秀吉による朝鮮征伐の軍事分析スレッド

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1名無し三等兵
秀吉による朝鮮征伐を軍事分析するスレッドです。


日本史板のスレッド
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1116062496/
世界史板のスレッド
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034574345/
2名無し三等兵:2005/08/26(金) 20:50:52 ID:???
嫌韓厨うざいよ
うざいよ嫌韓厨
3ウンコー(・∀・)見習い ◆Unko.fG8qw :2005/08/26(金) 20:52:59 ID:???
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 |:::::::::::::::||      ガチャ
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4名無し三等兵:2005/08/26(金) 20:53:59 ID:???
日本軍と明軍との戦力比はどうだったの?
5<´♯`> ◆MANSEY3Mcc :2005/08/26(金) 20:54:03 ID:???
糞スレ認定足跡付け付け
6ゲログロ太夫 ◆lLxLI7HFKk :2005/08/26(金) 22:24:12 ID:???
>>1
そっちのスレを大事にしろ。
日本史板の方が詳しい人間多いだろ。
7名無し三等兵:2005/08/26(金) 23:12:09 ID:QiFFEClI
>>6
こんなのイパーイ

>[15] 名前: 日本@名無史さん [ ] 投稿日:2005/05/19(木) 07:25:02
>???
>「韓」は韓信や張良の頃から韓国人固有の国号ですが?
>っていうか、倭乱で十分だろ。
>倭が天朝を乱したのだから「倭乱」。
>実に正しいれしき認識だと思おうが。

実に正しい れしき 認識だと 思おうが 。
日本人じゃちょっと書けませんw
8名無し三等兵:2005/08/26(金) 23:22:23 ID:???
建てたんならさっさとネタを振れ
9名無し三等兵:2005/08/27(土) 09:04:25 ID:y0x0JkO0
>>8
まず>>4に答えてみよ。
10名無し三等兵:2005/08/27(土) 09:21:13 ID:???
>>1=4=9か?
質問なら質問スレに振れ。議論がしたけりゃ自説を述べよ
11名無し三等兵:2005/08/27(土) 13:11:52 ID:???
>>10
お前がやれ。
12名無し三等兵:2005/08/27(土) 14:53:22 ID:???
ウンコとゲログロが書き込んだ時点でこのスレ終了
13名無し三等兵:2005/08/28(日) 13:06:54 ID:q+AdYg1J
陸戦でも日本は連戦連敗だったんだよな。
14名無し三等兵:2005/08/28(日) 13:47:20 ID:???
敗→勝
15名無し三等兵:2005/08/28(日) 14:43:13 ID:hSnirNte
>>14
日本側は負け続けていたので、
沿岸部の城に立て籠もったのだろ?
16名無し三等兵:2005/08/28(日) 14:45:48 ID:???
徳間の文庫から旧陸軍の朝鮮戦役の分析がでてるよ
17名無し三等兵:2005/08/28(日) 15:09:18 ID:???
>>16
概略はどんな感じ?
18名無し三等兵:2005/08/28(日) 20:34:21 ID:dhsZFQaz
秀吉が渡海してればよかっただけでは?結局は。
19名無し三等兵:2005/08/29(月) 03:27:22 ID:???
半島に梃子摺る時点でダメ。
中国を征服するのが本来の目的。
20名無し三等兵:2005/08/29(月) 13:02:12 ID:VDYJvuUy
なぜだ?
21名無し三等兵:2005/08/29(月) 13:10:49 ID:6upvrrFY
>>19
当時の日本の軍船は短距離の航海しかできなかったから・・・
しかも不安定で天気の悪い日は出撃できなかったとか
22名無し三等兵:2005/08/29(月) 13:38:27 ID:???
日本はそれまで国内戦続きだったので兵站への意識が薄く、
補給線の確立と警備にだいぶ戦力を費やした、という話は聞いた。
23名無し三等兵:2005/08/29(月) 13:41:17 ID:???
      ∧_∧      ∧_∧
     _( ´∀`)    (´∀` )
  三(⌒),    ノ⊃    ( >>1 )   糞スレは・・
     ̄/ /)  )      | |  |
    . 〈_)\_)      (__(___)

         ∧_∧  .∧_∧
         (  ´∀) (´∀` )
       ≡≡三 三ニ⌒) >>1 .)    立てんなって
        /  /)  )  ̄.| |  |
        〈__)__)  (__(___)

           ∧_∧  ,__ ∧_∧
          (    ´)ノ ):;:;)∀`)
          /    ̄,ノ'' >>1  )   言ったろうが
         C   /~ / /   /
         /   / 〉 (__(__./
         \__)\)
                      ヽ l //
            ∧_∧(⌒) ―― ★ ―――
            (    ) /|l  // | ヽ   ヴォケがーー!
           (/     ノl|ll / / |  ヽ
            (O  ノ 彡''   /  .|
            /  ./ 〉
            \__)_)
24名無し三等兵:2005/08/29(月) 15:17:38 ID:mGXaDXrr
>>22
ソース
25名無し三等兵:2005/08/29(月) 19:29:57 ID:???
>>22
秀吉、さらに配下の石田三成ほど兵站を重視した武将はいないぞ
26名無し三等兵:2005/08/29(月) 20:40:10 ID:vJF0YsI5
>>25
だから日本軍は連敗を重ねていたのか。
27名無し三等兵:2005/08/29(月) 20:49:00 ID:???
俺の小学校の時の自由研究の題材だったな。
「兵站を考えない戦争は必ず負ける」が結論だった。
28名無し三等兵:2005/08/29(月) 21:37:05 ID:lmxxm/LY
前線にお米と味噌が届かないから負けた。
29名無し三等兵:2005/08/29(月) 21:43:58 ID:4VwucDNl
勝てなかったのは小西のせい
30名無し三等兵:2005/08/29(月) 21:45:03 ID:NtH1iXBC
兵士の戦意もあまり高くない(秀吉の私戦というイメージ)
家康はそれを見越しているから渡海してない
かなり脱走兵もいる、半島の風土もきびしい
敗因はこの辺り
31名無し三等兵:2005/08/29(月) 21:48:58 ID:???
>>29
小西が和議を結ばなかったらもっと長引いてる
32名無し三等兵:2005/08/29(月) 21:52:57 ID:???
大陸を手に入れようとした時点で、戦略的に誤り。
日本人は、どこに行っても日本にいるよりも豊かになれないし、満足できない。
永遠に大陸の内乱にコミットする気もない。
だから、大陸に拠点をつくるのは誤り。

33名無し三等兵:2005/08/30(火) 13:15:43 ID:7SODVH0/
>>30
家康は自らの渡海を願い出ていたぞ。
34名無し三等兵:2005/08/30(火) 17:20:36 ID:???
朝鮮農民が予想以上に貧しくて食糧の現地調達が困難だったから。
大量の米を日本から送ったが量が多いだけに陸上輸送が大変。
しかも明の水軍に妨害されるし。
で、先細りしたところで明の人海戦術+朝鮮農民の反乱(輸送路襲撃)。
こんなところが敗因じゃないか?
35名無し三等兵:2005/08/30(火) 18:45:30 ID:???
>明の人海戦術

これはイメージで、実態は明の方が少数だったというのが前スレで頻出してた。
36名無し三等兵:2005/08/30(火) 18:45:38 ID:zpsYcvoh
>>34
だから日本軍は何度も敗走を続け追い捲られていたの?
37名無し三等兵:2005/08/30(火) 18:47:25 ID:tLoVuDP/
明軍は10万程度じゃなかった?
38名無し三等兵:2005/08/30(火) 19:59:42 ID:???
なんてたって食うものが無いんだから朝鮮農民から略奪しまくり
種籾を食っちまうだろうし朝鮮農民も餓死者続出するだろうし
農民も餓死したくないから激しく抵抗するだろうし
当然、日本軍も抵抗する農民を虐殺しまくるだろうし
それに対して農民もテロで報復するだろうし
日本軍も報復して村人虐殺は当たり前になるだろうし
朝鮮農民の反乱と言うより生存戦争と言った方が合っているんじゃないの?
39名無し三等兵:2005/08/30(火) 20:02:00 ID:/awFQryA
>>37
ソース
40名無し三等兵:2005/08/30(火) 20:20:34 ID:???
>>35
それって何が根拠となっているの?
41名無し三等兵:2005/08/30(火) 22:17:17 ID:UTSjcq7F
明軍の編成はどうだったのだ?
実戦経験豊富な将兵だったのか?
42名無し三等兵:2005/08/30(火) 23:14:04 ID:???
かつて李舜臣の軍事分析で完膚なきまでに神話を崩壊させられた軍板の○○な人が、
乾坤一擲の巻き返しに出たスレですね。
43名無し三等兵:2005/08/31(水) 04:33:19 ID:qM5S50uq
大河ドラマなどでも、朝鮮の役は間違った戦さであるように決めつけられて
いますが、当時の明や朝鮮の国情を考えると、それほどスジの悪い戦いである
とは思えません。黒田如水が秀吉を批判したように、派遣軍の総司令官を家康
か利家にするか、あるいは秀吉がいったように、家康を留守にして利家・蒲生
氏郷とともに秀吉自身が大軍を率いて渡海すれば、勝機はあったと思います。
ただ、派遣軍の総司令官が派遣軍の将領をてなづけてしまうことを恐れたり、
家康に留守を任せきれないところがあったり、豊臣政権の弱さという国内
問題からのアプローチも必要だと思います。
44前スレね:2005/08/31(水) 06:26:02 ID:0aRemlGl
軍版住人の李舜臣の評価は?
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1076903265/

朝鮮征伐に対する軍事分析
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1060085577/
45名無し三等兵:2005/08/31(水) 19:26:49 ID:???
明軍の主力はどのような武装?
46名無し三等兵:2005/08/31(水) 20:19:42 ID:gISPgIeV
チャーハン作るよ!
.∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒)
/   o━ヽニニフ))
しー-J

豚肉も入れるよ!
.∧,,∧
(;`・ω・)
/   o━ヽニニフ
しー-J
     ヘ⌒ヽフ ⌒γ
    (・ω・ )  )
     しー し─J

.∧,,∧
( ´・ω・)…………
/   o━ヽニニフ
しー-J
     ヘ⌒ヽフ ⌒γ
    (・ω・ )  )
     しー し─J

野菜だけでもおいしいね
      ∧,,∧
     (・ω・ )
 / ̄ヽ・゚。・゚/(_, )
./   ̄ ̄ ̄|、_)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
` ̄|| ̄ ̄|| ̄
47名無し三等兵:2005/09/01(木) 18:02:00 ID:???
講義中のよもやま話で、
遠征軍から国もとへの書簡や文書を読んでいると、北の方へ行った連中は防寒装備
を考えてなかったのでかなり寒さで死んだようですね。
とか教授が言ってた。
48名無し三等兵:2005/09/01(木) 20:15:54 ID:g6bSp3lq
>>47
防寒用に唐辛子を持ち込んでいるから、
そういうことは無いんじゃないか?
49名無し三等兵:2005/09/01(木) 20:36:34 ID:???
唐辛子は凍傷予防に効くけど寒気による体力の消耗対策はあんまり意味が無い
50名無し三等兵:2005/09/01(木) 23:09:15 ID:???
着物ね。魏志倭人伝の距離計算を公孫討伐の魏軍侵攻速度とか風待ちの期間
とかを基に講義の中でせんせがしてる際に行軍速度云々の話のついでにそんな
ネタ話をしてくれたことがあった。
51名無し三等兵:2005/09/02(金) 00:54:35 ID:???
見るからにキムチ臭が充満しているな。
日本が連敗したとか半島教育を受けないと中々出ないからな。
52名無し三等兵:2005/09/02(金) 09:26:15 ID:nEWBSxne
日本軍が連敗してなかったのか?
53名無し三等兵:2005/09/02(金) 09:33:38 ID:???
日本軍は城に閉じこもってて防御戦法を取っていた
勝ったとは言えないが連戦連敗ともいえない
まぁ食料がなくなり、籠城中なので地元調達もできず、飢えに耐えかねて撤退というパターンを繰り返すわけだが
54名無し三等兵:2005/09/02(金) 09:36:31 ID:???
日本軍は結局のところ糞糞だったのですね。
55名無し三等兵:2005/09/02(金) 14:51:30 ID:???
連戦連敗は李舜臣との初期の接触くらいなものだろう。
他にそんな例はない。
歴史を紐解けば簡単に分かるはず。
文禄の役の際、つなぎの城とか出先の城を逐次撤収した現象をそう呼べば呼べだが、
それも戦略的撤退と表現したほうがいい。つまり意図的な策。
56名無し三等兵:2005/09/02(金) 14:53:14 ID:???
>53
それじゃ何しに来たんだかわからん。
故郷でまぐわっているほうが遥かにマシ
57名無し三等兵:2005/09/02(金) 15:11:06 ID:???
兵糧不足という現象は文禄の役の開始後、朝鮮全土を制圧して以後、漢城を撤退するまでの話。
護送兵員の不足、悪路が原因。輸送中に盗賊(義兵)の集団に襲われる。
それなりの規模の輸送部隊を整えるには兵員数とそれを支える兵糧が必要となる。
そのあたりが最も苦労したところなんだろう。
(釜山には兵糧が十分に集結してあった。
李舜臣によって本土からの補給の道が絶たれたというのは偽り)

兵糧不足はその他の局面では顕著なものではない。
慶長の役の清正の蔚山の話が好んで取り上げられるが、あれは一時的偶発的現象。
三成らは決して無理な進出はしてなく、兵糧と進出場所との関連をよく把握し、
七年間、大軍を維持しつづけた。その手腕は評価されていい。
58名無し三等兵:2005/09/02(金) 19:21:24 ID:???
渡海諸将の食料弾薬まで三成が面倒見てたわけじゃないから、
その役割は補給路の維持管理まで。

実際の補給業務は現地調達や国元からの搬送、従軍商人からの買い付けによった。
そのため戦闘の長期化に伴い諸大名は資金繰りに苦慮することになった
59名無し三等兵:2005/09/02(金) 20:40:41 ID:???
でも結局3割ぐらいの兵隊が帰って来なかったんだろ?
戦略的撤退と言えば聞こえはいいが実際はホウホウの体、余裕なんて欠片もない。
60名無し三等兵:2005/09/02(金) 20:53:27 ID:???
>>59
連戦連敗はありませんよ、
という程度のresに、
「ホウホウのてい」
の話にしたいあなたって誰なの?
61名無し三等兵:2005/09/03(土) 04:21:15 ID:???
だからキムチの気持ちも解ってやれw
日本に勝ったとか言うのを強調したいのが半島気質だ。
太平洋戦争でも日本人を名乗っていながら何故か戦勝国だそうだし、楽しい歴史を教えているのが半島学校w
歴史認識に事実は関係無い。
自分達の都合、自分達の願望が全てだ。
日本が連戦連敗になったのは途中まで協力してた原住民が情勢が不利になったら急に民族愛に目覚めたせいかと(笑
62名無し三等兵:2005/09/03(土) 12:26:08 ID:???
なんだタイの話か
63名無し三等兵:2005/09/03(土) 12:53:01 ID:???
実際「ホウホウの体」を見せたのは日本側より明、朝鮮側において枚挙に暇がないわけだが。
64名無し三等兵:2005/09/03(土) 16:49:16 ID:???
ホーホー卿の体
65名無し三等兵:2005/09/03(土) 17:29:46 ID:???
朝鮮北部は極寒エリアで作物の生産も少ないのに民の大軍が駐屯してて
食い物は全部明軍にもってかれて現地の住民は死滅しかけたらしい。
66名無し三等兵:2005/09/03(土) 17:49:34 ID:???
朝鮮南部に大規模な拠点を多数築いてるが、これは実は秀吉の初期方針だった。
文禄元年正月五日の軍令書では、「朝鮮に上陸したらすぐに城普請をせよ」とある。
秀吉としては、城を築いて持久戦をしながら、
外交交渉で決着をつけるといういつものパターンを考えていたらしい。

実際には朝鮮軍が一瞬で壊滅してしまい、日本軍は奥地まで進撃してしまった。
そのため兵力は分散し、前線への補給が遅れ、最終的に日本勢は数万人が死亡。
戦死したものは極少数で、ほとんど大部分は疫病と飢餓によるものであった。
慶長の役ではその反省も踏まえ、朝鮮南部に立てこもることを基本方針としたようだ。
秋期に軍事的攻勢をかけているが、領土化というよりは兵糧確保を目的としていたようで、
軍事的にほとんど無傷であるにもかかわらず、目的を達した後は沿岸地域に帰還している。
67名無し三等兵:2005/09/05(月) 21:21:24 ID:QGUuqLPz
日本軍は足場を固めなかったのが敗因
勢いでどんどんせめていって結構
しかし半島南部に城を築いたり整備したりが全然ない
わっとせめのぼっていって前には敵、背後は混乱状態じゃあ持久戦も防衛線もくそもないね。
だいたい秀吉は子と石田光成を日本に残し、家康を連れて朝鮮に布陣するべきだった。
総大将の睨みが効かずに20万からの軍団をまとめられるはずがない。
68名無し三等兵:2005/09/05(月) 21:35:18 ID:???
>>67
敗因、って、日本は負けてませんが。
69名無し三等兵:2005/09/06(火) 00:54:39 ID:???
このスレのヤツは半島出身者が多いな。
秀吉の兵站云々言ってるが、一般人が馬鹿に出来るレベルかな?
>>27が小学校の自由研究で「兵站を考えない戦争は必ず負ける」とか言ってるのには目眩がしたよ。
学研とかの一般向け書籍の丸写しレベルで秀吉の兵站を小学生が批判したっぽいが全く不当な内容だと知れる。
戦争に勝てなかったからやむを得ないが。
秀吉が直接指揮するにも年齢や健康からして陣没して不要な混乱を招いたり、かえって足を引っ張りかねない。
現地に進攻した面子はそんなにレベルが低くない。
兵站は秀吉本人が戦国最高の天才。
部下の兵站能力も超有能。
戦略的にも当時の国際戦争経験ゼロから考えればかなりのモノ。
何が不味かったのか?
やはり焦って(年齢のせい?)いきなり半島に進攻したことが上げられる。
下調べや根回しが不十分だったと言えよう。
本来の計画では半島は明に進攻する単なる通路であり、基地にする予定だったのだがこれを実現していれば
あるいは北京占領も有り得たと思う。
70名無し三等兵:2005/09/06(火) 01:03:53 ID:O3JhvO+Q
>>67
秀吉の病死自体、怪しいと思う。
秀次だけでなく、他にも豊臣一族が次々と死に、さらに、
関ヶ原〜大阪の陣にかけて、家康に都合の悪い人物が次々と変死しているし。
もし家康を連れて朝鮮に渡っても、適当な時期に家康に一服盛られて
暗殺されたと思うよ。
だから、朝鮮出兵以前に、三成が主張したように徳川を始末しておくべきだった。
そして、秀吉自身が半島に出陣。
これで決まっていただろう。
71名無し三等兵:2005/09/06(火) 01:17:33 ID:???
秀吉をそう簡単に暗殺出来るかな?
徳川を始末と言うのもかなり難しそうだ(何しろ小牧・長久手の戦いでは負けているしな)。
むしろ家康に先陣を任せて進攻する方が良いのでは?
72名無し三等兵:2005/09/06(火) 12:12:09 ID:cUsnK4qI
小西が明の使節に騙されてピョンヤンで半年以上無意味にすごして明軍に戦備を整えさせたのが最初の敗因だが、
最大の敗因は秀吉が五大老を完全に掌握することができずに主力軍を派兵できなかった点だろ。
73名無し三等兵:2005/09/06(火) 12:50:32 ID:???
戦争指導のほころびによって撤収しただけのこと。
戦闘にはにおいては明らかに勝っている。
74名無し三等兵:2005/09/06(火) 13:42:49 ID:GKyHg8Xk
>>71
家康は伊賀軍団を抱えていたから暗殺なんて容易だろ。
それに小牧・長久手の時は背後に毛利がいたり、勢力的にまだ小さかった。
全国制覇したらもう徳川など敵ではないし、戦わずして屈服させることも可能。
まず、本能寺に乗じて奪った旧織田領を返せと因縁を付け、次に威嚇して領土縮小。
罰としてさらに徳川領土も減らして三河一国とし、さらに転封。
>>72
秀吉は、第二陣として自ら家康、政宗ら東国大名を率いて渡海する予定だった。
ところが水軍の劣勢で家康の諫止によってすぐに躓き、次に九州小大名が出兵に
乗じて国盗り合戦をやらかしてまた中止、さらに秀吉の母の病気でまたもや渡海中止。
そうこうしているうちに機を逸した。
75名無し三等兵:2005/09/06(火) 14:58:41 ID:???
>>69
兵站を言うなら
釜山本城からの滞貨に
目つぶっちゃ('A`)
76 :2005/09/06(火) 14:59:26 ID:cgKzee/S
結局、国内戦が終わったわりには、
軍備が過大になってしまって起こした戦争なのでしょうが、
(大阪夏冬の陣などもそおいう視点からも見ることができる)
だとしたら、

領土を奪取して過大な軍備を維持
消耗することによって軍備が結果として縮小

この2種類の結末はあったと想定もされた可能性があります。
実際に兵站や後方支援が悪かったので無く、このような構想を
薄々気づいたとしたら、そのような戦略を立てるのにかかわったとみなされた
三成等が恨まれるのも自然な推移なのかもしれません。

このスレでヒントとなったように、考えられていた以上に
朝鮮半島はまずしかった(逆に言えば激しい時代で日本国内の経済は
全面戦争時のGDPが上昇するように規制緩和と戦時上昇で生産力経済上昇していた)
その辺が最大の誤算かもしれません。
77 :2005/09/06(火) 15:02:21 ID:cgKzee/S
1950年代の朝鮮戦争と非常に推移が似ています。
戦争で荒れはてた不毛の地に兵站通して北上するのは
考えている以上に困難なようですね。
洋上補給システムや艦隊を(技術)開発した方が良かったでしょう。

明軍の反撃も、辺境の属国介入にしては全力介入であった可能性が高いです。
その辺はさすがですね。(練度戦闘技術は低くても戦略は妥当)

生産力と野蛮な戦闘性、歩兵の卓逸した優越、時代水準を超えた火力、
そのあたりがすごいのであって、戦略と言う意味では、
秀吉家康と言えども、辺境蛮族未開の酋長王ていどのレベルでは無いですかね?

やはり海外進出するからには、
聖徳太子、織田信長、クラスの戦略家は絶対に必要だったような気がします。
すなわち意を持って実行している(秀吉家康レベル)では無く、
分析に応じ戦略を変える、それができるならば準備もできる、
まあ、そのくらいかな?

指導者の(戦略)レベルは低いんじゃないですかね?
〜WW2までの時代も同様です。
78 :2005/09/06(火) 15:04:55 ID:cgKzee/S
「指導者の戦略レベルが低い」
を大戦略の前提に入れてしまってかまわないような気がします。
現代もそうかもしれませんが。

しかし、そのような方針をとったとみられる元寇時において、
世界帝国の全力攻撃を水際絶滅しているのも
それも事実です。
79名無し三等兵:2005/09/06(火) 15:12:31 ID:gzYTDmuX
侵略を考えるなら、やはり朝鮮の王朝を明派と日本派に分ける内部工作
が必要だったね。
それと、商人や僧など送り込んで事前に朝鮮内部を詳しく知ってから
攻め込むべき。

いきなり攻め込めば、多少いざこざがあっても共通の敵に立ち向かうのは
当然。

それだけの長期的な戦略プランがあった訳ではないから負けた。
80名無し三等兵:2005/09/06(火) 15:27:52 ID:???
主力が出てもあまり結果は変わらんと思う。
敵野戦軍の主力の排除ができないからな。

後に明は清と戦うわけだが、そっちは連戦連敗。
これと同じことができなければ無理だって。
81名無し三等兵:2005/09/06(火) 16:24:06 ID:8xEi7zKj
小西軍でなく加藤軍が西側担当だったら面白かったんだけどな
82名無し三等兵:2005/09/06(火) 17:33:24 ID:???
ひできちって誰やねん?
83名無し三等兵:2005/09/07(水) 00:25:37 ID:???
>>72
は、「敗因」という言葉を二度使っている。軍板に常駐する半島君だろうな。
84名無し三等兵:2005/09/07(水) 00:39:47 ID:???
>>80
明は連戦連敗はしてない。
勝ったり負けたり。
清は独力の軍事力だけでは山海関を抜けなかったし北京も落とせなかった。
清が明を征服するには政略をからめながら40年を要した。
85名無し三等兵 :2005/09/07(水) 14:32:12 ID:???
>>82
選挙に出ては落選する事をライフワークにしている暇な金持ち。
86名無し三等兵:2005/09/07(水) 20:48:12 ID:6zCud+M+
家康は自ら渡海を願い出ているが。
87名無し三等兵:2005/09/07(水) 21:09:22 ID:wYktxDHE
あの当時の、日本と明の人口はどれくらい?(´・ω・`)
88名無し三等兵:2005/09/09(金) 20:31:42 ID:???
8988:2005/09/11(日) 20:41:50 ID:7iMSMSG3
90名無し三等兵:2005/09/12(月) 07:10:57 ID:???
海戦無意味
91名無し三等兵:2005/09/12(月) 13:23:21 ID:???
朝鮮・中国を落とすならば朝鮮人・中国人同士の争いに持っていかねば。
李氏朝鮮の党派争いに付け込んで反乱を起こさせ、親日的な傀儡王朝を作らせる。
こうすれば兵站の負担もだいぶ軽くなる。

日中戦争でも日本は中国相手に、近代国家同士の戦争と考えてまともに攻めすぎた。
対中工作を重視してさっさと親日政権作って、多くの中国人を日本側に寝返らせて置けば、後は中国人同士が勝手に殺しあってくれる。
92名無し三等兵:2005/09/13(火) 01:53:24 ID:???
秀吉はそういうの得意そうなんだけどねえ。
やっぱボケ老人の妄想爆発な戦いに過ぎなかったということか
93名無し三等兵:2005/09/15(木) 16:33:07 ID:n26O51ql
94名無し三等兵:2005/09/15(木) 17:44:34 ID:???
>>84
ヌルハチも寧遠の戦いでは袁崇煥ひきいる明軍に惨敗しているくらいだしね。
このとき受けた傷が悪化して死んだという説もある。
95名無し三等兵:2005/09/15(木) 19:29:20 ID:???
倭城最強
96名無し三等兵:2005/09/15(木) 20:26:58 ID:+El2Z2Qi
>>86
家康は朝鮮に行く気全く無かったとおもうんだが?
腹心の本多正信が家康に朝鮮に行くのか聞いたら
「誰が箱根を守る?」と言い返した逸話は有名だし
結局名護屋まで行ったけどついに一兵も出してないし
97名無し三等兵:2005/09/15(木) 20:28:59 ID:???
>>96
領地獲得の機会。
関東よりはいいだろう。
98名無し三等兵:2005/09/17(土) 16:49:09 ID:2hPS6M1p
age
99名無し三等兵:2005/09/17(土) 16:55:06 ID:???
以前のスレ
朝鮮征伐に対する軍事分析
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1060085577/
100名無し三等兵:2005/09/17(土) 18:45:48 ID:???
結局目的が何だったのか解らん。
目標はなんだったんだ?
明の制圧?
たかだか20万程度の兵で?
秀吉の誇大妄想?
明や朝鮮軍は連戦連敗だったのか?
日本も連戦連敗だったのか?
101名無し三等兵:2005/09/17(土) 18:47:25 ID:???
李舜臣って結局優秀だったの?
それとも無能?
102名無し三等兵:2005/09/17(土) 19:46:31 ID:???
それなりに優秀で粘り強い戦術家。
最後は功を焦って墓穴を掘った。
103名無し三等兵:2005/09/17(土) 20:26:14 ID:???
文禄末期では戦い方を読まれだして結構苦戦したり、
釜山に特攻かけて日本側の水軍(福島正則のだっけ)に撃退されたりしてんだよな。
大軍を率いる将というより、ゲリラ部隊の有能な指揮官的て印象がある。
104名無し三等兵:2005/09/17(土) 22:15:10 ID:???
>>100
国内統治の手段。
105名無し三等兵:2005/09/19(月) 06:02:36 ID:???
統一されれば反乱が起きるだろうからね
106名無し三等兵:2005/09/19(月) 07:57:54 ID:???
1592年4月12日 一番隊小西行長釜山上陸
   4月26日 朝鮮国王教書を出し兵を募る。
   5月16日 二番隊加藤清正京城占領。
   5月下旬 豊臣秀吉今年中に北京占領を計画。
   6月上旬 義兵闘争開始。後方補給線への攻撃激化。
   6月16日 小西、黒田隊平壌占領。黒田隊は後方守備に戻る。
   7月15日 秀吉、前日の脇坂安治の敗北を受け今年の目標を明国境までに限定。また要衝に築城を下知。
   8月下旬 加藤清正厳しい寒さと食糧調達の困難から僅かの守備隊を残して咸鏡道より撤退。
107名無し三等兵:2005/09/19(月) 08:25:51 ID:???
ちょっと前後した。

1592年7月16日 明軍平壌に逆襲も撃退される。
   8月7日 宇喜多秀家、石田・増田・大谷ら三奉行と小西・黒田・小早川隆景を京城に呼び本年の目標を平壌までとした。
   12月25日 秀吉渡鮮部隊の糧食不足に対し食糧の釜山輸送を約束。
1593年1月3日 日本軍明軍大部隊の接近に気付く。
   1月5日 平壌被包囲
   1月7日 明軍総攻撃。小西夜半に京城に向け撤退開始。
   3月3日 秀家・隆景ら17将は連名で状況を報告。釜山から京城までの兵糧輸送は全力を上げても不可能と報告。
108名無し三等兵:2005/09/19(月) 08:44:43 ID:???
結論としては全くの無意味、秀吉直属の武将の損害を考えると大失敗。
109名無し三等兵:2005/09/19(月) 13:19:28 ID:en0j3UeL
>>106
つまり日本軍は糞糞に大敗北したのですね。
110名無し三等兵:2005/09/19(月) 16:08:12 ID:3Wr81l1V
こんなスレがあったのか。
秀吉ってヒトラーなみの侵略者だよ。
明や朝鮮だけでなくて、タイ(シャム)やルソン(フィリピン)などなどにも
「朝貢」を要求してる。
元にルソンのマニラでは秀吉の侵略にそなえて砦が築かれている(現存)。
またシャム大王(当時偉大な王の時代だった)は、明にシャム水軍を率いて
日本にダイレクトに攻め込むことを強行に提案してる。
111名無し三等兵:2005/09/19(月) 16:44:34 ID:???
>>109
なにがつまり、よ
112名無し三等兵:2005/09/19(月) 20:01:31 ID:???
113名無し三等兵:2005/09/19(月) 23:35:31 ID:???
荷駄っぽいなw
114名無し三等兵:2005/09/20(火) 00:43:24 ID:???
いっぺんでいいから誰かに教えて欲しいんだが、日本が勝った勝ったって言わないと朝鮮人に分類されちゃうの?
115名無し三等兵:2005/09/20(火) 01:28:25 ID:???
>>114
そういう奴こそ朝鮮人に言動が近いと思える時がある。
116win-win:2005/09/20(火) 04:24:45 ID:HsThLoII
>>110
(・∀・)へー。秀吉かこいい!!!
誰かそれを元に小説書いてくれ。
117名無し三等兵:2005/09/20(火) 06:31:44 ID:???
> 「宣祖実録」宣祖二十六年四月十日(1593年)の項には、
>兵曹判覚李恒福(イ・ハンボク)が明軍の部隊を訪れた際の報告文が記されている。
>恒福は暹羅(タイ)、都蛮(チベット)、小西天竺(インド)、六番得、楞国、苗子、西番、三塞、緬国、播州などの国、
>地域から招集された兵が明軍に加わっていたとしている。
>豊臣軍はこれら様々な国、地域の兵と戦ったのだ。
118名無し三等兵:2005/09/20(火) 12:04:34 ID:???
播州侍は敵になったのか。
119名無し三等兵:2005/09/20(火) 23:06:55 ID:???
この手のスレを見るたびにいつも思うんだが、
明の皇帝が引きこもりドキュンニートの神宗万暦帝で本当に良かった。
もし光武帝だの永楽帝だの乾隆帝だの我当時の皇帝だったらまず
間違いなく日本はぬッ殺されてた間違いない
120名無し三等兵:2005/09/20(火) 23:14:12 ID:???
>>119
無理じゃない?
日本は当時、鉄砲大国だし、
明って敵国に囲まれてて日本に全軍よこせないじゃん。
よこせても20万ぐらいでしょ。
間違いなく日本はぬッ殺されるとは思えない。
121名無し三等兵:2005/09/21(水) 00:29:15 ID:???
子供ばっかりだなw
ついでに言うと最近の教育は朝鮮で検閲した教科書を使用するのか?
日本が連戦連敗だの言う厨房の知識はどっから来たんだ?
俺は知らんぞ?
実際は戦争が苦しくなって手を引いただけで戦闘自体がダメだったという訳でもないのによ。
122名無し三等兵:2005/09/21(水) 01:00:48 ID:???
戦闘で勝てばよしw
123名無し三等兵:2005/09/21(水) 01:05:42 ID:???
>121
団塊のオッサンあたりはベトナムで勇敢なベトナムゲリラにアメリカ軍がぼろくそにやられて敗北。米軍はベトナムから撤退と本気で考えてるからなあ。
124名無し三等兵:2005/09/21(水) 01:21:56 ID:???
団塊の世代の認識はそうなのか・・・?
ただ、我々はヴェトナム戦争をリアルタイムでは知らんからな。
認識についてズレがあるのも仕方あるまい。
まぁ、子供が知ったか発言をするよりは真実が多く含まれていそうだな。
125名無し三等兵:2005/09/21(水) 01:38:40 ID:???
しかしまあ戦争が戦闘だけで決せられるモノでもないしな。
あらゆる意味での戦争遂行能力も問題だ。
126名無し三等兵:2005/09/21(水) 08:06:26 ID:???
アホの見本。
127名無し三等兵:2005/09/21(水) 22:34:25 ID:HoQHUsY0
秀吉軍の補給路を農民からなる反乱軍が脅かした、つまりは民族主義的抵抗が
行われた、ということになってる。
だが、事実は全然違う。
李朝の圧政下で極限に貧しかった農民は匪賊となり、沿岸部の住民は倭寇となった。
そこに秀吉が攻めてきて、解放軍 とばかりに李朝を一緒に攻撃。そして、その後
は無防備な日本軍補給部隊や、明軍補給部隊を匪賊が攻撃していただけで、別に民族的
抵抗でもなんでもない。村ぐるみで隣村を襲撃するようなことまで多発する。
生存のための戦いだったんだよ。日本に対して、明に対して、そして李朝、
さらには隣の村に対しての。
128名無し三等兵:2005/09/21(水) 22:45:08 ID:???
>>127
具体的な一次資料付のソースが知りたい。
129名無し三等兵:2005/09/22(木) 00:06:14 ID:???
まぁ、半島では戦時中は日本人、戦後はレジスタンスを名乗る人ばかりだからねぇw
勝ち馬に乗りたい人ばかりなんじゃねぇか?
130名無し三等兵:2005/09/22(木) 02:54:10 ID:???
>「宣祖実録」宣祖三十一年五月二十六日の項には、明軍に同行する「異面の神兵」の記述がある。
>この人物は波郎国の者、つまりポルトガル人で、鉄炮や武芸に長けていたと言う。髪は短めで、
>黒い羊毛のようだが禿げ上がり、航海によるものと思われるが、全身が黒く日に焼けていた。
>海に潜り、敵船に穴を空けることが出来たため、「海鬼」と呼ばれるようになった。
>海鬼は宣祖の前で剣術を披露し、銀一万両を賜ったと言う。このように文禄・慶長の役には明に事大するアジア各国、
>さらにポルトガル人も参戦していたのだ。

