【歴史】朝鮮王朝の太祖・李成桂はモンゴル軍閥だった!? 〔09/05〕

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1そごうφφ ★
朝鮮王朝の太祖・李成桂(イ・ソンゲ/1335〜1408年)は高麗系モンゴル軍閥の勢力であり、
朝鮮王朝は北方遊牧帝国の伝統を基盤に建国した国家であったという新説が唱えられ、学界で論争を呼ぶものとみられている。

こうした主張は、新進気鋭の東洋史学者・尹銀淑(ユン・ウンスク)博士と
モンゴル系中国人学者・エルデニ・バタル博士(内モンゴル大専任講師)が唱えたもの。
両名はこうした主張を盛り込んだ博士論文を江原大史学科に提出し、先月審査を通過した。

学位論文『蒙元帝国期オッチギン家の東北満州支配』を執筆した尹博士は「13世紀から14世紀にかけて、
東北満州地域を元のオッチギン(斡赤斤)王家が支配していたという事実に注目しなければならない」と主張した。

オッチギン家による同地域の支配は、チンギス・ハーンが1211年に自らが征服した領土を多くの弟らに分封した際、
末弟のオッチギンにこの地域を治めさせたことから始まっている。その後、オッチギン家は遊牧と農耕という経済インフラを基盤とし、
この地域で独立的な勢力を形成することに成功した。

ここで問題となるのは、オッチギン家の支配領域の中に李成桂一門の本拠があったという事実だ。
李成桂の高祖父(祖父の祖父)李安社(イ・アンサ)は全州を離れ、豆満江流域の斡東地域に定着した後、
1255年に5000戸の千戸長とダルガチ(元の地方役人)の地位を元皇帝から下賜されている。この事実について、
尹博士は「千戸長はモンゴル族でなければほとんど任命される事のない高位の官吏であり、事実上、
李安社がオッチギン家から認められた軍閥勢力に成長していた証拠と見るべきだ」と語った。

その後、1290年にオッチギン家の内紛で李安社の息子・李行里(イ・ヘンリ)は斡東の基盤を失って咸興平野に移住したが、
千戸長とダルガチの職位は李行里のひ孫・李成桂の代までの5代にわたって世襲された。

一方、学位論文『元・高麗支配勢力関係の性格研究』を執筆したエルデニ博士は「李成桂一門はオッチギン家を通じ、
当時最先端にあったモンゴル帝国の軍事技術を直接吸収した。
その後、オッチギン家直属の斡東と雙城ハ管府の多くの条件を活用して自らの勢力を育てていった」と主張した。
なお、李成桂は1362年に元の将軍ナガチュとの戦闘で、この先端技術を用いて勝利している。

さらに、尹博士は1388年の威化島回軍(元への援軍の指揮官であった李成桂が全軍を威化島で引き返し、高麗の実権を握ったクーデター)も、
モンゴルの内部事情に精通している李成桂が、元の軍事力が崩壊したことを把握した上で起こした「旧モンゴル将軍の裏切り」と見るべきだと主張した。
従って、朝鮮王朝の建国は韓半島(朝鮮半島)の自生的産物としてだけでは見られないとしている。

「モンゴル世界帝国の中心地である北東アジアで、13世紀から14世紀に起きた激変の歴史の総体的果実として生まれた王朝が朝鮮王朝だ。
朝鮮王朝は表面では親明事大を標榜していたにもかかわらず、
パックス・モンゴリア体制の中心である北方遊牧帝国の伝統を事実上維持し続けていた」と尹博士は語った。

また、こうした新たな歴史解釈の持つ意義について、尹博士とエルデニ博士は「これは朝鮮王朝の歴史がモンゴル史の一部という意味ではなく、
韓半島の範囲を脱して東アジア史という大きな観点で高麗・朝鮮王朝間の王朝交替を再解釈する作業だ」と定義した。

ところで、こうした主張に対する学界の評価は分かれている。江原大史学科の周采赫(チュ・チェヒョク)教授は
「2世紀にわたって満洲を支配した先進文明圏が朝鮮王朝に及ぼした影響を一部明らかにしたという意味がある」と評価している。

一方、高麗大史学科のパク・ウォンホ教授は「興味ある仮説ではあるが、もう少し緻密な検証を経なければならない」と慎重な姿勢を示した。

朝鮮日報ユ・ソクジェ記者
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/05/20060905000052.html
2<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:55:04 ID:XTFsvlZw
アーッ!
3<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:55:49 ID:UXiHm2Uz
ふーんあっそ
4<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:55:51 ID:Z8JaHXQ/
★『日本国』という国号の成立−その真相−★

日本という国号ができたのは7世紀頃で、最も確実に明文化されたのは、飛鳥時代の701(大宝元)年に
制定された大宝律令からである。
 720(養老4)年に編纂された日本書紀には、『日本』の名があるが、こういった資料をひもとくと、
少なくとも674(天武天皇3)年は、対外的にまだ「倭」という国号であったことが分かる。
従って、国号の変更は674〜701年の間に行なわれたと考えるのが妥当であろう。
 大宝律令よりも前に『日本国』の国号が成立した時期として、最も可能性が高いのは、飛鳥(あすか)浄御原令
(きよみはらりょう)が成立した689(持統天皇3)年6月29日頃である。

 隣国の支那へは、702(大宝2)年に粟田真人(あわたのまひと)により、『日本国』という新国号が
伝えられた。彼は浄御原令の編纂にも関わっており、日本という国号は彼が発案した可能性もある。
 
 なぜ、大和朝廷は、大和国から日本国へと国号を変更したのだろうか。
 やはり、6世紀に九州地方で起きた「盤井の乱」が大きく影響しているのだろう。
古代九州は、自ら『日の国』と名乗っていた。ヒの国は、『火の国』でもなければ、『肥の国』でもない。
あくまでも『日の国』である。この国号が意味しているのは、日神=天照大神の国という意味である。
 九州地方は、天皇家の先祖であるニニギノミコトの出生地であり、まさに『日の国』なのだ。
『日の国』という国号には、「我々こそがニニギノミコトの正統なる後継者である」というメッセージが
込められている。
 大和朝廷は、九州勢力が『日の国』と名乗ることに危機感を抱いていた。
 だからこそ、自分達(大和国)のほうがニニギノミコトの後継者であることを、国の内外にアピールする
ために、『日本国』と名乗る必要があったのである。
 これが、『日本国』の国号が誕生した真相なのだ。
5<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:56:00 ID:LtdVysfB
モンゴル軍は朝鮮王朝の配下ニダ
6<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:56:08 ID:MfzFBbTg
そごう氏ね
7<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:56:25 ID:MYLb9vF5
理屈こねなくても顔見りゃ分かるだろw
8<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:56:45 ID:pqomwx/M
> 末弟のオッチギンにこの地域を治めさせたことから始まっている。

