その他参考URLがあったら適宜ヨロ
4 :
世界@名無史さん:2007/09/02(日) 20:02:43 0
オマンチン帝国
6 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 00:33:45 0
今は手元にソース無いんだけど、ビザンツはキリスト教国にもかかわらず、
アスクレピオスとその娘パナケイアは崇拝され続けていた、という話を聞いた。
本当かな?
7 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 00:48:44 0
オスマン・トルコも、ビザンチンの音楽や料理といった文化を引き継いでいたんだっけ?
十字軍の時代には、既にイスラム圏との経済力の差は相当開いていたらしいな。
もっと早くにイスラム圏に呑み込まれててもおかしくなかっただろうに、逆に何であんなに持ったんだろう?
>>9 十字軍の時はまだそんなに差は開いてなかっただろ、十字軍って言ってもも期間長いし
11 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 02:02:07 0
トルコの首都の名前は?
って聞かれた時つい「コンスタンチノープル」と答えてしまうorz
12 :
ドン・ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2007/09/03(月) 02:05:20 0
東ローマって用語を使うよりも
中世ローマ帝国という用語を復活すべきだと思うんだ
>>9 イスラームってより十字軍の時の主敵はトルコじゃね?
>>11 コンスタンティンノポリスって言っちゃえ
元々イスタンブールと呼び始めたのはギリシャ人だったと聞いたが
トルコ共和国の首都はアンカラ。
オスマン時代の公式名はコスタンティニィエ
>>12 中世ローマ帝国って言われたら一般人は確実に神聖ローマ帝国を思い浮かべるよ
しかし、定着しなかったな。まだウィキにのってたっけか?
17 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 07:04:03 0
欧州も日本と同じく、
偉大な帝国といったら
同じ帝国(ローマ、支那)しか
思い浮かばないんだよね。
どっちもモノマネ国家だよ。
欧米人のいう「日本はなにもかも
モノマネでできている」という
戯言は、そっくりそのまま
欧州人に返してやれる
「欧州はなにもかもが
ローマとイスラム帝国の
マネでしかない」と。
18 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 07:14:24 0
最近中国のデザインパクリ自動車が問題になっているが、
かつての日本の自動車も欧米の自動車のデザインのパクリばっかり。
フォルクスワーゲンをパクったスバル360とか。
>>16 渡辺金一先生の著作名だからね。
この板って
>>17-18みたいに、必ず日本の話題にすり替える奴がいるよな。ビザ
ンツ関係ないじゃん。
>>19 そう言う工作がしたい人たちなんだよ。無視無視。
イスラム帝国もサラセン帝国と呼んで欲しい
23 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 13:45:46 0
ビザンチンチン
ビザンツの人間はコンスタンティノープルの事を、「新ローマ」、あるいはただ単に「ローマ」と呼んでいたそうだが
イタリアのローマの事は、旧ローマとでも呼んでいたのかな?
>>19 80年代の主張だよね、「中世ローマ帝国」って、ウィキの記事もちょと肩入れしすぎな気がする
直系の弟子でさえ採用していない名称だし
>>26 大月先生なんかも「中世のローマ帝国」みたいな言い方はするけどね。
ウィキペディアのは一橋の誰かが加筆したとみた。まあ実際中世にあった「ロー
マ帝国」なんだから、嘘ではないだろう
29 :
世界@名無史さん:2007/09/03(月) 15:21:20 0
でもオドアケルが西ローマ帝国の冠を東に返して
東西合一帝国になったんだから、東ローマって呼び続けるのはおかしいだろ
中世ローマ帝国がダメならローマ帝国でいい。同じものなんだから
>>29 アラブあたりだとすんなりローマ帝国と呼んでいるらしい
>>9 ウマイヤ朝の頃から歳入は15倍ぐらい差をつけられていた
唯一評価できそうな科学的成果はギリシャ火だけか
>>29 ビサンツ帝国じゃだめなのか?
>>30 イスラムにとっては「ローマ帝国」は歴史的に見て、絶対的なものでは無く、相対的なものだったからな
パルティアからの強国だし
>>31 そりゃ国の大きさが全然違うから当たり前だろ
穀倉地帯のエジプトをウマイヤ朝に取られた訳だし
皆はどんな本でビザンツに入った?
自分は中公新版「ビザンツとスラブ」
なんかの歴史系のサイトだったかな?
「アッバース朝のバグダッドには、
敵対していたビザンツ帝国の方角を向いていた
風見鶏があった」
みたいな(うろ覚え)記述から東ローマ帝国に興味を持った。
>>37 俺は講談社現代新書「生き残った帝国ビザンティン」
著者は同じ井上先生だね。
あれが何故絶版なのか、納得がいかない。
お前らもう、「キリスト教化されたギリシャ人によるローマ帝国」でいいだろ
えっ?長すぎるって?
>>39 今じゃ古本屋でしか入手できない代物だからな。
俺が思うに日本の出版業界はビザンツを冷遇している
>>41 入門には最適なのに、残念だよねぇ。
東海大学は自分で出版部門持ってるから、尚樹先生のなんかは絶版にならないけ
ど、井上先生は公立大学だからなぁ。文章も読みやすくて、良いんだけど。
今年中に新刊でるかな?
京大出版会から出る予定の井上先生の新刊か。
俺も心待ちにしてるんだけど。
講談社の興亡の世界史シリーズでも何故かスルーされてるビザンツ。
当分、日本語で読める新刊は出ないでしょ。
結局東海大頼みか
大月先生も出す予定だよ
>>46 東海はこまめに出してくるよな
>>48 いや、さ、「神聖でもローマでも無く、それどころか帝国ですらないローマ帝国」も
「古代ローマ人の帝国」も「ローマ帝国」って略せるから混乱しない?
>>47 最近大月先生も積極的だよね。
井上先生は大学の運営に携わらなきゃいけない立場になっちゃってるらしいから、
なかなか本を書く暇なさそうだ。
なら「東ローマ帝国」が一番妥当だろう。
ローマ帝国の東部だよ。
結局ビザンツ帝国でいいんじゃね?
で、東ローマと別物なのかと高校生を混乱させると
ビザンツ帝国(仮)で
「ビザンツ帝国」という呼び方が幅をきかせている理由がよくわかったよw
「ビザンチウム」でヨロ
ギリシア帝・・・いや何でも
>>25 15世紀ぐらいになるともう「イスタンブル」と呼んでたらしい。
>>55 そう考えるとここのスレタイはなかなか上手くできているね
シナ式ならコンスタンティヌス大帝が遷都した時点で
「東ローマ」と呼べないことも無いな。
>>56 ド素人乙
中途半端にラテン語使う理由がわからん。
遷都前は「前ローマ」、遷都後は「後ローマ」で。
>>62 漢王朝かよ
でも最近は、西漢と東漢が主流だよね。
じゃ、やっぱり「東ローマ帝国」か。
>>60 オストロゴルスキーの「ビザンツ帝国史」はその辺りから始まってる。
シナ的に言えば、五胡十六国が1000年続いたようなもの。
そろそろ、中国史基準を当て嵌めようとするのは止めたらどうなの?
じゃあ旧ローマ帝国と新ローマ帝国で
神聖ローマ帝国は偽ローマ帝国
「前期ローマ帝国」と「後期ローマ帝国」で。
前後の境はキリスト教の国教化のあたり。
「ローマ帝国」と「続・ローマ帝国」でどう?
大ローマと小ローマってのはどう?
72 :
世界@名無史さん:2007/09/05(水) 06:30:52 0
ビザンツ帝国の良書ってみんな絶版くさいな。
ビザンツ帝国史 ポール ルメルルはページ数も中身も薄そうだ。
どうなってんだ日本の出版界は。
出版不況で青息吐息
74 :
世界@名無史さん:2007/09/05(水) 08:29:47 0
料理や音楽の文化は、オスマントルコにも継承された
オスマントルコの将軍には、ビザンチン最後の皇族出身者がいた
歴史って地味な部分が重要だね
「ビザンチン」って書く人はどういうきっかけでビザンツに興味持ったんだろ?
少なくとも研究者が書いた本ではないよね?
76 :
世界@名無史さん:2007/09/05(水) 23:14:14 0
古い事典とかだとチンだろ
未だに専門書でも「マホメット」使ってる翻訳者もいるし。どうでもいいがな。
「ビザンチン」という言葉を書けばやたらと噛み付く香具師は、
いかなる過去の怨念、出生の秘密ゆえにそこまでこだわるのか。
>>78 バイトの面接で、ビザンチンと言ってしまったばかりに落とされたんだろう。
>>78 俺の場合ただの興味だよ。
教科書は「ビザンツ」だし、専門家だって「ビザンツ」「ビザンティン」、一橋
系の一部だけ「中世ローマ」。
なのに、わざわざ「ビザンチン」って言うからには余程のこだわりがありのか、
はたまた、師と仰ぐ人が使ってた、とかそういう理由でもあるのかな、と思って。
81 :
世界@名無史さん:2007/09/05(水) 23:59:51 0
デヴィ夫人もビザンチンだったな。
>>79 どんなバイトだよw
>>80 そういえば、あえて「ビザンチン」にする理由ってここに書かれたことないなぁ。
>>78みたいにムキになる奴はいるけど。
もしかして、深い訳があって、「ビザンチン」を使う理由を言うと、誰かに消さ
れちゃうのかなw
83 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 00:57:31 0
英語の発音だと「バイゼンタイン」
ヒサンティンティン
>>83 何だよ、その戸田奈津子の字幕みたいにいい加減な発音
辞書の発音記号みる限り「ビザンティーン」だぞ。
>>83 何だよ、その戸田奈津子の字幕みたいにいい加減な発音
辞書の発音記号みる限り「ビザンティーン」だぞ。
>>83 何だよ、その戸田奈津子の字幕みたいにいい加減な発音
辞書の発音記号みる限り「ビザンティーン」だぞ。
携帯で張り付く香具師はキモイ。
このオタンチン・パレオロガスが!
90 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 01:31:33 0
>>86 三省堂の英語固有名詞発音辞典(標準発音はロンドンの
上流階級英語を採用)だとビザンタインだけど、その他に
バイザンタイン、ビズンタイン、ビザンティーンもあり。
標準発音のザはザとゼの中間音だから日本人の耳で聞くと
>>83 のように聞こえるだろうな
91 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 01:36:06 0
びざんちんランド
>>料理や音楽の文化は、オスマントルコにも継承された
征服したのだから当然のこと
>>オスマントルコの将軍には、ビザンチン最後の皇族出身者がいた
滅んだ国の貴人が滅ぼした国に仕えるなんてよくあること
地味というかよくあることなので特筆するべき事項ではない
マンツィケルトの時の東ローマの軍勢は
第一次世界大戦の時のオーストリア軍並の
他民族軍隊で意思の疎通にも苦労したんだという
ステファン=ドゥシャンの死因は毒殺?
わからないが、ステファンが本当にローマ皇帝になってみても面白かった。
ベネチアの支援もあったからコンスタンチノープルを陸海両面で包囲攻撃できたでしょ。
97 :
世界@名無史さん:2007/09/06(木) 21:46:02 0
>>92 料理はともかく、音楽まで継承されるのは「当然」とは言えないんじゃないかな。
確かに料理のほうは、征服者に広がる例が多いけど。英国にはインド料理屋、
フランスにはベトナム料理屋が多い。日本に韓国料理屋が多いのも一緒かな。
でも、イギリスでインド音楽ってそんなに人気?
>>97 > でも、イギリスでインド音楽ってそんなに人気?
インド系イギリス人の間では人気。
トルコ行進曲のように音楽も結構広がるんじゃないの?
音楽家が影響を受けたり
ジョージ・ハリソンやジョン・マクラフリンが…
なんて一部の話をしてもしょうがないか
でもまあ実際の所、イギリスの現代音楽に西欧のもの以外で一番影響を与えた外国の音楽は、インド音楽だな。
トルコへのビザンツ文化の影響といえば面白い話があって
ルーム・セルジューク朝のある王女は神秘思想家のジャラールッディーン・
ルーミーを敬愛するあまり、イスラムに改宗したギリシャ人の
元聖画師にその似姿を描かせたそうである。
103 :
世界@名無史さん:2007/09/07(金) 18:09:35 0
ビザンツ帝国って軍事力がショボイ印象があるけど、実際のところどうなの?
強い時は強いよ
古代からゲルマン人に三個軍団全滅されたり
ブリテンのケルト人の放棄に苦しんだり
パルティアに負けたことがあるなど
微妙な時は微妙
>>103「ヨーロッパ最強の騎馬軍団」と呼ばれるハンガリーに勝ったことがある
初心者まるだしな質問だこと
やはりどうしても日本じゃ
「ビザンツとローマは別の国」て認識から抜けられないんだな
>>108 > 「ビザンツとローマは別の国」て認識
元々欧米からしてそうだろ。むしろそう言う認識のほうが世界的に常識。
1000年2000年もつづけば国のありようなど変わるものなのに
領土がイスタンブール周辺のみになってしまった頃は
オスマン朝に援軍要請されても100人の兵士しか出せなかったり
112 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 13:19:12 0
十字軍の頃になるとほとんど傭兵頼りになってたんでしょ?
113 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 14:33:36 0
>>109 まさかw
欧米の基本認識はギボンの『ローマ帝国衰亡史』だろ
古代ローマの正統な継承者がビザンチンなのは常識
>>113 後継者も何もビザンツはずっと古代ローマから連続してるでしょ。
西ローマは見捨てられた辺境に過ぎなかったんだから。
>>97 後からやってきたトルコ人が先住民のギリシャ、アラブ、エジプトの文物を自分のものとしたんだろう
ローマ教皇
「異端と異教徒には十字軍を送り込む予定なんで、よろしくね。」
>>116 アレクシオス1世
「こっちが頼んだのは傭兵だ。変な電波集団なんかイラネ」
118 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 19:48:16 0
普通に中世にローマ帝国といえばビザンツのことだろう。
西のほうは聖俗分化しちゃってるし教会が残ってるだけだし
120 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 08:51:14 0
>>108 法制上はつながってるけど、別物と考えるほうがむしろ実質に合致しているでしょ。
日本史で言えば「鎌倉公方と喜連川藩」みたいなもので、法制上はつながってるけど、
実態はまるで違うものなんだから。
王政→共和制→帝政→東西分裂
と古代から実態は変わり続けているが
分裂した東の方だけが実態からローマではない
とはいえない
122 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 12:52:41 O
「シアグリクスの国」とやらもローマ帝国の後継認定していいと思うが
123 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 19:09:32 0
>>121 だから「ローマ王国」「ローマ共和国」「ローマ帝国」「ビザンツ(東ローマ)帝国」
と全部呼び分けてるでしょ。
そういうことか
カルタゴあぼーんからアンゲロス朝あぼーんまでは
名実ともに「ローマ帝国」であるわけだが。
俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ!
今日も未来はないのに十字軍を呼んでやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_)
127 :
世界@名無史さん:2007/09/09(日) 20:07:12 0
>>121 というより東西分裂前から皇帝はビザンチンにいたわけでね
330年の新都コンスタンチノープル建設以来ローマは東に移ってるのよ
>>126 乙
出たな、前スレのヒット作
>>127 中世ビザンツ人の主張の鵜呑み乙
330年の段階では、まだコンスタンティノポリス遷都はそんなに重い意味はない。
>>中世ビザンツ人の主張の鵜呑み乙
そんなこと主張してたとは驚きだ。
中世のなんて書物にある?
東西分裂以降ローマに皇帝はいなくなった
東→コンスタンティノポリス
西→ナポリ
だから
「やっとシリアを取り戻せたと思ったけど
東ローマ軍ははヤルムークで負けてそれどころではありません
でもくじけちゃダメだよヘラクレイオス! 人生とはそういうものだから」
「やっと皇帝になれたと思ったけど
アレクシオスは甥にクーデターを起こされてそれどころではありません
でもくじけちゃダメだよアレクシオス! 人生とはそういうものだから」
「やっと皇帝になれたと思ったけど
ボードゥアンはブルガリア人に反乱を起こされてそれどころではありません
でもくじけちゃダメだよボードゥアン! 人生とはそういうものだから」
ある所にとても仲の悪い兄弟がいました
「俺、イサキオス」
「ぼく・・・アレクシオス」
アレクシオスはイサキオスのようなタイプは大嫌い!
アレクシオスがクーデターをおこしてやると!
イサキオスは目が真っ二つ血を流して廃位だァー!
アレクシオスは仕返しにあってしまいました
甥が卑怯にもラテン人をつれてやってきたのです
甥「てめーよくも追い出してくれたな」
やっと一人で皇帝になれたと思ったけどアレクシオスは
それどころじゃありません、でもくじけちゃだめだよアレクシオス!
人生とはそういうものだから
イサキオス、アレクシオスの親子は仲良く死んでしまいました
ローマ教皇も気づかずに東ローマ帝国は終了していたのです
第三部ネタじゃ無ければ
改変ネタうぜえと言いたい所だがw
.。 。 。 。
.| ヽ / ヽ ./ ヽ / |
|: V V V .|
.|: .|
|________.|.
/ \
/ ヽ
l:::::::::. |
|:::::::::: (●) (●) |
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
>>126 ひまだから来てみたよ
コンスタンティノープル以外の主要都市ってテッサロニキやニカイア、モレアとかあるけど、
皇帝が政務を取る、西ローマ末期のラヴェンナみたいな行在の都市って
のはなかったの?
国土の主要部分を失って別の地に移った例だと遼→西遼があるが、
金や南宋は西遼(クチェルクに乗っ取られた後含む)を遼の後継国と見なしていたのかな?
>>138 ローマ帝国にとって国土の主要部分は東ローマそのものだろ。ヨーロッパ地域なんて遅れていて生産性も低く野蛮な
辺境地帯もいいところだ。
遼と比べるよりは西晋、南宋と比べた方がいいのでは?
西遼=後ウマイヤ朝
南宋、東晋=東ローマ
>>129 確か「アレクシオス1世伝」
邦訳してるサイトもあるから、ググッてみ。
あと、和田先生の「史料が語るビザンツ世界」には、末期のビザンツ人が新旧ロ
ーマを比較した文章があるから読んでみるのをお勧めする。
>>130 西はナポリじゃないだろ
ビザンツ人じゃなくローマ人と呼んでもいい気がするけどね
自称も他称も「ギリシア人」だった訳だが。
末期ではギリシャ人意識が没頭
>>144 自称は「ローマ人」だろ。
末期に「ギリシャ人」って言ったのも、一部の知識人だけだ。
>>139 エジプトとか、シリアとかだよな。
トラキアなんてガリアやイスパニアと同じゴミでしょ。
一部の知識人だけがローマ人意識を持っていて
記録を残していない一般市民はギリシャ人だったんだろ
今でもギリシャ人はたまに自分たちのことをローマ人と呼び
アラブ人はギリシャ人のことをたまにローマ人と呼ぶ
>>148 ド素人乙
むしろ近代までギリシャ人は「古代の異教徒」であって、自分達は違うと考えて
いた。
学問板なんだから、
>>1が貼ったURLと専門書の数冊位読んでこい。
「自分たちはローマ人」とか言っているのは宗教心に固まった一部の神官で
大多数の宗教心の薄い一般農民は普通にギリシャ人だろ
宗教家と一般市民の感覚はかけ離れている。
主教らはコンスタンティノス5世を「糞」と呼んだが
市民はブルガリア敗戦時に、5世の墓につめより
「生き返ってくれ」と懇願している。
さらに市民から嫌われていたエイレーネーは
「イコンを擁護した」から教会から聖人認定されている
日本人は仏教徒だが、日蓮や親鸞や法然を初めとした
僧侶の考えが日本人の平均的な考え方だといわれたら
ちょっと待てよ、と言いたくなるだろう。
極端な多神教の日本人の方が世界では稀でしょ。
アレクシオス3世
「幸運な素人」が現在の地位に就けたのは偶然の
賜物であり、政治に関する知識は少しも持ち合わせ
ていません。しかし職務の重大さに呆然としている
彼の薄ら笑いは、人々の目にはむしろ自信の表れ
のように映ります。彼にとっては幸運なことに、人々
は彼の途方もない無能さにまったく気づいていませ
ん。
「セバストス」って語義も「尊厳者」なのかな?
「アウグストス」って元々は「鳥占い」と関係ある言葉らしいけど…。
テオフィロス
「寡黙な勤勉家」にはカリスマ性はありませんが、それを日々の努力と
持ち前の能力で補っています。その地位を誇ることはほとんどなく、
国家元首を陰で支える「縁の下の力持ち」に徹しています。
>>153 っていうか周りが「ギリシャ人」って呼ぶからでしょ。
「ローマ人」を自称していた、っていうのは専門書に書いてるけど、農民が「ギ
リシャ人」って自称してた、というのは今の所何の根拠もない。
これでは、ただの素人の妄想。ちゃんと史料や文献を示してくれ。
ニケフォロス2世
「歴戦の勇士」は元軍人であり、おそらくは第一次大戦で活躍したベテラン兵士であったのでしょう。
彼にとっての最優先事項は前線にいる兵士に必要な武器と食料を確実に行き渡らせることです。
そのためこの人物は、科学の分野をおろそかにしがちです。
163 :
世界@名無史さん:2007/09/10(月) 20:35:24 0
ノミスマ金貨ってあれちゃんと重さはかってるのかな?
