1 :
世界@名無史さん:
明建国以降、世界史板にもあまり話題に登らない「北走以後」のモンゴル世界について
近代前夜まで様々に語ってみましょう。
諸ハーン乱立、明との戦い、清への服属、北から迫るロシア・・・
なお、司会を務めさせていただきますは
落ちスレから復活いたしました順帝ことトゴン・テムルでござい。
彡¶
_____∩____
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ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(大) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
ヽ____________/
§l::||:::: |l§
/ ̄\ (●) (●) ||§
r┤ ト::::: \___/ || § <重ちゃんの子孫は生け捕りだよ。
/ \_/ ヽ::: . \/ ,ノ 《》
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノ \\ハ// / ヽ
ヽ____)ノ \ソ/ / ヽ、
元朝ラストエンペラー、トゴン・テムル。
トゴン・テムルと共に苦難を乗り越えていくスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1093346489/ より。
清の時代、モンゴル人は漢民族の茶商人に家畜を巻き上げられて困窮化しておりますた。
その一方で、ある意味、
モンゴル史上、一番平穏な時代だったかも知れないね。
今はどうですか?
6 :
世界@名無史さん:2005/06/26(日) 14:33:45 0
北元っていつまで存在したの?
徳王の内蒙古がロシア赤軍に滅ぼされる迄(ごめん嘘)
モンゴルの諸部族が大清太宗皇帝ホンタイジをハーンに推戴するまで、かも。
この頃のモンゴル史は「スケールの小さい」内輪もめばっかりで
おもしろくない。その辺がおもしろいという人もいるかもしらんが。
内輪もめはモンゴル王家初期から続くお家芸だけど、
さすがに延々続けてたら衰退するのは当たり前だわな。
キプチャク周辺なら18世紀まで語れるがな。
11 :
世界@名無史さん:2005/06/26(日) 19:06:54 0
アスト部は本当にオセット人の集団だったのか
12 :
世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:04:41 0
土木の変の時は北京包囲にまで追い詰めて、結構勢いを戻したんだけどなあ。
英宗(涙) <嗚呼!太祖陛下、助けてくださりませぇぇぇぇ!
13 :
世界@名無史さん:2005/06/26(日) 23:07:46 0
ただ、英宗はモンゴル側に丁重な扱いをされていたというね。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ <朕の可愛い玄孫を泣かせた輩はどこじゃあぁぁぁぁ
>>12-13 土木の変で正統帝を追いつめたのはオイラトのエセン。
大元ハーンを簒奪してはいるが、チンギス統ではないので
厳密には北元とは別扱いした方がいい。
「北元」という呼称は、クビライの血統が断絶した1388年までにしといてよ。
ダヤン・ハーンっていうのは「大元可汗」なんだからそうもいかない。
クビライの血統はダヤン・ハーンを経てリンダン・ハーンまで続いているが。
でもってリンダン・ハーンの子エジェイがホンタイジに降伏したのが1635年、
ホンタイジが満州族、漢族、モンゴル族の三族から推戴される形で大清の皇帝に即位し、
モンゴルをハーンとして服属させることになったのが1636年。
20 :
世界@名無史さん:2005/06/27(月) 20:40:23 0
>>19 これでモンゴル全勢力が清朝に屈服したわけではない。
この時清朝支配下に入ったのは、今のいわゆる内蒙古諸部だけ。
ハルハ諸部やオイラト諸部が清朝支配下に入ったのは、
ハルハ諸部−1691年
青海ホシュート部−1723年
ジュンガル部−1755年
帰還トルグート部−1771年
蛇足になるが、
ブリヤートは1652〜54年にすでにロシアに征服されており、
清朝の支配下に入ったことはない。1689年のネルチンスク条約で
ロシア領であることを清朝も認めた。
トゥヴァは、テュルク系民族ではあるがウリャンハイとしてモンゴルの
一部とみなされてきた。ハルハの領地として間接的に清朝属領となったが、
ほとんど独立状態だった。19世紀には徐々にロシアが進出し始め、
1914年にはロシアの保護領にされてしまう。独立を宣言したモンゴル
政府(ハルハ諸部)からの抗議は無視され、辛亥革命以後混乱していた
中華民国はなすすべがなかった。
22 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 00:21:15 0
ブリヤートはモンゴル高原での覇権争いからは
蚊帳の外にいたんでしたっけ?
23 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 10:36:11 0
中興の祖ことマンドハイの一生は映画になったよね。
ダヤン・ハンの年増女房ね。そんなに烈女だったの?
>>22 ブリヤートの先祖は、6世紀頃「骨利幹(クリカン)」と
呼ばれたテュルク系民族。その一部は北へ移動しサハ(ヤクート)になった。
残留した「森の民」はモンゴル民族の勃興と共にモンゴル化、
「バルグト(ブラガト)」と呼ばれる。
バルグトはチンギス・ハーンに征服されモンゴル帝国に組み込まれる。
元朝北帰後、14〜16世紀はオイラトと連合して(ドルベン・オイラト)、
北帰モンゴル勢力と対立。この間、具体的にどのような働きをしたのかは
知らない。
1625〜28年に起きたオイラト内乱で、バルグトは首長を失い離散。
遺民の多くはオイラト諸部やハルハ諸部に吸収された。
故地バイカル湖周辺に残留していた人々は、新たに「ボリヤト(これの
ロシア語訛りがブリヤート)」と呼ばれ、小部族が分立。部族全体を
統括できる首長はいなかった。
西ブリヤートは小部族がてんでに独立した状態。東ブリヤートは小部族ごとに
ハルハ諸部(大半はトシェート・ハーン部)に臣属した。といってもその支配は
いいかげん。
ロシア・コザックがブリヤートをどんどん侵食して行っても、ハルハの殿様たちは
口で抗議するだけで、具体的に対コザック軍事行動をとらなかった。内輪もめ
ばっかりやってるから、大局的な動きには全然気が回らない。こうなると
もうダメ。結局ブリヤートはあっという間にロシア領になってしまった。
27 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 19:46:44 0
28 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 05:44:30 0
司会のトゴン・テムルはどうした?
病死か?
だったら、息子のアーユシュリーダラがやれ。
29 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 06:55:39 0
ウクライナのクリミア半島にあるクリム汗国なら、
18世紀まで続いたが。
開祖のカシ=ギレイ一世はキプチャック汗国の開祖の
ジュチの第11子のバイタルの後裔に当たる。
因みに、足悪帝のティムールと戦ったトクタミシュは
その中間の世代に属する。
(つまり、バイタルの子孫でカシ=ギレイの祖に当たる)
30 :
世界@名無史さん:2005/07/09(土) 13:26:11 0
ボハラ汗国やヒヴァ汗国は20世紀まで続いたけど
途中でチンギス裔がトップではなくなった。
途中まではジュチの子シバンの後裔が汗だったかな。
>>28 アーユシュリーダラも死んだ?
なら、弟のトクズ・テムルが来なさい。
32 :
世界@名無史さん:2005/07/14(木) 23:54:53 0
グシ・ハーン朝時代にチベットに駐屯したモンゴル人の末裔たちは
今も現地に残っているのでしょうか。
中共「解放」当時で2万人弱いたそうですが、半ばチベット人化してた様子。まだいるかなあ。
いるよ。青海省の蒙古族は約7万人。たぶん政府認定の
(今もモンゴル語を話す)蒙古族で、チベット人に同化した
連中はカウントされていないと思う。
青海蒙古族の現状については、青海省 黄南蔵族自治州
河南蒙古族自治県の例が
シンジルト 『民俗の語りの文法 中国青海省モンゴル族の
日常・紛争・教育』 風響社 2003
という本に紹介されてるから、読んどくといいよ。
×民俗
○民族
モンゴル人のチベット移住は、元代から18世紀まで
いろんなフェイズで続いてるから、すっかり同化してる
連中も相当多い。ナムツォからナクチュあたりの牧民は
元モンゴル人が多いね。
青海省玉樹蔵族自治州には蒙古爾津(モンゴルジン)族と
いうチベット人がいて、これはもう名前からしてトゥメト部
出身とわかるが、もはや由来がよくわからなくなっている。
おそらくグーシ・ハーン以前にアムド南部に移住した
ホロチェに関係していると推測されているが、よくわからない。
37 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 23:07:10 0
> マンドハイの一生は映画になったよね。
モンゴル王家の女なら、アルタン時代から四代に渡って
トゥメト部を引っかき回した三娘子の生涯の方が
圧倒的におもしろいと思うけどね。
ただ筆力のない人が書くと「妖婦三娘子」なんてタイトルで
安易なエロ小説にしそう。
何せ、三娘子はアルタンの外孫なのに、美貌に驚いて
アルタンが許嫁から略奪した、とかアルタン以下四代に渡って
結婚したとか、最後は新婚早々老衰で死亡、とか
下世話ネタがてんこ盛り。
雲南省にも蒙古族が約一万三千人いたりする。
39 :
世界@名無史さん:2005/07/25(月) 23:04:15 0
現地の文化にだいぶ同化して、遊牧を手放して今じゃ温和な農耕民だね。
ただ、祖廟にはチンギス・モンケ・フビライの三柱がいまも祀られているそうな。
雲南南部の西双版納あたりにもモンゴル人(蒙古族)が数百人いるらしい。
彼らは「鉄」姓を名乗っていて、これは「テムル」を姓にしたと
いわれている。
雲南省通海県興蒙のモンゴル人は、「地球の歩き方」なんかでも
紹介されたりして結構有名だけど、実は四川省の方がモンゴル人口は多い。
こっちは約2万7千人。
木里県(屋脚蒙古族郷、項脚蒙古族郷)、塩源県(大坡蒙古族郷)
のモンゴル人は雲南と同じく元代駐屯兵の子孫らしい。
言語や風習では彝族の影響が強い。服装なんかも細かいところまで
見ないと彝族と区別つかない。
成都周辺にもモンゴル人がいるらしいが、こちらは清代の
駐屯モンゴル兵の子孫。人数としてはこっちの方が多そうな気がするが、
実態がよくわからん。たぶんもう漢族と何も変わらんのだろう。
42 :
世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:44:18 0
チベット・カム地方にも、元代のモンゴル駐屯兵やらホシュート部やらが
かなり来ていたようなのだが、たぶんみんなチベット人に同化しちゃった
んだろう。消息がつかめない。青海省や西藏自治区じゃかなりわかっているが。
モンゴル人も仏教徒で、歴代の有力者はみんなダライラマに進貢しているから、
往来するうちにどっちかわからなく混ざってる人とかも多いのでは?
44 :
世界@名無史さん:2005/07/29(金) 22:05:18 0
>>43 まあチベットでソクとかホルという地名の場所には
そういう人たちが住んでいることが多いんだが、
一応「出自はモンゴル」という記録は残ってるもんだけどね。
例えばナクチュの西にいる巴爾達族というのは、モンゴル・
トゥメト部出身のダライ・ラマ4世の護衛としてチベットに
やって来た軍勢の子孫。もう完全にチベット化してる。
46 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 22:09:28 0
>>46 サイキさんも亡くなられてもう4年?かあ・・・。
48 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 00:47:05 0
革命前夜といえば、ロシア・チベットを股にかけ、清を牽制し独立を果たすべく
外交戦で暗躍した怪僧、アグワン・ドルジエフも面白そう。
言語政策の面から田中克也が書いた著書に結構経緯が詳しく載ってますた。
49 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 02:00:40 0
中国関内に満州八旗に混ざって駐屯していた蒙古八旗の子孫はどうなったの?
50 :
世界@名無史さん:2005/08/04(木) 00:00:51 0
太平天国征討に出動してなかったっけ? <蒙古八旗
エセンが「皇帝」を名乗っていたとはw
52 :
世界@名無史さん:2005/08/04(木) 23:51:36 0
>>48 一時期モンゴル西部を占領してたトゥシェグーン・ラマって人もいたね。
オッセンドフスキーの本では司馬遼太郎の小説に出てくる怪僧みたいなキャラに描かれてたが。
>>52 > 一時期モンゴル西部を占領してたトゥシェグーン・ラマって人もいたね。
これはジャー・ラマ(ダンビ・ジャンツァン)のことですな。
ジャー・ラマにトゥシェグーン・ラマという別名があったかどうかは知らないが、
オッセンドフスキーの『動物・人間・神々』では、ホブド攻略で活躍した人物
として描かれているから、同一人物(ジャー・ラマをモデルにした架空の人物?)
