1 :
671 :
03/10/22 08:35 ID:xM5aoF+D 紀元前の前半の中国を支配していた夏、商王朝を語ろう。
2 :
2 :03/10/22 09:19 ID:pXsFkZRS
人稲杉
3 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/10/22 13:04 ID:z5QNCBAy
卜鷂貞自今日有記入哉 卜鷂貞自今日無記入哉 鷂曰「知〜らない」
>紀元前の前半の中国を支配 って変じゃない?
5 :
出土地不明 :03/10/22 15:08 ID:aJfwpyVj
2chで一番の過疎板はここですか?
6 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/10/22 16:10 ID:nJ80AuXr
さっそく
>>5 に羌をハケーン! さあさあ神前に献上
(w
7 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/10/22 22:36 ID:nJ80AuXr
どこから始める? 夏王朝の有無? 青銅器? 殷墟? 甲骨文? 立て逃げ?
8 :
出土地不明 :03/10/23 23:19 ID:Op87B+mO
ヤパーリとりあえず有無からだろう。歴史学者は実在しない伝説という意見が主流じゃなかったか?
9 :
出土地不明 :03/10/28 23:05 ID:v+dmUUIJ
age
10 :
出土地不明 :03/11/01 14:27 ID:weteX02T
揚子江流域文明
11 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/11/01 15:04 ID:LxHZozLl
仰韶文化と殷を結びつける遺跡が出てこないことには何とも。 龍山は位置的に違うし…。
12 :
出土地不明 :03/11/02 12:19 ID:om9X9YHo
せっかくの中国スレだから太郎ごっこでもしようか。
13 :
出土地不明 :03/11/02 14:27 ID:WoLmTO2r
14 :
出土地不明 :03/11/08 21:30 ID:0txKxODn
今思いついたけど インダス文明⇒イン⇒殷 文明にはつながりがある法則を発見
15 :
出土地不明 :03/11/08 21:38 ID:WbXJBdBP
殷夏帝国
16 :
出土地不明 :03/11/09 02:06 ID:tOUF0/A2
>>14 えーと、殷ってその時代には
「商」だったんだよね?
>>14 目の付け所はいいんだけど、
殷て、In じゃなくて Yin なのよね…マジレスしちゃうと。
>>15 んまい!
18 :
出土地不明 :03/11/09 15:06 ID:NW9MigMN
なぜ誰も「インダス」のほうに突っ込まないのか・・・
19 :
出土地不明 :03/11/18 18:09 ID:uG2RnIHx
>>16 第20代盤庚の時に、都を殷に移してから滅亡までの国号。
それ以前は商で正しいよ。
20 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/11/18 21:21 ID:jwaTkRxG
殷墟は、城壁址が見あたらなかったり、大規模な地下墓地がある事から殷王朝の首都では なく祭祀場だったのではないか、という説がありますが、まだ城壁址は見つからないんですかね?
21 :
出土地不明 :03/11/18 21:45 ID:i4b7+uOt
あれ?殷は周の呼び方じゃないの?
22 :
出土地不明 :03/11/18 21:46 ID:i4b7+uOt
なんか書き方がまずったような 周が商を呼ぶときに、殷って言葉使ったんじゃないの?って意味ね。
>>22 その辺詳しくないので、軽く読み流してもらいたい。
漢語林には
>>19 氏の説明のごとく書いてある。信憑性は別として。
討伐した王朝を周が貶めて呼ぶにしては、
「殷」という字はえらいポジティブな意味を持ちすぎのように思えるが。
24 :
:03/11/18 23:27 ID:62qk09vA
殷の地下墓はまるで逆ピラミッドだな。 もう、甲骨文書いてある骨は彫り尽くされたのか?
25 :
よろずこ :03/11/19 06:09 ID:AGMlfQ5L
>>23 「殷」という字は白川静によれば妊婦を叩く形だ。
怪しい儀礼をおこない、へんなドラッグ(酒)を服用する、敬遠したいような国だったんじゃないの?
周とか羌にとっては。
26 :
鷂@携帯 :03/11/19 12:20 ID:Ug1qBHxC
>>25 るまた自体が「棒を持つ手」で叩く意味を持つので、最もシンプルな解釈ではそうなる。
漢語林では「身ごもらせ大きくするさま」を表す会意文字と解釈し
角川中辞典では「武器を手に舞う舞」を表す形声文字と解釈している。
まあ基本的に、ネガティブな意味合いは薄い字ではあるな。
27 :
出土地不明 :03/11/19 13:58 ID:piHthVXP
殷と商は地名じゃないの? だから首都を変えると国の呼称も変わる、と。
28 :
:03/11/19 16:20 ID:u8zzdQAC
29 :
出土地不明 :03/11/23 16:56 ID:XCUyD8CV
>>27 国号というか王朝名は滅亡まで「商」で一貫してる。
なぜ「商」かというと、始祖の契が封じられた地なので。
初代の成湯が都を置いたのは亳。盤庚までは兄弟間相続が多く、その度に都が変わった。
初代成湯(亳)→11代中丁(敖)→13代河亶甲(相)→14代祖乙(耿)→17代南庚(奄)→
→20代盤庚(亳)→28代武乙(朝歌)→滅亡
成湯と盤庚が都を置いた「亳」の別名が「殷」であり、史記の影響もあって後世そう呼ばれた。
30 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/11/25 22:06 ID:7w6XpkB4
>>24 自分はこのスレを見捨てていないので、話題を変えて亀レス。
甲骨文はまだ発掘される余地がある。
殷墟の墓にしても、どの墓が誰の墓か判明するほど発掘されているわけではないから。
殷の卜辞とは別系統の周時代の卜辞も辺境から見つかっているので、
殷の方国(周辺国)がまねた卜辞も出てくる可能性は残っている。
それにしても、漢方薬の「龍骨」として胃袋に消えた甲骨や化石は数知れない。
考古学者や古生物学者にとって怒髪天を突く物だな。
もっとも、薬局に甲骨が並んだからこそ、甲骨文が見つかったわけだから皮肉だ。
31 :
出土地不明 :03/11/25 22:31 ID:R64bzPp3
32 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/11/25 23:50 ID:7w6XpkB4
33 :
出土地不明 :03/11/26 00:42 ID:hV/xCsyv
殷の銅鉞は、実際に首を一刀両断できるだけの切れ味があったのか?
34 :
鼻つまみ者 :03/11/26 11:40 ID:SMVN+yQ5
>>33 殷期の刃は「研ぐ」というより「削る」に近い。
鉞にしろ矛にしろ、殴り負傷させる得物。
35 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/11/26 17:05 ID:IVVvlV5a
>>34 とはいえ、供物に捧げられる奴隷とか墓に供える殉死者の首を
何で斬り落としたかを想像してみる必要はありそうだ。
やはり青銅の武具が最も可能性が高いわけだが。
36 :
出土地不明 :03/11/27 00:48 ID:RgZOitEc
>>32 ども
それ読むと、都城だというのが既定路線みたいだけど、
“都城”といえる何かが出てるのかなぁ・・・・・・・
>>33 出土した人骨を調べれば、『一刀両断できるだけの切れ味』を持った刃物か、
なまくらなもんでぶった切ったかわかるんじゃないの?
37 :
出土地不明 :03/11/28 12:42 ID:h2Rv9FXF
>>35 あの人面文大鉞って実際首切りに使われたのかな。
間近に見て非常に恐怖を感じたもんだったが。
脂肪酸鑑定はされたのだろうか。
諸星大二郎作品ではないが、悪夢見そう。
38 :
出土地不明 :03/11/28 12:43 ID:h2Rv9FXF
>>35 あの人面文大鉞って実際首切りに使われたのかな。
間近に見て非常に恐怖を感じたもんだったが。
脂肪酸鑑定はされたのだろうか。
諸星大二郎作品ではないが、悪夢見そう。
39 :
37 :03/11/28 12:44 ID:h2Rv9FXF
ごめん。二回も入っちゃった。
40 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/11/29 01:46 ID:+J531Mqx
結局、素人には向こうの成果というものが届かないわけで うじうじと妄想するしかないわけよ(´・ω・`) しかしまあ、王の悪夢の呪詛返しごときに羌を10人も献上してしまう大盤振る舞い。 効率よく首をはねる得物はやっぱり必要なわけで((((((( ゚д゚)))) 王が代わるたびに貞人から甲骨の書記官までが入れ替わってしまう謎も生贄で説明がつくって とんでもない国ではあるな。 あ、ソースは書道のお手本の釈文から妄想してみたよん♪
41 :
出土地不明 :03/11/29 02:37 ID:dywphcW2
かなりまとまった文庫本が1年ほど前に出てる。 学術文庫でタイトルはそのまま殷夏帝国だったかな。
42 :
出土地不明 :03/11/29 08:52 ID:nf8fhATD
「古代中国」ですね。 貝塚先生と伊藤道治教授の共著。 大変いい本です。文庫ながら写真も豊富。 大墓発掘の詳細など、読んでて気が狂いそうになってくる。 あまり知らない人は覚悟して読んで下さい。
43 :
出土地不明 :03/11/29 11:33 ID:XF4JWU40
殷の銅鉞は、ヒツ(柄を差し込むための穴)が開いておらず、 紐を使って柄に結びつけているようだ。 このような不安定な装着法の鉞で、人の首を斬れるのか? 諸星の漫画では、100人の羌人の首を一気に刎ねていたが その間研がなくとも大丈夫なのか?
44 :
出土地不明 :03/11/29 15:07 ID:07C35ysU
>>43 まあ漫画ですから(w
大墓に埋められた生け贄の姿など、まさしく古代のホロコースト。幼児五人を
生きたまま穴埋めにしたと思われる写真は、一人の口が泣き叫ぶ形でカッと
開いて骨になっている。完全にトラウマ。
出土する青銅器の大半が酒器。王と王族は「神と一体化」した気になって、
たっぷり鉛の溶け込んだ酒にのべつ浸ってた酔っ払い帝国。
アル中兼鉛中毒患者の支配する狂気の国。
どうしてそんな時代の美術品がああも素晴らしいんだか。わからん。
45 :
出土地不明 :03/11/29 15:43 ID:XF4JWU40
>44 古代ローマも鉛中毒ワイン中毒残酷芝居中毒ながら、素晴らしい建築技術が あるじゃないか。 ところで、「酒の池」の遺構は発見されたのかな?
46 :
出土地不明 :03/11/29 15:48 ID:XF4JWU40
あと、諸星の漫画では殷人は弁髪を頭に巻き付け、羌人は後頭部に垂らし、 周人はいわゆる中国式の髷を結っていたが、これらの髪型設定は 根拠があるのかな?
47 :
出土地不明 :03/11/29 17:05 ID:aKCupuKs
>>46 殷代の人を象った玉が殷墟から出土してるけど、頭髪
は頭部の横を剃ったオカッパ頭。なんだかイメージが
違うけど。
48 :
出土地不明 :03/11/29 17:40 ID:Arrqy3bv
>>45 「酒池肉林」はやはり伝説でしょう。
「酔っ払い帝国」なら近い事はやってたかもしれんが。
49 :
出土地不明 :03/11/29 18:32 ID:COdaRCov
始皇帝の地下宮殿が発掘され水銀の海も発見されたから、酒の池や肉の林もあったかも。 ただ、普通に土に還って見つかりっこなさそうだが。
50 :
出土地不明 :03/11/29 19:01 ID:m/uVQxNL
しかしただ地面を掘って酒を入れただけではすぐに吸い取られてしまう。 多分石を敷き詰めたプールのような物が「酒池」だったのだろう。 それだったら、遺構も発見されるかも。
51 :
出土地不明 :03/11/29 19:15 ID:3BmgHXcs
そういえば少し前に前漢時代の米酒が完全な状態で見つかったっけか。
>酒は腐敗や蒸発を防ぐため気温4度に保った地下冷蔵庫に密封保管されており、
>実物を見ることはできなかった。その代わり孫所長は写真を見せてくれた。
>酒は鮮やかなエメラルドグリーン色。
>文献によると、漢の時代には緑や黄、白、琥珀(こはく)色などいろいろな色の酒があり、
>本来薄い緑色の酒が容器と化学反応を起こして変色したらしい。
>試飲した人の話では、漢方薬のような香りがし、
>口に含むと辛さのあとでまろやかな味が広がったという。
ソース
ttp://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/mitearuki030728.html ・・・・・・青銅と化学反応を起こしたエメラルドグリーンの酒を飲ん…だ?
すごいな中国の考古学者。
52 :
出土地不明 :03/11/29 23:33 ID:RW8q4m3I
>>51 そりゃ酒じゃなくて完全に毒です。「試飲」だから吐き出したとは思うけど、
呑んでりゃ多分死にます。
それと医学板で訊くべき事とは思うけど、三千年間地中に埋まっていた亀の
甲羅とか牛の肩甲骨とか、「龍骨」と呼ばれた漢方薬、マラリアの特効薬と
されていたらしいんだが、効能があるからこそ大量に消費されてたんだよね。
そのへんは医学的にはどうなんだろうか。
53 :
出土地不明 :03/11/30 11:29 ID:5RtVqyu0
化学的な効果がなくても、思い込みという作用も十分効果があるぞ。
54 :
出土地不明 :03/11/30 13:46 ID:ZnQ0PynP
よく古銭屋に貝貨って売ってるけど本物なんですか?
55 :
ハヤタ :03/11/30 15:02 ID:81iJHgoZ
56 :
出土地不明 :03/11/30 15:28 ID:vGJBi3WT
>>55 ページを紹介してくれたのには感謝しますが、考古学板で特撮ネタや
トンデモをやってもらっては困ります。
それを言うのなら宇宙怪獣ギララのデザインの原型は青銅器の爵・・・
57 :
出土地不明 :03/12/03 22:28 ID:5i7R/HjY
ま、アホレスは放置と。 貝塚先生の「古代殷帝国」によると、殷の「獣葬墓」には実に様々な動物が 葬られていたそうな。 水牛・牛・鹿・豚・犬・羊・山羊・鼠・兎 ここまでは生け贄兼食用なのが理解できる。 狐・熊・豹・犀・猿・象・鯨 当時の中原は現代より遥かに温暖で、野生動物が多く生息する、森と草原の 豊かな地域であったらしい。 だから豹や犀や象がいても別に不思議は無い。 しかし最後の「鯨」は何だ。 山東省の海岸から安陽までは三百キロは離れている。 手元の資料ではこの「鯨」の大きさは判らない。 だが海豚程度の大きさのものをよもや「鯨」とは表現すまい。 まさか喰うために鯨一頭運んだ訳ではないだろう。 (ああその可能性も否定できないのが恐ろしい) 「観賞用」に生きた鯨を三百キロ奥の内陸まで運搬するとすれば、水路だ。 鯨を入れたプールを乗せて、巨大な船が黄河を逆走。殷王の庭園に設けられた 動物園には、海水を満たした湖のような池が待っている。その横を犀や象が のしのし歩く。到着した鯨を池にどんぶらこ。潮吹く鯨に歓声を上げながら、 酒池肉林の裸の男女が・・・ 気が狂いそうな光景だ。
58 :
ハヤタ :03/12/04 14:42 ID:vW0lHSig
まあ、少し真面目な話をすると、
>>55 の胄の出土地の新干県
大洋洲は江西省吉安市。長江流域の内陸部だけど、春秋期に
は呉に属していた。呉と言えば太伯伝説なわけだけれど、こ
れは殷代の周や中原などの華北の文化の江南への伝播をある
程度伝えているのかも知れない。
59 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/12/04 23:02 ID:jQ1oGz6Q
帝辛の暴虐伝説はどこまで暴かれたのであろうか? 少なくとも神事を蔑ろにした記述は甲骨から否定されたが。 酒池肉林など、発掘からわかりそうなものだが…。
60 :
出土地不明 :03/12/05 22:56 ID:scFrUc65
>>55 饕餮文の起源は長江文明の玉器文様では・・・・
61 :
出土地不明 :03/12/05 23:18 ID:vbPJHVSY
62 :
出土地不明 :03/12/06 15:03 ID:Jssz+ULB
>>61 大洋洲商墓の人頭像というと、あの不気味極まる双面人首神器の事ですか?
(ページ開いてみたらいきなり出て来たのでのけぞってしまった)
55氏の指摘する同じく大洋洲出土の胄は前13~11世紀のもので、起源云々は
冗談話ですからお間違いなく(w
饕餮文の起源はやはり長江・良渚文化の玉器の文様でしょう(前3500~2500)。
実物を五分程睨みつけて(目が血走っていたと思う)こりゃ間違いなく饕餮文の
原型だわいと一人で納得していた記憶がある。
ところでUFOマニアの類いが間違いなく、あれは宇宙人の姿を模したものだと
叫びそうな、三星堆遺跡の立人像・人頭像・凸面仮面はどうだろう。
以前四川省出身らしい中国人の学者が書いた、これぞ三星堆文明なり、山海経
の記述がこれで裏付けられた云々という、かなり電波がキてた本を読んだ記憶
があるけど、その後の研究で材料の成分が殷の青銅器とほぼ同一という事が
判り、「文明」という程の独自性は怪しくなってしまった訳です。
しかしあの造形の独自性は疑いようがない。高島屋の展示会で凸面仮面とにら
めっこしてたら脳の回線がショートしてしまった(w
63 :
出土地不明 :03/12/06 15:54 ID:H0YTw/oS
そういえば、殷墟出土の玉器は骨董品として良渚のものを殷人 が収集したものだという説があるそうな。確かに根付に最適(w もっとも龍などはともかく、着服した人物などは殷独自のもの に思えるけど。
64 :
出土地不明 :03/12/06 20:01 ID:6xkU9gWI
え、徐朝龍の山海経ネタは考古学的に否定されてんの!?Σ(゚д゚|||)
65 :
62 :03/12/07 00:26 ID:GW/GzkL0
それはこちらも知りたい。 神殿であの凸面仮面に大蛇の胴体がうねうねなどという記述を読んで悪夢を 見そうになったから。 その後の調査経緯をご存じの方は?
66 :
62 :03/12/09 14:04 ID:BR87LeWf
あ。今気がついた。 凸面じゃないや凸目だ。 どうも失礼しました。
67 :
62 :03/12/09 21:27 ID:bMlbCqJC
えー三星堆でレスがストップしてしまいましたので、責任を持ちまして、今の ところ判明している事を簡潔に述べたいと思います。 64氏のいう「徐朝龍の山海経ネタ」というのは、奇書山海経の記述をあの青銅 器の造形にかなり強引に結び付けたもので、他に説得力のある説も無いらしく、 「ーという説もある」という感じで紹介されていて、読み返してみてもやはり 魏志倭人伝を「分析」して邪馬台国の位置を特定しようとする「研究者」と何 か似た電波を感じて引いてしまいます。 というかこの人は最初から「伝統的な中原中心歴史観に対して否定的な立場」 と宣言してしまっている人なので、客観的な分析という事では今ひとつ説得力に 乏しい。 えーとりあえずここまで。続きはまた後で。
68 :
62 :03/12/09 22:23 ID:LkD4Az51
徐朝龍によれば三星堆の青銅器の銅原料の産地は、四川省南部会理と雲南省 北部東側一帯らしいという事です。(1999) 殷墟で出土した青銅器の原料の産地は湖北省の銅緑山。 ところが東京国立文化財研究所の分析によれば、三星堆と殷墟の銅成分はほぼ 完璧に一致したそうです(2000)。 「三星堆文化」としての独自性は確かでも、「文明」といえる程のものかどう かはこの点で疑わしくなってしまう訳です。 まあこんなところですか。 では三星堆にこだわらず続きをどうぞ。
69 :
出土地不明 :03/12/11 00:31 ID:/kErkH4x
1はスレッド立ち逃げするつもりなのか。 ほっといてもレスのつくようなテーマじゃないのは初めから判っている事 じゃないのか。 この時代の文物が好きな香具師は少数派だが根強い。 1もその一人だからこそスレッド立ち上げたのだろう。 当方この過疎板で他のスレ立ち上げて、頑張ってレス伸ばしているのだから、 少しはやる気を見せて欲しい。
70 :
出土地不明 :03/12/12 12:52 ID:inHSphUG
長江文明は無いの?
71 :
出土地不明 :03/12/12 15:56 ID:CmDri+6j
72 :
出土地不明 :03/12/12 16:24 ID:sWKZdAxY
長江文明スレは洪水でずいぶん流されてしまったようです。 こちらと合流させたらいかがでしょう。 黄河文明との合流によって真の中国文明の曙となるのです。 徐朝龍みたいな人が長江文明の優位性を主張し始めたら面白いですよ。 歴史板並みに荒れたりして(w
73 :
出土地不明 :03/12/12 19:10 ID:l7K5Iwi8
74 :
出土地不明 :03/12/12 19:11 ID:uvnKLcaN
長江文明と黄河文明が合流…ってまるで古代エジプトみたい。 あれも上エジプトと下エジプトが統一されて古王国が始まるんだよね。 中国なら秦まで待たねばならんかな・・・。
75 :
出土地不明 :03/12/14 10:54 ID:f3+iHlBa
>>73 三星堆が文明か文化かというのはとうに論じられていた訳ですな。
青銅器すなわち神器の造形の特異性のみで「文明」を論じても、古代蜀国に
ついての史書が事実上存在しない以上、それはトンデモの域を出ないという
事です。
76 :
出土地不明 :03/12/15 20:54 ID:sAjemT+s
華陽国史以上のものが出ればなぁ・・
77 :
出土地不明 :03/12/15 22:07 ID:HfX+xiND
徐朝龍って研究者やめて京セラに就職しちゃったんでしょ?
78 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/12/16 21:31 ID:xihS3/mR
>>71 おお。しかしますますアヤしくなってくなー。
チャタル・ヒュユクのように建物ごとの防壁?かと思ったが、同時代の遺跡には城壁跡が
確認されているから、やっぱ殷墟は都市じゃなかったのかね。
79 :
出土地不明 :03/12/20 03:28 ID:664zr4d+
急に話が止まっちゃったよ。
80 :
出土地不明 :03/12/20 14:03 ID:N4idYHwD
殷も夏も皇帝が支配していた だからインカ帝国という
81 :
略)屯田兵@携帯 :03/12/20 14:59 ID:pOgsu4NV
せっかくのネタだが どっちも皇帝でなく王が支配していたんだが。
82 :
出土地不明 :03/12/20 22:15 ID:JfJDuEsO
夏殷の陰惨な人身供儀は遠く地中海沿岸まで伝わって 最初の殺人者カインとして聖書に記述されることとなる
83 :
出土地不明 :03/12/21 00:29 ID:IVKDtYAq
84 :
出土地不明 :03/12/27 16:50 ID:5/3Xm1Q3
hoshu
85 :
出土地不明 :03/12/28 14:57 ID:PWCCE77w
>>77 徐朝龍という人は結局アカデミズムから外れた民間研究者(F事件以来すっかり
悪いイメージが定着しちゃったなぁ)な訳でしょう。
「民間研究者」の言う事は全部妄説でアカデミズムこそが正論なんて言うつも
りはまったくない。だけどアカデミズムの「退屈な正論」がきちんとあってこ
そ、それに対する刺激的な異論が存在意義のあるものとなる。
三星堆遺跡については文献資料があまりに乏しく、発掘物の異常性が突出して
いるせいか、「極論」が先行して「退屈な正論」がほとんど伝わって来ない。
だから議論にもならないのである。
「退屈な正論」というのは結局「古代蜀国も殷王朝の支配下にあった」という
レベルの認識以上のものは何も無いのだろうか。詳細を知りたい。
86 :
出土地不明 :03/12/28 20:00 ID:coyZ67vX
87 :
出土地不明 :03/12/28 23:27 ID:JhJjjr0h
三星堆蜀はアレだろ?司馬遷が史記でまるっと無視したせいで正史に入ってきてないんだろ。 漢代の資料で蜀の諸王の記録とかもあるし、漢字文化圏じゃなかったからハブられたんだろうねぇ。
88 :
出土地不明 :03/12/29 11:48 ID:6ILjjnbo
F事件って何?
89 :
出土地不明 :03/12/29 12:52 ID:Z5ZuwVu0
この板に三つもスレが並んでる白髪頭の親父が起こした事件だよ。
90 :
出土地不明 :03/12/29 13:09 ID:TJX98kad
司馬遷が古代蜀について触れているのは、周の武王が殷王紂討伐前、牧野で諸 侯に各自の名を挙げて呼ばわる場面だけと思う。蜀は庸・羌ら八つの「蛮族」 の二番目として名を挙げられている。これと諸王の名前の記録と伝説に毛が生 えた程度のものしか残っていないのでは、徐センセの如く言葉の断片とあれら 青銅器類の印象を掛け合わせ、想像力たくましく(ほとんど妄想)するしか方法 はないという事か。とほほ。
91 :
出土地不明 :03/12/29 14:22 ID:Bd0ICbOc
先祖が侵略した地域なんで、都合の悪いことを隠滅したとか。
92 :
出土地不明 :03/12/29 14:25 ID:Bd0ICbOc
直接手を下した人間の子孫で、しかも歴史家なら興味を持たない方がオカシイよね。
93 :
出土地不明 :04/01/06 22:07 ID:LFYWqMIO
殷も夏も当時の街が見つかっただけで、王朝は確認されていない。
94 :
出土地不明 :04/01/06 23:00 ID:qbkDzq9t
>>93 殷墟甲骨文発掘の最大の学問的成果の一つが董作賓による殷の王統の
復元で、これによって若干の訂正のもとに史記の王統の記述が確認さ
れたんだが。
95 :
出土地不明 :04/01/08 15:00 ID:hQDACy1t
あぼーん
97 :
出土地不明 :04/01/09 20:13 ID:unuEaGzp
>>94 董作賓じゃなくて王国維だった。「殷卜辞中所見先公先王考」
98 :
出土地不明 :04/01/11 02:27 ID:3x+3kW9x
99 :
出土地不明 :04/01/12 02:44 ID:AaJEkriX
100 :
出土地不明 :04/01/18 19:41 ID:wVIswPpx
青銅器で、鼎と呼ばれる器種がありますが、黄河中流域一帯の中原からは 定番のように出土しているのに、殷王朝の影響をばっちり受けていた三星堆 からは鼎が出土しないなんて・・・不思議ですね〜
>>100 まだ発見されていないだけかもしれない。
巨大仮面や青銅像に混じって、殷王朝で使用していたのとほとんど同じ型の酒
器が発掘されているから。
それより三星堆から甲骨の発見報告が聞かれない事の方が不思議である。
神事で占いをしなかったとは考えられないが、あの青銅像と同様の、殷とは完
全に異なった精神文化を背景に、独自の方法で行ったのか。
102 :
出土地不明 :04/01/19 09:43 ID:X0Gy1QgP
その酒器も微妙に中原と異なっているから、三星堆の青銅礼器文化、 というか青銅器文化全体で中原と華南があまりにも異なっているのは 土着文化があまりにもキョウーレツだったんでしょうね。 新干大洋洲も方鼎や円鼎が見つかっていますが虎がくっついていたりしますし。 文字を媒体としなくても神権政治はできるんじゃないかな。 インカ文明だって文字がなくても神事や卜占はしていたし。 ただこの例だと時代の差がありすぎますね・・・ だいぶ前の書きこみで、饕餮文の起源はやはり長江・良渚文化の玉器の文様でしょう とありますが、それははっきり違いますね。饕餮文は中原独自の文様であるし文化でもありますし、 目紋や雲紋が段段と擬体化していったものでしょう。大御所の林先生が 良渚文化の玉器だとおしゃっているからそう思われる方も多いですけど、 青銅器をたくさんみれば違いますし、二里崗文化から青銅器紋様の変遷を図集で 見ていくだけで分かりますよ。
103 :
出土地不明 :04/02/28 23:34 ID:b8bbrmky
age
104 :
出土地不明 :04/04/11 23:33 ID:XJVg2pSN
つーか殷周の建物とかってどんなのだったの? 横山光輝の漫画みたいに立派じゃないよね?
105 :
出土地不明 :04/04/13 17:59 ID:/VksQVPB
「夏商戦、今年はどうか」なんて記事を見るとドキッとするw
今年の桀は気合が入っていますね〜
>>42 読みつつあるが、いまさら人類の平行進化を信じている人が書いた書籍なんか
薦められてもなあ。考古学者ってみんなこんなに頭悪いの?
109 :
出土地不明 :04/04/22 21:07 ID:OZXRYAiH
加藤常賢の説だと「商」という字の語源は 「後ろ向きの女の陰部に針を刺す子授けの儀式」 なんだそうな・・・ 私はこれを読んで白川静 派に鞍替えしましたw
110 :
出土地不明 :04/04/22 23:53 ID:FUHKdNky
栄えた興ったなんつって こんな大昔なんだから集落程度だろ?