見た感じ、豆板銀みたいで適当っぽいけど。
バシレイオス2世はビザンツ屈指の名君ですが
子供が無かったのは彼が男色家だからですか?
男色家という証拠はない
コンスタンティノス5世
「不屈の改革者」は自らが信じる政治理念と社会体制を
全世界に広めたいと考えています・そのためには
政治的、軍事的な介入を行うこともいといません。
マヌエル1世
「派手好きなタフガイ」は生まれながらのリーダーであり、
真の闘士です。戦争は必ずしも彼の望むところではありませんが、
必要とあらばたとえ負け戦でも徹底的に戦います。
注目を浴びるのが好きなこの人物は数々の独創的な政策を打ち出し、
仮にそれが欠陥だらけであっても、強引に推し進めます。
>>165 禁欲家だったというのはプセルロスが書いているが、男色という話は
>>166の言
うように根拠がない。
>>169 若い頃は遊び人だったけどね
男色のけがあったかはわからんけど、妻をめとらなかった皇帝って珍しいよね?
>>170 確かに珍しいよね。
おかけで、怠惰な弟が帝位につくことになっちゃったけど。
弟も娘しかいないんだから、もう少し早く手を打ってまともな後継者用意しとけ
ばよかったのに。
話ぶった切って悪いが、皇帝教皇主義の完成がユスティニアヌス帝の時だと言われてるが、やはり聖ソフィア聖堂の建立が関係してると見て良いのかな?
>>172 そもそも、その「皇帝教皇主義」っていう言い方がなぁ…誤解招きやすいんだよ
ね。
あと、時期として教会に対する皇帝権が決定的に強くなったのは、イコノクラス
ムの後じやないか?イコノクラスム自体が修道院勢力を弱体化させるため、とい
う説もあるし。
ユスティニアヌスとマヌエル1世は下手すると「口先だけの道化者」に・・・
>>174 ユスティニアヌスは、まだ実績があるじゃん。おかけで、その後悲惨なことにな
ったけど。
マヌエル1世は実績も結局残らない上に、その後の帝国を壊滅的な状態にしちゃっ
たからな。
使っている言語や文字がギリシャ化したラテン人の中には
意識までもがギリシャ化したのがいてもおかしくはないがな
>>175 ユステニアヌスとドゥーチェの違いは
配下にベリサリウスがいるかいないかの違いでは
エイレーネー
「権力の亡者」は国家と国民を自分の所有物と考え
ています。良心のかけらも持たず、目的を達成する
ためには手段を選びません。この人物には、人々
の不安をあおり、敵味方両方を危機に陥れる能力
があります。
アンドロニコス1世
『非情な乱暴者』は単に軍や党のおかげで
昇級しただけの人物です。彼は世界を白か黒か、
つまり食う者と食われる者として見ます。
多くの場合きわめて粗暴で、時には人格異常者で
あることさえあり、情け容赦ない政策を立案します。
>>177 ‖苗‖ [ M ̄]
G\[・ム・ ] 我がローマ帝国がギリシャに
\<▼>吉\ 勝てないのは何故だ?
そもそも何故聖ソフィア聖堂が建てられたんだ?
エイレーネー
『信仰の守護者』は信仰心が篤く聖人として
あがめられている立派な人物です。正統な信仰が
悪による迫害で危機に瀕している時には手段を
選ばず立ち向かいます。そのため、しばしば世俗
ではその高貴な行ないへの理解が不足し、評価が
低くなります。
>>181 エチオピアにもなかなか勝てなかったよね
HoI2のイタリアはうまくプレイするとポーランド侵攻以前に
スペイン・ユーゴ・ギリシャ・アルバニア・トルコ・エチオピアに跨がる
帝国を築けるしな。
エジプト・シリア・カルタゴ・ガリアがブリタニアの蛮族の勢力圏なだけで
どう見ても立派な新ローマ帝国。
トレビゾンド帝国の都には立派な建物はなかったの?
実際のドゥーチェと愉快な仲間たちでは
リビアのベルベル人と遊ぶのが精一杯
>>186 「トラブゾン」でググるとか、山川の「世界歴史の旅ビザンティン」を読むとか
位したらどうなんだ?
人に聞くのは自分で調べて、わからなかったらにしろ。ゆとりめ。
>>171 ママの淫乱っぷりを見てイヤになったという説?あり
実際、ビッチだったしな
俺たちはとんでもない思い違いをしていた
ビザンツ帝国といえば皇位争いが有名だが
古代ローマもクラウディス朝の最初から後継者でもめているし
四帝が相次いで交代したことがあった。
そもそも伝説の王ロムルスも叔父や弟を殺して即位している。
つまりローマははるか昔から後継者問題が頻発していたということだ。
ほかにビザンツがよく言われる悪口に「夷を持って夷を制す」があるが
カエサルはガリア蜂起時にゲルマンの騎兵を投入している。
さらにポエニ戦争の際には、カルタゴに敵対していたベルベル人をカルタゴにけしかけている。
このように、他民族を使って敵対勢力を攻撃させる、という外交手段も
共和制の頃から行われていた。つまり
i| ilレ ミミミミ''"`─- 、
, .,i! i !/i i ミミミミヾ ミヾ ゙ヽ
.i ,!i l.| ' i ゞ 彡ミミミヾ ミヾヾ `ヽ
, i!、k ヽ、 ヽ 彡ミミ ミヾヾ ゙
li l ヾ、 ヾ _,,== ミヘベ
, |i、ヽ ヽ、 ヽ ヾ ゙
!ヾ ヽー- _ ー- ,,__ 〃ヾ
ヾヽヾ ‐- ,,___ /ソツ、ヾゞ、ヾヾ
` 、`ー- 、...,,─-- __,, 彡ソソ ヾゞゞミミ
ヽ.、 `ー --- .,,─-- __,, 彡ソソノ,; ,,-弋ミミミミ
\ ゙ー‐- 、..,,,____,,. --彡彡彡'"'",ィ'-====、ヽミミミ
``,.-、-─r,=====、:;;,,::;;::f" ,.'i´ o`i 冫ヽ ]-'´ ∧∧
゙iヾ ニill 〈 (.O)ーi` ̄´i _`_-_'....' li ゙_/ ヽ
゙i ill::::::::;ー-‐γ'i'::l,⌒ヾ`)::::::::::;;'' 〃u \
゙i :ill::::::::;; ソ::::;i,、, ヾ:::::::;''' _,,ノ' ,r-|
゙i、 ゙`‐=='"..::::::;i,, .,,, ゙゙'''''"~´ l_| ローマ帝国は昔からビザンツ帝国だったんだよ!!
ヾ.イ '''"..-一、 u .lヽ
ヽ :;;l ̄´ _,,,...,.ヽ ,イ_〉
゙i. u ;;iェ'´ i' ヾト! ./:! \
゙!. :;;Fi、 ,,.ツ ./;:;: ゙i
./゙i ヽ ゙;ヽニ二ニ-'´ ./ :;:; / ヘ
/ i ヽ :..,,-‐' /::;' ;:; / /∨\/
(;^ω^)…
>>192 逆だろうがゴルァw
まあ、何だかんだ言って古代ローマ以来の伝統を引き継いでる面も多い訳よ。
宮廷の一部の儀式だけラテン語だったり、わざわざローマ式の寝そべって飲み食
いする宴会用の建物があったり。
ビザンツ帝国の超重装騎兵クリバノフォロスやヴァリャーギ親衛隊って
平均して人数はどれくらいいたの?
>>196 『メン・アット・アームズ』読んでも書いてない…。
最初にバシレイオス2世がキエフから送ってもらったヴァリャーグは6000人
だったらしいけど、全員が帝国に残ったのかどうかも分からないし…
>>197 『メン・アット・アームズ』って洋書?結構ビサンツ軍制に詳しい感じの本なのですか?
私は三千人ってどっかで見たような気がします
そしてなにより超重装騎兵クリバノフォロスってなんですか?
聞いたこと無いしすごく気になります!
>>198 本のタイトルが出てるんだから、それ位ググれよ。
>>199 すいません、携帯からなので横着してしまいました。
それに持っている人に感想も聞きたかったので、ごめんなさい
俺も横着して聞こう
14世紀ごろのビザンツ軍について"The Late Byzantine Army"以外でおすすめってある?
>>197の本の続編も読んだが、とにかく史料が少ないらしいということだけは分かった
>>201 海軍に至っちゃ史料らしい史料ないからな。
ビザンツの場合、海軍力がかなり重要だったのに。
>>202 海軍の軍制はどんなんだったんですか?
帝国中央艦隊と辺境艦隊に別れる前は各軍区(テマではない)ごとに揃えていたのだろうか?
ビザンツ軍についての文献て日本だとほとんどないに等しいな。
ビザンツの関心が高くなったのは塩婆もそうだが、
やはりAoE、Civilization、ParadoxゲーといったPCゲームの貢献が大きいな。
>>204 まあビザンツの歴史を知るのには役に立たないが、「何それ?」っていう輩を減
らす効果はあるよね。それらは。mixiのビザンツコミュも600人位いて、意外と
認知度あるんだな、って驚いた。
ムアコックの小説にも架空の都市ミレンブルクの支配者でビザンチン風の「セバストクレイター」が登場したな。
ビザンチンとかビザンティンとか英語読みの音はダサイ
208 :
世界@名無史さん:2007/09/22(土) 22:57:13 0
209 :
世界@名無史さん:2007/09/22(土) 23:39:23 0
210 :
世界@名無史さん:2007/09/23(日) 00:26:15 0
>>超重装騎兵クリバノフォロス
かっこいいな!
>>209 ビザンツ帝国だろ
ドイツ語読み的に考えて
言語どおりのビザンティウムって呼んでろ。
全部通称なんだから、どっちでも良いじゃん。
建築や美術分野は「ビザンティン」が多いが。
ま、さすがに「ビザンチン」はどうかと思うが。
コンスタンチン
>>210 馬には重すぎて機動力命の騎兵としてはあんまり役に立ったと思えないけどね
ビザンチン
なら、
アウグスツス
チベリウス
デオクレチアヌス
かwww。
クワルナフゲット!!!
アウグスツスは昔の本でよくあるな。
ビザンチンを叩いてる人は、クロアチアもクロアティアとか言ってるわけ?
英語ではクロエイシアって読むけど・・・
>>220 逆に、ビザンチンな人は「アウグスツス」「チベリウス」「チツス」なの?
わざわざ「ビザンチン」にする理由がわからんな。
ま、瑣末な問題だけど。
>>216 たしか弓騎兵の機動を援護する役割とかでは?
おてぃんてぃん
>>221 最初に覚えたのがビザンチンだった、それだけ
お年寄りがイタリアをイタリーって呼ぶようなもんだ
そういえばイタリアも、イタリア人の発音は「イターリャ」だな。
イタリーって何語読みなんだろ?
226 :
世界@名無史さん:2007/09/25(火) 12:09:55 O
マウリキウスの「Tactica」やレオン6世の「Strategica」の邦訳ないし
内容がわかる本ってある?
ねーよ
英語(Italy)またはフランス語(Italie)
>>222 ビザンツに弓騎兵なんていたか?
文字通り蛮族を踏み潰す用だろ
>>221 好みの問題だよ、語呂が悪く聞こえるんだろ
>>231 確かベリサリウスの頃は弓騎兵が多用されていただったと思う
ビザンツ帝国とか18世紀に西洋人がつけた呼び名はもう廃れてほしい。
話は変わるが、レオーン3世はヘラクレイオス並に称えられてもいいと思う。
レオーンが即位した時期はヘラクレイオス以上の危機的状況でしょ?
>>234 ヘラクレイオスも、大して称えられてないからなぁ。
確かにビザンツが地域大国として生き残れたのはレオーン、コンスタンティノス
5世親子のおかげだが。
ヘラクレイオスはギボンがほめてくれたからいいじゃないか
ミカエル4世は、バシレイオス1世のように平民から皇帝になって。
イスラム勢力(ファーティマ朝?)を討伐したりブルガリアの反乱を鎮圧したり
と功績を挙げているのに知名度が低すぎない?
書籍にもほとんどとりあげられてないし。
>>237 兄貴の傀儡で実権を奪われていた、当時の政策は後にマイナスの影響を与えた
などがあるからでは?
皇帝というより、有能な将軍と言った方がしっくりくる人物
>>236 バシレイオス2世はガチで無視してたなw
>>兄貴の傀儡で実権を奪われていた
例の宦官?
マウリキオス、ホスロー2世、フォーカス辺りのことが書いてあるページって無いのかな
>>212 日本語だと、ウィキペディアの各個人の記事くらいしかないんじゃないかなぁ。
埼玉新聞社から『ビザンチン文学入門』が出てるね。
「ビザンチン」ユーザーには朗報ww
というのは冗談だけど、ビザンツの文学なんて全然紹介されてないから、
これってすごい本じゃない?もしかして。
要するに好みの問題だよ
皇帝陛下、グルジア王バグラト4世殿が表敬訪問に来られました。
, -.―――--.、
,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
.i;}' "ミ;;;;:}
|} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:|
|} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
| ー' | ` - ト'{
.「| イ_i _ >、 }〉}
`{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、 .!-'
| ='" |
i゙ 、_ ゙,,, ,, ' {
丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ
''"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-
ヽ、oヽ/ \ /o/ |
「異端の単性説を論じるアルメニア人を共に討伐しないか?
悪い話ではないだろう。」
それよりブルガリア人をどうにかしてくれ
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ .∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ )
し(_) (_)J
>>246 本の内容ではなくネタの部分にしか反応しない、その神経がわからん。
>>246がネタに反応したのかどうか
あれだけの文句ではわからないぞ
251 :
世界@名無史さん:2007/10/03(水) 20:18:41 0
ところで、ビザンツ帝国はやはり中世ローマ帝国と呼んだ方が妥当だと思う。
神聖ローマ帝国が同時代に存在してるからややこしくなるんだろうけど、
神聖ローマは、所詮ゲルマンの蛮族が建てた国であって、正当な継承国じゃないでしょ。
252 :
世界@名無史さん:2007/10/03(水) 20:24:51 0
歴史用語も現代の政治力学で呼び名が変わるもんだしな・・・。
皇帝陛下、ウマイヤ朝のカリフムアーウィヤ殿が表敬訪問においでになりました。
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l::::::::: |
|:::::::::: ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ |
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
ルム人よさっさとコンスタンティノポリスを差し出せ。
今ならアミールぐらいにならしてやるぞ。
恫喝じゃないw
>>221はビザンチン表記を見下すことでしか、自分をたもてないんだべ。
どれ。
裏の納屋さ行って、漬物石ふたつ運んでくるべぇか。
裸にひん剥いて縛り上げた
>>221の小さく縮こまった包茎オチンチンの下に大きなほうの石をあてがい、
小さなほうの石を大きく振りかぶって・・・・・
べちーん!
オオゥ!肉の潰れる感触が腕にズシィンとひびくゥ!
血と肉片と恥垢がとびちるゥ!
断末魔の絶叫がこだまするゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
>>253 で、結果はギリシャ火と冬将軍のコンボでフルボッコwwwww
>>255 いまさら30以上前のレスを、面白くないネタで叩く事でしか自分を表現できない
のもどうかと思う。
なんでホモ吉が沸いてんの?
>>252 エスペラントの創始者ザーメンホフを無理やり縮めて ザメンホフと呼ぶのとか。
>>245 いま密林で注文したのが届いた。
在日ギリシャ大使館の通訳だった人だから、記述は現代ギリシャ語。
ちなみに「はじめに」では、
ギリシャ人たちは言います。「古典の時代の発音等、何ら発音の証明も
できないのであるから、現代的ギリシャ語発音で正しいのである」と。
とのこと。
ま、確かに日本人だって現代日本語の発音で古典作品を読むし、当然と
言えば当然なんだよね。
「ゐ」がどうしても発音出来ないんです!(;><)
263 :
世界@名無史さん:2007/10/07(日) 19:50:39 0
>>261 一理ある。中国人も漢文を現代中国の発音で読むし、
ヨーロッパ人の読むラテン語も、それぞれ各国語風に発音が違う。
ただ、擬音語とか詩とかは、それじゃまずいかもだが。
ローマのふくろうは英語でチューチュー鳴くんだよ
>>263 「かもだが」
戸田奈津子さんなので?
と、それはともかく、
>>261の続きではギリシャ人はビザンチン聖歌も
現代発音で歌ってるって書いてあったよ。
トインビーはギリシャなんて近東文明じゃねーかっつってコライス講座を首になった。
ビザンツは「キリスト教化したギリシャ人のローマ帝国」だから
間接的にギリシャ=ヘレニズム文明と関係があるといいたいのだろ。
270 :
269:2007/10/10(水) 19:41:59 0
やった!書き込めた!
アク禁長かった・・・
ニューヨークのブルックリンにオデッサと呼ばれる地域がある。ロシアン・マフィアの
集住する地域で、彼等の多くがウクライナの南端オデッサ出身であり、 故郷の名を
冠してそう呼ばれている。彼等は石油密輸に従事する石油マフィアである。
ロシアン・マフィアの故郷、黒海を望むオデッサの町では、所々で古代ローマの
詩人の詩を刻んだ石碑に出会う。海洋都市、古代ローマ帝国の船舶が寄港する
ローマの衛星港湾都市としてオデッサが繁栄して来た事が分かる。
フランスの古語にロマン語という言語がある。ロマン語で書かれた物語をロマンス
と呼び、現在では恋愛小説の代名詞となっている。このロマン語を話すロマン人を
英語読みでルーマンと呼び、ルーマンの作った国をルーマニアと呼んだ。
ロマン語を話す人々を古くはラテン語でア・ロマンと呼び、彼等が香水を良く使う事
から「香り」の事をアロマと呼ぶようになる。このア・ロマン=アルマンの作った国が
英語読みでアルメニアになる。 アルメニアもルーマニアも、フランスの東方への
植民地であった事が分かる。
1917年、ロシア革命で滅ぼされたロシア帝国はロマノフ王朝であった。
ロマン人の国ロマノフは古代ローマ帝国を引き継ぎ復活させるという意味であった。
フランス・ルーマニア・アルメニア・ロシアのロマノフを結んでいたのは古代ローマ
帝国を復活させようというロマン人のネットワークであり、オデッサにあったローマ
帝国の詩人の石碑は、オデッサがこのロマン人のネットワークの一環として貿易
の要になって来た事を示していた。
古代ローマ帝国は東・西ローマ帝国に分裂した後、早々に西ローマ帝国は滅び
分裂し東ローマ帝国はビザンツ帝国として生き残る。一方ローマ帝国の皇帝と
激しく対立したローマの富裕貴族は、イタリアのベネチアに自分達だけの帝国を
作り上げる。自分達が対立していたローマ皇帝の末裔ビザンツ帝国には一緒に
住めないという形になる。
当初ベネチアはビザンツ帝国の出先機関としてビザンツの行う地中海貿易を担い、
地中海の警備を担当する。しかし地中海貿易で豊かになったベネチアは銀行業
で莫大な富を蓄え、遂に敵であったオスマン・トルコと組みビザンツ帝国を滅ぼす。
ここにローマ帝国ロマン人に寄生しながら、最後は寄生主を裏切り滅ぼした
ベネチア金融業と、ローマ帝国ロマン人との怨念の関係が決定的となる。
このベネチア金融業の中核にいたのがユダヤ人銀行家であった。
ローマ帝国の衛星都市として栄えてきたオデッサは、またユダヤ商人の商業
都市としても栄えて来た。オデッサのユダヤ商人。その背景にはローマ帝国と
ベネチア帝国の因縁の対立という歴史があった。
オデッサの公立図書館で古い資料を漁っていると、黒海最大規模の港湾都市
オデッサの港を整備したのが石油企業オクシデンタルであると古い公共工事の
出納帳に記載が出て来た。
環境保護を訴えるアメリカのアルバート・ゴアの会社オクシデンタルが、米国の
敵国であったソ連の石油をこのオデッサの港から密輸していた。そのために
ゴア一族は自分の手でオデッサの港を整備していた。
オクシデンタルの会長アーマンド・ハマーの父は、オデッサ生まれでオデッサ
育ちのユダヤ人であった。オクシデンタルはこのオデッサの代表的ユダヤ系
企業として、ロマノフ王朝の後継者ソ連の石油に寄生して来たとも言える。
このゴアの密輸石油を、オデッサ港から運び出していたタンカー企業ラファルジュ
の弁護士が、次期大統領候補ヒラリー・クリントンだったのである。
石油、鉱物資源マフィアのマーク・リッチ等とゴアが、弁護士を共有してきた歴史的
背景には、オデッサ出身のユダヤ系ロシアン・石油マフィアと全く同じ石油密輸
ビジネスをゴアが行って来た事から来ていた。次期大統領候補ヒラリーも同類である。
強い電波を感知しました
ベネチアの金融業者はユダヤ人を排斥して生まれた様な物だというのに。
>>269 そのウィキペディアの記事は、なんか直訳っぽくて読みづらいな。
何で「ビザンチン将軍問題」なのか由来が全然書かれてないし。
>>271-272 アルメニア、ルーマニアがフランスの植民地?
