最初の文永の役でも、日本軍はモンゴルの戦法に半日くらいは戸惑ったが、
それ以降は慣れて普通に対応したそうな。
「モンゴル軍の新戦法に日本の旧来の戦術は〜」
なんてのは、一種の「進歩的史観」みたいな、変なバイアスの産物。
日本が「神の国」だということが完全否定された終戦後
「元寇ではボロ負けし、さらに神の国だとの勘違いがその後の太平洋戦争での
敗北につながった」というストーリーを創り出す事によって、日本を二重に否定
するための歴史教育ですか。
4 :
世界@名無史さん:2010/02/09(火) 02:29:22 0
鎌倉武士は渡来系だしなあ
5 :
世界@名無史さん:2010/02/09(火) 02:33:47 0
鎌倉武士は強すぎるからな、おそらく当事最強軍団だろ
武器は和弓使ってるし、弓の達人ばかり
>>1 スレ主の言いたい事はわかるが、日本武士の自分の手柄を誇示するための文書をもって
>どう見ても武士の圧勝。
>当時の文献には、ちゃんと
と断ずるのは、愚か。
帰還した飛行兵の自己申告によって、敵機の撃墜数を決める愚と同じ。
「高麗史高麗史では「戦いに敗れて1万3千5百余人が帰還できなかった」と明確に負けを認めてる。」
日本側の鎌倉年代記や帝王編年記でも、蒙古が合戦で撃退されたことになっている。
『元史』も日本遠征失敗の理由として「官軍整わず」と武士団に組織面で劣っていた事を第一に挙げている。
弘安の役では元・高麗軍を主力とした東路軍4万と、旧南宋軍を主力とした江南軍10万、計14万の軍「ちなみに日本軍4万」が日本に向けて出発し
元軍で帰還できた兵士は、のちに解放された捕虜を含めて全体の1、2割だと言われてる、日本軍は高麗人とモンゴル人および漢人は
捕虜として捕らえず殺害したが、交流のあった南宋人は捕虜として命を助け、大切に庇護したという。
この戦いによって元軍の海軍戦力の3分の2以上が失われ、残った軍船も相当数が破損された。
ちなみに日本に来たのはモンゴル帝国内で最強の大元ウルスのモンゴル軍。
大元ウルスに対しては、他のモンゴル内の有力者も度々反乱を起こしているが、クビライは連戦連勝。
ナヤン・カダアンの乱で、カダアンとその息子ラオディ率いるモンゴル反乱軍は、朝鮮半島で大元ウルス・高麗連合軍によって壊滅させられたんだ。
鎌倉幕府が高麗遠征、征伐を本気で検討してたくらいだからどう考えても完勝だよなw
教科書とかで乗ってる有名な絵に書いてある三人の蒙古兵は
完全なタッチの違いから後に書き足したものらしいよね
日本人強すぎワロタw
長刀、此レ倭中国ヲ犯スヨリ始テ之有リ
[日本海賊が中国に攻めてきたときに初めて我々は長い日本刀の力を知った]
彼ラ是ヲ持チテ跳躍光閃シテ前ニ進メバ我兵ハ己ニ気ヲ奪ワレルノミ。
[彼らが日本刀を使って稲妻のように早く攻め込んでくると我ら中国の兵は集中を乱し混乱するのみだった]
倭ハ躍ヲ善クシ、一度足ヲ逆エバ別チ丈余、刀長五尺ニテ、則一丈五尺ナリ。
[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]
我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。]
当時もそれ以後も、戦闘の主力兵器はまず弓なんだが。w
戦死や戦傷の記録を見ても、矢傷がダントツ。
弓と言えば武士の得意分野
後に三十三間堂の本堂西軒下(121m)で矢を射る「通し矢」なんて代物が
開催されたくらいだ。
>>7 >帰還した飛行兵の自己申告によって、敵機の撃墜数を決める愚と同じ。
大和に対する雷・爆撃の成果が、大和乗員と米軍発表で50発以上も差があるのは良い例だね。
米軍発表を信じて70発以上の爆弾と魚雷を叩き込まれて沈むってのも伝説としてはありかも知れないが。
16 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 00:53:12 0
>>7>>15 太平洋戦争でも戦闘経過に関する最重要史料は、実際に戦闘に参加した兵士の証言や記録だよ。
そもそも、モンゴル軍は文永の役でも弘安の役でも九州に橋頭保すら確保できなかったわけで、
客観的な事実だけを見ても武士の圧勝としか言いようがないだろ。
17 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 01:21:28 O
水城とか太宰府ってさぁ、ほんの海っぺりなんだよね
川崎に上陸した敵を新宿を防衛ラインに阻止とかそんなレベル
18 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 09:10:11 0
古代中国の豪傑だった項羽、関羽、呂布なんかも、中国だから豪傑になっただけで
日本だったらその辺の武士でも当たり前の武勇だっただろうな
結局、文永の役では一旦大宰府まで退いて防ごうという最中、
追撃してきた高麗の副将・劉復亨を射殺したのがきっかけとなり、
高麗軍に動揺が生じて撤退してるしね。
圧勝とは言わないが戦術的な勝利には間違いない。
元には負けて、一度ぐらい文明圏に取り込まれた方がその後の
日本には良かったかも。
結局、アメリカに占領されるまで日本は後進国だったことを
考えるとねえ。
21 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 17:40:26 0
その後進国日本に勝てなかったのが、アメリカ以外の世界と云う現実
アメリカが日本に勝てたのも、要するに国土が広く資源が豊富だっただけだからなぁ
ヨーロッパの産業革命前までの庶民の生活水準もアジアじゃ豊かだったからな
>>20 そんな目にあってたら
現代の後進地域の仲間入りしているわ
>>20みたいなキチガイは朝日新聞とかをまるまる信じているんだろうな。
想像力の欠如ってこわいわ−。
日本は安土桃山時代から先進国だよ
その時代から今も続く和洋折衷の文化が出来上がっていたんだよ
日本が先進国でなければコンキスタドールに征服されていたよ
軍事力、経済力、民度すべてがヨーロッパに匹敵していたからそうならなかったんだよ
>>19 元軍は海岸沿いで、しかも城壁に囲まれてるわけでもない博多の町にすら何の損害も与えることができなかった。
武士の圧勝としか言いようがないじゃん。
蒙古騎兵なんて鎌倉武士から見れば雑魚に過ぎなかったってこと。
26 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 19:34:51 0
だから産業革命ってウソの歴史用語はもう滅ぼせよ。そんな考えだから
いまだに白人が神様だと思うようなバカ民族なんだよ
白人が神様なんて誰も思ってねぇよ
28 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 20:25:52 0
ウソつくなよ、スキあれば白人のホワイトソーセージを突っ込んでもらいたいんだろ?
売春はアジア人が発明したという白人の言葉は本当に正しいな
29 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 20:38:27 0
ウソつくなよ、売るものが無くて白人女を輸出してたのが白人だろ
ふにふにのホワイトソーセージじゃ突けないしな
30 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 21:05:38 0
倭人狼にして死を懼れず、十人百人に逢ひて亦た戦ひ、
勝たずんば倶に死す。戦死せずんば、帰りて亦た倭主の殺す所となる
鄭思肖「元韃攻日本敗北歌」
>>8 >「官軍整わず」と武士団に組織面で劣っていた事を第一に挙げている。
「官軍不整」
この言葉を「武士団に組織面で劣っていた」と解釈するのは、
あまりにも拡大解釈にすぎると思うぞ
>>31 普通に考えて
本土決戦モードの武士集団>>>>>越えられない壁>>>>モンゴル、シナ、高麗の多国籍軍
なのは明確でしょ
>>32 「官軍不整」という言葉が、
どうして「武士団に組織面で劣っていた」と解釈出来るのか?
「足並みが乱れた」くらいにしか受け取れんだろ
自軍の足並みが乱れてる時点で組織力では完敗してる気がするが。
戦略、戦術面であまり意味のない対馬島民を高麗兵を中心として虐殺したりしてるしな
36 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 00:44:13 0
元軍はあくまでも中国の軍勢だから歩騎混成軍に過ぎない。
ユーラシアを席巻したのはモンゴル人中心の騎兵集団だから
戦力がまったく違う。
「足並みの乱れ」くらいなことを「組織力で完敗した」とまでは言えないと思うがな
足並みの乱れが組織力のなさから来るのは間違いないことだとは思うが
実際、あれだけの大軍を擁して負けてる元軍ってなんなの?って
自軍の足並みが乱れてて、足並みが乱れてない相手に負けたんだから
普通に考えて相対的に組織力では負けだろ。
何もそんな所で抗弁しなくてもわかりきった事だと思うが。
元軍同様に日本側も足並みが乱れてたなら話は別になるが、なんかそういうソースあるのかね。
鎌倉武士のどの部分にアドバンテージが有ったか知りたい。
41 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 01:55:57 0
弓矢の射程という説があったが実際はどうだったかな。
上陸してきた元軍はいわばモンゴルと高麗の連合軍のようなものだった。
戦闘指揮の優先権は無論モンゴル側にあったけど兵力の約三割、それと
船と船員の殆どは高麗から提供されたものであり
その事が元軍全体の指揮の統一性に何か悪影響を与えてた可能性はある。
対馬で高麗兵が行ったとされる戦術的にあまり意味のない虐殺を
元側の指揮官が止めようとしなかったこととか、
戦闘継続か撤退かを決める軍議の場での方針対立とかね。
(この対立は文永だけでなく弘安でも見られた)
大陸側でのモンゴル軍の戦いにおいても服従した国家と連合して
戦った例はいくつもあるから元寇だけが特別じゃないんだけど
この大敗ぶりと「官軍整わず」て記述は気になるよねえ。
やっぱ例の法則?
でも、その「正規軍じゃなかった」とか言う話もひどい話なんだよ。
日本史の教科書とかには元軍が「征服された民族で構成された多民族軍」だったことが、
まるで例外的なことのように書いてあるけどさ・・・
実際には、ヨーロッパに攻め込んだモンゴル軍も、中東に攻め込んだモンゴル軍も、
中国に攻め込んだモンゴル軍も、東南アジアに攻め込んだモンゴル軍も、全部例外なく
「征服された民族で構成された多民族軍」。
それがモンゴル軍本来の姿なの。
「攻めてきたモンゴルフルボッコにした」って認識で全く問題ないよ。
>>36 ユーラシアを席巻したのモンゴル軍も征服した民族を大量動員した他民族軍で、
元寇の元軍と何らかわらないんだが。
1257年にモンゴル帝国大ハーンのモンケが南宋に攻め込んだ時、モンケ直属部隊の民族編成は
漢人、タングト人、女直人、高麗人で元寇の時とまったく同じ。
日本が蒙古を返り討ちにした事実を否定したがる奴が必死になってるな
日本のような狭隘な土地ではなく、大軍がある程度機動力を発揮できる平野で
モンゴル軍を撃退したエジプトのマムルーク軍人が世界最強に間違いない。
マムルークがアイン・ジャールートの戦いで勝ったモンゴル軍は1万2千程度。
鎌倉武士は、文永の役では福岡平野の戦いで3万3千の元軍を撃退し、弘安の役では元兵10万を皆殺しにした。
マムルーク軍人が鎌倉武士より強いなんて事はありえない。
>>45 恩賞を出し渋って
当時から返り討ちを否定して偶然(神風)と言い張られていた
>>48 当時から普通に返り討ちにした言われてるけど
鎌倉年代記裏書
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北」
>>49 だから返り討ちにしたんだけど
恩賞を払いたくないから業績を握りつぶして神風のせいにしたんだろ
>>50 恩賞ってそういうシステムじゃないから。
恩賞に該当する働きがあって、それを証明する証人がいれば恩賞は出る。
実際、120余人が恩賞受けてるし。
52 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 02:48:23 0
弘安の役では、元軍は防塁を避けて志賀島に上陸を果たした。
これに対し日本軍は現在の海中道路、狭い一本道から強行突入した。
元軍にとっては必勝の待ち伏せポイントだが、
負けて逃げ出したのは元軍だった。
元寇においての鎌倉武士が過小評価されるようになったのは
やっぱ戦後から?
なぜ、平家物語も高松城の明渡しも全て墨で塗りつぶされなければならなかったのか。
答えは、「武士が軍人だから」です。
その理念が正しいかどうかは別にして、連合国が日本に日本国憲法を押し付けたのは、
日本を武装解除し長期的に(できれば未来永劫)弱小国の地位にとどめておくためです。
教育改革も目的は同様です。戦後教育に謳われた平等も平和も民主主義も素晴らしい
理念ですが、それらが日本を強国に育てるものであっては困るのです。秀吉の全国統一
によって平和がもたらされた側面があろうと、源平の合戦に平家独裁を打ち破る側面が
あろうと、「軍人である武士」が主人公の物語はすべて学校教育にふさわしくない。
これが、墨を塗った側の発想でした。
森口朗・著『戦後教育で失われたもの』
55 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 05:53:29 0
56 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 08:00:06 O
騎馬民族の騎兵が居ないから二線級部隊だと言う香具師がいるが
上陸作戦に騎兵が何万といても役に立たんだろ
>>54 「平家物語」が墨で塗りつぶされたと、まさか本気で信じているのかね??
59 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 10:43:08 0
個々の武装や戦術で武士が強いのは確かだろうが、秀吉に見る通り「戦略」は苦手なんだろな。
その点大陸や海洋で他民族と接してたモンゴルやヨーロッパが有利つーか上だわな。
>>59 秀吉が朝鮮征伐で動員した兵数とモンゴルが元寇で動員した兵数はほぼ同じ。
秀吉の方は平壌や漢城を占領し、7年間も朝鮮半島に橋頭保を維持し続けたのに、
モンゴルは京や鎌倉はおろか博多や大宰府すら占領できず、九州に橋頭保を
築くことすらできない。
あきらかにモンゴルの方が下なんだが。
61 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 11:01:04 0
>>60 だと、多文明と接して世界観や新種武器を発展させた西欧が上つーことになるわな。
それも単なる地理的有利、成り行きだけどな。
>>60 秀吉の日本は国力も軍事力も鎌倉時代に比べて増大してるし
逆に大陸側は衰退期の明じゃん。所詮
元寇の頃とは条件が違いすぎ
朝鮮出兵だってボケ老人秀吉が武力に物を言わせて強引に相手を叩き潰してきた結果があのグダグダだし
壮年期の秀吉なら朝鮮や女真族と手を結ぶとか自分が覇権とった暁には税を云々とかいって民衆を
見方につけるとかやりようがあったし明征服も現実的なものがあったのに。
大陸に進出したらしたで日本人の国民性から言って大陸的戦略術とかもあっさり身に着けたろうし
さらに練りに練って独自のものができてただろう。
そうなった場合東アジアがどうなったか気になるし西洋の大航海時代や産業革命に対してどう対処したのか気になる。
まあ日本文化は鎖国してた江戸時代に大きく花開いた文化だから中国を統治してたら女真族の清みたいに漢化
まではされないとしても日本文化は変に中国と同化して向こうの色合いの強い文化に変貌してたろうな・・・
元寇当時のヨーロッパで強力な軍事集団としてポーランドやリトアニアと渡り合ってたドイツ騎士団は、
1270年代の時点で2000人程度の騎士を戦場に送り込むのが精一杯だった。
よく文永の役に投入された兵力が本気で征服を狙うには少なすぎるとか言う奴がいるけど、当時の世界の
合戦で動員されてた兵力と比較してから言えよって感じ。
キエフ、チルニゴフ、クラクフ、ブレスラウ、ワールシュタット、
ベスト、ラグサ、ブカレストなんかの東欧の都市国家は全部不戦降伏で白人のチキンぶりと言ったら・・・
66 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 13:37:36 0
弓って威力結構凄いのな、フライパンを突き破ってた
戦後の元寇研究がインチキだということを示す例に、武士の弓の性能が、元軍のそれに比べて、著しく劣っていたという話がある。
これは、黒田俊雄が中央公論社の『日本の歴史8 蒙古襲来』の中で書いていることなのだが、読んでみると何故か日本の弓の「有効射程」と元軍の弓の「射程」を比較している。
P98〜99
「ところが、元軍の矢は二町(220メートルぐらい)ほども射程があるので、
(日本側の矢は有効射程100メートル以内とみてよい)、味方にたちまち二人
手負いが出た。景隆らは城(といっても簡単な館だが)にたてこもって防戦
したが、衆寡敵すべくもなくついに城の内で自害した」
「有効射程」が「射程」より短いのなんて当たり前じゃん・・・
更にこの「日本側の矢は有効射程100メートル以内」という話も、まったくの根拠不明。
文永の役で、武士は一町(110メートルぐらい)の距離から正確に元兵を狙撃して殺し、大笑いしたという記録だってあるのだ。
戦後の歴史研究者たちは、武士に悪意を持って印象操作しているとしか思えねーぞ。
個別射撃と弾幕射撃の違い?
物理的に矢を遠くまで飛ばせる距離が「射程」。
でも、実戦では敵に矢を命中させてダメージを与えられないと意味無いわけで射程距離の中でも
一定の命中精度を維持できる距離が「有効射程」。
>>64 なんでドイツ騎士団を引き合いにだすのか意味不明なんだが
白藤江の戦いではモンゴルは30万以上の兵力を出してるんだろ?
日本が強かったんじゃなくてさ
モンゴルが過大評価されてるだけなんじゃね?
博多に留まれず大宰府に後退してるしなぁ
敵の上陸地点からわざと退くとも考えられんし
やっぱヤバかったんだろ
>>70 そんなに出してるわけないだろ。
白藤江の戦いでベトナム軍と戦った鳥馬児、樊楫の兵力は「安南志略」によれば1万8000人。
ベトナムの史書である「大越史記全書」って元側の史料の「元史」とかと比較すると、元軍の兵数を
あり得ないくらい誇張して書いてるんだよ。
まあ、どんな史書でも敵の兵数は誇張して書くのが普通だから、その点にどうこう言うつもりはないけど、
それを承知の上でワザと「大越史記全書」の兵数をそのまま書いてる最近の本は凄い悪質。
>>72 まったくヤバくない。
文永の役で博多の町は何一つ損害を受けなかった。
日本軍は元軍上陸地点のすぐ間近、城壁に囲まれてるわけでもない博多の町を完璧に守り抜いてる。
戦後の歴史研究者たちは、元軍が大宰府への進軍を完璧に阻止されたことを誤魔化すため、元や高麗が全く争点にしていない博多や筥崎を持ち出して
、日本軍が負けたかのような印象操作をしている。
コンパスとか無いこの時代、元の艦隊は山や岬などの地形を利用して、船を運航させる「沿岸航法」。
文永の役当夜は雨が降っていたから、月明かりは無いし星も見えない。
博多湾や周辺海域の土地勘も無い。
元軍は夜の内に日本から撤退しているけど、戦闘そのもので日本軍にボロ負けし、それ以外に生き残る術がないという状況でもない限り、
900艘もの艦隊を夜中に出港させるはずが無い。
案の定、元の艦隊はその夜に岩に触れて大惨事に陥るわけだが、その時日本軍は馬蹄飼場良く兵糧潤沢な水城で、「蒙古の一方の総大将の劉復享をやっつけた」
と言って大喜びしていた。 文永の役は、日本軍のワンサイドゲーム。
印象操作とかそういうのバッカか
>>74 博多が全く無事だったんだから、元軍が敗退するまでは日本軍も博多に留まってたってことだろ。
上陸してきた敵に対しては、水際防御ばかりじゃないでしょ。
81 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 17:28:47 0
要するに武士の圧倒的な強さを前に元寇は死滅
手先と化した朝鮮兵は我々は悪くないニダと泣き叫びながら命乞いをするも、武士に馬鹿に汚なしと首を斬られる
やあやあ我こそは・・云々の一騎打ち的な戦い方してた武士集団がモンゴルの
集団戦法やてつはうに苦しめられぼこられまくり元軍すべてがたまたま船に乗船
してたところ偶然やってきた台風によって二度にもわたり日本は助かりました。
そしてそれが後の神風信仰に繋がり近代では盲目旧日本軍有する
カルト集団大日本帝国の滅亡へと繋がりましたとさと言う物語に繋げたい
戦後の自称歴史家達が作った教科書で勉強させられたのがうちらなんです。
83 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 18:58:57 0
>>42 船は南宋提供のもかなりあったでしょ。
でも、この戦いで大陸側の海軍戦力が壊滅して
後に倭寇の跋扈を許してしまうことになったって
よく言われてるけど
あれは明が無能過ぎただけだよなあ
明代に鄭和の大艦隊とか出来てるし
>>79 強気の場合は水際防御だろ
弱気の場合は、それをあきらめて内陸での防戦を考える、と
85 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 21:20:19 0
>>43 確かにヨーロッパや中東に派遣された
モンゴル軍も他民族混成軍だが、同じ
遊牧民による騎兵集団だ。
日本に派遣された遊牧民騎兵と農耕民歩兵の
混成軍のとは違う。
87 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 21:31:33 0
そもそも騎兵なんて弓兵の前じゃ雑魚だからな
弓兵>長槍歩兵>騎兵レベル
鎌倉時代は世界最強のモンゴルを倒すほど日本は強かったのに、
江戸末期には、欧米の植民地寸前の極東の最貧国まで転げ落ちていたんだから、
世の中はわからない。
89 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 21:52:17 0
江戸末期でも薩英戦争で英国艦隊をフルボッコにしてますが?
極東の最貧国?アジアの中では十分豊かでしたが?
江戸時代の飢饉の悲惨さを知らないのか?
楢山節考とかね
92 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 22:01:19 0
飢饉なんて特殊な自然災害を例に語ってもw
んな災害どこにでもあるよwww
江戸時代の日本は順調に成長してるし、戦国期に比べ人口が倍に増えてる事からもわかるし
裕福層が生まれてることからもわかる
一方当事の朝鮮など極東はほとんど日本の奈良時代並みの生活水準
裕福層が無く、貨幣も無く、貧乏でしたw
そんな豊かな国なのに、何で植民地寸前の状態になるんだよww
94 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 22:40:02 0
いつ日本が植民地寸前になったの?w
当事の列強国と比べて、250年の太平と鎖国政策で工業力の面や兵器面で遅れてたのは確かだけど
少なくとも簡単に植民地化されるほど小国ではなかったから、植民地化されなかったんだが?w
当時の日本はヨーロッパの2流国程度の軍事力はあったしね
国の豊かさと植民地になるかならないかは別問題だぞ。
それだと各地を征服したモンゴルが最初から世界一豊かな国でないとおかしいということになる。
それに帝国主義時代のは近代的な軍隊の整備と火力や技術力の優越の程度の問題。
単純な国力だけならインドや清のほうが英国より上だった。
まあスレ違いだけど。
96 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 22:45:05 0
>>75 夜になったから根拠地に戻っただけ。
優勢だからといって集合場所をいちいち変更していたら混乱の原因。
現代でもそうなんだから当時ならなおさらそう。
さらに言えば大宰府は海岸から10kmと離れていず、
間には困難な地形もなく、半日あれば余裕で海岸までいける。
元軍が史実よりボロボロの惨敗状態であったとしても
根拠地を大宰府から移動させる必要は何もない。
あんだけ近い大宰府にすら行き着けない元軍がザコ過ぎるだけ。
日本は文弱の国だから、欧米の優れた技術をすぐに吸収出来た。
朝鮮は尚武の国だから、なかなか近代に対応出来なかった。
>84
強気弱氣はは関係ないだろう。
水際で討てる限り討つ、上陸されたら予定した防衞線/陣地まで下がり攻撃する。
二段三段構えの策を採るのは常識。
99 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:04:24 0
>>87 鎌倉武士(騎馬弓兵)では遊牧民の軽騎兵のスピードには
ついていけないよ。
それに鎌倉時代には長槍隊はいないし。
ネトウヨて的妄想は見苦しいよ!
大体この時代の鎌倉武士の強さを評価している
歴史学者は世界中にいるか?
100 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:12:02 0
武士側は水際防御は行っていない。
元軍上陸時には水城に集結しており、そこから出撃している。
上陸地の選択権は敵側にあるから
予測を外したら戦力が遊兵化するのが水際防御の欠点。
文永では日本軍の数は敵より一桁少なく余裕がなかった。
101 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:12:27 0
>遊牧民の軽騎兵のスピード
↑www
まずモンゴルの馬はポニー型だし、速さより長距離走行にも耐えられるタイプだし
100年戦争でもフランス騎兵は、イギリスのロングボウ隊に壊滅させられたねw
武士の強さは何も鎌倉に限らず「サムライ」として伝説になってるしねw
102 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:14:04 0
>>99 いくら装備が軽くても矢より早くは走れない。
和弓の射程は蒙古弓より上。
ランスチャージしか能がない欧州騎兵と一緒にしないでください。
103 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:28:09 0
ところが、モンゴル騎兵は全部騎兵で、一兵卆に至るまで馬に乗っております
ので、移動性もあり、破壊力もあり、近世になって大砲ができる以前は、ロー
マの重歩兵、重槍歩兵よりも、最強の騎兵の力をもって、例えば東ヨーロッパ
まで、あるいは北はスラブ、ロシアの領域まで攻めて行って大帝国を築き上げ
るのです。
ところが日本は騎兵で攻められないのです。
http://www.kokubou.jp/news-29.html
104 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:30:44 0
ところが、モンゴル騎兵は全部騎兵で、一兵卆に至るまで馬に乗ってお
りますので、移動性もあり、破壊力もあり、近世になって大砲ができる
以前は、ローマの重歩兵、重槍歩兵よりも、最強の騎兵の力をもって、
例えば東ヨーロッパまで、あるいは北はスラブ、ロシアの領域まで攻め
て行って大帝国を築き上げるのです。
ところが日本は騎兵で攻められないのです。
http://www.kokubou.jp/news-29.html
105 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:31:40 0
106 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:35:57 0
>モンゴル騎兵は全部騎兵で、
その通り。
全部がショボい弓矢とショボい刀、ショボい鎧を装備したザコ騎兵ですね。
鎌倉武士と戦えば弓矢の射程で劣り、
相打ち覚悟で一矢報いたとしても大鎧に防がれて、
次の瞬間には自分の胴体を貫通される。
白兵では逆立ちしても勝てない。
モンゴル騎兵は鎌倉武士に対して有効な攻撃手段が皆無。
唯一勝るのは逃げ足の速さだけ。
107 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 23:37:07 0
108 :
世界@名無史さん:2010/02/12(金) 00:10:27 O
>>95 単純な国力とは何?