悪の日帝を倒すために世界中が協力した戦争。
131名無し三等兵:2005/09/22(木) 03:14:42 ID:???
悪の日帝・・・・やっぱ鮮人スレw
傭兵が正義で動きゃしねぇよ。
銀一万両のためだっての。
ポルトガルは日本軍が捕虜にした民間人を奴隷として買い叩いて商品にしてたのさえ知らんとはなwww
132名無し三等兵:2005/09/22(木) 03:16:47 ID:???
ちなみに奴隷の対価が弾薬等と言う訳。
133名無し三等兵:2005/09/22(木) 03:37:10 ID:???
>>131
>>132
簡単に釣られるなよ。
134名無し三等兵:2005/09/22(木) 04:13:10 ID:???
最近、朝鮮人を叩いている内にいつのまにか朝鮮人レベルまで落ちている奴をよく見かける。
日本を意識し過ぎの朝鮮人に対し、朝鮮を意識し過ぎの日本人。
135名無し三等兵:2005/09/22(木) 04:20:13 ID:???
色んな思惑が絡んで、朝鮮というより明側についたよな周りの国家・団体はどこもかしこも。
明は敢えてそれらの協力を断ってるけど。
136名無し三等兵:2005/09/22(木) 09:58:21 ID:???
>>106
清正の撤退は文禄二年(1593年)の二月下旬だよ。
137名無し三等兵:2005/09/22(木) 11:35:30 ID:???
それは朝鮮軍の攻撃にさらされた守備隊の救出のため。

1592年11月中旬 鄭文孚、吉州を包囲。
1592年11月23日 清正吉州を守りきれない場合は撤退も可とする使者を出す。
1592年12月   鄭文孚、吉州の連絡に向かった日本軍若干を撃退。
1593年正月   清正自ら救援に行くことを望むが、京城の三奉行より慶尚道の後方連絡線が危機に陥ったため京城に戻るよう催促を        受けていた。また、鍋島直茂より自ら救援に行ってはならぬと諌められていたため、精兵500を派遣して救出し、二
        月までには安辺に帰還した。
138名無し三等兵:2005/09/22(木) 19:17:56 ID:???
>>137
なにがそれはなのかよく分からんが>>106には
「1592年八月下旬かん鏡道より撤退」と書いてある。

清正はオランカイから帰った後地質が悪い明川以北には在番を置かず
(明川以北放棄。明川以北の八鎮の押えは清正についた在地土豪に命じたらしい)
吉州以南に在番を配置した。清正は安辺に本陣を置いた。

かん鏡道からは撤退していない。
139名無し三等兵:2005/09/22(木) 20:04:03 ID:???
安辺は咸鏡道じゃないんだ。瑣末だが。

とにかく、一番隊、二番隊とも8月には守勢に入ったことは確実。慶長でも同様。もはや何のための戦かわからなくなっている。
140名無し三等兵:2005/09/22(木) 20:18:51 ID:???
内戦が終わって大量発生した浪人を食わす為の戦争。
141名無し三等兵:2005/09/22(木) 21:27:00 ID:U47ViN24
バブル処理戦争だったんだ豊臣は敗戦でもプラス
142名無し三等兵:2005/09/22(木) 21:59:13 ID:???
>>139
安辺はかん鏡道。
143名無し三等兵:2005/09/22(木) 22:18:53 ID:???
その通りでした。道境が変更されたようです。始めから参謀本部の戦史をチェックしてればよかったと反省。
144名無し三等兵:2005/09/23(金) 10:27:15 ID:???
>>139
>一番隊、二番隊とも8月には守勢に入ったことは確実。

8月にかん鏡道で誰が決起したんですか?
一番隊の小西行長は8月の京城の軍議で平壌撤退でも主張したんですかね。
145名無し三等兵:2005/09/23(金) 10:35:01 ID:???
加藤清正は8月オランカイに行ってます。
146名無し三等兵:2005/09/23(金) 14:33:32 ID:???
なんでオランカイなんかにいったん?
147名無し三等兵:2005/09/23(金) 15:29:25 ID:???
オラン、カイもく見当つかない
148名無し三等兵:2005/09/23(金) 17:28:58 ID:???
>>147
さらしage
149名無し三等兵:2005/09/23(金) 17:47:53 ID:???
なんか去年か一昨年立った同一スレに比べて国士様が増えてる上に、
内容も突っ込んだ議論見られないのがカナシス
150名無し三等兵:2005/09/23(金) 18:34:47 ID:???
そんなもん大韓が民主主義的な近代的なゲリラ組織で
前近代的な倭賊を懲らしめた以上のことを論じる必要性を感じるとでも言うのか
日本はとことん韓国に詫び秀吉の犯罪悪行を未来永劫恥じるべきで
軍事的に論じる必要性なんぞまたく必要性が無い
151名無し三等兵:2005/09/23(金) 19:15:28 ID:???
前スレもレベル低かったよ。
2ちゃんだから。
152名無し三等兵:2005/09/23(金) 23:42:35 ID:???
李朝の事を韓国では大韓と呼んでいるのかな。
李王朝は朝鮮半島を大明帝国皇帝への忠義を示す為日本軍に対し防壁とした。
結果、中国本土は日本軍に蹂躙されなかった。
自国より宗主国の為を思う儒教精神の為せる業かなw
153名無し三等兵:2005/09/23(金) 23:43:07 ID:???
>>150

そ前日軍

…わからん。
154名無し三等兵:2005/09/23(金) 23:58:34 ID:???
>>139
何が根拠で一番隊、二番隊が1592年8月に守勢に入ったのが確実と言うのか教えてくれ。
155名無し三等兵:2005/09/24(土) 00:04:48 ID:???
>106-107

二番隊も清正自身の判断による。後で戦史の記述を抜きだしときます。
156名無し三等兵:2005/09/24(土) 00:12:53 ID:???
>>155
日本戦史なら持っているが。
157名無し三等兵:2005/09/24(土) 00:14:35 ID:???
憂国厨うざいなぁ
158名無し三等兵:2005/09/24(土) 00:18:07 ID:???
このスレで憂国書き込みをした覚えはないな。
日本戦史なら持っているからどこ見りゃいいんだ。
159名無し三等兵:2005/09/24(土) 01:53:10 ID:???
嫌韓厨=憂国厨となる訳か。
かなり脳内変換しないといけないな。
160名無し三等兵:2005/09/24(土) 07:26:34 ID:???
>>139を読んで>>154の質問をすると嫌韓厨になるのかな。

>>155>>106-107を読むと一番隊が守勢に入ったのが確実とわかるという事か。
8月7日本年の目標を平壌までとしたという所かな?
>>106-107には書いてないが、小西行長と沈惟敬が会談して停戦したのは守勢なのか。
161名無し三等兵:2005/09/25(日) 21:38:21 ID:???
>>153
まさに藩屏
162名無し三等兵:2005/09/27(火) 10:04:04 ID:???
開城を発った加藤・鍋島二番隊二万余人は六月十七日頃安辺に到着した。
同二十四日、永興に進出したさい、臨海君、順和君の二王子がこの道を北行した
ことを聞いた清正は、これを捕らえるため、手兵九千人を率いて急追撃をはじめた。
鍋島軍はかん鏡道の南半制圧のためかん興にとどまった。

相良頼房の部隊八百を伴った加藤軍は、北青に頼房を
端州に九鬼広隆を配置し、さらに北進をつづけた。
七月十七日、海汀倉でかん鏡道南兵馬節度使李瑛と同北兵馬節度使韓克誠を撃破した
後は、吉州・明川・鏡城・富寧を無抵抗で通過し、同二十二日古豊山に達した。
翌二十三日、国境をなす豆満江に近い会寧府を攻撃しようとしたところ
府使鞠景仁は二王子以下を捕らえて清正に降り、二王子は日本軍の人質になった。
163名無し三等兵:2005/09/27(火) 10:36:51 ID:???
これで清正の軍事目的は一応達せられたわけだが、清正はさらに朝鮮の国境外にまで
威を示そうとして(明への道を探るためとも)、豆満江を渡り、オランカイ討伐に向かった。
清正は二十日間海蘭河・フルハツ河沿岸の一帯を攻略し、八月十三日、朝鮮の鐘城にたちかえった。

鐘城から豆満江沿いに下って西水浦に出て、そこから南下して鏡城にいたった。
明川以北を放棄するに決した清正は、吉州・海汀倉・端川・利原・北青・洪原などに
部下の兵四千八百人(八百は相良勢)を分屯させ、自らは二王子を伴い、三千余人を率いて安辺に帰った。
洪原と安辺の間のかん興・永興・徳原などには、鍋島軍一万二千人が守備についていた。

二番隊はかん鏡道の諸城に兵糧を徴発、集積して越年の態勢に入った。
164名無し三等兵:2005/09/27(火) 10:49:03 ID:???
>>139
>もはや何のための戦かわからなくなっている。

1592年5月16日、加藤清正からソウル陥落と朝鮮国王逃亡の注進を受けた秀吉は
清正に九ヶ条にわたる指示を宛てた。
165名無し三等兵:2005/09/27(火) 12:02:11 ID:???
>>164に追加

高麗国代官所
儀、以絵図被割付候、
別紙如一書、応
分際手前請取之
所、政道・法度以下、
日本如置目申付、
百姓召直、年貢諸
成物可取納候、然者、
大明江道筋御座
所普請申付、為其
代官之在番可仕候、猶石田治部少輔・大谷
刑部少輔・増田右衛門尉
可申候也

(天正二十年)六月三日 (秀吉朱印)
加藤主計頭とのへ
166名無し三等兵:2005/09/27(火) 12:10:31 ID:???
加藤は倭の賊頭
167名無し三等兵:2005/09/28(水) 00:47:39 ID:???
だから何でここは鮮人が住み付いて離れないんだよw
168名無し三等兵:2005/09/29(木) 10:29:38 ID:qbK45M3E
169名無し三等兵:2005/09/29(木) 11:11:04 ID:???
明軍も実際は日本側を超えるような大軍じゃないよなあ。
少数ながらも精鋭日本軍が圧倒的な大軍で押し寄せる明軍を切っては棄てって事になってる場合が多いけどw
170名無し三等兵:2005/09/29(木) 13:09:05 ID:pXgOIHix
そもそも力押ししか考えられぬから失敗するのだよ。
外政を行うにはまず「謀略」が基本だろ?

半島制圧のただしい手順をオレがレクチャーしたるから聞いとけ!

1.反朝鮮王朝・親日派の地方豪族の育成

2.上記1の人物に対し、武器・資金を援助し、内戦を勃発させる

3.タイミングを見計らって日本軍の大量派兵

4.明の軍事介入を牽制しつつ、内乱を鎮圧

5.上記1の人物を王とする傀儡政権を誕生させる

以上

後は属国化するなり併合してしまうなりはその時の状況次第。
171名無し三等兵:2005/09/29(木) 13:28:57 ID:???
>140
そもそも大明出兵は足利義満が「日本国王寿安鎮国之山」に封じられて
死後に「恭献王」と贈名されたのが最大の原因

これらを認めることは中国皇帝の臣下であることを認めることになるから
当時(室町4代義持)の武家は明国討つべしと盛んに主張した
6代義教は実際に渡海計画を立ててたしな

浪人救済とかの意味もあるが、何よりも大明征伐は日本の国体護持である
との認識が戦国期の武士や朝廷にあったため秀吉は絶大な支持を受けた

172名無し三等兵:2005/09/29(木) 13:47:50 ID:???
ところが、明どころか通り道のハズの朝鮮すら制圧できず逃げ帰ってきたと。
173名無し三等兵:2005/09/29(木) 15:32:17 ID:???
>>170
1の前に、対馬の宗氏を完全に掌握する事が先じゃね?
174名無し三等兵:2005/09/29(木) 16:54:02 ID:???
国政的に豪族が成り立たねーつっーの
175名無し三等兵:2005/09/29(木) 16:54:34 ID:T5z9hRbc
>>170
2.の段階でこうなると予想
2.1 親日派と目論んだ地方豪族が金だけ取って逃走
176名無し三等兵:2005/09/29(木) 20:41:38 ID:???
>>172
鸚鵡返しに必死かよ。
177名無し三等兵:2005/09/30(金) 00:19:26 ID:???
>>170
1.の段階で宣戦布告に等しい。
育つ前に粛清、日本側への対抗措置として徳川への梃子入れ等が考えられる。
いずれにしろ自分が秀吉以上の戦略眼の持ち主だと思っているなら妄想に過ぎないと指摘させて貰う。
178名無し三等兵:2005/09/30(金) 09:31:04 ID:???
朝鮮は中央集権国家で日本みたいな豪族なんかいないし、
富裕階級はみな官僚だから国に謀反なんて考えにくいし
のっけから成功可能性が0に近い作戦の様な気がするんだが。
179名無し三等兵:2005/09/30(金) 10:22:27 ID:???
宣教師を送り込む。
180名無し三等兵:2005/09/30(金) 15:43:17 ID:???
らっぱを送り込んで破壊工作させる。
181名無し三等兵:2005/09/30(金) 15:46:25 ID:???
らっぱを送り込んで破壊工作させる。
182名無し三等兵:2005/09/30(金) 16:19:35 ID:???
秀吉の「明征服して、北京に都移す」とか「朝鮮が先鋒を務める」って国内向けのアドバルーンを、
琉球の人達や、日本国内で虜になっていた明国人や商人が真に受けて本国に報告し
李氏朝鮮が謀反起こして、日本と共に攻めてくるって、戦争直前に北京が判断しちゃったってのが笑える。

朝鮮はいつも踏んだりけったりだな。
183名無し三等兵:2005/10/01(土) 18:54:14 ID:???
朝鮮はいつも勝者だが何か????_???????_???????????
いつも敗者笑いものは倭ですょ倭だ
184名無し三等兵:2005/10/01(土) 19:55:52 ID:???
ヨードラン光?
185名無し三等兵:2005/10/01(土) 22:14:55 ID:???
信長の野望を半島付きのマップでぷれいしたい。
186名無し三等兵:2005/10/02(日) 00:03:44 ID:???
北はモンゴル、西はインドからフィリピンまで入れなきゃダメだろ。

人はそれを蒼き狼と白き雌鹿と呼ぶ気もするが。
187名無し三等兵:2005/10/02(日) 00:33:56 ID:???
>>185
半島側はまがりなりにも統一政権だからな。
COMの思考方法を引き籠もりにしないと、逆侵攻喰らったりするゲームがあるw
188名無し三等兵:2005/10/02(日) 07:58:58 ID:???
韓国製のゲームで、セブン・イヤーズ・ウォーってのがあるらしいな。
内容は知らんし日本で発売されてるかも知らんが。
189名無し三等兵:2005/10/02(日) 08:09:12 ID:???
>>188
日本語版持ってるよ。
内容は朝鮮出兵だね、日本軍、明軍、朝鮮軍でプレイできる。
日本軍でやったけど難しくて進めなかった。
190名無し三等兵:2005/10/02(日) 13:36:02 ID:???
フリーの戦国史(Aliceの戦国史シナリオ)だと李氏朝鮮は大勢力だね。
たしか朝鮮出兵のシナリオもあったはず。
191名無し三等兵:2005/10/02(日) 14:57:40 ID:Kat7OxL/
両方とも更に紹介希望
192名無し三等兵:2005/10/02(日) 15:01:34 ID:???
信長の野望みたいな戦略級のゲームより、
戦術級のゲームにふさわしい題材じゃね?
193189:2005/10/02(日) 15:02:09 ID:???
するのはいいけどこのスレでいいのかな?
194名無し三等兵:2005/10/02(日) 17:19:06 ID:???
カモーン
195名無し三等兵:2005/10/02(日) 21:01:12 ID:???
カモーン
196名無し三等兵:2005/10/03(月) 00:26:56 ID:???
歴史捏造プロパガンダゲーム。
197名無し三等兵:2005/10/03(月) 16:13:58 ID:???
つまらなそう
198名無し三等兵:2005/10/03(月) 19:24:30 ID:???
特アの舎弟と化したコーエーが蒼き狼シリーズ出すの辞めたのも外圧だろうな。
不利になること思い出させるもの出すなって。
199名無し三等兵:2005/10/03(月) 19:30:48 ID:???
元寇にしろ朝鮮出兵にしろ武士って接近戦とにかく強いね。
200名無し三等兵:2005/10/03(月) 20:09:10 ID:???
200
201名無し三等兵:2005/10/05(水) 01:01:31 ID:cvlV6Ioy
武士は接近戦に特化してるような兵種だからなw
202名無し三等兵:2005/10/05(水) 01:32:58 ID:???
どこが?
203名無し三等兵:2005/10/05(水) 03:30:01 ID:???
その前に武士が兵種なのかと言う件について
204名無し三等兵:2005/10/05(水) 04:02:44 ID:???
朝鮮人ってやられてばっかりでかわいそうだな
毎週キムチ買って経済援助します
だからひがまないで
205名無し三等兵:2005/10/05(水) 04:15:28 ID:???
武士がただの白兵戦用兵士だと思うなよ
206名無し三等兵:2005/10/05(水) 07:49:33 ID:???
>>204
唾入りキムチなんか金払って食うなって。

元寇時は飛び道具は卑怯と言う時代だったもんな。雪崩れ込む元軍に対し最初名乗りを上げてたぐらいだから。


207名無し三等兵:2005/10/05(水) 08:05:45 ID:???
>>206
飛び道具は卑怯なんて時代ねーよwwwwwwwwwwwwwwww
208名無し三等兵:2005/10/05(水) 11:49:56 ID:???
信長は国内統一後に大陸も支配し、子に日本を与えるつもりであったわけだが、
もし暗殺されずに信長の朝鮮出兵になってたとしたらどうなってたのだろう。
209名無し三等兵:2005/10/05(水) 13:40:07 ID:???
>>206
名乗りあげた後に飛び道具で戦うのが武士。
210名無し三等兵:2005/10/05(水) 13:52:07 ID:LkhC5NuF
二十年、三十年のスパンで考えれば、日本の中国制覇も決して絵空事ではない
現実に明はその後衰退し、清に政権が移ったわけだしな
もし秀吉がひとまず朝鮮の南半分の制覇で我慢して、その後の足がかりとする
そんな長期的なスパンで大陸制覇を考えていたなら、歴史は変っていたかも知れないな
しかし秀吉の大陸征伐の野望は、自身の天下取りが何十年もかけて慎重にやっていたにも関わらず
あまりにも性急で無計画に行い過ぎていた。
老害の極みと言うしかない
211名無し三等兵:2005/10/05(水) 15:19:34 ID:???
>>210
それやってる最中に寿命が来た。
212名無し三等兵:2005/10/05(水) 15:34:54 ID:???
秀吉の死後、事業は引き継がれなかった。

秀吉は在鮮将士の帰朝を命じて死んだ。
213名無し三等兵:2005/10/05(水) 15:57:14 ID:???
>>212
本気で大陸制覇を目論むなら子や孫の代まで視野に入れた戦略を作るべきだった。
秀吉だって出兵の時点で当時としては高齢なんだから、子供に野心を受け継がせる戦略を練るべきだな
遺言で遠征軍に帰国を命じたあたりは、歴史の中で時々起こる為政者の気まぐれ的な戦略としか判断のつけようがない
214名無し三等兵:2005/10/05(水) 18:17:44 ID:???
>>213
釣りならもう少し細かい餌で頼む。
215名無し三等兵:2005/10/05(水) 20:51:57 ID:cvlV6Ioy
>208
架空戦記まがいの妄想乙

信長にそんな構想ありませんでしたが?
大陸進出を信長の前で秀吉がブチ挙げて
「またまた大言ならんかな」と笑われたって知ってる?
216名無し三等兵:2005/10/05(水) 21:24:02 ID:???
朝鮮征服の必要経費が、九州全土の年貢一年分ちゅう話やったかの
217名無し三等兵:2005/10/05(水) 22:19:27 ID:bKyeyQoU
>215 たしかに信長は中国研究(三国志時代の戦術)はよくしてたから大陸進出には慎重だったかも試練(ソースはそのとき歴史は動いた、桶狭間編、
取った戦術が正史三国志曹操伝官渡戦の踏襲である)から大陸よりも東南アジア方面の交易植民圏の方が現実的だと思っていたかも。
現にこの時代は結構人が海外に出てるね(山田長政の日本人街の基礎もこのころ)。
218名無し三等兵:2005/10/05(水) 23:50:23 ID:???
日本刀の切れ味は凄かったみたいだな。
伊達政宗が大太刀で巨漢の敵兵を斬ったところ、あばらごと横から胸部を切断して
木に深く喰い込んで抜けなくなったという記録がある。
明の将軍が「日本刀の切れ味は凄まじく、我々は鉄砲ではなく日本の刀に敗れた」とか言ってたと思う。
でも実際は鉄砲が一番活躍したはずでは?

特に島津兵は猛獣ような荒くれぶりだったらしく、
「チェストー」と叫んだり、
「キェーーー」「ギイャーーー」と、猿叫と言われる独特の発狂したような甲高い叫び声をあげて戦った。
明軍からは鬼石曼子(おにしまづ)と恐れられたそうだ。
219名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:03:59 ID:???
日本刀が実戦で役に立つ訳ない。
220名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:19:05 ID:???
役に立つ訳ないと断言出来るのは何故・・・?
221名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:19:37 ID:???
集団戦では長兵有利だろう。
だが倭寇なんかの時代には日本刀に結構手を焼いたらしく、
日本刀対策として穂先を斬られにくくした槍とか
日本刀の様な倭刀なんかを導入したりしてる。
222名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:22:48 ID:???
鈴木真哉の著作位読んどけよ。
223名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:34:20 ID:???
日本刀は2,3人斬ると人間の脂で切れなくなるというのは真っ赤なウソだが、
宮本武蔵でさえ「戦場では長槍が有利」とのたまってるからなw
安土桃山以降は戦闘での死因は鉄砲が一番多いしね。
ま、朝鮮の役のあと、明軍は日本刀そっくりの細身の片刃刀を正式装備に変更したことは有名。
銃も三眼銃から日本式の鳥銃に代えた。
224名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:38:04 ID:???
鈴木真哉の騎馬隊論はかなりアレだけどな
225名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:50:56 ID:???
槍は両軍同じようなものだったから比較論が出てこないんだろう。
刀剣類は違うモノだったから比較論が出てくる。
226名無し三等兵:2005/10/06(木) 00:59:36 ID:???
>>224
どこが?
227名無し三等兵:2005/10/06(木) 01:22:29 ID:???
明軍は1隊が25人。
歩兵は1隊につき仏朗機2門(仏朗機を搭載する車両1両)、鳥銃2丁、三眼銃6丁とかなり火力重視。
騎兵は1隊につき三眼銃11丁、弓11張が配備されていた。
歩兵4隊と騎兵2隊で1乗といい、これを1単位として配置した。

最大単位は営で、1営は歩兵3200人、騎兵1600騎、予備騎兵800騎の5600人で構成される。
うち銃類1664丁、仏朗機256門と非常に火器が多い。
他に司令部直轄で予備騎兵3000騎、大口径砲32門ほか100門以上の砲が配備されちた。
すごい強そうなのに実際は日本軍にボコボコやん・・・
228名無し三等兵:2005/10/06(木) 01:34:11 ID:???
砲は朝鮮の悪路に躓き、追随できなかった。
平壌くらいまではなんとかなったみたいだけど。

あと、それはあくまで計画上の定数でしょ?
実際はそんなに揃えられていたとは思えないなあ。

それに投入された明軍の数って日本軍とほぼ同等だったみたいだし。
229名無し三等兵:2005/10/06(木) 01:41:44 ID:???
>>228
>あと、それはあくまで計画上の定数でしょ?

そのとおり。寝耳に水の明軍にとっては土壇場スタンバイだからね。
230名無し三等兵:2005/10/06(木) 03:10:31 ID:???
明軍の朝鮮への援軍は、数万程度が限度だったはずだ。
なぜなら全軍の過半数を遊牧民族と帝国の境界付近に配備していたからだ
遊牧民族の侵入を防ぐために長い境界は、常に軍が常駐し、境界を守るのに万全の備えをしていた。
理にかなった戦略のように思えるが、実のところ、愚策もいいとこの戦略でね。

まず、国境を守るのに軍事費が際限なく必要となる。
しかも広大な国境線に配備しているわけだから、どんな大軍でも細く長くになってしまう。
だから防げる間は良いが、いったん破られてしまったら、もうどうしようもない
そのため明は思いがけない方向からの侵略、つまり満州や日本からの攻撃には案外もろかったのではなかったかね?
231名無し三等兵:2005/10/06(木) 03:17:33 ID:???
そういえば朝鮮出兵に関する資料はあまりないな
在日華僑の作家・陳舜臣がすこし触れているくらいだ。
失敗に終わったとは言えども、日本の長い歴史の中で白村江以来始めての外征だった。
なかなかロマンがあるでないの

それに秀吉の後で家康が鄭成功の支援要請を受けて台湾出兵するとかあれば、盆栽文化と呼ばれる日本の文化や民族性も変ったのではないか
そんな夢想をしてしまう
232名無し三等兵:2005/10/06(木) 05:00:29 ID:???
>>223
>2,3人斬ると人間の脂で切れなくなるというのは真っ赤なウソ

マジですか?切れ味は落ちないのですか?
233名無し三等兵:2005/10/06(木) 11:45:36 ID:???
>>232
うんなことはない、包丁だって肉を切れば切れ味が劣るだろう
それと同じで油がつけば切れ味は劣る。
ただ、何人か切りあえば刀同士が激突するわけだからはこぼれもするし
何人も何人も切れるわけがない
普通に切るだけなら、首切り役人が罪人の体を重ねて日本刀の切れ味を確かめたようにけっこう切れるだけの話だろう
234名無し三等兵:2005/10/06(木) 12:23:30 ID:???
>>230
とはいえさ、あの手の騎馬系民族を野戦で捕捉撃滅って無理じゃね?
もしくは自分から討伐に乗り出すか。
だけど更なる支配領域拡大でより不安定化とか。
235名無し三等兵:2005/10/06(木) 14:11:44 ID:???
津本陽が精肉工場から持ってきた豚肉で実験した結果、
容易に骨ごと分厚い肉塊を何度でも断ち切ることができ
油で切れ味が落ちることは実感できなかったという結果になったはず
斬る時は手ごたえがないほどの切れ味だったそう
236名無し三等兵:2005/10/06(木) 14:22:29 ID:???
すげー日本刀かっこいい
237名無し三等兵:2005/10/06(木) 14:39:47 ID:???
朝鮮人が起源を主張したがるわけだ。
238名無し三等兵:2005/10/06(木) 15:51:57 ID:???
>>219

日本剣術を学んだ少林寺の僧が『単刀法選』という本を書いたり
明の倭寇退治の英雄・戚継光の『紀効新書』曰く、『長刀は倭寇が中国を犯した時に初めて経験した。
彼等は長刀を持って閃光のごとく跳び舞うので、我が兵は気をうばわれてしまう。
倭寇は飛び込むのが上手で、一足で一丈あまりも飛ぶ。刀の長さが五尺だから、
一丈五尺も一挙に進むことになる。我が兵の短器では接するのが困難であり、長器では
敏捷に動けず一刀両断にされてしまうことが多い。』
戚継光は日本の剣術を元に倭刀っていう日本刀を使う武術を作ったらしい
明末に伝わった日本剣術が中国化していく過程で、
日本刀によく似た苗刀というものが出現し、
当時中国に伝わった日本剣術そのものは現存していないものの、
苗刀術というものが現在でもある
蒋介石の国民党軍も苗刀部隊がいたらしい

日本刀はかなりすごいと思う
役に立たないということはないと思う
239名無し三等兵:2005/10/06(木) 16:39:13 ID:???
主に倭寇で恐れられたって認識でいいのかね?
船上ではポールアームより使いやすい、カットラスみたいな感じ?
240名無し三等兵:2005/10/06(木) 16:47:54 ID:???
明代は短い薙刀やら竹製の狼筅やら長柄の武器が統一されず
小隊ごとに銃砲槍の混成部隊だから、長槍の密集隊形はとらなかったと思う。
それゆえ刀の使いどころもあったのかもしれないが・・・
241名無し三等兵:2005/10/06(木) 17:01:59 ID:???
明軍の騎兵がどんな装備でどんな編制・運用だったのかが気になる。
242名無し三等兵:2005/10/06(木) 17:03:07 ID:???
倭之長技二三有り、鳥銃也、槍刀也、
又能く生を軽じ突闘、湯に赴き火を踏み而して辞せざる也。
此れ天下の勁冦にして、我国敵するあたわず。

戦守機宣論 柳成竜


公料つて今日賊勢の難易如何す。立(敵将申立)甚之を軽じ以て憂に足らずと為す。
余(柳成竜)曰く然らず。往者倭但短兵(白兵戦)を頼む。
今は則鳥銃の長技を兼有す。軽視すべからず。

懲必録 柳成竜
243名無し三等兵:2005/10/06(木) 17:18:43 ID:???
もちろん戦場で使う刀は江戸期の武士が腰に差すようなものじゃない。
鎧ごと叩き割るために、長く厚い野太刀、大太刀を使った。
刃渡り1m50cmに及ぶものもあったという。
結局戦場ではリーチの長い武器ほど強いのよね・・・
敵味方入り混じる混戦や、組み打ちみたいなポジションにならないかぎり。
244名無し三等兵:2005/10/06(木) 17:28:46 ID:???
大明朝鮮どもに、馬に乗程の士は具足を著る。歩行武者は素肌也。
鉄砲打つ事は、中々下手也。半弓は成程上手に射る。馬に乗る事は只猿などの梢を伝う如し。
下りも上りも岨道の険しきをも横様にも又仰向にもなりて自由に弓を射る。
殊にフシン弓と申して長さ八寸ある矢を竹の筒へ入れて其筒を弓の弦に付けて放す。
中りの細かなる事は日本の上手の射手なども叶うことにてはなし。

松井物語
245名無し三等兵:2005/10/06(木) 17:57:12 ID:???
倭奴(日本兵)攻戦に習ふて、器械精利なり。古は鳥銃なくして今や之有り。
其の遠きを致すの力、命中するの巧、弓矢に倍す。
我若し平原広野に相遇し、両陣相対し法を以て交戦せば、則之と敵すること極めて難し。
蓋し弓矢の技は百歩に過ぎず。而して鳥銃能く数百歩に及ぶ。
風雹の来るが如く其の当る能はざるや必せり。

(懲必録)録後雑記 柳成竜


賊倉中の穀石を出して列ねて城と為し以て矢石を避け、内より鳥銃を発す。
軍櫛比して立ち、重畳束ねるが如く、中れば必ず貫穿し
一丸にして三四人を倒す我軍遂に潰ゆ。

懲必録 柳成竜
246名無し三等兵:2005/10/06(木) 18:35:23 ID:???
>>243
この時期は既に野太刀、大太刀じゃなくて打刀が主になってるよ。
247名無し三等兵:2005/10/06(木) 18:59:19 ID:???
>>243
ダキアのファルクスみたいな物か?
248名無し三等兵:2005/10/06(木) 19:05:11 ID:???
この頃になると野太刀、長巻、長刀等の長柄物はあんまり使われてないだろうねえ。
長短の槍と腰に差した打刀。
249名無し三等兵:2005/10/06(木) 19:15:11 ID:???
このスレはレベルが低いな。
「何人か切りあえば刀同士が激突するわけだからはこぼれもするし
何人も何人も切れるわけがない 」とかいう厨がいるとは。

日本刀は一本で連続で百人を十分に斬れるという実例があるのに。
それを無視か?
250名無し三等兵:2005/10/06(木) 19:42:13 ID:???
>>249
粗悪燃料キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!w
251名無し三等兵:2005/10/06(木) 19:48:40 ID:???
こんなスレにまであっぱれ百人斬りがw
252名無し三等兵:2005/10/06(木) 19:51:20 ID:???
戦国後期以降はほとんどの武士は打刀だよ。
253名無し三等兵:2005/10/06(木) 19:56:54 ID:???
>>250
反論は?
254名無し三等兵:2005/10/06(木) 20:04:55 ID:???
>>252
戦場では陣太刀を佩いているけどな。
打刀は基本的に護身用。
もっとも陣太刀でさえ使用される場は少ないが。
255名無し三等兵:2005/10/06(木) 20:08:29 ID:???
「オムァエゥワー、タン・ロンガー?」(お前はタン・ロンか?)
Byドラゴンへの道
256名無し三等兵:2005/10/06(木) 20:19:18 ID:???
>>253
ネタにマジレス
257名無し三等兵:2005/10/06(木) 21:51:19 ID:???
騎乗してる時に腰にぶら下げてるのは太刀だよな?
258名無し三等兵:2005/10/06(木) 21:53:13 ID:???
うんにゃ
259名無し三等兵:2005/10/06(木) 21:54:42 ID:???
>切れ味とか刃こぼれとか

戦場には小さな砥石を持っていったそうだ
それにそこそこの地位なら従者がついてるので
替えの刀を持ってる

この辺りは洋の東西変わらないぞ
その時代の常識なんつーもんは書物などに
書かれないので後からだと判らなくなるがな
260名無し三等兵:2005/10/06(木) 22:10:44 ID:???
>>241
明代の騎兵は1隊25人で、刀槍3名、三眼銃11丁、弓11張で形成されており
三眼銃を装備した右什と弓を装備した左什が各2列縦隊を組んだ。
上にも書いたが歩兵4隊と騎兵2隊で1乗を構成した。

明代の部隊構成は中隊規模の単位から戦車(砲兵)・歩兵・騎兵がミックスされた諸兵科連合であり、
騎兵は歩兵・砲兵が効果的に火力を発揮するための掩護的役割の色合いが濃かった。
西洋のように騎兵・歩兵・砲兵を単一兵科で集中運用するのとは異なる。
司令部直属の予備兵は主に騎兵からなる3000名で構成され、
機動力を生かして陽動任務や側背包囲、切り札としての前線投入、追撃などの役割にあたった。


三眼銃は長柄に3つの銃身がついた火器で、散弾または単弾を発射でき、使用後は長柄の武器としても使用できる。
しかし銃身が短いのと命中精度が悪いのとで、16世紀末より漸次鳥銃に装備が変更された。

騎兵は環鎖鎧いわゆる鎖かたびらを着用し、
場合によってはつま先や手まで鎖で覆い、
頭部には鋼鉄製の兜を着用し顔以外は全て鎧で覆われることもあった。
環鎖鎧は非常にしなやかであり、板金鎧とくらべ体の動きを阻害することがなく、
矢や銃弾・破片への防御に優れた。
261名無し三等兵:2005/10/06(木) 22:43:45 ID:???
司令部直属の騎兵なら西欧の装甲槍騎兵のような運用が可能だったんかね。

大規模な騎兵部隊との日本軍の戦闘記録ってありますかね?
そんだけ氏のスレを見ていて思った事があるんですわ。
西欧において、アルケブス・マスケット等の小火器や弩の斉射で装甲槍騎兵の突撃を止める事は不可能だったと。
それらの有効射程(100m前後)の間を駆ける騎兵に対して一斉射だけしかできず、
しかもその弾丸や矢は必ずしも装甲槍騎兵を撃ち倒せるわけではなかったためと。

日本の鉄砲足軽によって騎兵突撃の粉砕は可能だったんだろうか?
長柄足軽ってパイク兵みたいな騎兵阻止を可能とし、またそれを任務としていたんだろうか?

