1 :
世界@名無史さん:
新スレ立てました。
2 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 22:18:16 0
3 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 22:20:41 0
この日付は明日以降元に戻るのか?
4 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 22:25:20 0
三国志正史の訳書は、ちくま以外にあるの?
5 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 22:27:00 0
徳間からも出てるけど全訳じゃないかも・・・
6 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 22:27:58 0
7 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 22:35:36 0
ハハハ イキデキネーヨ
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ハライテ- ゲラゲラ
( ´∀`) < わははは ∧_∧ 〃´⌒ヽ モウ カンベン
. ( つ ⊂ ) \_______ (´∀` ,,)、 ( _ ;) シテクダサイ
.) ) ) ○ ∧_∧ ,, へ,, へ⊂), _(∨ ∨ )_ ∧_∧ ○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ (_(__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
タッテ ラレネーヨ
ワハハハ
8 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 15:52:48 0
保全の乱
9 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 21:14:48 0
早漏の乱( ´,_ゝ`)プッ
10 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 22:59:43 0
∧ ∧
(*‘ω‘ *) ちんぽっぽ!
( )
v v
ぼいんっ
川
( ( ) )
12 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 22:39:47 0
三戦板は末期症状みたいだな。
13 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 23:38:25 O
世界史板の三国志スレの方が末期的な気がする
14 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 22:25:22 0
そろそろ新スレの出番だな。
15 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 02:11:40 0
呂布の真実について語ろうか?
ヤツはホントに中国史上最強の武将なんか?
史上最強の武将は項羽、尉遅敬徳、常遇春、石虎、、、などなど
かなり遅れて呂布。
とりあえず理由を挙げてくれ坊や。
「最強」なんてただの幻想だよ
>16
徐達>常遇春
21 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 13:43:06 0
呂布関係の話で史実なのは
赤兎馬に乗ってた事
董卓の投げた手戟をはたき落とした事
戟を射て劉備を救った事
くらい?
22 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 14:25:25 0
結局は個人の武芸だけでは戦は勝てないからね。
周徳威と夏魯奇と王彦章
個人武勇プラス用兵
24 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 14:47:07 0
白馬の戦いで曹操が勝ったのは関羽のお陰だがな。
25 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 14:57:48 0
顔良と文醜は名将だったのかな?
関羽が倒したのは顔良だけだけど、将軍として有能だったのだろうか。
それと、関羽は意外に功績がないと思えるのは気のせいだろうか。
顔良はは劉備の伝言を頼まれて、伝えようとしたところを殺されたんでは?
27 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 16:20:28 0
ここできくのもアレかもしれんが
ブーンで学ぶ日本史の本スレってどこ?
三國志の続きがきになるのよ。
>>24 関羽の活躍だけじゃ勝てなかっただろ
最終的には曹操の軍の錬度の高さがあったればこそ
30 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 19:08:18 0
関羽・張飛は兵一万に相当するっていう程c評もあるしな。
しかし相対する曹魏にも五星将がいるのだった。
うきん
五将星ってのは小説かなんかだろ
関羽の捕虜になって以降二度と将に戻ることができなかった悲劇の男か。
考えてみたら、蜀漢って魏の五星将の内2人を消滅させてしまっているわけだよな。
それに比べて孫呉は…。
だからその飾りを付けた言い方やめろよ
世界史板と三戦板を間違えてる人がいますね
でも正史にも書いてあるじゃん。
夏侯淵を敗死させたのは劉備軍。
于禁を武将人生からさようならさせたのは関羽軍。
夏侯惇も一度劉備に敗北しているし、張コウも漢中争奪戦で痛い目に遭っている。
38 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 21:13:01 0
でも
ってのは何に対するでもなんだ?
五星将
>>38 >世界史板と三戦板を間違えてる
>でも正史にも書いてある
41 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 01:56:59 0
>世界史板と三戦板を間違えてる
は
五星将と書いてるヤツに対してだろう。
42 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 06:14:50 0
張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃
曹操が魏に五星将ありと評した武将のこと。
でも夏侯氏の片目と妙才は入ってない。
45 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 08:49:54 O
どうせなら五車星と言ってくれたらいいのに
当時の江南の生産力ってどれほどだったんだろうか。
後世にみるような、「江浙うなれば天下足る」に比べてどれくらいのものだったのだろう。
東晋を考えれば、江南の生産力で北朝に拮抗しているわけですが、このあたり詳しい人いますか?
47 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 17:53:56 0
>>46 黄巾の乱で華北からの流民流入で漢人の割合が増えたけど
それでも山越などの異民族がかなりの割合を占めていた。
生産力は後世の南宋とは比較にならんほど貧相だけど
江南の開発を国家的規模で行った歴史的意義は大きい。
277 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/02/23 10:42
農業に関しては、江南は宋代に排水工事技術が発展するまで華北に後れをとっていました。
水田として現在利用されている土地の多くが、湖沼地帯として漁業が営まれていたのです。
中世期の荘園領主による農地開発は、水捌けの良い、数の限られた高田の奪い合いに終止した、
と見るのが正しいと思われます。無論、フロンティアゆえに相当な広さはありましたが。
しかし、当時の稲作が一年交代の休閑方式だったことは以外と知られてないなぁ。
田植えは江南では未だ普及してなかったし。
278 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/02/23 10:48
>273
呉だって支配領域は広くても実際に生産力に寄与してる地域って
このころはまだそれほど広くもないでしょ。
それでいてさらに有力豪族の独立性が高かったから、
国としてその生産力を有効に活用しきれてなかったんじゃないかな。
279 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:04/02/23 11:08
>277
それって膨大な土地が水没してたって事ですか・・・。
瘴癘の地とはよく言ったものだね。中原とは似ても似つかぬ異世界だったんだ。
49 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 18:54:26 O
休閑式だったとは知らなかった。為になります。
為になるのもっとほすいもんだな。
ところで、張静って誰だよww
>47-48 スペシャルサンクス
宋代まで華北に遅れをとっていた というのをはじめて知りました。
唐代末期に、食料不足で困った当時の皇帝が、わざわざ洛陽まで足を運んだという逸話がありますから、六朝期にかなりの規模で生産力が高まっていたと思っていました。
南宋の頃には及ばないだけで、唐代にはとっくに華北を越えていたでしょ
なんか三戦板から湧いてきてるのがいるな・・・
経済力では唐代でとっくに江南>>>>華北なんだがな。
安史の乱が江南に波及しなかったのが唐王朝が中後半期以降保てた遠因。
>53 よくわかりましたね。三戦版は「武将」に関しては有益な情報も、ままあるんですがね、こと情勢や背景については、質問しても答えは期待できにくい面がありました。
>安史の乱が江南に波及しなかったのが唐王朝が中後半期以降保てた遠因。
自分は唐宋を趣味でみている関係上、そのあたりのことは知っていましたから、上記のような「宋代まで華北に遅れをとっていた」というのは、初耳で驚いたわけです。
江南の建業(後には昇州など)を中心として、その勢力圏の富の起源が、孫氏の呉にあるのかと思いまして質問させていただきました。
呉の江南開発が無かったら歴代南朝や南宋も成り立たなかったという極論は辞めろよ。
>>46 せめて「魏晋南北朝」あたりでも読んでみては?
58 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 22:15:18 0
>江浙うなれば天下足る
こんな言葉あったか?
>>58 南宋〜元代の言葉。
正しくは蘇杭満つれば天下足るだったかな?
蘇州と杭州は地上の天堂と言われていたほどの穀倉地帯。
60 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 22:22:16 0
江浙熟、天下足
熟と足が押韻
61 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 22:27:38 0
蘇湖熟、天下足
とも言う
うなればじゃなく「みのれば」
62 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 23:23:23 O
?
??
>62には張静に見えてるって事?
>57 「魏晋南北朝」川勝義雄氏ですね。 ありがとうございます。
携帯で見るとそうなるとかって聞いたことあるが、違ったかな?
でまた、呉にいるところがすごいでつね。
72 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 01:06:36 0
張静は司馬懿に斬られた魏の都督令史だろ?
呉の驃騎将軍って・・・
74 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 20:10:36 0
孫権の跡継ぎに孫和がなっていたらどうなっただろ?
75 :
世界@名無史さん:2006/04/20(木) 22:57:23 0
76 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 17:51:44 0
趙雲と並び称せられた陳到、王平と並び称せられた句扶の実力はどんなもんだった
んだろ。趙雲、王平がしっかり伝記が残っているのにほとんど付け足しの陳到と句
扶。なんか書き方に差がありすぎない?
陳寿が執筆を始めた頃に既に伝記・史料が亡失していたか
列伝に記す程の目立った軍功が無かったかのどちらかだろ。
78 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 19:01:34 0
子孫が陳寿と仲悪かったんだろ。
79 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 21:32:35 0
呉壱も伝記がないんだよね。
北伐でも活躍したみたいだし、魏延の後任で漢中の総督になったくらだから
実力はかなりのもの。これは事跡が伝わっていなかったから伝記を作らなか
ったと書かれていた。劉備の後妻の兄なのに事跡が伝わっていないとはどう
いうことなのだろうか。どうでも良いとしか思えない人物の伝記がのこって
いることを考えると不可解。
趙雲短すぎ
趙雲は十分だろ
陳寿の立場上、余り蜀漢の武将に記述割いたら
「お前、まだ旧主を慕っているだろ?」と西晋政府から
いちゃもんつけられて失職しちゃうだろ。
だから極力筆を抑えた結果が三国志
83 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 22:24:28 0
陳寿の私怨もありだろ〜。
師匠のショウ周も蜀内で敵が多かったっぽいしな〜。
〜
85 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 05:52:08 0
寥化なんかも長く活動したわりにこれといったエピソードがないんだよね。
86 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 06:30:18 0
蜀漢には正式な史官が設置されなかったって本当?
そういう時代もあったという事
88 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 15:38:23 0
漢の劉氏が曹参の子孫の曹家に乗っ取られ、
高祖の子孫を名乗る宋の劉氏が蕭何の子孫の蕭家に
乗っ取られたのは皮肉なもんだな〜。
89 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 15:58:16 0
曹氏とはいえ、曹操の一族は曹参の子孫とはまったく関係がないらしい。
曹操の祖父は出自不明だし、父親も一応夏侯氏の出身となっているがこれまた出自不明。
曹騰の父曹節までは判明している
91 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 16:14:46 0
まあ、曹嵩が養子なのは常識だが、一応家を継いでるって事で・・・
92 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 17:13:04 0
胡散臭さと成り上がり者具合では劉備とどっこいどっこい。
爺ちゃんと親父が相当な実力者で金持ちだった事を除けば。
曹騰の父、曹節って曹操の娘にも曹節っていなかったっけ?
同名?
あれ、どっかで曹騰の父は曹節じゃないっての読んだ気がするんだけれど・・
どこだったかなぁ
曹萌
97 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 22:46:53 0
>>76〜86
蜀漢滅滅直後の鐘会の乱で、成都が大混乱に陥ったのも大きいかと。
その時に膨大な資料を失ったのかもしれない。
98 :
世界@名無史さん:2006/04/24(月) 23:18:35 0
>>97 呉壱にかんしてはそうかもね。一応劉備の外戚なのだからなんらかの資料はあっただろう。
魏将と交戦して勝った事実(魏側の資料)だけが記録として残った感じか。句扶は王平と
同年代と推測されるので、戦功を上げるとしたら対魏戦か南方戦のどちらか。魏側に資料
がなかったので具体的な伝記が作れなかったのかも。もっとも魏の朱霊なんかも大したこ
と書いていないからしょうがないか。だけど劉備の流浪時代からの家臣の陳到に伝記が無
いのは不可解。孫乾、簡庸といった連中まで伝記があるのに、武功を上げていたはずの陳
到が全く伝記がないのはどうしたことか。趙雲みたいに別伝があるわけでなく、三国志の
注釈にも名前が出てこない。
曹萌だよな、祖父と娘の名前が同じてどう考えてもおかしいもんな。
100 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 01:30:59 0
趙雲と戦歴は似てるけど逸話は皆無だったのでは?
「萌」ちゃんか。
えらく現代的な名前だな。
102 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 03:46:33 0
献帝(劉協)の後継者は孫の劉康(山陽公)だったんですね。
103 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 21:09:57 0
104 :
世界@名無史さん:2006/04/25(火) 22:11:06 O
李広に対する程不識のように、評価や官歴、戦歴で並び称される奴でも、知名度は違ってて不思議じゃないさ
105 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 05:42:48 0
朱霊が曹操に憎まれていたと書かれていたけど、本当なのかな?
憎まれていた割には結構出世しているし、名声も除晃に次ぐという話しだ。
漢中戦では先鋒(嫌われていたかから?)だった。
矯 情 任 算 , 不 念 舊 惡
>>106 中央研究院の史料そのままコピペなんだろうけど、
半角スペースとか「,」を「、」に変えるとか
日本語表記にしなよ。
半角スペースなら ver.1.3か中華文化網だな
109 :
世界@名無史さん:2006/04/27(木) 13:42:42 0
半角スペースの入るテキストは検索するのに不便で困るよ
110 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 22:54:37 0
>>101 「曹芳 蘭卿」だってなんか今時の女の子みたいな名前な気も
芳蘭ちゃんだぜ?
111 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 23:28:09 0
魏の西域経営してたのは誰?
何か曹真が活躍していたって説を聞いた事あるのだが、
正史からは読み取れない・・・
夏侯淵
113 :
世界@名無史さん:2006/05/01(月) 00:18:44 O
魏にはまともに西域経営する余裕はなかった
が正解
かくわい
116 :
世界@名無史さん:2006/05/01(月) 22:22:13 0
ぶっちゃけどんな記述があるの?
117 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 22:12:19 0
118 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 23:39:07 0
魏に戊己校尉っていたんだ。
車師辺りにいたんだよね?確か。
119 :
世界@名無史さん:2006/05/10(水) 06:01:30 0
呉蘭、雷同はどんな武将?
122 :
世界@名無史さん:2006/05/10(水) 17:36:56 0
個人サイトに誘導するのは別にいいと思うが、
ぐぐるの使い方くらい覚えてほしいとも思ったりした。
123 :
世界@名無史さん:2006/05/10(水) 23:04:15 0
グーグルの使い方って?
124 :
世界@名無史さん:2006/05/11(木) 06:36:41 0
蜀の将軍の官位の序列はよく解らないな。
黄忠 征西将軍→後将軍
趙雲 征南将軍→鎮東将軍
魏延 鎮北将軍→征西大将軍
姜維 征西将軍→輔漢将軍→鎮西大将軍
どれも昇進人事なのだが、魏の官制だと昇進ではなくなってしまう。一体
どんな官制だったのだろうか。
>>124 おそらく漢の制度をなんとなく継承してるんじゃないかな。
上から順に大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍、四方将軍。
征鎮平安は特に順序はなく雑号将軍と同等な扱いだったのではないかと思う。
ただ季漢輔臣賛だと趙雲は最終の鎮軍でもなく、また鎮東じゃなく、征南と書かれてるんだよね。
だからその頃までには征鎮平安の順番は出来てたのかもしれない。
平安じゃなく安平だったかな?
126 :
世界@名無史さん:2006/05/11(木) 09:18:07 0
>>125 季漢輔臣賛は陳到の官位が征西将軍だったから、ごろ合わせで征南将軍としただけじゃない?
>>126 輔匡と劉邕も一つの賛にまとめられてるが、最終が右将軍の輔匡は鎮南、同じく最終が監軍・後将軍の劉邕は監軍なんだよねえ。
関羽・張飛は関羽・張飛だし、馬超は驃騎将軍、黄忠が将軍……
基準がいまいちわからん。
128 :
世界@名無史さん:2006/05/11(木) 13:02:29 0
>>125 馬忠は安南将軍→鎮南将軍だからこの頃には魏の官制と同じようになったのかもしれない。
その代わり前後左右将軍は目立った将軍がいない。句扶が左将軍になったとあるが、いつ頃
に将軍位に就いて、何時逝去したのかも解らない。蜀末期は四征将軍、四鎮将軍の方が実際
の軍務で重きを置いていたのではないだろうか。ただ四征と四鎮とのどちらが上か不明。
ぶっちゃけ曹操最強すぎて他が見えない
130 :
世界@名無史さん:2006/05/12(金) 13:09:15 0
呉の子孫は、琉球及び日本に対する拉致犯罪を永遠に詫びるべきですね。
呉の子孫って日本に逃れてきてるんだろ?
始皇帝の子孫ですら逃れてるからね
霊帝の子孫モナー
135 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 21:04:03 0
>>124 姜維は征西将軍から鎮西大将軍なんだよね。
かと思うと魏延は鎮北将軍から征西大将軍と四鎮と四征の格差がわからないな
とりあえず大が付くと昇進みたいだな。趙雲は昇進なのかスライドなのかは意
見が別れるところだが、昇進なら方角で尊卑があるのかも。東南西北という順
でね。スライドだと四鎮と四征の尊卑が不明になる。
北伐初期は北が、中期以降は西が偉そう
137 :
世界@名無史さん:2006/05/17(水) 20:30:59 0
趙雲は中護軍・征南将軍永昌亭侯になったのは劉備が死去し、呉と関係改善が行われ、
南方が騒がしかった時期。首都の治安維持と防衛と南方の争乱の拡大阻止が任務での
就任だろう。永昌亭侯というのは南征に大きな関係がありそう。記録にはないが、諸
葛亮の南征に参加した可能性が高い。南征が終了し、諸葛亮が漢中に行くと趙雲も漢
中に行き鎮東将軍に昇進。北伐が失敗すると諸葛亮と共に降格。趙雲は劉備死後から
一次北伐までは諸葛亮とほぼ行動を一緒にしていた可能性が高いな。作戦計画にも参
与していたかも。
>諸葛亮の南征
!!??
フツーに諸葛亮伝と註に載ってることじゃね?
そんな話載ってません><
>>139 普通に読めよ。
1:演義
2:後出師の表
文書からすると演義大好きッコだろうな。
142 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 19:56:08 0
>>140 推測の話しを書いていると思うのだが・・・・・・・・・・・・・・
143 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 20:38:29 0
三年春、亮率衆南征、其秋悉平。
144 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 23:57:55 0
↑
これは南征の記述だろ????????????????????????????
>諸葛亮の南征
亮 率 衆 南征
この流れはなんだ。
ただ蜀が南方を支配下に置いたことか、演義のような南征のはなしなのか。
>>138の発言趣旨が分からないから混乱してるんだよね
138が自分の意図をきちんと説明しないと収まらんと思うよ
みんなも138の説明があるまであんまりレスしない方がいいような希ガス
他人の心意を探り探り発言しても空振りになるだけっぽい
諸葛亮が南征などというたいそうな軍事行動は起こしていない。演義の虚構だ。
と、言いたいアンチ孔明?
諸葛亮を語りたいならスレ違いだからほかでやってくれ。
ここ三国志スレじゃないの?
それにそういう時は自分で話題をふるこった。
自分の気に入らないものはすべてスレ違い。
自分が気に入ればスレ違いもOKってか。
てか
155 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 20:37:23 0
諸葛亮は正史三国志でも重要人物だがな。
特に蜀志では皇帝劉備以上の扱いだろ。それをスレ違いといってしまうのは
間違い。
そうだよな。
先主、後主、后妃宗室と続いて、その次だもんな。
しかも一人で巻を占拠している。
157 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 23:17:03 0
孔明におんぶにだっこの蜀だもん。
結果論でいえば、ギエンの作戦採用してほしかったな。
159 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 05:07:11 0
>>158 軍事的には魏延の作戦は無謀。
敵が籠城して短期間に長安を陥落出来なければ魏延隊は全滅。また、完全な
奇襲でないと成立しない。数千から1万の兵を漢中から長安まで全く気づか
れづに進軍するのは不可能。おそらく、魏延は別行動がしたかっただけで、
長安奇襲策は後世の人の創作。だから正史にも採録されなかった。
陸遜も重要人物
161 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 08:43:33 0
諸葛亮と劉備・劉禅の関係は君臣関係の模範みたいなところがあるからね。
敵国である魏の人達にも諸葛亮は尊敬されていた。陸遜と晩年の孫権との関係
とはかなり差がある。
孫権は最後になるとキチガイっぷり発揮するしなぁ・・・
世界史板にまでキチガイの一言で片付ける人がいるなんて
164 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 12:07:19 0
晩年の孫権を一言では片づけられないけど、亡国の遠因になったのは事実でしょう。
歩篤や呂岱、全宗なんかが魯王と結託していたというのは本当なのだろうか?
165 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 12:21:35 0
歩篤はまずいだろ。
166 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 16:38:02 0
167 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 22:51:11 0
>>161 でも出師の表での劉備との思い出話(三顧の礼ね)
はなんかきれい過ぎて作り話っぽく思うのだが。
流れ無視で悪いが。
168 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 22:58:04 0
歩隲
169 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 23:52:05 0
三国時代の魏と、戦国時代の魏は、何か関係がありますか?
関係ない。
封地(若しくは根拠地)の地域名から
王朝の呼称が決まる(例外も有り)
171 :
170:2006/05/21(日) 02:26:55 O
強いて言えば、
魏の武帝は戦国時代の
魏の能臣である西門豹に
敬服していた。
彼は文侯に仕え、黄河の開発などに治積を上げた。
マイナーだが文侯は
中国史の中でも出色の名君だと思う。
スレ違いスマソ
大相国寺って、魏のなんかの人の館がもとになってるんだよね、確か。
そんな辺境の人間なんか知らないほうが一般的だろ。
↑別のだれかと間違えてるぽ
176 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 17:59:26 0
>>173 一度使った作戦が再び通用しないのは常識。
>176 でも韓信のかまどのこともあるし、一概にそうとも言えないものでしょ。
ただ、模倣と猿真似では違うから通用もしないのだろうが(決して魏延が猿真似と言ってるわけじゃないので、勘違いなきよう。一般論です)。
>>173は韓信には無知ではないにせよ軍事には無知
179 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 19:42:42 0
魏の長安の守備はそんなに脆くなかっただろ。
おそらく秘密裏に進軍しても途中で発見され援軍が来てしまうし、長安が籠城策
にでられると打つ手がなくなる。相手が簡単に開城してくれることが前提の策は
は無謀というか成功の可能性が極めて低い。籠城されてしまうと、城内に多数の
内通者がいない限りは1万程度の兵で攻め落とすのは不可能。攻城戦は非常に難
しいのは軍事的常識。
韓信のかまど
ってなんだっけ?