精々人口と面積ぐらいだろ
109 :
世界@名無史さん:2010/02/12(金) 00:23:27 0
2)討物(うちもの)
元寇の役はその後の戦闘法に大きな影響を与えました。北九州に二度
にわたる元軍の襲来に、にわか作りの日本軍は苦戦を強いられました。
その激しい戦闘の様子は『蒙古襲来絵詞』に見受けられます。
これまでの武士にとって伝統ともいえる騎射戦は用をなさず、
弓矢より一層威力がある太刀・薙刀を振り回す討物へと戦闘法が移って
いきました。
http://www.katchu.com/html/2202.html
「当時の造船技術では馬を大量輸送するのは不可能」というのもよく広まったデマね。
馬の大量輸送なんて当時どころか、それより遥かに昔の紀元前でも普通におこなわれてる。
だから『蒙古襲来絵詞』にもモンゴル騎兵が大勢描かれてるよ。
鎌倉武士から必死で逃げるモンゴル騎兵も描かれてる。
111 :
世界@名無史さん:2010/02/12(金) 00:34:01 0
>>109の脳内における騎射戦。
そりゃあ用をなさないでしょう。
実在すればの話ですが。
1)騎射戦(きしゃせん)
『伴大納言絵詞』・『平治物語絵詞』などの絵巻に見られるように、
当時は騎射戦が盛んに行われていました。
これは馬上の武士が互いに名乗り合い、
弓矢を引きながら擦れ違い様に射るという、
いわば形式化した戦闘法といわれています。
112 :
世界@名無史さん:2010/02/12(金) 00:53:19 0
>>110 馬の大量輸送ってお前は何頭くらいを考えているの!
100〜200頭、 1,000〜2,000頭、 10,000〜20,000頭
おもしろい話題だな
「元の兵站技術で、上陸直後にどれだけの馬を扱えるかのか?」
>>112 第4回十字軍は200隻の艦艇で騎士4500人とその馬、従者9000人、歩兵2万人を4000キロ離れた
エジプトまで輸送する予定だった。
それに対して文永の役は艦艇900隻で対馬海峡の距離も僅か200キロに過ぎない。
更に元寇で使用された輸送船は十字軍の輸送船の約3倍の積載量。(山形欣哉・著『歴史の海を走る』)
元軍が文永の役に投入したモンゴル騎兵6000騎の輸送なんて余裕なんだよ。
>これは馬上の武士が互いに名乗り合い、
>弓矢を引きながら擦れ違い様に射るという、
>いわば形式化した戦闘法といわれています。
現実には、こんな形式の騎射戦は鎌倉時代の史料の中に1例も存在しない。
当時の日本で行われていた騎射戦は騎馬部隊同士の組織戦だよ。
実は決戦前夜、元寇は斥候を出してるんだが、日本人がフグを捌いて、
「ふぐ刺し美味しいね\(^o^)/」
・・・っていう食事風景を目撃してしまったんだ。
「日本のフグは食べられる」と勘違いした元寇は、元寇達も
「ふぐ刺しホイヒイね^^・・・れも、ろれつがマワラナイロ!/(^o^)\」
当然かっこわるいし、歴史の闇に葬られたが。
実はこれが真相。
118 :
世界@名無史さん:2010/02/12(金) 16:16:44 O
>>114 人口が多ければGDPも高いに決ってるじゃない。そんな物に大した価値は無いだろ
清は日本以上に人口の殆ど全てが貧しい農民で、死なない程度の僅かな徴税しか出来ない。腐敗官僚の中間搾取で更に税収は減る
この状態を国力豊かとは言えないし、まともな予算は組めないから軍も編成出来ない
植民地化寸前だといってるのは他の人だ。
植民地化されない為には、一万程度のライフルで武装した派遣軍に勝って
艦隊に海上封鎖や艦砲射撃を食らっても継戦出来ればいいが
日本と違い沿岸部に都市の少ない中国は、北京を放棄して内陸の河川輸送さえ維持すれば戦える。一万そこそこでは幾ら勝っても全土は占領出来ない。
日本は一万そこそこの陸兵には勝てるかもしれないが、海上封鎖と艦砲射撃で江戸も大坂も悲惨な事になる
ただそれだけでは不平等条約を押し付けるぐらいしか出来ないから、アフリカやインドみたく政府の喪失は起こらない
119 :
世界@名無史さん:2010/02/12(金) 18:09:44 0
つうか源平合戦の時すでに組織戦してるし
義経みたいな戦術の天才も居るし
120 :
世界@名無史さん:2010/02/12(金) 18:37:42 0
そもそも当事の江戸幕府は結んだ条約が不平等かどうかなんて知らなかった
>>118 人口や生産力が国力でないというなら国力と植民地化は最初から関係ないということになるな。
いや、それならそれでいい。もともと日本が貧困だったために植民地にされそうだった
という意見に対して「植民地化と単純な国力は関係ない」ということ反論するために
19世紀でも国力自体は英国よりインドのほうが高かったと言いたかっただけだからな。
ようするに産業革命以降の、資本の循環による技術の発展や需要の創出の必然性、軍事の近代化などのほうが重要であることは明白だし。
この時代の海外遠征っていうのは想像以上に難しいものなんだろうけど
それにしてもモンゴル側の戦果のなさは際立ってるな。
そもそもモンゴル帝国の急激な拡大って、被征服側の分裂や衰微に付け込んだものだし。
付け込むスキが少なかった金や南宋相手にはひどく苦戦している。
義経って天才なの?
功績からいったら天才といっても差し支えはなかろう。
当時の常識で奇襲は武士道的に禁じ手だったという見方もあるが、
機動力と行動力で当時の常識を覆したのは、やはり彼になにかしらの天才性があったからだと思うよ。
126 :
世界@名無史さん:2010/02/13(土) 02:40:08 0
ガチ勝負で元に完勝した
我らが琉球こそ最強
日本は運が良かっただけ
ディスカバリーチャンネルでは世界を席巻したあのモンゴル帝国を二度も
返り討ちにした武士の戦闘能力と日本刀スゲ〜!ってスタンスだった。
でもいちど元軍に上陸されると武士たちは押される一方で、
博多が焼かれるのを指をくわえて眺めてるしかなかったんだよね。
129 :
世界@名無史さん:2010/02/13(土) 13:39:05 0
資料出されまくりでモンゴル信者こじつけに必死w。
最終的には対馬と壱岐がやられたからモンゴルの勝ちとか言い出すだろう。
130 :
世界@名無史さん:2010/02/13(土) 13:58:06 0
>>128 博多の街が焼けたという主張の根拠はただ一つ。
八幡愚童訓に「博多から避難した人たちが一夜明けて帰ったら家々が跡形もなくなってた」という記述があるから。
で、その他の史料との比較検証とか一切しないまま、この記述だけを根拠に博多焼失が通説になってたわけ。
本来なら、八幡愚童訓以外に裏付ける史料が一切無い時点で、記述の信憑性を問題にするべきだったのに。
実際には八幡愚童訓の記述は単なる書き間違い。
八幡愚童訓より成立時期の古い八幡ノ蒙古記だと、該当箇所の記述は「博多から避難した人たち」ではなく
「博多に避難した人たち」なんだよ。
避難民は博多で一夜を過ごしてるわけで、元軍に占領されたり、焼き払われたりしてるわけないじゃん。
これで博多焼失に関する唯一の史料も消滅。
鎌倉幕府の権威が失墜したのは、元寇での武士への恩賞を満足に払えなかったから。
これだけで蒙古襲来は鎌倉武士が圧倒していた証拠になる。
サムライ側が元軍に負けっぱなしで、台風に救われたとしたら、これだけの恩賞の取り付け騒ぎが
起こるわけがない。
「お前ら活躍してないんだから恩賞なんか求めるな」の一喝で終わり。
鎌倉武士が元軍相手に活躍し、討ち取りまくってたからこそ、
「これだけ活躍したんだからもっと恩賞よこさんかい」という騒ぎになる。
んで、そんな武士達の不満が幕府の屋台骨すら揺るがしたのだから、彼等の活躍がどれ程だったのか
想像すらつかない。
結局、鎌倉武士の活躍が不当に貶められたのは、
恩賞の支払いに窮した幕府と、幕府に反感を持つ朝廷が共に利害を一致させ、
「元軍を壊滅させたのは神風である」という認識を押し通したからだろう。
こうすれば、幕府は武士への恩賞をケチる事ができる。
「日本が守られたのお前達の活躍ではなく神風のおかげなのだから、恩賞恩賞と喚くな」とね。
朝廷側としても忌々しい武士達の評価を貶めて、自分たちの元軍調伏の祈祷の効果を喧伝できるのだから
「神風説」は都合が良かった。
近代化以降は、神国日本の証明として、神風が持て囃された。
こうして、武士達が実力で元軍を圧倒していた事実は覆い隠されたのである。
専門家の意見が聞きたいな
外人のな
そもそも防衛戦争では恩賞の原資なんかないのは当たり前なのであって、
鎌倉武士って強くても頭は馬鹿なんですか?
134 :
世界@名無史さん:2010/02/13(土) 15:10:51 0
モンゴル派はありもしない外国の資料を妄想するようになっちゃってますw。
かつお武士かわいいよかわいい
>博多の街が焼けたという主張の根拠はただ一つ。
おいおい、弘安の役で筥崎宮の社殿が焼けたことも知らないの?
それとも筥崎宮は焼けていないと主張したいのかな。
>>137 博多の街が焼かれたという話は文永の役でのことじゃなかったのか?
今でもミサイルとかなしで純粋な歩兵戦、白兵戦で戦わしたらやっぱ自衛隊が世界最強なのかな?
140 :
世界@名無史さん:2010/02/13(土) 21:26:28 0
今でも(笑)
最強といいながら、地続きならモンゴルにフルボッコだろ?
いいえ
>>130 そら「博多に避難した人たち」の方が間違いだ
なんでわざわざ戦場近くに行かなきゃならないんだよ
>>144 その可能性は無い。
何故なら鎌倉時代の資料に博多に被害があったと書いてあるものが皆無だから。
当時日本有数の大都市だった博多が被害を受けたのに、同時代の文献全部が
スルーするなんて有り得ない。
文永の役で上陸地点目前の博多にモンゴル軍は何の損害も与えることができなかった。
蒙古襲来絵詞に描かれてるように武士から逃げ回ってただけだったってこと。
146 :
世界@名無史さん:2010/02/14(日) 15:04:08 0
>>115 無理だろ
一人当たり5・6頭の替え馬を連れていたというのに
替え馬はユーラシア大陸で遠い遠い異国に素早く移動するための
移動手段が目的でたくさん連れて行ったわけでありわざわざ日本に必要以上の
馬を連れてくかよw
>>148 遠征先が日本だからって、馬の必要性が減じるわけじゃないじゃん
日本は結構東西に広いんだから
>>147 いや、現実にモンゴル軍は大量の騎馬部隊を文永の役に投入してるから。
これが1271年から高麗に駐屯し、元軍の中核のとなった騎馬部隊↓
高麗史27卷-世家27-元宗3-12-69-1271
「今計正軍六千人所帶馬率以一人三匹爲計則凡一萬八千匹一匹日支五升自十月至明年二月則當用上朝碩十三萬五千」
このスレ読ませてもらったがモンゴル房が論破されまくりの連戦連敗でその上国内外両側からのソース出されまくりでどうにもならない状況だなw
実際の元寇もこんな感じだったんだろうな
>>131 威嚇して、敵が戦意を消失して去る、というのも戦功。
幕府との封建関係らあった御家人はともかく、にわかに指揮権を与えられて
統制化に置いた御家人でない武士には動員するためにはその都度なにか褒章
といわないまでも手当が必要だったが、それを幕府が怠った。
動員されて困窮したのは御家人も同じだが、御家人には救済措置(徳政令)が
あり、御家人でない武士は放置された。
この結果、多数の武士が反幕府・反御家人となり混乱、倒幕令を出した朝廷に
味方し、鎌倉幕府滅亡に繋がった。
>>133 予め原資を貰っていた直参の御家人と、そうでなくて、これを機に鎌倉幕府直参の
立場を得ようとした御家人でない武士とでは、立場が違う。
御家人でない武士はタダ働きさせられたわけで、そりゃ、ムカつくよな。
153 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 11:45:06 0
結局夜郎が騒いでただけで日本が世界最強だったわけか
154 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 19:12:50 0
155 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 19:51:57 0
このスレコピペ多くね?
156 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 01:10:27 0
質問だけど文永の役は威力偵察と考えていいか!
日本本土での戦いはわずか1日、すぐに矢が尽きた
ので折角手に入れた壱岐・対馬も放棄して帰国したのは
元々威力偵察だったので鎌倉武士の予想外の善戦に驚き
撤退の決断をしたと考えていいか!
第一回目の攻撃は日本と南宋の連携を断ち切るための示威行動だったという説があるが完全な間違い。
まず、元軍が余りにもあっさりと敗退したため、文永の役は示威行動としては、まったく機能していない。
日本の貿易船は何事も無かったかのように南宋へ向っているし、鎌倉幕府はあきらかに以前より元に対して強気になっている。
「異国征伐」と称して元に攻め込む計画すら立てていたのだ。
フビライが日本征服の意図を明確にし、高麗に準備の開始を命じたのは1268年。
それから、1274年の文永の役まで、準備期間は十分過ぎるほどあったからな。
思うんだけどさ、日本の対外戦争って元寇を含めて歪められてね?
例えば、文禄・慶長の役では「李舜臣に補給路を断たれた」「慶長の役では
始めから苦戦した」とか、薩英戦争では「薩摩が近代的なイギリス軍の前に
歯が立たなかった」とか、ノモンハン事件は「ソ連の機械化軍団の前に日本軍は
歯が立たなかった」とか。
戦後間もない時代のGHQの方針とか日教組とかそういった勢力の意向だろ。
160 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 15:12:03 0
威力偵察云々言ってる電波はどこかのスレにいたな。
そんな歴史書に書いてないことを勝手に想定するのはもちろん却下。
161 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 15:47:18 0
162 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 15:55:02 0
164 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 19:37:06 0
太平洋戦争だってわざと負けたのにな
あの戦争はアメリカ相手に上手く負けておいたほうが良かったから
敗北前提で敢えて開戦し、計画通りに敗北した
それなのにアメリカに勝てなかったとか言い出す売国奴が現れる始末w
165 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 19:47:14 0
そういうのいいから
ニュー速あたりで遊んでろ
166 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 22:21:06 0
>>158 自虐史観だからな
他にも南京大虐殺、強制連行全てウソ八百
今後はもう通用しない
>>166 いや、そうとは限らない。よく考えてみろ
あの鳩山のどう考えても達成不可能なマニフェストですら信じてしまう国民性だぞ
ヤマト王朝は徹底的なエスニッククレンジングで、多様な民族が共存する
日本列島の可能性を潰し、日本を単一民族国家に作り替えてしまった。
教科書は、あたかも建国以来、日本民族がいるような虚構の歴史を
綴っているが、実は南京大虐殺の何百倍もの血がすでに流されているんだよ。
169 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 23:06:11 0
ちょっとウヨサヨはどっか行ってくれ、邪魔だ。
170 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 23:16:36 0
>>157 目的と結果は必ずしも一致しない。
元が威力偵察のつもりで派遣しても
想定外の鎌倉武士の善戦に驚いて
撤退したんじゃないのか。
大体準備期間をしっかりとったにしては兵数
が少なすぎるだろう。
また、諦めが良すぎる。
171 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 23:23:38 0
>>168 ヤマトは大和民族です建国したのも大和民族です
大和民族が日本人です
多民族国家で良い国などそもそもありません
明治維新もおこせません
民族の違う高句麗、百済、新羅の三国があったのに今じゃ朝鮮民族を
名乗っている人たちもいたっけ。
173 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 00:04:43 0
>>170 >目的と結果は必ずしも一致しない。
それは君にこそ当てはまる言葉だな。
矢が尽きて撤退したといってる以上偵察してただけなんてのは通用しない。
矢が尽きたのはもちろん、官軍が整わなかったのも予定通りなんですよきっと。
175 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 00:31:03 0
176 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 00:35:27 0
『高麗史』巻一百四 列伝十七 金方慶伝
方慶謂忽敦茶丘曰、『 兵法千里縣軍、其鋒不可當、我師雖少、已入敵境、人自爲戰、即孟明焚船淮陰背水也、請復戰』
武器にかんしては、元史に一応撤退理由として「また矢尽き」と記されてはいる。
だが、それを言うなら、1257年にタガチャルが南宋侵攻から撤退した理由について元史には、
「秋の長雨のため」と記されているし、1260年にフレグがシリアから撤退した理由については、
ルイ9世宛ての書簡で「馬匹に与える飼料と牧草が尽きたため」と記されている。
こういった言い訳は、モンゴル軍が撤退する際のお約束だから、通常なら真に受けたりはしない。
>>170 兵数がすくないといっても、当時の欧州各国と比較すればむしろ多いぐらいだし
文永の役時はまだ南宋という主敵がいる状態
まあ、片手間でも日本を倒せると思っていたんだろうがね
あと、いくら諦めが良すぎるとはいえ、わざわざ夜間に撤退する必要はあったのかと
当時の航海技術じゃわざわざ夜間移動を行うのは危険すぎると思うんだが
180 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 01:05:10 0
ルイ9世宛ての書簡は歴史書じゃないだろ。
181 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 01:35:16 0
まぁ鎌倉武士が強すぎただけ元は井の中の蛙だっただけ
元はなんでイギリスまで攻めなかったの?
183 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 02:48:14 0
フビライが死んだから
どうも
ヨーロッパ侵攻時に元とか存在しないし
随分あっさり矢が切れたのが妖しいな
>>182 あれ以上の肥大化はさすがに無理だろ
現に、肥大化するにつれて問題も多くなっているし
つうか文永の役と弘安の役での
武士の圧勝具合を比べると
圧倒的に弘安の役のほうが圧勝してる
弘安の役では元はまともに上陸すらできなかった
つまり敵と戦ってみて敵の情報を分析し有効に活用していたのは日本だった
皮肉を言わしてもらえば文永の役は「少なくとも日本にとっては有益な威力偵察wになったな」
オナニー
これだけ大規模な遠征にも関わらず、モンゴル側にほとんど何の戦果もないという単純な事実を、
意識的にせよ無意識的にせよ見落としてきた点は素直に反省して良いと思う。
だからと言って日本の武士最強みたいにマンセーするのは反動に対する反動に過ぎない。
単にこの時代の海外遠征はそれだけ難しいということ。
191 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 12:08:50 0
現に海外遠征でモンゴル帝国がこれだけ悲惨な大敗したのは日本ぐらい
武士の方が強かったのは単なる正史でしかない
192 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 12:55:48 0
数百年前の日本軍は半島奥地まで進撃して戦線を維持しているし
刀伊の入寇という例もある。
日本海を渡る困難さは、遠征失敗の理由にならない。
単にモンゴルが井の中の蛙だったというだけ。
193 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 14:59:16 0
海はいつも日本にだけやさしいんだよ
194 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 17:27:07 0
日本に統一政権がある限り、当時の船では長期的に日本の一部でも占領することはそりゃ不可能だろ。
でも偵察して帰っただけなのに、矢が尽きたとか兵が整わなかったなんて作り話をする必要はない。
軍事板と世界史板と日本史板を往復している日本最強厨うぜぇ!
八幡愚童訓のみに典拠求めている理由も日本が一番有利なようにかかれて
いるからだろ。糞が。
>>195 お前、八幡愚童訓読んだことないってのが今のレスで丸分かりだぞw
それとも理解できなかったのか
197 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 17:55:00 0
日本厨の通る所草木の生える所無し
圧倒的強さだな倭が軍は
198 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 18:01:23 0
短い皮肉レスはいいから武士最強厨をやっつけてやろうぜ!
蒙古も破った日本が最強という主張は、結局、日本はいかに戦争好きの
残虐な民族であり、南京大虐殺は真実だったという論の傍証になってしまう
矛盾がある。
200 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 18:31:18 0
ウザイ
世界最強のモンゴル軍を
撃退した九州人の強さは異常w
九州人の活躍がなかったら歴史が変わっていた
>>195 この並外れたバカさ加減といい、
>>198の誤魔化し方といい
軍板のスレで伝足利尊氏像が「矢」を背負っているとかとんでもないこと
主張してたヤツだろうね。
まだこれ系のスレをウロウロしてたんだな。
>>195 池沼乙w
八幡愚童訓には日本が一番有利どころか不利だったように書かれているのだが
知識の無さが露呈したなw
むしろこのスレの住人の知識が専門家並みなのはどう言う事かw
http://mimizun.com/log/2ch/army/anchorage.2ch.net/army/kako/1258/12583/1258338795.html 939 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 05:37:33 ID:???
尊氏の肖像画の後ろにある4本突き出た代物は弓矢だろ背負ってるじゃん
940 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 05:38:54 ID:???
そして4本つきでたものの手前で顔の後ろにのびているのはどうみても弓そのもじゃん
941 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 06:43:13 ID:???
>>940 それ刀だろ?尊氏の右手と頬の間にあるのは刀の鍔で、あなたが言っている物はその鍔から
後ろに伸びているようにしか見えない。これは馬上の尊氏が抜き身の刀を右肩に担いでいる図。
942 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 08:08:59 ID:???
>>911 >>879の画像にも描かれてたじゃん
943 :名無し三等兵:2009/12/28(月) 08:32:51 ID:???
>>940 お前のことを嘘ばかり吹く奴だと思っていたことは素直に謝ろう。
お前は本当に何もわからん大馬鹿だったんだな。あれが弓?
弓じゃないし、背負ってないし。
206 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 21:14:31 0
専門家並み(笑)
>>195のレベルがあまりに低すぎるだけで別に他のレベルが高いわけではないわなw
208 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 23:07:11 0
>>190 何で世界史板なのに「この時代の海外遠征はそれだけ難しい」とか言ってる奴がいるの?
イングランドなんて次から次へと海外遠征で征服されてるじゃん。
南北朝時代の倭寇なんて、内戦で戦うための兵糧を朝鮮への海外遠征で確保してたんだぜ。
だから今川了俊が九州探題になると倭寇を阻止するために日本軍を朝鮮に駐屯されたりしてるわけで。
元寇でモンゴル軍が惨敗したのは、単純に鎌倉武士よりも弱かったからだろ。
倭寇なんて海賊行為と帝国による海外遠征を一緒にするゆとりがいるのか。
中世イングランドは古代から断続的に他民族による干渉をうけていて最初から統治体制が脆かった。
ノルマン征服の前にあったのはデーン人の王朝だぞ。
日本の鎌倉幕府が高麗やモンゴルの外戚だったりしたわけでなし比較になるわけがない。
その鎌倉幕府だって結局はモンゴルとの戦争による疲弊が遠因で倒れたわけだし。
>>209 倭寇って結構内陸まで攻め込んで高麗正規軍に勝ったりしてるよ。
帝国による海外遠征が海賊行為以下の戦果しかないってどうよ?
それから、鎌倉幕府が倒れた遠因が、モンゴルとの戦争による疲弊ってのも怪しくないか?
倒幕の中心になった面々ってみんな元寇とはまったく無縁の連中ばかりじゃん。
211 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:27:33 0
>>173,176
お前ら威力偵察の意味を判ってねえじゃん!
『意図的に敵と交戦を行うことによって、
敵方の勢力や装備などを把握』だぞ、
日本側の善戦に想定外に苦戦して、矢が尽きた
から撤退しただけだろ。
何が「こういった言い訳は、モンゴル軍が撤退
する際のお約束」だ。
212 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:33:51 0
>>211 その情報が弘安の役でまったく生かされていないのはなぜ?
それとも生かして1ヶ月も上陸できず、志賀島に上陸したらフルボッコにされたの?
213 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:40:11 0
>>211 お前軍事版かどっかで威力偵察威力偵察言ってたやつだろ。
ここ軍事マニアのスレじゃないから巣に帰れ。
軍事マニアが威力偵察とか言わないだろ。
ちょっとでも軍事の知識があれば、持ってる海軍力全部を投入した偵察作戦なんてありえないって判るから。
215 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:53:42 0
>>214 そういうこと書くと、どこそこでのこんなでかい作戦も威力偵察と言われてるとか延々と書き続けるぞ。
とにかく威力偵察ということにしないと気がすまないんだから。
216 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:54:39 0
外人はどうしても日本民族の優秀さを認めたくない
己のアイデンティティが損なわれるからなw
217 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:57:22 0
日本万歳したいのも分かるが、モンゴルが単に平原の民だからじゃないの?
「ベトナム戦士が圧倒してた件について」のスレでも構わなかったりして。
>>217 元と戦った国の中で最後まで完全独立を維持できたのは日本だけだよ。
ベトナムはモンゴルの完全な属国だった時期もあるし、戦いの内容も国の全土を蹂躙されて
日本みたいに圧倒と言える感じじゃない。
219 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 01:16:33 0
>>213、214、215
じゃあお前らは文永の役はどんな目的で攻めてきたと考えているんだ。
実質1日で撤退した文永の役を
>>219 元が文永の役に投入した戦力を考えれば、九州征服ぐらいは最低限の目標だろうな。
221 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 01:28:50 0
海が間にあったから
それだけ
終了
222 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 01:33:45 0
>>219 初日に想定していた矢の消費量や被害の程度が限度を超えていて、かつ統制も乱れていたので占領戦を行うのは不可能と考えて撤退したんだろ。
>>222 それって普通「敗北した」って言わない?
224 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 01:38:38 O
日本最強とは言わんが、まあ今時
あれで元のが勝ってたなんて言うバカは
モンゴル帝国厨とブサヨぐらいだわな
225 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 01:54:29 0
>>223 いやモンゴルが敗北したって書いてるんだが。
>>209 >その鎌倉幕府だって結局はモンゴルとの戦争による疲弊が遠因で倒れたわけだし。
鎌倉幕府が倒れたのは恩賞を十分に与えれなかったことによる武士たちの幕府への不満が原因
幕府自体は疲弊してない。というか投入したのはたかだか4万の兵力で、元みたいに壊滅状態になったわけでもなんでもないんだぞ
227 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 08:52:42 O
恩賞への不満よりも御内人の専横が大きいだろ。
>>214 モンゴルは海からの脅威が差し当たって見当たらないよ。
もし殴ってくる国家ないし民族がいれば余裕で高麗や南宋人に
勅令だして船を作らせれば済む話。
イングランドの例
イングランドに征服者がやってくる
しかし征服しきれず、かといって排除もされずに土着する
また別の征服者がやってくる
土着した元征服者も一緒に抵抗する
別の征服者も征服しきれずに土着する
そして最後には世界中に中国の軍隊がやってきて平定され、理想の国、中華連邦が出来上がる。
326 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2010/02/19(金) 17:47:04 ID:???
国書の和訳DQN風味
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
王其圖之不宣「じゃーな!」
至元三年八月 日
まさにDQN
>>228 『中国史のなかの日本像』 王勇著
「また一方では、第二次の日本遠征(「弘安の役」)により、元は宋から接収した海軍力をほとんど失い、
その結果として海防の弛緩を招致してしまった。十四世紀の初頭から、広州・泉州・慶元(明州の改称)の
市舶司の置廃が幾度となく繰り返されたのは、沿海地域の防衛問題が深刻になりつつあった証拠である。
注意すべきは、これらの海防策は主として日本の動向に対して講じられたことである。」
文永の役、モンゴル騎馬軍団は5分の1の兵力に過ぎない武士に歯が立たず、たった1日で敗退。
弘安の役、更に江南から10万もの大軍を送り込んだが、日本軍によって皆殺し同然の扱いを受ける。
この2つの戦いが、その後の日中関係に与えた影響は大きい。
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、
「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。我が国には、水沢の地や山海の洲にも備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません」
という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国ですら完敗した日本に、自分が攻め込んでも勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。
今の日本人もこれくらいの気迫を持っていてほしいな
234 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 20:23:44 0
>>233 朱元璋って幹部を日本との共謀の罪で粛清したり、後継者に日本を用心するように忠告してなかったっけ?
