1 :
世界@名無史さん:
朝鮮総督府のプロトタイプ
語ることまだあるの?
使持節都督、倭新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、征東大将軍倭国王
5 :
世界@名無史さん:2013/03/31(日) 03:53:12.98 O
ホモと朝鮮人出入り禁止
三国史記には任那日本府は描かれてないのか?
朝鮮人が否定したがるのはそのせい?
>>4 その官位はいろいろと示唆的だよな
実際は百済も含めたかったようだが認められなかった
注目したいのは任那とカラを、辰韓と新羅を別けている上、百済が存在している時期に慕韓が残っている
これは名目上の支配地域を多くみせるための作為と考えられているが、
実際は辰韓や慕韓の残存勢力が存在していた可能性もある
俺も、新羅はまだ建国されず未だ多数の部族国家の中の有力国で
任那、加羅、秦韓、慕韓は地域名か有力部族の国名なんじゃないかと思うわ
新羅の古墳って日本製勾玉が一番多く出るらしくて笑ったわ
まじで倭人の分派国家なんじゃないのか?
15 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/04/03(水) 01:49:03.41 0
>>1-11及び
>>14 39 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/04/02(火) 01:29:42.32
>>1-32 加耶北方木槨墓人を軟弱な列島の倭に還元してもつまらんよ。
751 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/03/25(月) 00:20:14.80 0
>>1-745 http://www.geocities.jp/taru638/page028.html 「韓国慶星大学校文化大学助教授の甲敬K氏の話
金海良洞里墳墓群の発掘調査成果が契機になって知りえた事実だが、北方系遊牧民族の
習俗と文物、すなわち人と馬の殉葬、武器を折り曲げて墳墓に埋葬する習俗、蒙古鉢形冑や
挂甲といった騎馬用甲冑、馬冑、北方式銅カマ、青銅製虎形帯鉤などの文物、を持った
北方系木槨墓が三世紀末に金海地方に突然出現し、首長墓をはじめとするそれ以前の墳墓を
意図的に破壊するといった現象が、金海の全墳墓群のおいて確認できるのである。
このように金海は三世紀末の突発的で衝撃的な一大事件の為、呪術的で中国的な雰囲気の
社会から、高度な武装的・騎馬民族的な社会に突然転換する。私はこうした変化を辿る
金海地域の状況にたいして、概念的ながら、北方墓制・文物が登場する前を狗邪韓国、
以後を金官伽耶と言う風に把握している。そして金海地域における最新の考古学的知見を重視し、
今まで堅持してきた騎馬民族征服説に対する批判的な態度から一歩後退し、核心においては
肯定することが出来る部分もあると考える。
もし金官伽耶=騎馬民族説に全面的に否定的な立場をとるとすると、
三世紀末、金海地方に北方墓制が突然出現し、先行墓制を意図的に破壊したという現象に対して
合理的に納得できる説明をする事が前提とならなければならない。 一方、三世紀末、
金海に突然出現した騎馬民族の支配集団は5世紀前葉に突然金海から消え去っている。
この点も謎である。」
これらの騎馬民族的集団は金海地区に限った話ではなく、三国時代の新羅地区に
広く見られる物であり、蒙古鉢形冑は高句麗古墳の壁画にも描かれているし、そして
蒙古鉢形冑は日本でも複数発掘されている。
ほいで、井上秀雄氏は、朝鮮南部の倭は金海地方とされるんも妥当なこと。
http://www.d7.dion.ne.jp/~sekai/uniue.gif
16 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/04/03(水) 02:05:43.84 0
>>4 南朝の序列でも、伽耶、倭の安東大将軍は、官位じゃ四安将軍たる
三品下で、百済は同時期に第三品上の四鎮将軍の鎮東大将軍より
劣っとったんよ。
高句麗の車騎大将軍は、第ニ品で別格じゃし、高句麗>>百済
>伽耶・倭の序列よのう。
百済は倭国より先に朝貢したんだから中国にも義理はあるだろう
ていうか来んなよおまえは
百済王は使持節、都督百済諸軍事、鎮東大将軍
倭王は使持節、都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事、安東大将軍
名誉称号に成り下がっていた将軍号は百済が上でも
どちらの実権と勢威がより大きいかは明々白々
あいかわらずコピペ野郎が沸いてんな
>>18 だな
案外整合はとれてる
支那も憎いことするね♪
21 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/04/03(水) 23:53:56.13 0
>>17-18及び
>>20 義理じゃの感情論解釈じゃつまらんわ。
実権そのものに百済側の見解が出とらんのに、妄想ご都合主義で
解釈してもつまらんよ。
ネット右翼の妄言のどこに整合性があるんか(笑)。
22 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/04/03(水) 23:57:55.20 0
ミ ⌒ 彡 ∩
( ,_`ゝ′)/ 続きはwebで!
m9 ノ
ノ _ _ ヽ
(_ノ ^ ゙J
___________
[ホッポーモーカクボジン ] [検索]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
自分の付けたアンカーで
>>15から差され続けるモウホがいると聞いて
>>22 広低上顔って、詳しく教えてもらえっかな?オッサン
27 :
世界@名無史さん:2013/04/04(木) 22:12:43.34 O
キムチしか自慢するものがないアンコのあると聴いて
広低上顔のモウホがいると聞いて
29 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/04/04(木) 23:31:18.92 0
>>26 南方、縄文系の低顔・広顔形質のことに決まっとろう。
上下を押し潰したら顔が広く、鼻の団子鼻でエラが張る縄文形質云う
ことじゃ。
>>29 全然わかんないから詳しく頼むわ
ていうか来んなよ
21 ?? 15,25: 白馬青牛 >◆8mr41B7alChB [] 2013/04/03(水) 23:53:56.13 0
>>17-18及び
>>20 義理じゃの感情論解釈じゃつまらんわ。
実権そのものに百済側の見解が出とらんのに、妄想ご都合主義で
解釈してもつまらんよ。
↑
人間が政治を行う以上、感情を無視した考察は無意味だ
おまえは人生そのものから学び直した方がいい
みっとも無さすぎだジジィ
ネット右翼の妄言のどこに整合性があるんか(笑)。
↑
そっくり返すぜこの言葉♪
32 :
世界@名無史さん:2013/04/13(土) 09:43:36.20 O
キムチ鍋をひっくり返して
玉の皮を傷めたホモがいると聞いて
無慈悲なモウホがくると聞いて
34 :
世界@名無史さん:2013/04/14(日) 01:28:53.05 O
糞食いが逃げ出したと聴いて
35 :
世界@名無史さん:2013/04/16(火) 00:57:49.77 O
コマ劇裏で喝アゲされたホモがいると聞いて
36 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/05/13(月) 00:48:50.58 0
>>31 つまり、あんたらネット右翼の妄言は政治論に属し、
歴史たぁ関係無ぁ云うか、歴史も政治的道具としたいわけなんじゃのう(笑)。
詳しく説明できん低能老人はいらんわ
38 :
世界@名無史さん:2013/05/22(水) 05:11:11.01 0
だからよ、通史を書けよクソ牛
おまえの論は、名無しのレスに突っ込んでるだけでまったく全体像が見えてこない
言ってる年代もメチャクチャ
通史を書け通史を
できれば他所でな
できれば他所でな←まちがい 便所紙にな←せいかい
40 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 00:12:52.98 0
一方は属国にしたつもりだがもう一方は独立国のつもりでいるっていうケースは任那に限らず世界史上ではそれなりに散見されるんじゃないかと思った。
そういう状態を属国だの独立国だのと言い争うのは意味がないとおもうんよね。
倭国は任那を倭領として支配し、任那の倭人も倭国に帰属意識を持っていた
捏造はよくないぞ在チョン
42 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 03:20:03.68 0
ならそういう事を書いた石碑なり剣なり鏡なりが出土してもおかしくないし日本書紀や古事記にもはっきり神功皇后が自国領にしたと記述すると思うんだがねーwwwww
実際は国家?なにそれ?みたいな意識レベルの部族社会だったんだろ。伽耶で一国の王って言ったら要するに酋長なレベル。
そんな未開な連中が帰属意識云々なんてあってたまるか。そもそも当の倭国自体大化の改新までは部族連合の性格が強かったろ。
そういう事を書いた中国の史書が厳然として存在し
日本書紀にも自国領である事が書かれている
倭国は国司を置き日本県の臣民を百済人と峻別して管轄し
君臣の義理を結び書紀には任那が朝貢したという記述が無い
任那は倭国に帰属意識を持っていた、それが現実。
44 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 03:45:23.68 0
任那の国司というのは律令時代の国司と同じものだといえるのか?
同じ物でなければならない理由は?
任那にはその下に県が置かれ多くの国司が置かれた
半島南部には部族社会と酋長しかなく高麗成立まで国が存在しなかった
46 :
世界@名無史さん:2013/05/26(日) 06:24:31.63 0
古代は民族意識もはっきりしてなくて人の行き来も盛んだったから半島南部沿岸にモザイク状に倭人が定着しててそれを管轄する長が大和朝廷に出入りしても別に不思議はないな。
当然内陸の住民は海洋勢力を異民族と見做して、支配下に入ったという意識を持たない。
倭人にとっての朝鮮半島=古代ギリシャ人にとってのアナトリア半島
古代には戦乱等を除けば人の往来は殆ど無く共同体内部で完結する人生が多かった
半島南東部の任那地区はある時期を境に弥生土器が原住土器に置き換わる
納税を行い軍事活動に貢献する等によって、倭国への強い帰属意識が形成された
倭国にとっての半島南部とは、ペルシャ帝国にとってのアナトリアである
原住土器って何のこっちゃ?
>>42 無論文字つきの遺物が重要なことはわかりきったこと
雄略天皇の実在は、稲荷山鉄剣で劇的に証明された
そういうものが出るといいな
50 :
世界@名無史さん:2013/05/29(水) 16:14:50.83 0
白馬青牛がサイコパス過ぎる
51 :
世界@名無史さん:2013/05/31(金) 18:13:39.29 0
52 :
世界@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN 0
ここで任那、一名加羅(迦羅・伽耶・加耶・駕洛)の本質について説明しておこう。
任那は弁辰十二国の後身で、すでに三世紀には十二の城郭都市が連合して
弁辰王を戴いていたが、5世紀の末になってもやはり共通の加羅王というものがあったわけである。
438年に倭王珍が自称した肩書きでも、倭・百済と同等に任那を挙げてあって、
重要な一国だったことは間違いなかろう・・
しかし、やはり統一王国ではなくて、洛東江渓谷の諸国の同盟組織であった。
544年に百済の聖王が倭王に送った手紙の文面から見ると、
任那の諸国は毎年、春に代表が集まって共に神を祀り、同盟関係の事項を討議する、
典型的なアムフィクチュオニアだったことがわかる。
俗に任那日本府といってあたかも任那の諸国が倭国の属領であり、
それを統治する倭国の総督府があったかのように誤解されている。
しかし、544年の聖王の手紙では、任那と日本府は判然と別物である。
「日本府」という字面は、この手紙が「百済本記」から「日本書紀」に転載れるとき
書き直したもので、原文では「倭府」だったのだろうが、「府」とは将軍府のことである。
つまり、軍団の司令部のことであり、司令官に直属する部隊のことでもあり、
またその兵士たちが生活する屯田組織のことでもある・・
391年に倭国が初めて半島に介入して以来、百済と倭国を結ぶ交通路は、
洛東江渓谷を通る古い街道だった。
倭軍の兵站基地がこの沿線に発達したのは当然で、任那同盟の諸国に分け行って、
倭人の屯田兵部落が成長した。
これが任那の「官家(ミヤケ)」とか「日本の県邑」とか呼ばれるものである。
日本書紀の継体天皇紀には、509年の条に「百済本紀」を引用して、
「久羅麻致支弥(クラマチキミ)」がやってきて、任那の日本の県邑に住み着いた百済人を、
三代や四代の子孫に至るまで探し出して、百済に移管して戸籍に登録したと言っている。
亡命者の子孫が三代や四代を経るにはその県邑自体が少なくとも百年の歴史を持たねばならない。
391年(辛卯年・広開土王碑の倭軍介入の記述)はこれより約120年前だから、
倭国が半島に倭人の入植地を設置したのはその時であろう。
これがいわゆる「任那日本府」の正体である・・・
岡田英弘「倭国」p142
クラマチキミとは車持君クルマモチノキミのこと
ちなみに群馬の名はこの車クルマに由来するとか
君は地方の独立君主のことだが、倭国王の使いもこなしていたようだ
稲荷山鉄剣のヲワケを連想させる
日本の県邑とその屯田兵については応神・仁徳記の葛城襲津彦の記述通り、
半ば独立愚連隊だったのかもしれない
任那、新羅には勾玉など倭系遺物が多い
このように文献的、考古学的に証明がされている
府は建物や組織という意味で、将軍府では全く無いよ
倭人の入植は狗邪韓国以前に遡るし。
つーか、岡田英弘な時点でアレだw
>>54 おまえの漢文の知識なんか専門家のチンゲ以下だろうな…
56 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN 0
>>52 850 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
>>843 金海地域そのものが倭じゃに、倭を列島のみと勘違いするトンデモ。
トンデモの代表岡田英弘氏信者がまたしゃしゃり出たんか(笑)。
中国を政治的に嫌いながら、中国文明隷属者の「慕夏主義」で「中朝論」。
中華が北方民族に支配されたゆえ、本当に中華が残ったのは日本としたい
朱子学トンデモ説じゃけぇのう(笑)。しかも岡田氏の奥さんは最近
カルト系のちゃんねる桜に出て、マイント・コントロールされた人間の面持ちで
政治活動しよるど(笑)。カルト夫妻そのものよのう(笑)。
>>54 倭は、遼河地域〜朝鮮沿岸部の水辺民の総称の時代の方が早いど。
>>55 岡田氏の漢文知識も橋本萬太郎氏にアドバイスされた程度じゃろう。
橋本萬太郎氏は、日本語を北方系言語とされとるんじゃがのう(笑)。
トンデモ岡田英弘氏は、朱子学の本場南方系言語の江南に結びつけたい
意図がため、支離滅裂になるんじゃろう。
> 岡田氏の漢文知識も橋本萬太郎氏にアドバイスされた程度じゃろう。
著作、読んでみれば?おまえの脳ミソがフロッピー以下だってわかるからw
58 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN 0
>>57 『漢民族と中国社会』でも読んだらどうかいのう(笑)。
P436からの対談じゃ、トンデモ岡田氏も橋本萬太郎氏ペースじゃと、
猫かぶったように温なしい。
相変わらずゲスい野郎だね
学者の学説を問題にしろよハゲ
相手すんのもわずらわしいわ
まだ糞牛をNG名に放り込んでない奴が居たとはw
岡田英弘は日本語の成立に関する考察がいまいち雑だね
むしろクソ牛が喜びそうな説だ
中国文献から抽出される史実を合理的に説明してみせるあっぱれな手腕が、
あすこだけいい加減なのは腑に落ちない
あまり興味がなかったのか
活躍してたのは70年代くらいなので、縄文人に対する評価も低いし、中国の三星
堆遺跡も考慮されてない
日本は現代の東南アジアよろしく華僑との混血国家だったという辺りが国粋派の反感を買うのか
オレ自身一読したときはムカついたが、案外的を射てる考察かも知れんよ
>>15 >そして蒙古鉢形冑は日本でも複数発掘されている。
嘘つくな、日本で発見されてる蒙古鉢形冑は、
眉庇付冑を蒙古鉢形にしただけで基本的に倭軍の武装スタイルだ。
全然違う。
だいたい日本には伽耶にある北方系木槨墓もなければ、
彼らが墓に埋葬した銅フクもない。
ましてや生贄の殉葬もない。
嘘はやめようね。
見た目が蒙古鉢形冑風ではあっても組み方も止め方も違うもんな
64 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN 0
>>61 中華朱子学派の慕夏主義と中朝論のトンデモ岡田氏と一緒にすなや。
縄文人は日本の少数派に過ぎんよ。
華僑なんか近世、近代の概念を上代に投影する妄想。
>>62 倭軍自体が、加耶のことか、列島のことか曖昧な表現してもつまらんよ。
蒙古鉢形冑も熊本にあるし、重装騎兵たる馬面も大谷古墳から出とるし。
戦乱の朝鮮半島と違い、北方渡来系支配層が先住縄文系を奴隷にして、
平和で大型古墳を作れる列島に軍事力じゃのいらんかったが、
北方系騎馬文化副葬品が出土しとる処も人類学同様出自が隠せんのう(笑)。
>倭軍自体が、加耶のことか、列島のことか曖昧な表現してもつまらんよ。
九州から関東まで統一の軍装なので大和朝廷軍という意味だ。
つまらんというおまえの感情なんてどうでもいい。
>蒙古鉢形冑も熊本にあるし、
地元民も知らない小さな小さな古墳からのほぼ1例ね。
お前の好きな北方渡来系の地位が分かるよなw
>重装騎兵たる馬面も大谷古墳から出とるし。
舶載品だろう。
大谷古墳は家型石棺、鉄衝角付冑、勾玉など、
全く持って倭系なのだが。
たった一つの出土品が渡来系だから、
被葬者は渡来系とするのはアホ丸出し。
>>64 >先住縄文系を奴隷にして
生贄の少女が8頭身のスラッとした長身だったことは無視かい?
