武士と騎士 どっちが強い 4戦目

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1世界@名無史さん
世界史板なので、その点を忘れないでください。
武装・戦術・戦略・文化・思想・etc…様々な観点から考察しましょう。

前スレ
武士と騎士 どっちが強い 3戦目
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105869242/


過去ログ
武士と騎士 どっちが強い
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1095920619/
武士と騎士 どっちが強い 2戦目
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1098187936/
2世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:36:27 0
最強は農民
3山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/23(月) 23:41:07 0
>>1
お疲れ様です。最後に消費したのに立てられず、申し訳御座いませんでした。

>前スレ
>平家物語延慶本巻十一を見たらどう?
すみませんが、巻十一といっても長いものですから。どれの事です。
>あと、源平盛衰記のほうを資料引用するのやめなよ。
合戦が現実に行われていた時代の産物ではあるでしょう。
それと、楯突戦の方法についてですが、少なくとも『今昔物語集』のあの
引用の仕方は、紛らわしかったのでは。畠山重忠のそれが、どの箇所の
ものか、まだ分かりませんが。
>近藤好和の著書を引用してるのはわかるけど、
違いますよ。後段については、言われるまでもなく。
>那須与一の存在を別スレで疑問視してたくせに(藁
ええ、実在については。ただ、77m程度で称賛に値したというのは確かでしょう。
300m級がざらというのは、流石に考えにくいですよ。
4世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:42:16 0
>だいたい、イングランド側の長弓の射手はヨーマンだし、
>フランス側の弩弓兵はジェノヴァ人傭兵部隊なんだから、
>騎士じゃないわけで。
武士や騎士の範囲ってどこまでなんだ?
日本の足軽とかは武士とはいえないのか?
5世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:44:49 0
最強はモンゴル騎兵
6世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:46:20 0
>5
そりゃ蒼き狼と白き雌鹿だろ
7世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:47:22 0
騎士といったところで、実際の騎士階級の範疇の確定は
今もって論争中なのが現状だったりする。

>>4
そもそも比較する事に意味の無いネタスレなんだから、あんまり気にするな。
8世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:49:55 0
>>7
いや別に問い詰めてるわけじゃなくて、
農民上がりの武士・騎士も存在したのかな〜とかおもたんで。
9世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:54:33 0
>>8
武士は知らんが騎士ならいる。
騎士は本来、そんなにステータスのある地位じゃなかったから。
10朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/24(火) 00:00:03 0
>>3
“実在しないと主張する人物の逸話から77mという箇所だけを引用して、
“称賛に値した”んだ?

ふ〜ん。
11朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/24(火) 00:03:51 0
外人傭兵と自由農民が騎士じゃないのは確実と思うよ。
12世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:06:31 0
>>10
なんか挑発的な奴だなw
13山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/24(火) 00:11:18 0
>>4
敢えて分かり易く、超時代的にお話致しますが。
『将門記』では、「将門が駈使丈部子春丸」が寝返った報酬に、介良兼から、
「汝が荷夫の苦しき役を省きて、必ず乗馬の郎頭とせむ」と言われています。
もっとも、丈部氏は元が常陸国筑波郡の豪族であり、騎乗資格を得る事が出
来る存在であったともいいますが。
『義経記』でも、下部に向かって同様の発言が成されていますね。
もっとも、実際には郎等どころか、率いる側も乗るべき馬を持たない零細武
士団が(全国的に見れば)多数に上った様ですが。
騎乗が許されるか否かは、分かり易い「資格」でした。

近世には足軽が士分か否かは藩によって差があり、足軽小頭クラスは苗字を
名乗っていても、それより下には認められない事がありました。
明治になってからも、士族になっていたり、いなかったり。

>>10
すると、あなたは遠矢で300m以上といった行動が、実際に頻繁に行われ
ていたとお考えなのですか。
以前この板で意見が出ていた時には、那須のそれですらかなり無茶だという、
弓道関係者のものらしい書き込みがあったのですが。
14世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:12:06 0
>>11
騎士という階級概念は後付けなので、農民でも鎧着て馬乗れば騎士にはなれた。
後々、閉鎖的になってくけど。
15世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:15:15 0
>農民でも鎧着て馬乗れば騎士にはなれた。
それだけの武力や財力を保持できるのが条件ということか。
意外といい加減な身分制度だったようだね。

16朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/24(火) 00:24:20 0
>>12
浦島太郎はいないが、竜宮城はあるみたいなレベルの話題でしょ。
整合性がないんだもん。
17山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/24(火) 00:34:47 0
>>16
物理的に射程距離300m級の矢が日常的に使用されていたとすれば、
現実味に乏しいと。一か八かの与一の的なら、(それでも無茶だそう
ですが)ありえそうな気がするのですが。
少なくとも、私は西欧のそれと比較するのに出す事は躊躇します。
18世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:54:23 0
>>15
違うって。鎧着て馬乗ればって書いてあるでしょ。財力も何も関係ない。
主君が死んじゃったので路頭に迷った騎士もいるくらい。
馬乗った鎧戦士がキリスト教のプロパガンダに乗っかって騎士になったの。
19朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/24(火) 01:12:49 0
>>17
最大射程を推測される資料として提示した趣旨がわかってるのかな。

あと、一か八か云々とぜんぜん自己矛盾した理論の擁護になってないよ。
別スレではない、本スレではあるみたいな理論はないんだからね。
名前出してるんだから自分の言葉に責任もたないと。
20世界@名無史さん:2005/05/24(火) 06:12:20 O
>>15
当時じゃ刀剣+鎧を手に入れただけでも一財産だったんじゃね?
21山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/24(火) 07:56:46 0
>>19
那須宗高自身の実在は分かりませんが、彼が行ったとされる射芸自体は、困
難ながらまだ可能なレベルの話であった、と申し上げたいのです。
ただ、実際に77m先の揺れる的を射る事は、現行の和弓でも困難な事。
あのレベルでも奇跡的とされる技であったのに、300m先(に飛ばす事自体は
さておき)の相手を狙うのは超人技ではないかと。
同じ『平家物語』に載っている話ではありますが、前者は現在実験してみたとこ
ろ2〜3回に1度は当たったといいますが、後者は飛ばすだけでも難しい様
ですから。
細かい実験も行わずに口にするのも、砂の上に砂を積み重ねる様な話ですが。
22世界@名無史さん:2005/05/24(火) 19:31:30 0
弓の強さは結局その張力で決まるわけだが
和弓と長弓はどれくらい張力あるのか知ってるのか?
それも知らずしてどちらが強いとは言えないのだが

あとクレシーのときの射手は12000〜13000のうちおよそ7000
大体六割弱だな・・・
23世界@名無史さん:2005/05/25(水) 19:10:03 0
張力はひとつひとつ違うんでないの?
たとえば和弓の代表に7人張りの弓とか出したらアンフェアだと思うが・・・

そういえばデヴィッド・ニコルの本で、元寇の時に武士の弓が蒙古軍の弓にアウトレンジされてた
という記述があったが、何をソースにしてるのか知りたいところだ。
イスラムやモンゴルの兵装には相当な知識をもってる人らしいが・・・
24世界@名無史さん:2005/05/25(水) 19:17:01 0
そりゃそうだな…。
力があったり弓を要領よく使える奴は張力が強めだろうし、
下手な奴は弱めじゃないと使いこなせないな。
そもそも工業製品じゃないんだから、
個体差も大きそうだ。
25朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/25(水) 19:58:37 0
>23さんがいわれてるとおり3人張り、5人張りを引き合いにだせばアンフェアだし、
ここは騎士と武士の話題だから、自由農民の弓を引き合いに比較するのはおかしい。

だいたい、イングランド、ウェールズ長弓兵は他のヨーロッパ地域には登場しない、
特殊な存在なんでヨーロッパ全体の弓がそこまで強力だったわけじゃないんだよね。

結局、騎士は騎射戦術や長弓を使用した事実もなく、
時代について行けないままヨーロッパにおける戦場の花型を譲った道化扱いでしょ。

26朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/25(水) 20:19:20 0
>>22
クレシーの戦いは、イングランド勢13000人のうち長弓兵は、
両翼に1200人と2000人の合計3200人。
中央にエドワード率いる2000人の合計5200人でしょ?
>>21
カーボン弓を使用すれば60m先の的を狙う現在の得点制遠的競技では、
学生レベルでも中心の半径10cmの金的に当てれる人はざらにいるし、
90m競技用の金的に命中させる人もままいるのに、
77m先の的に3回のうち1回しか当てれないなんて、かなり下手だね。

現代人は非力だからだいたい張力15kg前後で、
当時の人と比較すれば相当軽い弓を使用してるはずだけど…。
現在の弓でも自動車の扉を貫通できるから威力の点では申し分ないはず。
27世界@名無史さん:2005/05/25(水) 20:35:28 0
>>
クレシーの兵力については一万から二万と諸説があって
どれが正確かはわからないが、13000と書いてあるものには
大体6000〜7000と書いてあるものが多い。

あとカーボン弓とあるがそれはアーチェリーのこと?
あれと昔の弓と比較するのは見当違い。
アーチェリー用の弓はサイトがついていて的くらいなら
外れることはない。

ちなみのどこかのスレにあった弓の張力
イングランドの長弓 60kg
モンゴルの合成弓 75kg

28朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/25(水) 20:55:30 0
>>27
>現行の和弓でも困難な事。
を受けて、現在は和弓(弓)でもカーボン製があるから引き合いにだしたの。
アーチェリー弓じゃないからね。

あと、イングランド長弓は36kgか、45kgだったと思うけど。
36kg(あるいは45kg)もの強い弓を引ける長弓兵を育成する大変さについて
記述した資料だったと記憶してるけど。
29世界@名無史さん:2005/05/25(水) 21:08:22 0
>>27
モンゴルも歩兵用の弓と騎兵用の半弓とじゃ張力違うはず。
30朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/25(水) 21:21:54 0
>>27
イングランド長弓の張力はやっぱり、36kgみたいだよ。
(参考文献:「ビジュアル博物館 騎士」/Christopher Gravett著/同朋舎出版)
31山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/25(水) 22:34:35 0
>>26
適当な文献を探すのには時間がかかりそうですが、調べておきます。
カーボン弓であったかどうか分かりませんが、どんな弓を使用されたのか、
窺っておくべきでした。
ところで、300m先まで矢が届いたのであれば、楯突戦での距離も300
mまではいかないにせよ、もう少しあっても良い様に思われるのですが、そ
の点については、どの様にお考えでしょうか。
32朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/26(木) 00:25:17 0
最大射程と有効射程と確実殺傷距離を一緒くたにしないほうがいいよ。

「平家物語」によれば、壇ノ浦の戦いで源氏は射程距離外から平氏の筑紫武者による連続射撃をうけ、
射白まされて兵船を指退いた描写があるから、
一町(109m)の楯突戦は弓箭の苦手な関東武者のもので、西国はもっと遠距離で展開してたのかもね。
33世界@名無史さん:2005/05/26(木) 08:51:55 0
鉄砲伝来までは和弓って直射中心じゃなかったの?
直射になると、そんなに距離は出ないと思うんだが・・・。

というか完全に板違いの話題だよなぁ。
そもそも答えなんぞ出ない問題なんだから、文化とか思想とか構造的な問題を
主に挙げた方が面白いと思うんだけど。
当時の弓が何メートルまで飛んだとか俺は興味無いけどね。
34世界@名無史さん:2005/05/26(木) 19:03:45 0
ttp://forum.japantoday.com/Samurai_vs_Knight_%2D_Who_would_win%3F/m_302458/tm.htm

[アンケート]武士vs騎士

武士の勝利                  30% (53)
騎士の勝利                  27% (48)
互角だが、どちらも勝利はできない       3% (7)
ミニスカで刀を持った上戸彩は確かにセクシーだ 38% (68)

総投票数 176
35世界@名無史さん:2005/05/26(木) 21:41:22 0
文化というなら、騎士と武士の身分制の比較とかやってみてほしい。
騎士なら爵位とかあるし、武士は朝廷から官位みたいのもらえたんでしょ?
あくまで建前というか位置づけとしては、
日本でいう征夷大将軍が西洋の神聖ローマ皇帝なのかな?
36世界@名無史さん:2005/05/26(木) 22:02:54 0
では問う。

騎士道精神とは何ぞや?

サムライとは何ぞや?
37世界@名無史さん:2005/05/26(木) 22:13:35 0
>>35
騎士に爵位?そんなもん無いよ。中世じゃ貴族だって爵位無いから。
爵位というのは国王(中央)が権力の再掌握に成功してから誕生したものと言って良い。
騎士道精神ってのは、上級貴族層にとって理想的な兵隊像であって
実際は修道院を焼き討ちしてみたり、自立化してみたりとやりたい放題。
38朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/26(木) 22:13:59 0
>>35
騎士は複数の領主に仕える時点で、武士とは明らかに異質だから、
神聖ローマ皇帝を征夷大将軍と同列にできないと思うよ。
39世界@名無史さん:2005/05/26(木) 22:16:59 0
>カーボン弓を使用すれば60m先の的を狙う現在の得点制遠的競技では、
>学生レベルでも中心の半径10cmの金的に当てれる人はざらにいるし、
>90m競技用の金的に命中させる人もままいるのに、
>77m先の的に3回のうち1回しか当てれないなんて、かなり下手だね。
和弓ってこんなに命中精度良かったの?
40勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2005/05/26(木) 22:20:06 0
>>38
複数の領主と封建関係を結ぶのは騎士に限った話ではないかと思います。
そもそも騎士という言葉の概念自体、統一した定義をつけるのが難しいので。
また、複数の領主と関係を持っていても優先オマージュを設けるのが普通でした。
41世界@名無史さん:2005/05/26(木) 22:24:11 0
つーか十字軍が流行る前の騎士とそれ以後の騎士じゃあ明らかに社会的な身分が違う。
どれくらい違うかって言うと、
方やウルバヌス二世が厄介払いしたくなるような存在。
方や貴族が先を競って成りたがるような存在。
42朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/26(木) 22:37:06 0
>>トンヌラさん
複数の領主と封建関係を結ぶ騎士ではない階級について、
具体的に教えてもらって良いですか?

騎士の統一した定義が議論になってるのは知ってるんだけど、
まだ不勉強な部分も多いんでご教授お願いします。
43世界@名無史さん:2005/05/26(木) 22:42:46 0
>>37
>中世じゃ貴族だって爵位無いから。
そうなんだ。初めて知った。

>>38
「外敵」を征伐するための頭領という意味では似たような感じかなって思った。
どちらもその社会での最高権威から認められる必要が(一応)あったわけだし。
44勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2005/05/26(木) 22:49:21 0
>>42
全ての貴族=騎士という定義で行くなら、騎士以外の階級は有り得ないという事になります。
中世の貴族は複数の主との間に封建関係を持っていたので。
しかし騎士という存在は本来は身分というよりは職業的な性格が強かったと思われます。
それがプレステージが上昇するに連れて、貴族身分と重なり合ったのは>41氏も言われる通りです。

騎士の定義となるとmilitesが含む身分の変動や、地域差の話も考えなければならないので
とうてい語り尽くせないかと思いますが。
45勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2005/05/26(木) 22:51:10 0
ただ中世盛期までは、騎士は出生身分ではなくて職制身分的な要素が
強かったので、全ての貴族が騎士とするのは乱暴かとも。

例えばフリードリヒ1世は農民の子弟に剣帯を帯びる事を禁じていたかと思います。
46世界@名無史さん:2005/05/26(木) 23:08:39 0
>>45
という事は、それまでは農民でも騎士になれたって事か。
47朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/26(木) 23:24:42 0
>>44
うん。
「中世フランスの騎士」/ジャン=フロリ著/白水社を読んでるから、
貴族≠騎士は知ってるよ。
後世になると、騎士≠貴族=騎士の構図になるんだけどね。

フリードリッヒT世が“メルフィ法典”で騎士の門戸を閉ざしたんでしょ。
@農民身分と聖職者身分の者
A4代祖先までが騎士でない者
B親が25歳までに騎士叙勲されなかった者の子息
などを騎士階級から締め出し、
騎士叙勲の権限を掌握する事で皇帝権を強化した流れが確かあったはず。
48勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2005/05/26(木) 23:32:35 0
>>47
フリードリヒ1世による騎士階級の出生身分への方針転換は
皇帝権の強化という事も挙げられていますが、ミリステリアーレンや
フライエヘレンなどから由来する騎士の家系が、新興の都市商工業者に
抵抗感を覚えたというのもあると言われています。
オーストリア・マルクなどでは都市参事会のメンバーが騎士と表記される事もあったようで。

フランスだと騎士≠貴族=騎士という図式が現在の定説なんですが
例えばドイツだと中世後期になっても統一概念としての騎士が存在しない地域もありました。
つまり貴族=騎士が成立する前に、下級貴族としての騎士概念が成立してしまったわけです。
49朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/27(金) 00:04:21 0
なるほど、新興勢力に対する封じ込め政策的側面もあったんだね。

オストマルクって当時ゲルフだったのかな?
50世界@名無史さん:2005/05/27(金) 00:05:25 0
>例えばフリードリヒ1世は農民の子弟に剣帯を帯びる事を禁じていたかと思います。
それは興味深いな。
51朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/27(金) 00:10:24 0
>>46
武具と馬を借りて、馬上槍試合で一攫千金と逆玉を狙うbachelierと呼ばれる
騎士志望の人たちがいたからなろうと思えば騎士になれたはずだよ。
52世界@名無史さん:2005/05/27(金) 00:20:10 0
>>49
バーベンベルガーは伝統的に皇帝派。
53勇者トンヌラ ◆CSZ6G0yP9Q :2005/05/27(金) 21:57:26 0
>>49
オストマルクといっても辺境伯が一手に掌握できていたわけでは無いので・・・。
元々の性格上、バイエルンにも所領を持つフライエヘレンやミニステリアーレンも多く
その中には反皇帝派に加わった貴族も少なくないです。
しかしバーベンベルク家は>52氏の指摘の通り、伝統的に皇帝派でした。

あとミニステリアーレンをミ“リ”ステリと間違って表記していました。
訂正します。
54世界@名無史さん:2005/05/29(日) 14:12:30 0
今、上映しているキングダムオブヘヴンをみました。
十字軍騎士とイスラム兵の対決です。
考証もしっかりしている評判ですが、どうですか。
55世界@名無史さん:2005/05/29(日) 14:46:29 0
>>54
ウサーマ・ブン・ムンキズ出てきますか?
56世界@名無史さん:2005/05/29(日) 18:23:06 0
役名を全部覚えられないので、その人物がでていたか、
わかりません。
イスラム側にとっても、評判はいいようです。
57世界@名無史さん:2005/05/29(日) 23:40:56 0
ウサーマ翁はヒッティーンの戦い(1187年7月4日)と
エルサレム奪還後(同年10月2日)後の88年に長逝してはいるが、
これらに参戦していたかどうか。ダマスカスでサラディンに任官して
そこで臨終してるから映画的に出てるか微妙かも。

映画見に行きたいなあ・・・
58世界@名無史さん:2005/05/30(月) 15:17:35 0
ウサーマの回想録の抄訳をネットで読んだことあるけど、鎖帷子を着けたフランク人騎士を
ランスチャージで思いっきり刺し貫いて、鞍からずり落ちそうになるほどだったのに
わき腹の皮を貫いただけで生きていたというのが面白かった。
59世界@名無史さん:2005/05/31(火) 23:33:30 0
グラディエータやキングアーサー、アレキサンダーも映画化。
最近、ハリウッドは歴史物ブームだね。
60世界@名無史さん:2005/06/02(木) 18:51:33 0
西洋に「槍ばたらき」みたいな言葉はあったんですか?
61世界@名無史さん:2005/06/02(木) 18:59:01 0
教えて君うざいって言われてるってことに気づけ。
知識も時間も無料じゃない。
そのどっちも費やしたくないならROMってろ。
漏れみたいにな(゚∀゚)
62世界@名無史さん:2005/06/02(木) 19:09:04 0
>>61
じゃなんかネタを振って
63世界@名無史さん:2005/06/02(木) 20:41:40 0
こういうのはどうでしょう。BBS上でどうこう言っても始まらない
訳なので、この際、ホーム&アウェーで武士・騎士に机上戦闘してもら
うというのは。具体的なそれぞれのタクティクスが明確になるでしょう。

例えば、兵力は均等に5000ずつ。武器は固有文化のものを使用。
最初は武士がアウェーで、戦場はフランス、オルレアン城砦。騎士側
が防御(白軍)。武士側が攻手(紅軍)。地図等は適宜、調べてね。

それぞれに加担して、最も最適と思われる戦術を駆使してください。
まず準備段階ですが、攻手紅軍武士軍は兵力・兵種をどう割り振りますか?
また防手白軍騎士軍は、どう兵力・兵種を割り振りますか?

それぞれ、最適の布陣について考察してみてください。
武士・騎士の特性と限界・長所が見えてくるハズ。
64世界@名無史さん:2005/06/05(日) 23:51:13 0
騎士とは中世の西洋だけど
他にアレクサンドロス大王やローマのカエサル部隊、ハンニバルの部隊などと
武士が戦うとどうなる?
65世界@名無史さん:2005/06/22(水) 19:46:49 0
惨敗する
66世界@名無史さん:2005/06/26(日) 14:27:48 0
age
67世界@名無史さん:2005/06/26(日) 16:07:09 0
>>63
時代で武器違うでしょ
68しば りょうじろう:2005/06/27(月) 00:33:06 0
武蔵(刀、和服)VSランスロット卿(剣、白銀に輝く甲冑)
ステージ:森の原っぱ

武蔵は腰元の刀をゆっくり抜刀し、大上段に構えランスロットを睨み据えた。
凍りつくような空気が両者の間隙を埋める。燃えるようなランスロットの殺気だった表情
とは対照的に、武蔵の表情はいささかの焦りも、恐怖も、殺気さえもうかがえない。
それは戦いの果て、己の武士道に自問し続けた修羅が辿り着いた無の境地であった。
「西洋の剣術がどれほどの物か、確かめさせてもらおう」
「Come On Fucking Japp!」
武蔵の額に油混じりの汗が流れ落ちる。大きくはだけた褐色の胸元が陽の光に照らされ、
さながら鋼鉄の風合いを醸し出している。武蔵はじりじりと、足捌きで慎重に
間合いを詰める。百戦錬磨の剣術家の洗練された美技は、静の状態ですでにランスロット
を圧倒していた。ランスロットは剣を担ぎ上げたまま、気迫に押され動けずにいた。
武蔵の眼光がじっとランスロットの両目を射る。ランスロットの肩がビクリと震えた。

69しば りょうじろう:2005/06/27(月) 00:33:34 0
その様子を見た武蔵は表情を変えぬまま、小さく声を発した。
「ふん・・・戦わずとも分かる・・・未熟な剣士よ。荒ぶる魂だけでは拙者には勝てぬ」
「U...Uooooooooooo!!!!!」
言葉が終わるか終わらないか、ランスロットが悲鳴のような叫びを上げて武蔵に突進した。
「がっかりさせるな!異国の武士(もののふ)よ!」
この叫びは、見てくれだけの余りに粗野な西洋の戦士への失望なのか。
はたまた戦いに美すら求めた天才の孤独ゆえか。
武蔵が怒号一閃、雷光が猛然と斬りかかるランスロットの胴を通り抜けた。
勝負は一瞬であった。大上段の構えから下段に刀をすり下げ、真っ向から振りかぶる
ランスロットの剣を紙一重で見切り、胴を甲冑ごと一文字に薙いだのだ。
「Japan samurai saiko-ne...」
ランスロットの身体はどうと大きな音を立てて、草の上に転がった。アーサー王率いる
騎士団の、その最強の男の余りにもあっけない最後であった。
「こんなものではないはずだ・・・世界にはもっと強い剣士がいるはずだ。
 拙者を倒せるほどの剣士が・・・」
常勝の戦士には哀しみが付き纏う。魂を振り絞るような仕合を彼は熱望していた。
だが、世界に渡り、幾多の戦士と勝負を挑んだが、一度として満ち足りた想いはなかった。
それは天才であるがゆえの超越者の憂鬱であり、孤独であった。
武蔵の期待に反して、日本の武術家ほど強く、研ぎ澄まされた戦士は、世界にはいなかったのだった。

続く
70世界@名無史さん:2005/06/27(月) 00:41:08 0
>胴を甲冑ごと一文字に薙いだのだ。
ムリムリムリムリ かたつむりよ!
71世界@名無史さん:2005/06/27(月) 00:42:51 0
次号 塚原卜伝VSジークフリート
72世界@名無史さん:2005/06/27(月) 00:54:48 0
えー・・・一応材質が鉄ならば、刀は鋼鉄ですし結構斬れるらしいぜ。
当然刃こぼれするし、折れたり曲がったりするそうだけど。
西洋甲冑って実際見たこと無いけど、あの程度の薄さならいけると信仰してくれ。
いや、むしろ日本人なら信仰しろ。

西洋の騎士ごときににサムライは負けないんだ!
ホントはみんなそう思ってるんだろ
73世界@名無史さん:2005/06/27(月) 00:57:43 0
時代劇には鎖かたびらで日本刀を防ぐ描写が良く出てくるわけだが

あれは魔法の防具かなんかなのか?
74世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:02:02 0
実際に甲冑を両断できたりしていいたら、
斬った戦勝側がそれを記念に残す例が多くあるはずだと思う。
現実には矢や鉄砲で穴の空いた鎧が多いんじゃないかな?
75世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:06:00 0
そうですね、その通りです。フェイクです。あんなんでは普通防げません。
まあ、防具の材質にもよるかもしれませんが。無論斬ってる人の技量にもよるし。

ただ、日本刀ならなんでも凄いわけじゃないのは事実で、
正しい製作行程を踏んでいない粗悪品はいっぱいあります。
大根さえも斬れない刀なんてざらにあります。
76世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:09:12 0
こうやってたまに出てくる日本刀狂信者をなんとかしる!
77世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:11:11 0
74さん、それは侍のする事じゃないです。そういうのは確かにいっぱいありますが、
それは功を求めるだけの偽侍のする事です。武道を極める者の行為ではありません。

現にこの後、武蔵はランスロットを弔います。
78世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:19:10 0
ってか、戦場で刀はほとんど使わないんじゃなかったか・・・
いくら刀や剣術に美学を持っていても、実用性とはまた別の話なんだよな。
何でも斬れる刀より、ナマクラでも遠くから射抜ける弓や槍の方が使えるという事か・・・。

79世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:24:31 0
そもそも江戸時代の日本刀と、
甲冑全盛の戦国期の太刀とでは、
武器としての作りも用い方も違うと思うのだが。
80世界@名無史さん:2005/06/27(月) 01:37:37 0
作りは対して変わらないけど、用い方は違う。というか扱い方。
戦国に比べて実用よりも刃紋とかの美しさとか、そういうのを求めた。
太刀は反りが刀より大きく、刀身も長め。馬の鞍の脇に付けていた。
刀は携帯を前提に、反りが少なく、刀身は短め。
でも実戦性は変わらない(らしい)

なあ、おれは刀狂信者だけどさ、中世の西洋武具ってどんなかんじなのさ?
81世界@名無史さん:2005/06/27(月) 18:43:09 0
基本は鎖帷子とバケツ型ヘルメット。>中世の西洋武具
82世界@名無史さん:2005/06/27(月) 19:31:26 0
14世紀になるとブリガンディンの胴甲とか着てる。
あと鉄のレアブレイス、ガントレット、グリーヴとかも。
83世界@名無史さん:2005/06/27(月) 22:19:35 0
え、刀って鎖帷子きてるくらいじゃ防げないの?
鎖帷子ってチェインメイルの網が小さいやつだよね
西洋じゃチェインメイルもやっぱり切られたりしたんだろうか

切るというかぶち込むって感じなら
甲の上から剣が食い込んで死んだって言う人の頭蓋骨はTVで見たことがある
こめかみから横一閃に三分の二ほどザックリいってた どんだけ力あるんだ
84世界@名無史さん:2005/06/28(火) 02:30:05 0
刀が鎖帷子を斬れるっつーのは刀が鋼鉄で、鎖帷子が鉄製かそれ以下の硬度の
金属であると想定した場合で・・・当然厚さにもよるし・・・

西洋の刀剣、甲冑の製作方法や材質が分からんから何ともいえんが、
まあ、少なくとも鉄では鉄を斬れないと思う。

刀と西洋刀剣じゃ全てにおいて質が違うと思うよ。刀って、世界の刃物の中でマジに
とんでもない切れ味と強度を持っているそうだよ。ってかこんなにも刃物に情熱を傾けた
ところって、日本以外ないんじゃないの?

・・・ジパングの民がたかだか1メートル弱の刃物に命をかけてる間に、
南蛮人はやれ大砲だー、銃だー・・・美学もクソもねえよなー
85世界@名無史さん:2005/06/28(火) 02:37:43 0
日本の剣豪は知ってるが、騎士の強い奴とかほぼ知らないんだが。

なんか発表しろよ。そいつの功績含めて。戦争の戦術が巧みとかよりも
個人戦での功績な。ドラゴン殺したとかは無しだ。
86世界@名無史さん:2005/06/28(火) 17:35:33 0
先ほど草薙の剣を否定するような発言があったことを深く謝罪します
87世界@名無史さん:2005/06/28(火) 17:55:16 0
88世界@名無史さん:2005/06/28(火) 20:33:57 0
>>77
兵法は時代によって恒に新たなるべし
89世界@名無史さん:2005/06/28(火) 23:24:00 0
>>85
そりゃ逆も然りだ。
西洋の人間は日本の武将なら多少は知ってても、
剣豪なんか知らんだろう。
90世界@名無史さん:2005/06/29(水) 01:37:54 0
意味が分からない
91世界@名無史さん:2005/06/29(水) 02:23:19 O
>>85
鉄腕ゲッツとか?
9289:2005/06/29(水) 20:08:58 0
>>90
俺に対するレスか?
93世界@名無史さん:2005/06/29(水) 21:38:29 0
ナイト等の教練や運動訓練の資料である。ご参考あれ。

ttp://home.hiroshima-u.ac.jp/kkusudo/hisport/Wassmann.htm
94世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:10:41 0
俺は世界史オンチなんだけども、
武士には、兵法という戦略・戦術学があったけども、
騎士にもこういう理論ってあったの?
戦争論しか聞いた事ない。
95世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:14:30 0
いいから早く出せよ。アーサー王の話のランスロットとかパーシバル
とかしか知らないんだよ。しかもこいつら架空の人物臭いし

騎士で逸話を持っている人物なんていっぱいいるんだろうが。
名前を出せよ89がでも誰がでもいいから。
ツインソード・ボブとか、ザ・スワローリターンクラッシュ・マイケルとかさ、そーいうの。

どっちが強いか比べるのは、その後だろ?

ついでに、93のレスのを見て思ったんだけど、西洋の騎士に
剣術の流派とか無かったのかい?
96世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:27:55 0
>>91
鉄腕ゲッツがどのくらいの数の剣客(?)を倒したのかはげしく知りたい。
義手の剣豪なんて、隻眼の剣豪、柳生十兵衛と似てる!かっけー。

戦ったらどっちが勝つかな。新陰流に勝てるかゲッツ。

94無いわけないと思うが・・・
97世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:28:34 O
スタンレー・サー・ウィリアム

ヘースティングズ

ジョン・チェイニー

勇猛果敢ならジル・ドレ
98世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:30:46 O
鉄腕ゲッツは技手?力強いから鉄腕かと思った。
ベルセルクのガッツのモデルはゲッツ。
99世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:36:17 0
うお!名前がいっぱい出てきた!すげーやっぱりいるんだ西洋の剣豪!!!

・・・でも調べるのがメンドクセーな。
どんな流派の、具体的に何をした騎士なんだい?彼等は
100世界@名無史さん:2005/06/29(水) 23:38:12 0
98へぇ〜。でも悪いけど漫画の話はどうでもいいや
101世界@名無史さん:2005/06/30(木) 03:54:16 O
馬上試合の名手と決闘、戦でならした騎士達。
102世界@名無史さん:2005/07/05(火) 23:08:46 0
100メートル以上飛ばせる投石器があるんだから
攻城兵器は向こうの方が強いよね?
103世界@名無史さん:2005/07/06(水) 23:58:35 0
>78
槍の集団戦法確立以前の主力ポールウェポンは何だったでしょうか?

答え:長巻・長刀。 振り回して使うので乱戦にしか使えません。


とかく刀=実戦では使われなかった信者の人は
槍衾による集団戦法が槍の発明と同時にいきなり生まれた
かの様に話し出す人がいて、どうにも。

あと、刀の成立経緯も調べてくれ。
刀が大陸から来た片刃直刀から反りのあるものへと進化した系譜に
蝦夷の蕨手刀と不慮鍛冶が混ざっている事、
刀が生まれる以前の朝廷の兵士が持っていた装備が楯に直剣あるいは槍だった事も。
104世界@名無史さん:2005/07/22(金) 17:13:34 0
保守
105世界@名無史さん:2005/07/25(月) 08:08:58 0
武士と騎士なんだから、
それぞれの持つ武器の製法や技法の違いから
話を進めると分かりやすいんじゃないだろうか? 
というかおれが良く分かってないんだが。

106世界@名無史さん:2005/07/26(火) 09:56:37 0
比較は同年代でした方が良いのか?
107世界@名無史さん:2005/07/26(火) 10:11:37 0
>>106
既に同年代では武士の勝利と結論が出ている。

ヨーロッパの優位をのたまうのは武士とナポレオン軍を比較する厨だけだ。

ヨーロッパの軍事力がましになるのは騎士没落以降だからな。

ケルト人の時代にフルプレート着ているアーサー王を挙げたらヌッコロス!
108刀好きだけどさ:2005/07/26(火) 11:08:01 0
刀はさ、俺も好きだけどやっぱ戦争で使うのはどうかと。
新撰組の斉藤一が、乱戦で切り合うときに鎖帷子つけていて
「そやつは鎖帷子をつけているぞ!切らずに突け、突け〜」と言われて、
「何をこんちくしょう、こっちも突いてやる」と思ったという回想録あり。

他にもこういう事例はたくさんある。やっぱ切れないということでしょう。
武器としては、あまりにもデリケートだもんね。
戦争が無く、鎧を相手にすることが無かった
江戸時代に全盛を極めた武器であるからにして。
109刀好きだけどさ:2005/07/26(火) 11:11:33 0
>>103
あ〜おいどんも室町とかの刀はどうかは知らんデス。
江戸期と比べて、造りとか長さとか強度とか大幅に違うものなの?
110世界@名無史さん:2005/07/26(火) 14:52:05 0
>>107
>既に同年代では武士の勝利と結論が出ている。
工エエェ(´д`)ェエエ工
単に武士側に詳しい人が多いだけじゃん。
111世界@名無史さん:2005/07/26(火) 17:43:03 0
剣豪ってか、猛者の出し合いは面白いな。
世界史俺もそれほど詳しくないので聞きたい。
ジルドレとかはどの程度の強さなんかな。わりと、
血が好きゆえに前に出るだけで、強さ自体はそんなんでもないと思ってるんだが
112世界@名無史さん:2005/07/26(火) 18:49:36 0
足利義輝の話が出ないな。
塚原卜伝に一の太刀を伝授され、一宮随巴斎に弓を習った武術の達人なのに。
113世界@名無史さん:2005/07/26(火) 19:38:49 0
>>108
それは油小路で高台寺党の中の一人、服部三郎兵衛が鎖帷子を着ていたことに
関して新撰組側が言ったんじゃなかったか?