236 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 20:33:58 0
>>233 http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/bin/read/history/1243160533/l50 コピペ乙
048 名無しさん (2009/11/15(日) 18:33:32 ID:HO/3naj.)
実は明の朱元璋も、日本に対して武力侵攻をちらつかせ、脅迫をしてきたことがある。
しかし、それに対する日本からの返答は、
「天下は天下の天下であって誰か一人の天下ではないのです。
我が国には、水沢の地や山海の洲にも
備えがあり、明の武力侵攻を恐れたりはしません
(来るなら来いよwwwボコボコにしてやんよwwww)」
という挑発的なものであった。
当然、朱元璋は激怒したが、あの強大なモンゴル帝国を返り討ちにするほどの日本に、
自分が攻め込んでも勝算は無いと考え、泣く泣く矛を収めるしかなかった。
明史・卷三百二十二列傳第二百十外國三
「帝得表慍甚、終鑒蒙古之轍、不加兵也。」
>>236 俺がコピペしたのはそのアップのやつよりもっと昔のやつだ
「がらんざんまえにあいおうて、いささかもってはくぎせん」だったはず。
『明史』にも記録として残っている言葉だ。 あとで本棚いじって、正確な文を書き込むから待ってくれ。
懐良親王が返書した。
「がらんざん」は確か中国にとって鬼門で、異民族が侵入してくるだったか、不吉な意味をもつ地名。
やるというなら、そこまで出かけていって一戦してやろう、という返書を日本側が送りつけた。
明国皇帝の祝賀会の貢物の中にデカイ蝋燭をリストアップ。その中に剣を隠しておいて、
献上する瞬間に剣を取り出して、皇帝を半分にする計画が露呈した直後だったから、結構ビビちゃったらしいw
その計画には日本人の僧が関わっていた。当時の僧だから、今で言えば裏組織のドンみたいな人だと思う。
遺言でも、日本には手を出すな、と言った明皇帝ですからねぇ
ソースが2chのコピペか・・・
明の日本に対する認識は強力な蛮族って感じだろうな
>>237 ソースは2chのコピペクンが何えらそうにほざいてんのw
お前原文じゃなくてコピペだと自分でいってたじゃん。
オレは別人だよ。本当に原文どおりかどうか検索してみただけ。
いやコピペの何がだめなの?
歴史上の人物の発言を見て関心したからこれだけの気迫を云々語っただけ
日本は元側の使者を再三無視して切り捨ててまでいる
攻めこまれても仕方ない気がするな。対応がヒステリックすぎる。
当時世界帝国だったモンゴルと外交的に付き合って国際感覚を養っておけば
日本も後に鎖国したりするような閉鎖的島国にならなかったかもしれない。
247 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 00:07:42 0
鎖国は日本だけだと思ってるN速の厨房にも劣る歴史スレ住人がいるのはここですか
国書で武力行使チラつかせたのに完敗した世界帝国www
天皇や将軍が使者に臣下の礼を取れとでも言うのか
250 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 00:11:13 0
たしか今度使者を送れば斬ることを通告してたとはず。
日本が属国になる意志がない以上、スパイ活動をさせないためにも斬るしかない。
>>246 モンゴルと隣接した国で外交的に平和を維持した国なんて皆無なんだが。
ヒステリックどころか、同時期に元からの使者を迎えた他の国に比べれば紳士的な対応した方。
鎌倉幕府の的確な外交のお陰で日本は救われたんだよ。
>>238 明の皇帝ワロタw
何ガクぶるになってるんだよwだったら始めから喧嘩売るなよw
>>246 日本が国書スルーした時点で
「なんだ、所詮俺らの意図を介しない蛮族か。あんな連中はほっとくか。」
って元側の方も出兵なんかせず日本をスルーすりゃ
良かったのに藪をつついて蛇どころか龍を出しちゃったw
そのくせ資源もなんもないし旨み0w
255 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 00:57:31 0
2回にわたる元寇でモンゴル軍が勝利したなんて思っている
奴は朝鮮出兵で日本軍が勝利したと考えてる奴なみに馬鹿だ。
>>253 元側の意図は最初から日本征服。
だから、国書を送った裏で日本への軍事侵攻の準備を開始してる。
「朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ。今、朕、爾の国の猶お一家のごときを視る。
爾が国、若し難あれば、朕、安んぞ敢えて救わざらんや。朕、不庭の国を征するに、
爾が国の出師し助戦すること、亦た其の分なり。爾、帰りて王に語り、戦艦一千艘、
米三、四千石を載すべきを造れ」
(高麗史・巻102・列伝15・李蔵用・1268年5月29日条)
そして日本側も国書が来た時点で、元側の日本征服の意図を完璧に理解してる。
「高麗牒状到来、蒙古高麗を打ちとり、また日本を打つの由と云々」
(外記日記・1267年11月25日条)
「蒙古人凶心を挿み、本朝を伺うべきの由、近日牒使を進むるところなり、早く用心すべし」
(追加法・1268年2月27日)
元側の意図を理解してないのは、鎌倉幕府の外交に文句言ってる現代のアホ学者だけ。
257 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 01:00:43 0
水際なんかで食い止めずに、本州深くまで焦土作戦で誘い込むのはダメ?
>>258 水際で食い止めることが可能なのに、何でわざわざ本州まで焦土にしなくちゃいけないのさ・・・
>>255 上陸すらままならない元軍と上陸直後に城を制圧する日本軍を一緒にしないでおくれよ
261 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 01:44:58 0
モンゴルが京都まで攻め込んで、皇子を人質にして、外国の援軍と戦ったうえで撤退してもモンゴルの負けだからな。
>>258 焦土作戦ってのは相手を食い止めるのが不可能(難しい)場合にとる戦法
水際で食い止めることが可能なのに焦土作戦なんつるやつはただの馬鹿だ
現に、元寇でも水際で食い止めてるだろ
>>238 それって捏造された日本による洪武帝暗殺の話じゃないの?
獄を引き起こすための自作自演だったやつ
264 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 03:44:13 0
どうみても元の大惨敗
惨め気回る敗戦
>惨め気回る(なぜか変換・・・本人はできたと思ってる)
>>254 日本の資源として以外と重要なのは火薬の材料の硫黄。
火山が集中する日本は硫黄の大産出国なのだ。
大陸でも多少は産出されるけど量的には日本からの輸入の方が圧倒的に多い。
モンゴル帝国が火薬を大量生産するためにも、南宋への硫黄の流入を阻止するためにも、
日本は絶対征服しなければならない国なのね。
海産物とか刀剣はもう少し後だっけ、
マルコポーロが黄金の国として日本の事を
聞いたぐらいは、貿易上価値があったのは確か。
欧陽修の『日本刀歌』は宋代。
19世紀の欧米列強も日本に対して黄金の国ジパングの幻想が多少なりとも
あったのだろうか?
19世紀はジャポニズムの時代だぞ
272 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 14:31:39 0
>>212 文永の役での威力偵察が失敗したからだろ。
その為、元は日本の情報がほとんど手に入らなかった
のに反して、日本は元軍の手の内を知ることが出来
それを弘安の役に反映させられたから。
>>272 そもそも文永の役を威力偵察とする根拠がないじゃん。
作戦の規模からしてあきらかな本格侵攻作戦だろ。
>>269 ソースだされてフャビョってんじゃねえよwブサヨくんww
日本の手の内云々ってのがあるがそんなもん高麗がこれでもかと言うくらい
元に明かしてるだろうよ
276 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 18:59:19 O
チョンなんてアテになりません
277 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 19:26:03 0
そもそも、高麗が日本侵攻をフビライに炊きつけたという話じゃないかな
元寇の際戦死した元軍の遺体はどうしてたの?
279 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 20:39:21 0
住民が埋葬した
高麗ってのは、生き残るために何でもしたんだよねぇ。
それを汚いと見るか、気を見るに敏と見るか、だ。
弱者が生きるためにはしかたないかもしれないが、小狡さは拭えないね。
文永の役が威力偵察でないとしたら元軍の目的ってなに?
3万くらいの兵力で1日で矢が尽きるくらいの装備で
日本が征服できると思ってたわけ?
282 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 23:00:46 0
>>281 しつこいな一日の消費量が予想をはるかに超えてたんだろう。
>>281 3万ぐらいって中世なら余裕で一国征服できる兵力だよ。
イングランドがウィリアム制服王に征服された時の兵力は1万程度だし、
日本より人口の多いピザンツ帝国だって1万5000程度の第4回十字軍に征服されてる。
この当時、3万なんて大兵力で威力偵察なんて有り得ないわけ。
あと、矢が尽きたのは装備の問題じゃない。
元軍は自分から矢を投げ捨てちゃったんだよ。
『高麗史』巻29 世家29 忠烈王2 忠烈王6年
「又た、昔、東征の時に於いて、五千三百軍の齎去せる衣甲・弓箭は、多くを棄失するあり。
僅かに収拾するを得、府庫に頓えしも支用に堪えず。」
敗走する兵が身軽になる為に武器や鎧を捨てるのって戦史ではよくあること。
そうとう焦ってたんだね高麗軍
圧倒的じゃないか我が軍は
三万て当時の動員数からすると桁外れだからな
一応、奥州征伐での鎌倉幕府の動員兵力は19〜28万、承久の乱では19万となっているな
どのみち、元が日本を侵略するのは無理だったということか
欧州の動員兵力が低かったのか、それとも日本や中国(元)の動員兵力が高すぎるのか、どっちなんだろうな?
米は単位面積当たりのカロリーが高いから養える人口も多い
289 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 06:31:21 0
日本側の記録がネトウヨ的文脈で捏造したとなぜ考えないのかな。
>>289 ほぉ〜、高麗史とかも日本側にようる捏造なのか?w
おっと、訂正
>ほぉ〜、高麗史とかも日本側にようる捏造なのか?w
↓
ほぉ〜、高麗史とかも日本側による捏造なのか?w
日本軍、高麗にまで攻め込んでたのかよ。
日本本土どころか、元の領域まで攻め込んで歴史書き換えるとか、どこまで圧倒的なんだよ、日本は
元軍が威力偵察で自主的計画的に撤退したのではなく
ひたすら鎌倉軍に圧倒されて1日で撤退したのなら日本側にその大勝利の記録が残ってなければおかしい
本当に征服が目的ならもう少し粘るだろう。
計画的な撤退なら装備捨てて、危険な夜間撤退なんてしない。
>>293 実際に文永の役は日本の勝利として記録が残ってるんだが。
「十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北」
(鎌倉年代記裏書)
「六日。飛脚到来。是去月廿日蒙古与武士合戦。賊船一艘取留之。於鹿嶋留抑之。其外皆以追返云々。」
(帝王編年記)
もう少し粘ったら元軍は全滅しちゃうから撤退しかないってのが、元軍の総司令官忽敦の判断なんだよ。
「忽敦、曰く「兵法に「小敵の堅は、大敵の檎なり」と。疲乏の兵を策して、日ごとに滋すの衆に敵するは、完計に非ざるなり。軍を回すに若かず」と。」
(高麗史)
>>293 そもそも、大規模な戦い自体がないからな
だが、威力偵察だとするなら夜間撤退というのがあまりに不自然すぎる
当時の航海技術じゃ夜間撤退は危険極まりなく
現に、史実でも撤退時に座礁が相次いでる。まあ、嵐のせいもあったんだろうがね
>>287 欧州の動員力が弱すぎるだけ。
米と小麦の差もあるが、それ以前に農業技術が著しく低下していた。
恐らくは連作障害によるものだと思われるけど、
ローマ帝国時代に比べて1/3〜1/5と小麦の収穫量が非常に低く、
かつての水準まで戻るには近世の農業改革を待たなければならなかった。
ここで威力偵察を主張してるのはwikipediaを鵜呑みしてるバカか、
元の狂信者の説を鵜呑みにしてるバカのどちらかか。
3万の大軍が小規模って解釈も、歩いて行ける陸戦と
大規模な船団が必要な渡海作戦の差が理解できない証明。
299 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 12:44:20 O
軍人、軍役合わせて四万は大軍である。
ただ日本の動員兵力がそれを圧倒的に上回っていた。
衆寡について論じ、これでは勝てないと即断できる程の差があったから逃げ帰った。
二回目は10万を超える超大軍で攻めてみた。
それでも上陸地点の確保すらできなかった。
日本の動員兵力が国の規模で世界的に非常識なレベルだったのかもしれない。
20万の軍を動員できるなら、地続きならもっとあちこちに遠征してるレベルなのかもしれない。
ただ海があったから遠征できない。遠征してないから大した軍はないだろう。普通レベルだろうと思っていたら、
あらびっくりってことかなあ。
弘安の役での14万人を送り込むことができたのは、南宋の艦隊を徴用したから
文永の役にそれだけの艦隊を保有していたとは思えないな
海は日本にだけ優しいわけじゃなかったのだと思う
302 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 13:47:43 0
>>299 無知乙。
昔は朝鮮南部に倭人が充ち満ちた状態で、新羅や百済も服属していたが、
白村江の戦いで中国様に大敗北し二度と倭人は立ち上がれてなかったのである。
ま、中国様=唐が本気だせば九州ぐらい余裕で占領してしまったしな。
あまりデカイ面しない方がいい。
303 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 14:27:02 0
>>299 動員可能兵力の大きさは元寇の結果とは直接の関係はない。
文永の役は本土の御家人が到着する前に終わったし
弘安の役でも、志賀島の戦いのように
突入経路が狭い一本道しかなく、
日本側の兵力が展開できない状況でも日本側が圧勝している。
単に日本の武士のほうが圧倒的に強かったから勝った。
動員兵力の大きさ=国力の高さは兵員の質を担保する一要素に過ぎない。
304 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:02:13 0
>>303 え?
http://plaza.rakuten.co.jp/keiko3/diary/200912280008/ 博多は、灰燼に帰した。たった一日で元軍に敗れた。火力に勝る元軍の敵ではない。レベルの違う戦
闘だ。そして、あっけない終焉となる。博多は歴史の舞台に登場したが、すぐに沈黙してしまう。
弘安の役では、壱岐を制圧して1281年6月6日志賀島に東路軍は到着した。海上での戦いは火力
で退けられた。戦闘は13日まで続く。「志賀島の戦い」という。七月になると江南軍が五島から平戸に到
着する。7月27日連合軍は鷹島に集結し日本軍との戦闘になる。そして。30日夜から所謂神風だ。
元軍は7,8万人の壊滅的な打撃を受けたと言われる。13世紀のモンゴル襲来は、如何に、外圧に
弱い国家であるかを露呈しているが、余り反省はないようである。ただ運が良かっただけだが、これを神
風にしてしまうところが日本的なのだろうか。神国主義なのだろうか。
歴史に学ばない国家は、何度も同じ轍を踏むことになるだろう。志賀島は、今も、黙して語らない。
>遠景は志賀島
>>304 一次資料どころか二次資料にもならない個人のサイトがどうした?
306 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:08:10 0
307 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:15:55 0
http://pub.ne.jp/tmomozou/?entry_id=2453863 今週読んだ本 伴野朗 元寇
この前に読んだマルコ・ポーロの本によると、彼は当時の中国(元)の皇帝・フビライに会っている。
元といえば日本の歴史に「元寇」として出てくるが、この本は元側からみた元寇の位置づけを書いたもの。
小説なので多少の脚色はあるが、元が日本(当時は鎌倉幕府)に対し再三国使を派遣し、国交(朝貢)を要請していたのを幕府側が失礼にも使者を追い返したり
切って捨てたりというところに、元寇の原因があるようだ。
つまり、元寇は日本側にも攻められる理由があったといえる。
奇跡的な台風の到来により、結果的に2度侵略は防いだが、そもそもきちんと誠実に、冷静に対応していれば、日本が大軍に攻められることもなかったかもしれない。
高麗は外交下手の上軍事力が無いから征服されて
日本に攻め込む手先となった
309 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:30:41 0
>>304 博多の街が焼けたという主張の根拠はただ一つ。
八幡愚童訓に「博多から避難した人たちが一夜明けて帰ったら家々が跡形もなくなってた」という記述があるから。
で、その他の史料との比較検証とか一切しないまま、この記述だけを根拠に博多焼失が通説になってたわけ。
本来なら、八幡愚童訓以外に裏付ける史料が一切無い時点で、記述の信憑性を問題にするべきだったのに。
実際には八幡愚童訓の記述は単なる書き間違い。
八幡愚童訓より成立時期の古い八幡ノ蒙古記だと、該当箇所の記述は「博多から避難した人たち」ではなく
「博多に避難した人たち」なんだよ。
避難民は博多で一夜を過ごしてるわけで、元軍に占領されたり、焼き払われたりしてるわけないじゃん。
これで博多焼失に関する唯一の史料も消滅。
軍事板のコピペしてんじゃねえよ
311 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:35:56 O
日本が使者を切り捨てたのは
壱岐や対馬での虐殺劇があった文永の役の後の使者。
それ以前は普通に丁重にお帰り頂いてる。
つまり、日本側からいい返事が貰えなかった時点で
「やっぱあんな辺境の蛮族はほっとこ」って
スルーすりゃ良かったのに、対馬で大虐殺なんかやらかして
藪をつついて蛇どころか虎を出しちゃった元&高麗が愚か。
312 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:36:46 O
憎悪の連鎖を絶ち切ってこそ平和があるというのに時宗は
愚かな奴だ
憎悪の連鎖も糞も元が攻めなきゃいけない理由ゼロだろ。
315 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:48:09 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87 日本侵攻の理由
文永の役の理由については南宋への牽制であり、少なくともクビライは最初から日本侵攻を望んでいたわけではないと考えられている。
また、短期間での帰還理由についても、自主的撤退とする説が出されている。
それは、
* 日本側の対応を確認するため。これは、軍事的に言えば「威力偵察」と呼ばれているものであり、ごく基本的な戦術のひとつである。
* ある程度の損害を与え、その後の交渉で日本に要求をのませるようにするため。これは、元がたびたび使っている戦法であり今回もそれに準じたものということである。
これは、当時の元が日本に使者を送った理由や情勢を考えると、至極妥当だとする考えである。
威力偵察目的であったと言う傍証として、時の元の水軍には長期戦略に対する装備の用意はなく、そのため一日で矢を撃ち尽くして去っていったという、
元側の記録が残っている。
一方で、南宋が滅んだ後の弘安の役については様々な説がある。
近年有力視されている意見としては、南宋を降した後に旧南宋軍を日本攻撃にあたらせ、消耗させるためと言うものがある。旧南宋軍は被征服者のため元への忠誠心も全く無く、さ
らに元々南宋は金で兵士を募集する募兵という形をとっており、数は多いが所詮は寄せ集めであり、士気・忠誠心も低く、戦闘能力も高くなかった。また軍を解散させると職を失った
大量の兵士達が社会不安の要因となってしまうというものだが、征服した現地兵を次の戦争に投入することはモンゴル帝国では創建初期からよく行われており、
日本との戦いのときのみことさら強調すべきこととは考えにくい、というものである。
蒙古国書・元使殺害
元が最初に送った国書であるが、これに関しては東洋史学者は概ね他の歴代中国王朝の国書と比べて驚くほど低姿勢であると見ているのに対して、
日本史学者は高圧的と見る傾向にあると言われる蒙古皇帝国書を参照のこと。ちなみに、北条時宗の反対で出される事はなかった
ものの、朝廷がクビライに出そうとした返書は「日本は天照大神以来の神国であって、外国に臣従する謂れはない」とするかなり過激な内容だったとも伝えられている。
天の慈しみを受けて最高の位についた、
大蒙古国の皇帝が、書を、
日本の国王に送る。
朕思うに、昔から小国の王は国境が接する国とは
修好につとめるものである。
ましてや、朕の
先祖は、天の命によって世界の所有者となっている。
遠方の異国でも朕の威力を畏れ徳を慕うものは数え
切れないほどである。
朕が即位したばかりのころ、高麗(朝鮮半島)の民
が戦乱に疲れていたので戦争をやめて講和し、
老人と子供を故郷に帰らせた。
高麗は感謝して朝貢に来た。
朕と高麗とは、君と臣の関係だが、喜びあうこと
は父子のような間柄である。
おまえやおまえの重臣、その家臣たちも、この事は知っているであろう。
高麗は朕の東方の属国である。
日本は高麗に接した国で、建国以来しばしば中国に
朝貢に来た。
ところが、朕の代になってからは、ただの一度も来ていない。
318 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 15:53:30 0
おそらくは、
おまえの国は世界の情勢を知らないのであろう。
したがって使いを派遣し、国書を持たせて、
朕の意思を知らせる。
いまから親交を結ぼうではないか。
聖人は世界を一家と考える。
親交を結ばないのは、一家とは言えないことである。
朕も軍事力を使いたくはない。
よく考えなさい。
それでは・・・。
至元三年八月日
極めて平和的な内容だな。
319 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 16:07:44 0
> ましてや、朕の
> 先祖は、天の命によって世界の所有者となっている。
> 遠方の異国でも朕の威力を畏れ徳を慕うものは数え
> 切れないほどである。
は低姿勢で、
>「日本は天照大神以来の神国であって、外国に臣従する謂れはない」
は過激・・・なんてダブスタwww
DQNがパシリに
「俺達゙親友゙だろ?ちょっと金゙貸しでくんない?」って言ってるアレか
断ると
「俺を怒らせたお前が悪い」
321 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 16:10:30 0
丸腰の民間人しか相手にできないカス民族厨獄人や
ウホウホいってる野蛮人のフランクごときに勝ったくらいで
調子こいてたモンゴル人が悪い。
>>315 ソースがウィキかよw
文永の役の時はまだ、南宋を下してない = 南宋の艦隊を接収していない
つまり、弘安の役ほどの兵力を送り込めたかについては大いに疑問
さらに、わざわざ夜間撤退をする必要性が威力偵察説では説明できない
323 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 16:54:46 O
というか
>>315のウィキペの記事って
もろに威力偵察厨自身が編集したんじゃねえの?
まんまあいつの主張だらけやんw
>>315 ↓で論破済み
298 :世界@名無史さん:2010/02/21(日) 12:43:20 0
ここで威力偵察を主張してるのはwikipediaを鵜呑みしてるバカか、
元の狂信者の説を鵜呑みにしてるバカのどちらかか。
3万の大軍が小規模って解釈も、歩いて行ける陸戦と
大規模な船団が必要な渡海作戦の差が理解できない証明。
300 :世界@名無史さん:2010/02/21(日) 12:55:58 0
弘安の役での14万人を送り込むことができたのは、南宋の艦隊を徴用したから
文永の役にそれだけの艦隊を保有していたとは思えないな
325 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 17:53:52 0
威力偵察したら日本側に城壁作られて
10万死亡
普通に戦場でも破れ、撤退戦でも破れ、やったのは住民の虐殺だけ
元は対日本はボコボコのスッカラカンだったな
そもそも、高麗が余計な事言わなければ良かったのにね
中国王朝だって、日本を征服しようなんて素っ頓狂な事実行しなかったのに
日本を征服するメリットが少ない上、海を挟んでいるし日本から攻めてくることもほとんどない
無駄な戦いでいらぬ犠牲をだした元軍涙目というところだな
宋代には日本が海の向こうからやって来て大量の金を
大量の銅銭と交換してった、なんて話も残ってたそうで
世界的な貿易網を構築してたモンゴル帝国としたらそんな金銀の産出国は是非抑えたいもんだろ
329 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 20:14:05 0
モンゴル、高麗、南宋の歴戦の勇士達を武士が叩きのめした戦い
331 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 23:38:27 0
sage
332 :
世界@名無史さん:2010/02/21(日) 23:49:12 0
ネトウヨはまだ現実が見えずに馬鹿なことを
ほざいているな。
文永の役が日本を占領するための戦だって?
だったらなぜフビライが日本占領のための
役所、征東行省を1280年に設置したんだ。
文永の役が失敗したからじゃね?
