952 :
日本@名無史さん:02/06/18 22:13
>951 失敗の原因を考えずに妥協性を追及できるのか・・。
変わった人というかかなりおかしい。
>>950 そうそう 水師営から二百三高地まで直接いけると
述べているしね。
954 :
日本@名無史さん:02/06/18 22:20
>>804 >30kmとは、どこからどこまでの距離を言うのでしょうか?
>第七師団のこれら部隊は、そんな距離を移動する必要は全くありません。
804が
>>840で15kmを半日行程と見越して、1日30kmなんだろ?
一日行程30km以上という根拠を示してくれませんか?
そうそう 二百三高地付近までの行程な。前戦なんて曖昧な
言い方するなよ。
955 :
日本@名無史さん:02/06/18 22:23
>>951 >>824 >軍総予備隊の配置が遠かったために占領が維持できなかったのだ、
>という総司令部所見に対し、それは認識が誤っている、ということを
>述べております。
つまり兵力があってなぜ占拠できなかったんでしょう。
まず嶽原は総司令部所見に対し、占領失敗の原因を述べるべきなのに、
第3軍司令部の責任回避に徹していますな<W
>>953 いやお恥ずかしい。
>>954 ああ、そうでした、当初は30キロと述べていたんですよね。
>>840にそんなことが?
『840 :嶽原 :02/06/14 23:23?
>>837私は検索サーチではありませんのでね。あしからず。
公刊日露戦史は、市立図書館レベルで蔵書しているところが
多いので興味あらばご自分でご確認を。』
957 :
日本@名無史さん:02/06/18 22:27
>>955 そういえば第一師団長はなんで辞めさせられたのかな?
>>955 軍司令部の責任回避に徹している?いいえ。
第一線の戦闘指揮に関して、軍司令部の関与した「軍総予備隊からの予備隊
抽出」に問題はないと思う、と述べているのです。
失敗の原因は、色々と考えられて良く判りません、としか言えません。
しかし、総司令部所見の如く「軍総予備隊の位置」というのは失敗の原因
ではない。そう思っています。
>>958その原因を追求したら面白くなるだろ・・<w
今までの嶽原のデムパが水の泡
>軍司令部の関与した「軍総予備隊からの予備隊抽出」に問題はないと思う、
軍司令部がその予備隊がまともに機能しているかを確認するのが
抜けていますな。まともに機能しておりません。11/26から11/29
までずっと。
>>960 いままでの嶽原のはデムパだからね。
彼の理論は満州軍司令部は糞、大本営も糞、第3軍マンセーだから。
楽しんでご覧・・。
>>962 そうなんですか? 第3軍というよりは乃木マンセー
なんじゃないですか?
>>963 乃木と第3軍が一番苦労したことになるからね。
配下の師団長や満州軍司令部、大本営は糞ということになるから。
>>960 第一師団長が変わった理由というのは、何ですか?
>>961 まともに機能しているでしょう?軍総予備隊からの抽出部隊が参加した
戦闘は、一度目的を達しているのですよ。
例1・第26連隊第一大隊01.02中隊が参加した戦闘
『秀島少佐の率いる部隊(歩兵第15連隊第二大隊(第六中隊欠)★同第26連隊
第一大隊(第三第四中隊欠))は……猛烈なる銃火及び手榴弾を冒し遂に敵を
撃退してひとたび山頂堡塁の一部を略取……』
例2・第26連隊第一大隊03.04中隊のが参加した戦闘
『爾霊山東北部に向かいし枝吉少佐の指揮する部隊は……★同26連隊第三第四
中隊を併列散開して突進し、急嶮なる斜面を攀ち敵の中腹散兵壕に達し、激烈
なる投弾、擲石のあと、遂に東北部山頂を略取……』
>>962・964
それぞれに問題があると思っております。それにしても、糞とは嫌な言葉
ですね。
元祖カミカゼ
>>958 辞めさせられた第一師団長とは、松村務本のことですか?
>>960『その原因を追求したら面白くなる』
その口振りですと、辞めさせられた理由をご存じのようですが、
いったい何の理由なのですか?爾霊山攻防戦と関係あるのですか?
