旅順要塞だけでなく日露戦争もマターリと米川二等卒の心で語ろうよ
のぎはばか
という事は「日本海海戦」他の海戦も含めるんだな?
いぢちたん・・・ハァハァ
7 :
北海道フリーメーソン協会:02/01/21 18:36
明石大佐と彼の第六列もはずせない。
スイスに小銃生産させてレーニンらに譲渡するなんてカコイイ。
ストックホルムですね?
水師営 おめでてーな。
東鶏冠山 素人にはお奨めできない
二百三高地 通の頼み方。
白襷隊 アホかと。馬鹿かと。
第11師団 もう見てらんない。
旅順口閉塞作戦 危険も伴う、諸刃の剣。
一戸兵衛少将 これだね。
ぼたもち食いてえなぁ もっと殺伐としてるべき
コンドラチェンコ少将 その雰囲気がいいんじゃねーか
脚気 最新流行
28サンチ榴弾砲 これ最強。
海軍重砲隊 すっこんでろ。(By.伊地知)
榴散弾 きょうび流行んねーんだよ。ボケが。
伊地知幸介 小1時間問い詰めたい。
第二次総攻撃 そこでまたぶち切れですよ。
第7師団 とかもいるし。
スミルノフ中将 来てんじゃねーよ、ボケが。(By.ステッセル)
フォーク少将 ド素人
日本海 いつ喧嘩が始まってもおかしくない
乃木希典 150円やるからその席空けろ(By.児玉)
10 :
名無し三等兵:02/01/21 21:07
ライフルこそ野戦の勝因。
11 :
名無し三等兵:02/01/22 21:59
ノギはバカじゃないよ。ムノウだよ。何もしらない純粋無垢なムノウもの。
12 :
糞スレの予感:02/01/22 22:26
>何もしらない純粋無垢なムノウもの。
どこらへんが?
根拠もない誹謗・中傷だったら小学生にだって出来るよ。
何でも知ってる海千山千な有能者、のアンタらしく解説してくれ(藁
13 :
名無し三等兵:02/01/22 22:54
乃木が何かしたか?何もしてないじゃん。
14 :
名無し三等兵:02/01/22 22:55
>>14 11がアレと思うが。
問題提起、という意味では12の方がやや上。
17 :
名無し三等兵:02/01/22 23:05
>>15 ほれ、具体的なことは何も言えないでやんの(激藁
18 :
名無し三等兵:02/01/22 23:05
>>17 ほれ、具体的なことは何も言えないでやんの(激藁
>>17 煽り文句ぐらい自分の頭で考えろ。
少なくとも、お前よりは乃木の方が有能だ。
20 :
名無し三等兵:02/01/22 23:08
>19がおるからクソスレになるんだな 納得
21 :
名無し三等兵:02/01/22 23:09
>>20 ほれ、具体的なことは何も言えないでやんの(激藁
乃木が何をしたんじぁぁぁっ!乃木の何が悪いんじゃあああっ!
23 :
名無し三等兵:02/01/22 23:10
>>22 何もしなかった。何もしなかったから悪い。
あ、あのうっ、わ、わしゃあ口下手ですさかいに、いま言うたこたぁ・・
でも乃木は他に何をすべきだったか?
ああ。無限ループに入った気がするが、諸君。
それはすべて錯覚。錯覚ですぞ。
我々は203高地をめぐる循環時間を旅する時間飛行士なのです
26 :
名無し三等兵:02/01/22 23:14
2ちゃんで議論するのか?
27 :
名無し三等兵:02/01/22 23:15
まずこのスレの意味を考えよう。
映画の台詞集は良かったすね。
>>23 旅順を落とし、奉天でクロパトキンを脅かしたことの
どこが「何もしなかった」
なのか、サパーリわからんのでまずそれから教えてくれ。
そういえば、二百三高地は坂之上の雲が原作なんですか?
乃木はちんこで障子を突き破ることが得意だったようだ。
32 :
名無し三等兵:02/01/22 23:18
>>29 児玉が指揮権を委任されたなぁ。児玉が一喝して司令部が
前線にいったなぁ。秋山騎兵は乃木が命令したのか?
何もしてないな。
33 :
名無し三等兵:02/01/22 23:19
34 :
名無し三等兵:02/01/22 23:21
乃木ヨイショが来ると急に荒れるね
35 :
名無し三等兵:02/01/22 23:22
旅順攻防戦を見て、世界中の誰が 乃木は
有能な将軍だというでしょうか?
>30
前スレ読んだ?タイアップしまくりだけど、「坂雲」のヘンな所は(一応)
改めてある。
>31
「太陽の季節」かい。
でも、普段謹厳実直な人物だけあって、静子婦人との夜の営みは・・・・・・(´д`;)ハァハァ
37 :
名無し三等兵:02/01/22 23:25
兵八って妙に他人のスレで仕切るから嫌い
所はいずこ〜すいしえい〜
>>32-35は以前、嶽原&兵八DQNコンビに大恥かかされて軍板から逃亡した
「ななしのごんべ」です。
40 :
ななしのごんべ:02/01/22 23:40
ななしのごんべですがなにか?
41 :
名無し三等兵:02/01/22 23:45
ななしのごんべは南雲スレでおもしろいことやってたね。
>>40 本物?あなたはまあ、多少口は悪いが、マトモなコテハンだと思うよ。
ただ、例のスレではさすがにちょっと・・・・・・・、ね。
43 :
名無し三等兵:02/01/23 00:31
>43
アイゴー!漏れは乃木名将派だってば!
司馬厨房と一緒にすんな、謝罪と賠償を(以下略
>>43 ? WW1の無能な消耗戦にしようとした将軍(ふぁるけんはいん)
を調べればノギがムノウじゃないのか?
裏口の戦いたるガリポリの戦いのマヌケさとかいっとくか?
日清戦役でなぜ北正面からノギは抜いたのに、東正面にこだわったのかね?
T字戦法はなかった
コピペにコピペで返してるだけでしょ
50 :
名無し三等兵:02/01/27 15:50
幾千もの人命を命令ひとつで死地に追いやって将たるものに名称などちゅうもんはひとりもおらんと乃木閣下も言うとります。
51 :
名無し三等兵:02/01/27 15:55
ところで第三軍の白石少佐とか大庭さんてどのくらいまで進級したんだろね?
伊地知は少将まではスピード出世だったのに大将にはなれなかったというし。
52 :
名無し三等兵:02/01/27 16:54
要塞戦の基本は穴掘りです!
コレヒドールでもわが軍はしとるだろう。
今からでも遅くない伊知地の子孫を軍事裁判に掛けろ!
53 :
名無し三等兵:02/01/27 18:02
>>52 期限付きなのに穴を掘ってる余裕があるんですか?
>>53 大砲のタマさえあれば、そんな手間ヒマかかる方法は採らんで済むんじゃが。
現に大東亜戦争中の米軍は、一度もやってないだろう(詳しくないんで断定は避けとく)。
我が軍は貧乏タマ無しだからしょうがないの!
55 :
名無し三等兵:02/01/27 19:23
>>53 ヨーロッパではクリミア戦の反省から(騎兵を要塞に突撃させてたよイギリスは)か要塞戦の主役は工兵の坑道掘りが主流
世界の先史をみてもオスマントルコはロードス島やコンスタンチノープル攻略戦で坑道戦を常道にしていた。
日本の戦国時代でも『黒鍬者』と言われる(その土地により言い方は様々)人々が城攻めに
坑道を掘っていた。
つーか、攻撃塹と坑道とごっちゃにしてないか?
>>52 まあそう言うなよ。大本営からも満州軍からも「早く早く」とせっつかれてたんだから、
最初の一回が強襲になったのはある意味仕方が無い。
二回目以降はきちんと穴掘りしてるんだし。
>>58穴堀にしてもできる限り近づいての突撃のためであって、
例であるような坑道から敵の堡塁を爆破する作戦ではない。
つまり肉弾を堡塁にぶつける作戦となんら変わらない。
遠くから投げるか、近くから投げるかの差
>59
全身を暴露して何百メートルも躍進しなきゃならんのと、
敵前数十メートルまで掘った穴から飛び出して突進するのとでは雲泥の差だろ・・・・・・。
結果として要塞落とせなかったから一緒、と言われちまえば身も蓋もないけど。
この戦法で彼我のキル・レシオが劇的に日本側有利に改善されている事実も、
一応覚えておいてソンは無い。
61 :
名無し三等兵:02/01/27 20:50
>>59 日本の本格的な坑道掘りの教範は日露戦役の後に作成された。
まあようするに本格的な近代要塞の概念が日本にはなかったわけですな。
(そりゃ40年前まで別世界に住んでるからな日本人は!)
>60 何も考えてないところから、攻撃塹をつくったのがそんなに偉いのか?
坑道で要塞堡塁を爆破できたのは12月入ってからだぜ?
10月の第2回総攻撃の時も堡塁の手前で爆破され、堀壕作業がはかどって
ないが、26日以来の砲撃が無駄になるので強襲攻撃を開始したんだよ?
キルレシオが8:1から4:1になったのがそんなに偉いのか?
さらに言えば、10月の第2回総攻撃も各堡塁に向って 約1個大隊が
突撃するだけで、これで堡塁が落ちると思った乃木は何を考えているのか?
小一時間・・問い詰めたい(しかも松樹山 二龍山の突撃塹は未完成である)
64 :
名無し三等兵:02/01/27 21:13
>54
下から穴掘るのと上から穴掘るののちがいですわ
米軍もベトナムの頃までは上から穴掘る技術が完成しとらんかった
みたいで
うまくいかんかったけどアフガンでは大成功
ボスニア?、ソマリア?
わしゃーそげなところはしらん。
>62
>キルレシオが8:1から4:1になったのがそんなに偉いのか?
あんたそりゃ、一体何処の数字だい?
10月の第2回総攻撃時の両軍損害は、
日本側:3830名
ロシア側:4532名
・・・・・・キルレシオは約1対1.2、だぜ?
なんか小数点が見づらいな、スマソ。
12じゃなくて1.2、ね。
67 :
名無し三等兵:02/01/27 21:49
要塞攻撃での攻撃側がその数値というのは・・・
>>65 君が述べた9月の攻撃の時はロシア側1200人 日本4800人
のはずだが?なにか。
ちなみに10月30日の攻撃はあまりにも幼稚な計画だったのか
一日で終わっています。だったらやらんほうがマシ
このとき消耗した弾薬は砲弾4万2千100発 銃弾192万4千8百発。
これだけ消耗したのに関わらず、11/6の長岡少将からきた
電報の鮫島中将返電
「軍に交渉・・・なほ砲弾は既に多きにすぐれば不要なりと、伝えり」
71 :
名無し三等兵:02/01/27 22:57
アゲ
>>68 なんだよ、9月の話か?
>>62の書き方だと10月の話としか取れなかったからさ。
悪かった、スマソ。
73 :
名無し三等兵:02/01/27 23:04
>>65 日本軍よりロシア軍の損害が多いとか少ないとかいう問題じゃないだろ。
前スレは乃木マンセーに荒らされたから何しても意味ないと思うよ
全然議論にならんからな
75 :
名無し三等兵:02/01/27 23:16
>>73>>74 司馬厨房のジサクジエンうざい。
>>68 つか、ロシア側損害1200名ってのは、そりゃあ203高地のみの数字だ。
9月攻撃時に争点となった他の3箇所(水師営堡塁、南山坡山、竜眼北方堡塁)
の死傷者も含めれば、被害は両軍似たり寄ったりだと思われ。
76 :
名無し三等兵:02/01/27 23:24
>>75 乃木マンセーウザイ
日本側で確認した他の占領箇所の遺棄死体は70体24体15体
合計死者109体 負傷者がその4倍としても400人ほど。
つまり500人水増しだね。
>>75はロシア1800対日本4849のキルレイシオがいいらしい・。
78 :
名無し三等兵:02/01/27 23:41
第1回総攻撃の時は損害がたしか、1万5千人でしょ?なんでそこまで
損害が増えたのでしょうか?
79 :
名無し三等兵:02/01/27 23:57
62でも65でも、10月の事として書き込まれていたのに、
なんで68では、「65が言っているのは9月のこと」となるのだね?
9月の戦闘での死傷者数は4849名、10月の戦闘での死傷者は3830名。
62は文中に「10月」と書いている。それを受けて65は「10月の死傷者数」
を出した。9月云々を言い出したのは、68が初めて。
80 :
名無し三等兵:02/01/28 00:13
>>78 現場の状況を読めずに出した上官の命令を聞くしかなかった
状況というのはあるはずですが、それ以上に、要塞側の銃砲
撃が予想をはるかに上回る激しさがあったからでしょう。
前方の銃撃が激しく前進できず、後退しようにも要塞からは
丸見えで銃砲の的にまるだけ。
引くに引けず、負傷者の回収もできず、それでもひたすら
ナポレオン軍隊式の突撃を繰り返した結果でしょう。
大きな損害を出しながらも前哨戦を銃剣突撃で成功してき
てしまったという、妙な成功体験を覚えてしまったのも問
題でしょう。
81 :
名無し三等兵:02/01/28 00:17
キルレシオって、日本語に訳すとどうなるのですか?
82 :
名無し三等兵:02/01/28 00:32
>>75 だから 1回、2回の総攻撃の後
旅順要塞はどうなったの?
84 :
名無し三等兵:02/01/28 00:44
ロシアって、いまだに人海戦術を使ってるの?
85 :
名無し三等兵:02/01/28 00:53
>>83 「乃木は司馬が言うような愚将である。しかし弁護の余地もおおいにある」
なら 同意。
86 :
名無し三等兵:02/01/28 01:23
「乃木は必ずしも有能ではなかった。
欠点もあった。
しかし司馬の罵詈讒謗は目に余るものがある。
とても軍事的に冷静で当を得たモノとは言えない。」
というのなら同意。
87 :
名無し三等兵:02/01/28 07:38
75って兵八なんだよな。ガイシュツだがとかが好きなんだよね。
88 :
名無し三等兵:02/01/28 07:42
>>79 >>58は二回目以降はきちんと穴掘りしてるんだし・・と書いてあるが、
2回目で穴掘りといえば9月攻勢と決まってるんだろ?まさか10月まで
何もしなかったなんて主張するのか?
この辺りの総攻撃、攻撃の呼び方は色々あるというのをご存知ない79が
厨房。しかも62と63には反論できてないし。
90 :
名無し三等兵:02/01/28 08:11
>2回目で穴掘りといえば9月攻勢と決まってるんだろ?
初っぱなに「10月」と言っている62が、混乱の原因ということになるな。
>を否定しない所を見ると、やっぱり
>>73=
>>74なのか?(藁
何がやっぱり?別人だが・・・
兵八君と違って2chに入り浸っているわけではないんでね
誰も乃木が無能なんて言ってない
前スレを見れば、マンセー派に何を言っても無駄というのはわかるだろ?
92 :
名無し三等兵:02/01/28 08:30
62は「堡塁の手前で爆破云々」とも言っているね。
「10月」と書き、「堡塁の手前で爆破」と書き、それでいながらも
68でいきなり「9月のこと」とは驚きだ。
93 :
名無し三等兵:02/01/28 11:16
実戦経験の無い戦車兵が軍司令官を批判=新入社員(研修中)がグループ社長を批判
>93
君は誰を批判するのか?
95 :
名無し三等兵:02/01/28 21:10
>92 10月第2回総攻撃の前では攻撃塹はロシア側の爆破に
よって完成してなかったよ。
9月の第2回攻撃に備えて乃木軍は攻撃塹を掘りはじめた。
学研のM文庫の記述による。乃木軍の攻撃名称は色々あるって
ことがご存じないらしい。また総攻撃と名の付く攻撃は尽く
失敗している。
96 :
コヴァ的カレー好き:02/01/28 21:23
伊地知は旅順作戦開始前、第三軍参謀長をやりながら大連市に残されたロシア資産を保全し、講和に影響する国際問題を予防した。
並の事務処理能力ではない。惜しむらくは、野戦軍の幕僚任務には不適だったことだ。
彼が遼東守備軍司令官か、関東都督だったら、歴史上の評価は全く異なったであろう。
97 :
名無し三等兵:02/01/28 21:43
>95
だから、文句は62に言えよ。「10月」と初めに書いた奴だよ。
98 :
名無し三等兵:02/01/28 22:15
>>97 だから62は別におかしくないって。言葉をうまく
はしょっているのは乃木マンセーを釣り上げるためだと思われ。
99 :
名無し三等兵:02/01/28 22:21
なんだ、悪意をもっての書き込みか。じゃあ許せる・・・わけねえだろ。
100get
101 :
名無し三等兵:02/01/28 22:45
「乃木マンセーを釣り上げるため」なら認められるんですかい。ひでえ話。
確信犯だってことかい?罠ってことか?
だいたいね、「10月の第2回総攻撃の時も〜キルレシオが8:1から4:1に
なったのがそんなに偉いのか?」に対して「10月の第2回総攻撃時の〜キル
レシオは約1対1.2、だぜ?」と返されたあと、即応できずに一時間消えて
いたが? 釣り上げ罠を仕掛けた確信犯だったらソラキタ!ってなもんだろ。
うろたえていただけさ。
いいかげんにしろよ。
つーか、
>>73 >日本軍よりロシア軍の損害が多いとか少ないとかいう問題じゃないだろ。
なんて認識自体、軍事を語る人間のモノとは思えんのだが・・・・・・。
損害が多いとか少ないとかいう問題だろう、絶対に!!
「我の損害を可能な限り低く押さえつつ、敵には多大な打撃を与える」
のが軍事の基本ではないのか?
ヤン提督のイゼルローン攻略戦じゃないんだからさ。
>>62では「10月の第2回総攻撃の時も〜キルレシオが8:1から4:1に
なったのがそんなに偉いのか?」とは書いていません。
キルレシオが8:1から4:1になったのがそんなに偉いのか?
と書いています。12月の二龍山の坑道からの堡塁爆破、
10月の第2回総攻撃、9月とは明記していない。「
時間軸は滅茶苦茶ですけどね。巧みに避けてます。<藁
>102 アホ 軍事を語るとかいう論調って兵八がよく使っていたな。
軍事的に言えば、ヤンのイゼルローン攻略なぞは芸術的。
しかしあれは小説の話。史実ではベリサリウスというとんでも
ない将軍がいる。
>>102 戦闘行動の基本はあくまで任務達成であり、
損害の局限ではないがな
日本軍の任務はあくまで要塞攻略であり、
損害を抑えることじゃない筈だが
107 :
名無し三等兵:02/01/28 23:05
>103 お前の辞書に「恥」はあるか?
巨大ネコさん、あなたは凄い(司馬の所ね)。
109 :
名無し三等兵:02/01/28 23:12
62で60に対して答えたとき、60は時期をまったく特定していない。
62はその反論で10月のことをはじめてあげている。
従って時期を特定しなおさない限り10月の前提で話が進むのは当たり前である。
62は10月の話題を書いておきながら、前触れもせず9月のキルレシオを書くのはまったく文章表現力がないことになる。
吊り上げるもなにも書いたほうが恥かくぞ。
2回目が何を指すのか自分で勝手に判断して書いても何にも説得力ないぞ
>>106 そりゃ任務は要塞攻略だろうが・・・・損害をなるべく抑えられれば、それに越したことはないだろう?
兵隊は無駄遣いして良い消耗品じゃないよ。
111 :
名無し三等兵:02/01/28 23:19
>>102 軍事の基本は簡単明快
「目標を達成する」ことだよ。
損害少なく成果おおしは目標を達成することが前提での話だ。
113 :
名無し三等兵:02/01/28 23:26
>>110 残酷なようだが純軍事的な意味においては目標が達成できれば損害はあまり意味をなさない。
軍事的に損害が考慮されるのは目標達成の阻害要因になるための場合が多い。
>113
別に道徳的な要因で「損害は抑えれれるべき」と述べたつもりではない。
誤解を与えたのならゴメソ。
「こっちの兵隊が10人も死んでるのに、敵兵を1人しか殺せないのは効率悪すぎ。
もっと効率的に敵兵を殺す(=味方を効果的に死なせる)方法があるのなら、
そっちの方法を採るべきだ」
程度の意味だから。
>114
なんだよ、「抑えれれるべき」って・・・・・鬱。
午前2時 白襷隊が失敗した乃木は軍予備の第7師団を
二龍山に突入させようとしていた。それは第9師団長
大島中将の意見を聞いてから考えたのだが、午前3時20分に
第9師団にそのまま第7師団の増援を待って突撃するように
という指令を出している。
正面攻撃に不安を感じた乃木は第一師団参謀の星野金悟大佐に意見を
求めた。彼の決意表明によって乃木は決意した。彼の決意表明に
よって203高地攻略が始まったといっても過言ではないでしょう。
また星野金悟大佐は過去スレでなんども出てきているが、
9月の参謀会議にて第一回総攻撃後の旅順攻略の目標を明確
にしている。恐らく第3軍司令部の中で一番まともな人間
だったのでは?
乃木マンセーは二百三高地を攻略しても第3軍が野戦に参加できないので
旅順攻略せざるを得ないと言う。そして旅順攻略できるのであれば味方の
損害は意味がなさないと述べる。
しかし第3軍が野戦に参加するためには損害を最小限度に抑えるべき
なんだけどねぇ。11月の第3回総攻撃時の116の意見は乃木マンセー
にとっては辛いだろうね。
>112
>>109 60が時期を特定しないのでいくらでも逃げることができる。
ナニを言っているんだ。時期を特定しない60を受けて、62が初めて時期を
特定しているんだぞ? 上の言を換えればこうなるんだが?
62が時期を特定しているので、62は逃げることができない。
119 :
名無し三等兵:02/01/29 00:23
62の揚げ足とりのみアゲ
120 :
名無し三等兵:02/01/29 00:26
121 :
名無し三等兵:02/01/29 00:28
120よ。72以後も10個くらいのスレは、なおも62がネタだぞ?
立場の問題でなく、文章としておかしく説得力がないという内容のな。
それだけ、致命的な文章なんだよ。72でマルク収めたいのは62だけ。
123 :
名無し三等兵:02/01/29 00:43
62の酷さを自覚しているからオオアセリなんだろうがな。逆効果だ。
124 :
名無し三等兵:02/01/29 00:44
60も酷いが指摘をしないところを見るとネンチャックンは60か
125 :
名無し三等兵:02/01/29 00:46
60というか 58=がいしゅつくんな・・兵八だろ・・なんだネンチャックン
ってそうなんだ。煽るしか能がないんだな彼は。
>124
どうせ「60も酷い」のどこが酷いかも指摘できないんだろうがな。
62が、書き込み当初は「10月」を想定していた根拠なら、もう一つ
あるよ。「26日以来の砲撃が無駄になるので強襲攻撃を開始(62)」
26日は10月の攻撃開始日だな。9月の攻撃開始日は知ってるな?
62の意見ってキルレイシオ以外は別におかしくないけど・・?
それしか突っ込めない120って何?煽り厨房?
128 :
名無し三等兵:02/01/29 00:54
そもそも58=60 がいしゅつ君がまともに第2回攻撃というのを
第2回総攻撃、第2回攻撃と色々な意見があるのを知らないという
のが問題。明確に彼は指摘してないのはどうかな?
129 :
名無し三等兵:02/01/29 00:56
>126は62の意見の12月の堡塁爆破も第2回総攻撃に関係あるように
捉えるだろうな。乃木ヨイショってなんで思い込みが激しいのでしょう。<藁
で?「26日以来の砲撃が無駄になるので強襲攻撃を開始」というのは
どっちなんだよ?9月?10月?
時期を明らかにしたら、それなりに責任持てよ。
131 :
名無し三等兵:02/01/29 01:07
>>130 児島の日露戦争に書いてあるよ。10月の
総攻撃のときでしょ?
しかし 62を攻撃するのは乃木マンセーとして、良く
釣り上げたもんだ。62は満足だろう
>127
前半で10月の事を上げ連ねているのは特に問題ないと思うよ。
後半のキルレシオで突然9月になってしまっているのは、罠だとさ。
ま、それもいいさ。しかし68で突然、議論のネタ自体を強引に9月
のものとしてしまったのは最悪だ。狼狽を斟酌しても酷すぎる。
なんか、オレを強力に援護してくれてる御仁がいるのね。
どなた様か存じませんが、感謝感謝m(_ _)m
>134 72ですか?キッチリ9月でなく10月の話だと言っておかないと
あれでマルク収まったことになってしまうらしいぞ。
8月の攻撃の両軍被害は分かっているから、キルレシオの比較が成り立つ。
9月の攻撃のロ軍被害は分かっていないから、キルレシオの話は成り立たない。
10月の攻撃の両軍被害は分かっているから、キルレシオの比較が成り立つ。
話題が10月の事だという点は、譲るべきでなかったと思うね。
>135 5000人だよ そんなことも知らんのか?(参謀本部編より)
間違い 135は11月のだね 11月のロシア軍 戦死616失踪者79負傷者3837
日本軍 戦死1092戦傷者2738
>135
スマソ。なんかめんどくさかったからつい・・・・・・。重ねて感謝を。
>136
>5000人だよ
なんだ、じゃあ
>>62の
>キルレシオが8:1から4:1になった
は大ウソか。10月の攻撃と同様、ほぼイーブンじゃないか。
乃木は有能ではない、何を考えていたかは今となっては憶測にならざる
をえないが、司令部と師団、その配下との意思統一には事欠けます。
その点より 組織政策決定に対しては無能といえるでしょう。
白襷隊が失敗した後大島中将の意見具申を聞いて尚、正面攻撃にこだわり、
総予備の第7師団を投入しようとしています。また第1回総攻撃でも前線の
情報を確実に把握せず、精神力をもって突破しなければならないと
考えていた節も当然ある。
強い精神力を持ってすれば要塞は突破できると考えていたと思って
間違いないでしょう。ただこのような乃木大将の精神力に関しては
私は評価してますよ。
140 :
名無し三等兵:02/01/29 08:17
ちなみにキルレイシオが素晴らしいとか目標を達成するためには
損害は構わないという意見がとおるのであれば、10月の攻撃時の
ロシア軍は損害を構わず、目標を達成したという考えのほうが真っ当です。
日本軍は10月の攻撃時は一戸以外まともな攻撃は出来ていません。
言い方を換えれば、日本軍はキルレイシオでよかったので目標が
奪取できなくてもよかったことになります。
乃木派の意見もしっかりダブルスタンダードなのでお互い罵りあいは
やめましょう。
141 :
名無し三等兵:02/01/29 09:12
目標が奪取できなくて良かったなどとは、誰も、一言も言っていないが。
どこだよ?そんなこと言っているところは?
58・二回目以降はきちんと穴掘りしてるんだし。
59 :穴堀にしても・・・肉弾を堡塁にぶつける作戦となんら変わらない。
60 :この戦法で彼我のキル・レシオが劇的に日本側有利に改善されている
これが発端でキルレシオの話に突っ込んでいっただけだよ。
で?9月の攻撃のキルレシオはどうなるって?
142 :
名無し三等兵:02/01/29 19:44
102のどこにも「目標が奪取できなくて良かった」なんて書いてないが?
出鱈目でも書けばいいって思っているんじゃないのか。そうでも思わにゃ、
136で「そんなことも知らんのか?」とした僅か10分後に訂正をかます
ブザマぶりが納得できないよ。
慌てて調べて書き込んで、書き込み直後に間違いに気付いたんだろうな。
144 :
名無し三等兵:02/01/29 21:36
>>139 ほとんどの前線指揮官の反対を押し切って
正攻法を採用することを決断したのは乃木だよ。
政策決断能力はたいしたものがあったと思うけど。
>強い精神力を持ってすれば要塞は突破できると考えていた節も当然ある
第1次攻勢で行われた準備射撃期間は2日間。
今のところ日本の陸上部隊が行った射撃期間では最長記録だよ。
もう乃木といえば精神力だけという考え方はやめようよ。
145 :
名無し三等兵:02/01/29 22:41
8/30大将自身は前述したように敵の各堡塁に対して攻撃路の塹壕を
掘り進めて約50m前方に突撃陣地を用意して攻撃する正攻法採用を
決心している。
反対の意見
西から北、東に展開する第1 第9 第11が対面する敵の堡塁
砲台の数は多く地形もさまざまである。
前回の攻撃で兵力の損耗は激しく、各師団が一様に攻撃路を掘って
総攻撃態勢を整えるのは不可能である。
仮に敵前50mに突撃準備をしたとしてもその50mの突破が困難
であることは前回の攻撃で立証されている。
一塁ずつを対象にする正攻法は結局は兵力の分散を招き旅順口の
攻略を遅延させかねない。
兵力と弾薬の補給と戦力の回復を待ち重点を定めての総攻撃が
妥当であろう。
その後、乃木大将は判決すると宣言した。
敵の兵員並みに兵器弾薬の補充の途なく、一人一発を失うと共に逐次
其の寿命を縮むるに反し、我軍は仮令弾薬少なきもこれが補充の道を
有す。故に正攻の確実なるにしかず
(乃木の言う正攻は攻撃塹から突撃する正攻である。押しまくれば
要塞は弾切れになって落ちるということですね)
それではどれほど時間がかかってもいいのかという意見に対し、
参謀長伊地知少将は何時までもという訳にはいかぬと首を横に降った。
海軍の要望もある。これによって9月の攻撃は第1師団方面が重点
的に行われることとなった。しかし第9師団、第11師団は第1回の
総攻撃からの傷が癒えず、また防御に戦力を取られたので攻撃を
かけられる状態ではなかった。
この正攻法というのは書いてあるとおり突撃路の塹壕であって
坑道戦ではない。結論的に乃木の要望たる各堡塁に対する攻撃は10月の
総攻撃(名称的第2回総攻撃後半ともいう)に実現する。
このときは各堡塁に対し、約1個大隊が突入ということになり、戦力の分散。
また二龍山などは攻撃塹も未完のまま突入する結果となった。
結果はご存知の通りである。
しかし真っ当な反対意見を無視して各堡塁に対する攻撃塹(しかも
中途半端)を採用し結果的に兵力分散の愚を犯した乃木は無能である。
10月のミスからさらに11月の第3回総攻撃において白襷隊を
採用する。しかも地理に不安な第7師団が中核となっている。
これでは最初から失敗を約束されたもんだ、しかし乃木は実行に
移す。11月3日の天皇節の為に・・・。まぁアホですね。
師団連中は正攻法に反対じゃなく、乃木の突撃のための正攻法に
反対であったに過ぎない。
キルレシオのネタは降参かい。
なんでもいいから書けば誤魔化せるってモンじゃないだろ、ったく・・・・。
都合が悪くなるにつれどんどん文章が支離滅裂になって行くのは、誰かさんにクリソツだよ。
>>なにそれ?
149 :
名無し三等兵:02/01/30 00:12
>148 ホントいい加減な奴だな
145へのまとも反論はないのね (藁
>150 147=兵八は厨房だからまともな反論は期待できないよ。
煽っているだけだよ。
152 :
名無し三等兵:02/01/30 08:22
キルレシオに対する煙幕だろ?見え見え明け透けで情けない。
9月攻勢のキルレシオは成り立たないということに対する反論はないのかい?
こっちが先だろ、無責任者よ。
目くらましは所詮目くらまし。まずキルレシオの事の
始末をつけようや。9月攻勢のキルレシオの事だよ。
4:1っていうのはどこから出たんだよ。
10分で撤回したにしろ、「そんなことも知らんのか」
と大見得切ったわりにはブザマだな。
154 :
名無し三等兵:02/01/30 13:32
>150
145は煙幕に過ぎないので無視。
そもそも、児島襄「日露戦争」のほとんど丸写しだもんね〜。
いきなり「前述したように」とか、笑っちゃいましたよ。
続く反対意見の箇条書きとかも丸同じ。
乃木大将の「判決する」の文言も一緒。
伊地知の「首を横に振った」というのも一緒。
さすがに後半の天長節がどうこうとかいうのはオリジナルみたいだね。
そりゃそうだ児島はンなこと書かないよな。
155 :
名無し三等兵:02/01/30 18:35
まともに反論できないで、キルレイシオにこだわってるな。
そんなにキルレイシオにこだわるのであれば数字を出したら
いいのに、出さないのはなぜだろう?
それは彼が数字を知らないからだ。きっとそうだ。そうに違いない。
156 :
名無し三等兵:02/01/30 18:45
>>154 10月の攻撃を行った理由が天長節のためというのは
書いてあるよ。
>155「それは彼が数字を知らないからだ。きっとそうだ。そうに違いない。」
そうだよ?まずほとんどの本には、9月の攻撃の時のロシア軍損害は
書いていない。
なのに、どっかの誰かは、何の資料を基にしたのか、「4:1」と
宣ったわけさ。何の資料を読んだのやら?あげくに慌てふためいて
「そんなことも知らんのか」と格好つけて出した数字が11月損害だよ。
笑わせてくれるよ。
>156
まさか、文庫版4巻P314のことではあるまいね?児島はこう書いて
いるだけだけど?攻撃決断要因を数例挙げたあとの、オマケの文章でね。
「・・・だが、旅順口攻略をせきたてられる第三軍としては、ともかく
も攻撃を急ぎ、れきれば十一月三日の天長節を然るべき戦果で祝いたい、
との心情もさそわれる・・・」
ど・こ・が「(
>>145) 11月3日の天皇節の為に」なんだよ。
所詮は煙幕か。
159 :
名無し三等兵:02/01/30 20:56
160 :
名無し三等兵:02/01/30 20:59
それは想像だろう?
じゃあ聞くが、公式発表されたのはあるのかね?
76に従っても、「4:1」にならんじゃないか。
162 :
名無し三等兵:02/01/30 21:01
>>158は10月の第2回総攻撃の日時決定は天長節のためではないというのか?
じゃぁなぜ10月のあの日時にしたのかね?準備もままならないのに?
163 :
名無し三等兵:02/01/30 21:03
公式発表はない。児島の本による計算がまっとう。第一回総攻撃と
同じ損害1500人ほどという予想を書いているね。
164 :
名無し三等兵:02/01/30 21:04
よほど8/30の会議の内容を覆されたのが口惜しいみたいだな。<W
兵八の持論だったもんな?
>>64 キルレイシオにこだわっているのは兵八ですか?
166 :
名無し三等兵:02/01/30 21:14
>162 誰かが上で書いていたじゃないか。
「26日以来の砲撃が無駄になるので強襲攻撃を開始」ってさ。
誰だっけと思ったら、ああ62だよ。
>163 公式発表はない。あったりまえだ。今更言うことではない。
誰かが上で9月のキルレシオ値なんて書いていたのが問題なんだよ。
誰だっけと思ったら、ああ62だよ。
>164 なんだ、罠かい?それとも巧まずってところか?
誰だっけと考えると、もしかすると62かい君は?
167 :
名無し三等兵:02/01/30 21:16
よくわからんが、この熱意があればまだまだ軍事板も安心ですたい。
さらに関係ないが、「坂の上の雲」読みなおすと、やはり面白く読めてなあ。
本当は大江シノブ本(サイン貰っただよ。世界史から見た・・・)よまにゃならんのに・・・。
1.砲撃が無駄になるから強襲攻撃を開始?
2.キルレイシオがよくなったから第2回総攻撃でほぼ失敗に終わった
乃木の攻撃はえらい?
169 :
名無し三等兵:02/01/30 21:20
ここは 第三軍の参謀本部か
いい加減にしろ!!
児玉
大江氏のサイン いいな・・・・・。
兵八って厨房だね。煽ったらすぐに反応するし、乃木を
批判すると召還呪文のごとくやってくる。<W
>168
「砲撃が無駄になるから強襲攻撃を開始?」
さあね、62はそう言っているんだ。根拠は?って聞いてみたら?
「児島が書いている」とか言うんじゃないかねえ。
「キルレイシオがよくなったから第2回総攻撃でほぼ失敗に
終わった乃木の攻撃はえらい?」
>>140でもそんな事が書かれていたねえ。
「言い方を換えれば、日本軍はキルレイシオでよかったので目標が
奪取できなくてもよかったことになります。」
どこで誰がそんなこと言っているんだよ、って141。
どっかで書いてる、って142。
142で指摘された所へ行ったら、何も書かれてなかったよ。
173 :
名無し三等兵:02/01/30 22:27
そのココロは?
見当違いのことも自信たっぷりに言う・・かな?
伊地知幸介ですが、何か?
