人間関係でなんかトラブったなと俺は踏んでる。
285名無し三等兵:2006/05/17(水) 04:07:11 ID:???
保守
286名無し三等兵:2006/05/18(木) 19:31:38 ID:xW4n6lbe
保守上げ
287名無し三等兵:2006/05/18(木) 23:04:38 ID:m+oJbNXX
大東亜戦争に出征した祖母の弟(故人)の話

彼は中国大陸の青山に出征した。
戦時中に一度もアメリカ軍の飛行機を見た事が無かったし
自分で鉄砲を撃った事も一度も無かったらしい。
天国に近い状態だったらしい。

他戦線の惨状を聞いた事がある漏れとしては信じられない。
288名無し三等兵:2006/05/19(金) 01:02:44 ID:???
>>287
まあ、山東半島みたいな後方ならそうじゃない?
289名無し三等兵:2006/05/19(金) 09:07:43 ID:Q3/o8ZeF
華北戦記という本があるが、おもろい!山東半島でのものがたり。
290名無し三等兵:2006/05/19(金) 10:29:10 ID:iiCi6lLV
>>280
インドネシア独立のために戦ってたのでは?
うちの祖父母は、ロミオとジュリエットみたい…っていうか、
爺さんオランダ人よ。
291名無し三等兵:2006/05/19(金) 11:48:51 ID:3ILzIDny
クオーターか。いいなあ。
おまいイケメソなのか?
292名無し三等兵:2006/05/19(金) 12:26:37 ID:iiCi6lLV
>>291
ガ━━(゚Д゚;)━━ン
女ですが何か
(>_<)
ちなみに、オランダとの混血はあんまり外人フェイスにはならないと思う。
293名無し三等兵:2006/05/19(金) 13:49:32 ID:???
15年ほど前にくたばっちまった父方の婆様

死ぬ直前に何度か錯乱状態になって、「周りが燃えてる!」と叫んで
暴れそうになった事があった。
医者が言うには今までの人生で強烈な印象として残った記憶がフラッシュバック
しているのではないか?との事だったが婆様の人生で隣近所が火事になった事は
たった一度しかなかったのでおそらくその時の記憶なんだろうと普段弱音を一切
吐かなかった婆様だけに特に親父兄弟はしんみりしていた。

名古屋空襲の中、親父(当時3歳)や生まれたばかりの親父の弟を抱きかかえて
必死に逃げ延びたんだろうなあ。
294名無し三等兵:2006/05/19(金) 14:56:41 ID:???
>>293
くたばっちまいまちたか。
295名無し三等兵:2006/05/19(金) 16:00:10 ID:???
この間じいちゃんにきいてみた
「このえ」とかをやってたらしい
296名無し三等兵:2006/05/19(金) 17:21:20 ID:???
>>295
「近衛」ですな。
297名無し三等兵:2006/05/19(金) 17:26:46 ID:???
すごいジャマイカ
298名無し三等兵:2006/05/19(金) 17:37:32 ID:iiCi6lLV
びっくりした。
近衛文麿を殺ったのかと…
299名無し三等兵:2006/05/19(金) 17:46:30 ID:mT3wO6nt
うちのじいちゃんは、満州でなんかの隊長でシベリアにずっと行ってたらしい
300名無し三等兵:2006/05/19(金) 17:53:20 ID:IxoIhNAZ
うちのじいさんは特攻隊ですた。鹿屋に居たみたい。
じいさんのお兄さんは隼に乗ってて中国で戦死。
301名無し三等兵:2006/05/19(金) 19:37:21 ID:???
私は遅くに出来た子供なので、祖父ではなく父に従軍歴があった。
予備士官学校をでて歩兵小隊長。北京近郊に駐屯していたらしい。
今度戸籍謄本を取り寄せて、軍歴を調べてみようと思う。
302名無し三等兵:2006/05/19(金) 20:12:38 ID:???
>>293
。・゚・(ノД`)・゚・。
303名無し三等兵:2006/05/19(金) 20:15:17 ID:???
>>298
むしろ姦ったのかとオモタ
304名無し三等兵:2006/05/19(金) 21:03:03 ID:RWPdrzOr
うほっ
305名無し三等兵:2006/05/19(金) 22:06:23 ID:???
オレの爺ちゃんは当時、電気技師だったのと徴兵検査に落ちて、ずっと東京の工場
で勤労奉仕してたらしい。それで東京大空襲で工場が焼け落ちたので、親戚のいる
いる茨城に疎開した。そこでマルクス主義にかぶれてしまい、村の人達に共産主義
の素晴らしさを説いてたら、案の定、憲兵に目をつけられ、逮捕される寸前で終戦
になった。
そんな爺ちゃんでも祝日には必ず家の前に日章旗を立ててたなぁ
306名無し三等兵:2006/05/19(金) 22:28:02 ID:nDGl3oGb
>>305

>>そんな爺ちゃんでも祝日には必ず家の前に日章旗を立ててたなぁ

戦争が終わってしばらくしたらマルクス主義を捨てたのでは?
307名無し三等兵:2006/05/19(金) 22:37:06 ID:???
>>306
うーん、そうかも・・・
もっといろいろ話聞きたかったのに去年の冬に逝っちゃったからなぁ・・
やっと政治とかについて話が出来るような歳になったのになぁ・・・
308名無し三等兵:2006/05/20(土) 00:28:41 ID:AR0EMwQp
つい先日、ある老夫婦から仕事上の依頼があり、お宅へうかがった。
仕事の話は割りとすぐに終わり、夫婦の地元の昔話で盛り上がった。
夫婦とも戦前から茨城・水戸に住んでおり、街の変わり様を驚くほど
克明に覚えておられ、非常に興味のある話をして下さった。
そのうちの一つとして、昭和20年8月の水戸の空襲より数ヶ月前、
西原町(当時の常磐村)に米軍機が墜落した話をお聞きした。
飛行機が墜落した話自体は私の義母から聞かされていたが、それが
日本軍機との格闘戦で墜落した米軍機であり、パラシュートで操縦士が
脱出し、憲兵隊に身柄を拘束・連行された...という話まで、
この老夫婦から聞けるとは思わなかった。
偕楽園の芝生には無数の不発焼夷弾が刺さっていたこと、常磐神社に
逃げ込んだ友人達は皆焼死してしまったことなど、8月の空襲の様子も
細かく教えていただいた。
老夫婦からお聞きした話は、その夜、自分の子供達にも話して伝えた。
309名無し三等兵:2006/05/20(土) 02:25:56 ID:???
俺が学生時代に亡くなってしまった祖父の話だが
零戦のパイロットだったそうだ
零戦の各型の事をよく聞かされたな
21型は腕次第で相手がなんでも低空なら生き残れるんじゃ
52型は棺桶じゃ…マトモに飛ぶのも運がいるわい(たぶん製造精度かと)
あと、紫電改に乗る前に終戦なったって言ってた。
310名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/05/20(土) 04:39:09 ID:???
アメリカと戦争したってフラグだろ?
同盟国だよ。
311名無し三等兵:2006/05/20(土) 07:07:19 ID:???
>>310

 フラグ→フラッグ→flag:旗、旗状の細長い物、主義主張。
                {コンピューター用語}:実行中のプログラムの状態についての情報を示す変数や指標。

 ブラフ→bluff:はったり、こけおどし、ウソ、そしてそれらはったりの様な事をする時の態度。
          【用例】「―をかける」
312名無し三等兵:2006/05/20(土) 12:55:07 ID:???
>309
似たような話なら・・・。
鹿屋まで21型で出てきた特攻隊から飛行機供出させて52型で出撃させたとか・・。
313名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/05/20(土) 14:54:18 ID:???
また小学生?が出現ですね。
昭和と言う時代にアメリカとガチンコ勝負して負けました。
そのことについて、あなたの教員に聞かない方が懸命です。
偏ったオトギバナシになるので。

70歳前後の親類に機会があれば聞いて見てください。真実はそこにあります。
314名無し三等兵:2006/05/20(土) 15:01:39 ID:???
>>306-307
愛国心とマルクス主義が衝突するとは限らん。
まあドグマティックな共産主義者は、日の丸反対、天皇制反対だろうが、
本質は労働者を搾取から解放することでしょ。

だったら、日の丸と天皇制のもとで、
共産主義的経済を構築したってかまわんはず。

・・・て、軍部主導の統制経済が、ちょうどそんな感じか。
315名無し三等兵:2006/05/20(土) 18:19:54 ID:cvlfqqWS
うちのじいちゃんアカだけど、昭和天皇の例の帽子ぬいでカメラ
目線で笑ってる写真を部屋の一番みえるところにデカデカと張
っているぞ。
316名無し三等兵:2006/05/20(土) 20:21:50 ID:9L0Pwk5e
アカにも右寄り団体と左寄り団体が存在しているのかなあ。
「アカ=反皇族」と一概に言う事が不可能みたいだね。
317名無し三等兵:2006/05/20(土) 21:30:46 ID:???
団体ではなく個人として存在する
318名無し三等兵:2006/05/20(土) 22:22:36 ID:???
街宣右翼の元祖みたいに言われる故・赤尾敏とかは、
右翼だけど、天皇家は象徴として残して、国の運営システムを
社会主義的な弱者保護や福祉重視でやるべき、みたいな主張だったよね。
319名無し三等兵:2006/05/20(土) 22:25:19 ID:iQVCmQNO
「赤い宮様」なんてのもいたしねえ
320名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/05/20(土) 23:30:03 ID:???
>>319
kwsk
321315:2006/05/21(日) 00:24:48 ID:o4Onh3+P
うちのじいちゃんは個人的に昭和天皇が好きで尊敬しているって
いうのもある・・。家族の写真でも無く、額縁にいれて飾られている
のはその昭和天皇の写真だっていうことに小さいころ違和感を感じていた。

だけど今ではあたりまえだけど、天皇がマスコミの前で国民に脱帽して
微笑んでいるのは「当時」を生きた人間からすると尊敬するべき国家のシ
ンボルとして映るんじゃないだろうか?

たぶんじいちゃんの思うところをまとめると
318さんの考えみたいなのになると思う。
322名無し三等兵:2006/05/21(日) 00:25:42 ID:???
>>320
三笠宮殿下について調べてみるよろし
323名無し三等兵:2006/05/21(日) 04:31:39 ID:???
身長が高いと海軍だったらしい。
324名無し三等兵:2006/05/21(日) 11:29:06 ID:???
うちの婆さんも昭和・平成天皇の写真居間に飾ってて年末に皇室カレンダーを
知り合いに配りまくってる。

でも天皇を中心とした大日本帝国の復活を夢見てる電波な婆さんなんだよな。疲れる・・・
325名無し三等兵:2006/05/21(日) 11:54:23 ID:???
俺のじーちゃんは父方、母方ともに存命なんだが、母方のじーちゃんの話は凄かったな。
山梨生まれで、多分地元で召集されて陸軍に入隊したらしいが、南方面の戦線に(詳しく言われたんだが忘れた)行ったと聞いた。
船を3度乗り換えて、敵の潜水艦を避けながら進んで、やっと任地について一月もしない終戦を迎えたらしい。
で、ここから先が凄い話で、15日の終戦を知らず、25日だか翌月15日まで、現地の連合軍と撃ち合っていたとか。
どうやって終戦の知ったのかは話して貰ってないが、その後は2年ほどイギリス軍の捕虜に。
やっと日本に帰って来れた時は、感無量で船の上で泣きまくったと言う。

ちなみに数年前のGW中に、俺がサバゲに行こうと準備してたら、俺の持ってた電動ガンや装備にえらく関心を示してた……。
一通り説明を聞いて、ぽつんと「こんなのが日本にあったらなぁ」と呟いてたのが印象に残ってるな。

父方の方は詳しく知らないけど、海軍航空隊(霞ヶ浦に志願したと言ってたので、多分そう)で訓練を受けたとか。
訓練修了が終戦の1〜2週間前で、もう少し遅かったら特攻隊に行かされる筈だったとも。

ところでこの中で、戦時中ドイツに行った潜水艦って何隻あるのか、ご存知な方いらっしゃいますか?
数年前に他界した、自分の書道の先生が戦時中、空技廠に居てドイツにジェットエンジンを貰いに行ったと、聞いた事があるので。
326名無し三等兵:2006/05/21(日) 12:44:35 ID:???
>>325
ドイツとの往復に成功した潜水艦は、イ8の1隻のみ。
シンガポールやペナンまで帰ってきたところで撃沈された潜水艦が3隻ありますが。
ttp://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-zantei/sensi-igo1.html

ジェットエンジンを入手に行ったのなら、イ29だと思います。
資料の大半はイ29とともに失われましたが、一部の資料はシンガポールで降ろして、
飛行機で内地まで運んでいるので。
327名無し三等兵:2006/05/22(月) 00:43:09 ID:DL8tfpc0
うちの爺様は駆逐艦夕雲にのっていたらしい。しかし沈没時に病気で入院し下船していたため命拾い。次は何のってたかしらんが、潜水艦の雷撃?で沈没。しかしうちの爺様は無傷で救助されたらしい。10年前に亡くなりましたがもっと聞いとけばよかった。つたない文章スマソ
328名無し三等兵:2006/05/22(月) 02:39:10 ID:yDUBk2gX
うちのじいさんの兄貴だけど、職業軍人だったらしくて海軍の下士官だった。
空母とかいろいろ乗ってたらしいけど最後は駆逐艦「朝霜」にのって菊水作戦で大和と一緒に
沖縄に特攻する途中に機関のトラブルで落伍して艦載機に撃沈されて戦死
329名無し三等兵:2006/05/22(月) 10:15:37 ID:Fn1Os1j+
家のじいちゃんは虫垂炎になって戦場には行かなかった
330名無し三等兵:2006/05/22(月) 13:45:31 ID:???
うちの爺さんは徴兵を逃れるために検定前日に醤油をがぶ飲みしたがなんともなく
屋根から飛び降りて骨折を試みたが異常なし。
それを聞いた隣人から

「そんなに頑丈なら死なないからとっとと言って来い!」と突っ込まれたそうです。

案の定甲種合格で海軍へ。
なんやかんやで案の定生還し、私の父を含む6男2女を儲け、まだ健在です(78歳)。
331名無し三等兵:2006/05/22(月) 14:56:30 ID:???
うちの祖父(今年84歳)は歩兵連隊で東南アジアに行ってました。
仲間がどんどん死んでいってかなりキツかったそうですが、なかでも
普段から冗談を言って隊の雰囲気を和ませていた人が死んだときは
部隊の空気が沈んだそうです。
332名無し三等兵:2006/05/22(月) 15:22:26 ID:???
>>330
兵役法による徴兵年齢は大戦末期に一番下がったときにも19歳なんですが。
333名無し三等兵:2006/05/22(月) 17:02:49 ID:???
>>332
突っ込み最もだが、ジサマの年齢を正確に覚えてる孫が居るかどうかのほうが難しいんじゃね?
許してやれや。
334名無し三等兵:2006/05/22(月) 17:58:27 ID:???
>333
予科練かなんかに志願したんちゃいますか?中学から学校推薦で。
335名無し三等兵:2006/05/22(月) 18:53:44 ID:???
>>332
78歳なら甲種予科練十五期ですかね
当時の空気で志願はしたが試験場から逃げ出したり
入隊後に脱走した人もいたそうだし

志願はしたが入隊前に考えが変わった人もいると思いますよ
一次試験から入隊まで二ヶ月もあるんですから
336名無し三等兵:2006/05/22(月) 21:45:00 ID:db5q+rYd
>>328 マジかよ凄いな やっぱり朝霜は生存者皆無なのかね…
337名無し三等兵:2006/05/22(月) 22:26:54 ID:???
>>328>>336
「朝霜」は第21駆逐隊司令小滝大佐、艦長杉原中佐以下、
乗組員326名全員が戦死しています。
最後の模様も米軍側の写真が公開されるまで不明だった・・・
338名無し三等兵:2006/05/22(月) 22:59:32 ID:???
駆逐艦なのに300人超って乗りすぎでは?
339名無し三等兵:2006/05/22(月) 23:13:03 ID:???
>>338
大戦末期は普通。機銃操作要員が大幅に増えてるから。
340名無し三等兵:2006/05/22(月) 23:50:01 ID:Dhh0hDnm
沈没当時はまだ生存者はいたんだろうね。
潮に流されて全員が助からなかったのだと思う。
341名無し三等兵:2006/05/22(月) 23:55:35 ID:???
>>339
機銃などの要員が増えているのはわかるが開戦時の2倍とは。
居住性なんて考えたくないなぁ。
342名無し三等兵:2006/05/23(火) 03:52:12 ID:???
父方の爺は憲兵隊だったそうだが話を聞く前に死んでしまった。

母方の爺は輜重隊で馬を牽いて物資輸送してた。
中国、ビルマと転戦。
夜間輸送中にイギリス軍と遭遇してしまい、
馬ともども川の中に浸かってやり過ごしたといってた。
途中で部隊交代のため日本に帰ってきたが、
船の中ではいつ潜水艦にやられるかとずっと不安だったそうだ。

戦争は嫌だ、戦争だけはこりごりだ。
とよく言ってた。
本年88歳。
343名無し三等兵:2006/05/25(木) 01:42:43 ID:ZxVBDEGr
嫁のじいちゃんは、陸軍航空士官学校の中隊長をやってた人です。
あと満州でノモンハンにも参戦したみたいで、そのときも中隊長みたいです。

結婚するだいぶ前に亡くなっているので直接はしていませんが、
嫁や婆ちゃんから聞いた話で興味を持ってしまった。

家を壊すんで、戦友会とかの冊子をいただいてきました。
今狙ってるのは、出征前の遺書です。

親族でじいちゃんの戦争中の足跡に興味を持つ人がいなそうなので、
俺がこれからいろいろ調べようと思います。


344名無し三等兵:2006/05/25(木) 05:00:23 ID:???
うちの祖父は高射機関銃分隊の分隊長で階級は曹長でした。
当時24、5歳なんですが、そんな若くて曹長になんかなれるんですか?
345名無し三等兵:2006/05/25(木) 05:56:06 ID:9Qs43QGQ
明治43年生まれの祖父は11年前に天寿を全うしました。
関東軍鞍山独立守備隊にいて、昭和10年代?に上海でカメラを買って帰国。
その後、また大陸にいたらしく、昭和20年頃南方への派遣を控えて一時済州島で待機。
その時肺結核を患い、そのまま終戦を迎えて南方へ行かずに済んだ。
その後長崎の南風崎に復員したが、息も絶え絶えだったらしく、
祖母が1000km近くも列車に乗って迎えに行ったとのこと。
その祖母も今は90歳。
祖父が元気な時にもっと色々聞いておくべきだったと後悔していますが、
私が成人してからは癌との闘いで、とても話を聞ける状態ではありませんでした。

私が中学生の頃、酔った時など、戦場の話を喋っていたのを思い出す。
中国で、軍靴で蛇を踏んづけて皮をめくって、食べた話や、疲労困憊していた時に、
小銃を構えて立ったままでも寝てしまったことなど、断片的に話は聞いています。

軍隊の非人間的な待遇など愚痴ることもありましたが、近所に戦友もいて
思い出話はほんわかしていた気がする。

ところで、祖父の軍歴を調べるのは、厚労省?で具体的にどうすればいいのでしょうか。
遠く別居している祖母も高齢ですので、この1年以内を目標に、
私のルーツでもある祖父の足跡を何とか辿りたいと思います。

おじいちゃん、家族の為、日本の為、ほんとに、ご苦労様でした。
346名無し三等兵:2006/05/25(木) 07:03:59 ID:???
>>345
ガイシュツですが、
陸軍の場合の『軍歴照会』は、御爺様の御本籍地の県庁で恩給・援護関係業務の担当部課に尋ねてくだちぃ。

御本籍地の町や村が、まだ昔から残ってる場合は、
そこに兵事係関係の資料が残ってる場合もあります。
347名無し三等兵:2006/05/25(木) 12:12:50 ID:???
今、厚労省に軍歴照会をしている者です。
それを知るまでが大変だったんですが…まあ、なんとか。
母方の祖父が職業軍人(海軍)でした。明治45年生まれで、
昭和56年に亡くなりました。
先日、母の実家から海軍機関兵曹長(薄紫の兵科線が入っていたので)
と思われる肩章(片方)、と襟章(両方)が出て来て、孫の自分が頂きました。
母の話によると、水兵服でスケートをしている写真等もあるそうで、兵からの
叩き上げだと思われ、伯父・伯母達もよく覚えておらず、軍歴を照会する事
にしました。
一昨年亡くなりました母方の祖母の話によると、相当威張っていたらしく、
食事とかも豪華な者を食べていたそうで、家に帰っても威張り散らしていた
ので「ウチの中は軍隊じゃありませんよ!」と怒ったそうです(笑)。
以前、少尉の任命状などがあった記憶があるので、その事も合わせて、
母とも相談し、可愛がってくれた祖父の事を忘れない為にも、軍歴照会を
する事にしました。

軍歴照会は「厚労省調査資料室資料第三係」が行っているそうです。
長文失礼致しました。結果が出て、書き込みたいと思いましたら、また
書かせて頂きます。
348名無し三等兵:2006/05/25(木) 13:19:17 ID:???
349名無し三等兵:2006/05/26(金) 04:59:45 ID:UCZU5kRL
>>346
アドバイスありがとうございます。
母方の祖父ですが、軍歴照会はスムースに行くのでしょうか。


>347厚労省に照会ですか。
やはり、文書での問い合わせでしょうか?
具体的にどのような作業だったのか、参考までにご教示下さいませんか。
350名無し三等兵:2006/05/26(金) 07:12:23 ID:???
>>349
>>347さんの例は海軍の軍人さんの場合です。
(陸軍→各都道府県 / 海軍→厚生省、と扱いが違うのです)

『軍歴照会』、都道府県によって 若 干 対応は違う様なので、
該当の都道府県にとにかく一度お尋ねくだちぃ。

351名無し三等兵:2006/05/26(金) 11:12:28 ID:???
>>343
>今狙ってるのは、出征前の遺書です。

京本正樹を思い出した。
352名無し三等兵:2006/05/26(金) 11:59:27 ID:???
>>349
私の場合>>350さんが言われるように、海軍ですので厚労省です。ちなみに、問い合わせ辿り道は、
「市役所」→「市内にある海上自衛隊総監部の広報」→「厚労省」でした。
私が住んでいる所は、旧軍港(鎮守府・工廠・海軍某学校・海軍病院まであった)なので、調べる
のが簡単でした。

私も母方の祖父を調べているので、軍歴照会の時は母の名前で請求しました。というのは、孫の自分
の代まで提出すると、厚労省の場合請求者と被照会者が肉親である証明を添付しなければならないの
で、戸籍謄本が2ついるので費用が嵩むからです。

ちなみに、海軍の場合で厚労省に言われた事は…
1.軍歴を照会したい、という事を書く。
2.被照会者の姓名・本籍・生年月日
3.判る範囲での軍歴や手がかり
4.請求者と被紹介者の関係が証明出きる公的書類(亡くなっていたなら、それが証明出きる事)
5.請求者の免許書等本人確認が出来る物のコピー

これを厚労省に送れば、数ヶ月(その時の忙しさによって違うようです)で、軍歴が「あれば」厚労省から
送ってくれるとの事でした。返信用封筒や切手はいらないとの事です。
353名無し三等兵:2006/05/26(金) 14:33:16 ID:???
>>350
「若干」ていうか、そもそも軍歴を保管してない都道府県もあるし。

さすがに「捨てちゃいました」というのは聞いたことがないけど、
「昔、県庁が火事にあって焼けちゃったんです」ってのは確か複数ある。
354名無し三等兵:2006/05/26(金) 15:05:12 ID:???
>>352の者ですが、ちなみにですが総監部広報によると、最近は個人情報保護がうるさくなって、
以前にも戦友の軍歴照会の問い合わせがあったそうですが、個人情報保護の観点から拒否さ
れたそうです。まあ、この世相では悪事を働く不逞者がいますから仕方が無いとは言え、何とも
やるせない気分になりますね。古き良き日本は戻らないでしょうね。

355名無し三等兵:2006/05/26(金) 15:06:24 ID:nwp+vQV+
消防のとき聞いた話なので、記憶違いがあるかも知れんが・・・

北方にて任務についていた俺のじーちゃん。(千島列島のことかな?)
まあ北方だからあれさ、たいしたことなく終戦を迎えたらしい(ってことは占守島じゃないな、いたトコ)。
部隊は本土に帰ることになり、ある日、輸送船が来た。が、俺のじーちゃん寝坊したか何かで置いてけぼりにされたらしい。(俺にもその遺伝子が・・・ orz)

次の日、別の輸送船にのりこんで、「ヤッター帰れる!!」とばかりに船上で仲間と大はしゃぎ。見しらぬ人とも肩組んでさわぐうち、一人が叫んだ。「おい!何だあれは?」指差す先、霧の向こうに黒い塊が・・・

何だったと思う?
それは、昨日乗り損ねた輸送艦の艦首部分だけが浮いているものだった・・・ (触雷したらしい。)
霧の中、まるで艦首だけでも本土に帰ろうかとするその姿は、怖いとかそういうのを通り越して乗っていた人の執念すら感じたらしい。
                   拙い文章スマソ    




356名無し三等兵:2006/05/26(金) 16:04:42 ID:???
>>354
「悪事を働く不逞者」がいたから「個人情報保護がうるさくなった」んですけどね
元々「古き良き日本」はフィクションでしかないのですよ
357名無し三等兵:2006/05/27(土) 09:46:51 ID:2MEVQR93
ヒストリーチャンネル 「戦記ドキュメント 20世紀の記録」
http://www.historychannel.co.jp/cgi-bin/time_t/epg370_title_list.cgi?title_year_date=20060528&title_time=190000&year=2006&month=5

19:00-19:30 戦記ドキュメント『日露戦争から第一次世界大戦〜世界強国の行方〜』
19:30-20:00 戦記ドキュメント『ナチスドイツと第二次世界大戦〜世界強国総力戦〜』
20:00-20:30 戦記ドキュメント『太平洋戦争史』
20:30-21:00 戦記ドキュメント『戦後の冷たい戦争』
21:00-21:30 戦記ドキュメント『列伝・戦争と英雄』
21:30-22:00 戦記ドキュメント『戦うニッポンの素顔』
22:00-22:30 戦記ドキュメント『戦うニッポン皇軍』
22:30-23:00 戦記ドキュメント『20世紀の兵器』
23:00-23:30 戦記ドキュメント『戦後の日本〜国破れて山河あり〜』
23:30-00:00 戦記ドキュメント『戦後の世界〜超大国米ソの狭間で〜』

ついでに。
17:00-19:00  映像の世紀『世界は地獄を見た』
  第二次世界大戦のナチスによるユダヤ人の大虐殺、そして原爆という地獄の日々ををカメラは克明に写しとっている。
358名無し三等兵:2006/05/27(土) 15:22:44 ID:6QYXX2Xd
うちのじーちゃんは海防艦の水測員で鎮海湾を拠点とし連日潜水艦狩りをやっていたそうだ。
爆雷落としたあと沢山魚が浮いてきたんで喜んで獲って食ったら魚の身が爆圧でボロボロで滅茶苦茶不味かったそうだ。
俺が海自に入り九州の田舎から横須賀教育隊に入った年、突然体を壊し入院。
見舞いに行くと固太りの大男だったじーちゃんは見る影もなくやせ細っていた・・・
それでも冗談交じりに「ついにお前にも赤紙が来たか」と笑い、「横須賀で水測の学校にいたことがあるが、海が綺麗だぞ。下士官になるのは三十人に一人、厳しいが頑張れよ。」と励ましてくれた。
横須賀の海は汚かったし下士官になれる割合も今と昔は違うのだが嬉しかった。
実は入院前のじーちゃんとは仲が悪く余り話した記憶が無かった・・・それから十年近い時が過ぎ俺は曹の階級を手にした。
奇しくもじーちゃんの言うとおり曹昇任の倍率は高かった。
じーちゃんの励ましのお陰か下士官としての第一歩を踏み出したと思う・・・少しは恩を返せたのだろうか・・・?
長文本当にスマン。初書き込みです。
359名無し三等兵:2006/05/27(土) 15:23:43 ID:???
360名無し三等兵:2006/05/28(日) 23:10:07 ID:???
>>358
全海自が泣いた。
361名無し三等兵:2006/05/28(日) 23:15:34 ID:???
うちのじーさんは三菱の水島の工場で検査員技師長だったらしい。
複葉機を作る部署にいて毎日多くの部品を作らねばならず
ある日無茶な生産を命じられて怒って上司の部屋に怒鳴り込んだらしい。
そのとき上司に一緒にいた日ごろえらそうにしていたお目付け役の軍人が
一言「よろしく頼む」といって頭を下げたのが印象に残っていると
酔ったときよく言っていた。

友人の親戚の爺さんは暴れん坊で近所の嫌われ者で働くとこがなく
軍へ。そこでけんかに強く体力もあるので出世して大和の甲板長
に。沈没したが持ち前の体力と強運で生還。戦争が終わった後は
ニコニコ笑う優しい爺さんになったんで近所のものは驚いたそう。
しかししばらくは近所のものは乱暴物が帰ってきたといって
道をよけて通ったらしい。
友人が大和の事を聞いたときは「世間で言われているほどいい話じゃないよ。
おえらいさんは全員途中で逃げ出したしな。」とポツリと一言
言っただけだったという。
362名無し三等兵:2006/05/28(日) 23:30:36 ID:???
親戚の家庭教師のおじさん(若く見えるが結構年だった)
は陸軍で満州へ。大戦末期で食糧事情が悪く一緒に居た嫁さんが
流産するなど大変だったらしい。終戦時にシベリアへ。
そこで九死に一生を得て日本に。帰ってきたばかりのときは食い物も
職も無く大変なときに姉(母方の婆さん)助けられ死ぬまで
感謝していた。
(母親3人兄弟に「俺が死んだら星になって見守ってやる」と言ってた)
戦後は勉強して教師になり教員免許を大切にしていた。
363名無し三等兵:2006/05/29(月) 16:27:00 ID:???
>358

若い時には気がつかないが、
子や孫が自分と同じ道を歩み出したときは、
最高に嬉しいだろうな。

と親不孝者が言ってみる。
364名無し三等兵:2006/05/29(月) 20:45:43 ID:???
358です。
363さん、そう言っていただけると嬉しいです。
じーちゃんもばーちゃんも生きてるうちに恩を返せなかったので今になって悔しいです。
ここで色々話を語り継ぐのも恩返しのうちだと確信してはおりますが・・・
365名無し三等兵:2006/05/29(月) 21:40:20 ID:???
うちのおじさん(父方の婆さんの兄貴)の話。
陸軍幼年学校出の中尉。
ビルマ戦線で戦ったとのこと。
戦後英軍の捕虜となったらしいが、その後現地で行方不明に…。
当時家族はずいぶん心配していろいろ調査をしたけど
結局行方知れずになった。

小隊だか中隊だかを率いてたらしいからそのときの
部下だった人にも話を聞いたらしいけどやっぱり
よくわからなかった。
現地人に殺されたかもなんて聞いたらしいけど、やっぱり
真偽は不明だった(アーロン収容所の会田雄二さんの本を
読む限りビルマ人がそんなに凶暴には見えないけど…)。
おじさんに何があったんだろうか?
因みに九州の小倉の人です。
366名無し三等兵:2006/05/30(火) 02:00:36 ID:???
身内のかたにこういう事を言うのは失礼だとは思うけど
その経歴を見ると

若年の将校が古参兵相手に威張り散らして
収容所や帰還船でリンチを受けるって話は良く聞くな。

なんて、思いが頭をよぎります。
367343:2006/05/30(火) 02:09:55 ID:sx9IgLgS
遺書確保してまいりました。
あと、士官学校時代の同期会のアルバムや
直筆で書いてある自刃のしかたのメモ書きやらです。
大収穫でした。

おかげさまでちょっとずつ分かってきました。
満州時代(S13〜)は野戦重砲兵連隊所属だったみたいです。

嫁はマニアックな俺に呆れ顔です。
じいちゃんから直接話を聞いてみたかったな。
368名無し三等兵:2006/05/30(火) 05:18:45 ID:???
うちのじいちゃんは南昌攻略のための修水河渡河戦で戦死したんだけど
中尉から大尉への一階級特進だった

二階級特進の少佐になれば恩給額が上がるって
ばあちゃんが言ってたw
369名無し三等兵:2006/05/30(火) 07:15:13 ID:???
>>366
よく聞く噂ですよね…実際あったと思いますけどね。特に陸軍では。
ウチのジーサマも相当威張り散らしていたようだったけど、叩き上げ
だったから大丈夫だったのかな?
370名無し三等兵:2006/05/30(火) 12:55:26 ID:???
ウチの祖父は終戦時18歳で志願で海軍に入ったって聞いたから16年後期かな?
で広島にいて、汽車に乗って地元に戻る途中に原爆の雲を見たそうです。
でも、当時の我が家は九州の福岡航空隊の近くにあったから佐世保海兵団のはずなのに何故か広島にいたらしい。
大昔に「大竹」「学校」っていう単語を聞いた覚えがあるからもしかしたら潜水学校かもしれない。


戦後は、もう一度旧制中学に入りなおして農協の支店長まで勤めたんだけど、
今は末期ガンでまともな言葉が出ない状態で後はお迎えを待つだけになってしまってます・・・
これらの話は全部子供のころの寝話やばあさんからの伝聞で、分かってる話の全てです。
もっとキチンと聞いとくべきでしたorz
371名無し三等兵:2006/05/30(火) 13:12:00 ID:???
うちの曾おじいちゃんは、上海で、イギリス人女性をレイプしようとして襲い掛かったら
その亭主に殴り殺されそうになったので、鉄砲でその男の太腿を撃って逃げてきたそうですが、
復員後、それをさも自慢げに話して近所の人に変人扱いされていたそうです。
戦後、そのことでB級戦犯として逮捕されたけど、無罪で投獄は免れたそうです。
それも、自慢げに(後略
本当に最期までクソみたいな男だったって、おじいちゃんが言っていました。
ボクの代で、この話は封印して置こうと思っています。
372名無し三等兵:2006/05/30(火) 14:48:55 ID:sK31jE1u
曾祖父砲兵としてシベリア出兵!祖父!機械化歩兵!関東軍で満州!父10施設大隊春日井!自分7師団某戦車連隊勤務!
373名無し三等兵:2006/05/30(火) 15:25:06 ID:1S8hkCE5
基本的な質問で申し訳ありませんが、
厚生省への「軍歴照会」では、何が分かるのですか?

