テクラワロス〜この板に常駐する法律厨を叩くスレ2

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158懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc
  ここでは懐疑論について述べるが、ここで言う懐疑論とは、絶対確実に正しいことを探求するための、あるいは絶対確実に正しいこ
とについての探求を補助するための方法論である。前者と後者とでは若干の違いが生じるが、基本的には誤謬に陥らないようにするた
めに、対象を徹底して解体していく作業を指すと考えてもらえればよい。したがって、無謬主義の立場をとることになる。
  さて、理想的な懐疑の過程は下記に示すとおりである。

  (1) 提示された立場ならびにそれと相反する立場のほかに採用し得る立場の有無を検証する。
   ⇒ここでは真偽決定不能という立場はとりあえず措いておく。
  (2) 案出された(真偽決定不能という立場を除く)すべての立場に対して、自説以外のすべての説が誤っていることの論証を通した、
自説の間接的な正しさの確認のみならず、自説の正しさの直接的な論証を要請する。
   ⇒前者の、自説の間接的論証のみでは不十分である。これは、自説以外のすべての立場が絶対確実に誤っていることが、自説が
絶対確実に正しいこと、あるいは自説が絶対確実に誤っていないことを必ずしも保証しないからにほかならない。非Aが反Aのみから構
成されているとは限らないことを考慮に入れるならば、2つの立場しか検討しない場合には特に注意を要する。また、実際には、(1)で
無視した、真偽決定不能という立場が考えられる場合もあるかもしれないのである。
  (3a) (2)によって消滅せずに残った立場が絶対確実に正しいと判明する。
  (3b) (2)によってすべての立場が消滅した場合には、真偽が原理的に決定不能であることが絶対確実に正しいと判明する。
159懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:13:25 ID:NhcT/bfq0
  私が、まず問いを立てることにしようと考えた主要な動機として、一般人による「独断の多用」と「不用意な自然主義」に対する違
和感がある。
  前者は、自らが抱いている、あるいは自らの帰属集団において共有されている感覚や感情(たとえば「〜はつまらない」、「〜は気
持ち悪い」といったような信念)を論証抜きに正しいと信じたり、主張したりすること(ただし感覚報告や感情報告を除く)である。
言い換えるならば、論理的根拠の代わりに心理的根拠を用いて自説こそが正しいと断じることである。他方、後者については、「私的
な感覚や感情から、集団になって犯罪者を攻撃する」という行為には絶対確実に正しいという趣旨の主張などに見受けられる。たとえ
ば、「特定の条件を満たした者を攻撃したくなる、あるいは攻撃すること」が人間であれば回避することのできない物理的/生理的な
ことであるということが科学によって保証されていたとしても、それが当該行為(ここでは攻撃すること)が正しいことの論理的根拠
にはなるまい。言い換えるならば、両者には懸隔がある。それは、科学によって解明されること、あるいは科学が説明することが「仕
組み」であるからにほかならない。先の例においては、科学は、せいぜい人がどのようにして「攻撃してもよい」、ならびに/あるい
は「攻撃しなければならない」という信念を持つようになるかというところまでしか回答を与えられず、したがってそうした信念を持
つことが正しいということを保証しないのである。
160懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:14:06 ID:NhcT/bfq0
  また、人間が引き起こす対立には理論上の身分が同等のものが多いように思われる。たとえば、「芸術はすばらしい」という主張と
「芸術はくだらない」という主張の対立においては、両者ともに感覚ならびに/あるいは感情を報告しているに過ぎない。そこでは、
互いに自らの側の感覚や感情を直ちに正当化するのに終始しているのである。これと似ている、別の種類の対立もある。たとえば、一
神教と科学あるいは左翼と右翼という対立においては、それらの対立に登場するもの以外の立場を取り得る可能性があるにもかかわら
ず、「相手のこういう点が誤っていることから、相手の考え方は隘路となっているので、自らが正しい」という論じ方がよくなされる。
しかし、これらはいずれも誤りである。数学について考えてみればそのことがよく分かるであろう。数学においては、「1+1の答えは2
と3のどちらかというところから出発し、2の相手である3を採用した場合にどのような不具合が起こるか」などといったことは検討され
ないのである。それは、たとえ1+1が3でないことを証明することができたとしても、それだけで1+1が2であることの証拠にはならない
からにほかならない。
161懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:15:22 ID:NhcT/bfq0
  こうしたことから懐疑論の重要性が理解される。懐疑論は対立する両者に等しく自らを絶対評価すること〔自らの正しさを直接的に
論証すること〕を要求する1ので、懐疑論によって消滅させられずに残った立場が絶対確実に正しいと言えるようになるのである。ある
いは、両者ともに消滅するという事態も十分に考えられるが、その場合、「〜という信念または命題が正しいということを正当化する
ことはできない」、「〜という信念または命題が誤っているということを正当化することはできない」という2つの、互いに矛盾しない
結論が同時に成立することになる。これは、言い換えるならば、真偽を決定することは原理的に不可能であるということである。(な
お、「真偽が決定不能である」とは「真偽はない」ということではないことに注意してもらいたい。)
  また、懐疑論は別の論理的根拠からも要請される。それは、多くの人びとがそれぞれ独断的に前提している基礎的立場〔世界了解〕
のいずれが絶対確実に正しいかということが判明しない限り、そのうえに成り立っている事態についての正しさも判明しないためであ
る。このことは次のことから導かれる。Aという立場が論証なしに正しくなるなら、反Aという立場も論証なしに正しくならねばなるま
い。しかし、これは(無)矛盾律に反する。したがって、少なくともこの世界においては成立しない。それゆえ、いかなる立場の正し
さも論証なしには成り立たない2。(これについては、建築とのアナロジーで考えれば分かりやすい。すなわち、基礎工事を行わずして
1階部分をつくったり、土台と1階をつくらずして2階部分を空中でつくったりすることは、論理的にはともかくとして物理的にはできな
いのである。)
162懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:16:28 ID:NhcT/bfq0
  ここで、この部分についてもう少し踏み込んだ議論を示すことにしよう。