簡単に潰せると思ってたのが、そうじゃなかったので本腰入れたんだろう。
だけど、、本気出した弘安の役でも、水際でボコボコにされて橋頭堡すら築けず、
船の上で一月ばかりプカプカ浮かんでるうちに台風で全滅。
モンゴルよわっ。
いや、鎌倉武士が強すぎたのか。
強弱を考えるとモンゴル弱ではないけどね
上陸作戦ってのは本当に難しいから
上陸当日に釜山の城を落とし、2週間で首都ソウルを陥落させた秀吉軍最強という事で。
336 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 00:32:10 0
そもそも鎌倉武士ってモンゴル騎兵とくらべるとどこが強いの。
馬の能力は同等かもしれないけど
隙間が多いわりに重量ばかりが30〜40Kgもある大鎧
威力こそあるけご射撃速度の時間がかかる弓。
どう考えてもモンゴル騎兵より強いとは考えられない。
結局モンゴル騎兵は従卒する漢人や高麗人の歩兵に
足を引っ張られて機動力をそがれたため鎌倉武士にやら
れたんだろ。
337 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 00:48:45 O
鎌倉時代の鎧は後ろから飛んでくる味方の矢に対しても防御力があったとか。
ベトナム戦争のときアメリカ兵は後ろから味方が撃った鉄砲の弾に当たって負傷する例が多かったとか。
そんな話をどこかのブログで読んだ。真偽の程はわからない。
でも突撃かます際に味方の弓矢で死んだら、安心して突撃もできないものね。
大鎧って弓で狙われた時に全身が完全に死角になるように設計されているから、
矢に対する防御としては完璧なんだよね。
それに比べると、モンゴルとかの鎧は敵に正対する面もそうじゃない面も均等に
守るため効率が悪い。
余計な場所の防御に重量とられて、肝心な場所の防御力が低くなってしまうからな。
鎧ひとつ比較しても、モンゴル騎兵は鎌倉武士よりも劣ってるってこと。
>>336 >結局モンゴル騎兵は従卒する漢人や高麗人の歩兵に
>足を引っ張られて機動力をそがれたため鎌倉武士にやら
>れたんだろ。
それが本当だとするなら、そのような部隊編成を行った時点で戦術的に負けているわけで・・・
>>336 >威力こそあるけご射撃速度の時間がかかる弓。
有効射程で上回っていれば多少の射撃速度は関係ありません
341 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 06:50:46 O
大鎧って肩に盾が付いてるわけで、防御力は高い
上陸作戦は奇襲でなければならず、待ち構えてる所を攻めても成功はおぼつかない。
大体上陸直後に小規模部隊の斥候相手にも
"集団で整然と陣形を組んで進軍"
なんてするから海岸線からさほど進めず包囲されるわけで
しかし船に農機具まで入れて、地方を占領しそのまま定住する計画だったというのは驚きだな。
橋頭堡すら築けなかった有様で、
そんな壮大な作戦立てられる楽天さはどこからくるのかと。
そこまで甘く見られてたのかね。
つうか3−4世紀頃の倭は勢力が強く海をわたり、新羅や百済の都に倭兵がみちみちていたんだぜw
元側は
ふざけた国書を送って日本側を敵にまわした
日本を攻める決定をした、
日本より少ない兵力しか用意できない。
日本より劣る武器を使う
日本より劣る鎧を着ける
のろのろ行軍して弓矢の的になる
武士のチャージに対して備えがない
夜襲に対しても備えがない
上陸地点を確保するということすらしない。できなかった。
負けて当然ですな
礼儀を尽くした国書を送って友好を深める姿勢を見せれば、遣元使くらい送ったかもしれないのに。
親元派すら作れないのではダメダメですな。
まだ文字もないような頃の倭国が
百済を属国化させたり
大量の軍船を建造して
大陸に数万の兵を展開する能力があったというのは凄いことだよな
>>344 以前モンゴル厨が「よく話し合いをすべき」といって笑わせていたが、
NHKは大真面目にその線で大河ドラマ化したな馬鹿じゃないのか。
>>345 百済や倭に文字はあったぞ。
中国の歴史書に百済と倭は通訳無しで話が通じてる、新羅とは通じないと記されてる。
このフヨ系言語に南方や色々な言語が混ざって日本語が出来たんじゃないかと今研究されてる
>>348 現存する日本最古の書物って7世紀以降のだろ。
それ以前にも文字があったとしても極めて限定的なものだったんじゃないの。
>>346 大河ドラマのはもっと進んだ思想だったよ。
「国を開け」とかいう、
一番悪いのは侵略する側より、
国を守ろうとする側の方だとする論理は、
現代の国際法の理念にもないような時空を超えた思想。
逆に鎌倉武士がなぜそんなに強かったのかという疑問もあるな。
装備面か戦術の優越なのか。それとも武士が強かったというより単に元軍が自滅したのか。
文永の役なんて本土の兵は参加してないわけで多分に元軍の不手際っぽいけど。
352 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 11:55:04 0
朝鮮半島は文人優越 つまりシビリアン・コントロールがゆき届いていた平和を愛する民族が住んでいました。
日本列島は武人独裁政権 帝から権力を奪取し、さらに源氏からも権力を奪取した執権が専横を極めたネトウヨの国だったのです。
だから話し合いを求めに来た元軍は農耕具をもって志賀島に土着をはかりましたが、野蛮な武士たちが攻め入り、移民団を全滅させてしまったのですよ。
>>351 文永・弘安では、武士が強すぎというより元や高麗が弱すぎという印象だな
まあ、どこに基準を置くかによって変わる・・・と
354 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 13:38:49 0
文永の役が威力偵察だという確たる資料は見つかっていない以上、威力偵察だという意見は推測の域を出ない
だから、「文永の役が威力偵察でない証拠」を見つける必要などない。存在しないものを見つけることはできないからな
>>353 史上最大の世界帝国を相手にして弱すぎるとは頼もしい発言だな
元軍ったって、その中身は高麗や南宋の下民を集めた奴隷軍隊だろ。
そんな奴等、鎌倉武士の指先一つで南京大虐殺できるぜ。
あ?モンゴル帝国はいつだって多民族編成なんだぜ。
なぜか日本の蒙古びいきはモンゴルが本気出したら〜と
言いたがるがな。
>>356 モンゴル人は人口が少ないから
侵攻には常に征服地の兵を組み込んで行なわれるのが通例だった。
モンゴル帝国が併呑した国々の人間を軍に組み込んで成長したことは、小学生レベルが読む歴史漫画でも出てるのに、何でその程度のことも知らないのがここに来るんだろう
だいぶ前のスレのモンゴル厨はモンゴル単独なら強い!と笑わせていたな。
実はモンゴル騎兵だけの軍よりも、モンゴル騎兵+漢人+高麗人の混成軍の方が強い。
1287年、ナヤン・カダアンの乱が勃発。
これは、チンギス・カンの弟の一族である東方三王家の反乱で、クビライ生涯最大の危機だったんだけど、
何とこの純粋モンゴル軍である反乱軍はモンゴル人・漢人・高麗人混成の元軍に大敗。
しかも、この反乱鎮圧で元軍の中核となったのは、范文虎や洪茶丘といった元寇でお馴染の面々。
弘安の役の時、范文虎は台風の後で兵10余万を見捨てて逃亡したヘタレだし、洪茶丘だって日本軍の
突撃喰らって逃げ回ってたのに・・・
結局、鎌倉武士が強すぎただけなんだよね。
なるほどねぇ
鎌倉武士を弱いとするには、色んな壁があるんだなぁw
元軍が船団運用と上陸戦に不慣れだったのが大きな要因だろうな。
平地での決戦なら鎌倉武士もお手上げだったろう。
逆に陸にいると不利だから
毎日毎日夜になるたび船に戻ってたんだろ
その船も、鎌倉武士の夜襲に苛まれたけどね。
どっちが攻めてるんだか分からんな。
366 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 18:04:07 O
>>357 無能な奴ほど本気出したら〜と言い出します。
要はそういうこと。
そもそも元軍オンリーだったら日本に渡る事すら難しい
弘安の役でも、上陸地の志賀島に立て篭もる元軍に
鎌倉武士が西戸崎から砂州を通って襲いかかるという形で、完全に攻守逆転していた。
本気で何しに来たんだろうか、元軍は・・・。
>>363 元軍は三別抄との戦いで船団運用も上陸戦も経験済みだから不慣れだったなんて言い訳は通用しない。
福岡平野という平地での決戦でお手上げだったのは元軍の方。
>>364 船にひきこもりっぱなしで陸にあがろうとなかなかせずに決戦さけたのモンゴルの方だろw
このスレ的に神風はどういう位置づけになるの?
勝敗に決定的な役割を果たした=日本が強かったわけではなくたまたま運がよかっただけ、から
台風なんてなかった、まで色々評価があると思うけど。
「日本が強い上に運まで味方したから圧勝」が結論だろ
373 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 23:01:59 0
文永の役では全然関係ない。
あったとしても撤退してる途中だし。
弘安の役では、そりゃびびって上陸できず
海上ウロウロしてたらいつかはそうなる。季節的に。
運ではなく必定。
でも福岡は元軍に燃やされたと
八幡愚童訓って元寇の一級資料ですよ
普段引用しておいて都合の悪い部分は捏造ですか
377 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 23:39:29 0
鎌倉武士が弱いとは思わないけど元寇の勝利は元帝国側の不手際
による僥倖だよ。
大体、文永の役において、元軍が鎌倉武士を恐れて撤退したのなら
どうして二度目(弘安の役)や三度目(ナヤン・カダアンの乱により
中止)遠征を起こしたんだ。
尊大なクビライの独裁政治だからだろ
>>377 攻める攻めないの決定権が現場の兵隊に有るとか思ってるキチガイですかあ?
380 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 23:53:52 0
>>376 元寇の第一級史料に相応しいのは、
実戦参加した当人が自ら監修した蒙古襲来絵詞をおいて他にない。
高麗史や元史、八幡ノ蒙古記はそれに次ぐ。
八幡愚童訓なんて後世の妄想ラノベに価値を見出してるのは
威力偵察厨くらいのもん。
結局博多は焼けてたわけか
382 :
世界@名無史さん:2010/02/23(火) 01:16:14 0
結局民族としての血統の違いが戦に出たか
神の国には勝てなかった
>>376 八幡愚童訓ってオカルト文献だぜ。
この手の宗教資料を一級資料として扱ったりしないってのは、資料を扱う際の世界標準。
しかも、同系統の異本が数多く存在する中、成立時期が一番古いわけでもない。
まともな歴史研究において、八幡愚童訓が一級資料なんてのは有り得ないこと。
その有り得ないことを平気でやってる戦後の元寇研究は全部インチキだよ。
真実の元寇を知らしめる動画つくるか
385 :
手紙:2010/02/23(火) 03:30:29 0
>>355 何を勘違いしているのか知らんが、あくまで”文永・弘安の役に投入された元軍”の話してんだぞ
本国に強力な精鋭がいたとか、史上最大の帝国とか関係ないから
日本語ぐらいちゃんと理解しろよw
>>377 >文永の役において、元軍が鎌倉武士を恐れて撤退したのなら
誰もそんなことは言ってないと思うが・・・
>>386 関係無いわけないじゃん。
文永の役で4万、弘安の役で14万という当時の世界では桁外れの精鋭部隊を投入できたのは、
モンゴル帝国が史上最大の帝国だったからこそ。
しかも元の海軍力のほぼ総力だった
>>390 >>388も実際に投入された兵について話してんだが。
元寇には実際に4万、14万という世界では桁外れの精鋭部隊が投入されてるじゃん。
>>391 それだけ動員して全く戦果がないから弱かったと言ってるんだろ
結局何が言いたいの?
>>393 それだけ動員して全く戦果がなかったのは鎌倉武士が強かったからであって、
元寇に投入された部隊が弱かったからではない。
元寇に投入されたのはモンゴル帝国内の精鋭部隊なんだよ。
強い弱いなんてのは相対的な話だ。
世界最大の帝国の精鋭部隊でも、鎌倉武士にとっては弱すぎたって話だろ。
神国日本最高!
>>394 ならいいじゃん
ていうか、何で丸め込まれてんの?
397 :
世界@名無史さん:2010/02/23(火) 11:05:20 0
精鋭部隊(笑)
>>394 そもそも、一番最初の
>>353に
>まあ、どこに基準を置くかによって変わる・・・と
と書いてある。
結局、結論が
>>353のようになるなら何でわざわざ否定したの?
やっぱり日本語をちゃんと理解できてなかったんだなw
399 :
世界@名無史さん:2010/02/23(火) 20:36:08 0
日本最強じゃないと気持ちよくオナニーできなくなっちゃうんだから仕方ない
400 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 01:12:58 0
日本最強だと気持ちよくオナニーできなくなっちゃうんだから仕方ない
鎌倉武士はたった数万の兵力で
しかも地方領主達が集めた私兵以上の軍勢ではなかったな
でも、それが当時の世界最強だった
き
「八幡愚童訓」っていう史料を根拠にしてるんだけど、これがとんでもない
オカルト文献なんよ。
文永の役では神社から神様がでてきて蒙古軍を攻撃したら博多湾の海面が燃え上がったとか
書いてるし、弘安の役でも荒れ狂う海から龍がでてきて元艦隊を追い回したとか書いてる。
それが八幡信仰布教のため、改編を繰り返しながら全国の神社などに広まったのが「八幡愚童訓」。
「元寇に勝てたのは武士の手柄ではなく神様のお陰です」ってことを主張するために書かれた
文献だから、武士が勝った戦闘でも負けたかのように書いてるの。
戦後の歴史研究者って骨の髄まで腐ったインチキ野郎だから「八幡愚童訓」がオカルト文献である
ことを隠すために、オリジナルの存在を伏せたままわざわざ改編バージョンを持ち出してきて
「蒙古襲来絵詞」や「鎌倉年代記」や「帝王編年記」や「高麗史」みたいな通常の中世史料を
無視し、元寇では武士が蒙古軍にフルボッコにされたとか言ってるんだよ。
405 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 15:03:42 0
あっそ
406 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 15:15:49 0
>>404 とんでもない話だよな。
こんな糞文献史料につかうの止めようぜ・・・。
モンゴルは威力偵察してから本気出すの世界では常識だろ・・・・。
日本人は現実みろよ。
高麗軍の将(都督使)「金方慶」率いる高麗軍は
戦略的に意味が無い対馬・壱岐に執着し、防備の薄いこの島々を攻め
膨大な非戦闘員を殺戮した。
島々におけるこの行為は遠征目的と何の関係もなく、
それにフビライは"百姓を殺すな"と命じていた。
彼らは島民を見つけ次第、男子は斬殺し、女子は手の掌に穴を
あけて綱を通し船舷にぶらさげるなど残虐の限りをつくした。
家屋は焼き尽くされ、家畜の被害も甚大で、壱岐牛も一頭もいなくなった。」
「ムクリ・コクリ」が来る、と言うと泣く子も黙ると言われたほど、
その残虐な行為は壱岐・対馬・北九州の人達に恐怖感を植えつけています。
ムクリー蒙古―元、コクリー高麗のことです。「蒙古トハ異国ムクリノ事
也」(『沙汰未練書』)というようにムクリが通用していました。
高麗軍と闘った将士がことごとく
戦死すると、敵兵は住民を捕らえ暴虐の限りを尽くしたということです。
山に逃げ隠れ潜む住民の赤子の泣き声を聞いて、捜しまわり、
捕らえては、ことごとく殺しました。
中には、命惜しさに愛する我が子を刺し殺して、
逃げ隠れする者もあったと伝えられています。
捕らえられた妊婦は腹を裂かれ、中の赤子を掴み出されて殺されました。
意にそまぬ婦女子は手に孔をあけられ縄を通してから、
引きずり回され、後、舷外に吊るされました。
(新元史・鎮西要略・壱岐国史・元寇物語)
威力偵察どころか大々的なデモンストレーションとも言うべき威嚇攻撃とも言える。
ヨーロッパあたりではこれで戦意損失し白旗を揚げる都市もあったけどこのやり方が通用しなかった。
同胞をこんな目に合わされた武士集団は火に油云々どころじゃないレベルで
激しく怒り狂う事になり戦意損失どころか戦意高揚のきっかけになったのは皮肉なもんだ
408 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 15:53:43 0
>>404 なんだウヨ書なのか
神風強調したりウヨ書を根拠にしたりマジでウヨキモ
防衛戦が強くても自慢にならないのは、世界の常識。
フィンランドとか十分に自慢になるだろう
イギリスは兵力3万程度のスペイン無敵艦隊に勝ったことを散々自慢してるのに、
兵力14万の元艦隊に勝ったことが自慢にならないわけないじゃん。
>>408 アホか
ウヨとかサヨとか言う論争は論外だが八幡愚童訓を根拠に戦後の教科書で
「元軍にぼろ負けだったところを二度にもわたる嵐にて運よく元軍を撃退できた
事によって以来神風信仰が日本に根付き明治以降のカルト的軍国主義日本ができあがった」
と戦後の【左翼】勢力が教科書に記載してるだろいまだに。
その記載してる内容の歴史的根拠こそ八幡愚童訓と言うカルト書を根拠にしてるのが左翼。
左翼はカルト書を日本の青少年に叩き込んでるカルト集団だ。
何かの史書(元寇関連だったかな?)に、日本兵が相手の刀を持ってる手を
あっという間に切り落としたって書いてあったよね?
あまりの素早さと刀の精度に驚いたとか、何とか。
ネットか史書に見た覚えがあるんだけど、知ってる人がいたら教えて下さい。
蒙古に勝った勢いで秀吉が朝鮮出兵を行ったが、逢えなく返り討ちだったのに
強いってw
はいはい釣られてあげますよw
明側の資料にももう我が国の運命も風前の灯だったけど秀吉が死んで我が国は助かったみたいな
記載があるんですよw
明が疲弊して停戦協定結ぼうかみたいな話になった時秀吉が明の皇女を天皇家に
嫁がせろみたいな内容があったらしいね。
もし明を制圧してたら皇室も血筋が混ざって万世一系どころじゃなくなってたろうし
日本人も中国人も朝鮮人もごった煮状態でそれぞれの国も統一されて東亜帝国みたいな名前の
国になってたのかね?絶対嫌だw
417 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 23:47:29 0
文永の役が威力偵察の状況説明
@本土での決戦がわずか1日で終わったそのあきらめの良さ
(ネトウヨは鎌倉武士の強さに恐れをなして逃げ出したと主張して
いる。)
Aモンゴルの戦闘には威力偵察を用いたものが頻繁に登場する。
(
http://takedanet.com/2007/04/post_e736.html)
B@についてネトウヨが主張していることとは裏腹に元は二度目
(弘安の役)三度目(内乱で中止)を行っている。
(ネトウヨは、現場サイドで鎌倉武士の強さを理解していても
クビライが聞き入れてくれなかったと主張している。)
418 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 23:53:03 0
C弘安3年(1280)には日本征服および (占領後の) 日本経営の
ための役所を意味する征東行省(後に日本行中書省)を設置している。
文永の役から6年後のことである。
(ネトウヨは簡単に征服できないから役所をつくったと主張している。)
Dネトウヨは鎌倉武士が世界最強だと主張している。
現在ではポニーに分類される小型の和種馬で重さ
30〜40`の大鎧(あくまでも武士同士の争いに対応したに過ぎない
隙間の多い鎧)や太刀や大弓などをもった武士がモンゴル騎兵の
機動力についていけると思っている(所詮、流鏑馬や犬追物は
狩装束を着て行うスポーツに過ぎないのに)
419 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 23:56:41 0
>>415 『にももう我が国の運命も風前の灯』の明側資料プリーズ
420 :
世界@名無史さん:2010/02/24(水) 23:57:54 0
この威力偵察男もう5,6年前からずっと同じこと言い続けてるな。
どういう精神状態なんだろうか。
421 :
世界@名無史さん:2010/02/25(木) 00:09:23 0
>>419 自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。『明史・朝鮮伝』
倭による朝鮮侵略は7年にも及んだが、数十万の軍を失い、数百万の軍費が浪費され、
中国と属国には全く勝算が見えなかったが、関白の死が死にやっと終息に向かった。
なんだこれ、酷い書き様だな
アグレッサー乙
さらっと白文が読める人って格好いい。中国語を習いに行こうかな。
>>424 お前は枕草子や源氏物語を原文で読むために日本語学校に通うのか?
漢文は中国語にとっての古文だよ
字こそ同じなれど熟語とか言い回しが結構違う
さすがに明代くらいになると現代中国語に大分近付くが
>>420 君が6年間もウヨ活動しているとわかったよ。
自己紹介乙w
>>416 万世一系の意味を理解してないだろ
天皇の嫁さんが誰でも全然関係ないわけ
>>417 少し反論してみようか
@何故、文永の役で元軍はわざわざ危険な夜間撤退をしたのかが説明不足・・・というか不明。
単なる威力偵察であれば朝になってから撤退してもいいわけで
A確かに、モンゴルの戦闘には威力偵察を用いたものが頻繁に登場する。
しかし、だからといって今回も威力偵察だとは限らないわけで
それに、南宋を下してない文永の役の時点では10万以上の軍勢を送り込むだけの艦隊を保有していたかは疑問
B現場と上層部の感覚が違うのは当然。
恐れをなして逃げ出したのか、順当に敗北して撤退したのかは定かではないが、前者だけを強調しているところに左翼的思考が垣間見れる
>>417 >Aモンゴルの戦闘には威力偵察を用いたものが頻繁に登場する。
これが滅茶苦茶。
文永の役のように規模が大きく準備期間の長い威力偵察なんてモンゴルの戦闘に存在しない。
これだけ」の巨大な資源を投入した威力偵察の例があるのなら挙げてみろよ。
Dに至っては、モンゴル軍の馬も現在ではポニーに分類されるんだが・・・
世界史上で名のある騎馬部隊をランキングすれば、上位は全部ポニー騎馬部隊が独占するぞ。
ネトウヨネトウヨ連呼するやつがまともな思考回路を有しているとは考えられない
>>429 確かに、ずいぶん贅沢な偵察だよな
でもさ、根拠が素人のブログなんだから察してやれよ
432 :
世界@名無史さん:2010/02/25(木) 09:35:47 0
偵察に来て対策され10まんしぼうした減
どっちが威力偵察なんだか
高麗史にある軍議の記述。文永の役の博多の戦闘後。
わずか1日で元軍戦意喪失。
元軍司令官「蒙人は戦に慣れてるがこれ以上は何も得られない」
高麗軍将軍「我が兵少なしといえども既に敵地に入っている。船を焼き背水の陣でまた決戦したい」
元軍司令官「疲れた少ない兵では大軍の餌にしかならない。撤退するしかない」
蒙古なら天皇に変わる権威になるのに、何で北条氏は素直に冊封を受けて
天皇廃位に動かなかったんだろう。
自分が名実共に最高権力者になる最大のチャンスだったのに。もったいない。
>>435 最高権力者はモンゴルになるだろそれ
回線切って首吊って出直せば?
そりゃ高麗王と同列という汚辱に耐えられるはずもない。
狼からの冊封など犬には栄誉であっても、人が受ける物ではない。
>>435 それを実行してたら鎌倉幕府は史実よりずっと早く崩壊していたと思う
イスラムはモンゴルのおかげでアッバース朝のくびきから脱することが出来たのに。
440 :
世界@名無史さん:2010/02/25(木) 23:31:09 0
>>415 ネトウヨって息を吐くように嘘を言うよな!
『中朝與屬國迄無勝算』がどうして『我が国の
運命も風前の灯』と訳せすんだよ。
所詮、朝鮮半島での戦争についていってるんだろ。
441 :
世界@名無史さん:2010/02/25(木) 23:34:20 0
442 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:01:25 0
443 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:04:11 0
そういや、お隣の高麗じゃ建国以来の中国からの干渉を脱却できた代わりに、
内政干渉受けまくって王族・貴族はモンゴル化したよな。
降伏してからも南部の反モンゴル勢力が長く抵抗したし、そのせいで王権も
弱まったし。
高麗に対してもモンゴルは最初のうちは平和裏に付き合おうとしてたんだよね。
国内でモンゴルの使者が遭難(!)してから断交→勧告→拒絶→戦争となったんだし。
けっこう日本と似てるよな。
違うのは結末だけで。
根本的な動員力も違うがね
高麗と欧州のC級国だとどっちが弱いの?
446 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:21:48 0
>>429 Aについては、モンゴル・元ともに海外遠征(舟戦)を
殆どしてないから参考例はない。
ただ、苦手な海戦だけにいつもより多く動員したんじゃね。
Dについては、上の方でも説明しているが、馬の性能は同等でも
武具甲冑の重さ(大鎧の30kg以上に対しモンゴル鎧は10kg未満)
や一人の騎兵が複数の馬(文永の役は3頭)を乗り換える点から
も機動力に大きな差があるだろう。
いずれにせよ、日本は大和朝廷から独立する絶好のチャンスを失った訳だ。
448 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:31:31 0
>>446 三別抄との戦いで舟戦してるわな
三別抄は蜂起した時の兵船1000隻だし、それを1271年に壊滅させてるんだから苦手とは言えんだろ
449 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:35:30 0
天皇に代わる権威を外国に求めようとしたのって足利義満だけか。
しかし未遂に終わったし表向き従順な貴族連中の反感買うし息子に全部ひっくり返されるし。
経済・文化的に明からの利益は得たものの、政治的なプラス面は全く無い上に
最終的にそのうまみは大内と細川に握られるし。
独立する必要性があったのかはなはだ疑問だ。
ていうか、幕府も宮将軍を通じて正当性を確保してたから朝廷を倒すわきゃ無い罠。
(御家人は執権に奉公を尽くすわけじゃない)。
つーか、天皇の権威が当時の日本人にとって軽いもんだったら、南北朝の動乱も無かったろうに。
450 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:42:31 0
>>449 権威じゃなく足利は寺領小さいから貿易で金儲け用としただけだぞ
451 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 00:43:01 0
>文永の役は3頭
マジで?
しかし乗る馬は良いとして、残りの二頭はどうしてたんだ?
戦場にそのまま連れてったのか?だとしたら管理大変そうだな…
船に残しといたのか?だとしたら補給できなさそうだな…
考えて見れば日本vs中国って白村江など除けばほとんど日本が勝ちまくってるんだよな。
なのに東アジアでは中華秩序だの中華思想だの言って東洋のボス猿顔してるのはどゆこと?
>>453 ベトナムは唐にも元にも明にも征服されたことあるんだが
何で他国から征服されまくりの弱小国が世界の中心なのさ?
>>446 実際に鎌倉武士はモンゴル騎兵と騎馬戦して圧勝してるんだから、機動力に大きな差なんて無かったってことだろ。
>>445 何で比較が欧州のC級国なの?
高麗が契丹や女直と戦っていた時、欧州ではマジャール人やクマン人が暴れまわり、
イベリア半島はモロッコから侵攻したイスラムに占領されっぱなしだった。
当時の欧州なんて、ほとんどの国が高麗より弱いだろ。
欧州ってそんなに弱かったんだ
まとまって行動できる国が無かったからな
どう言い訳しても、暗黒時代だよ
そりゃ子供の頃から戦闘の訓練ばっかしてる鎌倉武士が
モンゴル兵ならともかく基本百姓が臨時に戦ってるだけの南宋兵や高麗兵に
地理的優位もあるんだし負けるわけないだろw
モンゴルは巨大帝国の極東征伐の一方面軍が負けただけ。
日本は根こそぎ動員してようやく防衛成功。
462 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 13:49:05 O
>>461 いつまでも妄想に浸ってないで、現実と戦おうぜ
>>461 >日本は根こそぎ動員してようやく防衛成功。
根こそぎどころか九州勢すらも総動員とはほど遠かったのだが
というか、大宰府占領どころか上陸すらまともにできてないのにようやくもクソもないだろw
幕府もその程度の動員で勝てると踏んでいたの?
それとも幕府の権威が低下していて動員できなかったの?
時代を考えろ。
早馬で九州の大名はおろか幕府や朝廷に報告に行くだけでどれだけの時間がかかると・・・
>>464 動員には通信や移動手段といった物理的な制約があるじゃん。
元軍襲来の知らせが大宰府についてから、非常招集の早馬が九州各地に走り、
それを受けた御家人たちが馬に乗って博多湾に集結するんだから。
鎌倉幕府の動員体制は、元軍の奇襲に対してほぼ完璧に機能したと思うぞ。
被っちゃった。。。
総動員する前に元が敗退してたわけだしな
そもそも、対外戦争で鎌倉幕府に指揮権あるのか?
>>469 対外戦争で鎌倉幕府以外のどこに指揮権があると思ってるのさ?
この時代、有事の指揮命令系統は鎌倉幕府を頂点に、全国の守護、その下に御家人という風に
厳密に整備されてた。
471 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 18:52:11 0
>>1 >当時の文献には、ちゃんと「蒙古軍が合戦で武士に負けた」と書いてある。
それってどこまで信用できるのだろう。
太平洋戦争だって日本の大本営発表では嘘まみれだったし。
>>471 そんな事言い出したら、歴史なんて考えられないよ
幕府の権威が地に落ち、国内が擾乱したのも
この戦いのせいだよな。
うまみのない、不毛な勝利だよ。
>>471 現実に蒙古は寸土も獲得できないまま撤退してるのに疑う理由がないじゃん。
>>473 この戦いのお陰で日本は異民族の支配を免れたのに「不毛な勝利」なわけないだろ。
元寇の圧勝が抑止力として働いたから、国内が擾乱しても中国は日本に手出しできなかったんだし。
476 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 19:14:57 0
モンゴルを擁護したいやつら、頼むからちょっと考えてからレスしてもらえんかな。
>>473 恩賞はちゃんと出てるが何が原因で権威が地に落ちるんだ?
>>471 作戦目標達成できてない点で元軍の敗北は誰の目にも明らかだろ
>>471 文永の役では大宰府にたどり着くことすらできず、弘安の役では上陸すらまともにできなかった
これは日本、中国、朝鮮の3国の資料からも一致している
これが信用できないなら一体何を信用すればいいんだ?
あとな、大本営発表はな、現場からの報告をそのまま発表したものも多かったんだぞ
現場からの報告そのものが間違ってんのに、それが大本営の嘘とかw
まあ、嘘も当然あっただろうがね
>>479 戦時中はどこも現場からの報告を発表するしかないわな
実際の損害は戦後両軍の資料つき合せてやらないとわからないし。
米軍も開戦早々、台湾でB-17が日本軍の戦艦に特攻なんて発表してるし
昭和19年のラバウルじゃ1機の日本機も撃墜出来てないのに、50機以上撃墜という現場の報告そのまま発表もしてるし
481 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 23:24:29 0
つーか、先進的な元軍優勢だったけど神風のおかげで偶々勝てたって日本でしか通じないよな?