>>968 前に、日本史板へけえってくれ、と言われた事がありましてね……
>>960 『(辞めさせられた)その原因』とは何ですか?
973 :
日本@名無史さん:02/06/19 00:12
>>973 新スレ立てられたのですね。 今後、頑張って下さい。
第一師団長が辞めさせられた理由は何だろうか、というのを、958氏が
疑問提示されておりました。
それに答え960氏は
『その原因を追求したら面白くなるだろ・・<w
今までの嶽原のデムパが水の泡』
と答えられておりますが、はっきり言って960氏のこの言は意味不明です。
第一師団長は、戦病死ではなかったでしょうか?
当方の記憶では、「日露戦争実記」にて、第一師団長死亡を伝える記事を
見たような覚えがあるのですが、詳細をご存じの方は居られませんか?
>>818 >攻勢情況に従い増援するべき兵力は、充分に周囲に置かれ、実際に投入され、
>そして戦闘終了後も充分人員が存在していたのです。
11/29未明の第一師団長松本中将の言葉にも表れている。
『師団原下の兵力にては到底攻撃を再興することを能わず』
>>818 >攻勢情況に従い増援するべき兵力は、充分に周囲に置かれ、実際に投入され、
>そして戦闘終了後も充分人員が存在していたのです。
11/29未明の第一師団長松本中将の言葉にも表れている。
『師団原下の兵力にては到底攻撃を再興することを能わず』
11/26の白襷隊の失敗の一因として第7師団の地理不案内があげられます。
迷子になり、大損害になりましたね。
11/26の白襷隊の後、第9師団長に26連隊を増派し、東北正面を攻撃しようと
しましたが、第9師団長は幾たび突撃を履行するも蓋し同一の失敗を
反復するに過ぎず。と述べた。
その一因として第7師団の地理不案内をあげ、またその到来に時間が
係ることが実証されていると述べている。
また、11/28の夜の攻撃時 馬場少将が第7師団所属部隊の
増派を受けたが、地理不案内であることを知って第1戦に増加するのを
止めてます。
前線指揮官は使えないから使わなかったんだけど・・。
実際投入したから軍司令官は責任ないなんて言い訳をしているんだよね。きっと。
>>771 >第一点は、総司令部は『一日の行程』と認識しているが、第七師団宿営地から
>203高地近辺まで、本当に一日行程かかるのか?ということです。
総司令部所見では、『28日の攻撃で、203高地を再々占領しながらその度
奪還された原因は、軍司令官が、総予備隊たる第七師団を前線まで行程約一日とい
う遠距離に置いた為である』と述べています。
半日行程(4半日行程?)というのは貴方の思い込みで前戦まで
行程約一日という大山元帥の見かたはおかしくありません。
第7師団を前戦まで行程約一日というのは曹家屯から碾盤溝まで
4時間以上。そこから休憩、食事を含めて5時間半。碾盤溝乃至大目にみて
164高地から二百三高地へは正午頃発令、発進して増援が2時半に到着している
ところから2時間程度かかることがわかる。合計7時間程の行程ですね。
これを行軍8時間と考えて約一日の行程と見る大山訓令はとくに
避難されるいわれはありません。
第3軍は大山訓令を沈思に受け止めるべきでしょう。
>>776において、1430 第一大隊03.04中隊、爾霊山東北部へ増援投入
1500 第二大隊05.06中隊、爾霊山西南部へ増援投入
というのは松本師団長が下令した時刻ですよね。
つまり前戦に到着したのは1500以降と認識すべきで、前日の11/27の15:30に
出発して前線(二百三高地付近)に投入されるのが11/28の1500、
戦闘参加が同日1530というのが
>>776で書いているにも関わらず実際一日程度
かかっている時間を一日行程でないとも述べています。
これはおかしいですね。
また嶽原氏はなぜか師団司令部付近に到着=前戦=主戦場と解しています。
何ゆえ師団司令部付近=前戦=203高地付近となるのかがわかりません。
二百三高地付近=前戦=師団司令部と置き換えることによって、大山訓令に
対する屁理屈だということが解りますね。
>775
>ここから203高地周辺に行くには前述の通り約六時間が必要なので、
>203高地争奪戦のための戦力としては役に立ちません。
6時間以上かかるし、地理不案内でもあるしほんとに役に立ちません。
>>776 11/28未明 第一師団長 第一師団予備後備38連隊第2大隊加勢を決める。
0810(西南)他隊、突撃。一部成功。
第2散兵壕を奪取、山頂には進撃できず。を一部成功?
