ライバル関係にあったこの2つの帝国について語ってね。
2 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 13:58:26 0
これら両帝国のおかげで、バルカン半島から中東地域にかけての複雑な民族紛争の混乱を抑えていた。
両帝国が動揺崩壊したとたん、世界的レベルでの秩序崩壊と混乱が始まる。
いまだに新たな世界秩序形成となっていないのではなかろうか。
と、言ってみる。
4 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 14:22:40 0
ハプスブルグならまだムガール帝国の方が大国
5 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 15:05:35 0
ムガール帝国ならまだ清帝国の方が大国
6 :
世界@名無史さん:2007/08/15(水) 15:17:52 0
清はない
オスマン>ムガール>清>ハプスブルグがいいところ
7 :
世界@名無史さん:2007/08/16(木) 09:19:26 0
両国の国境地帯にいたグレンツァーやハイドゥク等について専門に扱った書籍ってないですか?
8 :
世界@名無史さん:2007/08/16(木) 15:53:08 0
ハプスブルクもセルビアなんて爆弾飲み込まなけりゃもっと長く続いただろうに
9 :
世界@名無史さん:2007/08/21(火) 04:16:14 0
ムガールが大国だったのは、ほんの一瞬
「日の沈まぬ帝国」と比べるのもおこがましい
ほんの一瞬といってもオスマン帝国の全盛期ぐらいの期間はありますが
11 :
世界@名無史さん:2007/08/22(水) 07:53:03 0
どっから大国と見做すかによるな
最大版図だとほんとに短い期間
アクバル時代もシャー・ジャハーン時代も北インドしか支配してないからな。
これではデリー・スルタン朝と何も違わない。
真にインド亜大陸の覇者となったのはアウラングゼーブ時代のなかで、さらに一瞬だけ。
しかもアウラングゼーブだけあって、内部はすでにガタガタ。
ユーラシア大陸の四分の一を支配した清朝や
ローマ帝国の半ばに匹敵する版図を持ったオスマンには比べられないだろう。
13 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 03:04:25 0
オスマン帝国の場合領域支配の他に潜在的に全スンニ派の精神的宗主国でもあったからな
14 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 11:27:13 0
格が違うだろう、格が。
ローマ皇帝+ペルシア皇帝+キプチャクハーン+カリフ=オスマン皇帝
スレイマン大帝から見たらカール5世は単なる「スペイン王」。
15 :
世界@名無史さん:2007/11/05(月) 18:38:36 0
この二国最後は共闘して共倒れになるのがドラマだよなw
16 :
世界@名無史さん:2007/11/05(月) 22:28:17 0
一次大戦に参加したオスマン帝国が、まだクリミア戦争とかでボロボロになる前の状態だったら、戦局はどうなってたんだろう…。
17 :
世界@名無史さん:2007/11/05(月) 22:45:05 0
近代オスマンはロクな歴史ねーからなー。
オスマンはやっぱ中世でしょ。
16世紀はオスマン>明>ハプスブルグ>ムガール>サファビーだろうね。
>>17 カール五世の頃ならほぼそれで正しいと思うが、
彼の死後の16世紀後半になると
オスマン>明>スペイン>ムガール>サファビー>オーストリア
だろうなあ。
19 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 02:22:39 0
20 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 03:59:10 0
拡廓貼睦爾を追い払った明>チムールに蹂躙されたオスマン
21 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 04:37:42 0
クリミア戦争は痛み分けでしょ
どの国も手ひどい痛手を蒙っただけに終わったわけで
問題はそこから立ち直る国力が・・・
あれはティムールが強すぎたんだ。
バヤジットのオスマンも当時のヨーロッパ勢よりははるかに強いからな。
イスラムを撲滅するには欧米社会の反イスラム感情を決定的に高める必要がある。9.11後の
アメリカは当然だが、マドリード、ロンドンのテロ以来欧州はどこもイスラム教徒への不信感が
強まっている。中東には心強い殺戮の下手人候補のイスラエルがあり、ナチスにやられた恨みを
アラブに転嫁してくれそうだが、まだ世界は偽善的な人道主義に覆われている。アメリカは殲滅
ではなく民主化を旗印にしてるから、イラクでも偶発的な虐殺はあるが絶滅戦はやってない。
重要なのはかつての世界恐慌のような深刻な経済的・社会的危機が発生する事である。そうすれば
かつてのドイツがそうだったように、大衆や政府は不満の吐け口を潜在的に敵意を持っていた相手に
向ける。偽善の仮面など剥がれ落ちてしまう。現在の欧米なら確実に鼻つまみ者の少数者の
イスラム教徒である。またイスラム世界は世界経済において中国やインドのように重要かつ不可欠な
要素ではない。中東の幾つかの国は民度の高さでなく、たまたま石油が湧いたから繁栄している
だけで、別にその受益者が彼らである必要はない。移民としてのイスラム教徒も、かつての
ヨーロッパのユダヤ人のような社会的、文化的に重要な役割はない。逆にテロや犯罪の温床で
社会の邪魔者である。彼らを一掃すれば、国際社会はより安定し、また彼らが占めていた土地は、
人口過剰の国からの移民先として有用になる。殺戮に情けも容赦も必要ない。これは人類という
共同体にできた致命的な悪性腫瘍を取り除く外科手術であり、痛みを伴うにしても勇気を持って
実行するしかない。さもなければ彼らは不気味に増殖を続け、遂にはその毒で母体である人類全体を
死に至らしめる。女子供とて見逃してはならない。イスラム教徒が生き残る限り、彼らはすぐに
健康な部位に転移し、手術後の弱った肉体の中で再び勢力を盛り返し、病を再発させる。
彼らを全て取り除く大手術は一回でなければならない。我が国の優れた科学技術も、
その際には優秀な手術機器や放射線療法や抗癌剤や免疫療法として役立ってくれる事を望む。
24 :
世界@名無史さん:2008/02/15(金) 19:00:25 0
ライバルなのか?