大陸の人の論文とか本とかだとこのスレと同じようなこと書いてあるし
我が国の歴史教育の病根の深さには頭を抱えるしかないな。
482 :
世界@名無史さん:2010/02/26(金) 23:45:39 0
日本が強くあってはならない、正しくあってはならないのが戦後教育の歴史
ヤフー知恵袋を一通り見たが質問者も回答者もほとんどが元軍優勢日本軍劣勢の
神風吹いて云々と言う回答で溢れかえってた。
天皇が三跪九叩頭の礼で元使を迎えていれば戦争は避けられた可能性が高い。
>>484 その場合、他の属国化した国と同様に元の侵略戦争への加担を要求され、
結局日本人が戦地に送られることになるんだが
486 :
世界@名無史さん:2010/02/27(土) 07:33:43 0
なんか釣りくさいのが多くなってきたな。
487 :
世界@名無史さん:2010/02/27(土) 07:58:52 0
日本が強かったのがよほど気に入らないらしい
どうせ在日だろw
ユーラシア大陸の王になるよりも日本征服の方が難しかった件
>>484 避けてどうすんの?
対馬と壱岐以外でとくに被害とかあったか?
歴史好きとしては元があっさり負けたのが残念。
京都での市街戦や鎌倉防衛戦が見たかった。
歴史好きとしては元があっさり負けたのが残念。
京都での市街戦や鎌倉防衛戦が見たかった。
鎌倉まで攻められたらもう詰ん出るだろw
494 :
世界@名無史さん:2010/02/27(土) 22:50:58 0
>>483 ていうか世界史板の他のスレでもよくみるんだけど
ahoo!知恵遅れ袋ことyahoo!知恵袋に書いてあることあてにする奴なんていんのか?w
495 :
世界@名無史さん:2010/02/27(土) 22:53:37 0
そりゃいるだろ
>>494 あのどう見ても失敗確定のマニフェストを信用する国民だぞ
497 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 02:14:35 0
俺はこのスレを信用しているよ
お前も頑張れよb
ネット右翼の願望スレ痛々しいな。
世界では元軍有利、武士は神風で助かったとの見解が常識なんだよ。
>>499 一回目は博多辺りまで侵攻した(けどそこで押し返されて一時撤退、ここから)後に神風
二回目は(海岸線すら突破できず)神風
でこの戦前戦後もあわせて括弧部分が抜け落ちてるのが日本の教科書
ちなみに
(対馬・壱岐の住民の殆どを虐殺・奴婢(人肉として)・強姦した報復として)
戦後、南人を除く色目人、モンゴル人、高麗人の捕虜をすべて処刑し南人も奴婢にされた
(またこの報復として壱岐対馬の住人が高麗周辺を略奪、これに高麗の奴婢階級が呼応して前期倭寇が起こる)
この括弧部分が抜け落ちてるのが日本と韓国の教科書
鷹島では島民2人以外は皆殺しにされたそうだな。それも1人はばーさん。
502 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 18:36:15 0
http://yasai.2ch.net/army/kako/994/994863568.html もし、元寇で神風が吹かなかったなら。
1 名前: 名無し8等兵 投稿日: 2001/07/11(水) 23:59
弘安の役で、モンゴル軍14万に神風が吹かなかったなら、日本はどうなっていたでしょうか
7 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/07/12(木) 00:15
>>5 糧秣の調達に難渋し、鎌倉武士(だけじゃなくて農村の武装農民もだろうけど)
のゲリラ戦に疲れ九州の確保も覚束ないでしょう。
ほとんど皆殺しで一部生き残りが九州のどっかに生き残って集落を作り今まで
続いていたかもね。
運が良ければ馬の名産地になれたかも知れない かな?
これが現実。
>>499 例えば、学校の教科書に出てくる絵(資料の)は蒙古襲来絵詞の中の丁度日本側がやられているところ"だけ"を表記している
それも、戦闘集団としてまとまった日本軍ではなく、単に先走った個々の集団
それを基にした常識とかwww 嘘だと思うなら蒙古襲来絵詞を実際に見てみればいい
それに弘安の役において、江南軍はともかく、東路軍は神風であぼ〜んするまで何カ月も防塁を突破できず海上でホルホル
無知なくせに常識とか言い出すやつって哀れだよなw
あんなの単なる絵だろw写真でもないのに証拠とかなにそれw
>>504 厨房は受験勉強でも必死にしてろw
ここはお前が来るにはまだ早すぎる
>>502 それにしても、そのリンク先の議論レベル低くね? まだ最初らへんしか見てないが
まあ、7はまだまともな方だな
他の奴が”その時歴史は動いた”をソースにしてるとこ笑えるんだけど
23 :名前書いたら負けかなと思っている。:2010/02 /26(日) 09:22:47 ID:+SM3wbbr0
「てつはう」は重さが4キロ以上もあって、どう頑張っても30メートル程度しか投げられない。
そんなの武器に弓持った武士と戦ったら確実に殺されるよ。
>>507 投石機とかはもってくる暇はなかったかな。
投石機にのせて敵の方にぶんなげてたらそれなりに
脅威だと思うんだけど。
>>508 それは一応攻城用。攻城戦じたい行われてないのであまり意味はない
日本の城砦を壊すのに投石器なんていらんだろ。
>>506 なんか弘安の役を元が来た途端に台風が来たと思ってるみたいな書き込みもあるな
NHKの馬鹿番組がそうだったのか知らんが
それと今更ながらwikipedia見てみたが、
弘安の役の元の来襲の日付が書いてないな
しかも鷹島旧暦7月7日(ユリウス暦7月23日)とか書いてるし
閏7月だろう、1ヶ月ずれてる
ユリウス暦なら8月29日だな
閏月も知らないようなのがwikipedia書いてるのか
Wikiも相当適当だからな
アレに限らず
>>500 >一回目は博多辺りまで侵攻した(けどそこで押し返されて一時撤退、ここから)後に神風
>二回目は(海岸線すら突破できず)神風
>でこの戦前戦後もあわせて括弧部分が抜け落ちてるのが日本の教科書
戦前戦中の教科書にはちゃんと武士の奮戦も明記されていた。
括弧部分は終戦時に墨で塗りつぶされて教科書から消えたんだよ。
それから、一回目で元軍は日本から完全撤退した後に風雨に遭遇したのであって、
「一時撤退」なんかじゃないぞ。
516 :
世界@名無史さん:2010/03/01(月) 03:39:37 0
てか陸上戦で二度もモンゴル軍撃破したブルガリアの農民軍のほうが凄い
>>511 あれ、前見たときは書かれていたと思うのだが
都合が悪くなるどっかの馬鹿が消したのかな?
>>508 鷹島沖の海底遺跡から投石機用の石弾が見つかってるから、元軍が投石機を持ってたことは確実。
でも、中国の投石機って41人がかりで1.2キロの弾を80メートル飛ばすのが精一杯という代物で、
重さ4キロ以上の「てつはう」には使えない。
重り式の回回砲ならもっと重い弾を遠くまで飛ばすことが可能だけど、装置の総重量が数トンだし。
どっちにしても、投石機なんてそもそも野戦で使うものじゃないから。
>でも、中国の投石機って41人がかりで1.2キロの弾を80メートル飛ばすのが精一杯という代物で、
…それ、絶対に単位換算間違えてるだろ常考
>重さ4キロ以上の「てつはう」には使えない。
上の数字を信じたとしても、十分許容範囲だと思うが。
少なくとも、300ポンド(136kg)とかそういう重さの弾を飛ばす回々砲よりかはずっと適正
NHK恥
恥というか実際深刻な問題だよな。
こんな連中に視聴者は受信料貢いでるんだぜ。
>>520 弾の重さは2斤(1.2キロ)、射程は50歩(80メートル)で、単位換算間違ってないよ。
「てつはう」は重さ6.5斤なわけで、全然許容範囲じゃない。
無理して投石機で飛ばそうとしても、絶対に敵よりも味方の近くに落ちるだろ。
>弾の重さは2斤(1.2キロ)、射程は50歩(80メートル)で、単位換算間違ってないよ。
ほうほう、つまり大陸では「41人がかりで1.2キロの弾を80メートル飛ばすのが精一杯」だと。
……正気?
>>524 じゃあ、中国の投石機がどういう仕組みで、どの程度の性能か具体的に書いてみてよ。
>>524 批判するのなら、何らかのソースを提示しろ
お前の脳内での想像など誰も求めていはいない
>>524 攻城兵器は、運搬する必要があるから41人も必要になるんじゃないの?
回回砲ではない中国本来の投石機って「いっせーの」でジャンプして
綱を引っ張ってその力で弾を飛ばすやつだろ。
あ、↑の?は手偏に曳。拽、専用ブラウザだとユニコードは読めても書き込めないのかな?
ついでに、射程も”精一杯”ではなく”最低射程”、つまりこれより近いと目標の頭上跳び越しちゃいますよの数字なようだ。
80mじゃあ南京とか規模の大きい城だと壁にも届かんわ
>>527 つーわけで、つまりこの例だと、曳索數つまり引っ張る綱と曳手の数が一致してるんでそれはない
下の旋風砲なんかだと、左右角度を固定する人員が10人いると考えてもよさそうだが
532 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 09:57:29 0
さいきょーさいきょー
533 :
世界@名無史さん:2010/03/04(木) 11:35:31 O
投石機の射程がどれほどあっても、まず設置できる地点確保出来なきゃ意味なくね?
まぁ、そういうことだな。
船から出して悠長に組み立ててたら、武士が矢の雨を見舞ってたろうな。
投石機は攻城戦に使うから意味があるんだと何度言えば
野戦で投石機なんて単なる邪魔物でしかない
水際で運良く食い止められたから良かったが、上陸されたら終わってただろ。
城壁もないのにどうやって京都を防衛するんだよ。
>上陸されたら終わってただろ。
上陸して撤退したけどw
>535
2回とも上陸はしてるだろ
フルボッコにされて海に放り込まれただけで
>>536 なんでいきなり京都まで飛ぶんだよw
水城とか知らんのか?
文永の役では上陸はしたけど水城にすらたどり着けなかった
弘安の役では上陸したそばから海へ追い落とされた
終わってたのはどう考えても元軍のほうだろw
投石機を搭載した軍鑑はギリシャローマ時代からあったしな。実用性はともかく。
>>542 で、何で元軍は.使わなかったんだ?
少なくとも弘安の役では1月以上対峙してるんだから、海上で使えるならさっさと使って上陸するはずだけど?
ついでに戦局ひっくり返せるほどあったのか?
ティーガーがいくら強いからって1台じゃ多数で押し寄せたT34にあっさり駆逐されたように、少数じゃむしろ防衛の為に上陸軍の足引っ張る事にもなるんだけど
>>544 >で、何で元軍は.使わなかったんだ?
使ったかどうかって話だったと思ったんだが…なんでいきなり結論出してんの?
>ついでに戦局ひっくり返せるほどあったのか?
なんでそんな話に飛躍すんの?
>>542 それ全部実用性に難ありじゃねえかw
そんなソース出したところで何か変わるのか?
>>542 だからな、投石機そのものが通常戦闘に向かんわけだよ
そんなもの持ち出すなら弓使う方がよほど効率がいい
>>547 1、てつはう(震天雷)を投石機で投げたかって話だったと思ったんだけど…
2、もしかして、投石機が野戦で使われていたという事自体まで否定するの?
>>548 >もしかして、投石機が野戦で使われていたという事自体まで否定するの?
それについては否定も肯定もしとらんよ
ただ、野戦でわざわざ使うメリットがないと言ってるだけ
元軍の目の前には水城とか博多の町とかなかったっけ
>>548 投石機は攻城戦で使うから意味があるって話にお前が誤爆しただけのことだろ
単梢砲と回回砲の知名度がどうして他の投石機よりも高いのかを理解せずに
>>542のようなことを書かれてもな
>>550 あったよ。まあ、元軍は水城にすらたどり着けなかったが
>>536はただの教科書厨だからほっとけ
>>551 >投石機は攻城戦で使うから意味があるって話
嘘つかないように
>でも、中国の投石機って41人がかりで1.2キロの弾を80メートル飛ばすのが精一杯という代物で、
>重さ4キロ以上の「てつはう」には使えない。
>どっちにしても、投石機なんてそもそも野戦で使うものじゃないから。
>野戦で投石機なんて単なる邪魔物でしかない
上と別人なら、話の筋を勘違いして割り込んできたのはアンタの方だ
>>552 いや、「(投石機を)野戦でわざわざ使うメリット」なんて聞かれたからの返しですよ
元寇で博多の町には何の被害もなかったよ
>>548 とりあえずてつはうが投石器で使用された記録はあるか?
「使用できそう」と「使用できた」の間には天と地ほどの差がある
>>553 そこまで言うなら野戦において投石機が活躍した記録を出してくれ
そもそも、野戦で投石機が活躍したのならもっと普及していてもいいはず
構造の単純な単梢砲と攻城用の回回砲が投石機の中で最も普及していたことが投石機の有りようを物語っている
>>553 >嘘つかないように
嘘はついてねぇよ。攻城戦以外に投入されたというのと、活躍したかどうかは別の話だ
>>555 いや、知らないし探しても多分無いと思う。
なぜなら、砲で震天雷を投げるなんて当たり前の用法だから元側はいちいち記録しないだろうし
日本側は投石機という兵器を持たない(あるいはあっても極めてマイナー)から、見てたとしても
よほどよく観察しない限り、旗指物や船の索具などと思ってスルーしただろうから。
だから、あったか否かという問いは、初めから水掛け論にしかならないと分かっている。
しかし、
>>519が「可能性はゼロ」と断定をしちゃって、そしてついでに変なことも追記して
いるからツッコミ入れただけなんだよ。
>>559 いや普通に残るんだけど
元に攻められた国は普通に記録に残すぞ?
元以外も投石器でてつはう使ってたなら、その記録も出してくれ
ついでに言うとな、元の使者として日本に来たの趙良弼は、元軍の朝鮮での配備状況を日本側が知っていると報告してる。
そんな中で兵器の情報を日本側が知らないと思うか?
とりあえず北九州が占領されて、中国地方に元軍が侵攻してきたと仮定して
どうやって反撃するかを考えましょう。
>>559 一行目で
>知らないし探しても多分無いと思う
と書きながら二行目で
>砲で震天雷を投げるなんて当たり前の用法だから
と思いっきり矛盾してるぞ
>>562 北九州を占領すること自体が無理だろうからその仮定は成り立たないが
もし、仮にそうなったとしても、九州武士が南九州で集結するだろうし本土からの援軍も到着する
そうなると元軍は数で下回るばかりか、下手をすれば挟撃状態になってあぼ〜ん
>>530 それ、下の方が書き間違いでしょ。
投石機の性能は明代の記録でも41人で2斤の石弾の射程が50歩だよ。
ソースは山形欣哉『歴史の海を走る』。
上陸当日に釜山の城を落とし、2週間で首都ソウルを陥落させ、2ヶ月で第二の都平壌も掌中に収め、
鴨緑江まで進撃して半島全土を蹂躙した秀吉軍。
上陸したものの水際でボコられ橋頭堡すら築けず、夜は海上の船に逃げ込み、そこすら鎌倉武士に襲撃を受け、
1ヶ月以上も志賀島に押し込められて攻めあぐねてる内に台風で壊滅した、元・高麗連合軍。
同じ渡海侵攻でも天地の差。
そんなに日本は強いのに、何で太平洋戦争では本土決戦で最後まで
戦い抜かなかったの?
569 :
世界@名無史さん:2010/03/05(金) 00:03:59 0
>>567 竹槍ではB29を落とせないことに土壇場で気づいたから。
>>560 ・元が投石機を使ってきたこと
・元が震天雷を使ってきたこと
・元が震天雷を投石機で投げてきたこと
どれが残ってるの?
>>561 だから前線に出てた物見や武士たちが、その見たことも無い兵器について詳しく知ってなきゃ
伝えられないだろう、と。それとも季長他も、てつはうの存在とかもあらかじめ熟知していたの?
それにてつはうは見ればそれが何なのかすぐ体感できるが、砲はそうじゃないだろう。
遠目に見れば人が群がって棒をブンブン動かしてるだけだし、近くに飛んで来もしない。
>>563 もう何をどう受け取ってんのか分かんねぇよ
>>565 もう一つの(同じ種類の)砲は、100人引きで25斤とあるんだけど…
人数を2.5倍に増やしてアームを少し伸ばしたら、何と12倍以上の重さの弾を飛ばせるようになりました!
ありえないから! …まぁもしかしたら、長篠の鉄砲三千丁みたいに一次・二次資料にまで遡れる誤記なのかもね
>>570 お前
>>559で知らないし探してもないと言いながら
>・元が震天雷を投石機で投げてきたこと
何で投石器で投げてきたと断言できる?
もういいよ投石機の話は。
興味ねえ。
>>573 モヒの戦いでの投石機の使用はハンガリー軍の拠点(橋頭保)に対して行われてるわけで、
野戦で活躍したとはいえないと思うが・・・
ぶっちゃけ、投石機使うぐらいなら弓使った方が効果が高いわけよ
攻城戦や拠点攻撃は別として
ぶっちゃけ、投石機使うぐらいなら弓使った方が効果が高いわけよ
攻城戦や拠点攻撃は別として
あれ?何故か2回カキコなってる????
ぶっちゃけ、投石機使うぐらいなら弓使った方が効果が高いわけよ
攻城戦や拠点攻撃は別として
>>575 だから武士団の背後には水城や博多そして大宰府があって、それを元側も承知だったじゃないか。
文永の役で元側は電撃作戦を考えていたというなら、一気に後背地を攻め取る準備を初日から
しててもおかしくないだろう? その「用意」が上陸時に多少でも役立つならなおのことだ。
>>570 >だから前線に出てた物見や武士たちが、その見たことも無い兵器について詳しく知ってなきゃ
見た事もない兵器から投擲されたなら日本の記録で残ってるんじゃね?
>>570 >>530の下のサイトで
>旋風砲「凡一砲五十人拽,一人定放」,可射五十步以上距離,射石重三斤。
人数を10人増やすと飛ばせる弾の重さが減っちゃうの?
>>580 電撃戦だと投石器みたいに運用に手間のかかる兵器は置いてかれるぞ?
モヒの戦いもハンガリー軍を動けなくして、そこを投石器で攻撃したというだけだし、別働隊であるスブタイ軍は投石器運用はしてない
>>581 それが「投擲するためのもの」と分かっているか、投擲された瞬間を見逃さなければね。
ただの旗指物の類と思っていればいちいちじっと注目しないだろう。
ついでにてつはうのおかげで大分視界は悪かったはず
>>582 曳索の数と人数が合わない、増えた十人は角度調整役じゃないだろうか。そして
・構造が複雑(左右角を自在に変えられる)
・杆長(アーム)が短い
むしろこれで2斤→3斤へとパワーが上がると考えるほうが不自然
>>583 >電撃戦だと投石器みたいに運用に手間のかかる兵器は置いてかれるぞ?
そういう問題もあるから、車輪付とか変な兵器が開発されたんだろ。(野戦でも使いたかった、とかもあるだろうが)
それに文永の役で撃退された元軍はスブタイ隊とは違って明らかに正面突破を狙ってただろう。
>>584 視界覆うほどてつはうが使われてるのに射出場所探さないほうがおかしいな
距離も野砲みたいに数キロ離れてると言うわけでもないし
>>584 だから野戦で使うんなら弓のほうがよほど効果的なんだって
>>585 蒙古襲来絵詞でのてつはうのシーンは、明らかに手投げだろうと判断できる。
(あれが投石機で投げられたとしたら味方も巻き込みかねない、ひどい誤爆だ)
(てつはうが)何か異様な飛び方しているな、と思っても目の前にそれを手投げしてくる奴がいれば、
不審だがそうかもしれない、と一度は自分を納得させておいて、視界が戻ってから(やたらと飛ぶのが
混じってる原因はさっぱり想像つかないが)改めて調べてみよう、と考えてしまうんじゃないだろうか?
そして、日が昇ったらなんかもう逃げ帰ってたわけで…
>>586 弓で震天雷投げられんの?
「てつほう」って退却する時の煙幕で攻撃用の武器じゃないよ
>>572 言っとくけど俺をあまりナメないほうがいいよ
vipでコテハンやってるしこのスレ潰すくらいの影響力は持ってるから
くだらないことで刺激して後悔しないようにね
590 :
世界@名無史さん:2010/03/05(金) 07:08:25 O
バカがいるぞww
それもかなり本格的なバカがwww
>>589のバカはこいつでしょ。無知だし文体も一緒。
http://mimizun.com/log/2ch/army/anchorage.2ch.net/army/kako/1258/12583/1258338795.html 957 :名無し三等兵:2009/12/29(火) 23:54:02 ID:???
刀の後ろにある5つの突起は弓だろ俺には由美にみえるぜ。
958 :名無し三等兵:2009/12/29(火) 23:54:59 ID:???
こいつ日本語理解してないのか?弓という言葉を辞書で調べてごらん。
959 :名無し三等兵:2009/12/30(水) 02:59:25 ID:???
>>939>>957 なぜお前は「箙におさめられた矢」を弓だ弓だと連呼してるの?
ちなみに箙は「背中に背負うもの」ではないよ
正しくはどこにつけるものかは調べて御覧
960 :名無し三等兵:2009/12/30(水) 03:32:18 ID:???
もったいぶらずにおしえればいいじゃん小出しにしてうぜえよ
961 :名無し三等兵:2009/12/30(水) 04:57:27 ID:???
無知なおまえがウザがられているわけだが
962 :名無し三等兵:2009/12/30(水) 07:44:25 ID:???
>>960 自分で調べることもできないのか。
心底呆れるよ。
義務教育終えてない奴に学問版は無理だろうjk
"vipでコテハンやってるしこのスレ潰すくらいの影響力は持ってるから" の検索結果 約 15,400 件中 1 - 10 件目 (0.26 秒)
594 :
世界@名無史さん:2010/03/05(金) 09:58:49 O
vipのコテって住民からバカにされてる奴が殆どなんだが
595 :
世界@名無史さん:2010/03/05(金) 10:26:55 O
vipより鮮人臭いけどな
資料も無いのに、自分が思うことが事実に違いないと考えて論理展開する辺り
まあファンタジーと歴史の違いが解らんのだろ
戦記物とか書いたら上手いかもよwww
いや、現に書き込みが詰まらないんだからそれはない
確かにwww
>>587 >弓で震天雷投げられんの?
バカがいるぞww
それもかなり本格的なバカがwww
どちらが効果的かって話をしてるのに、内容をまったく理解できてない件
こいつ朝鮮人じゃねと疑ってしまうw
馬鹿は放っておけ
それはそうと鎌倉武士の戦闘思想を知りたいのだが
武士道だけでそこまで最強になれんと思うし
軍制とか軍規の資料があればご教授願いたい
>>600 一、役所に寄せ自由の合戦を致すの事
縦い抜群の忠と雖も、其の賞を行わるべからず、所詮大将の命に随い進退せしむべきの由、
厳密に九州の守護並びに御家人以下の輩に相触れらるべき也
元軍相手は鎌倉の軍規守らなかったんじゃないか?
夜襲とか鎌倉幕府は禁止してたけど、弘安の役では日本から夜襲仕掛けてるし。
604 :
世界@名無史さん:2010/03/05(金) 15:09:36 O
モンゴル厨というよりただの反日でしょw
投石機最強厨は逃げ出したかw
607 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 00:02:19 O
ドイツのオッサンが形だけ真似て作った日本刀モドキで実験wwww
そりゃ単に形だけ真似て作っただけなら、厚のあるブロードソードが勝って当然だろ
日本刀のことをもっと勉強してからやれと言いたい
日本刀の特徴
峯は、折れにくくする為に鉄、刃は鋭さを追求し鋼。
鋼の刃は、横からの一点の力に脆く、刃を垂直に振り切る方向には強く、実戦では、数多く敵を仕留める突きが優れ、牙突つが産まれた。
刀は、鍔迫り合いには不向き、達人、プロ使用の太刀である。
耐久性よりも、機能性を極めた代物。
素人には、もったいない。
だから、古来より刀は、子供には容易く与えず、竹刀で剣道を学ばせ、間合いと技を磨かせ、剣を持つ者の心得、刀は分身、魂とし、訓練させ、ある程度の段持ちに育ってから与える。
それだけ、脆く鋭いつわものの一振りと心得て初めて扱う代物だと言う事。
例えるなら・・F1マシーンだよっ!
小鉄くらい買って、師範代クラスに頼まないと信憑性に欠く。
現代の名刀で定評がある小鉄くらい知れっ!
外人っ!
613 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 02:37:43 O
また無知なバカがきたな。
なにが牙突だよw
藤岡弘にリアル斬鉄剣をもたせて
ドイツの刀剣を片っ端から斬らせれば素晴らしい動画が撮れる
ドイツ人がテキトーに鼻糞ほじりながら作った日本刀もどきが、正真正銘の「日本刀」と宣伝され、
あまつさえロングソードに及ばぬナマクラという結果を与えられて世界に広められるのは、
日本人として不愉快だな。
鈴木眞哉のトンデモ論が大手を振ってまかり通ってるくらい腹立たしい。
616 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 03:33:23 O
>>613 シークレットソード2!売れんかいな!?
世界に名だたる日本刀が今更あの程度の三流動画で貶められようビクともしないわw
本当にオッサンが作っててワロタ
日本刀つくりたいなら、まず玉鋼を調達しなきゃなあ。
日本刀剣保存協会に土下座して金積めば、ドイツ人にも売ってもらえるかも?w
ぶっちゃけ何語なのかもわからんので当然細かい内容がわからんけど、
ひょっとしてこのオッサンが同じ予算で剣と刀を作って、それを対決させてみようとかいう趣旨なんじゃ?
んで剣のほうが同じコストでは丈夫に作れたよ、と。
大真面目にやってるんだったらどうしよう。
つーか、普通日本から買うよね
>>620 当たり前だ
日本刀ってただ鍛造してるだけじゃなくて何層も違う鉄を重ねて作るもんだし
「予算」って面で見たら鋳型で原型作って後磨けば形になるような武器にくらべるとはるかにかかって当然
>>621 そんな予算無かったんだろ。
現代刀でも目玉飛び出るくらい高いし。
まあなんにしてもあのブロードソードだとピストルの弾は切れないこっちゃ
あの日本刀がオッサン作なのはわかったけど一方のロングソードは
伝統的な作法で作ってあるのかな?
626 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 09:04:20 0
どうでもいいが、時代劇で弓や鉄砲うつときの「ハナテ!」って号令が鼻につく。
普通に「うてえ」でいいじゃないか。
627 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 10:00:16 O
かっとばせえ!のほうがいいと思う
放ては狙わないで集団が集団に対する場合
撃ては狙って当てる場合
629 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 11:12:27 0
自作の日本刀は大事に磨いてるが、実験用は樋、はばき、鍔、刃紋から違うようにみえるな、まさか通販中国製とかな。
630 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 11:19:56 0
>>620 だったらそれは日本刀VSロングソードなんかではなく
「細い鉄クズと太い鉄クズどっちが強い」という
小学生でも結果が分かるようなアホな実験だ。
631 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 12:00:54 O
実際アホな実験そのものなんだから困るわww
632 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 12:06:41 0
蒙古軍ではなく中国軍・韓国朝鮮軍の連合軍による日本侵略だろ。
>>632 中国軍?韓国軍?いつの時代のこと言ってんだコイツ?