復元された顔も、俺には韓国代表の女子サッカー選手程度にしか見えないが。
67 :
世界@名無史さん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0
古い時代だと何をするにも人力になっちゃうんで、人口がほぼ国力なんですね。
だから百済とか新羅とか、いくつもの国々に分かれた状態の朝鮮から見たら、倭国は大国ってことに
広開土王碑など海外の史料に出てくる「倭」を、倭寇的なものだとか九州あたりの地方勢力とか見るのも、違うと思うんです。
高句麗の正規軍に対抗する兵力を動員できるのは、巨大古墳を継続的に造営する動員力が証明されている、ヤマトを中心とした王権と見るのが一番いい
倭国は人口が多く政治組織が発達し農業技術に優れ冶金技術に優れ工芸技術に優れていた
一方の新羅は政治組織が未開で農業技術が拙く冶金技術も劣り工芸技術も粗かった
もう一方の百済も農業技術、冶金技術、工芸技術で倭国に見劣りした
となると何を貢がせていたのだろう
百済は漢籍や建築、土木技師、馬飼い、山師等等を貢いでるけど
新羅は新羅地方で住民を攫う記録が散見されるくらいで
価値の高い産物は無かったっぽいね
三国志(倭人伝)からするならば鉄はあったろうな
記紀だと金銀錦の国で貢納が途絶えたから出兵、貢納せよと出兵といった
按配だが、高度成長した上に倭国の歴史をも書き換えたということなのか?
中世以前の朝鮮半島には
それ以前の色んな時代に、支那から流れてきた出身も民族も異なる雑多な人たちが多数を占め
但し、現代中国人とは血統的にも民族的にも無関係な古代の人々
逆に東シナ海を勢力域とし海洋術に長けていた倭人が朝鮮半島南部の支配を強めていった
満州北部に誕生した扶余族の高句麗が南下を始め朝鮮半島北部を接収した
但し被支配層は諸々の先住支那移民(現代中国人とは別物)
百済は元々色んな民族の100の集落が混在する地域だったが百済王が支配するようになった
ここも被支配層は諸々の先住支那移民(現代中国人とは別物)
新羅は倭人が建国に携わり、また新羅王の后が倭人だったりで
もともと日本人移民が作った国だったけど、倭国と対立していた反逆児
百済・新羅共に高句麗の支配を受けていた時代もあるが、後に共に倭国の属領となる
ところが支那に唐という軍事大国が誕生すると高句麗を滅ぼしてしまった
同時期、日本人が作ったけれどもともと日本と対立する勢力の強かった新羅は
ロシア沿海州からの侵入者エベンキ族に乗っ取られてしまう
エベンキ新羅は唐に百済攻略を進言し、唐の軍隊を手引きし招き入れた
百済の援軍要請を受けた日本は海を越えて軍を送るが、唐軍の前に敗退し、百済は滅亡する
百済の王族らの一部は日本に亡命するが、日本の朝鮮半島への足がかりは消滅した
任那日本府というのは百済・新羅を統治するための出先機関兼直轄領みたいなもの
現代の韓国では古代の日本は韓国人が支配していたという妄想を歴史教科書で教えているそうだが
支配されていたのは朝鮮半島であり、王族の人質が日本に連行されていただけである
しかも日本に支配されていた百済・新羅共に現代の朝鮮人とは何の関係もない先住民の国であった
朝鮮半島での戦いで唐に負けたとは言え、日本が丸ごと唐の属領にされずに済んだのは
日本海という障壁があったおかげだろうね
73 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN 0
>>65 大和朝廷の存在じゃの、記紀以前に遡れんよ。
しかも西日本は豪族連合体で、独立性が強かったんじゃに、
統一国家じゃの無ぁね。
熊本のは隼人の熊襲集団征服の為実用的なものが出てくるだけじゃし、
記紀以前じゃけぇ、ヤマトよりも九州北部の勢力の可能性が強いのう。
舶載品じゃの左翼学者の常用句。当時の東アジアや歴史の普遍性として、
農耕民や採集狩猟民が国家形成した例はほとんど無ぁし、日本を北方渡来系
が支配した証拠にもなるだけのこと。しかも形質人類学的にも現代本土日本人も
北方渡来系が多数派よ。
>>66 加耶の奴隷生贄は低顔で日本や朝鮮の北東アジアの主流高顔じゃ無ぁわ(笑)。
>>67 中国記述の人口は出鱈目じゃし、弥生期の列島の倭国大乱は、黄巾の乱と同時代現象で人口も減少し、
古墳期にゃ北方渡来系がもたらした疫病で多くの日本先住民も死んだろうに。
現代の日本人の容貌からも、北方渡来系が支配し、人口増大拡散したことは、
確実じゃのう。
>>68 大嘘吐くなや。新羅の黄金文化に比べ日本はメッキじゃし、副葬品から
新羅の冶金技術、工芸技術の方が上じゃのう。
>>70-71 弥生期に鉄はほとんど無ぁよ。しかも国家形成に必須な道路の舗装は、
記紀の時代になるし。
>>72 エヴェンキ族なんか、その頃存在せんのにネット右翼は、大嘘が日課じゃ
わい(笑)。
>>73 >大和朝廷の存在じゃの、記紀以前に遡れんよ。
>しかも西日本は豪族連合体で、独立性が強かったんじゃに、
>統一国家じゃの無ぁね。
3世紀の土師器を伴う前方後円墳は、
千葉・市原の神門、薩摩の端陵(はしのりょう)、会津の臼ヶ森など、
すでに全国に展開してるわけだ。
大和朝廷の力が及んでた証拠。
君の情報は古い。
時代は進んでるのだ。
>熊本のは隼人の熊襲集団征服の為実用的なものが出てくるだけじゃし、
>記紀以前じゃけぇ、ヤマトよりも九州北部の勢力の可能性が強いのう。
九州北部の古墳から、伽耶風の蒙古鉢型冑と桂甲の武装なんて全く出てこないわけだが?
>舶載品じゃの左翼学者の常用句
俺は左翼じゃねぇし。
1つの古墳から出た20の副葬品のうち、外国のA民族の物が1つだけあったとしても、
その被葬者はA民族にならないのは常識。
残り19の要素の方が重要なのは言うまでもないではないか。
>加耶の奴隷生贄は低顔で日本や朝鮮の北東アジアの主流高顔じゃ無ぁわ(笑)
どう見たって典型的韓国人だ。
8頭身であることを見事に無視か?
/ ) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
./ / | テーマは…
/ / \ / ̄ ̄ ̄
/ /  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄| …愛!
./ /_Λ , -つ \ /
/ / ´Д`) ./__ノ  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
/ \ / / ⊂_ヽ、
.| へ/ / .\\ Λ_Λ
| レ' /、二つ \ ( ´Д`)
| / > ⌒ヽ
/ / / へ \
/ / / / \\
/ / レ ノ ヽ_つ
/ ノ / /
_/ / / /|
ノ / ( ( 、
⊂ -' | |、 \
| / \ ⌒l
| | ) /
ノ ) し'
(_/
・・・ごめん。
>>74 >どう見たって典型的韓国人だ。
画像うp
どうも
79 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN 0
80 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN 0
>>77 >>79の続き。
武人、兵士の階級は日本も上位北方系、下位足軽は南方系で同じ。埴原和郎氏も、
『面白いのは雛人形の顔つきである。「京びな」は やはり瓜実顔で眼が細く、
鼻の幅が狭くて口が小さく、中高のふっくらした顔に作られている。
これに対して「関東びな」はどちらかといえば丸顔で 目が大きく、鼻の幅が
やや広くて口は大きめである。
要するに京びなは 公家顔、関東びなは庶民顔といえそうだが、その好みの
境界線が新潟、 長野、静岡の各県を結ぶ線に一致するという話もある。
雛人形の好みも 他の東・西日本文化の違いに重なる。
ベルツの薩摩タイプは多少とも縄文人の特徴を残すものであり、
長州 タイプは、渡来した北東アジア人の影響を示すものと考えざるを得ない。
島原の乱を描いた絵である。ここに描かれている足軽は、応仁の乱で
略奪を働く足軽より人のよさそうな顔つきだが、四角っぽい輪郭、団子鼻、
ドングリ眼などの特徴は見事に共通している。
一方武将たちの 顔は面長で鼻筋が通り、いかにも家柄がよさそうにみえる。
前者が縄文系、 後者が渡来系の特徴であることは改めていうまでもない。』と。
>>79 >土器は流通圏に過ぎんけぇ妄想大和の根拠にゃならんよ。
畿内系土器と前方後円墳がセットになってるわけだから畿内の影響だろう。
おまえって少しでも渡来系遺物があるだけで、
ためらわなく渡来系と決め付けるくせに、
逆は全く認めないのだな、このくそ左翼が。
>どう見ても低顔の南方縄文形質。
どうみても典型的韓国人。
というか形質人類学なんて古い。
あと金官に北方系が来たのは事実だが、だから何なんだろう。
彼らは日本に来た痕跡はないし死に絶えただけだろうね。
82 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN 0
>>81 前方後円墳なんか全国に拡散した流通権を支配に捏造する左翼畿内王朝
拡張に転化してもつまらんよ。あんた左翼の癖に、わしを左翼じゃの、
わしゃ左翼の自国美化ユートピア思想なんか持ち合わせとらんど(笑)。
形質人類学は世界中で講義される学問じゃに、古い新しいじゃの、
流行に左右される軽薄な若い連中の典型の真似してもつまらんわ。
日本は北方渡来系形質の痕跡だらけで、縄文系がマイノリティじゃに、
あんたら左翼らは、自民族拡張論妄想ばっかしじゃのう(笑)。
全ては4世紀の記録を残さなかった中国に責任がある。謝罪と賠償を(ry
>>82 >前方後円墳なんか全国に拡散した流通権を支配に捏造する左翼畿内王朝
>拡張に転化してもつまらんよ。
畿内系土器の拡張は支配権の証拠だ。
あんた左翼の癖に、わしを左翼じゃの、
わしゃ左翼の自国美化ユートピア思想なんか持ち合わせとらんど(笑)。
>縄文系がマイノリティじゃに
日本において華北(北方)系は15%くらいじゃ。
あんたら左翼らは、自民族自虐論妄想ばっかしじゃのう(笑)。
東晋にそんな力は無いだろう。
南朝の王朝も、後漢や曹魏の時代の記録をそのまま使いまわしていくしかなかったろう。
南朝と倭国は交易通好をしていたから記録が残り
使持節、都督倭任那加羅秦韓慕韓新羅六国諸軍事という
半島南部の司法権、警察権、動員権、徴発権、軍事指揮権を与える官職を授けているのだがw
87 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN 0
>>84 あんたの内的発展段階説、自民族拡張思想自体、左翼じゃないか(笑)。
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub19.html ここの●日本歴史のビッグ・バンに、下野氏が「マルクス史観は、なにせ
社会の内的発展が歴史の動因なんだから(自民族発展段階説)先史の解釈に
関する限り、皇国史観以上に万世一系的だったと思うよ。縄文が発達して、
弥生になり、弥生の内的発展が古墳時代を招いた… 江上・騎馬民族説が
発表されたとき、歴史左派からの批判、ずいぶん激しかったようだもの。」
●騎馬民族 来た!?来ない!?で、佐原氏が同類左翼の穴沢氏の引用で青字の
「現代の考古学界は、民族移動・移住・征服などよりもどちらかというと
地域的な住民の内部的要因による社会発展(文化進化)のほうをもっと
重要視する方向に動きつつある。」
下野氏が「なんのことはない、昭和20年代、マルクス史観の亡霊じゃ
ないか。渡来系の影響を、できるだけ少なく見積もろうとする
万世一系・のっぺり史観です。」
江上騎馬民族説の批判者云うたら左翼共産主義者の藤間生大氏じゃが、
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/demo&pato.html ここに、「藤間は『民族的なほこりを全民族に知らせて、わが民族が
自信をもつ』ために、記紀神話に登場するヤマトタケルを『民族の英雄』と
して再評価することを唱えたのである。」
以下、藤間氏の政治的立場が戦後左翼マルクス主義歴史学の代表者
じゃったが、架空妄想したまで自民族の自信を国民に植え付けたいらしい。
88 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN 0
>>84 あんたら左翼と違い、わしは伝統保守思考が強いけぇのう。
今は、左翼トロツキー主義の新保守所義、新自由主義が新しい左翼運動じゃのう。
http://ktmhp.com/hp/maruo12/7/12 『ほんとうの保守は、歴史に対する悲劇的な感覚を持つ。歴史の進歩を簡単に
信じない。人間は誤りやすい存在で、その誤りをどう防ぐかということを考える。
また、政府は人間の自由を侵す敵だと考える。
しかし、いまネオコンがやっているのは、米国的価値観を外国に押しつけることだ。これは過激思想であり、
ユートピア思想だ。保守ではなく、左翼だ。』アンドリュー・べースビッチ氏。
http://sei7810.iza.ne.jp/blog/entry/1729302/ 『【左派】
要約:「人間の理性によって理想社会を作ることが可能であるという立場」
・国家重視派:共産主義、国家社会主義、設計主義、マルクス主義、
社会民主主義、ファシズム・・・ ・国家要らない派:アナーキズム
(無政府主義)、マルチチュード
【右派】
要約:「人間は不完全。人間の理性によって理想社会を作ることなど不可能で
あるという立場」
・保守:歴史の中で蓄積されてきた社会的経験知・良識・伝統のような
「人知を超えたもの」を重視。 同時に、「大切なものを守るために
時代に応じて変わっていかなければならない」と、 「復古・反動を避け、
漸進的改革を志向する」
・自由主義:個人の自由に対する国家の介入を嫌う
保守は、人間の「知的不完全性」「道徳的不完全性」を認めています。
エリートの 設計主義により理想社会を作るというスタンスを認めていません
>>87-88 あんたら左翼らは、自民族自虐論妄想ばっかしじゃのう(笑)。
90 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN 0
>>84 ちいたぁ、あんた自身が
>>88の左翼国家重視派であることを自覚
せにゃあ(笑)。
華北は北方系じゃけど中国南部の南方系との混血を多かろうに。
日本は、西日本で北方渡来系80%〜90%で縄文南方系20%〜10%くらい。
東日本は北方渡来系70%で縄文南方系30%くらい。
朝鮮じゃ北方渡来系80〜70%で縄文南方系20%〜30%くらい。
>>86 南朝へ朝貢したんは、当時南朝鮮〜列島で一番軍事力のあった加耶の
北方系支配層のこと。
じゃが、南朝の序列は、伽耶、倭の安東大将軍は、官位じゃ四安将軍たる
三品下で、百済は同時期に第三品上の四鎮将軍の鎮東大将軍より
劣っとった。
高句麗の車騎大将軍は、第ニ品で別格じゃし、高句麗>>百済
>伽耶・倭の序列よのう。
>>90 >華北は北方系じゃけど中国南部の南方系との混血を多かろうに。
ならば北方系の血などもっと薄くなろうに。
>南朝へ朝貢したんは、当時南朝鮮〜列島で一番軍事力のあった加耶の
>北方系支配層のこと
しょぼくて貧相な地下墳墓しか作れないのに支配層じゃにゃぁわ。
大和朝廷に支配されとった弱者じゃけんのう(大笑い)。
ちいたぁ、あんた自身が左翼国家重視派であることを自覚せにゃあ(笑)。
92 :
世界@名無史さん:2013/07/31(水) NY:AN:NY.AN 0
>>90 偉大らしいのに自らを記した物がなく衰退した雑魚ホッポーカクボジン教をまだ崇めているのかw
オマエ宋書も漢文さえまともに読めないのに何を言ってるの
広い国と言ってるだけど言った青牛、じゃあ訳してみろよと言ったら逃走する青牛w
逃走するしかないよな、広い国で訳せば訳がわからない文になるから
漢文読めないのに古代史やろうなんておこがましい
励め
>>90 南北朝時代の将軍号は名誉称号、実権を伴う官職は
南朝宋代の序列が倭国>百済>>高句麗
倭王が使持節・都督六国諸軍事
百済王は使持節・都督百済諸軍事
高句麗王は使持節・督二州諸軍事或は持節・都督二州諸軍事。
南朝梁代の序列は高句麗>倭国>>>百済>>>>>新羅
倭王が持節・督六国諸軍事
百済王は無節の都督百済諸軍事
高句麗王は持節・都督二州諸軍事
新羅は無官(失笑)
朝鮮人は半島を日本かシナに明け渡したら?