とみていいでしょう。
ジャー・ラマは1890年頃、アムルサナーの化身として現れたが、まもなく
姿を消し、1900年頃一旦再登場、また姿を消し、本格的に西モンゴルで
活躍を始めるのは1910年頃から。
ただ1890年頃見た目は30〜40歳だったのに、1910年頃にもまだ見た目が
40歳過ぎだったというから、おそらく昔のジャー・ラマとは別人。
まあ「抗日の英雄・金日成」みたいなもので、同じコードネームを名乗る
ゲリラが何人もいた、という話でしょうな。
ホブド占領後、ジャー・ラマは独立したモンゴル政府から西モンゴル支配を
任されたが、1914年当時衝突していたロシア軍に逮捕され、アストラハンに
投獄される(ジャー・ラマはもともとカルムイク人)。
ロシア革命のおかげで1918年に釈放され、西モンゴルに舞い戻り
そこで独立愚連隊として活躍する。
オッセンドフスキーが報告しているのはこの時期だが、怪しげな妖術使い
として描いており、その話は到底信用できるものではない。
オッセンドフスキーはジャー・ラマと会っておらず、いろいろなうわさ話を
膨らませてでっち上げた話と見た方がよさそうだ。
オッセンドフスキーの話は、他にも「アガルタへの入口がモンゴルにある」など
インチキくさい話がかなりある。
アガルタというのは、19世紀に、とあるオカルト屋さんが「インドのどこかにある
地下王国」として書いたもので、その後いろいろなオカルト屋さんが続々と
無批判に取り上げて、どんどん増幅されていったもの。
「インド旅行中アガルタへの入口を見つけた」と書いているのは、オカルトの
大家(詐欺霊媒師)ブラヴァツキー夫人。いかに胡散くさいものかわかるだろう。
アガルタとシャンバラを混同させて、その場所を中央アジア方面に初めて
持ってきたのがこのオッセンドフスキー。その後さらにオカルト屋さんのネタと
して重宝され、荒唐無稽な話がどんどん生産されているのはご存じの通り。
オッセンドフスキーの紀行自体も、よく調べればたぶんボロが出てくる
だろう(チベットがらみではインチキ紀行本がたくさんある)。
ジャー・ラマの話に戻ると、1921年にモンゴル人民政府が成立すると、
共産党政権からは邪魔者扱いされ、1922年12月に暗殺されてしまう。
ジャー・ラマについては、20世紀前半のモンゴル旅行記に多数登場するほか
最近では大阪外語大の生駒雅則先生が詳しく研究されているので、
著書や論文などを当たっておくといいよ。
57 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 23:00:39 0
×→共産党政権
○→人民党政権
でした
58 :
徳王[ドムチェクドンロップ]:2005/08/09(火) 00:07:59 O
【蒙古聯盟自治政府組織大綱】
第一条 蒙古聯盟自治政府に首席及び副首席を置く。
首席及び副首席は蒙古大会において蒙古における徳高望重、蒙古復興運動に大勲労ありたる者を専任す。
首席は蒙古聯盟自治政府の主権者とす。
首席事故により職務を執行せざる場合は、副首席これを行なう。
第二条 蒙古聯盟自治政府は蒙古固有の疆土をもって領域とす。
暫くウランジャプ盟、シリンゴル盟、チャハル盟、バインタラ盟、イクジョウ盟及び厚和市、包頭市をもって統治区域となす。
第三条 蒙古聯盟自治政府は防共、民族協和をもって基本方針とし、生、娶、教、興、養、衛の六事をもって施政の綱領とす。
第四条 蒙古聯盟自治政府は従前のとおり、蒙古軍政府当時使用の旗章を使用す。
第五条 蒙古聯盟自治政府はジンギスカン紀元をもって年号とす。但し陽暦を使用す。
第六条 蒙古聯盟自治政府は厚和豪特に設く。
第七条 蒙古聯盟自治政府の権限及び地方に与える権限は、均衡の原則によりて、法律をもってこれを定む。
第八条 蒙古聯盟自治政府の組織法は別にこれを定む。
昭和12年10月28日採択
∀ <_☆_>
G\(〇m〇)
\ ※:@*\ ♪我が同邦に乾杯!
> ジャー・ラマにトゥシェグーン・ラマという別名があったかどうかは知らないが、
ユーリ・レーリヒ 『アジアの奥地へ 上 西域を行く』 p.273 を見たら
> ジャ・ラマは新モンゴル国家に対するその大きな貢献によって、
> ツシェグンの称号を授けられ、
とあった。
ただ、一般的にはジャー・ラマの方が圧倒的に知名度が高いから
使うときは「トゥシェグーン・ラマ(ジャー・ラマ)」としておいた方がよさそう。
60 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 20:13:16 0
アフガニスタンのモゴール族の研究って最近どうなってるんだろうか?
京大探検隊が集めた資料も、山崎忠先生がテヘランで客死して散佚?
あのモゴール語文書はどうなったんだ?
あれだけやって、成果が『モゴール族探険記』1冊だけってのも情けない。
その後研究を継続したという記録も見当たらないし、もったいないなあ。
>>48 ドルジエフは、日本では河口慧海の著作で有名なので、
どうしても当時の日本・イギリス寄りの視点、すなわち
「ロシアのチベット工作=悪」というものになる。
だから彼の外交活動も「暗躍」という否定的な言葉で
語られるのであって、現在の我々がそういうフィルターで
見る筋合いはない。外交活動なんてどこの国もすべて
「暗躍」そのもの。
アグワン・ドルジエフ(ロサン・ンガワン・ドルジェ)はブリヤート出身
(1853-1938)だが、21歳で出家した後、26歳でラサにやってきて
デプン寺ゴマン学堂で修行。ゲシェ・ラランパ(チベット仏教ゲルク派
顕教での最高博士号)を修得。
その後もラサに滞在し続け、論理学の教授(ツェンニー・ケンポ)、
ダライ・ラマ13世の問答の教師(シェンシャブ)となった人。
突如チベットに現れた「素性のあやしい怪僧」などではない。
ドルジエフは1898〜1906年にかけて、ダライ・ラマの指令を受けて
4度ロシアに派遣されたのであって、立場は一貫してチベット側の
特使(ロシア側の扱いはともかく)。その後ペテルスブルクに住んでいた
期間も「チベット政府代表」を名乗っていた。
ロシアは、1905年の血の日曜日事件やら日露戦争敗戦で、チベット
工作どころではなくなり、1907年の英露協商でチベット干渉から
手を引くことになる。ドルジエフの積極的な対ロシア工作もこれで終わり。
20世紀初頭は、チベット、モンゴル、中国、ロシアは激動の時代で、
1904年のヤングハズバンド率いるイギリス軍のチベット侵攻、
1911年の辛亥革命とチベット・モンゴルの独立、と事態はめまぐるしく
変転し、ドルジエフの力では手に負えないものになった。
ドルジエフの業績というのはこれだけじゃなくて、ペテルスブルクに
僧院を建てたり、ブリヤート・カルムイク仏教界の指導的な立場に
立ったり、ブリヤート語を表記するためのワギンダラー文字を
発明したり(普及しなかった)、といろいろな活動をしている。
あまり知られていない業績としては、1913年1月のチベット・モンゴル
相互承認条約の際、チベット側全権代表として署名している。
ドルジエフについては、ソ連崩壊後新資料が続々と出てきている。
自伝も公表されているし、詳しい評伝も出ているので
興味があるなら読んでみるといいよ。
65 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 23:44:57 0
ドルジエフの最期についてはあまり知られていないから一応簡単に
書いておくと、
ドルジエフは1909年以降はペテルスブルクに住み、自分の僧院を
ベースにカルムイクやブリヤートの仏教界に影響力を持った。
チベットには時々行く程度だったが、ダライ・ラマ13世とは連絡を
取り続け、絶大な信頼があった。
ロシア革命後は共産党の政策を当初支持したが、共産党を支持
しても用が済めば始末されるのはお定まり。1920年頃には僧院が
赤軍に略奪され、1937年に僧は全員逮捕処刑。ドルジエフも
逮捕され、1938年1月ブリヤートの刑務所病院で死去。
66 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 20:24:58 0
ドルジエフが建てたペテルスブルクの僧院 Datsan Kuntsechoinei は
今もある。
1937年に閉鎖されたが、建物はそのまま残され、現在は元通り
ゲルク派の僧院として活動を再開している(活動再開はソ連崩壊後?)。
St.-Petersburg buddhist monastery "Datsan Kuntsechoinei" Official site
http://www.geocities.com/Athens/Academy/3528/indexe.html 1998年11月「ギャングに不法占拠されて困っているから支援してくれ」
というメッセージで更新が止まっているが、その後ポツポツと活動の
ニュースは伝わっているから、どうやら無事取り戻すことができたようだ。
67 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 14:30:15 0
>>53-56 詳しい情報ありがとうございます。俺が読んだのも「動物・人間・神々」でした。
それで興味をもってネットで検索してみたら「最期は刺客に殺されて心臓を食われた」
などと凄まじい情報が色々とw
(ちなみにソースはこのページですが
ttp://www.trimondi.de/SDLE/Part-2-10.htm)
実態は割と普通のゲリラだったんですね。
生駒雅則さんの本をどこかで借りれないかと探してみたけど、近場にある国立大の図書館を検索しても
「モンゴル民族の近現代史」しか置いてなかった・・・
ユーラシア・ブックレットかよ・・・
68 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 22:00:40 0
> 生駒雅則さんの本をどこかで借りれないかと探してみたけど、近場にある国立大の図書館を検索しても
> 「モンゴル民族の近現代史」しか置いてなかった・・・
あの本の一般の評価はどうなの?
69 :
世界@名無史さん:2005/08/21(日) 18:46:50 0
> ユーラシア・ブックレットかよ・・・
いやいや馬鹿にしたもんじゃないよ。特にジャー・ラマについては、モンゴル
近現代史の本でちゃんと取り上げてるのはこれだけ。
ジャー・ラマの写真もこの本で初めて見た(力道山にも似た精悍なオヤジ)。
安いし(600円)買っといて損はないと思うけど。
71 :
世界@名無史さん:2005/08/22(月) 20:22:50 0
>>70 これは生駒本に載ってるのとは別人ですな。
こんなおばちゃんみたいな男じゃない。
生駒本には2枚載ってるが、その2枚は同一人物で、
上記の写真とは全然違う。
72 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 19:46:58 0
オカルト界隈ではラマ・ドルジェフの正体がG・I・グルジェフだったとかいう人もいる(w
オカルト屋は、「グルジェフ=ドルジエフ」の出典がどこか明らかにしない。
調べようともしない。怪しげなルートで聞いた又聞きをさらに脚色して、
意図的に混乱に拍車をかけてるだけ。
飛鳥昭雄やナチス・オカルトの本などで歴史の裏側を学んだつもりに
なっちゃダメだよ。
飛鳥昭雄ってモンゴルとかの話にも触れてるのか
・・・読んでみようかな(w
4.
公同教会は、時によってよく見え、時によってあまり見えないことがあった(1)。またその肢体で
ある個々の教会は、そこで福音の教理が教えられ奉じられ、 諸規定が執行され、公的礼拝が
行なわれている純粋さに従って、その純粋さに相違がある(2)。
1 ロマ11:3,4、黙示12:6,14
2 黙示2,3章、Tコリント5:6,7
5.
世にある最も純粋な教会も、混入物と誤りとをまぬがれない(1)。そしてある教会は、キリストの
教会でなく サタンの会堂になるほどに堕落した(2)。それにもかかわらず、地上には、み旨に従
って神を礼拝する教会が、いつでも存在する(3)。
1 Tコリント13:12、黙示2,3章、マタ13:24-30,47
2 黙示18:2、ロマ11:18-22
3 マタイ16:18、詩72:17、詩102:28(29)、マタイ28:19,20
6.
主イエス・キリストのほかに、教会のかしらはない。どのような意味ででもロマ教皇は教会の
かしらではない(1)。その反対に彼こそは教会においてキリストとすべて神と呼ばれるものと
に反抗して自分を高くするところの、かの非キリスト、不法の者、滅びの子である(2)。
1 コロサイ1:18、エペソ1:22
2 マタイ23:8-10、Uテサロニケ2:3,4,8,9、黙示13:6
http://www.ogaki-ch.com/WCF/text/index.htm ミミ彡  ゚̄ ̄' 〈 ゚̄ ̄ .|ミミ彡
78 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 15:44:59 0
モンゴルは皇帝まで輩出したのに唯一「中国化」しなかった地域です。
満州だって、江南だって、西域だって徐々に拡大していく「中国」に
飲み込まれたり、格上げされたりして河江文化を発展させてきたのに、
モンゴルだけは違う。帝国後も「中国」にはならなかった。
近所の日本はいっとき支那皇帝になろうとして失敗したし、
みな「中国」の皇帝になること、そして皇帝の出身地が「中国」になることに
憧れを抱いてきたのだ。
なぜモンゴルは「中国」になろうとしないのか?
79 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 15:48:12 0
>>78 ガリ勉で勿体ぶって偉そうな支那文化が嫌いだったから
80 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 16:19:13 0
儒教が合わなかった、これだろ。漏れも儒教は嫌い。支那朝鮮の尊大な態度を
見れば分かるように、儒教ってダメな奴が信奉すればするほど、マイナス影響しか
ださないシステムなんだと。
81 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 16:34:23 0
満州やら契丹やら諸々の北狄がおしなべて骨抜きになったのに
モンゴルが最後まで中国人に合流しなかったのは何故だろう?
アウトドア派?で、才ある色目人を一杯目にする機会があったからかね。
文字がコロコロ変わる辺りも新しもの好きで、
意固地な漢人とは相容れなかったのかな
元朝モンゴル貴族がどんどん漢化している間でも
北方の平原では漢文化が流入することなく
旧来の遊牧文化がしっかり守られていた。
それで元朝北帰後も、北帰した連中もモンゴル文化に
すぐ戻れた。それにオイラト優勢の時代に大規模な
ガラガラポンがあって、旧王族はほとんど絶えたからね。
83 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 18:13:50 0
>>81支那人なんて頑固でもないよ。むしろ他民族や他国家の慣習やシステムを
よくとりいれていた。
>>78 その「西域」というのがジュンガリアやトルキスタンをいってるのなら
清に支配されていただけで中国化が始まったのは最近の話ですが
85 :
世界@名無史さん:2005/09/20(火) 00:27:58 0
同じブリヤートでもバイカル以西の集団はロシア正教に改宗、
バイカル以東の集団はチベット仏教を固守してきたんだよね。
86 :
世界@名無史さん:2005/09/20(火) 09:14:27 0
モンゴルも大分漢化してたはずなんだが。
ただ完全ではないというだけで。
北元になって中国の食いもの食いたさに帰順したやつらもいっぱいいるし。
実際モンゴル独特の食い物なんて本当にあれが毎日だったらうんざりするよ。
ひたすら乳製品で引っ張ってくるし。
なんでも油通し>中華
89 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 13:29:38 0
>>86 明初に大量に投降した連中は別に中華料理が食いたかった訳ではない。
元代に中原に住み着いて生活スタイルが漢化した連中とか、元々漢族の出身で
功績によりモンゴル人として認められた連中とか。
90 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 21:55:50 0
漠北に同行していった元に忠実な漢族官僚は居たの?
91 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 21:59:09 0
権力者が変わる訳だから同胞でも行かざるを得なかった人も沢山居るでしょ。
92 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 02:59:16 0
ブリヤートが清の支配に属さず、ロシアの支配に入ったのが謎だ。
>>92 ブリヤートの支配者であるハルハの殿様達が、コサックに取られても
あまり気にかけなかったのがすべて。
>>90 南宋が滅亡した時よりも国に殉じる人が多かったらしいです。
95 :
世界@名無史さん:2005/09/24(土) 12:59:15 0
明のほうは白蓮教カルト集団だったから
>>90 「いっとき大都から撤退しただけで、形勢を立て直したら再度中原を奪還する」
つもりでいたかも知れぬ。
「明建国」でなくただの「紅巾賊占拠」期間と見なしていたとか。
そういや、元号が無くなったのっていつ?
ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′ <朕が創始した一世一元の制のことか?
99 :
世界@名無史さん:2005/10/01(土) 21:52:47 0
>>98 陛下、いかなる背景というか経緯でそれを考え付いたんですか?
