LUNAMASK専用スレ

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1出土地不明
◆過去スレ◆
日本人どこから来たんだ?10
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1256552822/
日本人どこから来たんだ?9
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1252776454/
日本人どこから来たんだ?8
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1248834365/
日本人どこから来たんだ?7
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1244083090/
日本人どこから来たんだ?6
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1237219924/menu931
日本人どこから来たんだ?5
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1225715306/
日本人どこから来たんだ?4
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1217864779/
日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/
日本人どこから来たんだ?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1189633821/
日本人どこから来たんだ?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1165607012/
2LUNAMASK:2010/01/19(火) 15:50:26 ID:1+jzWFPh
最初から暴投しちゃったよ。↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1261997999/menu346
3LUNAMASK:2010/01/19(火) 15:57:43 ID:1+jzWFPh
天照大神と素盞嗚命の対立と素盞嗚命の出雲への神やらいはO2bが細形銅剣
の武装を解除され、箱式石棺墓のステータスをはく奪され、土井が浜から出雲に
まわされる姿を語っているのだろうと考える。この結果四隅突出型墳丘墓という
形式が生まれた。その後で伽耶から吉備に呉越製鉄民族が入って来る。
4出土地不明:2010/01/19(火) 17:04:02 ID:cFkc4Gs0
おう、がいやまん、念願の独立おめでとう。

あんまりデムパ飛ばし杉るなよw
5LUNAMASK:2010/01/19(火) 17:08:42 ID:1+jzWFPh
できるだけ地味に、地味に、常にガイア(グローバル)における位置づけを
忘れないように・・・つうことだな。
6出土地不明:2010/01/19(火) 21:43:39 ID:dT0vasuG
おい
たたらを説明しろw
7LUNAMASK:2010/01/22(金) 09:32:15 ID:Ft/T8Rr5
8LUNAMASK:2010/01/22(金) 09:37:29 ID:Ft/T8Rr5
9LUNAMASK:2010/01/22(金) 09:39:14 ID:Ft/T8Rr5
「溝咋とは、古資料に“溝杭”とも記すように“用水路に打ち込まれた土留用の杭”を意味
するといわれ、そこから、溝咋一族は旧淀川右岸・安威川流域の用水を管理していた
古代の豪族と推測され、“耳”とはその長を指すという。
 また、当地一帯が弥生時代の大規模環濠集落・東奈良遺蹟(茨木市南部、阪急茨木
市駅東方一帯)の所在地で、奈良の唐子鍵遺蹟と共にわが国最大級の銅鐸製作地で
あったことから、タタラ製作に関係する古代技術集団の子孫が溝咋一族で、ヒメタタライス
ズヒメの“タタラ”もそれを示唆するともいう。
 神武天皇がヒメタタライスズヒメを娶ったというのは、製鉄・製銅技術を有する有力集団
を傘下に収めたことを神話化したものともいえる(古く、被支配氏族が服属の証として
娘を支配者に差し出した事例は多い)。」
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hokusetu-mizokui.html
10LUNAMASK:2010/01/22(金) 09:42:28 ID:Ft/T8Rr5
山城から美濃・遠江・秩父にかけ 手力雄 火祭 野洲方面 物部神社 鏡神社
銅鐸民族の謎 臼田篤伸
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-88202-928-1.html
邪馬台国から大和政権へ 福永伸哉
http://www.let.osaka-u.ac.jp/kouko/fukunaga.htm
大神神社 中山和敬
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE-%E4%B8%AD%E5%B1%B1-%E5%92%8C%E6%95%AC/dp/4311407165
11LUNAMASK:2010/01/29(金) 09:21:27 ID:nctVE+3g
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1261997999/menu473
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O_(Y-DNA) の一説によればKoreansの
O-LINE1=O*=O2b or =O2a というのがある。O-LINEは判然としないので准夷
とでもしておこう。


12LUNAMASK:2010/01/29(金) 09:26:14 ID:nctVE+3g
淮夷
淮夷,是中国古代対南方民族的称呼。更確切地説,指的是商朝、周朝生活在中国東
部的黄淮、江淮一帯的古民族。

起源
夏朝以前,生活在山東、河北的民族被称作“東夷”。伝説中,著名的東夷集団首領
蚩尤,在与炎帝、黄帝部落在逐鹿大戦,蚩尤大敗,導致了東夷集団的瓦解。他門当
中,一部分与炎黄部落融合,別一部分則向南遷移到淮河流域。从這之后,這些人被
称為“淮夷”。

歴史
又過去了几百年,淮夷不断対占中原的華夏族発動戦争,可是時戦時合。這就導致
淮夷与華夏族的科学文化的融合,也導致了華夏族追逼淮夷退到了江南。于是淮夷与
当地苗蛮族融合,逐漸変成了百越的一个分支,是今天苗族的祖先。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%AE%E5%A4%B7
13LUNAMASK:2010/02/20(土) 12:10:41 ID:gLuXqCg6
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1261997999/menu910
「日本列島−南中国(長江流域以南)−チベット高原」は「邪馬台国−バンチャン−
三星堆の天孫族ホットライン」というより、ボーリングでピンがスプリットしたようなもん
でしょう。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1261997999/menu865
「鳥居・歌垣・鵜飼・支石墓」・・・江淮-山東半島で集合、満州・半島経由列島に入るん
でしょう。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1261997999/menu902
スキップさせてください。あしからず。

>>914 沖縄のシーサ、神社の柱付鬼頭、欧州、日本の鬼がわらなんかがなんか似てます。関係があるんでしょう。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1261997999/menu923
I R Q C等と共に秦氏の移住又はそれ以降ではないかと思ってるんですが。
14LUNAMASK:2010/03/24(水) 09:17:09 ID:1tHWGidB
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1266584459/menu842
>>842 >>826-827及び>>834
>呉越稲作民が日本の先住民になった例すら無いんですよ。
-----------------------------------------------------------
問題は宗教的なことにあり、なぜ蚩尤・兵主神社が箸墓の守護神であるかということ、
呉越、海岱方面からの移住者のもたらした宗教ではないかということです。
>高地集落と移牧のトランス型はまた違うでしょう。
---------------------------------------------------
既にアルタイ、綏遠、集安方面でも気候の乾燥・寒冷化によって移牧は行われる環境
にはなかったが、問題は遊牧民が定着民を統治する時の大義名分として岳神信
仰を用い、そのドクトリンが >>601 ではなかったかということなんです。
----------------------------------------------------------
>長篠の戦闘は後世の講談でしょう。
-------------------------------------------------------------
ミケーネ人、穢人の長槍密集隊列戦法が尾張に残ったとするものです。
15LUNAMASK:2010/03/24(水) 09:35:30 ID:1tHWGidB
>>844 >>825 古代中国銅鉱山の分布↓
内蒙古 林西縣大井子古銅礦遺址(内蒙古林西縣大井子古銅鉱遺跡)距今約三千年
左右,是迄今國内最早的大規模、全工序的古銅礦遺址,是草原燦爛青銅文化的標
誌性實物之一。
吉林 寶山―六道溝冶銅遺址
安徽 大工山―鳳凰山銅礦遺址(大工山―鳳凰山銅鉱遺跡)
江西 銅嶺銅礦遺址(銅緑山古銅鉱遺跡)
湖北 銅緑山古銅礦遺址(銅鉱遺跡)
新疆 奴拉賽銅礦遺址(奴拉賽銅鉱遺跡)
奴拉賽銅礦遺址位於新疆維吾爾自治區尼勒克縣城南約3公里的喀什河南岸、阿吾拉勒山北坡的天山奴拉賽溝中,是一處春秋戰國時期的遺址,距今約2600−2400年。
湖南 溪州銅柱
湖南 長沙銅官穴缶遺址
http://www.gjgy.com/chinazdww_trad.html
16LUNAMASK:2010/03/24(水) 09:37:27 ID:1tHWGidB
17LUNAMASK:2010/03/24(水) 10:36:51 ID:1tHWGidB
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1266584459/menu844
>>844 >>825
これでいくとカラスク・鴨・尾張(=オークネフ=山戎=銅鐸文化人)は神やらいされた
L群のスサノオでなくA群の炎帝(少彦名)なんじゃね??
http://yamatai.cside.com/katudou/image/267-5.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku267.htm
つまり、こうなる↓
銅緑山(直線L)スサノオ 
大井子(領域A)カラスク・鴨・尾張(=オークネフ=山戎=銅鐸文化人) 
鳳凰山(領域B→銅出徐州)おそらくこれが鏡作り
18LUNAMASK:2010/03/24(水) 10:44:06 ID:1tHWGidB
承前↓このうちの
O-M95* 1.9% 越 隼人 海人族 尾張・海部氏
尾張・海部氏は間違いで
O-M122* 6.6% 燕・古朝鮮につけたほうがよい。
O-M95*は天日矛、鏡作り等と関係するかも。
19LUNAMASK:2010/03/24(水) 10:53:47 ID:1tHWGidB
http://yamatai.cside.com/katudou/image/267-4.gif
九州の古代邪馬台国に侵入してきたスサノオ、細型利器族、左、の当初勢力範囲。
右は勝利した天孫族の最終布陣。スサノオは四隅突出型墳丘墓として出雲に
神やらいされ、天孫は吉備へと進む。
20LUNAMASK:2010/03/24(水) 10:55:29 ID:1tHWGidB
記紀ではこの間の記録が海幸・山幸としておぼろげに謳われている。
21LUNAMASK:2010/03/24(水) 11:11:56 ID:1tHWGidB
しかし商銅鐸はこの右図の中広青銅利器から飛び出して銅鐸圏に入るのだから、この
中広青銅利器圏と銅鐸圏は東ローマ帝国対西ローマ帝国で共に原始キリスト教から
生まれたような関係ではなかったのではなかろうか。つまり、背振山のトランスヒュー
マント・ガバナンスが共通の起源ではなかったのか。
22LUNAMASK:2010/03/24(水) 11:15:31 ID:1tHWGidB
商銅鐸は小銅鐸の間違い。しかし商も嵩山のトランスヒューマント・ガバナンスでは
なかっただろうか。
23LUNAMASK:2010/03/24(水) 12:46:23 ID:1tHWGidB
銅緑山(直線L) □細型銅剣
大井子(領域A)カラスク・鴨・尾張(=オークネフ=山戎=銅鐸文化人)
         ●琵琶型銅剣
         ▲支石墓 中広銅剣 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b9/Bipabronze1.jpg
鳳凰山(領域B→銅出徐州)これは古朝鮮↑には出ていない、より新しいもの。
24LUNAMASK:2010/03/24(水) 14:14:25 ID:1tHWGidB
殷の後銅緑山銅資源は楚の手中にあった。
「周の成王は自ら軍隊を率いて楚を征伐し、楚の青銅器を奪おうとしましたが、このこ
とは、当時の楚の青銅器生産が相当発展していたことを示しているでしょう。とくに楚が
もともと鄂国のものであった大冶の銅緑山鉱山を奪い取ったことは、楚国の兵器と礼
器の鋳造を大いに発展させました。考古発掘の報告によると、銅緑山鉱山には、すで
に西周あるいはそれ以前に鋳造場があり、その際の銅カスがたくさん残っており、生産
量は八トンから十二トンにも及びます。出土したいくつかの溶鉱炉は西周晩期から
春秋早期のものだということです。青銅器の鋳造は、当時の楚国の生産力のレベルが
高いものであったことを示しています。楚国は当時の諸侯各国のなかでは、かなり早く
青銅器時代に入ったのであり、それは楚国の生産力の発展と社会・文化の発展の一
つの証拠だといえるでしょう。」
古代楚文化の起源と発展及びその特色
中国復旦大学中文系教授 徐志嘯
(訳:東北学院大学大学院 吉田真直)
25LUNAMASK:2010/03/24(水) 15:54:34 ID:1tHWGidB
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1266584459/menu842
>>826-827及び>>834
黄淮
http://yamatai.cside.com/katudou/image/267-2.gif
から北上した集団/楚O-LINE1 3.1%・呉越O-M95* 1.9%/が
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/Streitende-Reiche2.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/267-1.gif
背振山系東南↓に入り、
http://yamatai.cside.com/katudou/image/267-4.gif
右図中広青銅利器分布圏に天孫の九州邪馬台国を建国し、これが後に後発の左図細型青銅利器、地祇族と対立することになったと考えられるのです。
26出土地不明:2010/05/11(火) 08:46:04 ID:l8oKNKOy
本日は解除
27LUNAMASK:2010/05/11(火) 09:02:56 ID:l8oKNKOy
日本人どこから来たんだ?13
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1269416167/menu476
スレチが始まり、収拾がつかないのでここに緊急避難。
28出土地不明:2010/05/12(水) 23:19:32 ID:YFeYIbPd
日本の弓は南方起源である。
理由
1 弓は、下が短く、上が長いという形をしている。
これは北方にはなく、東南アジアと同型である。
2 長弓は長い矢のため。長い矢は空中では不利だが水中で有利。
つまり、もともと魚を捕るための弓であった。
3 下が短く上が長いという形は弓を前下に傾けやすく、
前下方を狙う魚捕りに向いている。