634 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 14:07:42 O
鉄屑の強度較べるだけなら、変に細長く加工するより塊のままの方が強いよな。
635 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 14:57:47 O
なんかネトウヨがあれこれ言い訳してるけど
ロングソードのが実戦で役に立つものだったのは明らかだろ。
工芸品じゃ戦は出来ません
>>635 そりゃ、ロングソードも武器なんだから実戦でも普通に役立つけど、日本刀と比較すれば劣るだろ
中国刀では日本刀に対抗できなかったため
明将が必死に日本刀をコピーしようとしてできたのが苗刀
638 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 15:07:28 O
>>636 何を根拠にそんなこと言えるのwww
現実はアニメとは違うんだよ僕ぅ?
639 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 15:20:30 0
おまえの考えの根拠はどこにあるんだよ
もう馬鹿しかいなくなったな
641 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 15:40:07 O
ドイツのオッサンが形だけ真似た模造品が根拠です
642 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 15:43:27 0
>>624 ブロードソードでもあの弾は切れる。
基本的にピストルの弾は鉛(比重が高い割に安い)
を銅(鉛だけだと柔らかすぎるので強度を与える)で包んでできている。
鋼鉄なら切れるのは当然。小学生でも分かる理論。
しかもあの実験で使われてる45口径弾は、練習用の特殊な弾で
あらぬところに飛んでいかないように、貫通力を落とすため、
弾頭が切断されて平たくなっていて、
刀に条件が著しくよくなっている。あの番組はインチキ。
>>636 そもそも使用に関する想定が違うんだからどっちが強いとかは無意味
644 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 15:47:56 O
>>639 同じように鋼鉄使ってれば
構造的にロングソードのが強いのは当たり前じゃん
645 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 15:52:02 O
>>643 一緒だよ。どっちも接近戦での斬り合いで使うもの。
他スレでロングソードと比べるなら野太刀を〜
とか言ってたけど全然わかっちゃいない。
>>642 酷い悪文だな。
鋼鉄なら弾丸を切れるのは当然ならば
弾頭が切断されて平たくなっていようがいまいが関係ないはずで
条件がいいもくそもない。
647 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 15:59:56 0
>>644 ロングソードは鋳造した鉄の棒をカンカン叩いて終わり。
必要な強度を得るためにあんなに厚く幅広くなり、同時に重くなっている。
日本刀とは構造がまったく違い、お粗末極まりない。
日本刀自体も鎌倉時代と戦国期以降、玉鋼を使うようになってからとでは
構造が違うが、どちらも炭素含有量の違う鋼を組み合わせ、
人体をたたっきる硬さと、その衝撃を吸収する柔らかさを
一定のサイズで両立させた高度な剣。
鎌倉時代には刀匠が製鋼から行っていたが、
大量生産できる玉鋼が利用可能になってからは、
刀匠は鍛造に集中できるようになり、
構造も整理されて量産効果が増した。
>>644 同じ鋼鉄って日本刀とロングソードは材質が全く違うし
肉厚で幅広に作られているようなロングソードは
そもそも鋼鉄ですらない。
構造も全く違うし
「ロングソードのが強いのは当たり前じゃん」
なんて勝手な想像を根拠とはいわない。
649 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:04:54 0
>>646 酷い低脳だな。小学生未満。
丸い弾頭だと弾かれていい絵が取れない可能性がある。
M2の弾みたいにね。
弾丸はその辺のナイフでも包丁でも切れる。
百均のはどうか知らんがな。
>>648 確かに13〜14世紀の頃ってヨーロッパの剣はまだ
鋼を作る技術無かったけど後に鋼で作ってるし
この動画も鋼で作った剣使ってるんじゃないかな?
どっちも現代の鋼使ってんならもう笑うしかないがw
>>649 弾頭が丸くても平らでも切断できるなら
丸いか平らかなんて論点は
切断の有利不利には論理的に無関係になる。
撮影上の配慮であればそれ以上の意味はなく
有利云々という主張に繋げるのは頭に問題があるとしかいえない。
>>650 鋼で作られたころのロングソードは
レイピアのように細身になっている
653 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:18:37 0
ついでに言えば試し切りでは日本刀は兜でも盛大に斬ってるが、
実戦では鎖帷子の細い鎖すら斬れない。それが現実。
鎖帷子を破るにはより運動エネルギーがデカい槍を持ち出す必要がある。
しかし鎖をブン殴っても、最悪微妙に曲がったり刃こぼれするくらいで
戦闘能力を失わないのが日本刀の強み。
そしてそれくらいの曲がりなら一晩ほっとけば元に戻る。
しかも頑丈さだけでなく、
生身が露出した部分を狙える操作性も兼備している。
槍にはそんな操作性はない。刀兵の援護なしで乱戦に入ると簡単にやられる。
654 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:22:00 0
>>651 お前の“論理”は弾丸は高速で運動しているという事実を
すっかり忘れているな。
君の脳みそには重大な欠陥があるようです。
655 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:25:36 0
>>650 現代の鋼にもいろいろあるが、
特殊鋼を使ってるならあんなに簡単には折れないだろう。
ぶっちゃけ戦国時代の匠が作った刀よりも、
車の板バネを成形して刃をつけた刀のほうが性能では圧倒的に優位。
匠がいろいろ苦心していた構造を、
特殊鋼は分子レベルで実現しているからな。
>>654 だから弾丸が高速で回転していようがしていまいが
弾頭が丸かろうが平らだろうが
有利かどうかとは全く無関係だという話
そんな幼稚園児でもわかりそうな話を何度説明されても
回転だとか意味不明なことをいってる馬鹿は
あまりに必死すぎということ
657 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:31:58 0
>>656 曲面と平面、刃がたちやすいのはどっちか?
幼稚園生でも正解が分かる問題ですね。
約一名の理論家センセイには理解できないようだがw
>>653 というか日本刀が大いに活躍したのって船上戦とか市街戦とかだよな?
日本刀すげえって書いてる外国の文献の殆どはそういうシチュエーションだし。
介者剣法なんてもんがあるぐらいだからさすがに甲冑相手には不利だよなあ。
まあヨーロッパも重さに任せて鎧ごと叩き潰す剣から
より鋭利な剣へと時代を経るに進化してるが。
ロングソードはどういうシチュエーションで使われてたん?
日本刀と同じような使われ方?それとも鎧ごと叩き斬る用途?
後者なら比較すること自体が間違いだな。
>>655 現代の特殊合金を用いて作られている日本刀は実在するが
有段者が鉄板を思いっきり叩き切っても
刃毀れ一つしないような性能になっている
いわゆる「リアル斬鉄剣」というやつだ
>>655 いや、そういう意味で言ったんでなくて
日本刀の強みの1つって材質にあるから
ロングソードも日本刀も同じ材質のもので作ったんなら
実験の意味ねえよなって話ね。
>>657 お前の主張では弾丸と刃の硬度の関係で、
鋼鉄なら「切れるのは当然」なんだろ。
鋼鉄なら「切れるのは当然」なら
弾丸が丸かれ平らであれ「切れるのは当然」なんだから
条件がいいもクソもないわけ。
そんな単純な理屈もわからないほど馬鹿ならもうお手上げ。
662 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:43:04 0
>>658 野戦でも使われてる。最終段階では突撃して戦列を切り崩す必要があるからね。
倭寇もゲリラ戦ではあるが野戦でも用いてる。
ロングソードの用法については確定的なことは言えないが、
人力で振るう以上鉄の鎧を斬るのは無理。不可能。
殴って相手の動きを止め、できれば昏倒させ、
余裕があればとどめの短剣で露出部を刺して殺すのが普通だったろう。
663 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 16:45:18 0
>>661 ほら、やっぱり理解してない。
もう一度聞きます。
曲面と平面、刃がたちやすいのはどっちか?
幼稚園児でも分かる質問ですよ?低能クンw
>>662 トン。
となると、ロングソードの使われ方は
日本刀の使われ方とは大分違うみたいだね。
日本刀では鎧の上から「殴りつける」なんて愚の骨頂だし。
やっぱり比較対象としてはレイピアとかサーベルとかのがそぐわしい気がする。
>>658 ロングソードは鋼の無い頃は
強度を持たすために幅広で重量があり、打撃力が高かった。
反面非常に重量があるため
鋼が普及しだすと細身で突きに特化したロングソードに移り変わっていっている。
>>665 問題は検証動画で使われたのがいつ頃のを想定した奴かだな。
動画の中でロングソード同士の接近戦で自分の剣と相手の剣を鷲掴みにして
相手を組み倒す場面があったが日本刀であれをやっちゃ手も指もぼろぼろこぼれ落ちるぞw
668 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 17:18:16 0
刃を思わず握ってしまうのは人間の本能的な行動でありがちだけど
絶対やってはいけない。日本刀に限らず指が落ちる。
ナイフファイトの基本のキだよ。
新撰組が御陵衛士を待ち伏せした油小路の決闘でも
現場には指がたくさん落ちていたというが、
それらもやっちまった連中のパーツなんだろうな。
幕末とかのチャンバラの目撃談によると斬り合いの後指や腕や鼻や耳とかがそこらに散乱してたらしい。
明治末期まで鼻とか耳のない人を見かける事もあったらしい。
>>668 それは刀身を掴んだことによる傷ではないだろ。
路上における刀による戦いの大部分は
双方が刃を合わせてのつばづりあいだから
その時に切断されたり削ぎ落とされた指や鼻や耳などの体の一部が散乱するとのこと。
桜田門外の変でもそういう状況になっていて、
傷の大部分はつばづりあいの際に負ったものだと分析されている。
671 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 18:00:33 0
>>670 それは桜田門外の変を見ていた奴の話だろ?
別に鍔迫り合いが全く起こらない、というような幻想は抱いていないが、
少なくとも上手い奴は鍔迫り合いはしない。
永倉新八は池田屋事件の自分の戦闘を詳しく語っているが
鍔迫り合いなんてしてない。
斉藤一も天満屋事件の談話が残っているが、
「実戦では必死に刀を振り回すだけ」と言っており
鍔迫り合いをした様子はない。
ましてや油小路事件では人数に圧倒的な差があり、
しかもほかの連中はすぐ死ぬか逃げるかし、
実質服部武雄一人で交戦した状況で、
鍔迫り合いなんてしてたら史実のような奮戦はできない。
一人とやってる間にもう一人に斬られて終わり。
>>635 ん?
ロングソードは武器個別の種類じゃなくて
馬上で扱う剣全般だぞ?
日本刀の太刀の一部もロングソードの一種だしな
>>670 鍔迫り合い(つばぜりあい)、な
「つばづりあい」ってなんだよwww
お国はどこだ?
674 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 18:06:29 O
冶金のやの字も知らないネトウヨばっか。
675 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 18:07:42 0
>夜の2時ごろで湯屋があったが、わたしは見張っていたところ
>月にピカリと光ったものがある。それ覚悟せよというと手元にこられたので、
>無茶苦茶に前の者一人を袈裟懸けになぐりつけてつきとばし、
>その上を飛びこしていくとまた掛かられて
逃走に成功した加納道之助の談。鍔迫り合いなんてしとらん。
676 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 18:49:53 O
あの日本刀は折れずに曲がったから本物だぞ。
そしてロングソードは叩きつけるものでなく
日本刀と同じ用途であってる。ツヴァイハンダーと混同してるバカ大杉。
現実見ろよ。日本刀の完敗なんだよ。
ドイツ人の製造過程を見たが、日本刀とは到底言い難いな。
玉鋼すら使ってないし。
>>673 うちの地方では「つばづりあい」という。
剣道やっていたからごく日常的な言葉だった。
やっぱ騎士さまは強かったんだ
また武士VS騎士スレ立てろよ
681 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:22:42 O
>>680 使ってるじゃねえか。
製造工程だってちゃんと小割とか
折り返しとかやってるじゃねえか。
あれは正真正銘の日本刀なんだよ。
いい加減ネトウヨは日本刀はロングソードに敗北したことを認めろ。
>>681 捏造乙
それとも、まさか玉鋼が何なのかも分かってないのか?w
683 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:40:19 0
ネットで見た日本刀のページから、適当に語句を抜き出して
羅列しただけって感じだな
>>681
つーかドイツ人の鍛造がまさにトンチンカンな感じでwww
685 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:50:30 O
>>682 多分、玉鋼が正式な刀匠にしか売られない
ってこと知らないんだろうね。
ちょっとググってみたが、ドイツ人の刀匠なんていないしw
要は西洋剣作ってる人が見よう見真似で刀作っただけw
686 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:51:34 O
>>683 多分、聖剣の刀鍛冶とかその辺のラノベで仕入れた知識だろうな
同じ材質だったら日本刀の形状よりもロングソードが強かったというただそれだけの話ですか?
形をまねるだけならまさにサルマネだね。
他の番組でもっとマシな実験やってなかったっけ?
トリビアとかじゃなくて。
ディスカバリーチャンネルだかナショジオだかヒストリーチャンネルだかは忘れたけど、
以前、玉鋼の製造から刀匠による鍛造から、研ぎ師による仕上げから全て撮影して
日本刀の製造過程を一通り追った番組があったんだけど、youtubeに上がってないかな。
あれはかなり面白かった。
研ぎ師は京都の本阿弥さんで、本阿弥光悦の代からまだ続いているのかと驚いた記憶がある。
690 :
689:2010/03/06(土) 21:36:48 0
日本刀と韓刀はどっちが強い?
宣教師がつづった日本刀の朝鮮の役での活躍
ルイス・フロイス『日本史』豊臣秀吉篇第三七章(第三部四八章)
「朝鮮に向けて出発したアゴスチイノが、ついで幾つかの城を攻撃し、大いに苦労して
軍勢をもってそれらを屈服せしめたこと、ならびにそこで彼が獲得した名誉について」
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。朝鮮人の側では約五千の兵が戦死し、日本人の側では二つの城塞
(の攻略に際して)百人近くの戦死者と四百人以上の負傷者を出した。
『日本史』豊臣秀吉篇第三八章(第三部四九章)
「アゴスチイノが朝鮮の都に入るに先立って生じたこと」
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。
『日本史』豊臣秀吉篇第四一章(第三部五二章)
「シナ(軍)が日本(軍)と交えた他の戦闘、ならびに種種の出来事について」
・ある者は、それは(シナ側)の策略であって、彼が武具を求めたのは、同じものを(シナ側で)
造ろうとしているのである。槍や長刀についても言えるが、とりわけ、日本刀の威力に対抗できる鎧を
製作しようとしているのだ、と言った。
そして朝鮮の刀剣の評価
『日本史』豊臣秀吉篇第三六章(第三部四七章)
「朝鮮国の描写、およびアゴスチイノ(小西行長)がその艦隊を率いて先発した次第」
・(※注:朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
694 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 21:46:15 O
>>692 韓刀なんてありません。
半島にあったのはただの中華の劣化コピー。
ソウルキャリバーの半島キャラだって
半島独自の武器とかじゃなくて青龍刀とか薙刀使いだし。
>>691 これもまた古い学説をとってるな。
外人がうさんくさいし。
『日本史』豊臣秀吉篇第三六章(第三部四七章)
「朝鮮国の描写、およびアゴスチイノ(小西行長)がその艦隊を率いて先発した次第」
・(※注:朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
これが朝鮮刀の真実ですかwwwww
外人大喜びじゃん
朝鮮の装備は片手剣と盾
倭寇や朝鮮征伐で日本兵相手した明や朝鮮の記録だと日本刀は長くて鋭い上に両手で扱うから威力もすさまじく、人も馬も切られて散々だったとある
「朝鮮王朝実録」
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
なんで日本刀の元祖である朝鮮刀を持つ李氏朝鮮の軍は
日本兵と接近戦を禁じたり、日本兵から剣術を習ったのですか?
ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』
朝鮮にはサムライがいない。
日本にあって朝鮮に欠けているものは、心身ともによく鍛えられ、
兵士であると同時に学者であり、忠誠心と愛国心と自己犠牲の高い理想をかかげる文化的集団である。
朝鮮にはサウラビがいるんじゃなかったの?
まあ、今は軍隊もない文弱な日本に対して、尚武な徴兵制で国民皆兵の韓国・先軍主義の
共和国とすっかり立場が逆転していますが。
>>702 兵士の数がどれだけいようと制空権・制海権とれないんじゃ無意味だよねw
尚武の志を持つんだったら、今のような国際協調、相互依存の時代ではなく、
帝国主義、拡張主義の時代に持つべきだったな。
国民一丸となって他国の侵略と戦わなければならない時代に碌に戦わず、
帝国主義が廃れた現代になって急に軍国化したって寒いだけだろ。
>>1 文永は武士団の予想外の抵抗に遭い
司令官の劉が小弐に狙撃されたりで
博多焼き討ちしながら這々の体で撤退した後に、泣きっ面に鉢で台風が吹いたってのが実態なんだが
神風デマを未だに定説化し続けようとする寺社・右翼はしぶといよな
>>706 アンタのカキコも細部に色々と議論を呼ぶ箇所があるな。
尚武の国だから集団でF5アタックしました
709 :
世界@名無史さん:2010/03/06(土) 23:11:28 O
ロングソードは日本刀と同じように斬ることと刺す事に適した武器。
いわば同じような用途で使うものなんだから
日本刀の完全敗北としか言えないだろ。
>>709 動画にうpされてるのは"日本刀のようなもの"であって、"日本刀"ではありません
あとお前何も分かってないのなw
>>706 ちゃんとスレ読んでるか?神風が吹いた事によって神風と言う非現実的な神風信仰
が始まった事が後の明治以降の軍国主義に繋がってると言いはり武士が元兵にぼこられまくった
元寇だが台風で救われたと主張してるのは左翼なんだが・・・
日本の宗教書に縋る左翼と朝鮮ってなんなの
武士は日本刀が優秀だったのでモンゴルに勝てた。
もし素手同士の戦いになったら、朝青龍のようなモンゴル兵にケチョンケチョンにやられる所だった。
得意の柔術でけちょんけちょんに返り討ちにされるだけ
>>678 だからお前のお国はどちらですか?
「つばづりあい」なんていうのは方言だから直せよ
>>714 その前に弓で狙い撃ちにされてあぼ〜んだろ・・・
モンゴルの短弓は和弓にアウトレンジされてぼーんだった
別に方言でもなんでもいいだろ
くだらん
720 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 01:38:03 0
>>710-711 じゃあ仮に偽物だったとしよう。
で、本物の日本刀使って勝つと思う?w
詳しい人はみんな本物使っても一緒って言ってたけど。
詳しい人って誰よ?
みんなって誰よ?
ネットのなかまたちかい?
>>720 仮にじゃなくて完全に偽物だよ
せめて玉鋼ぐらい使えとw
そもそも、日本刀とブロードソードじゃ想定してる状況が違うから単純比較じゃ意味ないぞ
まあ、やってみんと分からんということだ
単なる釣りだろコイツ。
相手にすんなよ。
脱線しないで元寇の話しようぜ。
>>721 厚みと幅が倍の西洋剣って具体的にどんなの使ってるん?
そらわかっとるがなw
ただ、この画像だとクレイモアなのか何なのかよくわからない。
>>721 ちゃんとした日本刀はそれだけしなっても元に戻るくらい復元力があるんだから
ドイツ人の動画の刀がグチャグチャにへしゃげているのを見ると
いかにデタラメな作り方してるのかわかるな。
というか日本刀でロングソード斬れなかった後
ロングソードでロングソード斬ったシーンの直後に
おっさんがすげー満足そうに、それこそ正に「そしてこの顔である」
って感じの表情で語ってたじゃん。これが全てを物語ってる。
要は騎士最強厨のオナニーの為の出来レースだよ。
>>730 フェンシング有利なルールでやっても意味ねーぞ
732 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 04:57:21 O
そもそも剣道って古式の剣術とはまるっきりちゃうやん
>>731 有利って?戦場では有利も不利もないんだよ、あるのは生きるか死ぬかだ。
分かったかい
734 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 06:02:35 0
日本刀なんて素材や質なんざ物によってバラバラだろ
だいたい人間2、3人斬っただけで使い物にならんとか、棍棒やスコップの方が兵器としては全然上だなw
>>730 触れただけで勝ちとかバカだろ。
こんなんじゃどんな鋭利な剣だって切れねえよ。
実践的な武器じゃなければ戦場では意味がない。
>>734 使い物にならなくなるっていうか、油が付いて切れにくくなるだけだろう。
鈍器になるようなもんだよ。
両手剣として持ちやすく、切っ先が尖っている日本刀は鈍器としても
棍棒やスコップより優れてると思うぞ。
フェンシング側は横っ腹をかすっただけで勝ちで脳天直撃食らわせてる剣道家が
負けなんてどう考えてもおかしいよなw
別にフェンシングが剣道より下だとは思わないけど、
これって、この人達個人の強さを比べてるだけで、あんまりどちらの剣術が優れてるかの比較になってないじゃん。
どっちが人体にダメージを与えられるかだったら、確実に剣道の勝ちだなw
竹刀でぶっ叩かれるとかなり痛いし、打ちどころが悪かったら重傷だって負う。
フェンシングのフニャフニャ剣じゃ、目に入りでもしないかぎりビクともしないだろう。
真面目に日本刀とロングソードの比較実験するつもりなら普通は本物の日本刀を日本から取り寄せるだろ。
これって常識レベルの話だぜ。
スカイラインGT-Rとポルシェ911との比較テストで、本物のポルシェを使わず、日産が外見だけポルシェに
似せて造った車を使用するようなもの。
それでドイツ人は納得するのか?
今までドイツ人って職人気質なイメージあったから、こんな杜撰な連中だと知ってショックだわ。
西洋人が質の悪い刀しか造れなかったのも当然。
>>741 お怒りはわかるが、
へんてこ番組一つ見ただけで、西洋人は糞しか作れんと言う結論も無茶苦茶だぜ?
743 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 10:35:14 O
>>734 少なくとも玉鋼を使う点については一緒。
あと鈴木の言うことはあんま宛てにすんな
744 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 10:39:50 O
そもそも剣道ってのは本物の日本刀を使う剣術とは全然違う。
フェンシングが本物のレイピア使う剣術と一緒なんか違うんかは知らんけど。
6発撃ったら空になる拳銃よりスコップの方がましだぜ。
一回発射したら終わりミサイルよりスコップの方がましだぜ。
燃料なくなったら走らなくなる戦車よりスコップの方がましだぜ。
746 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 11:15:22 O
てかさ、
>>730って実際の真剣勝負想定したら
フェンシングの勝ちじゃなくて相打ちだよな。
実際の刀とレイピアで想定しても、レイピアが
腹をかすった時には、既に刀は振りおろされてる。
日本刀使う側が、レイピアによるダメージに気付く前に
確実に日本刀が脳天を捉えてるわけだよ。
そんなこと言い出したら剣道の試合だって
748 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 11:31:49 O
いや、確かに目でも確認できるほどレイピアのが速かった。
ただ、ヒットした部位から考えて服を着た相手に対して
実際のレイピアであのかすり方は致命傷になるのか?
剣道側の方は日本刀であることを想定したら
確実に致命傷となる一撃を与えてるけど。
剣道側が即行動不能になるレベルのダメージ与えてない限り
フェンシング側には死が待ってるぞ。
剣道だってスポーツだからな。
実戦では毎日ひたすら立木打ちを繰り返す示現流みたいなのが効果的だったりするんだよね。
お前ら、ニュー速で面白いブログ拾ってきてやったぞ。
玉鋼至上主義は間違いだと指摘してる。
現代の刀剣界にかなり不満を持ってる人も居るようだ。
http://kelu-cafe.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_5ca5.html ところが、これが中身の刀身となると、居合用の
現代刀は、この業界の権威である(財)日本刀剣保存
協会の指定するタタラ製鉄の現代鋼を使っている限り、
ガラスのような刀身となります。
蛍光灯のナイロン紐を切っただけで刃こぼれしたり、
床にちょっと当たっただけで切っ先が欠け飛んだり。
無論、戦国や幕末のように刃と刃を合わすことなどは
到底無理です。
ひどい作者になると「この刀で斬るべからず」などと
ナカゴの銘に切って登録を受けたりしている人もいます。
もう日本刀の「用の美」なんてどこ吹く風です。
これもニュー速で紹介されてるブログの一つ。
上の、「日本刀の嘘」の転載元ブログらしい。
現代刀ではない、昔の日本刀の強靭っぷりを実際に試し切りして実感している。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=327786&log=20060916 刀はびくともしなかった。
450年程前の大分研ぎ減った刀で美術的価値は著しく
低いが、「生」は何ら損なわれていない。
枯れ竹試しでは全く手ごたえがなく、直径6寸強の丸太に
切りつけたときには大根に包丁が吸い込まれるような
感触だった。
この後、木に打ち付けた長さ15センチくらいの釘を
切った。
一刀で両断。刃は何ともない。
この刀には「矢目」と呼ばれる弓矢を平地で受けた
跡が残っている。
戦国時代に実際に戦闘に使用されたのだろう。
だが、折れずに450年後まで残っている。
刀とはこういうものだ。
でも、小林康宏師匠に叱られた。
「昔の刀でそれをするな。もう作れないのだから」
江戸期でさえ大慶直胤のような「おおにせもの」が
まかり通ったりした。
見かけに惑わされず、「本物」を見抜く目を持つと
いうのは、いつの時代もなかなか難しいらしい。
これらのブログが実際に正しいかどうかは分からんし、鵜呑みにするのは危険だろうが
今までの自分の日本刀に対する認識に一石を投じる事にはなったよ。
古刀に使われていた和鉄が解析できればいいんだがな。
不純物の配合が微妙で難しいらしい。
753 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 12:13:21 O
要はダマスカス鋼同様
古の記録にあるような日本刀は再現不可能ってことか。
じゃあ尚更例のドイツ人の検証は無意味だったわけだな。
ダマスカス鋼は伝説じゃなかったっけ?
大野義光現代刀荒試しでググレ
「光剣茶のみばなし」に載ってる信頼のおける話だ
757 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 13:33:42 0
本物の日本刀は高い
758 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 19:44:59 0
そして薄給の俺には手が出せない。
小柄買え。
刀匠が小遣い稼ぎに作ってたりすることが多いから、手軽に本物が手に入るぞ。
760 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 22:33:58 O
巻き藁斬りまでやってるよあの動画。
少なくともある程度のクオリティの日本刀で
あのおっちゃんもかなりの使い手なのは確実。
それでもまだ言い訳する気?
761 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 22:41:09 0
762 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 23:15:38 0
だが奴は我々の中では一番の小物
763 :
世界@名無史さん:2010/03/07(日) 23:21:42 0
>>761 刀の靭性ってスゴイな。この刀は現代刀だろうけど
山浦真雄作の刀とかってどれだけすごいんだろう?