デタラメも甚だしいな。
埼玉新聞社『ビザンチン文学入門』
まえがきで塩野七生の名前が出てびっくりしたが
肝心の内容はビザンツの文学から競馬場まで幅広い中味で
ビザンツマニアなら満足できる品物だと思う。
ちなみに自分は市の図書館に入荷したのを読んだ。
余談だが後半の人物略伝は人名覚えるのがウザいので読み飛ばした。
277 :
世界@名無史さん:2007/10/14(日) 08:54:11 0
ユスティニアヌスがイタリア遠征しなければな。
井上浩一「ビザンツ帝国」
ポール・ルメルル「ビザンツ帝国史」
両方読みましたが叙述が早足過ぎていまいち頭に入っていきません
塩野本並みに丁寧でわかりやすくておもしろいビザンツの通史なんかないでしょうか
>>278 チョイスが悪い。井上先生はもっと分かりやすいのがあるのに、なんで専門家向
けのなんか選択したの?
>>279 ミナレットを折って、先端に十字架を取り付ければ完璧だな
コンスタンティノープルをジオラマで再現するような猛者いねえかな。
NHKのCGで描かれたことはないよな?
>>282 BSでビザンチン特集した時にCGされたような・・・
うろ覚えですまないが。
マケドニア王朝の頃ってなんであんなに強かったの?
自営農民兵基幹で士気が強かったから?
>>284 傭兵主体のバライオロゴス朝軍のへタレさから考えると
そういう意見も認められる。
トレビゾンドの皇帝って
ニケーア勢と手打ち後は「ローマ皇帝」を名乗るのやめて
長ったらしい特定地域の「皇帝」を名乗ったんだな。
それでも皇帝なのね。
メガス・コムネノス
290 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 00:21:43 O
10年前受験生だった頃読んでた、マンガ世界史みたいなやつで、
ビザンツの人が「ビザンティンはビザンティン、皇帝教皇主義でいくぜ!」と叫び、
ローマ教皇が「勝手なことしおって!」と憤慨してるコマがあった。
皇帝教皇主義ってのも正確さに欠けるし、
ローマ教皇のセリフも不適当だよな。
受験世界史だったらその程度の認識でもいいんじゃね?
どうせビザンツ史なんて小問でちょっと聞かれる程度だしさ…。
漫画でビザンツが出てくるのってそもそも希少だな。
「ジハード」とかしょうもないのなら別だが。
293 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 21:25:24 O
つーかビザンツが日本で人気が出てきたのって
やっぱり光栄のゲームやエイジオブエンパイアUとかで
ビザンツ帝国が出てきたからなのか?
>>293 光栄のチンギスシリーズでビザンツが使用可能国家なのと
丁度その時期に井上先生が日本語で手軽に読めるビザンツ史の本を出したのが
あると思う。
高校の世界史の資料集でも丸々一ページあるよ。
それで興味持った。
>>293 この程度で「人気がある」といってよいのだろうか…
俺好きw
でも人気ないよなあ…
俺は高校の世界史から好きになったけどな。
世界史の資料に、1世紀ごとの世界地図が出てくるんだけど、
いろんな国が消えては現れる中でずっと消えずに勢力を保つ国があって、
「すごいなこのビザンツ帝国って国。あれ、これってローマ帝国なの。
じゃあ、伝説上の建国から2000年以上も生き残ってきたのか。凄すぎw」
というので興味を持ったよ。
周辺地域をどんどん併呑していって俺達最強!、ないわゆる世界帝国ローマから
西欧やイスラム、北方の蛮族といった脅威に勢力を削られていって
西欧世界からギリシア帝国といわれるほどギリシア化が進んでも
かつての栄光と伝統、ローマ人としての誇りを最後まで持ち続けた偉大なるローマ帝国。
これ以上賞賛し続けているとスレ埋まりそうなんで自粛。
>>298 みんな好きになる理由はそういうところだろうな。
なかなか理解してくれる人は少ないが。
>>296-297 ま、昔よりかは人気だろ。
>>298 オレと同じで笑ったw
今日のNHKのドキュメントでビサンツの海上要塞がちらっと映ってたよ
なかなか、海上要塞何て無いからびっくりしました
今もそれ見てるけどビサンツ好きの俺にはどっちの味方もできないな…
301 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 15:34:53 0
ロマサガのエスタミルという都市がコンスタンティノープルがモデルっぽいのでそこから興味持った。
東ローマ帝国が人気ないのは
ルネサンスの時からの「中世暗黒時代」史観と
関係がありそう
303 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 21:06:44 0
文芸の方は、どうだったのでしょうか?
彫刻家や画家の地位は、ローマ帝国からして低かったみたいだが、
詩人や哲学者は敬われていた
304 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 21:20:50 0
>>303 マケドニア朝、パレオロゴス朝などで古代ギリシャ文芸の復興がたびたび行われ、
古い文献の写本を作ったりしてギリシャ科学・哲学の継承にも大いに貢献している。
その他にも、パレオロゴス朝ルネサンスが
イタリア・ルネサンスに影響を及ぼしたというから、そのクオリティーの高さは推して知るべし。
俺は科学技術の水準が気になるな。
ローマ帝国西方では、水道橋はうち捨てられ下水道もなく糞だらけだったが
東ローマは上下水道は整っていたのかな。ウァレンス水道橋があったから上水道はいいだろうが。
大浴場が廃れたなら、ボイラーで湯を沸かしたりする技術は失われたのか。
官営の絹製品工場があったが、初歩的な機織り機などでもあったのか。
帝国末期には大砲があったようだが、当時としてはどの程度のものだったか。
その他、火薬や製紙、印刷技術や医療の水準etc。
ネットだとこういうのはあんまり見つからないな。
>>303 そんなあなたに『ビザンチン文学入門』
ただいま、埼玉新聞社から発売中。密林でも買えます。
>>305 現物が全然残ってないからな。
「ギリシャの火」でさえ謎だし。
リュートプラントの報告に出てくる、「皇帝が一瞬にして衣装替え」
とか「吼えるライオンの像」とか、謎はまだまだある。
>大浴場が廃れたなら、ボイラーで湯を沸かしたりする技術は失われたのか。
それはアラブ人の報告に「心無い人たちが来て壊してしまった」って
思いっきり書いてあるらしい。井上先生の『ビザンツとスラヴ』に載っ
てるけど。
>ネットだとこういうのはあんまり見つからないな。
もともと、ビザンツを紹介しているサイト自体が少なすぎ。海外はあるけど。
>>306 なるほど。浴場は街の暴動かなにかで破壊されて再建されなかったのね。
ギリシアの火は大体どんな材料から精製したかってことはわかってるようだ。
それと、youtubeでこんなの見つけた。
ttp://www.youtube.com/watch?v=yymXqXabqls 英語がわからなくても、大城壁や水道橋がどのように造られたかよくわかった。
少なくとも12世紀くらいまでは、帝国は技術的にも先進地域だったようだ。
リュートプラントの報告の内容って、確か皇帝がカーテンの向こうに隠れたと思ったら、
一瞬で服が変わったとか、そういうのだったっけ?
如何せん、まだまだ不勉強だな。
>>307 暴動って言うか、7世紀にイスラムの包囲を受けてたような頃に
放棄されたらしい。ユスティニアノス2世の頃までは記録がある
らしいが。その頃水道橋も使えなくなってるし(コンスタンティ
ノス5世が水道橋を修復させた)。
リュートプラントの報告のは平伏して顔を上げたら、皇帝がはる
か上に移動していて、服も替わってた、というもの。井上先生の
『生き残った帝国ビザンティン』に書いてある。
これ、さらっと書いてあるけど中世としては凄い技術じゃない
か?
初代ローマ帝国
帰ってきたローマ帝国
ローマ帝国二世
ローマ帝国V3
ローマ帝国〜アウグストゥスの皇帝はつらいよ、ハギソフィア慕情〜
なんで分裂=滅亡でないの?
三国志の蜀は国号は漢だけれど、漢が263年まで続いたって言わないじゃん、220
年滅亡だろ。
モンゴル帝国の滅亡はいつ? 中原放棄の1368年か? モンゴルの大ハーン位が喪失した
1648年か?
分裂し、もともとの土地とは離れた場所の政権で、言葉も習俗も祈る宗門もおよそ違っても
継続しているというなら、ヒヴァ・ハン国やブハラ・ハーン国の廃位の1920年だな。
他の地域と同じ基準ではかると、ビザンチン帝国はローマ帝国でない全く別の政権・国である
ことがわかるだろ。
専門書もロクに読んでないゆとり
>>312に、誰かテトルキアから説明してあげてよw
もう「分裂」とか言ってる時点でド素人だな。
生き残った帝国はそろそろ講談社学術文庫で復刊しないかな
ビザンツ帝国領でそれ以前にローマ帝国領になったことがない地域ってある?
>>311 無知も甚だしいな。
>>317 無いと思う。
基本的に征服戦争も全て「旧ローマ帝国領奪回」の範疇だし。
>>317 古代ローマ領をトライヤーヌス帝の時期を基準として考えるなら、
ブルガリア征服後のバルカン半島北部のごく一部を除いて、
ほとんど全ての東ローマ領はその当時の支配区域に入るだろう。
ただ直接の領土でなくて影響下に置いていた地域も含めるなら、
キエフ公国の辺りはビザンツ以降と呼べるかな。
これは想像だが、もし帝国がオスマン帝国をなんとか退けて
半分属国ではあっても、首都周辺の独立を維持してたらどうなっていただろうな。
多分の今のギリシアがコンスタンティノポリスまで広がっただけか、
ギリシアとはまた別の、今のキプロスのようなギリシア人やトルコ人が入り混じった
コンスタンティノープル自由国といった国なってるか・・・。
そう考えると、曲がりなりにもローマ帝国として滅亡した史実が一番いいな。
>>318 ウェストファリア条約の30年戦争だって、
ナポレオンのイギリス攻略やエジプト上陸も、
ローマ帝国の旧領の再統一が名目になっていたよ?
>>318 アルメニアやグルジア、黒海北岸とかはどうだろうね?
ボスポラス王国とかはローマの属国でなかった?
ローマ時代の主要都市って、西側じゃ殆ど生き残ってるが何で東ローマ/ビザンツ側だと大抵見る影も無いんだろ
コンスタンティノープル、アレクサンドリア、ダマスカス、エルサレム以外下手すると全滅してない?
トラブゾンやアンティオキア、カルタゴ、ニコメディアとかどれも中小都市に転落してる
特にアンティオキア・゚・(ノД`)・゚・。
>>320 エジプト遠征の大義名分は現地マムルークによって
損なわれているオスマン帝国の権威の再興
>>322 バシレイオス2世の時にヴァン湖付近にテマがある
でもここいらはトラヤヌス帝のとき一時的に征服されただけで
ハドリアヌス帝の時には放棄されているから
ビザンツ帝国領でそれ以前にローマ帝国領になったことがない地域
と強弁できないこともないかも
>>324 アンティオキアやアレッポは度重なる地震&十字軍VSイスラムの激戦地だからねえ。
トレビゾンドなんかは経済の主軸移動が主因かなあ。
トレビゾンド帝国はなんでローマの後継扱いされないの?
やっぱコンスタ領有してないから?
>>327 だって自分で「ローマ皇帝」諦めてるもん
ビザンツがローマ帝国の正統だなんて言い分は台湾が中国の正統だって言い張るくらい無理がある
中華民国が大陸を放棄した時点で実質滅びたようにローマ帝国も西方を放棄した時点で実質滅びた
よって
>>311は正しい
自演乙
日本に例えると
天皇が東京に遷る
↓
日本内戦
↓
東日本と西日本に分かれる
↓
西日本が中国に併合される
↓
東日本が一時的に近畿を奪回
↓
中国人が勝手に西の天皇に即位
↓
ロシアが東日本を滅ぼす
北宋と南宋みたいなもんだと思ってたが
>>329 ひどい自演だな。
>>311は「分裂」とか言ってる時点で既に間違い。
ローマ・ビザンツの専門書を読んでないことがすぐに分かる。
カール大帝以前は、西欧も一応ローマ皇帝として認めていたことも考慮されてな
い。無知も甚だしい。
専門書も読まずに偉そうな口をきくな。
>>331-332 ユスティニアヌスの領土奪回が考慮されてない。
まあ、すぐに日本や中国を例えに出してる時点でダメだな。
南宋は(モンゴルの力とはいえ)旧領のほぼ全てどころか、北宋以来の失地まで手に入れかけたんだけど?
そういう意味ではユスティニアヌスの方がショボいんだが。
>>329 自演してもいいけど、せめて専門書1冊くらい読んでから言おう、な。
337 :
世界@名無史さん:2007/11/02(金) 14:18:48 0
>>324 ブカレスト、ベオグラード、ソフィアとかは?
>337
ローマ時代の大都市とはお世辞にも言えないだろ…
>>334 手に入れかけただけで、実際に奪回して統治した実績が無い。
100年弱は西側に拠点を置き、250年近くは宗主権を西欧に認めさ
せていたビザンツとは比べ物にならない。
そもそも素人自演厨
>>329や
>>334みたいに、中国史基準で他の地
域を語ろうとしているのはおかしい。喪前らは北京の手先か?
でもヨーロッパ側のローマの主要都市って、イタリア半島以外だと、マッサリア改めマルセイユくらいじゃね?
>>340 メディオラヌム(ミラノ)は?
ルテティア(パリ)とかロンディニウム(ロンドン)は微妙だな。
結局、古代と近代以降で東西が逆転してるだけじゃないかと…。
ビザンツの時代までの、ローマ勢力圏の都市ランキングだと、1位がぶっちぎりでアレクサンドリア、2位アンティオキア、
3位がカルタゴで4位くらいがローマ、こんな感じかな?
>>342 何で「ビザンツの時代まで」って言ってるのにコンスタンティノポリス
が入ってないの?「ビザンツ以前」なら分かるが。
>>342 おいおい
ビザンツスレなんだからミストラを忘れんでくれ
18世紀以来廃墟になって面影はなくなったが、世界遺産にも指定されているはず
だが
ビザンツ末期、政治的、軍事的に衰退した帝国で文化的に頂点を極めたビザンツ
末期の中心都市をお忘れなく
>>343 「ビザンツの時代(に入る)まで」のつもりで書いた。混乱させてスマン。
リウトプランドの話が出たので調べたのだが、実は和訳が出ているかも知れない・・・
大月先生の科研費報告でそのようなモノを発見、誰か現物見たやついる?
しかし、名前は統一しようや・・・
リュートプラントかリウトプランドのどっちでもいいからさ・・・
池袋のリブロにもジュンク堂にもビザンチン文学入門置いてねー!
これは去年5月にリデルハートの大戦本買いに行って以来の神保町逝きか…
>>348 最寄りの図書館で探すか注文すれば?
うちの市の図書館に置いてあるので早速借りて読破したが
さして目新しい内容じゃなかったので些か残念。
亀で悪いけど
>>12 >東ローマって用語を使うよりも
>中世ローマ帝国という用語を復活すべきだと思うんだ
賛成
>>16 そんな事ないんじゃない?
>>351 東ローマってのは北宋南宋みたいな呼び分けだろ。特に変でもないと思うぞ。
いっそ前漢後漢にならって、前ローマ帝国、後ローマ帝国とでも呼ぶかw
Euratlasでビザンツを見ると・・・
THE ROMAN EMPIRE
その下に小さく
called Byzantium
一番正しいのはローマ共和国じゃないの?
>>355 専門書読まないで、いい加減なことを書く馬鹿ハケーン
確かにローマ共和国で正しいよ。
1849年の革命時に誕生した政権のことだけど。
ローマの元老院と市民
バシレウス国
>>354 そういや当時のアルメニアってアミール領だったんですね
ビザンツの名将といえばベリサリウスだけど
彼以外に誰かいるかと問われたら返答に窮した。
皆は思いつく名前ある?
ナルセスとかヘラクレイオスとかマケドニア朝最盛期の皇帝とか。
>>363 ニケフォロス2世、ヨハネス1世、バシレイオス2世は間違いなく名将だな。
イラクリオンもササン朝の都クテシフォン辺りまで攻め込んでいるが。
そういえばナルセスは宦官だったが、宦官の軍人って珍しいのか?
>>365 イラクリオンはクレタ島の都市名だろ。中世ギリシャ語はイラクリオスだ。
宦官の軍人って、ビザンツ以外じゃあまり聞かないなぁ。
>>11 超亀だがそれも正しい
エルザス=アルザス、ロレーヌ=ロートリンゲン、グダニスク=ダンツィヒ
コソボ=コソバ、フォークランド=マルビナス、ツァーリグラード=イスタンブール、
カリーニングラード=ケーニヒスベルク、サハリン=樺太
国よって地名の音が違うのはよくあることだからどっちでもよろしい
370 :
世界@名無史さん:2007/11/13(火) 11:27:21 0
なんか古代からクーデターで皇帝が変わっているね
中華なら後漢→新→前漢→魏というふうに滅亡したとか
国が入れ替わったと扱われているだろうね
>>369 >>11はそういうひねった笑いが入ってるんだけど
>>367も「音」というのが何かひねったギャグなのかどうかと
思案してるんだがよくわからない
373 :
世界@名無史さん:2007/11/13(火) 16:20:22 0
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>>370 神、火薬、羅針盤を生み出した偉大な中華と蛮族の混合国家である大秦とは比べ物にならぬは
>>372 素で間違えただけかと
>>373 そっちも鮮卑だの何だのが混じってるだろうが、アジアの僻地のバルバロイどもが!w
と、「世界の中心」を自負する国同士の場合はなるわけだ。
ビザンツ〜ビザンツ〜うるわしの〜
国歌ってあったのかな、ビザンツ帝国。
376 :
世界@名無史さん:2007/11/13(火) 19:39:20 0
ビザンツ帝国の一般庶民って、どんな人達だったんだろうかね?
どんな生活してたのか、実態がよくわかんねーな。
>>376 それは首都のビザンチンに住んでいる人間か、他の都市の人間か、地方の村落の人間か、で
色々変わってくると思うぞ。
ビザンチンの人間に関してはローマ帝国時代のローマ人とそう変わらなかったようだが。
378 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 00:32:47 0
>>377 >ビザンチンの人間に関してはローマ帝国時代のローマ人とそう変わらなかったようだが。
え、そうなの?
奴隷制が崩壊して社会制度が変わったから、いわゆる古代のローマ人とは違うような気がするんだけどね。
>>377 >それは首都のビザンチンに住んでいる人間
普通首都をビザンチンと呼ぶか?
あと、古代の「パンとサーカス」はヘラクレイオスの時に無くなってるし、
既出だが、大浴場も7世紀には破壊されている。
8世紀以降のコンスタンティノープルは商工業者の街として復興した訳だか
ら、古代とは全然生活が違うぞ。井上先生の『ビザンツとスラヴ』に書いて
ある。
得意げに書くのはいいけど、せめて入門書くらいは読んでから言おう、な。
ブルガリア人殺しについてざっくりと聞きたいのだが知識あるお方います?
↑についてだけど、バシレイオス2世について研究している人って日本にいないね・・・
大月先生とかはかすってるけど、ど真ん中ではないしさ
アレクシオス1世はいるのにね・・・
って、そんなこといったらヘラクレイオス帝は(ny
383 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 01:45:02 0
>>382 ええ。なかなか資料がなくて難儀してます。
どなたかいらっしゃいましたらよろしくです。
>>381 折角ですが存じてます。
>>375 軍隊の歓呼とかが国歌では?
>>379 ビザンツ関係の本のカテゴリー分けとかやったら面白そうだw
>>373 お前は国書を送ってきた奴だなw
国歌とか国旗とかって近代の慣習では?
>>384 とりあえず、お前が読んだ本とやりたい事をおしえろ
そして、無いものは無い!
とりあえず、英語版Wikiは少し詳しいぞ
>>387 確かに。専門書をどこまで読んでるか分からないと答えにくいわな。
>>384が尚樹、オストロゴルスキーの『ビザンツ帝国史』とか、『ビザ
ンツ帝国とブルガリア』まで読んでたとしたら、もう外書読んでる人じゃ
ないと答えられないだろうし。
前にプセルロスの『年代記』の英語版の邦訳してるサイトがあったんだけ
ど、消えちゃったしなぁ。
英語版Wikiから飛べるサイトはかなり詳しい!
そして、そこにプセルロスは皇帝の性格についての記述以外価値は無いと書いてあって
プセルロスを読んでた俺は涙目になった・・・
>>389 プセルロスはヘロドトスに倣ってるのか、読み物としては面白いが、
「本当かよ?」といいたいのが多いからな。
コンスタンティノス8世が剣闘士競技を復活させて自分が出た、とか。
コンスタンティノスが即位時には60を越えてたのに、そりゃないだろう
と。コンモドゥスになぞらえたかっただけの
ように思える。
そんなことよりローマ市民が暴れてますよ
>>391 ローマの市民は暴れるものです。ローマ市民が暴れていない状況の方が異常なのです。
警察署襲撃したってよ
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ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ
暴動がおきているところは払林どもの昔の首都だったところではないか
やはりなんやかんやいって化外の民よのう、早く地中海一体に華人を住まわせねばな
フーリガンのローマ進軍
>>374 カリフのことは認めていたから別に「世界の中心」を自負していたわけではない
アラブやブルガリアとはいったいどれぐらいの兵力で戦っていたんだろ
ニケフォロス2世とかの軍事行動も彼我の兵力や損害を記している本にお目にかかったことがない
テマごとの動員可能兵力の記録とか残ってないのかな?