>>110 エジプトもそうだが、古代中国も過剰に美化されるというか
実体以上に立派に描かれる傾向があるからな。
宮殿跡の復元図なんか「ほんとかよ」と思うぐらい立派なことが多い。
>>108 前期旧石器をやってる人以外は、現生人類以前の人類進化の過程なんて
ほとんど興味がないからね。
正直どうでもいい。
>>112 知らないことを数十ページも書くなよ。他の記述の信頼性も低下する。
自分の専門外の記述なんて全然信用できないってことだな。
好奇心もないアホが多すぎるな。
読んでないからあれだけど・・・・ その本て、文庫としての発行は新しいけど、復刻本でしょ。 貝塚茂樹は考古学者じゃないし、昭和62年に死んでる。 もう一人の伊藤なんとかって人はよく知らない。
115 :
よろずこ :04/04/30 01:16 ID:JNisTK59
>>106 定期戦か。
早慶戦みたいなもんだな。
先鋒 禹VS湯
大将 傑VS紂
116 :
出土地不明 :04/05/03 21:03 ID:YoCKGr2S
中国では「黄帝の遺跡か?」とか「炎黄大戦の証拠」とか 真面目に議論されてるんだからちょっと呆れるね。 下劣な愛国教育の悪影響がじわじわ出てきてる。
国が公式に「神武天皇陵」とか言っちゃってるような連中に言われたかないと思うけれど。 向こうさんも。
司馬選時代すでに、唐虞以前は「薦紳先生は之を言うを難んず」だったのに
119 :
出土地不明 :04/05/06 19:21 ID:X5X3DJPR
初めて発見された夏代早期大型城跡、河南“新砦遺跡” 2年間にわたる河南省新密市“新砦遺跡”考古発掘は重要な収穫を得た。考古学者は“新砦遺跡”を、広大な規 模の内外三重の濠と大型建築で構成された夏王朝(約紀元前22世紀の末期或いは紀元前21世紀の初期〜約 紀元前17世紀初期)早期大型遺跡であることを確定した。遺跡の中に初めて夏文化時期の城壁を発見したが、 これは改めて夏文化早期集落形態を確認し、夏文化の上限時期を確定するための重要な意義を持っている。 発掘業務を担当した中国社会科学院考古研究所の趙春青研究員は「新砦遺跡は、原始社会末期の典型的な民 族集落の中心で、龍山時代と夏文化の間を繋ぐ役割を果たしており、考古学上“新砦期”と呼ばれている」と説明 している。 “新砦遺跡”の総面積は100万平方bで、外濠、城壁、内濠の三重防御施設を持ち、中心区は大型建築が建設 された大型城跡である。城跡の東壁と北壁はクリークの内壁を整備し盛土突固め工法で建造されたもので、西 壁と外濠は人工構造のものである。北壁から220 b離れたところには人工構造と自然的の川溝の組合わせ濠 渠があり、つまり外濠は東西方向へ長さ1500b、南北方向の幅は6―14b、深さは3―4bの濠である。城跡西 南部の地勢は比較的高く、内濠が建造され、西、北、東の三面が現存しており、内濠に囲まれた地域が城跡の 中心地区である。 城跡中心区で東西50余b、南北14.5bの大型建築の基礎部分を発見された。すでに一部の突固め建築法によ る城壁、柱穴、燃焼赤土、活動痕跡など重要な遺跡が整理され、銅容器残片、二里頭文化青銅図案装飾器蓋、 ?龍模様を刻んだ陶器円形脚など高度な仕様規格の遺物が整理されており、該区が貴族の住居であったことを 示している。説明によると、“新砦遺跡”発掘業務は中国「第10期五カ年計画(2001〜2005年)」の重点科学技術 プロジェクトであり、“中華文明の源を探る予備研究”の重要な構成部分になっている。 “中華文明の源を探る予備研究”は華夏文明の起源、形成及び早期発展を解明することを中心テーマとし、計 11テーマを課題としている。その中の一つは、豫(河南)西(部)晋(山西)南(部)地区の龍山時代(新石器時代 後期)から夏代早期に至る集落形態に反映されている社会構造というテーマ課題であり、国家専門家によって 河南省新密市の古代城塞跡と新砦遺跡、登封市王城崗遺跡及び山西省の陶寺遺跡がこのテーマ課題解決の ための重要地区として確定されている。
120 :
よろずこ :04/05/16 20:54 ID:+RFdTf9l
>>119 ソースがはっきりしないんだが。
中国の人は、大昔の遺跡が見つかると、なんでも
「夏」の遺跡にしたがる。
「夏」のアイデンティティとはなにか?
いまは、殷・商より古いというだけじゃないか。
今の中国は疑古派が衰退して、夏はもちろんのこと、 三皇五帝を全部史実として認めようという動きが盛ん。 「メソポタミアもインダスも全部偉大なる中華文明が 伝わったもの」とか言い出す日も近い。 捏造集団中国共産党ならではの歴史政策ですな。
122 :
出土地不明 :04/05/16 23:56 ID:/zzzp9uq
安徽省の六安市で漢代の墓を発見 安徽省六安市の文物部門はこのほど、前漢(紀元前206〜紀元220年)の墓を発掘し、玉の飾り、銅壷、 銅鏡、秦の時代の銅銭などの珍しい文物が出土した。 この墓は六安市の経済開発区にある某会社の建設工事現場で発見されたもので、完全な形で保存さ れている。墓の輪郭の長さは3.2b、幅は2.5b、深さは3.5b。 六安市文物管理局文物科の楊先鋒科長によると、玉の飾りは彫刻の模様が非常に精緻で、質も良く、 精細をきわめたものである。また、銅壷などの文物から見ると墓の主は身分のかなり高い人で、完璧に 保存されており、盗掘された痕跡はない。六安市にはこのような完全な形で保存されている古代の墓は これまでまれに見るもので、出土した文物もかなりの研究価値がある。 「チャイナネット」2004/05/12
123 :
出土地不明 :04/05/17 00:17 ID:8ENG53mp
>>121 彩色土器なんか未だに中国オリジナルっていってるしな。
弟(高校)の教科書にも「西アジアに起源」て書いてあるご時世に。
学者が愛国心のために真実に盲目になってどうすんだか
中国の学者は「学問とは(だけじゃないが)共産党支配に 奉仕するもの」という教育をたたき込まれているから、 それで出世できたり金になるなら、学術的に糞とわかっていても 何でもやるよ。
新聞報道レベルの話をもとに何を知ったかぶって中傷しているのやら。 お前らそんな態度で、他人の捏造をとやかく言えるのか?
意味出土地不明
批判されて知能障害を起こしたらしい。
とりあえず、疑古派きどってる連中は
最新の考古学の本を読んでおく事をお薦めするよ。
中国の考古学の発展の結果、
疑古派が衰退した理由くらい知っておいていい。
>>123 それ何十年前の学説か知ってる?
129 :
出土地不明 :04/05/31 17:23 ID:RTq2dwzU
<周王朝>王墓群とみられる大遺跡 西安の西方で発見
約3000年前に誕生した中国の古代王朝、周(?〜前256年)の王墓群とみられる大陵墓遺跡が西安の西方
に位置する周の古都・周原地域の陝西(せんせい)省岐山県で見つかったことが、中国の調査関係筋からの情
報で31日明らかになった。殷墟(いんきょ)の殷王墓とほぼ同規模。周は古代王朝の中でもその王墓が不明で
考古学上の謎とされており、20世紀初頭の殷墟発掘に次ぐ最大級の発見として発掘が期待されている。
調査を実施したのは、北京大学考古系調査隊と陝西省考古研究所。今年5月初めから、考古調査のための
ボーリング調査が進められた。岐山県城から西北へ約7.5キロの周公廟近くにある丘陵の斜面で、12基の大
墓が確認された。それを取り囲むように厚さ10メートルの城壁が東側長さ700メートル・北側300メートル・西側
500メートルの計1500メートルにわたって見つかり、墓域は少なくとも約20万平方メートルに達することが分
かった
さらに発見された12墓のうち7基が東西南北方面に4本の墓道を、1基は3本の墓道を備え、2本と1本の墓道
をもつ墓がそれぞれ2基あった。
最大の墓は、南北に幅4メートル、長さ約30メートル、東西に幅約2.5メートル、長さ約20メートルの墓道を
もち、墓室は約80平方メートルあった。
墓域内からは7基の車馬坑が、周辺では「周公」(周公旦?)、「新邑」(新しい「都市」の意味)など周の前半で
ある西周期のものとみられる文字が刻まれた甲骨700片も発見されている。
遺跡が見つかった周原は周王朝ゆかりの場所であり、4本の墓道を備えた規模や12基もの大墓を擁する広
大な墓域などから、関係筋は「西周期の王陵群の可能性が大きい」とみている。
司馬遷の「史記」に登場しながら、殷、周の古代王朝は一時存在が疑われていた。そのうち殷は甲骨文字の発
見がきっかけとなって1928年からの発掘で確認され、西周期の王墓が古代史の大きな空白となっていた。【荒井魏】
◇王陵の可能性高い
北京大学の調査隊の責任者、徐天進・同大学副教授の話 今月7日に初めて大墓が確認されて以来続々と12
の大墓が見つかった。考古学上、中国で四つの墓道をもつ墓は、王の墓以外にない。それからみて王陵の可能性
が高いと言える。
松丸道雄・東大名誉教授(中国古代史)の話 周原ではこれまで多くの諸侯・陪臣の遺跡が発見されたが、王宮、
王墓は未発見だった。その地域に大規模な墓葬群が発見されたわけだから、西周の王たちの墓域である可能性が
極めて高い。殷王墓でも4本の墓道をもつ王墓は限られており、墓の格式からも王墓群の可能性が大きい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040531-00001076-mai-soci
記事丸ごと貼っつけるのやめれ
131 :
出土地不明 :04/05/31 19:13 ID:0f79gl4+
すごいニュースだね。なんかワクワクする。 イラクのジグラドみたいに西周の都城も復元すればいい観光材料になるのに
132 :
出土地不明 :04/06/01 21:34 ID:/FJPcLfp
・史記によれば、 周の太祖の子が呉国の祖である。 ・魏志倭人伝、他 によれば 倭人は、呉の太夫と後裔である。 (太夫とは皇系の臣の事) つまり、倭人は 周の太祖の子にして呉国王の後裔 の民族であり、 今回の周王墓とはつまり、天皇家の祖先の墓と言う事である。 信憑性はともかくとして、史書にはそう書いてあるのが驚きである。
とりあえず偉い人の子孫ということにしてしまう、という極東の 文化を考えれば、別に驚きでもなんでもないが・・・
134 :
出土地不明 :04/06/02 07:02 ID:FAlqED6o
いやいや、中国通史側が、倭人の風体をみたうえで、現地民の話から 代々中国正史に倭人の紹介として書き続けているのだから 相当な信憑性があるだろう。 まして、当時の倭人が、呉の太夫という歴史事項を知っている事が 驚きだろう。 ちなみに殷や周は、倭人伝と同じ占政主義だ。 そこにも一貫性がある。
135 :
出土地不明 :04/06/02 18:51 ID:pzLUDL2o
ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ |! |! cト cト /^、_ノ | 、.__ つ (.__  ̄ ̄ ̄ ̄ ・ ・ :::ミ:/ ,,..__ ゙ ~~´ ゙ミミ! '"';:' ;'::'゙:゙::;゙ fミ ノノノ/ili!ヽ::;, /`ヾ .: :.:..:: ミ、 :ミ:/ u `ヽ、 ゙ , ;, ,; u u゙ミi ,. ,. ,, ., ., .:i -..,ゞ、ノツソ ,.ヾ;i ,., ,..,,.,. ミ :/ u ,.-一‐ヾ 、_;,.;,.,; _,,,;;-'''i/メ、ノノil!))ヾ、 .i ゙;._f5゙`ー;:,.'e-゙:!,.ゞ、_ソツノ;,ヾ;;ヾ゙ '´ (・) `ー=t"r.` ./;'"r。゙ーt ,;-='´iu""._ u ゙ゞ゙ー' i.._G_,゙;:/t'a`i/i u ゙ー--一,,.:: トー--'::! ゙-一u i、,゚,,ノ.i,j ./" `ヽ. ン u.i、u__ノ´, ゞ、.ィ' u ゙'ヽ ゙`i u ,.:‐-、 ;.ノ i .i'.._ ゙ー-/ .ノ ./- 、゙7 u 丿 u ,.-‐- 、.._ τ/ u ! f--...___7 u丿.i、.:__ヽ / /ヽ. i、___,ソ ./ /__ `゙ー, u ノ、 i、 ゙ ゙̄/ ./ ヾー--',ィ'._ `┬‐'´; ゙ヽ .、 /,,..._" ̄ ゙̄/ / ゙ヽ二ニ/ ゙`ヽ. `T'" `ー、 .,;i ; ,イ ;;;;\ i ゙: ̄ヾ./ /;;;゙、 i::: : :. ゙i .,;i ';. ゙i ノ ;' ;/ :i
136 :
出土地不明 :04/06/02 21:35 ID:MGRMo99i
>・魏志倭人伝、他 によれば >倭人は、呉の太夫と後裔である。 >(太夫とは皇系の臣の事) >つまり、倭人は >周の太祖の子にして呉国王の後裔 の民族であり、 >今回の周王墓とはつまり、天皇家の祖先の墓と言う事である。 それは倭人伝のどの個所を指しているんですかね? 抜粋してここに書いてみて下さい。
137 :
出土地不明 :04/06/02 23:35 ID:XOKQJx0i
>>132 漏れも知りたいので、具体的にそのテキストを書いてみそ。
晉書卷九十七 自謂太伯之後,又言上古使詣中國,皆自稱大夫. しかし、これをどう誤読すれば「たゆう」がでてくるんだろう。
なるほど・・・。 中国へ詣でた倭人はみんな大夫を称したとしか読めませんね。 これがどうして132になるのか不思議。
>>132 今の天皇家の祖先の墓は沿海州のどこかだと思うぞ。
>>139 そこに出てくる『太伯』というのが、古公亶父の子で、周の文王の父である季歴の長兄。
季歴に王位を譲るために、次兄・虞仲とともに南に出奔し呉の祖となったと伝えられる。
従って、倭人が『太伯之後』と自称しているのは、
自分たちが周王家の血筋のものであると主張していることになる。
で、これにある種のフィルタをかけて第三波動で別の時空に送ってやれば、
>>132 になるんではないかな?
142 :
出土地不明 :04/06/03 12:54 ID:IOyjq1r/
143 :
出土地不明 :04/06/03 16:03 ID:zhzUs+uD
対馬の卜部の話は本当なのだろうか? 2000年間卜占を伝え続けてきた一族で、度々時の天皇からの使者が送られているとか。
卜部家に関しては大正帝の即位の際に卜占を命ぜられて、亀の背の方の 甲羅を焼いていくらたっても亀裂が生じないで困った、という話を読ん だことがあるけど、出典が思い出せない。藤枝晃氏の書物かな?1912年 だから、甲骨文発見から十年程の時期だね。
145 :
出土地不明 :04/06/03 21:27 ID:bRLKZ6Yf
>男子は大小と無く、皆黥面文身す。古よりこのかた、その使の中國に詣るや、 >皆自ら大夫と称す。夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て >蛟龍の害を避く。 今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。文身は亦 >以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、 >あるいは左にしあるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。 >その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。 >その風俗は淫らならず。男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は >横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を >作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る。 禾稲・紵麻 >を種え、蚕桑緝績し、細紵・ケンメンを出だす。 その地には牛・馬・虎・豹 >・羊・鵲なし。 兵には矛・盾・木弓を用う。木弓は下を短く上を長くし、 >竹箭はあるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり。有無する所、タン耳・朱崖と同じ。
146 :
出土地不明 :04/06/03 22:06 ID:bRLKZ6Yf
魏志倭人伝の作者の陳寿は倭を会稽東治の東、つまり江南から福建省の東、 具体的に言えば琉球・台湾付近にあると誤認している。 そして倭の動植物の生態系や倭人の戦闘の武器をタン耳・朱崖と同じ、 つまり海南島と同じだと言っている。 全ては魏志倭人伝の作者の陳寿が倭に行った事がある人から伝聞した事を 彼の独断も織り交ぜながら書かれているに過ぎない。 当時の中国人の認識など、所詮、この程度のものなのである。 この程度のものに、倭人は、やれ呉の太夫だとか後裔だとか、 やれ周の太祖の子にして呉国王の後裔の民族だとかと、 妄想するだけ無駄なのである。
あのぉ・・・・・・ ここは、夏・殷を語るスレなんすけど・・・・・ 【考古学】板の・・・・
148 :
出土地不明 :04/06/04 11:36 ID:6HQa0HGJ
>>132 は、尤もな指摘なのに、何故皆反論してんの?
最後行に、信憑性はともかく・・そう書いてあるのが驚き
ってあるじゃん。
魏志には、倭人が、
「太白(周王家の初代長兄)の後裔で、大夫(王の血を引く家臣)である」
と自ら言った。 と書いてある。
魏志を書いた奴が電波ってのは判けどね、魏略でもその後の史書でも
倭人の紹介 といったら同様の記述がある。
自演ごくろう。
いくら検索しても三国志にそういう記述が見つからないんだけど。 晉書と梁書と北史に、倭人が太伯の子孫だと自称してるだけ。 仮に太伯の子孫が海を渡ったとしても、日本が無人島だったわけでなし、 どうして天皇家と接続できるのかわからん。
大夫の解釈も間違えてる。士大夫って言葉を知ってるか? 何を意味するのか分かるなら132のような理論にはならないよ。
(´-`).。oO(釣られてるのにきづかんのか・・・・・)
153 :
出土地不明 :04/06/04 23:35 ID:j78EuT2N
倭人が、「太白(周王家の初代長兄)の後裔で、大夫(王の血を引く家臣) である」というのは、華北人の後裔と言っているだけで、 呉国王の後裔なんてどこに出てくるんだ?
えーと、夏、殷(ry
二里岡遺跡と二里頭遺跡ってややこしい どっちがどっちかわからなくなる
156 :
出土地不明 :04/06/05 09:32 ID:EZ6zQ2C5
>>150 あのー一応、3世紀の倭は天皇家の祖先という事になってます。
ヤマタイ別系等諸説はややこしいでしょ。
>>153 太白ってのは、800年に渡る周王朝の初代長兄。
この長兄、三男が後継と決まると自ら、呉に落ちて
呉国を建国した。 つまり 太白=周の祖先&呉の祖先
>>151 士大夫? そんな勿体ぶった言い方するのは何故かな?
大夫に、皇族皇胤系の臣以外の意味はいないよ。そもそも血によって階級が決まるところ、
学によってその理を超えて大臣になるから士太夫
太夫 と言ったら 周の後胤の血のある臣だ って自称してる
って書いてあるのと同じ。 逆にそれ以外、わざわざ「自ら○×と名乗り」
と掲載する意味がない。
> 大夫に、皇族皇胤系の臣以外の意味はいないよ。 「大夫」が「皇族皇胤系の臣」… > 学によってその理を超えて大臣になるから士太夫 「士太夫」… > 太夫 と言ったら 周の後胤の血のある臣だ って自称してる 「たゆう」…
っていうか、 >太白 金星かよ!
ついでに言っておくと「士大夫」は元来「士」と「大夫」のこと。 周代には諸候、大夫、士という三階級があった。後に官職をもつ 者の意味に転じた。
160 :
出土地不明 :04/06/05 18:59 ID:uQm3zWJd
私もさっぱりです。そこでちょっとGoogleで検索してみましたところ、 反日デムパでその名も高き反日城、もとい、半月城通信でその辺の 話題が出ているのを見付けました。 引用始め〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 - FNETD MES( 8):情報集積 / 歴史の中の政治 98/05/30 - 00509/00509 PFG00017 半月城 宮内省の守護神 ( 8) 98/05/30 18:18 00479へのコメント ぺくすこんだるさん、はじめまして。 #479、ぺくすこんだるさん > 話しのついでに思い出したんだけんどよ、もとの上司が宮内庁に出向し >ていて、東宮大夫(だいぶ)という肩書きなんだとさ。ただこれは対外的 >名称で、宮中では「てーぶ」と呼ぶらしい。これ韓国語の発音と全くおん >なじ。ともかく、あそこは電話の受け答えからして浮き世離れしてるんだ >よなぁ。 #482,ざ・ふぁろすさん >韓国語は詳しくないのですが、宮中言葉には韓国語に良く似たものがたくさ >んあるとのことです。(実際日本語とは思えません) >まあ、当たり前と言えば当たり前なのでしょうか。 時代をさかのぼればさかのぼるほど、皇室と韓国との関係は深くなるので すが、今でも韓国語らしき言葉が宮内庁で使われているとは意外でした。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり
161 :
出土地不明 :04/06/05 19:00 ID:uQm3zWJd
まさか天下の(藁)ニューズウィーク様がこの程度のソースをもとに 記事を書いたりはしないだろうと思いますので、他にもっとまともな? ソースがあるのではないですかねぇ。私は知らないけど。 しっかし、「大夫」を「テーブ」と読んだくらいで皇室用語=朝鮮語とは、まさに 恐れ入谷の鬼子母神ですな。ai→e:という音変化は何も朝鮮語の専売特許 ではありません。朝鮮語に限らず、日本語にもいくらでも例が指摘可能です。 江戸っ子の言葉なんか有名ですね。彼等は大根をデーコンと発音します。 この論理で行けば、江戸っ子は全員朝鮮系ってことになりますな。 ま、ニューズウィーク誌には親韓反日の記者が揃っているそうですから、 今回も例によって例の如く根拠らしい根拠もないただの韓国の提灯持ち記事 なのではないでしょうか。 ついでに言えば、京職や修理職、中宮職、東宮坊の長官である「大夫」を 「タイフ」と読まず「ダイブ」と読むのは、五位の位階を持つ者に対する尊称 である「大夫(タイフが普通だがタユウと読む場合もある)」と区別するため とも、八省の次官の「大輔(タイフが普通だがタユウと読む場合もある)」と 区別するためとも言われていますが、前者の「大夫」を「ダイブ」と読むのは 少なくとも中世の頃から続いている伝統的な読み癖です。ご参考までに。
162 :
出土地不明 :04/06/05 19:00 ID:uQm3zWJd
『後漢書』東夷伝でも、奴国の使いが「大夫」と自ら称していることが 記載されていますからね。奴国も邪馬台国も、使いが自身を「大夫」と 称していたことは確かのようです。「大夫」が周代の職名であることは おっしゃる通りで、これは更に上大夫・中大夫・下大夫の三等に分かれ るようですが、秦・漢代には爵位の一つ(第5等)としても使用されていた ことが『大漢和辞典』等の辞書類に記されています。思うに、『魏志』や 『後漢書』の「大夫」は後者の意味で使用されているのではないでしょうか。 これが官職名としてなら倭の使いが自身を「大夫」と称するのはさぞ妙に 感じたことでしょうが、爵位としてなら、中国は古来異民族にもそれ専用 の爵位(子爵・男爵。呉子や許男など、『春秋』で子爵・男爵で呼ばれて いる国々はもともと異民族だったと推定されています)を与えてきた伝統 がありますから、それなりに許容出来たのではないかと思います。 次に、「大夫」の日本における読み方ですが、奴国や邪馬台国の時代 には上古音が使われていたはずですから、中国側は[dad-pιuag] 乃至[dar-pιuo]と発音していたと推定されます。尤も、このような複雑 な発音が当時の倭人(通訳は除く)に出来たとは思えません。上代日本語 においては語末の子音や連母音一切許容されておらず、子音+単母音 の音節乃至単母音のみの音節しか存在しなかったことがわかっています。
163 :
出土地不明 :04/06/05 19:01 ID:uQm3zWJd
また、語頭濁音も擬声語・擬態語の類を除いては許容されませんでした。 当時の倭語もこれに近い状態であったろうと推定されますので、おそらく 倭人は「大夫」を[ta-pu]とでも発音していたのではないかと思われます。 この発音がそのまま定着していれば、「大夫」の読み方はタフになって いたでしょうが、その後呉音や漢音が怒涛のように日本語の中に流入して 来ましたからねぇ。現代の日本漢字音には上古音由来のものはほとんど 存在しないと言ってもいい状態でして、辛うじて推古遺文と言われる6〜7 世紀の文献の万葉仮名の発音として残っているくらいです。そんなわけで、 「大夫」の読みもタフから速やかに呉音読みのダイフや漢音読みのタイフに 置き換えられたものと思われます。東宮などの長官の「大夫」がダイブと フがブに濁っているのは不審ですが、連濁と考えればまぁ納得出来ない こともないかと。
>>162 ここで続けるのはいささか後ろめたいものがありますが・・・・
>奴国や邪馬台国の時代には上古音が使われていたはずですから、
奴国はともかく、邪馬台国の時代が上古音だというのはどこからでてきましたか?
中国語音韻学の森博達氏によれば、邪馬台国の時代(魏志倭人伝の倭語の多くが音訳された時期)は
上古音から中古音の過渡期で、音の変遷は前漢から後漢の間が一番大きいとされているようですが?
ってか倭は今の日本なのは確実なの?
166 :
出土地不明 :04/06/06 10:18 ID:f68Fy/kg
我々が魏志等から想像するシーンは、文明圏から非文明圏の倭との接触である。 しかし実際は、 倭は 中国通士に妄言と思わせる事なく、 1・太白の後 (周の歴史が倭人が知っている) 2・古から大夫という (周代の宮廷知識を持っている) という報告を本国に行わせる事に成功しているのは、 倭が相当な文明的状況であった事を表している。 とくに大夫と称するという記事の意味は、 当時の倭が古代中国との血縁を自ら強調しているというトピックであり、 太白や夏氏少康 ともに、中原から長江下流に落ちて呉越王となった伝説から、 「周王朝からのゆかりか、さらに古く夏王朝からのゆかりか」 とロマンに含みをもたせて、倭人のルーツを報告してるのであろう。
167 :
出土地不明 :04/06/06 10:39 ID:f68Fy/kg
古語拾遺 というAC800年頃成立の 日本の史書がある。(忌部氏) 氏は、天皇家の神事を取仕切家で今も全国の神社に影響を持つ この古語ジュウイツに、興味深い一説がある 「日本の神代の伝説(日本書紀)は、盤古の伝説と似ていて、 今の人には中々信じる事ができないものであるが・・・」 (盤古とは古代中国(夏のころ?) の事である。) 800年頃、日本で尤も古を知る立場でも、古代中国の伝記と日本伝記の 類似性を、不思議に思っているのだ。
168 :
出土地不明 :04/06/06 21:31 ID:lFduylBz
弥生時代というと、卑弥呼の時代はぎりぎり入るか入らないかというあたりですね。 仮に卑弥呼の時代を弥生時代に含めるとしても、存在するのが漢字で記された外国 資料で、しかも固有名詞がほとんどですから、言語資料としては甚だ貧弱なものと 言わざるを得ません。新羅語の場合は、同じ漢字資料と言っても、国内資料であり、 且つ地名語源説を利用して一般名詞を再構でき、且つまたそれを補う吏読などの 資料もありましたからねぇ。3世紀及びそれ以前の日本語に限って言えば、条件的 には一層厳しいものと言えるでしょう。まぁそれでも、固有名詞を解析することで、 「ワ(我)」「ヒ(日)」「ミコ(巫女)」「ヒコ(彦)」「ヒナ(鄙)」「モリ(守)」等、若干の一般 名詞を再構することは可能ですし、借音表記として使用された漢字に[-p][-t][-k] 等の韻尾が付いていないものが多く選ばれていることから、当時の日本語の音節 構造は奈良時代以降と同じ開音節(音節末が必ず母音で終わるもの)であったという こともある程度推定可能ではありますが。 hの音については、「卑弥呼」を「日+巫女」と分析する私の立場から言えば、奈良 時代同様、3世紀の日本語の音韻体系の中には存在しなかったということになります。 日本語の子音で声門摩擦音hに最も調音点が近いのは軟口蓋破裂音kですから、 上代から中古にかけての日本人がhの頭子音を持つ漢字音をカ行音で受け入れた ように、3世紀の日本語においても、kはもちろんのこと、hの頭子音を持つ漢字音も 基本的にカ行音として捉えるべきでしょうね。 ただ、同じh音でも、唇音的介母-u-を含む漢字の場合は、ワ行音を音写した可能性 がありますので注意を要します。5世紀後半の金石文である「稲荷山古墳鉄剣銘」と 「江田船山古墳太刀銘」に見える「獲」の漢字音は[hua]のようなものであったと推定 されますが、日本語のワの借音として使用されていますからね。
169 :
出土地不明 :04/06/06 21:31 ID:lFduylBz
奴国のナの語源については、確かに私は前スレだか前々スレだかで古い一人称 代名詞起源説を挙げたことがありますが、あれはこういう考え方も出来るんだよ、と いう程度のものでして、可能性としてはともかく、実際に私がそれを積極的に支持し ているというわけではありません(^^;。お説のように、「ナ(大地)」に語源を求めると いうのもありでしょうし、奴国の植民地云々はともかくも、半島の地名を構成する要素 として知られるra(羅)やその変化形ya(耶)と結び付く可能性もなしとは言えません。 ただ、所謂「奴国」とそれ以外の「奴」を含むものとは別扱いする必要があるかも知れ ないということだけは申し上げておかなくてはならないでしょうね。何となれば、「奴国」 という表記は他のものと違って一時代前から使用されていたものだからです。 『後漢書』によれば、「奴国」は西暦57年に後漢に使いを送っています。即ち、この 国の漢字表記として「奴」が宛てられたのは57年の話なわけです。一方、「狗奴国」 以下の国名の方は『三国志』魏志東夷伝倭人条に登場するのが初めてなわけです から、これらの漢字表記の成立時期は『三国志』の成立年代から言えば3世紀末、 邪馬台国が魏に使いを送った時期まで遡らせたとしても239年の話です。結局、 約200年ほど「奴国」の方が先行するわけですね。漢字音は時代によって変化し ますから、1世紀の漢字音と3世紀のそれとがまったく同じである保証はありません。 一般に、発音は変わっても表記は固定する傾向が強いことを勘案すれば、「奴国」の 「奴」が上古音[nag]によってナと読めるからと言って、魏志倭人伝の「奴国」以外の 国の「奴」もまたナと読めるとは限らないのです。場合によっては中古音[no]に従って ノと読むべきかも知れないわけですね。もし「奴」をノと読めれば弥奴国=美濃説に とっては甚だ具合がよいということになります。しかしそうすると今度は「卑奴母離」が 「ヒナモリ」と読めなくなって、「鄙守」説が破綻してしまうことにもなりますが(^^;。 ことほど左様に魏志倭人伝は扱いが難しい資料なのであります。
170 :
出土地不明 :04/06/06 21:34 ID:lFduylBz
>>129 から170のほとんどは完全にスレ違い。レスも遠慮お願いします。
他の歴史系板でスレを立てて討論して下さい。
もう夏ですねぇ・・・夏の実在が証明されると面白くなりそう。
172 :
出土地不明 :04/06/07 04:52 ID:Rj3OEJnP
多少、回り道だが 殷夏につながるよ。 ネタとして、傍流だがこの際仕方ないだろ。 例えば魏志は、夏氏少康の流れを倭人伝に掲載してるだろ
夏后少康之子封於會稽斷髪文身以避蛟龍之害 「流れ」ね…物は言いようだ。太夫クンは倭人伝のこの辺りが好きみたい。 釣られてゴメン。もう自らあぼ〜んするよ。
174 :
出土地不明 :04/06/07 08:38 ID:Rj3OEJnP
>>173 まてまて早まるな
だって、前レスに夏后少康の話ないのは、夏殷スレとしておかしいでしょ。
夏で尤も有名な話でないの?