竹島問題でトンデモ主張するなら日本やシナは半島そのものを貰っても良いレベル
職貢図にも新羅は倭の属国だったから朝貢出来なかったとあるからねえ
>>96 >半島そのものを貰っても良いレベル
いらないよ、気持ち悪いし。
99 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN 0
>>91 大和朝廷なんか、そもそも加耶木槨墓人が支配した時代に存在せんよ(笑)。
大和朝廷自体、左翼内的発展段階説概念じゃに。
>>92 あんた、漢文読めるんか?(笑)。あんたの漢文の素養をここで披露して
みたらどうか?
>>93 ネット右翼は、ナチと同様、日本帝国の国家社会主義ファシズム信奉者
じゃけぇ
>>88の『【左派】 要約:「人間の理性によって理想社会を
作ることが可能であるという立場」
・国家重視派:共産主義、国家社会主義、設計主義、マルクス主義、
社会民主主義、ファシズム』と、なるのう。
慰安婦問題の強制連行や軍関与は、部下を見捨てて逃げた連中以外、
最前線で戦われた多くの戦闘体験者の認めること。
また、日本のお役人や政治屋の国内で証拠が無い扇情の幼稚さじゃの
世界に通用するわけ無ぁのにお馬鹿さんらじゃわい(笑)。
加害者である詐欺師や盗人が証拠を出せ云う台詞を真似たんじゃろうけど、
今は戦争体験者が回想証言を残せる時代で占領地での史料すら残せる時代
じゃに、時代錯誤も甚だしい(笑)。ナチスドイツもユダヤ人虐殺の公文書は
燃やしたけど、どうせバレることじゃけぇドイツは賢いが日本の上層部は
バレるもんに証拠が無ぁじゃの幼稚過ぎよう(笑)。
100 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN 0
>>95 >>90の『南朝の序列は、伽耶、倭の安東大将軍は、官位じゃ四安将軍たる
三品下で、百済は同時期に第三品上の四鎮将軍の鎮東大将軍より
劣っとった。
高句麗の車騎大将軍は、第ニ品で別格じゃし、高句麗>>百済
>伽耶・倭の序列よのう。』 この官位すら解らん馬鹿がこのスレに
生息しとるたぁのう(笑)。漢文解釈以前の問題じゃし、お馬鹿さんらよのう。
>>96 領土問題じゃの双方の主張で、水掛け論に過ぎんよ。正当性なんかどの国でも
無ぁけどのう。
>>97 職貢図は、南朝の前時代図で新羅が弁辰の俗の髪型じゃし、加耶・倭の
北方木槨墓人支配の属国概念も成り立たんわ。
また牛がわいたか
>>99 >大和朝廷なんか、そもそも加耶木槨墓人が支配した時代に存在せんよ(笑)。
>大和朝廷自体、左翼内的発展段階説概念じゃに。
3世紀前半には千葉の神門古墳、
3世紀中〜後半には福島の臼ヶ森古墳、
鹿児島の端の陵など完成しておるわいのう。
おどりゃアホかw
「倭の五王」ではなく、「倭の七王」だった!?〜隠れていた2人の倭王〜
413年/421年/425年「賛/讃」…仁徳
430年★「倭国王」…履中
438年「珍」…反正
443年/451年「済」…允恭
460年/462年「倭国/興」…安康
477年/478年「武」@…雄略
502年※「武」A…武烈
★430年の「倭国王」は履中。 → 438年「讃の弟珍立つ」
430年に朝貢した「倭国王」が「讃」ではなく、「讃」の子で、
その8年後の438年に「珍」が朝貢した時に、倭国の使臣が「先代の弟」と説明したとすると、
台与以来約150年ぶりに朝貢してきた倭王「讃」のイメージが強烈だった中国側にしてみれば、
名前不明で影の薄い先代「倭国王」の弟ではなく、先々代「讃」の弟と記録してしまった可能性がある。
つまり【父「讃」→「倭国王」/「珍」兄弟】ならば【父(仁徳)→(履中/反正)兄弟】となり、大和朝廷の大王系譜と合致する。
※倭王「武」は2人いた。
502年梁の「武」帝が征東大将軍に進号した倭王「武」が、477年/478年の倭王「武」(興の弟)とは別人で、
雄略(幼武)の孫の武烈とすれば、雄略の没年489年や、雄略没後の大混乱(24年間の朝貢中断)とも整合する。
ゆえに
@讃(仁徳)→A倭国王(履中)→B珍(反正)→C済(允恭)→D興(安康)→E武1(雄略)→F武2(武烈)
「倭の七王」となる。
104 :
世界@名無史さん:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN 0
>>100 水掛け論w
果てはあるから決着が付く
キムチ民族の後先論なら日本やシナは圧倒的有利だわ
妄想垂れてないで牛流に訳してみろよバカ牛
お前の主張がデタラメになるから出来ないんだろ
106 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
>>102 捏造体質の日本の時代区分じゃ、文化相対主義に欠けたファシズム
国家社会主義か共産主義の史観でしか無ぁわ(笑)。
>>103-104 日本の記紀に南朝への朝貢記録すら無ぁのに、語呂合わせが如く人物推定
たぁ幼稚過ぎよう(笑)。
>>100のように、官位は、車騎大将軍は、第ニ品。四鎮将軍の鎮東大将軍は
第三品上。四安将軍たる安東大将軍は、第三品下。と決まっとるのに、
捏造してもつまらんよ(笑)。
人類学的にゃ西日本は北朝鮮の方に近いよ。まあ北朝鮮代表の男子にゃ
南出身の在日も含まれとるけど。
107 :
世界@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
任那やぶれてゴロニャーン(562)
>>106 >捏造体質の日本の時代区分じゃ
はいはい、ぶざまな念仏みじめじゃのう(笑)
109 :
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常に嫌うカルト教団:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN 0
★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。
リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
...
>>106 人類学的にチョンだけ顔付きが明らかに南韓だよねw
他の朝鮮国代表とは全く異なるアノ国に特徴的な骨格
>>106 貴様の信頼できる時代区分言ってみろ、ホモ野郎
112 :
世界@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN 0
113 :
世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN P
名無し「〇〇って▲▲じゃね」
白馬青牛「〇〇は××に決まっておろうに、ヤスクニ・カルト
にマインドコントロールされ・・・」
名無し「政治思想板でやれよ」
白馬青牛「わしは、わしは、わしは・・・」
名無し「どっかいけよゴミ屑」
白馬青牛「ゴミ屑たぁ何なら、礼儀を知らん・・・」
114 :
世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN P
---------------------(二日後)-----------------
名無し「〇〇って▲▲だよね」
白馬青牛「「〇〇は××に決まっておろうに。あんた答えん
かったが瀬島龍三氏は、赤の売国奴かどうか? あんた真っ
赤な空気が嫌いなんじゃろ?」
名無し「専門スレでやれ、ハゲ」
白馬青牛「わしはハゲとランド。・・・戦前の日本の上層部は隠蔽
体質じゃったよ・・・」
名無し「頭頂部の写真うp」
白馬青牛「厭じゃのう。替え玉の可能性もあるけぇ、無名の
わしから歴史上の人物、現代の著名人も含め人物の証明なん
か出来んよ。写真すら他人のものかも知れんけぇ、証明の
手段にならん。」
名無し「うぜぇハゲだな。どっかいけよ」
115 :
世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN P
---------------------(一日後)-----------------------------
名無し「〇〇って▲▲だよね」
白馬青牛「在特会が・・・、ネトウヨが・・・」
--------------------------------------------------------------
×10年間(ほぼ毎日)
相手にしないほうがいい
>>114 考古学板じゃ瀬島スレ建てられてんだぜ
あとクソ牛専用スレまで
118 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN 0
>>111 年代区分は同時代現象として、近隣諸国と共通の年代を出す方が
真っ当じゃに、起源論じゃの時代錯誤も甚だしい、
日本の軍部国家社会主義時代の価値観を戦後左翼が引きずっとるんよ。
>>112 北朝鮮の方が北方渡来系の影響が強い。
>>113-114及び
>>115-117 扇情工作連投たぁ幼稚なのう(笑)。
>>118 おまえ言うことないなら来んなよ
スゲー邪魔
120 :
世界@名無史さん:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN 0
>>118 時代錯誤は広い国とか言っちゃうお前だろ老害w
書かれてない歴史を純度100%に近いレベルで妄想し、それが正しい歴史と思う牛w
牛のホッポーカクボジン妄想脳だと、米風のシャツを着てる奴が出てきたら米人と主張し始めるな
墓に米製の何かを入れておけば、玄孫辺りで「わしの祖先は米国人じゃに」と言い出すレベル
シッキム王国を見てネパール人が支配層だとほぼ確実に誤解する思考をしてるな
純度100%の妄想www
良い表現だわw
正直任那語りも飽きてきたな
この時代は熱さが足りない
妄想家には人気がある時代
日本側も最小公約数的な見解はまとめておかないと、またバカチョンのプロパガンダに悩まされることになる
125 :
世界@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
語る事がないな
このスレは無事みたいだな
>>112,
>>125 知らないだけだろ。
磐井の乱から近江毛野のドタバタとその原因となった当時の朝廷や
高句麗・百済・新羅・任那の四者関係しらべるとむちゃくちゃ面白い
>>127 倭国の高句麗戦争全4回戦も楽しいね
結果的に倭国の敗退だが、高句麗が百済を制せば、すぐさま倭国が反撃
高句麗が倭国と戦えば、背後の燕鮮卑が高句麗国境を超える
鮮卑と向き合えば倭国が北上する!
現代の日本人よりよほど国際政治とその嗅覚に長けていたようだな
鮮卑が高句麗と正面切って戦った事あったっけ?
連中は中原進出が目標だから、一撃粉砕して従属させればそれで赦してたろう
>>129 前燕は高句麗を一度滅ぼしてるよ
先祖の遺骸と財宝を奪い去って朝貢もさせてる
高句麗は全部で三回滅んでる
●流出しようとこの板は過疎であったか
132 :
世界@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
>>1 まず、任那日本府の歴史を認めるのなら
日本側は邪馬台国=大和朝廷で、
卑弥呼=モモソ媛命(孝霊天皇の皇女)と認めないといけない。
133 :
世界@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
任那日本府の正式名称は
任那倭宰な。
つまり、これって軍事基地。
府というのは行政官庁を指す詞
それくらい常識だろ
さらに言うなら将軍府のこと
中央政府の許可なしに独自の裁量権が与えられた
『幕府』ってのは日本語かも知れないが、内容は同じ
将軍府は将軍と府の合成語
府とは行政官庁を指す詞、無知は書き込むなよw
138 :
世界@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
これって、最近の歴史教科書ではどうなっているの?
まあ、倭の五王の上奏文についての資料で
それっぽいこと勉強するんだろうね。
>>138 古代史なんかマイナーだからバカチョンの妄言に騙されるヤツは多い
正しい知識で理論武装しておきたいものだね
140 :
世界@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN 0
平安以降は大河ドラマでもよくやるだろう?小説でも何でも。
でも、古代に関しては、まったくやらないから、日本人の中でも確固たる歴史感なんてないので
トンデモ説が出回る下地ができてしまっている。
いつまでも、旧皇族の竹田みたいに
天皇が100歳以上だったとして素直に読めとかいう馬鹿がいるから
一向に、この時代の歴史研究がすすまないんだ。
やつは、卑弥呼と大和朝廷の関係を否定したがっているけど
卑弥呼は皇族のモモソ媛命だろう、どうみても。
卑弥呼に対するお前の見解も圧倒的に少数派だろう
せいぜい他人を馬鹿にして自説にこだわればいいさ
142 :
世界@名無史さん:2013/09/01(日) 04:23:11.86 0
>>137 正当性のある日本とGHQを同じにすんなよなー
GHQは熊津都督府とか鶏林都督府だよな
任那日本府は箕氏朝鮮みたいな物
前方後円墳のある南西部の栄山江流域と金官伽耶とは遠いな。
栄山江流域に任那日本府があって、金官伽耶は大和朝廷の属国だろ。
広義では金官伽耶も任那かな。
>>140 >卑弥呼は皇族のモモソ媛命だろう、どうみても
箸墓は3世紀後半だよ。
歴博は強引に3世紀中頃にしようとしてるが無理だ。
ホケノ山が3世紀中頃だろうね。
>>144 小任那は早くから倭人の殖民地として開発が進んでいたから
倭人土豪が乱立していて、支配者は海峡の対面である本土九州に居たんだよ
栄山江流域は未開で統合された政治権力が無く
倭人首長層による開発併合が進んだ
147 :
世界@名無史さん:2013/09/06(金) 22:29:18.81 0
>>55 亀だが府ってたとえば東晋だと北府軍と西府軍があったんだが
この府というのは将軍府(あるいはそれに近い意味)を意味するの?
>>147 おそらくね
中国はもともと地方は軍政だからトップは軍人
頻繁に反乱で国が滅びるのもそのせい
>>147 意味しないよ、意味しない、全く意味しない
意味しない、解ったね?意味しないと。
北府、西府軍は軍権も付与された行政府の抱える軍に主眼を置いた呼称
中央軍だけで対処仕切れなくなると
地方政府に軍権も兼務される様になるのが中国の歴史
なんでスレ消えてるのに書き込めるんだろう
【伝統的中国人】の多い地域を内郡、異民族の割合の高くなる地方を辺郡と言う
辺郡は事実上の軍政
中国の歴史はほぼこの通り
>>148 上が軍人じゃなくとも世界は反乱だらけだから関係ないと思う
西軍府ではなく西府軍なのだからお察しだよな
つまりなんとか府は中央からみた地方政府ってこと?
もち、なんとか府は地方政府
当時は軍を兼ねるのが慣習化してたけど基本的には軍とは別組織
>>153 「府」が軍事機関か行政機関かという定義付けはなく、
個別のケースで両方の用例がある。
ただし行政機関だとしても軍事施設を併設してるニュアンスの強い文字ではある
任那日本府の場合は
東部の加羅諸国に対しては軍事指揮権を発動するだけで内政には関与しないが
西部の四県二郡は直轄領だから行政権を行使している
158 :
世界@名無史さん:2013/09/09(月) 07:48:33.94 0
任那日本府なんかなかったんだよ。
任那も日本府は8世紀の史官の捏造。
しかも、同時代史料の好太王碑によると倭軍は敗退してるから。
159 :
世界@名無史さん:2013/09/09(月) 07:58:42.09 0
倭人が半裸でウホウホ言ってた時代に、文明国の高句麗に勝てるわけないもんな。
倭国より先進国の百済を支配してたなんて妄言もいいとこw
160 :
世界@名無史さん:2013/09/09(月) 10:02:54.39 0
>倭人が半裸でウホウホ言ってた時代に
へぇ。
「倭人」は南洋の土人にも使う言葉なんだ。
161 :
世界@名無史さん:2013/09/09(月) 10:38:57.86 0
魏志倭人伝の記述だと、倭人は南方系の半裸に近い衣装。刺青までしている。
倭の五王時代の倭国使を描いた職貢図巻でも、そのように描かれている。
一方、同時期の百済使節は中国風のきちんとした装束。
ウホウホ呼ばわりは当然だな。
卑弥呼の時代はそうだろな
でも流石に正史に書いてあるので朝鮮南部が日本の属国もしくはそれに準じる扱いだったことを否定することはできないな
>>161 いや、オレはあの職貢図の絵は好きだよ
明らかに中国文化と相容れない異質な格好
百済は基が高句麗だという伝承通り、完全に中国文化に浸っている
日本倭人が南方系という証明と共に、中国と距離を置いていた証にもなっている
もっとも、あの職貢図の絵は魏志倭人伝の内容を絵画化したものでしかないが
>>158 前方後円墳がわんさかありますがな
新羅では勾玉などの倭系遺物も多い
無論当時は【日本府】ではなく【倭府】だろう
結局、鉄だって。
鉄のために半島に足がかりを持ってただけ。
諸説あるが日本で鉄を自活できるようになるおおよそ6世紀以降は、
急に半島への執着心が薄れてる感じだ。
白村江だって本当は関わりあいたくなかっただろうけど、
友好国百済のために嫌々出兵したのだろうな。
日本で鉄を自活できるようになったのは3世紀
>>157 そんな意味合いは無い。
開府という権能からも解る通り、一般に府というのは行政組織を意味する詞。
>日本で鉄を自活できるようになったのは3世紀
日本の鉄の自活が3世紀とは初耳だ。
3世紀に鍛冶遺跡はある。が、
鉄資源自体は6世紀頃まで半島南部に頼ってたと思うが。
>>167 大量生産となれば旧真番郡の跡地の任那に頼っていたんだろうな
魏志韓伝を見ると、辰韓(秦韓)弁辰は中国人の末裔国家だったようだし
倭国の砂鉄を輸入して鉄を売っていたとしたら、共存共栄だ
漢書でも倭人が半島をうろついてる様子が描かれている
日本も早い時期の製鉄は鉄鉱石を使ったもの
また鉄器の成分から半島産で無いと判明してる
成分とかまで解ると面白いね
ま、バカチョンはあーだこーだ認めないだろうが
>>170 >また鉄器の成分から半島産で無いと判明してる
そういう場合、ソースを示してくれ。
弥生時代、釜山の萊城(ネソン)遺跡では北九州系土器が94%にもなる。
倭人が半島南部で鉄を採ってた証拠なのだが。
>>172 半島南部で弥生土器が優勢なのは、倭人の断続的な入植によって
倭人の勢力圏となってた証拠にしかならんのだが。
>>170 鉄鉱石ってあれか?草の根っ子に鉄が固まったやつか
あと、輸出品は丹(水銀)だと思う
あれは基本化粧品だったようだ。需要はあったろう
丹って建物に塗るほうが需要大きい気がするがそうでなかったのか
>>175 ホケノ古墳という最古期の古墳の玄室は丹で真っ赤に塗られていたね
死体を防腐剤の役目を果たすと考えられていたようだ
あまり関係ないかな
職貢図の倭人が着てる服はどう見ても、童子の仏像と同じ
土人つうかインド人だな
>>177 中国史書で南方世界を記したもので頻繁に【横幅】という表現で示される服装があるが、
どうやらこれは腰巻きのことらしい
そういうものからあの職貢図は描かれているのでは?