>>175 で、突っ込まれると反論できずに、逆恨みの人格攻撃に移る、と。
なんか一日おきに乃木マンセー派とアンチ乃木派が
コメントを残していくね。
それも大量に
君の一日は短いな。世間一般では一日というのは24時間をいうのだよ。
どうでもいいが、このままの調子で1000まで逝くのか?
勘弁してくれ。
181 :
名無し三等兵:02/01/31 20:58
いや、意外と合いの手削除すると、むしろ濃いスレッドっぽくみえるぞ
182 :
名無し三等兵:02/01/31 21:33
>>145 師団長達は、上記の理由により「正攻法」自体に反対しているのではありませんか?
というか、「乃木の突撃のための正攻法」と普通の「正攻法」との違いって?
「このような戦法は前例がない」「研究したことがない」「支援弾薬が
充分でないのに危険は作業はできない」……等という理由で各師団長反対し、
第3軍工兵部長榊原大佐も「演習でさえ、やったことのないとっぴな案だ」と反対。
会議は紛糾、長時間にわたっています。
そもそも名将(or愚将)の条件って何?
定義が曖昧なまま議論しても決着しないぞ
>182
うーん、スレの流れは会議の方に行ってますか。元々は煙幕なんだが。
実はこの話題、日本史板の旧乃木スレの最終面でガイシュツ。
キルレシオの件も、9月のロシア軍正式発表はない(値が出ない)と
言っているし、もういいかもね。
ロシア軍の損害集計、どこかには出ていると思うけども。見当たらない。
185 :
名無し三等兵:02/02/01 00:03
かなりネタスレなんだが…最近カラオケで気付いたのだが、デンジマンのLDカラオケ
映像に28cm砲が写っている…マジな話しネ
186 :
名無し三等兵:02/02/01 00:15
ほお〜!どこだろう?国内じゃないよね?
先々?月号くらいの「世界の艦船」に、極東の何処かに展示されている
28榴弾砲の写真があったけども・・・
28砲は本土決戦にも使用される予定だったんでしょ?
恐るべしというか、なんつーか。
189 :
名無し三等兵:02/02/01 07:48
>>186 映画『二百三高地』の大砲が写っているの…東映撮影所だよ…かなりワラタ
ああ、なんだ。本物かと思ってたよ。
191 :
名無し三等兵:02/02/01 20:23
192 :
名無し三等兵:02/02/01 20:48
>191 そうか?
大将自身は前述したように敵の各堡塁に対して攻撃路の塹壕を
掘り進めて約50m前方に突撃陣地を用意して攻撃する正攻法採用を
決心している
この「全軍」でもって攻撃塹をほり、各堡塁を一様に攻撃を
「このような戦法は前例がない」「研究したことがない」「支援弾薬が
充分でないのに危険は作業はできない」……等という理由で各師団長反対し、
第3軍工兵部長榊原大佐も「演習でさえ、やったことのないとっぴな案だ」
と反対したのでしょ?
まさか工兵や師団長たるものが塹壕戦を研究したりしたことないとか、
ウォッシュバーンの敵要塞の攻略方法を知らなかったら別だけどね <W
師団長はこの08月30日の会議には出席していません。引用元の旧乃木スレ
に書き込んだ責任をとり、訂正いたします……というより、引用元のすぐ下に
訂正してあるんですが(泣)。
194 :
名無し三等兵:02/02/02 09:15
日本 ロシア
7/28 前進陣地攻撃 参加 57700名 18000名
死傷者 2836名 1395名
7/30 参加 46500名 17400名
死傷者 1258名 246+421名
8/6 大孤山、小孤山 参加 9151名 1460名
死傷者 1218名 不明
8/13~15 参加 14300名 7300名
死傷者 1252名 不明
第一回総攻撃 参加 50765名 33700名
死傷者 15860名 1500名程度が有力
第2回総攻撃前半9月 参加 26400名 人数は不明
死傷者 4849名 1200名+500名ほど (児島)
第2回総攻撃後半10月 参加 44100名 32500名
死傷者1092(死)+2738(傷)616+79+3837名
第3回総攻撃11月12月 参加 64000名 31700名
死傷者 16900名 4000名
白襷隊 参加 3105名
死傷者 2290名
そもそもキルレイシオなんて話題がおかしい・自我参加戦力によって
かなり変わるし目的を達成できなければ何の意味も無い。
まぁ乃木マンセーに何を言っても無駄だけどね。
あと数字で突っ込むのであればこのくらいして欲しいね。
追伸 第3回総攻撃時の白襷隊の参加対損害比率を出そうか?<W
195 :
名無し三等兵:02/02/02 09:17
「乃木マンセー」マンセーはヤメロ!!!
「乃木万歳」にしろーーー
取り消せー!!!
乃木マンセー→乃木ヨイショに変更するね。
乃木が来た!(戦前の旅順でこういうと子供が泣き止むという)
日清戦争における旅順虐殺においては乃木は極めて灰色だね。
もはや単なる荒しと化した感あり。
>194 うひゃは、見難さ大爆発。何をアピールしたいのかね?
数字を強調したいのならば、少なくとも、桁は並ばせるべき。
話題になって散々だった9月被害については「有力」などとエコ
ヒイキしているところは、いい笑いどころだね。ごちそうさん。
他の場所は「不明」と素直に書いているので、尚更目立つ。
要するに逆効果。
数字で突っ込むなら、数字をエコヒイキしてはいけない。
>第3回総攻撃時の白襷隊の参加対損害比率を出そうか?
そうか、上のを教訓に頑張れ。誰かは待っているかもしれないさ。
まあ、たぶん荒しと思われるだけだろうが。
>198 は何も知らないらしい。ただ荒らすだけ<W
200 :
名無し三等兵:02/02/02 19:05
>話題になって散々だった9月被害については「有力」などとエコ
ヒイキしているところは、いい笑いどころだね。ごちそうさん。
他の場所は「不明」と素直に書いているので、尚更目立つ。
>>194 の1500名が有力って第1回総攻撃のだろ?あれもロシア側の
損害が正確ではないんだよね。8:1 4:1はいい加減だよ。
とくに8:1はどっから出てきたのかね? 10:1だよ。
>197 もはやって、初めからだよ? 優しいね。
>200 全部がいい加減なのです。数字を扱い馴れてないんだろ。
あと、「>W」ってのも扱い馴れてないせいだろうな。楽しいね。
203 :
名無し三等兵:02/02/02 19:11
>>201 自分のことを荒し屋と認めるのはどうかな?
>>198 いい加減というんだったら194に変わって正確な数字を
出すというのが紳士だけど?荒らしているのは君だろ?
>205 いや>198はアンチ乃木を叩いて自己満足に浸っている厨房です。
ちなみにネタは2ちゃんねるの日本史板らしいです。<W
>204 あ、そうか。「キルレシオ値」って二個しか出していないものね。
4:1もいい加減だったが、8:1もいい加減だった、という意味です。
加えて、数字を揃えていないこと、その努力も見られないこと、数値不明と
推論値が混同されていること、こういうのも「いい加減」だと思う。
>>206 >厨房 良くわかったよ。彼はまともな数字を
出そうとしてない。俺は参謀本部編の日露戦争は図書館から
借りて読んだだけだから、数字を覚えていない。だから194の
ような意見は助かる。
>207 推論値って君がキルレイシオにこだわるから194は推論を
出してあげたんだろ?正確な数字を知りたい。しかし公式には
出ていなければ、推論するしかなかろう。
それを叩いて荒らすのはどうか?そろそろ退場してくれないか?
>206
あー、そう言えば、その日本史板で拙いジサクジエンが指摘されて
消え失せたヒトがいたなあ?誰だろね?
>210 だから君は194の意見が気に食わないのであればご自分の
数字を出したらいいでしょ?キルレイシオも。見苦しいよ。
分かりやすいヒトだ。
213 :
名無し三等兵:02/02/02 20:11
そうだ思い出した、例のジサクジエンさん、<Wが得意技だったんよ。
>213
私如きヘタレ厨房コテハンをここまで気にかけて下さるとは・・・・・・。
まあ光栄と言えなくもありませんが、生憎最近はROMを決め込んでいますので、念の為。
217 :
名無し三等兵:02/02/02 20:40
>>216 藁タ >>や>の使い方って癖になるんだよね!直ぐに書き込むところが
何とも…!
<W こんなの使うヒトはそうそういないけどね。
219 :
名無し三等兵:02/02/02 21:13
「名将乃木希典」は、参考文献も、引用元も書かれていませんから、資料としての価値は低いです。
あくまでも「そういう見方もあるな」程度のものです。
「○○」でしか書いてない記述もある。どの本もアテにはしない。でも全て参考にする。
222 :
名無し三等兵:02/02/02 22:58
223 :
名無し三等兵:02/02/02 23:11
>>182で疑問なんですが工兵部隊は坑道戦術とか知らな
かったのでしょうか?いや書き方が乃木だけが坑道戦術
を取ったように取れる書き方だから。
本当の所はどうなんでしょうか?
1・第三軍幕僚が正攻法案を説明。
2・会議出席者の大半が反対。
3・第十一工兵大隊長のみが賛成。
4・会議紛糾。
5・軍司令官が判決
然るべき役職の人は知っていたでしょうね。
225 :
名無し三等兵:02/02/02 23:50
>>224 だから、乃木の提案した正攻法と工兵大隊長や参謀が把握していた
攻城法が食い違っていたから反対したのですよね?
>>224は当時の日本の工兵部隊が攻城法についてどこまで知っていたと
お考えですか? 192の言い様が気になったものですみません。
会議は、第三軍参謀の起案した攻撃築城案の説明から始まります。参謀ら
に攻撃案作成を命じ、調査研究を命じたのは軍司令官です。したがって、
軍司令部内は一致した意見を持っていたと思います。
そして会議。説明ののち、各師団参謀長は揃って反対。第九師団参謀長の
発言が伝えられています。
「支援砲弾不足とあれば、攻撃作業の成功は期待できない。むしろ、兵員と
弾薬の補充を待って、一挙に強襲で片づける方がよい」
彼らは『正攻法自体に反対し、強襲法の継続を希望した』のです。
第一師団参謀長、工兵第一大隊長が第九師団参謀長の発言に賛同。
次第に出席者の多くが同調していきます。
その流れを変えたのが、工兵第十一大隊長の発言です。
「欧州の要塞攻撃戦史によれば、強襲攻撃で失敗した後では長期持久戦
に持ち込んで敵の糧秣を絶つか、または攻撃築城を行って成功している。
この場合も実行は困難であろうが、他に方法はないと思われる」
彼が特別な見識の持ち主だったかどうかは、知りません。
しかるべき役職に就いていた人は、当然攻撃築城についての知識は
あったと思います。問題は、それを採用したかどうか、では。
軍参謀案では、工事所要日数については12〜25日で工事を終了する予定、
としています。これは敵堡塁直前40〜100mの地点に突撃陣地をつくるまでに
要する日数であり、堡塁の側防陣地を破壊したり、胸墻下に坑道を掘るという
作業は含まれていません。
おそらく、これをもって「乃木の突撃のための正攻法」と称し、師団参謀長
はこれに反対したのだ、正攻法自体に反対したのではない、と言われているの
でしょう。
では、当時の反対意見はどんなものだったのか?
・砲兵の援護射撃のないままの築城作業を行うことは危険である。
・第一回総攻撃においても、砲兵の支援射撃が充分に行われた場合には、
突撃の成功率は高かった。
・兵員と弾薬の補充を待って一挙に強襲で片づける方がよい。
・仮に敵前50mに突撃準備をしたとしてもその50mの突破が困難である
ことは前回の攻撃で立証されている。
軍参謀の起案が「堡塁の爆破・破壊を目的としていないため」という趣旨の
反対意見は、有りませんでした。
もちろん、後世になってこのような批判は可能でしょう。しかし、「迅速な
陥落」を求められていた当時は、時間的制約によりそれは考慮の外とされ、そ
れについては賛同・反対の両側とも同意していたのではないでしょうか。
・砲兵の援護射撃のないままの築城作業を行うことは危険である。
・第一回総攻撃の被害のため攻撃築城作業は困難。
・仮に敵前50mに突撃準備をしたとしてもその50mの突破が困難である。
・第一回総攻撃で支援射撃が充分に行われた際は、突撃の成功率は高かった。
・兵員と弾薬の補充を待って一挙に強襲で片づける方がよい。
これは軍参謀起案についての反対意見を箇条書きしたものでありますが、
並べると、筋道の立った別意見となっていることが分かると思います。
その別意見の結論は、決して、『乃木の突撃のための正攻法』に反対し、
『正真正銘の正攻法』への転換を求めているのではありません。『一挙に
強襲で片づける方がよい』と結論づけているのです。
230 :
名無し三等兵:02/02/03 08:51
>>224 丁寧な解答ありがとうございます。ただ、
>>145の
一塁ずつを対象にする正攻法は結局は兵力の分散を招き旅順口の
攻略を遅延させかねない。
兵力と弾薬の補給と戦力の回復を待ち重点を定めての総攻撃が
妥当であろう。
を敢えて無視しているように見受けられますが?
なぜそのような書き方をなさるのですか?
224の会議の内容はどの資料、書籍をご参考にしてらっしゃるのですか?
よろしければお教えください。
>230 前段に付いてはすっかり忘れておりました。後段に付いては「攻撃法
として正攻法が拒絶」された場合のことだと解釈しており、あまり触れません
でした。 参考資料「血風二百三高地(船坂弘)」
>一塁ずつを対象にする正攻法は結局は兵力の分散を招き旅順口の攻略を遅延
させかねない。
「各師団が対面する敵の堡塁砲台の数は多く地形もさまざま」なのは事実で
す。しかし「数多くの堡塁砲台」を広く対象としてはおりません。目標を選択
限定しておりますので、「兵力の分散」は極力避けられていると考えます。
旅順攻囲網を形成している三個各師団に、各々二個堡塁砲台の目標を振り分
けております。
第 一師団:南山坡山堡塁・水師営西南堡塁
第 九師団:龍眼北方堡塁・盤龍山北堡塁
第十一師団:東鶏冠山北堡塁・同砲台
>兵力と弾薬の補給と戦力の回復を待ち重点を定めての総攻撃が妥当であろう。
児島襄「日露戦争」での会議出席者の反対意見箇条書きでは、「総攻撃作
戦」とされておりますが、これが「どの形態での総攻撃作戦」かということに
注意すると、これは「強襲法」なのです。その前段階で、攻撃築城作業に難点
を示しているのですから。
元々の論点は、『乃木の突撃のための正攻法』に反対していたのだ、『正攻
法自体』に反対していたのではない。というものでしたので、強襲法継続と
なった場合の話は、論点からずれると考えました。
この反対意見の中の「重点を定めて」との文言は、強襲法継続の内でのもの
と思われます。上述の第九師団参謀長の発言は、このように続けられています
ので。「要点に火力を集中して突撃すれば、必ず成功するに違いない」
232 :
名無し三等兵:02/02/03 11:28
>「各師団が対面する敵の堡塁砲台の数は多く地形もさまざま」なのは事実で
す。しかし「数多くの堡塁砲台」を広く対象としてはおりません。目標を選択
限定しておりますので、「兵力の分散」は極力避けられていると考えます。
旅順攻囲網を形成している三個各師団に、各々二個堡塁砲台の目標を振り分
けております。
第 一師団:南山坡山堡塁・水師営西南堡塁
第 九師団:龍眼北方堡塁・盤龍山北堡塁
第十一師団:東鶏冠山北堡塁・同砲台
これは兵力分散なんですが?近視的に物事をご覧になっていませんか?
203高地攻略時、部分的に何個師団が投入されたのはご存知でしょうに。
また,第3回総攻撃の時も1個師団正面はかなり狭くなっていますが?
とても極力兵力分散を避けられたなんていえませんよ?
これが乃木が採用した一様に堡塁を攻撃する正攻法なんですけど。
また師団正面を狭くするというのは数少ない工兵を集中できるという
ことを意味します。つまり第2回総攻撃 (9月)時のように広い範囲に
わたって攻勢をかける場合、攻撃塹が掘りきれない可能性がある。
実際第2回総攻撃(9月)の時は第9師団 第11師団の攻撃準備の進捗は
よくなかった。
8/30の会議の時点、乃木が何を考えていたかをまとめてみると、
9月前半の補充兵力をもって第2回総攻撃を攻撃塹でもって各師団担当
正面の堡塁群を一様に攻撃するということでいいかと思います。
あと各師団首脳の「強襲」という言葉に反論していますが、
上記の乃木の正攻法も強襲の域を出ていません。また第2回総攻撃(10月)も
攻撃塹が未完成のままで強襲攻撃となっています。
そして乃木が攻撃塹を採用したわりには、第2回総攻撃(10月)のとき
の攻撃塹の未成にも関わらず、強襲攻撃を開始したことに指揮能力に
疑問を感じますが?
もし乃木が師団首脳が反対した強襲に断固として反対ならば、10月の
未成の状態での攻撃を指令するとは思いませんか?いま暫く、状況を把握して
から攻撃を改めることでしょう。
それは別に1日や一週間の延期でも問題なかったと思いますよ。沙河会戦での
満州軍全軍が弾薬損耗していたので攻撃遅延やむなしという電報も出しています。
しかし乃木は弾薬も足らずに第九師団参謀長の
「要点に火力を集中して突撃すれば、必ず成功するに違いない」
の反論を合えて無視したような第2回総攻撃(10月)を決意します。
>232
当初の論点は、この点だったはずです。論点の分散は控えたいと思います。
・論点『会議で師団参謀長らが反対したのは、正攻法そのものではない?』
08月30日の会議の段階において、各師団参謀長ほか会議参加者が反対したのは、
「正攻法への方針転換」であり、彼らの反対意見は「強襲法継続」を求めた
ものだった、という点は、よろしいのですね?
・論点『兵力の分散?』
攻撃目標を二カ所としていることを、兵力の分散とする意味が分かりません。
一つだけにすれば良かったと言われるのですか?その場合、防御側にとって、
かなり楽な対応を許してしまいそうに思いますが。
何故に、08月30日の会議の際の話をする時に、09月攻撃や10月攻撃の
話が出てくるのでしょうか。また、この会議の際に二百三高地を含めると
いう話は出ていません。複数氏が既述されているように、その提案は09月
05日の会議で出されるのですから。
さらに付け加えるのならば、仮に、『正真正銘の正攻法』を、この08月30日
の段階で提案したとしたら、それは軍の任務に合致しないものとして一蹴され
たと思います。
この会議後の09月01日から掘り始めて、坑道先端が敵堡塁に達し第三軍
兵士が目標の堡塁外壁を破壊して内部に突入を果たしたのは、10月28日で
す(東鶏冠山北堡塁)。正真正銘の「正攻法」となるまで60日を要しました。
その間何もするべきでなかったと言われるのですか?それは、歴史が完結し
た後でようやくに言えることです。
235 :
名無し三等兵:02/02/03 23:29
> 08月30日の会議の段階において、各師団参謀長ほか会議参加者が反対したのは、
「正攻法への方針転換」であり、彼らの反対意見は「強襲法継続」を求めた
ものだった、という点は、よろしいのですね?
いや、あなたの仰る乃木の正攻法も強襲の域を出ていません。
また伊地知は第一回総攻撃時、工兵隊の坑道戦術、攻撃塹建設
の意見具申を無視しています。
そして8/30の第3軍司令部の正攻法も、第2回総攻撃後半や12月の攻撃時の
ような坑道を築いた上での敵堡塁爆破ではなく 単なる、突撃のための
攻撃塹の建築を進めたに過ぎません。
8/30時、乃木がどういった構想を描いて攻撃をしようとしたかを
考えるにあたって、第2回総攻撃を検証するのは必要です。
7/29の会議によって8月の総攻撃が決まったように、8/30の
会議でもって何をしようとしたか、したかったかを検証するのに
第2回総攻撃 9月、10月を検証するのは重要です。
>攻撃目標を二カ所としていることを、兵力の分散とする意味が分かりません。
一つだけにすれば良かったと言われるのですか?その場合、防御側にとって、
かなり楽な対応を許してしまいそうに思いますが
史実で203高地に対する兵力の集中の度合いなどを検証なさってない
ようですね。また第2回総攻撃時に児玉が作戦に対する意見を
電報で打った内容も其の過広の作戦を見直せという内容であったが?
議論に水指して申し訳ないけど、映画「203高地」のテーマソング
さだまさしの「防人の詩」って、日本で作られた戦争糾弾歌としては
いちばんだと思う・・・。
あれ聞くと涙がとまんない・・・。
237 :
名無し三等兵:02/02/03 23:33
>224
長々とご苦労様です。よーくお勉強なされてるのがつたわってきます。
水を差すようで申し訳ありませんが、児玉元帥が乃木解任の書状を
懐に入れて、三軍の参謀本部で203高地の攻略法を命令して一日で
203高地を落としたのは、ではどういうわけでしょう?児玉が指示したことが
三軍の参謀諸君に見えてなかったとしかいえないとおもいますが。
(半年以上も現場にいながら) 無能な参謀はやっぱり無能としか思えません。
児玉元帥がこなかったら、どうなっていたでしょう。
歴史が完結したあとでもあれこれと言い訳だけを言うのは
いかがなものでしょう。
238 :
名無し三等兵:02/02/03 23:34
もし、坑道戦術が時間がかかり、砲撃の火力による堡塁の破壊を
目指すのであれば、二十八サンチ砲を「送るに及ばず」という伊地知
の電報は最低ですね。その後に長岡がなんとしてでも送るといってから
後日の為に〜という電報を返しているのですから。
>237 いや第3軍司令部が無能というか手落ちがあったのは
適切な予備兵力の投入時期を見誤っていること。つまり
参謀が前戦を見ていないのでどの場面に予備兵力を投入し、
攻勢砲火をするかがズレていたとしか思えません。
そして占領を確実のものとする努力を第3軍司令部は怠っています。
>>237 遼太郎タンマンセーですか?(・∀・)
また司馬史観は後知恵で云々みたいなことを繰り返すのか……
241 :
名無し三等兵:02/02/03 23:43
>237
児玉が持っていったという一札、誰も内容を見たことがないものです。
誰もその内容を知らないものを、「乃木解任の書状」とされるのは、如何なる
根拠のゆえでしょう。
242 :
名無し三等兵:02/02/03 23:50
>235
235では、師団参謀長らの反対理由については述べられていません。
会議で「第三軍参謀が起案した攻撃築城」、その作業の危険性・成功
見込みなどを理由に、師団参謀長らが反対したというのはよろしいので
すね?
>>242 だからそれは攻撃塹であって坑道戦術ではない。
突撃陣地からの強襲にすぎない。その方法の差異と
でしょうが?
244 :
名無し三等兵:02/02/04 00:06
>>241 児玉が持っていったという一札、誰も内容を見たことがないものです。
誰もその内容を知らないものを、「乃木解任の書状」とされるのは、如何なる
根拠のゆえでしょう。
乃木に対する世評、長岡の乃木の病状による更迭案、大山大将の
事前電報等色々な根拠がありそうですが?
>>238 前スレに書いてあったけど
>>二十八サンチ砲を「送るに及ばず」という伊地知の電報
これは資料的にはないそうです
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
190 名前:名無し三等兵 投稿日:01/12/15 15:39
>187
司馬遼太郎のついたウソです。
第1回攻撃のあと、伊地知が大本営に“弾薬の増加請求”の電報を
うったのですが、これに応えて長岡参謀次長から、「内地では弾薬の在庫がない。
かわりに攻城砲として28サンチ榴弾砲を送るつもり。9月15日頃大連湾に着く。
意見を聞きたい」という旨の返信がありました。
で、これに応えて伊地知は、
「二十八糎榴弾砲は其到着を待つ能はざるも、今後のため送られたし」
と返信しています。司馬遼太郎が書いたように「送ルニ及バズ」などとは
返信してません。
246 :
名無し三等兵:02/02/04 00:15
>>245 前スレの190はウソですね。
児島の日露戦争では9/1に砲弾400発とともに横須賀出発を
整えた時点で打電した時の第3軍の解答が「送るに及ばず」
だったのです。
攻城砲兵司令官豊島少将に二十八サンチ砲の可能性を
問うと「とても間に合わないべトンが乾くまでに1.2ヶ月
はかかる」その事情を知らぬ長岡少将は無理して急送の
手配をした以上、中止はできないと打電したあとに、
第三軍は「二十八糎榴弾砲は其到着を待つ能はざるも、
今後のため送られたし」と返電した。
>243
起案は、たしかに突撃陣地の構築作業であり、坑道を企図してはいません。
しかし、その事について訂正を求めた反対意見はありましたか?
『……あと50mの突破が困難である』という意見に続けて、『爆破可能な
状況になるまで掘るべきだ』とされているのならば、相当します。しかし
そうではないでしょう?
『……あと50mの突破が困難である』との意見は、築城作業によって得ら
れる利点は、労力に相応するものではない、という意見です。
248 :
名無し三等兵:02/02/04 00:24
>>247 だから攻撃塹の採用による強襲攻撃か火力の支援による
強襲攻撃かに分かれる。
後ほどの12月の堡塁爆破や10月の坑道戦のような構想ではなかった。
それを後付けで8/30の時点で決心したと取れる意見にするのはどうか?
と申し上げているのだが……。
>>246 の電文を書いたのは伊地知。意見を聞いた先は豊島少将。
彼らはまず本土の陸軍砲火器技術将校かつ、陸軍技術審査部長
の有坂に確認を取るべきであったろう。もしくは長岡に
根拠を問いただす努力は最低限すべきであった。
しかし彼らは自らの先入観によって役に立たないと思った
のではなかろうか?
250 :
名無し三等兵:02/02/04 00:45
>248
228冒頭で述べております。
『軍参謀案では、工事所要日数については12〜25日で工事を終了する予定、
としています。これは敵堡塁直前40〜100mの地点に突撃陣地をつくるま
でに要する日数であり、堡塁の側防陣地を破壊したり、胸墻下に坑道を掘
るという作業は含まれていません。』
さらに付け加えるのならば、仮に、「正真正銘の正攻法」を、この08月30日
の段階で提案したとしたら、それは軍の任務に合致しないものとして一蹴され
たと思っています。
さて、史実では、あなたの言われる攻撃塹壕、私の言うところの突撃陣地が、
敵堡塁前40〜100m程度の場所まで到達したわけです。ところで、もしも各
師団参謀長らの意見を容れて攻撃築城作業をせずにいたら、また08月攻撃と
同様の戦闘方法となるのですが?
「正攻の確実なるに若かず」の判決でそれが回避されていることに、何か
問題があるというのですか?
251 :
名無し三等兵:02/02/04 01:04
28榴弾砲送付に関する長岡次長の記述には、多くの問題点があります。
『28榴弾砲30門を、対馬海峡防備の目的で本土の沿岸要塞から撤去して
09月10日までに大連に送付する』ということが大本営会議で決定し、08月
05日には陸軍省が承認しています。その後、直ちに撤去作業に入っています。
ところが、長岡談話では、上記の経緯がこう説明されているのです。
『八月下旬、有坂部長が長岡次長に、陸軍省で二十八珊榴弾砲を旅順に送るこ
とを提案し、長岡が沿岸防御に危惧をしめしたのにたいして有坂がこれを保証
した。それで山県参謀総長の承認をえたのち、長岡が寺内陸相の説得にかかっ
た。「内地の防備を薄弱にしようというのであるから、陸軍大臣も最初の間は
余程考えられたが、往復3、4回の後、遂に同意せられて先ず六門を送ること
を決定せられた」(機密日露戦史より、長岡次長談話の項)
長岡が話すところの八月下旬には、大本営会議も陸軍省の承認もとっくに
終わり、当然陸軍大臣も承知のことだったはずですが、長岡次長は何を意図
してか、全く事実経緯と異なることを述べています。
上記長岡談話の続きで、例の伊地知との電報応酬について、彼自身がこう
述べています。
「(陸軍大臣の同意を得て、)私は鬼も首でも獲ったつもりで早々第三軍を
喜ばせんために取敢えず左の電報を発した。……然るに、送るに及ばずとの
伊地知参謀長よりの返電に接した。その電報が如何なる訳か、残っておらぬ
が、私の日記中には左の意味が筆記してある。」
……信用できるのでしょうか……。
>>250 乃木の判決
>敵の兵員並みに兵器弾薬の補充の途なく、一人一発を失うと共に逐次
>其の寿命を縮むるに反し、我軍は仮令弾薬少なきもこれが補充の道を
>有す。故に正攻の確実なるにしかず
これはいくら時間がかかってもいいから、正攻をせよという
意味にとれますが?その後の質問も時間がかかってもいいのかという
内容です。しかし、実際乃木軍司令部が決めた内容は
軍参謀案では、工事所要日数については12〜25日で工事を終了する予定、
としています。これは敵堡塁直前40〜100mの地点に突撃陣地をつくり、
”一塁ずつ潰していく正攻法”
である。 判決でははっきり時間がかかっても良いという意見であるが
時間的制約があるから仕方が無いという意見は通用しなくなりますが…。
その割には坑道戦術、坑道からの堡塁爆破ではなく、また砲弾の
補充を受けられないにも関わらず、二十八サンチ砲の送るに及ばずたる
返電など固定観念に凝り固まっていると考えられます。
第3軍司令部の怠慢ともいえるでしょう。(乃木の怠慢ではないが
せめて、任せっぱなしの状態を打破すべきであろう)
253 :
名無し三等兵:02/02/04 01:15
>『28榴弾砲30門を、対馬海峡防備の目的で本土の沿岸要塞から撤去して
09月10日までに大連に送付する』
対馬海峡防備の”目的”で東京湾、広島、下関などの要塞から、朝鮮半島南端の
鎮海湾、大連湾、対馬に決定され砲の撤去作業が開始されていた。
8月5日の段階で 9月半ば移送の対馬海峡防備の”目的”の分を、
8月下旬に其の一部を旅順攻略の”目的”に振り向けようとして大本営
に掛け合ったのですが?
文章をしっかり把握してください。あなたの勘違いで資料を
信用しないのは勝手ですけどね……。
続けて、長岡次長はこう述べています。
「陸軍大臣が余り好まれないことを無理にお頼みして大砲取り外しに着手して
いるというのに、要らぬの云うて来たとは、今更何の顔にて言い出されよう。
たとえ不要になっても構わぬから大連に陸揚げして置くということを折り換え
して電報した云々と(私の日記中に)あり」
251冒頭記述の大本営決定、陸軍省承認、撤去作業事着手、という事実経緯
から見ると、何の事を述べられているのか、首を傾げざるを得ません。
そして、「これの返電ならんか」と、伊地知の電文を挙げています。
『次長宛 第三軍参謀長
二十八珊榴弾砲はその到着を待ち能わざるも、今後のために送られたし』
最後に、こう述べています。
「それにしては時日が少し早過ぎる様なり」
事実経緯について、自身でもやや不安になっていたのでしょうか。
長岡は長州閥、伊地知は薩摩閥、かなり長岡に対抗意識を持っていた
のは事実でしょう。
256 :
名無し三等兵:02/02/04 01:26
ちなみに長岡少将が第一回総攻撃失敗のあと、ロシア側の堅固な
べトン要塞を破壊するには火力の増強が必要と考えたのですが、
二十八サンチ砲を推薦した人物は陸軍砲兵課の山口大佐と
技術審査部長の有坂なんですけどね。
そして長岡少将もこの巨大砲が戦場にすえつけられるのが
迅速にできるかどうか有坂に尋ねています。
>>251の8/5に大連に移動が決まっていたという意見は
第一回攻撃失敗もしていないのに大本営は旅順に送るのを決めたと
いう意見にも取れます。いい加減とんちかんな意見は
やめてください。
>253
いいえ、長岡次長は、件の28糎榴弾砲撤去が既に決定し撤去作業に入って
いたことを一言も述べていません。
それどころか、「有坂部長に防備薄弱を反問したところ、差し支えないと
の答えを得、陸軍大臣の同意を得ることを勧められた」「(私が同意を得る
ため伺ったところ、)内地の防備を薄弱にしようというのであるから、陸軍
大臣も最初の間は余程考えられた」と、長岡次長の掛け合いによって、元々
28榴弾砲の撤去に渋っていた陸軍大臣が同意した、と述べているのですよ。
258 :
名無し三等兵:02/02/04 01:36
>>251 内地とは別に日本本土とは限りませんよ?
旅順におくるか、対馬防衛(沿岸防衛)に回すか?
旅順に送って沿岸防衛が手薄になってもいいかと訪ね
ているのですが?
259 :
名無し三等兵:02/02/04 01:45
>258
「旅順に送って沿岸防衛が手薄になってもいいかと尋ねているのです」
?誰が、誰に尋ねていると言われるのですか?その説は初耳です。
是非教えて下さい。
260 :
名無し三等兵:02/02/04 01:49
>259
>>251をよく読んだら?
『八月下旬、〜〜それで”山県参謀総長”の承認をえたのち、長岡が”寺内陸相”
の説得にかかった。「内地の防備を薄弱にしようというのであるから、”陸軍大臣”
も最初の間は余程考えられたが、往復3、4回の後、遂に同意せられて先ず六門を
送ることを決定せられた」(機密日露戦史より、長岡次長談話の項)
261 :
259つづき:02/02/04 01:50
念のため、
259の「沿岸防衛」とは、258氏が述べられている「対馬防衛」の
意味ですよ?
「旅順に送って対馬の防衛が手薄になってもいいか?」と、誰が
誰に尋ねていると言われるのですか?
262 :
名無し三等兵:02/02/04 01:52
>260
ああ、やっぱり間に合いませんでした。
259の「沿岸防衛」とは、258氏が述べられている「対馬防衛」の
意味です。 再度お尋ねします。
「旅順に送って対馬の防衛が手薄になってもいいか?」と、誰が
誰に尋ねていると言われるのですか?
263 :
名無し三等兵:02/02/04 01:55
いやまさか、259は対馬海峡防衛=内地の防衛とは考えてなかったのか?
対馬海峡を防衛と東京湾や広島、下関の大砲とどっちが大切か?
また対馬海峡防衛と旅順攻略のどちらが大切か?の推移が見えてないと
思える。
264 :
名無し三等兵:02/02/04 01:57
機密日露戦史の長岡談話には、有坂部長が危惧した「沿岸」についても
地名を挙げて言及しております。
有坂「いや今日の場合に於て観音崎由良要塞よりこれこれのものを
下ろすも差し支えはない」
「内地」とは、まさに日本本土沿岸の事を述べているのです。
265 :
名無し三等兵:02/02/04 02:00
そして、08月10日に撤去命令が出されたのは、まさに東京湾要塞と
芸予要塞の合計18門なのです。
長岡談話において長岡が危惧した「内地防衛」とは、まさに日本本土
沿岸の事です。
266 :
名無し三等兵:02/02/04 02:03
>>264 なるほど、内地の”各所”からの移送と既に撤去が始まっているのと
が あなたの中では同一と見るわけですね。別々と考えてみてください。
267 :
名無し三等兵:02/02/04 02:06
>266
では、あなたは別々とされているのですね。
268 :
名無し三等兵:02/02/04 02:08
長岡が二十八サンチ砲の移送の提案を受けた時期は8月後半
東京湾要塞と芸予要塞の合計18門が撤去命令を受けたのは8/10
長岡が提案を受けたときには既にあなたのおっしゃる砲台は
撤去命令済みでしょ?長岡がそれを危惧したというのですか?
それとも対馬海峡防衛に送るのを決まっていた分を旅順に送る
ことに危惧したのですか?
私は撤去という言葉を用いておりますが、当然、これは移送のための
撤去です。同一のものですよ。
270 :
名無し三等兵:02/02/04 02:10
既に撤去命令済みの内地砲台を危惧するのではなく、対馬海峡の
防備が手薄になることまたそれに伴い、対馬防衛に送る分を旅順に
送るわけですから、内地よりさらに対馬に持っていかなくてはならな
いのでしょ?
271 :
名無し三等兵:02/02/04 02:11
>268
「八月下旬に、長岡次長が提案を受けた」という長岡談話そのもの
に疑義があると申しているのです。
突然ですが、暫時の休戦を申し込みます。
宜しいですか?
274 :
名無し三等兵:02/02/04 02:18
8/10 東京湾要塞と芸予要塞の合計18門を対馬海峡防衛のため撤去命令
観音崎由良要塞分を対馬防衛Or旅順に回すのに危惧。
別におかしくないが?