(大林太良「邪馬台国」)
29出土地不明:2010/05/13(木) 09:37:45 ID:NPdSZheS
また解除
30出土地不明:2010/05/16(日) 09:33:36 ID:2j9bTGS1
Hovering high in the sky,
Yamato Takeru sang thus:
やまとは 国のまほろば.
たたなづく 青垣 山ごもれる
やまとし うるわし
“Yamato - the Forum of the State,
fenced by green hedgerow of ridges,
Yamato is glorius.”
キャラバン
http://www.youtube.com/watch?v=DBqQOOaT4io
遠い昔の、
夢に旅立ち、
思い出に埋もれる。

春の朝には
輝く日の出、
光を身に浴びて。

火の鳥を見て、
その姿、心に、
焼き付けて道を行く。

(CHORUS)
キャラバン、空を行く、
夜は明け、日は出る。;
=============================
キャラバン、道を行く、
いつもの道を。

キャラバン、愛の道、
ときめいて、そして行く。

ふたりして見た、
夢の思い出を

も一度見ようよ。
胸の高鳴り、

手のぬくもりも、
春の来る日を待つ。

いつかはわかるのか。
旅は続くか。
いつの日か終わるか。

(CHORUS)
キャラバン、空を行く、
夜は明け、日は出る。;
=============================
キャラバン、道を行く、
キャラバン
31LUNAMASK:2010/05/19(水) 10:43:16 ID:fyWcEHzw
考古学は奥が深い。邪馬台国が大和であったとしてもそれは古代史の一部分に
過ぎない。天日矛が大和に進駐した際、垂仁が居住地として淡路或いは丹後を
用意したと言うと天日矛はそれは我々が決めることだと言って近江に入った。
天日矛を九州勢とすると上記のいきさつはいわゆる古田説というものを裏付ける
ものであろう。
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/voyage2.htm
山への旅(シリーズ)
32LUNAMASK:2010/05/24(月) 08:03:06 ID:LPqVFduN
日本人どこから来たか 本日のYDNAによる日本人ルーツ仕分け
C1-M8 5.4% 縄文         スンダランド
D2-P37.1* 3.9% 縄文       中央アジア
D2a-M116.1 16.6% 縄文     中央アジア
D2a1-M125* 12.0% 縄文     中央アジア
D2a1a-P42 2.3% 縄文       中央アジア
O2b-SRY 7.7% 弥生       ブリャート
O3-M122* 6.6% 弥生       華中
O2a-M95* 1.9% 弥生       華南
Ob21-47z 22.0% 弥生       ブリャート
O3a3-LINE1 3.1% 弥生     華中
C3-217* 1.9%  古墳       モンゴル
C3c-M86 1.2%  弥生       満州
N1c1-M178 0.4% 弥生       ブリャート
N1-LLY22g* 1.2% 古墳      モンゴル
NO-M214* 2.3% 弥生       カザフスタン・陝西省・山東省
O3a3c-M134 10.4% 古墳    山東省・三韓
Q-P36 0.4% 古墳         カザフスタン
R-M207 0.4% 古墳        カザフスタン
I-P19 0.4%  古墳         カザフスタン
33LUNAMASK:2010/05/26(水) 10:36:47 ID:eNygLmc8
東アジアYDNA分布表 (人数)(%)
       その他 C-M130 D-YAP K*-M9 O*-M175 O-LINE1 O2b O2b1 O2a
北東アジア:
北中国 (113)
北京/漢 (69) 12 (17.4) 4 (5.8) 1 (1.4) 3 (4.3) 35 (50.7) 10 (14.5) 4 (5.8) 0 0
満州 (44) 0 10 (22.7) 1 (2.3) 2 (4.5) 22 (50.0) 2 (4.5) 2 (4.5) 5 (11.4) 0
日本 (108) 0 10 (9.3) 37 (34.3) 2 (1.9) 28 (25.9) 2 (1.9) 7 (6.5) 21 (19.4) 1 (0.9)
朝鮮 (160) 1 (0.6) 24 (15.0) 4 (2.5) 12 (7.5) 68 (42.5) 20 (12.5) 22 (13.8) 9 (5.6) 0
モンゴル (100)
ブリャート (51) 2 (3.9) 19 (37.3) 2 (3.9) 17 (33.3) 7 (13.7) 3 (5.9) 1 (2.0) 0 0
ハルハ (49) 2 (4.1) 21 (42.9) 1 (2.0) 12 (24.5) 10 (20.4) 3 (6.1) 0 0 0
東南アジア:
南中国 (39)
雲南 (39) 1 (2.6) 3 (7.7) 1 (2.6) 9 (23.1) 19 (48.7) 5 (12.8) 0 0 1 (2.6)
インドネシア (36) 0 3 (8.3) 0 2 (5.6) 10 (27.8) 4 (11.1) 6 (16.7) 1 (2.8) 10 (27.8)
フィリピン (77) 3 (3.9) 3 (3.9) 0 8 (10.4) 52 (67.5) 9 (11.7) 1 (1.3) 0 1 (1.3)
タイ (55) 4 (7.3) 0 1 (1.8) 3 (5.5) 15 (27.3) 3 (5.5) 1 (1.8) 2 (3.6) 26 (47.3)
ベトナム(50) 0 11 (22.0) 0 2 (4.0) 23 (46.0) 2 (4.0) 5 (10.0) 2 (4.0) 5 (10.0)
34LUNAMASK:2010/05/26(水) 16:01:27 ID:eNygLmc8
2003年中堀他YDNA朝鮮人二重起源第2表
東アジアYDNA分布(人数)・(%)
・・・・・・・・・・・・・・・右以外・・・C-M130・・D-YAP・K*-M9・・O*-M175・・O-LINE1・・O2b・・・・・O2b1・・・・O2a
北東アジア:
北中国(113)
北京/漢(69)・・・12(17.4)・4(5.8)・・・1(1.4)・・・3(4.3)・・・35(50.7)・・10(14.5)・・4(5.8)・・・・0・・・・・・・・0
満州(44)・・・・・・・0・・・・・・・・10(22.7) 1(2.3)・・・2(4.5)・・・22(50.0)・・2(4.5)・・・・2(4.5)・・・・5(11.4)・・0
日本(108)・・・・・・0・・・・・・・・10(9.3)・・37(34.3)・2(1.9)・・28(25.9)・・2(1.9)・・・・7(6.5)・・・・21(19.4)・1(0.9)
朝鮮(160)・・・・・・1(0.6)・・・24(15.0)・4(2.5)・・・12(7.5)・・68(42.5)・・20(12.5)・22(13.8)・・9(5.6)・・0
モンゴル(100)
ブリャート(51)・・・2(3.9)・・・19(37.3)・2(3.9)・・・17(33.3)・7(13.7)・・・3(5.9)・・・・1(2.0)・・・・0・・・・・・・0
ハルハ(49)・・・・・2(4.1)・・・21(42.9)・1(2.0)・・・12(24.5)・10(20.4)・・3(6.1)・・・・0・・・・・・・・0・・・・・・・0
東南アジア:
南中国(39)
雲南(39)・・・・・・1(2.6)・・・3(7.7)・・・1(2.6)・・・9(23.1)・19(48.7)・・・5(12.8)・・・0・・・・・・・・0・・・・・・・・1(2.6)
ネシア(36)・・・・・0・・・・・・・・3(8.3)・・・0・・・・・・・・2(5.6)・・10(27.8)・・・4(11.1)・・6(16.7)・・1(2.8)・・・10(27.8)
フィリピン(77)・・・3(3.9)・・・3(3.9)・・・0・・・・・・・・8(10.4)・52(67.5)・・・9(11.7)・・1(1.3)・・・・0・・・・・・・・1(1.3)
タイ(55)・・・・・・・4(7.3)・・・0・・・・・・・・1(1.8)・・・3(5.5)・・15(27.3)・・・3(5.5)・・・1(1.8)・・・・2(3.6)・・・・26(47.3)
ベトナム(50)・・・0・・・・・・・11(22.0)・・0・・・・・・・・2(4.0)・・23(46.0)・・・2(4.0)・・・5(10.0)・・・2(4.0)・・・5(10.0)
35出土地不明:2010/05/29(土) 05:50:26 ID:L477pai1
Okay, you may put it down.
36出土地不明:2010/06/11(金) 17:02:31 ID:Njk1kAhh
勒島貿易と原の辻貿易
−粘土帯土器・三韓土器・楽浪土器からみた弥生時代の交易−
『第49回埋蔵文化財研究集会 弥生時代の交易−モノの動きとその担い手−』
埋蔵文化財研究会第49回研究集会実行委員会:pp.157-176(2001年)
において考古学的にまとめられている。
土器の移動は民族移動を伴うもので、江原道春川市中島遺跡において
ロシア考古学者が、沃沮(穢)の沿海州・延辺からの移住を確認済み
37出土地不明:2010/06/14(月) 20:32:06 ID:nfES3VEM
>>30
   ∧_∧  LUNAさん、
  ( ´∀`) ゴビ砂漠(Говь)もオルドス高原(鄂爾多斯)も忘れないでね

ハルハやブリヤートの文化だけが、モンゴル文化じゃないよ。

美麗的草原我的家(内蒙古オルドス地級市)
ttp://www.youtube.com/watch.php?v=3fXoFShmFIk
敖包相会(内蒙古フルンボイル地級市)
ttp://www.youtube.com/watch.php?v=IZ2wH1A-w0s
38LUNAMASK:2010/06/15(火) 15:35:42 ID:g8KIJMvP
>>37
前1000年紀から1000年紀初頭にかけてモンゴリア高原から日本に向けて特に
下記の*印を付したクラスタの青銅器・鉄器文化人の移住があったと考えられます。
第一クラスタ 突帯文・粘土帯土器渡来人*
第二クラスタ 華北人
第三クラスタ アファナシェヴォ人
第四クラスタ 東石板墓人・カラスク石板墓人→投馬(出雲)国人他*
第五クラスタ オークネフ・西石板墓人→狗奴(尾張・海部)国人他*
http://www.hovsgoltravel.com/mongolia10.html
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1274609639/menu533
最近のモンゴル学会情報
3937:2010/06/17(木) 19:49:25 ID:gbNB4tgL
おお、オルドスもホロンバイルも関係ありそうなんですか。

