1 :
世界@名無史さん:
本当に圧制的だったのかどうかは論議の的だが。
2 :
世界@名無史さん:2005/11/12(土) 21:48:12 0
アッシリアと比べると新バビロニアが可愛く見えちゃう罠。
ヘブライ人をはじめ周辺民族にとっては、アケメネス朝ペルシアが
一番マシだったのだろうな。アレクサンドロスもヘブライ人に酷かったし。
ペリシテ人もアッシリアに滅ぼされた。
4 :
世界@名無史さん:2005/11/13(日) 00:17:37 0
エセルハドン、センナケリブ、サルゴン、ティグラトピレセル、
シャムシアダド、アダドニラリ、シャルマネセル、
アッシュールナシルバル、アッシュールバニパル・・・
名前しか知らないが名前は知ってる覇王たち。ど素人スマソ。
5 :
世界@名無史さん:2005/11/13(日) 00:24:18 0
バビロニア人はもはや存在しないが、
アッシリア人(というか民族)は今でも存在しているというのはちょっと感動的。
エリツィン元大統領専属の占星術師がアッシリア人だったと聞いたことがある。
6 :
世界@名無史さん:2005/11/13(日) 00:56:56 0
>>5 それ凄い怪しいけどね。
中東のキリスト教徒ってみんな古代民族の末裔を自称してるんだよ。
アッシュール神との契約により倒した敵国の人間は一人残らず血祭りにしなきゃいかんとか言って
すんごい残酷な方法で虐殺しまくった国だっけ?
「アッシリア教会」の人々だから厳密には彼らのいうような
古代のアッシリアとはどれだけ関係あるか、って感じ。
もっとも彼らは現代アラム語であるシリア語の話者たちだから
「新アッシリア帝国臣民」の末裔ではあるだろうけど(w
9 :
世界@名無史さん:2005/11/13(日) 13:53:37 0
なんだか後世のイスラム教の苛烈さの下地を準備をしたような感じの王朝だな。
アッシリア=アル・シャーム?
「Syria」はギリシア人が「ma-at ash-shur(アッシュルの地)」ないし「a-sh-r-y-」だかを
音写するときに語頭のa-が脱落したものらしい。
ギリシア人は「クセルクセス」とか「ロクサネー」とか中東のsh音が苦手。
ああ、この場合は Assyria → Syria に変化したっていう方が良いのか。
13 :
世界@名無史さん:2005/11/13(日) 18:16:18 0
アケメネス朝時代の属州名は「アスラ」。
印欧語系の匂いがするね。
古代ペルシア語は「アウラマズダー」だから地名の「アスラ」は全然関係が無いけどね。
16 :
世界@名無史さん:2005/11/21(月) 22:04:53 0
旧約聖書でアッシリアが登場するのはエステル記あたり?
17 :
世界@名無史さん:2005/11/21(月) 22:19:40 0
アッカド人はどうなの?怖い人達なの?
18 :
世界@名無史さん:2005/11/21(月) 22:51:48 0
>>16今ちょっと『旧約聖書』を見たら、
エステル記はアケメネス朝ペルシアが舞台ですね。
アッシリア関連の記事が出るのは歴代誌下の32〜33あたり。
今漏れの手元にあるのは日本聖書協会が発行した新共同訳の聖書だが、
古い聖書ではアッシリアのことを「アッスリヤ」と表記してあったりする。
>>40 馬鹿厨房が。
スレタイは検索しやすくするのが基本だ。
>>1 馬鹿厨房が。
スレタイは検索しやすくするのが基本だ。
あっ☆しりや
>>1 >本当に圧制的だったのかどうかは論議の的だが。
「アッシリア」について、誰が、どの様な論議をしているのか明らかにすべき。
「圧制」なんてあいまいな術語で、歴史上の政治経済体制を表現するのは危険です。
少なくともアッシリア学の発展は、現地発掘調査に基づくギリシア=ヘブライ文献資料の
批判的読み直しにあったはずで、今さら「旧約聖書」で古代西アジア史を語るのはナンセンス。
岩波講座・世界史でもアッシリア学者でも
アッシリア=残忍のイメージが根強いが偏見ではないかと力説されてたぞ。
バビロンを破壊したり圧制のイメージは現代でも根強いと思うが。
>「圧制」なんてあいまいな術語で、歴史上の政治経済体制を表現するのは危険です。
つっても、これは正論なんだろうな。圧制が術後かどうかはともかく。
>バビロンを破壊したり圧制のイメージは現代でも根強い
バビロンを破壊したのは、アッシリアだけではないのにな。
アッシリアと新バビロニアは、旧約聖書では凶悪なイメージになってるし。
旧約聖書を書いたユダ公のご先祖様には、とんでもない「圧制」者に見えたんだろな。
同じイスラエル支配でもバビロニアのイメージはいいぞ。
新バビロニアのネブカドネザル2世様のおかげで、
あこがれの「永遠の都」バビロンへ移住できたんだよね。
『聖書』自体がユダ王国側の記録だから、北のイスラエル王国が
アッシリア帝国に滅ぼされて人々が離散したことも、飽くまでも
他者の事情、伝聞の域を出ないんだよね。
だからアッシリアが攻め込んできた時のことは当時のユダ王国側が
いかにそれに恐怖し、戦慄したかしか結局のところ述べられてない。
一方バビロニア帝国によるバビロン捕囚は、その後のメソポタミア南部
地域におけるユダヤ人コミュニティー形成の端緒であり、後のペルシア
帝国時代の帰還と直結しているので、わりとバビロン周辺についても
ユダ内部についても詳しく記録されてる。これはペルシア帝国時代に
ユダの地への捕囚民の帰還がはじまり、紀元後に続く「聖書編纂」、
「ユダヤ人/ユダヤ教徒」の形成の直接の契機になったから。
アッシリアは伝聞どまりだけど、バビロニアやペルシア帝国はその支配下に
あったので、彼ら自身の実体験に基づいた記録という根本的な違いがある。
「旧約聖書」物語なんて、どーでもいいから
「アッシリア」ネタちょー第
バビロニア関係の本はたくさんでてるのに
何でアッシリア関係の本は
史料の問題化?