275 :
名無し三等兵:02/02/04 02:18
いいですよ。
双方の資料を確認したいのですが。
277 :
名無し三等兵:02/02/04 02:28
もちろん、この28榴弾砲旅順戦参加に限ってのことです。
278 :
名無し三等兵:02/02/04 02:32
>>271 意味不明、相手の資料によって意見を変えるのですか?
なんじゃそりゃ?
機密日露戦史の該当内容はご存じですか?
機密日露戦史に紹介されている長岡談話の、事実経緯の不備について
指摘している「日露戦争の軍事史的研究(大江志乃夫)」の該当内容は
ご存じですか?
281 :
名無し三等兵:02/02/04 02:55
ご存じですか?ご存じなければ、要点をお知らせしますが。
資料の文面は、誰が見ても同じ文面です。
共通の資料を基に、異なる解釈を交えてみたいと思いますが。
こちらから提供できる資料は、先述の二冊の該当個所、あと大江氏の指摘
の確認のために参照した明治軍事史該当部があります。ご希望でしたら、
要点をお知らせします。
そちらから提供できる資料がありましたら、資料名をお知らせ下さい。
284 :
名無し三等兵:02/02/04 03:24
大江氏の論点はよく存じていませんのでお教えいただければ幸いです。
大江氏の該当個所、今夜にはupしたいと思います。
「日露戦争の軍事史的研究(大江志乃夫)」より該当個所
『 二八珊榴弾砲配備の経緯については、『機密日露戦史』にくわしいが、そ
こにも記述されていない事の起源は、バルチック艦隊の東航にそなえ、大連
湾・鎮海湾・対馬防衛用に計三〇門を九月一〇日までに到着するよう大本営会
議で決定、八月五日に陸軍省が承認したことにあった。
この段階で、東京湾要塞や芸予要塞、下関要塞の計三〇門を撤去して「之ニ
充用スルモ防禦上支差ナキ見込ナル旨副牒アリシ」ことが明白なので、『機密
日露戦史』に引用の「長岡参謀次長談」は事実の経過に相違する。
長岡談話では、有阪成章が長岡次長に、八月下旬、陸軍省で二八珊榴弾砲を
旅順に送ることを提案し、長岡が沿岸防禦に危惧をしめしたのにたいして有阪
がこれを保証したので山県参謀総長の承認をえたのち、長岡が寺内陸相の説得
にかかり、「内地の防備を薄弱にしようというのであるから、陸軍大臣も最初
の間は余程考えられたが往復山、四回の後、遂に同意せられて先ず六門を送る
ことを決定せられた」ことになっている。
事実としては、すでに陸軍省側の意見統一はできており、陸相の承認をうけ
たうえで、有坂と山口が参謀本部の説得にかかるべく、長岡の来訪を待ってい
たものと考える方が自然である。
技術審査部長と砲兵課長と、砲兵科の技術と行政の最高責任者がそろった席
上で、陸軍大臣の内々の承諾もうけずに参謀次長にこのような提案をすること
は考えられないし、また直属の上司の承認を得る努力を後まわしにして参謀本
部の説得にかかることも考えられないからである。「長岡参謀次長談話」は、
自己の功績を誇るための誇張である可能性が大きい。』
「陸軍政史」・「明治軍事史」にも同様に該当箇所があります。
内容は、大江氏の結論『「長岡参謀次長談話」は、自己の功績を誇るため
の誇張である可能性が大きい。』を裏付けるものです。
「陸軍政史」の該当個所には「28糎榴弾砲のような大口径砲を旅順要塞戦に
使用するのが得策だ」という考えは、元々陸軍大臣が提案したものであった、
という記述があります。長岡参謀次長談話と明らかに相違するものです。
これについても、ご希望でしたらお知らせします。
289 :
名無し三等兵:02/02/05 08:15
>>271 日露戦争の戦史編纂の太平洋戦争の戦史編纂の特徴の違いは
日露戦争は全ての功績は指揮官に順ずるという書き方。よって作戦の
立案過程などは軽視されている。
太平洋戦争では参謀による作戦の立案過程を重視している。これは
幕僚統帥が横行した原因となった日露戦争時の陸軍のシステムが
問題になっています。 大江氏も日露戦争時の戦史記述と
太平洋戦争での戦史記述の差異について論じていますが???
だから陸軍大臣、軍司令官の功績によるという書き方になって
いても特におかしくはない。太平洋戦争の後 日露戦争時の
司令部間の紛糾などの秘密が公開されたために、戦前の粉飾された
陸軍のイメージが明らかにされたはずだが?
8/10に対馬防衛用は決定 有坂はこのうちの数門を旅順に回すこと
を提案、長岡、陸軍省が対馬防衛に承認した門数に足らない。其の不足分は?
観音崎由良要塞分を不足分に回す。
長岡は内地の観音崎由良要塞分の大砲が減ることを危惧。陸軍大臣に
相談。承諾とる・・・・っと
おかしないよ。
290 :
名無し三等兵:02/02/05 08:20
>>288 それは寺内陸相が旅順出征前に提案して児玉が
拒否した件でしょうか?
291 :
名無し三等兵:02/02/05 08:23
二十八サンチ砲を送るに及ばずに関しての話題に関して、
長州、薩摩の軍閥関係から考えたほうがいいよ。
>289
おかしいですよ。
前にも書いていますが、長岡が自己の功績として誇っているのは、
「大砲の供出を渋っていた陸軍大臣を三、四回の往復ののち承認させた」
という点がメインなのですから。
長岡談話は事実の経緯との相違が著しいのです。
>>289 『8/10に対馬防衛用は決定 有坂はこのうちの数門を旅順に回すことを
提案、長岡、陸軍省が対馬防衛に承認した門数に足らない。其の不足分は?
観音崎由良要塞分を不足分に回す。長岡は内地の観音崎由良要塞分の大砲が
減ることを危惧。陸軍大臣に相談。承諾とる・・・・っとおかしないよ。』
初っぱなから疑問です。「有坂が、旅順に回すことを提案」
これは、何の文献資料に書かれているのですか?「長岡談話」を参考にした
と思われる小説などに紹介されているのは知っていますが、「長岡談話」以外
にこれを裏付けるものはあるのですか。
「観音崎由良要塞分を不足分に回す」
旅順に振り向けられた不足分充足のために、他の沿岸要塞の28砲の撤去命令
が出されたのは、10月10日のことです。これは観音崎由良ではなく下関です。
「長岡が有坂から提案を受けて、働きかけを始めた当初、陸軍大臣は同意
していなかった」というのが、「長岡談話がおかしくなく成り立つ」ための
前提条件です。「翻意させ同意させたこと」を功績としているのですから。
「28榴弾砲移送のことについて長岡が関与したのは、陸軍省内の意見統一が
成されたあとのことだろう」という大江氏の論は、いかが思われますか。
294 :
名無し三等兵:02/02/05 21:10
>初っぱなから疑問です。「有坂が、旅順に回すことを提案」
>>286の
事実としては、すでに陸軍省側の意見統一はできており、陸相の承認をうけ
たうえで、有坂と山口が参謀本部の説得にかかるべく、長岡の来訪を待ってい
たものと考える方が自然である。
ここに書いてあるあなたの意見をまず咀嚼されたらいかがでしょう?
>294
その疑問提案の最後にこう述べております。冒頭だけしか読んでいないの
ですか。『「長岡談話」以外にこれを裏付けるものはあるのですか。』
「あなたの意見を咀嚼」もなにも、貴方が指摘引用した286の冒頭を
よくご覧になられて下さい。
長岡談話の該当部以外、この件を紹介した文献はあるのでしょうか。
296 :
名無し三等兵:02/02/05 22:56
>>295 別にその論理展開してもいいけど、ならば、陸軍省は
旅順が失敗することを見越して、8/10の時点で二十八サンチ砲
を旅順に移送することを決めていたのだろ?其の本によれば…?
そうであるならば、陸軍省は旅順要塞が二十八サンチ砲を
あの時点で用意するほどの防御力を持っていたことを知ってい
た証左を明かす必要が出てくるよ?いいの?
297 :
名無し三等兵:02/02/05 23:08
>>271 陸軍省にいた山口と有坂が、長岡が訪れたときに二十八サンチ砲を
旅順に移送する案を(もともと陸軍省で一致しようがしまいが)出した。
それをあなたは初っ端から疑問というんでしょ??
ならばあなたの見解では誰が提案したのですか?陸相ですか?
陸相のもともとの意見は児玉に拒否されてますが?
>296
『陸軍省は旅順が失敗することを見越して、8/10の時点で二十八サンチ砲を
旅順に移送することを決めていたのだろ?其の本によれば…?』
そんなこと全く書いてありませんよ。
逆に問います。どこに書いてあるのですか!
299 :
名無し三等兵:02/02/05 23:20
>>298 君の意見では長岡談話を無視して二十八サンチ砲はだれが
提案して、誰が実行に移したのかね?そして参謀本部と陸軍省の
調整はだれがしたのかね?
300 :
名無し三等兵:02/02/05 23:21
またーりしろや!
喧嘩するな!
301 :
名無し三等兵:02/02/05 23:22
> そんなこと全く書いてありませんよ。
逆に問います。どこに書いてあるのですか!
あなたはその引用された本そのページの陸相の意見を読んでないの?
都合のいいところだけ引用するのかい?(藁
302 :
名無し三等兵:02/02/05 23:25
またーりしろって!
読めねーのかよ!
>>302 指摘されたら煽りか? 乃木ヨイショは痛いな…。
『陸軍省は旅順が失敗することを見越して、8/10の時点で二十八サンチ砲を
旅順に移送することを決めていたのだろ?其の本によれば…?』
この文章は、こういう事を言っているのでしょう?
「08月10日の時点で旅順攻撃が失敗することを見越して、旅順への移送を
決定していた」
どこにそんなことが書いてあるのですか。
08月10日ですよ。誰も旅順攻撃が成功するかどうかなんて、知りま
せんよ。
306 :
名無し三等兵:02/02/05 23:32
だから君の引用した本の指摘した内容が記載してある
ページを全部読んでみたら? 陸軍省が長岡が来る前に
陸相の見解が載っているはずだが?
>301
「陸相の意見」?なんのことですか?
308 :
名無し三等兵:02/02/05 23:36
271の意見を纏めたらそうなるんだけど?8/10の時点で二十八サンチ
移送は第1回総攻撃成功、失敗すること関係なく旅順要塞攻略の
為に持っていくことを決めている?
そう取れるけどネェ。
309 :
名無し三等兵:02/02/05 23:37
>>303 ハァ?乃木ヲタ?何だそりゃ。
違うぞ!俺はロムってるだけ。
とにかく俺はマターリして欲しいだけなのよ!
分かったか二人とも!
>>306 だったら、まず君がその該当部分を引用して見せるのが筋だと思うが。
>308
全然違いますよ。私(271)の意見を勝手に纏めないで下さい。
08月10日には、バルチック艦隊東航の備えとして東京湾要塞と芸予要塞の
28榴弾砲を活用するために撤去を決定しているのです。
その後ですよ総攻撃は。そしてその失敗は。
314 :
名無し三等兵:02/02/05 23:40
315 :
名無し三等兵:02/02/05 23:41
>313
君の意見では長岡談話を無視たとして、二十八サンチ砲旅順移送はだれが
提案して、誰が実行に移したのかね?そして参謀本部と陸軍省の
調整はだれがしたのかね?
>306 >271 お互い引用できないのね…….
別に誰だっていーじゃねーか、28センチ砲の旅順移送を提案したのが誰だろうと。
誰かが提案し、長岡を含む複数人が賛成し、根回しをした。
ただ、長岡がその中心人物だと断言するのには無理があるってことだけだろ。
有坂あたりじゃないのか?
>316
271ですが、私の資料の当ページには、「陸相の意見」というものは載っていませんので。
306氏の引用を、私も待っているところです。
>>306あなたはその引用された本そのページの陸相の意見を読んでないの?
都合のいいところだけ引用するのかい?(藁
319 :
名無し三等兵:02/02/05 23:49
おめこ
320 :
名無し三等兵:02/02/05 23:54
「おめこ上がり方」って間違えて印刷された食料品があったんだよ。
知ってる?
321 :
名無し三等兵:02/02/05 23:58
>「陸相の意見」というものは載っていませんので
>>288に書いてある事はそのページに載ってないのですか?
>271は嶽原でしょ?彼は図書館で読んだ本を写すだけだから、
詳細な内容を知らないと思える。306は引用をしっかりすべし。
>300
そうだね
そんなに悪い議論じゃないし
>>320 どんな文章をどう誤植したら、そんなラベルが出来るんだ?
325 :
名無し三等兵:02/02/06 00:13
>「陸相の意見」というものは載っていませんので
>>288に書いてある事はそのページに載ってないのですか?
326 :
271(笑):02/02/06 00:14
>321
書いてありますよ。陸軍政史の08月29日の項です。
その中には、陸軍大臣の提案として、28榴弾砲のような大口径砲を旅順戦
に用いるのが良い、というものが紹介されています。
そして、それが中小口径火砲の砲撃に次ぐ強襲を以て旅順を陥落すべし、
という参謀本部の意見に押されて行われなかったと書かれています。
けして、
>296『陸軍省は旅順が失敗することを見越して、8/10の時点で二十八サンチ
砲を旅順に移送することを決めていたのだろ?其の本によれば…?』
などということは書いてありません。
327 :
名無し三等兵:02/02/06 00:18
>>271 ROMってるもんだが、児島襄 日露戦争では次長児玉中将を
はじめ、当時の参謀本部内では中小口径火砲の砲撃に次ぐ強襲を以て
旅順を陥落させられると書いてあるが?
8月29日にその話というのはおかしくありませんか?
328 :
名無し三等兵:02/02/06 00:21
日露戦争の軍事史的研究の該当ページに8/中旬に旅順攻略が成功せずとも
二十八サンチ砲は送るようなことが書いてある。
329 :
名無し三等兵:02/02/06 00:29
>>324 外国で作ったらしいよ。
漫画で読んだ。
添削は日本人がしたらしいが、
仕事の依頼主が気に入らないので
そのまま流したらしい。
結果、これを仕入れた商社は大事だったそうな。
>陸軍政史の08月29日の項です。
>その中には、陸軍大臣の提案として、28榴弾砲のような大口径砲を旅順戦
>に用いるのが良い、というものが紹介されています。
>そして、それが中小口径火砲の砲撃に次ぐ強襲を以て旅順を陥落すべし、
>という参謀本部の意見に押されて行われなかったと書かれています。
長岡外史が二十八サンチ砲の提案を受けた時の参謀本部の意見が
こうだったとすれば、そりゃ交渉したり、参謀長を説得するのは
大変だったことでしょう。
331 :
名無し三等兵:02/02/06 00:30
俺ノチンポハ二十八サンチ砲ナリ
>327
はい、この「陸軍政史08月29日の項」というのは、29日の事を記している
のではありませんので。
旅順攻城戦前の陸軍大臣の28榴弾砲使用アイデアの事と、それが参謀本部
の議論と陸軍一般の意向に合わず行われなかった事、そして総攻撃失敗の後
陸軍大臣が大本営並びに攻囲軍に注意するところとなった事、その結果とし
て28榴弾砲が攻城砲として採用を見るに至った……という長期期間の経緯を
記しています。
>330
『長岡外史が二十八サンチ砲の提案を受けた時の参謀本部の意見が
こうだったとすれば……』
引用されている箇所は、児玉が参謀本部の参謀次長だったころの話です。 上記の仮定はちょっと外れていると思いますが。
>328
どこですか?ページを教えて下さい。
ちょっと記述があやふやですね。「どこに」送るとなっていますか?
335 :
名無し三等兵:02/02/06 07:54
>>332 陸軍政史はほんとにどの幕僚がどう考えたかという記述がないですね?
>>293の意見と同じなんだね。
数日経って、いまだ306氏から何も引用がありません。
306氏の言われていた事は間違いだった、と思わざるを得ません。
296:陸軍省は旅順が失敗することを見越して、8/10の時点で二十八サンチ砲
を旅順に移送することを決めていたのだろ?其の本によれば…?
298(271)>296 そんなこと全く書いてありませんよ。逆に問います。どこ
に書いてあるのですか!
301 :あなたはその引用された本そのページの陸相の意見を読んでないの?
都合のいいところだけ引用するのかい?(藁
306:だから君の引用した本の指摘した内容が記載してあるページを全部読
んでみたら?陸軍省が長岡が来る前に陸相の見解が載っているはずだが?
296では「271引用の本によれば、08月10日に旅順攻撃が失敗することが見越
されて重砲移送が決定されたことが伺える」とし、301・306ではその根拠とし
て「271は引用ページの都合のいいところだけを引用している。引用しなかった
場所に載っている陸相意見・見解を読め」と、まるで既に読まれていて、その
陸相意見・見解の文章があることが確認ずみであるように言われていますね。
その上で、08月10日に旅順攻撃失敗を見越して重砲移送が決定されていた、
などということを伺わせる陸相意見・見解とはどこに書いてあるか、どんな文
章か、と問われて何も引用できないというのは、自身の発言にあまりに無責任
だと思います。
数日、というのは一日の誤りです。失礼しました。
既に該当個所をお読みの上で書き込みしているような書き方でしたし、
本日07日の早朝には書き込みがあるものと思っておりました。
陸相意見・見解の文章があることを確認ずみのうえでの書き込みでは
なかった、ということですね。
>271
乃木マンセー太郎の煽りだから気にすることないよ
連中相手にそんなに真面目にやっても疲れるだけだし
>338
336で尋ねているのは、大江氏の書物の該当個所に、306指摘の文章が有る
か、無いかという点です。306は有る、読め、といいつつ引用しないのです。
この論点について、書き込みする人物が乃木擁護派だとか乃木無能派だとか
という事がどれほど関係するというのですか。
340 :
名無し三等兵:02/02/08 08:04
271は偉そうなことを言っていますが、自分にとって
都合のいい箇所のみを引用しておりますな。
お前はハンコックか?
某書の陸軍政史08月29日の後半部分を書くとこうなります。
勇敢なる守兵をもって防御せる永久要塞の攻撃は当時
我が軍〜人が予想せしごとく容易なるものに非ずして、
本回の総攻撃遂に非常に終わりしかば、陸軍大臣は
更に大本営並に攻囲軍等に注意する所にあり
その結果ついに攻城砲として28サンチ榴弾砲の採用を
見るにいたり。
既に本月16日よりこれが実行に着手せり。
本回の総攻撃が遂に非常に終わりしかば・・・という意味は
仮定としても使える言葉でして、総攻撃が失敗に終わったとすれば、
と総攻撃前から大本営と参謀本部に注意しており、その結果と
して本月!(8月でしょうね)16日に実行着手済みということになる。
もし終わりしかばというのが過去断定であるならば、本月16日に
着手済みという言葉と相反することとなり、資料としての価値は
低くなりますな。
俺の意見が間違い云々という前に自分の読解力を鍛えろよ。
著名人の書いた意見をそのまま受け入れるだけの貴殿は大成しないよ。
大江氏は基本的に参謀本部が8月の旅順攻撃に対して危惧を
抱いていたという日露機密史(井口、鋳方の派遣)という意見をもとに
陸相も危惧を抱いた上で、二十八サンチ砲の旅順派遣に賛意していた
と取るほうが自然ですね。
だからこそ、長岡の8月下旬の下りが事実と反するとなるわけです。
>>338 >271が乃木マンセ太郎なので意味不明
>340
その陸軍政史の元の文章を読んだことはありますか?
「廿六」となっているのですよ。「16」というのは、「26」の誤りなのです。
343 :
名無し三等兵:02/02/08 08:14
>>271 じゃぁ大江氏の言ってやれ、いい加減なことを書くなとな。
そのいい加減な資料をもとにしたあなたはDQN?
>343
あなたがついさっき言ったじゃないですか。
「著名人の書いた意見をそのまま受け入れるだけの○○は大成しないよ。」
大江氏のあの部分の記述の「16」いう数字は、文章の前後の繋がりを考えれ
ば、すぐに到達する疑問点です。さいわい、陸軍政史のその部分は、他文献
「明治軍事史」に載っていましたので、すぐに確認が取れました。
さて、この16を26に換えてしまうと、340の意見はどうなるのですか?
書き忘れました。『陸相の見解・意見は書いてある、それを読め』というの
は、まさかこの陸軍政史の引用部分を指していたのでは無いでしょうね。
「08月10日に旅順攻撃失敗を見越して重砲移送が決定されていた、などとい
うことを伺わせる陸相意見・見解」など、全く書かれていませんよ。ここに書
かれているのは、28榴弾砲が旅順に送られる事が決定する迄の経緯です。
>じゃぁ大江氏の言ってやれ、いい加減なことを書くなとな。
私はあなたに言っているのです。『陸相の見解・意見は書いてある、それを
読め』などと、いい加減な事を書き込むな、と。
大江氏の日露戦争研究誌は貴重な資料です。総何千頁になるのやら。その中で、
「十」と「廿」を取り違えていた事を指して非難する気は、毛頭ありません。
346 :
名無し三等兵:02/02/09 07:29
>>345 陸軍制史の8/29の頁はほとんど陸相の見解になっている
筈ですが?
また8/16が8/26であると断定するならば、過去断定として
捉え、一度参謀本部に否定された移送意見を長岡の往来に
よって賛同したと考えても時間的におかしくは無い。
児玉に否定されたのは寺内に影響を及ぼすことでしょう。
私が書いた”かば”という古語の意味によって色々取れる
事となる。つまりあやふやということ。
それを大江氏は16日と勘違いした結果あのような意見に
なったのではないか?
大江氏の資料は参考になるよ。でも、島貫の戦略日露戦争や
他の著者のほとんどが、長岡談話の送るに及ばずを支持しているのはなぜ?
君はそれを否定することから始まっているんでしょ?
あと長岡談話を否定するのであれば、その他の伊地知からの
第1師団 参謀員の更迭依頼の手紙やらそのあたりを全て信用しない
ほうがいいね。長岡ははしゃぎすぎだから <W
実際第3軍は二十八サンチ砲に対しほとんど期待していなかったのは
事実であろう。二十八サンチ砲に期待していたという文献を
一生懸命さがしてください。
>全く書かれていませんよ
勇敢なる守兵をもって防御せる永久要塞の攻撃は当時
我が軍〜人が予想せしごとく容易なるものに非ずして、
本回の総攻撃遂に非常に終わりしかば、陸軍大臣は
更に大本営並に攻囲軍等に注意する所にあり
その結果ついに攻城砲として28サンチ榴弾砲の採用を
見るにいたり。
既に本月16日よりこれが実行に着手せり。<… (8/10に決定事項)
この誤った資料ではしっかり書かれています。
”かば”という古語が仮定として捉えるならばね。
だから
>>296に書いた疑問になると書いたろう?
>>271 君の意見では長岡談話を無視したとして二十八サンチ砲はだれが
提案して、誰が実行に移したのかね?そして参謀本部と陸軍省の
調整はだれがしたのかね?
>346
>>345 陸軍制史の8/29の頁はほとんど陸相の見解になっている筈ですが?
ご自分で、どの文章が陸相の見解なのか、示して下さい。
08月29日の項で示されているのは、攻城戦前の陸相意見が一旦蹴られ、総攻
撃失敗におよんで陸相が大本営・攻城軍を注意し、従前の意見が実施されたと
いう「経緯の説明」です。
あなたが言われていた「08月10日に攻城戦の失敗を見越して重砲移送を決定
したことを伺わせる陸相見解」などは、絶対に示されていません。
>長岡ははしゃぎすぎだから <W
私もそう思います(笑)。
しかし、その前に書かれた「全てを信用しないほうがいいね」というのは同
意しません。はしゃぎすぎた故の筆の滑りがあるのなら、それを確認しつつ
除去していけばよいだけの話です。……都合のいいとこ取り、と言われますか?
しかし、当時が伺える貴重な資料を全否定するつもりは毛頭ありません。
>実際第3軍は二十八サンチ砲に対しほとんど期待していなかったのは事実
であろう。二十八サンチ砲に期待していたという文献を一生懸命さがしてくだ
さい。
私も「期待していなかっただろう」と思っているので、この点は双方で同意
を得ているようです。
第一次攻撃失敗後の、盤龍山の二堡塁確保やら陣容建て直しやら大変な時期
に、「巨砲を送ろう」という電報が来たわけです。「今後のため送られたし」
という文面には、あまり期待していない心情が伺えると思っています。
>>251 ……信用できるのでしょうか……。
信用しなかったらいいじゃん。
「16日」という日付に注目し、ならば「かば」とは仮定の意味だとし、なら
ば「10日の決定事項」とは重砲の「旅順移送」の事だろうと推論する……と、
いうことですか?
推論の前提である「16日」というのは、「26日」の誤りです。そして「10日
の決定事項」というのは、重砲の「鎮海湾・対馬防備のための移送」です。
その推論は「かば」に仮定の意味があるという事だけによって成り立つの
ですね。
あなたが
>>340で述べた論は、「陸軍政史には16日という日付で攻城砲とし
ての使用が決定されたと書かれている」という事が論拠となっているわけです。
今は、「16日」というのは大江氏の引用ミスで、本当は「26日」と書かれて
いることを御承知されていると思いますが、如何ですか?それとも、今でも、
「16日」と書かれていると思われていますか。
上の352は文章がおかしいので書き直します。
あなたが
>>340で述べられた自論は、「大江氏著書に「陸軍政史」を引用し
た部分があるが、そこには16日という日付が書かれている」事が論拠となって
いるわけですね。
今では、「16日」というのは大江氏の引用ミスで、本当は「26日」と陸軍政
史には描かれていることはご承知されていると思いますが、如何ですか?それ
とも今でも、大江氏の引用紹介通りに「16日」と陸軍政史に描かれていると思
われていますか。
粘着だな。大江氏の引用が間違っている以上、
君が自慢気に引用した大江氏の論拠は当てにならない。
大江氏の引用の誤りを回避出来なかった、貴方の論が当てにならないだけでは?
356 :
名無し三等兵:02/02/11 08:45
>>355 もう一度書こうか?
また8/16が8/26であると断定するならば、過去断定として
捉え、一度参謀本部に否定された移送意見を長岡の往来に
よって賛同したと考えても時間的におかしくは無い。
児玉に否定されたのは寺内に影響を及ぼすことでしょう。
私が書いた”かば”という古語の意味によって色々取れる
事となる。つまりあやふやということ。
それを大江氏は16日と勘違いした結果あのような意見に
なったのではないか?
だから大江氏が16日と間違った引用をした結果あの長岡談話の
疑義に陥ったと考えられるでしょ?そうでないとも考えられる。
つまりどっちとも取れる段階で大江氏の論拠は当てにならないの。
お分かり? いい加減、人の意見を理解しろ。大馬鹿者。
●「仮定」用法か「過去断定」用法か?
あなたは
>>340にて、「過去断定」用法の否定理由を挙げていますね。
『もし終わりしかばというのが過去断定であるならば、本月16日に着手済みと
いう言葉と相反することとなり……』
「終わりしかば」というのは過去断定にも仮定にも使える言葉であるが、こ
の場合「過去断定」用法は取り難い。理由は、その場合16日という日付との整
合性が損なわれる事である、と言われています。
逆を言うならば、16日と書かれている箇所が(実は)26日ならば、整合性
は損なわれません。過去断定の用法で用いられた方が自然です。
●大江氏の長岡談話疑義は、16日という日付からもたらされたものか?
>>346 大江氏は16日と勘違いした結果あのような意見になったのではないか?
大江氏はそもそも、『陸軍政史に記されている28榴弾砲移送決定の経緯は、
長岡談話と著しく異なっている』という事を指摘するために「陸軍政史」を引
用しているだけです。大江氏の目的は、「陸軍政史」に記されている攻城戦前
〜中〜後の流れを紹介することで達せられているわけです。
「16日」が「26日」だということは、引用文献元「陸軍政史」を見るまでも
なく、他文献との摺り合わせで容易に確認できることです。大江氏は、原文が
「26日」だというのは知っていると思います。「16日」としているのは、単な
る引用転載ミスと見るのが妥当でしょう。
大江氏に指摘したとして、長岡談話の疑義を撤回すると思われますか?私は
「ああ、間違えてるね。文献通りに26日だよ」と言われて終了、と思いますの
で、別に指摘するつもりはありません。
●大江氏の論拠は当てにならない?
>>356>つまりどっちとも取れる段階で大江氏の論拠は当てにならないの。
あの引用箇所の文章の繋がりから、16日という日付に疑いを持たずに、
つまり他文献での『確認』をせぬままに「古語の仮定用法か?」と『解釈』
に入り込んだ結果導かれた貴方の論が、当てにならないだけです。
あなたがつい先日言ったことですよ。
「著名人の書いた意見をそのまま受け入れるだけの○○は大成しないよ。」
あなたは『著名人の書いた事をそのまま受け入れ』て、他文献などによる
『確認』をせぬままに『解釈』に入り込んだ。その結果の誤解です。
359 :
名無し三等兵:02/02/11 14:26
さらにもう一度書こうか?
また8/16が8/26であると断定するならば、過去断定として
捉え、
”一度参謀本部に否定された移送意見を長岡の往来に
よって賛同したと考えても時間的におかしくは無い。
児玉に否定されたのは寺内に影響を及ぼすことでしょう。”
私が書いた”かば”という古語の意味によって色々取れる
事となる。つまりあやふやということ。
それを大江氏は16日と勘違いした結果あのような意見に
なったのではないか?
だから大江氏が16日と間違った引用をした結果あの長岡談話の
疑義に陥ったと考えられるでしょ?そうでないとも考えられる。
つまりどっちとも取れる段階で大江氏の論拠は当てにならないの。
お分かり? いい加減、人の意見を理解しろ。大馬鹿者。
「終わりしかば」という部分だけを見れば、それには「日本語のあやふや
というか言葉というもののあやふやさ」というものがあるでしょう。しかし
それが文章の中で用いられているものであれば、あやふやさは無くなります。
「陸軍政史」の該当部分
『先是、陸軍大臣は旅順要塞の攻撃には二十八珊榴弾砲の如き大口径砲を用う
るを得策とし、参謀次長の意見を徴せしに、当時参謀本部の議論は中小口径火
砲の砲撃に次ぐ強襲を以てせば旅順要塞を陥落し得べしと云うに一致し、陸軍
一般の意向も亦概ね此に在りしを以て陸軍大臣の提案は一時行われざりしが、
勇敢なる守兵を以て防禦せる永久要塞の攻撃は当時我軍々人が予想せし如く容
易なるものに非ずして、本回の総攻撃遂に非常の失敗に終りしかば、陸軍大臣
は更に大本営並に攻囲軍等に注意する処あり、其結果遂に攻城砲として二十八
珊榴弾砲の採用を見るに至り、既に本月二十六日より之が実行に着手せり
(注:大江氏は、最後の「二十六日」を「十六日」と誤って引用した)』
総攻撃前・中・後と、時間の流れに沿って説明されているでしょう?この
文章は経過の説明をしているものであり、『古語の「仮定」用法』が入るよ
うな文章ではありません。
「旅順総攻撃前(38年05〜06月頃:児玉云々より推察)」
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかった。
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わった。
「旅順総攻撃後(0824〜26)」
・陸軍大臣は大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月26日よりこの作業は実行に着手している。
362 :
名無し三等兵:02/02/11 22:02
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかった。
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わった。
「旅順総攻撃後(0824〜26)」
長岡の往来
・陸軍大臣は大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月26日よりこの作業は実行に着手している。
別におかしくないでしょ?
363 :
ケンカハヤメテー:02/02/11 22:06
お分かり? いい加減、人の意見を理解しろ。大馬鹿者。
お分かり? いい加減、人の意見を理解しろ。大馬鹿者。
お分かり? いい加減、人の意見を理解しろ。大馬鹿者。
アパーム弾モッテコーイ。
364 :
名無し三等兵:02/02/11 22:22
「旅順総攻撃前(38年05〜06月頃:児玉云々より推察)」
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかろう
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わったならばと陸軍大臣は
更に大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月16日よりこの作業は実行に着手している。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・長岡の往来
たしかに事実に反するな。
今回の総攻撃と本回の総攻撃との明記の違いや
例えば本回の総攻撃が終わりしを以ってや終わりざりしなどの
言葉を使わないのはなんでかねぇ。
365 :
名無し三等兵:02/02/11 22:24
最後にもう一度
また8/16が8/26であると断定するならば、過去断定として
捉え、
”一度参謀本部に否定された移送意見を長岡の往来に
よって賛同したと考えても時間的におかしくは無い。
児玉に否定されたのは寺内に影響を及ぼすことでしょう。”
私が書いた”かば”という古語の意味によって色々取れる
事となる。つまりあやふやということ。
それを大江氏は16日と勘違いした結果あのような意見に
なったのではないか?
だから大江氏が16日と間違った引用をした結果あの長岡談話の
疑義に陥ったと考えられるでしょ?そうでないとも考えられる。
つまりどっちとも取れる段階で大江氏の論拠は当てにならないの。
>>365 1:>また8/16が8/26であると断定するならば、過去断定として捉え、一度参
謀本部に否定された移送意見を長岡の往来によって賛同したと考えても時間的
におかしくは無い。児玉に否定されたのは寺内に影響を及ぼすことでしょう。
遂に失敗に終わったことを契機に、寺内陸相が意気揚々という感じで自説を
再提案したと考える方が妥当です。……何故わざわざ長岡次長からの提案を待
つのですか?何故当初難色を示すのですか?長岡談話該当部は、自己の功績を
誇るための作り話と考える方が妥当です。
2:>私が書いた”かば”という古語の意味によって色々取れる事となる。つ
まりあやふやということ。
「終わりしかば」だけを見ればあやふやでも、文章の中で考えれば、あやふ
やさは無くなります。「史書」であればなおさらです。
3:>それを大江氏は16日と勘違いした結果あのような意見になったのではな
いか?
大江氏が、同書中で「16日」を根拠とした論を展開している箇所はありません。
4:>だから大江氏が16日と間違った引用をした結果あの長岡談話の疑義に
陥ったと考えられるでしょ?
大江氏は、「16日と間違った引用をした結果、長岡談話に疑いを持った」の
ではありません。順序が逆です。「長岡談話の疑義を説明する目的」で「陸軍
政史」を引用紹介しているのです(日付を誤りましたがね)。
5:>そうでないとも考えられる。つまりどっちとも取れる段階で大江氏の論
拠は当てにならないの。
4:>のあなたの意見は、順序が逆なので明らかに間違っています。つまり
「そうでないとも考えられる」という余地はありません。つまり「どっちとも
取れる段階」ではありません。
追記:>お分かり? いい加減、人の意見を理解しろ。(
>>359)
あなたの意見は、理解しております。そして、上記のように、あなたの意見
には全く同意できません。
367 :
名無し三等兵:02/02/11 22:44
>遂に失敗に終わったことを契機に、寺内陸相が意気揚々という感じで自説を
>再提案したと考える方が妥当です。……何故わざわざ長岡次長からの提案を待
>つのですか?何故当初難色を示すのですか?
考えるほうが妥当となぜ考えられるの?当時の寺内は児玉の意見に影響
されないほどの人間だったと考えるの?
自説を”確かめるため”に長岡を利用したとも充分考えられるよ?
