>確かに刑法はよく知らないな。
事実であっても名誉毀損は成り立つのか。言論と表現の自由はどこにいったんだろう。
そして無能な人によって無駄死にした人はどうすればいいのだろう。
遺族に損害賠償請求かな。
>>952 「殉死」読みました?
一文庫本に収録されている二編短編ですら内容が一致しないのですから、小説の
記述が事実かどうか、なんて意味のない事だというのが良く判ると思います。
『>損害賠償請求』
もしも出来るのなら、こちら?と思うのですが。
『…刻下の情況、第三軍に少しく無理押しを望は実に已むを得ざるべし…』
『…とにかく大本営はどうしても二百三高地を肉弾で取れ、弾はこれ以上
やれないという、平たく言えばこういうわけです…』
……なんか言い出したら際限ないですね……
956 :
日本@名無史さん:03/02/10 23:37
>952
> 事実であっても名誉毀損は成り立つのか。
全く違います。「成立しうる」です。
> 言論と表現の自由はどこにいったんだろう。
自由の類いは、元々、無制限の野放図なものではない、
というだけのことです。
957 :
日本@名無史さん:03/02/11 08:36
全く・・・・。名誉毀損罪が刑法と述べたバカを止めろよ。
民法の話で絶家した人物がそんなことできるのかよ。バカども。
>>952 一応戦後 乃木は廃兵院の創立より尽力をつくしています。
逆にいえば、自分の指揮の愚かさによってなくなった人たちへの
慰問ともいます。
957が日本語を勉強したことがない事は文章からみて明らか
>959 したことがない事 というような使い回しをされている
貴方は日本語を学んだ事がないといえます。
また語学は勉強ではなく、学習するものです。
勉強するしか出来ない人物ほど悲しいものは無い。
>>958『>廃兵院』
乃木が一般民衆に支持された理由には、こういう平時の行動も影響している
と思います。
「殉死」読みました。
乃木はやはり軍人として無能な人と書かれており、その点では「坂の上の雲」と
一緒で司馬先生の乃木に関する考えは矛盾なしだった。
嶽原氏はこまごましたことが一致せず、信憑性ないとしているらしい。
私にはそういったことは正直なところ気にならないが。
恥ずかしい話だが、乃木と一緒に夫人が自殺(殉死)したことを知った。
息子二人に死なれ、そして夫、うーーんなんとかわいそうな人であったろう。
乃木は罪深いなと思った。
>>962 『>司馬先生の乃木に関する考えは矛盾なしだった』
三編とも乃木愚将論を語っているという点については、勿論矛盾なしです。
というか、司馬氏の非乃木愚将論など見たことがありませんし。
『>嶽原氏はこまごましたことが一致せず、信憑性ないとしているらしい』
信憑性は、小説に求めてはならない、という事ですよ。
小説特有の、描写の自由さ(強調、切り捨てなど)が出来なくなってしまう
じゃないですか。また、総てを知っていなくては書けなくなってしまいます。
誰も見た者の居ない「乃木児玉会談」や「殉死の光景」などを、判りやすく、
まるで見てきたように書けるのは、小説ならではです。
964 :
日本@名無史さん:03/02/13 08:25
>司馬氏の非乃木愚将論など見たことがありませんし。
乃木擁護論ならあるんじゃない?
乃木名将論は論外ですし。
非乃木愚将論などという言葉ははじめて聞いた。
>「殉死の光景」などを、判りやすく、まるで見てきたように書けるのは、
小説ならではです。
検死報告書を見ているが、殉死の光景をまるで見てきたように
書いてますが?
>957
おかしいと思って調べましたが、やはり名誉毀損罪は刑法です。
第230条です。
>>964 『>非乃木愚将論などという言葉ははじめて聞いた』
「非乃木愚将論」とは、「乃木愚将論ではない論」という意味です。
「坂の上の雲」「要塞」「腹を切ること」は、乃木愚将論で描かれていますね。
他に司馬氏が乃木について描いた作品ありましたっけ?