  ◆ある事件の加害者とされる者を擁護する言明に対して
   ⇒「おまえが被害者になっても同じことが言えるということだな。さっさと同じ目に遭え。」

  (a) 前半部分について
  彼が同様の状況に陥ったときに同じことが言えないとしても、そのことと彼による加害者擁護言明の真理値に関連性はない。この場
合、その状況に陥ったときには彼もまた誤るのだという考え方を採用することができる。
  また、もし両者に関連性があるならば、たとえば下記2点のような事態が起こり得る。
   ○「すべての人間が『1+1=2』であると信じていないことのみから『1+1=2』が誤りであることが帰結する」
   ○「すべての人間が『1+1=2』であると信じていることのみから『1+1=2』が正しいことが帰結する」

  (b) 後半部分について
  自らの、あるいは自らが属する共同体に共有されている感覚や感情、およびそこから帰結する規範を盲目的に正しいと信じ、その押
しつけを行っている。この種の者は、そうした感覚や感情に合致するか否かで何ごとかを判断するので、自らの言うことは必ず正しい
という主張を含んでいることになる。したがって、たとえばある事態について酷いという感想を持たない場合には、(ある事件の加害
者とされる者を擁護する言明に噛み付いた場合とは違い)その事態について酷いという感想を持って不満をぶつける者を否定する。
163懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:19:45 ID:NhcT/bfq0
  ◆ある事件の加害者とされる者に対する量刑に不服がある場合
   ⇒「裁判官は遺族感情を無視している。」

  繰り返しになるが、感覚や感情によってあることが正しくなるならば、その感覚や感情と相容れない感覚や感情に依拠した立場もそ
れ以外の根拠を持ち出さなくとも正しくなるはずである。しかし、こうした事態は(無)矛盾律に反するために成立しない。
  また、裁判では加害者の弁解(ある行為が悪であることについては肯定するが、その行為の原因が自らにあることを否認する行為)
は認められないことが多い。ここでは、たとえば殺した者について否定的な感情を持っていたからであるとか、殺した者から生前に何
らかの攻撃をされたからであるとかいったことは考慮されず、ただ殺したという行為のみを切り出した判断の仕方がされている。しか
しながらこれは、すべての行為は行為者の匙加減1つである(どこにも原因がなく、行為は唐突に単体で生じる)という奇妙な見解の表
明になるため、犯人を攻撃するのはただ攻撃者が身勝手であるがゆえにそうするのであり、遺族が悲しむこともまた犯人の行為が原因
なのではなく(ましてやそれとは別の原因がどこかにあるわけでもなく)、ただ彼らがかってに感じただけであるということになる。
したがって、遺族感情なるものを考慮に入れないことは正しいということが帰結する。
  ここで反対に、苦痛を感じるのはシステムによって決定されているので行為者の自由にはならないという考え方を持ち出してきた場
合はどうなるであろうか。つまり、加害者以外の者が加害者を攻撃するのは決定されている(および、そのように決定されているので
加害者を攻撃するのは仕方がない)と考えるのである。この場合には、犯人が法的罪に該当するような行為をしたことは他の何かの因
果的な連鎖によって引き起こされた(たとえば以前に被害者に攻撃されたから殺した)のであり、彼が加害者であるがゆえに社会的私
刑を受けるということ、そのことによって苦痛を感じるということ、したがって被害者に転じるということすべてがシステムにより決
定されていると考えねばならなくなる。
  こうして、「遺族感情を裁判に持ち込まねばならない」といったような言明は成功しないと言うことができるようになるのである。
164懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:22:27 ID:NhcT/bfq0
  しかしながら、これまでに述べてきた議論には4つの欠点がある。以下で、それを洗い出すことにする。

  (1) 懐疑論においては、人間や人間社会は人間の意識や言語から独立して存在することができるという前提、したがって正当性を担
保するのは人間社会を包括する何かであるという前提が採用されている。そして、その一般的な形式が世界である。すなわち、世界が
他のものやことを根拠づけていると考えるのである。しかし、そうであるとすれば、世界が人間社会を包括しているように、他の何か
がその世界を包括しないならば、人間社会を直接的に包括する世界による根拠づけは、心理的根拠と同様の独断と化す。したがって、
人間社会を直接的に包括する世界を包括する世界が要請される。しかし、これについても同じことが言えるため、無限後退という隘路
に入っていくことになる。要するに、懐疑論において正当性を担保すると想定されているものは、独断か、または無限後退のいずれか
の誤謬の所産なのである。

  (2) 懐疑論によれば、まず何よりも基礎的立場の正しさの確定が必要であるということになるが、この考え方には2種類の疑問が生じ
る。1つは、基礎的立場の確定に必要な議論においては、基礎的立場が確定していない以上、より上位の議論を参照せざるを得ないが、
他方で基礎的立場が確定していない段階におけるより上位の議論が空虚になると考えるのであれば、そうした独断的前提を採用した議
論を参照して確定される基礎的立場にもまた独断が入り込むことになるというものである。(ただし、矛盾律と否定的背理法/消極的
背理法からのみ何かが導き出されるならば、この問題は解消される。)そしてもう1つは、基礎的立場の正しさを確定することが必要で
あることを論証する際に利用されていた背理法が正しいならば、「正しいこと」と「正しいと論証できること」とが同一視されている
ことになるというものである。また、仮に同一視するのが正しいとしても、その論理的根拠はどのようなものであろうか。
165懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:24:59 ID:NhcT/bfq0
  (3) 懐疑論が批判する独断は(無)矛盾律が導かれるために誤謬であるとされているが、その結論へと至る過程には標準背理法/肯
定的背理法が利用されていた。しかし、標準背理法は、結論が二重否定になる非標準背理法/否定的背理法とは異なり、排中律を内包
している。ところが、排中律は(無)矛盾律や非標準背理法のように自明なものでない。また排中律を支持することは、上述の、理想
的な懐疑の過程において排中律が成立しない可能性についての言及と矛盾する。