>>172 呉越の系譜を裏付ける考古学的事実はないし、
そもそも昔から全く信用されていない。
回り道どころかこのような飛躍が必要。
ってかさ、長江文明スレでも似たような論陣張ってた人でしょ?
そういうのまとめて「華南と倭の関係」ってなスレでも建ててくれ。
176 :
出土地不明 :04/06/07 18:07 ID:BcKKjLX0
>>175 はあ?
呉越とか長江とか、なんで出てくるのか分け判らんのはこちらの方です。
太白や大夫の話は周と倭をつなげる話なのであって、
呉越などはどうでもいい話。
長江文明なんて全く関係なし。 被害妄想なの?
夏后少康もまた、倭と夏をつなげるな話なのであって、
経由地の呉越など、このスレと何の関係もない。
まあ、伝説だけで論じるなら可能性じゃなく妄想だな。
>>176 あなたの語りたいテーマは面白いと思うけど、
2段の詐称である「倭人の自称」だけを根拠に
ここで論陣を張られても迷惑です。
ここは二里頭、偃師商城、鄭州商城、殷墟といった
夏商時代の考古学を語る場所なんで。
>>173 が言いたいことはこうだよ。
夏の少康の子が会稽に封じられたが、その会稽の住民は髪を切ったり
刺青をしたりして水中生物からの被害を避けるという描写があるのみ。
別に、少康の子がそんな風習に従ったとは書かれてない。
ましてや、少康の子が倭人と血縁関係があるなんてどこにもない。
風習が似てるから会稽の例を持ち出しただけ。
そんなに倭人を語りたいなら日本史板にスレを立てた方がいいよ。
伊尹って実在したんスか?
181 :
出土地不明 :04/06/08 10:58 ID:WJ6QpsLe
>>179 倭人との関係があるなんてどこにもない?
夏朝の呉に渡った王子をワザワザ登場させて、倭人の特徴とリンクさせ、
彼らが大夫を名乗ってる事を紹介して・・・
でも関係を表現してないってどういうこっちゃ?
古の周や夏のころの絶滅民族を倭人とダブらせた、ロマンの記述だろ。
漢のころには、大陸には倭人の俗習はないので。
もし仮に、倭人のルーツが夏や周の華北系なら、
夏や周の、占政や治水や王政の名残が、
卑弥呼の記述や天皇家の古いしきたりにないかを推測するのもオツだろう。
太夫君はなぜそんなに必死なのか。
プライドが邪魔して自分の論理の欠陥を認められないの。 学問に向かないやつっているんだよ。
まあ、太夫君のおかげでこのスレが生き返ったと思えば…。
>>180 甲骨文で祭祀の対象となってるので、まあ、実在したんじゃないかと。
185 :
出土地不明 :04/06/08 13:25 ID:7QrFuXiU
古今東西、文化の僻地を見て古の慣習を探り古に浸るもの 魏志倭人伝の主旨は、倭人風習をネタに古の中国の姿を想像してみたりしてという 漢代の中国人の考古学的エッセーのようなものなの そんな、漢代の中国人のオツな文章を肴に、周や夏を語るつもりが、 長江起源説オタといっしょにされたら、腹も立つな
186 :
出土地不明 :04/06/08 20:49 ID:Uhlu9si6
正解。 単に陳寿の個人的意見が入った伝聞録。
187 :
185 :04/06/08 21:34 ID:7QrFuXiU
>>186 賛同してくれてありがとう。 でも俺が大夫くん何だが・・・
誤解が解けたということかな
ひとりの分かり易い輩のお陰でスレが活発になってきましたね
189 :
185 :04/06/09 07:52 ID:JpvsZzQa
まあいいや、 魏志倭人伝伝えるところ(または陳寿の見解)をそのまま信じると、当時の倭には 古の中国とのかかわりが深そうである。なんせ 自称大夫である。 であれば、生きるガラパゴス天皇家の姿に、周の時代以前の 王朝の姿を発見できるというものである。 太白の後裔ならば、先日発見された周王家の墓は天皇家の祖先の墓である 可能性もある。 少なくとも太陽信仰や神政・祭祀など夏や殷や周などの なごりが天皇家に残ってる可能性もある。 中国古来の封神の儀式は山頂に社を設けておこなうが、日本の古神社に それを見る事ができるかもしれない。 というネタである
禹は帝位を譲られた立場なのに、何で夏の祖になるんですか? 以前から集合体自体はあった、ってことですよね? 譲った人は帝なのに、なんで夏は王朝なんですか? それまでは神がかった人で、禹から人間になったんですか? 舜も、少なくとも家族はDQNな人間 丸出しだし、逆に禹の奥さんは人間とは思えませんが?
>>190 王朝っていうのは王家の血筋によりその王位・帝位が受け継がれていくもの。
だから、血統とは関係なく優秀なものが帝となるたてまえの禹より前は王朝ではないってことかな。
王朝かどうかの目安のひとつに「太子」がいる事が判定になるかな。 血統による次期後継者の意味ある訳だし>太子の存在 この基準を厳密にすると、禹の子、啓が夏の祖になってしまう。 夏本紀を読むと、禹→益→啓の順になっている。益は三年で啓に譲ったようだ。
なんだか儒家の理想と王家の神格化が主張しあった末の、妥協の産物みたいなお話ですね。
>>192 その3年は喪の期間だから、何もしないうちに、ってことでしょう。
啓は明らかに他の夏の諸王とは別格の扱いを受けている。 山海経とかではその傾向が顕著。 啓を祖とする夏王朝の伝説と、堯舜禹といった神々の神話があって、 それが益と啓の説話でもって結ばれてるのでは、って気もする。 ところで、二里頭に匹敵する規模を持つ龍山文化後期の都城遺跡で、 付近が堯の伝説の地である事から、 堯の都城かと噂されてる陶寺遺跡についてどう思う?
196 :
出土地不明 :04/06/09 19:51 ID:B78Zv5s9
世界遺産で玉龍山見たけど、いいねぇ。
雲南省、納西族、玉龍雪山・・・ 夏・殷となんの関係が???
198 :
出土地不明 :04/06/10 01:34 ID:cYNg1Gd9
黄帝の姓は、公孫 堯の姓は、伊キ って、元は何の出典か判る人いますか?
なんだか世襲=王朝って話がしっくり来ません。イエ、定義自体には異義はないんだけど。 夏王朝は、(伝説の)最古の王朝とは言っても、その意味合いは、実は最古の国家形態、ってこと だと思っているからだな、だから五帝の話も奇怪に感じられるんだ。 もともと三皇五帝の話っていうのが、夏を尊崇していた墨家に体する儒家の対抗手段、と言うか、 両家でエスカレートさせた話、という説があるそうで、だとしたら元々は啓を夏の始祖とする話が あって、優勢に立った儒家が、そこに堯、舜、禹の禅譲の話をひっ被せてしまった、ってことも あるんじゃないの?、とか思うのですが、どうなのでしょう>詳しい方々
> 黄帝の姓は、公孫 『史記・五帝本紀』が初出だと思う。 黄帝の姓は「姫」というのが一般的で、こちらの初出は『国語・晋語』。 漢人の始祖として崇められている黄帝の姓が「公孫」じゃ、 どうにも意味をなさない。 前漢代に帝室に取り入って、五行説や黄帝神話を盛んに 吹き込んだ方士が斉・魯の公孫氏だった。たぶんこいつらが 自分の家系に箔をつけるために作った話でしょう。 黄帝神話の形成過程は複雑で、いまだにすっきりした定説はない。
> 堯の姓は、伊キ 晋代の『帝王世紀』まで下るかもしれない。 実際は、西周武王が堯の後裔を探し出して「祁」に封じた、 というのが由来だと思うけど、これの初出は何かな?知らない。 この手の話してもなかなか「考古学」まで行かないから、世界史板の 三皇五帝スレでやった方がいいよ。
>>199 三皇五帝が伝説なら、架上説は仮説。
どっちを信じすぎるのもよくないかと。
龍山末期の都城群の発掘が三皇五帝まで話を持っていけるくらいの
成果を挙げる事を期待しておきましょう。
山西の陶寺遺跡は堯の遺跡だとか、 遼河流域の紅山遺跡群は黄帝の遺跡だとか、 最近の中国考古学はいいかげんなトバシ多すぎ。
大風呂敷を広げて発掘の予算が確保できるなら、三皇五帝も大いに結構。 そもそも、日本だって似たようなものだろうが。
第二の藤村も大いに結構、ってか 日本の考古学って終わってるね
>>184 甲骨文ってことは、王朝公式の記録、ってことだよね?それしか発見されていない
はずだし。臣下の分際で官製の祭祀で祭られていたってこと?
そんなことあり得るの? 介推だって関羽だって、祭ったのは民間でしょうに。
もしかしてあれじゃない? 天神様パターンで、実は恐れられて祭られてたんじゃ
ないの? たしか、4代目を追放するか何かしてたよね。あれってやっぱり当たり前
にクーデターだったとか。
さもなくば、大政奉還が見せかけで、実は5代目は伊尹の息子だったとか。4代目
も伊尹より先に死んでいるよね。
>>204 大風呂敷を広げまくって、実際に予算がついてる
「ムー帝国の遺跡=与那国海底遺跡」なんかは
大いに結構なわけだ。
>>205 捏造と大風呂敷は話が別なんだが。
中国の考古学者が捏造をしでかしたとは聞いたことないな。
>>207 村おこしで予算がつくからね。考古学は強い。
209 :
出土地不明 :04/06/12 08:16 ID:JwMKIFnj
http://www.clash-j.net/memo/korea02.html 韓国国宝274号事件
黄某(海戦遺跡発掘団団長)による、遺跡捏造事件
92.9.4に指定された国宝274号は(95.6月)捏造が発覚。
その後、彼による遺跡捏造が次々発覚
韓国国宝274号事件は、国宝指定のための鑑定はなんと30分しか行われず、韓国歴史学会を
代表する錚々たる学者で構成される文化財委員会において、引き揚げ後わずか4日で国宝
指定が議決されていたことが発端。国家ぐるみである。
韓国は国家ぐるみで捏造ですね。
>>206 伊尹は、商王家の神官の祖として祠られていたらしいよ。
大乙(湯)と伊尹の名前が一緒に刻まれている甲骨片もあるそうな。
>>210 神官ですか。その伊尹は何から御神託を受けていたんですかね?
普通に鬼神とか水神とかって話だとロマンがないなぁ。
212 :
出土地不明 :04/06/12 19:34 ID:NmOnZhlC
特に長野県では差別戒名の種類が多く、「畜」「賤」「ト」「草」「朴」「僕」「非」「革」「鞍」「似」「皮」「栴陀羅」「婢」「隷」 などの文字が使われ、なかには「穢」という字の入った墓石もあり、「庭男」と書かれた戒名もあった。
213 :
出土地不明 :04/06/13 13:30 ID:f2ECW5gD
伊 のつく姓 って 日中とわず 神話系に多いのは偶然なのかなー・・ 漢字の根源だとなんだろ
>>211 商(殷)に関する本ならどれでも書かれていることだけど、
卜占でお伺いを立てる相手は、主に「帝(上帝)」。
特定事項の卜占では、それぞれ担当の諸神にお伺いを
立てる場合もあった(たとえば、雨乞いの日取りについて
雲の神=帝雲にお伺いを立てる、など)。
王朝後期には祖霊を帝と同一視するようになり(実際は
王系に帝を取り込んだ)、ついには王自身が帝と称する
ようになってしまう。
215 :
出土地不明 :04/06/15 06:13 ID:8yRxt4rV
>>206 > 臣下の分際で官製の祭祀で祭られていたってこと?
『楚辞・天問篇』と同じこと言ってら。
二千年たっても人間の考えることって変わらないのね。
『孟子』『尚書・太甲(偽古文)』『史記・殷本紀』では、太甲は素行不良で伊尹に追い出され、 3年後に反省して復位したことになってるが、『古本竹書紀年』では7年後に伊尹を殺して復位 したことになってる。伊尹の息子二人もグルだったらしい。 『尚書』『史記』の聖人君子話よりもリアリティがあるね。まあこの辺の話はどれがホントか わからんけど。
>>216 おお、それなら、
伊尹のクーデター→伊尹を討ち取って復権→天変地異か何かで伊尹の祟りを恐れる
→伊尹を祭る
のパターンがあるかもしれない。けど、中国に死人の祟りとか言う考え方あるのかな?
>>216 なんだか、夏初の[綻と寒促を連想させる逸話だ
[廾]
西周の脂、が追放された共和時代の話がオリジナル かもしんないね
商の先王の名前と夏の諸王の名前の類似性を指摘して、 商は自らの系譜の上に夏の系譜を無理矢理組み込んだのでは? という説があるらしいですね。さてはて。
221 :
出土地不明 :04/06/16 15:50 ID:2ASZarib
>>215 屈原と同じ感性!
というより、やっぱり当たり前の疑問だよな。
>>220 であれば、伊尹は実は前時代の人であり、臣下を祭る、という不自然さは弱まる、とも考えられますね。
>>217 伊尹の祭祀に関する卜辞は数が少なく、怨霊として特に恐れられていた
という証拠は今のところない。古典史料でもない。まあいろいろ自由に
想像するのも楽しいけどね。
>>220 陳夢家の説ですな。
「夏王系と似ている」といわれる商王遠祖(先公)は、もともと自然神で
卜辞では王系に結びつけられていない。これが夏王系からの
借用とは考えにくい。
自然神を王系に取り込む時点 (時期は『史記』以前のいつか)で、
夏王系を参考にした可能性はあるかも。
逆の可能性もある。夏王系完全版の初出はたぶん『竹書紀年』で
商王系の出現よりも時期が後、それ以前は断片的にしか伝わっていない。
『史記』がネタにした史料ができるころに一部混同が起きた
可能性の方が高いんじゃないかな。「夏の履癸」=「商の示癸」、
「世代数が14世代で同じ」あたりは、どっちかが真似したかもね。
225 :
出土地不明 :04/06/21 02:07 ID:XymYj2km
226 :
出土地不明 :04/07/04 10:31 ID:ykh8LTlv
age
227 :
出土地不明 :04/07/09 23:10 ID:IqaPOeGu
中国文学科教員 問題言動集(1) N.S教授・・・・・授業中に、 「人間は働かなくても生きていける」 「(自分のことを棚にあげて)中国語学科の学生は 常識が無さ過ぎる」 「一般教養など必要ない」 「セクハラというものはその行為を行う本人に 悪意が無ければセクハラには当たらない」 「大学教授は世間を知らなくて当然だ」 etc迷言多数 H.T教授・・・・・授業中に当時の総理大臣の暴言を擁護した。 数年前まで、 「中国のことなんか本だけ読んでいれば全部分かる。 だからわざわざ中国まで行く必要などない」 と豪語していたはずなのに、 大学の仕事で実際に中国に行った途端に、 「本に書かれている中国と実際の中国は全く違う。 だから皆もできるだけ早いうちに実際の中国を 観ておいたほうがいい」 と主張を180度転換させた。 試験を受けなかった学生に「B」評価を与えた。
228 :
出土地不明 :04/07/09 23:10 ID:IqaPOeGu
中国文学科教員 問題言動集(2) W.Y助教授・・・・同じく授業中に、 「第123代天皇は精神異常者」 「N.K(D大名誉教授)、F.N(T大教授)、 H.I(N大教授)、I.S(作家・都知事)、 K.Y(妄想漫画家)は人間の屑」 Y.Y助教授・・・・退学願を提出した学生に、 「私の言う通りに行動すれば、君の主張が 通るように私が裏で話をつけておいてあげよう」 という内容の取引を持ち掛けた。 以上のように、中国文学科はキ○ガイ教員の巣窟です。 これから大○文化に入学・編入を考えている皆さんは、 中国文学科にだけは絶対に出願をしないようにして下さい。
229 :
出土地不明 :04/07/20 22:21 ID:JntHs64I
230 :
出土地不明 :04/07/21 23:13 ID:agHuFbAS
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ シコ (@∀@/"lヽ< オマイラ全員駄目人間!オマイラ全員駄目人間! /´ ( ,人) \__________ シコ ( )手塚 | | \ \__, | ⊂llll \_つ ⊂llll ( ノ ノ | (__人_)\ | | \ ヽ
232 :
出土地不明 :04/07/24 19:22 ID:DXi85X+q
>>232 > 「酒池」は実在した?=殷遺跡から、「史記」と酷似−中国
池らしきものが見つかっただけで「酒池?」って短絡的すぎないか?
まして、偃師商城って商代初期の遺跡とみられてるんでしょ?
紂王とは関係ありそうにもないし、第一「酒池」の話は『呂氏春秋』
以前には現れない怪しげな話なのに・・・。
最近の中国古代史学・考古学は、史料批判がおろそかすぎないか?
マスコミが読者受けするような事書きたててるだけじゃんか。
それとも、
>>233 は中国古代史学・考古学界の関係者で、
その実情を目の当たりにして真剣に憂えているとでも言うのか?
235 :
名無しさん@社会人 :04/07/24 22:56 ID:bFwDIUjs
237 :
出土地不明 :04/08/10 12:31 ID:VSXbjV9+
城壁って横山漫画に出てくるような立派なやつじゃないよね?
殷周時代はまだ版築が主流でしょう
239 :
出土地不明 :04/08/10 21:35 ID:7CKG2Bev
241 :
出土地不明 :04/09/15 01:38:08 ID:FcmbLe19
「もう夏もおわりだな」
242 :
出土地不明 :04/09/19 23:47:37 ID:DIadvSSv
岡村さんはどーなのよ・ 殷墟に行ったけど、新しく公園みたいになってつまらん。 青銅器も全部レプリカだし。
243 :
出土地不明 :04/09/28 01:44:20 ID:pr/2sM9n
殷廃の近くに城の瓦とか売ってないの? 中国の歴史故地って万里の長城みたいに与太商売やってる人多そう……
244 :
X?X :04/10/10 01:20:57 ID:l3fwLmfr
また中国で夏の時代の遺跡が出たとかいっていたが、何回夏の時代の遺跡発見といっているのだろう。 何回も発見とか言っているところを見ると、何回も否定されているのかな 何を持って夏の時代と断定されるのだろうか? 何が出てきたら確実だとされるのだろうか? これが邪馬台国だと、親魏倭王の金印がどこかの古墳から出たら確実だということにされるのだろうが 誰か教えて
245 :
出土地不明 :04/10/10 07:07:51 ID:kLCyzCjl
> 何回夏の時代の遺跡発見といっているのだろう。 そりゃたくさん出てくるからだよw ただし「夏王朝の遺跡」と証明できたものは一つもない。 たいていはせいぜい「夏時代の遺跡」と言える程度。 「夏時代」とする根拠は、土器の編年とか炭素年代測定だな。 最近は断代工作で「夏時代=2070BC〜1600BC」という 年代がかなりいいかげんに国家的に決めてしまったから、 今後ますますこの時代の遺跡を「夏時代=夏王朝」と ホラ飛ばす連中が続々と出るだろう。
246 :
出土地不明 :04/10/10 12:20:32 ID:Uj2MJcf4
>>245 やっぱり、日本の弥生時代の環壕集落に、邪馬台国傍の21カ国だかを
当てはめているようなもんなわけね。
どうしても文字資料がないんだから、それしかできないわな。
しかも、後の中国の伝統とは違う、焼き肉大好き民族だったわけでしょ、
えっと、二里頭あたりの人たちって。
じゃあ、殷虚の商の人たちとも無関係だったりして。
とすると、中国の文明は「文字以降」として、商代後期以降が歴史時代
なら、メソポタミアよりは、2000年も遅れて、線形B文字のギリシア
よりも遅いかもしれない。これのどこが、四大文明なのか、って思う。
#べつに、三内丸山を古代文明にしろとはいわんが。
247 :
出土地不明 :04/10/24 17:04:49 ID:ToPZJLQD
248 :
出土地不明 :04/11/14 10:03:59 ID:vFg9Qkhy
ほとんど真面目な議論ないのは残念だが 今後の証左研究の進展を待つとするよ
249 :
出土地不明 :04/11/14 10:54:23 ID:Ahet2Lpf
>>248 もうマトモナ研究結果を期待するのは無理かもね。
大学の研究室や研究所は朝鮮系の帰化人で牛耳られている。
ちなみにマスコミも宗教もね。
250 :
出土地不明 :04/11/22 00:59:56 ID:Bx/fNlxT
>>245 二里頭文化の遺跡だから夏の遺跡と言ってるのだろうが。
>>246 商とは別の民族の遺跡だから夏の遺跡だろうと言われてるわけで。
元々は、二里頭を商の遺跡とする説があったが淘汰された。
251 :
出土地不明 :04/11/26 21:01:13 ID:KqBemYtX
> 商とは別の民族の遺跡だから それは根拠は何?思いこみと違う?
252 :
出土地不明 :04/11/27 02:03:02 ID:Tk5/ajgP
>>250 251とは別人だが。
なんで「二里頭文化」だと「夏」の遺跡になるの?
253 :
出土地不明 :04/11/27 13:48:16 ID:JAIEHZ2J
254 :
出土地不明 :04/11/28 00:45:15 ID:TWAF+WgI
>>253 だからそれが夏だと断定できる根拠は?
殷以前の遺跡=夏とは限らないのでは。
255 :
出土地不明 :04/11/29 00:00:02 ID:zNWC0tIY
誰も断定してないんじゃないの。 断定してるバカを見つけたら、ソース貼れ。
256 :
出土地不明 :04/11/29 01:35:17 ID:NyWGR8sN
257 :
出土地不明 :04/11/29 16:00:11 ID:zNWC0tIY
> 夏の遺跡と言ってる →なんか断定っぽい > 夏の遺跡だろう →なんか断定ぽっくない 言葉尻捉えてあげつらっても、建設的な議論にはならないという 典型的な事例。
258 :
出土地不明 :04/11/30 01:08:54 ID:c4fWpzSF
言葉尻にまで気をつけて発言するようにすればいいじゃん。
259 :
出土地不明 :04/12/04 20:53:57 ID:J1eD0omc
>>255 主語を意図的に誤読して難癖をつけるわけですな。
ご要望にお応えしてきちんと書き直してやろう。
新聞が「夏の遺跡発見」と報ずるのは、
発見された遺跡が夏と推定される二里頭文化に属するからだろう。
それより、魅力的な対案はまだですか?
260 :
出土地不明 :05/01/15 18:58:06 ID:corUfJdW
261 :
出土地不明 :05/01/15 23:33:00 ID:q0gy7H/z
>>260 読んだよ。面白いよ。
ただ、なんといっても、文字(甲骨文字でも金文でもいいけど)が
出てくるのは、殷虚からだからね。殷虚以前に、王都といってよい
遺跡がいろいろある。で、そのうち、いっちゃんでかいのを、年代
順にならべると、殷虚の前に、殷前期のものがあるとかで、その前
は、夏だろうってことだよね。それだけ。夏時代とされる遺跡では、
住民はみな焼き肉を食べていたらしいよ。その後、蒸しものに変わ
るとか。
まあ、甲骨文字の発達は、殷虚の段階で、すでに十分に発達した、
音節文字になっているので、それ以前のはずだが、その系譜にあた
るものが、見つかっていないのが問題だね。まあ、たぶん、殷代
前半にどこかで起こったのだろう。
ところで、エジプト文明は、紀元前3000年ごろの「ナルメル王」
というのが文字記録の最古のもので、これがエジプトの考古学的に
みた歴史時代の始まりってことになっているが、でも、そのナルメル王
は、ギリシア語でミーニュスとか伝わっているのと同一人物ではと
いわれていて、だとすると、この王は、上ナイルと下ナイルを統一した
王だということになる。だとしたら、紀元前3000年よりもずっと
前から、エジプトには王朝が存在したはずだ。そのことは、確実だが、
だからといって、紀元前3000年よりも前の、新石器文化の遺跡を
初代エジプト王朝だ、とか、これが上ナイルの王の都市だ、とか
いうことは、ないと思うんだ。だから、やっぱり夏王朝ってのも、
文字記録が出てこない限りにおいては、たんなる新石器時代、あるい
は銅石器時代の文化であって、歴史時代には入らないと思うよ。
262 :
出土地不明 :05/01/15 23:40:18 ID:xOS5QtoO
>>260 中共の愛国主義政策に追従した断代工作に何か言いたげなのに
奥歯に物がつまったような書き方してるのが一部気にくわない。
263 :
出土地不明 :05/01/19 10:22:48 ID:nAAs6sxk
>>261 青銅器の出てる二里頭遺跡を新石器だの銅石器だのとはねぇ。
264 :
出土地不明 :05/01/19 23:27:18 ID:oJbTtWQ0
>>263 じゃあ、青銅器時代か?
青銅器時代は歴史時代っていう認識があったもので。
ちなみに、エジプト文明も、古王朝時代は銅石器時代か、
あるいは、単なる新石器時代だけどね。文字もあったし、
広大な土地が王によって支配されていたことが明らかでは
あるが。まあ、あそこは青銅器はなかったからな。
265 :
出土地不明 :05/01/19 23:42:41 ID:+wDiiJ/T
新石器時代だの青銅器時代だのという区分に今どき意味があると本気思ってる?