『>検死報告書を見ているが、殉死の光景をまるで見てきたように書いてますが?』
検死報告書は、「殉死後やや経過した後の、現場ならびに遺体の状況」について
報告しています。殉死後の光景を、見たままに書いたものですね。
司馬氏の小説は、「殉死が行われた最中の情景」を描写しているのです。誰も
見た者の居ない情景を、小説家の想像力を発揮して。
>>964 また、『検死報告書を見ている』との事ですからお判りと思いますが、司馬
氏は「死体検案始末」を参考にしたように前書きしておきながら、その内容と
異なる描写を敢えてしていますね(例:小説「腹を切ること」では、乃木は十
文字腹を行った事になっているが、「死体検案始末」の傷はそうなっていない)。
まあ小説ですから脚色は許されることだと思いますが、この事からも、小説
の記述は信用に足らない事が判ると思います。
結局のところ真実はわからないままいくしかないのかな。
司馬先生も嶽原氏もある事実をどうとらえるかの違いだけのような気がしてきた。
事実だけをあげれば
@西南戦争で敗走し軍旗を奪われたこと。
A西南戦争、日清戦争、台湾征討、日露戦争に参加。
B殉死
か
夫人とともに殉死が気になる。この人には思いやりなどあったのだろうか。
嫁さんは薩摩女だったので、気丈な人だったんだろうね。
殉死も深々と胸を貫いてたんじゃなかったかな。
乃木の遺言書の相続人には奥さんの名もあったね。
その時には一緒に死のうという考えは無かったんじゃないかな?
息子は二人とも戦死。
余生を過ごすべき夫は殉死。
どうして生きながらえることができるだろう。
乃木は自分の美学のため死を選んだだろうが、夫人は絶望の中の死
であった気がする。
およそ連れ合いを持つ人なら、夫人が絶望の淵にあったことを理解する
だろう。夫人の自殺を知り、乃木のその有能、無能にかかわらず本当
に嫌いになってしまった。
>>968『>事実だけをあげれば』
軍旗紛失の件のみ詳説するあたり、「事実だけを挙げ」ているようには思え
ません。
当方の捉え方で「(戦功に関する)事実を挙げれば」こんな感じでしょうか。
・西南戦争の戦功は大きい
(南関確保によって征討軍南下を助けた。軍旗紛失のミソつき)
・日清戦争・台湾征討ではかなりの戦功を挙げた
・日露戦争では旅順攻囲戦を指揮、奉天戦に参加
973 :
日本@名無史さん:03/02/14 20:28
>>965 あんたの脳内刑法で損害賠償を請求できるのか?ならいいんだけど・
974 :
日本@名無史さん:03/02/14 21:13
秋月の乱 拙劣愚痴を以って事を誤る失態
西南戦争 連隊旗を奪われる失態
17昼夜に渡り、激戦になった田原坂を確保できなかった失態
名誉戦傷賞
旅団長 病気を理由に休職
台湾統治 乃木が辞める前は台湾放棄論などが出るくらいの評価
乃木が辞める理由 職務に耐えられないほど記憶亡失に陥る。
第11師団長リュウマチにより起居自由にならないので休職
旅順攻囲 参加賞
奉天会戦 参加賞
評価はあがる筈も無く、最初から高かったのに昇進は極めて遅い部類。
休職理由をまとめると、病気勝ちで職務に絶えられないほどの記憶もなし、
現状はリュウマチによって起居自由にならない状態であったといえる。
こういう状態で第3軍の司令官が勤まるとは思えず、藩閥人事と山県の推挙が
無ければ選ばれなかったと言える。
ほとんど病気だなこりゃ。
976 :
日本@名無史さん:03/02/14 22:15
底を打ってますね。
>>974 『>秋月の乱 拙劣愚痴を以って事を誤る失態
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
奉天会戦 参加賞』
これが本当なら、貴方が言う
『>評価はあがる筈も無く、最初から高かったのに昇進は極めて遅い部類。
休職理由をまとめると、病気勝ちで職務に絶えられないほどの記憶もなし、
現状はリュウマチによって起居自由にならない状態であったといえる。
こういう状態で第3軍の司令官が勤まるとは思えず、藩閥人事と山県の推挙が
無ければ選ばれなかったと言える。』
というのも一理ありますね。
しかし、実際は違います。
秋月の乱鎮圧は、火の手が大きくなる前に押さえました。鎮台司令の首を取
られた他所の乱鎮圧の手際との差は歴然です。
西南戦争は、小倉営所第十四連隊の奮戦がなければ、どうなっていた事か。
貴方は田原坂確保などと言ってますが、そんなこと誰が命じてますか?