邦訳がないってこと。
でも、英・仏・独語に堪能なら、あまり問題ない。
専門書も、アマゾン等で簡単に買える時代です。
それから、楔形文字読めればなおよろしい。
アッカド語を勉強したい方には、ヒューナガードの緑色の本がお薦め。
31 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 22:42:58 0
勇士の盾は赤く
戦士の緋色の服をまとう。
戦の備えをする日に
戦車の鋼鉄は火のように輝き
槍は揺れる。
戦車は通りを狂い走り、広場を突き進む。
その様は松明のように輝き
稲妻のように走る。
流れに面した門は開かれ、宮殿は揺れ動く。
王妃は引き出され、衣をはがれて連れ去られた。
侍女たちは鳩のような声で嘆き、胸を打つ。
32 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 22:43:32 0
「銀を奪え、金を奪え。」
その財宝は限りなく
あらゆる宝物が溢れている。
災いだ、流血の町は。
町のすべては偽りに覆われ、略奪に満ち
人を餌食にすることをやめない。
鞭の音、車輪の響く音
突進する馬、跳び駆ける戦車。
騎兵は突撃し
剣はきらめき、槍はひらめく。
倒れる者はおびただしく
しかばねは山をなし、死体は数えきれない
人々は味方の死体につまずく。
火はおまえを焼き尽くし
剣はおまえを断つ。
火はいなごが食い尽くすように
おまえを食い尽くす。
アッシリア王よ
おまえの兵士たちは山々の上に散らされ
集める者はいない。
おまえのうわさを聞く者は皆
おまえに向かって手をたたく。
おまえの悪にだれもが
常に悩まされてきたからだ。
「旧約聖書 ナホム書第2章」
33 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 22:56:01 0
「ナホム書」は名文だと思う。
34 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 11:20:11 0
セミラミス女王って何者
>セミラミス女王
ギリシア人の想像の産物
元ネタのアッシリア王妃はいたらしいが
話の内容からしてまったくの別人
「旧約」とかギリシア人の東方見聞話とかの
アッシリア、ペルシアネタには
デッチ上げが多いので要注意だね
36 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 23:34:51 0
アッシュール・バニパルの大図書館について。
武断国家のイメージが強いアッシリアに、なぜ世界最古の図書館が?
アッシュール・バニパル王の個人的な趣味。
38 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 23:50:47 0
あの男の趣味は獅子狩りではあるめーか。
39 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 00:44:39 0
とにかく何でも手に入れないと気がすまない独占欲の強い香具師だったんだろうな
書物→智慧の象徴 書物の収集→世界一の智慧
獅子→力の象徴 獅子狩り→百獣の王ライオンをも倒す力
40 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 03:10:50 0
アッシリアと言えば、たいぶ前だが、上野での発掘展での
女率が異様に高かったのにビクーリ。
でも、その後アッシリアを舞台にした漫画の影響と解ってワラタ。(゚∀゚)アヒャ
軍事的に強大=武断的=文化的に劣る的な図式は今どきいかがなものか。
例えばローマ帝国なんかそうとうな軍事国家で、周辺諸国を征服していた
ときはガリアやカルタゴみたいにかなりえげつない事をやっている。
だいたい捕虜やら奴隷やらに殺し合いをさせて見せ物にしてる段階でそうとう
野蛮な連中だと思うが、一方で同じ時期にそれまでのギリシア文化を積極的に
吸収して自家薬中のものにし、さらに自らの言語であるラテン語を文語として
発展させ諸学を隆盛させている。
中央アジアでは遊牧騎馬勢力であるクシャン朝が北インドを征服して、中央アジア
世界からのインド方面の支配体制を構築したが、この頃に仏教が隆盛を開始し、
はじめて中央アジアへ仏教圏を拡大できたが、これはクシャン王族がこれを庇護した
事が大きい。美術面ではヒンドゥーにしろ仏教にしろその後の文化の画期となった。
さらに東方では鮮卑拓跋部が北アジア〜華北を征服して北魏を興したが、先だっての