>>397 ニケフォロス2世は「おまいらなんかぶっ潰す」って手紙書いてるけどね。
大主教からそう言えといわれたのかね
>>398 清のように数万人しかいないビルマ軍に
数十万の物量をぶつけて頭を下げさせたけど
数十万のうち半分がやられていたとか
そういう感じなんじゃないの?
>>398 相手のアラブ側の記録とかないんだろうか
>>399 手元にあるオスプレイの本によると10世紀初期ごろで最大規模のテマで15000、最小のところで2000〜4000ほどだとか。
ただ、10世紀終わりには「東部の各テマは総計3000〜6000の兵しか集めることができなかったという」そうだ。
他の史料でも「各テマ軍団の騎兵の全戦力はせいぜい3000どまり」だとか。
だれか最近、タグマについて研究してなかったけか?
ビサンツ史の良いところは発表される論文が少ないから、国内の流れについて行きやすいとこだなw
>>404 馬、馬具、兵装一式揃えるとしたら相当裕福でないと無理だから
その数は妥当かも知れない
むしろ多い?
俺もオスプレイ持っているんだけど、明らかにアラブ側史料が基になっているね
それと、戦争には中央軍も参加しただろうからそれも計算に入れる必要があるかも
テマの土地所有農民兵は外征には向かないし
>>407 外征にテマの兵はついていけない→没落、小作化→軍隊傭兵化→金かかるから削
減→弱体化→トルコ人に敗北
>>408 最初の部分はテマの反乱多発→テマ軍を縮小・解体ってのもあるんじゃね?
>>400 なんだその呂布や項籍なみに頭の悪い手紙は
やくざのたんかかそれは
>>374 ペリーの日本人評と1944年にイギリスの諜報員が作成した
日本の分析の報告書を思い出した
>>411 やはりそう思う?あのおっさん
ゴリラやチンパンジー並に知能が低いんだよ
>>411 単に2ちゃんねる風に訳してるだけだろ。内容は井上浩一先生が「ビザンツとス
ラヴ」で紹介してるから、それを読むべし。
よう! やりチンヨハネス
コンモドゥスより強かったとしたら面白いな
>>413 帝位に即いたら愛人に罪を全部押し付けて棄てた悪党乙
でも皇帝としての治世はバシレイオス2世の黄金期へと続く優れたものだったんだよな。
性格の良し悪しは政治能力とは関係ないってことかw
まあ、同じ名前で寛大さで知られた方も有能であったけど。
>>418 そうなんだよね。皇帝になるまでは悪党なんだけど、即位してからは
有能な皇帝だからね。スヴァトスラフに勝ってるし、シリアまで進撃
してる。
ヨハネスは1世、2世、3世は名君だね。2世、3世は行動も立派。
4世はかわいそう。
女を見捨てたことぐらいは
別に悪いことじゃないだろ
ヨハネス2世はアルメニアやトルコを侵略した悪いやつだ
>>421 国家の発展の裏には
他国の犠牲があるものだ
|┃三 , -.―――--.、
|┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
|┃ .i;}' "ミ;;;;:}
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|┃ ≡ |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
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|┃ .「| イ_i _ >、 }〉} /
|┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-'
|┃ | ='" | < アルメニアやアナトリアはグルジアのものだ
|┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' {
|┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \_________
|┃ ≡'" ̄ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-
|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ
424 :
世界@名無史さん:2007/11/17(土) 15:11:06 0
大浴場が破壊されて、ビザンツには入浴の習慣も無くなってしまったの?
それとも別の方法で風呂に入り続けていたのかな?
>>424 オスマン時代にもビザンツの時代から続く浴場はたくさんあった。
イスラムも清浄を大切にする宗教だしな。
426 :
世界@名無史さん:2007/11/17(土) 15:19:23 0
トルコ風呂と言うくらいだし
関係ないがトルコ式風呂は20世紀初頭くらいに何故かヨーロッパで大ブームになったそうな。
>>420 いや、その前に伯父(叔父?)である皇帝をぶっ殺すと言う…
まあビザンツではよくある話だが。
>>421 すごい釣りだな
当時は侵略者トルコ人からの奪回だろ?
>>423 あんた、グルジア人の癖にグルジア人を弾圧したろうが。
>>428 ロムルスも叔父を殺しているし
古代から皇帝をころして自分が皇帝なるということは珍しくない
やっていることはキリストが生まれた時代ぐらいから変わらないな
>>421 「味方にとっては、スッラ以上に良きことした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」
スッラの墓にに刻まれた言葉
432 :
世界@名無史さん:2007/11/18(日) 13:17:59 0
>>428 ところがグルジアじゃ銅像建ってるんだよな
>>433 オセチアでも「実はスターリンはオセチア人」とか主張してて
フルシチョフ時代になってもそこら中に肖像画が飾られてたとか・・・
ビザンツと関係ないって? まあアラン人が傭兵部隊として活躍してたってことで
>>468 つーか、その両ローマ帝国の戦争ってビザンツの本じゃ見たことないんだけど、
オットー大帝の頃にドイツだか北イタリアだかまで遠征するほどの国力が
ビザンツにあったのか?
>>435 プッリャは南伊のバーリ近辺だから10世紀の最盛期なら十分可能。
>>429 だからローマ帝国は昔からビザンツ帝国なんだって
438 :
世界@名無史さん:2007/11/18(日) 16:08:31 0
>>432 どれぐらいの兵力で行われたんだろうか、その戦い。
数千か?万ぐらい?死者は?
これに限らずビザンツの戦いは
動因兵力や損害がわからないことが多い
本を見ても兵力書いてないし
文献にもないんじゃね?>兵力
まあ多くても数千レベルだと思うけど。
>>435 >両ローマ帝国の戦争
片方は偽者!このスレで両ローマなどと!
フリードリッヒ・バルバロッサがビザンツ領通過したときもそれでもめたんだよな
・・・って前にも書いたっけ
>>441 バルバロッサともめたのはローマ問題ではなく
十字軍の動向をサラディンにちくっていたのが
ばれたため
イサキオス2世の数多い失策の一つだね。
これが後の第四回十字軍に繋がって帝国は一時滅亡。
>>443 というか、あの「極悪非道アンゲロスブラザーズ」は失策しかないだろ。
暗愚とか無能とかいう言葉は彼らのためにあるとしか思えない。
>>423 カエサルにしてあげるから、イスラム教徒倒してよ
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ .∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ )
し(_) (_)J
>>447 スターリンは多連装ロケット弾に目をつけられただけ有能。
第四回十字軍以降の時代のビザンツ帝国(トレビゾンドやエピルス含む)で
有能な武将っている?
コンスタンティノープル占領以降のビザンツを、帝国と呼んでいいものやら。
もはや軍といえる軍もないような有様
パレオロゴス朝軍の半分はセルビア人
残りの半分はトルコ人で出来ています
って十字軍スレに書いたっけか
もし、教会が分裂していなかったらと考えると・・・
近親憎悪っていやだね
>>445 アンゲロスの頃ってカエサルはまだ序列第二位だったんだろうか?
コムネノス朝の改革で少し、低くなったってイメージがあるんだけど
>>455 「カイサル」は、コムネノス朝でとっくに下になってる。
皇帝に次ぐ第二位はデスポテース(専制公)。
皇帝陛下、アッバース帝国のカリフのハールーン殿が表敬訪問にお出でになりました。
_,,、、、,,,_
,、-''"::::::::::::::::::`ヽ、、,,_
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j:::::| i::::::::::::::|
{::::::| }::::::::::::::|
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|::「二ニミ、 ( ,. -─-、 ヽ::::::::::::|
゙i:| ,.ェッっ、} -ェ;ァ`゙ヽノ |:::::rイ|
| ノ ハ ``ノヽ 彡イ }/
,' ,. | ヽ 、 \ヽ |ノV.!
|、 ∠,.ッ-、_,、- ',、\ ト、ノ
゙!ヽ ヾ彡i|川川ミヾヾ) | | |
゙、ヽ ヽ┴┴┴'ノ | / / /
ヽヽ  ̄ ̄ // / /_
/:>、 { }/ /ノ// |:ヽ
/::::/ ヾヽ、-- ' /-' / |:::::\
「殺されたくなければ金を払いな、
払わないとブルガリア人をけしかけるか余が自ら親征するぞ」
>>457 ほう、サラセン人がわざわざ我がローマ帝国に入朝するとは。
ようやく我等の権威を認めたか。大義であった。
まあ、適当に金と絹でも与えておけ。
俺が思うにパレオロゴス朝の時代に
ステファン・ネマニャが東ローマ乗っ取った方が
よかったと思うんだよね。
>>457 実際こいつには戦うたびに負けて
貢納金を支払わされてたらかな
一種の従属状態だった
>>460 エイレーネーが人気取りのために変な減税するわ、聖像破壊派の軍司令官を粛清
するわでグダグタだったからな。あれじゃあ勝てない。
コンスタンティノープルでも似たようなの作ってそうだ
デスポテースってラテン語もとい古代ローマのドミヌス?
>>456 サンクス!
ただ、専制公はもうちょっと後でない?
ブラザーズの時だと微妙じゃないかな?
>>465 デスポテースはマヌエル1世の時には既にある。
尚樹『ビザンツ帝国史』にも根津『幻影の世界帝国』にも記載あり。
>>454 西ローマ帝国の末期の軍も中身はゲルマン人だらけ
デスポテースという言葉自体は普通名詞だよな。
ビザンツ帝国時代の主食料理て何だろうね?
専門書や年代記の類にも記述が無い。
シメオンが皇帝になっていたらよかったんだ
古くからトラヤヌス、ハドリアヌス(イベリア人)
ディオクレティアヌス(イリュリア人)
ゼノン(イサウリア人)レオン(アラブ人)
というように非主流民族が皇帝になった事実がある
ロマノスが余計なことをせずにシメオンが皇帝になっていたら
ローマも滅びることはなかっただろうに
>>471 非主流民族とは言え、彼らはローマ市民権を持つ「ローマ人」。
他国の君主であるシメオンやステファン・ドゥシャンとは違う。
あと、レオーン3世がアラブ人だったというソースは?
ビザンツ帝国が始まったとされるときには
フン、ゴート、ヴァンダル、ササン朝がいた。
ビザンツ帝国が滅んだときには
オスマントルコ、セルビア、ヴェネチア、神聖ローマ帝国、モスクワ大公国があった。
ローマ帝国の残党、東方正教会の中心というのとこういった世界の脇役的な点が
ビザンツ帝国の魅力なんだよな。
つか、ゲームみたいにビザンツが存続したら存続したで
ブルボン朝とかハプスブルク朝とかにもなってた気がするw
474 :
世界@名無史さん:2007/11/24(土) 02:48:34 0
ビザンチン帝室慈善晩餐会なら現存してますが
>>466 サンクス!確認した。
今まで、セバストクラートルが第二位だと思ってたよ。
>>469 結構、色々な本に書いてあるよ。
パンについては当たり前すぎてあんまり書いてないけどw
>>472 横からスマンが、ゲルマニケイア出身てことでアラブ人と
考えたのでは?
また、帝国史(尚樹)にはギリシャ語とアラビア語を使用できたとの
記述があるのでそこらへんがソースでは?
俺も個人的には少しアラブの血が混じってたんじゃないかと妄想してる
まぁ、あの時代にどこ出身だから何人だって言うのはおかしいし、
彼が「ローマ人」であった事に変わりは無いけどね
>>471 無視されたアルメニア人カワイソス・・・
セバストクラートル(尊厳なる支配者?)って
セバストス+アウトクラトールのノリで作った称号らしいなw
でも一番偉い人はアウトクラトール(通称バシレウス)
>>476 皇帝はいっぱい称号もってっから、その内の称号を二つ合わせて作った
称号はかなりえらいって感じかな?
>>473 今まで残ってたら、日本とか教皇とかと称号問題でもめて三面記事をにぎわして
たかもねw
>>477 もめるかどうかはその時の皇帝の性格によるんじゃない?
>>475 ヘラクレイオス 親がアルメニア人というだけで本人はローマ育ち、おそらくアルメニア語も話せなかったろう
バシレイオス アルメニア系というだけで本人はローマ人
アルメニア人の皇帝って?
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|┃ | ='" | < アルメニア人なんて異端信仰する敵国でしょ?
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|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ
オクタヴィアヌスの帝政以降時の手段は狡猾とは言われず
ネロ以降の四帝内乱。3世紀の軍人皇帝時代の皇帝乱立、簒奪者続出
この帝位争いはなんとも言われず
ビザンツの時代ばかりが狡猾な帝位争いばかりしているというイメージをもたれている
ギボンの影響は深刻である。「ビザンツ」という名称が一般化していること自体が深刻である。
>>475 シリア(イサウリア)王朝の歴代皇帝は「長男には祖父の名前をつける」
というギリシャ人の伝統的な命名法を守ってるからね。多少は他の民族の
地は入ってるかもしれないが、基本的にはギリシャ系だと思う。
>>480 あんたはロシア正教弾圧したでしょ
>>481 18世紀の中世暗黒時代史観と無関係ではないだろう
>>481 それなので、私はあえて「ビザンチン」と呼ぶことを提唱する。
>>485 それはドイツ語読みか英語読みかの違いだけだ
レオーン5世の「タクティカ」にはブルガリアに対する対処法は書いてなかったの?
>>457 この人はいつもどれぐらいの兵力で攻め込んできたきたの?
>>485 このスレで「ビザンチン」使う人は、専門書も読まずにトンデモなこと書く人が
多いから嫌だ。
>>487 レオーン5世はそんなもん書いてない。
>>489 ギャグのつもりだったんだけど・・・
>>488 806年の時は『大軍』または『大部隊』で侵攻してきた。
>>487 もし、書いてあるとしたら『ビザンツ帝国とブルガリア』辺りじゃないかな?
それと、タクティカって簡単に手に入れられるものなの?
古代のポエニ戦争やガリア蜂起の兵数は大体わかるのに
中世の戦争はわからないのか
>>493 記録がないの
野蛮なフランク人やトルコ人どものせいで、公文書の類は失われたからな。
>>494 しかし、野蛮なフランク人やゲルマン人のおかげで写本が残ってるのも事実だ・・・
>>431 「日本人は自分たちは世界で一番優秀な民族だと思っているようだから
交渉では強い態度で臨むことが効果的だろう」
ペルー
「日本は自分たちの国のことを神国と呼び、太陽神の末裔と自認して
他の民族とは違う特別な民族であると主張した」
敗北しつつある大日本帝国(大体こんな感じ)
考えてみればヨーロッパ人を「南蛮人」と呼んだり
神国といったり変な選民思想を持っているところが
ローマと似ているように思う
ヘラクレイオス
「アラブ人が倒せない」
>>394 ヨーロッパの中の人種なんて
昔蛮族だったゲルマン、スラブ、ケルトだからな
>>402 オスマン帝国のメフメト2世も敗戦や辛勝が多いんだよね
アルバニア、ハンガリー、ワラキアなど
バシレイオス2世の戦いも似た感じだったんだろうかね
500 :
世界@名無史さん:2007/12/04(火) 00:31:49 0
ビザンツ帝国時代、皇帝を批判するのは神への冒涜と考えられていたってのはマジですか
501 :
世界@名無史さん:2007/12/04(火) 00:49:01 0
502 :
世界@名無史さん:2007/12/04(火) 00:52:01 0
>>500 テオドシウスがキリスト教を国教にしていらい、皇帝は信仰の守護者
>>500 皇帝は「神の代理人」だからね。
だからプロコピオスみたいに悪口を裏ノートに書いたり、プセルロスみたいに死
んだ後でこき下ろすしかなかった。
>>501 それも神の思し召し。
そして、そこがビザンツの面白いところ。いちおう「市民、軍隊、元老院」が皇
帝の正統性の基礎という古代ローマ以来の建前は残ってたからな。
強大な権力と権威を持つが、実力がないと帝位を維持できないようになっている。
無茶苦茶な暴君が出ても、大半は引きずり降ろされるか殺害されるわけ。
神の代理人たるローマ教皇がなぜか二人も三人もでたり
ヴェニスの商人に恫喝されたり市民が暴動おこしてフランスに亡命したりと
建前や肩書きなどむなしいもの
>>500-501 一応神の代理人という肩書きがあるんだが
誰も本当にそう思っていなかったんだよ
日本の天皇だって万世一系だとか太陽神の子孫とか
言われていたけど
実際は庶民は天ちゃんとか呼んでいたり
山県有朋が「あの小僧(明治天皇)は俺たちが天皇にしてやったんだ」
と陰口たたいたり
小学校の学級スローガンみたいなもんで
だれも本気にしていない。まして皇帝が神だとは誰も信じていない
>>506 誰も本気で思ってないからこそ、儀式やなんかで強調する必要があった訳だ。
余談だが、そう考えると飴公って本当にブッ飛んでるよな。
大東亜戦争中に日本兵捕虜を「天皇の呪縛」から「解放」するために
ダーウィンのアレを教えたわけだが
日本兵はきょとんとしてたそうな。
…何を今更、ってな感じで。
>>508 今でもイラクやアフガンで似た様な事やっとる。
むしろアメリカ人の方に進化論否定派が多いのに
>むしろアメリカ人の方に進化論否定派が多いのに
だからこそ「進化論=科学的=進歩的=民主的」みたいな
変な図式を持ってるアメリカ人が多いのかも。
これに対して、進化論に批判的な人の中にも、
進化論がいかに欠陥のある学説か、何故世界が知的存在(つまり神)によって創造されたといえるのかを
必死こいて「科学的に証明」しようとする。それがアメリカクオリティー
信仰と言えばビザンツってイスラム登場以後は、イスラム勢力に宥和政策をとる→それに反発するキリスト教勢力が
新しい皇帝を立てる→イスラムと対立→失敗→イスラム勢力に宥和政策を…
大体これの繰り返しだな。
>>512 そうか?
対イスラームだけじゃなくて対ブルガリアとか、対西欧とかもあったと思うが。
ミカエル7世みたいに内政面の失政で退位させられた場合もあるし。
というか皇帝になったやつの半分はロクな死に方をしていないw
なのに、何でみんな皇帝に成りたがるんだろうね?
カイサル・アウトクラトール・バシレウスとかと並んで「神の代理人」というギリシャ語の皇帝称号があったん?
しかし、何度考えてみてもあんな民族の流動が激しい場所で、
あんなに長く命脈を保ったのはすごすぎる。
ローマ帝国(ローマ建国から滅亡まで) 2206年間(BC753〜AC1453)
日本(大和政権の国土統一から) 約1650年(AC4C半ば〜)
シュリーヴィジャヤ王国 約1100年(AC3C〜AC14C)
ヴェネツィア共和国(東ローマからの独立からナポレオンの侵略まで) 1071年間(AC726〜1797)
フランス(ユーグ=カペー即位) 1020年(AC987〜)
歴史上で確実に1000年以上存続した国ってこれだけか。
やはりダントツに長い。
変な所あったら訂正頼む。
>>514 絶大なる権威・権力と富を手に出来る。
まあ、人は「自分は失敗しない」と思うもんなんだろう。
ただ、パレオロゴス朝みたいな時代になっても帝位に執着して争った
輩どもの気持ちは理解できん。
>>515 直接にはない。
ただ、和田先生の『史料が語るビザンツ世界』によれば、ビザンツ
の宮殿は玉座が二つあり日曜祝日は左に、その他の日は右に皇帝が
座って、空いたほうには十字架が置かれ、そこがキリストの座であ
ることを示していた、とある。
つまり、キリストの代わりに世界を統治している、という概念だっ
た。
>>516 日本みたいな島国ならともかく、周囲に敵だらけのところであれだけ
命脈を保ったのは何だかんだ言って凄いんだよね。
国家が侵略や革命で滅亡の淵に瀕していても権力闘争が行われるのは古今東西世の常だよ
ビザンツが滅びる直前は、トルコ軍に囲まれながら各勢力が「お前らがトルコのスパイだ!」「いやお前達こそ内通している!」って
延々罵りあってたらしいな。
>>518 それを「末期症状」と呼ぶw
>>519 東西教会合同賛成派と反対派の対立を引きずったままだったからな。圧倒的
不利な状況下で、そんな奴等をまとめなきゃいけなかったコンスタンティノ
ス11世紀の心中を察して余りあるな。
皆が一つになったのは、5月28日の夜になってからかもしれない。
簒奪計画は早くもティベリウスの時から
皇帝暗殺はカリギュラから横行
ローマが本当に安定していたのって
五賢帝の時ぐらいじゃないの?