思いつきじゃ
>>100 つか、お前は民主党の元党首で
通産相時代に実家のジャスコに
利益誘導してた岡田だろ?
元号をあきらめない
103 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 01:25:20 0
あきらめろ
で、モンゴル人の政権が元号を捨て去ったのはいつごろよ?
105 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 19:04:37 0
モンゴルの民話では永楽帝は実はモンゴル人だったということになってる。
始皇帝や唐高祖を支那人と言い張るみたいなもんだな
始皇帝は(後の)漢族じゃネーノ?
108 :
世界@名無史さん:2005/10/04(火) 15:32:42 0
>>105 中国の野史では順帝は漢人だったといわれている。
漢人って・・・どれよ?
支那人の基準では漢字を使う人が漢人
111 :
世界@名無史さん:2005/10/05(水) 20:18:40 0
元代はその辺がややこしく、もともと金の統治下にあった人々が「漢人」。
南宋の遺民が「南人」。それ以外は「色目人」。
北元の年号判明
恵宗 至正元年(1341)
(明 太祖) 洪武元年(1368)
昭宗 宣光元年(1370)
脱古思鐵木兒 天元元年(1378)
天元十一年(洪武二十一年=1388)、
脱古思鐵木兒(ドクスティムール、廟号なし)が明に敗死し、大元皇帝位争奪戦に。
以後、蒙古では授時暦(中国暦)廃れ専ら時輪暦(チベット暦)に。
時輪暦の年号はチベット式の絶対干支を使用。
天元十一年は第七干支戊辰年。
ちなみに朝鮮(高麗)の場合。
〜至正十年 (1350) 元の年号を使用。
恭愍王辛卯年 (1351) 元の衰えを見て年号停止。干支でごまかす。
洪武二年 (1369) 明に服属、明の年号を使用。
宣光六年 (1377) 北元に寝返り、北元の年号を使用。
洪武十一年 (1378) 明にも服属し、明の年号に戻す。
辛示禺王戊辰年(1388) 明から離反、年号停止。(「示禺」は1字)
同年、李成桂がクーデター、辛示禺王を廃位。実権を掌握。洪武に戻す。
洪武二十五年 (1392) 李成桂、王に即位。李朝始まる。
なんと、一瞬ですが北元の年号を使ってます。
114 :
世界@名無史さん:2005/10/06(木) 23:05:46 0
高麗王は元朝と通婚を重ねていたから、
オルジェイトゥ、ブッダシュリー、パドマ・ドルジなんていう
モンゴル風/サンスクリット風/チベット風の名前も
持ってたんだよな。
韓国人は恥ずべきこととして、なかったことにしたがってるらしいが。
崇禎紀元もあるしな
116 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 04:22:57 0
>>112 ありがとう。
やはり年号の消滅をもって北元の滅亡としているのか。
117 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 02:05:12 0
あら? チョイバルサンスレがいつの間にか落ちてしまっている?
腐女子の生態 ┃ 若いのに白髪だらけ
━━━━━━━━━┛ 白髪染めで染めた茶髪
ねぐせ┌→ 〃⌒ ↓
↓ ィT>く⌒ヽ`\
/イ:::..: : ::: 、: : ::::\ 安物の眼鏡
ノーメイク → /7ハ!: !l|ヽ: ::ヽ\:: :::::, ← 安いが故に顔のサイズに
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120 :
世界@名無史さん:2005/11/03(木) 01:55:21 0
ありし日のマンドハイ?w
小説/映画「マンドハイ」も史実と矛盾する話が
続々出てきて、時々興ざめした。
122 :
世界@名無史さん:2005/11/14(月) 01:43:04 0
あれだけ明を追い詰めた時期もあったのに、やはり元以降のモンゴルはパッとしないねえ・・・
エセンにダヤン・ハーン・・・何というのかこう、役者不足なんだろうか?
>>123 50年前の説を未だに信じてる奴も珍しい。
125 :
世界@名無史さん:2005/11/22(火) 09:49:02 0
ではご高説を披露お願いします
モンゴルは均等分割して相続するから
膨張していないと数世代のうちにしょぼくなる。
清の支配下にはいると、
細分化された状態で固定されてしまった。
清が滅びたとき、独立運動をしようにも、
ボルジギン氏の殿様は腐るほどいたのに
どんぐりの背比べで指導者がいなかった。
北はうまく活仏を担ぎ出したけど、
南は駄目駄目で、徳王が台頭した頃には手遅れだった。
南モンゴルはリーダー格だったチャハル部、トゥメト部が
相次いで断絶して、どうしようもなくなった。他はみんな
細々分かれちゃっててダメダメ。
徳王にしてもチャハルの分家、西スニト部という所の殿様で
けして主流ではなかった。
> 西スニト部
間違った「右翼スニト部」
129 :
世界@名無史さん:2005/11/25(金) 21:46:03 0
単純に北走以後の情報が少ないから地味に感じるだけじゃねーの?
某作家風にいうと宣伝文書の欠如が原因なだけかもな、と。
わんこそば
,.-''" ̄ ̄" ̄`ヽ,
/゙ ノ -- --ヾヽ
/ / ● ● | i ズルズル
`ヽ,,_( ´ ( _▼_ )` ノノ
,.-''' 、/ ,,川 | ''-.,
( ,i''゙( __/ )|川( \ ゙'' i,)
.| ゙-..;;_'' ''''',, '',,,._ ,,,..-'゙.|
l,  ̄ ̄ ̄ ̄ .|
'l, ,/
\ /
゙l'-、..,,,,,,,,,,,,..,、-'l゙
゙'-、..,,,,,,,,,,,..、-'゙
132 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 17:23:26 0
更にこいつらと鎌倉武士だの象騎兵だの中世の騎士だのが
やりあうんだからたまりません。
そっか。こいつ等が象兵と戦ってたんか。かっこええ…(;´Д`)ハァハァ
136 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 22:41:42 0
まじですか?Σ(´Д`;)!!
今おならしたとこなのに.∵(´Д⊂)∴
137 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 01:18:12 0
138 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 14:51:35 0
ハルハとチャハルどちらが正統モンゴル?
はるは
いや、ハルハもチャハルも、しょせん正体不明の
部分がある怪しい系譜の、トクタブハの末裔。
モンゴル国と内蒙古の、ボルジギンの殿様たちの
祖先は遡るとみなバトモンケダヤンハーンにまで
いきつくが、ダヤンハーンはこのトクタブハの子孫。
それに対し、チベット中央部(西蔵の東北部)の
ホル三十九族を統べたまうホル王家は、由緒ただ
しくも、文宗トクテムルの弟君にまで遡るフビラ
イ王直結の御血筋を誇りたまう。
よって、モンゴルの嫡流は、いまチベットに存在
しているといえる。
141 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 09:13:28 0
> ホル王家は、由緒ただしくも、文宗トクテムルの弟君
こっちの方が余計怪しいよw。
トク・テムルの弟グロン・オロン・タイジなんていないし。
142 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 14:37:53 0
>こっちの方が余計怪しいよw。
それをいっちゃぁおしまいよ(warapupu
チベットへの聖都ラサへの巡礼中、吹雪に巻かれ
て道をうしない、一夜を過ごした部落で残したご
落胤の末裔、という、日本各地の源平の子孫と称
する大名家にもありがちな設定。
どっちゃにせよ、トクタブハより先には遡れない
モンゴル本国のタイジ様たちには、都合がわるい
系図ですな。
143 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 16:22:14 0
北元時代のモンゴルを語るのなら、オイラト部族が
ネタが少なくないか!?
144 :
世界@名無史さん:2006/01/27(金) 02:48:59 0
モンゴリアンチョップがトラウマだったのかもな。
キラー・カーン
148 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:39:22 0
もんごりあーん!
149 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 22:09:11 0
チンギス本家ってまだ残ってるの?
嫡流にあたるチャハル部は、清に降ったエジェイが1641年に
死んだ後、爵位は弟のアブナイ、アブナイの子ブルニが嗣いだが、
1675年にブルニが反乱起こして殺されて嫡流家系は断絶。
151 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 17:30:22 0
「ノート型パソコン」と聞いて「蒙古型パソコン」と
空耳してしまうオレ・・・
152 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 18:01:27 0
順帝悲歌ウップぎぼん
154 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 19:11:37 0
ブリヤートはロシアとけっこう渡り合ったそうだが、
最終的に屈したのは火器の差?
兵力と軍の機動力ではコサックのほうが劣っていたらしいが。
ジューンガル部は銃や大砲で清の八旗兵と渡り合ってた。
あれはロシアから手に入れてたのかな。
>>154 ブリヤートは統一政権もなくて
殺戮掠奪集団コザックに勝てるわきゃない。
シベリア、ヴェルホレンスク要塞の官吏からミハイル帝へ宛てた嘆願書より:
「閣下、どうか閣下の僕(しもべ)をお許し下さい。要塞には守備兵が二百名必要です。
さらに、彼らのためにカービン銃200挺、甲冑200領、そして歩兵用にマスケット銃300挺を
モスクワの帝室武器庫から送ってください。
と申しますのは、閣下、沢山のブリヤートたちが甲冑に身を固めて要塞を攻めてきます。
対する閣下の僕である私どもは、装備に乏しく、鎧もありません。
また、私どもの貧弱な銃では、彼らの鎧に弾がはじき返されます・・・」
クラスノヤルスク城砦建設が1628年。この前後頃に書かれたのでしょうか。
158 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 14:56:03 0
age
159 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 03:31:16 0
オイラトの一部だったの?ブリヤトは?
トゴン〜エセンのオイラト全盛期にはそう。
ダヤン・ハーン以降はハルハに臣属(ゆる〜くね)。
161 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 11:56:20 0
ヤクートは
ブリヤトにバイカル湖一帯から駆逐されたの?
162 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 22:54:49 0
>161
北アジア史スレに詳しいレスがあった希ガス。
163 :
世界@名無史さん:2006/04/10(月) 18:43:50 0
ブリヤート人のもともとの居住域は
現在のブリヤート共和国よりも広大だったんだよね。
バイカル湖西方のブラーツクもブリヤートが語源だそうな。
164 :
世界@名無史さん:2006/04/11(火) 15:07:46 0
バラガト、バルグチンも同じ語源じゃマイカ。
165 :
世界@名無史さん:2006/04/23(日) 12:19:00 0
母体は骨利幹ってことでいいのかな。
いつごろからブリヤートに入れ替わったんだろう。やはり元代にモンゴル語化したころだろうか。
166 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 13:34:01 0
現在クリカンを名乗る集団ってどこかにいる?
ルパン三世の声やってる。
168 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 18:28:56 0
「草原法典」もヤサの流れを汲むもの?
169 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 19:31:23 0
170 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 09:44:55 0
「人類史上最も多くの子孫を持つ」なんてのはウソだとは思うが、
あれだけ巨大な系譜が現在までしっかり残ってるのは希有なこと
だろうね。
171 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 09:47:24 0
あとはカール大帝かムハンマドくらい?
モロッコとヨルダンの王家が自称、ムハンマドの子孫を名乗っているな。
今なら中央アジアでチンギス家の子孫が王政復古するのもアリか?
174 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 18:43:11 0
土木の変あたりのモンゴルは映画や小説の題材になったことはないんだろうか?
曲がりなりにも強盛を誇っていたモンゴル最後の盛期といえなくもない・・・
その後もダヤン・ハーン、アルタン・ハーン、ジュンガルのガルダンと
まだまだ生きのいい時期が続くけど。
ラフカディオ・ハーン
オリバー汗
178 :
世界@名無史さん:2006/06/28(水) 22:09:39 0
>>175 なんかこう、やはりモンゴル高原を一つに束ね上げたのは
チンギス個人の力量によるところが大だったのかもなあ、と思ってしまうな。
179 :
世界@名無史さん:2006/06/28(水) 22:22:43 0
180 :
世界@名無史さん:2006/07/02(日) 01:55:48 0
日本人であることを隠すために出自を偽ってた、とか。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
183 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 06:57:43 0
同じモンゴル史スレでも、元代スレとは違ってこの閑古ぶり・・・
そういやモンゴル史で古代〜中世〜近代の境目はどのあたりだろう。
契丹統一と清への帰順が節目だろうか?
徳王
>>183 古代=匈奴〜契丹支配下の時代(つーか史料無さ杉)
中世=チンギスのモンゴル統一〜世界帝国(全盛期)
近代=清への帰順
こんな感じかな。
186 :
世界@名無史さん:2006/07/18(火) 20:39:56 0
不思議なのは自然崇拝者達って何故自分達の歴史を記録する概念がないんだろ?
遊牧系のテュルクやアルタイの連中、女真以外のツングース、蝦夷やアイヌ人、諸々みんな歴史の記録は定住民の学者任せなのよね。
口承や石碑がその代用だろ。
188 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 12:39:49 0
祝一周年おめ!
189 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 02:54:54 0
>>186 文字自体が、メジャー宗教とセットで伝播することが多いからね。
190 :
世界@名無史さん:2006/08/19(土) 14:31:13 0
191 :
世界@名無史さん:2006/08/22(火) 01:37:14 0
チンギスの代にモンゴルに降ったトメト部は、元代以降はどうなったんでしょうか。
故地に引き続き住んでブリヤートに同化したのかな。
192 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 20:45:03 0
トマット部のプチャッケだったっけ
193 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 23:45:41 0
トマトケチャップかと思った
初代の蒼き狼と白き牝鹿では
プチャッケだったな
195 :
世界@名無史さん:2006/08/29(火) 00:05:09 0
西征か宋攻めに参加した武将はいなかったのか?