戦死した祖父の死地を訪ねたく思い、色々と調べ中です。
ちなみに陸軍中佐で、ビルマで戦死したのですが。
374名無し三等兵:2006/05/30(火) 15:40:15 ID:???
>>373
当該軍人についての人事記録がわかります。
何という部隊に所属していたのか、いつどのような階級になったのか、など。

ところで陸軍の軍人の場合は、厚生労働省ではなく本籍地の都道府県が
軍歴を引き継いでいます。
375名無し三等兵:2006/05/30(火) 15:40:44 ID:???
インパールか・・・
ご愁傷様でした。
376名無し三等兵:2006/05/30(火) 16:12:09 ID:???
真珠湾攻撃に護衛の零戦乗って参戦
5年前にハワイに旅行して、よろこんでアリゾナ記念館
行ってきた。
377名無し三等兵:2006/05/30(火) 16:47:14 ID:???
>>376
真珠湾攻撃参加者ですか。
ご長寿をお祈りします。
378名無し三等兵:2006/05/30(火) 17:58:02 ID:DgCwryb9
終戦時でも三十人も残ってなかったんじゃ。なんでもいいから回顧録かかすなり聞き書きするなり記録残すのが藻前の義務だ。




まさか、藤田少佐じゃ?
379名無し三等兵:2006/05/30(火) 18:00:20 ID:???
ネタだべ?
380名無し三等兵:2006/05/30(火) 18:33:49 ID:???
当方の祖父は支那戦線です。
福井の鯖江の連隊(50番台?)で幹候上がりの中尉でした。
戦後、同じ中隊の下士官だったひとが手記を自費出版され、
同中隊長だった父もちらちらでてきます。
再招集後、昭和19年大阪陸軍病院にて戦病死してるので、本人から
直接話をきいたことはありませんが、
数年前だったか、その自費出版された手記がテレビで紹介され、
徐州作戦時に、中隊長命令で一か村殲滅、虐殺があったそうです。
(おそらく村全体で利敵行為があったとか、
 蒋介石軍の兵站があったとかそんな理由で出されたのでしょう)
思わず、この時の中隊長はわが祖父ではなかったかと思い、
自分は大量虐殺者の子孫かと、
その時には全身に悪寒がはしりました。
後で、父にその点問いただすと、祖父が中隊長になったのは
九江戦の時と聞かされ、胸をなでおろした次第です。
381名無し三等兵:2006/05/30(火) 18:45:06 ID:???
〉379
ネタって言うなよ〜!
気い悪くして詳細書いてくれなかったらどうする!
382365:2006/05/30(火) 21:00:19 ID:???
>>366
実際その可能性はありますね、おばあちゃんには
言えないけど…。
ビルマ人が日本兵を襲撃したって話はほぼなかった
そうですし、戦後も互いに結構仲が良かったらしいからね。

そういえば会田雄二さんも嫌いな連隊長が戦死した
ときはみんなで万歳三唱したそうです。
実は捕虜仲間のウチゲバで死んだ人って結構いるら
しいね。
ただまあ中には日本をあきらめて現地で嫁さんを
もらった人も結構いるらしいから、個人的には
そう信じたいんですが…。
383名無し三等兵:2006/05/30(火) 23:01:28 ID:???
うちの祖父は陸軍に入りビルマで戦っていたそうだ。
その後もビルマに思い残りがあったらしく、何度か行っていた。
今はもう他界してしまったため話を聞く事は出来ないのが残念だ。
384名無し三等兵:2006/05/30(火) 23:08:22 ID:???
半島人の日本兵が日本人の上司をリンチしたのかもしれないよね。
385名無し三等兵:2006/05/30(火) 23:26:05 ID:???
違うと思います
386名無し三等兵:2006/05/31(水) 09:39:29 ID:bK8aLo3S
12年ほど前に父親がビルマの山奥へ出張に行った時
現地の老人から「日本兵は勇敢だった」と言われたので
ビルマに駐留した日本兵の規律は保たれていたと思う。
場所:ビルマとタイ国境付近
387373:2006/05/31(水) 12:09:28 ID:4GKynFVA
>>374
ありがとう!
当人(祖父)の、本籍地の県庁に問い合わせればいいのですね?

>>383
私の祖父も陸軍でビルマでした!
祖父は戦死しましたし、配偶者である祖母も亡くなっており、
詳しい話を聞くことができません。

・・・で、私はビルマの、祖父の亡くなった地にお参りに行きたいのですが、
女一人ではまずいのでしょうか。
388名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:40:09 ID:???
>>387
その通りです。が、都道府県によっては散逸・焼失等の理由により
保管できていない場合もないとは言えませんので、その点はお含み置きを。

一般論として、南方の戦地だったところに女性一人で慰霊に行く、というのは
主として現地の治安上の理由からお勧めできません。
厚生労働省が戦没者慰霊事業の一環として、戦地への(主として遺族による)
慰霊巡拝を実施することもありますので、都道府県に軍歴照会をされるのであれば
あわせてお尋ねになってみてはいかがでしょうか。
389名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:54:00 ID:4MsjuBHP
水産講習所を卒業後、海軍士官の試験を受けたが不合格、兵卒はいやじゃと
医専に入学、卒業後に入隊したのは結局船舶工兵隊で出来るんだからとすぐに
五百トンくらいのボロ舟の船長をやらされたらしい、朝鮮と内地の間で石炭
なんかを運ぶうちに終戦、朝鮮銀行紙幣で上手いことしたらしい
390名無し三等兵:2006/05/31(水) 15:18:08 ID:9TH4SyDi
>>387 私は家族、子供をつれて5年前、
観光もかねてだけど、ビルマ行ってきました。祖父は、泰緬鉄道の収容所で働いていました。
皮肉な事に敗戦の後は自分が収容される羽目になり、脱走したわけですが・・・・
当時英軍の先鋭となって戦ったゴルカ兵の方も引退して、シャン高原や、インレー湖の奥のほうに沢山住んでおられました。
マンダレーやバガンの方には、慰霊にこられた方達の石碑が寺の中にあり私も少しですが寄付してきました。
ビルマはとても人も穏やかで治安のよさはタイに比べはるかに良いと感じました。もし、おじい様が亡くなられた場所を特定できるなら
行く事は女一人でも充分可能だと思います。ただ、国境付近はまだまだゲリラが支配してる地域が沢山あるので、そのあたりであれば難しいと思いますが・・・
391名無し三等兵:2006/06/01(木) 00:07:01 ID:mX4naJ20
最近母方の婆さまから聞いた話しだけど、
婆さまは、昔奄美に住んでいて終戦前の食料不足のため学校の授業で畑をつくっていたみたいで、
学校の帰り道
空襲警報が鳴り響いた
直後に、上空から飛んできた飛行機に機関銃を撃たれたといってました。幸い警報がなった直後に急いで近くの土手に転びながら逃げ込んだらしく無傷だったと聞きました。
あとB-29が夜中に空襲したため逃げ遅れた近所の中学生が犠牲になったとも言ってました。 ところで奄美みたいな所でも空襲や機銃掃射されるんでしょうか?戦略上何にも得にならないと思いましたが(;^_^A
392名無し三等兵:2006/06/01(木) 00:32:23 ID:7K9JmQwd
空襲からの帰途、余った弾薬を適当な所に“棄てる”部隊もいたようです。
戦闘機などは眼下に日本人を発見すると、からかう意味で銃撃したり、
激しい空中戦で異様な興奮状態に陥るのと日本人への憎悪から、本気で殺しに行くこともあった。
393名無し三等兵:2006/06/01(木) 00:50:00 ID:???
>>391
奄美大島にもそれなりに海軍陸軍の軍事施設もあり、
物資の集積などもありましたので仕方ないでしょう。

ちなみに、『戦艦大和ノ最後』に出て来る、
大和の第二艦隊とすれ違う輸送隊は、奄美大島からの帰りの便です。
六隻で呉を出て、三隻しか戻れませんでした。
394名無し三等兵:2006/06/01(木) 01:31:07 ID:mX4naJ20
392 393 レスありがとございます。爆弾を棄てていく なにも町に落とさなくていいのに(゚ω゚V)アブナェー
393さん 奄美の南部瀬戸内という町の海岸に作られた軍の特功に使用された ボートなど残っていますがそういうものがあったから標的になったんでしょうか?
395名無し三等兵:2006/06/01(木) 01:37:34 ID:9D0/5HNu
終戦まで
ずーっと横須賀基地
396名無し三等兵:2006/06/01(木) 01:43:59 ID:kVYVy+MM
6月初の最新ニュースが出たぞ!!!!!!!!見ろ、これが中国の実力。
あんなにアメ公真赤になってたのに、中国の実力で吹き飛んじまった。

米、対イラン協議参加の用意=ウラン濃縮停止条件に−対話へ方針転換・国務長官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060601-00000005-jij-int

イランと直接対話の用意 ライス米国務長官
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060531-00000285-kyodo-int

結局中国の11兆超巨額油田契約をきっかけにアメ公あぼーん。

これが中国の実力。
財布ぽち国民は見ろ。

明日に攻め込むんじゃねえかってレベルであんなに緊迫してたのに、
アメ公吹き飛んじまったな。

>対話へ方針転換
>対話へ方針転換
>対話へ方針転換

(´,_ゝ`)プッ アメちゃん全くご愁傷さま。

ますます中国フリークになりそうだ。
中国万歳!!資本主義者どもの死亡フラグが立ったようだな。
397名無し三等兵:2006/06/01(木) 02:12:05 ID:???
オマイラに聞きたいのだが、
うちのジーサンは昭和19年に召集されて
(それまでは製鉄会社(戦後、数社合併して現在の新日鉄)で働いてた)
一等兵曹で終戦なんだけど普通は二等水兵からじゃないの?
398名無し三等兵:2006/06/01(木) 02:31:52 ID:???
>>397
末期だとポツダム昇進というのがありました。
でもポツダム組みでも一階級昇進で退役だから
元々の階級は2等兵曹ということになります。
徴兵2年目で2等兵曹っていうのは??
もしかして製鉄会社の技師養成校出てたり、
軍関連の専門校出てたりして特技章を持ってたんじゃないですか?
399名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:14:24 ID:???
うちのじーちゃんは全く兵隊に行ってない。
明治45年生まれなんだけど、兵役検査のときに
身長が足りないことで落とされたらしい…

んで、大地主の一人娘で未亡人だった祖母のとこに婿養子。
戦中戦後の食糧難の時でも、白いご飯しか食べなかったという。
家が空襲に遭ってる時も、芸者をあげてドンチャン騒ぎ。
書けば書くほど情けなくなってきた…orz
400名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:17:33 ID:???
>>399
遊ぶ人がいないと芸者さんも困るだろ
適材適所さ
401名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:29:03 ID:???
>>400
フォローサンクス

戦後も家計を支えていたのは祖母で
じーちゃんは遊んでただけ。
しかも不摂生がたたり脳血栓で倒れ、約15年も寝たっきり状態になり
祖母に迷惑だけをかけていった。
ばあちゃんは尊敬してるけど、じーちゃんには全くしてない。
402名無し三等兵:2006/06/01(木) 05:38:35 ID:???
尊敬は出来ないが寝たきりにならなければ生き方は羨ましいな。
逆玉に乗ってやりたい事だけやって生きたという感じだな
403名無し三等兵:2006/06/01(木) 17:41:37 ID:???
ウチの爺様も戦争体験無かったんだよな。

プチ富農の母方婆様のウチに養子に来た爺様は、師範学校出の秀才で、
開戦時には教頭だか校長だか。
ダンナが師範学校出というのが、婆様の自慢だったらしい。

生徒と一緒に学校の校庭を耕してカボチャを作って、その蔓でおかゆを作ったか。
理科室のエタノールをちょろまかして、若い先生と酒盛りしたとか。
なんか全然深刻な話が無かった。
唯一戦争っぽいのが、名古屋に向かってB-29が飛んでいったときの話ぐらい。

父方のほうは北海道の田舎だったんだけど、爺様が早死に。
俺の親父が子供の頃に終戦を迎えたそうな。
そもそも食糧で苦労した覚えが無いところに、配給で砂糖が回ってくるように
なったのが嬉しかったそうで。
こっちも全然深刻じゃない。


考えてみれば婆様は健在なので、いろいろ聞きに行ってみようかな。
爺様の自慢話ばかり聞かされそうな気もするけど。
404名無し三等兵:2006/06/01(木) 18:06:12 ID:???
>>394
>そういうものがあったから標的
もちろんそうでしょうが、最大の理由は
 「単に通り道の途中にある島だったから」
でしょう。
405名無し三等兵:2006/06/01(木) 20:00:38 ID:???
>>397
俺の祖父は水兵だったけど
兵曹って本当に怖かったらしいな
406名無し三等兵:2006/06/01(木) 21:28:45 ID:???
>>405
叩かれるの覚悟でいうぞ!
「へーそう」
407名無し三等兵:2006/06/01(木) 21:49:36 ID:???
鬼の一水
地獄の兵曹
408名無し三等兵:2006/06/01(木) 23:11:44 ID:???
>>397
2度目の御奉公だったんジャマイカ
409名無し三等兵:2006/06/01(木) 23:31:24 ID:???
2度目で済んで生きて帰れたてのはマシなふでつよ。

うちの爺様なんか現役入れたら3度目、いや4度目が来たと婆様が嘆いていた。

まぁ、おかげで階級だけはあったもんで近所の国民兵やら2等兵の方々からは
楽しとると思われてんだが、案外、ウースンやら南京やら激戦地回らされてるしで・・。
410名無し三等兵:2006/06/02(金) 00:34:13 ID:???
>>405
自分が生まれる前に死んだが元海軍2等兵曹のじぃさんは怖かったと
叔父達から聞いた。
勉強を怠けたり、言葉遣いが悪かったりすると石炭ストーブで使う火掻棒
でがっつりぶん殴られたそうな。子供の躾でコレだから
軍隊じゃ凄まじかったのだろう。
411名無し三等兵:2006/06/02(金) 03:16:22 ID:7dfeMvnF
皆さんにとっては、お爺さんお婆さんの年代のお話でしょうが、
少々年配の私は、父親や叔父が出兵していた年代です。
父親からは、子供のときから戦争中の話を何度と無く聞かされました。
上官には絶対服従。殴られるのが日課のような生活。
上官の気分次第で殴られたようである。
中には、つらさに耐えかねて首をつって自殺した者もいたらしい。
軍人勅諭を覚えさせられて、覚えられなければぶん殴られる。
皆それで苦労したらしい。上官も殴られながら、覚えてきたくちなのだろう。
たまたま父は、記憶が良いほうだったらしく、
全部覚えて、すらすら答えてしまった。
それを上官に憎まれ、つまらない言いがかりをつけられ、
記憶を失うほど殴られたそうである。
自分の戻る場所が分からなくなり、周りの者もさすがに心配したらしい。
そんな戦争中の、人権を無視された暴力の記憶があるせいか、
どんなに怒っても、私には一度も手を挙げたことがなかった。
412名無し三等兵:2006/06/02(金) 03:31:36 ID:7dfeMvnF
父の所属していた部隊は、中国の黄梅と言うところにいたという。
そこでの生活は、のんびりしたもので、
村人も日本兵にやさしく、子供達も大変なついていたそうである。
食料も豊富で、腹一杯食べれたそうである。

しかし、戦争の激化によって、父の所属部隊にもついに南方への移動命令が出された。
移動中に父は、腸チフスにかかったそうである。
出航する間際まで、上官に一緒につれて行ってくださいと、
泣いて何度も訴えたが、却下され残留を命じられた。
戦友は「○○お前がうらやましい。」とぽつんともらしたという。
自分の運命を予感していたのでしょうね。

部隊は、南方へ出航して間もなく、敵軍に攻撃され撃沈全員戦死。
残ったのは、父ともう一人、同じく腸チフスにかかっていた二人だけだったそうである。
戦争の悲惨さは、語ろうとしても、語りつくせるものではないと思うが、
昨今の世相の流れを見ていると、
次世代に、やはり語り継いでいかなくてはならないことを強く感じます。
413名無し三等兵:2006/06/02(金) 03:42:11 ID:7dfeMvnF
叔父は沖縄の生き残りだが、
食料が無くて、蛇やかえるまで食べたという話を聞かされた。
背中に残る、銃弾の破片の痕などは見せられたが、
当時の激戦の様子は、あまりにも悲惨だったせいか、
あまり話したがらない。
414名無し三等兵:2006/06/02(金) 08:59:35 ID:???
>>411
そんな年代の人が午前3時に2ちゃん?
ダウト
415名無し三等兵:2006/06/02(金) 09:29:29 ID:7dfeMvnF
>>414
工場での二交代制勤務をやってたので、
夜起きてることは、まったく平気なんです。
416373:2006/06/02(金) 11:26:53 ID:???
>>388
色々とご親切にありがとうございます。
昨日、家にある資料を色々と調べて、卒業年次や軍歴など、ほぼ分かりました。

仕官学校の同期の方の二世会なんていうのもあるようですが、
資料が古いので、まだ会は存在するのか??誰に連絡を取っていいのか??
ともかく、一度都道府県に問い合わせをします。

・・・しかしですね、疑問なのですが、
私の祖父の出身地と、祖父が所属していた師団の皆さんの出身地は、
全然違うのです。
祖父は本部から、中途派遣されているので。
この場合の問い合わせも、祖父自身の出身地の県庁でいいのでしょうか。
417373:2006/06/02(金) 11:30:03 ID:???
>>390
うちの祖父の没地は、国境付近ですね。
チン高原のあたりです。
一人で行くのはマズそうですね・・・

同じ師団の方に、問い合わせをしてみようと思います。
418名無し三等兵:2006/06/02(金) 16:28:01 ID:???
父方のじいさんに軍歴は無いので、ひいじいさんのことを
ひいじいさんは軍医だったので文豪の森鴎外の直属の部下だったこともあった。
親父がひいじいさんに「森鴎外ってどんな人だった?」と聞いたら
「頭の形がかなり変わった形の人だったw」と答えたそうだ。
あと軍人としてはけっこうさばけていた人だったとか。
ひいじいさんは日露戦争に従軍し、乃木大将揮下の第三軍に配属されたので
旅順攻略戦と奉天会戦のときに野戦病院で治療に当たったけど、
両会戦については、「この世の地獄を見た」としかいわなくて、詳しく語ることは無かったそうだ。
419名無し三等兵:2006/06/02(金) 16:41:13 ID:???
俺の姉の旦那が自衛官なんだけど、
結婚する前に姉が彼を家に連れてきたとき
祖母が深深と頭を下げてた。
祖父は俺のオヤジがまだ祖母のお腹の
中にいるとき、沖縄に特攻でいってしまった
420名無し三等兵:2006/06/02(金) 17:49:05 ID:???
スレの趣旨とはややずれるが、
一家の主を戦争で亡くされたご家族もさる事ながら、
やっとの思いで日本に戻ってきたら家族全員が
空襲で亡くなっていた方の衝撃はいかなる
ものだったのか、想像もつかない。
421名無し三等兵:2006/06/02(金) 17:54:50 ID:???
前者は、まだ納得できると思うが、
後者は・・・。辛いな。
422名無し三等兵:2006/06/02(金) 18:47:03 ID:???
>>416
>この場合の問い合わせも、祖父自身の出身地の県庁でいいのでしょうか
 だ か ら 、一度問い合わせて確認してくだちぃ。
423名無し三等兵:2006/06/02(金) 21:52:42 ID:FCz4PIfe
俺の爺さんは黒竜江近くで戦ったと、バッチャが言ってた。
伍長だったらしい。
戦後事故で死んでしまったけど。
424名無し三等兵:2006/06/03(土) 00:41:41 ID:???
>>423
第二師団?
425名無し三等兵:2006/06/03(土) 04:38:17 ID:???
>>380
あなたはあなた。
爺さんが仮に民間人の殺害行為をしていてもそれは無関係でしょ。
現代社会においては連座制は完全に根絶されているのです。また根絶されなければ
なりません。
いかなる理由があろうとも、親族による犯罪に対する処罰・補償・罪悪感
の本人への転嫁は、絶対に否定されるべきです。

第一古今東西民間人の中に敵兵が紛れ込んでいるとうまく分離できずに民間人に
被害が出るのは常識。支那戦線、ベトナム、イラクなど。
426名無し三等兵:2006/06/03(土) 09:26:29 ID:???
>>380
鯖江は36連隊ですね。
「手記」の具体的な題名が判れば教えてください。
多分別ですが
『歩兵三十六聯隊中支方面ニ於けケル行動概要』
という本があります。これも篤志家が作られた
4分冊、地図が豊富で実名で記されたとても詳しい本です。
地元でしたら図書館に有ると思いますので
参考にされたらいかがでしょうか。
427名無し三等兵:2006/06/03(土) 10:06:43 ID:???
誤;『歩兵三十六聯隊中支方面ニ於けケル行動概要』
正;『歩兵三十六聯隊中支方面ニ於ケル行動概要』
「け」 が一本多かった。orz
428名無し三等兵:2006/06/04(日) 20:14:57 ID:???
>>416
郷土連隊という制度ではあっても、高級士官は別。警察の下っ端が
地方公務員であっても、キャリアは全国各地に飛ばされる国家公務員
でしょ。
429416:2006/06/05(月) 13:57:38 ID:???
>>428
なーるほど。
その例え、すごくよく分かりました。

ついでに質問ですが、この時代の官位(等級?)に付いている、
「現」とか「予」とか「補」って、なんですか?
なんとなくは分かりますが・・・
現=現職? 予=見習い? 補=副?
430名無し三等兵:2006/06/05(月) 14:16:15 ID:???
現に軍務についてる「現役」とか、年限で現役を退いた後一定の間、服する「予備役」とか
その後の「補充兵役」とかの役種を表してるんじゃないですかね。
431名無し三等兵:2006/06/05(月) 18:36:55 ID:VezJRaVn
うちの祖父は満州で通信兵だったらしい
写真あるのだが当時簡単に撮れたものなのか?
あと上官のもある。
432名無し三等兵:2006/06/05(月) 18:40:09 ID:???
簡単じゃなくても、写真をとって家族に送るのは、普通のことでは?
433名無し三等兵:2006/06/05(月) 18:43:16 ID:VezJRaVn
そうなのかな、しかしいい雰囲気の写真だうpする?
434名無し三等兵:2006/06/05(月) 19:26:41 ID:???
自分の祖父は戦場で映画フルメタルジャケットの
狙撃されるシーンみたいな状況に出くわしたそうで、
撃たれた奴を助けにいけと命令されたけど
誰も怖がって行かないときにうちの祖父は志願して
助けに走っていって無事に助け出したそうだ。
435名無し三等兵:2006/06/05(月) 23:13:11 ID:ooEVS+xD
無事に負傷兵を救出したので金鵄勲章をもらったの?
436名無し三等兵:2006/06/06(火) 01:33:00 ID:ZnAV7bab
俺の祖父30年前に亡くなった 戦争中は中国に行って撃たれて 最後まで足に弾が入ったままだった 亡くなって火葬した時に その弾を見た
437名無し三等兵:2006/06/06(火) 02:51:53 ID:D7W2q8AL
軍オタじゃないので詳しくわからないんです。どなか分かる方がおられた教えて下さい。
うちのじいさんはもう亡くなってしまって分からないのです。
うちの爺さんはフィリピンに一番最初に上陸した部隊なんだそうですが、どなたかご存じないですか?
438:2006/06/06(火) 03:12:40 ID:FCk76Not
戦争の話は興味があっておじいちゃんの話はよく聞いていました。
一番印象に残ってるのは、
捕虜二人の背中に火をつけてどっちが長い距離を走れるかみんなで賭けをしていた事があったらしいです。
あと、いきなり敵の戦闘機が現われてすぐに身を伏せたら機関銃の弾が何発も飛んできておじいちゃんは助かったけど隣の人は死んでしまったらしい。
戦争って日本の今の時代じゃ考えられない事だけど実際六十年前にはあっと思うと恐いですよね。
439名無し三等兵:2006/06/06(火) 10:19:01 ID:???
>>438
そんな話はなかったって漏れはおじいちゃんに聞いたよ
440名無し三等兵:2006/06/06(火) 11:13:44 ID:???
都合の悪い話は全てなかったことにするんだよね
441名無し三等兵:2006/06/06(火) 11:50:21 ID:???
>>439
当学校ではイジメは存在しないとか言ってる先生みたいだ
442名無し三等兵:2006/06/06(火) 12:41:48 ID:???
うちの父方の爺さんは近衛兵として大阪城の警備をしていたらしい

ちなみに、親戚にはモンテンルパで処刑された中尉がいます
443名無し三等兵:2006/06/06(火) 13:50:30 ID:???
うちの爺様が亡くなって一年くらい経った頃だろうか。
戦友の方からお電話があって爺様が存命していると思っていたらしい。
亡くなったと聞いて電話口の声が沈んでいたっけ。。。
以下戦友の方のお話。

昭和19年2月入隊。
大阪に在ったという下士官学校でて(伍長)8月に台湾へ。
高射砲の部隊に配属されていたらしい。
(8連1中隊?660人)
日本から台湾へ行くときに27隻から13隻に減っていて
「サンタク丸」という船(輸送船?)で行ったらしい。
その後フィリピンへ行くことになって輸送船6隻で行こうとした所、
エンジンの不調?で台南に引き返したそうな。
残りの5隻はそのままフィリピンに向かいイギリスの艦載機に全部撃沈されたそうです。
(爺様はそれで助かって俺がここに居るのか)
昭和21年に復員、通信員をしていたそうです。

駄文、長文で申し訳ございませんでした。
ちなみにサンタク丸についてどなたかご存じないでしょうか?
444名無し三等兵:2006/06/06(火) 13:51:01 ID:???
>>442
ピリピンで何やったんだよ
445名無し三等兵:2006/06/06(火) 13:59:55 ID:???
>>444
若いヒリピン娘を次から次へと(rya
446名無し三等兵:2006/06/06(火) 14:29:14 ID:???
マジレスするが、皇軍ほど軍規の厳しい軍隊は、有史以来存在したことがない。
軍規以前に、陛下に授かった名誉ある軍服に恥じる行為を行う日本軍人など、そもそも居ない。
慰安婦はすべて志願制で、佐官級の高級優遇を受けていたし、その組織的運用は、軍規士気の
維持に役立ち、占領地域の治安維持に貢献した。
日本軍ほど虐待、陵辱を行わなかった軍隊は他にない。
447名無し三等兵:2006/06/06(火) 15:56:19 ID:???

   〃∩ ∧_∧
   ⊂⌒(  ・ω・)  はいはい軍規軍規
     `ヽ_っ⌒/⌒c
        ⌒ ⌒
448名無し三等兵:2006/06/06(火) 16:03:14 ID:???
ホロン部も酷使もイラネ
449名無し三等兵:2006/06/06(火) 17:00:44 ID:TsabvVaf
叔父から聞いた話ですが、南方からの復員船が給油のため別府に着いた時
豆腐を食べて何人もの戦友が死んでいったとか、、、、
生きて帰ってきて、もうちょっとで故郷だっちゅーのによ
と、ポツリと言ってました

南方でも早い段階から補給が止まった部隊では餓鬼と
化とかしていたようで、生き残るため叔父も禁断の選択をしたようですが
今でも駐屯していた島の名前は言いません

450名無し三等兵:2006/06/06(火) 17:07:13 ID:4Ng+SP8Q
祖父じゃなくて曽祖父だが海軍の輸送船に乗ってた
451:2006/06/06(火) 18:03:55 ID:FCk76Not
>>439
俺は>>438だけど本当におじいちゃんはそう言っていた。
なんでそんな話をしてきたかはわかんないけど、
戦争は恐ろしいものって、
いうのを伝えたかったんじゃないかな?
っつか、うちのおじいちゃんは台湾に行ってたらしいんたけど、
台湾はそんなに危険じゃなかったらしいんですがそうなんですか?
452名無し三等兵:2006/06/06(火) 18:13:21 ID:???
>>449
豆腐がくさってたのかねえ
453名無し三等兵:2006/06/06(火) 18:21:35 ID:???
>>451
結果だが、戦場になってない。
インドネシア、ベトナム、シンガポール、ラバウルなど、メシの心配だけしてればよかった。
硫黄島は、覚悟の上。
トラックは、勝つつもりがちょっとあった。

454:2006/06/06(火) 18:29:11 ID:FCk76Not
>>453
そうなんですかありがとうございます。
僕はおじいちゃんをリスペクトしているので、
戦争で血を流さなくてよかったなーと思ってます。
ってか、うちは親父は自衛官で、
うちのおやじは戦争映画とかめちゃめちゃ好きで、
それに影響され僕も戦争映画、戦争の話にはすごい興味あるんですよね。
おじいちゃんの家は鹿児島なんで昔、知覧基地にも行った事もあります。
455名無し三等兵:2006/06/06(火) 19:00:44 ID:j5ef4Wii
中学時代の夏休みの宿題で戦争体験者の話をレポートに
まとめる宿題があったときに、祖父からかなり詳細に聞いたのだが、
そのレポートを紛失してしまった。当時はあまり関心がなく
階級は上等兵で機関銃を担当、中国に行ってたということしか
分からない。祖父の軍歴を調べたいが方法が分からん。
456名無し三等兵:2006/06/06(火) 19:15:00 ID:???
>>455
軍歴照会のしかたはさんざんガイシュツでこのスレでも2〜3回見た記憶がありますが、
・もとの陸軍の軍人については、退職時の本籍地を管轄する都道府県庁の援護担当課
・もとの海軍の軍人については、厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。

陸軍と海軍の区別くらいつくでしょうから、該当するほうに電話するなり手紙を書くなりして
ご照会ください。
457名無し三等兵:2006/06/06(火) 20:21:43 ID:???
>>438=>>451
あのさー。あーた何歳なの?
458名無し三等兵:2006/06/06(火) 21:03:33 ID:???
うちの爺さんは満州で人差し指を負傷し、麻酔のない切断手術したらしいw
物凄く痛かったらしく泣き喚いたら、看護婦さんに
「あなた男でしょ」と平手打ちを貰ったそうです
459名無し三等兵:2006/06/07(水) 05:29:29 ID:GQW4GTtc
空母千歳の整備兵としてエンガノに参加したじいさんを見つけた。
じいさんが仕事前ってことでほとんど話はできなかったが。
玄関にエンガノ岬沖海戦に参加した小沢艦隊の空母から駆逐艦までの、すべてのWL模型を並べてた。(丁型駆逐艦のうち2隻が、なぜか特型になってる洒落もあったが)
乗艦たる千歳と、宮崎なので日向が一番前の目立つとこに置いてあった。
機会見つけて、じっくり話を聞きたい。
460VIPPER:2006/06/07(水) 06:00:52 ID:0Mf+jauQ
         ∧_∧   ┌────────────
       ◯( ´∀` )◯ < 僕は、白河ことりちゃんと鷺澤頼子ちゃんと水越眞子ちゃんと柚姫ちゃんと真田さんと
雪代巴ちゃんと安藤まほろさんとセリオちゃんとエクレールちゃんと本庄美風ちゃんとキンギョのランちゃんと
縁川小石ちゃんとシーズちゃんと黒沢みなもちゃんと冬出ゆりちゃんと二ノ舞きさらぎちゃんと風椿玖里子ちゃんと
国分寺こよりちゃんと遠野泉奈ちゃんとマリニアちゃんとフェイ・シンルーちゃんと藤堂志摩子ちゃんと福沢祐巳ちゃんと
東葉月ちゃんと水原明鐘ちゃんと藤村静流ちゃんと橘一夏ちゃんとメノリ様とノエルちゃんと真紅ちゃんと水銀燈ちゃんと
柏葉巴ちゃんと沢近愛理ちゃんとキララちゃんと高遠七瀬ちゃんと直江シェロちゃんとフェイト・テスタロッサちゃんと高町なのはちゃんと
八神はやてちゃんと涼宮ハルヒちゃんと朝比奈みくるちゃんと長門有希ちゃんと鶴屋さんちゃんとホシノルリちゃんと森野苺ちゃんと
木之本さくらちゃんとアニタ・キングちゃんと神山満月ちゃん!!!!
        \    /  └────────────
       _/ __ \_
      (_/   \_)
           lll
461455:2006/06/07(水) 14:54:57 ID:y90JCnwX
>>456
ありがとうございます。
父から聞いた話では祖父は陸軍上等兵で南方の激戦地とは
異なり相撲や野球も楽しんでたとのこと。もう故人なので
詳細は分かりませんが、本籍地は京都府南丹市です。
京都府だから歩兵20連隊か歩兵9連隊だと思いますが、
必ずしも歩兵だったとは限らないので、役所で調べてもらいます。
調査依頼に際して何か提出する書類は必要ですか?
462名無し三等兵:2006/06/07(水) 15:39:17 ID:???
>>461
京都府だと保健福祉部高齢・保険総括室高齢・援護室
ttp://www.pref.kyoto.jp/soshiki/soshiki05_14.html
が所管しているのでそちらに確認が必要ですが、

一般論としては、もとの軍人本人の本籍地が確認できる資料と、
請求者(あなた)ともとの軍人の関係が証明できるものを求められると思います。
463442:2006/06/11(日) 15:12:16 ID:???
>>444
遅レスですが罪状は捕虜虐待です
ただ、着任前の部隊長がやった事だから冤罪だというのが遺族会の見解です

ちなみに、父が独身時代に参加した法事(何回忌かは忘れた)に、後に防衛庁長官になった人や、当時の陸自幕僚長などが参列していたらしいです
464名無し三等兵:2006/06/11(日) 16:51:29 ID:???
★緊急事態発生!!日本に朝鮮人が押し寄せる法案が可決間近!?★

自民党が本来推進していた「北朝鮮人権法案」とは、北への「経済制裁のみの法案」でした。
これに対し民主党も二月に「北朝鮮人権侵害救済法案」として「独自案」を国会提出。
これは「脱北者を難民と認定し、日本の定住資格を与える」という条項を盛り込んだものです。
法案成立を急ぐ自民党は、ここへ来て民主案(脱北者支援)も受け入れる考えに方針を転換…
脱北者支援について「施策を講じるよう努める」の明記で合意しました…

スパイ防止法さえ無い日本が脱北者の移住を支援… orz

そんなことをすれば、どの様な事態に発展するかは火を見るより明らか!
法案は6/13可決予定です!時間が有りませんので今直ぐ抗議行動に結集して下さい!!