25 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/02/17(日) 17:27:56 0
>>24 ハプスブルク家にとっては、18世紀までは東方国境を巡るライバルだったろう。
七年戦争がああいう形で終わったのも、オスマン帝国がハンガリー国境に兵力を動かしていて
そちらにも兵力を割かなければならなかったせいもあるそうで。
ハプスブルクとの敵対国
@フランス(7年戦争時を除く)
Aオスマン(〜19C末)
Bプロシア(〜独統一)
ハプスブルクの友好国
@ロシア(〜クリミア戦争)
Aイギリス(〜7年戦争を除く)
>>25 お前、クソスレばっかりに出没してんじゃないよ。
28 :
世界@名無史さん:2008/02/19(火) 19:36:55 0
>>26 バイエルン継承戦争のときは、オーストリアとフランスが同盟関係、イギリスは敵対関係のはず。
あとオーストリア継承戦争以前にはオーストリアとプロイセンは敵対関係ではないはず。
29 :
世界@名無史さん:2008/02/24(日) 01:28:54 0
ほほ
30 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 01:14:13 0
学問板での常識:コテハン=糞
31 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 02:08:32 O
狂信者のハプスブルク帝国が新大陸の金銀をオスマン帝国との戦争につぎ込んでいなければ、ヨーロッパはイスラム教圏だっただろうな。
32 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 04:31:50 O
銀河帝国
33 :
世界@名無史さん:2008/02/27(水) 00:32:17 0
なんだ久々に挙がってると思ったら糞レスばっか
トルコ人とモンゴル人は同義
オスマンに対峙するハプスブルクがどの時点かによって話がまとまらんだろう。
近世でもスペイン・ハプスブルクとオスマン、オーストリア・ハプスブルクとオスマンでは
戦力比はまったく異なる上に欧州政治が複雑に絡んでくる。
近代ハプスブルクになればオスマンの債権国にまでなっているからなあ。
「かつて最も不安定だったトルコ国境が、今日では大洋のように安全である」とまで
19世紀には言われたほどだから。
36 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 22:23:57 0
オスマンってドイツ語人名の“Otto”と同語源だったりしますか?
ラテン語起源では無いのか
マルクスオトーとかいるし
38 :
世界@名無史さん:2008/03/01(土) 02:24:32 0
ハプスブルクってあちこちで戦ってる割に
ウィーンが包囲されるときはあまり守備兵いないよね。
偉い人たちはダッシュで逃げ出すから。
40 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 23:07:54 0
皇帝も逃げたん?
41 :
世界@名無史さん:2008/03/07(金) 23:16:22 0
時の皇帝は宮廷ごと即刻脱出した。
42 :
世界@名無史さん:2008/03/13(木) 03:24:23 0
腰抜けなんだね
ただウィーンっ子はいつも逃げる皇帝一家を許してくれた。
三月革命のときだってそう、パリっ子とはちょっと違うなあ。
44 :
世界@名無史さん:2008/03/15(土) 03:45:37 0
オスマンのローマ字表記って、Ottoman でいいの?
おk
46 :
世界@名無史さん:2008/03/15(土) 05:00:19 0
英語表記だろそれは
Osmanだ
昔の本とかだと「オットマン・トルコ」とかなってたりするね
48 :
世界@名無史さん:2008/03/16(日) 03:45:23 0
>>35 オスマンとオーストリア帝国は共に支配層の民族が過半数いってない多民族国家ですからなあ
オスマンが滅べば、高い確率でオーストリアもあぼんする。オーストリアがあぼんすれば間違いなくトルコにも飛び火する
同じ問題を抱えていてむしろ宗教を超えた連帯感すらあった気がする
49 :
世界@名無史さん:2008/04/05(土) 12:39:42 0
中世にはあんだけ対立してたのに?