266 :
出土地不明 :05/01/19 23:59:38 ID:oJbTtWQ0
>>265 思っている。っていうか、この板では、邪馬台国問題から、
ヨーロッパ系の話も、ネアンデルタール人も人類600万年も
全部相手にしているからね。時代の切れ目は大事だよ。
たとえば、現代は、全世界的に鉄器時代以降なんだよね。
アフリカの狩猟採集民も、みな鉄器時代に突入している。
これはすごいことだ。
267 :
出土地不明 :05/01/20 20:13:56 ID:/g5Ggng2
>>264 >>266 ならば、先史時代、と訂正してもらう事にして。
夏を先史時代と分類する事に異存はないが、
商の武丁の時にすでにかなり完成された形となっていた文字が
どの程度歴史を遡るものなのかは全く謎のまま。
夏を先史とするのは、しょせんは機械的な分類であるという事は忘れてはならない。
268 :
出土地不明 :05/01/20 22:03:47 ID:Ffgtb1Qd
>>267 甲骨文字(あるいは金文も含めて)が、どういうものなのか
は非常に難しいですね。周代になっても、どうやら文字の伝統は
一部の人たちの門外不出のような伝統があって、周王の工房だけ
で、文字入りの青銅器が作れたようなところがある。
殷代でも、甲骨文字が出るだけで、一般的に利用されていたとは
思えない。だとすると、ものすごい少数のひとだけがそれを作り、
つかっていた。エジプトあたりが、碑文やらなにやらで大々的に
つかっていたのとは違うようです。
シュメールの文字は、トークンから始まって(新石器時代にすで
にはじまっているらしい)、経済的な記録として発達したので、
おおくの商人、交易人たちも、また農民も部分的につかっていた
ようで、逆に、王の偉業を伝える碑文のようなものの発達が遅れた
部分があります。非常に普及していた。だから、文字もいろいろな
民族が使うようになり、広まった。エジプトは、どうやら、王様
の偉業を記録するためのもののような感じがして、でもすぐに
一般的に広まっていった。「二日酔いで休暇」なんて記録が、
ピラミッド作りの職人たちの勤務記録に現れたりするわけで。
中国はそういうことがないようです。じゃあ、少人数だけで、語り部
的な存在だけが、文字を管理することができるか、っていうと、
現代の例では、トンパ文字なんかがありますね。まあ、これは、漢字の
影響がありますが。
269 :
鷂 ◆53cmjHPmWw :05/01/21 02:40:22 ID:NvYesMed
甲骨文には5つの段階があって、 王の交代と同時に、易者や書記官までもが入れ替わる「断代」現象が見られます。 先王の呪術団は追放か殉死かしたのかもしれません。 その間に次王の呪術団は、何らかの形で教育訓練を受けていたのでしょうかね…。 あと、金文の銘をたぐると、商末あたりから「私は功を立て、王より褒美を受けたので金の器を作る」 という文言が現れるので、諸侯のオーダーに応える職人集団も増えてきつつあったろうなと思いますよ。
270 :
暇つぶしにみてます :05/01/27 12:19:31 ID:akKjRbFd
漢字は表音文字としての性格と、 (方言ごとに実現が違う 抽象的な音素かもしれない、 アルファベットのR音みたいな) および指示=シンボルとしての性格 (これは完全に抽象)が基本。 いまでも、 へん+つくりのように両者を 合わせたものがほとんどとか。
271 :
暇つぶしにみてます :05/01/27 14:26:47 ID:akKjRbFd
(話の流れが強引かなー) 感覚と反応と言語は 基本概念の時点で もうちがうと思う。 基本文字、辰と申と辛の音声的代用は 同義ではなく競合問題が回避可能と推測。 ※以下は同じ理に依り分業されるかも、の 参考。義を定めそうな文脈。定義もどき。 「分業」はたぶんある。=発音が同じでも、 「表現」時に「競合」を避けられる「はず」。 視覚空間的後頭葉的処理系は使用中。 辛は言語や辞など。定義・構造系「自我」 義務と権利のような相互の「裏」。疑? 総合なら連合野。ドライな印象は言語で 同じ側頭葉を使う湿量処置系との競合?
272 :
暇つぶしにみてます :05/01/27 14:27:41 ID:akKjRbFd
伸長など蓄積・力量系は上位互換性による 情報取捨評価選択の申=バネ。音・振動・ 繰り返し=閉路=記憶「表現・参照の自己」 大小比較=湿量=容器。側頭葉〜海馬? 辰、分類上の混乱が義を定める文脈なら、 感覚経験集合操作処理(人格等)の主役 近接性と推定。辛さなど味。「焦点の自身」 前頭葉〜嗅脳。頭頂葉前側の担当分も? ⇔中国は戌=記述計算の乾量(1≠0.999…) 座標・位取り記数法。分(ぶん)。「分離可能」 並列化可能=回転や移動等空間処理向き。 「所与・責任の自分」頭頂葉、特に後部…? ヅラだけがあった(独立・一致=離散距離系) 頭髪は混然と地肌を覆ってた(図と地の競合) はげ=領土宣言(参照・位置指示・対比対照) ⇔残るじげ(地毛)(表裏=依存・疑問と解決) ※危険なので直接引用はしてませんw
273 :
暇つぶしにみてます :05/01/27 14:32:21 ID:akKjRbFd
あやしいぜんていのうえのけつろん: 商のうえが辛だとしても痛い話にする 必要ないとおもわれ。 ・・・しゅみ? 商業取引・経済収支などの記録に使う 文字体系が多くの民族を一つにしたかも くらいでいいのでは。 アルファベットほど発音などの具体に 結びついていないだけで、歴史は同様 というわけ(より政治的統治的としても)
274 :
出土地不明 :05/01/28 01:41:52 ID:4PWKgNM8
>>269 まあ、トンパ文字みたいなものだったわけですねぇ。
普段、どうやって、練習していたんだろ?
「英雄」っていう映画では、砂の上に字を書いていたけれど。
甲骨文字は、原則、象形文字っていうよりは、かなり音節文字
に近いです。当時の漢字音は、非常に複雑で、しかも、屈折が
あったようなので、音節の数も大量にあったはずで、そうなると
文字の数も、必然的に増えて、結局、意味と文字が強く結びついた
ために、そこから、逆に表意的な意味が増えてきたと思うわけです
が、ただ、金文などの文字をみると、白川説のいうのも正しそう
な感じがしますけれど、うーん、本当かな。
275 :
出土地不明 :05/01/29 14:06:28 ID:RPGOQ9tP
史記では殷は衰退して周に滅ぼされたとされているが、しかし実際に殷の遺跡を幾ら調べてもその時期に殷が衰退した根拠は見出せない むしろ繁栄を裏付ける根拠ばかりが見つかるそうだ。 そのことから殷の衰退は兵力の中核だった異民族の兵士達が周に呼応して反乱を起こしたからだとも言われている。 兵士達にしてみればどんな手柄を立てても奴隷のままだし。 それどころか何かあれば生贄にされて首を刎ねられる。そんなのはたまったものではないから反乱したのだろうってことだけどさ。。 本当のとこはどうだろうね? 史記が正しいのか研究からの推測が正しいのかだ。 私は司馬遷が基本的に好きなんだけどね。彼のおかげで日本では神話でしか伝えられない時代のことがかなり正確に伝わっているのだからな そんな偉人を疑いたくはないのだけど
276 :
出土地不明 :05/01/29 14:43:00 ID:d2c/RkFP
>>275 殷(商)の王の系図の類は、史記と、甲骨文字の解読によるものが、
一カ所をのぞいて、同じだったとされているので、たぶん、しっかり
はっきり残っていたのだろうと思う。ただし、文化人類学などの研究
でも、系図は口承でもかなり残るとされている。世代の数などはまち
がえにくい。それぞれが、自分の先祖をしっかり暗唱している場合が
ほとんどだ。20世代くらいなら、かなり記憶できるらしい。
ただ、エピソードは残りにくい。
殷(商)における文字使用は、かなり限定的で、占いとか、そういうの
が主体。あるいは、青銅器に書き込むとかが中心っていうのが一応の
考古学的な成果で、まだまだ、木簡や竹簡の類がみつかっているわけ
ではないので、そこから考えると、普段の行政文書などがどれだけ
あったのかっていうのが疑問。記録も限定的だったとすれば、1500
年くらいの時間で、物語はいろいろ付加されていって、伝説のように
なり、当初の殷周革命のありようとは違うものになっていたと思う。
つまり、史記は、伝承をかきあつめたものではあっても、けっして、
記録をベースにしたものではないと思うのだ。
277 :
出土地不明 :05/01/29 15:48:54 ID:QChyFyXT
殷周革命のエピソードは殷側じゃなくて周側に残った 文書がネタ元でしょう。後に尚書にまとめられたような。 殷時代のエピソードは宋にけっこうあって、後に散佚したん じゃないかな。
278 :
出土地不明 :05/01/29 18:49:44 ID:RJStC5J3
司馬遷で思い出すのが、五帝や黄帝を史記にいれるかどうか 迷った話。黄帝信仰がある土地を訪れると、明らかに中華文明としての 類似点が見られ、他の土地にはそれが無い。 よって黄帝の話は何らかの歴史的事実を反映したものと 推測される、と。
279 :
出土地不明 :05/01/29 18:54:29 ID:fGmee6aU
黄帝神話なんて戦国時代より古い史料はない。 五行説ができてからの話だよ。
280 :
出土地不明 :05/01/29 23:07:29 ID:/P+BPg5A
>>275-276 史記の古い所はほとんど尚書春秋国語その他の丸写し。
司馬遷に文句を言っても仕方ないかと。
>>279 今の黄帝説話は戦国時代発祥かもしれないけど、
黄帝自体はそれ以前からいたようですが。
281 :
出土地不明 :05/03/09 17:18:11 ID:t4DhteGG
巛彡彡ミミミミミ彡彡 巛巛巛巛巛巛巛彡彡 r、r.r 、|::::: | r |_,|_,|_,||:::::: ⌒ ⌒| |_,|_,|_,|/⌒ -="- (-=" ぁぁそうでっかそうでっか |_,|_,|_人そ(^i '"" ) ・ ・)""ヽ なるほどね・・・ もうかって仕方ないよ。 | ) ヽノ |. ┃`ー-ニ-イ`┃ | `".`´ ノ ┃ ⌒ ┃| 人 入_ノ´ ┃ ┃ノ\ / \_/\\ ┗━━┛/ \\ / \ ト ───イ/ ヽヽ
282 :
出土地不明 :05/03/10 06:51:55 ID:qmkpOU0/
「夏」の前は、当然、「春」だろう。
283 :
出土地不明 :05/03/10 07:45:50 ID:+SWEn+EK
>>280 黄帝は普通名詞。いろんな地方のいろんな神がごっちゃになってる。
284 :
出土地不明 :2005/04/06(水) 00:13:47 ID:LVmUlu/A
>>282 残念ながら、「春秋時代」は、周の途中からだ。
285 :
出土地不明 :2005/04/08(金) 19:12:13 ID:D1HVGLIw
あとは冬だけだな
286 :
出土地不明 :2005/04/10(日) 16:18:57 ID:2fryJQsl
殷の王の宮殿ってどんなのだったの?
287 :
出土地不明 :2005/04/13(水) 16:04:23 ID://cYlEZ7
歴代の中国王朝の宮殿と変わりなかったようです。 更に夏と仮託されている遺跡も中華文明の類似点ありまくり。
288 :
出土地不明 :2005/05/06(金) 12:13:56 ID:7zGJmppl
系図を希望
289 :
出土地不明 :2005/05/06(金) 14:43:08 ID:7ubV5sd9
史記でも読んだら?
290 :
出土地不明 :2005/05/13(金) 01:26:03 ID:voKDJyRn
禹━━啓━┳太康 ┏不降━━孔甲━━皋━━発━━履癸 ┃ ┃ ┗仲康━━相━━少康━━杼━━槐━━芒━━泄━┻?x6243;━━?x53aa;
291 :
出土地不明 :2005/05/15(日) 05:54:50 ID:tonFytKy
最近になってこの年代に興味を持ち始めたのですが、初心者向けの本を教えてもらえませんか?
292 :
出土地不明 :2005/05/22(日) 13:47:54 ID:xWCNL/Pk
293 :
出土地不明 :2005/05/28(土) 15:36:54 ID:GlhXY+mG
294 :
日本@名無史さん :2005/05/28(土) 18:07:21 ID:4On0FrgL
ところでこの馬車って木製だよね? こんな綺麗に出てくるもんなんだ・・・
295 :
出土地不明 :2005/05/28(土) 22:32:06 ID:GlhXY+mG
木製、の筈です。スレタイ絡みで話題を振ると、ニ里頭の轍の 幅が殷の馬車の車幅とは違うから、ニ里頭は少なくとも殷後期 とは異なる文化だろう、という話がsるようです。
296 :
出土地不明 :2005/05/29(日) 10:02:18 ID:NkwUHAAV
>>293 年代から言って、夏殷並存の証拠になるのかな。
297 :
出土地不明 :2005/05/29(日) 10:46:14 ID:FZsCVM6U
298 :
出土地不明 :2005/06/07(火) 14:56:11 ID:VycN2P1q
建前はともかく考古学はしっかりやってるように見受けられるが、その辺りはどう思う?
299 :
出土地不明 :2005/06/07(火) 16:53:50 ID:c0vJ3dRg
というより高度経済成長の開発ラッシュで 遺跡が自動的に見つかってるだけ>中国
300 :
出土地不明 :2005/06/07(火) 20:43:35 ID:VycN2P1q
ということは、自動的に発見された遺跡をきちんと調査してるんだな? 予算や工期の都合で遺跡を隠蔽・破壊してるどこぞの国とは大違いじゃないか。
301 :
出土地不明 :2005/06/07(火) 22:18:47 ID:0/Gfw2se
ある種の国威発揚政策として考古学に力を入れてるという面はあるんじゃ ないの?もともと歴史好きな民族だし。衣食足りて礼節を知る、ってわけ で経済に余裕が出てくれば文化に関心が向かうのはどこでも同じかと。
302 :
出土地不明 :2005/06/09(木) 07:32:49 ID:NEiXQCf6
その代わり今ある文化財の保護にはあんまり力を注いでいないという現実がある。 万里の長城だって悲惨の状態らしいし、 共産党の若手の幹部候補生に、中国らしいところを案内してくれと頼んだら 上海の高層ビル群を案内したという話があるくらいだ。
303 :
出土地不明 :2005/06/10(金) 09:30:32 ID:LHX8Ir9x
中華共産主義帝国民族を抹消する際に一族郎党を皆殺しにし各自の墓を数代に 渡って暴くという方式で中華共産民族の純潔性を保つというのが国策だろうから 上海の高層ビル、オーナーが蛇頭というのはありえるね。共産党史というのは常に 罪人を書き換えるわけでから何時見ても斬新であり最近の台湾製のお葬式の 花輪のようにパチンコやの開店と同じでなくっちゃならないわけだろう。靖国が嫌い なのはそういう歴史の書き換えができない思想には反対ということだろう。
304 :
出土地不明 :2005/06/10(金) 09:33:10 ID:LHX8Ir9x
こないだの反日運動で弾みがついて天安門事件が再発した方が帰ってよかった のかもね。
305 :
出土地不明 :2005/06/14(火) 22:11:47 ID:yRjLm1fp
306 :
出土地不明 :2005/06/14(火) 22:50:17 ID:cHvLOyIB
>>305 その記事読んでて違和感感じたのだが、
中国の研究者なら当然の如く夏があったという前提の
物言いをするかと思いきや、何か違うし。
実は中国人も信じてないの?それとも朝日の意訳?
307 :
出土地不明 :2005/06/15(水) 00:39:16 ID:SvftItIc
夏で考古学の論文を検索したところ、夏王朝とあるのは一件だけで、 あとはみな夏文化となっていました。 ということはあれか、ビキニのねーちゃんとかか。
308 :
出土地不明 :2005/06/15(水) 01:05:18 ID:TgOh53/m
新華社もそんな調子だったね どうしたんだろう中国・・・ デンパたれ流さない中国なんて中国じゃないやい
309 :
よろずこ :2005/06/16(木) 23:47:23 ID:7XlRJT2B
310 :
出土地不明 :2005/06/17(金) 02:35:56 ID:RoyZXIo+
ネット上では「沖縄を解放せよ、中華大家族への復帰を」 なんていう妄言が盛んだよ>当然共産党工作員の扇動
311 :
出土地不明 :2005/10/08(土) 01:14:44 ID:eaBQSOlC
312 :
出土地不明 :2005/10/08(土) 22:18:48 ID:66+aaArL
313 :
出土地不明 :2005/10/09(日) 01:07:50 ID:eVGo1zaT
314 :
出土地不明 :2005/10/09(日) 01:09:01 ID:eVGo1zaT
315 :
aaa :2005/10/11(火) 00:10:37 ID:h2cq/w0K
道路(公道・私道の別を問わず)を駐車場代わりに使うことについて、少し、思うことを述べさせて頂きます。
【きちんと駐車場を借りてらっしゃる方々へ】
皆さんは駐車場代として、幾らくらい払ってらっしゃいますか? 仮に毎月5千円としますと、年間6万円ですね。駅から近いところに住んでらっしゃる場合、地域にもよりますが、毎月1万円、年間12万円くらい払っている方もいらっしゃることと思います。
さて、道路に我が物顔で、車を毎日置いている方は、近所にいらっしゃいませんか? 彼らは、堂々と犯罪を犯し、年間6万円から12万円くらいのお金を浮かせているのです。
もしも、かれらの年収があなたと同じだと仮定すると毎年6万円から12万円くらい(もしかしたら、それ以上に)あなたより贅沢な暮らしをしているわけです。
あなたと同じ年収なのに、犯罪を犯すことによって、です。腹が立ちませんか? 当然、腹が立ちますね。
しかも、近所にそういう方々が大勢いらっしゃいますと、結構、通行の邪魔だったりもします。
そういった方々を懲らしめる唯一の方法、それは、地道な通報です。自分の家の近所で、そういう車両を見かけたら、出来る限り警察に通報し、彼らを懲らしめ、駆逐しましょう。皆さんの力で、日本の道路を綺麗にしましょう。
自動車の保管場所の確保等に関する法律 :
ttp://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37HO145.html全国車庫証明ネットワーク :
ttp://www.syako.car-u.co.jp/ 全国車庫証明ネットワーク :
ttp://www.syako.car-u.co.jp/
316 :
出土地不明 :2005/11/26(土) 20:54:47 ID:WmX/czT7
で、甲骨文字はある時代に突然、しかも、統一感のあるデザイン・形式の定まった文体で 登場するんだけれど、これも、ウイルス進化で遺伝的に獲得したものなの? それとも、二足歩行の類人猿が退化して文字を使い始めたものなの?
317 :
出土地不明 :2005/11/26(土) 21:38:28 ID:IFVIBmSI
日本語でお願いします
318 :
出土地不明 :2005/12/29(木) 11:17:54 ID:/DB8Bne9
保守
319 :
出土地不明 :2006/01/18(水) 17:15:56 ID:eqk7SFcL
★古代カラ半島国家の歴史★ 【志良岐】 国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の 南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。 シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、 木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、 「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。 この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、 『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、 また、新羅と表記するのが一般的ある。 神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった 志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に あった国である。 その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官 が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、 志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を 奪われることになった。 奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。 そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。 金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。 金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に 移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。 韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、 もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。 これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
320 :
出土地不明 :2006/01/18(水) 20:02:57 ID:eqk7SFcL
★古代カラ半島国家の歴史 2★ 【任那】 地名の読みは、ミマナである。 日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を 記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。 志良岐の西側にあった日本国領土である。 任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。 神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や 久多良とともに、任那は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。 崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が 置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。 これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍など の武器の製造にも利用された。 そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域で あった。任那にはヤマトから派遣された軍が常駐していた。任那の軍は、任那の独立を守る ための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持っていた。 また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。 朝鮮人国家の金氏新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい 土地であった。 これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
321 :
出土地不明 :2006/01/30(月) 02:32:21 ID:RejP3Dv/
夏王朝の時代の中国語ってどんなだったのですか?
322 :
出土地不明 :2006/01/30(月) 04:06:29 ID:hp/O7fUK
>>321 漢字が発明されたのは夏のあとの商の時代
あとはわかるな
323 :
出土地不明 :2006/01/31(火) 18:57:28 ID:dCVRQG3/
象形文字?
324 :
出土地不明 :2006/02/02(木) 18:44:28 ID:oKo9Sbyb
新羅の読みは、シンラでは? 任那とゆうのは三韓をけん制するために、中国が日本を東夷のリーダーに した時に与えられた土地では?
325 :
出土地不明 :2006/02/04(土) 08:07:26 ID:hPPwIfZG
>>321 当時、刻画符号が確認されていますが文字とは認識できません。
言葉そのものはあったのでしょうが、それを確認する手立てはありませんね。
326 :
出土地不明 :2006/04/02(日) 01:34:23 ID:fWuJonSf
日本なら縄文の言葉が方言や地名としてかろうじて残っているように、中国でも 古い時代の言葉が地方によっては残ってたりしないのん?
327 :
出土地不明 :2006/04/02(日) 03:05:28 ID:4DHWj/K3
その前に縄文の言葉なるものが 本当に縄文時代に使われてたのか怪しいのだが
328 :
出土地不明 :2006/04/03(月) 02:15:30 ID:r/1sTPRn
今で言う中国って広すぎるから方言という考えで評価するのは無理があるかもね。 国内でも通じない言葉とかあるし。
329 :
出土地不明 :2006/04/09(日) 13:24:45 ID:0kyG+KTX
方言が生まれるかどうかは、 その時の技術力で、どれくらい物流が 出来るかどうかに依存するからね。 山国とかだと、広さに似合わず、 方言が生まれやすい。
330 :
出土地不明 :2006/04/10(月) 01:10:47 ID:5qbDgkuG
古い地名って千年単位で結構長く保存されるから、そこらへんからのアプローチはないのかな?
331 :
出土地不明 :2006/04/11(火) 12:37:37 ID:7pAfeNsd
例えば、二里頭・偃師商城の同定は尸郷の地名が残っていた事が決め手になってるよ。
332 :
出土地不明 :2006/07/02(日) 00:25:11 ID:MdhUMcVm
333 :
出土地不明 :2006/07/02(日) 09:43:29 ID:cQSrZm74
王城崗遺跡は土地の人の「王城崗は夏の禹の住まい」との 言い伝えに従って発見されたそうだ。 禹の都城の陽城にしては規模が小さすぎるだろと言われてる遺跡ではありますが。
334 :
出土地不明 :2006/08/25(金) 22:01:37 ID:f4kML8HP
治殷 治殷 主!主!主!・・・ (ちんちんしゅっしゅっしゅっ) (1) 殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、 周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。 紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、 自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、 かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら 「治殷 治殷 主!主!主! (※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。 その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で 「治殷 治殷 主!主!主!」とヨダレを垂らしながら、 柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、 血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。 なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」 という文言と共にヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、 根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。 民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋
335 :
出土地不明 :2006/08/25(金) 22:03:35 ID:f4kML8HP
_ / \―。 ( / \_ / / ヽ ...―/ _) ノ:::へ_ __ / |/-= =- \/_ /::::::ヽ―ヽ -= =-_(::::::::.ヽ |○/ 。 /::::::::: (:::::::::::::) |::::人__人:::::○ ヽ/ ヽ __ \ / \ | .::::/.| / \lヽ::::ノ丿 / ___-イ ニュー速で珍種スレを立てたらポイントが削除されてしまった もう終わりじゃ、あそこはもう人が住む場所じゃない。 だがワシは後悔しとらん。最後まで自分のスタイルを貫いて、珍種スレを立てまくった。 たとえニュー速がダメになろうとも、鬼女板がある。層化公明板がある。 そもそもこの『ちんちん シュッ!シュッ!シュッ!』は、 古代中国の殷王朝で生まれた言葉。世界史板にだって立てまくる権利はあるはずじゃ。 より多くの人が珍種について考えられるように。 珍種を未来へ繋げて行くために、このスレはあるのだと思う。 皆で心を一つにし、ジェンキンス氏や石破長官のAAを貼りまくっていく。 その中で、必ずや得るものがあるだろう。 だからわしは鬼女板に珍種スレを立てるのじゃ。
336 :
出土地不明 :2006/08/27(日) 17:20:33 ID:jVpk37nw
337 :
出土地不明 :2006/08/30(水) 05:17:47 ID:D4LJUVmm
ペンダント
338 :
出土地不明 :2006/09/01(金) 15:27:09 ID:n3Qxmf8H
中国で最古の名字は何氏なんですか。 また、漢族で最古の名字は何氏でしょうか。 夏、商も漢族の王朝なんですか。
339 :
よろずこ :2006/09/03(日) 22:31:20 ID:J0Qfi28p
>336 マジレスすると、千数百年違うので 回答は無理と思われ。 >337 無難だな。
340 :
出土地不明 :2006/09/04(月) 00:54:44 ID:mp2QbIoS
このスレの連中は極めて頭が弱いね。 俺が来るまで弥生人中国説をひっくり返せなかったんだから。 単に漠然と知識が持ってるだけでさーっぱり応用が利かんの。 つまり頭が悪いの。
341 :
出土地不明 :2006/09/23(土) 04:40:28 ID:CBTr8iKN
【中国】中国北部、4千年前の“小麦”伝来がきっかけで農業が発展 中華文明の形成に影響
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1158952870/l50 中国の学者たちは「中華文明のルーツを探るプロジェクト」の第一段階の研究活動で、「西ア
ジアを起源とする小麦が4500年前に中国の中央部地域に伝来したたことは、中国の北部で
根本的な農業革命を引き起こすきっかけとなり、この地域がそれ以後の長い間に中国の政治、
文化ひいては経済の中心となるための確固たる基盤を打ち固めた」という結論を引き出した。
陶寺、新砦、二里頭、王城崗など4ヵ所の遺跡から発掘された数万粒の炭化したさまざまな
種類の植物のタネなど貴重な植物遺物に対する測定や数量化分析を通じて、「紀元前2500
年から紀元前1500年にかけての時期に、この地域の農耕生産はアワを主な農作物としてい
た」ことが明らかになった。つまり、中国北部では伝統的な畑作農業が行われていたというこ
とである。
紀元前2500年から紀元前2000年までの竜山時代に、この地域においてはアワの栽培だけで
なく、イネもは重要な農産物となっている。二里頭時代に、イネの作付け規模や人々の生活に
おける地位はこれまでなく重要なものとなっていた。また、西アジアを起源とする小麦がこの
地域に伝来し、中国の商代(紀元前16世紀−紀元前1066年)の初期の二里崗期において、
イネの地位はいくらか低下し、小麦の作付け規模が急きょ大幅に向上した。この地域の農業
生産における小麦の台頭は、中国北部の畑作農業の作付け制度の根本的な変革を告げる
ものと言える。
342 :
出土地不明 :2006/09/23(土) 15:56:44 ID:8/Le562a
いいね、どんどん北へ行ってくんねぇかなシベリアまでw
343 :
月光仮面 :2006/09/26(火) 12:30:30 ID:Ymwn6oTM
344 :
出土地不明 :2006/10/23(月) 05:01:30 ID:v6SRgURj
夏王朝を立てたのはどの民族なんですか。 それと、殷はインドと関係あるのでしょうか。 中国人にはアーリア系の血も流れていますか。
345 :
出土地不明 :2006/10/30(月) 23:23:23 ID:RwWJZv54
> 殷はインドと関係あるのでしょうか。 わははははは、おもしろい
346 :
出土地不明 :2006/11/05(日) 23:18:05 ID:dxNv58nG
山東省の古代の遺跡からコーカソイドの死体がいくつも発見されたと あったな。 アーリア系なのかもな
347 :
出土地不明 :2006/11/07(火) 09:25:49 ID:LsCXuB2u
超亀レスですが……
>>336 はリトルグレイって答えを期待していたのでは?(藁)
>>344 直接ではないにしろインド原産の米が伝わっている点からして、文物の往来は
あったでしょう。たぶん西域経由だと思いますが。
オリエントとは何らかの関係があったようで、内蒙古からは青い目の女神像が
出土しているそうです。ただし
>>346 のエピソードは知りません。
詳しく書いたものがあったら、出典を教えてください。
348 :
出土地不明 :2006/11/07(火) 21:30:26 ID:ak34X9sj
349 :
出土地不明 :2006/11/19(日) 04:00:44 ID:SygpZPGA
>>344 今となってはもうわからんだろう。
民族がそれこそ何回も入れ替わっているからな。
それに中国人も真面目にそのようなことは調べようとはしないようだ。
考古学には関心があっても民族のルーツはマジであんまり関心がないようだ。
中国人が考える中華民族の定義はただ単に漢字、漢文を使い、中華の伝統に
忠実であればいいだけだからなぁ。
ナチスみたいに血統にこだわっているわけじゃないからなぁ。
350 :
出土地不明 :2006/11/19(日) 17:33:54 ID:JLnRNJP9
>民族がそれこそ何回も入れ替わっているからな。 入れ替わってはいないな。 入れ替わっていたら、シナ・チベット語を話していないだろうが。 土着のシナ・チベット語族の中央蒙古人種に、ごく少数のウラル・アルタイ語族の 北方蒙古人種の征服王朝がたびたびあり、混成して出来た人種がシナ人種(シニーデ、 中央蒙古人種、中央モンゴロイド)だろう。 シナ人種は蒙古襞が弱く、蒙古襞の無い人も多い。 総じて一重まぶたが少なくて眼裂があまり細くなく、鼻が突出しており、 あまり扁平な顔ではない。
351 :
出土地不明 :2006/11/21(火) 10:08:44 ID:/yTt2jDH
中南米ではスペイン系の血をひいてないインディオも普通にスペイン語話すんだが… 血統と言語は直接関係はない 言語コミュニティに2代もいればネイティブスピーカーになるのに十分
352 :
出土地不明 :2006/11/25(土) 00:07:04 ID:LDMBfAAs
>>351 そこに反論するなら、中南米ではスペイン系でも黒人系でも
現地伝来の言語しゃべってなきゃ意味が通じないのではないかな?