それと鎖帷子が切れないからといって刀が切れないというのは
おかしいと思われる。
チェインメイルをレピア、サーベルで切れないのと同じこと。
元々鎧の間接の隙間や顔を狙うものだ。
武器にはそれぞれに適した使い方がある。
戦に適した刀は刃を研ぎすぎず、折れずに曲がるものだ。
114世界@名無史さん:2005/07/26(火) 19:51:23 0
115朱由檢:2005/07/26(火) 23:13:43 0
初實剣理方一流は実戦向きの介者剣術を色濃く残す流派で、
十貫(37.5kg)の甲冑を着て稽古を行ってたとされるけど、
初太刀は下から上ににえぐるように突き上げる特徴があり、
とどめをさす動作まで完了しないと一本にならないの。
116世界@名無史さん:2005/07/27(水) 10:50:30 0
個人対個人より、製法とその技法の比較しない?
117世界@名無史さん :2005/07/27(水) 10:57:25 0
>>チェインメイルをレピア、サーベルで切れないのと同じこと。
元々鎧の間接の隙間や顔を狙うものだ

大間違い!!!もっと勉強しる!
118世界@名無史さん:2005/07/27(水) 11:16:26 0
>元々鎧の間接の隙間や顔を狙うものだ
サーベルは歩兵が鎧を着なくなってから各国で普及したのですが、何か?
119世界@名無史さん:2005/07/27(水) 13:30:26 0
120世界@名無史さん:2005/07/27(水) 16:44:34 0
>>111
所詮、妄想に終わるだけだから全然面白くない。
三戦板に行けば期待のものが見つかると思われ。
121世界@名無史さん:2005/07/27(水) 16:50:34 0
>>120
別に戦わせなくても良いけど、
どっちかって言うと世界史でもそういう奴っているんかな、と思って
64度の試合記録を持つ奴を出せとまでは言わないけど
122世界@名無史さん:2005/07/27(水) 19:26:38 0
>>117
>>118
紛らわしくてすまないが下の一行は刀に対してのもの。
123山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/27(水) 20:49:57 0
>>103
15世紀後半からの「槍の集団戦法確立」が、武器としての「ヤリ」自体の
誕生と同時であると主張してらっしゃる訳では、無いのでは。
(そもそも、相当する文言が確認出来ない様ですが・・・)
長巻の登場は、「ヤリ」よりも遅れるでしょう。
なお、後世に繋がる刺突武器としての「鑓」の登場は、14世紀前半。
最古の例は、「也利」と記されたもので、本来は長柄の武器全般を指してい
る「ほこ」とも読まれる「槍」とは区別されます。
近世の黒田家の文書でも、通常は鑓であり、槍の方は特に長柄の武器であ
る事を強調する際に用いられたという説明が、福岡の博物館のホームペー
ジにも出ていましたが、もう消えてしまった様ですね。
「槍(ほこ=鉾)」の使用例は、11世紀までしか確認出来ぬ様です。
もっとも、その頃代って長刀が出現し、普及していますが。
軍記物で手鉾というのは、細長刀の異名。
矢が尽きてから長柄に代え、それが折れてから刀に代えるといった行動は、
中世から近世にかけての王道パターンの様ですし、少なくとも装備が可能
であれば、リーチの長い武器を選ぶのは当然かと。
長刀も、馬上使用も含めて、乱戦以外に使われなかったとも思えません。
『法然上人絵伝』の漆間時国、『平家物語』の屋島の平家方の兵や平教経、
『春日権現験記絵』の馬上の武士など。
『義経記』の佐藤忠信などは、矢を射つくしてから長刀、次いで太刀を使
用している(待ち伏せた場合で、切込時は一対多数でしたが)。
乱戦に有利なのは確かですが、乱戦でないと使用出来ないとは思えません。
馬上での長柄の使用自体が、14世紀初期まで確認出来ず、騎乗可能な武
士の武器が、腰刀・太刀・弓矢中心だったとは思いますが。
(時国は館内、教経は船上で使用している)
刀が使用されなかったとは言いませんが、長柄優先という事で。
124世界@名無史さん:2005/07/27(水) 21:22:08 0
レピアとエストックの区別もできねーか
125世界@名無史さん:2005/07/27(水) 21:24:50 0
脇もコカンもチェーンメールで覆われとるのも知らんのか
126世界@名無史さん:2005/07/27(水) 21:28:04 0
で、切れるの?
127刀好きだけどさ:2005/07/28(木) 11:23:36 0
>>113
違うよ。詳しくは忘れたけど、屋敷で誰かを警護しているときに
十津川藩士たちが切り込んできたの。
「(警護しながら)暑い中、酒を飲んでいたので鎖の手甲を
 取ろうとしたら、なかなかはずせなくて四苦八苦しているうちに
 切り込みがはじまった。あのとき取れなくて良かった」
みたいなことを語ってる記録有り。
桜田門外の変でもさ、切りあいの後
雪上に指がたくさん落ちてたらしいね。

128世界@名無史さん:2005/07/28(木) 19:14:03 0
桜田門外の変では雪のために護衛が刀を袋に入れて縛っていたからな。
129世界@名無史さん:2005/08/04(木) 17:30:11 0
今、1chで三浦御大が出演中!
130世界@名無史さん:2005/08/04(木) 20:40:18 0
>>129もっと早く言え〜
131世界@名無史さん:2005/08/07(日) 11:01:27 0
なんか武田騎馬軍団が着そうなスレだな
132世界@名無史さん:2005/08/16(火) 22:35:47 0
こないだのNHKの義経を見てて思ったんだけど、
「○○とその配下100騎」と言ってる場合、
騎乗できる身分の奴だけで100人なのかな?
それとも足軽みたいのも含むの?
133世界@名無史さん:2005/08/17(水) 03:02:10 O
含まないんじゃないの。
馬に乗った偉い人とそれに従う人、数人が最小の戦闘単位で
それ以上分けれないから、郎党のリーダーの数さえ数えとけば充分だった
て、古典の先生に教わった。
ヨーロッパでも似たような状態でしたよね。
騎士の槍の数で人数を表現してたような。
134世界@名無史さん:2005/08/17(水) 03:26:43 O
日本で騎士の戦いが終わって、歩兵がわらわら出て来て戦うようになったのって
応仁の乱ぐらいからですよね?
その理由に農業の生産が伸びて、余剰生産が多く生まれ
戦いに割ける人員が増えた事がよく挙げられますが
ヨーロッパでも似たような状況なのでしょうか。
余剰生産の量と戦争の仕方には相関関係があるのかなと。
135世界@名無史さん:2005/08/17(水) 10:03:26 0
136世界@名無史さん:2005/08/17(水) 10:22:21 0
>>135

  \     、 m'''',ヾミ、、 /
   \、_,r Y  Y ' 、 /';,''
   、 ,\ヽ, | | y /、 ,;;,,'',
    \、\::::::::::/, /,, ;;,
    ヽ\ o 、 ,o / { ;;;;;;;,,
    丿 [ \|:::|/ ]  >"'''''
    >、.>  U   <,.<
   ノ  ! ! -=- ノ!  ト-、    <そんなガリで、俺様が釣られると思ったのか!
  ''"L  \\.".//_ |   ゙`

ああ、だまされましたよ・・・
137世界@名無史さん:2005/08/22(月) 22:00:35 O
日本武術じゃ盾ってあんまり使わないよね
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1119563664/

合戦イベントの体験談あり
138世界@名無史さん:2005/08/23(火) 13:51:33 0
ディスカバリーチャンネルという英のBBCが製作した「歴史を変えた兵器」という番組があるんだけど
そのシリーズの中になんと「日本刀」がある。

 その中で剣と刀の特徴の違いみたいなものも紹介していて、西洋の剣は一応刃はついているが
主に「突く」「その重量をいかした打撃」というのが主な戦い方であまり「斬る」という発想がない

 それに対して特殊な製作過程を経て製作された日本刀は一部でも肌に触れれば瞬く間に骨にまで達して
しまうほど斬撃に優れた武器であるという風に紹介。

 また盾を使って防ぐ習慣のないサムライの戦いでは常に「鍛錬」が最も重要視され
それが一撃必殺の戦い方へと昇華されていったと説明。

 最後に芸術とまで言われるようになった兵器は世界中で日本刀だけであると締めくくった。
139朱由檢:2005/08/23(火) 21:23:39 0
>>137さん
盾自体はあるんだけど…手盾(歩盾)、
ヨーロッパでも盾は廃れちゃうわけだし。
140世界@名無史さん:2005/08/24(水) 00:49:23 0
盾を使うという発想が、潔さを旨とする侍精神になかったのでは。
141山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/24(水) 11:05:55 0
手楯を使用していたのは、歩楯ともいう通り、脚を露出させた歩兵ばかりの筈。
「潔さを旨とする侍精神」というのは後付でしょうし、騎射にせよ、歩射にせよ、
騎士とは違い弓射芸に本分を見出していた武士としては、片手を塞ぐ様な楯を
正式な装備として認める訳にはいかなかったのでは。
142世界@名無史さん:2005/08/24(水) 11:55:36 0
16世紀に騎馬部隊同士の野戦をすれば西洋のピストル騎兵>日本の装甲弓騎兵
これはもう武器の差でそれが騎士と呼べるかはさておき日本の武士は西洋騎兵の相手にはならなそうだ
ピストル騎兵は軽装備で単発式のピストルを3〜6丁程度保有し射程10m以内まで近づいてパンパン片手で撃って弾きれたら後退して弾込め
日本の騎馬武者は手綱をもたずに両手で弓を射るからとんでもない熟練の技が必要で連射も効かない
ピストル騎兵は軽装備で機動力に勝るから騎馬武者が近接戦闘を挑むのは不可能
追いかけられたら安全なところまで逃げて弾込めしたらまた近づいて射撃してくるわけでどうやっても殲滅できない
というかピストル騎兵の登場でランスチャージやってくる古典的イメージの装甲槍騎兵が消滅したわけでもはやこれが騎士といえるのかどうかだな
143世界@名無史さん:2005/08/24(水) 11:58:31 0
>>141
逆に中央アジア・イランのテュルク・モンゴル系の遊牧騎馬戦士などは
馬上で白兵戦になると右手に刀か鎚矛、左手に円い「手楯」で戦闘して
いたらしいことが絵画資料などに出てきてますね。

武士も騎馬遊牧民も「弓射芸」を主眼としていたのに、方や「手楯」を
装備し方や装備しないと正反対に別れるのは面白い現象です。
多分もともとの戦闘スタイル自体に原因しているのだろうとは思いますが・・・
144世界@名無史さん:2005/08/24(水) 13:53:59 0
>>139>>141
歩盾って欧州の弩兵が使ってた携帯用のマントレットみたいなもんでしょ?
いわゆる盾とは違うのでは?
>>143
武士は重装甲をつけていたから盾がそもそも必要なかったかも知れない。
ステップ遊牧民と違い機動性を重視していなかったし戦争での移動距離も短かったから
重たい甲冑を用いることができた。
西欧でもそれは同じだけど。
145世界@名無史さん:2005/08/24(水) 15:36:28 0
>>142
ピストル騎兵だと長弓より射程が短いからアウトレンジ攻撃で、お得意のバンバンに持ち込む前に
針坊主みたいになっちゃうような気も。イギリスあたりの長弓兵との対決ではどうだったんでしょうか?
146世界@名無史さん:2005/08/24(水) 15:47:20 0
あと武士の戦いは要するに弓矢による決闘みたいなスタイルだけど
遊牧民はユニット単位で弓射をやってるような。

というか蒙古騎兵とかって各自バラバラのタイミングで
矢を放っててよかったんだろうか?
それとも一斉射撃を繰り返すような感じだろうか?
147世界@名無史さん:2005/08/24(水) 18:15:13 0
弓武者の有効射程距離はどれくらいだったんだろうな
流鏑馬では距離20mで固定した的を狙ってるけどこれ以上の距離で動く的に当てるのはなかなか難しそうだ
一騎打ちならお互いアウトレンジ戦法で近距離まで近づいての一撃離脱の戦い
集団戦ならピストル騎兵はカラコール、弓騎兵は車かかりで距離とって撃ち合いか?
熟練した弓騎兵なら意外と勝負になるかもしれないがお互い消耗してくると訓練が簡単で装備も安価なピストル騎兵がそのうち圧倒しそう
ピストル騎兵なら突撃戦術はしないし距離近づいたら普通に馬から降りて弓で戦ったほうが勝率高そうな気もする

イギリス長弓兵を含む部隊が14世紀の武士団と戦ったら射程距離、火力密度の差でイギリスが優位かな
14世紀の日本武士団は異民族相手の集団戦に向いていなさそうだ
148世界@名無史さん:2005/08/24(水) 18:16:28 0
>>142
16世紀に>日本の装甲弓騎兵<は無理があるぞ。
年代が合わない。
比べるなら同じ時代で比べないと。
149世界@名無史さん:2005/08/24(水) 18:20:28 0
>>147
イギリスの長弓兵部隊は相手が攻めてくれないと全く無意味なので
いくらでもやりようはある。
フランス軍だってそうと知ってからは対策を立てて無闇に突っ込むことはしなくなった。
150朱由檢:2005/08/24(水) 20:31:56 0
>>142
カラコール戦術を行ったのは騎士じゃないし、
30年戦争時の日本でカラコール戦術をやろうと思ったら、
10mの距離まで接近する前に全滅だと思うよ。
それから装甲弓騎兵は鎌倉時代〜室町時代前期でおわってるから。
>>144
それは手盾(歩盾)じゃなくって普通の盾ね。
あと、重装甲化してヨーロッパでは盾が使用されなくなったよね。
151山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/24(水) 21:53:59 0
>>142
>日本の装甲弓騎兵
15世紀後半に成立した『真如堂縁起』あたりが、弓射騎兵としての武士の姿
が確認出来た時代の下限ではないかと。16世紀は無理だと思われます。
「熟練の技が必要」だったのは仰る通りで、武士の本分であった筈の弓馬の
道に通じていない武士の参加は12世紀末から目立ち始め、14世紀中葉に
は歩兵によるゲリラ戦や集団戦、それに対する下馬戦闘が出て参ります。
ピストル騎兵相手なら、馬鹿正直に矢をつがえて向わずに、下馬した状態で
向った方が楽な気もしますね(仮の話ですが)。
3〜6丁も装備する兵を、何人も揃えるのは難しいという気もしますが。
半端な費用では無かったのでは。

>>143
逆に、騎士が騎射に通じていなかったというのが、不思議なくらいです。
これも、日本側の立場から見ているからこそ生じてくる疑問でしょうが。
152山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/24(水) 22:09:38 0
それと、「連射が効かない」の連射というのが、どの程度の速度を想定なさった
上で発言されたものなのか、よく分りませんが、現行の流鏑馬は近世に徳川幕府
や島津家で再興されたもので(吉宗は復興に尽力した人物)、応仁頃に廃れるま
では、正面に的を並べて次々と射た様です。
実際に馬を馳せながら矢継ぎ早に射たという記述もあります。
ただ、具体的なデータに乏しいので、確実な数字を提示出来ないのですが・・・。
射程については、真正面に捉えれば15m以内で外すものは無いという軍記物
の証言もありますが、馬がゆれ、相手を真正面に捉えられない状態では、もう
少し近づいた状態で放ったのではないかという意見もあります。
絵画史料でも、あまり離れた状態で射ている訳では無い。
確実に狙うなら、やはり10m以内になるのでは無いでしょうか。
153山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/24(水) 22:20:41 0
>確実に狙うなら、やはり10m以内になるのでは無いでしょうか。
連投失礼。静止騎射なら、更に射程距離は伸びるでしょう。
ピストル騎兵の場合、馬の状態によらず、いずれにせよ射程距離は10m以内
という事であれば、「仮に」ぶつかってもアウトレンジですね。
(弓射・ピストル騎兵同士で真正面から衝突した場合ですが)
154sinobi:2005/08/24(水) 23:22:00 0
武士と騎士では武士のが強いにきまってる
155世界@名無史さん:2005/08/24(水) 23:34:40 0
騎射の時に二の矢を持つのは常識ではないか?

16世紀以前の段階で静止騎射か歩射が常識になっているだろ・・・
世界史板の住人は日本の事知らない人間が多いな
156山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/24(水) 23:58:56 0
肝心な事を。いくらアウトレンジでも、貫通出来なければ仕方がありません。
例のにゃあにゃあ氏ほかが提示されたところでは、百年戦争中の長弓も、実
は甲冑を貫通出来た事はまず無く、運良く継ぎ目などに当たったとしても、
(騎士全体への)効果は微々たるものであったとか。
(細かい点をご記憶の方は、提示して頂きたく)
いくら遠方から攻撃出来ても、決定打に乏しければ意味が無い。
現行の和弓なら、10m以内ならフライパンや水を張った鉄製のバケツでも
貫通出来ますが。狙うべき顔面が塞がれていた場合、距離が問題となる筈。
先の15m程度云々の話でも、鎧を貫通させるのではなく、あくまでも顔面
を狙う事が目的とされていました。仮に貫通出来るとしても、出来るだけ近
く距離をとる必要が出て来るでしょう。
もっとも、騎射という形式にこだわらなければ、他にも手段はありますが。
百年戦争当時の長弓と、各時代の和弓の比較データがあればよいのですが、
今のところ、そんな都合のよい比較実験は行われていない様です。
157世界@名無史さん:2005/08/25(木) 00:11:06 0
>肝心な事を。いくらアウトレンジでも、貫通出来なければ仕方がありません。
貫通させる必要はない。この時代に既に全身鎧は着ていない。
158山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/08/25(木) 00:34:57 0
ああ、時代は(騎射のある)16世紀と仮定していたのでしたね。
どうも、ぼけていていけません。失礼しました。
159世界@名無史さん:2005/08/25(木) 15:18:49 0
時代考証家の名和弓雄が所有する戦国時代末期か江戸時代初期の井伊の赤具足
を用いた衝撃実験。

兜を日本刀で切る⇒約二センチほどへこむ。刀は蛇行形に曲がる。
(切ったのは剣道四段。居合師範の林那四郎)

角材で胴を殴る⇒角材がへし折れる。

刀で胴を切る⇒わずかに漆がはげる程度、刀疵もあまりつかない。

弓矢を射る⇒まったく刺さらない。
(射たのは小笠原流弓道四段、伊倉功)

『間違いだらけの時代劇』名和弓雄
より。
160世界@名無史さん:2005/08/25(木) 15:24:20 0
この実験の前に、雑兵用の御貸し胴で矢を射って試したときは、十五間ほどの
距離で三本射て、三本とも貫通。
161世界@名無史さん:2005/08/25(木) 15:32:17 0
ディスカバリーチャンネルでアジャンクールの戦いという番組をやってた。
実際に古戦場で金属探知器でイングランドの長弓兵の矢じりを探し出し
それを復元して威力を計算。フランス軍の甲冑はすでに鋼製だったが
2mmの軟鉄と同強度ということで、復元矢じりを計算通りのエネルギーで
直角にぶつけていたが、鉄製の矢じりはあっさり曲がり貫通しなかった。
162世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:31:51 0
弓の威力は基本的にその張力によって決まるがそれぞれのデータがあればわかりやすい。
イングランドの長弓に関しても色々あってどれが正しいかわからないが、
大体80〜120lbsくらいのようだ。
モンゴルの合成弓は160lbs前後

ちなみにアーチェリーで使用する弓は、男子大学生レベルなら45lbs以上
弓道で使用する弓は18kg(40lbs)前後。
引き方が違うから単純にア−チェリーより弓道のほうが力が必要というわけではない。
163世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:34:17 0
失礼、ageてしまった・・・○| ̄|_

あと
×引き方が違うから単純にア−チェリーより弓道のほうが力が必要というわけではない。
○引き方が違うから単純にア−チェリーのほうが弓道より力が必要というわけではない。
164世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:39:07 0
>>162
>大体80〜120lbsくらいのようだ。
論拠はあるのか?

複合材でもないイングランド長弓は十分引き絞れたのか?

騎士が長弓を使用していたのか?

過去ログは読んだのか?
165世界@名無史さん:2005/08/25(木) 18:56:31 0
>>論拠はあるのか?
ttp://www.anticsonline.co.uk/605_1_1402591.html

>>複合材でもないイングランド長弓は十分引き絞れたのか?
複合材であることと引き絞ることに関係があるのか?

>>騎士が長弓を使用していたのか?
 してない。 どこからこんな質問が出てくるんだ?
 156から161で弓の話題があったから書き込んだだけ。

>>過去ログは読んだのか?
 大体読んだ。
166世界@名無史さん:2005/08/25(木) 22:41:23 0
>>165
ここは武士と騎士のスレみたいですから
167161:2005/08/25(木) 23:20:53 0
その番組では復元した弓で実際に射るシーンも出てきたがエネルギーは
38ジュールと計算してた。
それ以上聞かれてもおれは物理に暗いのでよくわからないんだけどね。

イングランド軍は安い弓兵ばっかりにわずかの騎士見習いという構成。
貴族中心の仏軍は紋章の無い弓兵にがっかりした上、戦いの作法を無視され
混乱し数分の一の兵力のイングランドに惨敗。捕虜となるもあまりに数が多く、
反乱を恐れたイングランド軍に大虐殺されたとのことでした。
168世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:30:21 0
>>167
イングランド軍の弓兵は決して安くはないぞ。
身代金のことを言っているんなら分かるが。
169161:2005/08/25(木) 23:35:16 0
>168
番組では騎士見習いの半値で安いといっていたが安くないのか。
おれは番組以上の知識は無いのでどんどん訂正して下さい。
170世界@名無史さん:2005/08/26(金) 16:29:46 0
>>複合材でもないイングランド長弓は十分引き絞れたのか?
>複合材であることと引き絞ることに関係があるのか?
単一弓である限り弓本体の粘り(弾力・反発力)には限界が
あり深く引き絞れば弓本体が折れてしまう。
十分引き絞れないまま威力をあげるためには弓本体の巨大化
しか方法はなく、奇妙なことに遠く隔てた二つの島国である
日本とイングランドの弓は同じ進化の道を選んだ。
日本は限界まで巨大化したが、それにも限界があったために
モンゴル式の複合弓が登場すると単一弓に取って変わった。
ヨーロッパでは弓が主役とならなかったためイングランドの
弓は単一弓の段階で終わっており、日本であれば平安時代の
弓のままであった。

>>騎士が長弓を使用していたのか?
>してない。 どこからこんな質問が出てくるんだ?
>156から161で弓の話題があったから書き込んだだけ。
>>過去ログは読んだのか?
>大体読んだ。
武士騎士の比較には関係ない上、長弓の話題は散々ガイシュツ。
話を蒸し返してループさせる気がないならば基本的には
イングランド長弓はスルー汁
171世界@名無史さん:2005/08/27(土) 00:40:00 0
敢えてスレ違いを覚悟で書き込むが…
 
どこまで引くかが問題ではなく、引くのに使う力が問題。
弓道とアーチェリーは引き方が違い、
弓道は耳の後ろまで引くのに対し、アーチェリーは顎の下くらいまでしか引かない。
しかし、矢の打ち出される強さはそれぞれ張力に比例する。引き方の問題ではない。

>>161
参考までに、エドワード3世時代の兵士の報酬の一例(一日あたり)
旗騎士…4シリング
騎士…2シリング
騎馬射手…6ペンス
徒歩射手…3ペンス
172世界@名無史さん:2005/08/29(月) 17:41:31 0
>>161
>イングランド軍は安い弓兵ばっかりにわずかの騎士見習いという構成。

イングランド長弓兵は自営農で、所領安堵と引き換えに戦争に参加する
義勇兵であり、同時代の騎士というべきか寧ろ初期の鎌倉武士に近く、
表面化しない維持費と労力は騎士に匹敵すると思うが?

それから長弓兵が一人前になるまでの養成期間は知っているか?
173世界@名無史さん:2005/08/30(火) 17:42:38 0
>>172
給料まで払ってるしな。
174あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/04(日) 12:17:56 0
いまさら聞けない初歩の初歩みたいな質問でごめんなさい
弓の張力について現代の日本ではkgで数値表示してますね
これは具体的にはどのような計測法によって割り出した数字なんでしょうか?
弓の本体や弦がどんな状態になった時点で張力を見極めるんでしょうか?
175朱由檢:2005/09/06(火) 18:12:56 0
>>174さん
和弓の強さは5分、6分といったように“分”弓の厚さで表記されてるのでは?
弓の強さについて詳しい数式等については、
尾州竹林流櫻井孝氏のHP、“弓道四方山話”を参照ください。
http://www.syaho.com/sakurai/002.htm#1
176世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:13:13 0
個人戦はわからないが
集団戦は西洋の方が
戦術のドクトリンがある分
有利かな
177世界@名無史さん:2005/09/21(水) 22:34:40 0
>>123
>15世紀後半からの「槍の集団戦法確立」が、武器としての「ヤリ」自体の 
>誕生と同時であると主張してらっしゃる訳では、無いのでは。 

武器を語るスレ、何処の板でもそうなんだけど
そういう論調みたいなヒトがあちこっちで一時期結構多かった。
今はどうだか知らないけど。

というか、人類の戦いの歴史が集団戦法からいきなり始まった、
と主張していると言い換えてもいいかも。
そういう人達は乱戦は絶対行われない、と主張しているようなものなので…
あと、投石や弓矢による遠距離戦が行われて接近戦は行われなかった
と主張するヒトも一時期多かった。
じゃあなんで白兵戦用の武器が作られたのかと…

こういうヒトってどうも、歴史を順を追って勉強せずに
戦術戦法が確立された中世以降の戦いから始めちゃってるような傾向があると思う。
軍事板なんかでは現代軍事のセオリーで古代戦争を語るヒトも凄く多かったし。
178世界@名無史さん:2005/09/28(水) 10:45:23 0
日本で装甲弓騎兵が廃れた理由はなんでしょうか? 
やはり鉄砲ですか?
179世界@名無史さん:2005/09/29(木) 09:25:35 0
他にあるか?
180世界@名無史さん:2005/09/29(木) 10:22:27 0
矢は鎧で防げるけど、鉄砲玉は無理っしょ

弓は上達するのに時間がかかるけど、鉄砲なら訓練期間も短い
181世界@名無史さん:2005/09/29(木) 11:44:01 0
>>178
鉄砲が使われる前に廃れてる。
182世界@名無史さん:2005/09/29(木) 12:44:08 0
弓騎兵というよりは、弓を表芸とする単騎の騎馬武者の群れだったから、
足軽の集団戦が盛んになるにつれて廃れた。
183世界@名無史さん:2005/09/29(木) 22:57:52 0
騎馬弓兵も鉄砲に弱いとは限らないよ。
中国でも明軍は火器を装備してたがモンゴル人相手にほとんど役に立たなかったらしい。
184世界@名無史さん:2005/09/30(金) 09:36:25 0
>>183
鉄砲=鳥銃、とは限らないわけで。
火器の技術発展と運用で差が出る。
それとモンゴル相手に役に立ってる。
185朱由檢:2005/10/01(土) 01:35:28 0
>>178
戦争の動員数が増えたからです。
>>183
寧遠の戦いで、明の将軍袁崇煥は火器を駆使して女真族のヌルハチを撃退し、
ヌルハチはそのときの傷が原因で亡くなっている。
明代には、火器を駆使して騎馬民族を撃退する必勝法が考案されていた。
明軍が敗北した理由は政争による仲間割れ…真面目に仕事しようよ〜(泣

あと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の1592年、加藤清正は、
女真族を一ヶ月程で撃滅して地元の朝鮮人から感謝されてる。
186世界@名無史さん:2005/10/01(土) 12:07:55 0
フリーゲーム国取物語@世界史板
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1127947884/l50
187定ちゃん:2005/10/01(土) 13:51:10 O
〉185
あんたゎ、ちょっと偉そうデチ
もっと文体を気をつけた方がいいと思うんデチケド
定ちゃんはそう思うデチヨ
188世界@名無史さん:2005/10/01(土) 18:58:00 0
「火器を駆使して騎馬民族を撃退する必勝法」ってこういうのかな。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1122789087/37-39

勝利しても追撃するのが難しそうな気がする。
189朱由檢:2005/10/01(土) 23:30:52 0
>>176
ヨーロッパの集団戦術が世界に通用するようになったのは、
19世紀のナポレオン時代くらいじゃない?
スイス傭兵の梯形戦術はファランクスとほとんど同じで古代レベルだし、
テルシオは火器の発展した時代に密集陣形なんて自殺行為に等しいよね。
内容的に防御性に優れ、イスラムお得意の包囲陣形に強いるものの、
中心部と後方は完全に遊んでいるし、非効率的すぎ。
マウリッツの横隊戦術も結局のところ当時欧州で翻訳され、
流布していたビザンツ皇帝レオ3世(位717-741)の戦術本がネタ本で、
17世紀になって中世レベルですか…。
190朱由檢:2005/10/02(日) 00:07:13 0
>>188
歩兵、騎兵、弓兵、火器のユニット構成は東アジアでは主流で、
特に戚継光の編成は明で手本にされてはいたのは確かだけど、
戚継光の作戦は倭寇対策だからちょっと違う。

袁崇煥が考案したひたすら篭城して、火器や化学兵器で十分消耗させてから、
相手が疲労と兵糧不足で撤退を始めたら追走して掃討する地味〜な戦法だよ。
191世界@名無史さん:2005/10/03(月) 17:25:31 0
>188のリンク先では「対モンゴル戦のための編成」と書いてたけど
対倭寇戦のものを応用したものか?
実際海をステップに置き換えれば同じようなものかも知れないが。
192世界@名無史さん:2005/10/16(日) 17:33:44 0
武士まじめ:がり勉⇔騎士まじめ:知的
武士やさしい:ピエロ⇔騎士やさしい:いい人
武士香水:悪臭公害⇔騎士香水:女を寄せ付けるフェロモン
武士暗い:根暗キモイ⇔騎士暗い:クール
武士面白い:笑われ者⇔騎士面白い:人気者
武士マッチョ:デブきもい⇔騎士マッチョ:スポーツマン
武士が美容院:営業妨害⇔騎士美容院:ようこそいらっしゃいました
武士バンド:身の程を知れ⇔騎士バンド:最高にカッコいい
武士新入社員:歓迎会無し⇔騎士新入社員 : 歓迎会あり、なぜか他部署からも女子社員が参加
武士リーダー:調子に乗るな⇔騎士リーダー:頼りがいがある
武士高学歴高収入:金の亡者⇔騎士高学歴高収入:エリート
武士独り暮らし:孤独死確定ね⇔騎士独り暮らし:御飯作りにいってあげる
武士童貞:一生そのままでいろ⇔騎士童貞:私が捨てさせてあげるわ
武士おしゃれ:勘違いもいいとこ⇔騎士おしゃれ:イケテル
武士食料購入:不潔・最低・下品⇔騎士食料購入:お料理が好きなのね
武士一人旅:自殺だけはするなよ⇔騎士一人旅:ロマンスたっぷり
武士低身長・高身長:キモイ・怖い⇔騎士低身長・高身長:カワイイ・カッコイイ
武士が告白 : きもっ、ストーカー!⇔騎士が告白 : 嫁にしてクダサイ
武士犯罪者:いつかやると思ってた⇔騎士犯罪者:そんなことするような人には見なかった
武士フリーター:さっさと就職しろボケ⇔騎士フリーター:夢に向かってがんばってね
武士マニア:おたくキモイ、敬遠される⇔騎士マニア:流行の発信源、関心持たれる
武士子供っぽい:いつまでたってもガキ⇔騎士子供っぽい:子供の心を忘れない
武士子供好き:ロリコン、犯罪者予備軍⇔騎士子供好き:心優しい人
武士、ブスと付き合う:底辺同士でお似合いね⇔騎士、ブスと付き合う:女性を顔で判断しない、とても純粋な心の持ち主
武士、美人と付き合う:ついに援交か・・・落ちたな⇔騎士、美人と付き合う:あ〜ん、理想のカップル!
193世界@名無史さん:2005/10/16(日) 18:49:53 0
>>189-190
寧遠の戦いについてネット上で調べた程度ですが、とても興味深い事例ですね。

しかし、袁崇煥が行った籠城戦は、遠距離に対して銃器や火器で敵軍を消耗させ
敵軍が城壁に近接した場合は白兵戦と投擲物などで阻止、城内に侵入した敵軍は
沸騰させた油などや埋め戻しなどで撃退、といった感じだったようですが、

これらの籠城戦の推移は、過去1000年間、ホスロー2世のコンスタンティノポリス
包囲戦以来起った籠城戦、包囲戦のスタンスとそれほど変わっているようには思えません。

籠城側の武装についても、それまでの弓矢や弩砲などが銃器、火砲に代わっただけで
例えばイスラム世界や欧州での同様の包囲戦・籠城戦と全く同じようで、ヌルハチ
率いる後金軍の対処方法が、モンゴルの攻囲戦と違いいたずらに戦力を投入して消耗する
ばかりでほとんど有効な対処らしい対処を行っていないように見えます。

袁崇煥の籠城戦は、ユーラシアで長らく行われてきた「籠城戦の常道」をそのまま踏襲した
ものであって、銃火器の有無はあまり言われる程重要なこととは思えないのです。
火器自体が籠城戦において重要な役割の担った例は、例えばコンスタンティノポリスや
十字軍時代やモンゴル西征のシリアの諸都市でもよく見られた現象で、時には侵攻してきた
サーサーン朝に組みしたハザルやアヴァール、あるいはセルジューク朝が内部分裂した時に
侵攻してきたオグズ諸族のような遊牧勢力や対しても撃退に成功しているようです。

個人的にはヌルハチ率いる後金軍はあまり攻城戦の仕方を知らなかっただけだったような気も・・・
ちなみにモンゴルの西征でも攻城戦で死亡した王侯が何人かいます。
194世界@名無史さん:2005/10/16(日) 19:33:00 0
モンゴルの城攻め下手は有名やね。
武士と騎士で比較すると、
騎士のほうが攻城戦は得意なんかな?
195世界@名無史さん:2005/10/16(日) 19:38:15 0
しかしどちらも攻城戦のときは主役ではないだろう。
基本は東西問わず包囲して兵糧攻めか、強攻して失敗、後撤退または和睦でないかい。
196世界@名無史さん:2005/10/16(日) 23:15:38 0
モンゴルの城攻めというか都市攻略作戦は大体、目標の都市に
対して降伏勧告を行い、これに都市側が承諾すればそれで終了。
抗戦が宣言されると、まず街道と水路が封鎖され周辺村落も
徹底的に劫略して根こそぎにして水断ち兵糧断ちにする。

ただ、遊牧勢力であるため、劫略範囲は目標都市の周囲数十から
100km単位に及び、投石機を20基以上、弩砲や壕を都市に対して
巡らし、降伏勧告と遠距離攻撃をたびたび行って人心を動揺させ、
これを半年以上継続させた。攻め手の糧秣については都市周辺からの
略奪や徴発によって賄われ、山城に対しても同様の措置が取られた。

中央アジア〜シリアの諸都市は大体1年しない内に降伏開城するのだが、
包囲中にも城内に対して攻撃しつつ懐柔策を提示したりと硬軟あわせて
対処している。勿論抗戦後の降伏は、報復や見せしめや再度の反抗を
未然に防ぐなどの理由で、責任者や住民の虐殺が行われたりしたけれども。
197世界@名無史さん:2005/10/16(日) 23:16:28 0
ペルシア語やアラビア語など西方の資料を見る限りは、「モンゴルは城攻めが下手」
という話には首を傾げてしまう。
チンギス・ハンにしろフレグの西征にしろ、大量の兵員を直接の最初に攻城に使わず
徹底した水断ち兵糧断ちで「外堀」の完全制圧に差し向けつつ、確実に籠城側の体力を
削り落とした上で直接攻撃を加えている。

直接攻撃に加え、時には降伏後の赦免や厚遇をちらつかせる心理作戦もよく行って
いたので、「城攻めの常道」を行っているのであって「下手」とはとても思えない。
むしろその逆で、降伏勧告や懐柔策で難攻不落を誇ったイスマーイール派の山城を
多く開城させたりもしており、モンゴル帝国の攻城作戦は、極めて巧妙で成功率が
高かったと言える。
198朱由檢:2005/10/16(日) 23:57:17 0
女真人の攻城作戦は蟻傅が中心でした。
盾を背負って密集した状態で数で押す人海作戦で、
古代ローマ軍のテーストゥード陣形(亀甲陣形)と同じものです。
199世界@名無史さん:2005/10/17(月) 19:44:01 0
モンゴルは攻城戦が苦手ってのはよく書かれてるね。何が元ネタだろう?
200世界@名無史さん:2005/10/18(火) 14:54:15 0
>>199
南宋.のはかばかしくない進捗と
軽騎兵の集団という思い込みでは
201世界@名無史さん:2005/10/18(火) 16:28:17 0
司馬遼太郎の小説なんかだと、西夏を略奪に行ったテムジンと仲間が
「生まれて初めて城壁というものを見た」ので呆然としてしまい
どうしていいか分からなくなるという描写があったりするw
というかモンゴルでもウイグル時代とかに城砦建ててなかったか?
202世界@名無史さん:2005/10/18(火) 23:01:03 0
>>199
コンスタンティノープルの城壁を目前に引き返した騎馬民族諸族のイメージが一人歩きしたとオモワレ
203世界@名無史さん:2005/10/18(火) 23:15:50 0
日本を舞台にした小説ですら、いいかげんな記述が目立つんだから、
いわんや、中国においておや、ってとこだろw
204世界@名無史さん:2005/10/27(木) 03:50:47 0
日本の鎧 強弓張力25キロで至近距離なら穴開くよ 深くは刺さらないけど
一般的な鎧の装甲は鉄板で1ミリだから 弱い弓17キロ程度では穴開かない

騎士の鎧は装甲どうなの?
205世界@名無史さん:2005/10/27(木) 06:20:36 0
>>201
司馬作品は読んだことないけど、創作だろうね。
カラバルガスン遺跡みたいにモンゴル高原でも突厥やウイグルの時代でも
都市や城壁がつくられてるし、金朝などの城塞も見られたはずだから西夏
まで行かなくても意外と身近だったろう。
西夏の攻略はチンギス・ハンの死後だけど、そんなに手こずってはいない。

ちなみに12世紀末から13世紀初頭にかけて、十字軍戦争を反映してか
アラビア語による攻城戦を視野に入れて論じた軍事書がいくつか刊行され
てるから、その後の度重なる西征にはモンゴル側がホラーサーンあたりの
ムスリム勢力を通じてこの種の軍事関係の知識を得ていた可能性は十分あると思う。

> 騎士の鎧
時代や地域や種類で様々だったはず。十字軍時代主流だった鎖帷子とか
テュルク系遊牧戦士の板金の甲冑なんかのだったら弓矢に対抗できたか
微妙だけど、16世紀ごろのフルプレート・アーマーだったら貫通は
ちと無理かも。もっとも銃器やクロスボウやメイスなどの鈍器を使われると
アウトかもしれないが。
206世界@名無史さん:2005/10/27(木) 15:31:17 0
>>194>>195
スレタイの強いには「調略」は含まれんのか? 城奪りを論ずるならこの要素は
外せまい。騙す、または、裏切らせて内側から門あけさす、が最強。
207世界@名無史さん:2005/10/27(木) 16:48:19 0
コンポジットボウの張力について
ttp://www.chinahistoryforum.com/lofiversion/index.php/t7891.html

俺はまだ読んでないが
208世界@名無史さん:2005/10/27(木) 18:09:58 0
>>206
そういうのって同じ文化圏でないとあまり使えない気がする
209世界@名無史さん:2005/10/28(金) 17:57:50 0
金や南宋と比べるとイスラム圏の城はやたらと簡単に落とされてる気がする。
まあロシアやポーランドみたいに木造じゃないだけマシ・・・なのか?
210世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:04:53 0
基本的に中央アジア〜イラン、中東の諸都市は、内政は外部の政治勢力とは
あまり関係なく独力で行うのが基本。だから政治勢力に対しては極端な話、
納税義務とかくらいしかつながりが無い。

大抵は支配者が交替するとその支配をよほどのことが無い限り認めるのが普通で、
たまに支配者側の根拠地となる都市の場合は抵抗して攻城戦になったりする。

ただ、これらの地域の都市はだいたい市街地の面積が1km四方くらいの城壁に
囲まれたほどの規模で、その一隅にその十分の一規模の城塞が付属する程度。
金朝や南宋の主要都市と比べると結構小さい。
そのため本格的に攻撃され、補給を完全に遮断されるとものの数カ月で陥落してしまう。
飢餓や疫病がすぐに蔓延するので餓死者や人喰いが発生したなどという話は、モンゴル
の征服に限らず、オグズの侵攻とか苛烈な籠城戦などでよく聞かれる話題でもある。
211世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:09:29 0
市民は降伏してんのに守備隊だけ城砦に立てこもってたり
212世界@名無史さん:2005/10/31(月) 02:14:15 0
死ね、といったら負けだ
213世界@名無史さん:2005/10/31(月) 02:32:05 0
バツの軍って西欧の城ほとんど落とせてなかったんじゃなかったっけ?<モンゴルの城攻め
だから引き返したってどっかで読んだ気がするがどれだったかな
214世界@名無史さん:2005/10/31(月) 10:34:17 0
バトゥの西征軍はハンガリーまで征討したことまではモンゴル側の史料に
語られているが、ドイツ・オーストリアあたりまで行ったかどうかは怪しい。
当時のハンガリー王国内にどれだけ城塞あったかは自分は知らないが、
殆どの「どこそこの都市を包囲して陥れた」と簡単に済ませている。
ハンガリー国王ベーラ4世は命からがらアドリア海の方へ逃げ延びる事が
やっとで、彼を追走しているうちにオゴデイの訃報が届いた。
少なくともハンガリー国内ではさして問題なく作戦が推移していた模様。

