【草原の】契丹族とその王朝・王家【支配者】

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1世界@名無史さん
一時期は東アジアの覇者として宋を圧倒した
勇壮なる騎馬民族、契丹族とその王朝及び王族・子孫を
語りましょう。
2世界@名無史さん:2006/08/31(木) 15:31:12 0
なお、契丹は英語において「Cathay」となり、航空会社の「キャセイ・パシフィック」はこれに由来するのは余りにも有名。
支那・欧米中心史観は死ねばいい。
3世界@名無史さん:2006/08/31(木) 15:45:17 0
姉妹スレ

耶   律   楚   材
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1094731637/l50
契丹文字とか西夏文字って複雑すぎね?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1049283032/l50
中国史における遊牧民の歴史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1056866040/l50
4世界@名無史さん:2006/08/31(木) 19:29:13 0
西遼の話題もOKですか?
5世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:27:54 0
契丹というか遼の天子や官人はやはり胡服辮髪してたの?
それとも漢風だったの?

細かい事だけど王朝のイメージとして重要だと思う。
6世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:34:10 0
太祖や太宗の頃は純遊牧国家だったので胡服辮髪していたけど
聖宗の頃には宮廷儀礼その他も漢式になっていた。
7世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:48:17 0
これも有名な話だけど、金朝は
モンゴル語では「キタドのアルタン・カン」、ペルシア語の資料でも「ヒターイーのアルターン・ハーン」
と呼ばれていて、モンゴル帝国が登場してくる頃にはすでにキタイ(モンゴル語等の複数形がキタド)は
地域的な名称になっていた。

> 契丹というか遼の天子や官人はやはり胡服辮髪してたの?
基本的にそんな感じだったような話が。唐王朝の官服も基本的に禿髪部というかソグドとか突厥の連中の
着ていた物そのものだそうだから。弁髪に冠、胡服というとウイグル王国の壁画の王侯像に感じが近いかも
知れない。ウイグル王もモンゴルと同じで君主の冠は金製だったらしいが。
8世界@名無史さん:2006/08/31(木) 20:53:41 0
第六代の聖宗皇帝は諱の一名を「文殊奴」というらしいが、
これもまたえらく中央アジアくさい名前の作りをしてるね。
9世界@名無史さん:2006/08/31(木) 21:36:55 0
そりゃ当時の遼はシルクロードを握っていたからね。
中央アジア向けの名前を名乗っても不思議じゃない。
それに遼は仏教国だし。
10世界@名無史さん:2006/09/01(金) 09:45:06 0
age
11世界@名無史さん:2006/09/01(金) 10:33:18 0
「〜という野蛮な異民族は最終的には漢化した」って言い方って妥当なのかな?
12世界@名無史さん:2006/09/01(金) 15:59:14 0
「漢化」という概念そのものが曖昧すぎていまいち理解できてない。
漢字やそれに連なる古典や文化を享受したという意味だったら、
飛鳥、奈良時代以降の日本も「漢化」なのか? と思うのだが・・

ウイグル王国の場合は領内のソグド人の影響で自らの言語である
ウイグル語の文語化に成功して、ソグド人のもっていたソグド語や
パルティア語、パフラヴィー語の文献群や漢文の仏典や古典を大量に
ウイグル語へ翻訳したりして、これらの文化を自らの物にしている。
尤も12世紀頃になるとソグド語なども口語として衰退しちゃって
ソグド系の人々もほとんどウイグル語化していたらしいけど。