中南米は、人種が入れ替わるほどの被支配関係があったなら言語も入れ替わる例。
353 :
344 :2006/11/26(日) 02:52:46 ID:2VfrJfjt
アラビアの伝承に中国人の祖先はヤペテであるという話があるらしいです。
354 :
出土地不明 :2006/11/26(日) 07:06:26 ID:kvuCxAT8
今ある人類はみんなノアの子孫だ、という考えからなんだろうな。 身近な諸民族はハムとセム、よくわかんないのはヤペテの子孫と 考える伝統があったのかもしれない。 旧約の洪水伝承がないから中国史は嘘だ、なんて書いた パスカルよりよっぽど科学的だなw
355 :
344 :2006/11/27(月) 15:52:21 ID:83VW0jPY
殷王朝を立てた少数の支配者層の人々はコーカソイドだったのでは ないかと予想しています。中原地方周辺に住む現代中国人の骨格は、 純粋なモンゴロイドとは異なっているそうです。これはコーカソイド との混血によるものではないでしょうか。 それから、中国語はある意味英語に似ているような面があります。 中国語には格変化や人称変化がなく、また動詞の時制や関係節も ありません。これらは、ヨーロッパ系の言語を含むいくつかの言語が 混じりあい、言葉がクレオール化した結果ではないのかと・・・。
356 :
出土地不明 :2006/11/28(火) 00:23:32 ID:xo1UAebF
>>355 中国人にコーカソイドの血が入ってるのは遺伝子を調べればわかるし
結構たしかな説だが、英語云々は突飛すぎ。まず中国語が出来るかな?
357 :
344 :2006/12/04(月) 20:37:34 ID:G2lersPB
358 :
出土地不明 :2006/12/04(月) 22:17:43 ID:MY8+RuTb
>>350 岡田英弘の説によると三国志の時代に9割くらい中原地域では
9割くらい死んだと言われているのだが、
あとロシア人学者の人口統計では、王朝交代時にはたいてい
5割くらい死んでいるのだが、
359 :
我慢出来ない :2006/12/04(月) 22:38:05 ID:RQTScfr4
未履修問題のある佐賀県の東明館高校っていう学校の者ですが うちの学校ではスタンプカード制度といって授業にでるだけで、寝ててもハンコさえもらえば単位がもらえます。指定校推薦の奴等がスタンプカードを持ってウロウロしてます。邪魔です。助けてください。
360 :
出土地不明 :2006/12/05(火) 16:04:56 ID:0k7cpdNV
>>357 「古代日本語には限定的ながら母音調和があった。これはトルコ語や
モンゴル語の名残である」
というのと同じくらいの信頼度。因に上代日本語に単語内での母音調和
が見られるのは事実。
361 :
出土地不明 :2006/12/12(火) 22:31:41 ID:GDb1DCIl
>>357 確かに中国語はインドヨーロッパ語と関係ありそうだ。
例えば、
源は英語のgene, generationなどの言葉と同じ起源らしいとある本で読んだ。
362 :
出土地不明 :2006/12/12(火) 23:11:59 ID:zuw8bo3s
中国の北方の黄河流域の麦作は、そもそも中近東の麦作が入って来たもの だから、その段階で、中国の北方文化の源流に、中近東系の文化があった ことは間違いないだろう。中国の南方の稲作については、独自発生の可能性 が高いのだが。 以前いわれていた、山東半島には白人がいた!という日本の斎藤成也らの 説は、mtDNAの全長解析で否定されている。 殷の時代に相当する段階で、例のローランの美女みたく、あのあたりには あきらかに白人系がいたことはわかっているし、あのローランの美女あた りのmtDNAは、かなりの部分が、ハプログループが、H型で、あきらかに 白人系であることがわかるが、そのローラン近辺の白人とみられるミイラ でも、個体によって、東洋系がかなりまざるという。 夏王朝時代の遺跡とされるものからは、大量の「焼肉料理」の痕跡も あるので、中国の初期王朝が、半農半牧のような形で始まっていて、 その中には、ステップ地帯で、東西を結ぶような経路があり、西アジア 系の人々がかなり入って来ていた可能性はある。そしてそれを示すのが、 ローランのあの文化だろう。時代は、殷代に対応するし。
363 :
月光仮面 :2006/12/13(水) 10:53:40 ID:2V8j3bC+
Dienekes'sブログで見たんだが↓ 「東欧・東亜Y-HgはN-M231及びO-M175から成る。O-クレードは約3万年とやや古く、 東亜・東南亜、大洋州に分布。これよりも遅く、約12000-14000年前に亜細亜内部南 シベリア経由反時計回りでN-Hgは東欧に移動。シベリアにNが多く、北米にNがない ことは北米移住の後の出来事である。これには3種類あり、大きなものとしてN3は 中国起源でシベリアで系列的に中細りした後、東欧で拡大し、N2はSTR型でアジア型 (N2-A)、フィンノウグリック欧州型(N2-E)に分かれる。」 最近のボスニアのピラミッド等もエジプト、メソポタミアに先行するという視点が必要か もね。日本の縄文の頃の話だと思うんだが、巨石文明の背後に細石刃文化があったの かも。北米は黒曜石細石刃が入っているようだね。
364 :
月光仮面 :2006/12/13(水) 11:07:26 ID:2V8j3bC+
小河墓遺跡をA tiny boat to Chinaと言う風に見ていたが、麦を積んだ「帰り舟」に歌い かえる必要も出てきたなー。つまり、フィンノウグリックが南下しシュメールとなり、 その子孫たちが欧州人も乗せて夏・殷商にと向かったってこと。
365 :
月光仮面 :2006/12/13(水) 11:15:06 ID:2V8j3bC+
エトルスキを厳密に調査すると欧州系がほとんどだが微量にトルコ・エジプト系が 混ざっているとのこと。亜細亜・埃及関係は奥が深い。秦氏の先祖はヨセフ乃至は アミン・ベクとして埃及で拉致された記憶があったのかもね。みのもんたの大避神社 の井戸を見てこう思った次第。
366 :
月光仮面 :2006/12/13(水) 11:24:56 ID:2V8j3bC+
日韓両国が世界の中心と言えば虎がタバコを吸ったような話となろうが、あくまでも 完新世の話で、更新世においては逆にアフリカ・欧州のマンモスハンターがバイカル湖 のマリタ辺りまで進出、ついでに野尻湖辺りまで来ていたかも知れない。世界はどうな ていたのか謎は深い。
367 :
月光仮面 :2006/12/13(水) 12:32:24 ID:2V8j3bC+
日本は縄文時代からキャッチャーばかりやってきたと言う見方だったんだが、 例えば歴史時代でもそれほどの渡来人というか、投球は受けた記録はないのに 遺伝子ではさまざまなものが入っておりおかしいとは思っていた。ピッチャーであった と考えると日本人に似たのがあちこちにいる理由もわかる。多分真実はブーメラン で、最初に投げた投球が打球され返球されてきていると言うこともあろうか。 完新世では喜界カルデラの地球規模爆発、西日本のザ・デイ・アフターの長期的 荒廃、これを捨てて満州方面に移住があったことも考えなくてはならないだろう。 遼河文明と日本のヒスイ玉造文化ともこのピッチャー的関係からも考えるべきだろう。
368 :
よろずこ :2006/12/13(水) 22:04:05 ID:ala4Vmw+
>361 そっその例はなんだか〜。
369 :
出土地不明 :2006/12/13(水) 22:38:13 ID:oV0x8ogn
弥生人の故郷さえ割り出せなかった、いまや遺物の精度未満の 存在のmtDNAを追いかけるミトコンドリ屋って苦しいよな。
370 :
出土地不明 :2006/12/14(木) 19:25:44 ID:iM3a3ZlK
>>368 geneは祖先を同じくする血族を表すkinと語源が同じで、kingは族長(王)となる。
清和源氏は清和天皇を祖先とする一族だ。
つまり、源はkinやgeneと同じ意味なんだよ。
このことから、古代中国の支配階級はインドヨーロッパ語族であったのではないか?
371 :
出土地不明 :2006/12/17(日) 22:33:11 ID:ezgzT2dF
>>356 英語云々は突飛すぎ。
渡辺昇一の「英語の語源」(タイトルはうる覚え)という本に中国語と英語が似ていることが書かれていた。
いくつか例があったが、源と英語のkinやgeneとの関係もその一つ。
古くからインドヨーロッパ語族が東トルキスタンに居たことは事実なんだから、決して突飛ではない。
372 :
出土地不明 :2006/12/18(月) 01:03:35 ID:IT5pHRxp
音対応の見いだせない言語間では同族関係を想定することはできない。 どちらも「生む、生まれる」の意味を持つラテン語gignoとギリシャ語 gignomaiが同族語(cognate)なのは音対応の法則が働いていて、他にも 「知る」を意味するラテン語gnosco, noscoとギリシャ語gignoskoが対 応するから(ゲルマン系での対応は英語know, ドイツ語kennen)。 しかし英語のkin,king(これは英語内でゲルマン系の同族語)とgigno, gignomaiとの関連は手許の語源の載ってるラテン語、ギリシャ語、英語、 ドイツ語の辞書では確認できない。ましてや漢語の「源」と関連がある というのは全くの偶然である可能性の方がはるかに高い。日本語「わた」 とロシア語vataのようにね。印欧語と漢語の間での「借用」ならば「犬」 とラテン語でのcanis系統が有力とされるけど、犬がエジプト起源でヨー ロッパから東へ伝わったことを考えると、これはまだしも可能性がある。
373 :
出土地不明 :2006/12/18(月) 14:28:10 ID:IT5pHRxp
印欧語の語根GENと英語kin,kingとの関連はLewisの _An Elementary Latin Dictionary_には参照(cf.) としては出ていた。確実ではなさそうだね。
374 :
出土地不明 :2006/12/18(月) 21:30:24 ID:sAqaP1kf
印欧語の語根GENと源、完全に発音が一致しますね。 水源、源流、根源、起源などという言葉からも、源には「生む、生まれる」の意味がある。 こうしてみると、起源の源とORIGINのGINは同じだったということか?
375 :
出土地不明 :2006/12/18(月) 22:22:41 ID:sAqaP1kf
笑い話で 犬小屋=kennel(犬寝る) というのがあったが、これは偶然の一致ではなかったのか。 面白い。
376 :
出土地不明 :2006/12/18(月) 23:12:09 ID:ykHY0yln
kin と king は、古英語では、cun と、cuning に遡り、cuning は、 ドイツ語では、koenig になっている。cun は、「きゅん」って発音するよ。
377 :
出土地不明 :2006/12/18(月) 23:50:43 ID:IT5pHRxp
>>374 「源」の上古音は*Ngiuan(藤堂再現音、Nは軟口蓋鼻音)でかなり異なる。
現代漢語普通話ではピンイン表記でyuan。しかも音対応が全く見いだせ
ない。従って偶然の可能性の方がはるかに高い。
>>375 kennelは上に述べたラテン語canisの同族語です。もし漢語「犬」が
トカラ語あたりの中央アジアの印欧語からの借用ならば、ちょっとは
関係あるかも。
378 :
出土地不明 :2006/12/19(火) 20:08:15 ID:2jcHkwqp
Ngiuanは無理にかなで書くと「ぅぎゅぁん」って発音するのかな?
>>376 の古英語cun 「きゅん」って発音に近いな。音対応のことは知らないが。
379 :
出土地不明 :2006/12/20(水) 19:58:01 ID:uNKkXzzs
古英語cunってcunt(まんこ)と同族だね。 と言うことは人間が生まれるところを指している単語だ。 Ngiuan「んぎゅぇん?」は赤ちゃんが生まれた時に発する「おぎゃあー」の擬音から来ているのでは?
380 :
出土地不明 :2006/12/20(水) 20:41:35 ID:jJckisjO
381 :
出土地不明 :2006/12/21(木) 00:16:18 ID:L4Ay/fah
大人として釣られるときは釣られようよw
382 :
出土地不明 :2006/12/21(木) 21:25:39 ID:H0URc+kl
犬はラテン語でのcanis系統らしいと言うことだが、canisは犬の鳴声「キャン」の擬音が起源だろう。 例えば、1、2歳児ぐらいの子供に猫のことを「にゃーにゃー」と教えるのとおなじだ。 だから、Ngiuanは「おぎゃあー」の擬音で、そこから「誕生」を意味したんだろう。 更に、生まれる所(まんこ)の連想から、源(水の湧き出す所)という意味になったのでは?
383 :
出土地不明 :2006/12/26(火) 11:07:12 ID:63iPfdWb
一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。こ
れをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」という
結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説と合わなか
ったからだ。
さらに同遺跡の下層には別の遺跡があり、推定で二万dから三万dにものぼる鉄滓(て
っさい‖製鉄した後の残留物)が発見されたほか、縄文式とも弥生式とも異なっていて、
中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものとよく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土し
ている。
http://www.minyu.co.jp/shasetsu/0305gatsu/0523s.html
384 :
出土地不明 :2007/01/28(日) 03:37:44 ID:o9TWPe3H
385 :
出土地不明 :2007/01/28(日) 17:55:50 ID:/SR3fE0z
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
386 :
出土地不明 :2007/02/17(土) 20:37:39 ID:dtVnVFx2
この前、NHKのためしてガッテンで、 「油たっぷりの中国料理!」「中国四千年の伝統」とか言ってたけど、 夏・商の宮廷料理ってどんなんだったんだろう、 やっぱり油たっぷりだったんだろうか、と思った。 いずれにせよ、香辛料は少なかったんじゃなかろうか。
387 :
出土地不明 :2007/02/17(土) 20:50:19 ID:U/dsGadb
大昔の中国料理は煮物・膾(なます)とかだよ 油を使った炒め物は竈と鉄板鍋が普及した南宋時代に ならないと出てこない。
388 :
よろずこ :2007/02/17(土) 23:12:31 ID:z4LbsfE+
>387 炒め物は、石炭を使うようになってからと聞いたことがあるが、 中国で石炭を使うようになったのは、南宋?
389 :
出土地不明 :2007/02/18(日) 03:01:32 ID:M+luMzH8
唐の時代の貴族が石炭を使った記録がある 一般に広まったのは宋代
390 :
386 :2007/02/19(月) 00:24:27 ID:CzzxLSbs
>>387 煮物となますだけか…。つつましいなあ。
中国四千年の伝統と言っても、今の中国料理は5〜6百年ほどの歴史しかないんだな。
391 :
出土地不明 :2007/02/19(月) 01:03:32 ID:zFxyRWBn
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
392 :
出土地不明 :2007/02/19(月) 20:32:07 ID:Np98sA9t
>>390 「食指」の故事(春秋左氏伝宣公四年)では、人差し指が動いたごちそうは
被「(鼈)の煮物だよ。今の中華でも結構なごちそう。
393 :
出土地不明 :2007/02/19(月) 20:35:21 ID:Np98sA9t
ああ、やっぱり文字化けした。化けた字は「ゲン(おおがめ)」。 「鼈」の上の作りが「元」になってる字。
394 :
出土地不明 :2007/02/19(月) 21:14:49 ID:xD7BxJL+
>>390 寿司でトロが好まれるようになったのも100年たってないからねえ
395 :
出土地不明 :2007/02/19(月) 21:43:18 ID:Kg0bD/NA
何年か前にNHK-BSで金萬幅が昔の中国料理を 実演調理してた番組は面白かったな。あんまり うまそうじゃないのが何ともリアルだった。
396 :
出土地不明 :2007/02/19(月) 22:20:11 ID:Kg0bD/NA
397 :
出土地不明 :2007/02/20(火) 08:31:24 ID:bpRaZEf6
【心の】旦那には絶対言えない過去4【奥に】既婚女性板
http://human6.2ch.net/test/read.cgi/ms/1168957905/ 7 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/18(木) 03:03:54 ID:iE8GVdnP
援交10回、中絶2回、デリヘル、ソープ1年、整形2か所
12 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/19(金) 22:43:01 ID:s7dkuHKN0
高校生の頃から喫煙。不倫経験あり。
旦那は私にとって7人目の彼氏。(旦那には3人目と嘘ついた)
酒に酔った勢いでワンナイトラブの経験あり。
25 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/01/26(金) 04:08:25 ID:IfNo5kNWO
中絶4回、イメクラ一年、二重整形、大学中退、性病2回、同棲3回。
45 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2007/02/04(日) 14:24:40 ID:PBhJa6V+0
自分の預金が旦那の年収の7倍くらいあること。
学生のとき、ちょっとした事業起こして大成功w そのことも話してない。
47 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/04(日) 17:16:59 ID:CaAW9Ko50
うーん。堕胎。母子手帳に記載しないといけないから…そこは糊で貼付けた。
義母にはバレているだろう。でも回数が…1回多いとは…永遠の秘密。
92 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/09(金) 23:46:04 ID:QRXcETQYO
セクキャバでバイト経験あり。援交しまくり時代もあり。ヤッた数は100人くらい。
私バツイチで今の旦那には元夫の浮気が原因で離婚したの。とか言ったけどほんとは逆。
好きな人できて夫捨ててのりかえた。浮気しまくりだった。
すごくいい夫だったのにすごく最低な事したって思う。
106 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2007/02/18(日) 09:56:13 ID:wIf/65Md0
半年前、万引きして捕まった事。嘘泣きして逃がしてもらった(^^v
398 :
出土地不明 :2007/03/01(木) 16:54:02 ID:AL6xvxVq
399 :
出土地不明 :2007/03/06(火) 17:11:43 ID:244v2YjZ
上古中国語の「格変化」説は、代名詞だけのもの。 格と主張される異形態の数はそれぞれ二種類しかなく、 しかも使い分けの原則には例外が多い。 例外を認めた法則を立てると印欧語の格の原則に合わなくなる。 そして上古中国語と同系と考えられているチベット語は 印欧語の原則と合わない能格言語。 そもそも格があるから印欧語というのは根拠のない乱暴な断定。 言語の系統は構造(類型的特徴)とは別の次元の概念。 同系の2つの言語でも類型を異にする事はあるし(顔の似ていない親戚)、 二つの言語の類型が似ていても系統を異にする事もある(他人の空似) 語順がVSO、被修飾語-修飾語、後置詞より前置詞が発達、という共通の特徴があっても アイルランドのゲール語とフィリピンのタガログ語は赤の他人。
400 :
出土地不明 :2007/03/08(木) 20:58:29 ID:BNViS+ya
三足土器の何がおかしいの?
401 :
出土地不明 :2007/03/08(木) 22:24:19 ID:MpZ9eI09
>>399 格変化以外に、屈折がある程度想定されているよな。
漢字の音韻変化やその系列など、あるいは両読文字の存在などからいわれて
いることだが。
上古漢語を見ると、漢字一文字が一音節とはいうものの、かなりの場合、
二音節程度に分離する可能性が示唆されている。
「水」が、siwer だったりすると、これははたして1音節なのかとうたがい
たくなるわけだ。「風」も、pliang とかになるだろ。「飛鈴」だかなんだか
そんな書き方をしている例もあるようだ。
語彙がこれほどの長い音節で、多音節であったとしたら、若干の韻の違い
などや、介母音(これも多数ある)の挿入などが、屈折であった可能性も高い。
402 :
出土地不明 :2007/03/09(金) 02:25:16 ID:ADThTNDj
>>401 単音節語ではなかった、という説と、
屈折語だった、という説は別の話だが、
指摘は面白い。
ずっと孤立語だったという証拠もないわけだから。
まあ語中屈折で格関係を表わす言語なんてのは
部族統合で即ピジン化してシステム自体あぼんしやすそうだが。
403 :
出土地不明 :2007/04/06(金) 17:56:12 ID:M/vRlYMF
民族的にはタイ系らしいね
404 :
344 :2007/04/11(水) 02:56:51 ID:E3vcDfzj
405 :
出土地不明 :2007/04/11(水) 11:06:35 ID:jlVij2vM
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
406 :
出土地不明 :2007/04/23(月) 00:36:34 ID:dUcFxXTj
三足土器の何がおかしいの?
407 :
出土地不明 :2007/04/23(月) 05:39:51 ID:dqcHiev9
島根県のみなさん、パチンコをするなら、 優良パチンコ店 エ○ト○ン に行こう! 遠隔(※1)をやっていないパチンコ店は「エ○ト○ン」だけ! 違法ロム(※2)を使っていないパチンコ店も「エ○ト○ン」だけ! エ○ト○ンでは、遠隔等が可能な設備は入れていません。 ロムも、警察がチェックしやすくしています。 詳しい方はご存知の通り、どんなにパチンコの遊戯人口が変動しても、その市場規模は変わりません(※3)。 要するに、客が減っても、残った客から絞り盗る量を増やして調整しているのです。 しかし、何故それが可能なのか?…ご理解頂けると思いますが、9割以上の店が確実に遠隔等を行ってます。 1万店以上のパチンコ店の中で、遠隔も違法ロムも確実にやってないのは「エ○ト○ン」ただ1店です! ※1…遠隔とは 「お、あの客は新顔だな。勝たせて味を占めさせるか。遠隔操作で設定変更しよ」 「客が減ってきたな。ま、設定を絞めて(違法)、1人あたりから搾る量を増やせばいいか」 「あのオヤジ負け続けてるからそろそろ辞めるかもな。今日は勝たせてやるか」 ※2…違法ロムとは 「うちのアタリ確率は、もちろん他と同じ『○○○分の1』ですよ!(ロムいじってるからウソだけど)」 ※3 市場規模 遊戯人口 平成06年 30兆4,780億円 2,930万人 平成08年 30兆0,630億円 2,760万人 平成10年 28兆0,570億円 1,980万人 平成12年 28兆6,970億円 2,020万人 平成14年 29兆2,250億円 2,170万人 平成16年 29兆4,860億円 1,790万人
408 :
出土地不明 :2007/04/24(火) 01:54:06 ID:ok44qT8L
>403 玉器のスタイルの共通性などから 「夏王朝は良渚文化の担い手が北上して建てた」 という説があって、長江流域は古代タイ系民族が 住んでいたから「夏王朝=タイ系民族?」という 説になるわけだが・・・ 厳密には「良渚人=タイ系」と証明できないし、 「良渚→夏王朝」という流れも仮説に過ぎない。 そもそも夏王朝の言語については何もわかっていないのだから 夏王朝がどういう民族が建てたものか、というのは 全くわかっていない、と言っても過言ではない。 仮に「良渚→夏」が事実だったとしても、周辺の狄や羌と 混雑したと思われるから、純粋に良渚文化の言語が保持されて いた可能性はかなり低いと思う。
409 :
出土地不明 :2007/05/10(木) 22:07:33 ID:WUds7mLa
>>362 山東半島には白人がいた!という日本の斎藤成也らの
説は、mtDNAの全長解析で否定されている。
のソースは?
410 :
出土地不明 :2007/05/12(土) 06:41:06 ID:Y0dybHmE
NHKで今夜殷墟やるみたいよ。
411 :
出土地不明 :2007/07/01(日) 19:26:43 ID:I0j0fUNs
遺跡の新発見ないね〜
412 :
出土地不明 :2007/07/06(金) 05:56:31 ID:zzbR3FeF
出ないほうが良いね。馬鹿庶民がドンドンぶっ壊してくれたほうが助かるw
413 :
出土地不明 :2007/09/27(木) 15:59:52 ID:gl38imIU
fgnfgngfnggf ,,gh,,,jjggj jnfgjfjg jfhfmfmmfhf dfndgndggn njgjygj
414 :
出土地不明 :2007/11/02(金) 09:26:23 ID:6Ot7soq4
age ネタなんかないの〜? つかニ里頭はもお夏で決まりなん? 三星堆のその後は〜? 殷墟だって全部発掘しとらんのだろ?
415 :
出土地不明 :2007/11/02(金) 10:08:59 ID:XcHaTebS
416 :
出土地不明 :2007/11/02(金) 20:46:03 ID:6Ot7soq4
417 :
出土地不明 :2007/12/04(火) 14:31:58 ID:jARQXmZo
28 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2006/03/22(水) 02:19:52 0
また立ったのか
古代中国人は白人だった。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1118561141/l50 39 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/06/14(火) 05:07:35 0
ほらよっと。
ttp://homepage.mac.com/azsyano/Personal25.html 中国古人類集団のDNA分析 王瀝 中国科学院遺伝研究所
……
その結果、3つの時代のLinzi人類集団が異なる遺伝的構成を持つことが明らかになった。
地理的分布と同様に、現代Linziの人類集団は東アジア人類集団とクラスターを形成して
現代ヨーロッパ人類集団とは離れた結果を得た。また、現代中央アジア人類集団はヨーロッパと
東アジアの中間に位置する。ところが、2000年前のLinzi古人類集団は、現代東アジア人類集団と
現代ヨーロッパ人類集団の中間に位置しており、現代中央アジア人類集団に近かった。
さらに驚いたことに、2500年前のLinzi古人類集団は、現代東アジア人類集団よりも、
むしろ現代ヨーロッパ人類集団や現代トルコ人集団と近い遺伝的背景を持つことが分かった。
本研究により、2500年前にユーラシア大陸の東端に現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な
人類集団が存在していたことが明らかになった。また、2500年前から2000年前の500年間に
Linzi集団に大きな遺伝的変化が生じたことから、過去に人類集団の大規模な移動があったことを示唆している。
……
418 :
出土地不明 :2007/12/04(火) 14:34:08 ID:jARQXmZo
日本に伝播 青銅器、商・西周と共通点 特殊な鉛含有
新井氏は、青銅器材料に含まれる微量の鉛を測る鉛同位体比法により、日中の青銅器計約3000個のデータを解析。
弥生関連の1052個を鉛同位体の比率の違いに注目して分類、共通点を探った。
その結果、弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器は、
中国最古の王朝とされる商(殷、前17〜11世紀)や西周(前12〜8世紀)の時代に
多く見られる青銅器と、鉛同位体比が一致することが判明した。
鉛の種類としては極めて特殊なものが含まれていたという。
弥生時代については、国立歴史民俗博物館(歴博)が4年前、放射性炭素年代測定による分析の結果、
弥生期の幕開けは紀元前10世紀へさかのぼる−と発表して話題を集めた。
従来の定説では、日本へ青銅器が初めて流入したのは、前250〜200年。
遡上説をとる歴博によると前370年ごろ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071202-00000904-san-soci
419 :
出土地不明 :2007/12/05(水) 13:52:17 ID:dB1usRit
良渚遺跡で大規模な都城発見 ソースはyahoo
420 :
出土地不明 :2007/12/06(木) 10:36:13 ID:T7Zhc0+Z
421 :
月光仮面 :2007/12/09(日) 14:20:50 ID:tSzrl+1g
422 :
月光仮面 :2007/12/09(日) 15:45:23 ID:tSzrl+1g
>>418 上記参照番号を間違えていた。
ついでであるが、長江文明三星堆の青銅器は銅緑山らしい。黄河文明はこれとは
別の共工神話を持つ羌族の交易活動により内モンゴル方面の原材料を使用していた
が、長江文明を征圧し、銅原材料供給源を内モンゴルから長江流域湖北銅緑山に
切り替えたということもあろうか。
423 :
月光仮面 :2007/12/09(日) 15:50:27 ID:tSzrl+1g
そして、オルドス、遼寧、朝鮮半島、日本へとアルタイ・内蒙古系のソースを持つ 技術・流通経路が流れたというのはどうかと思うが。いずれにせよ日中研究者 の今後の活動に期待したい。
424 :
月光仮面 :2007/12/09(日) 16:09:00 ID:tSzrl+1g
>>417 ロシアは斉国を白人種の国であったと見ている。ところが華僑系サイトはこれに
反発して中国に白人なんているはずがないといった論調だ。しかし、ウイグルなん
てのはいまだに白人だもんナー。
425 :
出土地不明 :2007/12/13(木) 13:09:27 ID:/7yaivWc
谷原章介様中国語すてき
426 :
出土地不明 :2007/12/17(月) 15:17:19 ID:TsYpS2dK
にんげん進化考 第12回 春秋戦国時代に欧州人?(2002年6月23日・日本経済新聞 Sunday Nikkeiに掲載)
著者:斎藤成也(国立遺伝学研究所・教授)
中国古代人のDNA研究からは、当時の人々のダイナミックな動きが浮かび上がった。
東京大学の植田信太郎さんと中国科学院遺伝研究所の王瀝さんらが調べたのは春秋戦国時代、斉の都「臨シ(りんし)」
があった山東半島の付け根あたりの遺跡の人骨から得た細胞内小器官ミトコンドリアのDNA。私も研究にかかわった。
研究グループは約二千五百年前の春秋戦国時代中期と、それより約五百年新しい前漢末期、現在、同地に住んでいる人
々のDNAを比較した。
現在、臨シ跡に住む人々は日本や韓国など現代東アジアの集団と近かった。ユーラシア大陸の人類集団は欧州と中央ア
ジア、東アジアに大きく分かれ、DNAで類似性を見ると、中央アジアの集団が東アジアと欧州の集団との中間に位置する。
こうした全体状況を考えれば、この結果は、各集団がいる地理的な位置と合っており、予想通りだった。
ところが古代人の方は意外な結果を示した。約二千年前、前漢末期に臨シにいた人々は、中央アジアの人類集団との間
で高い類似性を示した。約二千五百年前の春秋戦国時代の同地の人々と一番近かったのは、なんと欧州の人類集団だった。
この結果は中国古代、現在とは遺伝的にかなり異なる人々があちこちに移り住んでいた可能性を示している。特に欧州な
ど西ユーラシアからの影響を考える必要がある。
漢の高祖となった劉邦や項羽が争った約二千二百年前の秦末の戦乱では、おびただしい人命が失われた。こうしてできた
人口空白地帯に周辺の別系統の人間が入りこんだのかもしれない。
一方、古代から現代に至るまで周辺の少数民族が中国文明を受け入れて社会的に漢民族化する現象は常に生じている。
こうした過程で遺伝子は混ざり合ってゆく。
一部の遺伝子だけからの結果なので決定的なことは言えない。しかし、この結果が中国の他の地域や他の時代の集団で
も確かめられたなら、中国古代史を担った人々について、新解釈を迫ることになるだろう。
http://sayer.lab.nig.ac.jp/~saitou/japanese/human.html#12
427 :
出土地不明 :2008/03/12(水) 22:16:14 ID:85ai42Eq
428 :
出土地不明 :2008/03/13(木) 09:22:08 ID:0oMp9Bxx
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
429 :
出土地不明 :2008/03/13(木) 21:03:41 ID:GHEwkHad
>>428 しつこいし、つまらない。
しかし夏があるんなら、もっと昔の三皇五帝も、本当にいたりするんじゃないか
そっちの研究や発掘はどうなってるの?