262名無し三等兵:2005/10/06(木) 23:11:39 ID:???
日本の槍の尾部には石突という突起した金具があるが、
これは槍の尾部を地面に突き刺して騎兵を食い止めたのではないかという説がある。

また、母衣衆などがみにつける、母衣というマントの一種は、
騎乗した状態で風を受け膨らむものであることから
騎馬武者は下馬して戦ったという説も疑問だ。

戦国時代の馬の体格はサラブレッドと比べれば小さいが、
平均サイズは体高130cm台半ばでありモンゴル馬とほぼ同じである。
現在のモンゴル馬は映像を見るかぎり、騎乗した状態でもかなりの速度で疾駆している。
遊牧民族の騎兵が同体格の馬に乗り騎乗戦闘していたことを考えると、
騎乗しての戦闘はなかったという説を確定させるのはどうだろう。
263名無し三等兵:2005/10/06(木) 23:14:55 ID:???
>261
戦闘記録は無かったと思う

元寇のときは歩兵主体だと聞いたことがあるし
日本の地形はそもそも機動戦に向いてない

鉄砲足軽による騎兵の阻止粉砕はたぶん不可能
後年のナポレオン時代にも方陣を組まなきゃ対抗できなかった

長柄足軽はパイク兵とは違うし想定も訓練もなかったので難しかろ
264名無し三等兵:2005/10/06(木) 23:54:41 ID:???
誰か
>>244
>>245
の現代語訳してくり
265名無し三等兵:2005/10/07(金) 00:10:00 ID:???
いや、読んでみいよ。
現代語同然だから。
266名無し三等兵:2005/10/07(金) 06:31:58 ID:???
>>261
碧諦館がそれに当てはまると思われ。
267名無し三等兵:2005/10/07(金) 13:07:35 ID:???
碧蹄館の明軍


男もけしからず大きく候、上衆(上方即ち京幾の軍)もけしからずおぢ入被候也。
日本にても、かほどの働は稀成よし、其沙汰候。
何も武邊つよき唐人かと、上衆も手をおかれ候也。

吉見家朝鮮陣日記


毛利衆人数程近く参候刻、朝鮮人数(明の人数の誤)一面にそなへ、
大筒をうち、煙の中より太鼓をうち、備みださず掛り申候

宗茂公朝鮮軍御物語覚


明兵の掛り來る様子は、四郎兵衛(粟屋景雄)備の右の方より馬上二百騎計掛りて、
弓鉄砲をハタハタと打掛射掛けて左へ廻る、其あとより又右の如く掛り來る、
幾廻りも別手の騎馬がかかつて、畢境四郎兵衛備とヒシと喰合候に付、
四郎兵衛一手の衆鑓を以て折敷ながら突伏候へば、其鑓を引取る間もなく、
いやが上に重り來て、つどひければ、突ことも切ことも成不、押立らる云々

吉田物語
268名無し三等兵:2005/10/07(金) 17:18:25 ID:???
メ〜タ〜ル〜フル〜コートっ!
269名無し三等兵:2005/10/08(土) 13:47:32 ID:???
一応騎兵突撃を防ぐための方法として折り敷いて槍衾を作るという概念はあった模様。
大坂夏の陣でも真田隊が伊達勢の突撃を折敷いて槍を並べて撃退したという描写がある。
270win-win:2005/10/08(土) 14:23:49 ID:ialhf83F
>>213
遺言で遠征軍の帰国を命じたって、それは多分配下の者が勝手にでっちあげたんじゃないかな。

271名無し三等兵:2005/10/08(土) 14:33:47 ID:???
鈴木真哉って日本史の専門家でもなんでもないんだろ。
現代に蘇った鈴木家の亡霊だな。恣意的に資料を読み漁り、
それらしく書けば、リッパな論文の出来上がりってね。
文系の学問はこれだからだめだよなw
272名無し三等兵:2005/10/08(土) 14:45:41 ID:???
>>269
だから「騎兵突撃」なんて無いの。
日本の貧弱な馬では武装した武者を乗せて走らせるなんて無理だしそもそも馬に乗るのは武士、即ち将校クラスの人間。
そんな人間を集めて突撃なんかさせる訳がない。
>>271
なら具体的に反論してみろ。
273名無し三等兵:2005/10/08(土) 15:52:48 ID:???
>>272
騎兵隊は存在しなくても騎兵の突撃そのものが全くなかったとは思わんがね。
後世のように集団で動くことを前提に統制されたものではなかったにせよ。
騎乗の武士は手柄を立てる為に前線に出て名のある敵を討ち取ることはなかったと?

>日本の貧弱な馬では武装した武者を乗せて走らせるなんて無理

極論にも程があるな。武装した武者を乗せて“長時間”走らせるのは無理だろうが、
短時間の追撃なら可能。実際壊走した敵を追撃したり、敗勢になったときに戦場から
離脱するのに用いられていたとの記述もあるしな。
274名無し三等兵:2005/10/08(土) 17:05:34 ID:???
>>262はどうなの?
275名無し三等兵:2005/10/08(土) 17:19:28 ID:???
一番槍をつけようと突進する騎馬武者が結果的に集団化したとかないんかな?
まとまった騎兵という突撃兵科が無かった日本じゃ、
ハイランドチャージみたいに戦士達の、ある意味蛮勇的な行動が敵の隊列を崩す攻撃とうか、ああわけわかめだ。
276名無し三等兵:2005/10/08(土) 18:00:39 ID:???
眞田の士西村孫之進の戦話

大坂夏陣に眞田信乃(幸村)と伊達家と軍する時伊達家の騎馬、鉄砲打立れは玉の飛ふ事霞の如し
信乃か兵皆折敷て槍を敵の方へ差向耐へ居たるに西村孫之進と云ふ者耐へたるが
味方の死骸二ッを重ねて楯として居たるに玉一ッ來つて二ッの骸を打通し
孫之進か肩に傷つきたれとも薄手なり

常山紀談
277名無し三等兵:2005/10/09(日) 00:24:23 ID:???
>>272
龍仁戦闘。
つーか現代の日本人とは体格も異なる。
278名無し三等兵:2005/10/09(日) 09:12:01 ID:???
>>277
>龍仁戦闘。

…騎兵突撃のソースは?
279名無し三等兵:2005/10/09(日) 10:16:52 ID:???
真実:
騎兵の突撃はなく、日本の馬は貧弱で、戦闘は殆どが投射武器による物で、刀は首を切る以外に役に立たない。
280名無し三等兵:2005/10/09(日) 10:22:18 ID:???
>>234
国境地域の防衛はもちろん重要だが、それを国境にのみ集中するのではなく
内陸にも配備するべきだったのです。
そうなれば防衛線が敗れても、すぐに立体的な対処が出来る。
281名無し三等兵:2005/10/09(日) 10:32:25 ID:???
私は日本で騎馬隊が発達しなかった背景は、日本の地理的条件にあるのではないかと考えている
騎馬隊というのは突撃力こそ最大の武器だ。
広大な平原の多い大陸ではその能力は如何なく発揮できただろう。
しかし日本の場合は、山川が多くて数万単位の騎兵を運用できるような地理的な環境のある場所は限られていたのではないだろうか?
それで日本の場合は歩兵が主体であり、騎馬隊は武田の騎馬隊のような限られた例外を除けば規模の大きいものは発達しなかったのではないかと推測している
282名無し三等兵:2005/10/09(日) 10:52:24 ID:???
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
>>武田の騎馬隊
283名無し三等兵:2005/10/09(日) 11:48:50 ID:???
>>281
まあ、1つの理由ではあるでしょう。
欧州との違いは兵器としての馬の供給体制の違いが大きいと思う。
284名無し三等兵:2005/10/09(日) 14:28:36 ID:???
>>281
欧州でも数万体位の騎兵なんて極々希な例だろ。

それにしても、突撃力の発揮に広大な平原は必要だろうか?
最大速力が保てるのは百m程度だろうし。

騎兵突撃を可能とする条件は十分あったと思う。
だけど敢えてしなかった、もしくはする必要がなかったとか。
285名無し三等兵:2005/10/09(日) 14:36:09 ID:???
欧州の馬だって昔から大きいわけじゃない。
286名無し三等兵:2005/10/09(日) 15:16:24 ID:???
元冦の時大鎧の騎馬武者が弓持って突撃しまくったのは無視か?
287名無し三等兵:2005/10/09(日) 15:50:16 ID:???
モンゴル馬と日本馬は体格がほぼ一緒。
モンゴル騎兵が騎乗戦闘できて同体格の日本馬ができないいわれはない。
288名無し三等兵:2005/10/09(日) 18:50:06 ID:???
騎兵隊は突撃力より機動力重視。
斥候、敵の攪乱、糧道の遮断、追撃に有効。

騎兵は歩兵より統制ある運用が難しい。
急な命令変更や混乱の収集に時間が掛かる欠点がある。
大陸のように戦線が広い場合には敏捷な騎兵軍は有効。

しかし軍隊の第一の拠り所は歩兵。
289名無し三等兵:2005/10/09(日) 19:07:39 ID:???
>>288
騎兵つってもさ、いつも一緒だったわけじゃないから。
それは装甲槍騎兵が消えた後の騎兵っぽい。
290名無し三等兵:2005/10/09(日) 19:40:16 ID:???
話が噛み合わんというかねぇ…。
291名無し三等兵:2005/10/09(日) 21:55:04 ID:???
体格が同じだから運動能力も同じと言うのは厨だ。
体格が大きくても非力な人は多し、
華奢な人でも力強い人は多い。
ようは骨格や筋肉のつき方による。
(単にそれらが大きい・多いだけの問題じゃない)
特に赤筋・白筋の違いなどがでてくる。
292名無し三等兵:2005/10/09(日) 22:06:53 ID:???
まさか鎌倉武士まで馬から降りて戦ったと言うんじゃあるまいな。
293名無し三等兵:2005/10/09(日) 22:12:25 ID:???
結局のところは地形的要因+供給体制でFA?
294名無し三等兵:2005/10/09(日) 22:19:18 ID:???
元々いた騎馬弓兵は何故いなくなったんだろうなぁ。
295名無し三等兵:2005/10/09(日) 22:50:00 ID:???
>284

ローマ軍とかは1万単位では持ってた様な希ガス
296名無し三等兵:2005/10/09(日) 22:52:03 ID:???
>>291
それなら逆に日本馬の方が筋力が優れている可能性もあるわけだ。
297名無し三等兵:2005/10/10(月) 00:18:40 ID:???
>295
そういう中央集権的な軍隊と比べても・・・
地方領主や地侍の寄せ集めに相当する連中が戦争してたのは欧州じゃあいつごろなんだろうか。
298名無し三等兵:2005/10/10(月) 07:52:03 ID:???
スペインの騎兵は、16世紀だか17世紀高まで、貴族とその郎党の集合体だったから一緒に居るだけで、命令聞かない事が多かったらしい。
299278:2005/10/10(月) 09:26:35 ID:???
>>277
龍仁の騎兵突撃はまだ?

初六日 李洸等進兵陣光教山 令軍朝食
先來五賊 着金仮面騎白馬 持白旗揮剣直前
忠清兵使申?以先鋒在前先潰 十萬将士一時皆散
賊数騎 追?十余里而去 洸等諸将
教書印符旗?及軍器兵糧皆委棄賊?焼之

春?堂日月録 巻之八

コレですか?
300名無し三等兵:2005/10/10(月) 10:05:24 ID:???
>>299
転載

<宣祖実録巻二十七 宣祖二十五年六月己酉 丙辰、春?堂日月録巻八、
紫海筆談、白沙集巻二十一、聞?漫録、朝野会通巻十六 宣祖紀、
再造藩邦志巻一、寄斎史草下 壬辰日録三朝野記聞巻四、宣廟宝鑑巻八、
穏峯全書巻六 記事 壬辰記事、同巻八 記事 湖南義録白?事光彦、壬辰録上>

これだな、朝鮮側の記録。
日本史板の過去スレに解説と出典が書かれていた。
301278:2005/10/10(月) 10:36:15 ID:???
>>300
それ俺。
302名無し三等兵:2005/10/10(月) 10:46:53 ID:???
あっそう
303278:2005/10/10(月) 11:00:21 ID:???
ソースは2ちゃんの書き込みか。
304278:2005/10/10(月) 12:39:27 ID:???
壬辰令諸道勤王 湖南方伯李洸 率兵八萬到公州
聞上西狩 令軍中曰 大駕西出 不知存没 己無可為
遂以軍退措身安地 聞行宮無?而義兵四起 不自安
遂興湖西方伯?國馨連兵十二萬進駐龍仁 見賊十余騎
不戦而潰士卒相蹂躙死 還者無幾 軍糧器械 皆没?賊
事聞命竄洸而以権慄代之 國馨亦挫罷

紫海筆談

文中「騎」が見えるのは>>300のうち>>299とコレです。
305名無し三等兵:2005/10/10(月) 13:51:18 ID:???
>298

そのころのスペインだっけ、サラブレッドな馬が出てきたのは。
306名無し三等兵:2005/10/10(月) 17:36:45 ID:???
出土する中世ヨーロッパの馬の体格は140cm以下がほとんどで、大きくても142cmほどだそう。
中世日本の名馬と言われるものも、おおかた130台後半〜140cm以上である。
サラブレッド以前の欧州馬も小さかった。
スウェーデン軍における1622〜1623年の「騎兵用の」馬の体高は、装備品目録によると112〜133cm。
北欧馬は牧草地が少ないので小柄なのだが、
ブライテンフェルトの戦いで、剣をかざして全速力で突撃するという戦法で
旧教同盟軍を撃破したのは、実にこのような体格の馬であった。
>>305
イベリア半島が欧州サラブレッドのさきがけだろうね。
307名無し三等兵:2005/10/10(月) 17:53:10 ID:???
とおもったらサラブレッドは
18世紀にイギリスでアラブ馬を交配させて、1790年に確率されたものらしい。
サラブレッドではないが、とにかくアラブ馬との交配で改良されていったということで。
日本において乗馬できるような馬は、古墳期に大陸から持ち込まれてきたらしい。
308名無し三等兵:2005/10/11(火) 01:22:51 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
朝鮮側に偏った異常に歪曲された記述。
在日が書いた可能性がある。

歪曲の一例を上げると
朝鮮の王宮の焼失を、まるで日本軍が破壊したように書かれているが、
史実では、日本軍到着の前に朝鮮王朝の圧政に苦しんだ民衆が、朝鮮王朝に対する恨みから火をつけたものである。
また民衆は平壌に向かって逃亡する朝鮮王に一行に石を投げつけたりもしている。
このように、朝鮮王朝はその圧政により民衆の支持を失っていたのである。
そのため、人々は進行した日本軍を解放者として迎え入れ、積極的に先導した事も度々あったのだ。
そうした事実は一切書いていないのだ。
309win-win:2005/10/11(火) 01:35:20 ID:IGbL5HOQ
>>304
訳してよ。
310名無し三等兵:2005/10/11(火) 04:52:21 ID:???
>>308
有り難うございます。
危うく騙される所でした。
311名無し三等兵:2005/10/11(火) 08:11:32 ID:???
鈴木説を盲信するのはいい加減やめようや。
全世紀末の熱病だった。
312名無し三等兵:2005/10/11(火) 10:45:06 ID:???
>>311
なら論理的な反論をしてみろ。
313名無し三等兵:2005/10/11(火) 10:48:56 ID:???
>>279
それが鈴木眞哉さんの説だが、それを妄信するのはどうかと思う。
それこそ固定観念に執着するというものであろう。
今までの常識に反しているというだけのあくまでも一つの説に過ぎないよ。

元寇の時の、竹崎末長が馬に乗って戦ってる絵巻きを見たことないか?
長篠の戦だって、馬に乗って突撃している武田軍が書いてあるではないか!
集団戦法が発達した戦国時代においては、騎馬隊なるものが存在していたとしてもおかしくはない。

弓鉄砲による戦争が主で、白兵戦が少なかったというが本当にそうかな。
現代の戦争でも、歩兵が敵の陣地を占領しないと戦争は終わらないよな。

刀が補助的な武器だったというのも信用ならないな。
槍、弓、鉄砲が足軽などすべてに行き渡るほどあるはずがない、という考えもできよう。
戦国時代には大量の雑刀が作られたと聞く。刀が補助的な武器なら、これをどう説明する。
伝家の宝刀とかいうものは、確かにあまり使われなかったろうがね。
やはり合戦では、槍が折られたり、穂先をきられたりする可能性があるわけで、
刀だって十分使われたと思う。
314名無し三等兵:2005/10/11(火) 11:12:56 ID:???
>元寇の時の、竹崎末長が馬に乗って戦ってる絵巻きを見たことないか?
>長篠の戦だって、馬に乗って突撃している武田軍が書いてあるではないか!
>集団戦法が発達した戦国時代においては、騎馬隊なるものが存在していたとしてもおかしくはない。
そういうのはぜ〜んぶ江戸時代に描かれた物だから何の価値もない。
315名無し三等兵:2005/10/11(火) 11:22:26 ID:???
つかお前等前提がおかしい。

低レベル過ぎて萎える。
316名無し三等兵:2005/10/11(火) 11:37:55 ID:???
まず繰り返し根拠にしてる本なりをよく読め。
317名無し三等兵:2005/10/11(火) 11:38:17 ID:???
蒙古襲来絵詞は鎌倉時代だったと思ったが。
これだから鈴木信者はw。馬鹿が。どっちが思い込みだよ。
318名無し三等兵:2005/10/11(火) 14:24:07 ID:???
まず「騎馬隊」の定義をハッキリさせないとね。
319名無し三等兵:2005/10/11(火) 15:22:42 ID:???
>>313
>やはり合戦では、槍が折られたり、穂先をきられたりする可能性があるわけで、刀だって十分使われたと思う。

だから万が一の時の補助的(サイドアーム)な武器だったんだろ刀は。
320名無し三等兵:2005/10/12(水) 00:02:35 ID:???
鈴木は引用した文献、史料を都合のいいようにモザイクしているからな。
あるところでは肯定的に利用し、別のあるところでは否定的に利用している。
つまり結論が先にありきで、弥縫策を施しているだけ。
学問の姿勢じゃない。
321名無し三等兵:2005/10/12(水) 00:07:36 ID:???
>>314
江戸時代に描かれたものでも、初期のものと晩期のものとの比較が重要。
晩期のものでも初期のものを模写して残っているものがあるから、
当時の実態を忠実に再現している価値は否定できない。
また、当時の人たちの「美意識」「価値」は、
今のわれわれ(鈴木のような人の価値観)と同じじゃないし、
「騎馬に乗って戦う」ということを「美意識」として鈴木氏の言うような
政治的利用価値として意識していたわけでもない、ということも念頭に置くべし。
322名無し三等兵:2005/10/12(水) 00:36:00 ID:???
騎兵は兵種の一つで、歩兵や砲兵との違いは戦術的な役割の相違であるが、戦国時代の騎馬武者はそういう
ものでなく、馬に乗った兵士と徒歩の兵士との違いは役割上の問題ではなく地位身分に関わるものである。
管理職に当たる者たちだけが馬に乗っていたわけだから、彼らだけをまとめて部隊をつくる事はありえない。
と、鈴木氏は書いている。
323名無し三等兵:2005/10/12(水) 00:52:26 ID:???
蒙古襲来絵詞は1293年2月9日に成立した。
324名無し三等兵:2005/10/12(水) 01:13:46 ID:???
豊臣秀吉朱印状(文禄二(1593)年正月八日付)

小西摂津守かたへ
被下候道具鉄
砲七拾挺・長鑓
百本・刀千腰、城々
町送ニ可相届候、為
使小西与七郎相越候、猶
施薬院・浅野弾正少弼
山中橘内可申候也、

正月八日(秀吉朱印)

従釜山浦
小西摂津守地所迄
城々在番衆中
325名無し三等兵:2005/10/12(水) 01:34:26 ID:???
そんなに首切り用刀が必要だったのか。
槍1000、刀100ではないのか。
鈴木説では説明がつかない。
326名無し三等兵:2005/10/12(水) 07:03:50 ID:???
>>322
共和制ローマ軍団も騎兵は貴族階級だったし中世欧州も騎兵は騎士階級だったんだが。
327名無し三等兵:2005/10/12(水) 07:46:09 ID:???
>>325
刀は護身用なので不自然ではない。
328名無し三等兵:2005/10/12(水) 08:35:37 ID:???
鈴木眞哉の本を読んだ奴が、今度はそれを常識として撒き散らすわけだw
これほど歴史学が確実性のない学問だとは知らなかった。
329名無し三等兵:2005/10/12(水) 09:21:03 ID:???
当時の軍隊は、家臣が知行などに応じて提供したり、傘下の領主が連れてくる兵士を
主体に組み立てられている。彼らはそれぞれ馬に乗った者が何人、槍を持った者が何人、
という具合に引き連れてくるが、馬に乗ってくるのは主人と将校クラスだけである。

管理職に当たる連中をまとめて部隊をつくる事はありえない。残された徒歩兵を
指揮する者がいなくなってしまう。馬に乗る資格のある者は限られおり、数も決
して多くはない。武田家の場合戦闘員の10%未満というところである。

長篠の戦いにおいて、武田勢は一備(部隊)のうち隊長ら七、八人だけが下馬し、
残りの者は馬を後ろに曳かせ、槍を採って進んだと甲陽軍鑑は記している。騎乗
する資格のある者も大部分は下馬してしまった。学者は甲陽軍鑑を信用したがら
ないが、これは各種の長篠合戦図屏風などの描写とも一致する情景である。

緒戦において騎馬兵はあらまし下馬して戦闘に加わるのが当時の戦闘慣行であった。
下馬した馬は後方の馬備えにまとめて置くことになっていた。再び馬が必要にな
るのは、勝機が見えてきて、敵を追い崩そうという時か、逃げ出すときかである。
と、鈴木氏は書いている。
330名無し三等兵:2005/10/12(水) 09:24:14 ID:???
>>329
欧州も同じ様な物だがそれはつまりランスチャージは無かったとも主張するのか?
331名無し三等兵:2005/10/12(水) 09:25:16 ID:???
↑あ、「七、八人だけが騎乗し」の間違いですw
332名無し三等兵:2005/10/12(水) 09:48:52 ID:???
下馬戦闘が盛んになった理由は、いろいろ考えられるが、当時来日していた外国
人は、日本馬の馬格が小さいこと、集団訓練ができていないことなどをいってい
るから、おそらく、それが最大の理由であったろう。豊臣時代に来日したイスパ
ニアの商人は日本で最も良い馬でも、自分の国ではせいぜい薪運びに使える程度
だとまで極論している。それに加えて、わが国の地形が複雑で、馬を操るのが困
難な場面も多かったことなども影響しているであろう。

こういう状態では、騎馬隊の密集襲撃などありえなかったのは当然である。
と、鈴木氏は書いている。
333名無し三等兵:2005/10/12(水) 12:18:03 ID:???
甲陽軍鑑巻六品十四 長篠合戦之次第には、この戦いで武田軍は各部隊の
大将や役人のほか、一隊のうち七、八人が乗馬し、他は馬を後に残し、徒歩
で槍をとって戦ったとある。地形や織田軍の陣地の状況からみて、一部にはこういうこともあった
かもしれないが、武田軍全体がこのようにしたと考えるのは早計であろう。
とくに戦線の南側の平坦な場所で、徒歩で柵から押し出して来た徳川軍を攻撃
するのに、馬を下りる必要は全くないのである。この付近が騎馬戦に適して
いたことは、五月十八日付けで家康が石川数正と鳥居元忠に宛てた書状に

先刻申し含め候場所の事、様子見積らしめ、
柵等能々念を入れらるべく候事、肝要に候。
馬一筋入れ来るべく候。

<釈文>
以前に指示していた場所について、よく検分し、
柵などの工事を入念に行うようにせよ。
敵は馬一筋に突撃して来るぞ。

と述べていることでもうかがえる。
と、藤本正行氏は書いている。
334名無し三等兵:2005/10/12(水) 15:31:02 ID:???
長篠の場合は、織田軍は土塁と柵による強固な野戦陣地を構築して立てこもっていた。
したがって騎馬による突撃は不可能となり、武田軍は下馬して戦ったのである。
長篠合戦という対陣地戦を例に取って乗馬戦闘を否定することはできない。

しかしながら戦国後期の戦いは攻城戦や対陣地戦の割合が極めて高くなっている。
一般に野戦と言われる戦いにおいても強固な陣地を築き鉄砲を揃えて迎撃する戦闘法が多くなっていた。
そのため乗馬戦闘は戦国後期になるにしたがい減少していった事は事実であろう。
335名無し三等兵:2005/10/12(水) 15:46:33 ID:???
>>334
ポワティエの戦いで騎士が下馬戦闘をしたからフランス軍は騎兵の突撃等しなかったと言う様な物か?
336名無し三等兵:2005/10/12(水) 19:05:37 ID:???
>>327
単に護身用としてしか使われていないというなら、
朝鮮の史書に「長刀」の戦技に対する高い評価が生じてくるのか、
説明して欲しいんだけど。
それに護身用っていう用法は具体的にどんな場面が想定されているわけ?
寝込みを襲われた時に緊急用に使うとか、そういう時?
337名無し三等兵:2005/10/12(水) 19:08:41 ID:???
あと、西南の役とか幕末明治の日本刀の攻撃的な使われ方をみると、
単なる護身用なのかな? という疑問があるんですけど。
338名無し三等兵:2005/10/12(水) 20:08:47 ID:???
鉄砲持つから槍が持てない、だけど刀なら腰に差せる。
着剣装置の無い銃も多く使ってたから、自然と白兵に於いては刀振り回す事になるよね。
欧州も装甲槍騎兵が消え、槍兵が減ると、銃兵達は腰に剣帯び始めたりとかあったし。
339名無し三等兵:2005/10/12(水) 20:21:58 ID:???
>>335
そう。
要は状況によって、乗馬戦闘もしたし、下馬戦闘もしたってことで、
ただし、その状況が戦国後期になると下馬戦闘をすべき状況が多くなったんではないかと。
340名無し三等兵:2005/10/12(水) 20:23:25 ID:???
>>336
首取りや残党狩りがそれにあたるだろう。
「長刀」の戦技に対する高い評価があったところで、
刀が護身用ではないという根拠にはならない。
戦技が高いと言っても、
戦場での勝敗の帰趨を決める武器とは別物。


>>337
はっきり言って護身用。
なぜなら夜襲による敵の襲撃の被害に対処しただけ。
敵が白兵での夜襲をせざるを得なかったのは、
火力で劣っていたから。
341名無し三等兵:2005/10/12(水) 21:45:44 ID:???
>326

ガリア騎兵やヌミディア騎兵も貴族階級だったの?
342名無し三等兵:2005/10/12(水) 22:01:41 ID:S7ZBpDSg
共和制ローマの騎士階級と中世ヨーロッパの騎士階級は根本的に違うだろ
343名無し三等兵:2005/10/12(水) 22:04:38 ID:???
どう違うの?
344名無し三等兵:2005/10/12(水) 22:33:05 ID:???
つーかガリア騎兵やヌミディア騎兵は騎士階級じゃねぇ
345名無し三等兵:2005/10/12(水) 22:43:48 ID:???
>>340
「刀が護身用」という言い切り方に無理があるんだよ。

秀吉軍も夜襲を仕掛けているだろう。
346名無し三等兵:2005/10/12(水) 23:26:55 ID:???
ビンボー人でも馬に乗ってる牧畜民から集めた傭兵。 < 共和制ローマの騎兵
347名無し三等兵:2005/10/13(木) 00:09:48 ID:???
中国から我が国を経て日本に入っていった全ての文化には「道」という名前がくっ付く。
書道、茶道、剣道のような言葉が全てそのようなのものである。
我々が書芸、茶礼、剣術など、生活の必要によって名付けたものを日本人たちは精神、
すなわち道の次元で受け入れたのだ。 このような現象を望ましいと見るべきかと言えば、それは必ずしもそうではない。
道という言葉の用例は、中国と我が国にはそれなりの使われ方がある。
それを日本人たちが変えたのだが、その場合、
道という言葉が持つ意味を最大限に生かす方向に使われるのであれば別に問題はないが、
日本人たちが使う道という言葉の用例は、我々の慣習から見た時、多くの問題点を抱いているのだ。

日本は古代から最近に至るまで、朝鮮から全ての文化を学んでいった。
日本という小さな島国には、朝鮮以外に知的欲求を満たすに値する国が周辺になかったのだ。
壬辰倭乱(文祿の役)時、彼らが略奪していった数多くの文化財がそれを証明している。
彼らは朝鮮の物ならば何でもいそいそと持っていった。 このように日本人たちは倭という蔑視を受けながらも、
朝鮮を限りなく羨ましがっていた。 朝鮮の学者たちが話していた哲学や思想を、
彼らがどれほど羨ましく思っていたであろうかは、察するに難くない。
だから、朝鮮の学者たちが口にしていた「道」という言葉がどれほど欲しかっただろうか?
欲しければ借りて使わなければならない。 しかし、彼らにはそんな能力がない上に、
社会的雰囲気がそれを許さない。 それで、道という言葉の真の意味を理解する能力がなかった彼らは、
その言葉を力の世界である刀に結び付けることで満足してしまう。
348名無し三等兵:2005/10/13(木) 00:11:21 ID:???
>>327
メインアームが百本で護身用武器が千腰必要だということなど有り得ない。
349名無し三等兵:2005/10/13(木) 00:17:50 ID:???
いや、ほら。刀は2〜3回使えば折れたり曲がったり使い物にならなくなるから。






・・・・って、百人切りの時に聞きました。w
350名無し三等兵:2005/10/13(木) 00:47:32 ID:???
千振り全部が戦闘に参加する兵卒用の武器なのではなく
小荷駄隊や小者の護身用も含まれてるという考え方は出来ないだろうか
合戦屏風などに描かれてる小者も刀ぐらいは差してるし
351名無し三等兵:2005/10/13(木) 04:08:52 ID:???
槍が歩兵戦闘で主武器になるというのは分かりやすいくらい分かるが、
刀が護身用に特化されたものという捉えかたは、分かりにくい。
その双方があいまってのものと考えるのが素直。
白兵戦闘では槍を落とすこともあるだろう。折れる事もあるかもしれない。
当然、刀を抜くわけだ。
それまでも「護身用」というなら話は別だが。

鈴木説は元々イデオロギー的な匂いがするので、
一意な盲信はかえって危険。
352名無し三等兵:2005/10/13(木) 06:26:24 ID:???
>>350
結局、資料の解釈次第なんだよな。
353名無し三等兵:2005/10/13(木) 08:41:05 ID:???
WW1の
日本刀=拳銃
槍=サブマシンガン
の役割なんじゃないの?
354名無し三等兵:2005/10/13(木) 13:25:05 ID:???
>>347
妄想コピペ乙!余程悔しいんだろうね、半島人共は。
355名無し三等兵:2005/10/13(木) 14:06:41 ID:???
>>326
貴族階級の騎兵は役に立たないということで
共和制時代でも異民族をそのまま騎兵として
雇い入れることが多く、ヌミディアやガリアや
ゲルマンが騎兵の主な供給元だったぞ。
356名無し三等兵:2005/10/13(木) 14:36:34 ID:???
>>353
日本軍にそんな贅沢な装備はWWUになっても行き渡りませんでしたが?・゚・(ノД`)・゚・
357名無し三等兵:2005/10/13(木) 16:03:43 ID:???
それは程度の差こそあれ、アメリカ以外は皆同じだが。日本が一番貧乏だったけど。
358名無し三等兵:2005/10/13(木) 18:04:03 ID:???
>>348
現代戦における拳銃の存在はどうなる?
359名無し三等兵:2005/10/13(木) 19:41:52 ID:???
>>351
スレの流れから「護身用」という言葉を定義付けるなら、
「いざという時の予備武器」になるんじゃないかね。
360名無し三等兵:2005/10/13(木) 19:47:44 ID:???
>>351
それも護身用というものの要素の範疇だろう。
身を守るためにその場を乗り切るための武器でしかないから。
361名無し三等兵:2005/10/13(木) 20:23:31 ID:???
>>358
普通の歩兵は拳銃など持たんよ。
362名無し三等兵:2005/10/13(木) 20:27:12 ID:???
>>359
護身用とサイドアームの間には結構開きがあると思うがね。
単に護身用と言うには不釣合いに刀は使われてるし、実用性があった。
363名無し三等兵:2005/10/13(木) 20:54:20 ID:???
>>361
持っている場合が多い。
364名無し三等兵:2005/10/13(木) 20:56:44 ID:???
二等兵が、かい?
365名無し三等兵:2005/10/13(木) 21:15:45 ID:???
男ならすでに自前の「銃」持ってるだろ。
366名無し三等兵:2005/10/13(木) 21:45:27 ID:???
ベトナムじゃ自腹でリボルバー持ってたそうだが。
367名無し三等兵:2005/10/13(木) 21:52:25 ID:???
不足分要求の数字だけで考えると、
1000の刀を要求し、一方で170の槍、鉄砲しか要求しないというのは、
残り800ほどは弓か刀だけで装備することになる。
刀が護身で槍が攻撃という分け方はおかしい。
槍もまた防御戦闘に使われるからだ。
つまり戦闘方法、戦術、さらにはまた戦況によって
刀も槍も攻撃、防御、そして単なる護身あるいは両方というふうになるのではないか。
中でも刀は万能であったというふうにみる。
368名無し三等兵:2005/10/13(木) 21:58:57 ID:???
>>367
すべての人員が、
直接戦闘に参加する要員ということはありえない。
荷駄など補給に携わる要員も重要で多く存在する。
槍と刀では基本的に刀のほうが不利であり、
また刀で行えることは槍でも十分カバーできるものであり、
刀は万能という表現はありえない。
せいぜい刀だけができるものと言うのは、
首を斬る場合でしかない。
369名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:07:12 ID:???
単純に、刀が消耗品だっただけでは。
370名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:23:22 ID:???
素槍も消耗品だけど
371名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:33:28 ID:???
>>362
合戦が頻繁にあれば当然予備の武器を使う機会も増えるだろう。
槍が折られた、弓の弦が切れた等々、
そのための予備武器なわけだし、実用性があるのは当たり前。
372名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:39:56 ID:???
>>371
だから、使えなくなったから使うんじゃなくて
刀を選択して戦う局面もあったということだ。
単なる予備ではない。
373名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:41:12 ID:???
弓を持った武士も刀で白兵戦しますよ。
宮本武蔵も大阪夏の陣では片手に弓、もう片方の手には弓を持って戦ってます。
374373 :2005/10/13(木) 22:42:27 ID:???
×もう片方の手には弓を持って戦ってます。
○もう片方の手には刀を持って戦ってます。
375名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:42:52 ID:???
まず>>324は補給の書状だということ。
小荷駄も武装するなら当然最初から刀をもって渡海しただろうから、
今さら小荷駄が武装してないから、刀を送ったというわけではあるまい。
刀が消耗品だというのなら、槍の10倍の数を送ったのなら
刀を使う機会が多かったという証明とも考えられる。
376名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:47:54 ID:???
>>372
幕末期だけはな。
それ以外の時代ではあまり聞かないが?
377名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:52:55 ID:???
>>376
倭寇と朝鮮出兵ではポピュラーだがね。
378名無し三等兵:2005/10/13(木) 22:55:54 ID:???
>>377
倭寇は解るが朝鮮出兵でポピュラーて?
半島での戦闘は刀が多かったってのか
379名無し三等兵:2005/10/13(木) 23:04:24 ID:???
>>378
あちらさんが記録に残してるんだよ。
碧諦館の戦いなどでもね。
380名無し三等兵:2005/10/13(木) 23:11:24 ID:???
>>379
ポピュラーというより長陣から主要な武器が破損して予備の刀を抜く者が増えたとは考えられんか
槍を持っていながらわざわざ刀を使うとはちょっと考えにくいのだが
381名無し三等兵:2005/10/13(木) 23:22:01 ID:???
>>380
槍などメインの武器が破損してサブの刀を使っていたならば、
当然槍の補給量を多く要請するはずでは。
100対1000では。
382名無し三等兵:2005/10/13(木) 23:24:42 ID:???
だから、槍なんてのは相手さんも同じようなの使ってるから、
わざわざ驚くべきモノとして報告したり記録したりしないでしょ。
鉄砲と刀剣に顕著な違いが見られたから記録されたりするだけで。
383名無し三等兵:2005/10/14(金) 04:08:07 ID:???
朝鮮の役ではないが、
明軍は倭寇が刀で槍の柄を切り落とすことに悩んでいたという記録がある。
以後は狼筅という枝葉がついたままの竹に槍穂をつけた武器を使用している。
384名無し三等兵:2005/10/14(金) 04:22:52 ID:???
戦国時代は槍衾といって、長槍を単一兵科で数列密集させて、攻撃・防御する戦法がとられた。
対騎馬用の戦術も存在し、まず敵騎馬衆が接近したら「叩き」といって
柄を何度も地面に叩きつけ大きな音を出して馬を驚かせる。
次に槍の尾部に付いている石突という金具を地面に突き刺し片膝をつき、
馬の胸部を狙って突入を待ち受ける。
このやり方だとかなりの速度で向こうから突っ込んでくるものにしか、効果は無い。
385名無し三等兵:2005/10/14(金) 05:20:54 ID:???
槍の叩く音で驚くなら、発砲音で死んじゃうよ。
386名無し三等兵:2005/10/14(金) 06:35:27 ID:???
>>382
それだったら「倭賊は奇妙な刀を使う」とでも記録されただけだったろう。
そうではなく鉄砲と並んで恐れられ、抗する術が無いとまで言っているのだから。
387名無し三等兵:2005/10/14(金) 07:48:08 ID:???
>>382
つまり鉄砲と刀剣の威力と技に注目したわけだ。
あちらの史書にも出ている。