仏教を華北地域に根付かせる契機なったのもこの時代拓跋の王族たちが積極的に庇護した
からだ。さらに後の隋唐にしても軍事的には領土拡張を盛んに行って北方の突厥の
内紛に干渉して一時期これを瓦解させたりとそうとうなことをやっているが、この時代に
周辺諸国におよぼした文化的な影響ははかり知れない。これは他の強大で支配期間の長い
王朝ではどれでも言える事だが。
さて、翻ってアッシリアだが、彼らは幾度か王朝交代があったものの、アッカド時代から
単一の「アッシリア」というまとまりを保持し続けたメソポタミアでは希有な存在で、
紀元前9世紀頃にアラム人の侵攻からいち早く復興して再び都市国家から領域国家への
拡大を着手しはじめた。いわゆる新アッシリア帝国と呼ばれるものだ。
アッシリアが、メソポタミアはおろかエジプトを含むオリエント世界のほぼ全てを征服
出来た理由は、周辺諸国がアラム人の侵攻によって軒並み弱体化していたなかで、最初に
領域国家化できていたことが大きい。
そこで新アッシリアが着手したことは、もうメソポタミアの伝統となっていた王統譜などの
「神話の改編」であった。メソポタミア各都市を征服する段階でそれぞれの地域の神々の
像や記念碑などを接収し、アッシリアの土地神アッシュルのもとこれらの都市神たちを
従属させる神話を作り出した。つまりアッシリアの神アッシュルを全メソポタミアの神々
の頂点に立つ最高神とする神話体系を構築し、新アッシリア帝国による支配を正統化した。
これはハンムラビの古バビロニア王国でも見られたことで、バビロニア神話でバビロンの
都市神マルドゥクがメソポタミアの神々の頂点に立つ存在として書かれているのは、
とりもなおさず、これがマルドゥク神を頂くバビロンの古バビロニア王国が南メソポタミア
=「シュメルとアッカドの地」の支配正統性を主張するものだったからである。
アッシュル・バニパルがニヌワに図書館を建造してメソポタミア全土の知識を集積しようと
したのは、色々言われてはいるが、やはり全メソポタミアの覇者たらんとした新アッシリア
帝国の国策の一端を担った装置だと考えたい。伝統的な神話世界に基づく文化的な裏づけが
あってこそ、メソポタミア全土の支配正統性を主張出来るからだ。
勿論図書館建設がアッシュル・バニパルの個人的な趣味であったとしても、これらの背景と
無関係では無いだろう。
しかし、やはりアッシリアの存在はメソポタミアの文化をアッシリアの文化のもとに集大成
しようとしただけあって、文化的な大きな転換期だった思う。それはアラム人の登場によって
アラム語・アラム文字がメソポタミア全土で流通できる素地が整い、アッシリアも彼らを
広大な版図をもつ帝国の行政に積極的に利用したことが楔形文字から東西のアルファベットを
へと切り替わる端緒になった。
あまりいわれてないが造形美術も写実的かつ剛健な気風をもつものが登場し、これはペルシア
帝国まで続く様式を確定した。狩猟は王侯の嗜みとして古くから行われていたが、大英博物館
の有名なレリーフで有名な獅子狩りは戦車(チャリオット)が登場した事ではじめて可能に
なったことだろう。勿論レリーフの製作はアッシリアが山岳に近い北メソポタミアであった
ことと征服地の拡大で石材の入手が容易になったことも関係あるだろう。南メソポタミアは
泥濘の土地であって石材という石材の類いはどれも非常に貴重なものだった。
王権の象徴として獅子が位置付けられ、これを狩る事で王者の威力を手に入れるという精神は
どこかしら中央アジアの印欧系のものが感じられるが、ともかく猛獣を狩ことで王威を鼓舞
する行為はその後の王朝でもよく見られたものだ。
古代の中国、殷代から戦国時代でも王威を鼓舞するものとして狩猟が行われたのは周知の
ことかと思う。
新アッシリアは歴史的にも文化的にもかなり重要な位置に有ることは間違い無いのだが、
出版関係の事情もあってあまり一般的には認知度が高いとは言えず、その重要性に比べ
正しく理解されているとは言い難い。これはその後のペルシア帝国にしろパルティアにしろ
何にしろ古代史や中世史ではだいたいそうなのだが。
45 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 05:54:57 0
>40
>アッシリアを舞台にした漫画
……? え、なんだっけ、それ?
アッシリアのマンガは知らないな。
あるなら読んでみたい気もするけど。
>>40どんな作品です?
王家の紋章という漫画にはアッシリアが出てくるらしい。
49 :
世界@名無史さん:2005/12/09(金) 19:11:48 0
遅レスだが、石森章太郎がギルガメッシュの漫画を描いていなかったか?