  (4a) 懐疑論は論理学に依拠して進められる。しかし、論理学は、前提や結論、さらにはそれらの文を構成する各要素(主として語
彙や文法)については何も述べず、推論と呼ばれる過程/関係性しか扱わない。ところで、前提の正しさや前提を構成する文の各要素
の使用法の正しさを論証しようと思うならば別の前提を持ち出さなければならなくなる。こうして必ず完全性がない部分が現れ続ける
という無限後退に陥るか、または循環論法3が生起するようになるか、そうでなければどこかで独断的に基礎を決定せざるを得ない。
166懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:27:30 ID:NhcT/bfq0
  (4b) 懐疑論は徹底的に懐疑することを標榜している。そして、徹底的な懐疑は、結局「〜とは何か」という問いに収斂する。むろ
ん他の種類の問いもあるが、1つずつすべてを疑っていくという立場では、その疑問文で扱われているすべての語が分からないという前
提のうえで議論が開始されるはずであるから、結局は左の問いの形に落ち着くことになる。しかし実際には、「何」という語、「〜と
は何か」という文法、さらにはそもそも「疑う」という語、「分かる」および「分からない」などの、懐疑論の出発点において必要と
なってくる基礎的な語についても分からないのである。したがって、他の何にも依拠しないという無根拠の状態からでは、思考を開始
することができない。すなわち、懐疑することができるには少なくとも「何」を初めとするいくつかの語やそれらの語を使用するため
のいくつかの文法を独断的に前提せねばならない。このことから、言語は「独断の共有化」、「共有された独断」によって成立してい
ると言える。
  これは(4a)とも密接に関係しているが、問題は日常言語がどこまで効いてくるかということであると思う。より具体的には、日常言
語が独断から逃れられないとするならば、演繹という語が日常言語である以上、演繹それ自体もまた独断により成立しているというこ
となのか、それとも演繹という語とその語によってわれわれが想起している関係性それ自体〔論理的関係性〕は独立に存在することに
なるのかということである。また、後者の考え方がただ1つの立場からのみ言われるもの(具体的に想定しているのは真理の対応説)で
あるかどうか、さらにはそもそも具体的にいかなることを言っているのかも分からない。

  (5) この懐疑論の最後の部分では単線的決定論と素朴な非決定論の対立という二分法が持ち出されているが、決定論と非決定論の両
方についてそのほかのバージョンの有無が検討されていない。
167懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:29:42 ID:NhcT/bfq0
  以上より、「すべてを疑おうとする者は疑うところまで辿り着けない」という、ヴィトゲンシュタインによる懐疑論論駁が導出され
る。結局、無前提では、出発することも、終点に行き着くこともないのである。すなわち、言語の制約を受けている以上、言語と切り
離して何かが存在したり、成立したりするということはあり得ない。すべては人が人の言語によって規定・設定したり、構築・制作し
たりしている。それも、しばしば想定される人間社会の内側と外側などというものは単なる幻想に過ぎず、そこにはただ人間社会=人
間の言語しかないのであるから、正当化を担保するものは人間社会=人間の言語であるとする構成主義的立場が正しいと言える。
  しかし、本当にそうだろうか。その場合、すべての語について、有象無象の独断的議論に見られるように、感覚や感情による規定を
行い、根拠づけが成功すると考えるならば、それは他者(たとえばこの私)がそれとは異なる(しかも相容れない)感覚や感情により
規定、根拠づけを行うことによって、両者の理論上の身分は同等になるという、すでに述べた懐疑論からの議論が再登場することにな
る。あるいは、これもすでに見たように、「すべての人間が『1+1=2』が誤りであると信じていることのみから『1+1=2』が誤りである
ことが帰結する」などといったように、「正しいこと」と「正しいと信じること」が同一であるということになってしまう。
  それでは、いくつかの語などについては独断を無視するほかないという立場はどうであろうか。この立場の問題点は、なぜそのいく
つかの語などについて独断が許容されて、そのほかの語などについて独断が許容され得ないのかというものである。そこにいかなる基
準があるのかということについて論証することができない限り、先に挙げた、すべての語について独断を許容する立場と同じ隘路が待
ち受けているのである。(しかし、この立場を徹底すると再び懐疑論が論駁されることになる……。)
168懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:33:05 ID:BLvU7DR70
  注  釈

1 懐疑論は対立する両者に等しく自らの正しさを直接的に論証することを要求する。
  しかし、相対主義の場合には注意が必要である。真性の相対主義者は、相対主義の主張を他者に押しつけないし、その必要性もない
〔そのようにしなくとも相対主義は成立する〕と考える。相対主義は、それを主張する者にとってのみの真理なのであり、それ以外の
者にとってどうであるかということは問題でないのである。したがって、「生きる意味」について、「個人的には〜というのが生きる
意味だが、それをほかの人がどう思うかとか、それが普遍的なものかどうかとかはどうでもいい」という主観的な見解のみを持ってい
る人と同質であると言うことができる。言い換えるならば感覚あるいは感情の報告と同質であり、そこには議論が成立する余地はない。
この見方は、相対主義を採用すればコミュニケーションが成立しないとする、おそらく一般的であろう見解と軌を一にしているため、
こうした理解の仕方をしてよいと思われる。
  ということは、相対主義こそが正しい考え方である〔相対主義を採用せざるを得ない〕という立場を採用した場合、そのほかの立場
とは異なり、自身以外の立場の不可能性を論証することによってのみ自身〔相対主義〕こそが正しいということが判明するということ
になる。(これに対して、相対主義以外の立場をとる場合には、相対主義の不可能性を論証する必要があるほか、自身の正しさの直接
的論証が要請されるということはすでに見たとおりである。)要するに、同じ非明晰主義であるとは言え、超心理学、神秘主義、心霊
主義、東洋思想等々とは異なり、どうやら相対主義の場合には「正当性の探究をしているにもかかわらず、自身が正当化している考え
を論証することができない、あるいはそれ以前に論証しようとしないこと」が「不当な正当化を行っていること」にはならないようで
ある。
169懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:35:00 ID:BLvU7DR70
  なお、ある立場が絶対確実に正しいと言えるためには直接的論証が必要であると述べたが、ここでのある立場には「ある立場を批判
するという立場」は含まれない。単にある立場の誤謬を指摘することに終始する場合には、自らが積極的な主張を行っているのではな
いため、彼の採用している立場はないと考えられる。(より厳密には、判断留保という立場であるが、これは消去法の結果として立ち
現れる〔懐疑論を遂行する場合に必然的に採用することになる〕種類のものである。)