日清戦争、当時の旅団長としての戦功は特に評価されています。
台湾統治、台湾放棄論は乃木のせいと言いたいようですが、根拠は?辞めた
理由は、それまでの腐敗官僚との軋轢と聞きます。
師団長は、貴方もご存じのように連座辞職です。
旅順、奉天が参加賞などとは好い加減にも程があります。
979 :
日本@名無史さん:03/02/15 01:10
世に妄説がはびこっているかぎり、進むしかないのでは?
980 :
日本@名無史さん:03/02/15 07:39
>>977>実際は違います。
秋月の乱 『拙劣愚痴を以って事を誤る・・』というのは乃木自らが
明示10年1月の福原知勝への書簡にて書かれている。
西南戦争 連隊旗を奪われる失態
17昼夜に渡り、激戦になった田原坂を確保できなかった失態
高瀬の会戦時、田原坂まで突進しようと言ったのは乃木(三好旅団長の命に
より中止)、連隊旗を奪われたの失態は乃木自身の待罪書による。
台湾総督 乃木の辞職願の一部
『近来頓に記憶力亡失致し、職務に勝へ難候間・・・・』とは
乃木自ら書いたことによる。
師団長辞任は馬蹄銀事件での杉浦少佐に嫌疑がかけられたことに
対しての痛憤であるが、軍法会議では予審免許であり。
休職になったのは真鍋少将のみ。
乃木のその時の辞任理由『リュウマチに付き起居自由にならず』
と乃木自ら辞職願に書いてます。
乃木自ら書いたり述べたりしたことが事実と違うのはこれや如何に。
西南戦争初戦で、植木、木葉で糧食、弾薬、軍旗を取られ、田原坂、
高瀬大橋を確保できず、南関で増援と合流したのがそんなに
功績が大きいのか?
秋月の乱で真偽も定かでない情報により、1個連隊の大兵力を分散しまくり、
兵力がなくなったので増援を請うたのがそんなに功績が大きいのか?
>>980 『>『拙劣愚痴を以って事を誤る・・』というのは乃木自らが』
福原大佐からの詰責状に、乃木が弁駁状を出しましたね。その後、福原大佐
は『僕の疑団をして一朝釈然、また疑う所なからしむるのみならず……唐突、
無礼の罪を謝すのみ』と返事を寄越しています。
福原大佐も、乃木の行動は問題が無かったと承知しているのです。秋月の乱
鎮圧の手際に問題はないと言えるでしょう。鎮台司令の首が取られてから鎮圧
に頑張るよりも、火の手が小さい内に鎮めた方が、よほど良い手際です。
『>田原坂まで突進しようと言ったのは乃木(三好旅団長の命により中止)』
乃木に、何の問題がありますか?それと、乃木は「突進しようと言った」の
ではなく、「田原占領の報せを聞いて、確保を具申した」のですよ。
『>連隊旗を奪われたの失態は乃木自身の待罪書による』
連隊旗を奪われた事について反論する気は全くありません。その通りです。
そして、その失態に関わらず、南関確保という重責を果たした事も事実です。
征討軍にとって、連隊旗がどうしたよりも、南関確保の方が大切な事は、いう
までもありません。
『>乃木の辞職願……乃木自ら書いたことによる』
主因の「当時の腐敗官僚との軋轢」は無視ですか。ご存じありません?