バトゥがハンガリー以西を放棄したのは、オゴデイが病死してにわかに本国の情勢が
不安定になったからで、さらについ先刻まで自分やトゥルイ家の長子モンケと険悪に
なっていたグユクが、いきなりモンゴル皇帝になったせいで西方のことに係わる余裕が
なくなったため。オゴデイが死ぬ直前にそのグユクが召還命令を受けて本土に帰還する
最中だったそうだから、バトゥはかなり慌てて黒海方面まで全軍撤退させている。

その後もルーシについては自分の足下を固める一貫として何度か平定作戦を行っているが、
それ以上のことはやってない。パンノニア以西は山越えするのが一苦労だし、もう一度
先の西征軍のような後顧の憂いのない状況で大軍団を派遣しないことには西方への領土の
拡大は無理だったからだろう。
215世界@名無史さん:2005/10/31(月) 22:13:56 0
>>214
>ドイツ・オーストリアあたりまで行ったかどうかは怪しい。
ワールシュタットでポーランドとドイツの連合軍相手に戦ってるんだから、
ドイツの間近まで行ったのは間違いないんでない?
ttp://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/regunitu.html
216世界@名無史さん:2005/10/31(月) 22:18:59 0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
WIKIなので絶対に信頼できるとは言い切れないけど…。

>モンゴル軍はこの戦いの後ポーランドを席捲し、
>バトゥ率いる本隊の先鋒はオーストリアのウィーン近くまで迫るが、
>大ハーンのオゴデイが急死したことによって撤退した。

>この戦いはモンゴルの侵攻に対するヨーロッパの命運を決したと言われる悲劇的敗戦だったが、
>モンゴル軍にとっては戦法の常道によって行われた局地戦の勝利に過ぎなかった。
>なお、戦いの存在自体を疑問視する説もあるが、ほとんど認められていない。
217世界@名無史さん:2005/11/01(火) 01:12:45 0
>>215
リーグニッツで戦ったのはドイツじゃなくプロシアにいた「ドイツ騎士団」
218世界@名無史さん:2005/11/04(金) 20:27:37 0
ヴィーナー・ノイシュタットで撃破されたのは偵察部隊だっけ?
その中にイギリス人がひとりいたんだよな。
219世界@名無史さん:2005/11/04(金) 21:12:59 0
モンゴル軍の中にね。
220世界@名無史さん:2005/11/06(日) 00:51:44 0
ハンガリーでは父・夫が見る前で平然と娘・妻を犯し、1年働かせて作物が収穫できた頃に
老若男女関係なく村人全員呼び集めて抹殺ってのやってたしな。
当時の糞弱いヨーロッパの軍隊ではタタールにとっちゃ何でも無かったんだな

しかし、そのタタールも16〜17世紀以降はセコイ強盗の集団みたいなのがロシア軍とぶつからないように
都市に侵入して略奪することはあっても、弱体化した帝国で強大となったロシアにゃ真っ向からぶつかれない程度に堕ちた
221世界@名無史さん:2005/11/06(日) 14:17:12 0
村人を全員殺してしまったら、次の年どうするのだろう?
222世界@名無史さん:2005/11/06(日) 22:42:51 0
羊でも放牧する 

これがモンゴルクオリティ
223世界@名無史さん:2005/11/07(月) 03:56:38 0
>>221
だから、食糧難に苦しんだ。
ヨーロッパ征服(と言うより本格的なドイツ侵攻)できなかった理由のひとつ
224世界@名無史さん:2005/11/07(月) 05:02:42 0



 なんだかよく分かりませんが、

『 っちょwwwおまww、2ちゃんねるをやるんだったら一度は見とけよ。 』

的な、憂国ムービーやらフラッシュを適当に置いときますね。 ↓

http://p2.chbox.jp/read.php?host=news18.2ch.net&bbs=news4plus&key=1131114125&offline=1&ls=320

(ファイルが削除される前に、ぜひ保存しておこう。)
 

  
225世界@名無史さん:2005/11/07(月) 14:20:42 0
>>223
初めて聞いた

できればソース
226世界@名無史さん:2005/11/07(月) 15:49:41 0
図書館の歴史関係の本棚にあったんだが、タイトル何だっけな
227世界@名無史さん:2005/11/08(火) 20:47:48 0
角川の"モンゴル軍のイギリス人使節"(うろ覚え)だったよな希ガス
228世界@名無史さん:2005/11/17(木) 01:58:37 0
モンゴルが銑鉄を使い始めたのはいつ?
ワールシュタットのときはつかってる?
229世界@名無史さん:2005/11/17(木) 05:05:36 0
>>223
仮に村落民を虐殺して空いた耕地で放牧をしたからといって、即食糧難に
直結する、というような事態になることはモンゴル帝国ではまず無い。

耕地が必要なら住民は生かされるし、住民を虐殺してでも新たに入植したい
場合はそのようにしている。勿論、実生活上穀類がないと困りはするが、
家畜と遊牧する土地さえあれば、遊牧民たちは生活できた。
ドイツ方面の当時の耕地の環境がどうなっていたかは知らないが、ハンガリーの
あるパンノニア平原は現在でも広大な草原地帯で放牧と耕作が盛んだから、
他の地域はともかくとしてモンゴルにとってもハンガリーだけでも征服する旨味は
十分あったろう。

モンゴルが最も恐れたのは家畜の斃死だった。特に冬場の雪害は現在でも最も恐れられる。
一尺ほどの積雪ならば羊は蹄で雪を掘り起こして牧草を食すことができ、しかも雪の冷そ
効果で乾気にさらされるより新鮮な牧草が保存されたりする。ところが二尺以上積もると
もはや雪を掘り返すことが出来ず、羊をはじめ家畜は餓死しはじめる。三尺以上積もると
今度は人家自体が雪に耐えきれず潰れはじめる。近年でもモンゴルを見舞った大雪で一夜にして
一家全滅などという話は良く聞かれるが、それはこのような事態だからだそうだ。

モンゴル帝国ではこのような気象的な問題などで遊牧民に家畜の大量斃死が発生した場合、
これらの被害をまとめ可能な限り損失補填するよう部署をおいて監督させた。

この損失補填に例えば穀物や予備の家畜などが王室領や国庫などから支給されたりしたようだ。
こういう意味での「食糧難」は聞いたことがあるが、それ以外にはあまり聞いたことがない。
230世界@名無史さん:2005/11/17(木) 18:33:38 0
アレクサンドリア包囲中に「まぐさが無くなったから撤退した」って
あったが、あれは大ハンが死んだからだよな?
231世界@名無史さん:2005/11/17(木) 19:39:37 0
>>228
そりゃ銑鉄(せんてつ)は使ってますよ。
232世界@名無史さん:2005/11/29(火) 23:08:52 0
刀VS槍  どっちがつよいか?
233世界@名無史さん:2005/11/30(水) 00:38:04 0
>>232
倭寇の日本刀は
中国官軍の槍の柄をすぱっと切ってしまう切れ味のよさで恐れられたとか。
穂先がなくなれば槍なんかただの棒切れだからな。
棒術が使えるならそれでもいいけど。

234世界@名無史さん:2005/11/30(水) 00:55:07 0
絶対騎士!!昔、オリアーノ・コルマケットって人が一人で431人斬った
っていう記録があるからよ。
235世界@名無史さん:2005/11/30(水) 09:58:22 0
軍刀で100人斬りしたって新聞に掲載されたこともあるしな
その手のはあてにはならん

>>233
そもそも中国の官軍(近衛兵だが)の槍も日本製だ
236世界@名無史さん:2005/12/02(金) 01:02:06 0
>>235
>そもそも中国の官軍(近衛兵だが)の槍も日本製だ
中国の槍は袋槍で、日本の鑓とは製法が異なるのですが。
中国の官軍の槍が日本製であったとはどちらからの引用でしょうか?
237世界@名無史さん:2005/12/02(金) 08:31:18 0
普通に考えれば槍が強い
武器の優位劣位は正面からの激突ならアウトレンジできるほうが圧倒的に良い
槍の柄を切るって双方の技量に開きが無きゃ難しいだろう
それに武士自身も弓と並んで槍を重用するようになるしな
238世界@名無史さん:2005/12/02(金) 21:13:18 0
>>237
わざわざ柄を切られないように対策を施した槍があるのを見ると
そんなに珍しく、難しいことではないだろう。
239世界@名無史さん:2005/12/03(土) 08:56:59 0
一対一だったら突いてくる鑓の穂先きを切り落とすなんて
芸当も出来そうだが、集団戦になったらそんな真似はそうそう
できるものかねえ? 勿論なにかの拍子で穂先きを落とされる
こともあるだろうから、その種の補強は当然されるだろうけど。

洋の東西を問わず鑓が刀剣よりも有利なのは変わらないと思うけど。
240世界@名無史さん:2005/12/03(土) 16:58:52 0
いや、倭寇と明の官軍の間で頻発してたんだって。
当然、集団戦だよ。
有利不利はともかくね。
241世界@名無史さん:2005/12/03(土) 20:48:46 0
中国兵が弱いって事?
素人的には鑓が刀に後れをとるとは考えにくい
242世界@名無史さん:2005/12/04(日) 02:59:43 O
ランツクネヒトもフランベルジュでパイクを折っていますが、何か?
243世界@名無史さん:2005/12/04(日) 04:55:31 0
その種のことが武勇伝のひとつとして語られてるってことは
やはり 鑓>>刀剣 という前提があっての事ではないだろうか?
>パイクとか鑓を折ったり斬ったりするのは
244世界@名無史さん:2005/12/04(日) 14:19:48 0
>>240
明の官軍といっても水兵は槍を持たず剣使ってたんだよ
船の上じゃ長物は邪魔になるだけ
倭寇対策でなされたのが、日本刀を参考にした刀剣改良だったのがそれを表している
ちなみに少林寺のお坊さんが棒を使って倭寇に対抗して活躍したという話もある
古今東西、小銃が標準装備になるまでは槍が陸軍のメインウェポンだったことからも槍の優位は明白
245世界@名無史さん:2005/12/04(日) 18:08:35 0
>>244
しっかり槍を使ってる絵が残ってるが
246:2005/12/04(日) 18:49:13 0
>>241
中国側の資料(戚将軍関連)によれば
倭寇は両手に日本刀を持ち3間の間を1飛びで来る。
低い姿勢から槍を切り払い懐に入る。

という風に分析している。彼らはフネを襲うだけではなく、陸上での密貿易、収奪も行うので、無理はないと思う。

もちろん245氏の言うように小さな舟の上で明、倭寇双方がやりを使い戦っている様子が描かれている絵が残っている。

結局陸上では鴛鴦陣ていう10人がかりの鑓部隊で倭海賊一人を倒す戦法で対抗したということ。

その後、戚氏は北方(北虜南倭)に赴任した際明製大型日本刀を使用したらしい。



ていうのは244氏も知っていると思うんだが。
少林寺のお坊さん達は頑張ったけど結局全員死んでしまったという話。


>>235
日本製の鑓というか薙刀、長巻は明王室の目録にある。
247世界@名無史さん:2005/12/04(日) 20:06:26 0
>>244
>古今東西、小銃が標準装備になるまでは槍が陸軍のメインウェポンだったこと

メインウェポンは『弓』な、話それるけど。
248世界@名無史さん:2005/12/04(日) 20:13:25 0
>鴛鴦陣ていう10人がかりの鑓部隊で倭海賊一人を倒す戦法

たしか葉をつけた竹の槍を使うんだっけ?
249世界@名無史さん:2005/12/05(月) 00:31:14 0
>>243
ランツクネヒトがパイクの先端を折るのは、武勇伝でも何でも無いただの戦術なんだがな。
250世界@名無史さん:2005/12/05(月) 00:45:14 0
>>246
質問@
日本で鎌倉時代以降、鑓は儀仗用以外に使用されていないのですが、
日本で使用されていない武器を輸出していたのですか?

質問A
長巻、金碎棒、突棒、琴柱などの鎌倉〜室町時代初期の長柄武器は、
柄が金属で保護、もしくは先端まで刀身であるものが目立ちますが、
この事についてはいかがお考えですか?
251山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/05(月) 18:27:06 0
>>250
儀仗化も何も、鑓(原文では矢利)の初見は、鎌倉幕府が滅んだ翌年の建武
元年(1334)に成立した文書にあるものでしょう。
11世紀に鉾から長刀へ代り、14世紀に鑓が出現して広まっている。
鑓働きや一番鑓という様に、次第に主要武器となって行きます。
252世界@名無史さん:2005/12/06(火) 11:11:03 0
>>236
何度も出てると思うが、馬明達老師論文『歴代中日両国刀剣(術)の交流』
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm

「日本の足利朝の各将軍が明の英宗前の各皇帝に献じた刀の合計は一千二百余本ともいわれる。
これら優れた日本兵器は明朝「御林軍(近衛軍)」専用」
253250:2005/12/06(火) 17:53:19 0
>>250
>質問@
>日本で鎌倉時代以降、鑓は儀仗用以外に使用されていないのですが、
>日本で使用されていない武器を輸出していたのですか?
2行目は鑓ではなく、鉾の語記載です。

中国の槍は袋槍ですが、日本では袋鑓(鉾)が儀杖化して、実戦では使用
されなくなったのに、輸出用に袋槍をわざわざ作っていたのですか?と
言った趣旨の質問です。
254世界@名無史さん:2005/12/06(火) 17:59:03 0
>>252
日本刀が大量に輸出されていたことは知っていますが、槍まで輸入したのか?
と訊ねているのですが。
255世界@名無史さん:2005/12/06(火) 18:12:28 0

槍じゃなくて長刀(なぎなた)
256世界@名無史さん:2005/12/08(木) 09:13:18 0
刀は敵将を殺した後に首級を挙げるために使ったと
書いてあるのを見たような
257世界@名無史さん:2005/12/08(木) 11:25:10 0
イスラムの軽弓騎兵相手であれば、重武装の騎士は乱戦に持ち込めば
なんとか勝てたが、接近戦闘に十分耐える日本の重弓騎兵が相手では
騎士には勝てる要素が一つも無い。
258世界@名無史さん:2005/12/08(木) 20:55:22 0
>>256
その本はあんま良くないから捨てな
259世界@名無史さん:2005/12/09(金) 07:30:52 0
>>257
オリエントの騎馬弓兵と鎌倉時代の武士では戦法が違う。
あちらのは弓騎兵の大部隊が重装騎兵隊の支援を受けながら
攻撃と退却を繰り返すスタイルだが、鎌倉武士の戦いは
弓矢による決闘みたいなものだろう。
260世界@名無史さん:2005/12/09(金) 20:04:46 0

by塩野七生
261259:2005/12/09(金) 21:06:40 0
Medieval Warfare Source Bookとかお手軽なのがネタ本だったんだけど
塩婆の本でもそんな事が触れられてるん?
262世界@名無史さん:2005/12/09(金) 21:59:51 0
アラブやサーサーン朝の騎兵が弓矢も使ってたかはよく分らないが、
ソグド方面の騎兵は壁画などの絵画資料を見る限り、剣や槍のほかに
弓矢を常備していたようで、盾や戦槌や戦斧なども使っていたようだ。

具体的な戦法はともかく、マムルークやグラームなどのテュルク系の
騎兵の場合、装備が軽装か重装備かは関係無しに剣や槍、弓矢などを
常備していたことが、当時の歴史書やニザーム・アル=ムルクの
『統治の書』、サラディンの時代の軍事書などからうかがえる。

ウサーマ・ブン・ムンキズの回想録だとサラディンの時代のアラブの騎兵は
集団戦をやっているようで、槍での打ち合いが戦闘の主要な部分を占めて
語られている。

しかし弓矢を馬上から射かけるような様子は確認できなかったので、やはり
アラブ(シリア方面)の当時の騎士階級では騎射の習慣はなかったかメジャー
では無かったのかもしれない。
263世界@名無史さん:2005/12/10(土) 01:34:36 0
>ソグド方面の騎兵は壁画などの絵画資料を見る限り

こういうやつだね。たしか加藤九祚の本に載ってたような。
ttp://www.kroraina.com/ca/pict/images.html

この辺のを見るとあまり西洋騎士とやってることが変わらない。
ttp://www.kroraina.com/ca/pict/ca23bg.jpg
264世界@名無史さん:2005/12/10(土) 01:47:17 0
ttp://www.transoxiana.com.ar/Eran/Articles/mode.html
検索したらこっちの方がいい絵があった
265世界@名無史さん:2005/12/11(日) 09:36:00 0
>>263
騎槍突撃はイギリスから中国まで広まってる戦法。
ソグド人がやってても別に不思議じゃない。
266世界@名無史さん:2005/12/11(日) 11:20:37 O
古代マケドニア騎兵も長槍で楔体型で突撃してたしな
267世界@名無史さん:2005/12/11(日) 11:23:25 0
シナ人はさすがにやってないだろ
268世界@名無史さん:2005/12/11(日) 11:51:50 0
水滸伝で官軍がやってなかったっけ
当てにはならんが
269世界@名無史さん:2005/12/11(日) 13:39:13 0
支那でも五胡十六国などの時代にはカタフラクトみたいな重装騎兵がいて
ランス(馬槊)を水平に構えて、西洋のナイトと同じ流儀で突撃してた。

そういや以前映画のラヴァーズを観たら、槊を馬上から手で突いてたので
長さの意味がねーじゃんとか思った。
270山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/11(日) 13:52:09 0
>>268
連環馬の事ですか。重装騎兵という例では、金に鉄塔兵というのがい
たそうですが。梁代のレリーフにも、人馬共に重装備の騎兵が刻み込
まれていました。
しかし、馬体の負担が半端なものではなさそうですが、当時の中国の
馬がどんな体格であったのかが気になりますね。
271世界@名無史さん:2005/12/11(日) 13:59:31 0
>>270
梁の騎兵の再現像らしい?けど
ttp://www.dbaol.com/armies/army_114_figure_1.htm

どうみてもモンゴリアン・ポニーな馬に鉄の小札鎧着せてる・・・
272世界@名無史さん:2005/12/11(日) 14:18:48 0
外国・騎士
日本?・武士
名前の違いだけでは・・と一般人が言ってみる
273山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/11(日) 14:44:58 0
>>271
私が目にしたものも、同じ様なものでした。
しかし、これではガラス窓にぶつかっても弾き返されそうですね。
274世界@名無史さん:2005/12/11(日) 15:08:48 0
275世界@名無史さん:2005/12/11(日) 15:10:23 0
276世界@名無史さん:2005/12/11(日) 18:33:28 0
>>270
史実で連環馬をやってたは鉄塔兵だったとか。
金軍の侵攻に抵抗していた野盗みたいな烏合の衆には効果的だったのかも。
岳飛はそれに対抗するため歩兵に大刀(日本の長巻みたいなもの)を持たせて
馬の足をなぎ払う戦法で勝利。
277世界@名無史さん:2005/12/11(日) 22:47:18 0
>>263-264
おお、丁度良い資料を題材にしたサイトをうpしてもいらい大変有難い。
実際に資料上で確認できるかどうかはやはり重大な問題だろう。

中国は甘粛出土の漢代の騎馬像(青銅製)などをみると槍では無く、
戦車の場合と同じく持っていたものは戈であった。
先週くらいまで京都に実物が来ていたが、>>264のたぶん象牙製だと
思われるバックルのようなものは、だいたい同じ時期(説明では現在の
ウズベキスタン出土の1、2世紀ころらしい)のものだそうで、見ての
通り明らかに槍を使って敵に突き立てている。

戈と槍とでは用法が違うことは周知の通りだろう。戈は戦車戦を想定して
車上から縦横に振り回せるように工夫された武器だった。日本の薙刀にしても
これを馬上から使用した例はあるそうだが、突きが専門の鑓とは用法が異なる
ことはこのスレでも何度か指摘されていることかと思う。

馬上で鑓を突き立てる、あるいは投げ打つような戦法はギリシアやローマの騎兵でも
見られるそうだが、>>264は重装騎馬兵のものだとは思うが、当時の騎馬勢力の
騎兵が剣や槍を用いかつ弓矢を騎射していたことが分かる。

ギリシアやローマなどの騎兵が槍を使うようになったのはどう言う系統から発生したか
興味がそそられるが、こと華北での槍を刺突する戦法は漢人が自然に身に付けたとかいう
ものではなく、明らかに匈奴や柔然、鮮卑といった騎馬勢力自身の戦法だったとみる
べきかもしれない。
278世界@名無史さん:2005/12/12(月) 01:16:16 0
鈴木信者まだ居るのな。もうちょっとまともな歴史家が書いた本嫁よ
279世界@名無史さん:2005/12/12(月) 01:58:12 0
鈴木って誰?
280世界@名無史さん:2005/12/12(月) 06:27:50 0
五胡十六国〜清までの軍事史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1122789087
281世界@名無史さん:2005/12/12(月) 12:14:16 0
>どうみてもモンゴリアン・ポニーな馬に鉄の小札鎧着せてる・・・
十字軍に参加した騎士やカタフラクトスも似たようなもんだ。
中型馬に乗った全身鎧が登場したのは騎士の戦略価値が低下してからだ。
はっきり言って格好付けだけで戦術価値なんて無い。
夢想家騎士マニアのフランソワはハプスブルグのカルロスに凹られた。
騎士の槍突撃なんて武士の騎射一騎討ちと同レベルのローカルルールに過ぎない。
相手が応じなければ成立しない。
マムルーク、モンゴル、トルコと外敵には通用しないしな。
馬上突撃が復活するのは歩兵が鎧着なくなって白兵能力が相対的に向上してからだ。
282世界@名無史さん:2005/12/12(月) 20:44:35 0
>>281
ムスリムやステップ遊牧民もランスを使って突撃してましたが何か?
283世界@名無史さん:2005/12/12(月) 20:48:55 0
いやそれランスか?
ランス=槍じゃないだろ。
284世界@名無史さん:2005/12/12(月) 21:20:50 0
>>283
ウサーマ・ブン・ムンキズの回想録なんか読んでみると分かるけど
十字軍の騎士を猛烈なランスチャージで刺し貫いて、衝撃で鞍から
ずり落ちそうになった体験談とか書いているよ。
(ランスを腋の下に挟んで突撃するやり方をイスラム圏では
「シリアの槍法」といったとか)

騎槍を最初に使いはじめたのもサルマタイやサカといった遊牧民だし
遊牧民の英雄叙事詩、たとえばキルギスの「マナス」なんかでも
ランスで決闘する場面がある。

あとペルシャの細密画でもランスで戦う騎兵がよく描かれている。
285世界@名無史さん:2005/12/12(月) 21:39:35 0
これとか
ttp://www.ee.bilkent.edu.tr/~history/Pictures1/im20.jpg

古代イランの戦いを題材にしているけど、描かれた時代が14世紀で
兵装は当時のイル汗国やジャライル朝の蒙古人のもの。
286世界@名無史さん:2005/12/12(月) 21:42:38 0
>>279
日本刀信者が目の敵にしている鈴木眞哉氏
287世界@名無史さん:2005/12/12(月) 21:47:37 0
鈴木信者もほどほどにしとけよ。
288世界@名無史さん:2005/12/12(月) 22:25:45 0
>>282
十字軍と対峙したルーム・セルジューク朝のクルジュ・アルスランは
槍で突撃する重装騎兵に驚いていますが、何か?
289世界@名無史さん:2005/12/12(月) 22:39:15 0
鈴木○哉

自衛隊OB、趣味の歴史家

武田の騎馬軍団は無かった、鉄砲三段射ちは無かったと提唱。
○○は無かった、無かったと大衆受け狙いのネタ師。
史家の執筆した真面目な書籍は遠ざけられ、ネタ師のヲタ説が横行する傾向が強い。
2ちゃんねらーに熱心な信奉者は多いが、まともな研究家からは疑問視されている。
世界史板でも鈴木説を脊髄反射的に答える信者が根強く毎回水掛け論が続いている。
290世界@名無史さん:2005/12/12(月) 22:56:44 0
>>288
それは第1回十字軍の話?
騎士の装甲の堅さに驚いたんじゃなくて?
291世界@名無史さん:2005/12/12(月) 23:19:37 0
このように日本刀信者がイパーイ
292世界@名無史さん:2005/12/13(火) 01:39:44 0
>>289
>まともな研究家からは疑問視されている

例えば誰?
293世界@名無史さん:2005/12/13(火) 12:12:04 0
>>290
クルチュ=アルスラーン・ブン・スライマーンの方かな?
アクサラーイーかシャバンカラーイーみたいなペルシア語のルーム・セルジューク朝の
資料ならなんとかなるけど、アンナ・コムネナだったらちと厳しいな。

1097年にクルチ=アルスラーンが最初に十字軍と戦ったときマラトヤに遠征中で、
この時十字軍に敗北して本拠地のニカエアを失ってるんだよね。これはウルファ(エデッサ)
のMateosって人物が記録してるらしいけど。この5年後くらいにルーム・セルジューク朝の
本拠地となるコンヤに腰を据えて、十字軍側のボヘモンドを捕虜にするけど。

ランスの突撃やら重装騎兵に驚いて敗北したって話は何かしら引っ掛かるのであとで
少し調べてみるか。
294世界@名無史さん:2005/12/18(日) 09:51:11 0
>>188
それは十字軍の後続部隊がいきなり丘の上に現れて突撃してきたから驚いたんじゃないのか
サプラーイズ!
295世界@名無史さん:2005/12/18(日) 09:52:23 0
↑は>>288
296世界@名無史さん:2005/12/19(月) 15:07:16 0
剣を使っていい天下一武闘会だったら日本刀の性能的に武士は有利かもしれんが、
騎士のほうが鎧が頑丈そう。
剣術の発達については、武士が有利なのは間違いないとは思うが、体格の差がな。
297世界@名無史さん:2005/12/21(水) 07:58:37 0
風雲録のhしまづ兵数600位で立てこもられたら地獄だった
射殺されっし
298世界@名無史さん:2005/12/21(水) 21:10:43 0
スマン、誤爆した
299世界@名無史さん:2005/12/26(月) 18:42:21 0
精神的な面ではどうなのかな?
身内びいきかも知れないが、
武士は玉砕って言葉があるくらい死ぬまで戦う執念を持ってるイメージがあるけど…。

騎士ではないけど古代ギリシャ、スパルタの兵士も玉砕するまでペルシャ軍と戦ったよね。
300世界@名無史さん:2005/12/26(月) 20:22:48 0
>>299
玉砕することもあればあっさり寝返ることもある。
ケース・バイ・ケース。
301世界@名無史さん:2005/12/26(月) 23:43:26 0
>>300
そりゃそうだけど、騎士で勇敢だった人の例を聞きたいわけ。
ほかの国や地域から、その強さで恐れられた集団とかね。
302世界@名無史さん:2005/12/27(火) 00:26:43 0
>>299
玉砕ってのは20世紀になってから普及した言葉だよ。
303世界@名無史さん:2005/12/27(火) 05:48:31 0
>>301
聖ヨハネ騎士団のド・ラ・ヴァレット
1565年のオスマン・トルコによるマルタ大攻囲を陣頭指揮によって撃退。
兵力は騎士と従士が700名、民兵を総動員しても8000前後、
対するにオスマン・トルコ軍は約40000。

彼の名前は今のマルタ共和国の首都ヴァレッタとして残る。
304世界@名無史さん:2005/12/27(火) 23:04:33 0
中世フランスで生涯に300人くらい倒した騎士がいたと思うが
名前が思い出せない。
305世界@名無史さん:2005/12/27(火) 23:22:00 0
近代に入るまでヨーロッパ人とアジア人に特別体格差は無かったという説をどっかで見たんだが。
それが正しければ日本の武士はかなり強かったのかも。
306世界@名無史さん:2005/12/28(水) 00:22:50 0
>>302
昔からあったわけじゃないのね…。

>>303
(・∀・)イイ!
そういうのを聞きたかったんだよ。特に
>彼の名前は今のマルタ共和国の首都ヴァレッタとして残る。
が格好いいね。
307妙な方 ◆J7M7PQyXkE :2005/12/28(水) 13:05:40 0
>>299
所謂玉砕をするまで戦う武士なんてほとんどいませんでしたよ。
生活のために戦っているのですから、そんなことをしても意味が無いですしね。
308山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/28(水) 15:08:04 0
中世の武士には、譜代相伝の家人型と、双務契約による家礼型がありました。
一般に武士の規範とされるのは前者なのですが、数が多かったのは後者の方
で、三年経っても先の見えない主なら乗り換え、これから滅びそうなら理屈
をつけて田舎に帰らせてもらおうという連中でした。
相伝の家人で無いのだからという理由で、主側もそれを許容していたもの。
中には、複数の主と双務契約の関係を結んでいた者もいた程です。
玉砕というか、最後まで主に殉じて死んだのは、家人型の方ですね。
源義経や伊賀光季が追い詰められて自害する前には、周囲の者がほとんどい
なくなっていたという話があるのも、多くは殉じる義理も無かったからで。
近世に社会が安定して流動性が減少し、秩序が必要とされる様になると家人
型の生き方が必要とされる様になりましたが、中世には対主に限って考えて
みた場合、もっと自由ですよ。>多数派の家礼型は
期待出来ない主と死んでどうするのかというのが多かった。

城で全員死ぬというのも、余程追い詰められていなければ無いもので、実際
には撤退して再起を図った例が多い。死んで花実が咲くものか、と。

ただ、面目を重視していたのは武士というか日本人全般に見られたものらし
く、中世どころか近世の乞食にまで通観する事が出来ます。
なんらかの条件を恥と見做した場合の抵抗は強いでしょう。
もっとも、全般的に使える強みとは言えなさそうですが。
309世界@名無史さん:2006/01/03(火) 02:23:01 0
山野良レス乙。
310世界@名無史さん:2006/01/04(水) 14:19:39 0
もっとも
311世界@名無史さん:2006/01/04(水) 15:05:22 0
>>292
2ちゃんねらー
312世界@名無史さん:2006/01/07(土) 03:27:03 0
喧嘩の強さでは人間の本当の強さは測れません。
どちらが優しいかを競争した方がいいのでは?
313世界@名無史さん:2006/01/09(月) 20:48:19 0
>>292
近藤・笹間・佐々木・関など。
鈴木信者は大坪流馬術とか知ってるの?
314世界@名無史さん:2006/01/09(月) 20:49:07 0
>>312
賛成。
その方がより建設的だ。
暴力反対。
315世界@名無史さん:2006/01/09(月) 20:49:18 0
また、山野の日本史オナニーか。日本史板で書けよ。
316世界@名無史さん:2006/01/09(月) 21:40:55 0
日本史ネタがだめなら、そもそもスレが成立しないような。
317世界@名無史さん:2006/01/10(火) 08:13:57 0
>>296
>騎士のほうが鎧が頑丈そう

こういうよくある偏見はどこから来てるんだ?
少なくとも鎌倉時代なら武士の大鎧に対し騎士は鎖帷子しか着てないはずだが
318世界@名無史さん:2006/01/10(火) 10:04:21 O
騎士の甲冑が頑丈そうというのは15世紀以降の全身を覆う甲冑のことでは

でももしその甲冑を着て同時代の武士と試合したとしても機動性の違いで勝負にならない
それに日本刀の突きをすれば西洋の甲冑を貫くのは容易
319世界@名無史さん:2006/01/10(火) 10:09:52 0
>>318
ルネサンス頃の時代に個人で決闘するなら鎧はつけずに
レピアーとかでやるんじゃないの?
320世界@名無史さん:2006/01/10(火) 10:13:18 0
近世の重甲冑つけた連中は騎士というよりむしろ「騎兵」だろう。
321世界@名無史さん:2006/01/10(火) 12:09:56 0
武士は足軽でも武士だよね
時代にもよるけど
322山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/10(火) 18:05:12 0
足軽の場合、武家の最下層に位置しておりましたが、明治維新の時には、
一部の藩を除けば、士族ではなく卒族になっています。
時代劇でお馴染みの同心や黒鍬も卒族側でした(30俵や15俵の連中)。
与力以上なら馬に乗れましたが、騎乗出来れば文句なく武士です。
もっとも、資格はあっても馬を養って乗った経験は無いという人が多く、
幕末に無理矢理乗って馬から落ちた例も多かった。
323世界@名無史さん:2006/01/10(火) 18:20:03 0
よく、騎士は鎧が重くのろいといわれるがそんなことは無い。
甲冑自体の重さは重いものでも25kg。完全武装で逆立ちも出来たくらい。
日本の大鎧よりも軽い。

日本刀にしろ、ロングソードにしろフルプレートアーマーにはほとんど通用しない。
324世界@名無史さん:2006/01/10(火) 18:43:46 0
弓なら貫通するけどな。
大鎧着た武士の主力は弓だ。
325世界@名無史さん:2006/01/10(火) 18:49:00 0
日本でも、鎧の隙間を突く戦闘が主流

まぁ西洋東洋限らず、鎧ごとぶった斬られては鎧の意味がない罠
326世界@名無史さん:2006/01/10(火) 20:01:29 0
15世紀のミラノ甲冑になるとクロスボウでも打ち抜くのは困難。
完全武装の装甲兵相手だとまさに「殴り殺す」か、小銃で撃ち殺すしかない。
もっとも、最高級の甲冑を着ていた兵士は少数なので軽装備の兵士に集団でリンチされたら
さすがにどうにもならなかった。
327世界@名無史さん:2006/01/10(火) 21:16:26 0
ルネサンス期の欧州の戦争については以前ちらっと読んだきりなんですが
長槍兵、銃兵、装甲騎兵、砲兵などの長所短所をうまく補い合うように使ってますよね。
日本ではそういう役割分担は発達してたんですか?
328世界@名無史さん:2006/01/10(火) 21:21:07 0
こんどは精神面からも語りませんか?
人間の強さにとって重要な部分だと思います。
329世界@名無史さん:2006/01/10(火) 21:47:39 0
>>328
ヨーロッパの騎士って戦争で負けても、捕虜になって身代金を払えばいいだけだろ。
武士の方がはるかに過酷な殺し合いをしていたよ。
もしも同時代の日本と欧州が戦って、負けたら即殺されるみたいな状況になったら、
騎士たちはパニックになるんじゃないの。
330世界@名無史さん:2006/01/10(火) 21:49:12 0
捨て身の攻撃も駄目だよな。
キリスト教では自殺は否定されてるから。
331世界@名無史さん:2006/01/10(火) 21:53:52 0
そうしたら十字軍なんてできないだろ。
332世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:07:12 0
>>329
騎士も異教徒は無差別に殺戮したりするので逆に言うとその辺の覚悟はできてる
333世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:07:15 0
戦場での名誉の戦死はヨーロッパでも普通に賞賛されるが・・・
334世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:09:47 0
>>331>>332
当時のイスラムは文化的だから、大抵の場合は降伏すれば捕虜にして身代金を要求。
悪くても奴隷として売られるぐらいだな。
イスラムに無条件に殺されたのなんてほんの一部だけ。
335世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:10:04 0
こりゃ武士の精神力がきわだっちゃうな、困ったな。
336世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:28:51 0
物量には限界がありますが、武士の精神力は無限であります
337世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:32:23 0
それは定説だよね。
338332:2006/01/10(火) 22:38:49 0
>>334
いや、騎士が殺戮する方の話。第一回十字軍とか
339世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:58:34 0
戦国時代だとけっこう平気で降伏するよ
自発的な寝返りも平気だし、そこらへんは江戸期と全然違う。

朝鮮の役で朝鮮に寝返ったのもいるし。

それで精神が低いとは考えない。
340世界@名無史さん:2006/01/10(火) 22:59:58 0
過酷だからしたたかだったんだろうね。
忠孝の精神なんて無になっちゃうほど過酷な世界。
精神が鍛えられるはずだよ。
341世界@名無史さん:2006/01/10(火) 23:14:20 0
いま巷の奥様方が話題にしているのは、
武士と騎士のどっちが我慢強いか
武士と騎士のどっちの体格が良かったか
だそうだよ。
342世界@名無史さん:2006/01/11(水) 07:31:59 0
日本もそうだが洋の東西を問わず
鎧を貫いて死ぬのではなく組み打ちの結果
短剣等で急所を刺されたりきられたりする
または落馬した衝撃で動けなくなった
所を敵味方に踏まれたりね。
ドイツだかの騎士は決壊させた川の水で
泥沼化したところを動けずに全滅とか
ちなみに巴御前は馬上の組み打ちから
相手を引きずり落とす術に長けてたとか
343世界@名無史さん:2006/01/11(水) 16:10:24 0
>>327
十分に発達する前に平和になったので幕末に至るまで諸兵科連合系の軍事思想はストップ。
戦国末期はそれなりに役割分担と連携ができつつあったが、
砲兵に関しては幾つかの大砲使用例があるだけで、軍の編成、運用にまでは至らず。
344世界@名無史さん:2006/01/11(水) 21:40:05 0
歴史サイト管理人雑談スレ
http://pc8.2ch.net/test/read.cgi/hp/1136981068/l50
よろしくです
345世界@名無史さん:2006/01/11(水) 21:46:51 0
4スレ目とはいえ
どっちが強いかハッキリ言い切ったのは
>>154の1レスのみか

騎士はハンサム
武士はホモでハンサム

まぁこんなレスもたまにはあっていい
346世界@名無史さん:2006/01/11(水) 22:12:10 0
オクサマはホモでハンサムな方に興味しんしんだと巷の話題ですよ。
347世界@名無史さん:2006/01/11(水) 22:56:04 0
武士VS騎士とはちょっと離れるかもしれないが

森寅雄という剣術家が剣道普及のためにアメリカに渡り
フェンシングの大会で勝ちまくったという話がある。

北辰一刀流・森要蔵の血筋。
348世界@名無史さん:2006/01/11(水) 23:14:39 0
>>347
アメリカごときド田舎で勝っても自慢にはならん。
フランスで大会総ナメというなら凄いがな
349世界@名無史さん:2006/01/12(木) 15:45:11 0
フェンシングって、軟弱そうなイメージがあるけど
実際相対してみると怖いね。

