フランスの歴史

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1世界@名無史さん
古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです
2世界@名無史さん:2011/11/06(日) 16:48:31.92 P
フランスの歴史とはパリの歴史のことである
3世界@名無史さん:2011/11/06(日) 17:09:27.25 0
フランク共和国
4世界@名無史さん:2011/11/06(日) 18:07:33.88 0
なぜカペー朝以降をフランスと呼ぶのか
フランクのままでいい
5世界@名無史さん:2011/11/10(木) 19:44:06.84 0
フランスに移り住んだフランク人が
フランス語を話し始めるようになるのはいつごろからだ?
6世界@名無史さん:2011/11/10(木) 19:47:49.19 0
フランク=フランスじゃないからでしょ
7世界@名無史さん:2011/11/10(木) 19:48:26.52 0
「フランス語」の原型であるパリ周辺のフランシア方言が現れてきたのは11世機以降。

「フランス語」がフランスの共通語になったのはフランス革命以降。
8世界@名無史さん:2011/11/10(木) 20:35:14.90 0
>>5
俗ラテン語なら移住直後から。

6世紀中ごろから、ローマ系住民の間で子供へゲルマン名をつける
流行が起きている。
9世界@名無史さん:2011/11/10(木) 21:56:59.81 0
現存する最古の非ラテン語(俗語)文献はフランキア方言による
「ストラスブールの宣誓」(842年)。
10世界@名無史さん:2011/11/10(木) 23:02:14.54 0
>>9
俗ラテン語に、フランク語の語彙などが加わったものだよね。
11世界@名無史さん:2011/11/11(金) 07:07:50.59 0
オック語とオイル語。
オイル語が原題フランス語の原型となったということで、江戸弁みたいなもんか。
12世界@名無史さん:2011/11/11(金) 11:05:59.23 0
カペー王家が341年も続かなかったら、フランスはドイツや北イタリアと
同じような分裂した状態になっていたのかな
この間イングランのっでは4つ、ドイツでは9つの王朝が交代し、
スペインの大半はムスリムの支配下にあり、イタリアでは王国が消滅していた
13世界@名無史さん:2011/11/11(金) 12:50:59.89 0
>>8
それってお6世紀後半のパリ地方の「フランク化」と呼ばれる現象と関係がある?
キルペリクは事実上パリを自らの都とし、その周辺に旧都ソワソンおよび
サリー・フランク人の土地から、多くのフランク人従士を移住させ、
所領を与えて住まわせていた
14世界@名無史さん:2011/11/11(金) 19:23:00.08 0
フランスの歴史に興味が湧いた時にいいスレ見つけた。
カペー朝って新書を今読んでるんだけど、小説っぽくて面白かったんだけど物足りない。
カペー朝が詳しく書かれてる本ってないのかな。
15世界@名無史さん:2011/11/11(金) 21:09:08.63 0
おい、今日はフランスが第一次世界大戦でドイツに完全勝利した日だぞ。
フランス万歳!!
16世界@名無史さん:2011/11/11(金) 21:13:06.23 0
>>13
ゲルマン語を話していただろうフランク人も
即効ラテン語化されたのか
17世界@名無史さん:2011/11/11(金) 21:21:43.18 0
カロリング時代までのフランク人支配者はフランク語(ゲルマン語)を使用しており、
それはドイツを含む王国の共通言語だった
したがって、ガリアにおいては二重言語状態が9世紀までは状態であったと推測できる
しかし、広範に広がったロマンス諸語によって、文化的に劣位にあった
フランク語は駆逐される
そして13世紀ごろに、ヘゲモニーをもつ言語としてパリ方言(フランキア方言)が
共通フランス語としての地位を獲得する
18世界@名無史さん:2011/11/11(金) 22:29:53.65 0
>>16
17でも答えてる通り、公用語は二つ。

ただしゲルマン語の影響を受けたガリア北部と、
アラビア語の影響を受けた南部の言語差は激しく、
中世末期になっても意志の疎通が難しかったようだ。

ゲルマン人口率が1%程度という面から考えても、ラテン語(ロマンス語)化は
避けられなかったと推測される。

また法律もゲルマン法とローマ法で分けていたが、3世代あたりから融合が進む。
特に軍事面に関しては顕著であり、6世紀始めにはゲルマン系のみに課していた徴兵を
ローマ系へも課していく。

19世界@名無史さん:2011/11/11(金) 22:41:05.10 0
>>13
関係あるだろうね。
当時首都を定めてもかなり短いスパンで、王と側近や一族が都市から都市へ移動していた。
これは政治基盤が貧弱であり、つねに地方の反乱に目を光らせる必要性が高かったため。

ローマ系住民はゲルマン名を子につけることで、子供が仕官しやすくなると
考えていたようだ。
またローマ式の氏族名・個人名の名前のつけ方は7世紀までには絶え、
個人名しかなくなった。
20世界@名無史さん:2011/11/12(土) 05:52:26.08 0
アルビジョア十字軍がなかったら
今頃どうなっていたか
分裂してたかも
21世界@名無史さん:2011/11/12(土) 06:07:26.21 O
今、シュテファンツワイクの『ジョゼフフーシェ』読んでる
フランス革命みたいな時代は特異な人物が出るもんだね
22世界@名無史さん:2011/11/12(土) 07:02:01.78 O
>>18
ガリアのゲルマン人口が1%って、残りのほとんどがケルト人か?
それがローマが支配してる間にラテン語化したのか?
てことはフランスの大半は元ケルト人?
23世界@名無史さん:2011/11/12(土) 07:15:03.57 0
中世から近代までのフランスの戦士たち
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15283239
24世界@名無史さん:2011/11/12(土) 09:12:30.67 0
>>22
先住民+ケルト人+ローマ人+ゲルマン人

先住民というのは巨石文化をになった人たちね

http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/Dolmen-BretagneNW.htm
北西ブルターニュの古代巨石文化
http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/Dolmen-BretagneSE.htm
ブルターニュ(南東部)の古代巨石文化
http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/dolmen-europe.htm
フランスとヨーロッパの古代巨石文化
25世界@名無史さん:2011/11/12(土) 09:14:28.85 0
先住民は非印欧語族
26世界@名無史さん:2011/11/12(土) 10:14:44.19 0
>>20
南フランスには副伯(ヴィコント)という役職があったな
27世界@名無史さん:2011/11/12(土) 11:25:36.20 0
ナポレオン時代のフランス国歌
http://www.youtube.com/watch?v=4qXVjcbWIF8
28世界@名無史さん:2011/11/12(土) 11:43:06.85 0
>>22
元々カエサルがガリアを征服する前から、ゲルマン人とケルト(ガリア)人は
交流が盛んだった(交易や戦争含めて)。その後ローマ人の移住などにより
混血が進んだ。ローマ末期までには、自らをローマ人(ガロローマ)だという認識が高かった。

ちなみにフランク族は、ケルト系との交流が多かったせいか他のゲルマン部族に比べるとケルト色が強い
部族といわれる(結い上げた髪や縞模様の服装など)。

またローマ征服後も、ケルト語であるガリア語も使われていたが、有力者の子息など
を中心にラテン語が早くから習得され、数世紀を経るうちに使われなくなった。
(初期の碑文や銅版にガリア語が残るのみ)

ただし、今もフランス語の中にケルト由来の単語があることから、ラテン語の
方言としてガリア語が生きていたようだ。

宗教としては、ローマ人は征服した土着宗教に寛容だったので、ローマの神々と
ケルトの神々が一緒に信仰されていた。後にキリスト教化された際も聖人と
なり現代でも伝わっている。(有名なケルト祭はハロウィン)
29世界@名無史さん:2011/11/12(土) 11:54:27.70 0
カール・マルテルによるトゥール近くで敗北して以来、北方への侵略を
断念したイスラム勢力は、主に西地中海の沿岸部を攻撃の対象とした
イタリアやプロヴァンスの海岸地帯は、イスラムの海賊の定期的な略奪にさらされた
彼らはほとんど毎年のようにローヌ河を遡り、例えば842年にはアルルを襲撃し、略奪した
一部はプロヴァンスのサン・トロペ近郊の高台に要塞化した拠点を築いて、
絶えずプロヴァンス北部やアルプス地方に遠征を行った
940年には、ジュラ地方の有名な修道院であったサン・モーリス・ダ・ゴーヌを
襲い火を放っている
長期にわたって継続的・反復的に侵略にさらされたために、プロヴァンスの
海岸地方の住民は内陸の山岳地帯に大挙して避難したために、この地の人口が
減少するとともに、ムスリムの攻撃に対処すべく、インカステラメントと
呼ばれる在地住民集落の要塞化、定住組織の変革が生じた
30世界@名無史さん:2011/11/12(土) 12:18:28.26 0
31世界@名無史さん:2011/11/12(土) 18:18:48.72 O
>>26
何で「副伯」って訳するんだろうね。
現代フランス語でも現代英語でも「子爵」という意味なのに。
32世界@名無史さん:2011/11/12(土) 18:42:05.85 0
>>30
ガリアのチェリオットかっこよすぎw
33世界@名無史さん:2011/11/12(土) 19:22:39.79 0
>>30
いいねえ、この画像。
34世界@名無史さん:2011/11/12(土) 20:43:27.72 0
>>31
もともと、伯の補佐をする役職だったからでは

そういえば伯は王による地方支配を代わって行う代官だったのに、
いつの間にか世襲されるようになった
35世界@名無史さん:2011/11/12(土) 20:46:55.35 0
>>29
28だけど、いいですねーその解説。

西ゴート王国滅亡後、支配下のゴートおよびヒスパノローマ人はアラビアの影響を
強く受けることになる。
そのためその地における俗ラテン語は、アラビア語の語彙が多く含まれるようになり、
スペイン語へと発展していく。

フランスにおいても、南部のセプティマニア・ブルグント地域では、29の解説にある通り
イスラムの支配を受けた俗ラテン語が現在のプロヴァンス語の元となる。
が、一方でローマの遺産が一番長く残された地域でもある。
(ワインの造り方、耕作方法はローマ時代から現代まで全く変わっていない)
36世界@名無史さん:2011/11/12(土) 22:45:23.03 0
南仏にはもともとリグリア人が住んでいたんだよな

マルセイユ、アンティーブ、ニース、アグドはギリシア人の植民市だったし
37世界@名無史さん:2011/11/13(日) 00:52:49.78 0
>>34
伯あるいは大公はローマ末期の長官職(ドゥクス)をモデルに司教座都市を中心に配置され、
その地を古くから支配してきたセナトール貴族が任命されるケースが多かった。
これが後のデュークの語源になるのは、ご存知の通り。