【政治】"脱北者の保護・支援に努める" 与野党が「北朝鮮人権法案」で一本化…今国会で成立へ★3(N速+現行スレ)
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1149980031/l50
【日本終了】朝鮮人を日本に大量移住 反対 OFF2(抗議運動作戦本部)
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1149938591/l50

大量の北朝鮮難民の定住を許可し、税金で養おうとする仰天法案成立寸前です
民主党、長島議員のブログ炎上中
ttp://blog.g oo.ne.jp/nagashima21
空欄を削除

465名無し三等兵:2006/06/13(火) 02:45:23 ID:hyE0cbFc
>>8-464
全部、創作まる分かりだから嫌になるな!
ホントに前線で戦った人、空襲を逃げ惑った人たちなかなか口開かんよ。

お前ら不謹慎にも程があるぞ!
総理が窃盗自白しても最高裁も検察/警察も捕まえない狂人どもの島。
白人どもが維持管理している国ではないキチガイどもの収監所島日本。
その島のキチガイ囚人のお前らは、これから数年後、太平洋戦争よりもっと酷い目に遭う!

今回までの日本が犯した世界のルール違反は、太平洋戦争直前の大日本帝国が行った事の比ではないからな。

よくぞここまで人間未満にまで堕ちた、とほくそえんでるぞ。
466名無し三等兵:2006/06/13(火) 05:33:00 ID:G04IeUp5
>>465
日本語でおk
467名無し三等兵:2006/06/13(火) 06:45:52 ID:???
>>465

>卓也は、大きく開かれた愛美の口に、ペニスの先端をそっと含ませてゆく。
「さあ、しゃぶれ」
 愛美はかすかに頭をもたげて、ペニスを口腔に呑みこんでゆく。
 お尻の穴で汚してしまったペニス……ごめんなさい。お口できれいにしてあげるから、許して……。
 そう心の内で呟きながらしゃぶれば、胸の奥からなにかがジーンとこみあげてくる。
 舌で舐め啜り、一生懸命しゃぶりたてる愛美の顔を、卓也は真下に見おろし、ほくそ笑んだ。乾いた目尻の涙の跡に、新しい涙が伝い流れるのが見えた。
「うれしいか? そんなにうれしいのか」
「うれしい……うれしいわ」
 愛美は両手を卓也の股の下にくぐらせてお尻を抱きかかえると、恥辱されることのうれしさに、恥辱の悦びを知ってしまったうれしさに、うっとりと酔いしれていた。
 萎えきらないうちに、ペニスが愛美の口のなかでムクッムクッと身をもたげはじめる



までは読んだ。
468名無し三等兵:2006/06/13(火) 11:10:43 ID:???
>>465
せっかく俺たちがネタスレを楽しんでるのにマジレスで水を注さないでほしい
頼むから空気読んでくれ 
469名無し三等兵:2006/06/13(火) 11:23:16 ID:???
>太平洋戦争よりもっと酷い目に遭う!

1.基地外国家にミサイル打ち込まれる
2.基地外国家に領土を不法侵略される
3.基地外国家に無差別爆撃される
4.基地外国家に血税をたかられる
5.基地外国家に難民を押し付けられる(すでに大量流入中)
6.基地外国家に知的財産を盗まれる
7.基地外国家に歴史を歪曲される
8.基地外国家に少々おつむの弱い国民が洗脳される
    I
   中略
    I
9999.基地外国家にこびる議員が増え国が滅びる
470名無し三等兵:2006/06/13(火) 18:45:55 ID:???
おじいちゃんは長いことハルピンの領事館つき海軍武官(といっても下士官)だった。繁華
街に洋風の喫茶店があり、非番のときには良く寄っていたそうで、何でも、そこのでウエイ
トレスをしていた美しい中国人娘を気に入ってしまってたかららしい。
大戦末期、ソ連が攻めて来るってんで、町中がひっくり返ってるとき、書類の焼却を手伝
わされているときに、虫の知らせでその店にいったら、メチャクチャに荒らされてて、床で
その娘が陸軍の兵2〜3人にレイプされているところだった。
そのとき、お爺ちゃんを見た件の兵士(曹長だったそうだ)は「へへ、いい女だろう?前から
目をつけてたんだ、お前もやらないか?」と言って、奥歯の銀歯を光らせてニヤリと笑ったそうだ。

たまらずおじいちゃんはその場を立ち去ったが、そのときの彼女の泣き顔と悲鳴は今でも忘れないと言っていた。
471名無し三等兵:2006/06/13(火) 19:54:13 ID:???
その時期に兵が町中にいること事体が疑問なのだが。
472名無し三等兵:2006/06/13(火) 19:58:53 ID:???
やっぱりこういう場合女の人は終わったら殺されちゃうの?
473名無し三等兵:2006/06/13(火) 20:05:45 ID:???
じいちゃん、シンガポールで捕虜になったって言ってた。
イギリス軍の陸軍病院で働いていた。
イギリス兵はアホばっかりだし、インド兵は宗教上の理由なのか血を嫌うので、
医者からすると言葉が通じなくても手先が器用で物覚えが早い日本兵のほうが使いやすかったらしい。
簡単な手術くらいは任されてたらしいよ。
474名無し三等兵:2006/06/13(火) 21:26:38 ID:5ft0aRNk
殺されちゃうかもな、てかメチャクチャにされるんじゃね…?
475名無し三等兵:2006/06/13(火) 21:45:35 ID:???
>>465
ひろゆきの発言とか理解して無いだろ
476名無し三等兵:2006/06/13(火) 21:45:45 ID:???
ヒント:ネタスレ
477名無し三等兵:2006/06/13(火) 22:17:24 ID:0XdMuqKj
ジイチャン…近い将来、アジア三バカとやりあう日がくると思う、
ジイチャンが命がけで守ろうとしたものはオレが守るぜ、
478名無し三等兵:2006/06/13(火) 22:27:52 ID:???
>>477
君のような人間がいる限り日本は安泰だ!!!
479名無し三等兵:2006/06/13(火) 23:15:02 ID:+AgTV6ab
アジア三バカってどこの国?
480478:2006/06/13(火) 23:22:23 ID:???
>>479
そりゃ中共、姦酷、北チョンのことだろ。
481名無し三等兵:2006/06/14(水) 00:00:54 ID:???
>>477
アジアの3馬鹿なぞどうでもいいな。
とりあえずアメリカ軍に入って、日本を間接的に守ろう。
482名無し三等兵:2006/06/14(水) 00:51:48 ID:J8z0VjpN
うちの爺さんは戦争のとき青年だったそうだ
むき出しのグライダーで滑空訓練をしてたらしい(特攻訓練か)
で、ゴムとかもなくて人が引っ張って飛ばしてたらしい

不時着して壊してしまって、みんなで担いで工場まで直しにもらいに遠出したりしたそうだ
飛行場の名前はたしか「大和飛行場」奈良だったかな

断片的な情報だったのでこれしかわからない
だれか詳しい人詳細キボン
483名無し三等兵:2006/06/14(水) 01:44:16 ID:???
>>481
今の時期にアメリカ軍に入るとちみっとの訓練で全員中東送りだ
日系の顔して現地人殺戮に参加→朝日にすっぱ抜かれて対日感情悪化→赤軍以来最悪のテロのコンボ発動と確信
484名無し三等兵:2006/06/14(水) 03:48:32 ID:zl5VU6nM
>>1-483
    |┃三     , -.―――--.、
    |┃三    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
    |┃    .i;}'       "ミ;;;;:}
    |┃    |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
    |┃ ≡  |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
    |┃    |  ー' | ` -     ト'{
    |┃   .「|   イ_i _ >、     }〉}     _________
    |┃三  `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-'   /
    |┃     |    ='"     |    <   話は全部聞かせて貰ったぞ!
    |┃      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {     \  お前ら全員シベリア送りだ!
    |┃    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ     \
    |┃ ≡'"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |    ガラッ
485名無し三等兵:2006/06/14(水) 04:03:29 ID:/I/N8uCO
日本列島も、イエローモンキーが一匹足りとも全部いなくなりさえすれ
ば、全くいい土地なんだが
だから、原爆と称するスーパーボムもふたつも落とした、
だが世界人類全て誰も悪い事をしたと思わないし、誰一人同情しない。
先進国の白人も含むコーカソイドも二グロイドモもモンゴロイドも
日本列島は好きだが、日本人と自称する人間未満は全員大嫌い。
次に嫌いなのはイエローモンキーどもの悪い影響を受けている
韓国、台湾、北朝鮮、中国、ベトナム、フィリピン。
日本列島倭の地は大好きだ。聖なる地高天原だからな。
しかしここは、造山活動が世界一激しい陽の気の塊のような
地なので住む者を選ぶ。
失楽園しなかった本当の人類達が、アダムとイヴの直系に早く
エデンの園に戻れるように貸していたのだ。
だが宇宙を越える魔女どもの影響が怖くて、米大陸に逃げ、もういない。
お前らイエローモンキーどもなど、魔女狩りで絶滅寸前まで
追い込まれた欧州の白人どもが、影から要らん事をしさえしな
ければ、蝦夷と琉球を除いて、大小の度重なる飢饉によって江
戸中期に勝手に絶滅していた。
と言うより、倭の地が国らしくなってたのは大和〜平安初期まで。
いいタイミングだった。
魔女化して残された者達の子孫から、本来の倭の人間に近い者達が先祖返り
で生まれ、まるで呼応するかように古代漢民族の一部が移住してくれた。
アメリカとヨーロッパの先進国達が嘘の歴史を刷込んでいるから
お前達には全く分からないだろうがな。
それ以外は、いつも絶滅寸前までいったら、世界一頭の弱い世界
一最弱のお前らより少しマシな朝鮮系人類が移住し混血化して、紙一重
で無様に存続してきた。
白人どもが時代遅れの大筒を無料貸与して徳川に天下を取らせて
やり、操って鎖国をさせた事だけが、白人の今までやってきた事で良かった事。
この事により絶滅してた筈なのに首の皮一枚で生き長らえる、今ま
での馬鹿げた無様な連鎖が断ち切れた。
486名無し三等兵:2006/06/14(水) 04:23:02 ID:/I/N8uCO
>>485
まぁ、そのお陰で蜘蛛=純血種の倭の人間の残留組達も
結局、不完全な擬似倭人どもの出現と言う事の重大さを理解し
完全に諦めて捨てたとも言える。
487名無し三等兵:2006/06/14(水) 04:25:13 ID:/I/N8uCO
×古代漢民族の一部

〇古代漢民族の劣化した子孫の一部
488名無し三等兵:2006/06/14(水) 06:20:17 ID:???
>>482
奇遇だな、うちの爺さんも若い頃は青年だったらしい。
489名無し三等兵:2006/06/14(水) 07:59:11 ID:???
戦闘機はゴム動力で飛ばしたっていってたよ。
でっかいクランク---てんぱ--っていったな、
で10人係で巻くんだって。
490470:2006/06/14(水) 13:50:05 ID:???
>>472,474
戦後尋ねたときは建物自体がが焼失したと聞いたそうです。
>>476
ネタじゃありません。爺さんはとても悲しそうに話していました。
491名無し三等兵:2006/06/14(水) 13:52:00 ID:3FGaHTuj
>>1-490
ひとの事はいいからさぁ
とりあえず、オマエラの戦争体験教えろよ!
492名無し三等兵:2006/06/14(水) 14:58:05 ID:???
>>490
スレタイくらい嫁、低脳
493492:2006/06/14(水) 14:59:53 ID:???
×>>490
>>491
スマソ、逝ってきます・・・
494名無し三等兵:2006/06/14(水) 15:29:42 ID:MNdAL/R7
テポドン着弾後の各自拠点行動内容の事前通知をお願いしますhttp://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1149249071/
495名無し三等兵:2006/06/14(水) 16:14:28 ID:???
>>494
着弾はどうせ太平洋上
あんな射程のものを日本国内に落とす理由が分からない
496名無し三等兵:2006/06/14(水) 16:55:23 ID:???
>>491
団塊ジュニア世代にあたるので受験戦争は厳しかったと思います、就職戦線は破れ去りますた。
497名無し三等兵:2006/06/14(水) 17:21:07 ID:itkHWhzx BE:400445074-
俺のおじいちゃんは戦争体験者
戻る途中で広島を通って帰ってきたらしい

とにかく貧乏だったみたい
金はない、弾はない、食料ないの3拍子
しかも腹に銃弾がかすった痕がある
えぐられてるのでかなり気持ち悪くて
小さい頃、一緒にお風呂に嫌だとごねた
今思うとなんて失礼なことをしたのだと後悔
日本のために一生懸命戦ってくれたのにね
498名無し三等兵:2006/06/14(水) 17:56:48 ID:???
おじいちゃんが友達の話として

・配給もなく腹へって死にそうだった。
・お母ちゃんが、知らないおじさんを連れてきた
・ちょっと外へ遊びに行っといでと追い出された
・帰ってきたら、おじさんが居なくなって、その代わりに缶詰がいっぱいあった
・お友達は、母ちゃんが魔法でおじさんを缶詰に変えたと信じていた
499名無し三等兵:2006/06/14(水) 18:16:01 ID:???
そりは・・・
女の武器だな?
500名無し三等兵:2006/06/14(水) 18:28:25 ID:T0l2rj0G
うちの死んだ爺さんは聞いた話では鬼軍曹だったらしく威張りちらしてて戦争が終わった後はどうせまた戦争があるから仕事なんかしても無駄と家を賭場にして博打ばっかりやってたそうです。おれにはハンサムで物分かりのいい釣り好きな爺さんでした。
501名無し三等兵:2006/06/14(水) 21:07:37 ID:???
>>498
おじいさんの友達の想像部分のほうが現実より恐ろしい件について
502383 :2006/06/14(水) 21:12:22 ID:???
最近祖父の部屋に入ってみたのだが、本棚にインパール作戦に関する書物が沢山並べてあった。
もしかしたら祖父はあの作戦に参加していたのかもしれない。
503名無し三等兵:2006/06/14(水) 22:56:34 ID:jnpFkIor
443だが、
追跡調査途中経過。
高射砲第8連隊という台南の方にある屏東というところにあったそうです。
ここの1中隊に配属されていたそう。
でフィリピン行きでは船舶砲兵(輸送船に高射砲を乗っけてその砲兵)をしていたそうです。
その時の輸送船名が「さんたく丸」だそうです。

この船名にご存知の方いらっしゃらないでしょうか?
504名無し三等兵:2006/06/17(土) 20:37:28 ID:Ii672pAS
age
505名無し三等兵:2006/06/21(水) 01:48:51 ID:Q/su12H1
age
506名無し三等兵:2006/06/21(水) 02:05:00 ID:???
私の祖父は赤紙出兵です
背は155cmしかなく、身体はガリガリで丙種でした。
満州で出兵して、終戦シベリアに連行されました。
主な仕事は将校の世話係や食事係だったようで、
ソ連にしょっぴかれても似たようなことをしていたので、なんとか生還できたようです
それでも帰ってきた来た時には、ガリガリな体がさらにガリガリになって、
骨と皮しかなかったみたいでした。
なんとか中国大陸から帰り、日本に帰って今に至ります。
今年で87です。

PS,ソ連兵はやっぱり酷かったようです。盗めるものはなんでもパクってたそうです
507名無し三等兵:2006/06/21(水) 12:14:10 ID:???
祖父の戦友がインパールで戦死した。
それを復員後に伝えに言ったら、戦友の奥さんがすごく美人だったんで
ついやっちゃったそうだ。そうして生まれたのが僕の父だそうです。
508名無し三等兵:2006/06/21(水) 12:22:20 ID:BfSvozfF
いいのか悪いのか…
509名無し三等兵:2006/06/21(水) 12:47:58 ID:???
うちの祖父は帝國海軍の魚雷艇のりだったそうだ。敵に攻撃する機会はなかったらしいが戦後外洋の島の同じ捕虜収容所で祖父のいとことばったり会ったらしい
510名無し三等兵:2006/06/21(水) 13:02:12 ID:???
おれの祖父は横須賀線で痴漢をやって捕まったよ
511名無し三等兵:2006/06/21(水) 14:24:07 ID:???
俺の祖父は、いまだに自分が特攻隊出身で出撃前に終戦して大変残念だとorz
512名無し三等兵:2006/06/21(水) 15:06:54 ID:eJUfHCEr
軍人ではないが土木建築の会社で満州、中国でかなりいい暮らしを送っていたが、
終戦1年前に『日本は負ける」と家族を日本に帰した。戦後は部下や関係者と、蒋介石の軍に
要人として迎えられたが、身体を悪くし暫らくして部下や関係者と帰国。皆を連れて帰る
ために、蒋介石側の困難な要求にも尽力を尽くし、日本人からも蒋介石側からも
人望が集まり、帰国の船が出る際は、蒋介石側の多数の見送りがあった。帰国したが暫らくして
亡くなった。38歳。
祖父の人なりは身内や日本国内に散らばる祖父の知人から伝え聞くしかない。
祖母が嫁入りに満鉄に揺られ寒い駅に降り立つと、沢山の人に歓迎にあい、祖父からは
毛皮のコートと帽子を贈られた。家の造りは中庭を取り囲むように事務所と、自宅、使用人の
建物が四角く建って、祖母はクックと家政婦、御用聞きと話す為、言葉を上に書いて覚えた。
祖父は夏の夕方は糊の効いた白いエプロンを子供達に着せて「富士」という名のシェパードを連れ散歩をし、
冬は凍った池で、あつらえたスケート靴で遊び、小学3年まで中国に居た母は、家の周りの中国人の子供らと
けんかをし、門の中に飛び込み「バタン」としめて、門越しに中国語でけんかをした。中国語のけんか言葉は、
いつも朝御飯の目玉焼きを、「ポーン」と高く放り投げて裏返す、中国人クックから習った。
終戦で現地の銀行から引き出せなかったお金は当時の300万。祖父は出来る限り
九州の引き揚げ先に不動産を買い求め、美術品を買った。しかし戦後の混乱と日々の生活で消えていく。
GHQが来るというので、日本刀と土に埋め(後に近所の駐在さんらが、探すほど名刀)掛け軸は騙されて
売り払い、今はゴハイフと何点かの掛け軸、いくらかの土地を残す。祖父の知人らも祖母や母が存命中幾度となく
集まり、訪中をしたが、存命なのは何人かしかいない。引き揚げて来た時、母は、国内の貧しさに
ショックをうけた。着物に下駄、はだし。戦後何十年も経ているが、私の嫁入り道具に祖母の嫁入りの時に
満州に運んだ桐のタンスと、祖父の母の塗りの重箱は今も使用中である。

長文スマソ
満州へ
513名無し三等兵:2006/06/21(水) 15:11:51 ID:???
クック?
514名無し三等兵:2006/06/21(水) 15:14:23 ID:???
今年で90のうちの爺ちゃんは確か軍曹で第二師団だったな。
大怪我してガ島行かずにすんだが。
515名無し三等兵:2006/06/21(水) 16:03:42 ID:NjBOWt62
>>513
ご飯作ってくれる人
516名無し三等兵:2006/06/21(水) 16:08:30 ID:???
キャプテン・クック
517名無し三等兵:2006/06/21(水) 17:42:22 ID:6QoBvX4G
ガンダムを操縦していた。
木星で戦ったそうだ。
518名無し三等兵:2006/06/21(水) 19:06:12 ID:???
駆逐艦「ゆきかぜ」で砲術長をしていたが、冥王星会戦で戦死した
519名無し三等兵:2006/06/21(水) 20:32:14 ID:???
うちの祖父はフィリピン?中国??などで
通信兵をやってたそうだ。

俺が子供の頃、学校の宿題で「祖父母のいる子は
戦争体験を聞いてきて発表」というのがあって
俺、両方居るから聞きに行ったわけ。(今も健在)
したら>>44の人みたいにさ、果物がおいしかったとか
気候が良かったとか言うの。

戦争でメチャメチャ悲惨だったっていう程度の
知識しか無かったから、正直拍子抜け&辛い思いが
無くて良かったくらいにしか思ってなかったんだけど
こないだ帰省した時に祖父母と御飯食べてたら
ほろ酔いのじいちゃんが俺の着てたTシャツの英単語を
すらっと読んだんだよ。

通信やってた頃は通訳みたいなものもやってたので
英語ができたらしい。ビックリしてたらばあちゃんが
「じいちゃんは上の人にも意見をはっきり言うて
 よく殴られてたけど、下の人に慕われとった」
ってスゲエ嬉しそうに教えてくれてさ。
いまだに同じ部隊の人と何年かに1回旅行するんだって。

そんで帰り道ふと思ったんだけど、じいちゃんは子供だった
俺に悲惨な戦争の事とか知らずに生きてて欲しかったんじゃ
ねーかなあって思う。自分を含めて、人が人を殺すなんて
知られせたく、知られたくなかったんじゃないかなぁって。

あんまり詳しくは知らないので近いうちじいちゃんに聞いてみる。
そんで長文スマン。
520名無し三等兵:2006/06/21(水) 20:37:55 ID:cJY8woRT
>>519
長くてもいいよ、また書いてくれ。
521名無し三等兵:2006/06/21(水) 21:36:36 ID:???
>>507
そう言うのを、後家参りと言うそうな。
522名無し三等兵:2006/06/22(木) 09:28:24 ID:???
じーちゃんカッコイイな
523名無し三等兵:2006/06/22(木) 09:49:58 ID:???
教えて君ですみませんが、祖父(海軍、明治45年生、機関水兵→機関兵曹長・少尉)
の遺品の中から、
「昭和十三年支那事變從軍記念 第十六驅逐隊」と蓋の裏に書かれた、
長さ45センチぐらい、巾15センチぐらい、厚さ10センチぐらいの黒塗り
の箱で、表面に太陽(月?)とニ羽の鶴があしらわれている入れ物が出
て来ました。中身はありません。
これは一体何なのでしょうか、お判りの方がおられたらお教え下さいませ。

古いアルバムの中から、祖父の若かりし頃の写真が出てきて、25歳の時に
呉の海軍病院に入院している時の写真の裏に「25歳、機三曹」と書かれてい
ました。隣の方は「四曹」と書かれていました。ずっと機関畑だったようです。
もっと若い時には水兵の格好でハルビンで仲間と肩を組んでスケートをして
いる写真もありました。機関兵のスパナの徽章がついていました。潜水隊や
航空隊にもいた形跡があり(水兵の帽子の所に書いてある文字で判明)
、何故か食料・機材関係の部署にいる写真もありました(4人で撮ってあり、
前二人は一種軍衣、後ろ二人は水兵服でした。祖父は一種軍衣の方でした)
今日は祖父の月命日なので、母と一緒に墓参りに行って来ました。私が小学
校低学年の時まで存命だったので懐かしく、また誇りに思います。
524名無し三等兵:2006/06/22(木) 11:51:27 ID:uZPqGrsk
うちの父親が大学生の時、グエン君という南ベトナムからの留学生と知り合いになったそうな。
聞けば彼の父親は南ベトナム軍の軍人で結構な金持ちだったので留学させてもらえたらしい。
しかし父が大学二年生の時にサイゴンは陥落し政権崩壊。軍人の家族ということで国に帰ったらどんな目に遭うか
分からないので、彼はアメリカに亡命し、それっきり連絡は途絶えたらしい。今でも父は「グエンはどうしてるかなあ。」
とたまにつぶやいている。
525名無し三等兵:2006/06/22(木) 12:36:00 ID:mQnZbDL4
うちの爺様は、鉄道を爆破した日本兵を目撃した少女を
アメリカ人と一緒に青いスポーツカーで
上海まで関東軍と国民党軍その他の追っ手を振り切り
みごと逃げ切ったそうだ
ちなみに俺はいまシンガポールにむかってまつ。
526524:2006/06/22(木) 12:37:02 ID:NBtc2QgT
ちなみにうちの祖父は第十二師団所属で満州に駐屯。対米戦が始まる前に除隊し、その後は朝鮮の炭坑で技師として終戦まで働き、故郷の長崎に引き揚げる。その弟は第十八師団所属でフィリピン攻略に参加するも、ボルネオでマラリアのため病死したらしい。
527名無し三等兵:2006/06/22(木) 13:15:09 ID:???
>>525
それなんて景山民夫?
528名無し三等兵:2006/06/22(木) 13:26:57 ID:???
>>525
じいさまの与太話は話半分以下にっていうか、ありえねえw
529名無し三等兵:2006/06/22(木) 14:03:40 ID:???
>525
その時の青いスポーツカーって
トヨタ博物館にあるよね。
530名無し三等兵:2006/06/22(木) 14:09:45 ID:???
>>529
モデルは違うけどな。
531名無し三等兵:2006/06/22(木) 16:31:09 ID:4YcdRX+8
漏れが厨房ん時の社会科の先生が陸軍士官学校卒。
饒舌な先生だったが戦歴についてはほとんど語ら
なかった。多分体壊して戦地へ赴かなかったんだろう。
授業では”対華21ヶ条の要求”とか”江華島事件”
など、「当時の日本は中国や朝鮮にムチャクチャし
まくった」と教えていた。
日米開戦の授業の時は、「山本五十六が全て悪い。
燃料基地を攻撃してたら日本は勝てた。
資材の補給を考えないで突撃して犬死にした。
ほんと海軍はバカばっかしだから日本は負けたんだ」
と力説していたのが印象的。
陸軍と海軍は犬猿の仲というのを思春期ながら実感
した次第でつ。
532名無し三等兵:2006/06/22(木) 16:53:54 ID:4YcdRX+8
余談だが>>531の続き。
その先生なぜかクリスチャン。
で、聖書では人間が160才まで生きただの、
アダムとイブの子供について延々と書かれて
いるだの教えていた。
極めつけは宗教改革の授業。
”免罪符”のことを「泥棒しても教会に行って
お金払えば無罪放免となった」だと。
当時はまだ素直な中学生だったため
「キリスト教って、なんてへんてこりんなこと言って
いるのだろう」って思ったものでした。
ちなみに軍隊での鉄拳制裁の時、政治家とか役人の
息子とかはなにか理由をつけて別の部屋へ移動
させられたそうな。で、そんな偉い人の息子は
絶対に前線へはつかされないとのこと。
「戦争をやるって決めた奴が戦地へ行けばいい」
とも言っていた。田舎の中学だったからなんでも
ありの授業だったが、陸仕卒とはいえ、相当戦争はトラウマになって
たみたい。
533名無し三等兵:2006/06/23(金) 13:26:31 ID:???
燃料基地攻撃しても一時は盛り返せたと思うけど、結局は持久戦に持ち込まれてアボーン(´・ェ・`)
534名無し三等兵:2006/06/23(金) 13:39:30 ID:???
>>523
支那事変(今日的な表現では「日中戦争」)に従軍した軍人に授与された、
「支那事変従軍記章」の入れ物の可能性が高いと思われます。
535名無し三等兵:2006/06/23(金) 15:32:18 ID:???
>>534
523の者です。やはりそうでしたか、有難う御座います。
兵曹長時代の一種軍衣の写真で、記章を二つしていましたので
そのどちらかだと思います。今、軍歴照会をしておりますが、少し
でも早く知りたいと思ってお尋ねした次第です。呉の海軍病院に
もいたので、もう一つは傷痍軍人記章かもしれませんね^^;

水兵から兵曹長まで昇進するには相当頑張らないといけない、
とHP等で読んだので、早くどんな風に祖父が頑張ったのか知り
たいと思いました。

本当にありがとうございました。
536名無し三等兵:2006/06/23(金) 21:39:14 ID:???
>>535
揚げ足取りレスwだけど、
『支那事変従軍記章』の入れ物の入れ物だよ。
第十六駆逐隊が部隊単独で作った物でしょう。
537名無し三等兵:2006/06/23(金) 22:21:27 ID:???
オヤジが尋常小学1年生だった時、兄の長男が海軍の予科練に志願して合格。
オヤジがその時、裏流行歌だった「志願して死にいくバカもいる」
を歌い、祖父に半殺しにあい、祖母が「あんたの子供でしょ?殺すのは好きにしなさい。」
と逆切れされ、児童虐待をやめたとか。祖父が陸軍予備役だったこともあるが
当時、特高警察・憲兵が怖く、子供の歌でも当たり前な行動だったらしい。
その歌ってなんですか???KWSK
538名無し三等兵:2006/06/23(金) 23:05:21 ID:???
尾崎豊の卒業じゃないか?
539名無し三等兵:2006/06/23(金) 23:13:52 ID:???
「可愛いスーチャン」

 お国のためとは 言いながら
 人のいやがる  軍隊に
 召されて征く身の  哀れさよ
  (「志願で出ていくバカもいる」のバージョンもある。)
 かわいいスーちゃんと  泣き別れ
540名無し三等兵:2006/06/24(土) 00:30:44 ID:zUs6TTG5
戦争中ではなく戦後ですが、日劇ウエスタンカーニバルで、平尾昌晃の横でベースを弾いているのは俺の爺ちゃん
541名無し三等兵:2006/06/24(土) 00:55:36 ID:???
>>536
はい、そのようです。支那事変従軍記章の箱をHPで見たんですが、小さかったです。
ですんで、箱の箱だったんでしょうね^^十六駆逐隊ってのも、蓋の裏に書いてありま
したし。隊独自の記念品みたいなのも入っていたのかも知れませんね^^
ありがとうございました。
542名無し三等兵:2006/06/24(土) 10:49:38 ID:8oKX6rAd
523の者です。あれから、また祖父の若い時の写真が出て来ました。

横須賀の海軍工機学校という所に行っていたようです。実習の時の写真
や校門の写真等がありました。
又、26歳の時に台湾の高雄で撮った写真がありましたが、三種の様
な軍装をしていました。陸戦隊にでもいたのでしょうか…。
「海仁会」という倶楽部の様な所で、ビリヤードをしている写真もありました。
又、「舞鶴下士官兵集会所」で写真を撮っておりまして、略章が3つ確認
出来ました。更に左腕に特技章(昭和17年制の桜の物です)を確認しました。
それと、「軍艦・天竜 乗組中撮影」と書かれた写真もありました。一枚は、
「軍艦・天竜 教官」と書かれた写真の中に祖父がいました。

私の知らない祖父の軍人の部分が少しずつ判ってきて嬉しいです。
543名無し三等兵:2006/06/24(土) 11:12:28 ID:8oKX6rAd
続きです。
時期は不明ですが、
「第23掃海艇乗組中 准仕官以上」と書かれた中に写っており、
「栗田航空隊」「舞鶴航空隊」「呉海兵団」にも居たようです。

先に書いた特技章は普通科の物でした(普通の桜だったので)
544名無し三等兵:2006/06/24(土) 12:25:24 ID:???
>>343
がんがれ。そういう貴重な資料や記録(家族の歴史としても大事にするべき)をどんどんゴミにしても平気なのが多すぎる!
545名無し三等兵:2006/06/24(土) 13:11:30 ID:???
うちの祖父は中尉だったらしいです。
天皇陛下が視察に見えたときには馬に乗ってお供したとか。
またタイで不発弾を回収する任務の指揮を任されたとき、部下には
「砲弾は拾わなくていい。命の方が大事」と言ってその作業をする
事を禁じて、上層部には嘘の作業報告書を提出していたそうです。
部下の人たちからは大変慕われていたらしくて、今でも元部下の方
たちから手紙が来ています。
命令違反(ですか?)していた訳ですが、わたしはそんな祖父を誇り
に思います。
546名無し三等兵:2006/06/24(土) 14:40:21 ID:???
不発弾はどうなったんだろう
547名無し三等兵:2006/06/24(土) 20:39:16 ID:Eoi9V5w6
>>546
スタッフがおいしくいただきました
548名無し三等兵:2006/06/24(土) 20:59:41 ID:zRbEDN4X
>>542
軽巡洋艦「天龍」な。竜じゃなくて龍と書く。
549名無し三等兵:2006/06/24(土) 23:06:00 ID:RI13/o7u
海軍の孫でしたら「軽巡洋艦天龍」などと言わず
きちんと「軍艦天龍」と、当時の呼称で呼びたいものですね

550名無し三等兵:2006/06/24(土) 23:33:05 ID:???
戦前戦中だって「天龍」を「天竜」と略字で書いたって不思議じゃないけどな。
551名無し三等兵:2006/06/24(土) 23:54:24 ID:???
それなんて源一郎?
552名無し三等兵:2006/06/25(日) 00:37:37 ID:???
523の者ですが、祖父の字で「軍艦 天竜」と書いてあったので、そのまま
書きました。勿論、軽巡の天龍である事は知っていましたが、当時祖父
はそう書いたんだなぁと思ってそのまま書いた次第です。
書き方がどうとかより、本人にとっては「軍艦 天竜」で判るんでしょう。
調べるのは子孫の私がすればいい事ですし、私が判ってるんですから、
まぁここは穏便にお願い致します。
553名無し三等兵:2006/06/25(日) 02:10:16 ID:???
>>549が一人おかしいだけ。気にするな。
554名無し三等兵:2006/06/25(日) 02:26:57 ID:???
553、548がおかしいだけ
555名無し三等兵:2006/06/25(日) 02:39:38 ID:q7GpCojf
正式には軍艦天龍、通称軽巡洋艦天龍でしょうね。
556少佐:2006/06/25(日) 05:03:23 ID:JoUb9AQh
私の爺さんは中国で国民党軍の陣地に銃剣でバンザイ突撃したらしい。
一応、国民党はチェコ製のいい機関銃も持ってたらしいし、軽戦車や
大砲、飛行機、手投げ弾、地雷、青龍刀もあったのである。
ドイツに指導されたらしい野戦陣地や鉄条網もあっただろう。
共産ゲリラの狙撃やブービートラップもあっただろう。
それで無事生還してるのだから、皇軍兵士そのものだろう。
38小銃と荷物を背負って、ほとんど徒歩で中国大陸を移動しただけ
でも凄いものがある。
557少佐:2006/06/25(日) 05:07:05 ID:JoUb9AQh
もう一人の爺さんは南方戦線に行くものの、現地で病気になって
しまい本国に送還されたらしい。
兵士としては何の役にも立ってないのだが、病気にならなかったら
南方戦線から生きて帰れなかった可能性もあるし、アメリカ軍の
潜水艦や航空攻撃があるなかで護衛の無い船で本国まで帰るのも
それはそれで大変だっただろう。
病気でもそのまま戦わされて死んだ兵士は多いのだからね。
強運、悪運の塊ではないか。
558少佐:2006/06/25(日) 05:12:07 ID:JoUb9AQh
また中国爺さんのほうは戦艦大和を建造する時に現場の作業員
としても働いてたらしい。
一応、小学校も出てない人間が多かった時代に中学は出てたので
インテリ待遇で少しは一般工員より扱いも良かったらしいぞ。
爺さんだけの功績ではないが、あんだけの巨大戦艦を短期間で
作ったのだから大したものだろうよ。
現在では戦艦大和よりも巨大なタンカーもあるが、装甲の厚さや
大砲から重さが全然違うからね。
一応、姉妹艦の武蔵の例を出せば、20発の当時の魚雷、爆弾の
直撃を受けても沈まないほどの能力は持ってるわけだから、タンカー
どころではない苦労があったはずだ。
559537:2006/06/25(日) 09:07:42 ID:???
>>539
詳しくありがとうございます。