51 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 12:15:25 0
記念柿子
52 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 00:47:40 0
アッシュール・バニパルの図書館は司書学過程の図書館史の講義でも最初に登場するらしい。
ちなみに『李陵』で有名な中島敦がこの大図書館の司書官を主役にした短編を書いている。
『文字禍』っていうタイトルで、ボルヘスみたいな味わいがあってお薦め。
54 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 14:30:33 0
>53
面白い!!!
ナブ・アヘ・エリバって実在人物?
実在人物
やっぱ中島敦は文章が上手いなあ
58 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 17:28:23 0
59 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 00:59:28 0
シャムシ・アダドとハンムラビの関係は信長と家康の関係に似てないですかね?
秀吉は誰よ?
61 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 13:27:20 0
|\
__| `丶 、
\ , ― `丶 、
>/ へ\丶
< / 丶 ・\ `、
>|  ̄ ̄ ゝ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∠ 〔 || ー―/ < バビロン神拳カコイイ
厶 \ 〇 / \____
レ∨丶_____ノ
H H
L>_>
62 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 17:08:54 0
定冠詞
> シャムシ・アダドとハンムラビの関係
むしろ武田信玄と織田信長っぽい気がするけど。
ハンムラビとしては、いつユーフラテスを押し渡ってシャムシ・アダドの
軍勢がバビロニアに雪崩込んでくるかと戦々恐々とする毎日というイメージが。
その当時の記年法はまだ「何々王の即位何年」という形式で無くて、その治世中に
王が行った事業・出来事を記年としていたとか。
例えば、ハンムラビの場合、
即初年は「ハンムラビが王となった年」、第二年は「彼が国土に社会正義を確立した年」、
第三年は「ナンナ神の玉座を作った年」、第四年「ガギアの城壁を構築した年」、
第七年「ウルクとイシンを撃ち破った年」・・・ という具合に。
バビロンのすぐ北のエシュヌンナやシッパルの近くまで征服してきたシャムシ・アダドだが、
紀元前1781年頃、突然シャムシ・アダドは死んでしまう。当時アッシリアとバビロニアの
緩衝国状態にあったエシュヌンナ王のイバル・ピー・エル2世は、自分の事蹟を記すべき
記年に「シャムシ・アダドが死んだ年」と書かせている。よほど嬉しかったらしい。
シャムシ・アダドの王国は、
自身は中心地アッシュルの王に、長男のイシュメ・ダガンがアッシュル市近傍のエカラートゥムの王に、
次男らしいヤスマフ・アッドゥがマリの王にという具合だった。ところがシャムシ・アダドが死んで
イシュメ・ダガンが即位したその年に、南メソポタミアを臨む前線基地的な存在であったマリでハナ人の
集団が叛乱。その間隙をついてエシュヌンナのイバル・ピー・エル2世が侵攻し、アレッポ方面のヤムハド
の王スム・エプフが逆にマリを占領してヤスマフ・アッドゥを追放するという混乱状態になった。
その後はハンムラビのバビロン、アッシリア、マリ、エシュヌンナ、ラルサ、エラムなどが連衡合従を
くり返し、結局アッシリアの空中分解状態を利用してハンムラビが南メソポタミアの統一を成し遂げて
しまった。この後は一時期アッシリアはバビロンの従属国にまで転落したのではないかと言われているが、
アッシリア側の資料がほとんど残っていないためよく分かっていない。
ただ、新アッシリア帝国時代に編纂されたアッシリア王名表によると、イシュメ・ダガンが治世40年で
没した時、次に即位したのはアッシュル・ドゥグルという誰の息子かもわからぬ人物だった。
この後どこの誰の子息とも付かぬ人物たちが王位に即くという状態が5、6代も続き、アダスィの子、
ベール・バーニーという人物が王位に即いて後は比較的政情が安定化する。この頃にはアッシリアは
都市国家規模まで勢力が縮小し、やがて北メソポタミアをミタンニが制覇していく、という具合だそうだ。
バビロンもハンムラビが没してからはあまりはかばかしく無いけど、シャムシ・アダドの場合は
南メソポタミアを狙って攻めまくる一方的な状況が続き、ハンムラビはじめ南の王たちは殆ど
手も足もで無かったので、謙信のいない武田信玄状態という風に思えたけど、あまり例が良く無かったか。
>>64 シャムシ・アダドのお住まいは、アッシュルじゃなくてシュバト・エンリル。
>>65 そうそう、シュバト・エンリルだった! 間違いを正してくれてサンクス!
どうしても名前が思い出せなくて適当にアッシュル市と書いてしまい
確か別のところに本拠地置いていたはずだよなあとは思ってはいたけど・・・
まだ発見されて無いんだっけ? >シュバト・エンリル
イランとの国境が近いからまだしばらくあそこらへんの遺跡の大々的な
調査は出来ないかも。でもフランス辺りがここ最近あそこらへん掘ってた
ような気がしたけど記憶違いだったかな?