不安定な時代では、一代で消えていく脆弱基盤のフランク系より、
確固たる基盤をもつガロローマ系が継続して支配していく方が上手くいったようだ。

よって征服民であるフランク自由民が、被征服民であるガロローマ貴族に従属する
というケースは、都市のみならず農村地域においても多々見られた。
38世界@名無史さん:2011/11/13(日) 08:00:50.38 0
フランス軍で流行っていたエラン・ヴィタールとかいう精神主義は
どう考えても日本軍の大和魂に影響を与えている
39世界@名無史さん:2011/11/13(日) 09:27:41.79 0
つーか近代のヨーロッパの軍隊なんてどこも、精神主義の塊だろ。
40世界@名無史さん:2011/11/13(日) 09:44:33.56 0
フランスはその中でも異様なほうだ
普仏戦争で負け、人口でもドイツに追い抜かれた。
じゃあどうするのかと言えば精神力に突破口を見出すしかなかった。
その精神主義の行き過ぎがマヌル以前の敗北につながる
(相手がマシンガン構えてる所に銃剣突撃して中隊ごと壊滅という
パターンが相次いだ)
41世界@名無史さん:2011/11/13(日) 10:41:27.57 0
絶滅危機のブルトン語、フランスは多様性と向き合えるか
http://www.cnn.co.jp/world/30001363.html
クレープがフランス料理の文化として欠かせない存在になる一方、ブルターニュ地方独特のもう1つの文化、「ブルトン語」は、話し手の高齢化に伴い絶滅の危機に瀕している。
42世界@名無史さん:2011/11/13(日) 11:31:49.79 0
ブルトン語なんて一地域でしか話されない言語を
貴重な授業時間を使って教わってなんになる
他の教化を教えたほうがいいだろうが
43世界@名無史さん:2011/11/13(日) 11:40:24.78 0
フォッシュだったか
ドイツが一時大戦で負けたのは精神力がなかったからとか言ったの
44世界@名無史さん:2011/11/13(日) 12:14:02.48 0
ソンムの戦いのイギリスやゲティスバーグの戦いのアメリカを見れば
>>39が正しいと思われ。

「非合理的な精神主義で平気で国民を大量に殺せる」ことこそが近代国民国家成立の
必須条件なんだよ。


「非合理的な絶対神の概念」が近代科学の成立の前提であることとパラレルなんだと思う。
45世界@名無史さん:2011/11/13(日) 12:54:37.71 0
バスク=リグリア=イベリア=グルジア
46世界@名無史さん:2011/11/13(日) 13:16:19.47 0
18世紀のフランスでは「商業―軍事貴族」論争というのがあった
貴族だけで戦争を行う時代はとうに終わり、火薬・戦術革命による戦争様式の変化は
戦場における平民の役割をますます増大させていた
この意味では、近世以降の相次ぐ戦争が平民の軍隊、さらには社会での地位向上を
もたらしたといっても過言ではない

ただし、平民出身者が将官位に達したとしても、彼らは“貴族同様の熱意と勇気”を
示した故に評価され、またその論功行賞も“貴族化”といった形で行われた
したがって、軍事的資質を持つ者=貴族という理念そのものは、依然として
根強く残っていたと考えなければならない

ちなみに戦略が、なるものが学習可能な原理・法則としてまとめられるには、
19世紀初頭のビューロー、なかんずくジョミニを待たなければならない
47世界@名無史さん:2011/11/13(日) 14:02:06.01 0
>>44
アンヴァリッド軍事博物館、ルーヴル美術館などのミュージアムは、
教会にとって代わった市民宗教の神殿なのかもしれんな

今ではフランスだけでなく、たいていの国にナショナル・ミュージアムがある
48世界@名無史さん:2011/11/13(日) 14:08:50.13 0
実際、機関銃構えてるとこに何度も銃剣突撃した例は少ない。
機関銃は銃剣突撃するフランス兵の左右や背後に穴掘って隠してあった。
 \       /\   
 /        /\    機関銃(フランス兵から見えない)
 \ 塹壕      /\    ↓
 /          /\/\ ↓ ○ ○ ○砲弾痕
 \               ↓○ ○ ○ ○   (××)
 /   いまだ!! →→→→→→銃剣構えたフランス兵○ 砲撃でアボンされたドイツ兵
 \              ○↑○ ○ ○ ○   (××)
 /         /\/\/\↑○ ○ ○      
 \            /\ ↑             
 /            /\機関銃       
49世界@名無史さん:2011/11/14(月) 10:57:36.31 0
>>35
ガリア・ナルボネンシスはもともと地中海性気候で、マルセイユなどギリシア植民市が
このちにブドウ酒生産を伝えたが、ガリアのブドウ酒市場では前175年ごろから
イタリア産ブドウ酒が目立ち始め、前1世紀になるとほとんど独占状態となる

ガリアには古くからビールがあり、当初はイタリアからの移住者やローマ軍、
ガリアの貴族層が輸入ブドウ酒の消費者だったが、ローマ支配下でブドウ酒の
消費量も増え、紀元後1世紀になるとブドウ栽培とブドウ酒づくりの技術は
ローヌ川にそって北上し、2世紀にはモーゼル川地方にまで達した
1世紀末ごろからガリア産ブドウ酒はガリア外に輸出されるようになり、
ローマ市のモンテ・テスタッチォでは「五年物ベジエ産ブドウ酒」という銘がある
壺が発見されている
50世界@名無史さん:2011/11/14(月) 19:41:47.41 0
>>49
ガリア人の葡萄酒好きは、征服前のローマ人の間でも知られてたよね。
交易や交渉の材料にも使われていたし。
ただ、お酒が強くなかったって話じゃなかったかな、ガリア人は。
51世界@名無史さん:2011/11/14(月) 21:26:50.06 0
水で割って飲まずに生のままで飲んでいたとか
52世界@名無史さん:2011/11/14(月) 22:44:50.30 O
>>42
そういって過去と断絶してしまったのが、たとえば漢字を捨てた韓国ではないのかな。
53世界@名無史さん:2011/11/14(月) 23:14:10.56 0
いつも思うのだが、下戸遺伝子の混じってない非東洋人達の間でも
酒の強い弱いあるのか?慣れや肝臓の強さなんかで多少の差はでそうだが
54<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/11/14(月) 23:51:33.44 0
縄文人には下戸がいなかったとか。日本でも中部地方が一番下戸率が高く
離れるに比例してアルコールに強くなる。東北、四国、沖縄など酒に強い。
55<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2011/11/15(火) 00:05:58.62 0
あ、すまん。誤爆レス。非東洋人だった。
俺も不思議に思ってたが、映画Three Amigos(サボテンブラザーズ)でテキーラ
飲んだアメリカ人が吐き出すシーンがあるから慣れはあるんだろうな。
56世界@名無史さん:2011/11/15(火) 02:12:19.56 P
ローマの酒商人はガリア人に、ワインを水で薄めないで飲むように勧め、これで酒にはまらせさらに消費量を
多くさせ、酒の代金として奴隷を提出させ、ガリア人たちは酒を手に入れるため、それと交換する奴隷を得ようと
ガリア人同士で人狩りの戦争をしまくった。
ローマの方もガリアを弱体化させるためその状況を煽った。


と、「ルビコン」に書いてあった。
57世界@名無史さん:2011/11/15(火) 07:33:26.81 0
日本人はなぜか欧米人のことを狩猟民族というが、ガリア人は大麦・軟質小麦・
エンマ小麦・ヒトツブ小麦などの栽培を行っていた
また大麦は食用だけでなく、ビール作りに用いていたらしい
彼らはさらに麻や亜麻を栽培し、その繊維で衣服を作る技術ももっていた
羊毛をつむぐ技術もかなり普及していた

こうした先進的農耕を可能にしたものとして、たとえば無輪犂利用の一般化がある
この農具は、すでにハルシュタット時代から知られていたが、ラ・テーヌ時代には
鉄製の犂刃が発明されていた
中世ヨーロッパの農業生産を飛躍的に増大させたとされる有輪犂も、
実はヨーロッパ中部のケルト人たちの発明だった
ブドウ収穫用の鉈鎌や大鎌や熊手が現在のようなかたちをとるように
なったのも、やはりラ・テーヌ時代だった
同じことは回転式石臼の発明についてもいえる
58世界@名無史さん:2011/11/15(火) 09:15:49.77 0
古代にフランスなんぞ存在しないぞ。
ローマ帝国の領土ガッリアの一部でしかなかったんだから。
それよりもケルト=ガッリア人の男色愛好風俗について語れよナッ!!!
59世界@名無史さん:2011/11/15(火) 09:41:22.41 0
確かに典型的な白人のノルウェイ人、オランダ人、アイスランド人などは漁民ばっかりで魚中心の食生活。
60世界@名無史さん:2011/11/15(火) 20:10:12.56 0
>>58
そんなこと言ったら歴史が語れなくなるだろうが。
現在のフランスにあたる場所の歴史を語るようにすればいいだろが
61世界@名無史さん:2011/11/15(火) 21:34:53.39 0
>>57
脱穀機もガリア人の発明じゃなかったっけ?
62世界@名無史さん:2011/11/16(水) 11:40:38.94 0
http://www1.doshisha.ac.jp/~takusemi/nishitaku/study/nougyoushi/000108.htm
ヨーロッパにおける千歯扱−その機能と消長
63世界@名無史さん:2011/11/27(日) 01:43:08.83 0
鎧スレに、ケルトやゲルマンをただの蛮族だと思っている馬鹿発見。
64 ◆axCVsGomao :2011/11/27(日) 01:49:26.44 0
狩猟民族なんてブラックアフリカとか
東南アジアとかの辺境くらいだろな
農耕や牧畜しないと人口養えない
65世界@名無史さん:2011/11/28(月) 09:23:20.35 0
東南アジアでも農耕や牧畜やってたじゃん
66世界@名無史さん:2011/11/28(月) 13:01:55.52 0
アマゾンのジャングルに住んでいる人々は狩猟・採集生活
パプアニューギニアの人々も
67世界@名無史さん:2011/12/08(木) 23:24:19.92 0
質問なんだけどヴァロワ朝のシャルル7世の兄ルイとジャンの死因って何?
近親相姦な結婚の続いた血筋のせいで体が弱かったとか何かの病にかかったとか、
寝たきりになって死んだとか、何処かで倒れて突然死だったとか、
そういう具体的な死因が知りたいんだけど、百年戦争に関する本やネットで調べても
死んだってことしか載ってなくて気になってる
68世界@名無史さん:2011/12/12(月) 14:56:41.16 0
ギュイエンヌ公ルイの死因はヘンリー5世と同じく赤痢らしいですが、トゥーレーヌ公ジャンに
関しては記述がないですね。
69世界@名無史さん:2011/12/30(金) 13:52:23.81 0
【斜陽の】スペイン帝国【太陽の没することなき】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325185458/l50
70世界@名無史さん:2012/01/02(月) 18:00:28.94 0
トゥーレーヌ公ジャン(Jean de France, 1398-1417)は毒殺されたみたい
ttp://fr.wikipedia.org/wiki/Jean_de_France_(1398-1417)
71世界@名無史さん:2012/01/06(金) 00:32:56.51 0
祝! ジャンヌ・ダルク生誕600年
72世界@名無史さん:2012/01/25(水) 21:51:26.53 0
【仏語圏】フランス植民地帝国【海外県】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1327493906/l50
73世界@名無史さん:2012/01/25(水) 22:39:42.76 0
フランス文化もレイプニダ!