181 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 20:37:05 0
>>180 退却する度にかまどの数を減らして、敵に「しんがりの兵が少ないな」と
油断させた逸話。元ネタは韓信じゃなくて孫ビン(脚切りされた方)
韓信の竈って初耳だぞ。
>>177は演義で武侯が用いた計と
混同してないか?
俺が寡耳なだけかもしれないが…
木罌の筏で渡河し、備えの薄い
安邑を急襲した計は知っているけどさ。
いや、すまん。 ただの勘違いだった。 諸葛亮のかまどだね。
諸葛亮は
>>181の逆をやったんだっけか?
かまどを増やして敵に兵が沢山いると思い込ませて、追撃を受けずに撤退したって言うやつ。
魏軍の慎重さもさることながら、諸葛亮も凄まじいものだよね。
普通、追撃くらって必死で逃げるもんでしょ。それを悠々と…
諸葛亮は撤退戦上手いからな
張コウも撤退戦で餌食にしてるし
なんで諸葛亮の竈ネタが演義だって事に
>>182以外誰もつっこまないんだろう
書かれている事を確認するのは楽だけど、
書かれていない事を確認するのは面倒だからってことかな?
189 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:06:26 0
諸葛亮は野戦は強かったみたいだな。
231年の北伐では司馬懿と張コウが蜀軍を攻撃したけど、成功しなかった
のは王平伝や諸葛亮伝の注釈でも明らか。撤退戦での張コウの戦死や司馬懿
が野戦を避けたところを見ると、兵力で劣っていたけど野戦は強かったとい
うのが真実のようだ。相手の裏をかくような才はないけど、ガチンコ勝負は
強かった。陳寿の応変の軍略云々というのは、軍事的才能が全く無いという
意味ではないんだよね。
190 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:21:51 0
後に燕軍十五万を四万の寡兵で破った司馬懿が正面からの戦闘を避けたから
諸葛亮(或いは蜀軍)の強さは本物と見ていいかも。
191 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:54:53 0
>190
叛乱相手で放置できんからな、公孫氏は。少々無理しても潰しにかかる。魏側が遠征する立場だから、速戦・速決。
蜀漢が相手場合、要地を守って、お帰り頂くのを待つ、っての基本だからね。
一概に蜀漢軍や諸葛亮が強かった、って比喩には使えんと思うよ。
諸葛武侯は将帥としてより、為政者として尊敬できる。
彼に比肩できる人傑といったら耶律楚材ぐらいしか
思い浮かばん。
193 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 21:02:07 0
鍾会の野望265が発売されないかな・・・
194 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 21:03:11 0
263だった・・・
軍政どちらにも重きを為した人って割りといるけど、諸葛亮のようなドラマ性が少ない。
たとえば、後梁の敬翔なんかも、立場的には諸葛亮と似てるけど、二代目皇帝には遠ざけられてしまったし。
劉禅や蜀臣の、諸葛亮に対する信頼は相当なものだよ。
196 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 22:04:32 0
>>190 司馬懿が諸葛亮の陣跡を見て「奇才なり」と言ったのは政治について褒めたのではなく、
軍事的才能を褒めたと素直に解釈すべきだな。司馬懿が褒めたくらいだからやはり強かった
のだろう。ただ演義みたいのことは無かったけどね。
>>192 杉山正明の「耶律楚材とその時代」読んでから来なさいね。
田中芳樹の愛読者さんw
192が田中好きというのは同意だが、その本自体が・・・
たんなる楚材アンチというきがするなぁ。
三国志と話がずれるが、楚材の本質は華北の漢人世侯以外の支配地域の徴税担当官。
元史の占い云々やチンギスの「天から賜った人」は胡散臭い。
事実上、蜀漢の独裁執政だった諸葛亮とは立場も思想も異なる。
杉山氏は中華政権にもひたすらアンチだからなぁ。
かなり注意して読まないと杉山節に踊らされてしまう。と、最近の著書を読んで激しく思った。
ちなみに、耶律楚材をひいきしてるのは田中芳樹ではなく陳センセじゃないか?
田中芳樹は陳舜臣氏の弟子みたいな物だからな。
小説の楚材は面白く読めたが、明らかにフィクションの要素が多すぎる。
あれを史料として見たら、それこそ杉山派に笑われる。
>田中芳樹は陳舜臣氏の弟子みたいな物
違うぞ
小説を史料と思う人もいないと思うが…
まぁ、言ってることは正しいね。
でも、田中芳樹は陳センセの弟子みたいなもんなの? 擦り寄ってはいるけど…
「中国名将の条件」という対談集出している。
中国では孔明より岳飛の方が人気高いと賛同しあっていた。
205 :
192:2006/05/22(月) 22:49:12 O
誤解を解く為に言わせて貰うが、
件の氏の本は読んだことも無い。
読みたいとも思わんし。
耶律楚材を持ち出したことが
諸兄の癪に触ったなら謝る。スマンカッタ
しかし両者ともに、気節の高い
哲人政治家であったと思うんだ。
>中国では孔明より岳飛の方が人気高いと賛同しあっていた。
これは事実だろ。地域によっては異なるのかしらんが、
趙匡胤もお忘れなく!
208 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 23:11:33 0
岳飛は関羽の足下にも及ばない訳だが・・・
関羽というか、関帝ね。インフレの極致だねあれは。
元々は項羽だったとか言う話もあるけど。
諸葛謹が大将軍、陸遜が丞相。
2人がこのポストについた理由って明確に書かれてたっけ?
俺のイメージだと逆なんだよね・・・
212 :
世界@名無史さん:2006/05/23(火) 20:04:39 0
>>211 地位が丞相>大将軍だから、功績から陸遜が丞相、諸葛謹が大将軍になったのだろう。
丞相が軍隊を率いて遠征したり、大将軍が政治を仕切ったりと役職名と実務はこの当時は
一致しないし、当時の人も疑問にも思わなかったのだろう。
>>211 大将軍を武官の最高位程度に考えていると誤解しやすい。
214 :
世界@名無史さん:2006/05/23(火) 22:02:31 0
>>213 大司馬>大将軍>大尉だっけ?
蒋苑は、尚書令→大将軍→大司馬だった。
蜀では、丞相>大司馬>大将軍だったと思われる。
ただ、丞相と大司馬は同時には存在しなかった。大司馬と大将軍とが同時にいた時代
もあるし、右大将軍というものが姜維の時代の存在した。
不等記号でくくれるもんじゃなくて、役職の違いだろ
216 :
世界@名無史さん:2006/05/23(火) 22:28:51 0
自分としては、孔明もいいですがハンニバルのほうが魅力的で
すね。孔明は、中国流の白髪三千丈でどこまでアテになるか知
れたものではないですから。「南京30万人」というのも中国流
の最たるものですね
よそでやれ。
ちゃんと史料に基づいてないと
空虚な議論になるよね。
『三国志』のどこの記述が出所なのかを明記してくれ
くれぐれも『三国志演義』はやめてくれな
>>214 右大将軍は右将軍に大がついただけだぞ
征西大将軍なんかと同じ
>>214 大司馬、大将軍は基本的に位階以外は差異は無し。(太尉は名誉職的意味合いが強い)
>>213の言い分は大将軍が尚書を兼任すると最高権力者になるため
単純に武官と捉えることが出来ないと言うことだと思う。
>>221 漢書、後漢書、三国志を読もう…と言いたいが
大将軍…武官の最高位で開府の権限有り
尚書(録尚書事)…皇帝への上奏、詔を取り仕切る
尚書だけなら大将軍の軍事力に敗れることもあるだろうし、
軍事力だけなら皇帝の一声で誅殺もあり得る。
両者の権力を併せ持ったなら…
って事で霍光、以来の王莽なども大将軍と尚書を握って無敵の権勢をふるえた
…
……
筈だった。桓帝の頃までは
跋扈将軍梁冀頃、外戚の暴虐に悩む皇帝にとって救世主が現れるw
みんなのヒーロー宦官!
つーわけで皇帝に後宮で直接侍っている宦官によって梁氏は排斥された。
まあ、その後も何進は大将軍、録尚書事だったし、
蜀の権力者、蒋エンや費イも大将軍、録尚書事だった。
諸葛亮なんか丞相として尚書を担当し、
なおかつ張飛の死後、司隷校尉(秘密警察のトップ的役職)も兼ねた。
224 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 19:34:38 0
この時代の諸葛亮は本当に別格だよ。
皇帝の信頼も厚く、下からの人望も厚い。司馬懿や陸遜でも及ばないだろう。
最近このスレ孔明人気すごいな
>秘密警察のトップ
秘密はいらないと思う
227 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 20:01:37 0
日本猪が許可もなく歴史を討論するな。お前たちに
歴史を語る許しはない
さて、日本語の不自由な方がいらっしゃいましたよ
歴史を論じるにも許可が要るとはな。
さすが中共クオリティ!
中国は演義での認識がほとんどで、正史を読み解く動きは日本の方が進んでいるという話を聞いたことがある
史学科とかじゃなく、あくまで三国志ファンでの話だけども
いや、それは5年くらい前の話だと思う。
そのころは中国語サイト見てもろくな代物がなかった(光栄の武将ファイルのコピペとか)。
しかし中国でも無双シリーズなどが人気になると、正史ベースで語るやつが増えた。
今では日本人と中国人の三国志知識はほぼとんとんって感じだと思う。
ただ正史にも載ってないマニアックネタは中国人の方が詳しかったりする。
ちなみに、こっちで中国人が演義しか知らないと思ってるのと同じように、
あっちでも日本人が演義しか知らないと思ってる中国人が多い。よく見かけるよ。
いずれにしろ、一般人にとっては
「三国志=演義」だからなぁ。
正史に目を通さずに、満足してしまう手合いが多いのが現実。
読んで見ると「演義」以上に面白いんだけどなぁ
(演義読了という前提が必要かも)。
234 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 22:43:51 0
>しかし中国でも無双シリーズなどが人気になると
そーなんだ^^中国でもPS2が普及してるんだ意外だった
>ただ正史にも載ってないマニアックネタは中国人の方が詳しかったりする
詳細キボンヌ
>>231 なるほど、確かに旧聞だからそれから変わってるだろうとは思ったけど。
お互いに正史志向のあるファンはマイナーな存在だから、存在を知らないってだけなのかも知れませんね。
h取れてなかったな。許せw
無双以降陸遜が男前というイメージ強いのがちょっとなぁ〜
今まで読んだ本は小さくて太いイメージがあったんだが、どんどん壊れていく
239 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 01:10:46 0
三国志関連の一般書で面白い本ある?
240 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 10:39:20 0
陸遜の体型や容姿に関する記述は正史にあったけ?
周喩が結構当時としては美男子だったとか、諸葛亮が身の丈八尺あったという
話しはあったけど。
>>238 光栄三国志の時点で色男扱いだったような。
若造扱いされてるからしょうがないのかもな。
でも趙雲が男前ってのは意味わからんと思ってる。
242 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 11:00:18 0
>>241 趙雲別伝には身の丈8尺、顔姿が立派だったという記述があるからその為だと
思う。
>>240 演義では「身長八尺,面如美玉」と表現されているが
正史では容姿に関する記述は無い。
英雄は美形というのが、全世界の共通事項だから。
245 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 19:17:46 0
諸葛亮・司馬懿・陸遜の三人は比較的同じ年代の生まれなんだよな。
この3人が三国にそれぞれ別れて活躍したのが面白い。
諸葛亮と陸遜の子孫は司馬懿の子孫(晋)に仕えている。
結果的にはその三傑では司馬懿が勝者。
司馬懿と陸遜が合肥辺りで合戦したら、どちらが勝つだろう?
247 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 20:12:29 0
>>246 後世の人気・尊敬度では圧倒的諸葛亮の勝利でしょ。
個人レベルでの勝者はやはり諸葛亮かな。
司馬懿と陸遜が戦っても決定的な勝敗はつかないでしょう。諸葛亮と司馬懿
との対戦みたいな感じで終わると思う。力量が拮抗していると、余程戦力に差
が無い限りは決定的な勝敗はつかない。
持久戦に陥って、互いに流言飛語の計略を仕掛けて
主君が猜疑心持って首都に召還された方が負け。
多分こうなると思う>司馬懿VS陸遜
249 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 20:36:38 0
>>248 晩年の孫権が主君ならそう言う計略は成功するかもね。
特に淮南全土を司馬懿が取ったら、その功績はでかすぎる。
疑心にかられるというより、君側でそれを妬むやからも出現する可能性が。
世界史板とは思えない流れ
オゴタイ、ジュチらに較べれば、支那の将なんか屁みたい
なものでしょ。
そういう比較は安易にはできないって。
たまたま中華政権がガタガタだっただけじゃない。そうでないとき、北のやつらが攻めてきても対処できたし。
モンゴルは瞬間的に強かっただけ。
明の崇禎年間には諸葛亮の子孫は、36代目。
諸葛羲と諸葛倬が『諸葛孔明全集』を編纂している
戦略で世界史でもトップ級といえばハンニバル。捏造シナ史
の孔明など滓w
オゴダイ、ジュチって優れた将か?ジェベ、スブタイ、バヤン辺りが最強。
実際、諸葛亮ってどんなもんだったんだろうね
マンセーが過ぎたり、その反動が強すぎたりでどうも正確な評価が成されてないような
説話・物語化されすぎて、
史料上でも伝説と実際が区別できなくなっているのが
そもそもの原因かと。
正確な評価のためには正確な史料が必要だろう。
まぁ、司馬懿と比べてどうとか言うよりも、補給もままならないような敵地に入って退却はしたけど、大敗もなく、しかも5度も繰り返したというのは、それなりに優れていないとできないことだと思うよ。
司馬懿や魏の司令官たちが、より優れていたなら、自領に入り込んだ敵の補給路を断って包囲殲滅。
あるいは退却する敵を追撃して潰走させるのが常套であり、よく見られる事例だけど、諸葛亮は敵の追撃を喰らっても逆に敵を討ち取ってるところを見ても、隙を見せない用兵に長けていたのでしょう。
詐術や奇計を多用する小策士ではなく、指揮統率や運用といった将に足る才覚をもった人物であろうと思われます。
ただ、どこの場所、どこの地形でも通用するような将であったかは未知数。
南船北馬というけど、ときおり騎馬戦術に優れて、さらに水戦もこなす、といったすごいのが現れたりするしね。
260 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 18:21:14 0
261 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 18:25:45 0
>>259 張郃なんて知勇兼備の名将だが追撃戦で討ち取られたからな。
撤退前の戦闘でも、司馬懿が諸葛亮の陣営を、張郃が王平の陣を攻撃したけど、
撃退したみたいだし。『漢晋春秋』ではその時の戦闘で魏は戦死者3000人
を出したと書かれている。司馬懿は単に持久戦なら勝てるというだけでなく、
野戦で勝負はかなり危険と思っていただろう。
張静が誰か分からない件について
諸葛亮自身、「陣幕の中で作戦を立てるのは劉巴に及ばない。会戦に臨み配下の者を奮い立たせることに関してならそれなりに自信はあるが」と言ってるからな。
戦闘指揮に関しては、どんな根拠に基づいたものかは知らないが、自信があったのだろうな。
265 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 19:41:43 0
>>264 劉巴が作戦参謀として活躍したという記述が無いのがミソだな。
>南船北馬というけど
使い方を間違っている様に見えるのは俺だけか?
どっちかってと能吏? >劉巴。
訳本持ってないからよくわからんけど。
>266 いや、言いたかったことは
騎馬戦術に優れた人でも、水戦になると手も足も出なくなるが、そうでない人がたまにいるから、諸葛亮がそうであったかはわからない
なのだ。 紛らわしくてすまぬ。
>>268 中国史では馬援、李靖、徐達くらいじゃないの、そんなスーパーマン
私が他に知らないだけかもしれないですけど
バヤンはどうだったっけ?
270 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 20:29:46 0
イヤンバヤンウフフン
>269 実は趙匡胤も南船北馬にはあてはまってない名将。
名将って捏造史のデッチあげじゃん
273 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 22:21:29 0
田中芳樹の「中国武将列伝」の影響受けている香具師が沢山いるな此処は。
【南船北馬】
意味‐@全国を忙しく旅行する事。また、絶えずせわしない事。
A「南船」、「北馬」はそれぞれ交通手段。南は川が多く、北は山が多く、
交通手段を絶えず利用する事から頻繁に旅をする意。
275 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 22:36:35 0
三国志でいう水上戦は長江上での水上戦で、海戦とは違う。
蜀の立場なら対魏戦では水上戦はあまり発生せず、対呉戦でも陸上軍との
共同作戦。どちらかちいうと陸上軍の方がウエートが高いでしょう。劉備
が陸遜に負けた戦いも、水軍のみの戦闘ではなかった。
疑問に思うのだが、赤壁の戦いの時に荊州南部から陸上で呉に侵攻はできな
かったのだろうか?
264-275
ちゃんと正史の記述にもとづけよ。
正史のスレなんだろ?
>>276 264はたしか裴松之が註に引いたものだからいいんじゃね?
Wikiで虞翻は酒を嗜まなかったとあるが、
これは顧雍の逸話じゃなかったか?
280 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 05:59:53 0
趙匡胤は北伐のとき、おもいっきり軍船団を指揮しましたが、なにか。
282 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 07:58:03 O
江東の周泰の怪我を治した華陀って人は実在の人物ですか?正史には書かれているのかな?
華佗は実在の人物で正史にも立伝されてるけど、
周泰を治療したってのは羅貫中のアレンジだよ。
陳登(元龍)を治療したのは本当
>273 田中芳樹の小説は好きなんだが、影響受けてるヤツがどれなのかわからん。
どれのこと言ってるんだ?
286 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 21:57:26 0
>>264 蜀の将軍達も諸葛亮に従っていたところを見ると、作戦計画や指揮の面でも
かなりの力量でしょう。魏延も不満はあったけど、諸葛亮が生存中は逆らう
ことは無かったし。全軍を掌握していたのは間違いない。楊義の指揮で撤退
することになって初めて魏延は反抗して指揮権を争った。ある意味、魏延も
楊義も諸葛亮がいて初めて能力が発揮できた人間。諸葛亮がいなければ、有
能でも高慢で使いづらく、いずれは始末される人間だった。
独裁者の諸葛亮に反抗したら命が危ないお。
可愛がってた馬謖を斬るような非情なお人だし。
288 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 22:45:02 0
>>287 軍令違反は処刑の対象なのは普通だが。
むしろ依怙贔屓しないで処刑したかこそ信頼されたと思うのだが。
289 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 23:45:27 0
魏延も楊義もナンバー2と3だろ。
そういう人材しか育てなかった諸葛が悪い。
wikiネタで思い出した。
陸凱の記事に於いても、明らかに陸積の故事との
混同があるな。
袁術の宴席から、陸積が母の為に
柑子を持ち帰った件。
人材を育てるとかゲーム脳全開ですね
292 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 05:38:06 0
>>291 蔣琬・費禕それなりに跡を継いだのにな。
アンチはいつも諸葛亮の人事ミスのみをもって貶める。
ほかに欠点らしい欠点がないほうがすごいことに気がつかないのかね。
あれ? なんかずっと名前が固定してるな。今頃気がついたよ…
295 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 12:10:35 0
蔣琬・費禕は軍事面では楊儀以下って事じゃないの?
まあ、年功序列だったのかも知れんが・・・
ぶっちゃけ蜀より劉璋政権のが人材は豊富な印象さえ
受ける。諸葛の人事はやっぱ問題あったんじゃない?
ところで曹操と荀彧って仲良かったの?
>>295 楊儀は言ってみれば有能な番頭はんであっても跡継ぎの器ではなかった。
そういうことだと思う。
298 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 17:59:41 0
>>295 費禕は244年の曹爽の侵攻を撤退に追い込んでいるから軍事面でも悪くないよ。
軍隊の指揮をしたことがないのは楊儀。楊儀はあくもでも物資調達がお仕事。遠征が
無ければ仕事も無くなる。
蔣琬・費禕は才能は諸葛亮には及ばないけど、しっかり国を治めている。二人も後継者
に選んだのは諸葛亮。国を安泰に納める人材を残したのは人事の成功以外のなにものでも
ない。劉璋は人材がいても使えなかった。全くの問題外。
299 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 18:50:20 0
曹爽の侵攻・・・ってビミョー
300 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 18:54:51 0
曹爽の侵攻は補給が続かなくなって勝手に撤退したものであって
費禕の功績に挙げるのは如何なものかと。
それと244年の蜀の執政は蒋琬。
楊儀は魏延に刀ちらつかせれて泣いたり、陰で悪口叩いてる小心者がトップに立つと後が大変だと思う。
根本的に蔣琬・費禕は優れた人物だと思う。
孔明死後蔣琬は呉の不穏な動きを抑え、曹爽も費禕が来たと知って撤退してるし。
本人たちは孔明より劣ってるといってるが民衆にしたら、蔣琬・費禕の時代の方が幸せだったかもしれない。
孔明のころより大した戦争がない安定した生活してるし。
後スレ違いだけど今度三国志の京劇見に行くことになったんだけど、中国検定3級程度じゃほとんど話し聞き取れないかな?