急所を狙い刺す殺人技術だわ、ありゃ。
350世界@名無史さん:2006/01/12(木) 19:31:54 0
350ゲット
351世界@名無史さん:2006/01/12(木) 20:26:08 0
日本の剣術も両手持ちになったのは戦国時代末からだとか?何かで読んだ
352世界@名無史さん:2006/01/12(木) 20:54:28 0
「花の慶次」の原作である「一夢庵風流記」に書いてあったんだが、
所謂、兵法者の剣術と実際の戦場で役立つそれとは全く違うものだったらしい。

小手先の技では無く、膂力に任せて思いっきりぶっ叩き、
鎧に刃を阻まれても打撃力で相手を戦闘不能にするのが
戦場では最も有効なやり口だったようだ。

ちなみに槍も突いたり斬り払ったりする以前に、
振り回して相手を叩き殺す為の武器だったとか。

意外と力任せだったんだな>武士
353世界@名無史さん:2006/01/12(木) 20:57:45 0
一夢庵風流記って…。
354世界@名無史さん:2006/01/12(木) 21:20:10 0
腕力に優れたヤツが強いってのは世界共通か・・・。

西洋剣の武器としての性能はどうだったんだろ?
スコットランド人が使ってたクレイモアなんてのは非常に鋭利だったと聞くけど
4〜5`もある剣を両手でブンブン振り回して、果たして体力が持つモンなんだろーか?
355世界@名無史さん:2006/01/12(木) 21:52:23 0
一夢庵風流記>大衆小説やん

史料としてだすなら可観小説を出せ。こちらは史料だ
356世界@名無史さん:2006/01/12(木) 21:57:04 0
>>354
おいおい、納得しちゃうのかw
357世界@名無史さん:2006/01/13(金) 07:17:10 0
>>354
スコットランド人が書いた「ハイランドの剣術・クレイモアの使い方」
みたいな本が以前あったような・・・
358世界@名無史さん:2006/01/14(土) 14:48:41 0
>>352
騎士の剣術そのまんまだ
359世界@名無史さん:2006/01/14(土) 14:55:30 0
バガボンドに書いてあったんだけど、かなりの剣術の使い手同士が戦うと、
お互い体がぶつかってるだけにしか見えないらしい。

テニスプレイヤーのサーブは200キロを超えるというし、こうなると切っ先の
スピードは新幹線以上の速度で戦ってることになる。
常人の目には見えなくなるのも仕方ないな。
360世界@名無史さん:2006/01/14(土) 17:50:53 0
>>313
具体的な近藤・笹間・佐々木・関氏の著作名とその内容は?
361世界@名無史さん:2006/01/15(日) 08:46:53 0
長年の疑問が今日の日経の記事で解決した。
大水牛兜の角は、桐などの木でできていて、きわめて軽い。
362世界@名無史さん:2006/01/15(日) 10:13:44 0
江戸の剣聖でも刃を間引いた打ち叩き用の
大刀を実践向きであるといって使ってた人
いたでしょ。
363世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:54:40 0
実際の戦闘では騎士も武士も役に立たない。勝敗を決めるのは矢(弾)の数
で一騎打ちは戦闘開始の元気付けや両軍の矢の補充のための休憩時間に暇つぶし
でやっていた。しかし講談を盛り上げるためにオーバーに一騎打ちを宣伝したわけだ。
364世界@名無史さん:2006/01/15(日) 19:04:34 0
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1134483099/
キミの意見待ってるぞ!
365匿名希望:2006/01/15(日) 22:26:46 0
矢の数は重要だが勝敗を決するまではないのでは。
特別な戦いを除き、矢は敵を至近距離になる前に削るが決定打ではなかった。
歩兵の叩き合いで勝敗が決してる。
日本の戦国は装備の6〜7割が槍だった。
西洋も騎兵や弓兵より歩兵が主力だった。
まあ、騎兵や弓兵を揃えたくてもできなかったのかもしれないが。
366世界@名無史さん:2006/01/16(月) 00:06:19 0
>>365
まったくもってその通りです。
弓矢や落馬させたり弱らせることはできても致命傷を与える事は出来ません。
中公新書から出版された「中世の風景(上)」で石井進が同じ説を提唱しています。
以前に武士は弓矢が中心か?打ち物が中心か?との論争もあっていましたが。。。
367山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/16(月) 01:06:20 0
ただ、石井説も世に出てから時間が経っていますから、楯突戦(矢戦)で勝負
が決定したのであり、そもそも打ち物が活躍する近接戦闘が生じる様な戦自
体が少なかったのではないかという高橋昌明説もあります。
南北朝〜戦国時代の軍忠状を見ると、矢疵の割合が多いという話は皆様ご存
知の事でしょうが、鈴木眞哉=電波説として語られる事が多い様です。
(トーマス・コンラン氏などによる軍忠状の分析がある)
反鈴木説
→矢疵が多いのは、打ち物による疵が致命傷となったからではないのか?
高橋・鈴木説
→上述。高橋説では『愚管抄』で源氏方が人夫までもが弓に慣れていた事を勝
因としていたという例を挙げる(原文を確認するといささか抽象的であるが、
弓が武器の代表とされていたのは戦国期まで一致)。
私は、どちらとも言えません。一般に行われる小規模な戦は、ほとんど先鋒
崩壊をもたらす楯突戦でけりがついた様ですが、大規模な戦なら馳組戦に至
り、勝負がつけられる事になる。
また、楯突戦も馳組戦も戦の庭を構成している以上、矢か打ち物かという話
は、結局は(現代で言えば)どの兵科が一番重要か=どれがあれば勝てるかと
いう話になりそうなもので、結局どれも必要なのではないかと。
その場その場の規模や状況で決め手は変化したろうと思うのですが、これで
は解決になっていませんかね。
(注:14世紀の戦を想定してお話しています)
368世界@名無史さん:2006/01/16(月) 01:11:27 0
信長公記ではヤリの傷が元でなくなったとか記述がありましたな
矢で討ち取られたと言う記述はなかった気がする
鉄砲はあったが
369世界@名無史さん:2006/01/16(月) 06:07:12 0
弓矢は重要ですよ
矢がなくなったら引き上げるし
370世界@名無史さん:2006/01/16(月) 15:21:24 0
もうちょっと山野みたいに時代をわけて話しないか?
信長だの鎌倉だのてんでばらばらすぎる
371世界@名無史さん:2006/01/16(月) 17:23:11 0
前から疑問だったのですが、全身を覆うプレートアーマーを装備した騎士は
どうすれば倒すことが可能だったのでしょうか?
写真を見る限り、比較的新しい時代(いつか分かりませんが)のものは
首元、脇やその他間接部分もカバーされてあるなどの
工夫が凝らされてあって、隙間をぬっての攻撃に備えられてます。
またデザインが流線型なので力任せにぶっ叩いてもつるっと攻撃が
受け流されてしまうように感じます。

どこで質問すればいいのか分からなかったのですが、
詳しい方がいらっしゃたら、教えて頂けないでしょうか?
372世界@名無史さん:2006/01/16(月) 17:34:02 0
(同人誌) [聖リオ] 生イキッ娘(ワンピース).zip
373世界@名無史さん:2006/01/16(月) 18:33:49 0
>>371
騎兵の場合は密集したパイク兵で突撃を迎撃し、ビルやハルバートなどで叩き落します。
また、アルクビューズなどの初期の小銃でもある程度の距離なら十分に貫通可能です。
長弓やクロスボウだとかなり厳しいようです。

徒歩の装甲兵にはメイスなどの打撃武器が有効です。装甲兵同士の戦いでも剣よりも
打撃武器が主流だったようです。

ただし、プレートアーマーの時期といっても14世紀の終わりから16世紀の終わりごろまであるので
すべて一緒にはできませんが…
374世界@名無史さん:2006/01/16(月) 19:00:09 0
>>373
ありがとうございます。

>騎兵の場合は密集したパイク兵で突撃を迎撃し、ビルやハルバートなどで叩き落します。
叩き落としても、その後はどうやって攻略するのでしょうか。
馬から下りたら徒兵になるので打撃武器に変更して攻撃するのでしょうか。
アルクビューズというものは知りませんでした。いつ頃に普及したものなのでしょうか。
375世界@名無史さん:2006/01/16(月) 19:02:44 0
>>373
>装甲兵同士の戦いでも剣よりも打撃武器が主流だったようです。
絵画や映画などでは殆ど剣や槍で戦ってるのしか見たことないのですが、
それは時代がもっと前だからなのでしょうね。
打撃武器を振り回して戦うとしたら相当に体力がないと10分ももたないかと思いますが
中世の戦闘は1回あたりどのくらい時間を要したのでしょうか。
376世界@名無史さん:2006/01/16(月) 19:23:01 0
>>374
プレート着て馬から落ちてみな。
それだけで大分堪えるから。
あとは従者やら歩兵が袋にする。

>>375
剣とメイスの重さを調べてみな。
後は馬の乗り換えについても。
どのみちプレート着てたんじゃ長時間の戦闘は馬が持たんよ。
377世界@名無史さん:2006/01/16(月) 19:34:12 0
馬から落ちた場合、それ自体が大きなダメージとなります。フルプレートアーマー自体は25kg程度ですが
それでも叩き落された場合の衝撃は大きいです。落とした後は徒歩の装甲兵と同じ要領で倒すのだと思います。
アルクビューズは16世紀初期に出現し、ハークィバスとも呼ばれます。

小銃と陣形を保つことが出来る訓練された歩兵の出現が装甲騎兵を駆逐することになったのではないかと思われます。

中世の会戦での一回あたりの時間に関しては史料が手元にないのでわかりません。
すみません。
378世界@名無史さん:2006/01/16(月) 19:57:42 0
>>374
そもそも密集して戦列を組んだ歩兵に突撃するのは自殺行為なのでやらない。
騎兵突撃は何らかの原因で歩兵の陣形が乱れた、
または無防備な面をさらした時に初めて効果を現すもの。
この条件は銃が主力になったナポレオン戦争でも変わっていない。
379世界@名無史さん:2006/01/16(月) 20:06:16 0
>>378
確かにその通りなのですがまだ装甲騎兵の破壊力が絶対的と「信仰」されていた中世なので
密集歩兵に対する突撃は行われています。ナンシーの戦いやイタリア戦争中の戦いから
やっと考えが改められるようになりましたが。
380世界@名無史さん:2006/01/16(月) 20:17:38 0
百年戦争の後期みたいにフルプレートを着た連中が徒歩で向かってきたらどう倒すの?
381世界@名無史さん:2006/01/16(月) 20:19:14 0
>>376-378
ありがとうございます。

プレート着て馬から落ちるのがダメージになるとは知りませんでした。
全身を覆っていて中にも着込んでいるからショックは吸収されると思っていました。

フルプレートアーマー25kg程度なんですね。思ったよりも軽いとの印象ですが、
持つのではなく体に装備するとなるとやはり重いのでしょうね。

1人が2種類の武器を持って戦っていたとは考えにくいので
騎乗から落とす係(ビルやハルバート装備)と対徒兵係(メイス装備)
などが連携プレイで戦っていたのでしょうね。
382世界@名無史さん:2006/01/16(月) 20:21:04 0
>>376
>どのみちプレート着てたんじゃ長時間の戦闘は馬が持たんよ。

そこは盲点でした・・・。
調べてみます。
383世界@名無史さん:2006/01/16(月) 20:28:00 0
つ【突撃前に騎乗】

384匿名希望:2006/01/16(月) 21:19:13 0
打撃武器は剣より少し重いぐらいなのでそんなに疲れないと思う。
開戦は4〜5時間ぐらい。もっとも、一人がフルで戦わず、部隊の交代や
部隊内でも交代があるだろうし、後半になれば一方的に相手を叩くので、
勝利する方には疲労は少ないと思う。
385世界@名無史さん:2006/01/16(月) 21:51:44 0
 ∧_∧
( ´∀`)< ぬるぽ
まだまだ前哨戦みたいですけど
386世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:00:20 0
>>381
グユク・ハンの時代にモンゴル宮廷を訪れたプラノ=カルピニのジョバンニ修道士は
「モンゴルの騎兵は簡単に落馬するが、落馬した後猛烈に弓矢を射かけるので大変危険だ」
と報告している。しかし、そのモンゴルでもあるモンゴル王族が乱戦中落馬したために
重傷を負い、ほとんど半身不髄状態になったなどという話もあるので、重量のある甲冑を
着たまま落馬するとやはり危険だったみたい。

モンゴルなどは弓矢や槍や剣、メイスのたぐいが無くても投げ縄やカギの付いた矛などで
馬上からたたき落とし、そのまま反撃する隙を与えず組み伏せて捕縛していたりしたよう
なので、実戦上では重装備でも「制圧」は充分可能だったようだ。
387世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:18:10 0
>>380
ルネサンスの頃は密集陣形の歩兵部隊に対して大砲を打ち込んで
倒したりしてたそうだね。

モンゴルやマムルーク騎兵みたいな中東や中央アジアの騎馬戦士が相手だったら、
歩兵部隊を挑発して20〜30kmは右往左往させて引きづりまわし、隊列が乱れ切った
ところで弓矢で一人づつ射殺するとか、ころ合いを見計らって四方から突撃して
槍や斧で仕留めるていくとか。

一番効果的なのは、発火性の強い薬剤やらナフトやらの詰まった瓶や袋を密集陣形の中に
八方から投げ入れたあと、火矢を打ち込み、焼き殺したり混乱して隊列から飛び出して
来た歩兵を一人一人仕留めていくとかそんな感じなるかも。

どっちにしろ大砲がなくても西洋の騎士以外が相手になったら、なかなかエグイ展開が
待っていそうだ。
388世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:22:40 0
>>387
挑発に乗ってこなかった場合、ステップ地方の軽騎兵には余り打つ手が無かったりする。

>一番効果的なのは、発火性の強い薬剤やらナフトやらの詰まった瓶や袋を密集陣形の中に
>八方から投げ入れたあと、火矢を打ち込み、焼き殺したり混乱して隊列から飛び出して
>来た歩兵を一人一人仕留めていくとかそんな感じなるかも。

相手の陣形の外郭にも似たような役目の散兵がいるので中々そう上手くはいかないもんだよ。
389世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:45:02 0
遊牧民の騎兵が落馬しやすいのは鐙が短いから(長距離の騎行に楽だとか)
ヨーロッパのナイトは長い鐙を使ってるので強い衝撃を受けても落馬しにくいらしい

日本はどうだったんだろう?
390山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/17(火) 00:25:03 0
足を嵌めるというよりは、足を乗せる形状の舌長鐙や袋鐙がありました。
疾走向きではない。鐙に足が嵌ったまま中途半端に落馬するのが一番危険
なのであり、落馬し易い分安全だったとも言います。
西洋式の輪鐙は、乗り手が方向転換をする際、位置や重心を変え易い。
我が国の舌長などの鐙は、馬上で背と足を伸ばしてふんばり、矢を放ち、打
ち物を振るい易い、と言います。
391山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/17(火) 19:21:44 0
392世界@名無史さん:2006/01/18(水) 18:46:33 0
最近の時代劇はようやく現代風のではなく
>>391のような鐙に変えつつあるね
393山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/18(水) 19:31:45 0
なお、普通馬には左側から乗るものですが、日本では右から乗りました。
2m以上もある弓を左手(弓手)に持ち、右手(馬手)から乗ったもの。
394世界@名無史さん:2006/01/19(木) 04:36:52 0
>>387
>挑発して20〜30kmは右往左往させて引きづりまわし
相手もバカじゃないのでそんなに簡単に挑発には乗らないが・・。
また特に徒兵を動かす必要性もないですし。

>弓矢で一人づつ射殺するとか
弓矢ではフルプレートに刃がたちませんよ。

やはり重装備の西洋の騎士以外で>>380に対峙するのでは
攻撃力不足で手も足もでないかと思われる(>>388と同じ考え)。
395世界@名無史さん:2006/01/19(木) 14:45:35 0
うーむ、トルコ系、モンゴル系の軍隊が14世紀以降のフルプレートを着た
騎士軍団と戦った例は歴史上存在するんだろうか?
396世界@名無史さん:2006/01/19(木) 15:42:18 0
14世紀以降では多分無いんじゃないかねぇ。
東欧だったらオスマン朝との戦闘もあったろうけど。
でも東欧の軍隊はフルプレートだったっけ?

西洋の騎士軍団とモンゴルの騎馬軍団じゃあ起動力が全然違うから、
戦闘になる前に兵站部隊をやられて騎士軍団が遭遇2週間で降伏なんて
いう展開とか・・・
397世界@名無史さん:2006/01/19(木) 17:55:23 0
>>396
機動力は問題ではないと思う。
西洋の軍団は陣形が乱れないように行動するから
機動力で兵站部隊を攻撃できるというのは短絡的かと。
398世界@名無史さん:2006/01/19(木) 18:20:50 0
>>397
陣形が乱れないように行軍するから兵站は攻撃できないという方が短絡的だと思うが。
399世界@名無史さん:2006/01/19(木) 21:32:52 0
>>395
存在しないです。西洋の軍事力が強大になりすぎて異民族の脅威はなくなり
内部での権力闘争に終始してます。
後にその争いが西洋の範疇を越えて植民地争いまで発展するわけですが。
400世界@名無史さん:2006/01/19(木) 22:57:50 0
ポルトガルが16世紀後半にモロッコと野戦をやって完敗している。
ロシアは17世紀になってもクルミア・ハン国に貢物を納めていたし。
モンゴル系の騎馬軍団に隣接するポーランドやロシアがその脅威から開放されたのは
18世紀になってから。
少なくてもフルプレートが使用されている時代には、西洋の騎兵はアジア系の軽騎兵
には歯が立たなかった。
401世界@名無史さん:2006/01/19(木) 23:23:15 0
>>400
ロシアではフルプレートアーマーはほとんど使用されていない。
西洋から比べれば装備面でも相当遅れている。

>>ポルトガルが16世紀後半にモロッコと野戦をやって完敗している。
ひとつの野戦だけで判断はできないし、そのときの状況次第。

402世界@名無史さん:2006/01/19(木) 23:53:37 0
>>401
ポーランドは?
大体、その遅れているはずのロシアだって、アジアに勝てなかっただけで
他の欧州諸国に対しては勝ったり負けたりでほぼ互角に戦ってるだろ。
403世界@名無史さん:2006/01/20(金) 00:05:54 0
>>400
オスマン朝がハンガリー王国を破ったモハーチの戦いなんかどうだろう?
教科書とか資料集に載ってるようなドイツあたりの木版画とかはいかにもな
フルプレート装備のハンガリー騎士部隊を、オスマン朝側の軽装備の騎馬部隊が
正面から撃破した感じに描いてるけど、実際はどうなんだろうね?

ttp://nov.lkg-bp.sulinet.hu/~aaa/habs/Mohacs.jpg
↑ちょっと見にくいが、オスマン朝側のモハーチの戦いを描いた絵画資料。

ハンガリー側もオスマン朝側も重装備の騎兵が戦闘していたかのように描かれている。
ただ問題は前線に据えられている禍々しい大砲の射列か。サファヴィー朝のときよろしく
火縄銃とか大砲で突撃して来た騎士部隊を撃破とかだったらあまり参考にならないよなあ。
404世界@名無史さん:2006/01/20(金) 00:57:33 0
>>402
ロシア…というよりモスクワ公国が西欧と戦った戦いについては知らないので
もし知っていたら教えてもらえますか?

>>403
モハーチの戦いに関して何ですが、そもそもハンガリー側が兵力で著しく劣勢だった気がします。
手元に史料がないので何とも言えませんが。

別に西欧がオスマンやティムール帝国よりも強かったと言いたいのではないです。
ただ400が言ってる例からフルプレートの騎兵が軽騎兵に全く役に立たないという結論を出すのはおかしいと思っただけです。
405世界@名無史さん:2006/01/20(金) 01:41:47 0
武具を改良・開発し続けてきた西洋とそうしてこなかったトルコ系やモンゴル系では
この頃から軍事力に、もはや埋められない差ができてしまったと思います。

事実この時代以降は、西洋を中心に歴史が動いてますね。
406世界@名無史さん:2006/01/20(金) 08:25:50 0
>>395
14世紀末のニコポリス十字軍では、ブルゴーニュやフランスの騎士が
バヤジット雷帝のオスマン軍と戦ってる。
ハンガリー王の忠告を無視して敵陣に突入し、シパーヒーやイェニチェリに
三方向からボコボコにされて壊滅したけど・・・
ただトルコ弓があまり効かなかったとか。
407世界@名無史さん:2006/01/20(金) 08:52:21 0
>>400
クリム汗国が18世紀まで存続したのは背後にいるオスマン帝国の力と
ロジスティクスの問題が大きいのでは。
ピョートル改革以後の西欧化したロシア軍がクリム汗国に侵攻しようとして
タタールの焦土戦術のために食糧不足で撤退した例があるそうです。
その後スラヴ農民の殖民のためにじわじわとタタールの勢力圏が蚕食されて
ようやく侵攻が可能になったらしい。
408世界@名無史さん:2006/01/20(金) 09:17:26 0
>>401
遅れていたというよりも西欧とは別系統の進化を遂げたように思える。
西欧でプレートアーマーが普及していったのと同じ時期に、ロシアやトルコ、
ペルシャではメイルとプレートを組み合わせた甲冑が登場する。
こういうやつ↓
ttp://www.geocities.com/Athens/Olympus/3505/page9.html
この種の鎧はトルコのシパーヒーも長らく使っていて
プレートアーマーに取って代わられなかったところをみると
それなりの防御力はあったらしい。

ちなみにオリエントでも強力な火器が使われるようになると、この種の鎧は
次第に簡略化されてチャハル・アイナというブレストプレートのようなものになる。
この辺は西欧での変化と通ずるものがあって興味深い。
409世界@名無史さん:2006/01/20(金) 09:22:21 0
西洋騎兵のフルプレートへの移行って軍事技術の進歩の歴史の中では、あきらかに
失敗だった系統だろ。
単に「貴族は身代金のために生きたまま捕虜にする」という方針に合致していただけで、
戦闘ではこの頃から弓兵や歩兵に対して騎兵が有効ではなくなっていった訳だし。
第二次大戦ではマウスみたいな重戦車も開発されたけど、「機動力を犠牲にして攻撃力や
防御力を高める」みたいな試みって、結局は実戦で失敗に終わるんだよね。
410世界@名無史さん:2006/01/20(金) 09:34:50 0
>>409
「進歩の歴史」みたいのを考えると過去の軍事技術のほとんどは
失敗の部類に入るんじゃないかと思うけど
411世界@名無史さん:2006/01/20(金) 15:06:58 0
あ、アンカーの位置間違えてた(汗
>>403>>401へのレスね。
412世界@名無史さん:2006/01/20(金) 15:59:51 0
ヨーロッパの軍隊とアジア系の軽騎兵が戦った戦争としては、1648年ポーランドの
ヘトマン・フメリニツキーの乱がある。
これはウクライナのコサックがタタールと組んでポーランドに対して蜂起した戦争
なんだけど、コサックって基本的にはタタールとほぼ同じ装備と戦法で戦う。

戦争の経過は、1648年5月にコサック・タタール連合軍9000がポーランド軍6000に勝利。
同年9月、8万〜10万のコサック・タタール連合軍がポーランド軍8万に再び勝利。
10月にはワルシャワ近くに迫り、追いつめられたポーランドと和平が成立。
反発したポーランド貴族が武器をとったが、1649年夏にフメリニツキーはズボリフで
ポーランド軍を包囲して屈服させ、ズボリフ休戦協定を結ぶ。
1651年、戦いが再開したが、6月のべレステチコの戦いではタタール軍が裏切ったため
ポーランド軍が勝利。
その後、ウクライナのコサックはロシアに接近する。

ざっと経過を見る限りではアジア系軽騎兵が戦闘では圧倒しているのだが・・・
413世界@名無史さん:2006/01/20(金) 17:03:19 0
>>406
プレートアーマーの登場以降で東方の騎馬軍団との戦闘はあるか?
という風に聞こえたのでモハーチの戦いを例にあげたけれども、なるほど。
1396年のニコポリスの戦いの方が例としてはより適切でしたな。
(ニコポリスの戦いでオスマン朝側の弓矢があまり通用しなかったという話は
 あまり聞いていなかったので、こういう情報はありがたい)

このスレでも何度か触れられているけども、中央アジア・イランなど
モンゴルやティムール朝系統の騎馬戦士のばあい、馬上での騎射が
メインで、それにあわせて槍や、剣・メイス(ともに長さ3尺余りで片手用のもの)
を使っており、しかも戦場で馬を旋回・突撃・後退と縦横無尽に
自在に使いこなさねばならなかったので、>>408で挙げられたような
馬上での稼動に自由が効くチェーンメイルやラメラーメイル的な
全身甲冑をよく着ていました。

遊牧勢力の騎馬部隊というとかなり軽装で戦っていたように思われがちですが、
実際はおなじ遊牧勢力同士などでは重装備の甲冑で馬上での近接戦闘を
行う事も普通だったようです。

ペリオだったかバルトリドだったか忘れましたが、西洋の騎士たちはほとんどの
場合、直線的な攻撃にしか対応ができなかったため、テュルク・モンゴル系の
騎馬部隊の散開・挟撃に対処できずたちまちに包囲されて敗退してしまうとのこと。

414世界@名無史さん:2006/01/21(土) 09:55:18 0
亀レスだが・・・>>352

その「介者剣術最強」を否定したのが新陰流の上泉伊勢守信綱だな。
洗練された技>>>>>剛力だけの刀法と言うコトらしいが・・・

実際の戦いで本当にそうだったか?ってのはある。
それに、技量が同等であれば肉体の力に優れた者が有利なのは疑いようも無い。
415世界@名無史さん:2006/01/21(土) 10:28:35 0
生身ならパワーのある方がスピードも速いな
416世界@名無史さん:2006/01/21(土) 14:34:46 0
プレートアーマーが登場したときには重装騎兵は下火だった。
パヴィアの戦いで騎士中心のフランソワは大敗し、本人が捕虜になった。
人間が着る事のできる鎧には重量による制限があり銃器の破壊力には対抗できない。
騎士の重い鎧は馬にとって負荷となり騎兵の機動力を生かせない。
プレートアーマーなんて議論に値しないファクターを取り上げても仕方ない。
417世界@名無史さん:2006/01/21(土) 18:55:50 0
地面はやわらかい土だとしても
鎧で覆われてるから,中の人間にしたら
実質鉄板の上に落ちるようなものだから
落馬はもちろん投げも有効だろうし
間接もきくんじゃないかと思う
418世界@名無史さん:2006/01/21(土) 19:01:42 0
>>414
泉伊勢守信綱の様になるのに何年かかるか
また誰でも成れるかというのが問題で100人に一人
が成れたとして100人の力だけの武者と泉伊勢守信綱一人
雇うとしたらどちらがいいかだ
419世界@名無史さん:2006/01/21(土) 19:02:25 0
>>417
さすが文系
420世界@名無史さん:2006/01/21(土) 19:55:31 0
>>416
16世紀ぐらいまではけっこう火器にも対抗できてたんでないの?
421世界@名無史さん:2006/01/22(日) 03:23:54 0
>>418
剣豪ほど何故か戦場では弱いし
石高も剣術師範でも百石単位でしか評価されませんな。
422世界@名無史さん:2006/01/22(日) 09:40:38 0
誤解を生む発言かも知れんが、
習って身に着ける武術なんてのは、弱者が先天的強者に勝つ為のものだからな。

合理的な鍛錬と洗練された技術によって、それを持たない者との間に
超えがたい壁を作れる。それが「術」であり「技」である、と。
これは世界共通の理論だと思うぞ。

しかし、実際に戦場で武勇を馳せた猛者達が常日頃から稽古に汗を流すような
人物ばかりだったかと考えれば甚だ疑問だな。
423世界@名無史さん:2006/01/22(日) 16:40:46 0
加藤清正なんかは剣術のことをハナから馬鹿にしていた。

まぁ実際戦場では剣術より相撲や柔術のほうがずっと大事みたいだし。
424世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:05:36 0
日本は背中に旗をさして戦っているよね?
他にそういうことをしている国はあるの?
425世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:50:28 0
ポーランド騎兵が背中に鳥の翼で作ったものを挿してたような。
426世界@名無史さん:2006/01/24(火) 05:08:58 0
拾い物だがプレートアーマーを着た騎士の運動能力がわかると思う。
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000069848
DL Key=KNIGHT
427世界@名無史さん:2006/01/24(火) 18:11:59 0
>>426
素晴らしいものを有り難う。
想像よりも軽く動いてるのにはびっくりだ。
428世界@名無史さん:2006/01/24(火) 20:06:37 0
>>426
GJ
プシコーって誰?
429世界@名無史さん:2006/01/24(火) 20:58:09 0
>>426
音声しか聞けない。
コーデックなに使った?
430世界@名無史さん:2006/01/24(火) 22:08:55 0
>>426
おお、素晴らしい! GJ!
重そうにしてる割にけっこう軽快な動きをしていて自分も驚いた。
復元したものだから当時の装備そのものという分けじゃ無いのだろうけど、
剣だったらなんとかなりそうでも、やはりメイスやランスで攻撃されたら
この装備のフルプレートのままだと充分に脅威っぽい感じがした。
431世界@名無史さん:2006/01/25(水) 08:39:40 0
>>426
ファイルネームと拡張子から見るにPSP仕様のMpeg4(H.264+AAC)か?
QuickTime7.0.4使って見れましたよ

他の動画も見てて思ったんだが、プレートアーマー反則なくらい頑丈杉
槍や長柄斧を使っても装甲に弾き返され、中の人までダメージ届いてないっぽ

実はこの動画、某スレでUPされてたものだったり
本物の鉄の穂先を付けた馬上槍に復元された甲冑を着込んで当時のままの馬上槍試合を
再現するというもの、すでに一部を除いて流れてしまっている様だが
一応残っているのもあるみたいなので転載(upした職人様ありがとう)
ttp://up2.upkita.net/
Day11-6 upkita4479.zip (50M)
ttp://hako.tank.jp/
Day11-7 up0135.zip
DL Key=Armor
432世界@名無史さん:2006/01/25(水) 09:21:15 0
上のやつは流れたっぽいね。
ちなみに何処のスレで見つけたんですか?
433世界@名無史さん:2006/01/25(水) 09:30:36 0
モンゴル騎馬隊>>>中世騎士団
これは歴史で実証すみ

モンゴル・朝鮮海兵団 ≧ 鎌倉武士
神風がなかったら元寇で日本は負けていた

一騎打ちなら武士のほうが 槍とか弓で勝ちそうだが

434世界@名無史さん:2006/01/25(水) 09:52:12 0
「神風がなかったら元寇で日本は負けていた」というのは俗説。
実際には鎌倉武士がモンゴル・朝鮮海兵団に純粋に軍事力で勝利していた。
435世界@名無史さん:2006/01/25(水) 12:01:24 0
2回目の元寇は元寇防塁と矢襖に阻まれ上陸断念→モンゴル軍自壊
436世界@名無史さん:2006/01/25(水) 13:01:49 0
1回目の元寇は博多での戦闘で鎌倉武士に敗北→逃げ帰る途中に洋上で暴風雨に遭遇
437山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/25(水) 19:10:53 0
>>433
>槍とか弓で勝ちそうだが
槍の読みが「やり」なら14世紀にならないと出て来ません。
「ほこ」と読めば11世紀に長刀にとって代られました。
「やり」の表記は通常「鑓」。長柄を強調する場合のみ「槍」。
弓矢が貫通するかどうかが問題ですが。武士の一騎打ちでも、内甲や鎧の隙
間を狙っているのが普通です。実験しないと分かりませんね。

>1回目の元寇
1日で帰っており、暴風雨にも遭遇していない様です。
遠征して来て、手強いからすぐ帰るというのもおかしい。威力偵察でしょう。


>2回目の元寇
江南軍合流後も、どういう訳か、何の行動も起さないまま海上に停泊を続け、
鷹島に移動を始めた矢先に暴風雨に襲われて壊滅した様です。

3回目に日本が滅びたとまでは言えませんが、「純粋に軍事力で勝利してい
た」と言う決め手もありません。
438世界@名無史さん:2006/01/25(水) 19:37:05 0
>>437
博多湾では水際で食い止められ
移動した先でも橋頭堡を広げられず、後殲滅。
これを軍事的勝利と言わずして何と言う。
439世界@名無史さん:2006/01/25(水) 19:39:13 0
>>437
記録によれば文永の役における元軍の死者は1万3500人。
高麗部隊の副将も死亡している。
もしも、暴風雨に遭っていないとすれば、博多での戦闘はかなり一方的に元軍が
叩かれていたという事では?
440山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/25(水) 20:52:10 0
>438
合流後、約一ヶ月の停滞(示威行動という説もあり)がありましたからね。
それまで守りきったのは、石築地の存在を考えても対したものですが、軍事
的に勝っていたというよりは、地の利で勝った気が。
ヨーロッパの様に平地で正面から戦っていたら、苦戦したでしょう。
(ありもしない事態を想定するのも馬鹿馬鹿しいですが、それがスレの主旨
ですから、まあ仕方がありません)
あの戦いを根拠に、武士>蒙古兵>騎士とするのには躊躇いを覚えます。

>439
>元軍の死者は1万3500人
『高麗史』ですか。それとも『東国通鑑』の方ですか。
文永の役当時、日本軍の数は『八幡愚童訓』によれば13万以上。
しかしこれは甚だしい誇張であり、実際には名前の挙げられている御家人の
顔ぶれからして、黒田俊雄先生らが言われた通り、1万にいくらか上乗せ出
来るくらいでしょう。
それで主戦が一日では、死者数が多過ぎます。そもそも、あの時代に戦死者
の数が1万人以上というのがべらぼうに多い(カンネーも無茶です)。
(東西合わせて10数万人がぶつかりあった関ヶ原で死者が5千〜6千人)
暴風雨云々は、それが理由で撤退したのではなく、撤退中に遭遇したものと
考えて書きました。
『八幡愚童訓』⇒朝になると消えており、何が何やら分からなかった。
『元史』⇒「官軍不整。又矢尽。惟虜掠四堺而帰」
『高麗伝』⇒「策痩兵、戦大敵。非完計也。不若回軍、復享中流矢先登舟。
故遂引兵還。会夜大風雨。戦艦触巌崖多敗」
帰還中に大風雨に遭遇した様です。「痩兵」云々だけで、わざわざ計画した
事を取り止めたのは、少々不自然な気もしますが。
死者とお書きになりましたが、「軍不還者」が13500余人とあります。
441世界@名無史さん:2006/01/25(水) 21:09:13 0
>>440
>石築地の存在を考えても対したものですが

いや、石築地を築いた事自体が優れていた証なんです。
築城・野戦築城は基本。
どうも誤解しているようですが地の利を含めての軍事的勝利ですよ。
地形・状況を最大限利用するというね。
442世界@名無史さん:2006/01/25(水) 21:44:35 0
だが、主要因は元軍の渡洋侵攻能力の限界だと思うがね。
443世界@名無史さん:2006/01/25(水) 22:02:54 0
無理やり元軍が鎌倉武士よりも強かったことにしようとするから、いろいろな所に
矛盾がでてくるのでは?
素直に元軍は文永の役の時、対馬・壱岐・松浦で苦戦して、博多でもボロ負けしたと
考えれば、博多でたった一日戦闘しただけで撤退したことも、死者・行方不明者が
13500余人もいたことも別に不思議ではありません。
『元史』の「官軍不整。又矢尽」や『高麗伝』の「策痩兵、戦大敵」だって、普通に
読めば元軍が苦戦していたってことでしょう。
444山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/25(水) 22:19:30 0
>>441
>いや、石築地を築いた事自体が優れていた証なんです。
それは、確かに同意すべき点でしょうね。「要害」を撰んで乱杭を打ち、逆
茂木を連ねて防ぐという事は、治承・寿永の内乱の頃から、山や大河の岸
で行われていましたが、海辺に大規模に展開した発想は賞賛して然るべき。
ただ、それが武士>モンゴル>騎士にはならないという事で。
>地の利
それを入れると、武士と騎士の「対決」目的で進めて来たこのスレの意義が
問われるのではないかと思いまして。
私はどちらかと言えば比較重視でやって来たので、別に構いませんが。

>死者・行方不明者が13500余人
先にお伝えした様に、その大半を日本軍との交戦による死者と見るのは、か
なり難しいのではないかと。
元軍内部にぎくしゃくした関係があった事はしばしば指摘されていますから、
そうした疲れ(無理な動員)が「官軍不整」という言葉に出たのかもしれません。
もっとも、一日で引き上げた理由としては弱いので、当初から威圧や威力偵
察を兼ねていたのではないかという説に組したいと思います。
445山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/25(水) 22:43:31 0
このスレの主旨というか、方向性がよく分からなくなって来たので、改めて
お伺い致します。
@武士と騎士が一人ずつ、平地で向かい合って戦う。
A武士と騎士が、それぞれ数名の従者付きで戦う。
B武士と騎士が、平地で軍勢を率いて戦う。
C武士と騎士が、それぞれ複雑な地形で向き合って戦う。
最初の内は@だと思っていたのですが、石築地の利用などが出て来たという
事は、Cを考えるべきだという事でしょうか。
「複雑な地形」というのも曖昧で、初期の混乱を再び招きそうですが。
446山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/25(水) 22:55:13 0
なお、石築地についてですが、文永の役の際、日本側は白村江の際に築かれ
た水城の内側に後退しています。その経験が、より波打ち際に近い位置に石
築地を築くという発想を生んだのかもしれません。
水城にせよ、石築地にせよ、これほど長大な土塁・石塁が築かれた例は、そ
うはありません。外敵に対する恐怖の産物と言えましょう。
敵を侮らず、恐怖してこそ、有効な対策が生み出される。
447世界@名無史さん:2006/01/25(水) 22:57:36 0
じゃ行殺をなんとかしてくださいよ山野さん。
448山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/25(水) 22:58:39 0
>これほど長大な土塁・石塁が築かれた例は、そうはありません。
連投失礼。勿論、日本国内に限っての話です。
(頼朝の奥州征伐の際、奥州藤原氏が陸奥に似たものを築いていますが)
この手の外敵相手の「長城」は、世界中に存在したでしょう。
449世界@名無史さん:2006/01/25(水) 23:09:21 0
しかし、この手の長城の類がこれほど有効に作用した例も中々無いのではなかろうか?
特に海に対する備えとして。
最も元軍が同じ場所にやってくるとの確証は無かっただろうけど(後世から見れば必然でも)
これを発案して実行したのは誰なのかな。
やはり北条時宗?それとも参謀が他にいたのだろうか。
450世界@名無史さん:2006/01/25(水) 23:17:42 0
>>449
九州の海岸線が実際どうなってるか詳しくないけど
軍隊を上陸させるのに適した場所は限られてるだろうから
ある程度予測は可能では?
451山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/25(水) 23:24:56 0
>447
・・・存じません。

>449
「大将軍」少弐景資以下六人の守護の他に、時宗の家人であった合田遠俊、
安藤重綱の二名が現地に使わされており、弟の宗頼も長門・周防両国守護
として派遣されています(長門は長門・周防・安芸・備後の兵が防衛)。
彼らの報告・献策を得て、時宗が判断した結果でしょう。
452世界@名無史さん:2006/01/26(木) 03:21:26 0
>>444
高麗の記録では博多での戦闘の後、金方慶が背水の陣で作戦を継続することを
主張している。
当初から威圧や威力偵察が目的だったという説とは矛盾するのでは?
それに文永の役で元が投入した戦力は、高麗で動員できる戦力の限界に近い。
威力偵察にこんな大規模な戦力を投入するのは不自然ではないの?