『元朝秘史』だと、トマト部族の首長はダイドクル・ソコスという人物だったが、
チンギス・ハンが、母のホエルンに養育されたフウシン部族のボロクル・ノヤンを
トマト征服のために派遣した時、彼は既に死んでいて、トマト部族はダイドクルの妻
ボトクイ・タルクンという女性が統べていたらしい。
ボロクルはトマトとの戦いで捕殺されてしまい、怒ったチンギスは自ら出陣する勢いだったが、
ボオルチュ、ムカリらに制止されドルベン氏族のドルベイ・ドクシンが派遣された。
トマトの民は勝利に酔ってまさに宴席で泥酔していたところをドルベイはことごとくこれを捕縛し、
その部衆を諸将に分配してしまったらしい。先年オイラト部族のクドカ・ベキが帰順し、モンゴル
高原の西北方面の鎮撫を任されていたが、ともに派遣されていたらしいバアリン部族のコルチ・ノヤン
は一旦帰順したはずの部衆に捕まってしまい、二人揃ってボトクイのもとに捕縛されていた。
トマトの制圧が完了すると、ボロクルの親族には100人のトマトの民が与えられ、コルチ・ノヤンは
チンギスが派遣時に約束としていたトマトの30人の娘を娶り、クドカ・ベキにはトマトの女酋ボトクイ・
タルクンが与えられたという。
というわけで、トマトの民はその後資料には現れなくなり、その部衆の大半もおそらくオイラト部族の
勢力に吸収されてしまったようだ。
197 :
世界@名無史さん:2006/09/01(金) 11:57:08 0
シボ族の人々は「錫伯」と自称していますが、
漢字で書かれた文章はさまざまな音訳と書き方があります。
例えば、「犀毘」、「師比」、「鮮卑」、「矢比」、「席百」、「席吐」、「錫伯」などがそれです。
中国古代の北方の鮮卑人の子孫をもって自認し、当初は大興安嶺の東麓一帯で遊牧生活を送り、
西暦4世紀前後に南の黄河流域まで移住して政権を作り上げましたが、後に漢民族に同化されました。嫩江、松花江、綽爾河流域に残った鮮卑の人たちは
東北地方で生存し続けて、今日のシボ族となりました。
1764年に1016人のシボ族の人々が招集されて、新疆のイリ(伊犁)地区で屯田することになりました。今日の新疆のシボ族の人たちは、その人たちと2000人余りの従軍家族の子孫です。
彼らは昔から狩猟と魚労によって生計を立てて来ました。
198 :
世界@名無史さん:2006/09/01(金) 11:59:43 0
アスト部は?
199 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 03:54:02 0
200 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 21:59:01 0
200ゲット
201 :
ty270410:2006/09/17(日) 23:17:51 0
ブリヤートについての書き込みは参考になった.
宮脇さんの本の記載よりも確かなように思った.
202 :
世界@名無史さん :2006/09/26(火) 13:18:58 0
草原騎馬民族の軍事的優位が失われたのは、いつ頃ですか??
明朝には常に脅威だったモンゴルが、清朝期には無力化。
清が、初期には明の火砲に苦しんだというから、逆に、
火砲でモンゴルを制したんですか??
1680年代のモンゴル・ロシア衝突では、
武器の差でモンゴルが完敗したというし。
康煕帝のモンゴル遠征とかは、基本的に火器メインなの??
204 :
世界@名無史さん :2006/09/26(火) 17:00:10 0
>>203 砲とかだと、軽装騎兵に対抗するの難しそうですね。
拠点防衛にはいいけど。
もっとも、明期モンゴルは、手薄なところを狙っての辺境侵攻はできても、
昔みたいに征服はできなかったら、意外と、防衛戦での火器の威力大きかったのかな。
小銃とかが普及すると、遊牧民弓騎兵は圧倒的不利になるのかな。
1652年代の清朝・ロシア衝突で小銃で武装したロシア側が圧勝してるから、
この辺が転換期か。
オスマントルコは
1473年バシュケントの戦い
1514年チャルディラーンの戦い
で火器を用いて遊牧系騎兵を撃破してるんだけどなあ
明がモンゴルや女真に対して同じように出来なかったのは何故。
206 :
世界@名無史さん :2006/09/27(水) 02:56:48 0
西アジアの遊牧民系国家は、純粋なテント生活遊牧民国家じゃなくて、
都市・農牧地帯を支配する半遊牧民国家でしょ。
草原遊牧民より、戦い易いと思われ。
>>205 個々の戦闘には勝利しても結局ペルシャを征服できなかった。
明と同じこと。
>>204 清への援軍を率いた朝鮮人将校の手記なんか読んだ限りでは、
満州に侵攻したコサックも圧倒的優位を誇っていた訳でもないようだけど。
同時期にクリミア・タタール国へ侵攻したロシア軍はある程度近代化されていたが
タタール側の焦土戦術に悩まされて撤退している。
>>205 チャルディラーンの戦いによってサファヴィー朝軍は半壊状態に陥ったが、結局シャー・
イスマーイールもその後形勢をいち早く立て直している。オスマン朝との戦闘の経験の
あった将帥から敵オスマン軍の主力であるイェニチェリ軍団は銃火器を装備して強力
であるため夜襲すべしとの進言があった。それにもかかわらず、会戦に打って出て、
半ばまで押しまくっていたが、最後の土壇場で主要な将軍の何人かが戦死したせいで
サファヴィー朝側は敗退してしまった。
以後はサファヴィー朝軍は銃火器を警戒して、会戦をなるべく回避し、焦土作戦や
ゲリラ戦などで歩兵部隊が主体であるイェニチェリ軍団をその都度疲弊させている。
オスマン朝によるアゼルバイジャン以西への遠征が何度か敢行されたが、その数が
多い割に戦果は捗々しく無い。一応、サファヴィー朝の内訌によるキジルバシ諸侯が
寝返ったせいでバグダード周辺を獲得したが、それ以外にその後は決定的な勝利を
得られず、遠征を行っては無為に消耗して敗走することも多かったようだ。
確かに銃火器は騎馬軍団にも威力を発揮したが、機動力の差を利用してサファヴィー朝の
騎馬部隊によって兵站が延び切ったところを劫略されることも常で、遠征をしては散々な
目にあっており、銃火器のおかげで騎馬部隊に対して圧倒的優位になったとか、連戦連勝
とかいうにはおよそ程遠いのが現実だったようだ。
210 :
世界@名無史さん :2006/09/29(金) 00:46:23 0
清朝時代モンゴルはウソのようにあっけなく征服されたけど、
康煕帝のモンゴル遠征の編成・装備って、どんな感じだろ。
清朝軍には、モンゴル軍もかなり参加してたと思うけど。
211 :
世界@名無史さん :2006/09/29(金) 12:52:06 0
そういや、モンゴルって、清朝から唯一独立を果たしたって、
スゴイね。
独立してなかったら、今頃、チベットやウイグルみたいになってたか。
外蒙古は必要なかったから独立できただけで
内蒙古はチベットやウイグルみたいになってるぞ
外蒙古はソ連の忠実な衛星国だったし。
衛星国だろうが独立を保てただけましって見方もあるけどな
トゥヴァみたいに最終的にソ連に併合されるよりはいいだろうよ
どっちかというと、ソ連は支那の赤化の方に優先度を置いてたから
内蒙古とか満洲は友好のため中共にあげちゃったんじゃないの
216 :
世界@名無史さん :2006/10/02(月) 03:07:00 0
>>215 内モンゴルはすでに、漢人人口が多数派だったし、独立は無理っぽい感じだった。
今後、中国が民主化しても、内モンゴル独立は無理そう。
217 :
世界@名無史さん:2006/10/02(月) 13:30:48 0
清朝は中国かぶれになってから
モンゴル族をないがしろにしてきたからな
218 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 18:32:50 0
蒙古連合自治政府の樹立には
そういう鬱積も下地にあったんだろうか。
219 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 18:49:17 0
清でも民国でも蒙古の王侯が特権階級として保護されていたが。
>>197 明末清初に満洲人に同化されたことが抜けてるな
221 :
ty270410:2006/10/05(木) 23:23:28 0
満州国でも旗王府とか,旗貝子府とかで王侯が保存され,
表向きの旗公署と並存していた!
>>216 漢人が多い南部の都市だけいくつか切り捨てて独立すればよかったのに。
223 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 17:29:33 0
>>219 それ分断して支配せよを実行しただけ
特権階級には利権を与えモンゴルの庶民は搾取の対照だ罠
( `ハ´) は質の悪い緑茶をボッタクリ価格で
モンゴル人に売りつけて遊牧民の自給自足生活を破壊しているよ
224 :
世界@名無史さん:2006/10/06(金) 17:34:28 0
ラマ教もモンゴル弱体化に貢献した
初夜権を性病持ちのラマ僧が行使したので
性病が流行したためモンゴルの活力は失われた
225 :
世界@名無史さん :2006/10/07(土) 17:43:43 0
>>223 それは結果論でしょ。
清朝体制に取り込まれたモンゴル王侯が、奢侈に流れ、覇気を失うのは仕方ないこと。
漢人のモンゴリア流入も、清朝後期〜末期まで、清朝は必死に制限してたし。
226 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 18:06:44 0
必死に制限していたのに( `ハ´) がモンゴリアにもぐりこめたのは何で?
そういえば一人っ子政策も守らない( `ハ´) がやまほどいたね
制限緩和後にどっと流入したんでしょ
今外蒙で5〜60万人くらい( `ハ´) いるでしょ
ロシア出稼ぎ組も相当数にのぼるはず
白頭山を越えて延辺に<丶`∀´>が入植しはじめたのも
同じ頃ジャマイカ?
想像するに、漢人人口が増えたのは、
清代の人口増加による流入、遊牧生活の優位性の低下のせいかな。
漢化したモンゴル人も相当いるだろうし。
>>223 緑茶みたいな嗜好品をボッタクリで売るのは搾取なの?
じゃあ、イギリスとかも清に搾取されてたと解釈するの?
そもそも、前近代の国家が庶民から金をとるのを搾取の対象と
言ってたら、搾取していない国家など無いのでは?
231 :
世界@名無史さん :2006/10/07(土) 21:11:07 0
モンゴル(王侯)が清に従属したのは、自業自得の面があるね。
収入あがるからと、農耕拡大したり、清から下賜金もらって、
のうのうとしてたり。
もともと、清は、チンギス・カンの後裔から、皇帝の地位を譲られたから、
モンゴル王侯としても、隷属してる意識なかったのかも。
232 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 21:17:32 0
>>230 モンゴル人の食生活は極度に肉食に偏っているため
保健成分としてのビタミンCを欠いており
スキタイや匈奴以来馬乳酒を大量に飲むことによって
その欠乏をかろうじて防いできた
ところが売買城交易によって茶が手に入りやすくなると
生命の保持上飲用が欠かせなくなった
このため、自給自足が建前の遊牧経済が、大きく崩れた
草原の記 新潮文庫 司馬遼太郎著
233 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 21:30:11 0
<丶`∀´>と( `ハ´) のAAはかわいいな
かわいい顔してとんでもない子たちです。
フビライ王統の最後となった北元の地保奴(ティボヌ)は、明軍に捕らえられ
連行された後、琉球へ島流しに処されて客死している。
しかし当時の琉球って明から見てどういう位置付けだったんだろう。
明領でもなかったろうに。
>>235 藍玉の北伐軍がティボヌら八万人のモンゴル人捕虜を連れ帰ったのが1388年。
沖縄本島はまだ群雄割拠の三山時代。
正統を名乗る各豪族が明へ競って遣使・朝貢していたから、その線だろうか?
>>235 その琉球は台湾との説を聞いたがどうなのか?
元軍が琉球に侵攻したという記録も、恐らくは台湾らしいから
>>237が実際のところなのかもな。
酷熱瘴癘の南国の島はモンゴル人にとっちゃ地獄だったろうな・・・
大琉球=沖縄
小琉球=台湾
フビライの血筋の梁王は明軍に投降した後済州島に流されてる。
241 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 11:07:05 0
済州島は名馬の産地だったこともあってか、元の直轄地だった時期があったっけな。
>>241 明の洪武帝が済州島の馬を朝貢するよう末期の高麗に求めていたが
済州島の「牧胡」は「フビライ・ハーンから預かった馬をどうして明に
引き渡さねばならないのか」と抵抗。結局高麗軍が上陸してきて全滅した。
243 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 14:34:58 0
>>230 漢人は多数のモンゴルの王侯貴族を懐柔して
遊牧民に対する搾取を黙認させていたよ
現代日本の売国系親中派はODAのキックバックの見返りに
血税を中国に献上しているようなもの
これに対して清がどのような対応を取ったことまでは知らん
それなりに取り締まったが効果が薄かったもしれないし
モンゴルの支配階級とトラブルを起こすのを嫌って黙認した可能性もある
詳しい人の書き込みきぼん
>>243賄賂が悪だ、搾取だ、と思っているようだが、
そんな物は経済活動には付き物なのだ。
それを漢人とモンゴル人の対立軸の様に語ってもしかたが無い。
245 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 19:16:01 0
モンゴル王侯の子孫って、いま何してるの?
やっぱり地域の名士みたいな感じ?
246 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 19:36:14 0
>>244 >そんな物は経済活動には付き物
経済活動に付き物=不正ではないということにはなりませんが。何か。
それから生活必需品を高値で売ることが、非難されない社会があるなら教えてください。
247 :
ty270410:2006/10/08(日) 21:23:26 0
>>245 数年前だたと思いますが,オルドス地方のモンゴル王侯の子孫の女性が
文化大革命の中で大変な苦労をした話が本になって刊行されていました.
(書名など今は忘れてしまいました.思い出したら書き込みます.)
多分,今では特権などはなく,普通の生活をしているのだろうと
思います.
スマソ、「現代中国を生きた王女」でした・・・
250 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 10:29:05 0
>>248 解説には父の死後没落して牧童同然になり、父の元従者と結婚したとあるが、
その人が結婚したのは1944年で、その当時はまだ内モンゴルには王侯が健在で、
徳王の蒙古連合自治政府とかがあった時代だよね。
そんな状況でも没落して牧童同然になる王侯の家があったの?
251 :
世界@名無史さん :2006/10/11(水) 00:28:34 0
現代モンゴルでも、王侯の末裔の扱いってどうなの??