2 もっとも基礎となる立場をまず決定せねばならない。
  なお、基礎的な議論が終わった次に待ち受けているのは、その枠組みのなかにあるどの枠組みが正しいかという議論である。たとえ
ば、絶対主義が正しいということになったときには、実在論が正しいのか、観念論が正しいのか、それとも……となる。さらに、実在
論が正しいとなれば、素朴実在論が正しいのか、科学的実在論が正しいのか、それとも……となる。さらに、科学的実在論が正しいと
なれば、……。そしてようやく最後に、より具体的な個別の問題について、正当化することのできる枠組みに依拠すればどのような解
を与えることができるのかと考えることができるようになるのである。
170懐疑論とその限界 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:36:11 ID:BLvU7DR70
3 循環論法
  たとえば、AからZという、互いに異なる言明があり、AからはBを、BからはCを、CからはDを、……YからはZをそれぞれ演繹的に導き
出すことができると仮定した場合、それら隣接する言明同士の繋がりやAとZとの繋がりなどは絶対に正しいと言える。しかし、Aという
言明はいかにして正当化されるのであろうか。この問いに対して、ZからAを演繹的に導くことができると仮定したときに循環論法〔論
点先取り〕が生じる。(そのような仮定を行わない場合には無限後退に陥り、さらに無限後退を回避しようとすればAの正当性を独断す
ることになる。)それは、ZがYによって、YがXによって、XがWによって、……BがAによって論証されるといったように先ほどとは逆の
流れを辿っていけば理解することができる。その結果はAの正当性はZによって保証されるということになるが、最初の仮定ではAがZの
正当性を保証していたのであった。また、そうした体系をαとし、それとは別の体系βからAを演繹することができるとしよう。しかし、
体系βにおいても、上記で示した、体系αにおける問題と同様のことが生じるため、結局はせいぜい循環論法止まりで、悪くすれば無
限後退や独断に陥る結果となる。(この種の循環論法で構成される体系あるいは体系群を支持するのが全体論あるいは外在主義的整合
主義と呼ばれる立場であろうか。)
171論理の重要性についての1節 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:37:16 ID:BLvU7DR70
  「論理ではなく感情が重要」論者、(自らにとって都合のいいときだけ)「人は論理だけで行動しているのではない」論者に対する
論駁の要点は以下のとおりである。

【主要】感情による正しさを主張する者は、その感情に対して、さらにはその感情が正しいという考えに対して「それは正しいか?」
と問うことができるということに気づいていない、もしくは無視している。
【補助1】ある感情を持っている(と思い込んでいる者)が自らの考えが正しいと主張したとしても、それとは異なる(しかも相容れな
い)感情を持っている(と思い込んでいる)者が、彼と同じように自らは正しいと主張した場合、両者の理論上の身分は同等となり、
原理的な決着はつかない。
  ↑を戦術的に活用すれば、ある感情を持っている者が自身の正しさを主張するのに対して、それが気に入らないという感情によって
反対意見を表明するだけで、両者の理論上の身分を同等にすることができる。
【補助2】「正しいか誤っているかはどうでもいい」と言う者は、「「正しいか誤っているかはどうでもいい」ということが正しい」と
暗に主張しているため、結局正しさを問題にしている。
【補助3】「感覚や感情が共有され得る」という信念、「多数派に共有されている感覚や感情こそが正しいのである」という信念、「多
数派に共有されている感覚や感情に従わねばならない」という規範(この規範の背後にあると思われる、「機能すると自らが思い込ん
でいること」が事実としても、価値としても正しいという信念、および「人類は存続せねばならない」などの規範を含む)はすべて独
断である。
【補足】「人は論理だけで行動しているのではない」という信念に含意される規範は独断である。
172論理の重要性についての1節 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:38:18 ID:BLvU7DR70
  上述のような指摘を行うと出現するのが、動機を探ろうとする者(そして、魔術的な仕方で動機を発見し、嬉々として攻撃を加えて
くる者)である。
  しかしながら、ある考えや理論にとって、それらを提唱している者の動機こそが重要であるという考えは、「1+1」の答えが「2」で
あってほしいという動機によって「1+1=2」が成立するという考えを支持することになる。
  彼の考えが正しいとするならば、先述した【補助1】という袋小路に迷い込み、抜け出せなくなるだろう。
  したがって、動機によって正しいことが誤りになったり、誤りであることが正しいことになるなどということは決してない。(その
者の動機が何であれ、正しいことは正しいし、誤りは誤りである。)
  私には、実際に「1+1=2」というのが正しいかどうかは分からない。
  しかし、もし「1+1=2」が正しいならば、「1+1=2」であることを論証する(しかも公理のような独断を排除して!)ことに成功した
者が「1+1=3」という感覚を持っていたとしても(そして「1+1=2」という感覚を持っている者がただの1人もいないとしても)、「1+1=2」
は絶対確実に正しいと言える。
  動機の囚人となっている者は、感覚や感情の段階と理性の段階を区別せず、俗流心理学を奉ずる、誤った論者である。
173実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:39:15 ID:BLvU7DR70
  以下に、かつて私が批判していた「実践上の矛盾」を巡る顛末を要約する。

