★スキタイ人はどんな遊牧民族なの?★

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1初心者
どんな生活をして
どんな宗教を信じていたのか
何でもいいので教えてください!
2初心者:2006/01/25(水) 23:47:40 0
教えてください!
3世界@名無史さん:2006/01/25(水) 23:53:10 0
民族はコーカソイド
語族はインドアーリア系
生活は遊牧民
宗教は生命樹、猪などのアミニズム?崇拝
分布した地域は時期によって異なるが、
確認された東端が現在のモンゴル北部、西は現在のEU東部
4世界@名無史さん:2006/01/25(水) 23:54:36 0

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5世界@名無史さん:2006/01/25(水) 23:59:08 0
遺跡の多くは墳墓の形で発掘される。
ウラルアルタイ地方のそれはソ連アカデミーによって詳細に研究された。
クルガンで検索。
6初心者:2006/01/26(木) 00:02:19 0
う〜ん・・・
匈奴と似てるね。
7世界@名無史さん:2006/01/26(木) 00:02:27 0
すき焼きが大好きらしい。
8初心者:2006/01/26(木) 00:05:20 0
>>3>>5
ありがとうございます!
9初心者:2006/01/26(木) 00:09:24 0
バターを開発したのもスキタイ人らしい・・・
10初心者:2006/01/26(木) 00:20:12 0
マリファナが大好きらしい・・・
11初心者:2006/01/26(木) 00:22:43 0
スキタイ語はイラン語の一派だった・・・

本当?
12世界@名無史さん:2006/01/26(木) 00:23:45 0
>>11
たしかに有力な説
13世界@名無史さん:2006/01/26(木) 00:55:34 0
アキレウスは実はトロイに救援に来たスキタイ軍と戦って戦死したという説がある。
14世界@名無史さん:2006/01/26(木) 01:19:01 0
アマゾネスもスキタイだっけ?
15世界@名無史さん:2006/01/26(木) 01:23:27 0
16世界@名無史さん:2006/01/26(木) 01:35:12 0
剣を崇拝していた
17初心者:2006/01/26(木) 01:37:20 0
みんなスゲーな!
2ちゃんのレベルの高さに
ビックリ★
18世界@名無史さん:2006/01/26(木) 07:58:20 0
>>14
サルマタイでは?
19世界@名無史さん:2006/01/26(木) 09:34:06 0
黄金製の装飾品が多く出土
20初心者:2006/01/26(木) 16:54:17 0
21世界@名無史さん:2006/01/26(木) 17:02:27 0
語族はインドアーリアじゃなくてイラン・アーリアのほうだろ
宗教はインド・ヨーロッパ系でオセット人やスラヴに影響を与えた
22初心者:2006/01/26(木) 17:09:08 0
23世界@名無史さん:2006/01/26(木) 20:53:41 0
地味にスキタイ関係の本だった
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0763.html
24世界@名無史さん:2006/01/27(金) 04:18:33 0
紀元前のスキタイについてはギリシア人が残したギリシア語のものくらいしか
まとまった文字資料がないため、どういう言葉を話していたか確実に分かって
はいないが、少ない人名などの情報から恐らくイラン系の言語を話していた
のでは無いかと推測されているとか。

ただ、スキタイの一派と思しき大月氏のクシャン人たちは確実にイラン系の
言語を話していた事が分かっている。バクトリア語と呼ばれるものがそれで、
ギリシア系の文字で読み書きされ、中期イラン語の特徴を持つ。古代語の
アヴェスター語や同じ中期イラン語のソグド語と同じく東イラン語の
特徴が見られ、おおよ東イラン語の中期語に分類されている。
しかし同じ時期のパルティア語や中世ペルシア語などの西イラン語の特徴も
少なからず見られるとのことなので、東西イラン語の中間的言語かも知れない
という予測もされているらしい。

カニシュカ王がバクトリア語の碑文で、碑刻した自らの言葉を「アルヤ語」と
呼んでいるが、カニシュカの前代か前々代からこのギリシア系の文字で自らの
言語を筆記するようになったと考えられている。2世紀からアラブ征服が
はじまる7、8世紀頃までアフガニスタン周辺で使用されていたようだ。
25世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:04:47 0
連中はマリファナを焚き火にくべてその煙を吸ってハイになっていた
というぞ。
26世界@名無史さん:2006/01/27(金) 22:19:38 0
月氏=クシャン=スキタイは微妙だな。
貴霜を含めた五翕侯は月氏が大夏征服後に
その国を分割して置いた物だよ。
27世界@名無史さん:2006/01/28(土) 11:45:53 O
1は例の寄生獣の作者の漫画に興味があるだけですよ
28世界@名無史さん:2006/01/28(土) 12:27:05 0
スキタイは遊牧民じゃねえ
農耕スキタイ人ってのも『歴史』に登場するし
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 12:41:25 0
スキタイ人って遊牧民の元祖だよな確か。
しかもコーカソイドだから何気にカッコイイ!
30世界@名無史さん:2006/01/28(土) 14:04:04 0
好きですたい。
31初心者:2006/01/28(土) 16:05:11 0
>>27
ダメですか?
32初心者:2006/01/28(土) 16:29:02 0
ところで皆さんスキタイ関係
じゃないのですが、
山窩の事に詳しい人いませんか?
33世界@名無史さん:2006/01/29(日) 22:15:18 0
>>25
正確に言うと「天幕の中で麻の実を焼け石にのせて
そこから出る蒸気を浴びていた」だ。
単なるサウナでないかと思うが。
34世界@名無史さん:2006/01/29(日) 23:44:42 0
>>29
スキタイはイラン系じゃねえの?
35世界@名無史さん:2006/01/29(日) 23:47:51 0
誰も>>3の「アミニズム」には突っ込まんのか・・・
36世界@名無史さん:2006/01/29(日) 23:48:32 0
イラン系もコーカソイド
ラテン系やスラブ系だけがコーカソイドと言うわけではない
37世界@名無史さん:2006/01/30(月) 01:05:27 0
だいたい「アーリア人」というのもイランやインドを征服した遊牧民だ。
38世界@名無史さん:2006/01/30(月) 01:13:17 0
アーリア人のせいでインドの文明は退化してしまった
今、欧米が築いてくれた経済の下地で
頑張ってインドを復活に導いているのは
インドにわずかに残っている
インダス文明時代の農耕民族なんだよな

遊牧民は馬乗るのがやたら上手いから昔の戦争ではやたら強かったから
インダス文明が滅びてしまったのは仕方ないが
39世界@名無史さん:2006/01/30(月) 01:40:30 0
>>38
アーリア人って騎馬民族だったんでしょうか。
以前古代インドについて読んだら、牛の群れを連れて移動してる人々のようなイメージが・・・
40世界@名無史さん:2006/01/30(月) 01:41:57 0
インダス文明の滅亡がアーリア人の侵略によるかどうかは
あまたある仮説の中の一説の域を出ないのが現状じゃなかったっけ?
41世界@名無史さん:2006/01/30(月) 01:50:48 0
もし侵略でないとすると
衰退に乗じて移住してきたとか・・・?
42世界@名無史さん:2006/01/30(月) 04:29:37 0
話をスキタイに戻せ
43世界@名無史さん:2006/01/30(月) 11:29:13 0
>>39
戦闘スタイルの面では、キンメリア人やスキタイ人はおおむね騎馬兵として戦ったようだが
古代インドのクシャトリヤ階級はチャリオットや象に乗って戦っていた。
イランはよく知らない。
44初心者:2006/01/30(月) 13:55:04 0
もし像に乗ってスキタイ人と戦っても
矢で射られちゃいそうだねw
45初心者:2006/01/30(月) 14:12:06 0
http://homepage3.nifty.com/coffeemonster/histories/sasurau1.htm

スキタイ人ってカッコイイな!
46世界@名無史さん:2006/01/30(月) 20:09:09 0
イランはササン朝までは、アーリア人がセム系やドラヴィダ系の
農民層の上に君臨する、古代インドと似た社会だった。
現代のイラン人はそれらとトルコ・モンゴルのミクスチャー。
47世界@名無史さん:2006/01/30(月) 21:02:44 0
農耕スキタイはスラヴ人の祖先だったとかいわれている
48世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:28:39 0
ケンタウロスって要はスキタイのこと?
49世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:31:27 0
小林カツ代の息子のことだよ
50世界@名無史さん:2006/02/05(日) 17:39:31 0
中央ヨーロッパで前5〜6世紀に栄えたラウジッツ文化をスキタイは徹底的に破壊したらしい。
51世界@名無史さん:2006/02/05(日) 22:50:26 0
フン族は馬から下りると死ぬと思われていたらしい。
ある意味ケンタウロスだな。
52世界@名無史さん:2006/02/06(月) 01:59:42 0
単なる漫画厨の1に真面目に答える皆さんに脱帽。
1は単に、寄生獣→ヒストリエと読んだだけ。
「スキタイ」って言いたいだけのリアル厨房。
53世界@名無史さん:2006/02/06(月) 15:01:23 0
スキタイが好きたい

っって言いたかったから言ってみたよ
54世界@名無史さん:2006/03/07(火) 17:23:36 0
スキタイ人について研究をしてみたいと思うのですが
日本の大学の権威ってどんな人が居るのでしょうか?
55世界@名無史さん:2006/03/26(日) 12:01:10 0
age
56世界@名無史さん:2006/04/17(月) 18:24:14 0
アテアス王の時代が最盛期といわれる。アテアス王はトラキアへ侵攻、
マケドニアのフィリッポス王がトラキアに救援軍を出しスキタイは敗北、
アテアス王も戦死という大打撃を受けた。指導者を失ったスキタイは
イラン系サルマートなど周辺民族に侵蝕され消滅する。
57世界@名無史さん:2006/04/17(月) 20:17:50 0
ミトリダテス戦争の頃にもちらっとスキタイ人が出てくるよね。
58世界@名無史さん:2006/05/08(月) 22:35:05 0
ヒストリエのスレはここですか?
59世界@名無史さん:2006/05/08(月) 23:16:56 0
あんたも好きたいね
60世界@名無史さん:2006/05/08(月) 23:36:51 0
身体を水で洗うことはなく草をすり潰したものを使って髪の毛も洗ったと聞く
それにしても金細工はみごとだね
61世界@名無史さん:2006/05/09(火) 00:01:23 0
って、単にギリシア人の技術者に造らせたのと違うか?>金細工
62世界@名無史さん:2006/05/09(火) 08:14:47 0
ギリシャ本国には無い造形の細工からして「単なるギリシャ職人の製作」では作れない。
63世界@名無史さん:2006/05/09(火) 12:53:48 0
>>45
へー、スキタイ人ってちゃんとした鎧を着てたんだ
64世界@名無史さん:2006/05/09(火) 16:29:01 O
自分も金細工はスキタイ人が造ったと思うが
スキタイ人が征服して農耕をやらせていた農耕スキタイ、農民スキタイとヘロドトスが呼んでいたキンメリア人が造った可能性もある
65世界@名無史さん:2006/05/10(水) 20:29:08 0
大昔の日本の神々ってスキタイ人に似てる
66世界@名無史さん:2006/05/21(日) 19:36:27 0
スキタイやサルマートの王族の子孫とかいるのかな?
67世界@名無史さん:2006/05/21(日) 19:59:13 0
アーサー王
68世界@名無史さん:2006/05/22(月) 02:19:04 0
スキタイ人はユーラシア大陸を経由し朝鮮半島をスルーして日本に渡って国を作った
69世界@名無史さん:2006/05/27(土) 20:14:52 0
資料少ないから盛り上がらないね
70世界@名無史さん:2006/05/27(土) 20:24:43 0
居住地や当時の習慣、歴史学的・考古学的成果からスキタイのうち、
農耕スキタイ人、農民スキタイ人(農耕スキタイ人とは別扱いされている)はおそらく原スラヴ人といわれている。
ネウロイ人、ブディノイ人もおそらく原スラヴ人といわれている。
また、メランクラノイ人も原スラヴ人の可能性がある。

遊牧スキタイ人とそれを征服して飲み込んだサルマタイ(サルマート)人は滅亡後行方不明。
やっぱり伝説どおりスラヴ人と混合したか?
とすればスキタイやサルマタイの支配層は西スラヴ系や南スラヴ系諸部族の支配層となった可能性がある。

ともかく古代スラヴの何らかの強い関わりが考えられる。
71世界@名無史さん:2006/05/27(土) 22:17:55 0
ナポレオンはモスクワ焦土作戦に『スキタイのやる事は…』と茫然自失に口にしたとか。
72世界@名無史さん:2006/05/28(日) 00:35:56 0
ギリシャ時代の古代スラヴ人は外敵に侵入されると村を焼き払い、
森の奥にあらかじめ作ってある堅固な砦に篭って敵が冬を前に土地から出て行くのを待ったという。

ナポレオン時代もそれと同じことをやっていたわけだ。
73世界@名無史さん:2006/05/28(日) 05:22:50 0
ゴロディシチェでしたっけ?
74世界@名無史さん:2006/05/28(日) 07:08:07 0
堅壁清野だな。
75世界@名無史さん:2006/05/28(日) 14:39:02 0
>>73
「ゴロ」は山や丘といった高い場所の意味だよね。
「ディシチェ」って何?砦?
76世界@名無史さん:2006/05/28(日) 22:27:49 0
>70
こんばんは。ハンガリーにはサルマートの子孫がいましたよね。
ローマ兵として他の地域に派遣された兵士は部族内の位としては日本の足軽ほどなのでしょうか?(王族が派遣される事はないと思いますが、、)
77世界@名無史さん:2006/05/29(月) 08:20:56 0
スキタイの青年にアマゾネスがくっついて生まれたのがサルマート族だとかいう俗説がある。
スキタイの青年はアマゾネスの所に自分の家財(遊牧民の財産なのでそれほど多くは無いだろうが)
を一切持ち去り元の部族を出たという。
78世界@名無史さん:2006/05/29(月) 10:36:10 O
スラブ人は5C頃まで活動的でない
7Cになるまで鉄製農具も製造できず、木製農具で生産性の悪い焼畑農耕していた民族がスキタイやサルマタイを制圧することなどできようがない
サルマタイ人はゴート人に征服されたのが有力
ゴート騎兵にサルマタイ騎兵の影響が見られる
フン族到来以前に現在のウクライナ、ベラルーシに勢力を持っていた東ゴートのエルマナリック王の妃がサルマタイ人の一族で彼らの兄弟が王を暗殺しようとした
79世界@名無史さん:2006/05/29(月) 11:37:34 0
フンにゴートが瞬殺されたのはゴート支配下だったサルマート系の諸族がフンに呼応した為。
80世界@名無史さん:2006/05/29(月) 11:49:27 0
>>76
ローマ兵として一定期間働くと、自動的にローマ市民権がもらえる。
そのため他民族は王族だろうが何だろうがローマ人になりたくて次の2つを選んだ:
1.ローマ兵になる
2.市民権を金で買う
81世界@名無史さん:2006/05/29(月) 11:56:51 0
>>78
原スラヴ人がその時代に一つの部族に過ぎなかったならそんな仮説も無くはないが、
ヘロドトスの時代には原スラヴ人と推定される民族がすでに多くの部族に分かれ、
部族ごとに生業も文化程度も異なっていたことがわかる。
そのうち南方のステップ地帯に近く住んでいた諸部族はギリシャでは農業をするスキタイ人と呼ばれて
穀物や鉄器を生産・輸出している。
そこからすこし北に行ったところにいた部族は牧畜を主としていた。
その奥のプリピャチ川上流地帯の森林奥地に住んでいた部族は鉄器は武具程度にしか使わず、
焼畑で回遊式ののんびりした生活を送っていた。
スキタイやサルマタイは原スラヴに制圧されたのではなく、別の理由で滅亡した後に原スラヴに取り込まれたのが妥当。
82世界@名無史さん:2006/05/29(月) 13:23:13 O
スキタイにより征服され農耕に従事していた農民・農耕スキタイはキンメリア人
スラブ人とするのは一部の歴史学者の仮説
それにスラブ人のものと確定的にいえる古代の歴史的遺物はコルチャク式土器のみ
鉄器を製造するには鉄鉱石ないしは鉄板を輸入する必要があるが、スカンジナビア、オーストリア、アナトリアという原スラブ原住地に近い鉄鉱石産地と交易したと思われる形跡はなく
また長いロシア、ウクライナでの考古学調査にもかかわらず7C以前のスラブ人による鉄器は一切発見されていない
むしろ原スラブ現住地プリチャピ沼沢地にちかいコウェルでゴート語の刻印された槍の鉄製のヤジリが発見されている
長い間、確定的な歴史的遺物が一切出土せずにわずかな可能性をもとに断定的に発言するのはいかがなものか
83世界@名無史さん:2006/05/29(月) 21:04:47 0
>80
そうなんですか。てことは貴族階級でも兵士として派遣され戦死した人もいると思いますが、どう思いますか?
84世界@名無史さん:2006/05/29(月) 21:53:24 0
悲しいことだと思います
85世界@名無史さん:2006/05/29(月) 23:24:46 0
>>82
農耕をしていたスキタイ人がキンメリア人だったなんて話はかなりのトンデモ。
キンメリア人はスキタイ人が黒海北岸に定住する際に南方に駆逐されている。

また、キュリロス・メトディオス兄弟がスラヴに文字を伝えたのは9世紀の話である上に、
その前後にプリピャチ沼沢地に住んでいたのはスクラヴェニ(スラヴの語源となった)と呼ばれた原スラヴの一派にすぎない。
これはBC5世紀ごろにネウロイやブディノイと呼ばれていた原スラヴ諸部族の末裔と考えるのが自然。
紀元後のタキトゥスの記述が確かならば古代スラヴ(ウェネト)はもっと広い地域、おそらくロシアへ平原全体に広がって住んでいた。

つかヨーロッパ最大民族のスラヴが古代では殆ど存在が無視できるような小集団だったと考えるのはいかにも不自然。
その仮説なら、6世紀ごろ史上に現れてから短期間にこの小集団があんなに巨大化したことになるが、それをどう説明するのか?
86世界@名無史さん:2006/05/30(火) 01:08:45 O
物証もなく主観で断言されたらスラブ以外の民族である可能性だってかなりの確率になる
牧畜中心の北カルパティア文化もスラブ、農耕中心のチェルノレス文化もスラブ、農民・農耕スキタイのスルブナヤ文化もスラブ、ほんと欲張りな民族ですな
在来の定説である紀元後6Cまで半定住、半狩猟半農で木製農具で焼畑農耕していたスラブ人のイメージとは合致しづらいですがね
87世界@名無史さん:2006/05/30(火) 01:16:56 0
「在来の定説」ってドイツ人の作った定説だし
「欲張りな民族」はアンタの主観だな
6Cまで単一文化の部族だったなんて主張は不自然そのものだろ

ドイツ史観に染まるとこういう馬鹿になるのか…
88世界@名無史さん:2006/05/30(火) 01:23:16 0
>>86
>牧畜中心の北カルパティア文化もスラブ、農耕中心のチェルノレス文化もスラブ、農民・農耕スキタイのスルブナヤ文化もスラブ

この民族の生業の地域的多様性を証明するだけのこと。
実際6世紀に歴史時代に入ったときすでにそういう多様性はあったから別に不思議でもなんでもない。
それを欲張りとは。

基本的にスラヴ人は古代にはすでにヨーロッパで最大の領域に住んでたわけだから。
89世界@名無史さん:2006/05/30(火) 01:29:17 0
>>88
スラヴはSlavicという民族というよりはSlavonicという語族と捉えたほうがいいです
古代に言語的には共通性があったが、すでに生活様式や文化は多様化していた
Slavonicだけでなくとも、地域的な多様性は同じく広い範囲に住んでいたイラン系語族にもみられます
プリピャチ沼沢地に住んでいた人々だけがSlavonicだなんてアホな話です

その点一定の集団的文化を持っていたゲルマンなどの様な連中とは違うのです
90世界@名無史さん:2006/05/30(火) 01:31:00 O
だから物証を示してくださいよ
あなたの主観だけの主張でなく
互いの文化の違いや隔たりがあまりにあるではないですか
納得できるわけないでしょう
ケルトのハルシュタットとラ・テーヌのような連続性・継続性があるように
もうこの話はあまりにスレ違いなので私はこれで去りますが
91世界@名無史さん:2006/05/30(火) 02:11:01 0
>>90
物証を示すのは2chの範疇じゃない
が、それほどに知識を捏ねるなら、河川名による研究を知らないはずないだろ
ギンブタスの論文も知らないはずないだろうに

しかも、北カルパチア墳墓文化、チェルノレス文化、スルブナヤ文化、全部時代が違うので反論になってない
考古学の知識の無い人が読んだら同時代だと思いこんでしまうから、そういう書き方は他人をミスリードしていることになる
92世界@名無史さん:2006/05/30(火) 17:02:46 0
キンメリア人は遊牧民で農耕民ではなかったのでスラヴ人の先祖とは直接には繋がらないような。
93世界@名無史さん:2006/05/30(火) 19:58:37 0
遊牧にも広域放牧と季節回遊式牧畜とがあるが、
古代スラヴ人の一部も季節回遊式牧畜をやっていた形跡はある。
豚を飼っていた。
だから生業で分けるのは正しくない。
94世界@名無史さん:2006/05/30(火) 20:55:15 0
それは遊牧と移牧のことですか?
遊牧民は豚は飼わないとか何かで読んだような
95世界@名無史さん:2006/05/30(火) 21:04:24 0
>>91
物証というか明確なソースを示すのは大前提だと思うけど・・
96世界@名無史さん:2006/05/30(火) 21:39:10 O
マッサゲタイはスキタイの支流だろうか
97世界@名無史さん:2006/05/31(水) 09:55:05 0
「スキタイ」と「サカ」ではサカのほうが自称に近いんですか?
98世界@名無史さん:2006/06/14(水) 23:07:25 0
スキタイが好きたい
99世界@名無史さん:2006/06/30(金) 17:17:09 0
>>95
世論誘導か?
ギンブタスというのは明確なソースだろ?
100世界@名無史さん:2006/07/01(土) 07:47:26 0
100ゲット
101世界@名無史さん:2006/07/01(土) 11:30:03 0
鋤鯛
102世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:03:41 0
アナカルシスについてのソースってどんなのがありますか?
103世界@名無史さん:2006/08/23(水) 13:15:46 0
age
104世界@名無史さん:2006/09/07(木) 20:30:35 0
あげ
105世界@名無史さん:2006/10/06(金) 21:55:10 0
詳しいお方に『アーサー王伝説の起源―スキタイからキャメロットへ』の仮説について意見を聞きたいです。
106世界@名無史さん:2006/10/07(土) 00:25:54 0
どんな仮説ですかそれは?
107世界@名無史さん:2006/10/13(金) 23:38:07 0
age

ルーの槍 と ロットのアラン人
 
108世界@名無史さん:2006/10/14(土) 03:15:54 0
スキタイのタイは複数形。スク=サク=サカ=塞(サク)という繋がり。
一体でもない民族を、アケメネス朝が、「海の向うのサカ」(南ロシア)
「尖帽のサカ」(ホラサン)「ハウマ崇拝のサカ」(ソグディアナ)などと
「サカ」と一環して呼ぶ根拠はない。民族か、言語か、なんらかの共通点が
あった筈。考古学遺物も、北モンゴルにもあったというのであれば、
サカ民族が広い範囲に広まっていたことは間違いないと思われる。
109世界@名無史さん:2006/10/14(土) 23:04:11 0
サカ族ってアフガニスタンあたりにもいたよね?
スキタイの文化とあんまり共通性無い気がする。
110世界@名無史さん:2006/10/15(日) 10:49:48 0
北アフガンあたりは遊牧民の行動範囲だから。
111世界@名無史さん:2006/10/15(日) 14:20:11 0
オゴタイ汗国とイル汗国を比べて
文化的にあまり共通性ない気がする
というようなもんでは。
112世界@名無史さん:2006/10/16(月) 23:22:03 0
オゴタイとイルハン国程離れてないだろう。
113世界@名無史さん:2006/10/17(火) 20:00:27 0
ただの例えです
114世界@名無史さん:2006/10/21(土) 09:42:33 0
エクスカリバーというよりスキタイのアレスだろコレ

 弥生時代中期末−後期初め(紀元前後)の集落跡とみられる愛媛県今治市の朝倉下経田遺跡で、
青銅祭祀具「平形銅剣」が垂直に突き刺さった状態で見つかり、県埋蔵文化財センターが19日
発表した。
 銅剣は集落の外で横にされた状態で見つかるのが普通で、突き刺さった状態の発見は例がない
という。同センターは「中世ヨーロッパの聖剣・エクスカリバーを連想させる特異な状態。突き
刺した剣の周りで踊ったり拝んだりしたのではないか」としている。弥生祭祀の具体的な様子を
探る貴重な発見となりそうだ。

 銅剣は幅4・6センチで、真ん中あたりから刃先まで約21センチ分が残っていた。直径約35
センチ、深さ約30センチの穴に縦に埋まっており、柄など上になっていた部分は後世の整地で
折れたらしい。
 銅剣を取り囲むように少なくとも6棟の竪穴住居跡があり、集落の中心部で、祭祀を営む特別な
場所だった可能性が高い。銅剣の周りだけ土の色が違うため、木の容器に入れて埋めていた可能性
もあるという。

 銅剣は朝鮮半島から武器として伝わり、間もなく祭祀用になったが、具体的な使われ方は分かっ
ていない。エクスカリバーは欧州の伝説に残る聖剣。岩に突き刺さったままアーサー王以外抜けな
かった。
 現地説明会は21日午前10時から。

■ソース(共同通信)
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=MYZ&PG=STORY&NGID=home&NWID=2006101901000191
115世界@名無史さん:2006/10/23(月) 19:12:08 0
イラン系って何を以てイラン系っていうの?
現イランが現住地なの?
トルコ系もよく分からないが・・・
116世界@名無史さん:2006/10/23(月) 20:44:34 0
一応言語をもって分類していると思う。
トルコ語に詳しいわけではないが、片言のトルコ語を知っているが、
これが、中国新疆からトルコ共和国まで通じるものがある。中央アジア横断
旅行した時ビックリした。イラン系も似たようなもんじゃね。
117世界@名無史さん:2006/10/23(月) 22:51:50 0
中央アジア横断旅行か・・・
中国からトルコまで行ったの?
100万くらい掛かったんじゃね?
118世界@名無史さん:2006/10/24(火) 05:36:02 0
聖書にスクテヤという獰猛な野蛮人が略奪の限りを尽くしたという記述があるが、
スキタイのことを指しているらしい。
119世界@名無史さん:2006/10/24(火) 23:45:20 0
何書の何節?
120世界@名無史さん:2006/10/25(水) 12:44:46 0
>>117
全部の経費
西安〜敦煌5000円
敦煌〜新疆20000円
カシュガルからフェルガナ 2000円
フェルガナ〜マリー 30000円
マリーからイラン一周(ザヘダン->バンダルアッバース->アフワズ->タブリース->カスピ南岸横断->ゴルガンまでいって、テヘランへ戻り。
20000円
テヘラン〜トルコ国境ノドゥーウバヤジット 2000円
トルコ一周 60000円

ここまでで、139000円
で、名古屋-西安100000円、イスタンブール-成田 60000円の航空代金
総合計299000円か。だいたい30万円 日数60日くらい。
121世界@名無史さん:2006/10/26(木) 00:26:15 0
食費宿泊費は別でそ?
122世界@名無史さん:2006/10/28(土) 10:54:20 0
マリーって何の事かと思ったら、
メルヴ(マルウ・アッシャーヒジャーン)のことか(w
ウズベクだかトルクメンの訛りだとよお分らなくなるな。
あとザーヘダーンとかアフワーズ、ゴルガーン。
123世界@名無史さん:2006/11/08(水) 09:55:48 0
中世の遊牧民の装備を見ると弓入れと矢筒は別々になっているが
古代のスキタイ人は合体させた容器を使っている。
この変化にはどういう意味があるんだろう?
124世界@名無史さん:2006/11/08(水) 18:15:57 0
スキタイが栄えていたころ、スラブ人は遊牧民を恐れて森林に隠れていたはず。
草原地帯にコサックが侵入するまでは。
125世界@名無史さん:2006/11/08(水) 20:33:12 0
スラヴ人の祖とも言われる農耕スキタイは王族スキタイに租税を納めて
その勢力下で農耕していたというが。
126世界@名無史さん:2006/11/09(木) 22:13:43 0
農耕スキタイ=スラブだとすると、その草原地帯に居たスラブはモンゴル襲来で奴隷連行され居なくなった?
127世界@名無史さん:2006/11/09(木) 23:49:24 0
モンゴルに租税を納めて農耕していた
128世界@名無史さん:2006/11/09(木) 23:58:21 0
農耕スキタイは、定住民族で王族スキタイの隷属化にあったと
見るべきでしょう。
モンゴル襲来後は、モンゴルの支配下に置かれて国名も変わっ
たってわけかと。
129世界@名無史さん:2006/11/10(金) 17:51:31 0
定住民族=必ずしもスラブ語ではない?

地名分布で推測できない?
130世界@名無史さん:2006/11/10(金) 21:26:38 O
スキタイはかなり広範囲に居住していた遊牧民であったらしい
漢の史料の月氏(zgudscha)
アッシリアの史料のスクジャ(Skuja)
中央アジア〜北西インドで活躍したサカ(Saka)
も同系民族という説がある
キプチャク草原ではサオルマタイにとって代わられたが、彼らもスキタイと同系である確率が強い
遊牧民支配下の定住民がなんの民族であるか推測することは文献史料がなければ困難だが
例えばテュルク系遊牧民突厥がイラン系定住民ソグドを真似て文字を創作したように異民族間では文化的交流の痕跡が必ず残る
しかしそのような痕跡を認められないのなら定住民もスキタイと同系統の文化的に共通性のあるイラン系だったのだろう
遊牧民が定住民化した例はウイグルがキルギスに滅ぼされ、ウイグル人が中央アジアのオアシス地帯に移住し定住化した例がある
地名がそこに居住した古代の民族を推測することができるというのはナンセンスだろ
例えばギリシャ史料に見られたクリミア半島のスキタイ都市名が現在ほとんど残っていない
それにスキタイ語の都市があったということはスキタイの言語・文化を享受した同系民族が定住したことでもある
長文で書き込み失礼しました
131世界@名無史さん:2006/11/10(金) 22:31:01 0
132世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:14:21 0
ビルとビルの隙間にダルマにされた女の人が挟まってて、
俺と友達で助けようと手を伸ばしてもどこも掴めなくて、
すぐに電話して警察に来てもらった。

簡単な事情聴取をされたくらいで、その後の事は一切不明。
結構トラウマ。。。
133世界@名無史さん:2006/11/11(土) 06:30:58 0
>>130
1行目は、ちょっと疑問だな。
スキタイの成り立ちは、近代で言うと宗主国と植民地の関係に近い
かと。
スキタイという名の支配層(王族)が軍事的に影響を及ぼす範囲を
スキタイ(領)と呼んでいたのでしょう。
植民地に当たる集団の民族はイラン系のみに限らない。言語におい
てもネイティブな言語と、大陸共通語(この当時はスキタイ語かな)
の2つ以上の言語が通用していたのかと。
つまり、スキタイと呼ばれる領域は、遊牧民のみで構成されていた訳
ではないと。(まあ、推測部分が多いのですがね)
134世界@名無史さん:2006/11/11(土) 09:46:10 O
>>120
参考になった。
楽しそうね。
135世界@名無史さん:2006/11/11(土) 12:27:23 0
>ギリシャ史料に見られたクリミア半島のスキタイ都市名が現在ほとんど残っていない

スキタイ人が都市に住んでいたのか?
ギリシャ人の住んでいた都市(ギリシャ語)を、自分たちの呼び方で呼んでいただけなのでは?
136世界@名無史さん:2006/11/11(土) 21:21:01 0
ギリシャの殖民都市が黒海北岸に点在していたが、
主権はギリシャではなく王族スキタイに帰属していて、
これらのギリシャ人の居住する諸都市は王族スキタイに貢納し、
それらの貢納品の中にはグリフィンなどの金細工もあった。
137世界@名無史さん:2006/11/11(土) 21:48:28 0
>>130
キルギスや突厥と抗争した8世紀のウイグルと、今の新疆のウイグルとは、集団に継続性は
無いぞ。
現在のウイグルは、清の支配地の「回部」を、共産政権が後付で定住性トルコ人の民族名
として既に四散したウイグルの名称を政治的理由でかぶせたに過ぎない。
当時の新疆の住民の帰属意識は居住する都市にあり、民族・集団の自称は、「チュルケ」
(トルコ人)や「モスレム」(回教徒)といった漠然としたもので、ロシア領中央アジアの
ウズベクやキルギスと特に区別する意識は無かった。
新疆の独立を力ずくで押さえ込んだ共産政権は、隣接する回教圏やトルコ語圏との連携を
恐れて、意識的な分断策に出るわけだ。これが、数百年も埋もれていたウイグルの呼称の
復活の真相。

都市に遊牧トルコ人が定住したというよりも、広域軍事支配をした遊牧トルコ人政権の下で、
商業上の利便からもともとトルコ人ではない都市住民がトルコ語を商用・外交に用い定着し
また混血により風貌が周囲の遊牧民と均一化したに過ぎない。
138世界@名無史さん:2006/11/12(日) 04:05:07 0
オセット人がスキタイ末裔?
139世界@名無史さん:2006/11/12(日) 08:46:52 0
>>121
食事・宿泊費全額込みです。
ツアーではないので、安く済みます。バックパッカーで2年間世界一周した知人によると
だいたいのバックパッカーは1年150万程度とのことです。
140世界@名無史さん:2006/11/12(日) 09:24:42 0
オセットがアランに直結するところまでは確実だが
アランとスキタイがどういう関係かはまだわからない。
アランはサルマタイの一部族だったらしいから
全く関係ないわけじゃなさそうだけど、系譜を追うのは
なかなか難しい。
141世界@名無史さん:2006/11/12(日) 20:38:28 0
>>137
独立運動が「東トルキスタン共和国」。歴史的にも西トルキスタンとは分かれている
期間のほうが長いような。
142世界@名無史さん:2006/11/12(日) 21:16:01 0
パミ−ル以西のマーワラーアンナフル(ソグディアナだかトランスオクシアナ)の地域と
パミ−ル以東の地域を一緒にするような「トルキスタン」という地域概念そのものが
近代になって出て来た極めて恣意的なもので、マーワラーアンナフルがウズベク勢力によって
16世紀頃からテュルク化が促進し、マーワラーアンナフル、ホラーサーン以西のイラン地域、
アフガニスタン地域が結果的に分断されなければ、恐らく出てこなかったものだろう。

カラハン朝や西遼が一時期カーシュガル周辺からマーワラーアンナフルを支配していたが、
カラハン朝は結局支配した都市ごとに王族たちが勢力を取り合ってるだけで東西で地域が一体と
みなしていたかははなはだ怪しいし、西遼にいたっては特にマーワラーアンナフルの住民からは
外来の異教徒による支配を受けているという感覚が根強かった。

モンゴル帝国のオゴデイやモンケなどが定めた「別失八里等処行尚書省」やチャガタイ家の
諸ウルスが領域として近いが、これにしても当時はパミールから東を「ウイグリスターン」
「ウイグル」とか、西の方は「マーワラーアンナフル」や「サルタウル」などと呼んで区別が
されていたけれど。
143世界@名無史さん:2006/11/14(火) 01:30:09 O
130だが
別に現在のモグール人化した(旧来の名ではモグーリスタンに居住したムスリム民族集団である)ウイグル人と古ウイグル語を使用した中世期のウイグル人を同一視していていませんが
スレ違いだが
840年ウイグルはキルギスの攻撃を受け、大量のウイグル人は四散した
一部は甘粛・河西地方へ移住し甘州ウイグルと呼ばれた
一部は850年代に天山山脈東部のビシュバリクを占領し、トルファン、クチャに勢力を拡大、天山ウイグル王国建国、13世紀まで続いた
さらに西方の天山山脈西部のタラス河方面にも移住したウイグル人グループもいた
彼らは定住化し、商業農耕民化した
しだいに軍事力も他の遊牧民に頼るようになった
これがアーリア系主流の中央アジアのオアシス地帯のテュルク化(中央アジアの草原地帯は既にテュルク化していたが)と通常言われている世界史的変化です
ちなみに現在のウイグル人の呼称は1921年にソ連が中央アジアの民族別国境画定のための民族認定を行ったアルマアタ会議でのロシア人言語学者の提案によりウイグル人の呼称が復活して
1935年から中国のシンチャンのムスリム定住民の呼称として使われるようになったのです
また長くなったスマソ
144世界@名無史さん:2006/11/14(火) 01:47:15 0
匈奴とスキタイって関係ないの?
145世界@名無史さん:2006/11/14(火) 06:10:05 O
五胡十六国時代に華北に後趙国を建国した羯族は匈奴の別種といわれますが
各種の記述からこの部族は人種的にコーカソイドであったらしく
最近では中央アジアのコーカンド地域の出身(イラン系?)でないかと推測されています
無論、スキタイと関係あるかどうかはわかりませんが
146世界@名無史さん:2006/11/14(火) 08:17:07 0
月氏(河西に居残った小月氏)の末裔という説があるよ。
147世界@名無史さん:2006/11/15(水) 15:19:56 0
小月氏の末裔ならテイ族のが可能性高い。
148世界@名無史さん:2006/11/15(水) 15:45:47 0
東欧の原スラブ民族とスキタイ民族の一部が結合して
スラブ民族になったのは確かだな。
149世界@名無史さん:2006/11/15(水) 20:40:27 0
みなさん詳しいんですね。
何読んだらそんなにくわしくなれるのか知りたいです。。
150世界@名無史さん:2006/11/15(水) 20:50:26 0
wikiみると羯族って匈奴の一部族とってあるが、匈奴ってコーカソイド?
151世界@名無史さん:2006/11/15(水) 21:51:12 0
また人種の話題か。もうウンザリ。
152世界@名無史さん:2006/11/16(木) 00:28:12 0
>150
匈奴の一部族じゃなくて「匈奴の別部」だ
つまり匈奴本体とは違うという意味合いがある。

