知っていますか、任那日本府 韓国がけっして教えない歴史

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 ■大陸進出の軍事的要衝立証

 本書は、著者が精魂傾けて連続出版した『日本古代史 正解』(全3巻、講談社)に続くものである。
第3巻の「渡海編」では、日韓の古代史学会がその存在を否定する神功(じんぐう)皇后の新羅征伐が、
まぎれもない歴史的事実であることを突き止め、さらに倭国の朝鮮半島進出の橋頭堡(きょうとうほ)として半島南部沿海地域に手を伸ばし、
ここを任那(みまな)日本府とした事実を立証している。碑文や石碑の位置関係、
さらに歴史的文脈からこの事実を初めて証(あか)したことの意味には圧倒的なものがある。

 今回の著作は、この任那日本府という、古代日本人の大陸進出の軍事的要衝(ようしょう)が、
これも日韓の古代史学会による否定にもかかわらず、確実に存在し、その存在のありようにまで想像力を働かせた意欲的作品である。
立証の基点は、朝鮮半島南西部の全羅北道、全羅南道の、任那日本府とその周辺地域で、1980年代に相次いで発見された前方後円墳(14基)である。
これだけの数の発見は、前方後円墳が半島を経て日本に伝わったものであることの証(あかし)だとする説となって流布したものの、
古墳の造営の年代が、全土で多数発見されている日本のものより新しく、この説は受け入れられないという。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131020/bks13102009290005-n1.htm
2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:45:29.69 ID:gKTD8q4n0
3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:46:05.21 ID:/f+jy5Uj0
チョン「これはネトウヨの捏造」
4番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:46:31.54 ID:2QBvsl5y0
その場所に上陸した奴は、反動思考を持った、日本人か中国人かわ からないが、40代の、 ガチムチ右翼だろうと、勝手に想像して、鼻と口に一番臭い部分を 押し当て、 思いきり嗅ぎながら、日本も中国もウゼぇぜ!俺が手に入れてやる ぜ!
と絶叫し、 マラをいっそう激しく扱く。
他の六尺国旗は、ミイラのように頭や身体に巻き付け、 ガチムチ右翼の上陸地点に狙いを定めながら、ウオッ!ウオッ!と 唸りながらマラを扱きまくる。
そろそろ限界だ。 俺は前袋からマラを引き出し、ガチムチ右翼の上陸跡に、思いっ きり種付けする。
どうだ!思い知ったか!力づくで手に入れたぜ!と叫びながら発射 し続ける。
本当に領土を手に入れた気分で、ムチャクチャ気持ち良い。
ガチムチ右翼の上陸跡は、俺の雄汁でベトベトに汚される。
尖閣諸島、貴様はもう我が六尺共和国のもんだぜ! 俺の建国宣言が済んだあと、他の島もまとめて、国旗を突き立て所 有権を主張する。
また明日、お仲間が六尺共和国に上陸するまで、オカズに使う。
日中対立の裏ではそんなハッテン場化計画がいつの間にか進展して いるんだぜ。
5番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:47:31.27 ID:pgWunrIxi
確固とした事実でだけど、これを認めちゃうと太古は朝鮮半島の方が文明が進んでいたという歴史が否定されてしまうからな
6番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:48:09.76 ID:VA42iHDaP
前方後円墳が韓国から日本に伝播したのは確かなんだけど、
なぜ韓国にある前方後円墳のほうが新しいのか、その説明はこれから分かることだろ。
7番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:48:31.77 ID:ikoN1+GM0
実際のところ任那って何だったの?
まともな学者は何て言ってるの?
8番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:49:16.99 ID:aKu+qcrk0
朝鮮半島は日本の領土なので朝鮮人はさっさと消えてくれませんかね
9番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:50:23.99 ID:oEqdR7WB0
連中の地図では唐より大きい半島の国々。
もはや任那がどうとかいうレベルじゃねー。
10番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:52:38.67 ID:7E/ZX/9G0
日本人でも知ってる奴あまりいないだろ
11番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:52:53.97 ID:PIiawa7nO
こういう都合の悪い遺跡は、破壊しまくってるんだろ
あと百年ぐらいしたら、何にもない地域になりそうだな
>>6
不確かだろw
何根拠なく確定してんだよ。
>>7
いろいろ説はあるみたいだけど、結局、なんだか解らないってのが正確でないからなあ
あのあたりの小国が商人たちといっしょに作った対日本貿易のための貿易団体でないかって説から、日本の国全体でさえなくて九州の豪族の飛び地でないかって説まで、いろいろあるけど、証拠が全然ないし
日本書紀の記述からして他の部分と書き方が違っててどっかの本から写しとったみたいなんだけど、原資料が揃ってなかったのか、出てくる時代が短くて、そこを外れるとなにも書いてないみたいな状況だから、少々考古学的資料が出てきても、解釈しようがないし
14番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 10:56:41.42 ID:WkTzi9OV0
>>6
韓国が発掘した古墳が
日本より新しかったから埋め直したらしいじゃないかwww
中国の歴史で考えてみると、任那のある南鮮は朝貢の少ない最果ての田舎なんだから、そんなところ侵略されてもおかしくない。
もし、重要な場所だと考えようとしたら、倭国が実力のある国でそことの中継地点という解釈しか出来ず、なおさら侵略されてもおかしくない。
一部の豪族が日本と半島に跨って勢力を持ってたっていうくらいが実情だろ
この時期の国家なんて部族連合みたいなもんだし。
通商の拠点と考えるのが妥当じゃないかな
蝦夷地の蠣崎氏みたいな
18番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:00:56.14 ID:zBkCCTMU0
>日韓の古代史学会がその存在を否定する