>>376
鈴木説が頭からこびりついて離れないのですね。
388名無し三等兵:2005/10/14(金) 07:53:28 ID:???
>>381
刀は首切に使われていたのだから、消耗も激しい。
槍はその用途から刀ほど消耗はしにくい。
389名無し三等兵:2005/10/14(金) 07:55:21 ID:???
>>368
輜重も戦いの時には戦いますよ。馬の傍にへばりついているヤツラばかりでない。
また、その割合(へばりついている奴)も近代の米軍並に高いわけでもない(80%もいない)

小西が要請した時期を考えてみよう。
平壌城にとどまっている時だ。その数ヶ月前に明の攻撃があってこれを防いでいる。
小西軍は緒戦から多くの戦場でほぼ一方的な勝利を収めつづけた。
それまでの損耗と、今後の防御のことを考えての処置。
1000の刀を必要としたのは万能(いろいろな状況に応じて使用できる)
からに他ならない。
390名無し三等兵:2005/10/14(金) 08:36:26 ID:???
>>388
おいおいおい・・・。
首切る機会より槍の消耗が少ないってどうゆう戦場だよ・・・。
391名無し三等兵:2005/10/14(金) 09:16:53 ID:???
>>390
槍は刺せればいいから寿命は長いだろう、柄なんか現地調達だ。
一度使うと鞘に戻せなくなる刀とは訳が違う。

>>389
>1000の刀を必要としたのは万能(いろいろな状況に応じて使用できる)
柴を刈ったり、薪を割ったり。
392名無し三等兵:2005/10/14(金) 10:11:17 ID:???
日本刀で柴だの薪だの切ったらすぐに刃がボロボロになるぞ。刀身も曲がるし。
393名無し三等兵:2005/10/14(金) 14:14:35 ID:???
>>391
ネタ投下ですか。
394名無し三等兵:2005/10/14(金) 15:01:23 ID:???
確かに万能かもな、長ナイフ、長包丁、ジャングルマチェット替わりに使えそうだ。
戦場生活が長いと重宝しそうだw
395名無し三等兵:2005/10/14(金) 18:33:57 ID:???
そんなのに使うなら程よいなまくらが。
396名無し三等兵:2005/10/14(金) 20:01:55 ID:???
>386
鉄砲なら性能や装備数で彼我に絶対的戦力格差が生じるのも判るが
性能発揮が使用者の技量に依存する割合の高い刀でそこまでの言うほどの戦力差が生じるものなのだろうか。
当時の明の刀が青銅刀であったわけじゃ有るまいし、一体日本刀のどこが優れていたのだろうか。
397名無し三等兵:2005/10/14(金) 21:16:25 ID:vskpFtnW
>385
馬はホントに臆病な性質が強く、発砲音で重度のパニックに陥ったりする

これは人間もあまり変わらんかもしれん
戦場心理でいっぱいいっぱいのところで発砲音かまされるとパニックになって
あらぬ行動をとる兵士の話もあるからw
398名無し三等兵:2005/10/14(金) 21:33:33 ID:???
>>389
輜重兵も戦うといっても、
護衛というか護身のレベルにおいて。
戦闘が主な任務じゃない。
戦闘を必ずしも行う必要は無い。

>>390
首を斬るのは戦功の証拠とするため。
何一つ首が無ければ何も戦功をあげなかったと判断されるため、
一つはどんな兵の死体でも首を斬って持っていく。
そういうところから首斬る機会より槍の消耗が少ないのはむしろ自然。
399名無し三等兵:2005/10/14(金) 23:00:55 ID:???
あのさ、首を切るのは小太刀や脇差。
まさか・・・打刀で首切ってるとは勘違いしてないよな?
400名無し三等兵:2005/10/14(金) 23:01:37 ID:???
>398
朝鮮じゃ首は重くて嵩張るから鼻か耳を削いだって話なかったか?
401名無し三等兵:2005/10/15(土) 00:07:41 ID:???
>>398
いやさ、獲れる首の数考えてみろって。
敵を討っても必ずしも首獲れるわけじゃないしさ。
402名無し三等兵:2005/10/15(土) 00:38:53 ID:???
>>396
日本刀の特徴=
長剣であること。
長さの割には軽く強靭であること。
なので両手で持ったり片手で持ったりできること。
切れ味がいいこと。刺突にも向いているデザインである事
403名無し三等兵:2005/10/15(土) 02:57:10 ID:???
>>400
耳もしくは鼻だね。
404名無し三等兵:2005/10/15(土) 08:54:18 ID:???
>>396
明人が「剃刀のように鋭利で鉈のように強靭だ」と遺しているね。
405名無し三等兵:2005/10/15(土) 08:56:40 ID:???
>>398
当時の軍隊で全体に対して補給部隊の占める割合は低い。
鑓と刀の数がアンバランスだよ。
406名無し三等兵:2005/10/15(土) 09:20:18 ID:???
首を刈るだけの用途なら、
刀の形が時代と共に変わるわけがない。

ちょっと考えれば分かりそうなものだが。
407名無し三等兵:2005/10/15(土) 17:25:46 ID:???
>>406
反り具合や切先のことか?
それだったら同時代でも製造元によって違いがあるぞ。
現代でもメーカーによって同じ用途のナイフでも違いがあるのと同じでな。
408名無し三等兵:2005/10/15(土) 20:35:30 ID:???
>>401
だから>>398は「どんな兵の死体でも」と述べているだろう。
戦場には死体がごろごろしている、
味方の兵でも切って持っていくこともできる。
しかもそれは「何も戦功をあげなかった」者においての話と述べられてもいる。
>>398をよく読まずレスしても反論にならない。

>>406
刀は首切りだけが用途ではない、
基本的には護身用の武器。
時代とともに変化するのはそのため。
大体、刀は指揮官の指揮棒にもなる。

ちょっと考えれば分かりそうなものだが。
409名無し三等兵:2005/10/15(土) 21:12:47 ID:???
>>400
そんな話は日本でもある。
もともと戦場で討ち取ったものを
現場では首を取る暇が無く、
とりあえず手早く耳か鼻を切って、
後で戦場が落ち着いてから、
切った耳や鼻を持ってぴったり合う死体を探し出して、
自分の討ち取った者を確認するために行われた。
そのような話の延長線上のもの。
410名無し三等兵:2005/10/15(土) 21:59:46 ID:???
>>409
切った耳や鼻を持ってぴったり合う死体を探し出す?
・・・何を言ってるんだ?全然違う。
「鼻だけ」「耳だけ」塩漬けにして日本に送ったの。
そして、鼻受取状をもらって戦果の確認をした。
首じゃなくて耳か鼻切ったなら
首を切るから刀が損耗するって説は成り立たない。
411名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:01:11 ID:???
あと、何度も言うけど打刀で首は切らないから。
打ち首と違って死体から首を切るときは小太刀か脇差で切る。
412名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:34:29 ID:???
>408
当時の戦場で死体がごろごろするほど死者が出たのだろうか?
413名無し三等兵:2005/10/15(土) 22:53:31 ID:???
>>412
出る
414名無し三等兵:2005/10/15(土) 23:55:25 ID:???
>409
首取る間を惜しんで名前を書いた小さな木札を咥えさせたりって話もあったっけ

朝鮮じゃ首は「嵩張るから」鼻か耳って書いたんだが
日本に送るのに「って付けときゃよかったかい(笑
415名無し三等兵:2005/10/16(日) 00:33:51 ID:IKt7yEBh
ヒント:朝鮮軍は軽装
416名無し三等兵:2005/10/16(日) 01:04:22 ID:???
可児才蔵でも獲った首は十七ってか。
味方の首拾うにしたってねえ、首切りだけで他の武器よりも遙かに消耗するだなんてねえ・・・。
417名無し三等兵:2005/10/16(日) 03:20:27 ID:???
護身用と書いたから誤解を招いたのでは。
刀より長槍、鉄砲が戦場で有利なのは誰もが認めると思うが、
十数万人誰もが装備できるほど行き渡っていたとは到底考えられず、
刀のみで戦う兵卒も相当数いただろうことは容易に推測できる。

やや時代を遡って、天正期の織田家明智光秀の軍団内戦闘要員の鉄砲・槍の比率を見ると、
鉄砲13.5%、槍27%、馬13.5%。
鉄砲と長槍で有名な織田軍にしてもこの割合である。
残りの半数の兵卒は弓か刀で戦うということになる。
おそらく4割は刀をメインウエポンにして戦うことになるだろう。
ちなみに長篠の戦いでは全軍の12%が鉄砲であった。

このころの明軍は銃砲弓が主体で槍の比率が低くかったことも関係しているかもしれない。
418名無し三等兵:2005/10/16(日) 04:57:12 ID:???
鎌倉から大阪の陣まで侍の主力武器は、意外なことに、弓です。
刀がシンボリックな意味を持つのは江戸時代以降。
騎馬部隊についての言及がありますが、日本の侍の騎馬戦闘というのは
流鏑馬と同じように、騎馬で弓をつがえた侍が接近して撃ち合うのです。
「蒙古襲来絵詞」に出てくる騎馬武者も漏れなく弓矢を手にしています。
日本馬は小さく、当時の日本人も小さい。
成人男子の平均身長が140〜150センチ程度。
この小柄で非力な騎馬武者が刀槍より弓を選ぶのは当然と言えるでしょう。
結局、戦国時代が終わるまで騎馬武者は弓で戦い続けました。
当時の人は誉れ高い侍をこう呼んでます。 「〜の弓取り」と。

ちなみに、本能寺の変は騎馬戦闘ではありませんが
襲撃側も防衛側(信長)も弓矢で応酬する描写が史書に残っています。
赤穂浪士も討ち入ってすぐに吉良邸の弓の弦を斬ってまわってますね。
近接戦闘でも弓が怖い。 相手の最強武器を最初に封じたわけです。
と言うことは、槍と刀の戦国合戦イメージは何時代に定着したのでしょうね?
419名無し三等兵:2005/10/16(日) 05:41:05 ID:???
弓を扱うのは鉄砲以上に専門の技量が必要だろ。
数万単位の兵隊を動員する時に、そんな連中は極一部だわな。
420名無し三等兵:2005/10/16(日) 09:03:21 ID:???
>>410
>>409をよく読まずして反論とはDQNそのものだなw
>>409はそのような話の延長線上のものとちゃんと書いている。
>「鼻だけ」「耳だけ」塩漬けにして日本に送ったの。
>そして、鼻受取状をもらって戦果の確認をした。
というのは延長線上のものということだ。
よく読んで理解する力をつけよw
421名無し三等兵:2005/10/16(日) 09:33:13 ID:???
>>418
騎射戦闘なんて室町時代には廃れてるよ。
鎌倉時代ですら組み打ちの横行に嘆いた文書がある。
422名無し三等兵:2005/10/16(日) 10:13:34 ID:VRCEhLVP
>>418
コピペだね。

工作員?

鈴木説がどういう人たちに好まれているのか、よくわかる。

それにしても平気でデマやデタラメを吹聴する。
ある意味感心する。
423名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:28:16 ID:???
>>417
刀のみより、槍のみで戦う兵士の方が多かったと思うがな
それに刀と言っても、戦国時代にはともかく大量に必要だったのだから、鎌倉期から室町初期のような手の込んだ刀を生産するのが難しく
型打ちと呼ばれる大量生産型の刀が多くなった。
そのため戦国期以降は日本刀の技術は後世でありながら衰退しているのだからな。
後の大名達も、富の象徴として日本刀を買い集めたが、その多くが鎌倉期の古刀だった。それだけ優れたものは古い刀の方が多かったってことだ
424名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:32:36 ID:???
>>418
槍が主体となったのは、一対一の決闘ならともかく、乱戦となる戦場では刀より槍の方が遥かに有効な武器となる
それだけのことだが
刀というのは槍が使い難いまで敵が接近した時に敵を払うためだけのもんだ。
実際、鎧で身を固めた相手を切り払うのは達人でないと難しい。斬るより突く方が打撃力も殺傷力も高いからな
425名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:38:43 ID:???
>>418
騎馬武者が弓で戦い続けたってのは異論がある
騎馬の強みはその突撃力だ。
あの時代の戦法は基本的に遠距離には弓で至近距離では槍で戦う。
騎馬の役目はより早く敵の陣に突撃して、敵の陣を破壊することにある
426名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:45:14 ID:???
>>419
専門技術を保有した弓兵には限度があるだろう。
あの時代の兵卒の中心は平時には農民をやって有事には兵士をやる。野武士のようなのが中心でないか?
秀吉の家も、農民の出とよく言われるが、正確にはそうではなくそうした最下層の武士階級だった。
そもそも戦国期には身分制度が極めて曖昧になっていたけどね
ともかく弓や槍が主体の戦争の時代の戦法は、基本的には遠距離からは弓や投石器で攻撃し騎兵や歩兵で突撃して敵を叩くって形態だろう。
そんな戦争で、専門技術をもった人間ばっかり集めている余裕はないわな
427名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:49:25 ID:vzw/5owT
>>215
フロイスの「日本史」も知らんのか?
もともと秀吉は信長の影響で明征服を狙ったというのが定説。
428名無し三等兵:2005/10/16(日) 11:53:09 ID:???
>>423
そりゃ見た目の良さであって戦場で使う刀とは別だよ。
美術的価値は古刀のほうが高かっただけの話。
429名無し三等兵:2005/10/16(日) 12:11:44 ID:???
ところで長巻はどちらにカウントされるのだろうか
430名無し三等兵:2005/10/16(日) 12:25:18 ID:???
つか
なんで内戦終わったばっかなのに、即海外進出しちゃったんだろうか?
431名無し三等兵:2005/10/16(日) 12:55:40 ID:???
むしろ内戦が終わってしまったから。
432名無し三等兵:2005/10/16(日) 16:08:21 ID:???
>>426
>平時には農民をやって有事には兵士

確かに形式上そうであり、
実際にもそういう場合もあるが。
実際多くの場合は、傭兵のような連中を村で雇って、
代わりに軍役に行ってもらったりしている。
そもそも、当時は農民でも弓くらいは狩で使用するし、
子供でも弓で遊んだりしている。
433名無し三等兵:2005/10/16(日) 17:15:54 ID:???
>>429
長柄よりも接近戦用だな。
陣内に乱入してきた相手と格闘するとか、徒武者達の武勇の発揮しどころジャねえの、短槍とかと一緒で。

>>432
弓にも色々あるだろう。
みんながみんなウェールズ人ではない。
つうかさ、戦で使う弓の技能をパンピーが幾らでも使ってるようじゃ弓取りたる武士の名が廃る。
まあ、騎射が減ったのはそういう連中が増えたからなのかもね。
434名無し三等兵:2005/10/16(日) 17:57:02 ID:???
>>420
あ、由来を話してたってことね。
すまなんだ。
435名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:17:13 ID:???
>>433
長巻は鑓の登場前には騎馬武者が使ってた。
436名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:20:51 ID:???
>>433
そういう連中が出てくる前に既に騎射は廃れてるよ。
弓と違って槍、刀が使えても生産には役立たない。
437名無し三等兵:2005/10/16(日) 19:38:45 ID:???
槍は上げて降ろすだけじゃん。
438名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:26:02 ID:???
武田軍の槍隊は、突入寸前に「エイ、エイ」と槍先を合わせ、「エーイ」と一斉に槍先を突き出す。
今も何かの祭りで当時の調練再現したデモンストレーションしてたと思う。
439名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:29:32 ID:lgTXWPLI
>427
信長の海外派兵の根拠とされるのは、他にもカリヤンの「イエズス会日本年報追加」や
朝鮮の「宣祖昭敬王実録」などがあるがね。
カリヤンのものは秀吉が信長に海外出兵をぶち上げて笑われたって話を取り違えて収録したもので、
宣祖王のものは天正3年に足利義昭が宣祖王に送った偽情報。

フロイスの「日本記」もよく読めば、この宣祖王への義昭の偽情報が基になってるのが見て取れる。
そういう指摘もあがってるんだが(笑

このあたりの考察を詳しくするとサラゴザ条約が
当時の日本の宣教師に与えた影響とかも話さなきゃならなくなるんでこの程度にしておく。

そもそも大明出兵は足利義満が「日本国王寿安鎮国之山」に封じられて
死後に「恭献王」と贈名されたのが最大の原因

これらを認めることは中国皇帝の臣下であることを認めることになるから
当時(室町4代義持)の武家は明国討つべしと盛んに主張した
6代義教は実際に渡海計画を立ててたしな

浪人救済とかの意味もあるが、何よりも大明征伐は日本の国体護持である
との認識が戦国期の武士や朝廷にあったため秀吉は絶大な支持を受けた
440名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:41:23 ID:fTspR2Sh
本読んでると経済のためって説もあるぞ。
長い戦乱で一種のバブル状態になってて秀吉の天下統一により
急激な不景気になる恐れがあり海外へ活路を求めたとか。
441名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:55:55 ID:lgTXWPLI
>440
それもあるだろうね。
いわゆる好況恐慌ってやつで拡大が止まると一気に恐慌に陥る。
それを秀吉は理解してたのでは、っていう説がある。
442名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:56:51 ID:???
城作りまくっての公共事業もやってた。
443名無し三等兵:2005/10/16(日) 22:57:46 ID:???
>>439
16世紀末までその認識が保たれてたのか?
室町期の話はあるみたいだけれども。
444名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:13:06 ID:???
これ上手くいったらどうなったんだろうな?
445名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:14:33 ID:???
ソウル落としてピョンヤンまで行ってるんでしょ?快進撃じゃんw
中国がでてこなきゃ半島は1600年には日本の植民地になってたな。
446名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:17:48 ID:???
中国の戦乱期は、それはもうひどいもんでね。
王朝の末期につき物の人口崩壊が起こり、総人口が一気に何分の一にも減少している。
歴史上、中国ではこの人口崩壊が定期的に起こり、わずかな期間で総人口が劇的に変化するのだよ。
しかし日本の戦国時代にはどういうわけか人口崩壊が起こっていない。
それどころか地域の独立性が強化されたことによって、中産階級が発展し、堺のような商人勢力が新たな有力者として台頭し、GNPも高くなっている。
この辺の差を考えてみれば面白いと思うが、残念ながら検証する資料がない
447名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:24:41 ID:???
>443
16世紀末までどころか太平洋戦争敗戦までの秀吉人気の根底は
ここにある。

戦後、それまでの史観、価値観が変動し秀吉の変わりに信長が
歴史の英雄として台頭することとなった。
448名無し三等兵:2005/10/16(日) 23:28:43 ID:???
>>447
えー、本当か?
成り上がり者としての人気じゃねえの?
449名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:15:04 ID:???
>>445
属国が落とされて明が動かないようならその方が異常だ。
そんなことすれば明の求心力は一気に落ちる
もっとも秀吉との戦い以降、もともと落ちていた明の国力はガタ落ちしてその後、滅亡することになるが
450名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:22:20 ID:???
>449
徳川家光のころには、明は日本に対して救援を求めるくらいになってたものな
451名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:27:32 ID:???
>448
それもあるよ。
出自や発想の奇抜さも含めて秀吉は戦前まで人気を保ち続けた。
家康は東照大権現として神格化されすぎて語ることも許されなくなったし、
信長は殆ど無視されてた。
むしろ朱子学全盛になるまでは光秀の評価が高く、信長は「下を侮ってはいけない」
という教訓としてのみ語られていた。
452名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:29:26 ID:???
そらさ、明治国家は徳川を良くは言わないだろ。
戦前の信長評価って、秀吉の上司で、割と勤皇家って感じの評価じゃなかったっけか。
453名無し三等兵:2005/10/17(月) 02:20:09 ID:???
秀吉の場合、信長のコンセプトの継承者、模倣者であって
信長というベースがあったから
秀吉もあれほどの短期間で天下統一を成し遂げれたって感じ
やってきたことの独創性はやはり信長が勝っていると思う
454名無し三等兵:2005/10/17(月) 06:58:27 ID:???
>>451
ちなみに。
秀吉は1970年代までは「戦前」並に人気があったよ。
朝鮮出兵がネガティブに強調されだしたのはそれ以降。
最近になってから。
日中友好条約あたりがターニングポイントになっているように思う。
とくに1980年代後半あたりからが顕著。
455名無し三等兵:2005/10/17(月) 07:08:02 ID:???
>>454
証拠は?
456名無し三等兵:2005/10/17(月) 10:44:19 ID:???
>>445
そのうち、明軍とは比べものにならないくらい精強な
清軍がなだれこんでくることになるから同じ事。
457名無し三等兵:2005/10/17(月) 12:09:07 ID:???
>456
つまり、早期に撤退して正解だったということだな
458名無し三等兵:2005/10/17(月) 12:56:22 ID:???
>>456
根拠は?
459名無し三等兵:2005/10/17(月) 13:12:30 ID:???
徳川家康は基本的に無理はやりたくないって考えだった。
深慮遠謀の人物だが、彼にとっての天下はしょせんは日本列島のことであり
大陸まで視野を広げることが出来なかったのだな。
本来であれば、家康以降の明の衰退と清の勢力拡大を見れば、徳川三代の間に朝鮮討伐を再開すれば
朝鮮半島は日本の領土となり、うまくすれば清と大陸での覇権を競うことも出来ただろうに
二十万もの大軍を海を越えて送り込んだ日本の国力をもってすれば決して夢物語ではない
そう考えてみれば、ずいぶんと惜しいことをしたと思ったりするな
460名無し三等兵:2005/10/17(月) 13:16:52 ID:???
>>459
具体的な根拠・証拠は?
461名無し三等兵:2005/10/17(月) 14:46:14 ID:???
清となんて事構えたくねえよ。
462名無し三等兵:2005/10/17(月) 14:49:53 ID:qAqR/3du
証拠厨って流行ってんのかw
463名無し三等兵:2005/10/17(月) 14:53:43 ID:???
根拠は?
464名無し三等兵:2005/10/17(月) 14:53:51 ID:???
さすがに清が相手では勝ち目はないな。
465名無し三等兵:2005/10/17(月) 14:56:43 ID:???
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1088772345/

323 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:04/07/08 10:03 ID:ZpVh1lqN
>>296
曹操は160cmぐらいです。
大柄の武将が多かったので当時はかなり小柄だったので
コンプレックスがあったと記述が残されている。
モンゴロイドでも、騎馬民族には長身が多かった。
満州族の昔の甲冑のサイズなんかを見ると推定190cm以上が多々あった。

332 名前:名無しさん@5周年[] 投稿日:04/07/08 21:16 ID:xmlXmxX0
>>323
その満州族とは八旗のことですか?
歴史系の板を見てると司馬の小説を引き合いにだして
「武士数十人でも一人の八旗にまるで太刀打ちできない」みたいな
事が書かれてるのですが。
466名無し三等兵:2005/10/17(月) 15:29:22 ID:???
信長が生きていたら、恐らく海外遠征した筈。
フィリピン辺りに。
467名無し三等兵:2005/10/17(月) 15:42:01 ID:???
東南アジアに出張ると、スペインやらイギリスやらオランダとの利権闘争だわな。
まあ本国が近い分有利かもしれん。
オランダとかは日本からの傭兵をそれなりの量で使ってたからなあ。
468名無し三等兵:2005/10/17(月) 16:01:20 ID:???
フィリピンのオランダ軍って、それ程多くなかった筈だから
圧倒的に日本が有利だと思う。
469名無し三等兵:2005/10/17(月) 16:41:10 ID:???
清だって明攻略には散々苦労してるんだがな。
470名無し三等兵:2005/10/17(月) 17:31:09 ID:???
清と日本の戦争なんて、300年後に決着がついている。
あれと同じだよ。
日本に勝てるわけがない。
471名無し三等兵:2005/10/17(月) 17:33:50 ID:???
王朝初期の活気あふれた時代と末期の汚職・腐敗がはびこり、
アヘン戦争で国力が低下した時代とで比べてうれしいか?
472名無し三等兵:2005/10/17(月) 17:40:50 ID:???
韓国人の書いた朝鮮役戦史にも、
>>456
みたいなことが書いてあるんだな、これが。

つまり、人のふんどしで相撲を取るってやつだw
473名無し三等兵:2005/10/17(月) 19:54:46 ID:???
>>471
日清戦役時の国力差を考えるといい。
アヘン戦争の影響は言うほどではない。
474名無し三等兵:2005/10/17(月) 20:05:34 ID:???
>>468
スペインだろ。
475名無し三等兵:2005/10/17(月) 21:54:14 ID:z+yUie1z
>453
正しくは信長が足利義教(室町6代将軍)の模倣者なんだよ
信長の独創性なんてのがどこから出てくるのか不思議でならない

信長の事跡の大半は義教のそれと重なる
それが信長の戦前までの不人気の原因とする説もある


信長、秀吉、家康は義教に強い影響を受けていたし
徳川幕府の職制は義教の制定したそれの発展形

参勤交代すら義教の構想実施したものを基にしているくらいだ
476名無し三等兵:2005/10/17(月) 21:59:43 ID:???
>>475
証拠・根拠は?
477名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:01:35 ID:???
>476


君が証拠・根拠を求める根拠は?
478名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:01:54 ID:???
>475
逆説の日本史に書いてある文章をそのまま丸写し乙
479名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:02:08 ID:???
>>475
そんな本がどっかにあったな。
480名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:07:41 ID:???
>478
信長=義教の劣化コピー説は
逆説の日本史より先に明石散人が主張してたもの(笑

481名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:09:29 ID:???
リヴィジョニストが軍事板で跋扈してる影響かやたらと「証拠は?」と聞きまくる馬鹿が増えたな。
482名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:41:31 ID:???
当の義教は大したことできなかったがw
483名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:48:44 ID:???
>482
関東公方の殲滅、九州平定、南北朝問題の最終的解決
比叡山討伐を初めとする宗教勢力の押さえ込み・・・・

これが大したことでないなら、誰も大したことなどできなかったことになるぞ(笑
484名無し三等兵:2005/10/17(月) 22:49:12 ID:???
逆説の日本史w
485名無し三等兵:2005/10/17(月) 23:15:01 ID:???
逆説の日本史じゃなくて明石散人著、二人の天魔王「信長」の真実(講談社刊)
486名無し三等兵:2005/10/17(月) 23:24:30 ID:???
ていうか明石のは田中義成のパクリだろ
487名無し三等兵:2005/10/17(月) 23:32:44 ID:???
二人の天魔王w
488名無し三等兵:2005/10/18(火) 00:28:14 ID:???
尾張の一部しか領有していなかった信長と
最初から将軍の義教じゃ話にならん
489名無し三等兵:2005/10/18(火) 19:09:37 ID:???
>>446
その「人口崩壊」、行政組織が崩壊して統計取る人がいなくなることと、
農民が略奪避けて流民化して把握できなくなるっつーのが真相らしい。
ホントに死に絶えて何分の一にまで減るんじゃないよ。
490名無し三等兵:2005/10/18(火) 19:12:29 ID:???
>>456
明朝の後継者を自認する清朝にとっては
朝鮮が日本領になると言う事態は容認できないでしょ?
周辺の冊封諸国に示しがつかないし。

それに自国の安全保障という動機もある。
491名無し三等兵:2005/10/18(火) 19:24:08 ID:???
清軍は日本より強いのだろうか?
指揮系統は清の方がはるかにすぐれているだろうが
騎射対鉄砲になるのかな
492名無し三等兵:2005/10/18(火) 19:28:22 ID:???
そんなに差があるか?
確かに強いけど明側にどんどん寝返りが起こったのが大きい。
復明勢力もまとまりが無さすぎた。
493名無し三等兵:2005/10/18(火) 19:46:17 ID:???
>>491>>492
王朝の末期状態にあった明に比べて、
清は国力の伸張期、物量が物量としてまともに機能
するだけでかなり大きな差がある。
494名無し三等兵:2005/10/18(火) 20:05:46 ID:???
兵力は圧倒的に少ないがね。
明側は砂を集めたようなものではあるけど。
それでも協力者がいなければ征服できなかった。

差があるかなって聞いたのは当時の清軍と日本軍の指揮系統なんだけど。
495名無し三等兵:2005/10/18(火) 22:12:43 ID:???
朝鮮の役はまだ日本にとって序の口というか小手先の戦争だった。
だからてんでんばらばらにやっていても余裕があった。

いざとなったらまとまるよ。
それが日本人。
指揮系統なんて本質的な素地があるのだから、
あとは技術的な処理。
それがすめば万邦無比の精密機械になるだろうな。
496名無し三等兵:2005/10/18(火) 22:41:40 ID:???
何が言いたいんだかさっぱりわからん。
497名無し三等兵:2005/10/18(火) 23:07:35 ID:???
>496

縦読みだよ。

「朝だ」って言いたいらしい。
498名無し三等兵:2005/10/18(火) 23:12:36 ID:???
>>495
武士の指揮系統をどうこうするのってさあ、武士という存在そのものを根本から揺るがさないと。
499名無し三等兵:2005/10/18(火) 23:28:55 ID:DAdWigyO
朝鮮は明から鉄砲の使用製造を禁止されてたんだっけ?
どちらにせよ当時、日本の鉄砲は質量とも世界最高だったのはよく知られるところ。
逆に大砲の分野は遅れていてそれが陸戦では圧勝だが海戦では負けまくった要因。
戦略、戦術はともかく兵器から語ればこんな感じだ。
500名無し三等兵:2005/10/18(火) 23:29:04 ID:???
俺様はいざとなったら万邦無比の精密機械になるって事よ。
501名無し三等兵:2005/10/18(火) 23:33:27 ID:???
>>499
海戦でも勝ってるよ。
結局、指揮官次第。
502名無し三等兵:2005/10/19(水) 00:15:02 ID:???
日本が海戦で敗れたのは、基地拠点を奪うという制海権の得る基本を知らなかったからだ。
日本は四度の海戦で朝鮮海軍を悉く倒したが、内戦の経験しかなく外征での渡洋作戦に関する知識がまったく無かった
そのため制海権を得る意義を知らず。朝鮮海軍は壊滅させた後、港などの肝心な部分を確保することはしなかった。
そのことが結局、朝鮮側の反撃を許すことになったのだ。
503名無し三等兵:2005/10/19(水) 00:23:31 ID:???
>>493
清という国は朝鮮の役には存在しません。その時代は清の初代皇帝は、明に隷属する満州の女真族の首長の一人に過ぎませんでした。
504名無し三等兵:2005/10/19(水) 00:28:58 ID:???
ふと思うが、日本と戦うことになった明や朝鮮の軍はどんな気持ちだっただろうね。
当時は海の向こうに日本と言う島国があることは知識としてはあったし、交易で日本の船が出入りすることもあっただろう。
しかし十五万もの大軍が突然、侵略してくるなど理解の外にあったはずだ。
何しろ白村江の戦い以来、そんなことは一度もなかったのだからな。
日本が攻めてくるなど遠い昔の伝説のような気持ちだっただろう。それが突然侵攻してきたことで、日本の国力と戦力を始めて目の当たりにして相当驚いたのではないかな。
当時の航海技術を考えれば、10万を超える戦力が海を越えるなど、明国でもなかなか出来ることではなく想定外だったはずだしな
505Pz:2005/10/19(水) 00:45:13 ID:???
>>504
国力と戦力はともかく、倭寇が散々暴れまわってるから(後期は日本人減ったけど)
剽悍なイメージはあったんじゃないか
向こうから見れば結集した倭寇のような災難に思えたかも
506名無し三等兵:2005/10/19(水) 01:01:31 ID:???
突然ではないんだけどな。
明も朝鮮もとっくに情報は持っていた。
507名無し三等兵:2005/10/19(水) 01:29:59 ID:???
>>506
いや、朝鮮も使者を送り調査はしている。その結果、李朝内部の対立から二つの相反する情報が李朝にもたらされた。
一つは日本は本気で侵攻する気だ。
もう一つは日本はその気はない
李朝が信じたのは結局、後者であり、そのため釜山など日本側の守りはまったく固められることはなく
李朝国内の日本人が次々と日本に帰国するなどして始めて日本が本気だと気づいていた。明にしても似たようなもんだっただろうよ
508名無し三等兵:2005/10/19(水) 01:30:56 ID:???
>>505
朝鮮や中国で略奪を繰り返す野蛮人という認識はあっただろうな
509名無し三等兵:2005/10/19(水) 06:07:17 ID:???
倭寇はもともと元寇でモンゴル・朝鮮連合軍により凄惨な虐殺が行われた、
対馬や壱岐の住民の復讐だったという説がある。
>>499
そうなの?
朝鮮の役までは禁止されてたのかな。
後の話だが、後金と明・朝鮮連合軍が戦ったときは朝鮮軍の鳥銃隊が活躍してる。
510名無し三等兵:2005/10/19(水) 06:24:21 ID:???
禁止なんてのは無い。
511名無し三等兵:2005/10/19(水) 07:56:55 ID:???
シャムやヌルハチが明に支援を申し出てたが全部断ってたな。
周辺諸国から袋だたきにあうのも見てみたかった。
512名無し三等兵:2005/10/19(水) 09:15:39 ID:???
西欧の場合は大砲が海戦の主役となったのは、16世紀のスペインとイングランドの戦いからだった
しかしこの時点でも海戦は敵の船に乗り込んで斬りあうとの認識をスペイン側は払拭することは出来ず。
イングランドの艦体に大砲を打ち込むのではなく、帆を狙い敵艦の動きを止めることを目標とした
一方、イングランドの海賊キャプテン・ドレイクらは、はそうではなく、もっぱら敵の艦体に砲弾を撃ち込み大砲を海戦の主役とする戦法がこれからの海戦だとした。
その結果はイングランドの圧勝、やはり古い戦術教義を捨て切れなかったスペイン側は剽悍なイングランドには勝てなかったわけだ
これは十六世紀の末のこと、1588年のことだ。
秀吉の朝鮮出兵より少し早いが、しかしほんのわずかな差に過ぎない。こんなにも早く朝鮮にまで大砲を主体とする新しい戦術が伝わっているとはどうも納得がいかないのだけどね
513名無し三等兵:2005/10/19(水) 09:28:40 ID:???
>>505
後期倭寇は中国人が9割と聞いたが。日本人が減ってるとか、そういうレベルじゃないよ。
514名無し三等兵:2005/10/19(水) 13:55:16 ID:???
>>513
ソースは?
515名無し三等兵:2005/10/19(水) 14:06:54 ID:???
>>512
大砲の発射速度、命中率(揺れ動く船)考えて、
それが主因だったのかと疑問にも思う。