「羌渠の冑」ともいわれていて、「羌渠=康居?」とか
石勒の「石」という氏族名は「石=タシケント」と関係ある
という説もある。

ま、これは羯をどうしても西方に結びつけたい場合の仮説で、
あんまり証拠はないんだけどね。
153世界@名無史さん:2006/11/16(木) 01:22:05 0
なんか、フン/匈奴すれになりつつあるね。フン族スレ、統一できんの?
154世界@名無史さん:2006/11/16(木) 02:34:21 0
>>152
それよくわかんないけど劉淵とは後に分かれるけど西晋時代は行動を共にしていて
後に袂をたって前涼と後涼を建国しているよね。
匈奴本体と違うって意味がわからん。 
彼らは別々の族長として晋に服属していたが、八王の乱で一時的に同盟しただけの
関係だったということ。
よく石勒が羯族で劉淵が匈奴といわれるけど別部というよりある時期まで共に行動しているし
その辺どうなっているのか?
155世界@名無史さん:2006/11/16(木) 02:35:31 0
彼らは別々の族長として晋に服属していたが、八王の乱で一時的に同盟しただけの
関係だったということ。 ←これ断定じゃなくて疑問系の?付け忘れた
質問しているという事でかいしゃくよろしこ
156世界@名無史さん:2006/11/16(木) 03:08:04 0
石勒は後趙の皇帝だろ?
157世界@名無史さん:2006/11/16(木) 03:11:34 0
前趙と後趙だったスマソ
がまあ疑問は同じ
158世界@名無史さん:2006/11/16(木) 22:41:43 0
羯の話は五胡スレでやったら?
159世界@名無史さん:2006/11/18(土) 16:26:00 0
月氏は月を崇拝していたの?
160世界@名無史さん:2006/11/18(土) 16:49:01 0
月氏の呼称の発音に近い中国語の漢字をあてたものでしょ。
161世界@名無史さん:2006/11/20(月) 09:54:53 0
西域月氏こそ中国文化の源流だったのだあああ
伝承者を殺されて奪われた月氏の恨みいいい
162世界@名無史さん:2006/11/20(月) 15:53:14 O
好きたい
163世界@名無史さん:2006/11/20(月) 16:48:54 0
フンとスキタイは違う系統だろ。フンはアルタイ語族と言われてて、スキタイは印欧語族。
164世界@名無史さん:2006/11/20(月) 21:32:50 0
165世界@名無史さん:2006/11/22(水) 17:47:19 0
サカ、クシャン、大月氏は?スキタイ?
166世界@名無史さん:2006/11/22(水) 19:46:13 O
クシャンはイラン系バクトリア人では?
167世界@名無史さん:2006/11/22(水) 23:31:43 0
月氏は謎だな〜。中国に残った小月氏は騎馬民族だったんだろうか?
168世界@名無史さん:2006/11/23(木) 00:58:15 O
小月氏→羯族?
169世界@名無史さん:2006/11/23(木) 01:05:12 0
>>168
それは違うと言ったろうが。
170世界@名無史さん:2006/11/25(土) 14:04:31 0
エフタル=スキタイ=サカ=クシャン=トハラ、
みな同じ中央アジアのイラン系遊牧民が模様替えしただけだろう。
171世界@名無史さん:2006/11/25(土) 14:53:09 O
トハラって微妙だよね
『トハラ語』は天山山脈南麓に住んでいたクチャ人、アグニ人の使用言語で印欧語族の区分であるがイラン語系でなく、ケントゥーム語系
クシャーン朝の支配民族であるといわれる現アフガニスタンのトハリスタンのイラン系原住民のイラン系とは少し違うみたいだ
172世界@名無史さん:2006/11/25(土) 17:16:01 0
そもそもクチャ人・アグニ人の言葉に何故トハラ語と名付けたの?
173世界@名無史さん:2006/11/25(土) 18:19:38 O
ただ単に初期の研究者の誤解に基づく命名が定着してしまって
やむを得ず現在も使われているのが現状
174世界@名無史さん:2006/11/26(日) 23:37:40 0
アグニ人は火の神を拝んでいた?
175世界@名無史さん:2006/11/29(水) 21:01:41 0
スキタイの金製品を作った職人もしくはその技術はどこからやってきたのだろう?
176世界@名無史さん:2006/11/29(水) 23:50:11 0
>>174
その発想は無かったわ!
177世界@名無史さん:2006/11/30(木) 00:39:19 O
黄金人間!
178世界@名無史さん:2006/11/30(木) 02:40:01 0
>>175
一つにはギリシャというのがあるが
179世界@名無史さん:2006/11/30(木) 06:08:20 0
月氏は古くは「禺氏」
180世界@名無史さん:2006/11/30(木) 14:57:57 0
>>179
ウ?
181世界@名無史さん:2006/12/01(金) 00:41:55 0
ye shi か ue shi って読むんじゃないかね。
最も古代中国の発音が一緒ではなさそうだけど。
182世界@名無史さん:2006/12/01(金) 13:47:42 O
ウェッ シッシッ
183世界@名無史さん:2006/12/01(金) 20:46:39 0
イッセドネスとの関係は?
184世界@名無史さん:2006/12/01(金) 21:29:02 0
中古音は、
禺氏=ngiu zie
月氏=ngiwat zie

現代音の ye shi から民族名を
探ろうとしても不毛だよ

最近は月氏じゃなくて肉氏=liuk zie だ
という説もある
185世界@名無史さん:2006/12/02(土) 23:14:34 0
その中古音ってのが非常に変な発音で怪しい。
何を根拠にそんな音だって言えるの?
186世界@名無史さん:2006/12/03(日) 00:38:14 O
中古音はあくまで推定の発音だからそのまま事実だと考えるなよ。
ただ単純に現代の発音から比定するよりはなんぼかマシだいうこと。
187世界@名無史さん:2006/12/03(日) 00:44:21 0
>>185
中国語は韻書が充実してたり、漢詩の押韻のルールが厳格だったり、
世界の言語の中でも、古代の発音を復元する材料は群を抜いて多いのです。
188187:2006/12/03(日) 00:55:03 0
途中で書きこんでしまった。

中国語は韻書が充実してたり、漢詩の押韻のルールが厳格だったり、
漢字音が中国語の各方言や、日本語、ベトナム語、朝鮮語などに伝わっていたり、
世界の言語の中でも、古代の発音を復元する材料は群を抜いて多いのです。

特に、いろいろな言語に伝わった漢字音が、別個に音韻変化を被っている点が重要です。
それぞれの音韻変化を逆にたどっていくと、共通する祖音を見いだせる場合があります。
それが中古音というわけです。
189184:2006/12/03(日) 01:00:35 0
>185
出典は『漢字古今音表』。
国際音標は表記できないので近似の文字で表している。

なぜ「変な発音」と思われるのか?
俺様理論じゃなく理屈を教えてくれるとありがたい。
190世界@名無史さん:2006/12/10(日) 16:30:00 0
スキタイのタイって人って意味?
191世界@名無史さん:2006/12/10(日) 16:50:19 0
>>175
メソポタミアかアナトリアからカフカス経由、という
ルートがあったかも知れないね。
192世界@名無史さん:2006/12/11(月) 23:37:19 0
>>190
複数形です。スクが単数形で人。スキタイは人々=人間
193世界@名無史さん:2006/12/13(水) 23:27:48 0
墓多弁
194世界@名無史さん:2006/12/13(水) 23:48:49 0
サルマタイやマッサゲタイのタイもそうなのか。
195世界@名無史さん:2006/12/13(水) 23:58:50 0
そうです。
196世界@名無史さん:2006/12/14(木) 00:23:09 0
月氏とパルティアはスキタイとどういう関係にあるのかな?
197世界@名無史さん:2006/12/23(土) 19:06:55 0
サルマタイ=フン族?
198世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:32:46 0
スキタイ=スク+タイ=サカ族
なんでしょ?
そうと言ってくれ。
199世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:34:19 0
白フン⇒エフタル⇒インドを横断してインドシナを征服した一派が
ムエタイ族になったんだよ。
200世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:59:47 0
200ゲット
201世界@名無史さん:2006/12/24(日) 15:53:24 0
トゥバとかでまだ未発掘のスキタイ墳墓は多いのでしょうか?
そっち方面の黄金製品は誰が作ったのでしょう?
詳しい人よろしく
202世界@名無史さん:2006/12/24(日) 16:02:41 0
サカ族の墓からも黄金の鎧が見つかっていたような・・・
203世界@名無史さん:2006/12/28(木) 02:02:46 0
サカ族の人種的特徴ってどんなの?
204世界@名無史さん:2006/12/28(木) 08:01:04 0
スキタイはパルティアに強い影響力を持ち、
パルティアの王位継承にも介入している。
205世界@名無史さん:2006/12/28(木) 09:11:45 0
>>203
スキタイはイラン系の言葉を使ってたから、いまのイラン人みたいのじゃないの?
浅黒くて田舎っぽい白人。
206世界@名無史さん:2006/12/28(木) 15:16:08 0
今のイラン人とイラン系って人種的にイコールではない気がするが
どうなんだろうね。
207世界@名無史さん:2006/12/28(木) 22:07:05 0
>スキタイはイラン系の言葉を使ってたから、いまのイラン人みたいのじゃないの?
現在のカフカースのオセット族がスキタイの流れを汲んでいるらしいが。
208世界@名無史さん:2006/12/29(金) 04:48:51 O
正確には
サルマタイ人の一派、アラン族の
ルーツはスキタイだが
209世界@名無史さん:2006/12/29(金) 09:05:09 0
スキタイ人 たぶんオスプレイ・メンアットアームズのイラスト
ttp://web.archive.org/web/20041231164513/www.canada-osetia.net/iryston/scyth2.jpg
210世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:09:01 0
パジリク古墳の副葬品を見ると、コーカソイド的な風貌のモチーフが多いが、
あのアルタイ山中一帯は、当時なら匈奴の版図内だよね。
いや、そもそもパジリク古墳の被葬者はいつの時代の人なんだ?
211世界@名無史さん:2007/01/10(水) 23:23:23 0
>>198
そうです。
212世界@名無史さん:2007/01/10(水) 23:34:20 0
ブルネットのロシア人じゃないの>スキタイ(王族スキタイ)の容貌
金髪のロシア人がいわゆる農耕スキタイというスラブの先祖でさ
213世界@名無史さん:2007/01/11(木) 01:02:02 0
スキタイ人の部族に赤毛で碧眼がいるという記述がヘロドトスにも出てくる。
214世界@名無史さん:2007/03/22(木) 22:39:12 0
今もあの辺は人種いろいろいるよ
215世界@名無史さん:2007/03/24(土) 12:33:40 0
アフガンとかもそうだしね
216世界@名無史さん:2007/03/25(日) 00:03:14 0
アフガンは案外アジア顔多いよね
217世界@名無史さん:2007/03/25(日) 01:01:21 O
古代のイラン系はかなりブロンド・碧眼が多かったといわれています
現代のイラン人はかなりアラブなどセム系やトルコ系の血が入り込んでいると思
われます
218世界@名無史さん:2007/04/07(土) 22:32:40 0
ペルシャって金髪碧眼だったんですか
219世界@名無史さん:2007/05/17(木) 12:32:14 0
昔から黒目黒髪じゃね?
220世界@名無史さん:2007/05/18(金) 20:30:32 0
オスプレイのMounted Archers of the Steppeって本では金髪・碧眼・縮れ毛のスキタイ人の絵があったな
221世界@名無史さん:2007/05/19(土) 19:54:40 0
↑それ多分スラヴ人じゃない?
あとスキタイってモンゴル人が来るまではモンゴル平原まで住んでたってマジ?
222世界@名無史さん:2007/05/20(日) 18:54:38 O
出たよポラが
223世界@名無史さん:2007/05/20(日) 21:46:23 O
>>221
んなわけないしょ
スラブは5Cぐらいまで原住地プリピャチ湿原から動いてないのはフン・ゲルマ
ン移動期の文献にスラブの移動は確認されてないし、第一、スラブが鉄器を製造
したと確認される遺物はAD7C以降のものだよ
そんな民族にスキタイの有した高い治金技術があるとは思えない
224世界@名無史さん:2007/05/22(火) 05:49:38 0
スキタイと一口にいっても王族スキタイや遊牧スキタイ、
農耕スキタイに農民スキタイと民族としてはもともと単一ではなかった
225世界@名無史さん:2007/05/22(火) 07:46:23 O
同一系統の民族の可能性だって大きい
226世界@名無史さん:2007/05/22(火) 08:52:53 0
>>223
スラブったってプリピャチ湿原に住んでて遅くまで鉄を使わなかったのはいわゆるプラハ・コルチャク式土器の文化圏の部族だけでしょ。
これはローマ時代にヴェンド人と呼ばれてた集団で、東スラブの先祖。
それより1000年以上前のヘロドトスの時代まで遡ると、現在はスラブ人と推定されている部族がいくつも出てくるじゃん。
農耕スキタイとか農民スキタイというのはスラブだという説が有力だけど、鉄器文化。
この時点で南のステップに住んでたスラブがスキタイと交流があったということでは。
もっと北に住んでいたネウロイという部族もスラブっぽい。
ローマ時代のポーランドあたりに住んでいたルギー族という大きな部族も最近は西スラブの部族といわれている。これも鉄器文化です。
鉄器の製造技術はスキタイあたりから伝わったものだろうけど。
小さな湿地に住んでいた部族がいきなり現在のようなヨーロッパで最大の民族になったと考えるのはどうみても不自然だし。
227世界@名無史さん:2007/05/24(木) 22:58:12 O
スレ違いのこと書くのはちょっと気が引けますが
>>226
>>223の人は極端にしてもフン族が現ウクライナに移動する以前にスラブが同地に定住して
いた形跡はありそうもなさそうです(それにルギア族はれっきとしたゲルマン人です)
wikiの日本語版の{ゴート族}{ヴイェルバルク文化}の参考文献にされている
Peter Heather 「THE GOtHS」の原書を持っています
Heather氏はオックスフォード大の西洋古代史の権威で90年代にWielbark〜Cernjachov文
化の膨大な遺物、遺跡を調査した結果
結論的に両文化はゴート人を含むゲルマン諸族によるものであり、ヴイェルバルク文化にロ
ーマ文化の影響下でチェルニャコフ文化に発展しました(原書p11〜91)
両文化の共通点はバックル、ブローチ等装飾品、埋葬方式、住居仕様がほぼ同一であるこ

前者がB2-C1フェーズ(160-230年)に衰退し後者がC2-C2/3フェーズ(260-320年)に形成さ
れたこと
前者の文化の時代ごとの遺跡、遺物の位置がゴート人の移動に合致していること
(原書p36-37 Figure2.6 map)
クリミアゴート人を含めゴート人が同文化の遺物と同一の物を所持していたのに対しスラブ
はそれを所持した形跡も現物も存在しないことなどからウクライナにはフン族侵入以前
にスラブは同地に存在していないことはほぼ確実です
228世界@名無史さん:2007/05/24(木) 23:23:38 O
>>227の続き
wikiの{ゴート族}の補足
これに載っているチェルニャコフ文化下のゴート族の6つの大集落も場所が特定されてい
ます
現ウクライナの
Basmachka
Alexandrovka
Novie
Gorodok
Rumarov
現ルーマニアの
Sovari
です(原書 p55)
原書ではAlexandrovkaについての建造物跡や墳墓について詳細に書かれています
チェルニャコフ文化の独特な陶器は交易により他に輸出されていますが、それは文化の
担い手であるゴート人を含む東ゲルマン諸族の原住地または最初の入植地であるスウェー
デン南部、デンマーク、ポンメルン、プロイセンに集中し、スラブがいただろうと思われているとこ
ろからは発見されていません
冷戦時代のスラブびいきの歴史家やソビエト史学の影響を受けた歴史家はいつの時代
に名付けられたかわからぬスラブ語の水系や個体差の激しい頭蓋から同系統文化を
スラブのものとしますが
Heather氏の説は先に述べたように膨大な遺物や遺跡現地での調査によるもので

詳細はかなり綿密に原書に書かれており、同系統文化調査では最新の説です
原書を目にされたら目を通していただきたいと思います
その綿密な調査記述に目を見張ると思います
229世界@名無史さん:2007/05/25(金) 08:00:11 0
>>227-228
Wielbark文化はあきらかにGoths族の文化で、ポーランド国内でも研究が盛ん。Wielbark=Gothsは現在はだれも否定してないと思うが?
http://www.muzarp.poznan.pl/archweb/gazociag/title5.htm
でもスラブの西半分がゲルマンと共通の文化を持っていたとしたら
スラブがWisla川より西にいなかったという前提は全部ひっくりかえるんじゃね?
それがPrzeworsk文化でこっちがLugii族と推定されてるんじゃなかったか?いまのポーランド西南部が中心の文化。
ここで大事なのはWielbark文化でなくPrzeworsk文化なんだが、Peter HeatherはPrzeworsk文化の埋葬方式について何か書いてないか?
Preworsk文化では土葬と火葬の習慣が混じっていた。
このことから、Przeworsk文化は土葬の習慣を持つゲルマンやケルトと、火葬の習慣を持つスラブの混合文化ではないか、と言われている。
James MalloryのEncyclopedia of Indo-European Culture読んでみ。
James MalloryはIndo-European Cultureの初期の鉄器時代の研究では現在世界最高の権威。

あなたは同時代のWisla川水系のWielbark文化(Goth族)と、その西のPrzeworsk文化(Lugii族)を混同している。
そんな理解力じゃどんな立派な本読んでも誤解するだけじゃん?
230世界@名無史さん:2007/05/25(金) 08:37:07 0
>>229の続き
Wikipediaに誰かが描いた図があるが、これはわかりやすい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Przeworsk_culture.png
これはGotes(Wielbark文化)侵入(Wisla水系の遡上)直前の時代の東欧の文化圏。
Przeworsk文化はグリーンの部分で、Zarubintsy文化は赤。
ドイツのイデオロギーに影響された学者はZarubintsy文化までをもゲルマン人の文化だとまで言い張ろうとして理屈を捏ねるようだが、論拠が希薄なうえ、
重大な矛盾があって、ここを指摘されると押し黙ってしまうそうだ。
それは埋葬方式。
Zarubintsy文化の特徴である埋葬方式は火葬で、スラブ特有の習慣。
ゲルマンは火葬を死体損壊と考え忌み嫌っており、火葬の習慣は全くない。
Zarubintsy文化をスラブのものと断定するのも尚早であるが、ゲルマンで可能性はほとんどない。
(ゲルマンの中にも例外的に火葬をする習慣の部族があったというなら話は変わってくるが。)

このZarubintsy文化はスキタイやサルマタイの影響を強く受けている。
スキタイに隣接している部分はスキタイの支配下にあり、離れていくにつれ交易などで影響を受けたのだろう。
後の時代にWielbark文化の担い手であるゴート族が侵入してきてその支配下に入り、Wielbark文化とZarubintsy文化は混合してChernyakhow文化へと変容する。

話が前後するが、Przeworsk文化とZarubintsy文化が分化する以前に同地にはChernoles文化というのがあり、
これはヘロドトスの言う「農耕スキタイ人」や「農民スキタイ人」のものであるとされている。
Chernoles文化とZarubintsy・Przeworsk両文化には強い共通性があり、Chernoles文化の担い手が後にPrzeworsk文化とZarubintsy文化の担い手になったことは論を待たない。

個人的には、Przeworsk文化はプロト西スラブ人、Zarubintsy文化はプロト東スラブ人ではなかろうか、と考えている。
Chernoles文化からPreworsk・Zarubintsy両文化への変容期が言語考古学で主張される東西スラブ言語の分化期と一致しているため。
231世界@名無史さん:2007/05/25(金) 09:02:12 0
>>230
あーわかった。
>>227-228さんはChernoles文化とChernyakhow文化を混同してるんだ。
両者は場所はだいたい同じだが、時代が全然違うよん。気をつけてね。

Chernoles文化の方がはるかに古く、これはヘロドトスが「農耕スキタイ人」とか「農民スキタイ人」とか呼んでるもので、
現在ではいわゆるプロト・スラブ人と推定されている人々の文化。

その後同地ではChernoles文化がよりスキタイ人やサルマタイ人の影響を受けてZarubintsy文化へと変容し、
その後にここにゴート人(Wielbark文化)がWisla水系を遡ってやってきてZarubintsy文化と混合し、
Cherniakov文化へと変容していく。
あなたが>>227-228で必死になって書いてるのはこのCherniakov文化のことであって、あなたの言うとおり確かに議論がスレ違いだよん。

このスレで語るなら、スキタイと直接関係のあるChernoles文化のほうでないと。
232世界@名無史さん:2007/05/25(金) 09:49:14 0
イブン・ファドランの出会ったヴァイキングが火葬してなかったっけ?
「ルーシ」だから既にスラヴ化が進んでたのかもしれないが。
233世界@名無史さん:2007/05/25(金) 09:55:52 0
>>232
実はWisla川沿いのWielbark文化にも土葬と共に火葬の墳墓が少しだけあるよ。
これはスラブ人がゴート人と混在していたためと考えられている。
つまりWielbark文化期に火葬されたのはWielbark文化圏に居残っていたスラブ系の住民だろうと推定されている。
政治的に支配されていても宗教観まではなかなか変わらないからね。
よくわからんが、ルーシのケースもそれと同じだと考えるのが自然かもね。
234世界@名無史さん:2007/05/25(金) 10:10:00 0
イブン・ファドランがルーシを目撃したのはまだスラヴ人が植民していなかったヴォルガ下流域で
交易のためにやってきた連中だったらしい。
「河川交易をするスラヴ人」なのか「火葬をするヴァイキング」なのか、それとも両方の混成か。
235世界@名無史さん:2007/05/25(金) 10:34:33 O
>>230
>>227さんの言うように日本のWIKIのゴート族とヴエイルマルク文化の項目見た
けど>>227さんの言うとおり書いてあったよ
そんなにエラそうにいうんなら修正申請すれば

だいたいなんでスキタイスレでスラブどうこうで荒らされなければいけない?
お前らスラブスレがあるんだからそっちへ帰れよ
前にも荒らしてただろ
いい加減にしろよ!!
236世界@名無史さん:2007/05/25(金) 10:37:01 0
>>234
ファドランは10世紀の人だろ?このスレのスキタイの時代とは関係ないよ。
ゲルマン系であるヴァリャーグ人がどうやって火葬の習慣を持つようになったのかは実際は不明。
237世界@名無史さん:2007/05/25(金) 10:58:04 0
>>235
どうせWiki見るなら日本語の見るより、英語の見なよ。もっと詳しくて正確だから。
Chernoles Culture、Zarubintsy Culture、Przeworsk Cultureの項。
修正申請なんかしないよ。めんどくさい。
もういちど言うが、Wielbark文化はゴートの文化で、スラブは混じってたとしてもほんの少しだし、
だいいちスキタイと直接関係ないから、スレ違い。
Wielbark文化がZarubintsy文化と出会って成立したChernyakov文化なら遊牧民を駆逐したという意味で関係ないとは言えないが、
時代が違う。だいぶ後の時代。

いい?スキタイとの関連で重要なのはChernoles文化だよ。

それにこんなことで感情的になる必要はないだろ?スラブとの関連を必死で否定しようとしてるあんたが荒らしじゃん。
プロトスラブとスキタイはChernoles文化を通じて強いつながりがあるわけだから、欧州におけるスキタイを語るときはスラブについての話は避けて通れないよ。
238世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:00:28 0
>>235は日本語の読解力に問題があるな
239世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:03:06 O
>>237
お前!いったい何様
ここはスキタイスレだぞ!
いい加減にう・ち・ど・め・にしろよ!!!
240世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:05:05 0
>>239
スキタイスレだからこそプロトスラブの話してるんだろ。解ってないな。

プロトスラブ説が有力なChernoles文化やそれ以前のZarubintsy文化を知らずして欧州におけるスキタイは語れません。
241世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:06:55 0
>>239
だいいちChernoles文化やZarubintsy文化の項は日本語Wikiにありますか?

時代も場所も違うヴィエルバルク文化しかないWiki日本版を読んでなんの参考になりますか?
242世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:08:00 0
>>239は馬鹿だから相手にするな
243世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:10:41 O
お前、みんな同一だろ
こんな時間帯にレスってる奴はオレとお前しかいねぇよ
荒らし屋!
244世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:16:23 0
>>243
感情を排して冷静に>>229-231を読んでみなさいよ。

ゴート=ヴィエルバルク文化説を私は全然否定してないよ。
ヴィエルバルク文化研究が盛んなポーランドでも否定論はまずない。

だが、ヴィエルバルク文化はスキタイと関係ないからスレ違いなの。
>>227-228さんは論点がズレてるの。
それにちょうちんつけて固執するあんたこそ荒らし。

スキタイを語るときは、プロトスラブ説が濃厚なChernoles文化、その後のZarubintsy文化が大事。
245世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:18:35 0
>>243=荒らしは相手にするな
246世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:28:57 O
見つけたぞ
荒らし屋
ポーランドスレの>>17だろ
お前
なんでスキタイスレでナチ狩りするのかわからんがw

これ以上やるとオレも十二分に荒らしになるから去ろう

しばらくこのスレはスラブ狂の妄想スレッドになります
247世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:40:11 0
>>227
ひとつスレ違いのレスをさせてもらうけど、

>フン族が現ウクライナに移動する以前にスラブが同地に定住して
>いた形跡はありそうもなさそうです(それにルギア族はれっきとしたゲルマン人です)

この点が気になるんですけどね、まず、

>フン族が現ウクライナに移動する以前にスラブが同地に定住して
>いた形跡はありそうもなさそうです

というところ、これはあなたの頭の中にあるスラブというのはKiev文化とその後のPrague-Korchak文化のことでしょ?

Kiev文化はCherniakov文化の北方にあった文化圏で、Zarubintsy文化の発展形と考えられているよ。
Zarubintsy文化のうちWielbark文化(ゴート人)に支配されて変容したのがChernyakhov文化で、
Wielbark文化に直接影響されずに残った北方部分がKiev文化になったということ。
これがさらに後の時代にPraha-Korchak文化に変容する。
そしてこのPraha-Korchak文化はビザンチンの文献に出てくるスクラヴェン人と一致していて、
これがスラブだというのは間違いない。
でもこのPraha-Korchak文化だけがスラブかというと、それはまずありえませんね。
Praha-korchak文化スラブのような巨大民族の文化圏としてはあまりに小さすぎる。
そのためPraha-Korchak文化がスラブ語圏の文化の一部にすぎないう説が有力なわけです。

次に、

>(それにルギア族はれっきとしたゲルマン人です)

これも断定できません。むしろ否定的な説が有力です。
ルギイ人はケルト系であるLa Tene文化にゲルマン系やスラブ系の部族が混じって形成されたもので、
そのうちのゲルマン化した諸部族が合同してVandal族となったものという説が近年は有力です。
248世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:44:06 0
>>246が真正キチガイであることを自ら暴露
249世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:45:08 0
>>246
ナチ?なんで藪から棒にナチが出てくるの?
あんたナチヲタ?ゲルマン至上ヲタ?
だから必死にスラブの存在を否定しようとするわけね。

それにこっちがスラブ狂とかいう指摘はあたらないよ。
スキタイのスレだからプロトスラブの話してるだけで。
スラブの話が見たくなければこのスレから出ていきな。
250世界@名無史さん:2007/05/25(金) 11:50:19 0
ここで一言


スキタイが好きたい
251世界@名無史さん:2007/05/25(金) 12:00:47 0
>>246はナチ
これがガチ
252世界@名無史さん:2007/05/25(金) 16:45:10 O
こりゃどう見ても
>>229-231
>>233
>>236-238
>>240-242
>>244-245
>>247-251
は同じ奴だな
なんでここまで執着するんだ?
ある意味恐い奴
とてもスキタイのことを語っているとは思えんし
253世界@名無史さん:2007/05/25(金) 16:47:30 0
ふしあな
254世界@名無史さん:2007/05/26(土) 05:44:57 0
スキタイは支配下に置いた民族の慣習には干渉しなかったが、
後のモンゴルにも通じるものがある。
255世界@名無史さん:2007/05/26(土) 14:03:06 0
>>252は狂人
256世界@名無史さん:2007/05/26(土) 19:05:12 0
黒海北岸はステップ遊牧民だけでなく北方ゲルマン系民族にとっても垂涎の的の地であり、
黒海北岸にイラン系遊牧民とゲルマン系狩猟民が混在し、紛争や糾合を繰り返しながら
スラヴ人が形成されていったのかもしれない。
257世界@名無史さん:2007/05/26(土) 21:13:55 O
イラン系でも農耕民はいたし、ゲルマンも基本的に有畜農耕民じゃん
あんたいい加減にスキタイのこと語らないなら出ていけよ

ウンザリするよ
258世界@名無史さん:2007/05/27(日) 09:03:49 0
>>256
しかしスラブの言語的・文化的コアとなるプロトスラブ文化はイラン系やゲルマン系が侵入する以前にあったと思うけどね。
その大元は青銅器文化である北カルパチア墳墓文化であり、2000年かけてこの青銅器文化が発展し、Vysokotsie文化にまで発展。
これがプロトスラブ文化である可能性は非常に高い。

そこへイラン系のスキタイがまずやってきてスキタイ文化とくに鉄器製造技術を取り入れたのがChernoles文化。
この文化はヘロドトスの呼ぶ「農業をするスキタイ人」と一致してるのだが、これがスラブ人の元=プロトスラブ人だいうのは間違いない。

これが現在のポーランドまで西進して現地のLa Tene文化のケルト族と混在するようになってPrzeworsk文化が生まれ、
そこへ西からゲルマン諸部族が侵入して言語は違っていたかもしれないが文化的には同化していく。

西進せずウクライナやベラルーシにいた人々はよりスキタイの影響を受けてZarubintsy文化に。

259世界@名無史さん:2007/05/27(日) 09:10:26 0
>>258の続き)

Przeworsk文化(黄緑)とZarubintsy文化(赤)
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Przeworsk_culture.png

西のPrzeworsk文化と東のZarubintsy文化の間、ちょうどヴィスワ川の川沿いに北からゴート人のWielbark文化が遡上、南下していく。

Przeworsk文化(黄緑)とWielbark文化(赤)
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Przeworsk2.PNG

ゴート人、つまりWielbark文化はZarubintsy文化のうちのウクライナ南部を取り込んでChernyakov文化に変容。

Wielbark文化(赤)ヴィスワ川を南下し、Cherniakov文化(オレンジ)を形成
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Chernyakhov.PNG

1.Przeworsk文化のうちゲルマン語群はVandal族になってポーランドから移動、残りはポーランドに留まり西スラブ民族を形成。
2.ウクライナのCherniakov文化は言語的にはゴート化。
3.ベラルーシとウクライナ北部のZarubintsy文化はKiev文化ついでPrague-Korchak文化に発展し東スラブ民族になり、彼らがビザンチンと接触してスラブ人(北のスクラヴェン人と南のアント人)と呼ばれるようになる。

Prague-Korchak文化はさらに西と北と南に分化し、
1.西でPrzeworsk文化と融合して西スラブ族を形成、
2.北ではPrague-Korchak文化をそのまま継承して東スラブ族(スクラヴェン人)に、
3.南に移動した人々(アント人)はアジアから侵入してきたブルガール人などの遊牧民や東スラブ(スクラヴェン人)文化が侵入して南スラブ族に。

いずれにせよ、スラブ族が形成されたのは、まずプロトスラブが存在したところにイラン系のスキタイが侵入して同化し、
その後さらに各地でイラン系、ゲルマン系、ケルト系が入ってきて広大なスラブ語圏独特の多様な文化が形成されていった。

このようにスラブ族の文化形成は複雑であるが、いずれにせよスキタイ人とゴート人が深く関わっていることは明らか。
つか俺が個人的に言うまでもなく、世界的にこの説は最も有力なものとして受け入れてるんだけどね。
260世界@名無史さん:2007/05/27(日) 10:19:21 O
Prezworsk文化はヴァンダル族が属していると書いてあるぞ!!
日本語版wikiのヴァンダル族の項に!!

なめてんのかぁ!?
261世界@名無史さん:2007/05/27(日) 10:32:28 0
>>260

英語版wikiのvandalsの項には日本語版と違うことがかいてある

Some archaeologists and historians identify the Vandals with the Przeworsk culture,
but autochtonic/allochtonic controversy surrounds potential connections between the Vandals and another,
possibly Germanic or pra-Slovoian tribe, the Lugii (Lygier, Lugier or Lygians).
Some academics believe that either Lugii was an earlier name of the Vandals, or the Vandals were part of the Lugian federation.

http://en.wikipedia.org/wiki/Vandals#Origins

さらに、>>259に「Przeworsk文化のうちゲルマン語群はVandal族になってポーランドから移動」って書いてある。
この文化全部がヴァンダル族のものだとは断言できない、というより無理がある。
確たる証拠もないのにPrzeworsk文化全体をヴァンダル族のものだと断言するのはゲルマン民族主義による偏向で、浅薄な態度。
イデオロギーであり、学問ではない。

262世界@名無史さん:2007/05/27(日) 10:35:35 0
>>260
おまえの態度は学問に対する冒涜。
263世界@名無史さん:2007/05/27(日) 10:50:19 0
なるほど。
スラヴ民族はヨーロッパにおけるスキタイ文化の継承者ということですね。
264世界@名無史さん:2007/05/27(日) 10:54:35 O
他人のふりすんなよw
お前のやり方にはもう慣れたよw
こんないい天気に外にも出ずに2chなんかで巣くってるのは
大腿骨骨折で外出出来ない俺と2ch依存症のお前しかいねぇからwww

お前の異常な書き込み数とこだわり見ると
高機能性自閉症か?
265世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:10:47 O
がんばれよ
スラブとなんの関連もないスキタイのスレで宣伝しまくるスラブの宣伝屋さんw

フン族が来襲した時、ウクライナにいたゲルマンやサルマティアなどイラン系は
従属下に編入されるか、西方のローマ領、クリミア、カフカスの山岳地帯に逃れ
ローマの書物に各民族名が明記されているのに
なぜスラブらしき民族は何も記載されないんだろうなww

そうか宇宙人がやって来て記録に残せぬように一人残らず拉致ったかwwwww
266世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:11:37 0
>>263
遊牧の習慣は取り入れなかったが、そう思って間違いないだろうね。

スラブ語は言語的にもスキタイ、と思われるイラン系民族の影響を強く受けている。
神様をBogと呼ぶが、これはスキタイ起源。
スキタイとの接触以前に宗教を持っていなかったとは考えづらいのに、
神の名まで外来語ということは(おそらくChernoles文化時代に)相当強い影響を受けたのだろう。

スラブ語は、特に動植物の名前についてはゴート族の影響を受けているが、これはWielbark時代やZarubintsy文化から
Chernyakov時代にかけてのゴート族との接触の影響だろう。
ゴート族は植生の違うスカンジナビアからずーっと移動してきたため動植物に対する語彙が多かったので、
土着のスラブ人は自分達の知らない動植物などについてゴート族の語彙を借用したのは明らか。

スキタイ人は消滅してしまったが、スラブ人はヨーロッパ最大の民族として君臨していて、
スラブ人がスキタイ文化の継承者であると考えていいはず。

おそらくさかんに混血もしているだろう。
267世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:22:23 0
>>265
フン族のヨーロッパ侵入ルートであったウクライナ南部のステップ地帯はChernyakov文化つまりゴート族の地域で、
フン族はそこからパンノニア盆地(ハンガリー)に来ている。
当時その北の、ウクライナ北部やポーランドといった森林地帯に住んでいたスラブ人とは
あまり接触がなかったのは当然ともいえる。

だが英語版wikiには違うことが書いてある。
Attila's Huns incorporated groups of unrelated tributary peoples.
In the European case Alans, Gepids, Scirii, Rugians, Sarmatians,
Slavs and Gothic tribes all united under the Hun family military elite.
http://en.wikipedia.org/wiki/Huns

つまりスラブ人もフン族のミリタリー・エリートを構成していたという。

また、Prague-Korchak文化つまり東スラブ系統のスラブ文化はフン族消滅後に西へと広がり、
次のアヴァール人の侵入時期やビザンチン時代には盛んに文献に現れるようになる。
268世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:26:00 0
失礼>>267の説明には間違いがあった。

スラブ人もゲルマン人諸部族やサルマチア人と同様、フン族のミリタリー・エリートの下に統合されていたというのが正しい。
269世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:31:01 0
>>265
地理関係をよく把握した方がいい。
フン族の侵入時期の東欧は北から南へ順に

スラブ
フン
ゲルマン/サルマチア
ローマ

ということになる。つまりスラブだけはローマから見ればフンの向こう側にいる。
ゲルマン諸部族は隣接するローマ領に侵入したため文献に現れるのは当然だが、
フンの向こう側(北側)に住んでいたスラブ諸部族はローマとは接触していない。

しかしアヴァール侵入時期にはフランク人の文献にスラブが出てくる。
これはアヴァールとスラブがフランク王国へ攻め込んだからで、フランク人と直接接触があったからだ。
270世界@名無史さん:2007/05/27(日) 11:33:46 0
話がそれてしまったが、
要するにスキタイとスラブは切っても切れない関係にあり、
>>263の言うとおり、スラブはスキタイの文化的継承者と考えていい。
271世界@名無史さん:2007/05/27(日) 15:59:26 0
ゲルマン民族は原始的な狩猟採集民だから、古くから文明の十字路にいた農耕民であるスラヴ人とはあまり合わなかったということかもしれないな。
272世界@名無史さん:2007/05/27(日) 19:26:46 0
スキタイ語でbogが「神」だったって証明はされてんの?
273世界@名無史さん:2007/05/27(日) 21:33:34 0
サルマートはスキタイとアマゾンの間に生まれた民族だという伝承があるほどスキタイとは血縁的に近いし、
実際のサルマートの墳墓の特徴もスキタイとの共通点が多い。
ゴート人が黒海北岸に侵蝕しサルマートと争い影響を受け騎兵を形成したとされるが、
生粋の遊牧民のフン族に瞬殺で粉砕された。
こういった争いに農耕系民族は全く登場せず、農耕民は単に勝利した側の支配を受けていたに過ぎなかったと思われる。