http://toro.2ch.net/test/read.cgi/tv/1318859820/514
74世界@名無史さん:2012/01/26(木) 01:43:58.45 0
日本の非常にあざとい工作が、タイとまだ名目上はインドシナの支配者である
ヴィシー仏政権のトラブルをかきたてる。タイはフランス植民地に編入される前に
自国領土だったいくつかの省の返還を要求した。国境で騒ぎを起こさせておいて、
日本は調停役を買って出た。その上で治安秩序のため、インドシナの戦略要地に
陸海空軍を駐屯させる権利を主張した。この警察行為はついでに、日本の新聞の
洋鬼、とりわけ英国と米国が平和な土地の民衆に憎しみの種をまいているとの
猛烈な悪意に満ちた攻撃を伴った。

1941年ヴィシー政権は譲歩した。

「シンガポール陥落」
75世界@名無史さん:2012/02/21(火) 22:42:13.85 0
かつてたくさんあったナチス系スレッドが全滅状態。
いい悪いはべつにして、世間(リアル社会)で全否定されてるナチスを
再評価する思想的自由が世界史板にあった。
世界史板でなければ発見できない事実が豊富にあり
戦前ドイツを複眼的思考を研鑽できた。
サーバー大破でその膨大な蓄積が灰燼に帰して復興できなくなり
知識豊富なナチス研究者も去り、面白い知的議論が消滅した。
以前の世界史板は、現実社会では不可能なナチス擁護ができた刺激的な知的空間だった。
個人的には(現実社会で絶対悪視されている)ナチスへのタブーなき議論ができなくなったら、もう存在理由無いと思う。

76世界@名無史さん:2012/02/22(水) 00:00:05.37 0
フランスの黄金パターン

イギリスが行動を起こす → 「何しとんじゃワレ―」 → ボッコボコにされる
ドイツが行動を起こす → 「何しとんじゃワレ―」 → パリを蹂躙される
77世界@名無史さん:2012/02/22(水) 04:16:55.55 0
>>75
トンデモ本の受け売りの妄言を聞くのが好みならオカルト板行けば?
78世界@名無史さん:2012/02/22(水) 20:22:08.47 0
普通に皆、ナチスに飽きただけだろ。
正直厨二が好みそうな薄っぺらい部分以外、どこが魅力なのか分からん。

普通の歴史好きってのは大体が工業、農業、文化、交通、通貨、政治、宗教、学術、労働など
幅広い分野に目を向けるもんだが、その辺なら帝政の頃の方がまだ遙かに魅力的だしな。
79世界@名無史さん:2012/02/23(木) 22:56:41.04 0
ナチスは冷静に史実を研究すれば研究するほど、ダメ政権ダメ政党ダメ集団であったことが
明らかになっていくからなあ。少なくともそういった知識を持つ人間の多い学問板では、オカルト妄言の入り込む余地はないよ。
80世界@名無史さん:2012/02/25(土) 01:29:57.76 0
ナチスがというよりワイマールの流れは何も変わってないからなぁ。
戦後は結局ドイツは悪化していくだけだったんで、ナチスに変わった事を
気にする意味が無い。
81世界@名無史さん:2012/02/25(土) 03:51:29.13 0
ナチスはむしろ回復期にあったドイツを台無しにさせた。
82世界@名無史さん:2012/02/25(土) 04:37:28.19 0
正直ヒトラーよりビスマルクのほうが能力は上だろうな。
ビスマルクはかなりのやり手だ。

フランスにとっては、ヒトラーよりビスマルクの方が怖かったんじゃないか
83世界@名無史さん:2012/02/25(土) 09:34:21.83 0
個人はそいつが死ねば終わりだからなあ。
恐れる必要は無い。ましてビスマルクは戦争する気無いし。
84世界@名無史さん:2012/02/25(土) 09:38:45.63 0
プロイセン期は勿論その動きからくる
プロイセンに警戒しただろうけど。
85世界@名無史さん:2012/02/25(土) 12:20:47.96 O
普仏戦争後の対独復讐感情ってどういうものだったの
ビスマルクが策略をめぐらしたことも事実だろうけどフランスもかなり無礼を働いただろう
大きな視野で見ればビスマルクがやったのはただの小さな挑発であって
プロイセン自体はスペインの継承について譲歩してあげてるのに
86世界@名無史さん:2012/02/25(土) 13:42:52.99 0
パリ蹂躙されて、皇帝捕虜にされて、ヴェルサイユ宮殿で戴冠式までやらされたのに
「小さな挑発」て
87世界@名無史さん:2012/02/25(土) 13:44:15.39 0
極端な対独復讐感情を煽って政治的に利用していたのは、ブーランジェの取り巻きみたいな右翼だろう。

特にナポレオン三世タンは悪くない!と信じるボナパルティスト。
カぺーイスト、オルレアニストは、やっぱり成り上がりのボナパルトはダメだった的感覚。
クレマンソーみたいな左翼はドイツに対する憎悪より、ドイツと協力してパリコミューンを皆殺しにした右翼に対する憎悪の方が強い。
とはいえ実際ドイツ、特にカイゼルがあからさまに頭ヤバイ感じだったのも事実。
88世界@名無史さん:2012/02/25(土) 18:28:12.30 0
フランスは楽しい
89世界@名無史さん:2012/02/25(土) 19:59:54.85 0
フランスの近代史はドイツとの対決の歴史

フランス人とドイツ人なんて合うわけがない

EUもいつまで持つか
90世界@名無史さん:2012/02/25(土) 21:06:17.83 0
十字軍のときは共闘したじゃなイカ!
91世界@名無史さん:2012/02/26(日) 09:47:30.07 O
>>79

    ∧__∧
    (`・ω・) 民主党政権と比較した上での事かね?
   .ノ^ yヽ、
   ヽ,,ノ==l ノ
    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"


92世界@名無史さん:2012/02/26(日) 12:31:56.96 0
なんだこんなところにナチス厨の残党が。
つかもう最近は厨と言う言い方自体廃れたよな。
93世界@名無史さん:2012/02/26(日) 22:59:57.71 0
>>91
はっきりいうと民主党なんて目じゃないほどのぶっちぎりのダメ政権だぞナチス。
94世界@名無史さん:2012/02/27(月) 02:11:49.27 0
ビスマルクが失脚していなかったら、2つの世界大戦もなかったし、
ロレーヌ・アルザスはいまだにドイツのまま。
95世界@名無史さん:2012/02/27(月) 19:15:21.85 0
ビスマルクの唯一の致命的失敗は、楽するためにカイゼルの権威を利用したこと。
すなわちカイゼルがビスマルク嫌いになれば挽回のしようがない。
その点すさまじい選挙戦を経て政権についたクレマンソーの方が強い。
96世界@名無史さん:2012/02/27(月) 20:31:58.15 O
楽も何も
プロイセンで強権を手に入れるには皇帝の信任を得るしかないんじゃないの
97世界@名無史さん:2012/02/27(月) 21:09:08.67 0
いやフランスでは強権を手に入れるために皇帝や国王を退位させる。
98世界@名無史さん:2012/02/27(月) 21:09:58.74 0
というか自分が皇帝になるのか
99世界@名無史さん:2012/02/28(火) 03:56:18.08 0
ベルサイユ宮殿で戴冠式
エッフェル塔にドイツの旗
凱旋門の前でドイツ軍行進


フランス人の屈辱
100世界@名無史さん:2012/02/28(火) 05:03:02.81 0
>>91
民主党と比べてナチスの方がいい点って、国民に人気があったことくらいじゃね?
だから余計にたちが悪いわけだが。
101世界@名無史さん:2012/02/28(火) 06:39:19.03 0
ナチスはそれ以外に選択肢がなかったし、どの政党でも
結局同じことをしてたろうが、民主党は単に気まぐれで選ばれた政党が
国家を傾けてるんだから比較にならん。
102世界@名無史さん:2012/02/28(火) 07:45:08.03 0
> どの政党でも
> 結局同じことをしてたろうが、

無い無い。ナチス以外に戦争前提経済なんて気違い政策するところがあるかよw
それにナチスはせっかく自然回復していたドイツ経済を台無しにしている。
どう考えても民主党以下だわ。キミみたいなのは民主党がましに見える存在が居ることが我慢出来ないんだろうけどさw
103世界@名無史さん:2012/02/28(火) 09:15:24.99 0
>>101
ここまでくると、もはや何を言ってるのか理解できないw

>それ以外に選択肢がなかったし
「それ」ってどれ?

>どの政党でも結局同じことをしてた
共産党みたいな極端な例を出さなくても、例えば中央党がナチスと同じ事をするなんて想像できないんだが・・・
そもそも「同じこと」って何?
104世界@名無史さん:2012/02/28(火) 14:10:09.88 0
1945年、ベルリンでフランス軍が行進。
東西ドイツ統一まで、ベルリンはフランス・イギリス・アメリカが分割統治。

ドイツ人の屈辱
105世界@名無史さん:2012/02/28(火) 17:52:02.71 0
ソ連は?
106世界@名無史さん:2012/02/28(火) 19:02:36.89 0
西ベルリンは西ドイツではありませんが東ベルリンは東ドイツの首都です。
西ドイツの首都はボンです。
西ベルリンは外国の軍隊が駐留するとかそういうレベルではなく、ドイツですらなかった。
107世界@名無史さん:2012/02/28(火) 19:19:59.05 0
貯蓄経済を戦争前提だと思うのは結果論に過ぎないよ。
輸入額のインフレに対してはそれ以外対処しようがない。運が良ければ上手くいったろう。
仮に輸出を増やして上手くいったとしても、第一次包囲があった以上、周辺諸国の
工業化発展は戦争危機の増大に繋がる事が明白だし、世界的平和の見地に立てば
そんなリスクは負えない。
戦争前提はむしろ仏波鉄道等軍需企業の投資政策にある。結局これがドイツの
危機感を煽り、一連の流れを作ったわけで。

ワイマール期は自然回復はしていないどころか労働組合運動の失敗や企業の寡頭化で
悪化の一途を辿り、貿易面は辛うじて保てたにせよ、投資面はそれに遙かに及ばず、
資源面ではついに戦前の水準を取り戻すことがなかったんだけど。
賠償金支払いの要である独鉄も二等化や自動車競争云々でズタボロになった上、
ドーズ案以上に厳しく制裁的・商業的なヤング案により修復不可能になったわけで、
賠償不履行はナチス以前から既に決定されていた。

結局経済面でも外交面でも、ナチスによって変わるものは何もない。
108世界@名無史さん:2012/02/28(火) 21:08:54.14 0
>>107
>>102が言っている自然回復ってのはワイマール期じゃなくて1933年のことじゃないの?
どの国も回復しているし、ドイツの公部門では軍事費の増大が一番GDPの伸びに寄与した。
国民生活を犠牲にして軍事力を増強することが、戦争前提じゃないのなら、一体何の目的
でそういう政策をとったのか説明できない。