あと、金方慶と洪茶丘の不仲も作戦に支障をきたす程だったとは思えない。
この2人は三別抄を鎮圧する時には見事な連係プレーを見せているし、
弘安の役でも人事には変更がない。
453世界@名無史さん:2006/01/26(木) 12:10:45 0
第1に対馬壱岐で余計な時間を過ごしてるのは
高麗の国を傾けるほどの造船による疲弊で
食料や武器などの準備が満足に行かず
物資の輸送をまっていたのでは。
第2に船の大半は軍船ではなく人を運ぶだけの
輸送船であること。突貫工事や元への反発による
手抜き工事が行なわれ船への信頼性がないこと。

博多を落とし敵を下がらせたが、対馬壱岐より
数えてかなりの日数が経っていることで敵の本隊
到来が近いと予想されること。
その場合、長期戦が予想されること。
長期戦に耐えられる食糧の備蓄が少ないこと。
また手抜き工事による船の浸水があり、
そんな脆弱な船が嵐に耐えられるか不安なこと。
もし船が嵐によって沈んだ場合異国の地に取り残されること
以上を踏まえて異国で孤立するよりはいったん高麗へ帰り
嵐をやり過ごすつもりが間に合わず帰途嵐に遭ってしまった
のが真相ではなかろうか。
元側の記録では引き上げの理由に矢が足りなくなったとあり
二回目の時には籾や種、クワや鋤を大量に持ち長期戦に
耐える予定だった推測される.。だから南宋からの大量の
人員はそのための農夫としての役割が強く兵として期待は
してなかったのでは?
454世界@名無史さん:2006/01/26(木) 12:51:47 0
自分たちの乗る船を手抜きして造るわけないだろ・・・
455世界@名無史さん:2006/01/26(木) 15:02:34 0
とんちじゃないけど
問い 大阪城は誰が作ったか?

豊臣秀吉というのが一般的だが職種的にいえば
石工や左官,表具などの内装等の職人そして人足
などの労働者などです。
高麗の話に戻って遠征軍の船が誰が作ったか?
実際作るのは船大工です.船大工が1-10まで
きちんと完成まで一隻の船を見ることができれば
立派な船-手抜きの無い船を作ることができるでしょう.
また別の条件で10ヶ月くらいの期間で船900隻
を作れと命令されてるわけです。
さて高麗にその命令に耐えられるだけの船大工
がいたでしょうか?
456世界@名無史さん:2006/01/26(木) 15:58:11 0
>>455
造船作業を監督していた者がそのまま遠征軍の指揮官になっているんですけど・・・

それと太田弘毅著「蒙古襲来 その軍事史的研究」では、全部が新造艦ではない
可能性も指摘されていたな。
元と高麗は文永の役の前年、兵船160隻で耽羅の三別抄を攻撃している。
さらにこの攻撃は奇襲だったため、三別抄の水軍のかなりの部分がそのまま手に
入っているんだよね。
これらの艦艇は一体どこに行ったんだと思う?
457山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/26(木) 22:27:38 0
>>452
最初から占領するつもりにしては、あっさりし過ぎていたというか、あれで
は申し立ても出来ない様に思ったのですが、『高麗史』に関してはあなたの方
がお詳しく、私が勉強不足の様ですので、それらを読んでおく事にします。
458世界@名無史さん:2006/01/27(金) 15:46:54 0
たしかにもともとある船を使ったというのは賛成できますが
戦闘や事故などで失う分や木造船にありがちなフナクイムシ
の問題もあります。
よしんば180隻丸々使ったとしてモンゴルが上げた900隻という目標に
後720隻必要になるわけです。720隻を10ヶ月というと月産72隻
日産2隻半となります。ヴェネチア海軍ではガレー船を日産1隻
作れたといいますが・・・180隻というのがもともとの身の丈にあった
数としたら900というのは5倍であり、質が1/5とまではいかない
まで何割かは薄まると考えても不思議は無いと思われます。
また監督してたということですが大まかに二通りあるかと思います。
1)作業について誤った方法をただす
2)作業工程を見て期日までに仕上げさせる
大概の司令官の監督言うのは2のほうではないでしょうか?
459世界@名無史さん:2006/01/27(金) 17:44:26 0
日本では900隻という数だけが一人歩きしていかにも突貫工事という印象を与えていますが、
これは当時の高麗水軍ではごく普通に建造されたり、運用されたりしていた数です。

1268年、フビライは日本と南宋攻撃のため、3000〜4000石積載可能な戦艦1000隻の建造を命令。
    高麗が準備の完了を報告したため、耽羅にさらに100隻の建造を命令。
1270年、三別抄が艦艇1000隻に分乗して反乱を起こす。
1271年、元と高麗が珍島の三別抄を攻撃。この時の戦力は推定700隻。
1273年、元と高麗が耽羅の三別抄を攻撃。慶尚道と西海道の艦隊が悪天候で沈没したため急遽、
    全羅道の兵船160隻のみを使用。
1274年、フビライが900隻の建造を命令。文永の役。
1280年、フビライが耽羅に艦艇3000隻建造用の木材供出を命令。高麗が900隻の準備の完了を報告。
1281年、弘安の役。

高麗は1268年にも戦艦1000隻を建造していますし、前後の出来事と比較しても900隻というのは
決して突出した数ではなく、それだけでは手抜きが行なわれた事の根拠にはならないのです。
460世界@名無史さん:2006/01/27(金) 17:51:01 0
山野論破だな。
461世界@名無史さん:2006/01/27(金) 18:23:42 0
>>459
悪天候で沈没という前例を考えると、船の品質にはもともと疑問符が付くような気がする。
462世界@名無史さん:2006/01/27(金) 18:44:46 0
今の船でも悪天候では沈むわけだが。
波除に入ったり等の対策をとらないと今の船でも沈んだりは普通。
463世界@名無史さん:2006/01/27(金) 20:13:29 0
>>462
艦隊が沈没して余所の艦隊を回すというのを普通とは言わんぞ。
464世界@名無史さん:2006/01/27(金) 20:19:47 0
当時のレベルとしてはごく普通。
465世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:09:19 0
>>464
今の船とか言ってるだろ?
466世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:11:54 0
>>461
高麗がわざと手を抜いたから云々は半島人の戯言である証。
467世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:14:17 0
今の船でも場合によっては悪天候には弱いと言っている。
特に集団で沿岸から少し離れた所に待機という状況はもっとも嵐に弱い状況。
下手すればタイタニックでも沈む。

大量に沈むのは当然だよ。
468世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:15:27 0
だから当時の船が大量に沈んだのも不思議なことではない。
469世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:19:00 0
>>467
>1273年、元と高麗が耽羅の三別抄を攻撃。慶尚道と西海道の艦隊が悪天候で沈没したため急遽、
>全羅道の兵船160隻のみを使用。

この事例を考えると手抜き云々以前に当時の船の品質自体が疑問だと言ってるわけだが。

>>468
それには同意。
470世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:21:40 0
で、当時の状況を考えると日本と元では侵攻した方が負けるって事でFA?
当時の日本の船のレベルもあまり大したことはないんでしょ
471世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:22:08 0
米太平洋艦隊だって本物の神風で大損害被ってるぞ。
当時の船の品質が一概に低いとは言えないだろう。
そもそも何と比べて品質を論じるのか。
472世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:23:38 0
>>471
>米太平洋艦隊だって本物の神風で大損害被ってるぞ。

オカルト板にでもいったら?
473世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:25:10 0
>>471
手抜き船と比べてさ。
前例を見れば手抜きしなくても嵐が来れば沈むような船だったと言ってるんだが。
474世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:26:13 0
>>472
あぁ本当に知らないのね・・
本物のと言ったのは台風にかけた冗談なんだがな。
実際にあったことだよ。
475世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:27:07 0
>>474
ハルゼーが査問委員会にかけられた事件くらい知ってるよ
本物の神風とか言い出すから本物の馬鹿かと思ったよ
476世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:29:18 0
>>475
読み取れないやつはこれだから困る。
477世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:30:51 0
>>476
馬鹿の考えを読むのは大変だからねえ
戦局にもハルゼーの処遇にも影響を与えなかった事件を本物の神風なんて呼ぶような馬鹿のは特にね
478世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:32:16 0
>>476,477
お前ら余所でやれよ。
WW2の話はスレ違いだ。
479世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:34:06 0
>>470
話を戻すとおそらくそう。
渡洋侵攻能力が不十分なので侵攻した方が負けるだろう。
当時の日本側は十分な兵力を渡洋侵攻させられるかどうか。
480世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:34:21 0
>>469
この事例を考えると手抜き云々以前に当時の船の品質自体が疑問だと言ってるわけだが。

だから?
俺がそれに対して何か反対意見でも言ったのか?
手抜きして製造していたとも何も言ってないが。
どうもお前は勘違いでつっかかる馬鹿のようだな。
481世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:34:53 0
>>477
だから冗談と言ってるんだがなぁ。
誰も戦局だのハルゼーの処遇だのについて話などしていない。
482世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:35:08 0
>>480
自分の意見を説明しただけだが。
馬鹿呼ばわりして突っかかってきてるのはそちらだろうに。
483世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:35:54 0
>>481
いいから続けるなら余所でやれ。
484世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:38:26 0
>>482
さっきからお前を見てるとあげあしばかりとってウザいんだよ。
消えろ、しっしっ!
485世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:39:27 0
>>484
なんだ、とうとう切れたか?
無様だな。
486世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:39:59 0
いつもの武士と騎士スレらしくなってきたな。
487世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:40:49 0
>>485
荒らしうざいよ。
488世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:41:20 0
>>484
同意。
489世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:41:45 0
>>487
自分が最初に他人を馬鹿呼ばわりして反論されると今度は荒らし扱い。
ご立派な言動だな、おい。
490世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:42:47 0
>>489
は?
誰が荒らしあつかいしてるって?
491世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:43:46 0
>>489
荒らしに荒らしと言って何が悪いんだw
492世界@名無史さん:2006/01/27(金) 21:58:25 0
ここぞとばかりに!

騎士はハンサム

武士はホモでハンサム
493世界@名無史さん:2006/01/27(金) 22:03:03 0
>>489
( ´艸`)ププ
494世界@名無史さん:2006/01/27(金) 22:28:00 0
ここぞとばかりに!

騎士は肉食獣臭い

武士はホモでブサイク

花郎はつよくてスリムでハンサム

495世界@名無史さん:2006/01/28(土) 05:14:17 0
>>445
@武士と騎士が一人ずつ、平地で向かい合って戦う。
上記の条件において騎士の側の参考とされたし。
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000071442
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000071443
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000071445
パスは>>426と同じ
496世界@名無史さん:2006/01/28(土) 14:37:44 0
>>494
鉄拳シリーズか
497世界@名無史さん:2006/01/28(土) 16:07:56 0
>>479
実際に文永の役の勝利で強気になった鎌倉幕府は、自分たちから朝鮮半島に
侵攻することを企画していたんだよね。
ただ、計画の中心だった金沢実時が死んじゃったために実現しなかったけど。
498世界@名無史さん:2006/01/28(土) 17:30:17 0
日本は663年の白村江の戦いですら、400隻の艦艇と約2万人の兵員を朝鮮半島に
送り込むことが出来たんだから、鎌倉時代の渡洋侵攻能力がそれ以下ってことは
無いと思う。
1185年の壇ノ浦の戦いでの艦艇数は、だいたい平氏500隻と源氏850隻だし。
あと、文永の役の後、情報収集のために朝鮮半島南岸を少数部隊で襲撃するなんて
事も盛んに行なわれていたらしい。
基本的には緒戦で半島南岸に橋頭堡を確保できるかどうかが全てじゃないのかな?
499世界@名無史さん:2006/01/28(土) 18:18:25 0
おいおい壇ノ浦って…。
あんな小船と何を比べてるんだ低脳?
500世界@名無史さん:2006/01/28(土) 20:33:51 0
500ゲットにて候。
501世界@名無史さん:2006/01/28(土) 20:35:44 0
逆にジャンク八双飛び見てみたいなあ。
502世界@名無史さん:2006/01/28(土) 20:40:46 O
騎士は叩き切る剣
武士は切り裂く剣
503世界@名無史さん:2006/01/28(土) 21:34:53 0
時代劇では両軍甲冑をフル装備して戦っているが、実際には鎧が買えたのは指揮官
ぐらいで、大多数の兵、足軽は木や竹あるいは紙布で鎧のようなものを作って戦闘して
いた。だから、下級クラスの鎧は現存していない。大体何10キロもある鎧を着て
食料その他の物資を運んで移動するというのは人力では無理、甲州馬といっても
大半は荷物はこび役だったと考える。
504世界@名無史さん:2006/01/29(日) 07:47:36 0
>>499
当時、海戦や揚陸作戦に使用されるのは小船で、それは日本の艦隊も元の艦隊も
基本的には同じ。
だから元の艦隊900隻の内、600隻は小船なんだよね。
壇ノ浦の合戦で源義経は戦闘に参加するために小船に乗っている訳で、平氏の
後方には大型船も動員されていたよ。
505世界@名無史さん:2006/01/29(日) 15:03:32 0
サウラビって、存在しないよね(笑

韓国では、今、サウラビ論はどうなってるのかな?

映画『サウラビ』はコケたようだが・・(苦笑


506世界@名無史さん:2006/01/29(日) 16:19:32 0
>>423
>まぁ実際戦場では剣術より相撲や柔術のほうがずっと大事みたいだし。
わかるわかる。
実際現代の柔道や合気道の受身で程度でも、
普段の生活においてとっさの危険
(基本は転倒に対してだけど、人間は二足歩行の動物だから…)
では有効らしいしね。

>>443
>死者・行方不明者が13500余人もいたことも別に不思議ではありません。
銃火器のない時代では、そうは言えないんじゃない?

>>445
>@武士と騎士が一人ずつ、平地で向かい合って戦う。
それでは世界史板でやる意味がないよ。
個人差が大きい問題になっちゃうから。
戦術・戦略、文化・思想面と幅広く見て比較するためには、個人戦だけ見ててもしょうがない。
507世界@名無史さん:2006/01/29(日) 17:16:33 0
>>440
>死者とお書きになりましたが、「軍不還者」が13500余人とあります。
途中の事故死・逃亡・病死の方が多かったりして
508世界@名無史さん:2006/01/29(日) 17:43:29 0
大体、やる気がないし、準備不足と不手際で負けましたとは書けないわな。
敵は強大で強固なため、兵力がたらなかったのです。負けても仕方がない
ですよね。あきらめましょうよ。
509世界@名無史さん:2006/01/29(日) 18:13:48 0
>>507
兵士の消耗はふつう戦死より病死のほうが多いだろ
510山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/29(日) 20:35:14 0
>506
>個人差
仰る通りで、日本史板の方の類似スレでも同じ様な事を言った身ですが、一
応そんな感じで進行しておりましたので。>初期は

>>507
高麗側の内情についてはこれから調べるつもりですが、それはさておき。
漂流者や脱落者も含めて1万以上と書かれていたのだろうと思い、強調致し
ました。
日本側の裏をかいて夜間に引き上げた様ですが、急いだせいか一隻座礁して
おり、そちらは降伏したものの全員殺されている。>1隻120人
外海に出てからも、大風を受けて脱落した船が出たのでしょう。
何しろ、死者=戦死者だけで1万人以上殺されたというのであれば凄過ぎま
す。
511山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/29(日) 20:44:31 0
なお、『八幡愚童訓』によれば、蒙古軍は騎馬はほとんど使用せず、歩兵が
槍を手に持ち、集団で騎馬武者を取り囲んで刺殺し、或いは馬から引き落
としてから刺すといった行動をとっています。
同書が日本側の大敗と記した背景には、名前の通り八幡の霊験を強調する
為に蒙古の脅威を強調する意図もあったでしょうが、こうした日本側に従
来存在していたルールを無視した集団戦法が、実際に被害を拡大したであ
ろうという事は、想像に難くありません。+毒矢・銅鑼・鉄はう
(鎌倉末期になると、日本でも集団戦やゲリラ戦が発達しますが)
512山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/29(日) 21:06:50 0
>槍を手に持ち
失礼。『蒙古襲来絵詞』には描かれていますが、『八幡愚童訓』には、騎馬
武者を集団で「巻籠」めたとあるだけでした。
日本側の騎馬武者にも、当然サポート役の歩兵がついてはいましたが、
騎馬武者の相手は騎馬武者がするものと考えていたところで、突然分
不相応な歩兵に、それも集団で襲われるのは計算外だったでしょう。
(去年の大河ドラマでは、歩兵が集団で義経を襲っていましたが)
513匿名希望:2006/01/29(日) 22:09:28 0
>>503
確かその説は当時の足軽の鎧が残存していないことや南蛮人が日本の鎧は軽いと書いきてある
ことからの説だったはず。
当世具足はプレートアーマーの半分の重量なのでそのことを指していたかも。
木や竹の鎧を着ていれば、南蛮人はめずらしく記録している気がする。
アメリカ先住民の木の鎧兜も石のやじり対策で、西洋人に対しては使わなくなった。
江戸時代になると下級クラスの鎧は邪魔だし家法には刀で十分だし、保存状態も悪く、
鉄の部分は鋳潰され再利用され、皮や紐は廃棄されたかも。
鎧は高価だが、戦死者の鎧を剥いで繋ぎあわせれば足軽でも入手できたかも。
514世界@名無史さん:2006/01/30(月) 16:58:49 0
元寇当時、日本では既に悪党が跋扈していたし、寺院や農村ですら武装していた。
歩兵から攻撃される事が計算外などと言っていたら、武士が日本の支配階層に伸し上がる
ことなんて出来ない。
武士がこの時代に権力基盤を固めることができたのは、対歩兵戦の優越があったから。
『蒙古襲来絵詞』でも、歩兵主体の元軍は百騎以上で集団戦法をとる菊池や白石クラスの
日本軍には、圧倒されて逃げ惑っている。

大体『八幡愚童訓』の元寇にかんする記述なんて、最後はほとんどファンタジーの
世界じゃん。
戦闘の資料の信憑性は、作者不明の資料よりは作者を特定できる資料の方が優先だし、
ましてやそれが実際に戦闘に参加した軍人の記録であれば最優先だろ。
元の正史でも高麗の正史でも元が敗退しているのに、一番信憑性の低い『八幡愚童訓』
を根拠に、日本側の大敗とするのは無理があり過ぎ。
515世界@名無史さん:2006/01/30(月) 19:04:36 0
>>514
ムキになるな、朱由檢。お前が日本武士最強でないと夜も眠れないのはみんな
よく知ってるから。
516世界@名無史さん:2006/01/30(月) 19:24:58 0
しーっ!
みんな気付かないふりしてたんだから!
517世界@名無史さん:2006/01/30(月) 19:27:22 0
ネット検索お手軽コピペ、

朱由檢、朱由檢でございます。

みなさまのご支援、どうぞよろしくお願いします。

朱由檢、朱由檢でございます。

学校帰りのお坊ちゃま、お手をふってのご声援ありがとうございます。

朱由檢は今日も元気です。
518山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/30(月) 19:30:10 0
>最後はほとんどファンタジーの
「縁起」である事は確かですが、違いとして目立ったのは確かでしょう。
「最後」というのは、異類異形が登場した転覆の箇所の事でしょうが、戦闘描写
自体の否定には結びつかないかと。
>武士が日本の支配層に
諸階層から「悪党」が出現し、その支配層たる武士の旧来の戦闘法にゆらぎが
生じて来たのが、丁度この頃でしょう。
研究の進んでいる『平家物語』と『太平記』ほかの中間に事件が起きている事
もあり、13世紀後半の戦闘は分かり難いですが。
少なくとも南北朝時代には、道を遮断し、馬の通行を妨げ、ゲリラ戦を行う正
規の武士の出身以外の戦闘員が活躍していましたが、そうした歩兵を対象とし
た、「対歩兵戦の発達」は、結局は下馬やそれに合わせた腰巻の着用によって
窺う事が出来るものであって、『蒙古襲来絵詞』に見えるところの竹崎主従に、
そうした対応があった様には見えません。
寧ろ、絵詞と愚童訓に見える戦闘法は、『平家』に近い様に見えますが。
寺院勢力=歩兵であるかの様に仰っておいでですが、寺院でも騎射は行われ
ており、畢竟、騎乗者と歩兵の差はあったものと思われます。
少なくとも、この頃まではという事ですが。
「農村」についてですが、惣村の形成と「トモガラ」の意識を持って団結した彼
らとの闘争が問題となるのは、もう少し後の事でしょう。
それと、『蒙古襲来絵詞』の菊池・白石の行動を「集団戦法」というには、記述
からして無理があります。
季長の後に続いて、まとまって追物射をしかけている様に見える箇所の事で
しょうか?>集団戦法
519世界@名無史さん:2006/01/30(月) 22:40:13 0
小学校の教科書には集団戦法で武士がメタメタにやられたって書かれてなかったっけ
520世界@名無史さん:2006/01/30(月) 22:51:51 0
貴方が何歳かによる。
521世界@名無史さん:2006/01/30(月) 23:12:27 0
上陸作戦がどれほど難しいかはガリポリなどで証明されています。
元軍が日本軍(?)が守りを固める博多に強襲して失敗するのは別におかしくありません。
また、武士が戦ったのは徒歩のモンゴル兵で彼らの真骨頂である騎兵隊を相手にしたわけではないので
武士がモンゴル兵に勝っているという結論を出すのは間違っています。
522世界@名無史さん:2006/01/30(月) 23:22:13 0
モンゴル軍として見たときの強さは騎兵がどうのじゃなくて混成部隊であるという点なんですが。
523世界@名無史さん:2006/01/30(月) 23:38:34 0
>>混成部隊であるという点
モンゴルの混成部隊とは一体どんなものですか?
モンゴル軍は射撃中心の軽騎兵と接近戦重視の重騎兵をうまく運用していたことは知っていますが。

モンゴル軍の強さは当時としては圧倒的な組織力と遊牧民特有の高い騎兵の能力だと思いますが。
524世界@名無史さん:2006/01/31(火) 01:21:25 0
>>522は大元ウルス軍の話をしていて
>>523はイェヘ・モンゴル・ウルス軍の話をしているので
話がかみ合ってないと思われる
525世界@名無史さん:2006/01/31(火) 04:38:18 0
>>495
見てみたけどすげぇな、この鎧をぶち破れる武器ってこの時代の武士にあるのか?
526世界@名無史さん:2006/01/31(火) 13:34:38 0
>>518
元寇の時、元軍は上陸作戦を行なっているのであって、ゲリラ戦を展開している
訳ではありません。
ですから腹巻を着用して下馬しなければ対応できないなどという事もありません。
さらに武士たちは、日本国内でも悪党や僧兵といった自分たちとは異なるルールに
拠る集団と戦っているので、「日本側に従来存在していたルールを無視した元軍
からの攻撃は計算外」などという事も非現実的です。
歩兵主体の元軍に対して、騎乗した武士たちは装備や機動力といった点で優勢であり、
そのため『蒙古襲来絵詞』に描かれているように、終始優勢に戦闘をおこなうことが
出来たのです。
527山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/31(火) 14:39:47 0
>>526
>ゲリラ戦を展開している訳ではありません。
これはまだしも、
>下馬しなければ対応できないなどという事もありません。
既存のルール(身分秩序)無用で攻撃して来る相手への対応として提示した
のですが。騎乗者対騎乗者ではなくなった時という意味で。
>日本国内でも悪党や僧兵といった自分たちとは異なるルールに
だから、それは518の後半で否定的に見ているでしょう。
何行読んで反応されたのですか。
>装備や機動力といった点で優勢であり
装備というのは、何を比較されたものでしょうか。
機動力と仰いますが、所謂「騎馬隊」が存在しておらず、歩兵を随伴してい
た以上(これは蒙古側も同じでしたが)、機動力に大差があったとは考え難
いですよ。蒙古側も、馬は連れて来ている。
>『蒙古襲来絵詞』に描かれているように、終始優勢
>514と同一人物とした場合ですが、『八幡愚童訓』は信用出来ない代り
に、『蒙古襲来絵詞』は信用出来るというのですか、あなたは。
そもそも、この絵巻は季長が神明の加護と弓箭の面目を子孫に伝える為に
制作させたものであって、優勢に描かれているのは当たり前です。
戦場で登場する日本側の武士は、季長の縁者や救援者ばかりで、皆それぞ
れが武勇を誇り、敵を追い散らした事になっている。
528山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/31(火) 14:40:19 0
有名な季長が馬で蒙古兵の中に突っ込んでいく場面も、
蒙古の陣 ←逃げる蒙古兵  ←突撃する季長  ←白石の救援 
この様に、日本側(季長側)の一方的な攻撃が描かれています。
有名な場面ですので、想起は簡単でしょうが、季長の目の前にいる三人の蒙
古兵は、明らかに服装が後方の兵達とは異なっており、後世書き加えられた
ものだと判明しています。他にも、手を加えられた箇所がいくつかある。
そうして見ると、蒙古兵全員が追い散らされているのが分かります。
時代は下りますが、中世後期の絵で聖徳太子や麿子親王によって夷人が追い
散らされる場面が、これによく似ているのは、愚童訓では犬の子孫、屠児の
先祖とされた夷人に対する嫌悪感とそれを追い散らそうという意識が反映さ
れたものでしょう。
この絵巻自体、日本対蒙古というよりは、季長の戦功と子孫への訓戒を示し
たものである事から、江戸時代から『竹崎季長絵詞』と呼ぶべきだと言われて
いた程です。「終始」=始めから終りまでの展開、はテーマの外。
そもそも、文永の役で何故蒙古軍が去っていたのか記載されていない。
季長が手柄を立てたところから、恩賞をもらいに鎌倉に行くところまですっ
飛んでおり、蒙古そのものへの関心は薄い。
529山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/31(火) 14:42:52 0
裏を返せば、一御家人からすれば、元寇を国難と捉える巨視的な立場よりも、
手柄の機会兼弓箭の面目を立てる機会という発想が先に立ったという事。
こうした具体性を欠いた視野で元寇を捉える点は、『太平記』や『増鏡』などで
も一致していますが、敵を倒すのが具体的な武器や戦術よりも、将個人の徳
やそれに感応した仏神の加護だというのは、中世日本の思想に共通している。
実際に戦術等が変化してはいるものの、意識して書かれた形跡はまず無い。
この点、『八幡愚童訓』も『蒙古襲来絵詞』も似たりよったりという事ですが、
視野の広さから言えば、前者が勝るでしょうね。
こうした特徴は、日本に限らず国外にも見出せるかもしれませんよ。
例えば『高麗史』などに出て来る敗戦の理由に共通性があるかもしれません。
現代なら、装備や補給といった物質的な面に敗戦の原因を求めるところです
が、中世には仏神の加護が無かったと考える(戦前の一時期もか)。
『八幡愚童訓』の場合、戦自体の勝敗はさておき、武器や戦術の違いが顕著で
あり、「夷」との違いを明確にする必要、苦戦による加護の大きさを強調する
などの理由から、元軍の戦術について、詳細に記述してくれたのでしょう。
530山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/31(火) 14:46:01 0
私も今書いていて改めて気付きましたが、当時の史料が書いている「負けた
理由、勝った理由」というものは、冥の世界を想定した当時の世界観や価値
観に基づいているのであり、そこから現代人の納得出来る勝ち負けの原因を
辿る事は、今更ながら容易では無さそうです。
これは、私も迂闊でしたね。
531世界@名無史さん:2006/01/31(火) 19:19:07 0
元寇のときに、若武者が蒙古兵の戦列の前で「初陣の舞」を舞ったら
ブスブスと矢を射こまれて殺されてしまったとか、何かの本に書いてあった。
実話なのか判らないが・・・
532世界@名無史さん:2006/02/01(水) 16:16:33 0
そんなやつはおらんやろぉ〜
ちっちきちーやでぇー
533世界@名無史さん:2006/02/02(木) 17:32:20 0
>>531
初陣の少弐資時が鏑矢を放ったら元兵に笑われてしまったというエピソードと、
若武者を捕らえ損なった元兵が踊って挑発したところ、若武者に矢で射られて
殺されてしまったというエピソードが混ざっているような気がする。
534世界@名無史さん:2006/02/02(木) 22:16:38 0
>若武者を捕らえ損なった元兵が踊って挑発

興味をそそられるんですが何の資料に出てくる話ですか?
535世界@名無史さん:2006/02/02(木) 22:22:00 0
司馬遼が記した歴史書です。
536世界@名無史さん:2006/02/03(金) 02:41:48 0
>>525

流れてしまった>>495を見てみたいですね。
どなたか1つうpして頂けますか?

537世界@名無史さん:2006/02/03(金) 19:12:55 0
鎧を壊すのが目的じゃなくて
中の人を倒すのが目的だから
攻撃側からしたら鎧の厚さ薄さは
関係ない気がする
538世界@名無史さん:2006/02/03(金) 22:25:39 0
>>537
日本と西欧のどっちの甲冑のことを言っているのかわからないが
西欧のものなら厚さは重要。
鎖帷子の鎧からフルプレートアーマーに進化した最大の理由は「弓矢」に耐えるため。
薄い甲冑では打ち抜かれる。
539世界@名無史さん:2006/02/03(金) 22:30:36 0
>>538
逆に火器には弱くなるけどな。
そうした場合、綿甲のほうが良い。
540世界@名無史さん:2006/02/03(金) 22:40:32 0
>>539
実は16世紀で使用されている甲冑が小銃にそこまで弱かったわけではない。
あと、綿甲の防御性は鉄製の甲冑以上だったのですか?
541世界@名無史さん:2006/02/04(土) 00:46:42 0
綿甲ってのはヨーロッパでいうとコート・オブ・プレーツか
ブリガンディンに相当するものだ。
いわゆるソフト・アーマーではない。
542541:2006/02/04(土) 00:49:45 0
書いた後に思い出したけど満州族が銃弾を防げるソフト・アーマーを
使用してた記録があったような・・・それか?
543世界@名無史さん:2006/02/04(土) 17:05:55 0
工ドワード3世の軍隊(百年戦争1337−1453)
騎士は1日2シリング,(=24ペンス)
馬をもった弓兵は6ペンス,
馬に乗らない弓兵は3ペンス,
農民歩兵は2ペンス。
指揮官は,伯爵が1日6シリング,(=72ペンス)
普通の諸侯には4シリング。(=48ペンス)
(※1シリングは12ペンス)

騎士100人そろえると2400ペンス
農民兵だと同額で1200人

つまり100人対1200人 騎士一人が転ぶと
12人の雑兵にボッコボコに殴られるわけだから
鎧の厚さはやっぱり意味ないだろう。
問われるのはむしろ士気の部分かと思う。
544世界@名無史さん:2006/02/04(土) 19:24:38 0
>>517
そうか朱なんだね。いま気がついたよ。
545世界@名無史さん:2006/02/04(土) 19:35:01 0
だから、弓矢に耐えられるかということが問題。
軽装甲の兵士では射撃に耐えられない。そしたら白兵戦にすら持ち込めない。

また、重装甲兵の強みはそれ自体を盾として使えること。
因みに重騎兵100と軽歩兵1200なら前者が勝つ可能性が高い
強力な射手を有していたイングランド軍でも重装甲兵無しでの戦いは考えられない。
546世界@名無史さん:2006/02/04(土) 22:40:23 0
>白兵戦にすら持ち込めない。
障害物に隠れたり大盾を立てて間合を詰めるのは?
十分間合を詰めてから長槍で突っ込めば白兵戦にできるんじゃないかな。
547世界@名無史さん:2006/02/05(日) 02:16:49 0
>>543
農民など、ろくに訓練を受けてない雑兵相手なら騎士1人で余裕で12人を相手にできる。
実際に、訓練された騎士は鎧を装備した状態で走ったりばく転したりできたそうだ。

また騎士の持ってた精神的な強さも戦場では肉体的な強さ以上の「価値」があったと思う。
雑兵が倒れた騎士に向かっていった所ですかさず一撃を喰らう→死亡→それを見た
残りの雑兵が一瞬躊躇する→その隙に騎士が体制を整える
この流れは十分予想できる。
攻撃に充分耐性のある鎧を装備した騎士と違い、いかなる瞬間にでも一撃のもとに
葬り去られる危機感を持った雑兵(特に避けるのができない弓矢など)の戦場での恐怖感は
凄まじいものだったと思う。発狂するものも沢山いたのではないか。
548世界@名無史さん:2006/02/05(日) 02:59:36 0
確かにダプリンムーアの戦いのように
少数で多数の軍を打ち破ることもできるでしょうが
フランドルの乱の様に質で優る重騎士が市民軍に
負けることもあるわけで装備の質より指揮官の質が
重要であると思いたい。
またソ連のジョークじゃないけどキルレシオが11:1まであれば
勝ちだしね.
549世界@名無史さん:2006/02/05(日) 03:37:45 0
>>536
495と、その前にうpされてたヤツ
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000074748
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000074745
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000074738
>>537>>538
上の動画は甲冑を着た同士での白兵戦と槍試合のヤツなんだけど、実際に鉄で出来た
槍の穂先を真正面から兜に受けても装甲は抜かれてなかった(中の人間もまったく平気)
あれを見ると板金鎧を遠距離から弓で打ち抜くのは難しいように見える。
>>547
一番上にうpしたやつは甲冑を着た人間が走ったり転がって受け身をとってる動画。
ナレーションでも完全武装した騎士は馬から下りたら動けないという通説を覆したと
言ってる。

あと完全武装の騎士とはいえ12人を一斉に相手はいくらなんでも無理だろ。
武装、練度、士気の差があったとしても12人を相手にするなら4〜6人は必要では?
板金鎧で相手の攻撃に対して致命傷を喰らい難いというだけで、相手の手数が多ければ
前後左右から同時に攻撃を受けたり、2、3人がかりで地面に引き倒されたりと
相手側も色々やり方はあるはずだからね。
550世界@名無史さん:2006/02/05(日) 03:39:11 0
>>548
>装備の質より指揮官の質が重要であると思いたい。

それをいっちゃあ話はお終いよ。
自軍の兵が足りなくて他国から傭兵を寄せ集めた軍の統率がとれなくて負けた戦いの例は多い。

指揮官の質にそれほど大差がない場合や、マン・オン・マン時の話をしてました。
551549:2006/02/05(日) 03:41:45 0
pass = knightね、スマソ
552世界@名無史さん:2006/02/05(日) 04:04:00 0
>>549
これは大変貴重な資料をありがとうございます!
早速DLしましたがmp4を見られるコーデックがないもので、明日探してみます(もう寝ますので)。

12人を一斉にではなく、
剣を振るいながら相手に一度に襲わせずに間合いを取りつつ、1人2人と倒していけば可能かと考えてます。

実際に戦いを見たことがないので分かりませんが、剣を見る限り
近接する2人くらいは剣の一振りで同時に切りつけられるのではないでしょうか?
実際に自分でシミュレートできればいいのですが・・・。
ttp://www.hirschhorner-ritter.de/gauklergalerie.htmはご存じでしょうか
羨ましいことに今でも西洋ではこのような同志による本格的な催し物がなされてるみたいですね。
いつか参加してみたいですが、皆さん体格が凄いので
体を相当鍛えて行かナイト、とんでもない事態になりそうです。)
553世界@名無史さん:2006/02/05(日) 08:59:44 0
>>552
>12人を一斉にではなく、 
>剣を振るいながら相手に一度に襲わせずに間合いを取りつつ、1人2人と倒していけば可能かと考えてます。

普通はそれを1対12とは言わない。
そのような仮定に基づく推測には意味が無いし、疲労を全く考慮しないのも無理が有る。

>近接する2人くらいは剣の一振りで同時に切りつけられるのではないでしょうか?