『>乃木自ら書いたり述べたりしたことが事実と違うのはこれや如何に』
乃木が物忘れで執務に事欠いたり、起居自由にならなかった事例がありますか?
985 :
日本@名無史さん:03/02/15 20:55
>福原大佐も、乃木の行動は問題が無かったと承知しているのです。
@福原大佐からの詰問上、A乃木の返答、B福原大佐の返答、C乃木の返答
B『・・己往の失錯を回復あらんことを・・』
と述べているところから、行動は問題なかったとは述べていません。
また『兵備の事に至っては、陸軍卿の熟知するところなれば、容易に言を
発せられんことを・・』と注意を促しております。
C『襄に拙劣愚痴を以って事を誤り、師兄朋友の面目を汚辱し、殆ど死期を惰
るが如き醜悪の希典なるも・・・・』と乃木が自からの行動を反省している
のですが、こういった言動は無視ですか。
またこの文書の中で乃木の思惑が外れたことで嘆いてはいても、
未然に防いだという言葉はない。どこからそんな言葉が出てきたのかは不思議です。
986 :
日本@名無史さん:03/02/15 20:58
>>南関確保という重責
乃木の命令は熊本城の増援でしたね。
また、南関で政府軍と合流したことを以って乃木の重責を果たしたというは
過大評価。三好旅団長による高瀬大橋の確保を誉めるところであって、
乃木の南関までの撤退を誉めるところではないと思います。
>主因の「当時の腐敗官僚との軋轢」は無視ですか。ご存じありません?
つまり、仮病を理由に軍を休職するような人物なのです。
自分の思い通りにならず、いじめられるから腹痛という仮病によって、
学校にいかなないヒキコモリと同じレベルです。
987 :
日本@名無史さん:03/02/15 21:01
>火の手が小さい内に鎮めた方が、よほど良い手際です。
乃木自身、豊津の賊が叛乱を起しそうだという情報を得て、
待機していたのだが、この思惑が外れてしまったのは恥じています。
火の手が小さい内に鎮めたわけではないと思いますが?
福原大佐との詰問上のやり取りでは火の手が小さい内に鎮めたなど
という言葉は互いに出てきません。
988 :
日本@名無史さん:03/02/15 21:07
989 :
日本@名無史さん:03/02/15 21:10
スレッドを使い切ると、しばらくは、有料ソフトを使わなければ
読めなくなる仕様らしいので、その点をよろしく。
台湾統治 乃木の感慨は明治31年1.30の吉田庫三氏への手紙の
中で述べている・・。
人民の謀反も無理からぬ御座候
乞食(乃木)が馬をもらいたるが如く、飼うことも出来ず、
乗ることも出来ず、此向きに而参り候得は、噛まれ、蹴られて
腹を立てたる挙句世間の笑いものに相成り、抔は恥入候次第に
御座候。
ここでも自分の非力を嘆いております。
乃木マンセーはこういった乃木本来の悲しさというのを理解してないのが
悲しすぎますね。
>>981 以前の「植木で弾薬を取られている。ソースは戦袍日記」とかデタラメを
言っていた早朝の人の主張に比べれば、まあそういう厳しい見方もあるか、と
も思いますが、不利な状況であった事を考えれば、やはりなかなかの功績と思
います。
それと、南関で増援と合流したわけではありません。高瀬の第二陣地で合流
したのです。十四連隊が征討軍の指揮下に入ったのは、南関南方の石貫です。
十四連隊の戦闘によって南関は完全に確保されていました。
>>982 各地に派遣した各隊は、それぞれに任務があります。久留米・柳川に対処す
るために半大隊、豊津の旧小倉藩勢に対処するために半大隊……というように。
これら対処が問題あるかどうかは、福原大佐の返書『……僕の疑団をして一
朝釈然……』を見れば明らかと思います。
>>989 おおっと、それは知らなかったです。危ないところだった。