>>66 シュバト・エンリルはシリア北東部、トルコ国境近くにある
遺跡テル・レイラン。アメリカ人によって発掘され、文書も出土。
68 :
世界@名無史さん:2006/01/08(日) 18:37:15 0
国士舘万歳
アッシリア帝国は北方の遊牧騎馬民族の勢力拡大に触発されて誕生したようにも見える。
後のスキタイとペルシャ、匈奴と秦の関係の先駆ではないだろうか。
70 :
世界@名無史さん:2006/01/09(月) 06:18:24 0
国士舘大学発掘の続報が4日の朝日夕刊にあったよ。
71 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 16:06:01 0
くわしく
アッシリア軍の戦車戦術のことを軍事史用語で「アッシリアの怒り」って呼ぶって本当?
73 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 08:12:10 0
アッシュルナシルパルは残虐無道?
74 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 17:08:26 0
エサルハッドンって怖そうな名前だよな。
75 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:47:22 0
エサルハッドンはねぇ、本当は、アッシュール・アヘ・イディンって言うんだ。ほんとはね。
だけど、病弱だから、エサルハッドンって呼ばれてるんだよー。
76 :
世界@名無史さん:2006/03/04(土) 13:23:50 0
カルカルの戦いage
77 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 03:09:31 0
>>75 そんな話ははじめて聞いたな?
アッシュール・アヘ・イディンは本名だが、ヘブライ語読みで
エサルハドンになっただけな筈だが。
アシュール->アシュル->エサル
アヘ・イディン->アヒドゥン->ハドン
史実を俗説のように語るスレに入れて欲しい。
78 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 13:05:43 0
さっちゃんはねぇ、の歌にあわせただけ(笑)
エサルハッドンは、エサルハッドンなのに、アッシュールバニパルとかアッシュールナシルパルは、何故、アッシュールバニパルや、アッシュールナシルパルなんだろう?
エサルハドンとかナボポラサルみたい王名は、旧約聖書、特に
列王記とか歴代誌に登場してくるもので、そのヘブライ語→ギリシア語
→ラテン語での慣用的で親しまれている読まれ方で一般に表記されている。
旧約聖書に出てこないような、アッシュル・バニパルとかアッシュル・ナシルパル
といっった他の王には本来のアッシリア語になるべく近い綴りをしている、
といったところだろうか。勿論、アッシリア学自体が欧州の聖書研究から
発しているという事情もあるんだろうけど。
80 :
世界@名無史さん:2006/03/24(金) 13:10:49 0
ティグラトピレセル(トゥクルティ・アパル・エシャラ)、
サルゴン2世(シャル・キン)、センナケリブ(シン・アヘ・エリバ)
なんてのも旧約聖書に出てくるね。
逆にアッシュール・ダイン・アピルとかシャマシュ・シュム・ウキンとかは
慣用でも完全に原音読みになってる。
81 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 01:24:18 0
ここ見て約30年前の某教授の演習をまざまざと思い出しましたよ…。
懐かしい名前続出。
83 :
世界@名無史さん:2006/04/02(日) 11:40:40 0
アッシュールバーンアプリは、聖書に出てこないのか。
でも、何故、アッシュールバニパルになるんだろう?(笑)
きっと、いろいろな要因があるんだろうなぁ。
サルダニパスも、バーンアプリのことだよねぇ?
84 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 21:23:46 0
age
85 :
世界@名無史さん:2006/04/28(金) 20:54:53 0
ウラルトゥとスバルトゥ・・・似ている。
86 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 03:03:43 0
とりあえず、アッシリアのイメージが悪いのは、
アーチャーラッシュが最強杉だったせいだと思う。
87 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 10:01:51 O
他民族の戦争捕虜の皮を剥いで晒したからじゃないの?
88 :
世界@名無史さん:2006/05/02(火) 01:06:46 0
ペルシャやローマも
大量虐殺や集団強制移住をガンガンやってるわけで。
アッシリアの圧制、ペルシャの寛容ってのは、
ユダヤ人的にはたまたまそうだったってことじゃないのかな??
こと宗教関係だったらアッシリアは、メソポタミアの伝統に従って、
自分達の神であるアッシュル神を支配地域の全ての神々のヒエラルキーの
頂点に据える様、神話を創作したり神々の像をニネヴェあたりに収集したり
して、宗教的な屈服・支配も行っている。
ペルシア帝国はあまりそういったメソポタミアの面倒な伝統は踏襲せずに
貢納や租税、賦役ないし兵役の義務だけで宗教関係はこれといった強制は
していなかったと思う。ローマはどうだったろう。
90 :
世界@名無史さん:2006/05/02(火) 10:42:46 0
昔のローマは、征服した所の神さまを自分の所の神殿に追加で祭ってたそうな。
ドンドン祭る神様が増えるー。
キリスト教後はしらない。
ガリア戦記では、ガリア人の神にローマの神の名前を付けて呼んでた。
カエサルもめんどくさくなったのかも。
しかし大神祇官長がそれでいいのか? という気もする。
92 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 12:26:02 0
フェニキアの神々も、カルタゴ陥落後もローマ人が替わって崇拝していたくらい。
しかもローマの神の名に改称して。
ギリシャ人もエジプトの神々を自分のところの神々と同一視していたらしいし、
多神教世界ってのはそんなものなのでは?