  ◇実践上の矛盾と私が呼ぶものは、行為間の整合性の有無によって判定される、言い換えるならば批判対象が採用している理論を基
準として彼の行為を裁定するので、理論とは独立に成立する。
  ◇しかしながら、行為の観察には独断がつきまとう。
  ◇この独断をすべて排除するには、認識論と存在論についての絶対確実に正しい回答が要請される。
  ◆したがって、実際には理論に依存しているということが帰結する。

  ◇また、私は、その過程〔すべての基礎となる認識論と存在論についての結論〕を迂回したうえで、批判対象がどのような行為を行
っているかを判断していたのであったが、他方で私が行っていた提唱は、「すべての信念や命題は論証を抜きにして絶対確実に正しく
なることはない」1というものであった。
  ◇ということは、独断を批判していたはずの私こそが独断に陥っているということになり、したがって私もまた実践上の矛盾を抱え
ているのである。
  ◇ここで注意しなければならないのは、私が実践上の矛盾に陥っていると判断できるのはただ私のみであるという点である。
  ◇なぜならば、他者が私のその行為について判断したならば、先ほど私が他者の行為について判断したときと同じできごと、すなわ
ち自らが独断的に前提している理論に基づいて私の行為がいかなるものであるかを決定したうえで私の行為が矛盾であると考えるとい
う矛盾が生じるためである。
  ◆それゆえ、実践上の矛盾にまつわる判断は、誰にとっても自分自身の行為についてのみ行い得ることなのであるということが導か
れる。
174実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:41:18 ID:fH/7vChl0
  ○というのが「実践上の矛盾」を巡る議論であったが、上で見たようにこの方法が理論に依存すると言うならば、懐疑論へと繋がっ
ていくことになる。
  ●したがって、下記の注釈1の最後の疑問が生じ、さらには「終わらない独断」(「懐疑論とその限界」で取り扱っている問題)から
抜け出せなくなる。
  ○また、「終わらない独断」を言い換えるならば、(私が批判していた「独断の多用」ではなく)「独断という概念の多用」と呼ぶ
べき誤謬に陥るということになるであろう。
  ●しかしそうであるならば、「実践上の矛盾にまつわる判断は、誰にとっても自分自身の行為についてのみ行い得ることなのである」
という批判2もまた、言語という公共的なものを使用しておきながら、それを私的な使用法へと改変したうえでの判断となっている点で
成功しない議論なのではないか?

  ○なお、先述したとおり、「実践上の矛盾」についての批判は理論ではなく、実践に対して適用されるという考えに支えられていた。
  ○しかし、たとえ「ある信念や命題が絶対確実に誤っている」(理論が誤っている)としても、そのことのみから「その信念や命題
を絶対確実に正しいと信じたり、主張したりすることが絶対確実に誤っている」(誤った理論を正しいと信じたり、主張したりすること
は誤っている)と結論づけることはできない。
  ○言い換えるならば前者は一階に属しており、後者は二階に属しているために、一階の結論を他のいかなるものも媒介せずに直ちに
二階の結論として再利用することはできない。
  ●ここからも、「実践上の矛盾」にまつわる問題が、単に行為間の整合性の問題で完結するものではなく、理論(ここでは一階と二
階の対立)の問題になるということが分かる。
175実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:44:32 ID:fH/7vChl0
  注  釈

1 すべての信念や命題は論証を抜きにして絶対確実に正しくなることはない。
  この部分については、すでに2009年2月22日の「スマイリーキクチ事件要論」でも述べたとおりである。すなわち、どの世界了解が正
しいかということが判明しない限り、そのうえに成り立っている事態についての正しさも判明しない。これは次のことから導かれる。
Aという立場が論証なしに正しくなるなら、反Aという立場も論証なしに正しくならねばなるまい。しかし、これは(無)矛盾律に反する。
したがって、少なくともこの世界においては成立しない。それゆえ、いかなる立場の正しさも論証なしには成り立たない。
  しかしながら、この議論からは「正しいこと」と「正しいと論証できること」とが同一視されているのではないか、同一視するのが
正しいとしてその論理的根拠は何かといった疑問が生じる。
176実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:47:08 ID:fH/7vChl0
2 実践上の矛盾にまつわる判断は、誰にとっても自分自身の行為についてのみ行い得る。
  この批判には次のような前提がある。すなわち、外部から観察した他者の行為(たとえばせきをしていること)に対する自らの認識
(ここではその他者がせきをしているという認識)は正しいとか、外部から観察した他者の行為(たとえばせきをしていること)が示
していることに対する自らの認識(たとえば彼はかぜをひいているという認識)は正しいとか、そもそもそのような他者が存在してい
るとかいった仮説は誤っている、さらにはある者がかつて電子掲示板に書いたことを取り上げて批判したとしても、そのようなことが
書かれたことがあるという判断、彼がそれを書いたという判断、書かれた文の内容(何を指示しているかなど)はすべて独断である。
  しかしそうすると、言語というものが成立しなくなるため、「実践上の矛盾にまつわる判断は、誰にとっても自分自身の行為につい
てのみ行い得る」という(言語によって構成された)命題もまた成立しなくなるのではないか、というのが「しかしそうであるならば、
「実践上の矛盾にまつわる判断は、誰にとっても自分自身の行為についてのみ行い得ることなのである」という批判もまた、言語とい
う公共的なものを使用しておきながら、それを私的な使用法へと改変したうえでの判断となっている点で成功しない議論なのではない
か?」という文で言いたかったことである。
177実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:49:00 ID:fH/7vChl0
  補  遺

