16世紀世界各国の軍事力を比較するスレ

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1世界@名無史さん
戦国時代の日本は火器保有率が世界一だとか、欧州を席巻できるとかいう話が時々出てくるので
興味深いと思って立ててみた。
各国の兵力や戦闘スタイル、装備などのデータを出し合いましょう。
2世界@名無史さん:2006/02/26(日) 22:09:21 0
過去同種のスレがいくつも立って語り尽くされてる。

終了
3世界@名無史さん:2006/02/26(日) 22:14:36 0
あったっけ?
4世界@名無史さん:2006/02/26(日) 22:32:51 0
スパニッシュ・スクエアの全盛期か
5世界@名無史さん:2006/02/26(日) 22:39:11 0
またオスマン厨が現れてオスマンをマンセーして終るだけ

終了
6世界@名無史さん:2006/02/26(日) 22:57:33 0
ロシアについて調べたら書きます。
7世界@名無史さん:2006/02/26(日) 23:45:32 0
16世紀のイングランドの軍隊は大陸に比べてかなり遅れてたらしい。
ヘンリー8世の時代になっても「ロングボウと銃はどっちが有利か」なんて論争をやってたw
日本でいうと本能寺の変の頃にようやく軍制改革が始まる。
8世界@名無史さん:2006/02/27(月) 01:31:33 0
16世紀末最強の軍隊は?
http://mentai.2ch.net/whis/kako/963/963408181.html
16-17世紀のアジアの軍隊で精強といえるのは?
http://mentai.2ch.net/whis/kako/1009/10095/1009541603.html
16世紀末期の日本武士団は世界水準だったのか?
http://mentai.2ch.net/history/kako/984/984580457.html
9世界@名無史さん:2006/02/27(月) 03:05:51 0
>>7
そうだね。イングランドは当時は

貧弱貧弱ゥ!!

だったみたい。
10世界@名無史さん:2006/02/27(月) 03:21:13 0
>>7
実際、16世紀の時点では「ロングボウと銃はどっちが有利か」は微妙な問題だろ。
11世界@名無史さん:2006/02/27(月) 07:37:10 0



終了
12世界@名無史さん:2006/02/27(月) 07:41:16 0
オスマン帝国が世界最強に決まってんだろ。
答えがわかりきってるのにクソスレ立てるなよwww
13世界@名無史さん:2006/02/27(月) 09:58:21 0
>>10
でも大量動員の時代に弓兵は訓練に時間がかかりすぎるのが痛い。
トルコの合成弓はロングボウより速射性が高くて強力だったらしいけど
結局大量の銃兵が必要でイェニチェリを水増してる。
14世界@名無史さん:2006/02/27(月) 12:39:32 0
正直オスマン帝国は、西はウィーン、東はイラクが攻勢限界だったと思う。
15世界@名無史さん:2006/02/27(月) 17:14:20 0
「長篠合戦の世界史」って本に書いてるけど、ヘンリー8世はイタリア式築城術を馬鹿にして
砲撃に耐えられない円形要塞を次々と建てたらすぃ。
国教化でカソリック教会から巻き上げた金がそれですっからかんになってしまった。
ギャグとしか思えない。
16世界@名無史さん:2006/02/27(月) 17:20:45 0
オスマン帝国イエニチェリ軍団 VS 伊達政宗率いる騎馬鉄砲兵

面白そうな対戦だが。
17世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:07:23 0
当時の日本の軍事力がヨーロッパを上回っていたなら、
国内戦なんかせずに、とっとと全国の軍が日本国軍になって
海外進出して植民地をたくさん作ればよかったのに。
国内戦で同民族同士戦うよりましだろう。
もし当時の日本がそうなっていたら、俺はそっちの方が興味深いな〜。
18世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:11:18 0
朝鮮すら支配できませんでしたがなにか?
19世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:24:08 0
架空戦記モノを語りたいのなら軍事板にでも逝け。
20世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:35:56 0
石器時代の国にしか勝てなかった16世紀のヨーロッパは朝鮮より弱い
21世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:48:29 0
16-17世紀のアジアの軍隊で精強といえるのは?
1 名前: ショーペンハウアーたんハアハア 投稿日: 01/12/28 21:13

日本の戦国武士と比較して、各々どの程度の実力があったのでしょうか?

4 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/12/28 21:26

初心者の例

西洋の銃装備率だけ見て、日本が世界最強だと吹聴する。

5 名前: 4 投稿日: 01/12/28 21:27

同じようなスレ立てるのはやめて欲しいですね。
以前も同様のものがあったでしょう。



6 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 01/12/28 21:39

なんでこんなに厨房率が高くなったんだ・・・・コヴァ板並みだ。

↑わろす この板って5年前から変わってないんだね
22世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:50:54 0
板違いスマソ
織田信長は、当時は例の無かった鉄砲の統一基準による生産を開始したって話を聞いたけど、
日本史は門外漢でわからない…。
23世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:57:26 0
戦国時代の日本にイタリア式築城術の要塞を陥落させる能力はないだろう。
そもそも大砲すらろくにないというのに。
24世界@名無史さん:2006/02/27(月) 20:05:16 0
大砲などの火器は中国では十三世紀には存在していたが
日本への移入は十六世紀。
25世界@名無史さん:2006/02/27(月) 20:22:19 0
>>24
元末明初の戦争では火器が盛んに用いられたようですが
朱元璋が天下統一してからは技術革新がおこなわれず
この頃は西欧やオスマン帝国の火器を利用してたようですね。

明軍では日本式の「倭銃」の導入も検討されたようだけど
「点火孔の位置が顔に近い」という理由で採用されなかったらしい。
26世界@名無史さん:2006/02/27(月) 20:38:38 0
銃・火砲の世界史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1120655663/l50

大砲や鉄砲の話題なら上記スレで
27世界@名無史さん:2006/02/27(月) 21:15:55 0
終了。

本当に何の発展性も無いクソスレ
28世界@名無史さん:2006/02/27(月) 21:34:00 0
わざわざ16世紀と限定したから戦国厨が湧いたな。
29世界@名無史さん:2006/02/27(月) 21:34:18 0
誰か当時のスペイン軍とフランス軍について解説キボン
30世界@名無史さん:2006/02/27(月) 22:41:13 0
オスマン帝国が最強だって言ってんだろうが。
31世界@名無史さん:2006/02/27(月) 22:51:16 0
>>30
部族兵の寄せ集めだったサファビー朝にほとんど連戦連勝だったけど
ついにペルシャを征服できず、逆にアッバース1世の軍制改革後には
アゼルバイジャンを奪還されてしまった。
やはりロジスティクスに限界があったんだろうね。
32世界@名無史さん:2006/02/27(月) 22:53:09 0
過去同種のスレが何度も立てられた。
しかもかならず、16世紀でw
336です:2006/02/27(月) 23:02:10 0
ロシア(モスクワ大公国)

16世紀半ばまで、モスクワ大公国軍の主力は勤務士族(ドヴォリャーネ)や小貴族(ヂェチ・ボヤールスキエ)で、
軍事奉仕とひきかえに与えられた知行地からの収入で装備を自弁し、従者ともども騎兵として戦った。
弓矢、サーベル、槍、斧、短剣、のちにはピストルやカービン銃なども騎乗戦闘に用いられたらしい。
裕福なものは甲冑を着て戦ったが、西欧式のプレートアーマーではなくトルコのシパーヒーのようなチェインメイルと
プレートを組み合わせた鎧が主流だった。貧しいものはキルト縫いの防衣しか着ていなかった。
当時のロシアを訪れたイギリスの大使は、一般の騎兵は弓矢と剣以外何も身に着けていない、下士官クラスになると
鎖帷子などある程度の防具を装備している、弓矢はトルコ人のものと同じでタタール人のように騎射戦術をおこなう、
などと観察している。
これら騎兵部隊の馬はノガイ・タタール人から輸入したモンゴリアン・ポニーがほとんどだった。ツァーリや大貴族は
少数のサラブレッドを所有していたらしい。
1550年にイヴァン雷帝はロシア史上初の常備軍である銃兵隊(ストレリツィ)を設立した。
都市の商工民からの徴兵による歩兵部隊で、主兵器はアルケブス銃やマスケット銃であったが近接戦闘用の武器として
剣と半月矛(バルドゥイシ、射撃の際には銃架として用いられる)を装備していた。連隊ごとに色の違う制服を支給された。
当時の年代記によると銃兵は射撃に習熟しており、飛ぶ鳥を容易に撃ち落すことができたという。
(正確な射撃を訓練されていたとすれば、一斉射撃で弾幕を張るような戦術は使わず、日本の火縄銃兵のように
狙って撃っていたのだろうか?)
設立当初の兵力は500名の連隊が6つで3,000名であったが、16世紀末までに2万人以上に増大していた。
平時にはモスクワをはじめ各都市の警備や治安維持にあたり、また軍務の傍ら商工業に従事することも許されていた。
銃兵は終身勤務で、身分は世襲されたので一種のカースト的集団としてピョートル大帝の改革まで存続した。
常備軍の中には砲兵隊(ナリアード)も含まれており、攻城戦用の大型砲と野戦砲を操作した。
346です:2006/02/27(月) 23:03:56 0
野戦において銃兵隊は、グリャイ・ゴロドと呼ばれる車輪のついた移動式の防壁で野戦陣地を築いて、その背後から
小銃や野戦砲を発射した。その射撃陣地の両翼と前面に騎兵部隊が配置され、戦闘開始とともに突撃をおこなった。
最初の突撃で敵部隊が崩壊しなければ、騎兵は両翼へ退いて、前進してきた敵を火器が迎撃し、両翼から騎兵が
攻撃を加えた。さらに後方に温存されていた予備部隊が戦場を大きく迂回して敵の背後をついた。(こうした戦術は
東欧ではポピュラーだったらしく、ハンガリーでは「さそりの陣」とか呼ばれていたらしい。歩兵と防御陣地が胴体で、
両翼の騎兵がハサミ、予備部隊がさそりの尻尾というわけである)
当時の軍律はおそろしく過酷なものであった。いかなる状況の下であれ敵に降伏した指揮官は処刑された。ツァーリの
ものである都市や要塞を敵に奪われながらおめおめと生き延びた軍人は、その家族や係累まで殺された。そのため
ロシア兵はどんな危機に陥っても降伏せず全滅するまで戦ったという。1578年にヴェンデンを攻囲していたある砲兵隊は
リトアニア軍に大砲を鹵獲されそうになったので、全員が砲身に首を吊って自決してしまった。
Richard Hellieの概算では、イヴァン雷帝が有していた兵力は勤務士族17,500人、外国人4,000人、銃兵隊12,000人、
コサック6,000人、砲兵隊3,000人、少数民族の補助兵(タタール、モルドヴァなど)10,000人、奴隷17,500人。
E. A. Razinは全国の兵力を総動員しても7万人に達するかどうかだという。
一度の軍事行動に2万人以上を動員するのは難しかったようだ。
35世界@名無史さん:2006/02/28(火) 01:37:26 0
ちなみに去年は、
「戦国期日本と欧州列強の戦力比較」
これ。
36世界@名無史さん:2006/02/28(火) 02:34:55 0
このスレの結論は、
日本が世界最強。
37世界@名無史さん:2006/02/28(火) 08:22:17 0
ロシアに長槍兵がいないのは何故?
38世界@名無史さん:2006/02/28(火) 11:41:30 0
移動式の防壁があったからではないかな
39世界@名無史さん:2006/02/28(火) 16:25:00 0
ロシアでパイク兵の密集陣なんかやったら
モンゴル騎兵の弓矢でハリネズミにされそうだ。
40世界@名無史さん:2006/02/28(火) 18:22:58 0
で、一位はなんなの?海軍力なんかも考えると西班牙か?
41山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/28(火) 19:00:33 0
>>7
日本でも、戦国〜江戸時代に「弓と鉄砲どちらが強い」が論じられていました。
実際に勝負した例もありましたが、>10氏の仰る通りでしょう。
42世界@名無史さん:2006/02/28(火) 20:23:37 0
戦国時代に実際に弓と鉄砲で決闘した例があったとか。
どっちが勝ったのかは覚えてないが。