252 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 02:24:33 0
「相場以上に要求される付け届け(≒手数料)」が悪(賄賂)なのであって、
前近代の官僚、官吏の報酬というのは少なかったので。
253 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 11:21:13 0
254 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 13:56:00 0
>252
支配階級が長年の仇敵から賄賂を受け取り
同民族の庶民への不正行為を見逃すのは
前近代では問題がない行為だったんですね
勉強になりました
そもそも今でも賄賂は半分合法的なのがアジアの常識
256 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 14:17:59 0
モンゴルの民衆は漢人とつるんでいた
モンゴル貴族を憎んでなんかいなかったんですね
賄賂を受け取ってそれに対する見返りを
与えることは犯罪ではなかったんですから
そのために自分達の生活が脅かされても
当然のことと受け取っていたんですね
257 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 14:29:47 0
258 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 14:38:31 0
そもそも今でも談合は半分合法的なのがアジアの美風
259 :
世界@名無史さん:2006/10/12(木) 16:32:18 O
普通の地主だと、小作人に土地を取られるほど力が弱いのはおかしい。
そんな事態が頻発するということは、そもそもの土地所有が曖昧だったはず。
さらりと書いているが、「遊牧民の地主」はおそらく「地主」では無い。
普通の地主が小作人に土地を取られて何も出来ない様なら、ただのマヌケだ。
261 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 23:31:16 0
草原にも部族ごとの縄張りがあった
強い部族が良質な草原地帯で放牧をし
弱い部族は不毛の地で放牧するしかなかった
一弱小部族だったモンゴル部が世界を征服するまでになったのだが。
263 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 06:43:25 0
264 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 07:06:38 0
45 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2006/10/14(土) 20:23:06 ID:spTM69Vq
ちょっと前に山に登りにチベットまで行ってきました。そこで感じたことなんですが、
チベットでの中国人(漢民族)の振る舞いにはちょっとびっくりしました。
到着初日中国人の通訳と一緒にラサをぶらついていたらビルの工事を行っているところに出くわしました。
そこで見たのは中学生ぐらいのチベット系の少年ががんばって働く姿でした。
発展途上国ではよく見られる光景なのでその時は特に気にもせず少し眺めていたのですが、
作業服を着た中国人らしき人物が突然少年を蹴り飛ばし怒鳴りながら細い木の棒で殴りだしました。
私は通訳に「あいつは何を言っているんだ?すぐにやめるように言え!」と言ったところ、
通訳の中国人は「何がいけないの?あいつらは叩かないと解らない」といって平然としていました。
釈然としない気持ちが残り、ラサにいる間、中国人やチベット人(あえてチベット人と書きます)に
いろいろ話を聞いてみることにしました。
話を聞くごとにいかに自分が恵まれた環境にあり、自分の常識である人権や平等と言った考えが
世界のスタンダードではないかということを思い知らされました。
話を聞いた中国人すべてがチベット人を自分たちより下等な民族と考えていて、
それ相応の扱いをしなければならないと考えているようです。
話が長くなりましたが、私が言いたいのは中日関係を語るのに中国と日本だけでなく
世界的視野で語ったほうがより深い議論ができるということと、
日本による虐殺や民族差別が捏造ではないとおっしゃっている方々が
なぜ今そこにある民族差別を無視していらっしゃるかということです。
過去に民族差別を受けたとされる中国人は同じことを他民族に繰り返す愚か者なんでしょうか?
それとも過去に民族差別を受けたから自分たちには民族差別をする権利があると考えているのでしょうか?
>>263道理が通用するつーか、
そもそも遊牧民の道理は農耕民の非道理だから。
>>265 入植白人と、先住インディアンの関係にも当てはまるよな
>>257 リンク先で、「漢人農民の不法な耕地を平らにならして元通りの草原にもどしてしまえ」
との判決にモンゴル人が喝采してるな。
しかし、せっかく借りた土地を開墾したのに何の恩賞(農地とか)も与えないばかりか、
農地を潰して草原にしろなんて言う地主は、農民にとっては気違いだろう。
日本で農地開墾してこんなこと言われたら一揆が起きますよ。
ことほど左様に道理が違うんだなあ。
牧草地として畜産に使え、という意味では。
草原の薄い表土と痩せた地味では、数年収穫した後は不毛の土地になってしまうしね。
もっとも、漢人は遊牧民への報復として意図的に開墾していたので、
それへの抵抗だったのかも。
270 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 20:17:32 0
>268
ノンフィクション「中国の歴史」で
陳瞬臣はその事実をスルーしているぞ
匈奴やモンゴルを高く評価している陳瞬臣も
漢民族の環境破壊には触れたくないらしい
司馬遼太郎は「草原の記」で指摘しているけどな
sageってのを覚えた方が良いよ。
それと司馬遼太郎で得た知識ってのは、残念ながら教えてくれなくても良し。
我々は蒙古人が何故これほどまでに凋落したのかという
疑問を解決するため、モンゴル帝国の旧都である庫倫へ向かった。
「まだ大清帝国にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さなゲル、ツギハギだらけのデールを着る牧夫たち、
そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
十全武功だの、四庫全書だの、熱河離宮避暑山荘だので浮かれていた
我々は改めて蒙古の現状を噛み締めていた。
ボロ屑のようなゲルに居たのは老いた母親一人、
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
我々はこの時初めて蒙古人を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、藩部の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は蒙古人の母親から貰った煉瓦茶を手に、打ちひしがれながら北京へと帰路についた。
273 :
世界@名無史さん:2006/10/21(土) 03:51:46 0
かつて、清朝時代の蒙古地方ではラマ教の僧に初夜権があった。これをあえて清朝は黙認していた。結果として梅毒などの性病が拡散することとなった。あえて黙認することにより
民族を弱体化する効果を期待していたと考えられる。
274 :
世界@名無史さん:2006/10/21(土) 06:03:54 0
>273
その話は「噂」としてはよく聞くけど、どこに書いてるの?
Wikiでも[要出典]が打たれてるけど、著者はいまだにダンマリ。
まあ、おそらく中共がばらまいた捏造プロパガンダだと思うけど。
275 :
八路面:2006/10/21(土) 12:38:27 0
1368〜1688北元(モンゴル第三帝国)
1688〜1911清朝支配
1911〜1924ボグド・ハーン(活仏皇帝)による立憲君主制
(いわゆるモンゴル第四帝国)
1924、共和制移行
モンゴル第一帝国…1206〜フビライ治世以前
モンゴル第二帝国…元朝
276 :
世界@名無史さん:2006/10/22(日) 12:42:09 0
蒙古連合自治政府はどう?
>>274 おれが読んだのは西川一三の「秘境西域八年の潜行」だったかな。
興亜義塾出身の駐蒙大使館調査部所属の間諜が、中共のお先棒を担いでプロパガンダを振りまくとは思わんが、
まあ世の中複雑怪奇だから、分からんけどなw
西川一三はチベット人嫌いだから
279 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 04:59:44 0
>初夜権
旗人のほうが漢族小作人にしてたんじゃ?
【中国】【今日は何の日?】1937年:「蒙古聯盟自治政府」が誕生
1937年10月27日、日本の関東軍の支援を受けた徳王が「蒙古聯盟自治政府」の成立を宣言した。
徳王のモンゴル語名はデムチュクドンロブ。チャハル盟(察哈爾盟)西スニト(蘇尼特)旗の領主
(王公)であったため、徳王と通称された。
徳王は汎モンゴル主義者で、内モンゴル地区における独立運動の指導者だった。蒙古聯盟自治政府の
副主席に就任し政権を取り仕切ったが、日本の力に頼る傾向が強かったため、日本の傀儡政権であると
言われることが多い。
自治政府の大綱により、オラーンチャブ盟(烏蘭察布盟)、シリンゴル盟(錫林郭勒盟)、チャハル盟、
バインタラ盟(巴彦搭拉盟)、イフジョー盟(伊克昭盟)およびフフ市(厚和市)、包頭市が統治区域と
して定められた。バインタラ盟は現在のオラーンハダー市(赤峰市)、イフジョー盟はオルドス
(鄂爾多斯)市、フフ市はフフホト(呼和浩特市)。
蒙古聯盟自治政府は「共産主義の防止と民族協和」を基本方針に掲げ、「生・聚・教・興・養・衛」を
施政綱領とし、年号にチンギスハーン紀元を採用し、フフ市を首都に定めた。
徳王は1939年、蒙古聯盟と察南政庁、晋北政庁の3つの自治政府を統合して「蒙疆聯合自治政府」
を樹立したが、1945年の日本の敗戦により崩壊した。その後、徳王は内モンゴル西部で独立運動を
続けるが、中国共産党員のオラーンフ(ウランフ、烏蘭夫)などによる解放運動に対抗することは
できなかった。1947年には中華人民共和国の成立に先立ち内モンゴル自治区が成立。
徳王はモンゴル人民共和国に脱出したが拘束され、1950年に内モンゴル自治区人民政府の
所在地である張家口市内に収監された。63年に釈放されたが、66年にフフホト市内で死去した。
(編集担当:梅本可奈子・如月隼人)
(サーチナ・中国情報局) - 10月27日5時22分更新
281 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 13:17:14 0
>徳王は1939年、蒙古聯盟と察南政庁、晋北政庁の3つの自治政府を統合して「蒙疆聯合自治政府」
を樹立した
日本の都合で、あとの二つ=全くの漢族地域とくっつけられてモンゴル人の自治にはならなかった。
282 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 23:35:03 0
>>273 >かつて、清朝時代の蒙古地方ではラマ教の僧に初夜権があった。
>これをあえて清朝は黙認していた。結果として梅毒などの性病
>が拡散することとなった。あえて黙認することにより
>民族を弱体化する効果を期待していたと考えられる。
>>274 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/10/21(土) 06:03:54 0
>
>>273 >その話は「噂」としてはよく聞くけど、どこに書いてるの?
>Wikiでも[要出典]が打たれてるけど、著者はいまだにダンマリ。
>まあ、おそらく中共がばらまいた捏造プロパガンダだと思うけど。
>>277 名前:世界@名無史さん メェル:sage 投稿日:2006/10/22(日) 13:10:00 0
>
>>274 >おれが読んだのは西川一三の「秘境西域八年の潜行」だったかな。
>興亜義塾出身の駐蒙大使館調査部所属の間諜が、中共のお先棒を担いでプロパガンダを振りまくとは思わんが、
>まあ世の中複雑怪奇だから、分からんけどなw
>>274 おれが読んだのは西川一三の「秘境西域八年の潜行」だったかな。
興亜
283 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 23:36:00 0
>>283 鉛筆を三回転がして出た数字の合計ページ
285 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 15:28:07 0
明はモンゴルを民族浄化したの?
286 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 15:35:27 0
徳王の自治政権に参加せず、国民政府側にとどまった王侯もいたようだが、
なぜこういう差が出たのだろう?
バルガの王侯だって徳王の自治政権に参加せず、満洲国側にとどまってたんだから、いいんじゃん?
>285
モンゴル貴族の娘は売春婦にして
元貴族の売春婦が産んだ娘も売春婦にされていた
ソースは陳瞬臣の「中国の歴史」
モンゴル人同士の結婚が禁止しされたので
漢民族と結婚するしかなった時期もあったという
書き込みを昔どこかのスレで見た
こっちの情報はソースがなくてスマン
明関連スレに行けば詳しい人がいるかも知れん
289 :
世界@名無史さん:2006/11/08(水) 21:05:34 0
290 :
世界@名無史さん:2006/11/08(水) 21:07:19 0
>>288 「色目人」ムスリムの息子鄭成功も宦官にされた。
>>290 鄭和ね。ちなみに旧姓は馬氏で鄭姓は永楽帝から下賜されたもの。
292 :
世界@名無史さん:2006/11/10(金) 02:14:52 0
旗本の娘も八旗の娘も売春
293 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 13:44:25 0
モンゴル国は、中国との関係維持のためには内蒙古のことはスルースルー
( `ハ´) は地下資源豊富なモンゴルを骨の髄までしゃぶりつくすつもり
295 :
世界@名無史さん:2006/11/14(火) 18:11:33 0
権力は反対の極にスパイを置く
296 :
世界@名無史さん:2006/12/05(火) 22:03:44 0
「草原法典」ってネーミングがカッコヨス!
297 :
世界@名無史さん:2006/12/06(水) 19:14:19 0
>>286-287 日中戦争〜終戦の時期において、内モンゴル王侯の身の振り方としては、
こういうことか。
満州寄りの地域・・・満州国に参加
真ん中あたりの地域・・・徳王の自治政権に参加
新彊寄りの地域・・・国民政府に残留
298 :
世界@名無史さん:2006/12/13(水) 20:10:36 0
モンゴル国、歴史再現劇で外貨稼ぎやってるけど
国軍が人を出してるw
299 :
世界@名無史さん:2007/01/14(日) 22:57:19 0
新年あげおめ!