  「正規ルートで購入したダウンロード版ソフトウェアは1回のみなら販売してもよかろう論」

  以下は、私がもっとも気に入っている18禁ゲーム『殻の少女』をYahooオークションに出品したところ、12時間以内に30もの違反申
告がなされたことを受けて即座に思いついた反論である。

◆この出品物について、「海賊版など、第三者の著作権を侵害するもの」であるとの報告をした者がいる。
◆しかし私は、この出品物を金銭を支払って正規ルートで購入した。
◆仮に、この出品物が「海賊版など、第三者の著作権を侵害するもの」であるとするならば、同じく金銭を支払って正規ルートで購入
したパッケージ版もまた「海賊版など、第三者の著作権を侵害するもの」に当たると判断せねばなるまい。
◆しかしながら、現状ではそのようには判断されていない。
◆したがって、現状ではこの出品物は「海賊版など、第三者の著作権を侵害するもの」ではない。
(以上、背理法による論証)
178実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:49:52 ID:fH/7vChl0
◆さて、ダウンロード版は何度も販売することができる点でパッケージ版とは異なるのだという指摘もあろう。
◆言い換えるならば、この出品はパッケージ版のファイルをコピーして販売しているのと同型であるということである。
◆たしかに原理的にはそのとおりであるが、個別の事例で考えた場合にはその限りではない。
◆具体的には、製品版の販売と同様に、販売回数を1回に限定すればよいのである。
◆これに対しては、たとえば複数IDを持っていたり、Yahooから排除されるたびにIDを取り直したりするなどした場合には、Yahooです
ら何回販売しているかを把握できないとの反論があるかもしれない。
◆これにも異論はない。
◆しかしながら、ただそれだけの理由で排除が行われるならば、パッケージ版についても、たとえば他者から窃盗したものである可能
性がある、あるいは精巧な複製品の可能性があるなどとして排除されねばなるまい。
◆そうした可能性があるにもかかわらず製品版の出品は排除されていないというのが実情である。
◆それゆえ私は、ダウンロード版の販売についても、製品版の販売と同様に、出品者を信用するというのが整合的な立場であると考え
る。
(むろん、これは現状において整合性を保持する場合の帰結であって、パッケージ版を中古として払い下げること自体が行ってはなら
ないことであるという可能性はある。)
179実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:51:15 ID:fH/7vChl0
  上では、「正規ルートで購入したダウンロード版を販売すること」が「正規ルートで購入したパッケージ版のコピーを販売すること」
と同型であるとしたが、実は厳密に言えばこの見方は誤っている。
  ダウンロード版とパッケージ版のいずれもが正規ルートで購入されているということを前提するならば、「正規ルートで購入したダ
ウンロード版」と「正規ルートで購入したパッケージ版」の身分が同値となる。ところで、パッケージ版のコピーを販売した場合には、
そのコピーの購入者が購入したコピー品を他者に販売することは禁じられている。また、そもそもパッケージ版のファイルを含むすべ
てを複製して販売することも禁じられている。他方、パッケージ版のコピーを自らが保有しておき、購入したパッケージ版それ自体を
他者に販売するという行為は、すでに見たように一般に広く行われており、現時点では容認されている。したがって、パッケージ版が
オリジナルであるかどうかは、そのソフトウェアのファイル群ではなく、ファイル群以外のパッケージ部分(外箱、内箱、ケース、記
録メディア、マニュアル等々の総体)において判断されていると考えられる。
  ここで、ダウンロード版の特殊性が浮かび上がってくる。上でパッケージ版について検討したとおり、少なくとも「商品としての」
ソフトウェア・ファイル群自体にはオリジナルがない。ということは、ファイル群のみの取引となるダウンロード版には、一見したと
ころ商品としてのオリジナルは存在しないことになるのである。しかしながら、これでは1人の者が1度その商品を購入しさえすれば、
彼が物理的に可能な範囲で無制限に配布できることになってしまう。したがって、パッケージ版に課せられている制限との間で整合性
を維持することができない。
180実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:52:02 ID:fH/7vChl0
  そこで、購入したパッケージ版を売却する際に制限として設けられていたことを思い出す必要がある。パッケージ版は、購入したパ
ッケージ版それ自体を販売する限りにおいて売却が認められていたのであった。すなわち、パッケージ版においては1回のみの販売が許
容されているのである。これをダウンロード版にも適用したとき、ダウンロード版は、それを手にした者がそれぞれ1回販売するか、
2回以上販売するかによって、パッケージ版と同値であるか、パッケージ版のコピーと同値であるかに分岐するという結論が得られる。
  それゆえ、「正規ルートで購入したダウンロード版を販売すること」という事態は次の2つに区分されることになる。「正規ルート
で購入したダウンロード版を1回のみ販売すること」と「正規ルートで購入したダウンロード版を2回以上販売すること」である。そし
て、後者の場合には「正規ルートで購入したダウンロード版を販売すること」が「正規ルートで購入したパッケージ版のコピーを販売
すること」と同値になるが、前者の場合には同値でないと言うことができるのである。
  なお、ダウンロード版は価格が相対的に低いが、これは再販売が禁止されている代償であると言うよりは、単にパッケージ版に特有
の費用(製造に係る費用と流通に係る費用の両方)を抑えられるからであり、したがってダウンロード版の再販売禁止の根拠としては
使えないと思う。
181実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:52:47 ID:fH/7vChl0
【要約版】