尾崎(ry

560名無し三等兵:2006/06/26(月) 18:51:08 ID:A48Z9/o2
俺の爺さんも通信兵だった、帝国陸軍軍曹で第一航空軍で、機上通信をしていたらしい
業務の内容はさっぱりだが、いまの趣味はハムらしい。
561名無し三等兵:2006/06/27(火) 16:15:08 ID:g/tQGM17
父方の爺さん…地主で資産家の長男だったため兵役まぬがれ。
母方の爺さん…坊主だったため兵役まぬがれ。

父方の婆さん…戦後も戦前と同じように優雅な生活したため財産食いつぶした。
母方の婆さん…尼さんなので戦争あまり関係ない様子。

戦争は私にとって遠い世界の物語…
562名無し三等兵:2006/06/27(火) 17:17:10 ID:xOlK/bRV
うちのオンジーは、大戦中セレベス島でマラリアになり、「もうダメぽ」の直前に現地人に助けられた。
その後現地人が、やたらタバコを欲しがったので食い物と物々交換してやった。
やがて終戦・撤収の際はすっかり神様扱いで島民総出で泣きながら見送られたそうな。
563名無し三等兵:2006/06/27(火) 22:23:26 ID:bwsuNyF3
かくばかりみにくき国となりたれば

 ささげし人の ただに惜しまる
564名無し三等兵:2006/06/27(火) 22:53:35 ID:???
8月15日になんも考えずにテニス。
今年は海外旅行。

先帝陛下が生きておわせばと嗚呼・・・・。
565名無し三等兵:2006/06/27(火) 22:59:10 ID:???
父方の爺様 特攻機の訓練生
父方の婆様 なにしてたんだろか

母方の爺様 新日鉄社員
母方の婆様 艦砲射撃で兄弟家族アボーン(´・ェ・`)
         艦砲射撃 (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
         室蘭港の軍艦が戦艦に滅多撃ちにされてるのみたけど誰も救助に逝けなかったそうな陸上への射撃酷くて
 
566名無し三等兵:2006/06/28(水) 01:41:36 ID:xGX1tBXk
叔父は海軍潜水艦勤務で、機関士官でした。大戦末期任務は日本近海哨戒だったと伺いました。叔父達のクルーと入れ代わったクルー達は、未帰港となり、兵舎では帰れなかったクルー達に食事を供えたと伺いました。
567名無し三等兵:2006/06/28(水) 02:06:14 ID:???
爺様の兄が昭和19年中国大陸で戦死。

戦後数年してから戦友だという人が実家に来たそうな、
荷馬車や軍馬の行列に突然敵戦闘機が現れ機銃掃射をはじめてきて
驚いた馬の一頭が列から離れて走って行ったのを追いかけて行った爺兄と馬を
敵戦闘機は何度も旋回しながら撃ちまくって爺兄と馬が動かなくなると
行列本隊に攻撃するように低空で飛んできて羽を振って飛び去ったとさ。
568名無し三等兵:2006/06/28(水) 10:31:28 ID:???
父方の祖父  満州国で巨利を得るも、敗戦の混乱の中、ハルピン近郊で露助に殺される
父方の祖母  内地にとどまったため死は免れるも、戦後は一家の大黒柱を失ったため苦労する
母方の祖父  大戦末期に徴兵されるも実戦には出ず生還、戦後ヤミ屋で大儲けするも悪銭身につかずw
母方の祖母  戦時中でも丸々と太っていたため、隠匿物資を持っているのではないかと疑われるw

漏れが、デブで金儲けが得意なのはやっぱり家系なんだな



569名無し三等兵:2006/06/28(水) 15:16:22 ID:D+wEuIpA
漏れが高校生のときに英語の教師から聞いた話だから
スレ違いかもしれないけど、ちょっと書かせて。


その先生の父親は「戦艦武蔵」の搭乗員だったらしく階級も大佐だったらしい。
そして武蔵と一緒に沈んだって言ってた。
それ以上詳しい話はしてくれなかったけど
大佐って言ったら艦長クラスの偉さだし
クラスの大半が「なんじゃそりゃ」みたいな顔をしてる中
漏れは猛烈に続きが聞きたくてウズウズしてた
570名無し三等兵:2006/06/28(水) 15:36:55 ID:KYSkvF4i
当方の父方・母方も戦争で失っているので、
良く解らないところが多いのだが。。。

父方の祖父 一式陸攻搭乗員
      ラバウル所属。 
      敵陣地(?)を攻撃の為離陸後
      戻って来ず。

母方の祖父 陸軍歩兵として 
      南方戦線へ。
      ニューギニアのどこかで
      名誉ある戦死ということらしい。


いずれも、大本営発表っぽいので、
真偽は定かではないが。
571名無し三等兵:2006/06/28(水) 15:42:00 ID:???
老後の海外旅行はラバウルとニューギニアで決まりですね
先祖の慰霊いってらっしゃい
572名無し三等兵:2006/06/28(水) 16:53:36 ID:???
じいちゃんは満州だかどこだかに開拓しに行ってたんだがソ連に拉致られて抑留されてたらしい。ただ大叔父さんは戦死した。
573名無し三等兵:2006/06/28(水) 17:28:21 ID:VkjvoHsH
帝大の薬学を出て、教室で研究を続けていたので、陸軍に薬剤少尉で入隊したが
やらされたのは製薬会社や化学工場との連絡将校だったらしい、終戦三日前に、
敗戦を知らされて、玉音放送を聴いたときには、山分けした高価な薬品や歯科材料の
貴金属を梱包して荷造りがすんでおり、勤務先の自動車で帰宅したそうだ
574名無し三等兵:2006/06/28(水) 17:43:11 ID:B4wdymcF
>>573
インサイダー火事場泥棒ですか
575名無し三等兵:2006/06/28(水) 17:48:43 ID:???
うちのバーちゃん小さいころから髪の毛が赤く
ヒトラーユーゲント出迎えにいってから、あだ名が
ヒトラーユーゲントになったそうな。
漏れの子供の髪が同じらしい・・・
576名無し三等兵:2006/06/28(水) 19:49:57 ID:???
>>569
搭乗員だったらしく←乗組員が正しい。
階級も大佐←戦死による特進の結果か?大佐として乗り組んでいたか?
577名無し三等兵:2006/06/28(水) 20:23:52 ID:???
武蔵に乗り込んでて戦死した大佐って特定できるんじゃね
暇なら
578名無し三等兵:2006/06/28(水) 23:32:25 ID:???
>>576
あぁ、そうか、飛行機じゃないから乗組員か。。
多分戦死する前から大佐だったはず
579名無し三等兵:2006/06/29(木) 00:30:47 ID:???
>>578
武蔵と一緒に沈んだ大佐って誰だろうか
艦長はこの人。戦死時は少将だね。
> 海兵46期
>猪口 敏平
>昭和16年 5月  砲術学校教頭
> 昭和17年 7月  名取艦長
> 昭和18年 2月  高雄艦長
> 昭和18年12月  横須賀砲術学校教頭
> 昭和19年 8月  武蔵艦長
> 昭和19年10月  少将
> 昭和19年10月  戦死(シブヤン近海) 中将
> 弟 猪口力平(52)は海軍大佐
ちなみに、軍艦武蔵乗組員2399名のうち、生きて日本の土を踏むことができたのは約400名だった。
でも救助時は半分ほどは助かったはずだけど。
たぶんまず間違いなく靖国にいると思うよ。
武蔵沈没時の乗組員リストどっかにないかな。俺探したけど分からなかったから軍板のどこかで聞いてくれ
役に立てなくて御免

580名無し三等兵:2006/06/29(木) 01:24:07 ID:???
ttp://hush.gooside.com/name/m/Mu/Musashi/Musashi.html
これ参考にならない?
詳しく読んでないからわからんけど
581名無し三等兵:2006/06/29(木) 09:09:10 ID:5VeHbmrc
素人ですがお邪魔いたします。
戦死した祖父のことを調べています。
祖父は、上海港務部所属の「笠島」という小さな船に乗っていました。
昭和19年1月にアモイ沖で爆撃機の攻撃により戦死しております。

「上海港務部」もしくは「笠島」の戦友会や遺族会、
あるいは生存者を探しておりますが、
なかなか見つけられません。
捜し出す何か良い方法があれば、
ご教示をよろしくお願いいたします。



582名無し三等兵:2006/06/29(木) 18:04:11 ID:???
>>581
元・救難船『波島』だった雑役船『笠島』↓ですね?
http://hush.gooside.com/Text/1K/11Ka/K02gKasa_.html#anchor644582

このスレに何度も出て来ますが、元・海軍の軍人さんについては
 『厚生労働省、社会援護局業務課調査資料室』
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。
まずは厚生労働省の代表・03-5253-1111 に電話して尋ねてくだちぃ。
なお、必要書類として
 ・請求書(書式は自由。戦没状況・軍歴を知りたい旨、およびその理由を記す。戦没者氏名、生年月日、本籍地、判る範囲での軍歴を併記)
 ・戦没者の除籍謄本のコピー
 ・戦没者と請求者の血縁関係が確認できるもの(請求者の戸籍謄本のコピーとか)
 ・請求者の住民票
 ・請求者の身元が証明できるもの(運転免許証や健康保険証のコピーとか)
が要るらしいですぜ。
583追伸:2006/06/29(木) 18:10:56 ID:???
>>581
なお、戦友会などについては、
上記の軍歴照会の際に
「戦友会の様なものがあれば合わせてご連絡下さい。」
と頼んでおきましょう。

で、判らない/教えられないと言われた場合は、
『財団法人水交会 http://homepage3.nifty.com/suikoukai/topleft.html
(水交会は、旧海軍軍人さんの生協の様な存在だった水交社の後身です)
に尋ねてみるなどしてください。
584名無し三等兵:2006/06/29(木) 20:34:23 ID:HHpEXxHj
うちの爺さんは、憲兵だったとか曹長だったとか
聞いたことがある。憲兵が何かよくわからんが・・・。

インパール作戦に参加していたらしい。
昨日、写真が出てきたので見たら「昭和17年南京聯合本部にて」って
書かれたものが出てきた。
でかい馬にまたがって、軍刀ぶらさげてる写真だった。

・・・爺さん、ひょっとして南京逆s(ry
585名無し三等兵:2006/06/29(木) 20:48:08 ID:???
>インパール作戦に参加していたらしい。
>昨日、写真が出てきたので見たら「昭和17年南京聯合本部にて」って
>書かれたものが出てきた。
>でかい馬にまたがって、軍刀ぶらさげてる写真だった。

>・・・爺さん、ひょっとして南京逆s(ry


>>584
南京に関しては昭和13年頃だから
時期が全然合わないから安心しろ、と言うか
そのくらい少し調べれば分かる事だろうが!!(゚Д゚*)

憲兵と言うのは、軍隊の警察組織みたいなものだよ。
主に軍隊内の反乱分子や犯罪の取り締まり等を行う。
586名無し三等兵:2006/06/29(木) 21:16:33 ID:???
>>584
>憲兵
http://www.laterre.co.jp/books_02.html

>南京大虐殺
一般市民への虐殺/略奪は皆無ではありませんが、
ものすごく少ないです。
(戦争の本質:『味方は殺しちゃいけない、強姦はなるべくしない』)
陥落間際の国民党軍の苦し紛れの強制徴発の方が多いです。

『南京大虐殺』の犠牲者としてカウントされているのは、
上海包囲に失敗して南京に向けて敗走、
その途中で日本軍に補足/殲滅させられた国民党軍の兵士です。
587名無し三等兵:2006/06/29(木) 22:32:37 ID:???
>>550
竜は龍の略字ではない。だいたい竜の方が古い字だ。
588名無し三等兵:2006/06/30(金) 01:30:48 ID:???
僕の祖父は海軍で軍艦に乗っていた。
造船所で働いていたから機工兵をしていたと言っていた。
トラック島で戦っていたと言っていた。ドラム缶のいかだで川を渡った話や、
爆弾を使って魚をとった話を幼い頃によくしてくれた。
小学校になって戦争の事を習って祖父に話を聞いた。
サイパンに行った戦友はサトウキビが食べられていいなと話していたら、
サイパン玉砕の話を聞いて驚いた事や、
作戦開始直前で上官から作戦から外れるように言われ船から下りて
その船が敵に撃沈された話。
敵の軍艦に攻撃を仕掛けるために、爆弾を積んで突撃するための
モーターボートを整備した話をしてくれた。
この話を聞いて、人間の運命ってわからないなと思った。
今でも祖父はあの頃の教育が悪かったと言っていた。
本人は今でも元気で、現役で床屋をしている。
589名無し三等兵:2006/07/01(土) 02:26:38 ID:???
とある介護施設で聞いた話

大陸方面 兵
「あっちこっち行ったけど、のんびりしたもんだったよw」
多分大変だったんだ追うけど、本人がのんびりした人だったのかと

内地勤務 兵
「切羽詰るにしたがって、体内に陰惨な空気が
下士官から日常的に暴行を受けた。」

航空隊 下士官
「要領よく仕官になってようモテた
特攻は送る側だった、ほっとしたような申し訳ないような・・・。」

南方 看護婦
「物資枯渇しまともな医療行為は不可能。
戦後米軍病院の手伝い、
潤沢な食料薬剤、高度な器具を目前に言葉なし。」
590名無し三等兵:2006/07/02(日) 21:49:35 ID:???
90の爺さん。

軍隊で何かにつけて殴られていたようだが、そのお題目が
天皇天皇だったらしい。

だから、天皇に何かされたわけじゃないけど、やっぱり
いくらかは恨みが向かっていたようだ。無理もないことだと思う。

昭和天皇が死んだとき、ほっとした顔だった。
591名無し三等兵:2006/07/04(火) 02:41:25 ID:???
むしろ上官が死んだときにほっとしとけばいいのに
592名無し三等兵:2006/07/05(水) 00:12:02 ID:???
husyuuuululu
593名無し三等兵:2006/07/05(水) 20:55:32 ID:???
>590

90の爺様なら補充兵や第2国民兵でないかぎり
2年目くらいからは余裕の古兵殿で威張っておられたのでわ。

594名無し三等兵:2006/07/05(水) 21:21:46 ID:???
>>593
>590では無いけど、何かの体験談で「新兵の補充が無いからいつまでも下っ端だったorz」
というのがあった気がする。
595名無し三等兵:2006/07/05(水) 21:37:13 ID:???
>>594
水木しげるがそんなことを書いていたな。
596名無し三等兵:2006/07/06(木) 20:08:02 ID:???
うちの祖母が、「毎日敵機が機銃掃射してきて藁葺きの屋根にプスプス当たった」と言っていたので、
貫通はしなかったのかと尋ねると、
「貫通はしなかった、厚さはこれくらい(指で12cm程の間隔を作って)、
瓦やトタンだったらどうなっていただろう」と言っていた。
瓦を貫通して二階はおろか、一階まで貫通したと言う話はこのスレの何スレ目かで読んだけど、
藁ってそんなに強かったんだろうか?
597名無し三等兵:2006/07/06(木) 21:30:18 ID:???
>>596
瓦はトンカチで簡単に割れるが電話帳は割れないだろ。
598名無し三等兵:2006/07/06(木) 23:25:28 ID:???
私のお爺さんは、日華事変の時に中支で馬の世話の為に従軍していました。
帰国後警察官となり、空襲の中住民を避難させるためにかけずり回っていたそうです。
終戦前に、8月24日付けの召集令状が来てたそうですが、その前に終戦。
ところが、「みんなが集まっていたら困るから」と集合場所に行こうとしていたらしい。

うむ、上手く書けないけどお察し下され。
599名無し三等兵:2006/07/07(金) 00:21:48 ID:Sn9mzvlW
>>598
馬丁であるか。
600名無し三等兵:2006/07/07(金) 00:22:27 ID:???
「私のお爺さん」てなあ…
いい歳してそういう言葉遣いしてて恥ずかしくないのか?
601名無し三等兵:2006/07/07(金) 00:42:02 ID:1n+Bq1qq
父方の祖父 兵役まぬがれるが広島で被爆
母方の祖父 陸軍海上挺進戦隊で、ベニヤの舟で特攻予定。特攻する前に終戦。
      特攻に入ったのは「一日、三食ご飯が食べられたから」
母方の祖父兄 陸軍兵士 祖母が言うには硫黄島で餓死。
母方の祖父兄 足が悪く兵役免れるも、広島で被爆。後遺症で死去。
602名無し三等兵:2006/07/07(金) 00:42:21 ID:???
>>600
中学生ならもっと自覚を持たないといけませんね、ごめんなさい。
603名無し三等兵:2006/07/07(金) 10:59:39 ID:???
>>600は>598の性別、年齢などのプロフィールを書き込みからだけで見通してしまう超能力者
604名無し三等兵:2006/07/07(金) 13:40:03 ID:RZoqVPqD
じいちゃんから聞いた話。
じいちゃんは特攻隊だったらしい。じいちゃんの飛び立つ日が決まり「これで死んでしまうのか」と思っていたらしい。そして飛び立つ当日、飛行機に故障があり、飛び立つ日は延期に。なんだかんだしてるうちに終戦した。

らしいんだけど本当かな?
605名無し三等兵:2006/07/07(金) 16:29:08 ID:???
>>600
いい歳してそういう言葉遣いしてて恥ずかしくないのか?
606名無し三等兵:2006/07/07(金) 17:31:14 ID:53SM8CMK
ここが言葉使いを添削するスレですか
607名無し三等兵:2006/07/07(金) 17:53:44 ID:KnUSl+31
叔父の葬式で知った話。予科練出て初出撃が小沢艦隊であったらしい。
608名無し三等兵:2006/07/07(金) 17:59:35 ID:???
>>607
お葬式なら予科連同期の人とかも来ていたのでは?
609名無し三等兵:2006/07/07(金) 18:54:03 ID:951yC6hS
満州で現地人を軍刀で殺したと聞くのですが、これっていったいなんなんでしょうか?
610名無し三等兵:2006/07/07(金) 19:41:13 ID:???
>>609
スパイ容疑者等を現地処分した、と言う事で別に珍しい事ではないです。
新任士官にいやがらせ的に斬らせる事もよくある事。
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_023.htm
611名無し三等兵:2006/07/07(金) 20:51:52 ID:???
大正元年生まれの漏れのじい様は、満州へ送られ、自動車の運転手をしていたそうだ
あるとき上官と一緒に軍の倉庫へ行き、必要物資を積み込んだあとで
上官「タバコでも酒でも砂糖でも、好きなものを持っていってよし」
と言われてみんなで目の色を変えて、もって帰ったそうだ
一平卒として従軍したにもかかわらず、満州の銀行に何百円可の貯金ができたのは、今考えると横流しをしてたんじゃないかと思うが、死んでしまったので確かめるすべはない
ともかく、ソ連が攻めてくるまではたいした戦闘もなく、わりとのんびりしていたようだ
でも、シベリア送りにされた後の話はあんまり聞かせてもらえなんだ
もう思い出したくもなかったんだろう
612名無し三等兵:2006/07/07(金) 20:54:13 ID:6sDK3M5k
ああっ、もうダメッ!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ
ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!
ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ
ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!


613名無し三等兵:2006/07/08(土) 01:16:32 ID:???
俺の爺ちゃんは兵士ではなかったが、ソ連侵攻時には満州にいてシベリアに連れて行かれたらしい。
ソ連軍が通った後は死体がゴロゴロ転がっていたとか、アメリカについて行くこともできたのに失敗したとか話してた。
あと、詳しくは知らないんだけど爺ちゃんの兄は戦死した。仏壇に靖国神社の写真が飾ってあるよ。
614名無し三等兵:2006/07/08(土) 02:07:05 ID:Z0FNkZ4P
>>604
旧日本軍は物資も欠乏して整備もままならない状況だったので
いざというときに発進できない飛行機が多かったので特に珍しいことではない

うちの叔父なんか上昇速度に達する前に
車輪が折れて大破−>入院−>終戦
となった

しかも同じ部隊で同じ日に5人も似たような事故を起こしたらしいから
まあとにかく酷い整備状況だったみたいだ
615名無し三等兵:2006/07/08(土) 02:12:57 ID:???
>>601
御父様方の御祖父さんは貴方の御父様が生まれる前に被爆なされたのですか?
616名無し三等兵:2006/07/08(土) 02:19:43 ID:rZg57oAt
ラバウルに置き去りにされ食うものなくて38式で野生の豚とったり
米軍の不発弾利用して魚採って暮らしてたそうだ。
617夏の新兵:2006/07/08(土) 08:09:05 ID:1fKZEDqm
父方の祖父は海軍の医療班だったそうだが、南方戦線では悲惨な物だったんだ
か多くを語ってくれなかった。階級は中尉だが不思議なのは白兵戦を経験して
いるらしい。中国の方にも行った様である。捕虜にはならずに終戦前に帰国し
、傷病者を大量に連れて帰国したみたいだが、あまり話さない。名前を彫った
カノン砲?の薬きょうと米軍のナイフを見せてくれた。幼い頃の私はそのナイ
フを玩具にしてなくしてしまった。そんな祖父は一昨年98歳で他界した。よ
く覚えて皆さんに伝えたい言葉は「中国人もアメリカ人も悪い人ではない、仲
良くなれる。しかしもし戦争するなら勝たなくてはならない。タカちゃん解る
かい?」小学生のできの悪い私は解るはずもないが今はよく解る。
母方はと言うと、二度戦争に行ったが、まあ駄目っぷり。一緒に暮らしてたので
よく聞いた。満州で戦争して、軍銭が使えなくなった話し、水を飲もうとして
川に行ったら女性の死体がそばにあった事。それがレイプで死んだ人だと言うこ
と、盧溝橋事件の前に中国軍による満人朝鮮人日本人の虐殺があったこと、面白
い話しでは中国のあたりでは中国人でも言語の違いからか迫害があり殺害もかなりあ
ったという。日本では考えられない。愚痴はよく上官に殴られたと連射ができない
銃の事。駄目なところは恥ずかしくて言えない。そんな祖父は他にも多くを語り
ましたが、5年前他界しました。そして私は自衛隊に生きます。
618名無し三等兵:2006/07/08(土) 16:01:33 ID:???
興味深い話なのに、改行してないのが勿体無い。
619名無し三等兵:2006/07/09(日) 01:29:37 ID:???
先日爺ちゃんが死にました。

徴兵されて、満州〜東南アジア〜捕虜を経験したそうです。
玉子が焼ける匂いが戦友を火葬した時の臭いと同じだそうで、、、、l
死ぬまで玉子焼き、目玉焼きが食えませんでした。

満州時代の戦友は殆どがシベリアに逝っちゃった、
東南アジアの戦友は殆どが大陸〜海〜東南アジアの
移動中に海に沈んだと聞いています。

ギリギリの死線を乗り越えて、奇跡的に助かった経験を
一度だけ聞いたことがあるので
(防大に合格したとき聞かされた。結局行かなかったが。。。)
そのうちまとめて文章にしてみようと思います。



俺の知人もここにカキコすりゃいいのに。。。
本当か知らんが曽祖父が石原莞爾だってさ。
620名無し三等兵:2006/07/09(日) 15:59:28 ID:???
まじっすか!?
621名無し三等兵:2006/07/10(月) 00:49:56 ID:???
>>619
神降臨キボン
622名無し三等兵:2006/07/10(月) 22:59:40 ID:???
俺のじーさまではないが、高校の同期がシベリア帰りだった。
隣の席だったが、今でも通信制の大学に通ってるそうな。

どうでもいいが、俺はミリオタで兵役志願者じゃないですよと。
623名無し三等兵:2006/07/10(月) 23:56:08 ID:???
俺の死んだじーさんは終戦時海軍大尉

田舎は茨城県の阿見で飛行機に乗って出撃したこともあった
と聞いているので航空隊関係だったのかもしれん。

沖縄で地上戦が起きたときにそこに居合わせたらしい。
初期の地上戦で負傷して動けなくなっていたため生き延びて
捕虜になり終戦後しばらくしてから帰ってきたということだ。
右腕は死ぬまで不自由だった。

戦争に関してはほとんど何も話してくれなかった。ただ、空母
大鵬に乗ったときの事はすごくうれしそうに話してくれたこと
を覚えている。
2年ほど前、沖縄に旅行に行ったときに海軍壕跡を見学した。
こんな狭くてじめじめしたところに負傷した体で何ヶ月もいた
って事を知って感慨深かった。
624名無し三等兵:2006/07/10(月) 23:58:20 ID:???
×大鵬
○大鳳
なのね。ごめん。
625名無し三等兵:2006/07/11(火) 00:58:12 ID:???
>>623
大尉っつーたら中隊長以上じゃまいか
626名無し三等兵:2006/07/11(火) 21:59:55 ID:???
>>625
海軍には大隊・中隊・小隊・分隊の概念はありません。それは陸軍です。
627名無し三等兵:2006/07/11(火) 22:11:45 ID:???
>>626
分隊長(海軍)≒中隊長(陸軍)だからまぁいいじゃん
628623:2006/07/12(水) 01:04:38 ID:???
どーもです >>625-627
旧帝国軍については詳しくはないんですが、階級については当時の
じーさんのメモを葬式の時に見せてもらった時の記憶です。
昇進した年月日付きで書いてあったんですがそこまでは覚えていま
せん。

親や親の兄弟からの又聞きなんですが、壕から出撃して米軍に攻撃
をかけては退却し、を繰り返していたそうです。じーさんの隊の部
下がまず撃たれて動けなくなったところを助けようと出ていったと
ころ、本人も狙撃されたということらしいです。
ろくな治療も受けられないままじーさんは動けなくなり(破傷風?)
そのまま戦力外。
どれほど悔しかったことか...孫に話をしてくれないのも当然なんで
しょうね。

629名無し三等兵:2006/07/13(木) 14:58:31 ID:KjSu51Wf
爺ちゃんではないが、婆ちゃんの家が馬をたくさん持ってたらしく、陸軍が馬を徴収してかなりお金を貰ったらしい。話によれば、特に白馬は高かったらしい
630名無し三等兵:2006/07/13(木) 17:14:18 ID:j58sLqz0
うちの祖父は牧野学校?から南方戦線に情報士官として赴任。
前線視察とか資金造りなども指導?していたらしいです。戦後に話題になった
日本兵と同窓世いだったみたい。
631名無し三等兵:2006/07/13(木) 17:28:05 ID:tUNNb2mE
俺のおじいちゃんはクラヴマガの達人でアッツ島で獅子奮迅。
632名無し三等兵:2006/07/13(木) 18:14:49 ID:???
母方の祖父が陸軍飛行学校の教官でした。
子供の頃はおじいちゃんは飛行機の操縦ができるものだと思い込んで尊敬していました。

教えていた課目が国語と漢文だったと知った中3の夏。
633名無し三等兵:2006/07/13(木) 22:38:39 ID:???
父方のじいちゃんは徴兵されてない。
戦前から何人もの土方を生き埋めにしつつダム工事なんかを請け負ってたらしい。
たぶん金の力で兵役をスルーしてたと思われ。
戦後は進駐軍からドラム缶の修理の仕事を獲得。
底に残ってる油をちびちびと溜め込んで商売していたらしい。
警察の車両でさえ、それに頼ってたので地元の名士扱い。

ちなみに母方の祖父は初期の満州で戦車から転落して足を骨折。
戦中は毎日温泉三昧だったようです。今でも恩給もらいつつ、足を引きずってます。
当時の写真アルバムを見せてもらったことがあるのだが
半分以上は芸者のブロマイドでした。あとは全裸の坊主頭の男たちの温泉集合記念写真。
楽しそうですね。
634名無し三等兵:2006/07/13(木) 23:31:36 ID:???
>>630
「陸軍中野学校」では?
まあ、関連書籍はネットで検索すれば出てくるでしょう。
635名無し三等兵:2006/07/14(金) 13:30:57 ID:rVf0tcRS
「SS金物・海龍」乗り組みだった祖父によると、訓練が終わり、
いよいよ本土各地の基地に配属、というときに、辞世の短歌や遺書の
作り方を記した小冊子を受け取ったそうで、祖父は戦友らと、その小冊子を
見ながら遺書や辞世の短歌を作ったそうだ。
少年特攻隊員らの遺書などには胸を打たれるが、祖父は、
「半分以上は、あの本に書いてあった例文と同じね。」と言っていた。
636名無し三等兵:2006/07/14(金) 13:57:25 ID:qNsXsp7v
うちのじいさまは80。農業やってた。長男だ。まだ生きてる。
戦争の話すると、必ず検査で失格で戦争にいけなかった事を強調する。
でも今は歳だからあまり動けないが、70代のころはめちゃくちゃ農作業してた。
20代の俺なんかも及ばないほどに。

なんかうまい具合にごまかして徴兵を逃れたんじゃないのかなーとちょっと思ってたりする。
637名無し三等兵:2006/07/14(金) 14:37:27 ID:YnqFRqBP
実家の祖父、以下、全てうら覚え
大正14年6月20日生、 尋常高等小学校卒、上京して、時計・貴金属店に丁稚、その後、帳簿管理まで任せられる。
上京時、列車で地元の山が見えなくなって泣く。店主一家のトンカツを買いに行き、匂いで食べたくて仕方が無くなって泣く。無声?映画など鑑賞する青春時代。
多分、貴金属店店主は軍から貴金属の強制供出や戦況悪化を受け、店をたたんで地元に疎開を決定。
その直後、赤紙を受ける。店主怒る。帳簿を管理していた祖父の徴兵逃れを画策。医者に偽の診断書をもらい身体検査で不適格をもらう。店仕舞いまで勤務。
その後、横須賀海軍魚雷工場に徴用。徴用者(三国人や障害者と間違われ)として馬鹿にされる。大量の魚雷注文のキャンセルで、軍艦の沈没と戦況の悪化を知る。
徴用者としての扱いに堪えかね、志願。本人曰く、戦況が悪化をしっていたため、生き残るすべを考える。陸軍兵として外地に行けば、日本に帰れなくなる。カナヅチのため軍艦にも乗りたくなかった。
海軍工兵として飛行機整備を担当。その間、豊橋で東南海地震を経験。本人は、病床にあったものの見事に病床から逃げ出す。その逃げ足や記憶に無いが周囲が言うには見事なものだったとのこと。
基地不明にて、航空機での空襲を受ける。本来乗るべき飛行機に偶然乗らず、飛行機は撃墜、生存者なし。
終戦は千歳。飛行機にのって木更津に移動、退役。
田舎に戻って、祖母と結婚。3女(1男早逝)をもうける。曾祖父と祖母の性格的問題により、幸せな結婚生活かは疑問。その間、大叔父が、陸軍にてジャングルで戦後数年を過ごし、土人に保護され帰還。
職業、農業、兼、土木作業員。農作業中よく浜松基地からの練習機を見上げ、「軍用レーダーを使っているため、練習機が出ている時は晴天が続く」と当時を偲び今思えば懐かしそうに見上けていたのかもしれない。
その後、アパート経営。約3年前鬼門に入る。

事情により、葬式その他3回忌も欠席した。改めて冥福を祈る。
638名無し三等兵:2006/07/14(金) 14:38:03 ID:???
>>635
>辞世の短歌や遺書の作り方を記した小冊子

たぶんソレ、無茶苦茶史料価値があるぞ。
639名無し三等兵:2006/07/14(金) 15:02:41 ID:ZTXE13ed
639
640名無し三等兵:2006/07/14(金) 19:39:42 ID:3D0TmF7a
今日、水交会本部に電話したが、HPも会の中身も全然ダメだ。東京ばっかり。
金取る事しか考えてねえのか?
軍歴を聞こうとしたら「当会は少将以上の方ですので、兵曹長ではちょっと…」
と冷たく言われた。
バカヤローーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!
641名無し三等兵:2006/07/14(金) 19:45:06 ID:???
そりゃもともと水交社ってのは海軍の将校クラブなんだからしょうがねえよ。
642名無し三等兵:2006/07/14(金) 19:54:05 ID:???
>>640
あそこは貸しホールや貸し会議室をやっているだけで資料とか何にもないよ。
詳しい資料はそれぞれの軍人会とかに問い合わせないと。
643名無し三等兵:2006/07/14(金) 20:49:17 ID:kHc+39su
>>637
うら覚え というのは新しいパターンだなw
644名無し三等兵:2006/07/14(金) 20:51:27 ID:???
うるうらしちまったよ。
645名無し三等兵:2006/07/14(金) 20:59:02 ID:???
>>637
鬼門に入る、というのもどうかと思うが。
646名無し三等兵:2006/07/14(金) 21:53:29 ID:51EC3QyS
>>645
そこが笑うポイントですよ。
647635:2006/07/15(土) 13:00:05 ID:EBc59s6W
>>638
「しゅつじんぶ」(漢字不明)という小冊子だったそうだ
648名無し三等兵:2006/07/15(土) 15:01:09 ID:???
出陣譜
649名無し三等兵:2006/07/15(土) 19:59:09 ID:ANm+UVR0
>>648
出陣賦じゃなくて?
650名無し三等兵:2006/07/15(土) 20:00:37 ID:ANm+UVR0
>>641
舞鶴には「海仁会」って言う下士官の集会所が・・・・・・あったんだ。
651名無し三等兵:2006/07/16(日) 00:00:04 ID:WRWDQ8W5
自分の祖父は沖縄で海軍に所属していて、戦後捕虜になったらしいんですがどこの部隊とかはどうやって調べたらいいんですか?全く戦争の話はしてくれなかったので…
652名無し三等兵:2006/07/16(日) 00:02:26 ID:???
>>651
旧軍人恩給を受けていたのなら、市町村か厚生労働省の恩給関係の部署に問い合わせればわかる。
653名無し三等兵:2006/07/16(日) 01:40:44 ID:???
>>651
海軍の軍人なら軍歴は厚生労働省が保管している。
厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室に照会するとよい。