韓国だけじゃなく日本の学者も否定してるけど
アホウヨ産経だけはこの素人説を支持します、てか
朝鮮人が読んだら火病っちゃうな
>>16
そもそも日本にしろ朝鮮にしろ「国家」が一定もしくは安定した国境と特定の民族に限定出来ない
国家じゃなくクニのが適切だろうし今で言う日本人のような人種ではなく氏族単位が別人種の感覚だろう
>>7
分かりやすく言うと任那=釜山。
もしくは西の百済、東の新羅、南の任那、北の高句麗
で、半島から発見された前方後円墳はこの任那と百済に広がっている
任那に倭人がいたのは確かかも知れないが、
それが大和朝廷の勢力下だったかどうかは別問題なんだよな
倭の五王の話にも関わるけど
日本側の歴史書に海外関係の話が全然出てこないから
倭王武の時代に実は好太王と半島で雌雄を決しているはずなのだか
雄略記にそんな話出てこないし

まあこれを突き詰めると九州王朝説になるんだが
23番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:21:58.17 ID:V6T3wCQ00
救急車に道を譲らない韓国人
普通に応仁天皇や神后天皇が朝鮮出兵してるし百済とも国交を結んで
対唐戦で援軍を送ったお礼に七支刀を献上してもらったとか普通にあるんだけどな
まず当時の倭が手足の先まで権力を浸透できてたかどうか ってのがわからんからね
墳墓があるだけじゃ人の行き来はともかく政情は確定できない
26番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:32:13.59 ID:Ne1+26TM0
単純に当時は朝鮮半島と日本なんて分ける意識が無かっただけだろ
広開土王碑文のあれは付近の連中に王の力を知らしめる看板みたいなもんだから
倭ボコボコ記述についてはちょっと内容膨らませちゃってるかもね
28番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:38:04.96 ID:VNXUtx1t0
宮内庁が隠してるもん全部考古学者が発掘したらすべての謎が解けるんだろ?
磐井の乱の時も任那がからんでいるし
朝鮮半島北部が倭の勢力圏だったのは間違いないだろう。
30番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:43:10.35 ID:fAWKRm2F0
倭国勢力圏だったのは確実だが
大和王朝の意を忠実に実行する統治機構が整備された内地だったのか、
はたまたただの倭人商人雑居地だったのかでも大きく違うからな
倭国の新羅征討には余裕のスルーだし、ただの通商地だったんだろうとは思うがね
31番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:45:17.99 ID:bE6JNymq0
あれだけチョンガーチョンガーうるさいくせに神功皇后の三韓征伐の話をロクに知らないネトワヨww
32番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:46:51.66 ID:ygxiCa7p0
またファンタジーかwwwwwww
日本の古代史は全部ファンタジーwwwwwwwwww
>>31
三韓征伐の話を厳密に検証すると
応神天皇は本当に仲哀天皇の子供か、という疑惑が・・・
統一されていなかった小国家の連合体なんでしょ
で、都合がいい時は日本に支援を求め、あるいは百済や新羅の庇護を求めたって感じで
信長の野望でもしょぼい大名があっちこっちの従属下に入ること多いじゃん

