1 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w :
2005/07/09(土) 18:04:03 0
3 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 18:49:42 0
ハンガリー人とウゴル系のハンティ人、マンシ人とでは今でもある程度は言葉が通じるんだろうか?
4 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 19:00:32 0
復活おめでとうございます。 先日、中公文庫のハプスブルク関係の本を読みました。 アウスグライヒの実験の話です。 @ナポレオン戦争後のクロアチア三位一体王国とハンガリーの関係 A1848年のクロアチア軍とハンガリー軍の戦い に少しだけ言及してました。 興味深いところです。
5 :
Buta :2005/07/09(土) 19:38:58 0
6 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 19:46:38 0
ここも元はツングース系でしょう、 しかしコーカソイドが支配的だったので 氏姓制度を踏襲してもツングースには なりきれなかったのでは?
>>6 マジャール人のことをいってるの?
フィン・ウゴル族はコーカソイドだろう。
ウゴル系はウラルの東からきたモンゴロイドと混血したらしいが。
8 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 19:57:54 0
>>7 元はツングースでしょ、
氏姓制度を踏襲してツングースにするつもりが
白人が多い土地でそれが出来なかったのかも
なんせ、地名まで変える輩ですから・・
9 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 20:01:47 0
氏姓制度ってアルバニアにもあるじゃん 何いってんのかわかりませーんw
>>8 だからマジャールはウラル語族のフィン=ウゴル語派だって。
ウラル・アルタイ語族を全部ツングースと呼んでるの?
11 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 20:26:39 0
>>10 ツングースが入ってた人種なんじゃないのマジャールって
氏姓制度を踏襲したけど、白人系が比率として多かったので
あのような白人顔になったのでは
あれだけヨーロッパを蹂躙した種族は・・
それに、彼らもやはり白信仰があるのだろうか
12 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 20:33:10 0
江戸時代にハンガリーの人が日本に来ていた!
13 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 20:36:58 0
蝦夷(えぞ)=ツングース語 江戸(えど)と関係あり? 本来はヤマト言葉で 蝦夷(えみし)という。
>12 ベニョフスキのことですか? 東洋文庫から彼の旅行記「ベニョフスキー航海記」が出ています。
15 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 20:58:51 0
北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子は 日本人 44% ハンガリー人 2% フィン人 0% 『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523) Gm血液型遺伝子から見れば、北方モンゴロイドの標識遺伝子である黄色のab3stは、 北ヨーロッパの森林ラップの4%がヨーロッパ人の最高値で、チェコ、スロバキア、 ルーマニア、ハンガリー、ジプシー、スペイン・カタロニア、ポルトガルなどで 極めて低い頻度であるが、この遺伝子が持ち込まれている。これならイラン人のほうが ずっとモンゴロイドの遺伝子は濃い。 ハンガリー人やフィンランド人のフン族子孫説などとうに破綻しているのだ。
確かにハンガリー人はお酒が好きですし、酒豪が多いような気がします。
17 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 21:24:26 0
〜スキ(スキー)はポーランド民族だろ
18 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 21:31:03 0
ヤマト人はこの辺に住んでたんじゃないだろうか? ここにスキタイが入ってきて一部が中国の方に逃れてきたとも 考えられる。
>17 ベニョフスキの家系はスロバキア系ですよ。 シゲトヴァールでオスマン帝国軍を相手に奮戦して玉砕したクロアチア太守 のズリーニ・ミクラーシュもクロアチア名はニコラ・シュービッチ・ズリン スキーといいます。
sage
ツングースがどうとかいってる人はツラニストの宣伝を真に受けてるのか
23 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 16:39:47 0
「モルドヴァのチャーンゴー人」を書いた人はルーマニアの警察に捕まったり色々ひどい目にあったとか。
24 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 17:08:01 0
>>24 農耕スキタイはそうかも知れんが遊牧・王族スキタイは違うんじゃない
26 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 17:14:11 0
27 :
世界@名無史さん :2005/07/12(火) 20:49:51 0
マジャーロルサーク
>23 チャウシェスク政権当時はトランシルバニアのシク村あたりに調査に行っても 捕まったと聞いたことがあります。 「モルドヴァのチャンゴー人」良い本ですね。
29 :
カウニッツ :2005/07/13(水) 12:35:38 0
ハンガリー・スレ復活おめでとうございます。 記念カキコ。
30 :
世界@名無史さん :2005/07/13(水) 18:02:45 0
ハンガリーで一番有名な日本人は室伏か?
>カウニッツ殿 ようこそ、いらっしゃいませ。よしなにお願いいたします。 >30 どうでしょう。指揮者の小林研一郎先生が著名なのはよく聞くところですが。
32 :
世界@名無史さん :2005/07/13(水) 23:00:34 0
,. -‐-‐ "´゙ヽ、 ノ; ; *; ; ; ; ; ; ;.゙`ヽ、 . ri!; ; ; ; ; ; ; ; ; ;*; ; ; ; ヽ { ; ; ; ; ; ;;; ; ; ; ; ; ; ; ; ; *ヽ {; ; ;.,,..ノ,' ,,,、; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ヽ ヽ { `ヽ; ; ; ; ; ; ; ; ; ;.} ',{、__ _ ヽ; ; ; ; ; ; ; *`} }. "忝` }; ; ; ; ; ; ; ; ; ノ | ,' (::::) ); ; ; ; ; ;} <ハンガリーは私も大好きよ! ', ヽ-゙ ノ‐'; ; ; ;*; ;', ', `== ノ ,'; ; ; ; ; ; ; ; ;.', ヽ , '´ }; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ;} `T ̄ 。 。-‐',; ; ; ; ; ; ; ; ; ;{ / 。 ゚ ー=', ; ; *; ; ; ; ;} /。 ゚ ヽ; ; ; ; ; ; ; ;{ {;;)゚,. "´ ', ; ; ; ; ; ; ; ', / ', ; ; ; ; ; ; ; ;', / ' , ',; ; ; ; ; ; ; ; ヽ / ', ゙}; ; ; ; ; ; ; ;.ノ r〈,,. rrrハハハハュュ、 ; ', ; ; ; ; ; ; ;.{ ,..(".:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.゙゙゙ーハハュュ、. ', ; ; ; ; ; ; ;} },. '"´.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:."゙゙゙}; ; ; ; ; ; ; { ,r‐'".:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:`゙ヾ.:.:.:.ヽ _ ; ; ; ;} {.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:',.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ.:〃.:.`iー'" ヽ.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:',.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:|||.:.ii |
遅れ馳せながら,新スレ立てお疲れ様です. 当方は最近,ハンガリー語版のgoogleやらwikipediaやらを 眺めていたり眺めていなかったり.
消印所沢さま wikipediaのハンガリー語版・・面白そうですが、読めない・・。
35 :
世界@名無史さん :2005/07/28(木) 15:04:17 0
ハンガリーでは異端審問や魔女狩りは盛んだったんでしょうか?
36 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 19:36:42 0
>>35 ハンガリーで魔女というと「タールトシュ」がわりと有名かな。
>35 隣国のボヘミアでフス戦争が行われていた当時に、ハンガリー国内で も異端審問があったと聞きました。 その後のハンガリーでどうだったのかは、私は不勉強でわかりません。 >36 タルトーシュというのはハンガリーの在来宗教の予言者・司祭の類らしいですね。 以前に「しい坊さま」がアミニズムの予言者と書いておられましたね。
38 :
世界@名無史さん :2005/07/31(日) 22:25:32 0
Táltosはマジャール人のシャーマニズムのなごりとか言われてるけど バルカンやイタリアにも共通した異能者の信仰があるそうで。 (ネタ元:カルロ・ギンズブルグ「闇の歴史」) 魔女といえば、ゴート族のフィリマール王が砂漠に追放した「アリオルムナス」 という魔女の一群が魔神と交わってフン、アヴァール、マジャールが生まれたと いう伝説があるそうですが、掘り下げてみると面白いかも知れませんね。 まあハンガリー人がすでに書いてそうだけど・・・
39 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 21:51:21 0
ハンガリーの貴族階級は18世紀まで話す言葉がドイツ語かラテン語?
日常会話レベルでラテンはないでしょ
41 :
世界@名無史さん :2005/08/18(木) 00:32:37 0
モンゴル語やトルコ語だったらイヤだなあ
>>34 当方もあまり読めていませんが,日本に関する項目などは,なんとなーく
分かるし,おもろいでっせ.
NHKでホロコーストに関する連続ものを放送していますが,矢十字党時代の
ハンガリーは出てこなさそうだなあ…….
……と思っていたら,最終回が冒頭からハンガリーのユダヤ人の話でしたとさ. ホルティ時代から既に一部では移送が行われていたんですね.がっくし.
44 :
世界@名無史さん :2005/08/29(月) 23:05:52 0
ハンガリーのユダヤ人って、最古のはマジャールと一緒に入ってきたハザールの部族?
45 :
世界@名無史さん :2005/08/30(火) 02:17:21 0
中世ポーランドやハンガリーのユダヤ人は財務官僚として活躍してたようだが
46 :
世界@名無史さん :2005/09/01(木) 16:13:06 0
第一次大戦後にハンガリー王位が空位になったとき 日本の皇室から新王を招聘することが検討されたって本当ですか?
>>46 それってトゥラン主義者か何かが働きかけたんだろうか?
48 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 07:50:39 0
ハンガリーって、そこだけマジャール人の国がぽかっと浮いてるように存在してるけど、歴史的に周辺国との関係はどうだったのでしょう。 オーストリア・ハプスブルクやオスマントルコは言うまでもないですが、ルーマニア、チェコ、スロバキアなんかとは友好関係結んでいたのでしょうか?
49 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 09:05:19 0
ハンガリーって、そこだけマジャール人の国がぽかっと浮いてるように存在してるけど、歴史的に周辺国との関係はどうだったのでしょう。 侵略しにいったりしなかったのかな? オーストリア・ハプスブルクやオスマントルコは言うまでもないですが、ルーマニア、チェコ、スロバキアなんかとは友好関係保っていたのでしょうか。。
>>49 スロヴァキア:
かつては「上ハンガリー」と呼ばれてた。中世以来第1次大戦終了まで
ほぼ一貫してハンガリー領。隣国じゃなくて、支配下。
ルーマニア:
ルーマニアという国ができてからは、仲が悪い時期が圧倒的に長い。
前身のワラキア侯国・モルダヴィア侯国時代は、両国はしばしば
ハンガリーの主権下に置かれてた。
チェコ
よく知らんので誰か補足よろ
51 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 16:10:20 0
ハンガリーとルーマニアの関係は複雑で説明するのが難しい。 ワラキア・モルダヴィアはルーマニア語を話す正教徒の国だが そもそもトランシルヴァニアからカソリックの圧迫を逃れて カルパチア山脈の東側に移住してきた。 そこに居ついてからはハンガリーをステップ遊牧民から守る 防波堤みたいに利用された。 昔そこにいたドイツ騎士団のように。
52 :
ジョーカー@ケータイ :2005/09/09(金) 16:17:51 O
かつてエステルハージ家の領地だったブルゲンラント(オーストリアのブルゲンラント州)のマジャル人はハンガリーのマジャル人−とはいっても様々な容姿の人がいますが−とは容姿が異なる人が多いのでしょうか?
53 :
ジョーカー@ケータイ :2005/09/09(金) 16:21:00 O
あとハンガリー領ですがショプロンなど北西部(ショプロンは北西部というより西部かな?)がオスマン・トルコの支配を免れたことは知っていますが、モンゴルの侵攻も免れたのでしょうか?
55 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 20:45:09 0
ちなみにルーマニア人はトランシルヴァニアが歴史上ずっと ルーマニア民族の土地だったと主張してる。 歴史上のトランシルヴァニアではザクセン人やセーケイ人より 政治的にもマイノリティだったのに・・・
57 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 21:55:38 0
ギシュクラさんは、今どこで何をしているんだろう? いろいろと忙しいのかな?
ギシュクラ・ウールはタルマーチ選手の応援に行っておられるのかも.
>44 いつ入ってきたのか、私にはわかりません。 ハザール=東欧のユダヤ人というのはアーサー・ケストラーの言い出した話ですね。 >45 マーチャーシュ王の財務官僚に改宗したユダヤ人がいたそうです。 >46 その話、何度か耳にしたことがあるのですが、本当なのですか? 一応「使徒王国」を自称するハンガリー王国の国王に日本人という のは、にわかには信じられないのですが。 >50 スロバキア・ルーマニアとは決して関係が良くないですね。 特にルーマニアとはトランシルバニアの問題があるので・・。 チェコとは特に関係が悪いと聞いたことはないのですが、 以前、チェコ人はハンガリーが嫌いなので、ハンガリーの話は しない方が良いという忠告を受けたことがあります。 >52 ジョーカーさま ブルゲンラントの方々が特に容姿が違うという話は聞いたことがありませんが・・。 一度、知人に聞いてみます。 モンゴル軍はヴィーナーノイシュタットあたりまで侵攻してますので、襲撃を喰らった のでは?モンゴル軍はオスマン帝国軍みたいに居座ってはいないですので、印象が違う でしょうが・・。 >57 申し訳ありません。いろいろドタバタしております。 >58 モテギまで行ってきました。残念ながらリタイアしちゃいましたが・・。
60 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 23:52:05 0
マジャール以前にもフンやアヴァールなどステップ遊牧民がパンノニアを 拠点とする例はあったが、たいてい政治的に分裂して消えてしまった。 ハンガリーがマジャールの部族連合体制を脱却して王国になれたのは、 レヒフェルドの戦いで大族長たちが大勢死んで王の権威が相対的に上昇 したからだと物の本に書いてあった。
61 :
世界@名無史さん :2005/10/10(月) 11:51:26 0
傭兵隊長氏帰還? 前スレで勇爵(Vitez)というのが話題になってたけど Vitezはセルビアでは「騎士」という意味だとか? 南スラヴ語なのか知らん。
62 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. :2005/10/15(土) 01:36:50 0
>60 王の地位というより、後にハンガリーの王家となるアールパード家が、 元々の権力者、例えば騙まし討ちに倒れた「ケンデ」(最高位であっ たらしい)のクルサーン、レヒフェルトで敗戦後、捕らわれ処刑され た「ホルカ」のブルツたちの所領を簒奪していったのだと思います。 そしてゲーザの代にキリスト教を受容しドイツからの攻撃を回避、ゲ ーザの死に際しては、旧来の一族の最年長者が支配者の地位を継承す るという習慣を廃してしまい、これに反対する叔父のコッパニュを 敗死させて、長子ヴァイク(後のイシュトヴァーン1世)が 王となり、その後も強力な族長アイトニュ、トランシルバニアの支 配者ジュラを破ってその地位を固めています。 また、皇帝から王に認められるのではなく、ローマ教皇から授か った王冠で戴冠することによって神聖ローマ帝国の一部となることを も防いだあたり、誰かの知恵なのか巧みだと思います。 >61 私ではわからないので、友人に聞きました。 確かにスラブ語起源の言葉ですが、かなり昔に受容さ れた言葉のようです。 意味は勇者というような意味で、例えば農民反乱に荷担 して処刑されたドージャ・ジョルジはかつての対トルコ 戦での軍功で「ヴィテーズ」(勇者)と呼ばれていまし たし、マーチャーシュ王の家庭教師で人文学者として 名高いヴィテーズ・ヤーノシュのように姓に使っている 人もいました。 セルボ・クロアチア語での意味はおっしゃるとおり 勇者とか騎士の意味です。 チェコ語にもこれに類する言葉があるそうで、南スラブ の言葉と言い切っていいのか私にはわかりません。
>>44 中欧・「東欧」のアシュケナジーの大半もハザール起源にあらず。
十字軍や暴民による虐殺から逃れてラインラントなど西部ドイツや
フランドル・北フランスからポーランドやハンガリーに
大挙移住していった人たちの末裔が大半。
64 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 13:55:30 0
>>50 スロバキアってハンガリーに約1000年も支配されてたのかよ・・・
1000年以上も他国・他民族に支配されるだなんて耐えられない。
東欧でそういう近代的な国民意識が生まれたのは19世紀ごろからだよ。 というかあの辺の連中のそういうゴタゴタは聞いててかなりうんざりしてくる。
66 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 18:14:42 0
そんなこといったらセーケイ人とか国すらない連中はどうすればいいんだ
>64 その当時、スロバキア人という概念があったのでしょうか。 スロバキア人の農民とマジャール人の農民で顕著な扱いの差があったのでしょうか? トランシルバニアの場合、マジャール人・セーケイ人・ザクセン人に比べてルーマニ ア人は議会に代表を送れないとか、一段悪い扱いを受けていたと聞いたことがありま すが・・・。 >65 聞いてうんざりもそうなんですが、いまだゴタゴタしていて、両国に友人がいたりす ると時々、愉快ならざる思いをする時があります。 >66 セーケイとかクマンとかパローツとか・・。あと、セルビアやクロアチア人の集落が あったり、ザクセン人が住んでいたり・・。いろんな連中がごちゃごちゃ住んでいる のが中欧世界というように思っています。
68 :
世界@名無史さん :2005/10/16(日) 01:40:43 0
ハンガリーの歴史は全く詳しくないが19世紀末のハンガリーはすごく興味がある。 オーストリアとの同君連合だが、版図が広い。文化・芸術もパリやウィーンと同格。 欧州大陸初の地下鉄ももってて 大国中の大国だ。 もっと注目していいと思うんだが、なぜか激しくマイナーな国だ。
69 :
世界@名無史さん :2005/10/16(日) 12:20:03 0
二重帝国が共和国になった経緯、それは勿論大戦だけど、細かなトコが昔不思議だったのを思い出した。 誰か教えてください。
ハンガリーが共和国になったのは第二次大戦後。 それまでは二重帝国以前も以後もずっと王国。
とはいえ、完全独立後のハンガリー王国には国王がいなかったのよね。 オーストリア=ハンガリー海軍の艦隊司令官だったホルティ・ミクローシュが 「摂政」として独裁、ハプスブルク家の国王の復位を認めなかった。
72 :
世界@名無史さん :2005/10/16(日) 12:47:42 0
成蹊人、熊ン人。
74 :
世界@名無史さん :2005/10/16(日) 23:25:02 0
クン クマン人の子孫 パローツ ポロヴェツ人の子孫(クマンとどう違うの?) ヤース アラン人の子孫 セーケイ トルコ系集団(ブルガール?)の子孫 チャーンゴー 逆に(カルパチア盆地から)出て行った人々 マチョー ??
>71 晩年にオットー大公に許しを乞うたそうですね。 彼の回想録に「若く優秀なハプスブルク家の君主がドナウ連邦に 君臨するのを再び見たい」とか書いているそうで。 >73 かつては巡洋艦部隊を率いて実戦も経験し、後には二重帝国の最 後の海軍司令官だった人物ですからねぇ。やっぱり血が騒いだん じゃないですか。彼自身はヒトラーよりもイギリスにシンパシー を感じていたそうです。 >74 判りやすく整理してくださってありがとうございます。 パローツとクマンですか・・。入ってきた時期が違うとか、 あと、彼ら自身の認識の問題もあるのでは。
歴史と関係ないような話題でシツレイ。 チャルダッシュという曲が最近リバイバルかなにかで話題になったのか それともそういう名のグループでも出たんですか?
77 :
世界@名無史さん :2005/10/17(月) 18:51:01 0
ちょっと前にタラフ・ドゥ・ハイドゥークスってジプシーの楽団が話題になってたな。 日本にも来てた。
78 :
世界@名無史さん :2005/10/17(月) 20:31:40 0
Taraful Haiducilor(仏語Taraf de Haidouks)はワラキアのグループ。
ルーマニアですよん。来月来日します。
ttp://www.plankton.co.jp/taraf/ ハンガリーのロマのグループなら、ムジカーシュ(Muzsikas)/
シェベスチェーン・マールタ(Sebestyen Marta) あたりが大御所。
アンソニー・ミンゲラ「イングリッシュ・ペイシェント」、宮崎駿「おもひで
ぽろぽろ」などの映画に登場するし、CDも日本で何枚か出ている。
ttp://www.muzsikas.hu/
79 :
69 :2005/10/17(月) 21:10:22 0
お〜みなさんありがとうございます。 第一次大戦後、オーストリア共和国、ハンガリー王国だったのが不思議だったんですね。 高校レベルの文献では分からなかったし・・。 訊いてよかった。
>76 チャールダーシュとは、ハンガリーの民族舞踊の一つです。 そんなに最近お聞きになる機会があるのですか。 >78 タラフ来日ですか・・バイオリンのお爺さんがご健在の頃 ライブに行ったことがありました。 ムジカーシュは良いですね。私も好きです。
すまん、
>>78 のムジカーシュやシェベスチェーン・マールタはロマじゃないっす。
間違いました。
>>75 今のハプスブルク家当主は、ハンガリー王位継承権を放棄したんだっけ?
>81 オットー大公は今でも「ハンガリー王位継承権者」という肩書きをお持ちだと 聞きました。1999年に来日されて、東海大学で講演された折のご紹介は、 上記のとおりであったと記憶いたしております。
放棄したのはオーストリア帝位継承権じゃなかったか
ハイドゥークってハンガリーの盗賊かと思ってたけど、ルーマニアにもいたのかな。
まあ,まかり間違えば日本の皇室がマジャール王継承権を持つことになっていたかも(笑).
ハンガリー国王が即位するためには、ハンガリー国王から 伯爵だか侯爵だかの爵位を受けた某所の大司教による戴冠を経ないと 国王になれない、という規則があって、現在ではこの大司教座には 爵位が無くなってしまっているため、ハンガリー国民による承認以前に オットー大公は法的な構造上ハンガリー国王になれない、という嘘か 本当か分からぬ話を聞いたことが・・・
故司馬遼太郎氏が訪問を切望しながら果たせなかった国だね。
>84 ハンガリーではハイドゥ、ルーマニアではハイドゥク。 盗賊という言葉の語源が一緒なのではないでしょうか。 消印所沢さま それは時々聞く話ですが、本当ですか?
>86 確か前々スレで「しい坊」さまが書いておられた お話ですね。 以下はそのコピーです。ご参考までに ミンツェンティ枢機卿が死亡した時が名実ともにハンガリー王国が 消滅した時期だとも言えると思います。 ハンガリーは“使途王国”という特権を持ったカトリック 王国でした、通常はヨーロッパの国王は国王となるためには ローマ法王の認証を得なければならなかったのです。しかし、 使途王国であったハンガリー王国の場合は、その特権により、 国王をローマ法王の代理人であるハンガリーの主座大司教公 (herceg prímás) が認証することができたのです。 で、ハンガリーの主座大司教公はハンガリー国王が任命するこ とができました。要するにハンガリー国内で互選制を取ってい たのですね。で、戦後の新憲法でハンガリーは共和国となりま したが、ミンツェンティ枢機卿が存命中は教会法上彼がハンガ リー国王を任命することができたわけです。しかし、彼は国王 を任命することなく、亡くなってしまいました。ところが、ハ ンガリーにはもはや主座大司教公を任命する国王がいないの で、主座大司教公を任命することもできなくなってしまったわ けです。実際に、ミンツェンティ亡き後ヴァチカンが任命した ハンガリーの主座大司教には「公」の称号は付いておりません でした。よってこれをもってハンガリー王国は歴史から消滅し たと考えることもできるでしょう (^^)。 >87 司馬先生の「街道を行く」ハンガリー編を読んでみたかった です。
>67 遅レスですが、ルーマニア人がセーケイ人やザクセン人とはちがって 冷遇されたのには何か理由とかはあるんですか? また、そういった差別はスロバキア人やクロアチア人などの 領内の他の異民族に対してもあったんでしょうか? あと、かつては上ハンガリーと呼ばれた現在のスロバキアの領土は もともとスラブ人が多数派で、第一次大戦後に民族自決に基づいて スラブ人の分布通りに決められたものなのでしょうか? それとも、上ハンガリーではスラブ人は少数派だったけど、敗戦後の どさくさにまぎれてハンガリーからこの地域をハンガリー人多数派地域ごと 奪い取ったものなのでしょうか?
ローマ教皇が戴冠させることは出来ないのか。
>>90 上ハンガリーではもともとスロヴァキア人が多数派で、二重帝国の時代にも
マジャール人はスロヴァキア人との間でアウスグライヒに似た協定を
結んでいたという。チェコスロヴァキア成立時の国境についても、チェコ側は
従前の歴史的国境・州境に基づき、スロヴァキア側は民族分布に基づく
ということだったらしい。
>92 なるほど、ありがとうございます。
>ギシュクラ・ウール >それは時々聞く話ですが、本当ですか? トゥラニストがそんな画策をしていたというのは,どうやら本当らしいのですが, 確証がイマイチ……. ps. しい坊氏のサイト,なくなってしまったようですね.
95 :
世界@名無史さん :2005/10/20(木) 10:05:09 0
>消印所沢さん しい坊さんのWebページ、今は見れます。 ブログ(旧しい坊のひとりごと)も久しぶりの更新です。 誰も徹底的にコメントをしていないブログですが。
>>89 レス有難うございます。しい坊先生の解説が元ネタだったんですね。
記憶があやふやだったのでとてもすっきりしました。
なるほど、ハンガリーの「主座大司教公」だったんですね。
カトリック教圏の東方に対する防波堤として「使徒王国」という特権を
ローマ教皇から与えられていた、という話をされていたことを覚えています。
要は国内での互選制だという説明に納得しました。
ハンガリーも90年代以降、例の王冠付きの国章が巷でよく見られるように
なったそうですが、ハンガリー国内としては「ハンガリー王国復活」みたいな
願望というか期待のようなものを漠然と持っているのだろうかと思ったりも
しましたが・・・ どうなんでしょう。
ハンガリー国内にオットー大公が即位するような状況があるという話は聞かれ
ませんが、もし即位するとなるとローマ教皇と一緒になってよほど曲芸じみた
手続きをしてでもないとと実現できない感じですね。
東欧やバルカン、北欧の新興の王国と同じ要領で立ち上げ直せば良い。
「チャルダッシュ」は十二楽坊の演奏がヒットした。
101 :
95 :2005/10/23(日) 10:31:26 0
102 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 16:24:17 0
多分ハンガリーだったと思うけど、食い詰めた農民を集めて十字軍を編成しようとしたら そのまま農民一揆がはじまってしまったとか。
ギシュクラさま、
お休み中なんで、こちらに。
Taborstrasse: Ist die a¨lteste Strasse der Leopoldstadt und hiess fru¨her
Kremser Strasse. Seit 1770 heisst sie Taborstrasse. Der Name Tabor
kommt von Befestigungsanlagen, die in den ersten Jahrzehnten des
15. Jahrhunderts unter Herzog Albrecht V. zur Sicherung der
Donaubru¨cke gegen die militanten Hussiten errichtet worden waren.
(Diese Art der Befestigungsanlagen waren von den Hussiten erfunden
und auch so genannt worden.)
http://www.wienweb.at/printpopup.aspx?id=52804&cat=4&channel=1 やっぱり、「堡塁」という意味で使っていますね<ターボル街の"ターボル"
そして、この"ターボル"はフス派の「ターボル」から派生。
...本家のターボルの意味は全然解明されませんでした。。
104 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 18:18:28 0
荷車で防御陣地を作るという戦術は中国からインド、東欧まで 遊牧民の影響がある場所ならどこでも見られるものだけど それぞれ名称がどうなってるのかはよく分からないな。
>>101 Ko:szo:no:m sze'pen!
106 :
世界@名無史さん :2005/11/01(火) 16:40:03 0
>>105 Te nagyon buta vagy, ugye ?
108 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 01:36:11 O
俺はブルゲンラントのマジャル人。
109 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 01:39:06 0
ハンガリー反革命について
110 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 22:10:24 0
野上弥生子 「しかしこの腕力沙汰(引用者注:ハンガリー動乱のこと)も、英仏がスエズで振るった暴力(引用者注:スエズ動乱のこと)とは別だという考え方を、私は変えようとはいたしません。 彼らはなんと弁解しようともエジプトをあらたに植民地化して、一世紀にわたって握ったスエズ運河の利権を手放すまいとするのであり、 片方のロシアといえば、第二次戦争の後漸くできあがったハンガリアの人民民主政体(引用者注:共産党一党独裁体制のこと)がもう一度独占資本家、地主、 ファッシズムと民族主義をいっしょくたにしている軍人(引用者注:戦前のハンガリー王国摂政のホルティ・ミクローシュ提督のこと)の支配に ―私たちだってそんな目にあうのは御免ですが―逆転しようとするのを、少々粗暴に引き戻そうとしたわけで、同じく動乱の名で呼ばれてもエジプトのは後ろ向き、 ハンガリアのは前向きといわれましょう。」 出典元:1957年1月号『世界』より
ウヨサヨ論争を始めたいつもりなら よそでやってくれ
112 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 23:00:27 O
\(〇m〇)/フニャディ万歳! ↑カーロイ将軍閣下です。
ナジをなじる
114 :
世界@名無史さん :2005/11/17(木) 23:20:51 O
俺はブルゲンラントのマジャル人だからハンガリー動乱は無関係。
>102 おそらく「ドージャ・ジョルジ」あるいは「セーケイ・ジョルジ」の反乱として知られる事件 のことではないでしょうか? エステルゴムの大司教(?)バコーツ・タマーシュがローマ教皇の同意の元に、対トルコ十字 軍を宣言、これを受けて農民たちが続々と集結、その指揮はドージャ・ジョルジに委ねられま した。 農民たちの集まり方に恐れを抱いた大貴族達は大司教バコーツに募兵の中止と、既に集まった 農民の解散を命じるように説得、大司教はこれに応じました。また、大貴族達は所領の農民の 十字軍への参加の妨害、参加者への弾圧も行いました。 激怒した農民たちは反乱を起こし、ドージャの指揮の元に、ペシュトを出陣、大平原を越えて ハンガリー南部へ攻勢をかけ、城砦を次々に陥落させて行きました。しかし、要衝テメシュヴ ァール(今のティミショアラ)を攻囲している最中に北部ハンガリーからの軍を率いて救援に かけつけたヤノシュ・サポヤイの軍に破れ、ドージャは捕らえられ、頭に焼けた鉄の王冠をか ぶせられ、真っ赤に焼けた鉄の玉座に座らせられて生きながら焼き殺されました。 >103 ありがとうございます。 フス派からの侵攻を防衛するために築かれた訳ですね。 >104 そんなに広汎に見られる戦術でしたか・・。ハンガリーでもベーラ4世の 率いる軍がモンゴル軍に破れた「ムヒの戦い」でハンガリー軍が車陣を敷 いて戦ったそうです。 >110 野上弥生子さんもそんなことを仰ってましたか。大内兵衛氏の書かれた文 章は読んだことがありましたが・・。
>>115 岩波ですからね。
基本的に"赤方偏位"ですよ。特にあの時代は。
117 :
世界@名無史さん :2005/11/26(土) 22:20:11 0
>117 魔女狩りは私は聞いたことが無いですが(不勉強で知らない可能性は十分に あります。)異端審問はフス戦争の後に盛んだったことがあります。 後にフニャディ・ヤーノシュと一緒にベオグラードでトルコ軍と戦ったカピ ストラノ神父が主導していたはずです。
手元の本を調べてみたら「18世紀に酷い魔女迫害があった」という記述 がありました。 具体的な内容はよくわからないのですが、ラコーツィ・フィレンツ2世の 自由戦争が失敗に終わり、ハプスブルク家の支配が強化されるとともに、 イエズス会が幅を利かせるようになったのと関係があるのでしょうか?
120 :
世界@名無史さん :2005/11/29(火) 21:29:23 0
121 :
世界@名無史さん :2005/11/30(水) 23:22:56 O
ハンガリー移民二世でマジャル人のサルコジがフランス共和国大統領になったら、 ハンガリー共和国の人々は喜ぶかな?
ありゃ・・ハンガリー移民も子孫でしたか。 2世というと、ご両親は何時頃ハンガリーからフランスへきたのでしょう??
123 :
世界@名無史さん :2005/12/02(金) 09:26:13 0
シャールケズィ(Sa'rko:zi)内務大臣は親アメリカでしょう。 父親は56年の時の亡命者ですかね? 父方はハンガリー系ですが、母方もそうですか? あの顔は典型的なフランス男だと思いますがね。
124 :
世界@名無史さん :2005/12/10(土) 02:02:31 0
サルコジは両親ともハンガリーからの移民。
>124 遊牧時代のマジャール人ですね。 なんか彩色年代記とか教会の壁画に描かれたクマン人の画に似ています。 >125 完全にハンガリー系ですか。56年の時の亡命者の方のご子息なのでしょうか?
イスラムスペイン生まれの旅行家アル・ガルナーティーを追いかけてたら、
偶然こんなサイトを発見
ttp://www.magyariszlam.hu/eng/history.html 英語が苦手なのでどこまで意味を取れているか自信がないが、上記サイトの
中段に、「ゲーザ2世の時代、「フワーリズム人」と「マグレブ人」の2種族の
ムスリムがハンガリーにいて、王に仕えていた」とある。うちフワーリズム人は
隠れムスリムで、表向きはキリスト教徒。マグレブ人はおおっぴらに
イスラームを信仰していたようだ。
しかし、フワーリズムっつったらアラル海のあたりだし、マグレブっていえば
チュニジアからモロッコにかけての土地だ。そんな遠方の人々が、なんで
またハンガリー王に仕えてたのか?
それともアル・ガルナーティーの勘違いで、「フワーリズム人」はクマンとか
ペチェネグの中のムスリム集団か何かだろうか?
ハザールの可汗の親衛隊はホラズムのムスリムだったらしいけど
129 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 23:03:54 0
age
130 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 23:05:11 0
>127 面白いサイトですね クマン人にはムスリムがいるとも書いてます。 こんな話ははじめて読みました。 考え様によっちゃ、そんなのが居ても不思議ではないのかも しれません。
>127 マジャール人が各地に侵略しまくっていた当時のハンガリーにはムスリムの商人が 結構来ていたらしく、コインが墳墓から発掘されるそうです。
133 :
世界@名無史さん :2006/01/15(日) 03:07:41 0
そろそろネタ切れですか?
134 :
世界@名無史さん :2006/01/15(日) 21:23:57 0
ハンガリー人の先祖は空気が読めなかったのだろうか・・・ 大モラビア国が彼らの手で滅ぼされるし・・・
空気を読むというのが、理解しがたいのですが・・・。 モラビア王国は今のスロバキアの西側のあたりにあったのですよね?
大モラヴィア王国の領土はだいたい現在のモラヴィア+スロヴァキアだったのでは?
137 :
世界@名無史さん :2006/01/16(月) 16:29:45 0
ハンガリーとハンガーの関係を教えてください。
モラヴィア最盛期の領土は確か今のチェコ、スロバキア、ハンガリー西部、オーストリア東部あたりだったと思う
139 :
世界@名無史さん :2006/01/21(土) 18:35:08 0
どなたか「Osztrák-Magyar Monarchia」の読み方を教えて下さい。 「オストラーク・マジャル」までは分かるんですが・・・
140 :
世界@名無史さん :2006/01/21(土) 19:40:40 0
モナルキア?
ハンガリーはめはめ娘
エスラーライヒ=ウンガルンの正式名称の最後尾の単語 「Stephanskrone」 ウィキペーディアでの訳語は「イシュトヴァーン王冠=vとなっているけど、 これは「イシュトヴァーン王室」か「イシュトヴァーン王家」と訳したほうが適切なのでは?
王家はイシュトヴァーン直系じゃなくってコロコロ入れ替わったのだから 「王冠」で正解だと思う。
144 :
142 :2006/01/24(火) 06:29:40 0
>>143 なるほど・・・
これで合点がいきました。
145 :
世界@名無史さん :2006/01/26(木) 19:23:41 0
イシュトヴァーン王冠に属するとでも言えばいいのでしょうか。 王家そのものは変わっても、選ばれて聖王冠をもって戴冠したものこそが正統な 王であるという考えなのでしょう。 マーチャーシュ王なんかは王冠がハプスブルク家のフリードリッヒ3世のところ に行ってしまったものだから、取り戻すのにずいぶん苦労しています。
147 :
世界@名無史さん :2006/02/05(日) 16:30:24 0
>>139 通称オーストリア・ハンガリーのマジャル語名ね。
「オストラーク・マジャル・モナルツヒア」でいいのかな?
148 :
世界@名無史さん :2006/02/09(木) 23:54:18 0
そういえば、オットー=ハプスブルク氏は エスターライヒの王位継承権は放棄してるのに ウンガルンの王位継承権は保持し続けてるとか。
前に来日された折「ハンガリー王位継承権者」という肩書きで紹介されて いたことがありましたね。
150 :
世界@名無史さん :2006/02/12(日) 19:24:16 0
そのオットー・フォン・ハプスブルク・ロートリンゲンさんは いまもご健在であらせられるんですな。 ヨーロッパピクニックのときは既に80歳を超えていたのに・・・
151 :
世界@名無史さん :2006/02/12(日) 19:35:29 0
ハンガリー通史の入門書でオススメなのないですか?
152 :
世界@名無史さん :2006/02/12(日) 19:41:24 0
ハンガリー史(1) P・エルヴィン、田代文雄・鹿島正裕(訳)/恒文社
153 :
世界@名無史さん :2006/02/12(日) 19:46:10 0
154 :
世界@名無史さん :2006/02/12(日) 19:54:34 0
155 :
151 :2006/02/12(日) 19:58:08 0
ちょっとましな図書館へ行けばあると思う。
ハンガリーは、とかくオーストリア(ハプスブルク家)と並べて語られる事が多い。 御蔭でフニャディ=ヤーノシュなぞ日本では全く知名度が無い。
>152 高いし、内容が古いという話が以前のスレで出ていました。 もっと新しい内容の本が出てほしいですが、恒文社さんも、現在は東欧関係 に力を入れておられないようで望み薄です。 >157 音楽家を別にすれば、伝記が出ているのがバートリー・エルジェーベト だけという有様ですから・・。
マジャル人はハプスブルク家やエスターライヒのことを 「侵略者」とは思っていないんですか?