今風に云えば左遷か。
 
9<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:56:56 ID:ybUIQJAj
やたら広大な土地を持っていたと主張したいのかw
10<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:58:31 ID:QUVl9X3y
もう飽きた、韓国ネタ、書き込み出来ないようにしてくれ。
11<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  ):2006/09/05(火) 19:58:35 ID:sridY4RR
>>1
だとしたら
ドッチラケですね。
12<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 19:59:37 ID:QqGbwqgU
朝鮮の歴史家はあてにならない
こんな事言っては悪いがな
13<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:01:19 ID:cfRzEsgu
>>7
整形前のね
14<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:01:51 ID:Zn8zIVX2
日本とモンゴルの仲がいいからだろうな
15<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:02:16 ID:YZoMR/np
チンギスハンは韓国起源が始まったわけか。
16<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:02:57 ID:7mgz1A8m
これって結構前から常識だったんじゃないの?
17<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:03:06 ID:AHoomV47
えーと

朝鮮王朝太祖の祖先は熊じゃない  ってこと?
18<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:03:29 ID:pqomwx/M

たかだか鎌倉時代程度の時代の事なのに、今頃なのか?
 
19<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:04:58 ID:QqGbwqgU
モンゴル帝国の肩書きが欲しいのか
20<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:05:53 ID:2JSmdcku
朝鮮が歴史上独立国だったことなんて一度もないじゃんw
21愛知県のkw@i ◆tsGpSwX8mo :2006/09/05(火) 20:07:02 ID:+jEvWWiM
純粋におもしろい記事だ
しかし半島に願う
現在の政治的・民族主義的な価値観をまったく抜きにして
自らのルーツを探ってみてくれ
それでもしほんとにすばらしい遺跡とか文化が発見されれば
それがほんとの民族的な誇りになるんじゃないか
日本人もその遺跡や文化を尊敬するだろうよ

「優秀性」「先進性」「劣等感」
つねづね客観的であるべき歴史考察の中に
なぜこんな言葉がポンポン出てくるんだ
端から聞いていてほんとにうんざりする



22<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:07:46 ID:K6WqM/qX
いいね。朝鮮は。
いろんな先祖がいて。おれ、朝鮮で小説家になりたい気分。
23<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:09:10 ID:UkTTDtwh
まあ言えば

13世紀以前の半島と 13世紀以降の半島とは全く別物の民族だという事だろ





          当たり前じゃないか!!
24<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:09:56 ID:f0LGNZlo
って事は、チョンの大好きな起源からすると朝鮮の起源はモンゴルってことになるな
25<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:10:19 ID:lpIpf0wA
>>21
歴史をクリエイトする国家に何の期待をry
26<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:10:39 ID:qG9CGAcS
もろモンゴルづらやんw
27<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:11:28 ID:fUY4hbaQ


ほんとに根無し草なんだな。


20 名前:_ メール:sage 投稿日:2006/09/03(日) 22:48:38 ID:y3pwmWTp

最古となる太極旗の絵が発見された
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/26/20040126000072.html

「大清国属高麗国旗」と書いてある・・・

太極旗は「属国旗」として誕生したのである。
28<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:15:39 ID:3TFc0VKD
>>「これは朝鮮王朝の歴史がモンゴル史の一部という意味ではなく、・・

妙なにおいを感じるのは漏れだけではないだろう。
29<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:16:05 ID:+JlK/NHk
クレイム!
たかが9cmでオッチギンとは
30<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:16:58 ID:MYLb9vF5
いろんな民族にレイプされまくってできたのが朝鮮人。
31<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:17:00 ID:ZnReS1GV
なんの資料もないからいわれ放題w
まぁ朝鮮族が生き残っていただけ奇蹟としか言いようがないな
あんなにヘタレた民族も珍しい
まるで園児の集団だものなw
32<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:17:56 ID:3Fp5A6Tu
またかよ
33<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:18:12 ID:gUjQSrGS

レイプ、レイプでDNAぐちゃぐちゃだから、
だれが先祖かわからんだろ。
34<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:18:39 ID:MJHFI/FX
どこまでもねつ造が好きなミンジョクw
35<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:22:30 ID:mjHsPDfK
パオで生まれたんだろ
36<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:22:41 ID:RtfHHK5C
まぁ中国王朝なんて北方蛮族やら何やらが多いから朝鮮王朝が
モンゴル系ぐらいでは今更驚かん

現在の朝鮮人に伝えられてるのは先天性レイプ症候群ぐらいだが
37<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:22:43 ID:xoCowrEq
>>27
あれ?画像修正してないバージョンだな。
38<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:23:19 ID:Vd6Cre/V
つまりこれは
世界最大の大帝国「元」を造ったのはウリナラという
いつものファンタジーですか?
39<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:24:10 ID:xF99j7aL
結局これってことか?
【産経コラム】「あった歴史よりあるべき歴史が重要」という韓国人の歴史観
…客観的な歴史観は認めてもらえない〜黒田勝弘[8/26]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156541602/
40<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:24:56 ID:aWTcY+wu
中国はあんなユーラシアの盲腸が欲しいのか?
41<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:25:13 ID:Z8JaHXQ/
朝鮮には、9世紀以前の古文書がない。
歴史書も無ければ、万葉集のような「歌集」も無いのである。これは実に不思議なことである。