一応字幕がでるらしんだけど・・・
諸葛亮が追撃してきた張コウらを伏兵で戦死させてるけど、
あれって諸葛亮の才というより劉備軍の得意戦術な気がする。
夏侯惇とか破った時も伏兵だったよな?
実戦指揮官たちに代々受け継がれてたりしてな。
「漢」の後継を自称した蜀漢は孔明時代は北伐でその正統性を強調したが
孔明死後の蔣琬・費禕の時代は従来の方針を転換させて、
蜀を漢王朝の後継者ではなく、単なる一地方政権として定着させた。
要するにイデオロギーの放棄・現実主義と見るべきか。
304 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 19:28:01 0
>>300 曹爽の侵攻軍に対する援軍の総司令官は費禕。
これは蜀志費禕伝でも明らか。蔣琬の働きは何も記載されていない。
305 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 19:30:17 O
孔明の容姿について、正史によると、顔は白玉のごとくって、、、色白のちょいぽっちゃりって感じだったのだろうか!?
306 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 20:09:33 0
>>304 功績の第一は王平・劉敏の前線コンビだと思う。
軍事面においては費禕の功績に帰す部分は少ないと思う。
蔣琬が駐屯してるのは涪?漢中?
ちくまの訳文はちょっと時間軸が間違ってる気がする。
308 :
307:2006/05/29(月) 21:51:30 0
自己解決。
駱谷の役時には涪にちょうど下がったばかりのころみたいだな。
309 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 22:41:00 0
蔣琬・費禕は名将ではないけど、軍事の素人でもないというのが本当じゃない?
軍事知識もあったし、軍隊の統治も出来た。ただ、蔣琬は北伐の意志が強かったが、
費禕は北伐に否定的という感じだったと思う。蔣琬・費禕の姜維に対するスタンス
が考え方を良く表している。
310 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 22:53:34 0
しょせん、日本人の中国史知識は三国志がせいぜいだ。
日本人は謙虚で中国学べ
312 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 23:52:45 0
お前ら、当たり前のようにユニコード使うな。
従来の[广龍]とかよりは見苦しくないからね。
随時登録していってるよ。
314 :
世界@名無史さん:2006/05/30(火) 10:27:33 0
蔣琬は対魏戦には積極的だったような気がするが。
確か作戦計画に多くの人が反対したのと、自分自身の病気で実現できなかった。
自分が病気で実行できないので、姜維を涼州刺使して北伐をさせようとしたはず。
姜維は諸葛亮の影響よりも、蔣琬の影響で北伐に積極的だったような気がする。
流れを切って悪いが、三戦板のスレでレスしててちょっと気になったもんで質問です。
長沙郡・桂陽郡出身の人材って誰かいますか?
零陵郡・武陵郡出身の人はいるんですが長沙・桂陽両郡出身者が見つかりません。
どなたか知ってる人がいらっしゃったら、お教えください。
また1回目の荊州争奪戦の和議で零陵・武陵郡は劉備側に、長沙・桂陽郡は孫権側に分割されましたが、
上の事実を知るに及んで必ずしも劉備側に不利だったとは言えないのではないかという気もします。
もちろん、もともとは四郡とも所持していたわけですから損は損なのでしょうが、
孫権に長沙・零陵・桂陽郡を切り取られてしまったわけですから文句は言えないところ。
この時の和議は双方にとって当時の時点においてはそれ以上高望みの出来ないという点で最上のものだったのではないでしょうか?
>>315 「三国志」「後漢書」「晋書」を洗ってみたけど、後漢末から三国時代にかけて
桂陽郡から目立った人物は出ていない。
長沙郡からは、曹操に仕えた桓階、劉備の養子となった劉封が所見できた。
>>316 早速のレスありがとう。
劉封が長沙か。見落としてたわ。
魏書も当りをつけてピンポイントでしか調べなかったので見落としがまだありそうだ。
それはそれとして名のある人物が出てないということは桂陽郡は、ゲーム的発想で恐縮だが、人材的には不毛の地でFAといってよいのだろうか?
ところで劉封は元は寇氏だから長沙の劉氏は母方とかになるのかな?
また羅侯の羅ってどの辺だろう?
湖南は長沙と武陵が主な都市となるから、割譲の条件として両郡で分割するのは、なんとなく理解できると思う。
しかしより重要だったのは長沙でしょう。(五代には潭州長沙府が置かれ湖南一帯の州都になってる)
で、言われると、長沙・桂陽にはこれといった人材がいないように思えるけど、より詳しい人のレスを待ちましょうか。
人材がいなかったんじゃなくて出身地閥の問題だと思う。
荊州の人口は揚州に比べて少なくはないのに、
荊州出身者で出世したのは潘濬・張悌など数えるほどしかいない。
桂陽といえば谷朗がいるけど、せいぜい太守どまりだ。
羅は長沙郡では北寄りで巴丘山とか洞庭湖の近くにあったらしい。
320 :
世界@名無史さん:2006/05/30(火) 19:47:35 O
司馬懿と諸葛亮どちらが才が優れてるか?やはり司馬懿だろうな!
>>320 お前は質問がしたいのか会話がしたいのか
ただ壁に向って独り言が言いたいのか。
>>319 呉は思ったより荊州の人材の影が薄いね。
蜀は末期に至ってもほぼ半数が荊州系って感じなのに。
蜀漢の地閥でいえば諸葛亮が荊州閥の領袖という感じなのかな?
もうこうなったら、
>>320でアンケートやるしかないな。
で、同じ事言う奴が来たら、そこのリンク貼る。
325 :
世界@名無史さん:2006/05/30(火) 22:40:31 0
>>324 野戦指揮 諸葛亮>司馬懿
策略 司馬懿>諸葛亮
政治 諸葛亮>司馬懿
軍隊統治 諸葛亮>司馬懿
後世の人気 諸葛亮>司馬懿
成功度 司馬懿>諸葛亮
尊敬度 諸葛亮>司馬懿
忠誠度 諸葛亮>司馬懿
成功度って、司馬懿が専横を振るったってこと言ってるのかな?
だとしたら、諸葛亮は先帝と今上帝の信頼によって、すでにそれに相当する地位にいたわけだが…
327 :
世界@名無史さん:2006/05/30(火) 23:08:22 0
政治 中国>日本
尊敬度 中国>日本
軍隊 中国>日本
将来性 中国>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>日本
このスレで最近孔明好きふえたな。
緒葛亮ネタ飽きた
諸葛亮ネタっていうより、どっちがえらいネタだよな。
そんなのお前の脳内だけでやってろって思うわ。
厨房はバカだからそれができないんだよ。
史実ネタを持ち出しての話とかなら面白そうだが、
なんか私怨ネタが多そうでつまらなさそう。
333 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 07:41:19 0
正史スレなんだから正史の記述に基づいて
話しろや
>332 文句を言うなぁ。 なら史実で反論しろや
ゆとり世代増えたな
まあどうせ天下は司馬氏のものになるんだし。
ネタバレすんなヽ(`Д´)ノ
>>337 ネタバレって、おまwww
1500年以上前からwww
いかにも「三戦板から来ました」って人がいる様に思えるんですが
じぶんは、三戦からきましたよ。 ここの存在知らんかったし。
ちなみに諸葛亮正当評価組(と思ってる)です。
343 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 22:06:07 0
まあ、正史三国志の諸葛亮伝を読めば、陳寿が如何に諸葛亮を敬愛していたか
わかるよ。丁度三国が統一されてそんなに経過していない時期でさえも、諸葛亮
が如何に尊敬されたかも。晋の司馬炎が諸葛亮集を編纂させていることからも、
祖父と戦った諸葛亮を尊敬し、人臣の模範としていたかがわかる。当時や後世で
尊敬されるということに関しては曹操も司馬懿も諸葛亮には及ばない。
344 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 22:06:57 0
自演乙です。
>>342 まだまだ漢文の勉強しはじめなんで、偉そうなこと言えませんが。
三国志だけじゃなくて、26史を購入だけはしましたけどね… 猫に小判状態
正直言うと、専門は五代史です。あんまりいじめないでください。
>>345 本職予備軍or学卒さんか。
こころみに問うが、「中世」をどう考える?
347 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 22:30:44 O
忠義の臣の孔明 簒奪者の仲達
348 :
342:2006/05/31(水) 23:05:09 O
>>345 不覚にも胸キュンしてしまったw
冗談はともかく、先ずは正史を
読まれることをお勧めしますよ。
>>345 いや、まったくの素人、単なる趣味人です。
で、「中世」というお題ですが、唐〜五代〜宋あたりを概観する本などをちょっと読んだりしていますが
なにぶん、もともと不勉強なもので、期待通りの答えは無理でしょう。
なので、自分の思うことだけを述べてみます。
中世と言われれば、まっさきに思い浮かべるのが隋唐の絢爛な貴族社会。
門地、出身地による閥によって、中央政界が支配されている世界。
封建的に皇室・功臣には領地が与えられますが、これは名目的なことが多いようです。
それより均田制に代表される国有地の貸し与えによる農奴化、これにみられる被支配層と支配層との隔離と言う点で、開明的でないのが中世かな、と感じたりしています。
それに対して、唐末五代の戦乱で内地節度使の設置により、唐朝廷の貴族支配ではなく、武力がものを言う武人支配となり、唐朝廷の貴族たちはほとんどが一掃されてしまいました。
五代全般では、自分の家を格付けするために、没落貴族から家系図を買収して、それにもぐりこむことが盛んでしたが、宋代になるとその必要性はずいぶん薄まってきました。
科挙による大幅な登用がなされたからです。
勉強さえすれば門地や家柄など問われなくても官僚になれる、という時代なので、その点で開明的かなと。
実際には、江南閥や華北閥などという考えで、南方出身者を軽視する傾向はあったようですが。
あと土地的なことで言うと、国有地の貸付が、その国有地を得た地主からの小作人を雇うといったものに変わり、制度的(税収的に)奴隷とは異なるようになりました。
それも結局、地主の立場が強すぎて小作人たちは地主から奴隷視されてはいたようです。
ちょっと違いを述べるだけで、明確なものが見えていません。
できれば、ご教示ねがいたいのですが。
魏晋も中世に分類されてますし、そうスレ違いでもないと思いますので。
国内で原文買うと結構値段がはるんだよなぁ
351 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 00:02:41 0
京都学派は唐まで古代
東京学派は魏晋から中世、だっけ?
ぶっちゃけ時代区分って西洋史のものだから、東洋に当てはめるのは馬鹿馬鹿しいだけだとオモ
352 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 00:20:28 0
>>351 でも、ちょっと前までみんなくそ真面目に論争してたんだから、お笑いだよねw
353 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 00:22:27 O
354 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 00:54:58 0
355 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 03:07:35 0
中華書局のやつなら20万はしないだろ。(史記〜清史稿)
経書や資治通鑑や基本的な工具書を含めたって素人でも買い揃えられる金額。
もっとも俺は自分の専門分野のしか買わなかったが。
ネット(&通販)のおかげで、金無くて院を諦めた俺も趣味でなら再挑戦できる。
良い時代になったと思う。
>>355 禿同
こと学問に関して、今程開かれてる世はないな。
牀に横たわり読む古典のなんと素晴らしきか。
呵呵
横になりながら本読むと視力落ちるっていうけど、
パソコンもやりまくってるから自分では確認できない
358 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 00:47:51 0
三国志の遺跡巡り行って来た。
結構疲れたよ
>>357 落ち着いたら板違いにならぬ程度に
レポよろ。
中華街の関帝廟詣でというオチは無しで。
360 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 06:52:02 0
中華街の関帝廟詣でというオチですが、何か?
それ三国志の遺跡じゃないじゃん
三戦版では諸葛亮か法正か? という不毛な論争していてほほえましい。
法正より戦争が下手というけど、それは置いといて。
諸葛亮が北伐するとき、魏国内の漢王朝復興世論を喚起する狙いがあった、という話は真偽どういったものなのでしょう。
365 :
世界@名無史さん:2006/06/03(土) 20:12:02 0
>>364 法正は策謀に通じていたけど、軍隊指揮に長じていたわけではない。
あくまでも劉備がいて進言した意見を劉備が将軍達に指示を出してはじめて成功する。
法正が曹操みたいな戦上手というのとは違う。諸葛亮は兵数で劣勢でも司馬懿と互角に
戦い、張郃を討ち取っている。軍隊の指揮は決して諸葛亮は下手ではない。ただ法正
みたいな参謀役ではなかった。三国志演義は諸葛亮を軍師として描いてしまったとこ
ろに色々な誤解を生じさせてしまった。
「軍師」というポストが好きみたいですね、中国のお話は。
関係ないけど、「残唐五代演義伝」では陣頭の名将・周徳威を「軍師」と書いていて吹いた。
たしかに、作戦立案に秀でてはいますが、プラス実行力プラス個人武勇もあるので、軍師ではないかと。
でも、軍師というモノにはナンバー2みたいな意味合いがあるのでしょうね。
三国演義の諸葛亮は軍師ってか神仙臭いよな。酒見賢一の説だが。
いや、そもそも軍師って職業が神仙臭いのかも知れんが。この辺は実は中国人の
世界観の一端をあらわしているのやもしれん。
>>365 独特の改行が目立つけど毎回同じ人?それはともかく
>あくまでも劉備がいて進言した意見を劉備が将軍達に指示を出してはじめて成功する。
戦場に劉備がいるんだからそうなるだろ。
孔明は丞相だし立場が違いすぎる。
>諸葛亮は兵数で劣勢でも司馬懿と互角に戦い、張郃を討ち取っている。軍隊の指揮は決して諸葛亮は下手ではない。
張郃討ち取ってるが、それまではまともに戦った形跡もないし。
張郃自体兵を進めるのを反対してたのを司馬懿が無理に追撃させたのも問題だし。
外亭の戦いで敗れた敬意もあるし。孔明は勝った戦も多いが、それ以上に負け戦が多い。
性格や内政に関しては孔明のほうが優れてると思うが、 軍事に関しては孔明が優れてるとも思えない。
法正が同時代に生きていた時孔明は軍事に関しては法正に任してるてんでも。
>独特
句点とか誤字つっこまれるぞw
最近、諸葛亮好きふえたな。
句点とかは確かにw。 でも批判するために書いたんじゃないよ。
ただ孔明を褒めるというかすごく称えてる人がいるから同じ人かなと?思って。
癇に触れてたらスマソ
志半ばに過労死した悲劇の英雄と言う事で日本では圧倒的人気だな孔明。
中国史の観点で見ると流寓軍閥弱小政権の一執政に過ぎないのだが。
372 :
世界@名無史さん:2006/06/03(土) 21:55:18 0
>>367 軍師というと張良のイメージが強すぎるのだろ。
孔明の負け戦か。 敗北と撤退は違うと主張したいところですが、違うのかな。
三国志演義が編纂された明初期では軍師と言うと朱元璋に仕えた
劉基が代表的イメージ。
天文を初めとした諸学問に秀でて、逼塞していたという点で一致している。
孔明(演義)の半分は劉基で出来ています
だいたい州や官名にしても、その時代か少し前のものが、平気で文中にありますから、なにかと参考にしたのでしょうね。
劉基の百戦奇略とか、学問チックなところも演義の諸葛亮と、似てるような気もしないではないですが。
といっても、宋代にしてすでに三国志などの戦乱軍記モノが広く語られてましたから、孔明=劉基そのまま、というわけでもないんでしょう。
唐代で既に「張飛の鬚を笑い、ケ艾のどもりを笑う」とあるから
この頃から講談や民間説話で伝わったのだろう。
378 :
世界@名無史さん:2006/06/03(土) 23:01:04 0
劉裕と諸葛長民の話もある品
劉伯温も小説の中で今のイメージが作られていき、
第一の功臣である李善長や徐達、常遇春を差し置いて有名になった。
よく言われることだけど、孔明も伯温も互いの脚色がパクられつつ
影響を与えあっていると思われる。
このスレで明代史の人名が出てくるとは
「世説新語」においてとう艾(漢字出ない)の吃音を
司馬昭がからかったとあるな。
382 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 12:54:35 0
>>373 撤退=負け戦なら、曹操だって結構あるだろう。赤壁では完敗だしね。
諸葛亮は大勝もないけど、大敗もないな。南征は成功だったし、北伐も大敗は
ないな。司馬懿も遼東戦以外は大勝はない。戦功なら諸葛亮、司馬懿よりも陸
遜だろう。陸遜は大小の戦争でほとんど負けが無いじゃない?
>>382 陸遜だって大して変わらんよ。
劉備の侵攻を完璧に防いだ功績はあれ、それ以外に相手の領土を大幅に切り取ったとかってないでしょ?
曹休をはめたのだってその後の展開があったように思えないしな。
あとは呂蒙と共同の荊州併合かな?
384 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 13:35:57 0
結局は呉も蜀も大きく魏領に侵攻する国力がないんだよね。
これは将軍の能力だけじゃどうにもならない。ここの戦闘で戦果を上げても
戦争には勝てないというかんじかな。
>382 そう。 曹操は初期の立ち上げの頃は結構戦上手なんだけど、大勢力になって他人に任せるようになると、負けがこんできてる。
淮南では防衛一本だし、荊州では結局江陵は取られ、漢中でも。
曹操のおかげで、二正面作戦でもやっていける国力をつくりあげられましたが、実際侵略戦争にはちょっと弱いところがあったのかな、と思います。
>ここの戦闘で戦果を上げても 戦争には勝てないというかんじかな。
だからこそ、諸葛亮は魏建国初期の、まだ漢王朝に忠誠のある知識人たちを、喚起する目算があったと思われるんです。
局地戦闘にいくら勝利しても、しょせんは魏の西部方面軍のみが相手だから、体勢が入れ替わる何かが必要だったはずです。
そういう話をどこかで見たのですが…
>>365 つか兵力で劣勢だったっけ?
辺鄙で補給もままならない西方にばっか出兵していたから、
両軍にそれほどの兵力差はなかったと聞いたことがあるけど。
>>372 指摘のあった劉基もそうだし、太公望とか、屍解仙して仙人になった張良とか、孔明とか
説話中の軍師キャラはキテルのが多いな。
388 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 15:57:49 0
>>386 陳寿は諸葛亮伝の『諸葛亮集』の件で兵数は対等でなかったと言っているな。
常識的に考えても魏の方が兵数で優勢だろう。
>>388 最後の北伐となった五丈原の戦いでは蜀軍十万
魏軍は三十万だった。
おそらくこれが当時の蜀漢が動員出来る最大限の兵力数。
390 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 20:58:59 0
>>389 野戦では、余程司令官能力・装備・兵士の練度に差がない限りは兵力差がそのまま勝敗に繋がる。
兵力差が3倍もあれば結果は明らか。これは現代戦でも同じ。231年の北伐、234年の北伐で
は兵力差は2〜3倍は魏側が優勢だっただろう。司馬懿が諸葛亮を「奇才なり」と言ったのは素直
に力量を褒めたものと推測できる。
指揮官能力・装備・兵の練度が同程度で城攻めをする場合は攻撃側は3倍以上の兵力を必要とする。
俗に言われる「攻者三倍の法則」だ。野戦では兵力差がそのまま勝敗になる。独ソ戦でドイツが優秀
な将兵が工夫して善戦しても結局は圧倒的ソ連軍の数の前に敗れ去った。諸葛亮が挑んだ戦争はかな
り不利の条件での戦いだったことが容易に推測される。しかも相手は曹真、司馬懿、張郃といった名
将。これで大敗しなかったのは軍事的な見地から見ると奇跡に近い。
でも対峙したままなにもせず変えるケース多いよな。
兵糧枯渇による撤退が第二次からの北伐の常道だったからね。
張郃の戦死は魏軍でも声望の高かった彼を消そうとした司馬懿の策略の
可能性も否定できない(まあ結果論だが)
張郃は文帝に人物を推薦してるあたり、司馬懿の癇に触った可能性もたかいよな。
諸葛亮が魏と戦って勝利したケース考えると大抵魏でも末端な人物と戦っときの勝利が多いというのもあるが・・・
当時の張郃は魏の第一世代の生き残りだから、その説、納得がいくな。
>>392 張郃は明帝の憶えの良かった人物ではあれど司馬懿に231年の時点で張郃排除を考える必然性はほとんどない気がするがな。
曹操軍最初の軍師は周〔日+禺〕だよね
>>396 黄巾賊討伐時の事か?その人物は知らないが、
最初の軍師は戯志才じゃなかったろうか…
軍師って参謀という意味じゃないよ。
またまともなスレ化している。
400 :
世界@名無史さん:2006/06/05(月) 05:52:49 0
>>395 知識人階級の司馬懿と武人の張郃では「越えられない壁」があるからな。
武功でもは断然張郃が上でも、文人で軍事的能力も高い司馬懿が簡単に上の
地位になってしまう。
当時の社会的地位は文人>軍人な上、張郃は降将だってことが大きいのでは。
創業者が生きているときはそれなりに厚遇されて軍を率いて東奔西走していたが(こき使われていたけとも言う)。
もっとも、司馬懿について孔明との戦に参加してたときはすでに老将もいいところだけどな。
このスレはレベルも高いし、進行も早い。
403 :
世界@名無史さん:2006/06/05(月) 21:07:05 0
>>402 劉基の名前が出るくらいだから、三国志(正史)を含んだ
中国通史を一通り学んでないと話題についていけないからな。
何この釣り発言
劉基なんかメジャーだろ。
406 :
世界@名無史:2006/06/05(月) 21:14:52 0
靖国で謝罪もできない日本人はまず常識を学べ馬鹿
407 :
世界@名無史さん:2006/06/05(月) 21:33:29 0
王瑒(徳l)
曹操が義兵をあげたってのは、どの時点の事をいうの?
黄巾討伐?董卓討伐?
黄巾討伐は官軍としての参加だから
董卓討伐が義兵に当たるんじゃないの?