1030(西南)他隊、突撃。一部成功のち撃退。
山頂を占領した途端、逆襲にあい、第2散兵壕に退却。
1200(西南)他隊、突撃。一部成功。
第一師団 後備38連隊第2大隊加勢山頂の一部を奪回
1340(東北)他隊、突撃。不成功。
第一旅団 突撃後40mで全滅。
1430 第一大隊03.04中隊、爾霊山東北部へ増援投入下令。←師団司令部発進
1500 第二大隊05.06中隊、爾霊山西南部へ増援投入下令。←師団司令部発進
1600 第一大隊01.02中隊、老虎溝山へ投入。
1600(西南)他隊+05.06中隊、突撃。不成功。←攻撃開始
1630(老虎)他隊+01.02中隊、選抜隊突撃。不成功。←攻撃開始
山頂堡塁を一部奪取するが突撃陣地に退却。
1700(東北)他隊+03.04中隊、突撃。成功のち撃退。
東北部山頂を一時奪取するが突撃陣地に退却。
↑の功績が第7師団だけであれば増援を出している意味があるが、
第9師団長の見解や白襷隊の失敗要因、また後ほど大迫師団長が
述べている地理不案内を解消できる時間が無いところから、
足手まといになったと判断すべし。
また1刻を争う争奪戦に2時間以上もの距離に予備部隊を置いている
第一師団も非難を免れない。また満遍なく老虎溝山、東北、西南を
攻めた方法もまずい。これによって予備兵力は枯渇するのは目に見えている。
1800 第二大隊07.08中隊、爾霊山西南部へ再増援投入。
2200 第三大隊09.10中隊、爾霊山東北部へ再増援投入。
2430第26連隊第3大隊東北部にて敵逆襲を受けて増派するも
地理不案内をもって混雑しロシア軍の側射によって
退却させられている。
>>771 >第二点は、軍司令部は、実は適当人員を然るべき距離の位置に移動させていたの
>ではないか?ということです。
>>774 >第一師団が二百三高地への突撃を開始したのは1800ですから、1530の二個大隊移
>動命令は、軍総予備隊を適当の位置に進めるために作戦発動前に行われたものであ
>ることが判ります。決して泥縄的な追加増派の移動命令ではありません。
11/27の15:30は2個大隊の移動命令の他に第1師団長が18:00に攻撃すると
下令した時間です。つまり作戦発令と同時に5分の1が出発したわけで泥縄的といえます。
11/27AM10:00に乃木大将は命令を下達しています。
『第一師団は砲撃の成果を待ち、日没頃二百三高地に向かい突撃し、之を
略すすべし。』
もし前もって打ち合わせできていたら、1日以上を時間をあけ第1師団参謀の案の
通り、第7師団の到着を待ち地理不案内を解消し、全力をもって二百三高地を攻撃
できる態勢を作っているでしょう。
大迫師団長が1日の余裕を見たのと対照的です。
上記のような対策をとっているならともかく、実際は泥縄式に対処しているよう
にしか思えません。
作戦発動前と述べていますが、兵力の到着を待って攻撃せよ等の命令を出せる立場の
軍司令部がそれを行わず、結果的に泥縄になったのは批判(訓令)を受けてますね。
津野田大尉は11/30に兵力の逐次投入は不得策だから第7師団全力で攻撃を
させるべきである。とこの時点で見解を述べています。
第3軍がそのとき泥縄と認めていることに対し後世の貴方が言い分けするの
はとても愚かだと思います。
つまり地理不案内である第7師団を運用する時間がないところから、
適当な人員を移動させていたとは決して言えません。
これは11/29未明の第一師団長松本中将の言葉にも表れている。
『師団原下の兵力にては到底攻撃を再興することを能わず』
>>774 >第一師団が二百三高地への突撃を開始したのは1800ですから、1530の二個大隊移
>動命令は、軍総予備隊を適当の位置に進めるために作戦発動前に行われたものであ
>ることが判ります。決して泥縄的な追加増派の移動命令ではありません。
大山訓令抜粋
『然るにこの新鋭の兵力たる第七師団の大部はこの際、軍司令部の位置た
る周家屯の付近に位置し、203高地付近より約一日行程の距離にあり』
11/27 10:00 第3軍二百三高地攻撃 下令 第一師団は日没頃に攻撃せよ(文面略)
15:30 第一師団長 18:00に攻撃開始すると下令
15:30 10個大隊の内 2個大隊 西方に移動
11/29 未明 第一師団長
『師団原下の兵力にては到底攻撃を再興することを能わず』
11/29 明朝 更に2個大隊移動?