その2人は二方向から自由に攻撃可能なことをお忘れなく。
554世界@名無史さん:2006/02/05(日) 11:32:54 0
徒歩の騎士100騎が1200人の軽歩兵相手なら苦しいが重騎兵なら難しくは無い。
バノックバーンでは500のスコットランド騎兵に重装甲兵の援護の無い軽歩兵数千が
撃破されている。
要は両者をどう有機的に使用するかで、重装甲兵と軽歩兵の存在そのものを否定する必要は無い。
555世界@名無史さん:2006/02/05(日) 21:24:40 0
>553
12人を一斉に相手にする事は無理だし、12人が一人を一斉に襲い掛かるのも無理と思われ!
556世界@名無史さん:2006/02/05(日) 21:28:44 0
>>555
その通り。
三人も居ればどんな達人でも手こずる。
十二人も居るなら捕り物も可能。
557世界@名無史さん:2006/02/06(月) 00:07:05 0
>>555
つ 北野武監督『座頭市』w
558世界@名無史さん:2006/02/06(月) 02:04:59 O
槍襖で騎兵を無力化。
559世界@名無史さん:2006/02/06(月) 20:26:52 0
>>558
無理だ
560世界@名無史さん:2006/02/06(月) 20:42:49 0
槍はあくまで防御用の武器、攻撃は矢。モンゴル兵を見てみろ、槍どころが
剣も持っていない。逃げ足は世界一速いし、守る土地もないからだ。つまり槍刀はお守り代わりということ。
561世界@名無史さん:2006/02/06(月) 21:47:25 0

モンゴル兵は槍を持ってるのもいたし剣を持ってるのもいたが?
562世界@名無史さん:2006/02/06(月) 21:49:55 O
強固な槍襖の陣を、重騎兵が真っ正面から突撃してぶち抜いた戦いはある?
あったら詳細もキボンヌ
563世界@名無史さん:2006/02/06(月) 21:54:57 0
>>562
槍衾ってのは奥行き何列くらいのものを想定すればいいんだ?
2,3列の横隊のことなのかテルシオのような数十列の方陣を示すのか?
564世界@名無史さん:2006/02/06(月) 21:59:35 0
>>562
ttp://www.jasinski.co.uk/wojna/comp/comp06.htm
このページによるとポーランドのフサールは
中世の騎士より長いランスを使っていて
パイク兵相手に効果を発揮したそうである。
565世界@名無史さん:2006/02/07(火) 00:31:07 O
銃剣になるがワーテルローでネイ率いる騎兵部隊がイギリス軍の歩兵方陣を突破しかけた。
566世界@名無史さん:2006/02/07(火) 00:37:15 0
そして結果は・・・・・
567世界@名無史さん:2006/02/07(火) 00:40:46 O
結果はフランス軍は負けた。歩兵や砲撃の支援も無い騎兵がガチガチに固めた陣に突っ込めばやられるよな…騎兵がもっといれば突破出来たという説があるけどな。突破してもプロイセン軍が脇から突っ込めばダメだけどな。
568世界@名無史さん:2006/02/07(火) 00:43:20 O
集団騎射戦術って難易度高そうだよね。
569世界@名無史さん:2006/02/07(火) 20:08:36 0
騎馬なんて馬にも鎧をつけないと脆弱だし
(将を射んと欲すれば、まず馬から射よというのは伊達じゃない)
よほどの事がないかぎり真正面からはぶつからない
とおもうが
570世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:22:58 0
甲冑騎兵は太平洋戦争の大和に似ている。世界一の装甲を誇ったが、鈍重で
ずっと戦闘に参加できず。最後はたった11発の航空魚雷で沈められた(同型艦信濃は潜水艦の魚雷一発)
戦果は爆撃機10機撃墜だけだ。おそらくここの騎士オタレベルぐらいしか海軍首脳にいなかった(山本五十六は別)
と思われる。飛び道具には敵わない。
571世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:25:57 0
こりゃまたつまらん餌だな。
572世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:40:34 0
甲冑フル装備で半日生活できる奴がいたら見てみたい。
573世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:42:51 O
武蔵じゃなくて信濃?
574世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:47:04 0
武蔵は航空魚雷19発で沈んだ。ちなみにイギリスのキングジョージXは4発
プリンス・オブ・ウエルズは2発。イタリアのイタリアは誘導爆弾一発。案外
装甲は役に立たない。
575世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:53:53 O
飛び道具の威力>装甲の強度ならそうだな
576世界@名無史さん:2006/02/07(火) 21:54:51 0
いつKGXが沈んだ?POWに関しても魚雷6本爆弾2発。
騎士の装甲と戦艦とを一緒にするな。
戦艦の装甲が厚かろうが脆かろうが騎士には関係ない。
てかスレ違い。
577世界@名無史さん:2006/02/07(火) 22:15:54 0
そもそも、魚雷は戦艦の主装甲の下、喫水線下の非装甲船体を狙う
ものなのだから、比喩的に言えば甲冑武者に対して、股下から鎧通し
で突き刺すようなものだな。
578世界@名無史さん:2006/02/07(火) 22:34:15 0
>574
すみません。KGVはレパルスの間違いでした。POWの沈没については魚雷2〜4発まで諸説
アリ
579世界@名無史さん:2006/02/07(火) 22:55:04 0
>>578
POWにしても2〜4本ははじめて聞いた。五本か六本しか聞いたことはない。
レパルスに至っては魚雷7本から11本まである。あと信濃は4本、しかも乗員の練度不足が原因。
ところで570=574=578?
580世界@名無史さん:2006/02/08(水) 00:58:10 0
>572
アバロンのsporranとかなら出来そうだ。
581世界@名無史さん:2006/02/08(水) 02:58:37 0
>>574
イタリアのイタリア?ホントは何?
582世界@名無史さん:2006/02/08(水) 03:21:24 0
ブスは3日で馴れる。騎士は馬を除外すればただの人。
583世界@名無史さん:2006/02/08(水) 21:53:30 0
>>549
ダウンロードキーが必要ということで落せません(つД`)
584世界@名無史さん:2006/02/08(水) 23:07:45 0
570=574=578=503=363
イタリアはたしか後にリットオに改名したはず。なにせ20年も前の知識なので
詳細は自信がありません。
とにかくボクシングでさえへろへろで闘っているのに、甲冑を着た人が15分
も闘えるのは信じられない。
585世界@名無史さん:2006/02/09(木) 02:59:08 0
586世界@名無史さん:2006/02/09(木) 03:01:08 0
>>584
ヒント:文明の発達で人間が退化した
587世界@名無史さん:2006/02/09(木) 12:54:44 0
間違ったヒント出されても
588世界@名無史さん:2006/02/09(木) 22:18:19 0
結局騎士が活躍するのは戦場じゃなくて、チャンネーのいるトーナメント(競技会)
だけだと思う。
589世界@名無史さん:2006/02/09(木) 22:45:42 0
>>584
当時の様子を知らない我々が想像できないのも無理はないだろう。
しかし文献に記載されてる以上、それを信じるしかない。
590世界@名無史さん:2006/02/09(木) 23:20:15 0
>>584
それを言ったらマラソンを例にすると2時間は働ける
ともいえそうな・・・

実際ボクシングと違う事は殺傷能力の違いと
1-1じゃない事で長時間闘えるのでしょうね
591世界@名無史さん:2006/02/09(木) 23:30:15 O
騎士が有効な騎馬突撃を行うには味方の飛び道具による十分な支援が必要です。
下馬した騎士は重い鎧のまま長時間戦闘する事はおそらく不可能でしょう。
武士も下馬して戦う事が多くなった室町時代後期には防御性が高い反面、四十キロ超となった大鎧を着なくなります。
592世界@名無史さん:2006/02/09(木) 23:49:26 0
プレートアーマーの重さは現代の歩兵のフル装備の重量と
たいして変わらないとかよく聞くけど。
593世界@名無史さん:2006/02/10(金) 00:48:32 0
>>592
何度も書き込まれていると思うがフルプレートアーマーの総重量は25kg程度で
これは第一次世界大戦の英国歩兵の装備よりもかなり軽い。
また、鎧の可動性もかなり良好だった。
一般に甲冑が重いというイメージを持たれているのはトーナメント用甲冑を実戦用甲冑と勘違いしたため。

少なくとも15世紀までのヨーロッパでは騎士、というより完全な装甲兵の有効性は非常に高かった。
装甲兵が駆逐されるのは火器と、大規模でよく訓練されたパイク兵が本格的に普及してから。
そのパイク兵にしても装備はかなりの重防御
594世界@名無史さん:2006/02/10(金) 01:12:49 0
>>588
こりゃまたつまらん餌だな。
595世界@名無史さん:2006/02/10(金) 01:24:09 0
フルプレート=重いというイメージが一般にもたれているのは
体力のない貴族のボンボンが着る事も実際多かったからだと思われ
596世界@名無史さん:2006/02/10(金) 02:08:45 0
まぁ特に日本じゃ実際に触れられる機会なんかないからね。

日本での「フルプレート=重い」というイメージは、外国での
「日本=サムライやニンジャがまだいる」とか「日本人=皆盆栽をやってる」というイメージ
に通ずるものがあると思う。
597世界@名無史さん:2006/02/10(金) 02:11:32 0
>>体力のない貴族のボンボンが着る事も実際多かったからだと思われ
初耳なんだけれども何かの史料に記載されてたのかな?
トーナメント用甲冑を実戦用甲冑と勘違いしたということは甲冑関連の本なら大抵、記述されているのだが。
甲冑が50kg以上あるという勘違いから甲冑=鈍重というイメージが生まれたはず
598世界@名無史さん:2006/02/10(金) 02:20:05 0
>>595
フルプレートは何も戦場・試合・訓練でのみ着用されたわけではないからなぁ。
長らく騎士や貴族の正装であり、それゆえ戦場とは縁遠かった貴族のボンボンでさえ
公の場で日常的に装備してた。
599世界@名無史さん:2006/02/10(金) 02:24:01 0
でも>>595の文は矛盾してると思う。
体力のない貴族のボンボンが着る事も実際多かったのなら、
体力のないボンボンは重い鎧は着れないから軽いというイメージになるのが普通でしょ。

実際、彼らでも装着してたのだから重くないのだが。
600世界@名無史さん:2006/02/10(金) 02:50:42 0
>>597
ボンボンどころか、12歳くらいの子供用の甲冑や肥満体用の甲冑が数多く現存しているよ。
そりゃ着て歩くくらいはできるだろうが、彼らに甲冑着たまま飛んだりはねたりを期待するのは酷というもの。
601世界@名無史さん:2006/02/10(金) 03:47:55 0
上のほうの動画では飛んだろはねたりでんぐり返ししたり
してましたえ、どのくらいの重さかはわかりませんが。
ただ何人かいたうちの一人は足を捻挫してたようですので
装着してる者に対してはどんな鎧にしろ相当の負荷がある
と想像できます。
602世界@名無史さん:2006/02/10(金) 09:31:30 0
ところで日本の鎧は軽いの?
隙間が多そうだから軽いと思うけど
どのくらいの重さなんだろう?
603世界@名無史さん:2006/02/10(金) 09:39:20 0
>>596
ねーよ
604世界@名無史さん:2006/02/10(金) 09:43:57 0
ですよね
605世界@名無史さん:2006/02/10(金) 09:48:58 0
>>602
物にもよるが25キロぐらい。
606世界@名無史さん:2006/02/10(金) 17:27:17 0
メイル・ホウバークなんかは肩に全重量がかかるので逆に辛いらしい
・・・ってなんかものすごく既出の予感
607世界@名無史さん:2006/02/10(金) 18:06:21 0
608世界@名無史さん:2006/02/10(金) 18:30:32 0
しかし、楊貴妃とクレオパトラはどっちが
美人だったかというくらい無意味なスレだな。
これ。
609世界@名無史さん:2006/02/10(金) 20:48:46 O
革主体の小札ででつくった足軽用の鎧が25kgだと言うのに全身金属だった騎士のフルプレートが25kgもあったの?
それからイギリスの近代歩兵は戦闘中でも予備の弾薬、食糧、医薬品等を背負い続けて戦っていたわけ?
610世界@名無史さん:2006/02/10(金) 23:08:13 0
少なくとも近現代の歩兵は戦闘中は絶対に必要なもの(銃や予備弾倉など)以外の装備は
後方に置いてくるか脇にでも放り出しておく(そして戦闘が一段落した所で回収して使用する)のが普通だ。
611世界@名無史さん:2006/02/11(土) 00:20:41 0
>>602
お前海外住んだことないだろ。
612世界@名無史さん:2006/02/11(土) 08:34:12 0
古代ギリシャの重装歩兵の装備が、楯・槍なども合わせて30kgくらい
613世界@名無史さん:2006/02/11(土) 10:29:11 0
>>611
> >>602
> お前海外住んだことないだろ。
住んだこと無いよ。なんで?
614世界@名無史さん:2006/02/11(土) 11:48:06 0
うちの大学の教授が言っていたが
古代ギリシアの重装歩兵戦術に関しては
アメリカの歴史家が実践を再現して検証したらしい。
何でも、大学のアメフトやってる壮健者に装甲着せて押し合いへしあいを
やらせた結果。
やたら重くて、疲れる、戦闘はせいぜい30分。
ファランクスの一番右側は崩れる隊列を抑えるため人一倍疲れる。
ってのがわかったらしい。
615世界@名無史さん:2006/02/11(土) 11:49:08 0
>>614
今の若いもんと根性がちがうわ。一緒にすな
616世界@名無史さん:2006/02/11(土) 11:58:24 0
>>613
スマソ。>>603宛てのレスだったがミスった。
617世界@名無史さん:2006/02/11(土) 12:02:34 0
>>614
それ昔TVで見たことあるぞ。BBCだったかな?

私の印象としては>>615と同じ。
ギリシャの訓練と鍛錬はハンパじゃなかった。
死人が出ないように練習する現在とは比べ物にならない。
618世界@名無史さん:2006/02/11(土) 12:21:32 0
ローマ軍の訓練は骨格の形が変わるほど、しゃれにならないくらい辛かった
ってのは聞いたことあるが、ギリシャの訓練ってどんな感じだったの?
619世界@名無史さん:2006/02/11(土) 12:31:09 0
>>618
> ローマ軍の訓練は骨格の形が変わるほど、しゃれにならないくらい辛かった
> ってのは聞いたことあるが、ギリシャの訓練ってどんな感じだったの?
たぶんスパルタ教育
620世界@名無史さん:2006/02/11(土) 12:35:00 0
>>615
当時は兵隊に人権なんてものは存在しなかったからね。
人権に守られお遊びのアメフト選手とは比べ物にならない毎日のシゴキだったんだろうね。
621世界@名無史さん:2006/02/11(土) 14:01:44 0
貴族と平民だと、貴族の方が栄養がよいため体格がよく、
訓練や装備もきちんとできるから、
貴族>>>>平民
貴族=ぼんぼんのイメージは近現代だろうね。
622世界@名無史さん:2006/02/11(土) 14:08:48 0
古代ギリシアでは都市階層のトップが兵隊の構成員だろ
623世界@名無史さん:2006/02/11(土) 14:17:35 0
>>621
なるほど。いい指摘だ。
624世界@名無史さん:2006/02/11(土) 14:45:44 0
ここのスレットのテーマは「武士と騎士どっちが強い?」だったと思うが、
高温多湿の山岳地帯なら○武士
なだらかな丘陵地帯・大平原なら○騎士
のはずだ。つまり戦う場所によって装備が変わってくる。
しかしいろいろな面でヨーロッパのほうが合理的な考え方をレオナルド・ダ・
ビンチ以降持ち始めて、騎士は滅んだ。
625世界@名無史さん:2006/02/11(土) 15:20:03 0
騎士の衰退とダヴィンチを結びつけるとは新鮮な発想だ
626世界@名無史さん:2006/02/11(土) 19:49:04 0
武士や騎士が強いと言うなら、大坂の陣、島原の乱でなんの武功も無い宮本武蔵が剣豪を名乗るのはおかしい。
塚原卜伝以下の剣豪も武勇伝はあるが、大した武功は知らない。やはり戦は弓矢の数だ。
627世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:13:04 0
>>615
>>617
実証実験に対する反論がそれだけじゃちょっと弱いな。
というか反論にならない。
628世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:36:12 0
栄養や食生活による体格の向上
スポーツ科学による効率の良い身体作り
などの影響で、身体能力は昔よりも現代の方が高いだろうか?
比較可能なレベルの記録はオリンピックぐらいだが、
徐々に向上している気がするのだが。
629世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:37:57 0
しかし戦国時代には50万人の武士がいたとされ、本当の鎧をきていたら、相当の鉄と革の日本は産出国だったんだな。
630世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:52:58 O
>>626
上野時代の信綱は槍働きに優れていたというし、柳生宗矩は大阪夏の陣のときに秀忠を狙った七手組の兵を一気に七人斬ってるわけだが。
631世界@名無史さん:2006/02/11(土) 22:45:44 0
>>626は釣りだろ。
632世界@名無史さん:2006/02/12(日) 01:09:43 O
37回の出陣で212人も切り倒してる卜伝は多分ドーピングしてると思う
633世界@名無史さん:2006/02/12(日) 11:44:31 0
↑の説は江戸時代に書かれ、当時の資料にはないはずだ。
634世界@名無史さん:2006/02/12(日) 11:54:10 0
50万人の武士がいたなら、みんな統一して、さっさと国軍(朝廷軍)
になったほうがいいだろう。国内で戦いをするより、海外進出して植民地を
もったほうがいいだろう!!
635世界@名無史さん:2006/02/12(日) 12:11:49 0
そう考えた秀ちゃんが大失敗。明・朝鮮があんなドンデモ国だとは知らなかった。
636世界@名無史さん:2006/02/12(日) 12:22:33 0
>>628
おいおい・・・
日本国民に対する調査で平均身長は伸びてるが年々体力が落ちてることは事実。
今の軟弱な若者が戦国自衛隊の如く当時にタイムスリップしたら即効でおっ死ぬぞw

またオリンピックの記録の向上に関するファクターとしては、
競技技術の向上とイクイップメントに使われている技術の向上によるものがとても大きく、
比較データとしてオリンピック記録は適さないと思う。
637世界@名無史さん:2006/02/12(日) 12:31:54 0
>>635
あれは単に派遣された兵のやる気がなかっただけだろ。
農民出身で思いつきで周りを振り回すアフォな秀吉には付き合ってられんと、
家臣の彼への忠誠心は殆どなかった。

命令なのでしかたなく行くには行ったが、日本から遠く離れたよく分からん国の土地なんか欲しい者はいなく
(実際、勝ち取った土地は武将の誰かが治めなくてはならず、そうなったら故郷に永遠に帰られなくなる)、
年寄り秀吉が死ぬまで時間を稼いでいたに過ぎない。
638世界@名無史さん:2006/02/12(日) 14:55:35 0
>>637
故郷に土地が無いから期待された側面もあるんだよ。
639世界@名無史さん:2006/02/12(日) 19:52:44 0
>>634
「じゃぁまずお前は俺の部下になれ」
「なんでやねん、おまえが部下になれ」
「いやじゃぁぼけ」
「わしもいやじゃぁカス」
「死ね」
「お前が死ね」
↑これが戦国
640世界@名無史さん:2006/02/12(日) 21:59:35 0
あの日以来、これが戦国ってフレーズを聞いたら
背中を嫌なものが伝うんです
641世界@名無史さん:2006/02/14(火) 20:19:59 0
敵集団の中に重武装の騎士がつっこんだところで、動作はにぶいは、視野は狭いは
でいい身代金にされるだけだと思うが。馬をロープでコケさせれば済む話だ。
642世界@名無史さん:2006/02/14(火) 22:11:38 0
敵集団の中なら誰が突っ込んでもボコられるわ!
643世界@名無史さん:2006/02/14(火) 22:17:38 0
>>642
そこで、象兵ですよ。
644世界@名無史さん:2006/02/14(火) 22:26:39 O
象兵ならアレキサンダーやローマ、東南アジアに移住した戦国武士にやられてるが…アレキサンダーは確か火炎瓶、戦国武士は火繩銃で対応してたよ。
645世界@名無史さん:2006/02/14(火) 22:40:40 0
呂布と騎士はどっちが強いんだ
646世界@名無史さん:2006/02/15(水) 09:27:54 0
象兵なんか猫にやられてただろ
647世界@名無史さん:2006/02/15(水) 23:11:58 0
ゴール朝のスルタン・シハーブッディーン(orムイッズッディーン)・ムハンマドは
第一次タラーインの戦いで象兵部隊を投入して来たラージプート連合軍敗れているけど、
この時、戦象の口中に投げ槍を叩き込んで倒していたりしている。
もともとは今までと変わらぬ掠奪遠征程度だったので装備もそれほどではなく、
ラージプート側の思わぬ大規模な攻勢に対処できず、ゴール朝軍は手痛い敗北をしたようだ。

翌1192年の第二次タラーインの戦いで、シハーブッディーンは報復戦を意図して
甲冑具足で身を固めた重装備の騎馬部隊を4万騎ほど投入。ラージプート連合軍の戦象部隊
数百を四方向からそれぞれ1万騎で同時攻撃した。戦象に乗っていた象使いや王侯たち、
戦象の口中などの急所に、弓矢や投げ槍の集中砲火を浴びせ、次々とこれらを討ち取って
いったという。

デリーのラージャ(多分チャフマーナ朝のプリトヴィーラージャ3世)は戦象から
降りて馬で逃亡。ラージプート連合軍は瓦解し、その後の戦で象700頭、虜囚として
男児100万を連行した、とゴール朝の北インド征服の30年程のちに編まれた
イブン・アル=アシールによるアラビア語の大部な年代記『完史』には書かれて
いるそうだが・・・・・100万はどう考えても無茶な数字だろう。
648世界@名無史さん:2006/02/16(木) 21:22:15 0
信長や家康が、西洋甲冑を取り入れているんだから、騎士の勝ちだろ。
649世界@名無史さん:2006/02/16(木) 22:23:07 0
そうかもしれんない
南蛮兜とかって銃弾はじくんだろ?はじくつうか弾いた記述があった
650世界@名無史さん:2006/02/16(木) 22:28:08 0
戦国時代の槍組もパイク兵の影響?
651山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/16(木) 22:54:36 0
>650
長鑓で叩き合う戦法は、応仁・文明の乱頃に始ったものですし、鑓や弓とい
った特定の兵科ごとに兵を分けて集団戦を行う事は、南北朝時代には始って
いましたからね。
騎射を行う正規の武士だけでは戦が行えなくなったという事ですが。
(集団を形成する、特に名乗りも挙げない兵たちが重要になっていた)
652世界@名無史さん:2006/02/16(木) 23:02:44 0
たぶん戦争の主力が歩兵になると、どうしても盾の壁や槍衾のような
戦法が主流になるんだろうな。
653世界@名無史さん:2006/02/16(木) 23:06:51 0
騎兵主体の戦闘なんて日本にそもそもあったの?

654世界@名無史さん:2006/02/17(金) 00:18:50 0
騎士や武士が活躍するにはルールが必要だと思われる。例えば騎士は騎士同士で対決する。一騎打ち(タイマン)には周りのものは手を出さない等。
つまり敵との信頼関係(スポーツマンシップ)がなければならない。
信頼関係は大きな信用取引に繋がり、やがて経済発展の基盤となる。例えば約束手形、クレジットカード、特許法、株式などである。
西欧と日本だけが真の資本主義が根付いたのは、偶然ではない。北京オリンピックが心配だ、フェアな大会となる事を望む。ヤツらには無理だろうけど。
 『武士道とは資本主義精神の根本と見つけたり』 どっかの歴史ヲタ
655世界@名無史さん:2006/02/17(金) 02:55:26 0
>>650
収斂進化だね。イルカとサメが似ているのと同じだ。
656世界@名無史さん:2006/02/17(金) 10:58:12 0
武士=土地資本主義 ○
武士道→資本主義精神 × 論文としては、○

土地資本→武士の発生→武士道 ◎
657世界@名無史さん:2006/02/17(金) 23:26:14 0
平安期の武装貴族としての武士。
又、滝口の武士等はどうなる?
658世界@名無史さん:2006/02/17(金) 23:56:55 0
歴史家達は古い文献ばかりをよりどころとして、想像でものを言っているだけだ。
とかく文系の人間は理屈ばかりで役に立たないものが多い。例えば、経済学者、経営学者を多く抱えている大学が経営破たんをしたり。。。まさに論語読みの論語知らずだ。
工学部出身の私が唯一学んだことは、理屈を考えるより、実践(実戦)する方が遥かに難しいということではないかと思う(理論を実証(実験)して証明しなければならない)。
そこであれこれ言うよりもこんな企画はどうでしょー

<<<<<<川中島合戦体験ツアー>>>>>>>>>>
主催 ○○大学文学部歴史学科
後援 川中島町? 長野県
定員 なんと 3万3千人
参加資格 16歳以上男女問わず、体力に自身のある方(妻女山を夜間に登ります)
参加費 ¥5000(但し乗馬でできる方は只、交通費も至急します。)
持参する物 テント、寝袋、2日分の米、飯ごう、缶詰
*武器(勿論ダミー)、鎧(ダミー25kg)は至急します。
「歴史に興味ある方、一旗挙げたい方(TV中継あり)は是非参加してください。」
要綱 なるべく歴史に忠実な作戦で戦う
効果 どんな武器、戦法が有効がわかる
   毎年行えば、名物になり町おこしに繋がる。大学のいいPRになる。
 こんなのどう?
659世界@名無史さん:2006/02/18(土) 00:09:21 0
>>658
地理・お国自慢板へどうぞ。
そして貴方は文献史料と物質的証拠である考古資料とによって歴史が
成り立っているいることを知るべきです。

>要綱 なるべく歴史に忠実な作戦で戦う 
>効果 どんな武器、戦法が有効がわかる 

ここにすでに貴方の理論の矛盾が表れています。
なるべく「歴史に忠実」、ではその確定された史実とは何でしょうか?
660世界@名無史さん:2006/02/18(土) 03:50:49 0
>>659
いや、その、なんだ、彼はただ実際に鎧兜を着てみたいだけなんだよ…
661世界@名無史さん:2006/02/18(土) 14:16:32 O
素人を集めて訓練もしないでいきなり合戦をして戦法や戦術を検証できるとは思わ……
662世界@名無史さん:2006/02/18(土) 14:34:30 0
DQNばっかり集めたら雑兵の統率の難しさはわかるかもねw
663世界@名無史さん:2006/02/18(土) 14:36:10 0
西洋甲冑でジャンプしたり、前転してすぐに立ち上がる姿をテレビで
見たが、その番組に出ていた研究者は、昔の本物の甲冑はバランスを
良く作っているので、現代人が想像するよりは動きやすいんだと言っ
ていた。
664世界@名無史さん:2006/02/18(土) 18:05:01 0
>>663
三浦シゲトシ先生ですか
665世界@名無史さん:2006/02/18(土) 18:39:26 0
>>658
でもまあ試してみるってのは面白いかもな
666世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:58:09 0
664さん、イギリス人か、フランス人でした。
「世界不思議発見」か何か、番組は忘れてしまったんですけど。
667世界@名無史さん:2006/02/19(日) 00:14:04 0
早慶戦みたいに大学対抗でも面白そうだ。しかし東大VS京大だとどちらもひ弱で
戦場までたどり着けないもしくは、「そんな馬鹿には付き合えない」という空気を読まない発言の一般のイメージ。
668世界@名無史さん:2006/02/19(日) 02:49:18 O
やはり実際に殺し合いさせなきゃあまり実験の成果でないだろうな
金正日に頼めばなんとかなるかも

北朝の奴隷国民に頑張ってもらえる
669世界@名無史さん:2006/02/19(日) 03:32:10 0
>>658のアイディアで「騎士VS武士」の集団戦をしてみたら面白そうだ。
外国では騎士VS騎士、日本では武士VS武士をやってるが、
国際交流として彼らを結びつけて企画できないものだろうか(地元戦やアウェー戦)?
姉妹都市も結んで本腰を入れたら、地域の目玉として地域活性化ができそうだ。
670世界@名無史さん:2006/02/19(日) 18:44:01 0
アヴァロンに聞けば?
アメリカでは古代ローマ兵装やら中世騎士ルックで数万人規模で合戦したりするらしいからな。

個人的には武士による流鏑馬とか、古代ギリシャのファランクスとかを
掛け合わせて異種異時代戦をやって欲しい。
672世界@名無史さん:2006/02/20(月) 01:48:15 O
甲斐武田氏の小山田隊みたいな投石専門の部隊ってどんな国が使ってました?
673世界@名無史さん:2006/02/20(月) 03:04:03 0
>>671
そう。血湧き肉踊る城攻めとかのシチュエーションとかもやってる。
まさにそれをやりたいのだ。
674いしがなげるのはさじ:2006/02/20(月) 07:30:11 0
投石自体はどこでもやってると思いますが
しかも日本に限らず西洋でもね
だから武田家に限った事ではないですよ
南北朝の楠木公も使ってたようですし、
南総八犬伝にも石つぶての名人が出てきますので
石を投げるというは特殊なものじゃないとおもいます。
675世界@名無史さん:2006/02/20(月) 17:40:25 0
シナだと石投げの名将とかでてきますしね。物語ですけど・・水滸伝ですけど
676世界@名無史さん:2006/02/20(月) 17:58:57 0
没羽箭張清と瓊矢鏃瓊英の夫婦な
677世界@名無史さん:2006/02/20(月) 18:03:30 0
西洋の攻城戦だと城方は窓から不要になった家具とか色々投げ落として城壁に取り付いてるヤツを防いでる
678世界@名無史さん:2006/02/20(月) 18:06:05 0
日本の中世では引地打ちという子供の遊び(というか喧嘩)もやってたし
679世界@名無史さん:2006/02/20(月) 18:14:26 0
日本の武士ってのは確かヤアヤア我こそはとか言って 
一騎ずつ戦うものだから集団でやられたら正直終わると思うw
680世界@名無史さん:2006/02/20(月) 19:11:58 0
>679
それは本当に定説か?
681山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/20(月) 20:04:17 0
>引地打ち
印地。古代から近代まで、祭の一環として、或いは正規のものではない「武」
として使用されていました。庶民や僧侶の行ったものです。
正規の武士が訓練した様なものではない。

>679
名乗りも場合によります。相手が目下なら名乗ったり名乗り返す必要はあり
ませんし、14世紀以降は名乗らない様な氏素性も明らかでない輩の社会的
地位が向上しており、彼らを利用した集団戦も目立つ。
名乗り自体は、戦国期まで一応行われていますが。
全員が進む度に悠長に名乗っていた訳ではない。

他国の投石行為ですが、中国にもあったというのは上にある通り。
明代には銭を投げる武芸も成立していたという事です。
682世界@名無史さん:2006/02/22(水) 22:29:35 0
>銭を投げる
といえば銭形平次。あれはアリエール?
683世界@名無史さん:2006/02/22(水) 23:06:53 0
10円玉、結構脅威だよね、、、
684世界@名無史さん:2006/02/22(水) 23:13:43 0
中国の武術に、金を投げる「羅漢銭」という技があるね
技というか暗器の類か。
685世界@名無史さん:2006/02/24(金) 20:35:24 0
>658
せっかく<<川中島ツアー>>で盛り上げようと思ったのに、又小粒トリビアねたスレになってきた。
686世界@名無史さん:2006/02/24(金) 20:40:45 0
>>685
ほんとにやってくれれば話題になると思うよ
思いつきの企画出しただけで話題が長続きするわけないし
687世界@名無史さん:2006/02/25(土) 23:44:55 0
>>679
鎌倉時代の初期には名乗りを上げての一騎打ちは既に廃れてたらしいがな。
元寇の際でも一騎打ちを狙ったお調子者はいたようだが、
基本的に集団戦術用いてる。
688世界@名無史さん:2006/02/27(月) 19:43:08 0
>>1
体格の差で騎士が有利
689世界@名無史さん:2006/02/27(月) 20:53:09 0
騎士も大きい奴ばかりじゃないし、鎌倉時代の武士は体格良いよ。
690世界@名無史さん:2006/03/01(水) 10:31:44 0
たぶんね騎士って言うと
ボブサップやアーノルドシュワルツネッガーみたいな
筋肉むきむきを想像をして
武士というとmr.オクレとは言わないが良くて
舞の海くらいしか想像しないんじゃないの?
691世界@名無史さん:2006/03/01(水) 20:44:14 0
『武士vs騎士』怒涛の新展開!
源義経が平泉脱出がら「仁義経還(ジンギスカン)」になるまでを想像たっぷりに描く!
3006年NHK大河ドラマ<<<<獅子と蒼狼>>>>>
====前回までのあらすじ=======
獅子心王リチャードT世の十字軍が出撃準備に入った事を知ったサラディーンは、古代メソポタミア以来の秘宝通称「アラジンの魔法のランプ」により”夷をもって夷を制せよ”というお告げを受ける。
直後、伝説の島「ワークワーク」より生還した冒険家シンドバットによりワークワークのエゾという所にヨシツネというつわものが、フジワラの残党3万と共に潜伏しているという情報を得る。
ヨシツネは兄と対決を避けるための潜伏らしい。早速サラディーンはシンドバットをエゾに大船団で遣わし、ヨリトモと密約の上、秘密裏でヨシツネ軍団をエルサレム救援につれてくることに成功する。
しかし喜びもつかの間、彼らエルサレム上陸直後、獅子心王の部隊もアレッポに到着する。
ついに、源氏とアンジュー家の両プリンスは荒野で対面する。果たしてどうなってしまうのか?
次週乞うご期待!
692世界@名無史さん:2006/03/01(水) 23:25:42 0
剣心がヨーロッパの騎士に苦戦していたの思い出した。
普通の武士が九頭龍閃使える?天翔龍閃使える?
693世界@名無史さん:2006/03/01(水) 23:33:22 0
釣り乙
694世界@名無史さん:2006/03/02(木) 00:02:24 0
よくわかんないんだけど、日本の印地打ちってのは単に手で投げたの
かな。
古代ギリシャなんかだと「テラ」と呼ばれる投石は重装歩兵の装備を自
弁できない貧乏人が担当したようだけど、いわゆる振り回して投げる、
単なる帯状の布だったりする、投石器も使ったようだ。
これ、例えばスペイン市民戦争あたりの記録映画でも投げるものを石
から手榴弾に変えて使ってたりもする。

日本には、投石器に相当するものや技はあったのかな。
695世界@名無史さん:2006/03/02(木) 00:08:51 0
武士が騎士に勝つところが想像できない。
体格、筋力、身体能力、頭脳、武装、戦術、格闘能力・・・・etc.
全て騎士が武士をはるかに凌駕してるだろ。
騎士一人で武士5人は問題なく殺せるだろうな。
696世界@名無史さん:2006/03/02(木) 00:24:08 0
猪木が馬場に勝つところが想像できない。
体格、筋力、身体能力、頭脳、武装、戦術、格闘能力・・・・etc.
全て馬場が猪木をはるかに凌駕してるだろ。
馬場一人で猪木5人は問題なく殺せるだろうな。
697695:2006/03/02(木) 02:08:45 0
>>696
ちゃかすな。俺は本気で言っている。
貴様のような右翼野郎に馬鹿にされてたまるか。
698世界@名無史さん:2006/03/02(木) 03:07:35 0
695が696に勝つところが想像できない。
体格、筋力、身体能力、頭脳、武装、戦術、格闘能力・・・・etc.
全て696が695をはるかに凌駕してるだろ。
696一人で695 5人は問題なく殺せるだろうな。
699世界@名無史さん:2006/03/02(木) 04:18:29 0
いくら昔の騎士が小さかったと言っても、
人種的に東洋人である侍よりは白人である騎士のほうが体格が立派であり、
筋力も強靭だったのは紛れもない事実だ。
中世以前の戦闘において、体格と筋力の占めるアドバンテージは圧倒的だ。
この圧倒的不利を補って余りあるだけの長所が武士に有ったかというと、
「無かった」というのが正直な答えだろう。
よって、騎士>>>>>>>>猿>>>>>武士
という公式が成り立つ。
700世界@名無史さん:2006/03/02(木) 04:23:50 0
700ゲット
701世界@名無史さん:2006/03/02(木) 04:26:34 0
さらに大陸の血を引いた立派な体格と洗練された技法と頭脳、日本人にぱくられた優れた格闘術・・・etc
騎士は所詮イノシシ武者なので、
花郎>>>>>>>>>>騎士>>>>>>>猿>>>>>>>>武士
という公式が成り立つ
702世界@名無史さん:2006/03/02(木) 07:21:32 0
思い込みだけではしょうがないので
中世の兵役基準(体重・身長)と合格率を
あげた統計的な考察をしたらどう?
703世界@名無史さん:2006/03/02(木) 12:35:58 0
騎士も武士も騎乗して戦うわけだから体格が立派な方が有利とは必ずしも
言えないのではないのかな?
体重の軽い方が馬の負担が少ないだろ。
トルコ人もモンゴル人も騎兵としては優秀だけど白人よりは小柄だぞ。
704世界@名無史さん:2006/03/02(木) 14:52:05 0
>>703
イブン・バトゥータはキプチャク汗国のトルコ・モンゴル系遊牧民について
「馬乳酒を飲むので彼らは実に腕力があり、丈夫で秀でた体格の持ち主である」
と書いている。

モンゴル帝国へ派遣されたカソリックの修道士も似たような事を書いてたような。
705世界@名無史さん:2006/03/02(木) 17:05:10 0
体格なんて時代や個人によって違うんだから比較は難しいだろう。
それに体格がよければ必ず勝つというわけではないのだから。
参考にはなるだろうけどね
706山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/03/02(木) 19:17:18 0
>>694
>単なる帯状の布だったりする
12世紀後半に成立した『年中行事絵巻』では、紐状のもので石を投げてい
ます。手に紐を残したまま石が飛んでいる事からして、単に石に紐をくくり
つけたものでは無かったらしい。
おそらく、近世・近現代(明治頃まで)投石具として使用されていた麻縄で
しょう。神事の一環として日本各地で石が投げられていました。
戦国期に合戦で利用されたのも既出の通りですが、布で投げた例もあり、そ
の場面はクレヨンしんちゃんの映画『アッパレ戦国大合戦』にも出ていまし
た(しかし、大河ドラマよりも余程よく出来たアニメです)。
ギリシャで貧民が投げたという事ですが、日本でも正規の武士による武芸と
は別の、主に足軽などが使う様な技だと考えられていました。
技については存じませんが、投げられる様な石のある川原が無いと発達しな
いもので、京都周辺では北白川の印地が有名でした。
707世界@名無史さん:2006/03/02(木) 19:52:08 0
日本人は集団になると強〜い。世界の有力企業の数々をみれば分かる。トップクラスの優秀な民族だ。
ただ個人個人では個性の強〜い奴等が世界中にいっぱいいる。トリノオリンピックを観れば解る。
708世界@名無史さん:2006/03/02(木) 19:58:14 0
>691のスレに誤りあり、訂正を望む。
仁義経還=ジンギスカン×
源義経汗=ジンギスカン○
源=元○
709世界@名無史さん:2006/03/02(木) 20:53:27 0
1人の金メダリストだけがいる国より、
2人の入賞者がいる国のほうが総合力は上。
710世界@名無史さん:2006/03/02(木) 20:56:51 0
>>707
集団になると日本人は強いという主張をよく見かけるが、ヨーロッパの方がよほど集団的に活動してると思うが。
711世界@名無史さん:2006/03/02(木) 22:04:03 0
1対1はわからんが、動員力で言えば日本の方がかなり上じゃね?
712世界@名無史さん:2006/03/02(木) 22:36:38 0
日本人は世界最弱
713世界@名無史さん:2006/03/02(木) 22:39:33 0
もう武士最強論者は朱だけにしてもらえんか。
714世界@名無史さん:2006/03/02(木) 22:57:47 0
米と麦の違いって奴だな。
ナポレオンの時代になるといっきにぶっちぎられるけど。
715世界@名無史さん:2006/03/02(木) 23:03:06 0
戦闘中にトイレに行きたくなったらどうするの?
小便とかだったら垂れ流し?
716世界@名無史さん:2006/03/03(金) 05:04:31 0
>>715
それが普通
ただ高級将官用に
仮設トイレはあると思う
717世界@名無史さん:2006/03/03(金) 05:43:02 0
うんこはどうすんの?
うんこももらすの?
甲冑や篭手をつけてたらズボン下ろすのも一苦労だよな。
718世界@名無史さん:2006/03/03(金) 17:45:29 0
運動能力     【黒人>>>>>>白人>>>アジア人
体格、パワー   【白人>>>黒人>>>アジア人 (意外かもしれないが”力”だけならヨーロッパ白人の方が圧倒的に強い)
ルックス(男)  【白人男>>>>>>どうあがいても超えられない壁>>>>>>>黒人男>アジア人男
ルックス(女)  【アジア人女≧白人女>>>>>>>どうあがいても超えられない壁>>>>>黒人女
頭脳       【白人>>>アジア人>>>どうあがいても超えられない壁>>>>>>>>>>黒人
719世界@名無史さん:2006/03/03(金) 19:17:36 0
>>715
同盟軍の大将と連れションしたが、相手のチンコが粗末だったのを発見し
「将の器にあらず」と見捨てた武将がいるそうだ。
720世界@名無史さん:2006/03/03(金) 20:15:44 0
>>719
テラヒドス

