五胡十六国〜清までの軍事史

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37世界@名無史さん
後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)

歩兵

歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。
38世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:06:41 0
騎兵

騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
騎馬で移動する歩兵であったようである。
39世界@名無史さん:2005/08/03(水) 22:07:39 0
車兵

車兵旅団の戦車(防御用のワゴン)にはそれぞれ10名の分隊2個が配置されている。
分隊長、御者、2名のラバ追い、6名の砲手からなる第1の分隊は、戦車のところで
2門の旋回砲を操作する。
分隊長、4名のマスケット兵、4名の近接武器をもった兵士、伝令からなる第2の分隊は、
戦車に乗るか、またはその周囲で戦う。
2つの戦車が小隊を構成し、2個小隊が中隊、4個中隊が大隊、4個大隊が連隊、2個連隊が
旅団となる。旅団にはさらに別の17台の戦車が付属し、その内8台は"大将軍"と呼ばれる
大型砲が搭載され、残りの9台には太鼓や火箭やその他の物資を積んである。
合計で、3109名の車兵旅団は145台の戦車と、8門の大型砲、256門の旋回砲、
512挺のマスケット銃を装備している。