◇パッケージ版のファイルをコピーしたものの販売やパッケージ版全体(ファイルのみならず、外箱、内箱、ケース、記録メディア、
マニュアル等々を含む総体)の複製品の販売を禁じているのは、ファイルに権利があると見なしているからであると思う。
◇つまり、本来のオリジナル性はファイルに帰属することになる。
◇しかし、製造会社が生産し、流通経路に乗せたパッケージ版それ自体の販売の連鎖はどこまでも容認されている。
◇このことから、私は「商品としては」ファイル以外の部分がオリジナルに当たると述べた。
◇ファイル以外の部分を「商品としての」オリジナル(識別符号)と見なすことによって、ファイル制作者の権利を侵害する行為から
ファイルを保護しているのである。
◇こうして、ダウンロード版販売禁止論者は、識別符号であるファイル以外を持たないために(1回の購入によって何度でも再販売す
ることが可能となる)ダウンロード版の販売は禁じられるべきなのであると考えていることが分かる。
◇しかし、これが問題なのは、正規ルートで金銭を支払って入手したという点では同じであるにもかかわらず、パッケージ版には冒頭
に挙げた制限付きでの販売を認め、ダウンロード版には問答無用で販売を認めないという立場が整合的でないからにほかならない。
◇しかも、販売は認められないと言いながら、製造業者から小売業者への販売は行われているのである。
◇正規ルートで金銭を代償にして購入した商品の販売が認められないならば、小売業者が消費者に販売することもまた禁じられ、した
がって製造業者が消費者に直接販売せねばなるまい。
◇また、パッケージ版でも1回の購入によって、あるいは購入すらせずに何度でも再販売することが可能である。
◇たとえば、本物と見紛うほどの複製品を許可なく製造する、他者から窃盗するなどの事態を想定せよ。
◇以上より、パッケージ版とダウンロード版との間の取り扱いに整合性を持たせるために、「正規ルートで購入したダウンロード版で
あるならば、1回のみの販売が容認されるべきである」ということが帰結する。
182真相究明編 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:54:14 ID:fH/7vChl0
183真相究明編 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:55:49 ID:be6NQiyV0
184論理的虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2009/03/27(金) 12:57:01 ID:be6NQiyV0
>>1
独断バカかつスキゾ帝国主義者は可及的速やかに死ね。

>>156
>実践上の矛盾を巡って ◆vWilh8Qklc < この基地外、救いようないね
>>157
>つhttp://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1236946510/486-
産業廃棄物ほどの価値もない思考停止バカが物申すな。
185名無しさん(新規):2009/03/27(金) 14:01:28 ID:8oAzYPfh0
と、ゴミがほざいておりまする
186名無しさん(新規):2009/03/27(金) 19:47:47 ID:CjfN665W0
こっちも写経オツカレ(wwww
187名無しさん(新規):2009/03/27(金) 20:00:37 ID:gSn5N2eC0
188名無しさん(新規):2009/04/01(水) 23:19:32 ID:O09GDY+T0
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1233497852/
長文厨(テクラワロス)、スレ住人たちにフルボッコにされてますw
189名無しさん(新規):2009/04/02(木) 02:52:31 ID:1VziKZyt0
>>188
> 長文厨(テクラワロス)、スレ住人たちにフルボッコにされてますw
と、社会のゴミがほざいております。
底辺ってこうやって自分に言い聞かせて正当化するから向上しねーんだよな。
派遣村の密着取材とか見ていると、たいてそうなんだよな、人や行政の批判ばかり。

はいよ、テンプレ
20 :名無しさん(新規):2009/04/02(木) 02:48:22 ID:1VziKZyt0
> なかなか論理的に書いてるがなぜフルぼっこ?

底辺だからだろう(wwww
底辺ほど罵詈雑言並べるけど、所詮底辺。
ほら、つたない底辺が居酒屋でいくら麻生太郎を罵倒しようと、どちらが負け組みかといえば
答えは明らかだね。
麻生氏の年収は議員年収だけで4400万円、それに麻生財閥の上がりや、献金の上がりもろもろ
考えれば何十億かな?

9:自分の見解を述べずに人格批判をする
詭弁のガイドラインにあるとおり。

要するにこういうのって、内心負けている認識しているけど、盛んに「フルボッコだ」と書くことに
よって、自分に「負けちゃいないぞ、あいつがフルボッコだ」と言い聞かせているだけなんだね。
これもまた低水準の人間の基本行動。
190名無しさん(新規):2009/04/02(木) 03:24:44 ID:ifEhhKHo0
>>189
と、フルボッコされた涙目の負け犬がほざいております。
191名無しさん(新規):2009/04/11(土) 01:06:39 ID:wjefIz7g0
このスレは、以前から存在してるので、本家とさせていただく
のが妥当であろう

分家「【駄文垂れ流し】長文厨ヲチスレ【隔離病棟】」は、
こちら つhttp://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1238116609/
192名無しさん(新規):2009/04/15(水) 00:13:44 ID:Dx4dQIdA0

 − オク板専用スレ荒らし王座決定戦 −


変態辞書引き ━━━┓       
              ┣━━┓   
腐乱死体     ━━━┛   ┃    
                   ┣━━┓    
あんちゃん   ━━━┓   ┃   ┃   
               ┣━━┛    ┃    
テクラワロス   ━━━┛        ┃   
                        ┣━━
ぴぴるん     ━━━┓         ┃ 
              ┣━━┓    ┃    
エロ本屋.    ━━━┛    ┃   ┃ 
                   ┣━━┛   
okaなんとか  ━━━┓    ┃       
               ┣━━┛        
あゆちん     ━━━┛        


http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1237604789/154
193名無しさん(新規):2009/04/15(水) 03:01:00 ID:Gf0+8qiM0
>>192
ワロタ
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1238116609/
のスレ(立て)主としては、テクラワロス(長文厨)に
一票を投じたい(つか、他は知らんもんで..)
194名無しさん(新規):2009/04/15(水) 19:12:39 ID:P7Z1RWRm0
変態辞書引きって、執拗にdostore重複スレを立て捲り
あちこちの他スレに意味不明なマルチコピペを繰返し
反論する奴を片っ端からdostore店長に仕立てるキチガイの事だろ?