忍者の服は走りながらうんこしっこできるように股間が開いていると言うが
721715:2006/03/03(金) 20:39:19 0
あ、えーと、「垂れ流し」っていうのは野グソとか立ちションの事を聞いてるんじゃなくて、
ズボンはいたまま漏らすのかどうか。
戦闘中に鎧やズボン脱いで小便する暇なんてなさそうじゃん。
722世界@名無史さん:2006/03/03(金) 22:10:44 0
↑おまえは家康の弁護士か?←つっこみ
723世界@名無史さん:2006/03/03(金) 23:00:04 0
オレは武士だけど騎士を素手で5人ほどやっつけた
724世界@名無史さん:2006/03/04(土) 05:49:26 0
余裕があれば草むらに行くけど
そんな余裕がないときは垂れ流し
命が差し迫った状態で汚れる
汚れないとか思うは二の次
725世界@名無史さん:2006/03/07(火) 19:54:07 0
子供の頃のイメージ
髪型 武士=ちょんまげ、どうやってあんなダサイスタイルを思いついたんだ?
   騎士=金髪、オシャレ
鎧  騎士=ロボットみたい、バイザーが機能的でかっこいい。
   武士=ガラクタを繋げたような派手な格好。しかも草鞋、しかも足軽はふんどし一丁で情けない。
王様    ゴージャスな王冠
殿様    普通のおっさん
城  欧州=頑丈でそれらしい。ホテルみたいだ。
   日本=紙と木で出来ている。しかも積んだだけの石。なんだか旅館みたいだ。
女  騎士=もてる
   武士=ひたすら硬派
昭和の少年は、時代劇を観る度にアジア的停滞を感じました。
726世界@名無史さん:2006/03/07(火) 21:05:47 0
>>723 詳しく
727世界@名無史さん:2006/03/07(火) 21:50:25 0
武士について詳しい人間ばかりで、騎士がないがしろにされてないか?ここ。

そもそも騎士同士の戦いだって、殺すことより捕虜にして身代金を取ることの方が重要だったはず。
馬から叩き落す為の武器だからこそ、槍も剣もあんな鉄のカタマリなんだろ。
じっさい、数千人単位の騎士軍団同士が戦っても死者は二桁、時には数人単位だから。マキャベリの頃なんかは。
確かに西洋人は体格は良いけど、それが勝ち負けに繋がるかは…あまり関係ないのでは。
日本の足軽と欧州の傭兵や農民兵、だったら体格も影響してくるだろうけど。

まあ結局武士も騎士も、形式化された中世の戦いの中でしか役に立たないワケだ。
728世界@名無史さん:2006/03/07(火) 22:40:41 0
>>727
腐るほど何度も書き込まれたような事ばっか書いてて何言ってんの?
729世界@名無史さん:2006/03/08(水) 08:40:09 0
騎士よりも武士の方が強いに決まってる
何せ心構えが違うよ
しかも見た目がダサいし騎士て
730世界@名無史さん:2006/03/08(水) 09:41:14 0
日本も騎馬民族の影響をうけなかったらヨーロッパみたいになってたかもね。
弥生時代は手持ち盾と剣を使ってたみたいだ。
731世界@名無史さん:2006/03/08(水) 17:36:32 0
>>730
肉を食わないし、一神教の信者もいないしで、
ヨーロッパ的にはならなかったと思ふ。
キリスト教・イスラム教は侵略者にとって最高の道具だもんなあ。
日本でも一神教的な日蓮宗・浄土真宗の信徒は軍事的脅威だったわけだし。
732世界@名無史さん:2006/03/09(木) 21:37:34 0
俺は騎士だけど指相撲で武士を8人ほど殺った
733世界@名無史さん:2006/03/09(木) 22:06:54 O
騎士は武士と体格変わらんよ。
ヨーロッパ人がデカくなったのは成長ホルモン漬けの牛肉食ってから。
ヨーグルトやチーズや肉食っただけででかくなるならモンゴル人は世界一デカいはず。
734世界@名無史さん:2006/03/09(木) 22:50:24 0
>>733
ソースよろしく
735世界@名無史さん:2006/03/10(金) 10:38:18 0
ヨーロッパ人じゃなくてオランダ人だろ。
成長ホルモンの投与が禁止されてから身長が低くなって来てると聞いたが。
736世界@名無史さん:2006/03/10(金) 12:23:00 0
ドイツだかオーストリアの徴兵検査で
身長不足の落第率6割くらいというのが
あった気がする
その辺から体格とかわかるんじゃないかな
737世界@名無史さん:2006/03/10(金) 23:51:26 0
武士の方が強いんじゃないの?
武道学者のアレック・ベネットの本を読んでそう確信した
http://www.s-book.com/plsql/com2_detail?isbn=4093876266
http://www.s-move.jp/writer/works/work200402021086.html
http://www.hurights.or.jp/newsletter/J_NL/048/09.html
738世界@名無史さん:2006/03/11(土) 01:36:23 0
>>737
そういう外人はたまにいる。
「日本の弓術」を書いたオイゲン・ヘリゲルとかな。
739世界@名無史さん:2006/03/11(土) 15:30:50 0
>>737
胡散臭い。
740世界@名無史さん:2006/03/11(土) 23:11:21 0
長期的に戦略レベルで見た場合、
騎士のほうが強いのではないかという気がする。

それは単純に異文化との交流・衝突の経験の多さから感じることだけど。
言語・宗教が異なる相手を頻繁に見ているってのは、
すごい強みだと思う。
741世界@名無史さん:2006/03/12(日) 02:34:33 0
将棋VSチェス
742世界@名無史さん:2006/03/12(日) 02:44:34 0
討った敵の駒を味方にして再利用するという考えが、
「生きて虜囚の辱めを受けず」の国の遊戯にあって、
一国の王の身柄までも身代金でやり取りできる文化のほうにないのはなぜなんだろうね。
743世界@名無史さん:2006/03/12(日) 12:48:10 0
生きて虜囚の辱めを受けずなんて、戦国時代の武士達が考えていたとは思えないが。
大日本帝国時代の帝国軍人のほうが、中世〜近世の武士達より勇敢だと思う。
744世界@名無史さん:2006/03/12(日) 14:32:31 0
将棋は戦争ゲームというより、マネーゲームと考えると分かりやすい。
玉、金、銀、桂(シナモン)、香(アロマ)と商品のやり取りだ
745世界@名無史さん:2006/03/12(日) 14:46:42 0
>>742
むしろタブーだからこそルールに取り入れられてるのだろう
746世界@名無史さん:2006/03/12(日) 14:53:53 0
戦国時代当時ならむしろロシアの方がそういうノリだね。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1140958359/33-34

>当時の軍律はおそろしく過酷なものであった。いかなる状況の下であれ敵に降伏した指揮官は処刑された。ツァーリの
>ものである都市や要塞を敵に奪われながらおめおめと生き延びた軍人は、その家族や係累まで殺された。そのため
>ロシア兵はどんな危機に陥っても降伏せず全滅するまで戦ったという。1578年にヴェンデンを攻囲していたある砲兵隊は
>リトアニア軍に大砲を鹵獲されそうになったので、全員が砲身に首を吊って自決してしまった。
747世界@名無史さん:2006/03/12(日) 15:18:21 0
ロシヤの軍律おそろしや
748世界@名無史さん:2006/03/12(日) 21:06:30 0
>>731
最低
>肉を食わない、ってのは嘘

>>746-747
のちのソ連軍にも通じる伝統?
・・・実際はそのぐらいの厳格な軍律を設けないと逃亡、降伏者続出という事情なのだと思うが。
749世界@名無史さん:2006/03/12(日) 23:00:44 0
小林一茶が薬ウマーってやたらイノシシたべてたみたいだけど、普通の人はほとんど食わないよ
鳥は許せ
750世界@名無史さん:2006/03/12(日) 23:36:02 0
それより成長ホルモンとやらがものすごく気になるんだが・・
そんなもん存在するなら日本人は急いで使うだろうに・・
751世界@名無史さん:2006/03/13(月) 12:42:35 0
集団戦なら武士が有利かな
騎士・・死にたくないのでアホもたいに重い鎧を着用
    当然動きがとろくて転倒したら捕まって身代金を相手に支払って
    開放されるという文化
武士・・鎧は重いが騎士ほどやりすぎじゃないバランス重視で騎士より動きやすい
    転倒したら首級を取られて終わり

さてこの戦闘文化の異なる両者が戦場で相まみえたらどうなるか
@両者が遭遇、戦闘開始
武士・・殺されずに騎士に捕まる
騎士・・捕まったやつは皆、武士に首を取られる
 夜になったので自然に休戦、以後膠着状態
A騎士側から金銭で捕虜開放を申し入れ、武士側受諾する。味方武士が開放された
 あとで武士がひとこと
 「御免!、知らなんだので騎士みんな斬ってしもうたわっ!悪い悪いはっはっは・・・すまんのう」
B騎士側、期待してた戦力が戻らず戦闘の続行を断念
 

    
    



    
752世界@名無史さん:2006/03/13(月) 12:58:17 0
武士ヒドス
753世界@名無史さん:2006/03/13(月) 15:23:17 0
>>751
騎士=重い鎧 これは必ずしもそうではないのでは・・・
16世紀に銃火器が出現して鎧が役に立たなくなり、
軽装へと進んだ、ってのは間違いなのかな・・・?
754世界@名無史さん:2006/03/13(月) 16:18:05 0
>>753
その時代の騎兵は騎士と呼べるのか
755世界@名無史さん:2006/03/13(月) 17:15:22 0
金剛地武士VSエルトンジョン
756世界@名無史さん:2006/03/13(月) 18:38:55 0
何度も書いてるが、14世紀まで西欧の甲冑はメイル・ホウバークが主流。
鎌倉時代なら大鎧を着た武士のほうが重装甲だろう。
757世界@名無史さん:2006/03/13(月) 18:43:53 0
メイル・ホウバークで3人張りの和弓から放たれた矢を防げたとは思えない。
距離が遠ければ別だけど。
758世界@名無史さん:2006/03/13(月) 21:02:41 0
>>751
>夜になったので自然に休戦、以後膠着状態

その夜、武士側が夜襲を懸け、騎士側は大混乱の後、潰走。
夜討朝駆けは承平天慶の乱、保元平治の乱の昔から武士の常識。

騎士側も異教徒・異民族相手だと人質を取るより殺害する可能性が高い。
キリスト教徒同士でもアジャンクールのような例もあるし。
759世界@名無史さん:2006/03/13(月) 22:53:48 0
>>748
>>肉を食わない、ってのは嘘
そりゃそうだが、欧米的な肉食の文化はなかっただろ
760世界@名無史さん:2006/03/14(火) 11:05:21 0
>>748
実際は生き延びても処刑されるだけなので逃亡者や亡命者が続出。
761世界@名無史さん:2006/03/14(火) 17:02:08 0
体格は圧倒的に騎士>>>>>>>武士だよ。
騎士はいいもの食べてたので農民より体格が良かった。
また信長が西洋甲冑を取り寄せたときに日本の武士が試着したが、
あまりの重さに驚き体力の違いを思い知らされた。
762世界@名無史さん:2006/03/14(火) 17:20:27 0
ソース。
763世界@名無史さん:2006/03/14(火) 18:56:04 0
ってか、日本刀でプレートアーマーの騎士相手じゃ相手が悪すぎる。
ガンガン叩いてるうちに刃こぼれして折れてしまうよ。
764世界@名無史さん:2006/03/14(火) 20:19:36 0
日本の鎧を叩いても刃こぼれします
日本にも戦場刀といわれる叩くための刀が
あります、もちろん切れ味はありません
江戸期と戦国期では時代柄用途は
違ってきますので誤解無いように
765世界@名無史さん:2006/03/15(水) 13:30:55 0
戦場刀でも鉄板叩くことは想定されてないと思われ。
プレート全盛期ではそれに対抗するために西洋でも斧やメイスなどの鈍器が主流で
剣は対軽装歩兵用という扱いだった。
766世界@名無史さん:2006/03/15(水) 16:55:20 0
まあ、これはファンタジーゲームの話なんだけど、
「剣は騎士の魂。手斧を持つのはおかしい!!」って主張されたことがあったな。
あちら産の中世の歴史絵本には、
>斧やメイスなどの鈍器 を持った騎士が多く描かれているのになあ。
767世界@名無史さん:2006/03/15(水) 18:41:52 0
想定されてるかどうかは別として
7-8kgの肉厚の鉄板だからすくなくとも
メイス並の働きはする
斧だったら鉞はあるし、金砕棒や鉄扇
というのもある.
768世界@名無史さん:2006/03/21(火) 16:09:32 0
保守AGE
769世界@名無史さん:2006/03/22(水) 00:14:14 0
結局騎士は試合とかでしかランスチャージはしてなかったんだっけ?
長い槍を抱えて武士の真正面から突進できた場合は、
実戦でもけっこう強力じゃなかったのかな?

西南戦争時はすでに銃剣があったにも関わらず、
刀を構えた「抜刀隊」の突撃は戦果を上げたって聞くから、
白兵突撃も状況次第ではあなどれないと思う。
770世界@名無史さん:2006/03/22(水) 09:33:55 0
>>769
たしかイスラム教徒の軍学書では剣をもった騎兵より
ランスをもった騎兵の方が危険だとか書いてあった。
771世界@名無史さん:2006/03/22(水) 14:08:21 0
>>770
kwsk
772世界@名無史さん:2006/03/22(水) 14:13:18 0
>>769
>>抜刀隊
それは士気の違いでしょう。
773世界@名無史さん:2006/03/22(水) 14:30:42 0
薩摩にさんざん迫害されてた会津藩士を反乱軍鎮圧に使うとは
維新政府もやりおる。
774世界@名無史さん:2006/03/23(木) 20:42:32 0
>>769
>西南戦争時はすでに銃剣があったにも関わらず、 
>刀を構えた「抜刀隊」の突撃は戦果を上げたって聞くから、 
>白兵突撃も状況次第ではあなどれないと思う。

田原坂でのそれは薩軍の弾薬が少なかったのと雨が激しかったせいだよ。
ほんとに局面でしかない話。
775世界@名無史さん:2006/03/23(木) 21:32:32 0
現地じゃいまだに戦死者の幽霊が出るらしい>田原坂
776世界@名無史さん:2006/03/30(木) 20:50:15 0
WIKIだから参考程度に。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%85%B5%E6%88%A6

白兵戦の歴史
ユーラシア大陸各地では遠戦を戦闘の主体とする地域が多かったが、
ヨーロッパは例外的に白兵戦を重んじる文化が発達した。
これはまた騎士同士の戦いは多分に儀式化され、
かつ完全に相手の鑓や剣からの攻撃から身体を防備できる甲冑が発達したため、
手加減の出来る(飛道具では不可)白兵戦が発達したと考えられる。
しかしながら異教徒との戦いにおいては容赦ない殺戮が行われた。

日本における白兵戦の歴史
 日本では中世、近世を通じて戦いの主流は常に遠戦であり、
日本刀を用いての白兵戦が行われる機会は少なかったとされる(*1)。
その理由として日本においては中世においては歩兵は農閑期の農民から徴集され
(短期間の訓練しか受けていない)ているため、
決戦を彼らの白兵戦に期待することは出来なかったことも一つに上げられよう。


日本の歴史でよくイメージされるチャンバラ白兵戦よりも、
弓を用いた遠戦が主だったって話は、
このスレで言われてきたとおりみたいだね。
777世界@名無史さん:2006/03/30(木) 20:55:14 0
でも、100年戦争から西洋もチャンバラ戦(白兵戦)じゃなくなった。
778世界@名無史さん:2006/03/30(木) 21:50:26 0
>>776
そのwiki書いた人から鈴木信者の匂いがするな。
779世界@名無史さん:2006/03/31(金) 02:06:00 0
鈴木眞哉の著作を鵜呑みにしてる奴は馬鹿。
そもそもwikipediaなんぞ、情報源としてなんの価値もない。
悪霊退散!
780世界@名無史さん:2006/03/31(金) 10:37:19 0
>>779
鈴木眞哉について検索したけど何がどう論争になってるのか
よく分からなかったんで解説プリーズ
781世界@名無史さん:2006/03/31(金) 18:29:58 0
>>778
二行目でいきなり
>日本刀を用いての白兵戦が行われる機会は少なかったとされる
ってのが不自然だもんな。まあ鈴木氏の引用って書いてるけどw

普通なら二行目は概ね、
遠戦の後は集団戦にも適した殺傷力の高い長柄の武器(槍等)による接近戦を行い、
これらが使用不可になるなど場合には、汎用性のある(定寸の)刀を持って対処した。
ってとこなんじゃないのかな。
時代や個人によって違いはあるだろうけど。
782世界@名無史さん:2006/03/31(金) 19:38:41 0
それも不自然だなw。
「接近戦」は「白兵戦」じゃないの?
基本的に手盾を使わないんだから、長柄の両手武器が白兵の主武器なんだよ。

というのかな、このスレに粘着しているアンチ鈴木がトンデモなのは、
日本刀がメインウェポンじゃなかった!というのを鈴木某の新説だと思っている点。

鈴木某がダメダメのは珍奇な新説ゆえではなくて、むしろ逆で、
昔からある説のひとつをさも自分の発見であるかのように喧伝しているからで。

古武術とかに関心のない人にとっては初耳かもしれんが、
「おいそりゃオメーの新説じゃねーだろ」とツッコミ入れるのが鈴木批判の常道じゃない?

むしろ「日本刀でガンガン戦ってました」という新説を出せる人の方がはるかにエラい。
783世界@名無史さん:2006/03/31(金) 22:59:52 0
>>779
分かってるから「参考程度に」って断ってるんだろ
784世界@名無史さん:2006/03/32(土) 06:06:45 0
鈴木は基本的に戦国時代の知識が無い
当時の馬格がポニー並で禄に走れない云々の所ではため息が出た。
785世界@名無史さん:2006/03/32(土) 06:37:58 0
西洋の騎士は騎馬突撃による突破がメインだったから、白兵戦とは趣向が違うね。

もっとも日本のの場合も、馬上からの騎乗射撃なんかもあるから、何ともいえない。
786世界@名無史さん:2006/03/32(土) 09:33:19 0
日本の騎馬武者の特徴は気性の荒い暴れ馬に好んで乗ることだと聞いたんですが
外国で用いられていた軍馬はおとなしいんですか?
787世界@名無史さん:2006/03/32(土) 11:10:26 0
>>786
西欧では、軍馬には扱いやすいように性格の温和な去勢した馬を
使用するのが一般的だった。
日本では馬の去勢が知られていなかったか、一般的でなかったた
め、軍馬には去勢していない牡馬が使われていた。
馬格は西欧の馬に比べると小さかったが、去勢されていないため
に性格は荒く、扱いにくかった。
788世界@名無史さん:2006/03/32(土) 13:00:54 0
去勢といえば西洋で宦官の有名人っている?
なんとなくイスラム辺りまではイメージは沸くけど
西洋人の宦官っていまいち。
789世界@名無史さん:2006/03/32(土) 15:38:17 0
イスラムはいまだに公の場でペニスを切り落とす刑罰とかやってるよな。
キリスト教に改宗しようとした同じイスラムの人間を死刑にしたりと、
もう21世紀だというのにオツムが昔と全然変わってない。
790世界@名無史さん:2006/03/32(土) 18:44:41 0
明治時代、日本の去勢されていない馬をみて西洋人達が驚いていたって話しもあったね。
これは技術と言うよりも、日本人としての価値観や、宗教観が影響しているのかも、
791世界@名無史さん:2006/03/32(土) 19:46:56 0
ただ単に牧畜文化が無かったせいですが
792世界@名無史さん:2006/03/32(土) 21:39:49 0
>>791
文化というあやふやな言葉では説明できないだろう。
放牧文化のないくにでも馬などの動物を虚勢している。
あれだけ周辺国のことを研究していた日本が、虚勢の文化を知らなかったとも思えない。
793世界@名無史さん:2006/04/02(日) 10:27:52 0
アラブ馬が異様にでかいだけで、近代以前の馬なんてみんな小さいと思うけど。
794世界@名無史さん:2006/04/02(日) 10:58:29 0
>>792
>放牧文化のないくにでも馬などの動物を虚勢している

どこだそれは
795世界@名無史さん:2006/04/02(日) 13:54:38 0
>>753
銃器に対抗する為に異様に分厚い鉄の鎧が開発されたが、
結局対応しきれず、どうせ銃器にはかなわないなら身軽なほうがいいってことで、
軽装化が進んだのではなかったっけ?

だから、中世の騎士は極端な重装備はしていなかった。
極端な重装備になるのは銃が開発されてからの一時期だけだと。
796世界@名無史さん:2006/04/02(日) 16:41:30 0
>>784
当時の馬が大きかった情報キボンヌ
797世界@名無史さん:2006/04/02(日) 19:21:09 0
784じゃないがモンゴル人はポニーに乗って突撃してた。
甲冑まで着て。
798世界@名無史さん:2006/04/02(日) 22:17:44 0
>>793
>アラブ馬が異様
昔も大きかったの?
なぜ大きいの?
799世界@名無史さん:2006/04/02(日) 22:47:01 0
2000年もの年月を費やした品種改良の賜物
800世界@名無史さん:2006/04/03(月) 01:47:28 0
甲冑着た状態でも非力なポニーに乗れたのは小柄な民族ゆえだな。
801世界@名無史さん:2006/04/03(月) 05:27:13 0
モンゴル方面の馬はやや小柄だが頑健で持久力に優れていると聞くぞ。
ポニーと聞くと小柄で非力な感じがするが、ポニーにもひょろひょろから
骨太なものまで色々あるみたいで、日本の在来種や大陸の遊牧民の
飼ってる馬は文字どおり馬力があって頑健っていう印象があるな。
802世界@名無史さん:2006/04/03(月) 08:50:51 0
803世界@名無史さん:2006/04/03(月) 13:21:28 0
十字軍騎士の乗っていた馬は現在のポニー並の大きさ。
それで十分移動できたし、戦えてた。
モンゴルの馬も小さいが、それでユーラシアを席捲した。
小さな馬だから禄に使えないという考えは間違い。
804世界@名無史さん:2006/04/03(月) 14:06:49 0
戦術にはまったくシロウトの思い付きだが、
戦国期の日本の馬って主に兵糧などの運搬用ないし戦闘員の迅速な移動用
じゃなかったのかな?
兵馬を駆使しての戦術には平原が最適だろうけど、日本の地理にそんな
ところ限られているし。
805山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/03(月) 19:27:14 0
「下剋上」という言葉が使用されるのは鎌倉時代末期からですが、この頃に
なると、由緒正しい騎兵同士の一騎打ちに雑兵のゲリラ戦術などが混じる
様になり、馬を下りて戦う例が見えて来る様になります。
戦国期になると、騎射の例がほとんど見えません。
朝倉教景(法名宗滴)は、若い頃の静止騎射を回想していますが。
流鏑馬というものもこの時期一旦途絶えており、現在のものは江戸中期に
なってから再興されたものです。
それ以前から、騎射や打ち物による一騎打ちはあっても、馬を走らせて集
団で突撃という風景は出て来なかったと思います。
時代が微妙に下りますが、延宝8年(1680)に上杉家浪人が自身や知人
が祖父から聞いたり記録を遺されていたものをまとめた『武辺咄聞書』とい
う書には、戦う際には下馬している場面が多く、馬上で打物を使用して戦
っていた時には、注記しています。
フロイスが日本人は下馬してから戦うと書いているのは、全部ではないに
せよ、よく見られた光景であったのでしょう。

寛文までに成立した『雑兵物語』には、浅はかな武士は荒れ馬を好んで乗ろ
うとするが、ああしたものは命取りになる。馬は一日に長距離を移動出来
る扱い易いものを選べとあります。
近世初期に成立した説経節『小栗判官』には、主人公が馬術を見せるシーン
がありますが、斜めに生えた松の木を上り下りしたり、障子の組子の上を
移動してみたり、碁盤の上に馬を乗せたりと、移動して戦う手腕ではなく
急な道や狭い道を移動するのに必要な技術が要請されています。

>戦国期の日本の馬って主に兵糧などの運搬用ないし戦闘員の迅速な移動用
こちらの必要の方が大きかったと思いますよ。
806世界@名無史さん:2006/04/03(月) 23:46:23 0
ここまで読んできたが
思ったより詰まらないレスばかりのスレだった
807世界@名無史さん:2006/04/04(火) 01:00:07 0
802
コピペするやつも不正確なことを安易に書く704と同罪。
808世界@名無史さん:2006/04/04(火) 01:25:32 0
>>804
4・5km四方もあれば普通に戦術レベルで騎馬も使えますよ。
809802:2006/04/04(火) 07:57:35 0
えっ704ってネタなの?
810世界@名無史さん:2006/04/04(火) 13:49:52 0
>>806
一番つまらないのはお前のレスだけどな
811世界@名無史さん:2006/04/05(水) 18:24:54 0
>>1
武士(ムサ)の方が強いことは明白でしょ
ムサを朴った日本のブシは弱いだろうけど

武士(ムサ)>>>>>騎士>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ブシ>日本鬼子

くらいでしょ
812世界@名無史さん:2006/04/05(水) 20:14:59 0
>>809
少なくともバトゥータの記述については「大旅行記」4巻p23に書いてあるが?
813世界@名無史さん:2006/04/05(水) 23:35:06 0
独りよがり旅行記。
814世界@名無史さん:2006/04/16(日) 15:05:21 0
>>808
なにを以って「使える」とするかだな。
乗馬歩兵による戦術機動を指していうなら十分「使える」といえるだろうが。
815世界@名無史さん:2006/04/16(日) 15:24:59 0
あれほど最強と信じられた西洋はモンゴル帝国に何故敗れた?
816世界@名無史さん:2006/04/16(日) 15:31:18 0
別に敗れてなくね?
817世界@名無史さん:2006/04/16(日) 15:34:28 0
別に西洋は最強と信じられてないしな
818世界@名無史さん:2006/04/16(日) 15:50:23 0
当時の西欧は後進地域
文明的にアジアより遅れていたのだから、軍事力だけでも
がんばったと見るべき。
819世界@名無史さん:2006/04/16(日) 18:43:42 0
>>814
騎乗突撃もできるって。
820世界@名無史さん:2006/04/16(日) 21:00:01 0
甲冑を着てる人が馬に跳ねられる又は馬に蹴られると、
どの程度のダメージを受けるの?まあ、まちまちなんだろうけどさ。
馬上で武器を使わなくても馬自体を武器にするって発想は
日本には無かったのかいな?
821世界@名無史さん:2006/04/16(日) 21:28:59 0
>>820
要するにプロテクターを着けてるようなもんだから、生身で蹴られたり、踏まれ
たりするよりはダメージが少ない。
その代り、落馬した時は自重が重くなっている分、ダメージが大きくなるようだ。

あと、装甲した歩兵をけちらそうと騎馬が安易に近づくと、馬の脚を狙われたり
槍の石突を地面に、穂先を馬の胸に向けて迎撃されるよ。
822世界@名無史さん:2006/04/16(日) 21:46:57 0
ありがとうございます
>槍の石突を地面に、穂先を馬の胸に向けて迎撃
そういえば、スコットランドの英雄の映画でそういうシーンを見ました
ひき逃げアタックは難しいのですね
823世界@名無史さん:2006/04/17(月) 01:22:02 0
普通に考えれば、ただ跳ねられるのを待ってるだけのノロマな兵士は少ないだろ。
よっぽどの混戦で混乱してるならともかく。
それ程の混戦なら馬を走り回らせる事も難しいんじゃないか?
824世界@名無史さん:2006/04/17(月) 01:36:21 0

■日中韓の正しい歴史 基礎知識入門サイト

 韓国は“ な ぜ ”反日か?
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

東亜板では最も有名なサイトのうちの一つ。

韓国の話を中心に、中国や日本に関する問題を
過去・現在ともに、わかりやすい言葉で大雑把に把握できる。


まだ読んでない人はぜひ一読を。
825世界@名無史さん:2006/04/17(月) 02:36:14 0
落馬したとき、立ち上がるのも困難だが、装甲があるので歩兵がよってきても
馬なしでも戦えた。が、甲冑と甲冑の間を集中攻撃されて痛かったみたい。
即死じゃないから
826世界@名無史さん:2006/04/17(月) 15:43:37 O
>>823
馬と駆けっこして勝てますか
馬が止まっていようと馬にけられたら死にますよ。
827世界@名無史さん:2006/04/17(月) 15:44:41 O
>>823
馬と駆けっこして勝てますか
馬が止まっていようと馬にけられたら死にますよ。
つーか突撃されて逃げたら負けじゃん。
828世界@名無史さん:2006/04/17(月) 23:24:48 0
>>824
長いけど全部読んだ
朝鮮人はマジで良心のカケラも無い悪魔だな

危機感というより朝鮮人というものに恐怖心を覚えたよ・・・
韓国の反日教育なんかより、何よりヤバイと思ったのが「在日朝鮮人」の存在

あと、日本は近い将来に韓国や中国との戦争は避けられないような気がした
829世界@名無史さん:2006/04/18(火) 20:28:10 0
>>827
お前は真っ直ぐにしか走れないの?w
830世界@名無史さん:2006/04/18(火) 21:39:10 O
くねくね走ったほうが逃げ足早いの?。
仮に逃げれたとしても、陣形がみだれて収拾つかなくなるだけでしょう。
831山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/19(水) 00:53:02 0
>>820
>馬上で武器を使わなくても馬自体を武器にするって発想は
鎌倉時代に馬を敵の馬に当てて落馬を狙う事はありましたが、騎馬のみでの
突撃は無しで。『雑兵物語』に馬を暴れさせるなとはありますが。
実際に戦う場合、せいぜい馬上での打ち合いです。戦国期にはそれも少ない。
『別所記』の一異本の中に、雌馬数百頭を放って敵軍の雄馬を興奮させて身動
きを止めたというのは、日本で専ら雄馬が使用されていた為。
これも、ある意味馬を武器にしていますが・・・ずれますね。
832世界@名無史さん:2006/04/19(水) 11:07:50 0
>>830
横にかわせば良いだけじゃんw
君って馬鹿?
833世界@名無史さん:2006/04/19(水) 13:20:58 O
わかった。反復横飛びずっとやっとけ。
君なら戦いが終わるまで避け続けることができるよ。
君こそ人類の希望だ。
確かに象相手に避けたって記録もあるから、きっとできるよ。
スキピオをこえたね。軍事の天才だ。
834世界@名無史さん:2006/04/19(水) 16:02:32 0
横にかわしたら敵の槍に刺さったり
味方にぶつかって避けきれなかったり

という可能性
835世界@名無史さん:2006/04/19(水) 20:13:14 0
ぶっちゃけ、騎馬単体なら大した威力は無い。
836世界@名無史さん:2006/04/23(日) 13:06:52 0
>>832
兵士がみんなでそれをやろうとすると、
すなわち陣形の崩壊という事態を招くのですよ。
837世界@名無史さん:2006/04/23(日) 19:40:35 0
なんかまともな知識を持った人はどっか行っちゃったみたいだね。
>>825
この話は何度も繰り返されてるけど「立ち上がるのが困難」というのは
日本人の脳内でできあがった歪んだイメージで、事実ではない。
実際、鎧を着て機敏に動けた。
また「間を集中攻撃」というのも、フルプレート時代にはできなくなり
お互いに力任せに重量のある武器で殴りあってた。
838世界@名無史さん:2006/04/23(日) 19:48:27 0
ねえモンゴルの騎兵が突撃(すぐUターンしてパルティアンショット目的かも知れんが)してきたとき、
騎士・武士がわざわざ馬から降りて戦えるかね?
やっぱり乗ったまま戦おうとするんじゃないの?
839世界@名無史さん:2006/04/23(日) 20:18:16 0
>838
13世紀は騎士も武士も乗馬したまま戦ってたよ。
840世界@名無史さん:2006/04/23(日) 20:25:02 0
基本的に騎馬は杭とか柵あったらなにもできんかった
841世界@名無史さん:2006/04/23(日) 21:11:02 0
>>837
>実際、鎧を着て機敏に動けた。
ソースキボンヌ
842世界@名無史さん:2006/04/23(日) 21:42:57 0
>>839
何!?
山野の野郎が武士でも下馬して戦うのが普通、とかのたまってなかったか?
843世界@名無史さん:2006/04/23(日) 21:51:43 0
>>842
山野の間違い。
一時期武士は下馬してしか戦わなかったと言う説が一世を風靡した。
山野はその時代の人間なのだろう。
鎌倉時代末期から南北朝期の乗馬打ち物なんて今や常識。
844世界@名無史さん:2006/04/23(日) 21:59:20 0
>>843
いつ、だれの研究で変わったの?
845山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/23(日) 22:11:18 0
下馬でしか戦わなかったとは申し上げておりません。
わざわざ下馬して戦うのが見えているのが南北朝期です。
14世紀初頭の『春日権現験記絵』や『結城合戦絵巻』には、長柄を使用し
た馬上打物が見えており、『太平記』にも一騎打ちで鉞や棒を利用した例
が見られます。
伝足利尊氏画像や『真如堂縁起絵巻』で大太刀の切っ先を肩の後ろの方に
回していますが、馬上での使用を想定したものでしょう。
ただ、『太平記』の時点で既に騎乗していたものが開戦時に下馬する姿が
確認出来、時代が下ると一層顕著なものになっています。
騎射の減少も『太平記』の時点で既に見られ、戦国期には流鏑馬も廃れて
ほとんど見られない。朝倉家では犬追物が已然として行われており、朝倉
教景も若い頃静止騎射を行ったことを回想していますが、珍しい。
大袈裟な記述の目立つ本ですが、『日欧文化比較』に日本の武士が合戦に
あたって下馬するとあるのは、ある程度事実をついているのでしょう。
『雑兵物語』に、今時は馬に乗ったまま勝負をつけなくなったとあるのは、
作者が年長者に聞いた時代の変化を記したものか(16世紀末以降?)。
17世紀になって16世紀の合戦を回顧したものの中でも、騎馬であった
者必ずしも騎乗したまま戦ってはおらず、そうでない場合は「騎馬にて」と
説明されていますね。
乗るのは追撃時にしろ云々との古武者の教訓もあります。裏を返せば騎乗で
の打物も皆無では無かったという事でしょうが、近世まで下ると否定的に捉
えたものが多い。
前近代は騎乗出来ること自体一つの資格でしたが、中世も後期になると、そ
れに拘るよりも合理的な戦闘法を追究する様になったのでしょう。
846世界@名無史さん:2006/04/23(日) 23:40:25 0
>>840
それが可能な状況は結構限られるけどね。
847山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/24(月) 01:12:02 0
>>839には、13世紀とありますが、以前下馬戦闘云々について申し上げた
場合でも、14世紀以降の例をご紹介していた筈。842氏の勘違いでは。
848世界@名無史さん:2006/04/24(月) 19:49:49 0
>>841
837じゃないけど甲冑関係の本には大抵書いてあるよ。
15世紀のフルプレートアーマーの重量は20〜25kgで機敏に動けた。
少し大げさなのかもしれないが逆立ちなどもできたらしい。

フルプレートアーマーが鈍重というイメージができた理由の一つに
トーナメント甲冑が野戦用のものと勘違いされたということがある。

ソースはどれに書いてあったか忘れてしまったけど
オスプレイシリーズや 図説 西洋甲胄武器事典 あたりだったと思う。

849世界@名無史さん:2006/04/27(木) 03:05:19 0
永続的に動く事を考えたら飛んだりはねたりはで着ないだろうがな
飛んだりはねたりはが1〜2分間ぐらいしか持続できないならそれは
できるとはいえないと思うがどうかな?
850世界@名無史さん:2006/04/27(木) 03:14:23 0
高校生の時より体重が20-25キロ増えてる中年男は
漏れだけではあるまいw
が、別に飛んだりはねたりが一二分しか出来ないわけではないし、
ましてや一旦ころんだら立ち上がれない香具師などいないだろうw
つまり重量配分がきちんと出来ているなら20-25キロ増というのは
その程度のハンデなのだよ。
ましてや鎧を纏っているのが若者名場合は、である。
つーか、若い人でも20-25キロ体重超過してる香具師なんて
いくらでもいるだろうが。そいつらの運動能力を考えてみろよ。
851世界@名無史さん:2006/04/27(木) 13:08:27 O
重装備の甲胄着けたらクソしたくなったらどうする?
武士は袴にできる穴というか切れ目があったらしいが
852世界@名無史さん:2006/04/27(木) 14:03:13 0
>>850
体重と一緒にするなよ。
体重が増えるにつれて筋肉なんかも増えて身体はバランスをとるけど鎧はそうじゃない。
ついでに20-25キロ体重超過している奴はそうでないやつより遙かにとろい。
戦場ではカモだな。
853世界@名無史さん:2006/04/27(木) 17:22:00 0
>>852
お前は中年太りというものの本質を理解していないw

それと戦場で20-25キロ重くなってない奴というのは
要するに鎧を着ていない奴ということで、それこそカモw
854世界@名無史さん:2006/04/27(木) 21:01:39 0
このスレだったか、前スレだったか
プレートアマーマーを実際に制作して人間に装備させて
運動させる実験をしたビデオが公開されていた。
それを見たが、かなり運動性はよいぞ。
855世界@名無史さん:2006/04/27(木) 21:06:04 0
418 名前:248[sage] 投稿日:2006/04/26(水) 03:47:30 ID:cNHIkaE70
どうも、とりあえずCSが見れない人向け
ひすちゃん甲冑技術
ttp://www.uploda.net/cgi/uploader1/index.php?dlpas_id=0000106328
Pass=Armor

フェ地板から転載。
856世界@名無史さん:2006/04/27(木) 21:59:43 0
>>854
そりゃ最初の二、三分なら機敏に動くこともできるだろうさ。
だけど実際の戦闘は数時間、半日、終日、あるいは数日に渡ることが普通だからな。
857世界@名無史さん:2006/04/27(木) 22:02:17 0
858世界@名無史さん:2006/04/27(木) 22:20:17 0
>>857
見たけど意見は変わらないよ。
数時間も戦っているわけでもないし。
859世界@名無史さん:2006/04/27(木) 22:29:07 0
>>858
ばーーーーーーーーか
860世界@名無史さん:2006/04/27(木) 22:38:03 0
おいおいもう頭悪そうな
雑魚キャラしか残ってないのかよ

泣けるぜ
861世界@名無史さん:2006/04/27(木) 23:11:21 O
武士は戦場まで重い兜を脱いでいました。
また、武士は戦場に行くまで数頭の馬を乗り継いでいました。
騎士も鎧を着たままではなかったのではないでしょうか?
862世界@名無史さん:2006/04/28(金) 06:27:26 0
>>861
>>858は24時間鎧を着ていると思っているらしい。
863世界@名無史さん:2006/04/28(金) 18:19:41 0
戦場に付いてから着るに決まってるジャン
864世界@名無史さん:2006/04/29(土) 01:10:29 O
>>862
戦闘が数時間に及ぶ事は普通では?