274世界@名無史さん:2007/05/27(日) 21:42:57 0
>>272
イラン語派はどこでも神はBogみたいな発音をするから、定説どおりにスキタイがイラン語派なら成り立つ。
スキタイ人は文字を残さなかったから物証はないが、状況証拠から確実。
275世界@名無史さん:2007/05/27(日) 22:24:38 0
>>248
にしてもそうだけど
不器用なくせに難しい話になるとキチガイとか「日本語でおK」とか
高校は卒業してきたのか。小学校は出たか

それとも元来ヒステリーで視野狭窄なサイコパスか。
276世界@名無史さん:2007/05/28(月) 00:51:15 0
Bogで思い出したが、古教会スラヴ語では、確かdivuが「悪魔」で、古代イラン語のdaeva「悪魔」と関連するという説が有力。
ただしインド=イラン時代およびほかの印欧諸語では同語源の語はおおむね「神」を意味する。
宗教学上は、daevaが「悪魔」になったのはザラスシュトラの宗教改革が原因だということらしい。
んじゃ、スキタイ語はザラスシュトラに影響を受けていたのか? 時代的にどうなんだろ?
277世界@名無史さん:2007/05/28(月) 01:05:15 0
>>275
他スレで聞いた話だけど

19 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2007/01/20(土) 22:52:34 0
「アレクサンドロス大王とヘレニズム世界3」じゃないのかここは・・orz

>>4
ビーソトゥーンなどのダレイオス王碑文をはじめとするペルシア帝国時代の碑文群には、
アフラ・マズダー神の名前はいくらでも出てくるんだが、ザラスシュトラの名前は全く
出てこない。

古典時代のギリシア語文献でも、例えばヘロドトスにも神官団「マギ」や拝火壇については
記録があるようだが、ザラスシュトラについては触れて無かったと思う。
現存するイラン諸語文献でザラスシュトラについて言及がある資料は、パフラヴィー語や
マニ教(パルティア語など)、ソグド語文献など恐らくサーサーン朝時代前後が起源と
思われるものが殆どだ。(パフラヴィー語などでは「ザルドシュト」)

パルティア時代は良く分らない。ティール神やヴリトラガン神などイラン系の神々と
メソポタミアに入植したギリシア系住民が信仰していたギリシア系の神々の習合が見られたが、
(これはバクトリア王国やインド・グリーク王朝、クシャン朝などでの場合と同じ現象)
ここでもザラスシュトラについては聞かれない。

「ガーサー」などの起源が古そうなゾロアスター教文献は古代ペルシア語よりも古い形の
特徴を持つ言語で書かれているので、ザラスシュトラの生存年代を紀元前二千年紀後半に
設定される場合が多いが、紀元前5〜4世紀のペルシア帝国時代のものですらザラスシュトラ
についての記述が無い。ここら辺が謎だが、『アヴェスター』の記述はスィースターンなど
イラン東南部の記述が目立つようなので、かつて言われていたアゼルバイジャン方面では無く、
ザラスシュトラの生誕地はイラン東南部ではないかと最近言われるようになっているよう。

ラテン語やギリシア語文献でのザラスシュトラの記述は、確かローマ帝国時代に入ってから
の物が多かったような・・・ あまりよく知らないが。
278世界@名無史さん:2007/05/28(月) 02:03:58 0
前田耕作によれば、クサントス(ヘロドトスより少し前?)、クニドスのエウドクソス(前5-4世紀)がザラスシュトラについて言及した
最初期のギリシャ語資料らしい。プラトンの『アルキビアデス』にもゾロアステルの名前があるから
>ザラスシュトラについては触れて無かったと思う。
これは間違ってる。
279世界@名無史さん:2007/05/28(月) 05:39:17 0
>>277
お前の話はつまらん。3点(100点満点で)

w
280世界@名無史さん:2007/05/28(月) 08:23:00 0
このスレは変なのが一匹混じってるな
281世界@名無史さん:2007/05/28(月) 09:34:46 0
プラトン学園にゾロアスターの思想が伝わって一種のブームになったとか
「ヨーロッパ異端の源流」って本でちらっと読んだけど
282世界@名無史さん:2007/06/01(金) 03:02:30 0
>>280の嫉妬心は異常!
283世界@名無史さん:2007/08/17(金) 10:57:59 0
スキタイ人の生まれ変わりが現代日本には少ないのでこのスレも
過疎っているな
284世界@名無史さん:2007/08/20(月) 06:30:15 0
スラヴがゲルマンやケルトに較べればスキタイとは最も血縁が濃いのは確かだが、
スキタイ直系はコーカサス地方のグルジア人やアルメニア人の方に近い。
「コーカサス」という語源自体がスキタイ語から派生している。
285世界@名無史さん:2007/08/21(火) 11:46:14 0
オセット人だろ。言語学的にも地理的にも文化的にも直系。
286世界@名無史さん:2007/09/20(木) 23:35:59 0
好きたい
287世界@名無史さん:2007/09/21(金) 05:04:27 0
>>285
ルーマニアもローマ化したヤジキ、ロクソラン等サルマート諸族の末裔と言えましょう。
288世界@名無史さん:2007/09/21(金) 06:11:04 0
>>85
>>92
おそらく、カッパドキアとアルメニアがキンメリアの末裔でありましょう。
289世界@名無史さん:2007/09/21(金) 06:18:19 0
>>216
おそらく、ハザラ、ムガール等モンゴル軍の末裔でありましょう。

アフガンのシースタンやインドのラジプートは、サカ族の末裔と言えましょう。
290世界@名無史さん:2007/09/21(金) 08:45:39 0
>>287
クマン人の影響は?
291世界@名無史さん:2007/09/21(金) 18:02:41 0
>>290
ゴート族が黒海北岸に南下した際、スラブ民族のローマ領への大移動がなかった事も
不可解でありますが、ローマによる紀元270年のダキア属州放棄後、現在に至るまで
ルーマニア民族が存続していることは、まさに謎でありますな。
トランシルバニアはともかくとして、ワラキア、モルダビア、ベッサラビア等
がスラブ化、あるいはトルコ化しなっかった事は、まさに奇跡でありますな。
292世界@名無史さん:2007/09/21(金) 19:18:04 0
ヴラフ人がカルパチア山脈から下ったorバルカン半島から北上してきたという説もあるようですが
どうなんでしょう
293世界@名無史さん:2007/09/21(金) 23:55:23 0
>>292
モンゴル軍による虐殺により、クマン人やマジャール人が激減した事により、
ワラキア、モルダビア等は再浮上?したのではないでしょうか。
294世界@名無史さん:2007/09/22(土) 00:16:34 0
>>291
不可解でもなんでもない。住んでるところが違う。
ゴート人は大きな川の沿岸だけ。そこをずっと南へ伝って行った。
スラブ人は広大な森林地帯で農業。
戦争の形跡さえない。お互いに住み分けていた。
295世界@名無史さん:2007/09/22(土) 06:17:34 0
>>50
>>294
ラウジッツ文化も原スラブ人の文化だったのでしょうか。

ゲルマンを除いた、ケルト、イタリキ、イリリア、トラキア、スラブ、バルト等は、
かなり近縁で、青銅器時代には東方のイラン諸族に対して、パンノニア諸族と呼ぶ
べき状況だったそうですが、どうなんでしょう。
296世界@名無史さん:2007/09/22(土) 06:33:41 0
アシュケナジー=カザールは、トルコ・ユダヤ化したスキタイ人と言えましょう。
同様にチュルケス人もトルコ化したスキタイ人と言えましょう
297世界@名無史さん:2007/09/22(土) 07:10:15 0
>>296
チェルケス人トルコ系じゃ無いし(オスマン帝国に移住したのはイスラム繋がり)。
298世界@名無史さん:2007/09/22(土) 08:01:42 0
>>295
決着はついてないがラウジッツ文化はケルト系じゃないかといわれている。
原スラブ人の文化の可能性があるのはラウジッツ文化と同じ地方なら時代が500〜600年ほど下るプシェヴォルスク文化。

もしラウジッツ文化にスラブ系の人々がいたなら、東からその文化圏に移住してきて同化してしまった人々だろうな。
というのはかなり後に東から西に広がってきた中世スラブ人の文化だとほぼ特定されているプラハ・コルチャク文化との共通点が少ない。
299世界@名無史さん:2007/09/22(土) 08:16:44 0
>>297
ありがとうございます。
クマン人と同様にトルコ系であると昔の本には表記されていましたが、
カフカス系のようであります。すなわち、チェルケス人は古代以来の
先住民であり、キンメルやスキタイと呼ばれた諸族すべてが、同じ
印欧語族ではなっかった可能性を示唆しており、興味深いであります。
300世界@名無史さん:2007/09/22(土) 10:47:32 O
ゴート人がバルト海から南下し始めたのは考古学年数でB2/C1〜C1a期(AD210〜230)頃
それはゴート人を始めとする東ゲルマン系の文化であるヴィールマルク文化の南東への同文
化遺跡の伸長からわかります
移動した原因はマルコマンニ戦争、ローマでの琥珀輸入の衰退、ゴートの王権の崩壊、人口急増
など複数考えられます
誤認してはならないのはゴート人を含め、ゲルマン人は有畜農耕民であることです。
彼等がダキアに現れ、ローマの文献に表されるのはAD3C初期
当時のダキアはローマに服属を拒絶する自由ダキア人であるカルピ人が優勢でしたが
AD250年頃ゴート人の有力な族長クニヴァにより制され、クニヴァは251年ローマ皇帝デキウスと
その息子をアブリトゥスの戦いで破り戦死させます
同時期、C2e期(260/270年)頃からヴィールマルク文化はローマ文化の影響(特に轆轤を使
用した陶器製作)を受けたチャルニャコフ文化に再編成されます
殆んどの遺物、埋葬方式、家屋の建築法や配置はヴィールマルク文化の継承ですが
ゴートを始めとする東ゲルマンのみならず、カルピ人らも同文化圏に含まれていたと思
われ、サルマティア人らステップ民族とも互いに影響し合ったでしょう
ヨルダネスの伝説を除けば南東移動後、ゴート人が初めて接触したローマ以外の異民族は
は考古学的にはカルピ人、次いでサルマティア人でスラブ人の名はないです
301世界@名無史さん:2007/09/22(土) 11:59:13 0
>>300
スラブ人は、ゴート族やフン族に追われたサルマートとバルト人が融合して、
形成された可能性があるのでしょうか。
ローマの支配下に、スペイン人、ルーマニア人等ラテン民族が、形成されたように、
サルマートの支配下にバルト人の多くがスラブ人となったのでしょうか。
302世界@名無史さん:2007/09/22(土) 12:55:23 O
バルト系の一部は既に現在の東プロシア〜リトアニアに住んで琥珀加工業などに従事してい
たことはタキトゥスなどにより報告されています
サルマティア系にスラブが含まれていたというのはどうでしょうか?
後のスラブがサルマティア系のような半遊牧的な生活や道具を使用していませんし
スラブが後の遊牧民アヴァールの隷属民として欧州に現れた時、スラブは全て歩兵で騎馬
兵はいなかったといわれています
逆にゴートはサルマティア系を服属させる闘争において長剣で馬の腱を斬る独特な戦法や
ゲルマン人には珍しく、サルマティア系のような重騎兵部隊を編成しました
後のフン・カタストロフィで東ゴート王国が瓦解した時、フン族に服属することを拒否した東ゴ
ート人の族長アラテウスとサルマティアの支族アラン人の族長サフラクスが東ゴート王族の血筋を引く幼
いヴィデリックを立て反フン・東ゴート・アラン部族連合を創り、ローマ領へ侵入しました
その部族連合の主体はそのような重騎兵部隊です
ゴート人史家ヨルダネスが後にスラブではないかと言われるアンテスと言う民族名を記してい
ますが、彼の言うアンテスはカフカスにいたと記しておりアランとの誤認ではないかと
またヴェネティに関しては初期はヴィーン、ヴェネツィアの名でわかるようにイタリアに南下した
ケルトの一支族名です
明らかにスラブとわかる民族が記されるのは6Cのビザンツ文献になってからです
303世界@名無史さん:2007/09/22(土) 21:15:16 0
>ゴートはサルマティア系を服属させる闘争において長剣で馬の腱を斬る独特な戦法や

kwsk
304世界@名無史さん:2007/09/22(土) 22:59:23 0
サルマート、アランらとパルチアの安息は、ほぼ同族と言えましょう。
305世界@名無史さん:2007/09/23(日) 07:29:55 0
>>302
クロアチアとセルビアは、元来サルマート人だったとされますが、そもそも、
サルマート諸族の全てが、現在のオセチア人のようなイラン系だったの
でないのかもしれません。
306世界@名無史さん:2007/09/23(日) 18:24:09 0
スラブ民族は6世紀に最初の一人が「俺はスラブ人」を宣言して、
彼の子孫が人口爆発を起こして現在のようなヨーロッパ最大の民族になった。
6世紀以前にスラブは一人も存在しない。


これ豆知識な。
307世界@名無史さん:2007/09/23(日) 18:26:52 0
>>306
まさかw
文献には出てなくてももともと沢山住んでたんだろ。
いくつかの部族は文献に出ていてもスラヴと認識されてないだけかもしれん。
308世界@名無史さん:2007/09/23(日) 18:44:09 0
>>307

だが>>300>>302の説は>>306だろ。
309世界@名無史さん:2007/09/23(日) 19:19:37 0
ウクライナに隣接しているモルダビア、ワラキアが、スラブ化していないと言う事は、
6世紀のスラブ民族大移動の時、ウクライナ方面にスラブはいなかったのではないか。
スラブは、ロンバルド族のイタリア移動後に、パンノニア、イリリア、トラキアの順
に、ドナウ以南に勢力を拡大したようだ。
310世界@名無史さん:2007/09/23(日) 23:54:56 O
>>306-308が同一だろう
311世界@名無史さん:2007/09/24(月) 00:00:56 O
ドナウ以南のスラブ(セルボ・クロアート人)は現在の現在のベラルーシ西部付
近に居住していたのをユスティニアヌスがアヴァールを牽制するために誘致した
んだよ

もうスラブはいいよ
スキタイ本題に戻ろうぜ
312世界@名無史さん:2007/09/24(月) 00:36:31 0
>>311
ユスティニアヌスではなくて、ヘラクレイオスでは?
313世界@名無史さん:2007/09/24(月) 08:29:53 0
釈迦もスキタイ?
314世界@名無史さん:2007/09/24(月) 09:13:29 0
>>311
ちがうよ。今のポーランド西部に住んでいたんだよ。
ポーランド人やドイツのソルブ人と同じ西スラブ系種族。
ソルブとセルビア(セルブ)は同語源。クロアチアはセルブ族から分離したホルヴァト族。
315世界@名無史さん:2007/09/24(月) 09:14:40 0
>>311
スキタイの子孫がスラブなんだから、スラブの話は避けて通れないよ。
316世界@名無史さん:2007/09/24(月) 11:21:23 O
お前、いい加減にしろよ
東欧スレとか、ポーランドスレあるだろうが
なんで他スレで粘着する必要あるんだ
317世界@名無史さん:2007/09/24(月) 11:57:04 0
仕方ないだろ。
ボクちゃん歴史には一家言あるもんねーなお子様が多いんだから。
318世界@名無史さん:2007/09/24(月) 20:23:10 0
>>316
お前こそいい加減にしろよ
スラブを抜きにするならこのスレに来るな
スラブ=スクラベン=スキトラベナ=スキト=スキタイ
319世界@名無史さん:2007/09/24(月) 20:32:07 0
「スクラベン」ってビザンツの文献でギリシャ語表記したときにk音が付いたんでなかった?
320世界@名無史さん:2007/09/24(月) 21:45:25 0
>>318
結局最初のsしか合ってない
321世界@名無史さん:2007/09/24(月) 22:47:02 0
>>318は釣りだろ。

だがスラヴとスキタイとサルマートの関係はかなり深い。
スラヴ系の苗字に〜ヴィッチとか〜ッチというのがあるが、これは〜の息子の意味でなぜかバルカンやウクライナといった南に多い。
普通は土地に根付かない遊牧民の名づけ方だ。
プリピャチ沼沢地に遺跡の集中するプロトスラヴ人は農耕民で、遊牧の習慣はないぞ。
322世界@名無史さん:2007/09/24(月) 23:14:58 O
スラブとスキタイの間に接触があったからと言って、
スラブの文化がスキタイの後継とまでいうのは暴論過ぎるな。
想像を逞しくするのはいいけど飛躍は程々に。
隣の親父とウチの母親が喋ってるのを見て、俺は隣の親父の子かもしれんと思うくらい飛躍してる。
323世界@名無史さん:2007/09/25(火) 00:11:45 0
>>322
同時に逆も断定するなということだ。可能性を完全に除外するのも問題だからな。
324世界@名無史さん:2007/09/25(火) 09:08:58 0
>>321
北欧やブリテンあたりの-sen, -son, mc-なんかとは違うん?
325世界@名無史さん:2007/09/25(火) 09:39:22 0
>>324
決定的な違いは、北欧やブリテン諸島には村など土地の持ち主を意味する名前がないこと。
スラブにはある。-skiや-skyがそうだ。
スラブの場合、南部一帯に土地を移動する遊牧系部族と、北部一帯に定住する農耕系部族がいて、
遊牧系部族の文化はスキタイやサルマートとさしてかわらん。
326世界@名無史さん:2007/09/25(火) 13:52:50 0
よく分からんがvon何々とかdeどこそこみたいな感じ?>-skiや-sky
327世界@名無史さん:2007/09/25(火) 22:31:55 0
ていうか土地の持ち主を意味する名前がスラヴにあるのがゲルマンとの「決定的な違い」として
スキタイとの関連を云々するのは的外れな気がする
328世界@名無史さん:2007/09/25(火) 23:34:20 0
スラヴが周囲の異民族からスラヴと認識された時には既にスラヴ自体が遊牧民と農耕民からなる多文化集団であったのではないかね?
329世界@名無史さん:2007/09/26(水) 01:14:01 0
>>326
vonやdeも土地関係なんだが主に貴族領主の名前に「領地」の地名を示すものとしてつく。
skiやskyは領主だけでなく一般の農民も持っていて、基本的に家父長制大家族村落であった「出身地」の地名にちなんでついたから、また微妙に違う。
330世界@名無史さん:2007/09/26(水) 01:46:54 O
>>363
ピカチュー大将軍の弟か従兄弟あたりじゃね
んで、トリスタンとラウニィーの情事を見て
くそーラウニィーとズッコンバッコンズッコンバッコンピュピュッピュピューってしてー
って思ってそれを実行しようとしてトリスタンに見つかってランスロットとカノープスとウォーレンと
ミルダスとギルディンとデネブが呼ばれてヴォラックは捕まってしまって地下の拷問室で
毎日毎日肛門にカボチャ入れられたりミルダスとギルディンとの3Pやったりランスロットのロンバルディアで
キンタマ1個取られたりウォーレンの占星術で不吉な予言を毎日聞かされていたぶられて
ヴォラック・カタタマ、ウィンザルフになってしまってゼノビアとかに居れなくなって
復讐してやると思ってローディスに行ってバールゼフォンに「うほっいい男」って言われて
お尻合いになってしまってそのままテンプルコマンドになったんだと思う
331世界@名無史さん:2007/09/26(水) 03:28:24 0
で、スキタイの苗字はどうだったのよ。
332世界@名無史さん:2007/09/26(水) 06:19:33 0
>>331
アテアス、サウマコス、ザンギバヌス、サフラクス、カンダック、
レスペンディヤール等、スキタイには、古代ギリシャ人らと同様に、
苗字がなかったのでは?
コムノネス、パレオロゴス、カンタグゼノス等の家名は、9世紀
以前ギリシャに存在しなかったそうだ。

333世界@名無史さん:2007/09/26(水) 09:10:36 0
>>331
遊牧民だからまず苗字はないよ。
代わりに「〜の息子の○○」という呼び方はしただろう。

ヨーロッパ人だって苗字がつくようになったのは10世紀ごろから。
334世界@名無史さん:2007/09/26(水) 11:56:11 0
>>333
古代ローマ人には、苗字があるのではないか?
おそらく、欧州の苗字は、印欧語族ではなく、エトルリアが起源では?
335世界@名無史さん:2007/09/26(水) 13:37:59 0
>>1
博多民族の祖先
336世界@名無史さん:2007/09/26(水) 23:13:27 0
>>334
ローマ市民だと有力者だけでなく平民まで苗字があったの?
337世界@名無史さん:2007/10/04(木) 01:00:02 0
ギリシャの文献によると、スキタイは略奪の限りを尽くしたんだろ。
それは現在のソ連軍を見ても同じだから、継承したと言えるんじゃない?
338世界@名無史さん:2007/10/04(木) 01:05:16 0
おまえもな!
339世界@名無史さん:2007/10/04(木) 02:47:26 0
馬と人の文化史って本に出てきたんだが
アルタイ山脈にいまでもスキタイ人の子孫が遊牧生活を続けているって本当なんだろうか
340世界@名無史さん:2007/10/04(木) 08:42:26 0
>現在のソ連軍

>>337がどういう世界から書き込んでるのか気になる
341世界@名無史さん:2007/10/04(木) 12:14:28 0
略奪は割とどこでもやってるんじゃないか
342世界@名無史さん:2007/10/04(木) 13:49:52 0
戦時の騎馬民族は基本的に略奪だろ。手元においておかないと。
343世界@名無史さん:2007/10/04(木) 18:26:41 O
扶余は略奪しましぇん
344世界@名無史さん:2007/10/05(金) 03:14:36 0
>>303
オスプレイのメンアットアームズの「ゲルマンとダキアの戦士」も同様に
"ゴート族はその残忍な戦いぶりでサルマート人を屈服させた様だ。おそらく馬の腱を切断したのだろう(ゲルマン人の戦法)"
と書いてるな。独特のやり方なんだろうか? ・・・というか、他のヤツらはそういう風にしなかったのか???
345世界@名無史さん:2007/10/05(金) 08:15:15 0
南宋の歩兵部隊を率いた岳飛が金国の鉄騎兵に対抗するために
「斬馬刀」で馬の足を狙うよう指示したという話を彷彿とさせるな。
たしかサルマタイ人も装甲騎兵で有名だったはず。
346世界@名無史さん:2007/10/06(土) 20:43:20 0
サルマートとサルマタイは違うだろ阿呆が。
347世界@名無史さん:2007/10/06(土) 20:44:23 0
スキタイが二分されてスラブ(農耕民)とサルマート(遊牧民)になった。
348世界@名無史さん:2007/10/07(日) 07:11:08 0
>サルマートとサルマタイは違う

詳しく
349世界@名無史さん:2007/10/10(水) 07:57:53 0
スキタイはマッサゲタイに敗れ黒海北岸に落ち延びてきたという関係から
スキタイとマッサゲタイは仇敵関係だったのかというとそうでもなく、
ダレイオスが黒海北岸に侵攻してくるとマッサゲタイはスキタイに救援軍を送ったという。
350世界@名無史さん:2007/10/11(木) 23:13:17 0
スキタイ以前の現ウクライナにいた、キンメリア人はどんなやつらだったのかなあ。
旧約聖書のゴメルで、カッパドキアあたりに南下したことぐらいしか知らない。充分?
351世界@名無史さん:2007/10/12(金) 01:11:06 0
スキタイと違ってイラン系かどうかも分かってないんじゃなかったか
352世界@名無史さん:2007/10/12(金) 02:19:19 0
>>350
おそらく、アルメニア人の祖先となったのでは?
アッシリアとキンメリアによりウラルトゥが滅ぼされた後、アルメニアが
かの地に成立したようなので、スキタイに追われたキンメルが、かの地に
定住したのではないでしょうか。
353世界@名無史さん:2007/10/12(金) 02:30:26 0
>>349
マッサゲタイは、ペルシャのキロス2世と交戦して、キロス2世を戦死
させたそうだ。
354世界@名無史さん:2007/10/13(土) 21:05:37 0
というかスキタイ=キンメリアじゃないの?
355世界@名無史さん:2007/10/13(土) 22:14:02 0
何の証拠があって。
356世界@名無史さん:2007/10/14(日) 13:13:07 0
スキタイの前に遊牧民がいても不思議じゃないですか?
357世界@名無史さん:2007/10/15(月) 13:45:44 0
ところでホメロスのオデッセイアで
冥界に行くとキンメリアがあるのはどうしてなんでしょう
358世界@名無史さん:2007/10/15(月) 14:09:05 0
ホメロススレで聞いてくれよ
359世界@名無史さん:2007/10/15(月) 20:29:10 0
キンメリアは某書では「前スキタイ人」などと書かれていたな
直接のつながりがあるのかどうかは不明だが

なお、スキタイは「文献初出の」最初の遊牧民だってだけで
騎馬民族自体はその2000年くらい前には発生していたらしい
360世界@名無史さん:2007/10/16(火) 00:46:58 0
ホメロスはスキタイは遊牧国家の体制を築き上げたという意味で
それまでの遊牧はしていたが国家秩序の無かったキンメリアとは区切りをつけている。
361世界@名無史さん:2007/10/16(火) 02:52:14 0
国家秩序の無かったキンメリアに、ウラルトゥやフリギアへの遠征のような、
組織だった大規模な軍事行動は可能だったのだろうか。
362世界@名無史さん:2007/10/16(火) 10:07:47 0
           スラブ
          /
キンメリア→スキタイ
          \
           サルマート→スラブ
363世界@名無史さん:2007/10/16(火) 13:05:39 0
スキタイ=アシュクザイ=アシュケナージ?

東欧系ユダヤ人はスキタイの末裔か?
364世界@名無史さん:2007/10/16(火) 13:12:51 0
>>361
君主制が未発達な部族社会だと、戦争のときだけ軍事に長けた人物を
臨時のリーダーとして推戴したりするらしいけど。
365世界@名無史さん:2007/10/16(火) 20:04:31 0
>>359
トルコの右より学者だと
スキタイやキンメリアよりも更に前に我々こそが世界最古の遊牧騎馬生活を確立していた
などと唱えていたな
勿論トルコ以外支持もされてなかったけど
366世界@名無史さん:2007/10/16(火) 21:01:32 0
>>363
スキタイは印欧語族、ハザールはトルコ系だから違う。スキタイの末裔はスラブ。
367世界@名無史さん:2007/10/16(火) 21:34:09 0
スキタイはトラキアやカフカスからアジアに入って、
東はメディア、南はパレスチナまで行ったと言うが(もっと?)、
ヴァイキングがヨーロッパ中を荒らしたような感じだったのか
フンやテュルクやモンゴルほど組織されてなさげ
西はケルト人がいたけど、同じ頃にイタリアを荒らしてるな

マケドニアもペルシアからすれば蛮族の侵攻かなあ
368世界@名無史さん:2007/10/16(火) 23:22:30 0
スキタイ対アッシリア=ギリシャ対ペルシャ=ゲルマン対ローマ

369世界@名無史さん:2007/10/17(水) 01:14:26 0
マケドニアとペルシャ=モスクワとジュチ・ウルス
370世界@名無史さん:2007/10/17(水) 07:30:25 0
スキタイは28年間もメソポタミア地域を占領したし
ペルシャのダレイオスの大軍にも大損害を与えており
ローマに容易に征服されたケルトや各地を拷略して回っただけのヴァイキングとは
比較にならないほどの大勢力を築いていた。
371世界@名無史さん:2007/10/17(水) 07:32:26 0
スラヴ系もスキタイと血縁はあるだろうが直系に近いのはコーカサス系
372世界@名無史さん:2007/10/17(水) 10:55:20 0
>>371
>>370ほど数が多かったならコーカサス系のような小集団なわけがない。スラブ。
373世界@名無史さん:2007/10/17(水) 10:58:14 0
>>371
オセチア人はイラン系では?
374世界@名無史さん:2007/10/18(木) 00:13:06 O
>>365
なかなかすごい学者だな
紀元前七世紀頃、キンメリアは黒海北岸に、スキタイ
はカスピ海北岸に居てコーカサスを通りアッシリアを脅かしていた
そこまで遡っちゃうとテュルク系民族の動向は全然わからんけど
375世界@名無史さん:2007/10/18(木) 01:49:53 0
>>372
アルメニア=ウラルトゥと融合したキンメリオス人
シースタン、ラージャスタン=定住化したサカ人
オセチア=定住化したアラン人
クロアチア、セルビア=スラブ化したサウロマタイ人
ワラキア、モルダビア=ラテン化したサウロマタイ人

トランシルバニア=ラテン化したダキア人
フランス=ラテン化したガリア人
376世界@名無史さん:2007/10/18(木) 02:19:45 0
>>366
ハザール=トルコ・ユダヤ化したアラン人

トルコ=トルコ・イスラム化したギリシャ人
377世界@名無史さん:2007/10/18(木) 02:44:21 O
グルジア人もキンメリオルの血統なの?
378世界@名無史さん:2007/10/18(木) 02:58:35 0
グルジア、チェチェン、イングーシー、ダゲスタン、チェルケス等は、カフカス語族

アルメニア、オセチア等は、印欧語族
379世界@名無史さん:2007/10/18(木) 07:13:28 0
>>372
遊牧民の場合人口の少なさを補うために迅速・巧妙な戦略機動・戦術機動で戦って
それで大帝国に壊滅的な被害を与えたりするからあまり当てにならない。
定住民を味方につけて大軍に膨れ上がることもあるし。
380世界@名無史さん:2007/10/18(木) 12:11:01 0
>>379
だからスキタイは定住農耕民(ヘロドトスのいう農耕スキタイや農民スキタイ)と混じって定住化してスラブになった。
381世界@名無史さん:2007/10/18(木) 20:00:19 0
>>374
トルコ語のウィキペディアなんて凄いぞ
中国の周王朝を自民族の歴史の王国扱いだし

あとウィキペディアじゃないけど中国の文典に有る犬戎を自民族の事とか称したり
無理が有る無理が
382世界@名無史さん:2007/10/18(木) 22:08:50 O
あんたトルコ語読めんのか
ちょっと尊敬したぞ
383世界@名無史さん:2007/10/19(金) 03:44:56 0
384世界@名無史さん:2007/10/20(土) 00:24:50 0
そっちじゃなくって
http://tr.wikipedia.org/wiki/%C3%87u
こっちだな
そこのÇuってのが周ってのだよ
Çinってのは中国の事言ってるし
年号のM.Ö.ってのはトルコ語で紀元前って意味だし
つまり紀元前1050〜249或いは紀元前1116〜247のトルコ系王朝って事だろうな
あとTürk tarihiってのはトルコの歴史って意味
そこの項目開くとかなり凄いのまでテュルク系認定してるの分かるぞ
何しろスキタイ&サカまで自民族認定してるくらいだし
385世界@名無史さん:2007/10/20(土) 09:04:09 0
古代の中国人は白人だったの?2

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181161401/l50x



386世界@名無史さん:2007/10/20(土) 09:23:08 0
フランス人は、ローマよりも、ガリアを自らのルーツとしているそうだが、
トルコ人は、ヒッタイトやフリギア、リディア、ポントス等をルーツを
みなさないのだろうか。
東欧系ユダヤのルーツ問題同様興味深いでありますな。
387世界@名無史さん:2007/10/20(土) 09:25:12 0
>>386
ユダヤは宗教、トルコも言語と宗教だね

それ除いたら、容姿も料理も音楽も、ギリシャ人と区別つかん
388世界@名無史さん:2007/10/20(土) 10:22:30 0
東欧系ユダヤの場合は、カナンへの帰還?とイスラエルの存続が目的なのだから、
当然といえば当然でありますな。
しかしながら、トルコ人はモンゴル高原に帰還したいのだろうか。あまりにも
トルコ系ルーツを強調することは、欧州のみならず、アラブとイラン等中東からも、
よそ者として排除される事にいたるのではないだろうか。

389世界@名無史さん:2007/10/20(土) 11:20:55 0
>>388
実際問題イランともアラブ系とも仲悪いし
それとトルコの場合アルタイ〜バイカル〜東トルキスタンの帰還じゃなく
さらに拡張主義的な性格だからそう言うユダヤの感覚とは全然違う
トルコ自体遊牧狩猟民の末裔からか武人気質が相当高いから
敵は徹底的に殲滅って感覚が凄いし

ごくほんの一部の超拡大主義者なんかモンゴル&ツングースや日本・アイヌ・朝鮮とかだけじゃなく
果てはシベリア原住民やアラスカ〜カナダ〜北米のイヌイットやインディアンまで
自民族のアイデンティティの有る存在とか言い張ってる失笑ものの理屈まで有るし
390世界@名無史さん:2007/10/20(土) 12:34:49 0
目指すは、まさにスキタイ対トルコのユーラシア最終戦争?でありますな。

今世紀中に、ロシア、イラン、パキスタン等のアーリア連合?+中国は、
トルコを包囲殲滅するつもりなのかもしれませんな。

これには、欧米のみならず、日本も巻き込まれないようにせねばなりませんな。
391世界@名無史さん:2007/10/20(土) 15:47:18 0
>>390のようなことをトルコ・ナショナリストが言っているわけか
392世界@名無史さん:2007/10/20(土) 20:59:07 0
テラ韓国な学者だな…丁霊は山海経なんかだとケンタウロス扱いの怪物だし。
突厥帝国は強かったし、テュルク語系の民族なら確かに多いけどさあ。

いや、ここはスキタイのスレだ。とりあえず、アレクサンドロス大王〜ヘレニズム時代のスキタイはどうなってる?
後継者戦争ではどうしてたんだっけ。サルマタイも来ているし。
393世界@名無史さん:2007/10/21(日) 08:47:53 0
フィリッポス2世に敗北後、黒海沿岸のスキタイは、西のケルトと東の
サルマタイを抑える事が出来なくなったようだ。
東方のサカも、アレクサンドロス大王との交戦で、大打撃を被ったようだ。
その後、匈奴の圧迫により、サカはインド方面に追い払われてしまった。
西のマケドニアと東の匈奴の台頭により、スキタイ、ペルシャ、サカらの
イラン民族の全盛時代は、終わってしまったと言えよう。

394世界@名無史さん:2007/10/22(月) 07:36:53 0
サルマタイはイラン民族だろ
395世界@名無史さん:2007/10/22(月) 07:47:10 0
正確を期すなら東イラン語系民族か
396世界@名無史さん:2007/10/22(月) 08:53:11 0
サルマタイとアランと同様に、サルマタイとパルチアも同族なのだろうか?
397世界@名無史さん:2007/10/24(水) 20:56:47 0
>東方のサカも、アレクサンドロス大王との交戦で、大打撃を被ったようだ。
アレクサンドロスがインド方面に去ったら再び南下してきてステップを奪回している
単に正面対決を避けていただけでそれほどの打撃は受けていないように思われる
寧ろマケドニア軍の方が砂漠やステップを強行軍した為に、疲弊し部下達が不満を高めている。
398世界@名無史さん:2007/10/25(木) 00:56:32 0
>単に正面対決を避けていただけでそれほどの打撃は受けていないように思われる
>寧ろマケドニア軍の方が砂漠やステップを強行軍した為に、疲弊し部下達が不満を高めている。

アケメネス朝のスキタイ遠征と同じパターンじゃないか・・・
399世界@名無史さん:2007/10/25(木) 12:08:49 0
スキタイとサカは、軽装弓騎兵が主力で、ペルシャ軍やマケドニア軍に対して、
決戦を避け逃げ回らざるえなかったようだ。
サルマタイとパルチアは、重装槍騎兵が主力で、スキタイ軍やセレウコス朝軍を、
正面対決で撃破したようだ。
400世界@名無史さん:2007/10/25(木) 22:33:57 0
>スキタイとサカは、軽装弓騎兵が主力で、ペルシャ軍やマケドニア軍に対して、
>決戦を避け逃げ回らざるえなかったようだ
ペルシャ軍はスキタイ軽騎兵の機動戦に翻弄され疲弊したところを叩かれ大損害を出している。
後のルーシ軍もモンゴルの軽騎兵を追撃してカルカ河で息切れしてしまったところを逆襲され壊滅している。
重装備のサルマート騎兵はフン族の軽騎兵による散開と突撃の波状攻撃のスピードに追いつけずにフンに征服されている
騎兵戦に関する限りは装備の破壊力よりスピードと持久力の上回る方が大抵は勝利している

401世界@名無史さん:2007/10/25(木) 23:19:56 0
サルマタイはローマ軍にも騎兵として加わり、駐屯したブリタニアに(原)ナルト神話を伝えて、
それがアーサー王伝説になった…という話も聞いたが…ほんまかいな
ケルトとの接触はスキタイもあるっぽいな、ガラティア人が東行・南下してるし
ハルシュタット文化とかもあるし
402世界@名無史さん:2007/10/25(木) 23:48:04 0
>>400
モンゴル軍の戦術は、軽騎兵が囮になって、待ち伏せしている重騎兵が止めを刺す事が、
基本だったようであります。
スキタイはサルマートに征服され、サルマートはゴートに征服され、ゴートはフン族に
征服されたわけでありますが、おそらく、フン族にも貴族階級からなる重騎兵があった
のではないでしょうか。
403世界@名無史さん:2007/10/26(金) 02:08:00 0
>重装備のサルマート騎兵はフン族の軽騎兵による散開と突撃の波状攻撃のスピードに追いつけずにフンに征服されている

