1 :
世界@名無史さん :
2005/03/22(火) 19:56:15 0 好きなんですが
不能のルイ
4 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 20:28:15 0
だから手術したんです。麻酔なしで。 サイモン・シャーマ「臣民から市民へ」1巻に彼がヨーゼフ2世を信頼して話したあからさまな 事情を、速攻ヨーゼフが弟のレオポルドに教えた内容が載っている。義兄を信頼したルイは本当にかわいそう。
5 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 20:41:04 0
マリー・アントワネットやサン・ジュストやべるばらや×本ひとみの小説には興味ないがルイ16世の人柄と改革と失敗の軌跡には興味あるので。
6 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 20:55:45 0
肖像も威厳が無くて画家にさえ馬鹿にされてる16世
7 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 21:25:18 0
錠前作りとか、手先を使うのが得意でしたね
8 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 21:26:55 0
チャールズ1世にしてもルイ16世にしてもニコライ2世にしても革命前の 王様って暴君ってイメージとは程遠いよね。
9 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 22:04:03 0
暴君でない庸君のほうが、先祖の恨みをまとめて受けたりして殺されるようですね。 しかし、やはり、これはヤベェと気づく程度の才覚があれば、亡命できます。 ルイ16世の場合は、あんた、何考えてるの?というような重装備でこれは無理。
10 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 22:13:58 0
錠前作りは歴代ブルボン王の趣味だったのに。 ルイ16世だけが職人的ないいかたされるのはツヴァイクのせい?
包茎手術をもっと早くしとけば、マリーアントワネットの御乱行も少しは収まって 恨みを買うことも無く、一家皆殺しされずに済んだのだろうか?
12 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 23:01:09 0
13 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 23:11:10 0
>>11 マリーの贅沢なんて軍事費等に比べれば微々たるものだよ
アメリカの独立支援にかなり出兵したからな、それだよ。
それにしてもフランス国王ですら包茎だったのか・・・親近感わいてきたなw
14 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 23:58:30 0
ツヴァイク。よく読むとルイの知性に結構きづいてているくせにわざと 冷たく描いている。あの小説で日本での彼のイメージが決定したのは残念。 ところで、フランスでの再評価の中心的存在のGirault de Coursac夫妻について。 どうも読んでいると首をかしげたくなるような断定が多く??です。 信頼に値する学者なんだろうか?だれか教えてください。
15 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 00:57:22 0
というか、包茎だったらなんでセクースできないの? 日本人って真性包茎いっぱいいるけどそのひとらは セクースできないのか?
16 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 01:26:31 0
>>11 ルイ14世のせいではないのか?フランス革命は。
フランスで最も偉大な王として慕われてるけど
ベルサイユ宮殿つくったり戦争とかで、国庫は大変な赤字になったという。
17 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 01:36:30 0
ルイ16世の遺言は泣けますね。
>>13 死刑の決定は確か一票差だったから、
もうちょっと夫妻に人望があればと思ったから。
国外逃亡失敗の方が影響としては大きいだろうが。
>>15 勃起すると痛かったらしい、
まあ普通に言う包茎ととはレベル
が違うワナ。
19 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 03:13:31 0
ボッキすると痛いとシャセイもできないのかな。 完全な夫婦になってなかったって アントワネットは7年間ずっと処女だったのか、 それともいれるにはいれたがシャセイできなかったのか?
20 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 08:56:35 0
21 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 09:02:13 0
>>16 ルイ14世の失政に加え、平民出の有力者を昇進させるシステムが行き詰まったせいと思われ。
飢饉の問題は、大革命以降、改善されたのかな?
農民暴動が起きなくなったが。
22 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 16:59:31 0
革命のきっかけ。課税の平等を目指したルイの諸改革に対し特権を失いたくない貴族が反 抗、勘違いした民衆は貴族=高等法院を支持。 89年当時、飢饉というよりむしろ賦役や教会の十分の一税等中世的な制度が農民の負担を 増していたのでは。行政単位の統一、土地解放は良かったとしても、トータル で見ると革命とナポレオン戦争はフランスの経済を停滞させた。テュルゴーの 改革が成就していたら、と思わずにはいられない。
23 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 07:17:19 0
ルイは6歳で3歳違いの兄を、10歳で父を、12歳で母を失った。父母は最愛の兄亡き後今度は弟たちを愛し、鈍臭い彼はずーっと孤独だった。15歳でマリー・アントワネットと出会うまでは
24 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 07:38:03 0
持参金制度って、庶民の間でも結婚に必要だったそうですね。 おかげで出稼ぎしなくてはならない娘たちが多く、売春を産む端緒にもなった。
25 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 09:21:49 0
マリー・アントワネットも自分を心から愛してくれているこの夫をバカにしていたし。 ルイ16世は自分を笑いものにしている貴族は嫌いだが、召使とか庶民には優しかったという。 まあ、アントワネットも夫をバカにしながらも最後まで運命をともにしたことを考えると、 それなりに愛していたのだろう。
26 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 00:35:53 0
アントワネットは夫を大変な内気だからだとおもって納得していた。 不能な夫を「かわいそうな人」と呼んだ。 ルイ16世は妻を愛してるのかそれほど愛してないのか よくわからないひとだった。 乳母がルイ15世のように好色にならないよう 女性はこわいという教育をしてきたのでその影響か?
