†††キリスト教総合スレ3†††

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1世界@名無史さん
過去スレ

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関連スレ

聖書の裏事情
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1038020272/
★聖書とギリシア・ローマの教養雑談スレ★
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1171195945/
21:2007/08/20(月) 18:18:38 0
スレ4本目だった。ごめん。
3前スレ912:2007/08/20(月) 19:02:06 0
ちょっとあまりお粗末すぎるて話にならないので、私はこれで
最後にする。ただ、この人のQの持論を呼んで、Qを誤解する
人が出てきそうなので、そこだけでも正しておくべきなような
気がする。毒電波なので、宗教板に行ってくれた方がいいかも。

>>978
>その原本には、黙示録的なメッセージや、イエスの奇跡(?)、
>さらには共同体への勧めは、一切含まれておりません。

タイムトラベラーな方ですかっ!? 「Qの原本」!?

って、こんな言い方すると気付かないっぽいから、はっきり言おう。
無知が知ったこくなよ。んなこと断言できる人間は、現世にただの
一人もいない。

Qってのは、二資料説から導きだされる仮説上の資料であって、
よーするに、マタイとルカの共通資料をとりあえず「Q」と呼んどこう
というもの(これがどの程度まとまっていたのか、果たして一つの
文書であったのか、一つのスクールで伝承されたものなのか、
そういうことは、現在の資料状況では、ものすごく難しい問題で
あって、想像の域を出ないことが大半)。つまり、Qとは、現象から
抽出された概念であって、マタイとルカの共通部分に対し、彼ら
編集時に参照したであろう資料を、学術上、こう呼んでいるだけ。
4前スレ912:2007/08/20(月) 19:05:38 0
一方、この電波さん、Qはそもそも一つの文書で、元には「Qの
原本」(笑)があり、それはすべて真正のイエス語録で構成されて
いたものと、勝手に妄信なさる(ネットで、マック本の下手な要約
を読んで、信じてしまったらしい)。*Qは語録だったはずだから*、
Qの奇跡物語は「後代の加筆」であり、*預言など書いてなかった
はずだから*、Qの預言の部分は増補版(笑)なのだそうだ。

これを本末転倒という。ていうか、Qが何なのか、全く理解して
ない。「増補であるコンプリート版」、な、何ですか、それ?(笑)
>>970は紛れも無いQ資料由来の部分であって、「原本」とか
「増補」とか、もう話にならない。

Qの復元は、マタイとルカの最大公約数を抜き取る以外に無い。
ギリシア語のレベルで文体が近いものもあれば(つまり、その
箇所のQはギリシア語であり、マタイとルカは、同じか、ほぼ
近い形の資料を手にしていた)、かなり違っているものもある。
違う部分の場合、それはどの時点で分かれたのか。アラム語の
伝承においてか、ギリシア語の伝承または翻訳時においてか、
マタイとルカの編集時においてか。

Qの分析というのは、文体研究の緻密な作業によって明らかに
なってくるものであって、電波さんの「これは奇跡物語だから〜、
あれは預言だから〜、『原本』にないYO!(^▽^)v」みたいな、
低レベルな問題ではない。それをやりたかったら、まずは原語
で新約を読みなはれ。和訳聖書でもって(しかも新改訳)、「Qの
最古層は〜」とか語れる度胸がすごい・・・・w

他にもツッコミどころありすぎるが、もうしない。
5世界@名無史さん:2007/08/20(月) 20:08:56 0
こんなところで布教したところで、寒いだけだよ
6世界@名無史さん:2007/08/20(月) 21:35:51 0
宗教法人 日本ムスリム協会(JMA)
イスラームとは
イスラームQ&A
日本人でもイスラーム教徒になれますか?
  回答:「日本人でもイスラーム教徒になれます」
 イスラームは民族宗教ではないため、民族帰属が自動的にイスラームへの帰属を保証する訳ではありません。
つまりイスラーム法上、一定の手続きによりイスラーム教徒になることが出来るのと同じように、ある種の言動をとったイスラーム教徒は、イスラーム法上イスラーム教徒でなくなった、即ち背教したと見做されます。
 背教と見做される言動とは「アッラー以外にも神々がいる」などの発言、仏像に額ずいて祈るといった行為など、イスラームの教義に反する言行を指します。
http://muslimkyoukai.jp/qanda.htm#top

4.イスラーム法
ムスリムはどのような刑罰を受けたのですか?

固定刑は、姦通、中傷、飲酒をした場合は定められた回数のむち打ち、窃盗をした場合は手足の切断、追い剥ぎをした場合は死刑あるいは手足の切断あるいは追放、といった具合に明示されています。
また、背教者は死刑です。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~tomyam/q&a/q&a04.htm

Muhammad ムハンマド
☆マホメット冒涜で死刑も
パキスタンの「冒涜法」は、「神聖な予言者(マホメット)の名を汚す者は死刑」と定めているが、それを非イスラム教徒や良心的ジャーナリストに適応する動きが強まっている。
あるキリスト教徒に対する冒涜罪での告発を無罪にした高裁の判事が殺害されているため、判事や裁判官でさえ危険を感じているという。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/headline09a.htm

クルアーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クルアーンとイスラム法
イスラム法の一切を廃止しヨーロッパから持ち込んだ近代法一本に改めたトルコはその極端な例である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%B3
7世界@名無史さん:2007/08/20(月) 21:36:23 0
国旗は緑色。
白い文字は「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」というイスラム教の信条。
その下に、抜かれた剣が信条と平行に描かれている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B5%A5%A6%A5%B8%A5%A2%A5%E9%A5%D3%A5%A2

イスラム教についての資料 NO40
B聖戦(ジハード)について
190.
あなたがたに戦いを挑む者があれば,アッラーの道のために戦え。
だが侵略的であってはならない。
本当にアッラーは,侵略者を愛さない。
191.
かれらに会えば,何処でもこれを殺しなさい。
あなたがたを追放したところから,かれらを追放しなさい。
本当に迫害は殺害より,もっと悪い。
だが聖なるマスジドの近くでは,かれらが戦わない限り戦ってはならない。
もし戦うならばこれを殺しなさい。
これは不信心者ヘの応報である。
192.
だがかれらが(戦いを)止めたならば,本当にアッラーは,寛容にして慈悲深くあられる。
193.
迫害がなくなって, この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。
だがもしかれらが(戦いを)止めたならば,悪を行う者以外に対し,敵意を持つべきではない。
http://islam3.hp.infoseek.co.jp/study/jhsislam1.htm
8KG:2007/08/21(火) 00:51:17 0
912さんは、Qのオリジナルを想定する説を初めてお聞きになってたまげておられるようですが、
実は、Qが幾つかの層で構成されているという説は、私独自の説ではありません。
新約を専門分野としていない私が、そんな着想を思いつくわけがありません。
この私ではなく、Qを専門とする学術研究者たちが、Qをバラバラにすることを可能にしたのです。
そして、その際に、彼らは、ギリシア語の文法の専門的な知識を駆使しております。
彼らは決して、独自の主観的な判断で、黙示的な部分や、奇跡物語を切り離しているわけではないのです。
ですから、もしこの説を、「トンデモ」と切り捨てるなら、彼らQの専門家を切り捨てることになります。
しかし私は、Qを幾つかの層に分割する彼らの説に、妥当性を見出しており、それを支持しています。
それに何か問題があるでしょうか?

あと、私は新改訳から引用したことなど一度もありません。
あいにく、私の手元には、新改訳はございません。
あと、この手の話題になると、「自分は原語を読めるのだ」と言い張る人が出てきますが
(その動機は一体何なのでしょう?)、
ギリシア語を読める人は、ご自身だけでないということをお忘れなく。
「お前は新改訳だろ」とか、「お前はネット情報だろ」とか、「ギリシア語を読めないだろ!」とか、
そういう、事実と異なる“決め付け”が、議論と一体どんな関わりがあるのでしょうか?
だからなんだと言うのでしょう?
そういう姑息なやり込め方は、学問に携わる者がするべきことではありません。
どうして、新約の話題になると、皆このようにムキになるのでしょうか?
私には、その態度がサッパリわかりません。
9世界@名無史さん:2007/08/21(火) 00:59:19 0
日本は多神教でよかったよ。

一神教だったら融通が利かずムキになるものねぇ。
10KG:2007/08/21(火) 01:16:16 0
外野席には外野席の良さがあります。
しかし、中には、
キリスト教の伝統に雁字搦めにされた欧米の学問の環境を
羨望の眼差しで見つめる者もいるのです。
私としては、イエスに特別な思いを“馳せない”者に、
ぜひ、キリスト教の歴史を扱ってもらいたいと思うのです。
聖書という古文書の集成を、道端に落ちている雑誌のように扱える者はいないのでしょうか。
クルアーンについても同じことが言えるでしょう。
そうした、先入観のない、純粋な知的好奇心・冒険心に基づく研究から、新たな発見は生まれると思うのです。
資料を批判的に読む際に、意外に有効的なのは、お笑い漫才師のツッコミの感性です。
常識を疑う視点が、歴史の新たな側面を浮かび上がらせるのではないでしょうか?
11世界@名無史さん:2007/08/21(火) 01:25:53 O
>>1
乙です。

キリスト教がローマで発展していったのはなぜでしょうか?
12世界@名無史さん:2007/08/21(火) 01:34:41 0
さすがにKGさんは、そろそろ控えた方が良いと思うな。痛々しいよ。
学術書・専門の論文を読んで無いなら読んで無いで良いじゃないか。
具体的に誰が何の論文で主張してるか、あなたは何も言えていないじゃないか。
自分の無知を認めることは、自分にとって有益なことだよ。
13世界@名無史さん:2007/08/21(火) 01:52:55 0
あ〜マトモそーだった人が呆れてもう来ないとか言っちゃってるよorz

いや、田川ネタ書いた前スレ968なんだけどさ。「キリスト教思想への招待」のどの辺で?ってのを
一応お聞きしたかった訳で。読み直すのにどこに目を付ければ?って事で。
マルクス主義者って事で無神論つー事?

で、確かにその辺どーせ2chだしってのがあって適当な事を書いたなと。

しかしKGくんもなぁ、宗教板にも歴史板にも居られないとなると残るはオカルト板か?
14世界@名無史さん:2007/08/21(火) 06:03:24 0
>>9
>日本は多神教でよかったよ。
>一神教だったら融通が利かずムキになるものねぇ。

実際には融通が利かずムキになるじゃないか。
日本が絶対正しいとする国粋主義者が多いし。

それに中国や朝鮮、タイ、モンゴルも融通が利かずムキになるものねぇ。
15世界@名無史さん:2007/08/21(火) 06:08:23 0
<パレスチナ基礎知識>
 パレスチナ自治区とイスラエル入植地
 パレスチナ難民
 国連は、パレスチナ難民に対して元の居住地に帰る帰還権を認め、また帰らない場合でも財産などの保証を認めていますが、イスラエルはこれを拒否しています。
http://www32.ocn.ne.jp/~ccp/know/know.html
アムネスティ国際ニュース
アムネスティ日本
 帰還の権利は、国際法において保障されている権利であり、その他の人権はこれと矛盾するものではなく、それらの人権を行使することが帰還の権利を否定するものでもない。
http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2006/0606080.htm
児童性的虐待
 日本では1881年の旧刑法の制定以来近親姦に関して「道徳にゆだねるべき」という立場をとってきたが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85
拷問
江戸時代から明治に変わっても拷問は続き、
アムネスティ・インターナショナルなど人権擁護団体からその疑いを指摘されることがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%B7%E5%95%8F
拷問等禁止条約
発効は1987年6月26日。
日本は1999年6月29日に加入
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%B7%E5%95%8F%E7%AD%89%E7%A6%81%E6%AD%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84
人身売買
2005年、日本はTIER2に分類されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB%E5%A3%B2%E8%B2%B7
ギュスターヴ・エミール・ボアソナード
お雇い外国人の中で明治政府に対し全人格をかけて拷問廃止を訴えた(1875年)のは、ボアソナードだけだったと言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%89
脱北者
5人を逮捕しようとした中国の公安警察が、治外法権が認められている領事館の敷地に侵入したにもかかわらず、日本領事側はそれに抗議することも無く、5人を武装警察に引き渡したため、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E5%8C%97%E8%80%85
難民
他国、特に欧米諸国に比べ受入れ人数が少なすぎるという批判がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B0%91
16KG:2007/08/21(火) 06:15:30 0
「Qの編集」を唱える説など存在しない!という異論があるようですが、
Qが幾つかの層で構成されていることに注目している研究者としては、
私が知る限り、ジョン・クロッペンボルグ、アーランド・ジェイコブソン、アイヴァン・ヘイブナー、そしてバートン・マックなどがおります。。
もちろん、それぞれの研究者が提示する層には、違いがありますが、
少なくとも、彼ら研究者の存在によって、「Qの編纂過程を唱える説など存在しない!」という断定は否定されると思います。
そして、Qを対象に絞った研究領域が決してトンデモでないということは、
聖書文学協会や、クレアモントの古代・キリスト教研究所が、「Qプロジェクト」を支援していることによって証明されます。
もちろん私はQの専門家ではないので、Q研究の細かい議論に立ち入ることはできませんが、
それでも、私は、彼ら専門家の研究の成果に妥当性を見出し、それを受け入れています。
私の主張にどうしても疑問を持たれるのならば、上記のキーワードを検索し、それぞれの研究成果に当たることをオススメします。
私はこの場で、Qの研究成果のすべてを語り尽くすことなどできません。
この私の立場に、いささかの問題もないと思われるのですが…。
17世界@名無史さん:2007/08/21(火) 11:02:28 0
 書き込みから判断すれば、912さんは当然「Qの編集」は知っているでしょ。
 ただ、クロッペンボルグらのQ研究をあたかも「通説」であるかのように錯覚させる書き込みに、
912さんは、苛立って、ああいうふうに書いたんでしょ。
 Qが伝える預言者イエス像を原始キリスト教会の創作とみなすクロッペンボルグらの主張は
佐藤研教授によれば、決して「通説」ではないというよ。言わずもがなだけど、佐藤研教授は
Q研究の専門家だね。
 「Q」について知識の無い人に、クロッペンボルグらの説をそのまま紹介するのは、
いただけないと思う。佐藤研教授によれば、クロッペンボルグらは現代人に理解し易い
イエス像を提示しようとして、ことさらにQの黙示的な部分に目をつぶっているようで、
かえって、彼らが批判する伝統的キリスト教と同様に、ドグマティックにみえるという。
18KG:2007/08/21(火) 15:44:40 0
>>17
であるならば、912さんの、「Qの編集研究」を笑い飛ばし、その存在を否定するような書き込みは、批判されてしかるべきでしょう。
現に、「Qの編集研究」は学術研究の一分野で場を得ており、通説の地位をまだ確立していないとはいえ、それは学者らによって受け入れられているからです。
ところが、それを提示した私の書き込みを、彼女は「全くの嘘だ」と断定し、「電波」だと罵倒し、「新改訳しか読んでいないくせに」だなんだと、見当違いの非難を浴びせたのです。
そのような仕方での反論は決してフェアなものではなく、議論に臨む姿勢としては好ましいものではありません。
もし、「Qの編集研究」が存在するのを知っていたのであれば、それを一旦認めた上で、通説を並行的に提示すればいいのではないでしょうか?
「たしかに、Qの原本を再現しようとする研究は存在する。しかし、通説では〜である」、という風に…。
しかも私は、「Qの編集研究が通説であり、伝統的である」などとは申しておりません。
19KG:2007/08/21(火) 15:48:03 0
さて、Qの黙示的な部分についてですが、
私は、Qの黙示的な“部分”が、実は、単なる“部分”ではなく、
全体を構成する“主題・目的”となっていることを明らかにした研究があることを知っています。
そのQの黙示的な部分・主題に注目した研究者の一人に、佐藤研などのQ研究家が挙げられるでしょう。
ところが、それ以前に、Qの知恵文学的な要素に注目していた学者がおりました(ロビンソンなど)。
つまり、上記の研究により、Qの中に、黙示文学的な要素と、知恵文学的な要素の、相違著しい2つの要素が見出だされたことになります。
しかも両研究者たちの分析は緻密で、どちらか一方に軍配を挙げられないほど、どちらも的確な結論に至っていました。
そこで登場するのがクロッペンボルグであり、彼は、Q内でのそれら相反する2つの要素の混同を解決しようとしました。
クロッペンボルグはもともと、ロビンソンと同じく、Qの中の、知恵文学的な要素の方に注目していた研究者でした。
こうして、彼によって、Qの中の個別の層を探り当てる本格的な研究が始まります。

ですから、クロッペンボルグの研究は決して、「Qの黙示文学研究」を軽んじた結果であるとは言えないのです。
むしろ、黙示文学要素を明らかにした研究を評価したからこそ、彼は、Qの解体作業に着手できたのです。
このことにより、「Qの編集研究」において、黙示文学要素が否定されたり、軽視されたりしていないことが分かると思います。
20KG:2007/08/21(火) 23:21:41 0
>>11
キリスト教の発展と拡大の要因を説明することは、一筋縄ではいかないと思います。
なぜなら、その要因は、拡大を見せた時代や地域、あるいは民衆の階層によってまちまちであり、
それら個々の要因を、十把一絡げに説明することは、不可能に近いからです。

ですから、ここでは、ネロ帝の時代(後64年)までにローマにまで拡大した要因に目をつけてみたいと思います。
どうして、その時代までにキリスト教がローマに拡大したと言えるのかというと、
ネロが、後64年に発生したローマ市の火災を、キリスト教徒のせいにしているからです。
(しかし、このキリスト教徒への濡れ衣を、キリスト教徒への大迫害の一部に組み入れることは控えねばなりません)。
このことは、その時代までに、キリスト教徒がローマに存在していたことを示唆しています。
一般的に、イエスなる男がガリラヤで活動していた時期は後30年頃とされていますから、
ここで扱うキリスト教の拡大期間は、後30〜64年の、およそ30年間になろうかと思います。
この時代、エルサレムの神殿はまだ健在であり、物語福音書はまだ書かれていませんでした。
21KG:2007/08/21(火) 23:26:03 0
>>11
この時代のキリスト教の特色に、ユダヤ教徒の親密性が挙げられると思います。
それを裏付ける一つの根拠は、彼ら信徒たちの会合の場所が、ユダヤ教のシナゴーグであったことです。
シナゴーグはもともと、パレスチナ以外に住むユダヤ人のコミュニティの交わりの場でした。
ローマにもユダヤ人のコミュニティとそのシナゴーグが存在していました。
パウロなどはそこに出入りして説教をし、そこに手紙を書き送ったことでしょう。
つまり、初期の頃のキリスト教は、ユダヤ教の傘の下で(居候して)発展を遂げていったのです。

「ユダヤ教の傘下にあったキリスト教」は、同胞のユダヤ人を、“キリストを通して”、別種のユダヤ教徒に改宗させていました。
この頃、ユダヤ人でない外国人(つまりギリシア人)も会堂に出入りし、ユダヤ教に参加していました。
キリスト教的なユダヤ教の教えは、彼らギリシア人のユダヤ教徒の関心を呼び起こしたはずです。
彼らのこうした改宗・布教活動は、ローマ帝国内に網の目状に張り巡らされた街道の上を電光石火の如く駆け巡りました。
パウロなど、その街道ネットワーク上を駆けずり回った者たちの代表格です。

以上のことから、初期の頃のキリスト教拡大の要因は、ユダヤ教の基盤と深い関係があるように思われます。
もし、この頃、キリスト教がユダヤ教の傘下になかったら、その拡大はごく限られたものになっていたでしょう。
注目すべきは、この頃のユダヤ教は、ローマ帝国公認の宗教であったということです。
公認宗教の傘の下にある限り、キリスト教は、何の脅威とみなされることもなく、堂々と活動できたはずです。
他にも幾つか要因はありますが、ここでは以上の点に触れるに留めておきます。
22世界@名無史さん:2007/08/23(木) 21:09:05 0
石堂淑朗氏の自宅の近くに、キリスト教の牧師が住んで居た。
この牧師は、日本でキリスト教の布教が進まないことに腹を立て、
ここは悪魔の国だ。 こんな国には、原爆が、十発も二十発も
落ちれば良いと、放言したのだそうだ。
 
キリスト教の神父や牧師は、ザビエル以来四百五十年間、日本に悪魔、
悪霊が満ちていると言い続けて来た。 この場合の「悪魔」とは、なにを
意味するのであろう。 これは、日本人には全く分からない。 分からない
けれども、幕末以来、西洋かぶれの高級インテリは、 それを真に受けて、
日本を嫌い、日本を憎み、日本的なるもののすべてを根こそぎ抹殺しな
ければならない、と、心の底から思い込んで来た。

「西洋哲学」の専門家は、疑いもなく、ここに含まれる。 つまり、日本を
敵とし、日本を壊滅させるべき思想戦争に於ては、キリスト教と、西洋
哲学者とは、問題なく、共闘する。 キリスト教の側から見れば、日本人は
イエス・キリストの福音を受け入れない、 それは日本が悪魔の国だから
だと解釈する。 しかし、西洋哲学の専門家はどう見るのであろう。
日本人の精神に、アリストテレス的な階級構造(その中心角は、人間
至上主義、人間理性原理主義、と言ったものであるが)が確立されない、
或いは、それを頑として受け入れない、 そのことに、「彼ら」は、苛立って
来たのではないか。

つまり、「理性的」人間、「理性」を有し、十二分に「理性的」に開発され
た人間(これを「文明化された自由人」と呼称する)が、 その他のすべて
(ここに、野蛮人、奴隷、家畜人、も含まれる)を、「対象」として、また
「材料」、「資源」として観察し、認識し、加工し、利用する、 そのような、
「高級な文明人の必須の学問としての哲学」を、 日本人は理解出来ない、
否、むしろ、日本人の言語そのものが、そうした「高級」な「文明」的思考
の能力に欠けている、と見下すのである。

つまるところ、日本人は単なる野蛮人(または、とっくの昔に死に絶えて
然るべき野蛮人の化石)の一種に過ぎない、と結論付けられる。
23世界@名無史さん:2007/08/24(金) 20:50:24 0

最近のある雑誌の記事によると日本人のエリート権力階級、いわば特権的
貴族階級の中で、カトリックキリスト教に入信する人々が増えていると言う。
日本のカトリックは或る種の「秘密結社」のようだとも言う。

そしてこの記事の中で、「秘密結社的」日本カトリックの信者の例の一人として、
「山本正」の名前がある。この「山本正」は、一般の日本人は誰も知らないが、
ユダヤイルミナティサタニスト世界権力の重要陰謀組織の一つ、日米欧三極
委員会日本支部の「事務局長」格の超重要人物である。

明治初年、日本に於けるキリスト教の布教が解禁されると、カトリックは日本の
エリート権力階級を狙い、プロテスタントは中流インテリ階級を標的とした。

敗戦後、マッカーサー、米国政府の承認のもと、ローマ法王庁と協力して、
昭和天皇をカトリックに入信させ、それを契機として、一挙に日本をキリスト
教国に変質させる占領政策を追及したことは、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」
の中に記述されている。

昭和天皇はカトリックに入信することはなかったが、皇太子=今上天皇は
キリスト教徒と成り、皇太子妃=皇后は、聖心女子大学時代かられっき
としたカトリックであろう。
24世界@名無史さん:2007/08/24(金) 20:50:58 0

渡部悌治著「ユダヤは日本に何をしたか」には、ユダヤは日本を滅ぼすために、

 (1)仏教、神道を廃止して、キリスト教を日本の国教とする。
    そのためにまず、皇室にキリスト教を入れる。
 (2)米食を止めさせてパン食とさせる。
 (3)日本語をなくして、英語を日本人の国語とする。

以上の三項目の方針を立てた、とある。
いずれも敗戦占領六十年の間に、長足の「進歩」を遂げた。

靖国神社問題の核心は、「神道」にある。日本のエリート権力者の中の
極悪売国奴的な人々は、日本の戦没者の慰霊を、神道から切り離したい。

A級戦犯合祀=分祀。これは中心問題ではない。
イルミナティサタニスト世界権力とその手先にとっての中心問題は、
神道としての靖国神社そのものを抹殺することである。

要するにこれは、キリスト教を日本の国教とするための布石の一つなのである。

現在のキリスト教は、サタニズムである。現在のフリーメーソン化された
キリスト教徒が崇拝する神は、サタン=ルシファーである。

日本のエリート権力階級の中でカトリックが主流と成りつつあると言う。
そのカトリックはサタン=ルシファー崇拝者以外の何者でもない。

故に、いま、日本全国民大衆の中にサタニズム=ルシファー主義が
異常な速度で拡大しつつあるのだ。
25世界@名無史さん:2007/08/27(月) 13:41:20 0
このスレは大丈夫なんだろうか。
コピペで埋め立てられていってしまうのではないかと心配になる。
26世界@名無史さん:2007/08/27(月) 16:57:44 0
罪のない人から土地財産を奪う為に役人と共謀して魔女として殺たくせに
なにが暴力を否定しますだぁ? この殺人宗教基地外が! キリスト教は氏ね! 
イエスキリスト=基地外

神はマリアとなんて一発もやってねーのにマリアから生まれたイエスキリストが神の子供だと?
そんな事ありえねーだろ
おまえらふざけてるんじゃねーよ!
自分が神の息子だとのたまわってぶっ殺された基地外を崇拝してどうするんだよ?

キリスト教はヨーロッパで悪い事ばかりやらかして、
しまいには政治にも関わって勢力を強め
罪のない人間をたくさん殺して
本性のバレていない外国に布教
外人の信者を増やし、しまいには世界中に布教しやがって..

証拠のないフィクションを布教する奴も洗脳される奴も基地外だ
おまえらには生きている価値なんてねーんだよ
キリスト教も創価学会もイスラム教もオウムも同じだぜ
お前らなんて一人残らず腹切ってビルからキリスト創価アラー朝倉ニガー万歳って叫びながら飛び降りて派手に氏ねクズ
27世界@名無史さん:2007/08/27(月) 21:42:45 0
28KG:2007/08/27(月) 23:35:29 0
>>27
神学部だから許される論文ですね。
神学部の連中は、教授陣も含め、土着の文化がいかに伝統的であっても、それがキリスト教拡大の障壁であると見なせば、ためらいもなくブルドーザーでなぎ倒し、踏み潰すのでしょうか。
史学部でこんな論文を提出したら、添削も何も、前ページ丸ごとゴミ箱にブチ込まれます。
学者といえども、誰しも、何かしらの思想に傾倒しているものですが、これは流石に酷すぎます。

こういう極端に偏向的な論文を書いて「神“学者”」を名乗れたとしても、世間で起こる事象について何ら批判することはできないでしょう。
例えば、仮に、この神学者が、オウム事件のコメンテーターとしてメディアに意見を求められたとして、彼は、何を発言することができるのでしょうか。
「目糞が鼻糞を笑う」ことになるのは必至です。
「あんただってこういう論文を書いているではないか?」と突っ込まれたら一巻の終わりです。

キリスト教の優越性を前提とした知的ゲームをかじっただけで、「学者」を名乗れるのだとしたら、学者、学問、大学の意義そのものが見直されなければなりません。
溜め息が出てしまいます。
29世界@名無史さん:2007/08/27(月) 23:44:07 0
>>27>>28
別に狂信とか偏向とか言うレベルではないと思うが。
そもそも、真面目に取り上げるレベルに達していない。
ただの、高校生か大学1年生くらいが、
適当に課題図書かなにかをなぞって書いた
感想文まがいの稚拙な期末レポートのようにしか見えないけれど。
30KG:2007/08/28(火) 00:01:06 0
>>29
もっとも痛烈な批判ですね。
同志社の卒論を「高1の稚拙な読書感想文」と切り捨てるとは…。

私は、日本人の文化と潜在意識については、それなりに巧くまっていると思いました。
でも、神学部の論文は“この程度”で合格になってしまうのでしょうか?
その論文の作者の名誉のために言いますが、私は「まるでダメ」と言っているのではないので悪しからず。
31世界@名無史さん:2007/08/31(金) 00:51:35 0
聖書の登場人物が戦う格闘ゲーム「Bible Fight」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070505_bible_fight/


関係ないがクルアーンの登場人物で同じもの作ったら、恐ろしく大変な事になるのだろうな、と思った。
32世界@名無史さん:2007/08/31(金) 08:40:00 0
コーランの時代にはあまりキャラの立った人物がいないような気がする
33世界@名無史さん:2007/08/31(金) 15:27:00 0
>31
 てか、ファンダメンタリストあたりが火病起こしそうだなこれ(w。
 
 ラスボス?の神まで辿り着けないorz
34KG:2007/08/31(金) 15:41:11 0
>>31
聖書をテーマにした格闘ゲームは、以前からちょくちょく発売されていて、話題になっていますね。
今回紹介してくれたゲームの内容は、聖書のパロディーになっていて、笑えますけれども、
これまで発売されたきた聖書系ゲームは、大真面目なキリスト教徒の若者向けに開発されたもので、
内容がまったくシャレになっておらず(敵への攻撃は「改宗」という設定)、引いてしまいます。
まあ、聖書の内容そのものが、挌闘ゲームみたいなものですからね(苦笑)。
旧約の『民数記』なんかもちろん、『黙示録』なんかを映像化したら、文字通りの地獄絵図になるでしょう。
そこでの最大の殺戮者は、他でもないキリストです。

初期キリスト教の断片にも、思わずのけぞってしまうような倣岸な主張が見られます。
それは、フィリピ2:6−11に保存されています。
「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。
万物が一人の男にひざまずき、その男を「主よ」と呼ぶとは、異様な光景ではないでしょうか。
この一文を読む限り、金正日とキリストの差が分かりません。
しかし、キリスト教徒はその出だしから、こんな突拍子もない申し立てをしていたのです。

ですから、キリスト教をテーマにした格闘ゲームがつくられても何ら不思議ではありません。
実際、リアルの世界で、彼らは格闘ゲーム以上の殺戮を展開してきています。
35世界@名無史さん:2007/09/01(土) 01:06:41 0
聖書系ゲームといえばこんなのもある。

Super 3D Noah's Ark
ttp://www.encyclopedia-obscura.com/gamesnoah3d.html

ウルフェンシュタイン3Dの敵グラを動物に直しただけw
36世界@名無史さん:2007/09/01(土) 12:38:45 0
>31
まあ、原理主義者の場合、アメリカが気を使っているから暴れぶりが目立たない(あまり暴れなくても
いい)というのがあるんでしょうね。なにしろ、「票を持っているアメリカ国民」がたくさんいるわけだから。
37KG:2007/09/01(土) 16:21:35 0
>>36
このゲームへの反響がおとなしいと言っても、それなりに原理主義者は抗議活動していると思います。
発売元に手紙やファックスを送りつけたり、販売店の前をプラカード掲げて練り歩いたりしているかもしれません。
ただ、あの国ではそれが日常茶飯事だから、大きく取り上げられないだけでしょう。
アメリカという国そのものが原理主義者の国ですからね。

そして、仰るとおり、イスラームの原理主義者と違い、
アメリカの原理主義者たちは現状に満足していますから、
抗議運動が不満解消のはけ口にはならないのでしょう。
抗議運動の動機は、必ずしも、宗教的熱心とは限りませんし。
38世界@名無史さん:2007/09/05(水) 15:54:39 0
遠藤周作が日本人にキリスト教は合わないとかいっているけど、本当かなあ?
漏れは唯一絶対の神という概念よりも、ギリシア的なものの考え方のほうが
日本人になじみにくいと思っているんだが。
39世界@名無史さん:2007/09/05(水) 16:31:06 0
>>23
>敗戦後、マッカーサー、米国政府の承認のもと、ローマ法王庁と協力して、
>昭和天皇をカトリックに入信させ、それを契機として、一挙に日本をキリスト
>教国に変質させる占領政策を追及したことは、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」
>の中に記述されている。

鬼塚英昭だってさw
マッカーサーは具体的なことは何もやっていないよ。
40世界@名無史さん:2007/09/05(水) 18:19:47 0
>>38
合う合わないつうより、合うように作り変えるから、問題ないだろ。
そもそも日本で厳密に伝統的キリスト教を理解している信者なんて、
ほとんどいないんじゃないの?その点、仏教にしろ西洋哲学にしろ
舶来文化は作り変えられて、日本人好みに理解されていると思うぞ。
まあ、それで十分だと思う。融通性というか柔軟性というか、いい加減
というか、それが日本人の良いところw
41世界@名無史さん:2007/09/05(水) 18:31:33 0
今の日本のキリスト教なんて、韓国人が宣教に来るようなの以外は基本的に日本化してるよなあ。
キリスト系の学校ですら、イエスキリストもマリアもサンタクロースも神様扱い。一神教の面影すらない。
42KG:2007/09/05(水) 20:03:36 0
キリスト教の「聖書」と、その聖書を生み出したキリスト教の教えに見られる
二極的な世界観(例えば、善と悪、光と闇、キリストと悪魔、新と旧、救済と破滅、唯一の王とその臣民など)は、
日本のキリスト教徒にもそのまま受け継がれていると思われるでしょうか?

私は、そうした世界観こそが、キリスト教の本質であり、特に西洋の人々を魅了してきたと考えています。
歴史を振り返ってみると、福音書のイエスの格言よりも、この世界観こそが、キリスト教の最大の魅力になってきた思います。
もし、この二極的な(あるいは一元的な)物の捉え方が、日本人に受け入れられているとしたら、それはどうしてだと思われるでしょうか
日本人といえども、潜在的には、こうした唯一的(排他的)な物の見方に魅力を感じるのでしょうか?
それとも日本人は、このキリスト教の本質すら、作り変えて輸入しているでしょうか?

もちろん、この世界観は、福音書の中のイエスの語録(山上の訓話など)“だけ”からは引き出せません。
初期クリスチャンが丹念に配列した、創世記から黙示録という“諸文書の集成”を通して読まないと、引き出せないと思います。
黙示録などをすっ飛ばして聖書を読んでしまったら、初期キリスト教徒が描きたかったキリスト像には辿り着けません。
ところが、日本のクリスチャンは、聖書を今の形にまとめた初期キリスト教徒が意図したキリスト像に無関心なようにも見えます。
しかし、そのキリスト像(=君臨する“一人の”王)こそ、キリスト教の一的な世界観を象徴しているはずなのですが、

どうも彼らは、聖書を通して描かれる、そうしたキリスト像に注目していないように見えるのです。
ということは、やはり彼らは、聖書の教えを取捨選択して、日本風にアレンジしているのでしょうか?
43KG:2007/09/05(水) 22:25:18 0
このスレ、荒らされているの?
44KG:2007/09/05(水) 23:24:58 0
>>43
いや、特に、荒らされてはいないでしょう。
学問板だけあって、宗教板よりはるかに平穏だと思います。

まあ、あなたがどうして私と同じハンドルネームを使用しているのかは知りませんが…。
45世界@名無史さん:2007/09/05(水) 23:37:57 0
アゲてると荒らされてるように見えるもんだ(w。下げろ(w。

ってことだと思われ。

日本に入って来たキリスト教のほとんどが西方教会なんだよな。
東方正教会(ニコライ堂のアレ)とかは色んな意味で西欧的ではないから、上の疑問は外れてるとおもわれ。

岩波新書から出てる宣教師ニコライと明治日本がこの辺読みやすくてお勧め。
46KG:2007/09/05(水) 23:48:23 0
>>45
>上の疑問は外れてるとおもわれ。

はあ…、具体的には、どの疑問のことでしょうか?
47KG:2007/09/06(木) 00:08:04 0
>>45
もしや、「西方教会と東方教会が使用している聖書の各書の配列が違う」、ということを仰りたいのでしょうか?
だから、私が>>42で述べた「聖書の配列から浮かび上がる世界観」を、東方教会は持ち得なかった…と?
48世界@名無史さん:2007/09/06(木) 00:15:15 0
寝る前にサタン様に祈りましょう。
サタン様は金、セックス、権力を与えてくれるすばらしい方です。
 
神もサタンも存在します。
私たちの目的は俗世界による世界征服です。
キリスト教も創価学会も必要ありません。
サタンとともに神をつぶしましょう! 
セックス、酒、ドラッグ、金、を愛する事は罪ではありません。
欲望のままに生活をしましょう。

キリスト教、イスラム、創価、オウムその他の腐った宗教の基地外は
生まれてこなければ良かったと泣き叫ぶほどの酷い目に遭わせてやりましょう

イエスキリストは神の権力にこびへつらう精神分裂症患者です。
イエスキリストは神の子なんかではありません。
イエスキリストは目立ちたがりのきちがいです、崇拝する価値など全くありません。

もしあの基地外が本当に生き返っているというのなら今度こそはナイフでズタズタにするだけではなく
挽肉製造機でバラ肉にして生のまま犬(DOGはGODの反対)に与えましょう
私たちにとって犬は聖なる動物です。大切にしましょう。
時々動物の供え物や生け贄を捧げる事がありますが、そのときは腹を逆十字
つまり上下が逆の十字架状に腹を切ります。

ーー悪魔教の礼拝ーー
星を書きます。星の外枠だけを書くのではなく一般的な書き方で。
外側に尖った角5カ所にそれぞれ1本ずつろうそくを立てます
部屋の電気を消します。
49世界@名無史さん:2007/09/06(木) 05:13:38 0
>47
そんな事じゃないなぁ。
いわば言葉で説明できない物こそが正教会だって事を言う人がいる位だから。故に西方教会から異教とか原始古代のままとか言われたわけで。

>42
 これはまぁ捉え方の問題だろうけど、聖書の配列でどうこうって話は無関係。配列で世界観が浮かび上がるようなもんではない。というかそこまで聖書の役割が大きくなったのは宗教改革まで待たないと(笑)。

 それ以前は特に初期教会では教会のコミュニティーがあってこそだからねぇ。
50KG:2007/09/06(木) 06:58:00 0
>>49
「キリスト教徒の聖書の配列から浮かび上がる世界観」という表現が、誤解を生じさせましたかね。
それは言い換えるなら、「後4世紀に成立したキリスト教徒の正典の配列の意図」ということです。
私は、この時代に、>>42で述べたキリスト教特有の世界観が作り上げられたと考えています。
もちろん、それ以前にもキリスト教は存在し、後2世紀から正典のリストも他種作られてきましたが、
後4世紀のコンスタンティヌスの時代に成立したキリスト教の性質と、正典の作成の意図は、それまでのものとは違っていたと見ています。
そして、私は、この時代から顕著になる、聖書の役割に注目しています。
そして、この時代の、聖書とキリスト教を、現在のキリスト教の原型と捉えています。

コンスタンティヌスの時代に、教会は一つの組織としてまとまることが要請され、神学上の論争に決着がつけられるようになります。
そして、コンスタンティヌス自身が、この教会の「画一化」に積極的に参加します。
さらに、コンスタンティヌスは、この時代の聖書の正典のリストの確定にも影響を与えます。
この時代に成立した正典リストの配列は、今我々が手にしているリストの配列と同じなだけに、これは注目に値します。

つづく。
51KG:2007/09/06(木) 06:59:29 0
>>50
すでにこの時代に、聖書の役割が大きな役割が負わされていたことは、聖書の「50部のコピー」がコンスタンティノープルに送られたことからも分かります。
しかも、このコピーの作成を命じたのは、コンスタンティヌスなのです(ただしリストの内容は諸説あり)。
結局、キリスト教の組織も、そのテクストとしての聖書も、コンスタンティヌスの手の中でこねられて形成されました。
コンスタンティヌスの改革の方向性は、一様化であり、司教たちは彼のその計画に擦り寄らねばなりませんでした。
コンスタンティヌスは、帝国の新たな叙事詩を作り出そうとし、新たな権威の正当付けの保証書を作り出そうとしました。
そうした要請の中から生み出された正典のリストが、後代のキリスト教の世俗化と権威化の起源となったのは、しごく当然のことと思われます。

以上のような、キリスト教と聖書の原型が、現代の日本にどこまで受け継がれているのか、少し不思議に思いました。
これに対して、十字軍時代や植民地時代の西洋社会は、見事に受け継いでいると思います。
現在のアメリカなども、原型をそれなりに保っているでしょう。


52KG:2007/09/06(木) 10:31:17 0
このスレ、荒らされているの?
53KG:2007/09/06(木) 12:42:31 0
このスレ、荒らしているの
54世界@名無史さん:2007/09/06(木) 17:20:05 0
天皇の人間宣言はマッカーサーの命令によるものだった。
55世界@名無史さん:2007/09/06(木) 20:46:34 0
サタン様 
今日も私たちにセックスの快楽を与えてくれてありがとうございます
今日はクリスチャン学校の女性を拉致して男5人で輪姦しました
とても楽しかったです
来週はもっときれいな女性を私たちに与えてください
56世界@名無史さん:2007/09/06(木) 21:04:28 0
ニコライの日記面白いねえ
日本人は仏壇を大事に手入れしている
この中から偶像を追い出してイコンを入れることができればなんて
57世界@名無史さん:2007/09/07(金) 23:56:55 0
キリスト教はローマ時代に偶像崇拝教に変質したからね。
58世界@名無史さん:2007/09/08(土) 01:58:19 0
>>56
まずはいいところに着眼しているとも言える。
既存の宗教要素を取り入れてそれをすりかえていくことは、
布教したいという目的のあるヤシにとっては、
的確な戦略になるから。
どんな宗教でもそうやって広まっていっている。


だが、日本人葬式仏教徒の大半は、
仏壇の本尊ではなく、先祖の位牌に手を合わせていることに
気づいていないようだなw
59世界@名無史さん:2007/09/08(土) 09:59:46 0
>58
 老婆に、正教会は立派な葬式をやってくれるからいいと言われて、「したり」というような
感想を残しているんだから、気づいていないということはないと思うけどね。
60世界@名無史さん:2007/09/08(土) 23:54:49 0
朝鮮でキリスト教が広まったのも金が掛からずに立派な葬儀ができるから。
李朝下の朝鮮では親の葬儀費用で破産するのは日常茶飯事だった。
61KG:2007/09/09(日) 22:07:39 0
私は東方教会についてそれほど詳しくないのですが、
東方正教会は布教する際には、西方教会よりも土着の文化を研究すると聞きます。
日本に伝道した大主教ニコライも、日本語だけでなく、国史、儒教、仏教(大乗・小乗)、日本美術、国書も究めたそうです。
こうした彼の、日本文化への造詣の深さは、日本語版聖書作成にも影響を与えたといわれています。

彼のこの布教の方針は、彼に限ったことではなくて、正教会の外国伝道の伝統的な手法なのだそうです。
それは「土着文化との融合」です。
ロシアやスラブ民族に伝道した際にも、彼らはやはり、土着文化を重んじたのだそうです。
だから>>56のような考えも、必然的に現れてくるのでしょう。
まあ、「融合」といっても、悪く言ってしまえば「乗っ取り」ですがね…。
ですから、彼らの土着化は、>>59のように、明らかに戦術的なものだと思います。

東方正教会の特徴には、離婚者の再婚(3度まで?)を認めているそうですが、こうした寛容さも日本での拡大に作用したのでしょうか?
宗教というのは、社会の最小構成単位(家族・夫婦)を規制することによって、民衆に対する支配力を高めようとしますから、
冠婚葬祭の主導権を握ろうと働きかけるのも分かるような気がします(カトリック式の結婚式がいかに広まっていることか!)。

こうした東方教会の土着化主義については、>>27の論文の作者はどう評価するのでしょうかね。
確か、その作者は、その論文の中で、ヘレニズム時代のシンクレティズム(混交主義)を批判していたはずです。
62世界@名無史さん:2007/09/09(日) 22:19:44 0
>>59
そのレベルのことは、16世紀のカトリックの南蛮人僧侶も気づいていたよ。
蝋燭などを効果的に用いて幻想的に行うカトリックの葬儀は、
当時の日本人には実に評判が良かったとの記録を残している。
だが、本尊がほぼ完全に忘れ去られているという、
少なくとも明治以降の葬式仏教の真理には、多分ニコライは気づいていない。
>>60
ウリスト教は別だろ。むしろ日本で例えるなら沿うかに近い。
伝統社会から切り離されたところで、ウリスト式のおぞましいカルトが爆発的に広まったw
>>61
だが、その割には現実問題として広まっていないんだよな。
典礼も完璧な文語で書いてしまったので、ちょっと保守に寄り過ぎたのかもしれない。
それに、ロシア色が強いことが障害になっている可能性も高い。
ギリシア(ビザンツ)という抽象的な古い国だけに依拠させたほうが
布教という観点からは良かったのではないかと思うよ。
あと、司祭の髭は剃るべきだなw
63KG:2007/09/09(日) 22:54:38 0
>>62
>典礼も完璧な文語で書いてしまったので、ちょっと保守に寄り過ぎたのかもしれない。

確かに、ニコライの翻訳聖書の訳語の選択は、とても「土着化」を意識したものとは言えないような気がします。
「聖神」(聖霊)とか、「生神母」(聖母)とかいうタームも、回りくどさを感じさせます。
こうした訳語の選択について、ニコライは、「卑俗な語を使用して、品位の高さを失わせたくないから」と語っています。
また、ニコライの翻訳方針の一つは、聖書用語と仏教用語の混濁を避けることにあったといわれています。
そのため、日本人に馴染みのない漢字が、ぞくぞくと作られてしまったのでしょう。
彼の日本文化への造詣の深さが、ここでは災いしております。

もし、「卑俗な」日本語を振るい落とした結果、日本人に馴染みのない語ができてしまったとしたら、
ニコライたちは、日本人が慣れ親しんできた仏教的な観念や言葉遣いなどを「卑俗」と判断していたことになります。
ここにすでに、「聖書のレベルが、日本民衆のレベルに優越する」という考えが露呈しています。
こうなると、東方正教会の土着文化理解への情熱が何を動機としていたのかも疑わしくなってきます。
それは、度を越えた土着化への警戒からだったのではないでしょうか?
結局、譲りたくない部分は、ハナから譲るつもりはないのであり、そこに寛容さはないのでしょう。

日本人とキリスト教の共通項は、儀式の見た目上の神秘主義ということですかね。
そこを入り口にして、独自の世界観を民衆に注入させた者が勝つ、と…。
勝敗を分けるのは、結局、お堂の暗さと、ロウソクの本数、お香の臭い、朗読者のリズムなのかもしれません。
64世界@名無史さん:2007/09/09(日) 23:04:03 0
キリスト教は先祖供養が出来ないからな。改宗しようとしても「じゃあお墓にいるご先祖様の霊はどうなる」って言われると
うかつに改宗出来ないだろ。なんせキリスト教に改宗するって事は、ご先祖様がみんな地獄に行ったと認めることに
なるんだから。
65世界@名無史さん:2007/09/09(日) 23:19:01 0
>>63
キリスト教にしろ、デモクラシーにしろ、土着の人類学的要素を取り込んだほうが
布教にはいいんだろうな。
日本のデモクラシーもアメリカのものとは違っているが、デモクラシーの場合
“日本化”されてしまっている。
66KG:2007/09/10(月) 01:34:01 0
>>65
外国のキリスト教宣教師が、日本文化を研究する目的は、日本文化とキリスト教文化の共通している点といない点をを振り分けるためだと思います。
そして、その研究から共通項を見出したならば、土着民に、ことさらそれを強調します。
そうやって、自宗派の寛大さをアピールするのです。
土着民からしてみれば、自分の文化を過大評価してくれたと感じて、舞い上がってしまうでしょう。
>>56の伝道師が、仏壇に手を合わせる日本人を褒めちぎっている様が目に浮かびます。

ところが、土着の文化の、自分達と相容れない部分に関しては、彼らはそれをアッサリ切り捨ててしまいます。
ニコライも、仏教用語や日本人の標準的な言葉が、教会の典礼に入り込むことを嫌っています。
なぜ彼は、仏教用語を採用しなかったのでしょうか?
その理由を述べる際に彼が用いた言葉は、「卑俗」とか「品位」とか、「大衆のレベルに下る」といった、かなり独善的なものです。
キリスト教徒(もちろん他の宗教の信者も)は、自分たちの枠組みの外にあるものに対しては容赦しません。

結局、土着の文化から、キリスト教徒の伝道師が取り込むのは、自分達と共通している部分だけです。
伝道の際のテクニックは、その部分を強調して、自分達が寛容であると思わせることです。
だから、土着の文化や価値観と衝突しそうな要素は、最初はひた隠しにします。
このやり方を徹底した者が、現地での改宗活動を成功させることができるのでしょう。

ちなみに、東方正教会は、悪名高き『黙示録』をどう扱っているのでしょうかね?
『詩編』をよく読む、というのは聞いたことがあるのですが…。
『黙示録』も、伝道の際にはひた隠しにすべき要素でしょうが、皮肉なことに、あれこそがキリスト教の真髄なのです。
67世界@名無史さん:2007/09/10(月) 02:06:30 0
>>63>>66
いや、明治時代において、「品位の高い漢字造語」を行い、
聖書用語と仏教用語の混濁を避けるというのは、それ自体は時宜を得て的を射たものだよ。
同時期の「世俗」においても、思想家、法律家、ジャーナリストなどが、
「品位のある」漢字造語を用いて、
近代西洋社会の概念と、在来の儒教的又は江戸時代的概念との混濁を慎重に避けながら、
今も使われている莫大な近代漢字語を創り出している。
そして、ドイツ観念論の哲学用語のような糞作品もあったが、
これは政治法律経済科学技術などにおいては、見事に成功したと言って良い。

だが、正教会の用語創出は、ちょっとばかり「センスが乏しかった」んだな。
漢字語の翻訳創造には、本当に微妙な匙加減が必要だからだ。
西方教会の用語を意図的に避けているというのも大きかった。
結局、多勢に無勢というのは大きいからね。
だが、逆に西方教会の場合、
特にプロテスタントの口語主義に顕著なのだが
逆に卑俗的過ぎて、敬意表現がとってつけたようになっている例もあったりする。
新共同訳の主の祈りの「み国」なんてのも、日常用語としては変だ。
68世界@名無史さん:2007/09/10(月) 06:14:16 O
人身売買の歴史
69KG:2007/09/10(月) 09:24:23 0
東方正教会の独特の伝道が、土着の文化向上への貢献は、確かに見逃すことはできません。
スラブ民族に伝道した宣教師は、スラブ民族に聖書を読ませるために、文字作りからはじめ、それが現在の文字の元になったと聞きます。

日本での宣教の場合でも、彼らは独自の漢字を作り出し、聖書用語の原文を伝えようとしている努力が伺えます。
それは“結果としては”、東方正教会独自の観念を伝達するのに一役買ったと言えると思います。
また、結果として、同時代の西洋学問の学者の翻訳のポリシーに乗っかったと言えるでしょう。
ただ、私として、その結果ではなく、その動機に注目しています。

結局、東方正教会の宣教師らは、日本の宗教や文化をどう評価していたのか?
彼らが、聖書翻訳の際に振るい落とした用語は、どうして「卑俗」と見なされたのか?
彼らの「卑俗」と「格式の高さ」を分ける基準とは何だったのか?
その「卑俗」の基準は、同時代の他の西洋学問の学者と共有できるものだったのか?
彼らの言う、「神の言葉に相応しい品格」とは一体何だったのか?
そういうことを是非知りたいです。
というのもそれは、キリスト教徒による、異文化の“値踏み”の仕方を知る手掛かりになるからです。
東方正教会が唾棄すべきものと値踏みしたものは、何だったのでしょう。




70世界@名無史さん:2007/09/12(水) 21:19:04 0
ロシア、東欧諸国の人々は共産化してキリスト教をすてたのはなぜ?
71世界@名無史さん:2007/09/12(水) 23:02:02 0
そりゃ、キリスト教は、文化水準の高い異教徒に対しては寛容でも、同じ文化に属する
異端に対して厳しいからな。気持の上では火炙りにしたいけれども、人の数も多ければ、
それなりに軍事力も持った政治勢力もあるので、思うように根絶やしにできず、仕方なく
捨て台詞を吐いて気を紛らわしている。
72KG:2007/09/13(木) 18:27:28 0
>>70
東欧諸国の中でキリスト教を棄てた国として有名なのは、何といってもチェコではないでしょうか。
共産主義政権から解放された後の調査でも、無神論者は国民総数の約60%を占め、対して、何かを信じている人は30%ほどしかいません。
では、どうしてこの国では、これほどまでに世俗化が進んでしまったのか?
私は、東欧の共産主義の歴史についてはチンプンカンプンですが、でしゃばって、生かじりの説明を紹介したいと思います。

なぜ、チェコの人々はキリスト教を棄てたのか?
「それは、大戦後の約半世紀に及ぶ、共産主義の弾圧的な支配のせいだ」と答えることもできるでしょう。
しかし、世俗化の要因は、それだけではないようなのです。
というのも、実は、今よりも、共産主義政権下でのほうが、教会の勢力は大きかったのです。
確かに、共産主義時代には、教会に帰属するする人々は激減しています。
しかし、その勢力減退は、共産主義がチェコを支配する以前から始まっているのです。
ですから、共産主義政権は教会勢力の排除に一役買ったとはいえ、決して、その時に初めて、国民を無神論者にしたのではなかったのです。
チェコの人々の心は、すでに、教会から去っていたのです。

この原因を、15世紀のフス戦争にまで遡らせる者もいます。
その戦争で、チェコの人々は、宗教抗争にウンザリし、もはやそれに関わるまいと決意したのだそうです。
この戦争へのチェコ人の反応は、各地に立てられている殉教者の銅像から伺えるのだそうです。
信仰や真実、正義のために闘うことの結末を、チェコ人は悟ってしまっているのです。
そして、日常生活を超えた部分については、諦めるようになってしまいました。
あるいはまた、17世紀のカトリック化の記憶が、彼らの教会に対する悪イメージを植え付けたとも言われています。
こうした歴史の記憶に追い討ちをかけるように、共産主義政権のシステムが、「盲信」への不信感を抱かせました。
彼らはもはや、何かの権威を絶対的に信じることができなくなってしまったのです。

以上が、チェコの場合の、キリスト教棄教の、考えられる背景です。
この他にも適切な説明があるかも知れず、詳しい方にさらなる解説をお願いしたいと思います。
東欧という包括的なスケールでの説明も聞いてみたいです。
73世界@名無史さん:2007/09/13(木) 19:13:43 0
>>71
共産主義とキリスト教とは親和性がある。富に対する憎悪(実は羨望と嫉妬)
や弱者優先は、まさにキリスト教のものであるし、現実には存在し得ない「共
産主義ユートピア」の観念信仰も、キリスト教の「神の国」信仰と同じ。

マルクスは、ユダヤ教からの改宗者である。彼は唯物論者を自称するが、事実は
ヘーゲル直径の観念論者。彼の「下部構造」には、上位構造であるはずの観念論
がたっぷりと含まれている。

その意味で、共産主義を「擬似宗教」と呼ぶ宗教学者も多い。キリスト教を捨てて
共産主義に代わったのではなく、より親和性のある他の宗教に代わっただけでは
ないだろうか。

バートランド・ラッセルは、キリスト教と共産主義のと相似性を、明快に分析して
いる。
74世界@名無史さん:2007/09/13(木) 20:03:24 0
寝る前にサタン様に祈りましょう。
サタン様は金、セックス、権力を与えてくれるすばらしい方です。

キリスト教も創価学会も必要ありません。

サタンとともに神をつぶしましょう! 
セックス、酒、ドラッグ、金、を愛する事は罪ではありません。
欲望のままに生活をしましょう。

イエスキリストは神の権力にこびへつらう精神分裂症患者です。
イエスキリストは神の子なんかではありません。
イエスキリストは目立ちたがりのきちがいです、崇拝する価値など全くありません。

もしあの基地外が本当に生き返っているというのなら今度こそはナイフでズタズタにするだけではなく
挽肉製造機でバラ肉にして生のまま犬(DOGはGODの反対)に与えましょう
私たちにとって犬は聖なる動物です。大切にしましょう。
75世界@名無史さん:2007/09/13(木) 21:04:48 0
キリスト教の方が擬似宗教じゃん。
まっとうな宗教は、教団組織が異端を火炙り、なんてことをしないよ。
76世界@名無史さん:2007/09/13(木) 21:22:08 0
>>75
そうか?異端に残忍な行為をするって言うのは大規模な宗教には、歴史上ありがちな事だと思うが。
今でもイスラム教、たとえばサウジアラビアなんて異端信仰を広めたものは死刑なわけだし。
77KG:2007/09/13(木) 22:33:42 0
>>76
マルクスが思い描いた理想世界像は、ユダヤ教の黙示思想とメシア思想をモデルにしていると指摘している人もいますね。
いずれにせよ、『聖書』が彼の思想に大きな影響を与えたことは間違いないようです。
彼は、猛烈な反ユダヤ主義者だったようですけれども、結局、ユダヤ教的観念から抜け出せなかったようです。

>>76
絶対善と絶対悪の対立を前提とし、自分たちが絶対善の側に立っていると思い込んでいる者たちは、いともたやすく残虐行為を行うでしょう。
その代表格が、キリスト教であり、イスラム教であると。
どちらも、流血による神への忠誠を奨励する旧約聖書を起源に持っているという点で、共通しています。
「思い込み」というのは、人を、際限のない残虐性へと駆り立てるようです。
78世界@名無史さん:2007/09/14(金) 00:01:59 0
トリエント公会議以前のカトリック教会というのは、江戸時代のお寺と同じで、
一種の行政機関ですよ。異端というのは信仰の問題である以上に、
支配体制を承認するかどうかという問題なのです。
79世界@名無史さん:2007/09/14(金) 00:29:37 0
だいたいイエス自体ユダヤの異端として正統派が処分したようなものだし…。
80世界@名無史さん:2007/09/14(金) 00:53:01 0
鎖国の日本に潜入しようとしたイタリア人宣教師シドチが
捕縛された。尋問にあたったのは新井白石だった。
白石は、西洋の国情や文化・天文・地理などの科学知識について
詳細に聞き出し、シドチの博覧や優れた西欧の学問水準に驚嘆し、
「西洋記聞」「采覧異言(さいらんいげん)」を書いた。

だが、シドチがここぞとばかりに熱弁を振るった
キリスト教の教義に関しては、耳を貸さなかった。
それでもくいさがるシドチに、白石はこう反論した。
「天地万物を創造したデウスがいるというなら、
デウスにもまた必ずこれを造り出した作者がいたはずだ。
デウスが自ら成り出でることができるものならば、
天地もまた自成し得ることに何の不思議もない」
81世界@名無史さん:2007/09/14(金) 00:57:23 0
>>77
新約の「愛の思想」のほうが問題であると思います。その証拠に、ユダヤ教徒
は、異教徒を迫害することはしない。常に迫害される側です。

ムハンマドも、キリスト教の影響をたっぷりと受け、むしろその焼き直し。
彼の挙げる預言者の多くは、聖書の人物。

ナチスに対するキリスト教の影響は、どう思われますか。
82世界@名無史さん:2007/09/14(金) 01:17:43 0
>>69
いや、そんなに訝しがることも無いし、「値踏み」なんていくら頑張って考えても
ほとんど何も出てこないだろうよ。
そもそも、「格式の高さ」対「卑俗」にこだわり、後者をとりわけ高く評価する価値観そのものが
西方教会固有の、特にプロテスタントにおける宗教ドグマに過ぎない。
伝統の尊重ではなく、言ってみればただの「ルターのドグマ」。
おまいさんこそが、「プロテスタントのドグマ」に一番囚われているんだよ。

日本の宗教伝統というのは、ルター的な卑俗語主義とは対極に近かった。
伝統仏教なんてその最たるもので、
「なんまいだー、なんまいだー、なむたいしへんじょーこんごー、ぎゃーてーぎゃーてー、
ご先祖様、私を見守ってください、なんまいだーぶつ。チーン♪」
祈っている一般檀家は間違いなく、意味内容なんて何も分かっていないw
だが、これこそが「日本の宗教伝統」なのだ。
83世界@名無史さん:2007/09/14(金) 01:25:28 0
>>82
> 「なんまいだー、なんまいだー、なむたいしへんじょーこんごー、ぎゃーてーぎゃーてー、
> ご先祖様、私を見守ってください、なんまいだーぶつ。チーン♪」
> 祈っている一般檀家は間違いなく、意味内容なんて何も分かっていないw

一般人を馬鹿にしすぎ。そうやって熱心に読経している位の人はみんな意味はわかっているぞ。
君が知らない事はみんなも知らない、って訳じゃ無いんだよ。
84世界@名無史さん:2007/09/14(金) 02:39:08 0
>>83
なこたーない。
現実に、普通の伝統仏教各派の在家の信者で、
読んでいるお経の意味を理解している香具師なんて滅多にいない。
嘘だと思ったら、
近くの普通の寺にでも言って、年忌にでも集まっている
普通のじいさんばあさんのうち、
仏壇でお経を読んでいますか?という質問に「はい」と答えたヤシに、
毎日読んでいるお経を口語に訳してみてください、と聞いてみろ。
100人中99人は全く答えられないから。
「般若心経にレ点をつけて読み下してみてください」と聞いてみろ。
誰一人まともにできるヤシはいないはずだ。般若心経は漢文なので、
多少の教養があれば、読み下しくらいはできるはずなのだが。

この全く中身を問わない恐るべき形式的言霊主義こそ、日本の宗教伝統の真髄。
85KG:2007/09/14(金) 05:09:24 0
>>82
私は別に、日本の伝統宗教がとりわけ優れているとも思いませんね。
と同時に、キリスト教が日本の伝統宗教よりも優れているとも思いません。
宗教同士を争わせて、優劣の判定を下すことに、私は何の意味も見出していません。
「日本固有の伝統に回帰せよ」という思想には、無関心です。

そもそも、「卑俗」と「格調高さ」という二項を持ち出したのは宣教師側であり(>>63)、
私自身としては、単に、彼らキリスト教側の判断基準を知りたかっただけです。
それでもって、日本の伝統宗教を持ち上げようとか、キリスト教に対する仏教や神道の優越性を主張しようなどとは微塵も思っていません。
私は、「卑俗」とか「格式の高さ」というレッテル貼りが友好的だとは思っていません。
私の関心の対象はシンプルで、それは、「キリスト教徒の思い上がりの起源はどこにあるのか?」です。
彼らの「思い上がり」が、世界規模の伝道活動の推進力であっただけに、なかなか興味深いテーマだと思っています。
86KG:2007/09/14(金) 05:50:13 0
>>81

まあ、「皆さん仲良くしましょうね」というメッセージそれ自体は、それほど有害ではないと思います。
それはキリスト教やイエスとは関係なく、人間誰しもが、胸に抱いていることだからです。
「敵・味方関係なく互いを思いやりなさい」というメッセージならば、キリスト教とは無縁の文化圏の爺様・婆様でも知っています。