300 :
世界@名無史さん:2007/01/15(月) 02:10:37 0
300ゲット
302 :
世界@名無史さん:2007/01/20(土) 12:33:08 0
朝青龍ほかモンゴル力士、ブフ選手役で出演してくれ〜w
303 :
世界@名無史さん:2007/01/20(土) 15:28:35 0
かなり楽しみだ
304 :
世界@名無史さん:2007/02/26(月) 02:03:43 0
>297
ハーン国復活の好機だったのにな。
今後は望みなしか・・・
反町ハーンだってよ
だめだこりゃ
征服部族の女は妾に
征服部族の女奪う略奪婚が一般的らしいが寝首かかれたりしなかったのかな
映画ロケでモンゴルが潤ってよかった
昨日、TVでモンゴル料理店を紹介してたが、モンゴルでは宴の席で男が
馬乳酒が飲めなかったら、喧嘩になるか、そいつは一人前の男として認められないらしい。
しかし50度超えてる酒なんだけどね・・・
>>310 ポール・アンダースンのタイムパトロールもので
モンゴル帝国の兵士に現代のウイスキーを飲ませたら
その頃そんな度数の高い酒はなかったので
すぐ酔いつぶれたって描写があったけど。
それは白人の優越感だろうな。
いくら仕事が出来るやつでも、酒が飲めなきゃ
子ども扱いされるってモンゴル人の店主が言ってた。
313 :
世界@名無史さん:2007/04/06(金) 14:59:22 0
馬乳酒(アイラグ)はアルコール度数は極めて低いよ。
馬乳酒を蒸留したアルヒは度数高い。
310 312が言ってるのはアルヒのこと。
311が言ってるのはアイラグのこと。
それぞれ別の酒のことを言ってる(ゴッチャにしてる)
ので話がすれ違ってる。
モンゴル帝国時代にもアルヒはすでにあったと思うよ>311
大元朝後期の料理書『飲膳正要』(天暦三(1330)年三月三日に文宗トク・テムルに献呈)の
第三巻「酒」に「阿剌吉酒」というものが載っている。
「アラキ」と読むらしいが、これは現代モンゴル語で言うところのアルヒのこと。本文の説明でも
「上等の酒を蒸留して」作るとあるので間違いない。もとはアラビア語で「汗がにじみでること」を
意味する「アラク('araq)」という単語だが、元々は化学などで蒸留物の事を指していたようだ。
それが葡萄やナツメヤシ、米などを原料とした蒸留酒一般を指すようになり、モンゴル帝国時代
前後からテュルク・モンゴル系の遊牧民の間でも愛飲されるようになったらしい。
プラノ・カルピニのジョヴァンニ修道士やルブルクのギヨーム修道士など13世紀中頃に
モンゴル宮廷を訪れた西欧人の旅行記にモンゴル人たちが「黒コスモス酒」なるものを
王族や貴族たちが大量に飲用していることを記録している。
コスモス酒つまり馬乳酒(クミス)が白濁しているのに対して透き通っているから「黒」と
呼んだようなので、多分今のアルヒみたいな蒸留酒のことらしい。>「黒コスモス酒」
で、修道士たちが言うには、彼らモンゴル人は水で割らない濃いめのぶどう酒や「黒コスモス酒」
などを毎日浴びるように飲んでいるので酔っぱらってばっかりだと酷評している。ワインはウイグルや
中央アジアで良質な葡萄から醸造された物で、現地のウイグル系のキリスト教徒などが宮廷に献上して
いたらしい。(トルファンあたりで宮廷へのワインに関する文書が出土していたはず)
仮にウイスキーを当時のモンゴル人に出しても、すぐに酔いつぶれはするだろうけど
それは酒が入るといつも通りのことなので、「その頃そんな度数の高い酒はなかったので」
ということは無いと思う。
ちなみにトルコではラクという蒸留酒があるが、これは「アラク」の語頭の「ア」が脱落したもの。
ウイスキーは概ね市販のものはアルコール度数40%前後までだが、トルコのラクでは45〜50%、
レバノンやシリアで現在でも飲まれているアラクは中には上質のもので60%くらいと、
ウイスキーと遜色なかったりする。(勿論これらもウイスキー同様水で割られて飲まれるようだ)
ラキってアルヒと同じ語源なんだ・・・
不思議と思い及ばなかった
316 :
世界@名無史さん:2007/05/03(木) 12:43:31 0
江戸時代の日本ではアラキ酒(阿刺吉酒)の名で知られていたね。
ちなみにアラクの語源はアラビア語'araq「汗」からだそうな。
蒸留を端的に表現した語なのだろうが、言い得て妙。
317 :
世界@名無史さん:2007/05/28(月) 22:11:38 0
これおもしろそうだね。
http://www.hakuteisha.co.jp/new_pages/books/844-9.html 白帝社 アジア史選書 009 モンゴル年代記
◆著者名:森川哲雄 ◆ISBNコード :978- 4-89174-844-9
◆サイズ:四六判・カバー装 ◆本体価格:1800円
■私達は今、20世紀にあったアジアへの侵略とその前に
横たわる歪んだアジア観(像)を反省し、アジアの国々と
対等平等の立場から、アジアの将来と日本の位置を見定める
時期に立っている。白帝社アジア史選書は、そうした認識の
もと、アジアが包有する豊かな世界、限りない魅力を積極的に
掘り起こし、アジアを知る新たな手がかりと可能性を提示して
いくことを目指している。
■ 13世紀に編纂された『元朝秘史』以来、モンゴル人たちは
自らの言葉で多くの歴史書、いわゆるモンゴル年代記を編纂
してきた。そこからはモンゴルの歴史とともに多様なモンゴルの
文化を窺うことが出来る。本書はこれからモンゴル年代記の
全容を紹介した我が国で始めての書である。
318 :
世界@名無史さん:2007/06/15(金) 01:11:41 0
319 :
世界@名無史さん:2007/07/12(木) 02:50:08 0
う〜ん、記事を見る限りでは、漢VS蒙の抗争とは断定できないか。
フフホトはもうすっかり漢族の町だしなあ
321 :
世界@名無史さん:2007/07/27(金) 09:21:04 0
ボグド・ハーン?が亀田にとてつもなく似ている件
むこうでは朝青龍は単に「サッカーをしたため処分された」って報道されてるらしいね
323 :
世界@名無史さん:2007/08/10(金) 20:39:21 0
反日感情強くなっても知らんぞ。
324 :
世界@名無史さん:2007/08/10(金) 22:16:59 0
325 :
世界@名無史さん:2007/08/11(土) 01:43:39 0
>>320 1565年にモンゴルのトメト部長アルタン・ハーンによって、主にトメト部の支配地域に流入した漢人の定住民を居住させる町として建設された
中国式の城郭都市バイシン(大板升)がフフホトの起源。
もともとチャイナタウン。
326 :
世界@名無史さん:2007/08/11(土) 02:24:19 0
マジで朝青龍は将来モンゴル大統領になるかもしれん。
なるつもりだし、たぶんなっちゃうよ。
328 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 15:25:49 0
日本は第二次世界大戦でモンゴルを攻めたらしい
329 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 19:38:03 0
ノモンハンで侵略しとるからな。
330 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 20:11:06 0
朝青龍の奥さんってモンゴル顔じゃないよね。最初フィリピーナかと思った。
整形かな?とは思う。
332 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 02:06:44 0
てゆーかモンゴルってむしろ内蒙古のほうが伝統的に本部なんだよな。
正統な王族や伝統の中心はチャハルのほうだ。
世界史やるまで今のモンゴル共和国のほうが正統だと思ってたよ。
むしろあっちは辺境だから切り離されたみたいなもんだよな。
333 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 17:58:51 0
語弊があるなー。
チンギスが弱小モンゴルを最強部族にした頃は、漠北が根拠地だろう。
クビライ以降はそうかもね。
永楽帝が北征した15世紀はじめには、ハーンの本拠地は
ケルレン河畔あたりにあったはずなのに、ダヤン・ハーンの
頃にはずいぶん南東部にずれて、チャハルが嫡流の本拠地に
なっている。その辺の経緯がよくわからない。
たぶんオイラトに牛耳られていた時代に押し出されんだろう
とは思うが。
長城が出来た事で国境が固定化されると
モンゴル人は朝貢貿易の利益を上げる為に武力示威を繰り返す
だから中原に近い方が便利なんだよ
336 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 08:53:04 0
気候変動は関係ないのかな?
遊牧民にその土地じゃなくてはいけない執着はあまりないだろう。
337 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 09:37:35 0
yenspaに出てたモンゴルの子、めっちゃ好みなんだけど。
338 :
世界@名無史さん:2007/09/30(日) 21:49:55 0
最近の通史シリーズ見ると、中公『世界の歴史』新版、山川『世界各国史
中央ユーラシア史』新版、講談社『中国の歴史』新版、いずれも
北元〜オイラト〜ダヤン・ハーン王朝などほとんど存在しないことに
なってるのな。
通史ものが担当者が自分の得意な話をするだけの論文集になって
久しいけど、これはひどすぎるだろ。
このあたりをきちんと扱っているのは、岩波講座『世界歴史』新旧、
山川『世界歴史大系 中国史』あたりだけになっちゃったな。
339 :
世界@名無史さん:2007/10/01(月) 00:26:06 0
>>334 本拠地がズレていった訳ではなくて、遊牧民特有の分割相続の結果。
オイラートの時代にはすでに嫡流があちこち散り散りになってたんだよ。
最後の生き残りがチャハルのダヤン・ハーンだったってだけ。
遊牧民の本拠地は勢力があるときは固定されるが、弱体化すると四散してしまう。
340 :
世界@名無史さん:2007/10/16(火) 22:19:22 0
ダヤン・ハーンの家系はもともとチャハルが所領じゃないでしょ。
曾祖父のアクバルジ晋王も父のバルフ晋王も「晋王」だし、
所領は西の方。
チャハルはマンドールン・ハーンの所領で、マンドールンが後嗣なくして
死んだんで、それを王妃マンドハイが相続して、そこにバト・モンケが
婿入りする形でチャハルを所領として得た。
チャハル部って謎が多い。そもそも「チャハル」の語源が
「char(4)」とか「chakar(臣属)」とかのペルシア語だと
言われていること自体まず不思議。その理由も謎だし。
チャハル部が現れてくるのは、どうも15世紀後半の
マンドールン・ハーンの所領としてみたいだし、それ以前
からそこにいたのやら、どっかから移って来たのやら
わからない。
チャハルで祠られていたエシ・ハトン(ソルカクタニ・ベキ)が、
元代には安西王家で祠られていて、安西王家取りつぶし後は
甘州のキリスト教会で祠られていたのが、いつの間にか
15世紀後半にはチャハル部にあることから、「チャハル部は
安西王家の後裔か?」というのが岡田英弘の仮説。
マンドールン・ハーンの異母兄(になってる)のトクトア・ブハ
(タイスン・ハーン)は出身は西の方らしいから(河西ウゲデイ家
出身オルク・テムル=鬼力赤の部下だったよう)から、チャハル部は
トクトア・ブハと一緒に15世紀前半、東遷して来たのかな?
この辺チャハル部の起源なんかは詳しい研究ないんだよなあ。
森川先生の研究も起源については触れずじまいだし。
>安西王家取りつぶし後は
>甘州のキリスト教会で祠られていた
何でまたキリスト教会で?
ソルカクタニ・ベキはネストリウス派キリスト教徒だった、って
有名な話じゃないのか。
345 :
世界@名無史さん:2007/11/11(日) 09:26:31 0
後進
Hoshu
347 :
世界@名無史さん:2008/01/13(日) 17:17:57 0
モンゴル帝国の頃はトマット族だとかキルギス族だとか「森の民」を支配していましたが
その地への支配が及ばなくなったのは何時頃なんでしょう?
ロシアが進出してきての衝突ってのも聞かないし
ダヤン・ハーン以降も、ハルハ諸部が一応ブリヤートや
トゥヴァを支配していたんだが、支配しても実入りが
いいわけでもなく、さほど興味も示さなかったから、
コサックが占領してなし崩しにロシア領になっちゃった。
349 :
世界@名無史さん:2008/02/11(月) 21:26:58 0
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ
|┃ | あげ |
|┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃ ( ___)│ サッ
|┃= (_》 ^ω^)E)
|┃ ≡⊂ ノ
350 :
世界@名無史さん:2008/02/11(月) 22:10:14 0
何これ?
352 :
世界@名無史さん:2008/03/12(水) 16:35:11 0
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ
|┃ | あげ |
|┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ
____.|┃ ( ___)│ サッ
|┃= (_》 ^ω^)E)
|┃ ≡⊂ ノ
353 :
世界@名無史さん:2008/03/17(月) 11:52:48 0
共産政権崩壊後、貧富の格差が拡大してホームレスが目下最大の社会問題ということらしいけれど、
もともと遊牧民で、共産時代にももとの遊牧社会の盟とか旗とかをそのまま継承しただけの遊牧コルホーズ
とかあったのに、なして、今になってホームレスが社会問題になるの?
>>353 資本主義化の波に乗って一旗挙げようと一家でウラーンバートルに出てきたけど、
そうそう職があるわけでもなく、そのうち家賃も払えなくなってアパートも追い出され、
哀れそのままホームレスに……とかそういうことじゃね?
モンゴルのホームレスは、
寒さをしのぐためにマンホールに住んでるとかすごい話があるな。
355 :
世界@名無史さん:2008/03/19(水) 00:33:31 0
だったら羊とともに荒野に戻ればいいわけで。
世界の半分を支配する大王になっても、共産国になっても、遊牧民の天幕生活がやめられなかったのに、
なして、いまさら、マンホールに?
大雪がふって家畜が餓死してえらい事に、なんてのもあったな。
まー大昔からよくあることだけど。社会主義時代にそーゆー時用の
草の貯蔵施設とか作ってたけど急に社会が変わったもんでその辺
のシステムが機能不全おこして大変なことになってたとか聞いたな。
357 :
世界@名無史さん:2008/03/19(水) 02:28:55 0
>>355 その羊と羊を放牧する土地はどこにあるんだ?
空いてる土地があればどこでも遊牧できると思ったら大間違いだぞ。
マンホールチルドレンなんかはそもそも遊牧生活の経験自体少ない
から自力で遊牧できない。ど素人が土地と種だけもらっても農業で
食っていけないのと同じ。
358 :
世界@名無史さん:2008/03/19(水) 18:31:25 0
ジンギスカンだって孤児になって羊乳泥棒にまで堕落したのに大王にまでのし上がった
その末裔がマンホール暮らしだなんて……
359 :
世界@名無史さん:2008/04/12(土) 04:25:16 0
やっぱり共産主義てのは遊牧民のための思想なんだな
>358
昔のモンゴル人全員がチンギスハンだったわけじゃないし、
マンホールチルドレン並に貧しい人間だっていたろう。
モンゴル帝国時代は周辺各地から大々的に略奪してたから
豊かだったわけで、その時代と同じような富を今も求めるのは
時代錯誤。
遊牧民はどんな大帝国になっても平等に分割するからな。
>>361 上に立つものは気前良く分配しなけりゃ次の戦争で裏切られて殺される可能性も有ったからだと思う
基本遊牧民の戦利品はけちけちするなみたいなもんだろうし
つーかそれが遊牧民の文化なんだよ
広大な遊牧地は手分けして分配しなくては生きて行けない
364 :
名無史さん:2008/05/16(金) 21:23:07 0
ロシア史で有名なのに【タタールのくびき】というのがある。
これはモンゴルの侵略の後、ロシアは巨大な破壊と流血の嵐に襲われただけ
でなく、のちのちずっと野蛮なモンゴルに生き血をすわれ、とことんしゃぶ
られ尽くしたとされる。ロシアを牛にたとえ、その首にはめられた【くびき】
をあやつって、主人顔にやりたい放題をくりかえす寄生虫のモンゴルという
図式
だがこれと真っ向から矛盾する話もロシアでは有名だ。
アレクサンドル・ヤロスラビッチ・ネフスキーはモンゴルの到来とその支配と
いう苦難のなかを、ウラジミール大公としてロシア諸侯をとりまとめ、巧みな
交渉と手綱さばきでモンゴルと穏やかな関係を保ち、破壊的な事態を生じせし
めなかった。つまり無用の流血と破壊を回避した。
明らかに矛盾したふたつのお話を堂々と主張して平然としているのはいかにも
ロシアらしい
過去に対する考え方が分裂していない民族や国は多分無いと思うけど。
カラコルムっていつ放棄されたの? 首都が廃墟になるって悲しいね。
367 :
世界@名無史さん:2008/06/22(日) 21:23:18 0
遊牧民の拠点なんてそんなものでしょ
共産国家はイルハーン国のない20世紀のモンゴル帝国
369 :
世界@名無史さん:2008/07/06(日) 09:53:58 0
物を知らないんだと思うよ。中国の歴史認識って、中国共産党礼賛
以外はもの凄く貧弱だから。
371 :
世界@名無史さん:2008/07/08(火) 00:21:19 0
西夏討伐後にチンギスが死んだという事実と、
オルドス部がチンギスの廟の祭祀者であるという事実が合わさって、
今のオルドスがチンギスの死亡場所だという考えが出来上がるのは不思議では無い。
しょせん伝承なので、ややこしい変遷を省いた分かりやすい話が発生しやすいのだろう。
いわゆるチンギス廟では、昔は年に一度モンゴル人が参詣に訪れ、
そこにに漢人商人が集まって祭りが開かれていたようだから、
そのような祭りの説明として分かりやすくチンギスの墓ということになったのかもしれない。
今の若いモンは拝み墓と埋め墓という言葉も知らんのかのう
うるせえジジイ墓からでてくんな
ダヤン・ハーンについて、もっと聞きたいな。
映画にもなっているんでしょう?