日本府の方は私兵集団を伴う半島に進出した総合商社みたいなもんだったのでは、後世のイギリスの
東インド会社みたいな感じで(ただし、あんまりの国のサポートは受けられなかったっぽい)
35番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 11:57:55.51 ID:Ne1+26TM0
元公安の菅沼さんが朝鮮北部はずっと上まで日本だったって言ってるじゃん
>>33
好太王に負けた天皇が分からないんだよなー
仲哀、神功、応神の誰かになるっぽいとは思うんだが
何で好太王碑に敵方である日本の元首の名前が無かったのか、残念でならない

仲哀敗死説を採用すると結構すっきりするんだけど、時期的に難しい
(東日本に支持基盤を持つ仲哀敗死→非主流派である丹波・筑紫勢力が朝鮮半島への
過度な軍事介入に反対してヤマト王権と衝突→西日本に支持基盤を持つ応神が即位)
かと言って神功皇后は実在が怪しいし、応神だとその後の河内王朝がなぜあそこまで
強大な権力を築けたのか説明がうまく行かない
負けたのだけは確かだから、もやもやするんだよなあ
>>36
倭王武の時代だよ
宋の安帝の時代に重なるから
>>37
いや、宋まだ成立してませんから(好太王の帯方界における倭軍撃退:404年)

倭王讃が誰になるかだけど、日本書紀はおそらく意図的に五王が特定できないように
してるっぽいから、推測が難しいんだよな(中国史書を参考にして卑弥呼を神功皇后に
比定した書紀の編纂者たちが五王を比定しなかったとしたら、何らかの政治的な理由が
存在したとしか考えられない)
× 倭人が朝鮮に進出した
○ 朝鮮南部の原住民(倭人)が朝鮮から追い出された
>>39
中国史書であんだけ客観的に記載されてんのに、何で現実と向き合わないの?
任那が和の勢力圏になる前、垂仁天皇が任那に赤絹を送ったらそれを新羅に奪われて新羅任那戦争が起きたしな
で、これが神功皇后の新羅遠征、三韓征伐へと繋がる、と

>>36
好太王碑は400年、神功皇后は260年で100年以上差がある。で、400年だと仁徳天皇時代
流れだけなら
神功皇后の三韓征伐(任那制圧→新羅を臣下にする→百済と同盟)で、渡来人による技術や知識流入
応神天皇の治世は渡来系氏族の秦氏等の力も得て経済急成長
それで次の仁徳天皇時代で、好太王碑曰く「新羅から助けを求められ倭を追い払う。ついでに新羅も占領する」とあるが、
好太王碑は単純に、高句麗が新羅の旧豪族を利用して新羅を支配下にし、倭を悪役にして自分達を正当化した碑ではなかろうか?
だから倭の記録ばかりの碑なんだろう
だから仁徳天皇の皇子達(倭の五王の候補達)が、朝鮮半島での支配の正統性を大陸の国家に主張し、外交で有利に立とうとしたんだろう
まあこの時代は100年単位で取って取られての繰り返しだけどさ
>>41
死亡干支年で推測して書いている
さすがに記紀の荒唐無稽な寿命は受け入れられないわ

景行天皇が九州に滞在していた記述が引っ掛かるんだよなー
九州で半島情勢に直接対応していたのかもしれない(そうすると畿内〜関東が不安になるから
ヤマトタケルを事実上の関東王として統治に当たらせていたと考えれば、常陸国風土記の記述
とも合致する)
その後の仲哀も九州まで出張っているから、景行〜仲哀・神功期が最も半島情勢が緊迫した時期
(すなわち半島出兵)だったんじゃないかと推測できる

逆に、高句麗が好太王・長寿王による長期安定政権に突入したことにより、軍事的には対抗することが困難になった大和朝廷が採用した政策が、外交により中国王朝から半島の領有権を認証してもらう
というもの、倭の五王の時代の政策そのものやね
応神以降、外征を縮小することで余剰になった国力の転用先が古墳造成、という説もあるし
河内王朝が積極的に外征していたとは思えんのよね