私の場合、イエスの愛の思想で問題だと思うのは、その思想を「イエス様が仰った」と権威付けをして、他者に押し付けることです。
爺様・婆様が居間で煎餅をボリボリ食べながら喋る内容を、イエスという絶対的な権威者の口に託して、さももっともらしく聞かせることに私は違和感を覚えます。
あたかも、イエスが人類史上初めて、愛と思いやりの精神を説いた人物であるかのように評価する、クリスチャンの姿勢、
そして、キリスト教徒だけが愛の説教師としての資格を持っているのだとする、彼らの思い上がりに首を傾げてしまいます。
そうしたイエスへの買い被りは、今度は、イエスの教えを拒否したり批判したりする異教者を、「愛に欠けた者」と評価することを誘発します。
そして、イエスの教えを知らなかった世代は、まるで、愛を知らなかった世代として記憶されてしまいます(そうではないのに…)。
改宗してクリスチャンとなった者は、改宗前の自分を、真の愛を知らなかった野蛮人として振り返ります。
これらは、「愛の思想」の乱用であり、見ていて気持ちの良いものではありません。
87KG:2007/09/14(金) 05:56:09 0
>>81
>>86
繰り返しになりますが、私は、「皆さん仲良くしましょうね」というメッセージそれ自体には、今のところ有害性を見出しませんが、
そのありきたりのメッセージを、キリスト教固有の思想としてもっともらしく振りかざすキリスト教徒の姿勢には、疑問を感じます。

さらに言うと、そのメッセージだけを聖書から抜き出して、聖書という本が人畜無害であると申し立てる、詐欺的な布教の手法にも不信感を抱いています。
本当に、イエスの愛の思想だけが聖書の真髄であるのならば、それだけを聖書として持ち歩けばいいのであり、黙示的な記事はバッサリカットしてしまえば良いのではないでしょうか。
イエス・キリストの、残虐で独裁的な裁き主としての(空想的)キャラクターを、愛の思想で中和させようとするのは、イエスの経歴詐称であり、キリスト教の経歴詐称です。
キリスト教は、過去の歴史において、それが“本質的に”愛の宗教である、ということをこれまでに示したことがあるのでしょうか?
そうしたことを考えると、私としては、「キリスト教は、愛の教えを“部分的に”含んでいる」というのが適切であろうと思います。
しかし、それは、キリスト教の真髄でも、キリスト教の真の魅力でもありません。
88世界@名無史さん:2007/09/14(金) 12:56:38 0
>>84
お前現実感覚のまるで欠落したインテリ気取りの馬鹿そのものだな。
庶民は君よりずっと頭が良く知的好奇心も旺盛、てことを良く知るべきだ。
89世界@名無史さん:2007/09/14(金) 14:38:15 0
>>76
サウド王朝は、スルタンとしては自領にワッハーブ派の宗門統治を行っているが、
メッカの守護者としては「最後の預言者の死後に九つの宗派が生ずる」というコーランの
記述に従い、スンナ派でもアリー諸派でもドルーズ派でも拒まず巡礼者の入国を
認めている。
少数ながら、マロン派、エチオピア会派、アルメニア会派、コプト派のキリスト教徒や
ユダヤ教徒まで居る。しかし、死か信仰かというような選択を迫ったりはしないし、
ましてや火炙のような残虐なことは無いよ。
90世界@名無史さん:2007/09/14(金) 14:46:46 0
愛の宗教だから、ハイチ島の風土病だった梅毒を世界中に布教してまわったんよね。
コロンブスの到達から20年で日本にまでもたらされている。
91KG:2007/09/14(金) 19:41:52 0
>>81
>ナチスに対するキリスト教の影響は、どう思われますか。

これは私にとってはかなり難しい問題です。
それをヒトラーという人物の側面から語るのか、それとも、ドイツという風土という側面から語るのかで、意見が変わってきます。
まあ、「ナチス」といわれて思い浮かぶのは、@ユダヤ人迫害とAヒトラーの千年王国でしょうか…。
それらとキリスト教との関連を見つけるのは、比較的簡単だと思います。
ユダヤ人差別は、ヨーロッパの教会の長年の伝統ですし、ヒトラーの千年王国構想も、『黙示録』辺りをモデルとしているでしょう。

ヒトラーは大の「キリスト教嫌い」だったようですが、人物としてのイエスはお気に入りだったようです。
ヒトラーはイエスのことを、ガリラヤ出身の革命家だと信じていたとも言われています。
とりわけ彼は、神殿で暴れ回るイエスに熱を上げていて、それと自分を重ねていたようです。
ユダヤ人を虐め倒す福音書のイエス像がたまらなかったのでしょうか…。
ヒトラーはキリスト教嫌いだったとはいえ、やはり、西洋の教会が定着させたアンティ・セミティズムの影響からは逃れられなかったのでしょう。
ただし、その際に、彼が、「イエス殺しのユダヤ人」を想定していたかどうかまでは、私は知りません。

ナチスとキリスト教との関連で、よく持ち出されるのは、当時のローマン・カトリックの反応です。
これも難しい問題で、迂闊に意見することはできません。
ただ、この問題に対するカトリックの複雑な心境は、戦後の1965年に発布された『ノンクリスチャンと教会の関係についての宣言』(Nostra Aetate)に現れています。
この宣言書の第一草案と、修整後の成案にはニュアンスの違いがあり、カトリックのアンティ・セミティズムの根の深さを思い知らされます。

ナチスとキリスト教の関係は、あらゆる側面から論じる必要がありそうです。
92世界@名無史さん:2007/09/14(金) 20:24:07 0
ドイツのプロテスタント教会は自ら進んで第三帝国に同調したが、これは
ドイツ人の終末論的な解釈を好む傾向を致命的なまでに強めた。
政治を何かユートピア的なものに織り込み、それを包括的な救済のドクトリンに
基づかせることはドイツの国民性の一部だった。
ドイツ人を惑わせ、その心をつかんだのは、ナチスの政治プログラムよりはるかに、
ナチスの世界観だった。
93世界@名無史さん:2007/09/14(金) 20:28:40 0
今のイスラム原理主義の世界観もそうだが、ベースには「終末でも起きてくれないとやっていられない」って
現実が先行するみたいね、そう言うのが流行る時には。
94世界@名無史さん:2007/09/14(金) 20:46:30 0
ドイツの場合、フランスと違って政教分離が確立していなかったから、
教会がナチスに協力してしまったんだよな。

ドイツ人は政治を異なる利害間の必要な闘争、そうした利害間のバランスを
とる術として見ることができなかった。すべての外交文書は行間にそれなりの
貴重な形而上学を含んでいなければならなかった。政治は人間の営みではなく、
「運命の一撃、神の摂理のなせる業」だった。
95世界@名無史さん:2007/09/14(金) 23:21:15 0
バハイ教徒いびりって楽しいのかな。
96世界@名無史さん:2007/09/14(金) 23:39:59 0
天草城を包囲するくらいに楽しいよ。
97世界@名無史さん:2007/09/15(土) 21:06:25 0
明治大正や敗戦直後はインテリ層がキリスト教に入信する人が多かったらしいが、
今のインテリ層って逆のような気がする。
上位レベルの大学なら、十字軍や南北アメリカの虐待搾取強制改宗や中東問題など
キリスト教の汚点を高校時点で知ってる人ばかりだし、大学に入っても
男女差別やエスノセントリズムの悪例として、統一やエホバみたいな悪名高い宗派に対してではなく
キリスト教一般&聖書に対して負のイメージを持つよ。普通。

キリスト教徒の宗教学者が「宗教の共生」「不寛容を知ってこそ寛容になれる」とか言い出してみても、
ジョージ・オーウェル1984年の「戦争とは平和である」のような響きにしか感じなかったな。

ただオウムなどにも高学歴信者がいるように、知性の多寡に関わらず人間的な悩みはあるから、
その解決手段として数ある選択肢の中から宗教を選んだ人なら、宗教に入信するのだろう。

少なくとも今日びのインテリには西洋コンプや知的憧憬?から入信する奴はいないと思う。
某クラーク博士みたく学生を説教漬けにして強制改宗する教官なんて今の日本の大学にいたら
諸方面から激しいバッシングだろうしね。

一方、庶民もわざわざ時間と金を浪費して異国発祥の神には仕えないだろうし。
かくして日本のキリスト教は健全な信者を獲得できず信者高齢化で根から腐っていく。
これもまた「ある幻想の未来」「神は死んだ」のひとつの形だね。

ただ、旧約はユダヤの神話や文学作品としてみれば面白いしボリュームがあっていいのは確か。
が、新約は酷い。まずパウロ書簡は信者向けということもあってか、非信者からすると違和感の連続。
福音書も結局のところ復活や贖罪を信じれない人間には個々のエピソードには共感できても
全体として信仰を持とう気を起こらせる代物ではない。
98世界@名無史さん:2007/09/15(土) 22:13:59 0
「ここで迷信上の偏見や先入観を抜きにして、ポルトガル人に次いで
 スペイン人をかりたて、日本にカトリック教を布教させた、表面には
 現れない本来の目的を検討してみるなれば、彼らのこの国における
 傍若無人の行動や悪業、この国に古くから行われてきた敬神を破壊し、
 適法の権力をないがしろにし、人口が多く、従順で、勤勉で、地球上
 の他の地域から来た異国人に対してかつて何らの害も及ぼしたことの
 ない国民を隷属させたことを検討し、そしてまた不遜な偽善者どもの
 陰謀のため、国民の平和が破壊され、流血の国内戦を惹き起こした
 ことを考慮するならば、キリスト教徒を迫害した日本人を果たして
 残酷だと非難することができるだろうか。

(略)それにも拘らず、日本から追放された宣教師たちは、自己の弁明と、
 欺き損なった国民に対する憎悪から、ヨーロッパ人の眼前にこの日本人
 を狡猾で、背信で、恩知らずの復讐心の強い国民だと見せかけた。
(略)ヨーロッパ人は修道士の悪意に満ちたこれらの作り話をそのとおり
 真実だと受け取った」(ゴロウニン)
99KG:2007/09/15(土) 23:40:21 0
>>97
“進んだ”西洋文明へのアドミッション・チケットとしてのキリスト教の役目は終わったのでしょう。
昔であるならば、キリスト教の宣教師や教会は、西洋の進んだ文物の伝達係ではありましたけどね。
「キリスト教の現代的価値は何か?」と問われても、なかなかうまく答えられません。

また人々は、昨今の、世間を騒がす宗教団体や某超大国が、聖書の黙示思想や独善主義を規範としていることを見るに及んで、
それまでは平和をもたらす穏健主義だと思っていた『聖書』が、実は、人々の間に軋轢と扮装と流血をもたらす要素を含んでいることを知り、聖書に対する特別な敬意と愛着をもてなくなったのでしょう。
それまでは、きっと、聖書に書いてあるのは、イエスの愛のメッセージだけだと勘違いしていた人もいたのではないでしょうか。
ところがどっこい、聖書は「世にも稀なる悪書」であった…。
そう思っている人は、世間には多いと思います。

そうなると、現代における教会や神学校の意味って何なのでしょうかね?
特に日本において、聖書をあえて開き、教会に通い、イエスの前に跪く理由…。
100世界@名無史さん:2007/09/15(土) 23:51:48 0
>>99
そこでマルキオン主義ですよ。

ところでもしかして100ゲットか?
101KG:2007/09/16(日) 00:01:25 0
>>100
そのうち、5番目の福音書として『Q』を加えたり、各福音書を時系列順に並べた新約が出版されるかもしれません。
そうしたら、マルキオン主義の復活かもしれませんな。
個人的には、そろそろ、『Q』だけを経典にしたキリスト教団体が現れてもいい頃だと思うんですけれど。
まあ、『Q』に従えば、イエスはキリストではなくなるので、キリスト教は成り立たないのですが…。

でも、本気で『聖書』に手を加えるキリスト教徒はいないのでしょうかね?
102世界@名無史さん:2007/09/16(日) 01:04:12 0
『モル○ン経』とか『原理○論』みたいな自前の『Q』を出してくる
「自称」キリスト教なら掃いて捨てるほど。

エ○バの証人はギリシャ語の原典まで持ち出して、
イエスは十字架に架けられたんじゃなくて、杭に縛られて殺されたと
主張している。
103KG:2007/09/16(日) 01:43:33 0
>>102
>『モル○ン経』とか『原理○論』みたいな自前の『Q』を出してくる「自称」キリスト教なら掃いて捨てるほど。

なるほど、確かにそう言えますね。
自前の文書を作り出すという初期のキリスト教徒の伝統に連なっているという点で、彼らも立派なキリスト教徒です。
街頭でモルモン教徒からもらった『モルモン書』を読むと、初期キリスト教徒による旧約の歴史の簒奪を思い出させられます。
キリスト教徒が、ユダヤ人の歴史を我が物としたように、彼らも同じように、旧約と新約の歴史を自分たちのものにしようとしているのです。

>イエスは十字架に架けられたんじゃなくて、杭に縛られて殺されたと主張している。

これもなかなかイカしたイエス像ですね。
確かに、ギリシア語の「スタウロス」は十字架を意味しないので、「杭」(一本木)もありかもしれません。
手足を釘付けにするより、紐や綱でギュッと縛り付けたほうが安定しそうです。
ただ、ルカ24:39やヨハネ20:25の記事と辻褄が合わなくなりますが、それはご愛嬌ということで…。

我々は、新宗教としてのキリスト教を奇異な目で見ますが、歴史的に見れば、彼らのやっていることは、初期のキリスト教徒と何ら変わりありません。
違いといったら、時代の古さだけです。
内容のクオリティにも大した違いはありません。
我々が、モルモン経典を読んで、「ウソこけ、聖書にこんなこと書いてあるかよ」と突っ込むように、
一世紀の人々も、クリスチャンの文書を読んでは、「ウソこけ、こんなこと五書や預言書に書いてあるかよ」と突っ込んだのでしょう。
当時の人々がクリスチャンの教えに接した時の気分を疑似体験したければ、新興宗教の教えに触れることです。

もし新興宗教の経典を笑うなら、新約も(あるいは旧約も)笑わねばならないでしょう。
同時に、一方に敬意を払うなら、他方にも敬意を払わねばならないでしょう。
だから、私の書棚には、聖書とクルアーンとモルモン書が仲良く並んでおります。
104KG:2007/09/16(日) 02:19:15 0
>>92
仰られるとおり、プロテスタント信者らは、ナチスの台頭を諸手を挙げて歓迎したそうですね。
彼らによれば、ナチスは、神からの奇跡・賜物としての、政治的ターニングポイントだったそうです。
それで、指導者らは、「クリスチャンはナチスのもとで結束し、ナチスに奉仕と犠牲を捧げるべきだ」と触れ回ったのだそうです。
多くのキリスト教神学者は、次のように考えていました。

クリスチャンである我々は、神が、敬虔で信心深いヒトラー総統を賜って下さったことを感謝せねばならない。
それゆえに我々には、神の御前にあって、ヒトラー総督の事業を手助けする責任がある。
どんな教会を通してよりも、さらに多くの霊が、ヒトラーを通してドイツに下ってきたのだ。
神は、ドイツに新たな使命(ミッション)を与えてくださった。
そのミッションのリーダーこそ、アドルフ・ヒトラーである。

ピウス12世の下のヴァチカンも、ナチスと協定を結び、ヒトラーの肖像画が、教会と日曜学校の壁に飾られました。
教会の鐘は、ナチスの勝利を逐一知らせるために鳴らされ、それには、ユダヤ人の逮捕と移送の知らせも含まれました。
ヒトラーは、教会との会談で、カトリック教会がユダヤ人を悪人呼ばわりし、彼らをゲットーに押しやってきたことを確認します。
要するに、ヒトラーがやったことは特別真新しいことではなく、教会がそれまでやってきたことを踏襲しただけだったのです。
教会が、ヒトラーを非難できなかったわけです。

ヒトラーは、イエスのことを、ユダヤ教迫害の「パイオニア」として尊敬していました。
105世界@名無史さん:2007/09/16(日) 03:12:53 0
>>104
ルターは、その論文「ユダヤ人と彼らの虚偽について」において、ホロコース
トのプログラムをほとんどそのまま提案しています。
106世界@名無史さん:2007/09/16(日) 03:18:25 0
>>104
ルターは、その論文「ユダヤ人と彼らの虚偽について」において、ホロコース
トのプログラムをほとんどそのまま提案しています。
107世界@名無史さん:2007/09/16(日) 03:18:55 0
>>104
ルターは、その論文「ユダヤ人と彼らの虚偽について」において、ホロコース
トのプログラムをほとんどそのまま提案しています。
108世界@名無史さん:2007/09/16(日) 11:51:51 0
「ユダヤ人と彼らの虚偽について」でぐぐると、
なぜか無関係なところからも香ばしいサイトがヒットするなあ
ttp://alianisa.hp.infoseek.co.jp/biodata-harunyahya.htm

和訳がamazonでやたら高騰してるけど、需要がかなりあるんだね。

ネットで公開されてる日本語訳があったのでurlを貼ります。

歴史情報研究所:『ユダヤ人と彼らの嘘について』
ttp://rekishijyoho.seesaa.net/article/27881256.html
109KG:2007/09/16(日) 11:54:37 0
>>105>>106>>107

ルターのユダヤ人嫌いは、明らかに異常ですね。
しかし、彼の名誉のために言えば、こうした異常性は当時では珍しくなく、その他の神学者や教会も同じだったのです。
ルター個人だけを責めるのは酷かもしれません。
ユダヤ人への憎悪を語ったルターの言葉には以下のようなものがあります。
ヒトラーも顔負けの過激発言です。

もし、バプテスマを受けたユダヤ人を見つけたら、私は奴をエルベ橋に連れて行き、奴の首に重石を括りつけ、水の中に突き落としてやろう。
そうやって、奴に、「アバラハムの名においてバプテスマを授けて」やるのだ!

では、我々キリスト教徒は、この忌まわしく無用な人種であるユダヤ人を、どう始末しようか?
まず、彼らのシナゴーグに火を掛けよう。
そこで燃えなかった物については、糞尿にまみれさせよう。
これは、神とキリスト教の名誉のために、当然なされるべきことである。
それによって、神は、我々が真のクリスチャンであることをお知りになる。
第二に、彼らの家も同様に、破壊され尽くされるべきである。
第三に、偶像と呪いとウソと冒涜を教える祈祷書やタルムードは剥奪されるべきである。
第四に、彼らのラビたちは、死の脅迫でもって、教えることを禁じられるべきだ。

もし我々が、ユダヤ人の涜神行為から無傷であろうとするならば、あるいは、彼らの一部になりたくないと思うのなら、
我々は、彼らとは隔絶されていなければならない。
そして、ユダヤ人は、彼らの国から追放されねばならない。

ユダヤ人は何も持ってはならない。彼らの持っている物は、我々の物だ。
110KG:2007/09/16(日) 12:10:32 0
>>109訂正

×もし、バプテスマを受けたユダヤ人を見つけたら…。

○もし、バプテスマを受けさせるべきユダヤ人を見つけたら…。
111KG:2007/09/16(日) 12:42:44 0
>>109訂正

×もし、バプテスマを受けたユダヤ人を見つけたら…。

○もし、ブタタマを受けさせるべきユダヤ人を見つけたら…。
112KG:2007/09/16(日) 13:15:12 0
>>111
なんですか?「ブタタマ」って。
113世界@名無史さん:2007/09/16(日) 13:53:16 0
KGはトリップをつけたほうがいいよ。
>>111みたいなのはこれからも出てくるから。
114世界@名無史さん:2007/09/16(日) 15:38:47 0
「一九八六年にこの法王[ヨハネ・パウロ二世]は、ローマのユダヤ教会堂に於て、
ユダヤ教はキリスト教の『 兄 』である、と言明した。しかし、イエス・キリストは決して、
そのような見解を示しはしなかった。むしろイエスは、「アブラハムの前に、私は在った」
と言い、また、パリサイ派を公然と弾劾し、パリサイ派がイエスの伝道への怒りを
増大させつつあることを察して、彼等パリサイ派から身を隠された」

との指摘は、非常に貴重だ。 イエスが、 私はアブラハムの前に在った、 と言われた
とはなんの意味か。 ノアの子、セムの子孫、アブラハムは、旧約聖書に、かなり詳しく
描写される遊牧民の族長であり、エホバ神を信奉するイスラエルの民の父祖、とされる。

但し、アブラハムに二人の息子あり、 一人がユダヤ(イスラエル)の祖、 もう一人が
アラブ人に繋がる、 との説である。 つまり、キリスト教の由来は、アブラハムより、
従って、いわゆるユダヤ教より古い、と言われて居るのである。

そんな系譜物語は、何度聞かされても頭に入らないし、我々日本人には無縁だ、と、
思って居るに違いない。 けれども、これは、どうでも良い枝葉末節、ゴミのような情報
の一片、ではない。 日本人が直面する「西洋文明」の本体と命運にかかわる重大問題だ。

近年、欧米人は、 反セム主義(アンチ・セミティズム)、 と言う、レッテルを貼られる
ことを、異常なまでに恐怖するようだ。 日本人にはその感覚(空気)が全く分からない。
それで、「反セム主義」を、「反ユダヤ」、と意訳する。 しかし、これは、原語の意味とは違う。

ノアは、エホバ神によって認められた正義の人である。 ノアの三人の息子の一人、
セムは、ノアの正統を継ぎ、そしてセムの子孫に、アブラハムが出て、このアブラハム
が今日のユダヤとアラブの祖である、 となって居る。 ユダヤを批判することが、
セムに反対することになる、ひいては、ノアに、そしてエホバ神に反逆することになる。

ユダヤ人は、アブラハムを経由して、セムの正当な継承者である、セムを媒介としてノア、
ノアを通じて、天地を創造したエホバ神に直通する選民である、従って、ユダヤに逆らう
ことは許されない、 ユダヤに反抗することは、神への反抗に繋がる。
115世界@名無史さん:2007/09/16(日) 15:40:03 0

「反セミティズム」の語は、この様な含意を以て、十九世紀の末から、シオニスト・
ユダヤ陣営によって多用されることになった。 だが、この枠組は、イエス・キリストの
殺害を計画したパリサイ派ユダヤの論理そのものである。

それ故、この論法で行けば、 イエス・キリストこそ、「反セミティズム」の元凶(エホバ神に
反逆する邪悪なる者)、とされねばならず、 福音書を中心とする新約聖書は、反ユダヤ
の極悪の書、として断罪されるであろう。

当然、真の意味のキリスト教会は地上から一掃されねばならず、イエス・キリストを
まともに信じ、本心から従う者たちは、 「ノアの七つの法」によって、打ち首にされな
ければならない、 とは、現在の日本人にとっては、奇想天外、予想を絶する展開だ。

「ノアの子供たち(B'Nai Noah)」が、今、北米のキリスト教徒の中に広まって居る。
「ノアの子供たち(ブナイ・ノア)」とは、イスラエルのエルサレムに本拠を置く、非ユダヤ人
のためのユダヤ布教運動であって、 ノアの洪水のあと、神がノアに与えた七つの法に、
すべての非ユダヤ人(ジェンタイル)は服従しなければならない。

父なる神、神の息子、聖霊、と言うキリスト教の三位一体は、神、イスラエル、トーラー
によって置き換えられねばならない、 などと言われる。 ここに出て来る「ノアの七つの法」
は、タルムードに示されて居る。 ユダヤ教によれば、キリスト教は偶像崇拝であり、
偶像崇拝は、ノアの七つの法では重罪の一つである。 故に、今や、キリスト教を廃棄して、
ノアの子供たち教会に導き入れねばならず、 あくまでも、イエス・キリストを信じる者たちは
死刑にしなければならない、 との枠立てが準備されて居るもののごとくである。

「ノアの子供たち」運動の創始者は、タルムードの権威、ラビ、P・ヘイマンだと言う。
もしこうした叙述が正しいとすれば、 日本人のイエス・キリストと、キリストの教会に
ついての知識のすべてが覆される。我々は一から、やり直さなければならない。
116http://dempa.2ch.net/prj/page/ura2ch/:2007/09/16(日) 16:58:54 0
www.boku.tachi.ha.baka.desu.
117KG:2007/09/16(日) 20:03:05 0
アブラハムには七人の子、と歌にもありますが……
118KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/16(日) 20:56:25 0
>>114>>115
>「ノアの子供たち(ブナイ・ノア)」とは、イスラエルのエルサレムに本拠を置く、非ユダヤ人のためのユダヤ布教運動であって…。

へえ、面白い話ですね。
要するにこれは、ユダヤ教徒が、新約やキリストを介すことなく、『創世記』とユダヤ教徒の歴史に、異邦人・異教徒(ジェンタイルズ)参入させようという試みですね?
その際に、彼らは、ユダヤ人のための割礼と食物規定を、異邦人には押し付けることはしない、と。
そこで彼らは、モーセやアブラハム以前に遡る、「ノアの契約」の伝承を引っ張り出す。
それは、セム・ハム・ヤフェトを含むため、「アブラハムの子孫」という枠組みを越えて、全世界に適応可能な契約となる。

キリスト教以外の媒介を使って、異邦人を、ユダヤ教の歴史に組み入れさせるためのグッド・アイデアですね。
初期キリスト教徒の試みを、現代に見ることができて、なかなか興味深いです。
1世紀の初頭において、パウロに代表される初期キリスト教徒は、キリストを通して異邦人をユダヤ教を迎え入れましたが、
今回の「ベネイ・ノア」は、ユダヤ教の伝承を使って、異邦人をユダヤ教に迎え入れようとしているようです。
おそらく、どちらにとっても悩みの種は、割礼とか食物規定なのではないでしょうか?

いずれにせよ、これによって入信する異邦人も、自分を新たな歴史の系譜に置くことができるのであり、アイデンティティの確立としては魅力的な手段なのかもしれません。
このように、“社会形成の実験”という視点から、各宗派の活動を眺めると面白いです。
119KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/16(日) 21:01:24 0
>>113
アドバイス、サンクスです。
早速、やってみました。
120KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/16(日) 22:06:37 0
>>117
>アブラハムには七人の子、と歌にもありますが…。

懐かしい歌ですね。
でも、あの童謡は、聖書のアブラハムのことを言っているのでしょうか?
ヘブル語聖書をパラパラとめくってみましたが、彼の息子は8人なのですよね(創25:1、2)。

1.イシュマエル
2.イサク(イツハク)
3.ジムラン
4.ヨクシャン
5.メダン
6.ミデアン
7.イシュバク
8.シュア

この歌はもしかして、創世記とは関係のない、後代の「アブラハム」という名の一家族の父親のことを歌っているのでしょうか。
「ひとりはノッポで、あとはチビ」という歌詞も、聖書の記事とはかけ離れていますし…。
121世界@名無史さん:2007/09/16(日) 23:42:17 0
http://www.asyura.com/2003/bd24/msg/889.html
>>114-115は阿修羅っていうオカルトあり陰謀論ありの怪しげなサイトからの引用ぽいが…
122KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 00:33:00 0
>>121
あれま、陰謀論者の方の書き込みでしたか。
どおりで読みづらい文章だったわけで…。
それにしても、よくそのサイトを見つけましたね。
有名なのでしょうか?
覗いて見ましたが、何が書いてあるのか、私にはチンプンカンプン。
とはいっても、内容それ自体は一般教養程度の知識が並べられているだけの変哲のないものでしたが…。

『タルムード』に依拠して、何とかユダヤ教に混ざろうとしている人は実際にいると思います。
エルサレムにも、たまにそういう勘違い集団がやって来ます。
「ベネイ・ノア」とかいう団体も、そういう数ある勘違い集団の一つなのかもしれません。
機会があったら、そういう新種の原理主義グループについても調べてみたいです。

ヨハネ・パウロ二世が、シナゴーグを訪れて、ユダヤ教徒を「我々の兄」と呼んだのは間違いないと思います。
思わず感心してしまうような美談です。
さすが、ヨハネ・パウロ二世です。
しかし、>>114が鋭く(笑)指摘しているように、福音書のイエスは、そのような見解を示しませんでした。
そこでのイエスはもっと先鋭的で、「アブラハムの前に、私は在った」と語っています(ヨハネ8:58)。
ヨハネ・パウロ二世は、新約のユダヤ教に対する「思い上がり」を、意図的に中和させたのでしょう。
「ユダヤ教は、キリスト教の兄貴分である」という見方を、イエスの語録や聖書それ自体から引き出すことはできません。
それで、私がユダヤ人であれば、ヨハネ・パウロのファイトは買いますが、その発言に関しては、「詭弁」として鼻で笑ったと思います。

ちなみに、『バビロニア・タルムード』には、「ノアの契約」が異邦人にどう適用されるべきかの、ラビ同士の議論が載せられています。
「シナイの契約は、俺たちユダヤ人のものだから、それを異邦人にくれてやるわけにはいかない。
もし、俺たちの律法を勝手に解釈する異邦人がいたらブッ殺してやる」というような、おっかない発言も載せられていたはずです。
123世界@名無史さん:2007/09/17(月) 01:56:36 0
>>122
文章の一部をドラッグしてコピー→googleの検索欄に貼り付け
→「google 検索」をクリック

こうしてそのサイトを見つけた次第。

阿修羅というサイトは(ある意味)有名な色物物件
124世界@名無史さん:2007/09/17(月) 09:56:19 0
レモンの輪切を傷口に張り付けたらとても痛い。
酢を目にたらすととても痛い。
梅干を亀頭に貼りつけるととても痛い。
酸味痛い
125世界@名無史さん:2007/09/17(月) 13:57:01 0
ユダヤ教の狂信性を見抜いて抹殺を図ったバビロニアの王様や五賢帝時代の
ローマ帝国の支配者は非常に賢明だったわけで、再びユダヤ人を野に放った
ペルシャの王様や飲まれてしまったローマ帝政末期以降の地中海世界の
連中は非常にバカだったわけだ。
126世界@名無史さん:2007/09/17(月) 15:11:38 0
>>97
むしろ新約のほうが、日本人に比較的馴染み深い普通の宗教説話だろうよ。
一教祖とその取り巻きの神話的生涯という話であって
仏教説話と比べても、宗教ネタの話としては、そんなに違和感は無い。
お釈迦様が来たら病気が治ったり花が咲いたりという話は、仏教説話にもある。
所詮、教祖という個人に関わる神話だからね。

むしろ、日本人にとって違和感大杉なのは旧約のほう。
たかが中東の一部族のローカルな歴史が延々と「宗教聖典」として崇められている上に
日本人が一番苦手な、世界の形而上学的生成論が冒頭に来る。
少なくとも義務教育の理科教育を受けた現代の日本人で、
創世記を読んでギャグと思えず、真実だと思う香具師はいないはず。
N速で、アメリカで進化論を教えず創世記を教える学校があるというネタが出ると、
一斉に嘲笑のレスが集まる。これが日本人の平均的感覚。
日本人が記紀の冒頭に対してとる態度のように、
「それはそれ、これはこれ。昔の人はそんな風に考えたんだねえ。面白いねえ。」
のように旧約を突き放して理解してしまっては聖書を信じることにならないだろう。
127KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 18:05:30 0
>>126
歴史をダイナミックに動かす旧約の神よりも、平民の間で癒しを行い、説法を行なった新約のイエスのほうが馴染み易い、というのはありえそうですね。
ガリラヤを日本の田園風景として想像し(ガリラヤは田舎ではないのですが)、田畑の脇で人々に、愛の教えを説く仏法師をイエスと重ね合わせているのかもしれません。
日本は、他民族の圧制下に置かれたり、流刑や民族流入混濁の危機に直面したことがないから、旧約の選民思想に基づく歴史観にはなかなか共感できないでしょう。
タナッハの配列を見ても分かるように、旧約の各書のコレクションの目的は明らかに、ユダヤ民族の歴史を物語ることですから、日本人にとっては飛び付きたくなるような書物ではないのかもしれません。
それもよりも、福音書の中の、民間の教祖としてのイエス像のほうが親しみ易いのでしょう。

同じ聖書でも、旧約の奇跡物語はフィクションと割り切る一方で、新約のイエスの奇跡は信じるという人は多い、という指摘はありえそうです。
「お釈迦様としてのイエス」が、日本において最も受け入れられているイエス像なのかもしれません。
王国の王様や勝利者としてのイエス像は、西欧ではポピュラーでも、日本人はピンとこないかもしれませんね。
128KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 19:00:16 0
>>125
「ユダヤ教の狂信性」とは、なかなか興味をそそるテーマですが、それをバビロン捕囚時代に見出すのは、ちょっと難しいと思います。
ローマ時代の狂信性ならば、メシア待望論(バル・コホバの乱で現出)などを「ユダヤ教の狂信性」と呼ぶことができるかもしれませんが…。
バビロニアは、確かにユダ王国を破壊しますが、それは、ユダ王国の宗教の壊滅が目的だったのではないと思います。
たぶん、バビロニアの王は、ユダヤ教の狂信性を見抜いてはいなかったでしょう。
ユダ王国の独立願望を宗教的熱心と結び付ける人もいますが、それは少々、宗教の役割を買い被りすぎだと思います。


では、なぜバビロニアはユダ王国を滅ぼさねばならなかったのか?
それは、パレスチナの天然資源の豊富さや、地中海の湾岸としての地理的利点を獲得するためだったかもしれません。
しかし、何よりもの理由は、そこが、エジプトという大国への通り道だったからです。
パレスチナを手に入れれば、バビロニア(それ以前のアッシリアも)は、目の上のタンコブのエジプトを封じ込めることができたのです。
そのためには、パレスチナを領有するユダ王国を、自らの主権の下に置かねばなりませんでした。
エジプトの息の根が途絶えぬ内は、ユダ王国への締め付けを極力強くしておかねばならなかったのです。
反対に、エジプトが脅威でなくなれば、ユダへの締め付けは緩くなったはずです。
このことは、後のペルシアが、エジプトを攻略した後で(前522年)、ユダヤ人への緩和政策をとったことと関連付けられるかもしれません。
このように、バビロニアのユダ王国占有には、政治的・軍事的思惑があったのであり、それを押しのけて宗教的要因を強調することは難しいと思います。

何かのトラブルを宗教的要因で説明するのは、聖書の常套手段ですが、それはあくまで、聖書的史観であり、必ずしも「歴史的」であるとはいえません。
そうした聖書的史観に無闇に手を出すと、「ユダヤ民族は神に見捨てられたのだ」というトンデモ解釈に辿り着いてしまうので注意が必要です。
ここに、聖書の「歴史書」としての限界があります。
129世界@名無史さん:2007/09/17(月) 19:05:28 0
>>126 そうかな。
俺の好みで言えば旧約だな。読み物として面白い。
新約は謂わば抹香臭くて。
130KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 19:17:31 0
>>129
まあ、「読み物」(フィクション)として読むのと、人性の指南書として真面目腐って信じ切って読むのとは違いますからね。
荒唐無稽で読み甲斐があるのが『旧約』でしょう。
スタローンやシュワルツェネッガーやセガールの映画を観るようなものでは?
「んなことあるわけねぇだろ!」と突っ込みながら読めるのが魅力。
他方、新約は、青臭いヒューマニズムドラマを見せられている気分になる。
『黙示録』は別ですけれどもね…。

ちなみに、貴殿は、聖書の奇跡が実際にあったと信じておられます?
131世界@名無史さん:2007/09/17(月) 21:46:10 0
キリスト教やらセム一神教の類は、学問(真理の探究)の妨げになる。
132世界@名無史さん:2007/09/17(月) 22:29:27 0
>>131
一神教でなくても、なんでもドグマ化すれば学問の妨げになるよ。
133KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 22:30:19 0
>>131
歴史家が、キリスト教やセム一神教を信奉し、尚且つその信仰を守るための戦略を歴史研究の場に持ち込んだら、それは妨げになるでしょう。
それが露骨に表れなくても、例えば、「イエスは何か特別な人物だったはずだ」という密かな期待と前提を心に抱くだけでも、それは研究に支障をきたすかもしれません。
そういう期待と前提は、ときに、歴史学のルールをはみ出したり、独自の特殊なルールを作り上げて、自分たちの殻に閉じこもらせる危険を孕んでいます。

ですから、聖書を扱う学者こそ、聖書に対する特別な思いとは一線を画していなければならないのです。
134世界@名無史さん:2007/09/17(月) 22:35:42 0
旧約の、「知恵付いた故の原罪」「神の似姿としての人間」「神とは、在りて
在るもの(全実在)」「十戒」などは、実は凄い真理を語っているのであるが、
キリスト教は、原意通りには絶対に解釈しようとしない。キリスト教の神概念
は、むしろ「創造」の対立概念であるので、原意通りに解釈すれば、キリスト教
が崩壊するからである。

三位一体も、キリスト教の十戒違反を免れるための苦肉の策。しかし、それで
免れた訳ではなく、キリスト教は十戒違背の大罪を犯し続けているのである。
135世界@名無史さん:2007/09/17(月) 22:51:58 O
古代ローマ帝国が民衆を支配する為に普及させた新興宗教

が、キリスト教だよ
136世界@名無史さん:2007/09/17(月) 22:54:46 0
>>135
逆だろ?キリスト教のほうがローマ帝国を内部から乗っ取ったのでは。
137世界@名無史さん:2007/09/17(月) 22:56:28 O
信じなさい、とにかく信じなさい
信じる者は救われます。とにかく信じなさい


で、信じない人(他教徒)は魔女狩り
138KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 22:58:00 0
>>135>>136
コンスタンティヌスの時代に関して言えば、双方の思惑が合致したので、手を取り合ったのではないでしょうかね。
139世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:00:32 0
>>127
日本人でキリスト教に親近感を持つ香具師の多くは、
日常生活のさまざまな場面で罪悪感を感じやすい、
倫理観が強くて気が小さい繊細なヤシが多い。
日本人は、キリスト教を「ネオ浄土教」として捉えている節がある。
罪と赦しの宗教ということだね。
もはや、在家信者にとっては単なる祖先崇拝に変わってしまった
近世以降の仏教では物足りず、
かといって復古神道では、教義が曖昧なので
個人が生きる上での確固たる倫理規範が足りないと思うヤシが、
おそらくキリスト教に入信していったものと思われる。
だが、そこで問題とされる罪と赦しというのは、
例えば主の祈りなどで出てくるdebitumであって、新約の世界で完結してしまう。
旧約的な、形而上的原罪とはかなり色彩が異なる。
140世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:06:22 O
>>136
一理ある
ローマ帝国内部のいわば政権交代だね

それまでのローマ歴もキリスト生誕を起源としたりね

その後は宣教師と武力制圧により他国家や他文明を次々に滅ぼしてったよ
民衆をキリスト教で支配する為にさ

南米アメリカやオージーとかね。 インカもマヤもインディアンもオージーも民族や文化文明ごと、全てキリスト教に滅ぼされたよ
141世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:09:26 0
続き。確かに、仏教の浄土教の茫漠とした阿弥陀仏と比べれば、
新約だけ切り取った「神」や「イエス」であっても、像は明確で信仰しやすい。
精神的な営みとして決して悪いことでは無いと思うが、
つけこまれやすい精神態度であることにも注意が必要だろう。

これに対して、
「イスラエル民族の苦悩はウリ民族の苦悩。イスラエルの栄光はウリの栄光!
選ばれし半万年の歴史を誇るウリ民族に格別の神の栄光!」と叫ぶのが
朝鮮のキリスト教徒だ。プロテスタントのみならずカトリックでも同じ。
頭上に原爆を落とされても「これは罪深い私たちに神が与えた報いと試練なのだ」と思う
日本人キリスト教徒とは対極の位置にある。

だが、この朝鮮人の態度こそ、まさに聖書の言う「偽ユダヤ人」そのものであって、
キリスト教が絶対に禁止していることだから、
朝鮮にあるのは「ニダヤ・ウリスト教」とでも言うべき物だろうな。
142世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:18:20 0
>>138
できたら、現在の西欧のキリスト教のダメダメさ加減についても教えて
いただけますか?
現代の西欧社会を見ると、もはやキリスト教が精神的支柱たりえていない
ように思えるのですが。
143世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:20:51 O
キリスト教支配からの弾圧を逃れるにはキリスト教に改教をせざるを得なかった

ただ他教徒の中には表向きはキリスト教徒になりながらも、秘密裏に反キリスト結社を組むものたちもいた

これが今のフリーメーソン

キリスト教徒は彼らを秘密結社とか、悪魔崇拝と呼んだ

144KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 23:25:29 0
>>141
韓国の人々が、自分たちの歴史をイスラエルの歴史と重ね合わせているというのは興味深いです。
日本と韓国での聖書の読み方の違いに注目しても面白そうですね。
きっと、ツマミ食いしている箇所が、微妙に違うと思います。
彼らが旧約の歴史に喰い付いて、日本人が喰い付かないのならば、
もしかしたら、韓国のクリスチャンは、日本人が喰い付かない『黙示録』などに喰い付いているかもしれません。

キリスト教に改宗するということは、キリスト教の聖書の歴史(=神話)に参入することではないかと、私は仮定しています。
まあ、>>141で云うところの、「ニダヤ・ウリスト教」になるということです(笑)。
それは、今まで自分が属していた歴史や文化に別れを告げ、新たな文化と歴史に足を踏み入れることです。
韓国の人々がキリスト教に惹かれる背景には、何か、自分たちの文化や歴史への劣等感みたいなものがあるのでしょうか?
キリスト教の聖書の歴史は、未来の展望も提供してくれ、それは輝かしい勝利で幕を閉じるのですが、韓国の人々は、そうした未来に憧れを抱いているのでしょうか?
145世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:25:41 0
>>136
コンスタンティヌスも、超カルトとしてのキリスト教の繁殖に手を焼いて、
国内の政治的安定という為政者としての立場から、「やむを得ず」キリスト教
を公認したのではないでしょうか。その証拠に、彼は最後まで洗礼の応じず、
死の間際になって、三位一体に反対するアリウス派の司教から洗礼を受けました。
優れた現実政治家として、キリスト教、特に三位一体の「胡散臭さ」は見抜いて
いたものと思われます。
146世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:33:46 0
ttp://starlog2monk4mossad.blog47.fc2.com/blog-entry-12.html
韓国産キリスト教の異質性を考察
ttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa1318790.html
韓国にキリスト教徒が多いのはなぜ?
147KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/17(月) 23:35:31 0
>>145
私も、コンスタンティヌスは最後の最後まで“改宗”はしなかったと思います。
専門家の中には、実際のところ、彼は洗礼を受けなかったのではないかと見ている者もいます。
148世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:39:59 0
さすがに「ダーウィンの晩年」ほどじゃないが確かに怪しさはぬぐえない。
149世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:42:01 0
現代世界ではイスラームが、古代地中海世界においてキリスト教が
占めていた地位をゲットしつつあるのでは。
西欧諸国のムスリム移民は、彼らが住んでいる国をイスラーム化する
夢を持っているヤシもいる。
150世界@名無史さん:2007/09/17(月) 23:45:40 0
>>144
現に韓国人は黙示録大好きだよ。特に宗派にカルト性が高まれば高まるほどにw
だが、
>聖書の歴史(=神話)に参入すること
は、世界宗教としてのキリスト教徒は、やってはいけないことだと思っているんだけどね。
(ユダヤ教徒は、まあ自分たちの先祖ということだから仕方ないが)
特に、トライブ(部族)単位で、勝手にユダヤ人と自分たちを同一視することは
聖書に対する冒涜と考えてもいいと思う。
「偽ユダヤ人がわらわら出てくる」というあの記述は、正にこれを戒めるもの。
どんなに個別事例に共感しても、「神話の彼等」と「現実の私たち」との間には
必ず一線を画さなければならない、それが成熟した宗教というものであるわけで。
やや話がそれるが、
この態度「一線を画する」というのは、成熟した宗教の要件のみならず、
古代ギリシア以来の民主的政治、ローマで言う共和制の精神と同じもの。
だから、これを知っている世界で書かれた新約には、この精神がビルトインされている。
これは、キリスト教と近代精神の関係を探る上で、結構重要なことだったりする。
151KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/18(火) 00:01:03 0
>>149
その地位をゲットするために使われる宣伝文句は、「我々はひどく迫害されていた」というものです。
それを口実に、一旦主流の座を占めたら、今度は、迫害者の側に回るのです。

“万が一”、世界の国々がイスラーム化していったら、キリスト教徒はどういう扱いを受けるのでしょう。
イスラームは寛大であるという保証はどこにもありませんからね。
宗教の真髄の真価は、メインストリームの座を占めたときに試されるのだと思います。
過去の歴史を見る限り、キリスト教徒はその試験に落第してしまったようです。
ムスリムはそれに合格するか…。

イスラームという共同体に属すると、その人は、国や人種を越えたアイデンティティを獲得することができます。
こうしたイスラームの魅力は、初期キリスト教の魅力に似ていて、対比させると双方の特色が浮彫りになります。
グローバル化が進み、社会が混沌とすればするほど、こうした宗教共同体の需要が高まるようです。

かつては、進んだ西洋文化へのアクセスの条件として、聖書への理解が不可欠だったわけですが、
今後は、発達するイスラーム(イスラム文化)へのアクセスのための条件として、クルアーンへの理解が不可欠になるのでしょうか…。
152世界@名無史さん:2007/09/18(火) 00:01:06 0
西洋哲学の祖であるソクラテスやプラトンにとって、ミュトスとはあくまで
寓意によって人々を善へと導くための作り話にすぎないものであり、真実の
言葉であるロゴスとは対立するものであった。
このことは哲学者に限らず、前6世紀ごろから古代ギリシャの知識人にとって
共通の認識となっていたらしい。ヘシオドスは『神統譜』『労働と日々』の
内容をそのまま信じていたわけではなく、人生の意義を語る寓話として古代からの
伝承を受容していたという。
神話は本来、この世界の起源を人々に説き明かすものであった。古代の儀式は
世界の起源を反復し、再創造することによってこの世界を維持するための聖なる
営みであった。国家の発生によって、人類が歴史記述を必要とするに至ったとき、
神々の世界は人間の世界の時間(歴史)から隔絶したはるかな始原に置かれることに
なったのである。ところが古代ギリシャではその傾向がさらに進んで、歴史の
外側に置かれた神々の時代を一つのフィクションとして理解する人々が現れた
のである。かくしてギリシャ文明の継承者たる西欧文明においては、神話と歴史は
まったく異質のものとして扱われるにいたった。

この区別ができない人間が、偽書や「古史古伝」にハマったりするわけだが。
153世界@名無史さん:2007/09/18(火) 00:01:50 0
>>150
心理学的、精神医学的には、ヨハネの福音書や黙示録それにパウロは、キリス
ト教の極めて大きな要素だと思う。これらに影響されなければ、現代人がクリ
スチャンになることは、まず不可能ではなかろうか。
154世界@名無史さん:2007/09/18(火) 00:07:43 0





だからさーーーーーーー  奇形人種黄色が  優勢美形種白人について語るなよwwwww
155世界@名無史さん:2007/09/18(火) 00:10:45 0
ズィンミーな目には遭いたくないなあ。

彼らに主導権を握られた地域では進化論とかが弾圧される世の中がやってくるのか?

http://www.ajup-net.com/web_ajup/038/dokusho38-02.shtml
かつてのキリスト教徒みたいな気に入らない文学への焚書も……
156KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/18(火) 00:11:32 0
>>139
へえ、なるほど。
日本人は、すでに「罪悪感」を持っており、キリスト教を受け入れる素地を持っていたと。
そして、キリスト教はそれに浸け込んだ(言葉が悪くて失礼)と。
日本人にとってのキリスト教の魅力とはそういうところにあったのですね。

それって何だか、アフリカかどこかの奥地の精霊信仰の場にズカズカ乗り込んで、「それは聖書で言うところの○○であ〜る」と講釈するのと似てますな。
既存の概念に乗っかってしまったほうが、確かに手っ取り早いので、これは誉められるべき戦略なのでしょうが…。
157世界@名無史さん:2007/09/18(火) 01:38:03 0
>>150
エルサレムまで何マイル?
ttp://www.mars.dti.ne.jp/~techno/text/text4.htm
英国王戴冠式の聖歌は、エルサレム建都を宣言・賞賛するものである。また、
アングロサクソンにはデビッド(ダビデ)やジェームズ(ヨセフ)、ジョン
(ヨハネ)などヘブライ系のファースト・ネームを持つ者が多い。こうした
ことから英国王室はイスラエルの直系である、あるいはアングロサクソンは
いわゆる「失われた十支族」の末裔であるという説も英国では古くから唱えられている。
十七世紀イギリスの清教徒の間には、ユダヤ人ではなく、英国人こそが真の
「神の選民」であるという信念が広まっていた。一六四九年から五八年まで
続いたイギリス共和制の指導者オリヴァー・クロムウェル(一五九九〜一六五八)は
清教徒の典型のような人物であったが、彼は旧約聖書「詩篇」の一節「イスラエルの
神は御自らの民に力と権威を賜る」を引き、共和国議会に対して、選民としての
自覚を持つよう呼び掛けた。
清教徒は信仰の純粋さを尊ぶが、その純粋さにこだわる余り、極端な主張を説く
宗派も派生した。たとえば神から直接啓示を受けようとするクェーカー教徒、
道徳律廃止論を説くランターズ、教会を否定してパブ(居酒屋)に集うマグルトン派
などである。
彼らはいずれも英国人はエルサレムを再建すべき使命を帯びている、あるいは
英国に新たなエルサレムが現れるなどと説いた。たとえば、ランターズのシオーロ・
ジョンことトマス・タウニーは、一六五〇年、エルサレムにユダヤ人を召集するべく
神より任せられたと宣言している。数年後、タウニーは小船でパレスチナまで
渡ろうとして、海に落ち、そのまま溺死した。
158世界@名無史さん:2007/09/18(火) 02:23:11 0
>>141
ウリスト教は日本で言えば創価学会だから。
159世界@名無史さん:2007/09/18(火) 04:47:19 O
クェーカーは随分穏健だと思ってたが当時は違ったのか?
160世界@名無史さん:2007/09/18(火) 13:42:57 0
>>156
宣教師にいわせると、アフリカでは、権力が集中した君主制を持っている部族は、
首長のいない集団よりも容易にキリスト教に転向するそうでつ。
同様に、父系制の者たちのほうが母系制の者たちよりも、氏族制を持っている
者たちのほうが強度な年齢別集団の制度を持っているものたちよりも、定住民
のほうが牧畜民よりも容易にキリスト教に転向するそうで。

つまり、キリスト教はまさに君主制の権威の心情の、父系制的権威の心情の、
氏族的権威の機構の、流動するのではなく定着する保守性の、宗教的表現なの
であると。
161世界@名無史さん:2007/09/18(火) 20:19:26 0
キリスト教をコケに汁スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/english/1190090032/
162世界@名無史さん:2007/09/18(火) 23:30:04 0
>>156
いや、戦国末の宣教師たちは、日本で布教を始めたところ
「罪が通じる!赦しが通じる!こりゃ素晴らしい!」と思ったらしいよ。
例えば人を殺して罪悪感を抱くというのは、実は人類普遍の感覚ではないからね。
人のものを盗んで罪悪感を抱くとなると、さらに普遍性は小さくなる。
だから、普通は十戒のような単純な規範を教えることさえ大変なこと。
それに、キリスト教自体が、中東からヨーロッパに波及する際、
ヨーロッパ各部族の既存の精神的概念を上手に使って広まっている。

>>157
失われた云々は、聖書最大の「歴史ロマン」なのでww
世界中のいろんなヤシ(日本人も含む!)がこじつけて妄想に浸っている。
いわば、今の日本史ヲタにとっての邪馬台国のような格好のネタなのさ。
宗教経典にそういうネタが含まれるのも、聖書の「魅力」なのかもしれないねww
当時の清教徒が原理主義の基地街カルトであることは、俺も全く否定しない。
近代の入り口の時期には、多くの国で妙な原理主義カルトが出てくるね。
これは宗教の種別を問わないので(日本だと平田国学がそれにあたる)、
何か、そのような宗教を生む素地が社会に出来るんだろうな。
163世界@名無史さん:2007/09/19(水) 00:41:46 0
だが、実際の所は民族浄化というか強制移民&混血でイスラエル王国とともに大帝国の広大な地域に拡散してっただけなんだよなぁ(w。

まぁ、そのお陰で旧約があんだけヤハウェ一色でツモれたんだろうけど
164:2007/09/19(水) 12:18:31 0
朝鮮系クリスチャンは、ウリスト教徒
165世界@名無史さん:2007/09/19(水) 15:18:31 0
アフガン「大量人質事件」を生んだ韓国人の宗教への異常な情熱=黒田勝弘
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070918-01-0401.html
166世界@名無史さん:2007/09/19(水) 17:55:25 0
マザーテレサの遺品から信仰を否定する書簡がザクザク! 西側諸国騒然!!
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8e/MotherTeresa_090.jpg

 ノーベル平和賞受賞者であり、ローマ・カトリック教会の修道会「神の愛の宣教者会」の
創設者、マザー・テレサが亡くなって十年を迎えたが、ここにきてマザー・テレサの生前の
書簡内容が明らかになった。それによると、コルカタで死に行く貧者の救済に生涯をささげた
マザー・テレサが「神の沈黙と不在」に絶望し、「孤独な日々」を過ごしていたことが浮き
彫りになっている。「貧者の天使」と呼ばれたマザー・テレサの告白は世界に大きな衝撃を
投げ掛けている。

 その修道女テレサが亡くなって五日で十年目を迎えたが、それに先立ち、テレサの生前
の書簡内容が明らかになった。それによると、修道女テレサは「私はイエスを探すが
見いだせず、イエスの声を求めるが、聞けない」「自分の中の神は空虚だ」「神は自分を
望んでいない」といった苦悶を告白し、「自分は孤独であり、暗闇の中に生きている」と嘆いている。

 「貧者の天使」の告白に衝撃を受けた西側メディアは「テレサ、信仰への懐疑」などと
センセーショナルな見出しを付けて報じた。彼女は生前、その書簡を燃やしてほしいと
願っていたが、どのような経緯からか燃やされず、このように彼女の内面の声が明らかになったわけだ。

 マザー・テレサの告白で彼女の神聖に疑問を投げ掛けることは、もちろんできない。しかし、
修道女テレサの苦悩が、「神の不在」に関する現代キリスト教神学の不十分さを痛感させる
一方、結婚と家庭を断念して修道院で神を求める信仰生活が神の願いであるか、という
問い掛けを内包していることだけは確かだろう。
ttp://www.worldtimes.co.jp/w/eu/eu2/kr070918.html
167世界@名無史さん:2007/09/19(水) 18:53:41 0
>>162
>例えば人を殺して罪悪感を抱くというのは、実は人類普遍の感覚ではないからね。
>人のものを盗んで罪悪感を抱くとなると、さらに普遍性は小さくなる。

詳しく。
168世界@名無史さん:2007/09/19(水) 18:56:01 0
神の存在・死後の世界に関する見方(2000年)
http://www.uploda.org/uporg1025620.gif

日本は中道くらいだな。
169世界@名無史さん:2007/09/19(水) 19:46:27 0
不信心でオカルト好きな典型的な日本人だけど、神の存在という概念自体ぴんと来ない。
おそらく一神教の神のようなものを差していると思われるが、日本には八百万の神々という
概念がある。けれど八百万の神々をもって「神が存在する」と言えるのかと言われると、どう
も違う気がする。
宗教とは別に、宇宙を支配する法則あるいは存在は存在してもおかしくないと思うけど。
でも、宇宙を支配する存在とか法則という概念自体一神教がかっていて違和感もある。
一神教多神教宇宙そんなものを超越したところに真理があるんじゃないか。
それが人間が理解できるものなのか分からないが。
170世界@名無史さん:2007/09/19(水) 20:09:03 0
>>169
>宇宙を支配する法則

科学者はそれを探求しているのでは?
171世界@名無史さん:2007/09/19(水) 21:26:09 0
>>170
そうだけど、人間が理解できる範囲を超えてると思うんだよね。
宇宙がひとつだけとは思えないし、宇宙の外で物理法則なんて
通用しないと思うし。統一理論が仮にあったとしても、それは宇宙の
中だけの話とかね。
星が何億個も集まった銀河がさらに数え切れないほど存在するんだから、
宇宙が数え切れないほどあったとしても不思議ではない。
172世界@名無史さん:2007/09/19(水) 21:33:25 0
173KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/20(木) 00:21:13 0
>>166>>172
問題の、マザー・テレサの手記については、先月のニューズウィーク誌でも取り上げられていました。
同誌によれば、この手記は、彼女の聖人の適性調査の過程で浮かび上がったものだそうです。
ニューズウィークのその記事は、クリストファー・ヒッチェンズ(コラムニスト・作家)という人が書いているのですが、
彼はそこで、「私の行き過ぎた分析かもしれないが…」という前置きをして、マザー・テレサの「過剰な献身」とも言えるケバケバしい活動を、彼女の信仰の喪失から説明しようとしています。

例えば、テレサを有名にした、彼女の“善行”は、彼女の内面を苦しめていた惨めさを宥めるためだったのではないか。
あるいは、彼女の、誤解を生む疑惑のある振る舞い(注1)や、度を越えた中絶反対運動も、神の不在への恐怖をやわらげるための行動ではなかったか。
この記事には、信仰の闇に苦悩し続けた一人の老女を利用して、人々に軽信を勧めた教会への皮肉のメッセージも込められています。

長らく、マザー・テレサの振る舞いは、キリスト教への信仰が成せる業だと説明されてきました。
彼女の行動は、キリストの愛のメッセージへの応答の結果だと…。
それは、十字軍や魔女狩りといった教会の“負の歴史”の対極に置かれ、教会の“正の歴史”として宣伝・弁明されてきました。
しかし、>>86の繰り返しになりますが、彼女が示したような人道主義は、元来、キリスト教の文脈を離れても十分成立し得るものです。
キリスト教や聖書がなくても、人は、彼女のような人助けをすることができます。
今回の一件は、そのことを端的に示しているような気がします。
彼女は、キリストや神への信仰を失いつつも、人道活動を展開することができたのです。
「隣人のために行動せよ!」とのメッセージは、キリスト教の専売特許ではないのです。

注1)マザー・テレサの“黒い繋がり”については、www.hpo.net/users/hhhptdai/motherteresa.htm 参照。
ここでは、彼女の手記については触れられておらず、彼女の疑惑は、狂信と貪欲とによって説明されています。
ただし、やや、こき下ろし過ぎの感はあります…。
偶然にも、クリストファー・ヒッチェンズの著作を参考にして作られているサイトのようです。
174世界@名無史さん:2007/09/20(木) 00:51:12 0
>>162
でも欧米人は、西洋は罪の文化で日本は恥の文化だと思っているんだよな。
175KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/20(木) 00:55:29 0
>>160
>キリスト教はまさに君主制の権威の心情の…宗教的表現なのであると。

含蓄のある鋭い意見だと思います。
君主制の権威に慣れた者ならば、聖書の観念を簡単に受け入れられるでしょうね。
新約聖書でさんざん宣伝される、キリストという単独の人物による独裁支配体制など、まさしく君主制の鏡ですからね。
聖書を、個人的な霊的体験を綴った純粋な宗教書として読んでいる人は多いですが、おそらくそれでは、聖書の歴史的意義は掴めないままでしょう。
176世界@名無史さん:2007/09/20(木) 01:04:39 0
>>160
>流動するのではなく定着する保守性の

この点、イスラームはキリスト教と違って、移動する遊牧民や商人の
ネットワークに対応した宗教のように思える。
177KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/20(木) 01:09:24 0
>>174
確かに、日本と西洋とでは、たとえ同じ語を使用したとしても、そこに込める概念には、多少のズレがありましょう。
では、西洋人が日本に持ち込んだ「罪」という言葉に、日本人が、罪と似た「恥」という概念を込めた、ということは考えられないでしょうか?
日本人は、恥の概念を持ち続けたが、それはキリスト教的な「罪」という用語でコーティングされた、と。
ですから、厳密に言えば、日本と西洋とでは、同じ概念を共有してはいないのではないでしょうか?
神という語に関しても、同じことが言えるかもしれません。
178KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/20(木) 01:28:30 0
>>176
イスラームが商人のネットワークを背景に発展した、というのは私も正しいと思います。

しかし、イスラームを、砂漠を彷徨するベドウィンの宗教として見る通念は、改められねばならないそうです。
イスラームは、遊牧民や農耕民社会からではなく、商業で栄えた都市社会で生まれたものだからです。
我々が、イスラームの主役と捉えがちなベドウィンは、実は、イスラームを発展させた都市民の対極に位置している者たちだったのです。
とはいえ、都市と言っても、それは遠隔交易の中心地としての都市なのであり、やはり背景として、物と人と情報が移動する商人ネットワークを考慮に入れねばならないでしょう。
また、都市の背後には砂漠が控えていたのであり、そこに、イスラームの特殊性を見出せるかもしれません。

そうした意味では、キリスト教との違いよりも、もしかしたら共通項を探すことのほうに、大きな発見があるかもしれません。


179世界@名無史さん:2007/09/20(木) 10:41:07 0
>>175
>>キリスト教はまさに君主制の権威の心情の…宗教的表現なのであると。

君主制は、あくまで「現実的政治」の体制。キリスト教は「反現実的」。
やはり本質的に異なるのではないか。「王権神授説」は、むしろキリスト教
の影響だろう。
180世界@名無史さん:2007/09/20(木) 10:51:24 0
>>173

でも信じようとしつつ懐疑する、
そして「神よ、あなたは本当に実在されるのか?」
と疑いつつ奉仕するのもまた信仰ではないかな。

俺はマザーがこれでクリスチャン失格だとかは全然思わない。
181世界@名無史さん:2007/09/20(木) 10:57:48 0
>>178
>そうした意味では、キリスト教との違いよりも、もしかしたら共通項を探す
>ことのほうに、大きな発見があるかもしれません。

ムハンマドの時代には、キリスト教はすでにアラビア半島に進出していた訳
だし、彼の山篭りと瞑想も、キリスト教による精神発作だったと推測される。
彼は、彼の「啓示」を、妻の親類のクリスチャンに確認して貰っているし、
クルアーンには、聖書の預言者の名前が多数出てくる。

イスラームは、結局はキリスト教の「焼き直し」であろう。人間の生命に対する
畏敬の念が皆無であるところも同じである。

182世界@名無史さん:2007/09/20(木) 11:00:29 0
食物の禁忌とか、旧約聖書に近くはないか?
183世界@名無史さん:2007/09/20(木) 11:03:15 0
>>180
>俺はマザーがこれでクリスチャン失格だとかは全然思わない。

キリスト教自体が失格なのだよ。要するに彼女は、キリスト教によって騙されて
いた訳だ。


184世界@名無史さん:2007/09/20(木) 11:05:54 0
神を見出した、とか独白してたならかなり『キ』ているだろうが。
185世界@名無史さん:2007/09/20(木) 11:11:51 0
>>175
東洋思想(なかんずく儒教)ほど露骨とも思えない。
186世界@名無史さん:2007/09/20(木) 20:53:25 0
ttp://blog.so-net.ne.jp/syocho/2005-03-18
仏教学者中村元はその著書「日本人の思惟方法」の中で聖徳太子から現代に
至るまでの膨大な文献から「日本人のものの考え方の3つの特徴」を抽出している。
それは「与えられた現実の容認」「人間結合組織の個人に対する優越」「非合理
主義的傾向」である。また、人類学者ルース・ベネディクトとは日本と西洋を
「恥じの文化と罪の文化」として対比させている。
つまり、西洋において善悪というものは神が上から与えた絶対的な規準によって
決められるのに対して、日本においては個人と人間結合組織との関わりの中で
流動的に善悪が規定される。さらに言うと、日本では善悪というものが「周りの
人達との関係においてそれが恥ずかしいことかどうか」で決められる。したがって
西洋人に悪事を働かせようと思ったらマインド・セットを入れ替える必要がある。
つまりイデオロギーが必要である。それに対して日本人に悪事を働かせようと
思えば、その人の周りの人達がその悪事に目をつむればればよいということになる。
187世界@名無史さん:2007/09/20(木) 21:25:47 0
>>186
>西洋において善悪というものは神が上から与えた絶対的な規準によって
>決められるのに対して、日本においては個人と人間結合組織との関わりの中
>で流動的に善悪が規定される

西洋人は、その「神が上から与えた絶対的な規準」も、実は人間が作ったもので
あり、その人間自身も共同体としてしか絶対に生存できないという事実をすっかり
忘却しているという点で、はじめから誤っており、矛盾であると言わざるを
得ない。
188KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/20(木) 22:00:42 0

>>186
>西洋において善悪というものは神が上から与えた絶対的な規準によって決められる…。
>>187
>その「神が上から与えた絶対的な規準」も、実は人間が作ったものであり…。

確かに、西洋においては、「神」という絶対的な存在によって、人々の行動規範が決定されるかもしれません。
それは日本の文化との最大の相違かもしれません。
しかし、こうした話し合いの場においては、さらにもう一歩踏み込んで、その「神」が実際のところ何なのかを特定しなければならないでしょう。
学問の場においては、ある語を、別の語に置き換えることは、物事の実態を明らかにする有用な手段です。

では、西洋における「神」とは、実際のところ何なのか?
>>187の言うとおり、もちろん、究極的にはそれは「人間」なのですけれども、
もう少し具体的に絞り込むならば、それは「教会」であったり、「教皇」であったりするのではないか、と私は想定します。
教会や教皇は、「宗教的権威」です。

したがって、「西洋においては、宗教的権威(=教会=神)が、民衆の行動規範を決定する」、と言い換えられるかもしれません。
その権威は少数の特権階級によって占有されるのであり、
その意味で、>>186で指摘された、日本人の「横の人的結合」とは対照を成すかもしれません。

189世界@名無史さん:2007/09/20(木) 22:43:17 0
>>186
>もう少し具体的に絞り込むならば、それは「教会」であったり、「教皇」で
>あったりするのではないか、と私は想定します。

では、その「教会」や「教皇」が信じている「神」とは何でしょうか?
彼らも「神を信じている」という点では、一般の信者と何ら相違はないのです。
190世界@名無史さん:2007/09/20(木) 22:55:48 0
>>174>>186
いや、実は「共同体の空気」あるいは「世間体」としての、
「菊と刀」式の「恥」概念が出来たのは、江戸時代のこととも言われるからね。
室町戦国までは、世相が殺伐としていて不安定であり、
農民や町衆も武装して、人を殺す機会が誰にでも普通にあり得るという状況で、
人々は罪の意識に呻吟した。
それに答えるのが、罪と救済だけに視点を絞った宗派である浄土教。
この時期の末期に入っていたのがカトリックであって、
それで「罪と赦し」の宗教として爆発的に広まったらしい。
ところが、
刀狩りが行われ、天下泰平の江戸時代が始まると、
中世的な罪の意識は、そもそも現実感が薄れて忘れられてしまった。
農村は非武装となり、農民は安定した江戸時代的な殿様を仰ぐようになって、
生きる上での規範は、「所属する村社会と世間様の空気」で十分ということになった。
江戸時代的な農民にとっては、隣近所の目線と世間体だけで十分だったということ。
191KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/20(木) 23:11:56 0
>>189
>彼らも「神を信じている」という点では、一般の信者と何ら相違はないのです。

教会や教皇にとっての「神」は、教会や教皇の利害に奉仕する存在です。
彼らの神の意思は、彼らによって、いかようにでも変更されました。
別に、天から命令が降ってくるわけではないのです。
それは、キリスト教の聖書の編纂や、教会の正統教理の成立の過程を見れば明らかです。
その意味で、権威者たちにとって、神は絶対的な存在ではなかったはずです。
教会の上に君臨する神は、実は、教会の檻の中に飼われていた神なのです。
少なくとも、民衆にとっての「絶対」とは異なる意味を持っていたはずです。

それに対して、民衆はといえば、彼らは、神の意思をこねくり回すことはできません。
ひたすら、教会を“通して”与えられる、絶対的な神の命令に服従しなければなりません。
権威者達のように、自分たちの利害に合わせて、神の意思を変更させることはできないでしょう。
教会のように、彼らは、神を自分たちの檻の中で手懐けることはできませんでした。

教会や教皇は、自らの行動規範に従って、神の規範を変更することができた。
それは、実質的には、神の規範ではなく、彼ら自身の規範です。
これに対して、民衆は、神の規範に従って、自らの行動を規定しなければならなかった。
ですから、一口に「信じている」と言っても、そこに相違が全くないわけでないと、私は思います。
もちろん、西洋文化における「神」については、他の有効な説明の仕方があると思います。
192世界@名無史さん:2007/09/20(木) 23:20:22 0
欧米人って、なんのためにキリスト教を布教してるの?
どうせ有色人種がキリスト教に改宗しても、彼らの仲間として受け入れたりは
しないでしょ?
193世界@名無史さん:2007/09/20(木) 23:43:50 0
>>191
教会も教皇も一般の信者も、生物としての人間(キリスト教的には、創造された
ままの人間)としては、全く同一のはず。

教会や教皇が、生来的にそうだったとは考えられない。やはり「神を信じた結果」
ではないでしょうか。
194世界@名無史さん:2007/09/20(木) 23:58:04 0
そういえば南米のカトリック人口に比べて、カトリック組織内部での南米勢力の冷遇は何なんだろう?
まだアジア系の方がちゃんと処遇されている感がある。
195世界@名無史さん:2007/09/21(金) 00:13:58 0
>>194
FIFA(国際サッカー連盟)と全く同じ意向が働いているんだろうよ。
改めて考えてみれば、FIFAとカトリック教会は
驚くほど各国支部間の状況が似ている。
196KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/21(金) 00:31:37 0
>>193

西洋人が、社会規範や善悪の規準の正当性を、「神」という存在に求めていた、という意味で、貴殿の説明は正しいと思います。
197世界@名無史さん:2007/09/21(金) 00:43:02 0
チェコの首都プラハ(Prague)にあるチェコ国立図書館(Czech National
Library)で19日、「悪魔のバイブル(Codex Gigas)」が公開展示された。

この書物は13世紀初期にボヘミア(Bohemia)地方のPodlaziceにある
ベネディクト会修道院で執筆され、中世時代には「世界の不思議」の
ひとつに数えられていた。

30年戦争(Thirty Years War、1618〜1648年)の際にスウェーデン軍に略奪
されたが、350年ぶりにプラハ市に一時的に戻されている。


ニュースソース:AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2285820/2163159
198世界@名無史さん:2007/09/21(金) 02:07:20 0
ネブラスカ州議会議員が神を提訴

ネブラスカ州議会議員のErnie Chambers氏(オマハ市選出、民主党)が9月14日
(米国時間)、神を相手に訴訟を起こした。

全能なる神とその信者に対して、テロの脅威を止めるよう命じることを裁判所
に求めている。

ネブラスカ州の地方裁判所に提出された訴状(PDFファイル)は、神と、神を信じる
全宗派の信徒は、「無数の人間に大きな被害をもたらすテロリズムの脅威を作り
出してきたし、現在も作り続けている」と主張している。

そうした脅威が存在することは神の歴史からも明らかだ、とChambers氏は訴える。

Chambers氏は、頭韻法をうまく使って、「恐い洪水、実にひどい地震、すさまじい
ハリケーン、とてつもない竜巻、死を招く疫病、激しい飢饉、地を荒らす干ばつ、
殺し合いの戦争、先天性の欠損症など」を引き起こしているとして、神を非難
している。

訴状はさらに、神が、神にまつわる年代記を「文字に記して配布し、地上に恐怖や
不安、心配、脅威、疑念を引き起こし、被告人(神)の意志への服従を強制して
いる」とも主張する。

1970年以来、オマハ市の代表としてネブラスカ州議会議員を務めてきたChambers氏
は、ダグラス郡の地方裁判所に対して、審議なしで略式判決を出すか、もしくは
「裁判所がそうした行為を行なうことが無益でないと考えるならば」早々に審議の
日程を決めるよう求めている。

(後半略)
http://news.livedoor.com/article/detail/3313707/
199KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/21(金) 06:21:11 0
>>195
>欧米人って、なんのためにキリスト教を布教してるの?