朝鮮人の主張によれば、
「朝鮮(古代では新羅であり、その前身であるワイ州)では、古くから文字文化が栄え、
日本よりも高度な先進文化があった。日本人に文字(漢字)を伝えたのも、我々朝鮮人
(ワイ人)だ」なのだそうだ。
もし、彼らの主張が正しく、朝鮮(ワイ)に文字文化が栄えていたならば、その事実を示す証跡が
あるはずである。
日本においても、中国においても、インドにおいても、またギリシャ・ローマにおいても、
文字文化が栄えた国々では、その事実を示す古文書や石碑などが残っているものである。
 ところが、9世紀以前の朝鮮には、文字文化の繁栄を証明する古文書が一つも無いのである。
百済や任那、志羅紀は日本人が建てた国であり、朝鮮(ワイ)とは関係ない。
また、高句麗もフヨ族が建てた国であり、朝鮮人(ワイ族)とは関係ない国である。
けっきょく、朝鮮(ワイ)の文字文化を証明する物は、何も無いのである。


42<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:27:55 ID:cHFHRBpJ
義経伝説みたいなもんかw
43<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:37:06 ID:R4A7TQgi
>>42
正解
44<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:38:29 ID:8NRFan5P
こんなの常識以前の問題だろう。匈奴大帝国から元に至る草原の民が満州から東の森林地帯の
狩猟の民を従えていただけ。この森林の狩猟民族が最後に元朝の正統後継として大汗の位を
受け継ぎ最後に清を立てた。いずれにしても朝鮮人の先祖じゃない。
45<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:42:49 ID:7mgz1A8m
外から支配者が流入、庶民は海外に流出

これが朝鮮半万年の歴史
46<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:45:47 ID:oCTt0cnf
つまり
元=ソ連
李成桂=金日成
ということですね。
47<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:47:55 ID:2HCozorb
チンギスの末弟のオッチギンって誰やねん。
母(ホエルン)が同じ兄弟でそんな名前の弟おったか?
48光 ◆OraMYUrmo2 :2006/09/05(火) 20:49:09 ID:WJLlO4DM
>>47

テムゲ・オッチギンと言えば判りますかね?
49<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:51:19 ID:2HCozorb
>>48
ああ、テムゲか。判りづらw
ご教授レススマソ
50<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:51:41 ID:+gUGYA+x
それでもじきにモンゴルの起源は韓国と言い出す予感。
51<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:53:19 ID:EhZwjVnE
>>47
テムゲのことだよ。元朝秘史では鉄木哥斡赤斤と表記されてる。
左賢王(に当たる支配王族)として8千人隊(千戸隊)を率いたというから、
諸王家でもかなり有力な家系。
52<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:56:11 ID:m5oePNjk
これって、おもしれえーことなのか?韓国ネタ枯渇?
53海人 ◆OAMAGJlDZo :2006/09/05(火) 20:57:46 ID:acSLOi2e
>>1

王位になかなか就かなかった奴ね、、、

国号を決めるのに、明にお伺いをたてたんだっけ?
54<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:58:00 ID:t94SMqzg
「千戸長はモンゴル族でなければほとんど任命される事のない高位の官吏であり」


モンゴル帝国は異民族を高位につけることが非常に多かったはずなのだが?
?オレの受けた教育間違ってる?
55<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:58:45 ID:5XYntJ54
「歴史は純粋な学問の領域では無い」と、偉大な韓国大統領が言っていたね。
56:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 20:58:46 ID:2Mav8SX5
てか 何かモンゴル嫌いになった。
57<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:01:01 ID:705qm5Lk
これって、満州、モンゴルまで朝鮮民族の土地!って言いたいのか?
さすが歴史クリエーターの考えることは違うね。
58<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:01:01 ID:C2y/SNcT
どうりで朝青龍が強いわけだ
59<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:01:20 ID:Gooy89dh
>>56
勝手に嫌いになってれば良かろう。
在日よ。
60(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/05(火) 21:01:21 ID:pG5/U2Ye
この辺りから、遺伝的にも大和人とは別種になってきたのかな。
内陸部のツングースと蒙古種が強くなったんだろうな。

それにしても、蒙古帝国の偉大さを我が事とするとはね。
虎の威をかる何とやらだな・・・w
61<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:01:53 ID:KIdMNY2Y
あんなこといいな だったらいいな
62<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:02:09 ID:2HCozorb
>>54
耶律楚材とかパスパとかは有名だけど、
朝鮮民族が元の高官に上り詰めたと言う話は聞かんね。
フビライ以降はどうだか判らんが
63<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:04:15 ID:SqgXCHRu
モンゴルの軍閥とかじゃなくて、
単にモンゴル人に支配されてただけじゃねーの?
64<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:05:00 ID:GfqEUA1l
まあ日本人は日本人だけの血脈でよかった
65<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:05:17 ID:y5dnNkKI
ほんと飽きないっつーか、他に楽しみないんか?
66<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:05:52 ID:ufB0dXRU
モンゴルは、高麗を支配しました。
司令官を駐屯させて、王子を人質としてモンゴルに幽閉しました。
この王子が忠烈王です。
忠烈王が帰国する時、モンゴルの皇帝は娘と結婚させました。
つまり高麗王はモンゴル皇帝の婿になりました。
その後、7世代に渡って、モンゴル女性と結婚しています。
交配1代目 モンゴル血統の含有率 50%
交配2代目 モンゴル血統の含有率 75%
交配3代目 モンゴル血統の含有率 87.5%
交配4代目 モンゴル血統の含有率 93.75%
交配5代目 モンゴル血統の含有率 96.875%
交配6代目 モンゴル血統の含有率 98.4375%
交配7代目 モンゴル血統の含有率 99.22875%
最後の高麗王の韓民族の血統は1%以下です。

また、高麗王はモンゴル人の名前を名乗っていました。
忠宣王はIjiribuka。
忠肅王はAratotoshiri。
忠惠王はBudashiri。

そして髪型もツングース系の髪型「辮髪」でした。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~xuan-he/benpatu/pic/ranglingwang.jpg
衣服も「胡服」(Kofuku)というモンゴル人の服を着ていました。
ttp://rainboweyes.org/nijiniji/images/zaregoto/m_ware.jpg