契丹にしてもそれのやや漢文比率が多いと言うだけで、ウイグル王国や
日本の場合と根本的に違いがあるようには思えないのだが、東洋史の
人たち的には日本や朝鮮半島、北・東アジア全体の歴史的な現象として
「漢化」というものをどのように定義しているんだろうか?
13世界@名無史さん:2006/09/01(金) 22:27:30 0
民族的、言語的にキタイと非常に近い関係にあるにもかかわらず、
文化的にはほとんど漢化しなかったモンゴルは偉い。
14世界@名無史さん:2006/09/04(月) 16:59:22 0
>>13
洪武年間に明に投降したモンゴル人は漢姓賜って漢化しているけどね。
でも、モンゴル(元)が完全に漢化しなかったのは
先にイスラーム文化圏を見て
「漢文化だけが特別優れている訳じゃない」と思ったからだと。
15世界@名無史さん:2006/09/04(月) 21:31:45 0
契丹の辮髪はこめかみから垂らす感じでしたっけ。
16世界@名無史さん:2006/09/05(火) 16:45:27 O
ゲルマン人のスエビ結いに似ていますね
17世界@名無史さん:2006/09/05(火) 20:43:41 0
>>14
萩原淳平さんの「明代蒙古史研究」で少し触れてたけど、
投降したモンゴルが漢化したというより、元代にすでに漢化して
漠北で生活できなくなっていた連中が投降したのではないか
という話でしたね。
18世界@名無史さん:2006/09/05(火) 20:50:15 0
元代に華北に住んでいたモンゴル人にとって過去の遊牧中心の生活に戻れと
言われたら、そりゃ戸惑うでしょうな。
それなら明に投降して従来の生活様式を保つのが賢明な判断。
19世界@名無史さん:2006/09/07(木) 23:15:34 0

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く___/       \____).        く__ノ           く_ノ


20世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:36:56 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/
21世界@名無史さん:2006/10/11(水) 01:06:11 0
スラブ系言語では、キタイは、中国のことなんだよね。
シナ(漢字変換でない)中心史観に嫌悪している人には申し訳ないんだけど。
22世界@名無史さん:2006/10/11(水) 06:28:00 0
> スラヴ系言語では「キタイ」は中国のこと
ジョチ家などのモンゴル政権ないしホラーサーンやホラズム方面からの影響らしいと聞くね。

「キタイ」(キタド)はモンゴル語やペルシア語などでは厳密には「北中国」のことで、
中央アジアでは13世紀当時は「中国全体」となると「キタド(ヒターイー)およびチンとマチン」
という呼び方をされていた。それ以前はペルシア語では「秦」に由来する「チーン」とか
「チーニスターン」がより一般的で、アラビア語では同じく「スィーン」。

「キタイ」という名称が中国全体の「他称」として一般化していく背景には、多分カラ・キタイ
(西遼)とかモンゴル帝国の影響がかなりあるんじゃないだろうか。ロシアの『原初年代記』には
さすがに中国方面については記事が無かったような気がする。
23世界@名無史さん:2006/10/13(金) 08:25:39 0
>シナ(漢字変換でない)中心史観に嫌悪している人には申し訳ないんだけど。

何故
24耶律休哥:2006/10/20(金) 21:40:07 0
age
25赤座:2006/10/21(土) 13:26:14 0
契丹人はモンゴル系なので、辮髪はしていなかったと思う。
契丹を西方へ追いやった金は女直人(満州人)系なので、
皇帝も辮髪をしていたのではないか。
26世界@名無史さん:2006/10/21(土) 13:31:23 0
モンゴル人は辮髪だが?
27世界@名無史さん:2006/10/21(土) 15:12:07 0
ついでに言うとテュルク系でも辮髪の集団はいたわけだし。
28世界@名無史さん:2006/10/21(土) 21:52:57 0
> 契丹人
辮髪は辮髪だが清朝なんかの時代の女真族なんかとは
別の辮髪の結い方をしている。
勿論、モンゴル族と契丹族でもそれぞれ結い方が微妙に違う。
29世界@名無史さん:2006/10/21(土) 21:57:29 0
ttp://www.dbaol.com/armies/army_114_figure_1.htm

crossbowsとpsiloiをクリックしてみてくれ
30世界@名無史さん:2006/10/23(月) 19:50:03 0
契丹人はモンゴル人に吸収されたのか?それとも漢族扱いだったのか?
31世界@名無史さん:2006/10/23(月) 19:57:39 0
>>30
チンギス時代では耶律阿海・禿花兄弟がモンゴル統一前から軍事面で
活躍しており、同じ系列の遊牧民族なので準支配民族扱い。
漢族以上モンゴル未満といった位置。
32世界@名無史さん:2006/10/23(月) 21:16:37 0
「キタイ」という部族も後のチュルク・モンゴルにあったようだが?
モンゴルに吸収されたのは西遼残党組かも?
33世界@名無史さん:2006/10/23(月) 21:25:29 0
西遼の契丹人は少数派だったから記録に記載される程の存在感を
モンゴル帝国史に残していないな。
多分、チャガタイウルスで細々と生きていたのだろう。
34世界@名無史さん:2006/10/23(月) 22:15:20 0
>>32
耶律阿海・禿花兄弟などの旧遼王朝の遺民は西方ではあまり名前が知られていないが、
現在のイランの南西部、ケルマーン地方にはモンゴル帝国軍が侵攻する直前くらいから
クトルグ・ハン家による「カラキタイ朝」という王朝があった。
西遼の皇帝(グル・ハン)に仕え、これに臣属していた時期のホラズムシャー朝の
アラーウッディーン・ムハンマド麾下の侍従だったバラーク・ハージブという
人物を祖とする。