>>523 そういうこと。
そもそも、元老院の弾劾で失脚した皇帝なんてそんなにいたか?
ビザンツの時代のギリシャ人の割合は3割程度てみWikだったかに書いてあったけど
ローマの最盛期の五賢帝の頃のラテン人の割合はどれぐらいだったんだろ
>>526 というか塩野の本を読んで書いたんだろう。
専門家じゃない人の書いた本は、参考資料にしちゃいけない気がするけどね。
で、最後の「なお」以下はビザンツヲタが加筆した、とみた。
528 :
佳:2007/12/06(木) 15:35:05 O
ビザンツ 幻影の世界帝国という本があるが、読んだ人いる?
中公新版の「ビザンツとスラブ」はビザンツ初心者の入門書にお勧め。
本当は「生き残った帝国〜」を勧めたいけど絶版だからな・・・
何処かの出版社に現法王のムハンマド発言で脚光を浴びた
マヌエル2世の著作類を邦訳出版してくれないだろうか。
ビザンツ末期の文化を知る史料になるのに。
>>532 古代ローマだと日本でもそこそこ資料あるのに、中世になると激減するよな。
高校の世界史も古代ローマはじっくりやるけど、ビザンツはほとんど無視。
末期のミストラスでは、どの家も巨大な部屋一つだけで、
そこで炊事や排泄まで全て行われていたとか・・・。
古代ローマでは下水道が整備され、水洗トイレが備えられていたのに。
これは技術が失われたのか、それとも建設する財力が最早なかったのかな。
>>533 1.ミストラスは末期。金がある訳がない。
2.ミストラスの基礎を作ったのは西欧人。技術なんか(ry
>>517 ローマ教皇が「キリストの代理人」を正式な称号の一つとして帯びているのは
東ローマ皇帝が「神の代理人」を称してるからだと思ってた。
>>533 その話から変な方向に妄想することもできるねw(自主規制)
それで思ったんだけど
どうしてもってんなら「その昔欲望に忠実な国がありましたとさ」で広める手もありかも(副作用も大きそうだけど)
結局入り口とかきっかけなんてなんだっていいんだし
>>536 その昔欲望に忠実な国がありました。その国の名は中華人民共和国といいました。
>>525 というよりラテン人と悲ラテン人の違いてなんだろうね
>>539 商売が下手だな。
そんなのは「イスラム教に対する負の連鎖を残した男」
とか帯つけて軍国主義者、差別主義者扱いしてやりゃいいじゃん
今の頭の緩いサヨ日本人相手なら売れるだろ
サヨク出版社が軒並み潰れかけの時代にサヨク向けの本作ってどうする気だよw
正統なローマ帝国はビザンツだとかビザンティンとか言いやがるくせに、
ゲルマン人どもが作ったパチモンをローマ帝国と呼ぶのか?
だったら俺の六畳部屋も今日から極東ローマ帝国だ。
表札に「ローマ人の○○」と付け加えてやる!
勝手にどうぞ
>>544 野蛮人め!
今にカルタゴのようにしてやるから待っておれ!
デスポティスの一般的な和訳が「専制公」なのって
英語経由で訳されたからか?
548 :
世界@名無史さん:2007/12/09(日) 13:18:05 0
古代ローマ式の水道施設を建造する技術は、東ローマ帝国にも引き継がれて
いたのか?
>>544 ビザンツヲタは読んでないw
あれはゲルマン人どもの詐称
そもそも帝国ですらないってフランス人にまで言われてるし
>>5447 どうなのかなぁ。他に適当な訳語ある?
>>548 建造はどうかなぁ。
修復・維持する力はあったから首都の水道は最後まで使ってたけど。
550 :
世界@名無史さん:2007/12/10(月) 01:05:33 0
348番さん。紀伊国屋に行けばあるのではないでしょうか。以前池袋、
ジュンク堂においてあったと思いますが。日本ではまだビザンチン文学を
研究してる方々がいないようですから、珍しいですね。
>>なお、これによって中世東ローマ帝国のギリシャ人はローマ帝国の臣民・ローマ市民権保持者として「ローマ人」と称するようになっている。
「ローマ人でもねーのに詐称してんじゃねー」という塩野の叫び声っぽい
>>今にカルタゴのようにしてやるから待っておれ!
塩さんが言ってた「ローマ人の寛容」て
>>551 「アングロサクソンじゃ無いのにアメリカ人を名乗るな!」みたいな発想だなw
/\
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∩∩ お れ ら の 春 は こ れ か ら だ ! V∩
(7ヌ) (/ /
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\ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄ ⌒ヽ(´∀` ) //
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| | ) / /\ \| ヽ
/ ノ | / ヽ ヽ、_/) (\ ) ゝ |
| | | / /| / レ \`ー ' | | /
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ジョン イサキオス アレクシオス フマユーン
555 :
世界@名無史さん:2007/12/10(月) 01:45:57 0
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「ぼくオクタヴィアヌス、戦いはアグリッパにお任せ」
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「ぼくネロ、戦いはコルブロに丸投げ」
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「ぼくユスティニアヌス、戦いはベリサリウスにおしつけ」
.,Å、
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「ぼくマヌエル、戦いはコントステファノスに丸投げ」
「「「「今日も負けないよ!」」」」
だいちゃん・・・
>>554 嫌な組み合わせだなw
>556
マヌエルは親征もしてるだろ。
ルーム・セルジュークに惨敗したけどw
すいません、質問です。ビサンツ帝国で統治期間が一番長かった皇帝は誰ですか?
>>559 ここで聞く前に、自分で歴代皇帝の一覧表見ろよ
>>551 塩さんは基本的にイタリアよりなんだな
もしかしたらムッソリーニのエチオピア侵攻まで擁護しそうなくらい
>>561 たまに行間から「許されるならムッソリーニも賞賛したい」って感情が透けて見えるな。
基本的に独裁者大好きだしね。
まあその「イタリア」ってのは、ローマに対して各都市国家が大反乱起こした時に「ローマからの独立」を掲げて
建国した新国家の国名だったりするがw
>>561-562 スレ違いというか板違い
あのイタリアかぶれのお婆さんは小説家なんだから、世界史板で取り上げる必要なし
ビザンツ人はニンニクが好きだったらしいね。
身分の上下に関わらずどの料理にもニンニクが使われていたとか。
いまでも南欧のイタリアやギリシャでニンニクはよく使われるよ
マヌエル1世はどれぐらいの兵力でイタリア遠征をしたの?
ぶっちゃけ、ダキアとパルティア以外にまともな競争者がいなかったローマ帝国より、
ペルシアと戦い、ゴート・ヴァンダルと戦い、アラブと戦い、
アヴァールやマジャールと戦い、トルコと戦い、十字軍やヴェネチアと戦いながら
スラブ人やヌビア人に文化を教え、キュリロスを輩出したビザンツ帝国の方が好き。
末期の悲惨さもやるべきことを最後までやって力尽きたという印象が持てるし。
ぶっちゃけ、ダキアとパルティア以外にまともな競争者がいなかったローマ帝国より、
ペルシアと戦い、ゴート・ヴァンダルと戦い、アラブと戦い、
アヴァールやマジャールと戦い、トルコと戦い、十字軍やヴェネチアと戦いながら
スラブ人やヌビア人に文化を教え、キュリロスを輩出したビザンツ帝国の方が好き。
末期の悲惨さもやるべきことを最後までやって力尽きたという印象が持てるし。
二重カキコスマンコ。
>>567-569 >二重カキコスマンコ。
これさえ書かなきゃ、良いこと言ってるのになぁw
>>568 「歴史における自らの役目を果たし終えた」ってことだね。
>>568 古代を神聖視しすぎ
ゲルマン人はついに征服できなかったし
ブリタニアのケルト人にもかなり痛い目にあっている
ポエニ戦争ではあやうくハンニバルに崩壊させられかけた
さらにペルシャとの戦いでは皇帝が捕虜になったこともある
古代で絶対的に無敵だった時代はトラヤヌス、ハドリアヌスの時ぐらい
573 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 13:23:05 0
>>567 古代の頃は強すぎて、競争者を全部併呑してしまったのだよ、初めからいなかったわけではなくて。
確かにビザンツのしぶとさも賞賛に値するがね。
574 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 13:25:01 0
ちなみに自分は、勢力を増してきたゲルマン人達と必死に試行錯誤しながら抗争してる3世紀以降のローマもけっこう好きだ。
ここはビザンツスレです
ゲルマン人の移動等は古代ローマ関連スレへどぞ
このスレの住人から見てユスティニアヌス1世はどう?
名君か暴君か。
バンドに例えるとブラック・サバスだな。
ならバシレイオス2世はマリリンマンソンか
579 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 21:03:43 0
ビザンツはユスティニアヌス以外はジリ貧だったよな
守りの文化というか保守的
まぁ文化は11世紀前後に成熟したわけだが
580 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 21:38:00 0
582 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 21:57:09 0
ユスティニアヌスは一見派手なだけ
バシレイオスのが(以下略
10世紀過ぎたあたりから既に地中海沿岸の諸国家に過ぎなかったもんなぁ
586 :
世界@名無史さん:2007/12/13(木) 23:01:08 0
>>583 バシレイオスは在位中、堅実に貯蓄してたぞ
ベネチアに制海権握られハンガリーに独立され
トルコに脅され西欧諸国に泣きつき
十字軍の攻略した領土をちゃっかり占領するも
その十字軍に一度は滅ぼされ最後は鍵の閉め忘れでトルコに潰される
王族も大半がろくな死に方してないしなかなか悲惨な国だよなぁ
>>587 実につまらない煽りだ。
「自分はビザンツのことは何も知らない」と明かしてるようなものだ
だいたい「王族」ってw
しかもハンガリーってビザンツ領だった事なんてないしw
バカ丸出しだなwww
>ハンガリーに独立され
アフォかw
ここでビザンツを悪く言う奴って、ビザンツのことをろくに知りもしないで言っ
ているのばっかりだな。
まぁ十字軍に征服されるってのは中々滑稽だよなw
自分のまいた種で滅びるというか自業自得というか
ビザンツの系譜はロシア帝国がちゃんと受け継いでますよ
ウラジーミル帝でも讃えてろ
>>591 それが一番気に食わない。
せめてセルビアあたりが名乗るのなら歓迎もんだが…
双頭の鷲って東欧諸国じゃ君主の象徴って聞いたことあるが
バルカン半島みたいな民族移動が激しい場所で断続的と言えども
ビザンツはよく千年も持ったよな
やっぱビザンツ凄いや ビザンツマンセー
>>590=
>>587 自演乙
>>591 あれは受け継いだというのだろうか…。
ビザンツや、ドイツの僭称者どもwが持っていた「キリスト教世界
全体の支配者」という概念が欠けてる気がする。
むしろピョートルの時代に「元老院」を作って「インペラートル」
を名乗るまでは、大して意識してなかったんじゃないかと言う気さ
えする。正教世界の正統な支配者程度の意識はあったかもしれんが。
鷲は古代ローマ時代から皇帝の象徴だったから、
ヨーロッパの各国も鷲を採用した国が多いんじゃないかな。
誰かタイムマシン作ってくれないかな。
十字軍以前の繁栄していたコンスタンティノポリスを見てみたい。
ただいつの時代にいっても何かしら危険な目に遭いそうだがw
末期は帝都よりモレア専制侯領のミストラの方がビザンツの中心地(特に文化)
だと思うが
この王朝時代
宮廷ではさまざま陰謀が企てられ
暗殺、粛清が頻発した。
すきあらば帝位簒奪を企むものもいた。
もちろんユリウス・クラウディス朝のことである
帝位争いが頻発し
わずかな期間に何人も皇帝が現れ
その半数は非業の死を遂げるという
まったく醜い権力闘争が行われた
もちろん軍人皇帝時代のことである
十字軍以前から既に衰退していた
古代ローマからビザンツにいたるまで、断続的に中国と国交を持っていたことは有名だが、
その際にビザンツ政府は中国以外の東方の国についての情報を有していたのかね?
もしかしたら、倭のことも聞き知っていたのかな。
特にモンゴル系の国なら、世界各地の情報を持ってそうだし。
もし日本のことを知っていたとしたら、
ローマ帝国は東の果ての我が国をどんな国だと思っていたのだろうか・・・。
異教を信じる野蛮人で、いずれローマ人として文明化されなければならない存在
そんな余力ビザンツにはなかったよ
>>605 また素人か。
専門書読んでない素人は黙ってろ。
NGワード推奨 「 また素人か 」
>>607 必死な素人乙
大して調べもしないで書くから言われるんだよ
>>608 まあ、ビザンツの基本的なイデオロギーが理解出来てれば、
>>605みたいな的外
れなレスなんか付けようがないからな。そりゃ素人呼ばわりされる罠。
無知なレスが出た後に、それを煽る奴が出て、の繰り返しでまともに会話できません。
なんとかして下さい我らの皇帝陛下!(競馬場にて)
>>610 まず無知なバルバロイは国外追放
騒ぎを煽るサーカス党派は武力鎮圧 以上
>>603 セリカ(中国)の東に浮いている島国
それ以上でもそれ以下でもない
ビザンツのイデオロギーてのは
小学校の黒板の上にある学級目標並の空虚なもので
ビザンツ人自身も大して気にとめていないやつのことか
ビザンツが周辺民族をみんな蛮族として見下していたなんて
西欧の悪意あるプロパガンタだろ
ドイツやロシアに嫁を出したこともあるし
ハザールとは対等の同盟を結んでいたし
アッバースのカリフは上にみていたし
605がなんについて余力がないと言っているのからんが、あまり、素人素人言うのは良くないと思うよ。
徳をもって、与えることが皇帝の条件だったようにさ!
えっ? 全部自演の釣り?
さすが! 人を欺くことは皇帝になるのにもっと必要なことだ!
>>614 > アッバースのカリフは上にみていたし
いつもじゃ無いけどな
相手が弱くなったら貢ぎ物を即やめるのはビサンツの伝統
お嫁さんは中期まではかなりイヤイヤだった…
>>614 そういう民族問題とか
あまり気にしない人間もいたということでしょう(例えばヨハネス1世)
皇帝は一人一人性格が違うし
二千年間ずっと同じ人間が皇帝やっているわけでもない
それに回りや国内の状況だってその時その時では違う
どういう政策をやるのかは皇帝しだい
それと十字軍は間違いなく評判悪かったよ
>>613 とりあえず、本当に自分たちが
「世界で一番の文明人で、キリストが復活する時まで
異教徒や蛮族を支配しないといけない」
なんて本気で思っていやつなどいないだろう
>>614 大勢力のカリフを上にみないなんて
相手の力量がわからない馬鹿のすることだ
アッバース朝がモンゴル人によって滅びるまで
国力はアッバース帝国>>超えられない壁>>東ローマ帝国だった
フィンランドがソ連崩壊までソ連に頭を下げ続けてたのと同じこと
ブルガリア三十年戦争の戦力と被害は
ブルガリア 東ローマ
兵 250,000 兵 1,000,000
損害 損害
戦死 26,662 戦死126,875
らしいぞw
>>613 また、素(ry
国家の建前と現実が違うのなんて現代のどこの国だって同じだろうが。
>>616 >相手が弱くなったら貢ぎ物を即やめるのはビサンツの伝統
というか、それどこの国でも普通じゃないのか?
同盟国ならともかく、敵が弱くなったのに律儀に入貢するか?普通。
>>619 ブワイフ朝だのセルジューク朝だのに実権握られるような、後半の
アッバース朝にそんな力があるとは思えないのだが。
イスラーム勢力全体ならわかるけど。
>>620 率で言うと約11と約13%。大した差じゃないじゃん。
だいたい、兵力が万単位でしか表記されないのに、死者の数が一の
位まであるデータなんて信用できない。というか、そんな詳細な統
計取れる訳がない。
>>620 どこかで見た数字と思ったら
それウィキペディアの冬戦争のところからぱくって来たやつだろ
ビザンツに不利な情報は信じませんか
ソースは?
>>623 っていうかソースがウィキペディアじゃねぇ…。
もう滅びた国に不利もへったくれもないが、学術的根拠に乏しい情報は信じない。
ここは学問板だ。
いやだから620は冬戦争(ソ連vsフィンランド)の戦争の数字な
てか数字見ただけで冬戦争ってわかるって凄いなw
ビザンツをフィンランドに例えたアフォがいたから持ってきたのかw
なるほどねw
フィンランドに例えたというより
アッバースとの国力差を
フィンランドとソ連に例えたように見える
もっとわかりやすく書け
アッバース>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>ビザンツ
国力差はこれぐらいだろ
_,,、、、,,,_
,、-''"::::::::::::::::::`ヽ、、,,_
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|::「二ニミ、 ( ,. -─-、 ヽ::::::::::::|
゙i:| ,.ェッっ、} -ェ;ァ`゙ヽノ |:::::rイ|
| ノ ハ ``ノヽ 彡イ }/
,' ,. | ヽ 、 \ヽ |ノV.!
|、 ∠,.ッ-、_,、- ',、\ ト、ノ
゙!ヽ ヾ彡i|川川ミヾヾ) | | |
゙、ヽ ヽ┴┴┴'ノ | / / /
ヽヽ  ̄ ̄ // / /_
/:>、 { }/ /ノ// |:ヽ
/::::/ ヾヽ、-- ' /-' / |:::::\
圧倒的じゃないかわが軍は
世界史で最近興味をもったのですが、この国の外交謀略がすごいのはなぜですか?
>>632 別にそれほど外交がすごいわけじゃないよ
どこの国でもやっていることをビザンツだけが
特別(悪い風に)見られているだけ
大して外交に興味をもたない皇帝もいたしな
635 :
世界@名無史さん:2007/12/15(土) 16:30:47 0
ヨハネス1世、バシレイオス2世の敵はただの雑魚でした
∩_∩
(´ー`) メンドイから死刑ね♪
丿~, ~ヾ
○アル=ハーキム・ビ=アムルッラー・アブーアリー・アル=マンスール・ブン・ニザール(985-1021)
言わずと知れたファーティマ朝第6代カリフ(在位996-1021)。イスラム史上もっとも輝かしく偉大なる
支離滅裂なDQN君主。持ち前の意味不明な言動で周囲を大混乱させてファーティマ朝の輝かしい未来を
照らしている(多分)。 キリスト教徒、ユダヤ教徒を無意味に迫害したり飲酒や歌舞音曲、モロヘイヤの
食用禁止など常軌を逸するような禁令を乱発し、多数の処刑執行など後世、悪逆非道な暴君の代名詞と
なった。しかし、時には公正謙虚寛大な態度をとったりもした。各地に宣教者(ダーイー)を派遣し、
諸学の教育・研究機関としてダール・アル=イルム(学問の館)を創設したりと学芸の保護にも熱心だった。
生前、彼の神性を主張する一派が興りこれが現在シリアを拠点とするドゥルーズ派の起源となる。
よく千年も持ったよな
途中で一回滅亡したけど
>>630 最近は塩婆厨のほかにイスラム厨もいるのか
まあ、国力差があったのは事実だが、それを防いだ点はやっぱり立派。
>>633 それも相対化、過小評価のし過ぎ。
少なくとも当時の西欧よりは外交戦略には長けていた。
だからこそ西欧には、「狡猾」とか「汚い」だのと言われたわけだし。
後代になると、西欧もビザンツ以上にずる賢くなったが。
ビザンツとモンゴルの戦闘はあったの?
>>638 バルカン半島でのタタール人の活動(主に軍事的な)
についてまとめた本が手元にあるんで、あとでちょっと調べてみます
多分十字軍が影響しているんでしょ?
>>633 多分十字軍のことで悪く言われているんじゃないの?
ビザンツ外交の基本路線は「夷を以って夷を制す」。中国と一緒やね。
それで最後には利用してたつもりの夷にメタメタにされるのも一緒。
>>「夷を以って夷を制す」
ブルガリアやドイツもこれぐらいのことをやっているのに
ビザンツがやるとこういう風に
「他民族を見下すしか能がないレイシスト集団の卑劣な謀略」といわれる
>>「夷を以って夷を制す」
これは悪口の意味合いなのか
ヨハネス1世とかって
ファーティマ朝自分で討伐しているよね
分裂状態のイスラム王朝などそれこそ同士討ちなど簡単そうなのに
バルバロッサはセルジュークを煽ってマヌエル1世と戦わせているし
ヴェネツィアはシチリア王国を使ってビザンツ攻撃させたことがある
ゴート族でさえペルシャを説得してユスティニアヌスを窮地に陥れたことがるのに
これらは「夷を以って夷を制す」とは言われないね
何でビザンツだけがこういう風に言われるんだろうね
>>645 十字軍の時の軋轢が原因だよ。
武力行使も多いのに(皇帝自身の親征も多い、むろん宮廷から出なかった皇帝もいるが)
「外交で全てを解決しようとする臆病者」と(西洋に)みなされるようになったのは。
東ローマの首都はコンスタンティノープルだけど
西ローマは何で首都をミラノにしたの?ローマを有していたのに
>>647 血統貴族やら旧勢力の声ばかり大きいローマじゃもはやまともな国家経営なんて出来ないからだろ。
>>644 「やね」という語尾を使う人種など信用できん
そんな言い方やーねぇ
651 :
世界@名無史さん:2007/12/16(日) 11:47:14 0
実際ビザンツはイスラムや西欧諸国にどういう位置づけで見られてたのかな
教科書には西ローマ帝国が滅んだ時点でローマ帝国は消滅したって書いてあるけど
652 :
世界@名無史さん:2007/12/16(日) 12:10:52 0
そんなこと書いてる教科書あるか?