>159 昔は思っていたでしょう。 ラコーツィの開放戦争だのコッシュートたちの自由戦争などは完全に 反ハプスブルク闘争です。 しかし、今、どうなのかというと、二重帝国時代へのノスタルジーと いう部分もあるのではないのかなと、個人的には思います。 詳しい方のご意見をお聞かせ願えればと思います。
>159 どちらかと言えば,より高い脅威であるロシアに対抗するため, ハプスブルクと同盟を組んだという面がある模様.ハンガリー国内には 多数のスラブ人がいましたから,彼らがロシアと結びつくことを 警戒したのです. ハプスブルクを信頼置ける同盟者として見ていなかった証左として, ハンガリー議会は常に二重帝国の軍事予算を必要以上に抑えようとする 傾向がありました. おかげで第1次大戦直前まで,国家予算に占める軍事費の割合は, いつも列強中,最低だったとか. ……てなことを,某サイトにupしたり,する予定だったり.
ありゃ? トリップ打ち間違い,
163 :
世界@名無史さん :2006/02/15(水) 01:31:52 0
ギシュクラさま・消印所沢さま ギシュクラ氏はハプスブルグとは敵対、消印所沢さまは同盟と書かれてますが、 扱っておられる時代が違うのですね?
164 :
159 :2006/02/15(水) 22:15:52 0
>>160-163 どうもハプスブルク家への感情はかなり複雑なものがありそうですね。
エスターライヒ=ウンガルンの存在がそれをより複雑にしてるような感じも・・・
蒼き狼と白き牝鹿4・チンギスハーンで十二〜十四世紀のハンガリー史に 興味を持ち只今、文献集め。 しかし日本でのハンガリー専門文献の少なさに脱力。
>>163-164 中欧そのものがかなり複雑ですからねえ.
ラコーツィの解放戦争にしても,最初はハプスブルク軍はオスマン帝国からの
解放者としてハンガリー人には歓迎されたものの,例の「新規土地取得委員会」の
デタラメのせいで,
「これじゃ,オスマン支配のほうがマシじゃん!」
と怒ったってところから起きてますし.
>>165 ハンガリー語の文献ならたくさんありまっせ.がんば.
>165 恒文社のハンガリー史以外だと山川のドナウ・ヨーロッパ史ぐらいでしょうか。 あとはオーストリア・ポーランド・クロアチア・セルビア・ルーマニア史の本 の記述を探すとか、邦文でのみというのは困難です。 ハンガリー語はともかく英語ならばけっこう書籍は出ていますよ。 >166 それ以前に、ハプスブルク家の王位継承権なんか認めないという 勢力がトランシルバニアいますし、オスマン帝国からの開放戦争 中もズリーニ・ミクラーシュ(シゲトの英雄の孫、詩人)あたり なんかはハプスブルク家に見切りをつけてます。
168 :
世界@名無史さん :2006/02/21(火) 02:06:08 0
>167 文庫クセジュにもハンガリー史があるが、内容は物足らない。
170 :
世界@名無史さん :2006/02/22(水) 01:04:41 0
英文書籍は多い。 アマゾンで検索されたし
171 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 22:42:10 0
ハンガリーって何でスラブ人と同化しなかったんだろう・・・ そこが謎。
多かれ少なかれスラブ人やゲルマン人と混血してしまってはいると思います。 国としてということであれば、よくも生き延びたものと思わされます。
ハンガリー語のスラブ語系やゲルマン語系からの影響ってあったの? ハンガリー語の過去の仮定法は、かなり人為的な感じるするのだが。
影響ないわけないだろな
175 :
世界@名無史さん :2006/03/26(日) 22:21:16 0
>>173 本来のSOV語順がSVO語順に変わったのはゲルマン語派との接触による影響だそうな。
176 :
世界@名無史さん :2006/03/26(日) 22:43:55 0
ヒデクチ(Hidegkuti)ってなんとなく日本を感じさせる姓だよな モトグッチもそうだが
177 :
世界@名無史さん :2006/03/26(日) 23:01:06 O
ネオトンて英語だとニュートンだよな。
モトグッチ=冬樹裕三ですかw
179 :
世界@名無史さん :2006/03/26(日) 23:24:26 O
モトグッチのモトはモーターの意味でモトグッチなオートバイメーカーの名前じゃなかった?
180 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. :2006/03/27(月) 00:19:47 0
>173 私はハンガリー語がわからないですが、単語なんかでもドイツ語、スラブ語 から入ってきたものが多数あると聞いています。 >175 そうだったのですか。ハンガリー語は難しい・・。 >176 Hidegkutiってハンガリー人の姓ですか。あんまり日本とかぶる ような姓名というのは聞いたことがないような・・。 モトグッチはイタリアのバイクメーカーでハンガリーとは多分無関係 でしょう。 ハンガリー製のオートバイというと「パンノニア」というメーカーが あったそうですが、写真はともかく、実物は見たことがありません。
つーかマジャール語わからんのかヤン・イスクラよ ボヘミアのことばしか話せないのか
>181 何百年も話しておりませぬでな・・。 というのは冗談で、実際お恥ずかしい次第。 ただ今、学習に取り掛かったところです。。 ボヘミアの言葉もわかりません。
フェルトートって何?
>183 ??人名ですか?地名ですか??
アルスター大学人類学教授リチャード・リンの最新調査
(リン教授は北方人種至上主義者で優生学信奉者でも有名)
ヨーロッパ人のIQリスト(The IQ League)
107 ドイツ、オランダ
106 ポーランド
104 スウェーデン
102 イタリア
101 オーストリア、スイス
102 ロンドンおよびイングランド東南部
100.5 ウェールズおよびイングランド
100 ノルウェー
99 ベルギー、デンマーク、フィンランド
98 チェコ、ハンガリー、スペイン
97 アイルランド、スコットランド
96 ロシア
95 ギリシャ
94 フランス、ブルガリア、ルーマニア
90 トルコ
89 セルビア
ソース、The Times紙
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2-2105519,00.html
186 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 13:14:47 0
age
ハンガリーって昔からそうだが、エリート、特にユダヤ人だけは成績良くて、 あとは馬鹿ばかりな。
>187 釣れますか?? 何か具体的な例を出して書いてよ。
189 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 10:32:02 0
>>183 フェルテー・トーはノイジードラー・ゼーのことです。
190 :
183 :2006/04/04(火) 11:49:00 0
湖ですね。どうも
>187 確かにユダヤ系の優秀な方は多いですね。アメリカに渡った方が多いので 余計に目立つかも。音楽家のリストはドイツ系でしたっけ。 >189 あ!ノイジードラー湖ですか・・わからなかったです。
192 :
世界@名無史さん :2006/04/22(土) 02:56:07 0
ハンガリーでは、他国で魔女狩りが終焉する18世紀に、逆に吹き荒れてるらしいですが、 (by 『ウィキペディア(Wikipedia)』)その理由までは説明ありませんでした。 これは異教徒からの解放が関係しているのでしょうか? もし正しい理由をご存知でしたら、よろしく御教授下さい。
>192 岩波書店のヨーロッパ史入門の「魔女狩り」に 「ハンガリーもまた18世紀にひどい魔女狩りを経験し、ある同時代人の 報告するところによれば、嵐を引き起こしたかどで、1728−29年に 34人が火刑に処せられた。」とあります。 参考文献を見るとこの情報の出典は H.C.Lea 「Materials Towards a History of Witchcraft」だそうです。 この時期はラコーツィ・フィレンツ2世の反乱が失敗に終って、ハプスブルク 家の支配が確立し、それに伴なって、イエズス会がハンガリーの宗教界で大き な力を持った時期でもあります。 魔女狩りの話も、イエズス会の勢力伸張と関連があるかもしれません。
ドイツなんて2次大戦後になっても農民の間で魔女狩りがあったらしいぞ。 ヒルデ・シュメルツァー「魔女現象」という本に詳しいけど。
195 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 11:16:29 0
>>193 当時はイエズス会が牛耳っていたのですか・・・これは知りませんでした。
貴重な知識をありがとうございます。
ちなみにラコーツィ・フィレンツ2世の反乱は、農民をも巻き込んだゲリラ戦
だったのでしょうか?(判る範囲で結構です)
映画『ブレイブ・ハート』や『ラスト・サムライ』を見ると、西洋流の戦闘が
白い手袋をぶつけ合ってから、のように整然とし過ぎて、違和感を覚えます。
(ラスト・〜の方は、日本人の誰が見ても勘違いが歴然ですが)
>>194 その本も知りませんでした。貴重な情報をありがとうございます。
そうでしたか、『終焉した』というのはあくまで大雑把な話なのですね・・・。
>>195 多分主にオーストリア方面の話になるけれども、
当時はイエズス会が出版物の検閲まで行なっていて、その関係で
文化的荒廃が余りにもひどかったんで、即位後のマリア・テレジアが
呆然とした、というような話が「ハプスブルクの文化革命」という本に出てくる。
ヤノーシュ氏の話と上の話を考え合わせるに、ハンガリーも似た状況で、
その中で異端審問や魔女狩りが行われた可能性は結構あるかと。
ハンガリーでは前キリスト教的な呪術が残っていたからってことはないでしょうか?
198 :
世界@名無史さん :2006/04/24(月) 21:06:48 0
イエズス会と魔女狩りについてですが、そういう異端排斥にイケイケだったのは、
戦闘的なドミニコ派の修道士だった様に見受けられる資料が有ります。
イエズス会の修道士には、魔女裁判を諌める書物を刊行した人もいるようで。
http://www.ne.jp/asahi/happy/jollyboy/akuma02.htm 引用━『1631年に、ドイツのイエズス会士フリードリヒ・シュペーの
「裁判官への警告、または魔女裁判について」が刊行され、反響を呼んだ。
1657年、教皇アレキサンデル7世は判事達に、妖術事件の罪科の
決定にあたっては最大限慎重に臨むように勧告した。1671年には、
ついにカプチン修道会士ジャック・ドートン神父の
「魔術師と魔法使いについての学者の不信と無知の者の軽信」という
フランス法曹界の精神に一大転機をもたらした、画期的な書が出版された。』
上記を見る限りでは、ドイツのイエズス会は穏健派という印象。
ハンガリーを支配するオーストリアでは、事情が違うのかもしれませんね。
199 :
世界@名無史さん :2006/04/24(月) 22:23:53 0
是非とも、識者の方々のご意見を伺いたい事があります。 ハンガリー史上、世界に指折りの知名度である、エリザベータ・バートリ。 彼女の蛮行は、実は財産を没収する為のでっち上げ、という声が少なからずありますが、 この件に関して、識者の皆様は個々どのような見解をお持ちでしょうか。 腹蔵無いところをお聞かせ下さい。 (過去スレで有るかもしれませんが、私は見れないので、どうかよろしく)
200 :
世界@名無史さん :2006/04/27(木) 03:22:01 0
エリザベータの事は、『魔女狩り』に絡めてだったのですが・・・どうも反応頂け無いようで、 残念です。 (余りに資料が少なく、桐生さんの著作を鵜呑みにしていいものか、判断出来なかったので) 私自身は、冤罪ではなかったか、と密かに思っているのですが。
4日ぐらいで諦めなさんな この板では1ヶ月ぐらいレスの付かないスレはいくらでもある
202 :
世界@名無史さん :2006/04/27(木) 15:40:05 0
203 :
世界@名無史さん :2006/04/27(木) 17:45:06 0
>>202 レスありがとうございます。そのサイトは私も拝見しました。
エリザベータ・バートリで検出できるところは、一応全て漁ったつもりです。
そのどれにも必ず載ってる有名な逸話にも、客観的にはおかしな点が有ります。
例えば、髪を櫛ですいている時、そそうをした女中を引っ叩いて、その返り血が手に・・・
という下りは、本人が日記でも残さない限り知り得ない事で、容易に創作と解ります。
他にも600人の死体の処理とか、疑問を挟む余地が多々有り。
秀吉に一族連座で抹殺された秀次は、妊婦の腹を裂いて中を見て楽しんだ鬼畜、などと
あらぬ濡れ衣を着せられていますが、史実と書かれている資料も依然として有ります。
極端な話というのは、眉につば付けて再考の必要が有るかと。
もっともこの件は、元々正確な資料に乏しい事件なので、逆に資料よりも皆さんの印象、
主観を聞きたくレス挙げた次第です。
204 :
世界@名無史さん :2006/04/27(木) 17:56:58 0
エリザベートに限らず、似た様な事した君主・領主は古今東西いた。 正確な資料云々については中国とかだと史書に残るし 欧州だと年代記辺りに記述されるだろう。 只、脚色創作が途中で入り込む事も容易に有り得る。 しかしハンガリー史でエリザベート・バートリーを特筆するのは 正直勘弁して欲しい。 確かにバートリー家は重要人物を出した名家だが エリザベートの話が脚光を浴び始めたのは20世紀のつい最近だし。
205 :
世界@名無史さん :2006/04/27(木) 18:31:28 0
特筆とか、ご迷惑をかけるつもりは無かったのですが・・・。 場違いな事をしてしまいましたか?
場違いというか、歴史的に重要な人物じゃないからね>エリザベート 単なる猟奇趣味で彼女の本を読んだ人なら別に迷惑でも無いが ここはハンガリー史スレだからね。 女中の返り血とか死体600人分云々ならオカルト板で訊くと宜し。
207 :
世界@名無史さん :2006/04/27(木) 23:54:47 0
先にも書いたように、オカルト趣味ではなく、魔女狩りの一つ(財産没収の為)で
でっち上げの可能性が高いと考えた上で、みなさんのご意見をお伺いしたのです。
スレを汚す意図は決してありませんでした。
ただ、どうしても解せないのは、貴方のおっしゃり方に、少々毒を感じる事です。
貴方に門前払いされるいわれは無いと思いますが。
(
>>201 の方のように、暖かい言葉を掛けて下さる方もおります)
バートリーの件ですね。 散々既出ですが、初代のハンガリースレの「しい坊」さまの書き込みを 転載しておきましょう。 彼女の嫁ぎ先はハンガリーの大貴族ナーダシュディ家で舞台となったと言われ るのは現在のスロバキアのチェイテ(チャフツ)城です。 ナーダシュディ家は他にも城を持っていましてハンガリーのシャールヴァール城 オーストリアのレーカ城・ロッケンハウス城は現存しています。 以下前スレより 474 名前: しい坊 投稿日: 02/01/15 09:55 ちなみに、『ハンガリー大百科事典』(アカデミー出版、1994)に はバートリ・エルジェベトは以下のように紹介されています:
エチェディ=バートリ・エルジェーベト (ecsedi Báthori Erzsébet)。 1560年、サボルチ県 (Szabolcs vármegye) ニールバートル郡 (nyírbátori járás) ニールバートル村 (Nyírbátor ) 生れ、 1614年8月21日、ニトラ県 (Nyitra vármegye) ヴァーグーイヘイ郡 (vágújhelyi járás) チェイテ村 (Csejte) [現在スロヴァキア共和国東スロ ヴァキア道 (Západoslovenský kraj) トレンチーン郡 (Trenčín okres) チャフティツェ村 (Čachtice)]没。 エチェディ=バートリ・ジェルジュ (ecsedi Báthori György) (1571年以降生) とショムヨーイ=バートリ・アンナ (somlyói Báthori Anna) の娘。バートリ・イシュトヴァーン (Báthori István) (1555〜1605) の妹、ナーダジュディ・フェレンツ (Nádasdy Ferenc) (1555〜1604) の 妻 (1575年より)。
結婚により5人の子供(2男3女)を生む。娘のアンナ (Nádasdy Anna) は高名な詩人のズリーニ・ミクローシュ (Zrínyi Miklós) の叔父のザラ県知事ズリーニ・ミクローシュ (Zrínyi Miklós) の妻となる。娘のカタリン (Nádasdy Katalin) はホモンナイ=ドルゲ ト・ジェルジュ (Homonnai Drugeth György) の妻となる。 バートリ・エルジェーベトは早く夫を亡くし、その後未亡人として城と 数百ホルドの領地を含む荘園を管理し (1 hold=1,600ネージセゲル= 約0.57 ha)、外国を渡り歩く学生らの援助をした。 一部の資料によれば1609年にベンデ・ラースロー (Bende László) という名前の貴族との再婚を望んだが、彼女の遺産の自分らの取り分を 心配する親戚らによって妨害されたという。 この時から彼女に対する中傷誹謗攻撃が始まる。 従兄弟のバートリ・ガーボル (Báthori Gábor) が彼を失脚させようと 謀るウィーン宮廷の一部の勢力との対立を深め、対ハンガリー戦の準備 を進めていた1610年12月30日にバートリ・エルジェーベトは、彼女がチ ェイテの城で農奴の若い娘らを拷問に掛け、一部の者を殺害せしめたと いう容疑で逮捕された。裁判の記録によれば彼女は精神に異常をきたし、 それらの殺人を行なったということになっている。
これらの告訴を最初に考え出したのは副王トゥルゾー・ジェルジュ (Thu rzó György) であった。 1611年1月にトゥルゾー副王が裁判長を務める裁判所は彼女の無実を証明し ようとした従僕を断頭の刑に処し、2人の女中を焚刑に処し、バートリ・エ ルジェーベト本人はチェイテの居城に幽閉した。 彼女は貴族世論や国王の支持を取り付けて再審を求めたが、副王はこれに抵 抗した。 バートリ・エルジェーベトはほどなく不可解な状況の下で死亡した。 その後伝説は彼女を血で湯浴みをする怪物として描くようになった。しかし 最近の推測では遺産相続人のいないまま未亡人となった彼女は政治的な理由 による思想的な領地裁判の常套手段の犠牲者であり、彼女の密かな反ハプス ブルク、親トランシルヴァニア政策のために幽閉されたものとされる。 彼女が犯したとされている犯罪のうち、確実に彼女の犯行だと証明されたも のは1件もない。 彼女を描いた有名な文学作品にはファーイ・アンドラーシュ著『2人のバー トリ・エルジェーベト』(Fáy András: A két Báthori Erzsébet) (1827)、 シュプカ・G著『呪われた女 (Supka G.: Az átkozott asszony) (1941) などがある。 参考文献: レクサ・D『バートリ・エルジェーベト』(Rexa D.: Báthori Erzsébet)(1908)、ナジ・L『悪名高きバートリ一族』(Nagy L.: A rossz hírű Báthoryak) (1984)、 ペーテル・K『チェイテの女城主、バートリ・エルジェーベト』(Péter K.: A csejtei várúrnő) (1985)、サーデツキ=カルドシュ・I『バートリ・エルジェーベトの真実 (Szádeczky-Kardoss I.: Báthori Erzsébet igazsága) (1994)。 [Magyar Nagylexikon, III. köt., Bah-Bij, Akadémiai Kiadó, Budapest, 1994]
212 :
世界@名無史さん :2006/04/28(金) 00:48:27 0
>>208 >>211 ヤーノシュ様、タイムリーなレス、ご協力ありがとうございます。
少々感情的になりかけていたので、その意味でも助かりました。
そうですか、冷静な目で見れば、やはり濡れ衣の線が強いのですね。
魔女裁判は、貴族階級の人には市民裁判ではなく、教会裁判とされたので、
私刑は避けられたのと、魔女ではない事の証言者の出廷も許可されたし、
魔女としての裁定がほとんど無かったとも言われていますが、
貴族階級で魔女宣告を受け、罰せられた例をご存知でしたら、教えて下さい。
(そうそう無いと思うので、もしあったらで結構です)
ちなみに、エリザベータは厳密には魔女裁判ではなかった訳ですが、
私は似たようなものとして捉えています。
>212 基本的には週末しか余裕が無いのですが、「しい坊」さまの書き込みのログ があったので、コピペいたしました。 他の方も含め、ここのレスのペースは相当にゆっくりなので、ご理解願えれば 幸いです。 バートリー・エルジェーベトの冤罪説というのは、邦訳された資料はないですし、 検索してみても吸血鬼ネタのHPばかりで、根気が続きません。 状況証拠に過ぎませんが同時期にハンガリー西部の大貴族イレシュハージ家がでっ ち上げの罪状でとりつぶしにあっています。 これはオーストリアの宮廷に多額の借款をしていたヘンケル・ラザルスという商人 への返済に充てることを狙っての冤罪だそうです。 他にも同様の例があったことを恒文社のハンガリー史では示唆しています。 魔女裁判については私は寡聞にして例を知りません。 ただし、魔女ではなくハンガリーの北部(現スロバキア)を中心にして、 勢力を持っていたプロテスタントに対する弾圧はありました。 これも含めて、ハプスブルク家の政策に反発した貴族たちがボチカイ・ イシュトヴァーンを盟主に反乱を起こすに至っています。
214 :
世界@名無史さん :2006/04/28(金) 01:30:13 0
>>213 ヤーノシュ様。感謝、感謝です。
イレシュハージ家の災禍は、(イレシュハージという単語自体)存じませんでした。
他にも例が有るとの事で、お陰様で掘り下げて調べる取っ掛かりが出来ました。
ありがとうございます!
プロテスタントへの弾圧についても同様。無学なもので、暗中模索から始めるより、
有益な指針を頂きました。重ねて感謝申し上げます。
215 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 18:07:21 0
バートリー・エルジェーベトの話題でスレが伸びるのは 如何にハンガリー史が日本の歴史学界と縁が薄いかという事を証明しているな。
>215 中世のハンガリーをご専門になさってる方が果たして何人おられるのか 寡聞にして存じませんが、実際問題、おっしゃる通りでしょう。 観光関連のムック本は立て続けに出版されていますが、読み応えのある 歴史関連の本は出版されませんね。
217 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 22:00:25 0
クロアチア・ダルマチアを征服したベーラ3世や ポーランド王も兼任した「大王」ラヨシュ1世など それなりに功績あった国王もいるのにね。
218 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 22:46:10 0
ベーラ3世には同意しますが、ナジ・ラヨシュことラヨシュ1世は いかがなものかと・・。むしろ父君のカーロイ・ローベルト王の方 を推したいですね。
>195 ラコーツィ軍の主力は「ハイドゥ民」と呼ばれる人々だったかと思います。 彼らは家畜の移動などに携わった人々で、職業柄それなりの武装をしていた そうです。ラコーツィ軍には反乱農民やら中下級の貴族も参加していました が、大貴族(ラコーツィ自身はトカイ・へージア地方きっての大貴族ですが) の反応は冷たかったようです。
221 :
世界@名無史さん :2006/04/30(日) 23:32:30 0
>>220 親切なご教授、ありがとうございました。
>東欧史が日本の歴史学界と縁が薄いか 検索してもマルコマンニ戦争の情報は,日本語では少なかったしなあ.
223 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 21:40:07 0
>>219 ベーラ4世も結構有名。
モンゴル軍と戦って負けて挙句に息子の皇太子イシュトヴァーン5世に反乱される
苦難の生涯を送っている。
224 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:19:29 0
>223 親父のアンドラーシュ2世のつけで散々苦労した人ですな。 モンゴルは攻めてくるわ、オーストリア公には捕まえられるは・・・。 同時代にはボヘミアの「黒鉄と黄金の王」オットカル2世がいるし・・。 本当に苦労ばかりの一生でしたが、ハンガリーでは「第2の建国者」とも言われております。 それ以外だと、初代国王イシュトヴァーン1世、騎士王と呼ばれたラースロー1世は間違いなく ハンガリーの英雄だし、マーチャーシュ王は当時のヨーロッパでも傑出した王の 一人だろうと思いますがいかが。
225 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 01:22:40 0
>ギシュクラ ドイツ正義】ポーランド糾弾【ヒトラー正当】3 の前スレで、以前にお前さんが マーチャーシュ王がシレジアを領有していたと言う話が、嘘つき呼ばわりされて いたがどうよ。
226 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 19:13:47 0
以前、ハンガリー出身が優秀なのは 「マジャール人がフン族の子孫でモンゴロイドだからだ」なんて 言っていたアホがいたが、ハンガリー出身の有名人ってユダヤばかりだね。
といわれてもピンとこないな。取りあえず知ってるハンガリー人の名前を並べてみるか。 貴族や政治家や軍人を除いて。 フランツ・リスト、ベーラ・バルトーク、ゾルターン・コダーイ、アルトゥール・ニキシュ、 ジョージ・セル、イシュトヴァーン・ケルテス、ゲオルク・ショルティ、アンタル・ドラティ、 アンドラーシュ・シフ、ゾルターン・コチシュ、シャーンドル・ヴェレッシュ、 フランツ・レハール、エメリッヒ・カールマン、カール・ゴルトマルク、 ジェルジ・クルターグ、ジェルジ・リゲティ、ミクロス・ローザ、マイケル・カーティス、 エルネー・ルービック、ヨハン・フォン・ノイマン、ロバート・キャパ、モーリツ・ベニョフスキー、 ・・・・・・
>225 ハンガリー史の本を読んだら普通に出て来る話だと思いますが。 >226 少なくとも、「ゲスタ・ウンガロルム」に出て来るマジャール人の建国神話は ともかくとして、マジャール人はフン族の子孫ではありません。 ハンガリー出身のユダヤ人で優秀な方が多いのは事実です。 「異星人伝説」マルクス・ジョルジュ著 という本に詳しいですよ。
229 :
世界@名無史さん :2006/05/20(土) 01:12:46 0
保守
>>228 「世界には二種類の人間しかいない。HumanとHungarianである」でしたっけ>異星人伝説
グラーシ食べたことある人いますか?
232 :
Stein :2006/05/24(水) 01:21:25 0
3年前チェイテ城に行きました 城壁全体を構築する真っ白な石材について 知っている方おられますか?
233 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 01:44:45 0
234 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 02:03:37 0
>233 それも含めてハンガリーということでしょう。
>230 正確には 「我々ぼ仲間で囁かれている言い伝えがある。 地球上の知識人には二つの種属が存在する。 一つがHumanで、もう一つがHungariansだ。」 (アイザック・アシモフ)ですね。 >231 グヤーシュは大好きですよ。 東京だと自由が丘の「キッチン・カントリー」さんとか六本木の「ジョルナイ」 さんで食べられます。 大阪でもハンガリー料理が食べられるところができたらしいですね。 >232 チェイテ城には行ったことがないですが、石材が白いのですか。 周辺で取れる石材の質という理由だとは思うのですが、ハンガリー 王国では国王のとか、太守の城を白い石で築くという習慣がどうも あったようです。セーケシュフェーヘルヴァールとかトランシルバ ニアのジュラフェーヘルヴァール(現アルバユリア)とかセルビア のナンドールフェーヘルヴァール(現ベオグラード)のフェーヘル ヴァールとはマジャール語で白い城の意味です。 マジャールがかつてその支配下にあった、ハザールにも同様の習慣 があるそうですね。 >233 多いですよ。 234氏がおっしゃるように、それも含めてハンガリーだと私も思います。
236 :
Stein :2006/05/29(月) 07:42:18 0
ヤーノシュ様、回答ありがとうございます。 チェイテ城は写真よりもはるかに美しい白亜の廃城でした。 壁に触れると手や服が真っ白になってしまいます。 壁から朽ち落ちた石は軽量で、友人のドイツ人は珍しいと言っておりました。
237 :
世界@名無史さん :2006/05/29(月) 08:09:27 0
アンドレイ・コドレスク著の『血の伯爵夫人』では、彼女はカトリックの修道士 とプロテスタントの牧師に教育を受けている事になってますが、 実際の所、バートリ家はどちらなのでしょう? また、嫁ぎ先のナーダシュディ家は当時、新教、旧教どちらだったのでしょう?
Steinさま チェイテ城の来歴について調べてみました。 1267頃の築城で、1297年には今のスロバキア地域を支配した、大豪族 マティアス・チャークのものになっています。 で、チャークの死後、城は王室(アンジュー家ですね)のものになり、 ジギスムント王の時代にヴォイヴォドのStiborという人物に与 えられ、Orszagh家そしてNadasdy家へと城主が変わっています。 手元にある城の写真集を見ても確かに、壁の石の色が白いのが印象的 ですね。 スロバキアにある城で言えば、有名なスピシュ城なんかも白い石で築 城されています。 フェーヘルヴァールというより、単にその地で産する石材の質の問題 のように思いますが、例えばマティアス・チャークが王の権威に対抗 して、そういうものを築いたと考えるのは面白いです。 >237 その小説はあとがきで、バートリーの冤罪説について少しふれている SF?小説ですね。 手元にあるのですが、途中で放棄してしまっています。 で、バートリー家の信仰についてですが、トランシルバニア公を何人 も出した家系の方は枢機卿になったような人物(例えば、アンドレア ス・バートリー)もいるので、カトリックだったのではないかと思い ます。 ナーダシュディ家については、わからないです。 この家系は後にズリーニ・フランコパンといった大貴族とハプスブルク 家に対して反乱を企てて、当主が処刑され、領地も没収されていますが、 後に子孫が軍功によって貴族として復活、現在も存続しております。 現在はナーダシュディ財団という組織を作っており、そこのHPに家系 の来歴が出ていたと思うので一度、見てみます。 お役に立つような情報があればよいのですが・・・。
239 :
Stein :2006/05/30(火) 17:46:20 0
単純な質問の意図を読んで答えていただき、感謝しています。 私は素人で手元に簡単な資料しかなく、来歴表記にはCtibor zo Ctiboric とあります。Stiborが正しい綴りですか? 上記のNadasdy家の情報も楽しみにしております。 Orsagh家とBathoryの家紋は似ていますね。
240 :
Stein :2006/05/31(水) 11:05:21 0
自分で訂正 家紋ではなくて紋章です >ヤーノシュさま 白い城が権威の意味をもつのですね やはり土地の産出が自然な成り行きですね おっしゃるようにマティアスの対抗心と 考える事は面白いですね。 実際、石材が非常に軽く、特別な意味あれば 遠方から運ばせる事も可能と思われましたので 興味を持ちました。 ありがとうございました
241 :
世界@名無史さん :2006/05/31(水) 11:31:21 O
マジャールオルサグ! Magyarorsz´ag
ハイドゥクについて興味があります。 現代はバルカン半島にもいるようですが、近世のハイドゥクはみんなハンガリー人ですか? ハイドゥクの実像についてこのようが記述がありますが、本当ですか? 「ときには義賊といえるケースもあったが、大部分が山奥に住み着いて民家を略奪し、 墓を盗掘したり賭博や飲酒をしたりすることに時間を費やした。彼らの眼中には政府もなく、祖国もなく、 仁義や道徳もない。彼らの日常はただ一身の快楽を得られればよく、秤を争って金と銀を分配し、 派手な衣装をひっかけて斗酒を飲み、肉の塊を丸ごと飲み込むかと思えば、女を拉致してかわるがわる強姦した後、 道端に捨てる肉盗行為以外にはすることがない。」 満州や沿海州にいた満州族や朝鮮族などのツングース系馬賊や匪賊によく似ていますが、 やはり大陸アジア系遊牧民共通の性質なのでしょうか?
243 :
世界@名無史さん :2006/05/31(水) 19:48:05 0
>>242 16世紀、オスマン帝国征服後のハンガリーに出現した武装勢力としての「ハイドゥク」は
主にハンガリー人やスラヴォニア人から成っていたが、17世紀には退潮した。
その後、オスマン帝国の衰退とともに、支配下にあったルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、
セルビアなど各地に野盗の類が出没するようになり、そうした連中も「ハイドゥク」と呼ばれる
ようになったので、全バルカン的な現象になった。
そのためハイドゥクや類似の匪賊(ギリシャのクレフト、トルコのケレール等)の民族構成は
ルーマニア系、スラヴ系、ギリシャ系など多岐にわたったが、出身階層としては農村社会で
問題を起こしてアウトローになった者が多かったようだ。
遊牧民がどうとかいうより、堅気の社会へのアンチとしての太く短く生きる生活様式だろう。
だいたい満州の馬賊は中国人だし朝鮮人も定住民じゃないか ツングースは森で狩猟をするのが生業だよ
245 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 12:54:36 0
>>244 朝鮮の歴史を知らなすぎ
(かといって俺は朝鮮人でも帰化人でもないよ)
朝鮮人では半島に定住して米作社会に隷属したのがほとんどだが、李氏に支配されなかった鴨緑江以北の朝鮮族は馬賊だった
戦後韓国と北朝鮮を建国した李承晩や金日成などの連中はまさしくその馬賊だぜ
馬に乗ってはいたが騎馬遊牧民ではなく、略奪を生業とし、拉致強姦を趣味としていた
朝鮮はハイドゥクが政権とったようなもの
マジャールも朝鮮もタタール民族だからハイドゥクのような匪賊は古代から存在していた
また、ツングースは女真や金などの満州族に見るように、古代から騎馬民族化している
ロシア沿海州の奥地の部族だけがそれより古い時代からの狩猟採集を生業としていた
バルカンのハイドゥクの場合、スラヴ語族やロマンス語族ではあるが、
東から来たマジャールやブルガールなどのタタール遊牧民と混血しその生活様式や世界観を共有しているゆえに存在している
であるから略奪を生業とし、拉致強姦を趣味としている
246 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 12:55:57 0
よって民衆がハイドゥクを義賊だなんて呼びたがるのは、典型的なストックホルムシンドロームである
247 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 13:27:27 O
なんで?
□□□□■□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ □□□■■□□□□□■□□□□□□□■■■■■■■■■■■■□□ □□■■□□□□□■■■■■■□□□□□□□□□□□□□■■□□ □■■□□■□□□■□□□□■□□□□□□□□□□□□■■□□ □□■□■■□□■■■□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□ □□□■■□□■■□■■■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□ □□■■□□□□□□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□□ □□■□□□■□□□■■■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■■■■■■□□■■□□■■□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□□□■□□□■■□□□□■■□□□□□□□□■□□□□□□□ □□■□■□■□□□□■■□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □□■□■□■□□□□□■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■■□■□■□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□ □■□□■□□□□■■■□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□
>>245 >李氏に支配されなかった鴨緑江以北の朝鮮族は馬賊だった
それは朝鮮族というよりいわゆる「野人」、女真族だな。朝鮮人とは通訳がいないと話も通じなかった連中だ。
岡田英弘によると李成桂は女真の血筋だったそうだが、たとえそうだとしても女真族一般には関係あるまい。
なんでツングースと朝鮮を混同するのか不可解だが、高句麗が朝鮮系とでも主張したい手合いか?
>戦後韓国と北朝鮮を建国した李承晩や金日成などの連中はまさしくその馬賊だぜ
女真族といわゆる東北地方の馬賊の間には封禁解除による漢民族の流入があり、連続性はない。
ところで李承晩って馬に乗るどころかパルチザンすらやってなかったと思うが。
>マジャールも朝鮮もタタール民族だからハイドゥクのような匪賊は古代から存在していた
タタール民族の定義を最大限広くとってもマジャールや朝鮮は入りえない。
マジャールと朝鮮とタタールをひとくくりにできるような概念があるとしたら「ウラル・アルタイ語族」か
「トゥラン」ぐらいだろう。それだとフィンランド人や日本人まで入ってしまうが。
ところで上の段落で騎馬民族と匪賊を区別しながらここでは混同しているのが不可解なのだが。
250 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 16:03:09 0
>また、ツングースは女真や金などの満州族に見るように、古代から騎馬民族化している >ロシア沿海州の奥地の部族だけがそれより古い時代からの狩猟採集を生業としていた 騎馬民族であることと狩猟採集は矛盾しないのだが? ヌルハチの経済的基盤が何だったか調べてみれば分かると思うが。 >バルカンのハイドゥクの場合、スラヴ語族やロマンス語族ではあるが、 >東から来たマジャールやブルガールなどのタタール遊牧民と混血しその生活様式や世界観を共有しているゆえに存在している >であるから略奪を生業とし、拉致強姦を趣味としている マジャール、ブルガール、ぺチェネグ、キプチャク、タタールなど黒海北岸からバルカンに入った種族はほぼ例外なく地主貴族か 農民層に同化し、遊牧民としてのアイデンティティを喪失してしまった。彼らの子孫が農業を放棄してハイドゥクになったとしても、 それは定住社会の矛盾が生み出したものというしかない。 ヴラフなどの牧畜民も移牧民(transhumant pastoralists)であって、ステップ遊牧民や匪賊の生活様式は共有していない。 強盗・略奪を高貴な職業と考える世界観はむしろステップ地帯を超えて世界各地に存在している。 インド=ヨーロッパ語族にもそうしたアウトローを「自由な戦士」の共同体として理想化する文化がある。ミルチャ・エリアーデによれば 古代世界において略奪によって生き延びながら農業社会の周辺をうろつく「狼」と呼ばれる戦士たちが各地に存在した。 タキトゥスの「ゲルマニア」なんかを読めばそうした世界を垣間見ることができる。 イタリアのブリガンドやブラジルのカンガセイロなどを見れば分かるように、近代世界においても匪賊というものはステップ遊牧民と 無関係に発生している。
良スレsage
>>250 質問なのだが、その「狼」って言うのは古代ゲルマンの例の追放された奴等なのかな。
この話を聞いた時は、権利を剥奪された狩られる存在だと思ったけど
実際は徒党を組んで狩る側に立ったりもしたのかな。
253 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 18:04:51 0
>>250 >「狼」
タキトゥスの「ゲルマニア」に「狼」なんて記述あったか?
俺岩波版もってるが、そんなこと書いてあって記憶ないぞ。
どこにあるというのだ?
ヘロドトスの「歴史」岩波の中巻ならプロト・スラヴ人の一集団と思われるネウロイ族における
「人狼」の習慣というのはでてくるが。
254 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 18:06:46 0
>>249 それにマジャールから北部朝鮮までは明らかにタタールの文化圏だろ
それを否定するのはおかしいぞ
ならば言わせてもらうが、あんたは高句麗を中国史の一部と見る手合いか?