血統、名前、髪型、衣装…全てがモンゴルでした。
後期の高麗は「モンゴル人の国」でした。
67<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:06:04 ID:p7hez9u+
>>63
簡単に言うと、その通り。
68<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:06:30 ID:84Jw0Ew2
また妄想か。
69旧支配者安崎 ◆c0qpM1pYhA :2006/09/05(火) 21:08:21 ID:2Jr5CWl2
>>54
明に滅ぼされた最後のモンゴル皇帝の皇后が、高麗人だったような
これってやっぱり法則かなw
70<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:10:56 ID:CdCa3Mca
んー、色目人以外だと、よっぽど有能で
反南宋の人物じゃないと上いけねーんでは・・・


となるほど。
反南宋なだけで上に行った奴か
何時もの事大主義か
71<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:11:40 ID:qoGzOTio
>>8
左遷じゃない
オッチギン家って特別な家なんだよ
オッチギンは末弟と言う意味があったと思う
モンゴルの末弟は本来家を継ぐものなんだ
有力貴族として満州族の血をジンギスカンがあげて
金魚の糞として高麗が入ってたと推論するぞ
大体、李何某は高麗でモンゴルに対する反乱兵を引き返して高麗を落とした卑怯者じゃなかった?
72<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:11:58 ID:GmpnDA6i
今回のネタの真偽に関わらず
鮮人がシナの下風にあることに何ら変わりない
73<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:12:01 ID:pqomwx/M

つまり

義経がモンゴルへ逃亡→ジンギスカーンとなる→その身内が朝鮮王朝を起こす

って事?
74<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:13:32 ID:vS2on0jk
大体、顏みたらモロモンゴルやろ。
75<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:14:55 ID:GYEjaPZj
次あたり元を治めていたのは韓国人だったと来るニカ?
76<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:15:26 ID:Yt1CPzM4
朝鮮支配されすぎだろ。たまには勝てよ
77<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:16:46 ID:8NRFan5P
モンゴルは明に滅ぼさてないよ。モンゴル大帝国のうち元朝は大元ウルスって呼ばれる
ほんの一部。明が興った時支那の部分放棄して故地に帰っただけで、その後も継続して
存続してる。この元朝の末裔から伝国の璽をもらって大汗の地位についたのが満州族ヌルハチ。
78<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:17:22 ID:qoGzOTio
>>76
元軍を使った
日本侵略すら負けるくらい朝鮮は弱いんだし
それは無理だよ
79<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:19:53 ID:j5sTNln9
朝青竜が聞いたら怒るぞ
80<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:19:54 ID:2+gfv54F
モンゴル帝国への事大が始まったと聞いて記念カキコしに来ますた
81<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/09/05(火) 21:21:35 ID:/HtllfsJ
高麗もそうだが、高句麗や渤海も王族などの支配層は朝鮮人ではない。
被支配層の隷属階層が朝鮮人。
82<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:23:10 ID:wV2HTuy6
つまり、もしも将来、源義経がチンギス・ハーンであったことが証明される
ことが本当にあったならば。朝鮮王朝は日本の天皇家の分家の分家ということ
になるな。
83(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/05(火) 21:23:12 ID:pG5/U2Ye
>66
体毛が薄く、男根が9cmってのも頷けるなw
北方民族じゃ、寒さに合わせて環境適応させてる訳だし。
まぁ、半島は、政治的に不安定で、民衆の生活も劣悪、
しかも寒さが厳しいから、9cm砲が根付くにはぴったりなんだよな。
84<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:28:20 ID:zy0QM/Q/
>>1-81
もまえらモノ知らなさ過ぎ。なにが新学説だ。
昔からわかってることだぞ????
-----------------------------
当時咸鏡道一帯は女眞族の住地であった。李成桂はここの出身でありながら「咸鏡道人」を
政府の要職につけてはならないと命令している。それほど「咸鏡道人」=女真族は我慢強く、
猛々しいのである。そもそもここの住民は高麗時代には半島政権の領土ではなく住民は女真族。
モンゴル帝国はこの地の反乱を鎮圧し「双城総管府」を設置した。
双城総管府の中心は咸鏡道の「和寧」(「永興」ともいった。現在の咸鏡南道の南端の金野。
元山の近く)にあった。

1380-90年代、高麗の恭愍王は、元明の東北アジア争奪戦のどさくさに紛れ、遼東までを
一挙に本国化しようとはかり、双城を編入したんだけど、その時、李子春・李成桂の女真人
の父子は高麗への投降武将となり、内通して編入を助けたことになっている。
(李朝が編纂した歴史書で(w だからこの辺りの事情はかなーり怪しい。 )

李子春なる者は、この「双城総管府」 に仕える千戸(モンゴル帝国の下級役人)で
女真系モンゴル人。彼の活動の本拠は永興(和寧)のすぐ北の咸興に在った。
彼の本名はウルス・ブハ (吾魯思不花)=李urusu-uba(=李ウルス・ブハ)。
李成桂の先祖は表向きは新羅の高官で全州李氏ということになっているが、彼が生まれた
のは全州ではなくこの永興=和寧(双城総管府の中心地)で、李朝時代にも宗廟が置かれた。
李成桂の従兄弟か異母兄弟か忘れたけど一族にはモンゴル名しか知られていない者もいる。

高麗はモンゴル側について明の永楽帝と対決するため軍団を派遣したんだけど、
その軍団の長である李成桂が裏切って明側についてしまい、引き返して
クーデタを起こし、王権を乗っ取って樹立したのが李氏朝鮮。

1392年、高麗、滅亡。李氏朝鮮の建国。李成桂は明に尻尾を振って、遼東・南満州を放棄、
鴨緑江までの確保で満足したせこい奴。こいつが政権欲に目がくらまず、自分の任務をきちんと
はたしていれば、太祖王建の夢であった高句麗/渤海国の旧領(満洲)を奪取できた可能性がある。

1393年、明から国号を【朝鮮】と賜る。
これより前、【朝鮮】と【和寧】の二案で明に提出するも、はじめから「朝鮮」に内定していた。
85<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:31:42 ID:FVa14ct5
>>41
しかしワイ族の性に特化した文化は、
ワイ談としてその名を遺している
86<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:31:52 ID:Um8mBzXs
蒙古斑とか遺伝的特徴について。
87<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:33:28 ID:Pxjbq8xS
支那の歴史戦略の新しい展開だな。
88<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:33:46 ID:eJthSz9n
こんなんで博士号もらえるんだから韓国は楽だよな
89<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:35:01 ID:LuVD3+Rz
どうでも良いよ。
どうせ滅んだ王朝だろが。
90<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:39:51 ID:PBNo6d1E
オッチギンとは末弟の意味。
大きくなった子から家を出て行き最後に残った男子がその家を継ぐので、
モンゴルでは家督の相続は長子ではなく末弟だった。