東蒙+西蒙合作MTV
ttp://www.youtube.com/watch.php?v=qKL7J4sZf2k

ホロンバイルの民謡 草原晨曲
ttp://www.youtube.com/watch.php?v=_0bhIqJPfC0
ダウール族版
ttp://www.youtube.com/watch.php?v=NPSUnA2djbE

エヴェンキ族 蒙古語字幕付 〜 子供にもいい服着せてますね。
ホロンバイル蒙古族も出てきます。エヴェンキは内蒙古化してますわ。
http://v.youku.com/v_show/id_XMTQ3MDIxMjQ0.html
40LUNAMASK:2010/06/18(金) 14:29:04 ID:8pZJnL8g
>>39
オルドス北方、朝青竜在所は今後目が離せません。
41出土地不明:2010/06/24(木) 10:37:14 ID:0rHoDy5f
日本人どこから来たんだ?15
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1277343386/
42出土地不明:2010/07/20(火) 08:36:39 ID:QgU0aZTp
O2b
43LUNAMASK:2010/07/26(月) 10:38:50 ID:rLRCpD2l
Paleolithic-Cordmark Pottery

C1 5.4% Obsidian Economy
D2  34.8% Cordmark Pottery Culture Paddy Rice Farmers
Total 40.2%

Initial-Early Yayoi

O2b1-47z 22.00% Wo Paddy Rice Farmers
O3-M122* 6.60% Tu Ditch Encircled Autonomous Defensive Settlement
Farmers
O3a4-LINE1 3.10% Qujialing Rice Farmers
Total 31.7%

Middle Yayoi

N1c1-M178 0.40% Altaian Dinglings Bronze Casters

Late Yayoi

O2b-SRY 7.70% Yemaek Pastoralists (Midland [Izumo-Kibi] Occupant) (Once Banished in Wana State and exiled to Izumo) Bucranial Avatar
Yama Crawlers/Alligators

O2a-M95* 1.90% Baiyue Naval Force
C3c-M86 1.20% Shushen
C3-M217* 1.90% Donghu/Vladivostok-Gai Pentagon Campers
NO-M214* 2.30% Altaian Pyro-Astralic Clergy (Vermillion Shaman/Tengrian Progeny) (Midland Claimant)
N1-LLY22g* 1.20% Trans-Baikal Proto-Turkic Arsenal Warriors
-------------------------------------------------------------------------
Total 8.5% Tengrian Bigbird
Total 16.3% Late Yayoi
Total 48.4% Yayoi
Total 88.6% Jomon-Yayoi

Tumuli Period (Altaic Rehabilitation of Exiled Yemaek Pastoralists)

O3a3c-M134 10.40% Qin-Hans
Q-P36 0.40% Hexi Four Commanderies of Han>Silla>Hormusta (Homuta) Dynasty
I-P19 0.40% Hexi Four Commanderies of Han>Silla>Hormusta (Homuta) Dynasty
R-M207 0.40% Hexi Four Commanderies of Han>Silla>Hormusta (Homuta) Dynasty
Total 11.6%
44LUNAMASK:2010/07/31(土) 21:19:59 ID:7dfXSBu1
高地性集落のメカニズム。
九州後期弥生併行の本州中国地方では約3波の高地性集落が発生する。
この構造は山陰と山陽の季節的・出稼ぎ的労働移動に基づいたものであったと
想定する。穢貊がアルタイ・綏遠・遼東で実践してきた季節的トランスヒューマント・
システムを適用したもの。この痕跡として上賀茂・下賀茂の2社制がある。
最終的には建御名方の諏訪大社で終わっている。
45LUNAMASK:2010/08/01(日) 09:53:00 ID:j5WQ3bI+
山陰の石積文化が播磨・淡路を経由して中央構造帯、両吉野川流域に入る。
奈良・吉野川に入ったものが纒向を建設する。阿波・吉野川に入ったものは
太平洋岸に沿って安房に向かい、武蔵に上陸する。建御名方命の別動隊ともいえる。
46LUNAMASK:2010/08/01(日) 10:36:38 ID:j5WQ3bI+
47出土地不明:2010/08/01(日) 10:52:50 ID:Knx0s44H
ガンバレ!月光仮面!!
48LUNAMASK:2010/08/02(月) 21:26:33 ID:xZBqnJ4a
C3 1.9% C3c 1.2% C1 5.4% ....................... C 8.5%
3.9% 16.5% 12.0% 2.3%................................. D2 34.7%
----------------------------------
..............................................................................43.2%
I 0.4% N1 LLY22g* 1.2% N1c1 0. 4% NO 2.3% Q 0.4% R 0.4%
--------------------------------------------------
Steppe.................................................................... 5.1%
--------------------------------
O2a 1.9% O2b 7.7% O2b1 22.1% .............O2 31.7%
O3a4 3.1% O3 6.6% O3a3c 10.4%............ O3 20.1%
--------------------------------
.............................................................................. 51.8%
..............................................................................100.1%
--------------------------------
Jomon
C1.............................................................................5.4%
D2..........................................................................34.7%
-------------------------
Total.....................................................................40.1%

Forest Steppe................................................3.1%
Stepp.....................................................................5.1%
-----------------------------
Steppe..................................................................8.2%
Agrarian.............................................................51.8%
----------------------------
Yayoi..................................................................60.0%
Total.................................................................100.1%
For your attention.......................................0.1%
49LUNAMASK:2010/08/03(火) 10:04:31 ID:O96LpJPE
山岳平地広域経済システムはおそらく世界で初めて、旧石器日本で黒曜石採掘・
加工・流通システムとして登場し、中部日本-関東に根付いたものと考えられますが、
海幸山幸システムは中九州には弥生開始時から登場し、遠賀川稲作集約システムと
対峙していたようです。他方、山羊、羊等の小型草食動物牧畜はイラン・ザグロス山系
ハラフ文化から始まり、コーカサス、アルプスへと拡大したのでしょうが、牛の牧畜を
伴う小麦農業の拡大とか、カザフスタンにおいて野生馬の家畜化が行われ、移牧
(トランスヒューマンス)が発生する。モンゴリアとか、エラムにおける石柱文化はこうした
移動性遊牧の中で発生したものと見られます。境界線は石柱、鹿石、クナド神へと変身
するが、その過程において垂直方向に、山の頂上の境界線として出現するのが
前1800年頃のハカス共和国山岳部オークネフ文化山岳砦遺跡スヴェであり、これが
日本では高地性集落、スワ神社となったものと考えられます。
50出土地不明:2010/08/03(火) 10:56:53 ID:cJU7Quqk
ふむ、この話はこちらで、と誘導されたと思ってよいでしょうか。
確かに自分の長文が気になってたので。

諏訪がスヴェであったとした場合、日本以外の他地域でも同様のシステム、
もしくは名称が多く残っている必要があると思います。
その辺はどうなのでしょう?
もう一つちょっとよく理解できないのは、
つまりスヴェは遊牧民の作った境界であり
必ずしも定着民が防衛ラインとして構築したものではない、という結論になってしまいますね。
そうなると、パワーバランスとして
定着民は遊牧民主導の経済システムの管理下に置かれねばなりません。
インフラ構築の労働力を提供したのは主に定着民と考えられるからです。

ここがどうも腑に落ちないのです。
51LUNAMASK:2010/08/03(火) 11:44:21 ID:O96LpJPE
>>50
ハカス共和国ではSveの呼称は残ったが、その用途については考古学者が
境界防衛ではなかったかと推定しているのが現状。
西周時代には周の西北辺境部、モンゴル東部、内モンゴルで鹿石として
出現。後に長城に変化すると考えられます。この点については↓
「下記は[燕長城についての]2002年Di Cosmo考古学的発見報告から彼自身の解釈部
分を省略したもの。高地に築かれた数か所の石積砦と円形居住区が長城の線に沿って
発見され、考古学者は夏家店上層の出土物を回収した。この城塞延長線の外側でも、
内側でも中国のものではない文化遺物しか発見されなかった。考古学者はこの長城の
住人は東胡であったと確信している。長城の赤峰市付近区間における考古学発掘にお
いても夏家店上層及びオルドス青銅器文化の存在が判明した。長城全域は中国人では
なく、主として牧畜民が排他的に居住していたことは明白である。長城が遊牧民と農民
を隔離するために築かれたものではなく、人々の通行を監視する強力な軍事的プレゼン
スを確立するために築かれたものであった。長城は主として非農耕地域の防衛を目的と
していた。長城は伝統的に主として牧畜生活をする外国人が住む地域における中国人
入植地を保護するものとすることを立証する証拠はない。われわれは、長城の正しい
機能、それが防衛したのは何であったのか、いまだに分かっていない。」ソウル大学
Hong教授 「古代燕国と穢貊朝鮮」2005年3月
これをご参照ください。
日本において高地性集落の出現するのは弥生後期です。まだ環濠集落、ムラの時代で
あり、定着民側に横のつながりのなかった時代です。
52出土地不明:2010/08/03(火) 14:42:04 ID:cJU7Quqk
・・・すいません少し難しく考えすぎてたのかも知れません。

国境を伝統的に引かれていたラインにそって踏襲するのは普通にあることですから
つまり長城に関しては
中国の支配域が広がった戦術的プロセスが面ではなく点、
つまり土地の支配民族の支配、人間の支配であったために、
その被支配者がもっていた伝統的な領界線が踏襲され、中国の国境となった、と考えてよいですか?