410 :
世界@名無史さん:2006/06/05(月) 23:01:14 0
>>401 諸葛亮は軍司令官でもあったけど丞相。司馬懿も軍人である以上に政治家。
軍を統率するには軍事と政治に優れていなくていけなかったのだろう。張郃は
優れた軍人ではあったけど政治家ではなかった。だから全軍の司令官にはして
もらえなかった。姜維も優秀な軍人ではあったけど、政治家ではなかった。だ
から軍を動かすたびに民心が離れていった。しかも宮廷の腐敗に有効な対策も
立てられなかった。大規模な軍の統制は政治家・軍略の双方がなければできな
かったのだろう。
文官、武官の優位云々というよりも、名門司馬氏の子弟であり一族も官界で活躍する司馬懿と、
叩き上げの軍人である張郃じゃ、そもそも官界での影響力では勝負にならんような。
412 :
世界@名無史さん:2006/06/06(火) 06:20:14 0
>>411 加えて荀文若による推挙があったしな。
司馬懿自身の有能さも相俟って、官界の声価は並々ならぬものがあったんだろう。
>>400 ×知識人階級の司馬懿と武人の張コウ
○名門出身の司馬懿と平民からの叩き上げ軍人張コウ
同じ投降武将でも張郃と張遼じゃ扱いがちがいすぎるよなぁ。
魏の武将では結構好きかも。戦場では私情を挟まないというところが男らしい。
張遼はただの投降者じゃないからしょうがない
呂布軍閥の騎馬に関するノウハウを抑える為にもぞんざいな扱いはできん
張郃:韓馥→袁紹→曹操
張遼:丁原→何進→董卓→呂布→曹操
優秀さはもちろんだけど、軍勢を持参してきた将はかなり優遇されるね。張遼は「衆を率いて降」った。
張儁艾はどうだったんだろう。降った経緯からして二説あるけど。
張遼 : 配下を率いて投降。中郎将、関内候を賜られる。
張コウ : 身の危険を感じて?投降。偏将軍、都亭候に封じられる。
投降時点ではどちらが優遇だったのか、それは俺には分からない。
421 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 05:51:13 0
>>420 投降時点ではそれ程差はないでしょう。
投降後はどちらかというと張遼の方が信頼されていたように思う。対呉戦の
最前線を任せられていたし。そのころは張郃はそれ程ではない。張郃が重ん
じられるようになったのは、曹操以来の野戦将軍が世を去ってから。
422 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 08:25:44 O
魏がなぜあっけなく司馬氏に乗っ取られたのは何故?
関羽、張飛に比す とか張遼、甘寧に比すは、史書でもたまに見るけど、張郃はどうだろう。
>>422 曹叡の短命、司馬懿の長命とか
皇族があまり取り立てられなかったから皇帝が孤立からしたとか。
↓↓フォローお願い
曹爽が踏みとどまれていればまた別の状況になったかもしれない。
夏候楙についてはもう少し有能であればよかったか。
>>422 遡れば曹丕が「藩王を輔政にはしない」と定めていたようでもあり。
曹叡から曹芳の代替わりの際に曹爽以外の親族が政権中枢から駆逐され、
更に曹爽の一族も政変を起こした司馬懿に族滅させられてしまい、皇族を
輔政する親族が殆どいなくなる。
そうなると、曹丕と曹植の対立とかが関連してくるのか?
てこたー、そもそも曹操の時代に既に短命王朝であることは運命づけられていたのかな。
しかし、そのあとの晋のことを考えると
一概に悪いこととは、言えないな
>>420 投降した時点では張コウがやや優遇されているといえばいえなくもない。
ただしその後の格差が大きい。
(仮)節でいえば張遼が地方の司令官として合肥に駐屯する時期に対し、
張コウは夏侯淵が戦死した後。
将軍号でも、張コウが張飛と対峙した時期に昇る盪寇将軍も、張遼は河北が平定
された時期に就いていたもの。
于禁、楽進、徐晃を含めて、併伝されているといっても昇進の足並みが揃って
いるわけでもなく、速度にもばらつきがある。
おおよそ横一線に並ぶのは曹丕が王位に即いてから。
431 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 12:08:25 O
曹爽は大将軍、司馬懿は、太傅、なぜ魏の武将は逆賊仲達に付いたのだろうか?
唐の建中三年(782年)に古今名将六四名に列せられた三国志関連人物は、
皇甫嵩、張遼、関羽、周瑜、陸遜、羊コ、王濬、ケ艾、張飛、呂蒙、陸抗、杜預
これより前の上元元年(760年)に歴代の良将十哲として、
韓信や李靖、楽毅といったビッグネームとともに諸葛亮が挙げられてる。
ただ十哲の方には漢の張良が入ってたり、
名将六四名には越の范蠡や斉の管仲が入ってたりするので単なる武将としての評価ではなさそう。
また曹操や孫策といった群雄の名もない。
しかし、まだ正閏論の影響が強すぎる時代ではないので、
歴史上の評価として意味ある物と思う。
魏の人物は張遼とケ艾だけというのは寂しい限りだが、
歴史上では張コウより張遼の方が評価が上っぽいですね。
>432 こう言っちゃアレだけど、なんか田中芳樹のわけかたに類似するものが…
張遼はいても、甘寧はいないんだね。
張遼は合肥という派手な武功があるからな。
>>432 陸抗・羊祜・王濬・杜預と、晋呉戦争から4人も選ばれてるのが凄いな。
唐代じゃまだ、後漢末〜三国初並みに西晋初の人気があったんだろうかね。
>435 おかげで張遼大好きなわけですが。 列伝に「張遼、甘寧に比す」とあれば無条件で喜んでしまいますよ。
「関羽、張飛に比す」といわれるより、騎兵とか機動部隊を率いて強い、という先入観が…
438 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 14:42:50 O
遼来来!
440 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 16:41:03 O
>>437 「関羽、張飛に比す」だと北魏の揚大眼なんだが。
>>438 なんでわざわざ三戦板から出張してくるんですか?
>441 だけじゃなかったでしょ。 ちょい確認はしてないし、忘れてしまったからウソ言ってるかもだけど。
でも実際、関羽と張遼なら、戦上手はどっちなんだろうな。
ちなみに、「張・甘に比す」は唐末の李存孝。鬼のような驍将だけど、天然バカ…(つーか、呂布?)
444 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 17:54:11 0
>>428 曹操自体が能力主義者だったから、特別親類を優遇するつもりもなかったのだろう。
それでも曹仁、曹洪、曹真、曹休、夏候淳、夏候淵と有力な親族集団がいたな。文帝
は曹洪を嫌ったりしていたが、曹仁のことは尊敬していたし、曹真、曹休は厚遇して
いた。特別親類衆を冷遇していたという訳でもない。冷遇よりも曹真、曹休が比較的
早死にだったのが親類衆の力を弱めたのでは。
445 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 18:13:52 0
ゲームで劉禅の評価ひどすぎじゃねえか?
文帝が冷遇したのは曹植ら兄弟の曹家嫡流(つまり皇位継承権保持)で
曹真、曹休ら傍流は厚遇と同時に軍権を掌握するための政策の一つだったのだろう。
>>440 漫画が出典ってことは、wikipediaの記事、なにあれ、ふざけてるの?
449 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 19:15:13 0
>>445 劉禅が行動がおかしくなってききたのは董允が死去してから。
それでも費禕が生きている間は特に問題なかった。政治も費禕が掌握していた
ようだし。宮廷が乱れてきたのは費禕が死去して、姜維が大規模な遠征を繰り
返して行うようになってから。それまでは諸葛亮・蔣琬・費禕・董允らの補佐
でこれといった失政はなかった。『三国志』の評での白糸は染められるままと
いうのは的確な論評。
黄皓が中常侍・奉車都尉に任じられ寵臣となったのは董允の死後すぐだな。
452 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 20:19:31 0
>451
中常侍・奉車都尉になったのは、陳祇の死去後の258年以降。
陳祇が尚書令だった間(252年〜258年)は、以前の黄門丞から令に1ランク昇進したに過ぎない。
陳祇の死去後に中常侍・奉車都尉だから、陳祇が黄皓を利用しつつも、上手く抑えていた、と言う部分もある。
劉禅時代末期のおかしな状況は、黄皓が政治的影響力をつける端をつくった陳祇にも求めるとすれば、陳祇を抜擢した費禕にも問題があると思われる。
費禕の行政処理能力は確かなんだが、政治的な姿勢には疑問符もつく。
例えば、孟光に批判されている点など。人事に関しても、陳祇の前任、呂ガイなども、地方官としては名声・実績はあったが、中央に入ると評価が下がったなど。
しかし、トウイン死後20年近く国を保った劉禅の評価は芳しくないよね。
善政しいたとかも伝わってないような。
>>452 諸葛瞻らが黄皓を抑えず、姜維を牽制するために利用したのも大きいと思うがな。
456 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 22:22:48 0
結局は蜀は人材が費禕の死をもって完全に枯渇したと言って良い。
董允が死去して、費禕が成都の外にいたのが宮廷の乱れの発端なのかな。
でも費禕が生きている間は特に騒動はない。246〜253年の間には
蔣琬・費禕・董允の他、王平、馬忠、登芝といった蜀の辺境を守ってい
た人材も相次いで他界。その人達に匹敵する後継者もいなかった。
>>444 曹操はガチガチの血縁重視だぞ
存命中だと高位の将軍に就いているのはほぼ全員同族
三戦でもう少しお勉強して来ようね
460 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 04:31:02 0
>>459 そいつらはかなり戦功がある連中だよ。
曹操の場合はそれをもって親族重視とは言えないよ。
461 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 07:37:34 0
劉備は親族がほとんどいないし、孫権はこれといった有能な親族がいない。
曹操は有能な親族集団がいた。
462 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 10:32:47 0
>>460 重用したから功績を残せたんじゃないかな。
もっとも曹操みたいにのし上がった勢力では、初期は親族ぐらいしか味方いないだろうし、
初期から活躍してりゃ、そりゃ高位にもつけるんだろうが。
463 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 11:10:08 0
>>462 どうしても派手な活躍の記事で評価しがちだけど、長年の地味な活躍の積み重ねという
ものがあるからね。
464 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 21:38:27 0
親族でも有能なら重用しても問題ないでしょ。
問題になるのは有能ではないのに、高い地位を得て政治や軍事に介入すること。
夏侯某
書いてる人多すぎて誰のを読もうか迷ってます。オススメあったら教えてください。
最近スレの流れがよくわからん
ここは正史スレなんすけど
そのわりには、ゲームでの能力値を比較するかのような人物評が多いような
曹操は能力主義者だった。
いや血縁を重視していた。高位軍人は親族ばかり。
いや曹操のところにたまたま優秀な親族集団がいただけ。
三戦からわざわざ来る必要ない人いるし
定期的にスレ荒れるよな。
呂布と臧コウの伝が一緒に立てられてるのは何故?
張超繋がり?
最近孔明死後から、三国滅亡までの歴史に興味があり、本を読む事が多いんですが、
なぜ司馬兄弟は帝を、ないがしろにしているのに誅されなかったのかなと…(普通なら大逆ですよね?)
正史上ではその辺はどのように書かれているんでしょうか?
また正史抜きにみなさんの意見も聞きたいです。kwsk知りたいのでよろしくお願いします
本を読む事が多いなら、読んでから聞けば?
傀儡政権とか、三国志に限らず例えるのに事欠かないと思いますが。
正史抜きも何も、歴史とは過去の書物によってつづられてますので…
>>475 気持ちはわかるが、それはさすがに冷たいだろw
474は本当に本読んだ?
曹髦じたい司馬師の打倒の兵を興したが、賈充や成済などの活躍があってが曹髦を刺した。
その前に司馬懿が曹爽などを一掃したり州大中正などを導入して
司馬昭が曹芳を廃して反乱勢力を一掃してたから、時期がわるかったというのもあるだろうし。
司馬氏を除くには既に曹氏には力がなかった。
司馬炎の時代にはすでに司馬昭が法制管制などを改訂してたから、
後は、魏が帝を禅譲という参考にして同じ事をするだけだから混乱もなかったし。
法改正といっても陳羣のつくった中正法などがあったかららくだったんだろうね。
司馬懿が巧妙に社禝の臣を演じたからかもな。
郭皇太后の詔を仰ぎつつ、曹爽を快く思わない人士(王昶etc)の結集を計れたし。
社稷の臣を演じる前にあの仮病がよかったかもな。
477読み返したが、文章めちゃくちゃだw
まぁニュアンスだけうけとってくれ。
ちくま三国志読んでたら曹叡とかの伝記に
「○○について諸将に恩賞が有った。それぞれ格差が有った」みたいな記述が何度も有ったんですが
これは別に普通の表現なんでしょうか。
「格差」と言っても論功行賞が不公平だったとかそういうことではなく。
>>480 功績の大きさに応じて、という意味だよ。原文だと「各有差」だったかな。
482 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 19:29:45 O
>>481 どうも。何かしら意図があっての表現なのかと勘繰ってしまいました。
>>482 本当だw 知識があやふや杉だな
吊ってくる
474ですけど477サン説明ありがとうございます。
素人意見で申し訳ないですけど、曹一族の処刑って、曹操の直系(息子、孫)も含まれているのですか?
このへんは本に詳しく載ってませなんだ…
486 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 22:22:50 0
陳寿は賄賂受けて三国志作ったらしいから皆あんまり
本気にすんなよ。
その辺のこと晋書にのってるんじゃないの?
488 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 22:59:16 0
>>485 ちくまから本でてるから読んだら?
夏侯玄とか曹彪が有名
>>486 親父さんころされたから、孔明の軍事批判したとかいう口?
どの時代でもそれは仕方ないだろうな。賄賂拒否して書いてもらえなかったとか言うのも伝えてるのもあるし
黄皓に逆らったりして罷免されてり、義侠をみせてるし有名な話では夏侯氏が陳寿の三國志よんで破ったとか。
その当時ではある程度纏まってたんじゃないの?それに裴世期が編纂してるし。
夏侯玄は曹操直系じゃないとだけ言っとく
492 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 01:56:33 0
陳式たん。
>>480 「賜○○各有差」(それぞれ分に応じて○○を下賜した)は、
中世の史書に頻出する用法。「各有差」に特に意味は無く、
単に「○○を下賜した」の意味だと思って差し支えは無い。
494 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 18:22:03 0
たまには何進のことを思い出してやってください。
三国志なのに?
何進は後漢時代の人だから三国志じゃないと言いたいんだろ495は。
498 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 20:42:32 O
曹操も語れないのか?
武帝紀があるさ!
本文で仲達のことを「司馬懿」って呼ぶことは無いよね?
司馬宣王だよね?
三国志好きの友人との会話で曹操の話題になって
「曹操は中国歴代皇帝でも屈指の名君だな」と言った。
華北しか確保出来なかった曹操はとてもじゃないが朱元璋や李世民と比較出来ないと
言い返すと、むきになってついには演義での事柄まで出して殊更曹操を美化し始めた。
それ以来、そいつと話す時は歴史の話題はタブーにした。
>>500 それで合ってる。
他では「懿」「師」「昭」の字も他の同音の字に変えて書いている。
華北しか確保出来なかったばかりか、烏丸や匈奴を内地に引き入れ五胡の大乱のお膳立てをしたのが曹操
504 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 21:01:02 O
呉懿の場合は呉壱と書き改めてるな。
忌避した字は「懿」だけなんだな。
たまには何苗のことを思い出してやってください。
蜀科の評価ってどうなんでしょう?
それ以前に内容はどのくらいまでわかってるのでしょうか?
最近ここに書いてた内容が数日すると三戦板によくにたことが書かれてることがある
・・・気のせいだと思いたい
引用元は明記しないとねえw
>>501 たぶんその友達は君に話をあわせてくれたんだと思うよ。
>>505 いや、懿も避けてないす。よく誤解されてるけど。
>>508 内容不明だから評価もなし。まあ公正で厳しめな法律だったんでしょう。
というか曹操は皇帝にはなってない。強いて言えば覇者。
514 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 01:30:22 O
>>512 でも公孫淵の字が三国志で出てこないのは避諱じゃまいかと思ったりする
曹操のすごいのは、政策なんだよな
そういう意味で名君なんだが。領土の話しかでないのがおかしい
天下統一するとクリアだからw
517 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 10:16:18 O
内地で叛乱多いし、膝元でも叛乱起きてるけど
荊州降伏まではまさに破竹の勢いだったんだがなぁ…。
また領土の話か
曹操の凄い政策って屯田制と求賢令だっけ?
522 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 12:45:48 O
五胡の乱を招く元凶、異民族内徙政策も忘れずに
>>522 勝手に内紛で弱くなった司馬一族が悪いんじゃないのか。
異民族が強勢になって内地に干渉してくるってのは時流じゃないの?
525 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 14:55:37 O
>>524 曹操は匈奴や烏丸、板楯蛮などを積極的に漢人の近くに強制移住させている。
五胡の匈奴はこれにより太原の漢人のそばまで移住してきた連中だし、
烏丸移住により北辺では魏・晋以降暴れまくる鮮卑が南下、勢力を伸ばした。
五胡の乱は直接的な原因はもちろん当時に求めるべきだが、
曹操の政策が違っていればそもそも五胡はああまで深く内地に入り込んでいなかった=ああまでひどいことにならなかったはずと言える。
曹魏を潰した司馬政権を潰したのは曹魏が呼び込んだ五胡…皮肉だ
元凶というか遠因というか。ニュアンスの問題かな。
>>525 そもそも漢人が中原で少なくなったんでやも得なかったんでなかったっけ
異民族移入政策は中策だったとしても、何が上策だったのだろうか
国内戸籍徹底把握?士大夫層の意見のまとめ?中原人そのものの武力強化?
派閥対立は共通認識を持つことで一時的にでも解消されるのが歴史の常だが…
誰もそんな先は読めてなかったでFA
>>514 そういう学説もあるけど、そもそも公孫康からして字不明なんだよね。
たまたまかと。字不明の人物はほかにも沢山いるし。
いま一つ曹操の政策と魏の政策が繋がらない。
魏って基本的に曹操と同じ政策方針だったと思って良いんだろうか。
>>509 すみません。 法正VS諸葛亮スレなら、犯人は自分です。
どうも2chの棲み分けが今ひとつわかっていなかったみたです。
三国志、というか諸葛亮好きなもので、言いたいこと言ってみたけど、もう言いません。
五代史スレに戻ります…(動かないからコッチ来てたけど)
珍しいやっちゃな
そんなもの気にする必要ないだろ
孔明と法正を比較してるのもおかしい話だが、孔明は内政に関しては優れてるが、
陳承祚が書いてるとおり軍事に関しては孔明の軍略は得手ではないという評だとおもう。
北伐にしても遠征というより、遠足というのが多いし
劉備や関羽が死んだ後は軍事的勝利がなくなってるからのう
>>535 陳式が陰平・武都の二群を斬り取ったり、魏延が郭淮を陽谿で打ち破ったり、曹爽らの侵攻を防いだりしてるんだが。
さらに言えば戦略的にはともかく廖化が郭淮の派遣した将を打ち破ったり、姜維が徐質を打ち破ったり、最後下手を打ったが王経を打ち破ったり。
537 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 21:14:34 0
>>534 三国志に書かれている諸葛亮の批評は、奇計に長じていないないということで、
軍事的才能が無いということではない。法正みたいな奇画策算が無いという意味。
では法正が軍隊を指揮する司令官として有能かというと、それは疑問。本当に諸
葛亮の軍事的才能が無ければ大敗して終わり。
>>535 劉備や関羽が存命のころはまだまだ魏も体制が固まっていなかった。あくまでも
群雄が大きくなった感じ。諸葛亮の頃は体制も固まり、国家として体が出来上が
っている。そうなると作戦ではなく、国力が大きくものをいってくる。群雄が争
っていた時代と三国鼎立時代とは同じ尺度で戦争を語ることは出来ない。軍閥同
士の戦争と国家同士の戦争は同列には比較できない。
くだらない質問かもしれませんが、晋建国後、漢の帝一族や、曹、劉、孫、一族どうなっていったのでしょうか?