李舜臣の活躍は初期は多数の船で少数行動の日本の船を襲っている。
勢ぞろいした日本の船との最初の戦いは閑山島。
ここは李舜臣の巧みな操船にあったのではないかな。
潮流を熟知して多数の船で少数の船を攻撃する展開に持っていった
機動戦の勝ではないかと。
鳴梁も類似な事が言えるのではないか。
ここは日本が初めて進出した場所で右も左も分からなかった。
516名無し三等兵:2005/10/19(水) 18:58:26 ID:???
渡海した日本側の軍船って、櫂船と帆船どっちが主だったの?
朝鮮側は櫂船だよね。
517名無し三等兵:2005/10/19(水) 19:37:36 ID:???
>>514

http://toron.pepper.jp/jp/middle/wakou/kariwa.html

その他、検索してみよ。
518名無し三等兵:2005/10/19(水) 22:27:41 ID:???
>>517
それは前期倭寇。

後記倭寇は中国の著では、
30%。

10%じゃないよ。
519名無し三等兵:2005/10/19(水) 22:48:23 ID:???
まあ、とりあえず


ソース出して下さい>518
520名無し三等兵:2005/10/19(水) 23:01:28 ID:???
>>519

明史 日本伝 倭寇

でぐぐってみろ。
521名無し三等兵:2005/10/19(水) 23:15:51 ID:???
中国人が仏郎機(フランキ)砲をはじめて見たのは1517年。
ポルトガルの船に搭載されていた。
フランキ砲を見た明の役人の観察によれば

その銃は鉄で作られ、長さは五、六尺(一尺は約三一センチ)、腹には長い穴が
開いていて、子銃五個にかわるがわる火薬をつめ、(母銃の)腹中にいれて発砲する。
銃の外側は木の枠や鉄のたがをはめて破裂を防ぐ。
海船の舷側に一辺につき四、五個ずつ装備し、船倉の中から撃つ。
ほかの船が接近すると、被弾一発で船板が破壊されて浸水してしまい、それゆえに
(ポルトガル船は)海上に横行して他国は対抗できないのだ。(鄭若曽『?海図編』)

仏郎機とは西アジアの人々がヨーロッパ人をさして呼んだ名称で
明代の中国ではおもにポルトガルを指す。


はじめて海防の研究を唱えた鄭若曽および『?海図編』『海防図論』『江南経略』
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heisyo/12.htm
522名無し三等兵:2005/10/20(木) 00:06:13 ID:???
>520
ググって見たが、30%確実に日本人だって言うような内容はないなぁ

最初っから最後まで、日本人は(多く見積もっても)30%を超えないし
支那人が主体でしたって言うようなページならちらほら見かけるが
523名無し三等兵:2005/10/20(木) 01:14:31 ID:???
>>522
明史に書いてあるのは有名な話だし、それにまさる証拠となる史料はない。
あとは最近になっての諸学説。
常識として10のうち7が中国人
言い訳は良いから、それくらいは覚えとけ。話はそれから。
524名無し三等兵:2005/10/20(木) 04:55:45 ID:???
>>522
ばーか
525名無し三等兵:2005/10/20(木) 06:58:38 ID:???
仏郎機はフランキと読むけど
フランクの訛りだろうね
十字軍でもイスラム側は欧州人をフランクと呼んでた
フランクは狭義だとフランク族、つまりフランス人を指すけど
欧州以外ではフランクは欧州人全体を指す言葉だったんだろう
526名無し三等兵:2005/10/20(木) 09:54:33 ID:???
>>521
急にフランキの話を出すってのは、
李舜臣の船団がフランキを積んでいたってこと?
527名無し三等兵:2005/10/20(木) 17:48:48 ID:???
あの頃のアジアで流通してたのなんてフランキくらいだろ。
528名無し三等兵:2005/10/21(金) 00:02:20 ID:???
>>526
李舜臣の船団はフランキ砲を積んでいません。

…別制亀船、前設龍頭、口放大(砲)、背植鐵(錐)、内能窺外、〃不能窺内、
雖賊船数百之中、可以突入放(砲)是白乎等用良、今行以為突撃將所騎、
而先令亀船突進其賊船、先放天地玄黄各様銃筒、則山下(上)岸下守船三屯之倭、
亦放鐵丸、乱發如雨、間或我國人相雑發射為白去乙、臣益増憤励、促櫓先登、
直?其船、則諸將一時雲集、鐵丸長片箭・皮?箭・火箭・天地銃筒等、發如風雨、
各?其力、声振天地、…

壬辰状草(萬歴二十年六月十四日啓本)


(朝鮮の)人々は色白く、健康、健?、強力である。彼らはトルコ人の弓のよう
な小弓を巧みに操り、(聞くところによれば)毒を入れた小箱を使用するという。
彼らの船舶は堅固で大きく、上部に甲板を有する。火皿と火細工を用い、鉄製の
射石砲のような(砲)を使用しているが、弾丸を用いず、その代わりに鉄片を魚の
尾のように付けた、人間の股ほどの大きさの木の矢をつめて発射する。
それらは、接触したいかなるものをも切り砕く威力を備えている。

その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
銃床のない幾(種)かの鉄砲を使用するとも言われている。

日本史 フロイス
529名無し三等兵:2005/10/21(金) 00:53:48 ID:???
加藤虎之助(加藤清正)は、朝鮮におけるそれまでの業績があまりにも芳しくな
いことを考え、爾後は名誉挽回の為にシナの征服に従事したいと申し出た。
これにつき、アゴスチイノ(小西行長)は虎之助に答えてこう言った。

それが可能であったならば、あの時(いつか不明)、誰よりも率先して拙者が企
てていたであろう。だが、そのような重要で大胆な企画と未経験の遠征を実施す
るためには、まず最初に、必要な食糧、および武器、弾薬を準備せねばならず、
それなくして望むとすれば自惚れもはなはだしく、無謀の謗りを免れない。
なぜならばその準備なくしては、全軍が中途で挫折し孤立無援に陥って死に果て
ることは明白だからである。

拙者の計画では、都(どこを指すか不明)は海に近く位置しており、河を一里も遡
ればそこに達し得るので、海上から食糧を輸送し、付近を流れる川沿いに西方か
ら都を包囲するのが適切である。
それはまた拙者(アゴスチイノ)への返書から判断できるように、老関白殿が命
じておられる計画でもある、と。

日本史 フロイス
530名無し三等兵:2005/10/21(金) 01:31:44 ID:???
>>528
つまり朝鮮は遠戦志向であったわけだ。
531名無し三等兵:2005/10/21(金) 05:47:39 ID:???
>>528
捏造だろ。
チョンが独自に強力な兵器を使えるわけがない。
532名無し三等兵:2005/10/21(金) 08:13:58 ID:???
>>528
火薬を使った大型の弩みたいなもんか?

明の軍船も火砲は多く積まれていたが、
当時の水準としても高すぎる暴発率の為に、
接近戦により切り込みの方が多用されたとかはどっかで聞いたような。
533名無し三等兵:2005/10/22(土) 16:51:25 ID:???
火器即ち銃砲の類の半島に傳はりし年代は未た詳ならさるも蓋し明を経て傳來せ
しものにして此役を距る遠からさる時代に在りしならん。而して我國の鐵砲即ち
銃に比して頗る遜色ありしは鮮人の多く記述する所なり。

諸書載する所の火器の種類を採録するに天字銃、地字銃、玄字銃、黄字銃、勝字銃及
鳥銃あり。而して天、地、玄、黄、勝の各字銃は又砲とも?し蓋し火箭の類ならん。

天地玄黄の各字銃は同一種のものにして其大小に依り区別せしむるものか。以上の各
銃か弾丸を發射せすして火箭を發射せしことは將軍箭、皮?箭、長片箭云々の文勢又
砲箭の二字に依りて略ほ推想し得へきも尚晋州前役に於ける記事益〃之を?するに足る。

大岐箭用火薬蔵?指之放 (晋州全城碑)
城中玄字箭放三度、云々 (乱中雑録)

尚水軍に歴戦せし我將士の記事は益〃之を明確にし得へし。

彼石火矢と云ふは、堅木長さ五尺六寸、筈元を鐵にてはり、羽をも三方へ、鐵にてつけ、さき
には大狩?、手のひろきこと一尺二三寸なり。?ばう(棒)火矢、先を鐵にて丸く丈夫にはり候。
此如の矢を以て五間三間の内へ、まちかくよつて責懸候 (高麗船戦記 外岡甚左衛門記)

大狩?は鮮書の所謂大岐箭を?すものにして之を發射する筒は即ち地字銃玄字銃等ならん。
又之を以て我軍に於て敵の銃砲を石火矢棒火矢と?せんを知るに足る。

李舜臣の上書中、唐浦及釜山の水戦に鐵丸を放つとあるは蓋しろ獲銃を使用せしものならん。
534名無し三等兵:2005/10/22(土) 17:47:58 ID:???
韓国陸士に保存されている各種銃筒の諸元。

天字銃筒‐銅製の砲身、内円径五寸六分、外円径一尺三寸、砲の全長六尺六寸三分。
大将軍箭の射程距離九百六十米。

地字銃筒‐銅製の砲身、内円径五寸、外円径一尺、砲の全長五尺六寸七分。
将軍箭の射程距離六百四十米。

玄字銃筒‐鉄製の砲身、内円径二寸九分、外円径六寸九分、砲の全長四尺一分。
次大箭の射程距離千六百米。(最長の射程距離が特長)

黄字銃筒‐鉄製の砲身、内円径二寸二分、外円径六寸、砲の全長三尺六寸四分。
皮?箭の射程距離八百八十米。

勝字銃筒‐青銅製、全長五百六十ミリ、口径十九ミリ、前部外径二十八ミリ、
尾部外径三十五ミリ、重量三キロ七百(四斤八両)一五九二年九月制作。


銃筒に使う箭の諸元。
大将軍箭‐全長十一尺九寸、円径五寸、重量五十斤の最大級の箭。鏃は銑鉄製。長さ七寸。
将軍箭‐全長九尺二寸三分、三十三斤、銑鉄製の鏃。
次大箭‐全長六尺三寸七分、七斤、鋼鉄製の鏃。
皮?箭‐全長六尺三寸、三斤八両。鋼鉄製の鏃。この箭には方向維持のために
上巻三つが付いており、箆は木製。

李舜臣は忠武公全書のなかで日本軍の鉄砲に触れて
「倭の鉄砲は長所を多く備えている。その妙理を試みたところ、体(銃身)が長く、
穴(弾道)を深く穿っているため砲気が猛烈にして、これに触れた者は必ず破砕する。
これに較べてわが国の勝字銃筒と双穴銃などは銃筒の体が短く、穴が浅いため倭の銃筒に劣る」
と、評価している。
535名無し三等兵:2005/10/22(土) 18:54:53 ID:???
日本軍についてったヨーロッパの宣教師が
「朝鮮の鉄砲は発射音は猛烈だが、威力が弱く誰も倒れない」
みたいなことを言ってたと思う
536名無し三等兵:2005/10/22(土) 20:08:32 ID:Glhntl/w
射程距離も日本製の方が欧州より長かったとは聞いたことがある。
537チョナン・カン ◆.jMGTy6iYI :2005/10/22(土) 21:02:09 ID:5szLzi98
竹島は韓国の物だ!!
538名無し三等兵:2005/10/22(土) 22:13:40 ID:4tGD0uZQ
確か日本製のは刀に使うのを鉄棒に巻き付けて作ったのもあるみたいだから原始的なライフリングがついていたんじゃないかな?
539名無し三等兵:2005/10/22(土) 22:45:32 ID:???
ヨーロッパの場合、
集団密集戦法が前提、
つまり、撃つ側も、撃つ目標も、
密集した集団が、基本パターン。

かくして、猟師とか、一部特定の兵向きの火器をのぞき、
命中率への追及があまりされない状況が長く続いたみたい。


後年のナポレオン戦争の頃でも、
歩兵の主力のマスケット銃、
多数の兵による同時発射がしやすいように、
発射機構がフリントロックになったりしているが、
照星はあっても、照門はないと聞いたことがある。
540名無し三等兵:2005/10/22(土) 23:14:08 ID:agJ6OyYC
飛び道具の命中率はどこの国も重視してないぞ。
威力は当然必要だが、当たるかどうかは度外視してるような風潮がある。

これは弓矢でもあまり変わらない。
日本の室町時代には、既に指矢という弓射戦術が存在し、その意味は「一矢ごとによく狙う」というもの。
裏を返せば「狙わずに数を射る」という戦術も存在したということだ。
541名無し三等兵:2005/10/23(日) 00:01:07 ID:???
朝鮮のは所謂鉄砲と言うよりも、火箭の類みたいだなあ。

>>538
銃身を鍛造なのはどこも一緒じゃねえの?

スペインの大口径火縄銃、所謂マスケットって日本で言えば何匁玉くらいだったんだろうか。
結局はライフリングがないから射程も伸びず、大きさに比べて大して利点はなかったそうだけど。
542名無し三等兵:2005/10/23(日) 07:45:16 ID:???
>>538
無いよ。
巻きつけると言っても螺旋状にグルグル巻いたわけじゃない。
543名無し三等兵:2005/10/23(日) 11:01:57 ID:???
だいたいそんな狙ってないライフリングモドキなんて悪影響しかあたえないんじゃねえの化?
544名無し三等兵:2005/10/23(日) 18:44:55 ID:???
円弾だしなあ
545名無し三等兵:2005/10/23(日) 20:07:34 ID:???
546名無し三等兵:2005/10/24(月) 02:49:34 ID:???
>而して天、地、玄、黄、勝の各字銃は又砲とも?し蓋し火箭の類ならん。

つまり、大砲の弾丸による船体破壊というよりも、
狭い船の中にこれらを多数打ち込まれ消火が間に合わず、船が焼けてしまう、
というところに日本側の苦戦の原因があったと、解釈してよろしいか?

547名無し三等兵:2005/10/24(月) 22:22:24 ID:???
対馬が倭寇の一大拠点だったのは事実だ。
これは対馬の地形を見ればわかるが、岩だらけの土地で農耕には向いておらず。
古い時代から貧しい土地だった。
そのため高麗や中国そして日本本土との交易で生きるしかなかったわけだ。
そしてその交易のついでに海賊行為を行っていたわけでね。
これは何も珍しいことではなく、ヴァイキングも永久凍土の不毛な島で生きる彼らは交易を生きる術としていたが
そのついでに海賊行為を行っていたわけであり、交易が主であって略奪は言ってみればついでだったのだよ
朝鮮出兵の際も対馬が中継地になったのは当然の成り行きでね。
まあ、そんなわけで交易に長けた対馬の民の存在は当時の日本軍には重要な存在だっただろうね
548名無し三等兵:2005/10/24(月) 22:26:32 ID:???
>>540
弓の飛距離が勝敗を決めた例もある。
しかし飛び道具と言えば、日本には何故か弩や投石器があまり見られないな。
欧州や中国の戦いではそれらは非常に重視される武器なのにな。
やはりこれも起伏の激しい日本の風土によるものかも知れない。
平原が少ないから飛び道具の飛距離はあまり重視されなかったのかもね。
しかし城攻めなどには投石器は重要と思うけど、何でだろうな?
549名無し三等兵:2005/10/24(月) 22:30:17 ID:???
>>515
海戦での大砲の命中率が低いのは大戦時代も一緒。
揺れ動く海面を漂う艦の上から動く艦艇を狙うのだから、当時の大砲の命中率は数%程度のものだった。
だから丸一昼夜に渡って打ち合われる海戦まで太平洋戦争の時代はあったわけでね。
ましてや当時よりさらに大砲の飛距離や命中率が低い初期の大砲だ。
かなり接近しないと当たることはなかっただろうね
550win-win:2005/10/24(月) 22:38:57 ID:+4rjg37c
>>548
たんに作り方知らなかっただけじゃない?
551名無し三等兵:2005/10/24(月) 22:44:28 ID:???
>>550
中国などからそのような武器の存在が伝わっていたと考えた方が良いと思うがな。。
552名無し三等兵:2005/10/24(月) 22:48:05 ID:???
>548
城の造りの違いがあるからじゃないか?
欧州の石造文化と日本の木造文化の差異は城砦の堅牢さに如実に現れてるからな。

>543
その通りw
ライフリングが影響するには、ある程度の飛距離が必要だし
当時の観測技術じゃそれを活かす事ができない。
危険を冒して近くで弾着を見届けても、情報伝達の困難から弾着修正ができない。
553名無し三等兵:2005/10/24(月) 22:52:49 ID:???
>548
大規模な攻城戦が無かった。
有っても参加人数が多いだけで各部隊の規模が小さかったので人手のかかる装備は扱えなかった。

攻略対象の城が自然の要害を利用した構造のものがほとんどで投石器の効果が薄い上、射程内に
投石器を持ち込むのも一苦労。平地の城砦が多くなってきたころには大砲鉄砲の時代になっていた。

こんなところでは。

554名無し三等兵:2005/10/24(月) 23:02:58 ID:wWd5WMVr
大砲が本格的に使われたのは大友宗麟の例を除いて
大阪の陣で家康が使った例くらいか? それ以降は太平の世で
大塩平八郎の乱で代官所にぶっ放した記録があるくらい。

ただ大鉄砲と言われる小型なものはかなり使われたみたい。
555名無し三等兵:2005/10/24(月) 23:05:19 ID:???
>>553
秀吉の美濃攻めのようにわざわざ城の周りを水を引くような戦法まであったのだから、大規模な攻城戦がなかったとは思えないけど。
ただ、確かに山城が多い場所では投石器は使い難いかもしれないけど。

>>554
現在のバズーカ砲に相当するようなものもあったし
木砲とよばれる木製の使い捨ての大砲もあったな
556名無し三等兵:2005/10/25(火) 01:14:08 ID:???
>>550
律令時代は弩を使っていた。
石弓って石を飛ばす兵器もあったらしい。
元々は石弓≠弩だった。
557名無し三等兵:2005/10/25(火) 10:47:28 ID:???
>>553
戦国時代は世界的に見ても大規模な甲状腺が頻発したけどよ
それ以前は赤坂城なんかが目立つくらいで少なかったな
大砲はフランキが九州で使われてその威力から国崩しと呼ばれてたよな
558名無し三等兵:2005/10/25(火) 10:49:10 ID:???
79 :ハスケ ◆BnyPF68LQs :2005/10/20(木) 00:48:21 ID:???
>77 78殿
日本でも使われてるし、10世紀以前の古代王朝国家時代には一般的な武器
だったようですよ。

『扶桑略記』には
894年の新羅侵攻のおりに、楯と弩を使った射撃戦で新羅軍を撃退、
大将軍3人、副将軍11人を含む302人を射殺した、という記述があります。

9世紀末は、新羅の海賊がたびたび九州地方に来寇していた時代で、その対策の
ために朝廷は沿岸部の周辺諸国に弩師(弩を用いる兵士達を束ねる軍団長のようなもの)
を置いていました。

また、三善清行が914年に醍醐天皇に上申した「意見封事」には、
“周辺諸国に弩師を置くのは外敵来襲を防ぐもので、強弩は重要なものである。
扱いは、追撃に不適で、防御戦闘に適す。言い伝えではこれは神功皇后の発明
によるもので、唐にも弩はあるが、この武器に及ぶ性能ではない。
陸奥・出羽両国では蝦夷の反乱の可能性があり、九州は常に新羅からの侵攻の危険がある。
北陸・山陰・南海沿岸部諸国の防衛が必要であろう”
というような事が述べられています。

神功皇后の発明云々のところは権威付けの為に生じた伝説でしょうが、その他の記述は
信頼できるものだと思われます。

これらの資料から考えると、ある時期は日本でも主力となる武器として用いられていた、
という事になります。
その後いきなり廃れて使われなくなったのはどうしてなのか、という事になりますが、
これは社会体制の大きな変化により、戦争形態までも変わった為と考えられるようです。
559名無し三等兵:2005/10/25(火) 10:50:04 ID:???
78 :名無し三等兵 :2005/10/16(日) 22:21:55 ID:???
欧州製のボウガンと中国製の弩の2つの起源がある。
日本にも古代より中国製の弩が輸入されていたが、一般化はしなかった。

80 :名無し三等兵 :2005/10/20(木) 07:31:32 ID:???
日本において弩は弥生時代の遺跡からも出土しているよ
隋書倭国伝でも倭人は弩を使用すると記述されている
672年の壬申の乱でも大友皇子軍が弩を並べて乱射したとある
10世紀以前、弩は朝廷軍の制式兵器であり広く使われ、弩師が編成された
その製造法は国家機密だったそうだ

前九年の役の、厨川の関の戦いでは
安倍方が現在の盛岡市周辺の砦に、多数の弩を備え雨のように乱射し
官軍は数百人の死傷者を出したとある
安倍軍が官軍の柵に備蓄されていた弩を転用したとか

源平盛衰記にも石弓で2千人以上が討たれたとか
織田信長の若狭・越前攻めにおいても石弓の記述があるが
これは本当に弩を指しているのだろうか
560名無し三等兵:2005/10/25(火) 10:58:17 ID:???
>>557
まあフランキなんて、欧州やイスラム圏で使われた攻城砲に比べりゃなあ。
日本で戦乱がもう少し続いてりゃ、欧州と同じ築城の流れになってたろうなあ。
561名無し三等兵:2005/10/25(火) 11:01:11 ID:???
弥生時代の弩はこれ↓

ttp://www.web-sanin.co.jp/orig/news2/9-0512a.htm

源平がちゃんちゃんばらばらする時代まで弩は使われてたみたいだ
源平盛衰記には石弓と弩両方の記述があるのは何?
投石具と弩両方が使われてたってことか?
562名無し三等兵:2005/10/25(火) 11:08:19 ID:???
>>560
それが惜しいよな
関ヶ原で西軍がフランキ使ったり
大阪の陣では英蘭からカルバリン砲買って使ってたのに
563名無し三等兵:2005/10/25(火) 11:22:46 ID:???
戦国以前の合戦 武士同士による合戦。
        普段から弓の訓練を積んでいる武士にとって、速射性の低い弩は必要無かった
戦国以後の合戦 農民の動員による大規模な合戦
        少しの訓練で強力な攻撃のできる弩の需要が出てきたが、
        この頃には鉄砲が入ってきていた。

弩が普及しなかったのはこんな感じじゃないかな?
564名無し三等兵:2005/10/25(火) 11:25:22 ID:???
騎射が出来ないからっしょ弩は。
弩が廃れたのは律令軍制が崩壊して以降の軍事を独占した連中の都合でしょうよ。
565名無し三等兵:2005/10/25(火) 11:28:06 ID:???
装填速度がネックか
566名無し三等兵:2005/10/25(火) 11:28:49 ID:???
騎射したら暴発しそう
567名無し三等兵:2005/10/25(火) 17:58:12 ID:zhFZyEW2
騎射ができんというより馬上で装填ができんということだな。

弩は装填にかなりの力を要する。
弩の射手といえば筋骨逞しい大男というのが相場。

>566
騎射で暴発で何故か思い出したが、伊達家には鉄砲騎馬隊ってのがあったよな。
568名無し三等兵:2005/10/25(火) 18:26:17 ID:???
弩と弓では命中率・射程距離・貫通力の全てで弩の方が上だ。
弓の場合は、だいたい150ポンドくらいが限度だが、弩なら300ポンドを超えるものだってある。
この弦の力の差が弩が弓の三倍くらいの能力差になっている
また、弩は弓ほど訓練を必要とはしないメリットもある。
ただ、弩は弓より携帯が難しい上に速射性が低い
弩は一分間で一発か二発放つのが精一杯だが、弓は馴れた人なら一分間で六発放てる。
この速射性が実戦で弩より弓の方に軍配を上げたわけでね。
そのため飛び道具の主役はやはり多くの国で弓だった。
しかし弩の長所も捨て難くクロスボウ隊を編成している国だって多かったわけであり、日本では弩が早い時期に消えた理由がよくわからないな
569名無し三等兵:2005/10/25(火) 19:33:33 ID:???
>一分間で六発放てる
十発じゃなかったか?
570名無し三等兵:2005/10/25(火) 20:53:32 ID:???
>>563
一番の問題は金。
律令時代で既に廃れ始めている。
弩は精巧な細工物、それを農民から徴兵した兵士に大量にあてがうことは
当時の朝廷には到底できないことだった。
571名無し三等兵:2005/10/25(火) 20:56:13 ID:???
>>568
>弩は一分間で一発か二発放つのが精一杯だが、弓は馴れた人なら一分間で六発放てる

たゆまぬ過酷な訓練によって体得したイングランド長弓隊を一般的な例にするのは無理がない?
しかもイングランドしか編成してないし、百年戦争後半に破られてる。
572名無し三等兵:2005/10/25(火) 21:12:59 ID:???
>>559
>>570

弩は武士の個人の所有の武器としては、
戦国時代まで使われている。
あくまで大量に使われなかったのは、
金の問題ではなく必要性がないから。
何故なら>>563の言うように武士を「武芸を生業とするもの」と
いう側面もありイングランドのように、
幼少の頃より、弓は鍛えられてより、
強弓が望ましいとされていたことから
弩をわざわざ用意する必要がなかった。
日本の当時の武士が用いる弓は弩と威力はさほど変わらない。
また、カタパルト式の投石器の石弓は、
城に備え置かれて戦国時代まで多用されている。
573名無し三等兵:2005/10/25(火) 21:43:13 ID:???
>>572
それなら軍団や健児で弩の装備率は高かったの?
574名無し三等兵:2005/10/25(火) 22:00:24 ID:???
>>572
実験では和弓と、モンゴルの動物の腱を弦にした短弓では
モンゴルの弓が和弓の倍近い飛距離だったよ
弩はわからないが、ボウガンだったら普通の弓ではとても匹敵できない威力だよ
プレートアーマー貫通するんだから。
575名無し三等兵:2005/10/25(火) 22:11:45 ID:???
かねて朝鮮人らは日本の船舶を血眼で探していたので、彼らに遭遇すると大声を
あげ、喜んで船を率いて日本の艦隊を襲撃した。朝鮮の船舶は堂々として頑丈に
できていたので、日本人を威圧した。

まず朝鮮人の方から火器による攻撃があったが、これは日本人を散々にてこずらせ
悩ませたので、日本人は朝鮮人のこの厄介な接近戦から免れるために沖合に遠ざか
ることを得策とした。一方朝鮮人は日本人が櫓を用いて船とともに避難できぬよう
にと、頑丈な鉤が付いた鉄鎖を上から投げかけたので、日本船は逃げられなくなった。

日本史 フロイス
576名無し三等兵:2005/10/25(火) 22:21:30 ID:???
>>575
日本人がチョンから逃げる訳無いだろ。
577名無し三等兵:2005/10/25(火) 22:36:29 ID:???
>>574
>実験では和弓と、モンゴルの動物の腱を弦にした短弓では
>モンゴルの弓が和弓の倍近い飛距離だったよ

ソース希望。
578名無し三等兵:2005/10/25(火) 22:39:29 ID:???
コンポズィットボウが和弓より強いなんて常識。
579名無し三等兵:2005/10/25(火) 22:55:01 ID:???
>>576
嫌韓厨乙
580名無し三等兵:2005/10/25(火) 23:02:27 ID:???
和弓は複合弓ですが
581名無し三等兵:2005/10/25(火) 23:04:04 ID:???
…又倭大船四隻、出自内浦、聚?一(処)、皆挿黒幡、而各幡白書南無妙法蓮花経七字、
及見臣等兵威、乱放鐵丸、如霞如雹、諸船(囲)立、先使亀船突入、放天地字銃筒、
貫撤(徹)大船、諸船送相出入、銃筒箭丸、發如風雷、良久接戦、益振威武為白如乎、

臣之妄意以為、彼若勢窮、棄船登陸、恐未??(せん滅)、而我當(羊)示退兵、解囲却陣、
則彼必乗隙移舟、而左右尾撃、庶可??(せん滅)事、傳令後退開一面、則?閣之船、
果由開路而出、黒染布帆乙、?竹倶懸、他船段、翼挟?閣、中流促櫓次、諸船四面囲?、
挟撃猶?、突撃將所亀船、又衝?閣之下、仰放銃筒、撞破其閣、諸船又以火箭射中、
其紗帳興布帆、則烈焔??、閣上所(座)倭將、中箭墜落、他倭船四隻段、乗此蒼黄之隙、懸帆北走次、…

壬辰状草(萬歴二十年六月十四日啓本)
582名無し三等兵:2005/10/25(火) 23:07:30 ID:???
誰か約して
583名無し三等兵:2005/10/25(火) 23:10:24 ID:???
>>コンポズィットボウ
柘植?
584名無し三等兵:2005/10/25(火) 23:32:28 ID:???
當日(六日)暁頭、移到唐項浦外口、俄有一倭船、果自海口而出、為白去乙、
?使(防踏?使李純信)不意突衝(突撃)、一船所騎、幾至百有(余)名、
而我船先放地玄字銃筒、一邊長片箭・鐵丸・(※)砲・大發火等、
連属(続)射投為白乎亦中、賊倭等、奔??惜、退遁設計次、
要鉤金以索出中洋、半(余)投水沈死、…

壬辰状草(萬歴二十年六月十四日啓本)

(※)??砲も亦爆弾の一種にして武備志に掲くる所の西瓜砲に類似せるものならん。
弾中に火薬と??(鐵菱)とを容れ導線に点火して敵中に投するものとす。
585名無し三等兵:2005/10/26(水) 00:29:46 ID:???
>>577
大河ドラマで元寇やってた頃に放送された歴史番組
民放かNHKかも忘れたが
その時歴史は動いただったかな?

ググると、モンゴルの合成弓の飛距離は和弓の25%増しという記述が多いな。
586名無し三等兵:2005/10/26(水) 01:00:05 ID:WxeC0yNA
モンゴルなんかの弓は
馬の骨や皮なんかを使って小型だが強力な威力を持つ。
和弓は形も他国に例のない独特のものだし同じ弓でも別種。
587名無し三等兵:2005/10/26(水) 01:05:10 ID:???
>>585
いや、あれは俺も見たが、射程ではなくて、モンゴル弓の方が発射速度が速いって比較実験してただけで。
それも、ただ連射するモンゴル弓に対して、弓道の作法に則って形式通りに射る弓道を比較して
和弓よりモンゴル弓の方が発射速度が速いというインチキ番組だった。

>ググると、モンゴルの合成弓の飛距離は和弓の25%増しという記述が多いな。
具体的にURL希望。
588名無し三等兵:2005/10/26(水) 01:15:41 ID:???
589名無し三等兵:2005/10/26(水) 01:27:24 ID:???
>>588
そこは「和弓が単一材料で作られている」という誤った認識に基づいて書かれてるな。

中世以降、和弓は合成弓だ。
http://www.infogogo.com/%E5%92%8C%E5%BC%93.html

弓の飛距離は、弓のサイズと素材の弾性で決まる筈。
590名無し三等兵:2005/10/26(水) 02:17:53 ID:???
遊牧民族は弓兵としての適正は高いと思うよ
なぜなら視力が非常に良いからね。
広大な草原を生活の場とする遊牧民族は遠くのものを見ることに馴れ、そのため近距離のものを見ることが多い都市部での生活になれた人より視力がよくなる。
アラビアのロレンスと呼ばれるトマス・エドワード・ロレンスの自叙伝では、自分では双眼鏡をつかってやっと存在が確認できるような距離に
ある敵の存在を同行していたアラブ人達は肉眼で確認していたと記載している。
この視力の良さは弓兵にはまたとない資質だ。

もともと遊牧民族の元の兵士が優れた視力をもっていても不思議はない
もっとも日本に侵攻してきたのはモンゴル人ばかりではなく、モンゴル人・漢人・女真人・高麗人など複数の民族の混成部隊だったけどな。
元寇を退けた時に日本軍は捕虜とした高麗人などは皆殺しにしたが、元に滅ぼされた南宋の出身者・江南人などは赦免している。
積極的に元に協力した民族は当時の日本人は許せなかったのだろう
また。高麗人も元に制服されて従ったといっても日本侵攻を元に勤めたのは高麗人だから同罪と看做したのだろう
591名無し三等兵:2005/10/26(水) 03:30:21 ID:???
ちなみに弓に関する日本の特徴は、長弓にある。七尺三寸〜五寸の長さになっており、その一方、中国のモンゴルで発達した弓は約三〜四尺と短い。ヨーロッパのアーチェリーも同様に短く、これは持ち運びの利便性を求めた結果であると推察される。
しかし日本の場合は、強矢、遠距離へと矢を飛ばすことを目的とし、さらに美意識を重視した結果として、独特な長弓として発展を遂げたと伝えられている。

http://www.engokai.co.jp/weban_const/deshi/no4/
592名無し三等兵:2005/10/26(水) 03:44:31 ID:???
和弓って動物の腱や皮を利用するノウハウがないから樹木類の合成弓になったんだろ。
和弓はデカくて特殊な形状のわりに威力はそうでもない、
というか張力が弱いから形状を工夫したりサイズをデカくせざるを得なかったんだが。
593Pz:2005/10/26(水) 03:54:17 ID:???
古くて不正確で悪いが、日本の弓は洋弓より弱く
モンゴルの短弓の方がはるかに威力があるってことは
30年前にTV番組でも見てるんだけど
だから、常識と思ってたんだが
少なくとも軍オタや歴史通には
594名無し三等兵:2005/10/26(水) 05:19:50 ID:x5aIZaUh
普通の軍ヲタや歴史通は
TVを真にうけ常識と思い込むほど
<ナチュラル>ではないんですよ。
595名無し三等兵:2005/10/26(水) 07:33:12 ID:???
>>592
日本の弓は張力が強すぎて十分訓練されてないと扱えませんが。
(今の弓道の弓はそうでもないが)
596名無し三等兵:2005/10/26(水) 07:34:23 ID:???
>遊牧民族は弓兵としての適正は高いと思うよ
>なぜなら視力が非常に良いからね。

釈迦に説法かもしれませぬが、念のために言っておきますと、
今の日本人の目が悪いのは時代的なものです。
モンゴル人も現代日本人のような生活をすると近視になると思われ。

ちなみに世界で最も目の良い人種はアフリカの黒人とか。TVでみたような…
597名無し三等兵:2005/10/26(水) 09:35:26 ID:???
>>595
どんな弓だろうが訓練されてないと扱えない。
598Pz:2005/10/26(水) 10:15:25 ID:???
>>594
もちろん、そのあと図書館などで調べたけどねそのときは
599名無し三等兵:2005/10/26(水) 10:58:21 ID:???
光栄のゲーム、太閤立志伝に朝鮮征伐のイベントが無いのが不思議だ。
琉球やルソンは登場するのに!
600名無し三等兵:2005/10/26(水) 11:13:32 ID:???
>>595
競技用の弓と実戦用の弓を一緒にしないで欲しい。
アーチェリーでも競技用に用いられるのは30ポンドくらいだが、しかし狩猟用のものは100ポンドを超えるものもある。

>>596
それを差し引いても当時の遊牧民族は視力がいいと思えるのだが
601名無し三等兵:2005/10/26(水) 11:58:11 ID:???
ブータンの短弓は300m先の標的にも殺傷力を持つ
>>596
モンゴル人で10.0だか20.0だかのやつがいたな
1km先のおっさんの表情がわかるっていうw
602Pz:2005/10/26(水) 13:55:59 ID:???
>>601
アフリカから来たサンコンって人視力6.0
日本にきたら数年で近視めがねに