ドーズ案では賠償金総額についてはロンドン計画のままだし、ドーズ案よりヤング案が
厳しいってことは絶対にない。そもそもナチスが政権を取る以前に、賠償金の支払い
義務は事実上免除されていたわけだが。

ドーズ案以降、返す当てのない過剰な投資を敢えて受け入れ、それをデフォルトすると
脅して賠償金のデフォルトを引きだそうとしたシャハトが諸悪の根源で、そのシャハトが
ナチス政権前期の経済相だったし、ワイマール期の負の遺産を引き継いでそれを一層
悪化させたのがナチス。
109世界@名無史さん:2012/02/28(火) 22:17:31.91 0
シャハトの計画の34年までなら33年は総予算に対し31%、34年は45%で
軍事費は大したことは無いが。
隣国のポーランドでは34年44.3%で、原料費の削減を受けて33年より減少しての事だし。
確かに国民所得に対する割合は15%と極めて高いものの、結局はフランスとソ連、日本の
二年分に満たない。

ヴェルサイユの欠点は賠償総額にあるのではなく、工業力の喪失と支払い方法にある。
ドーズ案では喪失した工業力の低下を補うため、鉄道の利権を基にした国際企業によって
ドイツの貿易の促進と定期的な支払いを確保するはずが、現実には結局外国勢はやる気をなくし、
企業経営も悪化、28年2.5倍になるとドイツは対処できなくなった。
総額に対する負担ではなく、この倍加に対する不可能が不履行の原因。

とはいっても、ドーズ案が生きている間は支払いに協力する義務が外国にも存在したが、
ヤング案によってそれが無効化される。ローザンヌ会議中の英仏間のヤング案復帰協定は
会議を幾らでも後から無実化できるものだったし、免除を求めた企てはすべて失敗したと
いっていい。
結局ヤング案における返済の脱ドイツ化が各国の様々な政策を引き出すに至った。
110世界@名無史さん:2012/02/29(水) 06:42:07.17 0
それバンカーじゃね。信頼できんの?
111世界@名無史さん:2012/02/29(水) 13:35:04.91 0
どっちみちヒトラーに経済の仕組みがマトモに理解できるとは思えない。

奴の行動理由は主観的感情的なユダヤ人嫌悪、共産党嫌悪、ソ連嫌悪、フランス憎悪で、
経済の悪化とか好転とかはあまり関係がない。
112世界@名無史さん:2012/02/29(水) 20:32:37.27 0
神のため戦ったフランス騎士の十字軍は偉大ってことだな。
113世界@名無史さん:2012/03/01(木) 22:40:35.34 0
まあ、商業流通だけでなく交通開発なんかもあるしね。

交通といえば南仏はとことん遅れたなあ。
南北戦争とかやっても良かったように思うけど。
114世界@名無史さん:2012/03/05(月) 18:37:24.98 i
創元社の知の再発見シリーズのヴァイキングを読んでいたら、
ヴァイキングのパリ包囲の部分で
”当時のパリ城は河に浮かぶ島のようなもので、ヴァイキングは昼夜攻撃を加えた“
とあった
驚きだね
地形も今とはだいぶ違ったのだろうか
115世界@名無史さん:2012/03/05(月) 23:04:53.26 0
>>114
ローマ帝政期のルテティアの時代は、シテ島の対岸も繁栄してたんだけどね。
http://4.bp.blogspot.com/-evRHjaejjZw/TtjPBoz645I/AAAAAAAACko/qxzkyP4zaIY/s320/reconstitution_lutece.jpg
蛮族侵入以後は、防衛しやすいシテ島の重要性が高まっていくのは自然な流れ。
116世界@名無史さん:2012/03/06(火) 02:08:09.35 0
>>115
埋め立てたのはずっと後かね?

面白いよねえ
117世界@名無史さん:2012/03/06(火) 06:34:37.06 0
>>116
およよ?誤解なされているようだけど、セーヌ川とその中州シテ島は健在ですぞ。
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ba/42/matthieu_deschott/folder/942367/img_942367_31117275_0?1281298573
有名どころでは、ノートルダム寺院などが建っています。
118世界@名無史さん:2012/03/07(水) 00:50:04.05 i
ルテティア=パリでもないのかい?
誤差はあるだろうけど
119世界@名無史さん:2012/03/07(水) 01:07:06.63 0
誤差っていうか・・・数学的にいや、「ルテティア ∈ パリ」でしょう。
現代のパリはダダ広い。中心部のさらにごく一部がルテティア領域。
120世界@名無史さん:2012/03/08(木) 01:28:56.10 0
ルテティアはフランク人にとってどの程度価値があったのだろうか
ユーグカペーも辺境伯扱いだよね

これはローマ時代のルテティアの存在価値という意味と同義ですが…
121世界@名無史さん:2012/03/14(水) 22:32:49.47 0
>>120
ローマ側ではなく、フランク王国側からみると、
王国枢要部というのは、実は長兄が相続した帯状の地域なんだよね(ロタリンギア)。
長兄の王国は、地理的版図としては大変に評判が悪く、「だからすぐに崩壊した」と書かれることが多いが、
実はこの地域、その後もずっと人口稠密で経済力の強い地域で、
今では、「青いバナナ」と言われ、
米国北東回廊(ボストンからワシントンまで)、日本の太平洋ベルト地帯と並ぶ、
「世界三大帯状メガロポリス」という扱いになっている。

そこからみると、パリというのは、枢要から外れた平原の真ん中の中州にぽつねんとある、謎の辺境都市。
そういうところだったからこそ、弱いながらも王権が持続して生き延びたのかもしれない。
122世界@名無史さん:2012/03/15(木) 02:29:03.86 i
>>121
ああ、「ロタールの国」ってやつね


なるほど…
大河沿いに街を造るのはローマ式の流通形式で、
ルテティアも単なる多くの町の一つだったのかな
123世界@名無史さん:2012/03/15(木) 08:38:10.38 0
>>104
ナポ軍によるベルリン陥落と神聖ローマ帝国消滅も外せないでしょう
124世界@名無史さん:2012/03/21(水) 13:56:19.96 0
イタリア語圏・イタリア人の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1332253283/l50
125世界@名無史さん:2012/05/12(土) 01:47:59.80 0
フランスの歴史教科書ではラスコー壁画とか石器時代からちゃんと教えているのだろうか?
>>121
遅レスだが、その後もブルゴーニュ公国やベネルクス・アルザス・ラインラント(北イタリア)など西欧の経済中枢になっているね。
126世界@名無史さん:2012/05/12(土) 06:54:28.99 0
日本だと戦後になって神話教育をやらなくなったて、
その穴埋めとして考古学を教え始めたんだよな
127世界@名無史さん:2012/05/12(土) 21:09:12.49 0
http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/094-1.pdf
これを見るとフランスでは自国史・他国史を中等教育で区分せずに教えているようだ。
ちゃんと人類出現から教えているのはさすがだな。
128世界@名無史さん:2012/05/17(木) 11:57:25.53 0
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/05/17/kiji/K20120517003264240.html
アンリ4世王妃のダイヤ 7億7000万円円で落札

フランスの「良王」と呼ばれたアンリ4世の2番目の王妃が所有していた
34・98カラットのダイヤモンドが15日、ジュネーブで競売にかけられ、
904万2500スイスフラン(約7億7000万円)で落札された。
共同電によると、予想落札価格は185万〜365万スイスフランだった。

競売大手サザビーズによると、西洋ナシのような形をした美しいダイヤはインド南部産とみられる。
アンリ4世が最初の所有者から買い取り、17世紀初めに王妃となった
中世イタリアの名門メディチ家出身のマリー・ド・メディシスに贈った。

[ 2012年5月17日 06:00 ]
129ひとみ:2012/05/19(土) 23:51:13.01 0
フランスの歴史の裏?
・仏と露とのクリミア戦争では、仏が勝つために
わざと昼飯の時間に露を襲った。
・100年戦争中で、ナポレオン軍がイギリスの落とし穴に
引っ掛かる。
いつの戦争かとか、忘れたけど仏って
結構、漁夫の利なの多いよね
そんでもって、他の国が似たようなことすると、
すごく怒るw


130世界@名無史さん:2012/05/20(日) 00:16:37.60 0
>>129
そんなことだからベトナムやアルジェリアで完敗するんだよ。
131世界@名無史さん:2012/06/21(木) 01:35:16.47 0
フランス王の「ルイ○世」は
カロリング朝のルートヴィヒ敬虔王を1世として起算するけど
クローヴィス=ルートヴィヒ=ルイだから

メロヴィング朝のクローヴィス1世から起算して
敬虔王はルートヴィヒ5世、聖王ルイはルイ13世、太陽王はルイ18世、
ナポレオン失脚後の最後のルイ王はルイ22世、

としないと計算が合わなくない?

132世界@名無史さん:2012/09/15(土) 23:59:10.95 O
>>31
子爵とか言っちゃうと、ベルサイユに寄生するチャラい近世の宮廷貴族みたいに聞こえてダメだわ。
副伯の方が中世の大物っぽくていいな。
133世界@名無史さん:2012/09/26(水) 03:36:08.84 0
フランスに子爵なんかそんなにいたのか?
中世も副伯よりも辺境伯の方が一般的な気がする
134世界@名無史さん:2012/10/07(日) 19:46:42.78 0
ヴァルモンがぱっと思いついたが、架空だね。
135世界@名無史さん:2012/11/10(土) 07:02:37.37 O
フランク王国はヴェルダン条約、メルセン条約を経て3分割されたとありますが、何故ヴェルダン条約で広大な領域を得たロタール王国は、メルセン条約で北部ロタールを西フランク・東フランク王国に割譲してしまったのでしょうか?
その辺りの流れに詳しい人がいたら教えて欲しいです。
136世界@名無史さん:2012/12/22(土) 19:06:50.40 0
そろそろレ・ミゼラブルの話題も・・・・
137世界@名無史さん:2012/12/28(金) 19:17:49.87 0
>>135
跡継ぎがいないから
138世界@名無史さん:2013/01/03(木) 09:30:55.26 0
スレ違いですが教えてください。

マリー・アントワネットや貴婦人たちがヴェルサイユ宮殿からトリアノンまで行くためには、
馬車で行ったのでしょうか?それとも歩き?
宮殿からトリアノンまでかなり距離がありますが…。

映画とか見てもわからないのですみません。
139世界@名無史さん:2013/04/09(火) 00:07:06.30 0
そんなの日記でもない限りわからんだろうな。
140世界@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
不思議で不思議で仕方ないのだが、第二次大戦でフランスはなんで戦勝国気取ってるの?すべての戦いで負けてるし最終的に負けたドイツにもさらに負けてるから