つまり、正当なモンゴル帝国の後継者は朝鮮とでもいいたいのですか??
91<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:42:48 ID:6YVjtibo
★高麗王家の末期の7代の后は、7人ともモンゴル王家の王女でした。
■7世代に渡り、モンゴル人との結婚を強制された高麗王の血統。
交配3代目 モンゴル人含有率 87.5%
交配5代目 モンゴル人含有率 96.875%
交配7代目 モンゴル人含有率 99.22875%
・・・高麗王は正真正銘モンゴル人なのです!
※血だけではなく、名前(イジリブカ、ブダシリ等)、服、髪型(弁髪)・・・全てがモンゴル風でした。

★さらに李氏朝鮮建国の李成桂の父親は、李urusu-ubaという名前の満州人でした。


韓国人のルーツは日本、華北、満州。

★朝鮮半島★←縄文人(7000前)←満州人(4000年前)←華北人(2300年前)
←漢の支配(2100年前)←満州人(1900年前)←倭人(1600年前)
←蒙古・満州人(750年前)
92<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:43:49 ID:DUnqSpt6
>>1
>「興味ある仮説ではあるが、もう少し緻密な検証を経なければならない」
韓国人がこういうこと言うなんて・・・。
93<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:43:51 ID:DDQ1sFEF
しかしまあチョンはこういう話好きだよなあ
よっぽど歴史が無い民族ってのが堪えてるんだろうな
94<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:45:02 ID:qoGzOTio
>>90
オッチギンはジンギスカンの末弟だから
モンゴル帝国の相続には関係ない
ジンギスカンの父親の相続だから本来あまりもらえない人
95<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:46:55 ID:ZTnCLz0V
朝鮮人はトンチンカン
96(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/05(火) 21:48:45 ID:pG5/U2Ye
>91
縄文人はどうだろうなァw
そこら辺は、大陸部も流入してるだろうから曖昧でそw
まぁ、縄文人「も」っていう事なら分かるけどねぇ。
97<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:49:44 ID:2rLmNQD8
チョンは純正モンゴル人丸出しの顔してるんだから当然
98<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:50:16 ID:IXc4gnSN
意味がわからん…朝鮮王朝はモンゴル人が作った国って事?
99<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:50:37 ID:eBCW9ncL
韓国の歴史系大学教授のレベルは日本の高校生以下
100<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:51:31 ID:NzP8l8rr
李成桂の出自の怪しさは昔から知られていたと思うが。

大昔ハングル板でマスコットキャラとして
「李モナー王」というのがいた。
名の如くモナーに李朝の官服を着せただけでえらが張っていない。
李朝の先祖は高麗人ではないからだ。
今ではニダーにお株を奪われて消えてしまったけどね。
101<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:52:16 ID:LCdrRsfR
>「これは朝鮮王朝の歴史がモンゴル史の一部という意味ではなく、

どうみてもモンゴル史の一部です。本当にありがとうございました。
102<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:53:11 ID:1HEIT+Kx

いちいち バ韓国の事で スレ立てんなや !!
どうでも いいことだろ !
103<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:54:46 ID:XOVdBvUm
はっはっは。属国史、奴隷国家の面目躍如だな
104<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:56:34 ID:yRqBwkj2
>>98
もともと高麗の将軍じゃなかったか?
それがクーデターを起こして李朝を作ったと
高麗は完全にモンゴル化してたから、李成桂将軍ももちろんモンゴル化してただろ
105<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:58:16 ID:1HEIT+Kx

いちいち バ韓国の事で スレ立てんなや !!
どうでも いいことだろ !
106<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:58:56 ID:T8IhcWwq
昔の日本に文化を伝えた渡来人の流れを汲む連中はもういないって事かな。
107<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 21:59:38 ID:2HCozorb
>>94
そういえばテムジンは長子だったな。
(異母弟ベルクタイが最年長と言う説もあるが)
そして息子達への相続も末子ツルイではなく
第三子であるオゴデイに継がせたし。
108<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:01:59 ID:lxKlpG+0
>>53
王位に「就けなかった」w

最初は「国王事務取り扱い」みたいな役にしか任命してもらえなかったw

んでもって国名を、自分の出身地である和寧と古代の王朝名である
朝鮮とのいずれかから選んでくれと明に頼んで、結局朝鮮を選んで
もらったとw
109<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:03:15 ID:SFr8Gg9J
また北方騎馬民族幻想ですか。
誰なんだ、朝鮮人にこんなしょうもない与太話を吹き込んだのは。

日帝か?
110<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:03:43 ID:VlhrCI0U
★高麗王家の末期の7代の后は、7人ともモンゴル王家の王女。
■7世代に渡り、モンゴル人との結婚を強制された高麗王の血統。
交配3代目 モンゴル人含有率 87.5%
交配5代目 モンゴル人含有率 96.875%
交配7代目 モンゴル人含有率 99.22875%
・・・高麗王は正真正銘モンゴル人
※血だけではなく、名前(イジリブカ、ブダシリ等)、服、髪型(弁髪)・・・全てがモンゴル風。

★高麗を建国した王建は高句麗族
★さらに李氏朝鮮建国の李成桂の父親は、李urusu-ubaという名前の満州人。

結婚都監
ttp://www.geocities.com/naverchat/CCulture01/
 高麗王朝や朝鮮王朝では「結婚都監」という役所をつくり、結婚を制限して、
処女を元や明に朝貢していたそうですね。その数は毎年150人以上だったそうです。
中国では60歳の還暦の祝いに処女と交合する風習があり、朝鮮の娘たちは高官のそれ
に使われたということです。 朝鮮の歴代王朝はこのことをたいへん誇りに
していたようです。日本は中国の属国になったことがないのでわかりませんが、
日本人からすると、なかなか理解できない考え方です。 このように各国のことばに
翻訳して絵入りで紹介しているという話です。