ダヤン・ハーンというより年増嫁の話だけどな
保守
377 :
世界@名無史さん:2008/09/14(日) 23:25:49 0
age
サンドイッチマン
379 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 00:01:39 0
エセンは黄金氏族でないのにハーンを名乗って顰蹙を買ったが
清朝の皇帝やジュンガルの王も黄金氏族でないのにハーン名乗ってるよね
この頃はモンゴル人の中で誰がハーンになってもよいという意識があったんだろうか?
380 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 05:44:18 0
「勘違いです、勘違いです、確かに私は在日朝鮮人で家族全員創価学会員ですけど
パトロール隊に入ったんだからもう創価学会は関係ありません」が合い言葉のw
創価学会員が通り魔から子供を守るパトロールだといって集団でうろついてるんですが
創価学会員がいつカマを持った通り魔に変身しないかとかえって怖いんですけどwww
なんでも通行人をつかまえての誹謗中傷行為や人権侵害行為も
生活安全課の創価警官の●お願い●でやってあげてるんだとか言ってますけどwwwww
熊本隆談www
381 :
世界@名無史さん:2008/12/18(木) 23:28:14 0
age
382 :
世界@名無史さん:2009/01/30(金) 23:40:00 0
清代のモンゴルってどんなだったの?
383 :
世界@名無史さん:2009/01/31(土) 02:31:49 O
明以降は万里の長城が頑丈になったから騎馬隊が活躍しにくいだろ。
万里の長城なんか、明・清の現地守備の隊長が
モンゴルに内通して、いくらでも通してくれるだろう。
もともと草原を離れると、騎馬隊は糧秣の兵站で手詰まりになる。
キチっと兵站やるには、民族内が統一勢力になって
組織的に動かないとむりっぽい。
ダヤン・ハーンの時代でも、そこまで統一できていなかったのでは?
>>382 清代のモンゴルは、定住民が少なく、遊牧民が殆どだった時期。
乾隆年代以降、盟とか旗という単位で、それぞれ半自治だったはず。
科挙官僚が地方の官(流官)になっていなかった。
386 :
世界@名無史さん:2009/05/02(土) 00:17:35 0
age
387 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 09:33:24 0
389 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 13:44:17 0
390 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 13:57:54 0
蒙古八旗=チャハル八旗?
391 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 20:59:52 0
392 :
世界@名無史さん:2009/05/17(日) 21:16:33 0
日本や韓国と違って、国なんて関係ないだろう。
中国は56民族、モンゴル国は3民族で、多民族国家だからな。
あるのは、モンゴル民族という事実だけ。
393 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 00:54:13 0
>モンゴル国は3民族
モンゴル系、カザフ系と、あと何系?
トゥバ民族
395 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 06:54:12 0
カザフ系って白人みたいなバタくさい顔?
それはスラブ系カザフ人じゃないのか
カザフスタンの人口の半分くらいがスラブ系だが
397 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 20:38:15 0
我が故郷
ヘンテイ、ハンガイ、サヤンの
高く美しき嶺々
北方の飾りとなりし豊かな森林の山々
メネン、シャルガ、ノミンの広大なるゴビ
南方の飾りとなりし砂丘の海原
これぞわが生まれし故郷
モンゴルの麗しき国
ヘルレン、オノン、トーラの
清く澄みし河また河
あまねき人々の命となりし小川、聖なる泉
フブスグル、オブス、ボイルの深く青き湖
生けとせ生けるものの命となりし
湧き水の数々
オルホン、セレンゲ、フフイの
美しき川また川
宝を抱きたる山また山
古き石碑、遺跡、城址の数々
はるかに続く、道また道
遠方よりきらめき見ゆる白銀の高き山々
晴れわたる空のもとに広がる大草原
見はるかす彼方に見ゆる気高き山々
人の心和まする果てしなき草の海
398 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 20:39:15 0
ハンガイ、ゴビの間なるハルハの大地
幼きころより縦横無尽に疾駆せし大地
獣追いし長きながき稜線
駒の速さ競べし美しき大地
風に揺れし豊かなる草むらあり
広き広き草原に揺らめく陽炎あり
大丈夫のより集いたる険しきところあり
天神まねきたる須弥(シュミ)の如き
おおいなるオボーあり
細き草茂りたる美しき牧草地あり
彼方此方に織りなす広き美しき大地あり
季により草を追い水を求むる大地あり
豊かなる穣りを与ふる大地あり
美しき揺籃(ようらん)に先祖の眠れる地
その子孫等の生まれ育ちし国
草原に満ち満ちて草食む五畜のふるさと
わがモンゴル族の思い深き国
寒き季 氷雪に覆われ
水晶色に光り輝く大地
暑き季 花も草木も伸び広がり
彼方此方より鳥の来たりて鳴きかわす大地
399 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 20:41:28 0
アルタイ、ヒャンガンの間なる
豊穣の処女地
わが父母の住み来たりし永遠の故郷
金色の陽炎をあびて盛えし国
銀色の月光をあびて永遠に輝かしき大地
匈奴の時代よりわが祖先の故郷
青きモンゴルの時代に力強く興りし国
古き季(とき)より慣れ親しみし故郷
今、赤き旗に覆われし国
生まれ育ちしわが民族の愛するふるさと
敵来たりなば直ちに蹴散らさん
われらがこの祖国に革命の国を興し
新しき世に名誉ある功績を打ちたてん
これぞわが生まれし故郷
モンゴルの麗しき国
400 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 20:43:09 0
現代モンゴル文学の父と呼ばれるデー・ナツァクドルジが1939年に故郷のモンゴルの大地を高らかに詠った詩である。そればかりではなく、
この短い詩のなかに歴史や文化まで織り込んでいる。読んでいると、目に青きハンガイの景色が浮かぶような何とも鮮やかな表現である。
作者の、故郷への包み込むような愛情を感じる。
401 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 20:47:24 0
バイカルなどが入っていないところがつらい・・・
402 :
世界@名無史さん:2009/05/19(火) 01:46:35 0
>>395 土着のイラン系種族と混血を重ねた結果。
ウズベク人やトルクメン人と比べるとコーカソイドの形質は少ないけど。
404 :
世界@名無史さん:2009/05/19(火) 05:54:09 0
カザフはモンゴロイド顔。ロシア化がした者が多いけれど。
ウイグル人の顔はモンゴロイドっぽくない
406 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 15:53:55 0
407 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 16:04:18 0
408 :
世界@名無史さん:2009/05/20(水) 17:39:51 0
エセン・ハーンて凄いよな
まさか皇帝を捕虜に出来るとは
たぶん本人も予想外だったと思うけど
409 :
世界@名無史さん:2009/05/21(木) 09:21:57 0
>>404 眼が細いのはモンゴル人と一緒だが細い顔が多いとか
簡単な民族識別法は、言語が何語を母国語としているかだから
どんな顔つきでも、カザフ語が母国語ならば、カザフ民族だと思うよ。
フビライハーンの頃から、言語識別でやっていたんだから、顔で識別しても意味ない。
412 :
世界@名無史さん:2009/05/22(金) 11:52:07 0
>フビライハーンの頃から、言語識別でやっていた
それは初耳です!そういう説を唱えている人が居るのですか?
「漢人」でくくられていた人がみな漢語、「モンゴル」でくくられた人がみな「モンゴル語」を母語にしていた
(フビライの頃にはもう言語まで統一?)とは思えないのですが?
吏員への通達文書で残っているのは、
モンゴル語、漢語、チベット語、ウイグル語、ペルシャ語だから
書き言葉は、統一されていたのではないか?
モンゴルの場合、パスパ文字で、モンゴル語が表現され、
言語統一さが一応の完成していたと思われ。
チベット語は今でも、方言が文法が違って読み下ししたり
当て字しているが、基本語彙が似ているから一応通じる程度の
言語統一だけど。
414 :
世界@名無史さん:2009/05/22(金) 14:17:10 0
文字の書けない腕力=軍事だけのモンゴル将軍もいたのでは?
パスパ文字を読み書きできる吏員がついていたと思うぞ。
モンゴルって、時間と空間を超越できる文字を重要視して、
パスパ文字を作ったぐらいだからな。
イラン系のソクド人でも、モンゴル人待遇の将軍がいたようだな。
416 :
世界@名無史さん:2009/05/22(金) 15:14:15 0
彡¶
_____∩____
/;;;/;;;;/;;;;/丶;;;;;ヽ;;;;;; ヽ
/;;;;;/;;;;;;;/;;;;/;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ
_/;;;;;;;/;;;;;;;;/;;;;;|;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ_
ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(大) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
ヽ____________/
§l::||:::: |l§
/ ̄\ (●) (●) ||§
r┤ ト::::: \___/ || § <重ちゃんの子孫は生け捕りだよ。
/ \_/ ヽ::: . \/ ,ノ 《》
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノ \\ハ// / ヽ
ヽ____)ノ \ソ/ / ヽ、
417 :
世界@名無史さん:2009/05/22(金) 15:37:40 0
生け捕りにしたのはヘタレ・サラブレッドじゃなく、エセ・ハーンやんけw
418 :
世界@名無史さん:2009/05/23(土) 17:03:51 0
彡¶
_____∩____
/;;;/;;;;/;;;;/丶;;;;;ヽ;;;;;; ヽ
/;;;;;/;;;;;;;/;;;;/;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ
_/;;;;;;;/;;;;;;;;/;;;;;|;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ_
ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(瓦) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
ヽ____________/
§l::||:::: |l§
/ ̄\ (◎) (◎) ||§
r┤ ト::::: \___/ || § <落ちぶれたモソゴルがナンボノモンジャ。
/ \_/ ヽ::: . \/ ,ノ 《》
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノ \\ハ// / ヽ
ヽ____)ノ \ソ/ / ヽ、
>>379 エセンは、チンギスの子孫でもないのにハーンを名乗ったとたん猛烈な反発をくらい、
父子相伝で30年くらい保ってきた「最高実力者」の地位まで失った。
清朝の皇帝は、最後の大ハーン・リンダンの遺児エジェイから禅譲をうけるという手順を踏んでいる。
オイラットのハーン号は、五世-七世のダライラマたちが、
仏法の興隆に貢献した部族長におくる名誉の称号に「ハーン」ということばが入った。。
チベット語の「○○ギャルポ」、まったく同義のモンゴル語の「●●ハーン」がセットで贈られている。
420 :
世界@名無史さん:2009/06/09(火) 20:45:43 0
彡¶
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/;;;;;/;;;;;;;/;;;;/;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ
_/;;;;;;;/;;;;;;;;/;;;;;|;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ;;;;;;;ヽ_
ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(瓦) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ
ヽ____________/
§l::||:::: |l§
/ ̄\ (◎) (◎) ||§
r┤ ト::::: \___/ || § <モソゴル史家もエセン・ハーン即位を承認ジャ。
/ \_/ ヽ::: . \/ ,ノ 《》
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノ \\ハ// / ヽ
ヽ____)ノ \ソ/ / ヽ、
421 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 13:52:33 0
チンギス統原理 が実情に合わなくなり⇒それを補う権威としてチベット仏教を導入する。
422 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 14:59:11 0
チンギスの子孫でも有能なヤツならいいけど
無能なやつなら困るよな
>>422 まあ、子や孫の代は優秀なヤツだらけだったから、
期待しちゃう気持ちも分からないでもない。
名前忘れたけどチンギス廟の周りを馬で回りながら刀で斬りつけたって人は当時としては度胸あるよな
425 :
世界@名無史さん:2009/06/15(月) 00:45:31 0
>>425 そうだったかも。岡田英弘「モンゴル帝国の興亡」で読んだ気がします。
427 :
世界@名無史さん:2009/07/16(木) 10:52:02 0
蒙古という漢字はモロ差別漢字(=バカで古い)なのに、当事者もモンゴル国政府も抗議したって話は聞かない。
猛鈷にせよ。
428 :
世界@名無史さん:2009/07/16(木) 10:53:15 0
清は差別漢字によるモンゴル人名表記を書き改めていたらしいが。
>>427 あまりにも強かったので意味が引っくり返ったってとこかな?