255 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 20:36:10 0
マイナーなハンガリースレが伸びていると勇んで見てみれば 朝鮮ネタかよ・・・ いい加減にしてくれ。
256 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 21:31:20 O
255に同意
これも全て日本語で読めるハンガリー史の史料が少なすぎるからだ。
258 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 22:22:05 0
需要と供給の問題で、需要がないのだから供給も少ない。 関連も少ないし無理だろう。 日本に大きな影響を与えたハンガリー人またはハンガリーの出来事 は何? 世間一般の日本人がハンガリーについて知っている人物や出来事は何?
Steinさま >Ctibor zo Ctiboric 私のハンドルネームであるギシュクラもそうですが、 ハンガリー語とスロバキア語等でスペルが異なることは 多々ありますので、そのためではないでしょうか。 因みに、私が参考にしたのはハンガリーで出版された英文書籍です。 >Orsagha家とBathory家の紋章 両家とも遠祖はグス・ケレド家だそうですので、同じような デザインなのかもしれませんね。 バートリーの「狼の牙3本」と呼ばれる紋章は見たことがあ りますが、orsagha家の紋章は未見です。どんな感じのものなのでしょうか。 >白い城 石灰岩かなんかででしょうか。マティアス・チャークの本拠 だったトレンチーン城はさほど白っぽいという感じではない ように思います。 マティアスはまかりまちがえばスロバキア地域の王になった かもしれないような人物らしいですから、想像として白い城 を作って回ったと考えるのは面白いですね。
>237 バートリー家の信仰についてですが、私の手元資料では確たることはわかりません。 トランシルバニア地域に関しては1548年のイザベラ摂政(サポヤイ・ヤーノシュの 妻でポーランド出身。カトリック)の段階でプロテスタントに対する寛容令が出され、 その後、1552年には議会でカトリックとプロテスタントの闘争禁止、1557年には全ての 者は望むところに応じて、カトリックかプロテスタント(当初はルター派のみ、後にカ ルビン派、ユニテリアン派も追加)が選べるという宣言を出しています。 トランシルバニア公の中でもベトレン・ガーボルはプロテスタントでした。 確かラコーツィ家にもプロテスタントだった人物がいたように思います。 どうもトランシルバニアでは極端な宗派による対立が生じていなかったようなので、 小説のような状況があったと想定することは可能かもしれません。 ナーダシュディ家 財団の公式サイトを見ても当家はカトリックだとは書いていないですが、ナーダシ ュディ・フィレンツの父のタマシュは対トルコ十字軍督戦にブダへ遣わされた教皇 特使の公式応接係に任じられたり、国王の戴冠式で聖イシュトヴァーン王冠を保持 する係りをしておりました。そんなことから考えてもカトリックだったのではない かと想像するのですが・・。
>>249-250 は明らかにバイアスがかかってて、ハンガリーと朝鮮が同じタタールであるという事実を必死で払拭しようとしている。
>>255 はその上の流れを嫁。元々はハイドゥクと朝鮮馬賊の共通性の話だろ。面白いじゃないか。
>242 バルカンのそれについては良く知りません。 ハンガリーでハイドゥ民というと、ボチカイ・イシュトヴァーンの反乱時ぐらい から記録にあらわれますが、オスマン軍に追われたり、領主の圧迫から集団で逃れ た農民が匪賊化したものと言われています。 彼らはボチカイの援助要請答えてハプスブルク家と戦い、ボチカイの勝利に貢献 したことによって、軍事的な奉仕義務を持つ自由身分の農民とされました。 前に書いた武装した家畜輸送業者というの市場町に住むようになって以降の話 ですね。 彼らはその後もハンガリーで対ハプスブルク家反乱が起こるたびに戦闘に参加し ているものですから、ハンガリーの抵抗の象徴のようになっているのでしょう。 余談ですがクロアチアのクリス城(昔ハンガリー王国の南の防衛線だった)で 今でもハイドゥクの末裔が「羊の丸焼き」を食べさせるお店?をしているそう です。私は行きそびれたのですが、どなたか行かれた方はおられませんか?
>245 朝鮮の話はそれ用のスレッドでなさってください。 >それにマジャールから北部朝鮮までは明らかにタタールの文化圏だろ >それを否定するのはおかしいぞ 当方は不勉強なので、参考資料をご教示いただければ幸いです。
>日本に大きな影響を与えたハンガリー人またはハンガリーの出来事 >は何? 日本史で言えば林子兵が「海国兵談」を書くきっかけになった、「はん べんごろー」ことモーリス・ベニョフスキーですかね。 彼は厳密に言うとスロバキア人?なのだとは思いますが。 東洋文庫に彼の航海記がありますが、面白いですよ。
>>252 阿部謹也さんの本に、一年のある時期に平和喪失者が大挙して現れたとか記述があったような。
>>253 タキトゥスを引き合いに出したのは、「狼」が言及される例としてではなく
「血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えている」
という有名な一節を想起して欲しかったから。
エリアーデが挙げている「狼」の例としては、古代イランの書物で言及される「二本足の狼」やイタリアの「ソーラの狼」、
ラケダイモンの「クーロス」など。
>>254 エスノニムとしてのタタール「民族」はジョチ・ウルスの後裔としての、ムスリムで北方テュルク語話者である諸民族を指す。
多分、漠然とユーラシアの騎馬民族を指す概念としての「タタール」と混同して使ってるのかな?
ダシュト・イ・キプチャクとモンゴル高原を中心としたステップ・ベルト上に現れた諸民族については、遊牧という生業や
部族社会のシステムを共有しているため、ある程度共通したエートスの存在を想定することは可能だが、あなたの想定してる
ハンガリーやオランカイまで含めた「タタール文化圏」で共有されているのは、「動物の腱、角、木材を張り合わせた合成弓で
騎射をおこなう」といった騎兵戦闘のスタイルやシャーマニズムなどの断片的な文化要素だけで、そこに確固とした一体性が
あるように考えるのはハンガリーやトルコのトゥラン主義者か、古代大朝鮮帝国の存在を主張する向きのような政治性をもった
連中だけだよ。岡倉天心の「アジアは一つ」と同じことだ。
そうした問題を除いても、普遍的な「略奪者のエートス」がヨーロッパやアジアに存在することの理由としては見当違いだ。
>ならば言わせてもらうが、あんたは高句麗を中国史の一部と見る手合いか?
(゚Д゚)ハア?
>>255 申し訳ないけどレスさせてくれ・・・
266 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 11:04:55 0
>>265 >エスノニムとしてのタタール「民族」はジョチ・ウルスの後裔としての、ムスリムで北方テュルク語話者である諸民族を指す。
>多分、漠然とユーラシアの騎馬民族を指す概念としての「タタール」と混同して使ってるのかな?
>ダシュト・イ・キプチャクとモンゴル高原を中心としたステップ・ベルト上に現れた諸民族については、遊牧という生業や
>部族社会のシステムを共有しているため、ある程度共通したエートスの存在を想定することは可能だが、あなたの想定してる
>ハンガリーやオランカイまで含めた「タタール文化圏」で共有されているのは、「動物の腱、角、木材を張り合わせた合成弓で
>騎射をおこなう」といった騎兵戦闘のスタイルやシャーマニズムなどの断片的な文化要素だけで、そこに確固とした一体性が
>あるように考えるのはハンガリーやトルコのトゥラン主義者か、古代大朝鮮帝国の存在を主張する向きのような政治性をもった
>連中だけだよ。岡倉天心の「アジアは一つ」と同じことだ。
屁理屈だなぁ。。。
タタール文化圏のうち東方で米作文化圏に触れて定住したのが朝鮮で、
西方でキリスト教文化圏に触れてヨーロッパ化したのがハンガリーでいいじゃん。
それだとタタール地域が広すぎるってか?
だがパンノニアから朝鮮北部までは基本的には同じような気候(ステップ)だから、
共通する文化があるのは変でもなんでもない。
何が問題なんだか?
254=266は自分が使っている「タタール」「文化圏」ということばの定義を 示すべきだと思います。
>>266 あなたはバルカン半島から北朝鮮まで共有されている略奪者のメンタリティを仮定していて
それがハイドゥクや馬賊といった現象の共通のソースだと主張しているでしょ? そこが問題。
269 :
世界@名無史さん :2006/06/02(金) 23:07:45 0
>>267-268 昔から広く習慣的に使われている用語に定義を与えるほどアホな話はないんだが…
ヨーロッパ人は昔ハンガリー人(マジャールやアヴァール)を「タタール人」と呼んでたし、
朝鮮北部から先の連中は韃靼、つまりタタールと呼ばれていた。
定住化による固着化した支配体制に伴いアウトロー化した匪賊がハイドゥクであり朝鮮馬賊。
そこに何の問題もない。
問題というなら何か深刻なことがあるんだな。何だそれ?
まさかハンガリー人が朝鮮馬賊と文化的に関係ないとでも!?
ちなみに俺は
>>266 だけど
>>254 じゃないよ。
>>269 >>267 も俺じゃないんで別にレスしてね。
>ヨーロッパ人は昔ハンガリー人(マジャールやアヴァール)を「タタール人」と呼んでたし、
ビザンツ史料でマジャールを「トルコ」と呼んでいる例は知っているが、タタールといっている例は
聞いたことがない。アヴァールは欧州にタタールという名前が知られるようになる500年以上前に
フェイドアウトしている。多分当時は遊牧民には「スキタイ」という呼称の方がポピュラーだったと思う。
>朝鮮北部から先の連中は韃靼、つまりタタールと呼ばれていた。
それは問題ない。ただしここ500年ばかりの話だが。
>定住化による固着化した支配体制に伴いアウトロー化した匪賊がハイドゥクであり朝鮮馬賊。
主語が不明瞭なのだが、「(タタールの)定住化による固着化した支配体制に伴いアウトロー化した
(タタールの)匪賊がハイドゥクであり朝鮮馬賊」と読めばいいのかな。
だとすれば明らかな事実誤認だ。
狭義のハイドゥクはマジャールの定住から数百年後、16世紀のオスマン朝のハンガリー侵攻による
逃散農民を背景にしており、広義のハイドゥクはオスマン朝のバルカン諸国支配体制の衰退によって
農民層から発生している。馬賊は清帝国の崩壊による東北地方のアナーキーの中で生まれた。
>問題というなら何か深刻なことがあるんだな。何だそれ?
だから
>>268 で何が問題なのか書いてるだろw
>まさかハンガリー人が朝鮮馬賊と文化的に関係ないとでも!?
ハイドゥクと馬賊なら両者とも定住民社会を前提にしているのでタタールを媒介とした関係はないと思うね。
バルカン諸国のハイドゥクはむしろ朝鮮本土の山地を拠点とする匪賊と共通性が強いと思う。
要するにハンガリーから朝鮮まで騎馬民族だが、 優等ハンガリーだけは特別で劣等タタールとは違うということを捏造したいんだな。 よしわかった。 ハンガリーだけは特別ね。
なんか会話が成立しないのでこの話題終了。以降271は放置推奨
273 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 16:06:30 0
贔屓する国と朝鮮とが比べられて必死で否定しようとしてる悪質なイデオローグがいるな。 だが、誰が見てもハンガリーはアジア系騎馬民族で、扶余人と同系統。 タタールとかそういった用語はどうでもいい。 昔からあったアジア系騎馬民族の西端ハンガリーと東端朝鮮で 農耕定住文化と混交する過程でどうしてもなじめなかった連中が匪賊になる。 ときには義賊といえるケースもあったが、大部分が山奥に住み着いて民家を略奪し、 墓を盗掘したり賭博や飲酒をしたりすることに時間を費やした。彼らの眼中には政府もなく、祖国もなく、 仁義や道徳もない。彼らの日常はただ一身の快楽を得られればよく、秤を争って金と銀を分配し、 派手な衣装をひっかけて斗酒を飲み、肉の塊を丸ごと飲み込むかと思えば、女を拉致してかわるがわる強姦した後、 道端に捨てる肉盗行為以外にはすることがない。
>誰が見てもハンガリーはアジア系騎馬民族で 定説だっけ、これ?
マジャール人がヨーロッパ系農耕民族だとでも?
276 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 16:26:55 0
私は
>>273 だが、別に朝鮮を卑下しているわけではない。
ところが、ハンガリーを贔屓する連中は朝鮮を卑下しているから、
比べられると必死になって否定する。
そいつらの屁理屈は全然学問的ではなく、顧みる価値がない、唾棄すべきものだ。
>270 マジャール人が侵攻してきた当時の祈祷で確か「神よマジャール人の矢から救いた まえ。」(書籍によってはハンガリー人の矢になってますが)というものが知られ ています。当時、彼らは「ゴグとマゴグ」の子孫と言われていたそうで、そのへん は後のモンゴル人と共通してますね。 あと13世紀のカルピニとかルプルクあたりの報告書ではタタール人(モンゴル人) とマジャール人だのクマン人だのキプチャク人といった他の遊牧民族は細かく区別し て書いています。 >273 山賊野盗の類のやることが洋の東西を問わず似ているのは不思議でもなんでもないで しょう。 ただ、「農耕定住文化と混交する過程でどうしてもなじめなかった連中が匪賊になる。」 というのを、ルネッサンス期以降の時代に発生した「ハイドゥー民」に当てはめるのは 的外れではないでしょうか? >275 元々は遊牧民族です。しかし、オスマン帝国が侵攻したきた時代あたりで、マジャール 人が遊牧生活をしていた訳ではありません。 >276 国だの民族だのを比較してどちらが優れているという議論をするつもりはありません。 スレッド違いだと申し上げているだけです。
>>273 お前の使う「騎馬民族」ということばが遊牧民と同義語だとして話をするが、
扶余人が「騎馬民族」ではなく、農耕・牧畜(遊牧ではない)・狩猟を
組み合わせた生活をしていたことは史書より明らかだ。匈奴や鮮卑などとは
明確に違う。
お前は
>>245 でツングースを「騎馬民族」といったり、いってることが滅茶苦茶だ。
豚を飼う靺鞨や女真は遊牧などできないぞ。
279 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 20:01:35 0
>>278 まだキチガイイデオローグが戯言並べてるな。。。
騎馬文化はユーラシアの草原地帯一帯にあって、文化的だけでなく言語的共通性さえある。
時にはタタールや韃靼と呼ばれたりするわけだ
その匪賊は村を略奪し、墓を暴き、派手な服を着、酒を飲み、肉を貪り食い、女を犯して捨てる、
餓鬼道の蛆虫ども、これが奴らの生活だ!
何か文句あるか!
280 :
世界@名無史さん :2006/06/03(土) 20:12:06 0
>279 で、それがどうしたの? お疲れ様でした。
>>279 餓鬼道の蛆虫かどうかはともかく、その他言ってることは大体正しい。
>>277 逆にモンゴル側からも「ルースィ」の彼方にある民族として『元朝秘史』や
『世界征服者史』などに「マジャール」の名前が出て来ますが、ベーラ4世の王国を
「バシュギルド(バシュキール人)」と呼んだりと、名前だけは知ってるけどポーランドや
キプチャク草原の連中とちゃんと区別してるんだかいないんだか良く分らない感じですね。
「「タタル」というのは我々がタルタル人と呼ぶモンゴル人たちの一部族のことなので、
彼らは自分達のことを「タタル」と呼ばれるのを嫌がる」と報告しているのはカルピニの
ジョヴァンニ修道士でしたか。
モンゴル帝国の勢力を「タタル」と呼んだのはホラズム・シャー朝などの中央アジアの
テュルク系の勢力が彼らを「タタル」と呼んだのが初めで、周辺の諸言語もそれに倣った
とかいう話を聞いた覚えが・・・ アラビア語の方でも「タタル」だったかな?
ロシアの『ガリーチ=ヴォルイニ年代記』もやはり「タタル」と呼んでいますが、
ハンガリー側の年代記もやはりバトゥに敗退した時も話しに聞くようにモンゴルを
「タルタロスの民」と呼んでいるんでしょうか?
>282 元朝秘史にマジャールに関する記述があるのですか。 丁度、古書店で見かけたところなので、購入して見ます。 バシュキール人というと、マグナフンガリアに残ったマジャール人の ことでしたっけ?モンゴル側でも同系統の連中という認識があった訳 ですね。 >呼ばれるのを嫌がる カルピニでしたっけ・・本を調べないとわからないです。 >ハンガリー側の年代記 このあたりの話が出ていそうなのは、年代的に近いのはアールパード家 が滅亡した後に成立したアンジュー家の2代目ラヨシュ1世が作らせた 「ケーペシュ・クロニカ」(彩色年代記)でしょうが・・どんな表現に なっているのかは存じません。
ガブリエル・ロ−ナイ「モンゴル軍のイギリス人使節」に、ベーラ4世がマジャールの故地「マグナ・ハンガリア」
にキリスト教を布教するため修道士たちを送ったというエピソードがあった。
それはおそらくバシキール人のことで、当時はまだハンガリー語が通じたとか。
>>282 モンゴル側文献に、西征軍が通ったカルパチア山脈のヴラフ人のことも言及されてませんでしたっけ?
たしか「ヴラヒ」だかそんな風に呼ばれてたような。
285 :
世界@名無史さん :2006/06/04(日) 13:44:47 0
要は、ハンガリー=朝鮮同系説を唱える人は『在日』というだけ。 日本刀が朝鮮起源だとか、イチローが在日だとか、いわゆる、言ったモン勝ちで、 何でも言うのですよ、そう何でも。 ただただ、長年虐げられて来た劣等感に裏打ちされた負けず嫌いから。 前回のワールドカップで、審判買収という最低卑劣な行為をしても、 『自分らはベスト4』と胸張って酔える、クズ民族だから。 (その前のソウルオリンピックから、全く同じ事をしている。真に破廉恥) クズ供をまともに相手するのは、基地外に道理を説くがごとく、虚し〜い行為。 完全スルーが妥当。 ヤーノシュ様が、真面目に調べて真摯に応える事自体、時間の無駄で無意味。
最近良く見る「痛い在日のふりをして在日に悪感情を持たせることを目的とした、 嫌韓厨による自作自演」だな。 245から279までの奴と285は同一人物。ことばの使い方でバレバレ。
>282 ロバート・マーシャルの「モンゴル帝国の戦い」の記述によればですが、 ヨーロッパにおける「タタール」の使用例はどうやらカルピニの記録が 最初であるようです。 マジャールの呼称はビザンツの皇帝レオ6世はその著書で遊牧民族をま とめてスキタイと呼び、同書の別の個所でマジャールとブルガールにつ いて言及しているそうです。当時はおっしゃる通り、スキタイが遊牧民 族全般の呼称であったのかもしれません。ただ、確か、スラブ系の民族 を「農耕スキタイ」とか呼んでいる例もあったようなので、ビザンツか ら見て北方にいる蛮族はまとめてスキタイ呼ばわりという可能性もあり ますね。 ハンガリーなる呼び方は彼らが「オノグル」人と混同されたことによる そうですが、いつ頃、何処でのことなのか興味があります。 >284 ベーラ4世が派遣した使節の話ですね。 これがカルピニという人物で、フランス王が派遣した使節の ルプルクの旅行記とあわせて「中央アジア・蒙古旅行記」カルピニ/ルプルク 護 雅夫訳 で邦訳が出版されています。 非常に興味深い内容の本なので、ご一読をお勧めいたします。 ブラフ人が登場するのは「元朝秘史」でしょうか? >284
>285・286 何度も申し上げていますが、スレ違いです。 その手の話題は、それにふさわしい場で存分になさればよろしいかと 思います。
289 :
282 :2006/06/05(月) 00:05:30 0
>>283-284 レスありがとうございます。
『元朝秘史』にはモンゴル皇帝オゴデイが派遣したバトゥの西方遠征軍の目標の国々の一つとして
勲将スベエテイ・バアトルが征伐した地域のリストに「マジャル」の名前が数回出て来ます。
>「さらに往昔、スベエテイ・バアトルをカンクリ人、キブチャク人、バジギル人、オルス人、
> アス人、セス人、マジャル、ケシミル(カシュミール)、セルゲス人(チェルケス)、
> ブカル(ポーランド?)、ケレル(ハンガリー?)(など)の諸国云々」(村上正二訳注)
ただ、『元朝秘史』はのちにオゴデイの後を継ぐグユクが遠征軍総司令のバトゥと悶着をおこして
オゴデイの怒りを買いカラコルムに帰還命令が出されてのその処分の部分で終わっていまして
ハンガリー侵攻の部分は載っていません。
290 :
282 :2006/06/05(月) 00:12:09 0
モンゴル側の資料でルースィ征服と欧州侵攻の過程を記録しているのは主にペルシア語の歴史書である
アターマリク・ジュヴァイニーの『世界征服者史』とラシードゥッディーンの『集史』でして
『世界征服者史』では現在のタタルスタン共和国のカザン周辺をブルガール(Bulghār)と呼び、
恐らくハンガリー王国の事でしょうけども「キラール(? Kilar)とバーシュギルド(Bashghird)」
と呼んでいまして、それぞれ一章を割いています。ブルガールの征服はルースィとアスの征服と一緒に
述べられてまして、二つの章もそれほど長いわけではありませんが。
一方『集史』ではもう少し分量が長く、ブルガールとルースィの征服の後に「マージャ(ー)ル
(Mājār/Majār)とプーラ(ー)ル(Pūlār/Pūlar)とバーシュギルド(Bāshghird)」として名前が
出てきてまして、グユクとモンケがモンゴル本土へ帰還した後に、バトゥが遠征軍を五つに分けてそれぞれ
ハンガリー平原に侵攻して来たことが述べられています。
>>284 氏が挙げられている「ヴラフ人」についてですが、
その際にモンケの末弟であるボチェクが「その地の山々に属すカラー・ウーラーグ(Qarā 'Ūlāgh)の
道を通り、ウーラーグの諸部族を打ち倒した」という記述があります。この「ウーラーグ」なる諸族は
東洋学者のP.ペリオなどによれば、状況的に考えまた音が近いことからワラキアのヴラフ人のことでは
無いかというのが有力のようです。一年前の「武士と騎士」スレで取り上げたものですね。懐かしい(w
291 :
282 :2006/06/05(月) 00:30:55 0
>>283 カルピニのジョバンニ修道士も護雅夫先生の訳で「バスカルト人すなわち大ハンガリー」と述べて
いましたね。欧州側で「タタル」の名前が記録として残っているのはカルピニの報告書が最古ですか。
意外と新しい感じです。カルピニの報告書ではプレスター・ジョン伝説やタルタル人の情報や噂が
欧州では入り乱れている状況を是正しようという意図を込めて書かれた旨述べていますから
どういう経路で「タルタル」と称するようになったのか興味深いですね。
「バーシュギルド」については、10世紀前半にブルガール王国へ派遣されたアッバース朝カリフ・
ムクタディルの使節、アフマド・イブン・ファドラーンの報告書『ヴォルガ・ブルガール旅行記』にも
既に出て来ていまして、当時アッバース朝で「サカーリバ」と称されていたブルガール王国の手前に
「バーシュギルド」という「トルコ系の諸部族」として出て来ています。マジャール人との関係は
どうでしたでしょう? これもちょっと調べないといけません(汗
292 :
282 :2006/06/05(月) 00:32:30 0
連投になって申し訳ありません(汗
>>283 > アールパード家が滅亡した後に成立したアンジュー家の2代目ラヨシュ1世が作らせた
> 「ケーペシュ・クロニカ」(彩色年代記)
たびたびありがとうございます。記録としてはハンガリー侵攻の時期から100年ほど後になるのですね。
機会があれば英訳なりで確認したいと思います。
『モンゴル軍のイギリス人使節』も『モンゴルの戦い』も特に前者は色々と噂になっているのもかかわらず
恥ずかしながらまだ読んでいませんで(汗 これも今度図書館なりで調べておきたいと思います。
282さま 詳しい紹介をありがとうございます。 アターマリク・ジュヴァイニーの『世界征服者史』とラシードゥッディーンの『集史』 は邦訳が出ているのでしょうか。 キラールというのはなにやらハンガリーで王を意味する「キラーイ」音が似ております。 ところで、以前にトランシルバニアへ行った折に、要塞教会を見学したのですが、案内 の方が「タタールに備えて」作ったと言ってました。たぶん、オスマン帝国配下のクリ ミアハン国の兵が散発的に襲撃してくるのに備えたのでしょうね。 聞いた時はタタールというとバトゥの軍のことしか頭になかったので、ピンときません でした。
>>290 >一年前の「武士と騎士」スレで取り上げたものですね。懐かしい(w
そう、そのスレでした! ありがとうございます。
>>293 そういやドイツ騎士団も最初はカルパチアでクマン人と戦ってましたっけ。
>294 ベーラ4世の父アンドラーシュ2世が引き入れたのでした。 その後、トランシルバニアのドイツ騎士団の所領をハンガリー から独立させようとして、逆鱗に触れて追放という流れですね。
>>293 集史は杉山正明氏が翻訳を進めているそうだが
まだ完訳・発刊はしていない。
一部ならネットでも見れるが。
282さま ケーペシュ・クロニカは知るかぎりでは英語版は出ていないようです。 ベーラ3世の時代に書かれたゲスタ・ウンガロルムは最近英訳が出ました。 あと、マーチャーシュ王の時代に書かれたトロッツィー年代記(ハンガリー 人年代記)が「モンゴル軍の英国人使節」に引用されていますが、こちら になるとさらに年代が後のものですね。 >296 おお・・282氏は原文で読まれたのでしょうか・・。 早く、邦訳で読みたいものです。
298 :
282 :2006/06/06(火) 01:11:07 0
たびたび失礼します。 > ギシュクラさま コンスタンティン・ムラジャ・ドーソンの『モンゴル帝国史』が佐口透先生の訳注で 東洋文庫から出ていまして(全6巻)、その2巻目にバトゥの西方遠征の記事とともに 巻末の補注として『世界征服者史』と『集史』での当該箇所の部分訳が読めます。 ネットでは『集史』のイルハン朝の部分になりますが「フレグ・ハン紀」と「アバカ・ハン紀」 が読めますね。 > 杉山正明先生の完訳計画 人づてに聞いた話だと、必要な諸文献や資料はすべて手許にそろえられたけれども本文の精読には まだなお時間がかかり、そもそも資料の性格上校訂本も出さなければならないだろうからあと 10年かかっても訳注を文章として出すのは厳しいかもしれない、と仰っていたとのこととか。 ちなみに『世界征服者史』や『集史』の英訳はボイル John Andrew Boyle の "The history of the World-Conqueror"や"The successors of Genghis Khan"が名訳として 名高いですね。『集史』については最近、米国のサクストン W.M. Thackston という研究者がかなり 大雑把な英訳を出したという話を聞いていますが、値段が法外に高いといろいろ不評だとのことです(w
299 :
282 :2006/06/06(火) 18:36:27 0
遅レスで申し訳ありません。
>>293 >キラール
『元朝秘史』では「客列(勒)」と出てくる単語で"Kerel"と読むようです。(原文では「列」の文字の
隣に小さく「舌」という添字があって"r"音で読むように、また「勒」もやや小さめに書かれており、
この単語が"l"音の閉音節で終わっていることを示しています) 19世紀末に『元朝秘史』の
研究を行ったブレットシュナイダー E. Bretschneider は、ご指摘のようにこれをハンガリー語の
「キラーイ」に比定しています。
この単語は件のカルピニのジョヴァンニ修道士が持ち帰り、バチカンに保存されているグユク・ハンが
インノケンティウス4世に宛てたペルシア語による勅書にも كلر Kälär(ケレル:勅書を再発見&実見した
東洋学者ペリオP. Pelliotはこのように転写しています)として出て来ていまして、ペリオはブレット
シュナイダーの説を引いて、この勅書や『世界征服者史』、『集史』にも出てくるスラヴ人やハンガリー
人たちの「王」を指す كلار/ كلر(Keler/Kilār) という単語はハンガリー語のKirály、
ロシア語のKral'〜Krol'〜Korol'から出た単語であることは確かだろう、と述べているようです。
(ペルシア語文に使われるアラビア文字は純粋に子音字ですので、こういった外来語の単語になると
كلارKilārの ā の母音以外はどう発音していたのか、母音符号がないと厳密には分らないのが難点ですが)
300 :
282 :2006/06/06(火) 19:04:11 0
> ケーペシュ・クロニカ、トロッツィー年代記
>>297 たびたびありがとうございます。
おお、なるほど。英訳はまだないのですね。すると『彩色年代記』を読むとなるとラテン語原文による
校訂本やファクシミリ版とかになるんでしょうか。あるいは仏訳や独訳やハンガリー語版しかないとか。
確かにマーチャーシュ王の治世となるとまた随分と年代が下りますね。
ところでそれぞれの書名は、各々"Gesta Hunnorum et Hungarorum"、"Kepes Kronika/ Illustrated
Chronicle"、 "Toldi Miklos Historiaja/ The Story of Nicholas Toldi"で合ってるんでしょうか?
『世界征服者史(Tārīkh-i Jahāngushā)』や『集史(Jāmi' al-Tawārīkh)』については、
校訂本の当該部分のコピーがありますのでそれを見ながらドーソンの邦訳と突き合わせつつ単語を確認、
という感じで読んでいます。ただ、本当であればそれぞれ数種類ある写本のファクシミリ版なども一通り
参照して地名など固有名詞がどういう綴りをしているのかも確認するのが望ましいんですが・・・。
それはちょっと自分の能力的に無理なので校訂本おのおの1種類だけで済ませてしまいました。
282さま 彩色年代記の英語翻訳版はあるそうです。 The Hungarian illuminated chronicle: Chronica de gestis Hungarorum (Unknown Binding) 著者 Márkus Kálti ISBN: 0800840151 出版されたのは1970年だそうですので、入手は相当に困難だと思われます。
連続で失礼 上記は英語:ラテン語ですが 英語だけのものもあったそうです。 書名は同じで 著者はMaÌrkus KaÌlti 出版社は Corvina Pressですからブダペストの出版社かもしれません。 ASIN: B0007IKPSW
ゲスタ・ウンガロルムはアマゾンで入手可能です。 Gesta Hungarorum: The Deeds of the Hungarians by Simon Kezai, Laszlo Veszpremy (Editor), Frank Schaer Publisher: Central European University Press (July 1999) Language: English ISBN: 9639116319
304 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 13:12:03 0
「彩色年代記」というとラヨシュ大王の左右に騎士と遊牧民(クマン?)が並んだ絵とか。 あれは社会の構図として分かりやすい。
305 :
282 :2006/06/10(土) 23:02:44 0
> ギシュクラさま たびたびありがとうございます。 『彩色年代記』のラテン語:英語版は入手がかなり難しいのですね。 ラテン語本文と英語訳註、両方使えれば理想ですが、大学の図書館ですら なかなか所蔵しているところが少ないようですね。 " Gesta Hungarorum "の方が入手しやすいみたいですね。ハードカバーにしては 値段も手ごろのようですし。ただ、バトゥの侵攻の部分を考えると『トロッツィー年代記』 の方も見ておいた方が良さそうな感じです。
先生、馬に乗れば29日で朝鮮からヨーロッパに行けるってエンジョイコリアで韓国人が言ってました! 馬ならハンガリーはそんなに遠くありませんね。
オゴタイ・ハーンの死をバトゥに伝えた飛脚は一ヶ月もかからずに ヨーロッパに着いてたと思うが。 でもカルピニかルブルクはバトゥの本営まで数ヶ月かかったんだっけ・・・
308 :
世界@名無史さん :2006/06/11(日) 21:31:59 0
ジプシーはもちろんキリスト教徒じゃないと思いますが、 ラコーツィと共闘したハイドゥ民や、ラヨシュ大王時代の遊牧民とかは、 ちゃんとしたキリスト教徒なのでしょうか?
>>307 関所で待たされれば数ヶ月かかるが、自由通行すれば一ヶ月で到達する。
馬をつかえばユーラシアはそんなに広くない。
310 :
世界@名無史さん :2006/06/12(月) 06:42:49 0
だからそれとキムチ朝鮮と何の関係が有る? お前らバカチョンにかかると、ミトコンドリアイブも朝鮮発祥ってか?
>>308 ハンガリー王の遊牧民系臣下はクマン人とかアラン人だろうけど、アラン人の多くはすでに
ビザンツの影響でキリスト教化してた。
モンゴル侵攻前のクマン人は、ドミニコ会が「クマニア司教区」を設立して布教を進めたりしてたが、
草原の伝統的宗教の信者も多かったらしい。
ラテン帝国に亡命したクマン人首長が死んだとき、コンスタンティノープル郊外に墳丘を築いて
26頭の馬を生贄にし、8人の戦士が殉死したそうだ。そこが残ってるなら見てみたいが・・・
ハンガリーに亡命したクマン人はだいたいカソリック化したんだろうけど、ケテニュ暗殺後に
ブルガリアへ逃げ込んだ連中なんかは正教徒になったと思われる。
ハイドゥ民はよく知らん。たぶんハンガリー人一般と同様にカソリックでは?
>>309 草原の真ん中で関所ってのが最初イメージし辛かったが、考えてみたら駅伝のルートとか
最短距離だろうから皆通りますな。
312 :
世界@名無史さん :2006/06/12(月) 09:16:01 O
アラン人ってハンガリーに残っていたのですか? イスパニアに移住したと思っていましたが
313 :
世界@名無史さん :2006/06/12(月) 10:19:16 0
マジャールでごじゃーる
>>311 モンゴル帝国は高度な関所や駅のシステムを持ってましたからね。
あれが一朝一夕に出来たわけはなく、遙か昔からその手のものはあったでしょうね。
>>310 キムチ朝鮮とかバカチョンとか朝鮮を卑下すれば、
ハンガリーを卑下されても文句は言えませんよ。
民族に優劣は付けられません。
ハンガリーと朝鮮の文化比較ならそれはそれでユーラシア史として興味深いテーマです。
ここは冷静に応えるべきです。
316 :
世界@名無史さん :2006/06/12(月) 21:03:31 0
>>311 親切なご教授ありがとうございます。お詳しいですね。
とても参考になりました。
>>312 ハンガリーでは「ヤス」と呼ばれる人達がそうらしいけど
イスパニアにも移住してたんですか?
アラン人はケルト人の一種ですか?
>282様 キラーイの件でお礼を申し上げるのを忘れておりました。 トロッツィ・ヤーノシュの年代記「ハンガリー人年代記」 はハンガリー語の本が出版されています。 Thuróczy János: A magyarok krónikája Helikon – 1986, ISBN 9632075188 2001年にもISBN 9633891299で再版?された ようですが、ハンガリーの友人に聞いたところ、出版社に も在庫がないそうです。
>311 クマン人はモンゴル人が去ったあと、ハンガリーに再度入って きていまして、国王イシュトヴァーン5世の奥方はクマン人です。 その息子が有名なクン・ラースローことラースロー4世です。 彼は大貴族に対抗するために、母方のクマン人の力を後ろ盾にし たのですが、この当時のクマン人はキリスト教徒でない連中が どっさりいたらしく、エステルゴム大司教ロドメールは教皇に働 きかけて、教皇特使を派遣させ、国王にクマン人にキリスト教へ の改宗と、遊牧生活を止めることを強要しようとします。 ラースロー4世はこれを拒否して破門されることになります。 あと、ハンガリー人自身もマトモなキリスト教徒と言えたのか どうか・・ラースロ4世は極端にしても、この当時から、アン ジュー朝の初期にかけて、絶大な力を持っていたハンガリー北 部の大豪族マティアス・チャークなんかも、カーロイ・ローベ ルト王を認めず、教皇特使に破門を喰らっても平気で、フェイ エデレム(首長?酋長?)を名乗って戦端を開くような人物 でした。 ハイドゥ民に関して言えば、プロテスタントを信じていた人間も いたのではないでしょうか。
えーと、ハンガリー人の姓に"Medveczky"というのがありますが、 この"-czky"と言うのは、ポーランド?などの"〜スキ"と関係があるんでしょうか? ハンガリーには(に限らずともでしょうが)色々外国由来の姓がありますよね。 "Horváth"や"Német"はもうね、そのまんまだったりしますがw
322 :
世界@名無史さん :2006/06/15(木) 09:38:18 0
>>320 当時はラテン帝国の騎士エノーのボードワンとか、ブルガリア皇帝なんかも
クマン人と結婚してましたね。あとロシアの諸公も。
マティアス・チャークをちょっと検索してみたけど、ほとんどチェコに近い所を
本拠地にしてた人なんですね。民族的にはマジャールなんですか?