確かに「ローマの」政権はそれで終了したが
普通ローマ帝国はビザンツで細々と生き延びてオスマン帝国に滅ぼされたって解釈だろう。
>>651 >>1が出してるURLくらい読んでから来てくれ。
初歩的な説明をすると、カール大帝より以前は西欧は名目上では、コンスタンテ
ィノポリスのローマ帝国政府の宗主権下。イスラムはビザンツを「ルーム」(ロ
ーマ)って呼んでた。
ったく、ゆとりは自分で調べる能力がないのかね。
ローマを領土に有してないのにローマ帝国は無理があるだろう
そういや英語の論文で「アラブ史料に描かれたビザンツ女性のイメージ」
みたいなのがあったような気がするが思い出せない
ローマ帝国っていうのはローマに首都がある帝国ではない。
正統な元老院とローマ市民、そしてそれらに選ばれた皇帝が治める国がローマだ。
東西分裂以前から西の行政府もミラノだったりラヴェンナだったりで、
ローマの価値は相対的に低下していた。
ろくに調べもしないゆとりはレスしないでくれよ。
>>651 ビザンツ帝国をローマ帝国と言わないのは
ローマが版図になかっただけでなく支配層がギリシャ人だったから
帝都の古称がビザンティオンだったからビザンツ帝国と呼ばれた
文化も政治体制も帝政ローマとはまったく異なるから区別するんだろうね
>ローマを領土に有してないのにローマ帝国は無理があるだろう
に対するレスが
>ローマ帝国っていうのはローマに首都がある帝国ではない。
もうゆとりってレベルじゃねーぞw
ラテン帝国さえなければ・・・
660 :
世界@名無史さん:2007/12/16(日) 16:15:17 0
>>654 むしろコンスタンティノポリスの別名は「新(ノヴァ)ローマ」「第二のローマ」
だから依然ローマ帝国でも問題無い。
カタフラクトのデータが詳しいサイトってある?
サイトじゃないけどこれなんかどうでしょ
Cavalry Equipment and Tactics on the Euphrates Frontier
A. D. H. Bivar
Dumbarton Oaks Papers, Vol. 26, 1972 (1972), pp. 271-291
お前ら見てると陥落寸前のコンスタンティノープルを思い浮かべちまうよ…
どちらかというとマヌエル2世が旅してたときにバヤジットに包囲された帝都
はこんな感じだったんかな。
ビザンツ帝国はローマ帝国の残照でなかったとしてもそれ自体が光り輝いた
存在でいいじゃないか。
>>666 丘の上から武将たちと市内を見渡して
「あの屋敷は誰のものにするか」
とか話し合ってたんだよなw
まさかサマルカンドくんだりから
自分の死がやってくるとは夢にも思ってなかっただろう
>>667 今日のTBS世界遺産はサマルカンドだな、そういえば
AOEのビザンツはかなり強い
騎兵もラクダ兵も火炎船も使える万能文明
十字軍やモンゴル征西があるM2TWは微妙
EU2はプレイヤーの妄想の園
韓国の会社が作ったかなんかで
朝鮮が異常に強いんじゃなかったっけ?
>>519 トルコに情報を言ったのは
私が大好きなヴェネツィアと敵対していたジェノバの野郎どもよ
by塩野
何をトチ狂ったか、イケメンで能力値も優秀な「アレクシオス」で登場している
アレクシオス3世が統治するKOEIの蒼き狼と白き雌鹿ビザンツこそが最強
ビザンツが滅びるのが後100年早かったら
ウィーンも陥落してたかな
>>674 その前にヨーロッパ側に領土もってたしあげくにはビザンツを属国にしてたし
ティムールがオスマン帝国を惨敗させたほうが大きいんじゃない?
559です
バシレイオス2世が一番統治期間が長かったんですね。
さすが、最強の皇帝と呼ばれた人だけあります。
559です
バシレイオス2世が一番統治期間が長かったんですね。
さすが、最強の皇帝と呼ばれた人だけあります。
はい
679 :
世界@名無史さん:2007/12/17(月) 21:42:08 0
ニケフォロス2世やヨハネス1世の在位中も共同皇帝だったしな。
バシレイオス2世に匹敵する在位年数の皇帝には、ヨハネス5世がいるな。
二人共半世紀近く帝位にあったけど、片や東西に征服活動、片や東西から攻めら
れて没落する一方。治世は対照的だな。
個人的には他民族他宗教で公用語がラテン語である
シチリア王国にビザンツ征服してもらって
ローマ帝国名乗ってもらいたかったね
諸領土は征服出来てもコンスタンティノポリスは中々落とせないだろう
グリエルモ2世はテッサロニキ征服したよね
>>651 ビザンツ帝国をローマ帝国と言わないのは
西欧の国と敵対した中世東ローマ帝国を
古代のローマ帝国と関連させたくない
と西欧人が思ったから、
そのためにわざわざ「ビザンツ」なんて芸名を考え出した
イサキオスよりはグリエルモの方が皇帝にふさわしい
名君が出て大攻勢に出たと思ったら、次の代でいきなり滅亡寸前になる。
中期までは地中海有数の強国だったのにもかかわらず、
これだけ不安定な国が珍しいんじゃ・・・。
まあそれでも1000年以上もったところがすごい。
やはりコンスタンティノポリスが首都だったのが大きいんじゃないだろうか。
これでカルタゴやシチリアなんかに遷都してたらすぐに滅びてたぞ>ヘラクレイオス、コンスタンス
>>1000年以上もったところがすごい。
2000年の間違い
ムアーウィヤやマスラマがコンスタンティノープル落としたとしても
テッサロニキかアナトリアの都市に遷都して終わりだろうな
アナトリアやバルカンを制圧できなかったからこそ首都を狙ったわけだし
>>690 「キリスト教帝国」としては1000年だな
都市国家ローマや帝政共和制を含めれば2000年以上になる。
ただし教科書や歴史書では一般的に古代ローマとビザンツは別物として扱われる。
まあ、東西分裂以前に、キリスト教化される前とあとでは別の国だわな。
ユリアヌスが長生きして多神教復活させていたら・・・
ラテン帝国が水を差したから
実質700年くらい
ラテン帝国の専門史料本探したけど無かった。
誰か知っていたら教えて。
>>697 第4回十字軍ならそれなりにありそうだけど、ラテン帝国となると…
699 :
世界@名無史さん:2007/12/26(水) 22:00:43 0
>>697 Robert Lee Wolff./Studies in the Latin empire of Constantinople, 1976
内容は確認していないけど、題名がそれっぽい。
英語読むのがが苦じゃなければ。
あと問題は入手できるか否かだが。
700 :
世界@名無史さん:2007/12/26(水) 23:29:18 0
アマゾンで買う
トレビゾンド帝国の専門書よりかはあるだろう>ラテン帝国史
702 :
世界@名無史さん:2007/12/28(金) 21:04:12 0
ビザンツ帝国が長持ちした理由は?
703 :
世界@名無史さん:2007/12/28(金) 21:05:09 O
経済力
ノミスマ
帝都堅すぎワロタ
705 :
世界@名無史さん:2007/12/28(金) 23:02:59 O
イスファハーンとコンスタンティノープルはどっちが美しい都市ですか?
レポよろ
>>656 なに長々と屁理屈並べているかなw
帝国なんだからローマ皇帝が支配していた国
だからに決まっているだろ。
皇帝制度以前のローマを帝国なんて呼びはしない。
>>651 東でローマ皇帝が統治していただろ。それがビザンチン帝国だよ。
ローマ帝国で最も重要なものは皇帝制度だ。
これが支配の根幹だからね。
政治の人ローマ人を見る場合常に着目すべき点だな。
>>694 むしろ帝政だろうな。一神教はその政治的必要性からでしかないな。
先生!
元首が王や大統領でも「帝国」と呼ばれる国はいくらでもありますけど?
ハイハイ、冬休み、冬休み、と。
709 :
世界@名無史さん:2007/12/29(土) 17:48:01 0
これは大変
ビザンツ宮殿にホテル建設の刃 −歴史的遺構になぜ?
記念碑保存委員会のメンバーであるアフンバイ教授は、自身が欠席した委員会でフォーシーズンズ・ホテルに関連する
決定が下されたことを明らかにし、「建築許可が出されたことは犯罪です」と述べた。トプカプ宮殿博物館館長のオルタイル教授も、
「大規模なビザンツ遺構があそこにあるのに、誰も気にしていない。スルタンアフメト地区は破壊されている」と強調した。
スルタンアフメト地区で65室の客室をもつフォーシーズンズ・ホテルは、客室をあと50部屋増やすために、歴史的区画である
隣の用地に追加の建物を建設している。この追加の建造物は、オスマン時代およびビザンツ時代の歴史的遺構の上に
そびえたっている。記念碑保存委員会のメンバーであるゼイネプ・アフンバイ教授は、追加部分の許可に関する決定が、
とりわけ自分が出席していなかった会合で下されたことを明らかにし、「建築許可が出されたことは犯罪です」と述べる一方で、
歴史家イルベル・オルタイル教授も「スルタンアフメト地区は破壊されている」と語った。
■4世紀の遺構もある
現在、歴史的建造物であるスルタンアフメト刑務所跡の建物でホテル業を経営するフォーシーズンズ・ホテルが、新しく
建設する建物のために選んだ用地の歴史は4世紀にさかのぼる。コンスタンティヌス帝の時代に建設された大宮殿は、
最も重要な遺構のひとつだ。この用地で今回の建設作業の際に、7世紀、10世紀のフレスコ画、床モザイク、ハマムの遺構、
地下貯水庫が発見された。
建設される2棟はいずれも三階建てで、客室50室とスパ・センターが入る予定で、建設費用は1500万ドルの予定だ。
建設される建物は、「歴史的地区に基礎を打ち込むことを避けるために」、高さ約2.5メートルの鉄骨構造体の上に聳え立つ。
建物以外の部分では、歴史的な出土品の展示エリアが設けられる。このエリアは、「考古学公園」という名称となる予定だ。
(後略
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20071228_175400.html
>>707 少なくとも共和政ローマを帝国とは言わない。
イデオロギー的な帝国主義とは意味が違うな。
また英語で言うエンペラーは支配すると言う意味で
使用している。マルクスがこれを広く解釈しているわけだ。
帝政ローマは普通は前27年からを言う。
さて、では冬休みの宿題としてローマ帝国の起源を述べよ。
>>710 何だその上から目線は?
自分はバカじゃないとでも思ってるのか?
(性質上、記事の正確さ自体は低いとはいえ)はてなや各国ウィキペでも
そういう「使われ方」は普遍的ににされてるんだが?
インペリウム→エンパイアの流れすら知らない(もしくは忘れてる)厨房が。
713 :
世界@名無史さん:2007/12/30(日) 20:47:55 0
歴史の全ての記録に照らしても、ユダヤ人の破壊しえなかった
文明はたった一つしかない。それゆえユダヤ人は、その文明を
無視することにしてきた。
それは、ユダヤ人がローマ帝国を破壊した後に、ローマの指導
者達が建国したビザンチン帝国である。この帝国は、世界の歴史
における帝国としては非常に長く、1200年も続いた。
ビザンチン帝国の全史を通じて、ユダヤ人は、帝国の行政的な
地位に就くことも、青少年を教育することも、勅令によって禁じ
られていたことが分かっている。
それでも、ユダヤ人に対する勅令は残忍なものではなかった。
実際には、ユダヤ人はビザンチン帝国のどの時代にも干渉を
受けず、繁栄を欲しいままにして暮らし、この帝国でだけでは
寄生体と宿主との悪循環は起きなかった。
ユダヤ人が、このような文明の記憶を根絶したいと思うのは、
なんら驚くに当たらない。ビザンチン文明の研究に取り組み、
この幸いにしてユダヤ禍を免れた国のことを世界に想起させた
のは、エズラ・パウンドであった。彼の非暴力によるユダヤ人
管理方式は、ビザンチン人から借用してきたものである。
パウンドは語る、「ユダヤ問題の解決は簡単だ。銀行・教育・
政府から彼らを締め出せば良い」 と。いとも簡単ではないか。
ユダヤ人を殺す必要は全く無い。事実、歴史上のあらゆる
迫害は、ユダヤ人を利するように演じられてきたのであって、
多くの場合、ユダヤ人によって巧妙に扇動されたのである。
銀行からユダヤ人を追い出せば、経済を彼らは支配出来ない。
教育からユダヤ人を追い出せば、青少年を惑わせる事は出来ない。
政府からユダヤ人を追い出せば、国を裏切ることは出来ない。
最近あちこちでユダヤ陰謀論者をみるな
まだまだ日本人は白人のモノマネが好きなんだよ
>>712 馬鹿の屁理屈だなw正確さがないよ。
帝国と言うのは近代では覇権主義や植民地主義国家として
用いられているからで、ローマ帝国は帝政以来を言うものだし、
本来は帝政ローマをローマ帝国と言う。
そして分裂した東西ローマと古代ローマを結びつけている最大のものは
皇帝と言う地位の継承であって、理由はこれが政治支配、秩序維持の
根幹であったから。
例えば日本が皇室の権威を最重視しているのと似たようなものだよ。
帝国であれなんであれ政治の根幹から考えてみなよ。
皇帝の権威こそローマ帝国の権威であり、これを宗教により補完し、アポロの
末裔と言われたシーザーであろうが、キリスト教神学であろうが、アリストテレス哲学
であろうが、その為に価値があった。ローマよりコンスタンチノープルが事実上権威が
あったのもこれが故だ。ローマ法は判例法であったが、例外が皇帝の勅令であり、
それらが法典化されたのがユスティニアヌス法典だな。
軍の権威も皇帝に象徴され、それは皇帝が元々将軍、特に勝利した凱旋将軍を意味したから。
ローマの政治的権威は全て皇帝に収束され象徴されているんだよ。
支配のための軍、権威とイデオロギーとしての信仰、そして秩序を成立させた法典、
全ては皇帝の権威の下にある。
だから皇帝や皇帝の成立する前後のストーリーを特におもしろおかしく歴史家や作家が書きたがる
んだよ。シーザーシーザー騒ぐのはそれが皇帝の始まりだからであり、単なる禿げの両刀使いならw
ルビコン川を渡って甥に殺された馬鹿がいた、の一行で記述は終わる。
>>685 正確にはローマ皇帝の地位を西側の国王や皇帝が正統には継承してないからだろうな。
つまり劣等感からだ。カトリック史観と言うやつだな。
カトリックは正教のように政教の合致を実は望んでいた。
それが断絶した時点でローマの崩壊と理解したんだろうな。
凄く弾圧されたマニ教徒カワイソス…
あれ?ビザンツがマニ教を弾圧した記録てあったっけ?
ササン朝なら話がわかるんだが。
>>718 ユスティニアヌスはマニ教を異端の中でも最悪のものとみなして激しい弾圧を加えた
と文庫クセジュの『皇帝ユスティニアヌス』にあるよ
電波だらけだな
さすが冬休み
721 :
世界@名無史さん:2008/01/01(火) 12:41:02 0
722 :
世界@名無史さん:2008/01/01(火) 14:31:54 0
>>721 なぜ、一夫一婦制のキリスト教国なのに、宦官が総主教に登るまでに跋扈したのだろうか?
ビザンツを継承したロシア帝国でも、そうした現象はおきなかったというのに。
イスラム圏では、単に宮廷の女奴隷の管理という、中国と大差ない動機から
宦官を抱えていたようだが
>>722 それこそビザンツ宮廷にも大量の女奴隷がおる。
724 :
世界@名無史さん:2008/01/01(火) 14:39:41 0
>>723 なぜロシア宮廷は、継承しなかったんだろうか?
>>724 ロシアなんぞそれこそ近世に入るまで、北辺の弱小国家でしかないからな。
そんな宦官を使うほど大規模な後宮を営めなかったし、ロシアが強大化する頃には
宦官自体が既に歴史の遺物になっていたし。
ロシアはロシアでラスプーチンがいたじゃん。
ただビザンツの場合はナルセスみたいな将軍もいたからな。
三国志の十常侍が孫堅を破ったり、董卓に抵抗するようなもん。
ほかの例だと鄭和くらいしか思いつかん。
>>722-726 宮廷宦官と聖職者宦官では、ちょっと違いが有る。
元々宮廷宦官はアッシリア起源。
つまり、イスラムとローマ・ビザンツの宮廷宦官は同じ理由で存在した。
ビザンツの東方的要素を示す一つの例だね。
あと、宦官は子供がいないから特定の一族に権力が継承される可能性が
少ないので、専制君主制の時代には好都合というのもあったらしい。
聖職者宦官は『マタイ伝』に「母の胎内から宦官に生まれ付いているも
のがあり、また他人に宦官にされた者もあり、また天国のために自ら進
んで宦官となる者がある」という記述に従った者として尊ばれていた。
つまり神に近づくために、自ら性欲を絶った者として扱われていたわけ。
宮廷宦官は軽蔑されてたらしいが。
詳しくは『史料が語るビザンツ世界』をお読みください。
和田先生は宦官好きだよね
ウキィの宦官の記事も良くまとまってるよ
ただし聖職者宦官についても、宦官擁護論がだされるくらいだから、快く思ってない人もいたらしいね
話は変わるが
キプロスは結局リチャード王に征服されるまでビザンツ領に留まっていたが
キプロスは割り合い豊かな土地だけどよくイスラムは占領しなかったね
シチリアは占領しているのに
>>729 シチリアとキプロスではビザンツの海軍力が違うからかもね
>>730 アラブの海軍とかわりとキプロスを襲撃したけど占領までは至っていない
キプロスは小麦、ブドウ、オリーブなど農産物の他に銅が豊富に採れたんだけど
ね
戦略的価値はあると思うんだが
まあ十字軍がキプロスをビザンツから支配を奪ってからはイスラムも煩わしいと
感じていたみたい
15世紀になってからマムルーク朝がキプロス王国に遠征して
属国化している。
>>731 >まあ十字軍がキプロスをビザンツから支配を奪ってからはイスラムも煩わしいと
>感じていたみたい
いきなりアレクサンドリア襲撃されたりするしな。
>>732 西欧の台頭が大きいだろうね。11世紀より前は「ローマ皇帝」
をめぐる対立とか、宗教問題はあっても西欧は直接的な軍事
脅威にはならなかった。
ヨーロッパ側はアラブ海軍と北方のブルガリアと「スキタイ人」
に警戒してればよかった。ところが、11世紀後半に南イタリアに
ノルマン人が来たあたりから、東西に大きな敵を抱えることになっ
てしまった。
イスラムや西欧で大規模な農業開発や農業技術の進歩があったのも
大きい。ビザンツは古代から農法が進歩しないから農業の生産力は
上がらないままだった。
それでも、衰退し始めてから500年近くは持ちこたえてるんだけどね。
イコンって今市販とかされてないのかな。
>>734 確かに11世紀頃の西欧の農業技術がビザンツを凌駕したのは認めるけど
後のビザンツの亡命政権であるニカイア帝国は農産物輸出で蓄財しなかったっけ
確か卵の帝冠とか言われていたような・・・
思い違いならスマソ
737 :
佳:2008/01/03(木) 15:15:36 0
>>736 ヨハネス3世がより収益の上がるやり方を考えたからね。
卵の宝冠はヨハネス3世が皇后(先帝テオドロス1世の娘)のために卵の収益
を使って作らせたものだよ。
>>736 あれはルーム・セルジューク朝の領土がモンゴルの侵入で荒廃したから、セルジュー
クへの輸出で儲けたんだよ。つまり農業で収益が出せたのは一時だけ。
>>734 そうだろうね。ブルガリアやセルビアが勢力を拡大していたからね。
昔、イスラム教徒が城壁まで迫った時には助けてくれたのにね…
今日のTBSの番組、まあテーマが古代ローマだったから期待してなかったが、
やはり東ローマの扱い酷すぎてワラタ。
良かったのはBBCの映像使ってたところだった。
ブルガリアにはバシレイオス帝の捕虜大虐待とかやったし、
セルビアが脅威として形成されたのはパライオロゴス朝になってからのことだろ。
時代が遅すぎ。
しかし地理的にバルカン北東部(フン、クマン、ブルガリアロシア)、バルカン西部(セルビア)、
イタリア(ヴェネチア、ノルマン)、小アジア(ペルシア、アラブ、トルコ)
からの圧迫があった要地の国家にしてはよくやったと思うぞ。
交通の便が良いのは攻め易いことでもあるし。
何故滅んだかより、何故あれ程長生きしたのか
の方がしっくりくるな
>>732 背後に当るセルビアが陥落したからだろ。
その後現在に至るまでまセルビアの戦略的位置はかなり
重要だよ。
>>740 俺も同感
「ローマがローマでなくなっていく」って、それがローマの特徴じゃないのか?