94 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 16:26:51 O
ヘレニズム期にゼウスをアモン神を融合したことはあるが
まるっきりオリエントの神がギリシャの神々になったわけでない
アルテミスが地母信仰に影響されているとかディオニュソスが東方の神から加えられたことはあったが
アテネとかはオリエントにない神だ
95 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 17:59:11 0
古典期にはアポロンやヘラクレスとオリエント系の神々はおもっきし習合してますけどね
>>94 エジプトの塗油の女神ネイトは武装姿で描かれることが多く、
女神アテネと同一視された。
てか女神アテネ自体が逆にエジプト起源という説すらある。
97 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 00:46:12 0
98 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 04:55:18 0
セム系の神々は、アフロアジア語族系民族の神話全体に共通する神もいるんでしょうか?
ブラックアフリカにもクシ系やチャド系がいるけど、縁は薄いのかなあ。
99 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 18:34:51 0
クシ系なんかはほとんど黒人だもんな。
100 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 20:37:39 0
100ゲット
アッシリアが核爆弾で滅んだという説があるけど信憑性は薄い?
102 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 11:09:22 0
103 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 14:52:03 0
アッシュールバニパルといえば、クトゥルフ神話でもそこそこ有名だな
104 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 00:03:54 0
クトゥルフの神名はなぜ古代セム系が多いんでしょう?
ダゴンはフェニキアの神でしたっけね。
105 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 01:33:51 0
旧支配者達が人類に古代文明を授けたから?
まずダントツで古いから。メソポタミアとかシュメールとか。
それとエジプトだと、ラヴクラフトの時代ではロマンチックな響きがあって
全然謎めいた怖さがないからじゃね。
107 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 09:20:48 0
>>104 ダゴンは元々ペリシテ人の信仰してた神様
初期鉄器時代の接触を通じてペリシテ人からカナンの諸都市に伝播したけど
フェニキアでダゴンの存在が見られるようになるのはかなり遅いよ
直接的にはペルシアがサラミス海戦後にペリシテの土地であったドルとヨッパを
シドン王に割譲してから伝わったと考えられてるし
それ以降もフェニキア都市でダゴンそのものが信仰されることはあまりなかった
108 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 10:05:20 0
ニャルラトホテップはエジプトと関係なかったかな。
109 :
紋ジロウ:2006/07/30(日) 10:15:39 O
あっしりぁ、関わり合いのねえことでごさんす。
>>108 ニャル公の異名の一つとして「黒いファラオ」があるし、
歴史から抹消された暗黒のファラオから崇拝されてたことになってる。
まぁ、ネーミング自体はアフリカの「オニャンコポン」とかを参考にしたらしい。
>104
マジレスするとキターブ・アル・アジフを書いたのがアラブ人だから。
アッシリアは強みだった鉄の重装備が遊牧民のスキタイ相手には返って仇になってしまい、
スキタイ騎兵の機動力の前にやりたい放題蹂躪されてしまい滅ぼされたとか。
113 :
世界@名無史さん:2006/08/11(金) 21:09:20 0
アッシリアは、スキタイに滅ばされたのでつね?初めて知りました。
114 :
世界@名無史さん:2006/08/11(金) 22:07:05 0
前612年、メディア・新バビロニア・スキタイ連合軍によって帝都ニネヴェが陥落
115 :
世界史@無史さん:2006/08/15(火) 21:43:17 0
陥落ならカラクも
116 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 01:28:52 0
アッシリア帝国内の共通語はアラム語?
117 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 01:31:52 0
筆頭公用語だったかは分からないけど、広域で通用した行政言語だったのは確か。
あれだけ広大な領土だと当時、庶民が使っていた言語は何種類くらいあったのかな?
粘土版文書では楔形文字でアッシリア語を使用して、
パピルスや陶片文書ではアラム語とかだった気がする。
アッシリア本国では多分新アッシリア語の類いで、バビロニアは新バビロニア語とか?
シリアからメソポタミア南部の草原部では遊牧民なんかはアラム語カルデア系の各方言があり、
シリア、パレスチナの諸都市ではフェニキア語とかアラム語、モアブ語、古ヘブライ語みたいな
北西セム系の言語、エジプトはエジプト語で、アナトリアはリュディア語とかリュキア語みたいな
アナトリア語派の言語があって、シリア北部のカルケミシュの方面もルウィ語の後身か。
アナトリアのエーゲ海沿岸部はギリシア語イオニア方言? アルメニア周辺だったらウラルトゥ語
とかかね。ザグロス北部というかイラン高原西部のメディアのあたりだったらメディア語とか、
ザグロス南部のファールス地方だったら古代ペルシア語やエラム語か。
ぱっと思い付いただけでも15種類くらいありそう。
今からアッシリア王を名乗りたいのだが、どんな風に正当性を主張すれば良い?