430 :
出土地不明 :2008/03/14(金) 08:55:09 ID:QcgcfdS/
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
431 :
出土地不明 :2008/03/14(金) 08:55:30 ID:QcgcfdS/
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
432 :
出土地不明 :2008/03/14(金) 08:55:51 ID:QcgcfdS/
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
433 :
出土地不明 :2008/03/21(金) 16:04:57 ID:Kjqs1CM7
>>429 いたとしてもいくつかの文化圏のローカルな酋長なんじゃないのかねえ
434 :
出土地不明 :2008/03/24(月) 21:03:32 ID:9uhPtVYv
「ローカルな酋長」も「都市国家の君主」と呼ぶと印象が随分違うw
435 :
出土地不明 :2008/04/04(金) 00:39:08 ID:fxu19SXw
「ローカルな文化」も「文明」と呼ぶと印象が随分違うw
436 :
出土地不明 :2008/04/15(火) 15:01:26 ID:QJXts7pu
437 :
出土地不明 :2008/04/29(火) 13:26:36 ID:gvKzTZJd
>>436 オハヨー!!
∧∧ ∩
(`・ω・)/
⊂ ノ
(つノ
(ノ
___/(___
/ (___/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
438 :
出土地不明 :2008/05/07(水) 11:01:53 ID:2Q/aEV16
439 :
出土地不明 :2008/07/10(木) 00:54:29 ID:IhKcjyzE
夏商周三代断代工程の報告書は 未だに簡本しかなくて、正式報告書が 出ないのはなぜ? 教えて!エロい人!!
440 :
出土地不明 :2008/07/10(木) 03:34:23 ID:DrxW4Eyg
時代を遡れば遡るほど、赤の他人の遺跡だからな。 あちらさんも大変だw
441 :
出土地不明 :2008/07/10(木) 22:18:17 ID:RYhF7t2X
中国のはそういうの多いよ。遺跡発見から10年以上たっても 商業出版の写真集(オマケの論考は貧弱)なんかはすぐ出したり TVに素材を売ったりはすぐやるくせに、学術論文は安っぽい 短報だけ、なんてのはザラ。
442 :
出土地不明 :2008/08/16(土) 17:39:01 ID:SlXCWPjX
落合淳思『甲骨文字に歴史を読む』はどうですか。
443 :
出土地不明 :2008/08/22(金) 13:02:30 ID:QZkRaoQM
444 :
出土地不明 :2008/08/25(月) 23:32:24 ID:2QyRWy8s
>442 第一部 甲骨文字とはなにか 第二部 文明と社会 第三部 殷王朝の歴史 の三部構成。 第一部は、前著『甲骨文字の読み方』(講談社現代新書)の 焼き直し縮小版。これは基礎的なパートとしてダブるのは仕方ない。 第二部は、白川静の著作に対応するようなパート。呪術一色の 白川学に比べると、それ以外の生活にも焦点を当てていて、 だいぶ日常生活の姿も想像しやすくなっている。 第三部は、貝塚・伊藤・松丸らの著作に対応。殷王系譜、 殷末衰亡期、宋公家の起源、などで新説も提示されており、 なかなかおもしろい。
445 :
出土地不明 :2008/08/25(月) 23:33:52 ID:2QyRWy8s
ただ仮説にすぎず、現状では検証できない説を「なのである」と やたら自信たっぷりに書くのは、中国古代史研究に特有な 白川イズム、あるいは平勢イズムの影響?っぽくもある。 あと、マルクス史観と国威発揚で二重にがんじがらめになって 視野の狭い研究が多い「中国での古代史研究」(具体的には 夏商周断代工程で代表)をきっちり批判しているのは爽快。 『読み方』同様、全編に渡って、甲骨文字・金文の拓本+釈字 +漢文&訓読が大きく提示されており、とてもわかりやすい。 特に学生にはありがたいだろう(たぶん大学で教科書にもする つもりなんだろうけど)。 既存研究への批判から出発している内容が多いので、貝塚・ 伊藤・白川などの著作抜きで、この本だけで殷史がわかるという ものではないけど、かなり良書・力作だと思う。買って損はしないよ。
446 :
出土地不明 :2008/08/26(火) 17:17:53 ID:POkuabHG
>>445 > ただ仮説にすぎず、現状では検証できない説を「なのである」と
> やたら自信たっぷりに書くのは、中国古代史研究に特有な
> 白川イズム、あるいは平勢イズムの影響?っぽくもある。
これ、何だろうね。中国古代史は本当にそういう印象を与える
著作が多い。白川、平勢は内容がまた独特だから、こうした独
断調の表現が更に目立つわけだけど。
447 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2008/10/23(木) 11:02:15 ID:Q1zW/fHb
関 関 雎 鳩 在 河 之 洲 ... klon klon thjar dku djes gar gte gtu ... 上古中国語の構文や形態素の本からひいた 上古の母音はたった6つ: a i u uu(平口のう) e o
448 :
出土地不明 :2009/01/01(木) 00:05:35 ID:uv1g3ulJ
>>442 みんなが言うように、いい本だった。これは買いだね。
著者はかなりすごい。これからも期待!
しかし、著者が牛の骨を沢山買い込んで、削ったり彫ったり熱したり、
その上「ボク」や「プク」でなく「カチッ」「ピシッ」という音がする、
ということを発見した下りを読んでいると、
「なんて地味な仕事なんだ、俺この分野進まなくてよかった…」と思ってしまう。
449 :
出土地不明 :2009/01/03(土) 00:17:53 ID:Yutrsgbe
禹では無くて啓こそが真の夏王朝の創始者であろう。
450 :
出土地不明 :2009/01/04(日) 02:05:48 ID:S470HUCF
で益が地元の有力者。それほど大した人物ではなく啓に王の座を譲ったが あまりにも味気ないので後世、舜や禹の架空の人物を絡ませて壮大な物語に仕立て上げた可能性もある。
451 :
出土地不明 :2009/01/04(日) 17:00:48 ID:0LP0P0QF
短パン
452 :
考える人 :2009/01/28(水) 18:53:56 ID:Xi5HsydT
殷墟の出土品で「磬」が発見されたことが書かれた文献を知っている方いらっしゃいませんか?
453 :
出土地不明 :2009/01/28(水) 21:28:04 ID:AEZxwnk6
桀は??
454 :
出土地不明 :2009/01/30(金) 01:50:30 ID:3qw5NdHJ
兎はゴアウルドの支配階級だけど高齢で身体の調子が悪い様だ。
455 :
出土地不明 :2009/02/09(月) 22:31:26 ID:BEZ5ZCd+
爵が男性器にしか見えない件。 考えすぎでしょうか? 日本には石棒とかありましたけど、中国ではどうなんでしょうね・・・
あのへんの土壌には酸素が含まれないからね だから1900年前のものがそのままの形で発掘される>英国ハドリアヌスの長城
457 :
出土地不明 :2009/02/10(火) 19:21:33 ID:wbA2TqJo
中国で先土器文化ってあったんですか? 仰韶文化でも、新石器文化なんですよね?
458 :
出土地不明 :2009/02/24(火) 23:34:55 ID:/NdB2hPt
459 :
月光仮面 :2009/03/10(火) 12:34:40 ID:OiGJ8Kch
殷の青銅技術を取得した羯族がアナトリアでヒッタイト王国を建国し、羌族がエジプトでヒクソス王朝を 樹立する。これらの文化は殷と共に崩壊し、半島・列島への稲作文化の波に乗って東進する。
460 :
月光仮面 :2009/03/10(火) 12:38:12 ID:OiGJ8Kch
ユーラシア青銅器の停滞を技術革新によって再生させた竜山文化人はやがては呉において世界最初の 鋳鉄製造に入る。
461 :
月光仮面 :2009/03/11(水) 15:48:12 ID:aZpa/wo/
462 :
月光仮面 :2009/03/11(水) 15:53:56 ID:aZpa/wo/
この動きは印欧語、朝鮮語、日本語等のウラルアルタイ諸方言、雲南・タイ青銅器文化、中国における歴史的な遊牧文化と農業文化の南北対立 朝鮮半島・日本列島稲作文化を生む。この動きと中国文明の竜山 文化が反応して殷が生まれるが、モンゴリアを東に回って南下する東夷、斉家文化、三星堆へと発展する 羌系民族の動きに分かれてくる。これが殷と周の起源であろう。
463 :
月光仮面 :2009/03/11(水) 16:38:57 ID:aZpa/wo/
464 :
月光仮面 :2009/03/12(木) 15:59:22 ID:lqCR/g3V
465 :
月光仮面 :2009/03/12(木) 16:06:29 ID:lqCR/g3V
466 :
月光仮面 :2009/03/12(木) 16:12:36 ID:lqCR/g3V
467 :
月光仮面 :2009/03/12(木) 16:36:26 ID:lqCR/g3V
468 :
月光仮面 :2009/03/12(木) 16:37:43 ID:lqCR/g3V
469 :
月光仮面 :2009/03/12(木) 16:42:53 ID:lqCR/g3V
カンチャシメンチ歌垣で歌い、踊る人々が
>>463 の鳥翼形冠飾に近いものを頭にしていることは
ユーラシア・ベルトの草原を移動して新疆に入ったことを物語る。そしてそれが殷に入る。さらには
東夷文化圏として朝鮮半島経由日本に到達、女王卑弥呼となる。
470 :
月光仮面 :2009/03/12(木) 16:51:22 ID:lqCR/g3V
「しかしながら、青銅器ではないにしても、石器、銅器の併用時代があったことから、青銅器も中国大陸
で独自に発達したとの見解も根強いのです。」
http://www.geocities.jp/rarememory/kouga5/kou5.html 竜山文化には高度に発達し、技術的には青銅生産に容易に切り替わる窯業インフラが存在した。
そこに西方・北東から交易牧畜民が青銅器のサンプルを持って登場した。量産が開始されたが応用
が専ら祭祀用であり、遊牧民のように軍事目的ではなかった。遊牧民は逆に中国の技術で武器の
量産を目指し、二輪車を開発、欧州、ナイル河、ユーフラテス河への進出を目指した。
471 :
出土地不明 :2009/03/13(金) 02:41:02 ID:1jSdRDYu
ウィキペディアの殷の項目に「また、殷は夷(漢民族から見ての異民族)であり、最古の中国の王朝と言えるのは周からであるという説もある。」って記述があるけど、 殷って何族の国家なんですか? あと、孔子が殷の末裔を名乗っているって本当?
472 :
出土地不明 :2009/03/13(金) 06:40:28 ID:uO0DV9W+
殷民族・商民族・宋民族のうちの好きな名前で呼べ。 考古学によると河北出身の民族らしいが。 あと、そのWikiの記述は忘れた方がいいよ。そもそも、周民族≠漢民族で 周や宋(殷)などの中華の諸民族が融合したものが漢民族。 孔子は宋(殷の後継)の大夫の家の子孫と言う説があるが、 系譜の類が残っているわけではない。
473 :
出土地不明 :2009/03/13(金) 16:18:39 ID:adC/uVxt
>>471 古くは王国維の殷周制度論で、東から起こった虞・夏・商の間では大きな違い
がなかったが、西から起こった周は大きく制度を変えた、という話がある。ま
た、それとは矛盾するが、夷夏東西説では「殷=夷=東」と「夏=華=西」という
ように、王朝・文化のちがいを地理的に説明しようとする。ただしどっちも十
分な証拠があるとは言えない。
孔子の先祖が宋から来たという話は史記の孔子世家や左伝にある。宋は元をた
どると殷の紂の兄弟である微子にたどりつくから、完全なデタラメとも言えな
い。
474 :
月光仮面 :2009/03/14(土) 13:50:50 ID:Kn9HL6jx
475 :
月光仮面 :2009/03/14(土) 14:03:05 ID:Kn9HL6jx
ヒルベト・ケラク黒陶をもってアナトリアに入るフルリ人の言語はシナ・コーカサス・ネデネ語といい、北米 ナデネ・インディアンと共通する。アルタイ地方から更新世末に北米に移住しているが、現在もケト・セル クープ人として残る。室伏選手のような感じの人種で、白人の兄弟分。他方、エジプトに入ったヒクソスは ダライラマのような感じの人であり、おそらくは天山南路経由でイラン北部からエジプトに入ったものであ ろう。秦氏が馬で中原に食い込むようにエジプト王朝に食い込んでしまったものと考えられる。
476 :
月光仮面 :2009/03/14(土) 15:56:04 ID:Kn9HL6jx
コーカサスとアルタイ・バイカル日本を結ぶものにはドルメンの他に箱式石棺墓がある。エジプトのピラミ ッドの内部にも石棺の形状をしたものがある。アララト山には箱舟がある。日本韓国には異国から磐船に 乗って到来する話とか、岩舟が山上に降臨する伝説が残る。中国の共工神話には不周山の崩れる大洪水 の話があるが、6300年前に喜界が島から鹿児島に火砕流を走らせた大爆発があった。これによる長江 流域から黄河上流への移動も考えなくてはならないのではなかろうか。
477 :
出土地不明 :2009/03/15(日) 02:14:53 ID:zzaoMsK1
↓の書き込みがあったけど、殷は後に金や清を建国する女真の国家だったって本当? 116 :名無的発言者:2008/03/11(火) 13:33:06 統一王朝ではないが、古代に殷という国があった。殷は甲骨文字を生み出した。甲骨文字こそが漢字の礎である。 また孔子は自ら、殷の末裔を名乗っている。殷は漢民族が忌み嫌う入墨をする習慣があった。殷は後に金や清を建国する女真の国家だった。
478 :
月光仮面 :2009/03/15(日) 16:39:33 ID:4jcj9nMn
アバーシェヴォ文化人の女性は粘土に強度をあげるために、淡水産貝殻を粉砕した粉を添加し、捏ね、 先ず底を作り、その上に,粘土帯を捏ね重ねた。粘土帯の継ぎ目は丹念に滑らかに仕上げ、整形された 壺の表面にはヘラで模様を描き、焼き上げりに光沢がでるように磨き上げ、その後数日、日陰で乾燥さ せた。壺を灰の中に完全に埋め空気を遮断し、灰の上で火を燃やして焼いた。こうすることで美しい黒い 色の壺ができた。時代が下りアンドローノヴォ文化期、木槨墳(スルーブナヤ)期には酸化法となり、赤い 色の土器となった。・・・ 中国では龍山文化は終わり夏・殷の時代に入る頃であり、アルタイ・モンゴルに限定されるプルジェワル スキー馬のデザインを持った青銅の剣とか、プルジェワルスキー馬を飼いならして使用し始めている。
479 :
月光仮面 :2009/03/15(日) 16:53:37 ID:4jcj9nMn
480 :
月光仮面 :2009/03/15(日) 17:02:24 ID:4jcj9nMn
アバーシェヴォ文化はアーリア族であり、ヴェーダに通じる風習があるとされる。黒陶と言うのはシャーマン 技術でもあり、アーリアのような神がかり集団にはもってこいの技術かもしれない。他方フルリ人は馬、 ハブール土器、ヒルベト・ケラク土器など黒の入る土器をもって中東に入ってくる。戦後に活躍した ソ連のトルストフと言う学者は今のウズベキスタン、ホレズムはフルリ人の国であるという説を唱えたとさ れる。l
481 :
月光仮面 :2009/03/15(日) 17:27:32 ID:4jcj9nMn
ロシアではカラスク人がケト人、パミールフェルガナ(ソグド系)人、河北中国人などの混合ではないかと 見ている。日本には気多大社なんていうのがあり、素盞嗚命がケト人がよく乗る鹿に乗って能登に来た とされるらしい。
482 :
出土地不明 :2009/03/15(日) 18:18:17 ID:Haw6375/
>>477 少なくとも甲骨文字によってあらわされている言語ははっきり漢語だし、
農業がきわめて重視されていたし、女真を思わせるような点はまったく
ない。
それに、女真に入れ墨の習慣ってあったっけ?
483 :
出土地不明 :2009/03/15(日) 23:24:25 ID:349PoHdw
じゃー女真じゃないの?
484 :
出土地不明 :2009/03/16(月) 11:18:12 ID:Cc+WzfWx
女真なんて千年以上前はどこで何してたかわかんないでしょ。 殷はそれよりさらに二千年以上前だから、時代錯誤にもほどがある。
485 :
月光仮面 :2009/03/16(月) 16:45:28 ID:6XfJb8ld
>>470 「しかしながら、青銅器ではないにしても、石器、銅器の併用時代があったことから、青銅器も
中国大陸で独自に発達したとの見解も根強いのです。」 ・・・殷と同時期のタイ、ヤクーチア、ブリャート
等にも銅の時代があり、その後に青銅に移行している。一元的に伝わったが地元において原料を探し、
生産したのであろう。このブリャートの東部、ザバイカルが後世の女真等を生むと見られる石板墓・鹿石
文化圏、しかし、これはその西方にあるカラスク文化圏の影響を受け青銅生産地、馬を主体とする
牧畜、半農半牧形態に成長する。殷とカラスク文化圏には通商関係があったのであろうが、この東胡地方
はどちらかと言うと巴蜀などと同じ立場であったかと見られる。ただし、この東胡地方にはカラスク時代に
三足土器が入り込んでいる。これは中国東北全体と比較するとやや早めである。綏遠では殷・カラスク
様式の銅戈が出土するといわれるが、その原料が地元の大井子銅鑛かどうかは不明。
486 :
出土地不明 :2009/03/17(火) 00:37:20 ID:c4/nRfQJ
じゃー殷は何族国家?
487 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 11:02:06 ID:Uojg47JZ
「紀元前2300年頃、中央アジアステップ西方から来た欧州人が黄河流域に新文化をもたらす。欧州人は その青銅冶金、金属器具・武器、二輪車、家畜化された馬といった先進的技術と地元黄河流域の発展し た農業文化を結合させた。」 ペンシルヴァニア大学 四川師範大学 2006年12月 「中国農業文明の勃興:考古学発見と史書の 不一致」 ・・・しかし、アファナシエヴォ文化に都市国家創造の能力があるのなら、もっと西方のシュメール系オク サス古代文明等も破壊されずに発展していたはずだ。安陽で生まれる殷の文化は農耕と遊牧のかなり 不安定な均衡に成り立ったものではなかっただろうか。二輪車・馬・武器等は全く発展せず、巨大な 鼎を生産する方向に力が入ってしまったことはその後の欧州での発展とは正反対の方向である。 このことは安陽に仰韶・龍山から継続する文化が基本的に影響を受けることなく続いたことを物語る。
488 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 11:09:39 ID:Uojg47JZ
>>478 アバーシェヴォ文化にはアーリア的風習の他に拝火教的風習もあるとされる。インドイラン未分化の
様相を呈しているようだ。彼らが手にした黒陶技術は黄河下流域において青銅技術との交換によって
取得したと言う可能性もあろうか。
489 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 11:31:59 ID:Uojg47JZ
花畑牧場と夕張メロン、天照大神と素盞嗚命、これらの背後に必ずしも人種対立があるわけではない。 問題は家畜のコントロールであったり、環境の変化であったりするのであろう。
490 :
出土地不明 :2009/03/17(火) 16:06:55 ID:2zU9YXPx
>>486 近代の概念である民族を古代にあてはめるのはおかしいし、「何族」みたいな
ことが言えるようになるのは早くて戦国以降だろう。
言語について言えば、甲骨文で表されている言語は中国語の古い形としか考え
られない(まあ、書く言語が母語と別という可能性もあるが)。人名や地名も
「婦好」の「好」のように単音節的で(これも合字があるから単純には言えな
いが)、ツングース系とはかけはなれている。
491 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 16:09:39 ID:Uojg47JZ
>>479 青銅武器などのソケット部分は実用の為に重要な部分であり、殷の方で発展するのではなく、中央
アジア以西で発展するものとみるべきか。
492 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 16:16:32 ID:Uojg47JZ
参考まで ペンシルヴァニア大学 四川師範大学 2006年12月 「中国農業文明の勃興:考古学発見と史書の 不一致」 で言及される中国語と印欧語(Proto-Indo-European)の対応 1. ?**maarg, *mraag (horse) : PIE root *marko- (horse) 2. *狗*koog (dog) : Old Irish cu-?, Tokharian A ku (dog) 3. *犬**koond, *koong (dog): Old Frisian hund, Gothic hunds (dog) 4. ?**breese, *breeg (dog with short legs): Old French basset (basset, short dog) 5. ?*praa (hog): Old English ba-?r (male hog), Latin porcus (hog) 6. ?*kraa (male hog): Old English hogg (hog) <*k- 7. 牛**kwш, *ngwш (cow, bull): PIE root *gwo?w- (cow) 8. ?*bшs (cow, bull): Greek bous, Latin bos (cow) 9. ?**kwor, *kwo (horse): Old Frisian hors, Old Norse hross (horse)<*k- 10. *?**kaad, *kaag (goat): PIE root ghaid- (goat) 11. ?*bleus (yellow horse with white speckles): Old Norse bles (white mark on the forehead of cow or horse) 12. ?*phleu (yellow cow with white speckles): (id.) 13. ?*ban (a kind of goat with a yellow belly): Greek Pan (the god of shepherds)50 14. ?(*bral >51 )*pral (bear): PIE root *bhar- (bear)
493 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 16:20:53 ID:Uojg47JZ
1. ?*kum (house): Old English ha?m (house) <*k-, Greek ko-me-? (village) 2. 防*ba? (bank of a river): Old Frisian bank (bank of a river, mound) 3. 都*taa (city): Old Italian tota (city) [the homonymic correspondence: 都*taa (all): Latin to?tus (all)] 4. 苑**qord, *qong (enclosed garden): PIE *ghortos (enclosed garden) (Concerning the alternative *-r / *-n in Old Chinese, cf. Bodman 1995: 90, 94. He reconstructed the earlier form as *-r.) 5. ?*Gon (orchard): Old Frisian garda (orchard, vegetable garden) 6. ?**bes, *be (to increase a building): Italian bastire (to build) 7. [土ォ]**raugs, *raus (enclosing wall): Old Frisian lok (castle), Old High German loh (enclosing wall) 8. 垣**Gol, *Gon (wall of a yard): Latin uallum (railings, fence) (Concerning the alternative *-l / *-n between Old Chinese and Proto-Chinese, cf. Bodman 1995: 93, 94) 9. 桓**Gool, *Goon (wooden post): Latin uallus (wooden post) 10. 坿*blos (to add height to the enclosing wall of a city ): Latin plu?s (to add) 11. 版**praa?ka, *praang (wooden plates used as tools in building walls): Late Latin planca (wooden plank) 12. 冓**krooks, *koos (wooden crosses that stand on the ground to form the frame of the house): Latin crux
494 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 16:23:20 ID:Uojg47JZ
13. 溝**kroob, *koo (ditch dug for draining water): PIE root *ghrobh- (dig), Old Norse gro-f (ditch) (Old Chinese should be*koo?, rising tone , and does not follow the rule.) 14. ?*dook (drain ditch in a town): Old Frisian di?ka (to dig a ditch), English dug (past participle, dig) 1. 帝*tees (God): Greek *Diwos (God)< PIE root *dei- 2. 天**thiim, *thiin (sky): Latin diem, Sanskrit dya-?m (day, sky) (忝*theem is written with the phonophore天, so天must go back to the form with a final *-m.) 3. ?**gaad, *gaag (the blessing given by God): Sanskrit *ghu?ta (God) Zhou Jixu, “The Rise of the Agricultural Civilization in China,” Sino-Platonic Papers, 175 (December, 2006) 34 4. 祇*ge (the god of the earth): Greek gaja (Gaea, the goddess of the earth, gaia) 5. 社**gjare, *gjag (a god who rules a part of a land): (id.) 6. ? **maars, *mraas (to worship the war god): Lat. Mars (the god of war) 7. ?**baaks, *baas (bacchanalia, a festival in which much rice wine is consumed): Latin Bacchus (the god of wine, Dionysius)< Greek Bakis 8. 羲和**s?ral-gwaal (>*h?ral-gool) (the sun god who drives the solar chariot): PIE root *sawel- (the sun, later the sun god, Helios) 9. 望舒*ma?s?hlja (God of the moon): Hittite meinulas (crescent) 10. ?*nak (the god of the sea): Greek Ne-reus (a sea god, Nereus) 11. ?*nak (spirits who look like trees and live in the forest ): PIE *na-, Greek naias (naiad, nymph)
495 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 16:32:36 ID:Uojg47JZ
2つの言語間でこんなに大きな対応があるのは日本の周辺では見られない。日本語と韓国語 を比較してもこんな対応は起こり得ない。古代中国語は印欧語に近かったと言えるかも。
496 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 16:43:14 ID:Uojg47JZ
中国から半島経由日本に入ってきた秦氏にはあまりにも多くの西欧系のエピソードがまつわりついており、 前々からおかしいと思っていたが、日本に入った秦氏は中国本土では失われた古代の伝承をそのまま 維持してきたからあんなに西洋ッポイのかなーと言う気がする。
497 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 17:54:13 ID:Uojg47JZ
ペンシルヴァニア大学 四川師範大学 2006年12月 「中国農業文明の勃興:考古学発見と史書の 不一致」による中国の印欧系支配者と推定在位年代: Huang Di (Yellow Emperor) (2250 BC); 黄帝 Zhuan Xu (2220 BC), Di Ku (2190 BC); センギョク、テイコク Yao to Shun (2160 BC-2100); 尭、舜 Yu (2100-2070 BC); 禹
498 :
月光仮面 :2009/03/17(火) 18:36:36 ID:Uojg47JZ
三王朝年代 夏 Xia 2070-1600 BC, 商 Shang 1600-1046 BC, 周 Zhou 1046-221 BC.