関が原の戦いの屏風絵なんかを見ると弓兵と鉄砲うちが同じくらいいる。
これが銃保有率世界最大の国?とか思ったり。
43世界@名無史さん:2006/02/28(火) 20:29:07 0
というか>>41ですでに触れられてた>弓と鉄砲で決闘
44世界@名無史さん:2006/02/28(火) 20:44:02 0
しかし、戦国時代の日本には
武田信玄や上杉謙信などの名指揮官も数多く育っていたわけで
こういったマンパワーもあわせて考えると

やはり世界最強だと思う
45世界@名無史さん:2006/02/28(火) 21:06:47 0
1513年のフロッデンの戦いでは、イングランド軍はロングボウ兵とビル兵が中心だったが
スコットランドのパイク兵を破っている。

まあスコットランド軍は飛び道具が使えずパイク兵だけで戦ってたんだけど。
46世界@名無史さん:2006/02/28(火) 22:43:56 0
>>42
弓と鉄砲とでは弾道が違うから、混ぜて攻撃すると盾などで防御することが
難しくて効果的なんだよ。
47世界@名無史さん:2006/03/01(水) 02:06:16 0
16世紀最強はアフリカの風土病もちの土人軍。
一人が突撃して息を吹きかけるだけで、イエニチェリも侍も大明も
スペイン人も高熱を出して全滅。
48世界@名無史さん:2006/03/01(水) 09:00:53 0
>>47
エチオピアでポルトガルとオスマン軍が戦ってたよね。
49世界@名無史さん:2006/03/01(水) 11:55:02 0
>>46
それは納得。でも戦国時代に防盾って使ってましたっけ?
槍をもった足軽がどつき合ってる後ろから飛び道具を放ってるようなイメージが・・・
50世界@名無史さん:2006/03/01(水) 12:31:20 0
>>44
いつから大名=指揮官になったんだ? あと、その世界最強の国は朝鮮すら占領できなかったわけだが?
ってことで、消えろ。
51世界@名無史さん:2006/03/01(水) 12:44:09 0
>>22
俺も聞いたけど、どうなのかな。
当時は統一された基準が大陸には無かったのかな。
52世界@名無史さん:2006/03/01(水) 18:43:25 0
>>50
あの時代は戦闘の指揮は大体大名がとっていたんだから
大名=指揮官でいいんじゃないか

戦いの勝敗は兵の多寡や質で決まるものにあらず
大将の戦の駆け引きで決まるものであるという常識は古今東西全く変わらない事実だろ

それに朝鮮のときの秀吉はもう年寄りボケしていたからな。
あれでは勝てないのも仕方が無い。

あと国力的にみても当時の世界一の大国は世界最大の人口を誇る大明で、NO2は日本だったと思う。
次がオスマンで、むしろ当時の僻地であった西洋や国家の態すらなさない内陸騎馬民国家などは論外といっていい
つまり朝鮮征伐(日明戦争)は間違いなく世界チャンピオン決定戦で
日本はそれに惜敗したけれども、ただその結果をもって「日本論外」の結論を出すのは性急ではないかな

仮想戦記になっちちゃうけど、織田信長が司令官で、秀吉が若き日のままで
上杉謙信、武田信玄、毛利元就が織田家に従属した家来となって朝鮮に兵を進めていれば
大明相手に回しても日本は勝てていたと思うんだががね。
勿論、そんなことは当時の日本の状況ではありえない。
しかし、16世紀の日本という枠組みならば、これらの戦国の覇者達がまさに同時代を生きていたわけで
日本全体の軍事力として考えることは間違っていない
53世界@名無史さん:2006/03/01(水) 19:25:45 0
明は評価が難しいんだよね。
戦争をやってる地方の軍隊は強いけど平和な地方の軍隊は弱かったり。
54世界@名無史さん:2006/03/01(水) 19:31:05 0
朝鮮みたいな不毛な割りに抵抗が大きい国、
モンゴル軍のようにジンギスカン作戦でもしない限り征服は無理ですよ。
55世界@名無史さん:2006/03/01(水) 19:34:16 0
つーか極端だがマケドニアのファランクスにも負けそうだが
騎馬民族辺りには勝てそうな気がするぞ日本は
56世界@名無史さん:2006/03/01(水) 19:47:14 0
>>55
マケドニアのファランクスならワーテルローのウェリントン軍にも勝てるって
書いてある戦史研究の本を読んだことがあるぞ。
57世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:07:47 0
>>22
ヨーロッパは大砲には各国とも統一基準があった(口径と砲身長別にランク分け)けど
鉄砲は確かに日本が初めてかもね
58世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:20:54 0
密集隊形なんぞ大砲一発で終わるってw

つ「散兵戦術」
59世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:33:09 0
どうでもいいけど、軍事関連のスレ多すぎ。
16世紀は、世界各地で文化が発展した時代だろうが。
どうして文化面には注目しようとしねえんだよ。
60世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:35:00 0
16世紀は日本の戦国期だから
三戦厨が沸くんだろ

意見は同意
61世界@名無史さん:2006/03/01(水) 21:28:56 0
軍事力の強さだけを文明レベルの基準にしてるレスも多いな。
そりゃ最後にものを言うのは軍事力だが、それにしても短絡的だ。
西洋の軍事力がアジアを追い抜いた時代(18世紀くらい?)でも、総合的な豊かさでいえば全然開きがあったと思う。
62世界@名無史さん:2006/03/01(水) 22:32:22 0
サファヴィー朝

16世紀末までサファヴィー朝の兵力の大部分はキジルバシとよばれる遊牧トゥルクメンの部族兵であり、トルコ式の合成弓や
騎槍、刀剣等で武装して、おそらくモンゴル帝国の時代とほとんど変わらない騎兵戦術で戦った。
アッバース大帝の国政改革以前、国土はシャー(大王)の直轄領のほかに50余州に分かれ、キジルバシの部族長たちが
各地のヴァキール(総督)として半独立的に統治し、500〜3,000の兵力を保持して有事に従軍する義務を負った。
シャーは直属の戦力として、キジルバシから選抜された親衛隊であるコルチ(箭筒士)を有していた。シャー・イスマーイールの
治世にはコルチの兵力は1,000〜3,000名で、キジルバシと合わせても野戦に動員できるのは2万人ほどであった。16世紀
半ばにコルチは5千名まで増員されていたが、王朝全体の兵力はたいして増加していなかったようだ。
戦闘隊形は右翼・左翼・中軍に分かれる伝統的なもので、通常はシャーの軍勢が中軍となり、両翼にキジルバシが配置された。
サファヴィー朝軍の圧倒的多数は中央アジアの伝統的な騎射兵であったが、シャー・イスマーイールの父・ハイダルの代から
すでに火器の使用された記録がある。イスマーイールは攻城戦にマスケット銃や大砲を使用しており、シャー・タフマースプは
1528年のウズベク族との会戦で、荷車を連ねた防御陣地の背後からカルヴァリン砲や旋回砲を発射している。火器の入手源は
ヴェネチア、ポルトガル、ロシアなどであった。またチャルディランの戦いの翌年に、オスマン・トルコの脱走兵の技術を利用して
2千挺の小銃を生産したこともある。
63世界@名無史さん:2006/03/01(水) 22:35:11 0
サファヴィー朝は西のオスマン帝国、東の遊牧ウズベク族から攻撃を受けており、16世紀中はほとんど常に守勢に回っていた。
チャルディランの会戦で大敗北を喫してから、サファヴィー朝軍はオスマン・トルコの侵攻に焦土戦術で対抗するようになり、
ゲリラ的に輜重隊を襲うほかは戦わずにトルコ軍を消耗させた。東部ではウズベクの野戦軍と互角に戦っている。
16世紀末にアッバース大帝が即位すると、シャーの私兵的集団であったチェルケス人やグルジア人の「ゴラーム」が台頭し、
またイラン系定住民の兵士からなるトフェングチ(銃兵隊)とトプチ(砲兵隊)が設立された。Kenneth Chaseによると、当初
ゴラームは騎兵で銃兵隊は歩卒だったが、のちにゴラームも小銃を装備するようになり、銃兵隊に馬が支給されるに及んで
両者とも竜騎兵のような存在になったという。
17世紀初頭には10,000〜15,000のゴラーム、12,000の銃兵隊、12,000の砲兵隊が最大で4万近くの常備軍を形成し、
その他に10,000〜20,000のキジルバシと補助兵が召集可能だった。

ペルシャ語は詳しくないので表記が間違ってるかも
64山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/03/01(水) 23:09:48 0
>>49
>防楯
それ以前から木製の楯がありましたが、薄ければ貫通され、厚ければ重量が
増すため、鉄炮普及後は弾除けの竹束が使用されました。
クレヨンしんちゃんの映画『アッパレ戦国大合戦』の冒頭に出て来ていたのが
それで、鉄砲の撃ちかけ合いから白兵戦による小競り合い、殲滅戦にならず
に兵を引くなどと、当時の小領主間の戦闘がうまく描けていたと思います。

>槍をもった足軽がどつき合ってる後ろから飛び道具を放ってるようなイメージが・・・
逆でしょう。弓・鉄砲→鑓や刀で。後ろから〜だと危なくありませんか。

>59
まあ、仰る通りな訳ですが。

52には誰も突っ込まれないのですか。
65世界@名無史さん:2006/03/02(木) 00:37:32 0
>>64
>>52はもう確信的にやっているんだろうから、放置でそ。
66世界@名無史さん:2006/03/03(金) 14:05:02 0
世界大戦期のイタリア対戦国期日本。
勝つのはどっちか。(毒ガス無し)
67世界@名無史さん:2006/03/04(土) 20:49:39 0
>>66
勝つイタリアはイタリアではない。
よってイタリアはパスタの食いすぎで負けると見た。
68世界@名無史さん:2006/03/04(土) 23:49:07 0
16世紀のイタリアに織豊政権が侵攻しても征服するのは不可能。
69世界@名無史さん:2006/03/07(火) 18:23:40 0
テルシオってパイク兵の方陣の外周に火縄銃兵が配置されてますが
あれは実際どうやって戦ったんですか?
長槍部隊が中央にぎっしり密集してても意味がないような気がするんですが・・・
70世界@名無史さん:2006/03/07(火) 21:37:33 0
>クレヨンしんちゃんの映画『アッパレ戦国大合戦』
妙に評価が高いよね。
71世界@名無史さん:2006/03/07(火) 22:47:04 0
>>69
火縄銃兵は射撃を行なった後は後方に退き、槍兵が敵のいる方向に槍を向けて
攻撃する。
長所としては複雑な訓練を必要とせずにどの方角の敵にも対処できること。

あと隊列を厚くすると戦闘に参加できる兵が少なくなって無駄が多くなるが、
最前線の兵士は後方からの圧力で戦闘中に逃亡するのが難しくなる。
つまり、なかなか崩壊しない粘り強い隊形になるわけ。

テルシオはある程度の無駄には目をつぶって、訓練状態が悪く士気も低い傭兵を
無理やり戦わせるために発展した隊形だから。
72世界@名無史さん:2006/03/08(水) 08:07:54 0
>>71
ありがとうございます。
火縄銃を先に撃ってから槍部隊が出てくってのは日本の足軽もそんな感じですね。
日本は地形が複雑だから?ああいう全方向に戦えるような陣形は出てこないと思うけど・・・

戦国時代でも雑兵が逃げ出して戦線崩壊なんてことがけっこうあったのかな?
信長は足軽に密集隊形をとらせてたとか聞くけど・・・
73世界@名無史さん:2006/03/08(水) 18:13:05 0
>雑兵が逃げ出して戦線崩壊
というかそれが普通の負け方だろ?
74世界@名無史さん:2006/03/09(木) 00:02:09 0
ギリシャやローマの史書読むと、戦闘開始前に司令官が演説ぶって士気高揚を図ることがよくある。
シェークスピアの歴史劇でも時々出てくるので16世紀もそうだったんだろう。
日本ではそういう習慣あったのかな?
75世界@名無史さん:2006/03/09(木) 01:07:48 0
ドイツの傭兵隊長とかはやってるね。
76世界@名無史さん:2006/03/09(木) 05:03:03 0
>>74
面白い問題だな。
戦闘開始前演説の習慣は中世にもあるから、
古典古代に成立した慣習が基本的に維持されたということでしょう。
(年代記作者などが自分で戦闘場面を描写するに当たって、
古典古代の文学的約束を真似した、ということでもあるだろうし、
そういうものを直接・間接に吸収した司令官が実際に演説を行ったこともあるだろう。
・・・いずれにせよ、人文主義=古典古代への回帰がより著しかった16世紀には、
そういう文学的トポスの影響はより強力だったでしょうな。)