なぜ布教するのか…。
キリスト教諸問題の中で、もっとも興味をそそる問題ですな。
200世界@名無史さん:2007/09/21(金) 07:26:04 0
キリスト教と啓蒙思想はその発想がよく似ていると思わないか?
未開で無知蒙昧なままでいる人間を、善意から文明人のレベルまで
引き上げてやろうとする発想。相手からは迷惑がられることも多いんだけど。

フランス革命では、キリスト教関係のものが破壊され、キリスト教の神に
代わって「最高存在」なるものを祭ったりし、第三共和政期においては
絶対王権が神授のものとして教会に聖別されたように、共和国の建国神話は
「科学的」歴史学によって聖別されたのは偶然ではないと思えてくる。
201世界@名無史さん:2007/09/21(金) 08:27:58 0
>>85
>私の関心の対象はシンプルで、それは、「キリスト教徒の思い上がりの起源はどこにあるのか?」です。
>彼らの「思い上がり」が、世界規模の伝道活動の推進力であっただけに、なかなか興味深いテーマだと思っています。

ひょっとしてローマ帝国から受け継いだとか?

202世界@名無史さん:2007/09/21(金) 10:38:24 0
キリスト教徒の思い上がりは十字軍の時代からあったでしょ。
もとからそうなんじゃないの。
203世界@名無史さん:2007/09/21(金) 12:18:22 0
キリスト教によって、高度に発展したローマの文明が破壊され数百年分退行し、
その後1000年殆ど発展無しの暗黒の中世となる。
遅くまで多神教を信じていた中東地域ではローマ、ペルシャ、バビロニアの遺産を
やや多くを保持できていたが、同じく一神教のイスラム教の浸透により停滞し、
ゆっくりと衰退しつつあった。
ヨーロッパのキリスト教徒を中世の停滞から叩き起こしたのは、ユーラシア大陸を
横断するように駆け抜けた、キリスト教徒でもイスラム教徒でもない韃靼人の騎馬軍。
キリスト教ではない価値を知らしめることでヨーロッパ人に再び文明への渇望を
呼び覚ました。
当座、隣のイスラム教圏からローマ文明の残滓を再導入し、進歩の道へと復帰し、
近代への一歩が始まった。脱キリスト教=近代化だった。
204KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/21(金) 17:37:37 0
>>202
>もとからそうなんじゃないの。

私はその時期を、少なくとも、キリスト教の聖書が誕生した、紀元後4世紀にまで遡らせることができるのではないかと想定しています。
あるいはもっと遡らせて、パウロも加入していた初期キリスト教の共同体の時代(50年代頃)でもいいかもしれないと思っています。
現代の研究者らは、フィリピ2章2-6節を、その共同体の教えの初期の頃の断片であるとしています。
その箇所では、「天・地・地下のすべての膝がイエスの名に屈し、すべての舌が“イエスこそ、主である”と告白する」(9,10節)と歌われているのです。
一人の人物のために、全世界が膝を屈める?
私は初めてここを読んだとき、その“嵩高”な主張に仰天して、椅子から転げ落ちそうになりました。
これは、明らかに、“倣岸”で“大仰”な申し立てであり、キリスト教徒の“思い上がり”の系譜に連ねることができる教えであると言えると私は思います。
後代の、熱心な宣教師は、この箇所を読んで、「そうだ!そうだ!」と手を叩いたに違いありません。
十字軍は、異教徒に「膝を屈ませるため」の聖戦として歓迎されました。
そして今でも、一部のクリスチャンは、その光景が現実となることを願っているのではないでしょうか?

205世界@名無史さん:2007/09/21(金) 20:54:08 0
>>204
それも、イエスの教えが原因。
206世界@名無史さん:2007/09/21(金) 22:29:53 O
>>203
一昔も二昔も前の理解から抜け出せてないな
「暗黒の中世」なんて認識が許されるのは高校生までだろ
207KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/21(金) 22:39:38 0
>>205
福音書の中のイエスの発言が真正であるとするならば、確かに、すべての原因はイエスにあると断言できます。
私も、福音書を読めば、問題の端緒がイエスその人の教えにあると結論付けます。
しかし、このスレッドの冒頭で、私が話題に上らせた、『Q』という資料(学者たちが福音書の中から引き出した)を見ると、イエスの発言はそれほど傲慢ではありません。
その資料が、どこまで実在のイエスに近いのかは、議論の余地がありましょうが、少なくとも、現行福音書よりは前に遡ります。
‘92年に始まった聖書文学協会(JBL)の会議では、このQを資料として、キリスト教の起源と発展を探ろうとする試みが、各分野の学者たちによって行なわれています。

『Q』から、現在の福音書に至るまでに、どのようにしてイエスの人物像に肉付けが施されていったのか、
学者たちが明らかにしていったその過程を追うと、思わず驚嘆の声を挙げてしまいます。
そこに垣間見えるのは、イエスという人物の特異性ではなく、後代の人々のイマジネーションの豊かさです。
どうやら、キリスト教の発展は、イエスを始点とするビッグ・バンで始まったのではないようなのです。
もし、この説が正しいとすると(私は正しいという立場を取っています)、キリスト教の諸問題を、イエス一人に帰すことができなくなります。
問題は、イエスというただの男を、全世界の王に仕立て上げていった、後代のクリスチャンの思惑にあるのです。

では、なぜキリスト教徒は、イエスという男を、御輿に担ぎ上げなければならなかったのか?
学者たちはこれを、神話の創成、社会形成との関連で、解き明かそうとしています。
キリスト教徒たちは、一人の男を「世界の独裁者」に仕立て上げることによって、何を成し遂げようとしたのか?
こうした問いは、ここの隣の「民俗学・神話学」板の「聖書スレ」に相応しいテーマですが、あえてここで取り上げてみたいです。
キリスト教徒は何を目指してきたのか?
そして何を目指しているのか?
それらに対しては、>>200も、一つの意味ある解答だと思います。
208KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/21(金) 22:57:18 0
>>207訂正
×JBL→○SBL(Society of Biblical Literature)
209世界@名無史さん:2007/09/22(土) 13:09:58 0
発展段階史観というのはアスグスティヌスまでさかのぼれるんだよね。
なぜキリスト教徒はこういう歴史観をいだくようになったのでせうか?
210世界@名無史さん:2007/09/22(土) 13:29:30 0
>>204
エジプト・メソポタミア文明以来の宗教的伝統と、
紀元1世紀前後のオリエントの宗教状況を考えれば、
ユダヤ教のような部族をベースとする宗教の枠を越えて、
世界宗教としての生き残りを図ろうとするなら、
>>204が断罪するような教義は、そんなに違和感はないと思うけど。
血縁的な部族という「地盤」が無いので、外に打って出るしかない。
まあ、キリスト教の場合、ユダヤ人の部族宗教として公認されず、
最初は仕方なく世界宗教の道を歩んだというのが真実なんだろうけどね。
それに、もともと古代中東の宗教的伝統は
かなり荒っぽいものであることに注意が必要。
都市を陥落させたら、住民全員殺戮または奴隷化の上、神殿は完全に潰してしまい
そこに勝者の神を祭って「勝者の宗教の都市」を作るのは常識だったからね。
211KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/22(土) 14:14:49 0
>>209
それは、キリスト教徒たちが想像した時間の流れと関係があると思います。
これには無数の説明の仕方があります。
まず、キリスト教の時間設定で、もっとも特徴的なのは、「始まり」と「終わり」です。
これを、彼らの用語に置き換えるなら、「創造」と「終末」です。
キリスト教によれば、この始点と終点をもたらすのは、超越的存在(キリスト)であるため、
その二点を結び、埋める期間(中間期間)が、人間の時代、つまり「人類史」となります。

では、どうして中間期間そのものにまで、発展や進歩が想定されるようになったのか?
これを、アウグスティヌスと関連付けて考えるならば、それは「創造」が「罪の始まり」と解されたことと関係があるかもしれません。
「創造から終末へ」進む直線は、原罪の概念によって、「罪から救済へ」に置き換えられたのです。
こうして、始点と終点を埋める人類史は、救済へと向かう進歩的な時代だと想定されるようになりました。

終点に「終末」と「救済」という相反する二つの結末が用意されたため、人々は、「救済」の方に辿り着くよう、導かれねばなりません。
指をくわえて、流れに身を任せているだけでは、「終末」(最後の審判)の方へとマッ逆さまに転げ落ちていってしまう。
原罪の設定によってもたらされた、こうした強迫観念が、彼らの史観にも影響を与えたと考えられます。
と同時に、キリスト教の教えに帰依していれば救われる、という楽観的な史観ももたらしました。
さらに中間期間には、「キリストの降臨」という、救済の楔が打たれており、その際にキリスト自らも「終わり」や「神の国」の到来を予言しているため、
キリスト教徒の脳裏には、余計、「終わりへ」「救済へ」を意識させる時間の概念が埋め込まれたとも言えるでしょう。

この他にも、キリスト教的な進歩史観の起源は、ユダヤ教文書(ダニエル12:13など)にも見られ、それについて論じる必要もありますが、
ここではとりあえず、私なりに、アウグスティヌス付近のキリスト教史観を中心に述べてみました。
212世界@名無史さん:2007/09/22(土) 14:27:23 0
>終点に「終末」と「救済」という相反する二つの結末が用意されたため、
>人々は、「救済」の方に辿り着くよう、導かれねばなりません。
>と同時に、キリスト教の教えに帰依していれば救われる、という楽観的な
>史観ももたらしました。

なるほどね。普遍史(聖書の記述にもとづいて書かれた歴史)は啓蒙主義時代に
なって力を失ったが、こういう考え方は進歩史観に形を変えて生き続けている。
漏れ自身は歴史は一直線に進むのではなくてらせん状に進むのではないかと
考えているけど。
213世界@名無史さん:2007/09/22(土) 14:37:07 0
>>211
別に「始まりと終わり」という発想は、特徴的でも何でもないよ。
全人類が、当然のようにごく普通に思いつくもの。
要するに、何かが始まって、発展して、衰退して、そして終わる。
典型的には生命のアナロジーなので、人間なら誰もが思いつく。
インドのような無限循環のほうが、かなり変わったいわば「高等な」発想とも言える。
誰もが感じる人間の一生ではなく、少なくとも天体運行や四季の移り変わりなど
やや難しい事象を抽象化する能力が求められるから。
そして、終末は死のメタファーだから、恐怖になる。だからそこで宗教的救済がでてくる。
これは、インド的な仏教でもやはり同じように出てくる。(末法と弥勒菩薩)
キリスト教が扱っているネタは、ごくありふれたもの。
214世界@名無史さん:2007/09/22(土) 15:14:44 0
>>204
>その箇所では、「天・地・地下のすべての膝がイエスの名に屈し、
>すべての舌が“イエスこそ、主である”と告白する」(9,10節)と
>歌われているのです。 一人の人物のために、全世界が膝を屈める?

弱小民族や、迫害されている集団がそういう願望を抱くというのは
よくあることなのではないでしょうか?韓国人の未来に対する妄想
などはその典型のように思えます。

ttp://bigkorea.seesaa.net/article/20264421.html
韓国人は世界一番優秀だ. 韓国は過去に燦爛たる文化があった. 強大国だ.
世界中に尊敬される. 未来に韓国が世界を支配する....アメリカ ,
ドイツ , 日本 , 中国皆追い越す! 彼らは世界中に憎まれている. それに
韓国より優秀ではない! 世界一番優秀で世界中に愛される韓国が世界の
支配者になる! 筒に値すれば韓国は世界一番強大国で変身する! 世界中は
韓国がリーダーになって世界を支配するのがほしい!
215世界@名無史さん:2007/09/22(土) 17:15:26 0
政情混乱や、軍事経済政治力の格差などを抜きにして
キリスト教の大規模な布教に成功した地域あるんでしょうか?

ローマ帝国領土、欧米の植民地、韓国・・・どれも上からの支配や民衆の混乱などが
なければキリスト教が広まることはなかったのでは?
216世界@名無史さん:2007/09/22(土) 17:54:05 0
>>215
宗教は不安を癒す為にあるものだ。どんな宗教でも広まる時はそんなもの。
217KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/22(土) 18:32:28 0
>>215
見事な観察で、唸らせられます。
大雑把に言ってしまえば、圧制者と宣教師は、常にワンセットです。
侵略者の後に続いて(あるいは同時に)、宣教師が現地になだれ込みます。
宣教師は、コカコーラの空き缶と、ビッグマックの包み紙が散乱する道を踏み分けて、キリストの教えを広めます。
宣教師が現地で広めるキリスト教の教えは、侵略者の支配体制を受け入れさせる役割があります。
あるいは、侵略者に、侵略の正当性という太鼓判を押してやります。
剣と聖書の相性は、鴨ネギ並に、抜群なのです。

侵略者の便宜のために「聖書」というモバイル・ツールが持ち運びされます。
それがあれば、どこかしこでも、侵略行為を正当な手段であると承認することができます。
聖書さえあれば、港で、船の上で、敵地で、戦場で、敵兵の前で、現地の礼拝所の中で…、あらゆる場所で“聖なる儀式”を執り行うことができます。
だから、聖書と宣教師は、侵略者にとっては、願ってもない相棒なのです。

ピサロがアタワルパを捕縛・処刑した時の、宣教師と聖書の役割が、その最たる例です。
そのとき、宣教師と聖書が、どれほど“立派な”働きをしたかを、読み取ってみてください。
その宣教師は、見事に、お手本ともいえる、聖書の正しい使い方を披露してくれています。
侵略者と宣教師は、もちつもたれつの関係なのです。
ナイス・バッテリーなのです。
218KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/22(土) 19:27:54 0
>>212
「らせん」といえるかどうかは分かりませんが、ギリシア人の観念のモデルは「回転」だったそうですね。
ギリシア人は、自然時間は円環的に運行すると考えていたと言われています。
これは、二点の閉じられた直線を想定するキリスト教史観とは微妙に異なります。
219世界@名無史さん:2007/09/22(土) 20:02:43 0
聖書には奴隷を肯定する記述がありますよね。
黒人やインディオらは見事にキリスト教に染まったようですが、
なぜ低い地位で人生を過ごすことを容認させられる宗教を最終的に受け入れたのかが非常に謎です。
(もちろん信仰によって心の平安が多少なりとももたらさられるのでしょうが)

辛い現世から天国に期待を向けさせたり、旧約のユダヤ人受難のような箇所を
重ね合わせさせられ、巧妙にマインドコントロールされたのでしょうか。

支配される側にとってキリスト教って何なんでしょうか?
220世界@名無史さん:2007/09/22(土) 20:48:40 0
>>217
聖書を信じる者は、何故そのような侵略と虐殺を行うのか。圧制者自身も、
熱心な信者なのです。

彼らも、生来的にではなく、聖書を信じたがためにそうなった。宗教そのもの
の持つ、心理学的・精神医学的「病理」の解明が必要だと思う。

彼らも、人間としては、生来的には同一である以上、「卵が先か、鶏が先か」の
問題にはなり得ない。
221世界@名無史さん:2007/09/23(日) 06:56:00 0
遊びまくりのイエス・キリストが登場、CMにベルギー教会が激怒

ベルギーのカトリック司教たちが、テレビCMに登場するイエス・キリストに
激怒している。このCMに登場するキリストは、ヒッピー風のファッションに、
ぽっこりお腹。奇跡を起こすだけじゃなく、ナイトクラブでセクシーな女の子
をナンパするという内容で、カトリック教会は21日、CMの放送中止を求める
抗議を行った。

ベルギーの主要チャンネルで問題のCMを流しているのは、欧州の大手メディア
RTL。このCMは若者向けケーブルテレビ局Plug TVの宣伝で、「奇跡を起こす力
を持つイエス・キリストでも見たくなるほど面白い」と宣伝するものだという。

問題のCMは、テレビだけでなく映画館でも放送されている。

Eric de Beukelaer司祭は、「ベルギーのキリスト教会は、宗教に関するユーモア
に対して寛容な態度を示してきた。表現の自由を尊重し、漫画家を批判すること
も避けてきた。しかし広告となると話は違う」と話す。

「われわれはRTLの経営評議会代表と倫理委員会に対して強い不満の意を表明する」
とし、さらに「チーズやパテを宣伝するために、牧師や修道女を登場させるのとは
まったく別。キリストを歩く広告塔に仕立て上げるのは一線を越えている。
キリストがごくつぶしの若者のように描かれるのを見過ごすことはできない」
と付け加えた。

CMは、Plug TVに加入したがるイエスに父なる神が、「これ以上まだ欲しがるのか!」
と叱責するところで終了する。Plug TVとRTLは抗議に対し、広告に冒とくの意はなく、
「若者向けのおおらかなイエス・キリストの姿」を描いただけだとしている。

De Beukelaer司祭によると、RTLおよび倫理委員会のどちらからも正式な返答は
まだないという。しかし、この件についてカトリック教会は、法的措置をとる
つもりはないとしている。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2287372/2172939
222世界@名無史さん:2007/09/23(日) 07:26:49 0
>>215
キリスト教が浸透した地域というのは、例外なく、後進地域だよ。
文明レベルが、精々、部族国家・都市国家〜神権政治・奴隷制、ありていに言えば「古代」に
踏みとどまっていた地域・社会にしか浸透していない。
組織的な布教を始めた時点で中世〜近世に至っていた地域には全く浸透していない。
言い方を変えれば、十分に発展した社会ではキリスト教は受け入れられるようなものではない。
223世界@名無史さん:2007/09/23(日) 16:43:20 0
時間は一年で循環しているという考え方が、一神教によって直線的なものへ
置き換えられてしまった。日本の森の中で暮らしていれば、四季を繰り返し時間は循環
しているという考えがわくのが自然。
森の中で暮らしていたギリシア人も同じような思想を持っていた。
森が消滅し砂漠になるとそのような思想が失われていき、森の循環思想とは隔絶した
一神教が生まれる余地が生まれた。
ユダヤキリスト教徒は、このような直線的進歩史観を発明したがゆえに他の多神教に
優越していると考えている。
そのように考えて行くと、ビッグバンからはじまり膨張し続ける宇宙というのも、
一神教進歩史観と合致している。宇宙はこのまま永遠に膨張し続けるのか、それとも
途中で収縮を始めるのかまだ結論は出ていないが、多神教循環論者としては、
宇宙とはバルーンのようなもので、無数の宇宙が膨らんだり縮んだりしているものと
考えたい。宇宙がいったいどこから発生しているのかは見当がつかないが。
しかし物質やその構成要素元素といったようなものも、ビッグバンとともに発生し、
宇宙があるからこそ存在しているわけで、宇宙の外には物質も元素すらも存在しない
ことになる。そのように突き詰めていくと、物質ではない精神的なもの(という形容が
妥当なのかは分からないが)しか存在し得ない。
ここに対立するものと考えられている宗教と科学、物質と精神の融合の可能性が生じる。
宇宙の外(宇宙が生まれてくる場所)では、物質も精神もなく一体であり、精神も物質も
そこ(あの世)から生じてくるものと考えられないだろうか。
224世界@名無史さん:2007/09/23(日) 19:16:16 0
>>223
古代ギリシアは森ではなく半乾燥地帯。砂漠が多く乾燥した中東地域もユダヤ以外は多神教。
また中央アジアの砂漠地域には一神教的概念なぞイスラムまで全く現れていない。

気候と一神教は関係ない。
225世界@名無史さん:2007/09/23(日) 23:52:37 0
>>219
「貧しき者は幸いなり」「皇帝のものは皇帝へ」
現世の搾取は天国へのパスポートです・・・
226KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/24(月) 01:40:38 0
キリスト教の魅力とは、まず、コカコーラと銃ではないでしょうか。
要するに、人間の本質的な欲求を充足してくれる西洋文物との、引換券です。
その役割を負うキリスト教については、>>97>>99でも触れられています。

あと、キリスト教の教えは、現地の人々に受容されるとき、現地の人々の概念を入れる新たな“容器”として機能するのだと思います。
外来のキリスト教用語がそのまま使用されているので、傍目からは、あたかも現地人が丸っきりキリスト教化されてしまったように見えますが、
それはあくまで見かけ上の話であり、実は、現地人にとって、キリスト教は、それまでの宗教活動の延長であったりするのではないでしょうか。
まあ、その“容器”の大きさが、キリスト教と聖書の懐の広さとも言えるのでしょうけれど…。

それで、しばしば、キリスト教は、土着の宗教のリバイバル(再生)の手段として受容されることがあります。
あるいはまた、キリスト教への改宗は、土着の幾つかの共同体を結合させるきっかけともなります。
新たな接着剤としての役割です。
ですから、特に“生まれ変わり”や再活性を待ち望んでいるようなところでは、キリスト教は歓迎されると思います。
まあ、一種の“テコ入れ”でしょうね。
とはいえ、そのテコ入れは、ときに過激な仕方で現出し、先人の神々を悪魔と見なして否定するという形をとって表れることもあります。
そうしたときに、いわゆる「キリスト教による土着の文化の破壊」が認められるわけです。
>>126>>127>>139>>141>>144などは、そうしたキリスト教の役割を指摘している発言だと思います。
227KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/24(月) 02:31:31 0
歴史の話から少し逸れますが、「心と宗教」板に、■マザーテレサ「神の沈黙と不在」に絶望 ■というスレがあるのですが、
そこを読んでみると、不思議なことに、皆一様に、「マザー・テレサは善女だった」と語っていますね。
「彼女の善行に限って、裏はなかったはずだ」、「やはり他の修道女とは違う」、「彼女の無私の愛はホンモノだ」という意見がほとんどです。
なぜ、あそこまで「テレサ善人説」に確信をもてるのか、私には分かりません。
政治家の活動の魂胆は疑って、マザー・テレサの活動の魂胆は疑わない…、この差は何なのでしょう?
そこに、どんな判断基準が作用しているのでしょう?
私は、彼女の人生について何も知りませんが、彼女がロレート修道院を飛び出した動機を疑おうと思えば疑うことはできます。
私は彼女を、悪女だとコキ降ろしたりはしませんが、反対に、善女だと賞賛することもしません。

多くの人があそこまで彼女を理想化するのは、やはり、カトリックの宣伝効果によるのでしょう。
しかし、そのテレサをも上回って、史上もっとも巧く宣伝されたのは、他ならぬイエスではないでしょうか。
彼こそ、もっとも盛んに宣伝された男であり、それゆえに、もっとも人々の間で理想化されている男です。
皆がテレサを「善女であった“はず”だ」と仮定するように、イエスについても「彼は善男であった“はず”だ」と仮定するのです。
そうでなくても、「彼らは他の人々と何か違ったはずだ」という意識が、人々の間に常に働いています。
そして、教会の宣伝から離れて、彼らを評価することを、人々は“いぶかる”のです。
政治家の魂胆を疑うことは非難されなくても、イエスやテレサの魂胆を疑うことは非難されるのです。
228世界@名無史さん:2007/09/24(月) 12:20:31 0
マザー・テレサが貧者病者の救済で生き甲斐と喜びを見いだしていたのなら、その人なりの生き方に合致していて良い生き方だと思うが、
精神の暗闇とか絶望を漏らしているところを見ると、生産的な喜びの感情とかはあまり感じていなかったということなのでしょうかね?
もし、不安や過剰な同情心に駆られて生涯を自己犠牲と献身に捧げたのだとしたら、「善い」人であっても本当に「良い」生き方をした人とはとても言えませんね。
229世界@名無史さん:2007/09/24(月) 12:38:05 0
日本人がキリスト教や西洋の文化について学ぶ意義というのはなんでしょうね?
230世界@名無史さん:2007/09/24(月) 12:47:18 0
勝ち
231KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/24(月) 13:33:23 0
>>229
「極東のニッポン」といっても、歴史を振り返れば、西洋諸国とはタイトな関係を築いてきたので、西洋文化の理解は、自己理解に繋がると言えると思います。
特に、西洋文化の流入が激しかった明治、大正、昭和において、近代日本国家の枠組みが出来上がっただけに、我々とは無関係でないと言えます。
また「日本人」というアイデンティティーは、それの反対にある「他者」(日本人以外)によって規定されるのであり、その意味で、他者理解としての西洋理解は、自己理解と関係あるでしょう。
もちろん、日本という名で呼ばれる島国に閉じこもって生涯を終えたい、と思う人に、西洋理解は無用かもしれません。
しかし、日本を飛び出し、アメリカやヨーロッパに渡って、そこの人々と接触したい人は、そこの人々の文化を学ばなくてはならないでしょう。
キリスト教が、彼らの法律、道徳、言語、制度などにどれほどの影響を与えたかを考えれば、キリスト教の知識が必要不可欠であることが分かります。
さらに、そのキリスト教は、中東の一地方であるパレスチナ地方で産声を上げたのであり、その土地で長らく信仰されてきた、ユダヤ教を含むセミティックな宗教への理解も同時に必要となってきます。
以上のような視点から、キリスト教、ユダヤ教を学ぶ意義を見出すことができると思います。

あと、日本人は、キリスト教文化圏に属していないので、偏倚なしにキリスト教を見つめることができると思います。
教会に通い、イエスに何か特別な思いを馳せる“義理”がないので、冷ややかに聖書を読むことができます。
キリスト教、イスラム教については、ある種、言いたい放題です。
ヤジを飛ばせるのは外野席の特権です。
西欧圏では、そうはいきませんからね。
その意味で、日本は恵まれているかもしれません。
232世界@名無史さん:2007/09/24(月) 19:39:59 0
    BC60−AD_0死海文書のころ(クムラン宗団・エッセネ派)

イエス BC06−AD33年(誕生−十字架)

ペテロ パウロから見ると、別のイエスを語る。人間イエスを語る。

サウロ この道の者を迫害する(サウロあらためパウロ)
    生前のイエスがドウであったかは語らない。十字架と神イエスを語る。
    十字架と復活と福音。
    偽りの人説。

パウロ AD36−AD64年(活動時期)
    AD49年 キリスト教徒の名が初めて記されたローマの記録

    AD50−55年 パウロの書簡・教会宛の手紙(パウロ文書)
    AD64 古マルコ・Q資料・トマス福音書・イエスの発言集(マルコ福音書)
    AD64−70 福音書・使徒言行録・いわゆるイエスと使徒の伝記(ルカ文書)

    AD73 マサダ要塞陥落・ガリラヤ降伏・ユダヤ戦争終結
     ユダヤ滅亡(ユダヤ教サドカイ派・ゼロテ派・エッセネ派)

    AD70−90 ヘブライ語の旧約聖書39巻選定(ユダヤ教パリサイ派)(マタイ福音書)
    AD90-150 使徒教父の文書(ヨハネ文書)
     クレメンス
     イグナチウス
     ポリュカルポス
     パピアス
     黙示文学(ヨハネの黙示録)

    AD144(マルキオンのパウロとルカ文書からなる10巻聖書・初の新約聖書)
     グノーシス文書全盛(ナグ−ハマディ文書)
233世界@名無史さん:2007/09/24(月) 19:46:03 0
創世記(カナン・パレスチナの創造神話・・・アダム(人類の発祥・・・)ノア(洪水物語・・・))
 アブラハム(ヘブライ人の族長・その名は「多くの父・高き父・愛される父」
__↑____親戚ロトにまつわる話・ソドム−ゴモラの滅亡・・・
__↑____エルサレムの祭司メルキゼデクのパンとブドウ酒・10分の1・・・)
 イサク(その名は「笑い」)
__↑
ヤコブ(別名:天使に勝てる者・イスラエル)
__↓
ヨセフ(入エジプト・エジプト宰相・・・)
モーセ(出エジプト・モーセ五書[レビ・アロン祭司と十戒の・・・])
ヨシュア記(師士はモーセの後継者)ヤショルの書
師士記(対ペリシテ・パレスチナ)__↓
ルツ記−−−−サムエル記−−−ヤショルの書
 人間としての_メシアとしての_???
 ダビデの出生_ダビデの即位__???
__↓
ダビデ王(古代ヘブライ統一王国の成立)(詩篇)
ソロモン王(ダビデの子孫・シバの女王)(箴言・伝道の書)
列王・歴代誌(預言者エリヤ・エレミヤ・イザヤ・・)
バビロン捕囚(哀歌・ダニエル(バビロン宰相・・・))
バビロンから帰還(エズラ&ネヘミヤ(ペルシアが任命した州知事&書記)・エステル(ペルシア王妃))
__↓
死海写本・・・
__↓
新約聖書・パウロの手紙(教会の兄弟・長老などへの指示・諭し・・・)
新約聖書・福音書(イエスの記録)−使徒の手紙(12弟子・主の兄弟の)
新約聖書・黙示録
234世界@名無史さん:2007/09/24(月) 19:58:54 0
>>214
キリスト教とウリスト教を一緒にいたらあかんよ。
ウリスト教は層化みたいなもんやから。
235世界@名無史さん:2007/09/24(月) 20:02:22 0
権威の変遷と聖書の普及

権威は「ペテロから継承した儀式」カトリック教会
 ↓
権威は「公会議決定」東方正教会(教区による東西の分離)
聖職者任命で
ローマ教会と第2ローマのビザンツ教会(第3ローマのロシア正教会)に分離
 ↓
権威は「新旧66巻聖書」プロテスタント教会(教区による教会の分離)
ローマ教会の教区内の聖職者任命で
イギリス国教会(アングリカン派)・ドイツ諸邦教会(ルーテル派とカトリック派)・
スウェーデン国教会(ルーテル派)・プロイセン内の教会(ルーテル派と改革派)・
スイスの各州教会(改革派とカトリック派)・チェコの教会(改革派)・
スコットランドの長老教会(改革派)・オランダ国教会(改革派)などに分離
 ↓
市民革命と国民教育により国割り・州割り・教区割りに関係なく
自由に個人で教派や教会を選んで信仰できる時代になる。
民族主義教育で教会を選ばせない逆行する信仰も反動で現れる。

---------------------------------------------------------------------------------
聖書は羊皮紙やパピルスの写本に手間が掛かり多くは作れず
限られた聖職者しか読めず表向きラテン語だけ・カトリック教会の時代
 ↓
聖書は印刷技術とヘブライ・ギリシア語から母国語に翻訳する事により
多くの聖職者や金持ち王侯が読めるようになる・プロテスタント教会の時代
 ↓
聖書は更なる製本の大量生産技術の発展や
学校教育人口の増大で解説書の普及と外国語翻訳の多様化で
一般の庶民にまで読めるようになる・大戦後の福音派教会の時代
 ↓
異端審問などなく
聖職者任命も問題にならず無教会派まで生まれる。
236世界@名無史さん:2007/09/24(月) 20:07:28 0
【 福音派の系譜 】

カトリック→聖公会→メソジスト→ホーリネス→ペンテコステ→アッセンブリ・オブ・ゴッズ
カトリック→聖公会→メソジスト→ホーリネス→福音的クェーカーやメンノナイト
カトリック→聖公会→メソジスト→ナザレン(ウェズリー回帰)
カトリック→フランス革命・ナポレオンの政策?→フランス自由福音教会
カトリック→カルバン派→ニューヨーク改革派→エヴァンジェリカル・アライアンス(超教派国際協力)
カトリック→プロイセンのルター・改革派合同(英バプテスト・メソジスト?)→ドイツ自由教会
カトリック→オランダ改革派→スコットランド国教会(長老教会?)→スコットランド自由教会
カトリック→オランダ国教会(オランダ改革派?)→オランダの分離運動・ヘルフォルムデ教会
カトリック→スイス国教会(カント(州)毎のカルバン派教会)→スイス自由教会
カトリック→スウェーデン国教会(ル−テル教会)→アメリカ・カベナント教会→日本聖契教会
<聖契教会: いのちのことば社の聖書辞典の編者や注解書の一部筆者の所属>

【 ピューリタン他派の系譜 】

カトリック→聖公会→メソジスト(オックスフォード大のウェズリーによりフス派の影響で成立)
カトリック→聖公会→メソジスト→インマヌエル
カトリック→聖公会→メソジスト→救世軍
カトリック→聖公会→メソジスト→ホーリネス

カトリック→聖公会→英国バプテスト→オランダ・バプテスト→米国バプテスト(メイフラワー号)

カトリック→ドイツ改革派→オランダ改革派?→アメリカ改革派
カトリック→オランダ改革派→スコットランド長老教会?→アメリカ長老教会
237世界@名無史さん:2007/09/24(月) 20:09:20 0
【 来日宣教師 最初の10人 】
横浜のヘボン先生 杉田幸子 いのちのことば社 ¥1600E+税
p30☆来日宣教師 最初の10人☆(すべて米国ミッション)
来日年月__________氏名_________所属教派______任地
1859年(安政6)_5月_J.リキンズ_____聖公会_______長崎
1859年(安政6)_6月_C.M.ウィリアムズ_聖公会_______長崎
1859年(安政6)10月_J.C.ヘボン____長老教会______神奈川
1859年(安政6)11月_S.R.ブラウン___改革派教会_____神奈川
1859年(安政6)11月_D.B.シモンズ___改革派教会_____神奈川
1860年(万延元)_4月_J.ゴーブル_____バプテスト伝道協会_神奈川
1860年(万延元)_4月_E.シュミット____聖公会_______長崎
1861年(文久元)11月_J.H.バラ_____改革派教会_____神奈川
1863年(文久3)_5月_D.タムソン_____長老教会______横浜
p118 ヘボン博士1815年3月12日アメリカ−ペンシルバニア州ミルトンに誕生
※ 米国長老教会所属。
238KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/24(月) 23:10:49 0
>>232>>233>>235>>236>>237
これは意外に分かり易い年表ですね。
作るの、結構大変だったでしょうに…。
今後、使わせてもらう機会が結構あるかもしれません。

>>234
私は、ウリスト教とキリスト教に大した違いはないと思っています。
韓国人がキリスト教の神話に魅了されたように、キリスト教徒もユダヤ教の神話に魅了されました。
そしてどちらも、他人の神話を“ハイジャック”したのです。
そして創価学会のように、キリスト教も世俗の権威に擦り寄りました。
どの宗教も、基本的に、似たり寄ったりではないでしょうか?
239世界@名無史さん:2007/09/25(火) 03:56:27 0
隣人を愛せよ、だからな。ともかく強制的にメイク・ラブする。
韓国にしても、ボスニア内戦にしても、キリスト教徒はレイプする。
240世界@名無史さん:2007/09/26(水) 01:10:12 0
クリスチャンの皆さんに質問があります
これは誰のオマxコなのか教えてください

    \     毛       /
  腿  \_  |   _/
          彡彡彡
          ミミミミ クリトリス
         ミミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄
         ノ σ ヽ 尿道
       / / ゚ヽ ̄ ̄ ̄ ̄
大陰唇 / //\\ \ 
 ̄ ̄ ̄ ̄  ( (´・ω・`) ── イエスキリスト
      \ \\// /
         `   \/  '
\         *──アナル
  \_____/\_____/./.
241世界@名無史さん:2007/09/26(水) 01:39:34 0
>>238
ずっと気になっていたんだが、おまえさん、何だかキリスト教を客観的にと言いながら、
なんとなく、特定アジア的というか、儒教的・朱子学的な「臭い」がするんだよなあ。
一番気になったのが、
ヨハネパウロ2世がユダヤ教徒を「兄」と呼んだと言って大喜びしているところ。
多分イタリア語で言ったのだと思うが、欧州の言語には兄弟に年齢序列はつけないわけで
「フラテッロ」と言っただけだと思うんだが。
これはフラットな関係であって、上下関係はどこにもないよ。
俺も原典にあたったわけじゃないから、これ以上のことは言えないが。

もし、儒教的な世界観での「無神論的発想」でキリスト教を批判するなら、
それは精々新井白石未満で終わってしまうよ。
神の前での平等を持ち出すことにより、人の群れが持つ「サル山的な序列」を叩くという、
重要な意義が、儒教的発想では全く見えてこない。
242世界@名無史さん:2007/09/26(水) 01:46:19 O
>>363
ピカチュー大将軍の弟か従兄弟あたりじゃね
んで、トリスタンとラウニィーの情事を見て
くそーラウニィーとズッコンバッコンズッコンバッコンピュピュッピュピューってしてー
って思ってそれを実行しようとしてトリスタンに見つかってランスロットとカノープスとウォーレンと
ミルダスとギルディンとデネブが呼ばれてヴォラックは捕まってしまって地下の拷問室で
毎日毎日肛門にカボチャ入れられたりミルダスとギルディンとの3Pやったりランスロットのロンバルディアで
キンタマ1個取られたりウォーレンの占星術で不吉な予言を毎日聞かされていたぶられて
ヴォラック・カタタマ、ウィンザルフになってしまってゼノビアとかに居れなくなって
復讐してやると思ってローディスに行ってバールゼフォンに「うほっいい男」って言われて
お尻合いになってしまってそのままテンプルコマンドになったんだと思う
243KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/26(水) 05:39:58 0
>>241
イタリア語の解説ありがとうございます。
私にとっては、ヨハネ・パウロU世が、ユダヤ教徒を“親しみ”を込めて「兄」と呼んだという事実だけで、批判の対象となります。
たとえキリスト教徒が、ユダヤ教徒に敬意を払わなくとも、彼らを対等な地位に引き上げようとしただけで、私にとって、それは瞠目すべきことです。
確かに私は、>>122で、そのエピソードのことを、「感心してしまう美談」、「さすが、ヨハネ・パウロ二世!」と 評価しています。

しかし、それは、私なりの、カトリック教会への“当てこすり”であり、“嘲り”です。
というのも、それまで教会は、ユダヤ人のことを“豚”同然とみなし、キリスト殺しのレッテルを貼って、殺意にも似た敵意を剥き出しにしてきたからです。
それが今さら、「兄」ですと? 本当は「豚」と罵りたいくせに…。
その変わり身の早さ、いえ、物忘れの酷さを揶揄して、私は「大喜び」して見せたのです。
現に私は、その直後で、「それを「詭弁」として鼻で笑う」と書いています。
私の「大喜び」の真意は、>>104>>109からも読み取れると思います。
決して、儒教的な価値観から、ヨハネ・パウロU世の発言を喜んだのではありません。
むしろ、反ユダヤ主義という、キリスト教が先天的に持つ価値観に乗っかって、彼の発言を評価したのです。

あと、私はこのスレで、平等主義や無神論主義の優越を説くつもりはありません。
儒教や朱子学が、他の思想と比べて優れているとも思っていません。
と同時に、キリスト教が平等と平和をもたらす宗教であると宣伝するつもりもありません。
私は教会の広報担当ではないのです。
244世界@名無史さん:2007/09/26(水) 12:41:27 0
キリスト教は一見中東の宗教のように見えますが、実際は西洋の宗教なのでは?
中身はほとんどギリシア哲学だし、西洋的な二重の社会構造(上層に自由な人間がいて、
下層に奴隷的な者たちがいる)に合うような形になっているし。
245世界@名無史さん:2007/09/26(水) 17:44:01 0
>>243
今までユダヤ教徒を「豚」のように見なし、迫害を続けてきたキリスト教が、手のひらを返して彼らのことを「兄弟」と呼ぶことで、キリスト教は自らが「豚」であることを図らずながらも証明した・・・

きつい揶揄になってしまいましたかね?
246世界@名無史さん:2007/09/26(水) 19:08:27 0
>>244
カトリックの組織と教義は、ミトラ教のものをほぼそのまま真似して使っているそうな。
247KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/26(水) 21:18:20 0
>>245
>キリスト教は自らが「豚」であることを図らずながらも証明した・・・。

うーん…、かなりドぎつい皮肉ですね。
でも、この私はキリスト教徒のことを「豚」呼ばわりしません。
私は、キリスト教徒ではないのです。
だから、彼らのマネをして、他人を「豚」と呼ぶことはしません。

実際、カトリック信者もプロテスタント信者も、ユダヤ人のことを「豚」と読んできた過去があります。
特に、中世から近代にかけてのドイツのクリスチャンたちの間で「ユーデンザウ」(Judensau)という言葉が使用されました。
これは「ユダヤの雌豚」(英;sow)という意味の、完全なる蔑視用語で、今これを欧米圏で口にするとタイヘンなことになります。
しかしかつては、ヨーロッパの幾つもの教会の装飾壁に、「雌豚の乳を吸うユダヤ人」をモチーフにした彫刻が彫られたのです。
現在でも、我々はそれを、歴史の負の遺産として、目にすることができます。
こうしたユダヤ人への蔑視を土台に、かつての教皇は、ユダヤ人を追い立てたのです。
それが数百年後には、かつて「雌豚」呼ばわりしたユダヤ人に向かって、「兄弟よ」などといけしゃしゃあと呼びかけるのです。
「兄」は「兄」でも、内心では、「神の子を拒否した“愚兄”」とでも思っているのでしょう。
248245:2007/09/26(水) 21:55:54 0
>>247
いやあ、単にひらめいて冗談半分で書き込んだのです・・・どぎつい冗談半分ですが。
個人としてのキリスト教徒じゃなくて、キリスト教の負や暗黒面を「豚」と比喩してみたわけです。さすがに個人を指さして豚と言うのは気が引けます。

キリスト教と反ユダヤ主義についてですが、スペインでユダヤ教からキリスト教に改宗した人のことを「マラノ」と呼んだのですが、これは「豚」を意味するのです。
また、14世紀にペストが大流行したのですが、その時にペスト蔓延の原因はユダヤ人だというデマというか迷信のようなものが流れ、ユダヤ人が迫害されました。
しかし、その時期の教皇には、迫害されるユダヤ人を保護した教皇もいます。
249245:2007/09/26(水) 22:06:16 0
しかし、ヨハネ・パウロ2世は、ユダヤ教徒のことを「愚兄」などと思っていたのでしょうか?
ちょっと信じがたい気もしますが、もしそうならキリスト教の反ユダヤの歴史以前に、偽善発言になってしまいますね。「いい度胸だな」という言葉が、褒め言葉ではないのと同じように。
ひょっとしたら、機嫌とっておいてこっちに有利になればいい、だなんて魂胆があったのでしょうかね?
しかし、現代においてもキリスト教の反ユダヤ感情とはそんなに根強いものなのですか?
250世界@名無史さん:2007/09/26(水) 22:23:13 0
他人を最初に豚呼ばわりしたのは、イエスである。
251世界@名無史さん:2007/09/26(水) 22:31:20 0
諸君民衆は豚だ。
252KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/26(水) 23:47:19 0
>>248
「マラノ」が、キリスト教徒に改宗せざるを得なかった“隠れユダヤ教徒”を指す言葉である、ということは知っていましたが、
その言葉自体に、「豚」という意味があることは知りませんでした。
これは、ユダヤ教、キリスト教双方にとっての暗い歴史となっていますね。

確かに、一部の教皇は、ユダヤ人を救ってやったということも併記しておかねばならないでしょう。
パウロV世とか、ユリウスV世がそうであったそうですね。
ただし、彼らのそうした保護が、人道的な動機に基づいているかどうかは疑わしいです。
やはり、教皇庁の対ユダヤ人政策は、「保護」ではなく、「迫害」によって特徴づけられると言わざるを得ないでしょう。
ちなみに、私は、博愛主義の象徴として崇め奉られている、フランチェスコ会までもが、反ユダヤ主義であったということを知った時には、
驚いたのと同時に、「ああヤッパリな」と納得してしまいました。

キリスト教は、キリスト教である時点で、反ユダヤ主義から逃れられないのだと思います。
253245:2007/09/27(木) 00:25:29 0
そもそもユダヤ教は偶像崇拝を認めませんから、個人を神だの神の子だのいうことは十戒に違反することになりますよね。
キリスト教もそうであるはずですが、ナザレのイエスだけは例外。
というか彼が神の子で救世主であることがキリスト教のキリスト教たる所以なので、彼は一介の人間であると認めることはできません。
つまり、各教義の根本的なところで相違が発生しているから、キリスト教は反ユダヤになってしまうのでしょうね。

ところで、ナザレのイエスが神の子だと自称していたのでしょうか?
仏教だと釈迦が生誕時「天上天下唯我独尊」と言ったとありますが、釈迦は無我を唱えた人なので、こんな我を強調するようなこと言うなんておかしいですよね。多分、弟子や信徒が神格化したかったのでしょう。
同じように、イエスも、パウロや十二弟子によって神にされてしまったのではないでしょうか?
だいたい古代イスラエルにおいて神の子を自称すると言う行為は自殺行為です。神への冒涜ということで石打ちにされてしまうのでは?
254世界@名無史さん:2007/09/27(木) 01:56:39 0
>>253
イエスは、「私は神の子。神の座の右に座る。アブラハムより前からいた」
などと言っていますね。「父なる神の冒涜罪」として処刑されたのは当然の
こと。「人類の罪を贖う」などという意図は、イエスには毛頭ありませんでした。
255世界@名無史さん:2007/09/27(木) 02:44:00 0

エロ好きの神父がつこうた


仁義なきキンタマ ウイルス情報 Part60
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/download/1190399151/214

214 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2007/09/26(水) 21:31:55 ID:op0thXrd0
[殺人] Ishiguro Hitoshi(20070925-214648)のキンタマ.zip fiDtbRCFtE 6,918,519 15e09f55855923d9da622bbe6be00c13
金沢キリスト教会(横浜市)GOSPEL LIVE2005新来者リスト(名住電生年月日)21名分とか
神に仕えし汝は何を求む
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215 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2007/09/26(水) 21:37:42 ID:v5kNbNlr0
>>214
懺悔しないといけないなw





256世界@名無史さん:2007/09/27(木) 13:07:37 0
>>253
仏陀が否定した「我」はアートマンであって、
ふつうの意味での我(「私」)ではないかと。

天上天下唯我独尊の意味は「この大宇宙で、唯一我々人間だけにできる尊い使命がある。」
という意味だそうなので、アートマン否定とは矛盾しません。

まぁ、後付設定のセリフではあります。
>>254
そのセリフも本当にイエスが言ったんでしょうかね。
257KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/27(木) 18:59:54 0
>>253
>だいたい古代イスラエルにおいて神の子を自称すると言う行為は自殺行為です。

紀元前のユダヤ人たちの間に、「神の子」という概念があったことは、各ユダヤ教文書から確認されます。
しかも、その用語は、ただの人(超人や王、霊的存在ではない)に使用されています。
しかし、文学作品の中である人物を「神の子」として描くのと、現実世界で、大衆の面前で「オレは神の子だ!」と“自称”するのとでは訳が違います。
ユダヤ人たちの間で「神の子」という言葉は、君主、神の加護を受けた人などの意味で理解されたと思われますが、それは通常、自称するものではありません。
それを自分だけに適応することは、他のユダヤ人を押しのけることになるからです。
そんなことをしたら、タダでは済まされなかったと思います。
殺されはしなくとも、少なくとも、誰からの信用も得られなくなるでしょう。
もしイエスが、ヨハネ8章42‐58節の内容を本当に口にしたとして、一体誰が彼の後についていったでしょうか?
また、イエスが「神の子」を自称する必然性が、いまひとつ不明です。

私は、イエスは「神の子」を自称しなかったと思います。
それは、上に述べた現実的な不整合の問題があるからだけでなく、初期のイエスの資料である『Q』に、それへの言及がないからです。
彼自身は、自らを「神の子」とは見なしていなかったでしょう。
それは、間違いなく、後代の、イエス・グループによるでっち上げです。
258世界@名無史さん:2007/09/27(木) 20:27:38 0
へえ、神の子には神のご加護を受けた人という意味があったのですか。
ヨハネ8章42−58節に目を通してみましたが、ユダヤ人がイエスに「あなたは悪霊にとりつかれている」とか言っていますね。無理もない反応です。
それに似たような、イエスが言ったとされるトンデモ発言にヨハネ6章35−65節があります。こんな話を聞かされた人はカニバリズムまがいの話に呆れ返ったことでしょう。
259世界@名無史さん:2007/09/28(金) 00:09:58 0
>>258
イエスは完全な精神病者、「サイコパス」ですね。キリスト教とは、イエスの
精神病の集団的一大感染という、精神医学的現象以外には考えられない。

精神病は感染する(感応精神病)。
260KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/28(金) 06:21:28 0
>>258
紀元前〜後に書かれたユダヤ教文書の中に、『ヨセフとアセナト』という文学作品があるのですが、そこに「神の子」(「神の子ら」)という語が出てくるのです。
そこでは、「神の子ら」は、神によって命を養われ、神の保護の下に暮らすことになっています(ホセア2:1)。
ただし、この「子ら」は複数形なので、特定の単一人物を指す称号とは言えないかもしれません。

それよりも、注意を引くのは、ヨセフが「神の子」(初子)と呼ばれていることです。
彼は「霊者」ではありませんが、神の特別の恩顧を受けた者として、あるいは高貴で優秀な人物として「神の子」と呼ばれているのです。
またその中では、ヨセフの許嫁も「神の娘」と呼ばれています。
まるで、神の子の“大安売り”です。
したがって、当時のユダヤ人(地域限定かもしれないが)の間では、現実の人間を「神の子」と呼ぶ場合があったと言えます(ただし文学作品の中で)。
これは、当時の「神の子」理解に多様性があったことを示しています。

とはいえ、文学作品の中で非現実の人物を「神の子」と呼ぶのと、現実世界で「オレ様は神の子なり」と宣言するのとでは、歴然たる差があるでしょう。
イエスについても同様で、やはり彼も、後代の文学作品や伝承の中で「神の子」と呼ばれたのであり、現実に自称したのではないと思います。
ヨセフが神の子でないにもかかわらず、神の子に格上げされたように、イエスも神の子に格上げされたのでしょう。
上で示した、当時の神の子理解の多様性を鑑みれば、タダの人イエスが、「神の子」に仕立てられても何ら不思議ではありません。
イエスに着せられた「神の子」の称号の意味にも発展段階があったと考えたいです。
261世界@名無史さん:2007/09/28(金) 18:51:16 0
強弁もつづければ真実。
ヤっちゃったものを、「婚前交渉なんかしてない!」と言い張って、
デキ婚なのに「この子は神の子」だもんな。
262KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/28(金) 18:59:20 0
>>258>無理もない反応です。
私は、ヨハネ福音書に詳しくないのですが、この書で印象的なのは、読者の反応が先取りされていることです。
この書の筆者は、読者の反応を、イエスの発言に対する聴衆の反応に重ね合わせて、“牽制”しているのです。
つまり、筆者自身が、すでに、イエスの発言が荒唐無稽であることを認識しているのです。

■6:41−47.
イエス「私は天から降ってきたパンである」。
聴衆…『これはヨセフ(人間)の息子ではないか』。
イエス「信じる者が永遠の命を得る」。
■6:51−58.
イエス…「パンとは、私の肉のことである」。
聴衆…『どうやって自分の肉を食べさせるのか』。
イエス…「食べれば永遠の命を得る」。
■6:60−64.
聴衆…『実に酷い話だ。だれが聞いていられよう』。
イエス…「中には信じない者もいる」。
■6:66−68.
多くの弟子がイエスのもとから離れる。
ペテロ…「私は信じる」。
■20:25−29.
トマス『私は実際に見なければ、決して信じない』。
イエス「見ないのに、信じる者は幸いである」。

上記の聴衆や弟子たちやトマスの反応は、我々読者の反応と一緒です。
面白いのは、当時の人々も、何かを信じるにあたっては、現代人と同様に、五感で認識できる物的証拠を要求したということです。
イエスの物語や教えに接して、「あり得ない」、「見なければ信じない」という反応を示した人は少なくなかったのです。
そして、ヨハネの筆者も、それを重々承知していたのです。
20章29節の、イエスのトマスに対する言葉は、懐疑的な読者に対する“イヤミ”以外の何物でもありません。
問題は、どうしてこれほど荒唐無稽な物語を、ヨハネ共同体のメンバーはあえて受け入れたのか?ということです。
彼らは、それを荒唐無稽であると認識していたのにもかかわらず…。
263KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/28(金) 19:35:42 0
>>259>>261
たしかに、現代人の我々にとっては、イエス運動に見られる彼らのイエス理解は、愚かしく、ギョッとさせられるものかもしれません。
しかし、意外にも、彼らは冷静であったのではないでしょうか?
彼らは、自分たちの信じていることがネタであると、理解していたのではないでしょうか?
「ネタにマジ」になって、冷静さを失っているのは、むしろ後代のキリスト教徒ではないかと思います。

初期キリスト教徒たちは、決して、バカなのでも、サイコパスだったのでもなく、エクスタシーや幻、個人的な宗教体験にのめり込む変わり者でもなかったのです。
彼らは、意図的に荒唐無稽なストーリーを捻り出し、それを“信じてみる”ことによって、独自のアイデンティティを形成したのでしょう。
福音書やその他の文書に見られる突飛な発想は、混沌の時代に生きた人々の、自己認識を伴った創造活動だったのです。

264KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/28(金) 19:52:53 0
>>263のつづき。

>>152
>ヘシオドスは『神統譜』『労働と日々』の 内容をそのまま信じていたわけではなく、人生の意義を語る寓話として古代からの伝承を受容していたという。
>神話は本来、この世界の起源を人々に説き明かすものであった。古代の儀式は世界の起源を反復し、再創造することによってこの世界を維持するための聖なる営みであった。

上記の意味で、初期のイエス運動は、一種の「神話創造」の一環だったのではないかと考えられます。
それは、自分たち固有の新たな起源を物語り、集団として進むべき道を示す、社会形成運動だったのです。
私は、キリスト教の起源をそのように思い描いています。
265世界@名無史さん:2007/09/28(金) 23:54:43 0
>>267
ヨハネの福音書や黙示録の作者が、「現実的で正常な精神の持ち主」であった
とは到底解されない。作者が、聴衆の「現実的で正常な質問」を掲げているのは、
むしろ作者が「本気で」それらの質問を論破できると思い込んでいたからで
ある。そして、現代のすべてのクリスチャンは、程度の差はあれ、ヨハネに
よってその現実性と正常性を破壊され、入信に至ったものである。
266世界@名無史さん:2007/09/29(土) 00:26:58 0
>>265は、>>262へのレスでした。

現代人としての常識を有する者が、ヨハネと黙示録のオカルト性の影響なしで
イエスを信じることは、不可能だと思います。
267KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/29(土) 01:20:22 0
>>265
初期キリスト教徒の第一の関心は、個人的な宗教体験を獲得することでも、人としての道を学ぶことでもなかったのではなかったと思います。
彼らが第一に関心を持ったのは、新たな集団、共同体の形成です。
それが、現代のキリスト教徒と違うところです。
社会形成の一環として、イエス運動を捉えないと、我々はキリスト教発展の歴史認識を誤ってしまうでしょう。

イエスを「神の子」であると考え出した最初の人物は存在したはずで、その人物なしに、イエスは神の子にはなりえませんでした。
では、この人物は、ある日突然、夢幻を通して、タダの人を「神の子」だと理解するようになったのでしょうか?
そうではなく、その人物は、既に知られていたイエスという人物を、どのように描き直すかで「頭を捻った」のです。
そこで彼が思いついたのは、イエスを「神の子」として描くということです。
彼は、夢枕でではなく、机の前で、イエスを神の子として捉えることに決めたのです。
その他にも、ユダヤ・ギリシア的な殉教者のイメージや、君主のイメージ、派の教師のイメージを借用して、イエス像を築こうとする者たちがいました。
彼らは誰もが、シラフの状態で、そうした発想を思いついたのです。

こうして次々に考案されたイエス像の下で、新たなグループが形成されていきました。
というよりも、新たなグループ形成のために、新たなイエス像を描く必要があったのです。
看板というのは、ド派手で、独創性のあるものの方が目立ちます。
「イエス」という看板は、そうした目的で、できるだけ派手に装飾されたのです。

ヨハネ福音書は、その看板に偽りなしということを申し立てるために、書かれたのだと思います。
私は、ヨハネの筆者を、頭のイカれた精神異常者としてではなく、口の巧い宣伝マンとしてイメージしています。
彼は、懐疑的な読者を論破しようとはせずに、「しるし」や「見なくても信じよ」という逆説でもって、読者に語りかけています。
この筆者が、この書の内容の発案者と同一どうかはわからず、本気で内容を信じ込んでいた可能性も十分あります。
まあ、現代では、シラフで虚偽を宣伝する方が、重い罪に問われるかもしれませんが…。

268世界@名無史さん:2007/09/29(土) 01:29:44 0
本邦でも、オウムとかパナウェーブとかライフスペースとか、いかにも怪しげな方が
宗教としてウケるじゃん。
ローマ時代もそうだったんではないの? オリンポスの神さんは日本の記紀の神さんに
似たような感じで薄味だ。
そこで、唯一絶対の一柱しかない神さんとか、処女懐妊だとか、デンパ飛ばしまくった
ところがウケたんだよ。
269世界@名無史さん:2007/09/29(土) 05:27:30 0
宗教の場合誰もが嘘だと思うことが書いてあったほうが、信者は開き直って強く信仰出来る物だしね。
ローマの多神教は、あまりに常識的だった。常識は「俺たち信者だけがこの事信じてる!」みたいな
密やかな快感を与えない。
270世界@名無史さん:2007/09/29(土) 05:43:39 0
近代に入るまで事実と空想の境界は曖昧なわけで、現代的な意味で
「現実的で正常な精神の持ち主」かどうかなど議論したところであまり意味はない。
現代人の感覚からすれば、近代以前の人間などみなオカルト狂い。
271世界@名無史さん:2007/09/29(土) 08:38:58 0
「大嘘」を奉るから、キリシタン大名にウケたんだよ。
その胡散臭いところが、九州の辺地に、な。

逆に、理性的な人には論破されてしまう。新井白石のようにな。
272世界@名無史さん:2007/09/29(土) 08:56:44 0
>>270
>現代人の感覚からすれば、近代以前の人間などみなオカルト狂い。

圧倒的大多数の生活者たちは、「現実的で正常な精神の持ち主」だったと
思いますよ。そうでなければ、そもそも生活は不可能ですから。古代人の
自然宗教は、生存のための彼らにとっての精一杯の「合理性・論理性・科
学性」の表れだった。

人類が、その発生以来現在まで存続し、ますます発展しているのは、宗教に
よってではなく、その生存本能のなせる業です。人間がみな熱心な宗教者で
あったら、人類はとっくに滅亡していたでしょう。

往時は精神医学が存在しなかったため、宗教者や預言者の精神異常が分から
なかっただけ。正常者が異常者によって影響される結果となった。「悪貨は良
貨を駆逐する」。
273世界@名無史さん:2007/09/29(土) 11:27:47 0
>現代人の感覚からすれば、近代以前の人間などみなオカルト狂い。
しかし、その現代日本が、オカルト集団だらけじゃん。
逝け駄教なんぞ、日本の政治を左右するほどのパワーだし。(w
テレビのゴールデンアワーで占い師が好き勝手なことぬかしてるし。(w
現代日本は原始人だらけ、ってか?
274KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/29(土) 12:14:18 0
>>278
自然科学が発達し、人類の起源や自然の営みが体系的、合理的に説明されるようになった現在でも、不合理で怪しげな教えに帰依する人がいるのは、確かに不思議です。
おそらく、そうした人たちは、自分たちがどこから来て、どこに向かうのかということを知りたいのではないと思います。
それを突き詰めるために宗教をやっているのではなく、何か別の動機から宗教を信奉しているのでしょう。
その動機とは、もしかしたら、初期キリスト教徒たちと同様、どこかの共同体に属したい、というものかもしれません。
クリスチャンであれば、クリスチャンという共同体に属するために、キリスト教の世界観を受け入れているのです。
「イエスは神の子であり、処女から生まれ、死んで復活した」という教えへの帰依は、クリスチャンというグループに属するための“代価”なのだと思います。
この見方が正しければ、キリスト神話への信仰は、二次的な関心ということになりましょう。
275世界@名無史さん:2007/09/29(土) 13:16:53 0
キリストが起こした奇跡について「実は手品の一種だ。ただし、キリストは民衆を導く方便としてそれらを用いた確信犯(本来の意味)だったのだ」と主張する研究者ってそれなりにいるのかな。
一昔前なら異端者扱いだろうけど。
276世界@名無史さん:2007/09/29(土) 13:24:40 0
カソリックの十戒からは偶像崇拝の禁止が削除されていますが、これは聖書の改竄という大罪を犯していることになると思うのですが。
277世界@名無史さん:2007/09/29(土) 13:49:30 0
神の代理人がいいと言ったのだからいいのだ
278pppppp:2007/09/29(土) 13:51:12 0
>>199氏のレス ↑ では、少なくとも宗教団体のそれぞれの神・教義・真理?・・・
とかいうもので争うことは皆無になるし、政治にもサッターンにも悪用されなくなり
今よりずっと紛争も減り平和になり、皆の笑顔が増えるょn〜(*^ワ^*)

情けない、自画自賛、自演行為、追い詰めらると、いつも、これをやる。
あわれな、カルト宗教教祖。
名無しのコテをわざわざ入れるのも、コピペで便利がいいからさ。
情けない。
オウムの様な、自作自演カキコ、
きっと、情けない、御隠居は、自分でサリンを撒いて、アメリカ軍、キリスト教の攻撃だ!!!と騒いで、スレ主のカルト宗教組織の結束を固めようとするだろうね。
まことの世界平和は、世界人類で、御隠居の様な憎悪に満ちた人格障害の人物を治療できれば、世界が平和になるだろう。
御隠居の様な人格障害が治療されれば、

★ 中東紛争で泣く子供・女もいなくなるし争いも減るし笑顔も増えるし

★ 御隠居的人格障害の無い世の中、素晴らしい!!