994 :
日本@名無史さん:03/02/16 07:40
>十四連隊が征討軍の指揮下に入ったのは、南関南方の石貫です。
>十四連隊の戦闘によって南関は完全に確保されていました。
南関を確保する目的ではなく、結果的に南関を確保したわけで、
最初から南関を確保するために戦っていたわけではありません。
結果論を言うのであれば、児玉が来順して二百三高地を陥落させたという
結果論も当てはまりますね。
>福原大佐の返書『……僕の疑団をして一朝釈然……』を見れば明らかと
思います。
だから、その任務が情報の正確性を確かめずに出した命令だったから
ほとんどその任務達成には程遠い状況で尚且つ、一個連隊という大兵力を
持ちながら、尚増援を求めたことは、乃木の最初の返答『其分を超え、
或いは過慮の甚だしきに失し』と自らの行動に対し反省しております。
その福原大佐の返答は『・・己往の失錯を回復あらんことを・・』
と述べているところから、行動は問題なかったとは述べていません。
さらに乃木の返答は『襄に拙劣愚痴を以って事を誤り、師兄朋友の面目を
汚辱し、殆ど死期を惰るが如き醜悪の希典なるも・・・・』
と乃木が自からの行動を反省している。
福原大佐と乃木の問答を見る限り、福原大佐は『・己往の失錯を回復あらんことを・・』
と述べており、乃木も『拙劣愚痴を以って事を謝り・・』と述べている
以上、乃木自身、福原大佐自身も問題なかったとは考えていたとは
到底思えません
南下中の征討軍から、南関確保という命令が伝えられたそうですが?
また、不穏だから警戒するのに、何の問題がありますか?
種田司令が斬殺されたのは、それを怠ったからです。
996 :
日本@名無史さん:03/02/16 08:46
撤退を重ねている乃木連隊に最悪でも南関を確保しろということであって、
最初から南関の確保というわけではありません。
>不穏だから警戒するのに、何の問題がありますか
詭弁だね。警戒しなくていいとは誰もいってないよ。
他の部隊はなお少数の兵力にも関わらず、鎮圧しています。
乃木は1個連隊を持ちながら、定かでない情報から部隊を
分散させ、増援を要請し、その行為を福原大佐その他から
責められ、乃木もその行動を恥じています。
わざわざ、往復書簡で書かれている事を否定してまで
乃木を持ち上げるのはどうかとおもうが?
>996に一票。
>主因の「当時の腐敗官僚との軋轢」は無視ですか。ご存じありません?
台湾総督 乃木の辞職願の一部
『近来頓に記憶力亡失致し、職務に勝へ難候間・・・・』とは
乃木自ら書いたことによる。
台湾統治 乃木の感慨は明治31年1.30の吉田庫三氏への手紙の
中で述べている・・。
人民の謀反も無理からぬ御座候
乞食(乃木)が馬をもらいたるが如く、飼うことも出来ず、
乗ることも出来ず、此向きに而参り候得は、噛まれ、蹴られて
腹を立てたる挙句世間の笑いものに相成り、抔は恥入候次第に
御座候。
つまり、仮病を理由に軍を休職するような人物なのです。
自分の思い通りにならず、いじめられるから腹痛という仮病によって、
学校にいかなないヒキコモリと同じレベルです。
>>984 『>乃木自ら書いたり述べたりしたことが事実と違うのはこれや如何に』
乃木が物忘れで執務に事欠いたり、起居自由にならなかった事例がありますか?
と嶽原氏がおっしゃるように、乃木が起居自由にならなかった事例が無い
ならば、『リュウマチに付き起居自由にならず』というのは仮病ですね。
また軍法会議での判決より自分の主張が通らなかったことに対する痛憤は
部下にとって迷惑としか思えません。
1001 :
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。