日本や中国に関してはあんまし聞かんよな。(よく知らんけど。)
結局ここでも古典古代における弁論術の発達というものが、
以後の成り行きを決定したんじゃないかな。
そういったものが欠けている(ように思われる)東洋的伝統の下では
戦闘開始前演説の習慣が無くても不思議じゃないよね。
77世界@名無史さん:2006/03/09(木) 08:48:15 0
名乗りは演説には入らないかな?よう分からんけど。
78世界@名無史さん:2006/03/09(木) 10:44:19 0
北条政子の演説とかは?
79世界@名無史さん:2006/03/09(木) 11:06:15 0
あれは戦の前じゃないだろ。
80世界@名無史さん:2006/03/09(木) 16:02:10 0
陳勝と呉広が挙兵の前に演説してたような。
81世界@名無史さん:2006/03/09(木) 16:38:21 0
日露戦争では奉天で「奉天はこの戦争の関が原だ」とか
日本海海戦で「皇国の興廃はこの一戦にあり」

とか士気を盛り上げててた。
他に例が思いつかないが。
82世界@名無史さん:2006/03/10(金) 00:05:20 0
>>77
どうなんだろうな。
敵軍に向かって言ってはいるが、もしかしたら敵の威圧と味方の鼓舞の両方の意味が在ったのかも知れん。
83世界@名無史さん:2006/03/10(金) 00:44:24 0
碧蹄館の戦いで明軍に向かって名乗りを上げた武士がいたらしいな。
向こうは聞いても分からないのにw
84世界@名無史さん:2006/03/10(金) 09:14:48 0
周りの味方に聞かせて目立つためじゃない。名乗りは。
85世界@名無史さん:2006/03/10(金) 10:57:22 0
当時のイタリアの、チェーザレ・ボルジアの教皇軍やヴィスコンティ家の軍隊は
戦国武将でいうとどれ位の規模だったんだろう?
86山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/03/10(金) 12:21:43 0
>>82-84
○○天皇が後胤、××が遠孫・・・と声高らかに名乗るのが名乗り。
手柄の証明の様な役割も果たしたでしょうが、そうした実用的な意味とは別
に、こうした名乗りの出来ない下郎とは別という意識があったらしい。
馬印が許されているか、いないか。馬に乗る事が許されているか、いないか。
家で長押を押してよいのか。或いは釘隠しが許されているのか。
前近代の身分制社会には、それぞれの分限に応じて多くの規制がありました。
座ってよいのが畳の上か、床の上か、縁側か、地べたかでもかなり違う。
昨今の大河ドラマでは全く無視されていますが、日常的にそれぞれの立場を
明らかにしていた時代の一角に「名乗り」があったのでしょう。
87山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/03/10(金) 12:34:29 0
現代の視点からすれば実用とは言い難いかもしれませんが、分限を明らかに
するという名乗りがよく働いたのが、中世前期でした。
鎧などからおおよそ相手の身分は察せられましたが、身分が低い方から名乗
り、相手が名乗るほどの身分の者でないと思われれば名乗り返さなくても良
かった。<戦場に限らず、日常的な名乗りと同じ役目を果たしている>
平敦盛と熊谷直実が戦った時も、敦盛は直実に名乗らせはしたものの自分か
ら名乗る事はせず、直実も相手の格好からそれと察して諦めています。
髪型や衣装から相手の身分が分かるぐらいの時代。儀礼的な意味があった。
馬に乗ってこそ騎士、家名あってこそ騎士という意識が存在していたという
点は、欧州の場合でも変わらない筈です。
逆に言えば、名乗れもしない様な者が主人の補助以外で襲いかかるのは憚ら
れたし、名乗れる者もそんな者を相手にする必要は無かった。
中世後期になると下郎が平気で襲って来る様になっていますし(矢を受けた
とはいえ、新田義貞が名も無き兵に討たれたのは当時の観念からすれば天地
がひっくりかえる様な大事件です)、儀礼としてはあまり意味をもたなくな
っていた様ですが、一応戦国期まで続いている。
(大河ドラマ『義経』で歩兵が主人が戦うべき義経に先行して襲い掛かって
いたのは×。脚本家は身分制の時代というのを分かっていませんでした)
88世界@名無史さん:2006/03/10(金) 19:31:13 0
>>85
塩婆の本を読んだ限りでは、数百人、数千人から多いときは1万ちょいまで動員して戦ってる>チェーザレ
兵種は槍騎兵とかいろいろ。
89世界@名無史さん:2006/03/10(金) 19:35:41 0
>髪型や衣装から相手の身分が分かるぐらいの時代。儀礼的な意味があった。

この辺は西洋も似たようなもんだね。
90世界@名無史さん:2006/03/10(金) 23:12:00 0
90ゲット
91世界@名無史さん:2006/03/12(日) 09:26:29 0
「戦国時代末期の日本が欧州の近くにあったら、欧州全土をも征服可能だった」と主張した学者って誰?
92世界@名無史さん:2006/03/12(日) 19:46:36 0
木村尚三郎
93世界@名無史さん:2006/03/13(月) 11:08:51 0
どういう根拠でそう主張してるの?
94世界@名無史さん:2006/03/13(月) 17:27:44 0
さあ。
当時の欧州はそれだけ大したことが無かったって事じゃねーの?
95世界@名無史さん:2006/03/13(月) 18:35:04 0
戦国時代の専門家でも16世紀軍事史の専門家でもないらしいから
きっと火縄銃の保有率とかそういう厨な理由だろう。
96世界@名無史さん:2006/03/14(火) 19:09:53 0
銃の保有率とかもあるけど、基本的な兵数が全然違うよな。>東洋と西洋
97世界@名無史さん:2006/03/14(火) 19:44:51 0
日本の兵数はせいぜい5000〜10000集まれば良いほう。
西洋の兵数は倍の10000〜20000以上いく。

ちなみに具体的な例をあげると
関が原合戦時の1軍団5000強〜10000弱に対し
三十年戦争時のスウェーデン軍15000強。
98世界@名無史さん:2006/03/14(火) 19:46:32 0
もし日本の足軽とドイツのランツクネヒトが戦ったら

まず戦闘は銃撃戦から始まるだろう。
ランツクネヒトの中隊400人のうち少なくとも50人は火縄銃兵だったというから、銃装備率は最低でも約12%だ。
それに対して日本では鉄砲隊の活躍で有名な長篠の戦いですら、3万5千の織田・徳川軍が3千挺の銃しか
装備していないので(千挺という説もある)、銃装備率がやっと12%に届いているという有様だ。
要するに、互角の兵力なら火力の勝負ですでに圧倒されている可能性が高い。

銃を撃ちつくして接近戦が始まると、重装甲のドッペルゼルドナー(倍給傭兵)がハルバードや両手剣を振り回して
足軽の槍衾を左右に払いのけながら斬りこみ、その後からパイク兵が密集隊形で前進して長槍を突きこんでくる。
比較的ゆるい隊形で戦ってる足軽はこの猛攻に耐え切ることが出来ず、戦死者を残して壊走するのだった・・・
99世界@名無史さん:2006/03/14(火) 19:48:39 0
戦国末期の兵力は50万人?
100世界@名無史さん:2006/03/14(火) 20:46:39 0
>>98
しかし兵力では日本が圧倒している。

>>99
百姓を根こそぎ動員すればそれくらいはいけるかも。
101世界@名無史さん:2006/03/14(火) 21:29:34 0
>>97
お前、バカだろ
102世界@名無史さん:2006/03/14(火) 22:54:08 0
結局アジア人は数でしか勝負できないのか? orz
103世界@名無史さん:2006/03/14(火) 23:05:55 0
数は力なり
104世界@名無史さん:2006/03/14(火) 23:12:54 0
16世紀のヨーロッパは兵站が貧弱すぎて戦国日本とは勝負にならない。
105世界@名無史さん:2006/03/15(水) 08:39:21 0
>>98
戦ってる後ろから密集した槍が来たら巻き添えをくらって死なないか?
106世界@名無史さん:2006/03/15(水) 20:49:43 0
>>105
パイク兵でもさすがに味方はよけて進むよ(w

ちなみにランツクネヒト同士で戦うと最前列はこんなことになったりする
ttp://www.amazon.co.jp/gp/reader/1841762431/ref=sib_dp_pt/249-4041089-0273151#reader-link
107世界@名無史さん:2006/03/15(水) 23:54:34 0
Wikiとかで見たら16世紀後半の豊臣政権は結構すごいね。
小田原征伐に20万、文禄の役に16万、慶長の役に14万。
動員力だけならオスマン帝国に匹敵してると思う。

それ以前の戦国大名の兵力はあまりヨーロッパ諸国と変わらないようだね。
108世界@名無史さん:2006/03/19(日) 01:03:58 0
「少ない兵力で〜」のスレで確か「中国の軍は10倍まではサバよんでよかった」とか書いてあったが、
日本ではどのくらい(多いほうに)サバよんでたもんかね?
109世界@名無史さん:2006/03/19(日) 07:34:49 0
現在の書籍などで使われている兵数は、旧日本軍が石高などから多少控えめに算出
した数字がほとんど。
兵の動員や物資の調達の記録から、実際はもう少し多かっただろうと思われている。
110世界@名無史さん:2006/03/20(月) 05:19:18 0
>>102
つーか欧州もアジア並みの兵力を動員できたら、末端まで装備が回らなかっただろうに。
数が少ないからこそ兵を消耗しないように、装備や要塞が発達していったわけで。
111世界@名無史さん:2006/03/20(月) 06:36:35 0
発達っていってもこの時代の欧州がとくに抜きん出てたのは
鉄の品質と銃ぐらいでは?
112世界@名無史さん:2006/03/20(月) 07:02:27 0
鉄の品質もよかったし、白兵戦用の武器自体の種類も豊富で優秀だった。鎧も優秀。
113世界@名無史さん:2006/03/20(月) 08:28:37 0
傭兵の質は最悪
114世界@名無史さん:2006/03/20(月) 12:18:27 0
武器と防具は優秀、中身はDQN。それが欧州クオリティーってことか。
115世界@名無史さん:2006/03/20(月) 20:33:11 0
素行の悪さでは日本の足軽も似たようなものだと思うが
116世界@名無史さん:2006/03/20(月) 21:59:17 0
16世紀の軍隊って、だいたいどこも兵隊の質が悪かったんだね。
オスマン帝国のイェニチェリも、スルタンや宰相を勝手に改廃したりしていたし。
117世界@名無史さん:2006/03/20(月) 22:25:13 0
>116
16世紀はオスマン帝国の最盛期。まだそんなひどい状況になってない。
イェニチェリはスルタンの崩御などの混乱に乗じて暴れる程度。
118世界@名無史さん:2006/03/21(火) 04:09:55 0
やはりローマ教皇領が一番強いのでは?
119世界@名無史さん:2006/03/21(火) 15:55:09 0
>>118
教皇は何個師団、持っているのかね?
120世界@名無史さん:2006/03/21(火) 16:38:15 0
 16世紀初頭にチェーザレ・ボルジャやユリウス2世の軍隊はイタリア半島を席巻しています。
121世界@名無史さん:2006/03/21(火) 17:33:36 0
イタリアの軍隊は当時のヨーロッパの中では話にならないくらい弱かった。
チェーザレ・ボルジアが征服したのは、その弱いイタリアのほんの一部の狭い範囲。
隣国フランスの手駒の一つみたいな位置付けだった。
122世界@名無史さん:2006/03/21(火) 21:53:23 0
>>119
50個師団であります同志閣下。