1210年にムハンマドがカラハン朝のスルタン・ウスマーンとともにマーワラーアンナフルから
西遼へ侵攻したとき、これとスィル河東岸で抗戦した西遼側の武将ターヤンクーなる人物の
兄弟だったらしい。この戦いで西遼軍は敗北し、バラークはターヤンクーともども捕虜となり、
以後ムハンマドに仕えるようになったという。

その後バラークは、ホラズムシャー朝のジャラールッディーンとギヤースッディーンの兄弟と
ケルマーンの領有を巡って争い、1223年についにアッバース朝のカリフからスルタンの称号を
得て、「クトルグ・スルターン」と名乗り、名実共にケルマーンの君主となりおおせた。
しかも息子のルクヌッディーン・ムバーラク・ホージャはオゴデイ・カアンのもとへ使者を
送って帰順し、ルクヌッディーンの娘はチャガタイの妻となるなど、モンゴル帝国の帰順王家
として存続。こののち、ケルマーンのカラキタイ王朝は子孫が断絶してイルハン朝のオルジェイトゥ・
ハンにより所領が没収される1303年までケルマーンを安堵された。
35世界@名無史さん:2006/10/25(水) 02:54:54 0
なんで「カラ=黒」なん?
36世界@名無史さん:2006/10/25(水) 10:46:38 O
>>35
カラ=西 じゃないの?
37世界@名無史さん:2006/10/25(水) 11:30:35 0
カラ=西 ???
38世界@名無史さん:2006/10/25(水) 14:07:46 0
>>36
それは俗説というか聞いた事の無い説。
「Qara」は飽くまでもテュルク・モンゴル語で「黒」の意味であって、
「西」などの意味は含まれない。
「カラー・ヒターイー」なら西遼側の人間が実際に使っていたかも知れないが、
「"西"遼」それ自体は宋朝などの契丹以外の漢字文化圏の人々が勝手に名付けた
ものであって、彼ら自身の自称ではない。
39世界@名無史さん:2006/10/25(水) 16:47:52 P
つまり、カラスの「カラ」は黒ということだな。
40世界@名無史さん:2006/10/26(木) 00:49:21 0
遊牧民の方位観念だと西は白だったような。
41世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:21:48 0
>>40
ベラルーシ=「白ロシア」=西ルーシ
42世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:23:59 0
>>38
日本語の「カラス」も黒いからモンゴル語起源かも?
43世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:24:05 0
西洋に白人が住んでいたからだろうか?
44世界@名無史さん:2006/10/26(木) 01:28:44 0
>>43
それだったら東洋に青人が住んでないとおかしいだろうが
45世界@名無史さん:2006/10/26(木) 05:11:32 0
大相撲の青房、赤房、黒房、白房も、
方位を色で示す中国・モンゴルと同じ表現?
46世界@名無史さん:2006/10/26(木) 05:12:42 0
「西」=ジュンガル?
47世界@名無史さん:2006/10/26(木) 09:25:16 0
玄武(北・黒)、青龍(東・青)、朱雀(南・赤)、白虎(西・白)ですね。
48世界@名無史さん:2006/10/26(木) 16:23:45 0
カラハン朝も黒?
49世界@名無史さん:2006/10/26(木) 21:09:35 0
「ジュンガル」は「左」のこと。
ダヤン・ハーンの「左翼」軍団が起源だから「ジュンガル」。
あえて方角で言えば、ハーンは南面しているので「東」。
50世界@名無史さん:2006/10/27(金) 14:58:06 0
日本で中国(元は朝鮮半島南部の加羅のこと)も、
日本から見て北に有るからか?
51世界@名無史さん:2006/10/27(金) 15:18:45 0
>>50
加羅はカラであって、「中国」という意味ではない。
52世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:32:59 0
仮定の話しだが、もし満州国が続いていたら、契丹研究は今頃すごく進んでいただろう。
敗戦により日本では研究が途絶えた。その後おそらくは契丹の重要な墳墓等が略奪されたり盗掘されたものと思う。

それにしても契丹といったら耶律倍だね。
53世界@名無史さん:2006/10/28(土) 21:11:11 0
契丹古記は嘘もの?
54世界@名無史さん:2006/10/28(土) 21:29:24 0
まだきちんとした研究はないんじゃないかな。
ただし浜名の解読は無茶苦茶というのは定説。
55世界@名無史さん:2006/10/28(土) 23:05:39 0
契丹文字を解読できないの?