孔明一族は諸葛村と言うのが山奥に今もあると言うのをテレビで見た事があります。
>>537 「軍事に関しては」 削除し忘れた。軍事に関しては評にかいてないからね。
ただ、法正が司令官として評価は不可だけどそれは法正が早くに死んでしまったんだから評価のしようがない。
ただ法正の助言で勝利た戦は大きいし、曹操と戦って劉備が退却したくないといった時法正が矢石の前にでて、
劉備が自ら退却進めた経緯などの話があるが、法正の話の中で将校の死などの伝がない。
これは法正の軍略的才能は評価に値する部分だと思う
劉備がいたころ法正が死んだ時だけ諡号をおくったのもどれだけ法正の死を悲しんだのかもよくわかる。
続き
孔明は軍事的に無能とは思わない。陳承祚の書いてる通り臨機応変に掛けるということだと思う。
唯一の失敗は馬謖を要所である街亭において数多くの将校を失ったことぐらい。
街亭の戦い翌年二群を平定して丞相にもどったが、これは実際に陳式の勝利だし。
南征に関してもほとんどが、張翼が準備を整え馬忠が討伐し張嶷が計略を用い、そして治めたから
南も落ち着きを取り戻したというところでもあるし。
北伐にかんしてはただ遠征して何もせずに帰路につくことが多い。
王双や張郃を討ち取ったのは退路に伏兵を伏せるというのは戦の常道だから司令官として
特別に優れていたという評価がむずかしい
ただ、人民を思いやる気持ち。開発・人柄に関しては孔明のほうが優れてると思う。
甥との手紙のやり取りはいい話だし。徐元直などを偏狭にいるのを嘆いてる話などは個人的に好き
541 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 23:25:09 0
>>540 張郃が討ち取られる前に、司馬懿は諸葛亮を、張郃が王平の陣営を攻撃したが
撃退されている。これは『漢晋春秋』や王平伝の記述を見ると、どうやら魏が
蜀軍に攻撃を仕掛けたが失敗したことが察せられる。諸葛亮伝では兵糧不足で
撤退したとあるので、魏軍の攻撃は失敗だったのは確実。まあ、戦争には勝て
なかったけど、戦闘には結構強かった模様。おまけに撤退戦では張郃を討ち
取っている。魏の名将二人の攻撃を敵地で撃退したのは凡将では不可能。
歴史上をみれば、国力で大きく劣り戦略的に有効的な手を打ちようのない状況で、
およそ五回も攻めながら立ち直れないほどの損害もださなければ、自国の国力を
破綻させる事もないってのはもの凄い事なんだけど、どうも「三国志」って枠に
囚われてしまっている人の目にはそれもたいした事には映らないって事なのかな。
漢晋春秋では撃退されてるがこれが魏書張郃伝を読むとその記述がなく、晋書になれば司馬仲達が勝利した様な記述になってるしw
漢晋春秋によれば孔明の勝ちだが、仲達側からすれば張郃達が攻撃を仕掛けるよう司馬懿に強く進言して
司馬懿が仕方なく許可を出した結果。配下を抑制できなかった結果だと思う。魏の領土なのに、蜀が守り攻めず魏から攻めてるというのも面白い。
それに張郃が戦死したのも、張郃自体が追撃をやめる様に進言したが却下されてる。
定石どおり伏兵をはいした結果張郃は傷をもとになくなってる。(これは司馬懿の嫌がらせ?とか妄想してみる)
法正にしろ司馬にしろ策略を用いて勝利した記述はある。
孔明に関してはその点が少ないということ。そういう意味で馬謖を用いて街亭という要所を失ったのはのは大いなる失敗だと思う。
当初は法正と比べてという話だったきがするんだが、
名将でも凡将でもなく、ただ陳承祚が言うとおりに軍略に関しては孔明は臨機応変が得手ではないということだと思う。
545 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 00:51:36 0
つうかさあ、話がバラバラで尻切れトンボになりがちだよねえ。
それがイヤだから三国志板を立ててくれって要望板に投稿した
んだけど、ひろゆきの野郎が戦国とくっつけて光栄板にしちまい
やがった。
今からでも三国志板作った方がよくね?
正史限定で。
ポコペン
544や542はすれ違いということ?
548 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 01:05:55 0
別に・・・
三国志に限らないが、中国史は紀伝体で書かれた記録が主体なんだ。
そこから興味ある部分を引っ張ってくるんだから、話もバラバラになるだろうさ。
尻切れトンボになるのは回答者の力量だろうけどさ。
返事する価値の無い話題は無視すりゃいいじゃん。
通史作ろうとすんのはマジで大変だぞ。死にそうになる。
孔明の好悪を別に書いたんだが・・・・
痛い内容だったら悪かった。勉強不足の所はフォローおよびスルーしてくれ。
>>543 無知乙
わざわざ出張してこなくてもいいのに
曹操政策の話はどうなった
求賢令は施行されただけで実際には機能していない、
求賢令以降も魏では儒教的道徳に則った人事が行われていた、
と聞くんですが本当ですか
554 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 06:00:20 0
>>544 晋の家臣になった陳寿が司馬懿の蜀陣営攻撃が勝利したのなら記事としてどこかに書いてるよ。
ようは失敗したから書けなかったというのが本当だろう。この失敗を取り戻すべく張郃を撤退中
の蜀軍を攻撃に向かわせたけど、やっぱり失敗、張郃戦死とういのが流れか。部下達に突き上げ
られて蜀攻撃をしたという話しも「漢晋春秋」にあるけど、全体的に231年の戦いは司馬懿の
指揮は今ひとつ冴えなかったという感じだ。
戦争自体は孔明を撤退させたのだから司馬懿の采配はよかったのだろう。
しかし上層部での意思統一ができてなかった様子。
司馬懿の持久作戦は将軍達にはあまり支持されてなかったし。
556 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 07:04:36 0
>>555 まあ、野戦の将は敵の首を上げて恩賞なんぼというのもあるからね。
敵の撤退を待つだけの作戦だと主将の司馬懿は功績は認められるけど、他の諸将
は恩恵が少ない。功名を上げるには戦闘が必要なのだろう。そこら辺が魏軍の意
志不統一の原因か。
張郃の追撃命令は司馬懿ならしそうだな
曹爽の時といい、これ見よがしなきがする
558 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 10:05:09 0
>>557 後年の行いを考えられるけど、231年の段階ではどうかな。
当然、司馬懿を監視する中央政府からの目付もいるだろうし、そう簡単におかしな
行いはできないのでは。
いや、ただ、
>>544の書いてるのに、ちょっと反応してみただけ。
遼東って意外と知識人が疎開してたりしてて賑やかだったりしました?
管寧とか鄭ゲンだとか。
おもったんやがこの時代から遼東住みの人らは韓国語とかハングル文字なんかな?
>>562 とても正史スレでする質問には思えない。
それ以前の問題の希ガス
565 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 00:17:34 0
>>562 マジレスすると韓国語とハングルは存在しない。
両方とも成立はずっと後。
567 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 01:04:47 0
じゃあ、三韓の民は何語をしゃべっていたかって事になるな。
>>567 ぞれぞれ高句麗語、新羅語、百済語、その他。
新羅語が後に朝鮮語となるんだっけ?
569 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 19:12:03 0
姜維は蜀の防衛線を秦嶺山脈から漢中内部に後退させたな。
これは有効だったのかな。なんかあっさり漢中を奪われただけのような気がするが。
>>569 一応、姜維の目論見どおり漢城と楽城は落ちてないし、剣閣で敵軍を防いでいた。
ケ艾に陰平を抜かれるということさえなかったら、ある程度有効に機能していたと評価されてたと思う。
ただし想定内とは言えこうした縦深陣が国家を疲弊させないとは思えないけど。
571 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 20:09:48 0
>>570 時期が悪いとせっかく作った穀物が敵方に渡ってしまうのでは?
敵に漢中の穀物を奪わせない為に、王平や劉敏は秦嶺山脈で援軍が来るまで
頑張って漢中侵入を防いでいたわけだし。
>>571 だから軍事的にはある程度有効に機能してたが、国力的にはどうかな?と言ってるのだけれど?
573 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 20:31:22 0
>>572 姜維は戦果が第一で国力のことはあんまり考えていなかったのかな。
姜維が大規模な遠征で急速に国力を衰えさせたのも頷ける。
>>570 姜維の案は、敵軍を関城で防ぐというもので、戦線が剣閣まで後退してしまっては、
例え漢城と楽城が落ちて無くても、戦略としては破綻してたと見ていいと思う。
敵の牽制や連絡線遮断を行うべき遊撃戦力も、剣閣に留まったままだし。
>>571 姜維は穀物の刈り取りと、その漢城と楽城への集積も必須の条件にしてた。
敵が関城を突破できず、野に穀物も無い状況が、敵の撤退を促すのだから。
575 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 22:21:21 0
諸葛亮は北伐を何回かしたけど、領土を大して得られなかったのに、政治・経済的
に破綻しなかったのは、なんらかの戦利品があったのかな。魏の食料とか資源、住民の移住
みたいな。確かに諸葛亮が卓越した政治家だったとしても、小国が国力で数倍する大国に戦
争を何度も挑んで破綻しないわけがない。なんらかの経済的利点があったのだろう。
涼州戦の際は現地の軍糧・馬匹を確保して漢中に持ち帰っている。
武都・陰平は大した事無い領土じゃない
578 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 05:41:22 0
>>576 南征の時も色々戦利品を持ち帰ったみたいだしね。
>>574 ああ、そうか、関中(この場合は関城より内側)には入れないという方針だったね。
じゃあ結局、姜維の構想通りには運ばなかったということか。
鍾会の侵攻を察した姜維の要請を成都が早めに受けていればまた別だったのかな?
>>579 いわゆる内線防御+縦深陣だから、たらればだけど可能性はかなり高いと思う
581 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 20:23:32 0
また北伐関連か。
話がいつもぶった切れるな。
やっぱり正史のみで板作った方が良くないか?
幸い三戦板があるから演義派とも区別図れるし。
582 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 20:23:39 0
>>579 姜維自体も身の危険があったにせよ、漢中の外にいては防衛線を突破されてしまうよ。
全蜀軍の内結構な割合を姜維が率いていたのだから、魏の陰平侵攻軍に牽制され、しかも
撃破されて剣閣に退却では漢中陥落も仕方がない。もう成都にも大して動員できる兵も少
なかっただろう。
581のいみがわからん
584 :
世界@名無史さん:2006/06/17(土) 05:06:08 0
>>579 鍾会は撤退の相談までやってはいたのだけどね。
>>581 自分は三戦板からきたのではないと言いたいだけなのでは…
ぶった切れるなら「正史」とやらの話題をふればよい。
たぶん
>>581の考えは、
北伐の話が何度も出るのは、演義でそこが面白くて、
正史ではどうなんだろうと思った三戦板の厨がこっちに攻め込んできてる、
ということなんだろう。
>>539-541 544みたいなのは面白いが、自分の意見だけを書いてる書き込みは
正史スレという感じではないな
ただ別スレたてても流れてくる奴は一緒だから何も変わらない気がする・・・・
588 :
世界@名無史さん:2006/06/17(土) 19:35:24 0
正史に基づいた北伐の話しは問題ないだろ。
自分が嫌いな話題だからといって除外しようといのは間違い。
ここでの戦争の話しは正史に基づいたものが多いのよいのでは?
少なくとも諸葛亮が魏延を火計の犠牲にしようとした事は是か非か?みたいな事は話し合われてないなw
劉備や関羽が生きてて荊州がまだ蜀漢のもので、
曹魏や孫呉とガチで覇権を争おうって時ならともかく
益州一国になった時点では魏延みたいな武闘派は邪魔かもしれない。
魏延が軍閥となりうる可能性はあった?
なんだかんだで孔明生存中は忠実だった(不満たらたらではあったようだが)
593 :
世界@名無史さん:2006/06/17(土) 20:17:06 0
>>590 正史では諸葛亮が存命中から魏延を抹殺しようという動きはない。
あくまでも亮の死後に撤退の命令を聞き入れない場合は放置して全軍撤退という
指示があっただけ。魏延が命令を聞き入れれば地位は安泰だった。魏延自体も楊
義の命令は聞けないというだけで、反逆の意志は全くない。だから魏に投降せず
に漢中に逃亡して殺されている。諸葛亮の遠征に同行していた費禕と成都の蔣琬
・董允ら蜀の重臣が楊義を支持したために魏延が処分されてしまった。
魏延はそれ以前には命令無視などしたこともないし、不満はあっても諸葛亮の指示
に逆らったケースも無い。あくまでも誇り高い性格で回りとの折り合いが悪く、特に
楊義とは犬猿の仲だっただけの話し。真相は楊義の指図を受けると聞いて頭に血が上
って結果の失敗。蜀の朝廷も魏延排斥を計画していたわけでないし、魏延も反逆の意
志など無かった。
とくに讒言もなく処断されたというのは、魏延ほどの武人にしては、らしくない失敗ですね。
なにか表せない積年のものが、感じられてきました。
北伐期の蜀漢朝廷では、前線の軍隊に対してどのような意識があったのだろうか。
普通なら、諸葛亮の反逆なり独立を危惧するような、あるいはそれをほのめかして皇帝に取り入ろうとするような矮小な人物が登場するのでしょうが。
実際、その意味では劉禅は賢明だったと思っています。
595 :
世界@名無史さん:2006/06/17(土) 21:06:26 0
>>594 劉禅は猜疑心は強くなかったみたいだな。だから晩年は宦官の言うことを安易に信じて
しまったのかも。諸葛亮も成都には蔣琬 ・董允みたいな有能かつ信頼できる人間を成都
に残してぬかりは無かった。それと父劉備が諸葛亮を深く信頼していたということも知っ
ていただろう。何せ「丞相を父と思え」と遺言したくらいだしね。
596 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 10:37:26 0
>>594 まあ、魏延も先に李厳が失脚し、諸葛亮が病死したので、席次からいっても
蜀の軍権を握るのは俺だという思いもあっただろう。楊義も年功からいっても
俺が次ぎの蜀の宰相という思いもあっただろう。本当は亮の次は蔣琬その次は
費禕というのは既定路線だったんだけどね。楊義も魏延も知らなかったのだろ
う。魏延も楊義も過大な自信で身を滅ぼした。
597 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 13:38:32 0
だから〜、正史三国志板があったら、いくらでも自分の興味ある
ネタについて語れるし、流れが中断して他の話題になる事もない
って事だよ。
演義派は今まで通り三戦板にいればいいんだし、正史研究の場として
理想じゃないか?
「だから」って何処にかかってるんだ?中断もそうだが?
北伐以外ならニダの話まで戻るの?
理想のネタを書けよ
だからというてるから581と同一人物だろうな。
ネタふれない人が理想とかいわれてもスレの流れが止まって困るんですけど。
じゃあ陳寿の文章の癖(?)でも語ろうか?
時系列に沿わない順序で記述してるとしか思えない箇所があるような気がする。
それでもいいが、545や581や597(たぶん接続詞の使い方で同一だと思うが)
みたいな考えの主旨がわからんとまた意味不明な発言で流れが止まるぞ
具体的にどの辺が?
603 :
602:2006/06/18(日) 14:13:07 0
あ、
>>600に対してね。
どうも君の話がぶつ切りでわからん。
>>602 例えば夏侯淵伝。
建安21年に奉邑を加増された記事の後に建安20年の張魯討伐の記事がある。
ちなみに後者の方には年次が明記されてないが、武帝紀その他をみれば前年の記事だということがわかるという具合。
606 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 14:35:56 0
この時代はまだ鐙が出来ていない?
騎馬は全て腿ではさんで乗ってたの?
その程度なら陳寿に限ったことじゃないだろ
608 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 15:12:59 0
モーニング娘ごときに二つも板があるんだから
三国志に正史と演義その他の二板があっても
いいじゃないか。
沈んだのはそうだろうけど
この遺跡自体はもっと前のものじゃないのか。
611 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 16:29:10 0
一番に痛いのは「軍事の話し=演義の話し」と決めつける奴だよ。
正史に沿った話しなら問題ないと思うが。自分が不得意分野の話しだから
気に入らないからごねているのだろう。
お、おれは〜! 政治史(の中の軍事)についての歴史が好きなのに、それが=演義とされるのは、心外どころか憤慨だ。
歴史の中にある軍事英雄の事跡を求めてなにが悪いか!
と言ってみる。
613 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 19:32:19 0
597?
というか意味がよくわからん。
なんか個人たたきの流れになってるが、理想のネタをふると話の話題にも参加しやすい。
615 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 22:26:04 0
つーか、今までさんざんいいネタ出てるんだが、
三日も経つと違う話題になったりして続かない。
三国志正史板ができればいろんなスレで継続的に
テーマに沿って話せるぞという提案だ。
スレ一つですらもてあますようなのに板一つ作っても過疎るに決まってるだろw
三国志正史板が出来たら、上は曹操から下は譙周まで
個人別にスレが立って乱立→順に過疎るの繰り返しだろ。
619 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 22:52:15 0
三日で流れるような話題なら別に良いネタでもなんでもないんだ。
流れを止めるだけ止めてでてこないからなw
何がしたいのかわからん。あらし?
621 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 00:03:09 0
つーか、三戦板じゃ良コテや専門家は絶対いつかないだろ。
まあ、2chだから専門家までは来ないかも知れんが。
いずれにせよ、こんなスレ一つじゃ実りのある議論は無理。
ネタふれとか言ってるヤツがいるが、俺は初代スレからネタ
ふりまくってるよ。
そもそも学会に於いて三国志専門家なんてごく少数。
スレ一本で十分だろ
621が新たに垢とって外部サーバーでBBSつくるのか。
良スレになればいいね
とりあえず596の続きでも
馬岱の名前がその後でてこないんだが、結局馬氏一族は滅亡したのかな。
それに北伐といえば司馬懿が出てこないと話にならない
626 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 00:55:36 0
つーか、正史板ができても過疎るとか言ってるのは
演義やゲーム以外ではほとんど語り合えないと
言ってるのと同じだな。
逆に過疎ってるくらいの方が落ち着くんだが・・・
ただ、このスレの同じ話題のループ&単発の話題に
単発レスの繰り返しはちょっとなあ。
文句ばっかり
628 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 02:45:10 0
あーいえばこーいう。
629 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 07:57:43 0
>>625 馬岱は最終官位が平北将軍で終わったくらいしか不明なんだよね。
魏延を成敗したのは同一人物なのかどうかも不明。『晋書』には魏に侵入
して敗れたと書いてあるみたいだけど、『三国志』には全く記述なし。馬超
の一族だから出世しただけなのだろうか。
>つーか、三戦板じゃ良コテや専門家は絶対いつかないだろ。
このスレに置き換えて読むとすごく重みのある言葉だ・・・・
馬超自体蜀にきてからの功績が目立ったものがないなぁ
631 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 09:53:27 0
>>630 馬超は涼州の軍閥の一人だったから破格の待遇だっただけだね。
馬超はそこら辺は理解していたみたいだね。
北伐については
三戦板の姜維の北伐スレのほうがまだ読みごたえが有ったぞ。
あとは関羽スレか。
そうおもうんなら書けってw
俺なんか
ちくまの劉曄伝注「傅子」にある劉曄発狂の記載
「ある人が劉曄の悪口を帝に言った」のくだり
悪口って讒言とは違うの?その「悪口」に従った結果劉曄の小細工が発覚したんだから
悪口じゃなくて諫言、忠告になるんじゃないの?
作者の傅某が「悪口」って記述したのにはどういう意図が有ったんだ?
つーか本伝読む限り劉曄がそんな孫資なんかと同じ輩に思えないんだけど。
くらいの些細な疑問しか浮かばない程度の知識しか無いよ。
もう煽り体制ないからぐたぐただなw
文句だけは一人前だな
魏はそういう問題おおかっただろうね。
郭嘉と陳羣も同じ話あるけど曹操は彼ら二人を評してるからその辺のちがいかもね。
傅玄の評価が低いという記述をどこかでみたことがあるけど・・・悪口と讒言の違いはわからない・・・
>>636 郭嘉・陳羣はそれぞれの皇帝の顔色を窺わず、職分を尽くした。
劉曄は皇帝の顔色を窺って阿った。
郭嘉・陳羣と劉曄は全然違う。別の問題。
638 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 12:15:22 0
何か世界史板とか繋がりにくい気がするのだが
俺だけ?
いま2ちゃん全体でサーバーの調子が思わしくないんだとか
>>634 原典ではどういう記述になってるの?
史料を提示してホスイ
或惡曄于帝曰「曄不盡忠、善伺上意所趨而合之。陛下試與曄言、皆反意而問之、若皆與所問反者、是曄常與聖意合也。 復毎問皆同者、曄之情必無所逃矣」
曄を悪くしようと帝に言った?
>>642 「或いは曄を悪んで帝に曰う」でこの場合は「誹って」の意と捉えるべきじゃないかな?
エキサイトの訳かよ。>642
「于」の場所から考えて、
普通に「帝に対して劉曄を誹謗して言った」だろう。
「言うに相当する語」 + 于 + (前の「言う」の対象) + 曰〜
という構造だ
でもこの場合は内容が的を射てるんだから実際のところは「誹謗」ではない気がする。
上奏してないから誹謗だろ
堂々としたものではなく、かつ相手の欠点を述べてるわけだから、事実に即したものかどうかに拘わらず誹謗と評されてもしょうがないのか
649 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 18:56:39 0
三戦板に帰った方がいい人がいるな
651 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:31:09 0
だから正史板作れば北伐の話がぶった切れる事はないんだよ。
和露田
654 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:50:35 0
>>654 レスばんずれてないか?
そのうえだろ。
656 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:56:09 0
何で正史板を作ろうっていう提案が厨房なんだよ?
釣られてると思うが、正史板つくろうってまずここが正史スレだ。
何の提案もせず、ただ作ろう作ろうと書いてるのはただの厨房だろ。
534で北伐ネタふったのは事実だが、正史から引用してるんだけどなぁ〜
ただ正史スレ立てて何がしたいのかがわからない。
ネタをふってくれれば話題にのれるのもあるかもしれないけど・・・その傾向もみれないからなんともはや。
ただ621とかで理想な正史スレたてるのもいいかもしれんな。参加できそうなねたがあれば参加するけど。
659 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 22:11:44 0
訳わからん・・・
>>658 普通に三戦板に立ててみればいいじゃん。
ちゃんと考察(というと烏滸がましいと言われそうだが)を重ねてるところもある。
三戦板がある以上何やっても過疎るだけだと思うけどな。
歴史ゲーができてゲームがある程度隔離された
今の三戦板なら「正史限定」ってすればそれなりにマトモなスレになると思うんだが。
昔だっていくつか有っただろ。演義混同とか生半可な知識で語るやつが居るのは
三戦板もこっちも一緒。
戦国のほうはマトモな考察系スレ結構有るのにな。
三国志は無双とかゲームとかパロネタとかそんなのばっか。
ネタもふらずに正史板とかいってる奴が一番訳がわからん
ところで二千石、比二千石と称される位まで出世した場合、一般的な感覚として凄い出世したものすごく出世した部類に入るのでしょうか?
それとも本格的な出世の入り口に差し掛かった程度の感覚なんでしょうか?
まあ当たり前だけど人や役職によって一概に言えないのだろうけど。
>>659 ややこしかったかな?