かく言う私も中学の頃は田舎で星ばかり見てたので2.0超えてたのが
上京して1年で1.0に数年で近視に

生活で変わるんだよ、モンゴル人は3.5だとか、アフリカの奥じゃ平均4.0超えるとか
って聞いたことある
603名無し三等兵:2005/10/26(水) 19:16:47 ID:???
>>601
それで狙って当てられるかが問題だな。
重要なのは有効射程であって最大射程じゃない。
604名無し三等兵:2005/10/26(水) 19:21:19 ID:???
>>603
名人芸というのを甘くみない方がいい
実際に数十メートル先でも当てることが出来るのだからな
ブータンの選手はアーチェリーで五輪にも出たが、五輪の競技では的が近すぎてやりづらかったと
感想を漏らしていたくらいだ
605名無し三等兵:2005/10/26(水) 19:24:40 ID:???
アフリカもマサイ等の遊牧狩猟を仕事にしている人達は視力が良いだろう。
だけど大多数の農耕民はあまり変わりがないとも聞いたけどね。
生活上の必要が無くても視力って良くなるものなのかな?
日本人も昔は凄く視力が良かったという訳でもないし。
606名無し三等兵:2005/10/26(水) 19:27:20 ID:???
>>604
いや、だから実戦において皆が其の技量を持っているのかってこと。

>実際に数十メートル先でも当てることが出来るのだからな
つまり三百メートルまで飛んでも当てることは至難なわけだ。
607名無し三等兵:2005/10/26(水) 23:23:12 ID:???
朝起きて広大な草原で羊の群れを追って終日暮らせば、
遠目にもなるわな。
日暮れになれば寝るだけだから。
薄明かりで字を読むわけでもなし。
608名無し三等兵:2005/10/26(水) 23:32:55 ID:???
>>606
密集した部隊には効果はあるんじゃない?
609名無し三等兵:2005/10/26(水) 23:34:09 ID:???
朝起きて海で鰯の群を追って夕方風呂に入ってすぐ寝ても遠目になるぞ。
610名無し三等兵:2005/10/26(水) 23:37:13 ID:???
モンゴルの乾燥した平原で使ってた動物の皮だの筋だの何だので作った弓なんか
日本に持ってくればあっという間に湿気て腐ってしまうような気もするが。
611名無し三等兵:2005/10/27(木) 00:07:23 ID:ezyZqJaD
>>607
現代の日本でも漁師さんはみんな視力がいいよ。
日本人の視力について旧日本海軍でなんかエピソードがあったと思う。
やっぱ環境が一番の原因。
そんな俺もパソコンはじめてから視力激減です。
612名無し三等兵:2005/10/27(木) 00:19:53 ID:+HguFIFL
>599
それを入れると確実に噛み付いてくる団体等が日本には存在するぞ。

随分以前の話になるが、ボードシミュレーションゲーム華やかなりし頃、
国内のE社が出した「朝鮮戦争」というゲームがあったが、とあるルールを問題として
抗議があり絶版及び回収になった。


日本の出版媒体、メーカーはそういう圧力に極度に弱い傾向がある。
613名無し三等兵:2005/10/27(木) 00:26:13 ID:???
>590
元寇の直接の原因はフビライからの国使を6度にわたって無視した日本の対応の非常識さだと思うが。

当時、南宋撃滅を主目標としたフビライにとって日本は攻めるべき敵ではなく、結ぶべき相手。
対外貿易で国力を増大させつつあった南宋の力を削ぐために日本に働きかけたわけだが、日本が前述の
とおりの対応をとったために出兵せざるをえなくなった。
614アメリカ人:2005/10/27(木) 00:40:28 ID:???
>>613
nhkの番組で韓国のソウル大学の教授だかがそんなこといってた。
まったくjapはこまる。元の侵略どころかむしろ元は被害者だよ。
615名無し三等兵:2005/10/27(木) 00:49:36 ID:???
>>613
最近そんな話を聞くね。
元の国書の内容はどんな物だったの?
616Pz:2005/10/27(木) 00:54:34 ID:???
>>611
そうなんだよ、坂井三郎の視力の話読んで
もともと目が良かったし、大好きな星毎晩のように見て視力鍛えたら
スバルが9個まで見えるようになったし
視力検査では後に並んでるときから、一番下の2.0まで見えるくらい鍛えたのに
高校から東京に引っ越して、視力激減
勉強のせいもあるけど
617名無し三等兵:2005/10/27(木) 01:00:39 ID:???
元の国書の内容はわからんが、歴代中国王朝の外交文書としてはかなり低姿勢なものらしい。
618名無し三等兵:2005/10/27(木) 01:23:49 ID:???
柵封無しに外交関係を持つのならば低姿勢だろうな。
どんな国書だったのかは知らんが。
619名無し三等兵:2005/10/27(木) 01:40:53 ID:???
>>613
そういう話よく聞くけど、遅かれ早かれ日本にも攻略の魔の手が伸びたと考えるのが自然だろう。
カラフトやジャワ島にまで遠征軍を送ってることからもそれが想像出来る。
日本だけ同盟で済むというのは考えにくい。
620613:2005/10/27(木) 01:59:19 ID:???
>619
それは否定しない。事実、国使派遣に際しての高麗の行動が、それを物語る。
最初の国使は1266年。これは高麗が日本侵攻の先触れとなると見なし、さまざまな
理由をつけて蒙古国使を引き返させてしまった(笑

日本侵攻にあたっては高麗が重大な負担を負うことになると考えたわけだ。
蒙古国使は内陸の民であったため海を甚だ恐れ、高麗の口車にのって引き返す。

そしてフビライ激怒(笑


1268年、高麗に国使派遣の命が下った。
国書の内容は、「上天の眷命せる大蒙古国皇帝、書を日本国王に奉ず」との出だしで始まる。

おそらく日本人の癇に障ったのは「兵を用うるに至る、それいずくんぞ好むところならん」の一節
と思われる。
621名無し三等兵:2005/10/27(木) 02:56:29 ID:???
>>613
元寇で蒙古は日本を完全に屈服までする意図はなかった。
彼らがやりたかったのは、「その気になれば我々は日本を叩けるのだぞ」という示威行為に過ぎなかった。
そのために二度とも一暴れした後はさっさと船を引き払ったよ。
ただ二度目の時はちょうど台風が来てしまったので叩きのめされることになってね。それで元軍は水軍力の三分の二をこの戦いで失い
元衰退の発端となった。

それに確かに蒙古が日本を攻撃した理由は日本外交の失敗が大きいが。
それにしても蒙古軍が日本に送った戦力はたかだか15万に過ぎない。
海を越えての侵攻では如何に大蒙古帝国でもそれ以上は難しかったのだろう
しかし鎌倉幕府の方は即座に動員できる戦力だけでも三十万保有していた。
元軍が本腰入れて日本に侵攻しても叩き返せるだけの戦力は日本側には十分にあったよ
622名無し三等兵:2005/10/27(木) 03:04:39 ID:???
>>613
南宋滅亡は1279年
弘安の役は1281年
南宋対策と元寇はきっかけはどうあれ必ずしも一致しない
問題なのは使者の首を刎ねるとか、非常識な外交手法だな
そういった行為が世界帝国を自認する蒙古の神経を逆撫でしたのだろう

>>619
中華帝国四千年の歴史の中で日本に屈服を迫って戦争までしたのは元だけだ。
如何に大陸国家であっても、海を越えて日本にまで軍を送ることは容易なことではなく
また、是が非にも日本を落としたい理由も当時の中華帝国にはなかったからだ。
623名無し三等兵:2005/10/27(木) 03:13:37 ID:???
元軍が弘安の役で派遣した軍隊は十四万
日本が朝鮮征伐に送った軍勢は十六万
蒙古帝国すら日本海を越えて軍を送るのは十四万が限度だったのだから
十六万の軍を送った日本の軍事力は、明や朝鮮を震撼させたのは間違いない
実際に百年の内戦を潜りぬけてきた日本軍の錬度は、当時の明や朝鮮を圧倒していたようだしな
624名無し三等兵:2005/10/27(木) 03:29:06 ID:???
>621
1度目も台風にやられてるのだが。

一暴れした後はさっさと船を引き払ったよというが、
世界史のどこを見ても「侵攻側が優勢なのに船にまで引き返した例はない」し、
ましてや日本にまで船団を出して示威行動に留めるべき道理は無い。
625名無し三等兵:2005/10/27(木) 04:14:29 ID:???
>>624
1度目は台風がおこってないって説もあるらしい。
626名無し三等兵:2005/10/27(木) 04:24:41 ID:???
>>624
http://ja.wikipedia.org/wiki/元寇
ここ見ると1度目は台風がおこってないっぽくない?
627名無し三等兵:2005/10/27(木) 07:41:49 ID:???
>>620
>>622

よくそういう指摘があるが、
いきなりきて手土産などの贈り物も無しでよしみを結ぼうと
するのは当時の外交基準からして無礼となるよ。
元がイスラム圏の国家などと結ぶときは手土産などの贈り物など持参したりして、
よしみを結ぼうとした場合も少なくない。
628名無し三等兵:2005/10/27(木) 09:20:30 ID:???
>>590
高麗人は殺さず捕虜にして送り返したんだよ。
元に無理やり出兵を強要させられてるだけだからって。
モンゴル人は博多を放火して大虐殺したから皆殺しにした。

モンゴル・高麗連合軍の虐殺は凄まじいものだったそうだ。
男は皆殺し、女は全員暴行され、子供と一緒に手の平に穴を開けられ
そこに荒縄を通して軍船のへりにぶらさげておいた。
倭寇は対馬や壱岐などの住民の、元や高麗への復讐が発端ともいわれている。
629名無し三等兵:2005/10/27(木) 09:57:15 ID:???
殺さず送り返したのは南宋人だけじゃなかったっけ?高麗人もそうだったか
630名無し三等兵:2005/10/27(木) 12:14:31 ID:???
高麗人・蒙古人・漢人は殺したんじゃねえの。
南宋人は交流があったから捕虜にしたとかなんとか。
631名無し三等兵:2005/10/27(木) 12:54:22 ID:???
>>628
手に穴開ける話は日蓮の作り話らしいぞ
632名無し三等兵:2005/10/27(木) 13:08:20 ID:???
>>631
ソース出せ。
633名無し三等兵:2005/10/27(木) 13:28:34 ID:???
>>629
私も交流のあった江南人以外の漢人・モンゴル人・高麗人は皆殺しにしたと聞いているよ
634名無し三等兵:2005/10/27(木) 13:49:06 ID:???
ググッたら元の国書が出たが、なんというか友好的と言えば友好的だな。

天に守られている大蒙古国の皇帝から日本国王にこの手紙を送る。昔から国境が接
している隣国同士は、たとえ小国であっても貿易や人の行き来など、互いに仲良く
することに努めてきた。まして、大蒙古国は天からの命によって大領土を支配して
きたものであり、はるか遠方の国々も、代々の皇帝を恐れ敬って家来になっている。

例えば私が皇帝になってからも、高麗が蒙古に降伏して家来の国となり、私と王は父子の
関係のようになり、喜ばしいこととなった。高麗は私の東の領土である。しかし、日本は
昔から高麗と仲良くし、中国とも貿易していたにもかかわらず、一通の手紙を大蒙古皇帝
に出すでもなく、国交をもとうとしないのはどういうわけか?日本が我々のことを知らな
いとすると、困ったことなので、特に使いを送りこの国書を通じて私の気持ちを伝えよう。

これから日本と大蒙古国とは、国と国の交わりをして仲良くしていこうではないか。
我々は全ての国を一つの家と考えている。日本も我々を父と思うことである。
このことが分からないと軍を送ることになるが、それは我々の好むところではない。
日本国王はこの気持ちをよくよく考えて返事をしてほしい。不宣

至元三年八月(1266年・文永三年)

しかし日本に高麗みたいに家来になれって事だなこりゃ。
635名無し三等兵:2005/10/27(木) 13:58:21 ID:???
>>628
信頼出来る一次資料を出せ。
636名無し三等兵:2005/10/27(木) 14:26:07 ID:???
>>634
これを友好的と思えるお前の頭がどうかしている。
637名無し三等兵:2005/10/27(木) 14:45:02 ID:???
>>636
ヨーロッパの方に宛てた国書に比べたらマシに見える。
638名無し三等兵:2005/10/27(木) 15:02:38 ID:???
蒙古国牒状

上天眷命大蒙古國皇帝、奉書日本國王。
天のいつくしみをうけている大蒙古国の皇帝が、書を日本国王に奉る。

朕惟自古小國之君,境土相接,尚務講信修睦。
(朕が思うのに、昔から小国の君主で国境を接しているものは、音信を交わしあい、仲よくしあうよう努めている。

況我祖宗,受天明命,奄有區夏,遐方異域畏威懷コ者,不可悉數。
ましてわが祖先は、天の明命を受けて天下を領有している。その威を恐れ、徳を慕ってくる遠い異国のものたちは数えられないほどである。

朕即位之初,以高麗無辜之民久瘁鋒鏑,即令罷兵還其疆域,反其旄倪。
朕が即位した初め、高麗の無辜の民が戦争によって久しく疲れていたので、朕は国境より兵を引き揚げ、老人子供を帰した。

高麗君臣感戴來朝,義雖君臣,歡若父子。
(それにより)高麗の君臣は感激して来朝した。(蒙古と高麗は)君と臣の関係ではあるが、親子のように仲が良い。

計王之君臣亦已知之。
日本国王もすでに知られていることであろう。
639名無し三等兵:2005/10/27(木) 15:03:33 ID:???
高麗,朕之東藩也。
高麗は、朕の東の属国である。

日本密邇高麗,開國以來亦時通中國,至於朕躬,而無一乘之使以通和好。
日本は高麗とは近い仲であり、日本の開国以来、時に中国とも交通をしているが、朕が即位してからはまだ一度も使いを送って和交していない。

尚恐王國知之未審,故特遣使持書,布告朕志,冀自今以往,通問結好,以相親睦。
日本がこの事を知っていないことを恐れ、故に特に使いを遣わして書を持たせて、朕の志を布告させる。願わくば今よりは好を通じて親睦をするように。

且聖人以四海為家,不相通好,豈一家之理哉。
また、聖人は四海をもって家となさん。互いに交流しないのは一家の者らしくないことである。

以至用兵,夫孰所好。王其圖之。不宣。
兵を用いるに至るなど、誰がそれを好もうか。日本国王よ、これを図れ。
640名無し三等兵:2005/10/27(木) 16:20:40 ID:???
>>637
紹介してよ。
>>633
博多には江南人の街あったみたいだしねえ。
641634:2005/10/27(木) 17:00:35 ID:???
>>638-639
ありがとう。やっぱり原文見ないとダメだな。
642名無し三等兵:2005/10/27(木) 17:38:36 ID:???
変なソース厨が湧いて来たな
643名無し三等兵:2005/10/27(木) 17:41:58 ID:???
>>624

確か、侵攻軍の副司令官が射られて重傷を負っているんじゃなかったっけ?
644名無し三等兵:2005/10/27(木) 18:14:20 ID:???
王扱いなのは、鎌倉幕府的には、どうだったのだろうか?
645名無し三等兵:2005/10/27(木) 19:37:25 ID:???
>>642
ホロコースト否定厨の影響だろう。
646名無し三等兵:2005/10/27(木) 20:26:32 ID:???
>>644
まさにそこ。対等の立場でなく、王扱いしたことは
幕府としては断固認められなかったのだろう。
647名無し三等兵:2005/10/27(木) 20:55:56 ID:???
>>646
それならそれでそう伝えればいいと思うが。
648win-win:2005/10/27(木) 21:14:16 ID:RrOBdHN8
今の近視の人でもモンゴル人と同じ生活すれば視力回復しますかね?
視力回復するならモンゴルに移住したいんですが。
649名無し三等兵:2005/10/27(木) 21:15:42 ID:???
元と戦わずに最初から従った国や勢力などない。
650名無し三等兵:2005/10/27(木) 22:00:25 ID:???
今の平和主義外交というTVドラマ的価値観でしか考えられないのが
厨なのだし、それにおもねるのが今の学者。

使者惨殺なんてのは日本の「蛮国」としての誇りと解釈してもいいのだし、
そういった価値を受け入れていたのがつい先年までだよ。

あの使書をみて「平和の合理」を見出すほうがどうかしている。
武威に勝るものが史上の存在。
長い人類の歴史の恒常的価値。

>>648
条件にもよるが可能。
651名無し三等兵:2005/10/27(木) 22:05:31 ID:???
>>648
視力の強弱は遺伝にも左右されるから、両親目が悪いと遺伝で悪かったりするらしい。
そういうのは自然の回復は難しいと聞いたが。
652名無し三等兵:2005/10/27(木) 22:21:43 ID:???
>>650
正論だな

おれ2.0だったのにパソコン買ったら0.4にナチャタ
653名無し三等兵:2005/10/27(木) 22:25:50 ID:???
>>638
よく言うよ。朝鮮半島荒らしまくっておいて。
モンゴルは占領地域の民族と混血することが多く、
朝鮮民族は北ほどモンゴル人の血が混じっているそうだ。
モンゴルに占領されていたロシア白人もDNAの1割はモンゴルに由来する。
654名無し三等兵:2005/10/27(木) 23:14:40 ID:???
使者を斬って宣戦布告。
これはまあいい。
しかし全く返事を出さないのはどうかね。
当時としても。
655名無し三等兵:2005/10/27(木) 23:24:31 ID:???
>646
王扱いなのは元からすれば当たり前の話。
皇帝は1人しか居ないというのが中華思想でもある。
柵封体制下になくても、他国の首長は「王」でしかない。

日本の天皇が歴史的に「皇帝」と呼称されない、されなかった理由の1つはそれ。


656Pz:2005/10/27(木) 23:42:14 ID:???
>>651
そのとおり、オレの近親者で近視に転落したのはおれ一人
みんな目はいい
生活変わらなきゃ、おれだって

遺伝性の近視ってのは田舎でもいて
何でも、眼球の光軸が生まれつき少し長く
幼い頃から近視になるってのもあるから
そういうのは、モンゴルで生活しても回復しないんじゃない
657名無し三等兵:2005/10/27(木) 23:53:35 ID:???
国書を黙殺したあげく使者を殺すのは非礼。
658名無し三等兵:2005/10/28(金) 00:08:22 ID:???
>>653
当時高麗の国王はモンゴルの力を借りて国内を統治し
歴代国王はクビライ家と通婚した。
659名無し三等兵:2005/10/28(金) 00:57:22 ID:???
>使者を斬って宣戦布告
>使者を斬って宣戦布告
>使者を斬って宣戦布告
>使者を斬って宣戦布告
>使者を斬って宣戦布告

なんだこの馬鹿スレは
660名無し三等兵:2005/10/28(金) 01:06:42 ID:ntiFOfNk
>>655
現在の天皇は海外でエンペラーと訳されるわけだが。
もちろんエンペラーは世界唯一。
661名無し三等兵:2005/10/28(金) 01:11:40 ID:???
使者を斬ったのは文永の役の後。
662名無し三等兵:2005/10/28(金) 01:22:35 ID:K0mcMSDq
>660
・・・・・・・・左様ですか(藁
翻訳という行為について少しは考えろと小一時間(ry
663名無し三等兵:2005/10/28(金) 01:39:19 ID:???
朝廷が返書を出そうとした事もあったが、強硬派が議論に勝ったり
幕府が反対したりして結局使者に返書を与えなかったらしい。

文永の役後に来た使者は見せしめのために斬られた。
664名無し三等兵:2005/10/28(金) 01:50:00 ID:???
非礼もクソも、
中華の価値世界の外界に日本は存在していたということ。
そのことに当時の日本(今もそうだが)、誇りを抱いていたということ。
中華世界から世界史を見ようとするからそうなる。

天皇を皇帝と呼ぶ呼ばないも中華の勝手。
元来は「皇帝」の擬似的呼称であったかもしれないが、
以後は自立した万邦無比の存在となった。
それが「天皇」。皇帝と呼ばば呼べ、呼ばざるば呼ぶな。
それだけのこと。
日本人がどう意識して歴史をたどってきたかが重要。
665名無し三等兵:2005/10/28(金) 02:02:20 ID:???
中華(モンゴル)からも日本からも見ないとわからん。
666名無し三等兵:2005/10/28(金) 02:07:42 ID:???
>>627
高麗から贈り物が来たらしいが(元の国書と高麗の国書と共に来た)送り返した。
667名無し三等兵:2005/10/28(金) 02:27:22 ID:???
秀吉はどこ行った
668名無し三等兵:2005/10/28(金) 02:55:28 ID:???
一回目の使者が帰る前(1268年5月)に高麗に船一千艘作るよう命令しているらしいから
蒙古に当初やる気がなかったというのはどうかね。
669名無し三等兵:2005/10/28(金) 03:07:28 ID:???
チョソがそう命令してくださいとゴマすってきたから。
670名無し三等兵:2005/10/28(金) 03:07:57 ID:???
>>664
チョンが日王と呼ぶのは非礼じゃないんかい。
671名無し三等兵:2005/10/28(金) 03:14:16 ID:rU/bvvtm
前田慶次の活躍を教えてください。
672名無し三等兵:2005/10/28(金) 03:17:32 ID:???
男の褌は白でなければならぬ。
673名無し三等兵:2005/10/28(金) 08:35:58 ID:???
>>670
勝手に言わしておけばよろしい。埒外。
674名無し三等兵:2005/10/28(金) 10:34:58 ID:???
軍事的なハナシをしてみたい。(というかしてくれ)
よく言われるように、秀吉は大会戦が不得手なのかもしれん。
姉川、山崎、シズヶ岳、小牧長久手と会戦の経験は豊富だがセンスが感じられない。
姉川と小牧長久手は実質敗戦だし、山崎、シズヶ岳は裏切りなど戦術以外での勝利だ。
日本人に戦略眼が乏しいわけでなく、日露戦争はずっと以前から、
参謀本部が戦略を練って想定が出来上がっていた。
家康もそうした戦略眼をもった一人だろう。
秀吉の唐入りは、あまりにも明国軍との遭遇ポイント、会戦想定など考えず成り行きで場当たり的だ。
補給の問題以前に、秀吉の軍事的センスが朝鮮征伐のすべてだった。
675名無し三等兵:2005/10/28(金) 12:48:46 ID:???
秀吉は城攻めが得意で、強攻策を用いず調略と包囲で敵の投降を待つ。
相手の立場を考慮し、共通の利益を見つけて相手を説く。
敵味方に金品を惜しげもなくばらまき、情報を重んじ、決して無理をしない。

合戦では大兵を集め、相手が隙を見せたら兵力を結集して一気に襲いかかる。

秀吉は武家出身の武将達とは違い、学がなく、兵法は実践で身につけた。
それゆえに枠にとらわれず、誰でも勝てる合理的なやり方を用いる。
能力主義の信長軍団の司令官になり、信長の死後天下を取った。
676名無し三等兵:2005/10/28(金) 14:20:21 ID:???
甘く見すぎたということだろう。単純に。
のちに明を征服する始祖となるヌルハチは、
以前から明との角逐をつづける環境の中にあった。敵情、地勢も熟知していたから内戦同様に戦えた。
それでも長期間かけて山海関は抜けなかった。
博多商人、小西、宗といった周囲の情報を適当に理解して国内戦と同様の腹積もりで攻めて行ったのだから
成功しないのも当然。
酷な言い方だが、それが秀吉の限界だった。
ただ自分でも渡海するといっていたとはいえ、出先の諸将には適格な指示を出し、
終始コントロール下に置いて、戦線を乱させなかった。
その手腕と能力の高さは否定できない。
677名無し三等兵:2005/10/28(金) 18:09:51 ID:K0mcMSDq
秀吉の本質は軍政家ということだろう。

前線での勝利をものにする戦術家、後方にて部隊を帷幄し戦闘に勝つ作戦家ではなく、
大局を有利に導く手腕に隔絶のものを有していた。
小牧長久手の戦は、まさにそれ。
姉川は信長の実質的敗戦であって秀吉の戦ではない。
678名無し三等兵:2005/10/28(金) 18:33:26 ID:???
信長も同じだな。
679名無し三等兵:2005/10/28(金) 19:13:17 ID:???
どこがだ?(笑

信長の本質はケチでお人よしで優柔不断。
何の定見もなく戦略的には無能でしかない。

秀吉の大盤振る舞いには信長を反面教師にしたのではと思える節がある。
680名無し三等兵:2005/10/28(金) 21:32:44 ID:???
>>674
というか秀吉はそれらの戦は、
当初から政争で決める意向だったのでは?
681名無し三等兵:2005/10/29(土) 15:07:09 ID:???
>>679
優柔不断があんなに勢力を広げられるわけないだろ
お人よしが仕事をさぼって遊んでいた侍女を全員斬ったり、将軍を追放したり延暦寺を焼き討ちするのかと
フロイスは信長の印象を「非常に果断で、忍耐強い」と言っているが

「私が一番驚いたのは、信長が異常なほどに部下から恐れられていることである。
信長が手でちょっと合図をするだけで、部下たちは凶暴なライオンの前から逃れ
るように、重なり合いながら、ただちに消え去るのである」

まさに典型的独裁者。
682名無し三等兵:2005/10/29(土) 16:58:03 ID:???
>681
姉川、長篠では秀吉や家康の「追撃すべし」の進言をしりぞけ、
延暦寺焼き討ちのあとでは吉田兼和を召し出し「南都、北嶺(延暦寺)を滅ぼしたら祟りがあるか?」と
尋ね、5カ条覚書をまったく無視する義昭に尚も17ヶ条異見状で泣き言を言う。
その4条目を見れば信長がお人よしなのが実によく理解できるだろう。

どこが果断で忍耐強いのか理解できないが?
あんなに勢力を広げというが一体何年かけた?
683名無し三等兵:2005/10/29(土) 17:40:23 ID:???
元々の版図を考えろよ。
684名無し三等兵:2005/10/29(土) 17:45:04 ID:???
足利義教は信長以下の境遇から家康最晩年のそれに匹敵する版図、権力を獲得したが?
685名無し三等兵:2005/10/29(土) 19:03:14 ID:???
クジ引きで?
686名無し三等兵:2005/10/29(土) 19:40:20 ID:???
>>682
自分の主張に合致する一部の例を出してるだけじゃん
687名無し三等兵:2005/10/29(土) 19:54:02 ID:???
義教厨が居るなどうも・・・。
688名無し三等兵:2005/10/29(土) 20:02:00 ID:???
>>681
>>682
大胆かつ緻密と言う訳だな。
やはり信長は凄い。
689名無し三等兵:2005/10/29(土) 21:27:14 ID:???
フロイスか知らんが宣教師が
「信長は異常な声帯を持っており、彼が号令すると2km先まで聞こえる」
とか言ってたようなw
フロイスも信長はよく通る声をしてると記してるが。
690名無し三等兵:2005/10/29(土) 21:34:04 ID:Ej3A2TBv
甲高い声だっけ。
691名無し三等兵:2005/10/29(土) 21:47:46 ID:???
柘植さんが戦場では低い声より、甲高い声の方が通るから向いてるとかいってたっけwww
692名無し三等兵:2005/10/29(土) 22:57:48 ID:LeXsqIE6
てか16〜17世紀の国が、十万人を動員した消耗戦を何年も出来る訳がないよ。
秀吉も明も無理をしすぎたね。


日露戦争だって、世界中から金借りてアップアップだったのに
結果七年間も続けて両国共にクーデター起きてる
693名無し三等兵:2005/10/30(日) 00:46:50 ID:???
>延暦寺焼き討ちのあとでは吉田兼和を召し出し「南都、北嶺(延暦寺)を滅ぼしたら祟りがあるか?」と

この一文で
信長が迷信を恐れ、優柔不断だったというなら、
お前の目は節穴というか、何にも分かっていない。
というか、アホ。
694名無し三等兵:2005/10/30(日) 00:49:30 ID:???
信長神話を壊して悦に入ろうという新手の「修正主義者」が
出てもおかしくないご時世だからな。

秋山駿の信長をまず批判しろや。
695名無し三等兵:2005/10/30(日) 00:53:33 ID:???
>>694
知らね。
まずお前が批判しろ。
696名無し三等兵:2005/10/30(日) 00:56:26 ID:???
>>693
天魔王とかいう本にでも書いてあるんじゃないの。
知らんけど。
697名無し三等兵:2005/10/30(日) 01:48:43 ID:???
>693
それ武功夜話あたりに記述があるんじゃなかったっけ?
信長が迷信を信じてたってのは本当らしい。

>694
信長神話って昭和から平成にかけて創られた虚構じゃねーかwww
徳川実紀や武功夜話を読んでみろ、信長の情けなさが判るからw
698名無し三等兵:2005/10/30(日) 06:47:54 ID:???
>それ武功夜話あたりに記述があるんじゃなかったっけ?
え〜〜〜〜っと、武功夜話ねwwwww
699名無し三等兵:2005/10/30(日) 08:44:41 ID:???
徳川実紀や武功夜話なんかに釣られるなよお前ら。
700名無し三等兵:2005/10/30(日) 10:30:06 ID:???
武功夜話が偽書だという常識も知らない方がいますねw
701名無し三等兵:2005/10/30(日) 10:34:57 ID:???
ガチガチの共産主義者でも無ければ迷信の一つも気にするだろ。
702名無し三等兵:2005/10/30(日) 10:36:42 ID:???
>>689
信長公記で、謀反した弟との戦の最中に信長が激怒し大音声で敵を圧倒したという記述があるね
よほど声が大きかったのか

「上総介殿大音声を上げ、御怒りなされ候を見申し、さすがに御内の者共に候間、
御威光に 恐れ立ちとどまり、終に迯崩れ候キ。」
703名無し三等兵:2005/10/30(日) 10:39:01 ID:???
>>697
で、武功夜話と徳川実紀の朝鮮出兵についての記述はどうよ。
704名無し三等兵:2005/10/30(日) 10:55:10 ID:???
この間、たまたま警察とその筋の人が揉めてる所を通りがかったわけだが
その筋の人って凄い野太い大音声だね。いや、一般人は声だけですくんじゃうよ。
705名無し三等兵:2005/10/30(日) 10:58:18 ID:???
>>704
それがどうした。
706名無し三等兵:2005/10/30(日) 17:54:07 ID:IrutKR/C
>>691
柘植先生自身が甲高い声だからじゃねぇ?
テレビで声聞いたときは驚いた。
707名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:02:58 ID:???
信長が朝鮮に来ても朝鮮義兵によってボコボコにされ泣いて日本に逃げ帰って行くだけだけがねプゲラ
708名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:05:17 ID:???
戦場で指揮する場合は命令を発声する前にヘリウムを吸うと良いのか
709名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:10:03 ID:???
信長が「優柔不断」ってのは、ある程度言えてる。
「寛容」と言うべきかもしれんがな。
敵対者の命をとらないという点で、ある意味、甘い男ではある。

造反家臣の柴田や林も重用し続けたし、美濃の斉藤氏も助命
しているし、松永や荒木も許そうとしている。
佐久間や林を追放したときも、命まではとっていない。
710名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:12:00 ID:???
権力基盤が弱かっただけじゃないの
711名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:24:24 ID:???
秀吉の「朝鮮征伐」が失敗した要因は、「朝鮮人に対する無知」に
あると思う。農奴制華やかなりし半島では、貨幣経済を重視する
豊臣政権の支配は難しい。支配しても旨みが無い。

もし、どうしても朝鮮を征服する必要があるのなら、村落の自治を
許容する間接支配的なやり方ではなくて、徹底的な民族浄化と本国
からの移民、生き残った連中も奴隷化するくらいの苛酷さがないとね。
712名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:28:07 ID:???
>>710
相対的に強い方じゃないか?<信長の権力基盤
武田氏なんかでも、半分自立した小山田氏のような豪族を
ゴロゴロ抱えているし。

商業主義的な尾張の風土と信長個人のカラーだと思う。
713名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:32:51 ID:???
あとは、寒冷地装備の欠如かねぇ。
これは弁解の余地が無いかもしれん。
714名無し三等兵:2005/10/30(日) 18:34:17 ID:???
>>707
朝鮮の住民は最初は日本軍をむしろ解放軍として迎えた。
その後がまずかった
>>709
荒木村重のように皆殺しにしたり残酷な時は残酷だけど
715名無し三等兵:2005/10/30(日) 19:07:56 ID:???
ぶっちゃけアレクサンドロスやカエサルと比べればただの小物だろ<信長・秀吉・家康
716名無し三等兵:2005/10/30(日) 19:50:23 ID:IrutKR/C
それを言い出せば白人から見ればみんな辺境の酋長だろ。
米国人の何割が日本の首相の名前を知っているか疑問。
717名無し三等兵:2005/10/30(日) 20:42:51 ID:???
日本軍は強い事は強かったのよ。陸上ではほとんど負けていない。
特に水軍と補給に問題があった。
海路兵糧を漢城に運ぶ事が可能なら漢城から撤退する必要はない。
略奪する必要もない。
朝鮮に来た明軍は秀吉本隊が渡海して撃破してただろう。
718名無し三等兵:2005/10/30(日) 20:57:50 ID:???
大砲が皆無とはいえ、鳥銃の優秀さと装備数により
総合的な火力は日本軍が明・朝鮮に勝っていたんだろう
兵站と水軍、あとは占領政策に問題がある。
第二次大戦もそうだが、占領地での軍政が不器用だ。
719名無し三等兵:2005/10/30(日) 22:43:34 ID:???
>大砲が皆無
皆無ではない。
720名無し三等兵:2005/10/31(月) 12:39:38 ID:???
釜山から武器弾薬兵糧は各自運べ、となると行動範囲はかなり限定される事になる。
大軍を駐留、侵攻させるには船の輸送路を確保しないと無理。
せいぜい慶長の役位。
721名無し三等兵:2005/10/31(月) 15:49:31 ID:???
武功夜話が偽書というのは一部だけを見ての針小棒大。
朝鮮の役の話などただの偽書では書けそうもない記述がある。
役からそう年月の離れていない時代に書かれた貴重な史料。
この書物の歴史的価値は高い。
一部の連中が貶しているだけ。
722名無し三等兵:2005/10/31(月) 15:52:11 ID:???
>>721
当時存在しなかった表現が沢山使われてるのはどう説明するの?(ニタニタ)
723名無し三等兵:2005/10/31(月) 16:24:10 ID:???
無学な>>722には縁の無い書籍だろうけど、
中国史を語るときに史記はよく活用されるし、日本史でも日本書紀などを活用する。

何も全ての文献を製作の際、その時そこにいなければならない訳じゃない。
724名無し三等兵:2005/10/31(月) 17:59:39 ID:???
>>721
で、どんな記述がある。
725名無し三等兵:2005/10/31(月) 18:00:16 ID:???
おいおい、>722が言っているのは、書かれたハズの年代以降の表現って事だろ。
記紀以前の文書に、闘魂とか、洗脳とか、民活とかある様な。
726名無し三等兵:2005/10/31(月) 18:04:13 ID:???
武功夜話の朝鮮役の記述を元にレスしてる奴はいない。
727名無し三等兵:2005/10/31(月) 22:49:14 ID:???
これか

偽書『武功夜話』の研究
藤本 正行・鈴木 真哉 著

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896916263/249-8931309-9919536
728名無し三等兵:2005/10/31(月) 23:47:42 ID:???
武功夜話の朝鮮役記述は文禄の役だけ。
慶長の役に関しての頃のものは紛失(存在しない)