モンゴル語に近いんでしょ。
56世界@名無史さん:2006/10/30(月) 01:34:59 0
契丹語⇒現ダフール語?
57世界@名無史さん:2006/11/08(水) 11:16:58 0
カラ・キタイのカラ=黒とは「奴隷」のことか?
58世界@名無史さん:2006/11/08(水) 14:00:59 0
> カラ=黒とは「奴隷」
そのような傍証は知られていない。
59世界@名無史さん:2006/11/08(水) 14:35:39 0
現カラ・カルパク民族と関係有るのかも?
60世界@名無史さん:2006/11/12(日) 04:06:45 0
契丹はウイグル残党を吸収し強大に。
61世界@名無史さん:2006/11/12(日) 09:29:56 0
カラカルパクは、サカ/スキタイ系のコーカソイドをベースに
して、その上にフン、突厥、ペチェネグが被さってテュルク化し、
さらにノガイが被さって、16世紀頃にカラカルパクという集団に
なった。

だからカラキタイとは全然関係ないよ。
62世界@名無史さん:2006/11/12(日) 13:10:31 0
スキタイがベースなんだ。面白いですね。
ジョチウルスとかの支配下だった?
63世界@名無史さん:2006/11/12(日) 17:40:57 0
カラカルパク、カラキタイ、カラハン朝、黒羊朝の「黒」は制服の色らしい。
64世界@名無史さん:2006/11/12(日) 19:42:42 0
カラカラ
65世界@名無史さん:2006/11/12(日) 21:14:38 0
カラカルパクは「黒い帽子」だよ
66世界@名無史さん:2006/11/13(月) 07:05:58 0
黒色というのは服装のことか?
67世界@名無史さん:2006/11/13(月) 12:12:28 0
66は63が読めんのか・・・
68世界@名無史さん:2006/11/13(月) 12:38:26 O
じゃアク・カラパクがあったら「白い帽子」?
69世界@名無史さん:2006/11/13(月) 13:08:37 0
遊牧民に敵味方を色などで区別するための軍服があったのか?
70世界@名無史さん:2006/11/13(月) 13:58:01 O
阿保機率いる契丹と当初は友好、最終的には死闘をくり返した李克用、存勗父子のテュルク系沙陀族は黒ずくめの服装していて沙陀族に鎮圧された黄巣軍からカラス部隊と恐れられていたらしいが
71世界@名無史さん:2006/11/13(月) 14:01:02 0
アッバース朝の黒衣とは関係ない・・・よね。
72世界@名無史さん:2006/11/14(火) 10:52:41 0
>>60
ティムール朝軍は一時期部隊ごとに色を統一してたとか
73世界@名無史さん:2006/11/15(水) 09:15:14 0
キジルバーシュ=カラキタイ=おいらと?
74世界@名無史さん:2006/11/15(水) 11:01:16 0
>>73
何でやねん
75世界@名無史さん:2006/11/15(水) 19:05:17 0
キジルバーシュってどういう意味・系譜?
76世界@名無史さん:2006/11/16(木) 12:56:13 O
ギジル(赤)=カラ(黒)
???
77世界@名無史さん:2006/11/16(木) 14:25:34 0
「オーラト」部族は、「悪魔にそそのかされて」(仏教からイスラムに鞍替えか?)
四オイラト部族連合から離脱してキジルバーシュになったらしい。
78世界@名無史さん:2006/11/16(木) 14:26:48 0
「キジルバーシュ」というのは「トルクメン」とみなされるらしいが、
現「トルクメン」と直接同一かどうかは不明。
79世界@名無史さん:2006/11/16(木) 20:46:58 O
オイラト(カルマク)はモンゴル系では?
『マナス』
『アルパミシュ・バートゥル』
『コブランドゥ・バートゥル』

これらはイスラム教徒のテュルク系民族と異教徒のモンゴル系カルマクら異民族との戦いが主題の英雄叙事詩
80世界@名無史さん:2006/11/16(木) 21:19:18 0
ちょっと待った。
キズィルバーシュって言ったら普通サファヴィ−朝の建国を支えた
「キジルバシュ」軍団とかその係累の事じゃないのか?