とかいう冗談は置いといて16世紀欧州最強はイスパニアだろう。なんたってテルシオがある
123世界@名無史さん:2006/03/21(火) 23:38:51 0
>>104
だから16世紀にしたんだろ。
124世界@名無史さん:2006/03/22(水) 07:43:34 0
>>119
それって本気か皮肉かロシアンジョークか分からんよな…。
125世界@名無史さん:2006/03/22(水) 09:45:33 0
>>121
小国が分立してる状態ではあったが、ヴェネチア共和国やミラノ公国なんかは
1万人を超える野戦軍を組織してフランスやハンガリーと戦うだけの力があった。
フランスもノヴァラの戦いでミラノ軍に負けたせいでイタリアから撤退せざるを
得なくなったことがある。

当時のヨーロッパで本当に最弱なのはアイルランドあたりだろう。
126世界@名無史さん:2006/03/22(水) 10:12:09 O
当時のヨーロッパで小田原平定や朝鮮侵攻並の
14万〜16万ほどの兵力が1陣営として動員された
戦闘ってあるのか?
127世界@名無史さん:2006/03/22(水) 10:26:42 0
平定?
128世界@名無史さん:2006/03/22(水) 19:54:39 0
>当時のヨーロッパで本当に最弱なのはアイルランド

kwsk
129世界@名無史さん:2006/03/22(水) 20:12:21 0
やっぱ日本は強いんだよ。
人口が多いから。
130世界@名無史さん:2006/03/22(水) 20:27:16 0
人海戦術なら支那人でも出来る罠
131世界@名無史さん:2006/03/22(水) 20:28:29 0
>>129
いや明なんて二億近いし。全欧州の二倍以上
132山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/03/22(水) 20:31:53 0
日本はその10分の1程度ですね。
少なくとも2000万人は越えていなかったらしい。
133世界@名無史さん:2006/03/22(水) 20:58:27 0
ただ銃火器の性能、兵の能力、練度は日本の方が圧倒的に高い。

国力で云うと明、オスマン・トルコ、ムガール帝国、日本、ハプスブルク帝国(イスパニア+オーストリア)、ロシア、フランス、イングランドの順かなあ
134世界@名無史さん:2006/03/22(水) 21:21:35 0
>>133
>銃火器の性能

ケネス・チェイスの"Firearms"という本で読んだ話ですが、秀吉の朝鮮の役が終結したあとで
明人が西洋、トルコ、日本の銃の性能をそれぞれテストしたらしい。
その結果、西洋銃は扱いやすい、トルコ銃は重厚で威力が高い、和銃はそのどちらでもないと
コメントされたとか・・・
135参考までに:2006/03/22(水) 21:48:36 0
カール五世が展開した兵力
1544年 フランス侵攻時42000人
1546年 シュマルカルデン同盟戦争時56000人
1552年 メッツ包囲時55000人 また、このときの総兵力は
ドイツ・ネーデルラントに騎兵22200、歩兵87000
ロンバルディアに24000 その他約15000
計148000
136世界@名無史さん:2006/03/22(水) 21:51:36 0
16世紀の欧州と日本の戦闘

1509年 アニャデッロの戦い フランス軍3万 vs ヴェネチア軍1万5千
1512年 ラヴェンナの戦い フランス軍2万6千 vs スペイン軍1万2千
1513年 フロッデンの戦い イングランド軍3万以下 vs スコットランド軍3〜6万
1514年 オルシャの戦い ポーランド軍3万 vs モスクワ大公国軍8万
1525年 パヴィアの戦い フランス軍2万3千 vs スペイン・神聖ローマ軍2万3千
1526年 モハーチの戦い ハンガリー軍2万6千 vs オスマン朝軍6万
1529年 第一回ウィーン攻囲 オーストリア軍2万5千 vs オスマン朝軍10万
1557年 サン・クェンティンの戦い スペイン・イングランド軍1万 vs フランス軍2万4千
1568年 ジェミンゲンの戦い オランダ軍1万2千 vs スペイン軍1万5千
1578年 アルカセル・キビールの戦い ポルトガル軍2万3千 vs サード朝軍10万

1561年 川中島の戦い 武田軍2万 vs 上杉軍1万8千
1570年 姉川の戦い 織田・徳川軍3万4千 vs 浅井・朝倉軍1万8千
1573年 三方ヶ原の戦い 徳川軍1万5千 vs 武田軍2万5千
1575年 長篠の戦い 織田・徳川軍3万8千 vs 武田軍1万5千
1582年 山崎の戦い 明智軍1万6千 vs 羽柴軍3万6千
1583年 賤ヶ岳の戦い 柴田軍3万 vs 羽柴軍5万
1590年 小田原征伐 豊臣軍20万 vs 北条軍5万
1600年 関が原の戦い 西軍8万2千 vs 東軍7万4千
137136:2006/03/22(水) 21:53:55 0
あとスレイマン大帝はペルシャ遠征に20万ぐらい動員してたような
138世界@名無史さん:2006/03/22(水) 22:11:22 0
ヨーロッパではどうやら兵力の大半が要塞や砦の守備に割かれていたようだ。
17cの話になるが1632年11月にグスタフ・アドルフが有していた兵力は
18万3000人にものぼるが実際リュッツエンで使用した兵力は2万程度。
他の陣営や戦争でも似たような傾向にあった。

ちなみに135と上記の内容は『長篠合戦の世界史』参照
139世界@名無史さん:2006/03/22(水) 22:58:09 0
>>134
>>133のは明のやつとの比較。明は確か青銅製だったと思う。
そりゃあ欧州と比べたら話にならんでしょう。
140世界@名無史さん:2006/03/22(水) 23:00:21 0
>>133
経済の規模で見れば、明はトップかもしれんな。
141世界@名無史さん:2006/03/22(水) 23:11:04 0
銅銃はたしか元代に実用化されたやつですね。
ポルトガル人が来るまで使ってたかな?

16世紀半ばにもなると大量の火縄銃が使われていたようです。
142世界@名無史さん:2006/03/22(水) 23:33:27 0
>>138
兵力の大半が要塞や砦の守備に割かれているのは世界中どの国も一緒。
143世界@名無史さん:2006/03/23(木) 05:56:40 0
>>131
16〜7世紀の中国は人口がどん底に減少していた時代で、
順治帝(在位1643〜61)の時代は2100万人しかいなかったって話を聞いた。
戦国時代〜江戸初期ごろに限定すれば人口は日本の方が多かったって。
144世界@名無史さん:2006/03/23(木) 06:23:40 0
支那の王朝交代期はそんなもん。
戦乱や飢餓、共食いによる人口減少もあるけれど、流民となってて中央政府が把握出来ない部分も少なくない。
145世界@名無史さん:2006/03/23(木) 11:22:30 0
>>143
その当時、世界の気温は今より2度くらい低いんじゃなかったっけ。
そのために飢饉が起こっていたそうだ。
146世界@名無史さん:2006/03/23(木) 15:38:32 0
>>98
傭兵集団のランツクネヒトと比較するなら、信長軍団よりも戦国の傭兵集団
である雑賀衆とかの方が適切では?
ほぼ全員が火器を保有している雑賀衆とランツクネヒトがもし戦ったら、
白兵戦に持ち込む前にランツクネヒトが壊滅してしまうが・・・
147世界@名無史さん:2006/03/23(木) 19:11:48 0
>>143-144
明で本格的に飢饉や流寇の発生をみるのは万暦の三征の後では?
16世紀の間は北虜南倭があったにしてもまだまだ太平の世だったと思うが。
148世界@名無史さん:2006/03/23(木) 21:37:05 0
他の国に比べて大砲などの大火力が不足してるのが弱点だね日本
149世界@名無史さん:2006/03/23(木) 21:46:38 0
>>148
大砲以前に投石機さえ無かったし
150世界@名無史さん:2006/03/24(金) 00:02:17 0
大陸→投石器
日本→礫

大陸→大砲
日本→小銃
151世界@名無史さん:2006/03/24(金) 00:03:04 0
>>150
投石器は投石機の間違い
152世界@名無史さん:2006/03/24(金) 00:11:39 0
日本は大砲が無いことよりも組織的な騎兵が無いことのほうが弱点だと思う。
歩・騎・砲の複合兵科で来られたらどうにもならない。
153世界@名無史さん:2006/03/24(金) 00:28:05 0
小田原制圧の豊臣軍20万とかスレイマン大帝のペルシャ遠征20万とかって
それら全部が武器もって戦えた兵士?オスマンはともかく日本はなんだか信じられん。
兵站とかの後方要員もあわせての20万じゃないの?
154世界@名無史さん:2006/03/24(金) 00:37:26 0
12世紀〜19世紀までの欧州の人口が解るサイトってない?
155世界@名無史さん:2006/03/24(金) 02:36:06 0
>>152
戦闘方法にはそれぞれ民族性がでるから世界各地には騎兵主体の国もあれば
歩兵主体の国もある。
それでいて実際に戦ってみると歩・騎・砲の複合兵科の軍隊がそういった偏った
軍隊に比べて有利かと言えば必ずしもそうではないんだよね。
旧日本陸軍も基本的には歩兵の軍隊だったけど大陸でイギリス軍やソ連軍相手に
それなりに戦えていたし。
156世界@名無史さん:2006/03/24(金) 03:35:54 0
>>152
イギリスやソ連も歩兵主体じゃないの?
俺が馬鹿だったらスマソ
157世界@名無史さん:2006/03/24(金) 04:08:37 0
イギリス軍と交戦したのはジャングルで機甲部隊の出番ではなかった。
機甲戦力のあったソ連軍相手にはノモンハンで完敗してる。

>>153
実際、日本での兵力というのは戦闘員はその3〜5割くらいであとは後方要員。
とはいえそれは日本に限ったことではない。
記憶が曖昧なんだけれども17cにバイエルン軍が動員した兵力は18万だったが
その内戦闘員は4万だったという記述をどこかで見たことがある。
158世界@名無史さん:2006/03/24(金) 07:46:59 0
スペインで方形陣が発達したのは歩兵が多かったからといわれているし
逆にフランスではいまだ騎兵として戦う貴族階級が大勢いた。
159世界@名無史さん:2006/03/24(金) 11:48:16 0
>>157
レスありがとです。
160世界@名無史さん:2006/03/24(金) 20:01:48 0
>>157
ソ連崩壊後に公開されたソ連側のノモンハンの資料の要約くらいは知っておいた方がいいんじゃないの?
161世界@名無史さん:2006/03/25(土) 00:06:19 0
>>160
知ってるが何か?
162世界@名無史さん:2006/03/25(土) 04:32:06 0
コンスタンティノープルVS小田原城
ビザンツ重装騎兵VS武田騎馬軍団
163世界@名無史さん:2006/03/25(土) 18:20:14 0
だから武田「騎馬軍団」なんて無かったってば!!
164世界@名無史さん:2006/03/25(土) 18:34:48 0
17世紀のバイエルンが18万人動員とか書いてる時点でおかしいと思えよ。
同じ17世紀のルイ14世のフランスでもフランス全土でどうにかこうにか10万人動員。
18世紀のフリードリヒ大王が七年戦争でイギリスから莫大な援助を貰ってようやく10万人動員。

欧厨は書いてる事が滅茶苦茶w
165世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:38:37 0
>163
それ以前に16世紀にビザンツ軍ってのが・・・
166世界@名無史さん:2006/03/25(土) 20:35:23 0
東ローマ重装騎兵の全盛期から五百年は経ってるな。
167世界@名無史さん:2006/03/26(日) 04:20:24 0
じゃあ時代は違うが

上杉謙信・武田信玄連合軍vsコンスタンティノープルに篭城したビザンツ

でコンスタンティノープルは陥落できるか
168世界@名無史さん:2006/03/26(日) 10:35:57 0
>>146
ランツクネヒトはそういう特殊な技能集団ではなくて
いわば「雑兵」だからなあ。

戦国史にはあまり詳しくないけど、雑賀衆も合戦のときには
槍組など他の兵科と連携して戦ったのでは?
169世界@名無史さん:2006/03/26(日) 12:08:04 0
>>167
ウルバンの巨砲がないので無理・・・と言わせたいんだな?
170世界@名無史さん:2006/03/26(日) 13:41:03 0
大砲が無くても落ちない城は無いはずだが
武田には金堀衆という城壁破壊軍団がいる
武田も上杉も小田原城の北条相手に経験をつんでいる
実は上杉はかなり優れた水軍をもっている
171世界@名無史さん:2006/03/26(日) 13:55:23 0
上杉の水軍だけではコンスタンティノープルの海上封鎖が出来ないのは明らかなので
せめて毛利水軍とかほしいね。