>>652
軍歴の保管と恩給の受給の有無は直接関係ないよ。
654名無し三等兵:2006/07/16(日) 16:16:11 ID:8AQxjy8T
>>651
もう調査・照会の話はアホほど出てるんだから、>>651は四等水兵からやりなおしだ!
貴様それでも帝国軍人かっ!足を開け歯を食いしばれ!スレぐらい読め!バキッ!!
655名無し三等兵:2006/07/16(日) 21:16:22 ID:???
そういや四等水兵って言えばね、前にも書いたかもしれないんだけど、
太平洋戦争の開戦前か直後ぐらいに、横須賀海兵団に入団して直後に訓練中に事故死した
兵士の遺族が「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」を申請したんだと、平成7年くらいに。

そしたら審査する本籍地都道府県が、「海軍四等水兵なんて階級があるわけねえだろプゲラ」
ってんで、「軍人としての勤務がありませんから対象外なので却下」という裁定を出したんだと。

で、遺族がぶち切れて地元のセンセイにねじ込んでナントヤラ、というのを聞いたことがあるような
656名無し三等兵:2006/07/16(日) 21:19:08 ID:???
自分が子供の頃に、祖父に恩給で重巡高雄の模型を買ってもらった
祖父が乗ってた艦と知ったのは祖父が亡くなってから
ジイチャンありがとな(T-T)
657名無し三等兵:2006/07/17(月) 13:07:32 ID:???
俺は祖父に零戦の模型買って貰った。
五十二型頼んだのに二十一型買ってきて、文句言ったら、戦死した祖父の兄が乗っていたそうな。
子供の頃の話だけど、怒ってごめんねじいちゃん。
658名無し三等兵:2006/07/17(月) 13:44:41 ID:Qzkf3pdh
657
零戦21型の呼び方は「にじゅういちがた」じゃない。
「にーいちがた」だ。
659名無し三等兵:2006/07/17(月) 18:47:08 ID:KeFKh8kK
へぇー
660名無し三等兵:2006/07/17(月) 19:51:40 ID:???
>>437
もう激しく遅レスで申し訳ないが
第14軍の田中支隊(田中透大佐指揮)か
菅野支隊(菅野善吉少佐指揮)のどちらかではなかろうか。
どちらも2000名程度の規模だが
支隊の詳細についての資料は持ってなくてスマソ。
台湾の馬公からルソン島北端に上陸した部隊だ。
661名無し三等兵:2006/07/17(月) 20:48:31 ID:???
妹の友達の祖父はなんと天皇陛下の親衛隊だったそうな

3年前に100歳で亡くなった曾祖母の弟さんは沖縄で戦死したそうだ
日清戦争からイラク戦争まで100年を見つめた曾祖母は一体どのように
戦争の世を生きていったのだろう・・・
662名無し三等兵:2006/07/17(月) 20:52:29 ID:???
うちのジーさんはフィリピンで一式陸攻に乗ってたらしい。
盲腸で手術することになって(本人は麻酔なしでやったとか言ってるけど多分うそ)
違う人がジーさんの代わりに出撃したらその人の機は帰ってこなかったそうだ。

後十年くらい前にジーさんの教官だった人で撃墜王だったとか言う人がきたけど名前は忘れた。
最近の年賀状でどこかを切断したって書いてあった。
他にもなんか武勇伝ぽいのがあるが書ききれん。
663名無し三等兵:2006/07/17(月) 20:53:02 ID:???
揃いの蛍光色の法被に鉢巻き締めて、野太い声で
「せ〜〜〜〜の、てんーのーへいーかー」とかやってたのか
664名無し三等兵:2006/07/18(火) 00:42:06 ID:???
俺の大叔父さんは飛行機乗りだったらしいが珊瑚海で散ったらしい。
で、大叔父さんには婚約者がいたんだが、それが俺の祖母・・・。
大叔父さんが戦死しててくれなきゃ俺は今頃いない訳で、自分の存在について考えさせられるよ・・・。
665名無し三等兵:2006/07/18(火) 00:57:04 ID:???
そういう話はごろごろあるから気にしなくていいと思うよ。
666名無し三等兵:2006/07/18(火) 22:26:57 ID:???
俺の母方の曾曾じいさんが明治天皇の護兵隊してた
667名無し三等兵:2006/07/19(水) 02:03:01 ID:???
>>666
しかしその孫である君はダミアン
668名無し三等兵:2006/07/19(水) 02:05:00 ID:???
>>666
玄孫だっけ?
669名無し三等兵:2006/07/19(水) 07:52:37 ID:???
俺の曾曾曾じいさんが孝明天皇の(ry ってかただの左近衛大将じゃねーか。
俺の曾曾じいさんが明治天皇の(ry ってかただの兵部卿じゃねーか。
俺の曾じいさんが大正天皇の(ry ってかただの海軍大臣じゃねーか。
俺のじいさんが昭和天皇の(ry ってかただの海軍軍令部長じゃねーか。
俺のおやじが今上天皇の(ry ってかただの宮内庁長官じゃねーか。
で、俺が**宮*子内親王と結婚する訳だが…。
670名無し三等兵:2006/07/19(水) 09:36:59 ID:X0lX8CKL
そういえば祖父が終戦まじかに、近衛師団にいたんだけど当時大きな事件があった
みたいで祖父も参加したみたいだが詳細か足らずなくなった。知ってる方います?
671名無し三等兵:2006/07/19(水) 09:47:52 ID:???
うちの近所の爺さんの話
海軍に入り満洲に行ってたらしいのだが戦後に恩給?が貰えないらしい。
恩給って従軍すれば貰える物じゃないの?
672名無し三等兵:2006/07/19(水) 10:57:41 ID:???
>>671
軍属だったのでは(軍属の戦後の扱いは良く解らないけどorz)
673名無し三等兵:2006/07/19(水) 11:31:36 ID:???
>>658
>零戦21型の呼び方は「にじゅういちがた」じゃない。
>「にーいちがた」だ。

前にも興味深いカキコにおなじネタで難癖つけられて
つづきが聞けなかったorz

674名無し三等兵:2006/07/19(水) 11:59:17 ID:???
675名無し三等兵:2006/07/19(水) 13:31:44 ID:lk26mcFo
>>670
そりゃ宮城クーデターだ。
終戦に反対した将校が近衛師団の一部を動かして、
森近衛師団長殺害と、天皇の玉音放送入った、
録音盤破壊した事件じゃなかったかな。
676名無し三等兵:2006/07/19(水) 13:47:21 ID:???
>>671
もとの軍人が恩給を受けるには、
・下士官兵は12年の勤務年数があること(戦地勤務は1月を3月に換算、とかややこしい計算あり)
・公務に起因する疾病傷害で一定以上の後遺障害がある
のどちらかが基本的に必要。

軍人(官吏)の身分をもたない軍属(傭人・雇員等)や準軍属(徴用者等)については
恩給の対象とはならずに、公務死亡の場合の遺族給付や、公務傷害の場合の
傷害給付のみが「戦傷病者戦没者遺族等援護法」による援護年金としてなされる。

なお、勤務年限未到で恩給が受けられないいわゆる「恩給欠格者(恩欠者)」については、
一定の要件を満たす場合に独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を通じて
総理大臣名の書状や銀杯等を贈呈する事業が行われています。
677名無し三等兵:2006/07/19(水) 18:21:51 ID:fYB2ZgTv
えっ祖父の行動は反乱軍じゃないですか?賊軍・・・
ありがdです。ショックだ〜、だから毎年8・15は宮城に通っていました。
678名無し三等兵:2006/07/19(水) 18:34:31 ID:???
当時の階級によるがな
679名無し三等兵:2006/07/19(水) 19:35:14 ID:5CzTRcHb
こともあろうに大元帥陛下をお文庫に監禁。あまつさえ機関銃の銃口を向けた大逆人の一味。世がよなら落人狩りの対象w
680名無し三等兵:2006/07/19(水) 19:53:26 ID:???
>>677
ぜひ『日本の一番長い日』を読んでみたらいいと思う。
映画にもなっていますよ。ビデオショップにないかな。
うちの祖父の場合は近衛一連隊だったので非常呼集を夜中に
かけられたけど、ちょうど、東部軍指令長官(?忘れた)が来て、
止められ、玉音盤の奪取には関わらなかった。
第二連隊が主に関わったようです。結局、失敗したし、
226の時と違って「反乱軍」扱いはされていないでしょう。
迫水久恒の『機関銃下の官邸』にも詳しかったと思います。
681海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/19(水) 23:32:09 ID:ezmHQsSj
厚労省より、祖父の軍歴来ました!兵→下士官叩き上げの素晴らしい祖父です。

明治45年生まれ(以下、照会文の通り。家族の出生等は省く)
昭和 5年 6月 呉海兵團ニ入團
   〃     海軍四等機関兵ヲ命ズ
   〃 11月 海軍三等機関兵ヲ命ズ
   〃     軍艦韓崎乘組ヲ命ズ
昭和 6年10月 第五十二期普通科機関術(掌機)練習生
         トシテ海軍工機學校ニ入校ヲ命ズ
   〃 11月 海軍二等機関兵ヲ命ズ
昭和 7年 5月 第五十二期普通科機関術(掌機)教程修業
         (即日仮入校)
   〃     海軍工機校學校ニ仮入校中、處復歸ヲ命ゼラレ
         退校嚴島便乘呉着入團
      9月 第十七潜水隊ニ轉勤ヲ命ズ
   〃     乘組ヲ伊號第五十二号潜水艦ニ指定ス
     11月 海軍一等機関兵ヲ命ズ
昭和 8年 6月 普通善行章一線附與(計一線)
昭和10年 5月 呉海兵團ニ轉勤ヲ命ズ
      7月 軍艦大鯨乘組ヲ命ズ 
     10月 第二種症状ニ依リ呉海軍病院ニ入院
     11月 任海軍三等機関兵曹【呉鎮守府】
昭和11年 1月 入院ノ儘呉海兵團ニ送籍
      2月 退院帰團
      8月 舞鶴海軍防備隊ニ轉勤ヲ命ズ
     10月 普通善行章一線附與(計二線)
     11月 任海軍二等機関兵曹【呉鎮守府】
昭和13年 5月 刈萱乘組ヲ命ズ
   〃     厦門港外ニ於テ乘艦
     12月 磯波乘組ヲ命ズ
682海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/19(水) 23:32:42 ID:ezmHQsSj
昭和14年10月 普通善行章一線附與(計三線)
     11月 任海軍一等機関兵曹【呉鎮守府】
   〃     天龍乘組ヲ命ズ
     12月 舞鶴鎮守府所管に轉籍
昭和15年 4月 支那事変ニ於ケル功ニ依リ勲七等青色桐葉章
         第七万二千七百入號及金四百圓ヲ授ケ賜フ【賞勲局】
   〃     支那事変從軍記章ヲ授與サル【賞勲局】
     12月 昭和十五年勅令第四八入號ノ旨ニ依リ紀元
         二千六百年記念章ヲ授與サル【賞勲局】
昭和16年 4月 舞鶴海軍航空隊附ヲ命ズ
昭和17年10月 普通善行章一線附與(計四線)
     11月 昭和十七年勅令第六百十號ニ依リ海軍上等機関
         兵曹ト爲ル
昭和18年 4月 第一雲洋丸乘組ヲ命ズ
   〃     横須賀海兵團ニ仮入團
   〃     横須賀第一海兵團ニ仮入團中ノ處ニ於テ横須賀デ乘艦
昭和19年 3月 舞鶴海兵團ニ入團ヲ命ズ
   〃     任海軍機関兵曹長【舞鶴鎮守府】
   〃     服役延期解止
   〃     職務勉勵ニ付特ニ金   圓ヲ賞賜ス【舞鶴鎮守府】
   〃     豫備役
   〃     充員召集ヲ命セラル
   〃     舞鶴海兵團准士官學生ヲ命ス【舞鶴鎮守府】
      4月 第二十三号掃海艇乘組ヲ命ス【舞鶴鎮守府】
      5月 臨時第二十四号掃海艇乘組ヲ命ス【第五十二掃海隊】
      7月 第二十三号掃海艇(掌機長)ヲ命ス【舞鶴鎮守府】
     11月 叙勲六等瑞宝章(定例)
     12月 給三級俸【舞鶴鎮守府】
昭和20年 6月 給二級俸【舞鶴鎮守府】
      9月 任海軍少尉【内閣】
   〃     解員
   〃     叙正八位(定期)
683海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/19(水) 23:34:14 ID:ezmHQsSj
舞鶴鎮守府からの賜り金は金額が書いてありません。
所謂「ポツダム少尉」だったんですね。昭和19年が目まぐるしく
忙しいのが判ります。
本当に大変だったろうと思いますし、祖父を誇りに思います。
684名無し三等兵:2006/07/19(水) 23:41:42 ID:???
>>681-683
善行章4本!
いわゆる洗濯板ですか。

叩き上げの機関科下士官。
日本海軍を支える人材ですね。
685名無し三等兵:2006/07/19(水) 23:43:39 ID:???
>>673
確かに多いな。みみっちぃ。
ゴウニイだろうがゴジュウニだろうが、細かい事まで気にスンナ。
そう言う奴に限って、A6M2bとか書くとさっぱりな癖して(実際に有った)。
686海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/20(木) 00:15:38 ID:???
>>684
ありがとうございます。善行章はヘマをすると剥奪されると聞いたので、
一度も無く善行章四本(洗濯板)は誇りですね。横須賀の工機学校に
行っていたので、普通科特技章も写真ではありました。
掌機ってのが良く判らないのですが、エンジニアみたいなのだと思いま
す。在学中の写真でモーターみたいなのをいじっているのがあります。
あと掌機長ってのも判りませんが、偉かったのでしょうかw

准士官学生を命じられていますし、舞鶴にあった下士官集会所では神様
状態であったらしく、家でも威張り散らして祖母に「家は軍隊じゃないんで
すからね!」と言われていたと聞いていますw

支那事変従軍記章・紀元二千六百年記念記章・旭七・勲六瑞宝と受勲し
ていた事も判りました。三等兵曹から官吏になるので鎮守府記述がある
のがよく判ります。私の手元には機関兵曹長の襟章(両方)と肩章(片方)
が残っています。海兵團ってのは海兵隊みたいなもんで、海軍陸戦隊み
たいなもんですかねえ…。ともかくも、四等兵から下士官としては頂点を
極めて、准士官になってますから、優れた機関兵だったと思いたいです。
687名無し三等兵:2006/07/20(木) 00:46:14 ID:???
海兵団は新兵の教育機関だよ。
688名無し三等兵:2006/07/20(木) 02:50:27 ID:???
下士官兵の人事は海兵団が掌握
689名無し三等兵:2006/07/20(木) 08:34:08 ID:???
>683
さぞ御苦労されたことと、頭が下がります。 敬礼!

>685
ホント、数字房はウザイね。
そんなこた〜オタなら皆しってる。
知らない普通の人の話が一番貴重なんだが。
690名無し三等兵:2006/07/20(木) 10:56:19 ID:???
>>689
激しく同意。
691u:2006/07/20(木) 11:02:14 ID:coWyRiHH
688> ではなくて、鎮守府人事部が掌握
687> でもあるけれど、陸上勤務の下士官兵をプールしておく部隊でもあった。
686> 掌機は、機関科の筆頭部門で、フネのエンジンを操作・整備する。他に罐、電機、補機の各部門があった。
   掌機長はその親玉で、現場監督みたいなもの。ベテランの准士官か特務士官がなるポジションで、機関・用具・器材の保管・整備、下士官兵の教育にあたり、機関将校を補佐した。
履歴を拝見すると祖父さまは、いったん潜水艦乗になったけれど、病気になられて、普通のフネの乗組に進路を変更されたようですね。
長年の海上勤務ご苦労さまでした。
692名無し三等兵:2006/07/20(木) 13:13:05 ID:???
伊52といえば独に向かう途中、大西洋にて壮絶なる最後を
遂げたはず。
693名無し三等兵:2006/07/20(木) 13:29:17 ID:tQMGxHUm
>>689
>さぞ御苦労されたことと、頭が下がります。 敬礼!
>>691
>長年の海上勤務ご苦労さまでした。

戦後生まれの方ですか
それとも戦争体験者の方ですか
いづれにしても・・その気持ちに感謝
694海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/20(木) 13:31:39 ID:zuXt06bn
>>689>>690>>691
本当にありがとうございます。

母が(母方の祖父です)が「私達子供(5人)が全然知らなかった、おじいちゃんの事を調べてくれて
ありがとう。孫が調べて自分の生き様を知ってくれて、おじいちゃんも喜んどってやと思うわ。孫の中
ではお前しかおじいちゃんの軍人の頃を知らんのやから、亡くなった人は思い出してあげるだけでも
凄い嬉しいそうやから、お前がこうやっておじいちゃんの事をずっと思ってくれとると、おじいちゃんも
天国で涙流しとるんちゃうかな?」と言ってくれました。

祖父は、私が小学校低学年の頃に亡くなりましたが、祖母は一昨年まで存命でした(享年八十八)。
今頃は祖父が祖母に「お前、やっと来たか」と言って、夫婦仲睦まじく天国で暮らしていると思います。
私は煙草を吸うので、墓参りや仏壇に両切り(フィルターが残らないように)のゴールデンバットや、し
んせいを供えています(愛飲はエコーでした)。祖父も煙草が吸いたいだろうなぁ、と思い供えると、ど
こからか「あ〜旨い」という声が聞こえるような気がします。

祖父は解員後は、手に職があったので仕事には困らなかったそうです。幼心にかすかに残っている、
カブで私を迎えに来て、あちこち連れて行ってくれた祖父の横顔を思い出して、図らずも涙を浮かべて
しまいました。軍人の時の祖父なら「男がそんな事で無く奴があるかっ!」と怒るでしょうか。それとも、
孫だから許してもらえるでしょうか…祖父の「男」の生き様に、小生(祖父が良く使ってました)男泣きで
す。
695名無し三等兵:2006/07/20(木) 13:38:48 ID:???
81になるうちの爺さんの話。
最初小倉の工場に動員されたら空襲にやられて
敵の飛行機に腹が立ち、飛行機乗りになろうと
志願して飛行兵の試験受けて合格したものの、
配属先の三重の基地には飛行機がなく、無線の解読の訓練していた。
その後、配属先が満州、フィリピン、台湾、沖縄、ジャワから選べるから
満州を選び、そこで気球を飛ばして天気の観測したらしい。
その後、そこで棒倒しの時に足を痛めて入院。
入院中にソ連が参戦したからトラックに載せられて逃げたものの
追いつかれて捕まりシベリアへ。
数年抑留してから帰還。帰った時は親は自分の息子とわからなかったらしい。
シベリアの話で印象的な話は「何も食うものないところに葉っぱがあるから
一人が湯がいて食べたらタバコの葉だったらしく倒れて担がれていった。
おそらく死んだだろう。」という話。
696海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/20(木) 13:46:02 ID:zuXt06bn
あと、一種下士官軍帽(一本線の入ったキャップの様な方です)を被った写真の後ろに、
恐らく祖父の字でこんな事が書いてありました(糊をはがした部分などで見えない所は*)

「*月二十五日*艇内で撮す
 十九路軍と間違って***
 困るよ、お前の誰か**
 顔を見たら、げっそりするだろう」

祖父は一種下士官軍帽をキリリと被り、少し険しい表情で斜め上を見つめています。

唯一残っている祖父の「言葉」です。

697名無し三等兵:2006/07/20(木) 21:01:52 ID:???
じいちゃんはワシが小さな頃に亡くなったので
直接戦争の話を聞いたことは無いけど軍隊時代の写真集は見たことある。

初めの方は山東省の風景とか地元の綺麗なお姉さんの写真があって
次に行軍中の写真(どういうわけか脱輪したトラックの写真が多い)。
あと天安門広場もあったかな。
なんだかとてもノンビリとした感じだった。

あと、当時の上官がまだご存命で、その方によると
「日本製のトラックはよく故障したがすぐに修理できた。
ルノー製のトラックは滅多に故障しなかったけれど、修理は出来なかった。」
そうな。

ところで、じいちゃんは「自動車隊」というものに所属していたみたいだけど
これは輸送部隊のことですかね?
698名無し三等兵:2006/07/20(木) 23:16:14 ID:SAXDeRtA
うちのじーさん南京陥落の時南京で補助憲兵(上等兵)だった
詳しく聞きたい?
第16師団33連隊3大隊だよ
699名無し三等兵:2006/07/21(金) 00:38:30 ID:6dKHFeI4
日中戦争で徐州で踵を貫通銃創で帰国した軍医だった。
700名無し三等兵:2006/07/21(金) 00:56:44 ID:???
>>694
お爺様に敬意を払うなら「生き様」などという珍妙な言葉は使うべきではないよ。
「死に様」と「様を見ろ」いう言葉はある。
しかし「生き様」などという言葉は少なくとも日本語にはない。
よしんばあったとしても「死に様」「様を見ろ」に見られるように「ざま」に良い意味はない。

水を差すようだけど、気になったので。
701名無し三等兵:2006/07/21(金) 01:12:45 ID:???
>>700
普通に使われる言葉だが?
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C0%B8%A4%AD%CD%CD&kind=jn
新明解国語辞典によると
『その人の、人間性を まざまざと示した生活態度。[「ざま」は「様」の連濁現象に
よるもので、元来濁音の「ざまを見ろ」とは意味が違い、悪い寓意は全くない]』
とある。水を差すようで気になるのなら、辞書くらい引こう。gooなら無料だ。
702名無し三等兵:2006/07/21(金) 01:14:46 ID:???
まぁ、言葉は生き物だ。
本来、誤った用い方をしていても、それが普遍的になれば
正しい言葉になっていく。
703701:2006/07/21(金) 01:24:45 ID:???
>>702
まあそうなんだけどね。でも>>700は「少なくとも日本語にはない」なんて
断言しちゃってる。
21型をにじゅういち型だのにいいち型だの、下らないことでつぶされた例が
つい最近でもあったので釘をさしたかった。
生きた日本語の使われ方を知りたければ、ぐぐればいい。
本来の意味とは違う使われ方をしている場合でも一発だ。
今回の場合、生き様がネガティブイメージで使われているようでもないし、
少なくとも生き様という言葉が存在し定着している事ぐらい分かるだろう。
704名無し三等兵:2006/07/21(金) 01:35:50 ID:???
>>700
ま、落ち着け。揚げ足とって君は楽しいんだろうけど、俺はシラけるだけだから。
そう言う些細(君にとっては些細じゃないんだろうが、俺にとっては些細)な事は、生温くスルーすべし。

というか、最近はゆとり教育でF6F並に大量生産された、学力遅れが多いんだから。
還って最近は、海外から来た外人の方が、日本語上手い位だ。

>>703
今回は>>700が取った揚げ足が悪かったな。
まぁ、こう言う手合いが2ちゃん用語を大量生産するんだろうが。

そう言う事で、>>694には続きキボンヌ。
705名無し三等兵:2006/07/21(金) 02:10:37 ID:bxI8NOc7
昔、祖父に「じいちゃんは、陸軍やったん?海軍やったん?」と尋ねたら。
少しハニカンダ祖父は『‥‥わしは福知山で弾作ってた‥』とおっしゃりました。
その後『工場はキツイ仕事で手が大変痛かった。』と続けてくれました。
来年13回忌です。
706海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/21(金) 02:14:05 ID:G5Gmcu9e
そう言えば、前も祖父が直筆で「軍艦天竜」って書いているのに、
「軽巡洋艦・天龍」だ、とかやけにこだわってる人いましたね。
でも、祖父の軍歴照会見てみると、当時でも旧字体使っていない
所があったり、テキトーな所ありましたよ。
要は、意味が通ればそれでいいんだと思いますよ。生死の境で
働いている軍人にとって「竜」でも「龍」でも判ればいいんだと思い
ますよ。

そんな事言ってると「娑婆気満々」って事で制裁されますよw
707名無し三等兵:2006/07/21(金) 02:14:31 ID:ddYqsTD2
家の曾祖父は近衛兵だったようです曾祖父は
戦争とはあまりかかわらなかったようです。
面白い話では祖母は造兵関係の仕事をしていたようですが
そこで工員はうどんとかが多かったようですが祖母はわざと
食券を忘れたりして軍人が食べていた白米のご飯やらおはぎ
をいただいていたようです、要領よかったんですね。
ちなみに祖父は九州で蛸壺作って米軍を待ち構えていたらしい
しかし我が家のトイレにはB29の不発弾(焼夷弾)が束になって落ちてきたようだし
近くにB29が墜落(?)したらしく大変だったようだ(名古屋市です)

708海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/21(金) 02:16:06 ID:G5Gmcu9e
>>705
福知山は陸軍ですね。今は陸自がありますね。
指令がなんか、イラクかなんかで有名なヒゲの大佐・・・じゃなくて一佐だそうでw
709名無し三等兵:2006/07/21(金) 03:02:29 ID:???
第十六師團第二〇聯隊
710名無し三等兵:2006/07/21(金) 03:02:47 ID:???
俺の爺ちゃんは潜水艦に乗って、ウルシーに回天打ち込んだらしい
もう一人は田舎で通信兵やってて、空襲も来ず平和に過ごしたらしい
711名無し三等兵:2006/07/21(金) 03:54:59 ID:gxteHGWj
うちの爺さんは帝国海軍に入ってた。
配属先は何故か三沢基地の守衛になったそうな。

ズーズー弁で
「おら何の拍子か回りは南方へ行ったけど、飛行場の番兵だった、
  目が良かったもんだから高射砲でグラマン狙ってた」
「グラマンは羽の形がこうなってたからすぐわがるー」
「やたらめったら、撃ったら駄目だ、
 まんず当たらないけど、よーぐ狙えばたまーに堕ちる」

それと、、ABCD包囲網の話を風呂に入った時に良くしてくれました。

もう亡くなって10年は経ちましたが、、セーラー服にドナルドダックの
ような帽子を被った写真が飾ってあります。
712名無し三等兵:2006/07/21(金) 06:48:39 ID:???
ウチの爺さんは対馬要塞で食事係をしてたらしい。
何せ聞いたのが随分とガキの頃だったから階級とか部隊の話は
さっぱり聞かなかったのが悔まれる。

で、その爺さんから聞いた話でよく覚えてるのは

・対馬要塞の40cm砲(赤城から下ろされた奴)が敵潜を撃沈した(らしい)
・食事に関しては困った事がなく大好きな玉子焼きばかり食ってた
・小船いっぱいの冬瓜を食わされて以来嫌いになったらしく
 今に至るも冬瓜だけは食いたくないらしい。

因みに当時婆様は佐世保に居たそうだが、
有る意味こっちの方が恐ろしい話だった。

・自宅は山の上の方にあり、佐世保空襲の時
 高射砲弾の破片が家の壁を突き破っていた。
・海軍工廠で働いてた婆様の親父(曽祖父)が昭和二十年八月九日の朝、
 南に飛んでいく一機のB29を目撃したそうだ。
 それから例の時間、物凄い音がして、その時は雷が落ちたのかと思ったらしい。

B29の話は広島と似たような感じで、やっぱり偵察だと言われてたそうな。

つーか上の話は母方の祖父母の話だが、
父方の祖父母は二人とも被爆者なんだよな・・・

母方の祖父母は食い物に困った、っていう話は全く聞かないが
農家だった父方の祖父母は随分苦労したという話をよく聞く。
713712:2006/07/21(金) 07:08:17 ID:???
そういえば曽祖父が工廠の仕事仲間から貰ったとかで
昭和十八年十二月一日発行の『海軍作戦写真記録U』(定価五円)
というのを祖母が保管してた。

今は漏れが所持。
開くと最初の何も無いページに曽祖父が描いたらしい水墨画がある。
内容は珊瑚海からインド洋までの主な作戦と現地人との交流や訓練風景など、
他に視察中の白い軍服を着た天皇陛下、古賀峯一長官の写真と
山本五十六の戦死を報じる記事(と写真)があった。

なんか物凄く貴重物なんじゃないかとは思うんだけど
いくら孫っつっても曽祖父が大事にしてたものを
投げやりに『やる』とか言ってセッタ吹かすのもどうかと思うぜ婆様よ・・・
714名無し三等兵:2006/07/21(金) 07:24:02 ID:???
>>696
写真の後ろといえば…
戦友と二人で撮った写真の裏に「二枚目の方が俺」と書いて家に送った私の祖父w
715名無し三等兵:2006/07/21(金) 09:01:07 ID:???
>712
>対馬要塞の40cm砲(赤城から下ろされた奴)が敵潜を撃沈した(らしい)
興味津々もすこし、おせーて。
716712:2006/07/21(金) 09:46:43 ID:???
>>715

実は漏れもあんまり詳しい事はわからんとです・・・('A`; スマソ

設置されていた40cm砲についてはそういう資料があるし間違い無いんだけど
敵潜撃沈に関しては爺さんの話だけなんで実際本当かどうかわからない
(だから『(らしい)』)

あとちょっと調べてみたが対馬要塞の40cm砲は土佐の奴で赤城の40cm砲は
壱岐要塞だったみたい。
サイトとか資料によってなんか土佐だったり赤城だったりだけどあんまり
変わらない気もしたりしなかったり・・・

というか爺さまが居たの壱岐要塞だったかもしれない・・・
爺さまの出身地は壱岐だし。
聞いたの幼稚園とか消防なり立てぐらいだったんで・・・ゴメンナサイ(´Д`;
717海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/21(金) 10:20:34 ID:6bp7YQM5
>>714
ははは、それは面白いですね。うちのじいちゃんは真面目で厳格な人だったので。
でも、そういう「頑固オヤジ」が減って来ているのも事実ですよね。俺らが消防の頃
は、まだ明治生まれが80台ぐらいで元気で、浪曲とか聴いていたのを覚えていま
す。今では明治45年生まれで94、5歳ですからね…昨日、95歳の浪曲師さんの
浪曲をラジオで聴いていましたがw
昭和で言うと、もう昭和81年。大正生まれの方も、もう少なくなって来たのかも知れ
ませんね…。

♪ヲタ〜の毒男のにーちゃーんきーんむ 日日祝祭日祭祭! 現代ニート替え歌w
718u:2006/07/21(金) 10:37:08 ID:ZudoRlSB
687> 輜重兵の自動車隊でしょーね。輜重兵には馬輸送のと、自動車輸送の2種類あったので。
719名無し三等兵:2006/07/21(金) 19:52:39 ID:???
>>716
横レスだが、興味深い一連のレスありがと。
関連の話が出た時、裏付けとなる貴重な話だし
今後も調べて誰かの疑問に該当したら答えてあげて下され。
720名無し三等兵:2006/07/21(金) 21:04:20 ID:???
父方のじいさんは中国に行ったって小さいとき聞いた。
良く分からないけど戦争で心臓を悪くしたらしくそれが原因で
俺が小学校1年生のとき亡くなってしまったから詳細は分からない。
母方の数年前100歳で亡くなった曾じいさんは小学校の校長先生で
じいさんは工場でなんか作ってたらしい。
721名無し三等兵:2006/07/22(土) 05:16:14 ID:???
>>718
レスアンカーぐらいまともに付けろよ
722名無し三等兵:2006/07/22(土) 15:38:42 ID:JlzSlRQv
>>706 
某有名軍事サイト「戦鳥」でも、
かつて本物の艦攻乗りだった搭乗員に向かって、真っ向から否定し己の知識をひけらかすミリオタもいますからね。
723海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/22(土) 22:24:08 ID:zfExNaKO
今日は以前に書きました機関兵曹長だった祖父の月命日でした。
仏壇に手を合わせ、祖父の戒名を唱えました。煙草を供えたかった
のですが、あいにく切らしていました。また、両切りのバットかしんせ
いを買って来ますね。大好きなおじいちゃんへ、孫より。
724名無し三等兵:2006/07/22(土) 22:56:24 ID:dnj3EKxR
>>721
夏厨だろ仕方ない。
漏れの家のじいちゃんは戦場に行く船に乗り遅れたから戦争に
行かなかったんだとさ。母方のじいちゃんはサイパン島から生き延びた
人なのに
725名無し三等兵:2006/07/22(土) 23:46:09 ID:Wdj/MXW7
俺のじいちゃんは、訓練の時に朝鮮人の上官に殴られまくって
兵隊が嫌で胃潰瘍になって、皮膚の表面だけの麻酔で手術をされた。
痛すぎて何度も気絶しては、また激痛で目が覚めるの繰り返しで
「殺せー!」と叫んだけど、「貴様それでも軍人か!」と言われたんだって。
んで、そのまま使い物にならなくてご帰還。
喧嘩が嫌いで、ひょうきんで怠け者だけど、敵がいないみんなに好かれて
友達の多いじいちゃんだった。天寿を全うした。

そのじいちゃんの兄は、通信兵でフィリピンのマリキナで戦死だって。(靖国神社で調べた)
しいじゃんの兄のほうの写真を見ると19歳なのに、威圧感のある目をしていた。涙が出そうになった。
帰ってきたじいちゃんの目は、、、、比べるとアホそのものだったw
726名無し三等兵:2006/07/22(土) 23:52:15 ID:???
俺の爺様はノモンハンを師団本部警衛任務でやり過し、
ビルマ、マレー、レイテをまんまとやり過した強運の持ち主。
一族の運を一人で使い尽くした気がしないでもないw
727名無し三等兵:2006/07/23(日) 00:01:17 ID:uyiSp/bx
俺の嫁さんがたのじいちゃんは特攻隊で、知覧に写真が飾ってあるんだって。
728725:2006/07/23(日) 00:24:42 ID:0bhTt/OE
わずかな麻酔での手術なんだけど、戦後何十年も経ってじいちゃんが年を取って心臓の手術をしたときに
麻酔が効いてるのに「殺せー!痛てぇーー!」と手術中叫びまくったそうな。手術室の外に聞こえるほどの
声で家族が麻酔が効いてるか心配だったと。
麻酔無しの手術がトラウマになって残ってたらしい。

手術後じいちゃんに、痛かったの?って聞いたら、「ぜーんぜん。寝てたからわかるわけがねー。」と言ったそうな。
ふざけたジジイだった。術後は、同室の人たちを笑わせまくったり、部屋の人たちを
巻き込んで大騒ぎして風紀を乱したということで、強制退院させられた。

729名無し三等兵:2006/07/23(日) 10:40:34 ID:???
>>728
執刀した医者たちは心臓バクバクものだったろうな。特に麻酔医。
まれに麻酔が効かなくて、意識がはっきりしているのに体が動かないという患者がいるらしいよ。
ナショジオか何かでやってた。
730名無し三等兵:2006/07/23(日) 11:55:28 ID:???
じいさんは痛いかもしれない。だが、わしは痛まない!!
ここが肝要。
他人がどう苦しもうと、全く問題ない。
唯一問題なのは自分の幸福だけ。
ククク。

って医者は思ってたよ。
731名無し三等兵:2006/07/23(日) 15:19:48 ID:???
私の祖父は戦前、日本郵船に勤務していました。
戦中は大洋丸に乗っていました。
大洋丸は米潜水艦に撃沈されたそうですが、祖父は生還。
その後、神戸空襲に遭って家を失い、故郷に帰ってまたもや空襲に遭って全財産を失いました。

大洋丸には八田與一氏が乗っておられたんですね。
実は最近になって知りました。

祖父はすでに故人となりました。
無くなられた先人たちに笑われないように、強く生きて行きたいです。
732名無し三等兵:2006/07/23(日) 20:18:39 ID:O/DuvbwQ
ばあさんの兄(大伯父)なんだけど、瑞鶴の通信、その後学校に行って鞍替えして大淀の電測
そして、それを知らずに海自に入って電測員になった俺
運命だな、これ
733名無し三等兵:2006/07/23(日) 20:42:26 ID:???
運命っていうか
キミの家系は電測に向いているDNAをもっているんじゃない?
734海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/23(日) 22:00:55 ID:???
>>733
となると、母方の祖父が機関兵曹長、父方の祖父が造船のクレーン技師、オヤジが造船の溶接技師、
母親がミシン工場縫製員の最古参な私は、技師路線を歩めという強烈なDNAなのだろうか!?