あなたの意見も想像だし、俺の意見も想像。どっちともとれるし、
あやふやといっているのはこの大江氏の論全体にいえること。
なんでそこで断定的になるかな・・。だからバカっていってんだよ。
少なくとも当てにならないという俺の意見は確実にいえるけどね。
であるならば、長岡談義の内容を参考に考えたほうがよい。それが
信用できないなら他の資料をあたるんだな。
そんな信用できない論拠を最初に持ち出したのはどっちだよ。
> なんでそこで断定的になるかな・・。だからバカっていってんだよ。
断定的?どこがですか?比較して一方により妥当性がある、と書き込
んだだけですよ。断定的、という書き方は、こんなものでしょうかね。
貴方がさっき書き込んだ言葉です。『俺の意見は確実にいえるけどね。』
たかが引用紹介ミスで『信用できない』と言われるとは、なんとも
はや……。
>>271 おまえバカだなほんとに。
271が言っているのは大江氏の考え方は推測からこうだと確実性を説いてる。
367が言っているのはどちらとも取れるから不確実性を説いている。
367の不確実性は新たな資料を提示しない限り確かだよ。
>369
「どちらとも取れる」というのは、『「かば」の文法上の用法の件』の話で
『大江氏の論』には「どちらとも取れる」という不確実性の余地はありません。
私は366の5:>で示したように、「大江氏の論にどちらとも取れる不確実性
の余地はない」と思っています。「大江氏の論がどちらとも取れる」と思われ
ているのは、大江氏の引用紹介ミスを回避できなかった貴方の方です。
367が、自論である「不確実性」を認めさせたいのならば、367の方がそのよ
うな資料を提出するべきでしょう。
例えば大江氏の引用紹介通りに『「16日」と記されている陸軍政史』とか。
または、大江氏が自著中で「16日」を根拠として論を展開している箇所とか。
これらがあれば、あなたの論である不確実性は誰にでも認められるでしょう。
>>271 古語を習ったか?本回の総攻撃が遂に非常に終わりし となれば
終わったという過去断定だよ。終わりしかばというのは終わったならばという
仮定形として使われるのが多い。
少なくともその本では8/16と書いた上での論拠でしょう。
367の言うとおりあやふやである。これをはっきりさせる為には
寺内の心境を述べた日記など、参考資料をもってこないことには
長岡談義を否定する意見にはならない。
372 :
名無し三等兵:02/02/12 13:19
日露戦争:
英国参謀本部機密文書集 全5巻
The Russo-Japanese War:
Reports from Officers Attached to the Japanese Field
General Staff: War Office-Directorate of Military Operations & Intelligence,
Vol.1-5, August 1905-June 1906
Introduced by Sebastian Dobson
http://www.aplink.co.jp/synapse/4-931444-43-1.htm なんかこの資料、よさげなので貼っておきます。
まあ、国会図書館で閲覧でしょうが
>371 『367の言うとおり』と言われるということは、別人なのですね。
>『古語を習ったか?』
いやあ、習ったには習ったけども、忘れました(笑)。「遂に」が「仮に」
ならば『かば』が仮定用法で用いられた可能性が大きくなるんでしょうがね。
古文解釈が得意な方が偶然揃って居られるようですので、質問です。
時系列に沿って淡々と過去の経過が説明されている「陸軍政史(
>>360)」
文章中で、「かば」だけが仮定用法であると言われる根拠は何なのですか?
>『少なくともその本では8/16と書いた上での論拠でしょう。』
大江氏は、「16日と間違った引用をした結果、長岡談話に疑いを持った」の
ではありません。氏の論は、最後の一文「既に本月二十六日に之が実行に着手
せり」抜きでも全く問題なく成り立ちます。氏は「16日」を論拠としているの
ではありません。
373を訂正です……
『氏の論は、最後の一文「既に本月二十六日に之が実行に着手せり」抜き
でも全く問題なく成り立ちます。氏は「16日」を論拠としているのでは
ありません。』を訂正します。
「氏の論は、最後の一文抜きでも、またその一文が「既に本月二十六日に之が
実行に着手せり」と26日であっても全く問題なく成り立ちます。氏は「16日」
を論拠としているのではありません。」
>372 十万円以上……絶句。
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
長岡の往来
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかろう
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わったならばと陸軍大臣は
更に大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
時系列がはっきりしていない以上 長岡の往来はしっかりと
嵌りますが….どういう展開しても無駄ですよ。はっきりしないから。
大江氏は後に
>>289の冒頭のことを書いていますがね。
>375
その時系列の並びは、『「陸軍政史」の過去経過の説明文章中にある
「かば」だけを「仮定用法」と解釈する」場合の並べ方です。『遂に非常の失
敗に終わったならば』?変な文章ですね。『仮に非常の失敗に終わったならば』
なら「仮定用法」といわれる可能性もある気もするのですが。
時系列に沿って淡々と過去の経過が説明されている「陸軍政史(
>>360)」
文章中で、「かば」だけが仮定用法であると言われる根拠は何なのですか?
大江氏は、作戦立案過程の事に言及していない「日露戦史」を補填するもの
として「機密日露戦史」を挙げられ、作戦立案過程、また上級司令部間の確執
などを紹介しているわけです。この点は承知しています。
そして、『二八珊榴弾砲配備の経緯については、『機密日露戦史』にくわし
いが、そこにも記述されていない事の起源は……(
>>286)』と、更に「機密
日露戦史」における長岡談話の疑義に踏み込んでいるのですよ。
兵達は・・・以下略
>>376 >>362より
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかった。
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わった。
「旅順総攻撃後(0824〜26)」
長岡の往来
・陸軍大臣は大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月26日よりこの作業は実行に着手している
終に非常な終わりし、が君の言っている意味だよ。
>379 「終に非常な終わりし」と解釈していると、貴方が云われる「君」
というのはどちらでしょうか。 271?他方?
私(271)は、「遂に非常な終わりし」などと解釈しているつもりは
ありません。
まあまあ。
わたしはこのスレ(の常連さんのカキコ。それはもうYAHOO掲示板時代から)
かれこれ1年くらい前から愛読してます。
みなさん、いい研究しておられる。これからも続けてくださいよ
382 :
名無し三等兵:02/02/15 03:31
>>271 は 海ゆかば水漬くかばね山ゆかば草むすかばね
大君の辺にこそ死なめかえりみはせじ
の口語訳をご存知?
海を行くなら水に浸る屍となろう
山を行くなら草の生える屍となろう
大君の辺りにこそ死のう
一身を顧みはしない
不毛な叩き合いはたいがいにしといたら?
このまま1000まで逝くつもりかよ?
>383
そうですか。ところで、それは「過去の経過が時系列に沿って説明されて
いる文章」ではありません。心情を表す詩ですね。
時系列に沿って淡々と過去の経過が説明されている「陸軍政史(
>>360)」
文章中の、「かば」を仮定用法と言われる根拠にはなりませんよ。
>384「不毛」というか……実に不可思議な掛け合いになってしまった「可笑
しさ」は感じていますよ。
発端は大江氏が引用転載ミスをしたことです。そして340氏はそのミスに気付
かず、「16日」という大江氏の引用転載(実は誤り)を拠りどころとし、以下
の論を展開しました。
1・過去経過説明文章中であるが「かば」は仮定用法であり(
>>340)、
2・ならば陸相の「大本営と参謀本部に注意」は総攻撃前であり(
>>340)、
3・故に陸軍省は旅順が失敗することを見越して、8/10の時点で二十八サンチ
砲を旅順に移送することを決めていたと言うことができる(
>>296)。
340氏は、342にて『16というのは26の誤りなのです』と指摘されるまで
「16日」という日付に全く疑問をもたれていなかったように見受けられます。
(342 >340「16」というのは、「26」の誤りなのです。 )
(343
>>271 じゃぁ大江氏の言ってやれ、いい加減なことを書くなとな。
そのいい加減な資料をもとにしたあなたはDQN? )
論を展開したのが340、直後の342で「16でなく26」だという事が判明すれば
当然340の論は訂正されるものと思っておりました。まさか「じゃあ大江氏に文
句を言え」と返されるとは思いもしませんでしたよ。実に可笑しな話です。
340氏の結論は、単純な確認を怠った結果生じたものです。撤回訂正されるべ
きと考えます。
「叩き合い」と言われるのは心外です。書き込まれた「見解についての疑問
提示・反論」は、あなたの言われる「叩き」には含まれないものと思っており
ます。「叩き」とは、所謂「書き込み氏その人」への暴言でしょう?
私は確かに、340氏の「見解」についての疑問提示、反論は行っております。
しかし、「340氏その人」へと向けた、所謂「叩き」は当方から行ったことは
ありません。
>>340偉そうなことを言っていますが、自分にとって都合のいい箇所のみを引
用しておりますな。お前はハンコックか?〜〜自分の読解力を鍛えろよ。著名
人の書いた意見をそのまま受け入れるだけの貴殿は大成しないよ。
>>343じゃぁ大江氏の言ってやれ、いい加減なことを書くなとな。 そのいい加
減な資料をもとにしたあなたはDQN?
>>354粘着だな。
>>356いい加減、人の意見を理解しろ。大馬鹿者。
>>359お分かり? いい加減、人の意見を理解しろ。大馬鹿者。
>>367なんでそこで断定的になるかな・・。だからバカっていってんだよ。
>>369おまえバカだなほんとに。
上記のような所謂「叩き」の発言は、全て一方から当方(271)へと向けら
れたものです。この点、誤解なきよう願います。
271は古語を知らないんでしょ。かばの用法をご存知ないまま、
資料に当たっているから間違う。これは大江氏でも言えることでは?
大江氏が引用を間違って解釈したか、否かはここでは推測
しかできない。
271は推測できるから確実なんだと言ってるんだけどね。
大江氏の論点では陸相の”心情”に重点が置かれているだからこそ、
長岡談義の陸相の意思が問われているんだけど?
389 :
名無し三等兵:02/02/16 21:23
では、別の資料を。
「陸軍省文書・明治三十七八年戦役 陸軍省軍務曲砲兵課業務詳報」
廿八珊米榴弾砲を旅順攻城に使用経緯
『三十七年八月廿一日旅順要塞総攻撃功を奏せず死傷頗る多く、遂に正攻々撃
を採用するに決すると同時に陸軍大臣、陸軍次官の発意に依り攻城砲として二
十八珊米榴弾砲を送付し、之を以て旅順を砲撃せしむることと為れり。……』
強襲法による08月総攻撃が失敗に終わり、攻撃方法を『遂に正攻々撃を採用
するに決する』と『同時に』、『攻城砲として28榴を送付』することになった
……と記述されています。よって、
『陸相の「大本営と参謀本部に注意」は総攻撃前であり(
>>340)』
『故に陸軍省は旅順が失敗することを見越して、8/10の時点で二十八サンチ
砲を旅順に移送することを決めていたと言うことができる(
>>296)。』
との推論は成り立たない、と考えます。
389一行目訂正…「陸軍省軍務曲」…当然、「陸軍省軍務局」の誤りです。
不思議なことがあるものだ。レス数390のまま、きのう300位以下に落ちていたような気がするのだが、
いつのまにやら58位・・・。
ま、いいけど
え、ほんとですか?不思議なことで。
>346
「島貫の戦略日露戦争」読みました。確かに、島貫氏は「送るに及ばず」
電報があったという見解で経緯説明をされておりますね。
しかし、こうも述べられています。
「旅順の第一回総攻撃の失敗であわてた大本営が本格的要塞後略用として海岸
重砲の活用を思い立ったのは、まさに苦しまぎれの迷案であった(P402)」
島貫氏の論に依っても、『陸相の「大本営と参謀本部に注意」は総攻撃前
であり(
>>340)』『故に陸軍省は旅順が失敗することを見越して、8/10の
時点で二十八サンチ砲を旅順に移送することを決めていたと言うことができ
る(
>>296)。』との推論は成り立ちません。
394 :
名無し三等兵:02/02/21 23:42
お。読んどります。好きなネタなのでつづけてちょ
>>271 >>251 くどいようだが、あなたの最初の疑問大
>>251は
大江氏のいい加減な論で解消されているはずだが?
そもそも251が成り立つための決定的要因が大江氏の”8/16日”
しかないのだが?他の記述は曖昧になっている以上、
その長岡談義も参考になる。
271=251は信用してないらしいがな。
古文もろくに学ばず資料に当たる人間ってのも初めて見た。
>395
「くどいようだが、あなたの最初の疑問
>>251は大江氏のいい加減な論で
解消されているはずだが?」
文意が全く判りません。大江氏の好い加減な論?解消?何のことですか?
「251が成り立つための決定的要因が大江氏の8/16日しかないのだが?」
文意が全く判りません。長岡談話に関する疑義は8/16抜きでも成り立ち
ます。疑義が成り立つための要因が8/16日しかない?何を言っているのです?
「古文もろくに学ばず資料に当たる人間ってのも初めて見た。」
過去経緯を説明する文章中に、過去断定とも仮定ともとれる語がある場合、
あえて仮定用法だと判断する人も珍しいですね。
あなたの仮定用法選択の根拠は、16日では整合性がない、という事でした。
その根拠は、実は26日であるということで崩れています。
397 :
名無し三等兵:02/02/22 08:26
>>271 そもそも251が成り立つための決定的要因が大江氏の”8/16日”
しかないのだが?他の記述は曖昧になっている以上、その長岡談義も
参考になる。
この意味も理解できないらしい。
理解出来ませんねえ。
大江氏の疑義の要因には、「8/16日」は全く必要ありません。
>395(397同文)「そもそも251が成り立つための決定的要因が大江氏の8/16
日しかないのだが?」
文意が全く理解できません。当方が述べた251の要旨は以下のとおりです。
『28榴弾砲送付に関する長岡次長の記述は、自己の功績を誇るための誇張・創
作が含まれている疑いがある。信用出来ない。』そして具体例として、「長岡
談話と事実経緯との相違点」を挙げました。
・長岡談話
「八月下旬、長岡が有阪から28榴弾砲を攻城砲として使用する提案を受けた
時点では陸軍省内で意見の一致がなされておらず、長岡自身が陸相を説得
する労を取って遂に同意させた」
→実際は「大本営会議で09/10までに28榴弾砲を海峡防備使用のため送付
する事が決定済み、08/05には陸軍省もこの件を承認している。
また、送付のための撤去作業は直ちに着手されている」
・長岡談話
「陸相が危惧を覚えたのは、内地の防備が薄弱になること」
→実際は「陸軍省は08/05の時点で内地防備が薄弱になる28榴送付を承認
している。また08月下旬には既に撤去作業は開始されている」
どこに『大江氏の8/16』を用いていますか?用いていないものを『決定的要
因』などと言われるのは、何の意図あってのことですか?
重ねて述べておきますが、『大江氏の8/16』というのは、確認を怠った貴方
だけに生じた誤りです。当方が『8/16』を用いたことはありません。
400 :
名無し三等兵:02/02/22 23:31
大江氏は妄想癖があるから信用しない方がいいよ。御前会議のあとがきでも
天皇が戦争継続の意思があったと決め付けた上で論を展開している。
>400大江氏は、「日本植民地探訪」で中国人の剥製を見て感激したという
文章を載せている人物ですので、私も氏のスタンスには同意していません。
誰かがどこかで書かれていました。
「どの本もアテにはしない。でも全て参考にする。」
ま、私もこんな姿勢ですかね。著者に妄想癖があろうが、共産国家が大切に
している剥製を拝むような人物だろうが、事実経緯と矛盾する長岡談話に疑義
を唱えているこの大江氏の論は、説得力がありますので、「アテにはしないが
参考にします」。
さて、長岡参謀次長の談話・電文・日記、とても膨大なものです。当時の
状況を伝える大切な「参考になる」資料といえるでしょう。しかし、この28
榴弾砲に関する箇所は、事実経緯と明らかに矛盾します。なので残念ながら
「参考にしますが、アテにしません」でした。
402 :
名無し三等兵:02/02/23 00:46
マターリいこうぜマターリ
うん。大江さんは、ごく普通の人だよ。
いい研究してると思うし
日露戦争の戦史編纂の太平洋戦争の戦史編纂の特徴の違いは
日露戦争は全ての功績は指揮官に順ずるという書き方。よって作戦の
立案過程などは軽視されている。
太平洋戦争では参謀による作戦の立案過程を重視している。これは
幕僚統帥が横行した原因となった日露戦争時の陸軍のシステムが
問題になっています。 大江氏も日露戦争時の戦史記述と
太平洋戦争での戦史記述の差異について論じています。
其の上で
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかった。
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わった。
「旅順総攻撃後(0824〜26)」
長岡の往来
・陸軍大臣は大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月26日よりこの作業は実行に着手している。
もしくは
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
長岡の往来
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかろう
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わったならばと陸軍大臣は
更に大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
時系列がはっきりしていない以上 長岡の往来はしっかりと
嵌りますが….どういう展開しても無駄ですよ。はっきりしないから。
>404
大江氏が論拠としているのは、「立案過程」にまで踏み込んで記述している
「機密日露戦史」その他であり、あなたの挙げられている『日露戦争の戦史編
纂』の記述内容を論拠としているのではありませんよ。
「公刊戦史」では作戦立案過程まで判らない、というのはその通りです。そ
して氏の長岡談話への疑義は、「公刊戦史」に論拠するものではありません。
其の上で
「もしくは」以降の後段は、あなたの言われる「16日ならば過去断定
より仮定用法が適当である」との説ですね。これは実は26日だった、というこ
とから、既に成り立つ余地がないと思います。
406 :
名無し三等兵:02/02/23 08:29
何度も書かせるな。
大江氏は自ら墓穴を掘ってるんだよ。
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
長岡の往来
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかろう
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わったならばと陸軍大臣は
更に大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月26日よりこの作業は実行に着手している。
事実に反する経緯というのは既に
>>364で書いていますが
「旅順総攻撃前(38年05〜06月頃:児玉云々より推察)」
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかろう
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わったならばと陸軍大臣は
更に大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月16日よりこの作業は実行に着手している。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・長岡の往来
たしかに事実に反する。
その事実に反するのはすでに”あなた”が述べられた通りですよ。
ましておや、大江氏自身 日露戦争の戦史編纂の書き方で、日露戦争は
全ての功績は指揮官に順ずるという書き方。よって作戦の立案過程など
は軽視されている。と書いている以上、8/26日の決定が長岡の往来に
よらずとも陸相の意思が二十八サンチ榴弾砲を旅順に移送する意思
になっていたという見識には確証は持てない。
よって大江氏の意見は一つ論として終わり、他の研究者達の
送るに及ばすの意見が主流になったと思われる。
>406
406の27行目にある、この部分。
『・既に、08月16日よりこの作業は実行に着手している。』
この日付をもって大江氏の論を解釈しているのは貴方の方です。私は当初
からこの日付に疑問を感じ、他文献を参考に「16日は引用誤りであり、実際
は26日である」と初めから判断しております。
よって、続けて書かれている
『たしかに事実に反する。
その事実に反するのはすでに”あなた”が述べられた通りですよ。』
というのは明らかに誤りです。私はそんなことを述べたことはありません。
私(271)が「16日を論拠として長岡談話を事実に反すると述べている」と
書かれていますが、どこで271がそんなことを書いているというのですか?
平行線であと1年はこの状態じゃないか・・・ 糞スレ。
すんません
340氏がこうまで「大江氏は16日と書いている」と拘られるとは、思いませ
んでした。
当方の指摘(342)により、「16日」が大江氏の引用誤りというのは明らか
なのですから、340氏は推論を撤回され、あっさり終わると思ってましたよ。
>>408 340の言うことももっともだよ。271の大江氏の意見は大江氏
自身の引用が間違っていたという点で論として成り立たない。
>411
「340の言うこと」という書き方から見ると、あなたは340氏では無いので
すね?ご自身なら自身の論を「もっともだ」なんて言いませんものね。
大江氏のミスは、単なる引用転載ミスですよ。
問題の一文が無くても大江氏の説は成り立ちます。それなのに、その程度の
ミスを論として致命的と言われるのですか?なぜ?
>411 誤解なきよう願います。
大江氏の論は「16日」を論拠とせず、「16日」がなくても成り立ちます。
271の論は「16日」を用いておらず、「16日」がなくても成り立ちます。
ところが、
340氏の論は「16日」に着目し、「16日」がなければ成り立ちません。
414 :
名無し三等兵:02/02/24 09:49
≫271は陸相の意思が7月から8月末日まで一貫して旅順に二十八サンチを
送るという意思が書かれた文献を出すべきです。ならば二十八サンチを対馬
大連に送ることを決定したのでしょうね。
そして決定された事柄を覆したのは誰ですか?
>411 あなたの言をお借りすれば、こういうことです。
『340氏の論は、大江氏の引用間違い「16日」を回避せずにそのまま用い、
引用間違い部分を論展開の開始点としている点で、論として成り立たない』
>414 当方は、「陸相の意見が7月から8月末日まで一貫していた」
などと言ったことはありませんよ?そもそも7月というのは何ですか?
当方271は、児玉が参謀次長だった頃の06月以前に陸相提案があり、
児玉に意見を徴したが、参謀本部と陸軍一般の意見は異なるものだった
ので、陸相の提案は行われなかった……こう思っています。
「ならば」の前提となる一文が不明です。「ならば」が指定する、
条件に相当する414中の部分をご指摘下さい。
417 :
名無し三等兵:02/02/24 10:07
>>271 事実の経緯とどう違うのか?
「陸軍政史」の該当部分
『先是、陸軍大臣は旅順要塞の攻撃には二十八珊榴弾砲の如き大口径砲を用う
るを得策とし、参謀次長の意見を徴せしに、当時参謀本部の議論は中小口径火
砲の砲撃に次ぐ強襲を以てせば旅順要塞を陥落し得べしと云うに一致し、陸軍
一般の意向も亦概ね此に在りしを以て陸軍大臣の提案は一時行われざりしが、
勇敢なる守兵を以て防禦せる永久要塞の攻撃は当時我軍々人が予想せし如く容
易なるものに非ずして、本回の総攻撃遂に非常の失敗に終りしかば、陸軍大臣
は更に大本営並に攻囲軍等に注意する処あり、其結果遂に攻城砲として二十八
珊榴弾砲の採用を見るに至り、既に本月二十六日より之が実行に着手せり
・陸軍大臣は、旅順攻撃には大口径砲を用いるを得策として、参謀次長の
意見を徴した。
・参謀本部の議論は中小口径火砲の砲撃と強襲を以てせば陥落出来ると
の意見に一致していた。陸軍一般の意向も概ねこのようなものだった。
・陸軍大臣の提案は一時行われなかった。
「旅順総攻撃(0819〜24)」
・永久要塞の攻撃は、予想したような容易なものではなかった。
・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わった。
「旅順総攻撃後(0824〜26)」
長岡の往来
・陸軍大臣は大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
・その結果遂に攻城砲として28珊榴弾砲の採用が決した。
・既に、08月26日よりこの作業は実行に着手している。
君の意見だよ
長岡日記の記述とどう違うのか?日時的な矛盾はないが・・?
ずっと同じことを書いているのに気付かないのはバカというか
頑固というか無能というか・・。
>417『・本回の総攻撃は遂に非常の失敗に終わった。
「旅順総攻撃後(0824〜26)」
長岡の往来
・陸軍大臣は大本営ならびに攻囲軍などに注意した。
……
君の意見だよ』
とされていますが、271がどこでそんなことを述べていますか?部位を御指摘
願います。
私は、長岡の関与は、総攻撃失敗の報を受けて出された陸相の再提案の後
から始まったと思っていますので、上記指摘はおかしいです。
当方が以前から指摘している矛盾点は以下のとおりです。
『八月下旬、陸軍省は既に大本営会議決定(要塞砲撤去)を同意している
のに、長岡談話では「陸相が渋っていたのを同意させた」となっている。
しかも、談話では陸相が渋っていた理由は「内地防備が薄弱になること」と
している。その危惧は、大本営会議の決定に陸軍省が同意した八月上旬に
既に決着がついている問題なのに。
陸相を説得させたという事を誇るため、八月下旬と時期を述べていながら
八月上旬に既に結論が出ている「内地防備薄弱化」問題を陸相が渋った理由
と挙げているのは、時期的に整合しない。
そもそも、有阪・山口という砲兵科技術・行政の最高責任者が直属の上司
の承認を得ないままに参謀本部部員の説得にかかるのは不自然である。』
419 :
名無し三等兵:02/02/24 10:50
私は、長岡の関与は、総攻撃失敗の報を受けて出された陸相の再提案の後
から始まったと"思っています"ので、
推論だよな。それを決定的に裏付けるものがないだろ?
420 :
名無し三等兵:02/02/24 10:53
大江氏自身が過去に公刊日露戦史は参謀の立案経緯を書いていないことを
述べている以上、再提案が長岡の往来によってなされたもので”ない”
という意見は決定的な根拠を示さない。
まだ、ご自分では気付かれていないようですので失礼ながら指摘
させて頂きます。
「
>>271」ではレスNo271に飛んでいってしまいます。「271」は
名称として代用しているのですから、あなたがずっと使われている
「
>>271」ではどのレスNoへ向けての書き込みなのか判りません。
書き方を改めて下さい。
>420
大江氏が「公刊戦史」を論拠としているのなら、あなたの指摘も成り立つ
でしょう。しかし大江氏が論拠としているのは別のものです。
423 :
名無し三等兵:02/02/24 11:10
271は「内地防備が薄弱になること」と「旅順に送ること」を同一視していますね。
これは管轄という概念を理解していません。
また
>>251で内地とは対馬も含むと書いていますな。
>423
『また
>>251で内地とは対馬も含むと書いていますな。』
書いてません。書いているというのなら、部位を指摘願います。
「八月上旬に、内地沿岸防備が薄弱になるよりも、対馬海峡防備の強化が重要
と判断して、大本営会議で東京湾・芸予からの要塞砲撤去が決定した。」
「そして八月下旬に旅順総攻撃失敗。急遽、対馬海峡防備用であった要塞砲が
旅順へと振り向けられた。」
同一視などしていませんよ。
261 :259つづき :02/02/04 01:50
念のため、
259の「沿岸防衛」とは、258氏が述べられている「対馬防衛」の
意味ですよ?
「旅順に送って対馬の防衛が手薄になってもいいか?」と、誰が
誰に尋ねていると言われるのですか?
266 :名無し三等兵 :02/02/04 02:03
>>264 なるほど、内地の”各所”からの移送と既に撤去が始まっているのと
が あなたの中では同一と見るわけですね。別々と考えてみてください。
267 :名無し三等兵 :02/02/04 02:06
>266
では、あなたは別々とされているのですね。
>426
258 :内地とは別に日本本土とは限りませんよ?旅順におくるか、対馬
防衛(沿岸防衛)に回すか?旅順に送って沿岸防衛が手薄になっ
てもいいかと訪ねているのですが?
258氏が『対馬防衛(沿岸防衛)』とはっきり述べている点にご注意下さい。
内地に対馬を含めているのは258氏の方です。
当方はそれに反論しているのですが?
429 :
名無し三等兵:02/02/24 11:43
271は「内地防備が薄弱になること」と「旅順に送ること」を同一視していますね。
これは管轄という概念を理解していません。
>426
264 :機密日露戦史の長岡談話には、有坂部長が危惧した「沿岸」
についても地名を挙げて言及しております。有坂「いや今日
の場合に於て観音崎由良要塞よりこれこれのものを下ろすも
差し支えはない」「内地」とは、まさに日本本土沿岸の事を
述べているのです。
この264は当方(271)の書き込みです。「撤去により防備薄弱になる
内地」というのは「本土沿岸」を指す、と述べておりますよ。
『内地に対馬を含めている』というのは、当方と論を交わしている相
手側です。263で相手側が述べているように。259も当方です。
263 :いやまさか、259は対馬海峡防衛=内地の防衛とは考えてなかったのか?
ちなみに長岡のこの経緯でもって次の伊地知の返電を信用してないのは
誰でしたかな?
この経緯と返電とを勝手な解釈で信用しないのは誰ですか?
しかも全てを信用せず、これだけ信用しないのは誰ですか?
第3軍が二十八サンチ砲をアテにしてたのですか?
島貫の戦略日露戦争、児島は大江氏のこの論のあとに、
なぜ送るに及ばずをかかれているのですか?
>432
当方、「同一」という言葉は確かに使っていますよ。
でも、「何と何は同一のものである」と書き込んでいるのか読んで下さい。
「内地防備が薄弱になること」と「旅順に送ること」を同一視していますか?
当方が述べている「撤去の対象」と、対論者が述べられている「移送の対象」
が同一のものであると書いているのです。
この八月の時期に撤去作業が始まり移送される事になっている「対象」、
つまり28榴弾砲は、限定されているのですから。
当方の言っている「28砲撤去」と貴方が述べている「28砲移送」とは、
同じ物を指している、と述べているのです。
435 :
名無し三等兵:02/02/24 12:48
271はアホだから満州軍に送ると管轄が変わることを認識してないんです。
対馬から大連にかけてはどこの管轄か?旅順はどこの管轄かを知っていたら
長岡の文意はおのずと理解できるはずですが?
>433
『ちなみに長岡のこの経緯でもって次の伊地知の返電を信用してないのは
誰でしたかな?』
今更言うまでもありません。当方です。長岡談話で、長岡本人すらも「あっ
た筈だが、実物が見当たらない」なんて述べている返電の存在を鵜呑みには出
来ません。存在の可能性は否定しておりません、念のため。
『この経緯と返電とを勝手な解釈で信用しないのは誰ですか?』
勝手な解釈とは?当方が信用しない理由は述べました。談話と事実経緯との
間に整合性がない点、長岡すら実物を示していない点で信用できません。
『しかも全てを信用せず、これだけ信用しないのは誰ですか?』
?文意が判りません。「全てを信用せず、これだけ信用しない」?
『第3軍が二十八サンチ砲をアテにしてたのですか?』
以前にも述べました。「今後のため送られたし」という文面からも、アテに
していなかったと思っています。
『島貫の戦略日露戦争、児島は大江氏のこの論のあとに、なぜ送るに
及ばずをかかれているのですか?』
そんなこと言われても、知らないと応える他ありません。どの論を採るかは
作者の裁量というものでしょう。
発刊時期がより新しいか、との基準では、論・記述の信頼性は量れません。
例としては、日露戦直後の軍による旅順港内沈没艦の調査で、28榴弾砲の
命中が沈没原因とはいえない、との結論が出されています。
しかし、これを採用する書物・論・記述はいまだ少ないでしょう?
>435 管轄?
28榴弾砲は満州軍総司令部隷下の第三軍に配属されたのでは?
対馬〜大連、旅順、と書き込まれているということは、28榴弾砲は
韓国駐箚軍や遼東守備軍に配属されたとでも言われるのですか?
>437 理解して無い…
>438
ではご自身の説をどうぞ。
440 :
まあまあ皆さん:02/02/24 20:54
あまり熱くなられずとも。
いま「203高地」見てるけど、乃木式軍人精神をあおい輝彦が罵倒した直後の攻撃、
「うわーっ。弾が胸に当たった。おれ死んだーー!」
って演技して死んだ兵士、後続の兵隊が
「大丈夫か。しっかりしろ。もうひと頑張りだ・・!」
と無理やり立たせ、再突撃させたのには笑った。
ネタはしっかり打合せをしなければ。
芸人の基本です。
ではご歓談をおつづけください
>438
管轄について、ご自身の説をどうぞ。
442 :
名無し三等兵:02/02/28 12:42
児島のぼるの「日露戦争」全8巻(文春文庫)欲しいよ。
偶然、第3巻入手して、旅順総攻撃の章よむと、「坂の上の雲」は歴史ではなく漫画だったと痛感。
443 :
名無し三等兵:02/02/28 12:43
だれか日露戦争関連のゲーム、ご存知ない?
>442
全8巻で2000円くらいで古書店にありましたよ。ちなみに名古屋市内です。
今、絶版でしたっけ?児島襄「日露戦争」
445 :
名無し三等兵:02/02/28 12:53
>444
amazon.comみると、何巻か入手不可のがあるみたいです。
古本ネット検索かけてみても、売約済みしか見当たらない。
徳間文庫の日清・日露参謀本部編纂戦史とあわせて、いま猛烈に欲しい本です
446 :
名無し三等兵:02/02/28 13:02
おっと。失礼。文庫本は入手可能でしたね。失礼
でもできれば、2000円で全巻古本で入手したいものです
447 :
スレ保存人:02/03/03 02:45
というわけで、今日は1日かけて古本屋めぐりをして
日露関連の著作
児島襄「日露戦争」(文春文庫1、2、3、6巻GET)
同「大山巌第2巻西南戦争」(文春文庫)
石光真清手記(中公文庫 全4巻 うち第2巻が第2軍所属で南山の戦いから沙河のフォニー・ウォーまで)
大江志乃夫「世界史としての日露戦争」(立風書房)
佐山二郎「大砲入門」(光人社文庫NF)
を入手。
あわせて図書館で
旧参謀本部編纂「日露戦争 上下巻」(徳間書店)
大江志乃夫「日露戦争の軍事史的研究」(立風)「日露戦争と日本の軍隊」(岩波)
借りれました。
448 :
スレ保存人:02/03/03 02:50
というわけで小生も週末、旅順を脳内トリップします。
むろん、「撃つな〜。味方ば撃つのかあああっ!」と独り言をつぶやきながらです。
傍目にデインジャラスな風景ですが、なーに、本人はいたって人畜無害です。ぬほほほ。
・・・ご歓談をおつづけください
449 :
名無し三等兵:02/03/03 03:06
>447・448
すごい……
大江氏の本は、「公刊日露戦史」「日露陸戦新史」「機密日露戦史」で
語られなかった箇所、省略した箇所を補填する記述が多くて面白いです。
佐山氏の本は、「工兵入門」も日露関連記述が多く入っているので面白い
と思います。入手済みでしょうか?
いや。まず全部は読めないでしょうが、がーっと斜めに読んで、いつかこのスレに参与する
栄にあずかりたいものです(笑)
「工兵入門」と「銃器・機関銃入門(でしたっけ?)」は、まだ未購入なのです。
「大砲入門」を古本屋で半額でGETできたので、ついつい新刊本屋で買う
の躊躇しちゃうんですよね。
大江氏の著作(とりわけ個人的には「日露戦争の軍事史的研究」が大変おも
しろいです)、たしかに軍制から武器から将士の意識まで数字を挙げて(こ
のへんが、いま揉めているんですよね?わたしは判断するほど知識ありませ
んが)詳細に語り興趣がつきません。
最新刊の「世界史としての日露戦争」は前2冊の最新ダイジェストの印象を
若干もちましたが、まずは精読精読。
451 :
名無し三等兵:02/03/03 03:37
「世界史としての日露戦争」は、「東アジア史としての日清戦争」の領域が
前半分ですね。前2冊の領域は後半部、たしかにダイジェストの感ありです。
大江氏は参考文献を詳細に記しているのがうれしいです。
452 :
名無し三等兵:02/03/03 04:19
ああ。「東アジア史としての日清戦争」(未読。世界史からみたと二部作らしいです)
ありましたね。大江教授も80に手が届こうというのに、どうも名著を連発して偉い方です。
日本史→東アジア史→世界史と拡大。
つぎは「宇宙史からみた日露戦争」か?いうのは冗談でして(笑)
再来年は日露開戦100周年ですし、これから出版物が増える予感がします。
じつにもって書痴として楽しみです
さて、おいどんは203高地初心者でごわすので、あの有名な「児玉督戦」がどのていど事実なのか
チビクロ参謀本部編纂「公刊日露戦争史」で調べるのでごわすが、むろん、これには一行も載ってない。
司馬遼太郎の小説で、そのへん載らなかった事情(戦後の仲間誉め戦史+指揮権の問題)というのは知ってましたが。
はて、では信頼のおけるソースはなんなのか?
話題の長岡外史談話の細部における信頼性もふくめて、このへん、児島襄や大江志乃夫最新刊いうのは信頼できるのか
識者の意見を拝聴したいものでごわす
454 :
名無し三等兵:02/03/03 13:40
>>453 12/1の大山巌司令の訓令の最後より
尚、総司令官ノ名ヲ以って第三軍ノ作戦ヲ指導セシムル為ニ
児玉参謀長ヲ差遣セシム
455 :
名無し三等兵:02/03/03 13:54
早速のレス、恐縮です。
いやじつは僕が知りたいのは「司馬遼太郎の描く劇的な児玉督戦はどれくらい真実か?」です。
話題がループするようで申し訳ないが、史実における児玉督戦の要(かなめ)は、
あくまで「東北正面の重砲陣地の24時間以内の西北203高地方面への移転」の
尻をたたいたくらいですかね?
456 :
名無し三等兵:02/03/03 13:55
>454
その訓令内容の引用文献は、何ですか?