フン族とサルマタイの戦闘の詳しい史料って残ってるんですか?
404世界@名無史さん:2007/10/27(土) 20:12:36 0
ラムセス2世ってスキタイを撃破したそうだけど、
この頃のスキタイって騎馬戦術を習得してたんだろうか…
405世界@名無史さん:2007/10/27(土) 20:18:25 0
メソポタミアやイスラエルを制圧しエジプト国境に迫ってきた
スキタイがエジプト目前で引上げたのはおそらく事実。
エジプトがスキタイを撃退したともスキタイに黄金を贈ってお引取願ったともいわれている
406世界@名無史さん:2007/10/27(土) 20:57:11 0
聖書ではスクテヤ人が野蛮人の代名詞になってるし、ベト・シェアンという都市はスキタイに占領され、
ギリシア時代にはスキトポリスとさえ呼ばれたからな
東ローマではルーシやクマン人もスキタイと呼ばれていたが

一応、ノアの末子のヤフェトがスキタイやイオニアやアーリア系諸族の先祖とされとるが、
ギリシア神話には巨人族のイアペトスってのがいるな
人間を作ったプロメテウスやアトラスの親父
黙示録に出てくる北方の巨人、ゴグ・マゴグの祖先でもあるのだとか
407世界@名無史さん:2007/10/27(土) 22:13:35 0
ヤフェト、イアペドス → ヤマ、閻魔大王?
408世界@名無史さん:2007/10/28(日) 19:22:32 0
ギリシャ神話の巨人とゴグ・マゴグがどこでつながったんですか? kwsk
409世界@名無史さん:2007/10/28(日) 20:09:42 0
>>403
アランを襲撃した時の記録が中国の歴史書にあったよな。
フン族を匈奴と記載してるな。少なくとも中国ではフン=匈奴という
ことかな?
410406:2007/10/28(日) 21:01:45 0
聖書の創世記によれば、
ヤフェトの子はゴメル(前出のキンメリア)、マゴグ(その王がゴグで、リディア王ギュゲスらしい)、
マダイ(メディア)、ヤワン(イオニア、つまりギリシア)、アナトリア系の民族トバル、メセク、テラス。
彼らは北方の海辺の島々に広がった。ヤフェトとは「美」「広がる」という意味とされる。

ヤワンからはエリシャ(ヘラス?)、タルシシ(イベリア?)、キッテム(キプロス?)、ロダニムが産まれ、
ゴメルからはリパテ、トガルマ、そしてアシケナズ(アシュグザーヤ、スキタイ)が産まれたという。
彼らヤフェト族はヨーロッパ諸民族の祖先といわれ、しばしば聖書には北から蛮族が来て世界を荒らすと預言される。
また英国のウェールズは雅名を「キンメリア」といい、ケルト諸族にも巨人族の伝承が色濃く残る。

イスラームの伝承では、アレクサンドロス大王が鉄の山で彼らを北の不毛の地に封じ込めたといい、
世界の終末には山が崩れて、ヤージュージュとマージュージュ(ゴグとマゴグ)が南の国々に襲い掛かるとか。
どこか黙示録の古い竜サタンや、イランの悪竜アジ・ダハーカを思わせる。

……民俗・神話学板の領域かな、これは。スキタイなどの北方民族が広く恐れられていたことは確かのようだ。
フンやモンゴル(タタール)も地獄の悪鬼として恐れられたし、文明国の蛮族観はそんなものか。
411世界@名無史さん:2007/10/28(日) 22:15:14 0
>>410
キッテム=ヒッティム、ヒッタイト

ウェールズの雅名は「カンブリア」では?
412世界@名無史さん:2007/10/28(日) 22:26:38 0
>イスラームの伝承では、アレクサンドロス大王が鉄の山で彼らを北の不毛の地に封じ込めたといい、

だからロシア人=スラブだろ。
413世界@名無史さん:2007/10/28(日) 23:26:23 0
>>404
ラ・モーセ2世はヒッタイトと、ラ・モーセ3世はペリシテらと交戦したのでは?
414世界@名無史さん:2007/10/28(日) 23:48:46 0
スキタイもサルマタイもそれぞれバラバラになったあと次々と定住民の古代スラヴ人に同化して消えたんじゃないの?
今の東スラヴ語族(ロシア人やウクライナ人など)の遊牧民としての先祖だろ。
415世界@名無史さん:2007/10/28(日) 23:59:49 0
>>410
タルシシ=タルソス  マージュージュ=マジャール
416世界@名無史さん:2007/10/29(月) 00:03:33 0
>どこか黙示録の古い竜サタンや、イランの悪竜アジ・ダハーカを思わせる。
思わせるどころかイラン(ゾロアスター教)からの影響そのままだろw
417世界@名無史さん:2007/10/29(月) 01:59:03 0
>>412
中世のロシア人はウラルの彼方で遭遇したウゴル系狩猟民などを
銅の門の彼方に最後の審判に日まで閉じ込められたゴグとマゴグと考えていたようだ。
418世界@名無史さん:2007/10/29(月) 02:12:26 0
金属の山をふいごで溶かして脱出する、という民族起源神話が、テュルク・モンゴルに伝わっているのも興味深いね
キリスト教徒やイスラームが伝えたのか、もともとあった伝説にアレクサンドロス(イスカンダル)がかぶさったのか
419世界@名無史さん:2007/10/29(月) 09:58:44 0
>>417
本当はロシア人自身がゴグとマゴグなんだが、それだと不名誉だからさらに北の住民に汚名をおっかぶせた。
420世界@名無史さん:2007/10/29(月) 17:57:24 0
>>418
840年ウイグル帝国崩壊までは、モンゴル高原はトルコ高原であったそうだが、
その事と関連がありそうですな。
421世界@名無史さん:2007/10/29(月) 19:23:35 0
ヤージュージュとマージュージュは件のアレクサンドロス・ロマンスの
「イスカンダルは太陽の昇る地に城壁を築いて、彼らを閉じ込めた」という伝承もあってか、
イスラームの地理学だと、東の最果ての地が「ヤージュージュとマージュージュ」の国と
されている。

ただ、アッバース朝時代からテュルク系の連中については既に身近に知られており、
さらに彼方の地域があるらしいことを知っていたため、イスラム教徒はテュルク系の人々を
「ヤージュージュとマージュージュ」とは呼んでいない。(勿論スラブ系(サカーリバ)についても然り)
具体的には、おおよそテュルクやスィーン(支那、中国)のさらに彼方にある国と考えられていた。

>マージュージュ=マジャール
とはアラビア語などの地理書ではみなされていない。アラビア語のジーム j はヘブライ語や
アラム語でのギメル g なので、「マージュージュ」は「マゴグ」のアラビア語読み。
あくまでもマジャールはマジャール。ボルガ・ブルガールと同系統とは看做されていたけど。

アレクサンドロスと聖書の「ゴクとマゴク」の伝承が結びつくのは、キリスト教が公認される
前後からの話だろうから、鉄の山などを鋳溶かして人々が出現するという中央アジアやイラン、
北アジアに古くからあった伝承(拓跋や突厥にもあり)が西方へ流入し、これが西アジアの世界観に
組み込まれて、紀元後一千年紀に流行していたアレクサンドロスの遠征伝承とミックスされたと
考えた方が無難だと思う。
>>418状況的に言えばやはり後者だと思う。

12世紀の地理学者イドリースィーの世界地図。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/db/Al-Idrisi%27s_world_map.JPG
大陸の北東(地図の左下)の端、茶色で描かれた山脈に囲われた細長い地域に
「ヤージュージュ(ياجوج)」「マージュージュ(ماجوج)」と書かれている。
ちなみにアフリカ大陸の東端に「ワークワーク」が書かれている。
422世界@名無史さん:2007/10/29(月) 20:55:00 0
この「太陽の昇る地の城壁」についてですが、
中国の長城がアレクサンドロスの業績として
伝説中に取り入れられたってことはないですかね?

そうすると同じモンゴル高原のテュルク系のことを扱っていても、
自分たちが知っているマーワラーアンナフルに出てきた連中と
「イスカンダルは太陽の昇る地に城壁を築いて、彼らを閉じ込め」られた連中のことが
結びつかなかったんだねってことになりますが。
423世界@名無史さん:2007/10/29(月) 22:32:17 0
近代ではスラヴは劣等民族で西欧ヨーロッパ人が優越しているとされているが、
古代においてはスキタイなどはケルトに較べ遥かに強力な勢力を築いていた。
スキタイを蛮族の代名詞に用い貶めた西欧史観は一種の劣等感の裏返しのように見える。
424世界@名無史さん:2007/10/30(火) 01:29:31 0
古代においてスキタイとケルトはほぼ互角のライバルであったと言えよう。
スキタイはステップ地帯を、ケルトは森林地帯を征圧しており、棲み分けて
いたとも言えよう。
スキタイは匈奴とゲルマンに、ケルトはローマとゲルマンらに挟撃されて、
歴史の表舞台から消え去る事となった。
425世界@名無史さん:2007/10/30(火) 01:47:38 0
大体コーランやハディースで言及されるゴグ・マゴグは山中に封印されていて
最後の審判の頃まで外へ出てこない種族。
スラヴ人だのに否定するのは無理がある。
426世界@名無史さん:2007/10/30(火) 02:01:23 0
かつてノストラダムス本が、メセクとトバル = モスクワとトヴェリ と断定して、
第3次大戦の預言などと騒ぎたてていたのだが・・・・・
427 株価【75】 エルティー ◆ElTiXXMIXI :2007/10/30(火) 12:52:30 0 BE:711321247-PLT(45454) 株優プチ(whis)
tesu
428世界@名無史さん:2007/10/30(火) 19:06:27 0
↑?

スキタイが滅んでも、中央アジア方面のサカ(塞)はインド西部に進出して王国を築き、
「インド・スキタイ」となった。のち西方のインド・パルティア王国に征服される。
ソグド人もスキタイに入れていいのか分からないが、長くソグディアナを中心に活躍した。
宗教的にはゾロアスター教に東方キリスト教、マニ教に大乗仏教と混交的。
イスラームも受容したが、イランに広まったシーア派は神秘主義的。

…なんだかテュルク諸族やモンゴル(ムガール)も同じような盛衰をしているなあ。
チベット密教もいろいろ混交しまくりだしな。
429世界@名無史さん:2007/10/30(火) 20:35:41 0
>>428
唐代のソグド人は、アケメネス朝時代のそれらの子孫だったのだろうか?
パルチアの場合と同様に、スキタイ系が主体となっていたのかもしれない。
430世界@名無史さん:2007/10/31(水) 13:01:39 0
>>2
>アミニズム

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アニミズムだってのwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
431世界@名無史さん:2007/10/31(水) 18:54:06 0
グジャラートはカザールに変化していったというが、だとすればスキタイを祖先に持つことになるな。
432世界@名無史さん:2007/10/31(水) 20:11:09 0
グジャラート=カザール、すなわち、康居+匈奴=エフタル=カザール

433世界@名無史さん:2007/10/31(水) 21:15:34 0
>>431,>>432
グジャラート州はインドのサカ(西クシャトラパ王国)の故地だが、
そこでハザール(カザール)が出てくるかー?
と、そこで検索してみたら…
ttp://blogs.yahoo.co.jp/manase8775/13324573.html
ttp://guti-rohjin.blog.drecom.jp/archive/96
こんなんが。ほんまいろんな説立てるこっちゃー。
434世界@名無史さん:2007/10/31(水) 22:09:08 0
インドのサカ + エフタル → ラージャスタン + グジャラート
435世界@名無史さん:2007/10/31(水) 23:20:43 0
>古代においてスキタイとケルトはほぼ互角のライバルであったと言えよう。
アッシリアを滅亡させペルシャに大きな脅威を与えていたスキタイの勢力と
ローマに容易に征服されたケルトの勢力では明かに大きな差がある。

436世界@名無史さん:2007/11/01(木) 00:36:12 0
>>435
スキタイが、アッシリアを滅亡させペルシャに大きな脅威を与えていた頃、
ケルト諸族は、欧州の大部分を占拠しており、ローマはまだ一都市国家に
過ぎなかった。
ケルト諸族がローマに征服されつつあった頃、東方においてスキタイ諸族は、
匈奴の圧迫により、インド、アフガン方面へと追い払われていた。
437世界@名無史さん:2007/11/01(木) 14:31:16 0
スキタイってサルマタイに圧迫されたときハンガリー平原あたりには逃げ込まなかったんですかね。
438世界@名無史さん:2007/11/01(木) 20:26:39 0
>>437
紀元前1世紀にダキアが台頭するまでは、パンノニア周辺はケルトの勢力下であったようだ。
王族スキタイらはケルトからパンノニアを奪う事が出来ず、クリミア半島に逃げ込まざるを
得なかったようだ。
439世界@名無史さん:2007/11/01(木) 21:03:55 0
クリミアってタタールの国家が18世紀まであったけど
遊牧民が住み着くには適した場所なんだろうか
440世界@名無史さん:2007/11/01(木) 21:16:56 0
アテアスの時代にスキタイはドナウ河畔まで勢力を伸ばした。
スキタイの勢力が中央ヨーロッパに侵攻してきたのをケルト系が撃退することはあっても
ケルトの勢力がスキタイに攻勢をかけ黒海北岸まで達することは無かった。
441世界@名無史さん:2007/11/01(木) 21:52:37 0
その頃のケルト人の軍隊って歩兵とチャリオットみたいな感じですか?
442世界@名無史さん:2007/11/01(木) 22:46:26 0
>>440
紀元前1世紀に、ゲルマンのキンブリ族の南進、その後ダキアが台頭するまでは、
パンノニア周辺はケルトの勢力下であったようだ。
黒海北岸のバスタルナエ族は、ケルト、あるいはゲルマンであったらしい。
443世界@名無史さん:2007/11/01(木) 23:10:59 0
>>440
紀元前2世紀末のゲルマンのキンブリ族の南進、その後のおいてダキアが
台頭するまでは、パンノニア周辺はケルトの勢力下であったようだ。
黒海北岸のバスタルナエ族は、ケルト、あるいはゲルマンであったらしい。


444世界@名無史さん:2007/11/01(木) 23:48:57 0
ラウジッツ文化がスキタイの侵攻で崩壊したし、
存在だけを言うなら黒海北岸は遊牧スキタイ以外にも農耕スキタイなどもいた。
様々な民族がいたことはいたが支配権は遊牧系スキタイが握っており
ケルト系が遊牧系スキタイを支配下に置いたということはない。
445世界@名無史さん:2007/11/02(金) 00:56:15 0
農耕スキタイやネウロイはプロトスラヴ。
446世界@名無史さん:2007/11/02(金) 01:36:33 0
史料出しながら話してよ。
世界地図に「スキタイ」「スラヴ」とか書きながらお話しているようにしか思えない。
447世界@名無史さん:2007/11/02(金) 01:40:13 0
ラウジッツ文化は、ケルトの文化なのか、それともスラブの文化なのだろうか?
確かな事は、ラウジッツ文化崩壊後、かの地にゲルマンが拡大していった事だ。
448世界@名無史さん:2007/11/02(金) 02:23:45 0
>>447
昔は論争があったが、いまはラウジッツ文化をスラヴの文化とする説はない。
原スラヴの西方群ではないかという説が有力となってきているのはその後のプシェヴォルスク文化だね。

ラウジッツ文化はケルトでもなく、イリュリア人ではなかろうか。アルバニア人の先祖。
449世界@名無史さん:2007/11/02(金) 02:51:46 0
>>448
ラウジッツ文化人は、隣接していたダキア人に近縁と言う事になりますな。
イリュリア人は、ケルト人とトラキア人のいずれに近縁なのであろうか?
ハルシュタット文化圏には、イリュリア人とケルト人の分布域が、ともに
含まれているようなのであるが。
450世界@名無史さん:2007/11/02(金) 08:13:15 0
馬が戦車でなくまたげるほど大きくなったのは人工的なもんなのかな?
いつごろの発明?
451世界@名無史さん:2007/11/02(金) 08:14:13 0
馬が戦車でなく、跨がれるほど大きくなったんはいつのことかしら?
時期は特定できてるのかな?
また、それは人工的にできたもの?
452世界@名無史さん:2007/11/03(土) 14:22:04 0
ちょっと多摩行ってモウコノウマ見て来い
(絶滅寸前の最古の野生馬の生き残り)
サラブレッドよりは小さいってだけで、十分でけえから
453世界@名無史さん:2007/11/03(土) 15:44:58 0
黒海周辺にスキタイが住んでいたわけだが、
航海つうか貿易関係は地元商人やギリシア人が担っていたのだろうか。
スキタイの賢者アナカルシスはアテナイでも有名で、いろいろな道具を発明したとか、
アポロン神官のアバリスが神の矢に乗って世界を飛び回ったなんて伝承もあるらしい。
ギリシアとスキタイのつながりはどの程度だったのか。
454世界@名無史さん:2007/11/03(土) 19:29:19 0
たしかヘロドトスによるとスキタイはヘラクレスとエキドナの子孫だったか
455世界@名無史さん:2007/11/03(土) 19:36:20 0
あれは単なる印欧語族の創造神話のバリエーション
456世界@名無史さん:2007/11/04(日) 18:32:03 0
スキタイの主神は竈と獣を支配しているとされるタビティという女神で、
ギリシャ神話とは明かに系統が異なる
457世界@名無史さん:2007/11/05(月) 00:01:05 0
そのあたりは黒海沿岸の先住民信仰と混淆したんだろうな
458世界@名無史さん:2007/11/05(月) 01:03:55 0
「スキタイのアレス」が現地語でどう呼ばれていたかはもう分からないのかな?
459世界@名無史さん:2007/11/08(木) 00:05:20 0
ネタがないな……タビティとヘスティアは似てなくも…ないか。
スキタイの祖先はタルギタオスだっけ? 子供が三人いて、『黄金の神器』を受け取れた末子が王位を相続したという。
黄金文化が盛んらしいな、遊牧民は大体そうか。アルタイの意味も黄金だし。
460世界@名無史さん:2007/11/08(木) 10:00:49 0
>子供が三人いて

デュメジルのいう戦士・僧侶・農民を象徴するとかいうアレか
461世界@名無史さん:2007/11/08(木) 18:06:57 0
オセット人にはその神話が受け継がれている。

スラヴ?そんな神話聞いたことねえよw
462世界@名無史さん:2007/11/09(金) 09:08:37 0
ルーマニアのドブルジャは、ローマ時代は属州スキティアだったそうだ。
463世界@名無史さん:2007/11/09(金) 12:55:28 0
スキタイやサルマートが王族の滅亡後にプロトスラブ人の中に定住して、現在のスラブ人になった。
464世界@名無史さん:2007/11/09(金) 20:16:15 0
モンゴルで強い部族が草原を支配し弱い部族が森に追いやられていた、
黒海北岸の草原地帯は争奪戦が繰り広げられている。
スキタイに追いやられたキンメリアはアナトリアだけでなくバルト沿岸にも逃げ込み
ゲルマン人の形成の一旦を担った可能性はないのだろうか。

465世界@名無史さん:2007/11/09(金) 20:57:27 0
>>462
後世にもタタール人の遊牧地になってたようだね。
466世界@名無史さん:2007/11/11(日) 02:28:45 0
トラクスage
467世界@名無史さん:2007/11/15(木) 23:44:04 0
サルマートやオセットもここでいいのかな?ネタもないし
468世界@名無史さん:2007/11/26(月) 00:29:39 0
オセチアの女のこの写真。この顔が純粋なスキタイの顔なんだろうか?
http://ossetians.com/pictures/RYO_youth.jpg
469世界@名無史さん:2007/11/26(月) 00:57:23 0
>>468
「純粋な民族」なんているかよ。
470世界@名無史さん:2007/12/06(木) 00:23:28 0
スラブ=スキタイ説を唱えている人がいるがありえないと思うぞ。
遊牧民は基本的に草原を傷つけたり、土地を掘り起こすことを嫌いまた先祖の墓を暴いたりすることもなかった。
16世紀にロシア人がウラルを越えてからは、スキタイや匈奴の古墳に埋蔵されている財宝目当てに組織的に数百人を引き連れて盗掘にでかけ、金銀製品を掘り出しては溶かして市場に売り払っていたという。
明らかにロシア人の土地に対する考え方は根本的に遊牧民族のものとは違う。
471世界@名無史さん:2007/12/06(木) 23:33:17 0
7世紀以前にスラブ人の影が存在しない問題についてだが、
スキタイがイラン語系でスラブ人に成りえないとすれば、スラブ人の可能性のある農耕スキタイや農民スキタイの言語についてヘロドトスや他の資料で確認できないのだろうか?
同じスキタイで言語が違うというのも変な話だが。
472世界@名無史さん:2007/12/07(金) 06:33:24 0
>>471
「スキタイ」ってまとまりの中で多数の民族が生活していたんだろ。
たとえばモンゴルウルスの中には、騎馬民族だけでもモンゴル、トルコ、ウイグル、女真等々の
語族がいた。
473世界@名無史さん:2007/12/08(土) 00:05:02 0
ギリシャとペルシャでスキタイの分類の仕方が異なるので一括りにはできないのだろうな。
474世界@名無史さん:2007/12/08(土) 00:33:45 0
>>470
スラブはスキタイじゃなくてスキタイの直系の末裔だぞ。

475世界@名無史さん:2007/12/08(土) 13:59:15 0
>>470
ウラル以東の遺跡ってパジリクとか?
476世界@名無史さん:2007/12/14(金) 20:44:09 O
直系の末裔って何よ?
コサック騎兵とか?w
477世界@名無史さん:2007/12/15(土) 19:29:03 0
ウィキペディアにスラブ人の部族の一覧がのってるよ。
478世界@名無史さん:2007/12/21(金) 02:43:50 O
>>472
スキタイもむしろ地理的な概念なのかもしれないな。
479世界@名無史さん:2007/12/21(金) 11:05:05 0
ウェネティー人みたいに、後になっていくつかの語派に分裂したなんてことは?
480名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 21:02:45 0
ようするにさースキタイ人がコーカソイドかモンゴロイドかはっきり結論出せや
そうすればスッキリする
481世界@名無史さん:2007/12/21(金) 23:12:39 0
>480
そりゃフンの話か?

スキタイがモンゴロイドなんて話聞いたことないが?
482名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 00:05:41 0
>>481
俺もそう思っていたけど上の方の書き込みがごちゃごちゃと言い合いしてるからせめて人種についてはハッキリと断定しようと思ったんです。
483世界@名無史さん:2007/12/22(土) 01:31:24 0
黄河の河口に欧州人がいた
2500年前 DNA分析で判明

 DNAレベルで弥生人の骨などの分析を続けてきた東大大学院理学研究科の植田信太郎助教授らが、黄河の河口に近い
山東省ツーポー市で実施した調査で、同地域に二千五百年前、欧州人ともいえる集団が住んでいたことが分かった。当
時、予想外に大規模な人類集団の移動があったことを示しており、日本人やアジア人の起源を知るための手掛かりにも
なりそうだ。
 ツーポー市は、春秋から戦国時代にかけて戦国七雄の一つ「斉」の国の都があった場所。斉は秦の始皇帝に滅ぼされた。
 調査は、中国山東省考古学研究所の協力を得て同市で発掘された約二千五百年前の春秋時代の遺跡の人骨三十四体、同
じく約二千年前の漢時代の遺跡の人骨十三体、さらに現在住んでいる漢民族の人たちから血液を採取してDNAを分析し、
比較した。
 分析は、細胞の中にある小器官「ミトコンドリア」の環状DNAのうちDループと呼ばれる配列を調べた。この部分は六つ
の領域に分かれており、これまで世界各地の人類集団のデータが調べられているため、さまざまな比較ができる利点がある。
 配列の違いから系統樹を作った結果、二千五百年前の春秋時代の人たちと、現代漢民族のグループはきれいに分かれ、
二千年前の漢時代の人たちはその中間に位置した。
 さらに六つの領域に分かれている部分の出現頻度を詳しく調べると、これらの三集団で大きな差が見られ、特に、二千
五百年前の春秋時代から二千年前の漢時代の間に、遺伝的に大きな変化があったことが分かった。この変化は同じ人類集
団に五百年という期間で生じた突然変異では説明できないほど大きなもので、人類集団の入れ替わり(移動)があったこ
とを示していた。
484世界@名無史さん:2007/12/22(土) 01:31:58 0
 では、二千五百年前に住んでいた人たちはどんな人だったのか。植田助教授らは配列のデータから集団間の遺伝的距離
を求め、現代の各地の人類集団を含めた系統樹をつくった。
 すると、この人たちは、現代中国人からははるか遠く、現代ヨーロッパ人やトルコ集団に近い集団と判明。大きな動乱
の時代だった当時、ユーラシア大陸にまたがる大規模な集団の移動が生じていたらしいことが明らかになったという。
 植田助教授は「ヨーロッパ人に近い集団が、今から約二千五百年前に太平洋に近い中国の東部にいたことが分かった。
常識を覆す発見だった」と話している。
(中国新聞 平成13(2001)年7月15日朝刊29面より)
485世界@名無史さん:2007/12/22(土) 02:28:34 O
文献から白人であることがわかっている。
しかしスキタイ古墳は東部のトゥバやアルタイのほうが古い。
そんな地域に白人が?ってことになる。
486世界@名無史さん:2007/12/22(土) 04:49:02 0
だからさ、今現在の中国領土に欧州人と同じ人種がいたってことであって、
それを欧州人というのは間違いだよな。
欧州から移住してきた証拠などないのに。土着かもしれん。
487世界@名無史さん:2007/12/22(土) 04:50:15 0
むしろモンゴロイド=シナ人が遠方に拡大、侵略して
コーカソイドは滅んだと考えた方が正しいかもしれない。
488世界@名無史さん:2007/12/22(土) 15:59:04 0
電波乙
489世界@名無史さん:2007/12/23(日) 02:52:44 0
匈奴系 アルタイ系言語?を話すコーカソイド?の遊牧民
 
 匈奴、月氏(アシオイ)、康居(パシアノイ?)、烏孫、堅昆(半農半牧民)

トカラ系 非イラン系印欧語族でコーカソイドの遊牧民

 トハロイ

スキタイ系  イラン系コーカソイドの遊牧民

 サカロウライ、マッサゲタイ、ダアイ、アラン、サウロマタイ、スキタイ

チェルケス系 カフカス語族でコーカソイドの半農半牧民

 キンメリオス?、マイオタイ? 
490世界@名無史さん:2007/12/23(日) 07:50:14 0
現代ヨーロッパ人やトルコ集団ってのもえらい大雑把だな
491世界@名無史さん:2007/12/23(日) 08:36:42 0
492世界@名無史さん:2007/12/23(日) 10:29:51 0
>>488
何故。西方は昔のシナの領土じゃなかっただろ。
493世界@名無史さん:2007/12/25(火) 22:20:10 0
>>486
文献から古代エニセイ川にコーカソイドであると確認できる集団は堅昆(キルギス)だ。
しかも匈奴に服属していたという。
494世界@名無史さん:2007/12/26(水) 02:13:34 0
堅昆がいたとされるミヌシンスク盆地は、寒冷ながら肥沃な農地に恵まれるそうで、
この地からより温暖肥沃な黄河流域へ、農地を求めて進出した事はありえますな。
495世界@名無史さん:2007/12/27(木) 21:53:33 0
よく見る>>484のデータは2001年と意外と古いんだね。もっと最新の発見はないのかな。
496世界@名無史さん:2007/12/28(金) 12:10:18 0
>>495
昨年のだが。

Bennett, Casey C.
Kaestle, Frederika A.
Reanalysis of Eurasian Population History: Ancient DNA Evidence of Population Affinities
Human Biology - Volume 78, Number 4, August 2006, pp. 413-440
ttp://findarticles.com/p/articles/mi_qa3659/is_200608/ai_n17171074
497世界@名無史さん:2007/12/30(日) 21:55:15 0
>>496
平成13年となっているけど。
>>493
鮮卑の前身の東胡がコーカソイドだったという話は?
498世界@名無史さん:2008/01/09(水) 19:24:55 0
生粋の漢民族は蒙古斑が出ないらしいな。
古代中国はコーカソイドだったという話も嘘ではないかも。
499世界@名無史さん:2008/01/20(日) 22:45:48 0
>>497
>>496のどこが「平成13年」?
2006年じゃん。
500世界@名無史さん:2008/01/22(火) 14:31:05 0
>黄河の河口に欧州人がいた
何がなんでもコーカソイド=ヨーロッパ人と結びつけるのは若干強引な西欧優越主義かと
当事の大陸のコーカソイドの主流はソグド人やペルシャ人やスキタイ人で
ヨーロッパコーカソイドは西の端に縮こまっている程度の分際だった。
501世界@名無史さん:2008/01/22(火) 14:42:49 0
>>500
この図だとトルコ系と欧州系の中間よりややトルコ系に近いという感じだけど。
ttp://mbe.oxfordjournals.org/content/vol17/issue9/images/large/mbev-17-09-12-f03.jpeg
502世界@名無史さん:2008/01/23(水) 16:41:06 0
その図のなかにはペルシア人もスキタイ人もソグド人も入ってないじゃん。
503世界@名無史さん:2008/02/18(月) 12:33:21 0
スキタイは死者をミイラにして弔ってたんですよね?
504世界@名無史さん:2008/02/19(火) 01:07:10 0
スキタイは人種的に白じゃない気がする
505世界@名無史さん:2008/02/20(水) 19:14:06 0
スキタイは言語的にはイラン系だが、ヨーロッパ白人のように他の人種との雑婚を厭わず、
混血をどんどんしていったらしい。
506世界@名無史さん:2008/03/09(日) 08:12:29 0
>>500
>当事の大陸のコーカソイドの主流はソグド人やペルシャ人やスキタイ人で
>ヨーロッパコーカソイドは西の端に縮こまっている程度の分際・・・・
西の端に縮こまってって、当時の2500年前>>483には、ギリシア人が地中海沿岸を闊歩し、
ローマが勃興しつつあるのだが。その当時にソグド人?ペルシャ人以外のイラン系の
総称ですか?
507世界@名無史さん:2008/03/09(日) 10:33:40 0
紀元前五世紀においてペルシャやスキタイの勢力をローマやギリシャが勃興しつつあったとは言え上回っていたとは到底いい難いが。
508世界@名無史さん:2008/03/09(日) 12:26:09 0
>>505
スキタイ人はそれでとうとうスラヴ人に同化して消えてしまった。
後にサルマート人やヴァリャーグ・ヴァイキングがスラヴ化して消えたのと同じ。

スラヴ人が他民族を自分たちに同化させる力はものすごいものがある。
509世界@名無史さん:2008/03/09(日) 12:50:30 0
>>505
スキタイ人隆盛時と同時代ヨーロッパ白人人種が他人種との性的混交を
厭い忌避したというのは、何人のこと?管見には知らぬが、そもそも
男は生理的欲求から、女も身内より強力な男や先進的道具をもつ男には
惹かれ、むしろ進んで交雑するだろ。
510世界@名無史さん:2008/03/09(日) 13:14:52 0
>>509
スキタイ最盛期のヨーロッパはギリシャ人と東欧人のほかは文献に出てこないがどのヨーロッパ人の話?
511世界@名無史さん:2008/03/09(日) 13:38:39 0
スキタイのシンドイ族は、おそらくインドのシンド人とルーツが同じなのだろうな。
512世界@名無史さん:2008/03/21(金) 02:45:43 O
>>510
ケルト等のローマ以外を指しているのでは?
513世界@名無史さん:2008/03/27(木) 14:36:02 0
ヨーロッパの「白人」とやらも、ガンガン他人種と「混血」しているわけだが
514世界@名無史さん:2008/04/13(日) 15:09:39 0
中央アジアに行くとコーカソイドにしか見えない原住民っているよな。
あれってやはりスキタイやエフタルなど、遊牧民族の末裔なのだろうか?
515世界@名無史さん:2008/04/13(日) 16:32:30 O
>>508
For centuries it was belived that the Sarmatians were the ancestors of the Slavs・・・
Linguists and archaeologists have long dismissed this idea

from < The Sarmatians 600 BC - AD 450 > R.Brzezinski & M.Mielczarek

サルマティア人(アラン人)はフン人瓦解後、いくつかのグループに分かれカフカス山脈に残ったグ
ループを除いて殆んど西方ヨーロッパに移動した
最大のものはヴァンダル人、スエビ人と共に南仏〜スペインに移動したグループであるが、
416年ヴァンダル人により大打撃を受けた
516世界@名無史さん:2008/04/13(日) 16:48:50 0
>>508
スラブはもっと純粋な北方種族だ。

フンやゲルマンやサルマートが暴れまわっていた時代にベラルーシ南部・ウクライナ北部からポーランド西部にまたがる広大な湿地帯に住んで
そのおかげで戦乱に巻き込まれず平和に暮らしていた。
その暮らしは場所によって今でも見ることができる。

NHKの「世界里山紀行」という番組で紹介していた。
人間の知恵と自然環境が調和したそれはそれはすばらしい楽園のような暮らしだったな。

スキタイとは関係あったかもしれんな。
ヘロドトスが「農耕スキタイ」とか「農民スキタイ」とか呼んでる、農業を営むスキタイ人はほぼまちがいなくスラブだ。

スラブはもともと清廉な森と湿原の民であって、サルマートのような糞臭い小汚い遊牧民とはちがう。
517匿名さん:2008/04/13(日) 20:55:42 0
新説発見という書き込みを発見
稲作の伝来についての新説発見
それによると、一万二千年前の氷河期に揚子江流域で、発育していた陸稲が徒歩にて、日本列島に伝来した。
その後、氷河期が終わり、取り残された日本人の祖先は、中国大陸に残された人が、チベット人になり、
沖縄諸島に残された人が、沖縄人となり、本州人が日本人となり、北海道以北がアイヌ人となった。・・・陸稲の伝来

紀元3000前に斉の国(山東半島)で稲作が始まった。紀元3000年〜2500年前に、殷王朝の末裔(孔子がこの一族とされる)
がこの地にやってきて、青銅器と一緒に、山東省文登市を出帆し日本に来た。・・・水稲の伝来その一

紀元2000年前に、匈奴の一族が、がこの地にやってきて、鉄器と一緒に、山東省文登市を出帆し日本に来た。
かれらは、金 日磾の末裔で、王莽(紀元前45年 - 紀元後23年:中国新朝の皇帝)の外戚となっていたが、
後漢が建設されると、敵対した一族に追われて、逃げ出したとされる。また一部は金閼智(きんあっち:
西暦AD65年8月4日生まれ-没年不詳:慶州金氏の始祖) となったとされる。・・・水稲の伝来その二

 注、水稲の伝来その一と水稲の伝来その二の稲は同じDNAの品種。従って、日本には稲のDNAは2品種しかない。
 注2、水稲の伝来その一と水稲の伝来その二の民族はいずれも長い弓を用いたらしい。

518匿名さん:2008/04/13(日) 21:07:02 0
補足
上の話はスキタイと関係がないと思う方に。
紀元3000年前に日本に来たのは、スキタイ(南ウクライナ周辺、特にクリミア在住)
 漢民族国家の夏を滅ぼしたのはスキタイ、殷を建国。
 その後殷は漢民族の周に滅ぼされる。
 殷王朝の末裔の一部は魯に逃れ、孔子の一族となる。
紀元2000年前に日本に来たのは、匈奴。
 アイヌ人は短い弓を使う民族=旧日本人。
 上記二者は長弓を用いる。
 その後の日本人=長弓を用いる。
519エルティー ◆ElTiXXMIXI :2008/04/14(月) 11:11:55 O BE:508086645-DIA(100123) 株優プチ(whis)
スキタイとトラキアが何故かかぶる…
520世界@名無史さん:2008/04/14(月) 23:30:36 0
>>516
スラブ人はもともとカルパティア山脈にいたんじゃなかったの?
521世界@名無史さん:2008/04/15(火) 00:00:44 0
>>520
誰がそんなことを言った?
ウクライナ・ベラルーシからポーランドにかけての大湿原帯で何千年も平和に住んでいた原住民だが。
後でゲルマン人が西から来て、ゴート人が北からやってきたが、それでもスラブは平和に暮らしていた。

スラブはヨーロッパの原住民なんだが。
ゲルマンこそヨーロッパの北の端に住んでいたくせに後からヨーロッパに広がったよそ者。

紀元前3世紀
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fa/Origins_300BC.png
522世界@名無史さん:2008/04/15(火) 08:33:28 0
>>521
プロイセン・バルト3国あたりと、ドン河上流域とヴォルガ中流域に挟まれたあたりが同じ色で塗ってあるのは不明って事か?