ウルバンの巨砲はたしかにオスマンの秘密兵器だったが
所詮は一世紀前の大砲ゆえに、種子島の方が性能はうえではないかと思う
172世界@名無史さん:2006/03/26(日) 20:55:23 0
>>ウルバンの巨砲はたしかにオスマンの秘密兵器だったが
所詮は一世紀前の大砲ゆえに、種子島の方が性能はうえではないかと思う

大砲と小銃を比較しても無駄
173世界@名無史さん:2006/03/26(日) 22:12:48 0
武田と上杉じゃどっちが総指揮を執るかで揉めそうだなw
で、下になった方は不貞腐れて帰還。

竹中黒田を従えた秀吉なら事前の兵糧買占めとか内部のジェノヴァ、ヴェネツィア商人を通しての傭兵買収内応で簡単に落ちそうだが・・・。


しかし守備兵の殆どが外人傭兵ってのはどうよ?
174世界@名無史さん:2006/03/26(日) 22:42:53 0
大阪の陣の徳川勢ならおとせそうだな
まあ、さすが二世紀も離れていればってところもあるがw
175世界@名無史さん:2006/03/26(日) 23:47:55 0
16世紀ヨーロッパにおける政治的威信でいったらlo Stato pontificio(教皇領)だろうね。
176世界@名無史さん:2006/03/27(月) 01:53:29 0
宗教改革や異端審問(魔女狩り)や農民戦争やシュマルカルデン戦争やユグノー戦争でローマ公教会の威信が上がったと?
177世界@名無史さん:2006/03/27(月) 02:45:48 0
16世紀の政治的威信ならまだ中国皇帝じゃあないのか

大明皇帝>>>>>ハプスブルク家>ローマ教皇
178世界@名無史さん:2006/03/28(火) 00:13:40 0
海軍力が弱いな日本は
179世界@名無史さん:2006/03/28(火) 00:45:32 0
んなこたぁない。
180世界@名無史さん:2006/03/28(火) 14:58:42 0
>竹中黒田を従えた秀吉なら
竹中・黒田はどこまで有能だったのか、史書では不透明では。
関ヶ原前後の行動からして、黒田も馬鹿では無かったとは思うが・・・。
「軍師」の役割も軍記と事実とは異なるし、ゲームのやり過ぎでは?
181世界@名無史さん:2006/03/28(火) 15:37:09 0
秀長なら文句なく有能といえるけどな。
182世界@名無史さん:2006/03/28(火) 18:29:07 0
>ゲームのやり過ぎでは?

ゲームのやり過ぎなら「スペイン最強」とか「マニラから日本に兵数十万で攻
め込める」とか言い出すんジャマイカ?
183世界@名無史さん:2006/03/28(火) 20:44:41 0
>>182
そんなゲームがあるならやってみたいが、素で。
16世紀スペイン軍が資金難と海賊と異教徒に苦しめられながら植民地経営するゲーム
184世界@名無史さん:2006/03/28(火) 21:22:23 0
>>180
竹中・黒田はどっちかっていうと調略が主だったからね。
如水も名将であった事は確かだと思うお。

ポーランドはこの時代はどうだったっけ?
185世界@名無史さん:2006/03/28(火) 21:23:38 0
つEU2
http://www.kids-station.com/game/eu2/

スウェーデン製のゲームでヨーロッパびいき満載。
バグも満載なのがかなり困りもの。

コーエーの某日本史ゲームもスペイン=日本以上の強国扱いで笑っちまったけどね。
186世界@名無史さん:2006/03/28(火) 21:45:05 0
>>184
ポーランドは身分制議会と選挙王制が悪い方に転がってどうにもならなくなっていた時期。
(A.R.マイヤーズ/宮島直機訳 「中世ヨーロッパの身分制議会」刀水書房 参照)

17世紀にはヤン3世と言う軍事的天才が王様になるけど、もうどうにもならんかったね。
187世界@名無史さん:2006/03/28(火) 23:12:20 0
ただ軍隊はけっこう強かった。
8万のロシア軍を3万で撃破したりしてる。
188世界@名無史さん:2006/03/28(火) 23:52:37 0
>>182
特技破産かwww。しかし軍事力でいうと一応欧州最強だろう
189世界@名無史さん:2006/03/28(火) 23:53:30 0
>>188
ミスった
>>183
190世界@名無史さん:2006/03/29(水) 00:38:30 0
>>182

ゲームのやりすぎなら
上杉謙信や武田信玄がいた日本が最強っていいだすんじゃまいか?
当時の日本は海外出兵すら不可能だろうに
191世界@名無史さん:2006/03/29(水) 00:48:05 0
上杉謙信なんか世界史レベルだと武力何だろうかね
まあ、そういうゲームやってみたい気はするがねw
武田や上杉が呉越同舟の国なんて最強すぎるw
192世界@名無史さん:2006/03/29(水) 01:04:04 0
16世紀の日本はゲームに出す価値も無いだろうね
統一政権が出来るのが90年代後半だし
193世界@名無史さん:2006/03/29(水) 01:05:33 0
秀吉、家康の統一時代ならともかく
初期の分裂時代でスペイン、ポルトガルの侵略を受けたら
諸大名は日本連合軍を作って対抗できるだろうか?

インドみたいになるのがオチだと思うんだが
194世界@名無史さん:2006/03/29(水) 01:13:53 0
インドは相手が悪いとしかいいようがない
ただ、連合政権は無理でも、スペイン程度の侵略は防げると思う

まあ、ゲームに出す価値もないという意見は同意だな
上杉や武田無理やり一くくりにしてゲームに出すようなら滑稽すぎて笑っちゃう
195世界@名無史さん:2006/03/29(水) 02:59:07 0
日本侵略以前に東南アジアの日本人町の自警団にさえ負けるような存在でし
かなかったんだが。>スペイン、ポルトガル

まあそこはそれ、流石にラテン系の血は争えないと言うことか・・・。

ところで、日本にくるなら琉球を足掛りにする必要があるだろう?
WWUのアメリカ軍のように。
フィリピンから直接じゃちょっと遠すぎるよな。
で、琉球になんかできたの?
琉球の小島のどれか占領できたの?
196世界@名無史さん:2006/03/29(水) 03:21:15 0
琉球には殆ど武力が無いが
バックには大明がいる。占領できるわけが無い
197世界@名無史さん:2006/03/29(水) 08:08:38 0
薩摩おごじょ会が占拠します
198世界@名無史さん:2006/03/29(水) 08:29:20 0
対馬か五島列島辺りなら占領できないか?
199世界@名無史さん:2006/03/29(水) 09:18:17 0
>>192
そこまで厳しい基準にするなら、当時の欧州はフランス、ハプスブルク、
それにオスマン位しかめぼしい勢力がない。
>>196
当時の明軍は地域ごとに質の差が激しくて一概にどうと言うのが難しいのだが
少なくとも琉球をどうこうできるような海軍国でなかったのはたしかだ。
倭寇もほとんどは上陸させてから叩いている。
200世界@名無史さん:2006/03/29(水) 13:41:03 0
明がスペインに圧力かけるなら
海軍動員するまでもなく経済制裁で十分じゃね?
ポルトガルならマカオ没収とかな

元々後ろに明がいたからこそ、軍事力が無くても成立していた国なんだから
スペインも、明と対立してまで琉球を制圧しようとは思わんだろう。明との貿易による利益>>>>>>>琉球制圧して得られる利益
201世界@名無史さん:2006/03/29(水) 14:31:50 O
そういうスウェーデンのゲームがあったな
202世界@名無史さん:2006/03/29(水) 14:56:37 0
EU2?Victoria?HoI2?
203世界@名無史さん:2006/03/29(水) 17:26:38 0
奈良時代の日本の国力、軍事力は世界的に見て強大だったほうかな?
204世界@名無史さん:2006/03/29(水) 17:41:00 0
>>203
奈良時代なんて半世紀〜一世紀前の白村江の敗戦で完全に引きこもりだ。
航海能力も一気に衰え、遣唐使船の出来が新羅船にはるかに劣るシロモノになった。
205世界@名無史さん:2006/03/29(水) 17:41:08 0
ここは16世紀のスレです
206世界@名無史さん:2006/03/29(水) 18:27:50 0
結論:所詮日本は弱小国。
207世界@名無史さん:2006/03/29(水) 20:39:30 0
スペイン軍について誰か解説キボン
>>33-34みたいな感じで
208世界@名無史さん:2006/03/29(水) 21:04:47 0
>>33-34に細かいツッコミ(ほんとに細かいツッコミ)を入れると、サラブレッドじゃなくてアラブ種だろうかと。

サラブレッドは軍馬じゃないし、もう少し後の時代の産物なので。
いちおうWikiの記事。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89
209世界@名無史さん:2006/03/30(木) 02:13:26 0
なんか日本の戦国時代びいき多くね?

戦国武将とか確かにすごいんだろうけど
所詮日本という当時明からは属国のように思われてた(朝貢貿易って名がつくくらいだし)
小国の中でだけ活躍した武将だろ?

欧州には勝てんと思うが。
210世界@名無史さん:2006/03/30(木) 05:32:48 0
世界史板なのに、>>209のような高校世界史しか知らない人間が多い点について。
211世界@名無史さん:2006/03/30(木) 08:27:12 0
日本と欧州じゃなく世界各国の軍事力を検討するスレです。
212世界@名無史さん:2006/03/30(木) 11:56:12 0
なんで東南アジアの事が語られてないの?
当時のタイ海軍なんか凄かったんでしょ?
213世界@名無史さん:2006/03/30(木) 18:55:09 0
16世紀後期の東南アジアの軍隊で最精鋭部隊だったのが日本人傭兵部隊。
214世界@名無史さん:2006/03/30(木) 19:40:48 0
傭兵部隊ってのは高校の教科書までにしてくれ

実際は、日本人奴隷部隊ってのが正しい
215世界@名無史さん:2006/03/30(木) 19:45:07 0
スペイン領で雇われた日本人傭兵はスペイン軍の戦力として数えられます
216世界@名無史さん:2006/03/30(木) 19:46:27 0
日本人奴隷はやっぱ戦闘に強かったらしいな
217世界@名無史さん:2006/03/30(木) 19:59:22 0

戦争で勝った大名は、負けた側の兵士をスペイン人に売り飛ばし軍資金とした

当時はサイヤ人ばりの戦闘民族でしたから日本でしたから、用途目的は言うまでも無く戦争奴隷
当時の日本人奴隷は高値で売買された。日本側も戦争続きだったから奴隷には困らず、どんどん輸出して儲けた

日本人奴隷は特に東南アジアの戦争で活躍。
一般のサヨ教科書は、実質的には「日本人奴隷」なんだが、それを「日本人傭兵」と当たり障りの無い言葉に変えた
傭兵なら自分で仕事を選ぶ権利があるはずだがなー
218世界@名無史さん:2006/03/30(木) 20:15:22 0
自分で傭兵や交易、もしくはその両方を仕事として選んでいた訳だが・・・
219世界@名無史さん:2006/03/30(木) 20:26:48 0
奴隷だと生々しいから傭兵と書き換えたんだろ
奴隷はやはりウヨサヨ関係なくスルーしたい問題

しかし、東南アジアで日本人奴隷が活躍したという話は聞いても
明で日本人傭兵が活躍したという話は聞かない‥
当時の明は、北虜南倭で戦争続きだったのだが、なぜ日本人奴隷を使わなかったのだろうか
220世界@名無史さん:2006/03/30(木) 20:32:07 0
当時 東南アジアの軍隊にはポルトガル人奴隷部隊もスペイン人奴隷部隊も
オランダ人奴隷部隊もあったのだが、実際戦わせると日本人の方が強いので
あっさりと日本人奴隷部隊の取って代わられたわけだな。
221220:2006/03/30(木) 20:41:16 0
「日本人奴隷部隊に」の間違い
222世界@名無史さん:2006/03/30(木) 21:15:56 0
>>219
>明
なんかそんな話を聞いたことがある。
明の滅亡まぎわの頃に、戦場に全身黒づくめの兵士の集団が現れた事があり、
海を渡った日本の食い詰め浪人の一団だったと推定されているとか
223世界@名無史さん:2006/03/30(木) 21:19:28 0
>>219
朝鮮の役で捕虜になった「日本降夷」が楊応龍の乱で官軍の一員として戦ったという記録がある。
224世界@名無史さん:2006/03/30(木) 22:08:24 0
南米にまで飛ばされていましたよ>日本人奴隷