457 :
名無し三等兵:02/03/03 13:59
>>455 つまり、「ちっとは頭を使え、ボケ」ってだけのことなんだよな。
素顔のリーダー 1982年 児島 襄より
1986年だなスマソ
460 :
名無し三等兵:02/03/03 14:05
いえいえ、その引用先。
先じゃなかった、引用元です。児島襄が参考にしたものの事。
いや、じつはですね。児島襄の「日露戦争」旅順総攻撃前夜いう章読むと
東清鉄道大連-長嶺子間の軽便鉄道の開通を待って、補給に便利な近所の
東北正面に重砲陣地の設置がきまったいうような記述あったもので。
むろん東北正面の主攻撃はそれ以前に決定されてますが、兵站補給の基地である
長嶺子から攻撃陣地を遠くはなすことは(馬匹とか馬車とかの数はしりませんが)
それなりに(あの無能な)第3軍参謀連にとって児玉の陣地転換命令に抵抗する
根拠だったのではと妄想したからです。
なーに、論より証拠。陣地変換はあたりでしたけどね
463 :
名無し三等兵:02/03/03 14:15
固定観念や思い込みで見込みのない仕事を延々と続けてしまうことって
現実にも良くあることなんだよな。
伊地知には少し同情する。
参考文献は戦史関係は割愛って書いてる。明治37/8年戦役陸軍政史10巻の
方からじゃない?
>447
「再来年は日露開戦100周年ですし、これから出版物が増える予感がします。」
ああ、そうでした。区切りがいいですね。
新出版も期待しますが、私としては絶版となって久しい原書房関係の再販を
特に希望します。
>>455 児玉の指示によって重砲が一斉に陣地転換したというのは、作り話ですよ。
>467
確か過去スレのどこかで論じられていた筈ですが・・・・。
公刊戦史によると、この時(児玉が作戦会議に出席した後で)陣地変換した砲は、
12センチ榴弾砲15門・9センチ臼砲12門に過ぎません。
28センチ砲など全然動いていません。
12センチ榴弾砲15門・9センチ臼砲12門は移動したはずだが?
これは正面戦力のうち何パーセントを占めるかを考えたことは?
重砲ってのが二十八サンチと思い込んでいるのも痛いな。
>469
>これは正面戦力のうち何パーセントを占めるかを
203高地攻撃時に投入された砲は、野砲180門・重砲206門と言われています。
移動されたのは、軍の砲兵火力全体の、せいぜい数パーセントですね。
しかも、それが児玉の指示によるものという客観的な証拠も無いように見受けられるので。
>重砲ってのが二十八サンチと思い込んでいる
9センチ臼砲はどうだか知りませんが、12センチ榴弾砲が重砲の範疇に含まれることは、
貴方も、私も知っています。
しかし
>>455氏が、この時移動した「重砲」には28センチ砲も含まれている、と認識しているように
受け取れたので(「坂雲」のこの場面の描写では明らかに、「重砲」とは28センチ砲を指しているもんね)、
28センチ砲にも言及しておきました。
>203高地攻撃時に投入された砲は、野砲180門・
>重砲206門と言われています。
こんな嘘をよくはけるね。どこに書いてあるの?公刊戦史には
203高地攻略時とは書いてないよ。
>455氏が、この時移動した「重砲」には28センチ砲も
>含まれている、と認識しているように
どこに二十八サンチ砲と認識しているの? 重砲としか書いてないよ。
人の意見を穿った見かたをしてその穿った面を批判するのはどうかね。
471は、言葉使いに気を付けなさい。
473 :
名無し三等兵:02/03/04 22:57
自分の間違いを指摘されたら、言葉で煽るのか?
攻城砲には木製の迫撃砲も含まれることをお忘れなく。18センチの
この木製の迫撃砲は合計226門に及ぶ。
これも前のスレで論破済みだが?
指摘
>315より
>・★十二糎榴弾砲十五門(東北溝より太平溝へ)
>・☆九糎臼砲十二門(孫家溝から太平溝南方地区へ)
>358より
>☆12糎カ×30、☆15糎臼×72、☆09糎臼×24、(☆は旧式砲)
>★10糎半速射カ×04、★15糎榴×16、★12糎榴×28、(★は新式砲)
>そして海軍陸戦重砲隊の★12糎カ×20、戦利砲06、の計200門。
>他に”攻城砲ではないですが”野砲、山砲が186門加わります。
>これに28榴弾砲が追加されるわけだから、合計は約400門。
>300門(
>>315)というのはすいませんでした。400門無いと数%に
>なりませんね。
ふぅ。攻城砲でない野砲、山砲を186門を計算に入れるのか。
旅順第3回攻撃時の日本軍砲兵の総数は426門 全体の数字を見て
判断する愚かさよ。
★クルプ式12糎榴×28の内 15門移動
☆09糎臼×24の内 12門移動
28サンチ砲は10月末の攻撃前には移動済み。
当時の残砲弾数とその砲弾と砲を移動できる範囲と
児玉が目論んでいた意図を正確に把握せずに、第3軍全体の
砲の数で大した事がないなんていうのはどうかな。
こういった配置転換を述べるにあたり、児玉が出した指示を
咀嚼する必要がある。つまり、重砲を164高地に移動させ椅子山
その他攻撃隊を側射する砲台を制圧させる指示とその当時の
二〇三高地周辺を攻撃できない距離にあった砲の数、弾薬の量
15糎は第3回総攻撃開始時の陣地より二百三高地を射撃可能っと。
☆12糎カ×30、☆15糎臼×72、☆09糎臼×24、(☆は旧式砲)
★10糎半速射カ×04、★15糎榴×16、★12糎榴×28、(★は新式砲)
そして海軍陸戦重砲隊の★12糎カ×20、戦利砲06、の計200門。
他に野砲、山砲が186門、28榴弾砲、合計は約400門。
これに木製迫撃砲は含まれていませんね?
一発限りしか撃てない木製迫撃砲なんて、貴方しか数に入れていませんよ。
476 :
名無し三等兵:02/03/04 23:06
>474
その前スレの文を書いた本人?
本人ならば、最後に尻切れになっている所を完成させてくれ。
>他に野砲、山砲が186門
これの内容を知っていて話をしているのか。
中央乃木会のやつらか?ウザイ
479 :
名無し三等兵:02/03/04 23:21
前スレ315
>これは第三軍全火砲300門以上の数パーセントに過ぎない。
全火砲って書いてあるじゃない。これが全重砲とか書いてあるのなら間違い
だろうけどさ。
攻城には手持ちの火力は全て適宜に使うんじゃないのかな?
>478
ヘンな事書くと、「指摘されたら、言葉で煽るのか?」と言われるぞ。
自分には言わないか?
ふーん。数字だけ見ると、児玉の関与なんてあっても微々たるもんなんですね。
児玉が攻城砲兵の豊島将軍に厳命して、28センチ砲を移動させたなんてのは、
司馬さんのマルウソですか。
>481
「坂の上の雲」(昭和46年)では28榴弾砲を移動させたと書いていますが、
「要塞」(昭和42年)では12珊榴弾砲15門、09珊臼砲12門とちゃんと書いて
います。
つまり、司馬氏は28榴弾砲が移動していないことを間違いなく知っていた。
その上でのフィクションです。まあウソです。
でもいいじゃないですか。新聞連載の大衆向け娯楽小説ですよ?
そもそも児玉が来る前に、既に二百三高地の山頂を挟んで両軍が対峙する
までの状況になっているのです。
既に露軍側の予備軍枯渇と抗戦意志挫折を待つのみの状況です。
そこに児玉が来た。それだけの事では?
おお。レスがのびちょるのびちょる。
おいどんは、ROMが多いですが、本スレはこれでも日本有数の旅順戦検証スレとして
認めているでごわす。
YAHOOのあれは、棒状で読みにくいでごわす
失礼。認めるじゃなく尊敬してるでごわす。
ちなみに大江志乃夫「世界史としての日露戦争」(二次ソースでスマヌ)のP545よれば
203高地正面(旅順西北)の石展(←石偏に展で一文字)盤溝に10月5日には
28サンチ砲4門(ただし砲撃正面は松樹山保塁東北正面)
すでにありもうすね。
何かと記述が曖昧な参謀本部編纂日露戦史でも第3次総攻撃以前の添付地図に
「203高地そばの石展(←石偏に展で一文字)盤溝砲台」いうのありもうした。
・・・28サンチ砲は、こと児玉督戦(1904/12/1)では動いていないと
思うでごわす
しかし児玉督戦の要(かなめ)は、やはり203高地正面28サンチ砲石展盤溝砲台への
さらなる重砲の増加でしょう。
11/28の第1師団香月中佐の203高地一時占領
11/30の第7師団村上大佐の同一時占領が、ロシア軍の反撃に奪回されたのに業を煮やし
「柔軟な砲兵支援を、もっと近所からあたえにゃならん!」
と発破をかけにいき、重砲転換をしたのは、まあ事実ですね。
手元に『機密戦史』がないので、おいどんのカキコも不正確なのですが、
11/28〜12/5の203高地陥落まで、
児玉の出発(11/29)
第7師団高地一時占領、ロシア軍による奪回(11/30)
満州軍総司令部大山巌もふくむこの失敗に対する怒り(12/1)
(大山訓令 「戦況不明なるは指揮統一を得ないからであり、
司令部及び予備隊が遠すぎ敵の反撃に間に合わない」いうあの訓電)
児玉、乃木と密会(12/1)
この間、12サンチ榴弾砲15門、九センチ臼砲12門の陣地変換
攻撃再興、陥落(12/5)
で、ごわす。
ただし、203高地攻撃の意思決定については、児玉はわりと第3軍にくらべ後塵を拝しているはずでごわすが、
これはまた別論でごわす
15門の重砲転換が大したことがないという連中がいますが、
第1回の二百三高地の戦いにてロシア側が日本軍を撃退した
のは老鉄山砲台から移動した 野砲 二門のみ。
これのつるべ撃ちによって友安少将下の第1線配備の部隊を
混乱させられ、撤退に追い込まれています。
また重砲の配置転換というのは攻撃方面の転換という
意味もあると思いますが?つまり、攻勢軸を回転させる場合、
外側の部隊は移動させますが、軸は回転しませんね?
つまり15センチや二十八サンチは11/27日にすでに二百三
高地を射程に入れており移動する必要は無い。
それまでの問題は乃木軍が総砲兵力を一点に集中すると
いう事をしてなかったことから、火力を分散配置気味で
あったのではと思うわけです。
児玉が督戦に着てから、第3軍はいかに203高地を攻略
すればよいか各部各団体において議論が盛んになったという。
>487
日本側も、占領陣地確保のため野山砲を送り込もうと悪戦苦闘しております。
以前に『攻城砲でない野砲、山砲を計算に入れるのか』と揶揄されておりし
たが、野山砲といえども攻防戦には攻勢側・防御側双方にとって重要な火力
であることはお認めなのですね。
>487
攻勢方面の転換は、児玉が煙台に居た頃の26日に既に行われたものです。
そして児玉が来る以前に、既に山頂の争奪戦という状況にまで進展している。
15榴砲や09臼砲の転換無しに。
要すれば、重砲系は当初の配置場所から広範囲をカバーできているので動か
す必要があまりなかった、という意味でしょうか?
とすると、児玉は何のために15榴弾砲の移動を命じたのでしょうね?意味無
いじゃないですか
490 :
名無し三等兵:02/03/05 13:09
「高地奪取のための歩兵の側防支援のため」、らしいですね。
「11/30の203高地一時占領のち露軍歩兵による奪還」に鑑み、
12/5は近接射撃でロシア兵の接近をさまたげるため野戦重砲の陣地変換したいうの、
あちこちの本で読みました。
戦術は門外漢ですが、そういうこともあろうと思ってます
>490さんへ
私も、「砲撃の目的」は「高地山頂の占領を支援するため」だと思います。
私が489で言いたかったのは、「移動命令の目的」です。
487氏が書かれているように、当初の位置で射程に入っているのならば
その場で射線方向を変えれば良いではないですか。どうしてわざわざ移動
を?と思ったわけです。
491の文、2行目「移動命令の目的」っておかしな言い方なので変えます。
「移動命令の目的」→「移動命令の妥当性」です。
>489様
>射程内なのに、なぜわざわざ陣地変換するか
いや、わたしもそう思います。
ただ、逆Aの字型の旅順において東北要塞正面から西北203高地の12/5攻勢正面に
近接陣地を築けば、(野戦無線のない時代)より有効な側防火力とロシア兵の逆襲をふせぐ
弾幕をはるための射線を確保できるのではないかと・・・
西北正面砲兵陣地 東北正面砲兵陣地
\ /
203高地 東鶏冠山
\ /
旅順港
12/1の大山総司令官の第3軍宛訓令
「その3 明朝の攻撃には各高等司令部親しく適当の位置に進み、必ずみずから地形と時期とを観察し、
成功機会を逸せず、占領を確実ならしむることを期すべし」
もはやこの時期には日露両軍の死闘は、ロシアの後退期にあたり、
「山頂は突入可能。しかし確保・維持のための砲兵支援のための指揮系統が第3軍において混乱している
(11/30の高地一時占領後、逆襲を防ぎえず撤退)」
と判断。
このへんが児玉の重砲陣地変換の目的でしょうか?
>490様へ
砲陣地を近接させて、より有効・確実な支援砲撃を、という意味合いでしょ
うか。私は、射線が二百三高地方向に向けられていれば、あとは観測・指揮の
問題で、陣地自体は何処にあっても良かったのでは……と思っていました。
陣地転換した砲が元々あった東北方面を担当している第九・十一師団も休ん
でいた訳でなく、担当する前方敵陣の牽制を任務として与えられていました。
移動元はその戦力を削減されることになるわけです。この時点では東北正面の
攻略を完全に放棄したわけではありませんから、この方面からの火力移動は妥
当でなかったのでは?とも思えます。射線変更程度が妥当かと思いました。
この辺りは、メリット・デメリットの軽重比較という話になるでしょうか。
要塞正面への攻撃(第9師団)が11/27午前一時、多大な犠牲をだして終了。
乃木は「第7師団から増援を出し、おはんの指揮下に入れる」
大島第9師団長「増援だしても、また死にますぜ。突撃正面は狭路だから狙い撃ち」
で、乃木は11/27午前10時、
「軍は一時、要塞正面の攻撃を中止し、(連続した火点の西端にあたり、つまり十字砲火にかけた弱点)
203高地を攻略す」
の命令をだしてます。
「要塞正面は牽制のみ」で事実、11/27〜12/6の軍命令でていますが、
牽制である以上、重砲隊の203高地方面への引き抜きは、それほど
デメリットはなかったはずです。
なんといっても要塞は、逃げませんし、
「敵が立て篭もっているから苦労しちょるのだろうが。敵が出てきたらこれ幸いちゅうもの(BY丹波哲郎)」
というわけで203高地方面への以下の火力引き抜きは成功だったと思います。
【陣地転換火力(※異説在り)】
9センチ臼砲12門
203高地攻撃時、高地に隣接するロシア軍保塁からの側防火力を
制圧し、歩兵突撃隊の犠牲を可能な限り僅少にするためのようですね
12サンチ榴弾砲15門
山頂占領後の203高地背後のロシア軍との間に弾幕を張りロシア軍歩兵の逆襲ふせぐため。
(※高地奪取はとったからそれで終わりでなく、11/27〜12/6の203高地の激戦は
両軍歩兵による奪取
および砲兵による友軍誤射もおそれぬ阻止砲火くりかえしでしたから)
たぶん、要約すれば近接陣地による精密射撃の問題でしょうか。
(児玉の)重砲陣地転換の発想の基本は、11/30の山頂一時占領維持失敗に激怒し、
「火力の増加によって敵の回復攻撃を制圧せしむ」
ですので
引き抜きはいいと思うんです。つまり、東北方面に向けていた火砲の射線
を、二百三高地方面に向けて修正する、ということは。
しかし、陣地そのものを移動させるというのがどうも……。
遠くから撃つよりかは効果的なのだろうとは、私も思います。
498 :
名無し三等兵:02/03/07 03:07
旅順の地形は「山在り谷在り」で「射程内におさめても間接射撃」よりは
「陣地変換で進出して直接目視による射撃火力を増加」するほうがプラスかと・・・
12/1児玉督戦における重砲の陣地変換は
「203高地の占領を確保するため、すみやかに重砲隊(東北正面の火石嶺付近)を移動して
これを高崎山(西北203高地正面の仮称)に陣地変換し、もって敵の回復攻撃を顧慮し、
椅子山(203高地を東南からカバーする隣接するロシア軍保塁)を制圧せしむ」
です。
手元に資料が無いのであれですが、この椅子山ロシア軍保塁に射線を確保するため
陣地変換は有効だったと推測します
すみません、489以降誤った事を書いていました。
>要すれば、重砲系は当初の配置場所から広範囲をカバーできている
ので動かす必要があまりなかった、という意味でしょうか?
とすると、児玉は何のために15榴弾砲の移動を命じたのでしょう
ね?意味無いじゃないですか(
>>489)
これは487氏が『15センチや二十八サンチはすでに二百三高地を射程に入れ
ており移動する必要は無い』と述べられていることに対してのレスですが、
487氏が書かれているのは『15センチや二十八サンチ』であって、児玉督戦に
より移動された
★十二糎榴弾砲十五門(東北溝より太平溝へ)
☆九糎臼砲十二門(孫家溝から太平溝南方地区へ)
のことを述べているのではありませんでした。
東北溝は二百三高地まで直線距離で約7kmくらい、
孫家溝は二百三高地まで直線距離で約8km、もっとあるかも?
いずれも当該砲の射程外です。
児玉督戦で移動させられている火砲は、二百三高地を射程に含まないものの
うちの27門であります。撤回・陳謝。
こんな感じ……
2キロ 東北溝
┌────┘
水師営───────────孫家溝
大平溝 ┌─┘ 5キロ
│ 2キロ ┌─┘
└─┐ ┌─┘5キロ
│ ┌─┘
└二百三┘
いやいや。とんでもない。
>489氏のカキコをみて、
僕も「児玉による重砲陣地変換なくても12/6か12/7あたりには203高地は落ちたのではないか
(理由 ロシア軍逆襲歩兵の予備の枯渇)です」
と考え始めました
203高地は11/27?以来の攻勢で、防御が著しく弱体化していたし、
でなければいかに「有機一体の近接支援砲撃」があろうと、12/5に
わずか1時間で西南頂上部が陥落するのは難しいと思ってます。
ただし逆にいえば、「友軍誤射も恐れず間断なく砲撃をつづけよ(今までは突撃時は砲撃は中止された)」
いう児玉の指導も一理在りますが
502 :
名無し三等兵:02/03/07 13:19
このへん、当時の日本軍砲兵の戦術ドクトリンとか
支援砲撃の概念とか、調べて見ないとわかりませんね・・・
11月27日つまり二百三高地に攻撃方向を転換した直後ですが、この日の
内に高地に28榴弾砲が800発打ち込まれ、これで同高地散兵壕の鉄製掩蓋
のほとんどが破壊されています。
こういう地均しが有っての上での11月30日夜奪取(後被奪還)、そして
12月05日の完全占領に繋がったのだと思います。
児玉が来ずに、27門が移動せず砲撃方法の指示がなくても、長くて数日
程度の延長だったでしょう。
防御側の実質的指揮官コンドラチェンコ少将も、
「二百三高地攻撃は、ロ軍の予備隊をこの方面に吸収し、暴露陣地で多くの
損害を与えるのが目的であり……」と判断していた向きがあります。
(島貫重節「戦略日露戦争」より)
504 :
名無し三等兵:02/03/07 21:52
>この日の内に高地に28榴弾砲が800発打ち込まれ、これで同高地散兵壕の
鉄製掩蓋のほとんどが破壊されています
残念ながら、43の内22の壕しか破壊されていません。
また11/30の攻撃も友安少将が辞任電報を出すほどの失敗に終わり
(結果斎藤少将が担当する)、12/1の児玉が到着する前後の
第3軍司令部は陰鬱な空気が占めていた。
西南部を占拠すればよいという案が出たのは児玉が着てからの
話で、11/27の攻撃時の通り、東北部に固執していれば占領も危うい。
東北部に固執する可能性は今までの第3軍司令部の指揮振りから充分
ありえます。
505 :
名無し三等兵:02/03/07 23:56
攻撃初日の27日に、まず大規模砲撃で22個を破壊したのですね。
そして30日に再び大規模な砲撃があります。この時にも甚大な被害を
与えたことは想像できます。
そして児玉が来たのちに達成された占領後には、2個だけしか残って
いなかったわけですね。
児玉が来るまでの砲撃成果には、かなりのものが有ったわけです。
児玉が来た後も、西南部の占領でよい、などということにはなっていま
せんよ。目的はあくまで二百三高地山頂部の完全占領です。その目的を達
成するために、まず西南部の足がかりを確実なものにするという意味で、
まず西南部を確実に占領せよ、という話です。
児玉が来る前から、来た後も、目的はあくまで「高地の完全占領」です。
「西南部の占領」はそのための段取りの一部に過ぎません。
506 :
名無し三等兵:02/03/08 00:59
おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な故郷もみんな 逝ってしまいますか
>>499・500の続きです。これを書いておかないと移動27門は射程外の
ものという根拠にならないのに、なぜ書き忘れたんだろう?
★十二糎榴弾砲:最大射程5680m
☆ 九糎 臼砲:最大射程4150m
「大砲入門(佐山次郎)」巻末リストより
>段取りの一部に過ぎません。
その段取りができているか、できてなかったのかの差は大きい。
509 :
名無し三等兵:02/03/08 08:12
>508
当方が書き込んだ意図は、目的と手段を混同させないで欲しいということ
です。
児玉来訪で「西南部を占拠すればよい(>> 504)」と目的が変更された
ように書き込まれていますが、そんなことは無かったと思いますが。
目的 旅順港内全域の観測地点の確保、そのための二百三高地攻略
手段 12/5の攻撃具体案
@そのために高地西南部を完全占領して同地に設ければ必要かつ十分
A西南部は足場が確保されているので側射できる敵堡塁2箇所を征圧
できれば、西南部への兵力投入も安全に行え、占領が期待できる。
B東北部、老虎溝山の攻略は急ぐ必要はなく、上記の理由から時間を
かけてもよいはずである。
また、児玉が着てから、主攻勢面を東北部から西南部に移して
おりますが?
511 :
名無し三等兵:02/03/08 21:41
>510『児玉が着てから、主攻勢面を東北部から西南部に移しておりますが?』
児玉が来る前は、高地山頂部全体(東北部も西南部も)を同時に攻撃して
います。27日も30日も、どちらが主攻という攻撃ではありません。
児玉が来た後に、高地山頂部全体(東北部も西南部も)を同時に攻撃という
のを改めて、足掛かりのある西南部をまず確実に占領し、その占領地を次第に
東北部に拡げていく、という計画になっています。高地全体を占領するという
目的に変更はありません。
その目的達成のため、足掛かりのある西南部から攻め登って行くという当然
の事をしているまでです。そしてその足掛かりは、児玉到着の前に築かれてい
たものです。
>児玉が来る前は、高地山頂部全体(東北部も西南部も)を同時に攻撃して
います。27日も30日も、どちらが主攻という攻撃ではありません
後備旅団と正規旅団の違いがわかってないかな。重点は東北正面だけど?
そして児玉が来る前は占領しても維持できなかったのですが?
この後の話は
>>498に書かれているとおりに進展する。
>そしてその足掛かりは、児玉到着の前に築かれていたものです。
いえ、単に逆襲に生き残った地域が西南部というだけでしょう。
確実に占領せりという電報を確認せずに出すほどの第3軍司令部ですから、
占領維持を行うための具体案を考えてなかったと思います。
>512
27日の攻撃の時の例。
第一連隊は二百三高地東北部と老虎溝山と化頭溝山を担当するようになって
います。結果、二百三高地東北部を担当する兵力は第三「大隊」のみとなって
いる。
対して西南部を担当したのは、後備とはいえ「連隊」です。
「大隊規模」と「連隊規模」と比べれば、重点はどちらでしょうか?
この時点での編成すらも、名称が実態を表すものか不明ですが、これから
後の28日以降は、予備隊からの抽出兵力をどんどん繰り入れているので、
もっとグチャグチャになってきます。私には追跡しきれません。
後備旅団・正規旅団・予備隊入り乱れています。そういう状況で攻撃の重点
を担当部隊の名称をもって推し量ることは妥当なものでしょうか?
山頂部を奪還された後12月01日未明、乃木と大迫との間で、例の「大迫も
男児である」の電話通話がなされています。次いで、別地域を担当している
第九師団から二個大隊の抽出を求める電話会話をしています。
足掛かりを手放す意図はなく、断固固持の決意の証明と思います。
追跡しきれないといって逃げないでください。
11/30に無傷の第7師団が参加した時、第7師団が主に担当したのは
東北部ですよ?西南部は第1師団の後備第1旅団が担当を引きつづけています。
もし第3軍司令部が西南部に重点をおくなら、この時点で第7師団の本隊を
西南部、第1師団の残存兵力を東北部にと考えますが?
515 :
名無し三等兵:02/03/10 02:29
ああ。なるほど
203高地は子供の山崩しと同じで、攻めやすい西南部から徐々に切り崩し、東北部へ順に
確保点を広げていこうというだけの話のような。
どっちにしろ203高地すべてを確保し、ロシア軍に逆襲されない観測所を設置しよう
いう話だから、東北部西南部どっちが重要かいうと微妙に論点が違うような
516 :
名無し三等兵:02/03/10 02:59
11/27午前10時 乃木軍司令官による軍命令
1。 軍は一時要塞正面への攻撃を中止して爾霊山(203高地)を攻略する
で、西南、北東いずれかを攻めるかはもっと下のレベルの決定事項だし、
現に西南、東北の順で攻めてます。
東北山頂のさらに東北に老虎溝山ロシア軍保塁いう敵の支援火点があるし、
どうしても攻めがたく順序から言えばあとまわしになったのでしょう
517 :
名無し三等兵:02/03/10 09:49
もともと西南部から攻めようという提案も大迫第7師団長が出したもので、
児玉の来訪は関係ありませんよ。
西南・東北の区別だって5日の総攻撃で2箇所とも数時間程度の差で占領してるし。
そんなに重要なものでしょうか?
518 :
名無し三等兵:02/03/10 11:08
目的を正確に把握し、目的に対する手段の具体性が児玉来訪前後では明らかに違います。
第3回総攻撃前は乃木大将は第3軍司令部内だけの情報、それも主は伊地知からの
意見によって判断してました。
児玉来訪前
1/29 第7師団 二百三高地への投入への経緯
乃木大将が伊地知ではなく、福島少将に相談し、津野田大尉に対策を求め、
津野田大尉は敵も二百三高地の重要性を認識する以上、兵力を投入してくるに違いない。
之までの経験上 兵力の逐次投入は不得策だから第7師団全力で攻撃させる。
との対策を提示した。
乃木大将はさらに福島少将と協議した後、第7師団長大迫中将に第1、第7師団を
指揮させて。一挙に二百三高地を奪取するために両師団長に電話で命令した。
地理不案内である第7師団に偵察する時間を考慮し11/30 AM10:00とした。
その結果
11/30に無傷の第7師団が主力は東北部に配置し、西南部は第1師団の後備第1旅団が担当を
引きついでいる。しかし11/30夜襲によって西南部と東北部山頂に立つことができた。
しかし、この部隊も12/1午前1時にロシア側の逆襲を受け撃退される。
この後、乃木大将が津野田大尉を介して大迫への督励を出すのですが、
第7師団長の指揮による、203高地攻略が未成であることを遺憾し、中将に躊躇の心境
があるなら、吾れ自ら陣頭に立たんと述べ、返す言葉が大迫も男子である、暫時
ご猶予を請うと有名な下りがある。
しかしこれは現状の戦況に対し、具体的な効果はない。乃木は兵力さえ出せば
落せると考えているのではなかったのであろうか。具体的に子供の山崩しと同じ
レベルのことを考えつけられなかったのはなぜであろうか?精神を傷めていたという
のは事実と考えるほうが自然かもしれません。
この後、第9師団の一戸部隊を抽出し二百三高地に向わせようとしたのは、
暗に第7師団長、と斎藤、友安旅団長への不信感と考えられます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
児玉来訪後
12/3 津野田大尉によれば、児玉来訪以来、各部各団体において203高地攻略の
論議が盛んになった。ただ、北方ロシア軍と対峙するために第3軍は必要なので
いかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいかという設問の
結果、乃木は第3軍司令部でなく、大迫師団長に意見を求め、児玉は二百三高地
攻撃指揮官、第14旅団長斎藤少将に意見を求め、ほぼ同じ下記のような答申をした。
目的 旅順港内全域の観測地点の確保、そのための二百三高地攻略
手段 12/5の攻撃具体案
@そのために高地西南部を完全占領して同地に設ければ必要かつ十分
A西南部は足場が確保されているので側射できる敵堡塁2箇所を征圧
できれば、西南部への兵力投入も安全に行え、占領が期待できる。
B東北部、老虎溝山の攻略は急ぐ必要はなく、上記の理由から時間を
かけてもよいはずである。
かなり具体的ですね。
なーるほど>518
これは私が誤った。確かに西南部山頂占領(午前10時)したあと、
203高地攻撃隊長斉藤少将はあらためて「東北部を占領するかいなか」(午後1時半)
第7師団大迫司令部に問い合わせ。
東北占領以前の午後2時には西南部に観測所が設置され旅順港ロシア艦隊砲撃も
電話線が切断されるまで合計24発、はじまってますね。
(BY 児島襄)
ところでその児玉質問における斉藤少将の回答の
>手段 12/5の攻撃具体案
ソースは?
520 :
518じゃないけど:02/03/10 12:14
>手段 12/5の攻撃具体案
陸戦史研究普及会の「旅順要塞攻略戦」では似たような内容が第3軍日誌の内容として
紹介されている。もっともこれに児玉がどの程度関わっているかは不明。
児玉が来てから決まったこと全てが児玉によるものとは限らないだろうに。
戦線が膠着状態に陥って考える余裕が出来たことも大きいでしょう。
『攻撃具体案』?違いますよ。
この「三点箇条書き」は、「これまでのように二百三高地と老虎溝山を同時に攻略すべきか?それとも二百三高地にしぼるべきか?」ということを問題点
として第三軍司令官が第七師団長に、また総参謀長が現場指揮官の旅団長にそ
れぞれ意見を求めたり諮問していますが、この際の両者からの回答「二百三高
地のみとすべき」という『答申の理由』です。
師団長と旅団長の答申は「二百三高地西南部の占領に主力を注ぐべき」と
いうことで一致しており、その理由として述べられたのが次の三点でした。
1・高地攻略の目的は観測所を設けることであり、西南部を完全占領して同地
に観測所を設ければ、この目的に必要かつ充分となる。
2・西南部には既に足場が確保されている。側射可能な敵堡塁は二カ所だけ
なので、これを制圧すれば西南部への兵力投入も安全になり、攻略の
必成が期待できる。
3・東北部および老虎溝山の攻略は急ぐ必要はなく時間をかけてもよい筈。
「1→2→3」ではなく、三点は「同等」のものです。
>518
『目的を正確に把握し、目的に対する手段の具体性』
目的は観測所設置のため二百三高地山頂占領ですね。03日の諮問と答申では
西南部のみの占領で必要かつ充分という事で軍司令部・師団司令部の意見が一
致していますが、実際に一部占領状態の05日の段階では24発発射のみで電話線
が途絶し命中弾は一発だけでした。『高地の完全占領』が必要だったのです。
この実際に生じたことを踏まえて見れば、当初より『高地完全占領』を目的
としていたことはあながち誤りとは思えません。
その目的に対する『具体的方法』ですが、これは軍司令部の考える事という
よりも、より下級の高等司令部(師団司令部・旅団司令部)の考える事です。
あなたは03日の答申を以て『かなり具体的ですね』と言われていますが、これ
は具体的な占領方法を示している物ではありません。軍司令部と師団司令部お
よび旅団司令部との高等司令部間の占領目的地限定に関する摺り合わせが行わ
れたことを示しているものであり、この摺り合わせ合意を元にして、現場の
師団・旅団司令部レベルにおいて『具体的方法』が検討されていくのです。
>518『11/30に無傷の第7師団が主力は東北部に配置し』
この時期は、高地全体の完全占領が目的です。東北・西南部ともに目標は達
成されていませんが、西南部はこれまでの戦闘で足掛かりが確保できていま
す。東北部は残念ながらはかばかしい進捗はありません。この様な状況なら
ば、新加入兵力は東北部に向かわせられることでしょう。
東北部と西南部の防御は相互に防御し合うかたちなので、西南部のみが突出
して肉薄している状況は危険です。西南部肉薄の状況を突出させないために東
北部に新鋭兵力を投入しただけのことでしょう?
実際、両山頂部への攻撃は、双方呼応して行うように指示、命令が頻繁にな
されています。主攻・助攻という関係ではなかったと思います。
>518『子供の山崩しと同じレベルのことを考えつけられなかった』
「なんだ、こうすれば良かったのか」という事は実に頻繁にあることだと思
いませんか?私は30日の段階でこの着想に至らなかったことは、例えれば「コ
ロンブスの卵」のようなものであり、「やむを得ないこと」と思います。
また、516氏も言われているように、具体的な作戦を立てるのは攻撃担当部隊
を指揮する高等司令部です(
>>516『もっと下のレベルの決定事項』)。この
場合は第七師団司令部があたるでしょうか。
なお、あなたのこの言は軍司令官に向けた侮辱の言葉と思いますが、その実
は第七師団司令部に向けた侮辱の言となっていることにお気づき下さい。
>518『第九師団部隊抽出の着想は、第七師団師団長・旅団長への不信感から?』
軍司令部-師団司令部-旅団司令部-・・・という命令系統があるわけです。
軍司令部が現在の主要攻撃方面でない第九師団・第十一師団方面から要員
を調達し、第一・第七師団方面に向けようとするのは当然でしょう?これは各
師団司令部の上級司令部である軍司令部のみが可能な仕事なのですから。
攻防で戦力が激減している状況では、多方面からの要員調達は当然施すべき
手段です。「第九師団部隊抽出の着想」は、不信感の有無に関わりなく起こり
得た着想と思います。
>518『少量の出血で高地を攻略するにはどうすればよいかという設問』
この記述は、「日露戦争(児島襄)」四巻469ページですね。
「日露戦争(児島)」より該当部要旨
『この設問に対する回答、つまり新たな攻略法・戦術としては、砲撃の方向
を変更するくらいのものしかない。そしてこの点については児玉総参謀長の27
門移動という措置が取られた』
他師団担当部位からの火砲移動なのですから、各師団よりも上級司令部であ
る軍司令部において意見・議論が為されるのが当然の設問と回答と思います。
続いて、
『これまでのように二百三高地と老虎溝山を同時に攻略すべきか、二百三高
地にしぼるか、という問題』
についても児島の記述が続きます。この問題は現地攻撃部隊である師団司令
部・旅団司令部に意見聴取、諮問することが必要な問題です。それは実行さ
れ、対する師団長・旅団長双方の答申に児玉・乃木ともに了承した事について
も児島は記述しています。
あなたは、「軍司令部内で決定されるべき設問」と、「実戦部隊である下級
司令部との摺り合わせが必要な問題」とをなぜか混同して書き込むことによ
り、あたかも軍司令部内において決定されるべき問題が軍司令部にあえて相談
されていなかったかのように書き込まれているように見受けられます。
何の意図あっての混同ですか?
527 :
名無し三等兵:02/03/11 08:17
>>511 目的を正確に把握し、目的に対する手段の具体性が
児玉来訪前後では明らかに違います?
と述べたのです。
また、乃木大将がいままで主に伊地知系由にて意見を求めていたが、
203高地戦より師団長に確認をとりつつあることを述べたのですが?
特に第3軍司令部の白水中佐のミスが 幾多の攻撃を得たに
も関わらず、児玉来訪直後に発覚するのは第3軍司令部が
ある意味いい加減に指揮指令を行っていたと考えるべきでしょう。
また志岐少佐による、軍司令官や幕僚が少佐の担当区域に
来たことは皆無ということからも伺えます。
長岡少将宛てに送られてきた第3軍の将兵達の手紙も
第3軍司令部への批判が書いてましたね。
また、12/1 戦線が膠着し、大迫中将の大迫も男子であるの
電報のあと、乃木大将が第9師団一戸旅団長を中心とした
2個大隊を203高地に廻そうとした際の命令文
第9師団において歩兵2個大隊を臨時に編成し 一戸
少将の指揮の下に、明朝午前6時までに軍司令部に
送られたし、軍司令官自ら陣頭に立ち、当該2個大隊を
以って最後の突撃を決行せんとす。
大迫中将を信頼せず、部下にもあきれられていたような命令を出す段階で,
気が狂っているとしか思えません.