でも、中学の時の技術は2、小学の時のネジをつけるだけで出来る折りたたみ椅子も作れなかった私は
実は両親の種では無いのかも!?ちなみに職業は銀行員だから、主計科になるよね。はっ!そう言えば
妹も結婚までは信用金庫に行っていた…従兄弟の一人は先物取引の証券会社にいる。原油では儲けさ
せてもらった…隣の土地が買えたよ。そんな事ではなくw、私の世代から主計科DNAになろうとしている
のであろうか!?病院に言って聞いてみよう…多分精神科に回されると思うがw
735名無し三等兵:2006/07/24(月) 00:43:51 ID:lW9t6faT
うちの墓に日中戦争で戦死した人の骨壺がはいってるんだが、名前はわかるが我が家とどういう関係なのかさっぱりわからない。手続きとかそういう面倒なの無しにその人の詳細とか調べられないかね?
736名無し三等兵:2006/07/24(月) 00:57:47 ID:???
>>734
いや、あの… お前の自分語りは別に興味はないんだ。
書くんだったら爺さんの話を書いてくれや。な?
737名無し三等兵:2006/07/24(月) 01:02:37 ID:???
>734
余程面白くないと、長文も嫌われるんだよ2chって。
738名無し三等兵:2006/07/24(月) 02:12:32 ID:???
うちの母方の方の家系なんだけど、私の祖父(長男)の弟(三男)は、
予科練生で霞ヶ浦航空基地から、 三人乗りの特攻機で硫黄島に
飛び立ったそうです。
確か勲四等だったかな?のメダルみたいなの見せてもらった事あります。
あと、飛行気乗りは軍刀を短く折るそうですね。
739ポトデン ◆hWRgSJZNdg :2006/07/24(月) 05:26:32 ID:???
私の祖父(曹長)は ビルマにいました。
仕事は主に書き物が中心で食べ物には全く不自由しなかったそうです。
祖父の口癖は「イギリス人は〜で〜だ」でした。
そんな祖父も2000年に還らぬ人となりました。
今頃 あちらの世界で戦友と酒でも組交しているのではないかと思います。
740名無し三等兵:2006/07/24(月) 07:15:15 ID:???
>>735
A:「わしゃ、実は孤児で身寄りがないんじゃ。戦死したら、入る墓がないのう。」
B:「なんじゃ、わしの墓に入れちゃるわ(笑」
-----------------------------------------------------------------
B:「(大泣)ううう、なんじゃ本当に死にやがって・・・約束通りわしの墓に入れちゃる!」

※という事は結構たくさんあったみたいです。
通常通り、おじい様の軍歴照会から初めて、旧所属部隊の生き残り古老さんに尋ね回るしかないのでは?


>>738
折らない折らない、最初から短い短刀や脇差から『搭乗者軍刀』を拵えます。

741735:2006/07/24(月) 07:28:35 ID:lW9t6faT
>>740 その人が上海事変で戦死したとき、後に中隊長として大陸に出征した祖父は厨房くらいですから戦友でもなさそうだし、その人が死んだ所で戦っていたのは名古屋の連隊ですが、うちには名古屋には親類はいません。
742名無し三等兵:2006/07/24(月) 13:36:06 ID:???
>>741
真面目な話寺の坊さんに聞いた方が早いよ
墓の中の事は彼らの担当だから
743名無し三等兵:2006/07/24(月) 16:53:07 ID:???
みんなお墓参りには行ってますか?
だいたいの墓地には兵士の墓もちらほらあると思います
そうした墓の中にはけっこうな割合で墓石に戦死したいきさつが彫られていて
非常に興味深い物ですよ
ちなみに人んちの墓地に入るのをためらうかもしれませんが大丈夫です
悪い心をもって入るのでなければお墓の中の人は他人でも歓迎してくれますよ
でも最後にはちゃんと手を合わせて心の中でお礼をしましょう

744名無し三等兵:2006/07/24(月) 18:01:03 ID:Bm2crDCj
>724
上海で名古屋ときたらウースン絡みじやまいか。名古屋師団が文字通り玉砕。陸軍は戦闘自体なかったコトにしてすませた。で戦後まで戦死者の墓なんざ建てようものなら憲兵沙汰。
745名無し三等兵:2006/07/24(月) 19:03:35 ID:lM1zLWuf
うちの祖父の話では裏山に米軍の戦闘機グラマンがあるそうd
746名無し三等兵:2006/07/24(月) 21:48:44 ID:lW9t6faT
>>244 スゲー!過去張見たら「ウースンクリークニテ戦死」て書いてあったw
747名無し三等兵:2006/07/24(月) 23:00:52 ID:???
>744
玉砕?ちょっとオーバーなんじゃ。
748名無し三等兵:2006/07/24(月) 23:02:19 ID:xcH0eUa+
ばあちゃんから聞いた話なんだけど、住んでた町が空襲にあって
ばあちゃんたちは病院でけが人の収容を手伝ってた。
腹が裂けた人とか大勢来たらしい。
腹が裂けて、からだの中に爆弾の爆風というかガスがたまると
もう駄目らしいね。
天皇陛下万歳と言って死んでいく人はいなかったって。
みんな「お母さん」と言ってたって。
749名無し三等兵:2006/07/24(月) 23:11:47 ID:F4hobkM4

私の祖父<台北の旧松山空港>は紫電改にのって沖縄で戦死した!コルセアにやられた
本当に台湾人が中国人だったら、中国人は日本を守ったわけ!矛盾していないのか??

歴史の教科書の内容を訂正すべきだ
750名無し三等兵:2006/07/24(月) 23:26:39 ID:???
俺の爺さんは日本人のくせに他国の国軍で軍人だったようだ
満州軍というのが当時あったらしくてそこで色々やって
皇帝の溥儀陛下と話したことは一生の思い出・・・だったらしい

溥儀に陛下なんてつけてるのはじいちゃんだけで
「溥儀」ではなくて変な名前(子供の頃なんで忘れた。ごめん)で呼んでたけど

でもじいちゃんの写真には勲三等のメダルが・・・一生の思いではどうなったんだorz
751名無し三等兵:2006/07/24(月) 23:34:32 ID:???
>750
戦死していないんだろう!
特攻隊と比べられば、大したことはない!
752名無し三等兵:2006/07/24(月) 23:48:45 ID:???
皆が羨ましいよ。
俺んちは、叔父が3人出征して
3人とも帰ってこんかった。。。
753かさい:2006/07/24(月) 23:53:06 ID:NyvJnJiq
家の祖父は終戦後、シベリアへ抑留されていたみたいです。テレビなどでは、悪いことばかり言っていますが、中には優しいロシア人もいたそうで
754名無し三等兵:2006/07/24(月) 23:53:42 ID:???
>>751
なぜ特攻隊と比べるかな? そんなに戦死者が偉いのか?
戦死してもしなくても、それは戦ってきた結果なんだから
平等に扱うべきでしょ。中にはのんきにしていた人もいるようだが、
それは配属先の運という奴で、死ぬ覚悟をして出かけていったのには
変わりないでしょうが。
755名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:04:53 ID:???
>>745
裏山C話しやなあ(・∀・)
756名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:13:25 ID:???
神風隊、鉄血勤皇隊、回天隊こそ国の英雄だ!!
757名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:16:43 ID:???

ここで日本人として<神風隊、鉄血勤皇隊>に最高の礼を尽したかったからです
引用:
靖国神社は、神道ですが、ちょっと違うところがあります。
神道の信仰の中で、國や公共の為に、著しい貢献をした方で、その為に、命を捧げた方を神として祀り、この神様が、子孫の幸福を暖かく見守ってくれているとの信仰が神道にあります。
靖国神社は240万余柱のこのような神々を祀る神社なのです。
台湾出身真の方で先の大戦で亡くなられた志願兵、28,000余柱も靖国神社に祀られています。この方達は日本の守り神となったと日本では信じられているからです。

多分、大東亜戦争末期に龍潭から多くの若者が、沖縄の空を目指して特攻に飛び立って往かれたことをご存知の方であったと想像しています。
龍潭は近くの、八塊、観音両基地と共に沖縄に向けての前進基地として、1945年四月から六月まで陸軍特攻隊が連日のように出撃しておりました。
 龍潭は一式戦闘機“隼”を使う飛行二十戦隊の出撃基地であったと記憶しております。八塊、龍潭から飛び立った台湾の若者達、そして彼等が出撃までの数日をすごした、大渓と言う町の佇まいは六十余年を経た今でも忘れることが出来ません。


758名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:18:03 ID:???
鉄血勤皇隊は特攻隊じゃないし
759名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:18:43 ID:???
>>757
あのさあ、君の言動が死者を貶めてるって気づかない?
760名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:18:49 ID:???
本質が一緒だ!
761名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:19:48 ID:???
>>760
で、そこにあんたのじいさんが所属してたのか?
そうじゃないのならスレ違いだからよそに行ってね。
762名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:22:21 ID:???
靖国神社参拝すべきだ!
763名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:25:50 ID:Wlw6fALk
戦争で死んでいないABC級戦犯は靖国から出すべき。

この人たちが入れるなら、戦争に行って帰ってきてあとで病死した人も
靖国神社に入る権利がある。国のために命の危険を冒したんだし。
764名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:27:46 ID:Wlw6fALk
ちなみに皆さんのお祖父様方は靖国神社の戦犯合祀について
どういう考えをお持ちです?
765名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:31:45 ID:???
>>750
満州について検索してみるといいよ。
766名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:34:39 ID:???
>764
別のスレ行けよ
767名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:38:37 ID:???
うちのジジイは陸軍中尉だった癖して「威勢の良い奴ほど早く死ぬんだ」とか
ほざいてます。さすがシベリア送りで生きて帰ってきただけあるw
なんでも捕虜収容所で脱走騒ぎがあったそうで、命惜しさにしかとしてたらしい。
今は弱者いじめの小泉死ね、とか真っ赤になって吼えてます。靖国?聞くまでもないでしょ。
まあ生き残った奴はくずですね。皆死ぬべきだった。
768名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:49:20 ID:???
769名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:50:46 ID:???
何?オマエじいちゃん殺すのか?
770名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:51:18 ID:???
>>768
スレ違いだっての、サイトの宣伝うざ
771名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:52:16 ID:???
>>767
釣れますか?
772名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:53:25 ID:???
7月28日伴修二 中尉(東京麻布獣医)、小森一之一飛曹(県立高岡工芸電気科)、
8月10日水井淑夫 少尉(九大)、中井昭一 飛曹(大阪府立淀川工業校)、

8月12日林義明 飛曹(台南第一中)、発進戦死。

回天一基故障のため発進不能。(生還者、白木一郎)


773名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:53:55 ID:???
>>772
失せろ気違い
774名無し三等兵:2006/07/25(火) 00:58:47 ID:???
俺はそのじいちゃんが好きだ。
っていうかお前の言い方は絶対に許せない。

死んだ人はかわいそうだがそこで終わりだ。
ただ、残された人はどうなる。供に生きる人を亡くす痛みを思えば、生きて帰るべきだ。

皆生きて帰ってくるべきだった。

それは、米国人も、中国人も、
戦争によって世界中で死んだ人皆がそうだ。
皆、死なずに帰って、息子や孫の顔を胸に刻んで穏やかに死ぬべきだった。

775名無し三等兵:2006/07/25(火) 01:00:18 ID:???
うん、理想論。
776名無し三等兵:2006/07/25(火) 01:01:19 ID:???
「あなたのおじい様の戦争体験を教えて」

と書いてあるだろ
お前の意見なんかどうでもいいんだよ
777名無し三等兵:2006/07/25(火) 01:03:46 ID:???
>>775

皆死ねよりナンボかマシじゃね?
778名無しさん@胸おっぱい:2006/07/25(火) 07:12:00 ID:???
779名無し三等兵:2006/07/25(火) 07:21:28 ID:gtFuYnPi
てかシベリア抑留って本当に60万か?もっといる気がするが…
780名無し三等兵:2006/07/25(火) 08:43:18 ID:???
生き残りを一纏めに悪し様に言う
釣りか、さもなくば何故に軍板に居るのか

まぁ緑もどっかでそれに近い事言ってたな

弾の雨をかいくぐって終戦を迎える
特攻の順番待ちで終戦を迎える
様々だろうが皆さん長生きして下さい
781名無し三等兵:2006/07/25(火) 09:36:03 ID:ZfjYt54p
私の祖父はシベリアに抑留されて帰国することができましたがその時の話を一言も語りませんでした。
去年某所で知り合ったお爺さまがシベリヤ抑留体験を話してくれました。

・ロシア人は愚かで毎朝の捕虜の点呼もまともにできなかった。日によって人数が違ったりしていた。
 そんな愚民に捕らえられアゴで使われているのはとても情けなかった。
・ロシア人の日本人捕虜に対する冷遇はそれは酷いもので想像を超えるほどの肉体労働に対して食べ物は固いパンがほんのひとかけらだけでワシは骨と皮だけになってしまった。
・ある晩 寝ていると急に日本人捕虜が「ウォ〜〜〜〜〜」と大声で叫んで上半身だけ起き上がったかと思うとパタっと死んでしまった。
 その人は収容所の暮らしで気が触れて死んでしまった。
・わしは毎日ひもじくて毎日怖ろしかった。
などなど。

そして今日話したことは今まで家族にも誰にも一度も話したことがない、と仰っていました。
あまりにも辛い体験だったのだと察せられました。
782名無し三等兵:2006/07/25(火) 12:34:25 ID:???
爺さんの体験談代筆スレッド
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1153618912/63
よりコピペ

63 名前: ◆buj6R88svw [] 投稿日:2006/07/25(火) 02:57:55 ID:QxoYcewv
>>50さんと同様、ネタ認定とお考えの方はこちらをどうぞ
http://vipper.jpn.org/www/upload/src/VIPphoto7779.jpg
http://vipper.jpn.org/www/upload/src/VIPphoto7780.jpg
>>54さん
たしかに記憶って曖昧な部分がありますね自分も爺さんもそれは否定しませんし、
実際爺さんの記憶も不確実な点はあると思います
爺さんは他の兄弟3人と共同でうpした冊子(冊誌の方が正確かな)
を昭和60年に作ったみたいで、3人それぞれのメモや写真や記憶
やらを頼りに綴ったそうです互いの年月の勘違いがあったりして、
時には戦友に問い合わせたりして出来る限りの精査はしたそうです
それでも誤り、例えばこちら
http://vipper.jpn.org/www/upload/src/VIPphoto7781.jpg
昭和20年の軍人給与の金額や戦艦大和の建造費とかは左下にあるように
あとから追記加筆(と言うほどのものじゃありませんが)されていたりします
なので『いかなる訂正もやぶさかではない』これを強調させていただきます

余談になりますが、兄弟3人の任地はそれぞれが別の戦地で「南方」「支那」
「大本営」でした爺さんは「超極秘施設」だった為、1次ソースとして耐え得るだけの写真等は
ありません(つかむしろあったらおかしいですねw)がそれ以外の掲載写真は
全てオリジナルです決してどこかのサイトからパクッてきたものじゃあないです藁
また、一部文章と写真の下部を藻ありにしたのは、人物や名前が特定されてし
まうのを避ける為と写っておられる方のご遺族への配慮によるものです
>>60さん>>61さん
そちらへ移動したほうがよろしいでしょうか?
とりあえず今日はこちらに貼らせていただきますね
783海軍魂 ◆BrgfwA9w5k :2006/07/25(火) 14:08:49 ID:???
>>781
話したくないの、何か判るよ。露助は本当にひどい事をしたね。それでも復員・解員された方に、心から
敬礼を奉げたいと思う。
昔、勤務先で仲良くなったお爺さんがいた。戦争体験を嬉しそうに話してくれた。誰もそんな事聞きたが
らないそうで…。内容は惜しくも忘れてしまったが、最後に必ず「あれだけの事をやらされて来たワシら
じゃから、ちょっとやそっとの事では死なん」と言っておられたのが強烈に印象に残ってる。
 日本が急激に高齢化になったのは、医療の進歩もあるだろうけど、戦前・戦中世代の方は、そのタフ
さだと思う。戦後世代は医療の進歩の恩恵だけだと思う。

仕事を放り出してまで、聞きたかった戦争話。上司には怒られたけど、そのお爺さんは僕の肩を抱いて
「**さんはな、ワシの友達や!」と満面の笑みで、苦々しい顔の上司にそう言ってくれました。勤務先
に現れると、一目散に僕の所へ。敬語は絶対ダメで「友達に敬語使うヤツがおるかいな」…そりゃそうだ。

 で、それから毎年暑中見舞いと年賀状を出して連絡は取り合っていたそのおじいさんは、一枚目の年
賀状が届いた後、次の暑中見舞いの間に癌で亡くなっていました。今でもそのおじいさんの奥さんと、お
孫さんがパソコンを使えるそうで、毎年綺麗な印刷で送って来てくれています。又しても、目頭が熱くなり
ました。
784淀川長治:2006/07/25(火) 14:34:05 ID:xNlVGHhv
ハイ、コンバンワ。
みなさん、今日の映画。こわいよー。
今までサメが出てくる映画、たくさんたくさんありました。
ジョーズ、こわかったね。シャークシャークシャーク、これもこわかったね。
でもねー、今日の映画、もっとこわい!
太平洋戦争の末期、日本に落とした原爆。これをB29の基地まで運んだ
巡洋艦がいたんですね。巡洋艦、大きな大きな、アメリカの重巡洋艦。
原爆を運んだあと、母港へ帰ろうとしてたんですね。
そこへ!潜水艦。日本の潜水艦がやってくるんですね。潜水艦、敵艦を
見つけて魚雷を発射します、シャーって。魚雷が来る魚雷が来る、でも
巡洋艦は気が付かない。魚雷が。ダーン!て。当たっちゃうんですねぇ。
巡洋艦が沈む、SOSを打つ暇も無く夜の海に沈んでしまう。こわいねー。
でもね。本当にこわいのは、ここからなんですよ。
さめ。大きな大きなサメが、やってくる。それも、たくさんたくさん、
やってくるんです。海のうえに投げ出された乗組員達、このなかに
まぁあの恐ろしいサメが群がっていくんです!一人、また一人、あっちでも
こっちでも続々とサメの餌食になっていくのね!でも助けは来ない、
いつまで経ってもやって来ない。乗組員達の恐怖、恐怖、たまりませんねぇ。
どうやってこの危機を乗り切るのか。最後まで、こわくて目が離せませんよ。
じゃ、後でまたお会いしましょうね・・・。

http://science4.2ch.net/test/read.cgi/wild/1105014847/l50
785名無し三等兵:2006/07/25(火) 17:21:56 ID:???
>>783
ささやかなツッコミ。
>で、それから毎年暑中見舞いと年賀状を出して連絡は取り合っていたそのおじいさんは、一枚目の年
>賀状が届いた後、次の暑中見舞いの間に癌で亡くなっていました。
毎年じゃねえじゃん。しかも暑中見舞い爺さんからは来てないじゃん。
786781:2006/07/25(火) 18:42:52 ID:ZfjYt54p
続きを思い出したので書き足します。

・あまりにひもじかったので見張りの目を盗んで抜け出し町で(自分の)ふんどしを売ってお金に代えた。
 そのふんどしはもちろん使用済みのものだがなぜかそれがロシア人女性に人気で、ワシのふんどしを頭にこうしてターバンみたいにして巻きよった。w
・シベリアから帰国船に乗りこんだところ、何日かしてものすごい台風に見舞われた。
 そうして気付いたら船が北海道の北の先端におったんや。つまり大阪(その方の故郷)に向けて進んでいた船がまたロシアのほうに戻っとったんや。
これには二人で大笑いでした。
・やっとの思いで大阪に着くとワシは必死で隠し持っていた金で女の人を買いに行ったんや。
 そうしたらもう久しぶりの事やろ。すごくいい思いしてわしもう一回買いに行ったで。

この二つの話の時にはそのおじいさまは笑顔でした。
787名無し三等兵:2006/07/25(火) 19:13:56 ID:YK+8Okv0
さっきばあちゃんにひいじいさんの弟の話しを聞いたのね。
その人は結婚も決まってて、戦争から帰ってきたら結婚して幸せに暮らすはずだったらしい。
ニューギニア戦線?だかで飢え死にしたらしい..どなたかこの戦線について詳しく教えてもらえるでしょうか?
自分のひいじいさんは体があまり強くなかったから戦争には行かなかったってばあちゃんが言ってた。
5年前に死んじゃったじいちゃんは軍隊の学校だかいってて普通だったら一等兵>二等兵だかに昇格するのを?いっきに隊長だかになることをやってたらしい。戦場にはいってないみたいです。
小学校のころ戦争の話をじいちゃんに聞いたときは穴掘ってるところを戦艦の大砲が頭の上を真っ赤にしながら飛んでいって耳がつんぼになりそうだったとかって話を聞いた覚えがあります。
ちなみにおばあちゃんはこの戦争のことを大東亜戦争と言ってます。
788名無し三等兵:2006/07/25(火) 20:20:31 ID:???
>>787お前さん、歳幾つだ?
どう見ても歳取ってそうだから釣りだろうけど

あえて釣られて言えば、大東亜戦争位、常識だろう。
後ニューギニア戦線と言っても、ピンからキリまで色々ある。
陸海軍っちの兵かと、いた地域・所属部隊名を書いとけよ。
789787:2006/07/25(火) 20:34:08 ID:???
年は22です。部隊名とかはおばあちゃんでも知らんとです。
790名無し三等兵:2006/07/25(火) 21:10:44 ID:K8KGEuCI
>>788
大東亜戦争は単語としては常識であっても
太平洋戦争を使うか大東亜戦争を使うかで論争になったり
軍国主義者だ、いや左翼思想だ、の踏み絵とすらされる言葉
この事情を理解すれば、>>787の最終行の意味もわかるはず。
軍事知識もいいが、その経緯もわかって使わないと恥かくよ。
791名無し三等兵:2006/07/25(火) 21:23:27 ID:???
うちの爺さんは、学校出てすぐ少尉だったそうで
同じ歳くらいの水兵が、一曹などたいした事ない位の人達に虐められてるの見て不憫に感じてたようです。
下士官は、腐った連中が多く学校出たての少尉にはへこへこしてる癖に
水兵にたいしては、鬼のような存在だっと言っておりました。
終戦後の話ですが、下士官や兵だった奴等が仕官の軍服を着て街を歩く姿をよく目撃したそうです
よほど仕官になりたかったんだなとも申してました。
792787:2006/07/25(火) 21:24:13 ID:???
>>790さんありがとうございます。なるほどそうなのですか。自分は韓国はなぜ反日か?って言うサイトをみてから歴史とか戦争、政治に興味を持ち始めました。
そのサイトでは大東亜戦争と言ってました。自分の中学校のときの教科書には太平洋戦争とのってました。
それでおばあちゃんは大東亜戦争といってたのでやっぱ違うこと教わってきたのかなと...
なんか意味不明かつスレ違いすいませんです。
793787:2006/07/25(火) 21:37:03 ID:???
あなんか自分宛のレスではなかったようですね。すいません
794名無し三等兵:2006/07/25(火) 21:47:47 ID:???
>791
下士官は、腐った連中が多く、ですか・・・
ちょっと悲しいですね
795名無し三等兵:2006/07/25(火) 21:54:51 ID:1n2+A+3E
日本は一般的に下士官が優秀で将校が無能だと思います
796790:2006/07/25(火) 22:07:47 ID:K8KGEuCI
>>793
直接はあなた宛のレスではないけど
最後の一行に鋭いものを感じたので、その後の常識云々にレスしたんで
無関係レスではないよ。まぁ気にしないで。
その他じゃ憲法に平和憲法と枕詞をいれるとか、用語の使い分けはかなり
深い意味合いを持ってるので、さらに調べれば面白い事がわかるよ。
自分こそスレ違いなのでこのへんで。
797名無し三等兵:2006/07/25(火) 22:13:01 ID:???
ぼくのひいじいさんは竹やりでB29を撃ち落とす名人でした。
798名無し三等兵:2006/07/25(火) 22:14:51 ID:sCWtsgfM
終戦の年、伊丹飛行場で陸軍3式戦闘機「飛燕」の
整備兵をしてたとか。
階級差でとてもパイロットとは話ができなっかたらしい。

799 ◆hH0An03gvE :2006/07/26(水) 00:43:22 ID:???
こちらに書き込んでる方のおじいさまの中には
硫黄島(や父島)に行かれた方はおいででしょうか?
本の出版準備(私ではなく友人の)として今、あちこち探してる所です。
アド入れときましたんで、どんな情報でも結構です、教えてください。
800名無し三等兵:2006/07/26(水) 00:50:33 ID:???
>>799
メール業者さんアド収集はお止めください。
801名無し三等兵:2006/07/26(水) 01:38:59 ID:uVAncO4O
祖父はなんかトラックんの部隊でフィリピンあたりに行ってたみたい、
上空から見ると敵から丸見えなので飛行機の音するとみんなでトラック
から降りて木陰等に避難したって。終戦後捕虜から解放されて帰ってきたら
しいけどその隊で帰ってこれたのは数名だったとか。
どこに所属してたかとか調べてみたいが手がかりないもんかな、
802名無し三等兵:2006/07/26(水) 01:55:01 ID:wgFQsN4e
このスレは良スレなんで下記のようなものをテンプレに入れたいんだがどうかな?
できればテンプレとして長く使えるようにまとめたい。


軍歴照会のしかたはさんざんガイシュツでこのスレでも2〜3回見た記憶がありますが、
・もとの陸軍の軍人については、退職時の本籍地を管轄する都道府県庁の援護担当課
・もとの海軍の軍人については、厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。

陸軍と海軍の区別くらいつくでしょうから、該当するほうに電話するなり手紙を書くなりして
ご照会ください。

このスレに何度も出て来ますが、元・海軍の軍人さんについては
 『厚生労働省、社会援護局業務課調査資料室』
が軍歴資料を(存在すれば)保管しています。
まずは厚生労働省の代表・03-5253-1111 に電話して尋ねてくだちぃ。
なお、必要書類として
 ・請求書(書式は自由。戦没状況・軍歴を知りたい旨、およびその理由を記す。戦没者氏名、生年月日、本籍地、判る範囲での軍歴を併記)
 ・戦没者の除籍謄本のコピー
 ・戦没者と請求者の血縁関係が確認できるもの(請求者の戸籍謄本のコピーとか)
 ・請求者の住民票
 ・請求者の身元が証明できるもの(運転免許証や健康保険証のコピーとか)
が要るらしいですぜ。
803 ◆hH0An03gvE :2006/07/26(水) 16:14:51 ID:???
>>800
> >>799
> メール業者さんアド収集はお止めください。

大真面目な話です。
804名無し三等兵:2006/07/26(水) 17:00:26 ID:???
>>803
匿名掲示板で素性も知らない奴に、
メールしてくれと言われて、はいそうですかと
メール送ると思うか?常識で物を考えろ。
805名無し三等兵:2006/07/26(水) 17:59:11 ID:???
>>803
・・・取材を全くせずに(=努力をせずに)メールを送らせてネタをパクッて本を書く、
恥ずかしい行為だと思います。
806名無し三等兵:2006/07/26(水) 19:15:42 ID:???
俺のじいちゃんは最初は長門に衛生兵で乗ってたそうだ。なんでも製薬会社に勤めていた関係で。
そののち空母赤城に乗ってミッドウエー海戦で赤城が沈んだのでビルマ戦線に参戦。
行軍中に敵の攻撃があって部隊がバラバラに・・・
行方不明となってその後戦死となったそうだ。
おふくろはひょっとするとまだ生きているかも・・・とテレビでビルマが出ると食い入るように見ている。
807名無し三等兵:2006/07/26(水) 19:24:29 ID:???
衛生兵は敵から攻撃されないはずだよ
808名無し三等兵:2006/07/26(水) 19:30:12 ID:???
>>807
じゃぁ、俺のじいさんだけ攻撃されたのかな?
809名無し三等兵:2006/07/26(水) 19:43:24 ID:???
>>808
条約で病院と病院船と軍医と衛生兵と看護婦は攻撃しちゃいかん事になってる
米軍も広島と長崎と釜石と沖縄以外では病院を攻撃目標にはしてない
流れ弾や誤爆はあったかも知れないけど
そもそもB29の乗組員に、病院を避けて原爆を投下しろと指令が出てた
810名無し三等兵:2006/07/26(水) 19:45:23 ID:???
           __        ヽ l //
          〈〈〈〈 ヽ    ―― ・ ー―――   ← >>809
          〈⊃  }      // | ヽ
   ∩___∩  |   |    / / |  ヽ
   | ノ      ヽ!   !      /   | .┏┓┏┳┓
  /  ●   ● |  /   ,,・_   .┏┛┗┻╋┛
  |    ( _●_)  ミ/ , ’,∴ ・ ¨  .┗┓┏┓┃
 彡、   |∪|  /  、・∵ ’       ┃┃┃┃ ┏┳┳┓
/ __  ヽノ /               .┗┛┗┛ ┗╋┛┃
(___)   /                         ...┗━┛

811名無し三等兵:2006/07/26(水) 20:08:03 ID:OZYe3EKR
自分の祖父は、ビルマの竪琴を見ると
遠い目をします。ビルマに奥さんもいたらしいですが・・
戦争の悲惨さは教えてくれません、ただドイツがホロコーストしただ・・

スターリンは悪魔だとか言うが、日本も証拠隠滅をしただけで
ドイツ人の方が、文献が残ってるだけ良心があると言ってた。

また戦犯を受ける階級でなくて良かったと言ってる。
軍事恩給と年金で、今は悠々自適。
812名無し三等兵:2006/07/26(水) 20:17:47 ID:???
>>811
ちみは在日でつな?クマー
813名無し三等兵:2006/07/26(水) 22:06:09 ID:???
>>812
在だったらもっと日本語上手いでしょ。
814名無し三等兵:2006/07/26(水) 22:37:31 ID:???
各々方、夏は日本語が少々不自由な者が常にも増してどのスレにも現れる
誤字脱字、変文はスルーでよろ

俺も日本語変だな・・・・・吊ってくる
815名無し三等兵:2006/07/26(水) 22:45:35 ID:???
>>811
戦犯に階級は関係ないことを知らんようだ
816名無し三等兵:2006/07/26(水) 23:02:30 ID:Pri4lpdV
>812
ビルマの奥さんを、捨てた?
817名無し三等兵:2006/07/26(水) 23:21:18 ID:NIpEqMjR
じいさんというか俺は年が10代だからじいさんは戦争にいっていないが、知り合いにたくさんいますよ そういう人
親戚類からあたると、じいさんのおじさんは大和の機関員で、水上特攻のときに大和にのって死んだとききましたし、もう一人のおじさんは駆逐艦に乗っていてフィリピン沖で撃沈されて沈んだらしいです。
ばあちゃんのおじさんは満州に行って戦ってたみたいなんですが、母親が恋しくなってわざと足怪我して本土に帰ったりだとか、でもばあちゃんのおじさんたちは全員生きて帰ってきたそうです。
あと、しりあいに、大村の海軍基地で月光の偵察要員してた人もいますし、戦艦「金剛」に乗った人もいますし、戦艦「霧島」に乗った人もいました。(どちらとも戦前に乗った。)
3人ともその後 海自・空自 にはいって今は引退してます。
大村基地にいたおじいさんは、その後レーダー技術を取得してエレクトロニクスを専門とした分野を幅広く取り扱っていました。空自の階級は2等空佐だったそうです。
とまぁ、長々と書いたけど、結構います
818名無し三等兵:2006/07/27(木) 00:57:56 ID:???
>>806
うちの亡くなった祖父も海軍の看護兵だった。
本人から昔聞いた話だと、フィリピン方面の島で塹壕掘ってたら、
米軍機の爆撃にあって、祖父ともう一人だけ助かったそうだ。
祖父は逃げ遅れて思いっきり機関銃狙い撃ちされたのに奇跡的に助かり、
先に防空壕に避難した人たちは直撃受けて全滅。
そこにいたのは医療チームだけだったのに。
819名無し三等兵:2006/07/27(木) 07:23:12 ID:xEPt29TB
俺の爺ちゃんは満州だったけど、病棟は兵舎より少し遠くに設けてたみたいだが、中国兵はそれでも平気に病棟にも実弾を撃ち込んでだらしいよ。ヒドス
820名無し三等兵:2006/07/27(木) 11:53:45 ID:???
ビルマの竪琴をまともに読んだこともない人が多いよね。