用は正史スレたてたきゃよそで立てれば?という意味
>>660 俺自体は別に不満はないよ。
いろんな人がいるんだから話が重複したりするのは仕方ないが、文句があるならネタをふるか
迷惑ならない様外部鯖でまず立てれば思う。
>>664 出世の部類?とかはよくわからないけど漢時代では州牧・郡太守魏で言う4・5品の地位
だから三國志でも二千石の人物は結構出てくるよ。
北伐の時に李厳がいたらもう少し蜀有利になったかな?
667 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 23:55:54 0
板とスレの違いが分かってないヤツがいるな。
668 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 00:00:17 0
1: ◆キャハハ☆張春華的語板◆ 2: 関羽して合計5時間夏侯惇されなければ五関突破26 3: こんな荀ケは嫌だ part4
4: 「兀突骨」は実際にいたのか? 5: 【往生極楽】本願寺と一向一揆を語るV【無間地獄】6: なんたの嫌いな三国志の武将 4
7: 【西軍】応仁の乱総合スレ【東軍】 8: 【無双3の】諸葛亮と俺の関係 その2【設定で】 9: 【武田】2万5千で上洛【信玄】その43
10: 【猪突】小弓御所・足利義明を語るスレッド【猛進】 11: 大河『徳川家康』『葵 徳川三代』を語るスレ V 12: 片桐且元ですが和平がまとまりません
13: こんな孫権は嫌だ。5州目【スレ主:???】 14: 西美濃三人衆 15: ガ チ ン コ 三 戦 ク ラ ブ
16: (;;@u@) 武将の面接 (@u@;;) 17: やわらかい女子高生 18: 【曹操 「鶏肋」】 漢中 【劉備 「生命線」】
19: ならば蒼天航路風に政治を語るスレ 20: 糞スレ投票所2
お勧めの三戦板のTOP20だ。
素晴らしく書き込む気がしないなw
>>667 というか、わざわざ世界史板に来る必要ない人がいるのが問題
>>667 言葉の彩だ
スレと板の違いぐらいはは分かってるよ
スルーすればいいのに・・・
672 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 00:33:51 0
糞スレ投票所って何だ?w
>>641 史料さんくす。
或惡曄于帝曰
ここでは「悪」という動詞をどう訳すかによる。
「悪」の第一義は「にくむ、そしる」。
「曄を帝ににくむ」ではなく、「曄を帝にそしる」が妥当。
「讒言」と訳す方が自分としては適していると思うが一般向け書籍としては
「悪口」でも可ではないかと。
一方、いさめる意味での諫言や忠告は、「そしる」とはニュアンスが異なる。
>>641 半分飛んでしまった。すまそ
悪口の意味がどこまでかということ
もっと広く相手のことをおとしめる言葉一般ととらえれば
いいのでは。
讒とか誣とかは悪意によるでっち上げの発言だけを指すけど、
毀とか謗とかは悪意と善意の両方を指していたはず。
三国志の他の場所でもちらほら見かけたような気がする。
676 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 16:35:12 0
韓馥は袁招に乗っ取られたのではなく、ビビリで部下と土地を差し上げた
華蛇(かだ)は、曹操の頭を叩き割って手術すると言って殺されたのではなく
職場放棄で殺された。関羽の手術はしていない。
>>665 > 出世の部類?とかはよくわからないけど漢時代では州牧・郡太守魏で言う4・5品の地位
> だから三國志でも二千石の人物は結構出てくるよ。
遅くなったけど、あまり300石とか400石とかという風には言わないじゃないですか。
だから「末は博士か大臣か」じゃないけどそんな風にある程度の出世の目安と認識されてたのかなあと思ったもんで。
もっと後になるけど科挙を合格した進士だっけ?みたいなとらえられ方をされてたのかな?
>>675 例えばどんなとこ?
ちらほらあるなら、いくつか提示してほしい。
巻数おせーて。
>>678 それが分かってたらちらほらなんて書かん。
程暁とか董昭とか杜恕とかその辺りじゃなかったか。
baka?
分かってるが、678や680の書き込み見ると・・・・
>>680 自分で調べようともしないやつが吐くせりふじゃないな。
だいたい質問内容からして安易に答えられるもんじゃないのは分かってるだろ。
語の用例を調べるって作業をナメすぎ。
今電子文献の三国志があるんでそれに検索かければそんなに難しくねーぞ
戦国も独立したことだし、このスレも向こうに移動だな
>>685 前段と後段に因果関係がないのが笑える。
>684 手持ちのPDFで検索したけど、多いぞ!
検索は簡単かも知らんが、把握するのは骨が折れる。やってみれよ、挙げ足取りがお得意の680。
>>688 難しくない事と面倒な事は背反しない
例を示せば米粒を一万個数える行為は面倒だが難しい事ではない
ok?
あと俺は684だけど680じゃないからそこの所だけよろしく
>>690 あ〜、勘違いしてるね、君。
おれは688だが、君の言ってることには賛同してるだろ。ただ面倒だといってるだけで、否定はしていない。
で、2行目は
>>680に対して言った台詞。
>>684宛つまり、君にではない。
Okay lang?
どっちにしろこの事例で一番厄介なのは量
作業量が多くて大変だって愚痴ってるのに「難しくねーぞ」ってのはどうなんだ。
693 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 23:32:08 0
694 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 23:34:31 0
難しくはない、面倒なだけだ
697 :
世界@名無史さん:2006/06/23(金) 01:08:27 0
なあ、正史板作った方がよくね?w
三戦板に正史スレ引っ越したほうがいぐね?
699 :
世界@名無史さん:2006/06/23(金) 01:48:53 0
荒れ果てた三戦板から世界史板に戻って来たのがこのスレだという
事を知らないヤツがいるとは・・・
「譏」だけなら64例しか無いぞ、『三国志』には。
うち、注が半分ほど。
「誣」は48例。
>>675 見かけた事があるなら、大体の目星はついてんじゃねーの?
煽りSTOP週間
>>703 俺が面倒な事を理由に嫌がってるのに対して
面倒であることを理由に俺にやらせようって…ホームラン級のバカだな
今のこのスレの内容なら三戦板に移転すべき
諸葛亮伝の注に、孫権が帝位についたときに陳震を遣わして慶賀した、とかあったけど
具体的にその文面ってどんなのだろう。
皇帝が別の皇帝を慶賀するってどんなのだ。
>>707 日没する処の天子、書を日出ずる処の天子に致す、恙なき や、云云
漢の天子、書を江南の天子に致す、恙なき や、云云
711 :
世界@名無史さん:2006/06/24(土) 21:41:47 0
たぶん「孫権殿が呉国の皇帝になられたことを漢皇帝がお祝い申し上げます」と
いった内容だよ。ある意味、現代の国の元首が外国の新大統領や新国王にお祝いを
述べるのと同じような内容だろう。たぶん対等な国同士のつき合いの表現だと思う。
蜀も呉も北方に魏という強大な国がある以上はどっちが上、どっちが正統なんて言
ってられない。そこら辺はもの凄く現実主義だったと思うよ。
712 :
世界@名無史さん:2006/06/24(土) 22:44:34 O
前漢初期の単于との関係のように、皇帝が対等な相手と文書を交わす実例はすでにあるからね。
713 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 06:15:59 0
ところで、段谷の戦いで胡済が約束の期日に間に合わないで姜維は大敗したけど、
あれは故意だったのか、それとも事故だったのだろうか。どうもその後も胡済は漢中
の守備の任にあったようだが。
あの規模の敗戦だと、故意か事故かなんて関係なく普通は罷免されるもんだがなぁ…
罷免されないあたりやっぱり政権の自浄能力が落ちてたんじゃないかね。恩赦多いし。
716 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 12:45:01 0
新潮新書の新刊『貝と羊の中国人』P132以下に、こんな指摘があった。
劉備は「侠」であり「漢」。
孔明は「士」。
曹操は、「士」にコンプレックスを懐く「二級市民」出身者。
三国志の物語の前夜は、宦官と外戚と清流派士大夫の三者の権力闘争。
三国志の後半は、孔明や仲達や姜維など、エリート士大夫が主役に。
そして、エリート士大夫出身の司馬氏が最後の勝者に。
しかし晋は短期間で崩壊。五胡十六国の時代に。
その意味で、三国志の真の勝利者は、「二級市民」視されていた異民族だった。
>>715 権力の独占は、必ず腐敗を生む。
エリート士大夫が権力を独占するようになったから、自浄作用がなくなったのでは。旧日本軍の将校と同じで。
旧日本軍の将校は腐敗というより軍事官僚として頭が固すぎただけだろ
718 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 13:42:19 0
あまりに話題が長続きしなすぎだろ。
719 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 20:32:09 0
日本軍将校も、蜀漢の士大夫も、
応変の将略は、けだしその長ずるところにあらざるか。
>>716 なーんか階級論ぶりたいこと前提の結論でもにょっちゃうなあ。
劉備は没落したといえど生来の「士」だし、曹操も「士」として出世してきたわけだし。
諸葛亮や姜維を家格において司馬懿と並べるのも…。
異民族に至っては二級市民どころか、国民としては見えない扱いしたのが
古代の失政だしさ。
名士はその後も南朝で実権を握り続けるわけだし、
北朝の勝者は遊牧民としては異形の部族解体・中央集権やった拓跋部だしなあ。
でも、読まずに言うのもなんだな…
↑しったかぶりw
じゃあ知ったかだって言う論拠書かなきゃ
ここは曲がりなりにも学問板だぜ
そもそも単なる流遇軍閥に過ぎない蜀を漢の正統な後継者として
認知した後世の歴史家(特に南宋の朱熹)のせいで
三国志時代の評価が難しくなったのだが。
>後世の歴史家(特に南宋の朱熹)
中原(華北)を有していなくても正統な王朝なんだと東晋以後の南朝と
南宋が特に持ち上げた効果もあるのだろうな。
726 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 22:38:06 O
三国時代については正統なんて「無い」というのが正しいんだろうが。どの王朝も統一出来なかったんだし。
建前上では漢から禅譲された魏が正統なんだがな。
729 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 06:24:15 0
>>714 一応は姜維は後将軍に自ら降格して責任はとっているが、胡済は何も罰せられていない。
疑問なんだが、この胡済と諸葛亮伝に出てくる胡済と同一人物?
違う可能性の方が少ないと思うが。
731 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 10:18:06 0
確か胡済は諸葛亮が褒めていた人物なのに伝記が無いんだよね。
蜀は伝記が無いなんてのがザラだしなあ
でも国土比、人口比で言えば多い方だと思う。
734 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 12:38:56 0
>>732 しかし、姜維の時代まで生きていた人物だから、三国志の編纂者の陳寿も
知っていたと思うんだが。資料がなかったから書けなかったという人達とは
違うように思う。やはり書きたくない何かがあったかもね。
>>716 的を得ているようで的を得てない…
特に全8行中、最初の1行と最後の1行がおかしくしてる
>>721 図解雑学三国志くらい読んでおきなさい
人
(__)
(__)
(,,・∀・) ))
/つ( ̄`ヽO_ノ⌒ヽ さてと、そろそろ寝るか
ノ ) \ ))
(__丿\ヽ :: ノ:::: )
丿 ,:' ))
(( (___,,.;:-−''"´``'‐'
人
(__)
(__) < 寝る前にウンコー!!
( ・∀・ )
/ _ノ⌒⌒⌒`〜、_
( ̄⊂人 //⌒ ノ ヽ)
⊂ニニニニニニニニニニニニニニ⊃
【鮑三娘】
花関索伝説に登場する女性。
鮑員外の三番目の娘でエロ可愛く武芸に優れていたので、
多くの良家の貴公子から求婚されていた。
しかし「自分より弱い者とは結婚しない」と言い放ち、
腕に自信のある者でも鮑三娘に勝つことは出来なかった。
それに挑戦し始めて勝利したのが関羽の三男の関索である。
鮑三娘は関索に心を奪われ結婚し、共に蜀の成都に向った。
二人は常に戦場で馬を並べ戦い続けるのだが、
後に関索は南蛮討伐戦に参加し、戦死してしまう。
そして鮑三娘は一人、葭萌関を守り続けたそうだ。
関索がいつか生きて帰ってくる事を信じて… (三戦板・鮑三娘VS張春華スレより引用)
武力:★★★★★★★
人気:★★★★★★
タイプ:健気タイプ
,. ':::;‐ァ、,へ、ヽ、`゙''ー-、
/::;:::'〃:::i:::::::i::::;::'iト‐--、\
,.:'::./::://i::::|::;:::::l::::i:::::゙'!;:::::.:ヽ、丶
/::::;:':/:../:i|::|:::|:::i::::::|:::l:::::;..l「`ヽ、_ヽ`、
_,r‐ァ';::/::/::〃:.li.;.|.:.ト、l......|...|....i...|ト、___,.-‐-トr;'二 ̄l 私は本当は女子高生だけど
<´ !イ::l::.i::l::|l::::|lハ:l..ト、:::ヽ|l、l;::..|l:.|ト-く ,.‐-「ヽ、__ン'
>、,イ|!|::.i::|´「||ヽ!| ヾ!| ヽ´「ヽ!ト、|l::|ト-‐`ーァ7 |:ヽ!:ヽ このスレでは三十路ってことになってるの
,':〃/ ト、ト|イテト、` ` ,ィz|=ュk_,ヽ、lLニ、ニ7'! ト、i....i!
|..lレ'____」ヽトi' {!;ク' {!::;;゙ク》、ト;lて`Y´___,イ.l|...|...l| だって、その方がみんなが楽しいと思うから
l:.l「:.{!リ| ヽ} 'ー゙ , ゞ=ヌ` リ )-'フ´ リll:::l:〃
゙!:||::!ト、! '. ヽ ´イ‐'´ /イ::// 私はネタにされてもいいの
ヾ、!lヾi.、 ヽ. 丶=一 /|⌒ //:://
ヾl/`ー' \ ー ,. '´ | / 〃// みんながそれで盛り上がってくれれば嬉しいから
〃ヾ;、 ヽ - ニ「 ヒー、´//i'|
/ \__rァ':/ ̄´ /^! , 〉 `>く_ ヾ、 よし、今日もキモイ♪
,..':.:l l::/ / / / /ー''´ /`;‐ュ、
i':.:.::l l::l ト、 /_,/ /::/ /:.:`ヽ、 鮑三娘…っと
【鮑三娘のガイドライン】
--- 鮑三娘とは? ---
花関索伝説に登場する女性。
鮑員外の三番目の娘でエロ可愛く武芸に優れていたので、
多くの良家の貴公子から求婚されていた。
しかし「自分より弱い者とは結婚しない」と言い放ち、
腕に自信のある者でも鮑三娘に勝つことは出来なかった。
それに挑戦し始めて勝利したのが関羽の三男の関索である。
鮑三娘は関索に心を奪われ結婚し、共に蜀の成都に向った。
二人は常に戦場で馬を並べ戦い続けるのだが、
後に関索は南蛮討伐戦に参加し、戦死してしまう。
そして鮑三娘は一人、葭萌関を守り続けたそうだ。
関索がいつか生きて帰ってくる事を信じて…
740 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 18:37:45 0
花関索伝といえば明代に書かれたアレ?
関索が陸遜まで殺しちゃう小説。
三戦好事家のメンタリティ…
742 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 20:00:34 0
そもそも正史に張飛の容姿に関して何の記載も無いのに
どうやって唐宋代の講釈師は張飛が虎鬚だって決め付けたんだ?
それが一番説得力があった(大衆に支持された)だけであって、
講釈師が勝手に決めた訳じゃないだろ
745 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 21:37:50 0
カクが馬超と韓遂の仲を裂いたていうのは、正史にはないね。
演技では韓遂が曹操に降参してるけど、正史では曹操は韓遂の子や孫を殺している。
賈ク嫌いの裴松之が故意に注釈で書かなかったか
史実では無かったのかのどちらかだと思う。
747 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 21:50:30 O
>>745 >>746 カク伝と武帝紀にありますがな
カクの策に基づいて黒塗りメールや韓遂との歓談などで馬超と韓遂の仲を裂いたと陳寿が記してますがな
748 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 21:59:42 0
なあ、正史板作った方がよくね?
749 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 22:16:52 0
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
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諸葛亮 曰く
「はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!」
ttp://2ch-news.net/up/up7554.jpg
>>748 したらばかどっかに自分で作って引きこもってろ。
あるいは ちょうひのひげをわらう
>>751 唐の詩だよな。ケ艾のどもりを笑う、ってやつ。
>749
もうちょっと説明入れないと分からないと思うぞwww
あわびむすめってエロいな・・・・
亀レスだが
>>707 陳震の伝にそのときの布告分が有るぞ。雰囲気だけは掴めるんじゃないか。
>>756 本塁打世界新記録ゲットオメ。
これ、中国で抗議運動が起こってるんでない?
>>757 いや、むしろ何か「萌萌」言っとるらしい。中国語でも「萌」なんだな。
反日政治団体は煽るかもしれんけど
基本的に「我が国の伝統文化」みたいな意識はそんなに無いと思うが。
向こうの歴史系BBSも三戦板レベルのが腐るほどあるし
武将が、とか、最強、とかな
というか、もともと騒いでるのは、韓国って聞いたぞ
韓国は諸葛亮が生粋の韓国人だと主張してるような国だからな。
騒いでるのは韓国でも中国でもなく一部のアフォだけだよ。
董卓伝の解説でよく出てくる「弓袋」って何?
弓袋を左右につけたまま連射できた〜とかあるけど、
弓を左右両射ちできたってこととは違うの?
孫権とか曹丕が蜀や呉の使者をからかってその使者が反論する、って感じの話は結構多いけど
劉禅にはそういう話あんま無いね。
劉禅の人柄か、そもそも傀儡だったのか、単に逸話が残ってないだけか。
>>762 鞬は「うつぼ」「ゆぎ」のこと。弓矢をしまう筒。
2セット用意したのは、上体をどっちに向けていてもすぐに取り出せるようにでしょ。
>>764 ということは、両射ちできるって解釈でいいの?
それとも弓手を逆に向けても、ってこと?
>>765 鎌倉の流鏑馬を見てもらったら分かると思うけど、
馬上で弓を射る場合は上体を左にねじって構える。
董卓は敵兵を左に見ながら馬を走らせ、はじっこまで行ったら馬首を返し、
今度は上体を右にねじって弓を射る。これで往復しながら敵兵を撃つことができる。
馬首を返すたびに左向き用、右向き用の弓矢に取り替えるということ。
ふむふむ。
つまり、両利きで撃てたってことね。
768 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 07:10:38 0
中韓の掲示場見たときアフォに国境はないんだなとおもたよ。
771 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 19:36:31 0
おい、北伐の話はもう終わりなのか?
中韓は、基本的に歴史を昔話と同じレベルで捉えているから
しかたないよ。民衆レベルではね。
「桃太郎が鬼ヶ島で鬼退治した」ということを否定されると
「そんなはずはない!」って怒り出す、という仕組み。
歴史が科学であり、様々に解釈しうることを、
まだ理解できていないんだよ。
という訳でそのネタは終わりね。
次から普通の質問どうぞ
三国志の中で、刺司とか太守とか
出てきますけど、どういう関係なんですか?
どっちがエライんですか?
それと魏でもこういう官職はどうなるのですか?
太守が成虫になると刺史になる。
776 :
世界@名無史さん:2006/07/01(土) 01:58:28 0
その州にある郡の太守の仕事ぶりを監査するのが刺史。
後漢末には刺史は州牧となり、州全体の長官になった。
魏の時代は刺史とともに○州諸軍事という肩書きを持つ
将軍が置かれた。
>>775,776
ありがとうございます
刺史でしたね、「司」と書いていました。訂正。
ところで、刺史と諸軍事はどのように分掌していたのでしょうか?
文武で分かれていたのは、何となくは解るのですが、
具体的にどういった仕事が刺史の領分で、何が諸軍事の仕事なのか
はたまた、同じ都市に所在したのか、その場合はどちらが主導権を持つのか
よく分かりません。ご教示いただけると嬉しいです。
それと、西晋〜南朝でも地方行政官は刺史ですか?
778 :
世界@名無史さん:2006/07/01(土) 12:25:28 0
正確には都督○州諸軍事かな・・・
複数の州にまとめて都督となる事があったから
○○方面の軍司令官という感じだろう。
都督は都督府というのを開いていたようだが、
それがどこにあったのかはよく分からない。
論文とかあった気がするけど。
司馬イの奥さんの、張春華って正史に出てくるっけ?
晋書に伝が立ってるよ。
宣穆皇后として晋書宣帝紀に普通に出てきますよ。
この時代の名前って普通1文字だよね。
女といえど名前が2文字って珍しいっていうか、当時はどう思われてたのかな?
漢朝中興の祖の皇后も二字名ですから。
董卓は少帝と言葉をかわしたが、帝の言葉は理解できなかった。
そこであらためて陳留王と言葉をかわし、
禍乱がどうして起ったのかを質問した……
ってくだりを読んで、疑問に思ったんだが、
当時の中国ってって宮言葉みたいなのってあったのかな?