53出土地不明:2010/08/03(火) 14:48:48 ID:cJU7Quqk
それとも、
人間の移動は必ず利益に直結しますから、
要するに関所、税関であったと解釈すべきなのでしょうか。
54LUNAMASK:2010/08/03(火) 15:02:17 ID:O96LpJPE
むずかしいところですね。2002年Di Cosmo発見の赤峰区間を、たとえば北京の
八達嶺にも及んでいたとできるのかどうか。この問題は継続審議事項としましょう。
55出土地不明:2010/08/04(水) 07:33:32 ID:3xltp8Cz
>>48
何の証拠もないのに、朝鮮半島Y-O主流の Y-O2b が日本列島で
天皇を起源したと断定して、コッソリ Altaic Swan Totem Yama-Deity などと
挿入。そんなに日本の大和朝廷や天皇をウリミンジョクが起源したと
言いたいなら、日本語で堂々と書けばいーじゃない。コソコソ英語でだけ
言ってセコイわよ、月光仮面。
56出土地不明:2010/08/04(水) 10:29:47 ID:vk+a/WNk
高夷をY-DからY-Nに摩り替えたから
雲南で矛盾が起きるっんだってな、月光仮面。
AltaiやTuva起源のY-D2が征服者で奴隷社会が到来したというストーリーの
「騎馬民族征服説」で、何か都合わるいんかい?
57LUNAMASK:2010/08/04(水) 10:34:28 ID:zjjaW23w
いや、今、こういう方向でやってるんだということなんだ。天皇については
いくら調べても答えは難しいと思う。記紀編者とて同様だったのでは。
それよりも蘇我氏、藤原氏といった集団だよな。
58LUNAMASK:2010/08/04(水) 10:38:26 ID:zjjaW23w
>>56
おれも最初はそう考えた。しかし、中国学会のDはすっごく古いという説が出て
Dを縄文人にしたんだよ。
59LUNAMASK:2010/08/04(水) 10:47:19 ID:zjjaW23w
目下、自分の最大の謎は2世紀に伽耶から吉備に入ったY-N系統が6−7世紀ごろに
突厥として再登場するまでの間、彼らはどこにいたのだろうかといいう問題。
おそらくは柔然なんだろうが、或いは、高句麗領内か。
60LUNAMASK:2010/08/04(水) 10:55:05 ID:zjjaW23w
>>55
>日本の大和朝廷や天皇をウリミンジョクが起源したと言いたい
百済でも日本より遅いのにそんな民族があるはずないじゃん。
しかし、遊牧民的コンセプトで初期化が行われている。その主体は
あるなー。
61出土地不明:2010/08/04(水) 11:08:49 ID:3xltp8Cz
>>57
なにそれ?今こういう方向でやってるって。民主党の隠れマニフェスト
みたいじゃん。朝鮮人の男は朝鮮人の男らしく、言いたい事が有ったら
堂々と明言しなさいよ、ウリミンジョクが、ウリミンジョクが
swan totem (妄想)Yama-Deity の始祖鳥なるぞWWW!と。
62LUNAMASK:2010/08/04(水) 13:47:20 ID:zjjaW23w
ひっこみつかなくなっぺや。そんなことやってっと。
実際白鳥というのは、オビ河支流白鳥川のことらしい。そして、素盞嗚命は
駁馬丁霊らしいね。O2bとは無関係みたいでもあり、宗教的つながりかも。
63LUNAMASK:2010/08/04(水) 13:49:24 ID:zjjaW23w
Yama、閻魔は牛頭天王。チベット・モンゴルでポピュラーなキャラ。
64LUNAMASK:2010/08/04(水) 16:35:44 ID:zjjaW23w
>>61
Swan Totemはアルタイ・オビ河支流「白鳥」川を根拠とする突厥人、Ku-Kizhi
おそらく日本では九鬼氏となったもの、のトーテム。熊野本宮大社はこの
九鬼氏が築いたものと考えられる。
65出土地不明:2010/08/07(土) 08:25:49 ID:oWatB7Rb
66LUNAMASK:2010/08/07(土) 15:46:51 ID:oWatB7Rb
「平成11年(1999)、上記の高床式の大型掘立柱建物跡の一部と考えられていた内側の柱が、それよりさらに
20年から30年ほど古い高床式建物の跡だったことが分かった。これにより、古い時代には政治と祭祀が区別
されずに行われていたが、数十年後には政治を行うための高床式建物と、祭殿となる建物がそれぞれ別個に
建てられていたことが判明した。それまで一体だった政治と祭祀が、時代を経るにつれ分離していく様子がうか
がえる注目すべき発見だった。 」
http://www2.city.moriyama.shiga.jp/iseiseki/ise8.htm
崇神がドライに鏡を放出するのは。斉王を置くのはこの傾向の延長線上にあるのか。
6739:2010/08/07(土) 22:16:02 ID:cNr1IUNq

   ∧_∧  LUNAさん、さいきん本スレで
  ( ´∀`) ゴビ(Говь)アルタイ(Алтай)が騒がしいですね。

Altai-Kai
ttp://www.youtube.com/watch?v=pBKb4HKSfoU
ttp://www.youtube.com/watch?v=-uYxTd4PACM


お猿と羅刹女の神話の通りゴビアルタイから来たんでしょうか???
ttp://www.youtube.com/watch?v=3encA6KYQUI
ttp://www.youtube.com/watch?v=-WEJxqS91aA

ttp://www.youtube.com/watch?v=kKO-uGTm7Js
ttp://www.56.com/u59/v_NDU0MDUyMzI.html

ttp://www.youtube.com/watch?v=hIeiZdkBy-Y
別の人が本スレで貼っていたけどコレも
びょ〜んって音が金属性ですね。
ttp://www.56.com/u45/v_NDYxNzc3NzA.html
68LUNAMASK:2010/08/09(月) 13:24:00 ID:NnOFJyxL
>>67
基本的に前2000年紀モンゴリアの神学システムについてはブリャート史家スクリンニコヴァが
10年前に発表した通りであり、日本の古墳時代は全く完全なこのコピー。
さらに、トゥーヴァの史家アバエフ氏が説くトゥーヴァと高句麗・チベットは同一という理論も
トゥーヴァ、高句麗、日本は同一と解釈される。
このことは沿海州考古学者ヴォストレツォフが沿海州で検証し、ロシア科学アカデミーが
江原道で検証したクロウノフカ・団結文化の民族移動が上記、スクリンニコヴァ、アバエフ両氏の
節を裏付けている。
現在、魏志倭人伝に残る倭人の原郷伝承のある東冶会稽地方の詳細な遺伝子調査も行われている。
東冶会稽を出た倭人がモンゴリア・満州を経て日本に入る全コースが今に判明する。
69LUNAMASK:2010/08/09(月) 15:55:32 ID:NnOFJyxL
Diachronically, it may look like this:

Paleolithic Age Migration Down to circa 14,000 BCE

C1-M8 5.40% Hunters/Obsidian Economy/Stone Post God

Neolithic Age/Cordmark/Jomon Pottery Era Migration Circa 14,000-1,000 BCE (Northern Kyushu)

D2-P37.1* 3.80% Cordmark Pottery Gatherers-Reservers Salt/Obsidian/jade/Jadeite
D2a-M116.1 16.60% Ditto
D2a1-M125* 12.00% Ditto
D2a1a-P42 2.30% Ditto
D2 Total 34.70%
Total until Yayoi 40.1%
-------------------------------------------------------------------------------------------
Initial Yayoi Immigration Circa 900-800 BCE (Northern Kyushu)

D2s 34.7% Northern Jomon Migration to Kyushu to adopt paddy rice agriculture
Back Migration/Spread of Converted Jomon from Kyushu to Western Japan
------------------------------------------------------------------------------------------
Early Yayoi Intra-Mainland Migration - Circa 800-400 BCE (Northern Kyushu)
O3a4-LINE1 3.10% Sanmiao (Dongye-Huiji) Jar Borial Lower Dolmen Lelang Sea Folk Wo
O2b1-47z 22.00% Wo (Songunni-Ongagawa)
------------------------------------------------------------------------------
Middle Yayoi Immigration - Circa 400-1 BCE (North Kyushu)
O3-M122* 6.60% Jizi Emigrant Hebei Farmers Higher Dolmen Bronze Dagger
Total Initial-Middle Yayoi Alians
31.7%
---------------------
Late Yayoi Immigration - Circa 1 - 200 AD

Cis-Baikal Inbent Square Platform Burial /South Siberia Sve Mountain Fortifications
N1c1-M178 0.40% Samoyeds Dapple Horse Raisers
NO-M214* 2.30% Swan Tribe

Trans-Baikal Slab Grave/Palace Burial
C3-M217* 1.90% Donghu
O2b-SRY 7.70% Northern Wo (Baijingbao Culture to Tuanze-Krounovka-Chundo)
N1-LLY22g* 1.20% Yemaeks (Hailar to Pusan, then Kibi to Yamato) (Proto-Turkish)
NO-M214* 2.30% Ku-Kizhi Swan Tribe
Manchuria Xituanshan Culture
C3c-M86 1.20% Shushen
Total 18.0%
-------------------------------
Tumuli Period Circa 369 AD
(Yuezhi-Silla Immigration Ojin aka "Hormusta" Dynasty Yamato-Baekje Pact/Seven Branch Sword)
(Purported Equestrian Conquerers' Dynasty)
O3a3c-M134 10.40% Qi-Qins Emigre
Q-P36 0.40% Kets
I-P19 0.40% Avars
Total 11.2%
Total AD 28.2%
Total Yayoi & after 59.9%
70LUNAMASK:2010/08/09(月) 20:38:49 ID:NnOFJyxL
米国東海岸アパラチア山脈と周辺平原の馬飼い州、鹿飼い州、漁労州の住民が西海岸ロッキー山脈と周辺
に移動し、ラスベガスにて移住者代表集会を開き、西部馬飼い州、西部鹿飼い州、西部漁労州の境界を
定めた・・・紀元2世紀の琵琶湖高天原会議はこうしたものであり、高地性集落は鹿石、長城の代わりで
あった。纒向とはロスアンジェルスのようなものであった。
71LUNAMASK:2010/08/10(火) 13:33:21 ID:Nomwh+92
本土・琉球・アイヌ・トゥッヴァ・ブリャート・コレアmtDNAハプログループ
     JPN RYU AIN TUV BUR KOR

A1b 4.57 2 3.92 5.56 5 2.98
F1b 3.13 2 2 8.33 5 2.05
M7a 7.39 12 15.7 - 2.5 3.35
G2a 1.68 4 - 2.78 5 1.86
G2a1 2.52 - 3.92 5.56 - 1.49
M9a 2.44 4 1.96 - 5 3.17
M10 1.3 - - - 2.5 4.66


D4 18.9 2 7.84 13.9 17.5 18.4
D4a 7.39 - 1.96 - - 5.77
D4a1 0.53 4 - - - 2.42
D4b 2.36 6 - 2.78 2.5 0.93
D4d 2.67 - - 2.78 2.5 0.93
D5 3.73 2 - - 2.5 2.98
72LUNAMASK:2010/08/12(木) 12:22:32 ID:rNHP90kC
I surmiss that Jilin Xituanshan Culture origin and embraced by Touma-guo concept of "Thinner/Shorter/Compacter/Most Exquisite" High Temeperature Pottery kindled Yematai-guo Standard Pottery (Shonai, finally Furu Pottery).
Yimin (Hailar) Combatants were employed as Yematai-guo royal guard Kume.
Restructure from ditch/roam circled setlements to broad range agrarian system brought the first Yematai
-guo sovreign Jinmu and one of his successors Himiko to the theater.
73LUNAMASK:2010/08/13(金) 08:50:29 ID:YpmBVlxC
注目すべきは左上華北綏遠夏家店方面に琵琶型銅剣の中心があり、これが山戎居住区と一致することだ。
つまり、遼東半島の高句麗は多分に夏家店方面青銅器文化の影響を受けていることで、その夏家店方面に
トゥーヴァから「上鴨」が移動し、他方「下鴨」はイルクーツク・マンチューリ・ハルピン・長春から北朝鮮図門江
経由江原道に入るのであろう。

高句麗は高地性・句麗(朝陽鹿)族と言う意味ですが、その建国は:
[サヤン・アルタイチュルク語民族固有宗教神話]
宇宙論的神話として、宇宙は天、地、地底世界(又、太陽と月がうっすらと照らし、自体の天を持ったり、持た
なかったり、海、川、地底世界のある特別な異界に言及するんぽのもある)天は穹窿で地を覆い、常に地の縁
と接している。地底世界への入り口は西方にある。その枝に人間・動物の胎児が乗っている世界樹が三界を
結ぶ。あるいは山頂が天に届く山が天を支えているとする。
-----------------------------------------------------------------
原初には巨大な水面があり、二羽の鴨が泳いでいた。一羽が水泥で大地を作る決意をする。二羽目が水底の
潜り、くちばしに水泥を咥えて浮上する。最初の一羽がそれを水面に撒くことをはじめ、ついには大地が誕生
する。二羽目が陸上に上がり、そこに石を撒き始め、このために山ができた。シャーマン神話では一番目の鴨
を天界の王ウルゲンとし、二番目の鴨を地底の王イェルリクとする。彼らを兄弟とする神話もある。
--------------------------------------------------------------------------
上記の第二の鴨、上鴨から来る。日本の葛城の高・尾張の高とか、高地性集落、高良大社等
がこれである。
74LUNAMASK:2010/08/13(金) 08:52:21 ID:YpmBVlxC
事代主命 『日本書紀』に「事代主神が、三島溝咋耳神の女ー玉櫛姫と結婚して生まれた子を名付けて、
媛蹈鞴五十鈴媛命といい、容色すぐれた女子です。」とある。また、この地は三島県主の治めていた地で、
『続日本紀』には三島県主が鴨宿禰の姓を賜ったとある。同市の弁天山古墳が鴨氏一族の墓と言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E9%B4%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
75LUNAMASK:2010/08/13(金) 09:02:28 ID:YpmBVlxC
「東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいる」という
徐福が信じた伝承とウラルの鴨神話が一緒になったのが大三島↓
http://www.oideya.gr.jp/sees/archives/images/ohmishima-b_1.jpg
76LUNAMASK:2010/08/13(金) 09:12:04 ID:YpmBVlxC
媛蹈鞴五十鈴媛命は魏志倭人伝において男王(神武)を立てたものの国中がおさまらず、女王を
共立したとされるところの初代女王・・・ヒミコ一世。邪馬台国当時の百襲姫は二世となろうか。
三島県主は摂津に入植した沃沮系渡来人集団で、後の神武を支えた鴨氏の先祖であろう。
77LUNAMASK:2010/08/13(金) 09:59:39 ID:YpmBVlxC
「久宝寺遺跡の庄内式土器群