…とは思うが、梁の時代は倭国は使者を何度か送っていて、全くの想像図とも思えんねぇ
謎だわ
中国人から見て、いかにも遠くからきたように見えるエキゾチックな格好をしていったほうが待遇も良くてお土産も沢山もらえたんでは?
>>173 >倭人の勢力圏となってた証拠にしかならんのだが。
その通りだよ。
だから鉄資源は主に半島に頼ってたということ。
もちろん倭人が自発的に採っていた。
大陸の鉄器とは異なる鍛造鉄器が前3世紀になると登場し始め
紀元前後になると日本中に普及する様になる
これらは日本国内で採れる鉄を製鉄して造られた物
>>179 職貢図の現存する全部を見ると黒人とかもいるし、遥かにエキゾチックなのがいるな
倭人はあとになって中国かぶれになっちまって、あの服装を止めたのが残念だね
ま、年中あの格好じゃ寒いだろうなあ
183 :
世界@名無史さん:2013/09/12(木) 08:54:26.46 0
>>182 埴輪などとも違うし、本当にあんな格好してたのかな?
中国系帰化人の外交官が、遠国からの使者であることをアピールするために船が港についたら慌てて仏像を参考に作ったコスプレに着替えてたりしてw
生の倭人を見たことなかったから、横幅という文献資料から適当に妄想したんじゃないの?
頭に布を巻いてるってのも、たぶん鉢巻のことだろうし、あの図は中国人の妄想の可能性が高い
www.geocities.jp/qsshc/cpaint/kamakura/seitaka.jpg
185 :
世界@名無史さん:2013/09/12(木) 18:35:16.10 0
埴輪の服装(神話の大国主命とかの服装)は6世紀代のものだから、
5世紀の五王時代は、職貢図のような南方風の半裸体だったんじゃないの?
186 :
世界@名無史さん:2013/09/12(木) 19:48:41.50 i
東南アジアならともかく、日本で真夏以外あんな格好してたら風邪ひきそうw
とはいえ、五世紀初めは西日本は一世紀頃から始まった温暖化のピークだったと言うから、六世紀になって冷えこんできたから服装が変わったんかな?
187 :
世界@名無史さん:2013/09/12(木) 20:11:59.05 0
アフリカの部族王国の王様だって、上半身裸だったり布を巻き付けてるだけだったりするからな。
倭人の王や有力者が半裸でもおかしくないだろう。
>>187 てか西洋文明の理想?たる古代ギリシャからして何かというとすぐ脱ぎたがる裸族だしなw
ローマのトーガも布まきつけてるだけや!
それが後に不評で儀式や一部趣味人しかきなくなったのは今の日本の和服に似てるw
平安時代の庶民がきていた直垂は、埴輪の服の発展系らしいね
胸紐とか残ってる
>>183 そこだよね、最大の謎は
埴輪だと柔道着のような服を着てる
あれは鮮卑などの騎馬民族が着てる服だ。鎧の下に着るためのね
そこから騎馬民族征服説を説く向きもある
まあ、あの服自体は始皇帝の兵馬傭にもあるんだが
>>187 おっしゃる通り
エジプトもメソポタミアも王族は半裸、裸足
肉体を隠すのが理知的というのは儒教の勝手な定義でしかないね
>>192 気候がちがうじゃんw
基本的に凍死が起こり得るような場所だと布を多く使うのが上層階級なきが
日本のでかい袖の類も無駄に贅沢だし
夏は暑いし冬は寒いというのが特色だからなあ
調節したくはあるだろう
弥生時代は30センチ前後の幅の布しか作れなかったようだから、
秦氏あたりが新しい機織技術をもってきた時点で服装は変わってそう。
>>196 4世紀くらいまでは、褌に鉢巻きくらいしか身につけてなかったんだろうな。
>>196 30センチ布を縫い合わせりゃいいんじゃんwwww
弥生時代の古墳の副葬品は案外豪華だよ
素っ裸の土人が銅鐸やら鏡やら作るわけないだろ
もう少し勉強しろよ
弥生時代の古墳?
まあ大人と下戸じゃあ着てる服も違っただろう
倭人は鯨面文身していたというが、服を着込んでいるんだったら鯨面だけで良くて文身のほうは余り意味がなくなってしまう。
少なくともハレのときは裸になる習慣があったのではないだろうか?
弥生時代の再現図で男が黄ばんだタンクトップみたいなの着てるのなんだろね
魏志倭人伝すら、
「男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。」
で貫頭衣なんて書いてないのに
>>191 >あれは鮮卑などの騎馬民族が着てる服だ
乗馬習慣とともに入ってきたのだろう。
それでもって騎馬民族説が成り立つなら、
今や世界中がジーンズにTシャツなんで、
アメリカ人に征服されたってのと同じ。
ネクタイやズボンもヨーロッパ本来の文化でなく、
騎馬民族のものらしいね。
江上波夫はゲルマン騎馬民族とかいってたぞ
ヴァイキングも騎馬民族扱い
>>202 そこで想定されてるのが、大工などが着てた前掛け
金太郎の裸エプロンね
腕抜きなんかもある意味後付けの袖といえる
ああいう古い服は下層民の間で長く伝えられていたのでは?
>>202 カントウイは女の服かもね
銅鐸の絵なんかでも上着着てるよ
ちなみにカントウイは映画グラデュエーターでラッセルクロウが着てたね
奴隷の服だった
作るの簡単だし、安価な服だったのかも
>>201 海士の連中の話の部分では海蛇よけのためにしてると書いてあるね
基本魔除けだと思うが
西日本でも山間部は糞寒くなるし、貫頭衣や腰巻や前掛けじゃ冬は越せなそう
毛皮を利用したか、冬服があったのか
単純に考えると毛皮だろうね
熊とかだと大きくていい
ちなみに冬はほとんど出歩かなかったと考えられている
江戸時代でさえそうらしいから、古代はなおさらだろうね
九州に熊っているのか?
真冬の半島北部で敵の返り血で赤く染まった褌一枚で暴れまくる倭人の戦士たちに戦慄する好太王w
『スリーハンドレッド』とか『コナン・ザ・グレート』の世界だな…
>>210 鹿児島市の中学のグランドに出たことがある
九州のツキノワグマは絶滅した、とみなされている
まじかい
熊が出たから集団下校というのが普通にあったわが地方とはちがうなw
檀君神話によるとご先祖様のはずなのに、熊の胆の取りすぎで熊を絶滅させてしまった朝鮮半島w
>>216 そもそも檀君神話は一部の人間を除いて、民衆に普及してなかったんだろう
日本神話も日本人一般には普及してなかったろうしな
>>218 日本の場合、様々なパターンの神話・伝説が存在してて日本書紀はその異伝を細々と挙げている
日本書紀自体は政治的に整理されたものだが、神話のモチーフは豊富にあったはずだ
檀君神話なんか作られたの平安時代だぜ(もっと後か? )
ホントに古い伝承か分かったもんじゃない
まあ高句麗、百済、新羅の神話とは遠い感じだね
獣祖ってのは狩猟民族に多い
例のごとく一番古い神話は神話の統合性を保つため
結構あとから挿入されたと言うやつだろう
あと熊は一応朝鮮半島にいきのこってるみたいよ
はよ百済本紀みつかれや
223 :
世界@名無史さん:2013/09/15(日) 10:56:41.43 0
韓国時代劇だと百済とか新羅とか加羅の連中はちゃんとした服装してるが、
職貢図の百済使節の服装から判断しても、史実でもそれなりの服装だったんだろうな。
それにひきかえ、半裸の倭人って・・・未開すぎる。
>>216 檀君神話の元になった熊トーテムは靺鞨人だった頃の名残り
その頃はロシア沿海付近(ウラジオスットクより北東)に住んでた
虎は高句麗族のトーテム(現地に虎いるしね)
ギリシアからの使者だったら謁見の時にここぞとばかりスッポンポンになるんだろうな
>>223 単に寒いからだろ、半島は
職貢図の倭人はそれなりに着飾ってるよ
肉体を嫌うのは単に儒教の解釈だ
【君子は心胆を労し、小人は肉体を労す】という言葉に表れている
北朝鮮の指導者像はまさにこれを地でいってる感じだ
ジョンイルと側近が小高い丘の上から労働者を指揮してる構図はよく使われる
あれが目指すべき君子像なんだろうよ
あからさまなレス乞食の釣りにかまうなよ
>>223 あの半裸に近い格好の倭人が、あの中国風の服装の百済を圧倒してたなんて、
常識的に考えたら理解できないよな。
229 :
世界@名無史さん:2013/09/15(日) 12:55:38.43 0
>>228 ファッション誌買い込んで無理してオサレしたメタボのオタ対ガテン系のDQN
ガチでケンカしたらどっちが勝つと思う?
そもそも職貢図の倭人は魏志倭人伝の記述からの想像図
使者を送ってない時代のものだし、あの服装は仏像に見られることからインドのものと推測される
>>229 百濟や新羅は生産技術や政治制度でも倭国に劣っていたから
頭も良くないしな
232 :
世界@名無史さん:2013/09/15(日) 17:01:49.12 0
PHP研究所
「知っていますか、任那日本府—韓国がけっして教えない歴史
韓国がけっして教えない歴史」
http://www.bookservice.jp/ItemDetail?cmId=5997773 古代の朝鮮半島南部は日本が支配していた。韓国よ、事実から目をそむけるな!
第1章 多島海(半島)と黄海に雄飛した倭の国
第2章 任那の前方後円墳
第3章 任那小史—その呼称の出典から
第4章 任那の日本府
第5章 任那の衰退と復興会議
第6章 任那の調—滅亡してなお倭国、百済、新羅を翻弄し続けた任那
付章 任那諸国と関連する地名
>>231 どの国もまともにわかってないってのが正しいな
>>185 職貢図であやしいツボを持っている人がいるw
>>230 確かにそうなんだ
絵の隣に書いてある説明文はまんま魏志倭人伝だ
が、あれがホントに南朝梁の職貢図だとすると、倭国は数回使者を送っているので、実態を知っていたはずなんだ
倭国は梁に使者は送ってないよ
でも502年に倭王武が征東大将軍に進号されてるし、記録に残ってないだけで何らかのやりとりはあったんでは?
進号っていうのは、新しい王朝になったときの自動的な処理でしょ
冊封国の使者がやってきたなら、まず朝貢したことを書く
梁が先王朝のデータを入手出来たか否か
あの絵の人物は合掌してるし、もしかしたらインド風の服装を着た仏教の僧侶なのかもしれない。
>>243 倭国は主要国じゃないから
記録が引き継げたかどうかは運次第
斉代に編纂された宋書が、次の梁代に散逸してるとかワロス
まとめると
新王朝になったら冊封国の記録が引き継げるかどうかは運次第。
↓
梁は倭王の官爵の位すら把握できてなかった可能性があるから、征東大将軍に進号できたのは、きっと倭から使者が来て以前のことを教えたからに違いない。
そのときの使者は朝貢しなかった。もしくは陳は梁から外交史料を引き継げなかった。
↓
梁職貢図の倭国使の絵は、実際そのときに実物を見た者が書いた、もしくは見た者からの伝聞で書いたものがベースになっているのだろう。
247 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 06:23:36.80 0
いずれにせよ、倭人(倭国の使者)は半裸だったってことだな。
>>246 まあ、そんな感じ
最後が問題なわけだ
別に半裸でもそれほど恥じる気持ちはないな、個人的に
あの手のファッションは呉越の原住民の服装に近い。それほど忌むべきものではなかったと思う
>>247 韓国人は半裸だ!半裸だ!と言って喜んでるらしいね
東亞でそういう記事を読んだな
現状、20世紀まで半裸で過ごしていたのは朝鮮人の方なんだが
写真が残ってるしな
250 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 07:19:49.25 0
>>248 どう考えても、最後じゃなくて真ん中が問題だろ
文章が魏志倭人伝のコピペであることと矛盾する
中国がまともに外交文章を保存できないことを前提にする仮説にすがりつかんでも…
半裸は恥ずかしいのは確か。何事も中途半端なのは良くない。
ここは全裸で大陸の粗チン野郎どもにジャパニーズウタマ〜ロを見せつけてくる気概が欲しかった。
253 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 08:13:21.08 0
裸国とか黒歯国は国名がかっこいいな。
日本の貴族文化でも、お歯黒は中国的でない独特の文化だな
黒歯国との関係が気になる
>>254 中国の南方の少数民族やベトナムでは割と一般的な模様。
呉とか越とかでもやってたかも?
やってたら中国の史書に書かれるだろう
日本でも中世以降の風習じゃないっけお歯黒
甘いモノ食べれるようになったんで
虫歯予防(子供生むと骨が弱くなるので)だったんじゃないかなぁ・・
259 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 13:51:09.97 0
>>248 半裸は恥ずかしいよ。
職貢図の百済使節の図と倭国使節の図を並べてみたら、恥ずかしいことこの上ない。
>>259 まんま黒人じゃねえか>職貢図の倭人
いくら縄文系が倭人の主体とは言え、ここまで現実と掛け離れた描き方するのか
沖縄人ですらここまで黒くないだろ
倭人が東南アジアから北上してきたネグリトだった可能性もある
262 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 15:47:17.16 0
>>257 鑑真によって日本にもたらされたと聞いたが
で、平安時代にある天皇が歯を病んで黒くなってしまい、
大臣達が相談して天皇に恥をかかせないよう我々も黒く染めよう
という話を雑学本で
>>259 そら、中国化と欧米化を経た我々の認識だな
中国文化と程遠いナリの倭人、オレは好きだね
264 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 16:10:46.62 0
265 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 16:43:04.70 0
お歯黒って明治三年に新政府から禁止令が出てなくなったんだな
中国や東南アジアの少数民族にはお歯黒の風習残ってるとこまだあるみたいだね
日本人やチベット人と同じハプロタイプD系統持つミャオ族やハニ族に伝わっているのも興味深い
後の時代から類推して恐らく倭の外交官は大陸系の帰化人だったはずなのに
あえてああいう民族色の濃い格好しているのは大国としての自信から
くる「別にこちらは中国の言うがままになる気はない」という意志表示だったのでは?
百済も事あるごとに扶余の末裔である事を誇示してたし、別に好きで中国風の装束を着ていた訳ではないのだろう。
あるいは中国側が民族衣装を好んだとか
>>262 お歯黒は古墳時代から
漢人は歯を黒く染めんだろ
そもそも、絵は仏像と同じ服、文は魏志倭人伝のパクリ
実際の観察に基づいたものではない可能性のほうがはるかに大きい
中国人の倭人想像図に振り回されるのも馬鹿馬鹿しい
>>263 大和朝廷みたく政治制度や新技術を徹底的に学ぶならともかく
服装だけ中国化しても政治制度が未整備で産業技術が低く
粗服の倭人に属国化させられてりゃ世話無いしな
271 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 18:40:39.15 0
中国人は絵がヘタクソだからな
272 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 18:43:48.07 0
倭人は儒学も暦学も医学も仏教も機織り技術も、全部、百済から学んだんだが・・・
え?単なる通訳じゃないの?