テクラ爺さんも中々の強者だけど、準決勝の相手が変態辞書引きでは結構苦戦するんじゃないか?
まぁ変態辞書引きさえ倒せば、ほぼ優勝かも知れんけど・・・w
195名無しさん(新規):2009/04/15(水) 19:21:51 ID:LtY3LifH0
その中では完全に辞書引きだろ?

あゆちんはトムススレぐらいしか荒らさないし、
テクラも荒らすのは送料関連のスレぐらい。
腐乱死体もdostore関連スレしか荒らさない。

どのスレでもまんべんなく荒らしてるのは、辞書引きだけ。
196あゆちん:2009/04/15(水) 19:29:32 ID:ix89F/Ov0
特定のスレしか荒らさない:
腐乱死体(dostoreスレ)
あんちゃん(SUBUDスレ)
テクラワロス(送料差額スレ・銀行スレ)
okaなんとか(トムススレ)
あゆちん(トムススレ)

荒らしとは呼ばない:
ぴぴるん
エロ本屋

どのスレでもまんべんなく荒らす:
辞書引き

誰がどう見ても辞書引きで決定ですね(^-^)
197193:2009/04/15(水) 19:30:25 ID:CYVknv5D0
>>194
>テクラ爺さんも中々の強者だけど、準決勝の相手が変態辞書引きでは結構苦戦するんじゃないか?
>まぁ変態辞書引きさえ倒せば、ほぼ優勝かも知れんけど・・・w
笑わせてもらいましたw
198名無しさん(新規):2009/04/16(木) 23:22:05 ID:723RqK990
第2回、オク板専用スレ荒らし王座決定戦開催中です。
前回大健闘を見せたテクラさんは今回はシード権獲得ですw

http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1239809084/8-9
199名無しさん(新規):2009/04/19(日) 22:34:26 ID:tuucVkcM0
テクラって溜め→放つ→溜め・・・・∞

これを永遠と繰り返す奴だろ?

このスレにも良く顔を出すみたいだけど、最近は来ない事を考えると

今は「溜め」の時期なのか?
200名無しさん(新規):2009/04/19(日) 23:15:50 ID:KbTczcZ+0
>>199
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1239809084/24
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1239809084/26
にあるように、今は、
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1220872872/
↑に、昼夜問わず、連日のように出没してるよ
溜めどころか、猿の自慰行為の如く、放ちまくってる
201名無しさん(新規):2009/04/22(水) 23:28:03 ID:9r+hE4cC0
テクラさん入賞おめでとうございます。
次回はベスト10入り目指して頑張ってくださいw

http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1240196619/58-59
202名無しさん(新規):2009/04/23(木) 10:58:57 ID:w/xUhxC/0
203名無しさん(新規):2009/04/25(土) 17:13:42 ID:Ai6CUS7j0
書き込みやすいようにあげておくよ。
さあ、ファビョりたまえ!>脊髄反射のテクラくん
204名無しさん(新規):2009/04/27(月) 21:48:59 ID:w4DrOYjU0
テクラワロス の長文がウザくて読まない人の数→
http://pc12.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1240640061/
から、訪れた方へ

宣伝不足で、閑古鳥が鳴いてますが(^^;
公平性を保つため、対極に位置するスレも立てようと思って準備したが
立て続けには立てられないようで、IPが変わる迄?待たないとダメそう
ならばと、別の方法(ダイアルアップ)で試みるもアク禁食らってダメ
真剣に読んでる人なんて、ほとんどいないって事を暗示してるのかもw

そういう事情なので、忘れた頃に規制が解除されたら立てるつもりです
205名無しさん(新規):2009/05/02(土) 00:03:19 ID:ZiM1Zjs/0
\\\\\\\   i::::::::/'" ̄ ̄ヾi              //////////
\\\\\\      |:::::::| ,,,,,....,,,,,,|                ////////
\\\\\       |r-==( 。);( 。)                  //////
\\\           ( ヽ  :::__)..:: }            / ヽ   ___  ///
\        ,____/ヽ  ー== ;       ,-、   ( ィ j   /    \
        r'"ヽ   t、   \___ !      (Y _)、 / /     | ^     |
      / 、、i    ヽ__,,/          \ / /       (_,, )ヽ、. / |
      / ヽノ  j ,   j |ヽ           / /\      !ニ=- ノ  _!_
     |⌒`'、__ / /   /r  |         / / \ \    ヽニ´/ ̄  `ヽ
     {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ .|         / /     \ \    〉/        }
    ゝ-,,,_____)--、j         / /        \ \  / i,、_,  , ,',;:',i
      / \__      /       / /              \ \ l l   ,; / ,',l
      |    "'ー‐‐---''     / /              ヽ ン´ヽ   ,';','i
    / l`、      /     / /                   (;;/;;,',';;  ゙i   ,;';i
  ,〃  _l:::::`ー,=-'(   / /                    /,',',';;"  /i ,;',/
 /     ´ゞ._;;;:r';二二二´__ノ                    ,' 、  / /  \
 l    ,.''"  `'(:::)、::    ` 、                   〈   <    {////
 ;    ,'"      `ー、__  `l                  i;,;、  !    ´´´
 l   ;'       /::::::::::::::::ノ                   !,;;   i
 |  ._i'       ヽ`''「 ̄ ̄                      |,','、 i

     変態辞書引き                       テクラワロス
206名無しさん(新規):2009/05/27(水) 14:12:07 ID:1ZPCFMNZ0
207名無しさん(新規):2009/05/27(水) 22:45:48 ID:B0gO+5e10
テクラ、もしくはテクラぽい荒らしを見かけた人は、情報よろしく
208名無しさん(新規)
テクラめ・・・やっとくたばったかw