後漢書持ってないんだけど、十八史略だと
辨が「語、不可了」だったとか書いてある。
しゃべり終わる前に陳留王がしゃしゃったのが原因で廃位とかだったら泣けるよな。
劉備の幕僚とかも徐州と益州の連中とか
日常会話に苦労しなかったのか、ちょっと心配になる。
孫呉とかも言葉の問題では苦労してたそうな。
通訳がいたらしいし。
そういや呉は幽州出身の程普から益州出身の甘寧までいたんだよなぁ。
788 :
世界@名無史さん:2006/07/02(日) 07:50:06 0
>>716 補足
新潮新書の新刊『貝と羊の中国人』より。
三国志の「おとこ」のいろいろ。
「侠」 義侠心に富むオトコ。
「漢」 血と汗を流す熱いオトコ。
「士」 学問や才能で身を立てるクールなオトコ。
劉備は、若き日に「士」を目指したが、傭兵隊長になった。「侠」。
孔明は、士大夫の美学を重んずる「士」。
曹操は、若き日に「月旦評」を強要して強引に士大夫の世間にデビュー
した「士」。
劉備が孔明に「自分の子に代わって君みずから皇帝になってくれ」と遺言
したのは、「乱命」ではなく、傭兵社会の鉄の不文律「組織の生き残りのた
めには実力のある者がリーダーに」にこだわったから。
そう言われた孔明が、最後まで劉禅に尽くしたのは、最後まで「士大夫」
の美学にこだわったから。
「侠」である劉備は権力を握ったあとも、部下の「士」を殺さなかった。
「士」の仲間として認めてもらいたかった曹操が、詩を書いたり、生前
は帝位に着かなかったのは、士大夫たちの評判を気にしたから。だが結局、
曹操は、部下の士大夫を何人も死に追いやり、士大夫の信望を得られなか
った。これが後の魏滅亡の原因になった。
789 :
世界@名無史さん:2006/07/02(日) 07:57:28 0
>>785 江戸時代の日本の武士言葉と同じで、昔の中国にも「雅言」という
全国の士大夫層に共通するところの「標準語」が、春秋時代からあっ
た。
董卓は、あの太り方といい、騎射の腕前といい、軍閥の編成といい、
異民族の血を濃厚に引いているのは明らか。
部下の漢民族の兵士への命令くらいはできたろうが、彼は「士」の
教養がなく、「雅言」ができなかったのだろう。
>>788 前の人と同じ人か知らないけど、その筆者はイメージだけでモノを書けると思ってるのか、
知識の絶対量が不足してるのか…、とにかくそれじゃあ「感想文」なのよ。
「侠」というのは生き様・スタイル、「士」というのは「庶」に対する身分・階層
「漢」に至っては三国時代までに「オトコ」というような意味はあったのか?
少なくとも「侠」と「士」は別個の概念なの。「士」であって「侠」であることもあり得るわけだ
それを理解した上で、
劉備も曹操もずっと「士」として遇されてきて、「士」として死んだわけ。
もちろん清流の士は濁流の士を蔑視したし、名門と寒門の差はある。
その差における待遇の違いはあっても、劉備や曹操が「士」になれなかったから
別の生き方を選んだような事実は無いよ。
その人、侠・漢・士という言葉に勝手なイメージを持ってて、
それにいろんなもんを当て嵌めてるに過ぎない。後半なんて完全に想像に過ぎないし。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
792 :
世界@名無史さん:2006/07/03(月) 06:29:36 0
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\ _ノヽ〕斗- ―――‐\ \
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/ /ハ从ハハ い} ゞ-'〃/l/ は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
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793 :
世界@名無史さん:2006/07/03(月) 06:30:20 0
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i!f !::::: ゙、i 諸葛亮いわく
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i::/:、 :::、 /''ii'V は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
オタってほんとキモイな
空気読めない奴は特に
京劇今日行ってきたんだが、すげぇよかった。
思わずDVD買っちまったよ。明日も行きたいなぁ〜と思ったらチケ完売とは7000は高いが、だしてもいいと思った。
796 :
世界@名無史さん:2006/07/04(火) 06:42:48 0
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ょ ( l ',____,、 (:::} l l l ,} / \
ろ .( .', ト───‐' l::l ̄ ̄l l に │
l ( .', | l::|二二l | ょ こ .|
ん ( /ィ h , '´ ̄ ̄` ー-、 | ろ や │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l / 〃" `ヽ、 \ | l つ │
 ̄ ', fllJ. / / ハ/ \ハヘ | ん め │
ヾ ル'ノ |ll |i │ l |リノ `ヽ}_}ハ l |
〉vw'レハノ l.lll |i | 从 ● ●l小N ヽ ____/
l_,,, =====、_ !'lll |i (| ⊂⊃ 、_,、_, ⊂li|ノ
_,,ノ※※※※※`ー,,, | i⌒ヽ j (_.ノ ノi|__/⌒)
-‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、| ヽ ヽx>、 __, イl |::::ヽ /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ `''ー-、__,ヘ}::ヘ三|:::::/l| |',:::::ハ
799 :
世界@名無史さん:2006/07/04(火) 06:57:03 0
キヤ
l ヤ
_l ヤ ,ィ'"(^ヽ
I::l::::::ヽ_,.-''"~ー`‐''^ヽ、
_____ィ___,,;;;;_... __( _;;>______
I:::::ヽI::::ヽI::::ヽ'............,,(. .):::ヽI::::ヽI::::ヽ
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::;;;,, ,,,,,..;;: >ニ二>二(⊃
F-2支援戦闘機が
>>1にASM-
>>2を発射!
もうこのスレいらんな
魏晋南北朝で統一しよう
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802 :
世界@名無史さん:2006/07/04(火) 19:26:35 0
>>795 俺も京劇の三国志を見た。泣いちゃった。
パンフの解説に「劉備は『侠』で孔明は『士』」云々と書いてあって、
面白かった。
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805 :
世界@名無史さん:2006/07/08(土) 12:10:53 0
何か三戦板とは別に戦国時代板ができたみたいだけど、
三国時代板もできるのかな?
誰か教えてくれ
魏軍は青旗、呉軍は赤旗、蜀軍は緑旗、 越軍は何色、赤壁の戦いで交戦してるな。
>>806 そもそも魏軍が青旗って何?ゲームの話?三戦板で聞いたら?
809 :
世界@名無史さん:2006/07/08(土) 20:59:40 O
祖茂祖茂なにを知りたいんだか
何も知りたくないんだろ。
だって疑問文になってねーもんw
今日の釣果はもひとつやったな、さあ寝よっと!
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813 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 09:10:47 0
裴松之の注の元ネタになったという歴史書って、現在はほとんど散逸してしまった、
っていうけど本当にもう知ることはできないの?
そもそもなんで無くなったの?国の歴史を記した公文書でしょ
実際どの程度残ってるんだろう
中国なんてむちゃくちゃ広いんだし、いい加減なところなんだから
田舎の図書館の奥に眠ってるような気がする。
あとはどっかの旧家の蔵に残ってる可能性とかないのかな。
最近になってそういうのが発見された、なんてニュースあったりする?
種本に詳しい人、いろいろ教えてくりりん
300年くらい前の水滸伝の120回本すら、日本にしか無かった国だぞ
815 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 10:15:02 0
中国の伝統的な紙は、水のなかに黄土の微粒子が混じっているせいで、
耐久性が和紙に比べるとずっと悪く、数百年でボロボロになる。敦煌など
辺境の乾燥地帯はともかく、中原の地では、古い写本も劣化しやすい。
1500年前の、私的編纂物がほとんど残っている国なんてないだろ。
日本で言えば聖徳太子のずっと前だぞ
817 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 12:28:46 0
じゃあ正史三国志が残ってる自体が奇跡みたいなもんなんだね
818 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 12:59:20 0
紙じゃなくて竹簡だろそれ
完全版とか決定版が印刷されると、それ以前のものはイラネとなる。
>>815 モノとしてはそうなんだけど、文字情報としての中身に言及しないと片手落ちかと思うよ。
中国に「旧家」などない。
清朝くらいまで
均分相続が前提だから、どんどん家産が目減りして
資産家も数代の内に貧窮してくる。
浮き沈みの激しい社会だった。
823 :
世界@名無史さん:2006/07/10(月) 00:55:49 0
呉は豪族連合で、魏も似たようなもの。
李通、楽進はそれなりの勢力があった。
/\_,, -―――-- _
| ∧ ___ `ヽ
/ ̄ ̄` ヽ ノ´__`ヽ \
\ _ノヽ〕斗- ―――‐\ \
\/ / \ )
| / | l l ___/ハ |ー―r‐‐'
| /_ノl 斗-ハl l/リ/ハ`刈 l |
〃 / ハ i|八 ィfテト イr'ハトj イ /
/ /ハ从ハハ い} ゞ-'〃/l/ は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
/ /l トi i}込 " '- "//斗
/ | !.N f´ _`≧ェイ「ニニ人___
〆 , / / て)(_) `ヽ \
// V / / /Y´l| 〉 \
/ ′ ∧ ∨イ シ弋‖ l / ̄个/
. / , 〈 \ ./ {{‐‐- ミ、 /l く/-=ミ /
/ , \ \j´ ̄` `ヾ `> 、__|`i i___
. / , \イ´ ̄`ヽ z \}‐<´| \ハ /
/ i /´7´ ̄`^ーへ_シ}=- ! ` ー} /
,′ l / 〃 ノ イ \ | V 〉
, (l i ノ) / i \! V
! ,人ノ`ヽ / / |i l i \
! ト\ / 〃 |l ! l \
, / | /イ 夾 夾 i ハ /j >
. V イ\ ∧/. ! // \ /ハ 夾 〈 ∧__, ´ /Lニ}
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/ム/厶/、_ ,厶_/ム/ーzj L\/ | \」| V`Y´
くヘ´ ̄`  ̄` l  ̄「ハ¬---Lz __∧ \
825 :
世界@名無史さん:2006/07/10(月) 07:03:23 0
〈 ノ /
し 妹 う 〈 ヽ 人 気 〈
て を ち 〈 ノ 間 に ヽ
い フ に 〈 , -――- 、 ヽ // 入 /
い ァ 来 〈 ____ \ } ‥ っ ヽ
で ッ て 〈 ※ ※ ※ ヽ / た /
す ク 〈'´ ̄ ̄ ̄ ̄`丶∠、 で ヽ
// r┘/ / l| ヽ V〉 す /
‥ r┘ / / /l/ヽ. ! l/i⌒ヽ /___
r┘l |≧:x/ / x:≦、| l |/ノ⌒Y⌒Yヽ___
r┘ T|l {イ:::´l { l リ / /! r'´ __
Y⌒Y⌒ ヽ. / ト、 ヽゞ ' ___ ゝ ' ノ イ l /´, `ヽ
, rー、ト、 Y ノ イ´ } '、 〃 /|ヽ. l
/ /⌒ヽ〉 >r ァ< { } ヽ l イ////X ノ
{. 〈 / 〉 「 不 7 T} } l 人!「 ̄ ヽイ
826 :
世界@名無史さん:2006/07/10(月) 16:27:00 0
しばらく来ない間に雰囲気が変わりましたね。
そりゃまともに参加できない奴はAA貼るしかできないもの
煽るな煽るな
かまわないのが一番いい薬だ。
829 :
世界@名無史さん:2006/07/11(火) 00:48:49 0
長沙の馬王堆から前漢時代の帛書などが相当数出土したから
今後貴重な書物が出てくる可能性は大だよ。
司馬彪の墓なんかが発掘されたら相当おもろい事になると思う。
830 :
世界@名無史さん:2006/07/11(火) 03:50:21 0
/\_,, -―――-- _
| ∧ ___ `ヽ
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\ _ノヽ〕斗- ―――‐\ \
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くヘ´ ̄`  ̄` l  ̄「ハ¬---Lz __∧ \
748 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2006/06/26(月) 21:59:42 0
なあ、正史板作った方がよくね?
たぶん↑の方でしつこくこれ言ってた奴だろうな
曹操の爺さんの墓は見つかったんじゃなかったっけ?
蒼天己に死すと読めるような煉瓦が見つかったとかいう
833 :
世界@名無史さん:2006/07/11(火) 11:51:33 0
俺は
>>716>>788だと思うんだが。
自分のお気に入りの本が完全に論破されて
しかもたった一つのレスで終わっちゃったんだから。
ムッキーーーってコピペ嵐で憂さ晴らししてんじゃないの
じゃあ、三戦板に引っ越そう
835 :
世界@名無史さん:2006/07/11(火) 19:38:44 0
なあ、三戦板に引っ越した方がよくね?
>>832 他にも曹家に対する悪口を落書きしまくってるらしいな
837 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 00:53:27 0
三戦出身のヤツは三戦に帰った方がいいよ。
所詮その程度のレベルだろうから。
なあ、正史板作った方がよくね?
839 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 06:39:41 0
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='| ショカツリョウ
i!f !::::: ゙、i 諸葛亮いわく
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
じゃあ、中国板に引っ越そう
841 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 10:37:19 0
>孫呉とかも言葉の問題では苦労してたそうな。
通訳がいたらしいし。
これは一体どこに書いてあるんだ?
842 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 13:02:34 0
>>841 そんなもん常識だろ
君は笑いのセンスがあるね
843 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 13:43:03 0
___
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' ,ィ= ミ
/-=o=- 彡ll'''~´
/::::::ヽ―ヽ -=o=-_ 彡lll / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|○/ 。 /::::::::: ぅミl < ち ん ち ん シュッ! シュッ! シュッ!
|::::人__人:::::○ `シ \_____
ヽ __ \ /
\ | .::::/.| /
\lヽ::::ノ丿 /
しw/ノ___-イ
844 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 14:15:45 0
/ ̄__,7
_____ / /
` ̄ ̄/ ̄ ̄\ / /
/ `\ / /_
_,. イ´ ̄7ン>- / \ _/7_ -‐ ''´,二_二 '' ー‐=r{
_,.. -,r ' ",.二二´ ̄-‐'' ´ \__` 二/ ``>=-、ー'
―''".. _ l、  ̄ _ 了= ー ― __r――――――  ̄ ̄ |!=-{ 〕
 ̄  ̄ ヽ、_ __ヽ ̄ ̄7_,__ ,,.. ゝ-‐'^`ー‐、
'ー'´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄` '' -、、 ヽ -‐'' ヽ、_ `` ‐、、 /
``''_-_、、___\_  ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
yahaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!
845 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 14:18:53 0
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: '~ニ=ッ, r='| ショカツリョウ
i!f !::::: ゙、i 諸葛亮いわく
i!ゝ!:::: ‐/リ
i::/:、 :::、 /''ii'V は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
 ̄ハ:::::\ "''il|バ''
846 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 15:39:27 0
なあ、正史板作った方がよくね?
848 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 17:20:11 0
ここでいってもしょうがないし。
運営に要望出せよチンカス君。
849 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 22:36:23 0
戦国時代も独立した事だし、三国時代も独立するのが
いいんじゃないかな?
850 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 01:52:01 0
ここでいってもしょうがないし。
運営に要望出せよチンカス君。
じゃあ、三戦板に引っ越そう
852 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 03:58:34 0
>>850 つーか、ここで話をしてから運営に持っていくのが手順だろ。
いかん、鼻くそにマジレスしてしまった・・・
>>852 ここで話をしてもしょうがないし。
運営に要望だそう
いかん、目くそにマジレスしてしまった・・・
854 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 05:44:43 0
裴松之の種本についてもっと話を広げてください。
紙や竹簡がボロボロになるのはわかったけど、その後に写本とか
編纂とかあったってよくない?なんでそこまでなくなっちゃうの?
1500年前とはいえ、そのころに書かれた物なんてヨーロッパじゃ
山ほど残ってるんだから、理由にならないし。
魏略とか魏武故事とか何が書いてあったか物凄い気になる。
あと正史三国志って65巻で全部なの?
欠けてる巻があったとしてもわかんないよね。
もうひとつ最新の三国志研究のネタも詳しい人教えて。
朱然の墓から出てきた埋葬品はどーなった?
855 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 06:01:02 0
最近見つかった物っていうの
朱然の墓
曹操の爺さんの墓
馬王堆の墓
蜀で青銅の馬車出土
って感じかな?他にある?
856 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 06:29:20 0
>紙や竹簡がボロボロになるのはわかったけど、その後に写本とか
編纂とかあったってよくない?なんでそこまでなくなっちゃうの?
ハイ注の元ねたになったものは全部が全部なくなっとるわけじゃないよ。
唐の類書(芸文類シュウ)やなんかに引用されて部分的にのこっとるよ。
>魏略
魏略は輯本あったんと違うかな?
>855
走馬楼呉簡の出土。あと馬王堆の墓は前漢。
857 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 07:40:50 0
それからの数日は何事もなく進んだ。湯原は楓が口を割ってしまうのではないかと内心不安だったが。
(これで獲物は4人に増えたんだ、結構すごいじゃないか。)
教室の中心で今まで通りに振る舞う楓を見て、湯原はほくそ笑んだ。
湯原の興味はもう小夜子に移っていた。年下の女の子をどうやって堕としてやるかを考えただけで、湯原のペニスはふくらんでいった。
放課後、チャイムが鳴ると同時に湯原は教室を飛び出し、下駄箱へとかけていった。
そして楓の靴の中に、
『倉庫で、湯原』
と書いた紙を入れ、倉庫へと歩いていった。
倉庫に着いて扉を開けるといやなにおいが鼻を突いた。この前は気づかなかったが、いつも締め切られているこの倉庫はあさぎ・千夏・楓・の血と愛液、そして湯原の精のにおいが立ちこめていた。
湯原は扉を限界まで開き、中の窓も開け、外から見えないように古い跳び箱の裏に身を潜めた。
しばらくして楓がやってきた。ブラックデニムのパンツとカラフルなタンクトップ。
(これで楓が女の子っぽかったらもっともててただろうな。)
男子を誘うような格好をしている楓を見て思った。
楓は辺りを見回して誰もいないと思ったのか、扉の方に向かうとキョロキョロと外を見回し、扉を閉めた。
湯原はしばらく楓を観察することにした。湯原が立てた計画を実行するまでには少し時間があった。
楓はしばらく扉に寄りかかっていたが、床に着いた血痕を見つけて指でなでた。
明らかにもう乾いていたが、楓はその指を鼻先へと近づけた。
湯原はそこで顔を出した。しかし楓は気づいている様子はない。湯原はひっそりと後ろに回り込むと、楓の胸を鷲づかみにした。
楓はびくっとのけぞったが声は上げなかった。白いスポーツブラ越しに思いっきり胸を掴んだ。
「きゃひぃっ!!」
甲高い叫び声を上げ、楓の体が震える。
(!?)
湯原は慌てて楓の口をふさいだ。
胸から手を離し、楓の耳へと口を近づけた。
「大声を出したらばれちゃうよ。気をつけなきゃ。」
楓は湯原の生暖かい息に身を震わせるが、コクリと頷いた。
湯原は楓の口から手を離した。もうそこには教室で見たボーイッシュな顔はなかった。
湯原は楓の服に手をかけると上に引っ張った。楓がそれに併せて手を上に向け、タンクトップは簡単に脱げた。
同じようにスポーツブラも脱がし、胸が露わになった。楓に抵抗する気配はないが、体が小刻みに震えているのがわかる。
「楓、ちょっと頼みがあるんだけど・・いいかな?」
楓に選択の余地はなかった。頭が縦に揺れる。
「ちょっと図書室に行って小夜子ちゃんを呼んできてほしいんだけど。」
湯原が図書室で千夏と小夜子を辱めてから半月以上たっていた。
楓は黙って近くに無造作に投げられたブラとタンクトップを探した。
タンクトップを拾い上げ、ブラに手をかけようとしたとき、湯原の手がさっとブラをすくい上げた。
「はやく行ってこなきゃね。こんなのつける時間なんてないよ。」
湯原は指でくるくるとブラを回した。最初にあさぎを勢いで犯したのとは違う、自信に満ちて、余裕のある顔つきだった。
楓は仕方なくタンクトップに体を通した。ブラの押さえがなくなった楓の胸は、タンクトップの上からでもその存在感を示していた。
タンクトップの横からはちらちらと日焼け跡と、乳首が見え隠れしていた。この格好で繁華街の路地にでも押し込んだらただじゃすまなかったであろう。
楓はくるくると回るブラに目をやると、顔を伏せながら扉を開け、駆けだしていった。
しばらくすると外から駆け足の音が聞こえ、小夜子の手を引いて楓が入ってきた。
最初楓の顔を見て困惑した表情をしていた小夜子だったが、湯原の顔を見て恐れの表情に変わった。
-=・=- -=・=-
864 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 08:31:52 O
長沙馬王堆はこの時代じゃないぞ
まだ曹操が生きていた頃、撤退戦をやったのだが馬の数が合わなくて俺達が張春華を騎馬戦のように担いで逃げることになった。
最初は男達に乗る春華も恥ずかしかったらしく、男の腕にお尻をつけないようにして剣を持って戦い、撤退を援護していた。
でも次第に騎馬の体勢が崩れてきて右側を支えていた奴がこけてしまったので、上に乗っていた春華は左側を支えていた俺の右腕にまたがるような格好になった。
俺も右腕だけで支えるのはきつかったが、なんとか崩れないように右腕で春華を上に押し上げていた。するとその春華は
「あっ・・・まって・・・ちょっと・・・あっ・・・あたってる・・・あたってる・・・あっ・・・」
と俺の右腕を挟みこむようにして腰を捻った。
一介の兵士の俺に「あたってる」のが何なのか分かるはずもなく、
「今はまだがまんしてくだされ!」と訳も分からず励ましていた。
春華は「う、うん」と頷いたきり前を見据えてこちらを見ようともせず、力んだ顔をしている。
横から敵の騎馬隊が突進してきた。
迂回しようとするがバランスが崩れてしまい、右腕を思いっきり春華の股間に押し付けるように突き上げてしまった。
「ひゃぅんッ」と声が漏れた。
なんだ?今の?