此処の人たちのレベルになるには、最低でも 英語・ラテン語・ハンガリー語の史料が読めないと駄目ですか? 自分は日本語しか知らないので、出来れば日本語で読める ハンガリー史の良書を紹介して欲しいのですが・・・
325 :
321 :2006/06/15(木) 22:54:05 0
>>323 ネットで検索しましたが、熊さんは沢山ヒットするにも関わらず
N〜は2件しかヒットせず。
N〜さんもいらっしゃるのかもしれませんが、ごくごく僅かなのではないかと。
>>324 ハンガリー語の資料が読めると色々と役に立つのではないでしょうか。
語学書や辞書、そして勉強場所の選択肢が限りなく狭いですが。。。
326 :
322 :2006/06/16(金) 08:18:46 0
俺もせいぜい英語しか読めないので、他の人によくお世話になってます。
Medveczky >322 >クマン人と結婚 たぶん、皆さん一応キリスト教を信じていたのでしょう。 在来宗教(クマン人の宗教?かも)に立ち戻って、国王に対して十字軍 を宣言しようかという騒ぎにまでなったのは、ラースロー4世ぐらいで はないでしょうか・・。 マティアス・チャーク(ハンガリーだとチャーク・マーテが正しいそう です。)の本拠は今のスロバキアのトレンチーン城で、その所領はスロ バキアの西半分ぐらいだったのですが、彼がマジャール人だったのかど うか、私にはわかりません。 手元にあるハンガリーの歴史事典では古いハンガリーの氏族であるチャ ーク家の生まれと書いてありますがどうなのでしょう。 余談ですが、スロバキアで出された子供向けの本を翻訳した本なんかでは、 「14世紀はじめ、富裕な貴族マチアス・チャークは、スロバキアを独立 させようとした。チャークは自身の軍隊をもち、スロバキアの銀で銀貨を 鋳造し、豪華な宮廷を立てた。チャークはハンガリー王国から独立したス ロヴァキアジンのために独自の法典を編纂し、それはチャークが亡くな る1321年まで有効だった。」というナショナリズムを強調したような 書き方をしていますが、実際の彼はアールパード家断絶後のドタバタに乗 じて自分の所領を「Mátyusföld(マーテの国)」にしようとしていただけ だと私は思っています。
>324 お恥ずかしい話、日本語の資料と、英語の資料からの知識です。 ありがたいことに、ハンガリー語が堪能な友人が現地におりま して、その方に教えていただくことも多いです。
中世ハンガリーに詳しい皆さんにお勧めのゲーム 「蒼き狼と白き牝鹿4・チンギスハーン」 ベーラ3世からラヨシュ1世が主な時代範囲 フニャディ=ヤーノシュも武将として登場します。
330 :
世界@名無史さん :2006/06/19(月) 19:38:04 O
ずいぶん古いね
>329 そのゲームの名前は聞いたことがあります。 ラヨシュ1世とフニャディ・ヤーノシュというと少し時期がずれていますが・・。 >331 そうです、アンジュー家のカーロイ・ローベルト王は彼を破ることができず、 長らく、テメシュヴァール(今のティミショアラ)に王宮を置いていたそう です。彼は、王になり損ねた男と言えるかもしれません。
333 :
世界@名無史さん :2006/06/20(火) 09:58:52 O
テメシュヴァールってトランシルヴァニアでしょ こんなとこに王宮あったんだ
>338 ハンガリー王に即位して国内統一まで2年を要しています。 チャークが死んでやっと収まったという感じですね。 統一後は王宮をヴィシェ・グラードに置きました。 因みに、テメシュヴァールはトランシルバニアじゃなくて テメシュ城県という地域なのだそうです。 私も、前々スレだったかで教えられるまで、トランシルバ ニアの一部だとばかり思っておりました。
335 :
世界@名無史さん :2006/06/26(月) 17:58:26 0
>>329 で挙げられたゲームでのハンガリー(ペスト)は
無茶苦茶に文化度が低いけど
実際、当時(12〜14世紀)の基準で考えるとどうなんでしょうかね?
336 :
世界@名無史さん :2006/06/26(月) 18:12:32 0
文化度が低かったんじゃなくて、ただ文明度が低かったんだろ 文化はそれなりにあっただろ マーチャーシュ教会なんて後の時代のものだし
337 :
世界@名無史さん :2006/06/26(月) 23:21:28 0
んだな
文化度という概念がよくわからないですが、例えば、モンゴル軍の侵攻以前 は、エステルゴムの王城のような例外を除けば、石造の城はなかったと言い ます。同時代の例えばシチリアのノルマン王朝なんかには比べるのは無理が あるのではないでしょうか。 マーチャーシュ教会は名前のせいで、マーチャーシュ王が建てたと思われて いるようですが、元々はベーラ4世が建てさせたものです。彼は石造りの城 を国内各地に建てさせたり、ブダへ王宮を移し街の基礎を築く等、国の整備 に尽力しました。その一生は苦難の連続でしたが、ハンガリーの人たちは彼 を「第二の建国者」とも呼んでいます。
339 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 02:08:30 O
リストってハンガリー生まれだよね。難しすぎてピアノ弾けない!
340 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 02:13:34 0
>>338 >シチリアのノルマン王朝
あれなんか、石造りといっても、野蛮人の外来者ノルマン人のおかげじゃなく、現地シチリアのアラブ系文明のおかげだろ。
>>338 位置づけはポーランドのカジミェシ大王に相当するね
>>339 位置づけはポーランドのショパンに相当するね
ハンガリーとポーランドって仲いいのはなぜですか?
342 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 02:22:50 0
343 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 02:25:26 0
Lisztというのは明らかにハンガリーの綴りなんだが。 ドイツ系というよりドイツ化したハンガリー系というなら話はわかるが。
本姓はList。 これがハンガリー語読みだと「リシュト」になるのでLisztと綴ることにした。 同時にこれが、「ハンガリー人」というアピールにもなった。
345 :
世界@名無史さん :2006/06/27(火) 04:04:40 0
ドイツ人ならなにもわざわざスペル変える必要ないだろうに
一種のエキゾチシズムを売りにするのに、「ハンガリー人」という看板を利用したのだろう。 本来の出自の「ドイツ人」も一方で都合よく使いながら。
アルゼンチン育ちとはいえ、ことさらにスペイン語名を名乗るカルロス・クライバーや 親はドイツ人だがスペイン生まれだからと、本来の姓の後に出生地をつけて名乗る ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスみたいなものか?
348 :
世界@名無史さん :2006/07/01(土) 14:53:12 0
地図を見ていてウクライナがハンガリー、スロヴァキアと 国境を接してるのに初めて気づいたorz 大分カルパチア山脈に食い込んでるけど、あの辺はルテニア人の 土地だったのかな?
>>348 旧チェコスロヴァキア領(第一次大戦後の領土)
それまではオーストリア=ハンガリー帝国のオーストリア側に属した。
350 :
世界@名無史さん :2006/07/04(火) 19:58:38 0
恒文社の『ハンガリー史』は購入したのですが、ラーコーツィの自由戦争について もっと詳しく載っている文献がありましたらご紹介ください。 海外のサイトでも結構です。(ハンガリー語は出来ませんが・・・)
351 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 01:20:08 0
グーグルで検索したらラーコーツィなら結構ヒットしそうなんだが・・。 もろに自由戦争を扱ったサイトってないのかな・・。
352 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 09:47:42 0
353 :
名無しさん@3周年 :2006/07/06(木) 02:30:39 0
ハハァ、これはこれはヨカス〜。翻訳ページで見てますが、新しい収穫が・・・ ご助力ありがとうございます。欲深で恐縮ですが、詳細なら詳細なほど助かるので、 今後も有用なサイトや資料がお目に触れましたなら、どうぞこの場にてドンドン、 教えてくりさい。皆様よろしゅうお願いいたすます。
フニャディ=ヤーノシュに興味持ったんですが 彼の伝記か詳細な記載が載っている本を紹介してくれませんか? 出来れば日本語で読めるのを。
355 :
世界@名無史さん :2006/07/06(木) 22:08:12 0
356 :
354 :2006/07/06(木) 22:26:53 0
>>355 有難う御座います。
何とか翻訳して読んでみます。
この頃のハンガリーはオスマントルコとの戦いで必死だったんですね。
357 :
世界@名無史さん :2006/07/07(金) 00:50:43 0
>353 英文で検索かけたら、相当沢山情報はあるのだが・・。 横着しすぎではないか? >355 フニャディなら日本語でもグーグル検索したらいろいろな情報があるのだが、 検索ぐらいはした上での質問ですか?
358 :
名無しさん@3周年 :2006/07/07(金) 04:03:22 0
お前こそ、一体何様のつもりだ? しつこく訊かれて迷惑したならともかく、お前のただ意地の悪いだけのコメントは 誰も求めていない。これからも答えて頂かなくて結構。
359 :
名無しさん@3周年 :2006/07/07(金) 04:30:45 0
親切に答えて下さった方には、とても感謝している。しかし嫌味しか言えないお前が、 何で迷惑顔でしゃしゃり出て来る? 答えたくないなら無視すればいい。さも自分の貴重な時間を奪われたかの、 大げさな反応はこちらも迷惑だ。 嫌味を書き込む暇があったら、どうぞ自らの研鑚を積んで今以上に精進して下さい。
>355 ヤーノシュ・フニャディは若い頃イタリアで傭兵をしてたとか何かで読んだが これにはとくに書いてないようだね。
361 :
世界@名無史さん :2006/07/07(金) 23:29:45 0
>358 検索した上で物を言いなさい。 どうやら実行していないようだが、フニャディで検索すれば、ヤノシュ・フニャディ の簡単な伝記と、彼の生涯のクライマックスであるベオグラードの戦いについて、イ ギリスかどっかの軍事史のサイトに掲載された記事の詳細な邦訳がすぐに見つかるは ずだ。 邦文で読めるまとまった資料としては、それが一番詳しいだろう。 後はブラド・ツェペシュの関連の本だの、バルカン、ビザンツ、オスマンの歴史の本 に彼活躍が断片的に紹介されているぐらいだろうか。
362 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 00:34:47 0
お前が偉そうに言うな。 ネット検索でしか調べられない低脳のくせに!
363 :
名無しさん@3周年 :2006/07/08(土) 00:38:44 0
だったら最初から素直に教えてあげればいい。 どうしても嫌味抜きで物を言えないか? その『偉そう』感は、一体何様のつもりか。 「あ〜めんどうくせ」丸出しの人から、教えて欲しいとは思わないものだよ。 上から忠告する前に、貴方も少し人の心情というものを学ぶべき。
364 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 17:01:08 0
>362 ネット以外で調べることもできますよ。 今は洋書を購入するのも楽な時代です。 >どうしても嫌味抜きで物を言えないか? 嫌味ではないですな。 物事を調べるということの基本がなっていないから言ったまで。 自分で調べるより先に、人に聞けば良いという態度はよろしくない。 「教えて君」が嫌われるのはいずこも同じ。
365 :
名無しさん@3周年 :2006/07/08(土) 17:50:36 0
お前はいつからここの主になったのか? お前一人なのか? 誰もお前のように、底意地の悪い奴に尋ねてない。 他に親切に教えてくれる人が、ちゃんといるのだ。無関係なお前がなぜ迷惑顔をする? お前に実質どういう被害があった? 「教えて君」のように、しつこくした訳でもない。 そもそもここは『行列が出来る相談所』という、せわしないスレでもない。 『ハンガリーについて』のスレタイに、適った内容を尋ねているのみ。 お前のような『お偉い』人がいると、これからは確実に訊きにくくなる。 それが目的なら、すでに十分目的を達したといえよう。後は引っ込んでろ。 これ以降、お前から見て未熟な質問があったら、黙ってろ。お前には訊いてないから。 お前は、お前に合ったハイレベルの質問にだけ、重い腰を上げればいい。嫌味抜きでな。
ルーマニア人の本を読むとフニャディがヴラフ出身だってのにやたらとこだわってるよね。 絶対「フネドアラのヤンク」にしか書かない。
367 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 22:21:50 0
>365 お前はここの主か? じゃあお前が答えてやれ。 親切めかして教えてやる答えが、ウィキペディア? 質問者を舐めてるのはどっちだ。
368 :
名無しさん@3周年 :2006/07/08(土) 22:33:28 0
しつこいなぁお前。 お前のようなただの嫌味よりは、遥かにマシだ。 答えてくれた人には本当に感謝している。
誰か酔狂なハンガリー史研究家がフニャディのような 母国では英雄でも日本ではマイナー扱いな人物の詳細な伝記を日本語で 書けば、このスレも荒れないのに。
370 :
名無しさん@3周年 :2006/07/08(土) 23:07:39 0
自分はラーコーツィの自由戦争について助力を請うた者。 フニャディに関しては別な人。 ただ、二人とも偉そうな『先生』にムカついている事は確か。 質問には双方、親切な人が答えてくれ、二人ともそれに感謝。 その後に乱入して来た奴が、「そのぐらい自分で調べろや」とただ嫌味だけ。 それって何か意味あるのか? >『ウィキペディア? 質問者を舐めてる・・・』なんて書いてるが、 教えてもらった方は、そうは思ってない。素直に感謝しているよ。
371 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 00:49:49 0
オスプレイ・メンアットアームズのHungary and the Fall of Eastern Europe, 1000-1568 にヤーノシュ・フニャディの絵が載ってる。 カラスが金の鍵をくわえた紋章の盾をもっていた。
372 :
世界@名無史さん :2006/07/09(日) 00:55:30 0
お前は余計なこと言うな
>346 音楽関係は詳しくないのですが、リスト家がスペルを変えたのはフランツ・リストの 祖父の代と聞いたことがあります。はっきりした記憶ではないのですが。 あと、リストとドイツ人ということでは、コロジュヴァール(今のクルージ・ナポカ) のコンサートで「ラコッツィ行進曲」を演奏したら、ザクセン人(ドイツ系の移民の末裔) から非常に顰蹙を買ったという話もあります。 リストのなかでハンガリーというのがどういう位置付けになっていたのか、興味深いものがあります。
>349 >それまではオーストリア=ハンガリー帝国のオーストリア側に属した。 ハンガリー領ではなかったでしたっけ? 今のムカチェヴォは昔はウングヴァールと言って、ラーコーツィ家の所領 で、フィレンツ2世の母、ズリーニ・イロナがハプスブルク家の軍を相手 に篭城戦をやったことで有名です。 >350 ラーコーツィの資料ですか。 邦語の資料というのはないでしょう。「世界戦争事典」とか「ハプスブルク家かく 戦えり」に少し記述があるぐらいです。 英語だと「Ferenc II Rakoczi and the Great Powers」 William B Slottman という本があります。 あと、ハンガリー関係の通史の本でも結構ページを割いているものがあります。 少し、時間をいただければ調べてみますが。
>フニャディ・ヤーノシュ 邦語で読めるのはサイトでは上で口の悪い誰かさんが書いているサイトぐらい でしょう。過去スレで「しい坊」さまがハンガリー語の事典から翻訳されたの がありましたので、過去ログをご参照されるのも良いかと思います。 本で言えば、ドラキュラ関係の本やら、ローマ帝国衰亡史、ルーマニア史とかに 断片的に出てきます。 英語だと二種類の伝記が出版されていますし、ハンガリーでは英雄なものですか ら通史の関係も含めて、かなりの記述があります。
>366 フネドワラのヤンク これはフニャディ・ヤーノシュのルーマニア表記です。 フニャディは「フニャドの」の意味ですから。 因みにフネドワラはフニャドヴァール(フニャド城) の城を意味するヴァールの古い発音がルーマニア語に 残ったものだそうです。 >371 鍵ではなくて指輪ですね。 「指輪を咥えた大鴉」が
へんなところで切れました >371 鍵ではなくて指輪ですね。 「指輪を咥えた大鴉」がフニャディ家の家紋です。 その大鴉にマーチャーシュ王の呼び名コルヴィヌスは由来しています。
378 :
名無しさん@3周年 :2006/07/09(日) 02:29:44 0
>>374 ラーコーツィに関して質問を上げた者です。
ギシュクラ様、ありがとうございます。貴重なお時間を割いて頂けるのは恐縮の至り。
こちらは急いでおりません。いくらでも待ちますので、どうぞお時間の許す範囲で、
マターリとご助力願えれば、と思います。重ねて感謝いたします。
>鍵ではなくて指輪 見直してみたらそうでした。 大鴉の足元には矢筒?のようなものが描かれていて 右上には三日月のマークもあります。 珍しい家紋。
>379 メンアットアームズの再現イラストですね。 フニャディ家の家紋はフネドワラ城やヴィシェグラードの宮殿等で 実物をいくつか見ていますが、三日月とか矢筒がくっついたものは、 未見です。 このイラストの甲冑は恐らく、ジュラフェーヘルヴァール(今のア ルバユリア)の教会にある、彼の墓の石棺に彫られた彼の像を模し ているのでしょうが、紋章は何を参考にされたのでしょう。
手元の資料を見ましたら、フニャディー・ヤーノシュの印章が指輪を咥えた大鴉+ 矢筒?+三日月でした。 鳥と紋章といえば、どなたかのエッセイで、十字軍に参加したハンガリー軍が鳥の 紋章の旗印をかざして戦うので他国の軍が奇異に思ったとかいう話を読んだことが あります。歴史が専門の方の文章ではないですので、どこまで信憑性があるのかは わかりません。マジャール人のトーテム神?はトゥルルという鷹か鷲の類のような 鳥らしいですが、それを旗印にしたのでしょうか。
所でハンガリーの王冠の上に付いてる十字架って何故歪んでるの?
384 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 16:49:26 0
age
385 :
世界@名無史さん :2006/07/14(金) 00:27:01 0
なんでゆがんでるの?
386 :
世界@名無史さん :2006/07/14(金) 06:22:13 0
age
389 :
世界@名無史さん :2006/07/14(金) 23:52:23 0
イシュトヴァーン大聖堂に行くと説明があります。私は知ってます。
>383 俗説では、ローマ教皇の特使が王冠を運んでくる途中で歪めてしまい、 蛮族のマジャール人が訳もわからずありがたがっているとか、国が傾い たので十字架も傾いたとか言われます。 実際、いつから今のような状況になったのかは不明です。 マーチャーシュ王の時代に書かれたトロッツィ年代記の挿絵に出て来る 王たちの王冠を見ると、既に十字架が傾いているように描かれているよ うに見えます。 >389 大聖堂にあるのはイシュトヴァーン1世の片手のミイラではありませんか? 王冠は昔は博物館にありましたが、今は国会議事堂に展示されています。
ハプスブルク=ロートリンゲン家は 今尚イシュトヴァーン王冠を狙っている?
392 :
世界@名無史さん :2006/07/15(土) 16:34:37 0
>391 オットーさんは「ハンガリー王位継承権者」の肩書きはお持ちだが、 ハンガリー王になるなどとは考えておられまい。
>>392 そのHabsburg Ottó氏(読み方は「ハブシュブルグ・オットー」でOK?)、
というより歴代のハプスブルクロートリンゲン家の当主たちは
マジャル語をそこそこでも話せたんですかね?
394 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 00:32:21 0
>393 オットーさんはハンガリー語は堪能だそうです。 最初のスレで「しい坊」さまがインタビューされた話がありました。 歴代の方はどうでしょう。 フランツ・ヨーゼフ帝は基本的にハンガリーは大嫌いで、宮殿の謁見 の間にハンガリー軍を破る皇帝軍の画を飾っていたぐらいですから・・。
395 :
世界@名無史さん :2006/07/17(月) 15:48:00 0
>ヤーノシュ様 ヤーノシュ様でもなぜ曲がってるのか知らないのでしょうか?
ハンガリーに韓流の波
今回の見本市でKBSとMBCなどは、ハンガリー国営MTVの関係者たちと韓国ドラマ輸出のための交渉をし、
細部まで話し合ったとされる。
これとは別に、海外同胞企業であるサムマインターナショナルは三星電子のハンガリー法人の後援により、
日本で韓流ブームを巻き起こした人気ドラマ「冬のソナタ」のハンガリー輸出のためにハンガリー放送
および配給会社などと交渉している。
ハンガリー放送の場合、ドラマの長さが1本当り50〜55分ほどなのに比べ、
韓国ドラマは70分という編成上の問題が解決されれば、東欧の地上波で初めて放映される韓国ドラマは
「冬のソナタ」になる可能性が高い。
サムマインターナショナルのチェ・ギソン社長は「ハンガリーは東欧国家の中でも韓国と情緒的に類似点が多く、
韓国ドラマが放映されれば韓流ブームが起こる条件は十分整っている」と語った。
http://www.asahi.com/culture/korea/TKY200607190153.html ハンガリーは韓国が引き受けましたから、日本人は来なくていいです。
ハンガリー人の情緒というと、「ホラーが理解できない」ぐらいしか知らん。
あと東欧では珍しく吸血鬼伝説の空白地帯でもある。 東ドイツにすらあるのに。
399 :
393 :2006/07/19(水) 18:22:35 0
>>394 遅ればせながら、レスサンクス。
歴代当主でもウンガルンに思いはいろいろなんですね。
オットー氏がマジャル語に堪能というのは
個人的にはちょっと嬉しいところ。
400 :
世界@名無史さん :2006/07/19(水) 23:32:27 0
400ゲット
401 :
世界@名無史さん :2006/07/20(木) 15:28:34 0
ハンガリアンウォーターという香水は、ポーランド国王に恋をしたハンガリーの王妃が、 ポーランド国王の気を引くために発明したそうですが、 このハンガリー王妃とポーランド国王の名前は知りませんか?
403 :
どうも、訳者本人ですが・・・・ :2006/08/08(火) 15:31:15 0
404 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 10:14:26 O
ウィーン旅行したとき ウィーン風グラーシュを食ったら うまかったと記憶している 本場、ハンガリーのグラーシュと微妙に違うらしいなのだが どこが違うのだろう 味付け?材料?
405 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 10:20:25 O
403さん マジャール語から訳したの、すごいな
406 :
どうも、訳者本人ですが・・・・ :2006/08/10(木) 15:45:13 0
407 :
世界@名無史さん :2006/08/10(木) 16:05:27 0
>>404 パプリカがきつくない>ウィーン
中欧にはグラーシュのバリエーションがある。
例えばポーランドでは沢山のキノコと一緒に煮込まれていたりする。
>>402 楽しい楽しいハンガリー動乱ワールドへようこそ!
マジャル語ではドイツのことを「ネーメト」(Német)と呼ぶそうですが Németってどこから出てきた言葉なんでしょうか?
スラヴ語でゲルマン系のことをネムツィと呼ぶけど。 「言葉の通じない人々」みたいな意味。
hosyu
保守
413 :
世界@名無史さん :2006/09/01(金) 21:29:09 0
age
415 :
世界@名無史さん :2006/09/02(土) 19:29:52 0
ギシュクラはどこへいったんだ〜。
416 :
世界@名無史さん :2006/09/02(土) 19:35:22 0
夏休み?
417 :
世界@名無史さん :2006/09/03(日) 00:56:35 0
また東欧に行ってしまったのかな?
美顔コンテストやって何か意味あるの?
420 :
世界@名無史さん :2006/09/13(水) 02:33:57 0
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ | ありがとうございます! | | あげときますね。 | \ /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ | | / ∧□∧ |_____|/ (´∀` ) ____ ∧_∧ (\ /) /___./| ( ,,)<ジュワー / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~ /| /___________________/ | | ̄/○○○/◯◯◯/○○○/◯◯◯/□| | |/○○○/◯◯◯/○○○/◯◯◯/□□| | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | コロッケ | / |___________________|/
421 :
世界@名無史さん :2006/09/13(水) 22:53:19 0
あ〜あ、ハプスブルク帝国時代のハンガリー領が残っていれば 東欧の大国のままだったのになぁ。つーかハプスブルク連邦帝国 とかになればなぁ。俺のよくする妄想は 大ドイツが成る。大ハンガリーが成る。バルカンにゆるやかな連邦が成る。
お〜いギシュクラさ〜ん、聞きたい事が溜まってま〜す。 いたら返事してくりさ〜い。
423 :
世界@名無史さん :2006/09/14(木) 21:18:13 0
ギシュクラ殿!大帝陛下は何処へ?返事してくりさ〜い。
ハンガリーって、名前とか住所とかが日本と同じ順番ってだけでしょ? それ以外の文法に関してはヨーロッパ語族と同じなんだよね?
425 :
世界@名無史さん :2006/09/18(月) 20:55:46 0
500 :世界@名無史さん :2006/09/14(木) 11:10:26 0 >貴方の論法だと、ハンガリーだのルーマニアだののドイツ人集落は >みなドイツ領ってことになる。 違うね。ハンガリーもルーマニアもみなドイツ固有の領土だ。
426 :
世界@名無史さん :2006/09/19(火) 18:22:28 0
ハンガリーの首都ブダペストで極右1万人の大デモ。首相辞任。政府転覆。治安維持部隊は静観の構え。 帝國革命ktkr
427 :
世界@名無史さん :2006/09/19(火) 20:03:30 0
マジで大変なことになってるな、ブダペスト 全国に飛び火するだろこれ
428 :
世界@名無史さん :2006/09/19(火) 20:24:18 0
二重帝国の時には 世界5大国とまで称されたのにな・・ もったいねーわ。
ジュルチャーニ オワタ\(^o^)/
430 :
世界@名無史さん :2006/09/19(火) 21:17:22 0
ハンガリー人、はっきり言って存在そのものが迷惑なんだけど…(怒
ハンガリーの暴動による政局不安で、東欧地域の金融市場が軒並み下落
http://today.reuters.co.jp/investing/financeArticle.aspx?type=forexNews&storyID=2006-09-19T111443Z_01_nTK2937352_RTRJONT_0_MnTK2937352-1.xml [ロンドン 19日 ロイター] ハンガリーでジュルチャーニ首相の辞任を求めて暴動が発生したことを受け、
東欧市場全体にわたって通貨、株式、債券が下落している。
ハンガリーで暴動が起きたのは、ジュルチャーニ首相が4月の総選挙で勝利するため、
予算について4年間にわたり欺いていたことを示す録音テープが漏えいしたことがきっかけ。
ジュルチャーニ首相は4月の総選挙で減税を公約に掲げて勝利したが、
その後、国内総生産(GDP)の10.1%に達する財政赤字を削減するため、
2007年だけで46億ドル相当の増税と歳出カットを行う方針を示している。
19日の取引では、ハンガリーの通貨フォリント<EURHUF=>が1%下落し、1ユーロ=273.68フォリントとなったほか、
ブダペスト株式市場では主要株価指数が2%下落。債券市場も軟化し、利回りは全般的に12ベーシスポイント程度上昇した。
市場の動揺は他の東欧市場にも波及し、チェコのズロチ<EURPLN=>が0.3%下落したほか、
スロバキア通貨<EURCZK=> <EURSKK=>も弱含んでいる。
債券市場でも、ポーランドとスロバキアの5年債利回りが10ベーシスポイント程度上昇。
株式市場では、ポーランドのワルシャワ市場<.WIG20>とチェコのプラハ市場<.PX>が1%以上下落している。
431 :
世界@名無史さん :2006/09/20(水) 16:59:17 0
暴動は、2日目も全く沈静化していない 国会前広場が中心地だが、市内全域で注意とのこと
432 :
世界@名無史さん :2006/09/20(水) 20:40:50 0
【最新スポット情報】
ハンガリー:大規模な反政府デモの発生 (2006/09/20)
1.9月17日、ジュルチャーニ首相による「我々はずっと嘘をついてきた。4年間
何もしてこなかった。」等の発言を含む録音テープがリークされたことに端を
発し、ハンガリー国会前でジュルチャーニ首相の辞任を求める3,000人程度の
デモが発生しました。18日深夜、デモ隊の一部はハンガリー国営テレビ局
に向かい、テレビ局入り口やテレビ局前の車に放火するとともに、テレビ局内
に乱入し、警察・消防隊と衝突したため多くの負傷者が出た模様です。また、
20日未明には社会党本部のある共和国広場、ラーコーツィー通り、ブラハルイ
ザ広場においてデモ隊と警察との衝突で、約60名の負傷者が出た模様です。
2.20日現在、デモ行動は全国に広まり、特に国会前周辺では引き続き激しい抗
議行動が行われていますので、ハンガリーに渡航・滞在を予定されている方は
、最新の関連情報の入手に努め、デモ及び群衆を避けるとともに政府機関周辺
には近づかないようにし、不測の事態に巻き込まれないよう十分注意してくだ
さい。
(問い合わせ先)
○外務省海外安全相談センター(国別安全情報等)
電話:(代表)03-3580-3311(内線)2902
○外務省海外安全ホームページ:http://www.mofa.go.jp/anzen/
http://www.pubanzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=168#header 外務省、情報が間違ってるよ。
BBCによるとデモ隊は1万人以上、負傷者150人以上。
デモは全国に飛び火。 ブダペストだけで1万人以上。暴徒は2000人、負傷者は200人以上。 逮捕者130人以上。
435 :
世界@名無史さん :2006/09/21(木) 19:26:18 0
436 :
世界@名無史さん :2006/09/21(木) 19:26:52 0
こんな時に、ギシュクラ殿はどこで何をしておられるやら・・・。 まさか暴徒に加わって、逮捕者130名、負傷者200名の中に?
438 :
世界@名無史さん :2006/09/22(金) 21:39:02 0
【ハンガリー人の在留外国人に対する高感度】 月間ハンガリージャーナル Vol.54 2006年2月号より抜粋 Studio Metropolitanaによる調査 イタリア (迷惑:3%、入国反対:3%) フランス (迷惑:4%、入国反対:1%) 日本 (迷惑:8%、入国反対:3%) ドイツ (迷惑:4%、入国反対:2%) アメリカ (迷惑:4%、入国反対:3%) アフリカ黒人(迷惑:7%、入国反対:3%) 中国 (迷惑:19%、入国反対:9%) 日本企業はハンガリーで雇用を生み出したりしているのに、アフリカ黒人より 嫌悪感があるそうですよ。更に白人国家と比べると嫌悪感は倍ですよね。 実際生活してみても肌でしみじみ感じますよ。彼らにしてみれば中国人だって日本人だって 正直どちらでもいいそうです。実際にそう言っていましたよ。
というかハンガリーにアフリカ人ってそんなにいるの?
いますよ。学生とかショービジネスとかアートとかいった知的な分野で。
441 :
世界@名無史さん :2006/09/22(金) 23:27:38 0
>438 ハンガリージャーナルの記事ですか・・・・。
442 :
世界@名無史さん :2006/09/22(金) 23:31:53 0
暴動といったハンガリーに不名誉なニュースが飛び交ってるのでギシュクラ殿はホッカムリでしょうか? それじゃハンガリー専門家とはいえませぬぞ。
444 :
世界@名無史さん :2006/09/23(土) 00:40:05 0
あの旦那は現地在住の友人が沢山いるので、連絡に走りまわっているのじゃない かな。
TBSのニュース
2006年09月23日(土) 10時37分
ハンガリーで野党集会が爆破予告で中止
首相の辞任を求める声が高まっているハンガリーでは、週末に予定されていた
野党の集会が爆破予告で中止されるなど、依然、混乱が続いています。
ハンガリーでは今年春の総選挙で勝利したジュルチャーニ首相が、選挙後の集
会で「国民にウソをつき続けていた」などと語ったテープが漏洩し、17日に地
元メディアで放送されました。それ以来、首都ブダペストでは首相の退陣を求め
る反政府組織の集会が連日行われ、これに便乗したフーリガンと警官隊の衝突が
続いています。
こうした中、最大野党の「フィデス」が23日に予定していた大規模な集会に
対し「デモの最中に爆弾を爆破させる」との内容の脅迫が所属議員に届き、フィ
デスは急きょ集会を中止しました。
ハンガリーでは来月1日に統一地方選挙が予定されていますが、ジュルチャー
ニ首相は辞任を拒否する姿勢を崩しておらず、事態収集のめどは立っていません。
(23日01:36)
ttp://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline3386144.html
446 :
世界@名無史さん :2006/09/25(月) 00:51:13 0
日経新聞
ハンガリー、首相辞任求め4万人デモ
【ブダペスト=桜庭薫】ハンガリーの首都ブダペストで23日深夜、ジュルチャーニ首相の辞任を求めるデモが行われた。ロイター通信によると、今月17日に抗議行動から始まって以来、最大規模となる約4万人が国会議事堂前に集まった。
首相の経済改革を巡るウソ発言が発覚してから始まったデモでは、約150人が拘束されている。首相は辞任を拒否し、経済改革を進める姿勢を貫いている。ただ10月1日の統一地方選で惨敗すれば、退陣を余儀なくされる可能性がある。
国会前広場は第1次大戦前のハンガリーを示す国旗を掲げる市民であふれた。家族4人でデモに参加した溶接工のタマシュ・パタキさん(27)は「首相が退陣するまで毎日デモに参加する」と語る。 (22:46)
ttp://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060924AT2M2400724092006.html
447 :
世界@名無史さん :2006/09/25(月) 01:04:39 0
日に日に増えてるな>デモ隊 クーデターが起きたりして もし起きたらタイのように簡単にはすまないぞ
448 :
世界@名無史さん :2006/09/25(月) 08:46:28 0
ChongじゃなくてCsonな
450 :
世界@名無史さん :2006/09/25(月) 14:17:40 0
首相退陣要求デモが7日目に突入、一部で警官隊と衝突も - ハンガリー
http://www.afpbb.com/article/925220 【ブダペスト/ハンガリー 25日 AFP】首都ブダペスト(Budapest)で、
ジュルチャーニ・フェレンツ(Gyurcsany Ferenc)首相の辞任を求めるデモが7日目に突入した。
財政政策で国民を繰り返し欺いてきたとの首相発言が報じられたことから発生した反政府デモは、
一部で警官隊との衝突が起きるなど、激しさを増している。
452 :
世界@名無史さん :2006/09/26(火) 17:04:04 0
ハンガリー首相、野党と極右勢力の関係を指摘 - ハンガリー
【ブダペスト/ハンガリー 26日 AFP】ブダペスト(Budapest)市内で平和的にデモが行われる中、
ジュルチャーニ・フェレンツ(Gyurcsany Ferenc)首相は25日、
現政権の崩壊を求める極右勢力と主要野党である保守系政党との関係を指摘した。
http://www.afpbb.com/article/927674 ハイル・ヒットラー!
453 :
世界@名無史さん :2006/09/26(火) 17:09:19 0
ハンガリー中銀が0.50%利上げ、追加利上げの可能性を示唆 [ブダペスト 25日 ロイター] ハンガリー国立銀行(中央銀行)は25日、政策金利を50べーシスポイント引き上げ7.75%にすることを決定した。 中期インフレ目標達成のために追加利上げが必要になる可能性があることも示唆した。 中銀は、インフレが広範囲に及んでいるとし、外国人投資家が求めるリスクプレミアムが高まっていると指摘した。 ロイターがアナリストや外為ディーラーを対象に実施した調査では、 半数をわずかに超える回答者が25べーシスポイント利上げを予想していた。 前回までの利上げは中銀の政策決定会合で全会一致で決定されていたが、今回は全会一致ではなかった。 中銀は、2008年の中期インフレ目標を3%としている。 アナリストの間では、財政赤字解消に向けた増税や公共料金引き上げのためにインフレが今年と来年で急上昇し、 08年には3.9%に達するという見方が多い。 事実上の経済破綻ですな
454 :
世界@名無史さん :2006/09/26(火) 17:14:43 0
首相の辞任求めるデモ、8日目に突入 - ハンガリー 【ブダペスト/ハンガリー 26日 AFP】 26日、ブダペスト(Budapest)で行われているジュルチャーニ・フェレンツ(Gyurcsany Ferenc)首相の辞任を求めるデモは8日目に突入した。 このデモは経済政策で首相が国民を繰り返し欺いてきたことが発覚して以来続けられている。
>>452 どこの国も左派政権は、敵対勢力のことを極右って呼ぶんだなあ。
456 :
世界@名無史さん :2006/09/26(火) 23:19:59 0
だが、フィデスだっけ?あれは体のいいネオナチだろ?
457 :
世界@名無史さん :2006/09/27(水) 12:31:59 O
ていのいい? からだのいい?
かくも長き不在。ギシュクラ殿には、マジに何かあったのでは? 心配だな・・・。
459 :
世界@名無史さん :2006/09/28(木) 19:48:13 0
同意。大帝陛下同様、御隠れに為ったのでは・・・
>>458 ミクシ逝け。
現地の病院に入院中。
どうも警察の流れ弾が当たったらしい。
つまらん。センス無し。
1ヶ月以上ぶりにやってきたんですが、 ブダペシュトでこんな事態が発生していたとは・・・ ショーヨム大統領はどう動くんでしょうか?
52 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/08/23(水) 19:44:35 0 ハンガリーには、かつて豊作を祈って種をまき終った畑で夫婦が交接する習慣があったそうです。 今は夫婦で着衣のまま転げまわって済ませるそうですが。
ハンガリー首相、週後半に信任投票実施=政府筋 [ブダペスト 2日 ロイター] ハンガリー政府筋が2日ロイターに明らかにしたところによると、同国のジュルチャーニ首相は、今週後半に議会で首相信任投票を実施する。 関係筋は「昨夜から今日にかけての協議で、首相は連立相手から支持を得られると確信した。(信任)投票は、首相の経済政策と首相自身への支持を確認するものになる」と述べた。 (ロイター) - 10月2日20時21分更新
<ハンガリー>大統領が首相退陣を要求 【ウィーン会川晴之】 ハンガリーのソリオム大統領は1日、「国会が行動する時が来た」とテレビ演説し、 ジュルチャーニ首相の退陣を求めた。 同日、実施された地方選挙で、同首相率いる与党・社会党が大敗を喫する情勢が確実 となったことを受けて発言した。 ハンガリーでは、同首相が社会党内部の会合で「有権者にウソをつき続けた」と発 言した録音テープが暴露された9月17日以後、首相退陣を求める人々が連日のよう に集会を開き、暴徒化したデモ隊の一部が国営テレビ局に乱入して放火するなど、2 00人以上が負傷する事態に陥っている。 ロイター通信によると、ジュルチャーニ首相は同日夜「(連立与党を組む)自由民 主同盟は我々を支持している」と述べ、辞任の考えが無いことを改めて強調した。 (毎日新聞) - 10月2日10時13分更新
退院しました!! というのは冗談で、なぜか書き込みが出来ない状態が続いておりました。 申し訳ございません。
467 :
世界@名無史さん :2006/10/08(日) 01:21:47 0
あ〜良かった。やれやれ、よう戻りなすったのう。 でも、質問が溜まってると思うので、しばらくは忙しいかもしれんて。 漏れにもあるんだけど、また日を改めてね。とりあえずは、お帰りなさい。
ts
お帰りなさい、ギシュクラ様 早速ですが、私は以前ラコーツィの自由戦争について質問した者です。お勧めの書、 「Ferenc II Rakoczi and the Great Powers」 William B Slottman を米国から取り寄せました。 が、英語力がペケな為、とても全てには目を通せません。 自由戦争の経過について具体的な記述がある部分を教えて下さい。 (例:324Pの真中辺に、Trentschinでの敗戦について) 場所さえ指示して頂ければ、後は辞書とにらめっこします。 よろしくお願いいたします。m(_ _)m
ホシュ
471 :
世界@名無史さん :2006/10/20(金) 09:24:42 0
アンダーソンの『ハンガリー1956』、南塚さんの監修で新訳が出たんだね。 旧約は中核派の人が訳していた。
472 :
世界@名無史さん :2006/10/21(土) 15:51:47 0
昨日でハンガリー''動乱''(現地は革命)から50年なのに、書き込み少ない・・・ イギリス辺りは、uprising→revolutionみたいに言い方を変えているみたい 今では、ソヴィエトに対する抵抗・民主化運動っていうのでほぼ一致している気がするけど 当時は、どういう評価だったんだろう プラハの春とか連帯に比べて、今でもあまり聞かない気がするのは 古すぎるのか、情報が少ないせいか・・・
474 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 12:03:02 0
ハンガリー、昨日もまたやってくれたな!極右の全国大暴動だ! 映像見るとみんなスキンヘッドだぜ この国は間違いなくナチ化するな マジャール対ヨーロッパとの戦争だ! ユダヤ皆殺しだな
475 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 12:13:44 0
アヒャヒャ、暴徒が戦車乗り回してるよ
>>473 日本で当時どっかの大学教授が、「世界」かなんかで
「ハンガリー人は田舎者の百姓で民度が低いから西側に煽られて共産主義に反抗なんて
馬鹿なまねをする(日本はそうではない〜という含みが入っている)」
みたいなことを書いてたのを読んだ覚えがある。
477 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 14:03:00 0
>>474 マジャール・ラジオ、クラシック系のバルトークラジオを
ネットラジオで聞いているのですが、プログラム的に
ユダヤから金銭的な支援が入っているのかと疑うときがあります
まあ、比較的高音質で、しかもオンデマンドで聞いたりダウンロードできるので
ものすごく便利ですが・・・
いまBSでハンガリーの衝突を特集してる。 こりゃあいつクーデターが起こってもおかしくない雰囲気だな。
>>478 >ユダヤから金銭的な支援が入っているのかと疑うときがあります
だから余計にハンガリー人はイライラしてるんだろうな
フィデス万歳、俺達からカネを奪うユダヤと中国人を殺せ、っていう雰囲気だな 外務省を信じた馬鹿な日本人観光客も殺されるかもな 楽しみだw
483 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 22:53:23 0
T−34が暴れてると聞いたが
485 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 23:27:56 0
>>482 フィデスが政権を取れば、即座にEUと国連を脱退して、スロバキアを併合し、
ルーマニアからトランシルバニアを奪還して、大ハンガリーを復活させる。
フィデス頑張れ!