(29日の0515に曹家屯を出発し、0930には標高164高地に到達しています。)
第7師団主力6個大隊は周家屯付近にあるな・・。
泥縄に2個大隊ずつ投入している現実が見えてきますね。
>>777 >山頂占領が失敗した理由は「人員不足」には求められないと考えられます。
まずそこに部隊があればいいと考え、行軍の行程を知らなかった
ところ等から机上の空論を展開しています。
>>774の時点では5時間半の4倍の1日行程とみなすと述べいているところから
そのときは軍の行程を知らなかったと断定できます。
太平洋戦争のとき、こういった机上の空論でかなりの部隊が悲惨な目に
合ったことが思い浮かばれます。
11/26の白襷隊の失敗の一因として第7師団の地理不案内があげられます。
迷子になり、大損害になりましたね。
11/26の白襷隊の後、第9師団長に26連隊を増派し、東北正面を攻撃しようと
しましたが、第9師団長は幾たび突撃を履行するも蓋し同一の失敗を
反復するに過ぎず。と述べた。
その一因として第7師団の地理不案内をあげ、またその到来に時間が
係ることが実証されていると述べている。
また、11/28の夜の攻撃時 馬場少将が第7師団所属部隊の
増派を受けたが、地理不案内であることを知って第1戦に増加するのを
止めてます。
これは何を意味をするか、つまり前戦に投入したと強弁しているが、
有効に機能するためには地理不案内を解消すべきなのにそれをしていない。
つまり同じような戦い方を二百三高地方面でも繰り返したといえます。
これは第7師団大迫師団長に指揮が変わったときに第7師団の主力が
地理不案内を理由に攻撃時間を1日とったことにも現れている。
(11/29 AM7:10高崎山検討開始、攻撃時間11/30 AM10:00)
つまり第7師団の兵力は地理不案内のために投入しても意味がない。
と現場指揮官 松本師団長は判断したとおもわれます。
11/29午前2時の第一師団長の結文にも現れている。
『師団原下の兵力にては到底攻撃を再興することを能わず』
この文のどこに
>>777 のような
『山頂占領が失敗した理由は「人員不足」には求められないと考えられます。』
という認識が得られるのかは不思議です。私論なので別にどうでもいいんですけど。
そういえば 大山司令官も第3軍に対してはかなり糞味噌な感想を
抱いていたようですね。
児玉はもともと旅順が陥落したら本国に帰還させて一旦復員解除
して北方の為に一司令部を起すことを考えていました。
児玉大将が第3軍に行く際に一礼を要求したのは一礼の行使は
旅順口陥落を待たずに第3軍司令部解散に繋がる合意のものであり、
その場合は児玉大将自身の責任を追及される。大山元帥が児玉大将の
覚悟を確かめた所以ですが、児玉大将の性格からこれも致し方なし
と考えていたようですね。
>>780 >五時間半で移動を終えています。その後シレッと戦線投入できる状態でした
>から、まあ無茶な行軍ではなかったと思います。
>強行軍なら、もっと短時間で済んだと思われます。
16km以上徒歩行軍して戦線投入に2時間かかって、大変だのぉ。
嶽原のような(乃木)のような指揮官に入らなくてよかったよ。
数字だけで判断する官僚的人間だからな。(第3軍首脳部)
大山司令は物事をズバっと言わない性質、というか、やんわりと
包んで話される方です。訓令の裏側にある厳しい気持ちを理解できないのは
今もおなじですね。
幕僚は日々の戦況を知らせない。その不満を
『児玉さん、どの辺で戦っているのです』 との言葉で戦況は
報告しなければなりませんよという気持ちを暗に示したりしています。
大山訓令は余程のことと認識すべきでしょう。
機密日露戦史というのは戦前に書かれた物で、関係数将軍の秘話の
話によって乃木が旅順を落したのではなく、児玉が落したような
ニュアンスになったんだよね。
埋めておこう
ウメウメ 今村大将も旅順攻略は乃木しかできないといっているけど、