この説の最大の問題点は年代が全く合致しない点
応神の没年がどんなに新しく見積もっても394年なのがネック(これより時代が下るような
記述なり文物が発見されればこの説も成り立つんだが)
何か新しい発見とか無いかなあ
>>42
どの資料を参考にするかは人それぞれだからね
景行天皇が九州に滞在したのは反旗を翻した九州の豪族、熊襲と土蜘蛛の討伐だね
その後に景行が大和に帰ったら、また熊襲が反乱したから息子を送って成敗
この時に息子が敵に与えられた名前がヤマトタケル
これだけで20年以上あるから、まあ九州情勢は安定してなかっただろうね
狗邪韓国までは倭国なんじゃないっけ
当時の朝鮮人と今の朝鮮人は別種族だし
当時は食生活の違いで
別種族が同じ地域に共存していたから
それを今の概念で国家、国境をイメージすると意味が分からなくなる
倭が半島に進出する契機になったのは、おそらく300年に勃発した後期八王の乱による
中国王朝の朝鮮半島に対するプレゼンスの急激な低下にあったのではないかと推測

そして、高句麗が必ずしも順調に半島に進出してきたわけではなかったことも大きな要因に
なっていると思われる
・ 312年 楽浪郡を占領、亡命漢人を官僚として登用し国家機能を整備し始める
・ 342年 鮮卑慕容部に一方的にタコ殴りにされ、服従させられる
・ 355年 前燕(鮮卑慕容部が帝位を称したもの)の冊封体制に組み込まれる
・ 370年 チベット系異民族王朝である前秦が前燕を征服、高句麗は引き続き中国王朝に朝貢
・ 371年 百済の攻撃を受け、高句麗王戦死
・ 378年 北方の契丹の侵略を受ける
・ 390年 百済に現在の平壌一帯まで奪取される
・ 391年 好太王即位(息子の長寿王と合わせてこの後100年にわたり全盛期を現出)

370年前後には百済が馬韓諸国を統合して国家機構を確立し、倭国との同盟関係が成立している
当時の倭としては鉄をはじめとする大陸・半島との交易は王権の一大関心事であり、そのためには
交易の中継地点に当たる朝鮮半島の安定化が大きな政治課題であった
しかし、上記のように半島において高句麗が軍事的な脅威となったのは4世紀末以降であり
決定的に半島の軍事バランスが崩壊したのは475年の百済の一時的な滅亡時(そしてこれ以降
日本書紀における半島情勢の記述が増加)である
日本が本腰を入れて半島情勢に介入するのは雄略期以降と言ってよいだろう
それまでは大規模な兵力の駐留等はなかったと考える方が自然だと思う

むしろ半島南部は満州や倭、中国南朝との交易の重要な中継地点として発展していたのでは
ないのだろうか、交易都市としての価値があったからこそ、百済も新羅もヤマト王権も
無理して併合しようとしなかったというケースも考えられる
任那日本府という小っこい出先機関があったとしても全然不思議じゃないわ
あと、王朝交代説で河内王朝(応神王朝)の成立がヤマト王権の国力が著しく増大した画期みたいに
言われていることも多いけど
個人的には仲哀天皇(実在したとすればの話だが)即位こそがヤマト王権の国力増大のターニング
ポイントなんじゃないかと思う

崇神期以降、オオヒコ・タケヌナカワ親子、トヨキイリビコ、ヤマトタケルと継続的に関東への
出兵が繰り返されているが、これは一種の分割統治なのではないだろうか
当時のヤマト王権の統治機構では関東まで支配権を及ぼすことは困難であり、結果として有力な
皇族に支配権を付与して封建するほか手段がなかったものと思われる
このような状況で、関東の支配者であった倭武天皇(ヤマトタケル)の皇子である仲哀がヤマト王権
の支配者になったということは、関東側から見れば「うちらの皇子様が王位に就いた」ということで
非常に喜ばしいものがあったと想像される
それまでは空間的に統合に困難があった関東と畿内がひとつにまとまる契機となったわけだ
そして仲哀以降はトヨキイリビコやヤマトタケルのように関東に派遣される皇族は姿を消し
地方の有力豪族(上毛野公等)が直接ヤマト王権に臣従していく形式となる(ちょっと端折って
いるけど、ヤマトタケル以降にトヨキイリビコの孫・曾孫が関東に派遣されている)