486 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 23:45:11 0
>485 いくらフィデスがアホでも、そんな真似はできまいよ。 大体、ハンガリー軍の装備がいかに劣悪か知っての発言ですか?
>>486 ネタに決まってるじゃないですかw
もし右派が政権とっただけでそんなことになるのなら、今頃ポーランドは
ウクライナに攻め込んで大ポーランドの復興をw
ロシア製ってだけでみんな反応してますが、どう見てもコシュートの紋章がついてませんかこれ。 1956年の蜂起軍側についたハンガリー軍の戦車って設定でしょうに…
◇デモ衝突の負傷者70人に ハンガリー、騒動拡大
(画像)23日、ハンガリー動乱50年のブダペストで、展示場所から奪われたロシア製戦車の上に乗るなどして
警官隊と衝突するデモ隊(AP=共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/img/2006102401000200.jpg 【ブダペスト24日共同】
ハンガリー動乱から50年の23日、同国の首都ブダペスト中心部で起きた極右グループなどを含む
数千人規模の反政府デモ隊と警官隊の衝突による負傷者は少なくとも70人になった。
デモ隊の一部は暴徒化するなど、騒動は24日未明まで続いた。
同国では、社会党のジュルチャーニ首相が経済政策などで国民を欺いてきたと自ら発言したのをきっかけに、
9月から首相辞任を求める反政府デモが続いていた。
23日は動乱を鎮圧した側の旧共産政党の後継である社会党が記念式典の主催者となったことで
デモ隊側に反感が強く、騒動が拡大した形となった。
暴徒化したデモ隊の一部は社会党事務所に火炎瓶を投げ入れるなどした。
観光客にも人気のエリザベート橋近くではデモ隊が建築資材や鉄柵などでバリケードを築き、
24日未明まで数百人が警官隊とにらみ合った。
ソース:東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006102401000174.html
>>487 右派とは言ってもポーランドのはカトリックの右派で、ハンガリーのフィデスはハンガリー版ナチスだから、一緒くたにはできないよ。
ハンガリー人は大ハンガリー復興を狙っているにちがいない。
そういや戦時中の矢十字党はゲルマン人、マジャール人、日本人が 支配的人種だといってたらしいが、ナチズムとトゥラン主義の折衷なのかな。
492 :
村松 :2006/10/27(金) 17:42:10 0
イシュトヴァーン聖王冠のクロスは何故曲がっているのですか? どうして治さないのですか? お教え下さい。
【ハンガリー】アウディの投資凍結−ハンガリー投資は危険 ジュルチャー二首相が「うそをついていた」と語ったテープが流出し、暴動騒ぎが起きてから約1カ月。 政局は不安定な状態が続くが、経済界は今のところ様子見を決め込んでいる。 そうした中、独高級車メーカーのアウディが新たに導入された「連帯税」に反発し、 追加投資を凍結する考えを明らかにした。【在ハンガリー・鷲尾亜子】 ハンガリー動乱から50周年を迎えた23日の革命記念日には、国内の至る所で大小の式典が催された。 だがブダペストでは首相の退陣を要求する極右や 最大野党の青年民主連盟・ハンガリー市民連盟(FIDESZ-MPSZ、以下FIDESZ)の支持者らが警官隊と衝突。 ゴム弾や催涙ガスが飛び交うなど、市内は異様な雰囲気に包まれた。 事態が収拾したのは真夜中を過ぎてから。 ただ街に残された大量のごみや破損物は驚くべき速さで片付けられ、朝のラッシュアワーまでにはほぼ正常な状態に戻った。 通貨フォリントやブダペスト証券取引所の主要指数BUXは寄り付きで下げたものの、 午後に中銀のハンガリー国立銀行(MNB)が利上げを発表したことも手伝い、すぐに反発した。 ハンガリー動乱以降で最も激しいといわれる警官隊との衝突が約1カ月も繰り返されたにもかかわらず、 現在のところ国内経済への深刻な影響は出ていない。 多少なりとも直接的な打撃を受けているのは観光産業くらいで、営業をストップしたり、進出を再考したり、撤退を決めた企業はない。 (つぎに続く)
(前の続き) ■連帯税 既にハンガリーに進出済みの多国籍企業の中で、唯一このタイミングで投資凍結を明らかにしたのがアウディだ。 同社は先に10億ユーロ余りを投じ、2010年までに年産能力を5万台強に引き上げる方針を打ち出していた。 1994年に操業を開始したアウディの現地法人は今や国内最大の輸出企業の1つ。 スポーツカー「TT」やエンジンを手掛ける北西部ジェール(Gyor)の工場では5,200人を雇用し、 これまでの投資額は年平均2億5,000万ユーロに上る。 今回の決定は政情不安が理由ではなく、財政均衡計画の一環として9月1日に導入された「連帯税」が直接の引き金だ。 この新税の税率は4%で、16%の法人税に上乗せされる形となる。 アウディはそもそもFIDESZ政権時代に、2011年までの10年間の法人税免除を約束されていた(当時の税率は18%)。 ハンガリーは欧州連合(EU)との加盟交渉の際、それまで投資優遇策の目玉だった 「大型案件への最長10年の法人税免除」の撤廃を求められた。 政府は当初、2011年までこの制度を維持する構えだったが、 (1)2000年1月1日までに実施された案件については、2005年まで投資総額の75%を限度に法人税を減免 (2)それ以降2002年末までに実施された案件については、50%を限度に法人税を減免 ――とすることで譲歩した。 しかしこれでは免税対象となっていた企業が引き続き恩恵を受けることが不可能になるため、 有力な外資系と個別に非公式な交渉を行い、何らかの形で不足分をカバーする措置を講じたといわれている。 (次に続く)
(前の続き)
アウディの現法社長は日刊紙ネープサバチャーグの取材に対し、
「真の問題は連帯税の規模ではなく、一度政府が約束した免税措置が履行されなくなることだ」とコメント。
政府の姿勢の一貫性や信頼性が問われているとしている。
また現在この問題をめぐって交渉中なのを認め、「適切な形で解決することを望む」と述べている。
免税措置を受けている企業で、連帯税の支払いを拒否する姿勢を見せている企業は今のところアウディ以外にない。
仮に同社が連帯税を免除されたにしても税収に与える影響は微々たるものだが、他社が黙ってはいないだろう。
「多国籍企業ばかり優先する」と批判するFIDESZに格好の攻撃の材料を与えることになるだけでなく、モラルハザードが起きる可能性もある。
産業界や市場は、ジュルチャーニ政権が改革の手綱を緩めず実行するという前提で見守っている段階だ。
このためいったん一企業に譲歩すれば、他にも影響が及ぶのではと不信を招く結果となろう。
政府がアウディにどう対処していくか、注目されるところだ。
http://nna.asia.ne.jp.edgesuite.net/free/cee/cee_zoomin/001_100/0045.html
マジャル人は気性の激しい人が多いからね これは政治問題だから民族性だけで語るとは御法度だけど とにかく喜怒哀楽が激しい 関係ないけど、ショプロンとジェールにはブダペスト よりも色白・金髪の人が多かった スラヴ系?と思ったらマジャル系だった よく観察すると鼻や顔の輪郭はスラヴとは違ったw 北西部はモンゴル進入やオスマンの支配を被らなかった からかな?(ジェールは4年間ぐらいオスマンに占領されたが)
平地ルーマニアよりはテュルク・モンゴルの影響は少ないでしょうな
>マジャール・ラジオ 主なスポンサーはドイツ資本のマジャルテレコムだよ。 その中にユダヤ人がどれくらい居るかは知らないけど。 ていうか、ユダヤ資本が全く入ってないものなんてそっちのが少ないだろうに、 まったくハンガリー人は潔癖症ですね。
ワァ・・・ロシア並にDQNが増殖してるのね。 一昨年、SPでホモジジィに犯された友達を思い出すわ・・・
温泉は下調べしとかないと、何やら"生温かい"人が近寄ってきてヤバイおw
サヨナラプシュカシュ・・・・
コンチワプシュカシュ・・・・
ホシュホシュホシュ
ギシュクラはんは、ほんまにどないなってもうたんや?
507 :
世界@名無史さん :2006/12/12(火) 00:49:05 O
なんで自殺者と成人病ばっかりなのこの国?
ネタをパクられるのがイヤになってしまったのかな?
509 :
世界@名無史さん :2006/12/18(月) 22:15:23 0
しかも、大帝陛下も見かけないよう・・・
他に詳しい人がいないわけでもあるまいに・・。 誰か書いてよ。
506 :世界@名無史さん :2006/12/10(日) 21:50:02 0 ギシュクラはんは、ほんまにどないなってもうたんや? 507 :世界@名無史さん :2006/12/12(火) 00:49:05 O なんで自殺者と成人病ばっかりなのこの国?
終了
ギシュクラさん、なにとぞ近況をお知らせくださいませ。
ホシュクラ
515 :
世界@名無史さん :2007/01/03(水) 14:05:42 0
アジア系はフン族で フン族の国=フンガリ=ハンガリーって聞いた。 フィンランドも。 でもハンガリーもフィンランドも、今は白人の国。 ジプシー=ロマの人達は インドの辺りからヨーロッパに移住してきた人達って聞いた。
517 :
世界@名無史さん :2007/01/03(水) 14:14:00 0
即レスありがとう 今は白人の国ってことはアジア系の血は薄まっちゃったということなのか。残念
>>516 お前いつもの奴だろ。
>フン族の国=フンガリ=ハンガリーって聞いた。
こういう嘘を広めようとする意図は何だ?
マジャール人にフン族末裔伝承があるのは事実だが、これは
後世の付会に過ぎないぞ。
名称の起源でいえば、ハンガリー←オノグル≠フンだ。
519 :
世界@名無史さん :2007/01/03(水) 22:33:58 0
フィンランドもな。 この俗説広まりすぎ。
520 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 00:43:57 0
やっぱり白人じゃないから、ヨーロッパじゃ、差別されてんの?
521 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 00:45:48 0
やっぱり白人じゃないから、ヨーロッパじゃ、差別されてんの?
522 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 00:46:27 0
やっぱり白人じゃないから、ヨーロッパじゃ、差別されてんの?。
523 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 00:57:52 0
>>517 >今は白人の国ってことはアジア系の血は薄まっちゃったということなのか。残念
最初から白人ベースだったと思われる。
Gm血液型遺伝子から見れば、北方モンゴロイドの標識遺伝子である黄色のab3stは、
北ヨーロッパの森林ラップの4%がヨーロッパ人の最高値で、チェコ、スロバキア、
ルーマニア、ハンガリー、ジプシー、スペイン・カタロニア、ポルトガルなどで
極めて低い頻度であるが、この遺伝子が持ち込まれている。これならイラン人のほうが
ずっとモンゴロイドの遺伝子は濃い。そしてフィンランド人からは検出されない。
因みに、北方モンゴロイド特有の酒が飲めない下戸遺伝子は
日本人 44%
ハンガリー人 2%
フィン人 0%
トルコ人 0%
『科学朝日』 モンゴロイドの道 朝日選書 (523)
遺伝子の系統を見てもフィンランド人はゲルマン人と近縁です。
http://www.goodrumj.com/Tree-1.jpg ハンガリー人やフィンランド人のフン族子孫説などとうに破綻しているのだ。
525 :
世界@名無史さん :2007/01/05(金) 01:09:41 0
思いっきり白人の国だから差別はない。
ジプシーが多い≠ジプシーが多数派 ではないからね。 >最初から白人ベースだったと思われる。 定住前の人種構成は、指導者がモンゴロイド、奴隷がコーカソイドだったが、 次第に混ざっていったと言う説もあったような。 結果的には、集団全体としては白人ベースと言ってもいいのかもね。
ハンガリー人とジプシーはとりあえず別の民族。 ジプシーはヨーロッパのどこでも差別されてきたし ハンガリーでも差別されてきた。
ただ、今のハンガリー人はどういう民族なのか、という問題はあるよな。 ゲルマン・スラヴはもちろんのこと、トルコの血もいくらか混ざってるしね。 言語も色々周囲からの影響受けてるし。
529 :
世界@名無史さん :2007/01/12(金) 11:46:04 0
今のハンガリーの地に元々住んでいた人々はマジャール人に同化されたのですか? それとも追い出された?
>>527 かなり混血していると思う。
>>528 風貌からすると、地域差はあれど、ハンガリー人は黒髪で浅黒く、満月のようなまん丸の顔。
>>529 マジャールが来る直前にパンノニア盆地に住んでいたのはスラブ人で、マジャールに同化した。
それ以前のアヴァールを吸収したスラブ人だろう。
だが、ハンガリーでは西や北に行くほどヨーロッパ人風の白っぽい風貌になる。
ブルガリアでは逆に支配層のブルガール族が言語までスラヴ人に同化されてしまったが どこでそういう差がついたんだろうか。 マジャールも遊牧民族である以上数は多くなかったと思うが。
>>531 数は相対的なものだが、もともとパンノニアのスラブ人の数はそう多くなかった。
乾燥した草原(プシュタ)が農耕に適さず、
森林の民であり農耕民であるスラブ人はパンノニア全体では西や北に集中していた。
逆に遊牧民だったマジャール人にとってはプシュタが理想の土地だった。
また、9世紀にヨーロッパに侵入したマジャール人はかなりの数に膨れ上がっていて、
ヨーロッパを荒らしまわっていたので、決して少なかったわけではない。
533 :
世界@名無史さん :2007/01/12(金) 20:28:40 0
534 :
世界@名無史さん :2007/01/12(金) 20:40:30 0
535 :
世界@名無史さん :2007/01/12(金) 20:41:53 0
R1aとR1bの組成から判断して、スラブ人とゲルマン人が近縁であることは明らか。
536 :
世界@名無史さん :2007/01/12(金) 21:41:31 0
アッティラって朝青龍みたいなモンゴル顔だったの? それとも白人顔のイケメンだったの?
>>536 アッティラはハンガリーとは直接関係はないよ。
>>530 >風貌からすると、地域差はあれど、ハンガリー人は黒髪で浅黒く、満月のようなまん丸の顔。
それはロマだと思ってた。
トランシルヴァニアに住む、ロマのビデオを見た事あるけど、そういう感じだったし。
黒髪で浅黒って今のブダペストじゃそれほど見掛けないし、むしろ、いわゆる白人と言った風貌の人間が多いから、
今のハンガリー人って一体何だろう?という疑問が沸くんだけど。
(ブダペストに住むのはハンガリー人じゃないというならともかく)
マジャル人とその他の民族の混血は"ない"と言う方がおかしいと思うけど、
ロマはその一つに過ぎないと思うなあ。
539 :
世界@名無史さん :2007/01/20(土) 01:46:29 0
>最初から白人ベースだったと思われる マジャール人の定住当時の遺跡から発掘される人骨はどうなんだろうか?
マーンドキ・ラースロー
>>539 マジャールは丸顔で短頭。
マジャール定住後周囲のスラブ民族が急激に短頭化していったことが分かっている。
マジャールとの混血によるものと思われる。
>>539 マジャール人はムー起源だよ。
ハンガリー人が言ってるんだから間違いない。
http://hu.wikipedia.org/wiki/Magyar_%C5%91st%C3%B6rt%C3%A9net "...Az elsüllyedt földrészt Csicsáky szerint Munak, Anyának, Földanyának stb. hívták.
Lakói a magyák (=magyarok) tanították meg a népeket nyelvre, írásra és emberi életre.
Elmélete szerint magyák egy része Muból Amerikába költözött és nyelvük feltűnően egyezik
a magyarral. A magyák többi ága pedig a Föld többi részén szóródott szét...."
>>544 じゃあ日ユ同祖論は
日本人とユダヤ人が主張してるから間違いないんだな
546 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 20:51:27 0
>>541 短頭化現象は東ヨーロッパに限ったことではなく、
日本でも起こっていて、日本人も鎌倉時代は現在のイギリス人以上に長頭だった。
その後に700年間ほど短頭化現象が続き、明治時代までは中頭で、
現代のような短頭になったのは20世紀に入ってからです。
そもそも微々たる混血ぐらいでは頭の形までは変わりません。
遺伝子を見ればハンガリー人よりイラン人のほうが蒙古系の血は濃いが
イラン人は長頭だしね。
547 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 20:54:14 0
マジャール人やフィン人を”アジア人”とする傾向は、19世紀半ばに、 それぞれオーストリアとロシアから独立する民族運動の過程で、 アイデンティティーを”アジア”に求めたからだと言われています
私がハンガリーへ行ったときは、ものすごく彫りが深くて正面が細くて横顔が長い人が たっくさんいたけどなあ。 目が思い切りくぼんで、鼻がツーーン!と高くて。 その後ウィーンへ行ったらハンガリーの人より彫りが浅いぐらいでした。
549 :
544=ねこだいすき :2007/01/22(月) 00:31:13 0
>547 いや、だから遺跡から出てきた遺骨について聞きたいのだけど・・・。
>>546 541による解釈を踏まえると、日本人が短頭化したのは
マジャール人が日本に来ていた証拠ではあるまいか。
つまり、マジャール人と日本人は近親性があるのである。
>>550 定住前は考慮外?
まあ、定住ルートすら確かな証拠がないようだけど。
まあ、ベースが白人とか言われるのも、現時点であまりに白人化してるからなんだろうな。
ペシュトとペストって関係ないよね?
555 :
世界@名無史さん :2007/02/16(金) 21:00:43 0
12世紀にカルパチア山地から追放されたドイツ騎士団が 15世紀に再び入植してたのを初めて知りました。 侵入してきたトルコ軍に壊滅させられたようですが。
フニャディ・ヤーノシュはイタリアで傭兵隊長やってたそうだけど イタリアで傭兵隊長といえばミラノ大公になったフランシスコ・スフォルツァがほぼ同時代人だったり 天国で顔あわせたら「大公?ウチなんか王様だぜ(一代きりだけど)」なんて言ってそうだ。
ギシュクラ殿、今いずこに・・・?
ずっと人大杉で読むこともできず、書き込みもできず・・。 >555 どのあたりに入植していたのですか? ジギスムントがドイツ騎士団と親しいのを嫌われて奥方のマリアが ポーランド王位につきそこねたぐらいですから、ジギスムント王の 時代でしょうか? >556 ミラノのフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティの下でヴェニスとの戦いに参加していました。 期間は1431年秋〜34年1月の約2年間ほどで、傭兵稼業というよりも、ジギスムント王 が研修に派遣したという感じでしょう。 ジギスムントがローマで皇帝の戴冠式を行った後、彼のお供をしてバーゼルに行って、そ の後はイタリアと縁が切れてます。 想像ですが、たぶん、スフォルツァとは面識があったのじゃないでしょうか。
559 :
世界@名無史さん :2007/02/26(月) 02:34:56 0
『人大杉』の画面に、専用ブラウザ(無料)へのリンクがあります。
それを使えばアクセスでき、読み書きも可能です。
ただ、先ほどそれで書き込もうとしたら、どうしても出来ず、
IEで開いたら久々に普通に見れた、という次第。どうもよく解りません。
ちなみにギシュクラ様、私は
>>469 の質問をした者ですが、
どうぞお暇な時で結構ですので、お時間を割いて頂ければ幸いです。
よろしくご教示のほど、お願いいたします。<(_ _)>
560 :
世界@名無史さん :2007/02/26(月) 13:05:57 0
>>558 ジギスムント王の時代で、1429年から1434年の間
ドナウ川の「鉄門」の近く、Szorenyvarというあたりにいたそうです。
Szorenyvarはセヴェリンともいうらしいですが
ワラキア公国の発祥の地もたしかその辺だったかな?
>>558 2chの壷かFirefox+bbs2chreaderをお勧めします。
普段のIEと同じ感覚(壷はIE拡張)で見られて人大杉はまず消えますよ。
564 :
世界@名無史さん :2007/03/08(木) 01:04:29 0
あげ
565 :
世界@名無史さん :2007/03/08(木) 15:07:35 0
>565 アンジュ―家のカーロイ・ローベルト王の肖像ですね。 この画は息子のラヨシュ1世が作らせた、ケーペシュ・クロニカ(彩色 年代記)の画です。確かにバランスがおかしいですが・・・ラヨシュ1 世の肖像画はもっと酷いですよ・・・。 個人的にケーペシュクロニカの画は色が美しいので好きです。
567 :
世界@名無史さん :2007/03/10(土) 04:13:23 0
>>566 英語版に、国章があるけど、その左半分が悪名高い赤白のストライプ(アールパード旗)だよね。
なんでコレがナショナリストのシンボルになったのか、個人的には興味ある。
568 :
世界@名無史さん :2007/03/10(土) 04:23:46 0
ていうか、ギシュクラ殿、ウィキペディアのハンガリー関連項目の拡充やりませんか?
>567 え!アールパード家の紋章って悪名高いのですか? ナショナリストのシンボルとはいつの時代のでしょう。 >568 私のような素人の出る幕ではないですよ。
>570 左の3つの丘がタトラ・ファトラ・マトラという山だそうで。 タトラは今のスロバキアですが、残りの2つは何処なのでしょうか。 因みに、アールパード家の紋章がなんで悪名高いのか・・興味津津な のですが・・。
あー、悪名高いのは赤白ストライプの部分で、紋章とは関係ないです。多分。 自分もなんでかは良く知らないんだけど、去年の10月23日のT34祭の時、 デモ隊とか、その辺の野次馬が赤白ストライプの旗を振ってたのが、 その時の動画とか報道写真でも見れると思いますよ。
>572 マートラでしたか。地図で確認いたしました。 >573 T34祭りは友人の家の道路でも開催されました。 しかし、デモ隊の連中にT34を操縦できる奴がいたのが驚き・・・。 確かに、赤白のストライプの旗もありましたし、あと国家紋章の入った 国旗を振ってる人が多くいて、どこぞの新聞にナショナリズムが云々と かかれていました。 正式の国旗は紋章なしのはずなのですが、往々にして国の機関に掲げら れている国旗は紋章付であるようですね。
そういえば自由橋って橋の側面にクロアチアやトランシルバニアの紋章付きのハンガリー紋章が 堂々と掲げられてるのを本で見たけどああいうのは別にいいのかな。
あれは作られた当時のものですから。 王宮に上がるケーブルカーの乗り場の横手にも大きな紋章があります。ほかでも 国会議事堂の外壁にもかつての領土の紋章を見ることができますし、建物内部の 装飾の画でも今はスロバキアになったオラヴァ城、ルーマニアになったフネドワ ラ城の画が飾られています。
>>574 ふと思い立ったんだけど、矢十字党の旗も確か、赤白ストライプ付きだったような。
悪名の起源は、そのくらい遡るのかもしれませんね。
確かに正式な旗は紋章なしだけど、どっちを使っても良かったはず。
極東の某国なんて制定された国旗がついこの間まで存在しなかったんだし、
細かい事は気にしないでいいんじゃないんでしょうか。
ところで、徴兵された兵士も戦車兵になれるのか、ちょっと疑問なんですが。
今日は(1番有名な)独立戦争の159周年記念日ですよ。 ただ、記念日に備えて自宅でモロトフカクテル製造したり、 武器を集めてた奴らが検挙されたそうな。 折角の記念日に水を差すような真似をするなんて、 今ペテーフィが生きていたらなんと思うだろうか… 案外、喜び勇んでデモやってそうな気もするなあorz
ブダペストでよく宿泊するピルバックス・パンジョーというホテルが、 ペテーフィ達がたむろしていたカフェ・ピルバックスのあった場所な のですね。1階の食堂に独立戦争当時の武器なんかが展示されています。 いや、ペテーフィは見境なく暴れるような輩とは一線を画してるのでは ないですか。と、私としては思いたいところです。 彼の友人の数学者で軍人のボヤイ・ヤノシュは決闘マニアだったようですが・・。
例のアールパード旗と呼ばれる赤白の旗についてです。 ハンガリー在住の友人に聞いたら、暴徒の類がアールパード旗を振り回している のを見かけるとのこと。首相?も旗について演説で言及したそうです。 最近まで、あんな旗見たことがなかったのですが・・いつから使われだしたの でしょうね。
でも、ペテーフィって、英雄扱いを受けてるけど、かなり アナーキーな人物だったように思える。 3月15日あたりは、派手なパフォーマンスで人気を集めたけど、 その後は強硬な政権批判を繰り返して評判を落としているし。 (選挙に立候補したけど落選した) 今のハンガリーの暴動だって、本人たちはまあ良かれと思って 馬鹿騒ぎしてるんだろうし、ありえなくもない、と思う。
首相、赤白旗を禁止するとか言ってたような、言わなかったような。 赤白期ではないけど、三色旗を、泥酔したホームレス(らしき身なりの人物)が 大事そうに体に巻きつけてデモの場所へ向かっていたのは見たことあるよ。 大っぴらにデモで使われるようになったのは体制転換後からじゃないかと思うけど、 旗と民族主義?との結びつきそのものは第二次世界大戦以前からも あったのではないかと。
ハンガリーの特産品って何?
パプリカとかワインとか。
ワインはフランスのが有名だし、ハンガリーじゃなくちゃって物がない
トカイワインがあるだろ。
国旗も特徴がないね
おいおい、三色旗なんてみんなあんなもんじゃないか。
589 :
世界@名無史さん :2007/04/05(木) 02:58:24 0
まだ、フィンランド人やハンガリー人が モンゴロイドとか言ってるバカがいるのか? そもそもフン族からして コーカソイド説が有力になってきてるんだが。
誰もそんなことかいてないのに突然何を・・・
591 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 07:15:39 0
あげ ラコーツィの自由戦争期の話は、おそらく地元のハンガリーでは 綿密に調査研究し尽くされてるのだろうけど、その文献の英訳でもいいから、 どこかで手に入らないものか。のどから手が出るほどに欲スい。 「Ferenc II Rakoczi and the Great Powers」 William B Slottman は購入したものの、残念ながら各戦闘の詳細に欠けている。 耳寄りな情報をお持ちの方、どうぞ紹介してくりさい。
592 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 19:29:41 0
>583 誰もフォアグラをあげないのは何故?
593 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 05:17:47 0
『Letters from Turkey』副題が:Chamberlain of the Last Prince of Transylvania この洋書、メチャ高いんですわ。 amazonだと25000円以上。ebayの書店でも2万以上掛かります。 東京都内でこれを置いてる図書館が無いか、手当たり次第に検索してみましたが、 どうも見当たりません。 もし見かけた方がいらっしゃいましたら、どうぞ教えてください。 ちなみに、ギシュクラ様は目を通されたことございますか? どういう感じの内容でしょう? 知りたいのは、自由戦争の個々の戦闘とか、具体的な事です。 よろしくお願いいたします。
595 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 06:58:44 0
>>594 うわ〜っ、あじがとうごじゃります! まさかレスあると思わんかった。
しかもこんな超早く。
それはまさしく目指している物です。
かくなる上は、明治学院大学にどうやって潜入するかだ・・・
さげ
ヨーナポット!キヴァノク!
598 :
世界@名無史さん :2007/05/02(水) 19:19:52 0
パリ生まれだって。親父さんは1944年に赤軍からずらかってドイツ経由でパリに行ったとか。
600get!
母親はギリシアのユダヤ系だっけか。
チョチョリーナがハンガリー出身と聞いた時は驚いた
603 :
世界@名無史さん :2007/05/07(月) 21:52:02 O
世界で三番目ぐらいにセックル好きな民族だから
604 :
世界@名無史さん :2007/05/10(木) 10:28:41 O
デブと自殺と生活習慣病が異様に多いのは何でなんだろう
605 :
世界@名無史さん :2007/05/12(土) 10:51:45 O
606 :
世界@名無史さん :2007/05/12(土) 20:33:06 0
皆さんハンガリーの名門、貴族の名前を、知ってる限り挙げてください
607 :
世界@名無史さん :2007/05/21(月) 01:19:02 0
ギシュクラ・ヤーノシュ 革命で殺されたという話だが
革命なんて起こってないしw
609 :
世界@名無史さん :2007/05/26(土) 20:36:08 0
実在の人物の話か? であれば、老衰か病死かわからんが、殺されてはいないだろうて。
610 :
世界@名無史さん :2007/05/30(水) 21:22:39 0
612 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 22:36:02 0
ギシュクラさんや〜い
>611 ハンガリーが勝ちましたね
>591 ラーコーツィ戦争に関する資料をまだ見つけられません。 「スピリット・オブ・ハンガリー」とかに簡単な伝記はあるんですが、 戦闘の詳細というのは見つけられません。多分、ハンガリー語の本は あるのでしょうが・・・。
ホシュクラ
いやんノッシュ
ホルティ提督ってハンガリー国内での評価はどうなんでしょうか? ハンガリーが民主化した後にホルティの遺体が故郷に移されたという話だけ聞くと、 ヒトラーやムッソリーニ、アントネスクにサーラシ等とは違って評価はそんなに酷くない様に思えるのですが。 まぁ、ハンガリー国内でも左派や右派、老人と若者とかで評価は様々でしょうが。
618 :
世界@名無史さん :2007/07/10(火) 09:33:54 0
ヨーナポット キヴァノック
ホルティ提督ですか。 評判が良いとも聞きませんが、博物館の売店で肖像画の絵葉書が 普通に売られているぐらいなので、国として忌むべき人物とは思 われていないのではないでしょうか。
620 :
世界@名無史さん :2007/07/16(月) 16:41:34 0
まあ、共産主義時代にはまったく評価されなかっただろうけど。
ホルティ通りは改称されちゃったし(今のバルトーク通り)
今もまだ、国の上の方にはそういうイデオロギーを抱えてる人間がわんさかいるし、
この間も元首相がハンガリー動乱時の対応を正当化する発言をして揉めてたりするし。
>>617 ヒトラーやサーラシなんかと比べると穏健な側だったからというのもあるのでは?
独裁者でひとくくりには出来ないと思いますよ。
>>619 ちなみにあの頃が1番よかったと回想されることもあるようです。
(これもこれで偏った見方でしょうが)
621 :
世界@名無史さん :2007/07/16(月) 17:11:18 0
ホルティは共産主義者を倒して王政を復活し、ハンガリー王国摂政になった。 しかし、肝心のカール1世のハンガリー王復位を妨害したのは、理解に苦しむ。
622 :
世界@名無史さん :2007/07/16(月) 17:17:56 0
ハンガリーの元宗主国オーストリアがでてくるゲームっす、遊びながら学んでみましょう!
とりあえず無料なんで コサックス やってみてちょ
歴史SIMゲーム好きにはたまらん作品かも ボロPC ノートPCでも可動するし・・・
公式 ホームページ
http://cossacks.zoo.co.jp/download_manual.html ダウンロードするファイルは 日本語体験版1.15
58 :ゲーム好き名無しさん:2007/07/16(月) 11:45:15 ID:6FhXvgUD0
性能の高いPCはゲーム始めるとすぐにF12でオプション開いてゲームスピード落とさないと多分、操作難
>620 ホルティ時代を懐かしむ人もいるんですねぇ・・・。 未だに、二重帝国時代の失われた領土の地図が、小学校に掲示してある のは見たことがありまして、旧帝国の時代を懐かしむという雰囲気はあ るのかなと思ってましたが、ホルティ時代というのは少々意外でした。 ホルティ自身は、ファシストというより、貴族趣味なんでしょうね。 勝手に勇爵なんて称号を作ってみたり、王のいない王国の摂政、海の無 い国の海軍提督を名乗っていたわけですから。 >621 国を我が手にという、野心があったのでしょう。 彼自身は先帝のフランツ・ヨーゼフ2世を深く尊敬しており、 何かあった折は「帝ならどうなさるであろうか。」と考えた そうです。 そう思うと、非常に矛盾ですが、それが人というものなので しょう。 第二次大戦後、スペインに亡命した提督は、死期を悟ると、カール帝の 息子のオットー氏に来駕を乞い、彼に謝罪したそうです。 彼は「何時の日にか、再びドナウ帝国にハプスブルク家の若き君主が君 臨する日が来るのが見たい。」と言っていたとか。 友人からもらった雑誌の切り抜きが、所在不明なので、ソースが不明で、 あいまいな記憶で書いていますから、間違っていたらご容赦ください。
ホルティは二重帝国時代に海軍に入隊して第1次世界大戦のオトランテの海戦で 戦功を挙げ提督に昇進したのではないでしょうか あと亡命先はスイス経由のポルトガルでは? ハンガリーで根っからのファシストはホルティよりはゲンベシュやサーラシが当 てはまるでしょうね
625 :
世界@名無史さん :2007/07/17(火) 20:18:20 0
ホルティにしてもフランコにしても、権力掌握後に国家体制を「王国」に戻しても、 生身の王様は復帰させず、「王なき王国」の独裁者だった。 君主制的な権威主義的支配は復活させても、自分の上に本物の王様が君臨するのは、 やっぱりイヤだったんだな。
626 :
世界@名無史さん :2007/07/18(水) 01:55:10 O
今の天皇家やイギリス王室みたいな厄介なお家騒動や跡取り問題は発生せず、 かといってナチスみたいな新興宗教的な権威体制ではない 統治体制としては最良じゃないか
627 :
世界@名無史さん :2007/07/18(水) 07:44:13 0
>>625 ハンガリーの場合は、あくまでも王国としてのハンガリーに旧領が結び付けられていたから、
そういう点もあるんじゃないの。
>>626 むしろ独裁体制の方が、後継者選びが難しい。
ハンガリーはややこしい事になる前に体制そのものが壊れちゃったからね。
628 :
世界@名無史さん :2007/07/18(水) 20:42:29 0
権威主義的な保守的支配という点ではポルトガルのサラザール体制と同じようなものか。
ハプスブルク帝国の説明が、ハンガリーの人口が多かったからで纏めてるのが・・・ wikipも適当だな。
630 :
世界@名無史さん :2007/07/24(火) 13:21:03 0
ラコーツィの解放戦争の資料を捜している者ですが、 英語や日本語で出版されているものは、数が限られております。 御国では日本の御三家(信、秀、家)ほどにメジャーで、研究本や資料が いくつも出版さているはずですが、私はハンガリー語はできません。 ならば、ドラマや映画が手に入らないものかと。 もちろん会話は理解できませんが、時代の流れは資料から大体把握してるので、 どういう場面かは判るかと。 映像は時代考証を入れて作られているはずで、文字から情景を思い浮かべるより、 よほど参考になると思うのです。 直接ハンガリーに行けばいいのでしょうが、残念ながらそのお金も暇もありません。 日本でそういう品を入手する、良いお知恵がございましたら、どうぞご教示ください。 よろしくお願い致します。
映画は古いモノクロの作品があるようです。 ロックオペラの「国王イシュトヴァーン」の中でタルトーシュ(予言者) が未来を幻視する場面で、映像が使われている(他にモハーチの戦い、 ドージャの乱、コッシュートの独立戦争の映画のワンシーンが使われて います。)ので、映画が存在するということがわかりますが、題名もわか りませんし、DVDがあるかもわかりません。 最近、三田のハンガリー大使館にビデオライブラリーが出来たそうですの で、お訪ねになってみてはいかがでしょうか。 入手については、ハンガリーで探すしかないと思います。私もアマゾンと かで探してみましたが、結局、現地の友人に頼んだり、出かけた際に購入 したりという方法でしか入手できませんでした。 あと、ハンガリーのビデオ・DVDともPAL規格なので、日本の規格と は異なるため、そのままでは見られません。
632 :
世界@名無史さん :2007/07/29(日) 21:12:30 0
タルトーシュってどんな姿してるんでしょうか。 ざんばら髪に杖、とか勝手に予想してみる。
633 :
630 :2007/07/30(月) 14:47:11 0
ギシュクラ様
ありがとうございます。そうですか、やはり映像は現地入手が一番という事で。
『ハンガリー1000年王国』という、おそらく旅行のための本で、シュメグ城が、
ラコーツィ軍の拠点の一つとなった事が紹介されていました。
ハプスブルク軍に攻められても不落だったけれど、兵糧攻めにあって落ちた事。
拠点として使えぬよう徹底的に破壊され、シュメグの街にも火を掛けられた事。
などが書いてありましたが、年代が書いてないので、Wikiで検索し、
http://de.wikipedia.org/wiki/Burg_S%C3%BCmeg をネットのドイツ語翻訳にかけたところ、反乱軍占領の年は不明でしたが、
落城の年は1709年と判明しました。
ところが
http://www.hungarytabi.jp/stepbystep/sbscduna.html で見ると、『もっとも保存状態の良い城で知られるシュメグ城』とあるので、
ちと訳が解らないです。
この様に、自由戦争の個々の戦闘に関しては、偶然に頼って見つけている、
手探りの状態です。皆様も何か良い情報をご存知なら、どうぞご教示ください。
よろしくお願い致します。
634 :
630 :2007/07/30(月) 18:07:49 0
ミシュコルツのディオーシュジュール城は、17世紀末にクルツ軍の拠点になりましたが、 ハプスブルクの攻勢に耐えかね、くれてやるぐらいならとあえて爆破した、という事です。 その爆破した年が良く判りません。 城の公式ページは英語とドイツ語が構築中で、「Magyar 」で入って、 上のタグの左から二番目をクリックし、その一番上の項目をクリックすると 城の歴史のページとなります。が、残念ながら私には読めません。 読解できる方がいらっしゃいましたら、爆破された年を教えて下さい。
シュメグ城ですが 見学の際に入手した資料には ラーコーツィ軍が占領していたのは1705年から1709年の間で、 ハプスブルグ軍は内通者の手助けで城を陥落させたとあります。 その後、1713年までハプスブルグ軍が駐屯していて、最終的に火 を放って破壊しました。 保存状態が良いというのは、他の城に比べての話でしょう。 私が知る限り、今のハンガリー国内で破壊の手を免れた城は、シクロ ーシュ(ガライ)城・シャーロシュパタク城・ジュラ城ぐらいだと思 います。旧の王国領でまで広げると、クロアチア・スロバキア・ウク ライナに程度の良いお城がいくつも残ってますが・・・。
ディオーシュジュール城 手元資料で確認すると、ちょっと訳がわからない結果に なりました・・・。 複数の資料を元に時系列で整理してみたのですが、 1598年にオスマン帝国軍が占領 すぐにハプスブルグ軍が奪回。 1604年トランシルバニア候ボチカイ・イシュトヴァーン軍が 占領。 ハプスブルグ軍が短期間で奪回。 で、この時に破壊が行われたようで、1650年にオスマン軍が 攻め寄せた時は、城は破損状態のままで、守備軍はなんとかオス マン軍を撃退したとあります。 さらに1673年に城は焼け落ちたとあるのですが、 同年にクルツ軍が占領し、翌年には撃退されています。 そして、その後、ハプスブルク軍が1678年に城の防衛施設を破壊した とのことで、爆砕というのがいつなのか、訳がわからなくなってきました。 私が城の案内人に聞いた話ではボチカイ軍が破壊したと言っていたのですが・・。
637 :
630 :2007/07/31(火) 20:02:34 0
どうも帰宅が遅くて、調べる時間がとれず申し訳ないですが、 1673年のクルツ軍というのはラーコーツィ・フィレンツ2世の母である ズリーニ・イロナの再婚相手であるテケイ・イムレの軍団です。 前哨戦というよりも、ラーコーツィの自由戦争が旧来のハンガリー貴族、 あるいはハイドゥー民と言われた人たちの叛乱の最後のものなのです。 落馬の話は、私の持っている本でも紹介されています。ただ、読み物的 な本なもので、真偽のほどは定かではないですが・・。
639 :
630 :2007/08/01(水) 01:26:06 0
ギシュクラ様 お疲れのところ、ご返答ありがとうございます。 私は自由戦争にのみ絞って調べているので、それ以外の事に全く無知です。 ご指摘ありがとうございます。 恒文社のハンガリー史1にトレンチーンの戦いの事が短く載っていますが、 『副司令官のまずい作戦』とはどういう作戦ミスでしょう? もしもそれを説明してる資料をお持ちなら、どうぞ教えて下さい。 上記の書の196pにある地図から、会戦地の地名をネットの検索に打ち込んで、 何か判らないかと手探りしていますが、ギシュクラ様のご存知の事があれば、 後日にでもご紹介いただければ幸いです。
640 :
世界@名無史さん :2007/08/01(水) 11:48:50 O
ハンガリーの床屋へ行くと、髪を半分しか刈ってくれないらしい。 半刈り〜! ナンチャッテ
>>640 ウクライナ・コサックのような髪型になりそうだ
642 :
630 :2007/08/01(水) 23:05:46 0
ギシュクラ様はこの本はお持ちですか?↓ 『 From Hunyadi to Rakoczi War Revolution: War and Society in Late Medieval and Early Modern Hungary 』 どんな按配ですかね、これって?