戦勝国どころか敗北国だろ。ヴィシー政府はナチスに恭順してたわけだからイタリアと同様に枢軸陣営の一部に数えられてもおかしくないのだが。

英米様の慈悲に助けられただけの惨めな国だよね。
141世界@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
戦勝国と敗戦国を決めるのは戦闘での勝利ではなく所属してる陣営だから
連合国に所属してればどんな状態でも勝ち、そうでなければ負け
142世界@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN O
国連の敵国条項に入っていたら敗戦国ね
143世界@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
第二次大戦で一二を争う惨めな結末を迎えたのは間違いないね。戦後も無能な国民のせいで勝ったはずのドイツにまで経済的に突き放されてEUの主導権取られたりして、本当はもう一度戦争起こしたいと一番願ってるのはフランスに違いない。
144世界@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN 0
>>140
英米様の慈悲に助けられた国なら日本初め数えきれないほどあるよ。現代世界は英米の慈悲の上に成り立ってるといっていい。アメリカが本気だしたらアングロサクソン系以外の全人類を数世代の内に消滅させることも容易い事だ。
145世界@名無史さん:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN 0
米英の飼い犬がキャンキャンうるさい。
146世界@名無史さん:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN 0
>>145
惨めじゃないフランスの歴史を示してほしい。
147世界@名無史さん:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN 0
リシュリューの当たりが全盛期
ハプスブルクとガチやり合い
148世界@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN 0
ルイ16世のあたりが全盛期
英海軍を破り、貧弱なアメリカ植民地を助けて独立させた
149世界@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN 0
フランスとドイツは戦争ばっかして人類の進歩を邪魔するガン国家。世界史に不要。
150世界@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN 0
アメリカとイギリスと日本は戦争ばっかして人類の進歩を邪魔するガン国家。世界史に不要。
151世界@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN 0
60年も戦争しない国に行けばいいよ
びびって戦争起こさない平和国家(笑)だし
152世界@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN 0
動力船や鉄道が発達する前のヨーロッパでは
きっとフランスは交通上そして商業でも極めて
有利な位置だったんだろうな。
19世紀半ば以降は凋落していってるけどそれも
関係あるのだろうか。
153世界@名無史さん:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN 0
http://www4.nhk.or.jp/P2434/x/2013-08-17/07/88407/
8月17日土 午後7時20分〜午後9時25分
クラシックの迷宮 残暑お見舞いスペシャル!▽草笛光子の“ジャンヌ・ダルク”

草笛光子 片山杜秀
- 草笛光子の“ジャンヌ・ダルク”日本初演 - ▽草笛光子の“ジャンヌ・ダルク”
「光子の窓、開始テーマ」 岡田教和・作詞、広瀬健次カ・作曲(1分20秒)
(歌)草笛光子 <vap VPCB-84435>

「オラトリオ“火刑台上のジャンヌ・ダルク”」
ポール・クローデル作詞、オネゲル作曲 (1時間27分15秒)
ジャンヌ・ダルク…草笛光子 修道士ドミニク…永井智雄 先ぶれ…江幡高志 騾馬…小池明義 ベッドフォード…前田昌明
リュクサンブール…宗近晴見 ウールドビーズ…西田昭一 リュクサンブール…露口茂 フラヴィ…山本耕一
酒樽おばさん…富田恵子 聖女マリア…(ソプラノ)戸田政子 マルグリット…(ソプラノ)滝沢三重子 カテリーヌ…(アルト)戸田敏子
豚ポリュクス…(テノール)布施隆治 先ぶれ…(テノール)島田恒輔 先ぶれ…(バリトン)佐々木行綱 司祭…(テノール)中村健
(合唱)二期会合唱団 (管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 (指揮)岩城宏之
〜東京・日比谷公会堂で収録〜 (1959年11月5日 ラジオ第2放送 “第9回東京芸術祭オペラ公演”から提供)

「映画“ナポレオン”の伴奏音楽から“子供たちのダンス”」
オネゲル作曲 (1分54秒)(管弦楽)ドゥエ青少年交響楽団 (指揮)アンリ・バシー <SOLSTICE SOCD 141>
「小組曲から“小舟で”」 ドビュッシー作曲 (3分23秒) (バイオリン)巌本真理 (ピアノ)坪田昭三
(1962年3月3日 ラジオ第1放送 “ラジオリサイタル”から提供)
154世界@名無史さん:2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN 0
きたよステマうぜぇ
155世界@名無史さん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
もあね、正直百年戦争だフランスなんか全土をイギリスに征服された方が幸せだったんじゃないかって思うんだ。
156世界@名無史さん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
フランスは結局のところイギリスが無けりゃ存在出来ないし、今も昔もイギリスに救われっぱなしで惨めすぎる国だろう。
157世界@名無史さん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
全土を征服した場合その帝国の中心は何処になるのか、また統合はいつまで維持されるのか
が問題だ
158417:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
Mari asr
Bulbon
スンニ万歳
159世界@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
そもそもイギリスはフランス貴族に占領されてできた国だからな。
160世界@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
日本と同じで、左翼が国を滅ぼすフランス



って言う人が一定数いそう
161世界@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
>>149
まじでヨーロッパは世界に災いをふりまく元凶だね。
宗教の紛争で殺戮をくりかえし
アフリカとアジアを植民地支配し
アメリカ大陸の民族を殲滅。
中東を紛争の絶えない地域に仕向ける。
ヨーロッパが存在しなかったら世界は幸せに暮らせるのに。
162世界@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
>>149
イギリス「フランスの戦争相手といえばこの私。百年戦争を忘れないでくれたまえ」
163世界@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
植民地代理戦争もしてた英仏がいまや仲良くシリアを攻めて儲けようとしてるからな
164世界@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
>>161
イギリス以外のヨーロッパは本当に最悪だ。
165世界@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN 0
>>162
俺は今一度英仏代理戦争を中東で起こしてもう一度世界史をフランスの手元に取り戻させるべきだと思っている。フランス史はこんなに惨めなままでいいはずがない。
166世界@名無史さん:2013/09/01(日) 20:35:13.26 0
>>165
フランスは過去(中世)の栄光にすがりついてる惨めな馬鹿。
167世界@名無史さん:2013/09/01(日) 20:36:10.10 0
中世なんて猿でも無能でも池沼でも王になれる暗黒時代だからな。
168世界@名無史さん:2013/09/01(日) 21:29:03.97 0
一分以内にレスとかはえーこと
ぴっとくるー乙
169世界@名無史さん:2013/09/12(木) 10:52:59.60 0
フランスの栄光は、そもそも中世なのか?
170世界@名無史さん:2013/09/26(木) 01:18:04.37 0
イタリアが統一される過程は歴史のトピックでよく取り上げられる。
ドイツが統一される過程も歴史のトピックで取り上げられる。
でもフランスの統一される過程というのはスルーされている。
百年戦争はイギリスとフランスの戦いと説明されているが、
その頃フランスはまだ統一されていない。
ブルゴーニュ公国やナバラ王国はいつどのようにフランスに組み込まれていったのでしょうか?
なぜ中世のフランスはひとつの国として世界史の教科書に載っているのでしょう?
171世界@名無史さん:2013/09/26(木) 10:09:40.05 0
神聖ローマは領邦国家の集合体でしかなかったけど、
教科書ではひとつの国として扱われてるのと同じ理由では?
172世界@名無史さん:2013/09/26(木) 12:54:59.09 0
百年戦争でだいたい統一と見なされているからじゃないか。
173世界@名無史さん:2013/09/26(木) 14:17:08.40 0
ナバラ王国

古代ローマ時代、バスクとガスコン(ガスコーニュ)などのヴァスコン族がいた。
西ゴート族・フランク王国や後ウマイヤ朝がゆるく支配
メロヴィング朝時代ヴァスコニア公国となる
カール・マルテルによりヴァスコニア公国はフランク王国に統合。
ピレネー山脈南はパンプローナ周辺にまとまる。
パンプローナが独立、パンプローナ王国成立のち、ナバラ王国と名乗る
ブロワ家が継承、ブロワ家がフランス王を継承
ナバラ内戦
フォワ家が継承、フランス王女が摂政
カスティーリャがナバラの領土を侵食
1512−21年ピレネー南部をカスティーリャが奪取し分割。
のちスペイン成立後、副王領となり、1833年にスペイン王国に併合

ピレネー北部(ナヴァール王国)
マルグリット・ド・ナヴァールがナバラ王アンリ・ダルブレと結婚。
1589年にマルグリット経由でフランス王アンリ4世がナバラ王
ユグノー戦争ではユグノーの勢力圏になる
1620年フランスに吸収(ナバラ王の称号は残る)
174世界@名無史さん:2013/09/26(木) 14:20:17.15 0
>>171
神聖ローマは1648年ウエストファリア条約で「神聖ローマ帝国の死亡診断書」ってケジメをつけさせられるけど
フランスにはそういったケジメを教わらないですよね。

>>172
百年戦争の解説で「フランスの統一がうながされた」的なことってあんまり見かけないです。
このときブルゴーニュ公国がジャンヌダルクの命運を左右するはずなんですが
不思議なほどブルゴーニュは無視されてる気がします。
175世界@名無史さん:2013/09/26(木) 14:33:54.00 0
>>173
ナバラはスペイン史の一部なのか、それともフランス史の一部なのか難しいですね
176世界@名無史さん:2013/09/26(木) 14:39:17.37 0
・プロヴァンスのフランス統合

411年ゲルマン系ブルグント族が建国
534年フランク王国により滅亡
879年ボソが反乱して独立(キスユラブルグント王国)
882年西フランク王国領になる
884年カール3世が西フランク王位を獲得してフランク王国領
887年カール3世の死去で、2つに分かれて復活。ユーラブルグント・キスユラブルグント(プロヴァンス王国)王国
911年キスユラブルグント王国は、アルルに遷都したので、アルル王国とも呼ばれる。
933年キスユラブルグントは、ユーラブルグントの吸収される。
975年プロヴァンス辺境伯領を設置
1032年年神聖ローマ帝国皇帝が王位を相続して神聖ローマ帝国領
1062年トゥールーズ伯がプロヴァンス辺境伯を相続。
11世紀終わりに、プロヴァンス伯領からフォルカルキエ伯領分離。
1112年バルセロナ伯が、プロヴァンス伯領を相続。
バルセロナ伯とトゥールーズ伯が対立
1125年デュランス川で分割。川の北をトゥールーズ伯、南をバルセロナ伯が所有。
1229年モー条約で、トゥールーズ伯・プロヴァンス辺境伯領(ナルボンヌ公領も)がフランス王家のものとなる。
1246年バルセロナ女伯ベアトリスがアンジュー・シチリア家のシチリア王シャルル1世と結婚、
プロヴァンス伯領は、アンジュー・シチリア王家が所有
1382年ヴァロア・アンジュー家の所有になる
1481年プロヴァンス伯領をルイ11世が相続
1484年にフランス王がプロヴァンス伯を世襲

プロヴァンス伯領よりも、プロヴァンス辺境伯領の方がフランスの内側に
あるのは経緯を知らないと難しい。
177世界@名無史さん:2013/09/26(木) 16:21:17.24 0
・消滅した国は、教科書では記述が省かれやすい。