八尾市久宝寺遺跡(東西線)の調査では、井戸遺構から百数十個体に及ぶ一括性の高い土器群が出土した。こ
れらの土器は形態や組成などの諸特徴から、庄内式古段階に属するものと考えられる。河内平野でこれに
前後する時期に属した資料は、大阪府八尾市の中田遺跡、成法寺遺跡、東郷遺跡、東大阪市馬場川遺跡な
どからの出土が知られているが、量的に限られたものであった。このたびの久宝寺遺跡からの大量出土は、
最古段階の庄内式土器を含む一括資料としてきわめて重要である。庄内式甕はほとんどが生駒西麓産の
胎土をもつ。このことはその出現期において、胎土の選択が既に完了していたことを示している。しかし口縁部
の形態や内面ケズリなど、製作技法上の諸特徴は、後半期のシャープで安定した形質とは異なる。不安定で
やや鈍重な印象が強く、いわば試行段階ともいうべき状況を呈している。また後半期以降の相対的に低温で
土鍋的な焼成に比べ、高温で硬質に焼き上げられた個体が多い。形状は河内型のほか、少数ではあるが
大和型と通じる特徴をもつものもあって、両者が未分化な状態を残す一群と解することも可能である。」
http://www.occh.or.jp/kako_news/images/040319/hajiki-leaflet.pdf
78LUNAMASK:2010/08/14(土) 11:44:05 ID:aBDSsJJc
大物主=鰐の起源に迫る

鰐淵寺
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Gakuenji_temple_Zaodo.jpg
「大きな鰐魚(わに)が鰓(えら)に佛器をかけて浮かび上がり」
http://www.shinbutsu.jp/33.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%90%E6%B7%B5%E5%AF%BA
グラスコフの鰐「鰐が玉を咥える図案」
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_2
2009年5月10日(日) 午後9時00分〜9時49分 総合テレビ
サハラ砂漠 謎の岩絵 〜エジプト文明の起源に迫る〜
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090510.html
BP5500年、サハラ、サヴァンナ牧畜民は気候乾燥化によりナイル流域農耕文明への移行を余儀なくされた。
こうした気候変動による遊牧民の定住化はBP3000年頃のモンゴリア・マンチュリアの牧畜民の日本列島、
朝鮮半島、中原への移行においても繰り返される。キーワード
ギルフ・ケビール岩絵 千尋鰐 燭陰 リバイヤサン ベゲモス スイマー 河童
エジプトのカイロから、果てしないサハラ砂漠を4WDで進むこと5泊。リビアとスーダンの国境近くに巨大な
岩山が見えてくる。ギルフ・ケビール・・・・。そこには、信じられない光景が広がる。砂漠の岩山にびっしりと、
1万年前の岩絵が描かれているのだ。その数数千。そしてその中に、楽しげに泳ぐスイマーたちの姿が残され
ている。
ギルフ・ケビールの岩絵が発見されたのは1933年。その後、伝説として語り継がれたものの、危険地帯の
ために誰も近づけなかった。それが、最近のリビアの軟化政策により、ようやく訪れることが可能になった
だ。 膨大な砂漠の岩絵は誰が何のために描いたのか? スイマーは何を意味するのか? そこには、古代
アフリカの気候変動など、地球規模の壮大な物語を始め、古代エジプト文明がなぜ発祥したのか、その起源
の謎を解く手がかりが隠されている。
この謎の岩絵を、アーティストの日比野克彦さんが日本人の研究者と共に訪ねる。番組では、世界で初めて
ギルフ・ケビールのロケを敢行。世界遺産級の秘境を訪ねた大冒険のすべてを記録する。
http://www.touregypt.net/featurestories/gilfkebir1.htm
http://www.touregypt.net/featurestories/gilfkebir2.htm
http://minamar.com/travel_egypt/tours_Egypt/al_gilf_kebir_western_desert.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Gilf_Kebir
79LUNAMASK:2010/08/14(土) 13:38:39 ID:aBDSsJJc
>>74 事代主
スキタイ・ゴイトシル神は福を授ける家内安全の神。
スキタイにはタビチ女神があり、インドアーリアのアグニ(火)神のこと。
タビチ神はには火の3相を体現する3つの分身がある。これが宗像三女神、日向三代、三貴神などとなった。
日本の太陽神が女神であるのもこのスキタイ・パンテオンによる。つまり、スキタイ・パンテオンは沖ノ島から
瀬戸内海に入った。大三島では「何これ珍百景」のような三位一体の島を発見し、淀川に到着、
「事代主神が、三島溝咋耳神の女ー玉櫛姫と結婚して生まれた子を名付けて媛蹈鞴五十鈴媛命」
という神話を作った。これが日本神話の起源。
80出土地不明:2010/08/19(木) 19:56:44 ID:hPLDIgHe
81LUNAMASK:2010/08/26(木) 09:24:10 ID:PbDqFeNQ
夏のステップのしじま、沼で蛙の合唱を聞くことがある。声明の世界だ。
82LUNAMASK:2010/08/26(木) 10:20:32 ID:PbDqFeNQ
東北古民族と東夷が同族関係にあることを立証する材料は非常に多い。
両地方の族称が顕著に対応している。
双方に始祖卵生神話がある。
鳥、犬、亀、竜崇拝。
左衽 上前の衽(おくみ)が左手のほうへくるように重ねて着ること。「さじん」。
造船航海技術等々。
(注:古来,中国漢民族の衣服は右衽,周辺の遊牧民族の衣服は左衽であった。
漢民族は左衽の服を胡服すなわち野蛮人の服として軽蔑したが,騎馬の習俗とともに胡服様式を採用すると,
これを左衽の袍(ほう)と称し,後には右衽に着るようになった。
中国文明の影響下にあった周辺民族の服装も,しだいにこれに倣って左衽から右衽に変化していった。)
これは東夷が東北地区に大規模な民族移動を行った結果として東北地方の民族形成が行われたことを示して
いる。
石器土器の共通特徴
1.石器製作                     石器的製造
2.卵殻黒陶                     蛋殼K陶
3.鳥型器物                     器物造形‐擬鳥形
4.彩陶文様                     彩陶的風格
習俗の共通特徴
1.頭骨変形                     頭骨人工變形的習俗
2.礼 蹲居                      “禮”
3.樂器                        楽器
4.亀甲・骨占い                   龜卜、骨卜
5.弓矢                        弓箭
6.支石墓                      石棚墓
7.動物殉葬                     殉葬豬、狗、羊等家畜的習俗
83LUNAMASK:2010/08/26(木) 20:41:47 ID:PbDqFeNQ
The closest affinities of mainland Japanese were to three population groups.
@ The first include Korean and Han from Shandong (mean P-value = 0.29 ± 0.06),
A the second Han from Liaoning and Xinjiang, and the Tu ethnic minority (0.20 ± 0.06), and
B the third Han from Xi'an and the Sali, a branch of the Yi ethnic group (0.15 ± 0.06).
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC524407/?tool=pubmed

Non-Sinitic from Huawaizhidi (Obi, Yenisei, Amur Basins)

C3-M217* 1.9% Donghu/Beiyi (Trans-Baikal/Song-Nong)
C3c-M86 1.2% Shushens (Amur)
N1c1-M178 0.4% Dapple Horse (Boma) Raisers (North Altai/Cis-Bailal)
N1-LLY22g* 1.2% Beidi/Yemaeks or Butuo Yi (Xufu Warriors)

Silk Road

NO-M214* 2.3% Xirongs B
I-P19 0.40% Avars
R-M207 0.40% Sakas
Q-P36 0.40% Kets

Yangtze-Huanghe People

O2b1-47z 22.0% Dongyi Yueshi → Xituanshan → Tuanjie → Yemataiguo
O2b-SRY 7.7% Dongyi Yueshi → Xituanshan → Tuanjie → Yemataiguo
O-LINE1 3.10% @ Xiajiahe → Liaodong → Gojoseon → Mahan
O3a3c-M134 10.40% @ Qin →Qi → Qinhan
O3-M122* 6.6% A Yan →Moguo → Gojoseon → Mahan

O2a-M95* 1.9% Yue Austroasiatic
84出土地不明:2010/08/29(日) 05:59:09 ID:QsUt+MHc
85LUNAMASK:2010/08/29(日) 10:11:26 ID:Znt3vNAn
↑漢帝国・天孫と周辺東夷・古朝鮮族国・地祇といった大構造がそのまま列島にコピペされ、邪馬台
連合と投馬国・狗奴国という構造が生じる。かつて大モンゴリア高原においても、沿バイカル湖高原
においてもこうしたことは行われた。
86LUNAMASK:2010/08/29(日) 10:40:57 ID:Znt3vNAn
日本の古代は大和盆地の東南、三輪山をめぐる東夷と漢族の203高地争奪戦に似た角遂だった。
漢帝国は蚩尤・神農を祀り、東夷は大国主を祀った。おそらく卑弥呼を生んだのは鳥トーテム殷で
婦好を共立した文化であったのであろう。
87LUNAMASK:2010/08/29(日) 10:55:40 ID:Znt3vNAn
羌は犬戎、西戎、突厥と欧亜・サハラを闊歩したことはその遺伝子が大洋州から欧亜に広がることからも
うかがえるが、定着性の最も強い華夏、水系限定移動の東夷とは共に一線を画すところがあって、狗奴国
に居候したのであろう。名古屋・岐阜・石川にかけては狐・ジャッカル・白犬(狛犬)信仰が強く出ている。
しかし、ヤマトタケルの悲劇的な恋と失命の結果、なんとなく落ち着いては来たようだが、
http://www.youtube.com/watch?v=DBqQOOaT4io
88LUNAMASK:2010/08/29(日) 13:19:57 ID:Znt3vNAn
モチベーション
東夷 水源確保 鰐 辰
華夏 農地確保 水脈 龍
羌  平地・山地牧地確保 理想は太陽、鳥。
日本の東夷をミナモト、ムナカタと呼び、奈良番地、関東平野では水源を確保。サヤン・アルタイ・バイカルも
オビ・イェニセイ・アムールの水源、究極の理想の地は日光の男体山・中禅寺湖。宍道湖、琵琶湖、諏訪湖
を経て到達する。
89LUNAMASK:2010/08/30(月) 14:41:47 ID:a0NITrer
90LUNAMASK:2010/08/30(月) 14:52:01 ID:a0NITrer
エジプト・ヒクソス神話の龍を切り殺すSutekhはバルカンの牛頭神話(冥界で女王を守る牛、これは
小河墓で古欧州女性ミイラに副葬されでいたが、棺は牛の皮で包まれていた)と習合、更にシュメール
の地底王国神話とも集合され、ミヌシンスク盆地、ハカス共和国で石の神となる。これが鹿石として南下し
日本に到着後は地蔵、道祖神等となったが、途中、武人像、剣の神となり、遼寧銅剣、琵琶型銅剣等
にもなる。フツノミタマとはこれのこと。素盞嗚命、牛頭天王はSutekh、国土神大国主の御霊、国魂も
ここから来る。
91LUNAMASK:2010/08/30(月) 15:11:38 ID:a0NITrer
日本神話の根幹はこの素盞嗚命を中心としているが、仏教における守護神、曼荼羅、密教、道教にも
深い影響を与えている。
92LUNAMASK:2010/08/30(月) 15:29:40 ID:a0NITrer
恒霊之間、倭国乱れる↓それはこの図にある吉備(金海伽耶)の
http://www.yu-ji.com/saisi1.gif
二突起墳丘墓、月と日を礼拝する宗教、これは後に突厥において発展する。
この原突厥が天孫を裏切り、出雲に付いたことであったと記紀は語る。
これが狗奴国と手を結んだ天孫によって平定され、邪馬台国時代を迎えるが、
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/gisi/sannseikikofunn.gif
魏志倭人伝が語るのはこの直後の狗奴国の反乱であった。
93LUNAMASK:2010/08/30(月) 15:42:45 ID:a0NITrer
女王、女神である辛国息長帯比売大目命が新羅王に絹織物を下賜したり、息長帯比売が秋田物部に
腹帯を下賜するのは、水天宮の腹帯が安産、厄除けに効力があるのと同じことで、帯、タラシ、の
効力への信仰。つまり、帯には異界へのワープ能力があるとされた。石上神社の布留川と高句麗の
沸流河も同じで、天の川という考えがあるのではなかろうか。現代日本語ではすたれて来たが、
「グルグル巻きにする」、「グルになっている」、クルマといった言葉には古いユーラシアに共通の
語素がある。サイクルのクルがそうだ。
94出土地不明:2010/08/30(月) 15:42:51 ID:EgwdoTue
>>92
ただただ固定観念をぶち壊すのが目的だから指摘するけれど、
左目からアマテラス、右目からツクヨミ、というパターンは、
中国の盤古神話の、盤古が死んだ時、右目が月に、左目が太陽に、を踏襲していると思われる。