まあ、世界各地でスペイン軍の尖兵であったことは間違いなさそうです
225世界@名無史さん:2006/03/30(木) 22:37:40 0
何で日本人奴隷は強かったのだろうか。体格的には多分欧州人に劣るよな?
ということはやはり戦闘技術がすごかったのだろうか?
他の兵とはどういうところで違っていたのだろう
226世界@名無史さん:2006/03/30(木) 23:17:17 0
>>225
玉砕精神w
227世界@名無史さん:2006/03/30(木) 23:44:34 0
スペイン人奴隷はガレー船の漕ぎ手ぐらいにしか使えないからな
228世界@名無史さん:2006/03/31(金) 01:12:49 0
1590太閤ジャパン

      先鋒 伊達政宗 島津義弘 立花宗茂
      井伊直政  本多忠勝 加藤清正 福島正則  遊撃 真田真幸 服部半蔵  
                          
左翼 上杉景勝  宇喜多秀家    小早川隆景 黒田如水 右翼
     前田利家            毛利輝元  

中堅  大谷吉継 長曾我部元親 蒲生氏郷 最上義光 池田輝政  

            総大将 徳川家康
            関白  豊臣秀吉
229世界@名無史さん:2006/03/31(金) 06:25:33 0
16世紀から幕末にかけて、
日本の兵力が異様に多かった(文官がいないからな)点から考えても、
(他の有色人種の王国と違って封建制度だったしね)
西洋列強1ヶ国程度の派遣軍ならば充分に防げただろう。



230世界@名無史さん:2006/03/31(金) 08:14:52 0
>>225
ソースは失念したが、当時のスペイン人(宣教師だったかな?)の書簡か何かに
「彼らは常に戦争をやっているので強い」と書いてるとか。
たぶん「雑兵」と呼ばれるような人々のことだろう。
231世界@名無史さん:2006/03/31(金) 08:48:39 0
武士と言うか足軽だと思うが、傭兵として西洋人に雇われ、
東亜細亜各地で採用されていたはず。

強さと共に軍組織としての能力を認められていた証拠だろう。
232世界@名無史さん:2006/03/31(金) 09:28:37 0
スイス人みたいなもんか
233世界@名無史さん:2006/03/31(金) 10:33:12 0
>軍組織としての能力

編成はヨーロッパ式じゃないのか
234世界@名無史さん:2006/03/31(金) 12:41:41 0
タイやカンボジアやビルマでは直接王朝に傭兵として雇われていた。
現地の日本人のリーダー格が他の日本兵を組織し、日本人部隊として行動していたんだから、
編成も当然日本式だろ。
235世界@名無史さん:2006/03/31(金) 16:06:11 0
21世紀になってイタリアや日本やフランスやドイツで活躍した
韓国人傭兵がいるらしいのですが、、リップルちょっと、、
236世界@名無史さん:2006/03/31(金) 16:15:12 0
       
   /~~~~/   そろり
   / ∩/____ 
  //| ξノノλミ/
  " ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

237世界@名無史さん:2006/03/31(金) 16:19:12 0
    ,彡 ∧_∧
   く く_,<丶`Д´> ,ハイ!ハイハイハイ!!
    ヽ  \/   ⌒)
      ヽ   ( ̄彡
      \   ヽ
         r⌒丶)
       /  へハ
         ! ||  \\
        ‖|‖   \\
   /~~~~/‖|‖   彡
   / ∩/‖|‖_
  //| ξノノλミ/
  " ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
238世界@名無史さん:2006/03/31(金) 17:05:55 0
>>軍組織としての能力

>編成はヨーロッパ式じゃないのか

ヨーロッパ式の軍組織に対応できる能力がなければ、そもそも傭兵として雇われない。
239世界@名無史さん:2006/03/31(金) 18:21:58 0
オランダとイギリスの両東インド会社間で発生したアンボイナ事件。

被害者の中に多数の日本人。
加害者側にも・・・・。
240世界@名無史さん:2006/03/31(金) 19:53:23 0
>>238
スペイン人はとくに軍事能力が傑出してると思えないフィリピン原住民も
兵士として使っていたように記憶しているが。
241世界@名無史さん:2006/03/31(金) 20:44:30 0
やはり戦の経験や殺しの経験があるとないでは違うでしょ
殺しの経験がない人は、血を見ただけで遁走したりしちゃう人もいそうでなんだか頼りない
日本人は殺した後、首をちょんぎるとこまでいくからな。
242世界@名無史さん:2006/03/31(金) 21:39:52 0
>>240
もしフィリピン等の原住民でこと足りるなら、わざわざ日本人を雇う必要はないでしょう。
243世界@名無史さん:2006/03/31(金) 22:18:01 O
太平洋戦争では、戦場ではてんで弱かった日本兵だが、
捕虜を虐殺する確率wでは欧米諸国を軽くしのいでいた。
244世界@名無史さん:2006/03/31(金) 22:59:38 0
>>241
倭寇と戦った江南の官軍はたいして実戦経験がなく弱かったが
首だけはちゃんと切っていきましたよ。
逃げ遅れたその辺の百姓とかでしたが。
245世界@名無史さん:2006/03/31(金) 23:20:16 0
ちなみに16世紀の中国南方で倭寇よりも恐れられていたのが山岳民のチワン族。
非常に獰猛な連中だったので官軍の補助兵(客兵)としてよく用いられたのですが
こいつらが日本人も漢人も見境なく襲った。
「宁遇倭賊、勿遇客兵。遇倭犹可逃、遇兵不得生」といわれて恐怖の的になっていた。
246世界@名無史さん:2006/03/32(土) 00:58:57 0
倭寇自体、殆ど日本人じゃない。
対馬人が朝鮮人による対馬征伐に対して報復していた最初期的なのを除けば、
朝鮮の書物(朝鮮史録)には殆ど高麗人が化けていただけものと書かれているし、
シナの書物にも明人が化けた者だと書いてある。

247世界@名無史さん:2006/03/32(土) 01:15:40 0
朝鮮史録って何?
ぐぐっても出てこなかった。
248世界@名無史さん:2006/03/32(土) 01:34:22 0
朝鮮実録だよ。
249世界@名無史さん:2006/03/32(土) 03:06:50 0
>>247
正しくは、世宗荘憲史録。
その114巻の16章 真ん中よりやや後半部分

倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」

翻訳
「倭人は全体の1、2割に過ぎずして、殆どは、本国(朝鮮)の民が、
倭服を着て徒党を組み、混乱を作った」
250世界@名無史さん:2006/03/32(土) 03:27:15 0
>>243
スルーされたからって泣くなよw
251世界@名無史さん:2006/03/32(土) 03:31:22 0
後期倭寇は
倭人は一割から二割
高麗・明が七割
その他一割(琉球、ポルトガル、スペイン、黒人など)

と実に国際色豊かな集団でした
まあ、この当時は国なんて概念はないし。
およそすべての海賊に当てはまることでしょう

教科書レベルです。

つくる会の教科書のように徹底徹尾高麗・明人とする馬鹿本もありますけれども
一般的な教科書には後期倭寇の日本人割合は一二割と書いてあります
252世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:01:33 0
???
つくる会の教科書は知らないが、
一般的な中高の教科書に、

『後期倭寇の日本人割合は一二割』

の記述は無いぞ。
いちいち教科書をもちこんでくるのが、アレっぽい。
253世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:05:10 0
後期の倭寇は明人が主体。

『明史』の日本伝には、真倭(日本人の倭寇)は10のうち3と記述されている。
もっとも、こっちの倭寇は密貿易がメイン。
254世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:12:54 0
>>252
お前義務教育受けてないのか?
俺の今使っている教科書(山川出版)には
前期倭寇と後期倭寇の記述があり
とくに後期倭寇については、注意書きで倭人は一二割としっかり記述されてる
255世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:21:21 0
「後期倭寇」はセンターレベルじゃないのか。
構成比と、出てくる時期(15世紀前半)は意外とテストに出てくる
256世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:24:35 0
ごめん
16世紀前半だった
吊ってくる
257世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:36:33 0
>>252

「後期倭寇」と「前期倭寇」の区別は普通に頻出です
これを期に少しは勉強してくださいね
正誤問題で、前期倭寇と後期倭寇に入れ替える引っかけとか普通にあるじゃん

後期倭寇のキーワードは「中国人中心」「密貿易」「16世紀」「王直」「海禁政策」
始まりは「大内氏滅亡」。終了は「秀吉の海賊取り締まり令」
諳んじていったけどあっているかな??
258世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:41:59 0
つくる会の教科書は中学校だろ。
中学の他の教科書には書いてない。
259世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:43:42 0
侵略にでた高麗軍が対馬に反撃されて講和し、逆に倭寇に苦しめられる結果になった事実は、

このスレの題材にあっているだろう。
260世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:46:03 0
いや、馬鹿な>>252 は一般的な中「高」の教科書に言っているので誤解がおきているのでは

まあ、確かに中学レベルじゃ前期倭寇と後期倭寇の区別はまだ難しいかもな
でも、足利義満の時代の倭寇と、戦国時代の倭寇なんて
時期も性格も別物であるから、ひとくくりにするものでないことは厨房でも知っておいた方がいい
261世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:48:36 0
>>259
倭寇自体スレ違いぽいし
応永の外冦は前期倭寇に相当するからあまり題材には適さないな
ハン板行ったほうがいいかもね
262世界@名無史さん:2006/03/32(土) 04:58:00 0
>>260
あと、
↓後期倭寇に日本人の割合が一二割と書いた馬鹿もいるね。
>>251
>>一般的な教科書には後期倭寇の日本人割合は一二割と書いてあります

>>253が正解。
>『明史』の日本伝には、真倭(日本人の倭寇)は10のうち3と記述されている。
http://www.amaki.okayama-c.ed.jp/tirek_ka/nihonshi/print/H12-jh-09.htm
(4) 後期倭寇
A.勘合貿易の中断後、再び倭寇の活動が活発化(16世紀)
(a) 日本人の倭寇は3割程度、他は中国人・ポルトガル人
263世界@名無史さん:2006/03/32(土) 05:00:54 0
いちいち思想をもちだしてきて、教科書批判やら中傷やるのもスレ違い。
264世界@名無史さん:2006/03/32(土) 05:09:48 0
>お前義務教育受けてないのか?
>俺の今使っている教科書(山川出版)には
>前期倭寇と後期倭寇の記述があり
>とくに後期倭寇については、注意書きで倭人は一二割としっかり記述されてる

山川出版
世界史A 元は日本に朝貢を強求めたが、鎌倉幕府が退けたため、軍隊を来襲させた(元寇)。このころから、日本人を中心とする倭寇とよばれる海賊集団が朝鮮半島や中国の沿岸を侵略するようになった。
ttp://72.14.203.104/search?q=cache:nxHKJVgl54EJ:www8.ocn.ne.jp/~senden97/kyokasyohikaku2.html+%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E5%87%BA%E7%89%88+%E3%80%80%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%80%80%E5%80%AD%E5%AF%87&hl=ja&ct=clnk&cd=6

ポカーン…
265世界@名無史さん:2006/03/32(土) 08:37:00 0
続きはこっちでやってくれ

【朱印船】日本の海上交易【倭寇】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1118503126/l50
266世界@名無史さん:2006/03/32(土) 11:16:06 0
>>264
それは賠償から逃れたい政府の思惑が2割と言わせているだけの話。
お前の家では悪いことをしたけど、8割引きで勘弁してくれとでも教えているのか?
267世界@名無史さん:2006/03/32(土) 11:27:43 0
268世界@名無史さん:2006/03/32(土) 12:25:28 0
>>264
ぽーかんなのは自分の馬鹿さにあきれてのことか?
前期倭寇と後期倭寇の区別が付いてないなら
続きはこっちでやってくれ

【朱印船】日本の海上交易【倭寇】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1118503126/l50
269世界@名無史さん:2006/03/32(土) 21:36:49 0
>>268
馬鹿なお前が知ったかぶりで馬鹿を書いてえばっているから呆れ返っているんだろう。
精神年齢のガキが言い返したいだけで、同じコピペを繰り返しはって言い訳していえるのが笑える。
シナ朝鮮人のようにえばりたがる馬鹿ほど馬鹿だな。
さらに馬鹿を書いても馬鹿を認めない。 
だいたいお前がふった話しだろ。
┐(´ー`)┌ヤレヤレ
270世界@名無史さん:2006/03/32(土) 23:06:31 0
このスレで倭寇の話をするなら軍事的な面について語ってくれよ。
胡蝶の陣とか。
271世界@名無史さん:2006/03/32(土) 23:14:19 0
動員可能な兵力から見ても、日本はかなり優秀だったんじゃないのか?