モンゴルに処女を送るため国民の結婚を禁じた高麗
ttp://toron.pepper.jp/jp/syndrome/keysen/kinshi.html

【歴史】ソウル大教授「高麗王朝の開祖は皇帝だった」〔06/08〕
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1149736670/
111<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:05:52 ID:qoGzOTio
>>107
トゥルイ家とオゴタイ家がそれで争ってモンケがハンになった
トゥルイが譲っただけでしょ

112<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:09:44 ID:zedezRRd
元朝のフビライ家は高麗国王家と深くつながっていた。高麗国王は代々フビライ家の
皇女を妃にもらっていた。明の洪武帝と同時代の高麗国王は、モンゴル語の本名をバ
ヤン・テムルといい、韓半島の正史である『高麗史』では、恭愍王(きょうびんおう)
と呼ばれる。恭愍王は(中略)今の北朝鮮の咸鏡道を占領した。このとき、双城(咸鏡
南道の永興)にいた李ウルス・ブハという女真人の酋長が高麗に降伏した。この李ウル
ス・ブハの息子が李成桂である。

(岡田英弘著・原書房刊『皇帝たちの中国』の『第4章・モンゴル王朝から独立した朝
鮮王国の建国』より)



要するに日本の歴史学者にとって、李朝が異民族の出自という話自体は、真新しい情報
ではない。
ハングルがチベット系のパスパ文字を原型にしていることも、よく知られている話だ。
113<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:11:19 ID:8NRFan5P
元々漢が楽浪帯方おいたとき周囲には野蛮人しか居なかったと。漢の衰退で一度これらを
放棄して、その後楽浪の再建にもどったら、周囲にいた野蛮人たちが昔の役職名をそのまま
真似して役人ごっこしてたと中国の史書にはちゃんと記録が残ってる。w
114<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:13:34 ID:FL1KQqQU
モンゴル軍閥ときやがったか、単なるモンゴルの手先だったってだけだろ。
それならその当時の朝鮮はほとんどそうだから間違いはなさそうだが。
115<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:15:00 ID:1HEIT+Kx

いちいち バ韓国の事で スレ立てんなや !!
どうでも いいことだろ !
116<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:24:07 ID:RahtXesX
>>115
気力も失せた感じだね
117<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:34:51 ID:SFr8Gg9J
>>21
そりゃ無理な相談だw
去年だったか一昨年に、朝鮮ウリ民族とツングース系との類似性が大々的に取り沙汰されてが、
その時のマスコミの論調やネチズンの反応は、
「やはり古朝鮮は事実だった。バイカルこそ古朝鮮の(ry」
「ツングース系諸民族の分布範囲こそが、かつての古朝鮮帝国の版図。彼らはかつての属民」

つける薬が ┐(´ー`)┌
オマエラこそ漢化したツングース傍系末裔だっつの。
118<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 22:54:04 ID:wV2HTuy6
オッチギン家の子孫はは今はインスタントーラーメンの会社経営?
http://shirumade.nomitai.com/cf_korea_ottogi.rhtml
http://www2j.biglobe.ne.jp/~masuko/ramyono.htm
119<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:07:11 ID:7NecOOE6

偉大なモンゴル人が、チョーセンジンの先祖だなんて信じられない。
そうは思わんかね!!!!
120<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:08:40 ID:615Tx7L3
   

【遺伝子】沖縄人とアイヌ人以外は偽日本人 本州、四国では比較的本物が多い
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1157456611/




    
121<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:09:30 ID:lxKlpG+0
>>119
連中、高麗でレイプしまくったからね。今の朝鮮人には
かなり当時のモンゴル人の血が流れてるよ。だから今でも
得意技は(ry
122<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:09:58 ID:a0gUx5ff
おまえ耳からイソン毛はえてるぞ

おまえ耳からイソン毛はえてるぞ
123<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:11:57 ID:uNXi5Ub+
要はモンゴル史は朝鮮史って言いたいんだろうけど
普通の人は朝鮮史はモンゴル史って思うよね
124<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:13:42 ID:b8FxmNGr
高句麗、高麗、百済、新羅、モンゴル、それと、大清帝国の属国、
朝鮮半島の祖先って、アイデンティティーが無いのね。

125<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:17:49 ID:tMXmZUt3

【応用例】

 韓国は国連に加盟している。
  ↓
 これは韓国が国連の一部と言う意味ではない。
  ↓
 国連を通じて韓国が世界を支配しているのである!と表現しても言い過ぎではない。
                          ※このへんが気弱
<丶`∀´>
126<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:18:56 ID:pdxprQgD
モンゴルの属国かつ中国の属国だったのか。
いかにも朝鮮らしいな。
127<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:21:16 ID:2+gfv54F
ドルジがまた「このキムチ野郎!」って怒鳴りそうだなw
128<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:23:29 ID:2rLmNQD8
顔はモンゴル人で名前は中国式だが属国ではないとの矛盾
129<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:25:57 ID:jY3wjGc3
そこは発想を逆転させて、モンゴルも中国もそもそも朝鮮が・・・・とすれば解決するんだよ
130<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:33:41 ID:8RgFD7um
何が問題なのかわからん。今さら驚くようなことでもないし。
蒙古だろうと漢人だろうと、属国として付き従ったのが朝鮮の歴史ではないか。
131<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:34:12 ID:qG9CGAcS
きっつい歴史だな
132<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:39:43 ID:ynCAWjCY
1
朝鮮人の歴史説。起源説に 
め 目眩が…ついて行かれないあたしは

右翼って罵られる運命でしょうか?
133<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/05(火) 23:57:22 ID:Vd6Cre/V
>>132

韓国人は世界でいちばん優秀な民族である!!8
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1155979296/l50
134<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 01:06:06 ID:ODrOXRVO


最古となる太極旗の絵が発見された
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/26/20040126000072.html

「大清国属高麗国旗」と書いてある・・・

太極旗は「属国旗」として誕生したのである。



135<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 01:30:17 ID:L1uSEF/k
( ゚∀゚)o彡゚ !!落ち武者、落ち武者
136<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 07:55:20 ID:PP57Pt/x
すべて>>84に書いてあるっつーの。
137<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 07:59:28 ID:EDiapCO9
>>84
そんなに力まんで>>16でも読め
138<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 08:30:26 ID:ONUoKzkL
>>100
>大昔ハングル板でマスコットキャラとして
>「李モナー王」というのがいた。
>名の如くモナーに李朝の官服を着せただけでえらが張っていない。