【ピース】【ピース】【ピース】・・・・・(・∀・)イイ!!


【ピース】【笑顔】【ピース】が一番!! (*^ワ^*)/

そんまんまお返しさせて頂きますょw (笑
屁理屈の感情的憎悪ミエミエで、いちいちお相手してられません!
宗教にマイコンされると人格変容し、宗教が人生の目的となり倒錯する
今後、何言われても相手して下さい。カマッテチャンは時間があるし、自演熱心、暇人です。
279KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/29(土) 14:13:32 0
>>275
今となっては、実在したイエスが、奇跡あるいは奇跡まがいの手品を披露して、民衆を惑わしたと主張する学者はほとんどいないと思います。
イエスは、その類のパフォーマンスは一切見せなかったというのが、大方の見方です。
批判的な資料研究によって、福音書の奇跡物語は後代の加筆・付加であり、それはイエスそのものに遡るものではない、ということが確証されているからです。

しかし、これまでの奇跡物語の研究において、「イエスは“何か”やらかしたはずだ」という期待が秘められてきたのも事実のようです。
奇跡を信じない学者も、「イエスの奇跡は例外的であったはずだ」と期待し、イエスの超人性を否定した学者も、「彼を見たガリラヤ人はイエスを超人と信じ込んだ」と主張しました。
ヘレニズム・ローマ時代の奇跡物語を網羅的に研究した優秀な学者たちも、イエスの奇跡と、他の奇跡との“違い”強調し、イエスの奇跡の特異性を保護しようと努めました。
ヒドイ場合だと、イエスの奇跡を、現代の催眠術と結び付けようとする者もいました。
つまり、これまでの研究者たちの意識の片隅には、「イエスは、周囲の人々に、奇跡を起こした人物だと思わせる“何か”を持っていたはずだ」という前提があったのです。

こうした前提の誤りは、「イエスは民衆を導いた」という更なる前提の誤りによって導き出されていると思います。
また、福音書がイエスの生涯の断片を伝えているという前提も影響を与えています。
それら研究者らは、イエスの超人性や奇跡を否定したという意味では「異端者」だったかもしれませんが、イエスの特異性と優越性を信じ続けたという意味で、また福音書の歴史観を踏襲したという意味では「正統派」だったのです。
現代の批判研究においても、未だに、「イエスは革新的な人物だった」とか、「イエスは愛の本質を目覚めさせた人物だった」とか、「人々の蒙を啓いた人物だった」なとどいった期待の下でイエス像が描かれているのではないでしょうか?
それらの期待もやはり、かつての研究者たちが抱いた「イエスは“何か”を起こした男だった」という、イエスに対する特別な期待の亜流に属するのであり、決して異端的なのではありません。
280世界@名無史さん:2007/09/29(土) 16:43:11 0
史的イエス

信仰上のキリスト
281世界@名無史さん:2007/09/29(土) 16:52:10 0
愛は[神へと人へと]2つあるが神様が先。

神様を愛する。ドウ愛する。礼拝する。神に祈る。賛美します。
 人間が神様に出来るのは、賛美しかないから。
 赤ん坊は父親から手を握られてくるだけ、母親からおっぱいを吸うだけ。
 父親や母親に、笑顔で手振り嬉しがってほめる事しかできない。
 生きていられる人間として生まれている神の恵みを賛美するだけ。
 雨風に川の流れ・海の幸・山の幸・日差しなど神から頂くだけ。
隣人を愛する。ドウ愛する。お互いが生きられるように助け合う。

どういう神?父と子と聖霊が神。

隣人を愛するのに罰則はあるの。基本的に赦し合い。

http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=history&key=1119060431&st=324&to=345
282KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/29(土) 21:11:18 0
>>280
タダの人イエスが、「信仰上のキリスト」に変容していく過程を追うのが、歴史の仕事だと思います。
なぜ彼は、信仰の対象にされねばならなかったのか?
いつから彼は信仰の対象にさせられたのか?
誰が彼を信仰の対象にしたのか?
幾つもの、好奇心を掻き立てる問題が、我々の目の前に転がっています。
283世界@名無史さん:2007/09/29(土) 21:15:24 0
隣人を愛する=隣んちの嫁さんをかどわかす。
だから、十字軍の流行った時代には、貞操帯などというものが作られた。
寝取る方は法王のお許しありだから隣人を責めることは出来ない、でも、嫁さんを
寝取られるのは悔しい。
そこで、マンコに戸をつけて鍵をかけることを思いついた。
284KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/29(土) 21:38:49 0
>>283
>寝取る方は法王のお許しありだから…。

貞操帯の存在は知ってしましたが…。
「隣人を愛せ」という聖句を根拠に、不倫が奨励されていたというのは本当なんでしょうかね?
まあ、中世の教会の性に対する見方はかなり歪んでいたので、あり得ないとも言えなさそうですが…。

私が驚かされたのは、ユダヤ教徒にバッジの着用が義務付けられたという話です。
その理由は、クリスチャン売春婦への配慮からだというのです。
教会は、クリスチャンとユダヤ教徒の間の性関係を禁止しており、クリスチャン売春婦がユダヤ人の客を判別できるように、バッジを着用させたそうなのです。
それでももし、両者が関係を持ってしまった場合、ユダヤ教徒の方には、火炙り形が適用されることになっていたのだそうです。
こうした当時の教会の性に対する、曖昧で歪んだ姿勢は、現代人をうろたえさせます。
キリスト教における、その倒錯的、強迫観念的ともいえる、性に対する強い関心も、一つの研究テーマとなるでしょうね。
285世界@名無史さん:2007/09/29(土) 23:47:24 0
>>284
>>283の「隣人を愛せ」を根拠に不倫が推奨されたというのは、おそらく書き込んだ人間の戯れ言でしょう。

さて、キリスト教と性についてですが、情報源はどこだったかを忘れましたが、あるサイトで中世の結婚において禁忌とされた結婚の範囲が書いてありました。
男性Aと女性Bがいたとしましょう。AとBの血筋をさかのぼって7代以内に共通の先祖が1人でもいたら、結婚不可能です。
さらに結婚した後、そうであると判明した夫婦Cがいたら、その夫婦は強制的に離婚されます。
つまり14親等以内の人間同士は結婚できません。ちなみに現代日本の民法においては3親等以内の結婚を禁じています。また6親等以内が親族とされています。
時代や民族風習によって、禁忌はことなるものですが、この中世キリスト教の規定は異常だと思われます。従兄弟や又従兄弟と結婚してはならないというレベルではないのです。
7代前の1人の先祖のみが自分と共通で、あとは血のつながりのない人など皆目見当も付かないはずです。
このような規定を定めたのは、聖書の近親姦を禁止する規定に基づいてのことだということですが、聖書自体にはここまで禁止する規定はありません。3親等以内や義理の親子間の性交を禁じているだけです。
そのサイトの作成者も言っていたのですが、強迫観念に駆られてここまで強い規制を定めたようです。
286世界@名無史さん:2007/09/30(日) 02:02:33 0
東ティモールなんか見てると、国民はカトリックを拠り所にしてまとまろうとしているようだけど
宗教も国境も植民地支配していた国の産物。
外から与えられたものに依存してる人たちに少し哀れみを感じるな。
287世界@名無史さん:2007/09/30(日) 04:31:22 0
東ティモールはポルトガル支配のとき、白人と現地人の間に出来た
半白人が特権階級として君臨していた。だがインドネシアによる占領とともに
その特権は失われてしまったので、特権よもう一度と独立を主張し始め、
それにオーストラリアなど白人国家が賛同したというのが真相らしい。
だから東ティモールの指導者はポルトガル人の血を引いているものが多い。
288世界@名無史さん:2007/09/30(日) 05:08:28 0
東チモール事件は、「島民がインドネシアに苛められて可哀想とかの触れこみだった。
が、実態はこの島に石油が出るのを知った白人混血児と豪州が組んでインドネシア
から騙し取った詐欺事件だった。そうとも知らない日本の新聞は詐欺師の言うまま
人権問題として報じ、日本政府に四億ドルも追い銭を出させたものだ。」帝京大教授
高山正之「変見自在」週刊新潮平成17年(2005年)4月21日号144頁
http://pureland.exblog.jp/d2005-04-17
知恵と悪知恵の差 東ティモールの木阿弥
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/121216.html
東ティモールの虚構 ポルトガルの高笑いが聞こえる
http://kaz1910032-hp.hp.infoseek.co.jp/110925.html
「独立支援」の意味 東ティモールは「アラモ」だった
http://zeroplus.sakura.ne.jp/u/1999/0807.html
289世界@名無史さん:2007/09/30(日) 09:38:38 0
【 ピューリタン他派の系譜 】

カトリック→聖公会→メソジスト(オックスフォード大のウェズリーによりフス派の影響で成立)
カトリック→聖公会→メソジスト→インマヌエル
カトリック→聖公会→メソジスト→救世軍
カトリック→聖公会→メソジスト→ホーリネス
>>232-237

どういう神?父と子と聖霊が神。
>>281
290世界@名無史さん:2007/09/30(日) 09:40:27 0
■ 新約聖書の四福音記者・所属配下・所属教会
弟子マタイ・兄弟ヤコブの配下・ユダヤのエルサレム教会(監督1)
書記マルコ・弟子ペテロの書記・エジプトのアレキサンドリア教会(監督3)〜派遣でバビロニア教会
書記ルカ・使徒パウロの書記・シリアのアンテオケア教会(監督2)の医者・画家・秘書
長老ヨハネ・書記ルカの子弟・ギリシアの諸教会(スミルナ教会を含む)

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1168080655/768-770
291世界@名無史さん:2007/09/30(日) 10:53:00 0
わたしはあなたの主である。

わたしのほかに主があってはならない。
あなたの主の名をみだりに唱えてはならない。
主の教えを心にとどめ、これを聖とせよ。
あなたの生みの親、遺伝的な父母を敬え。
戦争時を除き犯罪者以外は殺してはならない。
強姦してはならない。
盗んではならない。
偽証してはならない。
他人の妻を欲してはならない。
他人の財産を欲してはならない。


この方が戒めとしてはわかりやすいよな
292世界@名無史さん:2007/09/30(日) 11:07:23 0
ああ、持ち主のわからない落とし物は拾った奴の物だ
293世界@名無史さん:2007/09/30(日) 11:43:44 0
こないだローマ行ってきて、すばらしいキリスト教の建築物に圧倒されました。
一方、カエサルの時代のギリシャ的な建築物は柱一本とか二本とかしか残ってなくて
なんじゃこりゃと思いました。これはキリスト教がギリシャ神話の世界を駆逐
した結果だと思うんですが、なぜ古代最強といわれたローマが、いきなり多神教から一神教へ鞍がえしたんでしょうか。
漫画世界の歴史には「ローマ軍遠征の際、空に十字の星が輝いたので、ためしにキリスト教の旗を掲げたら戦争に勝ったから国教とした」
と書かれていますが、うそ臭すぎます。
その後もドイツ王もオーストリア王もみんなキリスト教だし、なぜユダヤの民のためのキリスト教がここまで大きくなったんでしょうか。
294世界@名無史さん:2007/09/30(日) 12:45:06 0
いきなり一神教に鞍替えしたわけじゃないっしょ。
帝国が凋落しつつある頃でしょ、鞍替えは。
あんだけ広大な帝国を統一するには一神教は好都合だったんじゃないの?
ユダヤ教みたいな民族的な一神教でなく、民族を超えた一神教だからね。
まぁ、鞍替えするタイミングとしては、もう遅きに失したわけだけど。
295世界@名無史さん:2007/09/30(日) 12:55:54 0
中世初期に、まだ完全にキリスト教化されていない、
ケルト人・ゲルマン人に対して、キリスト教の伝道・布教を行ったのは、
どんな人たちだったの?

聖職者が直接おもむいて布教をしたのか、
兵士たちが聖書を押し付けたのか……。
296293:2007/09/30(日) 13:20:24 0
>>294
しかし、改宗するにしても、なぜ当時迫害されていたカルト集団、今で言うオウムみたいな扱いをうけていた宗教を選ぶんでしょうか。

297世界@名無史さん:2007/09/30(日) 13:24:22 0
ここはやっぱり良スレなんだろうな
298世界@名無史さん:2007/09/30(日) 13:32:45 O
431年のエフェソス公会議でネストリウス派が異端とされた後、エジプトとか東方属州を中心にキリストに神性を認める単性論が優勢となったのって、オリエントの風土が原因って聞いたんですがつまりどういうことですか?
299世界@名無史さん:2007/09/30(日) 14:27:13 0
>>263>>264
実は、キリスト教のそのあたりの根本教義は、
イエス存命中のオリジナルではないと言われているね。
元々中東の宗教的発想に存在していた元ネタを、
キリスト教が拝借した(ぱくった)というものらしい。
ただ、社会の骨組をどう組み立てて、
どのようなことを社会として「禁止するか」については、
それぞれ教義の制度的な意味があるので
それを無視して「デタラメを信じて、キショイw」というだけでは、
やはり清や江戸時代の儒者と同じ所から進めないことになる。
300世界@名無史さん:2007/09/30(日) 14:36:50 0
具体的に言うと、
まず、処女懐胎というのは、この社会的意義は明確。
結論から言えば、「ヨセフ一族」を作らない為。
ユダヤ社会は明確な父系で、新約冒頭にもある通り、
始祖からの血統が明確に意識されていた。
ここで、イエスを教祖とする宗教が立ち上がると、
系譜上イエスの親の一族にあたる「ヨセフ一族」が
血統上の宗教的権力を、イエスにたいしてそれも上位で得ることになる。
この特権一族の出現を阻止するために、イエスの父系系譜をゼロにした。
それが処女懐胎という神話。
キリストの復活昇天というのは、これに対をなす話で、
今度はキリストの明確な肉体墓を作らないというのが目的。
墓は、血統一族の重要な集合ポイントになる。
だから、ギリシアのポリスは部族制を解体して民主政を確立する際に、
まずは村の墓をみんなで暴いて壊すことから始めた。
イエスに妻子がいないとされていることも全く同じ。
301世界@名無史さん:2007/09/30(日) 14:46:36 0
つまり、いかにキリスト教が部族制体質を嫌っているかということがよくわかる。
これは、どうやらいくつかは反部族制的発想として中東に内在したらしいが、
ユダヤ人には受け入れがたいものだっただろう。
反部族制と言えば、むしろヨーロッパ的発想ではある。
これは俺の推測だが、
イエスという人自身を「神」に仕立て上げるというのは、
むしろヨーロッパの多神教的発想からの影響では無いかと思う。
それも、もともとの共和政的な、人々から神話で切り離された神というより、
ローマが帝政になってからの、皇帝崇拝的なルーズな発想だな。
皇帝崇拝発想を取りいれ、かつユダヤ的一神教を堅持し、
その上で反部族政的な平等社会を作ろうとするなら、
イエスを巡る非合理な特殊な神話は極めて有効なツールとなるだろう。

こういうことを見られず、キモイと言うだけでは話は進まない。
儒者たちは、イエスの神話を非合理と糾弾するばかりで、
儒教がむしろ正当化している氏族制的な身分上下関係が
もたらす深刻な社会問題に思い至ることは全く無かった。
「人間を主体」にしたらチュチェ思想になったという、北朝鮮がその究極の形。
302KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/30(日) 16:03:24 0
>>295
>聖職者が直接おもむいて布教をしたのか?

浅学を顧みずに、回答に挑戦してみたいと思います(間違いがあればご指摘を…)。
後4世紀に、キリスト教内で、アタナシウス派とアリウス派が、イエスの本質理解を巡って熾烈な論戦を展開します。
ごく簡単に言ってしまえば、イエスの「神性」を信じるのがアタナシウス派で、イエスの「人性」を信じるのがアリウス派です。
この二派の争いに決着をつけたのが、有名な「ニカイア公会議」です。
この会議では、アタナシウス派に軍配が上がり(その後の紆余曲折を経て)、アリウス派は異端として、ローマ帝国内での布教活動が禁止されてしまいます。
そこでアリウス派の宣教師たちは、帝国の北方のゲルマン民族にターゲットを定め、そこに布教しに出かけます。
ゲルマン民族に布教した人物として有名なのはウルフィラという人物ですが、彼ももちろんアリウス派だったと思います。
こうして、アリウス派のキリスト教が、4世紀からゲルマン民族に知られるようになりました。

西ゴートや東ゴート、ヴァンダルの王たちが、アリウス派のキリスト教に改宗したのは有名な話です。
それらの部族は、比較的異文化の吸収力が高かったとも言われています。
東ゴートの首都であったラベンナには、アリウス派に改宗したテオドリック王が建てた洗礼堂が、今でも残っています。
そこに描かれているイエスの画が、やたら人間臭いのは、アリウス派の教えの“残り香”でしょうか…。
上に挙げたゲルマン諸部族の中には、後4世紀の時点で、早々キリスト教化した者たちもいましたが、
これに対して、同じゲルマン民族でも、フランク人や、アングロ・サクソン人は、改宗が比較的遅かったのでした。

303世界@名無史さん:2007/09/30(日) 16:16:58 0
>>299-301
イスラーム世界だと、預言者ムハンマドの子孫と自称するヤシらが大勢いたな。
304世界@名無史さん:2007/09/30(日) 16:32:40 0
>>293
お前、ローマンカトリックを一神教と勘違いしてるのか?
305世界@名無史さん:2007/09/30(日) 18:52:38 0
ローマンカトリックは偶像崇拝だし現人神信仰だし
306KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/30(日) 18:58:34 0
>>300
>この特権一族の出現を阻止するために、イエスの父系系譜をゼロにした。

なるほど、イエス家系という特権一族の存在を阻止するための、処女降誕物語であり、昇天物語である、という意見ですか。
なかなか面白いとは思いますが、私は、それとは違う見方をしています。
というのも、イエスの初期の資料には、すでにしてイエスの家族への言及が一切見られないからです。
まず、『Q』はイエスの父母にも、その出自にも一切関心を示していません。
また、『Q』のイエス語録を含む『トマス福音書』も、イエスの家族を無視しています。
50年代のパウロの書簡も、イエスの誕生には無関心です。
つまり、初期のイエス運動の参加者たちにとって、イエスの両親は関心の埒外だったのであり、イエス一族を脅威と見なす必然性はなかったということです。
おそらく、その最初から、イエスの両親は忘れ去れらていたか、無視されていたか、全く知られていなかったかの、いずれかになりましょう。
私は、ヨセフやマリアという名は、史実のイエスとは無関係で、どこかから借りてきた架空の名前だと思っています。
教会の権威が確立される3,4世紀に、イエスの血族への脅威が生まれるのは理解できますが、それ以前の時代に脅威を遡らせることには、私は懐疑的です。

また、彼の昇天物語が、特権一族の出現を抑止することを目的とした、一種の墓荒らし効果だという意見にも同意しかねます。
しかし、イエスの墓への血族の集中を取り除くためには、昇天物語を書くと同時に、実際に墓を破壊しなければなりません。
文章を書いたからといって、墓への血縁者集中が止むわけではありません。
もし、福音書記者がその物語を書かねばならないほどに(彼らは予言者か?)、その集中が脅威であったのならば、イエスの墓は存在したことになります。
いったん実在した墓への、特別な思いを、文書だけで除き去ることは難しいのではないでしょうか?

下に続く。
307KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/30(日) 19:08:43 0
>>306のつづき(>>300への返信)

私は、イエスを取り巻く特権は、最初から存在しなかったと考えています。
彼の生涯の物語は、ほぼ100%、後の人々の創作であり、そこには何の信憑性もないと思います。
イエスの妻子の言及が欠落しているのは、イエスを実際に知る人や、『Q』のグループが、それを無視したからか、知らなかったからです。
それは、イエスの妻子から特権を奪い去るための演出効果ではなかったと思われます。

特権階級は、なんらかの利益や権利を吸い上げるから「特権階級」となります。
初期イエス運動において、具体的にどのような特権が存在したかが、明らかにされないと、特権階級の存在の想定自体が怪しくなるような気がします。
私は、そうした特権が出現するのは、教会組織が出来上がってからであり、幾つものイエスグループが乱立する初期においては、それはまだ大きな問題ではなかったと思います。
処女降誕や昇天は、もっと違う関心から生まれた創作物語だと考えたいです。
それは、イエスを特別な人間だったと思い込ませるための、出来の悪い演出だと私は考えています。

まあ、「出来の悪い」というのは、私の完全な主観ですが…。
でも、磔刑での死という演出は、良く出来ていると高く評価しています。
308KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/30(日) 19:20:39 0
>>306訂正。
>しかし、イエスの墓への血族の集中を取り除くためには…、
の「しかし」を削除。
309世界@名無史さん:2007/09/30(日) 20:35:55 0
長過ぎ。誰もちゃんと読んでないと思う。
310KG ◆XK9DTM1U/. :2007/09/30(日) 21:27:20 0
>>293>>296
ローマ時代の人々にとって、キリスト教の魅力は、「一体感」だったのではないでしょうか?
イエスの名の下に集い、彼が語った王国とは何かについて、ああだこうだと語り合う。
そして、共同体のプログラムを作り出し、それに沿って、生活してみる。
その際には、自分たちを、ユダヤ人の過去の壮大な歴史に接続して、新たなイスラエルとして想像することもできました。
それは、自分たちを、新たな民族、国民、部族として想像する、刺激的な試みでした。
キリスト教というのは、大きな社会の中に、小さな共同体を作る、社会的な営みだったのです。
新たな共同体に入会するには、儀式的な会食が持たれ、そこでは共同体の始祖に祈りが捧げられました。
彼らは同じ世界観を共有し、自分たちを取り巻く諸現象を、一つの法則で思考しました。
そこで展開される知的運動も、大きな魅力でした。
キリスト教は、そうした魅力に溢れた、社会的実験だったのです。
しかも、この教団が素晴らしかったのは、その魅力を、下層階級にも、上流階級にも撒き散らしたことです。
学のない者には単純さでもって、博学な者には複雑な論理体系でもって、その教理を説明したのです。
こうして、キリスト教はローマ帝国内に、拡散できたのだと思います。
311世界@名無史さん:2007/09/30(日) 23:34:02 0
指定による大量虐殺 - キリスト教の広まった地域では、時に飢饉や疫病(ペス
ト・天然痘)がはやった。キリスト教的世界観および女性蔑視観によりこ
れは魔女の仕業とされ、多くの女性が虐殺された。
科学・芸術発展の阻害 - キリスト教世界観では「我々の世界は平らで
、地球は全天体の中心にある」とされた。これに反するものはガリレオ
・ガリレイのように弾圧され、結果として科学の発展を阻害した。また
ルネサンスが流行るようになるまでは、芸術にも同じような固定観念を
与えてしまった。現代においても、学問は人間性を破壊すると信じ、無知
こそが正しい信者の姿だと教え、特にアメリカなどでの格差拡大と後進国
化に重要な役割を果たしている。
ペストの猛威 - 14世紀にペストが大流行したとき、ユダヤ人は優れた防疫
を行って被害を最小限に食い止めただけでなく、多くのキリスト教徒の命
も救ったが、キリスト教徒は「ペストは水から感染する」と信じて風呂に
も入らず、不衛生な生活を送って人口の3割にものぼる大量の死者を出した
。さらにユダヤ人の感染者が少ないことに疑いの目を向け、「ペストはユダ
ヤ人が井戸に毒を投げ込んだものだ」として多くのユダヤ人を虐殺した。な
お、ペストの大流行はそもそも、魔女の手先だとして大量の猫を殺し、流布
媒体となるネズミが大量発生したことが原因だとする説もある。
宗教戦争 - キリスト教の中心となるローマ教会は、キリスト教の原型であ
るはずのユダヤ教や、ユダヤ教とキリスト教の影響を受けて成立した宗教で
あるイスラム教の信者を汚れた者とし、迫害した。十字軍はその典型的な1
例であって、エルサレムを奪取する際に多くの異教徒をほしいままに虐殺・強
姦した。
312世界@名無史さん:2007/09/30(日) 23:34:36 0
キリストなんか信じる奴はバカ
歴史を知らない人間
313世界@名無史さん:2007/09/30(日) 23:47:49 0
本邦で死んで昇天した偉人というと、日本武尊だな。伊勢国三重の多芸で崩じ、遺骸は
白い鳥となって何箇所かに降り立ちながら、最後は和泉国鳳に降りて海へ飛び去った。
でも、お墓は伊勢国能褒野、大和国琴弾原、河内国古市とにあって、記念碑的社が和泉国鳳
にある。
皇位を継いだのは日本武尊の弟なんだけれども、皇位は日本武尊の血統に引き継がれるべきだ
として自分の子を退けて日本武尊の子の一人を太子に立てている。
その他にも記紀には日本武尊の数多くの落胤と各地の豪族との関連が記されている。
もうちょっと西、モンゴルの大英雄、ジンギスカン。遺言に従って、野に埋め、その上を馬を
駆けさせて何処に遺骸を埋めたか判らないようにした、とある。が、長く、王権的なものを
行使するにはジンギスカンの血統でなければならないとし、モンゴル帝国の大カーン位やら、
中央アジア・西アジアの遊牧系国家が、ジンギスカンの後裔を称していた。20世紀初頭まで
結構な数のジンギスカンの後裔という豪族が居た。

遺骸の消失が祭祀や部族社会の血縁紐帯に殆ど影響の無い証左だと思うんだが。
314世界@名無史さん:2007/09/30(日) 23:55:00 0
>>313
聖徳太子にも遺骸がなくなっていたという伝説があるな。
こっちは道教の巳解からきているのかもしれんが。
315世界@名無史さん:2007/10/01(月) 00:02:07 0
>>311
中世になってもゲルマン系などではアミニズムが残っていたのだが、
「自然は人間のためにある」と教会先導で森を切りまくって自然の耐久力が落ちたんで
気候変動にもろく疫病などが流行りやすい環境になったようだ。
316世界@名無史さん:2007/10/01(月) 00:22:54 0
>>300-301
興味深い分析ですね。

個人的には聖書がどうして過剰なまでに敬われる存在になったか気になってます。
とある信者に尋ねたら「聖書に書かれてるのはホントのこと」とのことです。目がマジで少し引きました。
ちなみに、その人は日本でプロテスタントの主流派とされる宗派で福音派などではありません。

奇跡や差別などの非教徒の現代人が共感しがたい記述に対してにでも、
寓話・たとえ・神学的意味解釈etcとアクロバティックな技法で、どこどこまでもポジティブにとらえます。
例えるなら、離心円と周転円を使って強引に天動説を証明するような感じで痛々しく見えることもあります。

欠陥を抱えた聖典を敬っている限り、信者もまた欠陥を抱えることを避けることはできないような・・・。
317世界@名無史さん:2007/10/01(月) 10:18:18 0
プロテスタントって、所謂、原理主義じゃん。

世の中の移り変わりや外界との交流によってもとの教義からズレてくるのはどの
宗門でも同じ。

ときどき、それを良しとせず、極端な教条主義に走る一派が出てくる。
原理=聖典だから、ルーテルやらカルビンやらの「聖書にたちかえれ」というのは、
まさしく原理主義なわけよ。
原理主義にとっては妥協や融和なんてものは堕落そのもので、教義・聖典には
盲目的に従う思考停止に陥った宗門だよ。
318青年部員:2007/10/01(月) 12:48:52 0
近所の和尚さんに良いサイトを紹介してもらいました。岐阜市の瑞龍寺さんがホームページで公開・更新しておられる「雲水物語」を読んでおきましょう。我々、青年部活動の為にもなりますよ。
319世界@名無史さん:2007/10/01(月) 15:57:14 0



モルモン大移動(ユタへ)

ユタ戦争(モルモン戦争・南北戦争後)

アパー・カルフォルニア(ネバダ・ユタ・アイダホ、ほか)


320世界@名無史さん:2007/10/01(月) 16:58:52 0
ドイツ中世史家の阿部勤也氏が、ヨーロッパでポリフォニーが成立した
理由について、キリスト教が大宇宙と小宇宙を一元化しようとしたことから
生まれたのではないかという仮説を立てていた。
教会は音楽を天上の音楽(神を賛美する歌、時に支配されることのない調和、
完全なもの)と地獄の音楽(俗謡におけるさまざまな音楽や音、不協和音、
吠え声、鎖を引きずる音、ものを叩く音、嘲笑)に分けていった。

古代ギリシアにはパイデイア(ポリス共同体の中での人格形成)に役立つような
ものが良い音楽であって、そうでないものは悪い音楽だという考え方が
あったわけだけど、それを引き継いでいる。
321世界@名無史さん:2007/10/01(月) 19:40:03 0
>316
その辺の狂信者からいや、まぁ普通になかったんじゃない?まで揃ってるけど、表向き穏健な意見が主流になってるのがいわゆる主流派の特徴じゃなかろか?

てかプロは聖書が唯一に近い拠り所ってのがよくも悪くもなんだろなぁ。
322世界@名無史さん:2007/10/01(月) 21:56:21 0
ザ・掲示板でユダの二通りの死に方を合体させて一つにしてしまった猛者を
見たことがある。

「首吊って死ぬ」(マタイによる福音書)+「まっさかさまに落ちて内蔵とかが……」(使徒行伝)
=最初に「首を吊って死に、途中で綱が切れてまっさかさまに落ちて内臓とかが……」

(『まっさかさまに落ちる』状況を作るため、崖あたりの木で首を吊ったことにしていた)
323KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/01(月) 22:05:50 0
>>316
聖書がなければ、使徒から司教に下る権威の継承も、典礼も茶番と化してしまう、という点では、カトリックもプロテスタントに負けず劣らず、原理主義的だと思います。
カトリックといえども、やはり、聖書を手放すことはできません。
非クリスチャンの私の目には、ことあるごとに聖書を参照し、聖書に相談する、クリスチャン共通の姿勢は、奇怪に映ります。
タダの古文書の寄せ集めでしかない聖書に、どうして人々はこれほど相談をもちかけ、それに耳をそばだてるのか?
彼らは、聖書を参照するまでもない問題について論じる時ですら、聖書をいちいち開くのです(>>86)。

その原因は、聖書そのものにあるわけですが、それは以下のようなものだと指摘されています。
まず、聖書の構成です。
聖書では、予言、詩歌、格言、神話、法律、寓話がゴチャ混ぜに配列されているので、人々はそれを読むとき、そこには無限のメッセージが込められていると錯覚してしまうのです。
しかも、古代の言葉で書かれているため(再現不可能なものも多い)、それは謎めいたオーラを発しているのです。
古文書の不可解さが、人々を惹き付け、そこに隠された意味があると錯覚させるのです。
不可解さは、自由な解釈を誘発します。
そこで人々は、自分のお好みの解釈をそこから引き出すことができます。
だからこそ、クリスチャンは、聖書を使って「アクロバティック」な技を繰り出すことができるのです。

下に続く。
324KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/01(月) 22:17:05 0
>>323のつづき(>>316への返信)
また、「旧約」と「新約」という構成も、アクロバティックな解釈を誘発(強制)しているようです。
元来、新約(クリスチャン文書)は旧約(ヘブル語聖書)に接続できる代物ではありません。
その二つの間に、論理的連続性という橋は渡せません。
それは初期の後2〜3世紀のキリスト教徒が、強引に繋ぎ合わせたものです。
しかし、それが旧約と新約という呼称で、一つに纏められてしまったために、バカ真面目な人は、その間に論理的連続性があると仮定して読んでしまいます。
そうして、読者の頭の中では、エキセントリックな思考が、旧約と新約を結び合わせるために展開されるのです。

旧約と新約という概念を真に受けて、聖書を読むと、自然に、アクロバティックな技が身に付いてしまうのです。
三位一体なんか、その最たる例でしょう。
クリスチャンとしての“運動神経”が無い私などは、未だにその離れ技を理解することができません。
しかし、クリスチャンはその技を究めようと、厳しい聖書解釈の鍛錬に歯を食いしばって付いていきます。

それはひとえに、聖書に与えられた「正典」という権威のせいです。
聖書は閉じられた正典であるため、読み手は、その諸文書を無理矢理に繋げてフルに解釈しなければなりません。
難解な文書、接続できない文書を、読み手の都合で落とすことができないです。
こうして、クリスチャンは、特殊でエキセントリックな思考パターンを構築することができたのです。
その思考パターンは、西洋哲学史にも影響を与えました。
325KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/01(月) 22:25:09 0
>>320
その世界観は、まさしく聖書そのものに遡るものだと思います。
聖書の本質を“正しく”表現すれば、そうならざるを得ないでしょう。
326世界@名無史さん:2007/10/02(火) 07:17:35 0
>KGさん
ひとまず歴代誌のどの王の時代にどの預言者が活躍したか位は把握できてますよね?
あなたの説明にある旧約の構成に違和感を感じました。
327世界@名無史さん:2007/10/02(火) 09:05:30 0
キリスト教的歴史観で、ダニエル書にもとづく「四世界帝国」があるね。
古代のユダヤ人は四つの帝国をそれぞれカルデア(新バビロニア)、メディア、
ペルシア、ギリシア(ヘレニズム諸王朝)としていた。ダニエル書では第四の帝国の後に
世界の終末がくることになっているんだけど、実際にはローマ帝国が成立する。

中世になるとオットー・フォン・フライジングが「帝国移転の理論」を用いて、
四つの帝国をメディアとペルシア、ギリシア、ローマ(古代ローマから東ローマ、
カール大帝のフランク帝国を経て、最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国に移転
したとされる)と解釈した。

そして18世紀のアメリカ人は「帝国の移転」を「帝国の西進」と理解し、
帝国は西へ西へと移動し、ついにアメリカに至ると解釈した。アメリカは、
「さまざまな古代の預言」の「完全な実現」を示す帝国と理解された。アメリカは
「天命」をもった「帝国」として残余の世界に君臨し、法を与える存在だった。
それは、「自由の帝国」であり、「理性の帝国」、「愛の帝国」そして「偉大で
強力な帝国、世界がかつて見たことのない最大の帝国」と意識された。「帝国」
はヨーロッパからアメリカへと移った。東赤ら西へと移った。西へ西へと領土を
拡大し帝国を築くこと、フロンティアを次々と西進させること、これがアメリカの
「明白な運命」となった。
328KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/02(火) 10:03:56 0
>>326
はあ…、もちろん、把握しているつもりでいますが…。

具体的に、私の“旧約の構成”の説明のどこに違和感を感じられたのか、教えていただけますか?
というのも、私は、“旧約の構成”―各書の配列順など―についてこのスレッドではまだ解説していないからです。
私の発言の中で、違和感を感じられた箇所を具体的にご指摘いただければ、説明いたします。
329世界@名無史さん:2007/10/02(火) 12:25:10 0
>>328
>>323
>まず、聖書の構成です。
> 聖書では、予言、詩歌、格言、神話、法律、寓話がゴチャ混ぜに配列されているので、人々はそれを読むとき、そこには無限のメッセージが込められていると錯覚してしまうのです。

辺りです。
神話と寓話は聖書のどの部分でしょう。
教会の聖書勉強会ではそういった箇所が出なかったもので戸惑っています。
330KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/02(火) 13:02:56 0
>>329
>>323では、私は、大雑把な聖書の構成要素について書きました。
聖書という一冊の本(集成)にはどのような要素が詰め込まれているか、です。
例えば、神話は、『創世記』の冒頭の創造物語の部分に現れています。
かと思うと、創世記の終わりには、族長ヤコブによる、臨終の予言が置かれています。
寓話(譬えや比喩を使った教訓話)は、『箴言』や福音書によく見られます。

神話があったかと思えば、予言があり、予言があったかと思うと寓話がある…。
時には、一つの書の中でそれらが目まぐるしく変わることもあるのです。
このように、聖書は、複数のテーマが一遍に凝縮された雑多(煩雑)な文書群である、ということを言いたかったのです。
しかしクリスチャンは、その煩雑さを、「聖なる書であるから」という理由で、一つに繋ぎ合わせようとします。
大変な知的(?)労力だと思います。

貴殿の通われている教会の勉強会で、どのような聖書講義が行なわれているか分かりませんが、いずれ、聖書を構成する文学ジャンルについて解説されるのではないでしょうか?
331世界@名無史さん:2007/10/02(火) 15:06:41 0
ttp://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/whiteness/page15.html
第15章 宣教師たちの諸相
−キリスト教布教の現場に見る白人性−

ミッション活動は、キリスト教を基盤とした社会の構築という普遍的な
目標をもっていた。しかし、活動にたずさわる人々は、ヨーロッパ人か
それ以外かで一貫して区分されてきた。ただし、19世紀後半までは普遍性が
重視され、聖職者であるのか、非聖職者であるのかが分類の大前提であり、
宣教師がヨーロッパ人であるか現地人であるか、の区別はされていなかった。
ところが、年代が進むにつれ、現地人がヨーロッパ人=白人と区別される
ようになり、白人でもなく現地人でもない人々の中でも白人の血を引く
者は区別されるようになっていく。筆者によれば、このような白人と
現地人の中間層の人々の位置づけの変化は、白人性意識を反映したものである。
(中略)
伝道教会がその普及に努力したキリスト教と文明化は、普遍的な価値を
持つものであるが、実際はヨーロッパ的な価値観やライフスタイルを
非ヨーロッパ世界に移植するものであった。世紀末には「文明化」の
名のもとに教育などの非宗教的な活動が拡大していくのと同時に、
ミッション活動における「白人性」の持つ意味はますます重要性を持つ
ことになったと筆者は指摘している。
332世界@名無史さん:2007/10/02(火) 21:17:48 0
>>330
ご説明ありがとうございます。

『創世記』は律法の書の一つ、『箴言』は詩書ですね。
福音書の類はそのまま福音書に分類されてます。(イラスト早わかり聖書ガイドブック いのちのことば社を参照しました。)

それと「予言」と「預言」は全く別のもので、旧約時代の預言者は言ったことに間違いがあると死刑にされたので混合しないように注意が必要です。

2ちゃんで聖書批判をされている方をたびたび目にしますが、教義等を完全に把握した上での批判は少ないです。
全て踏まえた上でおかしなところを指摘すればより説得力が増すのに残念です。
333世界@名無史さん:2007/10/02(火) 22:30:20 0
田川建三『書物としての新約聖書』(勁草書房)に、

もとのテクストを確定するための方法として、「正文批判の二原則」と呼ばれている
ものがあって、第一は「より難しい読みの方が可能性が高い」という規則で、
第二は、「より短い読みの方が良い」というものだそうですが、西洋人、とくに
ドイツ人の学者は、すべてのものごとは抽象的(彼らの感覚では本質的)な中核から
具体的、個別的なものへと発展すると考えているので、写本のテクストでも、
より抽象的なものほどより短いので、すべて短い方が出発点で、長い、より
具体的なものは後世の展開である、と信じてしまうそうです。

こういうのはやはり西洋人が、「聖書に書かれていることは神の言葉だ」という
感覚をもっているせいでしょうか?

中世の普遍論争において、トマス・アクィナスは、実在論と唯名論を調停して、
普遍は神の知性においては「事物に先だって」存在し、世界の中においては「事物の
中に」存在し、そして人間の知性においては「事物の後に」存在するとしましたが。
334世界@名無史さん:2007/10/02(火) 23:03:44 0
>>330
例えば新約聖書の最初の方に出てくる下記のような記述はどうだろうか?
「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を
愛する者も、わたしにふさわしくない。」(マタイによる福音書 / 10章 37節)

解説書によれば、神の愛を通して家族を愛する、最上位の神の愛を知ってこそ家族愛も増すなどと
あるが、非信者の日本人から見れば、出家を命令しているようにしか読めない。

複雑な構成が読者の脳を混乱させるという指摘があるが、一方で、個別箇所においては説明不足なまでに
簡潔な書きぶりであるがゆえの行間を生じさせポジティブでアクロバティックな解釈を可能にさせているともいえる。

また、イエスの復活なんかは、幻ではなく、ちゃんと物理的に復活したと描写されている。
迷信が現代とは比べ物にならないほど横行していた当時は幻や幽霊を「見た」人間が大量にいたのは明白であるため、
真実を強調するために、迷信との差別化をねらったともいえる。
こういう具体的説明の濃淡も読者の混乱を引き起こすのである。
335世界@名無史さん:2007/10/02(火) 23:47:02 0
アメリカのキリスト教調査研究所(Christian Research Institute)は、特定の集団がカルト的かどうかを
判断する6つの特徴をあげている(皮肉なことにキリスト教もまたこの定義を逃れていない)。
(1)指導者による聖典解釈への絶対的なコミットメント
(2)指導者はけっして間違ったことをしないという信仰
(3)先行する啓示と矛盾する啓示への信仰
(4)私たちは終わりの時を生きているのだという強い信仰
(5)「私たち/彼ら」という心性
(6)集団の命令に従わせる圧力。
336世界@名無史さん:2007/10/03(水) 00:04:43 0
>332
いのちのことば社と言うだけでどんだけドグマバリバリ?ってなりますので、世界史板のような学問板ではお使いになりませんよう。
というかその考え方である限りは心と宗教板から出ない方がいいでしょう。

337KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/03(水) 00:10:32 0
>>332
貴殿が仰られているのは、律法(トーラー)、預言書(ナビィム)、諸書(ケトゥビム)という分類のことですね?
もうご存知かと思いますが、それらは、ユダヤ人たちの聖書の構成の分類の仕方で、タナク(タナッハ)と呼ばれたりします。
しかし貴殿は「詩書」(Poetic Books)という語を使用しているので、貴殿は、キリスト教の聖書をお持ちのことと思います。

ローマ・カトリック教会の旧約は、タナクとプロテスタント聖書に見られない、付加的な文書を含んでいますが、貴殿の使用されている聖書はどうでしょうか?
タナクとプロテスタント聖書に無くて、カトリック聖書にあるそれらの文書は、「外典」(「続編」「第二正典」)と呼ばれています。
カトリック聖書より短いリストを含むタナクとプロテスタント聖書は、中身においては共通なのですが、配列の順序が異なります。
順序にかんしては、プロテスタント聖書はむしろ、カトリック聖書に近いです。

以上は、各書の分類のひとつの方法ですが、一つの書の中にも、詩があったり物語があったりします。
例えば『申命記』一つをとっても、それは律法書に分類されてはいますが、その中身を読めば、そこには予言やスピーチや詩が見られます。
一つの書それ自体も、幾つかの編集行程を経ているので、そこに複数のジャンルが見られたとしても不思議ではありません。

旧約時代には、偽預言者は死刑に処されたとのことですが、聖書のその法規がどこまで現実的に適用されたかは疑うことができます。
聖書には死刑への言及がたくさん見られますが、私はそれらはほとんど現実に執行されなかったと思っています。



338KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/03(水) 00:16:46 0
>>336
まぁまぁ、そう仰らずに…。
とっかかりになる本は、人それぞれでしょうから…。

ところで、「いのちのことば社」というのは、どの教会の系統に属する出版社なんでしょう?
339世界@名無史さん:2007/10/03(水) 00:34:40 0
【新約】聖書総合【旧約】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1129673182/772
>772 :天之御名無主:2007/10/03(水) 00:27:02
>   >>771
>   世界史板にある現行キリスト教総合スレの冒頭を少し拝見しました。
>   あちらの前スレ“912”さん=こちらの“731”さんは、原語で新約読めることが
>   自慢で、新改訳に対して特別な感情をお持ちらしいということは分かりました。
>   ところで、あちらの>18-19には反論なさらないんですか?
>   (反論するなら、あちらでやって下さい)
>
>   話が逸れましたが、このスレでKG氏が言いたかったのは、要するに、
>   ヨブ記1−2章の「ハ・サタン」は普通名詞に取るべきだということでしょう。
>   731さんはこの点に十分な反論を加えていないように見えるんですが。
340KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/03(水) 00:41:12 0
>>335
キリスト教徒は自己批判をすることをしませんが、それは批判することを知らないからではありません。
現に、キリスト教徒は、カルトとは何かを指摘することができ、それを非難します。
彼らは、批判が何かを知っているのですが、その矛先を、意図的に自分たちに向けないだけなのです。

カルトという用語ほど、キリスト教徒にとって都合の良い用語はないでしょう。
それは自分たち以外の宗派(異端)を“迫害”するための、口実となっているように見えます。
自分たちの気に食わない宗派に「カルト」というレッテルを貼れば、社会の合意の上で非難することができるからです。
しかし、非クリスチャンである私は、キリスト教そのものをも「カルト」に入れてしかるべきだと思います。
まあ、カルトにも、それなりに社会に場を占める権利はあるのかもしれず、無闇に非難することはしませんが。
341世界@名無史さん:2007/10/03(水) 01:10:48 0
>>337
なんだ、詳しいんじゃないですか。
私は教養レベルの聖書分類しか知らないのであなたのお話にぴんと来ませんでした。
申し訳ございません。

私は通ってる教会が使用している新改訳を使ってます。
私も死刑はなかったほうが良いです。人が死にすぎるのは殺伐としていてちょっと勘弁です。
342KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/03(水) 02:02:38 0
>>341
いえいえ、私のレベルではとても詳しいとは言えません。
でも、聖書を読めば、さまざまなタイプの文書が、筑前煮のようにゴタ混ぜになっているような印象を受けると思います。
聖書を読んでいて、「あれ?これって話、飛んでないか?」と感じられたことはあるはずです。
その違和感が、意外と、聖書本文の構成を探る手掛かりになるのです。
違和感を感じた場所は、編集の跡だったりするからです。

新改訳ということは、プロテスタント系の聖書ということでしょうか?
恥ずかしながら、私は新改訳を読んだことがないもので…。
だとすると、お手持ちの聖書には、『マカベア記』や『ユディト書』などの、いわゆる「外典」は含まれていませんね?
もし、聖書の歴史やユダヤ教の歴史をお調べになりたければ、それら外典もいつかお読みになってください。
外典は、「共同訳」で読むことができます。

人が死にすぎるのは勘弁、とのことですが、民数記31:13−19など、凄惨の極みです。
また、レビ記21:9もおぞましい規則です。
意外と、聖書にはゾッとするようなシーンがてんこ盛りなのです。
まあ、そのほとんどは実際にあったことではないと思われるので、一安心ですが…。
343世界@名無史さん:2007/10/03(水) 12:44:41 0



【 ピューリタン他派の系譜 】
■ 新約聖書の四福音記者・所属配下・所属教会
>>289-290

アパー・カルフォルニア(ネバダ・ユタ・アイダホ、ほか)
>>319


344世界@名無史さん:2007/10/03(水) 13:08:05 0
345世界@名無史さん:2007/10/03(水) 22:30:00 0
>>338
全部が全部、というわけではないですが、出されてる本の著者の所属から判断するに
福音派の傾向は強いです。
また、キリスト教徒が福音派か否かを見分ける質問のひとつに使用聖書を聞くというのがありまして
新改訳ならば、当たりの確率はかなり高いです。
346世界@名無史さん:2007/10/03(水) 23:50:28 0
100%だと言いすぎだけど、新改訳使ってりゃ、それに近いくらいの高確率で福音派だとおもっておk
347世界@名無史さん:2007/10/04(木) 00:06:48 0
日本は布教活動の自由が比較的保障されている国ではなかろうか?
アフガンでキリスト教を布教したら拉致られるのは言うまでもないとして、
例えば神道や日本の仏教を、もしくは他のアフリカやインドの民族宗教でもいいのだが、
ヨーロッパで布教活動をしたら激しいバッシングに遭遇する可能性が高いだろうし
入信する現地人は教会を離れるわけで文字通りの村八分を受けることになるのではないか。

それをふまえると日本のキリスト教徒は結構幸せだとは思う。
駅前で妙なパフォーマンスしててもせいぜい無視どまりだし、
信者だって地域社会や家族から非難の嵐を浴びるわけでもないし、狂人扱いもされない。
それでも信者が人口比1%弱なんだから、日本に馴染まない宗教ともいえるかもね。
348世界@名無史さん:2007/10/04(木) 00:23:32 0
以下は全米科学学会(National Academy of Sciences, NAS)に在籍する
科学者400人が人格神を信じているかを調べた結果です。(1998年)

神を信じる  :7.0%
神を信じない :72.2%
分からない  :20.8%

アメリカ人の80%以上は人格神を信じているので、アメリカの科学者は
一般のアメリカ人より遥かに無神論者(キリスト教徒がいう異教徒)が多いということになります

1998年7月23日にNature誌に掲載された"Leading scientists still reject God"より
http://www.stephenjaygould.org/ctrl/news/file002.html
349KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/04(木) 01:01:37 0
>>339
民俗・神話板の聖書スレで、『歴代誌』の成立年代が少し話題に上っていましたが、これには諸説があって、これだと断定することは難しいと思われます。
成立年代に関しては、多くの学者が、ここ四半世紀に渡って、激論を繰り広げてきました。
これまで提示されてきた年代の幅は、ペルシア時代の初頭から、マカベア時代までと、実に様々です。
この議論をややこしくしているのは、それを特定するための明確な基準が存在してこなかったことと、学者たちに用いられている研究手法が主観的であるからだと指摘されています。
1970年代の研究では、アケメネス朝時代の後期に設定する説が支持される傾向にあり、近年では、マカベア時代に設定する説も出てきました。
1990年代以降の全体の傾向としては、どちらかというと、ギリシア時代の初期に成立したという説に人気が集まっているようです。
この説に従えば、歴代誌の成立年代は、前4世紀の後期から、前3世紀の前半ということになります。

旧約の話題は、「キリスト教」というテーブルの上で語られるべきか、という反論もありましょうが、
キリスト教は、捕囚期以後のヘレニズム時代の観念を多分に引きずっているので、むしろキリスト教の枠内で旧約について語ることには意義があると思います。
上述のように、『歴代誌』はヘレニズム時代を背景に語られるべきかもしれず、また『詩篇』にもヘレニズム時代に成立した箇所があると言われています。
「旧約=古代オリエント、古代イスラエル」という前提は、必ずしも、旧約に通用するものではないのかもしれません。
350世界@名無史さん:2007/10/04(木) 01:15:33 0
>>345-346
住んでるところの近く(歩いて3分)の教会を適当に選んだら新改訳の聖書使ってたんだけど、何派か知りません(^^;;。
ナンチャラ派という情報を得ることの意味は何ですか?
351KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/04(木) 01:54:48 0
>>350
>ナンチャラ派という情報を得ることの意味は何ですか?

いわゆる聖書の“歴史”について、学問的に(なんちゃってであっても)語り合う場でならば、「なんチャラ派」という情報にはさしたる意味は無いと思います。
少なくとも、この私は、他の投稿者がどの教派に属しているのかに、大した関心がありません。
歴史的考察に、その人が属する教派のドグマが作用しない限り、教派について云々する必要はないでしょう。
ただ、クリスチャン(クリスチャンでなくてもキリストや聖書に帰依している人)は、とかく、自分の心の内にあるイエスの理想像や、伝統的な史観から離れられない傾向があるので、
その点に関しては自覚的である必要があると思います。
「この書の素晴らしさは…」とか「イエスの凄いところは…」などと、聖書の卓越性に酔いしれて語り出す人には要注意です。
酔っ払いとは、まともな会話は成立しません。

新改訳の使用については、それほど過敏になる必要はないと思います。
いろいろ問題点は指摘されていましょうが、こうした場の話し合いで使用する分には、障害にはならないでしょう。
私は新改訳についてよく知りませんが、仮に「悪訳」だとしても、大筋から逸れていなければいいのではないでしょうか?
問題があれば、その都度、他の訳や原文と照らすなりして、見直せばいいだけの話です。
親切な投稿者であれば、穏やかに指摘してくれるでしょう。
どの翻訳も、翻訳である以上それなりの欠陥を抱えているのであり、それを認識しておけば十分だと思います。
352KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/04(木) 02:13:34 0
>>348
当然の結果だと私は思います。
実証主義に慣らされた科学者連中は、証明することのできない人格神の存在を信じることはできないでしょう。
まあ、仕事とプライベートを切り替えて、神を信じる“器用な”科学者もいるでしょうけども…。

ところで、神の実在について議論される時に、「高名な〜という学者も、神を信じているではないか」と意見する人が必ずいますが、その発言の意図は何なんでしょう?
私としては、「で?だから?」と反応するしかないのですが、そういう意見を持ち出す人は、個々の学者の信条が神の実在を証明するとでも考えているのでしょうか?
別に、ある科学者が神を信じたからといって、その科学者が神の存在を証明してくれているわけではないのですけどね。

353世界@名無史さん:2007/10/04(木) 02:24:34 0
要するにキリスト教=土人の宗教
欧米の無知な市民がキリスト教を信じている間に、知的な市民はキリスト教を棄教し文明を築いた
354KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/04(木) 02:40:24 0
>>353
創造神話からイエスの奇跡に至る、聖書の記述の何もかもが、すべて象徴や比喩であると解釈されてしまっている現代において、もはや、聖書の居場所はないといえるかもしれません。
キリスト教徒でさえ、聖書の内容をマトモに受け留めなくなっています。
もちろん、かつてはキリスト教にはそれなりの役割があり、何らかの仕方で社会に貢献した時代もあったのでしょうけども、今となっては“用済み”の感があります。
「イエスの愛の教え」も、すでに互いを愛することを知っている者たちにとっては何の新鮮味も無く、敢えてイエスの発言が引用される意味が見当たりません。
今後、キリスト教と聖書は、使い物にならない化石として、人々の間で保存されていくのでしょうか…。

355世界@名無史さん:2007/10/04(木) 02:54:03 0
>>354
かつてのキリスト教の役割=文明の発展を阻害する
356世界@名無史さん:2007/10/04(木) 07:59:48 0
>>351
>酔っ払いとはまともな会話が成立しません
キリスト教嫌いで有名なニーチェが、キリスト教によってアルコール中毒を治すという事例を以下のように喩えています。「粗雑な毒(アルコール中毒)を精妙な毒(キリスト教)で制す」と。
キリスト教徒全員とは言いませんが、「信仰中毒」というものにかかっているキリスト教徒も少なからずいるのではないでしょうか?
357世界@名無史さん:2007/10/04(木) 09:16:46 0
>350

残念ながら新改訳を使う福音派の系統の教会には悪名高い聖書無誤謬な考え方を頑に信じている所が多いので学問的な話にはなりようが無いという事があったりする。

一見学問的に見えても結局の所そのドグマを守る事しか書いてない自称論文であるとか。
もちろん福音派全てがだめということではないけれど、高確率でだめな可能性が高い。

で、新改訳というのがその福音派がプロテスタント主流派が採用していた日本聖書協会の口語訳を教義にあわぬからということで作った聖書。そんな経緯とアメリカの福音派が大スポンサーだったこともあって、事実上学問的には使えないという感じ。

とりあえず新共同訳とか岩波の学者訳とか一応の定評のある和訳も読んでみるといいと思う。
買うのが高ければ公立図書館にかなりの高確率でおいてあるから探してみるといいと思う。
358世界@名無史さん:2007/10/04(木) 12:24:44 0
福音派といえばバイブルマンだな。
359世界@名無史さん:2007/10/04(木) 13:17:04 0
>>348
神を信じないからといってそれが必ずしも無神論者とはかぎらないよ。
360世界@名無史さん:2007/10/04(木) 13:57:35 0
無神論者は文明を築き、キリスト教徒は文明を破壊する
361世界@名無史さん:2007/10/04(木) 14:02:33 0
キリスト教徒は文明を定義し、無神論者は文明を脱構築する
362世界@名無史さん:2007/10/04(木) 14:55:41 0
キリスト教がもたらしたものは戦争と虐殺と野蛮化しかない
363pppppp:2007/10/04(木) 15:07:47 0
スレ主=御隠居の様な人格障害が治療されれば、

★ 中東紛争で泣く子供・女もいなくなるし争いも減るし笑顔も増えるし

★ スレ主的人格障害の無い世の中、素晴らしい!!


【ピース】【ピース】【ピース】・・・・・(・∀・)イイ!!