たしかモルドヴィンの先祖みたいな連中の名前が古代の文献にすでに言及されてたような
523世界@名無史さん:2008/04/15(火) 09:08:00 0
>>522
バルト海沿岸の地域はバルト語族が住んでいたが、当時スラヴ語族からどれだけ分化していたのかも、
具体的にどの地域にわたって住んでいたのかもよくわかってないからだと思うが
この地域は特定の文化名がないしな
ヴォルガ中流域は戦乱などで人の移動が多すぎてどの文化名で示すか決めれないんじゃないのか?
524世界@名無史さん:2008/04/15(火) 09:26:13 0
>ヴォルガ中流域は戦乱などで人の移動が多すぎて

南方のステップ地帯に比べればまだ平穏な地域かと思うが、たしかに史料は少ないだろうね。
525世界@名無史さん:2008/04/16(水) 21:33:14 0
場所から考えてスキタイはむしろウクライナ人の祖先になったと考えるのが自然。
526世界@名無史さん:2008/04/16(水) 21:42:22 0
527世界@名無史さん:2008/04/17(木) 12:21:33 0
>>525
ペンコヴァ(Penkova)文化というスラブ文化がスラブ人にスキタイ人が同化したステップ文化のスラブ人
プラハ・コルチャック(Prague-Korchak)文化はより純粋なスラブ文化で西スラブ人
コロチノ(Colochino)文化は東スラブ人
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/47/Origins_500A.png
528世界@名無史さん:2008/04/17(木) 12:45:16 0
ドイツで発掘された、古代スラブ民族の鐙のバックル
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Slavic_fibula_Crypta_Balbi.jpg

スキタイ文化(馬の文化)とスラブ文化(文様の文化)の両方が見られる
529世界@名無史さん:2008/04/17(木) 19:55:44 0
タイスキを食ってたらしいね
530世界@名無史さん:2008/04/24(木) 19:57:30 0
スキタイは東インド・イラン語を話していたらしい。
となると現在でその系統にあたる地域といえばタジクあたりになるのかな?
古代の活動地域とかなり違うみたいだ…。
531世界@名無史さん:2008/04/24(木) 20:16:38 0
北コーカサスのオセチア人もその系統ですね。
532世界@名無史さん:2008/04/24(木) 20:58:17 O
オセチアがアランの末裔らしい。
533世界@名無史さん:2008/04/24(木) 21:05:11 0
言語学上はスラヴ語にインド・イラン系の訛りがあるといわれる
サンスクリットやペルシアに近い
スラヴ語はゲルマン語・バルト語と並んでヨーロッパの北方言だが、
スラヴ語の「神」は古いペルシア語の「神」と同じく「ボーグ」
スキタイがイラン語系だとはっきりすればスラヴがスキタイの子孫の最有力候補
534世界@名無史さん:2008/04/25(金) 08:04:34 0
>>533
スラヴ人を東イラン系遊牧民の直系としなくても
まだそうした古い語彙を保っていた東イラン系遊牧民と
スラヴ人の祖先の接触によって、文化要素だけが
伝播したという可能性もあるのでは?
535世界@名無史さん:2008/04/25(金) 08:07:44 0
現在のスラヴ系諸語にはトルコやタタールの語彙がけっこう残っているけど
揶揄的な意味以外でそうしたスラヴ系諸民族をトルコやタタールの子孫とは言わない
536世界@名無史さん:2008/04/25(金) 12:44:57 0
>>534
だとするとそういった語彙は接触地域一帯でしか広まらないが、実際はあの広大なスラブ人地域全体で使われているぞ。
スキタイの文化だけじゃなく、スキタイ人そのものがスラブに同化したと考えるほうが自然だな。
537世界@名無史さん:2008/04/25(金) 14:19:17 0
>>536
現在の地図で見たらたしかに広大に見えるだろうけど
分布域が今のように拡大したのはもっと後の時代では?
今の地名でいうとモスクワもソフィアもベオグラードも
スラヴ人の土地になったのは中世のこと。
538世界@名無史さん:2008/04/25(金) 16:10:14 0
539世界@名無史さん:2008/04/25(金) 16:12:45 0
>>537
まちがえた>>538は紀元後200年だった

ただしくは、これ
紀元前
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fa/Origins_300BC.png

だから紀元前は紀元前でスラヴ人だいぶ広い範囲に住んでいて、その後西からのゲルマン人の進出で一旦圧迫されて、
中世にまた広がったって感じだな
540世界@名無史さん:2008/04/25(金) 16:19:24 0
中世のこの地域はほとんど全部スラヴで、文化圏がいくつかに分かれている
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Origins_700.png

ここのスラヴ文化のうちPENOVOというのが昔のスキタイとスラヴのハイブリッド文化の疑いがあるな
PENKOVOはアント人だからスラヴだ
騎馬スラヴだろ
541世界@名無史さん:2008/04/26(土) 09:17:26 0
>>539
スキタイ人と隣接してある程度まとまった地域に住んでいる。
スキタイ人が丸ごと同化しなくても文化要素の伝播は可能ではないでしょうか。

そしてスキタイ人とは森林地帯と草原地帯で生活圏が分かれているように見える。

スキタイ人の中で、遊牧生活を送っていたような連中の大部分は
のちにやってきたサルマタイ等に吸収され、その子孫がさらに
フン族等に吸収され・・・という形で黒海北岸に血を残していった
のではないでしょうか。

>>540
アントがスラヴ化した東イラン系というのは自分も何かで読んだことがあります。
となれば現在のブルガリアやマケドニアのスラヴ人はある意味
スキタイの子孫ということになりますね。
542世界@名無史さん:2008/04/27(日) 03:10:22 0
外国語板のこのスレではスラヴ語をイラン語やサンスクリット語と比較してるな
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/974689864/

サテム訛りということか
だがもともとスラヴ語はケントゥム訛りで、イラン系との何らかの形の接触でサテム訛りを使うようになったって聞いたことがある
現在のスラヴはやっぱりイラン系のスキタイあたりとヨーロッパ系の原スラヴとの混血じゃないの?
543匿名さん:2008/05/10(土) 00:51:13 0
日本人の骨格となるべき種族が、日本列島に到着したのは約一万八千年〜一万二千年前です。
この後本土人、アイヌ人、沖縄人に分かれたようです。
チベット人についても、同時期と思われますが、「チベット人は関係ない」という異説もあり詳細はまだ不明です。
その種族の特徴は混血の機会が少なかったアイヌ人に、本来の姿が残っていると考えられます。
この種族がヨーロッパ系の種族と分かれたのが、約七万年前と推定されています。
本土人はこの人種と渡来人の混血です。関東人(東人)は、約3000年〜2300年前に渡来したスキタイの末裔の特徴を残します。
関西人は2000年前に渡来した民族の特徴を残しています。
4万人程度の規模の匈奴系の中国人がそのころ日本に渡来していると推定します。
544匿名さん:2008/05/10(土) 01:06:11 0
スキタイの遺跡は朝鮮半島南部にもあるそうです。
スキタイは外敵により圧迫され、クリミア半島のごく狭い範囲に居住していたようです。
最終的には、ゴート族の侵入により滅んでます。
クリミアゴート族は近年別の地域に強制移住されたようで、クリミア半島には現在いないようです。
スキタイの一部はローマの傭兵になり、ブリテン島に派兵されたようです。
その数は五千人〜一万人規模だったとされています。
傭兵の期間満了になったスキタイ人ですが、故郷はその時すでになく、ブリテン島に住み着くようになりました。
現地のケルト人と習合するようになったようです。
そのスキタイの長となったのが、アーサー王だという説があるようです。
545世界@名無史さん:2008/05/10(土) 01:17:47 0
>スキタイの一部はローマの傭兵になり、ブリテン島に派兵されたようです。

それスキタイじゃなくてサルマタイ人のイアジュゲス族
546匿名さん:2008/05/10(土) 01:23:11 0
イギリス人には特徴的な戦闘方法があります。
多分それが祖先の名残でしょう。
それは軽装騎兵で、長弓を扱うということです。
これはスキタイのそれに一致します。
長弓を扱うための身体的特徴が、イギリス人にあります。
彼らは手が長いのです。それにより長弓の殺傷力を増します。
円卓の騎士の中でランスロット卿は重装騎兵と表現されています。
なおランスロットはフランス人です。
仏像に西域風という表現があります。
その仏像の特徴は腕が細くとても長いのです。
スキタイとサカは関係があると言われています。
サカと釈迦族は無関係という説もあります。
サカ=釈迦族という説もあるようです。
詳細をご存知の方は教えて下さい。
547世界@名無史さん:2008/05/10(土) 06:53:09 0
匿名さんが聞いた話をある結論を前提として並べただけにしか見えない。
それぞれの記述の肯定型が匿名さんの望む事実であるようにしか見えない。

えーと、
日本人はスキタイの末裔であり
イギリス人はスキタイの末裔であり
スキタイは釈迦であるから
日本人とイギリス人は釈迦の末裔である。

こんなウリジナルヒストリーの別バージョンみたいなの作ってどうしたいのだ。
何か言いたいならせめてソースを出してくれ。
548世界@名無史さん:2008/05/10(土) 09:01:54 0
>>544
クリミアのゴート語話者は15世紀までは旅行者の記録等から存在が伺えるようですが
おそらくスターリンの強制移住より大分以前にテュルク化している。
>>546
どこから突っ込んでいいのか分からないのでとりあえず弓矢スレに晒しときました。
549世界@名無史さん:2008/05/14(水) 21:50:40 O
日本人と朝鮮人はスキタイ人の末裔らしいよ。
550世界@名無史さん:2008/05/15(木) 17:21:17 O
あげ
551世界@名無史さん:2008/05/15(木) 18:22:06 0
精神世界で癒される第38章
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/healing/1210246310/

このスレのスレ主さんである単、直さんが、リアルのほうが忙しいので顔をなかなか出せないと言う事で、スレ主さんを下りられるそうです。

そこは、無国籍男女混浴風呂。どなたも、癒やされますよ。ひとっぷろ、どうですか?
いやしに尽いて、ひとこと いただけませんか?

↓ ここでは、さとりの語り手をつのっています。<(_ _)>

坐禅と見性第57章ろうそくの炎を吹き消せ
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/psy/1210832703/

なにかしらその意のあるところを語ってください。

宗教とは、インドにおける原意では、いかに生きるかと言う事。

坐禅と見性 第56章 名詞を剥ぎ取る、なんと呼ぶか
物質には、名詞があります。その名詞を剥ぎ取った時、これをなんと呼ぶか、と言う公案です。

また、片手の人が叩く拍手の音を聞いてこい。
ほかに、30メートル先のろうそくの炎を坐のままで、吹き消せ!
と言う公案に参禅しています。
カキコ、のほどよろしくおねがいします、m(__)m
552世界@名無史さん:2008/05/19(月) 00:41:15 0
吉田敦彦
553世界@名無史さん:2008/05/28(水) 08:59:13 O
日本人と朝鮮人はスキタイ人の末裔らしいよ。
スキタイ人↓
http://wpedia.mobile.goo.ne.jp/wiki/%83X%83L%83%5E%83C/
554世界@名無史さん:2008/05/29(木) 21:19:54 0
マジレスするとコーカサスのオセチアとかあのへんが末裔じゃなかったか
555世界@名無史さん:2008/05/30(金) 00:42:17 O
堂本剛、関暁夫、山田涼介、志田未来、長澤まさみ、石原さとみはスキタイ人。
556世界@名無史さん:2008/05/30(金) 00:53:00 O
新垣結衣も。
557世界@名無史さん:2008/05/30(金) 12:26:13 O
あげ
558世界@名無史さん:2008/05/31(土) 22:46:26 O
石原さとみは違った。
559世界@名無史さん:2008/05/31(土) 22:46:56 O
山田涼介も違った。
560世界@名無史さん:2008/05/31(土) 22:57:53 O
新垣結衣も違った。
561世界@名無史さん:2008/05/31(土) 23:20:57 0
【韓国】日本アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」の実写映画化決定 世界各国からオファー続々
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/26525/1204784207/
562世界@名無史さん:2008/06/01(日) 10:54:57 0
スキタイとスイトウーの違いは
563世界@名無史さん:2008/06/01(日) 21:17:48 O
あげ
564世界@名無史さん:2008/06/02(月) 15:20:03 O
あげ
565世界@名無史さん:2008/06/02(月) 17:10:37 0
>>554
ちがう
ウクライナ人を中心としたスラブ人
566世界@名無史さん:2008/06/03(火) 02:56:49 O
遊びに来てね!
http://mblg.tv/pikarin3810/
567世界@名無史さん:2008/06/03(火) 08:52:13 0
>>565
ヴェルナツキーのいうルフス=アスか
568世界@名無史さん:2008/06/05(木) 01:03:22 O
間違えました。山田涼介、石原さとみがスキタイです。
569世界@名無史さん:2008/06/19(木) 12:17:45 0
漫画のネタにスキタイを登場させようと思うんだが
人名が殆どわからん 誰か教えてチョ
332でも人名多少挙がってたけど あと神名
http://home.ix.netcom.com/~kiyoweap/myth/arms-weap/akinakes-j.htm
ここでゴイトシュロス、アルギンパサ、パパイオス、タギマタサス等神名が挙がってるが
ググってもここのサイトしかヒットしないし信用できる情報なのか
あと、スキタイの自称はなんと言ったのか ギリシャ語ではスキュティアと発音してたそうだが
レベルの高いスレにこんな浅学な質問するのはアレだが
570世界@名無史さん:2008/06/19(木) 12:20:35 0
スキュティアはそこの土地の名前で、その土地に住んでるのがスキュティア人(スキタイ=複数形)
571世界@名無史さん:2008/06/19(木) 12:52:23 0
Soldier of the Mistって古代ギリシャが舞台の小説に出てくるスキタイ人は
自分たちのことを「Scoloti(スコロタイ?)」と呼んでたな。
572世界@名無史さん:2008/06/24(火) 15:19:58 O
スコロッティ
573世界@名無史さん:2008/06/24(火) 19:27:43 0
オセット族のナルト神話の内容が書かれた書籍とかない?
エクスカリバーはスキタイのアレスが元ネタって説聞くけど
その元ネタ神話の内容知らんもんで

スキタイはヴィジュアル資料が心もとないな
ギリシャの壺絵とスキタイ金細工のスキタイの姿がだいぶ違う
金細工のスキタイ騎兵は襟が日本の着物の着方と逆になってる

あとサウロマタイって自称なんて名乗ってたんだろ
574世界@名無史さん:2008/06/24(火) 20:20:23 0
スキタイと、スカンディナヴィアやスコットランドはなんか関係あるんやろか
575世界@名無史さん:2008/06/24(火) 20:24:22 0
スキタイ神話はゲルマンやケルト、さらにはスラヴの神話よりもマイナー。
「歴史」の記述にスキタイ人は火と獣の守護者とされるタビティを
最高神として崇めていると書かれている程度。
クルガン(スキタイの遺跡)の壁画に騎士が神から
木の枝のようなものを授かる王権神授と思われる場面がある。
文字が無かった為にスキタイの信仰については他民族の記述か
彼等の遺跡から推測していくぐらいしか方法が無く、
ケルト神話に較べて難航しているように見える。
576世界@名無史さん:2008/06/25(水) 01:55:39 0
>オセット族のナルト神話の内容が書かれた書籍とかない?
>エクスカリバーはスキタイのアレスが元ネタって説聞くけど
>その元ネタ神話の内容知らんもんで

たぶん日本語の本なら「アーサー王伝説の起源 スキタイからキャメロットへ」
というモロな題名のが一番詳しいんじゃないか。

たしか巻末で吉田敦彦のナルト叙事詩についての解説も載ってた。
577世界@名無史さん:2008/06/25(水) 03:57:46 0
>576
d探してみる
578世界@名無史さん:2008/07/02(水) 18:02:47 0
>>575
クルガンはスキタイの遺跡とは限らず、原印欧語族の有力者の墳墓
579世界@名無史さん:2008/07/04(金) 19:43:46 0
スキタイの主神であるタビティはオセットのナルト神話とヘロドトスの「歴史」の双方に出てくるが、
オセットの神話では水凄の女神でヘロドトスの記述では火と獣の女神とかなり異なっている。
580世界@名無史さん:2008/07/05(土) 17:04:49 0
オセット族ってオセチア人のこと?
581世界@名無史さん:2008/07/05(土) 19:25:37 0
オセット人は山岳民族だから平原に住むスキタイとはあんま関係ないな
スキタイの末裔はウクライナ人を中心とした現在のスラブ人だろ
582世界@名無史さん:2008/07/05(土) 20:54:14 0
ウクライナ人自身はルーシ政権によってキリスト教徒化されており
スキタイの神話や習俗とは完全に断絶しており
その意味ではヘロドトスの頃よりは変質したとはいえ
スキタイの流れを汲む神話を保持しつづけてきたオセット人が
ウクライナ人より少なくともスキタイに近い
583世界@名無史さん:2008/07/05(土) 21:14:39 0
東スラヴ人もアラン人も東方正教を受容してるので(オセチアでは後にイスラムも入ったようだが)
もともとアラン人のほうが東イラン系の文化を色濃く残していたということじゃないの。
584世界@名無史さん:2008/07/09(水) 22:20:16 O
スキタイ人って、最初に馬に靴を履かせた戦闘きば民族という事でいいのかな?
字を持たなかっためタタール宜しくみんなきば民族をそうよんだ。

部族、一族構成は分かっていない。

ところでスキタイに治金を教えたのヒッタイトでいいの?
ヒッタイトとスキタイって同系民族?廃れたヒッタイトがスキタイにいったの?
585世界@名無史さん:2008/07/09(水) 23:50:36 0
騎馬民族としてはキンメリアやマッサゲタイの方が古いが(マッサゲタイはスキタイと近いとされている)
明確に国家を形成したことが明らかになっているのはスキタイが今のところ最初とされている。
今現在のところ騎馬はシベリア東部から蒙古高原や黒海北岸に伝播していったとする
東方起源説が有力で騎馬民族がスキタイ起源という西方起源説は少数派になっている。
586世界@名無史さん:2008/07/20(日) 23:30:50 0
>>569
その神名はヘロドトスだろ

>>573
『世界神話大事典』

587世界@名無史さん:2008/07/22(火) 00:44:42 0
2006年の初秋に、モンゴル山中でドイツ人を中心にした
研究者グループが、スキタイ人の遺跡を発見して(注:スキタイと
断定しているソースばかりです。)、
一大センセーションを巻き起こしたニュースは
日本では報じられていないみたいですね。
ドイツの大学が、
研究用にミイラを持って帰りましたが、
欧米ソースではたくさん見つかるので
スレにも紹介して
欲しいですね。
写真もたくさん紹介されていますよ。
588世界@名無史さん:2008/07/23(水) 12:28:28 0
>>582
オセット人はほんの一部が地元の山岳民族と混交したもの

大部分は東スラヴに吸収されウクライナ人となった

589世界@名無史さん:2008/07/23(水) 19:41:12 0
590世界@名無史さん:2008/07/23(水) 21:45:45 0
>>589
それは古代韓国人。
591世界@名無史さん:2008/07/23(水) 22:21:49 0
592世界@名無史さん:2008/07/24(木) 00:09:37 0
>>591
帽子を見たら一発で韓国人だってわかるだろ?
あんな帽子、日本人がかぶるかよ
593世界@名無史さん:2008/07/24(木) 21:53:02 0
近代韓国人が唾広の帽子たしかに被ってる、ペルー、チベット人も
だが古代韓国人が唾広の帽子被ってる土偶、壁画等で見た事ないな
三角帽、烏帽子風のは有るが。

一番肝心なのは韓国に「下げミズラ」の風習ないだろ、ユダヤ人ラビには有るが。
594世界@名無史さん:2008/07/25(金) 08:39:10 0
日本人はアーリア人種
穢いユダ公と一緒にするな
595世界@名無史さん:2008/07/25(金) 13:21:57 0
596世界@名無史さん:2008/08/01(金) 12:54:13 0
>>593
高句麗壁画にミズラがあるよ。
597世界@名無史さん:2008/08/08(金) 22:11:11 0
>>582
露鵬と白露山の兄弟は生粋のオセット人だからスキタイということか?

ウクライナ人のほうがスキタイっぽい外見をしてるけどな

598世界@名無史さん:2008/08/08(金) 22:18:19 0
スキタイっぽい外見とは?
599世界@名無史さん:2008/08/09(土) 00:08:55 0
>>598
長身痩身金髪碧眼。
600世界@名無史さん:2008/08/09(土) 03:41:56 0
>>598
博多民族。
601世界@名無史さん:2008/08/09(土) 03:57:26 0
で、オセチアを舞台にロシアとグルジアで戦争がおっぱじまったわけだが。
602世界@名無史さん:2008/08/09(土) 18:11:58 0
シベリアを征服して太平洋に到達したロシア人はアイヌ人の風貌がスキタイ人に見えたというが。
603世界@名無史さん:2008/08/09(土) 21:14:41 0
南オセチアの起源は、4世紀のフン族に追われた連中だろうか?
それとも、アッシリア時代のスキタイ南征以来なのだろうか?
604世界@名無史さん:2008/08/09(土) 22:11:52 0
フン族の侵攻以来ステップ地帯をチュルク系民族に占領され
モンゴル侵攻でさらに僻地へ追いやられた感じでは
605世界@名無史さん:2008/08/10(日) 00:03:41 0
>>602
ロシア人が想像するスキタイ人→黒っぽくて胴長短足で毛むくじゃら
我々が想像するスキタイ人→長身痩身金髪碧眼イケメン
606世界@名無史さん:2008/08/10(日) 00:04:36 0
カルムイク人をモンゴルに帰還させて、跡地に南オセチア人を移住させれば良さそうだな。
607世界@名無史さん:2008/08/10(日) 00:14:20 0
>>605
何で池面?
608世界@名無史さん:2008/08/10(日) 00:21:53 0
遺骨からすると、スラブ系される農民に比べて、遊牧民らは華奢だったらしい。
609世界@名無史さん:2008/08/10(日) 06:02:35 0
>>608
それ嘘
スラブが背が高く華奢で、スキタイは背が低くてズングリしたアジア的体型

610世界@名無史さん:2008/08/10(日) 06:03:20 0
>>606
じゃあ日本人も朝鮮半島に帰還させて、跡地に韓国人を。
611世界@名無史さん:2008/08/10(日) 13:11:43 0
>スラブが背が高く華奢で

だとすると農民向きではないな。騎馬民族は小柄なほうが良さそうなのは想像がつくが。
612世界@名無史さん:2008/08/10(日) 18:56:50 0
文化がちがーうの人?
613世界@名無史さん:2008/08/10(日) 20:43:21 0
>>611
古代スラヴ(ヘロドトスのいう農耕スキタイ、農民スキタイ、ネウロイ、etc.)は農民とはいえ、畑作と牧畜の両方が主体だろ?
牧畜なら背が高いほうがいいし、よく歩くから痩身

ネウロイあたりは人狼の習慣もあるな
運動量多いんじゃね?
614世界@名無史さん:2008/08/12(火) 09:02:34 0
ロシアの帝国的野心を封じ込めよ 〜ユリア・ティモシェンコ  ウクライナ元首相
http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/200705/tymoshenko.htm

スキタイ人ユリアたんの論文ハァハァ・・・
615世界@名無史さん:2008/08/13(水) 22:43:54 0
ペルシャの遺跡の壁画に描かれている騎射しているスキタイ人は細身に描かれているが。
616世界@名無史さん:2008/08/16(土) 21:11:22 O
サカがサッカー
617世界@名無史さん:2008/09/08(月) 19:08:18 O
琉球民族
618世界@名無史さん:2008/09/08(月) 20:21:57 0
相撲の大麻三人組は北オセチア出身のようだが、オセット人なのかな。
オセット人ならスキタイの末裔で(ここでは一応そういうことにして)、
スキタイはヘロドトス『歴史』巻4によると大麻サウナに入って
「上機嫌になって大声でうなり立てる」のが習慣だったそうだから、
これはこれで日本の相撲にもまさるほど古い伝統ともいえよう。
619世界@名無史さん:2008/09/08(月) 23:59:28 0
>大麻サウナ

麻の実を焼けた石に乗せるってアレか? 大麻吸引と同じ効果が得られるものなのか
620世界@名無史さん:2008/09/09(火) 00:31:57 0
「スキタイ騎馬遊牧国家の歴史と考古」読んでますが
色々見知らぬ事物が出てきますな。
ヘロドトスでスキタイ周辺民族として巨大木造都市
ゲロノスが出てくるけどそれと考えられる
ベリスク城砦集落址は400kmほど内陸にあって
40km2を土塁で囲んでいるという大遺跡。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E3%81%AE%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BA%BA%E5%8F%A3
では10万人という推定値書いてますな。どんな町だったやら。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gelonus
621世界@名無史さん:2008/09/09(火) 18:51:17 0
麻の実は七味唐辛子にも入っていて規制対象外だが、微量の麻薬成分は
入っているらしい。
日本で栽培されているのとは品種も違うだろうし、スキタイ人は麻の実を
焼けた石の上に置いて、煙でラリってたんじゃないかな。
(それとも麻の実じゃなくて葉とか? ヘロドトスの原文は知らないが)

いずれにしても大麻を使う理由はそれ以外にはないように思う。
622世界@名無史さん:2008/09/10(水) 01:30:51 0
激しい蒸気が出るからかと思っていたが
623世界@名無史さん:2008/09/10(水) 14:41:02 O
ヘロインでドロドロっす
624世界@名無史さん:2008/09/13(土) 03:20:56 0
初期モンゴロイドと言われてるよ。
要するにコーカソイドと分化した直後のモンゴロイド。

イラン人は現在コーカソイドだが、当時のそのあたりの文明の担い手は
もっとアジア人寄り。


625世界@名無史さん:2008/09/14(日) 15:19:20 0
イラン人とインド人は同じアリーア人だけどどの位さかのぼると同一民族になるわけ?
さらにヨーロッパ人との同一化は何年くらい前なんだろう?
626世界@名無史さん:2008/09/15(月) 12:15:46 0
>>620
もとはギリシャ人の殖民都市だったところに色々なスキタイ人(遊牧系、スラブ系)が集まってきたんだろ
627世界@名無史さん:2008/09/15(月) 12:17:11 0
>>625
その手の疑問に対しては(英語が読めるなら)この辺が説得力がある
http://webspace.ship.edu/cgboer/indoeuropean.html
628世界@名無史さん:2008/09/15(月) 12:18:33 0
ケントゥム語とサテム語の謎についても解明している
629世界@名無史さん:2008/10/06(月) 13:51:38 O
スキタイ人は何を食べていたんですか?
630世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:15:16 O
どうやって家畜を逃げないようにしてたんですか?
631世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:44:06 O
スキタイ人は短頭ですか?長頭ですか?
632世界@名無史さん:2008/10/06(月) 17:51:54 0
どんな頭してようが、スキタイ人が好きたい。
633世界@名無史さん:2008/10/07(火) 02:54:54 O
スキタイは自分達をなんと呼んでいたのですか?
634世界@名無史さん:2008/10/07(火) 11:00:04 0
彼ら自身が書き残した文献が存在しない以上、知りようがない。
635世界@名無史さん:2008/10/08(水) 14:16:45 O
長塔?短塔?
黄金人間(サカ)とかスキタイのシルエットってクランスマンに似てるやないですか!

636世界@名無史さん:2008/10/08(水) 19:42:52 0
モンゴル人の民族衣装は今でも帽子の先が尖がっているけど、サカとの関係はあるのかな?
モンゴル人自身がサカだったか、それともサカがモンゴルにもたらしたか。
637世界@名無史さん:2008/10/08(水) 19:57:21 O
サカって何?

あと、スキタイは武具をどうやって調達してましたか?
638世界@名無史さん:2008/10/08(水) 20:03:20 O
家畜以外はみんな他の民族から買ってたの?
639世界@名無史さん:2008/10/08(水) 20:26:35 0
>>636
中央アジア周辺の遊牧文化が東西に広がったから
640世界@名無史さん:2008/10/08(水) 20:46:12 O
三角頭巾サイコー
641世界@名無史さん:2008/10/08(水) 20:51:51 0
>>633
ゲルマンのゴート族とかフランク族のように部族単位だったのではないでしょうか。
おそらく、アッシリア人にアシュクザイと呼ばれた人々と、ギリシャ人にスキタイ
と呼ばれた人々は、同じイラン系の遊牧民だったのでしょうが、同じ部族そのもの
ではなかったと思われます。
642世界@名無史さん:2008/10/08(水) 20:52:49 0
643世界@名無史さん:2008/10/08(水) 23:29:36 0
>>641
ギリシャ人が、スキュティア地方(いまのウクライナ)に住んでた言語も習慣も違う数多くの部族を
まとめて「スキュティア人」=スキタイと呼んだんだろ?
644世界@名無史さん:2008/10/09(木) 00:19:43 0
王族スキタイ以外は、スラブ人やキンメリオス人とかも多く含まれるだろうな。
645世界@名無史さん:2008/10/09(木) 11:17:41 O
スキタイが飼っていた家畜の種類は?馬と羊だけ?
646世界@名無史さん:2008/10/09(木) 11:48:31 0
豚や家禽も
647世界@名無史さん:2008/10/09(木) 12:07:13 O
牛は?
648世界@名無史さん:2008/10/09(木) 14:39:24 0
牛は北のプリピャチ沼沢地が中心であそこまで行くとスキタイ人と呼ぶべきかスラブ人と呼ぶべきか
649世界@名無史さん:2008/10/09(木) 17:29:33 O
乳製品は食べていましたか?
650世界@名無史さん:2008/10/09(木) 21:07:26 0
ヘロドトスの歴史に食べてる話が書いてあったような
牧畜民が多かったから、当然食べてるでしょ
651世界@名無史さん:2008/10/12(日) 17:13:49 0
ここでの議論は不毛です。ドイツ語を習って、下記のサイトを読んでください。
2001年からの発掘の成果について説明があります。
スキタイ人はアルタイ山脈出身で、一人の戦士のミイラは金髪だそうです。
ドイツ、ロシア、ウクライナの共同研究です。

ttp://www.eurasischesmagazin.de/artikel/?artikelID=20070720
652世界@名無史さん:2008/10/12(日) 17:24:20 0
真っ黒でないかぎり、褐色の髪でも時間が経つと金髪になるよ
653世界@名無史さん:2008/10/12(日) 17:42:00 0
>> 褐色の髪でも時間が経つと金髪になるよ

ドイツのサイトに写真が載っているので、まずはご自分で見てください。
髪の色が時間の経過と共にどう変色するかは知りません。

ttp://www.tagesspiegel.de/medien/fotostrecken/cme15456,154187.html?SORT=PRIO
654世界@名無史さん:2008/10/14(火) 20:51:30 0
ageee
655世界@名無史さん:2008/10/14(火) 21:10:17 0
変色した色
おそらくもとは褐色
656世界@名無史さん:2008/10/15(水) 10:34:14 0
経年変色だね。
657世界@名無史さん:2008/10/15(水) 12:28:33 0
コーカソイドは髪が細いから髪の色素は落ちてしまう
658世界@名無史さん:2008/10/15(水) 13:26:54 0
地中海人種:面長・小柄・非常に高い鼻・黒髪〜茶髪
アルプス人種:丸顔・小柄・高い鼻・茶髪
ディナール人種:面長・大柄・高い鼻・茶髪
東ヨーロッパ人種:丸顔・大柄・平面顔・茶髪〜金髪
北方人種:面長・大柄・非常に高い鼻・金髪

黒色人種:面長・大柄・平面顔・黒髪
黄色人種:丸顔・小柄・平面顔・黒髪
659世界@名無史さん:2008/10/15(水) 15:54:14 O
堀北真希はスキタイ。
660世界@名無史さん:2008/10/15(水) 16:37:42 0
>>658
人類学の世界で全く相手にされていない1932年の本から
661世界@名無史さん:2008/10/15(水) 19:17:41 O
スキタイは麻薬を吸い、人間ハントを楽しんだ究極人類
662世界@名無史さん:2008/10/15(水) 19:49:06 0
その子孫がウクライナ人、と
663世界@名無史さん:2008/10/15(水) 21:09:54 0
スキタイ騎馬文化はアルタイ山脈付近で成立し西方に広がったという結論ですが。
率直な疑問として、東方に向かったグループはいなかったんですかね?

これが中国や日本の研究家の課題だと思います。
664世界@名無史さん:2008/10/15(水) 21:29:41 O
>>663
スキタイ、シュメール、ユダヤ、エジプトが混じり合いながら日本にたどりついた。
665世界@名無史さん:2008/10/15(水) 21:41:23 0
>>663
文化は伝播したが人が極東まで移動したわけじゃない
666世界@名無史さん:2008/10/16(木) 05:33:17 0
人の移動なしで、文化は伝播しません。
少数だが、人の移動があったと前提するのが合理的でしょう。
667世界@名無史さん:2008/10/16(木) 06:28:09 0
>>665
なるほど、リレーでバトンが移動していくようなものか。
668世界@名無史さん:2008/10/17(金) 15:13:04 O
あげ
669世界@名無史さん:2008/10/17(金) 17:13:13 0
馬具、乗馬技術、兵士の組織、武具、装飾品、墓等、
スキタイ騎馬文化は高度に発達した文化です。
バトンのように簡単に手渡しなどできません。
670世界@名無史さん:2008/10/17(金) 23:18:39 0
できるよ
だから東アジアにも西ヨーロッパにも騎馬文化が広がった
671世界@名無史さん:2008/10/20(月) 08:34:49 0
西ヨーロッパには騎馬文化は広がっていません。
ヨーロッパの唯一の騎馬民族はトラキアです。
ケルト人は戦車を使いました。
672世界@名無史さん:2008/10/20(月) 08:43:36 0
それはスキタイの時代
その時代は普通はどこも戦車
騎馬文化はその後西ヨーロッパに普及

673世界@名無史さん:2008/10/20(月) 21:20:57 0
西ヨーロッパに普及した騎馬文化は
スキタイ式の騎馬文化ではないという結論になります。

スキタイ式の騎馬文化とは馬の飼育を主とした移動性の高い遊牧生活です。

タキトゥスもゲルマンの主力兵力は歩兵だと言ってるでしょう!
674世界@名無史さん:2008/10/20(月) 21:30:03 0
騎馬による遊牧が伝わらなくても西欧はじめヨーロッパの騎馬の習慣は(間に誰か入るとしても)スキタイから延々伝わったものだろ。
675世界@名無史さん:2008/10/20(月) 21:36:32 O
堀北真希と宇多田ヒカルはスキタイ。
676世界@名無史さん:2008/10/20(月) 22:25:01 O
上地雄輔はスキタイ。
677世界@名無史さん:2008/10/20(月) 22:48:31 0
乗馬術と騎馬文化との違いが明快でないので、混乱します。

各地でのハミの発掘から、
乗馬の習慣自体はBC1300頃から、各地で始まりました。

ヨーロッパで確認できる最古の乗馬の記録はギリシャの
クセノフォンでBC600年頃です。

ギリシャ人はスキタイとの接触以前に乗馬を知っていたと考えるのが、
普通です。

678世界@名無史さん:2008/10/20(月) 23:15:37 0
バトン説に賛成。
679世界@名無史さん:2008/10/21(火) 01:11:56 O
スキタイは一夫一妻でしたか?
680世界@名無史さん:2008/10/21(火) 02:51:15 0
一夫一妻ではありません。一夫多妻です。子供と一緒に馬車で移動していました。
女性の地位に関しては、いろいろな説があります。

説 1
サルマチアの女性はもっと勇敢で、乗馬して戦闘にも参加し、
当然女性の地位もスキタイより高かった。
ttp://www.arte.tv/de/wissen-entdeckung/abenteuer-arte/Diese_20Woche/799038,CmC=803668.htm

説 2
スキタイの女性は殉死し、戦闘にも参加した。
http://www.stern.de/unterhaltung/ausstellungen/:K%F6nigsgr%E4ber-Skythen-Das-Gold-Barbaren/592487.html
681世界@名無史さん:2008/10/21(火) 03:06:13 0
ttp://www.dainst.org/index_596_de.html

上記の墓では、男一体と女一体が埋葬されていました。
やはり、女性にも正妻、妾とランクがあったようです。
682世界@名無史さん:2008/10/21(火) 07:00:24 0
>>677
いわゆる胡服騎射は、キンメリアが最古とされていますが、
投槍騎兵は、既に青銅器時代末期には存在していたようです。
フリギア人やドーリア人は、鉄製武器と騎兵により、戦車を主力としていた
ヒッタイトやミケナイを滅ぼしたそうです。
683世界@名無史さん:2008/10/21(火) 08:37:01 0
>>674
流行って人が移住しなくてもどんどん移っていきますからね
文化や知識とはそういうものです
684世界@名無史さん:2008/10/21(火) 12:50:24 0
>> 682さんが正しいです。
685世界@名無史さん:2008/10/21(火) 14:53:53 O
志田未来はスキタイ。
686世界@名無史さん:2008/10/21(火) 21:56:45 O
主食は羊乳でしたか?
687世界@名無史さん:2008/10/22(水) 04:53:09 0
Sie selbst essen gekochtes Fleisch, trinken Stutenmilch und
essen hippake, das ist Käse aus Stutenmilch.

と説明があります。 煮た肉と馬、ろばの乳です。

ttp://www.eurasischesmagazin.de/artikel/?artikelID=20040106
688世界@名無史さん:2008/10/30(木) 17:42:44 O
堀北真希、上地雄輔、宇多田ヒカルはスキタイ
689世界@名無史さん:2008/10/30(木) 20:26:44 0
>>687
なんでドイツ語なの?ドイツじゃ全く信用性がないじゃん
ドイツの考古学や歴史学は世界中から眉唾扱いされてるのに
690世界@名無史さん:2008/10/31(金) 09:30:42 0
>ドイツの考古学や歴史学は世界中から眉唾扱いされてるのに

古代はよく知らんが、中世だとキプチャク草原やルーシあたりを扱った本では
普通にドイツ語の文献がソースとして挙げられてたりするよ。

そういや故人で中央アジア史の安藤志朗先生も「ムイッズ・アル・アンサーブ」についての研究を
何でか知らんがドイツ語でベルリンの出版社から出してたな。
691世界@名無史さん:2008/10/31(金) 13:48:01 0
今手元にある雪嶋宏一「スキタイ 騎馬遊牧国家の歴史と考古」って本の参考文献をざっと見ると
多いのは英語とロシア語だね。その隙間にちらほらとフランス語やドイツ語の文献が挟まってる感じ。
692世界@名無史さん:2008/11/01(土) 00:43:08 0
雪嶋氏は早稲田大学の教授、図書館学が専門。
英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語に堪能。
693世界@名無史さん:2008/11/01(土) 01:15:46 0
>>689
wiki Scythiansの参考文献に

Jaedtke, Wolfgang. Steppenkind, Piper Verlag, Munich 2008.
This novel contains detailed descriptions of the life of
nomadic Scythians around 700 BC (German).
が乗ってますよ。689さんは英語もできないの?