フニャディからラーコーツィまで? トルコとハプスブルクの戦争に興味があったんでチェックしてみよう
644 :
世界@名無史さん :2007/08/06(月) 11:06:15 0
645 :
世界@名無史さん :2007/08/11(土) 23:24:38 0
646 :
すもーくん」 :2007/08/28(火) 16:19:36 0
初カキコです。よろしく。
647 :
世界@名無史さん :2007/08/28(火) 23:22:33 0
マワシくんお初(=゜ω゜)ノシ ここはギシュクラというだんなが来ないと、にっちもさっちも進まない所で、 すぐに固まってしまうんだけど、何か質問があれば、とりあえず挙げておいてね。 しばらくしたら覗いてみる、というへちまの観察日記感覚で生温く見守ってくれ。 ほんだば。
イシュトバーンというのが、他国ではエステバン、エステベスだったのね。 ミクローシュが、ミカエル、マイケルか。
>>648 ドイツ語ではシュテファン
フランス語ではエティエンヌ
英語ではスティーヴン
二次大戦直後にハンガリーで起こった史上最大とも言われるインフレは、どのように集束させたのでしょうか?
651 :
世界@名無史さん :2007/09/06(木) 22:35:48 0
レンテンマルクの発行と、ニューディール政策を行いました。
652 :
世界@名無史さん :2007/09/07(金) 01:54:58 0
なぜハンガリーは名ヴァイオリニストを輩出したのだろう?
ウィーンのおかげ
654 :
世界@名無史さん :2007/09/07(金) 08:48:26 0
(1)ユダヤ音楽の伝統があった (2)ジプシー音楽の影響があった あたり?
>>654 そのユダヤ人ってのは南露ステップ地帯あたりから来た人々でしょうか?
>>655 ハザール人=アシュケナジム説はとっくに否定されてるっての
そういえば、ジプシーバイオリンは超絶技巧だ。
>>656 ? ハザールがアシュケナジーの祖先だとかどこにも書いてないけど
某スレ217様 訳文、一部訂正します、大文字のところです。 レス222を見て誤訳に気づきました。 The fortress and the city played an important role in the Rakoczi freedom fight, it was ONE OF a center of the kuruc(Rakoczi's) army, that's why the Austrians destroyed its most part in 1713. 続きは別レスで。
660 :
659 :2007/09/08(土) 16:22:05 0
えっと、某スレ217様、 ここでのあなたのレス番号、教えてもらえませんか? たぶん1年以上前から質問書いてると思うのだけれど、 全部チェックするのが大変で…。 質問の流れを見たいのです。 私は世界史全然ダメなんで、今、知らない土地に迷い込んだ感じ なんです、今w 余談ですが私はハンガリー在住じゃありません。でも隣に ハンガリー人が…
661 :
659 :2007/09/08(土) 17:00:07 0
@シュメグの街までハプスブルク軍に放火されたかどうか。 これは難しいようです。シュメグが火事で燃え、 近くにハプスブルク軍がいれば「あいつらだ」って話に なるでしょうが、昔は火事も多かったし、真実は分かりませんよね? Aシュメグ、トレンチーン以外の会戦地はどこか。(できればバトルの年月も) 1704.12.26 Nagyszombat 1705.11.11 Zsibo 1708.08.03 Trencsen 1710.01.22 Romhany (全てクルツ軍の敗北) Bハプスブルク軍によるハンガリー国内での略奪行為の有無。 略奪しない侵略軍はありませんよね〜、ということでイエス。
>>659 親切丁寧なフォローをありがとうございます。
ご指摘の点は、最初からその様に理解していました。どうぞご心配なく。
>>660 ご配慮痛み入ります。私の質問は
@18世紀ハンガリーの魔女狩りについて:
>>192 Aハンガリーの名門、貴族の名前について:
>>606 Bラコーツィの自由戦争について:たくさん有り過ぎ。最近は
>>630 >>633 >>637 という感じで、@は皆さん情報不足。Aは完全スルー。Bはいまだ修行中。
自由戦争については、識者に資料を紹介して頂いたり、自己解決したものも有ります。
@は18世紀初頭に、強風が吹いた原因として魔女が処刑されてますが、場所が不明です。
>>661 @なるほど。私も街に放火する必然性が判らずに、疑問を抱いていたのでした。
城塞機能の破壊で十分ですからね。(なにせ旅行本の情報ですから・・・)
Aこれはおいしいです。これが一番欲しかった情報なのです!
『Rakoczi』でひたすらネットをググっても、深みをザルですくうが如し・・・
B同時期にスペイン継承戦争でフランスと戦っていますが、敵が大国の場合、
戦勝しても支配不可なので、国力をそぎ落とす為にも略奪は大いに奨励されるべきですが、
属国として支配する目的の場合、三十年戦争の様に略奪で街や村自体が消滅してしまう、
というカタストロフィは極力避けたのでは、と思って質問しました。
まあ、補給が見込めない時代ですから、現場での徴発は不可欠ですよね。
663 :
659 :2007/09/08(土) 23:40:49 0
まず、
>>606 についてお答えしときます。
いまさら役に立つか分かりませんが…
Szecheny, Battyany, Frangepan, Zrinyi,
Balassi, Karolyi, Palffy, Laczkfy
あと、すいません、わき道にそれるんですがなんで
ラコーツィの自由戦争にそんなに興味があるのか、
協力者が知りたがっています(w
>>663 いまさらどころか、大いに助かります。ありがとうございました。
私ごときが大変、大変お恥ずかしい話ですが、18世紀初頭のハンガリーを舞台にした
物語を考えていまして、ラコーツィの戦争は時代背景上、必須なのです。
しかし参考資料が全く足りず『誰が(Who)どこで(Where)何を(What)』の
Whereで全くつまずいてる情け無い有様でした。
資料も山ほど購入しましたが、必要な情報はそれぞれにつきわずかで、おそらく
本国出版の資料を一冊購入する方が、よほど効率的かと思われますが、
残念ながらハンガリー語はからきしで、やむなくこの場で識者様のご助力を仰いでた、
という次第です。
自由戦争は当初、貨幣の鋳造や、兵士への軍服支給できるまでに国造りが進みましたが、
そのうち次第に内情が苦しくなり、軍事的にも追い詰められて行きます。
西欧ではとうに下火になった魔女裁判→処刑が目立つようになったのも、その時期で、
行き場を失った敵意、反感のエネルギーが自傷行為へ転化される悲哀を見ました。
(当時、国家規模で魔女狩り時代に逆行したのは、世界中でハンガリーだけです)
アン・ルーエリン・バーストウの著作『魔女狩りという狂気』によると、
『トランシルヴァニアを含むハンガリーでは、魔女パニックと言っても過言ではない
強烈な迫害が起こった。1600件を超える裁判、800人を超える死刑、そのほとんどが
140年の間に起こった。ピークは、大きかったが失敗に終わってしまった独立戦争中から
以後にかけての1710年から60年の間に達した』━文中そのまま抜粋。
その具体的な事例を知りたいのですが、都合良く情報が見つかるとは思っていません。
恒文社の『ハンガリー史』の記載の会戦地は、既出を除くと
@ソモラーニュ(現スロバキアのSmolenice?)
Aレーヴァ(現スロバキアのLevice?)
Bキシュマルトン(ノイジードラー湖の湖畔左側。確認不能)
Cジェールヴァール(Szombathelyの下)
Dセントゴットハールド(Szentgotthard)
Eケレシュド(バラトン湖より50kほど右下らしいですが不明)
Fティレル(これはベオグラードに近いらしいですが不明)
以下は現在のルーマニア・トランシルバニア
Gデーヴァ(Deva。Sibiuの左側です)
Hフェケテハロム(ブラショフより海寄りのようですが不明)
Iセーケイコチャールド
Jパタ
Kヴァーラドオラシ
Lセントベネデク
Mティサベチ
以下ウクライナ領
Nドルハ(フストの上で、どちらかの近くで会戦がありました)
フストについては
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/kousaka/wagner/123rd/kodaly.htm をどうぞ。
上記は会戦の年月日が記載されてないので、全く使えません。 H〜NまではLのSzentbenedekを除いて正確なスペルすら解らず、 ググる事もままならず。 どうやら現在使われていない、昔の地名もあるようです。 スペルが判れば、とりあえずはググって手当たり次第にページを開き、 目的の情報を捜して目を皿にするのですが、なかなか収穫はありません。 Szentbenedekもwikiでは自由戦争に触れていませんし。 そういう現状で、決して急いでおりませんので、たまたま何か判った時で結構です。 情報をお寄せ頂ければ幸いです。<(_ _)>
667 :
659 :2007/09/09(日) 19:09:10 0
@ソモラーニュ(現スロバキアのSmolenice?) Aレーヴァ(現スロバキアのLevice?) この2つは合ってます(スペル共)。 Bキシュマルトン(ノイジードラー湖の湖畔左側。確認不能) Kismarton(現オーストリアのEisenstadtです。1704、クルツ軍敗北) Cジェールヴァール(Szombathelyの下) 見つけることができませんでした。 Dセントゴットハールド(Szentgotthard) これもあってますね。 Eケレシュド(バラトン湖より50kほど右下らしいですが不明) Fティレル(これはベオグラードに近いらしいですが不明) これらも判明せず…。 以下は現在のルーマニア・トランシルバニア Gデーヴァ(Deva。Sibiuの左側です) Hフェケテハロム(ブラショフより海寄りのようですが不明) 現ルーマニアでハンガリー名はFeketehalom、今はルーマニア名で 呼ばれていることでしょう。(まだ調べてません)
668 :
659 :2007/09/09(日) 19:12:17 0
Iセーケイコチャールド Jパタ Kヴァーラドオラシ Lセントベネデク 分かりませんでした…。 12番は「バラトンオラシ」? Mティサベチ Tiszabecs 以下ウクライナ領 Nドルハ(フストの上で、どちらかの近くで会戦がありました) これも分からず。
669 :
659 :2007/09/09(日) 19:16:12 0
わっ、調べてるあいだに666取られた!w なるほど、作家さんですか?完成したら読んでみたいものです、 協力者としてw …えーっと魔女狩りですが、まだ調べてみてはいませんが、 歴史オタク氏もよく知らないようです、何か情報掴んだら 書きこみますね。
ありがとうございました。Smoleniceで合ってるという事で、+Rakocziでググって、 1704年5月28日、クルツ軍の勝利というのを見つけました。 (自分で書きながら、あれで本当に良かったとは思いませんでした) これからも根気で調べて行こく所存です。お暇な時にでもどうかご助力ください。 (私は作家などという立派なものではございません。素人の手慰みですので)
671 :
659 :2007/09/10(月) 02:44:48 0
BとかHのようなのは、分かりづらいですよね。 レス667が参考になったら幸いです。 ハンガリーってホント国土が派手に割譲されちゃったから、 昔の領土に異様にこだわるのが分かる気がします、今の生活に 大きく影響を及ぼしてますからね…
私はハンガリー語が空っぽですが、Devaの地元版wiki
http://hu.wikipedia.org/wiki/D%C3%A9va ↑の中頃『1704-ben kuruc kézre jutott,
de Csáky András három heti ostrommal 1706-ban visszafoglalta.』
(英語表示にすると、内容が薄くなり、クルツの記事が無くなります)
をWEB翻訳してみた結果、おそらく、だいたい、
『1704年、クルツが占領した。1706年、帝国軍が奪い返した』
という事のような気がしましたが、いかがなもんでしょうか?
673 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. :2007/09/11(火) 23:28:07 0
調べが進まないので書き込めず。 Aハンガリーの名門、貴族の名前について すみません無視したつもりは無かったのですが、ハンガリー王国の場合、 貴族の栄枯盛衰が甚だしいので、hunyadi、cask、perenyi、bathory等 のように死に絶えて跡形もないという家が多いもので、いつの時代かが わからないと書きにくかったもので。
674 :
659 :2007/09/11(火) 23:51:26 0
>>672 大意はあってます。
It was captured by Kuruc army in 1704, but Andras Csaky
recaptured in 1706 after three weeks' siege.
>>673 初めまして、お邪魔しておりますw
>>673 ギシュクラ様、お久しぶりです。律儀にご回答下さいましてありがとうございます。
こちらこそ、質問した事を忘れてた「しっぱなし」状態で恐縮です。
必要なものが都合良く手に入るはずも無いので、「回答あればめっけもの」
の気構えで質問「しっぱなし」しております。
どうぞお気軽に、お暇な時にでもお相手願えれば幸いです。
>>674 どうも助かりました。ハンガリー語のWEB翻訳はきっついですねえ。
2年後の事なのに「3週間後」って何だろう? と悩んでました。
苦労した方が印象に残るのかもしれませんが。
手元の城の本からいくつか シクローシュ城(Siklos) 1705年ボチャーン(bottyan)将軍率いるクルツ軍が占領、1年間保持。 ジュラ城(gyula) 1705年6月クルツ軍が包囲するも、攻略に失敗 トカイ(tokaj)城 1703年9月ラーコーツィが城を包囲し、4ヶ月に渡る城攻め の末、城を占領した。 1704年ラーコーツィはもはや防御が難しい(恐らく酷く破壊 されていたのか?)と考えて、城の破壊を命じた。 1705年1月城は完全に破壊された。 別の資料では当時の城の守備をしていたPatay Samuel に城の破壊を 命じたとあります。 余談ですが、トカイの城は、ティサ川とボルドグ川の合流点に あったのですが、現在は橋もなく、渡る手段がないため、現地 まで出かけたものの、城の廃墟は見ることができませんでした。 もっとも、渡れても礎石がわずかに残る程度なのですが。
678 :
世界@名無史さん :2007/09/12(水) 01:13:39 0
ハンガリー在住ですけどお力になれそうなことはありますでしょうか。 歴史関連はさっぱりですが、図書館で資料漁りくらいならできるかもしれません。
>>677 ご教示ありがとうございます。
さっそく場所を確認し、立派な城を写真で拝見しています。
トカイをラコーツィチームのホーム、とだけ認識していたので、
そういう経緯があったとは、ちょっと想像もしなかったです。
>>678 これは何ともありがたいお申し出。
現地の資料は喉から手が出るほど欲しいです。
(とは言え、目の前にあっても、どもなりませんが)
一番難渋しているのは、自由戦争の実際の会戦地の特定と、その年月日です。
日付まで判明してる場合は、その日の天候まで判ると、
リアルに助かるのですが、これは調べるのに無理がありますね。
現在、日付まで判っているのは以下の通りです。
1703.06.14 Tiszabecs
1704.05.28 Smolenice
1704.12.26 Nagyszombat
1705.11.11 Zsibo
1708.08.03 Trencsen
1710.01.22 Romhany
つい、図々しく人様のお心に甘えてしまいましたが、
どうぞお時間の空いた時に、暇つぶしぐらいの緩やかさでご助力頂ければと。
ご回答は、何ヶ月先でも構いません。よろしくお願い致します。<(_ _)>
681 :
659 :2007/09/12(水) 04:56:07 0
>>681 何ですかこれ! 国内の城塞の位置関係が丸判り。これは買うしかないでしょう。
サンプル画面には年月日も付いていますが、これで会戦の日付が判るかも???
(デモ版落として見たら、ハンガリー編は封印されていたので、
つい消してしまいましたが、後でもう一度確認してみましょう)
これは当然ハンガリー出身者の手によるものですよね。
購買者の多そうなアメリカ独立戦争との抱き合わせという事は、
本当はラコーツィ戦争の方を知ってもらいたかったのでは? そんな気がします。
さっそく購入しようとしたのですが、なぜかエラーとなったので、
メールで問い合わせ中です。
本当に驚くような品を見つけて下さって、ありがとうございます!
683 :
659 :2007/09/13(木) 04:18:25 0
634にある、「ミシュコルツのディオーシュジュール城」のHPの
URLを貼ってもらえますか?教えてもらえれば訳したりできるかも
しれません。
>>682 えぇ、ハンガリー人が作ったと思われるらしい(変な日本語!)
です。確かにこっちを売りたかったのかも、と、某洪牙利人も
同意してました。
ゲーム届いたら報告してくださいね〜。
>>683 ご配慮ありがとうございます。
確かにディオーシュジュール城はクルツ軍によって破壊(爆破?!)されていますが、
ラコーツィ戦争以前の出来事なので、この城はスルーで結構です。
ゲームは非常に役に立ちそうです。作者がそれと全く意図して無い事ですけど。
マネーオーダーで購入予定で、日数は掛かりますが、詳細は後日ご報告いたします。
685 :
世界@名無史さん :2007/09/13(木) 17:15:49 0
>>682 というか、参考にした資料について開発者に問い合わせてみるのもいいかもしれません。
開発元のHussargames(確かに名前からしてハンガリーですね)は1848というゲームもリリースしてますが、
これはハンガリー文化省から援助を受け、教育目的?をもって無料公開されたと言う経緯もありますし。
ゲーム及びハンガリーの歴史にとっての宣伝にもなることですから、もしかすると
協力してもらえるかも?
1915年。ハンガリー・ナジレブ。人口1500人程度のこの村で、160人もの人々不可解な死を遂げるという事件が起こった。 しかし、その死の真相は、事件発生から14年経っても解明されることはなかった。 主犯格は、この村の唯一の医療関係者の助産婦。 そして、実行犯は、この村の主婦26人あまり。 古い因習の残るこの村は、女性は、男性の所有物扱い。結婚相手も、勝手に決められ、家では虐げられていた。 戦争で男たちが村から出ていた間、女性たちは、自由と愛される喜びを知った。 しかし、男たちが戻ってきたことにより、再び地獄の日々が始まる。 我慢ができなくなった女性たちは助産婦に相談。 助産婦は、女性たちに毒を渡した。 前にテレビでやってたんですがこれは本当にあったんでしょうか? もっと詳しく知りたいので良ければ教えてください。
>>685 それはいいですねえ。まずはゲームの詳細を知ってからですが。
ラコーツィは鉱山経営等で経済力をつけ、一時は貨幣鋳造、軍備整備、
軍服を調達できるまでになってるのですが、資料ではその色が判らなかったりと、
単純なようで大事な所が不明なのです。
実はハプスブルクの軍服色も不明で、マリアテレジアの時代には白だったのと、
オイゲン公の肖像画から、当時も白だったのでは? と見当付けてますが、
そのぐらいは教えてもらえそうな気がします。(ゲームの配色は適当でしょうから)
688 :
世界@名無史さん :2007/09/14(金) 00:51:29 0
>>686 なんだか横にそれますが、
>古い因習の残るこの村は、女性は、男性の所有物扱い。結婚相手も、勝手に決められ、家では虐げられていた。
いわゆる、
「女性が男性の所有物扱い」
という概念が、ハンガリーにおいてはいつからのもので、いつまで続いているのかは気になるところです。
というか、時代的にもそうした因習が果たして「未だに残る古いもの」と表現出来うるものなのかというのも気になります。
まあ前近代的な奴隷扱いではないにしろ(貴族が平民の娘を「奴隷」という名目で結婚の許しを請う、という民謡があります)
そういう社会構造は未だにどこにでも残ってる気はしますけどね。
ちなみにつづりはnagyre'vで、ソルノクの南西にある村のようです。
http://209.85.129.104/search?q=cache:Apn_xex8cLMJ:www.magyarradio.hu/read/172207/rid/PT1BTzBBVE0%3D+nagyr%C3%A9v+gyilkoss%C3%A1g&hl=ja&ct=clnk&cd=4 ググってみたところ、すぐに引っ掛かりました。(消える可能性もあるので保存することをお勧めします)
Nagyrév még midig úgy él sokak emlékezetében, mint gyilkos falu.
Pedig lassan száz év is eltelik a férjüket arzénnel mérgező asszonyok szomorú története óta.
A helybéliek azonban a megbélyegzés miatt azóta szenvednek.
(今もナジレーヴは殺人者の村として多くの人の記憶に残っている。
しかし、夫を砒素で毒殺した妻たちの悲しい物語から、ゆっくりと100年の時が経とうとしている。
地元の住人たちは、しかしながら事件の悪評により、今も苦しんでいる。)
日本のTVのやることなので、細部には煽りが入っている可能性がありますが、
事件そのものは本当にあったことのようです。
ただ、後半部分に書いてありますが、村長さん?は、過去の事件よりもむしろ
自然を生かした村おこしをしたいみたいですね。
多分もっと探せば色々出てきそうな気がします。
689 :
世界@名無史さん :2007/09/14(金) 01:01:53 0
>>689 なるほど。ダメ元で当ってみるべきですね。
どうも人様の迷惑に気を回すあまり、チャンスを逃す傾向があるようで。
何事もアタックして、当ればめっけもの、の大らかさが必要ですね。
事件に関しての情報ですが、おそらくフジテレビの『奇跡体験アンビリーバボー』
で2006年7月に放送されたもので、私も後日ネットで拝見しました。
(現在は2007年放送分のみの閲覧可能)
話としては興味を惹かれたものの、余りの内容に現実感が伴わないほどの事件で、
(番組は信じていますが)忘れていました。
あれが事実だと改めて知らされると、リアルさが重くて結構きます。
殺人事件に関する質問は、私が挙げたものではないです。 質問者の方は、できれば親切な回答者の方に、一言お礼など添えて下さい。
692 :
世界@名無史さん :2007/09/21(金) 18:38:50 0
693 :
世界@名無史さん :2007/09/21(金) 23:02:17 0
>>692 ベチャールが庶民から人気があったことの傍証としては、
民謡や文学の題材に取り上げられていることがあげられるかもしれませんね。
694 :
世界@名無史さん :2007/09/22(土) 02:45:24 0
1700年初頭にスロバキア(当時はハンガリー)にいたユライ・ヤーノシークが 義賊として、日本でいえば坂本竜馬を凌ぐほどの人気なのですが、 客観的に見ると、本当にそれにふさわしい事をしたのかどうか疑問です。 人材不足なのだなぁという気がしますが、それを言うと現スロバキアの方に 怒られますね。
695 :
世界@名無史さん :2007/09/22(土) 04:51:29 0
>>694 でも、人気はあれど客観的に見て「どうよ」っていう人は日本にもいますからね。
忠臣蔵の中の人とか。
要はヒーローの作り方なんじゃないかと。
ハンガリーの旅行ビデオを見てたら、国会議事堂の議会室に マリア・テレジア像が飾られているのを見てびっくり。 ハプスブルクは必ずしも悪しき象徴では無いようです。
697 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 17:39:14 0
>>696 継承戦争の時、ハンガリー貴族はマリア・テレジアを支持したという経緯があったような。
ただまあ…
今でも国会議事堂前にソビエトの記念碑がありますが、
アレから「共産主義は必ずしも悪の象徴ではない」
とか安易な結論は引き出せないようなものではないかと。
歴史のドキュメントって安易に作ったり壊したりできるようなものじゃないですし。
698 :
世界@名無史さん :2007/09/26(水) 21:53:28 0
ハンガリーで有名な日本人っていますか?
小林研一郎は有名らしい
700 :
世界@名無史さん :2007/09/27(木) 15:11:49 0
>>699 本屋のおばちゃんや運送屋の兄ちゃんも知っていましたよ。
ハンガリーのコンペで優勝してますし、
あと、毎年ハンガリーに来て指揮してますしね。
一般人の知名度的には
コバケン>>>(越えられない壁)>>>その他
かなと。
>>696 >>697 オーストリア継承戦争で、マリア・テレジアはハンガリーを味方につけるために
生まれたばかりの息子を抱いてハンガリーに乗り込み、母性本能を武器にして
支持を取り付けた。
702 :
世界@名無史さん :2007/09/28(金) 00:56:10 0
ああ、それは高校でも習った有名な話だな。
>>694 某ハンガリー人、その人知らないようです…
704 :
世界@名無史さん :2007/09/28(金) 22:22:21 0
>>703 スロバキア人の間で有名だったのではないかと。
705 :
世界@名無史さん :2007/09/28(金) 22:55:26 0
カタカナで「ヤーノシーク」を検索しても、相当量の情報が出てくるから、 地元での知名度、人気はきっと大したものだろう。 ハンガリー語やスロバキア語で「リョウマ」のスペルで検索しても、 どれだけ網に掛かるか。ほとんど皆無に近いようなキガス。
706 :
世界@名無史さん :2007/09/28(金) 23:03:52 0
707 :
世界@名無史さん :2007/09/28(金) 23:13:46 0
>>706 誰も地元の英傑との人気比べなどしてない。比較になる訳が無い。
どうすればそういう解釈になるのか?
708 :
世界@名無史さん :2007/09/29(土) 03:29:49 0
>>707 壮大に勘違いしてたよ。吊ってくる。
でも
>>705 の言いたいことは今ひとつわからない。
>>694 の
>1700年初頭にスロバキア(当時はハンガリー)にいたユライ・ヤーノシークが
>義賊として、日本でいえば坂本竜馬を凌ぐほどの人気なのですが、
の根拠が、
>>705 の言うインターネットでの検索結果になるかと言えば違うんじゃないかと。
日本とハンガリー、スロバキアじゃネットの普及率も社会の構造も違うし。
そもそも義賊として比較するならねずみ小僧とじゃね?
きっと「ヤーノシークはスロヴァキア語で、ハンガリー語ではまったく別の読み方」とかそういうオチが待ってるに違いない!
710 :
世界@名無史さん :2007/10/03(水) 00:01:11 0
>>709 ハンガリー語ではヤーノシュ、
ドイツ語ではヨハネス、
英語ではジョン、
韓国語ではヨン様
ギシュクラ様はジョンだったのか
洗礼者ヨハネ、福音書記者ヨハネ、黙示録のヨハネ
由緒ある名前でございます
…で
>>710 韓国語ではヨン様
に突っ込むべきか…
713 :
世界@名無史さん :2007/10/07(日) 19:27:03 0
サルコジは、父親がハンガリーの貴族(ハンガリー貴族にはドイツ系もいるが、サルコジの親父は 名前からしてマジャール人(ハンガリーで『オレは半分マジャール人』といったそうだ)。 マジャール人はアジア系で蒙古斑もあるそうだ。母親はギリシア系ユダヤ人。 ユダヤ人には、セム系とトルコ系がいるが、セム系ならアラブ人と同じだし トルコ系なら何をか況んやだ。 だいたい、こういう疎外されていたタイプがかえって純血主義を主張するようだ。
>>713 現在のハンガリー人の新生児10%に現れているそうです >蒙古斑
>>681 例のゲームが届いて早速試しております。
これは国中の砦の位置関係がとても解り易く、資料として優れものです。
(英語に未熟なのと、ゲームをやった経験が全く無いので、四苦八苦していますが)
マニュアルに『天候は…』え?!天候まで判るの?!『…自由に変えられます』で倒れたり。
将軍の名前とかも表示されてるので、掘り下げると色々な情報が得られそうです。
(慣れて使いこなせるまでかなり時間が掛かると思います)
それと問題は、PCパワー(VRAM)が推奨に達しておらず、フリーズの連続。
ノートなのでどうしようかと色々悩んでいる今日この頃です。
とにかく貴重な資料を紹介して下さってありがとうございました。
716 :
世界@名無史さん :2007/10/08(月) 01:29:01 0
>>713 ハンガリーの貴族には、ドイツ系だけじゃなくてスラヴ系もいたような。
ちなみにサルコジの場合、姓だけだと父系しかわからないし、
深く辿ると色々混ざっているかもね。中欧ってそういう地域だよ。
〜系とか、ぶっちゃけどうでもいいような気がしてならない。
>>714 http://en.wikipedia.org/wiki/Mongolian_spot ヨーロッパで1%-10%とか出ているけど、
そうだとすると仮にハンガリー人の新生児に10%の確率で出現しても
別に特別なことでもないじゃないかという話になるかも。
というかそもそも、今のハンガリー人は一体何者なのかという気もするけど。
717 :
714 :2007/10/08(月) 05:45:00 0
>>715 おぉ、キター!んですね。問題山積のようですがとりあえずよかったですね。
また報告待ってます。
>>716 ハンガリー人でもアジア人の血が濃そうな外見の人もいるし、
金髪青眼の、アジアを全く感じさせない人もいるし、島国じゃぱん
と違って混血重ねてるでしょうからね・・・
でも、10%は「西欧」と比べたら多いと思います、
西欧人は蒙古斑の存在自体、一般人は知らないですもん。
718 :
世界@名無史さん :2007/10/08(月) 06:32:05 0
>>717 うーん…ただ、ハンガリー語で蒙古班という表現が辞書では見つからないのですが…
日本のように、広く知られている概念ではなさそうです。
ちなみに色々なサイトで、ハンガリー人には、他のヨーロッパ人種と比べると、
蒙古班が比較的出現しやすいという記述はよく見かけますが、出典がないうえ、
サイトによって数値もバラバラなんでどこまで信用していいかわかりません…。
あとハンガリーでは、モンゴル、トルコ、ハプスブルグなどによる侵略や略奪の為に
民族構成がオリジナルのものとまったく入れ替わってしまった地域もあります。
なので、本来の民族構造が保存されているであろう地域で統計を取ってみたら
蒙古班の出現比率も変わるかもしれませんね。
ちなみに、ブダペスト近辺じゃアジア系の外見のハンガリー人はまず見かけませんよ。
719 :
世界@名無史さん :2007/10/08(月) 06:48:32 0
なんか見つけたので貼っておきます。
蒙古班はmongol beutesでいいみたいだけど、使用例がほとんど見つかりません。
http://www.hhrf.org/erdelyinaplo/2002/2en-38.htm Ami a közeli vagy jelentős vérségi kapcsolatokat illeti, annak mind a magyar,
mind a külföldi kutatók határozottan ellentmondanak. A legközelebbi nyelvrokonaink,
a vogulok és osztjákok mongol fajtájúak. Henkey Gyula antropológus ezzel kapcsolatban
a kecskeméti Forrás 1981. májusi számában közzétett tanulmányában ezt írja:
"A honfoglalók között Lipták Pál által 12,5 százalékban kimutatott uráli típus gyakorisága
(Magyarországon – E. A.) ma a 0,1 százalékot sem éri el". Azt azonban senki sem cáfolja,
hogy a magyarság egyik-másik népi csoportjában van némi mongol beütés.
ウラル系の人が占める割合は、パンノニアに定住した時期でさえ12.5%、現在では0.1%にも満たないって
相当少ないですね。
ハンガリー人をハンガリー人たらしめている要素は、血筋でないとしたら何なのだろうと不思議になります。
>>719 > ハンガリー人をハンガリー人たらしめている要素は、血筋でないとしたら何なのだろうと不思議になります。
ハンガリー語に決まってるよ。どこの民族だって民族を形成するのは言語。血筋や形態じゃ無い。
宗教という場合もあるが。特にバルカンは。
722 :
世界@名無史さん :2007/10/09(火) 14:21:12 0
>>720 ただ、ハンガリーの貴族はハンガリー語が母語ではなかったのにもかかわらず
ハンガリー人という意識を持っていたわけで、
そうなると果たして言語がどれほどの役割を果たしていたのか?と思うのですが。
723 :
世界@名無史さん :2007/10/09(火) 17:22:24 0
ハンガリー貴族の母語ってフランス語?