【ピース】【笑顔】【ピース】が一番!! (*^ワ^*)/
364世界@名無史さん:2007/10/04(木) 16:42:07 0
マウンテンメドウ モルモン
365世界@名無史さん:2007/10/04(木) 19:21:35 0
>>348
その人格神という設問が気になるな。
イエスのような存在(人格)が神として存在しているのかという質問だろ。
そう質問されれば必然的にノーが増える。
>>168>>169でも書いたが、神の存在という概念自体、よく考えれば日本人
にピンとこないものだ。某スレのコピペだが、このように考えるべきかもしれない。

日本の場合、一般には、信仰が完全に内面化して潜伏しており、
教団として表に出てこないのが大半なので、
漠然と内面化している「神」の種類で分ける他は無い。

1神と言えば像が一つに収束するヤシ(なんとなくキリスト教風)
2神と言えば像が八百万に発散するヤシ(まあ一応神道)
3神と言っても祖先霊しか思いつかないヤシ(要するに祖先崇拝)
366世界@名無史さん:2007/10/04(木) 19:36:53 0
それと神(宗教)を信じないのが科学的進歩的という風潮も気になる。
科学的思考が迷信や宗教的従属からの開放をもたらしたのは事実だが、
どの社会にも宗教が存在していることから分かるように、宗教あるいは
宗教的救いというのは人間の基本的欲求なわけで、それすら否定して
合理的機械的存在として人間と社会を規定してからこそ、カルトが
はびこるなど、現代的問題が出現することとなった。
人間は合理的存在などではなく、矛盾と欠点を備えた存在という視点の
欠如が現代的問題を引き起こしている。
367世界@名無史さん:2007/10/04(木) 19:51:33 0
>>366
近代になって、感情や感性や個性を重視する「ロマン主義」の流れが出てきたのと
同じだな。
ワーグナーの音楽を「擬似宗教的なエクスタシー」という人もいる。
368世界@名無史さん:2007/10/04(木) 22:22:34 0
あたしイエス。スピリチュアルなモテカワガール☆
あたしは訳あって援交やってるマグダラのマリア、
訳あって漁業してるペトロ、
訳あってユダヤ人なユダとつるんでる。
あたしのこと理解ってくれないやつらがいるけど、
あたしはヘーキ。
あいつらのことなんか、どーでもいい。
あたしはユダに裏切られた。
あたしは無理やり服を脱がされた。
あたしは十字架(クロス)にかけられた。
「ガッシ ボカッ」
あたしは死んだ。
アーメン(笑)
369世界@名無史さん:2007/10/04(木) 23:18:45 0
何で新約聖書の聖人の名前は、ヨハネだのパウロだのラテン語でも、コイネーでも
ヘブライ語でもアラム語でもはたまたイタリア語でもスペイン語でもポルトガル語で
もない読み方なの?ギリシア正教やプロテスタントは、また違う様だが。
370KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/05(金) 00:42:47 0
>>369
確かに、言われてみれば不思議ですね。
なんででしょ?
忘れましたが、初期の日本語聖書には、ヨハネをヨハンネスだかヨアンネスと表記していたものもあったはずです。
私の勝手な想像ですが、アメリカンが「メリケン」と発音されたような経緯を経たのではないでしょうか?
あとは、漢字表記(例:路加)されるときに、落とされてしまった発音があるとか…。
浅知恵な私が思い浮かぶことといったらそれくらいです。
日本語聖書の福音書の題名の変遷を追跡調査すれば、それなりの答えが得られるのではないでしょうか?
なんだか、卒論のテーマにもってこいの疑問ですな。
でも、もう研究されていますかね…。
371KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/05(金) 00:56:44 0
>>366>>367
そうなると、現代におけるキリスト教の役割は、メンタル面のヒーリングに限定されてしまっているということでしょうか。
かつてのように、地上の神の国という概念の下で世俗の権威を正当化したり、社会の規範や調停役として振舞うことがなくなってしまったのでしょう。
神話として、世界の起源を語ることもできなくなってしまいました。
これは見逃すことのできない、大きな変化だと思います。
キリスト教や聖書の活動領域は、音楽鑑賞のように、個人的な癒しの範囲にまで狭められてしまったのです。
これは、教会と聖書の権威の失墜を意味しましょう。

残念ながら、それは、初期のキリスト教徒や、教会の設立者が意図したことではありませんでした。
彼は、ワーグナーの音楽を聞くように聖書が読まれるとは、予想だにしていなかったと思います。
彼らが、聖書に込めた期待と託した任務は、もはや尽き果ててしまったのです。
この変容っぷりを嘆くのか、あるいは聖書の新境地が開けたと歓ぶのかは、人それぞれでしょうが、大きな転換点を迎えたのは間違いないと思います。
紀元後の初めに歩みを始めたキリスト教の歴史は、終焉に向かうのでしょうか…。


372世界@名無史さん:2007/10/05(金) 02:27:12 0
>>366
最近新薬文庫で出たフロイトの『幻想の未来 文化への不満』にそのあたりのことが書かれていたな。
フロイトは(結論としては)徹底して宗教に否定的だけど。

さかのぼればヴォルテールあたりの啓蒙主義が転換点かな?
373世界@名無史さん:2007/10/05(金) 03:10:14 0
>>371
西方の宗教伝統なら、それでいいんだよ。
キリスト教は中東生まれだが、新約聖書がすでにギリシア語で書かれているように
古典古代のヨーロッパ的伝統と、当然ながら深い関係にある。
純然たるオリエント宗教のユダヤ教やイスラム教ならば、
政教分離はおぞましい異文明の宗教侮蔑行為だろうが、
キリスト教ならば、最終的には受け入れることがむしろ本望であるとさえ言える。
中世でさえ、カノン法とローマ法は並立していたわけで。
そして、カノン法は家族法など、専ら主観的生活領域に適用されていた。
社会の発展とともに、全信者の全生活を規律するという中東宗教的発想は、
カノン法と同様に、縮小され、ついには個人の癒しと、法律とはちがう基礎道徳だけを
任務とするようになってもまったくおかしくない。
374世界@名無史さん:2007/10/05(金) 05:25:36 0
宇宙から地球を見た宇宙飛行士に、宇宙に浮かぶ地球の美しさに感動し、
人類愛地球愛宗教に目覚める者が数多くいるという。
これもある意味宗教的啓示と言えなくもない。
巨木を目の当たりにしたり、雄大な自然を前にしたときに感ずる感動、畏敬の念、
そういった原始的普遍的宗教的感情と似ているのかもしれない。
宗教的感情は人類が等しく備えているものであり、それを抑圧排除し、科学的合理的
精神に置き換えようとしてきた現代社会は、人間性を排除したクリーンルームのような
息苦しい世界になってしまったのではなかろうか。

かぐやが捉えた地球の映像
http://jda.jaxa.jp/jda/v4_j.php?v_id=0496f90d5e5acc06af3087a364c940c8&mode=level&time=N&genre=4&category=4064&mission=4067
375世界@名無史さん:2007/10/05(金) 06:56:59 0
>>374
18世紀のヨーロッパでは、「崇高」という新しい感覚が高く評価されるようになる。
イギリス貴族が大陸へ「グランド・ツアー」に出かけ、アルプスの山々やイタリアの
廃墟に心がおののくような感動を覚えた。
この時代の風景画には、断崖・山岳・奔流・廃墟・火山の噴火・難破した船などを
描いたものが多いが、19世紀にロマン主義が流行するとこの傾向はいっそう
顕著になる。
古代ギリシア以来、ヨーロッパでは円形こそがもっとも美しく調和した形であって、
この地球の円形を乱す山や谷は醜いものでしかなかった。
また、近代科学が主張した「無限宇宙」という概念も、境界線のはっきりしたものを
尊ぶギリシア思想にとっては曖昧であり、不安定なものである。しかし、時代が
下るにつれ、この「無限さ」を「偉大さ」と捉え、肯定的に捉える人々が現れた。
神の尽きることのない無限の力を表現するのに、無限の宇宙空間ほど相応しい
ものはないというわけだ。
376世界@名無史さん:2007/10/05(金) 10:32:19 0
キリスト教はしょせん西洋(白人)の宗教であって、普遍的な宗教では
ないんじゃないの?
377世界@名無史さん:2007/10/05(金) 15:50:24 0
>>371
>そうなると、現代におけるキリスト教の役割は、メンタル面のヒーリングに
>限定されてしまっているということでしょうか。かつてのように、地上の神の
>国という概念の下で世俗の権威を正当化したり、社会の規範や調停役として振
>舞うことがなくなってしまったのでしょう。

キリスト教とは、もともとから、「メンタル面のヒーリング」的なもの。その
メンタル面から、神の国概念、教会の権威その他の信徒の行動、宗教紛争、社会
規範的なものが生じてきたのです。しかし、現実に立脚したものではないから、
現実界では良い方向には機能せず、むしろ弊害のほうがはるかに多かった。
欧米の文学作品でも、キリスト教から自然の人間性を取り戻そうとする努力を
描いたもののほうが、はるかに多い。
音楽などの芸術と宗教としてのキリスト教とは、本質的に異なる。前者による
現実離脱は一時的であり、例えばコンサート会場から一歩外に出れば、忽ち
現実に戻ることが出来る。芸術観の相違により殺しあうことなどない。一方、
キリスト教による人格の変容と現実からの遊離は(半)永久的であり、(半)
不可逆的。イエスという見知らぬ他者が心の中に住み着き、人格の一部となって
しまう。優れた芸術作品は、宗教の如何を問わずすべての人間に感動を与える
が、宗教による感動は、その信者だけに限定され、異宗教の人間や無宗教者に
とっては、むしろ嫌悪感しか与えない。
宗教多元主義についてさえ、宗教内部、宗教間で大きな争いがあり、収拾が
付かない状態。この問題を解決するために、ある宗教学者は、議論の対象を
人間の身体だけに限定することを提案しているが、身体だけはすべての人間
について共通であるから、興味ある提案と言える。
カルト宗教による人格の変容、現実と社会常識からの逸脱、家庭破壊が問題と
なっているが、キリスト教及びその要素を取り入れた宗教は、嵌り込みが特に
深い。人間を超越した存在の実在を植えつけられるからです。
現在流行の兆しが見られるスピリチュアリズムも、淵源はキリスト教(的な
もの)で、キリスト教の漂流状態と言えるだろう。スピリチュアリズムによる
(特に若者たちの)精神の融解が懸念される。
378KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/05(金) 16:40:32 0
>>377
>キリスト教とは、もともとから、「メンタル面のヒーリング」的なもの。

すでに>>263>>264>>267>>310でも書いたように、私はそれとは少々異なった見方をしています。
キリスト教は、その「もともと」において、つまり新約の各文書を著した共同体がイエスの名の下に形成された1世紀前半においても、
また、時代は下って、教会と帝国の権威の下で聖書がまとめられた3、4世紀においても、
キリスト教の最大の関心は、人々のメンタルを癒すことではなかったと思います。
私の考えでは、聖書は元来的に社会を形成するための台本であり、教会という組織はそれを実行するための実行委員会のようなものです。

ですから、聖書や教会から精神的充足を得ることは、それらの主要な用途ではなく、副産物だと思うのです。
聖書を読んで、エンヤの曲を聴いたときのようなエクスタシーに浸るのは、用途を間違えています。
むしろ、>>217のような使い方のほうが正解です。
簡単に言ってしまえば、聖書の元来的な役目とは、既存の社会の中に別の社会を作ること、もっと言ってしまえば、既存の世界の中に、別の世界(宇宙)を作ることです。
だからこそ、タダの人イエスが、一気にタイムスリップさせられて創造神話に立ち会わされ、天上と地上の王として想像されたのです。
もちろん、そのときに、聖書の空想的な世界観が、読み手の精神に作用したということはあるでしょう。

聖書やキリスト教に、個人的な変容や、精神の癒しが聖書に要求されるようになったのは、後代になってからのことだと思います。
それは初期キリスト教とたちの労作の、思わぬ副産物です。
“役目の交代”が厳密にいつ始まったのか、私は説明できませんが(>>372は有効な説明かもしれない)、昨今は特に顕著だと思います。
そしておそらく、その原因は、自然科学の発達や実証主義の出現とは別のところにあるのではないかとも思います。
つまり、新しい社会形成としての役割を聖書が負うには、世界はもう十分な舞台ではなくなったのです。
しかし、聖書を読んで、精神的エクスタシーに浸かってしまうことによる弊害は無視できません。
379世界@名無史さん:2007/10/05(金) 17:56:52 0
全体主義の起源を啓蒙に求める見方と、もうひとつ、宗教的非合理性に求める
見方があるね。
ノーマン・コーンは『千年王国の追求』で、かつてヨーロッパで噴出した
革命的千年王国論や神秘的アナーキズムと20世紀の全体主義との間の類似点を
指摘している。
血と土の崇拝、人種カテゴリーのヒステリックな強迫観念、浄化する力としての
革命的暴力の賛美、個人崇拝、乱痴気騒ぎの大衆集会などを見ればそう思えて
くるだろう。
380世界@名無史さん:2007/10/05(金) 23:57:31 0
>>342
普通、その比喩で「筑前煮」は使わない。
せめて「ごった煮」。普通は「サラダボウル」。
381世界@名無史さん:2007/10/06(土) 02:31:16 0
>>378
>簡単に言ってしまえば、聖書の元来的な役目とは、既存の社会の中に別の社
>会を作ること、もっと言ってしまえば、既存の世界の中に、別の世界(宇宙)
>を作ることです。

既存の社会(現実の社会)の中に別の社会(仮想現実)を作ることは、まさに
「メンタル的」「妄想的」なことではありませんか?旧約は、現実社会におけ
る「行為規範」だが、新約は性質が全く異なるように思えますが、如何ですか。
382世界@名無史さん:2007/10/06(土) 08:15:04 0
名詞や形容詞に単数・複数・双数という形があって、数字の1にも双数がある。
「1の双数形」というと変な感じがするけれど、ドイツ語やスペイン語をやった人なら
解ると思う、表現上、1の複数というもがぴったりハマる場面というのがある。

さて、創世神話。有名なイブをどうやって拵えたかの部分。
「その 肋骨の 一つ(双数)を 取って」 ⇒ 「その肋骨の一対を取って」
というふうに、ぴったりハマる。

ところが、ラテン語には、双数というものが失われている。
この一節をラテン語に訳すにあたった、「一本の肋骨なら、単数に決まってんだろ」と
いう具合に、たった一本の肋骨というふうに勝手に改変し誤訳てしまった。
最盛期のローマならありえない。中世に突入しかかってオツムがバカになって簡単に
耶蘇になってしまうような連中だから仕方無い。
侃々諤々と、女の肋骨は少ないはずだ、少なくない理由があるにエノキ茸に書かれている
に違いない、謎が解明される前に民衆に聖書がよまれないようにしなければならない、
みたいなアホなことをやっていたわけだ。

ヘブライ語やシリア語やギリシャ語やアルメニア語やアラビア語やエジプト語には、
名詞にも形容詞にも双数があるので、ここら辺が問題になることはなかった
383世界@名無史さん:2007/10/06(土) 11:58:59 0
跣足カルメル修道会ってあるけど、この「跣足」ってどう読むのか分からなくて纏足カルメル修道会って覚えてた。
384世界@名無史さん:2007/10/06(土) 12:56:23 0
中学の歴史教科書でキリシタンが秀吉や家康らに虐げられた被害者として書かれてますよね。
宣教師とキリシタン大名もまた災いの種を持ち込んだ加害者であり、彼らが先導して神社や寺を破壊していった事実も、
布教が植民地戦略の一環であったことも書かれてないです。
国家戦略として禁教が選択された理由が不十分すぎます。

私は流行りのプチナショナリズムの者でもありませんし、
現地の文化が徹底的に駆逐され経済的にも支配されたメキシコやペルーの事例と対比せよとまでは言いませんが、
これでは、島原の乱などで一方的に信教の自由が迫害されたとしか解釈できないと思います。
歪曲した記述が見直されないのは何か圧力があるのでしょうか?

少し前に読んだ本では戦後しばらく東大総長など教育界の重鎮にキリスト教徒が居座ってた影響が指摘されていましたが。。
385世界@名無史さん:2007/10/06(土) 14:08:13 0
>>363は荒らしレスでつ他 (笑)
正解はこちら ↓


■ 世界を救うための明確な方法は、【無神論】に転向することです。■


>>199氏のレス ↑ では、少なくとも宗教団体のそれぞれの神・教義・真理?・・・
とかいうもので争うことは皆無になるし、政治にもサッターンにも悪用されなくなり
今よりずっと紛争も減り平和になり、皆の笑顔が増えるょn〜(*^ワ^*)


★ 中東紛争で泣く子供・女もいなくなるし争いも減るし笑顔も増えるし


★ 無神論の世の中、素晴らしい!!


【ピース】【ピース】【ピース】・・・・・(・∀・)イイ!!


【ピース】【笑顔】【ピース】が一番!! (*^ワ^*)/


http://www.sensenfukoku.net/mailmagazine/no51.html



386KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/06(土) 14:34:19 0
>>383
「トン足」とか「タン足」と読まなかっただけ、偉いのでは?
387世界@名無史さん:2007/10/06(土) 14:46:02 0
385=御隠居の様な人格障害が治療されれば、

★ 中東紛争で泣く子供・女もいなくなるし争いも減るし笑顔も増えるし

★ スレ主的人格障害の無い世の中、素晴らしい!!


【ピース】【ピース】【ピース】・・・・・(・∀・)イイ!!


【ピース】【笑顔】【ピース】が一番!! (*^ワ^*)/

388世界@名無史さん:2007/10/06(土) 14:47:46 0
385 :世界@名無史さん:2007/10/06(土) 14:08:13 0
>>363は荒らしレスでつ他 (笑)
正解はこちら ↓


はははああああ、
御隠居自体が、スレ嵐という自覚が無いとは。
さすがあ、カルト宗教本能感応精神病、御隠居だねえ。
389世界@名無史さん:2007/10/06(土) 14:48:37 0
[855]笑止 07/08/26 10:17 syyDNLjL
[847]トトロン 07/08/25 12:49 は、哀れだなあ、被害に会ったカルト宗教の思想のマインドコントロール解けないでいる事が解る。
御隠居が学んだカルト宗教の支配から、抜け出そうとして、
支配されたカルト宗教の思考法を用いて、悪夢から逃れようととして、御隠居を支配したカルト宗教の思考法そのままに妄想拡大している。

>クリスチャンは、イエスの教えを忠実に守り、

【自分がして欲しいこと (イエス信仰)を人にもする】ため、他国を侵略し、異教徒に強制

改宗を迫り、応じない者は虐殺してきたのである。

聖書のどこに、改宗を迫り、応じない者は虐殺する事を要求しているのだろうか?
たぶん、妄想だろうけども。
まさに、
(1)御隠居による聖典解釈への絶対的なコミットメント
(2)御隠居はけっして間違ったことをしないという信仰
(3)御隠居の先行する啓示と矛盾する啓示への信仰
(4)御隠居の私たちは終わりの時(宗教戦争、宗教撲滅)を生きているのだという強い信仰
(5)「私たち/彼ら」という心性
(6)集団の命令に従わせる圧力。


[856]笑止 07/08/26 10:26 syyDNLjL
御隠居の悲劇は、かつて支配された、カルト宗教の思考法、すなわち、カルト宗教が新しい外部情報を遮断するように、同じく、無自覚のまま情報処理をしている事である。

390対カル御隠居本能真理今日撲滅聖戦!!:2007/10/06(土) 14:52:26 0
[696]笑止 07/08/11 15:11 syyDNLjL
御隠居は脳障害があると、思われる。
教義は、それ程の力があると思っている所、
御隠居の言い回しに寄れば、宗教の教義は、それ程、力があるものらしい。
北朝鮮の教義以上に、宗教の教義は力があるらしい。
超能力か、霊能力を、宗教の教義に感じているらしい。
宗教に嵌り、魔力を感じるらしい、御隠居は、精神障害の可能性がある。

科学的に考えて、宗教の教義は超能力的威力があるようには思わんがな、私は。

[753]笑止 07/08/19 10:21 syyDNLjL
ご隠居発言、>神は人間には認識できないと言いながら、あたかも認識したかのように

饒舌に語り続ける宗教者たち。これほど矛盾した、滑稽な姿はないこと

を自覚されたし。

ご隠居の発言の意図は、この事か??


ご隠居は>宗教は人間には認識できないと言いながら、あたかも認識したかのように

饒舌に語り続ける美咲たち。これほど矛盾した、滑稽な姿はないこと


こう考えれば、矛盾が無いね、、
イエス精神病説も、あたかも認識したかのように

饒舌に語り続けるご隠居たち。これほど矛盾した、滑稽な姿はないこと
391KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/06(土) 15:06:09 0
>>381
>既存の社会(現実の社会)の中に別の社会(仮想現実)を作ることは、まさに「メンタル的」「妄想的」なことではありませんか?

現代であるならば、それを「妄想」と切り捨てることは可能でしょう。
しかし、紀元前後の地中海世界において、特定の神や人物を開祖としてのシンボルに祭り上げて、その下でサークルを結成することは珍しくありませんでした。
初期のキリスト教の活動は、その延長にあったのだと考えられます。
ですから、“現代的視点から見れば”、初期のキリスト教サークルは、妄想の中に妄想を作ることだったのです。
ただし、当時としては、それは妄想などではなく、自己のアイデンティティを確立するための、大真面目な社会活動でした。
突き詰めれば、旧約も、「ユダヤ人」という独特な共同体を形成するための、独自の神話と歴史から構成されています。

独特な共同体を形成するためには、その共同体をまとめ上げ、それを象徴するような「規則・規範」が必要です。
ユダヤ人にとっては、それはモーセの律法であり、口伝の律法でした。
一方、最初期のキリスト教徒にとっては、それは、イエスの格言(+ユダヤ教の律法)でした。
両者の規範は、独自の共同体(民族)を形成することを目指して、「我々は、我々独自の規範にのっとって生きてみようではないか」という呼びかけの下に採用“された”のです。
ですから、決して旧約の民だけが現実的なプログラムに乗っ取って生きていたわけではなく、新約の民もそれなりに、現実に即したプログラムを持っていたといえます。

最初期のイエス・サークルのメンバーが、イエスの語録をベースにして、どのように共同体の規範を作り上げていったかは、『Q』の編纂過程を見るとハッキリします。
最古層のイエス独自の(とされる)言葉には、共同体形成のための具体的プログラムは一切含まれていないのですが、二層目、三層目あたりになると、それが次第に、共同体へのインストラクションとしての性質を帯び始めるのです。
どうでしょう?我々も、「長島監督語録」にチョチョイと手を加えて、それをインストラクションとし、我々独自の「長島サークル」を作ってみませんか?
これはもちろんジョークですが、それは、日本という大きな社会の中にあって、別の独特な社会を作ろうとする、社会的実験といえるのです。
392KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/06(土) 19:33:37 0
>>384
教育界の重鎮がクリスチャンで占められていたという話は初耳で、「へぇ」と思いました。
だったら、そのあたりの働きかけも当然あるのではないでしょうかね。
あとは、「思想と信教の自由」が「キリスト教の擁護」に変換させられて、キリスト教をできるだけ持ち上げるようになってしまっているのかもしれません。
そのあたりの裏事情をもっと知りたいです。

日本のキリシタン史の通説における偏りは、ザビエルの過大評価からも窺えるのではないかとも思えます。
確かに彼は、日本への布教第一人者ですが、その活動期間と成果は微々たるものだったと言われています。
それよりも、ザビエル後のヴァリニャーノの方が、その足跡をキリシタン史にくっきりと残しています。
にもかかわらず、ザビエルがこれほどまでに過大評価されているのは、おそらく、彼がカトリック教会において、「聖人」とされているからでしょう。
そこには、キリスト教側の、ドグマティックな人物評価が反映されているのです。

宣教師の日本における傍若無人な布教活動には、秀吉も不信感を抱き、宣教師に次のような質問状を送りつけた程でした。
@あんたら、どうして強制的な改宗を推し進めるの?
Aあんたら、どうして寺社を破壊し、坊様たちを迫害するの?
Bあんたら、どうして日本人を奴隷にして海外に連れて行くの?
これに対し、宣教師は次のように回答します。
@宣教師は強制なんかしたこと無い。
A宣教師は関係なく、日本人キリシタンが勝手にやってるだけだ。
Bそれはとっても遺憾で、我々はそれをやめさせたいと願っている。
しかし、事実は…、
@大名を介してのタテの圧力を駆使した大量強制改宗、武力行使もいとわないキリスト教化が宣教師の戦略だった。
A宣教師指揮下での寺社の破壊は実際にあり、そうでなくとも、信者に寺社への憎悪を煽り立てていた。
B奴隷売買に関わっていた宣教師は実際におり、そうでなくとも、奴隷売買を当然のこととしていた。



393世界@名無史さん:2007/10/06(土) 20:36:56 0
>>384
>>392
東大総長
1945〜1951年:南原繁
1951〜1957年:矢内原忠雄
両人とも内村鑑三の系列みたいです。東大総長といえば今でも十分すごいハッタリは効きますが、当時はもっと権威があったのでしょう。
そんな人が事あるごとにキリスト教マンセーしてたら、確かに歴史教科書はザビエル礼賛&キリシタン擁護になるのが必然ですね。
他にも明治大正期の私立大学の創始者は、キリスト教徒が多いようです。当時はキリスト教が先進西洋文明のパスと考えられてたのでしょうから。

ただ現在は国立大学の先生でキリスト教マンセーを前面に出す方の肩身は狭いと思いますよ。
その要因を、とある教授に言わせると、「宗教習俗の研究ならアジア・アフリカなどの伝統のものにアプローチする方が発見が多い」
「キリスト教は研究し尽くされている」「帝国主義と結びつきやすい」「フェミニストの批判」
「年配の教授にはマルクスを引きづってる人も多い」などなど。

個人的にキリスト教というか聖書は、図書館の「はだしのゲン」みたいなものですね。
小学生の頃、図書館に漫画がある!と喜んで本を開いたらグロい被爆者の描写でショックと同様、
キリスト教は世界で最も認められた宗教で、きっと清く正しい思想なのだろうと旧約を読み始めたら戦争略奪虐殺・・・。
まあ旧約はユダヤ教徒のものだからと気持ちを切り替えて新約を読んだら、イエスの言動が麻原に見えてきて、
これが世界で一番多くの人が信じている宗教の聖典だという事実に気持ち悪くなりました。
394世界@名無史さん:2007/10/06(土) 23:03:53 0
トランシルバニアなどの人種とキリスト教の教派が分かれている場所では、
なかなか統括が難しいと思います。

例えば、点在するドイツ系の街や村には、それぞれまた新教、旧教の教会が
必ず二つずつあったそうですし、昔は人種的な軋轢が酷かったので、教区的には、
(仮に)ブカレストに一番に偉い教会があったとしても、ドイツ人の村には
ドイツ人神父の割り当てが必須だったはずです。

そういう手配はどう調整していたのか、お解りになる方はいらっしゃいますか?
(これは難し過ぎますか…)
395KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/06(土) 23:16:18 0
>>393

>両人とも内村鑑三の系列みたいです。

出ました「内村鑑三」。
彼の名前はことあるごとに目にします。
>>27の論文中でも引用されていましたっけね。
不勉強な私はこれまで、内村鑑三の著作を読んだことがなく、未だに読む気がサッパリ起きず、
また、周囲の誰一人としてそれを読むように勧めてくる者がいないのですが、彼の著作を読む意義とは何なのでしょうか?
現在のキリスト教に残されている、彼の具体的な業績とは何なのでしょうか?

>他にも明治大正期の私立大学の創始者は、キリスト教徒が多いようです。

ヨーロッパの大学は、「礼拝所が併設されていなければ、大学にあらず」という伝統を持っていますからね、
そうしたヨーロッパの風潮に倣おうとした明治・大正期の日本の大学は、キリスト教に迎合する傾向を持っていたと考えられるでしょう。
キリスト教と西洋文明はセットであると…。
また>>97>>99でも話題に上ったように、西洋の先進文物へのパスという役割が大きかったと思います。
しかし、その役割も終わり、キリスト教も研究し尽くされた今、キリスト教と学問との関係は断たれたに等しいでしょう。
ここで心配になってしまうのは、日本にあるキリスト教系大学の行く末です。
特に神学部など、その存在意義が問われているのではないでしょうか?
彼らは今後、一体何を研究するのでしょう?
396KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/06(土) 23:26:47 0
>>393

>これが…宗教の聖典だという事実に気持ち悪くなりました。

聖書はたしかに吐き気を催す記述ばかりです。
そしてそれは麻原といった破壊的な指導者らのアイデアの宝庫として活躍してきました。
しかし、それは古代人よって“意図的に”作り出されたのであり、我々はそれが生み出されねばならなかった背景を知る必要があるでしょう。
と同時に、それらの不快な記述が、現代的にどのような異議を持つのかも話し合うべきかもしれません。
聖書の終末思想や神の国の概念や、天地の王のイメージは、これからどこへ向かうのでしょう。
それらの大仰で倣岸なイメージは今後も、かつてのように、人々を魅了し続けるのでしょうか?
魅了されたとして、それは麻原のような者たちの心しか捉えることができないのでしょうか?
それとも時代にそぐわないとして、ゴミ箱に廃棄されてしまうのでしょうか?
教会は、クリスチャンは、聖書は、神学部は、典礼は、どこへ向かうのでしょう?

ちなみに、ザビエルが日本での布教の際に使用した自作の教理書には、
@天地創造、Aアダムとイブの堕落、Aイエスの生涯、B十戒、C最後の審判が書かれていたそうですが、
こうした題材が選ばれた意図は、一考に価すると思います。
特に、C「最後の審判」が日本に持ち込まれたのがどうしてかが気になります。
布教の際に、最後の審判の概念って必要なのでしょうか?
なぜ、宣教師は、最後の審判の概念を携えなければならなかったのでしょう?
397世界@名無史さん:2007/10/06(土) 23:59:43 0
イスラエルはレバノンに戦争を仕掛け続けている。建国以来、継続して
イスラエルはパレスチナでアラブ人を大量虐殺し続けている。米国民の
25%を占めるモルモン教等を中心としたキリスト教原理主義は、この
イスラエルを強く支持し続けている。

キリスト教原理主義は、有色人種は劣った人種であり核戦争で絶滅させる
べきだ、地球を白人だけの「楽園」にすべきだ、その中心がイスラエルで
あると主張し、イスラエルを叩くと主張していたサダム・フセインの
イラクとの戦争をブッシュに推進させてきた。常に戦争の元凶となり続けて
いるイスラエルとは、モルモン教とは一体何なのか?

1. 1945年エジプトのナグ・ハマディで50冊以上の初期キリスト教の文書が
  発見された。これは1600年程前にローマ・カトリック教会バチカンが
  異端、禁書とし封印した文書だった。

バチカンは度重なる宗教会議で「キリスト教の発祥、出生を示す」重要文書
を封印し、人目に触れないようにしてきた。明るみに出ては困る「秘密」が
キリスト教にはあった。

2. ナグ・ハマディ文書の中には、バチカンが長年「存在しない」と主張
  してきた聖母「マリアによる福音書」が入っていた。

バチカンはキリストではないマリアを特別に信仰する事は異端であると弾圧
してきたが、余りに信者が多かったため431年に公認せざるを得なかった。
しかし「マリアによる福音書」は封印され「存在しない」とされてきた。

実際には欧州180ヶ所以上に「黒い」マリア像を信仰する教会があり、なぜ
聖母マリアが「黒い」のかが問題とされ、長年バチカンは何一つまともに
返答出来ないできた。バチカンにとってマリアが黒人でありキリストが
有色人種の出自である事が露見する事は、白人中心の人種差別による
社会秩序を「破壊」する恐れがあったためだった。
398世界@名無史さん:2007/10/07(日) 00:02:23 0
3. マリア信仰の中心地、南フランスのマグダラにはマリア信仰のための
  カトリック聖堂があるが、その聖堂は元々古代ローマから続く女神
  ディアーナ・ルシフェラ信仰の聖堂であった。

マグダラでは異端を理由とした弾圧を避けるため、ルシフェラ信仰を隠し
表向きマリア信仰に偽装してきた。ルシフェラはルシファー、つまり悪魔
信仰である。中世ヨーロッパではこの南フランスの黒い聖母像のある教会を
拠点に、武闘派で知られるテンプル騎士団が聖地エルサレムの奪還を目指し、
度々イスラム教徒大量虐殺の十字軍を展開した。

4. マリア信仰はキリスト教由来のものではなかった。マリアと同じく処女
  で子供を産む古代ギリシアの女神アルテミスが、キリスト世界でマリア
  信仰に変形、移行したとされているが、アルテミスは古代ギリシア語の
  アルタモス=葬り殺害する意味の言葉を語源にしている。

黒いマリア像のある聖堂は、実は動物殺害を職とする精肉業者のギルドの
集会場でもあった。だがアルテミス神は動物だけでなく人間をも殺害した。
マリア信仰は人間を殺害し、その肉を食べる「人肉食い」の宗教儀礼アルテ
ミス神を引き継いでいた。

イエス・キリストは聖書の中でしばしば語っている。
「パンは私の肉であり、葡萄酒は私の血である」
これはキリスト教が人肉食いの伝統から発している事を示している。

5. 英国の大ブリテン民話には「黒いアニス」という鬼が出てくるが、
  これも黒いマリアの原型であると言われる。アニスは人間を殺して
  食べる人食い鬼である。

6. ギリシアのアルテミス神は古代エジプトの神オシリスを源流とし、
  さらにエジプトより古いシュメールのアシュタルテ神に起源を持つ。
399世界@名無史さん:2007/10/07(日) 00:08:47 0
フランスのブローニュのシュールメール教会にも「黒いマリア像」があるが、
シュールメールは古代シュメール国家の事であり、紀元前3800年に全盛期を
迎えるシュメールは古代ギリシア、ローマ、エジプトよりも遥かに古い、
マリア信仰の起源を示している。

シュメールの人肉食いの儀礼はどこから来ているのか。

7. 現在、一般に流布している聖書は、こうした「マリア福音書」のような
  重要文書を削除し度重なる偽装が加えられたもので「聖書」と呼ばれる
  経典は、実際には他に膨大な量のものが存在する。

現在バチカンに保管されている聖書のラテン語写本3738番(写本、古文書
には全て番号が付されている)には1万7000年前からの人類の歴史が詳細に
記載されているが、一般に流布している聖書はそのごく一部を抜粋したもの
に過ぎない。

古代シュメール文明は磁力を使用した乗り物を使用する等(UFO?)高度な
文明を持っていたとも言われるが、6000年程前の古代シュメール語版聖書
(古文書ナンバー1558)には「アヌという惑星からネフィリムという名の
地球外生命が貴金属原料を求めて地球に来訪し、人間はそれをキリストの
神と崇めた。神は人間と交尾し半神半人の生きものが出来た。また遺伝子
操作で猿と神の遺伝子を合わせアダムという名の奴隷を作り、貴金属の
採取労働に酷使した。

半神半人の生き物と神は、食事として人間を殺害しその肉を食べ血液を飲んだ。
神は貴金属が十分蓄積されると、もはや必要の無くなった大分の奴隷人間を
殺害し、将来再び貴金属採取に人間が必要になった時のため、少しの人間だけを
ノアの箱船に保管し半神半人に管理させ、神は地球を立ち去った」

・・と記載されている。シュメールの人肉食い儀礼は、地球が貴金属採取の
奴隷労働者と人肉提供の家畜牧場である事を示していた。
400世界@名無史さん:2007/10/07(日) 00:09:34 0
8. このシュメール版聖書の内容を忠実に再現しているのが、かつて旧約
  聖書に入れられていた経典「エノク書」であるが、AD4世紀に異端
  として旧約から削除され、禁書として封印された。

9. 既報のように、かつて米国の建国資金を用意した麻薬専売会社ラッセル
  の監査役がブッシュ大統領の祖先J・プレスコット・ブッシュで、その
  取締役がモルモン教創立者の一人アルフォンス・タフトであった。

そして現在ブッシュの最大支持基盤になっているのが、このモルモン教を
中心としたキリスト教原理主義である。モルモン教は創立当時「エノク教」
と名乗っていた。「エノク書」を信仰する宗教がモルモン教だった。

「エノク書」の教える所は「奴隷として人間を酷使した後、十分な富が蓄積
された後には必要の無くなった大部分の人間等は皆殺しにせよ。半分神である
白人の一部だけをノアの箱船に残し、他の人間等は殺害して良い。大部分の
人間は殺して食べて良い家畜である。」

モルモン教によれば、このノアの箱船がイスラエルである。シュメール版
聖書と「エノク書」の記載を真実と考えるか、単なる神話、物語と考える
かは各人の自由である。しかしエノク書を真実と盲信し、イスラエル以外に
住む全人類、特に有色人種を全滅させる事が「自分達の使命」であり、
人類全滅に自分の全人生を賭けている。

そのような狂信が米国の「国教」キリスト教原理主義としてCIAにより
形成され、米国大統領選挙において最大の票田となり、イスラエルの
建国理念の深層に存在している。それがイラク、レバノン、パレスチナ
での虐殺を引き起こしている。

10. 現在流布している聖書とバチカンによってヒタ隠しにされてきた
  シュメール版聖書、エノク書。
401世界@名無史さん:2007/10/07(日) 00:11:51 0
それをヨーロッパ中世において忠実に実践してきたのがイスラム教徒を
大量虐殺する十字軍(十字は元々シュメールの神アシュタルテの印である)
を展開したテンプル騎士団である。さらにテンプル騎士団は、イスラムから
略奪した富を利息を取って貸し付ける「最古の銀行」の創設者でもある。

テンプル騎士団に最も影響を与えたAD2世紀のアレクサンドリアの哲学者
バレンティノスは「悪性の中に神が宿る」とした。高利貸し(銀行)、殺人、
強姦、人肉食いと飲血等の悪行の瞬間に神が降臨すると考え、殺人や犯罪を
喜びとし奨励する。

テンプル騎士団は後に南仏から英国に渡り、英国王室の強硬冷酷な軍隊と
なり世界を支配する大英帝国の要として、東インド会社が世界中で行った
有色人種の殺戮、奴隷化、アヘン貿易を担う事になる。

東インド会社の銀行部門HSBC香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)、
その出資者であるスタンダード・チャータード銀行の米国支部がシティバンク
=ブッシュ=ベーカーのイラク戦争実働部隊へと連なって行く事になる。

キリスト教原理主義の「殺人と犯罪を重ねる事が神に近づく修行」という
狂信と盲信の歴史、現在におけるキリスト教原理主義の戦争犯罪を明らかにし、
政治の場から追放しなくてはならない。ドイツにおいてはナチスを信奉する者は、
それだけで逮捕され刑務所に入れられる。キリスト教原理主義者に対しても
同様の処罰が必要である。

共和党次期大統領候補コンドリーザ・ライスはキリスト教原理主義者で
FEMA創立者のブレシンスキーの弟子であり、民主党大統領候補ヒラリー・
クリントンはモルモン教創立者タフト一族の姻籍にあり、アーカンソー州
でブッシュ・キリスト教原理主義の武器密売に中心的役割を果たして来た。
402世界@名無史さん:2007/10/07(日) 00:23:25 0
十字軍や植民地みたいなキリスト教徒の悪行を見てるといつも思う。


行き倒れを助ける異教徒(サマリア人)>>>(超えられない人助けの壁)>>>行き倒れを無視するラビ
なんて話をするチャレンジャーがあんな了見狭いハズが無い、と。
つーかな、「異教徒なら殺していいんだ」「無理やりにでも改宗してやれ」なんていう野郎が僧侶貶めて(近しい宗派とはいえ)異教徒を褒めるわけねーだろと。

新約聖書の「信者欲しい信者欲しい信者欲しいぃぃぃぃぃっ!!」ってのが滲み出てる箇所とそうでない箇所の剥離具合はもはやギャグの領域だよ。同一人物の思考回路じゃねえ。
そうすっとどっちかが後世の創作って事になるが……まーフツーに考えれば前者か。
後者はちょっと布教や統制にゃ向かんしな。何処の宗教が「違う宗教(宗派の方がいいのか?)の人>>自分とこの僧侶」なんてトバしてる図式で布教なんかやるかよ。
「それじゃ別に改宗しなくてよくね?」って言われて終わっちまうじゃないかw


最近たまに思う。
キリストって選民思想が嫌いだったんじゃないか?
でも当時は「選民思想」なんて言葉が無かったから、代用として「傲慢」なんて言ってみたり、「選民思想やめれ」っつー意図で愛を説いてみたり、「異教徒でもいい人はいい人」なんて話してみたりしたと。
でも死んじゃった後は死人に口無し。色々な人がキリストの言行録の編集と平行して自分の思想をキリスト教に混入させてって、
その結果キリストの教えは本来の「選民思想の否定を前提とした神の前の平等」でなくて「選民思想による異教徒排除・非白人人種への差別を前提とした隣人愛」なんつー怪しげなもんに摩り替わっちまったと。

それで後世のキリスト教徒が白人万歳のガチガチの選民思想の持ち主ばかりになって、あんな洒落にならん人災をばら撒きまくったと。
いくらキリストが全人類の贖罪の為の犠牲になったとはいえ、それに対する神罰にしちゃ何か間違ってるような……磔で手打ちじゃなかったのかユダヤの神!?
罰の為に人類史上最凶最悪の罪と悪生産してどーすんだ!!
403世界@名無史さん:2007/10/07(日) 08:59:09 0
>>393
GHQの公職追放以来日本の大学は反日左翼に乗っ取られた。
東大総長も戦後は左翼以外なれない。

日本の戦後はGHQの公職追放から始まった
http://www.youtube.com/watch?v=z97KIAhAlY8
404KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/07(日) 19:08:55 0
>>402
イエス本人が選民思想を嫌っていたのか(イエス本人に最も近い語録は分量的にごく僅か)、
また「善きサマリア人の譬え」(これはイエス自身の口に遡るものではない)が選民思想への反発的なメッセージなのか、
あるいは、福音書の中の「パリサイ派とイエスの対立」の構図(これもおそらく史実と異なる)が、選民思想への挑戦の表現なのかどうかには疑問がありますが、
初期キリスト教徒にとって、“ある意味で”選民思想が障害となったのは間違いないと思います。
パウロなど、ユダヤ人と異邦人の間のジレンマに悩んだキリスト教徒の一人でしょう。

しかし、彼の関心は、選民という囲いを取り払って普遍的な平等を実現することだったのではなく、
どちらかというと、選民という囲いを拡張することにあったのではないかと思います。
この「除去」と「拡張」のニュアンスの違いは重要だと、私は思います。

パウロ(彼はユダヤ人であるが)ら初期クリスチャンにとって、選民主義拡張を実現するための装置(旧約や律法)は、依然として有効な道具だったはずです。
むしろ、それなくして、クリスチャン共同体を形成していくことはできなかったでしょう。
その装置の効果を維持したまま、彼らは、「生来の選民」を「後天的な異邦人の選民」へと変換していったのです。
実際、初期クリスチャンは「新しいイスラエル」という概念を抱き、選民主義を自分たちに当てはめようとしています。

ですから、初期クリスチャンにとって、選民主義が邪魔だったのは、
それがユダヤ人たちにしか適応されなかったからであり、自分たちが選民となる道を閉ざしていたからです。
ユダヤ人から選民主義を“かっさらう”ために、彼らは「神の前の平等」(?)を説いたのです。
それは“我田引水”的な動機であり、それほど誉められたものではありません。
したがって、キリスト教の誕生以来、選民思想が途絶えたことは一度も無いと思います。
「選民思想」は、父であり兄であり母であるユダヤ教から受け継いだ、キリスト教のDNAなのです。
彼らの間から、異教徒への憎悪が拭えないのはそのためです。
405世界@名無史さん:2007/10/07(日) 20:12:27 0
>>404
>選民という囲いを拡張することにあった

EUが、国民国家をEU加盟国全体のレベルに拡張しているにすぎない
のと共通するな。
だからトルコの加盟は絶対に認めないし、東方正教圏の国の加盟も本音では
歓迎していない。
406KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/07(日) 21:58:51 0
>>405
「EUの構想は、中世のカトリック世界の再現である」、ということはよく言われますね。
ヨーロッパ人にとって、“ヨーロッパ”とは、中世のキリスト教圏としてイメージされているようです。
トルコのEU加盟の遅れも、その視点から説明されます。
トルコは、中世時代にはローマ・カトリックの封建社会には組み込まれず、今に至るまでイスラム教国ですからね。
トルコと“ヨーロッパ”との間に立ちはだかる壁は、なかなか崩せそうにありません。

カトリックを頂点とする西欧世界は、キリスト教がイメージする世界をモデルに作られました。
それは神が与えた秩序であり、地上に再現された神の国として想像されました。
私はそこにも、初期キリスト教のDNA(選民主義に基づく排他性)が息づいているのではないかと思っています。
キリスト教の観念の下で発展した西欧世界は、先天的な排他性を堅く保持したまま、その領域を拡張してきたのです。
そして今でもその排他性は、人々の心に潜在的に残っており、周囲の世界に対して高い壁として立ちはだかっています。
キリスト教が提示する「普遍的な愛」とは、その高い壁の内側でしか適応されないのです。
その壁を広げる方法はタダ一つ、「布教と改宗」です。
407世界@名無史さん:2007/10/08(月) 00:04:53 0
カトリックにとってプロテスタントは同朋なのかな。
オーソドックスは異教徒扱いなんだろうけど。
408世界@名無史さん:2007/10/08(月) 00:43:06 0
ナチスによるユダヤ人大量虐殺を容認したカトリック狂会
ユーゴではカトリック司災自ら銃をとりセルビア正教徒を虐殺しまくっている
近年ではベトナムでカトリック凶徒の大統領が仏教徒を弾圧
抗議の焼身自殺を遂げた仏教僧侶を「バーベキュー」と揶揄
409世界@名無史さん:2007/10/08(月) 04:16:13 0
>397〜

えっと、徳間とかたまとかそういう所の本読み過ぎ(w
410世界@名無史さん:2007/10/08(月) 04:22:15 0
>>407
プロテスタントはカトリックから分離した連中だからな。
ハンチントンの『文明の衝突』でも、西欧文明と東方正教文明は
異なる文明だとしている。
411世界@名無史さん:2007/10/08(月) 05:18:05 0
アメリカのキリスト教は、キリスト教の衣をまとった「アメリカン・
ナショナリズム教」なんじゃないかと思うときがある。
なんであんなに好戦的な論調が多いんだろうね?
412世界@名無史さん:2007/10/08(月) 12:26:57 0
>>411
イエスの、「我のみ良しの独善性」「人間そのものに対する愛の欠如」「人間
差別」「創造に対する畏敬の欠如」の端的な表れですね。それが、ヨハネ福音
書や黙示録のオカルト性と妄想性の影響によって増幅されたのでしょう。
413世界@名無史さん:2007/10/08(月) 13:18:38 0
ヨハネ福音書は妙ちきりんな書物だと思いませんか?
「初めにロゴスがあった。ロゴスは神と共にあった。ロゴスは神であった」
著者はかなりギリシア思想に通じた人物であったようですが。
414世界@名無史さん:2007/10/08(月) 13:41:16 0
>>413
キリスト教の問題点は、ユダヤ教起源というよりも、むしろギリシャ哲学起源
であるように思える。

「ロゴス」は、まさにギリシャ哲学用語。クリスチャンは、何と「ロゴス=
イエス」と解釈しているw。

当時のガリラやは、ギリシャ文化の中心地。聖書でも「異邦人の地」と呼ばれて
いる。イエスが、ギリシャ哲学に触れて舞い上がったのではなかろうか。

あるユダヤ人は、イエスはギリシャ医学に精通しており、ユダと謀ってギリシャ
薬店で買った「仮死状態に陥る薬」を処刑前に飲み、処刑の苦痛を防止し、処刑
後「仮死状態」から覚めて「復活」した、と解釈している。

キリスト教とギリシャ哲学との関係について、どなたかご教示ください。
415世界@名無史さん:2007/10/08(月) 13:50:14 0
アメリカの支配階級であるWASPはプロテスタンティズムだと思うんですが、
それがイスラエル支持、ユダヤ国家との結びつきというのと、矛盾しない
のですか?
416世界@名無史さん:2007/10/08(月) 14:49:48 0
>>415
一般に福音派原理主義者たちはユダヤ人を「神に選ばれた民」と考え、現在の
イスラエルをシオン(神の都)とみなしてその建国を肯定する立場を採るため、
ユダヤ人社会とは親和的で密接な繋がりをもっています。一方では、再臨する
キリストを殺す者もまたユダヤ人であるという理屈で「アンチ・キリストは
今生きているユダヤ人である」と発言しています。キリスト教は、理屈の上では
旧約に頭が上がらないと同様、ユダヤ人やその聖地であるイスラエルにも頭が上
がらず、ambivalentな感情があるのではないでしょうか。というよりも、機会が
あれば、旧約もユダヤ教もイスラエルも乗っ取りたいのではないかと思います。
シオニズムも、キリスト教の影響があるのではないかと思います。ユダヤ人すべて
がシオニズム賛成ではありません。イスラエルの建国は誤りであったと思っている
人もいます。事実そうだと思います。

ユダヤ教とキリスト教は、思想的には本質的に異なるため、キリスト教にとっ
ては、ある意味で、旧約は「目の上のたんこぶ」なのです。旧約廃止の声さえ
出ていますが、旧約を廃止すればキリスト教も崩壊するため、痛し痒しという
ところではないでしょうか。
417世界@名無史さん:2007/10/08(月) 14:53:55 0
ttp://www.mars.dti.ne.jp/~techno/text/text4.htm
エルサレムまで何マイル?
418KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/08(月) 19:23:15 0
>>414

>イエスが、ギリシャ哲学に触れて舞い上がったのではなかろうか。

それは十分考えられます。
ガリラヤは、有名なギリシア人哲学者を輩出していたそうですし、イエスがその影響を受けていた可能性は高いです。
ガリラヤがゴチゴチユダヤ教徒の巣食う片田舎だと思ったら大間違いです。
そこはギリシア・ローマ文化色の強い、洗練された地方だったと想像されます。
イエスも、ギリシア・ローマ文化の恩恵に浴していたかもしれません。

>イエスは…処刑の苦痛を防止し…。

なかなか面白い説ですが、イエスが処刑されて死んだということは歴史的に確証不可能なので、その点は深く突っ込んで論じる必要はないかと思います。
イエスの死の光景を福音書をベースに思い描く必要はないでしょう。
私は、イエスの磔刑の死は、よくできたフィクションだと考えています。
彼がどうやって死んだのか、畳上での老衰なのか、ガリラヤ湖遊泳中での溺死なのかは、歴史的には確証できません。
もちろん、磔刑上の死も、そうした数ある可能性の中の一つに数えられるでしょう。
419世界@名無史さん:2007/10/08(月) 19:36:08 0
D・H ロレンスの『黙示録論』マジおすすめ。
420KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/08(月) 19:38:06 0
>>414
>キリスト教とギリシャ哲学との関係について…。

ギリシア哲学についてはそれほど詳しくないのですが、初期キリスト教への影響は、以下の3点のようになると思います。
ただ、ここで注意が必要なのは、ギリシア哲学とキリスト教の関連を考えるときに、新約のギリシア哲学風“解釈”の泥沼にはまってしまうことです。
“解釈”と“解明”は異なります。
“解釈”をすると、今度は“神学”の罠にはまってしまいます。
ですから、よほどの専門家でない限り、哲学は迂闊に手を出せるテーマではありません。
もちろん、この私はその筋の専門家ではないので、悪しからず…。

@【イエスの格言】…一部の学者たちは、すでにこの最初期の段階で、ギリシア哲学の影響が見られると指摘しています。
イエスの語録との類似が指摘されるのは、犬儒派のアンティステネスや、シノッペのディオゲネス、クラテスだそうです。
ガリラヤ地方にも、紀元前後に、メレアゲル、フィロデモース、オエノマウスといった知識人がいました。

A【死せるキリスト像】…後50年代には、早くもイエスの「死」がキリスト教徒たちに注目されますが、これもギリシア的な「高貴な死」の焼き直しであると言われています。
大義のために死ぬ兵士や政治家、哲学者の伝統的なギリシア的イメージが、イエスに投影されたというのです。
実は、このイメージを借用したのは、この時代のキリスト教徒が初めてではなく、それ以前に『第四マカベア書』や『ソロモンの知恵』が先取りしています。
そして、このイエスの死のイメージをより具体化するために「十字架上での死」のシナリオが作り上げられたと考えられます。
また、この時代、イエスは神々しい存在、受肉した超越者、理想的な王としても想像されましたが、それもギリシア的な観念の影響だと考えられます。

下に続く。
421世界@名無史さん:2007/10/08(月) 20:19:52 0
>>406
キリスト教の選民主義の現れとして「予定説」というのがあると思いますが、そのことについてどう思いますか?
422世界@名無史さん:2007/10/08(月) 20:36:06 0
>>420
イエスの言う「愛(アガペー)」は、まさにギリシャ哲学の概念ですね。尤も、
ギリシャでは、「愛」とは、もっぱら「少年愛」「同性愛」の意味だったよう
ですがw。

旧約の「愛」も、アガペーですか?次々と質問すみません。
423KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/08(月) 21:06:23 0
>>420のつづき

B【宇宙的なイエス】…後1世紀の末になると、宇宙と結び付けられたイエス像が出現します。
有名な『ヨハネ福音書』の冒頭や、『コロサイ』、『エフェソス』そして『黙示録』などに、そうしたイエス像が認められます。
こうしたイエス像にも、ギリシア的な宇宙観が影響を与えています。

ギリシア人たちは、自分たちが住んでいる宇宙を束ねているのは、一つの力だと考えていたのだそうで。
初期キリスト教徒も、こうした世界観を共有しており、その枠組みで過去や未来を想像していました。
そして彼らは、その枠組みの中で、旧約やキリストを解釈しようと試みたのです。
そうする時に、キリスト教徒は、独自の神話、独自のコミュニティー、独自の歴史、未来、宇宙を“創造”することができたのです。
そこで彼らは、イエス・キリストを、宇宙の中心にデンッと置き、彼を宇宙を束ねる力だと説明したのです。
その際には、プラトンの『ティマイオス』の創造神話も参考にしたかもしれません。

このようにして、ギリシア的な宇宙観の枠組み内で、イエスができるだけ上位に押し上げられ、突拍子もないイエス像が出来上がりました。
宇宙の秩序としてのイエス…。
しかし、イエスが宇宙の主となってくれたおかげで、キリスト教徒は、自分たちを取り巻くすべての現象を体系立てて説明することができたのです。
これは非常に重要なことです。
それは集団としてのアイデンティティ形成に深く関わってくるからです。

以上の3点から、初期キリスト教徒とギリシア哲学の関係を指摘できるかもしれません。
@辛味の効いたイエスの格言、A彼の殉教的な死、Bブッチギリの存在感。
そのどれもが、現在に至るキリスト教的思想の決定的な特徴となっているのは興味深いです。
さて、現代においては、どのイエス像が最も魅力的なのでしょうか…。
424世界@名無史さん:2007/10/08(月) 21:49:13 0
>>423
漏れは、
>Bブッチギリの存在感
だな。
425KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/08(月) 22:20:15 0
>>422
よく、ギリシア語の愛には、アガペー、フィリア、ストルゲー、エロースがあるといわれますね。
これに対し、旧約では、男女間の愛も、友人間の愛も、神への愛も、神の民に対する愛も、だいたい「アヘブ」という語で統一されています。
だから、愛の観念は、旧約で決して珍しいわけではないと思います。

あと、旧約には「親切」とか「敬愛」を意味する「へセド」という語もよく出てきます。
サムエル記上20章14、15節の「慈しみ」(共同訳)などがそれにあたります。
その箇所は、ギリシア語だと「エレオス」となって、「恵み」とか「同情」を意味します。
ちなみに、イエスがヨルダン川でバプテスマの儀式を行ったときに天から降ってきた「愛」は「アガペー(トス)」です(マタイ3:17)。
426世界@名無史さん:2007/10/08(月) 23:03:01 0
>>425
旧約の「愛」の説明、ありがとうございました。長い間の疑問がやっと解けて
きた記がします。

イエスの言う「愛」は、男女間の愛など絶対に含まず、また「友情」「親切」
「慈しみ」などの概念とも違うようですね。ギリシャ哲学の「愛」がさまざま
に区別されているのと同じです。「愛」は自然の感情であり、観念的な区別は
できないはずなのですが。

ここにも、ギリシャ哲学の人為的観念性の影響が明らかです。

その意味で、旧約の包括的愛概念のほうがはるかに真理。イエスのアガペーを
「愛」と呼ぶのは誤りだという気がする。極言すれば、「他者への思い」と
いう自然の感情ではなく、観念によって「構成」された、限定された内容しか
有しないアガペーは、「愛」ではない。
427KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/08(月) 23:18:44 0
>>421
それはカルヴァンの「予定説」のことでしょうか。
どうなんでしょう、私はカルヴァンについてはよく分からないもので…。

しかし、予定説が、近代の市民社会の精神を形成したということは、定説のようですね。
つまり、予定説の中心をなす「神の選び」という思想が、近代の有産階級者の精神を形成したと。
カルヴァンは、個人の選びよりも、集団の選びのほうを重んじたそうですね。
「神は善き集団を選ぶ」という思想は、“特定の集団”の結束を強めます。

では、その「集団」が「階級」に置き換えられたら?
しかもカルヴァンは、「勤労」を神からの使命と説きましたから、それは必然的に、富裕階級のエリート意識へと繋がっていくはずです。
それは、彼らに「俺たち選ばれている」という優越感を与え、弱者に救われない劣等感を植え付けたに違いありません。
「選ばれた“集団”」は、次第に、「選ばれた富裕“層”」へと置き換えられていったに違いありません。

たしかに、これは、経済的階層に適用された「選民思想」といえるかもしれません。
弱者と富裕者との格差は、「選民思想」によって正当化され、固定化されたのでしょう。
カルヴァンの予定説は、ルターやアウグスティヌスに遡るといわれています。
ルターも社会階級の固定化を肯定しています。
初期キリスト教徒が憧れた「選民思想」は、歴史の過程の思わぬ場面で顔を出している印象を受けます。
428KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/08(月) 23:36:35 0
>>426
ギリシア語の「愛」の分類が、図らずも、後代の神学者らによる「愛の解釈」を引き起こしてしまったのでしょう。
「その分類と使い分けに、何か深遠な意味があるに違いない」という期待と共に…。

429世界@名無史さん:2007/10/08(月) 23:58:10 0
>>424
>漏れは、
>Bブッチギリの存在感だな。

具体的には、イエスのどこに「存在感」があるのか教えてください。イエスの
言葉は、口先だけの修辞だし、山上の垂訓なども、十戒の「骨太さ」に比べると
極めて線が細い感じがするが。罪の女への群集の石打に対しても、体を張って
女を助けるか又は群集を諭そうとはせず、陰湿に「罪悪感」を植えつけただけ。
430KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/09(火) 00:09:39 0
>>429

「私は、アルファであり、オメガである」(黙示録22:13)。

存在感ありまくりではありませんか?
「あ」と「ん」の口をした金剛力士の迫力を備えています。
威嚇的です。
大袈裟です。
茶を吹いてしまいます。
どこの誰が、一体、こんな存在感を誇示した発言をするでしょうか?
さすが、B宇宙のヌシです。
431世界@名無史さん:2007/10/09(火) 00:21:39 0
>>430
「誇大妄想患者」の存在感ですね。真の存在感ではない。
432世界@名無史さん:2007/10/09(火) 00:49:43 0
>>431
イエス死後に作り上げられた存在感なんだから、それで十分でそ。
そもそも、真の存在感とは何ぞやって話になるぞ。
433世界@名無史さん:2007/10/09(火) 00:54:07 0
>415
福音派(というと日本の福音派に怒られるが)の連中は今のイスラエルは世界の終わりの前に滅亡しないといけないので、アラブに滅ぼされるようなことは困ると。そういう無茶な理屈でイスラエルを支援してるらしい。
434世界@名無史さん:2007/10/09(火) 00:57:33 0
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-43.html
アメリカではイスラム教徒が増えてるのか〜。
ニューヨークのタクシー運転手の多くはムスリムだそうだ。

キリスト教がまた求心力を無くしていってんのかな。
これからキリスト教と他宗教の力関係はどうなっていくのか。
435世界@名無史さん:2007/10/09(火) 01:06:41 0
しっかしムハンマドのやり方は上手い。
教えを説くだけでなく、味方につく(入信する)と
有利になるという状況をフル活用している。
上手に立ち回ってればキリスト教ももっと
今現在よりもクリーンなイメージでやれたはず。
436KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/09(火) 01:32:55 0
>>434
民族や国民という枠組みが薄れている世界に身を置く者にとっては、
イスラームという共同体に属すことは、新たなアイデンティティ確立のための一つの方法なのでしょう。
それはまさしく、紀元前後の初期キリスト教運動と向く方向を同じくしています。
それについては>>149>>151でも、少し触れられています。

あとは、イスラム教の貧者に優しい教えも魅力なのではないでしょうか?
アメリカのクリスチャンは、>>427のようなプロテスタントの教えを受け継いでいるとも言われ、貧者に厳しく、
そうした階層主義への反発として、イスラム教が興っているのかもしれません。
イスラームの発展は、資本主義とグリーバル化拡大の“ひずみ”への反動とみることもできるのではないでしょうか。
437世界@名無史さん:2007/10/09(火) 01:54:01 0
>貧者に厳しく、
一方で
他の宗教への改宗者、バハーイー教徒、同性愛者、には
恐ろしい反応を示す一面もあるんだよなあ……

たとえばバハイ教徒だと普通の報道機関で邪教扱いされて(カルトな行動をしたわけでもないのに)
視聴者に注意を促されてたりする。それ以前にも祖国イランですごい目に遭っている。
http://blog.livedoor.jp/sekai_no_1/archives/50512657.html
438世界@名無史さん:2007/10/09(火) 03:05:29 0
キリスト教だって、ひとのこといえない。
単性論を異端として火炙りにしはじめたのは681年、公的には火炙りにしなくなったのは1648年。
一千年近く、異端に対してひどいことを公然とやっている。
ひとたびタガが外れれば、制度化されていなくても、異端に対してひどいこと平気でやる。
たった十年か二十年のユーゴスラビア瓦解に伴う一連の紛争で見たところだろう。
439世界@名無史さん:2007/10/09(火) 03:43:49 0
>>438
いずれにせよ、人間の営みでありながら、人間と自然からかくも隔絶し、人間
を超越した存在に最大の価値を認める一神教では、戦争や虐殺は永遠に続くだろう。

一神教とは異なり、仏教は2500年間、ほとんど人を殺してはいない。その
思想的原因を解明するする必要がある。

架空の神から、現実のすべての人間とその生存を支える自然への、パラダイム
の大転換こそが、現代人に課せられた急務であろう。さもなければ、人類は一
神教で滅亡する。その兆しは、中東で既に明白である。
440世界@名無史さん:2007/10/09(火) 15:51:20 0
うそそお。仏教だってヒドいことしてるじゃん。
四天王寺の戦闘。仏教派の聖徳太子・蘇我馬子が、守旧派・物部氏一門を惨殺している。
奪い取った物部守屋の領地・屋敷は「大聖勝軍寺」になっている。
チベットの黄帽派の伸張期の異端攻撃もあったし、や、セイロン島での仏教徒シンハリ人と
婆羅門教徒タミル人の地で地を洗う抗争は今も続いている。
仏典というか説話集にもヒドいことやったことを誇らしく書いてあったりするよ。
婆羅門の経典は火にくべると焚けてしまうが仏典は仏の籠があるから焼けない、
そこまではいいとして、帰依しないならは婆羅門教徒は火にくべて焼き殺す、
焼け死ぬのは仏罰だ、とか書いてあったりするし。
441世界@名無史さん:2007/10/09(火) 21:25:43 0
風俗勤務女= 魔界 ◆RC3h9.WHho = 東芝産業システム社
442世界@名無史さん:2007/10/09(火) 23:06:35 0
「ニューエイジ」に警戒強めるバチカンの報告書邦訳