また参謀本部兵站部長の大沢大佐が11月25日攻撃前日に、第3軍司令部に
兵站関係で要望があれば対策を講じたいと思って来たのですが、
その際の乃木大将の言葉
既に三日三夜一睡をなすに能ず 予は、この上なす所を知らず、旅順の
指揮権は適任者あれば誰にでも譲る。然し、誰も名案ならん。
現状の組織を把握していない第3軍司令部ではどうしようもないでしょう。
まともに考えることが恐らく第2回総攻撃以降できなかったのでは
と思っています。
>527(518)
あなたの記述について当方が述べた、各論についてお答え頂きたいものです。
>527 「白水、貴様の天保銭をよこせッ」のエピソードですか?
この地図は、某小説にては「児玉が現状を知るために作らせたもの」
と紹介していますね。この場合、幾多の攻撃を経たものではなく、
児玉の現状把握のためだけに臨時に作られたものとなりますが?
すみません。みなさん大変お詳しいのですね。
現在、北米に住んでいるものです。
実は私の家系の者が日露戦争で旅順で戦死したのですが、
「明治37年12月1日、旅順北面赤坂山に於いて名誉の戦死
を遂げたり」と墓石に刻まれております。
時期から察するに203高地攻撃と同時期だと
思うのですが、赤坂山というのも重要目標だった
のでしょうか?突然の質問失礼いたします。
具体案を考えるのは師団だが、師団がやることをしっかり把握するのは
軍司令官としては当たり前だが?
>530
二百三高地北東部至近の、標高約170mの「老虎溝山」が「赤坂山」と言わ
れる山で、東京赤坂の部隊が占領したことに因んで名付けられたそうです。
二百三高地と老虎溝山は相互に防御する関係であり、ここでも同じような
激戦が行われたと思います。そろそろ100年が経つのですね。
>527『特に第3軍司令部の白水中佐のミスが 幾多の攻撃を得たに
も関わらず、児玉来訪直後に発覚するのは第3軍司令部がある
意味いい加減に指揮指令を行っていたと考えるべきでしょう』
白水中佐の「所属」する司令部が、ある意味いい加減に指揮指令を
行っていたと言われているのですね。
その判断の理由は白水中佐のミスであるということですね。
ところで、白水中佐は、第三軍司令部「所属」の参謀ですか?
それとも第三軍隷下の第七師団司令部「所属」の参謀ですか?
>>532 どうもありがとうございます。
私の実家は神奈川ですので、おそらく部隊としては
東京第一師団になるのでしょうね。
その昔、「二百三高地」という映画を見たことが
ありましたが、非常に感銘を受けた記憶があります。
またその後の「連合艦隊」も。私の家系から
明治維新以後3名が出征し、全員戦死したので、
これらの映画はとても身近に感じました。ちなみに
大東亜戦争では私の祖父が「菊水一号作戦」
(と思われる)で戦死しております。
535 :
名無し三等兵:02/03/11 15:45
>また、乃木大将がいままで主に伊地知系由にて意見を求めていたが、
>203高地戦より師団長に確認をとりつつあることを述べたのですが?
様々な情報を処理していくのも参謀長の仕事です。
伊地知参謀長が間に介在したことにより、
大事な情報がゆがめられたりした具体的な例がありますか?
何よりあなたが強調したがる児玉来訪とこれらの事実がどの程度関わっているのか
疑問です。単純に12月1日朝から生じた膠着状態の中、攻撃再開に備え、
攻撃プランのすり合わせが行われた、で充分説明できるのでは?
ちなみに
>>511さん、とてつもなくお節介なようですが
半角の>を2度重ねて半角数字を打てば、
その番号のレスに直リンできますよ。
>511 ご指摘の通りそれは当方の間違いです。第7師団参謀白水中佐
このあたりの児玉来訪後の叱咤は色々なところに及んでいるので
間違ってしまいました。
第3軍司令部参謀、白井中佐が第3軍機密作戦日誌を8月以降
空白にしていたことやら色々ありますから。申し訳ない。
>伊地知参謀長が間に介在したことにより、大事な情報が
>ゆがめられたりした具体的な例がありますか?
11/26日の大本営への伊地知の報告をみれば、前戦を理解していない
のが解ると思いますが?前戦を理解していない参謀の意見を聞いて
作戦を組み立てられるというのであればそうですが。
>511 私の感想文に対するあなたの各論は感想文に過ぎませんので
あまり意味がないと思いますが?
531にも同じ事が書かれている通り、軍司令部が指揮下の部隊を
しっかり把握しているか否かを書いているのですが?
私は11月以前はしていなかったと考えますが?
つか、>537=538は、坂の上の雲スレで、
「(坂の上の雲は)資料的な間違いはほとんど無い」
とまで言ってのけたイタい司馬厨房ですか?
中央乃木会?
シラネーヨ、そんなの。
>>536 白井と白水との違いを混同して、白水中佐を非難していたというのですか?
あなたは
>>527で、戦時中の白水中佐のミスを根拠として、中佐が所属する司
令部が「いい加減に指揮指令を行っていたと考えるべき」と強調されているの
ですよ。
よりにもよって、中佐のミスを根拠に挙げて批判論を展開するという状況に
おいて、批判する側がなんとも酷いミスをしたものですね。
>>538(518)
感想?違いますよ。
>>518内のあなたの記述の誤りを指摘しているのです。
当方が指摘した点を再掲致します。
1(
>>521・
>>522):「三点箇条書き」は、あなたが言われているような
『攻撃具体案』ではありません。これは占領目的地限定という問題につ
いて司令官間で交わされた意見聴取、諮問への『答申内容』です。
2(
>>522):『具体的方法』とは、軍司令部の考える事というより
も、より下級の高等司令部(師団司令部・旅団司令部)の考える事です。3(
>>523):東北部に新加入兵力が当てられた事は、東北部を主攻とする根
拠に足りません。実際、主攻・助攻という記述でこの山頂攻防戦が語られ
たことはありません。命令にもありません。
4(
>>524):(
>>522)と重複するものです。
5(
>>525):「第九師団部隊抽出の着想」は、不信感の有無に関わりなく起
こり得る軍司令官・司令部の役目といえるものです。これをもって「不信
感」の有無の根拠となるものではありません。
5(
>>526):518で、児島襄の記述を引用されていますが、児島氏が「設問」
「問題」と区別して記述している「軍司令部内で決定されるべき設問」と
「実戦部隊である下級司令部との摺り合わせが必要な問題」とをあえて混
同して書き込まれている。意図は何か。
以上です。
.2.5については何度も述べるとおり、乃木軍司令部が指揮下部隊の行動に
ついて把握していたか?をまた目的をしっかり把握していたか?
そして児玉来訪後はどういう変化があったかを示したまでですが?
まぁもともと乃木大将は常に軍服のままアカシアの木の下で端坐するだけで、
作戦は師団任せにしているからこういった弁護がでてくるのでしょうけどね。
第9師団抽出の乃木の命令を知れば気が狂っているとしか思えませんが?
また、12/1 戦線が膠着し、大迫中将の大迫も男子であるの
電報のあと、乃木大将が第9師団一戸旅団長を中心とした
2個大隊を203高地に廻そうとした際の命令文
第9師団において歩兵2個大隊を臨時に編成し 一戸
少将の指揮の下に、明朝午前6時までに軍司令部に
送られたし、軍司令官自ら陣頭に立ち、当該2個大隊を
以って最後の突撃を決行せんとす。
>軍司令部が現在の主要攻撃方面でない第九師団・第十一師団方面から要員
>を調達し、第一・第七師団方面に向けようとするのは当然でしょう?これは各
>師団司令部の上級司令部である軍司令部のみが可能な仕事なのですから。
この525の文は感想なので余り意味がありません。史実において乃木が出した
命令はこんなものではなかったし、大島中将が翻意を表したのも当然でしょう。
546 :
名無し三等兵:02/03/11 22:28
児島襄も軍事面ではかなり乃木を批判してますね。
>>544 それは命令文ではありません……。
入れ歯の調子の悪い軍司令官と師団長との間を、双方が参謀を仲介に立てて
交わされた電話会話の内容です。
548 :
名無し三等兵:02/03/11 22:38
では乃木の意向を示したものではないのですか?
549 :
名無し三等兵:02/03/11 22:39
参謀が勝手に軍司令官自ら陣頭に立ちと・・と内容を話したのですか?
>>544 アカシヤの木の下で端座するだけ、ですか……。
それは、いわば講談話の類において出てくる、乃木の外見に由来する
伝聞でしょうに。「機密日露戦史」でもそのセリフは出てきますが、
講述者の谷氏もそんな用法で用いていましたよ。
実際はかなりの頻度で前線視察に出ています。また軍司令部にて要務
に口出しをしています。「そんなに口出しされると、要務に支障をきた
します」と軍参謀に嫌がられたこともありました。
>548
あなたは、
>>544で「命令」という言葉を使っています。
どういう意味で使っているのですか?
552 :
名無し三等兵:02/03/11 22:41
あなたの意見では、電話での内容は命令ではないのですね?
553 :
名無し三等兵:02/03/11 22:48
乃木自身が前戦に出てたからといって軍司令部幕僚が指揮下の部隊を
正確に把握しているとは限るまい。これを裏付ける資料は志岐少佐や
長岡にてありますが?
問題は軍司令部が指揮下の部隊を把握するように督戦していたかな?
また軍司令部幕僚と指揮下の部隊との間の信頼関係はなりたっていたか?
>552
乃木は第九師団長の翻意を促す返答に、承知、と答えて会話を終えた、と
児島は記述していますね。どこが「命令」なのですか?
いい加減あんな片目でビッコの徴兵検査では一瞬で落されてしまいそうな
武将の話はやめろよ。
556 :
名無し三等兵:02/03/11 22:53
大島中将は命令に翻意したのですが?
ではあの第9師団よりの抽出というのは何なのですか?
軍司令部幕僚は、第一回総攻撃で陥落させた盤龍山東西堡塁に赴き、第一線
の調査をしています。総攻撃が中止された24日、敵の回復攻撃があるに関わら
ず、です。正確に把握していたと思いますよ。
志岐少佐は当時大隊長です。当然、自身が把握していないことも沢山あった
ことでしょう。本人も後にこのような意味のことを言っています。
『当時私は大隊長であり、本当のところはよくわかっていない』
また、上を批判する志岐大隊長自身も、下には部隊名をちゃんと呼ばずに
白中隊、赤中隊……と呼称したことを批判されています。
下が上に向かって不満ブチブチというのは、よくある当たり前のことです。
>>538(518)
まずこれに答えて頂けますか?
志岐とか長岡とかアカシヤとかの文言は必要ありませんよ。
1(
>>521・
>>522):「三点箇条書き」は、あなたが言われているような
『攻撃具体案』ではありません。これは占領目的地限定という問題につ
いて司令官間で交わされた意見聴取、諮問への『答申内容』です。
559 :
名無し三等兵:02/03/12 07:43
511は陥落させた堡塁を調査すれば、これから攻める堡塁の状況や配下の
部隊が正確にわかると思っているらしい。またならなぜ、伊地知は
11/26日に今払暁の報告で敵陣地が堅固であることを報告したのですか?
8/24日の段階では二龍山堡塁がどんなものか理解していたような
感想を述べているんでしょ?
1.2.5については何度も述べるとおり、乃木軍司令部が指揮下部隊の行動に
ついて把握していたか?また目的をしっかり把握していたか?
そして児玉来訪後はどういう変化があったかを示したまでですが?
それより、第9師団の部隊抽出し、自ら陣頭に立たんの電話内容が
命令でない根拠を示してほしいですな?あれは命令じゃなければ
なんなのですか?指示ですか?妄想ですか?
560 :
名無し三等兵:02/03/12 07:45
>また軍司令部にて要務に口出しをしています。「そんなに口出しされると、
>要務に支障をきたします」
台湾総督時代、清く正しく小うるさくといわれていましたね。
志岐少佐の文言や長岡に当てられた手紙は当時の第3軍の士気を
調べる上で非常に重要ですが?
また、第1軍、第2軍に派遣されれば士気はあがるが、第3軍だと
士気が下がったという事実はどうお考えか?
そもそも日清戦役において大山巌が時間がないから、永久堡塁が
ある東正面を避けたのに、なぜ時間がないからといって、永久堡塁
を攻めたのか?は不思議。
563 :
名無し三等兵:02/03/12 08:26
答えられていませんよ。
「あなたが挙げた三箇条は、具体的攻撃案ですか?」
あなたから、次々に質問が繰り出されていますが、まずは518の件についてお
答え頂きたいですね。「それより」とか議題転換せずに、順番に。
>それより、第9師団の部隊抽出し、自ら陣頭に立たんの電話内容が命令でな
い根拠を示してほしいですな?あれは命令じゃなければなんなのですか?
→それは当方疑問点5に関わることです。順番通りやっていけば、ご希望通り
議題になるでしょう。「それより」とか言わずに、順番に行きましょう。
>志岐少佐の文言や長岡に当てられた手紙は当時の第3軍の士気を調べる上で
非常に重要ですが?
→下が上に向かって不満を述べるのは、極当たり前に、いつでもどこでも起こ
ることです。別軍でも当然起こっていて、第三軍限定の問題ではありません。
>また、第1軍、第2軍に派遣されれば士気はあがるが、第3軍だと士気が下
がったという事実はどうお考えか?
→当然起こりうる感情だと思います。決戦地ですからね。旅順以外は露軍は逃
げまくっているのと比べ特異的な戦場です。旅順は、日露戦争を通じて露軍側
が追いつめられて死闘を展開した唯一の戦場と言えます。
>そもそも日清戦役において大山巌が時間がないから、永久堡塁がある東正面
を避けたのに、なぜ時間がないからといって、永久堡塁を攻めたのか?
→東北正面突破が、軍に与えられた命令「早期陥落」に必要だからです。
さて、戻りましょうか。
1(
>>521・
>>522):「三点箇条書き」は、あなたが言われているような
『攻撃具体案』ではありません。これは占領目的地限定という問題につ
いて司令官間で交わされた意見聴取、諮問への『答申内容』です。
「あなたが挙げた三箇条は、具体的攻撃案ですか?」ですか?
>>559 それが11月26日の報告ですか。
それなら伊地知は前線の状況を把握していることになりますね。
(露軍陣地はたいしたことないと書いているならともかく)
ところで乃木司令官が自ら2個大隊を指揮して突っ込むと発言したことをもって
「気が狂っている」というのなら、大山満洲軍総司令官にむけて
「児玉の手勢として歩兵一個連隊を派遣されたし」などと
連隊長として敵陣へ突っ込もうとしているかのような電文を送った児玉中将も
乃木に勝らず劣らず逝っていたということでしょうね?
>>565 二〇三高地攻防戦の時点で、児玉源太郎はすでに大将になってるわ。
なんてこった。
567 :
名無し三等兵:02/03/13 13:06
児島襄の日露戦争読むと、児玉がそもそも旅順に最後の督戦にいった理由は、
「自分も同意した東北正面の攻撃がままならず責任を感じて」いったらしいいうけど。
・・・このへん、児島襄がどういうスタンスで執筆しているか知らぬが、かなり
意識的に「児玉督戦」そのものの記述を避けているね。
やはり「坂の上の雲」単行本版の記述を嫌って、わざと書かなかったのかな?
568 :
名無し三等兵:02/03/14 07:34
>511 答申内容は知っている。そこから一歩自分の頭で考えた?
答申内容と実際の作戦はどういう風に進捗しましたか?
乃木に批判的な意見をするととことん粘着ですね。
>>565 は無茶苦茶です。
>不満
井口や藤井が大山に対し不満を述べていたが、大山は攻撃案を抑制し
最後の最後まで堅実路線を貫きましたが?
乃木大将の裁断と比べてみると明らかに違います。
>士気
旅順と満州軍の戦略的地位はどっちが高いのか?当時の日本の構想で
決戦地というのはどこか知っていて話をしているのですか?
知っていて話をするのはなぜですか?当時の日本は旅順の報道というのは
そんなにされてたとお思いですか?
>大山と旅順
日清戦の旅順攻略は兵站の問題から一日でおとさないと攻略軍が
破綻する危機にあり、3日も余裕の有り、まだ砲の数もましだった
乃木軍と比べるまでもない。
また地図に関してもまともな地図もなく、念を押して各参謀を地域
ごとに偵察させた。このあたりの条件もほぼ乃木軍と同じです。
乃木の命令は早期攻略であり、速攻ではない。大山は早く攻略するため
に日清戦役では清が作った永久要塞を避けたのに乃木は清がもともと
あった東正面の永久要塞と戦おうとした。
問題はこういったことがどのような心境で行われたかが議論としては
面白い。時間的制約で仕方が無かったというのは乃木擁護論者の弁だが、
情報軽視、プライド(陸海大本営との摩擦)、戦略軽視と考えたほうが
自然ですが。
>535 >児玉の手勢として歩兵一個連隊を派遣されたし
これの文面のどこに児玉が一個連隊を率いて突撃すると書いていますか?
軍予備兵力の補完をもって参謀長が突撃するなんて意思はあなたの想像でしょ?
乃木の意思は軍司令官自ら最後の突撃と明記してますが?
511が
>>525でも書いておられるとおり、予備兵力を抽出して軍司令官
自ら突撃するのが普通に起こり得る着想と思っているらしい。
軍閥興亡史でも白襷隊が乃木の陣頭指揮を阻止するための代案と
書いてましたが、あながち否定できないですね。伊地知が軍司令官は
死に場所を求めていると述べたのも当時の乃木の心理を探る手がかりに
なると思う。
乃木の優れたところといえば、自軍に大損害を与えつつもそれを甘受し、
捲土重来を図り続けたというのは素晴らしい精神力だと思う。
友安旅団長が辞意を表明するくらい激戦の苦痛を受け入れたのは
天才に値するでしょう。だがそれは才能の一部でしかない。
572 :
名無し三等兵:02/03/14 08:30
>>568 『答申内容は知っている。そこから一歩自分の頭で考えた?』
何を考えるというのですか?これが攻撃具体案であると考えるのですか?
なぜ?これは攻撃地域を限定するのが妥当であるという、という答申理由
であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。
誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでもありません。
『答申内容と実際の作戦はどういう風に進捗しましたか?』
答申を元に上級司令部間で合意がなされ、師団司令部・旅団司令部クラス
で具体的攻撃案が作られるということですね。
要するに、あなたが「具体的攻撃案」と挙げたものは、攻撃案ではないのです。
573 :
名無し三等兵:02/03/14 08:54
あなたは、「答申内容」に過ぎないものを、児玉が諮問したという
ことに着目しすぎて「具体的攻撃案」などと述べた。
あなたは、師団司令部クラスと軍司令部クラスとの所属人員について
完全に誤解していた。白水と白井を誤解同一視していたなんて、はっき
り言って笑い話です。
あなたは、児島の記述を引用していながら、児島が区分けしていた
二つの問題を混同していた。そのため、軍司令部間で行われるべき議論
対象と下級司令部の答申を求める意味のある議論対象を混同していた。
軍司令部と師団司令部に関わる一点に限っても、これだけ誤解と混同
が重なっている。この状態であなたの言に信頼度を求めるというのは、
無理というものです。
こと、具体的攻撃案に限っては、あなたの誤解と混同が集中している
「師団司令部」が関わるのですから。
あと、この貴方の意見「三項箇条書きの答申内容は、具体的攻撃案である」
が、「乃木に批判的な意見」などとは全然思っていませんよ。
「間違っている意見」だと思っているだけです。
574 :
名無し三等兵:02/03/14 10:56
>軍司令部間で行われるべき議論対象と下級司令部の答申を求める意味のある
議論対象を混同していた。
どこで混同しておりますか?自分が読み違えたのを勝手に押し付けるのは
どうかね?
>>569 >当時の日本は旅順の報道というのはそんなにされてたとお思いですか?
第1次攻勢開始の時点で各新聞社は旅順陥落の号外報を作成し、
陥落を祝う提灯行列まで計画されていました。
攻防戦開始時点からすでに日本中が注目し、楽観ムードだったわけです。
しかし予想に反して長期の激戦。
しかも旅順攻囲軍の中の歩兵第1師団、後備歩兵第1旅団は東京編成であり、
後備歩兵第4旅団は大阪編成です。
このように都会出身者が多かったため、戦死傷者が続出するにつれ
報道がされようとがされまいが世論に影響がありました。
特に後備歩兵となりますと所帯主がほとんどであり東京市内には黒布付の日章旗が乱立し、
その影響は現役兵よりも大きかったわけです。
乃木の元には抗議の書簡が約2400通も届き、
東京の乃木宅では投石を受けたり、留守を守っていた静子婦人が罵倒されるなんてこともありました。
そういえば与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」も旅順攻囲軍にいる弟へのものでしたね。
こんな状況では旅順に送られる兵士達が、
勝利続きの北方戦線を担当する第1・2軍の兵士達をうらやんだのも当然でしょう。
>>574『どこで混同しておりますか?』
以下のように混同しております。
あなたは
>>518で日露戦争4・469Pの児島の記述を引用されていますが、
児島氏が「設問」「問題」と区別して記述している以下の二点
1「設問:これまでと違う攻略法の発見」
→軍司令部内で問題となるべき事。児玉の重砲移動にて対応。
2「問題:攻略目標を限定するべきかどうか」
→実戦部隊である下級司令部との摺り合わせが必要な事。
師団長・旅団長に意見聴取・諮問することで対応。
を混同して引用し、あたかも意見聴取・諮問した問題が、軍参謀長の意見が
必要なものであるように引用している。
>518 『ただ、北方ロシア軍と対峙するために第3軍は必要なのでいかに少量の
出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいかという設問の結果、乃木は
第3軍司令部でなく、大迫師団長に意見を求め、児玉は二百三高地攻撃指揮官、
第14旅団長斎藤少将に意見を求め、ほぼ同じ下記のような答申をした。』
児島記述では、上記518引用部二行目「……攻略するにはどうすればよいか
という設問の結果、」の次に、まず「設問」への解答として「児玉の重砲移
動」を示している。
そして設問の解答を終えた上で、続けて「攻撃目標を限定するべきか?」と
いう問題に入り、問題の解答として師団長・旅団長の答申を挙げている。
あなたは
1「設問(新攻略法?):軍司令部内で議論すること」
2「解答(重砲移動)」
3「問題(攻撃目標限定?):下級司令部との意見聴取が必要」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
の記述の2・3をすっとばして
1「設問(新攻略法?):軍司令部内で議論すること」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
と518で書き込んでいるのです。
混同と言わずして何というのです?あなたはその上で、更に「答申理由」
を「具体的攻撃案」としている。『誤解と混同が集中している』のです。
何のための混同か?
私は、527の あなたの記述『乃木大将がいままで主に伊地知系由にて意見を
求めていたが、203高地戦より師団長に確認をとりつつあることを述べた』
との書き込みより、「伊地知が阻害されているだろうという貴方の見方を補強
するための意図的混同」と読み取りました。
577 :
名無し三等兵:02/03/14 19:37
混同と捕らえたのはあなただけでしょうが。
自分の読み間違いをだらだら書くなよ。
だから貴方が私のレスと思われるレスで児玉が
西南方面を指示(命令)もしくは許可を望んだと書いてある
レスをあげてくれ。
578 :
573(=576):02/03/14 22:39
>>577 「混同と捉えたのは私だけ?」貴方のレスナンバー
>>518に答えた人は、
519(515)氏と
>>521(511・当方)の二人だけだったのではないですか?
(念のため、520は文章から見て519(515)へのレスでしょうね)
そりゃ518に長々と異論を唱えているのは私だけですが、
>>519氏も三箇条
を攻撃具体案とする貴方の見解に「ソースは?」と疑問を呈していますよ。
書き込み参加者としては50%の反対意見保持者を指して、「貴方だけ」と
言われる言い振りには、承服しかねます。
>>577『だから貴方が私のレスと思われるレスで児玉が西南方面を指示
(命令)もしくは許可を望んだと書いてあるレスをあげてくれ。』
えっ?文意が理解できません。
私はいまのところ、「あなたが挙げた三箇条は、具体的攻撃案ですか?」
「日露戦争4巻の児島記述を用いた意図的混同がある」と述べているだけ
ですよ? 議論の拡散は、当方の望むところではありません。
だから、どのレスに君が誤解した内容がかかれているの?
>>の使い方くらい知っているだろ?
あと史実とあの答申の内容が違うのであれば、具体案でないな。
史実どこから攻撃したか知っているか?>511
なんか>577が哀れに思えてきたよ。
582 :
名無し三等兵:02/03/14 23:07
当時の兵隊の乃木に対する感情はこんなもの。
「あのような軍司令官(乃木大将)と参謀長(伊地知少将)の下で戦ったわしらは不運だったよ!」
と、60代半ばの老人は戦死していった友人を思い出し、少年だった私の前で不覚にも落涙した。
泣き出さないまでも、拙劣な戦闘の展開に怒りをあらわにした人や、途中で絶句する人も少なくなかった。
柘植久慶 著 旅順より
まあ、柘植ッちが書いた本ということで、この板の人にはマイナス要因だろうが、現場で戦っていた兵隊にとっては災厄な司令官だったということだな。
後に乃木は軍神になって、二銭、三銭切手になったが、従軍した人の多くはその切手を使わなかったそうである。
当時の空気から公然と乃木批判ができないため、そうした形で抵抗を示し、その下手な作戦で死んだ戦友達への配慮としたそうである。
>>511 何度も書いているが
>>518の冒頭部分
目的を正確に把握し、目的に対する手段の具体性が児玉来訪前後では
明らかに違います。
最初にこう書いているのが目に入らないらしい。
>579 「だから」って言われても、既に
>>576中間部に記載しております。
お読みになられました?
『>518 『ただ、北方ロシア軍と対峙するために第3軍は必要なのでいかに少量
の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいかという設問の結果、乃木
は第3軍司令部でなく、大迫師団長に意見を求め、児玉は二百三高地攻撃指揮
官、第14旅団長斎藤少将に意見を求め、ほぼ同じ下記のような答申をした。』
児島記述では、上記518引用部二行目「……攻略するにはどうすればよいか
という設問の結果、」の次に、まず「設問」への解答として「児玉の重砲移
動」を示している。
そして設問の解答を終えた上で、続けて「攻撃目標を限定するべきか?」と
いう問題に入り、問題の解答として師団長・旅団長の答申を挙げている。
あなたは
1「設問(新攻略法?):軍司令部内で議論すること」
2「解答(重砲移動)」
3「問題(攻撃目標限定?):下級司令部との意見聴取が必要」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
の記述の2・3をすっとばして
1「設問(新攻略法?):軍司令部内で議論すること」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
と518で書き込んでいるのです。(576中間部)』
>580『あと史実とあの答申の内容が違うのであれば、具体案でないな。
史実どこから攻撃したか知っているか?>511』
答申内容を元に具体的攻撃案が作成される、と述べているでしょう?
1:意見聴取・諮問とそれに対して「答申」がなされた
2:答申内容に従い、「具体的攻撃案が作成」された
3:戦闘が「案通りに推移」した
この流れであれば「答申」が「具体的攻撃案」になる、というのですか?
戦闘が案通りに推移してもしなくても、答申は答申、それ以上でもそれ以下
でもなく、まして具体的攻撃案などではありません。
>583『何度も書いているが
>>518の冒頭部分
目的を正確に把握し、目的に対する手段の具体性が児玉来訪前後
では明らかに違います。
最初にこう書いているのが目に入らないらしい。』
読んでいますよ。冒頭を読んで、「その説明をどのようにしているのかな」
と思って内容を読み進めていったら、誤解と混同がこれだけあった、と述べて
いるのです。521以降ずっと。
>584『486-500に重砲移動のことでかなり詳しく書かれているね。518で
あえて書くほどのことはないと判断したのですが?』
「あえて書くほどでない」?
……それが
1「設問(新攻略法は?)」
2「解答(重砲移動)」
3「問題(攻撃目標限定すべきか?)」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
の記述2・3をすっとばして
1「設問(新攻略法は?)」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
と貴方が書き込んだ理由なのですか?
1-2、そして3-4は分かつことの出来ないQ&Aの関係です。
それを混同し1-4というQ&Aを作り上げ書き込んだ理由が、それですか。
設問と解答の関係がグチャグチャになることには頓着しなかったのですか?
なんとも凄まじい省略をしたものですね。
589 :
名無し三等兵:02/03/15 02:37
>第9師団において歩兵2個大隊を臨時に編成し
>一戸少将の指揮の下に、明朝午前6時までに軍司令部に
>送られたし、軍司令官自ら陣頭に立ち、当該2個大隊を
>以って最後の突撃を決行せんとす。
これは大山巌からの「指揮統一のよろしきを得ず」の叱責電文に反応した
逆上、あるいはプレッシャーのあらわれかと
第3軍は11/26になっても、東北正面松樹山、ニ竜山、東鶏冠山を攻めようとして、
距離8000メートルまで近づいたとき、
ニ竜山後方2キロにある218高地に立ちツァイスの双眼鏡で戦況を見守っていた乃木将軍が、
「取り舵いっぱい!」
と叫んで、全軍を203高地に敵前回頭させたようですね。
この際、要塞正面でこの敵前回頭(正確にはα運動)を見守っていたコンドラチェンコ少将は
「乃木、狂したか」
と喜び、一列縦隊になって延々旋回をはじめた、第1、第9、第11師団の将卒に
砲撃を命じたようですが・・・。
この乃木の戦法がはたして蛮勇なのか逆風の中揺れる波頭で照準の定めにくい旅順要塞の
砲火を避けえると踏んだ計算ずくなのか・・・?
古来、幾多の識者がろんじてきたことでした。
ネタスマン(
592 :
名無し三等兵:02/03/15 07:19
>511 あのさ?
12/3 津野田大尉によれば、児玉来訪以来、各部各団体において203高地攻略の
論議が盛んになった。ただ、北方ロシア軍と対峙するために第3軍は必要なので
いかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいかという設問の
結果、乃木は第3軍司令部でなく、大迫師団長に意見を求め、児玉は二百三高地
攻撃指揮官、第14旅団長斎藤少将に意見を求め、ほぼ同じ下記のような答申をした。
12/3の段階で軍司令部が何をすべきか考えている?重砲の移動命令は
既に出してある。あとは攻撃内容をしっかり把握することだろ?
そして児玉が構想している攻撃方法と指揮下部隊の攻撃方法が
どこまで一致しているかを考えるわけだ。
既に児玉の意図で移動してある重砲を、さらに考慮するのかい?
乃木と児玉で目的と手段、指揮下の部隊の意図を把握していたかを
比較論で展開したわけだが、それに反論する内容としては、
乃木が第3回攻撃までに如何に目的と手段を把握し、指揮下の
部隊との意図と自分の意図のすり合わせを行っていたかを述べるべき。
だから君の反論の意図がよくわからんよ。乃木の意図も指揮下の部隊に
あまり受け入れられなかったし、乃木信者ってのは殻に閉じこもった
人間が多いのか?だから共感するのか。
593 :
名無し三等兵:02/03/15 07:31
日本語が理解できてないようだから。
せつもん 【設問】
(名)スル
問題や質問を作って示すこと。また、その問題や質問。「違った角度から―する」
設問:いかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいかという設問
問題:戦術(攻略)方法の変更
解答:砲撃の方向の変更として重砲の移動(既に移動済み)
問題:攻撃目標限定すべきか
解答:西南部への攻撃
自信を持って何度もかかれているようだけど、自分のアホ振りが
よくわかったでしょ?
設問の解答を重砲の移動とするならば、それで君の理解している問題=設問は終わる。
>593
参考文献引用時における、あなたの省略の凄まじさが、良く判りました。
595 :
名無し三等兵:02/03/15 08:26
>>511 大体 攻撃目標の限定の話をしており、重砲移動の
話題がされた後でわざわざ書いて堂々めぐりする気はないよ。
それよりあなたの著者の意図を読む能力と疑うし、
問題を述べずに解答を出す意図を疑うよ。
>>588より
1「設問(新攻略法は?)
2「解答(重砲移動)」
3「問題(攻撃目標限定すべきか?)」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
「設問」「問題」
これは児島氏の使用文言をそのままに用いただけです。引用する以上、
なるべく引用元のままの文言を使用するべきと思いますのでね。
児島記述を引用する以上、「設問・問題1-解答・問題2-解答」とは並べら
れません。あなたはそう解釈しているように見受けられますがね(
>>593)。
児島氏の記述はそうなっておりません。
「設問-解答・問題-解答」と記述されております。児島氏引用を用いる以
上、あなたの解釈に従わず、児島氏の記述に従います。
大山の旅順攻略計画では軍を右翼と左翼の二つに分け、
混成第12旅団と左翼縦隊は旅順北方および東北方より牽制、
第1師団は水師営東南凸角にむかって攻撃、
艦隊は清軍の兵力を海面に向けさせることになっていました。
実際には第2軍主力は金州〜旅順街道を進撃路兼補給路とし、
要塞攻防戦においても街道左右に位置する案子山から二竜山付近が主な戦闘地域となっています。
このことから日清戦争時の旅順攻略戦では西北正面からの攻撃というより、
北正面から金州〜旅順街道を軸として攻撃を展開していったというほうが正しいのではないでしょうか?
598 :
名無し三等兵:02/03/15 12:46
>児島記述を引用する以上、「設問・問題1-解答・問題2-解答」とは並べら
れません。
日本語講座を展開しないと理解しないのか……。
511は正確に引用していません。日露戦争4 p469より (数字は行数)
@ では、いかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいのか?
Aただし、この設問の範囲は狭い。
B 二百三高地攻略法としては、兵器も戦面も限定されており、これまでと違う戦術を
C発見しようとしても、砲撃の方向を変更するくらいのものである。
D そして、その点については総参謀長児玉大将が重砲を164高地に移動させ、椅子
E山その他攻撃隊を側射する砲台を制圧する処置をとっている。
F問題は、これまでのように二百三高地と老虎溝山を同時に攻略すべきか、それとも二
G〇三高地にしぼるかである。
H第三軍司令官乃木大将、第7師団長大迫中将に意見をもとめ、総参謀長児玉大将は、
I二百三高地攻撃指揮官、第14旅団長斎藤少将に諮問した。
設問はいかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいのか?(目的)
問題 今までの二百三高地攻略法(方法(戦術))Bの見直し、解答はC、D、E
問題 今までの二百三高地攻略法(方法(道筋))F、Gの見直し、解答はH、I、J、
以下
>>510に続く。
>>511は
>>576において
1「設問(新攻略法?):軍司令部内で議論すること」
2「解答(重砲移動)」
3「問題(攻撃目標限定?):下級司令部との意見聴取が必要」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
から511は明らかにB行目を飛ばしてD、E行目の解答をしている。
著者の意図を理解できないのによく何行も言える。資源の無駄。
大山は
>>569で書かれていることとは違い、
要塞に近づきその防備状況が明らかになってからも
金州〜旅順街道を中心とする配置を替えず、
西北からではなくほとんど北方といっていい方角から攻撃した。
実戦において案子山は0650戦闘開始、0735陥落
二竜山は0945戦闘開始、1130陥落という脆さである。
またいずれの堡塁も日本兵の突入直前にほとんどの兵は逃走していたことや、
高級指揮官が残らず逃亡し、まともな降服交渉すら出来なかったことから見ても
ロシア守備兵と比べその闘志や能力の面で大幅に劣っていたことが分かる。
ちなみにこの戦いでの日本軍の損害は戦死、負傷、行方不明をあわせてもわずか3百名。
大連から旅順要塞まで遼東半島各所に築かれたロシア軍前進堡塁の攻撃で
すでに8千名近い死傷者を出していた第3軍首脳には
日清戦争時の攻防戦は到底参考にならないことぐらいは分かっていただろう。
>>599 結果論で話してるね<ワラ
569では攻撃前の11/15の計画と実際の進行を踏まえて話を
しているんだけど?
また大山の旅順攻撃計画は11/15と命令とでは違ってきており、
更に史実の進行は命令どおり進みませんでした。
……資源の無駄ですか(笑)。それでは簡潔に。
あなたが518で述べた「答申理由三点箇条書き」は「具体的攻撃案」ですか?
貴方は『史実とあの答申の内容が違うのであれば、具体案でない(
>>580)』
と述べていますね。つまり「史実が答申内容と同じなら具体案である」という
意味の事を述べているわけですが……
攻撃前の答申内容の意味が、その後の攻撃の推移によって決定される、と
言う意味のことを言っているのですよ?