いつの間にか日本刀のスレになっとるな
元軍はネタにすらならなくなってきたのか…
ちゃんと武装してる国には弱かったで結論ついてるからなぁ
日本は元を返り討ちにしたけどヨーロッパはボコボコにされたのが答えだな
そもそもヨーロッパは単国だけなら日本にすら数で劣るだろ
ガキの頃
西洋騎士、侍よりカッコイーと思ってたら
サーベルで刀と撃ち合ったら強度の差で絶対折られるって聞かされて幻滅したな
>>769 いやいや16世紀なら日本一国vs欧州全土相手でも勝てないよ
>>767 一番強いタタール兵が攻めたヨーロッパと、
タタール兵が出払っていて高麗兵ばっかし来た日本とでは、
戦った兵隊の質が違うわな。
773 :
世界@名無史さん:2010/03/08(月) 21:59:35 0
774 :
世界@名無史さん:2010/03/08(月) 23:13:30 0
蒙古軍はドイツ兵を恐れていた
ドーソンによると、ハンガリーにおいても、エステルゴムの内城
Albe-Julie Saint-Martinの三城は陥落せず、本国よりオゴタイ
崩御の報を得て囲みを解いたという。これと別に蒙古軍はオーストリア
に侵寇し、ウィーン南部のノイシュタイン城を包囲した。
この攻城戦は、『ローマ帝国衰亡史』のエドワード・ギボンが次の
ように叙述している。
一方タタール人の側もフランク人(ドイツ人)の名声と武勇に恐れを
なしていて、オーストリアのノイシュタインの町への彼らの攻撃は
五十人の騎士と二十丁の石弓兵で勇敢に防衛され、彼らはドイツの
一部隊の来援で包囲を解いた。 (「ローマ帝国衰亡史」巻10)
このようにギボンは蒙古人がドイツ人(フランク族)の勇猛さに
恐れをなしていたと記している。
たった五十人の騎士で一城がどきるとは信じがたいがノイシュタット
の防衛はドーソンも、
ノイシュタットには僅かに五十人の守備兵と二十人の石弓兵とを備える
のみなりしが、蒙古兵はオーストリア公、ボヘミア王、カリンチア公、
バーデン侯Agrar管長の連合軍近けるを以て退却したり。(「蒙古史」)
今村明著 『封建制の文明史観』P60-P61
>>776 だから、そのお強いモンゴル軍ってのは多民族軍だと何度言えば
過去レスぐらい嫁この馬鹿
モンゴルの高麗攻めと一緒で、国の全土が蹂躙されてる状態で、2つや3つの落城しなかった都市を
点描しても意味無いんだよね。
モンゴル軍側から見れば、ちょっと抵抗の強そうな都市があれば、そんなのに余計な労力費やすより、
スルーして他のもっと容易な都市を襲うだろ。
そもそも正面戦闘では対抗できないから篭城してるわけで、
国土の蹂躙も許してしまっているわけで。
779 :
世界@名無史さん:2010/03/09(火) 03:00:38 O
>>772 出払ってなければタタール兵が来たかもしれないのか
ナイマンじゃだめなの?
日本も太宰府に籠城してるだろ
太宰府は、城じゃないよ
783 :
世界@名無史さん:2010/03/09(火) 08:21:43 O
篭城なんてしてたか?
寧ろ準備が調わないのに積極的に攻撃に向かってる資料が多くなかったか?>武士
てか、正面対決してないのに弓矢や鎧を捨てて逃げた元軍はどこまで弱いんだよ
>>779 ちょっと前まで敵対していて戦争も巧いタタールの力を削ぐのの必死だったわけよ。
ともかく本国から遠いところに追いやって、最前線で、敵を攻めなきゃあ味方(モンゴル兵)から
矢を射掛けられるという状況で、ある種の踏み絵状態でヨーロッパを攻めていた。
叛意がないというかモンゴルに心服してないものだから、攻めて行った先でモンゴルと名乗らず
タタールと名乗ってるわけだから、「モンゴル帝国が攻めてきた」「バトゥ公子が〜」ではなく
「タタールが攻めてきた」だし、敵になるかもしれんから新しい領土に駐屯させて土着化したのも
「タタール」だ。
高麗なんかは宋を攻略する出掛けの駄賃みたいなもの。ヘタレのソロンゴスはどうせ鴨緑江を越えて
攻めてくるようなことは無いし、咸興市〜安州市を結んだ線あたりから北は攻略の完了した金やら
遼やらと同族の女真人の土地だったし。
>>781 二重に間違ってるw
まず大宰府は街です。籠城しようがありません。
もしかして水城と間違えているのかな?
確かに水城は城ではないものの軍事的な拠点として機能しています。
ここまでが一点。
で仮に水城と勘違いしていたとして、二点目。
水城でも籠城していませんw
元に勝ったのは事実だとしても、それを民族の優秀性に繋げる書き込みが
多いのが痛い。
787 :
世界@名無史さん:2010/03/09(火) 19:32:53 0
>>786 モンゴル民族単独厨はいるけど、武士が勝ったから日本人優秀なんて言ってるのはいないだろ
788 :
世界@名無史さん:2010/03/09(火) 19:37:18 0
日本民族の優秀さは一モンゴルに限らず否定できない現実だしな
日本民族国家は世界最古の国だしな
ネトウヨ乙とか言わせたいんだろうな。
790 :
世界@名無史さん:2010/03/09(火) 20:41:59 0
いや書かなくても分かる…いや分かんないかもw
793 :
世界@名無史さん:2010/03/09(火) 22:24:23 0
日本民族の優秀さの事実から目をそらしてはならない
まぁ元寇でも難癖つけてるのは認めたくないという外人の考えだろうが
794 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 00:17:24 0
文禄の役
九州大学教授 服部英雄
赤坂鵜飼の合戦をへて膠着があった。対峙期間があった。
いくつかの小競り合いもあったし、死者の出る合戦もあった。
蒙古の騎馬戦術に日本軍は苦戦を強いられていた。そういう
緊張のさなかのある夜に、風が吹いた。時間切れを悟った
蒙古軍は風を待ち、潮待ちののち博多湾から立ち去った。
積極的ではないにせよ、予測範囲内での自主的撤退だった。
今谷明 『封建制の文明史観』 P34
795 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 00:31:01 0
文永の役
陸軍歩兵少佐 竹内栄喜
「一度の上陸は近代戦での敵攻撃のない状態でさえ、
朝から夕方まで一万人が限度であり、三万からなる
蒙古兵の場合、上陸にも乗船にも数日を要したは筈」
という。もし竹内の指摘が正しいなら、翌日撤収と
されている蒙古軍は、恐らく数千人の兵しか上陸
させなかったということになる。
今谷明 『封建制の文明史観』 P30
文禄の役で小西隊1万8700が上陸したその日の内に釜山城攻略してるじゃん。
それに比べたら元軍は19日には博多湾内に到着していたわけで、上陸は問題ないだろ。
>蒙古の騎馬戦術に日本軍は苦戦を強いられていた
騎馬戦術に苦戦って話は他では聞かないな。騎兵が少ないから本領を発揮できなかった
とかの言い訳はよく聞くが。もっとも、歩兵中心の元軍が本来のモンゴル騎兵戦術に
勝ってるから言い訳にもならん訳だがw
798 :
世界@名無史さん:2010/03/11(木) 00:08:12 0
学者さん…NHKさん…
き
上のほうで欧州の騎士がどうのこうの話題になってたが騎士って武士と違って大した武勇伝もないし影響も糞もないんだよね。
産業革命以降は騎士の末裔達が大活躍したようだけどそれ以前は雑魚と言っても大げさじゃない存在。
むしろ軍事的には中東のが強かったし中東の勢力に戦で勝てないから船を進化させて中東を迂回して
遠回りしてた連中なんだから比べる事自体失礼な話だ。
中世の騎士達の戦闘というのは
捕虜を捕まえて身代金を得るスポーツ競技のようなものになって
本気で殺しあいをしなくなり、騎士団同士が正面から戦っても死者0とか
そういう時代があったくらいだしな。
人が死なないという紳士的で、且つ、身代金=戦時賠償とすると、とても合理的な戦争のやり方だ。
まあ子孫達はろくな事しなかったがな
間違ってうっかり殺してしまうと怒られるんだろうね
だからクロスボーが嫌われるw
14万の大軍を前にしても堂々と戦いを受けて立った武士達なのに
600年後には数隻の黒船を見ただけで怯えきってしまった…
幕府も馬鹿じゃないからな。
アヘン戦争で清が何の抵抗もできなかったことを良く調べていた。
でも明治維新もなく鎖国政策を貫くなんて事やってたら実際に当事戦争したとして正面衝突で勝ったり征海権奪って上方江戸間の
船舶妨害したりとかの嫌がらせは出来るだろうけど血の気の多い日本中の武士のゲリラ的行為や万歳突撃?が続出して
ベトナム戦争やイラク戦争どころじゃない地獄の血みどろが続いて東南アジアとかみたいに武力による完全な占領や国民全体を
奴隷扱いするような植民地統治は出来なかったと思うよ。
まあ日本が廃墟になったろうけど
>>807 ん?アヘン戦争どころじゃないレベルでシナがモンゴル帝国にシバキ回された事も
大陸で何が起こってる事も知らないわけではないだろ
>>809 モンゴルは結構時間掛けて南宋をボコしてたけど
アヘン戦争は電撃的に負けてるから衝撃度が違うでしょ
元寇の時、夜間に元軍の船に殴り込みかけたとか
黒船にも殴り込みかけようとしたヤツがいたとかいないとか
>>811 黒船殴り込みしようとする奴なんていたのか…
俺も連れてってくれ〜と乗り込んだは良いがそのままつまみ出された
長州藩の偉人はいたような気がするけど
危険な事がない事がわかると黒船の周りに物見高い連中の小船が群がり物売りや興味深さで中に入り込もうと
するやつとかいっぱい居たらしいな
天皇家も元々は騎馬民族だから、意外と蒙古の戦術は身近なモノだったと思う。
815 :
世界@名無史さん:2010/03/12(金) 23:42:06 0
>>777 国の全土が蹂躙されたのはポーランドと
ハンガリーだ!
ドイツは殆ど蹂躙されず、撃退している。
蒙古騎馬軍団と武田騎馬軍団はどっちが強いの?
>>803 キリスト教徒じゃなければ相手が人間だろうと何百万と殺してもいいけど
人間じゃなくても聖書に神聖な動物として記してあるから鯨はアウト。
それが彼らの考えです。
だから、数百万人ものアフガン人やイラク人を無差別に殺した癖に
鯨を食べる我々日本人を残虐非道だとか平気で言えるのです。
818 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 00:22:49 0
>>797 クビライ自身の親征軍と高麗・旧南宋軍の混成軍を
一緒にするな!
819 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 00:46:53 0
>>818 その高麗・旧南宋軍の混成軍(しかも指揮してたのは日本遠征時の将軍)で
オールモンゴル騎兵の軍勢の大反乱を鎮圧に成功してるんですが・・・。
820 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 01:52:42 0
>>819 上にも書いたけど反乱の主力であるナヤン軍はクビライ
自ら大元ウルスの主力軍を率いて鎮圧してる。
カアダンの軍勢は所詮残党にしか過ぎない。
この手のアホなレス記憶してるだけで三回以上あるぞ・・・
最低限の知識を持ってからレスしろよな・・・
>>818 クビライ自身の親征軍って集史によるとタングト・中国・女直・高麗の混成軍だってさ
>>820 そのナヤン軍を鎮圧したクビライ自ら率いた大元ウルスの主力軍にも高麗軍や旧南宋軍が加わってるんだが
823 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 14:39:41 0
>>822 ナヤンを破ったのは皇帝クビライの親征軍だぞ!
傘下に含まれる旧南宋や高麗の兵たちにしたって
戦闘力や士気の高さは日本遠征軍とは比べられない。
また、カダヤンを被ったのも皇太孫の軍勢なんだし、
高麗にとっては自国領内での戦闘なんだから日本遠征
時とは比べ物にならない。
堂々と艦隊決戦で勝負を付ければいいのに、わざわざ水際まで誘い込まないと
勝てない日本はヘタレ。
煽りのあいてするのもどうかとおもうが、現代でも養生撃破率は3割もいけばいいほうだろ。
日本海海戦や旅順港封鎖して撃滅戦なんて夢みすぎ。
>>808 鎖国を続けてると、今頃はちょんまげの侍がAK47で
米国相手にゲリラ戦をやってるかもね。
ゲリラって大体が民族衣装+AK47だしね。
2000数百年対外戦争で敗北を知らない戦の天才日本を広大な資源と資本主義で得た豊富な資金力
生産力で完全武装した他民族混成軍で打ち破った新興国家アメリカを褒めてやろう。
まあ今後2000年間アメリカも無敗を保てるか分からないが頑張れ。
828 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 19:21:27 0
829 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 19:24:30 0
よく,蒙古襲来というと圧倒的なモンゴル軍と貧弱な日本軍という印象
が行き渡っているけれど,戦力は拮抗していた.緒戦は,東路軍2万5
000人と九州守備隊6万5000人で始まり,東路軍が江南軍と合流
した後は,総兵力でモンゴル軍14万2000人,日本軍12万500
0人だが,戦闘能力としてはモンゴル軍に漕ぎ手が多いことを考えれば
,最後まで日本軍が数の上でもまさっていた。
交戦兵力の比較では、モンゴル軍が6万人、日本軍が12万人だから、人
数の上では「日本軍が圧倒的な戦力」だった。もちろん事前に日本軍が
モンゴル軍の兵力を正確に把握することができなかったので、「ものす
ごい数のモンゴル軍が襲ってくる」という報告が来たのも当然である。
http://takedanet.com/2007/04/post_3d87.html
しかし台湾沖海戦と同様に倭人の捏造癖には困ったものです。
平秀吉に史料が燃やされるまで高麗、東夷を征討す。と
書かれているのだが。
>>830 痛すぎる・・・・・。
ついでに、平秀吉じゃなくって藤原秀吉ね。
>>827 日本のような島国は近代前の自給自足の時代は凄い守りにむいて「いた」。
今はダメ。海上封鎖されて干し殺しにあったら一巻の終わり。今世界で最も
守りに向いている天然の要害はアメリカ。全てが自給自足可能で、ユーラシア
から離れているし、地形も要害だらけで日本以上に守りに適している。
832 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 19:58:24 0
>>824 モンゴル得意の弓馬による殲滅戦を徹底できないで
海の藻屑に消えた元軍って…
>海上封鎖されて干し殺しにあったら一巻の終わり
通商破壊されて干上がった倭人がいうと説得力ありますねw
その倭人に容易く征服された民族の方ですか
>>833 モンゴルやアラブみたいな軽騎兵って大平原とか砂漠とかああいう地域でないと無理です。
戦国武将たちも大陸の兵法書はあちらでは有効なのだろうが、日本でそのまま使えるかと
いうと疑問に感じるとそういうことをいっております。
ナポレオンの海上封鎖でもイギリスは屈指なかったよね。
フランスとイギリスのドーバー海峡の方が玄界灘よりも
はるかに近いというのにドイツもフランスもあっちへいけませんでした。
まあ、ノルマンコンクエスト以前の話は別としてね。
日本の兵法は海の向こうの一国を短期間で簡単に制圧するほど有効だったのにな。
>>834 お前に言われても嬉しくはないが、その通りだ。
むしろ、今やかえって陸地の方が物資の横流しに適している。アメリカ
なんて封鎖されても長大なカナダ国境、メキシコ国境を封鎖するのは
不可能で、そこからいくらでも流れてくる。
今一番守りにくいのは、封鎖されたら一巻の終わりのイギリスと日本。
むしろ、人工衛星が発達した分、第2次大戦時より更に悪化している。
船は潜水艦を除き人工衛星から見つけやすいので、マジで潜水艦で
ないと物資を流すことはほぼ不可能。潜水艦は大量輸送に適さないしな。
>>837 これも衛星技術が未発達の時代ね。今やイギリスは日本とともに最も
守りに敵さない国の一つ。今ナポレオンがいて、大陸封鎖例をしたら、
イギリスは半年以内に間違いなく落ちるだろう。
李に海上補給線を脅かされたとはいえ
当時陸戦力で欧州を上回っていた筈の日本の侍が、大陸に渡ってみたら
明征服どころか朝鮮・北満の実効支配すらおぼつかなかった事を考えると
戦国武将達の兵法書もまたその逆で然り>836
>>840 ある意味、ガラパゴス化の典型なんだろうね。
実兵力10万にも満たない兵力で朝鮮半島を簡単に制圧し
さらに援軍に派遣された明の大軍を相手に
海の向こうで戦線を維持し続けるなんて凄まじすぎる。
しかも秀吉の命令で嫌々出兵している士気の低い遠征軍なのにな
>>839 イラク戦争後もイラン、シリア等々の有象無象が火遊びしていたじゃないか
陸路なんてただ漏れ常識だろ倭人よw
エジプトとガサの「トンネル」も有名だな。
ムバラーク政権のガス抜きで甘甘管理だったというのもあるが
(今は鉄板がイスラエル側によって地下深くまではいったからまず無理とはおもうが)
>イギリス
あの国は昔から安全保障はヨーロッパとは別にメリケンとの二股だろ。
ジョンブルの二枚舌、三昧舌外交はいつの時代にも奥州の戦乱を生き延びてきた。
地形が不利な分政治力、外交力でカバーがあの国の肝とすらいえる。
まさに明の軍事介入がなければ
たったあれだけのアクションで一国が占領されてるんだから。
交通手段の未発達な時代としては戦史に稀に見る戦果だわな。
>長大なカナダ国境、メキシコ国境を封鎖するのは
不可能で、そこからいくらでも流れてくる。
>>831のいうような要害地形といえるのはロッキー山脈程度だろう
南北2国が非軍事大国なので、"地理的に安全"に錯覚するだけで
両国が旧ソやEU並みの国力だったら、とても同じコメントは出来ないと思う
>>838 海が天然の防波堤だったから外敵の侵入に強から国内に強大な統一政権を形成できれば
他国のように軍集団を別途におく必要がほぼなかったもの。
強いのある意味当たり前だよ。
ただ補給・輜重の概念はナポレオン同様に大陸のスケールとなると話にならなかった。
昭和になってもまともに理解できない。
かくしてジャングルにはトロピカルフルーツがふんだんになり補給?余裕です!と
ほざく倭帝国軍人が大量に量産される自体となったのでありましたとさw
>>844 イギリス外交はアメリカの圧力に完全に屈服してるけどな。
屈服した末の対米追従。
別環境で武士があれだけの快進撃ができたのは
明が傀儡国朝鮮に鉄砲配備させてこなかった敵失が大きいしな。
その後はゲリラ兵に悩まされ、海上を封鎖されジリ貧。
レコンキスタに数百年耐えたスペイン南部のイスラム勢力の如く
南部倭城くらいは維持して欲しかった物だがな。
朝鮮現地民からの年貢徴収をまともに行えた武将が、加藤清正位しか居なかったくらいだから仕方無いか
イギリスは強かな国だからな。
通貨政策でjにやられようが、植民地を次々に失おうが、
ヨーロッパの国々は倭人が思う程、容易くはないぜ。
ヨーロッパ人も本音では所詮新大陸に渡った新教徒どもの
子孫なんか知ったことかが本音だしな。
£凋落の恨みも決して忘れてないだろうしな。
>>849 朝鮮は言葉も違うから統治が困難で、、
疫病も深刻な上、何より耕地面積あたりの石高が、
日本の半分以下という非常に魅力の薄い土地だった。
武将達が自腹で戦費を費やしてまで、
そんな土地を加増して欲しいなんて思うわけが無いし、戦意が低いのはある意味当然。
秀吉が死んで戦う理由が無くなった以上占領地の維持に拘る必要など何もなかった。
>>946 倭人はNORADの司令部がアパラチア山脈の地下深くにあるのを知らないと見える。
MOABごときがおちたぐらいではびくともせんよ。
アメリカもカナダあたりがもっと温暖だったら歴史わからなかったけどな。
イギリス軍にホワイトハウス焼かれるぐらい深刻な脅威だったしあれで人口
おおけりゃフランス植民地もイギリスもまだまだがんばれたとおもうんだ。
つかなんでカナダ手放すんだろうな。現地民なんか中国方式で締め上げとけば良いのに。
>>850 連合国の盟主だった大英帝国が戦後凋落した理由として
戦後間もなく中東で満州事変のようなものを起こして
アメリカに懲罰されて服従したという歴史がある
その時のアメリカの脅しが
アメリカが保持していた膨大な対英債権を全て償却しイギリス経済を崩壊させ
産油国全てに圧力をかけてイギリスが一滴も石油を輸入できなくするというハルノート並に本格的な圧力だった。
イギリスはアメリカに泣きを入れて許してもらい、その後二度と逆らうことができなくなった。
856 :
世界@名無史さん:2010/03/13(土) 21:12:13 0
なんか倭人倭人連呼して調子に乗ってるのが湧いてるな。
>>832 ダメなやつほど「本気じゃなかったから負けたんだもん」って言いたがるよね。
>アメリカが保持していた膨大な対英債権を全て償却しイギリス経済を崩壊させ
日本と中国が力をあわせて対米債権を・・・・・
満州事変のようなものって第二次中東戦争のことをさしているのかしらん。
>>857 世界帝国のアメリカだから出来たことで、日中は出来んよ。
だいたい、石油禁輸ができない。
>>836 だろうね
モンゴルこそ、堂々と海上決戦を挑める形に持っていければよかったかも
中国が改心して日本と手を結び両国手を合わせアメリカを始め近代調子こいてる
アングロサクソンの連中を天下から引きずり落としてアジア人に覇権を奪い返すなんて事はできないもんかね
862 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 00:32:38 0
>>849 >レコンキスタに数百年耐えたスペイン南部のイスラム勢力の如く
>南部倭城くらいは維持して欲しかった物だがな。
イベリア半島のイスラム教徒ってもともとあの辺に勢力があったんじゃないの。
アジア人に覇権?奪い返す?
ここって本当に世界史板なのかって思うことが多いな。
865 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 00:38:23 0
まぁ各板に点在する元寇スレの中でも、ここは一際程度が低いし
ぶっちゃけURL隠したら+あたりのスレかと錯覚する
意外にも戦国板のスレが一次史料の引用が豊富で結構良かった気がする。
世界最強鎌倉武士団とかいうスレ。
このスレの流れを言うと一次資料の引用が豊富で元房論破されまくりで勝負にならなくなって刀がどうだとか
横道にそれて今に至る
軍板の出張所だろ。ようするにネトウヨ。
ネトウヨ云々とかじゃなくて鎌倉武士が元相手に文句のつけようのないレベルで
返り討ちにしたと言う事実を語られただけだろうが。
何がネトウヨだよ・・・
ここ数年この手のスレで焦点になってるのは
・文永は威力偵察or大宰府攻略が目標?
・弘安は棄民or本気モードの侵略?
・博多は焼けたor無事?
・日本遠征軍は士気の低い雑魚or精鋭?
・元軍の内訳
この辺だな。
元寇の真実
武士1 :やあやあ我こそは…
蒙古兵1:ズビュ
武士2 :やあやあ我こそは…
蒙古兵1:ズビュ
武士3 :やあやあ我こそは…
蒙古兵1:ズビュ
・
・
・
武士999999 :やあやあ我こそは…
蒙古兵1:ズビュ
蒙古兵1:武士は弱いの殺し過ぎて矢がなくなったから帰るべ
そして神風が大蒙古の船団を襲った…
自然の脅威の前には世界帝国も無力であった
876 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 16:29:20 0
文永は威力偵察、弘安は台風。日本遠征軍は士気の低い三流どころ。
元軍は本気だしてない。開国すべきであったと大河ドラマでもいっているだろう。
昔はこういう馬鹿な話を聞かされても大半の人が疑問を抱かなかったわけで、洗脳教育ってマジで怖いよね
>>877 日本の小学校や中学校の教育って
マジで子供の思考力を潰してるとしか思えない。
879 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 18:14:08 0
刀が強いのはファンタジーゲームの世界だけだな
youtubeの実験でわかるとおり、無残にブロードソードで叩き壊された日本刀があるだけ
その番組じゃ、バトルアックスなんてゴツイものまで用意されていたようだが、前座のロングソードで十分だった
バトルアックスの方だったら完全に叩き壊されていた
業モンの刀ならというやつもいるけど、業モンは全員の武士が標準装備か
どっかの分国法で、槍100本買えるくらいの業モンの刀は実践では役に立たないとなかったか?
その刀が折れたでなく曲がったということは、一応そのロングソードと公平レベルでちゃんとした作りになっているでしょ
当時の日本とヨーロピアンと戦ったら、プレートアーマが敗れず、ブロードソードやバトルアクスで刀ごと粉砕されて終わりだな
1000本に一本あるかないかの業モンの刀なら互角に戦えるかもだが
>>604 ああ、そのすれ立てたの俺だww
このスレ主とは別人だがな
一応俺のほうのスレでは
アメリカ無しでは日本はロシアにフルボッコだったという結論だがな
金や武器なくても永遠に日本で戦闘で勝てるという、根性論だけの、国力無視兵站無視野郎がいたがここのスレのやつだったらしいなww
ここでも同等レベルの議論しているし。おれん所で論破されてこっちに逃げてきたわけか
880 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 18:47:09 0
これを貼れと言われたような気がした。
680 :世界@名無史さん:2010/03/06(土) 19:45:09 0
明らかに玉鋼なんてつかってないなw
ロングソードの同じ材質なんじゃないのか?
http://www.youtube.com/watch?v=qpEC38sL3iU 681 :世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:22:42 O
>>680 使ってるじゃねえか。
製造工程だってちゃんと小割とか
折り返しとかやってるじゃねえか。
あれは正真正銘の日本刀なんだよ。
いい加減ネトウヨは日本刀はロングソードに敗北したことを認めろ。
682 :世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:36:04 0
>>681 捏造乙
それとも、まさか玉鋼が何なのかも分かってないのか?w
683 :世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:40:19 0
ネットで見た日本刀のページから、適当に語句を抜き出して
羅列しただけって感じだな
>>681 685 :世界@名無史さん:2010/03/06(土) 20:50:30 O
>>682 多分、玉鋼が正式な刀匠にしか売られない
ってこと知らないんだろうね。
ちょっとググってみたが、ドイツ人の刀匠なんていないしw
要は西洋剣作ってる人が見よう見真似で刀作っただけw
はいはい。あんたらが想定しているような刀匠とやらが作ってたら勝ってた勝ってた
現実はそんなのわからんから、お前らが検証してくれんとね
現代のドイツの刀匠とやらと鎌倉時代の標準的な刀匠どっちが上かもわからんね
向こうの時代はITもなく技術の電波も遅いからな
結論からいえばあのとおりの結果だね
882 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 19:09:42 0
説得力無いなー
>>879 そもそも武士の主流武器は刀じゃなくて槍や弓なんだけど…
ついでにプレートアーマーは硬いけど重い故に動きにくいし倒れたら起き上がれない
基本ゲリラ戦の日本で戦をやるんだったら素っ裸の首なし死体が大量生産されるだけだよ
じゃあ、向こうのスレで日露戦争でアメリカなしで勝てなかったという結論に至ったのはなぜかな
日本はモン語彙に征服されたロシア以下。メリケンの力がなければアフガンの戦士とかいうのと同じレベルというのはどうか
西洋はローマのころから先進国の文化だった
産業革命は偶然の賜物ではない
もちろんそれは武装の面でも同じ
刀が強いのはもっぱらゲームだけの話で実際の実証結果はでている
ファンタジーに毒されて現実的な議論のできないやつは、金がなくとも士気だけで戦争に勝てるとまでのたまう
886 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 19:30:08 0
>じゃあ、向こうのスレで日露戦争でアメリカなしで勝てなかったという結論に至ったのはなぜかな
向こうのスレ見てみたけど…
どこで結論出てた?