50 :
世界@名無史さん:2008/04/06(日) 09:53:06 0
>>49 あんまり対立してないぞ、オスマンが一方的に東欧に侵攻しようとしただけで、
ドイツの有力諸侯の中で一番東方にあったハプスブルク家が強制的に相手させられた
中世以来ハプスブルク世襲領は「対イスラムの防波堤」的な存在として見られてたしな
ハプスブルクの敵は自国(分割相続だったから内紛が起こる)とフランスであって、
実際に戦ってたハンガリーは名目上ハプスブルク領だが実権はハンガリー貴族が握ってた
中世つーかフランス革命前まで、ハンガリーの方では戦争や小競り合いが割とあったような。
オーストリア継承戦争でオーストリア軍の初動が遅れたのは
前年までオスマン帝国と戦争やってたのが一因だし、
七年戦争末期にもオスマン帝国軍がハンガリー国境を脅かすような動きをしていて、
オーストリア側の戦争断念の一因になったとも言われてる。
>>51 まあテレジアが議会に乗り込まなかったらオスマントルコを理由に傍観した事は確実だな
ハンガリーが「これは女王に恩を売っておく良い機会」って事で参戦してくれたからこそ
プロイセンの貧弱な騎兵戦力(歩兵は異常に強いが)をコテンパンにやっつけたわけだが
53 :
世界@名無史さん:2008/04/06(日) 12:23:36 0
>>51 初動もクソも完全な不意打ちだっただけ。
国境が広くて、トルコ側に常に防衛の重心が置かれてたのは事実だが。
あと、ハンガリー側の軍隊をマリアテレジアの治世以前にオーストリア軍と
ひとくくりにするのはどう見ても無理があると思われ。
55 :
世界@名無史さん:2008/04/08(火) 10:58:44 0
>>53 継承戦争じゃね?
七年戦争はプロイセンの不意打ち(最近で言えばホリエモンの敵対的買収並みの暴挙)で
完全にブチ切れたテレジアがプライドかなぐり捨てて始めた戦争だから傍観もクソも無い
状況によってはオスマントルコにすら共闘を持ちかけかねない勢いなイメージがあるし
>>54 オーストリアにとって不意打ちだったのは事実だけど、
オスマン帝国との戦争で、オーストリアは財政的にヤバかったという話もあるんだよね。
そういう情報を集めた上で、フリードリヒ二世が狙った可能性は高いと思う。
>>55 フリードリヒ二世にしてみれば、オーストリアとフランスが対プロイセンで同盟結んだんで
完全に包囲される前に、と思って先制攻撃始めたんだけども。
あと、オスマン帝国との同盟はフリードリヒも考えていた。
七年戦争がもう少し長引けば、オスマン帝国は漁夫の利を得ていたかも知れない。
>>56 オーストリアが万年金欠だったのは当時の常識だと思うんだが・・・。
トルコ戦を原因とするよりも、そもそも中世引き摺りっぱなしの国体で
年中軍隊貼り付けてる事に無理があった事に着目すべき。
あと、オーストリアなんて統一した国体はまだ無かったと認識した方が良い。
ハンガリーが女帝が哀願して初めて継承戦争に本格参戦したのと同じように
当時の対トルコ戦線は国境が広くなったから、オーストリア世襲領の関わりは
薄れていたわけで。
貴方がフリードリヒ2世が大好きなのは分かったけど
オスマンの状況云々よりも、カール6世の死去に伴ってハプスブルク世襲領の
分割を各国が始めるという一連の動きの中で理解すべきだと思われ。
>>55 そもそもジュレジレンは、ホーエンツォレルンに継承権がわたる可能性のあった所を
ハプスブルクが上手い事召し上げちゃった土地だから、問答無用で先制攻撃した
プロイセンにもそれなりの言い分はあったんだけど、相手が悪かった罠。
>
>>57 いや、だから
>>51では「一因」と書いてるわけでね。
そもそもこのスレは「オスマン帝国とハプスブルク帝国の関係を語るスレ」という
趣旨だから(でなかったらそれぞれ単独スレがある)、その辺を絡めて書いてるだけであって、
ヨーロッパ側諸国のハプスブルク世襲領分割がメインなのは分かってる。
59 :
世界@名無史さん:2008/04/08(火) 21:58:55 0
皇帝になるにも莫大な金が必要だからな。
カール五世なんかはフランソワへの対抗上
新大陸の財産を丸ごとつぎ込んだ(更に借金までした)し
>>58 そもそもプロイセンはスレ違い。
脱線すんなよ。
>>59 確かに賄賂は贈ったけれど、爺さんのマクシミリアンが推薦をしたので
案外とすんなりカールが指名されていたりする。
主の望みに可能な限りで沿うようにするのは封臣の勤めだったから。
賄賂というより、皇帝(候補者)からの贈り物という見方をすべきなのかも知れない。
61 :
60:2008/04/08(火) 23:43:12 0
ごめん、推薦してただね。
マクシミリアン死後の話だから、誤解を受けるかも知れないんで訂正しときます。
62 :
世界@名無史さん:2008/04/09(水) 06:52:58 0
ここまでオイゲンの登場なし
63 :
世界@名無史さん:2008/04/09(水) 18:20:43 0
>>60 フランソワが献金しまくってた額とカールが献金しまくった額が同じ位だったりして
「同じ程度ならフランスの馬鹿よりドイツ人で伝統ある方がいいや」って感じったんじゃ
64 :
世界@名無史さん:
フッガー家が儲けまくったらしいな
免罪符の発行とか銀山の採掘権とかを抵当にしてカールに金貸したらしい