おかしな話じゃありませんか。
「12月03日の答申内容三項目箇条書き」が、答申内容なのか具体的攻撃案
なのか、「12月04日以降の戦局推移」によって決まる、なんて。
04日以後の戦局推移に関わらず、答申内容はそれ以上でもそれ以下でもなく
まして具体的攻撃案などではありません。
>597・599さん、あなたの書き込みを邪魔する意図はありません。
以後どうぞ。
>大山は>569で書かれていることとは違い、
>要塞に近づきその防備状況が明らかになってからも
>金州〜旅順街道を中心とする配置を替えず、
>西北からではなくほとんど北方といっていい方角から攻撃した。
11/15に示達された旅順口攻撃計画、第2軍の大部分は旅順街道東に展開して
松樹山以東の砲台を力攻する形になっていますが?
11月15日の計画とは初耳です。
手元の資料では13日に
>>597でのべたような攻撃計画が作られていますが、
15日のものとはどんなものだったのでしょうか?
ちなみに僕が使った資料は旧参謀本部編纂[日本の戦史]日清戦争からとりました。
605 :
名無し三等兵:02/03/15 21:26
>511は読解力がないからあまり話さないでくれない?
スレが汚れる。
ではあなたの感想を聴こう、あの乃木と児玉が大迫中将及び斎藤少将
への質問は何を意味するか?
児玉はなぜ聞いたのですか?
そうそう乃木自ら具体的な攻撃命令を出している場面があったから
書いておくよ。
というか、
>>602で書かれたことが正しいんだったら、
やっぱり大山も東北正面から攻撃したがっていたということですか?
607 :
名無し三等兵:02/03/15 21:31
乃木大将の白襷隊 中村少将への下令
まず松樹山第4砲台付近の堡塁を攻略して、立脚地を占領せよ
次に「猛烈果敢」に楊家屯要塞の一部を奪取し,同地を基地にして
白玉山を攻略せよ。
白玉山攻略が不成功に終わるときは現地を死守して支援部隊を待て
軍司令官が自ら旅団規模の部隊に命令していますな。
これは511ではなんと呼ぶのでしょうか?<ワラ
608 :
名無し三等兵:02/03/15 21:44
>>606 11/15の攻撃計画は実行に移されませんでした。
理由は下記の通り、
まず、11/21の総攻撃前、第2軍に旅順口付近の適切な地図がないため、
正確な攻撃地点の選定に戸惑っていた。
ただし、第2軍司令部の幕僚が各々の担当地域を偵察することと
参謀本部が用意した配備図で敵の砲台に関しては一応の判断を得た。
しかし地形が判然としない。
だが、砲台群の配置からすれば旅順口防備の最弱部は西北部にある。
案子山砲台群は東側は旅順街道そう操練場に望み、西側は太陽溝狭地
に望む約2キロ余りの高地群であった。
この太陽溝を南進して案子山砲台群を背後から陥落させれば、あとは
砲兵の援護のもと前面の白玉山を突破して旅順口に突入するのは容易である。
ただし、上記の案子山迂回策も作戦が順調に進まなければ、左右に
兵力を分散させることにより、容易に敵が間隙に突出することは可能。
だが、松樹山、二龍山を同時に攻撃するほど兵力、火力もない。
この2案で参謀達は反芻しあったが、結果的に第1師団による
迂回作戦が実行に移された。
軍閥興亡史、大山巌4より
11月23日付の第3軍命令では白襷隊は軍直属の特別予備となっています。
よって「軍命令」とよんだほうがいいでしょう。
>>608 なるほどー。長谷川第十二旅団長が、予定時刻になっても
松樹山へ向けた第1師団の攻撃が始まらないので、
独断で二竜山への攻撃を始めたのにはそんなことがありましたか。
日露戦争時代の旅順要塞地図から北正面と判断したのはまずかったなあ。
613 :
名無し三等兵:02/03/17 11:39
おお。凄いな。完全に論客が日本史板からうつってきてるな(w
614 :
名無し三等兵:02/03/17 13:19
「平原地帯を捨て旅順に篭るロシア軍萌え」
・・・さっき1年ぶりにゲーム板のウォーゲームスレいったけど、
うーん・・・あの妥協心の無さは軍ヲタ的に立派だけど、絶対友達になりたくないなあ。
>ハナザー
615 :
スレ保存人:02/03/18 03:46
616 :
名無し三等兵:02/03/18 23:05
日清戦争の話は終わったようですね……
では、再び。
>>598 設問はいかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいのか?(目的)
問題 今までの二百三高地攻略法(方法(戦術))Bの見直し、解答はC、D、E
問題 今までの二百三高地攻略法(方法(道筋))F、Gの見直し、解答はH、I、J、
貴方の518の記述はこうでした。
『いかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいかという設問の結果、乃木は第3軍司令部でなく、大迫師団長に意見を求め、児玉は二百三高地攻撃指揮官、第14旅団長斎藤少将に意見を求め、ほぼ同じ下記のような答申をした。(
>>518)』
あなた自身の「設問-問題1-解答1-問題2-解答2」に従ったとしても、
あなたの518は、設問の次に、「-問題1-解答1-問題2-」をすっ飛ばして、
いきなり-解答2に繋げているのです。
あなた自身の解釈(598上記引用部)に忠実に従っても、あなたの書き込み(518上記引用部)は省略が凄まじすぎて、正確性を著しく欠いています。
ここのところ・・・
まさに「重箱の隅」だね
>>617 「隅」ではなく、518の論全体に関わることですので。
何人が議論に加わっているのか知らないけど、ファミレスにでも行って
全員で一晩中語ってたらいいのに・・・
ぎ ゃ ら り ー
ヽ(´ー`)ノ
お い て け ぼ り
おいてけ〜 おいてけ〜
舟幽霊かよ>621
623 :
名無し三等兵:02/03/19 03:56
まあ、いいじゃん。これくらい濃い方が案外スレが続く。
一戸兵衛萌え〜とか一行レスの沫沫日露スレ山ほど見てきたオレがいうから間違いない
>>511 1「設問(新攻略法?):軍司令部内で議論すること」
2「解答(重砲移動)」
3「問題(攻撃目標限定?):下級司令部との意見聴取が必要」
4「解答(意見聴取・諮問と答申)」
の間違いは認めないのね。
間違い?児島氏は「設問-解答、問題-解答」と記述しています(469P)。
それをそのまま「引用」しております。
518が、後に598で言われている「設問・問題1-解答1、問題2-解答2」
という解釈には、全く違和感を感じておりません。むしろ、当方の解釈
「設問-解答、問題-解答」(引用のまま)よりも、妥当な解釈だと思います。
しかしながら、518は「設問-解答2」と書き込んでいるのです。
『いかに少量の出血で二百三高地を攻略するにはどうすればよいかという
設問の結果、乃木は第3軍司令部でなく、大迫師団長に意見を求め、児
玉は二百三高地攻撃指揮官、第14旅団長斎藤少将に意見を求め、ほぼ
同じ下記のような答申をした。(
>>518)』
後に598で述べられたご自身の解釈と比べても、
>>518該当部は正確性を
著しく欠いています。
「児島記述のまま」でもなく、「ご自分の解釈」にすらも合致しない書き
込みを518でしているということになります。
しかも、518で省略された(問題1-解答1、問題2-)によって、軍司令部
内で議論されてしかるべき問題と、下級司令部司令官との間でやり取りされて
しかるべき問題が混同されてしまいました。
当方は、当初(518の直後)よりその点を誤りとして指摘しているのです
(
>>526)。
626 :
名無し三等兵:02/03/19 21:26
誹謗言のみのレスをする際に、わざわざアゲる貴方の感覚を疑います。
628 :
名無し三等兵:02/03/19 21:45
>>511 ageなきゃ意味無いじゃん、
>626 同意。
>>628 以前、「スレの汚れ」を気にされていたと思いましたのでね。
個人の論内容でなく、個人そのものへの攻撃こそ「スレの汚れ」と思います。
511は605の質問には答えないんですね。
>>630 600番台の質問についてですか?
当方の560番台の再再質問にも答えられていないのに、それよりもスレNO
の若い質問に当方が答えるというのは、順番が違うというものです。
(
>>563)「あなたが挙げた三箇条は、具体的攻撃案ですか?」
念のため、03日の三箇条が具体的攻撃案なのかどうかは、04日以降の戦闘
経過を見れば判る、といわれるような奇妙な返答(
>>580)は、まともな
返答になってません(この580返答に対しては反論済み
>>601)。
「答申内容の理由」を列挙しているに過ぎない三箇条を、「具体的攻撃案」
と解釈して論じられている事を、当方は指摘反論しております。
この誤りを指摘する事を「重箱の隅つつき」と言われるのですか。
480は攻撃具体案、511は具体的攻撃案。なんか違うね。なぜわざと変えるのでしょ?
どちらでもいいですよ。
どちらでも、「具体的な案」という「意味」は伝えられると思います。
>>511 いやいやきっとあなたには変えた意味があるのでしょ?なぜ
人の意見の言葉を変えるのですか?
>>637 いやいや、どちらでも結構です。
ところで、511は当方ですが480は貴方ですか?
480『>478 ヘンな事書くと、「指摘されたら、言葉で煽るのか?」と
言われるぞ。自分には言わないか?』
どうみても
重箱の隅をつついているのは511ではないと思うぞ
また、アレか?
511に論破されたことを認めない議論厨が煽り厨に進化して
必死の自己正当化か?
スレ汚しは(・∀・)カエレ!
「答申内容の理由」を列挙しているに過ぎない三箇条
>>511 ではあなたはこの答申内容にそらずに第7師団が攻撃をかけたのですね。
私は答申内容と史実から第7師団がどういう想定で攻撃をかけようとしていたか
を判断したのですが。
この列挙の意味を潰そうとしているのが見え見え。
518の冒頭でも述べられている通り、
目的を正確に把握し、目的に対する手段の具体性が児玉来訪前後では明らかに違います。
が主題。
>>641 誤解しないで頂きたい。当方は、「この答申内容を沿わずに第七師団が攻撃
をかけた」などと述べておりません。518直後からずっと。
518の直後に述べております。
『あなたは03日の答申を以て『かなり具体的ですね』と言われていますが、
これは具体的な占領方法を示している物ではありません。軍司令部と師団司令
部および旅団司令部との高等司令部間の占領目的地限定に関する摺り合わせが
行われたことを示しているものであり、この摺り合わせ合意を元にして、現場
の師団・旅団司令部レベルにおいて『具体的方法』が検討されていくのです。
(
>>522最終)』
どこに「第七師団が答申内容に沿わずに」などと述べていますか?
高等司令部の間で摺り合わせが行われ、合意が出る。「具体的方法」は、そ
の合意を元にして、現場の師団・旅団司令部レベルで検討されることだと述べ
ております。
第七師団がどうしたなどという点を、いつ当方が述べましたか。
「答申内容」を元に検討されていくのが「具体的方法」であるのに、あなた
は「答申内容」がすなわち「具体的方法」と誤解している。それを指摘してい
るのです。
>>642『518の冒頭でも述べられている通り、{目的を正確に把握し、目的に対
する手段の具体性が児玉来訪前後では明らかに違います。}が主題。』
518冒頭が主題だとは了解しております。
しかし、その冒頭を読んで、「その説明をどのようにしているのか?」と
思って内容を読み進めたところ、誤解と混同がこれだけあった、と述べている
のです(
>>587にても述べました)。
特に貴方は、518後段の「児玉来訪後」という段落で、「かなり具体的です
ね」と述べ、その例として、この「三項目箇条書き」を挙げているのです。
単なる「答申理由の箇条書き」に過ぎないものを、「攻撃具体案」と見なし
て児玉来訪後の変化の一例としている。
冒頭言を読んで、「では、その説明をどのようにしているのか?」と思って
読んだら、この誤解。そのような説明では、冒頭言の信頼性を損ないます。
だから、答申理由の箇条書きのような前戦と司令部との間で
いい意味でのすり合わせがあったか?片方の意見を押し付けて
たか?を貴方は反論すべきでしょう。
児玉来訪前では前戦と司令部の間で、攻略が成功する
すり合わせはあった事を示せばよい。
私は自分でいうのもなんだが、5
>>18で比較論を展開しているのが
理解できてないらしい。
「だから」と言われても、
>>645で書かれる貴方の希望する当方の反論を
行ったとして、「答申内容」が貴方の言われるように「攻撃具体案」になる
わけでもありません。
貴方の期待する当方の反論と、貴方の「答申内容」と「攻撃具体案」の
誤解は、全く関係ありません。
現在の当方の質問はこの点です。
貴方が518で述べた「答申内容理由の三箇条箇条書き」は、「攻撃具体案」
ですか?
はいはい答申内容は攻撃具体案でないと認めたらどうなるの?
>>647 認めたらどうなるの?って、おかしな事を聞かれますね。
貴方は、「答申内容」が「攻撃具体案」であるという従来の見解を継続する
のか、翻意するのかを、当方の論の行く末如何によって決めるのですか?
当方は、貴方が今、「答申内容」を「攻撃具体案」と認識されているのか
どうか?をお尋ねしております。
当方の論の行く末如何に関わらず、「答申内容」は「答申内容」であり、
それ以上でもそれ以下でもありません。
>>511 認識しているよ。あの答申内容に沿って攻撃が行われましたから。
史実を見てもそうですが。
ではあなたは攻撃具体案をご存知だからここまで答申内容≠攻撃具体案と
述べるのでしょ。第7師団命令を述べてください。
何か勘違いされていませんか。
その三箇条の性格は、以後の推移や当方の知識にかかわらず、明治37年12月
03日の諮問と答申が行われた時に、決定されているのです。
04日以降の戦闘経過が「答申内容」に沿っていようがいまいが、まして当方
が攻撃具体案を知っていようがいまいが、03日に高等司令部司令官の間で交わ
された三箇条箇条書きは、「答申内容の理由」を述べているだけのものです。
司令官の間で同意された答申内容の「理由三箇条」が「攻撃具体案」とする
と、これに沿って現場の師団・旅団司令部にて決められるものは何になるので
すか。
>>511 もう一回
>>518を読んでくれる?
それで乃木軍司令部が児玉来訪前に攻略に成功する攻撃内容を把握
していたか実例をもって示してくれ?
518の元々の児島襄記述「日露戦争4」の方を読み、518と読み比べました。
>>518は、つくづく不可思議な児島記述の解説になっています。
児島が「ほぼ同じ答申をおこない…(答申内容)…次の理由を指摘した」と
述べて三箇条を掲げているのに比して、518では「ほぼ同じ次の答申をした」と
述べて三箇条を掲げているのですから。
児島記述を素直に読んでも逆さに読んでも、児島は三箇条を「答申の理由」
と紹介しています。あなたはなぜ、児島が「答申の理由」としているものを、
「答申」本体のように書いているのですか。
518タン壊れたか?
厨房度が上がる一方だが……
654 :
名無し三等兵:02/03/22 04:22
わーい。児島襄「大山巌 第3巻・日清戦争1」「同第4巻 日清戦争2」GET
これで全4巻中、手元に無いのは第1巻戊辰戦争のみ。
なんとかして入手したいぞ。
去年だか一昨年だか児島襄が死んだときスレたったけど、
「大山巌」(戊辰〜日清戦争)
「日露戦争」
「平和の失速」(大正デモクラシーとシベリア出兵)
「天皇」(親王〜終戦)
「満州帝国」
「日中戦争」
「開戦前夜」
「日本占領」
「朝鮮戦争」
と綺麗に連続フォローして逝った。えらいもんだ
>>511 ヲイヲイ?
>>585でね
1「設問(新攻略法?):軍司令部内で議論すること」
2「解答(重砲移動)」
↑これって攻城砲兵司令部とすり合わせをしていないような
記述だね。軍司令部だけの議論だったけか?
また、12/3の時点で攻略にこの重砲を更に移動させる必要があったのなら、
書いておくけどね。
最初から書いているけど、あなたはあの答申内容から児玉が作戦を
把握してなかったと述べるのですね?
>>655 当方の「軍司令部内での議論」という書き方は、不十分でありました。
軍全体の作戦指導に関する議論は軍司令部で行われることだ、という意味
で述べました。つまり第七(+一)、九、十一師団の攻撃区域全体に配置され
ている攻城砲の配置についての議論は、当然各師団司令部・また攻城砲兵司令
部を束ねる上級司令部、軍司令部内で行われるものだという意味です。
>>『あなたはあの答申内容から児玉が作戦を把握してなかったと述べるのですね?』
当方が「児玉が作戦を把握してなかった」などと述べたことは一度もありま
せん。何の意図あって当方の発言をそう解釈しますか。もしもそのような発言
をしているというのなら、部位をご指摘願います。
>>511 あなたは作戦案ではなく答申内容としてこだわってますな。
私は確かに答申内容を作戦案と書きましたが、史実での進捗状況から、
私はあの答申内容をもって、12/5の二百三高地攻略案と思っていますが?
これが間違いというのであれば、史実の攻略方法は別の方法だと
思わざるを得ません。だからどんな方法でしたか?と述べているの。
>>657『私は確かに答申内容を作戦案と書きましたが、史実での進捗状況から、
私はあの答申内容をもって、12/5の二百三高地攻略案と思っていますが?
これが間違いというのであれば、史実の攻略方法は別の方法だと
思わざるを得ません。だからどんな方法でしたか?と述べているの。』
論理の飛躍があります。
『答申内容をもって12/5の攻略案である』を「間違いという」ことが、
なぜに「史実の攻略方法は別の方法であった」と主張する事になるのですか。
当方は、
「三箇条の理由」を付けた「諮問と答申」によって高等司令部間での合意が
なされ、それに従って師団・旅団司令部レベルで「具体的方法」が練られる
と述べているのです。
当方は、ずっと上記の事、つまり「答申内容は攻略案である(貴主張)」を
「間違いである」と述べてきていますが、「史実の攻略方法は別の方法だ」など
と一言も言っていませんのに、それがなぜ、「史実の攻略方法は別方法だ」と
主張することに繋がるというのですか。
>>511 だぁかぁら・ 答申”内容”=師団の攻略”内容”=史実の攻略”内容”
じゃないんだろ?
>>572でそのようなことを書いているが?
>>572 >何を考えるというのですか?これが攻撃具体案であると考えるのですか?
>なぜ?これは攻撃地域を限定するのが妥当であるという、という答申理由
>であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません。
>誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでもありません。
>>658 >当方は、
>「三箇条の理由」を付けた「諮問と答申」によって高等司令部間での合意が
>なされ、それに従って師団・旅団司令部レベルで「具体的方法」が練られる
>と述べているのです。
貴方の意見内で師団、旅団レベルで一歩考えて具体的方法が縛られていますな。
何が言いたいのかさっぱりわからん・
660 :
名無し三等兵:02/03/24 00:14
sugee
以前にも指摘しましたが、「>>」と「>」の違いが判っていますか?
貴方が多用している「
>>511」では、当方のどのレスNo. へ対しての書き込み
なのか、さっぱりわかりません。
>>659 『貴方の意見内で師団、旅団レベルで一歩考えて具体的方法が縛られていますな。』
私は、「貴方が何を言いたいのか」ではなく、「貴方の文自体」がさっぱり
わかりません。上の文、『具体的方法が縛られる』って何を言いたいのですか?
>『答申”内容”=師団の攻略”内容”=史実の攻略”内容”じゃないんだろ?』
1・答申内容:12月03日に高等司令部司令官の間で交わされたもの
2・攻撃具体案:「答申内容を元に」師団・旅団司令部で練られるもの
3・史実攻略内容:「攻撃具体案を元に」実際の戦況に即し実行されたもの
1と2と3の関係は、「1=2=3」という関係で示されるものではありま
せん。
「1を元に2が作られ、2を元に3が行われた」という関係で示されます。
>>572 :名無し三等兵 :02/03/14 08:30
>568 『答申内容は知っている。そこから一歩自分の頭で考えた?』
何を考えるというのですか?これが攻撃具体案であると考えるのですか?
なぜ?これは攻撃地域を限定するのが妥当であるという、という答申理由
であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません.
誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでもありません。
>>662 『答申内容と実際の作戦はどういう風に進捗しましたか?』
答申を元に上級司令部間で合意がなされ、師団司令部・旅団司令部クラス
で具体的攻撃案が作られるということですね。
要するに、あなたが「具体的攻撃案」と挙げたものは、攻撃案ではないのです。
1・答申内容:12月03日に高等司令部司令官の間で交わされたもの
2・攻撃具体案:「答申内容を元に」師団・旅団司令部で練られるもの
3・史実攻略内容:「攻撃具体案を元に」実際の戦況に即し実行されたもの
1と2と3の関係は、「1=2=3」という関係で示されるものではありま
せん。「1を元に2が作られ、2を元に3が行われた」という関係で示されます
>>572で誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでもありません。
とのべ、
>>658で答申内容から一歩考えられて攻撃具体案になると貴方は述べています。
あんたはごまかそうとしているのか?
ループ状態 このまま1000まで続くだろう。
>>663 『
>>572で誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでもありません。
とのべ、
>>658で答申内容から一歩考えられて攻撃具体案になると貴方は述べています。
あんたはごまかそうとしているのか?』
572は、568の貴方の書き込みに反論したものです。
(>568 『答申内容は知っている。そこから一歩自分の頭で考えた?』)
568で貴方は、「自分(論者)の頭で考えた」と述べています。当方はそれ
に対し、「明治38年12月3日に、それがどういう性格のものか決まっていたも
のが、過日後世の論者が考えて性格が変わるものではないと反論しました。
>>572「誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでも
ありません。」の「誰か」とは、後世の論者の事です。
対し658は、12月3日当時の攻撃具体案の成り立ちについて述べたものです。
貴方は662を引用しているので662について(658も意味は同じです)。
(>662『攻撃具体案:「答申内容を元に」師団・旅団司令部で練られるもの』)
662(658)で当方が「考える」としている対象は、12月3日の「師団・旅団
司令部」です。「攻撃具体案」が、当時「師団・旅団司令部」で考えられ練ら
れたと述べているのです。
何を勘違いされているのですか。
572「誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでも
ありません。」の「誰か」とは、後世の論者の事です。
662(658)で当方が「考える」としている対象は、12月3日の「師団・旅団
司令部」です。
明治38年12月3日 ・意見聴取・諮問
↓ ・答申(三箇条の理由付き)
↓ ・攻撃具体案作成
12月4日〜・史実の攻略内容
↓
・・・・・・・
後世(〜昭和・平成〜)
歴史は上から下に流れ、下の解釈が上の既決事項が如何なる性格のものなのかを
決定することはありません。
後世の論者である貴方や当方が「一歩進んで考え」たとして、明治の世に決ま
ったことが何故に変わるとお思いなのですか。
667 :
名無し三等兵:02/03/24 09:45
>>572 何を考えるというのですか?これが攻撃具体案であると考えるのですか?
なぜ?これは攻撃地域を限定するのが妥当であるという、という答申理由
であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもありません.
誰かが一歩考えることで、答申理由が攻撃具体案になるわけでもありません。
こう述べています。この文をこう嵌めると
この後 誰か(師団、旅団司令部)が一歩考えても攻撃具体案になるわけ
でもありません。
となるのですが?
>>667『この文をこう嵌めると
この後 誰か(師団、旅団司令部)が一歩考えても攻撃具体案になる
わけでもありません。 となるのですが?』
なりません。そもそも当方書き込み572では「師団・旅団司令部」を用いて
おりません。当方が用いていない主語を勝手に挿入するとはどういう意図あっ
ての改竄ですか。
ROM者の混乱の元です。出鱈目な「嵌め(省略の意?)」はお止めなさい。
572は568の貴方の書き込みに反論したものです。
(>568 『答申内容は知っている。そこから一歩自分の頭で考えた?』)
それに対する反論ですので、
「誰か」とは後世の論者、具体的には568書き込み者です。
572は『後世になって、誰か(568)が一歩考えることで、答申理由が攻撃
具体案になるわけでもありません。』の意味です。
669 :
名無し三等兵:02/03/24 10:14
あなたの指摘がおかしく、また518の反論方法としておかしいことを
指摘したまで。いいかげんに粘着はやめなさい。
>ROM者の混乱の元です。出鱈目な「嵌め(省略の意?)」はお止めなさい。
あのさ518で何度も述べているけどおれの本意を改竄するのも
止めろよ。お前自分のやっていることが何かわかってないだろ?
>>670 あなたの本意というのは518の冒頭言ですね。
それは承知しております。
しかし、その冒頭言をどう説明しているのかと518文章を読むと、誤解と混同
があったと述べているのです。ずっと。
そもそもあなたの本意というのは518の冒頭言であり、518で以後に続く文章
で説明しているという構成になっていますが、当方が誤りを指摘しているのは
全て続く説明文章箇所についてです。
あなたは当方書き込みに存在していない主語を挿入して、文意の改竄をして
います(668詳説)。
当方が、518冒頭言について改竄している?どこでです?どのように?主語
の挿入による改竄でもしていると言うのですか?
>>551 あなたは後世の論者ではなく”誰が考えても”という意味で
上げました。いずれにせよ。
あなたの問題への指摘もいい加減なものですし、このあたりで
他のギャラリーを考えて止めてくれませんか?
私としては児玉来訪前の乃木軍司令部と前戦司令部の状況把握
について反論がほしいのですが?
念のため申しておきますが、度重なる誹謗中傷言・当方書き込みの改竄に
対して、当方は激怒しております。
誹謗中傷言は2chの華としても、度重なれば単なる個人攻撃です。
適度に留めて頂きたい。
書き込み引用については基本的に「そのままの引用」として頂きたい。
>>511 あはは 激怒ねぇ・518に絡んだのは誰か?
そもそも504から絡んだのは511だけど?自分で追跡しきれないと
いう根拠で絡んだのは忘れたのか?
絡む?「誤りを指摘すること」「書き込み内容について議論すること」は
「絡むこと」とは思いません。
「絡む」とは、こういう言を用いて相手を腐す行為を指すと思います。
568:とことん粘着
605:スレが汚れる
626:
>>511 は馬鹿ということでいいか >ALL
677 :
名無し三等兵:02/03/24 17:01
678 :
名無し三等兵:02/03/25 03:15
まあ、BBSは濃いほうが面白いし、論争に負ければ負けたほうは荒したくなるのは
必至。
マターリマターリ
>>514 『11/30に無傷の第7師団が参加した時、第7師団が主に担当したのは東
北部ですよ?』
第七師団は二百三高地攻撃隊と老虎溝山攻撃隊、そして予備隊、に分散されて
配置されております。
【29日の配置(第七師団所属の歩兵部隊のみ記す)】
●二百三高地攻撃隊
第七師団第13旅団歩兵第26連隊(第二大隊)
第七師団第14旅団歩兵第28連隊
●老虎溝山攻撃隊
第七師団第13旅団歩兵第25連隊(第三大隊)
第七師団第13旅団歩兵第26連隊(第一・第三大隊)
○予備隊
第七師団第14旅団歩兵第27連隊
そもそも、11月30日の時点で、既に第7師団は無傷ではありませんでした。26
日の白襷隊夜襲に第25連隊の二個大隊が参加しています。
なお、上記表中、二百三高地攻撃隊に含まれた歩兵第26連隊第二大隊は、30日
の1100に西南部への攻撃隊として運用されています。
(続く)
(続き)
>>514 『第7師団が主に担当したのは東北部ですよ?』
上記を整理すると、第七師団所属部隊が担当した予定地区は、こうなります。
第25連隊:一個大隊は老虎溝山へ。(二個大隊は白襷隊部隊に用いられた)
第26連隊:二個大隊は老虎溝山へ。一個大隊は西南部へ。
第27連隊:予備隊。
第28連隊:東北部へ。
投入部隊規模:老虎溝山へ三個大隊、西南部へ一個大隊、東北部へ三個大隊
当初の予定は、東北部へと運用される第七師団部隊は第28連隊のみです。この
予定はほぼそのまま実行され、第28連隊のほとんどは実際に東北部へ向かいます
が、公刊戦史付図によると28連隊第二大隊の攻勢方向は鞍部であり、むしろ西南
部に近い場所です。
『第七師団が主に担当したのは東北部(
>>514)』という特定は出来ません。
>>504『11/27の攻撃時の通り、東北部に固執していれば占領も危うい。東北部
に固執する可能性は今までの第3軍司令部の指揮振りから充分ありえます』
>>512『後備旅団と正規旅団の違いがわかってないかな。重点は東北正面だけ
ど?』
11月27日の攻撃は、東北部に固執しているものとは言えません。両山頂部に
差し向けた戦力の配置を見ると、以下のようになっています。
歩1連隊第三大隊
│
後歩15連隊第一大隊 └→東北部山頂
第二大隊 203高地
└────→西南部山頂
東北部へ当てられた部隊は一個大隊、西南部へ当てられたのは後備とはいえ二
個大隊です。東北部への固執を見ることは出来ません。
両山頂部への攻撃は呼応して掛けるよう計画され、それを意図した命令は何度
も出されていますので、どちらがより重点という関係でもありません。
老虎溝山への攻撃については、『二百三高地の攻撃を援護し云々』という意味
の文言が幾度も出ておりますので、二百三高地と老虎溝山との関係は、主攻と助
攻の関係であるといえると思います。
>>512『(>そしてその足掛かりは、児玉到着の前に築かれていたものです。)
いえ、単に逆襲に生き残った地域が西南部というだけでしょう。』
「逆襲に生き残った地域」というのを「足掛かり」というのです。その足掛か
りの防御工事は28日正午頃から開始されているもので、偶然に、単に生き残った
わけではありません。『足掛かり』を『築いた』のです。
512の貴方の言は、『足掛かりは児玉到着の前に築かれていた』という事を全く
否定しておりませんので、この点は同意されたものと考えます。
>>504『西南部を占拠すればよいという案が出たのは児玉が着てからの話』
>>510『児玉が着てから、主攻勢面を東北部から西南部に移しておりますが?』
児玉が到着早々伊地知と激論したというのが12月01日の1200頃。その後乃木と
会談したり、参謀会議を開いたり色々なことをしています。
同日、第七師団司令部内に於いて今後の攻撃のための攻撃計画が練られてい
て、1330頃に第七師団長は1500を期しての攻撃命令を示達します。
『増派された歩兵第25連隊第一・第二大隊から二個中隊を選抜して、それぞれを
西南部と東北部に突撃させる。突撃隊に続いて後備歩兵第15連隊と歩兵第27連隊
第12中隊で西南部全部を占領する』
上記のように、この第七師団司令部が検討し作成した攻撃計画に、既に、まず
『西南部を占領』との方針が示されています。そして上記攻撃計画案の作成に、
児玉は全く関与しておりません。これは第七師団司令部内で作られたものです。
>東北部へ当てられた部隊は一個大隊、西南部へ当てられたのは後備とはいえ二
>個大隊です。東北部への固執を見ることは出来ません。
>両山頂部への攻撃は呼応して掛けるよう計画され、それを意図した命令は何度
>も出されていますので、どちらがより重点という関係でもありません。
これは児玉来訪前の考え方ですね。どちらか重点でなく、どちらも
攻めようと固執したから、失敗したのがご理解頂いてないようですね。
『増派された歩兵第25連隊第一・第二大隊から二個中隊を選抜して、それぞれを
西南部と東北部に突撃させる。突撃隊に続いて後備歩兵第15連隊と歩兵第27連隊
第12中隊で西南部全部を占領する』
>まず『西南部を占領』との方針が示されています。
西南部と東北部を同時に突撃させようとしていますが?
どこに『まず『西南部を占領』との方針』になるのですか?
>>685 三行目です。「突撃隊に続けて……部隊で“西南部全部を占領”する」
>>684 『>どちらも 攻めようと固執したから、失敗したのがご理解頂いてないよう
ですね。』
?当方の書き込みの何処に、何が失敗の理由だとかいう「判断」を書き込ん
でいますか?当方書き込みは、実際の情況を説明しているのみです。
そして実際の情況と比較して、504において『11/27の攻撃時に東北部に固執
していた』、また512において『重点は東北正面』、と書き込まれていることに
反論しているのです。
>>504『11/27の攻撃時の通り、東北部に固執』
>>512『重点は東北正面』
504氏は512において「正規師団」と「後備師団」の違いを論拠として東北部
が重点だったとしていますが、実際に当てられた兵力数は西南部が東北部の二
倍です。この点を見ればどちらが重点だということは言えません。
687、下から三行目訂正します。
『504氏は512において「正規師団」と「後備師団」』
→『504氏は512において「正規旅団」と「後備旅団」』
です。
もっとも、このばあい「師団」でも「旅団」でもなく、「連隊」と
するのが最も適当なのでしょうが……。
話題になった答申のB
@そのために高地西南部を『完全占領』して同地に設ければ必要かつ十分
A西南部は足場が確保されているので側射できる敵堡塁2箇所を征圧
できれば、西南部への兵力投入も安全に行え、占領が期待できる。
B『東北部、老虎溝山の攻略は急ぐ必要はなく』、上記の理由から時間を
かけてもよいはずである。
来訪後の答申のBと下記の君の文を比較してみな。
>11/29の配備 投入部隊規模:老虎溝山へ三個大隊、西南部へ一個大隊、
>東北部へ三個大隊
また来訪後の答申の@と下記と比較してみな。
>『増派された歩兵第25連隊第一・第二大隊から二個中隊を選抜して、それぞれを
>西南部と東北部に突撃させる。突撃隊に続いて後備歩兵第15連隊と歩兵第27連隊
>第12中隊で西南部全部を『占領』する』
まぁなんだな。君の意見は主観の入りやすく恣意的評価になりやすい絶対評価だな。
文章の書き方でよくわかるよ。
具体的に述べていただけますか。
>>514 『11/30に無傷の第7師団が参加した時、第7師団が主に担当したのは東
北部ですよ?』
○11/30の段階で第七師団は無傷でしたか?
○第七師団が主に担当したのは東北部と言えますか?
>>504『11/27の攻撃時の通り、東北部に固執していれば占領も危うい。東北部
に固執する可能性は今までの第3軍司令部の指揮振りから充分ありえます』
>>512『後備旅団と正規旅団の違いがわかってないかな。重点は東北正面だけ
ど?』
○11/27の攻撃時、東北部に固執していますか?
○一個大隊派遣と二個大隊派遣の量的な違いをもってしても、東北部を攻撃
重点と言えますか?
>>504『西南部を占拠すればよいという案が出たのは児玉が着てからの話』
>>510『児玉が着てから、主攻勢面を東北部から西南部に移しておりますが?』
○西南部を占領するという案は、児玉が来てからのものですか?
692 :
名無し三等兵:02/04/01 22:44
リメイクするっていううわさは本当なのでしょうか?
なんでも乃木・児玉両大将は中居と反町がやるって。
ネタにマジレスなんだが、あれだけの巨編はもう作れないような・・・・。
でも、プライベートライアンばりに迫力を増したやつなら見たい気も。
たしかに数ヶ月前、そのネタが一部の板で話題になっていましたが・・
新作はいいからリバイバルやってほしいYO!
696 :
名無し三等兵:02/04/02 07:11
>511 老虎溝山と203高地東北部って連なっているんだよな。
西南部は東北部と関係している。これは答申内容をみても明らかだし
地図をみても、老虎溝山から西南部を側射できる位置にないのは
明らか。よって…。
>二百三高地と老虎溝山との関係は、主攻と助攻の関係で
>あるといえると思います。
これは間違いです。203高地東北部と老虎溝山の関係は深いですけど、
203高地西南部と老虎溝山の関係は主攻、助攻になり得ない。
しかし史実で成功した経緯を否定するなんてあなたの意見はなんだろう?
第七師が東北部を攻めるとなれば当然、老虎溝山も攻めなくてはならず、
兵力が分散した形になるのは当然でしょう。
貴方の意見は兵力を連携の取れない地に分散するのは当然だと
いいたいのですか?