時代に合わせて支配体制を変えたから、あんなに長く続いたんだよ
最初と最後では「ローマ」ってことぐらいしか共通しないけど
BBCのドラマはどこで打ち切ったんだろう?ちょっと気になる(笑
あのTBSの番組、塩婆の本がベースだからどうひっくり返っても東ローマ/ビザンツに好意的なわけがないw
バシレイウス2世帝>>>>>カエサル
オクタヴィアヌスの帝位就任なんて
塩さんが嫌いな専制君主の誕生に思えるんだが
あの人のベクトルは基本的にイタリア
>>747 カエサルが認めた後継者だから専制君主でも暴君でもおk
>>746 戦争だけみれば、バシレイオス2世≧カエサルだが、
内政面では明らかにバシレイオス2世が劣っているだろ
バシレイオス2世は天才じゃなくて、残酷な努力家だな
>>750 バシレオイスは寡兵で勝ったことがある?
カエサルの相手のガリア人はローマ並みの
築城技術を持っていたそうだが?
相手のブルガリアは先帝に滅ぼされた国の残党だし
イスラム勢力も分裂していたし
ファーティマ朝のカリフも超絶DQNで大したことないし
カエサルはガリア人を討伐する時にゲルマン人の力を借りたり
部族間対立を起こさせたりしたそうだが
>>751 おまいはサムイルの国家を誤解しているぞ
それと、バルダス・フォカスの反乱時は劣勢だったよ
まぁ単純にバシレイオス2世≧カエサルなんていった俺も悪いが・・・
ごめん
ビザンツ=ネオジオン
>>750-751 また塩婆か
>>754-756 注釈に
>東ローマによる征服以前にブルガリアは東西に分裂しており、
>征服されたのは東側のみで、サムイルたちは残った西側の君主
>だという説もある。
ってあるだろ。これ、尚樹の本から持ってきた奴だけど。
西側はスヴャトスラフにめちゃくちゃにやられてたんじゃ
皇帝即位のどさくさにまぎれて
ロシア人に蹂躙されて壊滅状態の土地を有した
レジスタンスをつぶすのに30年かかったのか
サムイルのブルガリアなど勢力から言えば
東ローマとは比較にも出来ない小勢力だな
もともとヨハネスが死んで内乱が起きたときに
反抗した連中だが
オストロゴルスキーの方でも紹介してるね
ビザンツとブルガリアの戦争については一番まとまってるのはクワルナフかな
ブルガリアはシメオンのせいで衰退が始まっていたから、強敵とは言えないかも
バシレイオスばっかりもてはやされてるけど、やっぱ最強はヘラクレイオスでしょ?
サムイルの帝国、マケドニアとブルガリア西部は
スヴャトスラフとの戦争に巻き込まれてないよ
>>763 だからこそスヴァトスラフ以前から自立状態だった、という説が出るんだよな。
シメオンの後のブルガリアは疲弊して統治力が落ちてたし。
>>758-759みたいに資料をみないで適当なことを書くと、すぐにボロが出る。
バシレイオス2世が正帝になってすぐの頃は、宦官のバシレイオス・ノソスに実
権握られてるし、小アジアは反乱状態でブルガリアどころじゃない。
それ以降もさほど強くないとはいえ、東方にも出兵しなくてはならないという事
情も考慮に入れてない。
まあ、それにしてもカエサルと比べるのは状況が違い過ぎて無理があるけどな。
>>762 ヘラクレイオスはビザンツ時代では一番遠くまで親征してるし、頑張ってたけど、
最後の最後で全て無くしてしまったからな。どうしても評価は下がるよね。
逆にバシレイオス2世は、その前の二人の業績がありからこそ、っていう感じだが。
766 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 09:24:49 0
ブルガリアといえば、ペタルとアセンに適当に官位とかやってれば
第二次ブルガリア帝国はなかったんでしょうかね?
でもそれだとラテン帝国がもっと勢力拡大してるかな?
>>766 遅かれ早かれ、ってとこじゃない?
軽薄無能アンゲロスブラザーズだし
よくイサキオス2世は怠惰だっていうけど、いちおうは親征してまでブルガリア
を抑えようという意思はあったんだよな。
まあ、結局意思だけだったけどw
やはりブルガリア人の間で反乱の機は熟していたんでしょうかね・・・
物の本で読むとペタルとアセンが巫女を使ってヴラフ人を蜂起させ
それからドナウ川の北にいたクマン人を呼び寄せて戦ったとかいう感じで
なんかブルガリア人の影が薄い気がしたけど。
ブルガリア人が動かなくても、ブルガリアを統治してた奴がいずれは自立してた
かと。コンスタンティノポリスの帝国政府の力は、アンゲロスブラザーズの時に
はかなり落ちてたはずだし。
なるほど・・・
アンゲロスブラザーズ大人気だなw
パライオロゴス朝も親子兄弟で争いまくって国力を損じたよな。
ニカイア初代のテオドロス帝とかが後半では一番まとも?
>>763 ブルガリアの東部はヨハネスに制圧され
西部(サムイルの部分)はルーシに蹂躙されたよ
オストロゴロスキーに書いてある
30年戦争て言い方障害があるな
30年間ずっと戦闘続けて
やっと併合したというなら
バシレイオスはボンクラ扱いされてもしょうがないが
実際は即位後の遠征が失敗して以来放置状態
本格的に遠征し始めるのは西暦1000年以降
百年戦争や三十年戦争もずっと戦いがおこったわけじゃない
>>740 寛容だったはずのローマで
何でケルト人の反乱が何度も起こったんだろうな
>>775 パンとサーカス、大入浴場とか作るために
搾り取られていれば反乱を起こしたくなる
後ローマ人は、ガリア人を部族ごと借金漬けにしてその形に奴隷供給させてた。
俺らの春はこれからだ /\
\ |
∩∩ V∩
(7ヌ) (/ /
/ / ∧_∧ ||
/ / ∧_∧ ∧_∧ _(´∀` ) ∧_∧ ||
\ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄ ⌒ヽ(´∀` ) //
\ /⌒ ⌒ ̄ヽ、 /~⌒ ⌒ /
| |ー、 / ̄| //`i /
| | | / (ミ ミ) | |
| | | | / \ | |
| | ) / /\ \| ヽ
/ ノ | / ヽ ヽ、_/) (\ ) ゝ |
| | | / /| / レ \`ー ' | | /
↑ ↑ ↑ ↑
ナポレオン ユスティニアヌス カール12世 アウラングゼーブ
>>773 オストロゴルスキーは、60年以上前に書かれた「古典的名著」であるということ
を念頭におかないと。
>>773 すまん、確認しようとしたんだが、見つけられなかった・・・
よかったら何頁か教えてくれ
考えてみたらカルタゴやダキアも
ローマに比べたら勢力的に小粒だよな
>>773 『ビザンツ帝国とブルガリア』P88より
西ブルガリアやマケドニアはロシア軍の侵略を被らず、ビザンツにも占領
されていなかった。ブルガリアの地方統治官であった貴族(ボヤール)の
息子達は、クルム、ボリス、シメオンの王朝の継承者を宣言して西部に独
立したブルガリア国家を建てた。ただし、国家の起源に関しては、きわめ
て曖昧である。
バシレイオスと比べるならトラヤヌスだろ
まあどっちも自分より小粒のザコをつぶしただけとも言えるが
>>783 今のブルガリア共和国でも四国の6倍あるぞ?
>>783 別に国力は面積だけで決まるもんじゃないだろ。いちいち煩いよ。
>>784 じゃあ大国サーサーン朝を倒したヘラクレイオスの勝ちw
>>786 サムイルの国は今のブルガリアより西に寄ってる。首都のオフリドは
いまのマケドニア共和国にあるし。
>>787 面積が小さい=古代じゃ人口も耕地面積も小さい
=国力が小さい
お分かり?
>>785 マラズギルトだけが有名であるが
決戦前に死んでいれば「おしい皇帝だった」
といわれていただろうな
>>784 バシレイオスはブルガリアをつぶしたことは自慢にならないが
南イタリアを制圧したことこそ評価できる
>>790 そうかな?神聖ローマ帝国を下手に刺激しただけじゃ
>>788 それはみんな承知の上だろ。
そんなもん得意げに言うことか?
>>788 面積が大きい→でも人口密度が低い→領土が大きいからって収穫高と人口が多いとは限らない
>>793 バシレイオスって皇帝の称号については何も文句いってないよ
オットー3世に姪を嫁がせようとしたし
>>795 個人の問題ではなく、国家としてのスタンスではゲルマン人にただの「皇帝」は
認めても「ローマ人の皇帝」は認めてない。
あと、オットー3世に嫁いだのはヨハネス1世の姪だ。
バシレイウス帝の娘はキエフ・ルーシじゃなかった?
798 :
佳:2008/01/06(日) 22:13:00 0
>>797 それは妹
あと「バシレイウス」っていうのはおかしい
ラテン語:バシリウス
ギリシャ語:バシレイオス
中世ギリシャ語:ヴァシリオス
だった気がする。
>>796 ヨハネス1世の姪はオットー3世の母ちゃんだよ
アドリアノープルの戦い敗北以降のゴート・フンの侵攻
ヤムルークの戦い敗北以降のイスラムの侵攻
マンジケルトの戦い以降のトルコの侵攻
第四回十字軍以降の西欧の侵攻
と、何回も致命的敗北を経ているのにその都度体制を変えて反攻に
出ているのが凄いな。
第四回十字軍後、帝都を回復しても政治・軍事的は死に体だ
ただ文化的には発展するが
また素人か
なぜそう思う?
パライオロゴス朝は皇族間の帝位争いが痛すぎる。
せめて小アジア側にまともな領地があるうちににマヌイル2世レベルの人間が
皇帝になってくれれば…
いや、そもそもテオドロス朝のまま帝都を奪還してくれれば…
それともトレビゾンド帝国かエピルス専制公国が奪還していれば…
我々は
>>1が何故このようなスレッドを立てたのかという
疑問を解決するため、1の故郷であるダマスカス郊外の寒村に向かった。
「まだ我がユスティニアヌス帝の治世にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した兵士に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、
そして土着の小官吏達は身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
ゲルマン民族だの、ローマ法大全だの、パンとサーカスだので
浮かれていた我々はローマ帝国の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「うちのバカが申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
我々はこの時初めて
>>1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、この村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は母親から貰った干しイチジクを手に、
打ちひしがれながらコンスタンチンノポリスへと帰路についた
>>806 もうそれ、過去スレ5回くらい使われてるぞ。古いよ。
かつてのローマ帝国領域だった西欧やエジプト・シリアとは別に
東方正教の布教込みでスラブ人やブルガール人、グルジア人に文化を輸出したのは
ビザンツ帝国自身の功徳。
この部分は西ローマは関係ないし。
まあアレクサンドル・からボスニア・ネフスキーの戦いからヘルツェコビナ紛争に至る種を蒔いた
のも事実だが。
809 :
世界@名無史さん:2008/01/12(土) 16:28:06 0
>また素人か
学者さんですか?
最近じゃ十字軍以前から衰退してた説が有力
マケドニア朝のときのテマ制崩壊が痛すぎたな。
中世ローマ帝国ていうほうがしっくり来ると思うんだが、
ビザンツ帝国って誰が言い出したんだろう?
神聖ローマ帝国の連中だろ
ローマ領有してないし
治めてるのもローマ人じゃないからな
ビザンツのほうがしっくりくる
>>810 誰の説だ?
コムネノス朝で中央集権国家から貴族の連合政権に変質したが、それを衰退というのか?
アナトリア喪失のことか?
>>814 ローマ領有がローマ帝国たる条件じゃないし、
ローマ人はラテン人である必要はないし(ギリシア人でありローマ人であるのは矛盾しない)、
他の国も一応ローマ帝国(少なくとも東のローマ皇帝位)を認めていたので、
ローマ、もしくは東ローマでおk。
まあ世界史の授業だと西ローマ帝国滅亡=ローマ帝国滅亡と習うがな
まーゲルマン人が公用語を途中でギリシャ語に切り替えたものを
ローマ帝国と呼びたくないのはわからないでもない
カトリックと正教会は別物だからなぁ
822 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 04:36:01 0
東ローマも初期はカトリックだぜ
823 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 06:55:56 0
>>805 帝都を奪還しなかった方がよかったかもしれんですな。
ラテン帝国の始末はブルガリアにまかせて、ビザンツ諸国はアナトリアの
回復の方に専念すべきだったのでしょうな。
824 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 07:28:56 0
>>823 どう考えても無理だろ……アナトリア奪還なんて
825 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 08:31:25 0
やはり帝都奪還の余裕はなかったと言わざるえないでしょうな。
アナトリアの自領の守りを固める事以外に、生き延びる可能性は
なかったようですな。
つーかローマなんて西ローマ末期に放棄されて、それこそ近代になって統一イタリアの首都に
なるまで教皇庁におんぶにだっこの寂れた都市でしか…。
中世の間微妙な都市のままでルネサンス期にやっと好転しだしたと思ったら
凶暴なドイツ傭兵の略奪で灰燼に…ローマ(´・ω・)カワイソス
ニケーア時代のアナトリア領はテマも設置されたり、農業も盛んだったというし、
やっぱ帝都奪還はマイナスだったかも。とはいえ帝都奪還がなければトレビゾンド帝国みたいに
いつの間にか滅びてました、みたいな扱いになっていそうだけど。
828 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 13:46:12 0
西も東もいつの間にか滅びてました、になるのかひどいな
>>827 スレ違いだし
ローマは教皇庁がアビニョンへ移されたときから衰退してるけど
カール5世のローマ略奪はドイツ人傭兵よりスペイン人傭兵の方が主力だろ
トルコみたいにビザンツ共和国って感じで現代まで残ってほしかったよね
ギリシャが一番近い存在か
>>829 マジか、新教国ドイツのランツクネヒトが中心と思ってた
カトリックのくせにスペイン傭兵もえげつないなあ
ところでソース教えてくださいませんか
>>830 どこの国にもギリシャと呼ばれて、自国だけがローマと呼び続け、
昔の繁栄も忘れられたただの微妙な小国になる。
栄光のローマ帝国がそんなみじめな姿を晒すくらいなら、滅んだほうがいい。
>>831 そちらこそ教えてくんないか
あらゆる本はそう書いてあるし
第一、カール5世は神聖ローマ皇帝である前にスペイン国王であり、カトリック
の守護者
当時のスペインは欧州一の軍事大国であり、戦術も欧州一優れていた
カール5世はドイツで新教徒と戦っているはずだが
ビザンツスレで西欧ネタをもうあんま話したくないな
いきなりだが今年は、ビサンツに関する本がいっぱい出るといいな。
>>833 オイラのは
ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史―中世末期のサブカルチャー
だよ
つーか、ゲームみたいにトルコに逆襲してポスポラス・ダーダネルス海峡を保持したら、
ロシアの保護国になって、日露戦争時には日本にとって非常にウザい存在に…
ビザンツが残ってたら、外交儀礼がややこしくなるな
>>836 そうなるまでイギリスは黙ってないけどな
>>835 ここで西欧ネタを話すのは最後だ
ペスカラ候、ナポリ副王の率いたカールの軍はスペイン兵主体でドイツ人やイタ
リア人の傭兵が加わっていたというのが事実だ
もともとローマの略奪は兵に対する給与遅配によるもので軍税方式を取る近世欧
州の軍にはありがちだ
前世紀初頭まで傭兵部隊の頂点であったアラゴンのアルモバルカスも敵味方双方
からそのため恐れられていた
西欧一の人口と動員力を誇るフランスに対しドイツ傭兵だけでは到底兵力は不足
する
ましてはちょうど同時期オスマンの後押しでトランシルバニアのサポヤイがハン
ガリーのブダを占領してカールの弟フェルディナントがそれを駆逐した
王弟フェルディナントの軍にもドイツ人傭兵が動員されているとするなら完全に
兵力不足になるのは決定的だ
西ローマが滅亡した後は「東」ローマって呼ぶのは意味ないんだからローマを冠するなら
古代のローマは古代ローマ帝国
ビザンツは中世ローマ帝国
でもいいんじゃないかとも思う。
地中海の覇権を握る国号って意味でもわかりやすいけどね。
オスマン帝国でもビザンツはローマって呼んでた訳だし
フランク王国も西ローマの冠返したんだよな
ゲルマン人の(強引な)理由付けとしてはエイレーネーの即位をもって王統が途切れたことにしてるんじゃなかったっけ?
843 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 21:21:11 0
>>826 ユスティニアヌスのゴート戦争の頃までは、まだ人口10万以上の都市であったらしい。
コンスタンチノープルが当時人口45万ぐらいだったそうですな。戦災のみならず、
ペストの大流行で、これらの人口は激減してしまうそうですな。
844 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 21:30:40 O
すいません。古代ローマの寛大な寛容な精神をクレメンテスとか言ったと思うのですかが誰かそれの正しいスペルご存知の方おられますか?
今年の僕の目標にすべくアドレスにしようとしてます。ご存知の方よろしくお願いします。
>>844 clementeでいいと思うが…
しかしスペインやラテンアメリカではけっこう一般的な名前だよ?
846 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 21:41:37 O
有り難うございます。
人物の名前に使われる事が多いんですか? 自分なりに調べた時にクレメンテス何世とかがよく出てきておかしいな?
とか思ってたんですよ、ローマの寛大なて思考素晴らしいですよね、この前テレビでちらっとみて感動しました。自分にはこれがたらん!とも思いました。
847 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 22:11:39 0
>>830 フリギア連邦とか、リディア共和国、ガラチア大公国、ポントス共和国、
カッパドキア共和国、コマゲネ候国、キリキア共和国、イサウリア首長国
と言う感じで現代まで残っていればよかったですな。
攻められる前にとっととオスマンにコンスタンチノープル明け渡していれば、
ギリシアあたりで大公国として存続できてたかもね。
西欧の大規模な援軍があれば延命できたかもしれないのに
つ ニコポルでバヤジットに壊滅させられたブルゴーニュ・ハンガリー・ワラキア連合軍
やはりコンスタンティノポリスは西洋にとって壁だったんだろうな
1000年近く東からの侵攻を防いだ成果はでかい
852 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 23:03:25 0
>>848 いや、それは彼らのIDが成り立たないだろ。
血統を象徴としていた国柄ではないのだから、帝室・王室がいればいいという国でもないし
民族を集合した国柄でもないし。しょせん「ローマ」は都市に依拠した国家なんだから
ギリシャの片田舎では永続はムリポ
853 :
世界@名無史さん:2008/01/14(月) 23:09:09 0
>>849 コムノネス朝時代の頃はらばなんとかなったであろうが、その後は末期癌状態で
あったと言わざる得ないな。
>>852 一回ローマからコンスタンチノープルに変わっているんだから、もう一回変わったところで。
そこで第三のローマ、モスクワの登場ですな
おっさんですかシャーですわはははは
オスマンにコンスタンティノープル献上
→モレアス専制公領をモレアス大公として拝領
→オスマンが衰退したらワラキア同様、列強バックに自立
→しかし、トルコの首都コンスタンティノープルは貰えずギリシャ・ローマ王国として
独立
→第一次大戦のどさくさに紛れ、コンスタンティノープル奪還を目指すも
ケマルに阻止される。
→何も変わってなくね?
857 :
世界@名無史さん:2008/01/15(火) 03:01:52 0
6世紀にスラブ人のバルカン侵入を許して以来、アナトリアこそがビザンツ本土
>>839 スペイン人傭兵 ローマ略奪で検索してもドイツ人傭兵が主体と出るんだが
マジでソース教えてください
>>852 そりゃ共和制の話だろ
西ローマも首都はラヴェンナ、中心都市はミラノだぜ
>>847 名前はともかく、領土的にやってられないだろ…
>>856 ワラキアならともかくペロポネソス半島にキリスト教国があるってのは
オスマン帝国の安全保障上容認できますかね?
とりあえずイスラム化されるまえのイスタンブルが見てみたかった
それを言うなら十字軍以前のコンスタンティノポリスじゃね?
トルコに征服される前からビザンツ人たちがすでに「イスタンブル」と呼んでたらしい。
>>866 それは無いだろ
トルコ人やアラブ人なら話しは別だか
>>867 > トルコ人やアラブ人なら話しは別だか
トルコやアラブが呼んでりゃ、呼ばれて田って事実に間違いはあるまい。
「ビザンツ人たちが」呼んでいたかどうかが問題となってるのになんで
アラブ人が呼んでたかどうかで事実になるんだよw
>>867 15世紀前半にカスティリャの使節としてサマルカンドへ向かったルイ・ゴンザレス・デ・クラヴィホが
コンスタンティノープルに立ち寄っているが、彼の記録によると都市の名を現地のギリシャ人たちは
イスタンブルと呼んでいたそうだ。
イスタンブルっていうか、eis stin poli(都市へ)じゃないの?
都市の中の都市、みたいな意味でコンスタンティノポリスの別名みたいなものでしょ?