だとしたら、「キズィルバーシュ」というのは、サファヴィ−朝の初代
イスマ−イ−ル1世の父であった教主ハイダルが、夢告に現れたイマーム・
アリーの命によって、赤い心棒に12本のひだのある布で覆ったターバンを
サファヴィ−教団の信徒たちに着用するように定めたのが起源。

サファヴィ−朝を支えたのはアルダビールを拠点にした同教団を、イラン西北部の
アゼルバイジャン地方を中心に活動していたテュルク系遊牧集団の信徒たちが、
軍事的に支援したため「キズィルバーシュ」といえば彼らを指すようになった。

キズィルバーシュと呼ばれた人々は、アゼルバイジャン地方やカスピ海南部方面の
遊牧民たちであり、主にテュルクメン系の遊牧民だった。「キズィルバーシュ」と
「テュルクメン」はイコールではなく、西北イラン周辺の「テュルクメン」の
いくつかの集団が中心となって「キズィルバーシュ」を構成した。

カフカス北部のカルムイクとは系統も活動時期も違うので、直接的な関係は無いはず。
カフカス北部から流入した一派がキズィルバ−シュ化したとかいうなら別だろうけど。
81世界@名無史さん:2006/11/16(木) 22:03:28 0
誰が見てもいいかげんな話>>73
なんでそんなに盛り上がるんだか
82世界@名無史さん:2006/11/17(金) 00:39:20 O
なんで元は遼(遼史)をよく書きたがらないのかな
83世界@名無史さん:2006/11/17(金) 02:31:21 0
優遇されたのは楚材一族だけで、
金華北地方に居たのは女真系もろとも死滅したというのが本当では?
84世界@名無史さん:2006/11/17(金) 03:52:48 0
金滅亡のとき、華北は凄惨な状況になって華北に居た女真系は死滅したらしい。
85世界@名無史さん:2006/11/17(金) 05:37:14 O
契丹がモンゴル系なのではない、
モンゴルが契丹系なのだ!
86世界@名無史さん:2006/11/17(金) 07:31:13 0
兄貴分であっても滅亡したら権利主張できない。
87世界@名無史さん:2006/11/17(金) 09:38:13 0
とりあえずよく分からない人は山川「民族の世界史」の
「中央ユーラシアの世界」と「東北アジアの民族と歴史」読んだほうが
88世界@名無史さん:2006/11/18(土) 16:48:00 0
金がモンゴル帝国に滅亡させられた際には、故地を既にモンゴル軍に奪われて中原に取り残された大勢の女真が
モンゴル人と漢人双方からの攻撃を受けて大半が死滅し、
中原から女真の集団は消滅した。
89世界@名無史さん:2007/01/12(金) 15:15:14 0
age
90世界@名無史さん:2007/03/22(木) 22:45:46 0
金って朝鮮?
91世界@名無史さん:2007/03/23(金) 09:12:43 0
>>90
のちの満州である
92世界@名無史さん:2007/03/24(土) 22:56:00 0
朝鮮に金姓が多いのと関係あるかな
93世界@名無史さん:2007/03/26(月) 19:01:05 0
金の王族の子孫ニダ!っちゅって名前つけたかも
94世界@名無史さん:2007/03/26(月) 20:41:30 0
それなら完顔とか名乗ればいいのに
95世界@名無史さん:2007/03/29(木) 22:03:23 0
金姓のルーツは金国なのか。勉強になった
96世界@名無史さん:2007/03/29(木) 23:45:41 0
ちゃうわ
むしろモンゴルの黄金氏族
97世界@名無史さん:2007/04/07(土) 13:29:31 0
じゃあ、モンゴル人の子孫が金さんなの?
98世界@名無史さん:2007/05/19(土) 13:04:17 0
満洲語で
アイシン=黄金  ギョロ=氏族