>>863
戦場に着いてから鎧を着ていた騎士は敵の奇襲や遭遇戦に対応できないから弱いと言う結論で良いですか?
865世界@名無史さん:2006/04/29(土) 01:43:16 0
少なくとも行軍時は甲冑は脱いだりはしない。部分的には外したりはしただろうが。

甲冑が20〜25kgは非常に軽いということを理解していない奴がいるみたいだが
20〜25kgというのは第一次世界大戦時のイギリス歩兵の装備よりも軽い。
まして甲冑を着て馬で行軍することなど難しくは無い。
この程度の重さでカモにしかならないなら大鎧を着た武士も似たようなものになってしまう。

騎士も武士も甲冑を着ることが着ない相手に対して圧倒的に有利となったから着たのであって
足手まといになるためではない。

866世界@名無史さん:2006/04/29(土) 01:47:27 O
>>865
第一次大戦中の歩兵が装備を背負ったままで無かった事ぐらいは理解出来るのかい?
867世界@名無史さん:2006/04/29(土) 02:02:48 O
>>865
>大鎧を着た武士も似たようなものになってしまう。
というか、なった。
だから大鎧は室町末期には姿を消した。
室町中期以降は腹巻き、胴丸を着る武士も増えた。
後期に鉄砲が増えると機動性の高い従来の日本甲冑と防御性の高いヨーロッパ甲冑の良い所取りした当世具足が登場して儀礼以外で大鎧を着る者はいなくなった。
868世界@名無史さん:2006/04/29(土) 10:00:59 0
>>第一次大戦中の歩兵が装備を背負ったままで無かった事ぐらいは理解出来るのかい?
当然、戦闘時は装備を軽くしていた。ここで言っているのは行軍時のこと。
869世界@名無史さん:2006/04/29(土) 11:14:42 0
とにかく鎧はちゃんと役に立つんだよ。重くてもね。
役に立たないものを開発するなんて無いんだしさ。
870世界@名無史さん:2006/04/29(土) 22:36:48 0
>役に立たないものを開発するなんて無いんだしさ

世界各地での軍事技術の変遷てのは生物の進化と淘汰のようなもんで
合理性を追求してるつもりで袋小路にはまってたりするのです。
871世界@名無史さん:2006/04/30(日) 00:29:50 0
両手持ちの日本の打ち刀は袋小路と言うことで分かっています
872世界@名無史さん:2006/04/30(日) 05:53:17 0
>>870>>871
どの辺がそうなの?
873世界@名無史さん:2006/04/30(日) 06:03:51 0
パラダイムというやつだな。
874世界@名無史さん:2006/04/30(日) 10:00:09 0
>>866
現代のアメリカ陸軍歩兵の装備は戦闘時25kg、行軍時35kgが標準。

多分20世紀に入ってからこのかた歩兵の装備重量は増加する一方だろう。
875世界@名無史さん :2006/04/30(日) 10:51:10 0
世界の戦史を知ると、鉄砲が入ってくる前の日本の兵士(武士)はあまり強くはない気がする。

地理的な状況から、局地的な戦闘が得意だと思いますが、歴史を大きく動かした国家同士の正面

からの戦闘ではかなり分が悪いように思います。

ところで日本で弓を重点的に使用した戦ってある?
876世界@名無史さん:2006/04/30(日) 12:35:58 0
>日本で弓を重点的に使用した戦
鉄砲がくるまで弓メインじゃないか?
877世界@名無史さん:2006/04/30(日) 13:08:05 0
>>876
射程短い、当たらない、殺傷力低い、戦場では使えん。
実際狙撃するとなると相当の技量が必要とされるので大量投入には不向き。
878世界@名無史さん:2006/04/30(日) 13:15:22 0
その割には負傷者のトップを矢傷が独走しているらしいが。近づいて傷つく
より、遠くから攻撃するほうが好みだったんだろ
879世界@名無史さん:2006/04/30(日) 13:52:38 0
武士=重装弓騎兵
騎士=重装槍騎兵
880世界@名無史さん:2006/04/30(日) 18:51:01 0
つーか狙撃しなくてもいいように大量投入するんじゃないの?
日本はよく知らんがイングランドの長弓兵なんかはそうだろ。
881世界@名無史さん:2006/04/30(日) 19:06:39 0
陣          陣
と、距離を離していて、両軍の相対距離が近づいていくと、まずは石投げるとか弓放つとかを始めに行って、
その後斬りあい、突きあい、叩きあいが多いんじゃない?

弓といえば火矢とか弩とかは有用だと思う
882世界@名無史さん:2006/04/30(日) 19:07:15 0
>>880
日本の弓は威力が低すぎる。
騎士と武士で弓の射ち合いしたらほぼ確実に武士が負ける。
883世界@名無史さん:2006/04/30(日) 19:25:13 0
>>882
具体的に日本の長弓とイングランドの長弓との差はどんくらいよ?
884世界@名無史さん:2006/04/30(日) 19:54:44 0
>>882
騎士は弓使わないから武士が勝つんじゃないかw
885世界@名無史さん:2006/04/30(日) 20:19:52 0
弓を使う武士はプレートメールを貫けない
騎士は逆に重くて追いつけない

 引き分け
886世界@名無史さん:2006/04/30(日) 20:50:45 0
>>885
武士が馬上で弓矢を使っていたのは鎌倉時代あたりだが
その当時、13世紀の騎士はメイル・ホウバークしか着ていなかった。

メイルは斬撃には強いが槍や矢など突き刺す攻撃には弱い。
887875:2006/05/01(月) 01:09:40 0
正直に知りたいです。ご存じの方、教えて下さい。

日本の弓の有効射程距離が10としたら、英国のロングボウやモンゴルの合成弓は

どのくらいの数値になるのでしょうか?

ざっくりでいいです。教えて下さい。
888世界@名無史さん:2006/05/01(月) 01:25:47 O
ロングボウは単材で、日本で言う所の丸木弓。
日本では合成弓が登場すると単材の原始的な弓である丸木弓は消えた。
単材の弓は強度に問題があり、ひいては張力に限界がある。
ロングボウはイングランド以外で実用化された事の無いので比較にならない。
889世界@名無史さん:2006/05/01(月) 01:37:12 0
>888
ロングボウも単純に長くすれば張力を上げられるとか何かで読んだが。

複合材の弓は気候によっては壊れやすいという欠点がある。
朝鮮の角弓は壊れやすく保管が大変だったらしい。
インドでも気候に合わせた鉄の弓が開発されたりしている。
890世界@名無史さん:2006/05/01(月) 01:55:01 O
イギリスの武器収集家ギャルウェイの再現実験が正しいならば、ロングボウの最大射程255m、クロスボウの最大射程360mとなり、トルコ弓の最大射程が600m、トルコ弓で戦闘用の矢を使用したのであれば最大射程400mとなる。
891世界@名無史さん:2006/05/01(月) 14:47:26 0
モンゴルの弓の売りは連射性だと思っていたが…。実際どうなの?
892世界@名無史さん:2006/05/01(月) 22:51:42 0
>>890
現代の拳銃より凄いなw
893世界@名無史さん:2006/05/01(月) 23:20:10 0
そら拳銃じゃなぁ
894世界@名無史さん:2006/05/02(火) 00:39:30 0
和弓の平均張力はどのくらいだったんだろ?
結構弓関係のスレは見たけど書かれてるのは見たことないな・・・
895世界@名無史さん:2006/05/02(火) 18:49:32 0
>>871
碌に運動もしない貧弱君が、本やネットだけで得た頭でっかちの知識で知ったかぶっても痛いだけ
896世界@名無史さん:2006/05/02(火) 18:56:15 0
弓の威力を高めるには、弓を堅くするか長くするか。
モンゴルや朝鮮弓は牛の角などを重ねた合成弓で、弓自体の剛性を高めて
威力を強くした。
イングランドのロングボウや日本の和弓は、弓を長くする方向で進化した。
897世界@名無史さん:2006/05/02(火) 21:59:13 0
>>877 >>888
三国戦国板の こういう話題のスレで言ったらボロクソに叩かれるであろう発言だな
釣りだったら別だけど
898世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:04:11 0
>>890-893
弓の実験は放物線射撃(弓なりに弧を描く 俗に言う目くら撃ち)だったんでしょ
水平撃ち(狙撃 スナイプショット)だと射程距離もっと短いし
899世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:05:14 0
>>897
なら反論キボン。つか聞きたいです。
900世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:16:37 0
歴史群像だかの元寇の考証で、
蒙古軍の弓に対し、鎌倉武士の弓は遜色なかったとかなんとか。
射程距離だけの話かな??

ちなみに、投槍がヨーロッパで廃れたのは、
クロスボウとかの発達のせい??
901世界@名無史さん:2006/05/02(火) 22:37:52 0
>>900
めんどくせーから。
902世界@名無史さん:2006/05/02(火) 23:07:59 0
>>900
NHKでやってた番組だっけ?
見た覚えがあるような…。
903世界@名無史さん:2006/05/03(水) 04:26:03 0
昔から蒙古弓と和弓の性能差の話題が出るけど結論には至らないんだよな
904世界@名無史さん:2006/05/03(水) 07:07:59 0
>900
ロシアでは16世紀ごろでも使ってた>投槍
905887(875):2006/05/04(木) 12:08:42 0
>昔から蒙古弓と和弓の性能差の話題が出るけど結論には至らないんだよな

やっぱりそうですか。検証がされていなければ仕方ないですね。

イングランドのロングボウのように集中的に弓を使用した例って、やっぱり日本

ではないって事でOKですか。であれば、鉄砲が入る前の日本は大会戦には強くないって事に

(自分の中では)なります。

906887(875):2006/05/04(木) 12:09:23 0
あっ、レスくれた方ありがとうございます。
907世界@名無史さん:2006/05/04(木) 12:28:12 0
>>903
デヴィッド・ニコルの"The Mongol Warlords"という本では元軍と武士団との戦闘について

The grimly professional Mongols fought in disciplined formations and also enjoyed superior weaponry.
Not only was the Mongol composite bow greatly superior to the simple Japanese longbow but Kublai
khan's army also used assorted crossbows and pyrotechnic weapons, probably including primitive forms
of gunpowder.

と書いていた。
908世界@名無史さん:2006/05/04(木) 12:46:26 0
exciteで翻訳してみたよw

無気味にプロのモンゴル人は規律がある構成とまた、
楽しまれた優れた武器で戦いました。
また、Kublaiカーンの軍隊はさまざまないしゆみと花火の兵器を使用しました、
たぶん原始の形式の火薬を含んでいてモンゴル人の合成お辞儀が
単に簡単な日本の大弓より大いに優れていたのではなく。
909世界@名無史さん:2006/05/04(木) 12:46:35 0
あぁ・・武士と騎士を
たけしと騎士ってよんじまった・・・
910世界@名無史さん:2006/05/04(木) 12:58:51 0
「厳格なプロフェッショナルであるモンゴル軍は規律のとれた隊形で戦い、また(武士より)優れた兵器を持っていた。
モンゴルのコンポジット・ボウは日本の単純なロングボウより大いに優れていたのはもちろん、クビライ・カーンの軍隊は
クロスボウや、多分原始的な火薬を含めた焼夷兵器などさまざまな兵器を用いていた」
911世界@名無史さん:2006/05/04(木) 12:59:25 0
鎌倉時代の武士は弓が主力武器だから、兵数が○○騎と表記されている場合は、
その数がそのまま弓兵の数だろ。
ほとんどの合戦で日本は万単位の弓兵を投入しているような気がするのだが、
そういうのは集中的に弓を使用した例って言わないのか?
912世界@名無史さん:2006/05/04(木) 13:32:34 0
>>911
イングランドの弓兵は密集して射的を行ったと思うのだが、
鎌倉時代の武士はどうたったんだろうね。
一応「名乗り」や「一騎打ち」があったと言われている時代だが
(それを蒙古兵にしたかどうかは別として)。
913世界@名無史さん:2006/05/04(木) 21:16:42 0
イングランドがやったような、精密には狙いを定めないで弾幕的に矢をばらまく戦法は
狙撃必殺こそ最上の戦法と考えていた鎌倉武士にはできない(やりたがらない)んじゃないの?
914世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:14:28 O
絵巻き物を見ると無数の矢が飛び交ってるように見える。
915世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:34:08 0
>精密には狙いを定めないで弾幕的に矢をばらまく戦法
そんなんで武功の確認とかできるのかしら?
916世界@名無史さん:2006/05/05(金) 00:00:27 0
>>912-913>>915
矢で弾幕を張る「楯突き戦」が中世日本で主流であった事は山野と朱が散々
語っています。
917世界@名無史さん:2006/05/05(金) 01:09:28 0
そもそも日本の大会戦って
2〜3万ぐらいじゃないかな
918世界@名無史さん:2006/05/05(金) 02:36:13 0
>>917 1万こえた戦いは大きな戦い。所詮日本だ
919世界@名無史さん:2006/05/05(金) 05:52:28 0
それはヨーロッパも同じだよ。
年代も限定しないで言うのは無理がある。
920世界@名無史さん:2006/05/06(土) 14:01:02 0
三国志の100万の大軍とかの数字を鵜呑みにしてる子供じゃないの?
921世界@名無史さん:2006/05/07(日) 07:06:43 0
そんな大軍だと100万人分の糞の海に溺れて死にそうw
922887(875):2006/05/07(日) 14:09:53 0
映画『ブラックホークダウン』で米軍が苦戦しているのを見て、当たり前の事に気がつきました。

同じような武器を使っていれば圧勝する事はなかなかできない、圧勝するには射程距離の長い武器が必要
だということを。歴史をふりかえると

マケドニア>周辺国    ■長槍を集中的に使用。
ローマ>周辺国      ■投げ槍でOK?
モンゴル>ヨーロッパ   ■比較的射程距離が長い弓を重点的に使用。
イングランド>フランス  ■いうまでもなくロングボウ。
信長の鉄砲>武田騎馬隊  ■どこまで事実かわからんが、まあ順当に鉄砲って事で。
ナポレオン>周辺国    ■大砲の集中使用でOK?
真珠湾・マレー沖海戦   ■航空機の集中使用。
原爆           ■超空からB29で。
核ミサイル        ■未使用も迎撃システム未完成。   

当たり前といえば当たり前なんだけど、ロングレンジで攻撃できる武器が圧勝する条件だと。
そこで鉄砲がない頃の日本は大会戦に弱かったのでは、と思い始めました。弓を集中的に使用していない
イメージなので。(あくまでイメージ、未検証です)
923世界@名無史さん:2006/05/07(日) 15:13:33 0
>>922
あなたの中では鉄砲がない頃の日本は、大会戦でどんな武器を使って戦っていたイメージなの?
924世界@名無史さん:2006/05/07(日) 15:55:17 0
イングランドの長弓よりフランス軍が雇った傭兵のクロスボウのほうが
射程長かったんちゃうん?

どっちかというとアレは運用法の問題だろう
925世界@名無史さん:2006/05/07(日) 17:14:01 0
長弓のほうが射程は長かった気がする。
それが放物線を描くように射るのも含めてかどうかは知らんが。
926世界@名無史さん:2006/05/07(日) 17:29:25 0
ジョン・マクドナルドの『戦場の歴史』によるとクレーシーの戦いでは、
イングランドの長弓兵 射程256メートル
ジェノバの弩兵 射程320メートル
927世界@名無史さん:2006/05/07(日) 17:30:29 0
武器とか兵器単体の射程が戦闘の全てを決するなら諸兵科連合はいらん
928世界@名無史さん:2006/05/07(日) 19:02:34 0
>>922
言わんとすることはわかる。
圧勝する条件と言うか、射程距離長いほうが有利ってだけだろう。
というか、君はあまり歴史知らなそうだ・・

929922(887・875):2006/05/07(日) 23:14:21 0
>イングランドの長弓よりフランス軍が雇った傭兵のクロスボウのほうが
射程長かったんちゃうん?

表現がまずかった。つまり「集中使用(発射)」をしかたどうか。
日本海海戦でもロシアの方が射程距離は長かった。でも連射性で日本の方が上だった(はず)。
でも言いたい主旨は理解してもらえてると思う。
あとロングレンジよりアウトレンジの方が英語表現として的確かな。


>君はあまり歴史知らなそうだ
肯定。でもこう考えると戦争が分かりやすいでしょ。

しかしローマの強さは投げ槍だけで説明がつかないと自分でも思ってます。
やっぱり総合力の強さ?
930世界@名無史さん:2006/05/07(日) 23:42:50 0
集中使用のことなんか最初何にも言ってなかったのにな

そんなんだったら
射程距離の長いほうが勝ったら>射程距離が長かったから
短いほうが勝ったら>集中使用したから
とかいくらでも好きなように言えそうな気がするが
931922(887・875):2006/05/08(月) 00:52:58 0
>とかいくらでも好きなように言えそうな気がするが

その矛盾は自分でも自覚しています。日本海海戦の例は混乱させてしまいましたね、失礼。

ただ、本筋に戻すと弓の集中使用って日本では思い浮かばない。。。
実際どうだったのでしょうか。

戦国時代以前の騎馬(兵)って弓よりも槍や刀で切り込むイメージが強いです。
弓をもっていても弾幕を張るようなレベルでなく個別に撃ち込むイメージが強いです。

>916 矢で弾幕を張る「楯突き戦」が中世日本で主流であった事は山野と朱が散々語って
います。

本当ですか?勉強不足で「楯突き戦」の意味が分からないのですが。。。
932山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/08(月) 08:20:22 0
「楯突戦」→木製の楯を挟み、一町程度から次第に距離をつめて矢を放ちあ
うもの。地方領主同士の小競り合いならこの段階で済むが、大規模なものに
なると、この後矢を受けて崩れた所に突っ込んで白兵戦や追物射をいどむ馳
組戦に入る。
「馳組戦」→名前の通り、馬で乗り込んで射かけ、組打をする戦闘法。
以上、一般に最古態本と言われる延慶本『平家物語』より。
少なくとも、12世紀末〜13世紀前半まではこの状態。

>戦国時代以前の騎馬(兵)って弓よりも槍や刀で切り込むイメージが
弓馬の道と言うでしょう。戦国時代まで、とりわけ鎌倉時代は弓射騎兵の時
代です。12世紀までは馬上での攻撃法は弓矢によるものぐらいしか見当た
りませんが、『平家物語』になって組打や太刀による打物が見えて来る。
更に、14世紀になる頃には、馬上で長刀などの長柄による打物も登場。
ただ、戦国期になると下馬して戦う事が多くなっていた。

>弾幕を張るようなレベル
楯突戦では、互いに矢を射かけあって崩れるのを狙った訳ですから、弾幕と
言ってもいいでしょう。馬上からの静止騎射も描かれています。
933山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/08(月) 08:21:48 0
中世には矢が主流であったとは、14世紀以降の軍忠状に見える疵の多くが
矢疵であった事から何度か指摘されていますが、白兵戦による疵はそのまま
致命傷となったから記載が少ないのではという反論もあります。
私は、地形や規模次第で、楯突戦で済むものもあれば、大々的に追討ちをか
けて白兵戦をやらかすものまであり、一概には言えないと思っていますね。

弓については、弓馬の道ではなくても弓箭の道と呼んだ例も多く、15世紀
後半までに見える武芸というのが騎射が歩射という事もあって、一般にイメ
ージされているよりは矢の利用が盛んであったのは確かでしょう。
『平家物語』あたりだと、射る事の出来るもの全員に射させたともありますが
これなどは集中運用の例では。中世には武士以外でも弓が使える者が多い。
934世界@名無史さん:2006/05/08(月) 08:25:33 0
>>931
「楯突戦」っていうのは、楯を垣根のように横一列に並べて、その後方から矢を
射合う戦闘形態。
それで十分なダメージを与えたら、敵にとどめを刺すために騎兵が楯の外に出て
騎射戦を行なう「馳組戦」に移行する。
935922(887・875):2006/05/08(月) 23:14:35 0
早速のレスありがとうございます。感謝です。なんとなくイメージできます。

なんだか「楯突戦」ってなんだか第一次大戦の塹壕戦のような感じですね。
緊張感はとてもありそうですが、突破力がないようでなんとも地味な印象です。

強そうには見えないけど、案外と戦争ってそんなものかもしれませんねぇ。
936世界@名無史さん:2006/05/09(火) 00:23:43 0
弓矢は武士しか使わないと思っているようだが、中世では百姓が農閑期に弓で狩をしていた。
大半の日本人が弓矢を使えたと思って間違い無いだろう。槍の方が持っている人が少なかったのではないか、と思う。
937世界@名無史さん:2006/05/09(火) 00:24:31 0
弓矢は武士しか使わないと思っているようだが、中世では百姓が農閑期に弓で狩をしていた。
大半の日本人が弓矢を使えたと思って間違い無いだろう。槍の方が持っている人が少なかったのではないか、と思う。
938世界@名無史さん:2006/05/09(火) 02:03:18 0
なんで2回言うねん
939世界@名無史さん:2006/05/09(火) 02:43:49 0
>>922
強さ関係がメチャクチャだ。
独自理論を展開するのはいいがもっと勉強しろ。
940世界@名無史さん:2006/05/09(火) 11:00:34 0
>>938
活力鍋か何かのテレビCMでも「2回言いましたよ」って言うのがあるなw
意味が判らん
941山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/09(火) 19:22:22 0
>>937
鑓も狩猟に使用されていました。近世には弓・鑓・鉄砲が狩猟用に使用されて
おり、焼畑で今でも有名な椎葉では、18世紀には400挺もの鉄砲の所持
が許されていたほどです(特産の熊の胆貢納の為)。
これらの使用は、平野部にもしばしば見られます。
祭祀と絡んで武具が登場する事もあり、前近代には武器と狩猟・祭祀用具の
区別が判然としていなかった。江戸時代の農業書には、鉄砲が農具として鍬
などに混じって紹介されています。
942世界@名無史さん:2006/05/09(火) 19:25:37 0
秀吉が兵農分離の為に行った「刀狩」は「刀」狩りであって、
「弓狩り」でも「鉄砲狩り」でも「槍狩り」でもない。
当時は戦闘で刀が殆ど使われなかったとする鈴木氏らの説を正とするならば、
「刀狩り」というネーミングはいかにも奇妙だ。
やはり、当時においても刀が戦闘における象徴的な存在であったのは間違いないのではと思うが
反論をどうぞ。
943山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/09(火) 20:07:35 0
象徴的な存在=実戦的な存在という事にはならないと思いますが。
実際には刀狩り以降もしばしば弓・鑓・鉄放を使用した(そういえば、刀は
出て来なかった)境界争いや水争いが起きています。
表向き、二本挿しを武士の特権・身分表示とする為の政策であったらしい。
刀の方は、日常的に身につけていましたから。刀重視の意識が浸透したのも
近世には他の武器との接触が今一つだった事によるのでしょう。
逆に、農民も脇差は普通に携帯していたものの、狩猟に刀を使用したとは聞
きません。境界争いに刀が出て来ないのも、二次的なもので使い勝手が悪か
ったからでは(人を殺すか獣を殺すかの違いです)。
勿論、常に手元に置けるという意味で、刀が重視された事は、平安時代の枕
刀以降の歴史からも容易に想像がつく事ですが。
944山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/09(火) 20:23:38 0
ただ、白兵戦の場合「鑓働き」の出来る人間の周囲には、鑓を立場上の制約
から(持鑓は勿論、数鑓も)持てない人間が相当数右往左往していた筈で、
単にその方が有利だからという理由で、鑓が主流だったとは言えない。
全体としては、刀の数が圧倒的だった筈。
弓や鉄砲の割合については、状況次第と思っている事は上述の通りです。
945世界@名無史さん:2006/05/09(火) 20:28:34 0
>>942
では、折角なので一つ。
戦場での使用頻度は別として、刀が弓に代わる「戦闘員の象徴」になっていたと考えてはどうだろう。
こうした意識は江戸期以前、武士以外の層にも根強くあったのではないか。
秀吉は国内での戦闘終了宣言の一環として長年曖昧になっていた戦闘員と農業生産者の立場をはっきり
分ける為に、戦闘員の象徴になっていた刀を取り上げ生産活動のみに専念させる契機を作ったとか。
一揆での使用を怖れて刀を取り上げるというより、農民の立場と意識を明確にして生産高を増やす目的があった。
それ故に狩猟にも必要な鑓弓鉄砲は特に没収の対象とはしなかったと。
イメージとしては明治期の廃刀令に近い政策なのでは。
946世界@名無史さん:2006/05/11(木) 17:27:33 0
>>942
一応、鑓鉄砲脇差矢の鏃も徴発してる。
圧倒的に刀の数が多いのは必要ないから自発的に差し出したのかもしれん。
947世界@名無史さん:2006/05/11(木) 18:49:53 O
ディスイズ武士道!ザットイズ騎士道!
かあっこイイねぇ〜!
騎士道が存在したのは独仏英伊?
948世界@名無史さん:2006/05/12(金) 14:47:38 0
>>946
そーいえば、アフリカの農村での銃規制でも、現地の農民達は
使い勝手の良いAK47(カラシニコフ)は隠しておいて、アメリカ製などの
他の銃ばかり拠出するとか、立ち読みしたなんかの本に書いてあった。
949世界@名無史さん:2006/05/13(土) 15:14:39 0
武士は貧困が美徳
騎士は裕福が美徳
950世界@名無史さん:2006/05/13(土) 16:17:49 0
>騎士は裕福が美徳
が、カトリック教会は金儲けをよくない行いと見る傾向が強く、
儲けたらそれだけ多くの寄進を求めます。
だから商行為を容認するプロテスタントの各派が宗教改革に臨めたわけですね。
951世界@名無史さん:2006/05/13(土) 16:23:54 0
武士はショタコン
騎士はロリコン
952世界@名無史さん:2006/05/13(土) 18:09:13 0
オレはロリコン
953世界@名無史さん:2006/05/13(土) 18:11:23 0
オレはショタコン
954世界@名無史さん:2006/05/19(金) 10:26:32 0
動画upしました

スキバラ 5/18
極楽とんぼ こちらササキ研究所 #7
武士VS騎士どっちが強い!?

■ スキバラ ■
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/tv/1144324318/99
955922:2006/05/21(日) 21:19:35 0
週刊ビジュアル日本の合戦No.44 「北条時宗と蒙古襲来」の23ページには、
日本の弓の方がモンゴル弓よりも射程距離が長かったと紹介されています。

ん?

どうもこれまでのモンゴル合成弓の評価と違うなぁ。今まで合成弓が最強であるかの
ように世界史板では言われていたような気が。(間違っていれば失礼)

いくら「合成」弓であっても、2倍も大きい和弓の方がやっぱり射程距離が長いって
事でOKでつか?
また、もしかして和弓が最強でつか?
956世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:27:57 0
和弓もコンポジット・ボウでは?
957世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:31:24 0
和弓は北方遊牧民の弓を元に造られている合成弓。
958世界@名無史さん:2006/05/21(日) 23:46:41 0
日本の弓がどの程度の張力をもっていたかわかる人いる?
959世界@名無史さん:2006/05/22(月) 00:06:24 O
いない。
当時の○○人張りなんて表現なので正確な検証はできない。
960世界@名無史さん:2006/05/22(月) 00:15:05 0
それならモンゴルの合成弓と和弓のどちらが強力か証明できないな
961世界@名無史さん:2006/05/22(月) 01:19:10 0
>>955
所詮文系だな。
バネの大きさと張力とに何の関係あるんだ?
962世界@名無史さん:2006/05/22(月) 01:55:58 O
和弓=ライフル
蒙古弓=マシンガン

射程距離は和弓。
しかし、沢山射てない、蒙古弓は強くないから沢山射てる、しかも毒つき
963世界@名無史さん:2006/05/22(月) 01:59:49 0
964世界@名無史さん:2006/05/22(月) 02:04:30 0
>961
えー関係ないの?
セルフボウの威力は単純に弓自体を長くすることによって強化できるって
どっかの掲示板で読んだけど。
965世界@名無史さん:2006/05/22(月) 02:23:38 0
>>954の動画ワロタ
966世界@名無史さん:2006/05/22(月) 07:16:01 0
蒙古襲来の時の時、モンゴル軍が鎌倉武士にまったく歯が立たなかったのは、
弓の性能が大きく劣っていたから。
967世界@名無史さん:2006/05/22(月) 09:07:05 0
>>966
ソースは?
968世界@名無史さん:2006/05/22(月) 09:30:39 0
>>967
八幡愚童訓の中で山田の若武者たちが敵の射程圏外から蒙古兵を射殺してるよ。
蒙古襲来絵詞に描かれた蒙古兵も皆矢で射られて負傷逃走している。
蒙古軍副司令官の劉復亨も少弐景資に射られて負傷。
全部一方的に蒙古軍が射られているじゃん。
969世界@名無史さん:2006/05/22(月) 09:39:30 0
おいおいw
970世界@名無史さん:2006/05/22(月) 10:21:27 0
確か鎌倉時代の記録では、日本の弓の最大射程は436メートル。
971世界@名無史さん:2006/05/22(月) 10:22:57 0
なんなんだこのスレはレベル低すぎ。

> 蒙古襲来絵詞に描かれた蒙古兵も皆矢で射られて負傷逃走している。

たりめーだろタコ。
何のために書かれたと思ってんだよw
死ねww
972世界@名無史さん:2006/05/22(月) 10:26:48 0
>>971
何のために書かれたの?
973世界@名無史さん:2006/05/22(月) 10:51:04 0
竹崎季長が己の武功を鎌倉幕府要路者にアピールし、然るべき恩賞に預かるため
戦闘の具体的様相をビビッドに描かせたものである。
974世界@名無史さん:2006/05/22(月) 10:55:10 0
一、甲佐大明神の加護を後世に伝えるために奉納した説
二、竹崎季長が論功行賞を求める為に書かせた説

二番説は有名だが、一番説は二番説以上に重要。二番説がどうあれ
一番説の性格が備わっていることはほぼ間違いない。
当然ながらどちらにしても自らの武勇や戦功を誇るために書かれたものであり、
蒙古が一方的に蹴散らされているのは当然。
しかもこういった構図は古典的な様式にそって書かれたものであり、
元や当時の日本の戦法を有る程度伝える史料には違いないのだが
(そもそもこの時代の戦記絵巻がほとんど現存しない)この絵巻物は
「蒙古襲来」という事実を主題にした絵巻物ではないし、さらに言えば
後世に書き加えられた部分まであり、どの程度元寇を正確に
伝えているのかと言えばかなり怪しいと言わざるをえない。
ましてやどっちが弓で優性だったのかなどわかるはずも無い。
面目として絶対に弓で負けたなんて書けるはずがない!

判りやすく説明すれば、会社の先輩の「昔のヤンチャ話」くらい怪しい。
「あいつは強ええ!」「でも俺はもっと強ええ!」
「なぜなら俺には仏神の加護があるからだ!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これはそういう絵だ。
中世を語るとき信仰の側面を抜かしては何も語れんぞ。
975世界@名無史さん:2006/05/22(月) 10:59:20 0
絵巻物の性格も考えずにソースなんて笑えるぜ。
まったくレベル低すぎだ。
糞みたいな奴と知識を一方的に授ける奴らとの二極化が激しい。
質問と回答、アホカキコとその訂正だけじゃ議論になってねーだろw
976世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:03:21 0
仏神が味方したってことは、絶対に勝つってことなんだよw
逆に言えば仏神が味方したから勝ったんだよ。
結果論だろうとそう考えてた時代だった。そういう時代背景を理解しないと
あの絵巻物の意味は全く判らないだろうな。
977世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:07:15 0
仏神じゃなくて神仏でしょ
君には歴史用語の知識すら無いのがバレバレです
978世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:12:37 0
>>977
( ´_ゝ`)フーン
979世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:12:50 0
竹崎季長が恩賞として海東郷の地頭職を与えられたのは1276年。
蒙古襲来絵詞の作成は1293年頃。
この時点で、「竹崎季長が論功行賞を求める為に書かせた説」っていうのは
ありえないだろ。

蒙古襲来絵詞はね、霜月騒動で討たれた安達泰盛が、1293年に名誉回復したため、
恩義を感じていた竹崎季長が追慕の念を込めて作成したんだよ。
だから、わざわざ蒙古襲来絵詞の中で竹崎季長が鎌倉の安達泰盛に恩賞を訴えてる
場面が描かれてるだろ。
元寇当時、鎌倉で恩賞奉行として武士たちの戦功を査定する立場にあった安達泰盛
に対して、戦局を自分に有利に描いた絵巻を作成することが追悼になるとは、
普通は考えないよね。
980世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:18:45 0
さてそういう視点を理解したならば、八幡愚童訓の方もどういった目的で書かれたものであるかの
理解も易いであろう。
勿論元寇に関しての史料そのものが少ないので八幡愚童訓も蒙古襲来絵詞も貴重で重要な
史料であることには変わり無い。しかしその性格を理解した上での議論でないとどちらの
弓の射程が云々、蒙古の兵の誰々を云々などの議論は全て無意味である。

981世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:26:14 0
>>979
君の言うとおりだ。
全く通説はケシカランものが多い。


ところで俺も弓矢の議論に参加してもいいか?
ここらへんでスレのレベルを上げようや。大学院以下は議論参加禁止。
982世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:33:44 0
>>977
当時「佛神」という表現は「神佛」よりも一般的であった。君には他人に歴史用語の
講釈を垂れる資格なぞ全く無い。
983世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:39:34 0
いいよ、そいつはスルーで。
それより残り少ねえし、弓矢語るか。
ちょっと史料あつめてくるわ。また後日。
984世界@名無史さん:2006/05/22(月) 12:31:23 0
騎士にきまっちょるよ
985世界@名無史さん:2006/05/22(月) 12:47:19 0
答えの無い議論を云々
986世界@名無史さん:2006/05/22(月) 13:06:05 0
>>981
>大学院以下は議論参加禁止。
ということは少なくとも大学の助手以上ということでつね。
結構。高級な議論を期待しまつ。
987世界@名無史さん:2006/05/22(月) 13:34:44 0
おいおいもう頭悪そうな
雑魚キャラしか残ってないのかよ

泣けるぜ
988世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:28:33 0
つーか武士騎士スレなんだから弓の話題は武器スレででもやってくれ。
ここで語るの禁止。
989世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:45:16 0
5戦目はあるのか?
990世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:58:58 0
ループしてるしなあ…。
落ちてもしばらく様子みたほうが良いと思われ。
なんかいつも馬上打物の話題やってる気ガス。
ネタも溜まって需要が出てくれば自然と立つでしょ。
991世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:52:00 0
おまえや、おれみたいな、くそったれが、
少ない知識をひけらかして対抗し、
議論にもなってないような、くだらんことをつ
らつら書いても、原理的に問題ないことが
平等ということだ。

ここで、2等市民の方のレスは、一等市民が
読むと、貴重な時間の損失になるので、
できれば、ご遠慮くださいっていう世の中だったら、
2等市民に、レスする意欲がわいてくると思うか?
だからこのスレは終了なんだ。
992世界@名無史さん:2006/05/22(月) 17:33:29 0
>>990
今って馬上打物の話してんだっけ?
993世界@名無史さん:2006/05/22(月) 18:05:26 O
元は遠距離射撃の時は弩を使用した。
994世界@名無史さん:2006/05/22(月) 19:34:19 0
代表同士で戦うとすれば武士。
騎士の達人は人間、武士の達人は覚者
995世界@名無史さん:2006/05/22(月) 19:39:29 0
武士>>モンゴル兵
モンゴル兵>>騎士
なので
武士>>騎士はあたりまえ
もしモンゴルの位置に本があったらユーラシア大陸すべて
支配下においてたね
996世界@名無史さん:2006/05/22(月) 19:45:15 0
最後の最後に完全な糞スレと化したな
997山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/22(月) 20:16:18 0
>>974
屋代弘賢などは、そもそも『蒙古襲来絵詞』という名称が不適切だと批判していましたね。

>>982
『栄花物語』でも、北条泰時の訓戒でも「仏神」が圧倒的で、どういう基準が「神仏」が
出て来るのが、それぞれ一回ずつありました。仰る通りです。
998世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:17:56 0
次スレ立てた奴が糞スレ師でおk?
999世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:18:40 0
はいはいループループ
1000世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:19:53 0
終 了 
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