東西文明の十字路なんだし、名前なんてそれぞれの国ですきなようによんでいたんじゃない。
中国語の拂菻なんてもうどこの街かわからん。
―城壁はこんなに長大であるし、地域は広大であるが、市域全体は
それほど人戸稠密ではない。その城壁内には田畑・果樹園のある丘や谷が
多くあり、果樹園のあいだには小さな集落などもあって、すべて
この市域のなかに含まれるのである。
ギリシア人は、われわれが呼ぶようなコンスタンティノープルという名は
知らないで、ふつうエストムボールとよんでいる。
~~~~~~~~~~~~~~~
『チムール帝国紀行』より
ttp://wwwsoc.nii.ac.jp/mediterr/geppo/219.html
―そこは果てしなく規模が大きく、二つの区域に分かれ、その間に大河(金角湾
のこと)が挟まれている。その川には干満がある。以前には(石で)築いた一つの
橋が架けられていたが、壊れて、今ははしけ舟で渡る。その川の名前は
アブスミーであり、町の二つの区域のうちの一方はアスタンブールと呼ばれる。
~~~~~~~~~~~~~~~
アスタンブールは、川の東岸にあって、そこには皇帝、彼の国家大臣たちや
その他の人々の居住しているところがある。町の広場や街路は広々として、
敷石で舗装されている。全ての職人たちは他の職種と雑居することなく
それぞれ独立しており、また市場には幾つもの門があって、夜間は閉鎖される。
市場にいる職人たちや小売商の多くは、女性である。
イブン・バットゥータ『大旅行記』より
874 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 22:09:12 O
テッサロニキやニケーア、トレビゾンド、アンティオキアには
コンスタンティノープルのテオドシウスの城壁みたいな立派な城壁を
作ろうとはしなかったの?
むしろコンスタンティノープルが地の利が良すぎだったんだろ。
>>874 立派な三重城壁作ってもそれに足る守備兵が配置できなきゃ意味ないから…
877 :
世界@名無史さん:2008/01/17(木) 23:08:18 0
>>875 地の利が良過ぎたが故に、領土回復意欲が削がれる事になってしまったのだろうな。
>>872 情報ありがとう。
当時の庶民の人はコンスタンティノープルって呼ばなかったのか。
興味深いな
ビザンツ好きな俺は、どうしても「イスタンブル」に抵抗があったけど、
それが誤った先入観に基づいていたものだと分かったよ。
ほんと、ありがとう。
民族移動が激しい地域なのによく1000年弱も持ったよな
中期ごろまで存在した強力な海軍の存在も大きかったのかな?
トラブゾンってむしろ山城の国みたいなイメージが
かつて第三次ポエニ戦でスキピオが炎上、陥落するカルタゴを見て
「(共和政)ローマもこんな風にして滅びるんだろうなあ」
と言ったらしいけど、最後まで抵抗して滅亡したのは、
ビザンツとトレビゾンドだけだな。
西ローマはオドアケルによるロムルス退位だし、後を継いだことになってる神聖ローマも
皇帝による自主的解散だし。
あれを滅ぶとは言うまい
>>884 「徳川幕府の滅亡」と同じ意味での「滅亡」だろ
>>878 そもそも
>>871の言うように、「eis stin poli」が訛ったのが
イスタンブルだからな
887 :
世界@名無史さん:2008/01/22(火) 07:22:10 0
>>882 エルサレムとパルミラも思い出してあげてください。
888 :
世界@名無史さん:2008/01/27(日) 15:31:04 0
塩野七生が『コンスタンティノープルの陥落』でこのように書いていました。
「現代では公式の都市名になっている「イスタンブル」も、コンスタンティノポリスのトルコ語式の呼び方が、長い歳月を経た結果、原語を想像するのが不可能なほどに変化した呼称にすぎない。」
信じてたのに。
塩野さんもちゃんと
>>871の説を
書いてたように記憶してますけど?
>>887 エルサレムってユダヤ戦争の頃のエルサレムのこと言ってんのか?
どっちもローマの後継とはトレビゾンド以上に認め難いだろ…
クリミア南部にあるチュフト・カレやマングプなどの山城って
ビザンツ式建築の城塞が現存してるんでしょうか?
ユスティニアヌス1世の頃からあるらしいですが・・・
892 :
世界@名無史さん:2008/01/28(月) 13:37:20 0
あげ
ギリシア火欲しいアゲ
895 :
ショーパン:2008/02/03(日) 13:26:11 0
ブルガリア人殺しって本当の話なのかな、なんかにた話が他にあったが?
そういや毛利元就の「三本の矢」の故事とまったく同じような話が
第一次ブルガリア帝国の君主の伝説にもあったらしいけど
モンゴル帝国時代には「五本の矢」という話があったとか無かったとか
そろそろウリナラが・・・
900 :
世界@名無史さん:2008/02/06(水) 11:30:41 0
>>388 ビザンツ帝国史(絶版だけど)やビザンツ帝国とブルガリアって面白そうだけど、
素人が読んでも理解できるのか?
北の十字軍―「ヨーロッパ」の北方拡大 講談社選書メチエも面白そうだと
思ったら絶版だし、どうにかしてくれ。
>>900 ビザンツは古代ギリシャ、ローマを一通り理解した上で、西欧、サーサーン朝、
イスラム、東欧が少しは分かってないと理解しにくい。
とりあえず井上浩一先生の入門書レベルのことがわかってないと、その上はちっ
ともわからない。
古代ギリシャは関係なくねぇ〜
903 :
世界@名無史さん:2008/02/09(土) 00:24:42 0
>>895 バシレイオス2世がブルガリア軍に勝利した時、
一人を除いて全てのブルガリア兵捕虜の目を潰して、ブルガリア王に送り帰したという逸話はあるな。
その一人は、目を潰された捕虜達の道案内に使うために、片目は残されたそうだ。
>>902 理解不足。
文化的には古代ギリシャの影響力が非常に強い。
>>903 だから、それが「ブルガリア人殺し」なんだってば。
>>901 中世ヨーロッパアラブの歴史については一通り読みました。
ローマとギリシャはの理解はまだ概略程度。
ビザンツに関連するもので読んだ本はこれくらい。
ロシアの源流 三浦清美
ビザンツ 幻影の世界帝国 根津由喜夫
それにしてもビザンツもそうですが中世以前のロシアに関しても入手可能な本が少ないですね。
こんなことでいいんでしょうか。とりあえず井上氏の本を探してみますが。
ギリシャ辺りの固有名詞は暗号のようで覚えられず困ります。
>>905 とりあえず中央公論新社の世界の歴史シリーズ「ビザンツとスラヴ」をお勧め
する。ビザンツは井上先生だし、スラヴも基礎知識は得られる。
907 :
佳:2008/02/09(土) 19:03:58 0
>>905 確かにその2冊は面白かった
幻影〜はマヌエル1世の皇帝としての面子を重んじるプライドの高さとかよく描
かれているね
個人的には彼がヴェネツィアと神聖ローマ帝国を裏切ったこと(特に前者を)が
ビザンツ衰退のキッカケを作ったのではないかと思うのだが
>>905 中世ロシアで日本語の文献だとなぜかモンゴル侵攻以降のが多いね
910 :
世界@名無史さん:2008/02/10(日) 13:03:31 0
>>906 井上氏の本では、ビザンツとスラヴと生き残った帝国ビザンティン
どちらがお勧めでしょうか?後者は絶版ですが、そちらの方が
いいなら古本屋で探そうかと思うので。
複数著者のシリーズ本は面白くないのではないかという偏見を持っていまして。
スラヴについても興味はあるんですが、スラヴの歴史に関してお勧めの本ありますか?
>>910 どっちもお勧め。井上先生の本はハズレがない。
前者と後者では取り上げてるエピソードとかも違うので、両方持ってた
方がいい。前者はたぶん図書館でも置いてあるはず。
後者や『ビザンツ皇妃列伝』は古本屋や密林のマーケットプレイスなん
かで探してでも買うべき。
そういや以前ブクオフの洋書コーナーで
Otto Demus"Byzantine Mosaic Decoration"という本が350円で売ってたな。
(アマゾンの10分の1ぐらいの値段だった)
汚れがひどかったしそれほど興味ないのでスルーしたが。
コンスタンティノープル回復後のパライオロゴス朝ビザンツに興味がある(特に
文化史)が、日本ではその時代に特化した本がないので残念(マニアックすぎる
し)、かといって洋書は高いし、訳すのに時間かかるし、かったるいし
井上先生がその時代の新書書いてくれると嬉しいが、とても無理な話だな
>>913 同志発見。
自分も法王のムハンマド発言問題の際に元ネタになった
マヌエル2世の著作を読みたいと強く感じた。
日本語で読める日は何時になるやら・・・
井上先生の著作類も絶版が増えて入手困難になってきてるし
つくづく日本はビザンツに冷淡だな。
俺はゲミストス・プレトンの伝記を邦訳してほしいっす
>>904 だが文化史以外ではローマと同列に置けない。
ギリシャの概説書読むぐらいなら、教会史についての本を読んだほうが
ビザンツに対する理解が高まる。
どっちも読めばいいではないか
>>915 ギリシア語(勿論英語も)スラスラ読める人羨ましいですね
あとビザンツ関係だとドイツ語文献も多いけど勿論ドイツ語も丸っきりダメ
ビザンツはマイナーだから和訳は絶望に近いなあ(特に希語の同時代史料は)
>>919 フランス語の文献も多い気がするね
むしろ、英語圏の方が研究が盛んでないのでは?、と思うことも…
921 :
世界@名無史さん:2008/02/14(木) 15:21:36 0
井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社〈講談社学術文庫〉、2008年3月[10日頃]刊行予定
>>921 お、講談社復刊させるんだな。公式サイトにも出てる。
これはGJだ。
『ビザンツ帝国』岩波も復刊きぼんぬ
あとオストロゴルスキー
復刻ドットコムにみんなでお願いしようか、特にその二つを
>>926 少数派と言うより、
>>918が正論。
教会史にしても、古代ギリシャ・ヘレニズム文化の伝統とキリスト教の
せめぎ合いがあるんだから、結局両方知らないとダメ。
>>927 それもキリスト教に習合或いは内包された形態として理解した
方がわかり易いよ。現実がそうだからね。
>>928 必死だな
要は両方知ってれば良いだけの話ではないか
「塩婆厨」「西欧厨」に次ぐ、「教会史厨」という新種登場だな
だから両方読めばいいだけだと何度言えば
自演もいいんだが、ロシア史も併せて理解したいのなら
教会史の理解から入った方が方法論としては優れていると言える
だろうね。
>>905はそんな意見に読めるよ。
「教会史厨]なる意見がでてきたのは、教会史を軽視しすぎていたことに対する
反感が原因なんじゃないかな?
ビザンツ帝国と教会は密接な関係だったけど、政治史や制度史の研究は帝国と言う
統治機関の側に立っておこなわれたから、東方教会史としての研究は国内には無い
んじゃないかな。
ビザンツを深く理解したいと思ったら、教会史やイスラム史、ロシア史も
ギリシャ・ローマ史と並んで必要だと思う。だけど、教会史などは研究が少ない
分野だから専門家じゃないと難しい、そんなジレンマとメジャーな分野に対する
嫉妬が「教会史厨]の正体では?、と考えてみた。
正直、ローマ・ギリシャ史などのメジャーな分野への嫉妬は僕も持っていますw
>>933 要は全部必要なんだよ。
それを教会史さえ知れば、古代ギリシャ・ローマの知識はいらない、みたいなこ
とを言うから厨扱いされる。
936 :
世界@名無史さん:2008/02/19(火) 01:07:00 0
バシレイオス2世に詳しい書籍(日本語)って何がありますか?
衰亡史でもスルーらしくて。
>>936 井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』3月10日講談社学術文庫で復刊
井上浩一『ビザンツとスラヴ』中央公論新社
とりあえず、この2つを押えるべし。
これで、かなり分かる。
あとは、尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』かな。
衰亡史でのスルーぷりはすさまじいからなw
>>936 937の指摘した二点は押えておくと良い!
オストロゴルスキーの『ビザンツ帝国史』もお勧め。
両帝国史を読めばビザンツオタク認定ぐらいの価値ある本
ただし、両方ともやや古典的であるので注意が必要
専門書でバシレイオスを扱ったものに、『帝国と慈善』があるけど
専門的過ぎて難解かもしれない。
あと、ビザンティン同好会の方には顔を出した?
書籍ではないが一見の価値があるものが紹介されていますよ。
>>938 オストロゴルスキーは絶版だからなぁ。図書館にあれば見っけもんだが。
ちなみに「同好会」はマニアの人がやってるサイトの名前ね
あそこの掲示板は受けるな。
>>940 スパムばっかりだからな。時々メンテされてるけど。
管理人はmixiとかでも活動してるんだし、掲示板無くしてもいいような
希ガス。
まあ、余計なお世話か。
942 :
世界@名無史さん:2008/02/20(水) 23:50:00 0
936です。
教えて下さった方、ありがとうございます。
実は『生き残った帝国ビザンティン』でバシレイオス2世に興味を持ちました。
あの本はコンパクトな割に充実した良書ですね。
搾取とか革命とかの単語が出てきたので、最初は左派かと思いましたが、杞憂のようですね。
>>942 そんな上から目線で評価するような相手じゃないぞ。井上先生は。
俺も、知識全くなかった当時はやたらエンゲルスとか引き合いに出すもんだから、
「この人、左派系の学者か?」とか思いました。たしかに「革命」も多用してたかも。
でも中公の世界の歴史ではそうではなかったような記憶が。
>>944 『生き残った帝国-』でも「労働者の-」はビザンツ同様の建前だって、
事実上ばっさり切ってたし。
おおかれ少なかれ、あの辺の世代は左派の影響はあるよ。
だいたい西欧を見れば、左派そのものは別に悪い思想ではない。
日本の左翼は偽善的だが。
946 :
世界@名無史さん:2008/02/21(木) 02:15:20 0
>>945 天安門事件の後で中国要人が来て国会で演説したとき
退場して人民の弾圧に抗議したのが西洋の左翼
諸手を上げて歓迎したのが日本の左翼だからな
>>946 そういうこと。西欧の左派は人権や福祉を重視する思想というこ
とであって、安全保障に関しては現実的。スウェーデンなんか社
民主義の政権が長く続いても、徴兵制のある重武装中立主義だし
ね。
左派というのは別に隣国に媚びる主義と言う意味ではない。
>>942とか
>>944は、典型的な弱い頭のネットウヨ。
まあ、日本の左翼が糞なせいでもあるが。
>>947 そして君は典型的なサヨクだな。
ネットウヨ認定が乱雑でひどすぎ。
コヴァサヨ乙
つーか、サヨクなんてもう実質機能していない思想だろ。
今じゃ先進国では、左翼思想は中級以上のブルジョアが、多少心理的に持っているくらいで、
本来左翼がターゲットにしていた中級以下から貧民層には、右翼思想か宗教ファンダメンタリズムが
浸透している。
「リベラル」なんて言葉は「金持ち、取り澄ましている、世間知らず」の代名詞のようになっているし。
そう言えば共和制ローマじゃ元老院派と民衆派の政治対立でいつも大騒ぎしていたが、
ビザンツにはそういった支持勢力を異にする集団同士の政治対立のようなものは、あったんだろうか?
聖像破壊派vs聖像マンセー派
>>952 青党と緑党(だっけ?)とかはどうだろ?
>>952-954 従来は青派が正統教義派で緑派が単性論派、とか青派が皇帝派とか
言われてたが、最近ではそれも怪しいらしい。
ただ、宗教対立は名物のように存在したが。これも聖書がギリシャ語
で、都市部では読み書き程度の教育はされてたから読める人の数が多
かった、っていう理由があるみたいだけどね。
生き残った帝国ビザンチンの巻末の参考文献に、英語フランス語ドイツ語イタリア語
ギリシャ語と思われる本があるが、著者はそんなに外国語できるのか?
957 :
世界@名無史さん:2008/02/22(金) 09:58:15 0
「自宮僧」に就いて教えて下さい。
キリスト教のオーリゲネースが自らを去勢した史話は
たいそう有名ですが、過日あるドイツ語の書物を読んでいると、
アンティオケイアのレオンティオス(のちエルサレムの主教、257没)
や、ポワティエのヒラリウス(「350年没」と記載アリ)、
さらにはエジプト人マカリオス(本名・シュメオーン、330〜390)
等もまた、「自宮僧であった」という記述に遭遇しました。
がしかし、その典拠となる文献名が掲載されてないので、俄かに
鵜呑みに信じてよいものか否か判断がつき兼ねています。
彼等は皆な自分で去勢したキリスト教徒だったのでしょうか?
博識なる方々、是非とも御教示の程、よろしく願い上げます。
>>956 ビザンツ研究しているからには、ギリシア語は修得されたのだろう。
そしてあの難解なギリシア語を修得する根性があるのなら、他の英仏独伊語の修得なんて、
屁みたいなものだろ。
>>956 歴史学者は史料の原典が読めて当たり前だろ。常考
学界の重鎮を馬鹿にし過ぎ
>>957 筑波の和田廣先生が何か書いてた気がする。
ウィキペディアの「宦官」の記事に論文へのリンクがあったはず
>>959 欧州史の学者は数ヶ国語読めて当然ということですか?
日本人でもそんなの当たり前なんですか?
>>960 ビザンツ史の場合は間違いなくそうだな
海外での研究は英語圏、フランスの文献が多いし、原典は最低でもギリシャ語、
ラテン語が必要。
読み書きだけなら英仏独は難しくないし
963 :
世界@名無史さん:2008/02/23(土) 08:47:44 0
トルコ軍がクルドを攻撃している今こそ、
帝都コンスタチノープルを奪回すべき。
ていうか、flashの「ローマの鍵」と「シリアよさらば」を見ておけば、
一般社会じゃ、たぶん自分よりビザンツに詳しい人には
一生であわないよ。
967 :
世界@名無史さん:2008/02/27(水) 21:02:47 0
そういうお前は、このスレに来るなよ
質問だけど来月復刊される生き残った帝国って
どれくらいの内容なの?
中公のビザンツとスラヴ並みのものを期待してもいいの?
MedievalUTotalWarっていうゲームでラティンコン(ヨーロッパ側出身の騎兵。
アンナコムネナが賞賛?)とかバルダリオタイ(ペロポネソスに
定住したマジャール人?弓騎兵)とか出てくるけど本当にこんな奴らいたのかよ…
日本語の資料じゃ出てこねーよ。
>>969 それくらいの内容を期待していい。
というか、あの井上先生の2冊はセットだと理解するべし。
片方に載ってて、もう片方に載ってない内容とかある。
例えば、マヌエル2世の生涯なんかは『生き残った帝国-』
しかないし。
>バルダリオタイ
テオフィロス帝がブルガリアのヴァルダル渓谷に移住させた
テュルク系遊牧民ですな。マジャールと関係あったかな?
落ちそうなのでカキコ。
ちなみにヴァルダルで検索してみたら
今はマケドニア領らしいです。
そろそろ次を建てる?
別に普通だろ。
970過ぎたら普通だろ
950が2/21で970が2/28
今立てても良いし、まだ来週でも充分てな程度のスレ速度だからね。
まあ990あたりで充分な気がする。
というか3が必要なのかも微妙な気がする。
980超えたら一定期間書き込みがないと落ちるって言ってんだろ
>>972-973 レスサンクス。
さっきまでミディーバルU日本語版やってたけど
弓騎兵バルダリオタイの説明はバルダル渓谷に移住したマジャール人ってなってた。
英語版やったことがないからわからないけどSEGAの誤訳かな?
ゲーム序盤のビザンティン帝国では最強だからやたら重宝するw
>>981 そのゲームがどんな内容か教えてくれんかな?
>>983 セガから日本語版が出ている中世欧州を舞台にしたPCシミュレーション。
ビザンティン帝国として勢力が選択できるけど、カトリック諸国やイスラムに比べると弱体だし、
ゲーム自体も戦闘シーンが綺麗な感じの割に史実より単純なので
細部にこだわると不満がかなりある。
(カスティリアやアラゴンではなく「スペイン」としてレコンキスタをやる)
M2TWで検索すればページが出てくると思うよ。
ショベルカー、パムッカレの古代プールを台無しに
UNESCOの世界遺産に登録されているパムッカレにおいて、ショベルカーの操作ミスによって、温泉が
通っているパイプが壊れ、古代プールは泥水で一杯になった。
「クレオパトラが泳いだプール」として知られている古代プール周辺の建物の取り壊し作業が、
「アイドゥン文化および自然保護協会」の決定に従って、2週間前、県特別委員会によって開始された。
作業において、ショベルカーが温泉水を石灰華に流しているパイプのひとつに誤って穴をあけ、泥水が
古代プールに流れた。歴史的文化財も残っている古代プールは泥水で一杯になった。
ハサン・ジャンポラット知事は、パムッカレに必要な調査を行った。県特別委員会のアデム・オクル会長も、
濁った水がパイプから流れ出て、石灰華に影響を与える寸前であったことを明らかにした。
「アイドゥン文化および自然保護協会」のオブザーバーである建築家シュレイマン・ボズ氏は、この状況を
「恥辱」として批判し、考古学的地区で機械を使用しての掘削作業は間違いだと話した。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20080301_013754.html