見上げると真っ赤な顔とした春華と目が合った。
その喘ぎ声の理由を知る由もなく、「痛かったですか?」と尋ねると、何も言わずにフルフルと首を振った。
「よし!このまま攻め込むぞ!」と隣の友人の兵士が叫んだ。
俺もそれに乗じて二人で前方へ疾走する。
が、当然それには上下運動を伴い、上に乗る春華の股間は何度も俺の右腕に押し付けられる。
「んっんっんっ・・・」
振動に合わせて春華の鼻にかかった息が漏れる。
俺は一般兵なりに何か淫靡なオーラを感じ取っていた(恐らく友人もだろう)が、撤退中に立ち止まるわけにも行かず、相変わらず春華に上下運動を与え続けていた。
しかし次第に春華の「んっんっ」が「んっあっふっ」と声音を帯びてきた。
俺の頭に乗せていた手に次第に力がこもり、ギュウとつかんでいるのが分かった。
しかしここでアクシデントが。友人が足を捻り、転びかけ、体勢を立て直すために踏ん張ったが、その時に春華の股間に最大の衝撃を与えて
もうダメかもしれんね、このスレ
駄目にしてるのは諦めてる連中とかまう連中
じゃあ、三戦板に引っ越そう
869 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 11:52:08 0
ここでいってもしょうがないし。
なあ、正史板作った方がよくね?
∧ ∧
(*‘ω‘ *) ちんぽっぽ!
( )
v v
ぼいんっ
川
( ( ) )
(^ク^)(^ン^)(^ニ^)(^チ^)(^ワ^)
もう次スレいらないな
「伝え聞く結果は耳を疑うばかりの力量の差。すでにテイ族、羌族の調教も始められたとか。」
と静かに尋ねる馬騰。
「調教は3年をめどにしている」
と答える曹操。
「すべては当初の絵図どおりと?」
「長子、馬超は」
曹操が静かに語り始めます。
「天下に何ら益するところのない凶刃。」
無言で曹操を見詰め返す馬騰。
「俺はアナルの死角を衝かれたよ」
微笑む曹操。ハッとする馬騰。
思わず破顔して尋ねる馬騰
「イサキは釣れてておりましたか?」
その頬を涙がつたいます。
「季節はずれの大量だがな」
と答える曹操。馬騰の目からは涙が溢れ出て止まりません。
「摘みとるには骨が折れますな?」
「コマセが効くのはこれからというところなのだが、先に詔勅が発せられてしまった」
と背後の楽隊に手をあげる曹操。奏でられる鎮魂曲...
「しからば、曹操!」
と叫ぶ馬騰。その目にはもう涙はありません。
「さらばだ。西方、叛の一族」
と告げる曹操。
刑吏の鉈が一閃、アッー!
876 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 15:05:37 0
>>856 >魏略は輯本あったんと違うかな?
↓これのことですね
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/kosyo/kosyo-58.html 正史三国志を読破した人で、ここまで読んだって言う人はあまり聞いたことがないんですけど
魏略輯本や現存する裴松之の他のネタ元まで読んだぜ!っていう人いますか?
どんなことが書いてあったのか、気になる内容があったら教えてください。
またその類で和訳されているのってあるんでしょうか。
走馬楼呉簡の詳しい研究内容は、今年の秋にシンポジウムが開かれるそうですが
どんな内容になるんでしょうね。
結構謎が多い南荊州の当時の状況や、交州の異民族やその地域と中原との関係
なんかわかると、新しい発見があるかもしれないです
このスレからおしりの匂いがしてくる
お前の肛門の匂いだよ
なあ、正史板作った方がよくね?
|_| @ |l
┌─┴─‐┐ ─◇
│| ̄ ̄ ̄|│ 人 HEY! Ready! Set! Go! ド派手にいこう! サビだけに盛り上がろう
│|___|│ (__) 弾けろBODY&SOUL 太陽より熱くなれ HEY! Ready! Set! Go!
└───‐┘ (__) 走る雲 追いかけるぜ! FULL回転大地を蹴り上げ 空を突き抜
( ・∀・)_けろ 君の笑顔で無我夢中人
( つ¶ /\_\. |[l O |
│ │ |\/__/ |┌┐|
(__)_) __ll__ |└┘|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
もうこのスレいらんな
魏晋南北朝で統一しよう
このスレからイカの匂いがしてくる
___
./ \
.| ^ ^ |
| .>ノ(、_, )ヽ、.| <見ちゃらめえええええええええええええええええ
_c―、_ _ __ . ! ! -=ニ=- ノ! _ _ _,―っ_
三 ツ ´⌒  ̄\`ニニ´/ ̄⌒ヽ ゞ 三
 ̄  ̄`――、__ィ ,  ̄ヽ , )__,-――' ̄  ̄
`i^ ー '` ー 'ヽ
l ヽ
| ⌒ |
,-――、_ l ,,,@,,, ノ _,――-、
( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ノ /
\ ヽ、 ヽ ;ミシミッ ノ ,ノ. /
\ l`ー‐--―イミ.i i.ミー'`ー‐--―' /
〉 イ `ー∪' 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
884 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 18:03:38 0
精子板新設おめ!
オナクール
>>876 正史『三国志』はもともと66巻。欠けてるのは陳寿の自序だと言われてる。
『華陽国志』はほぼ完全な形で残ってる。『漢紀』『捜神記』『抱朴子』もあるね。
『襄陽耆旧記』『魏略』『風俗通』には輯本がある。
『魏都賦』『典論』は『文選』に収められてる。
そのほか『御覧』『冊府元亀』『北堂書鈔』などに一部が引用されてることがあるよ。
サイトは知ってるけど教えナーイ。
>>886 おまえさあ、せっかくそういうレスできる癖に最後の一行で全てダメにしてると思わん?
別に。
固有名詞いっぱい出てるから検索すれば簡単に分かるっしょ。
『太平御覧』や『冊府元亀』にも引用があるんだな。知らなかった。持ってないけど…
太平御覧を持っていて愛読している一般日本人の方が遥かに希少だろ。
いや、太宗じゃないから愛読はないだろうけど… ちょっと前に知人が欲しいとか言ってたが。
___
./ \
.| ^ ^ |
| .>ノ(、_, )ヽ、.| <見ちゃらめえええええええええええええええええ
_c―、_ _ __ . ! ! -=ニ=- ノ! _ _ _,―っ_
三 ツ ´⌒  ̄\`ニニ´/ ̄⌒ヽ ゞ 三
 ̄  ̄`――、__ィ ,  ̄ヽ , )__,-――' ̄  ̄
`i^ ー '` ー 'ヽ
l ヽ
| ⌒ |
,-――、_ l ,,,@,,, ノ _,――-、
( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ノ /
\ ヽ、 ヽ ;ミシミッ ノ ,ノ. /
\ l`ー‐--―イミ.i i.ミー'`ー‐--―' /
〉 イ `ー∪' 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
893 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 21:51:22 0
正史板作成に何でこんなにムキになって反対するんだろう?
三戦板出身だから、そこを否定されるのが我慢できないのかな〜?
だってアソコは90%がネタスレで構成されてるし、まともな
人間が寄りつかないのは火を見るより明らかだしな〜。
一つの話題が長く深く論じられる為には正史板もしくは三国時代板
があった方がいいというだけなのだが・・・
三国志正史限定板立てるくらいなら
中国史総合板の方が遥かに需要があるだろ。
但し中華人民共和国以前に限定しないとウヨサヨの喧嘩になるので
せいぜい、中華民国の孫文までを範囲とすればいい。
>>891 あんまり高くないしね。せいぜい2〜3万くらいだよ。
ネットでも読めるし。
896 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 22:24:49 0
>>894 だよな。三国志にそんな需要があると勘違いしちゃ駄目だよ。
所詮演義に人気があるってだけの話なんだから。
仮に中国史板立てたら、田中芳樹信者が荒らしに来る予感がする。
「岳飛最強!」とか連発して
899 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 23:08:42 0
戦国時代が独立して板になってる以上、三国時代も
それに準ずる人気があると考えるのも不自然ではない。
中国史板も確かに魅力的だが、現中国板を見ると少し
建てるのは危険な気がするな。
何かと理屈をつけて板作成に反対するのが解せないのだよ。
反対のための反対としか思えない。
そんなに板作りたかったらしたらばのレンタルBBSでも借りて一人で作ってろ
901 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 23:48:55 0
三戦板に帰れ。
三国・戦国、ともに人気があるから戦国時代が独立したと考えるより、
三国・戦国のうち、戦国時代だけがまともだから独立したと考えた方が自然だと思うがw
じゃあ、三戦板に引っ越そう
2chで板が新設される場合って
基本的に「隔離」の意味合いが強いことが多いよ
なあ、正史板作った方がよくね?
906 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 04:07:52 0
/\_,, -―――-- _
| ∧ ___ `ヽ
/ ̄ ̄` ヽ ノ´__`ヽ \
\ _ノヽ〕斗- ―――‐\ \
\/ / \ )
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〃 / ハ i|八 ィfテト イr'ハトj イ /
/ /ハ从ハハ い} ゞ-'〃/l/ は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
/ /l トi i}込 " '- "//斗
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〆 , / / て)(_) `ヽ \
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このスレからおしりの匂いがしてくる
正史板作っても、演義厨や光栄厨はやってくる罠。
まあしかし、三国と戦国は分けてもいい罠。
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一つのスレで複数の話題がバラバラに展開されるから嫌、
で、世界史板に三国時代のスレ乱立させられない
三国志を話題別に集中して話したい、ってわけだろ?
そのための三戦板じゃねーの?
やっぱり、正史板作った方がよくね?
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| .>ノ(、_, )ヽ、.| <見ちゃらめえええええええええええええええええ
_c―、_ _ __ . ! ! -=ニ=- ノ! _ _ _,―っ_
三 ツ ´⌒  ̄\`ニニ´/ ̄⌒ヽ ゞ 三
 ̄  ̄`――、__ィ ,  ̄ヽ , )__,-――' ̄  ̄
`i^ ー '` ー 'ヽ
l ヽ
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,-――、_ l ,,,@,,, ノ _,――-、
( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ノ /
\ ヽ、 ヽ ;ミシミッ ノ ,ノ. /
\ l`ー‐--―イミ.i i.ミー'`ー‐--―' /
〉 イ `ー∪' 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
913 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 11:23:00 0
生理用ナプキン=曹丕
老人用紙オムツ=司馬懿
914 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 11:50:20 0
AA荒らしは明らかに三戦厨の仕業だろ。
三戦厨でもこんなヤツは稀にみる…
どっちかっていうと、三国無双厨とかいうヤツじゃなかろうか。
___
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| .>ノ(、_, )ヽ、.|
! ! -=ニ=- ノ! <なあ、正史板作った方がいい
/´⌒´ \`ニニ´/´^ヽ⌒ヽ
/ ィ , ̄ ヽ , )` `ヽ
/ ノ^ ー '` ー 'ヽ ゙i
ノ ,,,ノ Y´゙ )
( < | ⌒ ! /
ヽ_ \ ノ_/
ヽ、__ ヽ.ー ,,,@,,, ノ ソ、
〈J .〉 ヾ、.::;;;;;;::.ノ |ヽ-´
/"" ;ミシミッ |
レ イミ.ニニ⊃リ
,ゝ ,ノ `ー−' ヽ ノ
/ ` レリ i´ リ
i / `、 i
〉 イ 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
もうダメかもしれんね、このスレ
918 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 16:31:00 0
三戦板は厨隔離板だから正史を語る板としては機能しない。
正史ってどうしてイカ臭いでぃすかー?
920 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 17:01:51 0
(;´Д`) シコシコシコシコ
_(ヽηノ_
ヽ ヽ
( ゚д゚ ) !
_(ヽっノ_
ヽ ヽ
(*゚д゚*) シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
_(ヾηノ_
ヽ ヽ
921 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 18:17:09 0
AA荒らしは何が望みなんだ?
とりあえず言ってみ?
三戦板だってちゃんと探せば正史基準で割と実のある議論してるスレがそこそこあるのにね。
板の新設なんて住民の総意なんかどうでもよくて、運営の判断が全てだからここでいくら訴えても無意味よ。
とりあえず、三戦板にも立ててみて様子を見るとか
かといって、世界史版から三国時代分が消えて無くなるのもな。
ていうか、AA荒らしなんぞに五胡すれや六朝スレや東晋スレに来られても困る
というか、正史板って事は史記だろうが漢書だろうがOKって事か?
三戦でも酷い子は正史を固有名詞と勘違いしてる手合いがいたりするんだが
24史全部… たしかに、「正史」を三国志オンリーのものと思ってる手合いはいたりする。
でも、正史全般なら、専門板があってもイイ。
正史及びその時代を表記した文献遺跡等ってのは
チャイナのみで新設するよりだったら、このまま世界史板でいいんじゃね?
929 :
世界@名無史さん:2006/07/15(土) 00:31:18 0
正史板ってのは三国志正史板の事だろ・・・
このスレタイと同じように。
. i、 ,‐" ̄◎ ゙̄'‐、ィi
\ミゞ._陸__ィミ/
/~ ̄ ̄ ̄~\
/ ^ ^ ',
. 彡 (_人_) ミ
i"| 。 |i ピュピュ
ヽi 。 iノ
', ∩ /
ヽ (. ) /
', i! /
(___/ \___)
梅
正史関連のスレなら定期的に三戦板に立ってるし、歴史的考察をしたいスレなんかは
正史準拠で進んでるじゃん。
ただし演技と正史がごっちゃになってる人、オタクアニメだと勘違いしてる人
ゲーム脳な人もかなりの割合でいる。
そういうのがたまに割り込んでくるのは、ちょっとうっとしいけどそれぞれ楽しみ方があるからね。
否定はできないよ。
それが苦痛の人は世界史板でいいんじゃない。
だいたいそんなに移動したいなら新しくスレ立ててみればいいじゃん。
なんでいちいち聞くの?
933 :
世界@名無史さん:2006/07/15(土) 09:13:14 0
三戦板に普通に住める神経がよくわからん・・・
学問的に語りたい人間にとってあの空間はきついと思うが。
よくスレ一覧を見てみ?
>>933は
ノ^ヽ, ___ i┐ ヘ _____. ,ヘ ,ヘ ,ヘ ,¬, ┌───┐
/∠ゝ,,ヽ! | | | ノ/└┐i-i┌-! ┌ゝムゝム!∠-i ノ ヘ,.ヽ.,, |__!三三!__|
くイ'三三┐| | | | / |'┌┘!-!└┐ | |二二二二マ | ,.-''" ∠--ゝ ,"フ i''',二二二,'''i
| ,二二, | | | | | <,. | | n n n |  ̄ !---'ゝ/└┘ 丶-'======='= |. ,二二二', |
| i三三┘| | | | | | | || | | | | | ┌----! '----┐ └--, ,-,..---┘ | '二二二,' |
丿,. ┌┐"|U | | | | | U U U | " ̄ ̄] | ̄ ̄" _/ ∠,..ゝ\ |__ ̄二 ̄__|
'V |__二_| エ_| |_| |__i-----i__| 匸_.」 !,. ----''''"ヽ,ゝ i二ノ \__',フ
>>886 三国志の歴史資料で、正史に次ぐ物って何だと思う?
種本っていっても、漢代の歴史の中のひとつとして、
ほんのちょっと言及してあるだけで、量も内容も物足りない
ような気がする。
正史をなぞってるだけというのも多いし。
それ考えると陳寿の三国志が唯一の物になってしまうのかな。
三国時代の資料って少ないね
___
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| .>ノ(、_, )ヽ、.| <見ちゃらめえええええええええええええええええ
_c―、_ _ __ . ! ! -=ニ=- ノ! _ _ _,―っ_
三 ツ ´⌒  ̄\`ニニ´/ ̄⌒ヽ ゞ 三
 ̄  ̄`――、__ィ ,  ̄ヽ , )__,-――' ̄  ̄
`i^ ー '` ー 'ヽ
l ヽ
| ⌒ |
,-――、_ l ,,,@,,, ノ _,――-、
( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ノ /
\ ヽ、 ヽ ;ミシミッ ノ ,ノ. /
\ l`ー‐--―イミ.i i.ミー'`ー‐--―' /
〉 イ `ー∪' 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
938 :
世界@名無史さん:2006/07/15(土) 13:10:12 0
,へ/了
/:::::::::::/ ,. -−─ァ
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/;/:::::::::ヽ::::`::ー‐z / ┼ヽ \
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{ト{从:::;トlA人ゝ:;ノ:::_ゝ \ ⊃/
、 `Y!fj fj ,} ,ハn::::::>  ̄ ̄
_ {{" "{::::}'_;戈 _ __
,. W>゚zn'アW- 、 ヽ ┼ヽ \
/ ,^^ー'/ ハ | (「`) |
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,.r,ニニ、‐-、,.-‐<、_,/__ゞレ′ /l.:.:.:.|  ̄ ̄
`^ヽとニ_ノ_〈,仏、_,リ_ /: l!.:.:.:l、
 ̄》 : : l!::.:_」勺 ̄`\
/ ハ、.: :{/ `「`丶 >
〈 人}}: :〈 ト、 Y
∨:.:.:リ_: :ゝ、 /.:.:\__ノ
必死じゃないか
そんなに難しい話か?
無理して正史なんか興味もたないで、恋姫無双やってなよ
淋しいんだよ。そして、時間が余ってるから荒らしてるんだろ。
そのうえ言葉も知らないからAAしか貼れないんだよ
(´・ω・`)知らんがな
>>936 正史晋書は押さえとくといい
魏末期の人物や蜀滅亡後の元蜀臣とかも結構載ってる
そもそも中期三国志キーパーソンの1人である司馬懿が晋書に帝紀立てられてるしね
三国時代に限った話ではないけど、一冊あれば全て丸く収まるっていうそんな便利なものはないよ。
まとまった分量の物で現存するのは『資治通鑑』『華陽国志』『漢紀』『建康実録』辺りか。
あとは諸家の後漢書・晋書を調べるとか、
『太平御覧』『冊府元亀』『北堂書鈔』『初学記』『劉注世説新語』『水経注』から逸文を探すとか、
『東観漢記』『魏略』『襄陽耆旧記』『風俗通』などの輯本を参照するとか、
『曹操集』『孔融集』『陳琳集』『王粲集』などの個人文集を見るとか、
『金石萃篇』『隷釈』『漢魏南北朝墓誌彙編』などの石刻史料を漁るとか、いろいろあるでしょ。
『全後漢文』『全三国文』とか『通典』とかはチェックした?
『三国志』以外の史料を読まずに三国時代の資料が少ないってのはどうなのよ。
とりあえず『三国志集解』を読んでみることを禿しく推奨。
(´・ω・`)知らんがな
>945
?
>>943 あんたが薦めたいのは「人間革命」じゃないの?
おまいら… せっかくあれだけのものがある、って教えてくれてるのに。
向上心ないね。
で、冊府元亀といえば、唐五代と思っていたけど、三国時代近辺のも挙げられてるんですね。
,,―‐. r-、 _,--,、
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/ \ ヽ,゙'゙_,/ .゙l、 `i、 \ _,,―ー'''/ .,r'"
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.ヽ、 丿 \ .\ ,/′ 、ヽ,,、
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ヽ .]゙l `゙゙゙゙"゙゙゙゙ ̄ ̄ `'i、 ,/ .,,/ .ヽ \
゙ヽ_/ .ヽ_.,,,,--―――――ー-ノ_,/゙,,/′ ゙l ,"
` ゙‐''"` ゙'ー'"
>>943 正史に載ってない人物の伝なんてある?
内容がかぶってるのものがほとんどじゃん
考えることを停止してる奴に何をいっても無駄w
>>952-954 自演までして、無理に参加することないよ
キミのレベルじゃまだこのスレは早すぎる
>>952-955 自演までして、無理に参加することないぜ
三下のレベルじゃまだこのスレは早すぎる
コピペしか能がな(r
>>943 最近は石刻史料の日本語訳してくれているサイトとかもちらほらと見受けられるようになったしね
ネットの普及はマジありがたい
>>951 太平御覧だと諸葛亮の下で武器の製造に従事してた蒲元の伝とかあるぞ
正史三国志には蒲元の名前も出てこないんじゃないかな
正史三国志に記述が無い為に諸葛亮にその功績を吸収されてしまったかわいそうな人その1
そろそろコピペ荒らしが始まるぞ
961 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 18:36:47 0
なぜ最近はやりの呉簡の話が出ないのですか?
まだ中身わからないから失念してた
呉蘭より呉班 呉班より呉匡、呉匡より王匡の話しようぜ!
965 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 22:51:10 0
長沙呉簡の話は出たよ。
まあ、言うほど大したモンじゃない。
と言ったらかみつかれたけど、実際その程度。
966 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 00:31:54 0
全く面白味のない奴らだね
>>943あたりなんかは、知識がそれなりにあるのを認めるけど、コミュニケーション能力は皆無だ
話し広げることもできねえのかよ!?得意ジャンルだろ??
まあこんなとこでは得意げになってるけど、実物見たらどうしようもないオタクなんだろうな
とりあえず初デートで三国志の話はするなよ
>>966 史料の提示だけで充分話し広がってるよ
お前も食いついてるじゃん
968 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 01:39:30 0
三戦板はネタ板として、歴史を語る板として三国時代板もしくは
三国志正史板があるといいのだが・・・
考察系はこの板で十分だと思うが。
>>959の古代中国史板が出来るといいんだが。
古代中国史板なんて意味ないだろ。世界史板でも過疎ってるのに。
春秋戦国や項羽と劉邦の争いですら大してネタにされないのが現状。
漢、新、晋に五胡、ましてや二里頭、殷、西周なんて全く語られない。
そんな現状で古代史板なんて意味なし。
971 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 03:23:22 0
正史板に関しては、この板の単発質問それぞれがスレになるよ。
2chには河川・ダム板とかよく分からない板が結構あるし、
それに比べたら三国志板があるのなんて全然普通。
>>971 >正史板に関しては、この板の単発質問それぞれがスレになるよ。
ならねぇよ。馬鹿。
973 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 07:58:15 0
>>964 呉班も呉壱同様に高位に出世したのに謎の人物だよね。
呉壱は結構戦功もあったみたいだけど、呉班は戦功も不明だ。
三国志ネタというか三戦板だと、史実に絡むと全て正史だと勘違いしてる
やたらと攻撃的になる輩がいる
華陽国志や資治通鑑が正史かっつうの