121 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 15:17:54 0
イラクに行ってバグダードの大統領府の前で獅子狩りを実演してみなされ
122 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 15:51:05 0
アッシリア人後裔=現アッシリア人ネストリウス教徒?
力で帝国を復活させろ。正当性なんて後世の歴史家がつけてくれる
124 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 16:31:49 0
>>35 >「旧約」とかギリシア人の東方見聞話とかのアッシリア、ペルシアネタには
>デッチ上げが多いので要注意だね
ドラクロワの絵で有名なサルダナパロス王もその一人。
とりあえずアッシュル市を征服してアッシュル神殿を再建。
夢枕にアッシュル神が立って、自分をアッシリア王の末裔でアッシリアの王位に
即くべきであると命じたとかなんとか理由をつけて、アッシリア王を宣言。
あとアッシュール・ウバリト2世から自分に至る系図も作っておかないと。
とりあえずカッコよくないと民はついてこないな。筋肉鍛えて顎鬚生やせ。
127 :
世界@名無史さん:2006/08/22(火) 21:41:17 0
クルド人はどの古代民族の子孫?
129 :
世界@名無史さん:2006/08/23(水) 10:35:44 0
アッシリア人後裔=現アッシリア人ネストリウス教徒?
「シリア」は「アッシリア」の短縮形だからシリア教会またの名をアッシリア教会の
信者である俺たちはアッシリア人の子孫だ!」
くらいの内容だったと思う。でも彼らの言語であるシリア語は中世/現代アラム語なので
当然アッカド語の北部方言であるアッシリア語とは別の言語。勿論アラム人は新アッシリア帝国の
臣民だったわけだから、北メソポタミアのアラム人の子孫であるシリア教会やネストリウス派の
信者である彼らはその意味では確かに「アッシリア帝国」の子孫ではあるけど。
トルコの住民が「おれたちはヒッタイト人の子孫だ!」と言うよりかは少しだけ説得力はある程度。
(言語的には現在トルコ語化してるけど血統的には少し前までギリシア語やリュキア語などを
話していた連中で、ヒッタイト帝国はルウィ語やリュキア語、リュディア語の祖先の話者たちの方が
ヒッタイト語話者よりももともと多かったらしいから、そこら辺はさっ引いて考えなきゃならんけど)
131 :
世界@名無史さん:2006/08/23(水) 22:34:40 0
アッシリア人が崇拝していた神々ってどんなの?
アッシュール神
ttp://homepage3.nifty.com/kaorinogakushu/sakusaku/1_1.htm ■アッシリアの女装王サルダナパル(サルダナパロス)伝説
アッシリアには、楔形文字文献の王名表には登場しないのに、ギリシャなどに
話だけが伝わった女王セミラミスなどの伝説上の王が存在する。
サルダナパル王もその一人。
女王セミラミスの孫でありアッシリア最後の王となったサルダナパルは顔に
鉛の白粉を塗り目にアイラインを引き紫の毛皮をまとい女装して、周囲に人を
寄せ付けず引きこもっていた。しかし戦争に負けて王都ニノス(ニネヴェ)は
陥落。王は妃や妾とともに木で作った部屋に閉じこもり自ら火をかけ、多数の
財宝と共に焼死した、とされる。
※ここでは顔に「白」の化粧をしている
■サルダナパルのモデルとされる王たち
・アッシュール・バーン・アプリ…語頭の「ア」を除きギリシャ読みにすると
「サルバナパロス」となり名前が近い。ニノスを首都にしていた王でもある
・シンシャルイシュクン…正式な王名表に登場するアッシリア最後の王
・シャマシュシュムウキン…バビロニア王。アッシュールバニパルの兄。兄弟
戦争で破れ城とともに焼死
・アッシュール・ダニン・アプリ…これは橘コロンが一人でモデルではと
言ってるだけなのだが、でもギリシャ読みにすると見事に「サルダナパロス」
になる王。祖母女王セミラミスのモデルが存在した時期と時代的にも近い。
(アッシュールバニパルはセミラミス時代からかなり遠い)
134 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 08:51:43 0
■サルダナパルについて書いた人々
・クニドスのクテシアス『ペルシカ』『インディカ』…インドにマンティコアが
いるなど記述が眉唾だらけとされる歴史記録家。ペルシアの捕虜となり宮廷医師
として働かされていた時期あり。サルダナパル伝説の発端中の発端。ただし
クテシアス自身の書物は現在は読めず、ディオドロスなどの引用文が読めるだけである
・ディオドロス『神代地誌』…ニノス陥落までの過程がかなり詳しく書かれている
・アテナイオス『食卓の賢人』…サルダナパルについてクテシアス説、アミュンタス説、
クレイタルコス説など諸説を挙げている
・ヘロドトス『歴史』…サルダナパルの埋蔵金についてだけ
・アリストテレス『ニコマコス倫理学』…享楽主義者というレッテルだけ
・バイロン『サーダナパラス』…詩劇。常識に囚われない自由人として死ぬ王
を描いている
135 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 19:29:23 0
シュメールの都市国家は形式的には完全な神権政体で、土地も人民も財産も
すべて神の所有とされており、神の名において王や最高司祭が所有して
いたんだけど、アッシリアも基本的には同じ?