激しく見たい ! うpキボン
139<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 08:32:10 ID:ZuGs4svd
良かったじゃん。
ホントに犬からひり出てきたとかじゃなくって。
140<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 08:37:10 ID:Aibj+ngQ
ドルジからひとこと
141<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 08:37:34 ID:E/caRisL
>>138
適当に検索すればでてくるよ。保存してるサイトが結構あるから。
142<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 08:38:10 ID:kYn/KhTf
ドルジ詳しいな・・・
143<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 08:39:41 ID:bBV5ovwG
>>141
     ∩__
    ⊂「_ 」⊃   李モナー王をハングル板の
     ( ´∀`)   イメージキャラにしましょう!
    /     ̄ ̄|
  /  |     |_」
  |__|    |
     |_____|
      (_)(_)
これかな?
144<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 09:08:07 ID:e5qU5nWC
>>1
はいはいwウリナラ半万年・半万年
145<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 09:18:27 ID:cIStKmqo
ようは、モンゴルの田舎軍閥が、どさくさにまぎれて、
国とっちゃったということだろ。
なんか、北の将軍様と似ている構図
146<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 09:20:18 ID:DKDQiXo5
高麗王朝の王族は、モンゴル人だったから当然でしょ。

2chじゃ常識なんだけど、朝鮮人は分からないだろうな。
147<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 09:35:57 ID:PWRm1fz6
だから 言ってるじゃあないですか。

姦国、超賎 なんて国は無いのですよ。
有ったのは、半島 という土地だけ。住民は事大するだけの、生きる屍。
支那でも、モンゴル でもなんでもイイのです、事大できれば。
148<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 09:40:21 ID:1sq0NaOs
普段から「日本人と変わらないニダ」と強弁する朝鮮人だが
オリンピックなんかでモンゴル人選手と見比べると空しくなるね。
149<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 09:49:52 ID:DtRgyzpr
元寇の役の我が国の弘安,文永の時代に蒙古軍は百済(朝鮮)を完全に
制圧し属国化していた我が国攻略のため百済の山と言う山は造船の
為に伐採され禿山になったと言う逸話がある
150(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/06(水) 09:52:54 ID:PC9jGwdZ
>149
劣化民族に船作らせてもなぁ〜w
その時点で、負けが決まってたのかw
151<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 09:59:37 ID:eL7oM9yx
要するに万年属国って事だろ
別に驚くようなことではない
152<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:04:31 ID:o1HPOXC6
>>150
それも解ったつもりになっている造船技術で手抜き工事だったから。
少々の波で浸水して沈み。
知ってるつもりの航海技術だったから嵐も予測できないありさま。
153<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:06:16 ID:EDiapCO9
未だに台風の進路が予測できないもんな
154(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/06(水) 10:07:38 ID:PC9jGwdZ
>152
そんな程度の造船技術しかないのにさぁ、
左翼史観に洗脳された奴って、未だに騎馬民族説とか唱えるんだよなぁw
155<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:07:59 ID:yrwdrjpz
元寇の失敗は神風もあったが、
半島の手抜き工事に助けられた。
そしてモンゴル人は撤退を主張したが、
半島の人達が「俺達なら大丈夫」と大見得切った挙句、
嵐に巻き込まれて失敗した。
156<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:08:51 ID:X4H9VUy+
土下座まで後何日ですか
157<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:09:35 ID:gpM5MBUf
それよりも北のキムがロシア系って歴史を研究しろよ
158<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:17:30 ID:o1HPOXC6
>>154
共産主義を基本とする左翼史観なんてニートが妄想した机上の学問に過ぎないんだな。
勝手に絶望して、理想を築きあげただけの元にご大層な理論がデコレートされているだけだ。
奴らの説には、その時代を生きた人間たちの息遣いみたいなものや
民族や国家の生々しい欲望や活動を考慮しないからダメなんだが、そこが全く解っていない。
159(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/06(水) 10:20:33 ID:PC9jGwdZ
>155
それにしても、あの程度の距離さえ渡れないってのは、阿呆だよなw
しかもさ、台風が来る様な季節に戦仕掛けるかねぇw
蒙古族が日本周辺の気候を知らなかったとしてもさ、
支那・賤族は大体分かってる筈じゃない、台風が来る位はさ。
それなのに、この結果でしょw
民族の馬鹿さ加減って、中々修正出来ないんだねぇ〜w
160<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:26:20 ID:EDiapCO9
>>159
日本の武士が長い間、上陸を阻んだから。
戦闘しては夜には船に戻り、の繰り返しだったからね。
この辺りは日本武士団を褒めたい。
161(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/06(水) 10:26:32 ID:PC9jGwdZ
連書きスマソ。

>158
いやぁ、恩師もその左翼史観にそまっててさ。
未だに騎馬民族説やら、半島の語源と日本の語源が一緒だとか言ってるよw
多分、自分で色々と調べないで、左翼仲間の妄言を鵜呑みにしてるんだよね。
本当、現体制を破壊して革命起こす事しか考えてないんだろうなw
それが、結局は支那の奴隷になる事も考えずにね。
162(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/06(水) 10:28:49 ID:PC9jGwdZ
>160
マジで強かったんだろうなァ、あの当時の武士は。
相当、錬度と技術、気概があったんだろうな。
163<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:33:10 ID:o1HPOXC6
>>161
革命起こしたソ連や中共がどんな体たらくなのかはヌルーなんでしょ?
164(@д@) ◆gmahCSA0Us :2006/09/06(水) 10:43:29 ID:PC9jGwdZ
>163
うみゅ。
日本国内の失政を重箱の隅を突付く真似はするんだけど、
支那・露助の失政は、基本的には考えてないみたい。
社会主義者や共産主義者が、支配の大義として掲げる、
民主主義・平等主義・平和主義とやらが有り難いんだろうね。
まぁ、反米反欧のあまり、周辺国、周辺民族の文化や性質が、
目に見えてないで、共産主義者の妄言に騙されてるんだろうねw
165<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 10:52:48 ID:hLxNRfLi
>>155
そもそも何ヶ月も上陸できずにうろうろしている時点で負け
確定だろ。終盤には船内では疫病が蔓延してたし。当時の
衛生状況ならそうなるのが必然。別に台風こなくても結局
やられてたよ。
166<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 19:28:30 ID:/Gcd6C3t
>>1
岡田英弘なんかが昔から言ってたような