>ドイツの考古学や歴史学は世界中から眉唾扱いされてるのに
完璧な妄想です。今は国際的な共同研究の時代です。

694世界@名無史さん:2008/11/01(土) 01:29:28 0
よく知らんけどウィキペ英語版って英語以外のソース出してもいいん?
695世界@名無史さん:2008/11/01(土) 01:31:39 0
というか出典が小説ってのもどうかと思うが。
>>691の本にはちゃんとした学術書(ドイツ語の)も挙がってるけど。
696世界@名無史さん:2008/11/01(土) 01:47:43 0
Wolfgang Jaedtke は音楽学の博士で、古代史は趣味だそうです。
一種の歴史小説でしょう。
697世界@名無史さん:2008/11/01(土) 02:22:49 0
スキタイ人ミイラが病理学で分析されているそうです。
ttp://jp.youtube.com/watch?v=0MEQeGK1Ltg

このミイラの髪はとても明るいですね!
698世界@名無史さん:2008/11/01(土) 03:14:56 0
ミイラの顔の復元です。ある程度想像も入っていると思いますが。
黒髪なら日本人にもいそうですね!

ttp://www.zdf.de/ZDFde/inhalt/12/0,1872,7226316,00.html?dr=1
699世界@名無史さん:2008/11/02(日) 20:13:33 O
紀元前2世紀のサカの言語は現代の何語に似ていますか?
700世界@名無史さん:2008/11/05(水) 01:59:50 O
ドラゴンの伝説を作ったのはスキタイではありませんか?
701世界@名無史さん:2008/11/05(水) 20:28:27 O
↑サルマタイの鯉のぼり(旗の一種でdoraco(prob.)といいます)からです。
(検索したら画像が有ると思います。)
この旗の形のトカゲに似ることからサウロマタイ(サルマタイ)と呼ばれたそうです。(サウルス→トカゲの意、ラテン語)
702世界@名無史さん:2008/11/06(木) 09:17:37 0
>>693
>This novel

ドイツも歴史をコリエイトか!w

703世界@名無史さん:2008/11/06(木) 09:19:33 0
ドイツにとってのスキタイが、韓国にとっての古代高句麗帝国や古代百済帝国に見えてきたw
704世界@名無史さん:2008/11/06(木) 10:46:57 0
>>701
サルマタイが、ギリシャ人側の呼び名であると言う事は、彼らの自称では
ないわけですな。彼ら自身は自らの事を何と称していたのだろうか?
アランであろうか?ヤジキとかロクソラン等部族単位であろうか?
705世界@名無史さん:2008/11/06(木) 11:12:44 0
スラヴじゃないか?
706世界@名無史さん:2008/11/06(木) 11:22:43 0
スキタイ人固有の2つのY染色体ハプログループR1a1とG2の両方を持っているのはスラヴ人だけ
707世界@名無史さん:2008/11/06(木) 11:25:12 0
サカってRome Total WarっていうゲームのMODにでてきたから気になってるんだけど、どんなやつらだったの?
あとサルマタイの吹流しがローマ軍に入り始めたのっていつごろなんでしょう
708世界@名無史さん:2008/11/06(木) 11:30:33 0
ギリシャ人がスキタイ人と呼んでたものが、イラン人がサカ人と呼んでいたもの
709世界@名無史さん:2008/11/06(木) 11:31:07 0
イラン人というか、ペルシャ人が
710世界@名無史さん:2008/11/06(木) 16:55:39 0
てことはサカ=スキタイってことですか
711世界@名無史さん:2008/11/06(木) 17:28:47 O
そうですね。
712世界@名無史さん:2008/11/07(金) 00:26:56 O
スキタイの服はどういったものでしたか?
713世界@名無史さん:2008/11/07(金) 02:32:16 0
猿股衣
714世界@名無史さん:2008/11/07(金) 07:33:41 0
スキタイは一つの民族じゃなくて、
スキュティアに住んでいたたくさんの民族の総称です
遊牧民族はそのうちの一つあるいは一部の複数の民族にすぎません

遊牧系はオセチア人をはじめとしたコーカサスの民族の先祖で、
遊牧系を含めスキュティアの住民(スキタイ人)の圧倒的大多数は
東ヨーロッパの森林地帯に進出してスラヴ人になったと考えるのが自然
スキタイ人→牧畜主体の習慣があった古代スラヴ人の南方群(ビザンチンと接触したアント人やスクラヴェン人)
715世界@名無史さん:2008/11/07(金) 08:27:16 0
アント人の人骨とスキタイ人の人骨は酷似しているので、アント人は、スラブ民族ではなく、
ゴート族やフン族に牧草地を追われて、農民化したスキタイ人だった可能性がある。
716世界@名無史さん:2008/11/07(金) 09:03:31 0
>>715
>アント人の人骨とスキタイ人の人骨は酷似しているので、アント人は、スラブ民族ではなく、

「アント人の人骨とスキタイ人の人骨が似ている」→「アント人はスラブ民族ではない」
という論法が全く理解できないんだが。
717世界@名無史さん:2008/11/07(金) 09:08:34 0
スキタイ人に特有の遺伝子マーカーであるY染色体ハプログループR1a1とG2
およびmtDNAハプログループN1aの全てを兼ね備えているのは、
現代の民族ではスラヴ人しかいません

遺伝的にはこれでもう全て明らかでしょう

スキタイの子孫がスラヴであることを否定しようと何を言おうが、それはすべて詭弁

718世界@名無史さん:2008/11/07(金) 09:26:45 0
>>716
アント人がオセチア語ような言語を話していた可能性もあるのでは?
719世界@名無史さん:2008/11/07(金) 09:53:04 0
イラン系であるオセチア−アラン系言語の人々は、mtDNAハプログループN1aを共通して持っていますが、
Y染色体ハプログループR1a1とG2は共通していません
よってオセチア人の母系はスキタイ人やスラヴ人と同じですが、父系はスキタイ人の直接の子孫ではありません

720世界@名無史さん:2008/11/07(金) 10:18:16 O
服は羊毛で作ってたんでしょうか。
721世界@名無史さん:2008/11/07(金) 10:46:47 0
>>714
>遊牧系を含めスキュティアの住民(スキタイ人)の圧倒的大多数は
東ヨーロッパの森林地帯に進出してスラヴ人になったと考えるのが自然
スキタイ人→牧畜主体の習慣があった古代スラヴ人の南方群(ビザンチンと接触したアント人やスクラヴェン人)


スラヴ人はもともと森林地帯が原郷で、遊牧民が怖くて長らく草原地帯に進出できなかったのでは?ウクライナ・コサックの進出までは、拉致された奴隷以外では、草原地帯にスラヴ人は居なかったのでは?
722世界@名無史さん:2008/11/07(金) 10:59:25 0
スキュティアのステップにいた、ヘロドトスの言う農耕スキタイ人や農民スキタイ人は
プロト・スラヴ人のうちの農耕民、ネウロイ人は農耕民あるいは狩猟民と見られています
前者は生活の糧が農業だけに数的には遊牧スキタイ人よりはるかに多かったでしょう
スラヴ人というのはこの時代より後に形成された民族です
遺伝的には遊牧スキタイ人もプロト・スラヴ人と見るのが自然です
723世界@名無史さん:2008/11/07(金) 11:03:52 0
スラヴ語やバルト語が言語的には欧州北方群に分類されるのに、
なぜイラン諸語やインド・アーリア諸語のような訛り(サテム音韻)を持っているのか
これは古代に北方群諸語の諸民族がサテム音韻を持つ東方の諸民族と
かなり深く接触した証拠です
大きな言語として定着したのは、混血したと考えるのが自然です
西アジア系プロト・スラヴ諸民族(遊牧のスキタイ人)と
ヨーロッパ系プロト・スラヴ諸民族(農耕・農民スキタイ人、ネウロイ人、その他未知の古代諸民族)
724世界@名無史さん:2008/11/07(金) 15:01:49 0
遊牧民は結局自分で働かなくなって最後は破滅して、
これまで自分たちが支配していたと思っていたが実は真面目に働いていた農耕民に吸収されるのが常
アリとキリギリス
725世界@名無史さん:2008/11/07(金) 16:36:06 0
>>717
あの ここはスキタイの板。
もしお暇であれば、スラブとスキタイという題で新しく板を!!
726世界@名無史さん:2008/11/07(金) 17:22:16 0
別に何も問題ないとおもうんだが
727世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:08:09 0
>>725
スラブじゃなくてスラヴ。
ブ、じゃなくて、ヴ。これ基本的な教養。
728世界@名無史さん:2008/11/07(金) 20:10:42 0
R1a1はノルウエーでも26.5%います。
スキタイ人がそこまで馬で駆けていったのですか?

スキタイ人とスラヴ人が共通の先祖を持っているだけ。
スキタイ人がスラヴ人に変身したのではないでしょう。

R1a1はスキタイ文化成立前に、ヨーロッパに広くクルガン文化と共に
広まったと考えるべきです。



729世界@名無史さん:2008/11/07(金) 20:52:26 0
G2は農業を携えてアナトリアから世界じゅうに広まります。
スキタイ人とスラヴ人に特有ではありません。

アルタイ山脈のスキタイ人の遺物を見ると、
スキタイ人は農業やってませんね!

しかしインド産の品が確認されました。
730世界@名無史さん:2008/11/07(金) 21:16:36 0
ttp://terra-x.zdf.de/ZDFde/inhalt/10/0,1872,7226506,00.html?dr=1
の 右側のvideo die Rueckkher...
を見てください。最初考古学の宣伝でが、そのあとスイタイ人の墓です。
ドイツ人、ロシア人が仲良く共同研究してますよ!!
731世界@名無史さん:2008/11/07(金) 23:03:15 0
キンメリア → アルメニア
スキタイ&サウロマタイ → ウクライナ&ルーマニア
サカ&マッサゲタイ → シースタン&ラジプート
アラン → オセチア
エフタル → フンザ
732世界@名無史さん:2008/11/07(金) 23:11:59 0
スイタイ人とはひどいなまえですね
733世界@名無史さん:2008/11/07(金) 23:30:42 0
揚げ足取りしか出来ないんでしょう?
貴重な時間を使って、教えてあげてるのですよ!
少しは感謝しなさい!!
734世界@名無史さん:2008/11/08(土) 00:03:18 0
>> 720
羊毛以外の動物の毛も使ったそうです。
735世界@名無史さん:2008/11/08(土) 00:27:53 0
スキタイ人はR1a1とG2、そしてN1a、この全てのハプログループを兼ね備えています
スラヴ人はR1a1とG2、そしてN1a、この全てのハプログループを兼ね備えています
そして他のどの民族もこの条件を満たしていません

これでもう全てが明らかでしょう
スキタイ人がスラヴ人に直接変質したのです

否定しようといろいろ捏ねても無駄です


>>733
あなたは間違った知識を広げようとしているので、学問に対する冒涜
あなたは罪人です
あなたのようなイデオローグが長年かけて撒いたデマのためにどれだけ学問が捻じ曲げられたか、
非常に迷惑ですので自重してください
736世界@名無史さん:2008/11/08(土) 00:31:23 0
古代プロト・スラヴ人=スキタイ人
スキタイ人の栄光は、スラヴ人の栄光へ繋がる系譜
他のどの民族にも邪魔をさせないことが可能になったのは遺伝子解析法が確立したおかげ
737世界@名無史さん:2008/11/08(土) 04:44:00 0
>>スラヴ人の栄光
だれも反論していませんよ!

しかし、質問

一人のスラヴ人がR1a1とG2の二つのy遺伝子を持っていたということ?

スラヴ人社会には、R1a1の男とG2の男がいたということ?
もしそうならプロト・スラヴ人は幻!

スラヴ人社会はプロト・クルガン人とプロト・アナトリア人から成り立つ
ということになります。

738世界@名無史さん:2008/11/08(土) 06:05:03 0
>> スラヴ語やバルト語が言語的には欧州北方群に分類されるのに、

現在スラヴ語やバルト語が欧州の北方で話されているというだけ、
もとは 南ロシアで話されていた。

>>なぜイラン諸語やインド・アーリア諸語のような訛り(サテム音韻)を持っているのか
スラヴ祖語を話していた人々がまだ南ロシアに居たとき、
インド・アーリア諸語と隣り合わせていた。
実際Ra1は西と東に別れています。

>>これは古代に北方群諸語の諸民族
だれのことですか? 
北方の民族は恐らく、インド・ヨーロッパ語族ではなかった。
ドイツ語で漁労等を表す単語はインド・ヨーロッパ語起源ではありません。
739世界@名無史さん:2008/11/08(土) 07:00:55 0
>スラヴ人社会はプロト・クルガン人とプロト・アナトリア人から成り立つ
ということになります。

プロト・クルガン人なんて用語は無いのですが?
クルガン文化であり、これが印欧語族のルーツにあたることはギンブタスの説です
そしてこれはR1a1で特徴づけられます
南ウクライナからアナトリアにかけてはキンメリア人が住んでいて、スキタイに征服されています
これはG1で特徴づけられます
スラヴ人はR1a1の割合がヨーロッパで最も多く、どのスラヴ民族もそれぞれ50%前後がR1a1です
(ゲルマン民族は25%程度、西欧ではスペインやポルトガルなど、ほとんどR1a1のない民族もいます)
それにごく少々のG1が加わります

つまりこれはキンメリアを征服して少数のキンメリア人を吸収同化したスキタイの特徴を現しています
トルコ人やグルジア人もR1a1とG1を持ちますが、これらは他のハプロタイプのほうが大量に混じっています
よってトルコ人やグルジア人の父系のほとんどはスキタイ人ではありません
スキタイからの血統をよく守っているのはスラヴ人です
ただしロシア人はフィンランド人など北方の非印欧語族を特徴づけるハプロタイプQやNを大量に持っています
クルガン文化を特徴づけるR1a1の割合が特に多い民族はウクライナ人とポーランド人です
740世界@名無史さん:2008/11/08(土) 07:08:27 0
>スラヴ祖語を話していた人々がまだ南ロシアに居たとき、インド・アーリア諸語と隣り合わせていた。

スラヴ祖語を話していた人々=キンメリア?
741世界@名無史さん:2008/11/08(土) 07:26:10 0
>現在スラヴ語やバルト語が欧州の北方で話されているというだけ、
もとは 南ロシアで話されていた。

スラヴ語を話す人々の紀元前数世紀の先祖の痕跡は今のベラルーシのプリピャチ沼沢地を中心に、
西はポーランド西部、南はウクライナ北部、東はコーカサスの西方、北はモスクワ南方に広がっています
プロト・スラヴ人のうち定住型の農耕をやっていた人々の範囲です
彼らは後のゲルマン民族と同じ系統の人々で、印欧語族のケントゥム語を話していたとされます
このうちウクライナやその東、つまりスキュティアに住んでいた人々が農業をするスキタイ人です
ここに混住していたのが遊牧をするスキタイ人(サカ人)で、サルマート人との比較から
彼らはイラン系で、印欧語族のサテム語を話していたと考えるのが自然です
スキタイ人は滅亡して集団としては消滅しますが、こういう広い範囲に住んでいた人間がそうそう皆殺しになるわけはなく、
実際は敗北により強大な統一勢力を失って、定住する農耕民に吸収同化されたと考えるのがごくごく自然です
これがプロト・スラヴ人です
言語的には印欧語族のケントゥム語からサテム語への変化が起きます
北では森林の採集文化、農業に適したところでは穀物栽培と牧畜の文化、騎馬文化は南部から広がります
統一した軍事的勢力を失ったためかえってゴート人などの侵入者とは大きな軋轢を生むことがなく、
スラヴ民族やバルト民族としての文化の同質化が静かに進みます
スラヴ民族とバルト民族がゲルマン語に近く印欧語族の北方群なのに音声的にはインド・イラン諸語などのサテムの訛りがあるのは、
このケントゥムとサテムの2つの訛りの同化が起きたからだと考えるのが自然です

Y染色体とmtDNAのハプログループの状況はこれをまざまざ支持しています
742世界@名無史さん:2008/11/08(土) 07:30:54 0
>だれのことですか?

「印欧語族の」北方方言です(Northern Dialects)
現在のスラヴ語、バルト語、ゲルマン語ですね
この3つだけに限定される共通の祖語があり、
その前の時代にこの北方方言祖語が他の印欧語族と分化したのは万人が認めています
言語学の本の系統樹で表記されているのは、このことです
743世界@名無史さん:2008/11/08(土) 11:01:16 0
>スラヴ人社会はプロト・クルガン人とプロト・アナトリア人から成り立つということになります。

プロト・クルガン人=印欧語族   プロト・アナトリア人=トリポリエ文化人?
744世界@名無史さん:2008/11/08(土) 11:36:59 0
プロト・クルガン人なんてないよw
クルガン文化の担い手をクルガン人と呼ぶならまだ意味は解るが
クルガン文化はスキタイよりも2000-6000年前
ギンブタスのクルガンモデルによると、これがプロト印欧語族
YハプロタイプR1a1

ククテニ・トリポリエ文化もスキタイより2000-5000年も前
これはウクライナからルーマニアが中心であり、アナトリア=小アジアではない
アナトリアの農業は紀元前80世紀から始まっている
アナトリア文化=プロト・トリポリエ文化とは言える可能性があるが、
プロト・アナトリアなどと言うことはできない
745世界@名無史さん:2008/11/08(土) 11:54:58 0
>>741
サテム語は東、ケントゥム語は西ではないのですか?
もともとサテム語とケントゥム語は互いに全く違う人種から出てきたのではないですか?
サテム人種とケントゥム人種では?

746世界@名無史さん:2008/11/08(土) 13:05:05 0
それではサテム語の東方である中国のトカラ語派を説明するのに無理が出る

現在では、もともと印欧語はケントゥム語で、
ある時期にサテム語の訛りが古い時代にカスピ海北岸周辺で発生し、
それが徐々に東西に広がっていったとされる

その流行が西に行き着いた先がバルト語とスラヴ語で、この2つはサテム化(Satemization)が不完全
さらにスラヴ語のサテム化はバルト語ほど進んでいない

サテム化は東のトカラ語派には届かなかった
トカラ語派が知られるまでは西がケントゥム語で東がサテム語だとされていた
747世界@名無史さん:2008/11/08(土) 14:25:06 0
>>「印欧語族の」北方方言です(Northern Dialects)
>>現在のスラヴ語、バルト語、ゲルマン語ですね

北方方言は1883年にOtto SchraderがLachs議論の際に
提唱した。

gray/atkinsonの研究結果でもスラヴ語とゲルマン語は
遠く離れた言語。
スラヴ語と西印欧語は6500年前に分かれた。
748世界@名無史さん:2008/11/08(土) 14:29:58 0
>> これがプロト印欧語族 YハプロタイプR1a1

だからヨーロッパに広く広がっている。
スキタイ人とスラヴ人を繋げる決定的な要因にはならない。
749世界@名無史さん:2008/11/08(土) 15:30:49 0
>>プロト・スラヴ人のうち定住型の農耕をやっていた人々の範囲です
>>彼らは後のゲルマン民族と同じ系統の人々で、印欧語族のケントゥム語を話していたとされます

ゲルマン民族のYハプロタイプはI, R1a, R1b
同じ系統とするには無理がある。
750世界@名無史さん:2008/11/08(土) 18:25:15 0
>gray/atkinsonの研究結果でもスラヴ語とゲルマン語は
>遠く離れた言語。
>スラヴ語と西印欧語は6500年前に分かれた。

というより、6500年前から5500年前にかけての(言語学的に)短い期間に
西欧祖語バルト・スラヴ語派が、次にケルト語派が、次にラテン語派とゲルマン語派が分化しています

この1000年の期間は西欧人(バルト・スラヴ民族、ケルト民族、ラテン民族、ゲルマン民族)が
おおまかにできあがっていった時期です
バルト語派やスラヴ語の各言語が口蓋化や多数の子音など現代においても非常に古い音声をとどめているのは
これが一つの理由なのです
つまりバルト・スラヴ語派が他の西欧語から遠く離れた言語では全くないどころか、西欧祖語から来たものですね

なぜあなたは印象操作をするのでしょう?スラヴが嫌いですか?いけませんねぇ、学問をしましょう
イデオロギーはいけません
751世界@名無史さん:2008/11/08(土) 18:26:13 0
>だからヨーロッパに広く広がっている。

ハプログループR1a1はイベリア半島、ブリテン島、アイルランド島にはほとんどみられません
イタリアやフランスもごく少数です
R1a1の比率が最も高いのがポーランドやチェコなどの中東欧で、次に多いのがウクライナやロシアといった東欧、
その次に多いのがスウェーデン、ノルウェー、ドイツ、アイスランドといった北欧ですね
R1a1はクルガン文化の担い手で、ヨーロッパに入ってきた印欧語族の支配層のマーカーです
R1bは印欧語族が侵入する前にヨーロッパにいた非印欧語族のマーカーです



752世界@名無史さん:2008/11/08(土) 18:26:41 0
>同じ系統とするには無理がある。

まったく無理はありませんね
スラヴもI、R1a、R1bが主体で、
R1aがR1bより多いというだけです
スラヴ民族のR1aは約50%、R1bは約25%、ゲルマン民族のR1aは約25%、R1bは約50%と
割合が違うだけですね
R1aがクルガン文化、すなわちインド・ヨーロッパ祖語のマーカーで、
R1bはインド・ヨーロッパ語族がヨーロッパに侵入する前にヨーロッパに定住した人々のマーカーですね
ただしスラヴ民族でもロシア人とバルト民族は非印欧語系のフィン人マーカーのNもたくさん持っています(約20-40%)
スラヴ民族とバルト民族にはそこに少々のG1、J、E3bなどが混ざっています

いずれにせよバルト・スラヴ語派の人々が西欧祖語から言語的に分化した後に
遊牧スキタイが同化してきたのです

これらのハプログループが民族形成の前後関係をまざまざと証明しています
753世界@名無史さん:2008/11/08(土) 18:36:46 0
>その流行が西に行き着いた先がバルト語とスラヴ語で、この2つはサテム化(Satemization)が不完全
>さらにスラヴ語のサテム化はバルト語ほど進んでいない

ケントゥム→サテムへの音の変化が不完全なのは、もともとバルト・スラヴ祖語がケントゥムだったからですね
バルト・スラヴ祖語の人々にスキタイ語やサルマート語などのサテム語の人々が混血同化したので
訛りが多少サテム化し、バルト語やスラヴ語ができあがったのです
754世界@名無史さん:2008/11/08(土) 19:39:26 0
>>スラヴもI、R1a、R1bが主体で、
ロシア人にはIが12%いるが、
ウクライナ人、チェコ人、セルビア人、リトニア人はI2a,

Iは北経路、I2aは南経路で、黒海北から西ヨーロッパに広がっている。
プロト・スラブ人がいたら、こういう違いは出ないはず。
755世界@名無史さん:2008/11/08(土) 19:45:58 0
>>フィン人マーカー
フィン人マーカーは I 。フィンランド人の73%。
Nはフィンランド人では0%。
756世界@名無史さん:2008/11/08(土) 19:48:06 0
スラブじゃなくてスラヴ。
ブではなくヴ、これ基本的な教養。
757世界@名無史さん:2008/11/08(土) 19:52:50 0
>>754
>プロト・スラブ人がいたら、こういう違いは出ないはず。

アホっぽい解釈だね。
それはスラヴ人が古代から各方面で他民族を同化して形成されたというだけじゃないの?
スラヴ語には言語的統一性があるのだからプロト・スラヴ人が存在しないわけがないじゃん。
758世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:04:36 0
wikiだけど、これ読むとガチで「R1a=クルガン=スラブ=スキタイ」だな
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_R1a_(Y-DNA)
759世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:12:16 0
760世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:13:44 0
761世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:26:50 0
>>非常に古い音声をとどめている

スラヴ祖語が印欧祖語の音声をとどめていると言ってるの?
口蓋化はスラヴ祖語に固有な現象。他の西欧語ではない。
印欧祖語とは随分違う。

スラヴ祖語がはやい時期に印欧祖語から独立し派生したということ。
その後
ケルト祖語は*p-音の消失によって印欧祖語から派生。
ゲルマン祖語は第一次子音推移によって印欧祖語から派生。

でもまあ、北方方言を放棄したのは進歩ですな!
762世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:43:06 0
>口蓋化はスラヴ祖語に固有な現象。他の西欧語ではない。

嘘つけw
口蓋化が印欧語族ではロマンス諸語にも英語にもあるぐらい俺でも知ってる
763世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:44:52 0
なんか言語学の話になっているが、要するにこのスレ的には>>758で最終結論だろ

764世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:46:45 0
フィン人マーカーは I 。フィンランド人の73%。
ttp://www.igenea.com/index.php?content=49&id=15

この資料が正しいか調べて見ましょう。
765世界@名無史さん:2008/11/08(土) 20:53:41 0
>>764
そんなサイトよりはwikiの方が信頼できるなあ
766世界@名無史さん:2008/11/08(土) 21:00:37 0
フィンランド人はウグル人だからマーカーはNだよ。Iじゃないよ。
フィンランド人はウラル山脈から来た汚いウグルだから。
767世界@名無史さん:2008/11/08(土) 21:02:22 0
どうでもいいけど、要するにこのスレ的には>>758で最終結論
768世界@名無史さん:2008/11/08(土) 21:12:11 0
>> 口蓋化が印欧語族ではロマンス諸語にも英語にもあるぐらい俺でも知ってる

ラテン語では口蓋化は起きていませんので、
ロマンス諸語の口蓋化は随分遅く生じました。口蓋化する音も限定されています。

スラブ語では、全ての子音で口蓋化音と非口蓋化音が対立した別音素で、この語派の大きな特徴。
「対立した別音素」を理解することが重要です。

音韻論を勉強しましう。ロシア言語学者の得意分野です。

769世界@名無史さん:2008/11/08(土) 21:28:25 0
スラヴ語は美しい
非常に古い時代の口蓋化という要素をしっかり守っている
770世界@名無史さん:2008/11/08(土) 21:32:03 0
>>768
それではプロト・スラヴ人が厳然として存在していたことになりますね。>>754はなんだったのでしょうw
771世界@名無史さん:2008/11/08(土) 22:02:34 0
>> スラヴ語は美しい
私もそう思いますよ。

>>770
スラブ祖語は実在して、スラヴ諸語が派生したのは事実でしょう。
しかし
遺伝子的に均一なプロト・スラヴ人が存在して、スラヴ諸民族が派生した
とは考えられないということです。
772世界@名無史さん:2008/11/08(土) 22:17:40 0
>>758
スキタイ人とスラヴ人がR1aを持っているということは当然。
738が「Ra1は西と東に別れています。 」と言っています。

問題は遊牧スキタイがスラヴ人に同化したかどうかです。

遊牧スキタイはラウジッツ文化に墓や遺品など痕跡を残していますが、
黒海方面に後退したと考えられています。

遊牧スキタイの文化要素がスラヴ文化に混入した遺跡が今後発見されれば、
別の結論になると思いますが。

773世界@名無史さん:2008/11/09(日) 00:42:21 0
どんな証拠を出してもドイツ人がイデオロギーで必死で揉み消すからね
ドイツ人の詭弁は韓国の朱子学と同じ
774世界@名無史さん:2008/11/09(日) 00:57:10 0
なんでもゲルマン民族
スラブはない
こんなことは定説であり、厳密な証拠は要らない
車輪を発明したのはゲルマン民族

ドイツ人はこれを「学問」と呼ぶ

また、韓国人もこれを「学問」と呼び、スキタイの文化は韓国の新羅文化であるという

775世界@名無史さん:2008/11/09(日) 00:58:54 0
イギリス人はスキタイはアングロサクソンの直接の先祖であると言う
776世界@名無史さん:2008/11/09(日) 01:00:56 0
アイルランド人はスキタイこそ自分たちの先祖であると言う
ウェールズ人はスキタイこそ自分たちの先祖であると言う
ドイツ人はゲルマン民族こそ自分たちの先祖であると言う

それらを全て否定するのが遺伝子研究
777世界@名無史さん:2008/11/09(日) 01:02:24 0
>>776訂正w

ドイツ人はスキタイこそゲルマン民族の先祖であると言う
778世界@名無史さん:2008/11/09(日) 01:05:56 0
ドイツ人はさらにフランク王国のメロヴィング朝こそスキタイの直接の先祖であると言う

いずれにせよ機関銃的に主張を続けることによってスキタイがスラヴであることを必死で隠匿しようとする努力である

主張がなされればそれを否定するために膨大な作業と時間が必要になる
これがドイツ人によるスラヴ攻撃の狙いである
19世紀からこの非学問的行為が続けられている

しかし、遺伝子研究の発展が状況を一変したのだ
スキタイがスラヴになったことが、最終的に証明されてしまったのだ


779世界@名無史さん:2008/11/09(日) 01:13:28 0
>>772
>遊牧スキタイの文化要素がスラヴ文化に混入した遺跡が今後発見されれば、

すでに膨大な証拠が発見されているので、詳しくはここからリンクを辿るとよい
http://public.kubsu.ru/~usr02898/slavonic.htm#TOP
780世界@名無史さん:2008/11/09(日) 01:13:32 0
マケドニアのPolyainosの報告によると、
黒海方面にいたスキタイは紀元前3世紀にサルマチア人に破れました。

ラウジッツ文化は紀元前2世紀まで続いているので、スキタイには
滅ぼされていない。

スラブ人はむしろサルマチア人から直接の影響を受けています。
ブタペストの近くに遺跡かあります。
781世界@名無史さん:2008/11/09(日) 01:18:33 0
ラウジッツ文化とスラヴの関係についてはまだ議論の余地があり
関係ないとは断言できない
スラヴ文化から見ると、スラヴ文化の辺境をなすものである可能性がある
782世界@名無史さん:2008/11/09(日) 01:38:04 0
プロト・スラヴ1(チェルノレス文化) ←スキタイが同化

プロト・スラヴ2の形成

プロト・スラヴ2 ←ケルトが同化 / プロト・スラヴ2 ←サルマートが同化

プロト・スラヴ3(プシェヴォルスク文化へ繋がる) / プロト・スラヴ4(ザルビンツィ文化へ繋がる)の形成

プロト・スラヴ3 ←ゲルマンが同化 / プロト・スラヴ4 ←フィンが同化

プロト・スラヴ5の形成 / プロト・スラヴ6(プラハ・コルチャク文化)の形成

プロト・スラヴ5 ←アヴァールが同化 / プロト・スラヴ6

プロト・スラヴ7 / プロト・スラヴ6

プロト・スラヴ7 ←プロト・スラヴ6の一部が同化 / プロト・スラヴ6

プロト・スラヴ8 / プロト・スラヴ6

プロト・スラヴ8 / プロト・スラヴ6 ←ゲルマン(ゴート)が同化

西スラヴ / 東スラヴ

といった具合でスラヴは言語的にも文化的にも遺伝的にも西と東に分かれた
さらに西部のスラヴは中世初期に2つに分かれ、西スラヴと南スラヴになった

こう考えると矛盾がなく、スラヴの言語や遺伝子の統一性、
そして文化や形質の多様性の全てを説明できるのである
他の方法では、説明がつかない
よってこれが正しいであろう
783世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:06:15 0
>>777
スキタイこそゲルマン民族の先祖であると言うドイツ人はいませんよ!
スキタイ人はラウジッツまで到達したというのが定説です。
自分の先祖がフン族ではないかと悩んでいるバイエルン人ならごく少数います。
蒙古の目ヒダがあるそうです。

>>779
の研究者は
In my opinion, the Scythian (Sarmatian) language is the Proto-Slavonic one.
と主張していますが、
スキタイ語とサルマチア語がスラヴ祖語だと言ってるのですか?

スラヴ祖語てそんなに新らしいんですか?

しかしスキタイとサルマチアを区別しないのが不思議です。
784世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:11:57 0
>>783
>スキタイ人はラウジッツまで到達したというのが定説です

スキタイ人じゃなくスキタイ文化だろ
その文化のキャリアがプロト・スラヴ人

>スキタイ語とサルマチア語がスラヴ祖語だと言ってるのですか?

だから>>782のタイムラインで矛盾なしに全部成り立つだろ
スラヴ祖語は紀元前何年のスラヴ祖語を言ってるんだよ?って話だ
785世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:20:18 0
ドイツ人に同化したのはむしろモンゴロイドのアヴァール人だなあ
786世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:33:15 0
>> 784
スキタイ語とサルマチア語にもスラヴ祖語特有の口蓋化が起きたんですか?

プロト・スラヴ人が8人も居たら、プロトではありませんね!
ちなみにプロト・ゲルマン人はいません。

>> スキタイ人じゃなくスキタイ文化だろ
ラウジッツ人がスキタイの財宝を盗んできたという説もあります。
787世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:34:27 0
>スキタイ人はラウジッツまで到達したというのが定説です

そのスキタイ人がプロトスラヴ人
788世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:36:56 0
>プロト・スラヴ人が8人も居たら、プロトではありませんね!

何を、興奮しているのか?
スラヴ人とは歴史時代の呼称であってそれ以前のスラヴ人がプロト・スラヴ人、
そのプロト・スラヴ人が他民族をさまざまに吸収したことによってタイムラインで便宜上8つの段階を設けただけなんだが?
789世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:39:26 0
>ちなみにプロト・ゲルマン人はいません。

言語集団を「〜人」と呼ぶなら、プロト・ゲルマン人存在したはずだが?
存在しないとすれば、古代の北ヨーロッパにおいて印欧語族はケルト語・ロマンス語・スラヴ語・バルト語しかいなかったということになる
なるほど、珍説を出すのだな?
790世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:40:45 0
>ラウジッツ人がスキタイの財宝を盗んできたという説もあります。

スキタイの財宝を盗んできたかどうかはともかく、
遊牧スキタイ文化のラウジッツ文化への伝達者の最有力候補はプロト・スラヴ人
791世界@名無史さん:2008/11/09(日) 02:54:29 0
>> 788
言語学で、プロトは、現在実在しないが、
派生や変形する以前の理論上想定される原型といういう意味。

同化したあとの結果という意味ではありません。

同化して出来た言語のことをクレオールと言います。
完成度の低い言語をピジンと言います。

スラヴ語がクレオールとは、ひどい主張ですね。
スラヴ諸民族が激高しますよ。
792世界@名無史さん:2008/11/09(日) 03:03:12 0
サウロマタイ&アラン、サカはイラン系だったが、スキタイはスラブ系だった
のかもしれんですな。
アッシリア人を攻撃したアシュクザイと、ダリウス1世が交戦したスキタイは、
まったく別物であった可能性がありますな。
そもそもアシュクザイらは、アッシリア滅亡後そのままオリエントに定着して、
メディアやペルシャに同化していったらしい。
793世界@名無史さん:2008/11/09(日) 03:29:25 0
>> 言語集団を「〜人」と呼ぶなら、プロト・ゲルマン人存在したはずだが?

ゲルマン語を話す人々がゲルマン人である必要はありません。
現在英語を母国語とする人がイギリス人以外にもいると同じです。

考古学の見地から、ゲルマン人という均一な民族集団は実証できません。

またゲルマン人だからと言って、ゲルマン語を話す必要性もありません。
ケルト語やラテン語が母国語の場合もあります。

言語と民族は同一ではないというのが言語学の常識です。

789さんは 民族や民族精神という概念が絶対だった19世紀の考え方です。

794世界@名無史さん:2008/11/09(日) 04:04:01 0
>>遊牧スキタイ文化のラウジッツ文化への伝達者の最有力候補はプロト・スラヴ人

ラウジッツ文化の候補者はスラヴ人とイリリア人ですが、
そもそもイリリア人が南スラヴ人の一派という説がクロアチア人の主張です。

そういえば イリエーナというスラヴ人女性の名前がありますね。
ザビーネ族の話に似てますね!
795世界@名無史さん:2008/11/09(日) 04:36:24 0
ラウジッツ文化とスキタイの関係で問題は次の点です。

ラウジッツ文化周辺の城が幾つかスキタイに壊されています。
スキタイの武具が出土します。

この財宝は起源前5世紀ごろです。
その後まったくスキタイの痕跡が消えることです。



796世界@名無史さん:2008/11/09(日) 09:58:31 0
wicinaという場所では、焼け跡の遺跡で女性と子供の頭蓋骨の破片と
飾り針が出土しています。

この残忍さはスキタイ人ですね。
スラヴ人は定住型で、比較的穏和な民族ということになっていますよ!
797世界@名無史さん:2008/11/09(日) 11:00:59 0
>スラヴ語がクレオールとは、ひどい主張ですね。
>スラヴ諸民族が激高しますよ。

スラヴ語が北欧語でケントゥム語のプロト・スラヴ語と、
スキタイやサルマートなどの西アジアの諸民族のサテム語、
さらにはケルト語やゲルマン語、
そして中世のラテン語とのクレオールであることはスラヴ圏だけでなく、全世界で定説化しているので、
スラヴ民族が怒ることはない
スラヴ諸民族は、その他民族性・多様性を誇る傾向があるので、彼らにとって喜ばしいことなんだな
798世界@名無史さん:2008/11/09(日) 11:04:45 0
>考古学の見地から、ゲルマン人という均一な民族集団は実証できません。

「〜人」の認識が食い違っているよ
ゲルマン語という言語によってゲルマン人(ゲルマン語族)と呼ぶか、
ゲルマニアという、ヨーロッパの一地方の住民をゲルマン人(ゲルマニア人)と呼ぶか

ローマのタキトゥスの『ゲルマニア』は後者の認識で書かれているな
『ゲルマニア』では明らかにスラヴ語やケルト語の系統と思われる人々もゲルマン人に含まれている
799世界@名無史さん:2008/11/09(日) 11:09:24 0
>この残忍さはスキタイ人ですね。
>スラヴ人は定住型で、比較的穏和な民族ということになっていますよ!