我慢強かっただけだからね。
戦法を採用するのはいいが、軍の根本的な運用は下手だろう<致命的
>>977・978
あなたが挙げられた三例、26日の夜襲失敗原因(地理不案内)・第九師団長
の判断・28日の馬場少将の判断は、夜間の第七師団戦力投入についてのものです。
第七師団兵力は、夕刻にすでに攻撃に参加しています。
例示するのならば、同時刻頃(夕刻)の例を挙げるべきです。
>>979 「行程約一日?」についてのこれまでの指摘の総括(
>>979での指摘)には
、なるほどと思っております。
『第7師団を前戦まで行程約一日というのは曹家屯から碾盤溝まで
4時間以上。そこから休憩、食事を含めて5時間半。碾盤溝乃至大目にみて
164高地から二百三高地へは正午頃発令、発進して増援が2時半に到着している
ところから2時間程度かかることがわかる。合計7時間程の行程ですね』
これは、曹家屯出発から、休憩・食事・改編を含めて、前線に到達するまで
合計七時間程の時間が必要であるだろう、と言われているのですね。
上記の第9師団長の意見(第7師団は地理不案内)を聞いているのに
二百三高地方面でおなじ愚を侵してしまうのは精神的に参っていた
と考えるべきですね。でも 信者は認めないんだよな。
>>980『6時間以上かかるし、地理不案内でもあるしほんとに役に立ちません』
当方が役に立たないといっているのは、留め置いた六個大隊の事です。
この時、四個大隊は爾霊山周辺に移動していて、役に立つ状態です。
>例示するのならば、同時刻頃(夕刻)の例を挙げるべきです。
第7師団長は攻撃の前に地理不案内を解消するために1日
攻撃を待っていますが・・。
11/29朝 検討 攻撃開始11/30AM10;00
これでも不案内でないと言うの?
>>994 >>984 のコピペ
第7師団大迫師団長に指揮が変わったときに第7師団の主力が
地理不案内を理由に攻撃時間を1日とったことにも現れている。
(11/29 AM7:10高崎山検討開始、攻撃時間11/30 AM10:00)
つまり第7師団の兵力は地理不案内のために投入しても意味がない。
と現場指揮官 松本師団長は判断したとおもわれます。
11/29午前2時の第一師団長の結文にも現れている。
『師団原下の兵力にては到底攻撃を再興することを能わず』
この文のどこに
>>777 のような
『山頂占領が失敗した理由は「人員不足」には求められないと考えられます。』
という認識が得られるのかは不思議です。私論なので別にどうでもいいんですけど
>>981『第9師団長の見解や白襷隊の失敗要因、また後ほど大迫師団長が
述べている地理不案内を解消できる時間が無いところから、
足手まといになったと判断すべし。』
貴方の述べている上記理由は、夜間の新参兵力投入についての危惧を
示すものです。この夕刻投入には、その問題はありません。
地理不案内で迷ってもいません。
足手まといといわれますが、この夕刻戦闘において、そのような事態
であったことを示す資料などはあるのですか?
>>992 前日の11/27の15:30に出発して前線(二百三高地付近)に投入されるのが
11/28の1500、戦闘参加が同日1530というのが
>>776で書いているにも関わ
らず実際一日程度かかっている時間を一日行程でないとも述べています。
これはおかしいですね。
また嶽原氏はなぜか師団司令部付近に到着=前戦=主戦場と解しています。
何ゆえ師団司令部付近=前戦=203高地付近となるのかがわかりません。
夜間だから大丈夫という論理ならば、大迫師団長は地理不案内を
理由に攻撃を1日も延ばさない。
実際 地理不案内なのをなぜ隠す。
>>997 夕刻の戦闘において地理不案内によって齟齬が生じたという資料を
見せて下さい。
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。