499 :
月光仮面 :2009/03/18(水) 16:09:53 ID:cqrxKgga
>>491 >>498 これはSino-Platonic Papers誌(不定期刊行物)の仮説の中で参考にしている資料
であり、その仮説の説ではない。その仮説の趣旨は三皇五帝神話における穀物農業の起源が考古学的
現実からかけ離れて晩くなっていることから、この神話は黄河中流域に到来した印欧語族に属し、始祖を
黄帝とする民族の神話であり、そこには長江文明の流れを汲む原住民の歴史が反映されていないと
するもの。あくまでも仮説としている。
500 :
月光仮面 :2009/03/18(水) 16:20:03 ID:cqrxKgga
斉家文化にでてくる牛頭の像は黄帝ではないかと思えるが、黄には大地の意味があり、中国には 土族、土家族などと言う族名は多い。日本でも土公、土御門などと言う言葉はある。黄帝と言う言葉は 普遍的な意味で特定の人種等に限定されるものではないのではないかと思うが。しかし、神話と言うのが ある特定の時代に創られるということは、銅鐸の記憶の完全に欠如した記紀が生まれることとの関連で 興味深い。
501 :
出土地不明 :2009/03/19(木) 00:14:00 ID:JvBlYLVh
月光仮面は邪魔だからもう書き込まないで。 正直、大迷惑。
502 :
月光仮面 :2009/03/19(木) 10:29:07 ID:lnyw82ox
Sino-Platonic Papers誌(不定期刊行物)の仮説については執筆者Zhou Jixu先生に敬意を表し、 以後ZhouJixu仮説と仮称する。これに依れば夏とは“the area of cultivation.”農業地域のことで、 戎とはa style of life―nomadism生業としての、遊牧民のこと。また、周は羌と兄弟関係にあり、 古代においては黄帝系が姫姓、炎帝系が姜姓ということ。商と周は禹を崇拝することにおいて変わりは なく、出自を共有している。禹は黄帝国家の偉大な指導者。商も周も夏の国民同様禹を崇拝した。・・・ 月光仮面の意見: 漢字のできる頃なんだから姫と言うのは女王の親衛隊と言う意味ではなかっただろ うか。
503 :
出土地不明 :2009/03/19(木) 22:15:20 ID:l2dTUHpr
>>502 >月光仮面の意見: 漢字のできる頃なんだから姫と言うのは女王の親衛隊と言う意味ではなかっただろ
>うか。
一般的に言って、甲骨金文の時代には、「女」という部首は「氏族」「家族」「血族」「血統」「婚姻縁組」に関する漢字に多く付けられています。
周代の著名な姓にも姫姓、姜姓のほか、「?」(秦、趙の王室の姓)があります。(そもそも「姓」という文字自体が女偏です。)
「姫」の女偏も、「これは人の姓ですよ」という記号(つまり会意文字でなく形声文字)ではないでしょうか?
504 :
月光仮面 :2009/03/20(金) 08:01:16 ID:/grxiW3h
505 :
月光仮面 :2009/03/20(金) 16:43:18 ID:/grxiW3h
中国土器も知らねえ馬鹿が考古学なんか語るなよ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1225657620/menu58 タクラマカン小河墓遺跡出土ミイラの棺は鮮血したたる牛の生皮に包まれ、棺の稜線は面取りの上に
研磨されていた。こうした木工が発見されて例は他にない。老女被葬者はエジプトのファラオがコブラの
王冠をつけるように二匹のイタチの毛皮の巻かれた毛皮のとんがり帽子を被り、足元には牛の頭を供え
辟邪のお面(蘭陵王の原型か)も供えられており、明らかに女王であった。研磨をこの当時中国西部に
はいているのはアファナシエボ文化人であり、ウラル方面における彼らの墳墓は小河墓遺跡の棺と同様に
横木で覆われるとされている。ミイラの身につける縫い付け装飾品は蛇紋石を磨いたものであった。
やや時代は遡るが斉家文化においてもトルコ石の象嵌等が目立っている。こうした研磨技術が仰韶文化
に由来するのだとすれば、小河墓の小麦農耕牧畜民である西欧系女王の葬礼を下支えしたのは仰韶
文化人だといえるかもしれない。こうした推論から姫と言う字に女王親衛隊の意味があるのでないかと
考えた次第。これは遅ればせながら自説の背景です。ご参考まで。
506 :
月光仮面 :2009/03/20(金) 17:14:18 ID:/grxiW3h
ZhouJixu仮説では仰韶文化人を南モンゴロイドとし、チベットであるとか、羌等とは形質的に異なる としている。そうすると小河墓パレオ・エウロペイド系ノマドの女王の葬礼を支えたのは仰韶人・南 モンゴロイドであり、当時タクラマカン方面にはこれとは別に羌系も存在していたと考えられる。 すると黄帝・炎帝の両系統は仰韶系と羌系と言うことになる。婦好が巴蜀方面を制圧するのは 銅緑山・銅鼓山資源の巴蜀・三星堆文化圏からの奪取と言うことであろうが、同時に牧畜経済圏 の農耕経済圏への転換と言う意味もあったのではないかと考えられる。
507 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 10:52:36 ID:v0kLA9tb
殷の青銅器文化は特定の国に黄金が集中してしまうようなもので、司母戊の鼎等は異常な大きさ。 当時のユーラシアで資源がこれほど偏在しているのはエジプトのファラオにも勝るとも劣らぬ異常なこと。 他方同様の傾向を持つ三星堆は殷と同じく銅緑山・銅鼓山資源に依存していたのだがパタっと文化が 停止している。これは明らかに関係している。殷の刀子は燕などでは貨幣にもなるが、そのデザインが カラスク文化起源であるにせよ、殷が大蔵省造幣局であったことは否めない。当時トルケスタン・ザバイ カルには殷に匹敵するほどの銅・錫資源が存在し、開発も行われていたが、殷の供給力には凄まじい ものがあり、トルケスタンの欧州系、ザバイカルの東胡系は殷から輸入も行っていたのではなかろうか。
508 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 11:01:22 ID:v0kLA9tb
酒池肉林、心臓を矢で射抜く事等は遊牧民の神聖な歌垣、豊穣式典であり、国境を侵犯し、農民に 被害を与える侵入者、羌族を処刑し、神に捧げることは大事な儀式であった。が、問題は羌族が こうした制度を批判し、革命により万民に平等な社会の実現を目指す改革に成功した。これが周 ではなかっただろうか。
509 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 11:51:19 ID:v0kLA9tb
510 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 13:49:07 ID:v0kLA9tb
殷の箕子は朝鮮に入るが、衛満に追われて南下する。ソウルの東方に江原道春川があり、牛頭天王が 祀られるが、これは黄帝と同じく角を持っている。邪馬台国の前夜、兵庫県の方面から逢坂湾にかけて 殷に特徴的な銅戈を埋納する文化が広まるが、そこに河内物部、紀(殷の姫)氏が出現、陵墓を蚩尤 (兵主)に守られ、卑弥呼の墓とされる箸墓が築かれる。山辺には神農(少彦名)が祀られる。この 少彦名はオオナムチと対になって現れ、大物主と三点セットになる。すなわち大物主は蛇、大地であり、 黄帝であるともいえるが、女王を守る牛でもある。早い話、大和の豪族は殷の遺民の制度を基に建国 したものといえる。後漢時代に西王母と対をなす,東方の男性神、東王公(東王父)も登場し、神武と 言った存在もありえてことであろうが、現代で言うカップルではなかったようだ。
511 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 13:57:56 ID:v0kLA9tb
この殷の伝承を担いだ河内の農民と言うのは遺伝子的にバイカル湖・中国東北部から朝鮮半島に 無文土器文化と共に南下する農民で、非常に古い時代には長江下流域から北上し興隆窪文化として バイカル湖方面に浸透したものではないかと思う。これと殷の文化は偶然に江原道で出会ったものと 見られる。
512 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 14:05:55 ID:v0kLA9tb
殷の遺民であれば三足土器とか、箸の使い方程度は知っていたはずだが、倭人伝では豆(高坏)は認め られる程度の評価である。
513 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 14:28:29 ID:v0kLA9tb
しかし、神武が国見として、風水的に二里頭、集安のような立地を選択することは戦略的ノウハウがある ものと考えられる。これは環濠集落、高地性集落にも通じるものでユーラシアの常識であり、もはや ノウハウではないとしてしまえばそれまでの話だが。
514 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 15:25:05 ID:v0kLA9tb
515 :
月光仮面 :2009/03/21(土) 16:18:56 ID:v0kLA9tb
夏の国が南(長江やわいがわ)から来た説があるそうですが、 ご存知の方、正誤も含めお教えください。
517 :
出土地不明 :2009/03/26(木) 17:15:52 ID:7M3yHr7W
夏王朝が存在したとすれば、禹王とか三皇五帝とか実在したのだろうか。
518 :
月光仮面 :2009/03/27(金) 09:24:18 ID:wD6q7ugF
519 :
出土地不明 :2009/03/31(火) 02:41:12 ID:extWU9fn
禹ってノアのことですよね?
520 :
月光仮面 :2009/03/31(火) 16:15:37 ID:+fOy5Ytg
521 :
出土地不明 :2009/04/01(水) 12:04:00 ID:zfirFLTv
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。
タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf 日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
522 :
出土地不明 :2009/04/01(水) 12:06:46 ID:zfirFLTv
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?
日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html 紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
523 :
出土地不明 :2009/04/01(水) 12:08:40 ID:zfirFLTv
その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
先のとがった棒が発掘されているらしいよ。
そして世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html 世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
524 :
出土地不明 :2009/06/08(月) 23:51:27 ID:X4isZKm/
1、三星堆の文字はインダス文字と酷似している。おそらくインドが起源と思われる。 2、甲骨文字を始めて使ったのは夏か殷かどちらか?シュメールの楔形文字の影響はないのか? 3、三皇五帝は司馬遷により伝説であり史実ではないと切り捨てられている。 4、そして、禹も神武天皇同様実在しないであろう。 5、夏王朝の王族に業績不明瞭な王があり、日本書紀の欠史八大同様水増しされて実際より長く続いたように見せかけている。 6、杞のあった所の遺跡を人工衛星で調べれば必ずや夏に繋がる遺跡が出るであろう(中国政府はエジプトのように許可シル!!) 7、殷跡の前の4代目の首都の発見 8、夏王朝時代の殷の遺跡を発見して殷族の正体を明らかに 9、夏や殷の文明はシュメールから中央アジアを通って発祥したのか?(アナウ文化等) 10、夏の刻印文字は甲骨文字の原型か?
525 :
出土地不明 :2009/06/09(火) 20:15:37 ID:E1Iw3wJP
100年位前の中国人は史記の記述は全く信用できない単なる神話に過ぎないと 切って捨ててたが。殷墟が見つかり王の名前も甲骨文字と一致していたし、始皇帝陵も そんなの「あるわけない」と言ってたけど見つかったし、戦国時代の戦乱も疑わしいとか言ってた戦いも 人骨が発掘されて立証されたりとかこんなのばっかり。古代蜀王朝も司馬遷の捏造呼ばわり してたのに実際に遺跡は見つかるしね。 自分たちの祖先が書いた物なのに頭から否定していたわけで、これが中国の考古学が遅れる原因となった。 その反動なのか司馬遷だって三皇五帝の事は神話であって事実じゃないと書いているが最近では信じている人も居るそうな。
526 :
出土地不明 :2009/08/03(月) 20:47:59 ID:avXKJghG
また電波に占領されたスレか やれやれ
527 :
出土地不明 :2009/08/04(火) 01:53:23 ID:jADCGE1h
528 :
出土地不明 :2009/08/04(火) 02:20:09 ID:kb5CbNDJ
>>527 人面?(カ).......禾の下に皿だよ。
529 :
出土地不明 :2009/08/04(火) 03:03:32 ID:/Z4ymqA0
>>527 殷の人面「禾皿」の頭部に突き出た二本の角(髪型?)と
笑顔埴輪の角(髪型?)も全く同一のものだ。
530 :
出土地不明 :2009/08/04(火) 20:40:19 ID:hbHDSVkC
531 :
出土地不明 :2009/08/04(火) 22:10:04 ID:/Z4ymqA0
>>530 これがツヌガアラヒト(角があら人)なんだろうな。
532 :
出土地不明 :2009/08/05(水) 12:52:51 ID:gOAKrwB8
287 名前:出土地不明 :2009/08/05(水) 12:26:36 ID:gOAKrwB8 じゃあ何で「カ」(禾の下に皿)という器種自体が伝わっていない? 足を見てみろ。 何で「環足」が伝わっていない? 何でその青銅人面の体を飾っている「雷文」が伝わっていない? 人面土器は世界中から出ていて、それだけでは全く証拠にならん。
533 :
出土地不明 :2009/08/06(木) 08:48:08 ID:kef9crQA
紀元前の中国の歴史は半分捏造されているのは、当たり前の事実だよ 古代文字を少しでも勉強した者なら解るだろ
534 :
出土地不明 :2009/08/06(木) 11:37:09 ID:9OMC00Dc
中国は20世紀はじめのエジプトなみの考古学のフロンティアだと思うの
535 :
出土地不明 :2009/08/06(木) 13:29:56 ID:pr6hFPBL
536 :
出土地不明 :2009/08/07(金) 01:57:19 ID:dvRC5tYH
>>535 >此れが学問的に検証され公開されれば確実だね。勇気ある考古学者出て来イヤー!!
一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。
伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...
537 :
出土地不明 :2009/08/07(金) 21:19:02 ID:Vj+4N9mc
538 :
出土地不明 :2009/08/08(土) 00:33:24 ID:/UY/0NN1
● 殷・周の貝貨.....宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A005.htm 貝貨 15-21mm 0.5-2.0g
中国では新石器時代の晩期の紀元前30世紀ころから、墓地に宝貝が埋葬されています。
宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。はるか海上
の道を伝って運ばれたものです。宝貝の裏面は丁寧に削り取っています。
殷王朝[下の地図@]の末期から西周王朝の末期にかけて、王や王族が家臣に宝貝を
下賜した記録が残されています。
西周第5代の天子穆公は、治世13年(紀元前989年)6月6日、西域の赤烏の王に、
墨車4輌、黄金40鎰(800両)、貝帯50、朱薬300嚢
を下賜したとの言い伝えがあります。
柳田国男さんは『海上の道』の中で、琉球諸島の宝貝が殷王朝に供給された可能性を
強調されています。
539 :
出土地不明 :2009/08/08(土) 22:09:33 ID:PNwOKipN
宝貝って四国じゃ「ネコの枕」って云ってたな。
540 :
出土地不明 :2009/08/09(日) 23:05:43 ID:FxZKeS3X
産地特定は出来んよな? 安心してていいんだよなw
541 :
出土地不明 :2009/08/11(火) 18:24:17 ID:fZVYLwaY
542 :
出土地不明 :2009/08/11(火) 23:45:37 ID:eVZDQYe+
543 :
出土地不明 :2009/08/20(木) 14:24:33 ID:5VetVbNS
>日朝間には縄文頃より交流は有るが、木の曲げ物(杓子、樽作りの技術が無いので 甕を多く使う)水車等は明治に入るまで無かった。つまり幾ら交流が有っても興味が無い、必要性 (宗教上含)が無い、技術が無い、唐の様に絹の製法を国家管理してる場合などは伝達しにくい。 >朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、1880年代になっても 金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。つまり、朝鮮人は、 朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということだ。
544 :
出土地不明 :2009/08/26(水) 18:08:25 ID:QAwqSY/5
545 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 11:26:02 ID:0X4O7Cwg
389 :出土地不明:2009/08/29(土) 21:07:38 ID:oqHxVwoH
>>382-388 よう!
日本人のルーツを台湾人の祖郷江南に誘導する事がミッションの
侵略者チャイニーズタイペイ工作員くんw
馬鹿と低脳しかダマせない欺罔ネタはそれでもう終わりか?w
では、神の俺様から下々に向かってご神託をしてやろうw
その中で縄文高床式倉庫の証拠として使えるのは、数百以上の跡がある
三内丸山遺跡と高床式倉庫を構成する大部分の部材が出土している桜町遺跡だけだな。
跡や建材の一部だけだと、旧石器時代からある竪穴式住居のものだと言えてしまうからな。
で、肝心のその高床式倉庫の伝来先だが、三内丸山遺跡と桜町遺跡がある青森と富山に
当時登場してきた土器を見れば一目瞭然だな。
「円筒土器」は、東北地方北半部から北海道南西部にかけてと、不思議な事に
東北地方南部を飛び越えて北陸の富山から出土している。
で、この円筒土器、当時の遼寧から沿海州南部にいたる北東アジアに広がっていた
「平底筒形罐」と器形が全く一致している。
つまり、日本海を縦断した青森や富山から一番近い大陸だった「沿海州南部」との
交流を通じて、縄文高床式倉庫も円筒土器も玉ケツ(ケツ状耳飾)も伝わっただけなのである。
ただし縄文高床式倉庫と弥生高床式倉庫は連続していない。
西日本での縄文期の高床式倉庫の確証遺構が全く無いからである。
弥生高床式倉庫は弥生開始期と同時に九州北部に突如として登場するのである。
@@@@@@@オレ少し台湾ノイローゼ気味かな@@@@@@@@
547 :
出土地不明 :2009/10/12(月) 22:58:08 ID:/qPszCFB
hosyu
548 :
出土地不明 :2009/10/20(火) 21:08:45 ID:3s1GCFLe
結局、日本人の祖先が夏・商(殷)王朝の子孫であることは無いんですね。 周王朝の子孫である可能性は少しあると。
549 :
出土地不明 :2009/10/20(火) 23:11:38 ID:BmgmFug0
「鳥居」の登場は8C。
鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85 8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
550 :
出土地不明 :2010/02/04(木) 19:44:36 ID:fzEsLRaI
>>548 夏はありえる。この頃はまだ漢字はなくて、絵文字だから、
後世の日本人が暗誦で歴史をすべて記憶していた事とか、卜占の手法とか
かなり似てる。しかも、孔子の時代でさえ、夏礼は寂れつつあり、孔子はその原型を追い求めた。
神道と道教は全く関連がないはずなのに、核の所が無自覚にも関わらず似すぎてて、絶対関係ある。
551 :
出土地不明 :2010/02/23(火) 16:34:17 ID:z08La8JG
>>548 商(殷)は、可能性殆どないんじゃないかな。
夏は、何者かわかってはいない。
552 :
出土地不明 :2010/02/24(水) 00:18:24 ID:f27PFMTR
夏の王室の子孫が殷、周によって杞に封じられている。(殷の王室の子孫は周によって宋に封じられた。) この時代には、滅ぼした旧王国の王室はどこかに封じて諸侯の待遇でも与えて祭祀を継続させなければ、滅ぼした国の祖神の祟りを受ける、と本気で信じられていた。 ゴッドハンドが平然と考古資料を捏造したり、敵対国同士が平気で歴史資料を捏造し合っている現代とは価値観が違う。 「王室の子孫を捏造して国君にする」ことなど、当時の人間には恐ろしくて思いも寄らないことだったはず。もし殷王が強引にそれをやったら今度は自国の祖神の祟りを国中の臣民が恐れて収拾が付かなくなっただろう。 「夏の王室の子孫が杞に封じられていた」という歴史的事実を最も容易に説明できるのは、「夏王朝は実在した」という仮説。
553 :
出土地不明 :2010/02/24(水) 08:09:00 ID:Ay35kotR
>>552 それでは天皇家は天照大神を祖神として祀ってるから天照大神は実在したと言ってるようなもの。
杞については記録がほとんど無いので、はっきり言えるのは殷代のある時点から夏王朝の子孫を称したという
事だけ。
554 :
552 :2010/02/25(木) 00:49:35 ID:4zCeEklu
>>553 全体としてご意見には一理も二理もあるとは思うんだが・・・
「人間であるAさんが昔の人間であるBさんの子孫である」ことと、「人間であるAさんが神様であるC様の子孫である」ことは、いくら古代人でも別の事態だと考えていたのではないか?
人間が人間を生むことは日頃からよく経験することだ。
一方、人間でないものが人間を生むことは古代人もまず実体験としては経験しなかっただろう。
この実体験を過去に類推して積み重ねれば、「杞の殿様の先祖は昔の夏の国の王様だったそうだ」は、出元が確かな話ならば、古代人は容易に信じることができただろう。
しかし「王様のご先祖様は神様がお生みになったそうだ」という話になると、たとえ古代人はそれを「信じた」にしても、今で言う「信用する」と「信仰する」ほどの違いがあったのではなかろうか?
>杞については記録がほとんど無いので、はっきり言えるのは殷代のある時点から夏王朝の子孫を称したという事だけ。
「事実」の問題としてはその通りで、まことにごもっとも。
その上で、その事実をうまく説明するには、何通りかの「仮説」が可能。(殷王は杞に何かの借りができたので名誉的優遇措置を与えた、etc.)
その諸仮説の中で、あくまで比較相対的に今のところ一番説明が優れているのは「夏王朝は実在した」という“仮説”(確定した事実の問題でなく、今後検証されるべきものとしての)だ、と言いたかった。
徳川家康の本姓源氏が限りなくインチキ臭いように、杞の国君が実際は夏王の子孫ではなかった可能性、夏王朝は実在しなかった可能性も十分あると考えてはいる。
しかし現時点での仮説の競走レースでは「あった説」が「なかった説」をリードしていると思う。
555 :
出土地不明 :2010/02/26(金) 19:50:19 ID:8mCUvGiB
みんな、何か、気がついちゃったんだ。 杞人憂天の「杞」は、孔子の時代でもほぼ唯一の夏王朝の直系の王家なんだよね。 しかも、ほぼ20年間隔で遷都(遷宮)して、夏礼を古来のまま、 保存し続けたんだよね。 これ、伊勢神宮の式年遷宮と限りなく似た感覚じゃないですか? 他にも一致点が色々あるけど、また後程・。
556 :
出土地不明 :2010/02/28(日) 08:52:19 ID:wVVC2HFL
殷商出身といわれる魯の徐、条、?、索、長勺、尾勺は その後どうなったの?
557 :
出土地不明 :2010/03/06(土) 18:14:34 ID:U8KPsWT6
杞県をレーダーで観測して遺跡を発見してもらいたい。 周の王墓すら未だに確実なのは発見できていないのだから何かはあるんだろう。 でも相当規模は小さそうで見つけるのは大変だろうな。 あの国は日本と違って国土がでか過ぎるからそう簡単に見付けられないだろう。
558 :
出土地不明 :2010/03/07(日) 20:27:08 ID:Jd1jiB81
禹王と三皇五帝はまず実在しないであろう。 禹王=神武天皇 三皇五帝=アマテラス・イザナギ・イザナミ 何らかのモデルになった人物や集団は居ただろうけどね。 夏王朝の王の一部は間違いなく神武以降の八代同様架空の存在だろう。 何しろ即位年と没年以外の業績が不明瞭な王が数代続いているのも酷似している。 夏王朝は周辺国の中では一番の強国ではあったが史記に言われているような絶対的な強者では 無かったと思う。それれは殷の権威と大きく見せるため。 夏が実際より大きな国だったらそれを倒した殷もまた大きくそれを更に倒した周は更に大きいと。 おそらく夏王朝は水増しした王を除けば、500年も続いた事は無くせいぜい150年程度の長さと予想する。
559 :
出土地不明 :2010/03/07(日) 20:45:03 ID:Jd1jiB81
夏王朝の始めの王は禹王では無く益で祟神天皇に相当する。禹王は神武天皇だから 実在はしない。夏王朝を実際より長く続いた強大な国に仕立て上げるために間に業績不明瞭な 架空の王をねじ込んで権威付けを行った。実際は易姓革命と言うよりも夏と殷の勢力争いに 過ぎなかったが夏は殷を圧倒するほど強く殷はいやいやしたがっていたが夏の最後の王が 暴虐の限りを尽くして弱体化したところを殷に攻め滅ぼされた。こうして殷は最大の国家となった。 殷を周が倒したのとは違い、殷と夏の実力はある程度拮抗していたライバル関係だったと思う。 殷よりは強大だけど殷と周ほどの関係ではなかったろう。 中国4000年の歴史ではなく、中国3750年の歴史ぐらい。
560 :
出土地不明 :2010/03/07(日) 22:19:56 ID:Jd1jiB81
少し間違えた 禹王=神武天皇 三皇五帝=アマテラス・イザナギ・イザナミ 益=ニギハヤヒ 啓=祟神天皇 水増しされた業績不明瞭な夏王=欠史八代 祟神天皇に相当するのは益じゃなくて啓。益は啓に王座を譲った土着の豪族と仮定する つまりはニギハヤヒに相当する。神武天皇にニギハヤヒは王座を譲ったと言うが本当に譲ったのは 祟神天皇だろう。禹王の存在を信じるのは神武天皇の存在を信じるような物。
561 :
出土地不明 :2010/03/07(日) 22:49:09 ID:Jd1jiB81
夏王朝の初期の王と後期の王の業績は詳しく書かれているのに中期の王はスッポリ業績が 不明瞭となっていて即位年と没年のみで具体的に何をしたのかほとんどわからない。 わからないと言う事はつまり存在しなかったのだろう。 周の歴史家が夏王朝を実際より長く続いた王朝に仕立て上げたのだ。 正に皇紀2600年の水増しの為に実在を疑われる欠史八代を入れて天皇家を実際より長く続いていたかのように 見せかけた事とよく似ている。欠史八代も夏王朝の中期の王達どうよう即位年と没年以外の事柄は ほとんど歴史書に見えない。どこの国も見栄を張りたくなるものだと思った。
562 :
出土地不明 :2010/03/08(月) 01:30:35 ID:Rzas4EK2
>>561 西洋(エジプト、中東)でも水増した例はある?
563 :
出土地不明 :2010/03/11(木) 06:03:59 ID:7S4BKnhb
>>132 中国ではその説信じてる人多いらしいね。
俺もそんな気がしないでもない
564 :
出土地不明 :2010/03/11(木) 17:37:50 ID:0u6GQnph
565 :
出土地不明 :2010/03/18(木) 10:17:32 ID:bXKKOvht
>>562 いっぱいあるよ。シュメールの初期の王はヤッパリ業績不明で伝説扱いだし、
エジプトなんて逆に実在の王が居なかった事にされたり。同一人物を別人に仕立て上げたりいろいろ。
ギリシャの初期の王もローマの初期の王も禹王や三皇五帝見たいにとても普通の人間とは思えない。
どこの国も史実に伝説的な王を入れて水増ししている。
禹王なんて初代ローマの王ロムルス同様実在の人物ではないだろう。
でも何がしかの史実を反映しているのは間違いない。
566 :
出土地不明 :2010/03/20(土) 16:34:05 ID:GHCYSFIs
567 :
出土地不明 :2010/03/21(日) 01:45:21 ID:4Q1dchXb
568 :
567 :2010/03/21(日) 02:04:55 ID:4Q1dchXb
中国語の四角とは、日本語にすると四隅なんですか・・・ 角材が、支えているのではないのかぁ。 柱は四本ってことかな? 青銅剣が4本の倍数出てきてたら、面白いですね。
569 :
567 :2010/03/21(日) 02:41:29 ID:4Q1dchXb
しかし、天が落ちてくるとか、天地がひっくりかえるとか 天地開闢の逆回しか。 自分のところだけ落ちてこないように、長野の御柱祭みたいなことやれば いいんじゃないの? 4の倍数だよね。あれも。
570 :
出土地不明 :2010/03/25(木) 16:24:44 ID:nelHconB
夏は殷や周の呼び名で自称じゃないよね。夏の人たちは自分達の事を杞と自称してたかもしれない。 殷だって周の呼び名で自信は商と自称していたわけだし。夏とは自称して無いと思うね。
571 :
出土地不明 :2010/04/07(水) 18:20:01 ID:K3lX0e2k
なんかベトナムだの何だの連呼しているやつがいるけど あんたカンボジア人か?
572 :
出土地不明 :2010/04/08(木) 05:21:29 ID:nqEHRrk+
殷って大量虐殺の元祖ないし起源だっけ? そこの銅が日本の銅鏡と成分が一致するらしいけど 今さら殷がどうこう騒いで困る人いるのか? 自称が殷でなくても後継者なら自称してもかまわんだろう 言われてみれば 後殷とか東殷とかいった王朝がないのが奇妙な感じするわな
573 :
出土地不明 :2010/04/08(木) 10:44:19 ID:m9s0OxSj
夏はあるね
574 :
出土地不明 :2010/04/09(金) 05:00:14 ID:/Ts+6UJ0
>>571 ファビョってるのは分責O2aさんでしょ?
越の国が島根にあるとかトンチンカン
韓国にいない血統だと喜んでたら
高椋人だと知らされて自我崩壊w
575 :
出土地不明 :2010/04/09(金) 12:07:13 ID:okUuK6H4
>>567 規制に巻き込まれてて、お礼が遅くなってすいません。
貴重な情報ありがとうございます。その文献、ぜひ取り寄せてみようと思います。
>>御柱祭 って4の倍数なんですか・・。マジで関連ある可能性ありかも?