何が西洋文明だよw
世界三代発明「印刷、火薬、方位磁針」だって東洋のが先だよ
ってかローマ自体、アジアから文物の収奪で発展した国じゃねーかwww
なんか西洋房が乱入してまいりましたw
つうか東西分裂以降〜大航海時代以前のヨーロッパの国の中で
その当時の中華文明の国力に匹敵する国が存在するのかよ…
検証の結果で明らかだな
シナやちょんの刀匠や番組ならヤラセですんだが
ドイツ人が作る刀や番組ならその点心配ない
下手な日本人よりいい刀作りそう。まして鎌倉時代なんかとくらべると
894 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 19:51:05 0
>>885 プレートメイルなんてのも実際は革鎧より遥かに劣る代物なんですけど…
質問は変わるけどアメリカ無しでどうやって日露戦争は勝てたの
ファンタジーゲームのごとく日本刀持ったパーティー四人位いればすべての戦いにかてるというというのかな
本題の元寇では勝負にならないからあっちこっちに話題振って逃げ回ってるのかww
897 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 19:54:52 0
>現代のドイツの刀匠とやらと鎌倉時代の標準的な刀匠どっちが上かもわからんね
>結論からいえばあのとおりの結果だね
>じゃあ、向こうのスレで日露戦争でアメリカなしで勝てなかったという結論に至ったのはなぜかな
>西洋はローマのころから先進国の文化だった
>産業革命は偶然の賜物ではない
>もちろんそれは武装の面でも同じ
>シナやちょんの刀匠や番組ならヤラセですんだが
>ドイツ人が作る刀や番組ならその点心配ない
変なのが湧いてきたな。
899 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 20:00:29 0
完全に釣り目的だろ。
そもそも日露戦争と元寇とじゃ時代も状況も全然違うし。
ああん?ν速報のロングソードスレで毎日連戦連勝していたんだが?
901 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 20:13:24 0
ν即(笑)
902 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 20:24:27 0
>>900 俺は厨房の時はクラス全部を占めていたんだぜ、と大学に落ちた香具師が予備校の講堂で叫んでいる感じだな。
日露戦争についてだけど、近代の戦争ってのは色んな国の事情が
複雑にからんで起こるものなの。だからアメリカやイギリスの支援受けたことについて
「ジャップは単独じゃ何もできないwww」って鬼の首取ったように喜ぶのはバカがすることなの。
はっきり言ってスレタイの元寇の頃とは何もかもが違うの。
ロングソードと日本刀の件だけど
そもそも当時の製法を再現しないと無意味でしょ?
しかもそれを踏まえても使用用途が違う武器だし。
打刀と比べるならレイピアかカットラスだし
逆にロングソードと比べるなら打刀よりやや幅広の太刀でしょ。
刀と太刀の違いぐらいはわかるよね?
あと、ガッチガチに装備かためるのが必ずしも強さに結び付かないってことは
ヨーロッパ自身がモンゴルやイスラムにボコられることで証明してるじゃん。
NHKがロシアやポーランドで、モンゴルの支配下に入って国際社会に参加できてよかったねとか言ってきて欲しい。
905 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 20:41:28 0
基本的には、山の民と海の民が必ず世界史の勝者となっている。
山は土地開発と農耕の困難さを克服するため、金属加工を初めとする実践的な学術を生み、
工具から武器まで応用発展が進んだ。
ペルシア人、ローマ人からゲルマン系、トルコ系、日本人までが山で鍛えられた。
海は常に輸送コスト軽減のメリットがあった代わりに、逃走経路無きいちかばちかの冒険性が高く、
計測術や数学や外国語はもとより、物流から投機に至る主権(私的所有権)観念、軍事的組織力を高めた。
古代ギリシア人、ノルマン人、アメリカ人や日本人などが海で繁栄した成功者。
で、山と海の両方で鍛えられればかなり知的にも充実するし、学術から製品技術まで高まる(はず)。
また、戦争においても、比較的近距離でのドカンドカンと一気呵成に攻める戦法が得意。
一方、平原で略奪と逃走を続けてきた民族は、自助努力よりも配分を重視し、法や学術よりも人脈を重視し、
常に遠距離での拡散した戦線で、攻撃と逃走を併せた戦法が得意だった。
で、近代以降は製品も兵器も「直接的な性能と効率」が向上し、山系と海系が常に勝者となっている。
平原の民は、必ず敗者として山系や海系の民に武力でも経済でも屈している。
中国人はこの意味では平原の民、たぶん朝鮮系や満州系もそうなるだろうな、あとアラブも。
906 :
世界@名無史さん:2010/03/14(日) 20:52:17 0
モンゴル人はもともと金貸しに過ぎない。
ロシアやポーランドで、とてつもないホロコーストの数百年によって、
モンゴル人の人口はほぼ殲滅させられた。
今やモンゴル人は、ロシアでも最も卑しくて不毛な地域に住まわされている。
勝者と敗者の宿命はかくのごとく圧倒的だ。
チョン認定
ネトウヨ認定
○○房認定
植草職人
他スレで出された資料丸写し
まぁ見解がどうであれ真面目に議論したい人は寄り付かないわな
一次資料の引用が豊富(笑)
>>907 これでも最初の頃はまともな議論してたのよ。
まあいくつか元寇スレはあるわけだし必要のないスレだわな。
役目があるとすれば隔離スレかな?
もうどう検証しても鎌倉武士が勝った事実しか出てこなくてどうしようもなくて話がそれたのがこのスレ
おそらく、
>>1はわざとこういうスレタイにして
住人達に論破されてネトウヨフルボッコwww
みたいな流れを期待したんだろうが
あいにく世界史板住人は自分の興味ないスレにはまるっきりレスしない
習性があるから、まともな住人は一切釣れず
結局釣れたのは教科書とNHKを信じるバカサヨだけでしたと。
武士最強と言う事実に蒙古房やバカサヨがスレ前半の時点でどうあがいても勝てなくて論破されまくって
決着ついてるのにアホレス連発してスレの存在をネタスレ化しようと必死になってますねw
913 :
世界@名無史さん:2010/03/15(月) 00:53:13 0
>>903 モンゴルやイスラムにフルボッコて何をもって。
1241年のモンゴルの来襲ではポーランドとハンガリー
は蹂躙されたがドイツにおいては撃退(撤退)された。
オゴタイハーンの死は撤退の言い訳にしか過ぎない。
その後もロシア一帯を支配したモンゴルは三度ポーランド
に侵攻したが得るものがなく撤退(撃退されて)いる。
また、イスラムの大国オスマン帝国の襲来に対してもドイツ
は一進一退を繰り返しており、決してフルボッコといえるような
一方的な戦いはしていない。
実際ドイツ本国に侵入したのは2度のウィーン包囲の時だけだ。
侍とか言う東洋の雑魚田舎集団を援護してるやつ頭正気か?
915 :
世界@名無史さん:2010/03/15(月) 05:16:37 0
正直、武士は強い、日本は強いと言われても胡散臭く感じるよね
ウィーンを包囲されるようじゃ駄目だろう。
ああ、完全にクソスレと化したようだな。
スレ前半に鎌倉武士元軍に完勝撃退で結論づいてるからその時点でこのスレも終了してるからね
うーん、日本史板や軍板だと板の特性上どうしても
大陸側の視点が薄くなって、武士強えな流れになりがちだから
折角世界史板に立ったんだから、大陸側の情勢に詳しい
人達の反論が見られるかなあと思ってたんだが
本当に詳しい人達はやっぱりこういう釣り臭いスレタイのスレには来ず
結局、来たのは教科書レベルの知識しかないバカの古い言説
ばっかりだったからなあ。
920 :
世界@名無史さん:2010/03/15(月) 18:31:14 0
どうしてこう上から目を通さない連中が来るんだろう。
921 :
世界@名無史さん:2010/03/15(月) 18:43:06 0
大陸騎馬民族VS渡来系騎馬民族だろ?w
>>919 何言ってるの?日本側元側双方の第一次資料から何からこねくり回して
武士が完全撃退した結論になってるだろ?スレを一から見直せ。
何でモンゴルの資料にはモンゴルが勝ったって記録がある筈だって決め付けてるんだろうな
洗脳でもされてるんじゃねえの
>>913 ヨーロッパって他地域よりも遥かに長期間モンゴルの軍事的風下に置かれ続けた地域だよ。
例えば、ドイツ騎士団とリトアニアは1399年8月にヴォルスクラ川でタタール軍に大敗。
ドイツ騎士団は更に1410年8月のタンネンベルクの戦いでタタール、ポーランド、リトアニア連合軍に
完膚なきまでに叩きのめされてるし。
なんと17世紀になってもモンゴルは東欧で影響力をもっていた。
1648に勃発したフミェルニツキ―の乱でポーランド軍はタタール、カザーク連合軍に連敗。
>ドイツ騎士団は更に1410年8月のタンネンベルクの戦いでタタール、ポーランド、リトアニア連合軍に
おい、なんでタタールを盟主のような書き方で連合に入れてんだ。ただの傭兵じゃねぇか!
一部分に明らかにおかしい記述があると全体の信憑性が疑われるからそういう姑息なマネやめろよ
それとも、それをタネに話をこじらせるのが狙いか?
以前バイト先にモンゴルウランバートル市からの留学生がいてある日仕事で使うチャリが盗まれてた。
鍵はしてなくて理由を聞くと日本はいい国で平和だし日本人は正直者だから泥棒なんか
いないと思ってたと彼は言ってた。同じ日本人として恥ずかしいかぎりだ・・・
しかしどんだけ日本の印象いいんだよw
>>925 フミェルニツキ―の乱も、結局一進一退を繰り返しgdgdに終わったことを隠してんな。
913の言及するドイツやイスラムについてはノータッチだし、どーにもこーにも、
相手の主張に耳を貸さず理解する気もなければ、資料を公平で不正なく扱う気もない、
ただ自分の主張したいことを押し付けたいだけの迷惑な人みたいだね。
そーいう議論の仕方を心がけていれば、ネットでは連日連夜大勝利(な気分)を続けられるんだろうけど
>>928 隠すも何も、そんなの関係ないことじゃん。
フミェルニツキ―の乱でタタールがカザークに協力してる間は現実にポーランド軍は連敗してたろ。
どちらが勝利するかはタタール次第。
「17世紀になってもモンゴルは東欧で影響力をもっていた」のどこが間違ってる?
931 :
世界@名無史さん:2010/03/16(火) 16:15:50 0
932 :
世界@名無史さん:2010/03/16(火) 21:20:27 0
このスレのおかげで他の元寇スレが平和だから助かるよ。
>>927 駅で盗まれたチャリが隣の家の前に止めてあって笑った思い出が蘇った
>>925 >例えば、ドイツ騎士団とリトアニアは1399年8月にヴォルスクラ川でタタール軍に大敗。
このくだりも、それ自体は間違ってはいないんだがその内実が問題。
> 驚くべきことに、騎士修道会は、あれほど非難していたリトアニアとの同盟関係を結び、「分離主義
> 者」のスラブ人をも含めて、ヴィタウタスの南進に協力した。同盟軍は、一三九九年八月ドニエプル
> 川支流のヴォルスクラ川でキプチャク汗国と戦った。しかし、同盟軍は敗北し、ヴィタウタスの夢は
> 儚くついえさった。
山内進『北の十字軍』
要約すれば、犬猿の仲の二国が一時的に手を結んでタタールに喧嘩を売ったが返り討ち。
「軍事的風下」なる用語をどんな意味を持っていていかなる文脈で使ったかのは、
発言した本人以外にはあずかり知らぬことだが、果たしてこれが適当な例なのか…
一つだけなら勇み足や言葉足らず・筆が滑るということもあるだろうが、
発言内容三つの全てに問題があり、そして他にも非難されるべき点がある。
これだけ揃っていれば、まぁそういう人と見なすしかないね。
>>934 だから何も間違ってないだろって。
オスマン帝国に一方的に攻め込まれていただけのヨーロッパを「一進一退」なんて誤魔化すよりも
余程公平な表現。
嘘ではなく間違ってないからといって、偏向してたり誤解を招くような表現が許されるわけじゃありませんよ
お前ら板違いだからやめてくれないかな?どうでもいいわ
>>936 うんそうだね。
実際には燃えてない博多を燃えたと言ってみたり
日本を攻めた元軍は士気の低い寄せ集めだった
だなんて嘘をつくのと同じぐらいしてはいけないことだよね。
まっかく関係のない話を持ち出して自分の話ばかりしたがるクズ938は消えろ
その鎌倉武士が強かったということが事実だとして、教科書を書き換えてまで
事実を教えるメリットがどこにあるんだ?
それより神風神話を維持した方がよっぽどマシだろ。
>その鎌倉武士が強かったということが事実だとして
事実です
>教科書を書き換えてまで 事実を教えるメリットがどこにあるんだ?
メリットも何も事実を教科書に載せるのは当然の義務ですが?
>それより神風神話を維持した方がよっぽどマシだろ。
龍がでてきて云々と言うカルト書を根拠に教えてる左翼思想の言論人って頭正気か?
>>938 マジレスすると、それは嘘とは少々違う。
信憑性の低い偏った資料を基にしたのがその間違いの原因で、
それを再三指摘されても聞き入れず固執しているのが問題。
無論、指摘を理解したうえで無視してるんなら大嘘吐きだが。
943 :
世界@名無史さん:2010/03/17(水) 22:51:09 0
>>938 元軍の士気が高かった記録でもあんのか?
牧畜民であるモンゴル人は馬を用いた草原での戦が得意
農耕民である漢族や高麗人は郷土防衛のための戦が得意
でも日本遠征は船に揺られて未知の国への遠征だぞ。
士気が高いわけないじゃん(笑)
高麗兵と金兵と南宋兵の連合軍でモンゴルは指揮官クラスがきているぐらいだろ。
>>944 一回目に至っては旧南宋軍参加して無いじゃん
武装勢力が殲滅された弱小高麗軍
海戦経験殆どゼロの金軍
騎兵使えない元の将校
どうみても死にに来てるとしか思えん
つうかよっっぽど舐められてたのか?
自分らがぼこったシナ人の国の属国のめちゃくちゃ弱かった高麗のそのまた東にある島国だから
さらに弱いとでも思ってたんだろ
武士は三国どころか、五国一の強者だということだな。
大陸での戦闘になるとまたちがうのだろうが(平原や砂漠の戦闘だとあの鎧甲冑では軽騎兵におとるだろ?)
日本みたいな狭い国でなおかつ上陸戦の阻止というような近接戦闘では武士のような兵種がかなり
ツボにはいったということ。
おそらく敵味方ともに想定外だったんだろう。つか、あちらの連合軍は言葉も習俗もちがうし得意の兵科も
戦術もバラバラ。そんな攻勢軍がいきなり上陸戦なんて今から考えるとカナリ無茶もいいところ。
全く別の地域に上陸して地上戦にはいってから彼らの得意な兵科におうじた戦闘にもっていけばまだ
勝算あったろう。そもそもモンゴルは遊撃戦闘が本領。南宋兵は水上戦闘に長けている。金軍は華北の政権だ。
南宋との戦いでも水上戦に苦しめられている歴史をもっている。 これも陸上での戦闘に分がある。
2回目の前に計画そのものを検証すべきであった。
>>943-945 書いてることが全部間違ってる。
モンゴルは日本遠征にちゃんと騎兵部隊を投入してる。
それに三別抄や南宋艦隊との戦いで海戦経験も豊富。
高麗は国王を筆頭に日本侵略に超積極的だったし、南宋兵も参加希望者を募って編成され士気が高かった。
でも、モンゴル軍は大敗した。
何故なら鎌倉武士の方がモンゴル軍よりも強かったから。
三別抄ってほとんど不正規兵で戦果もたいしたものじゃない。
南宋艦隊ってなんだよ。南船北馬ってだけで
>モンゴルは日本遠征にちゃんと騎兵部隊を投入してる。
しってるが、それがメインでもなんでもない。着上陸戦で本領発揮出来るはずも無いし
南宋艦隊って何? 南宋が弱体化したのはどんどん降将がでるわ、南宋兵を受け入れて再投入したからで
モンゴル人兵そのものが海戦つよくなったわーってことじゃねえだろ。
>高麗は国王を筆頭に日本侵略に超積極的だったし、南宋兵も参加希望者を募って編成され士気が高かった。
積極的ということと、士気が高いというのは関係ない。
士気がひくかったというのが定説だろ。
>何故なら鎌倉武士の方がモンゴル軍よりも強かったから。
なんだ厨房か。
>>950 積極的ということは、士気が高いということだよ。
「士気がひくかった」といのは、日本が強かった現実を認めたくないだけの単なる言い訳。
それから、南宋艦隊ってのは蕪湖でモンゴル軍と戦った賈似道率いる精兵13万、戦船2500余艘。
幼帝を奉じて徹底抗戦を貫いた張世傑率いる兵20万、戦船1000艘。
これだけの大艦隊に勝利したモンゴル軍が、「水上戦が苦手」とかありえないから。
張世傑の軍と戦ったのは南宋の降将たちだろモンゴルの将軍ももちろんいたが、
モンゴル軍というと違和感がある。
まどうせ武士を持ち上げるためにそういう風にいっているんだろう。
はっきりいっておまえうざいわ。
>>952 征服した異民族を大量登用するのはモンゴル軍の常套手段。
だから南宋の降将が加わっているのは当然。
張世傑の軍と戦ったのは、まさに典型的なモンゴル軍なんだよ。
なんじゃその論法w
単に南宋の将兵が同士がメインでたたかっているだけじゃん・・・。
955 :
世界@名無史さん:2010/03/18(木) 16:23:01 0
全然ちがう地域の戦いじゃん。
957 :
世界@名無史さん:2010/03/18(木) 17:22:25 0
今中学の歴史でもモンゴル帝国は征服地の民族を軍に編入して勢力拡大したと習うのに、なんでモンゴル民族単一の方が強いなんて思うんだろ
中学も卒業出来ない知能なのかな
はぁ?モンゴル民族単一の方が強いなんていってないんだが。
さっきから罵倒しているの同一人物か。いい加減にしろ。
959 :
957:2010/03/18(木) 17:42:54 0
>>958 話がずれているな。モンゴル単一軍制のと多国籍編成の比較などしていないのだが
話を理解出きているのか。
日本側は全部日本人なんだから
モンゴル側も最低同数はモンゴル人をつれてくるべき
弱虫だからしたっぱに戦争させるんでしょう
>>961 実際、日本側とほぼ同数のモンゴル人を連れてきてただろ
マジな話日本と蒙古で手を組んで日本軍の戦闘能力と蒙古の輸送力、兵站能力あわせ持った
最強の軍団作って残りすべての国攻めて世界制覇すりゃよかったんじゃね?
というか、せっかく朝廷から支配権を奪うチャンスだったのに、鎌倉幕府は情けない。
なんで幕府には呉三桂みたいな決断力あるやつがいなかったのだ。
鎌倉幕府は、すべての武士を支配してないから
後の江戸幕府とは違うよ
>>962 日本側とほぼ同数のモンゴル人を連れてきてその上南宋と高麗の兵士連れてきて
負けたのか?
それは、弱すぎないか?
最近wikiが、よく編集されてるのは、2chの影響かいな?
史料を引用する奴と、近年ではとか書いてる奴がやり合ってるな
だから大元皇帝に臣従し、その権威と武力で朝廷を追放し、
日本を強力に統治すれば良かったんだよ。
それを目先の利益で、退けてしまった。
何が大元皇帝だよw成り上がりの田舎蛮族の頭領ごときが天皇と肩並べた気になるなw
>>968 元に臣従してる時点で強力に統治じゃないじゃん。
鎌倉幕府は元寇をきっかけに朝艇から外交の権限を完全に奪い、非御家人まで支配下に収めたんだから、
こっちの方が余程強力な統治じゃん。
971 :
世界@名無史さん:2010/03/18(木) 19:53:48 0
単発スレで終わるとこういうバカが他の元寇スレに
流出して迷惑がかかるからこのまま隔離スレとして
続いてほしい。
>>970 建武の新政に変わって一族郎党滅びて強力な統治?
意味わかりませんねぇ・・・・。
みなさん釣りにはスルーでお願いしたいんだが。
最近ネトウヨ狙いの煽り屋が増えてるから。
ネトウヨ乙
975 :
世界@名無史さん:2010/03/18(木) 20:42:29 0
このスレ自体が釣りみたいなもんだろw
>>976 「安倍氏と清和源氏も兄弟関係です。」は
正しくは、親縁関係です。
52代嵯峨天皇と56代清和天皇
978 :
世界@名無史さん:2010/03/18(木) 23:14:21 0
>>948 >高麗は国王を筆頭に日本侵略に超積極的だったし
元朝の傀儡だった国王およびその周辺はまだしも
国をあげて超積極的だったってソースあんのか?
お前の恣意的な妄想じゃねえのか?
>>978 自国の過酷な取立てとか
統治からモンゴルの目を逸らす目的もあったろうし
高麗のことはどうでも良いけど
こういう考え、作戦は珍しくは無いだろ。
タタールのくびきとか、欧州でもモンゴルの統治は
かなり酷かったみたいだしな。
>>978 高麗が国をあげて超積極的だったソース。
高麗の定慧寺の禅僧冲止(1226〜1293)が弘安の役に際し、日本侵略を称えた「東征領」。
皇帝(フビライ)が天下を統御するに
神功は放勲(帝堯)より越えた
徳は寛大で断折を包容し
広い恩沢は隅々にまで及んだ
車は千途の轍と共にし
書は天下の文章と共にした
ただ醜い島夷だけが残り
仮に鼎魚のように群れをなして生きていた
ただ滄溟を隔てていることを頼りにして
よって領域を分けることを図った
苞茅(朝貢のこと)はかつて入ったことがなく
班瑞(朝貢のこと)もまた聞いたことがない
そこで帝がこれに怒って
そのとき我が君に命令した
千隻の龍鵲(軍艦カ)の船と
十万の勇敢な軍兵で
扶桑(日本)の野において問罪し
合浦(馬山)の水辺で軍師を興した
鼓声が大海に鳴り響き
旗は長い雲を揺さぶった
(以下略)
冲止『圓鑑国師集』
釣りか知らんがここ百レス前くらいから散々議論しつくした以前の初歩的な事すら知らない
奴が出没し始めてるけどいちいち相手にしなくていいぞ。
疑問があるなら最低限自分で調べてから来い。
武士厨の自演だろ
983 :
世界@名無史さん:2010/03/19(金) 07:30:35 0
次スレ立てて
>>943-945 日本遠征に騎馬兵が投入されたのはまずもって間違い無い。
ただ、耽羅島遠征の時、中書省とクビライとのやり取りで、
「(耽羅島攻めには)船に乗せると馬が疲れるので蒙古兵は少なめにしましょう」、
という段取りの会話があることや、女直人や屯田軍が多かったらしいことが記録に
目立っているので、文永の役の時の部隊は当時のモンゴル高原や中央アジア、
イランみたいにテュルク・モンゴル系の遊牧民が殆どの騎馬部隊とかはあまり居なくて、
大部分は華北から東北地方に展開していた契丹人や女直人、漢人、チンギス・カンの
モンゴル高原平定の過程で征服・有力諸部族に分配されたテュルク・モンゴル系出身の
人々などからなる農耕地の開拓などを行った屯田軍から選抜された歩騎混成の部隊が多くて、
(『元史』とかで華北方面の配属された「蒙古漢軍」と呼ばれたもの)しかも歩兵の
割合いが多かったらしい雰囲気は、資料上からちらほら伺えるね。
(少弐景資の手勢に射られた劉復亨の部隊が、「十四五騎」「徒人七八十人」という
『八幡愚童訓』と『八幡蒙古ノ記』の記述が示唆的。副将のひとり劉復亨の直属の部隊のはず
なのに騎馬部隊1000騎とか100騎とかではなく、「十四五騎」というテュルク・モンゴル系の
指揮官だったらかなり中途半端な規模なのが何やら意味深い。勿論、騎兵14〜15、歩兵7〜80で
合わせておおよそ100人というところに意味有るんだろうけど。中央アジアとかイランの場合
だったらモンゴルとかに関わらず、君主とか有力アミール直下の騎兵だけの部隊が1000騎単位で
ずらーっと居て、前衛とか左右翼の脇に歩兵だけの部隊が100人〜1000人単位で騎馬部隊とは
別個にいるのが普通。)
文永の役については元朝側や高麗側の記述では、早い話が「高麗の軍と、勅命で派遣された軍」
みたいな大雑把な分け方しか資料上には出て来ないので、「歩兵がどのくらいで騎兵がどのくらい」
みたいな具体的な書き方はあまり出て来きていないよう。何となくそれっぽい記述はあるようだけど、
遠征に加わったそれぞれの部隊がどういう性質がどのくらいの規模だったか内訳の細かい話までは
良く分からないようだけど。
>>980 > 「東征領」
詩文らしく雅語を尽くして書かれてはいるけど、要はクビライの招諭に、海の隔たりを
頼んで応じなかった日本に対して、クビライの勅令によって高麗は日本へ海を渡って派兵した、
程度の意味内容しかうpされている部分には書かれていなくて、「高麗が超積極的だった」
までの文脈まで行ってないねえ。
(天子であるクビライによる派兵は正当的行為である、という主張を前提にしてはいるけど)
要約すると、皇帝からの君命に従って(正規の)軍を派遣した、くらいのまだ受動的な話であって、
「超積極的」というのとは質が違う。もうちょっと高麗が主導的に派兵に関わったような言い方を
文中でしていないと、「超積極的」とまではならないと思う。
>>983 いらないだろ。
日本史板と軍板のスレに合流で良し。
どうせスレの住人ほとんど一緒なんだし。
というか武士厨、モンゴル厨、西洋厨、みんな言ってる事が極端すぎるのよね。
刀vsロングソードの実証
太平洋戦争の結果からも明らかだけど全歴史の過程において日本が西欧に優れていたことはない
元寇だってちょんと、軍事なき大国南宋の寄せ集めを海岸沿いで迎え撃っただけ
それに比べれば、西欧軍は広い平原でモンゴルを迎え撃ってドイツまで足を踏み込ませずモンゴルを撃退している。
当時の侍がそのヨーロピアンとガチで戦争していれば刀ごと侍は粉砕されていただろう
兄貴、スレ終了まで残り13レスで釣りをするとは気合入ってますねw
>>989 削除依頼出せ。
次スレは日本史板か軍板のスレに合流だろアホ
梅
武士>>>>>>元>>>>>>騎士
993なら澪ちゃんがおちんちん踏んでくれる
>>990 お前みたいなアホを隔離するために必要なんだよ。
頼むから日本史板や軍板に出てくるな。
いよいよクソスレも終了だなw
それではそろそろこのスレの結論を述べてもらおうか。
結論は次スレで出そうぜ。
結論はとっくに出てる
結論すなわち↓
1000ならキラーカーンがモンゴル統一
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。