関ヶ原の戦いや、大阪城の戦いでは総数で20万ぐらいだろ。
日本全体の総兵力でいけば、その倍ぐらいいてもおかしくないはずだ。
272世界@名無史さん:2006/03/32(土) 23:48:21 0
>>271
関が原は上田合戦、会津、九州など関が原以外でも戦いが起きてた。
あと、大阪城に毛利輝元がいたし。

動員可能な兵力だと、関が原や大阪の陣よか純粋な外征の朝鮮の役で
16万人を半島に送り込んだというほうが大きいんじゃない?
273世界@名無史さん:2006/04/02(日) 01:56:17 0
東ローマ帝国の後継を主張したモスクワ大公国はどうだろうか?
274世界@名無史さん:2006/04/02(日) 13:34:08 0
>>273
>>33-34に基礎的なデータ?があるね
どうせならポーランドも解説してほしいもんだが
275世界@名無史さん:2006/04/02(日) 18:13:36 0
オスマン帝国に抵抗したロードス騎士団(現マルタ騎士団・在ローマ)の軍事力もあなどれない。
276世界@名無史さん:2006/04/02(日) 21:48:42 0
>>142
いや、戦術思想の違いで、ヨーロッパのほうが相当高かったはずだが。
そのころのヨーロッパは、国を傾けてまで国中に要塞作りまくってた時代じゃなかったか。
277世界@名無史さん:2006/04/03(月) 09:43:28 0
>>276
そのころは日本も国中に城を造りまくってた時代だな。
さらに中国が騎馬民族の侵攻に備えて莫大な兵力を万里の長城の守備に割いていた時代でもある。
オスマンとペルシアが国境地帯の都市や要塞をめぐって攻防を繰り広げていた時代だったりもする。
インドのアグラ城、メーフラーンガル城、アンベール城などの代表的な城塞の大半が築かれたのもこの時代。
278世界@名無史さん:2006/04/03(月) 12:05:07 0
>>274
16世紀に限れば実質世界(?)最強の陸軍国はポーランドだろうな。
世界かどうかはともかく、あの当時はヨーロッパ最強。
279世界@名無史さん:2006/04/03(月) 15:40:47 0
16世紀はな
17世紀からは内部分裂して急に衰退していった
280世界@名無史さん:2006/04/03(月) 19:52:18 0
ポーランドってロシアやタタール人と古風な騎馬戦をやってた印象しかないのだが
当時の西欧の軍隊を撃破する能力はあったの?
281世界@名無史さん:2006/04/03(月) 20:11:01 0
当時の西欧の軍隊にはタタール人を撃破する能力はなかったよ。
282世界@名無史さん:2006/04/03(月) 20:35:14 0
明では火力の集中によってモンゴル軍を撃退していたらしい。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1122789087/37-39

欧州の軍隊もたぶん遊牧民が正面からぶつかってくれば勝てるのかもしれないが
ダレイオスのスキタイ遠征みたいに広い草原の中で消耗させられて撤退しそう。
オスマン帝国も重砲や重騎兵で紅帽派トゥルクメンに個々の戦闘では勝ってたけど
ロジスティクスの問題で結局イランを征服できなかったし。
283世界@名無史さん:2006/04/08(土) 00:16:18 0
モンゴル軍のほとんどがモンゴル人じゃない。けれども、
モンゴル軍が世界最強と主張する人間は、モンゴル人が
最強だと思う。
284世界@名無史さん:2006/04/08(土) 01:16:16 0
>283
このスレの対象となる時代のモンゴル軍はほとんど外国人を使ってないが?
アルタン・ハーンが漢民族を入植させるようなことはあったようだけども。
285世界@名無史さん:2006/04/08(土) 23:04:18 0
結局、日本が世界最強ということでつね。
286世界@名無史さん:2006/04/09(日) 20:37:25 0
米 露 日 は最強
287世界@名無史さん:2006/04/10(月) 21:52:53 0
>>280
当時のポーランド軍は国民軍(narodnie autorament)と外国軍(niemiski autorament)に分かれていて
国民軍はシュラフタ階級のフサールなど伝統的な騎兵、外国軍は農民階級から徴兵された連中で
パイクや小銃で戦う歩兵や砲兵隊など西欧式の軍隊でした。
288世界@名無史さん:2006/05/02(火) 08:10:54 0
>>236-237

このスレにもξが、、、
289世界@名無史さん:2006/05/02(火) 17:11:03 0
アステカ帝国はどんなもん?
290世界@名無史さん:2006/05/02(火) 19:20:33 O
16世紀なら陸軍ならオスマン・トルコ、次いで英清教徒軍、サファヴィー朝、スペインか
海軍は伊都市、スペイン、オスマン・トルコ拮抗か
291世界@名無史さん:2006/05/02(火) 19:21:41 0
>>289
図書館にAztec Warfareって本があったんで
そのうち調べてきます。
292世界@名無史さん:2006/05/02(火) 19:41:26 0
日本ザコすぎw旧式火器なんていくつあってもむだぽ
293世界@名無史さん:2006/05/02(火) 19:47:52 0
16世紀の銃はたいていマッチロック式だよ。
この時代の旧式火器ってのは指火式銅銃なんかだね。
294世界@名無史さん:2006/05/02(火) 19:57:20 0
春休みとかゴールデンウイークにだけ上がるスレw
295世界@名無史さん:2006/05/02(火) 19:58:58 0
>>217
> 戦争で勝った大名は、負けた側の兵士をスペイン人に売り飛ばし軍資金とした

なんかアフリカの黒人奴隷貿易に似てるな。
296世界@名無史さん:2006/05/02(火) 19:59:13 0
まぁ暇だから?結論でないスレなだけにw終わらない
297世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:03:35 0
日本が世界に行くなら、海越えなきゃならん。
当時の日本は海戦なんてできるの?
298世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:09:19 0
>>297
そんな航海能力あったら東シナ海を大船団で直接、明に侵攻したでしょ秀吉が。
299世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:17:12 0
秀吉は死ぬ直前にルソン島遠征の準備をしてたらしいですね。
300世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:22:15 0
>>290
ピューリタン革命は17世紀なんだけど・・・
16世紀のイギリス軍はロングボウとビル(矛の一種)が主兵器の旧式軍隊。
>>62-63を見る限りサファビー朝もたいして強いとは思えないが?
301世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:25:22 0
16世紀じゃないけど江戸幕府も家光時代にルソン島遠征を考えたけど
立案者の松倉重政の急死で中止したな。
キリシタン撲滅の案だったけど。
302世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:29:33 0
>>300
サファヴィー朝は開祖のイスマーイール1世の頃は当時の世界屈指の騎馬軍団だったけど
チャルディラーンでオスマンに負けてからは世間一般並の力に落ち着いたからな。
303世界@名無史さん:2006/05/02(火) 20:52:35 0
チャルディランの戦いでオスマン帝国軍は荷車を並べて射撃陣地を作ろうとしたが
サファヴィー朝軍の左翼の将軍は「あれが完成する前に攻撃しましょう」といった。
右翼の将軍は「陣地ができてから攻撃しても遅くはないでしょう」
イスマーイールは後者の案を採用して、そして負けた。
304世界@名無史さん:2006/05/02(火) 21:08:52 0
チャルディランで負ける前のイスマーイールはマフディー(救世主)を
名乗る程常勝不敗だったな。
キジルバシ騎兵の半ば狂信的な強さもあっただろうが。
305世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:03:39 0
>>295
そいつの「東南アジアの日本人傭兵は奴隷だった」という書き込みには、
何のソースも無いことが日本史板で判明した。
306世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:05:45 0
長崎経由で日本人奴隷が売られていたのは事実じゃないか?
307世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:18:29 0
日本人奴隷が売られていたということと、日本人傭兵が戦争奴隷だったかということは、
まったく別の話だからな。
308世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:23:11 0
日本人傭兵は主家取り潰された浪人が主体だろ。
309世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:33:47 O
日本人奴隷といっても少数だし、本国までは連れていった形跡もない
もっともその奴隷刈りしたのも奴隷を売ったのも日本人
薩摩の島津が豊後の大友領攻めたときに農民を捕え、奴隷として売った例もある
310世界@名無史さん:2006/05/03(水) 07:16:07 0
>305
どこのスレ?
311世界@名無史さん:2006/05/21(日) 13:40:39 0
>>309
どこに売ったの?
312山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/21(日) 14:07:56 0
肥前方面に売り飛ばされた話の事でしょう。他の地域にも見られました。
鎌倉時代には、人身売買は飢饉等の非常時を除いて禁止されています。
債務によるものではなく、本人の意思とは別に誘拐して売り飛ばした例も多
かったので(『山椒大夫』を思い出して下さい)、治安維持の為でしょう。
これが室町時代になると禁止した法令が見えなくなります。
おそらく、全国規模で流通していた奴隷売買を規制する能力が無かった為。
謡曲『婆相天』には、康応三年に法令で禁止されているのに敢えて売買したと
いう話がありますが、これは足利義満の時代に相当します。
義満の時代にはまだ通用していたのかもしれません。もっとも、実際には康
応という年号は三年までで、康応三年は実在していませんが。

戦国時代には人狩り→売買が行われました。
もっとも、領民が行われるのは歓迎されず、中世前期から存在していた誘拐
→奴隷売買事業の元締めの女(中世の女の立場を知る好例)が、信長によって
死罪に処せられたという話があります。
秀吉の場合、日本国内での売買を禁止したという事ですから、伴天連相手に
限らず、天下統一後の国内の秩序回復を目指しての行動かもしれません。
従って、戦国時代の例を出しても反証にはならなかったでしょうね。

なお、日本の「奴隷」は相当する金銭を払えば解放されるなどの権利が認めら
れていた事から、「奴隷」には相当しないという意見もあります。
翻訳というか翻案物ですが、『伊曾保物語』の主人公の台詞回しや行動は当時
の下人(ここで述べて来た奴隷)の立場や解放の下りをよく現しています。
そうした日本人の「奴隷」認識と西洋のそれにずれが存在しており、西洋のそ
れが更に「非人道的」なものに見えたのかもしれません。
恐ろしい主人の例として斬首を示したものもありますが、流石にこうした例
は稀であったと考えられます。
313山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/21(日) 14:09:52 0
>>312
失礼。
>年号は三年までで
二年の間違いです。
314世界@名無史さん:2006/05/21(日) 16:36:40 O
もともと古代ヨーロッパの方が有能であったり、金銭で解放されたりできた商品奴隷制を採っていた
終身奴隷制の考えを持ち込んだのはフン族
315世界@名無史さん:2006/06/12(月) 18:27:54 0
西欧には債務奴隷なるものも存在していたといいますが。
316世界@名無史さん:2006/06/16(金) 01:26:31 0
17世紀になるとヨーロッパが飛躍的に伸び始めるので、
ある意味、16世紀じゃないと勝負にならないだろうな。
317世界@名無史さん:2006/06/16(金) 08:42:17 0
パイクで「叩く」という戦術を使ってたのは日本だけ?
318世界@名無史さん:2006/06/17(土) 18:54:21 0
債務監獄は知っているが債務奴隷というのは何?
319世界@名無史さん:2006/06/18(日) 08:46:23 0
おお、それそれ。債務奴隷は間違い。
320世界@名無史さん:2006/06/18(日) 09:18:09 0
>債務奴隷