136 :
世界@名無史さん:2006/08/29(火) 17:45:45 0
アッシリアでは土地は個人所有地と神殿領に分かれるが
個人所有地については史料不足から活動領域を推測するのは困難
だが不動産占有を可能とした完全市民権を有する者はアッカド語でmar baniと
呼ばれたことは分かっている
神殿領については征服地のほか運河建設などの公共事業を通じて
個人からちまちま接収していたものを王権からの下賜の形で共同体に与えていた
土地所有権を有する市民はまたpuhruと呼ばれる議会を通じて
神殿領(=共同体管理の共有地)についてどう用いるか議決権を与えられていた
神殿領は主に地方エリートや土地請負人に貸し出され
小作人や土地を持たない市民に又貸しする形で収益を上げていたらしい
圧縮神か
大英博物館には、さまざまな残虐なシーンを描いた壁画が陳列されているらしいが、
あまりに衝撃的すぎて非公開のものもあるらしい。壁画だから見せればいいのに。
>138
「世界残酷物語」って本でもそんな事が書いてあったな。
どんなに残虐な絵画でも、大戦のドキュメンタリー映画よりマシだろうから見せてくれ
そりゃ、レリーフと生動画じゃなぁ
つか、そういう話じゃねえだろ
142 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 16:11:39 0
なんだろうねぇ。ちんちんでも切ってるのかな。それとも人間を調理しているとか。
今日び、香田青年の首切り画像がネットで出回るご時世だ。壁画くらい
どうでもいいように思うがな。写真じゃないんだし。
>>143 大英博物館の「品位」って奴じゃないかな?
まあ略奪品をあれだけ飾っておいて品位も何も、とは思うがw
一番見てみたいが一番嫌いな場所>大英博物館
146 :
世界@名無史さん:2006/10/18(水) 22:04:15 0
あげ
147 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 19:01:04 0
旧約聖書の記述のおかげで叩かれまくるとはアッシリアの中の人も大変だな
>>143 ゴシップでもないと人は飛びつかない
>>144 いわゆるヴィクトリア朝風の感性ですね。
いざ公開されたら2ちゃんのAAレベルでがっかりしそうだから非公開で
妄想を膨らませているほうが幸せかも。
150 :
世界@名無史さん:2006/10/22(日) 18:36:27 0
攻城技術のレベルが高かったと聞いた。
あっ!シリア
152 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 17:58:05 0
民衆が蜂起したことはなかったのでしょうか。
神権国家だとみんな洗脳されている印象がありますがw
飯が食えてりゃ蜂起はしない。
154 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 22:52:41 0
シリアの語源はアッシリアという説もあるから、
から、
何?
すいません。落ちが見つかりませんでした。
157 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 04:29:07 O
158 :
世界@名無史さん:2006/12/03(日) 21:09:28 0
OTZ・・・
何故か脳が
160 :
世界@名無史さん:2007/01/12(金) 15:16:15 0
エサルハドンをずっとエセルハドンだと勘違いしてた
161 :
世界@名無史さん:2007/01/12(金) 15:22:20 0
162 :
世界@名無史さん:2007/01/27(土) 11:30:38 0
お前それもしかして面白い事言ったつもりで?
164 :
世界@名無史さん:2007/03/01(木) 00:43:13 0
165 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 00:19:32 0
新潮社の『人類の美術 アッシリア』を買った。
というだけの話。
あげ。
166 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 00:58:32 0
へぇ、いくらで?
167 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 01:54:24 0
3kかな。古本サイトでそのくらいで買える。はず。
アッシリアを中心的に扱った本って少ないよね……
アッシリアとヒッタイトと名前がかっこいい
強そうな名前ですね
170 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 16:19:19 0
541 :世界@名無史さん :2007/03/23(金) 12:43:55 0
名前が幼稚だ
542 :世界@名無史さん :2007/03/24(土) 13:56:20 0
赤ちゃん語みたいだね
172 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 19:31:42 0
ノノハヽ
从´・ω・`从 世界史板スキです
(ノ,_*,y,_j'*,|)
し'[___|_ノ
|」__*|
台 台
173 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 22:37:22 0
アッシリアが最強最悪といわれてたのは
歴史上初めて常備軍と言われる不死隊を備えたから。ペルシャより先。
兵士が死んでも次の戦闘時には補充されて常に一定数保たれるから不死隊と呼ばれてたらしい。
そしてアッシリアが敵の町を占領した時は敵の皮を剥いで城壁に晒したから。
恐怖で人々を押さえつけたんだね。
アッシリアを滅ぼしたスキタイも敵の首を持っていったり、頭の皮を剥いだりしていたが、
スキタイの将兵は敵を倒したという証拠を持参しなければ王から戦功を認められなかった為で、
首を持ちさったり頭の皮を剥ぐことで恐怖を与える意味は特に無かった