・複数の地域や国に分かれている場合、記述も分割されていて、
自分で総合しないといけないので記憶に残りにくい。
最悪、なかった扱いされる。

・フランス「統一」という言葉は、まず記述としては出てこない。
王権伸張・中央集権化のほうがより適しているとはいえ、
イタリアとかと表記を合わせたいなら、統一になるし、
フランスが統一されたのはいつかと聞かれて、一言の回答は(解答ではない)、百年戦争が多いと思う。

・百年戦争を簡潔に説明するとブルゴーニュは省く。
178世界@名無史さん:2013/09/26(木) 18:38:45.65 0
・ブルゴーニュ公国

411年ブルグント族がブルグント王国建国
534年フランク王国に組み込まれる
843年ヴェルダン条約でロタールの国
855年ロタール1世の死後、分割相続でロタリンギア
870年メルセン条約で分割
922年東フランク王国に組み込まれる

1031年ブルゴーニュ公設置
1361年バロア家に吸収
1363年バロア家フィリップ剛胆公で復活。
1384年ブルゴーニュ伯領を受領、妻経由でフランドル伯領・アルトワ伯領を取得
1419年ジャン無怖公暗殺
1430年フィリップ善良公ブラバント、ロタリンギア、リンブルク3公領
ホラント、ゼーラント、エノー3伯領取得。
1443年ルクセンブルク公領を支配下に置く、
シャルル突進公がアルザス、ロレーヌを一時保有、ヘルレ侯領を支配。
1474年ブルゴーニュ戦争開始
1476年ロレーヌ公国のナンシーを奪回される
1477年ナンシーの戦いで突進公戦死。
ブルゴーニュ公領フランスへ
ネーデルラントとブルゴーニュ伯領は、突進公の娘マリー経由でハプスブルク家へ
179世界@名無史さん:2013/09/26(木) 18:51:30.94 0
イングランドとバロア家のフランス王位を巡る争い。
バロア家って何?となるから、
イングランドとフランスのフランス王位を巡る争い。
現在の国境を考慮すると、完全にイングランドが悪っぽい。
しかもジャンヌが正義ぽいから、悪役決定。
180世界@名無史さん:2013/09/26(木) 19:35:08.65 0
リュック・ベッソンの映画とかでも省略されている。
いきなりブルゴーニュ派というよくわからない謎の親イングランド王派らしき存在が出てくる。
パリ攻撃が失敗したら、いきなり、謎のブルゴーニュ派を攻撃してしまう。
181世界@名無史さん:2013/09/26(木) 20:16:36.47 0
ま、そこんとこ省略せずに文科省が指導要綱つくったら世界史嫌いが量産されるだろうけどw
182世界@名無史さん:2013/09/26(木) 20:22:30.13 0
突進公の死後、ブルゴーニュにフランスが侵攻をするのは、
百年戦争の恨みからだろうか?
完全に別国扱いだよね。
183世界@名無史さん:2013/09/26(木) 20:50:20.50 0
アルマニャック派vsブルゴーニュ派だから、ブルゴーニュ派を出してるんだろうけど。
唐突だよね。
ただ、この対立も、説明すると複雑だし、

シャルル6世が、精神異常となる。
叔父のブルゴーニュ公と王弟オルレアン公ルイの主導権争い。
裏で介入する姑息なイングランド。
1407年にオルレアン公ルイが暗殺される。
アルマニャック派に近づき、拒否されると。
1415年に、イングランドがフランスへ侵攻を開始。
1419年アルマニャック派が和平の場で、ジャン無怖公を暗殺。
これによりフィリップ善良公はイングランドと同盟。

ジャンヌが刺客ではという恐れも、
オルレアン公ルイやジャン無怖公の暗殺を受けてのことだろうし。
184世界@名無史さん:2013/09/26(木) 21:19:11.07 0
1415年ジャックリーヌ・ド・エノーは、シャルル(後の7世)の兄ジャンと結婚。
ジャンの兄ルイが死んで、王太子となる。
1417年にジャンも死亡する
1430年にフィリップ善良公が、ジャックリーヌ・ド・エノーから
ホラント、ゼーラント、エノー3伯領取得。
ジャンが生きていれば、3伯領はフランスとして確定していただろう。

こういった複雑なのが面白いと思うか覚えにくいと思うか
185世界@名無史さん:2013/09/26(木) 21:40:20.06 0
アルマニャック派という割には、トップは、オルレアン公ルイ。
オルレアン派ではないか。
186世界@名無史さん:2013/09/26(木) 21:59:28.32 0
王が倒れる、叔父と王弟(幼き王子)が争うって定番だよね。
187世界@名無史さん:2013/09/27(金) 16:18:53.91 0
昔の世界史の資料集は、イギリス軍に捕まり魔女裁判で処刑。
最近の世界史の資料集は、イギリス側に捕まり異端裁判で処刑。
イギリス側にブルゴーニュが含まれる扱い。図にはブルゴーニュ公国
を載っけるが説明には登場しない。
188世界@名無史さん:2013/09/28(土) 19:34:03.40 0
ブルゴーニュって、百年戦争とフランドル絵画(絵画史)ぐらいしか登場しないから
印象が薄い。
189世界@名無史さん:2013/09/28(土) 21:22:31.07 0
百年戦争を描いた映画でも無きがごとくの扱いのブルゴーニュ、かわいそう。
バスク人とかカタロニア人みたいに執念ぶかく恨みをアピールするほうが記憶してもらえるんだな。
190世界@名無史さん:2013/09/28(土) 21:38:30.18 0
フランスはインドベトナムアフリカヨーロッパの領土なくしてもう衰退
ドゴールの政治は失敗だった。
191世界@名無史さん:2013/09/28(土) 23:35:08.79 0
>>190
ドゴールの失敗とは具体的にどのようなものなんですか?
192世界@名無史さん:2013/09/29(日) 00:04:54.62 0
何が何でも独立を認めずに戦い続けろと? 史実よりボロボロになったと思うなあ
193世界@名無史さん:2013/10/02(水) 04:46:45.17 0
ブルターニュはブルゴーニュ以上に語られないよな。
ブルターニュ継承戦争とか、イギリス側にいるのに公弟のリッシュモン伯が
フランス軍司令官になってることとか、色々あると思うんだが
194世界@名無史さん:2013/10/02(水) 07:56:47.68 0
フランスって何してもイギリスにが歯が立たない、頭が上がらない。惨め国家だね。
195世界@名無史さん:2013/10/02(水) 16:32:49.10 0
無知乙
196世界@名無史さん:2013/10/02(水) 16:45:00.09 0
アルマニャック派にブルターニュ公がいたりするけど、普通は知らない。
ブリトン人・ケルト文化・フクロウ党・・・・
一般人は知らん。
197世界@名無史さん:2013/10/02(水) 17:49:33.84 0
>>185
元々オルレアン派って言ってたけど、
オルレアン公が暗殺された後は
アルマニャック伯が王太子の後見人になったから
アルマニャック派に名前がかわった
198世界@名無史さん:2013/10/03(木) 00:16:33.38 0
なるほど、王太子の後見人がアルマニャック伯だからか、でも、
公爵勢を差し置いて伯爵が後見人なのか。
199世界@名無史さん:2013/10/03(木) 00:37:33.32 0
>>198
ごめん、アルマニャック伯は王太子の後見人じゃなくて、
暗殺されたオルレアン公の息子の後見人(舅)だったわ。
派閥の第一人者であることには変わりないけど。

>>193のリッシュモン伯みたいに、血筋とか家格によっては伯でも影響力持つ人は結構いる
200世界@名無史さん:2013/10/05(土) 11:00:19.89 0
公爵位よりも伯爵位のほうが歴史的に古い。
だから、うちの伯爵位は名誉ある伯爵位とかあるんだろうね。
201世界@名無史さん:2013/10/05(土) 11:40:28.82 0
ダントン台
202世界@名無史さん:2013/10/05(土) 11:48:22.62 0
ブルターニュ公やブルゴーニュ公は、分王国の名を引っ張ってきているから
由緒あるように思える。
203世界@名無史さん:2013/10/05(土) 11:50:00.86 0
ヴァロワ家ももともと伯家だしね
204世界@名無史さん:2013/10/05(土) 12:07:41.12 0
>>202
百年戦争期のその二国はほぼ独立国家だな。
自国の権益を守るためならフランスにもイングランドにもつく。
トロワ条約やアラスの和約に見られるように、
両公国がどちら側につくかによって後の大勢も決まる。
205世界@名無史さん:2013/10/05(土) 12:43:18.09 0
貿易の関係で、フランスの大西洋側は、イングランドと結びつきが強いから
なんだろうけど。ブルゴーニュは何でだろう。
206世界@名無史さん:2013/10/05(土) 12:46:54.52 0
当時のブルゴーニュ公はフランドル伯(オランダ、ベルギーあたり)を兼任してて、
羊毛と毛織物の貿易でイングランドとは切っても切り離せない関係だった。
207世界@名無史さん:2013/10/05(土) 14:06:32.08 0
フランドルとの関係がなければ、イングランドと結びつかなかったのなら、
結構、現金だよね。
208世界@名無史さん:2013/10/05(土) 15:03:24.09 0
リュックベッソンのジャンヌでも守銭奴みたいに描写されてるし、現金なイメージはあるね。弱い王権の下での封建領主なんてそんなもんなのなんだろう。
209世界@名無史さん:2013/10/07(月) 04:54:21.00 0
>>202
分王国ってやっぱりステータスなの?
そもそもパリ伯つーかイル・ド・フランスがフランス王としてフランス諸国に君臨する経緯がよくわからんのですが、
それも歴史的経緯による、いわゆる「由緒正しき」ってことなんですかね?
210世界@名無史さん:2013/10/07(月) 10:44:12.68 0
ジャンヌダルクがほとんど出てこない百年戦争の映画っていうのを見てみたい
ブルゴーニュがちゃんと「国」として描かれてるのを
211世界@名無史さん:2013/10/07(月) 13:45:40.37 0
いちごのないショートケーキはショートケーキじゃありません。
212世界@名無史さん:2013/10/07(月) 14:05:11.89 0
>>210
映画じゃないけど安彦良和のジャンヌは、ジャンヌ死後のプラグリーの乱あたりの話
あと素人の描いたweb漫画で、ジャンヌの火刑から始まるやつもある
http://u-genkainada.com/lion/
213世界@名無史さん:2013/10/07(月) 16:48:12.18 0
>>212
ありがとうございます。読んでみます。
214世界@名無史さん:2013/10/07(月) 18:03:35.04 0
>>209
カロリング朝が断絶した時に、縁戚だったパリ伯のユーグカペーがフランス王として持ち上げられた。
でも最初は実質的な領土はイル・ド・フランスだけで王権は弱く、諸侯は独立国家のようにふるまっていた。
王として君臨する、って言える実力を持つのは、それこそ百年戦争終盤、絶対王政への移行期になってからだね。
もともとパリ伯に由緒があったわけでなく、長年かけて後からついてきたもんだと思う。
215世界@名無史さん:2013/10/07(月) 20:48:04.10 0
>>214
強そうで弱い、弱そうで強いのがパリ伯のフランス王としての権威だね。
紆余曲折ありながらも結局は権威を強固にしていったのがフランスの歴史の道程なんですね。
ドイツなんかブランデンブルグ伯が君主になるなんて意外性のあるシナリオなのに。
その違いが面白いわ。
216世界@名無史さん:2013/10/08(火) 01:47:16.42 O
でもユーグ・カペーはあてにならんカロリングの王に代わって対ノルマン人の矢面に立った実績があったでしょ
217世界@名無史さん:2013/10/08(火) 05:45:47.03 0
国王になると王領地を引き継いでもらえると安定するが、そういうものがなかった。
ヴァロワ朝のフィリップも、最初はヴァロワ伯でしかなかった。
218世界@名無史さん:2013/10/10(木) 10:55:52.65 0
>>212
「ブルトンの金獅子」の紹介あんがとさん
佐藤賢一のを思い出してなかなか面白かったわ
219世界@名無史さん:2013/10/14(月) 18:56:39.35 0
結局ルイ14世とリシュリューはどっちがまとも?
220世界@名無史さん:2013/10/17(木) 20:42:40.73 0
南フランスでは、コンシュラ都市(フランシーズ都市)が多く、
北フランスでは、コミューン都市、プレヴォ都市が
多かった理由は何でだろう。
221世界@名無史さん:2013/10/17(木) 21:41:53.83 0
バスティードとかいろいろあるよね。
222世界@名無史さん:2013/10/17(木) 22:48:45.84 0
分かれてること自体は割と説明つきやすいね。
もともとラングドックとラングドイルで言葉も文化も違うし、
アルビジョワ十字軍あたりまでは王権が南まで浸透してなかったし。
なんでそれぞれの形態なのか、までは分からんけど
223世界@名無史さん:2013/10/22(火) 14:32:05.46 0
ちょっと調べてみたが、やっぱり王権と関係深いんだろうな。
中世のコミューン都市の承認権は、王領以外の都市であっても、地方領主ではなく国王が保持している。
プレヴォ都市の首長は国王代官だから、これも王権の強い北フランスに多いんだろう。