モンゴル帝国由来の「黄金氏族」になりたかったんだろうけど
別に子孫じゃないす

でも中国で革命があってアイシンギョロなんて名乗ってられなくなって
アイシンを漢語にして「金」姓を名乗るようになりました
99世界@名無史さん:2007/06/16(土) 13:11:51 0
日本に居る人(吉本さんの奥さん)などはアイシンギョロ姓を名乗ってるね。
100世界@名無史さん:2007/06/19(火) 19:59:35 0
>>44
魏志倭人伝で刺青をしていたとあるでよ。
101世界@名無史さん:2007/06/19(火) 20:13:52 0
朝鮮のは、自称・金官伽耶の駕洛王の子孫と、自称・新羅の金閼智王の子孫の
金氏が多いんではなかったっけ?
102世界@名無史さん:2007/08/17(金) 11:28:14 0
金さんといっても愛新覚羅から自称王族の子孫から
いろいろなんだな
103世界@名無史さん:2007/09/21(金) 00:36:16 0
>>100
「黥面文身」であって「刺青」という言葉はでてこない。
「黥面文身」には直接的に「青」を喚起させる字はないよ。とネタにマジレス
104世界@名無史さん:2007/09/21(金) 05:53:55 0
刑罰の黥面って周辺民族が刺青多かったから君は蛮族並ってことで出来たんだろか
105世界@名無史さん:2007/09/21(金) 08:09:26 0
身体髪膚之を父母に受く 敢えて毀傷せざるは…って辱めの意図もあるかもしれないけど、
単純に性犯罪者にマイクロチップ埋め込もうとかそういうノリに近い
識別が主な理由だと思うけどな。

話を契丹に戻すと契丹の人は刺青しなかったのかね?
ちょっと遠いけど
タジク系の人とかだと近年まで眉間に墨入れて成人の明石にする数族が残ってたみたいだし、
「楼蘭の美女」とかもたしか鼻の脇に刺青してたよね
106世界@名無史さん:2007/10/28(日) 11:47:10 0
>>105
>話を契丹に戻すと契丹の人は刺青しなかったのかね?
893じゃあるまいし刺青なんてしてなかったに決まってるニダ!
107世界@名無史さん:2007/12/02(日) 07:08:28 0
西遼にロマンを感じるなぁ
108世界@名無史さん:2008/02/16(土) 02:59:31 0
靺鞨と契丹って同一?
109世界@名無史さん:2008/02/18(月) 20:36:38 0
視点にもよるけど少なくとも同一ではないと思う
当の契丹人は10世紀半ばごろの段階では
むしろ女真≒黒水靺鞨の子孫、みたいに考えてたらしい

新唐書だと粟末靺鞨→渤海≒高麗の別種、風俗は同じ
旧唐書は渤海靺鞨は高麗の別種、みたいな書き方をしてるらしい
110世界@名無史さん:2008/02/19(火) 19:45:57 0
靺鞨って音声的には蒙古のことじゃないの?
111世界@名無史さん:2008/02/19(火) 20:06:46 0
ツングース系でしょ。
112世界@名無史さん:2008/02/19(火) 21:17:37 0
現代語では「mo he」と「m?ng g?」で大分違うよ。
当時の中古音ではどうか知らんが。
113世界@名無史さん:2008/02/24(日) 01:13:31 0
現代北京音じゃ入声が消滅しているからなぁ
114世界@名無史さん:2008/02/27(水) 00:44:48 0
現代北京音は簡略化されすぎだろ、あれ
115世界@名無史さん:2008/02/28(木) 22:17:48 0
簡略化は英語並
116世界@名無史さん:2008/03/07(金) 23:01:31 0
だふーる族って契丹の子孫なんだっけ?
117世界@名無史さん:2008/03/10(月) 02:53:30 O
あげ
118世界@名無史さん:2008/03/13(木) 03:31:48 0
入声って?
119世界@名無史さん:2008/03/13(木) 18:16:39 0
ふくつちき
120世界@名無史さん:2008/04/05(土) 12:32:25 0
意味不明
121世界@名無史さん:2008/04/06(日) 13:02:35 0
契丹って蒙古の一派なのに、のちの元と違って漢化してたんだね
122世界@名無史さん:2008/04/06(日) 17:57:30 0
モンゴル語族だという証拠はあるのか
123世界@名無史さん:2008/04/06(日) 19:38:25 0
>>118-120
まあそのー、こうゆうことですわ。