通訳が隣の隋唐の文化を勝手に自分起源にしちゃうのは問題あるでしょ?
百済にいた漢人から学んだのだから、それを百済から学んだと強弁してもいいじゃない。
275 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 19:02:51.65 0
百済が滅びた時、主だった百済人は新羅=朝鮮人になるのが嫌で日本に亡命してきたから、その色々教えてくれた百済人は現半島人となんの関係もないけどな。
しかも学ばせて「貰った」わけでもなくて
属国だった百済に寄こすように命令しただけなんだけど・・
なんにせよ、永い付き合いの友好国だったのは確かだから、その百済を滅ぼした仇敵の末裔と仲良くするのは道義にもとる話だな。
今も日本で暮らす百済王家の子孫への謝罪と賠償を要求するくらいのことはしてもいいはず。
友好国じゃないよ属国・保護国
単なる友好国から王族の人質取らないから
あと百済から逃げなかった百済人は消滅してる
集団自決したって書かれてるね唐書には
もう百済の子孫は日本が「保護してあげた」系統しかいない
なんで朝鮮人は日本に感謝しないの?
今百済の血が一応ながれてるとわかる人は高麗神社の神主家くらい?
あとは今上というのもあるがw
まぁ百済王の血が流れる王家に併合されてせっかく百済再興がなったのになんで大日本帝国の併合を恨むかね
282 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 19:42:18.97 0
百済人が先祖じゃないから
>>279 民族浄化だな。世界各地に百済人受難の像を建ててホロコーストに並ぶ蛮行として広く世に知らしめるべきw
284 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 20:04:22.27 0
いつの間にかレイシストにスレが占領されとるw
どこら辺がレイシズムなん?
>>285 ユダ、ウリにとって都合が悪い全ての人間=レイシスト
287 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 20:29:20.35 0
>>284 かわいそうな百済人達を根こそぎ民族浄化するのはレイシズムじゃないんですか?
相手が親日派だから愛国無罪なんですか?
289 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 21:01:33.31 0
>>287 下のポンペイカップルは写実的だな
まだ日本ではケモノ追ってウホウホいってた時代だぞ
写真のような肖像画からは近東や北アフリカの民族見たい
アルジェリア人とかチュニジア人とか
それと当時のローマ人は身長が160cmぐらいらしい。
映画のスパルタカスのイメージと随分違う
当時のゲルマンで平均身長170cmだったらしいけど・・
クロマニヨン人は180cmだったらしい
肉食の狩猟生活だと大きくなるのかな?
291 :
世界@名無史さん:2013/09/16(月) 21:20:55.66 0
>>289 ローマ人と日本人の農耕開始年代は同じ時期だよ
というかローマ人の方が遅い
ところで唐書によれば百済は76万戸ということだけど
>>279,
>>283,
>>288は
完全に駆逐追放したと得心している?
あと三国史記に百済二等の達卒を新羅十等の大奈麻にしたとかあるけど
それは信じないということでよろしいでしょうか?
ローマ人とゲルマン人の身長さは現代の欧米人と日本人ぐらい差があったようだ
だから古代ローマ人がゲルマン人と混血せずに現代まで生き残り近代化して栄養状態良ければ
多分平均身長は東アジアのモンゴロイドと同じぐらい(170cm前後)だったろうな
>>276 そこなんだわ
倭国は影響力のある地域から文物を吸い上げただけ
百済も新羅も倭国の関心を買おうと必死に貢いだ
それを【文明を与えてやった】ことにされちゃたまらんわな
いつもの現実逃避なんだろうが
>>294 ケルト人もだね
ローマ側の資料には枕詞のように『デカイ奴等』と書いてある
統一後の新羅による、常時大量の難民と餓死者を出しまくったポルポトばりの暴政を見ると、白村江の戦いは唐の赤い帝国主義とその思想的影響を受けた血に飢えた手先どもから東アジアにおける自由と民主主義を守る正義の戦いだったということが良く分かる。
?
>>293 エスニッククレンジングしたんだな・・・と考えるのが自然じゃないかな
三国史記の記述時期と百済滅亡には500年の差が有るって事わかってる?
朝鮮人の自己申告を率直に信じろと・・
高麗中期には朱子学が導入されてるので執筆者はメンタル的に
今の韓国人と変わんない程度の信頼性しかないと考えた方がいいよ
この後、焚書を熱心にやり始めて
他国から歴史書持ち込んだ人間は死罪にしてるんだよw
301 :
世界@名無史さん:2013/09/17(火) 06:48:28.22 0
エスニッククレンジング ethnic cleansing 民族浄化
統一新羅になって急に飢饉が恒常的になるのは恐らく農業・灌漑技術を持っていた旧高句麗・百済の倭・漢・扶余系の技術者や農民をことごとく虐殺して土人が取って代わったためだろうな。
三国史記は文章が歯抜けというか、これいじってるだろって所は確かにある
>>302 しかも滅びるしなぁ
半島の支配者が天皇家のような権威を持てなかったのは何故なのか
中国では、周の王室が、あるいは漢帝室が天皇的な権威に成りかけたことがある
ま、人間の質だと断定してしまってはもとも子もないんだが
半島でそーゆー立場に近かった高句麗王家(700年の継続)が唐に強制連行されて
抹殺されたからじゃん?
まあ満洲を本拠地とする高句麗と三韓を支配していた倭の二大国が半島における覇を競っていたはずなのに、手違いで雑魚の土人に支配されるようになってしまったからな。
三国史記以前の時代にも、新羅とか高句麗は記録をつけてなかったの?あったけど滅亡した時に燃やされちゃったの?
>>307 日本もそうなんだが、あまり歴史を残すことに興味なかったみたいだね
古墳の中には断片的な個人の経歴を記したものが副葬されるが、国の歴史ってのは見つからない
惜しいことだね、そして不思議だ
日本の場合文字導入以降の記録はあるのでケースは違うんだけどね
日本ですら文字が無いとそれ以前は全くわからない有様
でも百済も新羅も高句麗も日本に先んじて文字文化圏に入っていた・・とされてる
でも何故か13世紀以前の記録は無し
どんな言語だったのかも不明
変だよねぇ・・
こんなケースがありうるシュチュエーションって一つしかない
「途中で無文字文化圏の民族と交代した」
不思議な事に13世紀以降の朝鮮人は一貫して
まるで靺鞨人のようにふるまうようになるんだよw
大和政権を打ち立てたのは朝鮮からの渡来人だったってのは物理的に在りえるの?
世界帝国だったモンゴルですら九州すら制圧無理だったのに、それらより1000年も前に
名も無き半島からの寄せ集め敗残兵たちが大軍の騎馬隊日本海を輸送して、九州四国本州制圧→大和政権
いくら大陸のが技術進んでたとは言え、余所からやってきた得体の知れない異民族に大人しく従うほど倭人はアホじゃないよね?支配されそうになれば反抗するよね?
これだけは勘弁してくれ・・・ご先祖様が半島人なんて
>>309 日本も半島の三国も恐らくかなり早い時期から(当初は中国系の)実務官僚が日常的な外交や国内の行政に必要な文書作成を担ってた筈(それこそ卑弥呼の時代だって魏とそれなりの国書のやり取りがあったはず)。
ただ、膨大な手間のかかる国史編纂や、古い行政書類を後の時代に残すためにコピーするのは、中国のように官僚組織が肥大して、役人が人員過剰な位いないと無理だったでは?
日本人と朝鮮人の共通Y染色体ハプロタイプはO2bなんだけど
日本人のO2bタイプの75%はO2b1ってさらに変異が蓄積したタイプ
朝鮮人は大半はO2bなので別経路、別時期に到達したと考えられてる
実はあんま関係ないんじゃね?って話になってる
ただ昔の学説で朝鮮半島からの稲作を携えての移民説が
半ば常識で語られていた期間が長いから説明しても理解してもらえない場合が多々
稲についても遺伝子解析で中国華南→日本→朝鮮の順での伝播が有力
この20年くらいで従来説が他分野の傍証で崩されて来てるって構図
>>311 戦乱と飢餓の続く半島では文献は全部燃料になった・・って考え方も無いではないけど
日本も中国(これも相当酷い戦乱経験)でも残ってるのに
朝鮮半島から一切無いって作意を感じるのが普通じゃないかな?
隕石が落ちてきたとか大津波で攫われたわけでも無いんだし
一番簡単な解答は朝鮮半島は13世紀まで無文字圏でした!ってケース
それなら話しは簡単なんだけどね
実際同時期の遊牧系、狩猟系無文字圏は半島と同じく資料なんて全然無い
でも三韓時代は文化圏だったんでしょ?
だから話がおかしくなってしまう
日本側の資料だけみても百済、新羅、高句麗が無文字圏だったとは思えないしね
なんでだろー不思議だねー
ここに明快な解答の無い説明を私は信用できないと思ってる
>>309 捏造しないようにな
新羅は一貫して無文字文化圏、文字の使用も倭国より遥かに遅い
>>310 騎馬民族説は今ではまったく相手にされてない。
日本の武装が大陸のものに突然変異した痕跡はない。
したがって征服などあるわけない。
逆に日本の武装が任那や百済に波及してる。
これだけ見ても日本が半島南部を支配下に置いていた事は間違いない。
>>314 多分、半島の王たちは中国かぶれが凄まじく、
なかば自分たちを中国人と思い込んでたので、
自国の歴史編纂が遅れたのではないか。
>>315 そうだっけ?漢人系多いってイメージだったんだけど
319 :
世界@名無史さん:2013/09/17(火) 17:24:04.63 0
>>318 少なくても首都には漢字の読み書きが充分にできる漢人系が住み着いていたはずだが。
>>318 6世紀の段階でも、文字が無い上に
漢文を読める者や通訳すら居らず、百済の使者を介して意思疎通する有様
>>320 新羅って辰韓の末裔で秦人に似てるとか書かれてたみたいだけど
文字文化自体は喪失したって事?
金春秋なんて中国風に改名したのは7世紀だっけ?
情けな〜い半島の歴史ですね。
早い時期に秦韓の秦人(秦氏)をイジメて追い出してしまったからな。
日本に定着した主だった半島からの帰化人はことごとく新羅に恨みがありそうな奴ばかり(百済人、高句麗人、秦氏)
元々の人数はたいしたたことはないのだろうが、世代を重ねてそいつらのDNAが日本人に拡散していくに従って嫌韓が広まっていくのは当然の成り行きだなw
>>317 さすがにそれは無いんじゃない?
国書以外の言語を推定するための資料すら無いのは異常でしょ
13世紀以前の記録が何もないのになんで朝鮮人たちは歴史に関してあんなに自信満々でドヤ顔なんだろ
326 :
世界@名無史さん:2013/09/17(火) 20:06:22.17 0
無い故に想像をたくましくできるのだ
>>321 新羅には元々無かったんだろうね
中国から殖民してきた移民の国だろう秦韓は
新羅と区別され共に倭国に属していたし
例によって日本が保護した集団(恐らく秦氏がそれにあたると思われる)以外は民族浄化されたのだろう。
秦人が新羅の中心だったのなら、半島の言語は中国語の方言になってたはず。
>>309 現代では満州人まで韓国人になってますから
李氏が満州人だったことは隠してるはじだが
>>328 言語は変わるからね〜
そして新羅は倭系遺物の多いことで有名
この辺も謎だよ
>>316 邪馬台国は大和朝廷?ヤマト政権が倭人が打ち立てたのは確実として
なんで卑弥呼が死んで伊予が女王になってから140年もの間、外界と接触を経ったんだろ?
列島内で戦国時代みたいに覇権争いしまくってたのかな?国内のどっかの一勢力が中国に朝貢して後ろ盾を得て。。。
と、考え出す豪族やらが居てもおかしくないと思うんだがな140年も戦争してれば
それと古事記に邪馬台国がまったく書かれてないってのも不自然だ。
邪馬台国を滅ぼした勢力がヤマト王権だったとしても、それをあえて隠す意味もないよな?なんで隠すんだ?
謎でも何でも無いよ元々はまとまった国家が無く
倭国の領土で、その後も属国だったのだから
倭国の強い影響を受けているのは当たり前
333 :
世界@名無史さん:2013/09/17(火) 21:47:25.65 i
卑弥呼は7代孝霊天皇皇女のモモソヒメノミコト。
謎でも何でもない。
>>331 わりと大陸の状況を把握してたんじゃないかな〜
その時代って五胡十六国時代だし
古事記は8世紀だよ?
文字がなかった時代の500年前はもう神話なんじゃないかな・・
当然口伝のみなんだし
卑弥呼が日巫女なら容易にアマテラスとも符号するから隠すとゆうより
ウヤムヤにしたんじゃないかなw
卑弥呼は中古音だとpimihoだから、日巫女ではない
書いたの陳寿だから上古音だよ
中古音は当時の日本語音を正確に記述できたの?
前に聞いた時はヒミカみたいな発音なんじゃん?みたいだったけど
最近だとまた変わった?
卑 Pje,Pe
弥 Mia,Mje
呼 ha,xa
日巫女ねえ、どうだろ
結局あるレベルまで文明が成熟するまでは、倭人も半島人もお仕着せで漢字の読み書きを習っても、それを使っていろんな事を記録しまくる中国人を見て酔狂な奴らだと馬鹿にしてたんだろうな。
半島の場合は成熟するのに十三世紀までかかったということで…
340 :
世界@名無史さん:2013/09/17(火) 22:54:59.95 0
>>333 神武天皇とかさ紀元前7世紀とかだろ?あの時代って漢字はもちろん無いのにどうやって家系図とか記録してたの?
>>334>>333 神武天皇とかさ紀元前7世紀とかだろ?あの時代って漢字はもちろん無いのにどうやって家系図とか記録してたの?
>>331 中国側の編纂方法が変わってるだけだよ
晋の張華ってのが東夷の何十ヵ国を朝貢させたらしいが、多すぎたせいかまとめて書かれてる
あの中に倭国もあるのは間違いとみる
>>342 あの辺はよく言われるように後付けの架空天皇だと思う
飛鳥時代の朝廷はそれ以前の支配層とあまり関係がなかったか薄かった
その証拠にあの雄略天皇陵の選定を間違っている
しかし古墳はキチンと残されていて、何がしかの主の墓であることは分かっていた
口伝する人間がいたはずだからね
古墳は現代の神社のような存在で、神域には違いなかった
それらを日本書紀編纂の時に、天武(舒明系ということになるのか)の直系祖先であるかのように作った
という所が妥当で現実的では?
>>341 口伝。
面白いのは古事記では没年が書かれてる天皇もいれば、
書かれてない天皇もいる。
人間の記憶にも限界があるからね。
逆に言えば書かれてる天皇の没年は、
印象深かったゆえ強く記憶されたのだろう。
したがって天皇の元年も没年も何でもかんでも書いてる日本書紀よりよっぽど信憑性がある。
神武自体は存在はしたの?あと中国人が神武=徐福とか主張してるのは?徐福って紀元前の人でしょ。時期が合わないのでは
でも徐福自体は日本にほんとに来たそうじゃん。そんな凄い人ならまだ原始的だった倭人のリーダーになるぐらいのカリスマはあったんじゃ?
>>344 >あの辺はよく言われるように後付けの架空天皇だと思う
後付けの架空天皇なら、それこそ50歳くらいで亡くなるそれらしき天皇を何人も創作すればいいのに、
100歳超えるような馬鹿な事にしてるのは帝紀に書かれてた天皇をいじくれなかったからだろう。
したがってアホな年齢は別として、欠史8代と言われてる天皇の実在性は高いと思う。
アメリカCIAとかモサドが本気で調査したら神武含めて天皇の謎ってすべて暴けるのかな?手段を問わない力づくにでも調べたら?
>>346 >神武自体は存在はしたの?