清末〜民国〜中共で中国周辺の民族が
どういう経緯を辿ったか比較してるけど
モンゴルは上手くやったほう
チベット、ウイグルは悲惨
>>427 モンゴル帝国よりもっと以前の時代には
「蒙克」「萌古」などの表記もあったようだけど
432 :
世界@名無史さん:2009/07/16(木) 23:25:47 0
>>427 今のモンゴル国は漢字表記の蒙古は止めてくれといってるそうだ。
そうらしいね
猛虎でいいじゃん
阪神タイガースみたいで
世界征服やねん!モンゴルエンパイアーズ
436 :
世界@名無史さん:2009/07/21(火) 00:28:36 0
【中国】遊牧禁止、漢族の下で労働 『モンゴル族も人権危機』 政府は「中国の少数民族政策は世界で最も成功した政策」と自賛[07/19]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1248012820/l50 遊牧禁止、漢族の下で労働 『モンゴル族も人権危機』
中国新疆ウイグル自治区での暴動は、中国にとって少数民族問題がアキレス腱(けん)である
ことを浮き彫りにした。ウイグルやチベットに続いて、中国の少数民族政策に抗議の声を
あげているのが内モンゴル自治区に住むモンゴル族だ。日本に在住するオルホノド・ダイチン氏
(42)は、モンゴル族の人権擁護活動に取り組み、同自治区の現状の厳しさを訴えている。
(外報部・浅井正智)
ウイグル暴動後の今月十二日、東京都内で行われた七百人規模(主催者発表)のデモ。
集まったのはウイグル人だけでなく、中国の政策に強い不満を持つチベット人、
そしてモンゴル族のダイチン氏の姿もあった。マイクを握った同氏は「中国の少数民族弾圧は
今回だけでなく、六十年続けられてきた」と声を張り上げた。
ダイチン氏は、内モンゴルでの人権侵害や文化・自然破壊を阻止するため、二〇〇六年末、
同地出身の在外モンゴル族からなるモンゴル自由連盟党の創立に加わり、幹事長に就任。
活動の中心は日本のほかモンゴル国、スウェーデンなどにあるという。
内モンゴルでは、人口二千四百万人のうちモンゴル族の比率はわずか17%。
新疆ウイグル自治区のウイグル族が46%、チベット自治区のチベット族が93%なのと比べ、
「『中国化』がいかに進んでいるかが分かる」とダイチン氏は指摘する。
437 :
世界@名無史さん:2009/07/21(火) 00:29:27 0
漢族による搾取の構図は新疆と共通だ。中国政府は内陸部の経済発展を促すため、
二〇〇〇年から西部大開発を進めている。内モンゴルは石油、天然ガスなど地下資源が豊富だが、
ダイチン氏は「結局、資源を中国本土に持っていかれるだけで、モンゴル族の生活は全く
よくならない」と不公平感を訴える。
住民の定住化を図る名目で遊牧が禁止され、「都市へ移住を強制された人々は、
安い労働力として、漢族の下で働くことを余儀なくされた」。遊牧生活から引き離された
モンゴル族は七万人以上。開発のひずみは環境悪化にも表れており、砂漠化や工場から出る排煙、
排水による公害が著しいという。
それでも政府は「中国の少数民族政策は世界で最も成功した政策」と自賛する。
例えば少数民族には大学入試で優遇措置が取られている。しかし実態は、モンゴル族が
中国語で教育を受ければ入試の得点に加点するといった、同化政策と一体なのだという。
中国の国外で長い歳月、運動の実績を重ねてきたチベット、最近注目されているウイグルと比べ、
中国国内のモンゴル問題はそれほど知られていない。
ダイチン氏は「ウイグル、チベットとも連帯し、自由と民主主義を愛する世界の人に
われわれの現状を訴えていきたい」と力を込め、さらにこう語る。
「漢族も満州族の清朝に支配され、二百八十年の間、独立をスローガンに戦って勝利を収めた
歴史がある。民族の主権や尊厳を求める運動は、一〜二年で終わるものではない」
東京新聞 2009年7月19日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009071902000080.html
438 :
世界@名無史さん:2009/07/22(水) 21:26:04 0
439 :
世界@名無史さん:2009/08/05(水) 17:36:23 0
440 :
ty270410:2009/08/05(水) 23:16:46 0
まだこのスレッド残っていたんですね!
懐かしい!
441 :
世界@名無史さん:2009/08/29(土) 06:55:57 0
このスレでの質問します。↓の書き込みがあったけど、
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間、朝鮮人男性は結婚を禁じられていて、
朝鮮人の「祖先」は蒙古軍兵士の強姦魔って本当?
196 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/08/28(金) 15:40:05 ID:Oote8rzq
1、何故、しきりに現代韓国人は日本人に向かって「日本軍は強姦魔」とかっていいがかりするか?
2、何故、現代の韓国でも強姦犯罪が多く、又、半島生まれキリスト教団が性犯罪問題を頻繁に起こすか?
それは、元寇で朝鮮半島の婦女子を性奴隷化した蒙古軍兵士たち(現在の朝鮮半島人の「祖先」) が「景教」(キリスト教の亜流)だったから。
つまり、強姦魔の景教信徒だった自分たちの祖先を、韓国社会は現在の祖先崇拝文化で批判できないから。
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間近く、朝鮮人男性は結婚を禁じられていた。
朝鮮半島人は、李王朝初期での自分たちの「祖先」(蒙古軍兵士)が強姦魔集団だったから、
その「祖先の悪行」の歴史上での相対的な希釈効果を狙って、日本軍を必死に貶めたがってるだけ。
そのへん、台湾人とはまったく異なる歴史観をつくりたがってる。
つまり、「現代南北朝鮮人の祖先(蒙古軍)」の超大規模な軍関与による組織的強姦、
性奴隷化を隠蔽するために、現代朝鮮半島人は、日本軍にこじつけ、アテコスリしてるのだ。
442 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:37:16 0
このスレでの質問します。↓の書き込みがあったけど、
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間、朝鮮人男性は結婚を禁じられていて、
朝鮮人の「祖先」は蒙古軍兵士の強姦魔って本当?
196 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2009/08/28(金) 15:40:05 ID:Oote8rzq
1、何故、しきりに現代韓国人は日本人に向かって「日本軍は強姦魔」とかっていいがかりするか?
2、何故、現代の韓国でも強姦犯罪が多く、又、半島生まれキリスト教団が性犯罪問題を頻繁に起こすか?
それは、元寇で朝鮮半島の婦女子を性奴隷化した蒙古軍兵士たち(現在の朝鮮半島人の「祖先」) が「景教」(キリスト教の亜流)だったから。
つまり、強姦魔の景教信徒だった自分たちの祖先を、韓国社会は現在の祖先崇拝文化で批判できないから。
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間近く、朝鮮人男性は結婚を禁じられていた。
朝鮮半島人は、李王朝初期での自分たちの「祖先」(蒙古軍兵士)が強姦魔集団だったから、
その「祖先の悪行」の歴史上での相対的な希釈効果を狙って、日本軍を必死に貶めたがってるだけ。
そのへん、台湾人とはまったく異なる歴史観をつくりたがってる。
つまり、「現代南北朝鮮人の祖先(蒙古軍)」の超大規模な軍関与による組織的強姦、
性奴隷化を隠蔽するために、現代朝鮮半島人は、日本軍にこじつけ、アテコスリしてるのだ。
443 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 18:34:30 0
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」
スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介し、波紋が広がっている。
27日、サイバー外交使節団「バンク」(www.prkorea.com)によると「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。
中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」とわい曲した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213 http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129 世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
444 :
世界@名無史さん:2009/11/12(木) 06:49:20 0
白鵬(・∀・)カエレ !
おまえは、人民革命党員だろーが。
446 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 00:37:41 0
モンゴル国の国際関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82 南に隣接する中国とは、伝統的に関係が悪い。「娘が中国人と結婚したら一家の恥」との通念が今でも通用しているし、国政選挙でも中国との関係改善の是非が争点になる。
モンゴルが漢字文化を一切受容しなかったのも、モンゴル人が中国人を嫌ったためである。
モンゴル人にとって「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなる。
日本人を含めた東洋系外国人が、街頭で「中国人か?」と聞かれることはまずない。中国人は蔑称であり、喧嘩を売っていることになるからである。
通常であれば、「中国生まれのモンゴル人(または韓国人)か?」と聞かれる場合が多い。ただし、日本とはまだ縁遠いため、日本人かと聞かれることは少ない。
モンゴル人と中国人との衝突事件、あるいは中華料理店に対する襲撃事件は、ニュースにもならないほど日常的に起きている。
学校教育で、中国人に敵意を煽る教育は行なわれていないが、家庭教育で敵意を植え付けている場合が多い。
モンゴル人の子どもが語る「学校の怪談」でも、中国人による殺人事件が頻繁に登場する。
現在、中国人が嫌いなモンゴル人は9割、好きなモンゴル人は1割と言われる。
衣料品や、家庭電化製品は、中国製がほとんどであるが、モンゴル人は、「中国の商品は構わないが、中国人の思想が気に食わない」と語る。
447 :
世界@名無史さん:2009/11/16(月) 16:27:03 0
モンゴル人は周辺民族に対しては「加害者」だろうが。
清朝の同盟者・貴族支配層として、安逸さをむさぼっているうちに、漢族入植者(最初のうちは農奴、小作人)に土地取られたっての現実じゃないの。
ハルハ部族とチャハル部族は、事情違うだろう。
ハルハ部は、袁世凱に朝貢冊封関係を結んで独立して
チャハル部族は、漢族の入植を許してしまった。
449 :
世界@名無史さん:2009/11/16(月) 18:49:51 0
チャハル部族は厚遇されていたのに呉三桂に唆されて裏切ったのであぼーんされて
部族が解体され、直轄化され「チャハル八旗」に再編・奴隷部隊にされた。
450 :
世界@名無史さん:2009/11/28(土) 04:10:29 0
451 :
世界@名無史さん:2009/12/31(木) 09:34:57 0
インターネット上でも、チャハルとハルハって口論ばかりだな。
お互いに、cheet comunist(ニセ共産主義者)! と罵り合っている。
cheetahなんて、モンゴルにいねーだろうが(w
なにかにつけて、本当はidolatry(偶像崇拝)しているんだろう?って挑発。
中国共産党とモンゴル人民革命党って仲悪いみたいだけど
根底に、チャハルとハルハが歩み寄ろうなんて姿勢ないことがあるんだな。
自分達こそ、蒼き狼の末裔と譲らない。
「新内蒙古人民革命党」は、存在しなかった。
文化大革命時の権力闘争で
でっちあげられた冤罪事件だった。
現在は、名誉回復されている人も多い。
チャハル部で、ハルハ部と再統合を望んでいる者は少数派だった。
こういう理解でOK?
モンゴル外語学者は不気味。
満州・朝鮮・日本を東モンゴルと呼び
たまたま4言語の文法がそっくりなだけで、モンゴル語派だ決め付けているから。
モンゴルの外語大は、交易商社から研究費集金して、一体何を研究しちょるんだ?
そのうち、チュルクを西モンゴルと呼ぶために、トルコ語文法を折衷させるように
自言語を改造してしまうかもしれない。
454 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 14:24:16 0
今、江戸東京博物館でモンゴル展をやっているよね。
オイラトやブリヤートに関する展示は少なく、
チャハル中心で+ハルハの展示だ。
「チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展」、行って来たよ。展示物は素晴らしいが、中国主催というのは面食らった。
中原は度々モンゴル系に支配されているし、百歩譲って内モンゴル自治区もあるから、
「中国」主催のモンゴル展はありうる。それでも、「チンギス・ハーン」の名前を付けるのは問題だと思う。
「チンギス・ハーン」は各国共有で合意がとれているみたいだよ。
458 :
世界@名無史さん:2010/05/02(日) 18:22:18 0
春秋 2010/5/1付
1966年5月1日、中国・内モンゴル自治区の最高指導者だったウランフは北京入りし、自由を
奪われた。「10年の動乱」と呼ばれる文化大革命が正式に始まったのは半月後。少数民族出身
の代表的な政治家は早々と打倒されていた。
▼その後、内モンゴルでは「民族の虐殺」が起きた、と楊海英氏の「墓標なき草原」(岩波書店)
は語る。控えめな公式の見積もりでも、2万7900人のモンゴル族が殺害された。拷問のために
障害が残った人は12万にのぼる。それぞれ、内モンゴルに暮らしていたモンゴル族の全人口の
1.8%、8%に当たる。
▼内モンゴルには日本も深いかかわりがある。かつて日本が作ったかいらい国家の満州国には、
モンゴル族も多く住んでいた。日本的な近代教育を受けた若者たちは、その後の内モンゴルの
歴史に決して浅くない足跡を刻んでいったのである。そして日本とのつながりは文革の間に迫害
を受ける「罪状」ともなった。
▼ウランフの失脚から44年の歳月を隔てた今日、上海万博の幕が開く。内モンゴルの文物などを
展示するパビリオンもお目見えする。だが、あの民族の悲劇に触れることはないだろう。文革に
関する研究がほとんどできないお国柄である。幸いにして自由の国となった日本に暮らす身として、
せめて思いをはせたい。
ttp://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A9693819699E1E2E2E2E48DE1E2E2E6E0E2E3E29F9FEAE2E2E2;n=96948D819A938D96E08D8D8D8D8D
459 :
世界@名無史さん:2010/05/04(火) 13:20:06 0
age
>>458 『墓標なき草原』は文革の記録によると、「大モンゴル主義者」というのは実態がなく
分裂主義者のレッテル貼りを手段とした権力闘争でしたね。
新彊の「突独分子」もレッテル貼りによる魔女狩なのかもしれません。
世界ウイグル会議は「東トルキスタン独立」を主張していないのに、
10ヶ月前のウルムチ暴動は「突独分子」狩りの様相でした。
461 :
世界@名無史さん:2010/05/14(金) 00:44:29 0
卡尔梅克(カルムイク)人(
>>54にも関連記事)は、
モンゴル民族のオイラト・トルグート部だったが、
ロシアにおいても、モンゴルの影響が濃厚ですね
462 :
世界@名無史さん:2010/05/18(火) 20:31:24 0
演習のテーマにモンゴル近代史を選んだのですが、誰も興味を持ってくれなさそうです
どういうレジュメにすればいいのか教えてください
463 :
世界@名無史さん:2010/06/07(月) 21:17:01 0
464 :
世界@名無史さん:2010/07/09(金) 22:07:30 0
祝五周年!
465 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 14:37:07 0
祝age
466 :
世界@名無史さん:2010/07/12(月) 08:22:30 0
467 :
世界@名無史さん:2010/07/14(水) 00:23:51 0
>>466 その「日本の陰謀」って、見たけど、
日本人がそんなに悪賢かったら今頃こんな事になってないんだけど。
そこに書かれてる陰謀は全部アメリカ人とかユダヤ人がやってる事なのでは?
日本を悪者にしようとしてて超不愉快。
469 :
世界@名無史さん:2010/07/14(水) 21:34:54 0
カルピス
内蒙古の赤峰とは、創業者の三島海雲の頃からつきあいがあったが
最近はモンゴル国に微生物採集にいったそうだ。
商品化した際のライセンス料支払いが不透明で、リスクがあるみたいだ。
戈壁砂漠
471 :
世界@名無史さん:
age