入声
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E5%A3%B0

>古代中国語の声調(四声)のうち、音節末子音が内破音[ p̚], [ t̚], [ k̚] で構成され、
>短く詰まって発音される音節を調類としたものをいう。

>日本語の漢字音における音読みでは、-iか-uの母音が挿入され、
>[フ・ク・ツ・チ・キ]で終わるものがほぼ入声であると考えてよい。
>これらは学校が「ガクコウ」ではなく、「ガッコウ」になるように、
>無声子音の前では、元の形の近い音価を残している。
>室町時代には-tの入声があり、例えば「念仏」はNembut、「念仏は」はNembuttaと発音された。
>現代語でも、「雪隠」set-in などにその名残が見られる

中古漢字音の語尾と日本語の音読み(歴史的仮名遣い)の語尾
[-p]→ふ   例)合[gap]→ガフ(呉音)、カフ(漢音)
[-k]→く、き 例)易[jak]→ヤク(呉音)、エキ(漢音)
[-t]→つ、ち 例)八[pat]→ハチ(呉音)、ハツ(漢音)
※発音記号が表示されないので近似音のローマ字に置き換えました。その点はご容赦願います。
124世界@名無史さん:2008/04/22(火) 17:26:55 0
>>2
ヘー
125世界@名無史さん:2008/04/27(日) 21:58:49 0
>>110
 多賀城の碑文に「去る靺鞨国堺三千里」って書いてあるね。国を去って多賀城まで
遠征して来た人もいたんだろうと思うとロマンがある。
126世界@名無史さん:2008/04/30(水) 12:43:53 0
まあ間接的にでも何らかの交流がなければ方角と距離を知る訳も無い。

中国からの情報じゃなくて実際北方から靺鞨国と接触持った集団がいたんだろうな
127世界@名無史さん:2008/06/24(火) 02:16:26 0
>>125
当時は蝦夷などは朝廷にとっては靺鞨と同列の異国だったろうからね。

平将門が挙兵したのも耶律阿保機が遼王朝を創業したのに刺激を受けた
ものであったようであるし、当然大陸の遊牧、狩猟採集民とかの影響とかは
受けてたと思う。

アイヌは日本と大陸をいったりきたりしてたようだし。

128世界@名無史さん:2008/06/24(火) 15:47:57 0
>>127
アイヌはあの地域の最大の交易民だったからな。
129世界@名無史さん:2008/08/24(日) 02:01:28 0
うちの父系は自称、気仙金氏の系統なんだけど、
口伝では更に遡ると契丹滅亡時に逃げてきた流浪の王族だったんだそうな。

多分、意外と近代に入ってから厨設定好きのご先祖の誰かが勝手に付け加えたほら話とかなんだろうけど、
現実には葛西や伊達にヘコヘコしながら
「くそっ、いつか遼の再興を…」とかぶつぶつ言ってるご先祖ってのは
想像するとなんだかかわいいので、とりあえず俺の代でも子に伝承を伝えておく予定。
130世界@名無史さん:2008/11/20(木) 09:07:08 0
 ё
 ‖
 ‖
 ニィ
131世界@名無史さん:2008/11/20(木) 09:09:31 0
 (ё)
 ‖
  ‖
 ニィ
132世界@名無史さん:2008/11/26(水) 23:07:17 0
カラキタイあげ
133名無しさん:2008/12/02(火) 01:56:31 0
微妙
134世界@名無史さん:2008/12/02(火) 10:03:34 0
>>127
人名や習俗や入ってくる産品や地名で明らかにアイヌっぽいものが出てくるのって、
14世紀に入ってからだよ。
間宮海峡をめぐって蒙古帝国と樺太の住民との間で戦闘があったりしたんだけれど、
樺太側がアイヌかどうかは判らない。
近代では、間宮海峡の一番狭いところは、両岸とも山丹(ギリヤーク)の居住地、
50度ら辺より北はツングースの一派のオロッコが支配的だった。仮に13世紀頃と
19世紀頃と分布が同じだったとしても、蒙古とアイヌが戦ったとは言い難い。
135世界@名無史さん:2008/12/02(火) 13:26:53 0
きったん らんら もじきったん♪
136世界@名無史さん
ウズベキスタンを中心に、中央アジアにはカラキタイの末裔が多い。
ま、自称かも知れんが。