約10億のカトリック信者を抱えるバチカン(ローマ法王庁)が、教会離れを促す一因とも見られる
社会現象「ニューエイジ」に警戒を強めている。日本ではこのほど、法王庁の調査チームが発表した
報告書の邦訳が出版された。「教会に対する挑戦」というニューエイジとは――。
「新しい時代」を意味するニューエイジは、70年前後から米国で起こった宗教的な潮流。特定の
宗教とは関係なく「本当の自分」を見つけようとする考えや実践の総称で、見えない何かにつながる
感覚(スピリチュアリティ)がしばしば重視される。
瞑想やヨガ、セラピー、東洋医学、さらには地球を一つの「生命体」と見なす環境運動までさまざまな
形をとる。研究者の間では近年、従来の宗教の枠に収まらない宗教意識の表れとして注目されている。
衣食住が一通り満たされた先進国を中心に展開、日本でも「精神世界」として70年代後半から
広まった。最近、「スピリチュアル」と呼ばれる大衆文化にも、この流れをくむものが多く含まれる。
日本のカトリック中央協議会が出したのは『ニューエイジについてのキリスト教的考察』。原文は
法王庁の文化評議会などが03年にまとめたもので、もともとは聖職者に向けた内容だ。ニューエイジが
一部の信者に影響を与えているとの危機感もあり、「真正なカトリックの教理」を見失わないようにと
呼びかけている。
443世界@名無史さん:2007/10/09(火) 23:07:30 0
興味深いのは「ニューエイジ的宗教性の魅力を見くびってはなりません」と警告し、人々の「心の渇き」に
応えてきただろうかと自らを振り返っているくだりだ。
「ニューエイジの成功は、教会に対する挑戦ともなっています。人々は、キリスト教が自分たちの
本当に必要とするものを与えてくれない(あるいは少なくとも与えてくれなかった)と感じています」。
そのうえで、「人々の心の中のしばしば声を発することのない叫び声を理解すること」が必要と説いている。
現代は「真の意味での権威」が失われたとも述べている。「人々はさまざまな制度に『帰属』する必要を
ますます感じなくなりました(にもかかわらず、孤独は現代人の大きな悩みの種です)」。地縁・血縁の
共同体が壊れゆく日本では宗教者だけでなく幅広い層の関心を呼びそうな話だ。
バチカンは04年に各国代表を集め、ニューエイジに関する会議を開くなど情勢分析を進めている。
会議に参加したカトリック中央協議会の岩本潤一研究員は個人的な見解として、こう語る。
「ニューエイジに吸い寄せられる人には、教団宗教に対するアレルギーがある。その事実を
直視しなければいけない。今回の報告書は、自己批判としてのニューエイジ批判と言えるだろう」

ttp://book.asahi.com/clip/TKY200710090078.html
444世界@名無史さん:2007/10/09(火) 23:31:46 0
将来、欧米諸国でキリスト教にとってかわるものが現れるとしたら何になるでしょうか?
マルクス主義イデオロギーはもはや魅力を失っているし、アメリカの一部で
盛んなファンダメンタリズムも多くの人々をひきつけることができるとは
思えません。
445世界@名無史さん:2007/10/10(水) 00:03:45 0
>>444
無宗教でしょう。
キリスト教の神は誕生してからしばらくして堕落し続けているよ。
神の名を叫べば叫ぶほど人間の手垢にまみれて汚れていくのさ。
仏教にもお釈迦様の力が薄れていく末法思想ってのがあるよね。

あとインターネットって答えもあるかもね。
困ったときの神頼みになるよね。
446世界@名無史さん:2007/10/10(水) 01:28:16 0
19世紀のナショナリズムというのはある意味、宗教の代わりだったのかね。
非合理的な部分を含んでいるし、何よりも帰属意識を満たしてくれる。
447KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/10(水) 02:00:25 0
「神」という語を定義し直すことができれば、今後、人々が何に帰依するか、ある程度予想がつくのではないでしょうか?
>>446のような現象も、そうした視点から、説明することができるかもしれません。
448世界@名無史さん:2007/10/10(水) 11:56:46 0
ある学者が、原始キリスト教が成功したのは、ギリシア語の宗教でありながら
ギリシア産ではなく、ユダヤ産でありながら、ユダヤ性を否定克服したことに
なっており、我らの国籍は天にある、と無国籍的に普遍性を主張した宗教だからだと
指摘していた。

この点、現代のキリスト教はあまりにも“西洋”と結びつきすぎていると思われ。
ローマ教皇ヨハネ=パウロ2世は「ヨーロッパ文化の基盤にはキリスト教が
深く根付いていること」を明記すべきであるとたびたび声明を出した。

無国籍性という点では共産主義もそれを目指したが、こちらは100年も経たずに崩壊。
かといって、資本主義やリベラル・デモクラシーでは宗教の代わりにはならないだろう。

449KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/10(水) 22:26:31 0
>>448
キリスト教徒は、ユダヤ人から、「選民主義」と「約束の地」の概念を受け継ぎ(パクり)ました。
しかし、指摘の通り、キリスト教徒にとっての「約束の地」とは、ユダヤ人のいう“地上”の土地ではなく、“天上”の土地でした。
この視線の転向を、70年のエルサレム滅亡の事件で説明することもできるかもしれません。
つまり、可視的な神殿喪失に伴って、その代替として、今度は不可視的な天に向けたと。
「神の王国」=「天の王国」の神学です。

しかし、神殿喪失以前に、キリスト教徒の間では、「神の王国ブーム」が起こっていました。
実は、イエスの真正の語録に最も近い『Q』にすでに、「神の王国」の概念が現れています。
イエス自身がこの語を口にした可能性は高いです。
そしておそらく、この「神の王国」という概念が、後のイエス運動ブームを多大な影響を与えたと考えられます。
新たな王国のイメージは、人々に、新たな社会形成のヒントを与えたのです。

しかし、この時点ではまだ、神の王国は天上とは結び付けられていませんでした。
それはあくまで、この地上で、自分たち固有の社会を作り上げるモデルとして機能したのです。
それは、「さあ、新たな王国に属しているかのように生活してみないか?」という誘いでした。
そして、人々は、その王国について、あれこれと想像し、独創的な王国(コミュニティ)を作り上げようとしました。
初期においては、「神の王国」についてのイメージはまだ固定されていなかったと思われます。
固定されていなかったからこそ、曖昧だったからこそ、活発な神の王国運動が展開されたのです。
創造できる余地があったからこそ、人々は積極的にイエス運動に参加したのです。

しかし、現代はどうでしょう?
>>448でも言われているように、その王国の概念は、もはや固定化してしまっています。
そこに人々の想像力を掻き立てる要素はありません。
おそらくそれでは、キリスト教は社会実験として機能することはできないでしょう。
450世界@名無史さん:2007/10/11(木) 17:58:42 0



>>343

【 ピューリタン他派の系譜 】
■ 新約聖書の四福音記者・所属配下・所属教会

アパー・カルフォルニア(ネバダ・ユタほか)


451世界@名無史さん:2007/10/12(金) 04:57:47 0
欧米のアカウンタビリティ(説明する責任)ってのは世俗領主が教会にたいして
負う責任から始まったというのはマジ?
452世界@名無史さん:2007/10/12(金) 14:22:50 0
ローマ時代に、クリエンテスがパトロンに対して負う責任から。
民会は市民権があれば誰でも出られる。元老院に議席があっても報酬は無しで帝国の広大な領域で
手弁当で民会に行くのは結構キツいことだ。
そうなると、民会に出る人は少ない。
権益で集まったり、地縁で合議したりして、予めその集まり・地域の代表となる人を選んでみんなで
資金を出し合って民会送り込み発言したり議決に票を入れたりしてもらう。
今で言うと、政党や選挙区がパトロン、代議士がクリエンテスみたいなものだ。
クリエンテスがパトロンの資金で生活し首府での民会に出る路銀や根回しに使う。
その金がちゃんとクリエンテスの意に添う政治活動に使われたかどうかということを出資者たる
クリエンテスに報告することだよ。
453KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/12(金) 19:08:19 0
>>451>>452
制度としてのアカウンタビリティの歴史は古いでしょうね。
司教にも説明責任が課せられているらしいのですが、それが制度として、どの時代にまで遡るのかは知りません。
英語辞典によると、英単語としての「アカウンタビリティ」が登場するのは18世紀後半らしいのですが、これはどういうことなのでしょうか?
その時代、そういう術語が誕生する背景があったのでしょうか?
454KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/12(金) 19:20:27 0
宗教版の「キリスト教@質問箱」に、イエスのついての次のような解説を見つけました。
なかなか興味深かったので、箇条書きにして紹介します

@イエスは、ファリサイ派の系統に属していた。
Aファリサイ派の系統から、現代に通じるユダヤ教が発展してきた。
Bファリサイ派は、社会改革に興味を示さなかった。
Cしたがって、イエスも社会改革に興味を示さなかった。
D社会的革命を目指していたのは、ゼーロータイ(熱心党)であった。
Eゼロータイは、ユダヤをローマの支配から解放しようとして、熱心に戦っていました。

上記の6つの説は、おそらく現在幅広く支持されていることでしょう。
私も、A、Bの説には賛同します。
しかし、他の説については、私はあまり強力に支持できません。
とくに@については。
確かに、イエスは社会改革には無関心でしたが、それは彼がパリサイ派だったからではないと思います。
そもそも、イエスとパリサイ派とを結びつけることが、難しいのです(>>404)。


ですから、イエスを社会革命家として捕らえる視点は、はっきり言って間違っている、と思います。
455世界@名無史さん:2007/10/12(金) 20:12:05 0
>>453
イギリスでは18世紀半ばには議院内閣制がほぼ定着しますが、そのことと
なにか関係があるのでしょうか?
456KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/13(土) 00:55:53 0
>>455
英語の法典や行政文書で、アカウンタビリティという語が始めて出てくるのがいつなのかが特定できればいいのですけれどね。
18世紀の1755には、イギリスで、有名な『サミュエル・ジョンソン英語辞書』が出版されているのですが、そこには載っていないのでしょうかね。
まあ、そもそも、イギリスでその語が誕生したかどうかも分かりませんので…。
457世界@名無史さん:2007/10/13(土) 10:43:11 0
>>454
ムハンマド革命家説というのもありますが、こちらはあまり支持されていない
ようです。
彼はあくまで宗教家であり、アラブ人の部族体質の克服を目指したというのが
妥当ではないかと。(カーバ神殿に祀られていた各部族の神々の偶像を破壊した
のもその表れ)
458KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/13(土) 11:36:12 0
>>457
私は、イスラム教には詳しくないのですが、
もっとも批判的なムハンマド像とは、どういうものなのでしょう?
彼が歴史的に、本当にやったこと、話したこととは何でしょう?
私は、流布しているブッダ像も、ムハンマド像も、9割方、後代の潤色だと思うのですが。
459世界@名無史さん:2007/10/13(土) 12:38:13 0
>>457
古代中東においては(現在も多分に)政治と宗教は分離されておらず、政教一致だったのです。その証拠として神権政治や祭祀国家が挙げられます。
ムハンマドは奥さんも沢山いたことだし、単なる宗教家ではなく、政治家という側面も多分にあったのでは?
460世界@名無史さん:2007/10/13(土) 13:41:22 0
妻妾が沢山いることが政治家の条件なの?
461世界@名無史さん:2007/10/13(土) 13:50:48 0
>>460
アラビア半島の諸部族を味方につけるための政略結婚でそ。
462世界@名無史さん:2007/10/13(土) 15:21:48 0
>>459
ソダネ。イスラムの教えは、聖俗一致だよね。
だから、彼らは、キリスト教の聖俗分離を攻撃するわけで。
革命家説なんていうのは、どうせイエス革命家説の影響でしょ。
463世界@名無史さん:2007/10/13(土) 17:35:41 0
あれを宗教家と呼んでいいものかどうか疑念は多いけれども、
オウムの自称・麻原彰晃は、腹違いの子が沢山居るぞ。
464KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/13(土) 19:10:54 0
イスラム教といえば一神教ですが、
私は、唯一神信仰というのは、征服者側の政治的戦略として生まれるのではないか、と考えています。
つまり、他部族・他国の統合や領土拡大に伴う、中央集権化の手段として、利用されるのではないかということです。
政治的権力を伴わない唯一神教化はないのではないかと推測しています。

ユダヤ教において、唯一神信仰が顕著に表れるのは、バビロン捕囚期以後です。
唯一神崇拝の中にも、いくつかの種類があるのですが、捕囚期以前のイスラエルの宗教は多神教的でした。
旧約の『列王記』などを読めば、捕囚期以前のイスラエル国内には、いくつもの聖所が建てられ、ヤハウェ以外の神が奉られていたことが分かります。
このように、バビロン捕囚を境にして、それ以前は多神教、それ以後は単神教と、大まかに分けることができます。

しかし、バビロン捕囚以前にも、多神教撲滅の動きがありました。
それは前8−7世紀のユダ王国のヒゼキヤ王とヨシヤ王の時代です。
この時代は、エルサレム以外の聖所が、それらの王の政策によって破壊されまくった時代でもあるのですが、
それは、彼ら王の、領土拡張の試みとも時期を同じくしています。
聖所(や神)は、国家や民族の象徴(国旗のようなもの)であるばかりか、役所のような行政機関の役割をも果たします。
ですから、多数の神を一神に絞ることには、実際的な利害が関わっていました。
唯一神教化は、領土拡大と国家統合には不可欠な、政治的戦略だったと考えられます。

この視点から、イスラム教の一神教や、古代エジプトの一神教も説明できるのではないかと思うのです。


465世界@名無史さん:2007/10/13(土) 20:43:13 0
ゲルマンとフランク王国の貴族たちはゲルマンの神々の子孫であることを
誇りとし、小さなカリスマとして力を誇示していた。多くの伝承は、彼らが
「異教的な祭祀において有していた地位や権能に関する記憶」を示している。
たとえ、宗教や国家がキリスト教化されたとしても、古い時代の貴族たちが
11、12世紀にいたるまで、強大で構造規定的な影響力や名声を有し続けた
ことは、貴族的な支配階層が神性を体現しているということが知られており
信じられていたということから、はじめて理解しうるのであり、そしてこの
神性の体現こそが、彼らのカリスマの本質をなすものであった。
466世界@名無史さん:2007/10/13(土) 22:26:04 0
>>464
一神教概念が「政治的」なものなら、それが「政治家(為政者)」ではなく、
宗教者から主唱されたのは何故ですか。ローマでも、皇帝は、決して一神教に
積極的に賛同していたのではなく、一神教の繁殖に手を焼いた結果の止むを
得ない選択だったと思われます。ローマ戦争も、為政者としては、一神教の拡
大を抑えるためでした。

政治的な行為なら、もっと現実的であったはずです。一神教には、現実的な
要素は乏しい。
467KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/14(日) 00:29:17 0
>>466
確かにローマ人は、一神教崇拝を、従属民に発動しませんでした。
彼らは他宗教には寛容で、ユダヤ教を公認宗教とし、皇帝崇拝を免除しています。
それはなぜだったのか、私は説得力のある説を持っていません。
しかし、コンスタンティヌスの場合は、キリスト教を公認宗教とすることに意欲的だったのであり、政治と宗教との結びつきを匂わせています。

私は、「一神教の由来は政治的関心から生じるのではないか」と、思いつきで書きましたが、イスラエルに関して言えば、それは当てはまると思います。
「一人の神、一つの聖所」というポリシーは、古代イスラエルの為政者側にとっては有効的でした。
王と神官は二人三脚だったのであり、王の要請に神官が応えることもしばしばだったでしょう。
ヒゼキヤやヨシヤの宗教改革も、おそらく、政治家である彼ら自身の発案だったと私は思います。

確かに、中央集権的な国家すべてが、一神教を採用するとは限りません。
ご指摘の通り、ローマがその最たる例です。
しかし、一神教が生まれた背景には、例外なく政治的な事情が関わっていると私は想像するのです。
では、イスラム教の一神教の場合はどうだったのか?
それは単なる宗教的情熱によって引き起こされたのか?
それとも、現実的な政治的利害に基づくものだったのか?
私は、後者だと想定し、その根拠を得ることができないかと思っています。
468世界@名無史さん:2007/10/14(日) 02:11:37 0
>>467
イスラム教の発生は、中年になって精神状態に異常をきたしたムハンマドが、
長期間、山中で瞑想したことによる「啓示(神秘体験、神懸り、変性意識)」
の結果です。現実界の冷静な治判断などはありません。彼の政治的行動は、
すべてこの啓示の結果に過ぎません。

すべての「創唱宗教」は、開祖の精神障害から発していることに注目すべきで
しょう。政治の「現実性」とは正反対です。

ユダヤ教の始祖イクナートンは、その彫像から、男女の区別さえ不明な不具者
であったと言われています。フロイトは、一神教の発生は、心的外傷の遅発的
後遺症であり、精神病の症状以外の何物でもない、という趣旨のことを言って
います。
469KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/14(日) 02:55:50 0
>>468
まあ、イエスもムハンマドも、もしかしたら頭がイカれていたかもしれませんね。
でも、それは歴史的には確証できないことだと思います。
精神を病んでいたかも知れないし、病んでいなかったかもしれない…。

貴殿は、福音書やクルアーンが史実を伝えているという前提に立っているようですけれども、
それらの書が、彼らの実像に、どれだけ真に迫っているかは、甚だ怪しいものです。
ムハンマドが山にこもって、天使を介して、神から語りかけられたという逸話は有名ですが、果たしてそれが、事実かどうかはわかりません。
私など、旧約の預言者エリヤのパクリだと決め付けているのですが(列王下19章)、おそらくそんなもんだと思います。
クルアーンの中で、ムハンマドが本当に口にした言葉は、ごく僅かでしょう。

イエスについてはもっとハッキリしていて、福音書の彼の発言や行動は、ほぼ後代の創作です。
では、どうして、ムハンマドやイエスの発言は脚色されねばならなかったのか?
そうした疑問について考えるときに、宗教的熱心とは違った意図が浮かび上がってくるのです。

一神教を精神病の症状と結び付けるのは面白いとは思いますが、それだと、古代イスラエルの一神教発生の説明がつかなくなります(>>464>>467)。
フロイトの分析は正しいかもしれませんが、彼は、旧約の記録をあまりにも信頼しすぎています。
彼は、フィクションを分析したのです。
まあ、彼自身ユダヤ人であり、マルクス同様、ユダヤ教信仰から逃れることができなかったのでしょう。
470世界@名無史さん:2007/10/14(日) 03:30:56 0
ウェルギリウス『牧歌』第四歌に由来するらしい「ウェルギリウス伝説」の話がものすごく気になっています。
私は西洋古典を中心にやってきたので、キリスト教側の受容のことはさっぱりわかりません。
何かこの伝説について記した文献をご存じないでしょうか。
471世界@名無史さん:2007/10/14(日) 03:39:18 0
>>469
政治の本質は、常に譲歩と妥協です。これが出来なければ、政治は、反乱や内
乱によって、結局は崩壊します。

一神教の宗教的信念は、譲歩と妥協を不可能にします。

イエスやムハンマドの、史料を超えた「実像」を求めるとすれば、それはまさに
空想です。

宗教は、確かに政治に利用され易い。これは宗教そのものの「病理」です。
しかし、利用するリーダーも、特に強い宗教的信念を持つ宗教家であることを、
忘れることはできません。
472世界@名無史さん:2007/10/14(日) 04:18:57 0
>>469
宗教と政治とは、現実に対する対処と言う点で本質的に異なりますから、両者を
同一平面で考えるのは、理論的に不可能だと思います。

イスラエルの宗教は、現実に対処するために仮想現実を作ったと考えることは
できないでしょうか。その意味で、彼らの宗教は政治でもあります。旧約は、
「行為規範」であると了解しています。
473世界@名無史さん:2007/10/14(日) 05:46:18 O
誰も>>468に突っ込まないのな…

>ユダヤ教の始祖イクナートン
474世界@名無史さん:2007/10/14(日) 09:16:04 0
フロイトによると、ユダヤ人が崇拝していた神は当初は平和な神であったが、ユダヤ人の受難などで
次第に攻撃的になっていってヤハウエが形成されたそうです。
が、現代、イスラエル以外のユダヤ教徒は選民思想こそあれ、つつましく暮らしているのではないでしょうか。

キリスト教の2000年の歴史を見るに、創唱当初よりも、十字軍〜大航海時代〜列強による植民地競争といった
時期の方が凶暴になっていったように感じられます。世界宗教だのコスモポリタニズムだのという普遍性の強調の背後で
神および神を語って行われる行為にの暴力性が強まっていったのではないかと。
が、現在では往年の凶暴さはアメリカの一部やカルト系宗派を除いては後退しているように感じられます。

平和になったからといって、キリスト教に共感する気も、ましてや入信したいとも、
これっぽっちもないのですが、宗教も成長するのに時間がかかるということでしょうか。
日本の仏教も戦国時代までは戦いまくってましたしね。

前置きが長くなってしまいましたが、こういった神の変化が何によってもたらされているのでしょうか?
475世界@名無史さん:2007/10/14(日) 09:39:30 0
>>474
十字軍の場合、聖職叙任権闘争(グレゴリウス改革)を経てはじめて可能になったのでは。
それまではローマ教皇は王や皇帝といった世俗の権力に従属していましたから。
聖俗が分離していない状態では十字軍も起こらなかった。

11世紀頃から、神の平和運動とともにキリスト教世界の浄化の思想が強まり、
「異教徒と接触して平和を求めるのは断じてキリスト教的ではなく、むしろそれは
穢れをもたらす行為だ」という考え方が強まっていく。
476世界@名無史さん:2007/10/14(日) 13:28:32 0
>>469
>それだと、古代イスラエルの一神教発生の説明がつかなくなります

当初のユダヤ人とは、民族・人種の概念ではなく、エジプト在住の下層民の
ことだと言われています。

フロイトは、モーセの名前の分析から、モーセはエジプト人であり、イクナー
トンの一神教の熱心な信者であったと判断している。

心身共に奇形であったイクナートン→その狂信者のモーセ→エジプトの被差別
下層民であった「ユダヤ人」(らい病患者だったと言われている)を連れての
エジプト脱出→モーセの神懸り(変性意識)→ユダヤ教の成立、という流れ
から見れば、一神教(ユダヤ教)の「精神病起因説」も十分に当てはまります。

フロイトは、そのような見解です(「モーセと一神教」、ちくま学芸文庫)。
477世界@名無史さん:2007/10/14(日) 13:37:31 0
>>469
旧約聖書も、その成立時期から見れば、「事実が生じた時期」のはるか
後世であり、しかも「ユダヤ教成立後」であるから、護教的要素(正当
化・美化要素)の存在を免れることは出来ません。
478世界@名無史さん:2007/10/14(日) 15:53:08 0
>>466
政教一致の社会なんだから、「政治的」背景といってもおかしくないんじゃないの?
エジプトでイクナートンの革新運動が起こったあたりから、メソポタミアなどでも
多くの神々を一つの神の化身とみる現象が起こるようになった。イクナートンの改革の
影響かどうか定かでないが、「多神教の危機」の時代などともいわれている。
たぶん、都市間の主従関係が進展し、主都の神とそれに従う都市の神々の優劣関係のすえに
こういう現象が起こるようになったのではないかともいわれている。
古代イスラエルの唯一神教の発生についての「政治的」背景は、国家・神殿・国土の喪失
という政治的危機から説明するのが普通だけど、単一神教的傾向は、やはり後期青銅器時代から
鉄器時代にかけて近東全域にみられた「多神教の危機」の時代という「政治的」背景から説明するのも
けっこう有力だったりするよ。こういう主張をする学者があげる鉄器時代のイスラエルの出土物が、
反対する学者の反対証拠としてもあげられているのが笑える。
479KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/14(日) 16:22:35 0
>>470
ウェルギリウスについてはよく知りませんが、
『牧歌』の第四歌は、確かに、キリスト教徒たちによって、イエス誕生の予言だと解釈されました。
そこの、「新たな時代の秩序」とか、「天の高みからの新たな人類の血統」、「黄金時代をもたらす子の誕生」といった言い回しが、
救世主としてのキリストの誕生を予言していると解釈された(勘違いされた)ようです。
その際には、旧約のイザヤ書(7:14、9:6、53:5、61:17)との類似点が注目されました。
とりわけ、この作家は紀元前のノン・クリスチャンであったため、第三者によるキリスト証言だと、大いに歓迎されました。
でもこの歌、実際は、アウグストゥス帝への賛美のための歌なのでしょう?

初期キリスト教陣営でこの詩歌を予言として引用した人物としては、コンスタンティヌス帝(『聖徒たちへの式辞』)、アウグスティヌス(『神の国』『書簡』)がいます。
ヒエロニムスは『書簡』の中でウェルギリウスに言及しているらしいのですが、その予言的解釈は否定しているようです。
中世には、使徒パウロが、ナポリにあるウェルギリウスの墓を訪れたという伝説が信じられていたようです。
さらに後代の引用例として有名なのは、ダンテの「煉獄」です。

この他にも、初期クリスチャンは、結構、ノン・クリスチャン文学の中に、キリスト教神学を投影させていますが、
その際には、そうした文学からも影響を受けて、キリスト教神学を形づくっています。
これはまさに「受容」と言えると思います。
しかし残念ながら、この分野についての、良い研究書を、私は知りません(門外漢なもので…)。
どなたか詳しい方…。
480世界@名無史さん:2007/10/14(日) 16:44:54 0
>>478
>政教一致の社会なんだから、「政治的」背景といってもおかしくないんじゃな
>いの?

「自然宗教=多神教」「創唱宗教=一神教」という区別ができるのではありませ
んか。

自然宗教は、勿論、祭政一致であり、当時の人々の生存のための「手段」として、
生存のあらゆる面をカバーしていました。当時の人々の、生存のための精一杯の
「合理性・論理性・科学性」の表れであったと思われます。それは、現代の科学
の代替品でもありました。

それに反して、創唱宗教は特定個人である「開祖」が存在し、自然宗教の神々が
抽象化、観念化、精神化され、人間の生存本能からは切断されています。生存本能
が変化する訳はないので、そこには開祖の「精神性」の影響があると考えざるを
得ません。フロイトは、「精神性は、特に伝播(伝染)する」と言っています。

最古の創唱宗教であるゾロアスター教の開祖も、大麻の常用者であったと言われて
います。

イクナートンは程なくエジプトを終われ、エジプトは多神教に戻っています。
やはり、彼の精神異常の結果としての、突然変異的現象だったのではないでしょうか。

しかし、彼の「精神性」はモーセによって受け継がれ、ユダヤ教の誕生となり
ます。

現在の一神教信者は、その「多神教起源」は、もはや絶対に受け入れることが
できない心理状態にあると思います。

ヒュームは、宗教学の最古典と言われるその「宗教の自然史」で、「多神教
によって流された血は、一神教によるそれよりもはるかに少ない」と言って
います。このことは当たっているのではないでしょうか。
481世界@名無史さん:2007/10/14(日) 17:13:35 0
>>480の追加

創唱宗教では、本来、生存の「手段」であった宗教が、生存の「目的」となる
という倒錯が生じた、ということです。
482世界@名無史さん:2007/10/14(日) 17:20:25 0
>>481
なんとなく、近代社会で、よりよい社会を実現するための「手段」であった
民主主義や資本主義が、「目的」と化してしまったのを連想させますな。
483世界@名無史さん:2007/10/14(日) 17:46:20 0
>>482
その通りですね。「人間とは、生存本能(生命)を中核とする動物の一種で
ある」という普遍の基盤を忘れて、百人百様の「観念の遊戯」に耽る傾向が
強まったからです。

旧約聖書の、「人間が自然状態を離れて、神のようになる」という「原罪」
を犯しているのでしょう。
484世界@名無史さん:2007/10/14(日) 21:39:44 0
「ジブリールが俺のとこに現れて「詠め」と言ったんだよ」とする記述は
コーランにはなかった。少なくともジブリールが、とは書いてない。
これはハディースに書いてあるらしい。
天馬に乗ってエルサレム経由で天上にミーラージュした話は何に書いてあったっけ。
岩のドームの岩についてる窪みはこの時に天馬がつけた蹄の跡、という話をどこかで見たような気がする。
485世界@名無史さん:2007/10/14(日) 22:15:54 0
本当のクリスチャンは、アメリカには1%もいない。
大部分のアメリカ人はイエスの教えを守っていない。
486世界@名無史さん:2007/10/14(日) 22:50:23 0
イスラームにおける寛容ークルアーンと法学に基いて
ttp://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/newpage1.html
これはけっこう参考になるんじゃないの。

キリスト教も含む他の宗教と比べても書かれてるし。
487世界@名無史さん:2007/10/14(日) 23:04:39 0
それを言ったら、サウジアラビアやイランも1%も回教徒は居ないな。
488470:2007/10/14(日) 23:14:06 0
>>479
ありがとうございます!
受容史の情報は本当に少ないので、それだけの情報でも大いに助けになります。
アウグスティヌスあたりからじっくりと調べていこうと思います。
489世界@名無史さん:2007/10/15(月) 00:12:17 0
この場合の「本当」って何だよ、って話だよなあ。
490KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/15(月) 00:30:33 0
>>488
どうもお粗末さまでした。
ちょっと古いですが、下記の文献も、少しは助けになるかも知れません。

・Jaroslav Pelikan.“Jesus through the Centuries.”1985.
・Demonico Comparetti/E.F.Benecke.“Vergil in the Middle Ages.”1966.

この他にも、教父時代の神学や哲学について論じた本にも、ウェルギリウスのことが書いてあるはずです。
コンスタンティヌス帝について調べる時は、同時代のエウセビオスという教父の著作も読まれてください。
そうこう調べていくうちに、きっといい研究書が見つかると思います。
もしかしたら、日本ではまだ注目されていない研究テーマで、穴場かもしれません。
491世界@名無史さん:2007/10/16(火) 00:22:18 0
ビッグマック知ってても「十戒」知らぬ米国民
ttp://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/071015/sty0710151440000-n1.htm

けっこう衝撃を受けた。
>十戒の1つ「なんじ殺すなかれ」を知っているのは60%に満たなかった。

いくらなんでもこれはマジなのか、怪しく思えてくる。
492KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/16(火) 01:50:54 0
>>491
いや、他の調査でも(忘れてしまったが)、それとほぼ同じ結果が出ていたはずです。
神の命令がなんであるかも知らずに、どうやって神の命令を守れるというのでしょう?
聖書一冊をまるまる読んだというクリスチャンは果たしてどれほどいるのか…。
聖書も読まずに、キリスト教徒は何に従って生きているのか…。
聖書も読まずに、彼らは人々の間に一体何を広めるというのか…。
だからきっと、キリスト教徒から聖書を奪っても、彼らは何一つ不自由しないでしょうね。
聖書の代わりに、デニーズのメニューを与えても、気付きもしなかったりして。
違うのは、本の厚さだけ。
493世界@名無史さん:2007/10/16(火) 06:45:36 0
んなわけあるかい。
フーポン信徒と十把一絡げにせんでくれ。
不愉快だ。
494世界@名無史さん:2007/10/16(火) 10:39:32 0
そういえば、アメリカや世界の地図を書いてみる、とか
地図にその国や地域の名前を書いてみる、という調査でも暗澹たる結果が出ていたような。
495世界@名無史さん:2007/10/16(火) 10:53:09 0
まぁ本邦の仏教徒だって、般若心経を意味も解せず音読しただけだったり、神道に
しても、帝記は高校の国語の時間に出てきた古事記の出雲国譲か日本武尊逝去かの
部分だけとかいう人が大多数だよ。
496世界@名無史さん:2007/10/16(火) 14:30:50 0
>>495
しかし、十戒は、「人間道徳の基本」でもある。
497KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/16(火) 17:18:52 0
ちょっと前に、ネットで拾った十戒のジョークをどうぞ。

神が地上を訪れ、バビロニア人の所に行く。
「一つ戒律をやろう」と神。
「何でしょう?」とバビロニア人。
「汝、姦淫するなかれ」と神。
「要りません!」とバビロニア人。

そこで神はエジプト人の所に行き、同じものを勧める。
しかし「結構です!」とエジプト人。

次に神は砂漠をさまようモーゼに目をとめる。
「戒律があるんじゃが…」と神。
「お幾らですか?」とモーゼ。
「金は要らん。ただじゃ」と神。
「オーケー」とモーゼ、「じゃ、10個下さい」。
498世界@名無史さん:2007/10/16(火) 18:47:28 0
ローマ(ビザンツ)帝国は、やっぱりキリスト教化したおかげで安定し、
寿命を延ばすことができたのでしょうか?

ギリシャ・ローマの神々、オリエントの宗教、ストア哲学など、どれも
安定した状況をつくりだすにはいたらなかったように思えるのですが。
499世界@名無史さん:2007/10/16(火) 20:23:21 0
>>498
「ローマ人の物語」の著者(名前は度忘れ)は、ローマにおけるキリスト教を
激しく批判している。ある学者は、「ローマはキリスト教によって滅びた」と
言っている。

他の宗教は、キリスト教によって、文字通り武力で滅ぼされたのである。

本来、自由意志を持つ個人の心の問題であるはずの宗教が、風土、歴史、民族
の如何を問わず、拡大して「安定する」ことのほうが異常なのでは。
500世界@名無史さん:2007/10/16(火) 20:53:42 0
「ローマ人の物語」の著者は塩野七生(ななみ)かな?
501世界@名無史さん:2007/10/16(火) 20:56:54 0
>>499
滅亡したのは西ローマ帝国だけで、東ローマ(ビザンツ)帝国はその後
1000年生き延びている。
502世界@名無史さん:2007/10/16(火) 22:51:37 0
>>501
東西ローマのキリスト教に相違があったということだね。その相違は何だろう。
503KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/17(水) 19:12:49 0
>>498−502
東ローマ(ビザンツ)の特徴は、何といっても、皇帝の絶対的・超越的な権威ではないでしょうか?
ビザンツの皇帝は、「俗」だけでなく「聖」の頂点にも座したため、「皇帝教皇主義」などと呼ばれます。
これは、西ヨーロッパの政体(教皇と皇帝とが争った)とは対照をなします。
ビザンツの皇帝は、神の国が実現するまで(=終末まで!)の、地上における神の最後の代理人(政治的・宗教的)の役割を担いました。
こうした時代観は、>>327で解説されている『ダニエル書』の終末史観に基づいていました。
問題は、こうした、キ教的観念と結び付いたビザンツ特有の概念が、ビザンツの政治や経済に現実的にどのような影響を与えたか、ということでしょう。
その問題について考えるときに、ビザンツの“長寿”の秘密が解き明かされるのだと思います。

ビザンツは独特の国家観の下で、教会を帝国の政治機構の中に取り込みましたから、必然的に、教会の資産は帝国が管理することになりました。
これにより、教会や聖職者は、公的な範囲を超えたところでの、私的活動における資産運用ができなくなりました。
ですからビザンツでは、西ローマ教会に比べて、什一税の横領が起こる可能性が低かったと言われています。
教会の活動は、あくまで公務として規定されたのであり、それへの報酬として、帝国から給料が支給されました。
確かに一見すると、教会の所有財産は莫大に見えましたが、実はそれは帝国によって徹底管理されていたそうです。

じゃあ、帝国は、吸い上げたそれらの資産をどのように運用したのか?
それは、国民への慈善活動へと回されました。
もちろん、慈善活動を担当するのは教会です。
しかし、帝国は、教会と教会の資産を取り込むことによって、同時に、慈善活動を行政システムとして確立したのです。
こうした制度は、国民に充実感・連帯感をもたらし、また、法制度を整備させました。
504KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/17(水) 20:22:13 0
>>498-503
また、皇帝が、神の代わりに地上の世界を統治するという観念は、軍事制度面にも影響を与えたと考えられます。
ビザンツの皇帝の支配圏は、無制限に拡がると考えられていたため、皇帝は雑多な人種が軍隊に編入することに抵抗を感じませんでした。
アラブ人から北欧人まで、その多様な人種的・民族的の受け容れは、ビザンツ皇帝の威光を象徴していました。
皇帝は全世界の人々の中心であり、頂点なのであり、彼の下に、世界の民が集まってきているように感じられたのです。
こうして、ビザンツの軍隊は、雑多ながら、多勢で敵に威圧感を与える戦力を獲得することができました。
軍人採用における寛容さも、キリスト教的観念から受け継いだものだといえるかもしれません。

また、宗教的、政治的権力が、皇帝のただ一点に集中していたため、権力闘争は、民族単位や宗派単位ではなく、利害関係の単位で起こりました。
神の代理人である皇帝教皇を頂点とする普遍的な世界は、民族や血統の垣根を壊し、人々を個々に結び付け、個別的な活動を活性化させました。
官僚や高級軍人や皇帝に登りつめるチャンスが誰にでもあったのは、こうした世界観と関係があるかもしれません。
その反面、宮廷では、クーデターや汚職が絶えませんでした。

以上のように、ビザンツ帝国の特殊なシステムの基盤には、キリスト教的観念があるといえます。
もちろん、具体的な現象は時代によって変わりますが、大体は上述のことが当てはまると思います。
皇帝が、行政権と司教権を一手に担うことによって、キリスト教的な倫理観が、人々の生活の隅々に浸透していきました。
そしてそのシステムは、「我々は、神の王国の到来の直前に生きている」という終末思想によって固定化されました。
この固定化が、ビザンツ“長寿”の秘密ともいえましょう。
ですから>>498の回答としては、「キリスト教化が、繁栄と長寿をもたらしたというのは正しい」となります。
505世界@名無史さん:2007/10/18(木) 00:40:27 0
「紀元会」の女20人逮捕 63歳女性への傷害致死容疑
宗教法人「紀元会」の施設へ家宅捜索に入る長野県警の捜査員=15日午前8時6分、長野県小諸市
長野県警により家宅捜索を受けた宗教法人「紀元会」の施設=15日午前7時、長野県小諸市
 長野県小諸市の宗教法人「紀元会」の会員で、すし店経営奥野元子さん(63)が同会施設内で
集団暴行を受け死亡した疑いが強まり、長野県警は15日、傷害致死容疑で小諸市の無職窪田康子
容疑者(49)ら中学生を含む15歳から80歳の会員の女20人を逮捕した。
http://www.sanspo.com/sokuho/071015/sokuho009.html

宗教法人紀元会は、長野県小諸市にある神道系を名乗る宗教団体。
本部には大和神社という施設がある。
506世界@名無史さん:2007/10/18(木) 02:29:58 0
>>503
>>504
東西キリスト教の「教義の違い」についてもコメントしてください。政治の相
違も、心理現象としての教義を源泉とするものですから。
507世界@名無史さん:2007/10/18(木) 17:30:10 0
ttp://www.fukuoka-edu.ac.jp/~tamaki/joyama/joyama98/smkw2.htm
ローマン・カトリックとギリシア正教は、ともにキリスト教の宗派の一つである。
この2つの宗派は、1054年シスマ(東西教会分裂)によって2つの宗派に
分裂した。この分裂の最大の原因となったのが、フィリオクエ(Filioque)問題
である。フィリオクエとは、『子からも』という意味のラテン語である。
キリスト教においては神と、子(キリスト)と、聖霊は同一の本質を持ち、
かつ異なる実存を持つとされている。基本的には、神は『生まれざるもの』、
子は『父から生まれたもの』、聖霊は『発出されたもの』とされている。
ギリシア正教においては、聖霊は父から発出されたもの以外ではありえなかった。
しかし、ローマン・カトリックでは、聖霊は父からも『子からも』発出された
ものとされている。
(中略)
また、ビザンティン帝国では、すべての権限がただ一人の皇帝に集中する。
大主教の任命すら皇帝が行うのである。これは、皇帝を「父」と考えると理解
できる。ビザンティン帝国は、西欧のように政治と宗教の分離というものが
考慮されていなかった。すなわち、すべては『「父」から発する』のである。
508世界@名無史さん:2007/10/18(木) 17:43:48 0
>>507
ギリシャ正教では、イエスの神性を否定、または少なくとも制限的に考えたと
いうことだろうね。それなら東方が長続きした理由も分かる。

しかし、そんな下らない理由で教会が大分裂するとは、キリスト教の病理極まれ
りだね。
509世界@名無史さん:2007/10/18(木) 19:34:50 0
>>507-508
政教分離・一致とかいうより、西方は皇帝と教皇の二頭体制で不安定であり、東方は皇帝が一括する独裁体制だったから安定したのでは?
でも、西方教会は「父なる神」と「子なるキリスト」の2者に「聖霊」という権威を与えたために二頭体制となり、東方教会は「父なる神」にのみ与えたので唯一の権力になったということなのかな?
510世界@名無史さん:2007/10/18(木) 19:49:32 0
東方教会はギリシャ哲学の影響が強く、信仰の正統性に厳正に取り組み
哲学的・思弁的であり、神秘性・形而上性に富む。

一方、西方教会はローマ法の影響が強く、信仰の清さ、権威に敏感で
実践的・合理的・倫理的傾向が強い。
511世界@名無史さん:2007/10/18(木) 20:01:32 0
ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000209&tid=a5fa5sa50a4rfia4e0&sid=2000209&mid=51
ラテン・キリスト教会は個体や個人のもつ、他に還元できない絶対的な自立
性への意識から出発する東方的伝統とはちがって、最初から存在をシステム
としてとらえる傾向があったのです。それは、西と東のふたつのキリスト教
会における「三位一体」に対する理解のちがいに、いちばんはっきり現れて
います。東方キリスト教の考えでは、神の示す三つのペルソナである「父ー
子ー精霊」のそれぞれは、たがいに自立しながらも、自分のなかに他をふく
んでいるようなパラドキシカルな存在を示すものと、とらえていました。彼
らは神の世界のありかたの本質をめぐって、とても複雑でパラドキシカルな
思考法をとっていたわけです。ところが、これに対して、政治的にも、宗教
的にも対立していたラテン教会にあっては、この複雑な「三体問題」を、そ
れに比べればはるかに単純な二元論につくりかえようとする、無意識がはじ
めから作動していました。そのために、ラテン教会はオーソドックスな教義
に改変を加えることを行ったのです。それは『ニケヤ信条』にわずかに「フ
ィリオクエ(子とともに)」という一言を付け加えるだけのものだったので
すが、そのわずかな改変がのちに巨大な歴史の分岐点をつくりだすことにな
ったのです。「精霊は父からも、子からも発出する」とされ、ここにパラド
キシカルな東方的三位一体論は、単純な「一性と他性との弁証法的な関係」
につくりかえられていきました。つまりシンプルで普遍的な一性が世界のベ
ースにあり、そのなかから他なるものが生まれ、おたがいのあいだに関係と
運動がつくりだされる、という考えです。この思考方法をとるとき、ものご
との意味は、つねにシステムのなかで、またシステムとして、考えられるよ
うになります。この「フィリオクエ」の改変をとおして、スコラ哲学が可能
になります。またそこから、ついにはヘーゲルにたどりつくさまざまな近代
的思考方法が生まれ出てくることになりますが、それらはいずれも、ラテン
教会が巧妙にセットした「システム論」の鋳型からつくりだされたもので
す。
512世界@名無史さん:2007/10/18(木) 21:04:51 0
>>511

ラテン・キリスト教は、「システム論」というようりも、むしろ「イエスの
絶対的神格化」を求めたのではないか。聖霊がイエスから発しないとすれば、
イエスは神としての資格を一部欠くことになってしまう。「フィリオクヱ」は
その反面として、創造主の軽視を生じる。

西方クリスチャンの見解は、その点で割り引いて考える必要がある。
513世界@名無史さん:2007/10/18(木) 21:11:02 0
東方では、世界は天国を映す鏡であり、天国が唯一神によって治められている
のと同様に、現世の世界も唯一人の皇帝によって治められるべきだという考え方
だったのでしょうか。

西方の場合、ギリシア文化の浸透の度合いが薄く、世俗世界に対する教会指導者
たちの指導は、形式的なものにとどまる傾向にあったので、世俗的支配者たちの
世俗的自由の幅が広く、政治的・文化的な統一が徐々に崩れて多元的な状況が
生じることになったそうですが。
514KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/18(木) 23:25:13 0
>>506
私は、ビザンツや東方教会について詳しくないのですが、>>507-513で既に言われているように、
「“子から”も聖霊が発出される」という神学を否定している点が、ビザンツを特徴づけていると思います。
そしてそれは、おそらく、東方特有の政治体制にも影響を与えているはずです。

>>507>>511でも説明されているように、西方教会は、「聖霊」は「神」と「子」の両方から出てくると考えていました。
したがって、聖霊は、神の代理であると同時に、子であるキリストの代理・使いっパシリにもなり得ました。
これに対して、東方教会は、「聖霊」はあくまで「神」を唯一の源としているのであって、「子」が「聖霊」の源になることはあり得ないと考えました。
この違いは、「教会」という組織の正統性を主張するときに、大きな問題となります。
というのも、「教会」は「子であるキリストの体」を象徴し、そして「聖霊」は教会や司祭に権威を与える助けや導きの役割を負っていたからです。
ですから、「聖霊」(権威)が「子」(教会)から出てくるのか、出てこないのかは、看過できない問題であるわけです。
西方教会は、子を聖霊の源とすることによって、父の絶対性を“暖簾分け”してしまったのです(>>511)。

しかし東方教会は、聖霊の源としての「子」を削除したので、教会から権威が発出されることはありませんでした。
教会と聖霊とは並列に置かれ、“聖霊が”教会に権威を与えるという絶妙なバランスが、教会権威の安定をもたらしたとも考えられます。
ビザンツの場合、「父」の代理人は皇帝ただ一人ですから、必然的に教会は、皇帝に属することになります。
こうして、キリストの体としての教会は、皇帝の下でガッチリ束ねられ、統一・固定化されました。
これに対し、西方では、11世紀に、教会は封建君主制から自由にされ、教会は教皇に属することになリます。

「聖霊の発出」と「キリストの体としての教会」の神学が、このように、ビザンツの政治的統一をもたらしたといえます。
515KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/18(木) 23:34:02 0
>>513

>現世の世界も唯一人の皇帝によって治められるべきだという考え方だったのでしょうか。

まさしくその通りだと思います。

>西方の場合、…世俗世界に対する教会指導者たちの指導は、形式的なものにとどまる傾向にあった…。

東方の場合は、教会は行政の枠組みに入れられましたから、教会の倫理観は、人々の生活に深く浸透していきました(>>503)。
これが東方において文化的な統一を実現させた一つの要因かもしれません。




516世界@名無史さん:2007/10/19(金) 00:10:56 0
>>491
それは、今の先進国ではごくありふれた「世俗化」なんだけどね。
アメリカは、日本や西欧各国では、もはや常識となっている
近年の社会トレンドとしての「徹底的な世俗化」の例外とされてきたので、
こりゃびっくりという記事になっているが、
実際にはアメリカ人の多数派も、ごく普通の先進国の国民だったということ。

欧米(特に西ヨーロッパ。英国がもっとも顕著らしい)人の大半が「キリスト教徒」といって
そこに求められている「信仰の水準」というのは、
日本人のキリスト教関係者が要求するような恐ろしく高いレベルではなくて、
日本人の寺の僧侶や神社の神主が、一般の日本人ならこんなもんだろう
くらいに思っているレベルになる。
つまり、人生の通過儀礼くらいはいくつか受けることにするか、
死ぬ時くらいは坊さんでも呼ぶか、子どもが生まれたら一回くらいは行くか、
年に一度はお祈りも悪くは無いか、と言った程度。
517世界@名無史さん:2007/10/19(金) 00:30:05 0
>>516
日本や韓国の「イエス信仰の水準」が異常に高いということだね。

心と宗教板では、クリコテたちは、「イエス様」「神様」とまさに狂乱状態で、
少しでも批判すれば、感情的な罵詈雑言が返ってくるのだが。
518世界@名無史さん:2007/10/19(金) 00:53:45 0
>>517
だが、その「水準の高さ」をクリアしている日本人は0.9%しかいない。
まあ、>>516的な、欧米基準で測るなら、
イギリス人の7割以上がキリスト教徒というのなら、
日本人も、少なくとも2割程度は「キリスト教徒」なんじゃないか?w
欧米の一般の世俗人レベルで、なんとなくキリスト教風の神を信じている香具師は
これくらいはいるような気がする。

だが、韓国は、「日本人0.9%水準」で厳しく測定して、
国民の3割以上がキリスト教徒という国だ。しかもその大半は電波化したウリスト教カルト。
しかも、実際に行ってみれば分かるが、キリスト教だけでなく、
仏教各派の信者の状況も似たようなもの。
そうすると、日本人0.9%水準、仏教を含めてもさほどは伸びるまい、というレベルの
「非世俗的信者」が人口の過半数ということになる。

どう考えても、キリスト教も含めて日本とは全く異なる宗教社会だな>韓国
519世界@名無史さん:2007/10/19(金) 02:17:40 0
>>518
挙げられた数字(割合)は一々納得できます。日本のキリスト教以外の宗教
でも、大本系など、キリスト教的唯一神概念を取り入れたものが多い。その
多くはいわゆるカルトです。聖書の影響の大きさと「西洋崇拝」が実感されま
す。そもそも、近代において日本に導入された西洋思想が、すべてキリスト教
の影響を受けている。

韓国の「特殊事情」は、やはりその国民性(感情的、付和雷同的、内向的、ル
サンチマン的。観念的)でしょうか。その国民性の原因は何でしょうか。

日本人の国民性も、韓国と似た要素があるのが心配です。
520世界@名無史さん:2007/10/19(金) 09:53:49 0
田川建三が、『歴史的類比の思想』(勁草書房)でこんなことを書いていた。

・・・つまり、アフリカ諸国が独立したとはいえ、相変わらず事実上の力を
にぎっているのは欧米の白人勢力である。そして彼らの手によって旧植民地の
金は循環する。旧植民地で大量にかせいだ金は本国に蓄積される。その相当部分は
資本の再投資という形で循環してくるが、それだけでは、彼ら白人はかせいで
いるだけだ、という怨嗟の声を避けることはできない。そこでそのごく一部が
慈善的な施物としてアフリカに還元される。けれどもこれを同じ白人の政治勢力
もしくは経済勢力がやったのでは、みえすいている、右手で奪ったものの一部を
左手で返してやって、恵んでやったんだから感謝しろよ、と言っても通じはしない。
慈善事業には同じ白人仲間でも別の「人格」を必要とするのである。キリスト教が
そこに恰好の位置を占める・・・だが、受けとる方は、どう金が循環しているかの
裏側半分までは見ることができない。自分達にどんどん金をくれるキリスト教は
最大の善なのである。

・・・これが本当なら、欧米諸国にとってキリスト教というのは国際政治に
おける道具である、ということなのか?
521世界@名無史さん:2007/10/19(金) 12:24:42 0
>>520
一旦宗教に嵌れば、自分の宗教を「道具」「手段」と考えることは出来なくなる。
それが「目的」となる。信者は常に「100%の善意」で行為している。オウ
ム事件を想起されたし。自己の行為が他者に与える弊害など、思いもよらない。
常に「自分がして欲しいことを、人にしている」のである。

その結果、信者は自分の宗教の「客観的」批判は絶対にできなくなり、もっぱ
ら同じ宗教の信者を含む他の「人間」に対する「感情的批判」に走ることになる。
宗教団体に、特に内部抗争や分裂が多いのは、それが理由である。

弊害が生じるとすれば、それは宗教自体の「病理」であり、人間である信者に
いささかも帰せられるものではない。

田川氏は、自らがクリスチャンであるから、そのことに気付かなかっただけ
である。当然のことながら、彼のキリスト教批判は、本質的・根源的な批判
ではない。
522世界の名無しさん:2007/10/19(金) 22:25:29 0



           ,,:'`:、    ,:'`:、
             ;"  `'''"""''`  : ;;.    
          .;;          : :;;     
          ;;          : :;   
          :;         : :;;    ねえお母さん、それ、誰?
           ::、 ー   ー  ,,'、: : :     
           ,,,:'''  ▽  ''" `、: : ,:'`:   ,:'`:、  
 オオカミよ   ,,"          `;;: :;; `''"''` : ;;.
              :;   ;     ;   .,:: ;;; O  O  : ;;.
      : …ーー;;  `:、┃  ,:'   .,:'ー‐;;  ー-  : ;;."'';;ー‐ー‐ー‐
        : :  : 、、  ゙┃;、;、: _ノ、: : : :´:"'':::' "´` ゙"´
       :   : ./``"''/ Oコテ ::: \: : :
         /    ∠、  O ノ /
         \      ゙`レ'" ,/


オオカミは、優しい声と優しい顔でだますのょ。キリスト教はこわ〜い神さまですからねw

★ 列王記下 6章28-29節。

「この女がわたしに、『あなたの子供をください。今日、その子を食べ
明日はわたしの子供をたべましょう』と言うので、私たちは私の子供を
煮て食べてしまいました。」

523世界@名無史さん:2007/10/20(土) 07:13:39 0
大工さんだったんでしょ?それで長髪で。
524世界の名無しさん:2007/10/22(月) 14:31:50 0


■ イエスはキリスト教が宣伝してるようなハンサムな白人男性ではありません。まった〜〜くぅw

>580 :神も仏も名無しさん:2007/05/25(金) 21:05:22 ID:g6oTgK1/


>BBCが、あらゆる要素を考慮して行った、イエスの顔の復元。完全にアホの顔
である。さすがBBCw。

キリスト教は、イエスの精神病の世界的一大集団感染。精神病は感染する(感応
精神病)。自由意志を持つ20億人もの人間が、1個人の思想に呪縛され続ける
ことは、精神病の感染以外には考えられない。

★イエス・キリストの顔 ★

http://home.att.ne.jp/wood/aztak/untiku/face.html
525世界@名無史さん:2007/10/22(月) 22:52:56 0
>>517
韓国は言うまでもなさそうですが、日本のキリスト教徒は福音派でなくとも原理主義の傾向にあるということでしょうか?
生活やアイデンティティの中に宗教が必要以上に強く入り込んでいるようには感じられます。
何をもって原理主義というかは曖昧であるとは思いますが、たかが宗教を敬いすぎではあるかと。

さらに、このように日本のキリスト教徒が無闇に敬虔であったり絶対的帰依する傾向がある要因は何でしょうか?
526世界@名無史さん:2007/10/23(火) 01:43:15 0
>>525
>さらに、このように日本のキリスト教徒が無闇に敬虔であったり絶対的帰依
>する傾向がある要因は何でしょうか?

難しいですが、一応、次のように考えています。

1.どんな宗教にも、盲信者、狂信者は生じます。特にキリスト教にそれが
著しい。日本人の西洋崇拝や近代日本に導入された西洋思想がすべてキリスト教
の影響を受けたものだった、ということが考えられるでしょう。「西洋かぶれ」
です。

2.しかし、日本は、結局、キリスト教国にはならなかった。現実を重視し、超
越的なものは信じない仏教や神道の基盤があったからでしょう。ザビエルの時
代にも、日本の庶民は、現代でも十分通用する堂々たるキリスト教批判をやっ
ている。新井白石が、「創造主がいるのなら、それは一体誰が創ったのか。自
然に出来たというのなら、万物も自然に発生したといっても決しておかしくな
い」と言っているのがその一例です。一神教の最大の矛盾を見事に指摘してい
る。ニーチェは、年少時に、満天に輝く星の美しさに感動し、「創造主など考
えるのはおかしい」と言っています。まさに「栴檀は双葉より香ばし」です。

3.明治維新は、日本の歴史には珍しい「暴力革命」だったが、これも平田篤胤
がキリスト教に影響されたのが原因。その後、彼の流れを汲む神道系カルトが
多数発生しています。

4.それにしてもキリスト教は、本来現実に対応して生存するようにプログラム
されている生物としての人間を変容させ狂わせる、恐ろしい要素を持っていると
感じます。「殉教者」は、その「犠牲者」の典型です。自分がイエスのために
死ぬのは仕方がない(それでも、死に際しての彼らの苦痛はいかばかりだったか)、
そのために、身近な家族に与えた苦しみと悲しみは、想像を絶します。
527世界@名無史さん:2007/10/23(火) 12:17:44 0
>>526
俺の行ってる教会にあなたの言うような危ない人はいないように思うのだけど、具体的にどの教会にそういう人がいるの?
できればそんな教会は避けたいので教えてください。
528世界@名無史さん:2007/10/23(火) 12:29:31 0
>>527
「聖書を信じること」自体が問題。一旦信じてしまうと、その異常さと危険性
には全く盲目となります。それがキリスト教の恐ろしさです。
529世界@名無史さん:2007/10/23(火) 12:53:01 0
>>524これは仏教でもいえるね。日本の仏像はアジア人だけど本来のそれは
コーカソイドだもの。
530世界@名無史さん:2007/10/23(火) 12:56:57 0
>>528
具体的に誰かの話をしてるわけじゃないってことですか。
参考になりませんね。
私は社会参加の一環として教会に行ってるだけなのであなたの言っていることがよくわかりません。地域の寄り合いに出席する感覚です。
531世界@名無史さん:2007/10/23(火) 15:21:26 0
>>530
教会は、キリスト教という特定の宗教を布教する施設ですよ。「地域の寄り合い」
とは、性質が全く異なります。
532世界@名無史さん:2007/10/23(火) 17:46:28 0
>>527
キリスト教徒全員が>>526に挙げられているような人ではないことはわかっています。
キリスト教徒の中には>>526に挙げられているような人が比較的に目立つ傾向にあるのでは?
533世界@名無史さん:2007/10/23(火) 18:25:42 0
>>531
んなこと言われたって俺はかる〜いキリスト教徒やから知らんがな。
そんな細かいことガタガタ抜かす教会やったらとっとと別の教会行くわ。
>>532
だからそういう人のいる教会教えてって。避けたいから。
どっかでそういう嫌な目にあったんでしょ?
534世界@名無史さん:2007/10/23(火) 19:14:54 0
何かキムチ臭いな
535532:2007/10/23(火) 20:55:31 0
>>533
一例あげるなら「恵み教会」系が危ないらしいです。原理主義で進化論否定など。
536世界@名無史さん:2007/10/23(火) 21:03:20 0
>>535
どの教会でも(特にプロテスタント系)は、原理的には危険性を有する。
プロテスタントから特に多数のカルトが発生し、発生し続けている原因は何だ
ろうか。
537世界@名無史さん:2007/10/23(火) 22:09:21 0
カルトと原理主義は別物だでよ。
盲目的に聖典を遵守するのが原理主義。プロテスタントはそういう意味で全ての宗派が原理主義。
カトリックは長い間聖典を秘書として庶民が読むことを禁じていたくらいだから、原理主義でも
なんでもないけれども、異端を火炙りにしたりするカルト集団。

>>531
アメリカでは社会階層ごとの寄り合い。
ヨーロッパでは中世以来地域的な寄り合い場。教会に徴税権まであったりした。
538世界@名無史さん:2007/10/23(火) 22:11:25 0
>>535
教えてくれてありがとう。
「恵み教会」系ね。
気をつける。

>>536
また具体性に欠けることを…。
固有名詞でお願いできますか?
539世界@名無史さん:2007/10/23(火) 22:22:06 0
>>537
>アメリカでは社会階層ごとの寄り合い。

そうだね。圧倒的大多数の生活者たちにとっては、宗教よりも生活が大切。
教会は、生活の息抜きの社交やレクリエーションのための寄り合い場。
このような「不熱心な信者」のお陰で、人類がこれまで存続できたともいえる。
人間は、決して宗教で生きてきたのではなく、その生来的な生物的生存本能に
基づいて生きてきたことが窺われる。

問題になるのは、例外的に生じる狂信者及び彼らによる信者の扇動であると
いえる。

しかし、宗教を熱心に信じれば信じるほど問題が生じるというのは、やはり
その宗教そのものに病理が存在することになる。
540世界@名無史さん:2007/10/23(火) 22:54:04 0
>>538
聖霊派(異言を使うのが特徴)もおかしくなりやすいから気をつけて。
541世界@名無史さん:2007/10/23(火) 22:56:34 0
日本は教育水準が世界でも十分に高いことは言うまでもないです。誰でも聖書を読むことができます。
ヤンキー兄ちゃんでも援交女子高生でも内容をざっと理解し批判することができるでしょう(もちろん残虐な記述の前向き解釈なぞは無理でしょうが)。
そして、復活だの贖罪だの創造論だの最後の審判だのといった神話・おとぎ話を「現実」として受け入れることは普通はできません。
また、犯罪率の低さはキリスト教なしで道徳が成り立つことを事実でもって証明しています。
99%の人と違うことをするのですから、相応のメリットがあると信じなければ行為を正当化することができませんし、
99%の人が何の譲歩もなく100%否定してくることを信じることは、心・価値観のどこかが壊れて初めて可能になります。
よって、やたらと人格者ぶったり、選民思想に浸ったり、聖書中毒に陥って、「やりすぎ」るのです。
なお、ほとんどの日本人はイエスという男が2000年くらい前にいたということには納得できても、神の子だったり死んで復活したりしたことを
信じることはできませんし、救世主とみなせるほどの魅力も感じられません。
よって、カトリックと福音派の差異など日本人の多数決として五十歩百歩になるということもいえます。

一方、和や集団主義といった日本人的な感覚は学校会社などで一般多数の日本人との社会生活を営んでいる限り、
染み付いており、これが教団内での糊として作用し、教団への奉仕と信者間の連結強化をもたらします。
その結果、教団・教祖・聖職者・教義に本人の自我は乗っ取られ、無意識を窃盗され、ときに盲信者・狂信者へと変容するわけです。

入り口で1%未満に絞られてる極めて小さいものの、中に入るとやたら濃いのは日本の土壌も影響しているのです。
542武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/23(火) 22:59:12 O
>>526
キリスト教徒なんて日本じゃ人口比1%未満。
君の批判はアホらしい。ヒマ人のタワゴト。
韓国中国で神道、天皇、日本批判やるようなもんだよ。生産性なしだな。
テキサス行って一席ブッてこいよ。撃たれっからw
>>535
進化論認めない教会なんて沢山あるよ。福音主義系はほとんど本音はそうだ。
否、だいたい福音主義の牧師は説教で言明してるよ。
ミッションバラバとかいう元極道の牧師たち知ってる?アーサー・ホーランドとかは?
あいつらももちろん福音主義のクリスチャン。
ブッシュもだ。
横田めぐみさんのお母さんもそう。
めぐみさんのお母さんはともかく、
ブッシュは進化論は認めてないよ。なんたってビリー・グラハムの「弟子」だもんね。
ちなみに私も福音主義の教会のクリスチャン。
進化論は日曜日は否定して、平日は肯定してる(笑)。
543武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/23(火) 23:13:29 O
>>536>>537
君はカトリック?
私はカトリック好きだけで
(私が福音主義プロテスタントなのは親からの引継ぎなだけ)
何回かカトリックの友人に誘われてミサ出たよ。まあそれはともかく、君は間違っているよ。
プロテスタントには「日本基督教団」という
神社に賛成したプロテスタント団体がある。
これ系統は大日本帝国御墨付だよ。
全然カルトじゃない。むしろ保守だよ。ま、戦後は反省したりして
左翼ぽくなったりする教会もあるが、少なくともカルトじゃない。
君は知っててノンクリ(非クリスチャンのこと)に向けて
デタラメ書き込みしてるね。
>>539
日本のクリスチャンもそういうの多いよ。
特に二世三世なんかそういうのけっこー多いかもね。
私は教会を別名「日曜社交倶楽部」と呼んでいる(笑)。
どうでもいいが、もう少し勉強したまえ。
ネットの切り貼りで物を知った気になったりして(だろ?)
君はただのバカだよw
どうせ聖書も読んだことなければ、
仏典なんか読んだことねえんだろ。
仏教で神道でもなんでもいいが
無知野郎は嫌いだね。
ウダウダいってっと潰すぜ。バカ野郎。
544武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/23(火) 23:23:15 O
しかし、本読まない奴が多いな2ちゃんねるはw
ネットで質問したりバカじゃねえか。
カルトの奴がこういうとこに書き込みしてんだぜ。
ネットとか2ちゃんねるやってるヒマがあったらセックスしろ!
外で夜遊びしろ!
と偉そうなこといったが、私の書き込みの目的は単にストレス解消だw
バカいじるとスッキリすんでさ。
ちなみに私はクリスチャンっていったけど
これは「ウチは臨済宗」とかいうレベル。
まあ寺と違って礼拝はあるが、これだって友達に逢いに行くのが
目的みたいになっている。
神社のお祭りみたいなもんが、毎週日曜にあるんだな、
とイメージしてもらうといいな。
私は知的に考えるときは完全に不偏不党の唯物論者。
だから私の書き込みが一番信用できるよ。手前味噌ないいかただが。
545世界@名無史さん:2007/10/24(水) 00:07:26 0
な ん ま い だ ー
546KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/24(水) 00:39:33 0
>>542
>テキサス行って一席ブッてこいよ。撃たれっからw

だからこそ、日本でキリスト教批判をする価値があるのだと思います(>>10)。
聖書とキリスト教は、“人畜有害”な思想がテンコ盛りですので、批判の精神をおろそかにすることはできません。
キリスト教と聖書に恩義を感じていたら(たとえそれが日曜社交クラブ的であっても)、批判は及び腰になってしまうものです。
その点、日本人は、キリスト教とはほぼ無縁の文化圏にいますから、批判するにはもってこいだと思います。
日本の聖書勉強家には、西欧のキリスト教文化圏に憧れる者がいますが、それは日本の有り難みを知らないのだと思います。
ですから、日本でのキリスト教批判には、生産性はあるでしょう。
547世界@名無史さん:2007/10/24(水) 00:53:40 0
>>543
日本基督教団、あそこは全然ダメだよ。話にならない。
正にその「出生のコンプレックス」が強すぎて、
日本と日本人と日本の教会が、民族と国家と教会全体として
「アジア侵略に対する原罪を負うべき」と
固く信じてしまっている、もはや救いようの無いどうにもならない教会だよ。
そこを、ウリスト教につけこまれて「韓日交流」と称して
アジア人民への土下座こそが「神への道」だなどという
教義そっちのけのgdgd「国際交流」をやっている罠

まだカトリックのほうがマシだ。もともと保守的価値観を自認する上に、
自分たちが千年来、汚いこともやっていることは百も承知の上で、
清濁併せ呑んで、ずうずうしく生き延びているので、
歪んだ潔癖症にはなりにくい。もちろんバカもいるけどな。
神社参拝おkなのも、日本ではカトリック的発想。
一神教の全知全能の神と思って拝みさえしなければ、
神社に敬意を払って「参拝」しても別に何の問題も無いということだな。
548世界@名無史さん:2007/10/24(水) 07:11:13 0
あぁ、やっと固有名詞が出るようになった。
曖昧模糊とした気色悪い書き込みばっかりで困ってたのよ。
彼らの目的は自説の吹聴で「一般的には」っていう常識の部分のデタラメさはどうでも良いのではなかろうかと邪推してしまう。
549世界@名無史さん:2007/10/24(水) 11:03:48 0
>>548
外部から見れば、キリスト教は、「イエス信仰」という点から、ひとからげに
捉えられても仕方がありませんよ。ノンクリは、あなたがた宗教特有の内部抗
争、内部対立などには一切興味はありませんから。
550世界@名無史さん:2007/10/24(水) 11:32:20 0
旧約聖書を読むと、現代人の感覚からは抵抗がある記述が多いね。
たとえば、『申命記』に、
「混血の人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に
加わることはできない」
と書かれているけど、これって民族差別じゃないのか?
551世界@名無史さん:2007/10/24(水) 12:11:38 O
それは、イエス様の御言葉ではありません。
後世、改竄された部分に他なりません。
552世界@名無史さん:2007/10/24(水) 12:21:23 0
>>549
出た!「仕方がありませんよ」発言。
それはある種の人達がよく使う発言ですが深くは突っ込みません。
もっと身近な、実地的な状況認識の上で批判したほうが説得力あるんじゃないですか?