それから、雲南にも、太陽と月亮という神話があったように思う。
女が太陽で、月が男性である。
恐らく夫婦か恋人同士。
95LUNAMASK:2010/08/30(月) 15:46:27 ID:a0NITrer
辛国息長帯比売大目命はそれが三国遺事の細烏女と同一としての話。
96LUNAMASK:2010/08/30(月) 16:00:43 ID:a0NITrer
>>94
日本・ブリャートは伊邪那岐・伊邪那美つまり、伏羲、女過の下位に三貴神を置く。
オークネフは惑星までも観察する天文宗教だがその初期の画像は三つ目
http://www.golovorukie.com/download/5-02.jpg
これが次第に斉家文化とか、アッカド・ナラム・シン像、黄帝・神農のように牛の角のように変化して行く。
ヒンドゥー教の三つ目神像はヴェーダ族同様に南下するオークネフ宗教による可能性がある。
突厥はこれとは無関係で太陽と月を拝む。
97LUNAMASK:2010/08/30(月) 16:07:22 ID:a0NITrer
承前
ブリャート・東夷は龍山文化から来ており、それは長江文明の伏羲・女過伝承を持っていたが、
北方に来てスキタイ系三貴神体系を取り入れたと考えられる。
98出土地不明:2010/08/30(月) 16:19:03 ID:EgwdoTue
>>96
三星堆の、太陽を抱くカラスはどうよ?
そして山岳信仰(崑崙信仰)。
高くそびえる崑崙に住む神様は、西王母(女神)。
四川発祥の神話。

類似の神話を探そうと思えば幾らでもあるよ。
南にも、北にも。
99LUNAMASK:2010/08/30(月) 16:36:30 ID:a0NITrer
そうした神話は普遍的に、どこでも発生するのではなく、たとえば、古代彝族のような存在が伝達したもの
と考えられる。日本の神社の堅魚木、千木、棟持柱の起源は小河墓遺跡のボートをひっくり返したような
棺に見られる。
100LUNAMASK:2010/08/30(月) 16:40:06 ID:a0NITrer
承前
小河墓の場合、ククテニ・トリポリエ神殿の千木的な装飾は棺内の牛頭がその機能を果たしている。
つまり、鬼がわらが果たす辟邪の機能である。
101LUNAMASK:2010/08/30(月) 16:49:25 ID:a0NITrer
新疆・ウルムチ、カンチャシメンチ岩絵はコカコーラ・ボトルの形をして、頭に二本の羽根を飾った女性が
合唱し、性交する姿を現す。1000年近く描き続けられたとされる。性交については後代に陽根崇拝民族
によって書き足された可能性もある。小河墓遺跡では男性の棺は女性のシンボル、女性の棺は男性の
シンボルが墓標になっているというのが新疆考古研究所の説明であった。しかし、綏遠・熱河における
琵琶型銅剣はこのコカコーラ女性像に似ている。あの女性のシンボルというのは軍神摩利支天のような
存在ではなかったのか。また先端を赤く塗った男性のシンボルというのは太陽神である鹿の頭を先端
に描く鹿石と同じ発想である。
102出土地不明:2010/08/31(火) 06:37:48 ID:lHQI4hy+
>>101
>小河墓遺跡では男性の棺は女性のシンボル、女性の棺は男性の
シンボルが墓標になっている

ブータンの伝統的な家屋では、玄関のドアに、男性のシンボルがデカデカと
描かれている。
これは魔除けになるという。
写真や映像で見た事があるが、形状も色彩もそのものズバリで迫力があった。

こうした信仰は、西域にしかないのかね?
103LUNAMASK:2010/08/31(火) 08:40:34 ID:9RpDe6IW
ファリシズムといいうんだが、パプアニューギニアのペニスケース、日本の天狗、鹿島様、小アジアチャタル
フユク遺跡、エトルリア彩色土器等に見られる。
104LUNAMASK:2010/08/31(火) 08:44:27 ID:9RpDe6IW
性的行為を示唆する踊り、デモンストレーションは日本ではよかちん、ツブラサシ、演劇はオンダ祭り、
ファロスデモンストレーションはほだれ祭り等があるが、アルタイに同様のものが多い。
105LUNAMASK:2010/08/31(火) 09:10:20 ID:9RpDe6IW
小河墓遺跡の堅魚木、棟持柱構造はアファナシエフ文化であり、
http://www.theepochtimes.com/news_images/2005-6-10-1-(5).jpg
同じくアファナシエフ文化を継承するタガール文化の
ボヤールスカヤ岩盤線刻画には千木、牛、羊等が描かれている。
http://www.archeologia.ru/Library/Image/1e8daa7a4998/large/pic65
日本神社の基本は伊勢神宮であるが、
「『韓国考古学概論』(金元龍)
 オルドス文化とは、タガール文化(前700年-前200年)がオルドス地方(内蒙古自治区)で中国青銅器文化と
混合した結果、出現したとされる独特の文化(遼寧青銅器文化とも)だが、中国東北部から朝鮮半島(端的に
言えば高句麗と三韓)の無文土器人が使用していた青銅器がオルドス文化様式のものだった。朝鮮半島の
遺跡から出土した無文土器は年代測定で紀元前559年から前280年とされる。」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/tungus-tsusi/tungus-tsusi-6-shunju.htm
このタガール文化の影響を受けている↓
http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/ise%20iseki.htm
106LUNAMASK:2010/08/31(火) 09:22:57 ID:9RpDe6IW
参考
ロシアで行われているスキタイ・タガール下限編年の繰り上げ
http://new.chronologia.org/volume6_im/tur/hist_16.gif
107LUNAMASK:2010/08/31(火) 09:27:49 ID:9RpDe6IW
http://history.novosibdom.ru/files/u11/sibir_101.jpg
タガール文化が先先代のオークネフ文化から隔世遺伝的に継承する「磐立たす」(神功皇后)文化。
おそらくこれが鹿石になるのだろう。
108LUNAMASK:2010/08/31(火) 09:34:09 ID:9RpDe6IW
http://museum.kemsu.ru/pics/skifekspoz/blyahi.jpg
タガール文化のブローチ→ズバリ、鹿石の先端に朝刻されているもの。
109LUNAMASK:2010/08/31(火) 10:07:57 ID:9RpDe6IW
日本語WIKI オクネフ文化
この文化の担い手は人種的にはモンゴロイドで、アファナシェヴォ文化とアンドロノヴォ文化がいずれもコーカ
ソイドによるもので西方に起源するといわれるのと対照的である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%83%95%E6%96%87%E5%8C%96
ロシア語WIKI オクネフ文化
オークネフ人の人類学的特徴
この時期の住民の人類学的類型はモンゴロイド優勢のコーカソイド・モンゴロイド混成である。A.V. Gromovは
完全なモンゴロイド頭骨とモンゴロイド混血皆無の典型的コーカソイド頭骨という形態的異質性が特に目を
引くとする。A.V. Gromovはこの新石器・早期青銅器住民の人類学的特徴の客観的分析を行い、地元の
新石器住民と中央アジアおよびカザフスタンから来た人々(アファナシエヴォ文化人)との混合の結果
オークネフ人の身体的類型が形成されたといいう結論に達した。
110LUNAMASK:2010/08/31(火) 11:06:13 ID:bYckWF/S
ロシア語WIKI カラスク文化 人類学的特徴
L. Gumilevaによればカラスク文化はモンゴロイド遊牧民によって形成され、コーカソイド頭骨が存在するのは、
同氏見解によると言語的にはイェニセイケト語族であるコーカソイドである丁霊との混淆であるとする。原郷は
華北。カラスク人は丁霊、狄、狄励に比定される。別の説によると、カラスク人は中央アジアから北上してきた
ので、カラスク墳墓にパミール・フェルガナ型コーカソイドの頭骨があるのをその理由とする。B. O. Dolgih, A. P. Dul'zon, N. L. Chlenova, Je. A. Nov-gorodova, M. D. Hlobystin他の研究者はカラスク人をケト人の祖先と
する。Zh. van Drimはパミールのブルシャスキ人をカラスク文化人の子孫であるとする。大多数の研究者は
カラスク人を「アンドローノヴォ文化人」的人類学タイプに中央アジア東部から北上してきたモンゴロイドタイプ
が加わったものが基盤となっている、混合的類型であると見ている。(V. A. Dremov, A. N. Bagashev)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%96%87%E5%8C%96
111出土地不明:2010/08/31(火) 12:55:07 ID:a0EopcOD
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%81%BC
Qara Khita'iとカラスクって発音が似てるね
意味は黒い契丹だって
112LUNAMASK:2010/08/31(火) 13:13:00 ID:bYckWF/S
>>111 「カラスクはノヴォシビルスク州西部、カザフスタン国境に近い町の名である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%96%87%E5%8C%96
113LUNAMASK:2010/08/31(火) 13:46:12 ID:bYckWF/S
グラスコフ文化についての英文WIKIではカラスク人を匈奴(フン)としている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Glazkov_culture
モンゴル青銅器・鉄器時代民族分布
@西蒙古、アルタイ山地、南シベリア、朝鮮日本(弥生)
A内蒙古、中国西北華北除東北
Bアルタイ(アファナセヴォ文化)、北カザフスタン(烏孫文化)、南シベリア(ミヌシンスク文化)
C東蒙古石板墓文化、トゥーヴァ中央部カラスク文化
D内バイカル(石板墓文化)、ミヌシンスク(オクネフ文化)、西蒙古(埋葬物のない墳墓文化)
↑これと既述グラスコフ文化wikiにおけるフン・カラスクの北上を重ねてみると、カラスク人は
内モンゴルからトゥーヴァと東蒙古・トランスバイカルの両方向に向かったことになる。こうなると
トランスバイカルの前方後方墳の起源は内モンゴルにあるといいうことになる。しかし、これは
内モンゴル人がオークネフ文化の四隅突出型墳丘墓に拝殿を付けて、トランスバイカルで
創造したということも考えられる。
114LUNAMASK:2010/08/31(火) 13:52:49 ID:bYckWF/S
この細面の華北人というのは日本のYDNAの何に当たるのか?私はO3-M122* 6.6% が臭いと思う。
カラスク人のマスコットは鴨であり、鴨の足のペンダントをしている。どうも日本の鴨族が臭いのだ。
上賀茂・下賀茂神社という分け方がウラルの鴨神話によっている。内モンゴル綏遠出土の銅鐸は
朝鮮小銅鐸よりも後期の聴く銅鐸に似ているのだ。
115LUNAMASK:2010/08/31(火) 14:03:26 ID:bYckWF/S
カラスク文化は夏の時代、周の時代にはなく、殷の時代にのみ出現する。殷のお墨付きを持った武装
キャラバンといった感じである。これにソグド系商人が相互乗り入れしてくる。従って、夏・殷・周に
わたって中原政府に馬を提供する秦氏とは違う。秦氏はどちらかと言えば斉家文化の方で、日本に
来ている秦氏がユダヤ教の痕跡を持つのはどちらかと言えばシリア・エジプト方面と関係していた
事を物語る。
西安ピラミッドはズバリ言って秦氏がヒクソスであったことを意味している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_pyramids
NO-M214* 2.3% アマルナ王朝で農耕犬族とされ、中国では犬戎とされるのもおそらくは同族であろう。
116LUNAMASK:2010/08/31(火) 14:14:04 ID:bYckWF/S
鴨氏・秦氏を整理して見る:
O3-M122* 6.6% 鴨氏
Q-P36 0.40% Kets タガール・鹿石 羯・獅子頭・宮大工
N1-LLY22g* 1.2% 北狄 プロト突厥
-----------------------------------------------
O3a3c-M134 10.40% 秦氏
NO-M214* 2.3% 西戎
I-P19 0.40% ハザール
R-M207 0.40% ソグド・イラン
117LUNAMASK:2010/08/31(火) 14:17:41 ID:bYckWF/S
R-M207 0.40% ソグド・イラン
これはパジリクとして鴨氏、秦氏両方に二股をかけている可能性もある。
118LUNAMASK:2010/08/31(火) 14:28:45 ID:bYckWF/S
遼東山地・沸流川・渾江はトゥーヴァ、トランスバイカルと同じく高地・水源地。ここを制する貊、高夷が
イェニセイ・アムール水源高地を制するものと異民族とするのが不自然だ。トゥーヴァ国立大学アバーエフ
氏はトゥーヴァも高句麗も同一民族だと言い切っている。つまり、カラスクもそうではないのか。
119出土地不明:2010/08/31(火) 14:30:19 ID:VF1zGn/D
山岳信仰も、世界中どこにでもあるね。
噴火に対する畏れもあるだろうが、ハワイにもある。
中国にも、崑崙信仰、泰山信仰、五岳信仰などがある。