日本の神話の国譲りされる前の出雲の伝統的な祭りですよね。
杞の滅亡年代=日本の成立年代、その後秦族が入って来て王朝交代とか
年代的には神話と伝承が不思議なくらい一致してるし。
杞の遷都と祭祀=伊勢神宮の式年遷宮
杞という字を遠くから見ると「日本」に見える・・
他にも色々あるけど、この現代に、色々な人が気づき始めたのも
何か、偶然にしても、理由がある気がしてならないです。
576 :
出土地不明 :2010/04/09(金) 12:17:57 ID:okUuK6H4
>>572 日本の弥生時代の青銅器(銅鐸など)の成分は、周と同じだと言う事が
解ってるはず。殷ではないです。
その理由として輸入されたものを溶かして日本で作ったとかトンデモ説が出回ってたけど、
越地方で出土した銅鐸と、日本の銅鐸の文様や様式が近い事から見ても、日本と周との関わりは結構あるはず。
杞が夏の禹の直系の子孫で夏の祭祀を主宰してた事、杞を再興したのが周だった事、越王も禹の直系の子孫と自称してた事、など考えると
半端なく繋がってると思う。
日本のすごい所は、すべてそういう事が、科学的な手段が進歩するに従って、
立証されて行く所だと思う。
577 :
出土地不明 :2010/04/09(金) 12:41:17 ID:okUuK6H4
>>574 日本人と朝鮮人は、民族が違うと言うのは、最新の精度の高いDNA研究では
立証されてるはず。なぜか、そういうデータを出したがらない人が多い。
言語学的にも、昔は日本語と朝鮮語はアルタイ語という事にされてたけど、
今言語学をやってる人で、そんな事言う人は皆無。
分類上も、「系統不明」になってる。
日本語は基礎語彙も文法もビルマ語・チベット語系というのが立証されていて、
それを細かく検討している段階で、新しい言語学の本を見れば、日本語研究が
すでにそういう段階に入ってるのがわかるはずだけど。
ちなみにビルマもチベットも羌族の子孫を自称している民族で、
夏の始祖禹も羌に住んでいた事があると言われてるし、
周の文王に協力して殷打倒に大功を上げたのも羌、始皇帝の全土統一に協力したのも羌
日本語は、古代の中原の言葉羌語+夏語+後世の漢語が重なって成立した言語だと考えると、
年代、成立、DNA、すべてが辻褄が合う。
重要なのは、朝鮮語とビルマ語・チベット語を比較してみた時、
基礎語彙、文法、音韻体系(朝鮮語には高低アクセント・声調が無い)
全てが全く一致せず、共通点がない事。
もちろん、朝鮮語は中国語とも全く一致点がない。
多言語を介在させると、日本と朝鮮がいかに違う民族なのか、よりはっきりしてくるんだよね。
578 :
出土地不明 :2010/04/09(金) 13:58:04 ID:TkJNxn/9
でも白馬たんも奴隷民たんも 和諧思想の体得者だから 朝鮮排除の発想なんてどこにもない。 日本や韓国の国粋主義に学問が 利用されるのをよしとしてないわよ。 羌でも苗でも越でも蔵でも 彼らの持っている思想は血統による対立ではないはず。 それが江南思想朱子学批判につながっているわけ。
579 :
出土地不明 :2010/04/09(金) 16:53:46 ID:WEbn1s0t
>>577 え、何?、間にいろんな言語があるから日本と朝鮮は全然違う民族?
分かるのは、日本語はビルマ語・チベット語からの影響大ってことだけでは
>分類上も、「系統不明」になってる。
>日本語は基礎語彙も文法もビルマ語・チベット語系というのが立証されていて、
何言ってるのか分からない。立証されてるのに「系統不明」?
全然辻褄合ってないのに。言葉をこねくりまわして何を主張したいんでしょう。
きもい。
580 :
出土地不明 :2010/04/09(金) 22:57:15 ID:Z5CyS4xU
>>577 >>日本語は基礎語彙も文法もビルマ語・チベット語系というのが立証されていて、
それを細かく検討している段階で、新しい言語学の本を見れば、日本語研究が
すでにそういう段階に入ってるのがわかるはずだけど。
・・・だれがそんな説を出しているんだ?言語学者の名前を挙げてくれ。
581 :
出土地不明 :2010/04/10(土) 15:48:43 ID:+SWEm/tQ
質問なんですが、資料によって漢字の前身・甲骨文字を 紀元前15世紀としてるものと、紀元前13世紀と紹介してるものがありますが どっちが正しいの?
582 :
出土地不明 :2010/04/10(土) 16:19:09 ID:EXrwSjNm
>>577 羌が政権とると、後秦にしても西夏にしても
もう何でもありの多言語多民族国家になって
ずーと散らかり放題の賑やか国になってしまって・・・
躁状態のお祭り騒ぎのような国しかできないじゃないのw
もうあの人達、NHKの取材でも、地震になって家潰れてる最中も、
イミフな呪文みたいな漢字対聯書いて、テントに張って、あれ西夏なの?と思わせるサービス精神とか。
小型犬を連れて集落の会議なんかやりだして
口論になりだしたら、犬同士が喧嘩してるの見てケラケラ笑いだして和んで・・・
ああ、何か大陸のほうって、違うんだなぁと実感しました。
583 :
出土地不明 :2010/04/13(火) 00:27:12 ID:XrAIJ7v9
>>581 13世紀。
紂の時代が紀元前11世紀で、甲骨はその5世代前の武丁の時から始まっているので
単純に考えても紀元前15世紀では古すぎる。
584 :
出土地不明 :2010/04/28(水) 01:53:17 ID:ijq5cYrv
585 :
出土地不明 :2010/05/09(日) 22:32:25 ID:pcxT/j4i
メソポタミアの楔形文字なんかは段階的に線の組み合わせが複雑になって文字に発展した 経緯が分かるのに、甲骨文字は突然完成した形で発生したようで不可解。 甲骨文字の原型になる文字があったはずなのだが未発見なのだろうかな? 杞、初期西周王墓、殷墟の直前の都の三つの発見がこの鍵を握っていると思う。 個人的には夏?の刻印記号と甲骨文字の間を埋める文字があると思う。
586 :
出土地不明 :2010/05/10(月) 22:01:22 ID:zFaJxYVT
587 :
出土地不明 :2010/05/16(日) 03:08:16 ID:ifqGTWdO
>>580 「シリーズ言語対照・外から見る日本語(全11巻)」2004、くろしお出版
など
588 :
出土地不明 :2010/05/17(月) 01:00:06 ID:EFyFhh69
>>582 うーん、羌はやっぱり日本人とは違いますねー。
589 :
出土地不明 :2010/05/18(火) 00:38:26 ID:uNOpX1cs
>>588 敦煌莫高窟(西夏)の原則
・異邦人がいれば交易チャンスとみて、排除するよりも辞書を作りたがる。
・異質なものを多様性の発現だとして肯定的に捉える。
・集団でやった犯罪については、史籍として何でも残す。(阿片暗黒史も苗族と違いなぜか公開)
・口論が先鋭化しない智慧を持っている。(犬も食わない話題というのでブレーキをかける)
・いざという時には吊橋や桟道を落とし篭城して援軍を待つ。隠語の民族語は捨てない。(現代ではイミフ音写も話の導線。)
日本人の中にも、こういうタイプの人がいるにはいると思う。
590 :
出土地不明 :2010/05/18(火) 17:13:16 ID:zXPODEwx
>>589 そう考えると、結構正直で、明るい奴らかも…。
滅びたのが残念だけど。
591 :
出土地不明 :2010/05/21(金) 14:49:25 ID:KsZ+Qwhs
定説では殷墟に遷都した王は19代目盤庚とされているがおそらくは事実ではない。
多分甲骨文字が完成した形で突然生まれたことから考えて22代目武丁が殷墟に遷都したと思う。
史記は1000年以上も前の事なので完全なる正確性に欠ける。
だから甲骨文字の原型を探るには武丁以前の殷墟に遷都する直前の殷の都を発見する事が
重要だ。盤庚あたりが甲骨文字や金石文を作ったのではなかろうか?
そうだとしても甲骨文字の原型の文字を発展させた物だろうからその原型となった文字がなんであるかも
興味深い。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/kf07.html このサイトの下のほうに長江文明から発見された長江絵文字?と巴蜀文字が載っているが
巴蜀文字は甲骨文字とは似ても似付かぬ文字でインダス文字みたいな感じだが
長江絵文字?は微妙に甲骨文字に似ている気がする。魚の骨っぽい文字とかあるしね
592 :
出土地不明 :2010/05/21(金) 15:26:12 ID:KsZ+Qwhs
巴蜀文字は甲骨文字とあまりにも違いすぎる。完全に別の国だった証拠。 巴蜀文化の言語系統の特異性は、『説文解字』などでも「言語異声、文字異形」「蜀左言」と夙に指摘され、言語矯正は秦の蜀政策の最優先事項とされた。 ↑ 明らかに漢族とは別系統の民族だったのでしょう。秦は滅ぼした国の文字と言葉を強制して行った。楚なども楚文字と言われる 独自の漢字を使用していたし言葉も微妙に違った。しかし、楚の文字は金石文から発生した文字で漢字の一種であり言語も方言の差で 強制はしやすかった。同じように広大な領土であった楚の奥地に蜀があったが 楚と違ってあまりにも言葉と文字が秦とかけ離れており強制に大いに苦労したと秦の歴史書にある。 やはり文字から見てみてもインダス文明の影響が大きいのかもしれない。 巴蜀文字を解読するには漢字と巴蜀文字の併記した資料が必要。蜀の人間に漢字を覚えさせる為にはこういった資料が必要だったはず。 新発見が待たれる。
593 :
出土地不明 :2010/05/21(金) 16:17:20 ID:588g49So
>>592 http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=42245 2010 年5月18日、四川省成都市郊外で01年に発見された約3000年前の「金沙遺跡」で、
日本の神社建築のルーツと見られる高床式の祭祀建物の跡が見つかっていたことが分かった。
中国新聞網が伝えた。
金沙遺跡の出土品を展示する金沙博物館が「国際博物館の日」に合わせて発表した
最新の発掘状況で明らかになった。金沙遺跡は同省広漢市で発見された
約3000年〜5000年前の「三星堆遺跡」と並び、古蜀文明の謎を解く重要なカギとして注目されている。
出土品が似ていることから、金沙文明は三星堆文明を引き継いだものであると考えられている。
金沙遺跡からは祭祀用の器や黄金のマスクなど6000点以上が出土しているが、
その90%以上が発掘された祭祀遺跡に建物の柱穴が9本見つかっていた。深さは約1.3メートル。
これが商代末期―西周前期(紀元前1200年―同900年前)のもので、
長い階段のようなものと草または木の皮でふいた屋根を持つ高床式建物の跡であることが分かった。
祭祀用に建てられたもので、祭祀を取り仕切る蜀王だけが登ることを許されていたと推測されている。
中国の古代建築物の専門家、楊鴻[員力](ヤン・ホンシュン)教授はこの建物を「古蜀大社」と名付け、
日本の神社の原型だと述べた。(翻訳・編集/NN)
↑
これ、どうなんだろう?蜀とか書いてあるけど。
594 :
出土地不明 :2010/05/21(金) 17:01:59 ID:KsZ+Qwhs
>>593 日本は戦後ずっと100%文化は朝鮮半島の百済から伝わったツングース系の文化で
野蛮で未開な狩猟民の倭族を文明化させたと言う学説が主流を占めてきた・・・
騎馬民族制服説とか王朝交代説とか全部この考え。馬韓時代の百済は国が分裂していて
文化レベルは大差無かった様だ。
でもそれが見直され始めてきている。おそらく4割は日本独自の文化で半島経由が3割であと3割が中国南部から
直接やってきた文化だと思っている。
この蜀王朝の住民は明らかに黄河文明の漢族とは民族からして全くの別物でしょうな。更なる発掘が行われる事を望む。
巴蜀文字も何とか解読して欲しいね。秦の役人も文字の強制するぐらいなら巴蜀文字を
書き写して漢代の『説文解字』に載るぐらいには資料を残しても良かったのに・・・・
秦人は巴蜀文字が何を書いているのか興味無かったのかな?文字の矯正ばかりにかまけてて
595 :
出土地不明 :2010/05/21(金) 17:49:54 ID:eEkQ6JlZ
蜀は、古羌族で西戎の分類でしょう。多分ロロ・ビルマですな。
>>591 はトンデモサイトっぽく、巴蜀文字とはいいつつ、麗江のトンパ文字系統ですよ。
トンパのナシもロロビルマ、モソもロロ・ビルマです。
>>592 の言語でいうと、漢楚とロロ・ビルマは語族は同じでも語派が違います。ラテンとスラブぐらい差があります。
今の北方中国語は漢楚そのままではありません。西戎の影響がありますよ。
>>593 の黄金マスクなどの金属器は、ペルシャ経由で入ってきたスキタイ文明だという人がいますね。
>>594 おそらく仰韶文化とは別者でしょう。でも時代が下って竜山とか二里頭・斉家になると関連が強くなるのでは?
巴蜀は、中国南部由来ではなく、西域まで勢力圏があった西戎なのでは?といわれています。
秦始皇がロロ・ビルマを矯正しようとしたのは、自分達の出自を隠すためでしょう。
隋や唐が鮮卑族のアルタイ諸語を消して自分達の出自を隠そうとしたのと似ています。
東の黒龍江と西の青海に鮮卑語の末裔言語が残っていると聞きます。
統一帝国ではなく、朝貢国とか地方勢力だとロゼッタ石的なものが残る傾向あります。
>>589 の西夏とかね。
インドネシアも首都のジャワ語を標準語とせず マレー語を標準語にしてますから、 秦も隋も唐もみんな標準語を習うということで、 等しくハンデを追う発想ですね。
597 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 13:12:42 ID:5iXz4uC/
巴蜀の文化はインダス文明とかトランスエラム文明と関係が深そうだ。夏王朝?が出来るよりも前から 文明は発達していたようだし。殷時代末期ぐらいにようやく漢族と接触する事になったのでしょう。 一応紀元前11世紀の殷末期に蜀の記述が現れているみたいだし、この時に初めて中原の勢力と本格的に接触したのでしょう。 もちろん個人レベルではもっと前から接触はあったでしょうけどね。青銅器の伝わり方から考えて。
598 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 13:18:45 ID:5iXz4uC/
漢代に書かれた説文解字も各地で書かれた複数の漢字について解説しているが周金文が最古で甲骨文字は載っていない 漢字文化圏に属さない巴蜀文字も「異形の文字」と載っているだけで一切文字が紹介されていない。 未開な蛮族の文字として切り捨てられたんだろうな。 もうちょっと当時の漢人が知恵を絞って蛮族でも何でもいいから価値を見出してさえくれたら今になって巴蜀文字が 解読不能なんて事も無かったろうに。 何が書かれていたのか興味を持った人が居なかったのが返す返すも残念である。
599 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 19:47:58 ID:JsFWAAbM
春秋戦国の頃には既に殷王朝は伝説のベールに包まれ、書経や詩経などの文献を通してわずかに 知られるのみであった。甲骨文字は存在自体が知られていなかった。 巴蜀文字も文字だけで済む話ではなくて、使われていた言語体系からして問題だから、既に失われ てたんじゃないのかねぇ。
600 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 21:54:32 ID:U4cGsG/7
古代蜀の地理史である華陽国志は東晋時代に書かれたもので完全に妄想扱いだったが 近年の発掘によってあながち妄想では無い事が判明した。 史記に書かれている殷も伝説に過ぎないと切り捨てられたけど存在した。 夏の事も殷や古代蜀の様に伝説は含まれるがある程度は事実を記しているのだと思うね。 古代蜀王朝の王は「縦目」であると書かれていたが実際に目玉が飛び出て縦目の仮面が出土して 考古学者も仰天したようだし。
蜀族と巴族は多分別部族ですよ。一方は漢蔵語族です。 住民の末裔は言語矯正されて大部分が唐代までに漢民族化してますが、 実はまだ、一方の言語や文字が残っています。 丁公陶文も彝語・彝(ロロ)文字として解読できたみたいですね。 巴・蜀と両者を一緒くたにしないほうがよいでしょう。 巴族は、「戎」ではなく「蛮」と呼ばれていたので、彝族の先祖とは違う可能性がある。 彝族の先祖=西戎、巴=南蛮、よって蜀は漢蔵語族という消去法で仮説立てされています。 でも「戎」と「蛮」は記述年代が違うので、その消去法はもちろん論理的に緩い。 巴族は、「蛮」の居住地域から推定して諸説いろいろでている最中です。
603 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 22:28:46 ID:lqa+5qIf
方相氏の四つ目を古代蜀の縦目と関連づけるのが適当かどうか疑問。三星堆の縦目仮面は 目ん玉飛び出してる訳だし。 それと、ググっても秦氏と方相氏の関係が出てこないので解説お願いします。
>>603 方氏は、中文ソースに西戎系というがよくありますね。
もともと方角が重要価値とされる西戎系は、四角なり4が重要ナンバーです。
「四隅突出墳」なり「方墳」は別スレでよく話題になっていて、機動力のあった民族の指標に使われます。
五胡系の秦氏にも西戎系が合流している。
でも、秦氏の持ち込んだ要素を、どれが西戎だペルシャだツングースかと
簡単に分解できるわけでもない。
追儺式自体は、漢蔵語族全体に分布しているので、西戎起源といわれている。
中国だと、追儺式の起源を消去法で西戎勢力だと導きだしてますね。
日本側の追儺式の記事からだと、あんまりリンクしてこないでしょう。
605 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 15:23:58 ID:dQKORh6J
>>601 巴族はインダス文明が気候変動で乾燥化して滅んだ後に四川に逃れてきた人たちかもしれない。
紀元前18世紀にインダス文明は居住地を放棄されている。アーリア人のインド侵入は紀元前15世紀なので
居住地を放棄した後の話。
一部はインド南部に行ってドラビダ人となったようだが
他にも四川に逃れてきた者が居てもおかしくは無い。
>>605 今でている諸説だと、出てきてないですね。
(1) 巴郡南蛮とか居住地域と現在の民族が連続性ありとする説
土家族(漢蔵語族蔵緬語派),苗族(苗瑶語派)
(2) キョク人の文化痕跡から、他所へ移ったとする説
タイ・カダイ語族,オーストロアジア語族モン・クメール語派
(3) 上流へ移動して、青蔵高原へ移動
チベット族のうち先住民にあたるカロ遺跡の住民。
炭素測定でカロ遺跡は3000〜4000年前。気候的に温暖化しているはず。
カロ遺跡の出土物が仰韶文化との関係性が指摘されている。
仰韶文化の住民自体は、苗族(苗瑶語派)の祖先の可能性があるとの意見がある。
一方、東晋時代にアムドから青蔵高原へ侵入した發族は、漢蔵語族蔵緬語派。
↑
カロ遺跡と仰韶文化の関連も、仰韶文化と苗族の関連性も、まだ結論が出てないみたいです。
よって、(1)のうち土家族の先祖ならば、昔でも通訳を何人も介せば彝族の先祖とも何とか意思疎通できたにできます。
ドラビダ人の言語で解読できそうな見通しがついたら、(4)として新説が立つと思いますよ。
ドラビダ人の言語が、中国の内陸部に残ってないから説が出てこないだけで、単語レベルでのアプローチでいって
何かのクレオール言語として、溶け込んでないかやってみる価値があるかもしれません。
607 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 19:31:22 ID:IoH1X2VC
盤庚が遷都したのは殷、武丁が遷都したのは商。王朝の名前ではなく都市の名前と思われる、殷の前は当然別の都市の名前。。 周は昔からの呼び名である殷と慣習的に呼んでいたのでそのままにしておいた。 杞は啓と中国語では発音が同じなので元々は同じだったと思われる。 殷の時代に杞に変えられたのでしょう。
608 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 09:38:24 ID:bIn4ZJ+Z
蜀の南部の昆明からも遺跡が出土している。文明といえるような代物ではないが巴族が 住んでいた土地では無いかと思われる。国家というレベルではないがソコソコの文化が存在した。 蜀とも繋がりが深そうだ。 インダス文明との繋がりとかも判明するかもしれない。昆明はインドや東南アジアとの交易ルートとして 昔から重要拠点だし。
609 :
出土地不明 :2010/06/29(火) 20:29:22 ID:UKHwKGrV
age
610 :
出土地不明 :2010/07/01(木) 11:07:20 ID:XzXs+7gQ
昆明周辺の人々は時代が下って戦国時代から秦漢時代にかけてインドや東南アジアとも広く交易していた。 殷周の頃の古蜀時代は情報が無くどうだったかは分からないが古蜀の南部の民族はインドまで行ってた可能性が濃厚 初期の巴蜀文字がインダス文字によく似ているのと関係あるかもしれない。
611 :
出土地不明 :2010/07/03(土) 13:45:07 ID:HtV8rGHK
たしかにムンダ人が昆明に来ていると面白い展開ですね。 ドラビダ人よりもムンダ人のほうが地理的に近い。
613 :
出土地不明 :2010/07/09(金) 21:48:26 ID:sHqSgBEY
青銅器の龍文、龍信仰 縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器 爵やラッパ型の様々な酒器。金銀器や金銀メッキ。 玉器、瓦、箸、傘、漢字の前身、篆書など これらは本来実用性よりも権力者の墓所の副葬品や祭祀など 神聖な儀式に用いられるもので日常に使う代物ではない。 それに権力者や、その祖霊と「天」に献上する奉納品であるため 失敗すれば首を刎ねられる危険と隣り合わせの作業だ。 百姓どもに鋳造技術をむやみに教えるものではなかっただろ。 縄文・弥生ともに交易こそするが、経済活動をしなくとも狩猟採集と農耕 で充分食って行けたんだろうし、 万が一、億が一長江の民や殷商の民が日本に移住してきても 特定の職能集団によって造られていたと思われるし その多くが商滅亡後に周王朝や諸侯たちに召し抱えられていたわけで 技術を持ってたとしても多くが銅鐸とか埴輪とか 単純な物しか作れなかったのが現実だろ
614 :
出土地不明 :2010/07/09(金) 23:53:28 ID:7SJcGUOH
二里頭の夏は龍信仰が盛んで、殷は龍も信仰していたが鳥信仰の傾向が強い。 周も鳥信仰だな。 昆明の発掘はまだ始まったばかり。戦国時代から巴蜀の商人は南方に出かけて 昆明からインド方面まで行ってたようだ。巴蜀文字さえ解読できればその交易の実態も分かるだろうに。 古くからヒマラヤ山脈の北と南で同じ作物が取れており古代から交流があったのは明白である。 その頃は未開の東南アジアも細々と道がインドに繋がっており蜀人はインドまで行ったのでしょうね。 黄金の仮面とかどこがルーツなのかな?
615 :
出土地不明 :2010/07/09(金) 23:59:10 ID:oaZDIjYG
秦嶺側からスキタイ文明が入ってきたのでは? 彝族の記録だとそうなる模様 鳥の羽をつけて船に乗るのは東巴教の司祭の姿 どうも西戎系みたいだな
>>614 系統不明の巴族は滅んで西戎系の蜀族が残った。
蜀族の末裔は、どうやらイ(彝)族らしい。
鋳造法が西域の手法であるのと、記録が周やイ(彝)族によって
起こされているし、仕方ない。
BC2000年前より前のことはよくわかっていない。
鳥の羽飾りの付いた帽子かぶる・・・
アヴァール(阿瓦爾)の文化→ナシ族のトンパ(東巴)教という説も
あるので、残念ながら四川雲南の文化は南方起源より西方起源のほうが有力です。
また茶馬古道の一番南の路線はナガランドやアッサムを通り
ネパールに達する道であるが、秦漢よりも古い時代のことは不明。
ベンガル経由でムンダ人との交易についても言語から
ムンダ語とクメール語の音韻的な近似より類推されているだけで
出土物から取り沙汰されている訳ではなく、難しいんです。
617 :
出土地不明 :2010/07/14(水) 22:00:28 ID:o/JRqd6Y
始皇帝=焚書で秦以外の戦国七雄の書いた書物(竹書紀年・晋乗・燕春秋など)を焼き払う 商鞅=秦記から秦王にとって都合の悪い記述をシラミ呼ばわりして削除し焼き払う 項羽=残っていた秦記を焼き払ったのでますます訳が分からなくなった ランダ=マヤ文字を書かれた全ての文献を焼き払う、中国人ほど熱心にマヤ人は書かなかった上にスペインの支配期間が長かったから4冊しかマヤ文字の書物は残らず カエサル=アレキサンドリアの図書館を焼き払う 6、アレキサンダー=ペルセポリスを焼き払う こうして貴重な歴史資料は永遠に失われた。個人的に始皇帝とランダは故意にやったから罪は重いと思う。 「晋乗」・「秦記(完全版)」・「春秋(斉・燕・宋の魯以外の春秋)」と楚の歴史書が永遠に失われた。 司馬遷は「秦記(不完全版)」と孔子の家から出てきた「春秋(魯)」の二冊を元に史記を書いた。 魏の「竹書紀年」は西晋時代に出土だから司馬遷は参照できなかった。 秦は紀元前7世紀の春秋初期に既に夏王朝や禹について記述した石版を残している。穆公か誰かが 夏王朝の後継者を名乗ってフルボッコにあった時期だと思われる。ただ禹はこの時は夏王朝の始祖ではなく 洪水神扱いで人間ではないとされている。項羽が焼き払わなければ秦紀(完全版)を司馬遷が参照できたかもしれないのに。 二里頭文化圏は秦と魏(竹書紀年)と杞が(後には楚が杞を滅ぼすから楚も含む)含まれる地域に属する。 秦は夏王朝の伝説と直に接する地域として魏と同じく重要。魯の歴史書の春秋よりも夏王朝に関しては詳しかったと思う。
618 :
出土地不明 :2010/07/15(木) 22:28:09 ID:U9O/eZxJ
戦国七雄の歴史書は全部で13存在すると言われている 国語・周逸書、晋乗・秦記・楚檮?・魯春秋・斉春秋・燕春秋・春秋左伝 春秋公羊伝・春秋穀梁伝・竹書紀年・趙の歴史書(今だ存在自体不明) の13冊のうち春秋と名の付く書物と国語はほぼ同一書と解説書である。編纂した国が違うだけで 解釈が異なるだけで基本は同じであると言う。当然自国に都合がいいように解釈されている。元は春秋と言う 原本があってそれぞれの国で様々な解釈がなされた。 司馬遷はこの内の孔子の家から出てきた魯春秋・春秋左伝・春秋公羊伝・春秋穀梁伝・国語の春秋各書と周逸書と 不完全な秦記を元に史記を書いた。竹書紀年や晋乗・楚檮?は司馬遷の時代には失われていた為に参考にされていない。 後に竹書紀年のみ西晋時代に出土した。 秦記は項羽のせいで失われ、趙が書いたであろう歴史書は未だに存在自体が謎のまま。竹書紀年も司馬遷の時代は 存在自体が知られていなかった。もちろん焚書のせいだが。
619 :
出土地不明 :2010/07/15(木) 22:45:04 ID:U9O/eZxJ
儒者は主に春秋関連の書物を隠すことに全力を上げた様で春秋関連以外の書物まで保護の手が回らなかったのだろう。 個人的には秦記と趙の歴史書は見つかるのではなかろうかと思っている。 焚書をしたせいで夏王朝の事が分かりにくくなってしまった。始皇帝が他の六国の歴史を大事にしてさえくれれば 断片的な歴史ももっと鮮明になっただろうに。 楚檮?と晋乗と完全版秦記は一連の春秋系とは異なった儒教フィルターのかかっていない歴史書だろうから興味深い。 あと燕春秋なんか列島や半島の事について何か書いてあったかもしれない。
620 :
出土地不明 :2010/07/15(木) 23:00:17 ID:pRi94YNi
>>618 でも、まだ盗掘されていない墳墓から発見される可能性もわずかながらあるかも?
後は、盗掘されてない墳墓がまだ1万基以上ある日本から発見される可能性とか。
年代がAD300年くらいの墓なら、ぎりぎり伝承で残されているものを書き起こした人がいれば
残ってる可能性もあるかと思うけど、難しいかな・・・。
621 :
出土地不明 :2010/07/15(木) 23:13:21 ID:zxW5C8Y/
>>620 まぁ、日本に渡ってるくらいなら司馬遷の時代まで残ってただろうな。
622 :
出土地不明 :
2010/08/19(木) 10:25:18 ID:0yWZw27Z >>601 分かった!巴は倭人だ!
高床式Y-O2b*の線で行こう!
茶馬街道が出来る前からドラヴィダ人と交易してたんで語彙の交流が有った。
インダス傍流の変な文字も作ってた。故郷を追われ、日本に来た頃は、ド忘れ。