>>550
聖書は大ざっぱに言って神様に契約を取り付けたアブラハムと、その契約のその後の話なので、契約を取り付けられてない人の面倒を見る義務は基本的にありませんよ?神様には。
553世界@名無史さん:2007/10/24(水) 12:45:38 0
>>662
「ある種の人たち」とは、どんな人?「クリスチャン以外のすべての人」では
ありませんか。

ノンクリは、「キリスト教内部の状況認識」など不可能だし、その「内部抗争」
に巻き込まれることには興味は全くありません。一度内部に入ると出てこれなく
なる危険性がありますからw。「ミイラ取りがミイラになる」という諺はご存知
ですね。

ある宗教学者がオウムを内部的に研究していて、オウムに嵌ってしまったのは、
記憶に新しいことです。


554世界@名無史さん:2007/10/24(水) 15:28:43 0
キリスト教はまだ宗教色が強く、魂の救済をコンセプトにしているけど、
日本の仏教は既に葬式産業と化している。日本の葬式代は欧米の10倍以上らしい。
555世界@名無史さん:2007/10/24(水) 16:11:12 0
>>554
すべての人間は必ず死ぬ。人の嫌がる死亡時の世話をしてくれる「葬式産業」
は、人間にとって最も必要な産業の一つ。軽視すべきではない。

愛する者に先立たれた遺族は、葬式の準備や接客、僧侶への支払い、訳の分か
らない読経を聴くことにより、しばしその悲しみを忘れることが出来る。読経
は意味が分からない音声だから、かえって癒しの効果があるのである。牧師の
「訳知り顔」の「尤もらしい」説教を聴いて、果たして悲しみが癒されるだろ
うか。

僧侶も職業で、生活が掛かっているのだから、あまり「高い、安い」は言えな
いと思う。
556世界@名無史さん:2007/10/24(水) 19:49:33 0
異宗教間サミット閉幕、「神の名による暴力は神への冒涜」と表明

 イタリアのナポリ(Naples)で3日間の日程で開催されていた異宗教間サミットは23日、「神の名の下に行う
暴力や戦争は神への冒涜(ぼうとく)だ」とする共同声明を発表して閉幕した。

 同声明は、暴力を伝染病に例え、「戦争、テロ、貧困、絶望、搾取などの形で地球上に出現」し、「罪なき人々を
傷つけ、人間性を歪めるもの」だと非難。「全ての人類にとって、暴力は常に敗北である」と、暴力否定をうたった。

 同サミットは聖エジディオ共同体(Sant'Egidio)の主催で毎年開催されるもの。

「暴力のない世界:対話を通じた信仰と文化(A World Without Violence: Faiths and Cultures in Dialogue)」を
テーマに掲げた今年のサミットには、カトリック、プロテスタント、正教会などのキリスト教のほか、イスラム教、
ユダヤ教、仏教、ヒンズー教など、各宗教の指導者、政治家、約300人が参加した。

 暴力のほか、エイズ(HIV/AIDS) 移民、アフリカ、中東和平などの問題も協議された。

 サミット閉幕にあたり、各宗教の代表団らはナポリ市内の各会場で個別に平和の前進を願う祈祷会を行った。
祈祷会にはジョルジョ・ナポリターノ(Giorgio Napolitano)イタリア大統領も出席した。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2302271/2277091
557世界@名無史さん:2007/10/24(水) 20:22:56 0
そんなことやったところで、「十字軍」は崇高な精神と自己犠牲と勇敢さの代名詞だし、
「レコンキスタ」(イベリア半島の奪還)は歴史的快挙という評価は変わりっこないんだろ。
十字軍を暴挙と非難し、フェルナンド2世を破門してみろよ、そしたら本気と信じてやるよ。
558世界@名無史さん:2007/10/24(水) 21:08:39 0
当方日本基督教団に属してますが、平和主義で名高いクエーカーに改宗したいです。
559世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:30:31 0
>>555
仏式葬式でも「生前なんたらかんたら〜」と説教してくれるわけだが
560世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:36:30 0
>>556
>「神の名の下に行う暴力や戦争は神への冒涜(ぼうとく)だ」

それは「どの宗教の神」の冒涜なんだろうね。

架空の神を信じる以上、神にはどんな概念も、内容も、正義も不正義も盛り込める
のだから、各宗教が自分の神を完全に放棄しない限り、いくら会議をやっても
無意味。

「各宗教の神を放棄し、神概念を生み出した根源である人間の生命に立ち帰る」と
いう決議をすべきだった。

561世界@名無史さん:2007/10/24(水) 22:44:07 0
宗教排斥を唱えた国家が何れも破綻を迎えたことから
そろそろ何か学んだ方がいいと思うんだが
562世界@名無史さん:2007/10/24(水) 23:07:16 0
>>561
「宗教は阿片」だと言ったマルクス主義は、実在し得ない「共産主義ユートピ
ア(神の国)」の観念に最大の価値を認めた宗教の一種。信じる「神」が違う
だけ。「擬似宗教」と呼ばれる。宗教だから、多数の人命を、「良心の呵責なく」
奪うことが出来たのである。

架空の観念(神)から、人間のすべての営みの根源である「生命」とそれを
支える「自然」とにパラダイムの大転換を行うことによって、平和は初めて達
成される。さもなければ、人類は一神教同士の殺し合いによって滅亡する。
その兆しは、中東で既に明らかである。
563世界@名無史さん:2007/10/24(水) 23:14:51 0
アヘンを取り上げてモルヒネを注ぎ込んだわけか。
564世界@名無史さん:2007/10/24(水) 23:39:22 0
>>563
まさにそうだな。マルクスの宗教批判は、お決まりの「宗教間紛争」に過ぎない。
ちなみに、「阿片=モルヒネ」。両者は同じ物。
565武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/24(水) 23:46:26 O
>>562
阿片云々の出典元である『へーゲル法哲学批判序説』を、
筑摩書房から一、二年前に出た新訳で
数ヶ月前に読んだ(短いんだよね。すぐ読んじゃった)。
マルクスが宗教を阿片とか言うのは、揶揄じゃない。
現実に苦しみ(貧困、圧政etc.)が存在する以上、逃避として阿片は必要だ、という論旨だよ。
阿片を民衆に止めさせるには、現実の苦しみを取り去らなければならず、
単なる宗教批判では、宗教の廃絶などおぼつかない……といった意味のことを
マルクスは言ってるのさ。
まあ読んでからマルクス批判してよ。
2ちゃんはネットの切り貼りと眉唾な読み物から引用が多すぎるよなw
566世界@名無史さん:2007/10/24(水) 23:59:55 0
>>565
そんなことは知っているが、マルクス主義が「擬似宗教」であることには
変わりはない。

そもそも、キリスト教の影響をたっぷり受けたヘーゲルなど持ち出すのは、
ピント外れ。その彼に、キリスト教や宗教の「客観的考察・評価」が出来る
訳がない。

マルクスは、唯物論者を自称するが、実は、ヘーゲル直系の観念論者。彼の
「下部構造」には、「上部構造」であるはずの観念論がたっぷりと含まれて
いる。
567世界@名無史さん:2007/10/25(木) 00:03:45 0
宗教の代わりになるのは宗教かそれによく似たものしかないだろ
568武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/25(木) 01:39:06 O
>>566
馬鹿か?
君は知らないでものを言い過ぎだ。ネットの切り貼りはやめろ。
思想は先行批判も一つありかたなんだよ。
そこでへーゲルが持ち出されてくる理由が分かってない。
というより単なる無知。読んでもいないのに偉そうに言うな、アホ野郎。
マルクス主義が疑似宗教なのは昔から再三再四言われてきたことだ。
言わずもがなの周知のことを馬鹿じゃねえか?
マルクスを読むときは淡々と丹念に著作をまず読まなくては駄目だ。
君こそ疑似宗教のマルクス主義に影響されてマルクスの著作を
読んでいる(ま、読んでいないのはバレバレだがw)んだろうが。
というよりネットかなにかの四次(!)情報を鵜呑みしてんだろうが。
もう少し勉強しろ。
ウィキなぞゴミだ。見るな。まともな研究者はそんなもん参照しない。
いっさちょまえの口きくなら、ネットの切り貼りやめろ馬鹿野郎。
ああ時間の無駄。さて私は寝るぜ。明日きついや。
569世界@名無史さん:2007/10/25(木) 03:31:22 0
>>568
既にキリスト教に影響されている西洋の学者の本を「初めから有難がって」読み、
「借り物の知識や考え」を振り回すことを、真正の「無知」というのだよ。

そんな本をわざわざ読む必要はどこにもない。貴重な人生の時間の無駄である。
マルクスを「精読」し、それに舞い上がった連中が、結局はどうなったか。
トンデモ本であったことが証明されただけではないか。

唯一価値あるものは、「自分自身の生活体験、人間とその社会の観察に基づく、
自分自身の考え」である。

西洋観念論は、すでにキリスト教によって汚染されたものである上、現実上の
根拠は皆無なのだから、現実を突きつけられれば一発で吹っ飛ぶ、砂上の楼閣
に過ぎない。百害あって一利なしである。
570世界@名無史さん:2007/10/25(木) 07:28:29 0
>>569
自分が無学なのをを正当化しようとしても苦しいだけだね
571世界@名無史さん:2007/10/25(木) 09:01:39 0
「本を読む」=「著者を盲信する」じゃないんだから時間の無駄も糞もないよね。
572世界@名無史さん:2007/10/25(木) 09:05:13 0
>>571
文字列を目にした時点で洗脳されるとでも思ってるんだろ
そのうち西暦を使う時点で生活を全てキリスト教的価値観に支配されてるとか
言い出すかもな
573世界の名無しさん:2007/10/25(木) 09:15:47 0
>>570-572
>既にキリスト教に影響されている西洋の学者の本を「初めから有難がって」読み、
>「借り物の知識や考え」を振り回すことを、真正の「無知」というのだよ。

>>569氏の独自の解釈は、素晴らしい!!

残念だけれど君が真性の「無知」やねん!!
顔洗って出直してきてねン!!(笑

574世界の名無しさん:2007/10/25(木) 10:13:58 0
>>133を参照されたし
575兵庫須磨区瀧川高校ひどすぎ:2007/10/25(木) 10:57:37 0
2006/2/12 21:18
ぁぁ眠
朝起きたら雪ふってたぁぁ キター(´∀`)って思って部活行ったら余裕であったし まぁ今日はパスプロの練習をしました。はぃ で部活終わって今日何しよか考えてたらクソ清瀬がしんどいから 即帰りとかぃぃだしたあのぼけ
ヒマやからシ゛ャンケ゛と島野と遊ぼうと思ったら映画を見ると言うことになったので、確実に寝てしまうからやめた で伸と遊ぶことに でー清瀬と三の宮に行って伸がじゅんゃと財布ロフトにかぃにいってるらしかったから、
そごう行った バーバリーでメッチャほしいインナー発見 清瀬と彼女できたら買うことになった どっちがはやぃかなで伸発見 清瀬とじゅんゃ帰って とりあぇゲーセン
でパチンコやろうとしてたらビックチャンス中で即当たりラッキー でスロット15連 感動した それから使いまくってもなくならんから預けたぁ 明日カ゛ッコやんけホ゛ケ
[編集][削除]
2006/2/13 22:13
イェイ
うーん今日はいつもどうり、授業受けて、補習うけて、部活行った。
で部室行ったら、遠藤が俺が部室に入ってきてるのきずいてなかったらしく、
遠藤「模擬店何かするん??」
清瀬「うん、アメフト部でやるやろ?」で清瀬俺が入ってきたことにきずくヮリャ
清瀬「でも山川は谷とかとやるらしぃで」
遠藤「じゃぁ山川はみさせよか」
遠藤の本音を聞いてしまったヮリャ
罰として全裸写真とったった。ヮリャ

ぁぁーー明日はバレンタイン!!誰かにもらえんかなぁ^^

皮オヤジは打ちっぱなし好き
親父の影響で皮王子も全裸写真すっき
576世界@名無史さん:2007/10/25(木) 12:13:03 0
>>573
すげー一人勝ち宣言ですね。
577世界@名無史さん:2007/10/25(木) 23:17:37 0
所詮、ご隠居の金魚の糞だからな。
578KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/25(木) 23:35:27 0
>>562-573
私は、近代哲学についてはチンプンカンプンなので議論に深く加われませんが、
「宗教は阿片」という言葉の元祖は、たしか、詩人ハイネだったはずです(『ルートヴィヒ・ベルネ』1840年)。
しかも、彼はその言葉を、嘲りを込めて使っているそうです。
マルクスとハイネには親交がありましたから、マルクスの阿片発言の真意を探るには、ハイネに遡っても良いかもしれません。

ちなみにハイネはマルクスと同様、ユダヤ人として生まれ、そしてマルクスと同様、反ユダヤ主義者となりました。
ただし彼はプロテスタントに改宗しており、独自の宗教観を持っていたらしく、
厳密にどのような無神論者、無宗教者であったかを特定するのは難しそうです。
もしかしたら、マルクス(>>73>>77)と同様、ユダヤ教の呪縛から解かれなかったかもしれません。
579世界@名無史さん:2007/10/26(金) 00:45:12 0
>>578
マルクスは、「ユダヤ教の呪縛」というよりも、ユダヤ教からキリスト教に、
少なくとも事実上は改宗したのではないでしょうか。

彼の「富に対する憎悪」「ユダヤ人嫌い」「一面的な正義感」「極度の潔癖感」
は、キリスト教、特にプロテスタントそのままです。

ユダヤ教は、創造(実在、現実)を信じ、その意味で「現実的」ですから、
マルクスのような思想は出てこないのではないかと思います。

イエスには、「創造に対する畏敬」は見当たりません。自分が神になりたかっ
た訳ですから。

フロイトも同じくユダヤ教からの離教者ですが、彼はクリスチャンではないため、
狂信者が出ることもなく、マルクスのような非人間的な虐殺行為の原因になる
こともありませんでした。

ユダヤ教とキリスト教との間には「本質的な相違」があると思います。それが、
フロイトとマルクスとの相違となって現れたのではないかと思います。

バートランド・ラッセルは、キリスト教とマルクス主義との相似性を、詳細に
分析・指摘しています。
580武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/26(金) 00:57:09 O
>まともにマルクスのテクストを検討できないオバカさんへ
マルクス主義が宗教というのは分かる。
しかしマルクスの著作を宗教的に受け取ってる奴は単なる劣等生だ。
例えば『資本論』と『聖書』は決定的な違いがある。
『聖書』は宗教という集団幻想にとりつかれた連中が「作った」書物だが、
『資本論』は宗教としてのマルクス主義が成立する以前に、
マルクスが猛烈な勉強と思索の果てに生み出した「社会科学」(もちろんそれに留まらない価値がある)
の著作だ。
宗教的な土壌から生み出されたわけではない。
つまらないタワゴトを書き込みしているヒマがあったら読書しろ、
馬鹿。
581世界@名無史さん:2007/10/26(金) 01:03:14 0
マルクス本人がキリスト教に汚染されてる、とか何とか
だったらゲイツもキリスト教に汚染されてるから
windows使ってる奴等も皆汚染済みだよな
582世界@名無史さん:2007/10/26(金) 01:25:38 0
>>580
マルクスの思想の系譜における、「キリスト教的なもの」の分析をしてみたら
どうですか。

マルクスが、ユダヤ教からの改宗クリスチャンなら、キリスト教の影響がない
とは言えないでしょう。

「それに留まらない価値」とは、具体的に何?

>>581
windowsは、装置、物品、機械の一部です。思想や宗教ではありませんよ。
583世界@名無史さん:2007/10/26(金) 02:01:13 0
>>582
本当にそうかな
windowsの設計思想にキリスト教的価値観が一切含まれて居ないと
言い切ることはできるかな
作った奴等はほぼ全て汚染されているのだぜ
584KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/26(金) 02:55:18 0
キリスト教の魅力は、その独特な思考パターンにあります。
その独特な思考パターンは、もっぱら、キリスト教を護教するために、フルに駆使されます。
例えば、「福音書が旧約の成就である」と主張する際の証明の仕方、「唯一の神であり子であるイエス」を説明する際に用いる論理などです。
これらは、元来、学問の分野に持ち込めるものではありません。
ここは歴史板ですが、歴史研究とキリスト教の思考パターンは別物です。

ところが、学問的に問題のある、キリスト教の諸原理は、「神の論理」という用語の使用でもって正当化されてきました。
そして、それが孕んでいる問題そのものが、研究の対象となり、神学、哲学として発展してきました。
「弁証法」、「思弁」など、その最たるものです。
それは、哲学者(神学者)たちが、キリスト教が孕む論理的矛盾と戯れる際の、格好の道具となったのです。
キリスト教が支配する中世以降のヨーロッパにおいて、哲学が興隆を極めるのは、そうした背景によります。
「物自体と認識」とか、「歴史と精神」、「象徴と意味」などというのも、その支流です。

「神の論理」は、その論理性の破綻ゆえに、論理的に破綻した概念を正当化し続けてきたのです。
それゆえに魅力的であり、多くの人々を、思索の世界へ引きずり込んできました。
しかし、その空虚な思弁活動が疑問に付されることがなかったのは、それがキリスト教護教を正当化してくれていたからです。
哲学が、第一級の学問の地位にとどまってこられたのは、一つに、キリスト教の後ろ盾によります。
教会の承認をもらう代わりに、哲学は、キリスト教正当化のための理論を“奉納”してきました。

こうした思考パターンが確認できる思想があれば、それはキリスト教に汚染されているとみなせるでしょう。
マルクスがそうなのか、ウィンドウズがそうのなのか、専門外の私は知りませんが…。
585世界@名無史さん:2007/10/26(金) 04:11:29 0
>>584
>これらは、元来、学問の分野に持ち込めるものではありません。
>ここは歴史板ですが、歴史研究とキリスト教の思考パターンは別物です。

歴史学は、人間のすべての営みの歴史を対象とするものです。そうだとすれば、
政治史、経済史ばかりでなく、科学史、思想史、宗教史、キリスト教思想史な
ども、研究の対象になるのではないでしょうか。勿論、歴史は、事実だけでな
く、価値の変遷の歴史を伴うものですから、対象に「価値の部分」が含まれて
いても、一向構わないと思います。
586KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/26(金) 06:08:03 0
>>585>思想史なども、研究の対象になるのではないでしょうか。

もちろん、そうです。
キリスト教の価値観や考え方がどのような発展を遂げ、どのような方面に影響を与えてきたか、それらは歴史の分野が扱えるテーマです。
この場に相応しいと思います。
私が>>584で、「歴史研究とキリスト教の思考パターンは別物」と述べたのは、たまに、護教に熱心なあまり、歴史学のルールを無視する人がいるからです(>>133)。
驚くべきことに、彼らは、護教目的で、「神の論理」というインチキ論理を、歴史に持ち込んだりするのです。
“高尚な”例を挙げると、史的イエス研究における実存論の活用(正直、私にはチンプンカンプン)などです。

身近な例では、私が宗教板で浴びた、「史料批判などやめにしてしまえ!」という批判です。
その批判は、明らかに、聖書とイエスを特別なもののままにしておきたいという、願望から発生したものです。
彼ら護教家は、とにかく、聖書とキリスト教の伝統的な歴史を、そっとしておいてもらいたいらしいのです。
私が、「んじゃあ、聖書を批判しないで、どうしてあなた方はヘロドトスの方は、ちゃっかり批判するのか?
さすがのあなた方でも、ヘロドトスの敵兵の数の誇張の記述などは鵜呑みにはすまい?」と問うと、
驚いたことに、「何を言うか!お前には古典文学への敬意が足りない」とか、「数の誇張と切り捨てる神経がオカシイ」という反論が返ってきたのです。

また、私が、「イエスとかいうガリラヤ人(?)が“神の子”なわけがない、タダの人だろ」と言うと、
「お前には“経験”が足りない」とか、「問題は、後代の人が彼をどうみなしたかだ」とかいう、トンチンカンな反論が続出しました。
私には、彼らの言っている意味が全く不明で、絶句してしまいました。

下に続く。
587KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/26(金) 06:28:11 0
>>586のつづき。

彼らは、聖書への批判を回避するために、他の古典史料をも十把一絡げに擁護する(=鵜呑みにする)という極端な立場を取ろうとするのです。
端的に言えば、歴史(過去の人間の営み)を知り、再現する作業を完全放棄する、というのです。
宗教板では他にも、「エゼキエル書は変性意識で書かれた」とかいう、根も葉もない主張(私には意味不明)や、
「聖書は象徴として読むべきであり(これも根拠なし)、象徴にイチャモンをつけるのはナンセンス」だとかいう批判にも出くわしました。
学問板でも、「イエスの教えは“現代社会批判”としても価値がある」とかいう、意見(完全に時代錯誤)にも出くわしました。

これらすべては、聖書とキリスト教の卓越性と優越性を擁護するための主張なのです(>>279)。
こういう思考パターンは、“史学の分野では”何の役にも立たないガラクタであり、破棄せねばなりません。
その意味で、私は、「歴史研究とキリスト教の思考パターンは別物」と述べました。
キリスト教の思考パターンについては、>>323-324>>334でも触れられています。
588世界@名無史さん:2007/10/26(金) 08:45:51 0
大切に思ってることを批判されたら良い気はしませんよ?
聖書を大切に思っている人のことなど放っておけば良いではありませんか。
彼らにこだわるのは何故ですか?
それだけ大切に思ってもらえる聖書やイエスに嫉妬してるんですか?
589世界@名無史さん:2007/10/26(金) 09:27:12 0
ポルノ反対運動家、十字架のキリスト像撤去を求める

オーストリア・インスブルック──ポルノグラフィーに反対する運動家の男性が、オーストリア・
インスブルックの街にある十字架にかけられたイエス・キリスト像を、「裸だ」として撤去するよう
求めている。オーストラリア国営オーストリア放送会社が25日、伝えた。

イエス・キリストの十字架像は、インスブルック市内の広場に、20年にわたって置かれている。

訴えている男性は、元カメラマンの82歳のマルチン・フメルさん。キリスト像の撤去を求める意見の
支持者約100人と一緒に、26日に抗議デモを実施する予定。

一方、インスブルック市長は、この十字架像は芸術作品で、ポルノではないとして、この申し出を
却下すると述べている。

フメルさんは昨年、衣服を身につけていないモーツァルト像を、赤色と緑色に色を塗り、白い羽根を
つけたことで知られる。昨年3月にはこの行為について、ザルツブルク検察から、公共物破損の容疑で
起訴された。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200710250029.html


こういう発想もあったかw
590世界@名無史さん:2007/10/26(金) 11:17:52 0
>>588
>大切に思ってることを批判されたら良い気はしませんよ?

史上そして現在も、一神教が齎した巨大な害悪を考えると、そんなことは言え
ませんよ。

人間の他のすべての営みが、究極的には「生命の保存」「共生」に向けられて
いるというのに、大虐殺や大紛争の原因となっているのは、宗教、特に一神教
(一神教的イデオロギーも含む)だけではありませんか?

現在の中東でも、ほとんど毎日のように続く「神の名」による虐殺から目を
そむけてはなりません。「狂気」以外の何物でもないではありませんか。

マルクス主義やナチスによる大虐殺も、その起源はキリスト教であることを
忘れてはなりません。
591世界@名無史さん:2007/10/26(金) 12:31:20 0
>>590
相変わらずあなたの言っていることはよくわかりません。
だからキリスト教はやめておけ、ということですか?
正直な話、いつの時代の人が誰を殺したなんてどうでも良いんですよ、私。
今現在危ない所は遠慮したいですけど。

と言うことで具体的に危ない教団、教会をお尋ねしてもお返事頂けませんし。
あなたはただ何かを叩きたいだけなんじゃないんですか?
592世界@名無史さん:2007/10/26(金) 13:16:28 0
最も危険なのは、ローマ市中に砦を作って独立国まででっちあげている
カトリック。
593KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/26(金) 13:37:19 0
>>588
そうですね、私としては、どうしてタダのおっちゃんがこれほどまでに大切に思われているのか、に興味があります。
そしておそらく、キリスト教の歴史とは、その過程を探ることだと思います。

それにしても、おもしろいものです。
キリスト教批判をすると、必ず、貴殿のような、意見に出くわします。
しかし、他の分野では、そのような意見には出くわしません。
例えば、「大切に思ってもらえる聖書とイエス…」という言い方はされても、
「大切に思ってもらえる『アレクサンダー遠征記』とアレクサンダー…」という言い回しは使われないのです。

アレクサンダーのことを、「タダのアル中の青二才の暴君」とケチョンケチョンに評価しても、誰も取り立てて騒がないのに、
イエスのことを「タダの人」と評価すると、蜂の巣を突付いたような大騒ぎになるのです。
同じ人間なのに、この差は何なんでしょう?
歴史(過去を知る)の分野では、「誰かのことを大切に思う」という特別な感情は傍らに置いておかねばなりません。
しかし、クリスチャンは、その特別な思いを胸に抱いたまま、過去の出来事を探ろうとするのです(>>133)。
この矛盾に満ちた異様な光景それそのものが、研究の対象になります。

594世界@名無史さん:2007/10/26(金) 14:48:19 0
まぁ、どの板へ行ってもろくすっぽ資料すら読んでないのが丸わかりな糞コテだって事だな。
宗教板の妄想コテと大した違いは無い。
それから、こんな過疎板じゃわざわざ「age」るのは間違いなく荒らしだ。
595世界@名無史さん:2007/10/26(金) 15:12:35 0
>>594
「資料」「資料」というが、頭の良い人間は、聖書でも、マルクスでも、ざっと
読むだけで、その中心的思想は把握できる。概説書+αでも十分。今時、すでに
完全に否定されたマルクスなどを精読するのは、限り在る貴重な人生の時間の
壮大な無駄使い。

それに、牧師は信者に聖書全体を教えるのか。都合の良いところだけつまみ食い
して、都合の悪いところはすべてスルーだろ。これでは、聖書の中心的思想さえも
伝わっていない。それを伝えると、キリスト教は崩壊するからだろう。
596世界@名無史さん:2007/10/26(金) 17:26:51 0
597世界@名無史さん:2007/10/26(金) 17:59:31 0
>>588のような事をいう香具師に限って、自分が大切に思ってること以外に対して攻撃的だったりするw
598世界@名無史さん:2007/10/26(金) 18:27:50 0
>>593
タダのおっちゃん多いに結構です。
悪く言わないでほしいんです。
人間的に好きな人のことを悪く言われたら嫌でしょ?
私にとって神様やイエスはそんな大好きな存在なんですよ。
599KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/26(金) 18:52:39 0
>>598
ええ、お気持ちは分かりますよ。
ただ、聖書やイエスや神は、誰かの所有物ではありませんからねぇ。
信者さんの気持ちを配慮して、聖書へのツッコミを緩めるわけにはいかないのです。

また、イエスの人間的なところなんて、ほとんど分かりませんからね。
貴殿が、福音書のイエスにどういうイメージを重ねているか知りませんが、多分それらは、イエス本人に遡るものではなく、後代の創作と加筆です。
ですから、福音書のイエスのコキ下ろしても、きっと、歴史のイエスをコキ下ろしたことにはなりません。
創作と加筆とによってでっち上げられた架空の人物と物語をいくらけなしても、侮辱罪には問われないでしょう。
だから、ご安心ください。
600世界@名無史さん:2007/10/26(金) 19:17:57 0
>>598
じゃ、あなたは批判する人の声を聞かなければいいじゃないですか?
それとも、「非信者はキリスト教やイエスを批判してはならないが、信者はそれらのことを主張してもいい」とお考えですか?
601世界の名無史さん:2007/10/26(金) 19:21:18 0
>>577
>所詮、ご隠居の金魚の糞だからな。
所詮、君たちはイエスの精神病が集団感染した感応精神病の金魚の糞達だからな。ヽ(^。^)ノ

602世界@名無史さん:2007/10/26(金) 19:32:54 0
>>591
>正直な話、いつの時代の人が誰を殺したなんてどうでも良いんですよ、私。

それがどうでもよければ、ほかのすべてのことは、もっともどうでもよいでのでは。

そのあなたが、架空の神や2000年前に死んだイエスを批判されると、どう
でもよくないのは一体何故?言ってることが矛盾しまくりですよ。キリスト教
の持つ病理をそのまま現していますね。

どこの教会が危険かを問う前に、イエスの思想自体に潜む危険性を分析したら
どうですか。キリスト教による大虐殺は、生来は善良で純粋な人間たちが、イ
エスを信じたが故に起きたことです。人類のほとんどすべての大虐殺の陰には、
イエスの思想が存在します。
603世界の名無史さん:2007/10/26(金) 19:38:59 0
>>600
>「非信者はキリスト教やイエスを批判してはならないが、信者はそれらのことを主張してもいい」とお考えですか?

そんな駄々をごねてる幼稚な子供のようなわがまま・・・・いい大人が通りませんょw
イエスへの執着やエゴからそろそろ解放されて自由になったら如何?(笑
604世界@名無史さん:2007/10/26(金) 20:09:03 O
エゴ? ?
605世界の名無史さん:2007/10/26(金) 20:45:34 0
>>604
うん。 >>598レスはエゴではないの?
キリスト教やカルト宗教は、ご自分のエゴ(癒し・救い・永遠の命・解脱・・・・・)等の追及でしょw
606600:2007/10/26(金) 21:05:03 0
>>603
俺はクリスチャンじゃない。どこをどう読んだら「俺」がだだをこねていることになる。文章よく読め。
607603:2007/10/26(金) 21:21:44 0
>>606
>>600氏にアンカーつけたけど、下の2行は>>598氏あてです。
紛らわしくてゴメンw
608600:2007/10/26(金) 21:39:45 0
>>607
どうも。これからは気をつけてください。

>>599
KGさん、僕もイエスは誇張・神格化されて伝えられていると思いますが、あなたの考える真のイエス像はどんなものでしょうか?
それとも、そのようなことを考えること自体が神学の影響を受けてしまっているのでしょうか?
609世界@名無史さん:2007/10/26(金) 22:26:31 0
>>595
>上段

頭のいい人間は概説書+αだけでは
まさに「概説だけ」しか分かってないと自覚すると思うが。
時間の無駄だと思うなら読まなくても良いし、
よく知らないなら知らないなりに知ったかぶりをしなければいいだけ。
>下段

これがまさに不可解なんだが……牧師が聖書全体を教えないなら
どうなんだ?批判的研究を教えなかったとしてどうなんだ?
たしかにそういう牧師が学問的に謙虚だとは決して言えない。
ここでの「どうなんだ?」ってのは他人がそうしてるからといって
それが自分もそうしていいことになるのか、という疑問。
他人も怠けてるから俺だって適当にやっていいだろ、と言っているのか?
610KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/26(金) 23:08:41 0
>>608
「真のイエス像」については、ほとんど確かなことは言えないと思います。
イエスに最も近い資料である「Q」(福音書研究者らが再現したイエスの発言集)からは、イエスの人となりを再現することはできません。
そこには、イエスの語ったとされる言葉は書いてありますが、彼の人物像については触れられていないのです。
ただ、イエスという男に帰せられたその語録集から、彼が、特異な“発言”によって人々に知られていた可能性は高いです。
イエスが同時代人にまず記憶されたのは、その壮絶な人生(受難と磔刑の死)ではなく、その発言を通してだったのです。
死せるイエス像が登場するのは、その後になってからです。

ですから、彼がどのような最期を迎えたのかについては、確かなことは何も言えません。
少なくとも、最初期のイエスの追随者たち(彼は弟子を持たなかったが)は、イエスの死に無関心でした。
彼は、その壮絶な生き様によって有名になったのではなく、その発言で有名になったのです。
現実のイエスはおそらく、頭の回転の速い(ギリシア的教養あり?)、スタンダップ・コメディアンのような男だったのではないかと思います。
想像ですが、彼の主な活動場所は、市場だったと思います。

だからといって、彼は社会に変革をもたらそうとはせず、言論のヒーローとして立ち回らなかったでしょう。
弟子を作ることもせず、パリサイ派とも対決せず(この設定は時代錯誤)、弱者解放運動も展開せず、ローマにあからさまな敵対心を見せませんでした。
当然、自分がメシアだと主張することもせず、周囲もそのようには見なさなかったでしょう。
しかし、彼の痛烈な皮肉のこもった発言は、人々に新たな生き方へのヒントを与え、後になって、人々はイエスの言葉を範に、共同体を形成していきます。
これが私が想定する、イエスと最初期のイエス運動です。
611世界@名無史さん:2007/10/26(金) 23:39:56 0
>>610
聖書にイエスが「大飯喰らいの大酒飲み」と評されていることを示す箇所がありますが、これが本当だとすると典型的なイエス像である禁欲的で厳格というのはしっくりときませんね。
むしろ陽気で軽やかな男だったような気もします。想像ですけど。
612世界@名無史さん:2007/10/26(金) 23:51:40 0
有史以来の偉大な知性であるアリストテレスだって批判(非難)の対象になりえる。
凡百のギリシャ人(厳密にはギリシャ語を話す人々か)が編纂した新約聖書にケチをつけられない理由はいずこに??
613世界@名無史さん:2007/10/26(金) 23:59:38 0
うん、確かに聞かないのが一番だな。
まったくもってその通りだ。

何事にも批判的な人は、素直におとなしく人の話を聴いて従うことってできるのかな、ってのが最後の疑問。
もしできるのであればどんな人に対してそうできるのか、が知りたいです。
そんなに批判的だと自分に対しても批判的で疲れませんか?
それとも物心付いたときから「でもしか番長」だったのですか?

それとも、誰か心を許した相手には素直で真っ直ぐなんですか?
いえ、私だったら周りも自分も疲れて大変だろうなと思って。
614世界@名無史さん:2007/10/27(土) 00:06:37 0
>>613
言ってることが抽象的で、さっぱり分からん。

あなたの思考の基盤は何?それはすべての人間に共通する「普遍の基盤」
ですか?
615世界@名無史さん:2007/10/27(土) 00:52:46 0
>>614
基盤ほとんどありませんよ。
良い加減なヤローです。
人間が大嫌いですので、すべての人間に共通する「普遍の基盤」は期待できないと思います。
616KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/27(土) 01:00:27 0
>>611>陽気で軽やかな男だったような気もします。

>>524のリンク先に、有名な、イエスと同時代のパレスチナ人男性の顔の復元画像が載せられていますが、おそらくイエスもこのような顔をしていたでしょう。
一部の学者が想定するように、彼がもし、犬儒派の流れを汲む思想家であったのならば、その姿はみすぼらしく、決して洗練されたものとは言えなかったでしょう。
ですから、見た目は「軽やか」とは言えなかったかもしれません。
ただ、髭モジャで鼻が大きく色黒の肌をした顔から、その人物像を描くのは危険だと思います(笑)。

とはいえやはり、歴史のイエスが禁欲的で、愛を説いて回る聖人だった証拠はどこにもありません。
ユダヤ教の枠組みで生きていた可能性はありますが、宗教改革とは無縁だったでしょう。
彼は、活力に溢れ、人々との議論を楽しんでいたはずです。
市場など人の集まる所で、辛味の効いた言葉を発し、発想の逆転で社会の通念に疑問を投げ掛けて人々を驚かせていたに違いありません。
私などは、大人の一休和尚を連想してしまいます。
617世界@名無史さん:2007/10/27(土) 01:02:18 0
>>593
>>アレクサンダーのことを、「タダのアル中の青二才の暴君」とケチョンケチョンに評価しても、誰も取り立てて騒がない
そりゃ今2chにマケドニア人もヘレニズム主義者も居ないからだ
とりあえずアレクサンダーをヒロヒトとかに変えて試してみてはどうか

>>602
>>イエスの思想自体に潜む危険性
いや、大工の倅も自分の説教が世界三大宗教の一角になるなんて夢にも思ってなかったろ
もし予測して危険思想を広めたとかいうならそれこそ神だ
618KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/27(土) 01:16:39 0
>>617
アレクサンドロスやヒロヒトが過大評価されるのには、もちろん、それなりの理由があるでしょう。
それは「文化の創始者」とみなされたり、「国家の権威・象徴」と見なされているからだと思います。
そしてたぶん、イエスにも、そうした役割が負わされており、それゆえに批判が回避されているのです。
じゃあ、人々はイエスをどう見なしているのか?
どうして「タダの人」が、そこまで祭り上げられねばならなかったのか?
なかなか興味をそそるテーマではありませんか。
619世界@名無史さん:2007/10/27(土) 01:45:51 0
新約聖書は旧約聖書に比べると、随分とギリシャ哲学的な感じがします。

イエスは、当時流行のギリシャ哲学にかぶれ、舞い上がったのではないでしょうか。
日本の軽薄な若者たちが、一時、マルクスにかぶれて舞い上がったのと同じ
です。

新約には、ヘブライ的な思想は、あまり感じられません。アガペーやロゴスは、
まさにギリシャ哲学です。
620KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/27(土) 01:58:49 0
>>619>イエスは、当時流行のギリシャ哲学にかぶれ、舞い上がったのではないでしょうか。

>>608>>610-611>>616で話題に上った実際のイエスは、それほど「愛」を連発しなかったと思います。
愛にやかましくなるのは、後代の自称イエスの追随者たちです。
ですから、アガペーやロゴスの概念は、イエス本人には帰せられません。
後代のクリスチャンこそ、ギリシア哲学にかぶれたのです。

とはいっても、イエスの暮らしたガリラヤ地方は、かなりギリシア化されており、イエス自身もギリシア哲学に触れていたはずです。
ただ、彼のその教養が、新約の思想の基盤になったというのはちょっと行き過ぎだと思います。
「セム系の頑固さと、ギリシアの屁理屈が合わさったのがキリスト教だ」という言葉を、どこかの歴史家が言ってましたっけ。
621武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/27(土) 02:05:00 O
>>619
イエスじゃなくて聖書を書いた奴らね。
イエスにそんな教養があるなんて、君もずいぶんイエスを贔屓目で見てるなw
ヨハネの福音書(ヨハネが書いた訳じゃない)なんか、出だしからしてギリシアだけど、福音書の中では一番成立が新しい。
マルコなんかにはギリシア的なものが薄いよ(といってもギリシア語で書かれてる訳だが)。
ああそういえばパウロなんかはローマ市民権を持っているそれなりの教養の持ち主だよな。
君は実証的な聖書研究を参照しないで書き込みしてるね。
ウィだかグーグルだかで、インチキな知識を仕入れて切り貼りw
バッカじゃなかろーか。
622武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/27(土) 02:07:32 O
>>619
旧約にギリシアなんか関係ねえよ。
へブライズムとヘレニズムとか分かってんのか?
あと聖書くらい斜め読みでもいいから読め。
無教養野郎!
623武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/27(土) 02:09:19 O
しかし2ちゃんって馬鹿ばっかだな。
まあ、また来てやるよ。
ストレス解消も兼ねて潰させてもらうよ。
624世界@名無史さん:2007/10/27(土) 02:12:00 0
ちょうどいいや
ウェールズの守護聖人って誰だっけ?
625世界@名無史さん:2007/10/27(土) 02:49:02 0
>624

聖デウィあるいは聖デヴィッド。
ウェールズ語ではDewi Sant(デウィ・サント)
Llanddewiとか、Tyddewiとか彼にちなんだ名前の土地も多い。
Dydd Gŵyl Dewiもチェックしておこう。
626世界@名無史さん:2007/10/27(土) 02:52:08 0
>>625
サンクス!さっすが物知り博士だ
627世界@名無史さん:2007/10/27(土) 03:24:55 0
>>622
ヘブライイズムも、その後期には、ヘレニズムの影響がなかったと言えるかな。
その到達点が、キリスト教なのだが。
628KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/27(土) 05:59:07 0
>>622>旧約にギリシアなんか関係ねえよ。聖書くらい斜め読みでもいいから読め。無教養野郎!

>>619の人は、聖書を読んだ上で、「関係ないのではないか」という感想を持ったのだと思います。
ですから、>>622の意見と合っているはずですよ。
それなのに、「無教養野郎!」という言い方をする必要ないんじゃありませんか?
あと、>>627でも言われているように、ヘブライズムとヘレニズムの境界は流動的であって、そう簡単に区切れるものではありません。
ユダヤ教とヘレニズム文化の関係は、論じるのがなかなか難しい問題なのです。
ですから、それを知らないからといって、「無教養」にはならないと思います。
629世界@名無史さん:2007/10/27(土) 09:40:15 0
>623 名前:武陽陰士 ◆ATDF4vFZys 本日のレス 投稿日:2007/10/27(土) 02:09:19 O
>しかし2ちゃんって馬鹿ばっかだな。
>まあ、また来てやるよ。
>ストレス解消も兼ねて潰させてもらうよ。

潰 さ せ て も ら う よ 。

630世界@名無史さん:2007/10/27(土) 09:58:45 0
バチカン法王庁は25日、14世紀に行われたテンプル騎士団(Knights Templar)の異端性を問う
宗教裁判の史料を公開した。

「Processus contro Templarios(Hearing Against the Knights Templar、テンプル騎士団の異端
審問記録)」と題されたこの史料は、当時のフランス国王フィリップ4世(King Philip IV)の命により
1308年に南東部ポワチエ(Poitiers)で開かれた宗教裁判の議事録をまとめたもの。公開された
文書は300ページで、中世ラテン語で書かれている。バチカン法王庁は複製版を799部限定、
1部5900ユーロ(約97万円)で販売する予定だ。

史料は、司教や枢機卿の会合用に使われているホールで報道陣や一般市民を対象に公開された。
バチカン枢密文書館のSergio Pagano館長は、史料にはすべての裁判記録の複製が網羅されて
いるが「特に目新しい情報はない」とする一方で、円筒形の巻物入れの「美術的価値」の高さを
指摘した。史料には、教皇クレメンス5世がテンプル騎士団の異端を「無罪」としたことで知られる
文書「Chinon Parchment」も含まれる。

テンプル騎士団は1119年、聖地保護と異教徒撃退のために創設された。聖地エルサレム
(Jerusalem)が13世紀にイスラム教徒の統治下に置かれた後、騎士団はヨーロッパに逃れ、
その拠点をフランスに置くようになった。

1308年、テンプル騎士団の財産没収を狙ったフィリップ4世がアビニョン(Avignon)教皇クレメンス
5世(Clement V)に働きかけたことにより、騎士団の異端性を問う裁判が開始。教皇クレメンス
5世が「無罪」の判断を下していたにもかかわらず、39人の指導者が1314年に火刑に処せられた。
騎士団は1312年に解散している。

テンプル騎士団は、キリストが最後の晩餐で用いた「聖杯」の守り主として知られるほか、入会に
際しての秘儀や、解散によって行方不明になった財宝を巡る謎に包まれ、中世ヨーロッパの三大
騎士修道会の1つとされる。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2303078/2282553
631世界@名無史さん:2007/10/27(土) 10:24:42 O
>>627-629
なぜアジア人女性は白人男性と結婚するか?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1193110625/
33 :武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/23(火) 23:53:17 O
>>30
進駐軍(占領軍の言い換えね)
には英軍もいたよ。オーストラリアもいた。
ただ女の子たち(だけじゃなく日本人のマジョリティね)
には英軍豪軍とも全く人気なかった。何故か分かるかい?
金がなかったから。
アメリカの国力は当時凄かった。

こう言うアホな事を平気で書けるデムパなので、まともに相手しない方が良いとオモワレ
632世界@名無史さん:2007/10/27(土) 10:34:19 0
>>631
ほう、ではアホな事を平気で書けないデムパではないあなたは「なぜアジア人女性は白人男性と結婚するか?」という問いにどう答えるの?
633世界@名無史さん:2007/10/27(土) 10:41:04 O
>>632
「人によって好みは違うから、そう言う女もいるんじゃねーの?」それ以外に何かある?w
634武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/27(土) 12:15:23 O
>>631
バーカ。占領下の研究したこともねえのにw
電波はオマエだよ。
だいたい占領時代の日本における豪州兵英兵の日本人から見た位置に
ついて書き込みできる
奴なんて私だけだぞ、
2ちゃんじゃな。
好みじゃなく金がないんだ。当時の日本人は。
635武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/27(土) 12:19:17 O
ちゃんと史料なり聞き取り調査なりした結果を
書き込みしても電波よばわり。
一度大学行ったほうがいいよ
マジで
バッカじゃねえーのw
2ちゃんねるって馬鹿しかいないな
2ちゃんへの書き込みは
私には馬鹿を小馬鹿にしてストレス解消するだけが目的になっている。
636世界@名無史さん:2007/10/27(土) 12:26:29 0
>>633
それは学問系の板にふさわしい答えなのか?
637武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/27(土) 12:31:57 O
どうでもいいがグーグルとウィは止めてくれ。
止められないのは劣等生だからかな?
URLを得々と掲げるのも止せ馬鹿。
ちゃんと文献あげろ。
でねえと笑いものにする
638世界@名無史さん:2007/10/27(土) 12:35:20 0

■ 【宗教団体スカイダイビング監視中】 ■  


        n∧,,∧n
       o(`・ω・´)o
  n∧,,∧n ` ̄ ̄´                  n∧,,∧n
 o(`・ω・´)o  n∧,,∧n       n∧,,∧n  o(`・ω・´)o
  ` ̄ ̄´  o(`・ω・´)o      o(`・ω・´)o  ` ̄ ̄´
          ` ̄ ̄´       ` ̄ ̄´
         バッ
           / ̄ ̄ ̄`\
          /  ×宗教  ヽ
バッ        |  戦争・紛争 |                        バッ
 / ̄ ̄ ̄`\ ヽ______/ バッ            バッ          / ̄ ̄ ̄`\
/         ヽ ヽ ∧,,∧  / / ̄ ̄ ̄`\       / ̄ ̄ ̄`\  /         ヽ
| 課税実施   | o|(`・ω・´)/o/  宗教    ヽ     /  撲滅    ヽ|  邪教粉砕   |
ヽ______/   |   | |  知識普及  |     | 宗教被害   | ヽ______/
 ヽ ∧,,∧  /   〇 ̄〇´)) ヽ______/      ヽ______/   ヽ ∧,,∧  /
 o|(`・ω・´)/o           ヽ ∧,,∧  /        ヽ ∧,,∧  /   o|(`・ω・´)/o
  /   /             o|(`・ω・´)/o        o|(`・ω・´)/o     ヽ   ヽ ))
 (ノ ̄(ノ ))            /   /            /   /        `ー`ー′
                    (ノ ̄(ノ ))         (ノ ̄(ノ ))

http://religion.bbs.thebbs.jp/1166805222/e40

639世界@名無史さん:2007/10/27(土) 12:41:03 O
文献上げりゃ学問になると思い込んでいる典型的「2ch学者」。そんな形式以前にまともな意見書き込むよろし。まあカッコぐらいでしか教養人ぶれんのだろうな。つか、ここ2chだぜ?
640世界@名無史さん:2007/10/27(土) 12:59:30 0
>>639
開き直りですか。
641世界@名無史さん:2007/10/27(土) 13:03:20 O
内容ある書き込みもしないで文献ではな。形式にこだわる奴にかぎって中身が空っぽ。
642世界@名無史さん:2007/10/27(土) 13:20:45 0
>>591
>>602氏の質問の答え期待して待ってるんだけど
643世界@名無史さん:2007/10/27(土) 13:21:47 O
てか、幾ら研究しようが、聞き取り調査しようが、文献引用しようが、結論がアレならデムパはデムパだなw
644世界@名無史さん:2007/10/27(土) 13:41:43 0
>>613
>うん、確かに聞かないのが一番だな。 まったくもってその通りだ。
>>615
>良い加減なヤローです。
>人間が大嫌いですので、すべての人間に共通する「普遍の基盤」は期待できないと思います。

★ だったら、難癖ばかりつけてないでお引取り願いま〜〜す(笑 

★ 一神教のトラブルが絶えない今の世界で、キリスト教を批判できる人は貴重な逸材で〜す(^0^) 
645世界@名無史さん:2007/10/27(土) 14:51:01 0
もう良いです。
何かを批判したくてたまらないようですから好きなだけ批判して下さい。
自分の好きなものを自分からは書かないで人の好きなものを批判すれば良いです。
そうすれば自分は批判されずに好きなだけ他人を批判できますものね。
卑怯なやり方で私は気に入りませんがもう良いです。
そうやって死ぬまでイヤイヤやってたら良いです。
そんな生き方に私は魅力を感じませんが。
646世界@名無史さん:2007/10/27(土) 15:09:44 0
あいも変わらず視野が狭いのぅ〜(笑
647世界@名無史さん:2007/10/27(土) 16:06:35 0
http://www.domo2.net/ri/r.cgi/book/1067057361/
お前らの人生に影響を与えた本を教えろや!

 [694]武陽陰士 ◆ATDF4vFZys 2007/10/19(金) 23:00:37
 聖書。
648KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/27(土) 16:15:39 0
一応私もそれなりに聖書を読みますが、私にとって聖書は、三文の価値もありませんね。
歴史理解の資料としては価値はありましょうが、現代において人として生きる道を説く本としては、無価値ですね。
この私は、聖書の導きなんぞなくとも、人としての道を外れずに生きていけます。
聖書がないために、路頭に迷うということはありません。
もちろん、これはあくまで私の個人的な見方であって、他の人がどう思おうが知ったこっちゃありませんが…。
聖書を大事にしたい人は、引き続き、大事にすれば良いと思いますよ。
そういった人たちから、聖書を取り上げるつもりはありません。


私は、かつてのキリスト教徒に倣う者ではありませんので。

649KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/27(土) 17:16:55 0

私は、聖書を読むように人に勧めるつもりはありませんが(三文の価値もないので…)、
ただ、どうしても読みたいという人には、巻頭から頁順に読むのではなく、何かしらのテーマをもって読むことをオススメします。
例えば、ダビデの王朝の成立を聖書はどう描いているのだろうか?というテーマを予め設けて、それに答える箇所をツマミ食いしていくというものです。
そうすれば、いつの間にか、かなりの章節を読み進められるでしょう。
漠然と読むには、聖書はあまりにも、分量が多すぎ、難解すぎます。

さっき、宗教板の【キリスト教@質問箱177】を覗いたら、
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1192649535/l50
福音書のユダ・イスカリオテの裏切りが話題になっていました。
ユダ裏切りの記述を各福音書から抜き出して並べ、その描き方の相違に目をつけるのも手です。
そうすれば、福音書を一度に、かなりの量、読み進めることができます。
私であれば、さらに発展させ、福音書記者が、「裏切られる主人公」というモチーフを旧約からパクったのではないか、と想定して、旧約に飛び移ります。
そして、旧約の中から「裏切り」の物語を探します。

すると、創世記37章28節の、ヤコブの息子ヨセフの人身売買の物語に行き当たります。
しかもそこでは、「銀20枚」が小道具として用いられており、福音書の「銀30枚」の類似が見られます。
そして売り飛ばすのは、どちらの話でも「ユダ」です。
また、どちらの話でも、12人ワンセットの集団が、売り手の側に回ります。
こうすると、福音書記者が、創世記のヨセフ物語をパクった可能性が出てきて、聖書のリーディングは俄然面白味を増します。
そして旧約と新約を同時に読むことができます。
650世界@名無史さん:2007/10/27(土) 17:26:03 0
しかしKGはいつになったらバカアゲやめるんだ?
651世界@名無史さん:2007/10/27(土) 17:46:27 0
>>647
http://www.domo2.net/ri/r.cgi/book/1067057361/
>お前らの人生に影響を与えた本を教えろや!
 >[694]武陽陰士 ◆ATDF4vFZys 2007/10/19(金) 23:00:37
 >聖書。

やっぱりなあw。基地外が迷い込んでいたんだ。そうではないかと思っていたよ。


652600:2007/10/27(土) 18:20:52 0
>>648
私も聖書をときどき読みますかね。伝道の書(コレヘトの言葉)と雅歌くらいですね、ためになるのは。
残りは無価値というより読む気がしないですね。字ばかりのわりに大したことが書いてないので。
653KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/27(土) 18:38:50 0
>>652
雅歌はエロ本でしょう?
654600:2007/10/27(土) 19:32:32 0
エロ本ねえ・・・(汗)そんなつもりで読んではいませんけど・・・
まあ、キリスト教徒は一歩間違えれば官能小説になる書を聖書に収められているという理由で、これを神と信者の関係を喩えたものとこじつけに近い解釈をしてたりしますが・・・
それにしても、なぜエロ本呼ばわりされるような本が旧約聖書に収録されているのでしょうかね?なんか現在のユダヤ教では30歳未満は読んではならないという18禁ならぬ30禁になっていたりしますが・・・
655世界@名無史さん:2007/10/27(土) 19:43:39 0
>>654
「オナニー」という言葉を初めて知ったのは旧約聖書w。

しかし、聖書のエロは、ガラス細工のように人工的。あんまり起きてこない。
656世界@名無史さん:2007/10/27(土) 20:32:15 0
>>645
>自分の好きなものを自分からは書かないで人の好きなものを批判すれば良いです。

↑って君たちは布教・宣伝・商売の為に書くのでしょw(笑

本来、信仰とは自分の心の中でするもの。キリスト教は何故こんなにスレが多いの?
昔も今も、力と数で強引に排他的に戦車のように推し進めるのは少しも変わってない。
布教、布教、布教・・・・の一点ばりってお金や権力が目的のエゴでしょw

21億人の信徒を抱える世界最大宗教を相手に批判する方が大変ですょん(笑
被害者顔は止めて下さい。お笑いです。少しも似合いませんw
大木についてれば楽―なはずっしょ、それ目当ての人も集まるしぃ(笑
657世界@名無史さん:2007/10/27(土) 22:35:08 0
教皇自らローマ皇帝になるわけにはいかんかったん?
658KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/28(日) 03:25:35 0
>>654
雅歌は、完全に、未婚の男女のエロチックな関係を歌ったものであり、確かに、ステレオタイプなユダヤ教の道徳観にはそぐわない気がします。
それは聖書的というよりも、むしろ、世俗的なメソポタミアの香りがします。
この書は、ヘレニズム時代に成立と思われますが、同時代の作・編と目されている書は他に、
コヘレト、ダニエル書、歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記、ルツ記、シラ書、第一エスドラス、第一エノク書などがあげられます。

「そんな雅歌がどうして正典に加えられたのか?」
それに対する明確な解答はまだ得られていないといいます。
そのあからさまな性的表現にもかかわらず、正典に入れられたのは、それが当時すでにアレゴリカルに解釈されていたからだ、という説もありますが、はっきりとしたことは分かりません。
その初期からソロモンの作だと見なされて、それが定着していたゆえに正典にされたとも、想定できますが、それも確かではありません。
『ミシュナー』では、集会の書と雅歌が聖なる書かどうかを巡る議論が載せられています。
紀元後のユダヤ人たちは、雅歌の内容をイスラエルと神の関係の寓話だと解釈したようですが、その解釈が果たして、どの時代まで遡れるかは分かりません。

とにかく、その性的表現が正典の規準に引っかからなかったというのは興味深いです。
では、正典の規準とはなんだったのでしょうか?
雅歌は、前3世紀の死海文書や七十人訳にも、早々含まれているのです。
それは、その時代、どのように読まれていたのか…。
ユダヤ人の間において、多数の承認を得た文書のあり方を考えさせられます。
659KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/28(日) 03:45:42 0
>>657
私もそう思いますね。
東方のビザンツなんかは、それに近い体制でした(>>503)。

私は中世のキリスト教の歴史に疎いので、詳しい方に説明をお願いしたいのですが…、
西方が、教皇権と王権を分離せざるを得なかった背景には、>>514で書いた、「教会の権威」が関係していると思います。
東方と異なり、西方では、教会が王の権威を正当化してくれていました。
神の代理人である教会が、「あんたは神様に認められた王様だよ」と太鼓判を押してくれたのです。
ですから、王が自分で冠を被るのではなくて、教皇に冠を被せて貰うことに大変な意義があったのです。
王様が全部自分でこなしてしまっては、何の権威もなくなってしまいます。
そうすることによって、王様の家臣らは、安心して、神様に認められた自分の主君に臣従を誓うことができたのです。
反対に、教会からそっぽを向かれた主君には、不信感を抱き、鼻であしらったと思います。
「聖」と「俗」の分担作業って大事だったのです。

他にも、教会の領地や王の軍事力などの面などからも説明できましょうが、私はそちらには詳しくないのでこれまでにしておきます。
660世界@名無史さん:2007/10/28(日) 18:55:48 0
あー、煽り目的やったんか…。
性格悪いなあ。
どんな社会的地位にあるどんな家庭を持つ人なんだろ。気になるな。

俺は屋号2つほどダメにして平でやり直しのサラリーマン。
聖書の言葉に励まされ、慰められながら奮闘中。
661KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/28(日) 19:19:39 0
>>660
慰めを得られる本は、人それぞれですからね。
そういう聖書の読み方もあると思います。
662世界@名無史さん:2007/10/28(日) 23:05:09 0
君たちは自覚していないと思うが、イエス依存症及び類似の宗教は、アルコー
ル依存症と同じく、精神医学の対象となる病気。渇望を妨げられると、激しい
離脱症状を起し、人格の不可逆的崩壊を生じる。入院治療が絶対に必要である。
もっと深刻に考えて欲しい。
663世界@名無史さん:2007/10/28(日) 23:39:17 0
そういうおまえは2ちゃんねる依存症。
664世界@名無史さん:2007/10/29(月) 00:02:45 0
>>663
2ch依存では、「人格の不可逆的崩壊」を招くことはない。ひろゆきが2ch
止めれば、いつでも止めることができ、「離脱症状」は生じず、入院も必要ないw。
665KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/29(月) 00:43:32 0
>>662-664
まあまあ、穏やかに行きましょうよ。
666世界@名無史さん:2007/10/29(月) 01:37:40 0
>>665
宗教とは、あくまで「心理現象」が根源だから、その根源を徹底的に分析・
解明しない限り、単に表面的な解明になってしまいます。
667世界@名無史さん:2007/10/29(月) 07:42:41 O
取り敢えず>>666は獣の数字
668世界@名無史さん:2007/10/29(月) 08:19:55 0
アゲ続ける厨のやることだからなぁ
このスレも終わった
669世界@名無史さん:2007/10/29(月) 09:15:28 0
ところでフランシスコ会訳の旧約新約合冊はいつ出るんだろうか?
670KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/29(月) 13:42:02 0
>>669

版元のサンパウロに直接か、あとは教文館あたりに問い合わせるのも、一つの手ではないでしょうか。
671KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/29(月) 13:50:53 0
>>668
今までのところ、ここのスレは滞りなく進んでいますし、他スレもバンバンageられているようですから、ageそれ自体に深刻な問題はないでしょう。
むしろ、キリスト教を総合的に語り合う場として少しでも人目に触れて、色々な時代や文化背景のキリスト教について、たくさんの人からの意見が寄せられるので、ageのメリットもあると思います。
sageなきゃいけない、ageなきゃいけない、というルールにこだわる必要はないでしょう。
672世界@名無史さん:2007/10/29(月) 19:30:04 0
>>591>>602氏の答え マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
673世界@名無史さん:2007/10/31(水) 00:23:08 0
>>672
はいはい、お答えしますよ〜。
イエスは私の命の恩人なのでどうでもよくありません。
イエスを信じてなかったら今頃死んでたか、良くて刑務所暮らしです。

といったところですがいかがですか?
それとも何か別のお求めですか?