ドイツ語が多いんじゃないの
725 :
世界@名無史さん :2007/10/10(水) 23:40:31 0
↑誰か解答を
726 :
世界@名無史さん :2007/10/11(木) 02:06:29 0
>>725 貴族の場合、たぶんドイツ語じゃないかと思うけど自信がないです。
ハンガリー内の公用語としてはラテン語、
国際的な外交語としてはフランス語だと思うけど、
詳しい人の突っ込みが欲しいところです。
詳しい人に聞いてきました、ドイツ語だそうです。
>>727 トンクス
ハプスブルクの支配が続いていたからドイツ語でいいんでしょう。
公文書、公用語はドイツ語だったんじゃ。
フランス語は昔の社交用語、国際語だったけど、ウィーン貴族だって日常会話で
フランス語を使っていたわけじゃないし。
729 :
世界@名無史さん :2007/10/12(金) 00:08:33 0
>>728 少なくとも、ハプスブルク時代でも、
出生記録はラテン語のはずなんだけど…
ちなみに、公用語をドイツ語にするのを嫌がったハンガリー人が
ラテン語を公用語にしたという話を聞いたことがあります。
(ホントかどうかは自信がありませんが)
>>720 ちょっと調べてみましたが、
ハンガリー人としてのアイデンティティは、歴史的な経緯としては、
地理的・社会的な面で、ハンガリーに属した人々を指す、
フンガールス(hungarus)になるんじゃないかと。
だから、集団としてのアイデンティティを形成する要素は
言語や宗教以外の場合もあるのかもしれませんね。
フランツ・リストは家系がドイツ系でオーストリアの国境の近くで生まれて 言葉はドイツ語で、ハンガリー語を習得するとは出来なかった…なのに 自分はハンガリー人だと自認してましたが、それも不思議。 ブダペストに家があったのにドイツ語オンリーで生活してたわけですね。
731 :
世界@名無史さん :2007/10/12(金) 03:01:15 0
>>730 時代や地域が違えば価値観が違うことの典型例だと思います。
リストは典型的なフンガールスの1人でしょう。
ただ、言語については、母語はドイツ語ではあるものの、
少年〜青年時代をパリで過ごして教育を受けたため、
実質的な第1言語はフランス語だったりします。
著作も、原語はフランス語で、それをドイツ語に翻訳させてますし。
>>717 ゲームを紹介頂きました私です。
このゲームはとても良く出来ていて、砦にカーソルを合わせるとその地点の
おおよその地勢(山、平野、水辺等)が解ります。
また、双方の将軍の名前とかも紹介されています。
軍服の色もオーストリア(白)、ハンガリー(青)で間違い無いでしょう。
ただしあくまでゲームですので、戦いは自分でコーディネイト出来るように、
史実の戦いとは無関係になっています。
これからも地道に調べていきたいと思いますので、もし何か目に留まった事実が
ございましたら、この場を借りてご教示頂ければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。<(_ _)>
>696 >マリア・テレジア像が飾られているのを見てびっくり。 マリア・テレジアとシシィは別格のようですね。 フランツ・ヨーゼフ橋なんかは自由橋と改名されてますし、 英雄広場にあった歴代皇帝の像は第二次大戦後撤去されて ハンガリーの英雄に入れ替わってます。(これはマリア・ テレジアの像も含めて撤去) >716 >ハンガリーの貴族には、ドイツ系だけじゃなくてスラヴ系もいたような。 名前だけでは、どこ系かはわかりません。 バートリー家は先祖はドイツから来たそうですし、ズリーニ、フランコパン ホルヴァーティといったクロアチア系もいます。 著名なフニャディ家は恐らくルーマニア系ではないかと言われてますし、 ツルゾー家はポーランドの商人出身です。 他にも調べればいろいろ居るはずですが、彼らが相互に、あるいは他国の 貴族たちと婚姻を重ねているわけですから、何系というのもあまり意味を なさないような気がします。
735 :
世界@名無史さん :2007/10/16(火) 21:37:00 0
>>734 名前については、ホルヴァーティ(洪:クロアチアの)なんかは明らかにクロアチア系じゃないですか?
>他にも調べればいろいろ居るはずですが、彼らが相互に、あるいは他国の
>貴族たちと婚姻を重ねているわけですから、何系というのもあまり意味を
>なさないような気がします。
たしかにそうですね。
貴族に限らずとも一般人も民族間での結婚が多々あったようで、
知人のハンガリー人も、祖先を辿ればスラヴ人だったりドイツ人だったりと
いろいろ出てきます(まあ、これは近代に限った話なのかもしれませんが)
>733 ギシュクラ殿、ありがとうございます。 なるほど、当時の絵画という手がありましたか。もっとも自分はそれに気付いても、 どの絵がどの時代か解らないのでお手上げでしたが。 すると軍服色は一定ではない可能性があるのですね。 恒文社のハンガリー史にはラコーツィが頑張って軍服を支給できるまでになった、 とあったので、一番シンプルな青で問題無いかと安易に判断していましたが。 なかなかどうして難しいですね…
737 :
世界@名無史さん :2007/10/18(木) 03:35:22 0
>>736 セットの軍服が支給されたかどうかというのは定かじゃないんでしょうか?
あと、優先順位としては、軍隊なのだから当然、武器>服装 ですよね?
恒文社の本について、文献リスト内に「これが怪しい」と言う参考文献があったら、
さらしてみて下さい。時間は掛かりますが、該当しそうな部分を調べられるかもしれません。
>>737 ご応答ありがとうございます。
恒文社のハンガリー史ではその件に関して
『このような手段により、斧や鎌で戦う従来の農民軍は今や軍服を着用し、
糧食も与えられ、訓練をうけた割合い近代的な正規兵となった。』
の一文で済まされており、また巻末の文献は翻訳されたものに限られ、
残念ながら問題の箇所を参考とした書は示されておりません。
お気持ちには大変感謝しております。誠にありがとうございました。
739 :
世界@名無史さん :2007/10/18(木) 22:39:48 0
>>730 そういえば、作家カフカは、チェコ語話せたっけ?
740 :
世界@名無史さん :2007/10/18(木) 22:57:58 0
>>738 フランス革命の時代なんて、靴もまともに履けない兵士がいたkらいだからな
じゃ、戦場にガラス撒けばそれで決まりっと
>>742 これはいい!
こういうものがあればと思い、捜していました。
(YouTubeを『RAKOCZY』で検索してもクラシック音楽しか見つかりません)
近い時代の戦争ものとして、映画『バリー・リンドン』(Barry Lyndon)
のDVDを借りて見ましたが、場所と時代が少し違うので不安に思っていたところです。
ご紹介頂いた映画は、色々な意味でとても参考になります。
これから何度も見直してみたいと思います。ご協力に感謝いたします。
大変ありがとうございました。
744 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. :2007/10/24(水) 01:16:53 0
某スレ217さま もう少し、画の類があるかと思ったのですが・・・。また注意して検索してみます。 オーストリア側ならスペイン承継戦争が同時期なので、その関連の資料、例えば、著 名なオイゲン公関連で画像を検索してみられては? あと、ラーコツィがフランスに亡命し、その後トルコに去った後、配下の軽騎兵がフ ランスに仕え、フランスの軽騎兵の祖となってます。その方面でもなにか資料がある かもしれません。 >739 カフカはチェコの人ですが、ドイツ語を話していたそうですね。 ドイツ語を話すといえば、ブダペストの隣町がドイツ人の集落だったりします。 >742 これは興味深いですね。古い映画の「エゲルの星」はDVDを持ってますが、 これはDVD化されているのでしょうか。
そもそもカフカはユダヤ人。
ギシュクラ様 帰省していたのでお礼が遅くなりました。どうも失礼いたしました。 貴重なお時間を割いて下さり、ありがとうございます。 また、手がかりを捜す糸口を示唆して下さいましたご親切に感謝いたします。 さっそく『Prinz Eugen』で検索してみております。 ハンガリーの軽騎兵は優秀だったと聞きます。操馬術に長けているからだそうで、 外国へ出ても通用したのですね。 戦争が終結して完全撤兵した1713年頃までが探索の対象ですが、 戦争中の軽騎兵の具体的な活躍については、全く情報が無いので、 運良く見つかりましたら、どうぞご教示ください。(難しいような気がします…)
747 :
世界@名無史さん :2007/10/31(水) 05:08:09 0
ハンガリーマフィアが長年カイザーソゼを追っているというのは本当ですか?
748 :
世界@名無史さん :2007/11/01(木) 22:14:23 0
「Usual Suspects」を見ましたか。 フィクションです。現実に何の関係もないんです。
749 :
世界@名無史さん :2007/11/01(木) 23:43:27 0
『カイザー・ソッゼ〜!!…』 は映画史上に残るビビリ場面として語り継がれる事でしょう
syosinsya
タルマクシ選手二輪GP125クラスのチャンピオン獲得おめでとう!! 確か、ギシュクラ氏は彼をずっと応援してきたはずだから、今ごろ祝杯 をあげてるんじゃなかろうか・・・。
752 :
世界@名無史さん :2007/11/08(木) 17:16:35 0
グヤーシュっていつ頃から食べられてた物なのかな。
>>751 タルマーチでググってみたら5件しか引っかからない…w
日本語表記は何故か「タルマクシ」になってます。 タルマクシで検索してみてください。
MotoGPの業界は英語が標準だからみんな英語読みしてるのかな?
タルマクシ選手のヘルメットのカラーリング・・凄すぎ・・。 あれ、聖イシュトヴァーン王冠を模したものでしょ・・。 ハンガリーだとレプリカヘルメットとか売ってるのでしょうか・・。
757 :
世界@名無史さん :2007/11/12(月) 19:07:35 0
チョチョリーナがAVに出演しに来日した時、相手をした男優は、 頭をなでなでされて、すっかり子供扱いだったそうな。 (下を見てそう思ったのかもしれないが・・・)
759 :
世界@名無史さん :2007/11/13(火) 14:12:28 0
19世紀終盤、ハンガリーはついにハプスブルク家との闘争に成果を収め、
独立国としての体面を回復します。すなわち、「オーストリア=ハンガリー二重帝国」の成立です。
その背景には、フランツ=ヨゼフ2世の皇后エリザベートが、大のハンガリー贔屓だったことがあるようです。
これを見たチェコ人たちは、ウイーンの皇帝に誓願し、自分たちも独立国にしてもらおうとしました。
つまり、「オーストリア=ハンガリー=チェコ三重帝国」の創建を目指したのです。しかし、
これは敢え無く失敗に終わりました。ハンガリー人たちの反対が大きかったようです。
「なんで、チェコの連中が俺たちと同レベルなんだよ!」というノリでしょう。チェコとハンガリーは、昔から仲が悪いのでした。
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/checmokuzi0.htm なんでハンガリーはチェコを敵対視するの?
昔からってほどの遺恨はない気がするが。三重帝国に反対したのはチェコがどうこうより自分たちの帝国内での発言力が減ることのほうが大きいだろうし。 まあ、国境接してる以上紛争はあったろうし、特にフス戦争からマーチャーシュの時代にかけてはハンガリー王対チェコという構図もあったが。
三重王国の三番目はクロアチアだって説もあるけど、明確なソースってのは無いのかな? チェコにしてもクロアチアにしても、ドイツ人やイタリア人が結構な割合占めてるから どっちみちスラヴ人が主導権取れるか微妙っぽいけど
三重制はボヘミアのそれと南スラヴのそれとはかなり異なるな。 19世紀のボヘミア・アウスグライヒは ハンガリーとクロアチアの「ナゴドバ」に近い内容で 帝国のオーストリア部分における「聖ヴァーツラフ王冠の諸州」の自治。 もっとも二重制の原則(分担金や共通議会への選出など)と抵触する内容があったので ボイストやアンドラーシは抵抗したわけだ。 20世紀の三重制構想はハプスブルク支配における南スラヴ王国の設立。 大胆に言えば「聖イシュトヴァーン王冠の諸州」の解体、ハンガリーの弱体化。 フランツ・ヨーゼフは二重制支持者だったが帝位継承者とその一派は ハンガリー王国の発言力の強さを抑えたかったみたいね。 まあフランツ・フェルディナントのグループでも外相エーレンタールなんかは ハンガリー王冠の下での南スラヴ王国という三重制を企図していたみたいで 反ハンガリーの帝位継承者と考えが必ずしも一致していたわけではないようだ。
763 :
世界@名無史さん :2007/11/19(月) 01:27:13 0
ハンガリーでは種まいた後の畑で農夫婦がまぐわうという風習があったらしいな。 え? ガイシュツ?
前に「うるるん滞在記」で紹介されてましたな。 多分、既出。
魏=オーストラリア 呉=ハンガリー 蜀=クロアチア
>764 もっと大々的に宣伝して、観光の目玉にすれば、さぞかし世界中から…
>765 オーストラリア??? 三国志というならオーストリア・ボヘミア・ハンガリーじゃないかな。 オットカル2世・ルドルフ1世・ラースロー4世の時代とか、もっと 後だと、イジー王・フリードリッヒ2世・マーチャーシュ王の時代に 三つ巴で争っている。 >766 今は畑でゴロゴロ転げまわるだけですって!!
ハンガリーにはバロスwww通りがあると聞きましたが、本当でしょうか。
769 :
世界@名無史さん :2007/11/24(土) 01:32:02 0
ハンガリーで放送されてる日本のドラマってありますか? ハンガリーでも有名な日本のマンガってありますか?
ここは1ヶ月で21レスか…
771 :
世界@名無史さん :2007/12/01(土) 23:28:32 0
772 :
世界@名無史さん :2007/12/06(木) 19:35:51 0
773 :
世界@名無史さん :2007/12/12(水) 14:45:08 0
>>768 発音はバロッシュかと
ビンボー通りはある
松葉杖はマンコー
>>772 ハンガリー語バージョンのページがないなw
774 :
世界@名無史さん :2007/12/12(水) 19:53:17 0
イシュトヴァーン・嫌ーい
保守
777get!
778 :
世界@名無史さん :2007/12/23(日) 20:15:39 0
(´;ω;`)かわいそうです
ミリオネアにヘキサゴンメンバーが出てるんですね
781 :
世界@名無史さん :2007/12/25(火) 02:39:17 0
782 :
世界@名無史さん :2007/12/30(日) 01:49:51 0
保守
783 :
世界@名無史さん :2008/01/01(火) 01:17:24 0
ハンガリーびいきの皆さん、あけましておめでとうございます! 本年もこのスレでよろしくお願いいたします。
784 :
世界@名無史さん :2008/01/03(木) 03:53:46 0
日本語、もしくは英語でフニャディ・マーチャーシュ王か キニジパールについて重点的に書かれた本を教えていただけないでしょうか。 特に二人の伝承(お忍びで国内を回った)やそれぞれの逸話に興味があります。 raven kingというのを見つけたのですが、6月発行予定でした、、
786 :
世界@名無史さん :2008/01/04(金) 16:12:30 0
>785 レスありがとうございます。 この本はすでに入手したのですが、マーチャーシュ王は4話ぐらいしか 出てきませんでした、、、 >主に失われたコルビナ文庫に迫るという、学術的な内容だと思うけどね ホントだ、よく見てませんでした 何か他にもご存じでしたらよろしくお願いします。
The orb and the pen : Janus Pannonius, Matthias Corvinus, and the Buda Court / by Marianna D. Birnbaum ([Budapest] : Balassi Kiadó, cop. 1996) Matthias Corvinus and the humanism in Central Europe : [papers readin Székesfehérvár, 16-19, 1990 May at the conference ...] / ed. by Tibor Klaniczay, József Jankovics (Budapest : Balassi Kiadó, 1994) FSzEKにもいくつか英語の本はあるみたいだけど、どれも学術的っぽい。
そういやハンガリー人が英語で書いたパローツ人やクン人についての本を図書館で借りたら 出版社の名前が「コルヴィナ」でびっくり。
民話集に載ってた百姓やってたマーチャーシュが王に選ばれるなんて話が成立するって事は 親父さんのフニャディ・ヤーノシュは民間では人気ないのか
>>789 おやっさんはハンガリー王じゃなかったからじゃないの
素性もあやふやだということもあるかもしれない
>786 邦文でマーチャーシュ王に関する資料というと、思いつくのは鈴木広和先生の論文 ぐらいです。 民話的なものだと、昭和18年に出版された「ハンガリー物語歴史」という今岡十一郎 先生の著書に少し紹介されていました。 >790 息子とは逆に、フニャディ・ヤーノシュはジギスムント王のご落胤という伝説 があります。
Youハンガリー語勉強しちゃいなYo!
793 :
世界@名無史さん :2008/01/07(月) 10:24:02 0
ハンガリー語って、母音の長短にうるさい?
794 :
世界@名無史さん :2008/01/07(月) 14:44:07 0
ハンガロリンク
>>793 長短が無茶苦茶でも通じることは通じる
その辺日本語と似ていると言えなくもないかも
796 :
世界@名無史さん :2008/01/08(火) 09:38:08 0
なるほど・・・・たしかにちょっと似ているのかも
ハンガリー語は表記上短母音と長母音をきちんと区別します。 日本人なら区別して発音するのは簡単なはずだから区別しましょう。 「きょうふ」「きょうふう」 「そざい」「そうざい」 「おじさん」「おじいさん」 日本語だって区別しなかったら通じない。
(´☣ฺω☣ฺ)
表記上の母音及び子音の長短と実際の発音は必ずしも一致しないけどね。 英語ほど複雑じゃないけど。
800 :
世界@名無史さん :2008/01/09(水) 11:42:58 0
800get
801 :
世界@名無史さん :2008/01/09(水) 14:38:47 0
何を議論してるのかさっぱり解らないから、このスレから撤退します
聖ラースローの伝説には、明らかに異教のモチーフが入り込んでいるが、 そういう(キリスト教からすれば)異端要素は問題視されなかったんだろうか?
>>802 ヨーロッパのキリスト教にはどこでも異教的要素が入ってる。
ゲルマンやケルトの神話・伝説が形を変えて入り込んでたり。
ゲルマン人やケルト人に布教するために土着の信仰と折り合いを
つけていったから。
805 :
世界@名無史さん :2008/01/14(月) 03:30:28 0
ハンガリー人は一応ヨーロッパ人なんだから、綺麗どころに日本語習わせて、 日本デビューさせたらどうか? 大いに稼げると思うが。 日本じゃハーフの沢尻やリア・ディゾンが幅を利かせているが、 純正ヨーロッパ人の方がマシなのと違うか? その辺どうなん?
純正外人は逆にウケない
>>805 たまには大道芸人のことも思い出してあげてください。
っていうかリア・ディゾンはアジア系で日本系じゃないんだが。
808 :
世界@名無史さん :2008/01/17(木) 23:58:23 0
>805 米国のポルノ界だと一大勢力じゃないかな 売れっ子の3-4割ぐらいはハンガリー出身だった気が
809 :
世界@名無史さん :2008/01/19(土) 03:23:48 0
チョチョリーナ! マルダシーナ!
810 :
世界@名無史さん :2008/01/19(土) 04:14:34 O
沢尻やかえラヤ宮沢理絵みたに、はーふなんて日本人と全く変わらぬ糞猿風貌は ナッスィングー! 欧米の本物の白人みたら 綺麗すぎておしっこちびるよまじで
>>810 日本語でおk
「欧米の本物の白人」ってなぁ。
民族によって全然顔付き違うだろ…
812 :
世界@名無史さん :2008/01/19(土) 05:48:32 O
日本猿からしたら どの民族もさほどかわらないよ とりあえずめちゃきれい よくアングロは不細工なんていう身の程知らずザルがいるが、 ウィリアム王子の恋人ケイトめちゃきれいだよ おちっこちびったもん ケイトとけこんしたい
>>812 おまいの好みは理解したよ。
だから、いい大人なら、シモの始末をして、そのへんてこな日本語もなんとかしろ。
814 :
世界@名無史さん :2008/01/19(土) 07:21:16 O
また日本語がおかしいと指摘された。毎回だ。どうしておかしいのかわからない まーいずれにしても白人様、特に東欧ハンガリー様女性は最高すぎる。 あー東欧様〜 蒙古の時代に生まれりゃ東欧様白人女性様いぱいさらってこれたろうにニャ〜 生まれる時代間違えたよ
こいつ荒らしだから関わっちゃダメだよ アンチとセットで民族大移動してくるから
816 :
世界@名無史さん :2008/01/19(土) 08:26:09 O
どこが荒らしなの?やめてくれないかな個人的好き嫌いで憶測や推測を嫌悪の概念化に可変させ、視観の私観で史観を抽象するのはやめてくれないか。 偏見というのだよそういうのは。
フニャディ・ヤーノシュってルーマニア人から見たら カトリックに改宗した裏切り者なんですかね?
>>817 というか、ルーマニア人にとってはルーマニア人としてカウントされてるの?
歴史上の人物についての「所有権」の主張とか、正直なところよくわからん。
>>818 ルーマニア人の書いた本では、他国の英雄でもヴラフ人出身だと
やたらとその点を強調してるような。
例えば第二次ブルガリア帝国を建国したペタルとアセンが
ヴラフ人出身だったためルーマニアではルーマニア人による
国家建設としていて、ブルガリアではその反対のことが主張されてるとか・・・
ネット上でイシュトヴァーン・ヴァーシャーリというハンガリー人学者の著作について
G・スピネイというルーマニア人学者が反論してるのを見たけど
「何でハンガリーの領土になったことのないベルゴロド・セヴェルスキーまで
ハンガリー語名称を併記する必要があるのか(ちなみに英語の本です)」とか・・・
あの辺はいろいろ難しいようですね。
ちなみにヴァーシャーリ氏の本("Cumans and Tatars")は ケテニュが暗殺された後ハンガリーからブルガリアに逃げ込んだ クマン人たちのその後についても触れていて面白い内容だった。
>>819 ベルゴロド・セヴェルスキーってどこ?
ノヴゴロド・セヴェルスキーなら見つかったんだが…
どちらにしろ、ハンガリー語名称がどんなのか興味あるので詳細キボン。
>>822 t。
たぶんNyeszterfehérvár
だから、ニェステルフェヘールヴァールかも。
どうでもいいが、ヴァーシャーリ氏、ミススペルが多すぎw
そしてそれを逐一指摘するクルタ氏w
細かいところはおいとくとして、内容に関する批評は的を得てるんだろうか?
824 :
世界@名無史さん :2008/01/20(日) 10:30:31 0
MamlukをMamelukeってのは割とよく見るような気がするんですけどね。 「ノガイとキプチャク汗国西部についての情報はこれまで知られていなかったもの」 とか書いてるけど、ノガイについてはヴェルナツキーの"Mongols and Russia" とかにも普通に詳しく書いてあったような。 というかヴァーシャーリ氏が「これだからチャウシェスク政権下にいた学者は・・・」 とか書くとクルタ氏が「アンタの所も共産国だったろ!」とか返したりしてるのは なんというか・・・東欧って感じですねw
ageてしまって失礼
826 :
『弱小空軍の戦い方』より :2008/01/20(日) 11:10:15 O
…政府高官の政の不調をよそに、 ハンガリー空軍のピューマ部隊は来襲する連合軍機を相手に奮闘を続けた。 ハンガリー空軍にはFw190(戦闘爆撃機型)も七十機ほどわたったが、 戦いの後半の主力はBf109G。 少数のBf109Fや供与機、ライセンス生産機併せて五百機近いBf109を擁して、 数十人ものエースを輩出している。 やがて秋口から友邦の枢軸国が次々にソ連、連合国と休戦し、 対ナチスドイツ攻撃に回るなか、ハンガリー軍はソ連軍が領内に侵攻、 翌1945年2月にブダペストが陥落しても、なおドイツ軍と共闘。 新造のBf109は部隊への引き渡し前に連合軍側戦闘爆撃機に破壊される状態になっていたが、 最後の防空作戦はナチスドイツの降伏直前の時期まで続けられたということである。 ( ;∀;)イイハナシダナーええ話や。・゜・(ノД`)・゜・
>>826 ハンガリー側からすればKYナチの犬にクーデターかまされた挙句
国を無茶苦茶にされたわけで、後段は微妙。
828 :
世界@名無史さん :2008/01/21(月) 11:19:29 0
ハンガリー史上、ブダかペシュトで魔女狩り、魔女裁判が行われた記録はありますか? また、ハンガリーのどこかで行われた記録があれば、場所を教えて下さい
コリアンとナチスはそっくり ナチス … 自民族(アーリア民族・ゲルマン人)の血の純粋さ・優秀さを主張する血統主義 韓国人 … 自民族(バイタル民族・朝鮮人)の血の純粋さ・優秀さを主張する血統主義 ナチス … 他人種・他民族を劣等視した人種主義(レイシズム)的な差別政策 韓国人 … 儒教に基づく差別的な序列化を他人種・他民族にも適用、国連でも批判うける ナチス … すべてはユダヤ人が悪いという反ユダヤ思想、徹底したユダヤ人弾圧 韓国人 … すべては日本人が悪いという唯日思想、犯罪を含め徹底した反日活動の展開 ナチス … 緻密な宣伝戦略の展開、ウソも百万遍つけば本当になるという恐ろしさ 韓国人 … 歴史捏造と事実歪曲で謝罪・賠償要求の大合唱、無関係な国にまで竹島を宣伝 ナチス … かつての神聖ローマ帝国の領土回復をめざす領土拡張主義 韓国人 … 妄想された歴史帝国の領土回復を夢見る領土拡張主義(メディア・教育レベル) ナチス … 優生思想による障害者に対する迫害、前衛・抽象芸術に対する迫害 韓国人 … 障害者を嘲笑(伝統舞踊)・嫌悪し外国に「輸出」、日本の歴史文化に対する過干渉
どうみてもスレ違い。
833 :
世界@名無史さん :2008/02/04(月) 21:51:25 0
誰かハンガリーの魔女狩りについて何でもええから知ってる情報くで〜…
ごめん、俺、「あった」くらいしか知らない。
>>833 まずお前が知ってることを全部書け。
長文書いてから「そんなのは全部知ってる」とか
言われてはかなわん。
836 :
世界@名無史さん :2008/02/09(土) 15:29:26 0
>>835 長文を書けるほどの知識があるとは実に頼もしい。
私が探した限りでは資料自体に乏しく、アン・ルーエリン・バーストウの
『魔女狩りという狂気』(創元社)の158、159、160Pの3Pにある内容のみ。
@時代、A裁かれた男女比率、B迫害の元になった民間信仰について、
これらが簡潔に記載されているのみ。
それ以外にご存知の事があれば、何でもいいですからご教示願います。
どの都市で裁判が行われたとか具体的な事例がもしあるなら助かります。
>B迫害の元になった民間信仰 横レスですがそれ面白そう。読んでみます。 「闇の歴史」とかでタールトシュについてちょっと書いてたぐらいで情報がなくて・・・
タルトーシュってシャーマンの一種になるんだっけ?
ウラルの東側でトナカイ飼うようになったのがハンティ・マンシ ウラルの西側で馬に乗るようになったのがマジャル …なんだろうか
>>839 農耕牧畜などの技術はトルコに移動したあとに学んだんじゃないの?
>トルコに移動したあと 「レベディア」とかそのあたりのこと?
>>841 ごめん、トルコじゃなくて、チュルク系民族の居住地のことだった。
ヘンタイのゆきちに絡まれて、 GcG様はとってもかわいそうですよね!!11!!
844 :
世界@名無史さん :2008/03/06(木) 20:25:45 0
すみません、このスレの皆さんに質問があります。 1、中世ハンガリーのクマン人などの南ロシアあたりの遊牧民は モンゴルの侵入により追われて逃げてきたということですが、 ではモンゴル軍がロシアに来る前はどうだったのでしょうか? モンゴルのロシア遠征以前にもハンガリーにはクマン人のコミュニティ・傭兵部隊などはあったのでしょうか? 2、マジャール人はいつごろまで遊牧民としての性格を保っていたのでしょうか?
>>844 オスプレイ・メンアットアームズのHungary and the Fall of Eastern Europeによると
p7
「それにもかかわらずハンガリー兵の大部分は、少なくとも12世紀のなかばまで
西欧の軍隊とは異質なままであった。1147年にフライジングのオットーは
ハンガリー人の"醜悪な”武器と"恐ろしい”いでたちを描写している。多くの者は
いまだサーベル、槍、弓、フェルトまたは皮でできたソフト・アーマーを装備して
軽騎兵として戦い、草原地帯の戦争にみられるハラスメント戦術をもちいた。
馬の飼育は主要な生業のままで、人口の大部分はいまだ半遊牧の生活を送り、
野戦築城にも使うことができる荷車で暮らしていた」
またトランシルヴァニアについて面白い記述が
p10
「南東のCsanad周辺では、1030年にイシュトヴァーン王に占領されるまで
独立国が存続しており、当時その地域はまったく伝統的なままで、マジャール人の
候が厩舎に囲まれた木造の館に住み、所有する半野生馬の群れが周辺の土地を
うろつきまわっていた」
クマン人については
p6
「のちの11世紀にキプチャクまたはクマンの諸部族が同様に侵攻し、同様に
定着させられた」
ぐらいしか書いてない。
コルヴィナ社のPechenegs, Cumans, Iasiansって本に詳しかったと思うけど
手元にないので分からない。
>>827 ヒトラーが勝っていたら
そいつらは英雄だな
クマン人は自然消滅しちゃった?
848 :
844 :2008/03/15(土) 16:53:33 0
>>846 戦争が始まる前ならまだしも、
ロシアの反攻が始まっても、未だにヒトラーが勝つと
考えちゃったのが痛いんだってば。
850 :
世界@名無史さん :2008/03/25(火) 22:59:55 0
今月に入ってからまだ6レスしかなかったのか… 意識して保守しないと落とされる
月1レスくらいあれば落ちないよこの板
そう言えばハンガリーって、去年くらいまでやたら政治的にゴタゴタしてたって印象だけど、今は安定してるの?
853 :
世界@名無史さん :2008/03/27(木) 21:39:56 0
ジュルチャーニ首相の失言録音事件か
854 :
世界@名無史さん :2008/03/31(月) 13:40:02 0
855 :
世界@名無史さん :2008/03/31(月) 13:44:56 0
856 :
世界@名無史さん :2008/04/01(火) 08:50:27 0
やばい、もう五月だっての。保守
>>858 イギリス人の描く東欧はどうにも信用できん。
861 :
世界@名無史さん :2008/05/16(金) 23:59:54 0
862 :
世界@名無史さん :2008/05/17(土) 00:02:15 O
ハングリーを連想するからでそ?
863 :
世界@名無史さん :2008/05/21(水) 06:33:26 0
ハンガリー人とルーマニア人の間でも微妙に歴史認識が違うみたいだしw
864 :
世界@名無史さん :2008/05/21(水) 20:29:08 0
そりゃ主従関係にあった隣国同士なら歴史認識ぐらい違ってて当然だからなー
865 :
世界@名無史さん :2008/05/23(金) 01:42:53 0
ここはスレ立てた主が見捨ててしまった、哀れな孤児スレなのですね
3年目だし・・・
今はmixiのハンガリーコミュの管理人やってます
868 :
世界@名無史さん :2008/06/01(日) 21:18:43 0
869 :
世界@名無史さん :2008/06/12(木) 23:16:48 0
ああ、まだ落ちてなくてよかった…
870 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 01:36:37 0
保守
871 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 21:46:01 0
連続保守
872 :
世界@名無史さん :2008/06/27(金) 02:32:54 0
再連続保守
ジュルチャーニはどうなったん?
874 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 19:55:06 0
マジャル共和国
875 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 22:53:39 O
安重根は「反日独立運動の英雄」どころか「日露戦争」の勝利を絶賛するほどの 「親日家」「親天皇派」だった! 「日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。 そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論 ずることなく、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。もう一つは、日露の 開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心 情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情 の順序であり、理に合うものであった。快なるかな、壮なるかな。数百年来、悪を行 い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで大破してしまったのである。日露 戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。だからこのとき 韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ」 「東洋平和論」 安重根
876 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 23:25:55 0
チンチンフニャディヤーノシュ
■エッセイ/ゆーらしあの風■ 誰の町か−−−スロバキア紀行
http://blog.mag2.com/m/log/0000091758/90828066.html http://blog.mag2.com/m/log/0000091758/90880091.html 壁にかかったスロバキアの地図をじっと睨む。副島在スロバキア大使の
執務室である。地図を眺めていたら一つの思いが頭をよぎった。どうも変だ。
山地は平野と一緒になってこそひとまとまりをなす。それがバラバラに
なっている。山地はスロバキア、平野はハンガリー。山間の住民は相互に
連絡をとりにくい。むしろそれぞれが平野と連絡をとって相互には孤立する
のが普通だ。こうして通常は政治的にも経済的にも平野に統合されてゆく。
どうしてバラバラになったのか。
スロバキアはわずかに南の国境沿いに、つまりハンガリーとの国境沿いに
平野をもっているだけである。それも西の端と東の端の二つだけだ。西に
ブラチスラバがあり、東にコシツェがある。二つの部分は山を分け入って
しか連絡できない。なぜこんなおかしなことになったのか。
スロバキアの北の方にタトラ山脈が走っている。最高峰が2千数百メートル
でそれほど高くはないが、これより東、数千キロメートルの彼方にあるウラル
山脈まで山らしい山がない。タトラ山脈=カルバチア山脈はロシアの終わり、
ヨーロッパの始まりといってよいだろう。これから西には山がたくさんある。
最後はアルプスとなる。タトラ山脈とカルパチア山脈は馬蹄形をなして、
大きな平野を囲い込んでいる。パンノニア平原だ。
スロバキア人は、ハンガリー人がパンノニア平原に覇を唱えていた間、
北の山地に潜んでいたのではないか。実はスロバキアの西と東の二つの
都市も長い間ハンガリー人の拠点だった。それを山から降りてきたスロバ
キア人が次第に浸食して、ハンガリー人を駆逐していったのだろう。もちろん
ハンガリー人はなおスロバキアの人口の10%ほど残っているが、ほとんどが
南の平野にへばりついて住んでいる。タトラ山脈から流れ出した水は山を分け、
峡谷を作り、やがて平原に流れ出て、大河に注ぐ。スロバキア人も水のように
山間から滲みだしてきて、平原に広がったのではないか。
初めはハンガリー人に同化されたが、19世紀になると平原に降りても自分 たちの民族性を維持するようになった。チェコスロバキア時代を経て、自分 自身の国家までもつに至った。結果、民族的には同質的な国家ができたが、 経済地理的、政治地理的にははなはだ不自然な国家となってしまった。 そのように考えると、ブラチスラバだけを見ていてはスロバキアのことが 分からないような気がした。 ブラチスラバにはドナウ川が流れている。川は一番低いところを流れる。 ブラチスラバはおそらくスロバキアで一番低いところである。北のタトラ山脈 から流れ出る小さな諸川がドナウ川やティサ川に流れ込む。スロバキアを 知るためにはやはり山を見なければダメではないか。こういう思いに取り憑 かれて、次第にその山国の首都、バンスカー・ブィストリツァを見たいと思う ようになった。幸い、シンポジウムがはねたあとの日曜日がまる一日空いた。 <中略> 旧市街では市庁舎の隣にあった歴史博物館に入った。絵画、彫刻、家具、 衣装などが展示されていたが、ほとんど説明がない。名前も年代も入って いない。とくに肖像画についていつの時代の誰の肖像画であるかが示され ていない。これはブラチスラバの王城にあった博物館でも同じであった。 正式の歴史博物館ではないのだからそういうことに無頓着なのもある程度 やむを得ないと思われたが、あまりに匿名であるのが気になった。それは おそらく、ここで展示されている人物のほとんどがスロバキア人ではない からだろう。この都市を築き、経済的に発展させたのがドイツ人であったと すれば、政治的に支配したのはハンガリー人である。肖像画の主はほと んどドイツ人かハンガリー人であったに違いない。スロバキア人が出る幕は まずなかったのである。スロバキア人が住んでいたこの山地のど真ん中に おいてさえ、都市におけるその比重は何世紀にもわたってきわめて低かった。
879 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 23:58:57 0
その事実に直面したとき、私は一つの感懐に襲われた。 その昔、フリードリヒ・エンゲルスが作り出し、オットー・バウアーが彫琢した 「歴史なき民族(geschichtslose Nationen)」という悪名高い概念がある。 自らの支配階級をもたない民族というほどの意味である。そこには歴史を 作るのは支配階級のみ、という考え方がある。 その当否はさておいて、スロバキア人こそはまさしく「歴史なき民族」の 典型である。「歴史なき民族」の歴史博物館は自己矛盾である。 そこには本来展示するべきものが無いのだ。 <中略> たしかにスロバキアはタトラの山々から滲みだしてきた人々の作った国だ。 それはこのバス旅行で確認できた。しかし、タトラの山々がもともと彼らの ものであったのかどうかはなんともいえないという気がした。タトラ山地の首都 バンスカー・ブィストリツァでさえどの程度スロバキア人のものであったのか。 バンスカー・ブィストリツァは誰の町か。スロバキアはいったい誰の国か。 不思議なことにスロバキア人は一度も自らの国家を闘いとっていない。 国家は彼らにとってひとりでに転がり込んできたのだ。1918年も、1939年も、 そして1993年もそうであった。唯一の闘いとる試みであった1944年の国民 蜂起は失敗に終わった。 この地方の歴史の表舞台で踊ってきたのはドイツ人、ハンガリー人、そして チェコ人である。それをスロバキア人はかたわらでじっと眺めてきた。支配 民族は来たり、また去っていった。スロバキア人と同じように被支配民族で あったユダヤ人もジプシーもそうである。彼らの運命にスロバキア人は 関心を寄せないのだ。 それでよいのか。歴史とは何か。スロバキア人も歴史の表舞台に上がった からにはその意味を知らざるを得ないだろう。 (いとう たかゆき)
ハンガリーの失業率は累積財政赤字は右肩上がりだが、ヤバすぎね? 通貨のフォリントは近いうちクラッシュするんじゃね?
881 :
世界@名無史さん :2008/07/02(水) 03:28:47 0
882 :
世界@名無史さん :2008/07/02(水) 05:48:17 0
チンチンフニャディヤーノシュ
阪神ファンうるさいねん。テレビ見るんは結構やけど近所迷惑考えろ
タトラ マトラ −−−−−− ファトラ
( ^ω^)( ^ω^)( ^ω^)
シェーはないだろ…常識的に考えて…
887 :
世界@名無史さん :2008/08/14(木) 15:10:13 0
エゲルについてですが、旅行案内誌によって記述がまちまちな点があります。 「エゲル城は1702年にハプスブルク軍によって爆破された」という説明と、 「エゲル城は反ハプスブルクの拠点の一つとなり、ラコーツィも入城した」 という説明があります。 ラコーツィの反乱が始まったのが1703年だとすると、ズレがあります。 爆破されたのが1712年だとしたら、敗戦後の事で合いますが。 どちらが正しいのでしょう?
888 :
世界@名無史さん :2008/08/14(木) 20:15:39 0
>>887 前提として、旅行案内誌は必ずしも信頼できる資料とはみなせませんが…
可能性としては、「どっちも正しい」です。
ハンガリー語版のウィキペによると、1701年に(の?)