中世ロシアの「ザクープ」とかか。
321世界@名無史さん:2006/06/20(火) 10:50:21 0

日本刀と中東の刀は湾曲刀の仲間だが

日本刀→鍔元から徐々に湾曲している

中東刀→刀身のほぼ真ん中まで直刀で、そから湾曲している
http://www.geocities.jp/bowen_dragon/taki/touken/saif.htm
http://www.geocities.jp/bowen_dragon/taki/touken/shamshir.htm

様に見えるんだが。
この違いに何か意味はあるのだろうか?
322世界@名無史さん:2006/06/29(木) 23:16:06 0
ロシアは西欧なのか?
323世界@名無史さん:2006/07/02(日) 00:56:22 0
885 :世界@名無史さん :2006/06/29(木) 14:35:48 0
昨日の朝日新聞の夕刊に「倭乱と東アジア」短期連載の記事が載ってけど、
「壬辰倭乱」をテーマにした韓国でのシンポジウムが6月19日〜22日迄
やっていて、韓国・日本・欧米の学者30人の歴史学者が議論してて、その中で
目を引いたのは、ケネス・スオーブ米ポールステート大準教授は「日本と朝鮮の間
の戦争だとの見方はやめるべきだ」。言って戦争構図は明を中心にした東アジア
の支配体制・秩序への秀吉の挑戦。日本と明との戦争であり、明は当初は内乱の
為に兵を送れなかったが、朝鮮の要請ではなく自分の利益のために参戦した。


886 :世界@名無史さん :2006/06/29(木) 14:47:15 0
上の続き
また、明軍は弱いと言うイメージがあるが、明を倒した清によって作られたもので、
当時は武器も優秀で精強だった。一方の秀吉軍は戦乱で鍛え上げられた世界
最強の軍団。両者の激突は16世紀最大の戦争だった、スオーブス準教授
(中国軍事史)位置付けた。あとはオランダ・ライデン大学のW・J
ポート教授(日本思想史)は「朝鮮征伐は、当時の日本の実力者の間で広く
共有されていた」正気を失った秀吉の暴走との見方に否定的な考えを示した。
324世界@名無史さん:2006/07/02(日) 03:22:50 0
ふむ、海外の研究者の視点は面白いね。あと、コピペの引用元を明記してくれ。
325世界@名無史さん:2006/07/02(日) 16:00:02 0
日本は敗北した
半島に敗北したというのはプライドがゆるせないウヨ
そうだ中国に負けたことにしよう
プライド回復するウヨ
326世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:16:46 0
明史を読んだ限りじゃ、日本は秀吉死後、追撃してきた明軍を撃破して引き揚げていったと書いてあったはずだがな。
日本と明の間の戦闘は一進一退といったところか。
327世界@名無史さん:2006/07/04(火) 12:24:26 0
>>325
いや、じっさいそうじゃないですかw
328世界@名無史さん:2006/07/05(水) 18:24:41 0
>>323>>324
>海外の研究者の視点は面白いね。

ヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネルなどの主に欧米の歴史学者が監修している歴史番組を観た限りでは、元代〜清代の朝鮮半島は完全に中国に組み込まれた形になっているのが普通。
2ちゃんのウヨや嫌韓厨は「属国」だと言っているが、あちらでは「属領」という認識が一般的なようで、基本的に独立した勢力とは扱われていない。
(イエス・キリストが生まれた頃のローマ帝国とユダヤ王国の関係に近いといった認識。
国内にヘロデ王という王様はいるけれど、軍隊の指揮権や外交権などはローマの総督が掌握している。)

こういった歴史観の背景があるので、文禄慶長の役はあくまで明vs日本といった形でみるのが世界的には一般的。
329世界@名無史さん:2006/07/09(日) 23:14:03 0
>>328
なるほどねえ。
言われてみれば、そういう認識は正しいのかもしれない。
330世界@名無史さん:2006/07/10(月) 00:50:59 0
一世紀当時、仮にパルティアがユダヤに侵攻しても、ユダヤvsパルティアという図式で見る人間はいないわな。
最終的にはローマvsパルティアという見方をするのが普通だわな。
331山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/07/10(月) 01:56:44 0
>明を中心にした東アジアの支配体制・秩序への秀吉の挑戦
こういう巨視的な説はあまり扱わないのですが、日本の研究者の発言として
聞いた覚えがありますよ。
この先生がそうとは言えず、またどこまで真実か知りませんが、海外では日
本の研究者との交流の少なさを利用して論文を盗作する様な人も多いとか。
英文はともかく、他の言語となると網野先生クラスでもフランス語に翻訳さ
れたものが一本といった状態(研究者はそもそも日本語が読めますが、修行
中の人には読み難いでしょうね)。
332世界@名無史さん:2006/07/15(土) 21:50:05 0
欧米の研究者が書いた東洋史の邦訳本って売って無いね。
(洋書屋で東洋史全般の通史本ならよく見かけるけど。)
333世界@名無史さん:2006/07/20(木) 19:45:55 0
今更だが・・・
>>16世紀のイギリス軍はロングボウとビル(矛の一種)が主兵器の旧式軍隊。
16世紀なら別に旧式とは思えない。しかもロングボウとビル装備だったのは16世紀初期、
1513年のフローデンの戦いや拍車の戦いの頃で、ヘンリー8世の治世の終わりの時期には
大量の外国人傭兵を雇って、アルクビューズ装備の部隊もある。
334世界@名無史さん:2006/07/20(木) 20:21:11 0
「鉄砲を捨てた日本人」でも比較対象にされてるよね。イングランド(&スコットランド)。

スペインあたりと比べなきゃ無意味じゃないかという気もしたが・・・
335世界@名無史さん:2006/07/20(木) 20:33:37 0
>>334
ということは?
336世界@名無史さん:2006/07/20(木) 21:45:53 0
次の世紀にあっさりとオランダなんぞに駆逐されたスペインと何を比較せよと?
337世界@名無史さん:2006/07/20(木) 21:59:38 0
当時のヨーロッパで一番銃もってそうな気がしたが>スペイン
338世界@名無史さん:2006/07/20(木) 22:36:51 0
すまん、そういう意味か。
てっきり兵の強弱と勘違いしたよ。
339世界@名無史さん:2006/07/20(木) 22:55:30 0
>>次の世紀にあっさりとオランダなんぞに駆逐されたスペイン
いや16世紀からずっと80年戦ったわけだが・・・
340世界@名無史さん:2006/07/20(木) 23:18:14 0
海上覇権ね。
言葉足らずですまんねw
341世界@名無史さん:2006/07/21(金) 09:40:38 0
テルシオの無敵時代は強かったんだよスペインも・・・
342世界@名無史さん:2006/07/25(火) 21:19:35 0
1960年代は強かったんだよソ連も・・・
343世界@名無史さん:2006/08/02(水) 21:30:39 0
スペインが強かったなんて幻想だよ。
相手が弱すぎただけ。
天然痘患者が使用した毛布で人口減らせられる土地以外はどこも占領してないよ。

20世紀になってもヘタレっぷりは全開。
アフリカ勢相手に毒ガス使用なんて(イタリアとスペイン以外は)アリエナイ。
344世界@名無史さん:2006/08/09(水) 18:07:09 0
ラジオで歴史家が言っていたんだけど、
布教に来てる宣教師ってヨーロッパ本国の「偵察隊」で
宣教師が本国に送った密書がバチカンに保管してあるらしく
それを解読しにいった日本人がいたんだってさ。
内容は、
「日本を植民地にしようかって宣教師が話し合ったが
結局、日本を植民地にしても資源が無いし、
戦争ばかりして、異様に強いから植民地にするより、そそのかして
明を攻めさせた方がいい」
という内容だったらしい・・・。
345世界@名無史さん:2006/08/09(水) 22:47:14 0
>>344
当時の日本の銀産出量知ってる? 無能無知の陰謀論者くん。
346世界@名無史さん:2006/08/10(木) 04:40:32 0
陰謀論というよりはとんでも・・・
347世界@名無史さん:2006/08/10(木) 04:51:23 0
344はたぶん包茎
348世界@名無史さん:2006/08/10(木) 07:19:35 0
何で344が叩かれてるのかようわからんが・・・
ヴァリニャーノがフィリピン総督に送った書簡の事でしょ
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon22.html
349世界@名無史さん:2006/08/10(木) 19:16:25 0
「トルデシリヤス条約」は高校世界史の教科書にも載ってるが、これこそが「とんでも」だろw
現代で例えれば、韓国と北朝鮮が38線を境界線として世界の分割を決定したとか言うようなものでしかないよ。

・・・どうも19世紀後半のイギリスやフランスと同じだと思い込んでいるようだけれど、国力や軍事力は比較対象にすらならない。
350世界@名無史さん:2006/08/10(木) 21:09:24 0
何でいきなり嫌欧厨が湧いてるの?
351世界@名無史さん:2006/08/11(金) 01:14:04 0
日本には金銀が山のようにあった
鎖国以前、世界の銀はメキシコと日本が二大産地だった
しかし、日本にはそれを精製する技術がないため、鉱石が屑のような値段で輸出されていた
徳川家康はこれを食い止めようと宣教師におべんちゃら使って、
なんとか精製法を手に入れようとしたが、無理だった

>>341
だが、あの機動力のなさと側面の弱さは、構造的欠陥と読んでいい気がす
移動要塞のなにふさわしい強固さだけど

大砲って攻城戦使用だけじゃなくて、オスマンなんかは対マムルークで、
騎兵の大群に向けて大砲発射して大勝してるけど、
ああいう金のかかる戦い方ってほかはしてないのかね
352世界@名無史さん:2006/08/11(金) 04:17:15 0
>>316
はっきりするのは18世紀でしょう。
17世紀じゃまだ分からん気がする。
353世界@名無史さん:2006/08/11(金) 19:22:01 0
西洋史には「17世紀危機論争」(ヨーロッパ文明にとって危機の世紀だった!vsそうでもなかっただろ?)というのもあったんだが・・・
354世界@名無史さん:2006/08/11(金) 20:02:27 0
>>だが、あの機動力のなさと側面の弱さは、構造的欠陥と読んでいい気がす
移動要塞のなにふさわしい強固さだけど

テルシオの側面がなぜ弱いのかわからないのだが・・・
355世界@名無史さん:2006/08/11(金) 23:01:48 0
前に突き出してるからじゃないか?
少なくとも正面よりは脆いだろ
356世界@名無史さん:2006/08/12(土) 05:22:43 0
>>343
確かに、イタリアやスペインなどのラテン系の兵士はどうしようもなく使い物にならない。
しかし、この傭兵主体の時代では、スペイン軍の兵士は必ずしもスペイン人であったというわけでもない。
指揮官は軍人として無能なスペイン人であったとしても、アイリッシュやイングリッシュ、あるいはゲルマン系の傭兵で構成されていたのならば、スペイン軍とても十分に脅威的存在となりうるであろう。
357世界@名無史さん:2006/08/12(土) 08:24:39 0
>イタリアやスペインなどのラテン系の兵士はどうしようもなく使い物にならない

ソース
358世界@名無史さん:2006/08/12(土) 13:24:51 0
歴史(れきし)の本(ほん)くらい読(よ)もうよ
359世界@名無史さん:2006/08/12(土) 13:26:37 0
16世紀には少なくなったが、もう200年位前、傭兵といえばイタリア人だったよな
360世界@名無史さん:2006/08/12(土) 19:34:12 0
>>358
例えばどんな?
361世界@名無史さん:2006/08/12(土) 23:27:12 0
>>359
中世に分類される時代なら、中期のノルマンの他、イタリア、フランドル、スペイン、ブルゴーニュ、ドイツ系が有名か。
他には東ローマでのフランク系やブリテン系が有名ですな。

しかし、14世紀のイタリア最強の傭兵といえば、ジョン・ホークウッド。
イタリアの外でイタリア人傭兵、傭兵隊長の名前が思い浮かばないのは俺だけではないよな・・・。
362世界@名無史さん
>>しかし、14世紀のイタリア最強の傭兵といえば、ジョン・ホークウッド
実はホークウッドはイングランド人だったりする・・・

>>イタリアやスペインなどのラテン系の兵士はどうしようもなく使い物にならない
そんなことはないよ。はっきり言って人種の強弱なんて全く当てにならない。
まぁ、第二次大戦やその前のヘタリア軍のイメージがあまりにも強すぎるからそう思えるのも仕方ないよねw