あれ、児童文学だって知ってて持ち出してくるんだろうか?人食い人種が
登場したり、現地の娘とのラブロマンスがあったりする話だぞ。
821名無し三等兵:2006/07/27(木) 11:56:13 ID:???
>>806
>ミッドウエー海戦で赤城が沈んだのでビルマ戦線に

はて?海軍さんはどこを行軍したんでつか?
822名無し三等兵:2006/07/27(木) 12:05:35 ID:???
>>787
>5年前に死んじゃったじいちゃんは軍隊の学校だかいってて
>普通だったら一等兵>二等兵だかに昇格するのを?いっきに
>隊長だかになることをやってたらしい。

2パターンが考えられる。

(1)赤紙で召集され、新兵訓練を受け、二等兵になり、兵役中に
一等兵。除隊するころに、一等兵のままで除隊する人と、上等兵に
なって除隊する人がいる。実は上等兵と一等兵の差は結構、大きい。
(例えて言えば、亀有公園前の両さんと大原部長ぐらいの違い。)
上等兵になって故郷に帰ると英雄だよ。戦地にいって伍長・軍曹にでも
なれば、叩き上げ。軍隊階級と警察階級を比べると、巡査部長・警部補
クラスが上等兵〜曹長に相当する。ま、警察より軍人の方が人数が多いしね。

(2)士官学校に行って、無事に任官。いきなり少尉で小隊長。
要はキャリア。踊る大捜査線の柳葉俊朗。
823名無し三等兵:2006/07/27(木) 16:14:42 ID:???
>>821
赤城で検索汁
824名無し三等兵:2006/07/27(木) 19:31:09 ID:???
>>821
ビルマのイワラミ川で爆撃にあったのが最後だ。
クズ。わかったか?
825名無し三等兵:2006/07/27(木) 20:29:20 ID:???
>821

ビルマの海軍と言えば第13警備隊深見部隊が全滅しとるな。
826824:2006/07/27(木) 20:37:25 ID:???
>>825
ありがとう
827名無し三等兵:2006/07/27(木) 22:00:56 ID:???
>>826
事実を述べているのに、
浅はかな考えで疑われると腹立ちますよね。
828名無し三等兵:2006/07/27(木) 22:07:32 ID:???
粘着してるヤツもうっといけどな。
829名無し三等兵:2006/07/27(木) 23:02:15 ID:???
>>826
とは言ったものの、貴様も
『ビルマにも海軍基地とかあったんですよ。』
と言えば済んだのではないか?
830名無し三等兵:2006/07/27(木) 23:09:17 ID:b86PMrKh
たった3年でシベリアから帰ってきたじいさんは全くアカではなかったが…何故だ?反動分子とか言われると帰国が遅くなったと聞いたが…
831名無し三等兵:2006/07/27(木) 23:19:00 ID:Yy/rWF+X
祖父はソ連兵にあとからもっと元気なのがくるおと言って逃げたそうな
832名無し三等兵:2006/07/28(金) 00:37:10 ID:mAfOMztJ
そういや祖父の戦友…満州で列車から飛びおりて脱走…60年後…孫が偶然友達だった…不思議なめぐりあわせだなぁ…
833名無し三等兵:2006/07/28(金) 00:45:04 ID:???
祖父はイースター島で終戦を迎えたそうです。
何でも乗ってた輸送船が撃沈されて、気がついたらイースター島にいたとの事
戦争が終わった事を知らずに、イースター島に2年もいたようです。
そもそもイースター島周辺で海軍が、軍事行動をしてたのですか?
モアイのある島って本人が言ってましたから、間違いなくイースター島だと思いますが
834名無し三等兵:2006/07/28(金) 00:51:16 ID:???
>>830
アカ教育をされたのは、洗脳しやすい10代の若い人間が多いって聞いたことある。
835名無し三等兵:2006/07/28(金) 01:51:50 ID:???
>>833
イースター島以外にもマリアナやポリネシアにも巨石文明はあって
石像がいくつも残っているよ、それをモアイと思いこんでいるのかも。
836名無し三等兵:2006/07/28(金) 02:16:25 ID:???
家のジサマも満州に行ったり空母に乗ってゼロ戦の整備をしてたらしい。
爆弾懸架フックの調整や、機銃の撃発装置とプロペラの同期を取る機械の整備をしたとか言っていたが、
話を聞くたびに機銃の口径が変わるから信じていいものかどうか・・・。
837名無し三等兵:2006/07/28(金) 04:34:55 ID:lvdgWIkq
俺の爺は陸軍の予備役で終戦迎えたとのこと。今80歳
婆は神戸大空襲の生き残り
838名無し三等兵:2006/07/28(金) 06:58:55 ID:???
>>798
飛行第56戦隊の整備ですね。
中村中尉とかご存知なのでしょうか?
839名無し三等兵:2006/07/28(金) 13:59:20 ID:???
三年前に亡くなった祖父は終戦後、捕虜としてシベリアに抑留させられていた。
軍医だったことと、ロシア語に精通していたことで(そのせいでスパイの疑いをかけられた)
結構優遇されたらしい。
過酷な肉体労働は最初のうちだけで、
半年を過ぎた頃にはロシア人を手伝って
病人の看護にあたっていた。
ある朝、帰国の日を告げられたのだが、ロシアの軍人が「あと三か月残って助けてくれないか」と迫った。
あんまり必死なもんだから祖父も折れて、「三か月だけなら」と承諾した。
ところが、三か月たち半年になり…ロシア人たちは何も言ってこない。
それどころかとぼけた素振りをみせる。
恐ろしくなった祖父は「とにかく帰してくれ!婚約者が待ってる!(祖母のこと)」
と訴えた。思わず号泣してしまったらしい。
840名無し三等兵:2006/07/28(金) 14:09:04 ID:???
その様子をみてロシア人たちは、
「わかった。次の船で必ず日本に帰すよ。約束する」
と言ったそうだ。
祖父は帰ってこれて良かったよ〜と笑って話してくれた。
今だから笑えるんだよな…と悲しくなったよ。
その他にも…
・戦友が寒さの余り凍死した、朝目覚める度に
友達が減っていった。
・広い牧場のような場所で草刈りをさせられた。
鎌で体を切っても寒さと空腹で感覚が無かった。
・便所の紙がカチコチ。
ズボンの尻の所に血の点が付いていた。
・深夜、ロシア人たちの兵舎?に呼び出され迫られた。(うほっな人達が多かったらしい)
あんなに優しいじいちゃんが人を殺せるなんてなぁ…戦争って嫌だな。
841名無し三等兵:2006/07/28(金) 14:20:00 ID:???
うちの爺さん海軍で空母赤城に乗ってた、横須賀の実家に救命胴衣?みたいの
あったんですけど、死んでからかみさんゴミに捨てた・・・・
842名無し三等兵:2006/07/28(金) 16:27:24 ID:GmhJSIak
もったいないなぁ〜それってかなりの貴重物なのに・・・でも、それよりも貴重な戦争体験の話をしてくれる方々が、少なくなってるのもこれ現状!
843名無し三等兵:2006/07/28(金) 17:22:36 ID:???
亡くなった祖父は、小学校卒で大工になり昭和13年に
赤紙で入隊。
終戦時は陸軍の曹長だったとの事。
静岡の連隊?で、中国に出征。
馬に乗っている写真があります。
小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまでなれる
のでしょうか。
それと、入隊時に一つ上の階級(上等兵?)の先輩とペアを
組んで色々指導される仕組みがあり、その相手を『戦友』と
呼んだそうですが、これは静岡だけの話でしょうか?
暴力的な先輩の多い中、祖父の組んだ『戦友』はとても
親切な方で、終戦後も手紙のやり取りをしていたそうです。
844名無し三等兵:2006/07/28(金) 17:32:06 ID:5fsGLgRJ
>>842
戦争体験のあるお年寄りの方々が亡くなるとまた捏造&デタラメな話が・・
845名無し三等兵:2006/07/28(金) 17:48:04 ID:???
>>836
亡くなった叔父と同じだ。
「射爆員」というそうな。
846名無し三等兵:2006/07/28(金) 17:58:12 ID:IbwNsJ6Y
家の母方の爺ちゃんは中三の時長崎の爆心地ちかくの三菱兵器の工場で学徒動員で魚雷の組み立てを
してたらしい。原爆が落ちた日は偶然夕方からの勤務だったので、爆心地から離れていて難を逃れた。
爺ちゃんの父ちゃんは商船の船員だったが乗ってた船が南方で潜水艦にやられて船もろとも海の藻屑になり
戦後は年の離れた弟を育てるため進駐軍相手のバーでバーテンをして必死に働いて弟を大学に入れたらしい。
その弟(つまり自分の大叔父)はそのせいで今でもじいちゃんに頭が上がらない。
847名無し三等兵:2006/07/29(土) 00:43:59 ID:???
>>843
>小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまで
試験を通ればなれるのでは?
部隊がノルマとして試験に通したいのならば
上官などが予想問題や対策などをしてくれると思う。

>『戦友』
ググったけど解説サイトがないみたいなので拙く答えます。
字面からは「戦場のお友達」のように見えるが、実際はそうではなく

『部隊からペア指定された「戦友」と呼ばれる
生活や行動を共にする経験者と新兵のペアシステム』の事。
(日本限定の話、と思う)

「戦陣訓」(ググれ)に「戦友」の意義づけがあったと思う。
戦友ペアで戦闘をするかどうかは知らない。
この辺の「当時の人にとっての常識」を理解してないと
当時の資料も心情も読み間違う。
最近の歩兵戦闘では「バディ」として二人一組で戦闘を
するのが流行っているが、これは生活までは束縛されないと思う。
848843:2006/07/29(土) 01:19:13 ID:???
>>847

詳しいレスを心より感謝致します。
『戦友』については、断片的に祖父母から聞いた内容は
まさに847さんの解説そのものでした。
「戦陣訓」については初めて知りました。
入隊してから、寝る間も惜しんで勉強(試験の為に)したと
いう祖父は、故郷の貧しい家族のために一生懸命努力したのだと
思います。温和だった祖父の事をしみじみ思い出しています。
ありがとうございました。
849名無し三等兵:2006/07/29(土) 01:27:56 ID:???
>843
静岡連隊で、中国戦線なら34連隊かな。俺の爺さんもそこにいたよ。
もっとも、俺の爺さんはずっと内地にいて、一番遠くに行ったのが
御前崎での陣地設営だったか、架橋工事だったらしいけど。
850名無し三等兵:2006/07/29(土) 12:23:29 ID:???
父方の祖父(同居、まだぴんぴんしている)は大陸で馬の世話。
大叔父その1についてはどうだったか聞いていない。(存命)
大叔父その2はフィリピン方面で戦死。
大叔父その3は地雷を用いた対戦車肉薄攻撃訓練中に終戦。(存命)
母方の祖父は海軍だったはずだが、本人はなにも語らずに7年前に亡くなった。
(遺品整理で出てきた軍服を伯父が処分してしまい、母・俺・弟で激しく憤ったことも)

問題は戦死した大叔父なんだが、
戦死日:昭和20年3月6日、戦死地:比島カポレ
この「カポレ」がどこだか分からない。どなたか分かる方いらっしゃいます?
851836:2006/07/29(土) 16:18:24 ID:???
ちょうど家に帰る機会が出来たので、それとなく話を聞いてみた。
空母に乗ってたというのは俺の聞き間違いで、実際は満州から帰って飛行隊に入ろうとしたものの
年齢上限を二ヶ月オーバーしていて弾かれた。それでも、基地で整備の仕事をしてればそこから飛行隊に行くツテがあるとの情報を得て
陸上基地で任についていたのだという。
もっとも生活様式は海軍式で、艦に乗っているのと変わらないものだったというが。

機銃の口径も7.7mm、13mm(撃墜したグラマンの機銃を参考に作られたのだという)、20mmというのはそうなのだが、
機首が7.7、翼に13mmと20mmが積まれていたと・・・。
52型なら乙が3口径みんな積んでて、丙が翼に13と20があるから、このへんで混同してるのだろうか。
852名無し三等兵:2006/07/30(日) 12:05:03 ID:3M8x6Gqw
自分の知り合いに陸軍中野学校出身のじいさんがいるんだよ。
世間話をするんだけど、この人のむかし話がとんでもなく面白い!
中野学校への入学の経緯、訓練の様子、満州での地下工作、終戦直前のソ連との戦闘、
その後のシベリア抑留生活、引き上げ時の政治的折衝など、全部が本や映画になりそうな内容なんだよ。

このじいさん、そういったことを全部回顧録にしてノートに書いてるんだよな。
もういい年なんだよな、
身よりいないんだよな、
欲しいな、あのノート…

853ヴァンツァー厨:2006/07/30(日) 13:48:16 ID:???
うちの亡くなったおじいさんはシンガポールで英軍の捕虜になったそうで。

「イギリス人はプールでフルチンで泳いでおった」
「風呂に入れない時はチンポだけでも洗え」

このふたつを胸に刻んで戦訓としています。
2つ目のはムツゴロウさんも密林に入る際の覚えとして同じ事を言っておりました…
854名無し三等兵:2006/07/30(日) 14:07:46 ID:6oDPXN2o
チンコ洗わないとなんか不味いことでもあるの?
855名無し三等兵:2006/07/30(日) 14:16:22 ID:???
思ったんだけどさ、昔の戦いの絵画はあるけど、近代戦の絵画って見ないよね。
描く奴いないのかな?
856名無し三等兵:2006/07/30(日) 14:47:29 ID:???
>>855
絵画で見た事がある奴は、ノモンハンだかの日本軍の奴が、俺の知る限りでは最新。
湾岸とかベトナムとか朝鮮戦争の奴はあまり見ないなぁ。

こんなのがHDDの中にはあったけど。
ttp://cgi.2chan.net/f/src/1154238411564.jpg
857名無し三等兵:2006/07/30(日) 15:30:39 ID:o5nW1p2o
>>855
調べ方が足りないのでは?
ガダルカナルや硫黄島の戦闘の近代絵画も見たことあるよ?
図書館の資料にあったな。
858名無し三等兵:2006/07/30(日) 15:34:48 ID:o5nW1p2o
ジャングルの中を肩を貸し合って歩く血まみれの負傷兵たちの絵画や
夜間、舟艇から上陸をする日本兵の絵画、
玉砕突撃の前に杯をかわす兵士たちの上に、ジャングルから木漏れ日がさす絵画
夜間のジャングルを、山のように物資を背中に背負って、用心深く進む補給輸卒の姿
数人の兵士が対戦車砲を構え、その先に破壊されたM4の描かれた絵画等など
859名無し三等兵:2006/07/30(日) 17:23:11 ID:???
860名無し三等兵:2006/07/30(日) 18:40:59 ID:Gc+d+LNV
ある戦争画家が息子である海軍将校が死んでから、描いてる肖像画をテレビでみたが、息子と父親の「魂」が入っていてすごい肖像画だと思った。
861名無し三等兵:2006/07/30(日) 20:15:45 ID:???
>>853
インキンになります。すごくかゆい。
足は洗わないと、すぐにまめができます。
熱帯を歩くとき風呂に入れないならば、足と金玉だけは
洗うのが常識です。ガイドにもそういわれますよ。
女性の場合も同じね。
862名無し三等兵:2006/07/30(日) 20:42:25 ID:???
デリケートな部分の痒みに悩むアマゾネス萌え!
863名無し三等兵:2006/07/30(日) 21:02:36 ID:???
>>852
自費出版の方法でも教えてあげなよ。
それともどこかの出版社にノート見せて買ってもらうとか。
じいさんが契約料or印税の恩恵を受けられるうちに話進めてやれ。
864名無し三等兵:2006/07/30(日) 21:33:39 ID:a3DCMsJu
海軍生活の基礎知識はここを読むといいかもネ。
http://aimy.or.tv/book/top_page.html
865名無し三等兵:2006/07/31(月) 00:25:11 ID:EIc+US/H
内のじいさん、フィリピンにいたんだけど、肩、腹、胸に弾くらって、隊長はもう助からないから、置いていけって言ったんだけど親友が絶対に助かるって言って、運んでくれたんだって、だからじいさんは友達は大切にしろっていつも言ってたな〜。
866u:2006/07/31(月) 13:05:19 ID:N9hGP+Se
>>843
「小学校しか出ていないのに、叩き上げで曹長にまでなれ」ます。准士官・下士官は、ほとんどが高等小学校卒業です。今で言えば高卒。曹長は優秀な軍曹から進級しますが、試験はありません。戦時中は人手が足りないので、曹長に進級するのは早かったはずです。
現役下士官は、だいたい27・8歳くらいには曹長になっています。
「戦友」はひとつ上の「階級」ではなく、ひとつ上の「年次」です。1年目は初年兵、これに2年目の「2年兵」が先輩としてペアを組んで、内務(戦闘以外の軍隊生活)の面倒を見ますが、実際は2年兵の面倒を初年兵が見てあげていました。
寝台の整理整頓、銃器の手入、洗濯、繕い物、靴磨きと専属メイドみたいなものですね。寝台が隣合せに決まっていて、「寝台戦友」とも言います。たいてい先輩の戦友は昼間いばっていても、こっそり毛布の下にアンパンなど入れて戦友初年兵の労をねぎらうのが習慣でした。
2年兵が炊事兵だと、時々、腹の減っている初年兵戦友にこっそり余ったトンカツを食わせてくれたりした、という話もあります。このペアは中隊の人事掛が決めます。
どこの聯隊でもこうなっています。戦闘では内務班とは別の編成(分隊・小隊)をつくるので、離れ離れになって別の部署につきます。
たちの悪い古兵(二年兵)から私的制裁を受けていると、ころあいを見て戦友二年兵が仲裁に入り、「まあ、そのへんで勘弁してやれや、俺の顔に免じて」という調子で許してもらえます。
867843:2006/07/31(月) 19:02:51 ID:???
>>849
祖母も92歳の高齢で、詳細までは聞けませんでした。
が、召集は昭和16年、横浜に集められて後に中国へ。
実戦経験はなかったが歩哨をしたりして(寒いので)
ひどい神経痛を患ったとのことです。戦後60年の
今、こうして孫同士がネットで話し合うというのも
当時は想像付かなかった事でしょうね……。


>>866
私が祖母に聞いても要領を得なかった部分を教えて下さり、
本当にありがとうございます。
女の孫の私がなぜこんな事に興味を持つのかと、92歳の祖母も
仰天していました。
戦後、祖父を訪ねて元部下が奥さんを連れて遠くから
来て最敬礼してくれ、老衰で立てない身体を伸ばして祖父も敬礼。
抱き合って号泣したと聞き、陰惨な印象しかなかった
陸軍にも心が通じ合う「戦友」始め人の情の部分があったと
知り、皆様に深く感謝申し上げます。

868847:2006/07/31(月) 21:29:10 ID:???
>>866
Thanks.
非常に詳細でよく分かった。
869名無し三等兵:2006/08/01(火) 17:55:32 ID:???
家の94になる爺さんが、ミッドウェーで撃沈された三隈に出撃の約半月前まで乗ってたそうです。
航空機の整備員の学校?に入るとかで転属になり、見送ってくれた人に幾人も戦死者がでたとか。
870名無し三等兵:2006/08/02(水) 13:27:30 ID:giINzub3
はじめまして.両親とも戦前の生まれですが,
10年前に死んだ島根出身のじい様の晩年に聞いた話しです.
子供の頃,日露戦争の日本海海戦で猛烈な砲声が響いて村中不安だったそうですが,
同じように怯えた魚が浜辺に殺到し,村中総出で編み籠や桶まで持って魚をとったと言ってました.
その後,戦死者の遺体も流れてきて大変だったそうです.(能登半島あたりに大量に流れ着いてたようです)

その後は幼かったわたしの母もつれて満州開拓団として大陸に渡り,
ウラジオ近くで敗戦直前ソ連軍侵攻くらい逃走中に民間防衛隊として徴用されて
泣く泣く家族と別れ武器も弾も無くあちこち連れまわされて最後にどこでか分かりませんが
八路軍に捕まり,戦争は終わりだと食い物を渡されて釈放され,
大連で奇跡的に家族と再会,子供二人亡くしましたがなんとか帰国しました.
もっといろいろ聞いておけばよかったなとしみじみ思います.
では長文失礼いたしました.
871名無し三等兵:2006/08/02(水) 14:58:05 ID:???
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1154255521/l50

まぁ、知ってる人も多いと思うがスレタイでネタスレと判定して回避してしまっている人のために。
872名無し三等兵:2006/08/02(水) 17:16:29 ID:???
>>871
知らんかった。じわりときた。
873名無し三等兵:2006/08/03(木) 01:02:53 ID:???
すごい良スレだな。

というかチャットか。
874名無し三等兵:2006/08/03(木) 11:08:24 ID:TogcQtTk
さっき90歳くらいのおじいさんが道端で血吐いてた(ToT) 戦争経験者ってどんどん減ってくね…
875名無し三等兵:2006/08/03(木) 11:26:06 ID:1nOhaHAV
>>874
自分のおじいさんだとか親戚に経験談を聞く最後の機会かもわからんね。
一回話してくれたら次からは割と色々話してくれるようになる気がする。
おじいさんもちゃんと聞いてくれるなら話をしたくなるのかも。
876名無し三等兵:2006/08/03(木) 14:14:55 ID:hnmSvoe0
俺のじいちゃんはインパール作戦で戦死? したよ
877名無し三等兵:2006/08/03(木) 15:21:10 ID:IWQ53VY5
>>874
助けた????????
878名無し三等兵:2006/08/03(木) 15:32:45 ID:???
物置掃除していたら、じっちゃが大陸で使ってたポンチョ?と、アンプルに注射器
が出てきた。
ポンチョには名前と、墨で塗り潰された、所属していた部隊名? が書かれていた。
アンプルはまだ薬品が入ってる。
あと、昔は集束焼夷弾の子弾を集めて地面に刺し花壇の淵に利用していたらしい。
879名無し三等兵:2006/08/03(木) 15:42:26 ID:???
うちの爺様は疾風の脚を作ってたらしい。そんで召集かけられて、遺影を撮りに帰宅したときに終戦だったとさ。
そんな時期に召集ってのは本土決戦かな?
880名無し三等兵:2006/08/03(木) 15:56:01 ID:ArYJplco
俺のひいじいちゃんはこの辺りで一番偉い人だったらしく
天皇から勲章もらってる、今金庫に入ってるけど
で、どっかの島に軍を率いて行ったんだけどそこで、米軍に攻められて
自分の部下に逃げろと命じて自分だけ死んでしまったみたい。だから骨とかもない・・・今はその島は米軍基地になってるようだけど

で、昔一通の電話がかかってきてそのときたまたまでたのが俺の親父だったんだが
ひいじいちゃんの部下の人から電話で無事生還して、あなたのおじいさんはとても勇敢でしたとの連絡を受けたらしい・・・
881名無し三等兵:2006/08/03(木) 18:14:08 ID:???
うちの曾爺さんは徴兵に落ちたため戦争に行ってません。
その落ちた理由が

 「足がでか過ぎるから」

ばーちゃんから聞いたときは冗談と思ったよ。
882名無し三等兵:2006/08/03(木) 21:13:23 ID:???
うちの爺様は樺太で教員やってたんだが、昭和20年に兵隊にとられたんだそうな。
で、何でも「ガス兵」やってたらしいんだが・・・・・・、当時の陸軍にガス兵ってあったけ?
自決用に手榴弾を渡されたけど、それを使う気にならなくって、クリークに隠れてソ連戦車を
やり過ごしたりして終戦。
ご多分に漏れずシベリア送りだったそうな。
朝起きたら隣の仲間が死んでたとか、ちょっぴりだけど給料が出たからそれで煙草を買って、
部下と分けて吸った(爺様は兵長だった)とか色々聞いた。
ただ、その爺様も、去年の八月に他界。
もう少し聞いてみたかったんだけど、母ちゃんが子供の頃はよく夢でうなされてた、って話を聞
いてたから無神経には聞けず、そのまま。
もう少し聞いてみたかったなあ。
883874:2006/08/03(木) 22:26:12 ID:TogcQtTk
>>877 人通りが多いから平気だと思って通りすぎた。 さっき通ったら血のあととハンカチが落ちてた…。おじいさん大丈夫だろうかorz
884名無し三等兵:2006/08/03(木) 22:55:11 ID:kzvKHn4D
既出かも知れぬが、俺のじっちゃんは戦艦長門に乗ってました。濃霧の中、瀬戸内海に停泊していた時、陸奥が爆沈した時の状況をよく語ってくれましたが10年前に死んじゃった。じっちゃんの口癖は、「日本人は二度と戦争しちゃいかん。その時は世界が滅ぶ。」でした。
885名無し三等兵:2006/08/03(木) 23:01:49 ID:2itK8Xz7
うちの祖父ちゃんは一五で満蒙開拓義勇軍に入隊して満州へ渡ったそうです、その後シベリアで強制労働。
勿論終戦を迎えても祖国の地をすぐには踏めず、毎朝死んでいく仲間を見、大変な思いをしてやっとこさ舞鶴港へ降り立ちました。
まあ今だから笑ってはなせる事でしょうが、その当時ロシア人は九九が出来ずに代わりに祖父ちゃんが計算していたそうです(笑)
満州語とロシア語ペラペラな祖父ちゃん、スゲェ、、
帰国しても暫くはシベリアにまた戻される夢を見て相当うなされたようです。
なんせ食べたくても食べられない状況に、一番育ち盛りの時期に置かれたのだから、その苦痛と恐怖は計り知れません。
革製の製品、草、キノコは全て口にする対象だったそうです。
一度でも、下痢は死を意味するんだそうです。
だから祖父ちゃんはキノコが食卓に上がると「んなもん栄養にならんのに」とちょっとすねます。
そんな祖父ちゃん、大好きですよ。

今の時代がどんなに平和か身にしみました。祖父ちゃん達に感謝です、ほんと。

886名無し三等兵:2006/08/04(金) 00:20:24 ID:???
>>883
ゴルァ
887名無し三等兵:2006/08/04(金) 11:26:16 ID:???
数年前にプラモの飛燕作ってたのよ。そんでじいちゃんが、「お、飛燕か」みたいな
ことを言ったので、飛燕がいかに信頼性が低かったかを聞かせたんだ。じいちゃんは
何とも言えない表情で聞いてた。一昨年じいちゃんが死んだときにじいちゃんの兄弟に
聞いたんだが、じいちゃん飛燕乗ってたんだって…じいちゃんゴメン
888u:2006/08/04(金) 12:49:56 ID:j7pgL1ta
>>882「ガス兵」ガス戦の訓練を受けた特技兵。
普通の部隊に何人か割り当てられて訓練受け、ガス主任(将校)の指示で、ガス弾射ち込まれたときの防毒や、
ガス散布などに従事。実際にガス戦とはならなかったので、ほとんど出番はなかった。
889名無し砲兵:2006/08/04(金) 13:19:58 ID:???
漏れのじぃちゃんは呉の海軍の訓練兵だったみたいなんだが、結局実戦配備される前に終戦迎えたみたいだ
890名無し三等兵:2006/08/04(金) 13:21:13 ID:NUdR2RwK
歯科医だったので、軍医学校で速成教育を受けて軍医として勤務、明野
飛行場で、不時着したりして歯を折ったりする人の治療をしてるうちに
終戦、高価な物資を独り占めにして逃げようとする将校と、ヤクザな下士官
が銃撃戦をやったりするのにビックリして、なんにも持たずに帰ってきたそうだ
891名無し三等兵:2006/08/04(金) 13:48:47 ID:???
私の母方の祖父は五年ほど前に鬼籍に入ったのですが、陸軍の通信兵でした。
祖父の一家は兄姉含めて五人兄弟、その末っ子だったとの事。

祖父の二人の兄は、長兄は中国で戦死し、次兄はフィリピンで同じく戦死。
祖父も乙種合格で陸軍の通信兵として淡路島に。男兄弟は結局、祖父だけ生き残りました。
同期で優秀だった友人さんは、絶望的な戦局下のフィリピンに輸送船で赴く際、雷撃により千尋の海へと葬られました。

また、父方の祖父(両親結婚前に他界、面識無し)は、戦前上海の商社に勤務後、満鉄に転職。
去年暮れに亡くなった祖母、叔母と二人の男兄弟と共に奉天近郊に住んでいたとの事。

ソ連軍が不可侵条約を破り、満州に侵入した際、祖母や叔母の家もソ連軍によって家財道具や貴金属を根こそぎ奪われたものの、
住宅を明け渡すのを条件に命だけは取られずに済み、着の身着のままで知人を頼りつつ、無事日本本土に引き上げたそうです。

ちなみに、叔母は悪運強く病気もせず終始健やかであった事と、私の父の兄となるはずだった二人の幼子は、いずれも病気で死去。
やむなく、満州の地に土葬せざるを得なかったということを付け加えさせていただきます。
892名無し三等兵:2006/08/04(金) 17:28:40 ID:L4vC+5L8
質問厨ですいません。詳しい方、教えてください。
私の母方の祖父は横須賀鎮守府に軍属として勤務中、昭和18年ごろ
召集されたそうです。うろ覚えですが、当時の写真では軍曹の階級章
がついていました。本籍地が秋田県だったのでそちらの連隊に召集
されたと思うのですが、相当な激戦が心の傷になってらしく、戦争について
祖母や母、私にも多くを語らず亡くなりました。

考えられる戦地はどこだったのでしょうか。また、海軍軍属でも
陸軍へ召集されるということは一般的だったのでしょうか?
祖父は旧制中学卒でしたが、職業軍人ではありません。それでも
当時は簡単に軍曹に昇進できたのですか?
893名無し三等兵:2006/08/04(金) 17:36:08 ID:???
>>892
頼むから質問の前に、過去ログ読んでくれ、
身内の配属先とかの照会の仕方が載ってるから。
正直うんざりする。
894名無し三等兵:2006/08/04(金) 18:10:20 ID:???
>>892
それどころか、1度目の現役徴兵の時に海軍だったのに、
2度目の臨時応集の時には陸軍に行かされる、何て事もあります。
(あんまり普通ではないがあった事です)

あと、
貴方のおじい様も、『簡単には』軍曹になってないと思いますがいかがな物でしょう?
895名無し三等兵:2006/08/04(金) 18:37:54 ID:???
オレの記憶が正しければ、
秋田県庁は県本籍のもとの陸軍軍人の軍歴を保管していない。
896名無し三等兵:2006/08/04(金) 20:11:36 ID:???
父親からおじいさんの中国戦線での話を聞いてきました。
戦場を転々としながら常に前線で戦ってたそうです。
敵と鉢合わせたとき真っ先にダッシュで前進して寝転んだ人が生き残れるそうです。
一歩でも引いてしまったり、人の後ろから付いてきた人はそのまま撃たれてしまうらしいです。
僕には記憶が無いけれど、体に銃弾を受けた傷があったそうです。
水が不足していて水溜りで水をのみ、そのときボウフラが沸いている汚い水が安全で、
ボウフラが居ないきれいな水は中国軍が毒を入れたものだから飲めなかったそうです。
水を掬いボウフラなど生き物を取り除いてそのまま飲んだそうです。
あと、見張りが居眠りしたり、サボったりしてた部隊は夜襲に合い全滅したそうです。
終戦後生きた帰ってきたけれど、戦争で緊迫した状態が続いたためか、
心臓を悪くして、たびたび手術をして生きていましたが12年前に無くなりました。
まだ小さく話を直接聞けなかったのが残念です。
897名無し三等兵:2006/08/05(土) 14:22:56 ID:???
父方の祖母は網走の止別という田舎の生まれだが、子供の頃は
艦載機の銃撃が酷かったそうな。列車にのってるとき車両の
間を銃弾が貫き目の前で死者が・・・((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
898名無し三等兵:2006/08/05(土) 18:30:27 ID:CaW3BkHU
草刈手伝いに行った。俺「何人兄弟?」じ「10…11くらいかな」俺「ちょw何人生きてる?」じ「2…3…4くらい」俺「ちょwじいちゃん長男?」じ「うん俺が帝大生の時に何人か戦死したなぁw」俺「!!」じ「俺が中隊長の時下っぱにいたよ、弟、死んだけど」
899erisuMkII:2006/08/05(土) 18:36:01 ID:???
あのフネがはじめて
出たとき
たたみ
が浮いた
900名無し三等兵:2006/08/05(土) 18:55:21 ID:???
オレの親父がガキの時に戦争に行ったっちゅう近所のおっさんに聞いた話
そのおっさんは中国戦線に行ってたそうな
で、戦闘後だか行軍中だか、とにかく暑い中、長距離歩いてたそうだ
当然すごく喉が渇く
水筒の中の水なんか皆すぐに飲み干してしまった
そしたら川に打ち当たったんだと
皆よろこんで川岸まで走ってってガバガバ水を飲んだそうだ
皆、元気回復、行軍再会ってことで今度は川沿いに上流側に向かって歩いてったそうだ
そしたら川上にはおびただしい数の死体が浮かんでたそうだ
日本兵なのか中国兵なのか、あるいは民間人なのかは分からなかったそうだ
なにせズルズルに腐ってたらしいから
もう皆、一斉に嘔吐したらしいよ
901名無し三等兵:2006/08/05(土) 20:17:30 ID:???
うちの爺さんは樺太とトラック諸島に行ってたらしい。
重傷負って死ぬかと思ったけど、這って味方のところまで戻って何とか生還したそうだ。
内臓でて大変だったって言ってたけど、人間ってそれでも生きられるもんなんだなあ。
爺さん寡黙な人だったけど、戦争の話はよくしてくれた。
日本人として誇りを持って戦ってたから孫にも聞かせたかったんだろうな。
902名無し三等兵:2006/08/05(土) 21:27:17 ID:Qtdi0JrF
うちの祖父さんは北海道室蘭で高射砲撃ってたそうだ。
ある日空襲と艦砲射撃があって、あちらこちらに人の破片が飛び散ってたそうだ。
祖父さんは生き残ったが、去年の暮れに死んだ。もう詳しい話は聞けない。
903名無し三等兵:2006/08/05(土) 23:45:57 ID:???
少々スレ違いなのですが、ここの方たちは相当お詳しそうなので、ひとつ質問させて下さい。

大正九年生まれの祖父の事なのですが、青春時代を海軍でほぼ過ごしたようです。
詳しい軍歴はわからないのですが、佐世保鎮守府の所属で主に朝鮮〜中国の沿岸をうろうろしていたようです。
駆逐艦に乗り込んでいたそうです。
終戦まで何年か海南島で過ごしたようです。陸戦隊でトラックの運転をしていたとのこと。
戦時中の海南島の様子や戦績がわかる資料やサイトをご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけませんか?
宜しくお願いいたします。
904名無し三等兵:2006/08/05(土) 23:55:24 ID:???
>892
うちの爺さんの弟がそのターンだった。

たしか旧制工業学校出て海軍工廠に就職。
技手だったかなんか。

現役入隊が陸軍で乙幹←ここで海軍と陸軍が喧嘩して陸の勝ち
除隊→海軍に戻る→召集→戦死。


905名無し三等兵:2006/08/06(日) 02:40:29 ID:???