俺は実在したと思う。
年代は応神が4世紀後半、崇神が4世紀初頭なんで2世紀後半〜3世紀ころかな。
神武と共に大和入りした久米や大伴の実在性はゆるぎないと思う。
ならば神武だけを否定するのはおかしい。
>2世紀後半〜3世紀ころかな。
卑弥呼のほうが昔じゃん
>>333 >卑弥呼は7代孝霊天皇皇女のモモソヒメノミコト。
モモソヒメのお兄さんは4世紀頃の四道将軍の吉備津彦。
卑弥呼を3世紀丁度生まれとして、その兄が4世紀ごろに将軍ににはなれない。
100歳近くで将軍になったということになるからな。
つまり50年以上時代が違う。
したがってモモソヒメは卑弥呼ではない。
名前からみて始祖とされる天皇が二人いるから普通に考えると
二つの家系の伝説を引っ付けたというのがまぁわかりやすいとは思う
そういう意味で神武はいたんだとは思う
で神話の古い話はあとからつける場合が多いことからかんがみて神武は継体とかより新しいもしくは同時期の王朝かも
仁徳陵とかってあれは丁度神武ぐらいの時期に建てられたんじゃなかったか(西暦200年頃)
ならあそこを調べれば何か解かりそうなのに宮内庁が駄目って言ってんでしょ。何故隠そうとするのか
隠したがるってことは宮内庁や皇室は神武が何者か、邪馬台国がどうなったかなど真相を知ってるのかな?
例えばイタリアにアウグストゥスの墓がある場所が特定されてるならイタリア人は調べるだろ?何故調べるのも駄目なのか
宮内庁は藤原鎌足のミイラが見つかっても埋めたそうだ。自分らだけ建国神話の真実を知るなんてズルすぎる
普通に先祖の墓あらされたら不快だろ?
子孫が現存してんだから子孫の「使用人」共が拒否するのは当然
考古ファン的に見ても保存技術がより発達する未来まで開封しないのは別にかまわない
中共嫌いだが周恩来が古墳を封印したのは尊敬できるわ
キトラと高松塚のあの体たらくを見れば今の技術水準で安易に掘っくり返したらどういう事になるか分かるだろ。
宮内庁管轄以外の古墳についても当面新たな発掘調査は禁止にするべき。
>>349 神武紀の久米歌から、久米氏が頭椎の太刀という日本独特の刀を使ってるのがわかるんだけど、
でも頭椎の太刀は弥生時代には見つかってない
>>356 7世紀頃の木簡があることは知ってるけど
それ以降ってあったけ?
だから曲がりなりにも文字文化圏だったはずの新羅と書いてるんだけど
あと余りに木簡の数が少なすぎる
新羅にいた中国人が書いただけじゃないかな?
あとは「焼き」忘れか
金石文についても少なすぎ&単に読めないから
トーテムとして残ってたんじゃ・・
後年の朝鮮人はやたら記念碑立てるの好きなのにねw
今の時代だって大統領が代わるたびに先代が死刑判決を受けるのが通例のあの国のことだから、滅ぼされた国や王朝の人間、記録や文物がどうなったかは想像に難くない。
>>354 天皇家が現実に存続してるってことが大きいだろうね
李氏朝鮮や始皇帝の墓ならいくら暴いても構わねえけど
>>358 神話と考古学を一緒にするな。
スサノオには馬の記述があるが、あの時代に馬はいないし。
>>359 梁の職貢図には、文字が無く、中国語を解する通訳も居ないと記録されているから
新羅では7世紀以降に漸く支配階級の一部で漢字が使われ始めたのだろう
日本書紀を書いた時に参考として百済三書を引用したって書いてるから
百済は5世紀くらいから漢字導入してるのと比べると新羅は遅いのね
どうも辰韓の末裔とは思えない印象だなぁ・・
>>365 倭・扶余・漢とは別の蛮族が南下してきて辰韓の故地を乗っ取ったんだろうな。
磐井葛子の王朝が邪馬台国だった可能性はない?
北九州説は有力説の一つで俺も個人的に支持してるが
イワイとの連続性となると流石になかんか難しいものがあるような
討伐したのが継体帝じゃなくて九州王朝内抗争の可能性もあるんじゃない?
370 :
世界@名無史さん:2013/09/18(水) 19:46:16.38 0
>>363 > スサノオには馬の記述があるが、あの時代に馬はいないし。
少数ながらいたことはいた可能性もある。
371 :
世界@名無史さん:2013/09/18(水) 20:13:06.81 0
彝濊の乱
磐井の墓といわれる岩戸山古墳は九州ではトップクラスのでかさを誇る前方後円墳なんだけど、
畿内と比べちゃうと見劣りがする
>>370 >少数ながらいたことはいた可能性もある。
スサノオを何世紀だと思ってるのかな。
そして日本での馬の登場を何世紀だと思ってるのだ?
俺の意見だがスサノオは実在すれば2世紀前半、
日本での馬の登場を箸墓の鐙や秋津遺跡の馬の歯などから4世紀前半だと思ってる。
スサノオ明らかに複数キャラを合わせたもんやん
逸話によってキャラ変わりすぎ
神武が2世紀頃で、それの血筋が天皇家なら
ヨーロッパで例えるなら、ダキアが滅びずにダキア王デケバルスの血統と王朝が現在まで残ってるようなもんか
(ローマ帝国が後漢として、国力的文明の発展的に倭はダキア)
そう考えるとかなり凄いことだな
島国ですしねぇ
あと儒教的に見て神話から続くというのも
なにしろ一度も簒奪をしてないという建前なので道徳的で中国や朝鮮より上という考えだそうな
377 :
世界@名無史さん:2013/09/19(木) 00:12:41.14 0
孔子自身は周王朝支持派で易姓革命なんて認めてないっぽいからな
>>368 だね
初代倭国王は福岡で確かだと思うが、その後の変遷が激しすぎる
戦国時代以上の乱世だからね
スサノオってサロ国(新羅)の昔脱解尼師今のことだろ
ソクタレはタバナ国(丹波国?)から朝鮮半島に渡った倭人らしいし
>>374 本来はいわゆる【稀人マレビト】のような存在と言われてるね
つまり自然神
季節を変え、花を咲かせ、実りをもたらす
特に人格はなかった
悪石島のボゼみたいなものか
不逞鮮人はどうしてそうやって他国の文献を自分達に都合良く解釈したがるのかね?
素戔嗚尊は邇邇芸命の天孫降臨以前=少なくとも一百七十九萬二千四百七十餘年以上前の人物、そして神武天皇は紀元前七世紀です。
根拠なく妄想するのはやめましょう。その頃朝鮮人のご先祖様はただのお猿さんですw
家猫と馬ではどっちが先に倭国に入ってきたのかな?
馬じゃね?
猫は奈良時代でしょ
神武実在説(ただし2世紀)を支持する私でも
天照やスサノヲが実在の人物とは思わないよw
なんらかのエピソードや象徴ではあるだろうけど「誰」ではないよね
>>384 オレは完全なおとぎ話的な神話かと思っていたら、天照については井沢元彦の本に、
【一年に二度日蝕のあった年】というのが1世紀にあって、それを基に考え出された神話ではないか?
という話が載ってた
(うろ覚えだが)
なるほど元ネタはあったのだろうかと再考させられたわ
天照は本来、海を照らす神で男性紳だったのが
巫女が女王だったんでいつの間にか女性紳になった
卑弥呼が天照のイメージキャラ化したのが現在のアマテラスなんじゃないのか?
って説があったような・・
おまえら「任那」の話しろよw
日本書紀の顕宗3年(487年?)の紀生磐宿禰ってのも面白い奴だな
任那から高麗へ動き回り三韓の王になるなどと宮府を整え「自称神聖。」任那の
左魯やら那奇やら用いて百済の適莫爾解を殺し城やら港やら押さえ、これに
百済王(東城王あたり?)大いにブチ切れ。んで攻めてきた百済に対して
生磐宿禰進軍逆撃。胆気益壮。所向皆破。以一当百。とやたら威勢がいいが
すぐに俄而兵尽力竭。知事不済。自任那帰。と力尽きて失敗して帰国して
任那の左魯やら那奇やらは百済にぶっ殺されたという
最初が三韓の王で自称神聖で暴れたあげくすごすご帰国とか竜頭蛇尾すぎ
実在してたらわけわかんないし、フィクションだとしたらなんでこんな
キャラ作ったのかやっぱりわけわかんない
倭国が新羅地方を含めた半島南部を広く領有していた
後に属国だった百済が満州民族の高句麗に凹られて南下し
倭国領任那の西部、今の全羅道へ侵略してきたのを記録しただけだか
何か不満でもあるのか?
>>386 天照御魂だっけ。あれは男性神なんだよな
本来は神が男性なら巫女が、女性なら神主が奉るんだよね
天照は単に持統天皇の反映だろう。孫のニニギに譲位してる点も文武天皇への譲位と同じだ
日本書紀が書かれたのは7世紀だからな
完成まで40年というのもいかにも長すぎる
いろいろと『調整』が必要だったんだろう
>>388 雄略紀に似た名前のヤツが出てくるから元ネタは同じではないかな
仲間割れを起こして将軍同士で殺し合い、帰国したが、ナンチャラと一緒に天皇に仕えたくないといい、
山口県の角の国に住んだという
略奪で一儲けしただけなのでは?
>>389 その事情でこんなストーリーとキャラになるかなあ?
あるいは日本側に記録無く侵略国家百済の正当化プロパガンダがそのまま
入った、日本書紀の相当部分は百済史観。みたいな感じ?
>>391 紀大磐宿禰か、なんかwikipediaではまるっきり同一人物説で書いてますね
親父の紀小弓宿禰もそうだけど最初は凄い勢いだけどだんだんぐだぐだに、
というパターンが多いな
>略奪で一儲けしただけなのでは?
だとすると話盛りまくったはいいが結局帰ったという締めが上手くいかず
竜頭蛇尾のイタい話になってさらに国史に組み込まれてしまったという
展開なのだろうか
文明が発達してるほうが戦争に強いとは限らない(ローマとフン族、漢帝国と匈奴、宋とモンゴル)
そもそも百済や新羅が文明的だったわけじゃなく、その先にある唐帝国が最先端文明国家だったわけでしょ。
本州よりも小さな半島の先っちょでさらに三つに分かれてた小国百済や新羅程度が、海を跨いでその先にある広大な倭を乗っ取れるわけねーじゃん。
百済も倭も新羅も中華の文明を取り入れた時期に大差はない。百済や新羅がほんの少し早くても、国力的に倭がすぐに追いつく。
だから4世紀に百済や新羅が倭の属国になったんだろ
>>390 出雲風土記みたく資料集めに時間かかり著作者がいろいろ違ったりしたんでは
歴史の真実を紐解くと朝鮮人には歪曲になっちゃうんだろな。もう頭がおかしいんだし
中国の属国に戻してシカトするのが一番なんだけどね。
>>392 案外事実かもね
半島の中国由来のものは片っ端から奪ってたのかもw
それを現代になって【倭人に文化を与えてやった】とくるから笑える
天照らす大神も、陰謀論が多いな
イ族とか太陽を女神、月を男神とみる民族もいるんだがな
誕生譚自体は中国のパクりだろう
盤古という巨人の死体の右目から月が、左目から太陽が、鼻から風が生まれる
イザナギとまるで同じだよ
最もこれは苗族という少数民族の神話らしい
401 :
世界@名無史さん:2013/09/20(金) 21:17:12.58 0
任那なんてなかった。
日本府なんてものもなかった。
鉄の王キムスロを見ればわかるが、文化的な暮らしをしていた加羅の人々を、
半裸でウホウホ言ってた倭人が征服などできるわけがない。
おっ韓国人の主張そのまんまやねw
韓国人は文献資料や考古学資料のうち鉄を輸出してたことのみをもって
鉄を持ってる=軍事力があった朝鮮半島は日本より強かったっていってんのよ
野蛮人が先進国を支配したことなんて腐るほどありますがな
中国やギリシアはそうでったんだぜ
とゆうか倭の任那進出は鉄生産目的でしょ
404 :
世界@名無史さん:2013/09/20(金) 23:10:12.53 0
>>400 盤古にバンコマイシンは効かなかったの?
古代朝鮮も倭の進出をよく南部までで食い止めたよ
国力からいえば全然倭の方が上だったから
でもそれから千年後に出現した時空太閤殿下の領土欲の前にはなす術がなかったけど
古代においては輸送能力の問題で先進国であろうが蛮族であろうが、渡海征服は最初の橋頭堡確保がかなり無理があっただろうから、資源産地の村に毛が生えたような弱小国が自分から大国の倭に保護を求めてきたと考えるのが自然
倭人は自称呉人の末裔なんだから、中国南方の神話と共通点があるのは当然だな
>>401 古代という響きで旧石器時代を連想する無学なヤツってたまにいるんだよね
頑張ってね
409 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 14:31:41.71 0
東夷=蛮族だった倭人が半裸だったのは仕方ないとしても、
古代文明の発達していたエジプトやギリシャ・ローマですら、
半裸だったのはなぜなんだろう?
ギリシャ・ローマと中国を比べたら、中国がはるかにまともな服装だ。
410 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 15:15:08.75 0
なぜ服を着てるほうがまともだと思うの?
411 :
産業が潤うから:2013/09/21(土) 15:20:51.47 0
>>410 温度調節できるから
どっかの民族じゃ熱いからってほぼ全裸で冬越せなったのいただろ
>>410 そもそも半裸ってのがトンスリアンお得意の捏造だからな
鉄製防具の整ってた倭国を、百済・任那諸国・加羅・新羅人が大国として崇めたのはガチだが
>>409 古代ギリシア・ローマでは裸こそ理想で、服は風邪をひかないために仕方なく身につける、恥ずかしいものとされていた。
そんなに立派なものでもないが俺でも全裸ではしったらモノがぶらぶらして走りにくいが
あの当時ぶらぶらさせてはしってたんだよなぁ・・
415 :
世界@名無史さん:2013/09/21(土) 18:46:21.75 0
>>335-338 表記する側のヒアリング能力も考慮した方がいいな。
よくテレビで外国人に日本の歌を聴かせて歌わせる企画があるけど、
正確に聞き取れずに、変な歌詞で歌ってることが多い。
日本人にしても、外国語をきちんと聞き取れないことが多い。
古代の中国人が古代の倭人の言葉を、どれだけ正確に聞き取れてたか怪しい。
>>401 キムスロが優れた鉄器を使ってたとき日本列島各地はしょぼい青銅器しかなかったからな
倭国兵が鉄鎧を着て鉄の長剣を振り回していた時
韓族は皮のヨロイ着て短剣を身に付けてたんだけどね
金官伽耶程度の大きさだと、鉄剣どころか近代火器を装備してても数で圧倒されてすり潰されそうな予感
そもそも金官国は倭人の国だからな加羅地方の諸国と違って
日本や半島に金属製加工品が入った頃ってもう青銅器と鉄器の同時使用時期でしょ
用途に合わせて使い分けてたはず
ローマじゃ鎧は青銅器が長く使われてた
鉄のが硬いけど銅は薄くした時に粘りがあって割れにくく錆び難いのが理由だとか
>>418 倭国の強さは究極的にはそこだよ
人口の多さ
工業化されるまでは何もかも人力だった
人口の多さは国力、人は資源だ
そこから奴隷という商品が成立する
最初の倭国王の時だって半島は【邑君】だし
倭国は金印、韓レンシ邑君は銀印
まあ、別に階級を競うつもりはないが、これは単純に代表者の支配する人口を示しているのでは?
423 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 20:44:38.34 0
秦の青銅器は下手な鉄器よりも丈夫だったんだっけ?
そもそも韓国人はバカだから日本を支配するなんて今も昔も無理
425 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 21:18:18.43 0
426 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 22:44:05.85 0
427 :
世界@名無史さん:2013/09/22(日) 22:47:45.53 0
つまり日本書紀は帝国主義者が書いたってことか
百済貴族が日本の王になったと言う記録はどこに残ってるんだろう?
韓流ドラマの台本?w
>>428 そんなの聞いたことないね
百済滅亡後 百済王族は帰化したんだから 主従逆転したとでもいうのかね?