三韓征伐時に関東の将軍(トヨキイリビコの子孫)が派遣されていることからも、関東の
人的・物的資源が外征に転用されたことが伺える
王朝交代説は実は説得力に欠けるよね、というお話
>>43
景行天皇、仲哀天皇が九州に赴いた理由が「熊襲討伐」になってるけど
そんなのヤマトヲグナの説話のように有力な皇族や臣下を派遣すれば問題ない話のはずだ

実際は半島出兵のために大本営?を九州に移転した話が、これらの天皇の在位年代を辛酉説に基づいて
古くしてしまったために、これに引きずられて百済や高句麗の成立年まで遡らせてしまう事態を避ける
べく「熊襲討伐」と記述したんじゃないかなと思ってます
49番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/20(日) 19:42:44.62 ID:Ne1+26TM0
GDP世界第2位が崩れるのと同じで隠し通したいのか
どこにでも手の届く巨大な国家が古来からありましたって幻想を何が何でも押しつけようとする連中と
半島に日本人につながる存在なんかいなかったニダって連中が結果的に結託して歴史解明を妨害してるイメージ
宮内庁が面倒くさがっているのは、少しでも陵墓発掘で妥協したら
ほとんどの古墳が暴かれてしまい収拾がつかなくなるっていう「ありもしない強迫観念」に
捉われているからだと思うよ、皇室のルーツなんて関係ない
ただただお役所仕事、先例のないことはやりたがらないだけ

皇室と半島に関係があるなんて今上ですら仰っているのだから、いまさら何が出ようとも関係ない
ただ、気を付けるのは中国からもらった印璽が出てきたときぐらいか
それが出てくるとちょっとややこしくなる
任那が無かった事になってるって事はもう最初からマトモな朝鮮史を教える事が出来ないって事なんだけどこれでええの?
53番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/21(月) 00:14:05.25 ID:WU0DcnL90
このスレは伸びない
54番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/21(月) 00:19:43.62 ID:BxGDE31h0
同一国家であった朝鮮と今はなぜ仲が悪いのか
55番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/21(月) 00:35:21.58 ID:MJC/WHh9O
>>46
4世紀始めに倭が高句麗領に進軍してる、撃退されたが。
それ以前に新羅を攻めているし、それなりの兵力は半島に駐留させていたと思われる。
56番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/21(月) 00:57:59.42 ID:Fee66zLA0
>>22
結局そこらへんだよ

朝鮮も捏造してるけど日本も捏造(or勘違い)した歴史が伝わってるから色々辻褄が合わないんだよ
真実の歴史はもう消え去ってるんだろうな
古代の中国の史書に出てくる倭が日本かどうかも非常に怪しい状況というか、
そもそも倭は日本とは別の集団(大陸南方の部族)を指してたのがどっかで日本に変わったみたいなんだけどその変わり目さえよく判らないんだから、
こういうのは解らないとしか言えないと思うけどなあ
任那は拠点というか日本が支配する同盟国だろう
今で言えば子会社、ちょっと前でいえば満州国みたいな感じ
白村江の戦いとか、当時の外交政策を見るに、
何らかの拠点があったのは確かと見てる
任那と百済が滅ぼされて水城を作るぐらいだしな
60番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/21(月) 01:20:07.52 ID:4b13QGhl0
古代の日本も韓国も無い時代に半島南部に倭人の勢力圏があったということだけなのにコンプレックス持たなくても良いのに
61番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/21(月) 01:23:06.25 ID:qL5s6IYQ0
任那ではいったい何語でコミュニケーションしてたんだ?
古代史の本ってイデオロギー絡んでくるからもう面倒臭いんだよ
最初の数十ページで著者が『どっち寄り』なのか判断しながら読まないといけないのが
63番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/10/21(月) 10:26:46.22 ID:ROdtvk/j0
下がり杉だな
>>22
倭が好太王と戦ったのは4世紀末だから雄略はまだ生まれていないぞ
実在したとするとまさに神功、応神の頃かと