たとえば朝鮮側の言う「幸州山城」合戦については、
「川下の戦い」というふうに書かれていたはず。
こういう名称は他のどんな文献にもないはず(あったら教えて欲しい)
「幸州山城」なんてのは朝鮮側の呼称だけが現在も広く使われている。
そのような日本側にとって「存在しなかった」呼称のイベントについて
この本が明記しているということは、単なる「偽書」ではなく、
一級の史料である証拠。
専門家でないので誤謬があったら指摘して欲しい。
729名無し三等兵:2005/11/01(火) 00:02:19 ID:???
>>728
安西軍策に河下城攻之事として幸州山城攻撃の事が書いてあります。
730名無し三等兵:2005/11/01(火) 10:21:46 ID:???
鈴木真哉かw
731名無し三等兵:2005/11/01(火) 11:55:41 ID:???
>>729
有難うございます。そうですか。
毛利家家臣、下瀬頼直の陣中日記にも書かれているそうですが、
この「武功夜話」が偽書なら、それらを見て書いたということなのでしょうかね。
文脈から証明できるものなんでしょうか。
どうも不自然な気がしてならないし、
逆にそうだとしたらこの筆者に高い学問性を感じてしまいます。
732名無し三等兵:2005/11/01(火) 16:47:50 ID:???
>>731
武功夜話を持ってないので、偽書かどうかなんて僕は知りませんw

陣中日記の幸州山城攻めの記述は吉見元頼中心の記述で
安西軍策は吉川廣家中心と言えるかな。
だから武功夜話とは全然違うんじゃないかと思います。
比較すると面白そうですね。

例えば陣中日記では一番小西摂津守殿、二番三奉行衆、三段黒田殿、四段備前宰相殿、五段吉川(廣家)殿、
六段(毛利)元康(吉見)元頼様一手衆(小早川)秀包御一手、何れも寄手の衆、七番は隆景衆。

安西軍策では一番加藤遠江守同子息左近前野但馬守、二番小西摂津守、
三番三奉行、四番宇喜多秀家、五番中國勢、となってたりします。
733名無し三等兵:2005/11/01(火) 17:45:52 ID:???
陰徳記、陰徳太平記にも河下之城攻事、朝鮮ノ都河下ノ城攻ノ事がある。
内容は安西軍策と同様。
参考にしたならそうなるでしょうね。
734名無し三等兵:2005/11/01(火) 18:40:05 ID:???
陣中日記、というか朝鮮渡海日記に川下、河下というのは見当たりません。
735名無し三等兵:2005/11/01(火) 23:21:43 ID:IDcMslGe
>722
同様の難点が信長公記にあるのはなぜだ?(ry
ああ、あれも偽書ですかw
736名無し三等兵:2005/11/01(火) 23:52:43 ID:???
信長公記は側近が書いたものだから信憑性がある
ま、主君だけに信長びいきはあるだろうが
737名無し三等兵:2005/11/02(水) 00:02:09 ID:???
信憑性っつても其処かしこに辻褄が合わない点や奇怪な点がゴロゴロw
738名無し三等兵:2005/11/02(水) 17:14:36 ID:???
吉田物語では幸州山城攻撃は安南府城責之事となってます。
内容は安西軍策と同様です。
文の最後に此安南府を日本勢は河下の城共(蘆?)原の城とも申候也、と書いてます。
739名無し三等兵:2005/11/02(水) 19:21:36 ID:???
武功夜話には、
手追い討ち死に四千余人、打ち取る首級四千余。
本役にて最も厳しき取り合いなり。

とか書いてますよね。

こういうのは偽書で書けますかね?
このあたりは当時に近い人の伝聞、
つまり貴重な証言というニュアンスがしてならないのですが。

これだけ見ても、あの本を「偽書」と決めつけるのは非常に危険な感じがします。
740名無し三等兵:2005/11/02(水) 19:53:39 ID:???
>>739
ホロコーストが捏造だと言う事から見てもどんな事でもその気になれば捏造出来る。
741名無し三等兵:2005/11/02(水) 21:15:50 ID:???
>>739
かなりの死傷者だな。
742名無し三等兵:2005/11/03(木) 01:11:46 ID:???
>>739
武功夜話の川下の戦いの日本勢の編成、参加武将を教えて下さい。
743名無し三等兵:2005/11/03(木) 08:11:57 ID:???
>>742
書いてなかったのじゃないかな。
書いてあったとしても覚えていません。
744名無し三等兵:2005/11/03(木) 17:25:51 ID:???
>>740
なんだこいつwwwwwwwwwwww
きちがいかwwwwwwwwwwww
745名無し三等兵:2005/11/03(木) 17:35:08 ID:???
>>743
そうですか…。朝鮮渡海日記の幸州山城攻撃の一番、二番…(>>732)の中には
前野但馬守は見えないのですが、負傷者の中には名前が出てきます。

宇喜多殿、吉川殿、石田殿、前野但馬(長康)殿
是如の大名達さへ手を負れ候間下々の手負い死人は幾許限りなし、

それで聞いてみました。
参謀本部編日本戦史朝鮮役では三奉行とともに第二隊にいます。
746名無し三等兵:2005/11/03(木) 17:52:46 ID:???
>>744
なぜガス室に木製の蓋があるのか説明して貰おうか?
747名無し三等兵:2005/11/03(木) 18:20:51 ID:???
安西軍策では>>732にも書いてますが前野但馬守(長康)は加藤遠江守(光泰)と共に一番隊にいます。
安西軍策では「河下」城攻之事という呼称が使われています。
朝鮮渡海日記には川下、河下という言葉はありませんが、前野但馬が負傷したとある。
前野但馬守は直接幸州山城攻めに加わっていたんでしょう。

よく知りませんが、武功夜話は前野文書が元だとか。
だからどう書いてあるか興味あります。
買うべきか…。
748名無し三等兵:2005/11/03(木) 20:04:18 ID:???
現在ではアウシュビッツで、ガスでの殺害は無かったとの見解じゃないかな?
公式発表の虐殺人数も37万人だかまでに減ってるとか。
749名無し三等兵:2005/11/03(木) 20:25:41 ID:???
>>748
ソース出せ。
750名無し三等兵:2005/11/03(木) 20:57:03 ID:???
そもそも600万という数字自体がヒムラーの報告書に挙げられた根拠のない数字だったわけだが。
751名無し三等兵:2005/11/04(金) 03:47:33 ID:???
スレ違い。
752名無し三等兵:2005/11/04(金) 07:24:36 ID:???
753名無し三等兵:2005/11/04(金) 13:51:23 ID:???
<簡易版ホロコーストまとめ>
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
・ニュルンベルク裁判においてドイツ側の被告全員が、ユダヤ人絶滅政策の存在を完全に否定している。
・死因がガス死である死体が一体も確認されていないことは肯定論者も認めている。
・証拠となる文書がただの一枚も発見できていないことは肯定論者も認めている。
・「肯定派の最高権威」ヒルバーグ氏は、「ユダヤ絶滅の文書、計画、命令、予算、部署は無かった」と結論している
・「ガス処刑」の一部始終を目撃したとされる証人はわずか6名しかいない。
・その証言さえ事実との整合性が全く無い。肯定論者にとってさえ、証言の信憑性は失われつつある。
・アウシュヴィッツの焼却炉は合計16万体の死体を処理するだけの耐久力しかない。そして焼却炉を修復した記録は無い。
・1991年に公表された公式文書によればアウシュヴィッツの囚人の死者は合計13万人。死因はチフスや自然死。
・記録によると搬入された石炭の量は自然死した死者数と合致している。すなわち、ガス処刑された大量の死体を焼却するだけの石炭は無い。
・収容所が赤十字を受け入れたのは「ガス殺が始まったとされる時期」より後である。そして、赤十字は虐殺を確認していない。
・以上のような物理的、技術的な問題により、肯定論者が主張するアウシュヴィッツの犠牲者の数は400万→150万→100万→63万→36万人…と、どんどん減少しつつある。
・赤十字の報告書には1943年から1944年の間ですら、重労働者は最低でも一日に2750カロリーを摂取していたと記されている。 そして国際赤十字委員会は、連合軍が無差別爆撃で援助物資を届けることを妨害していることに不満を訴えていた。
・SSがユダヤ人を虐待することは犯罪だった。アウシュヴィッツ収容所では親衛隊員すべてが「私はいかなる囚人も傷つけたり殺害することを許されない」という内容の宣誓書に署名させられた。

600万人焼却するのにどれくらいの重油が必要かしっているのか?
当時のドイツの備蓄量からして「絶対に」無理。
信じてる人はナイーブすぎるよ。
754名無し三等兵:2005/11/04(金) 14:25:01 ID:???
>>どれくらいの重油が必要かしっているのか?
人間燃やすのに重油が必要だったのか。
755名無し三等兵:2005/11/04(金) 14:26:35 ID:???
756名無し三等兵:2005/11/04(金) 14:32:55 ID:???
>>748
>>749
>>750
>>753
>>754
スレ違いと言うコンセプトが理解出来るか?
とっとと消えろ。
757名無し三等兵:2005/11/04(金) 14:55:01 ID:???
>>756
ホロコーストに関する妄想があるから訂正しただけだが?
お前が軍ヲタならドイツが不当に貶められるのを見て嫌にならないのか?
758名無し三等兵:2005/11/04(金) 15:10:00 ID:???
武功夜話の中でも五宗記から引用された部分は信用できそうだ
759名無し三等兵:2005/11/04(金) 16:17:47 ID:???
>>758
Wikiにそうあったな
760名無し三等兵:2005/11/04(金) 19:17:46 ID:???
>>757
十分に解ったから755に戻って存分に語って来い。
761名無し三等兵:2005/11/04(金) 20:37:36 ID:???
蒙古襲来どころかWWUの話題まで・・・
ずいぶんと間口が広いスレだな、ためになるw
762名無し三等兵:2005/11/05(土) 20:11:50 ID:???
そんで幸州山城攻めだが
763名無し三等兵:2005/11/05(土) 20:48:03 ID:???
韓国側は大勝利といっているが、
本当に「勝利」なの?
764名無し三等兵:2005/11/06(日) 00:46:37 ID:???
>>763
勝手に言わせておけばよろしい。埒外。
765名無し三等兵:2005/11/06(日) 20:02:43 ID:???
ハーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーィル
766名無し三等兵:2005/11/06(日) 20:32:23 ID:???
ブァカ者がァアアアア。
ナチスの科学は世界一イイイイ!!!
サンタナのパワーを基準にイイイイイイイ
アウシュビッツの焼却炉は作られておるのだアアアア!!!
767名無し三等兵:2005/11/06(日) 22:04:26 ID:???
>>765=766
あなたが軍板に常駐する打通と同類なのは分かります。
768名無し三等兵:2005/11/07(月) 16:12:11 ID:???
朝鮮渡海日記では幸州山城を攻撃した日本勢の人数は三万余。その備えは>>732
日本戦史では、渡海日記の備えに前野長康を二番に加えています。
(他は渡海日記と同じ。人数も三万余人)
参考に日本戦史で碧蹄館の日本勢の備えを見ると

第一隊 兵約三千人 立花統虎(2500)、高橋統増(800)
第二隊 兵約八千人 小早川隆景(10000)
第三隊 兵約五千人 小早川秀包(1500)、毛利元康(吉見元頼)(?)、筑紫廣門(900)等
第四隊 兵約四千人 吉川廣家(5000)
合計約二萬人。以上先鋒、小早川隆景が統率。

第五隊 兵約五千人 黒田長政(5000)
第六隊 兵約五千人 石田三成(2000)、増田長盛(1000)、大谷吉継(1200)
第七隊 兵約三千人 加藤光康(1000)、前野長康(2000)
第八隊 兵約八千人 宇喜多秀家(10000)
合計約二万一千人。以上本隊、宇喜多秀家が統率。(三奉行かもしれない)
小西行長、大友吉統等は京城。 ()内の数字は渡海時の人数。
769名無し三等兵:2005/11/07(月) 16:58:25 ID:???
文禄二年三月二十日に三奉行が兵数を点検した時の人数を参考に見ると

小西行長等 6629人
加藤清正 5492人
鍋島直茂 7644人
黒田長政 5269人
大友吉統 2052人
毛利吉成 1425人
高橋元種 288人
秋月種長 252人
伊東祐兵 597人
島津忠豊 293人
小早川隆景、秀包、吉川廣家等 9552人
立花統虎、高橋統増 1132人
筑紫廣門 327人
宇喜多秀家 5352人
加藤光泰 1400人
前野長康 717人
大谷吉継 1505人
増田長盛 1629人
石田三成 1546人
合計53101人

安西軍策では吉川廣家の兵が五千で、手負い死人が三百六十余人とあります。
試しに5000の360で計算すると7.2%。4000の360で計算すると9%になります。
日本戦史では廣家隊の損害は百六十余となっています。
770名無し三等兵:2005/11/07(月) 17:31:32 ID:???
日本戦史の補傳で紹介されていない部分の朝鮮渡海日記の
幸州山城攻撃の記事が興味深いのですが、最後にはこうあります。

…川船数百艘(朝鮮軍)計り帆を懸なから押寄る間
もし後ろ巻や有んとて御評定にて日の入に都の?へ打入られ候
其時をくり付候て彌死人多くあるへき事なれとも
唐人討さる故に無相違都の如く御うち入候中間に手負衆引(兼?)候
而道端に歴々居候事限りもなし浅手の者も足なとに手負候者は其儘路次端にて終り候
ヶ程の大合戦は例し少なし
771名無し三等兵:2005/11/07(月) 20:21:03 ID:???
見切りが早すぎたんだな
772名無し三等兵:2005/11/09(水) 15:01:50 ID:???
今週の週間ビジュアル日本の合戦のマンガは何とかならんのか。
「文禄二年(一五九三)四月 名護屋城から石田三成 増田長盛 大谷吉継が検使として漢城に到着」
ってアンタ。三成等が名護屋から派遣(六月)されて漢城に入ったのは
その前年の天正二十年(一五九二)七月だっつうの。
773名無し三等兵:2005/11/09(水) 15:03:18 ID:HX16vIGg
戦闘損失が一番激しかった戦いはなんだろ?
平壌撤退戦かな?
774名無し三等兵:2005/11/10(木) 05:19:25 ID:DUOddAYB
>>772
ちょっと、意味がよく分からないので詳しい解説キボン。

>>773
いろいろ、深く思うに日本軍が最大の戦闘損失を蒙った戦いは、
1.平壌
2.ウルサン
3.幸州山城攻め
4.晋州城攻め
5.閑山島海戦

というところではないかな。あくまで想像だけれども。
775名無し三等兵:2005/11/10(木) 05:20:53 ID:DUOddAYB
ごめん。
>>774
ヘキテイカンが3〜あたりに入ると思う。
776名無し三等兵:2005/11/10(木) 11:15:49 ID:iiYJN9Zv
泗川でも
つか順天倭橋もでないか
777名無し三等兵:2005/11/10(木) 13:31:31 ID:DUOddAYB
>順天倭橋????
778名無し三等兵:2005/11/10(木) 19:15:17 ID:???
>>774
>>772の何がちょっと意味が分からないのかよくわからない。

>>777
順天城を朝鮮側は倭橋城というから>>776はそう書いているのでは?
779名無し三等兵:2005/11/10(木) 22:02:48 ID:???
>>778
俺は即座に理解できた。普通にわかる文だ
780名無し三等兵:2005/11/11(金) 01:48:44 ID:???
流れに逆らうようですが、もう少し幸州山城攻撃について。
朝鮮渡海日記の幸州山城攻撃はおよそ次のような感じです。

(文禄二年二月)十二日。都(漢城)より三里西の大海(河)の上
高麗人が新城郭を構えた所に>>732が責め懸かった。
早朝から日の入まで責めたが、(敵が)石火矢、つぶて、矢を射る事はは雨の降るようだった。
味方の軍兵三万余は時の声を上げ、面も振らず無二攻めかかった。
備前宰相殿内衆戸川肥州(達安)一手、吉川(廣家)一手、(毛利)元康
一手が二重まで責入り切り取ったが、これに続く軍勢がいなかった。
元頼の家来は四十人手を負い、元頼の御具足にも矢が当たった。
以下>>745>>770

幸州山城については、廻りには石垣さかも木をし廻し、一方は大河、一方は田沼、
一方はたき山、一方は少(し)足立克(能き)候間、段を作り責めかかり候…とあります。
781名無し三等兵:2005/11/11(金) 23:57:44 ID:???
安西軍策の河下(幸州山)城攻撃はおよそ次のような感じです。

都の三里河下に兵糧の倉がある。その河向かいの山に敵が城を構えて二三万楯籠
り往来を妨げた。三奉行が是を聞き、責め落とす事になったが、江陽(碧蹄館)で
手柄を立てた人達は後陣とした。

>>732に備を定めて敵城に押し寄せたが、人影が見あたらないので、すでに敵は
落ちたと心得、吾先にと柵際に付いた時、城から大石や半弓で攻撃してきた。
矢に当たって死ぬ者や、石に打たれて谷底に落ちる者が出て、先手の加藤遠江守
は攻めあぐみ少し退いたが、後から引くな退なと押し寄せたので取って返した。
四、五番の備は懸かろうとするも、懸かり得なかった。
782名無し三等兵:2005/11/12(土) 00:37:42 ID:???
吉川廣家は中国勢の備に居たが、城の右手のやや低い三の丸に狙いを定め、五千
騎を連れて右手に廻った。沼田を踏分けて押上がり、柵逆茂木を切破って乗り入
れようと攻撃した。城内から隙間なく半弓を射かけて来たが、甲を傾けて三の丸
に攻上がると、敵は二の丸に退いた。

二の丸に押し入ろうと柵に近づくと敵は雨のように筒箭を射掛けてきたので、三
の丸に退いた。廣家自ら采配を取り、二の丸攻撃を下知して再び城際に付いた時、
廣家の額に筒箭が当たった。諸軍士は動揺したが、廣家は二の丸攻撃続行を下知
した。まず百人が石垣を登って推入り、三百人が後に続いて攻撃した。

三奉行は是を見て、「大手の軍も引き候早引取給へ」と下知したので、廣家も引
き退き、三の丸をでると、諸勢は早くも山下まで引取っていた。
783名無し三等兵:2005/11/12(土) 01:25:56 ID:???
二の丸では、廣家先手の吉川勘左衛門がまだ残って戦っていた。諸人大将も引取
ったので引取れと云ったが、大将の下知なく引く法が有るか、と猶も堪えていた。
廣家がこれを聞き、引取れと下知して引取ったので、勘左衛門は殿をして引退いた。

二の丸乗入時、松岡、祖式、二宮、森脇が頸を取った。この日の分捕りは諸手共
に彼等しかいない。廣家隊の手負死人は三百六十余人だった。

諸勢が麓に引く所に、宇喜多中納言・久留米の秀包・吉川廣家より三奉行に使い
を立て、「今日當城を乗崩へし」と云ったが、「諸卒も疲れ候に明日の事たるへし」
と早奉行は引き取ったので皆力無く打入った。
かくして敵は此夜半に城を明けて落ちて行った。

この後「諸将連判之事」で三奉行に対する不満が…。
日本への注進とか、若侍衆が奉行の機嫌を窺うとか、河下の合戦も各に被任は隆
景の批判の如落城疑有まし、などなど揉めてます。

朝鮮渡海日記と河下城攻之事を合わせて読むと、補完出来る部分があるような…。
784名無し三等兵:2005/11/12(土) 02:29:07 ID:k5sS5hKX
何か、統制の取れていない戦いのような気がしますね。

そのとおりに読むと、三奉行は兵糧倉の確保を戦略目標とし、
山城に対して牽制的攻勢をかけるという視点があり、
毛利配下のツワモノ共は城を攻め落とす手柄功名心に燃え立っている。
戦いは困難ではあったが、統制のなさから敵殲滅に到らなかったことと、
攻撃の失敗を司令部の指揮に負わせようという実戦部隊の言い訳というか、
苛立ち紛れの不満のようなものが伝わってきますが、どうなんでしょう。

いかにも封建武士団の戦争という感じがします。
785名無し三等兵:2005/11/12(土) 02:31:25 ID:???
最初の頃はゲロ便やマンセーやウンコーが糞スレ認定していたけど
良スレになったな。
786名無し三等兵:2005/11/15(火) 00:33:26 ID:???
明軍は強かったんだ〜!
絶対強かったんだ〜!だから無理!
って妄想だけで、否定や反論はまいるわな
朝鮮出兵あたりの話になると必ずそういうのがわくんだよなぁ
理由はわかるけどw
787名無し三等兵:2005/11/15(火) 01:26:00 ID:???
>>784
>いかにも封建武士団の戦争という感じがします。
全くそうですね。統制取れてません。
揉めた結果、文禄二年二月廿七日の連署状を書く事に。

しかし吉川廣家は慶長六年の関ヶ原に関する自筆
覚書案の中で奉行衆についてこう書いています。

…朝鮮巳來属彼御手ニ候下々批判をも承候、…

また、慶長十九年の吉川廣家覚書 對石治少(三成)我等
所存之事で、京城河下の戦いについてはこう書いています。

一 高麗都河下ニ、彼國之者共、一城取付在之(処)ニ、備前中納言殿、三奉行衆、
前但馬、加遠江、小摂津守其外被相動候、二之丸乗崩候刻、我等被(傷)候、手之
者共頸五ツ討取候、本丸者?こひ能御座候て持居候、左候(処)ニ、大刑少被罷越、
我等者共可引取旨被致下知、被引取候事
788名無し三等兵:2005/11/15(火) 02:56:37 ID:2HdOLNgZ
どういうことなんでしょうか?

いくつも推測されるところなんですが、
これは、
関が原の合戦以後、毛利が自らの正当性を主張するために
三成への讒言を間接的(直接的?)に申し立てた側面を
この史料の中で重視すべきなのか、
それとも、
>本丸者?こひ能御座候て持居候、左候(処)ニ、大刑少被罷越、
>我等者共可引取旨被致下知、被引取候事
この部分なんですが、
幸州山城の本丸に篭っていた朝鮮義兵が、
「?こひ能御座候て持居候、」
これは、降伏を乞うという意味なんですか?
と言った事実の問題。

この辺を解説(解題)していただければ幸いです。
789少佐:2005/11/15(火) 03:15:19 ID:8UaX6fIj
朝鮮の百姓軍団が夜襲飽和攻撃を仕掛けてきたら、機関銃も何も無かった
当時ではかなりキツかったんじゃないか?
おそらく朝鮮の百姓軍団も投石や弓矢も使ったのだろうしね。
790少佐:2005/11/15(火) 03:18:10 ID:8UaX6fIj
朝鮮の弓は日本と違って半弓だが、こりゃ威力には欠けるものの
連射性には優れてるし、誰でも大した練習無しにすぐ撃てる。
日本の武士が使用した戦闘用の大弓は適性や練習が無いと威力はある
ものの使いこなせない武器だからね。
791少佐:2005/11/15(火) 03:20:43 ID:8UaX6fIj
また朝鮮の百姓軍団が使用した刀は中国の青龍刀みたいなものだと
思うが、これもただぶん回すだけの武器で誰でもすぐ使える。
792名無し三等兵:2005/11/15(火) 05:06:11 ID:iphXGXGf
接近戦では韓国側による投石もだいぶ効果あったようだ
石運びには女性もエプロンみたいな衣服を使って積極的に参加していた
793名無し三等兵:2005/11/15(火) 06:12:01 ID:???
>>792

見たのか?
794名無し三等兵:2005/11/15(火) 19:49:20 ID:???
>>790-791
憶測はいいから
795名無し三等兵:2005/11/16(水) 10:51:12 ID:???
>>788
>これは、降伏を乞うという意味なんですか?
失礼しました。ちょっと読み方に自信がなかったもので…。
?は「か」です。
本丸者かこひ(囲ひ)能御座候て…ですね。

對石治少我等所存之事は吉川廣家が不満だった事を書いてます。
その中の一つに幸州山城攻撃の一件も。
しかし三成と廣家では立場が違いますからね。>>784な感じです。

幸州山城攻撃について、増田長盛・大谷吉継・石田三成・加藤光泰・
前野長康・黒田長政・小西行長・小早川隆景が連署した報告を見ると

一 都より三里計西、都川(漢江)之末、河端の山(幸州山)に一城相拵、當國之者共、
島々方々より二萬計取上、大明勢之兵(糧)よせ候由申候間、大明人数不罷出以
前追(払)度存、去十二日各打出、先取詰外構之丸に、即時乗崩丸土居柵に付、面
々有之内、諸手より鐵砲にて、城中之者数十人うたせ申候間、二の丸え責入、数
百人切捨、本城土居付而相戦申候へは、少少手負出來候間、先々山半分程くつろ
け申候、夜責にも可仕かと各存候つれとも、此方自然可然者なとも手負候へは、
如何と存、打入候(処)、昨日十七日に、彼城自焼を仕候而、逃退申候事
とあります。
796名無し三等兵:2005/11/16(水) 21:32:01 ID:e/QHopNi
それにしても、よくわからない戦いですね。

結局朝鮮側は城を捨てて逃げ去った。
なのに「三大勝利」の一つに挙げている。
これは「よく敵(日本側)に損害を与えた」というわけなのでしょう。

日本側の狙いはなんだったのでしょう。
ソウル近傍に拠点を設けられては虫の居所が悪い、
近辺の兵糧庫への道筋が不穏である、
というのが理由だったのでしょうが、
果たして被害多くしてまでの力攻めに価値はあったのか。

疑問
力攻めは事実。しかし本当に大きな損害を出したのか?
例の武功夜話には鍋島かどこかが「敵の兵糧倉を奪った」戦功のような
記録があったような気がします。
食糧分捕り合戦ではなかったのか。

本丸を取り囲み、日本側は撤退、
直後に朝鮮側も撤退。

何なのでしょうか?w
797名無し三等兵:2005/11/17(木) 01:46:31 ID:???
朝鮮側の史料で幸州山城戦闘を見るとこうです。

(宣祖二十六年二月)十二日(この月日明同歴) 全羅巡察使権慄 大破賊兵?幸州山城
時西北之賊 皆聚京城 勢益?大 聞湖南兵渡江居要 思欲?殺 分道而出 其数不可計
是日黎明 候卒報警 慄令軍?惑 使人探望 則去城五里 賊兵彌漫 浩浩蕩蕩 勢若風火
慄興諸軍謀曰 懸戦深入 奄遭賊鋒 勢不相敵 何以制勝 若不一死 無以報國 且以一心同死
勉諭諸将 厳整部伍 持満以待 則賊己迫? 前鋒百(余)騎 先到耀兵 俄而大兵乗之
勢不可測 分運(為)三 出入送戦 喊殺連天 鐵丸如雹 我軍殊死血戦 矢石雨下 慄親持食?
奔救飢渇 自卯至酉 賊兵三進三退 乃持枯葦 因風縦火 延?塞柵 城中以水救之
賊衆一時大(叫?) 突進外城 僧兵(守将釈処英?)潰入内城 一陣披靡 慄抜剣叱諸将
諸将争逆戦 賊兵大(?「血刃」) 遂聚焚其屍而走 (収?)斬之数 百三十(余)級
旗幟鎧甲刀槍 所棄無数

方戦之時 弓矢幾? 陣中危悶 (忠清道水使)丁傑以二船弓矢 従海面入城 以之継用

時(提督)李如松軍開城 先鋒将(副総兵)査大受等 聞幸州大捷 翌日遣其?下
來(視)戦(処) 又数日要慄相見 慄整陣而迎 大受至而見之 歎曰 外國有如此眞将也

趙慶男撰 乱中雑録

日本側と一致する部分もあると思います。
798名無し三等兵:2005/11/17(木) 15:33:47 ID:???
朝鮮語は読めない。
799名無し三等兵:2005/11/17(木) 17:16:09 ID:???
漢文を朝鮮語とは呼ばない。
800名無し三等兵:2005/11/17(木) 17:31:48 ID:???
excite翻訳中→日繁体字で読むと暗号になる。
801名無し三等兵:2005/11/17(木) 20:25:20 ID:Q9wj22w+
>時(提督)李如松軍開城 先鋒将(副総兵)査大受等 聞幸州大捷 翌日遣其?下
>來(視)戦(処) 又数日要慄相見 慄整陣而迎 大受至而見之 歎曰 外國有如此眞将也

これは
ときに李如松軍は開城にあり、先鋒の将(副総兵)査大受等は幸州大捷を聞き、
翌日に配下のものを使わした。戦場を視察し、数日後には権慄と会見した。
権慄は陣を整えて大受を迎え、これを見た大受は、感激して、
「明国以外にこれほどの真の武将はいない」
と褒め称えた。

という話なのでしょうか。

12日に決戦があり、
本丸まで取り囲んだ日本軍は撤退した。
ここまでが共通点。

その翌日以後、上記のような戦勝報告があった。
これが、
>>797
の文書の主旨。

それから直後の17日、朝鮮(明)は城を焼き払って逃げた。
これが日本側の
>>795
の記録、というわけですね。

何で城を放棄したのか。

どっちが勝ったのか負けたのか言うよりも、
お互い主張を通し終えるための流血惨事という感じですが。
802名無し三等兵:2005/11/18(金) 00:55:57 ID:???
結局明軍も日本軍に戦闘で勝ったのは平壌だけ。
しかし水軍と補給に問題がある日本軍は勢力を伸ばせない。
803名無し三等兵:2005/11/18(金) 11:25:39 ID:???
水軍でさ、釜山じゃなくて元山とかに直接乗り付けるわけにはいかなかったの?
804名無し三等兵:2005/11/18(金) 16:32:19 ID:???
…何故日本側が城から撤退したか。

>>795 >>745 >>770
805名無し三等兵:2005/11/18(金) 22:32:53 ID:???
>>804
で、朝鮮側が城を焼いて逃げた理由は?
806名無し三等兵:2005/11/19(土) 08:21:02 ID:???
次の攻撃に耐えられない(と判断した)から
807名無し三等兵:2005/11/20(日) 00:04:29 ID:???
碧蹄館で戦意喪失した明軍には南下して日本軍と戦う意志がない。
京城に撤退した日本軍が再び幸州山城を攻撃するとの風聞を聞いた。

よって城を放棄して味方と合流し、開城の明軍と対峙する京城の日本軍の後方を牽制した。
808名無し三等兵:2005/11/20(日) 16:39:37 ID:/1gz18vj
明軍は幸州山城の防衛に不同意だったからね。
809名無し三等兵:2005/11/20(日) 17:10:15 ID:???
チョン公弱すぎ。
どんどん殺していいよ、どうせゴキブリだから。
810名無し三等兵:2005/11/20(日) 18:08:17 ID:???
>>807は一部大嘘なんだけど誰も突っ込んでくれない。
811名無し三等兵:2005/11/20(日) 19:10:39 ID:???
明軍の戦意喪失ってのも朝鮮側のプロバガンダが産んだ俗説だよな。
全体でもないし個々に見ないとね。
812名無し三等兵:2005/11/21(月) 05:26:47 ID:???
>>811
詳しく。
813名無し三等兵:2005/11/21(月) 07:02:11 ID:zweZJS1o
李如松の他に戦意喪失した司令官は誰?
祖承訓は小物だし、援軍が来てからはちゃんと働いている。
大敗直後は戦意喪失するのは当たり前で、不戦が知れれば政権から粛正される場合があるんだから状況によるよな。
814名無し三等兵:2005/11/21(月) 08:21:48 ID:???
そんだったら朝鮮武将のが戦意喪失して役立たずであったという論理も成立するんだよね。
815名無し三等兵:2005/11/21(月) 23:05:00 ID:???
このスレは嘘を嘘と見抜けないスレです。
816名無し三等兵:2005/11/22(火) 00:51:18 ID:???
>>815
詳しく!
817名無し三等兵:2005/11/26(土) 08:02:35 ID:???
韓国じゃ明軍は役立たずで足を引っ張っただけと評価されているらしい。
818名無し三等兵:2005/11/28(月) 14:46:05 ID:???
反省しないから征服される。
819名無し三等兵:2005/11/30(水) 11:34:38 ID:6eYa73Zd
李瞬臣の亀甲船について聞きたい。
当時の朝鮮・明にもこんな鉄船を造る技術はなかったと思うのだが。
すると鉄砲戦術を伝えたサヤカのような降領倭将のような技術集団がいたのか?
820名無し三等兵:2005/11/30(水) 12:10:59 ID:???
李舜臣の亀甲船は捏造と判明している。実際にはあんな船は使えない。
李舜臣が勝ったというのもチョソの捏造というのがすでに定説。
日本は秀吉の死で撤退したに過ぎない。
シナチョソとの戦いに負けることなどなかった。
821名無し三等兵:2005/11/30(水) 13:26:22 ID:???
亀甲船って日本が侵攻してから建造したの?ああいうのすぐ出来るもの?
822ロボット三等兵:2005/11/30(水) 14:18:35 ID:aRFYRoUM
亀甲船なんて大したものではない、関船など戦闘員を乗せている船とやったら
大石火矢一発で轟沈だよ、非武装の輸送船団を狙ってゲリラ攻撃してただけさ。
823名無し三等兵:2005/11/30(水) 14:29:13 ID:aRFYRoUM
 朝鮮兵は、あまりにも弱いので、実は日本側と内通しているのではないかと
明軍に常に疑われており、明軍は三日月形の陣を張って、その中央の前に朝鮮兵
を配置し後ろから槍で突っついて無理矢理前進させようとしたが、日本軍の突撃に
遭うと必死で左右に逃亡し、取り残された奴は日本軍に殺されるか、明軍に処刑
されたそうだ、ついでに言うと、いまでも中国は朝鮮、韓国を信用していない
商用で欧米人なんかと飯を食ったりするときに、中国人は朝鮮人を呼ばないからね。
824名無し三等兵:2005/11/30(水) 15:12:38 ID:???
>ついでに言うと、いまでも中国は朝鮮、韓国を信用していない

ちなみにどこか信用している国とか?
825名無し三等兵:2005/11/30(水) 15:39:15 ID:???
>>820
>>823
はいはいソース。
826名無し三等兵:2005/12/01(木) 13:31:02 ID:???
亀甲船の強さの秘密を教えてくれ
827名無し三等兵:2005/12/01(木) 18:18:49 ID:???
チンカススレ
828名無し三等兵:2005/12/01(木) 19:21:05 ID:???
そうでもない
829名無し三等兵:2005/12/01(木) 21:31:55 ID:j+aqoBJk
亀甲船なるものが存在したのは事実だろう。
しかし言われる程に有用であったものかは、
厳密には分からない。

日本が水軍不振だったのは、
初期に奇襲攻撃(少数の船を多数で襲われた)のと、
統制の取れない水軍をてんでんばらばらに突進させて負けた(閑山島)こと、
統制された戦闘水軍を編成した後(慶長の役)、
これまた地の利のない場所で奇襲迎撃を受け
先頭の部隊が確固撃破(鳴梁)を受けた例。

あとはそれなりの対策で対峙している。

李舜臣の功績はそのような状況を形成したこと。
830名無し三等兵:2005/12/01(木) 21:32:23 ID:j+aqoBJk
つまり亀甲船は本質的問題ではない。
831名無し三等兵:2005/12/01(木) 21:51:56 ID:???
>>829
日本の水軍の場合、文永の役では、
実戦部隊は負けたりせず被害は少ないのでは?
補給部隊などに脆弱な護衛用の水軍しかまわさなかったのが、
問題だったのでは?
832名無し三等兵:2005/12/02(金) 00:12:31 ID:???
>>831
少しは調べて書けチンカス
833819:2005/12/02(金) 13:32:06 ID:M7WAgBEJ
>820亀甲船は捏造
>829亀甲船は存在した
どっちが本当?
種子島と同時期朝鮮にも鉄砲が伝来したが王室は反乱を恐れ封印したそうだ。
日本人は鉄砲という新技術に触れ元からあった(日本刀)技術を駆使し巨大鉄船を造った。
李瞬臣の戦術も問題だが
(小舟でゲリラ戦か大船で海戦か)
亀甲船が実在したのかどうかまず知りたい。
834名無し三等兵:2005/12/02(金) 14:02:00 ID:???
とりあえずあれだ

息をするように嘘をつくミンジョクの言うことは一つも信用できない

ってのを前提にしないと朝鮮征伐の軍事分析など絶対に無理
835名無し三等兵:2005/12/02(金) 14:12:56 ID:???
亀甲船→亀船

実在はしていたようだね、実態は知らねーがよ。
836819:2005/12/02(金) 14:17:40 ID:M7WAgBEJ
ググったりして調べたら亀甲船は実在するようです。
しかも基本設計は李朝初期からあったそうで(眉唾?
まあ無敵ってわけでもなく結構やられてるみたいです。
837名無し三等兵:2005/12/02(金) 16:58:01 ID:???
韓国の学者らが復元して模型を作ったり
名護屋博物館に陳列されているのは、
李朝の文献から創作したもの。
わずかな図面と文言を基にしている。
李朝初期(14世紀)から基本設計があったというのは知らないのでソースキボン。
日本側の史料にもスケッチ風の絵があるらしく(ただこれが当該船かどうかは不明)、
あのような形をした船があったのは事実かもしれない。
838名無し三等兵:2005/12/02(金) 17:39:45 ID:???
ソースは太宗実録みたいだな。
839名無し三等兵:2005/12/02(金) 17:59:34 ID:???
「亀甲船」自体は後世の捏造だろうが元となる船が無ければそもそも話し自体が出てこない。
840名無し三等兵:2005/12/02(金) 17:59:59 ID:???
亀船が鉄甲船であるという史料は韓国側にはない。
亀船は鉄甲船ではないと韓国の学者が明言している。
841名無し三等兵:2005/12/02(金) 18:38:15 ID:???
上を板で覆い亀甲模様が描かれている。鉄板はなく、刀錐をさしていた。
842名無し三等兵:2005/12/02(金) 18:53:27 ID:???
チンカススレ
843819:2005/12/02(金) 19:06:32 ID:Y5boYaKN
わかんね〜!
844名無し三等兵:2005/12/02(金) 19:17:35 ID:???
チンカス
845名無し三等兵:2005/12/02(金) 21:37:02 ID:???
>>842
がチンカスかチョンカスw
846名無し三等兵:2005/12/03(土) 13:41:09 ID:???
>>801
遅レス失礼。
幸州山城の朝鮮軍は全羅道から北上してきた部隊であり、
単独でソウルを奪還する戦力はなく、
北方の明鮮軍と始めから合流するつもりだったのでしょう。
日本軍としては合流される前に少しでも叩いておこうと考えた。
それゆえに、日本軍は援軍到着を知って攻撃を中止したし、
朝鮮軍は城を放棄して北上した。

要するに幸州山城はそれほどの重要拠点ではなく、
幸州山城の戦いとは、朝鮮軍の一部隊が日本軍の妨害に苦戦しながら
南方戦線から北方戦線に転進しただけ。

そういうことなんじゃないかと。
847名無し三等兵:2005/12/03(土) 14:40:04 ID:fa8YEWwQ
そこは中立宣言地帯の設定範囲内?
848名無し三等兵:2005/12/03(土) 14:47:51 ID:GjBiyUKR
日本でもやろう!