>>388,
>>392 紀大磐が三韓を一時的にでも征服できたのは
天皇の勅命を受けてやってきた全権将軍を自称したからだろう
それがあっという間に勢いを失ったのは
ただの自称で本国の与り知らぬことだってバレたから。
むろん本人は処刑されたはず、それがないのは記録が散逸して
断片的な記事を拾ってるだけだから。日本書紀にはよくあること。
天皇や配下の公家が朝鮮人なら、こうも半島人と日本人の気質や国力、世界からの評価が正反対な民族にならないだろう。血は水より濃い、子は親に似る。
朝鮮人が統治してたらもっと凄まじい腐敗と悪徳が蔓延る半島型の血も涙もない国になってるだろ。
>>423 漢代に鋼鉄を鍛錬する部分と芯の部分に分けて接合する技法が産まれるまでは
鉄剣は強度を保ったまま長い物が作れ無かったしね
>>429 百済は滅亡以前から日本列島にちょこちょく入ってきてたよ
日本書紀とか古事記は、基本半島南部は蕃国扱いだから、帝国主義に従って書かれてるというのもあながち間違いじゃない。
>>416 その頃にはもう鉄器使っているだろ。
たいてい日本のほうが早かったんだし。
近年の研究では倭>任那の順番で製鉄が開始されている。
ただし当時日本では砂鉄しかなく、鉄鉱石がなかった。
なので鉄を輸入したり、鉄片や壊れた鉄器を修復しながら使っていた。
日本に弥生人がきたのは2000年前ごろ。
これが中国南部あたり、今で言えば上海よりもさらに南あたりからだが、
彼らが製鉄技術を持ってきたと考えるのが妥当で、
そもそも伽耶とかは最初から倭人の植民都市だったと思われ。
紀元前2000年頃から倭人が切り開き開拓した、本来日本固有の領土である半島に後から来た鮮人の先祖が戦後の在日と同じような手段で不法占拠して乗っ取ったのが今の半島国家。
>>433 百済系渡来氏族は滅亡前から入ってるが
直系ともいうべき義慈王の子は持統天皇から百済王氏を滅亡後賜ってるから
この時「帰化」でしょ
438 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 10:48:42.89 0
天智と豊璋は同一人物だと聞いたことがある。
天武は新羅人の忍者と聞いたこともある。
源氏が新羅系で平氏が百済系とも。
あと、宮中というか天皇家の人たちは、内々ではかなりあとまで、
朝鮮語を使ってたとかなんとか。
439 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 10:52:04.37 0
>>434 んじゃ中国の歴代史書はそれこそ・・・
他国にたいして帝国主義と非難できる義理などないわな
釣り針大きすぎ
在日認定乙でいい?w
列島にいた倭が最初から文明的に高かった訳ではない
倭は半島にもいた
彼らが九州に渡り文化を伝えた
高い文明を持っていた半島と日本列島の先住民族である倭人は、今の日本人同様お人好しだったため、野蛮で嘘つきなDQN鮮人に半島を乗っ取られてしまった。
>>442 そういう話は李朝以降のスレでやっていただきたい
現代のイデオロギーを元に古代史を語るほど愚かなことはない
まずこの頃に日本人だの韓国人だのといった現代でいうナショナリズムなどないのだから
いつも思うんだけど、百済王氏っておかしくない?
百済が氏で王が姓でしょ
藤原朝臣氏とか言ってるみたいで変
445 :
世界@名無史さん:2013/09/23(月) 16:38:44.03 0
>百済が氏で
ん?
クダラノコニキシ
ハワイノコニシキ
>>426 > 逆に百済貴族が日本の王になったという記録が残っている。
もうね、何もコイツらと語り合う物事はないと思う
>>438 オレは鎌足がホウショウだと読んだが
関裕二だったかな
ビッグコミックに連載中の「天智と天武」がオリジナルかと思った俺って馬鹿。
>>447 天皇の臣下として、王(コニキシ)のカバネを賜ったことを誤解してるんだろうな。
日本で育った子孫は長ったらしくて舌を噛みそうな姓でありがた迷惑だったことだろうw
>>449 あれだと天武で女系に乗っ取られているなw
ただ天武は出生に皇族としてはおかしな点があるから、
なくはないと思っている。
>>451 皇極天皇が再婚する前に産んだ漢皇子だっけか
あれが天武だとすると天智よりかなり歳上になるはずだが
とゆうより皇極天皇自身の出自が謎すぎるし
何故か斉明天皇ってもう一つの名前があるし
謎の人物だよ
454 :
世界@名無史さん:2013/09/25(水) 19:48:34.05 0
正直、日本書紀の内容はアテにならない。
7世紀の内容ですら、かなり史実が改竄、創作されてる疑惑がある。
藤原フヒトが改竄したんだろう。どうにも天皇含め胡散臭い一族だよな
かと言って日本が朝鮮やシナのように美徳の一切無い腐敗と悪徳が蔓延る国だったかと言えばそうでもない。古代縄文宗教、神道も残ってるし。不思議な国だな
>>454 書紀は非常に客観的で信憑性が高いよ、三国史記と比べたらね
神道って縄文宗教なんだろうか?むしろ仏教伝来以前に日本列島在来で存在したかもしくは伝来した宗教・信仰の類のものの総称のような気がする
459 :
世界@名無史さん:2013/09/26(木) 00:51:20.48 0
寺院と神社は明らかに違うじゃん。神社のほうが日本人にとって身近な気がする。神輿とか鳥居とか
基本的なことを聞いてごめん
弁韓と伽耶ってどう違うのだ?
弁韓=伽耶じゃないのか?
>>454 まあ、そういう点もあれば、意外に事実を伝えていたことが判明する点もある
箸墓の葺き石を二上山から運んだとあるが、これは成分を調べたら事実だった
歴史書は疑ってかかるのが基本だから、そこから史実を抽出できたらいいんじゃないか
>>458 素朴な疑問だよね
オレは仏教という外部宗教が存在したことで初めて意識された存在ではないかと思っている
つまり光があるから影ができるというようなもの
仏教が光とは思わんけど
>>460 倭新羅任那(狗邪韓国)加羅(弁韓)秦韓(辰韓)慕韓(馬韓)六国諸軍事
>>463 加羅って伽耶のことだろ?
狗邪韓国って金官伽耶のことだろ?
加羅=伽耶(金官伽耶)=駕洛国=狗邪韓国=任那ってこと?
うーん訳がわからん
訳が解らないのではなく理解したくないだけな
狗邪韓国は狗邪韓国、後の任那で倭人の国
加羅(弁韓)秦韓(辰韓)慕韓(馬韓)とは位置が違う
466 :
世界@名無史さん:2013/09/26(木) 06:50:44.78 0
倭人の国なのに狗邪「韓国」とは、これいかに?
韓族の国なんじゃないの?
>>464 都市国家連合のようなものだから、参加する都市の数により領域は変化する
盟主も変わる
韓は前漢時代の真番の後裔だろうね
九州人も混じってたと思う
魏志倭人伝はクヤカンコクから始まってる
示唆的だな
>>466 狗邪国は倭人の国じゃないだろ
だったら金官伽耶の王金首露は倭人の王ってことになる
>>466 狗邪韓国は倭人の国だよ、倭国の北の端だと書かれている
弁韓条などにも南を倭と接するとあるが、それが狗邪韓国
狗邪韓国長(高麗名金官国)金首露は
倭人の族長か創作された存在か、どちらかだろう
>>469 >狗邪韓国長(高麗名金官国)金首露は
>倭人の族長か創作された存在か、どちらかだろう
おいおいそんなこと日韓双方の教科書にも書かれていないぞ
金首露といえばその弟にあたる伊珍阿鼓王(大伽耶国王)はイザナギじゃないかという説があるな
また大伽耶の根拠地高霊(慶尚北道高霊郡)は高天原じゃないかともいわれている
そう考えれば金首露王が倭人の王だったと考えることも出来るがどうなんだろ?
少数の倭人が居住していた倭国辺境の過疎地帯だった半島南部に、楽浪帯方滅亡で漢人系の難民が保護を求めて多数流れ込んできたという感じでは?
伽耶の諸国が倭に征服されたというより、難民の中の有力者を王に冊封したという感じかも。
670年に日本という国号が出来たというのにそれ以前の4〜6世紀に任那「日本」府なんておかしくね?
もしこの地域を倭人(日本人)が治めていたとしたら任那ヤマト府にならんとおかしいやろ
え?それエンコリネタじゃん
ネタが古いよ専門板なんだからそんなしょうもない釣りすんな
>>460 伽耶は伽耶諸国の総称としていう時とその中の特定の国をさす場合がある
弁韓は12カ国の総称
総称として使う時はほぼ同じ意味
ただし弁韓を政治的な意志をもった政治主体として使ってる場合は総称じゃなくて
特定の国だろうけどね
弁韓は地域名で特定の国を意味しないよ
>>469 しかし「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。」を見ると
どうにも大海中の島にいるように見えるんじゃよな
「到其北岸狗邪韓國」って倭の北側の岸の狗邪韓國って意味かもとか思った
>>470 高天ヶ原が高霊カヤ?誰がそんな電波を
矢追純一か?韮沢か?
>>476 韓在帶方之南,東西以海爲限,南與倭接,方可四千里。
三韓の土地は南を海と接していない
弁辰與辰韓雜居,亦有城郭。其?盧國與倭接界。
涜盧国と倭は境を接している
帶方郡至倭,循海岸水行,?韓國,乍南乍東,到其北岸狗邪韓國,七千餘里。
狗邪韓国到着を以て倭国へ至るとあり、狗邪韓國を倭としている
其大倭王居邪?台国。?浪郡徼,去其国万二千里,去其西北界拘邪?国七千余里。
大倭王の国の西北境を狗邪韓国としている
狗邪韓国が倭に含まれていたのは疑う余地が無いと思う。
> 其大倭王居邪?台国。?浪郡徼,去其国万二千里,去其西北界拘邪?国七千余里。
> 大倭王の国の西北境を狗邪韓国としている
これも魏志韓伝かね?
山海経=古代の矢追純一
人間何千年たっても考えることは変わらないんだなw
>>477 高霊の伽耶大学校内に高天原故地碑というものがあるらしい
>>481 ワロタwwwwけど恐ろしいわバカチョンのバカさ加減
>>480 いいえて妙だな
しかし正史の晋書もかなりキテるからチャンコロの史料は精査しないとね
ま、科学知識が現代と違うのだろうが
任那は金首露王の王妃アユタ国(サータバーハナ朝)出身のファンオク王妃がが最初に辿り着いた主浦(ニムナ)を語源としている
485 :
世界@名無史さん:2013/09/27(金) 18:09:07.40 0
高天原って高句麗だろ?
天孫降臨って、馬に乗った天孫族が倭人を征服したことに基づいた伝承だろ?
手塚先生の火の鳥黎明編はそんな感じだったぞ。
けどなあ。日本語とか伝統風習がそのまんまなんだわ。
他国から大規模に流入した、征服されたにしてはおかしいことになる。
火の鳥って白村江の戦いを日本の太平洋戦争敗戦に重ね合わせてるようなとこあるからなぁ・・
今見るとワリとトンデモないこと描いてると思う
手塚作品のなかでは一番評価低い(自分評価で)のが火の鳥
てゆうか手塚のダメなトコが前面に押しだされた駄作
第二次大戦を経験した人は戦争があのイメージが基本なんだよね
まぁたしかにエンタメ作品としてはアレだがおっさんになって知識増えてからよむと
それなりにおもろいよ
トンデモは漫画はトンデモを描くものとおもってるからなぁ
ロピタの話はおもろいんだが
>>485 つまり、そんな高句麗を滅ぼした奴らの子孫である朝鮮人は日本にとって不倶戴天の敵だからこれ以上のさばらせておくわけにはいかないって言いたいんだねw
>>488 古代史はひどいね
しかも映像化は角川ときた
ウンザリよ
492 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 02:42:34.61 0
半島がもし存在してなかったら、日本はどうなってたかな?遅かれ早かれ中華式の文明は取り入れるだろうからそんなに日本文化は変わりないとして
モンゴルの襲来もなく(正確には半島→九州ですら無理だったので華南→九州も失敗する)、朝鮮併合もなく、朝鮮人に悩まされることもなくなるかな?
あいつらと関わって良かったと思えるのは敗戦後に日本じゃなく半島が冷戦の対決の場になってくれて日本の変わりに分断してくれたことぐらいだよな
まあ日本はゴミみたいな乞食国家にあそこまで投資して近代化して人口も教育も増やしてやったんだからWinWINだけど
そもそも朝鮮から中華文化が入っていたというのが間違い。
てことはつまり古事記・日本書紀は完全に虚妄ってこと?
そもそも高句麗・百済は満洲系・中国系国家。たまたま朝鮮半島側に少し出っ張ってただけで現代の朝鮮人とは全く何の関係もない。
五胡十六国にも入らない高句麗が中国かなあ
>>493 評価の難しいところだ
前漢時代の真番郡は洛東江流域、つまり釜山近辺
三國志によると辰韓(秦韓)弁辰はこの跡地で中国人が住んでいたとある
つまり、朝鮮人が中国文化を伝えたというのは大嘘でも、半島から伝わったというのは事実だ
なにせ半島が中国そのものだったんだから
>>496 前漢武帝の設置した玄莵郡の郡治(首都)が高句麗県でその後高句麗という国が現れるわけさ
意味深だろ?
つまり、中国の廃棄した都市を原住民がぶん取って建国するパターン
西域なんかはそういうの多いよ
499 :
世界@名無史さん:2013/09/28(土) 07:50:34.29 0
さすがに釜山まで漢の郡県だったってことはないだろう。真番郡って、もっと北の方だろ。
在日が戦後のドサクサに日本でやったのと同じ様に、その祖先は中国人が開拓した地に不法入国・不法占拠して奪ったんだな。
>>499 詳細は岡田英弘【倭国】(中公新書)をどうぞ
長安を去ること7840里
マイレージ換算でもぴったり洛東江流域
>>500 しかし三国志とか見る限り中国も現地の国・勢力を併合したことになってますな
最初の箕子は平和的に治めたことになってるけど
>>499 郡県ではなくても封建支配していた可能性は残る
黄海側は燕の時代から南部まで支配していたし
そもそも朝鮮開拓したの燕人だからな
箕子朝鮮なんてのは後付けだろう
しかし無文土器時代・青銅器時代の内、燕が関わるのは時期的にも
地理的(西北部)にも半島の一部だし
沿岸沿いに南部まで達してるよ広く深くってわけじゃないが点々と
中華王朝がローマだとすると、朝鮮半島はガリア、日本はさしずめササーン朝ペルシアといったところか
508 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 08:35:56.95 0
日本列島は倭人(とすら言えない状態の縄文人)が裸でウホウホ言って、
狩りや漁で暮らしていただけですが。
>>506 商業ルート沿いに都市(市場)を作るだけなのでそうだろう
中国人自体は都市にしか住まない
510 :
世界@名無史さん:2013/09/29(日) 10:57:13.20 0
>>508 その縄文人に身体的コンプレックス抱いてる靺鞨人の末裔
縄文人、弥生人の区別ってものすごくイデオロジック
>>509 商売する相手は居ないよ、居たとしても物産の豊富な日本しかない
中国人は良好な土地に入植し周辺を開拓して定住した
勿論生活の糧は主として農耕
>>512 中国人はなんだって持ってこさせるよ
鉱物でも出ればめっけもの
原住民はなんの価値があるか分からなかったろうな
そんな調子で中国商人はどこまでも拡散してゆく
中国文明はそうして広がったわけよ
檀君 箕氏は伝説の範疇だよ
歴史として始まるのは衛氏からだよ
檀君神話は中世からの挿入だし・・
檀君朝鮮は伝説じゃなく神話の範疇w
歴史として始まるのは箕子朝鮮から
箕子は怪しいな。国としては衞満からだろう。
ま、朝鮮って種族はいたらしいが、明朝が授けた朝鮮とは無関係だろうな
朝鮮の「鮮」は鮮卑の「鮮」じゃないの?
>>518 朝鮮という言葉が出来た頃は鮮卑はまだ東胡じゃね?
>>517 国としては箕子朝鮮から、考古学的には疑いの余地が無い
記録的には衛氏朝鮮からかもしれんが
>>520 まあ、史記『宋微子世家』にあるようだね文献は
周の武王が殷王の親戚の箕子という賢人を朝鮮に封じたとある
弧竹国の伯夷、叔斉など周に反抗的だった殷人の末裔の伝説か、あるいは燕国の支配下に入った殷人の伝説なのか
この手の〇〇国の起源は中国人という話は史記に多いね。果たして事実かどうか
燕とは違うから、本物の箕子の方国だったか
無名の殷人集団が朝鮮の地に国を作ったか。
北部を燕に奪われた明確な時期も謎だよね
523 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 21:05:14.01 0
大和朝廷を作ったのが渡来人なのに、何故文化的に劣った土着の縄文語である日本語を喋るようになったのか?
理屈に合わないじゃない。侵略してきたくせに支配した土人の言葉喋るなんて。最先端の仏教も持ち込んだのに神道のほうが現代日本人は馴染み深い
>>522 まあ、結局は平壌平原を開拓したのは中国人てことか
楽浪郡の下地はすでに出来ていた
>>523 幸いにも弥生人はどこぞの野蛮で粗暴な半島土人ではなくて、温厚で文明的な呉越の民だったので、意外にも弥生人と縄文人はほとんど争うことなく協力して倭を建国した。
辺境の過疎地だったはずの日本列島が倭人伝の時代には大国として台頭できたのはそのため。
526 :
世界@名無史さん:2013/09/30(月) 21:31:58.16 0
南の連中は、高山族とか苗族・瑶族みたいに、すっんげー獰猛だぜ!!!