オーストリア皇帝の命令に従ってエゲル城の外壁を破壊したとありました。
すでにクルツ党の反乱は発生していましたので、拠点となりそうな場所を
あらかじめ破壊しておいたというのもあるかもしれません。
詳しくはハンガリー史の本に載ってるかもしれませんが、
今ちょっと手元になくて。
890 :
世界@名無史さん :2008/08/24(日) 01:42:18 0
>>889 これはご教示ありがとうございます。
最近このスレはめっきり過疎りまして、私自身、巡回しなくなりました。
応答が無いものと半ば諦めながら書いてるので、お答え頂いて嬉しい限りです。
なるほど、ハンガリーのwikiでは破壊は前年の1701年になってるのですか。
本場の方が正しいでしょう。間違いには突っ込みが入るはずですから。
ラコーツィがクルツと手を組んで蜂起するのはその後ですから、
壊れた城に入ったかどうかは、正確な所は判らないままですね。
本当に知りたかったのはラコーツィの動向でした。
詳細な資料でもなかなか載ってない事と思いますので、もしも運良く何か見つかりましたら、
教えて頂ければ幸いです。
私が所持してるのは恒文社の『ハンガリー史』ぐらいで、知識は白紙と変わらないので、
もしラコーツィについて判った事実やエピソードがありましたら、どんな事でも助かります、
この場を借りてどうぞご教示ください。よろしくお願い致します。
891 :
世界@名無史さん :2008/08/24(日) 01:46:52 0
892 :
世界@名無史さん :2008/09/19(金) 02:48:48 0
保守
893 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2008/09/19(金) 03:34:36 O
サルコジ大統領&チチョリーナ首相のハンガリー キボンヌ
894 :
世界@名無史さん :2008/10/07(火) 19:14:51 0
フニャディ・ヤーノッシュの実子が何でマーチャス・コルビヌスになるのよ?
え?
アラン末裔集団もクマン末裔集団同様にマジャール化してるの?
898 :
世界@名無史さん :2008/10/13(月) 01:24:13 0
899 :
世界@名無史さん :2008/10/13(月) 01:50:53 O
ハンガリー人、スロバキア人を国外追放せよ!
900 :
世界@名無史さん :2008/10/13(月) 01:53:00 O
大酒飲みの大飯喰らいめ!>ハンガリー人
ハンガリー通貨急落でIMF支援
欧州に拡大した金融危機の影響で、ハンガリーの通貨フォリントが先週後半、1日で1ユーロ当たり
252フォリント(約138円)から約1割急落し、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)は13日、
「政府への財政支援を惜しまない」とする声明を発表した。
対ユーロ相場は先週末の10日、過去2年間で最低水準となり、国内株価も低迷したが、
ユーロ圏首脳会議の共同行動計画などを受け、13日には為替、株式とも急反発した。ただ、
EUなどはユーロ圏の周辺国の相場急変に警戒を続けている。
ロイター通信によると、銀行国有化が相次ぐアイスランドでは、政府が同日までにIMFに融資を
公式に要請。今回の危機でIMFによる初の緊急融資となる可能性もある。同国はロシアにも
40億ユーロの融資を要請している。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/081014/fnc0810140751005-n1.htm
902 :
世界@名無史さん :2008/10/16(木) 08:40:50 0
めっさやばい、ハンガリーめっさやばい 2004年以降EUで初の経済破綻がハンガリーかエストニア
903 :
ルペン :2008/10/16(木) 08:59:52 O
がっはっはっはっは。だから言わんこっちゃない。EU拡大など論外だと言ったろ?
904 :
世界@名無史さん :2008/10/16(木) 09:06:32 0
>>902 ハンガリーがやばいとは書いたが、これはEU拡大とは直接関係ないんだよボンクラ
むしろEU内にいるおかげでこれまで自由落下をなんとか避けて凌いでいた
それがいよいよ限界に来ているということなのさ
ハンガリー経済がやばい本当の原因は、国内の右翼思想にあるのさ
「自分たちにはいますぐ豊かに暮らす権利がある」と身の程知らずの財政拡大をしたおかげで、
経済のバランスを崩してしまったんだよ
まず財政赤字と経常赤字が拡大して、その後あわてて財政支出を減らしたから、
インフレと高金利のダブルパンチ
これでいま大変なことになっている
要するにだな、持続可能性を無視したこのハンガリーの財政政策は、
ナチスドイツの経済政策と同じなのさ
905 :
世界@名無史さん :2008/10/16(木) 09:07:03 0
デンマークもユーロ移行を検討しだしたようだな
>>906 何年も先だよ
デンマークは既にERM2に入ってはいるが、デンマークもハンガリーもERM2の基準を満たしていない上、
満たす見通しも立たないから数年で入るのは不可能
最低でも今から10年ぐらいはかかる
908 :
世界@名無史さん :2008/10/20(月) 09:03:25 0
ハンガリー、金融危機にEU基金活用 減税には否定的
ハンガリー政府は18日、政財界や労働組合、学者ら60人を招き、金融危機対策を協議する緊急会議を開いた。
ジュルチャーニ首相は通常はインフラ整備に用いる欧州連合(EU)基金を金融危機対策に活用する考えを示した。
シモル中央銀行総裁は「欧州単一通貨ユーロ導入と経済成長が危機への耐性を高める」と強調した。
首相は景気刺激のための緊急減税には「経済改革を推進し、財政規律を維持するのが先決だ」とし、否定的な考えを示した。
公的債務や外貨建て融資比率が高い同国では投資家が資金を引き揚げ、通貨が急落している。
政府・中銀は国際機関と支援策を協議している。欧州中央銀行(ECB)が16日、ハンガリー中銀に50億ドルの特別貸出枠を設けたほか、
週明けにも国際通貨基金(IMF)が財政支援策をまとめる可能性が高まっている。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081019AT2M1900719102008.html
改定: 主な新興国サンプル9カ国のCDSスプレッド(Bp)とデフォルト可能性(%) これらが高いほど危ない Country CDS spread [Bp] * Annual PD [%] ** Date Brazil 321 3.8 16.Oct.2008 Hungary 482 5.5 16.Oct.2008 Korea, Rep. 350 4.2 16.Oct.2008 Mexico 310 3.7 16.Oct.2008 Poland 160 2.0 16.Oct.2008 Russia 623 6.8 16.Oct.2008 Turkey 559 6.2 16.Oct.2008 Ukraine 1840 14.1 16.Oct.2008 Venezuela 1665 13.4 16.Oct.2008 *) Source: Bloomberg **) Source: DB Research デフォルトの確率(%)は、危ない⇔比較的安全の順に: ウクライナ、ベネズエラ、ロシア、トルコ、ハンガリー、韓国、ブラジル、メキシコ、ポーランド
910 :
世界@名無史さん :2008/10/21(火) 21:28:26 0
ハンガリー最強 貴きマジャールの更なる弥栄を願ってるぜ
ハンガリーってソ連に占領された国の中でも、過酷に扱われた方の国だけど何で、 ポーランドみたいにスターリンの私怨でもあったの?
912 :
世界@名無史さん :2008/10/30(木) 21:40:13 0
過酷に扱われてないよ グヤーシュ社会主義でググってみな 結局このときの汚職体質&ポピュリズム体質がずっと抜けずに国民が甘えて 身の程知らずの贅沢な暮らしをしたから、いまこういう危機になった IMF3回目だそうだ 韓国よりひどい ヨーロッパの韓国と言うのもおこがましい 韓国以下
913 :
世界@名無史さん :2008/11/02(日) 10:28:35 0
>>912 いやいや、韓国の方が劣等民族であることは世界の通説だよ。
まず、ノーベル賞受賞者の人口比でハンガリーは世界トップクラスのはず。
それに比べて韓国ときたら、金で買ったといわれているノーベル平和賞くらい。
高等教育機関での論文の捏造をしたり、歴史を歪曲したり、やりたい放題。
おまけに、韓国がここまで成長できたのは日本の経済援助のおかげでありながら、自分たちの力で成し遂げたと信じているお気楽民族。
それどころか、韓国はこれだけ日本に援助してもらってIMFの世話になるとは国家運営能力はゼロだよ。
おまけに援助してもらっておいて、ほとぼりが冷めると何でも悪いことは日本人のせいにして、手柄は全て自分のものにする横暴さ。
やはり、韓国人と同じ土俵で比べられれば、いくら温厚なハンガリー人でも怒ります。
914 :
世界@名無史さん :2008/11/02(日) 10:39:08 0
>いやいや、韓国の方が劣等民族であることは世界の通説だよ。 ねーよ 韓国はIMF1回、ハンガリーはIMFこれで3回目なんだって? ハンガリーのほうがチョンより劣等じゃん
ハンガリースレでまで朝鮮の話って お前らどんだけ朝鮮好きなんだよ もういっそ朝鮮の子になっちゃえよ
916 :
世界@名無史さん :2008/11/02(日) 13:51:38 0
917 :
世界@名無史さん :2008/11/02(日) 13:52:11 0
>>914 君、在日朝鮮人??
韓国はあれだけ日本に経済援助してもらって、更にIMFにも迷惑をかけている。
単なる回数の問題じゃないよ、ネットキムチ君。
ついでに、韓国人のノーベル賞受賞者何人いるの?
ハンガリーが優等民族で韓国が劣等民族なのは世界の通説だよ、よく覚えておきな。
韓国もかなり問題だが、ハンガリーのほうが韓国よりずっとずっと下の民族だと思うなぁ・・・ IMFに入ったのは両国とも1982年なんだが、IMFの支援を受けたのは 韓国が1回(1997年) ハンガリーは3回目(1982、1994、2008年) だもの ハンガリー人には国家の運営能力が全くないと思う 最低の駄目駄目民族だろ オーストリアによる少数民族分断支配の道具としてのハンガリー人懐柔政策の結果が オーストリア=ハンガリー二重帝国だったわけだが、ハンガリー人は自分たちの実力だと勘違い 昔のハンガリー人に文化面の実力者がいたのは、オーストリア時代に 他の民族はなかなか高等教育まで受ける機会がなかったからという、単純な理由なのに ブダペストの街並み、あれの原資も、少数民族分断支配政策を採ったオーストリアからの投資 でもそのお金を稼いでいたのはチェコ(モラビア)やポーランド(シレジア)の鉱工業地帯だったんだよね そこから富を収奪して、ハンガリー人を懐柔するのに使った それの残滓である建物などを、ハンガリー民族マジャール民族の栄光とか誇って観光客を呼ぼうとする いいかげんみっともないよ、ハンガリー人・・・
919 :
世界@名無史さん :2008/11/02(日) 17:42:55 0
民族に優劣とか 19世紀の人間ですかお前ら
プロバイダーを変更したら書き込みが出来なくなっていたのですが、 なんか書き込めるようになったみたいです。 >890 エゲル城ですが、1687年10月まではオスマン帝国の国境防衛線の要でしたが、 ハプスブルク軍との戦闘で落城しました。その時点で、城は完全に破壊された そうです。その後、城がどんな状況だったのか、手元の資料ではわかりません が、1702年にハプスブルク政府が城の軍事的無力化を決定し、城の外壁の破壊 を開始しています。(と、いうことは、落城後、ある程度の修復はなされてい たものと思われます。) で、ラーコーツィの自由戦争の当時のエゲル城ですが、1704年11月にラーコー ツィ軍が攻め寄せ、約8週間の戦いの後、水も食料もつきた4000人の篭城兵は 1月2日に降伏しました。 その後、城はラーコーツィ軍の最後の拠点の一つとして、抵抗しましたが、 1710年に降伏しています。そして、城は今度こそ完全に破壊されました。 ソースはハンガリーで出版されている「ハンガリーの中世の城」という英文の本 です。 >895 コルヴィヌスというのは、フニャディ家の家紋「大鴉」にちなんだラテン語の号 みたいなもので、フニャディ・マーチャーシュが本来の名前だと思います。 ただ、彼は格付けのために、自分の家系が古代ローマの貴族のコルヴィナ家(だ ったと思うのですが)の末裔だとかいう系譜を御用学者に作らしたりしています し、庶子のヤーノシュがフニャディではなくコルヴィンを名乗っているところか らすると、コルヴィンを家名にしてしまうつもりだったのかもしれません。
>酔鯨ジョーカー土佐守ジーモンさま ハンガリーに住み着いたアラン人の末裔というと、ヤース人のことかと 思いますが、マジャール化してしまっているようです。 ハンガリー人から見ると、「違う」という部分があるのかもしれません が・・・。
923 :
世界@名無史さん :2008/11/03(月) 00:30:26 0
924 :
世界@名無史さん :2008/11/03(月) 00:35:55 0
フニャチン・ヤーノシュwww
>923 参考になるかどうか・・というのは、読まれる方の興味の在りようと関連する ことですので、一概には言いがたいかと思います。 元々が著者の方の執筆された論文を集めたものですので、一般的な書籍では ありません。著者の執筆された論文はグーグルスカラーで検索すれば、PDF でダウンロードできるものもありますので、それを読んでみられてはいかがで しょうか?
926 :
923 :2008/11/03(月) 19:00:13 0
>>925 ありがとうございます。
実はエリザベート・バートリがきっかけでハンガリーの歴史に興味を持った口です。
エリザベート・バートリの時代背景について色々知りたくてその書籍に興味を持った次第でございます。
このスレやエリザベートのWikipediaを拝見しましたが何かとわからないことがあったので色々質問させてください。
つい最近調べ始めたので殆ど素人同然ですがよろしくお願いします。
・ハプスブルク家とバートリ家統治期のトランシルヴァニアとの関係について
調べたらルドルフ2世、ボチカイ・イシュトヴァーン、ミハイ勇敢公、バートリ・アンドラーシュ、
バートリ・ガーボル、ベトレン・ガーボルなどの人物が出てきたのですが日本語のサイトが
少ないので彼らの関係が詳しくわかりませんでした。
後、1599年の「シェリムバルの戦い」の背景についても詳しく知りたいです。
・Nádor(Palatine)について...
これはハンガリーでいう副王ということなのでしょうか?
927 :
923 :2008/11/03(月) 19:00:51 0
・トゥルゾー家とトゥルゾー・ジェルジについて...
トゥルゾー家は当時でいうメディチ家のような存在だったのでしょうか?
トゥルゾー家の他にフッガー家というのが出てきました。
・Illésházy家とIllésházy Istvánについて...
Illésházy. István が1608年に Nádor に、その僅か1年後の1609年に
亡くなっているようですが暗殺でもされたのでしょうか?
・エリザベートの夫フェレンツ、その父タマーシュ、ナーダジュディ家について...
フェレンツはオスマン帝国との戦いの英雄だそうですが具体的にどの戦いに参加したのでしょうか?
フェレンツの父タマーシュは1554年から1562年までNádorだったようですがナーダジュディ家は
16世紀当時どれくらいの地位にいたのでしょうか?
・エリザベートの次女カタリンが嫁いだホモンナイ=ドルゲト・ジェルジについて...
スロバキア版Wikipediaに記述がありましたが全く読めませんでしたorz
ttp://sk.wikipedia.org/wiki/Juraj_III._Drugeth よろしくお願いします。
さすがに一度にはお答えいたしかねますし、私自身知らないことの方が 多いです。 まず、紹介になっておられた本の件ですが、興味の対象の時代背景、ハ プスブルク家の宗教政策と、それに反発したハンガリー貴族の反乱を 知るには良いかと思います。前に書かせていただいたとおり、内容の一 部はPDFで読めますので、まずそれをご覧になることをお勧めします。 後は、お答えできるものから、なんとかお答えできればと思いますので、 ご容赦を。
930 :
世界@名無史さん :2008/11/04(火) 14:29:08 0
>>928-929 ありがとうございます。
> Illésházy,István (1540-1609)
> ハンガリー王国の西部の最有力貴族の一人であったが、ルドルフと対立し、
> 1603年には所領を没収されポーランドに逃亡していた。ボチカイの蜂起後に帰国し、
> ボチカイ側に立って和平交渉を指揮した。
イーレーシュハージ・イシュトヴァーンはハプスブルク家と対立していたのですね。
ボチカイ・イシュトヴァーンが1606年に死去?
その2年後にイーレーシュハージ・イシュトヴァーンが副王になりその1年後に死去。
同年の1609年にトゥルゾー・ジェルジが副王になっていますね。 凄く気になります。
トゥルゾー・ジェルジはハプスブルク側の人間だったんでしょうか?
もう一つ質問を...
エリザベートの次男パールはレーヴァイ家?のユディトという女性との間にフェレンツという子供がいるようですね。
このフェレンツは1671年にズリーニ・ペーテル、フランコパン・フェレンツという人物たちと一緒に処刑されたようですが
何故処刑されたのでしょうか?
ttp://hu.wikipedia.org/wiki/Nádasdy_Ferenc_ (főúr)
ttp://sk.wikipedia.org/wiki/František_II._Nádašdy ttp://sk.wikipedia.org/wiki/Druget 因みに↑を見たらナーダジュディ家、ドルゲト家を含めれば彼女の子孫はかなりいるようですね。
答えられる範囲で結構ですのでよろしくお願いします。
何か質問ばかりですいません…。
週末まではまとまった時間がないので、お答えできる範囲で >このフェレンツは1671年にズリーニ・ペーテル、フランコパン・フェレンツという人物たちと一緒に処刑されたようですが ハプスブルク家に対する反乱計画が発覚したのです。 恒文社のハンガリー史1巻206〜209ページあたりをご参照ください。 トルゥゾー家は元々はポーランド出身で、鉱山開発技術を持って取り立てられました。 フッガー家とバンスカビストリッツァー鉱山を共同経営していましたが、財閥ではありません。
933 :
世界@名無史さん :2008/11/06(木) 23:33:44 0
>>931-932 ありがとうございます。
確かにスロバキア語を翻訳するのは難しそうですね。
そのサイトに載せられている書面の内容が気になります。
トゥルゾー家もフッガー家と同じく財閥だと思っていました。
貴族なのでしょうか?
バートリ・エルジェベトについて知りたいのかトランシルヴァニアについて知りたいのか
935 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 19:25:54 0
半日わろたぜ
Himnusz (Hungarian Anthem)
http://www.youtube.com/watch?v=SR6Z0X9ALgA ----------------
AYKA96 (3 months ago) Show Hide +4
BEAUTIFUL!!! !!ToToToT I LISTENED TO DANCE EDITION OF THIS *HIMNUSZ* AND WAS
SURPRISED TO IT, THIS ORIGINAL ONE IS MORE IMPRESSING AND MAGNIFICENT!! THANK YOU!!!
AllBozgorsArePervert (3 months ago) Show Hide -6
Hello so-cute pretty girl :-) , WELCOME TO BOZGORORSZAG!!!
AYKA96 (3 months ago) Show Hide 0
THANK YOU !!YEy!
AllBozgorsArePervert (3 months ago) Show Hide -6
oh, girl, do you know what Bozgororszag means? if you know it, you are not only pretty but also smart!! =)))
AYKA96 (3 months ago) Show Hide 0
?___?
AllBozgorsArePervert (3 months ago) Show Hide -6
Okay, simply, "Bozgororszag" is an another name of Hungary (the country having this anthem).
But in English, "Bozgoristan" is more popular name which are well-known in the world because of its suitableness.
and you looks really pretty and sweet :-)))))
AYKA96 (3 months ago) Show Hide -3
THANK YOU!!! ^___^ I WANT TO VISIT BOZGORISTAN IN SOME FURTURE TO LISTEN TO THIS BEAUTIFUL-BEAUTIFUL TUNE!!! YEY o0O
AllBozgorsArePervert (3 months ago) Show Hide -6
That's all okay! It will be an extremely exciting and thrilling experience for you =))) (I'm a bit worried about it though)
Anyways you are pretty cute... I'm pretty sure you'll become a extremely beautiful woman! See you! :-)
-------------
http://www.youtube.com/user/AYKA96 http://www.youtube.com/user/AllBozgorsArePervert
>>935 Bozgorの意味を知らない人にとっては、
単なる変なルーマニア人男と可愛らしい日本人少女のほほえましい国際交流だな。
(俺もググって今知ったけど)
937 :
世界@名無史さん :2008/11/08(土) 21:08:38 0
権威主義的な臭いがしますが、やっぱりハンガリーって権威主義なんですか? 「民族の栄光」みたいなことを、いまだに真顔で言う民族?
>>937 ハンガリー人のどこから権威主義的な匂いを感じ取られたのでしょうか?
939 :
世界@名無史さん :2008/11/09(日) 11:31:08 0
ハンガリー人はどうか知らないが、ハンガリーのヲタが権威主義的なんだろうね ノーベル賞人口あたり世界一!!!とwikiに嘘の記事を作ってるんだって?
トゥルゾー家ですが、鉱山を経営していた市民が貴族になった家系です。 手元の「フッガー家の遺産」諸田實著に多少の記載がありました。 ・1469年以来、ポーランドのクラクフ近郊のモジラで鋳造所を経営していた。 ・優れた銅の精錬技術を有していた。 ・1494年、ハンス・トゥルゾーと息子のゲオルグはノイゾール(バンスカビ ストリッツァ)鉱山の採掘権をハンガリー王室から16年間賃借する契約を締結、 採掘に必要な資金をフッガーが出資した(地元の反対で契約期間は10年に短縮) ・鉱山の経営はトゥルゾーの名で行われていたが、1498年に権益の半分が正式に フッガーに譲渡された。王室(この当時はヤゲヴォ王家)はトゥルゾーとフッガー を頼るようになり、両者は7つの鉱山都市で特権を得ていた。 ・1508年に「フッガーの先導役を果たしたトゥルゾー」が死ぬと、5人の息子の うち3人が司教になっていたが、そのうちのブレスラウ司教四版と、俗界に残った アレクシスとゲオルグがフッガーと事業を続けた。 ・アレクシスはブダペストの宮廷で高官になり、ゲオルグは事業に専念した。 ・ゲオルグの妻はヤーコブ・フッガーの姪のアンナであり、ヤーコブの甥のライムン トはカタリーナ・トゥルゾーを妻に迎えている。
フッガーとトゥルゾーの関係は、ハンガリー宮廷内における、親ハプスブルク派対サポヤイ ヤノシュを筆頭にする民族派の対立に巻き込まれて、一旦途切れます。 資金不足を貨幣の悪鋳で補おうとしたことが原因で、物価が上昇し、これに 起因した暴動が発生した原因として、フッガーとトゥルゾーが槍玉に挙げられたのですが 、大蔵大臣をしており、責めを負うべきアレクシス・トゥルゾーがヤーコプ・フッガー に責任を転嫁し、フッガーの財産が差し押さえられることになってしまったのです。 ヤーコプはその政治力を使って、反撃し、ハンガリー王室に譲歩させることに 成功しましたが、その知らせを知る前に死去、ハンガリー王室もオスマン帝国軍の攻撃の 前にモハーチで大敗北を喫し、国王ラヨシュ2世が陣没するという悲惨な状況に至ります。 当時の人々は、フッガーを怒らせておらず、資金援助が受けられていたならば、 こんなことにならなかっただろうと言ったそうです。 ヤーコプの後は、アントーン(カタリーナ・トゥルゾーの婿)が継ぎました。 ハプスブルク家と結び、同家のフェルディナントがボヘミア王・ハンガリー王 になることを援助しています。 さて、トゥルゾー家ですが、アレクシスはモハーチ戦後の1532年に副王に就任しております。 フッガーとの関係がどうなったのかは、手元資料には登場しません。
上記の資料はドイツ語の人名表記になっているのでご注意を。 アレクシスはThurzó Elekと さて、エリーザベトの事件に登場するトゥルゾー・ジョルジですが、 この家系はトゥルゾー家でも別系統で、さっき出てきたブレスラウ司教 ヨハンの父の兄弟(弟)の末裔で、貴族化したのは二トラ司教だったフ ェレンツという人物が、アルバ(今のスロバキアのオラバ)のZupan(知 事と訳すのでしょうか)になって時からのようです。彼の息子が、問題の ジョルジです。 調べるのに暇がかかって申し訳ないですが、手元の資料でわかるのはこの 程度です。
>トルゥゾー家は元々はポーランド出身
ウイキペディアで申し訳ないですが、
「先祖はオーストリア南部からやってきて、セペシュ県のBetlanovce村に
住み着いた。」とありました。そこからポーランドやハンガリー・シレジア
へ出て行ったそうです。
ポーランド出身というのは誤りのようですので、お詫びして訂正いたします。
ご参考
http://en.wikipedia.org/wiki/Thurzo
944 :
世界@名無史さん :2008/11/11(火) 19:32:53 0
>>937 「民族の栄光」みたいなことをいまだに真顔で言う民族は、朝鮮人ぐらいだよ。(ウリナラマンセー思想)
ハンガリー人はそんなこと言わないよ。
しかし、最近はネットキムチ工作員の荒らしが酷いな。
ハンガリーのネガティブキャンペーンをして、相対的に韓国を上にもって行こうとする。
こういう事するから、朝鮮人は世界中から嫌われるんだよね。
ハンガリーというよりアルメニアだよね。 民族の栄光とか真顔で言う民族は。
946 :
世界@名無史さん :2008/11/19(水) 11:27:48 0
>>945 確かにアルメニア人と朝鮮人って似てるよね。
両者とも、民族の栄光とか真顔で言うし、何でもかんでも自国の起源にしちゃったり・・・
お前は朝鮮フィルターを通さないと、世界が見えないのかよ
948 :
世界@名無史さん :2008/11/19(水) 12:18:20 0
やっぱり朝鮮はハンガリーだよ
949 :
世界@名無史さん :2008/11/19(水) 17:50:55 0
>>948 いやいや、ヨーロッパの朝鮮はアルメニアってのが世界の通説だから・・・
ハンガリーは、ヨーロッパの日本ってのもオレ的通説だからwww
ちなみに、ブルガリアはヨーロッパのカンボジアだからw
ルーマニアはヨーロッパのベトナム
アイスランドはヨーロッパの国後島
>>949 アルメニアはアジアなんですが・・・・・。
>>949 おまえが決める資格はないよ。
ハンガリーはヨーロッパの朝鮮と決まっているしこれから徹底的に定着させるのでよろしく。
アルメニアは欧州の朝鮮と言ってる奴も ハンガリーは欧州の朝鮮と言ってる奴も どこかを自分たちと同じにまで貶めたいと言うのは共通してるのな
953 :
世界@名無史さん :2008/11/20(木) 06:57:54 0
954 :
世界@名無史さん :2008/11/20(木) 07:02:33 0
>>951 >ハンガリーはヨーロッパの朝鮮と決まっているしこれから徹底的に定着させるのでよろしく。
↑決まってね〜よ、バ〜カw 大体、お前が何を言っても定着しね〜よ。
お前に世界の通説を覆すだけの影響力があるはずがない、これも世界の通説だから、よろしく。
世界の通説とは、「ハンガリーはヨーロッパの朝鮮」、これ決定版
「アルメニアは欧州の朝鮮」説って例のサイトしかソースないんだが 幾つかのサイト・ブログでも取り上げてるけどソースとして記されてるのは全部同じサイト。 アルメニアを扱った他のサイトの記述とはあまりにかけ離れてるのでトルコ信奉者か在日アゼルバイジャン人あたりの悪質なサイトなんだろ ところで2chであちこちの国が欧州の朝鮮扱いされる前は、欧州の朝鮮といえばチェコだったのだが・・・ 嫌韓厨なんてものが誕生するより前の話だが、意味合いは同じw
957 :
世界@名無史さん :2008/11/21(金) 10:29:17 0
∧_∧ さあ < `∀´> 願い事を3つまで叶えろニダ ( ∽) )ノ _ (_ /〜ヽ [il=li] <('A` 。) えっ!? 俺が叶えんの ? )=(_ ( )> (-==-) <^ヾ_ `ー‐''
秘匿名称クーゲルシュライバーか しかし最近のスパロボの傾向から言うとスティロ・ディアルキアスみたいな感じで来る可能性も
誤爆すまぬ
いつだったかな、NHKのラジオ放送でハンガリー?だったか東欧の女性が語っていた。 「日本人の男性に関して好きでないところがある、それは誇れる素晴らしい文化と 精神、その国に暮らしていることを気づくことなく、大した国じゃ無いと思っていることだと。」 「そして何より勤勉で会社や家族に対して責任感の強さを感じる」と。 その意見に対してラジオに出演していた日本人の女がムキになって、 「日本の男は家庭を顧みないでろくなもんじゃない」てな感じで日本の男を貶め始めた。 「だから熟年離婚が増えてるんだ」と言いたい放題。 これに対して東欧女性は 「何言ってるの、日本人男性は焼け野原から世界第二位の国家を作ったじゃないの、 貴女たちは愛情表現が無い等と言ってるけどお給料を家族に渡すことこそ愛じゃないんですか? 日本人男性はI LOVE YOU I LOVE YOU って言うことが苦手なだけよ。」 「きちんとお給料を渡し家族のために身を粉にして働く日本人男性は責任感がとても高い」 というようなことを言ってました。 日本人の女はこの発言に対して、「会社等で女性差別がある!」などと 日本女お得意の、男への依存と甘ったれを棚に上げた 田嶋陽子ばりの被害妄想を展開してヒステリックに反論してました。 それを聞いていた東欧女性は、日本の女は幼稚ね、と言わんばかりに呆れた口調でした。
この状況では、もう次スレは不要ですな。
この板そんなスレばっかりだよね
ありゃ、スロバキア人だね。あの粘着質、恨み、劣等感、他には有り得ない。 韓国人がハンガリーにあそこまで粘着を起こす理由がないとすれば、ハン ガリーと仲の悪い隣国の人と考えるのが自然。となると、スロバキア、ルーマ ニア、セルビアの3つに絞られる。しかし、ルーマニア人、セルビア人は良くも 悪くももっと直情的だ。だから、スロバキア人と断定して問題ないと思う。
966 :
世界@名無史さん :2008/11/27(木) 11:33:21 0
やたらとハンガリーを誹謗中傷するネットキムチ工作員が出入りするようになって雰囲気が悪くなってきたな。
967 :
世界@名無史さん :2008/11/27(木) 21:51:44 0
>>961 ハンガリー女性、なかなか良い事言うね。
甘ったれの日本女にも見習ってもらいたいよね。
>Illésházy. István が1608年に Nádor に、その僅か1年後の1609年に >亡くなっているようですが暗殺でもされたのでしょうか? イレシュハージ・イシュトヴァーンについては私もよくわかりません。 ただ、暗殺されるような事態が起こっていれば、なんらかの記載がある ようにも思いますが・・。 トゥルゾー家については、鉱山関係の資料を見ていたら記載を発見しました。 それによると、やはりクラクフ出身で、優れた鉱山の排水技術を持っていて 今のスロバキア地域の鉱山をまかされたとありました。
969 :
世界@名無史さん :2008/12/17(水) 16:51:47 0
レスが無いまま、すでに月の後半に突入。
ハンガリー史に興味がある人がいないのでしょう。
>>969 、
>>970 例のスレのせいだよ。
俺は最初、本スレが消滅し、ふざけた人がハンガリーと朝鮮半島をからかって次スレを立てたのかと思って、質問もしたんだけど返レスは皆無。
それにしてもあんなスレにレスして馬鹿やったよ。
多分、東欧ユダヤ人ハザール起源説(では白人ユダヤなる電波な言い方をするが)ではパンノニアに定住して
キリスト教に改宗するまでのマジャル族がハザールと同盟関係で、
何かとハザールのために便宜を図った他にマジャル人でユダヤ教に入信した人も多く、
(カフカス人やフィン人と混血を重ねていた)ハザール人とマジャル人の
ユダヤ教徒が中欧東部に大挙移住したのがアシュケナジーだとかいう電波がネットに氾濫している。
ラインラントなど西部ドイツ、フランドル、北フランスで十字軍などによるユダヤ人虐殺・集団改宗強制を機に
多くのユダヤ人がポーランド、リトアニア、ハンガリーに移住したことは事実なのに、
「50%は殺害されたか自殺、40%は改宗、10%は何とか逃げて西部に残った」から、
ドイツ西部からの大量移住はない、と電波炸裂。
とにかく、その手の電波話がネットに氾濫していることもああいうスレが立つ一因かもよ。
972 :
971 :2008/12/18(木) 03:33:18 O
ハンガリーのユダヤ教徒はユダヤ教徒マジャル人末裔とのことですが、 ユダヤ人とマジャル人とでは顔立ちが違いますし、 ハンガリーのユダヤ教徒の多くはマジャル語じゃなくドイツ語かイディッシュ語を話していましたから誤りです。 キリスト教徒になったとはいえハンガリー国王がユダヤ教徒入国・定住を 歓迎したのもそのユダヤ教徒たちがマジャル人だったからだとか、 凄い電波だらけなのですが、驚くことに半ば信じている人が意外に多いことです。 あと、実際にはハザールでユダヤ教を信仰していたのは王族と一部の貴族と平民だったのに、 ハザール起源論はそれを認めず、(カフカス人、フィン人、スラヴ人と混血を繰り返して「白人化」した)ハザール人は国王の入信を皮切りに、 王侯貴族から平民まで大多数がユダヤ教に入信し、 キエフ・ルーシとビザンティンによる攻撃で致命的大打撃を被り、モンゴルが侵攻してくるまでの間に、 彼らはポーランド、リトアニア、ハンガリー、ルーマニアなどへ大挙移住したと。 実際は、ハザール王国瓦解後もユダヤ教信仰を守った一部の遺民が、 正統派は正統派の、カライ派はカライ派のコミュニティーをクリミアに形成していただけなのですが。
しかしハンガリーは西部と北部(現スロヴァキア領を含む)を オスマン帝国に占領されなくてよかったよな。 オスマン帝国領になった地域は荒廃したっていうじゃないか。 ハプスブルク家による乗っ取りも酷いけど。 ところでショプロン(エーデンブルク)周辺やポジョニ(現プラチスラヴァ。 プレスブルク)周辺はモンゴル軍の被害にも遭わずに済んだの? モンゴル侵攻の時代、ポジョニ(=プレスブルク=プラチスラヴァ)が 後のような比較的大きな都市だったか一介の村だったかは知らないが。
>>973 北西部でもジェールはオスマン軍に占領されたんジャマイカ?
確か20年ぐらいでオスマン軍は撤退したと思うが、
その間にかなり荒廃したらしい。
オーストリアに隣接した西部と現在のスロヴァキア領以外は
オスマン帝国に占領された。
ブダ、ぺシュト、、ペーチ、ケチケメート、デプレツェンなんていったら
150年間も170年間もオスマン帝国に占領されたのだから
荒廃しただろう。モスクは建てたけどねw
因みにブラチスラヴァ(ポジョニ)やショプロンの辺りにはバトゥの
モンゴル軍は来襲していない。ショプロンにはモンゴルの進入を
警戒して監視する塔は残ってるけど結局来なかった。
その頃もショプロンは町だったけど、ブラチスラヴァ(ポジョニ)は
村落だったのか町だったのか知らん。
975 :
世界@名無史さん :2008/12/21(日) 12:09:12 0
でもジェールはハンガリーが上下に二分されていた時、 トルコ支配域外ではなかったかな?
>>971-972 ハンガリー人はマジャル人7部族とハザール人3部族の連合体で、
もともとウガルと自称していたんだが、そのウガルというのは「10の部族」という意味
なんだけど?
>>974 モンゴル来たよ
1241年
当時のブラティスラヴァ城とその城下町が城壁をしっかり守ってモンゴルを寄せ付けなかった
ブラティスラヴァに来襲したモンゴルも比較的小さめの軍だったから攻めきれなかった
翌年の1242年からドイツ人が移住してきた
>>976 そのうちハザール人3部族とマジャール人2部族ぐらいがユダヤ教に入信
し、ハンガリー人ユダヤ教徒→ハンガリー・ユダヤ人の先祖の一部なんだな。
ハンガリーがキリスト教化する前のことね。
さらに西方から大挙逃れてきたユダヤ人、
ハザール崩壊で大挙移住してきたハザール人ユダヤ教徒が
混合してハンガリー・ユダヤ人を形成したのか。
>>976 やはり中欧東部・東欧のアシュケナジーはハザール・マジャール系
にちょいとへブルー系が混じった存在と考えて良いのですね?
980 :
974 :2008/12/22(月) 07:18:38 O
>>975 ジェールが一時オスマンに占領されたというのは私の記憶違いかもしれません。
>>977 ブラチスラヴァまでモンゴル来襲しましたか。
私、ショプロンには行ったことはあっても、ブラチスラヴァには行ったことがないもんで、
モンゴルは来なかったと勝手に思ってました。勉強不足でした。
>>973 さん、ガセネタ流してごめんなさいね。
そろそろ次スレの季節ですね。
ume
984 :
世界@名無史さん :2008/12/25(木) 18:55:23 0
985 :
世界@名無史さん :2008/12/25(木) 23:08:53 0
>>953 ウスベキスタンとかキルギスとかは、中央アジアではないのか?
>>944 ハンガリー人は韓国人ほどじゃないけど、民族のルーツや現状(経済危機は
誰もが認めざるおえないが)に誇大妄想がかっている。
ハンガリー人、アルメニア人。トルコ人、中国人は誇大妄想民族。
韓国人は横綱だなか別格ね。
987 :
世界@名無史さん :2008/12/26(金) 22:05:39 0
梅
988 :
世界@名無史さん :2008/12/27(土) 09:35:17 0
埋
989 :
世界@名無史さん :2008/12/28(日) 00:00:25 0
め
>>979 いやポーランドのユダヤ人は18世紀ごろまで、14世紀の西欧のユダヤ迫害から逃げてきた人々の子孫
ポーランド分割でポーランド王国が崩壊するとリトアニア方面やガリチア方面といった東方のハザール人が混じった
特にハシディストの連中がそうだ
埋め
埋め
Hungary
洪牙利
Ungarn
Hongrie
Венгрия
998 :
世界@名無史さん :2008/12/28(日) 09:33:15 O
■■ ■■ ■■ ■■ ■■ ■■ ■■ ■■ (・ω・)セーノ ノ( ノ) く く ズコー ヽ(・ω・)/ ハンガリー \(.\ ノ
>>890 本当はね。
東中欧・東欧のユダヤ人の先祖も大半はドイツ西部や
フランドルから逃れてきた者だもん。
ハザールに子孫はカライ派とクリムチャイぐらい。
むしろイスラエルの電波学者に間で欧州ユダヤ人の起源を ハザール・スラヴ・マジャールの求めるトンデモ説が盛ん。
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