西南部を担当した後備師団が過去の戦でいかに損耗していたかを考えたら
新規で来た第7師団と比べるべくもない。
児玉来訪後の凄いところは、兵力投入の楽な西南部に兵力を集中し、
今まで、各地域から長蛇のように進撃し、数百人規模で
纏まって突撃させていたのを、30人単位に分散させ、間隔をおいて
突撃させ、頂上が逆襲に占拠されたら、自軍砲撃後、次の30人が逆襲を加える
所謂車ガカリを考案し実行させたのが凄いですね。
>>696 『老虎溝山と203高地東北部って連なっているんだよな。
西南部は東北部と関係している。これは答申内容をみても明らかだし
地図をみても、老虎溝山から西南部を側射できる位置にないのは
明らか。(
>>696)』
あなたは一体、どういう資料(地図、戦記)を読んでいるのか。
『>老虎溝山と203高地東北部って連なっているんだよな。』
誤りです。隣の山とはいえ、連なっていません。東北部山頂は標高200、
老虎溝山山頂は標高170、両山頂の間には標高150まで下る谷地が存在する
関係です。
また、両山頂間は敵の散兵壕が形成され、日本軍攻撃隊は、二山頂を完全
な別個の攻撃目標として攻撃陣地をそれぞれに向けて構築しています。
また、距離も西南部山頂-東北部山頂の間の約二倍はあります。
続けて『地図を見ても……』と言われていますが、地図を本当に見れば
こんなことは一目瞭然です。完全なデタラメです。
『>地図をみても、老虎溝山から西南部を側射できる位置にないのは
明らか』
これも完全なデタラメです。西南部攻撃隊が東北部および老虎溝山からの
側射により大被害を受ける記述は、それこそ何遍も何遍も出てきます。
696冒頭四行の中に、本当のことは『西南部は東北部と関係している』と
いう、(同一高地山頂部なのだから)正に当然の事のみ。
わずか四行の中で、その他のあなたの記述は全てデタラメです。
補足:
西南部山頂と東北部山頂との間の距離は約150mほど、
東北部と老虎溝山山頂との間の距離は350m以上。
699 :
名無し三等兵:02/04/02 20:37
203高地付近図 陸上自衛隊施設学校蔵をみていますが?
どうみても、老虎溝山からは、趙家屯から西南部頂上に向う攻撃塹を直接
射撃はできませんが?
第2回総攻撃時の海鼠山西部からの攻撃塹は、東北部
西南部、老虎溝山への分岐点から伸びているのでこの三山から
直接射撃を受けますな。可愛そうに。
700 :
名無し三等兵:02/04/02 21:03
あついね。実際に戦争してきたみたいで。不毛だよ。
701 :
名無し三等兵:02/04/02 23:01
>
失敗。ゴメソ、やり直す。
>>699 >どうみても、老虎溝山からは、趙家屯から西南部頂上に向う攻撃塹を直接
>射撃はできませんが?
言い訳になってないよ。塹壕内を直接射撃できなくったって、全身を晒さざるを得ない
突撃隊員を側射することは簡単でしょ。
>第2回総攻撃時の海鼠山西部からの攻撃塹は、東北部
>西南部、老虎溝山への分岐点から伸びているのでこの三山から
>直接射撃を受けますな。可愛そうに。
話を逸らしてごまかそうとするな。
>>699『203高地付近図 陸上自衛隊施設学校蔵をみていますが?』
歴史群像シリーズ24・「日露戦争」の63Pの地図ですか?これには11月
末の攻撃路がどの方向から伸ばされていたのか全く描かれていません。
11月末の攻撃路が、老虎溝山から側射が加えられる場所だったかどうかは
この図では全く判りません。当時の攻路が描かれていないのですから。
……そもそも、「日露戦争」(歴史群像シリーズ24)63Pの地図、
『203高地付近図 陸上自衛隊施設学校蔵』って、日付が38年1月ですよ?
これは旅順開城後の状況図ではないですか?
>>699『>どうみても、老虎溝山からは、趙家屯から西南部頂上に向う攻撃
塹を直接射撃はできませんが?』
37年11月の時期、趙家屯から西南部山頂には攻路は繋がっていません。
38年1月の日付が付いている地図でなく、37年11月の地図ではどうなって
いるか確認してみなさい。
>>702 >塹壕内を直接射撃できなくったって、全身を晒さざるを得ない
>突撃隊員を側射することは簡単でしょ。
とりあえず、地図を見てから述べてくれる?
どうやったら、老虎溝山から二百三高地東北部山頂の影に隠れる
203高地西南部進撃路を直接攻撃できるのか?
二百三高地東北部が透けているのならあんたの言うとおり簡単だよ。
>37年11月の時期、趙家屯から西南部山頂には攻路は繋がっていません。
話題になっている攻撃は12月なんですけど…。
攻撃塹が数日でできたり、攻略後にできたりするのならあんたの言うとおりだよ。
9月に後備旅団が攻撃したときも西南中腹部で一息つけてますが?
>これも完全なデタラメです。西南部攻撃隊が東北部および老虎溝山からの
>側射により大被害を受ける記述は、それこそ何遍も何遍も出てきます。
そりゃ、攻撃部隊が三山の目の前を通るからね。なぜこんなところを進撃路とした
のかは理解に苦しむ。なぜ西南部が確保できるかを知らないで話をしているな。
もしくは知っていて捻じ曲げているとしか思えん。
>>705『>話題になっている攻撃は12月なんですけど…』
当方は、11月30日の図と12月06日の図を見ています。
そして二つの図の攻路はほぼ同じです。 少なくとも、
>>699であなたが
言われている『趙家屯から西南部頂上に向う攻撃塹』など存在しません。
>>705『>攻撃塹が数日でできたり、攻略後にできたりするのなら』
二百三高地攻略後、この周囲は厳重に防御陣地構築が施されています。
その時に作られたかも知れないと、当方は思いますが。
『趙家屯から西南部頂上に向う攻撃塹』は11/30〜12/6の頃には無かった
と思います。公刊戦史付図に載っていないことが当方の根拠です。
そちらが『趙家屯から西南部頂上に向う攻撃塹』は12月の頃に有ったと
主張されるなら、その根拠を提示して下さい。38年1月の地図なんか出さずに。
>707
>『趙家屯から西南部頂上に向う攻撃塹』は11/30〜12/6の頃には無かった
>と思います。公刊戦史付図に載っていないことが当方の根拠です。
オチがついたね。公刊戦史まで持ち出されたんじゃそりゃかなわんわな(藁
せめて、歴群からの孫引きですと正直に言えばいいのに。
陸自施設学校云々とカッコつけて恥の上塗り。
>708
699氏のこれ、格好つけのつもりだったんですかね?
『
>>699 :名無し三等兵 :02/04/02 20:37
203高地付近図 陸上自衛隊施設学校蔵をみていますが?』
でも、これ、かなり目立つように「明治38年1月」って書かれているし、
そもそも爾霊山攻略時(11/27〜12/06)の攻撃路がどれかも書いてないし、
あまり参考にならないものだと即断できそうなものなんですが……。
あと、公刊戦史はなかなか面白い?です。市立図書館レベルなら蔵書して
いると思います。
>11/30〜12/6の頃には無かったと”思います。”
>公刊戦史付図に載っていないことが当方の根拠です。
そりゃ12月の攻撃時、予定の攻撃路を地図に書き入れることが
なかっただけでしょ。511と708の地図という概念には予定の道は
点線で描かれずに実線で描かれると思い込んでいるらしいから。<ワラ
>二百三高地攻略後、この周囲は厳重に防御陣地構築が施されています。
>その時に作られたかも知れないと、当方は思いますが。
あんたの防御陣というのは雷陣地が山頂に向うような陣地なのか?
しっかり地図をみて話をしてくれるか?そして趙家屯への中腹陣地への
塹壕は一度谷側に落ちてそれから昇って中腹陣地へと繋がっているのですが・・。
防御陣地ってのは防御するためにあると思うんだけどね……。
塹壕線や普通の地図すら読み取れないような人間がいくら資料を
みても無駄だよ……。春だねェ……。
それよりか、老虎溝山から203高地西南部のふもとの散兵壕へどうやったら
射線を引けるか伺いたい。下記の様に述べているのですからね。
>これも完全なデタラメです。『西南部攻撃隊』が東北部および老虎溝山からの
>側射により大被害を受ける記述は、それこそ何遍も何遍も出てきます
攻撃部隊がどこを通っていっているか、という根本的なことを見落として
こういった事例を出すことは無意味。
赤坂山(老虎溝山)山頂から第7師団主攻の矢印と西南部散兵壕に射線を引けるか
定規をあてて見てご覧。どうみても東北部の影に隠れますが。
また日本軍も他山の側射を避けるために当然、その影に隠れて進撃
するのが普通だと思いますが?
>これも完全なデタラメです。西南部攻撃隊が東北部および老虎溝山からの
>側射により大被害を受ける記述は、それこそ何遍も何遍も出てきます。
話題になった答申内容
A西南部は足場が確保されているので側射できる敵堡塁2箇所を征圧
できれば、西南部への兵力投入も安全に行え、占領が期待できる。
これに貴方の意見を当てはめると 老虎溝山が堡塁の一つに
なりそうですな…。これでいいか?
712 :
名無し三等兵:02/04/03 07:37
アゲ
713 :
おい豆腐屋さん:02/04/03 13:27
おめえの頭はおからで出来ているのか?で有名な木下2等卒(新沼謙治)は、
ほんとはニーヌ・マッケンジーいうカナダ出身の日系人です。
祖父はディエップ戦に参加(第2カナダ師団ローヤル・ハミルトン連隊)した
ばりばりの軍人。
714 :
名無し三等兵:02/04/04 00:46
>>696 >児玉来訪後の凄いところは、兵力投入の楽な西南部に兵力を集中し、
>今まで、各地域から長蛇のように進撃し、数百人規模で
>纏まって突撃させていたのを、30人単位に分散させ、間隔をおいて
>突撃させ、頂上が逆襲に占拠されたら、自軍砲撃後、次の30人が逆襲を加える
>所謂車ガカリを考案し実行させたのが凄いですね。
おいおい児玉が来てから第三軍が行った事はみんな児玉の手柄かい?
714、まあ熱くならずに。
この大将、日本史板乃木スレで虚言がバレっちまって、今大変なんだよ。(藁
>>715 いや、僕はROMだけが能の厨房さ。別に熱くなんかなっていないよ。
それより過去ログを一回りしてきたけど、今話題になっている二〇三高地の
東北・西南正面問題について、児玉がどの程度関わっているのか疑問になってきてね。
あの答申内容にしても結局作成したのは第七師団の方だろ。
>>518で書いてある
「目的を正確に把握し、目的に対する手段の具体性」を第七師団司令部が持ったことと
児玉来訪がどの程度関係あるのかわからないんだ。
>>520を書いたやつが似たようなこと書いてるけど、
要は「十二月五日、二〇三高地への攻撃再開時に備えて行われた戦術の変更は、
児玉による具体的な提案・命令の結果かどうか」
がわからなくてね。
たしかに冷静だ、これは見誤った。
んー、重砲位置の変更が児玉の指示、山頂を15分刻みに撃つというのが
児玉の指示というのは間違いないだろう、と思う。
しかし696が言っていた歩兵突撃に関してまで?どうかねえ?
これは現場の裁量じゃないのかな。
696は日本史板乃木スレで虚言癖がバレちまってるからなおさら嘘っぽいな。
落ち着いたところでふと疑問。
大東亜戦争の辻ーんなんかの独断専行は、やっぱり
「児玉伝説」に悪影響された結果なのでしょうか?
影響はあったでしょうね。私は影響というか憧れめいたものだろうかとも……。
>>696『>児玉来訪後の凄いところは、兵力投入の楽な西南部に兵力を集中し、今
まで、各地域から長蛇のように進撃し、数百人規模で纏まって突撃させていたのを
30人単位に分散させ、間隔をおいて突撃させ、頂上が逆襲に占拠されたら、自軍砲
撃後、次の30人が逆襲を加える所謂車ガカリを考案し実行させたのが凄いですね』
主語が判らないので、誰が『考案し実行させた』事を『凄い』としているのか、
よく判らない文章になっています。
1「児玉」が「考案し実行させた」?
2「軍司令部」が「考案し実行させた」?
3「師団・旅団司令部」が「考案し実行させた」?
または、
4「現場指揮官」が「考案し実行させた」?
軍命令(12月04日1600)にも師団長訓令(12月03日1500)にも攻撃隊隊長命
令(12月04日2000)にも、上記のような詳細な突撃方法に関する記述はありませ
ん。攻撃開始前に、このような戦法がもしも考案されていたら、攻撃隊隊長命令に
は反映されそうなものです。児玉を含めて攻撃開始前の考案とは思えません。
よって、696氏の挙げられた歩兵突撃の一戦法は、児玉の功績とは全く関係なく、
「現場指揮官によって臨機に発想され、用いられた戦法である」と考えるのが妥当
だと思います。
ちなみに、『30人に単位に分散させ……』という記述は、公刊戦史には以下の
ように説明されています。
『……歩兵第28連隊集成第一中隊長沼辺大尉は突撃準備の命を受けるや、その
部下中隊および工兵第八大隊第一中隊をもって歩兵各30、工兵各5の三突撃班
を編制し、各班をして約15mを間して続行し、敵の散兵壕に突入せしめ……』
696では、この戦法が「突撃陣地から西南部山頂を目指す時に」採られた戦法であ
るかのような記述となっておりますが、実際はそうではありません。
この戦法が採られた場面は、既に西南部山頂が確保されてのち、約数時間後に
「西南部山頂から更に東北部山頂を目指す時に」採られた戦法なのです。
また、上記公刊戦史記述を見る限り、この戦法は696が述べているような『頂上が
逆襲に占拠されたら、自軍砲撃後、次の30人が逆襲を加える』というようなもので
は無いようです。
『逆襲で占拠されたら』という「状況の推移」とは関係ありません。
『自軍砲撃後』という「条件」もありません。
まして、『次の30人』は『逆襲』するのでさえありません。
単に『15m間隔で次々に敵散兵壕に突入していく戦法』として紹介されています。
696の文章では非常に誤解を招くように思えたので、以上の点、指摘致します。
722 :
名無し三等兵:02/04/07 17:06
>696では、この戦法が「突撃陣地から西南部山頂を目指す時に」採られた戦法であ
>るかのような記述となっておりますが、実際はそうではありません。
>この戦法が採られた場面は、既に西南部山頂が確保されてのち、約数時間後に
>「西南部山頂から更に東北部山頂を目指す時に」採られた戦法なのです
↑こんな嘘を吐けるね?
徳間文庫のP390をよくご覧になってください。
723 :
名無し三等兵:02/04/07 17:07
徳間文庫のP390
12月5日 午前8時 斎藤少将率いる二百三山攻撃隊は既に突撃準備を終えていた。
村上大佐の選抜3隊(計120名) 歩兵第27連隊集成中隊 工兵第7大隊混成
1小隊(計35名)を率いて 二百三山西南部山頂で待機している。
碾盤溝榴弾砲隊を中心とする 攻城砲兵・野戦重砲連隊などの二百三山、老虎溝山
に対する砲撃は夜明けとともに激しさを増し、ロシア軍砲台をほとんど沈黙させる
させるまでの威力を発揮した。
午前9時15分 村上大佐は選抜隊、工兵隊に突撃を命じる。
選抜隊は激しいロシア軍の射撃の中をひるまず突進して、西南山頂部にまで一気に
躍進し、その散兵壕に突入した。
続いて歩兵第27連隊集成第3中隊がこの後を追い、同じく山頂に達した。
だが、このころ、突撃隊の第1線は東北部山頂、滕家大山方面からの銃火、
太陽溝、椅子山からの砲撃にさらされて、死傷者が相次ぎ、山頂の戦闘実員は
わずか40名前後にまで減少していた。
斎藤少将は第1線の兵力強化のために相次いで増援隊を急派し、山頂の占領を
ほぼ確実にすることができた。
徳間文庫P391
二百三山東北部山頂に対する攻撃の最前線に立ったのは、歩兵第28連隊集成
第1中隊(沼辺大尉)であった。沼辺大尉はその中隊員および工兵をもって、
歩兵各30名、工兵各5名の突撃班を三班組織して、二百三高地西南部から
進んで、東北部山頂、西部に達し、付近を占領した。
上記のP391より>「西南部山頂から更に東北部山頂を目指す時に」採られた戦法
と述べておりますが、これが最初とはどこにも書いていません。
P390の通り、選抜した兵力を第1線、第2線、と続けて投入し西南部を占拠して
います。このような方法は11/30以前の攻撃には徹底して行っていません。
それも其のはず、兵力を分散しているのでそのような展開はできない。
>>721の文章では異常な誤解を招くように思えたので、以上の点、指摘致します。
724 :
名無し三等兵:02/04/07 17:25
>>722 ヒトを嘘吐き呼ばわりする前に、まずは日本史板でお前さんが吐いた大嘘について
コメントしとけ。でなきゃ何言っても信頼性ゼロだ。
>>722・723
当方、徳間文庫の大元になっている「公刊戦史」にて確認しました。
「公刊戦史」の内容を、時系列に沿って説明すると、こうなります。
1020・村上大佐、同山頂の略取の目的を達したるものと認め、齋藤少将に報告。
1030・敵の銃火大いに衰え爾霊山西南部山頂の占領漸く確実となる。
1100・第七師団長、西南部山頂の略取全く確実となる後に東北部への攻撃を開始
するように齋藤少将に訓令。
1135・齋藤少将、村上大佐に山頂占領の確否を問い、占領確実ののちに東北部山
頂の攻撃に着手するよう通報。
・村上大佐は目下防御工事中にて東北部攻撃なお時期尚早、と回答。
・村上大佐は沼辺大尉に東北部の敵情を調査するよう命じる。
・沼辺大尉は斥候により、東北部の状況を知る。
1320・前面の敵情依然として変せず。
・齋藤少将、第七師団長に東北部山頂への攻撃を具申。
・第七師団長は攻撃を認可。
・齋藤少将は東北部攻撃の企図を老虎溝山攻撃隊に通報し、牽制を要求。
1345・齋藤少将は、攻撃隊(『歩兵第28連隊集成第一中隊』ほか)を東北部山頂
に突進せしめる。
で、1345に突撃する『歩兵第28連隊集成第一中隊』の戦法が以下のものです。
「……『歩兵第28連隊集成第一中隊長』沼辺大尉は突撃準備の命を受けるや、
その部下中隊および工兵第八大隊第一中隊をもって歩兵各30、工兵各5の三突撃
班を編制し、各班をして約15mを間して続行し、敵の散兵壕に突入せしめ……」
1030に西南部が占領確実となった『数時間後』の1345、東北部への攻撃が開始
され、その攻撃時に『歩兵各30云々』の戦法が用いられた、と書かれています。
このように、ある特定の戦法について、現場攻撃指揮官(沼辺大尉)の名前
まで
出して詳説しているのですから、この場面において特有の戦法であったと解釈する
のが適当と思います。
もしも西南部もこの戦法で行われたのならば、その時に書かれるべき説明です。
しかしながら西南部略取時にこのような記述は一切ありません。
>>722(723)
東北部山頂に攻撃を加える時に、それを命令した部隊指揮官名を記した上で
説明されている攻撃方法です。
なのに、それが数時間前の西南部攻撃の時にも行われていたと強弁されて
いるわけですね。
その根拠が「これが最初とはどこにも書いていません(
>>723)」ですか。
その根拠を以て「こんな嘘を吐けるね?(
>>722)」と宣うわけですか。
嘆息。
攻撃の時間も記し、部隊指揮官名も記して特定の戦法を記述している。
こういう書き方をする場合、わざわざ「この時初めて」とか「この時だけ」
とか書いていなくても、その時に特別に用いられた戦法であると解釈するのが
自然です。
729 :
名無し三等兵:02/04/07 18:52
>724=511だな。それより、老虎溝山から二百三高地西南部へ射線
が引けるようなことを下記のように言っているのでそれを先に解消してください。
>>697 これも完全なデタラメです。西南部攻撃隊が東北部および老虎溝山からの
側射により大被害を受ける記述は、それこそ何遍も何遍も出てきます。
これは大事ですよ。なんてたって当時のロシア軍のコンドラチェンコ少将が
指摘した三山の欠点を克服しているのですから。
730 :
名無し三等兵:02/04/07 18:54
>>726 公刊戦史の西南部攻撃を書かないところがいいね。
>>511は比較って言葉を知らないから致し方ないけど。
>>729 >>710『赤坂山(老虎溝山)山頂から第7師団主攻の矢印と西南部散兵壕に射線を
引けるか定規をあてて見てご覧。』
『主攻の矢印』
この図の矢印は、鳩湾(羊頭湾)方面の敵を駆逐する戦闘も含めた、まさに
第七師団全体の攻勢方向を記しているものでありましょう。爾霊山攻撃路の方
向を示すような局部戦闘の攻路方向の参考にはなりません。
そもそも、1/10000の地図の上に太く直線に引かれた矢印などという、大雑
把なものでは、当時の攻撃隊進路は示せません。
『定規をあてる』
1/10000の、標高線も大雑把で、攻防戦当時の攻路も書かれていない図
(「日露戦争」(歴群24)63Pの図)にですか?
当方は1/3000の、標高線もより緻密で攻防戦当時の攻路が記された図(公刊
戦史付図)に定規をあてて見て、老虎溝山山頂からの射線を確認しました。勿
論、実測ではないので不正確ですが、1/10000の地図に定規を当ててみるより
はマシだと思っております。
>>710『それよりか、老虎溝山から203高地西南部のふもとの散兵壕へどうやった
ら射線を引けるか伺いたい。』
上記のようにして老虎溝山から203高地西南部のふもとへの射線を確認すると、
二百三高地西南部山頂北西側の山腹部敵散兵壕(一部二重)は、老虎溝山からの
側射に守られる位置にあることが判ります。
よって、西南部山頂に向かう左攻路から突撃する攻撃側は、山腹の鉄条網を越え
て更に前述の山腹部散兵壕を越えて山頂の鉄条網に近接するまで、老虎溝山からの
側射を受けます。
もちろん、日本側の攻撃路も極力側射を避けられる斜面に作られていますが、
老虎溝山からの側射を避けることの出来る面に入ると、こんどは藤家大山からの側
射をまともに受ける面に出てしまいます。双方から側射を受けない面は、ほとんど
ありません。
双方いずれからも側射をまともに受けないために、やむを得ず、双方いずれの側
射をも完全に避けきれない場所を進むことになるようです。
結論:西南部山頂に向かう左攻路から突撃する攻撃側は、山腹の鉄条網を越
えて更に前述の山腹部散兵壕を越えて山頂の鉄条網に近接するまで、老虎溝山
からの側射を受けます。
>>730『
>>726 公刊戦史の西南部攻撃を書かないところがいいね。
>>511は比較って言葉を知らないから致し方ないけど。』
あなたが722で否定している当方の言は、
『>この戦法が採られた場面は、既に西南部山頂が確保されてのち、約数
時間後に 「西南部山頂から更に東北部山頂を目指す時に」採られた戦法
なのです 』
でしょう(
>>722)?
だから『数時間後に』『東北部山頂を目指す時に』採られた戦法で
あることを説明したのですよ。
あなたが『西南部攻撃』についても問題にしていたら、勿論触れました。
そろそろ、コテハンの使用を始められたら如何?
724と511はどうみても文体が違うんだが・・・
文体などすぐ変えられるとでもいうなら
もう妄想の域に入っているぞ・・・
734 :
名無し三等兵:02/04/07 19:22
>>511 その散兵壕の位置おかしいよ。
だから老虎溝山170mからみたら、高度200mの東北部山頂が
あってその向こうに西南部山頂がある。
東北部が透けているらしいね。あんたの見かたでは。
コンドラチェンコ少将の三山の指摘 化頭溝山、老虎溝山、
二百三山は他の堡塁からの援護射撃は受けられるが、相互の
側防射ができない。という指摘と食い違い。
また西南部は足場が確保されているので側射できる敵堡塁2箇所を征圧
できれば、西南部への兵力投入も安全に行え、占領が期待できる。
とも食い違いって来ます。すごいね、現実を否定し始めてるよ。
>>733 >511 2重人格とか自作自演って2ちゃんねるの華だから別に構わないよ。
>>734『東北部が透けているらしいね。あんたの見かたでは』
二百三高地西南部の山腹鉄条網と山頂鉄条網に挟まれた部分、山腹散兵壕が
作られている部分は、なだらかな傾斜地となっており、鉄条網間の幅が100m
近い場所があります。
二百三高地東北部の北西部斜面は、非常に急な斜面です。
東北部北西部斜面の急な斜面を沿うように、上記傾斜地を側射出来ます。
東北部山頂を越えて撃つのではありません。
『>コンドラチェンコ少将の三山の指摘 化頭溝山、老虎溝山、二百三山は
他の堡塁からの援護射撃は受けられるが、相互の側防射ができない。
という指摘と食い違い』
老虎溝山と二百三山が相互の側防射をしている記述は、当方もあなたも
何度も紹介していると思いますが?
『>また西南部は足場が確保されているので側射できる敵堡塁2箇所を征圧
できれば、西南部への兵力投入も安全に行え、占領が期待できる。』
これは、例の答申内容の理由ですね。
実は、師団長・旅団長が下問について答申している場面は、公刊戦史では
この「側射できる堡塁」という点についてこう説明しています。
「鴉?嘴(オウコシ)および西太陽溝両堡塁および老鉄山方面の諸砲台に対し充分なる制圧射撃を必要とし……(公刊戦史)」
つまり、公刊戦史では「敵堡塁2箇所を征圧できれば」なんていう記述には
なっていないのです。
そして実際、05〜06日に渡る攻防では多くの堡塁から射撃を受けています。
「……東北部山頂及び藤家大山より銃火、ならびに太陽溝および椅子山方面よりの砲火に対し身を起こす能わず……(公刊戦史)」
『敵堡塁二箇所を制圧できれば……』という状況ではありませんでした。
私はこの記述を読んで以来、攻撃部隊には攻撃計画段階から「側射できる敵
堡塁は二カ所だけ」という認識はなく、また、実際には非常に多方向からの射
撃を受けた状況だったと理解を改めております。
よって、現実を否定しているつもりはありません。
また、当方は724ではありません。
そろそろ、コテハンの使用を始めたら如何?
>>734 『
>>511』
いい加減にこの使用法を改めなさい。「>」「>>」の違いが判りますか。
『>その散兵壕の位置おかしいよ』
1/10000の地図でどうこう言っているあなたに言われたくありません。
『>老虎溝山170mからみたら、高度200mの東北部山頂があってその向
こうに西南部山頂がある。東北部が透けているらしいね』
ふもとを上がってくる敵兵めがけて撃つのに、なぜ射線が東北部山頂
云々と言われるのか判りません。当方が述べた鉄条網に挟まれている敵の
山腹散兵壕の標高は、170mよりも下です。
『>コンドラチェンコ少将の三山の指摘 化頭溝山、老虎溝山、二百三山は
他の堡塁からの援護射撃は受けられるが、相互の側防射ができない。と
いう指摘と食い違い』
老虎溝山と二百三山とが相互側防する記述は豊富にあるので、その現実と
コ少将の指摘とを比較して、コ少将の指摘なるものには、否定的な考えを持
っております。
『>また西南部は足場が確保されているので側射できる敵堡塁2箇所を征圧
できれば、西南部への兵力投入も安全に行え、占領が期待できる』
これは「日露戦争4(児島襄)」中の記述ですが、当方は公刊戦史中に、
それと異なる記述を見つけたので、児島襄のこの記述については、否定的な
考えをもっています。
『すごいね、現実を否定し始めてるよ』
現実の被害は、老虎溝山と二百三山が相互側防関係にあることを示しています。
公刊戦史には、「二堡塁を制圧すれば……」ということは書かれておりません。
従って、現実を否定しているつもりは全くありません。
738 :
名無し三等兵:02/04/07 20:34
あのさ? 老虎溝山から西南部への散兵壕を攻撃できるかと
聞いているの。
>鴉?嘴(オウコシ)および西太陽溝両堡塁および老鉄山方面の諸砲台
>に対し充分なる制圧射撃を必要とし……(公刊戦史)
>「……東北部山頂及び藤家大山より銃火、ならびに太陽溝および椅子山方面よりの砲火に対し身を起こす能わず……
>(公刊戦史)
あなたの上げた資料では老虎溝山とは書いていません。どこに書いているのですか?
>>738 こういう記述もあります。
『その一部は爾霊山西南部の敵の第二線散兵壕の前の岩石に拠り、一部は其の左翼同散兵壕を略取し第八中隊又同時突撃せしも老虎溝山及び前方第二線散兵壕より敵の機関銃の側射を受け直進する能わず』
『老虎溝山及び前方第二散兵壕より』と書かれています。
東北部の山頂からなだらかに東北方面に向って傾斜があります。
どうしてもこの影に隠れてしまいますが。あなたの地図では
そう読み取れないのですね。
ただ定規あてただけで、731の結論みたいな事、主張しませんよ。
『結論:西南部山頂に向かう左攻路から突撃する攻撃側は、山腹の
鉄条網を越えて更に前述の山腹部散兵壕を越えて山頂の鉄条網に
近接するまで、老虎溝山からの側射を受けます。(
>>731)』
739のような記述も確認したうえで述べているのです。
>>740 戦闘の記述にもあり、地図でもその射線は確認できているということ
です。
『その一部は爾霊山西南部の敵の第二線散兵壕の前の岩石に拠り、
一部は其の左翼同散兵壕を略取し第八中隊又同時突撃せしも老虎溝山及び
前方第二線散兵壕より敵の機関銃の側射を受け直進する能わず』
これは何時の攻撃時の話ですか?
>>740『>東北部の山頂からなだらかに東北方面に向って傾斜があり』
ありますね。
老虎溝山から見ると、その東北方面に向かう傾斜は露軍側の陣地ですね。
しかしながら、老虎溝山山頂とあなたが言われる東北部の傾斜地を結ぶ
線の延長先には、日本軍側の攻撃陣地なんて全くありません。
日本軍側の攻撃陣地を狙う射角の話をしているのですよ。
>>743 11月27日です。1930頃の状況を示す一文です。
『その一部は爾霊山西南部の敵の第二線散兵壕の前の岩石に拠り、
一部は其の左翼同散兵壕を略取し第八中隊又同時突撃せしも老虎溝山及び
前方第二線散兵壕より敵の機関銃の側射を受け直進する能わず』
そして、この日に用いられた攻撃通路は、以後ずっと使われ続けました。
511の言う攻撃陣地はどこかね。どうみてもそのなだらかな
傾斜で見えないのですが?機関銃の側射ってどう考えても
山腹の壕からでしょ?そんなもの、12月の時には砲撃で
吹き飛ばしていますが?
ごっちゃにしてないか?
>>545それは後備15旅団が西南部を”目指している”時の情景ですね。
西南部を確保したあとではありません。
>>746 『老虎溝山及び前方第二線散兵壕より敵の機関銃の側射』つまり、
「老虎溝山」と「前方第二線散兵壕」よりの側射です。
>>747 その後、西南部を確保した後に攻路が変わっていればあなたの指摘も
わかります。
しかし、攻路は変わっておりません。12/06もこの攻路を使っています。
>511 あなたはすべてを当てにしない、しかし全てを参考にすると
書いてましたが、名将乃木希典を当てにして、それを否定する参考意見に
疑念を抱く姿勢ですね。
何べんも出てくると書いていましたが、その話は西南部を目指すという
文章を抜かしてあなたは書いていますし、側射を受けた場所が西南部とは
確定できません。
この他にもあるのでしょ?出してみてください。
あと
>>726での追加ね。なぜ西南部山頂への攻撃を書かないのか?不思議だ。
9:15 村上大佐は工兵35人を選抜3隊に配属して突撃を下令した。
10:00 それでも選抜隊は既存の第27連隊集成第3中隊とともに、
吶喊して西南部頂上に到達したが、山頂兵力はわずかに約40人に減少した・
状況を知った二百三高地攻撃隊長 斎藤少将は第28連隊集成第2、第3中隊
工兵第7大隊の一部、さらに第25連隊を増派し、村上大佐はそのうち
第25連隊第一大隊第3中隊を西南部頂上に進出させ、ようやく態勢を立て直した。
1020・村上大佐、同山頂の略取の目的を達したるものと認め、齋藤少将に報告。
1030・敵の銃火大いに衰え爾霊山西南部山頂の占領漸く確実となる。
1100・第七師団長、西南部山頂の略取全く確実となる後に東北部への攻撃を開始
するように齋藤少将に訓令。
1135・齋藤少将、村上大佐に山頂占領の確否を問い、占領確実ののちに東北部山
頂の攻撃に着手するよう通報。
・村上大佐は目下防御工事中にて東北部攻撃なお時期尚早、と回答。
・村上大佐は沼辺大尉に東北部の敵情を調査するよう命じる。
・沼辺大尉は斥候により、東北部の状況を知る。
1320・前面の敵情依然として変せず。
・齋藤少将、第七師団長に東北部山頂への攻撃を具申。
・第七師団長は攻撃を認可。
・齋藤少将は東北部攻撃の企図を老虎溝山攻撃隊に通報し、牽制を要求。
1345・齋藤少将は、攻撃隊(『歩兵第28連隊集成第一中隊』ほか)を東北部山頂
に突進せしめる。
>>749 『名将乃木希典を当てにして、それを否定する参考意見に疑念を抱く姿勢ですね。』
当方もちろん、同書内容に反対する論点も持っております。それが話題に
なっていないだけです。
しかし、同書はとても頼りにしております。桑原氏の記述のほとんどは正確
であることが他書の比較で明らかになる度に、その信頼度が上がっております。
『>この他にもあるのでしょ?』
他の記述ですか?
『我が右翼を拡張せば藤家大山より、左翼を拡張せば老虎溝山及び爾霊山東北
部より共に側射を受けしに因り、狭小の正面を以て突進せり。』
西南部の記述であり、側射を受けているのは、西南部に向かう攻路です。
>>750『なぜ西南部山頂への攻撃を書かないのか?不思議だ』
西南部の略取についてはあなたの
>>722に於いて疑問の提示がなかったからです。
あなたの疑問提示は、当方書き込み「西南部確保ののち、数時間後に東北部
山頂を目指す時の戦法である」に対しての疑問点でしたから。
『>この戦法が採られた場面は、既に西南部山頂が確保されてのち、約数時間後
に「西南部山頂から更に東北部山頂を目指す時に」採られた戦法なのです
↑こんな嘘を吐けるね?(
>>722)』
西南部山頂への攻撃を書いても良かったのですが、このあなたの疑問提示に
対しては、詳説する気が全く起きませんでしたね。
752 :
名無し三等兵:02/04/08 00:43
>752
なんかそのリンク先の文章、読んでて頭痛くなってきた・・・・・。
乃木将軍に個人的な怨みでもあるんだろ。
二百三高地西南部と老虎溝山の関係についての書き込みが続いてましたが、そも
そも、696のあなたの下記発言「これは間違いです」が、全くおかしなものなのです。
当方が述べてもいない関係について、『これは間違いです』とは何事ですか。
>>696『>二百三高地と老虎溝山との関係は、主攻と助攻の関係で
>あるといえると思います。
これは間違いです。203高地東北部と老虎溝山の関係は深いですけど、
203高地西南部と老虎溝山の関係は主攻、助攻になり得ない。』
当方は『203高地西南部と老虎溝山の関係』など述べてはいない。上記にあなたが
引用しているとおり、『二百三高地と老虎溝山との関係』について『主攻と助攻の
関係であるといえる』と述べているのです。
当方が述べてもいない関係について、『これは間違いです』とは何事ですか。
『これ』とは何を指すのか。当方の意見を指すのならば、当方の意見は『二百三
高地と老虎溝山との関係は主攻と助攻の関係といえる』である。これに対して反論
しなさい。
当方が『二百三高地と老虎溝山との関係は主攻と助攻の関係といえる』とした根
拠は、公刊戦史中に以下のような文章が幾つか見られることです。
『爾霊山攻撃隊をして……突撃せしめ、老虎溝山攻撃隊をこの突撃の援助に任ぜり』
『老虎溝山攻撃隊……午後三時を期し爾霊山攻撃を援助する為準備を……』
『老虎溝山攻撃隊はその後、爾霊山攻撃の各期において牽制に努め……』
『援助』、『牽制』なる言葉から見て、『二百三高地と老虎溝山との関係は主攻
と助攻の関係といえる』と考えます。
まあまあ511さん、マターリマターリ。
勝利は近いですよ。
>>753 まったく。「3次攻撃前に二百三高地を攻撃せよと改めた関東軍司令部」
なんていつ改めたんだか。
でも日清戦争云々に関しては何ともいえない。