それから、陽根信仰は、古代ローマや縄文時代にもあったよね?
結構あちこちに見られる信仰では?
120LUNAMASK:2010/08/31(火) 14:35:56 ID:bYckWF/S
>>113
グラスコフ文化についてのロシア語wikiはその人種につき、エベンキ族の先祖と一言述べるだけだが、
不自然で、モンゴル学会が@西蒙古、アルタイ山地、南シベリア、朝鮮日本(弥生)
と踏み切っているようにYDNAが検出されなくても、朝鮮・日本(弥生)というのが本当であろう。
ロシア学会としてもエベンキ族の意見に異を唱えるのが難しいような感じだ。
121LUNAMASK:2010/08/31(火) 14:40:17 ID:bYckWF/S
>>119
>中国にも、崑崙信仰、泰山信仰、五岳信仰などがある。
日本と同根。
>陽根信仰は、古代ローマや縄文時代にもあったよね?
とんがったもので獲物を追いかけ始めた頃からの遺物では。
122LUNAMASK:2010/08/31(火) 14:42:57 ID:bYckWF/S
承前
日本の銅鐸というのは崑崙信仰ではないかという説があるがうなづける。
123LUNAMASK:2010/08/31(火) 16:04:54 ID:bYckWF/S
↓この地図でアンガラ川・イェニセイ河水源としてのバイカル湖流域平原のイルクーツク・グラスコフと瀬田川
・淀川水源としての琵琶湖、流域平原の京都は同じ関係。はるか西方イェニセイ水源トゥーヴァにはBiy川が
流れ、出雲には簸川が流れる。バイカル湖の東方はトランスバイカル、前方後方墳、狗奴国と同じ。
イルクーツク・グラスコフ/イェニセイ上流は四隅突出型墳丘墓、出雲と同じ。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/gisi/sannseikikofunn.gif
出雲に対する国譲り要求は↓琵琶湖の南岸元伊勢で行われた。
http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/ise%20iseki.htm
124出土地不明:2010/08/31(火) 17:01:24 ID:R1sZPPKh
>>122
崑崙は元々は、岷山山脈を指したのではないか?と言う人もいるね。
それが漢の武帝の頃に、玉が採れるホータンの南方の山を崑崙と言うようになったのでは?
125出土地不明:2010/08/31(火) 18:54:57 ID:J4n/+Cbe
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127LUNAMASK:2010/09/01(水) 11:11:49 ID:6qbJsOpF
>>124
そうしたレベルなら、カイラス、嵩山等もある。
128LUNAMASK:2010/09/01(水) 11:16:49 ID:6qbJsOpF
「自らの慣れ親しんだ世界内で、特定の場所―たいてい大地と天空とが近接する山などの高い地点―が中心
の中心、すなわち世界軸としての地位を獲得する。高い山は典型的にその付近の住民によって神聖なものと
みなされている。聖廟はたいてい頂上や基礎の上に直立している。日本で最も高い山である富士山は日本
文化において昔から世界軸の象徴であった。崑崙山脈は中国で似た役割を担っている。スー族の信仰では
ブラックヒルズが世界軸である。カイラス山はチベットの諸宗教にとっては神聖なものである。古代メソポタミア
においては、シュメール人やバビロニア人らが人工の山であるジグラットを川沿いの平野に建立した。
ジグラットは頂上に位置する神殿へとつながる階段の土台となっていた。メキシコのテオティワカンを築いた
ネイティブ・アメリカンは、天へと向かう階段が印象的な巨大なピラミッドを建てた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%BB%B8
129LUNAMASK:2010/09/01(水) 11:22:58 ID:6qbJsOpF
神武の天香具山と大国主・卑弥呼の三輪山と2つの軸が存在するのは大きななぞ。
神武はおそらく海部族の世界軸を初期化したが、まだ、卑弥呼の三輪山をインストール
していない時代の出来事で、三輪山の拝殿としても纒向建設が本格的に始まるのは
後漢から魏へと楽浪の実権が移動する頃か。
130LUNAMASK:2010/09/01(水) 14:27:11 ID:6qbJsOpF
>113 古代族名をふってみる↓
モンゴル青銅器・鉄器時代民族分布
@西蒙古、アルタイ山地、南シベリア、朝鮮・日本(弥生) 東夷
A内蒙古、中国西北・華北・華中・除東北          匈奴
Bアルタイ(アファナセヴォ文化)、北カザフスタン
(烏孫文化)、南シベリア(ミヌシンスク文化) 月氏
C東蒙古石板墓文化、トゥーヴァ中央部 カラスク文化  東胡
D内バイカル(石板墓文化)、ミヌシンスク(オクネフ文化)、
西蒙古(埋葬物のない墳墓文化)            北狄

オークネフ・四隅突出型墳丘墓の◎+□合成デザインは
「玉jは、立方体の外形で、水平面の中央に円形の穴を掘り、
その円形は天を表し、四角は地を表して天地を象徴したものと
されています。玉jの内側は上から下まで円をくりぬかれてお
り、その穴は天の神と地上の人間とを結ぶ通り道とされていま
す。四角い大地と円い天、この玉jを持つ者こそ、神の意志を
地上に伝える王で、玉jこそは王の権力、すなわち政治権力の
象徴と考えられていました。」
http://www.geocities.jp/rarememory/kouga6/kou6.htm
この思想が良渚→龍山→岳石文化→東夷グラスコフ文化人と
言う順に伝わったものと考えられる。
131LUNAMASK:2010/09/01(水) 14:36:43 ID:6qbJsOpF
>>123
王権のシンボル玉j、それを強調する特殊器台は出雲にあった。これを解体し、展開したのが
王権を継承した大和朝廷の前方後円墳となったということだ。
132LUNAMASK:2010/09/01(水) 14:44:35 ID:6qbJsOpF
こうした神学的構想を展開できる縄文人はいないだろう。
そうするとこれ↓
http://www.geocities.jp/kusimayoshibo/rekishi001.html
徐福に関連するのかなー・・・ってことになる。
133LUNAMASK:2010/09/01(水) 15:19:32 ID:6qbJsOpF
すると、日本を建国したのは、
@アルタイからUターンした山東龍山文化東夷、
AエジプトからUターンした古羌、
B秦始皇帝の徐福ミッション
だということになる。
134LUNAMASK:2010/09/01(水) 16:04:09 ID:6qbJsOpF
三種の神器の起源は中原龍山文化にあり、銅鏡<玉璧 剣<埋納武器<玉鉞 ケツ/勾玉<玉環
また、銅鐸<磬(機能を保持、形態が変化)、特殊器台/多条突帯文土器(天界を表す)<玉j
これは仰韶系と山東系の龍山文化が日本で歴史的再統一を果たしたことによるのだろう。
コレアの意味は高良・高麗・呉・クルマ・グルの語源はトゥーヴァ大学アバーエフ氏の言うように太陽を
表しており、これは先スキタイ系銅剣の柄頭がアイベクス・馬等から「環」に変化するのは太陽神シンボル
が変化して行く考古学的事実で裏付けられる。同氏の言うように唐怒烏梁海は高句麗であり、それは弥生
日本にも関係している。
135出土地不明:2010/09/01(水) 16:31:16 ID:UAr/1l10
その弥生日本は土井ヶ浜タイプですか?
ttp://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-06.html
136LUNAMASK:2010/09/01(水) 16:41:47 ID:6qbJsOpF
「此の御酒は 吾が御酒ならず
神酒(くし)の司(かみ) 常世に坐す
いはたたす 少御神(すくなみかみ)の
豊寿(とよほ)き 寿(ほ)き廻(もと)ほし 神寿(かみほ)し 寿き狂ほし
奉り来し御酒そ あさず飲せ ささ」
http://www.si.edu/mci/images/photos/fig11UT-5.jpg
臣ら 歌ふて「うま酒や 身は神地の殿 朝戸にも 出でて行かなん 三輪の殿戸を
http://www.youtube.com/watch?v=DBqQOOaT4io
137出土地不明:2010/09/01(水) 23:13:31 ID:aWcDrmkm
わぉ〜わぉ〜、月光たん
専用スレなのだがちょっと失礼(^-^)/