南部に多いコンシュラ都市では市民のほかに聖職者も行政に加わるけど、
これは南仏ではアヴィニヨンの教皇庁の権力が大きかったってことなじゃないか
224世界@名無史さん:2013/10/22(火) 14:59:49.94 0
補足。
コンシュラ都市も含め、都市への特権付与は基本的には王の権能だけど、
1380年、ベリー公の南仏における国王代行の親任状では、
コンシュラ都市への承認・拡大の権利も付与されている。
国王の本拠地と地理的・政治的に近いかどうかで形態も変わるんだろう。
225世界@名無史さん:2013/10/24(木) 06:29:30.50 0
王領地ならともかく、たとえば、勝手に伯の都市に許可を与えたり、
プレヴォを置いたりして伯の抵抗はなかったのだろうか?
226世界@名無史さん:2013/10/24(木) 09:16:22.09 0
王家が自治都市増やすことにあんまりメリットないだろうし、むしろ諸侯が勝手に許可を与えないために権利を保持してるんじゃないかね
法律関係とかでも、王家先決の事項は国王バイイを通じてお伺いを立てるようにはなってたから、なんでもかんでも諸侯が決めれたわけじゃない
227世界@名無史さん:2013/10/24(木) 09:20:17.86 0
ちなみにブルゴーニュみたいな半独立国家と言われるような大諸侯は、
領地における国王代理として、国王の権能も行使できたパターンが多い。
228世界@名無史さん:2013/10/24(木) 22:29:51.83 0
中央は、五職(セネシャル、ブテイエ、コネターブル、シャンブリエ、シャンスリエ)と

その部下とプレヴォを設置。
5職は王領地の城主・騎士層が初期に世襲的に独占。
セネシャル・シャンスリエが空位となることが徐々に増える。
中央ではクリア・レギスを設置。
財政部門の会計検査院と司法部門の高等法院を分離して設置。
プレヴォの監督のバイイ(前述とは別のセネシャル)を設置。
バイイの権限が徐々に拡大。プレヴォ裁判も徐々に浸食してバイイ裁判を実施し、
プレヴォ裁判、バイイ裁判、高等法院裁判の三級審制度になる。
バイイの権限が徴税部門に及ぶと会計検査院の所属に移る。
バイイは市民出身が多く、セネシャルは貴族出身が多かった。
国王大権を理由に、クリア・レギスに戻って裁判結果を吟味したりすることで
司法権の中央集権化を図る。
クリア・レギスの後身は、第三身分が参加した三部会。
王領地が南部に及ぶようになると南部出身のローマ法系の役人が中央に集められ
レジストを形成していく。

中央集権化への抵抗ってあったけ?
229世界@名無史さん:2013/10/25(金) 03:26:03.81 0
プラグリーの乱とか。
部隊召集を王だけの権限にして、軍を率いるには王からの隊長職への任命が必要になった。
さらに農民に自衛のための武装を許したから領主階級が怒った。すぐに鎮圧されちゃうけど。
230世界@名無史さん:2013/10/25(金) 22:34:16.65 0
この辺の時代の単語は、同じ単語でも違う意味に変化していくから
よくわからない。

セネシャルだと
1.フランク王国の食事の采配をしていた人。
2.のちに権限が強化され王の直属の家臣的な意味合いになり。筆頭となり、やがて消滅して、
3.プレヴォの監督としてバイイと対となる単語で、地方と中央をつなぐ人。
4.プレヴォの権限が縮小し、セネシャルが代官の代名詞となり
プレヴォは、代官からマレショーセ(司法・警察)に関する役人となる
5.いつ頃か不明だが消滅(フランス革命?)。

1.この意味での和約は、主膳長。
2.直属っぽい感じで執事長,家令。
3.地方監督官や国王代官(プレヴォを代官とすると区別がつかない)や
奉行(監督職と徴税職を表現できない)。
4.国王代官、プレヴォが奉行(江戸時代の奉行だと司法・警察・消防・役所が入るけど)
231世界@名無史さん:2013/10/27(日) 01:28:39.21 0
コミューン都市とか、帝国自由都市に比べると知名度が低いよね。
232世界@名無史さん:2013/10/29(火) 12:55:56.96 0
日本語版WIKIにも用語がない。高校レベルだと出てこないきがする。
233世界@名無史さん:2013/11/04(月) 14:25:27.77 0
>>230
推測だと。
1,2
食事の采配をする。つまり毎日、王と顔を尾合わせる。頼み事や伝令・指示を受けること
が多くなる。代理などの行為もするようになり、徐々に権限が強くなる。
息子が成長すると一緒に補佐するようになり、死ぬと息子がその職に就くので世襲化
して一門となる。やがて権限が強まり疎まれて消滅。
234世界@名無史さん:2013/11/11(月) 11:03:39.44 0
ジャンヌダルクは何故パリ陥落にこだわったの?
ランスでシャルルを戴冠させた時点で満足して引退してれば火炙りにならなくて済んだのに
235世界@名無史さん:2013/11/11(月) 19:29:43.68 0
フランスで最も古い家系は何家?
236世界@名無史さん:2013/11/11(月) 20:39:51.10 0
リッシュモン元帥だってその後はとことん戦い続けたし、
戴冠だけで満足という選択肢は最初からないだろう。
237世界@名無史さん:2013/11/11(月) 21:00:22.48 0
フランスという国家概念の先駆者だからねえ
後世でナポレオンが利用(捏造)した可能性もありうるけど
238世界@名無史さん:2013/11/11(月) 23:10:54.20 0
ミシュレの全訳が欲しいな・・・
239世界@名無史さん:2013/11/17(日) 18:49:40.95 0
新書シリーズで多分フランスの出版が大元になっているのがあるよね、
著者もフランス人ばかり
かなり学術系の、図書館でよく見かける
海外の本は英米系が圧倒的だから別の系譜の視点があるのはありがたい
がんばってほしいな。
240世界@名無史さん:2013/11/18(月) 19:56:44.99 0
http://ameblo.jp/j-blues/entry-11702190364.html
フランスの男性です。
241世界@名無史さん:2013/11/18(月) 21:02:47.65 0
>>239
文庫クセジュのこと?
訳がいまいちという評判がある
242世界@名無史さん:2013/11/19(火) 09:14:48.63 0
>>234
パリを落とせば、セーヌ川沿いのルーアンを攻め込める
243世界@名無史さん:2013/11/19(火) 14:46:06.51 0
>>239 >>241
「知の再発見」双書だよね?
244世界@名無史さん:2013/11/19(火) 19:27:53.63 0
>>241
そうそうそんな名前だった
「知の再発見」もそうだったのかカラーがいっぱいの本だよね、
245世界@名無史さん:2013/11/20(水) 22:08:22.99 O
>>189
映画は「ブルゴーニュ公国って何?」って説明するのがめんどくせーから省いてるんだよw
あと、ブルゴーニュの中心はフランドルで、もうフランスじゃないから益々省かれる。
ブルゴーニュがなかったらハプスブルク家もあんなに成り上がれなかったんだから、ヨーロッパ史的にめちゃ重要なのにね、ブルゴーニュは。
中世ブルゴーニュ映画が見たいわ。
246世界@名無史さん:2013/11/24(日) 19:30:47.49 0
ブルゴーニュ公国は「中世の秋」のおかげで日本でもかなり知名度は高い方だとは
思うけど、もっと知られてない小国はいっぱいあるし
247世界@名無史さん:2013/11/24(日) 23:58:33.08 0
「中世の秋」って読みにくい。
248世界@名無史さん:2013/11/29(金) 22:52:50.31 0
>>190
どう見てもドゴールは内戦スレスレの国内をまとめ上げてドロドロのアルジェリア危機から
フランスを救った文字どおりの救国の英雄なんだよなぁ…
249世界@名無史さん:2013/11/30(土) 13:21:10.27 0
>>247
訳者があの方でなければ…
250世界@名無史さん:2013/11/30(土) 20:21:14.47 0
>>248
内鮮一体ならぬ内ア一体が相当進んでいただけにかなりの英断だったね
ドゴールは日本人が崇拝してもいいくらいの偉人だよ。
251世界@名無史さん:2013/12/01(日) 20:36:09.92 0
ブルゴーニュ公国はスイス傭兵こええええの引き立て役
252世界@名無史さん:2013/12/08(日) 20:07:42.11 0
ルイ11世も王太子時代にスイス軍と戦って、20000対1300の兵力差にもかかわらず大苦戦してる
突進公を殺したスイス傭兵の雇い主であるロレーヌ公は、母方のアンジュー家を通じてフランス王家と縁続き
フランスがスイス傭兵をお抱えにするのはもうちょっと後だけど、このあたりで精強さは伝わってたんだろうね
253世界@名無史さん:2013/12/14(土) 17:51:27.48 O
柔道人口が日本の2倍、人口比率では4倍のフランスではJUDOをフランス語だと思ってる奴がいるらしい
254世界@名無史さん:2013/12/16(月) 22:04:16.14 0
>>253
子供とかに多いらしいが、技の名前とか審判のコールとかがあまりに異国風味すぎると思わんのかな
255世界@名無史さん:2013/12/17(火) 23:59:58.89 0
柔道の事故の少なさ、指導者に対して要求される高い水準、いずれも最早フランスが上だと思うけどな。
256世界@名無史さん:2013/12/18(水) 00:49:08.01 0
体罰指導のおかげwで強さだけはまだ日本のが上だよ
257世界@名無史さん:2013/12/31(火) 21:24:42.22 0
フランスからアルプスまでゆっくりと登りで繋がっていてそんなに隔絶してないんだよね
フランス=スイスの関係って面白そうだなあ
258世界@名無史さん:2014/02/02(日) 23:46:25.03 0
仏米同盟条約
ヨーロッパにおける列強の力関係を揺るがした七年戦争におけるイギリスの勝利で警告を受けたフランス指導層は、その戦争を終わらせた1763年のパリ条約以来、報復のための戦争を計画していた
259世界@名無史さん:2014/03/21(金) 23:28:12.80 0
中世の人口大国フランスの、近世以降の異様な人口の伸び悩みは、20世紀大戦期英仏独三国志の重要要素なのにきちんとした説明を見たことがない。
近隣国は軒並み近代18〜19世紀で人口が4倍以上になったのに、フランスはせいぜい2倍。
政治が不安定だという説明もあったが、革命期を除けば他より突出した内乱状態でもなかったし、可耕地だって衛生状態だって他より著しく劣らない。
少子化自体革命前から起こっていたという説もあるらいしが、産業最先端のイギリスを差し置いてというのも腑に落ちない。
260世界@名無史さん:2014/03/21(金) 23:55:14.71 0
晩婚現象はわりと早くから見られたようだね
で・・・少子家族化で豊かな暮らしを(※一人当たりの生活費増)という選好が強かったとか
ポール・ロバン主宰の「人間再生連合」という新マルサス主義的団体など、それを後押しする運動もあった
261世界@名無史さん:2014/04/13(日) 01:30:00.35 0
頭打ちになっただけでしょ。
262世界@名無史さん:2014/04/13(日) 11:23:53.64 0
ジャンヌ・ダルクの研究者が、
日本では、ジャンヌ・ダルクに関する本が100冊以上あると言っていたが、
二位は誰だろう?
マリー・アントワネット?
263世界@名無史さん:2014/04/24(木) 20:08:06.04 0
女じゃなくていいならナポレオンじゃないの
あとは芸術文化系の人
264世界@名無史さん:2014/07/27(日) 16:58:09.97 0
英仏双方にとって最も重要な戦いは、ジョンとフィリップ2世の間の1214年のブーヴァンの戦いだとさ。
英の敗北が翌年のマグナカルタをもたらし、仏の勝利が、英、フランダース、独によるフランス3分割を回避したからだと。
http://www.bbc.co.uk/news/magazine-28484146
265世界@名無史さん:2014/08/07(木) 02:30:35.04 0
日本人観光客が「パリ総合症」を発症、精神崩壊 気分悪化、不眠、痙攣、被害妄想、自殺願望まで
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1407323297/
266世界@名無史さん:2014/09/02(火) 01:06:35.94 0
既によく知られていることだが、ナチス占領下のフランスは、治安当局も国民も積極的に
ユダヤ人迫害政策等に協力したとさ。