19世紀まで首狩りしていたんだぞ (爆)w
>>525 >523が言ってるのはそういう外人が支配したはずなのに日本語は独特だって話
中国に日本語に近い言語があるのかな
無いんだよな
オレも呉越、とりわけ越人渡来説を信じてるけど、言語の問題は謎のままだ
>>527 侵略ではなく、平和的に溶け込んでいったから数が多いほうに合わせたということでは?
弥生人は海を渡ってくるんだから、いくら縄文人の人口が気候変化で減少気味だったとしても、後者のほうが圧倒的に数が多いはず。
>>523 征服して土着の言葉になるのはわりと例はあるわな。ノルマン朝とか清とか
ブルガールとか民族移動後のゲルマン諸国とか
まあ大和朝廷が渡来系かというとよくわからんし記紀を見る限り大和朝廷に
渡来意識は無さそうだが
>>522,
>>523 秦開が活動したのが300BCぐらいとして考古学的に見ると燕の東方に
おける活動はさらに遡るらしいがさて400BCぐらいなのか、東の果てが
鴨緑江だか清川江だか大同江だか、平壌に達していたかはよくわからん
青銅器製造は既に行われていたが、300BC頃からという鉄器時代の始まりに
燕の活動が関わってるかも
燕人の満(衛満)がやってきた195BC頃、鉄器時代の朝鮮がどういう状況だったか
箕子の子孫を名乗る国があったのだろうか? 呉とか越とか(雲南の)テンとか
中国の有名人の子孫を名乗る例はわりとあったようだけど
金官伽耶
1 金首露(太祖) 許黄玉
2 居登王(道王) 慕貞
3 麻品王(成王) 好仇
4 居叱弥王(徳王)阿志
5 伊尸品王(明王)貞信
6 坐知王(神王) 福寿
7 吹希王(恵王) 仁コ
8 金至知王(荘王)邦媛
9 鉗知王(肅王) 淑
10 仇衡王(讓王、世宗) 桂花
531 :
世界@名無史さん:2013/10/01(火) 00:03:39.61 0
百済が生き残ってたらどんな国になってたのか気になるな。日本に似てたのかな(言葉や文化習慣衣服)
大陸文化と日本って似てるようでどこか違うし。(朝鮮と中華はそっくりなのに) この差異はどっからいつ生じたのか
百済や伽耶が半島人と日本人の共通の祖国なら気質も文化も違うの
>>528 まあ、それが現実的だろうね
渡来といってもたどり着いたのは出航時の何割なのか
寄港先ですぐ食料にありつけるのか
アメリカ移民だって最初は餓死しかかっててインディアンに助けられてる
土着民の助けなしに渡来人もクソもないのかも
徐福みたいな大船団であっても、だ
>>529 衞満の場合、ぶん盗ったのは秦の城塞みたいだ
もともとは燕のものらしいけど
王険城(平壌)は後から造ったのかどうか
清って土着化したのかなぁ・・
逆じゃないの?北京語って満州語のような気がするんだけど・・
弁髪強要(しなきゃ死刑)、服装強要と徹底的に満化政策した清が言語だけ野放しってありえないでしょ
>>534 > 百済は支配層と被支配層の言語が異なってたという説があるけどその場合
>
隋書によれば百済最後の王都の【夫余】には『始祖仇台廟』があって四季にこれを奉ったとある
対して高句麗は三國志に『夫余の別種』と書いてあるし、
広開土王碑にも『惟うに昔、始祖スウボウ王の基を創れるや北夫余より出づ』と大書してある
岡田英弘の説だと、この仇台というのは高句麗の将軍か何かで帯方郡を任されていたが、
前燕のボヨウコウに高句麗が滅ぼされたのを見て独立したのだろうと書いている
おそらくそんなところだろう
百済の初出も345年だ
百済は王族が夫余でブレーンや兵士平民は中国人だな
>>536 スウボウ王って朱蒙(チュモン)のこと?
ボヨウコウって慕容皝のこと?
>>537 侵略植民地支配している黄海側の諸道は中国に返還しないとな
>>538 朱蒙は三国史記だっけ?あんま当てにならんね
オレは信じてないわ
>>535 それだと満州語や満州文字や故宮博物館とかにある満州語文献とかは何なのよってことになる
おまえら任那の話しろよ
岡田英弘厨がいるな…w
>>542 日本語全廃してチョン語を強制されるのと
だっさいキノコカットを義務付けられるのを
どちらか選べと言われたら、誰だってキノコカットを選ぶわな
546 :
世界@名無史さん:2013/10/02(水) 21:06:37.11 0
鉄の王キムスロを見て、太王四神記を見て、
日本書紀の伝える任那日本府なんて虚妄だということを確信した。
それはドラマで歴史を語りたい人がいるスレで言えばいいんじゃないかな
>>546 洗脳されてキムチを肴にトンスルで晩酌するようになったのですね
>>546 そんなもの見ずしても学会では任那日本府など虚妄の代物だと答えはでてるよ
未だ学会とは関係のない一部のネトウヨは現代のナショナリズムに即してこの領域の支配を主張しているが鉄器の使用なしに広域支配などありえない
まだ青銅器の剣でちゃんちゃんばらばらやってた倭国が大和を中心に日本列島を飛び越えて朝鮮半島を支配下においていたなど笑止千万
列島内でも北九州および出雲すらまともに平定しえてないのにどうやってそんなところまで補給したのかも疑問
それは一体何世紀を想定して言っているんだ?
>>550 伽耶の首露王や高句麗の東明聖王の時代だから1〜2世紀頃の話だろ
>>550 紀元前6世紀頃の話じゃないかな
前1千年紀後半になると半島南部は倭人に征服されてるから
4〜5世紀の話でしょう
6世紀はすでに撤退ムード
鉄資源求めての進出だし森林資源が枯渇すれば用無しだし
そこら辺ドラスティックだと思う
>>553 森林資源が枯渇した事実は無いし鉄資源は関係無いよ
百済が半島南部に南下して国を再興し、6世紀に至って漸く新羅が建国され
本土から遠く離れた倭国は領土を放棄せざるを得なかったというだけ
鉄器は輸入してるから存在するし
エジプトは青銅器帝国なんだが
文献や考古学資料無しに鉄一点突破で日本府を否定するのは朝鮮人だけで
共産国中国でさえ日本の影響は認めてるというのに
基本的に7世紀以降は半島南部はエネルギー不足だよ
8世紀からの半島の荒廃はそれは原因でしょ
8世紀からの半島の荒廃は
政治の全く整備されていなかった新羅が
情勢に恵まれて半島の中南部を統一したのが原因
そうなのかな〜一応新羅って歴史ある国じゃないの?
律令制だったみたいだし
新羅は確か公設の役職が確認されて無い筈
記録だけ残らなかった可能性も無くは無いけど、考えづらいかと
歴史の始まりは遅いよ、南朝宋の時点でまだ建国されて無いし
その後も暫くは倭国や高句麗の庇護下、従属下に居たから
>>558 歴史を通じて中国以外で曲がりなりにも律令制をきちんと運用していたことが確認できてる国は日本だけ
記録が残ってないだけかもしれないが、相当な国力がないと必要な数の官僚を養えなかった可能性がある。
あと、日本書紀に新羅が秦氏の来日を必死に邪魔したってあるけど、高度な技術と組織力を持った中国系半島住民が大量に日本に逃げたしたことによって、半島に漢の時代から蓄積されていた文明は三世紀ころに完全にリセットされたのかも。
>>554 9世紀には禿げ山ばかりになって鉄の生産も出来なくなったと高山正之のコラムで読んだな
1dの鉄を作るために小さな山一つ無くなるそうだからあり得る
あいつらは木を切ったあと植えることをしない
日本列島ほど湿潤でもなくて森林の育ちがかなり悪い
>>554 6世紀に至って漸く新羅が建国され
>>559 >>歴史の始まりは遅いよ、南朝宋の時点でまだ建国されて無いし
前秦に対する377年や382年の朝貢、広開土王碑の399-400年の記述は認めないということ?
>>564 梁書にある通り、未統合な小部族の様な存在で
未だ到底国とは呼べない存在って事
>>563 禿げ山ばかりになる程の大量の鉄器が確認されてない
製鉄のためだけじゃなくて、そもそも新羅の農耕技術が遅れていて焼き畑農業でもやってたんじゃない?
>>566 いや鉄器なんの為に作ったと思ってんの?
日本に持ち帰る為で現地で使う為じゃないよw
>>569 だから梁の時代に国と呼べる段階へ進んだという事
朝鮮に残った分も持ち出されたものも普通に考えたら9割は鋳潰して使いまわしてるだろうから、まあそのままどっかから出てくるわけないな
古墳に副葬品として埋められるような名剣とかその類のものは別として、実用品なんてそんな扱い
室町後期日本や古代中国のそれ以降と比べて
圧倒的に発見量が少ないんだよ
日中以上に輸出、再生したわけじゃ無く純粋に生産量が少ない
549は時代すらよくわからん。
在チョンの願望だから時代マジェマジェだろw
>>570 体制は段階的に整備されるだろうけどあまり厳密なこと言うと倭とか他の国
も随分遅くならね?
倭もあんまり中国に朝貢しなくてデータ飛ぶけど西海岸併合する以前の
新羅も中国への朝貢は随分少ないからデータ飛ぶね
国と呼べる段階とかどうもよくわからん
墓の遺品などは4,5-6世紀であまり変化無いように見える
>>576 民族の存在と王権の成立とがごっちゃな観念になってる気はするね
まあ、そもそも民族概念自体、王権と関わるのだけど
>>576 ならないよ、倭国は邪馬台国の時点で広域国家だし
百済も南朝から官職貰う程度には国の形態を成してる。
新羅は馬韓人を王としていたり倭人を王としていたり
初期の頃はまだ新羅自体が国の体を成してないし
他国の併呑も進んでない
>>578 我々より小さかったら国じゃないっつーのもなー
官職っつーか中国とろくに付き合い無かったわけだし
馬韓人の王は3世紀の辰韓じゃね? 実際、その話は晋書に載ってるし3世紀に
辰韓の名で晋に朝貢しとるわけだし
太平御覧の孫引きだが辰韓朝貢から約100年後に前秦に新羅の名で朝貢した
時に昔の情報と違うと言われたそうだが、やはり楽浪郡・帯方郡の衰退滅亡
や高句麗の膨張などが玉突き状に変動をもたらしたのだろうか
倭人王って脱解のこと? しかしそれを5世紀?のこととする理由が
よくわからん
>>579 よくわからん歴史観持ってるヤツっているよ
皇学館の関係者かなぁ
辰韓から新羅へは段階的につながってる
どの段階で国ができたかなんてのは定義次第でなんとでも言えることだろ
6世紀になってようやく建国ってのは単に国号と君号を定めた話
これは503年に最終的な形式が整ったってだけだから実質はもっと前
286年の最後の辰韓朝貢から377年の新羅初見までの間に
辰韓から新羅への変化がありこれを実質的な新羅建国とするのが通説
だが俺の説としては辰韓と新羅との関係は弁韓と任那の関係のように
なだらかにつながっており、馬韓と百済の関係とは全然違ってるわけで
辰韓と新羅の間に決定的な相違は認められないと思う
>>581 辰韓(秦韓)の一国、斯盧国が新羅と見られているだけ
同じ理屈で馬韓(慕韓)の伯済国が百済と言うわけだが、疑問点が多い
魏志韓伝は所在地まで記していない
当時は単なる都市国家で新羅の王家と関係は薄いというかまるで無関係だろう
同じ地名だとか国名だからというだけで歴史の連続性を認めるわけにはいかんね
倭国にしても倭国王帥升と隋書のアマタラシヒコは繋がらないと思う
ただ、日本の場合文化的に大きな変化は少なく(前方後円墳等)、連続性を主張しても無茶ではない
辰韓は1国の名前ではないから、辰韓と新羅は全く別個の存在
また三韓は楽浪帯方に属する支配地扱いをされてる、
>>584 楽浪帯方の韓ワイに対する支配もなかなかよく揉めてたみたいやね
広開土王的には高句麗が楽浪帯方を滅ぼしたから支配も受け継いだみたいな
感じなのかな
弁辰とか鉄を韓ワイ倭など皆取りに来る、銭のように鉄が流通する、
楽浪帯方にも供給すると東西南北諸勢力が入り乱れてる感じやね
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/handle/2065/28801 によると辰韓・弁辰のあたり(東南部地域)は楽浪郡が出来た頃(紀元前1世紀
、青銅器の衰退期)に爆発的に遺跡が増えて独自様式が出るとともに
楽浪-漢式文物が多く流入し弥生青銅器もまとまってみられるそうだし
この辺の諸勢力がやがて"本来は我々の縄張り"的発想を持つように
なったのかな?
【社会】百済・武寧王の生誕地・加唐島など、九州の中の韓国を歩いて探そう…駐福岡韓国総領事館が企画、「市民と意見交換の場に」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1380815161/ 駐福岡韓国総領事館は朴鎮雄(パクジンウン)総領事が日本の市民と一緒に、九州に点在する韓国ゆかりの地をめぐるツアーを
5日から始める。初回は、韓国で人気のトレッキングコースの手法を取り入れた佐賀県武雄市を訪問。今後、朝鮮陶工の李参平を
陶祖とする有田焼の地元、同県有田町などを回る。朴総領事が訪問先と朝鮮半島の関係について説明し、日本の人々と意見交換
する場にしたい考えだ。
同総領事館は「古来、朝鮮半島と活発に交流してきた九州には、関連した名所が多数点在している」とツアーを企画。日本と韓国の
外交関係が冷え込む中、総領事ら韓国の外交官が現地に足を運び、市民と両国関係の将来を考える狙いがある。
5日は、韓国の文化や旅行に関心がある人々の親睦団体「日韓交流博多会・ナドリ倶楽部(クラブ)」(坂口隆義会長)の会員らが
参加し、トレッキングコース「九州オルレ武雄コース」を歩く。オルレは韓国の済州島の人気トレッキングコースの愛称。この「済州オルレ」
をモデルに、九州観光推進機構は、武雄などの8コースを「九州オルレ」として設定済みだ。
今後、ツアーは公募で40人程度を集めて、福岡市発着のバスツアーとして続ける方針。有田町や古代国家百済の武寧王(ぶねいおう)
の生誕地とされる同県唐津市の加唐島などを予定しており、佐賀以外の九州各県での開催も検討中。
朴総領事は「韓国との歴史的なゆかりや、オルレのような現代的なつながりに基づき、若い世代の交流の活性化につなげたい」と
話している。
ソース(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/43820 写真=韓国総領事館のツアーが5日訪ねる佐賀県武雄市内のオルレコース。散策しているのは韓国人旅行者
http://www.nishinippon.co.jp/import/national/20131004/201310040001_000.jpg
北朝鮮地域はこの辺の時代のいいものが埋まってそうだな
開発進んでないから埋もれてるだろ
日本併合時代の発掘はないのかな?
>>587 例えば楽浪郡の封泥ちゅうのは日本帝国時代の発掘やね
>>534,
>>585の資料とか読んでみると併合のちょい前あたりから発掘し始めて
北朝鮮になってからも発掘してたけど1960-70年代あたりから学説の
独自路線度が進んだような
琵琶型銅剣ってのは遼寧省を中心に半島東南部にまで分布しとるそうだが
細型銅剣ってのになると清川江(平安北道・平安南道境界)から半島全域に
分布してて燕の明刀銭は清川江あたりまでの分布だそうな
さしあたり前4-3世紀の燕膨張後の半島側勢力との境界は清川江あたりに
あったことが多かったのか。そしてこの時代の半島という纏まりは燕との確執
の結果出来たのか。燕と朝鮮の確執は一応史書にもあるし
あと北部で起こったことの影響はだいたい南部にまで及ぶっつーことかな
>>588 敵対関係があって初めて自己認識するってのは正しいね
しかし最初の『朝鮮』は前漢武帝に滅ぼされて自然消滅…
果たして半島に天下の観念はあったのだろうか
清川江は楽浪郡とリョウ東郡の境だったはず
やはり水が境界線になるのか
燕の明刀は半島南部まで半島全域に分布してるよ
燕様式の祭器や武具も
遼東は燕の重要拠点があった為に出土量が多いだけ
長城とか城なんかの遺跡から判断して
今の北朝鮮と南韓の国境辺りが燕と箕子朝鮮の境界でしょ
>>590 北京(薊)もリョウトウ郡だっけ?
ちなみに薊ってアザミなのね
593 :
世界@名無史さん:2013/10/07(月) 22:26:17.09 0
燕:つばめ:swallow
>>592 遼東には燕の製塩施設が在って、遼西より明刀の出土例が多いよ
>>594 塩はモンゴルの岩塩が原料なのかな
どちらかと言うと北の方に利権を見出だしていたような