それはスラヴ圏全体で文化や民族性が統一されていたという思い込みだろ

スラヴ民族の特徴はその多様性にあるというのが現代のスラヴ学の認識のはずなんだが?
古代から多数の周辺民族を同化吸収して拡大してきたというのがすでに定説化している

もちろん言語は人々の混血によってクレオール化し、発音において不完全なサテム化が見られるというわけ
サテム化が不完全なのは、プロト・スラヴ語がもともとはケントゥムだったからに他ならないわけで
800世界@名無史さん:2008/11/09(日) 11:17:19 0
他民族を武力で同化したというよりも
武力に頼った他民族がさらに他民族との抗争で敗北して支配層が滅亡したとき
農耕民特有の温和さ・寛容さで同化してきたというのが実体だろう。
もともとは非常に母性的な民族だといえる。
中世ポーランド(ポーランド・リトアニア同君連合)やボヘミアを見るように
西のスラヴ民族は他者に対して非常に寛容な傾向がある。
スラヴ圏を東(ロシア)に行くほど社会が専制的で素行が残忍になるのは
残忍な西アジア系の古代民族との混血の度合いがロシア人は高いからだろう。
801世界@名無史さん:2008/11/09(日) 12:23:25 0
>>796
その遺跡は紀元前6世紀ごろのだろ?
そのころはまだプロト・スラヴの主流である農耕民とそういう遊牧スキタイは同化していなかったはず。
802世界@名無史さん:2008/11/09(日) 12:29:00 0
>>795
遊牧民というのはその年に草原の牧草が不作で危なくなると農耕民の土地に侵入して略奪するというのを繰り返す。
プロト・スラヴのコアになった農耕民はプリピャチ沼沢地に住んでいたから通路が入り組んでいて侵入しにくい。
だからスキタイは北のプリピャチ沼沢地へ向かわずに森を越えて西のポーランドへ略奪しに行ったんだろ。
ウクライナの草原が回復して遊牧のためにまたウクライナへ帰ったからポーランドから消えた。
803世界@名無史さん:2008/11/09(日) 13:15:20 0
>> 801
ドイツの資料では
wicina遺跡は、紀元前6世紀末、またはbc500年前後となっています。

>> ウクライナの草原が回復して遊牧のためにまたウクライナへ帰ったからポーランドから消えた。
納得。

ではなんでスキタイは財宝を置いて行ったのでしょうか?
せっかく命をかけて略奪したのに。
804世界@名無史さん:2008/11/09(日) 13:29:39 0
>>803
ルサチア文化の集落グビンのスキタイ財宝のことを言ってるのだと思うが、
グビンではルサチア人が遊牧スキタイのある部族に勝ったんだろ。
後のモンゴルを見ればわかるように遊牧民の略奪というのはいつもヒットアンドアウェーだから
その地域全域に居ついたわけじゃない。
ある場所で地元民に負けたらそこにはしばらく寄りつかないで、ほかを当たる。
805世界@名無史さん:2008/11/09(日) 13:52:41 0
ヒットラーがウクライナに侵入したのにスターリングラードに固執して破滅したのはスキタイのやり口を学ばなかったからだな
ヒットラーは無知
806世界@名無史さん:2008/11/09(日) 14:18:21 0
>>804
見つけた男の名前は August Lauschke
場所 ドイツ語 Vettersfelde
ポーランド語 Witaszkowo 近くの村Kozów

財宝、すべて金製
ペンダント、編まれた鎖、分厚い首輪、動物の意匠が描かれた剣のさや、
長さ41cm 重さ608gの太った魚のミニィチュア、

これで確認できますか?
807世界@名無史さん:2008/11/09(日) 14:33:27 0
>>806
だからそのヴィタシュコヴォ集落がポーランド共和国ルブシュ県グビン郡のその遺跡があるところだよ。
旧ジェロナ・グラ県グビン郡。
ポーランド・ドイツ国境のオドラ/オーデル川のところ。
考古学では有名だぞ。
808世界@名無史さん:2008/11/09(日) 14:41:04 0
ルサチア人がソルブ人を意味するなら、
この機会にルサチア人という単語を使うのは不適当では?

ソルブ人は8世紀に入植しています。

系統不明という意味で、ラウジッツ人というべきでは?
809世界@名無史さん:2008/11/09(日) 15:00:01 0
>>808
ラウジッツはルサチアのドイツ語読み、ルサチアは英語、
ソルブ語でウジツァ、ポーランド語でウジツェ、チェコ語でルジツェ
これは中世からのスラヴ系の語源の地名(「沼だらけの土地」の意味)

ちなみにマイセンは英語でもマイセンだが、ソルブ語でミシュノ、
ポーランド語でミシュニア、チェコ語でミーシェニ
これも中世からのスラヴ系の語源の地名(当地のスラヴ系部族名から)

ドレスデンは英語でもドレスデンだが、ソルブ語でドリェジジャニ、
ポーランド語でドレズノ、チェコ語でドラージュジャニ
これも中世からのスラヴ系の語源の地名(当地のスラヴ部族名「川沿いの低湿地の森の人」の意味だったか)

ライプツィヒは英語でもライプツィヒだが、ソルブ語とポーランド語でリプスク、チェコ語でリプスコ
これも中世からのスラヴ系の語源の地名(「菩提樹の村」の意味)

ラウジッツ人はドイツ語教育のせいで日本語で定着しているが、
普通はルサチア人(Lusatians)が国際的に通じる
810世界@名無史さん:2008/11/09(日) 15:00:38 0
あるいは古代ルサチア人(Ancient Lusatians)。
811世界@名無史さん:2008/11/09(日) 15:16:03 0
>>808
ソルブ人は6-8世紀に集団としてまとまっているが、
他からやってきたのか、ゲルマン民族大移動前からそこにいたのかまだ明らかではない。

近年では当地のプシェヴォルスク文化がいわゆるホライズンであり、
スラヴ、ゲルマン、ケルトの混住状態だったのではないか、と言われている。

ローマ時代の書物でルギィ人と呼ばれるルグ人のLug(ルグ)は
スラヴ語への音声変化で法則的にLudz(ルジ)あるいはL'udz(ウジ)になる。
言語や集団として連続性があるかどうかは不明だが、
そこの住民の名称ルグ=ルジ=ウジはこうして古代から連続性を持っている。

ポラン系ポーランド人、ボヘミア系チェコ人、上下ソルブ人の先祖は
ルグ=ルジ=ウジ人のうちのスラヴ語系の住民だった可能性が高いように見える。
812世界@名無史さん:2008/11/09(日) 15:18:44 0
>> 804
2004年、Kardinal-Wyszynski大学のKobylinski氏が
同じ場所で6つの泉を発掘しました。
ここは古代ルサチア人の神聖な場所でした。
Kobylinski氏は、
スキタイ人は、地元古代ルサチア人の同盟者から援助を得るために、
自ら進んで、財宝を捧げた。
という考えです。

だれかが知ってると思いまして、なぞ賭けをしてみました。
813世界@名無史さん:2008/11/09(日) 15:34:04 O
ところでスキタイや遊牧民たちはどうやって家畜を逃げないようにしてたの?
814世界@名無史さん:2008/11/09(日) 17:28:37 0
>もともとは非常に母性的な民族だといえる。
>中世ポーランド(ポーランド・リトアニア同君連合)やボヘミアを見るように
>西のスラヴ民族は他者に対して非常に寛容な傾向がある。
>スラヴ圏を東(ロシア)に行くほど社会が専制的で素行が残忍になるのは
>残忍な西アジア系の古代民族との混血の度合いがロシア人は高いからだろう。

>>800
こういう情緒的な表現が自分の書き込みに対する信頼度を下げてるって
どうして自覚できないの?ここ学問板なんだけど?
815世界@名無史さん:2008/11/09(日) 17:44:56 0
去勢
816世界@名無史さん:2008/11/09(日) 19:10:54 0
>> 809
ドイツ語の必読参考書dtv-Atlas zur deutschen Spracheの58ページに
8世紀のドイツ語とスラヴ語の境界線があります。

エルベ川を西側に大きく越えて、Erfurtあたりです。
話者は Abodriten, Wilzen, Sorben, Tschechenと載っています。
教養のあるドイツ人は地名がスラヴ語起源であることは知っています。

Wilzenが強大な軍事力を持っていたことも有名です。
817世界@名無史さん:2008/11/09(日) 21:23:36 0
>>812
それだけでは略奪で返り討ちに遭ったのか貢物として贈ったのかどっちとはいえないな
後者だと貢物というよりその金製品と引き換えに穀物でも買ったんだろう
818世界@名無史さん:2008/11/09(日) 21:23:59 0
>>813
モンゴル人見りゃわかるだろ
家畜は逃げないんだよ
819世界@名無史さん:2008/11/09(日) 21:30:15 0
ポラビア・スラヴ人のなかで一番強かったのはオボドリト族(Abodriten)だったろ

しかし西スラヴの地域で一番強力だったのはなんといってもレック(ポラン)族とゴプラン族の連合部族国家
実はこれがポーランド王国になったんだが
820世界@名無史さん:2008/11/09(日) 21:33:10 0
フランク王国のシャルルマーニュがザクセン族征伐の際に同盟を組んだのがオボドリト族
821世界@名無史さん:2008/11/09(日) 21:41:27 0
オボドリトの大軍は10世紀にはエルベ川を渡って攻め込み、オットー2世の神聖ローマ帝国は危機に陥ったが、
そこへタイミングよく現れたのがポーランド公国のミェシコ1世公率いるさらなる大軍勢
ポーランド軍は同じキリスト教徒のオットー2世を助けるためにオボドリトの南東から侵入してこれを蹴散らし、
神聖ローマ帝国を救った
ポーランドは自国の捕虜にしたオボドリト人をマインツのユダヤ人商人に奴隷として売り飛ばし、
このポラビア人奴隷はマインツからイベリアのアラビア帝国に売られていったのである

などというエピソードも
ドイツでは絶対にこれを教えない

822世界@名無史さん:2008/11/09(日) 21:42:32 0
学者や趣味人は知ってるが中高での歴史では絶対に教えない
823世界@名無史さん:2008/11/09(日) 21:59:17 0
>>821
ピンチで颯爽と現れるポーランド人…
どっかで聞いたことがあると思ったら、オスマントルコの第二次ウィーン攻囲のときのソビエスキ王みたいだなw
いつもこんなことやってんのかポーランドw
824世界@名無史さん:2008/11/09(日) 22:39:23 0
>> 817
そうです。まだ多くの謎があるということです。
スキタイ人と古代ルサチア人の力関係も不明です。

スキタイ人は他民族支配を容易にするために、古代ルサチア人を同盟者と
非征服者に分けて2重支配をしようとしたかもしれません。
農耕ルサチアと同盟ルサチアが存在したかもしれません。

確かなことは戦乱が100年程続いたことです。

結論
スキタイ人がスラヴ人に同化したと、現段階では主張できない。
825世界@名無史さん:2008/11/09(日) 22:59:34 0
>スキタイ人がスラヴ人に同化したと、現段階では主張できない。

いいえ。あなたの結論は単なるイデオロギーです。
遊牧スキタイ人がスラヴ人に同化したことは、100%確実です。
なぜなら遺伝的に証明できているからです。

あとは遊牧スキタイ人がどのようにしてプロト・スラヴ人に同化していったのか、
その過程を考古学で明らかにしていくことです。
826世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:17:50 0
プロト・スラヴ人に遊牧スキタイ人やサルマート人が同化して文化が均質化したのがチェルノレス文化です。
そこにゴート人が侵入して遊牧スキタイ人の支配層を滅亡させた後定住し現地人と混在して均質化した文化が
黒海北岸のチェルニァコフ文化だと見られています。
ゴート人と現地人は言語が違いすぎるのでこの程度の期間では言語が同化せず、借用語程度しか残っていません。
現在のスラヴ語にゴート語起源と思われる語彙があるのはそのためです。
チェルノレス文化は500年以上続いたのでプロト・スラヴ人と遊牧スキタイ人の言葉が互いに通じるようになるのに充分な期間です。
ケントゥム語であってプロト・スラヴ語がサテム語変化したのはこのためです。
827世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:26:14 0
これがより熟成して均質化したのがキエフ文化です。
828世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:26:24 0
>> その過程を考古学で明らかにしていくことです。

825さんの場合、研究の前に結論があるのですか?
何ていう研究方法ですか?
例えば 結論先行主義考古学 とか?
829世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:33:05 0
>825さんの場合、研究の前に結論があるのですか?
何ていう研究方法ですか?

結論は、遊牧スキタイがプロト・スラヴに同化したことだけです。
これは遺伝的に否定のしようがないです。
研究が行われるべきは、ネアポリス滅亡後いかにして遊牧スキタイが
プロト・スラヴに同化していったのかという過程にあります。
830世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:34:49 0
つまり、チェルノレス文化、チェルニァコフ文化、キエフ文化、プラハ・コルチャク文化といったスラヴ民族の古代文化の
それぞれの伝播の過程を明らかにしていくことにあります。
831世界@名無史さん:2008/11/09(日) 23:36:55 0
もう一方の西方古代スラヴ文化、すなわちプシェヴォルスク文化、ザルビンツィ文化の
成立過程を明らかにしていくことで、西スラヴ人の文化成立過程が明らかになり、
これによってスキタイ人からスラヴ人への過程がさらに詳細に明らかになるでしょう。
832世界@名無史さん:2008/11/10(月) 00:05:32 0
質問
  農耕プロト・スラヴ人はプリピャチ沼沢地を中心に居た。
  遊牧プロト・スラヴ人は遊牧スキタイ人で、滅亡して吸収同化された。

これはスキタイ滅亡以後の出来事ですから、紀元前2世紀ごろ。

  遊牧スキタイ文化のラウジッツ文化への伝達者はプロト・スラヴ人。

遊牧スキタイ文化がラウジッツ文化と接触したのが紀元前6世紀ごろ。

時間が前後していませんか?
プロト・スラヴ人は紀元前2世紀から紀元前6世紀に
過去を遡る能力があるのですか?
プロト・スラヴ人はすごいですね。
833世界@名無史さん:2008/11/10(月) 05:39:35 0
>> 807
「考古学では有名だぞ。 」とおっしゃるにからには、
なぞかけを見抜いていたはず。コメントをどうぞ!

Kobylinski氏はポーランドの考古学者です。
834世界@名無史さん:2008/11/10(月) 06:02:06 0
>> 821
「ドイツでは絶対にこれを教えない 」を主張するためには、
821さんがドイツの学校すべてを調べる必要があります。
821さんは調査してないでしょう。なので学術的に意味のない発言と見なされます。

科学の方法論をもう少し勉強しましょう。
821さんがポーランド史に精通していることはわかります。
835世界@名無史さん:2008/11/10(月) 08:03:57 0
>時間が前後していませんか?
プロト・スラヴ人は紀元前2世紀から紀元前6世紀に
過去を遡る能力があるのですか?
プロト・スラヴ人はすごいですね。

まったく矛盾はありません。
たとえば紀元前2世紀のある時点で遊牧スキタイがいきなりプロト・スラヴ人になったわけではありません。
それまで数世紀をかけて同化、特に言語や文化が流入し、
遊牧スキタイが政治的に消滅したのち人的な同化が起こったのです。

理解力を高めましょう。
836世界@名無史さん:2008/11/10(月) 08:05:15 0
私を勝手にポーランド通に認定しないでください。
837世界@名無史さん:2008/11/10(月) 08:34:17 0
遊牧スキタイ社会の滅亡後は、プロト・スラヴ人への人的な同化が起こった、というより促進したのです。
それ以前に人的な同化が始まったことを否定しません。

草原地帯である黒海北岸の西スキュティアのチェルニァコフ文化とその北方の森林・沼沢地帯のスラヴ人文化の違いは、
サルマート人やゴート人が直接関わっているかどうかです。
草原にはサルマート人が、その河川の周辺にはゴート人が侵入して支配します。
遊牧スキタイが広汎に同化して変容したプロト・スラヴと混在して、
数世紀の混乱期を経て文化的な同化が進み、チェルニァコフ文化となります。
プロト・スラヴ人は農耕民でウクライナは土質が良いのでサルマートやゴートよりも
ここではプロト・スラヴ人のほうが人口が多いことは容易に想像できますが、政治的に優位だったのは
移動性が高いため守るものが少ないサルマート人やゴート人です。
その北方の森林・沼沢地帯では地形や気候の関係で遊牧スキタイと同化する前からいたプロト・スラヴ人優位社会は
ザルビンツィ文化で、そこへ遊牧スキタイが同化して変容したプロト・スラヴ人に対しては、
サルマート人やゴート人からの影響も限定的となります。
そのためチェルニァコフ文化とは異質の文化であるザルビンツィ文化がさらに発展します。
チェルニァコフ文化はザルビンツィ文化に影響を与え、
そこからキエフ文化が発達して、民族として均質化したスラヴ民族が現れてきます。
838世界@名無史さん:2008/11/10(月) 08:35:00 0
その西ではもともとはザルビンツィ文化とよく似ていたプシェヴォルスク文化があります。
これはプロト・スラヴ人、ゲルマン人、ケルト人などの混住から発生した文化圏です。
ヴィスワ川を遡って移動したゴート人が黒海沿岸へと抜けてしまい
間にゴート人のいなくなったキエフ文化とプシェヴォルスク文化は辺縁部から同化が起こります。
もともとどちらもプロト・スラヴ人あるいはスラヴ人同士のため互いに言葉が通じること、
そしてフン族が西進してゲルマン諸部族やサルマート諸部族を追い払ったことが、
キエフ文化とプシェヴォルスク文化の同化を促進させます。
これが均質化してスラヴ民族固有の文化となるプラハ・コルチャク文化に発展します。
東西スラヴ人の文化の均質性は、その核にプラハ・コルチャク文化があるからです。
そこから、西へ行くほどプシェヴォルスク文化の色彩が強く西スラヴ人となります。
東へ行くほどキエフ文化の色彩が強く東スラヴ人となります。
この時代でもビザンチン帝国では彼らをスキタイ人と呼んでいます。
このスキタイとヘロドトスの時代のスキタイが別物だという固定観念がありますが、
この間の経緯を見る限りヘロドトスのスキタイ人とは遺伝的にはそう大きく違うものではありません。

これからの西スキュティアにおける考古学の課題は、こういった経緯をさらに詳細に詰めていくことでしょう。
839世界@名無史さん:2008/11/10(月) 08:40:44 0
間にゴート人のいなくなったキエフ文化とプシェヴォルスク文化は辺縁部から同化が起こります。

この状況を図解したものがウィキペディアにあったので貼っておきます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Origins_200_AD.png
840世界@名無史さん:2008/11/10(月) 08:50:04 0
>>807は常体で書いていますが、私です。敬体で統一すべきでしょう。
841世界@名無史さん:2008/11/10(月) 10:05:16 0
>>その西ではもともとはザルビンツィ文化とよく似ていたプシェヴォルスク文化があります。

だれでも知ってます。

>> これはプロト・スラヴ人、ゲルマン人、ケルト人などの混住から発生した文化圏です。

はっきり言いましょう!
最初のプロト・スラヴ人は何世紀に、どこで成立したのか?

スラヴ祖語を話す人々なら、    紀元前40世紀頃
古代サルチア人と戦った人々なら  紀元前6世紀頃
スキタイ滅亡後なら        紀元前2世紀頃

いつですか?

そもそも、スラヴ人とスキタイ人が最初に接触したのは
何世紀と考えていますか?
842世界@名無史さん:2008/11/10(月) 10:13:49 0
>>841
おまえ、馬鹿だろw
843世界@名無史さん:2008/11/10(月) 10:15:08 0
白人なの?
844世界@名無史さん:2008/11/10(月) 11:25:17 0
>>841
>>そもそも、スラヴ人とスキタイ人が最初に接触したのは、何世紀と考えていますか?

紀元前8世紀頃では?
845世界@名無史さん:2008/11/10(月) 17:14:33 0
>スラヴ祖語を話す人々なら、    紀元前40世紀頃
>古代サルチア人と戦った人々なら  紀元前6世紀頃
>スキタイ滅亡後なら        紀元前2世紀頃

これでいいんじゃねーの?
言葉で見るなら根は6000年以上前だし

スラヴって古い歴史のある民族なんだな
もしかしてヨーロッパで一番古い民族か?
846世界@名無史さん:2008/11/10(月) 21:57:03 0
げんごがくからのみんぞくぶんせきとかそういうむずかしいはなしはいいので
民俗、風習、軍事、宗教とかそういうの語ってください
847世界@名無史さん:2008/11/10(月) 22:42:41 0
>> スラヴって古い歴史のある民族なんだな
>> もしかしてヨーロッパで一番古い民族か?

Chernoles 鉄器文化の実態がどうであったか? でもめてるんですよ。

場所は北ウクライナです。BC750年ーBC200年です。
ここで、スラヴ人とスキタイ人に何が起こったのかが謎なのです。

844さんは
ここで、プロト・スラヴ人が誕生したと考えているようです。
848世界@名無史さん:2008/11/10(月) 22:57:29 0
>> 民俗、風習、軍事、宗教とかそういうの語ってください

黒海沿岸のギリシャ植民都市の発掘調査。

スキタイ人のリリーフが見つかる。
植民都市に滞在した。
遊牧以外の生業は交易品の運搬者であろう。当時のトラック運転手。

集団になると略奪者。
ギリシャ人との戦争が記録されている。
849世界@名無史さん:2008/11/10(月) 23:38:26 0
>これでいいんじゃねーの?
>言葉で見るなら根は6000年以上前だし
>
>スラヴって古い歴史のある民族なんだな
>もしかしてヨーロッパで一番古い民族か?

いや古いのは、現在のバスク人の先祖にあたる非印欧語族の連中です。
ヨーロッパの印欧語族内で言語的に分化したのが一番古いのはギリシャ人やアルメニア人の先祖。
次にアルバニア人の先祖。
スラヴ人とバルト人の先祖はその次ぐらいです。
850世界@名無史さん:2008/11/10(月) 23:41:38 0
>844さんは
>ここで、プロト・スラヴ人が誕生したと考えているようです。

歪曲しないでくださいね。
誕生とは一言も言っていません。
プロト・スラヴ人はそれよりもずっと前の青銅器時代、あるいは新石器時代にすでに存在していたと考えていますから。
スラヴ人やバルト人の先祖がゲルマン人やケルト人などからの言語的分化を開始したのは新石器時代だと思います。
これは将来いろいろな方法で証明されるでしょう。
851世界@名無史さん:2008/11/10(月) 23:50:43 0
>でもまあ、北方方言を放棄したのは進歩ですな!

読み返したらこういうレスがありますが、おそらくgray/atkinsonの研究結果を踏まえて言っているのだと思いますが、
gray/atkinsonの手法は問題があるのです。
これはもともと進化生物学の手法で、遺伝子は突然変異を起こすとその後その遺伝子マーカーやその系統が残るので有用ですが、
言語においては、同化があるとこの方法では間違った結果が出てしまうのです。
スラヴ民族の場合過去に多くの民族と言語上の同化を経ているので、gray/atkinsonの研究結果は一つの参考にしかなりません。
これを絶対の正解と考えるようでは、すでに学問ではありません。民族や人種のイデオロギーです。
852世界@名無史さん:2008/11/10(月) 23:52:25 0
で、どんな風にスキタイからスラヴになったのよ?
853世界@名無史さん:2008/11/11(火) 02:56:49 0
>> 851
皆さんすいません。このレスはスキタイとは関係ありませんから、読まなくていいです。851さんはスキタイに関係付けてスラヴ学を論じてください。でなければ、単なる荒らしです。あなたのせいでスキタイを語る余裕がありません。

>> gray/atkinsonの手法は問題があるのです。

そんなことは言語学の専門家は知ってますよ。しかし、北方方言よりは学術的です。北方方言こそがドイツ・イデオロギーです。19世紀にこの概念を使って、インド・ヨーロッパ語の故郷を
北ヨーロッパとしようとしたのです。ロシアの言語学者トルベツコイの音韻論がこの説が間違っていることを証明しました。

北方方言はGeorgiev(1966)からの引用と思いますが、彼の分類は
1 北方グループ 2 西方グループ 3 南方グループ 4 中央グループ
といって位置が分類の基準です。

centum とsatemは音素が分類の基準
あなたの「スラヴ語は北方方言だから、本来centum語」という主張はこじつけ。

スラヴ語はsatem語
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Satem

Dr. C. George Boereeの意見は面白いですが、ただの憶測。
彼も スラヴ語はcentum語とは言っていません。スキタイ語がスラヴ語に影響して、satemになったなんて言ってません。

彼は「ドイツ語とバルト語は、音声はまったく違うのに、形態は似てるのはなぜか?」
という問題に彼なりの答えを出しているだけです。
それは ドイツ人とバルト人の先祖は一緒にこの地に来たが、ドイツ語の基盤となった巨石文化の人々が特殊な発音をしていたのだ。
です。 
彼もバルト語とロシア語は最初からsatemだと言っています。
A sticking point is the place of Germanic: It seems to be both clearly tied to Baltic, yet phonetically quite distinct.
It is, in fact, quite distinct from all its relations! One theory is that its similarity to Baltic is in part due to close proximity and
continued contact, and that its phonetic distinctiveness is due to a pre-Germanic substrate of megalithic people sometimes referred to as "the Folk."
854世界@名無史さん:2008/11/11(火) 03:10:44 0
>>プロト・スラヴ人はそれよりもずっと前の青銅器時代、あるいは新石器時代にすでに存在していたと考えていますから。

スラヴ人とスキタイ人と同化して、プロト・スラヴ人ができたんじゃないの?

プロト・スラヴ人がスキタイと関係ないのなら、ここで発言しなくていいです!
855世界@名無史さん:2008/11/11(火) 03:36:30 0
>>849
ウラルトゥは印欧語族ではなかったそうですが、このアルメニア人の先祖とは
フリギア人とキンメリア人のいずれに近縁だとされているのでしょうか?
856世界@名無史さん:2008/11/11(火) 07:42:15 0
>スラヴ語はsatem語

もちろん現在のスラヴ語はsatem訛りのあるsatem語です。
これはcentum語だったプロト・スラヴ語が、satem語であるインド・イラン語から影響を受けたからです。

>スキタイ語がスラヴ語に影響して、satemになったなんて言ってません。

こう結論することが時期尚早なのは、遊牧スキタイ人が使用していた言語が明らかでないからです。
一応こうであろうと認められている推定は、遊牧スキタイ人はインド・イラン語派だったということです。
これにより、すべてが矛盾なく説明できるからです。
スラヴ語が他のヨーロッパ言語から分化してプロト・スラヴ語となった初期の時代からsatem語だったと仮定すると、
satem訛りが不完全である説明がつきません。
よって分化してからしばらくの時代はcentum語だったのです。それがsatem訛りを獲得したと考えるのが自然です。

857世界@名無史さん:2008/11/11(火) 07:45:14 0
>プロト・スラヴ人がスキタイと関係ないのなら、ここで発言しなくていいです!

プロト・スラヴ人は古代のある時点でスキタイを吸収同化しています。
よって、プロト・スラヴ人もスラヴ人もスキタイと密接な関係があり、特にスラヴ人はスキタイ人の子孫です。
これは遺伝的に証明されています。いちいち議論することではありません。
これからのスキタイ学(スラヴ学)は、この過程を詳細に研究することが課題です。
858世界@名無史さん:2008/11/11(火) 07:57:39 0
>フリギア人とキンメリア人のいずれに近縁だとされているのでしょうか?

アルメニア人はインド・ヨーロッパ語族のうちでもかなり古い時代に
ヘロドトスがアルメニア人をフリギア人の子孫だと言っているのは有名で、
現代でもそう見ている人が多いのです。
これが実際にそうだとすれば、アルメニア語はスラヴ語やバルト語同様、
サテム語であるインド・イラン系言語との接触により、もともとケントゥム語だったものがサテム後に変化したもう一つの例です。
キンメリア語はイラン系の言語だったという説が有力ですが、
キンメリア人がフリギア人を支配したときにフリギア語がサテムに変化したものが残って
いまのアルメニア語のもとになったという可能性は充分にあります。
859世界@名無史さん:2008/11/11(火) 08:06:22 0
>北方方言こそがドイツ・イデオロギーです。

北方方言の着想はドイツ民族主義からきたものであっても、北方方言説が間違っていると結論付けるのは問題があります。
なぜなら、スラヴ語とゲルマン語は近く、単に互いに訛っているだけだというのは昔から気づかれているからです。

>centum とsatemは音素が分類の基準
>あなたの「スラヴ語は北方方言だから、本来centum語」という主張はこじつけ。

北方方言が分化したと思われる古い時代ではまだサテム語の伝播が起きていないことは既に常識です。
よく勉強しましょう。どうもあなたの素人臭さは危うすぎます。
860世界@名無史さん:2008/11/11(火) 08:07:20 0
>フリギア人とキンメリア人のいずれに近縁だとされているのでしょうか?

アルメニア人はインド・ヨーロッパ語族のうちでもかなり古い時代に分化したものです。
ヘロドトスがアルメニア人をフリギア人の子孫だと言っているのは有名で、
現代でもそう見ている人が多いのです。
これが実際にそうだとすれば、アルメニア語はスラヴ語やバルト語同様、
サテム語であるインド・イラン系言語との接触により、もともとケントゥム語だったものがサテム後に変化したもう一つの例です。
キンメリア語はイラン系の言語だったという説が有力ですが、
キンメリア人がフリギア人を支配したときにフリギア語がサテムに変化したものが残って
いまのアルメニア語のもとになったという可能性は充分にあります。

861世界@名無史さん:2008/11/11(火) 09:49:05 0
キンメリア語とフリギア語は、ともにトラキア語に近縁だと言う説もありますな。
アルメニア語は、メディア以来のイラン人支配の影響が無視出来ないですな。
862世界@名無史さん:2008/11/11(火) 10:03:48 0
ほほう、スラヴに興味が湧いてきた
目から鱗が落ちたよ
863世界@名無史さん:2008/11/11(火) 10:20:01 0
>> 北方方言が分化したと思われる古い時代
>> サテム語の伝播

これを主張している言語学者を挙げてましょう。
864世界@名無史さん:2008/11/11(火) 10:45:30 0
>>853
都合のいいところだけ引用するなよカスwww

Dr. C. George Boereeの意見↓

The remaining main body of Indo-Europeans (the Baltic, Poland, Bohemia, the Hungarian Plain, Wallachia,
Thrace, the Ukraine and the neighboring steppes) -- both northern and southern dialects --
undergoes the Satem phonetic changes.
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
865世界@名無史さん:2008/11/11(火) 11:03:31 0
(Phase 1)
Germanic languages (Centum)
      ↑
      Northan Dialects in the Indo-European homeland (Centum)

(Phase 2)
      Northan Dialects in the Indo-European homeland ← Centum/Satem phonetic changes (Satemization)



(Phase 3)
              Balto-Slavic languages (Somewhat Satemized)
                    ↑
      Northan Dialects in the Indo-European homeland (Satemized)

866世界@名無史さん:2008/11/11(火) 11:09:39 0
>>853
>しかし、北方方言よりは学術的です。

手法が間違ってるのに学術的なわけないだろカスw
同化の要素を考慮せずに分化だけで言語学を語るは論外

おまえぜんぜん駄目だな!w


867世界@名無史さん:2008/11/11(火) 13:51:43 0
>>858
かつては、アルメニアのルーツがミタンニであるとの主張も、あったそうですな。
ミタンニの存在は、青銅器時代にオリエントの都市民を征服しうるイラン系牧畜民が
存在した証であり、すでに後にスキタイとなる人々が存在していた証でもありますな。
868世界@名無史さん:2008/11/11(火) 17:27:16 0
トラキア系のフリュギア人とイラン系のキンメリア人と
アルメニア人は関係ないでしょ。
869世界@名無史さん:2008/11/11(火) 17:37:23 0
>>868
昔から、密接な関係があるっていうのが定説だよ
870世界@名無史さん:2008/11/11(火) 19:13:47 0
>> 864
失礼、いそいで読んだもので、この理論は初めて知りました。

Dr. C. George Boereeはインド・ヨーロッパ語のHomelandをハンガリーに
していますよ。こんな説を信じるのですか?

インド・ヨーロッパ語のHomelandは
クルガン説によれば6000年前に中央アジアで、
アナトリア説によれば9000年前にアナトリア高原ですよ。

この人は心理学の先生ですよ!
本当にこの説を言語学の学会で発表したのかな?

スラヴ語の派生より1000年程遅れて
ドイツ語はインド・ヨーロッパ語から第一次子音推移によって派生した。
が定説です。

これほど意見に違いがあれば、これ以上の議論は無駄です。
しかし大学院に進学されるのであれば、考え直してください。

「カスwww」「駄目だな!」等という表現は避けましょう。
異なった意見を持っている人の人格を尊重するのが、
研究者のルールです。
871世界@名無史さん:2008/11/11(火) 20:05:51 0
>>870
>Dr. C. George Boereeはインド・ヨーロッパ語のHomelandをハンガリーに
>していますよ。

Homeland: The Danube River valley (Wallachia and Hungary). ←ワラキアも入ってるし
帯紋土器文化は昔ドナウ文化とか言われてたぐらいでドナウ川流域が中心地だし問題はねーな
872世界@名無史さん:2008/11/11(火) 20:25:46 0
>スラヴ語の派生より1000年程遅れて
>ドイツ語はインド・ヨーロッパ語から第一次子音推移によって派生した。
>が定説です。

完全に勘違いしていますね。頭悪いのでは?
まず本題に入る前に、ドイツ語じゃなくてゲルマン語です。

さて、本題に入りましょう。

後にゲルマン語を話すようになった北方方言の集団(プロト・ゲルマン民族)はすでに新石器時代に
デンマークやスウェーデン南部の地域に移住しています。
その後ケルト語の系統と思われる集団が進出し、プロト・ゲルマン民族と他の北方方言の集団とを分けてしまいます。
第一次子音推移や、他の北方方言集団(プロト・バルトスラヴ語)のサテム化、すなわち
ケルト語に隔てられた東西の北方方言がそれぞれ決定的な展開を遂げるのは、
この隔絶がしばらく続いた後に起きているのです。
先に第一次子音推移が起きて、その後に北方へ移住したわけではないのです。

繰り返しますが、頭悪いのでは?
873世界@名無史さん:2008/11/11(火) 20:27:49 0
>異なった意見を持っている人の人格を尊重するのが、
>研究者のルールです。

あなたは明らかにこの分野の正規の教育を受けた研究者じゃないです。
874世界@名無史さん:2008/11/11(火) 22:41:41 0
>> 872

プロト・ゲルマン語は前ゲルマン語の意味ですね! ならば理解しました。
私は歴史言語学を1980年代に習いました。専門用語が変わったんですね。
wikiでも、プロト・ドイツ語になっていました。

やはり北方方言はドイツでは聞こえが悪いらしく、eine Dialektgruppe innerhalb der indogermanischen Sprachen
インド・ヨーロッパ語内の一方言となっています。

Hierbei bildet das Protogermanische mit den Vorläufern der baltischen
und slawischen Sprachen eine Dialektgruppe innerhalb der indogermanischen Sprachen.
Das Protogermanische löste sich dann aus dieser Gruppe, wobei es möglicherwiese
von einer nicht-indogermanischen Sprache beeinflusst wurde.