・・・French forces of order were active, not reluctant, collaborators with the Germans. ・・・
・・・there were more overt acts of collaboration than of resistance・・・
http://www.washingtonpost.com/opinions/a-history-of-paris-during-nazi-occupation/2014/08/29/fce9e112-222c-11e4-958c-268a320a60ce_story.html
267世界@名無史さん:2014/09/07(日) 03:10:28.57 0
一方、同盟相手のイタリア人はテキトーだった。
268世界@名無史さん:2014/09/09(火) 20:12:20.09 0
イタリアはユダヤ人にとって一番安全だったんだよ。
だいたい迫害するには人件費がかかるだろ、
269世界@名無史さん:2014/09/22(月) 10:37:29.57 0
佐藤賢一の『ヴァロワ朝 フランス王朝史2』(講談社現代新書)が漸く出たんで買いました。
270世界@名無史さん:2014/09/22(月) 19:06:51.02 O
最も幸福なフランス人とはモナコ国籍を取得してグランゼコールを卒業して
271世界@名無史さん:2014/09/22(月) 19:48:15.84 0
イタリアだってユダヤ人迫害はあったよ。
ノーベル物理学賞を取った高名な学者さえ耐えかねて、
アメリカに亡命してしまうほどの。
272世界@名無史さん:2014/09/23(火) 10:33:47.37 0
そもそも「ゲットー」自体がヴェネチアで造られたものだったしね。
273世界@名無史さん:2014/09/24(水) 21:18:06.87 0
>>269
わたくしも今日買いました。
274世界@名無史さん:2014/09/24(水) 21:36:15.48 0
出島とかもある意味ゲットー。
275世界@名無史さん:2014/09/26(金) 09:18:31.82 0
>>269
読み進めたけど登場人物が多い上に似たような名前で紛らわしい。
3分の1ほどのところで第1章に戻って系図をメモしながらもう一度。
第1章の前に全体の系図があるんだけど、全部じゃないし。
276世界@名無史さん:2014/09/27(土) 08:45:00.19 0
藤原〇〇とか、平〇〇とかと似たような感じだと思えばいい。
277世界@名無史さん:2014/10/01(水) 09:18:04.54 0
>>264
ブーヴィーヌの戦いは、王権の拡大=コミューン都市の活躍を象徴するしね
278世界@名無史さん:2014/10/09(木) 20:36:08.65 0
ところで、
新書の『ヴァロワ朝』って
読む価値アリ
かな?
279世界@名無史さん:2014/10/10(金) 17:29:00.86 0
余り意味も価値も無いぞ。


わかったかゑ?
280世界@名無史さん:2014/10/10(金) 23:24:51.02 0
>>278-279
ナッ爺自演痛過ぎw
281世界@名無史さん:2014/10/12(日) 22:27:21.22 0
佐藤賢一は、論文は、勅令隊研究のみかな?
282世界@名無史さん:2014/10/26(日) 22:00:54.28 0
スコット、バイロン、オースティンの作品は、18〜19世紀の対仏戦争から決定的な影響を受けたとさ。
Walter Scott, Byron, Jane Austen ? all were profoundly affected by the conflict with France・・・
the world of wartime reading, and cultural skirmishes, high and low・・・

英国の5分の1の家族が死傷者を出し、人口比で第一次世界大戦の時よりも多くの人がなくなった、と。
The conflict lasted 22 years from 1793 to 1815, broken briefly by the Peace of Amiens in 1802-03.
One in five families were directly affected and more men died, proportionately, than in the first world war. ・・・
http://www.theguardian.com/books/2014/oct/24/battles-real-literary-napoleonic-wars-1793-1815-jane-austen-byron-walter-scott
283世界@名無史さん:2014/10/28(火) 08:40:25.66 0
フランスの衛星国の地図を見ていたら、フランス内部に、
ヴィナスク伯領というのがあるけど、アヴィニョンで、
一種の教皇領でいいのかな?
284世界@名無史さん:2014/10/28(火) 13:37:27.46 0
http://en.wikipedia.org/wiki/Comtat_Venaissin

なんでヴィナスクってカタカナ転写なのかよくわからんけどもちろん例のあの教皇領の飛び地のことですはい
285世界@名無史さん:2014/10/28(火) 17:47:51.01 0
なるほど、コンタ・ヴネサンで、
首府が、Venasqueだから、ヴィナスクの伯領と表現している。
このヴィナスクにちなんで、ヴネサン。
後の中心が、アヴィニョン(都市)だからアヴィニョン(周辺領域)
とも言える。
この表現なら1320年にCarpentrasに移動したのなら、
カルパントラ伯領でもあったにもなるのか。
286世界@名無史さん:2014/11/02(日) 02:00:39.38 0
米独立革命にフランスの支援は決定的役割を果たしたわけだが、その後もフランス人が
米国で果たした役割は大きかったとする書評だ。
(米国「文明」はそもそもアングロサクソン文明と欧州文明のキメラだもんな。)
Most Americans are aware that France helped us win independence from Britain, but few appreciate the huge influence
France continued to have here during our nation’s formative years. ・・・

フランス人で、フランス革命や仏領ハイチの奴隷叛乱を逃れて、米国の当時の首都である
フィラデルフィアに流れてきた者が大勢いたからだ、と。
When revolution struck France, many in the ruling class found their way to Philadelphia, which was then the U.S. capital. ・・・
Their numbers were soon augmented by French fleeing Saint-Domingue in the Caribbean, today’s Haiti, after half a
million slaves rose up against their masters. Saint -Domingue had been the most productive colony of the French empire.

1790年代半ばには、フィラデルフィアの人口の1割を占めていたんだと。
By the mid-1790s, the French accounted for perhaps 10 percent of the population of Philadelphia.
They brought with them their culture - language, literature, music, art and Enlightenment values - as well as access
to capital, which the new country desperately needed. They were welcomed by the vast majority of Americans,
who appreciated the French support in the American Revolution. Soon everything French was the rage as Americans
embraced the newcomers and began to emulate them in dress and manners. ・・・

当時の米国じゃフランス風が大流行だったが、フランス革命が血腥くなると、この流行も下火に。
Most Americans thought it just peachy that the French were having their own revolution, which resembled our own
for a while, but the bloodbath that ensued took the fun out of it. ・・・
http://www.washingtonpost.com/opinions/book-review-when-the-united-states-spoke-french-by-francois-furstenberg/2014/10/30/80c2cbec-5893-11e4-b812-38518ae74c67_story.html
287世界@名無史さん:2014/11/22(土) 15:04:11.53 0
その割には経済のつながりが弱いけどな。
288名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/14(日) 18:55:18.98 0
フィラデルフィアの1割って数千人だろ。
フィラデルフィアの市政とか市の経済に影響とかその程度だろ。
289世界@名無史さん
1871年のパリコミューンの時の虐殺度は、政府側の方が桁違いにひどかったんだね。
・・・the Communards had executed 68 hostages, while the Versaillais had executed between 12,000 and 15,000,
Communards and non-Communards alike. Thousands more were slaughtered in the streets of Paris, and many
more simply disappeared.

これが、20世紀の一連の大虐殺の原型となった。
The Paris Commune may have been the last of the 19th-century revolutions, but as Merriman persuasively
concludes, it also served as a chilling introduction to the atrocities of the century to come.
http://www.washingtonpost.com/opinions/book-review-massacre-the-life-and-death-of-the-paris-commune-by-john-merriman/2015/01/02/fbfb6d30-7415-11e4-a589-1b102c2f81d0_story.html