それから、あなたが>>602の答えにこだわる理由を教えてもらえますか?
あまりにもしつこくて気持ち悪いんで是非とも教えてください。
674KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 00:48:54 0
>>673
「イエスが命の恩人である」という人もいれば、
「人魚姫が命の恩人である」という人もいるでしょう。
それは個々人が下す評価ですから、何でもアリだと思います。
「イエスに恩義を感じることを辞めろ」という人はここにはいないでしょう。
私も、鬼なんかいないと思っていますが、『赤鬼と青鬼』の話には感動します。

ただ、福音書やイエスの史実性について考えるときに、彼への恩義が顔を出してはいけません。
人魚姫が命の恩人だからといって、そのために、我々は、それが歴史上の人物であると判断することができないのと同じです。
事実は事実、おとぎ話はおとぎ話、そこを割り切らないと。
イエスへの恩義が、判断力を鈍らせることがあってはなりません。
675KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 01:05:48 0
>>674のつづき。
「人魚姫」の例を出したついでで申しますが、福音書のイエスをそのまま批判するのも、ちょっとナンセンスだと思います。
それは、人魚姫の物語を真に受けて、「かつて半魚人が実在し、その症状は皮膚病でいうところの…」というようなものです。
そうした批判は、文学の分野でならば面白いかもしれませんが、歴史の分野では通用しないと思います。
シェイクスピアのハムレットの精神分析をするのも同様です。
それはあくまで、虚構の世界の中での分析であって、現実世界とは何の関わりもありません。
福音書の中の奇跡(水面歩行、宇宙旅行、ゾンビ伝説、心霊体験、変態)を荒唐無稽と切り捨てるのならば、同様に、他の荒唐無稽なストーリーにも疑問符を打つべきです。
福音書の中のイエスの発言や行動を真に受けるのは、そうした奇跡物語を真に受けることと同じであり、やっていることは盲信のクリスチャンと何ら変わりありません。
676世界@名無史さん:2007/10/31(水) 01:46:46 0
>>675
>それはあくまで、虚構の世界の中での分析であって、現実世界とは何の関わ
>りもありません。

もちろん、虚構の世界とは分かっているが、それを現実の世界だと思い込んで
いる人々と対話・議論するには、「福音書(聖書)のイエス」をベースにする
以外には「方法がありません」。

そもそも、「福音書(聖書)以外のイエス」とは何?それこそ「虚構」では?
677世界@名無史さん:2007/10/31(水) 01:47:47 0
KGさんがイエスの生きた言葉に出会うことは無さそう…。
しっかりした人だもんな。
あらゆる面でダメダメな俺とは大違いだ。
まいったなあ。
678KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 02:00:57 0
>>676>そもそも、「福音書(聖書)以外のイエス」とは何?

学者たちの批判的研究によって想定されるイエスです。
もちろん、その像はボンヤリしており、確たることは何も言えません。
彼については、“言えること”は僅かです。
しかし“言えないこと”はハッキリしています。

学者たちは、福音書を研究して、福音書以前に存在した『Q』という資料を発見しました。
その資料は、「イエスの言葉」として人々が記憶し、書き留めたものです。
ただ、イエスという男の口に帰せられた『Q』が、本当に、イエスという男が語ったことなのかは分かりません。
歴史のイエスの実像は、『Q』のさらに向うにボンヤリ霞んで見える程度です。
歴史のイエスを想定する方法は、『Q」のような格言を語った男を前提として、その男を、当時のガリラヤの文化的背景にセッティングすることです。
それ以外の方法で、歴史のイエスを再現する方法はありません。
ですから、歴史のイエスの実像には、容易に迫れるものではないのです。
しかし、『Q』に肉付けして描かれている福音書のイエスは、完全に虚像だと断言できます。
679KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 02:12:19 0
>>677
歴史の話から少し逸れますが…。

私はダメダメです。
ダメダメな私は、仮に、イエスとキリスト教に帰依したとしても、ダメダメなままでしょう。
反対に、キリスト教に帰依してダメダメにならなかった人は、潜在的にシッカリしているということです。
そういう人は、別に、イエスなしでもシッカリできるはずなのです。
その点にどうか気付いてもらいたいものです。
人は潜在的に、自力で、人間らしくあることができる能力を持っています。
「キリスト教なしでは、人は愛を示すことができない」とか、「キリストなしで人は救われない」というのは、キリスト教側の宣伝文句です。
キリスト教は、そうやって、人々の尊厳を“買占め”、縛り続けてきたのです。

キリストの自己犠牲の物語に感動できる人は、そうした物語に感動できる“自分自身”の心の豊かさに気付いてください。
美しい絵を見て感動したら、その絵を褒めるのも良いですが、その絵を見て感動した自らの審美眼も褒めてください。
680世界@名無史さん:2007/10/31(水) 02:31:46 0
>>679
>キリストの自己犠牲の物語に感動できる人

君も、「福音書の中のイエス」を真に受けて、「賛美」してるのかね。

それでは「盲信のクリスチャンと何ら変わりなく」「歴史の分野では通用し
ない」ぞ。
681KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 02:46:13 0
>>680
“いわゆる”「キリストの自己犠牲の物語」ということですよ。
それが事実だとはこれっぽっちも思いませんし、私の中でその物語は、高い評価を得ていません。
何度も言いますが、イエスに感動するのも、人魚姫に感動するのも、人それぞれです。
私が大切だと思うのは、そういう物語(それが何であれ)に「感動できる」自分の感受性の豊かさです。
その感受性は、イエスから与えられたのでも、神から与えられたのでもありません。
自分自身が潜在的に持っているものです。
キリスト教は、その潜在能力を自分たちに帰させ、あたかも自分たち教団がその能力を授けたかのように言い張るのです。



682KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 03:02:59 0
福音書の中のイエスを、精神医学の視点から分析し、彼を精神異常者と診断される方がおられます。
私も、福音書を読む限りでは、イエスの発言や行動は常軌を逸していると思います。
しかし、もし、歴史におけるキリスト教の狂気を分析したいのであれば、
虚構である福音書とは一旦オサラバして、その「精神異常者イエス」を生み出した、福音書記者に目を移してはどうでしょう?
どうして彼らは、イカれた男のフィクションを捏造せねばならなかったのか?
彼らの精神状態を分析してみるのはいかがでしょうか?
その問いに答えるならば、精神医学は、キリスト教の歴史に大きく貢献することでしょう。
アメリカでは既に、『Q』とガリラヤの文化背景についての研究成果を基礎として、人類社会学の専門家らが、彼ら独自の視点からキリスト教の歴史に意見しています。
683世界@名無史さん:2007/10/31(水) 03:41:17 0
>KGさんへ
よく分かりました。キリスト教国である欧米の聖書研究のほうが、むしろキリスト
教を根本から否定する見解が多いような気がします。彼らの、従来の考えには
囚われない、合理性と探究心の表れでしょう。

欧米の聖書研究や無神論の最先端の論文などを、出来る限りご紹介いただければ
有難いです。キリスト教を代表とする一神教を、このままにしておいてよい訳が
ないと思います。
684KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 04:39:51 0
>>683
貴殿は、キリスト教の病理を訴えている、いわゆる「ご隠居」さんですか?
685世界@名無史さん:2007/10/31(水) 06:02:05 0
>>673
つまり君は人のことはどうでも良くて自分のこと、エゴのみということね(笑
キリスト教は確かに自分の救い・自分の癒し・自分の永遠の命・・・の追及w
君は、そのエゴの狂気に嵌っただけw 残〜念!!ヽ(^。^)ノ

>>588レスのようにイエス・聖書を大切にすると何故、他の人々のことに
無関心・どうでもよくなり理性が麻痺するのか不思議だったからょん〜
それは、ご隠居氏が既に論破されていて君はその実証例になりまつた
686武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/31(水) 22:54:32 O
>>681
その屁理屈は、仏教で言えば「本覚思想」。
もう少し敷衍して言えば、君のは疎外論という考え方に近い。
理屈としてはフォイエルバッハ
(ググったりウィで調べるなよ。あれらは間違いだから。ちゃんとした研究者の本か、翻訳に当たれ怠け者w)
の無神論に相似している。
そういう疎外論的な無神論は初期マルクスもそうなんだけど、思想としての強度がない。
疎外論って宗教の型に沿ってるんだよ。
多分君は無教養だから分かんないだろうけど
キリスト教を批判するなら疎外論的タワゴトは止めた方がいい。
意味わかんないならどっかの大学行ってそれなりの先生にききな。訊くときは土下座してなw
それにしてもバカな奴w
こういう不勉強なバカがいっぱいいるのが
2ちゃんねるなんだなw
687KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 23:23:53 0
>>686
ご丁寧にご教示をありがとうございます。
いやあ、自分の不勉強、無教養を自覚させられます。
こんど調べてみます。

私としては、>>681で述べたことは、特段、何かの思想の方に基づいているわけではなく、単に、自分自身の考えを述べただけです。
マルクスに似ていようが、本覚思想に似ていようが、疎外論に沿っていようが特に気にも留めません。
基本的に、誰かの考え方は、他の誰かの考え方に似ているのですから、それ自体は驚くにはあたらないでしょう。
私は思想家ではないので、自分の思想に強度がなくても一向に構いません。
ガクガクのグラグラでいいのです。
ですから、「戯言だ」という貴殿の批判は甘んじて受け容れたいと思います。



688KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 23:38:13 0
ちなみに、>>681で私が言っていることは、以下のようなことです。
取り立てて馬鹿らしくもなければ、取り立てて高尚でもないと思うのですが…。

1. 「キリストの自己犠牲の物語」はフィクションである。
2. 私は、その物語を高く評価していない。
3. 何の物語に感動するか、人それぞれ。
4. 私が評価したいのは、物語りそのものより、その人自身の感受性。
5. その感受性は特定の宗教団体の所有物ではない。
6. ところがキリスト教は、その感受性の源を自分たちが授けたかのように言い張る。

以上の私の考えは、>>31に基づいています。
高い教養をお持ちの>>686は、どの点に反対されるでしょうか?
689KG ◆XK9DTM1U/. :2007/10/31(水) 23:52:52 0
>>688訂正
×>>31
 ↓
>>86
690世界@名無史さん:2007/11/01(木) 00:25:31 0
>>686
本で読んだだけの「他人の借り物の思想」を得意げに振り回すなよ。
それを「無教養」というのだよ。
691世界@名無史さん:2007/11/01(木) 08:43:28 0
>>688
1. は信じる、信じないの話なので他人にとやかく言うものではないと思います。
他人にとやかく言う問題ではないことに関連した内容を口出ししていることが鬱陶しいです。
教養の話などをからめて更に干渉しようとする所にまた気持ち悪さを感じます。
692世界@名無史さん:2007/11/01(木) 10:32:35 0
>>691
>1. は信じる、信じないの話なので他人にとやかく言うものではないと思います。

人間社会は、基本的には「現実性・合理性・科学性」に基づくことにより、初
めて成立し、維持されることが可能になります。

すべての人間に共通する唯一の普遍の事実は、「人間とは、生存本能(生命)を
中核とする、生物の一種に過ぎない」、ということです。古代の自然宗教も、
当時の人々なりの、生存のための精一杯の「現実性・合理性・科学性」の表れ
でした。

共同体性は、人間の本質です。人間は、独りでは決して生存できないからです。

あなたも人間界の一員として生存させて貰っている以上、「何でも信じればよい」
などということは許されませんよ。あなたが大人であるのなら、その程度の常識
は身につけてください。
693世界@名無史さん:2007/11/01(木) 12:11:15 O
信じる信じないの問題て…ここは歴史板だぜ?
694世界@名無史さん:2007/11/01(木) 12:13:45 0
>>692
「何でも信じればよい」などということなんて言っとらんでしょうが。
イエスを、また神様を俺は信じると言ってるだけで。
余計なお世話ですよ、気持ち悪いなぁ。
695世界@名無史さん:2007/11/01(木) 12:25:15 O
勝手に好きなもの信じればいいよ。雪男でも宇宙人でもイエスでも。だがここは歴史板だぜ?
696世界@名無史さん:2007/11/01(木) 12:32:36 0
信じる信じないの話は宗教板でどうぞ
697世界@名無史さん:2007/11/01(木) 12:35:49 O
何のための宗教板だよ、まったく
698世界@名無史さん:2007/11/01(木) 12:45:06 0
そもそもこのスレの趣旨がわからんのだ。
歴史板にこのスレは板違いでは?
699世界@名無史さん:2007/11/01(木) 12:48:57 0
>>700さんが、このスレの趣旨をお教えくださるそうです。
700世界@名無史さん:2007/11/01(木) 14:32:26 O
教学史とか成立史とか語るんなら、別に板違いでも無いんじゃね?
701世界@名無史さん:2007/11/01(木) 14:35:57 0
「キリスト教スレ」だから、「信じる、信じない」の問題が出てこざるを
得ない。その問題がないキリスト教って何w。

自然科学とは異なり、社会科学は、価値をも含む人間社会をその研究対象と
する。従って、その価値自体にもメスを入れない限り、単に社会事象の「表
面的」記述に終わってしまう。

社会科学も、学問として、究極的には人間のよりよき生存に資するべきもの
である。さもなければ、人間の営みとして、意味がない。

研究対象に、人間のよりよき生存に反する病理があれば、その病理を分析・指摘
して除去することも、社会科学の目的である。

702世界@名無史さん:2007/11/01(木) 14:51:25 0
学問と学問の境界とは、非常に曖昧なものであります。
きっちり境界線を引こうと思っても、綺麗に引けるものではありませン
(もちろん、逆に、はっきりと管轄といえる専門区域もありますが)。
このスレにおいて、「信仰心」はスレ趣旨の中心を成すものではありませんが、
「宗教」を語る上では、前提的課題として常に問われるものです。
外れっぱなしもいけませんが、議論途上の多少の踏み込みは止むを得ないかと思います。
703世界@名無史さん:2007/11/01(木) 18:44:16 0
このスレのテンプレ作ってくれ。
何々は来るな とか 何々の話をしましょう とか書いてあるやつ。
テンプレに沿った書き込みするから。
704世界@名無史さん:2007/11/01(木) 18:59:16 0
>>691
>1. は信じる、信じないの話なので他人にとやかく言うものではないと思います。

信じる、信じないの神とかイエスとか救い、癒し・永遠の命・・・・等を宣伝布教し
宗教戦争を繰り返し、侵略・強制改宗などしてきたのはキリスト教ではないですか?

何、寝ぼけたこと言ってるのw ↓ わがままも度が過ぎま〜す(笑

「十字軍の実体」http://members.jcom.home.ne.jp/0350371001/works/works_4_k.html
「魔女狩りの時代」http://members.jcom.home.ne.jp/0350371001/works/works_4_i.html
「教会は最大の犯罪組織」http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kyoukaihanzai.htm

705世界@名無史さん:2007/11/01(木) 20:06:54 0
>>704
上げるなクソガキ。
板違いのスレは目障りなんだよ!
706世界@名無史さん:2007/11/01(木) 20:41:43 0


■ キリスト教についての最後のコメント(佐倉 哲氏) ■

http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/b439.html から抜粋 (о^∇^о)

キリスト教の本質は、結局のところ<根拠のない思い込み>であり、

キリスト教が生み出す輩はその<ドグマの奴隷>だからです。★♪


707世界@名無史さん:2007/11/01(木) 22:01:30 0
釣りスレなのね…ココ。
708KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/01(木) 22:54:20 0

色んな論点が複数人から一度に噴出しているようで、どれにレスして良いのか悩みます。
ここまでの一連の議論は、>>688に対する>>691の反論が発端となっているように思われます。
つまり、「イエスの自己犠牲の物語」(福音書内の教訓・受難)はフィクションである、という私の発言に対する、
「それは信じる、信じないの話なので他人にとやかく言うものではない」との反論です。

この反論は非常に曖昧で、「信じる」という言葉の意味をもう少し特定すべきかなと思います。
「イエス物語を信じる」とはどういうことなのでしょうか?
それは、@「それが史実であったと信じる」という意味でしょうか?
それとも、A「その物語(たとえフィクションであっても)のメッセージに共感する」という意味でしょうか?

もし後者Aだとするならば、それは反論としては成立しません。
なぜなら、その点については、>>682>>688の3ですでに同意しているからです。

しかし、もし前者@の意味だとすると、それは重大な問題です。
福音書のイエス物語は歴史的に信憑性があまりに乏しく、それを「信仰」で補って史実であると認定することは出来ないからです。
それはまるで『古事記』や『日本書紀』の神話を、信仰心でもって史実であると認定するようなものです。
ヤマタノオロチは荒唐無稽のフィクションだと切り捨てて、イエスの生涯を史実であると認定するのは、歴史的にフェアではありません。
福音書は、荒唐無稽なフィクションで埋め尽くされており、それを信頼することは出来ないからです。

キリスト教の歴史とは、一人の(人間の)男が神にまで登りつめた(担ぎ上げられた)過程を追うことだと私は考えています。
とくに初期キリスト教の分野において、イエスという男が、様々な文書の中で、ありったけの手段で誇張されていく過程を追うのは重要です。
その過程を追うのに、すでに研究者自身が、@のようにイエスを特別視していては話になりません。
ですから、「イエスを信じる」という考えは、少なくともここでは破棄すべきだと思います。

709世界@名無史さん:2007/11/01(木) 23:28:49 0
日本に到来したキリスト教が原理主義なんですな。
2000年前から本音では神なんて信じてない人いると思いますし(ヨハネ福音書ではそんな人こそ無闇に信じろと言ってるが)、
アメリカ東海岸ではもはや世俗化してるプロテスタントの一派にだって、盲信者はいる。

もともと日本人の宣教師なんていなかったわけで、たとえ今のカトリックだろうが
わざわざ人種も言語も違う国に来る宣教師が過激な思想を持っていないはずがない。

そんな輩の弟子信徒が狂信者になるのも当然だし、
万人には無理な劇物ゆえ信者数が日本人の1%を超えないのも当然。
710世界@名無史さん:2007/11/01(木) 23:46:20 0
>>709
その論調だとトンガ王国とか全員狂信者ってことになるんだが
711KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/01(木) 23:55:18 0
>>710
定義の仕方と視点しだいでは、そういうことになっちゃうんじゃないですかね。
712世界@名無史さん:2007/11/02(金) 00:16:05 0
ゴルゴ13にバチカンがらみの話があり、それで作者のフィクションながら司祭が
「我々は全世界のキリスト教化を狙っている。しかし、過渡期においては他の宗教と手を組む」
というセリフを吐いていますが、なかなか的を射てると思いませんか?
713世界@名無史さん:2007/11/02(金) 01:10:17 0
>>711
それはつまり>>709の定義と視点がどこかずれてるのが原因なのでは、と俺は思うのだが。
当時の日本は寺社勢力が政治力を振り回してたし
一向宗という危険な原理主義勢力まで存在していた。
おかげで権力者側の宗教に対する警戒心が一気に高まった。
キリシタン大名の狙いの一つに新たな宗教で寺社勢力を押さえ込もうってのもあったようだ。
まあその後のキリシタンの運命はこのスレ来てる人に今更言うまでもないだろうが。
ともあれ、権力基盤と結びついたあとの宗教の動きってのは利が絡んでるから割と分かりやすいが
それだけに初期キリスト教の信仰の強さは不思議にも思える。
ローマの弾圧に対する反発心がより強固な信仰を生んだ、とかになるのかね?
714KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/02(金) 01:28:40 0
>>709-712
キリスト教はその初期から(>>204)、世界征服の野望を抱き、ひたすら支配領域を拡張する帝国主義のための“正当化の太鼓判”を押し続けてきました。
そして、キ教の「天の王国と地上の王国」という概念は、3世紀以降の東・西それぞれの世界に、帝国支配のモデルを提供してきました(>>503-504>>512-515)。
そしてそれは後に、とくに西ヨーロッパ世界の植民地拡張に正当性を授けてきました。
その際にモデルにされたのは、福音書の「伝道」という概念です。
その「伝道」の概念が、「キリストの世界征服」という同じ聖書由来の概念と結び付き、帝国領土「拡張」の夢を膨らませてきました。
しかもそこには「善と悪」、「正義の戦い」という付け足されたため、征服者はためらい無く血を流すことができました(>>217)。

キリスト教の本能は、全世界のキリスト教化であり、そのためにならば、どんな残酷な殺戮者とも手を組みます。
715KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/02(金) 01:33:59 0
>>714のつづき
帝国主義と関係なくても、キ教徒の野望は常に外に向けられています、海洋をノンストップで泳ぐマグロのように、彼らは伝道しないと息絶えてしまうのです。
穏健に見える東方正教会も、伝道のために土着文化をためらいなく人為的に変容させてきました(>>61)。
日本ですでにキリスト教の需要が絶えているにもかかわらず、キ教徒らは、依然として、布教に精力を注ぎ込んでいるのです。
そのため>>27のような、さながら(いえ、まるっきり)改宗マニュアルのような論文を書かせる教育に多額の資金が浪費されています。

その巧みな布教活動で使われるのは、「愛の独占」です(>>86-87)。
彼らは愛の教えをキ教の専売特許だとうそぶき、人の本来的な思いやりの心を買い占めるのです(>>679)。
「平等や普遍的な愛の教え」は魅力的ではありますが、それはキ教の征服欲実現のための道具なのです(>>404>>406)。
キリスト教の本来的な意図は、その聖書の構成からも分かるように(>>50-51)、世界を自分たちの文化で覆い尽くすことなのです(>>371)。
聖書やキリスト教というのは、譬えるなら、子供がなめるソフトクリームではなく、戦場で敵兵を殺戮する戦車なのです。
キリスト教という宗教を特徴づけるのは、「キリストの教えと文化が世界を覆い尽くす」という征服欲に満たされた教理だと言い切れます。
716世界@名無史さん:2007/11/02(金) 01:57:04 0
>>715
すべて、「(自分が)人にして欲しいことを、人にもしなさい」という、イエス
の言葉(キリスト教の中心教義)が原因。自分が人にして欲しいこと(イエス
信仰)を他者に押し付けるという、エゴの思想。

イエスは、少なくとも、「人がして欲しいことを、人にしなさい」というべき
だった。

東洋では、「己の欲せざるところを、人に施すなかれ」と、否定形でいう。
ユダヤ教でも、「人の嫌がることをするな」と、否定形である。

このイエスの言葉故に、クリスチャンは、「自分がして欲しいことは、相手が
して欲しいこととは違うかもしれない」ということが、考えられなくなってし
まった。

あと、イエスが「愛」を唱えたことも根本的な原因。「愛」とは、相手の窮状
を目の当たりにして生じる、助けるための具体的行動の原動力となる「自然の
感情」。すべての人間に、肉体的本能としてビルトインされているもの。あく
まで、状況依存的な行動。他人から「命令されて」生じるものではない。言葉
にしたために、抽象化、観念化され、単なる偽善となった。抽象的・観念的な
「愛」など、そもそも存在しないのである。
717世界@名無史さん:2007/11/02(金) 05:51:02 0
>東洋では、「己の欲せざるところを、人に施すなかれ」

それにしてはあの巨大国家は・・・
718世界@名無史さん:2007/11/02(金) 06:58:37 0
結局このスレに宗教板を追い出された馬鹿コテが来て知ったかぶりを延々やらかしたあげく
アゲ荒らしをしまくってくれったおかげで、どんどん馬鹿と気違いが乱入したということで
このスレは終わったってのは事実だな。

719世界@名無史さん:2007/11/02(金) 06:59:01 0
ここはやはり活発に活動なさっているKGさんに>>1代行になって頂いて、スレのテンプレ案を取りまとめてもらいましょうか。
720KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/02(金) 07:16:55 0
>>718
あのですね、そういう意見を書く際には、具体的に、
@どの部分が“延々なる知ったかぶり”なのか?
Aアゲることがどういう点で荒らしになるのか?
Bバカとキチガイとはどういう人たちなのか?
…等々をキチンと明示した上で書かないと、あなた自身が、それこそ、悪口だけのタダの荒らしになりますよ。
それは、荒らし撲滅を祈願する、あなた自身が一番危惧しておられる点でしょ?
「この知ったかぶりが!」とか「上げるな、この荒らし!」とか「このバカ、キチガイ!」とかいう字面だけなら、
就学前のガキンチョだって書き込めるんです(まあ、実際そうなのかもしれませんが…)。
本当にスレを健全化を願っているなら、あなたが「バカ」と見なす人たちのことは放って置いて、ご自身で、淡々と有意義な書き込みを続ければ良いんですよ。

721世界@名無史さん:2007/11/02(金) 07:19:50 0
>>720
このスレのテンプレ案取りまとめ役、お願いしますね。
722KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/02(金) 07:31:07 0
>>719
私にそんな権限もアイデアもありませんよ。
誰もが自由に語り合えれば、それで良いんじゃないですか?
その方が学問板らしいじゃありませんか。
その門戸の広さこそが、学問を学問たらしめているんじゃありませんか。
まさにその点が、宗派や信条で他者を排斥する宗教版とこことを区別しているのではないしょうか。

大切なのは、他者の多様な意見に応答できる機敏さと、そこから新たな発見を導き出す柔軟性だと思います。
あとは、謙虚さと温厚さではないでしょうか。
特に、こういう不特定多数の人が集まる場所では、そういう資質が要求されると思います。
スレのテンプレは、個々人のモラルで決定されるべきだと、私は思います。
723世界@名無史さん:2007/11/02(金) 08:29:48 0
>>722
それ良いですね。
テンプレ無いのがテンプレです。
ルール無用の無差別級デスマッチっぽくて。

私はそんな場所で議論できませんが。
724世界@名無史さん:2007/11/02(金) 08:55:23 0
>>722
取りまとめ役には権限もアイデアも必要ありませんよ。
参加者の意見を取りまとめるだけですから。
スレを健全化を願い、有意義な書き込みを増やしたい気持ちがあれば十分成り立ちます。
学問板だからこそ明文化されたルールが必要なのではありませんか?
725世界@名無史さん:2007/11/02(金) 09:08:34 0
>>708-722
KG氏、ご立派、感動しました、サンクス!(・∀・)ノ

結局、現実に基盤の無い観念から発しているキリスト教は、
万人に理解される反論・言語が無いのでしょうね。

726世界@名無史さん:2007/11/02(金) 10:54:36 0
>>719>>721>>723>>724
テンプレが必要だと思うのなら、ご自分でテンプレの取りまとめ役をなさればよろしいのでは?
727世界@名無史さん:2007/11/02(金) 12:12:55 0
>>726
嫌ですよ、めんどくさい。
それより私は板違いなので無くなって欲しいと思ってますから。このスレ。
KGさんはよく書き込んでらっしゃいますし、取りまとめ役に持ってこいでしょう。
728世界@名無史さん:2007/11/02(金) 12:20:06 0
>>727
>それより私は板違いなので無くなって欲しいと思ってますから。このスレ。

その理由を具体的に。その「なくなって欲しい」スレに書き込みをするあたたの
心理状態は?

歴史を通じての「キリスト教の病理の解明」は、歴史学の立派なテーマだと
思うが。

あなたの書き込みは、すべて「情緒的」。「論理」は皆無。クリスチャン、し
かも女性の方ですね。
729世界@名無史さん:2007/11/02(金) 12:31:23 0
>>728
ふつうはスレの趣旨が>>1に書いてあるものでしょ?
それがないのがおかしいって言ってるんですよ。
釣りスレにしか見えないんですよ、このスレ。

来ましたね、ジェンダーにこだわる方。
730世界@名無史さん:2007/11/02(金) 12:36:22 0
>>729
また、「感情論」まみれですな。それも、キリスト教の「病理」の一つです。

「総合スレ」だから、「歴史学からみた、キリスト教全般の問題」でよいのでは。
「総合」とは、「限定しない」ということですよ。
731世界@名無史さん:2007/11/02(金) 12:41:37 0
>>730
だから明文化してくださいよ。
なるべく早くスレのテンプレ作ってくださいね。
よろしく。
732世界@名無史さん:2007/11/02(金) 12:50:33 0
>>731
「総合スレ」だから、テンプレなど不要。君は、マニュアルなしでは行動
できない「マニュアル人間」か。「聖書」というマニュアルなしでは生きられ
ないクリスチャンは、「マニュアル人間」の典型。
733世界@名無史さん:2007/11/02(金) 13:01:01 0
>>732
ルール無しで争うのはならずもの。
マニュアル人間云々とは全く関係無い話。
734世界@名無史さん:2007/11/02(金) 13:14:41 0
「キリスト教について、歴史学として、もっぱら『事実』の見地から分析・
解明するスレ。『事実』に基づかない、信者の方の書き込みはお断りします。」
でよいのでは。
735世界@名無史さん:2007/11/02(金) 13:23:58 0
>>734
『事実』かどうかは誰がどうやって判断します?
736世界@名無史さん:2007/11/02(金) 13:37:11 0
>>735
歴史学の手法を使えばよいだけの話。史料や遺跡などの、万人が同一に認識
できる「有体物」による。
737世界@名無史さん:2007/11/02(金) 13:40:38 0
テンプレ云々は自治スレでやってくれ。

738世界@名無史さん:2007/11/02(金) 13:46:28 O
今回テンプレ云々で横槍入れてスレの流れ断ち切ったやつが荒らし。ただの嫉妬女だろ。
739世界@名無史さん:2007/11/02(金) 14:01:27 O
そんなにテンプレ欲しいなら>>722コピペすればいいじゃん。
740世界@名無史さん:2007/11/02(金) 15:16:18 0
ここは歴史板だから歴史学的に考察すればおk。
わざわざ明記するまでも無い。
以下テンプレ云々はスルー推奨。
741世界@名無史さん:2007/11/02(金) 15:24:22 0
なんかテンプレ厨ってさ、野球のルールで野球をやってるところに、
「独自ルール作ろうよ。独自ルールが無きゃ野球できない」って言ってるのと同じがする・・・
742世界@名無史さん:2007/11/02(金) 15:25:17 0
訂正

× 同じがする・・・
○ 同じ気がする・・・
743世界@名無史さん:2007/11/02(金) 15:27:20 O
拘束力なしのネットでルール、ルール喚いてもなあ。俺もスルーで。
744世界@名無史さん:2007/11/02(金) 18:26:35 0
確認させてくれ。
このスレでは、信仰を持つ者がその信仰に基づいて思ったことを素直に書き込んじゃいけないんだな?
そういう人は宗教板へ行ってくださいってことでおk?
745世界@名無史さん:2007/11/02(金) 18:38:25 0
その答えは >>746さんが ズバリと
746世界@名無史さん:2007/11/02(金) 18:45:05 O
忖度してください!
747世界@名無史さん:2007/11/02(金) 18:46:58 0
>>744
当たり前だろ。歴史学は社会科学であり、科学は徹頭徹尾、万人が共通に認識
し得る「事実」を対象とする。事実を離れた思考を「妄想」という。

妄想に対しては、脳内神経伝達物質の異常として、同じ科学としての精神医学
が対処する。
748世界@名無史さん:2007/11/02(金) 18:50:23 O
>>747
そゆ事言うと、史学=疑似科学厨が来るぞw

ま、内容的には概ね同意だが。
749世界@名無史さん:2007/11/02(金) 18:57:37 0
>>744
ここは世界史板だからねえ。
それを許しちゃうと世界史板の意味がなくなってしまう。
世界史板は「学問・文系」カテゴリだし、明示されていなくてもそこは最低限のルールだと思うよ。
750KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/02(金) 19:35:39 0
>>744
だれも貴殿に対して、「出て行け」という権限はもっていませんよ。
現実に、そのような強制力は、ここの管理人しか持っていません。

もしよければ、私の以下の愚見も参考にしてください。
>>133…護教本位による歴史ルールの改ざん。
>>351…所属教派と史的イエス。
>>584…護教という大義の下で発展した“詭弁”。
>>586-587…護教家(宗教板住人)の不可解な思考パターン。
>>593…歴史的人物の公平な評価。
>>674-675…荒唐無稽な聖書物語。
>>708…他の神話とイエス神話の天秤への掛け方。

史学において、研究対象への思い入れ(ポジティブであれネガティブであれ)は、「過去の出来事を再現する」という最終目標を曇らせることがあります。
イエスを愛するがあまり、あるいは一神教の報復を恐れるがあまり、懐疑や批判にひるむことがあるなら、それは歴史研究者失格でしょう。
歴史において、信仰心や迷信的恐怖が、史学のルールを越えたり変えたりすることがあってはならないのです。
もし、歴史において信仰本位のルールが顔を出すなら、それはもはや史学ではありません。
それは“神学”です(神学科では>>27のような、使用済みティッシュ並の価値しかない、論文が書ける)。

神学の領域内での議論を楽しみたいならば、やはり宗教板がおすすめです。
あそこには、イエスへの期待で胸を膨らませた熱心な信者たちが撒き散らす、あやしげな歴史観で埋め尽くされています。
「革命家イエス」、「民衆とともに歩いたイエス」、「小作農解放運動家イエス」の呪縛から解かれるつもりのない人も、宗教板に行くことをオススメします。
こういう風に勧めるのは、別に、貴殿のような人を排除したいと思っているからではなく、その人自身にとって快適だと思うからです。
私としては、どんな信条を持った人も、この場で発言する機会があると思います。
むしろ、それが、こうした掲示板の醍醐味ではないでしょうか?
貴殿には、出来る限り、留まってもらいたいと思います。
751KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/02(金) 21:56:56 0
>>744
「信仰に基づいて思ったことを書くな」、とは誰も言いませんが、
反対に、信仰に基づいて思ったことを書く"必要"も一切無いでしょう。
学問の場において、そうすることの意義は全くありませんよ。
"有害"とまでは言いませんが、明らかに、"無益"です。
752世界@名無史さん:2007/11/03(土) 03:36:05 0
>>751
歴史学が、そこまで正確な歴史事実の再現を行う目的は何か、ということも、
常に念頭に置く必要がある。これは社会科学だけでなく、すべての学問にも
通じること。
753世界@名無史さん:2007/11/03(土) 03:47:47 0
>>714-715
欧米人の押し付けがましさというのはキリスト教からきているのでしょうか?
19世紀のフランスでは共和派の一部が「文明化の使命」などといって植民地
帝国主義を主張しましたが。

フランス国内で教育改革や政教分離政策をとったジュール・フェリーが、
「優等人種には劣等人種を文明化する義務がある」と演説したのだから
驚いてしまう。
754世界@名無史さん:2007/11/03(土) 11:06:31 0
16世紀頃のスペイン・ポルトガル侵略に、キリスト教は多いに役に立ってますよね。
前もって送り込んだ宣教師が国情を探り、目星がついたら軍隊がなだれ込む。
ヨーロッパの主要な地域が、キリスト教を国教としてまとめ上げ、
国がその利用価値を高めたれたのは、
やはり一神教という部分は大きいのでしょうか。
755世界@名無史さん:2007/11/03(土) 18:51:49 0
>>744
書き込んでいいけど、ここは宗教板ではないからいろいろと反応があるでしょうよ。
まあ、信者が書き込む内容もある程度参考にはなるけど、イエスの復活だの贖罪だのということを書き込めば、学問板だから批評は起こるし、論理的な説明をしなければならん。
756KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/03(土) 20:52:22 0
>>753
帝国主義時代における「文明化の使命」と称された「押し付け」は、その背後の目的と動機によって理解されるべきでしょう。
それは、「帝国支配の達成」です。
これを最大の目標に置いているために、必然的に、その手段として「押し付け」が付きまとうのです。
では、西洋諸国はどうやって、自分たちの主権を、原住民に押し付けてきたのか?
そこで颯爽と登場するのが、キリスト教伝道師(宣教師)たちです(>>754)。

宣教師たちの布教の目的は、必ずしも、原住民への精神的な充足感を補ってやることではありませんでした。
彼らの最大の任務は、原住民の改宗というキリスト教化を通して、"侵略者の支配体制の基盤を整備すること"でした。
キリスト教思想の本質というのは、「キリストの独裁体制」への服従であり、改宗とは、その体制に組み込まれることを意味します。
「キリスト教の本質は、愛である」とか「新たな人間理解である」とか言われますが、それは完全なる誤解です。
そもそも、キリスト教はその最初期から、一種の社会運動の特色をもっており、権力のあり方に強い関心を寄せていました(>>310)。
だから、キリスト運動の最古の断片の一つに「独裁者としてのキリストへの屈服」という概念が現れているのは、驚くべきことではないのです(>>204)。

まあ、ですから、聖書とキリスト教を布教するとは、キリストの独裁体制への服従というイデオロギーを刷り込むこととイコールなのです。
これは見方を変えれば、「押し付け」以外の何物でもないでしょう。
このイデオロギーに原住民をドップリ浸からせるために、宣教師たちは、現地に学校を創設するなどして、受け入れ態勢を整えるわけです(>>97-99)。
このあざといやり方は、しばしば「文明化」という言葉で表現され、カモフラージュされてきました。

下に続く。
757KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/03(土) 20:59:09 0
>>756のつづき。
しかし、キリスト教思想への洗脳だけが、宣教師らの任務だったのではありません。
既述のように、彼らの任務は、さらに進んで、侵略者の支配の整備によって完遂されるのです。
>>335のような服従を要求するキリスト教は、為政者側にとって、原住民を隷属させるいい道具になったのです。
宣教師らは、為政者への忠誠の確認という、別のもっと重要な任務をもっていたのです。
ピサロに随行した宣教師などは、その重要な任務を見事に果たしております(>>217)。

こうした、キリスト教と権力との結びつきは、コンスタンティヌスの時代から始まっています。
その時代にキリスト教は、帝国支配の片棒を担ぐ運命を選び、以後、その運命に身を委ねてきたのです。
しかし、その運命は、初期クリスチャンが、社会を批判し、理想の権力のあり方を模索した時点で始動していました。
誤解してはいけないのは、キリスト教の歴史は、個人の純朴な宗教的熱心で始まったのではないということです。
それは、理想の社会の建設を目指した"人々の"社会実験として(空想的ではあるが)始まったのです。
彼らが思い描いたのは、キリストという一人の王によって支配される世界でした。
一人の王とは、つまり、独裁者であり、そして一神教です。
前者は政治的用語であり、後者は宗教用語ですが、意味するところはほとんど変わりません。

では、その理想の支配体制を実現する力が彼らの手に渡ったとき、彼らはどう振舞うでしょうか?
答えは明白です。
だから「押し付け」は必然なのです。
758世界@名無史さん:2007/11/03(土) 22:45:30 0
ユダヤ教に選民思想があることは広く知らされてる。
キリスト教にも、選民思想の臭いを感じる。
布教によって非信者を引き込もうという点はユダヤ教との大きな相違であっても、
信者/非信者の扱いの差があるのは明らか。

新約聖書を読むと、それが書かれた時代には確かに選民思想が少数派で迫害されていたキリスト教徒を支えていたのは感じられる。
とはいえローマの国教になり多数派になると、それは意識の底に沈んだ。
しかし、異教の土地との接触に際して、また、キリスト教徒が少数派の国では、潜在していた選民思想が浮上してしまう。

聖書作者が、現代のキリスト教徒が、「キリスト教にはユダヤ教と違って選民思想はない」と言っても、
ユダヤ教との比較においてであり、異教への蔑視感覚を捨て去ることはできない。

「非信者も神に救われている」「どの宗教における神も上位では、ひとつの神につながっている」
といったカトリックの物言いも布教のマーケティングでしかないわけで。
それこそ、>>712のようなもので。

個人的には選民を前面に出してくるユダヤ教の潔さの方が好きだな。
キリスト教の選民思想は誰でも採れる大衆性のあるものだけに厄介だし。
759世界@名無史さん:2007/11/03(土) 23:16:46 0
選民思想と寛容は別問題だね
760KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/03(土) 23:25:57 0
>>758>聖書作者が、現代のキリスト教徒が、「キリスト教にはユダヤ教と違って選民思想はない」と言っても、ユダヤ教との比較においてであり、異教への蔑視感覚を捨て去ることはできない。

私もそう思います。
キリスト教の、建前としての「平等主義」と、実態としての「差別主義」については、>>404-406で意見されています。
聖書学者らは、一神教への熱心から生じる残虐行為を批判することがありますが、聖書そのものや、聖書の神そのものに問題があることを指摘しません。
特に、新約と初期キリスト教への批判は回避されます。
彼らは、「本質的には…である」というお決まりの文句を用いて、聖書の中の都合のいい箇所だけをツマミ食いして、聖書そのものが孕む問題をはぐらかすのです。
元凶は、聖書やキリスト教にあるとは言わないのです。

少し前に、私は、PHP新書から出たばかりの、原理主義をテーマにした本を読みました。
表紙には、「キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像」という副題が踊っており、批判的な読者を惹き付けていました。
3人の著者らも、それぞれの宗教の名の知れた専門家で、かなり突っ込んだ批判が展開されることが期待されました。
ところが、内容では、それらの宗教の「虚像と真実の乖離」についての批判は回避されていました。
ものの見事に、旧約、新約、クルアーンへの直接的な批判はかわされているのです。
聖書(正典)への批判、一つの神への批判がスッポリと抜けているのです。

例えば、ユダヤ教原理主義の元凶は、明らかに、旧約の民数記や申命記など、モーセ五書にあるはずなのに、
その本で取り上げられていたのは、ユダヤ教徒がタナッハに含めない『マカバイ記』だったのです。
なぜ肝心要の、五書とヤハウェを叩かないのでしょう?

キリスト教への批判も、大分腰が引けており、新約そのものへの言及はほとんど回避されていました。
キリスト教原理主義の元凶は、明らかに、新約のキリスト像であるにもかかわらず、です。
その本を率直に読んだ私の感想は、「これぞまさに護教!」であり、学問的批判の精神に欠けていました。
副題とは裏腹に、それら3人の著者が読者に披露したのは、一神教の「真実」ではなく「虚像」のほうだったのです。
761世界@名無史さん:2007/11/04(日) 00:25:41 0
メキシコのグアダルーペ寺院は、動く歩道まで設置されているそうで、
一番人気の観光スポットだそうだ。巡礼の目的地でもある。
メキシコ全土からカトリック信者が集まってくる。

もともとは、ここに聖母マリアが現れ、インディオの男に、ここに教会を
建てるようにと言ったことから始まる。彼らは教会を建て、そして自分
たちと同じ肌の色を持つ聖母像を祀った。とのことだ。

この話を聞いて私は、ここに現れたメキシコ人の不幸を思った。
メキシコはもともとアステカであった。アステカの神は、人間の犠牲を
要求する無慈悲な神である。アステカ人はスペイン人に攻め立てられ
たときに当然この神に多くの人間の犠牲を捧げ、アステカをスペイン
の手から救ってくれと祈ったに違いない。

しかし、アステカの神にいくら犠牲を捧げても、アステカの神は救って
くれなかった。アステカはスペイン人によって滅ぼされたが、その時に
アステカ人はアステカの神を捨てたのではないか?その結果か、
メキシコのスペインからの独立運動の時には、グアダルーペの聖母
が独立のシンボルにされ、独立軍の旗に描かれたと言う。

何故このとき、アステカの神を持ち出さないで、敵国スペインの神を
持ち出したのだろう。多分、それほどアステカの神は一般のメキシコ人
の人気を失っていたのだとしか思えない。敵国の神を自分たちの神に
借りてこざるを得なかったメキシコの人達の不幸を私は思う。アステカ
の神はアステカを見捨て、アステカ人はアステカの神を見捨てた。
そしてその時、頼れるものは、憎い敵の神しかいなかったのである。

先日、テレビでグアダルーペの聖母を見た。そこに出てくるメキシコ人
信者の顔には、純粋な聖母への信仰が溢れているように見えた。
或いはアステカの神は為政者のための神であって、一般民衆に
とってはただ恐ろしいだけでご利益の薄い神だったのかもしれない。
762世界@名無史さん:2007/11/04(日) 00:52:06 0
>>761
アステカ人は、ほかのインディオから嫌われてたんでしょ

守護聖人って、60年代までフランスやイタリアで職種や地域単位でいたな
みんな土俗信仰がカトリックに吸収されたもの
763KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 05:11:59 0
>>753
世界を一つとして捉えるキリスト教の世界観は、もしかしたら彼らのあつかましさの由来かもしれません。
それは>>423の、宇宙の中心としてのイエス像が関係していると思います。
また>>211-212>>327の救済史・終末史観ともいえる歴史観も関係しています。
一なる神が無から世界を創造し、それとともに時間が始まり、そして一なる神の救済(あるいは滅び)でもって世界が終わる、
という彼らの空間的・時間的概念は、全世界のキリスト教化という"おせっかいやき"の起源だと言えるでしょう。

人間は本来は楽園(創世記のエデンの園)で無垢に暮らしていたが、罪によって汚されてしまった、というキリスト教史観は、
カントなどによって、「理性への目覚め」とか、「自然にあるがまま」という風に変容させられました。
それはキリスト教的な楽観主義であり、潜在的に「楽園」と「神の王国」への期待が込められていたのです。
人類史の始まりを幸福の起源として、そこから、また再びそこへ立ち返るための旅が始まる、という史観は、マルクスにも見られます。
だからこそ、キリスト教ドップリの正教会でも、マルクスに傾倒することが出来たのです。
過剰なまでの理想主義と、おせっかいな人類解放の使命感は、そうした歴史観の産物かもしれません。

ヨーロッパ中心主義も、押し付けがましさの典型ですが、これも遡ればキリスト教です。
ヨーロッパを一つの枠組みとして捉え、その枠組みの中の人々を「同胞」とみなすことができたのはキリスト教のお陰です(>>406)。
そしてヨーロッパを世界の中心におくことができたのは、聖書のお陰です。
聖書は持ち運びに便利であり、それは"動く神殿"として機能しました。
聖書のあるところ、そこに自分たちの歴史の起源があり、そこに世界(宇宙)の中心があったのです。
764KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 05:17:13 0
>>763
思うに、「アレクサンドロス大王がギリシアの進んだ文物を東方世界にもたらした」という、
我々日本人にはどうも腑に落ちない(?)歴史解釈も、キリスト教由来のヨーロッパ中心主義の産物かもしれません。

765世界@名無史さん:2007/11/04(日) 07:11:18 O
>>764
キリスト教圏でも、そんな歴史解釈してんのは不勉強な連中だけだよw
766世界@名無史さん:2007/11/04(日) 07:58:48 0
>>765
不勉強でない君が一度やってごらん〜〜、あはははは・・・ヽ(^。^)ノ
767世界@名無史さん:2007/11/04(日) 08:09:33 0
ヘレニズムって日本人と欧州人たちが異常に信奉してる変な概念らしいね。
実態が曖昧でなにを指しているのかもわからないのに。
白人なら「無から発生した古代ギリシャ文明を基にすべての近代文明を
生み出した」って思うのも分かる。彼らはそういう人たちだからだ。
だがなんで日本人がアレクサンドロス三世の半ば伝説化した遠征や
英雄譚を、あたかも自国の歴史のように誇らしげに語るのか?
まったく理解不能だ。名誉白人とは醜いものだ。
768世界@名無史さん:2007/11/04(日) 08:12:24 0
>>763欧米の傲慢さはプロテスタントの「〜であるべき論」の影響なんじゃ
ないかなあ。決して妥協と調和を許さず、ただひたすらに敵を作って世界中に
決闘を挑んで止まないあの気質はプロテスタントとカトリックの対立そのもの。
769世界@名無史さん:2007/11/04(日) 08:17:11 0
「選民思想」自体はどの国にもあるでしょう。
世界一と言っていいほど宗教に熱心なインドは
かなりの選民思想保持国家で、インド教徒以外の
ありとあらゆるものを見下している。
支那にはかつて大国だったという俗に言う「中華思想」が
あって、自分たちより強いもの以外(あるいはそう見なした
ものたち)を見下す。欧米のそれ以上に酷い
民族差別主義がある。
問題なのはなぜキリスト教徒だけがそういった選民思想に対して
批判的なのか?ということでしょう。
770世界@名無史さん:2007/11/04(日) 12:10:09 0
>>757
>それは、理想の社会の建設を目指した"人々の"社会実験として
>(空想的ではあるが)始まったのです。

人間社会をつくりかえることができるという西洋人の考え方はここからきて
いるのかね。
フランス革命でもロシア革命でも人々は政治によって社会や人間は全面的に
改造可能だと信じ、それを実行した。

771KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 13:41:35 0
>>770
その点に関しては、>>763の人間観が関係していると思います。
しかし、ここでは、あえてその起源を初期のキリスト教運動と関連付けてみたいです。

人間というのは、元来的に社会を形成する動物であり、その活動の大半は社会的関心に基づいているといえると思います。
ですから、キリスト教に属すと属さざるとにかかわらず、人々は、きっかけさえがあれば、社会の改革を求めるのではないでしょうか?
そして、キリスト教というのは、まさにその元来的・普遍的な社会的関心の中から生まれたということです。
ヘレニズム時代からローマ時代にかけて、諸民族が入り乱れる混沌とした世界にあって、「自分たちは何者であるのか?」という問いが人々につきつけられました。
それへの応答の仕方は、土地や時代によって様々でしたが、ローマ時代のパレスチナでは、キリスト教(イエス運動)という形をとって現れたのです。

では、新たな共同体のための垣根をもうけ、"自分たち"を"他の者たち"から区別するものは何か?
そのために必要となってくるのが、独自の歴史であり、独自の支配形態、独自の規範です。
この要素は、新たな共同体形成には欠かせない道具です。
ですから、民族は独自の神話を持っているのです。

キリスト教徒も例に漏れず、自分たちのための歴史、自分たちのための王を想像します。
そうすることによって、彼らは、混沌とした社会の中に、別の社会を形成することが出来たのです。
そのための方法として、彼らは、ユダヤ人たちの歴史を自分たちの起源を語るものとして拝借することにし、そしてイエスを自分たちの王であると想像したのです。
これにより、彼ら独自の世界観が形成され、こうして、新たな共同体が創造されました。
大袈裟に言ってしまえば、彼らは、キリスト教という新たな民族を作るために、独自の神話を作り上げたのです。
彼らの歴史の始原となったのは、他でもないイエスです。
彼が、時間と宇宙の中心であり、始まりであり、こうして、イエスを中心とした歴史と世界が創造されました。
この神話を共有する者たちが、まさしくキリスト教徒という民族であり、そこに領土と国民が伴えば、キリスト教国家となるのです。
772KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 13:52:16 0
>>771のつづき。

福音書の各書、および新約聖書は、こうした社会形成の過程を跡付けるものであり、同時に、キリスト教の神話そのものとなっています。
いうなれば、聖書は、混沌とした社会の中に新たな共同体をつくるマニュアル、レシピ、台本なのです。
だから>>141>>144>>150のようにキリスト教が歓迎されるのは、驚くべきことではありません。
またアメリカ人が新大陸に新たな共同体を作るときに、聖書が台本として機能したのも、至極当然のことです。
アメリカ大統領が、就任時に聖書に手を置くのは、そこに彼らの神話と起源が詰め込まれているからです。

このようにキリスト教への参入は、新たな民族への参入であり、新たな歴史、新たな支配体制への参入を意味するのです。
しかし注意を要するのは、その新たな社会形成は、それ以前の社会の否定と破壊を伴うということです。
キリスト教もその例に漏れません。

「始まり」という楔を歴史の流れに打ち込んでしまうと、それ以前は混沌の時代として闇に葬られてしまいます。
ですから、キリスト教徒が、イエス誕生以前の時代を、否定的に捉え、せいぜい予型としてしか評価しないのも頷けます。
彼らのユダヤ教に対する評価がそれを端的に示しています。
この時代観から、BC(before Christ)、AD(in the year of Our Lord)という年号が生まれたともいえるでしょう。
また、独自の神話に属さない者たちは、よそ者として排除され、否定されます。
キリスト教徒たちが、異教徒や異民族をそのように扱うのは、彼らが独自の歴史と世界を持っているからなのです。

このように、キリスト教をキリスト教たらしめているそれぞれの特徴(=本質ともいえる)は、実は、社会形成という万人共通の関心から生まれたともいえます。
それは創造的な活動でもありますが、同時に破壊的でもあるのです。


773世界@名無史さん:2007/11/04(日) 14:13:28 0
【速報】人気アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』テレビドラマ化! ハルヒ役は志田未来★part4
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/parksports/1193830877/l50
774世界@名無史さん:2007/11/04(日) 16:31:17 O
>>767
> だがなんで日本人がアレクサンドロス三世の半ば伝説化した遠征や
> 英雄譚を、あたかも自国の歴史のように誇らしげに語るのか?
そこにロマンを感じるからさ
775世界@名無史さん:2007/11/04(日) 16:50:37 0
19世紀に盛んになる“科学的”人種論もキリスト教社会でなければ
生まれなかったのかも。
776KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 17:14:20 0
>>767
酷い場合だと、「アレクサンドロスは世界人類という概念を抱いて、東方世界に乗り出し、なんちゃらかんちゃら…」ということも言われたりします。
まるで、「アレクサンドロスは意識的に平等主義を抱いて、東方世界を文明化した」といわんばかりです。
「アル中の青二才の暴君」は、こうして、「ユニヴァーサリスティックな大志を抱いた哲学者」へと押し上げられたのです。
今でこそ、こうした盲目的な賛辞は見直されていますが、最近までは、多くの人は、そうイメージしていたのではないでしょうか?
こうした英雄的評価には、おそらく、キリスト教的なイエスのイメージと伝道のイメージが重ねられていると思います。

>>775
その動機が何であったかを調べれば、そこにキリスト教の影響が見られるかもしれません。
もちろん、キリスト教的人間観への反発から生まれたということもできますでしょうし。
777世界@名無史さん:2007/11/04(日) 17:17:07 0
戦国時代に日本にやってきたイエズス会の宣教師は、日本人のことを
ネグロ(黒人)と罵倒している。
778KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 18:13:05 0
>>777
異民族・異人種への蔑視は、人間本来のもので、これをキリスト教由来とするのは行き過ぎだと思います。
ただ、キリスト教は、決してこれを乗り越えさせることは出来ませんでした。
キリスト教も聖書も、平等主義(これの是非は別ににして)には何の貢献もしていません。
むしろ、聖書は、つねに差別主義者に味方していたのです。

よく引き合いに出されるのは、奴隷貿易です。
聖書やキリストの教えは、それに何の疑問も差し挟んできませんでした。
その証拠として、残されている奴隷船長の日誌の冒頭の多くは、聖母マリアへの賛美の言葉で書き出されているそうです。
なんとも、つれない聖母です。

神の前での市民の平等を訴えたトマス・ジェファソンも、奴隷を有していました。
さらに興味深いのは、奴隷制度に関する南部と北部の論戦における、聖書の引用例です。
周知の通り、南部は奴隷制度擁護派で、北部は反対派だったわけですが、聖書を盾にして上手く立ち回ったのは南部の方だったのです。
両者の新聞記事や論文、演説などを読み比べると、北部側が聖書から論証することに難儀しているのが分かるのだそうです。

日本に布教しに来たイエズス会も奴隷貿易の上に成り立っていました(>>384>>392>>396)。
日本イエズス会士が奴隷貿易の売買に積極的に参加していた証拠は、会計簿に載っているそうです。
当時のローマ教皇は世界中の"異教徒の"奴隷の売買を公認し、その利益を財源としていました。
秀吉は、日本イエズス会に「どうしてお前らは、日本人を奴隷にするのか?」と詰問していますが、それは当を得ているのです。

つまり聖書は、人道主義者の味方にはなりえず、つねに差別者の側に立っているということです。
ですから人道主義者が、差別撤廃を訴えるときには、聖書から離れなければなりませんでした。
それはちょうど、同性愛擁護派が、聖書を用いることができないのと一緒です。
仮に百歩譲って、聖書が差別主義ではないとしましょう(そんなことはないのですが)。
だとしても、聖書は差別撤廃には何の役にも立たないのです。
まさしく、三文の価値もありません(>>648)。
779世界@名無史さん:2007/11/04(日) 18:39:14 0
>>778
神の前の平等とは、「信者間」に限定されているということですね。
780KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 19:16:54 0
>>779
そうですね。
神の前の平等とは、キリスト教信者の間での平等であり、一見平等主義に見えますが、結局は排他主義なのです(>>406)。
それの平等は、皆が平等に、キリスト教支配に膝をかがめることによって実現されます。
その内実は、映画『300』の(あくまで映画の)クセルクセス王が要求している臣従と、ほとんど変わりありません。

市民革命後のアメリカは、たしか、信教の自由を認めているはずですが、それはキリスト教を前提としています。
アメリカは歴史の浅い国で、よく「王室を持たない劣等感を持っている」と揶揄されます。
だからこそ>>772のような仕方で、国を建設する必要がありました。
彼らの歴史は、土着の王室によって保証されるのではなく、神への熱心によって保証されるのです。
そうした正統性を訴えることによって、土着民を排除することが出来たのです。

アメリカ人を一つにまとめているのは、「神(キリスト)への信仰」です。
初期のアメリカ人は自分たちを「神の選民」だと見なし、新大陸と西部への進出を「出エジプト」に譬えました。
新大陸は「約束の地」であり、アメリカ人は、「新しいイスラエル」だったのです。
そしてアメリカ建国は、神の民による地上の王国の建設という、社会実験でした。
それは>>771の初期キリスト教徒の社会実験の系譜に連なるものです。

そのため彼らの心の内には、自分たちは信仰によって純粋培養された選民だというエリート意識がありました。
それで、自分たちに属する文化を、他より優位に置く傾向があります。
神の側にいる、という自負心が、歪んだ優越感を抱かせてしまいました。
その結果、彼らは自分たちへの同化(キリスト教化)を要求し、他宗教、異文化、異人種を冷笑したのです。
キリスト教による見掛け倒しの平等主義と博愛主義に騙されるべきではありません。
781世界@名無史さん:2007/11/04(日) 19:34:13 0
>>767
国籍民族を問わず人は、ビッグな男に憧れを抱くものではないか?
無関係な世界宗教に取り込まれて「神の使徒」視までされてしまう男は
他にはなかなかいないと思われる。

+両刀遣い+現代の競走馬にも名前が使われる愛馬

ここもポイントが高い。
782世界@名無史さん:2007/11/04(日) 19:44:48 0
欧米人の場合、有色人種がキリスト教に改宗しても、決して相手を対等の
存在とは見做さないと思うが。
783KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 19:50:39 0
>>781
競走馬を繰るバイセクシャルなイエス=アレクサンドロス大王ということですか。
あるいは、去勢された(セックスシンボルを除かれた)アレクサンドロス大王=イエスとも。
新約のイエスをアレクサンドロスに持ち込んだり、アレクサンドロスを新約のイエスに重ねたり…。
西洋人の間では、二人の英雄像がエコーして、イメージが増幅してしまっているんじゃないですかね?

誰か、『去勢されたアレクサンダー大王』とかいう題で、それについて論じた本を書いてくれませんか?


784世界@名無史さん:2007/11/04(日) 19:56:34 0
キリスト教の本質=帝国主義ということでいいですかね?

一切の隔絶や断絶を許さない。すべての独立した存在を、大いなる全体へと
統合しなければ気が済まない。ローカリティが否定され、ひとつの
ジェネラリティへと統一されていく。いまだ手つかずの領域を探しだして
人の手によって加工する。空白が忌み嫌われ、そのすべてに人間が手を
突っ込む。


785KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/04(日) 20:24:59 0
>>784
>キリスト教の本質=帝国主義ということでいいですかね?

少なくとも、この私はそう考えています。
そして、少なくとも、その本質の起源は、聖書が今の形に配列された時代にまで遡れると思います。
>>50-51
>>91-92
>>204
>>331
>>378-379
>>405-406
>>420>>423

786世界@名無史さん:2007/11/05(月) 00:39:31 0
主イエスキリストの愛と平和祝福が主の御名のより来た人々に行き届きますように
主イエスキリスト祝福感謝 私の生活を邪魔する者へ主の愛が流れ行くように今すぐ
787世界@名無史さん:2007/11/05(月) 01:48:05 0
人権というインチキ思想も最初は「キリスト教同士」の紳士協定みたいなものだったんだよ。
その後ジョン・ロックがうまい意味のすり替えをはかり「人間誰しもが守る道徳」のような
概念にしてしまった。
788KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/05(月) 04:50:45 0
どなたか、>>394について解説できる方います?
わたしはゼンゼン分からないのですが、このスレに適切な話題だと思います。
ぜひ、その時代のキリスト教についても詳しく知りたいものです。
789KG ◆XK9DTM1U/. :2007/11/05(月) 05:08:14 0
>>768
プロテスタントは、その「〜あるべき論」(理想主義)が高すぎて、カトリックに比べ、寛容さに欠け、冷徹で頑固だとも言われますね。
アメリカのエリート意識もプロテスタント由来でしょうか?
聖書学の分野においても、プロテスタント系学者の、カトリックに対する思い上がりがちらちら顔を覗かせます。
「目糞が鼻糞を笑う」とはまさにこのことだと思います。
まあ、こういうことを言うと、「いやカトリックもあーだこーだ」という論客が飛び込んでくるので、あらかじめ優劣をつけるつもりは無い、と断っておきますが…。
実際、カトリックがとりわけ寛容だとも重いませんし。

せっかくなので、キリスト教徒と思われる>>744>>786の方にお聞きしたいのですが、
「キリストによって救われる」、とは具体的にどういうことを言うのでしょうか?
「救われる」という言葉を別の言葉に置き換えて、説明していただけませんか?
宗教板と違い、学問板には、クリスチャン的感覚に不慣れな者が多いと思うので、専門用語なしでお願いします。
790744:2007/11/05(月) 07:26:06 0
>>789
>「キリストによって救われる」、とは具体的にどういうことを言うのでしょうか?

バカな事ばかりして死亡プラグ立ってたDQNな俺に仕事と嫁さんを与えてくれた。
真面目に生活する道を与えてくれた。

俺は板違いな人間ですので問いかけないでくださいね。
バカな俺はついつい書き込んでしまってスレの方々の気を悪くしてしまいますので。
791世界@名無史さん:2007/11/05(月) 08:08:45 0
>>790
>バカな事ばかりして死亡プラグ立ってたDQNな俺に仕事と嫁さんを与えて
>くれた。真面目に生活する道を与えてくれた。

そのことと、2000年前に死んだイエスとは、何の関係もないね。

嫁さんや仕事は、イエスに関係なく皆得ているのだがw。

クリスチャンのいう「救い」とは、「自己欺瞞」のことではないのかな。
792世界@名無史さん:2007/11/05(月) 08:41:28 O
信仰によって得られる救いとか心の平安とかは一切無視な訳ね。
ふ〜ん。
793744:2007/11/05(月) 08:59:08 0
>>791
たぶんあなたみたいな事書く人がいると思いましたよ。
まあ、本人がそう信じてるんだからそれで良いじゃないですか。

何で突っかかって来るんですか?
794世界@名無史さん
>>793
現代の社会は、基本的に「現実性・合理性・科学性」によって形成・維持されて
いることを忘れないでください。皆があなたのようなことを言い始めたら、社会
は崩壊しますよ。

人間が独りでは決して生存できないから、共同体を形成して生きているのです。
共同体においては、「何でも信じればよい」という訳には行かないのですよ。
大人であれば、それくらいの社会性は身につけてください。