ナポレオンがロシア・オーストリア連合軍を破った
「アウステルリッツの戦い」から200周年の2日、
会戦の舞台となったチェコの地を行進するナポレオン・ファン。
当時と同じ軍服を身に着けた23か国の約4000人が集合=AP
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/MM20051203134348124M0.htm
849名無し三等兵:2005/12/03(土) 19:55:17 ID:h6IUSA3V
まぁ俺の下らない自説に目を通してくれよ。
秀吉はもともと明を征服する気は無かった。半島南部を占領し手痛い被害を受けている明に
「お互いこれ以上戦っても被害が増える一方だから、今の占領地域を日本の領土と認めてくれるならもぉ戦はしません。」
的な講和条件を出す。もともと明は日本軍が自分の国を攻める足掛かりとして半島に攻めて来たと思ってるから
「半島の南半分くらいなら安いもんだ。」
と講和に応ずる。朝鮮はそこで反発するだろうが明がそれを押さえてくれるはず。(希望的観測)
そしたら後は朝鮮の商業、農業、工業、漁業を日本の手で近代化する。
何故そのようなことをしなくてはいけないかというと。秀吉の天下統一により戦国乱世は一応の終結となるわけだが。
それにより戦国約百年の間戦により成り立っていた日本経済が成り立たなくなってしまう。
そこで日本の戦時的経済を平時的経済に移行するために半島南部が必要だったのだ。
刀鍛冶達は戦の道具を作る仕事から朝鮮の荒野を耕す農耕具を作る仕事へ。馬借は戦の輸送の仕事から、朝鮮から日本、日本から朝鮮への内陸部輸送の仕事へ。
という感じに日本の戦後不況の防波堤として、秀吉や石田のインテリ君は考えていたのだと想うんだが…どうすっか??
850名無し三等兵:2005/12/03(土) 20:24:47 ID:???
>>833
>巨大鉄船を造った。

ソースは?当時の文献に記録あるの?
851名無し三等兵:2005/12/03(土) 22:47:11 ID:???
安宅船のことじゃないかな。らしきものが作られてその残骸を利用した構造物は
実際でてた気がするがあったとしても外洋航行にはあまり向かないものだったらしい。
852名無し三等兵:2005/12/03(土) 23:49:59 ID:???
>>850の様に調べもせずソースと言う奴はどうかと思う。
853名無し三等兵:2005/12/04(日) 04:50:42 ID:???
>>846
そうですか。
初めて知りました。
その辺から自然に沸いて出た連中かと思っていただけに意外。

人(軍)を束ねて動かすのは大変なものなんだな。
簡単には沸いて出ない。
854名無し三等兵:2005/12/04(日) 13:24:28 ID:???
>>852の様に調べもせずソースを提示できないDQNはこのスレには必要なし。
855名無し三等兵:2005/12/04(日) 15:15:20 ID:???
>>854
俺がこのスレにどれだけ書き込んだか知ったら笑うよ。
856名無し三等兵:2005/12/04(日) 15:36:33 ID:zfcSSHVy
早く巨大鉄船について語ってよ
857名無し三等兵:2005/12/04(日) 16:08:34 ID:???
>856

つ大和
858名無し三等兵:2005/12/04(日) 16:38:28 ID:???
シーン
859名無し三等兵:2005/12/04(日) 18:46:58 ID:???
>>851
安宅船は鉄船では全く無い。
安宅船を鉄船のように改造も考えられないし構造上できない。
当時の資料からのソースは?
860名無し三等兵:2005/12/04(日) 19:01:43 ID:???
織田氏の新鋭艦は、世界初の装甲船か?
でググれ。
861名無し三等兵:2005/12/06(火) 22:03:55 ID:???
チンカススレ終了
862名無し三等兵:2005/12/08(木) 20:56:53 ID:???
あげときます
863名無し三等兵:2005/12/09(金) 17:55:53 ID:F3Hf9n+O
>安宅船は鉄船では全く無い。

というか船ともいえない。なんちゅうか拠点防衛用の海上要塞みたいなものだと思えばよろし。
浮いてるだけ?
864名無し三等兵:2005/12/09(金) 18:06:08 ID:???
えっ!2cnに大量殺人予告?!!
http://aa5.2ch.net/test/read.cgi/nida/1130995497/
詳細は、ここをクリック↑しる
865名無し三等兵:2005/12/09(金) 22:08:43 ID:???
>>863
誤解してないか?
866名無し三等兵:2005/12/10(土) 04:18:35 ID:???
>>851
>>859
>>863
なんかものすごい勘違いしてるようだが、安宅船は当時の水軍の主力戦闘艦でありごく普通に使われていたものだ。
いわゆる信長の鉄甲船は大安宅船と呼ぶ。
部分的に鉄で補強したとも、単に黒い塗装が鉄張りに見えただけとも言う。
867名無し三等兵:2005/12/10(土) 08:32:55 ID:???
>>866
信長の鉄甲船なんて当時の資料にあるの?
868名無し三等兵:2005/12/10(土) 08:49:40 ID:???
下らん。
869名無し三等兵:2005/12/10(土) 10:46:24 ID:???
>>867
「鉄甲船があった」などと書いていないが?

「信長公記」に幅七間、長さ三十間、櫓百挺立のものと書かれている。
鉄船とは書かれていない。

「多聞院日記」に幅7間、長さ12間〜13間という造船技術上ありえない記述あり、
この資料に唯一「鉄の船」と書かれている。
この資料は興福寺の僧侶が書いた日記だが、ぱっと見た感想を書いただけと思われる。
信憑性が薄い。

>単に黒い塗装が鉄張りに見えただけとも言う。

870名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:46:07 ID:???
>>869
補足しとくと「多聞院日記」の「鉄の船」との記述は書いた本人の実見
ではなく噂話をメモしたもの。
それも「鉄でできた船」というより「鉄のように堅固な船」と解釈した方が
自然。
871名無し三等兵:2005/12/10(土) 16:51:17 ID:???
日本以外でもいいけど、火矢の延焼を防ぐ目的で側面に薄い鉄板を貼った例とかないのかね
872名無し三等兵:2005/12/10(土) 22:10:14 ID:???
「幅7間、長さ12間〜13間」

をこの船の実寸と即断するのは間違い。
「伝聞」であるとして「鉄船」を否定しつつ、
一方でこの数字の信憑性を問題視するのはWスタンダード。
寸法は船に疎い坊主のいい加減なものだろう。

中国の鄭和の船がタライみたいな寸法として記録されているのと同じことだろう。
873名無し三等兵:2005/12/11(日) 13:48:13 ID:smRm7JGP
亀甲船で倭賊撃滅
倭奴八万人が魚の餌
874名無し三等兵:2005/12/11(日) 13:55:21 ID:???
歴史学って学問って言えんのかよ。
学者、一人一人言ってることが違って、やりたい放題で、結論も出さず、真実もわからず、
もうおしまいだろ。そんな状況。
875名無し三等兵:2005/12/11(日) 17:53:28 ID:???
鉄の船なり、テツハウとをらぬ用意

「テツハウとをらぬ用意」は黒い塗装ではないだろう。
テツハウとをらぬ用意(防御)に鉄を用いたから鉄船なり。
と解釈するのも不自然ではないような。
876名無し三等兵:2005/12/12(月) 02:38:40 ID:???
>>873
チョンもようやく修辞に目覚めたか。
500年遅い。
877名無し三等兵:2005/12/12(月) 04:06:05 ID:???
>>875
鉄でなくとも椋の木の厚板で充分<「テツハウとをらぬ」
878名無し三等兵:2005/12/12(月) 12:17:55 ID:blf57YXP
横レスたが。
寸法についての記述が信用できないのと同様、
鉄の船との記述も信用できないと言ってるわけで
首尾一貫してるぞ。
どこがダブルスタンダードなんだ?
879名無し三等兵:2005/12/12(月) 19:41:45 ID:QEkp4G4l
防弾なら鉄板より竹束取り付けたほうが効果ありそ
880名無し三等兵:2005/12/12(月) 19:47:28 ID:???
撃退したといっても後で司令官が戻ってきてからやられちゃってるし、
亀甲船が良かったというより、その時の代役司令官がドジ踏んだだけな気が。
881名無し三等兵:2005/12/12(月) 19:48:59 ID:???
それは無い。
竹は所詮竹に過ぎない。
距離が近づくにつれて大きな差が出てくる。
船にはより口径の大きい鉄砲も有るしね。
882名無し三等兵:2005/12/12(月) 23:00:10 ID:???
まぁどっちがダブスタかっつったら、船の寸法についての記述は
信用できないが鉄の船という記述は信用できるって言い張る方が
ダブスタだわな。
883875:2005/12/13(火) 09:47:47 ID:???
>>882
ダブスタと書いてない相手にダブスタと書いても返事に困る。
相手を指名してくれ。
884名無し三等兵:2005/12/14(水) 11:02:16 ID:???
819=833=836=843
なんか最近スレが荒れてるのは亀甲船の話題にした俺のせいかなと言ってみるテスト。
日本船が全周鉄張りに対し朝鮮の亀甲船は一部鉄張り。
日本船は大砲まで装備、がスピードは遅い。ちなみに両軍とも数は少ない。日本側の主力は輸送船と変わらない木造船。
朝鮮側は主力同士の戦いでは勝ち目はないとわかっていたと思われ。
885884:2005/12/14(水) 11:19:09 ID:???
↑主力同士Х
決戦船同士〇
李瞬臣がほぼ初戦で戦死という事実から考察する
李は最初からまともな海戦では勝てないと知っていて木造船だけに的を絞った村上水軍のような小舟によるゲリラ戦を指向。
そのため初戦から全力で日本船に襲いかかる。木造船に対してはやや勝っていたかも。
886884:2005/12/14(水) 11:31:45 ID:???
次回から防御力の高い亀甲船が日本鉄張り船から集中攻撃を受けている間に主力の小舟で木造船を攻撃する。
加えて地の利(潮の流れのポイントとか)を生かしたヒットアンドアウェイ。
つまり亀甲船は囮だったというのが俺の考えです。
それでもまだ問題は残るのだが。
887名無し三等兵:2005/12/14(水) 11:34:49 ID:???
脳内鉄張り船ですか?
ソース出せ。
888884:2005/12/14(水) 12:16:41 ID:???
>887ロマンですよ。
あえて続きを。
元々李瞬臣は倭冦対策に亀甲船を復活させようとしたらしい(建造中止になったが設計図は残っていたという)
↑韓国ドラマではね。
ここで問題です。朝鮮て長距離航海可能な大型船て持ってたのか?必要だったのか?多分海戦経験もない。建造も用兵もノウハウがない。
明から海軍が派遣されたなんて話もないし。
やはり日本側から裏切り者がいたんじゃないかな。
889名無し三等兵:2005/12/14(水) 20:46:33 ID:???
>↑韓国ドラマではね。

脳内以下
890名無し三等兵:2005/12/14(水) 20:51:49 ID:???
…お前ら朝鮮役の本何持ってるかちょっと書いてみ。
891名無し三等兵:2005/12/15(木) 21:09:55 ID:???
>>890
実家に旧参謀本部編纂の文庫本があったな。内容は眉唾くさいけど。
892名無し三等兵:2005/12/16(金) 07:57:41 ID:???
朝鮮役関連で手元にあるのは…

参謀本部編日本戦史朝鮮役
近世日本国民史朝鮮役
豊臣政権の対外侵略と太閤検地
豊臣秀吉の朝鮮侵略
秀吉の朝鮮侵略
日本の歴史15織田・豊臣政権
雑兵たちの戦場
日本の合戦6豊臣秀吉
戦国水軍の興亡
朝鮮日々記を読む
江戸時代砲術家の生活

壬辰戦乱史
懲?録
乱中日記草・壬辰状草
文禄・慶長の役 文学に刻まれた戦争

フロイス日本史

その他軍記物、文書、各武将の本等

ですかね…。
893名無し三等兵:2005/12/16(金) 15:57:20 ID:???
亀甲船って韓国ではやたら持ち上げられているようだがね
基本的に機動性や速力を重視した船で安定性が悪く、沿岸部の波が穏やかな環境でしか使えない船だよ。
あんな船で外洋になんか出てみろよ、横波を受けてすぐに転覆するよ。
日本が兵員輸送と戦闘用に用いた千石船は、外洋を渡るために作られた船だから、安定性は良いが機動性が犠牲となっている
それだから海戦で苦戦したのだろう。
894名無し三等兵:2005/12/16(金) 22:40:36 ID:???
この時代まだ千石船は原型しかねえ。
895名無し三等兵:2005/12/17(土) 02:08:33 ID:???
近世日本国民史で、閑山島沖の海戦について
李舜臣の記述と脇坂家傳記を比較しているが
かなり一致してる。
896名無し三等兵:2005/12/18(日) 06:32:19 ID:???
スレタイは朝鮮征伐じゃなくて明征伐じゃないの?
897名無し三等兵:2005/12/18(日) 07:14:46 ID:???
スレタイは文禄・慶長の役にすればいい。
とはいえ過疎スレだから次スレ前に落ちるかもね。
898名無し三等兵:2005/12/18(日) 12:13:55 ID:???
徳川幕府になってから、鄭成功一族が明救済のための援軍を日本に求めたことがあった。
一時は幕府も乗る気になって、部隊の編成まで考えたそうだ。
しかし明が滅亡したとなれば立ち消えになった。台湾に留まった鄭成功はそれでも何度となく支援を要請したが、無理なことをしたくないと考えていた江戸幕府はそれを無視した。
朝鮮討伐で国力を弱めて秀吉の失敗をしっているから無理なことはしたくなかったのだろうが
いまにしてみれば残念なことだよ
台湾を占拠すれば、清は日本を敵に回してまで台湾侵攻はしなかっただろう。
何しろ征服後も台湾は化外の地とほとんど関心を示されなかった。そういう土地だったのだからな。
朝鮮との間に鬱陵島の領有争いが十七世紀に起きた時も日本は、百年近く実効支配をしながらあっさりと領有を放棄したし
この外国との揉め事を起こしたくないこと無かれ主義はこの時代から始まった日本の病巣とも言えるな。。。
全ては今に続く、朝鮮討伐の失敗と第二次大戦の失敗が生んだ日本の病気だと思うよ
899名無し三等兵:2005/12/18(日) 16:40:50 ID:???
あげ
900名無し三等兵:2005/12/21(水) 17:31:32 ID:???
900get
901名無し三等兵:2005/12/26(月) 21:56:12 ID:???
>>893
逆、逆。日本軍の船は外洋なんか渡れない。
基本的に沿岸航海用の平底の船で、
ガレー船のように櫓をこいで走るため小回りはきくが高波に弱い。
亀甲船も同様に沿岸用の船だが、和船と違って竜骨を持つ構造のため
衝撃に強く、日本の船には不可能だった「体当たり」ができた。
902名無し三等兵:2005/12/26(月) 22:02:01 ID:???
ソウダ、特攻モウリナラ起源ダ
903名無し三等兵:2005/12/26(月) 22:08:01 ID:???
>>901
二度の戦役で前後八年、その間名護屋−対馬−釜山間の連絡補給線が絶えたことは一度たりとも有りませんが。
そして朝鮮水軍、分けても亀甲船が外洋で戦いを挑んだ記録も有りません。
904名無し三等兵:2005/12/26(月) 22:30:04 ID:???
>>901
つーか、
>亀甲船も同様に沿岸用の船だが、和船と違って竜骨を持つ構造のため
>衝撃に強く、日本の船には不可能だった「体当たり」ができた。

その説は20年以上も前に出されたまことしやかな空想で、
実際は日本船は構造的にも強く(玄海灘を渡ってきた)、
そういう戦いの図式は必ずしも妥当ではない。
それは韓国人からの発言にもあるんではないかな?

ところで、「体当たり」した
というソースを教えて欲しい。

というのも、
日本軍は大砲を備えてなく「近接切り込み」を戦法とし、
そのために亀船は天蓋を覆って防御していたわけだろ?
「体当たり」戦法と矛盾するじゃないか。
大砲を的中させ足の速い日本船の切込みを避けるのが朝鮮水軍のやりかただろう?
(でないと亀船の概念が崩れるぞ)

倭寇の小船に対して「体当たり」で制圧するという理屈ならわかる。
ならば「竜骨」云々は関係ないわけだ。
905名無し三等兵:2005/12/26(月) 22:32:07 ID:???
亀甲船は竜骨船じゃない
906名無し三等兵:2005/12/27(火) 08:13:41 ID:???
釜山から京城に水路補給できなかったのが痛い。
補給がないため日本軍は京城から撤退した。
907名無し三等兵:2005/12/27(火) 13:50:10 ID:a0sLCYHo
海路補給なんか、できないし、しない。
908名無し三等兵:2005/12/27(火) 20:03:15 ID:???
>>904
んじゃまあ、とりあえずメジャーなところで。
ttp://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse056.html
言っておくがおれは「できる」と書いただけだぞ。
909名無し三等兵:2005/12/27(火) 22:12:50 ID:ttKcr9rK
亀船でなく亀甲船と書いてある時点でアホっぽい。

戦死を流れ弾のせいにしている時点で更にアホっぽい。

実戦から100年後に作った資料にも亀船には竜骨なんて無いのにね。
910名無し三等兵:2005/12/28(水) 03:36:20 ID:???
>>908
あんまり読む気もしないので、
適当に反応するけど、
目についた

>緒戦から4ヶ月間に300隻余りの艦船を葬り去り、
>海に補給路を頼る敵軍には致命的な制海権を握り、
>大打撃を与えたのでした。

これ自体美辞麗句という範疇じゃないの?
911名無し三等兵:2005/12/28(水) 07:25:05 ID:???
>>907
そうか。
912名無し三等兵:2005/12/28(水) 11:09:03 ID:???
>>908

>1598年12月16日 露梁海戦(麗水沖の戦い)で、島津義弘らの軍に勝利

こんな事書いてる時点で信憑性0のサイトだな。
おいおい、いつから露梁海戦に勝った事になったんだ?
どう見ても朝鮮側のボロ負けだろ。
913名無し三等兵:2005/12/28(水) 11:52:56 ID:???
「息をするように嘘をつく」それがウリナラクオリティーです
914名無し三等兵:2005/12/28(水) 11:54:04 ID:???
なんつうかこのクソスレは当てにならんから、自分で本を読んでね。
915名無し三等兵:2005/12/28(水) 11:56:30 ID:???
日本の水軍は当時世界最強だった。
916名無し三等兵:2005/12/29(木) 01:19:17 ID:???
オスマントルコもイスパニアも敵じゃないね
917名無し三等兵:2005/12/29(木) 11:42:34 ID:???
スペインの無敵艦隊も敵じゃない^ー^v
918名無し三等兵:2006/01/02(月) 01:48:07 ID:fwZWtkLd
秀吉の朝鮮出兵はなぜ失敗したのか

エリザベス1世は、宿敵スペインに打撃を加えるために、海賊に私掠特許状を与え、
スペインの商船を襲わせた。イギリスの海賊のなかでも、ドレイクとホーキンズは有名で、
彼らは、後にイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を破るアルマダの海戦で活躍する。
織田信長も、伊勢・志摩を拠点とする海賊だった九鬼嘉隆を織田水軍の総司令官に抜擢し、
大安宅船(鉄板を張り、強力な大砲を搭載した当時最強の軍艦)を建造させ、
第二次木津河口の海戦で毛利水軍を破ることに成功している。

ところが、豊臣秀吉は、明との戦争で、海賊の力を活用することはなかった。むしろ逆に
「海賊法度」を出して、海賊の活動を禁止してしまった。当時、明が倭寇対策に苦心していた
ことを思うと、敵に塩を送るような愚策なのだが、・・・・

3. もしも信長が長生きをしていたならば

信長なら、たぶん、朝鮮・中国の沿岸に詳しい倭寇を活用していたであろう。
しかし、秀吉はそうしなかった。

もし、日本がエリザベス1世と同じ方法を用いていたらどうなっていたかをシミュレーション
しよう。当時の倭寇には、もちろん日本人もいたが、その多くは、明に不満を持つ中国人で、
いわば反体制ゲリラ組織だった。もし、日本が倭寇を背後から支援したら、・・・・
http://www.nagaitosiya.com/a/bunroku_keicho.html
919名無し三等兵:2006/01/02(月) 06:54:54 ID:???
時間切れアウトだな
920名無し三等兵:2006/01/05(木) 20:47:11 ID:pAIP1WGu
いいかげん李舜臣が日本軍の補給路を断ったという俗論に終止符を打ってほしいのだが
921名無し三等兵:2006/01/05(木) 21:34:16 ID:???
李舜臣は日本水軍を撃破し、京城までの海路を日本軍に許さなかった。
これは多いに評価出来る。
陸路は寸断され、京城から撤退した。
922名無し三等兵:2006/01/05(木) 22:22:40 ID:NpyIi4nm
京城までの海路を日本軍に許すためには
慶尚、全羅、忠清、京畿の長大な沿岸全土を
制圧する必要があります。
センセ、史実以上の制圧面積が必要ですぜ。
923名無し三等兵:2006/01/05(木) 22:28:56 ID:/DwBL46Q
>>922
突っ込み所満載のような・・・
924名無し三等兵:2006/01/05(木) 23:12:24 ID:???
秀吉は水軍に朝鮮水軍の撃破を命じたが、敗北したので水軍の戦略の変更を余儀なくされた。
日本軍の兵糧は、当初現地調達を基本としていたが、これは破綻した。
よって日本から釜山まで兵糧を輸送したが、京城への供給は不成功に終わった。
925名無し三等兵:2006/01/05(木) 23:36:24 ID:???
李舜臣のやったことは日本軍の補給戦をチマチマ襲撃して
多少ダメージを与えたってだけだしなあ。
ゲリラ戦以外では活躍した記録がないし。
大軍を率いるのは向かない、小規模部隊向きの指揮官だったんだよね。

まあ日本軍本体を撃滅させる事もできなかったし
補給戦を途絶えさせるまでの事も出来なかったが
茨のように手を引っ掻いた、という難儀な相手ではあったようだ。

チョンにしては善戦した方だし、分相応には名将と評価しても良いと思う。
926名無し三等兵:2006/01/06(金) 06:55:13 ID:lPKsJ+kv
え?李舜臣が何処の補給線をチマチマ攻撃したの?

それと李舜臣が率いた艦隊は日本より大規模ですぜ。
927名無し三等兵:2006/01/06(金) 08:13:02 ID:Pg2T/xGv
>>926
チマチマとしか行動してない日本船団を
チマチマと攻撃したわけだ。

李舜臣の活動経路と場所を冷静に見てごらん。

それと、>>922
のようだけど、
海上輸送路が安泰という前提なら、
内陸もそれに呼応して有利に展開するわけで、
史実の程度に北上しているのだから
沿岸拠点を(木浦など)を確保して城を築いておけば京城への経路は随分楽になる。
928名無し三等兵:2006/01/06(金) 08:17:44 ID:Pg2T/xGv
ものすごい数の李舜臣の船団が、
ものすごい数の日本船団の輸送物資満載を撃沈して
半島の日本軍は武器弾薬が補給できず食料も少なくて
みんなハラペコ。

という歴史漫画のようなイメージはそろそろ捨てましょう。
929名無し三等兵:2006/01/06(金) 12:29:48 ID:???
李舜臣の戦果は

朝鮮半島南岸の制海権の維持に成功したが一方、日本〜朝鮮間
の輸送路切断には失敗といったところ

この事は南岸より北に侵攻した遠征軍は陸路による補給に頼らな
ければならないからであり、陸路のコストが海路のそれより100倍
必要とする点を考えれば、日本軍を半島南部に逼塞させた彼の
功績は大したものだと思う
930名無し三等兵:2006/01/06(金) 12:33:46 ID:???
>>929
修正

李舜臣の戦果は

朝鮮半島南岸の一部以外の制海権の維持に成功したが一方、
日本〜朝鮮間の輸送路切断には失敗といったところ

この事は南岸より北に侵攻した遠征軍は陸路による補給に頼ら
なければならないという事であり、陸路のコストが海路のそれより
100倍必要とする点を考えれば、日本軍を半島南部に逼塞させた
彼の功績は大したものだと思う
931名無し三等兵:2006/01/06(金) 14:01:41 ID:lPKsJ+kv
例え李舜臣がいなくても海路補給作戦なんか存在しないんだから陸路を使うしか選択肢はない。
陸路に頼るしかないって表現は変だよ。
932名無し三等兵:2006/01/06(金) 14:08:32 ID:lPKsJ+kv
チマチマでもなかろう。
文禄の役で大まかに言って李舜臣の出撃はわずか四回だ。
制海権は当時の静水艦隊だけでは握れないから。
933名無し三等兵:2006/01/06(金) 16:00:45 ID:???
>>931
どうやって釜山まで兵糧運んだの。
934名無し三等兵:2006/01/06(金) 18:08:20 ID:???
織田が水上水軍潰してなければなぁ・・・( ゚д゚)ポカーン・・・・
935名無し三等兵:2006/01/06(金) 18:17:12 ID:???
>>931
「海路補給作戦なんか存在しない」という根拠を聞きたい
936名無し三等兵:2006/01/06(金) 18:46:10 ID:Y7fbtFsB
今日発売の歴史群像に文禄の役の記事がのっているよ
937名無し三等兵:2006/01/06(金) 18:48:04 ID:???
現地の奴隷(即ち一般朝鮮人)が日本軍を歓迎したらしい
938名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:07:15 ID:Pg2T/xGv
>海路補給作戦なんか存在しない

意味が良くわからない。
939名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:11:01 ID:lPKsJ+kv
すまん、言葉が足りなかったようだ。
無論、北九州からプサンへの輸送路は存在した。
ここで存在しなかったというのは李舜臣が日本に断念させたらしい架空の釜山から漢城までの西上海路補給作戦のこと。
以上、話の流れで省略した。

李舜臣の架空の手柄は小西が和平交渉で使った恫喝文句に「陸軍だけでなくまもなく海路から水軍も来るから和平しろ」と言ったのを柳成龍が抜擢した同派閥の李舜臣の勝利から勝手に日本の作戦を挫折させたと結び付けて記録に残したため。
緒戦久しく陸軍も水軍も釜山西方へ侵攻した大部隊はない。
940名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:25:08 ID:lPKsJ+kv
李舜臣の手柄をあげるとすれば。

釜山西方へ無防備な沿岸輸送が危険であること、

水軍同士の対決では朝鮮側が優位であること、

朝鮮水軍の襲撃を防御する為には海岸を制圧して軍勢を駐屯させる必要があること、

などを日本軍に認識させて侵攻軍のリソースにストレスを与えたことだと思う。
次いでそのための艦隊戦力と指揮権力を維持したこと。
直接戦闘で撃破した日本軍の被害などその次以下と評価するが如何?
941名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:26:00 ID:lPKsJ+kv
李舜臣の手柄をあげるとすれば。

釜山西方へ無防備な沿岸輸送が危険であること、

水軍同士の対決では朝鮮側が優位であること、

朝鮮水軍の襲撃を防御する為には海岸を制圧して軍勢を駐屯させる必要があること、

などを日本軍に認識させて侵攻軍のリソースにストレスを与えたことだと思う。
次いでそのための艦隊戦力と指揮権力を維持したこと。
直接戦闘で撃破した日本軍の被害などその次以下と評価するが如何?
942名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:28:18 ID:???
>>939
洛東江(釜山のすぐ西に河口が開く川、慶尚道の真ん中を流れる)の確保も
できなかったからそれ以前の問題です
943名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:32:06 ID:???
小西行長の順天城に最後に篭城した時(露梁津海戦)の兵数って分かる人います?
944名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:32:33 ID:???
イージス艦使えばよかったのに
945名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:48:42 ID:???
942>>洛東江河口の制海権が李舜臣に奪われていたというソースとその時期は?
この辺は日本軍が全期間に渡って確保していたんじゃないかな、危険があったのは加徳島から先じゃないか。
946名無し三等兵:2006/01/06(金) 22:42:14 ID:???
>>945
今号の歴史群像
947名無し三等兵:2006/01/06(金) 22:46:01 ID:lPKsJ+kv
ダメじゃん。

三成の書状も根拠にならないし。
948名無し三等兵:2006/01/06(金) 23:01:58 ID:???
日本軍が釜山から漢城までの補給を総て陸路で行うのは史実から
見ても不可能です。

そうなると海路で補給を行うのは当然ですし、元々明を攻める為です
から朝鮮半島西海岸の制海権を手に入れる事は必須だと思うのですが。
949名無し三等兵:2006/01/06(金) 23:47:00 ID:???
朝鮮水軍と日本水軍で後者の軍船が構造的に弱いのは前者が中国系のジャンク系
の船体構造を持っているのに対し後者は和船構造をしているためである。

この和船構造は幅の広い棚板と船梁で構成されるものであり外板と多数の隔壁で構成
されるジャンクに較べ建造が容易ではあるが構造的に脆い(といっても沿岸航行や遣明
船の様な臨時的な中国渡航は可能)ので、この点においても日本水軍は不利であった
950名無し三等兵:2006/01/07(土) 00:25:27 ID:???
>>949
繰り返し同じ事ばかり書くな。
951名無し三等兵:2006/01/07(土) 02:53:25 ID:8p2rHe9Q
>>949
和船が東南アジアまで行ってたのに
遠洋航海に不向きなのかな?
952名無し三等兵:2006/01/07(土) 06:13:37 ID:???
>>951
末次船の様な朱印船の事を言ってるなら、あれの船体構造はジャンクです
953名無し三等兵:2006/01/07(土) 13:24:46 ID:???
>>942
河川航行と海上航行では
効率、安全面から全く別次元なものであることが分からないですか?
河川遡上など陸を行くのと同じ。
954名無し三等兵:2006/01/07(土) 15:06:43 ID:???
>>953
>河川遡上など陸を行くのと同じ。
これはありとあらゆる面で間違っているのであしからず
955名無し三等兵:2006/01/07(土) 20:17:32 ID:???
当時は、陸軍はともかく水軍はやっぱ弱くなってたのか?
956名無し三等兵:2006/01/07(土) 20:34:04 ID:TTiG4X0j
957名無し三等兵:2006/01/07(土) 21:02:39 ID:???
日本軍側で末期まで積極的に協力して戦っていた
朝鮮の正規軍の一部が居たらしいが、本当なの?
958名無し三等兵:2006/01/07(土) 21:31:06 ID:???
>>949
朝鮮船はジャンク式じゃないって
ジャンクは竜骨構造だが、朝鮮船は竜骨構造じゃない。
そもそも和船の構造が弱いっていうのは俗説の類。
詳しくは、石井 謙治著・和船T、和船Uを嫁。
959名無し三等兵:2006/01/07(土) 23:14:06 ID:???
>>958
同じ石井 謙治の「日本の船を復元する」には1000石積級になると梁が長くなり
外板がの継ぎ目が弱くなるとある

後、ジャンクの特徴は竜骨ではなく隔壁構造にあるのでは?
960名無し三等兵:2006/01/08(日) 02:03:15 ID:???
>>959
>「日本の船を復元する」
その本読んで見たくなった。

後、竜造骨構と隔壁構造は別に矛盾しないし、両立すると思うけど。
つまり、竜造骨構の船を水密隔壁で仕切ったのがジャンク。
961名無し三等兵:2006/01/08(日) 11:49:32 ID:???
>>960
竜骨のあるジャンクもあるし、ないジャンクもある
962名無し三等兵:2006/01/08(日) 11:55:35 ID:???
>>957
ネタ元を書いてくれ。
963名無し三等兵:2006/01/08(日) 13:06:26 ID:???
ttp://www.nagare.or.jp/nagare/20-4/20-4-danwa.pdf

亀船が頑丈だったのは竜骨のおかげではなく
軍船専用に植林された松材を使っていたかららしい。
松は硬くて加工が難しいが、日本軍が船材に使っていた杉や桧よりも強靭だった
964名無し三等兵:2006/01/08(日) 13:44:03 ID:???
はじめに亀船で突撃し、次に板屋船を進撃させ、地・玄字銃筒を連射し、更に砲丸、
矢石を雨雹と放てば、賊の気を奪うことは容易く、死ぬ暇もない。これが水戦の易勢である。

李舜臣
965名無し三等兵:2006/01/08(日) 15:18:21 ID:???
>>762
本当なの?と聞いているのだから、むしろそれを知りたいのでは?
966名無し三等兵:2006/01/08(日) 20:37:04 ID:???
倭城の構造に似た城って、
明や日本でも見受けられるの?
967名無し三等兵:2006/01/08(日) 21:00:57 ID:???
>>966
登り石垣なら彦根城、松山城、洲本城なんかにある
968名無し三等兵:2006/01/08(日) 21:07:48 ID:???
>>967
登り石垣ってなに?
969名無し三等兵:2006/01/08(日) 21:19:59 ID:???
>>968
万里の長城のようなもの。
目的、用途は少し違うが。
970名無し三等兵
>>968
山上の郭と平地の郭を繋ぐもの