問題は李成桂がオランケの家系かどうかだな
167<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 20:42:02 ID:TOVfM3JA
モンゴル帝国
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1150396840/
68 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/09/06(水) 18:31:05 0
つまり、モスクワ大公国の東アジア版が李氏朝鮮だったってことを主張しているのだろう。
まあ、あり得ない話ではないとは思うけど、大元朝史や朝鮮史は疎いのでなんとも・・・
明朝も永楽帝なんかは自ら大元朝の後継政権としてかなり意識していろいろ根回ししていたことは
最近の研究でけっこう明らかになってるけど、朝鮮半島でも似たような動きが有ったってことかねぇ。

> 1255年に5000戸の千戸長とダルガチ(元の地方役人)の地位を元皇帝から下賜され
モンケの治世だから「元皇帝」はさすがに誤り。あと、「5000戸の千戸長」という表現は文献的に正しい
表現なんだろうか? 複数の千戸を与っていても「千戸長」と表現されていたろうか? 正規の遊牧軍団に
含まれていないような辺域の部民を束ねるような部将たちが複数の千戸を統括していたような話を聞くけど、
普通、正規の千戸が複数からなる軍団を統括する部将は「万戸長」と呼ばれている。
あと、クビライ幕下の漢人勢力の代表、姚枢なんかも千戸長とかのあつかいだったような・・
詳しい人の解説を請う。

ダルガ職はモンゴル系の人物が多かったけど、必ずしもモンゴル系「だけ」ってわけでもなかったとように
記憶している。チンカイやヤラワチも財務官僚で書記職(ビチクチ)だったけど、ヤラワチは華北で活躍する
前はアフガニスタンのガズナのダルガ職をチンギス・ハンから任されていた時期が有る。中央アジアのダルガ
職にあった人物は外部から入って来たけどウイグル系とかいろいろ居たような。

この記事だけだとオッチギン王家が本当に李成桂一門を重用していたかは分らないので何とも言い難い。
具体的な用例を出してくれれば、他との比較が可能なんだが・・・ 
コンギラト部族の要人たちと並んでオッチギン王家の当主の同母姉妹と通婚していたとかなんとか。
インフラ整備だけだったらどこのモンゴル勢力でも戦争とかが無いといろいろ地場産業とか耕地開拓とかに
投資しているから、それと比較してどうかとか。


169 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/09/06(水) 20:05:14 0
韓国のどこかには元代にやって来たウイグル人の家系もあるらしいな・・・
168<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/06(水) 20:47:47 ID:ow4ZcM1s
>>4
7世紀後半に、朝鮮の史料から日本という国号が初めて使われている。
このことから、天武朝の前の天智朝(つーか中大兄皇子)の近江令(668年)あたりで、
国号を日本と改め、大王を天皇と称するようになったとする説が結構有力になってきて
いるがw

元になった朝鮮の史料は忘れたが、朝鮮の史料の信憑性が薄いから、その説はだめ
とかwwwwwwwww
169<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2006/09/07(木) 12:07:02 ID:9v1Ht3Tn
李成桂は反元派のはずだが
170朝鮮の歴史ダヨ:2006/09/07(木) 12:12:22 ID:7WKZfnPD
世界中探してもおそらく朝鮮人ほど恥ずかしい民族はいないでしょう。

朝鮮人は紀元前2世紀の考古学的に立証できる衛氏朝鮮の建国以来、常に中国(当時は漢)の支配下にあり

その衛氏朝鮮が100年足らずで漢の武帝に滅ぼされると漢が楽浪郡などの直轄地を置いて漢民族の直接

支配を受け、その後独立国家を造った新羅は唐の属国であり、その後を継いだ高麗は宋に朝貢してその

庇護を受けざるを得なかった。しかも高麗末期にはモンゴル国家である元に征服され代々の国王は元の

皇女を妃としその間に生まれた皇子は、元の宮廷で養育されると言う惨めなありさまであった。

その後モンゴルからの独立に成功するが、その為の戦に功のあった李氏が政権を簒奪して李氏朝鮮を

成立させた。しかしこの李氏朝鮮も国家を維持する為には当時の中国の国家である明に服属せざるを得ず

明から冊封されてようやく朝鮮王として認められた。しかも中国に対する忠誠心を表わすために前政権の

高麗の国教であった仏教を排撃して中国の土着の教えである儒教を国教とした。16世紀末には豊臣秀吉の

侵攻により滅亡寸前にまで追い込まれたが明の援助によりかろうじて生きながらえたが国力は疲弊しきっていた。

そして17世紀初頭に満州の女真族に破れ女真族を兄、朝鮮を弟とする条件を飲んで降伏した。

ところが10年もたたないうちに清と国号を変えた女真から明への出兵を命じられると、これに逆らって

清と交戦しあっけなく敗れる。この時の清との講和の条件は次のような悲惨なものだった。

  1 明と断交して清に服従すること
  2 朝鮮王子を人質として送ること
  3 莫大な賠償金を支払うことと毎年清に対し貢物を贈ること
  4 朝鮮国王自らが清の使節を土下座して迎えること

しかもこの敗戦の証としてソウル近郊に建立された三田渡碑には、「 愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆ったが

清国皇帝はこの大罪を許してやった。朝鮮国王は、自らの愚かさを反省し、清国皇帝の臣下になることを誓った。」などと刻まれ、

この碑は日清戦争で日本が清を破って朝鮮を解放するまで立てられていた。

朝鮮人が好んで引用する儒教の教えに基づく父子、兄弟関係などというのは17世紀以後、満州族などに蹂躙され

その満州族から弟分扱いされた自国の恥ずかしい歴史を誤魔化してあたかも漢民族との間で平穏な冊封関係の下で国王として

品位を保ってきた振りをする為の寝言に過ぎない。
171<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
>>162
その当時はたいして強くない。

本当に強くなったのは、戦国時代の大競争時代に生き残ったあたりから。