>>129
>>123
元伊勢の籠神社、海部氏が>>133の「AエジプトからUターンした古羌」ではないかな??
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE
>社家の海部氏は、彦火明命を祖とし、当社の創建以来、代々奉斎をしてきたとされ、現在は82代目である。
http://www.motoise.jp/main/saishin/kono/index.html
138LUNAMASK:2010/09/02(木) 08:27:55 ID:rggZRdex
>>137
ありえますね。ホアカリ=炎帝=スクナヒコナ 元は同じかも。
ところで、現代中国語では羊も陽もyang2、同音異字ですね。
他方西周の頃の高句麗は四本角の羊を敬ったとされる。
http://images.search.yahoo.com/search/images?_adv_prop=image&fr=yfp-t-963&va=4-horned+sheep
http://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_(sheep)
これって良渚文化からの玉j、太陽と大地の曼荼羅(方格規矩鏡)と同じ思想ではないでしょうか。
こうなると、夏至の日の太陽を祭る熊野の火の祭典に羊(陽)が象徴的に使われるのがよくわかる。
三足烏と共に太陽の象徴であったのでは。高句麗は千数百年の歴史を経てピラミッド(方壇の積み重ね)
を発達させるが、大地と天の組み合わせ。熊野本宮神社のパンテオンも方形構造をとっている。
139LUNAMASK:2010/09/02(木) 08:29:25 ID:rggZRdex
承前
熊野のタケツヌミ・ケツミコ・・・皆アイベクス、羊と解釈でき、太陽を意味しているんでしょうね。
140LUNAMASK:2010/09/02(木) 09:12:49 ID:rggZRdex
141LUNAMASK:2010/09/02(木) 10:43:56 ID:rggZRdex
>>137
籠神社御由緒

亦名

天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、

又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、
その御祖の大神(下 鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。

尚、彦火火出見命は、養老年間以後境内の別宮に祭られて、現今に及んでいる。

彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及丹後・丹波地方に降臨されて、
これらの地方を開発せられ、丹波国造の祖神であらせられる。

又別の古伝に依れば、十種神宝を將来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日命であると云い、
又彦火火出見命の御弟火明命と云い、

更に又大汝命の御子であると云い、一に丹波道主王とも云う。
----------------------------------------------------
天孫にも・地祇にも総合的に関係してますね。
142出土地不明:2010/09/02(木) 13:29:21 ID:7Dm7JXb2
わぉ〜わぉ〜
>>141の籠神社御由緒をみると、饒速日・物部氏と彦火明命・海部氏と
賀茂別雷神・鴨氏が同族に見えますね〜(^-^)/
143出土地不明:2010/09/02(木) 13:31:56 ID:7Dm7JXb2
わぉ〜わぉ〜わぉ〜ところで
>>138
>三足烏と共に太陽の象徴であった

>>88
>東夷 水源確保 鰐 辰
>華夏 農地確保 水脈 龍
>羌  平地・山地牧地確保 理想は太陽、鳥。

古代羌族が鳥トーテムになったのは、四川・雲南に南下して稲作民化したからじゃね!?
144出土地不明:2010/09/02(木) 13:39:08 ID:7Dm7JXb2
わぉ〜わぉ〜わぉ〜、ドレミたん!?
>>98
>三星堆の、太陽を抱くカラスはどうよ?
>そして山岳信仰(崑崙信仰)。
>高くそびえる崑崙に住む神様は、西王母(女神)。
>四川発祥の神話。

四川・三星堆には太陽を抱くカラスと崑崙(カイラス山)の山岳信仰があるんでつね!!
145出土地不明:2010/09/02(木) 14:01:36 ID:7Dm7JXb2
わぉ〜わぉ〜わぉ〜ちなみに
先日、大阪万博公園にある国立民族博物館に行ってきたんですが..
>>138
太陽を祭る熊野の火の祭典に用いる「削りかけの扇」の展示と解説がありました。

『扇みこしは滝を形どったものと伝えられ、十二支にちなんで12基つくられる。
そこには水しぶきを連想させる削りかけの縁松がつけられる。
扇形の打松も滝の水を象徴した削りかけである。』

つまり国立民族博物館によれば、削りのカーブは羊の角ではなく
滝の水しぶきを象徴しているようです〜

県境で熊野と接する奈良県十津川村のご神体にも同じような削りが入っており
水神(飛滝権現=瀬織津姫=宗像神)を祭る信仰が熊野一帯にあったのではないでしょうか?

火の神と水の神(宗像神)はセットと思われます。
146LUNAMASK:2010/09/02(木) 14:12:23 ID:rggZRdex
>>148
羌の場合、火把節のような強烈な太陽・炎帝崇拝と鳥は太陽のシンボルと言うことでしょう。一般的に、夏は龍
トーテム、殷は鳥トーテムとされており、殷末の岳石文化時代に山東省から遼東に入ったと見られる高夷は
大地に白鳥のトーテムを祀るとされます。白鳥は鵠とも呼ばれGu2と発音されていますが、アルタイでは
白鳥族をKu-Kizhi(Ku族つまり鵠族)と呼び、これがそのまま熊野に入り、九鬼水軍・熊野水軍の九鬼氏となっ
たものと見られます。クマノというのはアルタイ語で白鳥を指します。出雲大社には素鵞社というのがありま
すが、白鳥社のことでしょう。地方にも熊野・白鳥神社と言うのがあります。アルタイ鵠族の立地は熊野に
那智の水源があるように、Biy河という水源に近い川に立地しています。出雲の簸川もこれから来るものと考
えられます。つまり、九鬼氏は高句麗渾江、アルタイでもそうであったように、日本においても東夷の水軍
総帥のポストを占めていたということで、これは素盞嗚命が倭・投馬国王のポストを要求し、却下され水軍
総帥を与えられたという神話を地で行っているものと考えられます。
147LUNAMASK:2010/09/02(木) 14:18:36 ID:rggZRdex
>>144
石積文化はアルタイ→チベットの順で、民族移動もこの通りのようです。
148LUNAMASK:2010/09/02(木) 14:23:36 ID:rggZRdex
>>145
12支は12月とも取れる。水神に数字は似合わず、天文・占星の見地から見るべきでは。
149LUNAMASK:2010/09/02(木) 14:33:50 ID:rggZRdex
弥生時代の基本的な稲作や人の流れはこういったもの↓
http://img.asiantown.net/members/37448/miyaozokuA-0031.jpg
こうした時代に江南系乃至は四川・雲南系遺伝子が日本に流れるのは極めて異例なことで
秦始皇帝の徐福ミッション以外にそうした動きは考えられません。
150LUNAMASK:2010/09/02(木) 14:36:27 ID:rggZRdex
>>132
http://www.geocities.jp/kusimayoshibo/rekishi001.html
徐福に関連するのかなー・・・ってことになる。
151出土地不明:2010/09/02(木) 15:16:29 ID:7Dm7JXb2
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>149
左の図は雲南・テン王国のもので、右の図は日本の稲吉角田遺跡のものです〜
これが双胴船に乗る鳥帽子族の正体でつね!!

だとすると、この文献でも
「双胴船に乗る鳥帽子族」が南方系稲作民族ということになりませんか?
152LUNAMASK:2010/09/02(木) 15:24:50 ID:rggZRdex
>>142
太陽・エネルギー・雷、現代は電気もやっておられるようです。
昨晩はNHKで首都水没と言うのをやってましたが、これは大物主でしょうかね。
153LUNAMASK:2010/09/02(木) 15:43:15 ID:rggZRdex
>>151
徐福よりやや早い時代、韓国水石里時代松菊里方面からのものでしょうね。太陽が実に大きい。
何らかの宗教的意味があるのでしょう。
154LUNAMASK:2010/09/02(木) 20:26:29 ID:rggZRdex
>>146
白鳥族としては高夷が撫順市、ブリャートでは白鳥族をホンゴドル族と言うが四隅突出型墳丘墓、
グラスコフ文化のあったイルクーツク地域に居住するとされる。
つまり、白鳥/高夷は山東省→撫順→イルクーツク→アルタイ→高句麗→出雲→熊野と言う風に移動して
いるようだ。
155出土地不明:2010/09/02(木) 21:34:38 ID:7Dm7JXb2
わぉ〜わぉ〜
>>154
そのルートだと瀬織津姫が熊野地域に到着しないんじゃね!?


13 :出土地不明:2010/06/24(木) 19:55:15 ID:wV5heFY3
>瀬織津姫 インドのサラスヴァーティー等になった中央アジア起源の川の女神。
瀬織津姫は、インドのサラスヴァティー、弁財天であり、アジスキタカヒコネ神と同じ
インド・イラン系の水神でしたか!!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
>これは偶然の一致ではなく、インド・イラン共通時代から信仰されていた女神が
民族の分裂とともに2つに分かれたものではないかとされている。
156出土地不明:2010/09/02(木) 21:40:05 ID:7Dm7JXb2
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>154
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
>ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上、あるいは蓮華の上に座る姿として描かれる。
>白鳥・クジャクはサラスヴァティーの乗り物である。

瀬織津姫=サラスヴァティー=弁財天=宗像神は
琵琶型の弦楽器を持ち、白鳥に乗るんだお〜(^0^)/
157LUNAMASK:2010/09/03(金) 08:51:24 ID:DxGG17HH
>>154-155
伊勢と宇佐は地形が似ており、天照一柱ではさみしいので豊受大神を祀ることになったいきさつを考えると
宇佐の宗教との統一が考えられますね。また、白山比唐ノも似たような属性があり、これはサラス
ヴァーティの生まれた中央アジアと犬戎を介して関係している可能性がある。
ただ那智の火祭りについては太陽と大地、火と水のページェントを演出しているようですが、古代人の
レベルを考えると夏至における太陽エネルギーの極大化と河川勾配の極大化としての滝を組み合わせて
エネルギー極大化を演出したのではないかとも。
158LUNAMASK:2010/09/03(金) 08:59:24 ID:DxGG17HH
159LUNAMASK:2010/09/03(金) 09:06:50 ID:DxGG17HH
>>157
つまりそうした極大化の重なる特異点(時間+空間)に神が存在するのでそれを祀り、パワーを
得ると言うのが那智の火祭りの趣旨ではないかと。
160LUNAMASK:2010/09/03(金) 09:36:05 ID:DxGG17HH
承前
徐福を志布志湾と見た場合の天孫の出雲(投馬国)包囲作戦
http://www.k2.dion.ne.jp/~penta/LOVELOG_IMG/Scan10362.JPG
161LUNAMASK:2010/09/03(金) 16:43:53 ID:DxGG17HH
>>153
徐福より古いと言い切ってしまうと、その後の古代史はダークマター、ダークエネルギーの世界となる。
やはり、これは、テン族の石寨山文化につき
「論文弥生時代の銅鐸の文様の源流について            東海大学紀要文学部 末房由美子」
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
において「・・・朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器・・・この器物は,その文様から農耕祭祀にかかわる
儀器であると推測されているが,人物の特有の表現(図27)は,石寨山型銅鼓等に施されている人物表現
(図28・29・ 30)と酷似している。・・・これらの異形青銅器は,紀元前4世紀から紀元前3世紀頃,忠清道に
分布し,突然現れて短期間で消えていったとされている。これらの諸点は,これらの青銅器が朝鮮半島本来
のものではなく,外 から入ってきた要素であること,またその製作にはそうした要素の関与があったことを
暗示しているように思える」・・・この要素・・・これを第一次徐福ミッションとでもすることによって打開してみ
たい。「紀元前4世紀から紀元前3世紀頃」を「前3世紀末頃」と読み替えるだけのこと。
162LUNAMASK:2010/09/04(土) 12:01:24 ID:r3P0SaCC
>>156
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1280239449/menu804-807
>ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上、あるいは蓮華の上に座る姿として
描かれる。
>白鳥・クジャクはサラスヴァティーの乗り物である。

>瀬織津姫=サラスヴァティー=弁財天=宗像神は
>ヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上、あるいは蓮華の上に座る姿とし
>て描かれる。
これって、インドイラン族がミケーネ人同様に東夷白鳥族の神話をぱくったのでしょうね。
163LUNAMASK:2010/09/04(土) 15:38:06 ID:r3P0SaCC
或いは、琵琶型の水源を擁くのは白鳥族であるという神話であったのかも。
164出土地不明
がんばれ月光仮面

あなたは月光菩薩のトゥルクです