>> ケルト語の系統と思われる集団が進出し
この集団に前ゲルマン人の一部か吸収された可能性もあるので、
「前ゲルマン民族」は使ってはいけないとドイツで教わりました。
「前ゲルマン」はあくまで、言語上の概念だと。

875世界@名無史さん:2008/11/11(火) 23:27:33 0
プロトの意味も知らないやつにシッタカされたくないもんだなw
876世界@名無史さん:2008/11/11(火) 23:29:47 0
それに日本語では原ゲルマンだしなw

前とかw
877世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:06:07 0
>この集団に前ゲルマン人の一部か吸収された可能性もあるので、

ケルト系の集団が西でゲルマン系‐ケルト系、東でケルト系‐バルトスラヴ系と混じった可能性はありです。
しかしゲルマン系の第一次子音推移については、非インド・ヨーロッパ語族系のうちの
北ヨーロッパ方言の住民との同化の要素の可能性が高いのです。
この非インド・ヨーロッパ系の原住民はY染色体遺伝子ハプログループR1b1やQで特徴付けられます。
ヨーロッパでは北へ行くほどQが多い傾向があるので
非インド・ヨーロッパ系原住民言語の北ヨーロッパ方言はマーカーQとの関連が高いと思われます。
実際はQが優位でR1bと混血した原住民が後から来たインド・ヨーロッパ系北方方言R1aの西方集団と
Q/R1b原住民が比較的優位のまま混血したのがプロト・ゲルマン語の住民でしょう。
北方方言R1aの東方集団とQ/R1b原住民が、R1a1優位で混血したものがケントゥム語の時代の
プロト・バルトスラヴ語の住民でしょう。
このプロト・バルトスラヴに、東からやってきたサテム語のイラン系住民が同化したため、
プロト・バルトスラヴ語はサテム訛りを獲得したのです(Satemization)。
これが農業をするスキタイ人(プロト・バルトスラヴ)と遊牧スキタイ人(イラン語派)の接触の時代に当たります。
878世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:11:49 0
>> シッタカされたくないもんだなw
私の時代の定説を説明しているだけですよ。挑発には乗りません。

スキタイ情報
 矢が頬に刺さった痕がある頭蓋骨の分析。
 治療の形跡。快癒。
 高い医療技術。人体構造の知識。

 ミイラ 内蔵と筋肉と脳髄を摘出。エジプトミイラのレベル。

憶測
 医療と葬式と呪術を司る司祭階級の存在。
879世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:15:07 0
失礼>>877のQはQではなくIです。単純なタイポ。
880世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:33:46 0
そろそろ整理しましょう。
まあ、もちろん完璧に詳細というわけではありませんが、スキタイ人とスラヴ人の関係は
基本的に以下で間違いないでしょう。あとは細かいところを詰めていくだけです。

プロト・スラヴ1=農耕スキタイ(チェルノレス文化)←遊牧スキタイが同化

プロト・スラヴ2(チェノレス文化)

プロト・スラヴ2←ケルトが同化 / プロト・スラヴ2 / プロト・スラヴ2←サルマートが同化

プロト・スラヴ3(プシェヴォルスク文化) / プロト・スラヴ2(ザルビンツィ文化) / プロト・スラヴ4(チェルニァコフ文化)

プロト・スラヴ3←ゲルマンが同化 / プロト・スラヴ2←フィンが同化 / プロト・スラヴ4

プロト・スラヴ5(プシェヴォルスク文化)/ プロト・スラヴ3(ザルビンツィ文化) / プロト・スラヴ2←プロト・スラヴ4が同化 / プロト・スラヴ4(チェルニァコフ文化)←ゴートの一部が同化

プロト・スラヴ5(プシェヴォルスク文化) / プロト・スラヴ3(ザルビンツィ文化)/ プロト・スラヴ6(キエフ文化) / プロト・スラヴ7(チェルニァコフ文化)

プロト・スラヴ5 / プロト・スラヴ3とプロト・スラヴ6とプロト・スラヴ7が同化

881世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:34:11 0

プロト・スラヴ5(プシェヴォルスク文化) / プロト・スラヴ9 (キエフ文化)

プロト・スラヴ5(プシェヴォルスク文化) / プロト・スラヴ5とプロト・スラヴ9が同化 / プロト・スラヴ9 (キエフ文化)

プロト・スラヴ5(プシェヴォルスク文化) / プロト・スラヴ10(プラハ・コルチャク文化) / プロト・スラヴ9(キエフ文化)

プロト・スラヴ5とプロト・スラヴ10が同化(プラハ・コルチャク文化の普及) / プロト・スラヴ10とプロト・スラヴ9が同化(プラハ・コルチャク文化の普及)

プロト・スラヴ11(プロト・西スラヴ) / プロト・スラヴ12(プロト・東スラヴ)

プロト・西スラヴ / 南下したプロト西スラヴと南下したプロト・東スラヴが同化 / プロト・東スラヴ

西スラヴ / 南スラヴ / 東スラヴ

これが約1000年の間に起こっています
各時代で「/」で区切ったうちの一番右はギリシャ人や東ローマ人によって
歴史上つねに「スキタイ人」と呼ばれていた集団です
882世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:49:27 0
>> 北ヨーロッパ方言の住民

これは巨石墓文化の人々のことですね。この人々の言語の影響は
第一次子音推移の他に、アクセントの固定があります。
本来インド・ヨーロッパ語はアクセントの位置は自由ですが、
ドイツ語は第一母音に固定され、その結果語尾が曖昧になり、
冠詞、不定冠詞が必要になりました。

スラヴ語には冠詞、不定冠詞は必要ではないですよね。
このあたりの領域の比較研究が私の副専攻です。
しかし仕事に追われ、ぜんぜん進んでいません。
883世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:59:06 0
スラヴ語でもブルガリア語は冠詞があります。
884世界@名無史さん:2008/11/12(水) 01:12:04 0
私は
農耕スキタイ(チェルノレス文化)←遊牧スキタイが同化
の過程を詳細に見て行きたいですね!
遊牧文化と農耕文化の融合過程を。

しかし疑問点は、農耕スキタイがスラヴなら、乗馬術や戦車くらい
知っているはずで、農耕を専門にする必要はないと思いますね。
885世界@名無史さん:2008/11/12(水) 01:22:57 0
>これは巨石墓文化の人々のことですね。

巨石墓文化そのものがまた他から伝播した可能性があります。
巨石墳墓は北欧のFunnelbeaker(漏斗状陶器)文化の晩期に現れています。
印欧語集団侵入直前の北欧の非印欧語住民時代の文化は巨石墳墓よりも、漏斗状陶器にその特徴があります。
巨石墓文化ではなく、漏斗状陶器文化として認識しなくてはなりません。
886世界@名無史さん:2008/11/12(水) 01:28:31 0
>> 883
ブルガリア語の後置冠詞

なんて矛盾した概念でしょう。なんでこんなことになってしまったのか?
膠着語の名残?
887世界@名無史さん:2008/11/12(水) 01:38:14 0
>しかし疑問点は、農耕スキタイがスラヴなら、乗馬術や戦車くらい
>知っているはずで、農耕を専門にする必要はないと思いますね。

もちろん。チェルノレス文化は馬の利用がスラヴ系に浸透する過程に当たります。
次の時代については、
スラヴ系の最も東方にあったチェルニァコフ文化は馬中心の文化です。
次に、タキトゥスのゲルマニアに出てくるヴィスワ川の東方にいた歩兵主体の人々は
明らかにザルヴィンツィ文化のスラヴ系やバルト系の人々です。
彼らも馬を使っていましたが、馬は貴重だったかあるいは沼沢地の多い地形のためか、
馬が農耕に使われた形跡は多数見つかりますが、戦闘に使われたかははっきりしません。
そして、ヴィスワの西方にいたルーク人はスラヴ系優位でそこにケルト系やゲルマン系の混在した
プシェヴォルスク文化の人々と考えるのが合理的です。プシェヴォルスク文化では馬を多用しました。
888世界@名無史さん:2008/11/12(水) 01:42:22 0
>>886
印欧語における冠詞の出現は、印欧語族の侵入者と非印欧語族の先住民のように
文法が非常に異なる言語が同化したことと大いに関係があるでしょう。
ヨーロッパの冠詞の分布状況からしてその可能性が大です。
ゲルマン系言語の成立については先に述べました。
ブルガリア語はブルガール人が数的に優位なスラヴ人に同化しています。
889世界@名無史さん:2008/11/14(金) 14:53:14 0
>>文法が非常に異なる言語が同化したことと大いに関係があるでしょう。
上記のアクセント移動論は古い定説です。
新説も念のために紹介します。

「ドイツ語(ゲルマン語派)の動詞がアクペクトを失ったので、
指示代名詞を冠詞として導入し、アクペクトを表現するようになった。
スラヴ語は動詞がアクペクトを表現するので、冠詞は必要ない。」

動詞がアクペクトを失うという点で 非印欧語族の影響があるかもしれません。
この点ではドイツ語もクレオールですね。
注意点は、英語とドイツ語がゲルマン語から分離した後に、冠詞の
文法化(指示代名詞の意味を失う)が両言語でおきたことです。
890世界@名無史さん:2008/11/14(金) 19:26:44 0
印欧語に慣れてなければアスペクトが理解できないから
印欧語話者が非印欧語話者と手っ取り早く意思疎通するためには
アスペクトを取ってしまうのが一番簡単
891世界@名無史さん:2008/11/15(土) 15:20:16 0
>>800
>>武力に頼った他民族がさらに他民族との抗争で敗北して支配層が滅亡したとき

私はこの着眼点は正しいと思います。
スキタイは明らかに王朝制の階層社会です。
892世界@名無史さん:2008/11/15(土) 18:15:55 0
「客人来たれば神来る」という、スラヴの全域に伝わる非常に古い諺がある
客が訪ねてくれば、たとえどのような人であってもまずはパンと塩を渡して暖かくもてなすのだ
パンは古代にはイーストの入っていないもの、中世からはイーストの入ったものを出した

サルマートに打ち倒されて疲弊したスキタイ遊牧民の難民を暖かく受け入れたのは
隣人であり里や森の人であるスキタイ農耕民のスラヴ人であっただろう
古代の弱肉強食の世界では平和ボケとも言えるが、なぜここまで温和な民族であったのか?

mtDNAのハプロタイプXというのがあり、その最初の女性にクセニアという愛称がついている
これはフランス北部からブリテン島にかけての地域、中欧ポーランド東部から東欧ベラルーシ南部やウクライナ西北部と、
2つの地域に固まっている
農耕スキタイは後者のものと完全に一致する
チェルノレス文化へ発展したこの系統はある時期2000年以上も他の集団の影響を受けないまま過ごしている
この期間、他集団との戦争があったことを示す証拠がまったく見つからない
つまり、太平の世が2000年も続いていたのだ
893世界@名無史さん:2008/11/17(月) 22:10:49 0
>>サルマートに打ち倒されて疲弊したスキタイ遊牧民の難民を暖かく受け入れたのは

私もこの意見に賛成です。
スキタイはスラヴ社会とギリシャ社会の仲介者では?

遺跡の調査からわかることは、
スキタイの全盛期はギリシャの軍事力を凌駕していたことです。
894世界@名無史さん:2008/11/17(月) 22:55:01 0
住んでるところの植生や気候が違うからギリシャとは直接ぶつからない
結局、同じような土地を好むサルマートにやられた
895世界@名無史さん:2008/11/18(火) 18:35:27 0
>> ギリシャとは直接ぶつからない

確かにそうです。ギリシャとスキタイは平時は通商パートナーです。
しかし、何回か戦争があったそうです。
黒海の北海岸の覇権はスキタイが握っています。
ギリシャの目的は穀物と奴隷。
896世界@名無史さん:2008/11/25(火) 02:22:26 0
平井堅は生粋の日本人だと言い張ってるがどう見てもスキタイ(トカラ系)の隔世遺伝だろw
897世界@名無史さん:2008/11/25(火) 02:43:22 0
俺は世界史の門外漢だが、洋の東西を問わず古代末期から中世にかけての支配階級が
騎馬戦士の家系であることから民族区分は人口マジョリティの平民が決定要因であり
王族・支配者階級は分化した時期がわりと近い同族とでも言うべき関係性があったのでは
ないかと思う。
898897:2008/11/25(火) 03:03:47 0
おまいらのじれったい論争を俺が裁断しよう。
スキタイ人はスキタイ民族ではなくスキタイ人(=支配者・王族)
即ちスキタイ人壊滅を期して被支配民族の顕在化が見られただけのこと。
ギリシャやローマの記述は国家=王の概念。
最初から最後まで民族としてのスラブやゲルマンは居た訳だ。
899世界@名無史さん:2008/11/25(火) 03:14:29 0
古代までは族長制だが古代末期から中世以降は
国家構成上、出身母体によるヒエラルキーが全世界的に起こったのだ。
900世界@名無史さん:2008/11/26(水) 19:24:23 0
>>860
ヘロトドスによれば、リディア人は元来マイオニア人と呼ばれていたそうですが、
スキタイ支配下にアゾフ海沿岸にいたマイオタイと関連があるのかもしれません。
901ケータイ野郎 :2008/12/01(月) 19:51:49 O
大阪でサカが坂でSOCCER

坂の上のサカ


(ν_ゝν)素晴らしいです。
(無視希望絶対)
902ケータイ野郎 :2008/12/01(月) 20:00:42 O
坂さんって皆さんのクラスにも居ません?
あ、別に構って欲しくて埒外な事言ってる訳じゃ無いんで、
関心ヒキタイ訳でも無く、ただの気晴らしと言うかストレス発散なので、私の発言は皆スルーして下さい。
いや本気で、
そしたら此所から消えていきますんで。
903世界@名無史さん:2008/12/02(火) 23:06:27 0
古代の哲学者アナカルシスはスキタイの王族だったが、兄王は彼をあまりにも「ギリシャ化」したという罪状で処刑した。
そのアナカルシスの甥にあたるイダンテュルソス王はダレイオスの遠征軍を撃退した。
スキタイ王のアタイアスは勢力を拡大しドナウ河畔まで達したという。
しかしアレクサンドロスの父、フィリッポスに破れスキタイは衰弱への道を辿る・・
ヨーロッパにおいてローマ帝国以前にこのような王朝があったことを
何故か西欧・ロシアの史家は触れたがらない。

904世界@名無史さん:2008/12/03(水) 01:49:51 0
えーローマ以前の国としては結構メジャーやんスキタイ。
あともうちょっと、せめて王統の記録だけでも匈奴なみに残ってると
よかったんだが。
905世界@名無史さん:2008/12/03(水) 03:21:10 0
フィリッポス2世と戦ったアタイアスの治世が、スキタイの最盛期であったと
されるが、スキタイの長い歴史からすると、アタイアスは、ヘルマンリックや
アッティラの様な存在ではなく、アンティオコス3世やホスロー2世パルビス
様な存在と想像される。
キュアクサレス的なアタイアスよりも強大なスキタイ諸王らの記録がない事は、
誠に残念な事である。
906世界@名無史さん:2008/12/03(水) 03:50:34 0
遊牧民は自身の記録を残していないからねい。どうしても、中国だのギリシャだのの
記録に頼ることになる。
907世界@名無史さん:2008/12/03(水) 07:02:14 0
リュディアを占領していたスキタイはリュディア王にマディエス王が
酒宴において討ち取られてしまい残党はカフカース北方へ逃げ帰ったという。
ロシア人は自らの酒好きを先祖がスキタイ人だからだとか言うこともあるという。

908世界@名無史さん:2008/12/03(水) 09:53:09 0
>>907
メディアを占領していたスキタイは、メディア王キュアクサレスにマディエス王が
酒宴において討ち取られてしまい、その残党らはカフカース北方へ逃げ帰ったという。
909世界@名無史さん:2008/12/04(木) 21:25:06 0
>>907
その割にステップ地帯に近接したウクライナ人よりも
森林地帯でフィン系狩猟民と混血したいわゆる「ロシア人」の方が派手に飲むらしいが
910世界@名無史さん:2008/12/05(金) 22:35:32 O
百聞は一見に如かず。
911世界@名無史さん:2008/12/06(土) 07:45:00 0
ロシア人やウクライナ人など東スラヴ人は祖先のことをスキタイ人と結び付けたがる面があり、
スキタイの遺跡や遺品を「これはギリシャの職人の技術によって作られた」などというと、
「いや、これはスキタイ自身の技術で作られた」と猛反駁したりする。
912世界@名無史さん:2008/12/06(土) 10:39:09 0
ウクライナのオメリヤン・ プリツァクなんかはThe Origin of Rus'で
黒海北岸にヘレニズムがあったことを強調してたような
913世界@名無史さん:2008/12/07(日) 00:33:23 0
ギリシャ人って、もともと黒海周辺からの移住民族
914世界@名無史さん:2008/12/07(日) 01:10:19 0
>>913
でも南下する前は「ギリシャ文化」を云々するのはあまり意味はないような・・・

エーゲ海周辺も野蛮なドーリア人とかが南下してきて一気に文明レベルが下がったらしいしw
915世界@名無史さん:2008/12/07(日) 01:55:37 0
>ギリシャ人って、もともと黒海周辺からの移住民族
ギリシャ人は黒海北岸からスキタイなどの遊牧民にどつき出された負け組集団なのかもしれない。
916世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:32:48 0
>>915
というかミケーネ文明崩壊の頃に騎馬遊牧文化は成立してたのだろうか
917世界@名無史さん:2008/12/07(日) 09:56:59 0
騎兵と鉄剣でドーリア人は、ミケナイの戦車を、撃破したとされる。
ドーリア人らは、後のゴート族らのように原住地を追われ、南下したらしい。
ドリーア人らを追い払う事が出来た連中も、騎馬民族であったと考えられる。
918世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:03:44 0
スキタイ民族って、ないから
スキュティアに住んでいた人々が、スキタイ人
そしてその子孫がスラヴ人であることは、論を待たない
というかスレの上の方で散々既出している話だが
無駄レスするより、スレを読め
919世界@名無史さん:2008/12/07(日) 10:17:24 0
>>918
それは何番へのレス?
920世界@名無史さん:2008/12/09(火) 18:20:55 0
「イリアス」の戦闘描写で不思議なことは、アポロン以外、弓矢は重要な武器ではない。
主な武器は投槍。この点から考えると
ミケーネ人を征服したギリシャ人は、スキタイの殺傷能力の高い高性能の合成弓を
持っていなかった。

私は918ではありません。
921世界@名無史さん:2008/12/09(火) 20:23:16 0
>>918
>スキュティアに住んでいた人々が、スキタイ人
であることが
>そしてその子孫がスラヴ人であることは、論を待たない
にどうしてつながるの?
スキュティアと呼ばれた地はクリミア・ハン国滅亡までイラン系やらトルコ系やらの遊牧民の地だった気がするが。
922世界@名無史さん:2008/12/10(水) 03:23:45 0
ポーランドのシュラフタはサルマートの末裔という神話が・・・
923世界@名無史さん:2008/12/10(水) 08:26:08 0
>>921
先にこのスレの上の方を読んだほうがいいんじゃないの?
924世界@名無史さん:2008/12/12(金) 17:07:24 0
アンドキデスの作品によると、
アテネでは1000人のスキタイ傭兵が警備をしていたそうです。

スパルタ王クレオメネスはスキタイ人の真似をして、ワインを水で薄めず飲んで、
精神錯乱で死んだ。

ギリシャとスキタイは関係が深い。
925世界@名無史さん:2008/12/13(土) 05:05:19 0
アルタイ山地のスキタイ人から母系DNAのFとDが見つかりました。

これは北東アジアのモンゴロイドのマーカー。混血した証拠。
スキタイは純血主義ではなかった。
926世界@名無史さん:2008/12/13(土) 05:51:22 0
酒に目が無いスキタイ人(酒宴に誘われだまし討ちを食らう王が続出)は
ウォッカ依存症のロシア人に受け継がれているのかもしれない。
927世界@名無史さん:2008/12/13(土) 07:34:15 0
>>925
あたりまえだろ
遊牧民なんだから

スキタイの子孫の現代スラヴ人がなんとなくソフトな顔つきなのは、
スラヴの先祖の一つであるスキタイがユーラシア中央部を行き来して
色々な人種と混血したからだ
928世界@名無史さん:2008/12/13(土) 14:10:32 0
>>923
読んだよ
まず農民スキタイや農耕スキタイはプロト・スラブである可能性は高いだろうし
王侯スキタイや遊牧スキタイがスラブに同化された可能性も高いだろう
しかしスキタイの支配下でなかったスラブも当然いるはずで、
だからスラブはスキタイの子孫、というのは少々間違った認識を招く言い方ではないだろうか?
929世界@名無史さん:2008/12/13(土) 17:52:52 0
>>927
モンゴル人は遊牧民だが、純血主義の傾向が強い。
純血主義は、女性の権利が強い、または 母系集団の組織力が強い証拠。
モンゴル人社会では女性が牧畜業に積極的に参加してきたので、
女性の地位は高い。異人種の女性を簡単には正妻には出来ない。朝青龍が典型。

私が言いたいことは、スキタイ人社会が家父長的で、男性の生産力が充実していた
ということ。
930世界@名無史さん:2008/12/13(土) 18:01:21 0
モンゴル帝国時代はトルコ系であるケレイトやイラン系のアス族などとも混血し捲くっていたようだが。
931世界@名無史さん:2008/12/13(土) 18:25:45 0
ケレイト部はチンギス一門の姻族
イラン系のアス族との婚姻はキプチャク草原経営のための策略結婚

母系集団を味方につけるため。

「純血主義」という表現は適切ではなかったかも。

私が言いたいことは、「遊牧民=混血」という自然法則はなく、
遊牧民が混血するときにも、一定の社会学的条件が必要だ、ということ。
932世界@名無史さん:2008/12/13(土) 19:09:17 0
スキタイの古墳では高い地位の女性には生贄に人馬がささげられているし、
神官・巫女のような役割を持っていたとヘロドトスの記述にもあり、
ギリシャや漢民族に比べればその地位は相当重要な位置を占めている。
933世界@名無史さん:2008/12/13(土) 19:28:10 0
>>932
そうです。女性に神秘的な能力を認めることで、現実の経済や政治の領域から
締め出してしまうのです。家父長制度の真髄です。

母権から父権へと移行する過渡期の現象だと思います。
タキトゥスのゲルマン女性に対する評価と同じです。
934世界@名無史さん:2008/12/13(土) 20:04:39 0
アマゾネスはサルマチア人に由来するそうだね
935世界@名無史さん:2008/12/13(土) 21:28:43 0
スキタイの青年とアマゾネスの間に生まれたのがサルマチアという伝承はある。
確かにサルマチアの女性の墓の副葬品には弓などの武器が目立つそうだが。
936世界@名無史さん:2008/12/13(土) 22:37:57 0
>>929
モンゴルでは朝青龍より格上でかつ名家の出である白鵬の嫁は日本人なんだが
937世界@名無史さん:2008/12/13(土) 23:22:52 O
>>936
んでもって朝青龍の風貌がモンゴル人のデフォルトだとすると
白鵬の風貌はモンゴル人とはかけ離れているようにも思える
顔も肌の色も
938世界@名無史さん:2008/12/15(月) 20:36:02 0
スキタイを真正面から取り上げると聖書の価値観がひっくり返る。
ユダヤ人を苛めたアッシリアの鉄器軍団はスキタイの騎兵に速攻に翻弄されて壊滅したし、
これまたユダヤ人を酷使したエジプトのファラオはスキタイゴラン高原まで南下して来ると
恐れ入って黄金を差し出してお引取り願ったというし、
スキタイではないが同じイラン系のマッサゲタイの女王トミュリスは
聖書が公正な王と称えているキュロス王に息子を酒宴でだまし討ちにされ
報復にキュロスの首を刎ね血の海に沈めた。
キリスト教化したヨーロッパではトミュリスは息子の仇を討った母ではなく
名君を殺害した傲慢な女王となってしまっている。
聖書・ユダヤ・ヨーロッパの価値観・世界観と相容れないものがイラン系遊牧民はあったように見える。
939世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:37:52 0
>>937
モンゴルのウランバートルにある国立博物館に行けば分かるのだが、
実は厳密な意味でモンゴル民族というのは存在せず、モンゴルというのは数十もの民族からなる多民族国家
朝青龍は基幹民族のハルハ人
カザフ系の民族が白鵬とよく似た顔をしており、白鵬の一族はバヤンウルギーのほうから来て
ウランバートルのナライハに定住した
940世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:43:18 0
>>928
スキタイと縁の薄いスラヴ人は西方の、ラウジッツ文化(ルサチア文化)、
そしてそのあとのプシェヴォルスク文化の担い手のうちのスラヴ系住民
しかし彼らも、プラハ・コルチャク文化の西進によって、東方から来た
スキタイ系と混血したスラヴ人と混血したから、間接的にはスキタイと関係がある
941世界@名無史さん:2008/12/15(月) 21:57:11 0
>>938
Polyainosによると、トミュリスが故意に置いていった酒をキュロス王と家来が飲んだ。
トミュリスが夜戻ってきて、酔っているキュロス王を襲った。です。

ペルシャ人も酒には弱かったのかな。

キュロス崇拝はペルシャ人が始めて、ギリシャ人が受け継いだそうです。
942世界@名無史さん:2008/12/15(月) 23:41:09 0
キュロスはバビロン虜囚からユダヤを解放したとしてユダヤはメシアと見なしているが。
元リュディア王の進言でキュロスはマッサゲタイへの遠征を敢行、
女王トミュリスの息子を酒宴に誘いこれを捕らえ、恥じた息子は自害、
トミュリスはキュロスに撤退を勧告するがキュロスはさらに進軍、
マッサゲタイの奥深くまで進軍したところを待ち伏せにされペルシャ軍は壊滅、
キュロスも戦死し、トミュリスは
「私は生き永らえて戦勝を得たが、所詮は我が子を謀にかけて葬った
そなたの勝ちであった。さあ、約束通りそなたを血に飽かせてやろう。」
とキュロスの首を刎ねて戦死者の血の海に沈めた。
これをユダヤや西欧は東方アジア蛮族の王の名君キュロスに対する傲慢な蛮行としているが
ヘロドトスは母親の息子の敵討ちとして一定の理解を示ししている。
943世界@名無史さん:2008/12/16(火) 00:43:13 0
カザフに大きい墳墓がたくさん残っているサカ族って、スキタイ系?
ペルシャも遠征したんだよね
944世界@名無史さん:2008/12/16(火) 07:03:18 0
>>943
イラン系遊牧民の西部の集団がスキュティア地方に進出してギリシャ人に「遊牧スキタイ」と呼ばれた
東部の集団は「サカ」と呼ばれた
945世界@名無史さん:2008/12/16(火) 22:08:11 0
>>942
キュロスは、トミュリスと結婚して、マッサゲタイを帝国に併合しようとしたが、
トミュリスの息子が自殺してしまい、失敗してしまったとされる。
キュロスの計画通りならば、スキタイを含めたすべてのイラン人を統一する事への
第一歩となった可能性がある。
アケメネス朝によりスキタイ諸族が統一されたのならば、匈奴らに各個撃破される事
が避けられたであろう。
946世界@名無史さん:2008/12/16(火) 23:38:14 0
>>944
ありがとうございます。
サカはスキタイと同系だったんだ。

あの墳墓が、朝鮮経由で伝わって、日本の古墳になったのかも。
947世界@名無史さん:2008/12/17(水) 09:19:06 0
>>946
スキタイはギリシャ語の呼び方で、この単数形はΣκύθ、
このθは無声音で発音しなかったりするから、実際はΣκύと聞こえる

サカは中国語の呼び方で、塞克
中国語から見ると、Scythに漢字を当てる際最後の子音thを端折ってΣ塞、κύ克としている

Σκύも塞克もほぼ同じ発音
948世界@名無史さん:2008/12/17(水) 12:23:13 0
>>946
伝わったとしても朝鮮経由ではないと思われる
日本の古墳と朝鮮の古墳では日本の古墳のが多様性に富み
朝鮮にはむしろ日本から伝わったというが今の主流
949世界@名無史さん:2008/12/17(水) 13:03:37 0
サカと最初に名付けたのはペルシャ人では?

サカ族は傭兵してもペルシャ側で戦った時もある。
ダレイオス1世の時は貢物をする立場。
950世界@名無史さん:2008/12/17(水) 13:26:49 0
>>スキタイを含めたすべてのイラン人を統一

非現実的だったのでは?
サルマチアはスキタイと同族で最初友好関係にあったが、
重装騎兵戦術を確立させた後は敵対し、スキタイを滅ぼした。

遊牧民と言っても、草原を放浪しているのではなく、良質な牧草を求めて、
同族間でも抗争した。いかがでしょうか?
951世界@名無史さん:2008/12/17(水) 13:38:33 0
>>あの墳墓が、朝鮮経由で伝わって、日本の古墳になったのかも。

朝鮮経由かどうかには議論の余地があります。
しかし、日本の古墳は騎馬民族起源であることは確かでしょう。
952世界@名無史さん:2008/12/17(水) 17:49:10 0
>>946
スキタイとサカロウライとギリシャ人は、アレクサンドロスの遠征以降、両者を区別するようになった。
953世界@名無史さん:2008/12/17(水) 18:02:03 0
>>942
キュロスがトミュリスと結婚するつもりだったと言う事は、トミュリスの息子
とキュロスの死に、カンビュセスが関与していた可能性がありますな。
カンビュセスからダリウス1世への王位継承の過程も、捏造が疑われていますが、
こちらの方も怪しげでありますな。
954世界@名無史さん:2008/12/17(水) 21:18:48 0
ダレイオスはサカ族の居るカスピ海沿岸からではなくギリシャ諸都市のある
黒海沿岸からスキタイへの遠征を行っている。
従属していたとは言え同じ遊牧民同士の戦いになってしまうと
サカ族はスキタイ側に寝返ることを危惧したのかもしれない。
955世界@名無史さん:2008/12/17(水) 21:31:42 0
マッサゲタイはスキタイをカザフステップから追いやったというほどの強力な集団で、
如何にペルシャ帝国とは言えども簡単に従属させられるようなヤワなものではない。
956世界@名無史さん:2008/12/17(水) 21:47:05 0
キュロスは、その強力な集団をそっくりそのまま、配下に加えたかったのでしょうな。
後年、アレクサンドロスがロクサナとの結婚により、インド遠征に必要な兵力を増強
した事に似てますな。
957世界@名無史さん:2008/12/17(水) 22:56:01 0
マッサゲタイは騎馬軍団としてはスキタイより強かったが
西方に追いやられたものの黒海北岸で地固めをして農耕民を支配下におさめ
国力を増強したスキタイに次第に主導権を奪われたようでダレイオスの頃には
完全にスキタイがコーカサス・カスピ海沿岸の支配権を握っていたみたいだ。
958世界@名無史さん:2008/12/17(水) 23:03:11 0
>>945
イラン民族という概念はない
スキタイの遊牧民は遊牧民としてのアイデンティティ
ペルシャ人はペルシャ国民というアイデンティティ
民族意識さえ無い

よって統一の可能性は0

959世界@名無史さん:2008/12/17(水) 23:28:07 0
>>958
バビロニアやリディアと同じく征服すれば、統一は可能ですな。
後のイスラム世界も武力征服によって形成された。
960世界@名無史さん:2008/12/18(木) 05:18:25 0
この地域の定住民と遊牧民を統合し得たのはモンゴル帝国、ティムール帝国と遊牧民側の勢力で
ペルシャのような定住民側の勢力が遊牧民を統合することは無かった
961世界@名無史さん:2008/12/18(木) 08:38:43 0
アケメネス朝時代のペルシャ人は、ティムール朝時代のトルコ人らに近い生活様式
だったとされる。
ペルシャ帝国の都市文明は、エラム人、バビロニア人、アラム人、フェニキア人、
ギリシャ人など非イラン人らに担われていたとされる。
962世界@名無史さん:2008/12/18(木) 08:53:43 0
>>960
農耕民はステップなんかに住みたくないからな
遊牧民の地域に進出したがるわけがない
963世界@名無史さん:2008/12/18(木) 08:54:06 0
>>959
ないね
そもそも統一の動機、理由がない
964世界@名無史さん:2008/12/18(木) 18:56:45 0
>>960
単純に飽くことなき領土拡大、世界征服願望が動機になるのでは?
カンビュセスはエジプトのみならず、クシュやカルタゴをも征服しようとした。
ダリウス1世は、黒海沿岸のスキタイにまで実際に攻め込んでいた。
965世界@名無史さん:2008/12/18(木) 19:25:58 0
>>962
ローマ時代のゲルマン人と中世以降のドイツ人の生活様式が異なる様に、
アケメネス朝時代のイラン人とササン朝以降のイラン人の生活様式は
同一ではないであろう。我が国の縄文時代の頃の昔の事である。
この時代のメディア人やペルシャ人は、まだ半農半牧民であり、
バビロニア人やエジプト人からすれば、好戦的な蛮族であった。
966世界@名無史さん:2008/12/18(木) 19:31:39 0
スキタイ系遊牧民は28年間メソポタミア地域に居座っていた。
キュロスやダレイオスの遠征はこの雪辱を晴らす意味合いもあった。
967世界@名無史さん:2008/12/18(木) 19:35:14 0
>>963
言うまでもなく、動機があり実行したとしても、全てが成功するわけではない。
フビライは日本を征服しようとしたが失敗したが、同様にキュロスとダリウス
1世らもさらなる征服に失敗した。
968世界@名無史さん:2008/12/18(木) 20:10:41 0
>>966
これは昔からよく言われている話でありますが、不可解な言説でありますよな。
スキタイらの攻撃でアッシリアが弱体化した結果、メディアとペルシアが天下
を取る機会が生じたわけだから、スキタイは恩人ではないのだろうか?
アッシリアが万全ならば、メディアやカルデアらの方が皆殺しされたはずだから、
スキタイらはまさに命の恩人だったのではないだろうか?
アッシリアがスキタイに報復すると言うならば、理屈が通るのだが・・・
969世界@名無史さん:2008/12/18(木) 21:43:42 0
宋を苛めた金をフルボッコして叩き潰したモンゴルを明が追い出して建国し
その後は執拗にモンゴルに遠征した例えで
宋(メディア)
金(アッシリア)
モンゴル(スキタイ)
明(ペルシャ)
とすれば理解できる。
970世界@名無史さん:2008/12/18(木) 23:00:54 0
モンゴル(スキタイ)、契丹(メディア)、金(アッシリア)、宋(カルデア)かな
971世界@名無史さん:2008/12/18(木) 23:22:13 0
月氏(スキタイ)、匈奴(メディア)、秦(アッシリア)、周(バビロニア)、漢(カルデア)だろうな
972世界@名無史さん:2008/12/19(金) 14:49:54 0
ドイツ人の愛好家(皆さんには評判は悪いが)
がスキタイの弓矢とペルシアの防御盾を復元して、実際に矢を放ってみました。
結果は、防御盾を簡単に貫通しました。強弓のスキタイ人ならばもっと破壊力があったでしょう。

スキタイは少数でも、アウトレンジ戦法でゲリラ戦を展開したので、
歩兵中心のペルシャ軍は大損害を出したのでは。

アケメネス朝ペルシャでは貴族が没落して、騎兵が弱体化していたのでは?
973世界@名無史さん:2008/12/19(金) 19:05:28 0
>>972
ダリウス即位時の内乱で、王朝創建以来?のペルシャ貴族らが没落する事はありえたであろうな。
ダリウスが、イエニチェリ的に、非イラン人歩兵らを優遇する事もありえたであろうな。
ダリウスは、後世にダイラムと呼ばれるヒルカニア出身だとされるので、彼の軍は元来歩兵が
多かったのかもしれない。
974世界@名無史さん:2008/12/19(金) 20:24:56 0
ペルシャが遊牧勢力相手に勝ったのはサカのションカ王が恭順して来た時ぐらいで、
マッサゲタイのトミュリスに敗れたキュロス、スキタイのイダンテュルソスに敗れたダレイオスと負けが込んでいる。
975世界@名無史さん:2008/12/19(金) 21:13:08 0
ガウガメラの会戦でダレイオス3世が戦車で指揮していたのが事実ならば、
ペルシャは伝統に固執し過ぎてていたのだろうな。
スキタイ式弓騎兵とギリシャ式重装歩兵を組み合わせて主力としていれば、
ペルシャは無敵だったのだろうな。
976世界@名無史さん:2008/12/19(金) 21:52:08 0
ガウガメラの戦いでは、スキタイ騎兵はペルシャ軍の左翼で参戦していますが、
ギリシャ歩兵部隊に押し返されます。
スキタイ騎兵も会戦型の決戦では、強さを発揮できなかった。
977世界@名無史さん:2008/12/19(金) 22:44:15 0
ペルシャの傭兵化したスキタイは自らの戦法では戦えなかったのかもしれない。
スキタイ自身の戦法は基本として正面戦闘や接近戦を極力避け、
距離を置いて弓と投げ縄で相手をしとめたり、
相手を挑発し追撃させ疲弊したところを叩く戦術を取っている。
978世界@名無史さん:2008/12/20(土) 13:55:59 0
ギリシャ側の記述によると、スキタイには軽装騎兵と少数重装騎兵がいたようです。
ダレイオスの作戦は、スキタイがギリシャの背後に回って、ゲリラ戦をするでは?

しかしスキタイは前線を突破できなかった。この時点でスキタイ騎馬戦法の弱点が露呈した。
これを見たサルマチアが重装騎兵を充実させ、スキタイを破ったと思う。

しかし、ダレイオスですが、
彼はこの重要な位置に、ペルシャ騎兵ではなく、スキタイ騎兵を配置した。
これが、ペルシャ騎兵の弱体化論の根拠です。

ダレはアレキが中央突破を始めるとすぐに逃走する。
ダレはまったくペルシャ騎兵を信頼していない。


979世界@名無史さん:2008/12/20(土) 18:13:28 0
>>978
ともに重装騎兵を主力としたサルマチアとパルチアは同族であろうか?
サルマチアの原住地はウラル山脈の南だとされるが、アルサケスらは
かの地からパルチアへ南下したのかもしれないですな。

ダレイオス3世は、即位直前までアルメニアのサトラップだったので、
ペルシャ本国人の忠誠を期待出来なかったのかもしれないですな。
980世界@名無史さん:2008/12/22(月) 21:29:49 0
アレクサンドロスの遠征軍はカザフステップではスキタイ・マッサゲタイ相手に苦戦して
シル河で進撃を止めて南方へと方向を変えている。アレクサンドロスが南に去るとこれら遊牧勢力はまたもどってきた。
逃げ水を追うような展開はダレイオスのスキタイ遠征に近いものがある。
981世界@名無史さん:2008/12/23(火) 14:12:38 0
ギリシャの報告では、スキタイは和平を結んで、インド遠征に騎兵を提供したもよう。

スキタイもギリシャ重装騎兵ヘタイロイ戦法を習得したかったのでは?
982世界@名無史さん:2008/12/23(火) 15:13:55 0
パルティアってスキタイ系じゃなかったっけ・・・
983世界@名無史さん:2008/12/23(火) 17:15:26 0
>>1
中島敦先生の
「狐憑(こひょう)」
という小説を読めば、
おおよそのことは
わかるでしょう。
984世界@名無史さん:2008/12/24(水) 02:14:28 0
>>981
スピタメネスの娘アパメとセレウコスが結婚したそうだんね。
キュロスが望んだ事を、セレウコスが実現したみたいだね。
985世界@名無史さん:2008/12/25(木) 00:01:45 0
スキタイがサルマートに敗れたのはサルマートの重装騎兵の為だというが、それよりも
スキタイはギリシャの影響で定住化し、遊牧民としての強さを失っていった為に
遊牧民としての剽悍性を保っていたサルマートに敗れたという要因の方が大きいと思う。
中国に侵入した遊牧民が漢民族に影響され弱体化し新手の遊牧民に撃破されてしまうパターンに近いのでは。
986世界@名無史さん:2008/12/25(木) 00:59:53 0
そろそろ新スレ立てないと。ちなみに俺は規制がかかっていて無理。
987世界@名無史さん:2008/12/26(金) 00:40:09 0
>>658
東ヨーロッパ人種は平面顔じゃないだろ
充分彫り深いし鼻も鷲鼻の人もいるぐらいだし。
顔が丸いのは事実。だから日本人にも比較的好まれる。
988世界@名無史さん:2008/12/26(金) 08:53:20 0
>>985
定住化が進んだのはギリシャの影響よりも農耕スキタイ=スラブの影響だろ
むしろ遊牧スキタイはスラブに吸収されて同化して消えたんだろ
989世界@名無史さん:2008/12/26(金) 14:44:43 0
Olbia付近のスキタイの村遺跡やNeapolisは明らかにギリシャの影響ですね。

スキタイは完全な遊牧民ではなく、機会があると都市を造り定住しました。
しかし、都市は敵に襲撃されると放棄されました。

農耕スキタイは有能な農耕民で、ドナウ川流域からクリムステップに至るまで
耕地を広げ、小麦、大麦、ライ麦を輸出していた。家畜も豊富、だた豚がいない。

農耕スキタイが遊牧スキタイを受け入れることは、土地の生産力からは可能でしょう。

農耕スキタイがスラヴかどうかは、まだ検討中です。
990世界@名無史さん:2008/12/26(金) 17:33:12 0
皆さんへの提案、このスレは、だれでも見れるように、このあたりで止めて、
新しくスレを開いらいてはどうですか?
ちなみに私はもう書き込みません。
991世界@名無史さん
次スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1230283185/
★スキタイ人はどんな遊牧民族なの? 第2章★

テンプレらしきことを書きたい方は早めにどうぞ