341 :名無し三等兵 :2006/08/04(金) 10:43:30 ID:???
  ちょっとすれ違いかも知れませんが、教えて頂きたいのですが。
  叔母の昔語りの中で、曾祖父の従兄弟?の”みやけだいたろう”と云う方が
  潜水艦のりっぱな艦長として有名だったと云うのを聞いたのですが、どのような
  方だったかご存じの方居られないでしょうか?

http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1144924910/341
906名無し三等兵:2006/08/06(日) 05:14:27 ID:MGu0QsyQ
小学校の平和教育の一環で祖父から戦争体験を聞いて
みんなで考えるという授業があったんだが
うちのおじいちゃんの「何キロか離れたところから広島のきのこ雲を見た」という話をしたら、
先生が「何キロとかだったら被爆してないか?ありえないよ?」と冷笑されてしまった。

うちのおじいちゃんがウソ言ってるとは思えなくて
しかし先生が否定しつづけるので頭が混乱したのを覚えてるw
907名無し三等兵:2006/08/06(日) 07:43:48 ID:UIl4rmRZ
時間にカキコできそうにないので……黙祷
908名無し三等兵:2006/08/06(日) 15:00:46 ID:???
質問。
終戦数ヶ月前に、家のジー様がFw190D-9かTa152H-1に乗ったと言う取るんだが。
当時日本国内にD-9かTa152って有ったの?
スピードが出るのに扱いやすくて、いい飛行機だったと評価してたけど。
909名無し三等兵:2006/08/06(日) 16:57:13 ID:???
>>908
瀧沢清峰噴いた。

Fw190Aなら、試験目的で陸軍が購入してます。
(三式戦→五式戦、のエンジン装換の参考になったそうです)
910名無し三等兵:2006/08/06(日) 17:04:55 ID:???
>>909
Fw190Aか。
いや、昨日から家に遊びに来てるジー様が、居間に飾ってあったハセの1/32・D-9を見るなり
「昔この飛行機に乗ったことがある」とか言い出すもんでびっくりして……。
今しがたA-8の模型見せたら、こっちだと言うので間違いないっぽいです。お騒がせしました。
911名無し三等兵:2006/08/06(日) 17:24:22 ID:???
>>910
じーさん、テストパイロットか。
すごいな、色々話を聞いてくれよ。
日独以外の機体にも乗ったかもしれないぞ。
912名無し三等兵:2006/08/06(日) 19:25:21 ID:???
ぐぐったらA-5を一機輸入したってありますね。
是非とも詳しく話を聞き出してください。
913名無し三等兵:2006/08/07(月) 01:37:31 ID:???
>>906
似たようで違う話だが、長崎の原爆は海の上に落ちたなどという教師が
俺の通ってた小学校にいた。その話を聞いて以来、その教師の言うこと
を信用しなくなった。
914名無し三等兵:2006/08/07(月) 03:04:13 ID:???
メッサーシュミットがMeだから
B29のBはボーイングのBと言い張ってた先生は、
ジャイアント馬場の足のサイズは十六文だと言い張ってた。

脚がでかすぎてアメリカで靴を作ったら十六インチだったからで
十六文とは関係ないといっても「人間の足がそんなでかい分けないと」信じてくれなかった。
ちなみにイアンソープの脚は42cmあるらしい。

子供のころそういうのあると覚えてるよな・・・。
915名無し三等兵:2006/08/07(月) 07:05:10 ID:CLKRCKzO
>>901
流石に内蔵でたら助からないんじゃ?
ちょっと出ただけで傷が酷くないならまだしも、這って移動したら、
内蔵泥まみれになるし、なんとか内蔵を戻せても感染症とかにかかって助からないと思うんだが
916u:2006/08/07(月) 10:06:16 ID:F3kcSXr7
>>892
軍属は軍人ではないので、陸海軍どちらにでもいけました。陸軍軍属でも志願すれば海軍にはいれたし。
旧制の中学・実業学校を卒業していると、幹部候補生受験資格ができて、二等兵の時に試験に合格すると、幹部候補生用の学校に入って、すぐに下士官以上になれました。
甲種幹部候補生(曹長の見習士官になって、あっというまに少尉になれました)、乙種幹部候補生(伍長になって、その後の進級は一般の兵隊と同じ速度)
917名無し三等兵:2006/08/07(月) 11:23:05 ID:???
空襲警報が出ると、すぐ逃げられるように立って飯を食ったそうです。
立ち食いが大嫌いな理由がやっと分かったよW
918名無し三等兵:2006/08/07(月) 13:18:23 ID:D6oil5Oh
>>903
参考になるか分からないけど、こんなサイトがあった
ttp://www.geocities.jp/boat_sparrowhawk/etcBase.htm
919名無し三等兵:2006/08/07(月) 14:26:16 ID:naEfFGxw
>>916
892じゃないけど幹部候補生用の学校の正式名称ってなんていいますか?
うちの祖父もそうだったらしくアルバムがあるんですが、何も書いてなくて
よくわからないんです。
920名無し三等兵:2006/08/07(月) 16:25:12 ID:W6NEUgh5
ばあさんが「昔は不登校なんていなかったんだけどねぇ」とか言っててふと思ったんだが…。なぜ?イジメなんか今以上にあっただろうに。
921名無し三等兵:2006/08/07(月) 16:41:27 ID:???
>>919
陸軍士官学校?海軍兵学校?
>>920
今のように不登校でも受け皿が用意されていた時代ではないから。
今なら犯罪者に対する感覚と似ているかな。
それほど世間の目は冷たかった。
922u:2006/08/07(月) 17:28:57 ID:F3kcSXr7
>>919
「予備士官学校」ないし「幹部候補生隊」です。
(外地にあったり、特殊な兵種は学校とはいわずに、幹部候補生隊などといっていた)
教育内容は同じ。詳しくて信頼のおける説明は↓がおすすめ
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/kangun/etop.html
923名無し三等兵:2006/08/07(月) 18:05:39 ID:???
>>920
今ほど陰湿なイジメはなかったと思う。
とマジレスするとスレ違いになるので、うちの爺さんの話でもしとく。
とりあえず満州に行ったらしい。クソ寒い中、軍手一枚でネジを締めたとか聞いたが、
何をしてたのかは聞いてない。階級は伍長で大砲をやってたらしい。
満州以外にどこかへ行った話も聞いたのだが覚えてないんだな、これが。
あと覚えているのは酒とタバコは軍隊に入ってから、でもって死ぬ日の朝(享年84)まで酒とタバコはやめなかった。
6、7歳まではよく聞いたんだが、某漫画を読んだお陰で日本が悪いと思って以降は話を聞いてないのが非常に悔やまれる。
長文の割には内容がなくてスマソ
924名無し三等兵:2006/08/07(月) 18:12:13 ID:qLiUSg6M
昔は、小学校や中学校にも配属将校と云う偉そうな軍人が派遣されていて
軍事教練とかもさかんに、鉄拳制裁をくわえて、暴力の限り
終戦後は、学生に逆襲されたりでボコボコの半殺しにされたりとか
軍隊でも上官殺しも多発して、まさに下克上状態の集団リンチなど
特攻隊くずれも街に溢れて、街中でも飛行帽かぶり
通行人などに言いがかりなど付けて、カツあげなどの暴力 おまけにヒロポン中毒
テレビなどでは、よく特攻の話題が悲劇的とか美談にするようなのもあるけど
特攻隊の生き残りのジイサンなどが、歴史の証人とかでチヤホヤされてるけど
特攻隊員は、ほとんどはヒロポン経験者 結構戦後のヒロポンも摘発されたけど
ヒロポン中毒になって、戦後特攻隊員でも廃人になった人間も多数
925919:2006/08/07(月) 18:19:45 ID:naEfFGxw
>>922
ありがとうございます。うちの祖父の年代、写真とつきあわせてみると
隊付で教育を受けたよです。ここのHPはわかりやすくていいですね。
926名無し三等兵:2006/08/07(月) 18:26:30 ID:???
>>924
確かにここは軍板だが
このスレは爺さんの話をするところだ
お前の資料から組み立てた下らない話は他でやってくれ な?
927名無し三等兵:2006/08/07(月) 18:29:14 ID:OwAf1qts
うちの爺さんは詳しくは語ってくれなかったがどうやら特攻隊員
だったらしい
928名無し三等兵:2006/08/07(月) 19:55:25 ID:???

じいちゃんは二人とも鬼籍に入ってるので、うちの先生(83歳・現役内科医師)の話を
また投下しておきますね。

「海軍行ったらさ、すごいのよ、食べ物が。タタミ一畳ぐらいの広さにバーンと
食い物がならんでて、『これ何人で食べるの?』って聞いたら、
『ハッ、尉官殿ひとりのお食事です。』だってさ。たまげたね。」

「北支行ったときは寒かったねー。シャツ着て寝ると、汗かいたシャツが凍るんだよ。」

でも先生、この前は陸軍にいたとも言ってたな・・・。
北支の話は陸軍にいたときのことかな?
陸軍・海軍って所属先がどう替わるのか詳しく聞こうと思ったけど、酩酊状態だったので
要領を得ませんでした・・・。
929名無し三等兵:2006/08/07(月) 20:12:57 ID:ETylSziK
>>914

おまえもまちがってる。
アメリカ規格の16サイズを昔のマスコミが16文と勝手に判断したのが由来。

すれ違いすまん
930名無し三等兵:2006/08/07(月) 20:42:27 ID:???
うちの爺さんは名古屋で看護兵やってたらしい
B29が病院にも焼夷弾落としていったから大変だったらしい
爺さんがいうには焼夷弾って花火みたいに綺麗なんだと
落ちてくる速度も遅くてキラキラ光りながら落ちてきたらしい
931名無し三等兵:2006/08/07(月) 20:49:06 ID:U6H4Tenb
満州での寒さは物凄かったと、電線などに止まっていたスズメが寒さでバタバタ落ちて死んだと
また、隊舎でストーブ焚いてると、煙突に、小鳥が大量侵入
たまに、煙突が塞がり、不完全燃焼で、死人が出たらしい
室内で洗濯して、屋外に出したら瞬間凍結など
銃も動作不良で、不凍液などもまだ少なかったので、使えないから、日本刀が活躍
中国での日本兵の残虐なイメージだと、やたら日本刀を住民を殺すカンジあるけど
拳銃や歩兵銃などが、酷寒の中では、動作不良で使いづらく 日本刀で代用したらしい
中国兵とかいっても軍服もいい加減で、毛沢東の人民服とか蒋介石の国民党軍の軍服など着てるのは、前線には見かけず
もっぱら便衣隊とかの民族服で、民間人と軍人の見分けもつかないゲリラ
おまけに、日本人と同じような国民服や日本兵の軍装のマネしたコピーなどのニセ者も多数
中国戦線での戦闘などは、点と線の戦線で、昼は日本軍 夜は中国人のゲリラ
戦闘でもいい加減な中国人の部隊などは、日本軍が来たらさっさと降伏して
なんと米国から供与された武器を日本軍に売りつけて、トンズラ
932名無し三等兵:2006/08/07(月) 20:51:16 ID:???
>906
>小学校の平和教育の一環で祖父から戦争体験を聞いて

以前このスレであった「戦争の悲惨さを語ってもらうはずが、重機関銃でチャンコロを云々・・・
という爺さんの武勇伝の話になってしまい、女の子は泣いてるし、先生も引いてるし、
話は終わらないしでまさに地獄絵図・・・」というのを思い出した。
933名無し三等兵:2006/08/07(月) 21:14:02 ID:4qhe5aQo
夏の花火をみるといつも、”顔料を混ぜた火薬を意味も無く空中で散らすのが何が面白いんじゃ
。アメさんの砲火を見せてやりたいわい”それが口癖だった爺ちゃん
934名無し三等兵:2006/08/07(月) 21:43:20 ID:???
>>930
漏れのばーちゃん、戦時中東京に居たそうだが焼夷弾がキラキラ落ちてくるのが
トラウマになったみたいで花火嫌い。
花火大会になると、焼夷弾が落ちてきて云々とよく話していた。
そんなばーちゃんもボケちゃって、今じゃ漏れの事も判らない・・・つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
じーちゃんは台湾の高雄に出征していた。
高砂族の人に親切にして貰ったとかーちゃんに良く話していたそうだ。
じーちゃんの兄弟は南方の海で死んだ、としか聞かされて無い。
どうやったら調べられるんだろうか・・・。やっぱ、厚生省に問い合わせ?
935名無し三等兵:2006/08/07(月) 22:25:34 ID:3bXo8F/v
うちのばーちゃん、東京大空襲を疎開先の船橋からみて、
「花火みたいできれい」と言っていたそうだ。

もともと世間知らずの天然なところがあったらしいが、
さすがにこの発言は親戚中から顰蹙買ったらしい
936名無し三等兵:2006/08/07(月) 22:42:35 ID:???
すみません、ちょっと教えてください。
祖父は自分が生まれる前にフィリピンで戦死したらしいのですが、
どの隊に所属してどの島で亡くなったかを知るには
どこに問い合わせればいいのか教えてください。

母の実家に墓参りに行けばきちんと判るのですが、
なかなか行けなくて。
937名無し三等兵:2006/08/07(月) 23:11:47 ID:i5rdosxw
あんまり関係ないですが、沖縄のお年寄りは介護など受けずに元気で明るいのに
本土のお年寄りは、老人ホームなどに入り人の世話な無しでは生きていけないのは
戦争体験の違いによる部分が大きいのでしょうか?
938名無し三等兵:2006/08/07(月) 23:43:41 ID:???
>906


中学の校長先生が第二艦隊の死に損ないもとい生き残りで、
平和教育とかで原爆救援の話するところ、天一号作戦の時の話で
盛り上がりすぎて・・・・・。
てな記憶がありまつ。


冬月めさくさかっこえええ〜〜〜、で逆効果。
939戦湯:2006/08/07(月) 23:56:51 ID:???
豊川海軍工廠の慰霊祭(8月7日大空襲で2500余名死亡)で、
工廠員だった人の話を聞いた。
当時は各地から動員された十代半ばの若い男女数万人が居たが、
連日の激務と食糧不足のため
とにかく腹が減って恋愛や色気まではまったく気が回らなかったとのこと。
940名無し三等兵:2006/08/08(火) 00:09:14 ID:HvCD0ihJ
NHK見てたら泣けてきた。アメリカへの怒りではなく、英霊を愚弄する朝鮮人への怒りだ。
941名無し三等兵:2006/08/08(火) 00:23:20 ID:???
>>937マジレスすると、絶対数の差だと思うよ。

東京のほうが爺婆多いから同じ割合で介護受けてても施設の数は増えるし、
住宅事情から在宅介護を受けられる人も限られてくる。
介護施設は社交場としての意味合いも強いから通所利用者は意外に元気だったりする。

沖縄の福祉の水準知らないけど、ヘルパー頼みたいんだけど頼む先が無いとか、
逆に近所の誰々がやってくれるからイラネみたいのもあるんじゃないか?

戦争体験より、生活環境と心の健康が体の健康につながってんじゃないかな。
942名無し三等兵:2006/08/08(火) 00:46:17 ID:???
一般に地方の方が老人は元気だな。
過去に戦争体験しようが人格的にどうしようもない人間は家にもいる訳で…orz
943名無し三等兵:2006/08/08(火) 01:27:38 ID:???
>>940
あぁ禿同
944名無し三等兵:2006/08/08(火) 01:59:50 ID:???
英霊量産した人は愚弄していい?
945名無し三等兵:2006/08/08(火) 03:31:46 ID:???
あの番組みて朝鮮人云々が出てくる奴ってどんな頭の構造してんだろ。
もしかして朝鮮人じゃあるまいか。
946名無し三等兵:2006/08/08(火) 07:57:19 ID:???
>>936過去ログ読んでから質問しやがれ
教えて君ばかりでもう呆れ果てたわ。
947名無し三等兵:2006/08/08(火) 09:27:25 ID:HvCD0ihJ
これのような事例を見ていると、日本の右傾化が顕著だ。私も同じ日本人であるが恥の心を表さずにはいられない。皆も気をつけろ。極右勢力は掲示板に占拠しているのだから。騙されぬな。
948名無し三等兵:2006/08/08(火) 12:12:38 ID:???
ウチの親族は北海道の炭鉱に住んでいたし、直接炭鉱に関わっていたじーちゃんは
戦争に行かなくて済んだ(男手がなきゃ採掘できません)ので戦争体験なしだが、
戦地でも酷い状況だったと後々聞いたそうだが、炭鉱での仕事自体も戦争だったみ
たいなものだと言っていたな。小さな事故はしょっちゅうあるし、熟練鉱夫が少な
いものだから見回りや指導が大変だったと言っていたし、中国からの勤労者?が脱
走して会社上層部やその他に迷惑を掛けたこともあるとも話してくれた。
終戦直後は外地の人達が我が物顔に振舞って難癖付けられたり恐かった(夜の一人
歩きは危ないとか)がそれも数日、占領軍が来ると急に大人しくなったと言っていた。
949名無し三等兵:2006/08/08(火) 12:14:18 ID:???
追加*炭鉱はわりと物資に恵まれていたのであまり生活に不自由は無かったそうだ。
950名無し三等兵:2006/08/08(火) 15:42:30 ID:???
>>937
鹿児島の老人ホーム訪問したときに、職員の人が「意外と沖縄から入所している人が多い」って
言ってた。沖縄県内は老人ホームに入所する・親を入所させることに対する偏見があるからだって。
951名無し三等兵:2006/08/08(火) 16:42:14 ID:0cChhIWz
神奈川とかで、終戦直後まで、女子挺身隊とかの寮になっていたところなど
1945年の年末くらいまでにはほとんどが進駐軍相手の売春宿化してらしい
終戦の夏まで日の丸のハチマキでも巻いて、工場労働してたのが
45年の年末のクリスマスとかなると、米兵相手に「肉体労働」
結構当時で高学歴の女学校生や看護婦、学校の女性教師や戦争中は国防婦人会のエライ人だった
戦争未亡人なども「売春婦」に転職
男が食えずにウロウロしたけど オンナどもは米軍基地に入り込んで、イイ生活してたようだ
男でも今では無いけど「売血」と云って、血液を売るようなバイトもあったけど
ロクなカネにならなかったらしい
952名無し三等兵:2006/08/08(火) 17:30:33 ID:???
>>931
資料の丸写し乙

>>951
脳内資料の丸写し乙
953昭和のこころ:2006/08/08(火) 18:49:45 ID:???
『星の流れに』を口ずさみながら>>951を嘲笑。
954名無し三等兵:2006/08/08(火) 23:15:44 ID:???
>>938
B-29の恐ろしさを聞くはずが、必死になって迎撃していた航空隊の話に、俺がすり替えた事が有る。
うっかり「迎撃機は見えましたか?」なんて質問したばかりに……。

後から反革命の社会科教師に絞られました。ウラー
955名無し三等兵:2006/08/09(水) 13:10:58 ID:m6QrphfB
勇気を出して元陸軍中尉のじいさんに「おじいちゃん昔の戦争のこと教えて!」と言ったら壬申の乱について語ってくれたorz 実話です
956名無し三等兵:2006/08/09(水) 15:37:19 ID:???
うちの爺さんは砲術学校行って軍艦の砲兵やってたので
戦後は捕鯨船にスカウトされて乗ってたこともあるってさ
957名無し三等兵:2006/08/09(水) 17:37:09 ID:YWZ3NVFI
終戦後の内地の基地でのドタバタ騒ぎとか、色々あるけど
戦時中は、結構「鬼軍曹」とか云われてたような人とか、
海軍将校とかで、偉そうにしてた人が豹変
司令部とかで、伝令兵とかやって人が、サイドカー付きのオートバイとかを、勝手に基地から持ち出して、脱走
なんと「白タク」行為とかで、一儲け 軍用オートバイを、よく東南アジアで見かける幌付きオートバイのようにして、白タク営業をなんと、終戦の翌月の9月から開始
わずか2週間での大変身  街中で基地にいた将校に見つかるが、敬礼一つしなかったらしい
あとは、部下で所謂「結婚サギ」のようなのがいて、結婚したいけどカネが無いとかで、一人娘を騙して、カネを貢がせてた海軍将校もいて
復員すると思って、女性が、基地を訪ねて来たら、なんと妻子持ちと判明
結婚話は真っ赤ウソと判明 上官も立会いで話あったけど 全く反省せず
上官のジイさんは、ほんと履いてたクツ上で横面を叩きたくなったと云ってた
基地に軍需物資を納入してた業者が、終戦で、代金未払いになりカネ踏む倒されるとかで
大挙して、倉庫に乱入して、物資を強奪 警備してた兵隊も分け前もらってトンズラ
残務整理で、しばらく基地に事務要員で、残っていたらしいけど
夜など警備兵も逃げてるから、民間人の武器持って、物資の略奪で、威嚇射撃などの銃撃もあって
かなり大きな軍事基地だったけど 夜襲が怖くて近くの民家から、通勤したらしい
軍隊も武装解除で丸腰でいたから、米軍の夜間空襲より怖かったらしい
958名無し三等兵:2006/08/09(水) 18:10:26 ID:???
俺のじっちゃんは疾風乗ってた
959名無し三等兵:2006/08/09(水) 18:17:17 ID:???
たしかに冬月とかの駆逐艦の勇戦ぶりは凄い
960名無し三等兵:2006/08/09(水) 23:20:00 ID:2405mDeb
もうすぐお盆ですね。
うちは田舎で土地が余ってるせいか、
先祖代々の墓の隣に、戦死者個人のお墓が並んでいます。
先祖のよりもデカイやつ。
田舎ではデフォなんですかね?

終戦二ヶ月前に沖縄、小緑に配属。
海軍航空整備曹長と書いてあったような?
お骨は無いそうです。
961名無し三等兵:2006/08/09(水) 23:39:04 ID:???
>960
田舎だと、地域によって墓地の作り方が違うからデフォとは言えないでしょ。
集落で一箇所に墓地を作るところとか、家の裏に、家ごとの墓を作るところとかいろいろあるし。

しかし、個人の墓で先祖よりでかいって見たことないな。「忠魂碑」とかじゃないんでしょ?
962名無し三等兵:2006/08/09(水) 23:56:51 ID:2405mDeb
>961
普通のお墓が二つ並んでいるかんじです。
大きさは一回り大きい程度の物で、作りが特別こっているような物ではありません。
その一つに戦死者個人の名前、戦死した場所が彫ってあります。
共同墓地で、ご近所さんのお墓もあるのですが、やはり戦死者のお墓の方が大きく作ってあるようです。
963名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:17:16 ID:UoDH6EJn
たまに家の2階くらいまであるような墓があるよね。
田舎の大きな家で。

よく見ると、〜〜上等兵とか書いてあって、墓ってわかるやつ。
964名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:18:49 ID:Y8KO5AQg
「はだしのゲン」を熟読して、全体を理解しましょう!

概要
1972年に「週刊マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢
の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて1973年から「週刊少年ジャン
プ」での連載が始まった。
作品の内容、表現等について様々な論議があるが、作者の実体験に基づく原爆
の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を良く表現していながら、教育的ではなく
優れたエンターテイメントとしても見せる名作として国内外での評価は高く、
映画・アニメ・ミュージカル・絵本化もされている。
単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。
また、独特の描写や広島弁を含むセリフなどから、インターネット上で度々
ネタにされることがある。
965名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:30:24 ID:???
私の母方の実家は沖縄で、その地域の昔ながらの墓は亀甲墓と言い、山の斜面などに造る古墳みたいな独特の形をした墓です。
中は比較的広く、戦時中は避難壕としてつかったそうです。
艦砲射撃によって避難民諸共破壊されたり、米軍上陸した折に火炎放射器による掃討もあったとの話も母や祖母から聞きました。
母の一つ上の兄は、避難途中に米軍機による機銃掃射で死んだそうで、そのことについては母も死んだ祖母も重く口を閉ざしそれ以上は話してはくれませんでした。
祖母宅は海辺に位置してますが、幸いなことに沖縄南部でも米軍上陸地点の反対側にあり、惨い被害は少なかったようです。
それでも水平線が真っ黒に見えたぐらい米艦隊によって埋め尽くされたといいます。
966名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:37:02 ID:???
>962
だいたいわかった。言われてみるとたしかに見たことある。
どっちかって言うと、日露戦争の時の墓の方が凝った感じだったり。
あと、墓石の裏の方に結構色々書いてあったりするようなイメージだな。
「○○君は、成績優秀で親孝行で、地元の人間からも非常に信頼されていた
けれども、大東亜戦争においてフィリピン○○島に敵前上陸の際、突如として
敵陣地より重機関銃の猛射を浴び云々・・・・」みたいな。

まあ、金もかかることだし、全員ってことはないと思うんだけどね。
あと、こんなサイトもある↓
ttp://boboro-web.hp.infoseek.co.jp/gunjin-index.htm
967名無し三等兵:2006/08/10(木) 00:41:57 ID:???
>>947
日本じゃテストで悪い点とると赤点とったって言うだろ
それと、とても恥ずかしい事をする赤っ恥をかいたって言うね

そもそも日本じゃ左翼つーのは恥ずかしい存在なんだよ
左翼>共産党>赤
968名無し三等兵 :2006/08/10(木) 00:43:14 ID:???
亀甲墓ってのは子宮を象ったものだそうな。
霊魂の再生を祈っての形状だとか。

>>964
はだしのゲンの優れたところとして、
アメリカ軍への憎悪もストレートに出していたのを挙げる人もいるな。

漏れの親族は海軍の水上機乗りだったが、帰省の際に偶然駅で出会った親戚を
海軍士官の特権で2等車に便乗させてくれたとか。
(親戚はただの学生)
かなりそそっかしい人で、あれで良くバイロットが勤まったと感心するが、
(例*マージャンでは、他人の手牌をごく自然にツモって奪う。こちらが気が付くと小牌)
いまもなお健在なり。
969名無し三等兵:2006/08/10(木) 21:04:27 ID:???
>>967
それ以前に、俺も共産主義者なんだけどさ。
最近の共産党はヌル過ぎてダメだ。
全共闘は何処行ったのさ?政府転覆計画は?
日本赤軍有志による、あさま山荘やテルアビブの死を無駄にしやがって。
今の反動勢力は死に絶えろ。
970名無し三等兵:2006/08/10(木) 21:07:12 ID:de2gJ0I2
うちは山梨のド田舎のみんな名字が同じような小さな墓場だが軍人の墓は5個くらいあったな。千島、フィリピン、ブーゲンビル、旅順だったかな。 区内の軍人の墓はやたら無縁仏になってるね。何個かつまれてコンクリで固められてた。
971名無し三等兵:2006/08/10(木) 21:30:37 ID:lbmOFvhQ
ウチのじいさんは満州で輜重部隊だったようだが
「(ソ連参戦前に)ロスケの飛行機が飛んできて機銃掃射された。そのとき1人死んだ」
などと言ってた
それを聞いたときはロスケの飛行機?と思ったが、米軍か義勇軍の軍用機は満州に爆撃&機銃掃射していたことがあとで分かった
じいさんの戦争の話はどこまでホントでどっからホラ話か分からん
今月7回忌を迎え、そんなことを思い出した
972名無し三等兵:2006/08/10(木) 21:34:11 ID:uBorLB+u
ホラとかもだけど、やっぱり60年以上だと記憶もこんがらがるじゃないかな?
973名無し三等兵:2006/08/10(木) 21:37:43 ID:lbmOFvhQ
じいさんのそのまたじいさんは日露戦争時に二○三高地で戦ったとも言ってたが、ここら辺までくるともう何がホントなのかさっぱり分からん
二○三高地の生き残りって英雄扱いされたんだろうけど、勲章とかは残ってないようだし確かめようがないわな
974名無し三等兵:2006/08/10(木) 21:47:53 ID:lbmOFvhQ
じいさんではないが、小学校のときの教師(この人も故人)は太平洋戦争中、旧制中学生で軍事教練ばっかりやらされたといってた
行進中に持ってたサーベルを曲げてしまい、指導に来ていた軍人に思いっきりひっぱたかれたとか、大阪大空襲のときはマンホ−ルのふたが飛んできて危機一髪で助かったとか、そんなことを授業中に言ってた
中学校のときの社会化の教師も戦時中は旧制中学生だったが、卒業の年に終戦を迎えたのですぐに大学に進学できて得をしたとか
この辺の年代は戦後の教育改革をうまく乗り切って大学へ行った人が多かったようだ
975名無し三等兵:2006/08/10(木) 21:50:01 ID:???
あさま山荘事件ってさこの前の大学生リンチ生き埋め事件と同じじゃん
イデオロギーを語ってるだけあさま山荘事件の方がたちが悪い
976名無し三等兵:2006/08/10(木) 23:06:24 ID:NJNEJ6+C
小さい頃聞いた話だから、ウロ覚えだけど。
大和の乗組員で沈むとき船体がひっくりがえりそうになったとか、

今考えるとタイタニックみたいな感じだったのかなと。
足のモモの裏にえらい傷跡が残ってて可哀想だったな。

もっと色々聞いとけば良かった。
977名無し三等兵:2006/08/10(木) 23:40:11 ID:???
私が通ってた学校の電気課の課長が、大戦中はレーダーの研究をしていたといっていたな
978昭和のこころ:2006/08/10(木) 23:53:16 ID:???
>>977
八木さん、日本じゃ全く相手にされなかったけど、
欧米じゃ涙が出るほど持て囃された八木さんじゃないか!
979名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:06:15 ID:???
爺さんは日中戦争で中尉だった
中国人への暴行や虐殺なんてありえないといつもこぼしていた。

八路軍は、食料や物資をその辺の民衆から適当に奪って戦闘をしていた。
ついでに農家の若い娘さんも無理矢理味見、みたいな事は日常茶飯事だったそうだ。

だから規律正しい日本軍の近くにいるのが一番安全だ、ということで
進軍しているといつの間にか中国人がゾロゾロ家財道具を引いてついて来たそうだ。
もちろん略奪なんかもしなかったし、
こちらの持っている米と、それら中国人が連れている豚を身振り手振りで交換してもらったり、
中国人が作った饅頭を売ってもらったりと友好そのもので、
万一暴行事件なんて起こそうものなら連隊長は更迭、中隊長は切腹だと言っていた
八光一宇の思想の元、中国民衆は敵国民ではなく守るべき民衆であり、
彼らが戦場にまでついてくるので頼むから帰ってくれと説得するのが大変だったと語っていた

でも戦後、日本軍=極悪・凶悪・最悪みたいな主張がまかり通ってしまい、
中国ではありとあらゆる残虐行為をはたらいたことにされてしまったため、
本当の体験を言える世の中ではなくなってしまった、と悲しそうに言っていた

俺はじっちゃんの名にかけて、左翼・中共の嘘には負けない
980名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:14:29 ID:ZQsyUC9v
おれのじいさんは戦争中ではなく戦後、GHQのジープにひき逃げされたそうです。
占領下で訴えることも出来ず、ばあちゃんは苦労したらしい・・・・
だけどいつも笑ってそのことを語るばあちゃんにGJ!!
981名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:15:18 ID:???
>>979
感動した!
当事者が高齢化し、これからどうなるか不安だ。
勝者に語られる歴史に上塗りされて本当の歴史は
消えてしまうんではないかと最近つくづく思う。
982名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:24:41 ID:???
>>980
大丈夫
朝鮮人は内紛・分裂・自滅がアビリティーなので
万一日本への上陸に成功したとしてもそのうち内輪揉めでグダグダになって敗北しますよ
983982:2006/08/11(金) 00:25:17 ID:???
豪快に誤爆しました。申し訳ございません。
984名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:26:55 ID:Tx6ittwg
>>979
じっちゃんに手記を書いてもらおう。
985名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:28:52 ID:XgJf2OHV
飯の盛りが少ないと古参兵のビンタがひどかったそうな。
986名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:35:36 ID:WGuk84Ti
立てて来たぜよ。

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その12

http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1155223948/
987名無し三等兵:2006/08/11(金) 01:30:24 ID:???
>>971
>米軍か義勇軍の軍用機は満州に爆撃&機銃掃射していたことがあとで分かった
親戚じゃなくて昔会った事のあるアメリカ人はフライングタイガーに
いたらしい。
東洋人の女の子が好きみたいだったのはそのせいか。
988名無し三等兵:2006/08/11(金) 02:22:43 ID:c9IaAHI+
戦時中に、艦載機の襲撃に遭い、たまたま機関銃のそばにいたが、機関銃撃ってたのは、軍曹で射撃がヘタだと文句云って撃ったけど
全く当たらなかったらしい 
軍曹から、機関銃で飛行機を狙う時は、飛行機の進行方向の空間を狙うように云われるが全く当たらなかったらしい
飛行機でも全くこちら向かって飛んでこないと思ったら、低空でも急旋回して、こちらに向かってくるなど
最近映画「男達のYAMATO」で、対空砲の射撃やってるけど
実際は、飛行機のパイロットもバカじゃないから、さかんに、機体を上下左右に揺らすバンク運動しながら高速で
接近してくるから、直撃弾などは、なかなかムリでせいぜい煙を曳く程度
戦時中は、少し煙を曳いて飛んでた程度でも「大本営発表」では「大破」とか「撃破」の戦果報告がまかり通る時代
実際、終戦末期になるとゼロ戦が、なんと味方の対空砲火で撃墜される例も多く
住民が、対空砲火で飛行機が撃墜されたと大喜びで、墜落地点に押し寄せたら、日本の戦闘機だったとかの誤射事件も多発したらいい

989名無し三等兵
うちの市(当時村)では味方のパイロット射殺しちゃったらしい。
折角脱出したのに守ろうとした住民に殺されちゃあたまらんよな。