27 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 11:06:00 0
<<26もちろん愛していたのです、この人の遺書や死刑の前夜の記録は涙なしでは読めない。妻の不行跡の全てを許すまでに。愛していない云々は(母に対する)遊び好きなアントワネットの言い訳。 乳母とは多分マルサン夫人。幼少期、このショワズール一味の乳母というか養育係に不細工というので嫌われ、 その結果内気で臆病な人間に育ってしまったのだ。
28 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 13:29:52 0
27ですが、付けたし。女に気をつけろと教えたのは教育係ド・ラ・ヴォーギョン公爵。ルイの父王太子とはイエズス会支持の仲間。 また、ルイが意思伝達が下手だったのは懺悔聴聞僧の、人に心を読まれないように、という助言のせいとも言われる。
29 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 16:52:34 0
>>27 アントワネットの不行ってなにさ。
愛しているのかわからんというのは、彼の行動から我々が推測するものである。
アントワネットが最初で最後の恋人だったのか、最初から恋なんてしたことないのか。
そういうひとはいるからね。潔癖に育つと。
30 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 17:52:14 0
>>29 不行跡。普段の行いが悪いこと、身持ちの悪いこと。この場合、若い頃のアントワネットの浪費、人事への容喙、そして特に30代以降のフェルゼンとの恋愛的関係とそれと同時期(第4子出産後)にルイとの夫婦関係を絶ったことなどを指したつもり。
絶版だが「ルイ16世幽囚記」(福武書店刊)に訳されているタンプル幽閉中の証言、遺言等読んでみてほしいです。またはカストロ著マリー=アントワネットかミシュレのフランス革命史。辛らつなツヴァイクもルイが奥さんを愛していたと渋々認めている。
31 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 18:03:26 0
30です。日々の目撃者、マダム・カンパンおよびランバル公妃のメモワ〜ルも刊行されております。取り寄せて研究しておきます。
言ちゃ悪いが、親族も廷臣も誰もほめないし、敵にも味方にも尊敬されないのでは、 よほど魅力の無い凡庸な人物だったと思う。 平民にうまれていたら誰も相手にするまい。
33 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 22:22:41 0
>>30 浪費については、アントワネットのつかった額はルイ15世や妾などが
つかった額からいけば目立たないものだし、
フェルセンとの恋愛は、肉体関係がないことから不倫とはいえない。
34 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 22:26:38 0
>>32 ルイ16世もアントワネットも人柄はよかった。
革命は起こるべくしておこった。
人柄がいいという人が、 実は仲間うちの受けがいいだけで、 遠巻きには冷たい目で見られていたというのはよくある話。
36 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 22:41:34 0
人柄はいいが、政治能力はなかった。なぜなら 国王は理系人間だったから。 優しいから人民にやりたい放題されたのかもしれないな。
37 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 23:06:12 0
マリー・アントワネット。でもねえ。TUTTA A TE MI GUIDAの指輪なんて許せない。夫かわいそう。
>>32 平民だったら平凡で幸せな人生だっただろうに。
それからテュルゴー、マルゼルブの更迭に手を貸したのはルイ16世の改革の失敗、ひいては革命を招いた点、非常に悔やまれる。大赤字の原因は
アメリカ独立戦争への出兵だがこれも改革が成就していれば、財源確保できたかも、と思う。
38 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 23:20:47 0
>>37 ですが。テュルゴーの更迭。マリ・アントワネットはお気に入りのド・ギーヌの処遇が気に入らず、それを指示した財務総監の罷免を夫に迫った。
アンシャン・レジームはこの改革で近代的税制に生まれ変わるはずだったのに。
アントワネットもつねに旧敵国人として庶民に嫌われ同情に値するのだけれど。
39 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 23:25:11 0
ルイ14世のころから国庫は大赤字だったという。 だからいくらアメリカ独立戦争がなくてもうめあわせできないだろ。 つまりルイ14世が悪いってことで。
40 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 23:30:17 0
貴族に税金をかけるのはいまさらすぎるし、 そんなことされたら貴族が黙ってない。 王制を倒すことに加担するに決まってる。 アントワネットの誇りを抜きに考えても もうどうしょうもなかったんだろ。
いや、ルイ14世やルイ15世のときは、フランスのGDPは成長を続けていたから、 借金をしてもまだ返せる当てがあった。 ルイ16世の時代になって、成長が停滞したので急激にやばくなった。 (なんか現代の日本みたいだな。)
42 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 23:36:08 0
王室の借金が返せないから革命になったのではないだろ。 重税に民衆が苦しんでいて、王制を倒すという意識がでてきたからだろ。
ルイ十六世は、体臭がキツかった。 新婚当時のマリーアントワネットが、「あの人のそばに寄ると、家畜小屋臭いんですもの」などという 手紙を実家に書き送っている。
44 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 23:49:52 0
そうなのか。 ルイ16世は風呂があまり好きでなかったそうだしな。 しかし時計作りと錠前作りばっかりしてる彼が家畜小屋の匂いとは どういう生活してたんだ?
当時のヨーロッパ人なんて、風呂好きの日本人からすれば、みんなホームレス並みの悪臭だろ。
46 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 23:53:10 0
植民地喪失等前任者のツケを一身に背負ってしまったルイ。イギリスに圧倒されつつある現状を憂い、ルイは海軍にも力をいれたがこれも資金不足で半端におわった。陸軍の改革は成功したが結局その恩恵に浴したのはナポレオン。 優柔不断だが決してバカだったわけではなく改革を志していたのだが。ルイは宮廷の貴族社会は嫌いで、職人や農民、兵士と話すのが好きだったとも。 ずるさとか保身が一切なかったのが不幸の原因かも。
47 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 00:01:39 0
>>43 それは狩猟と乗馬に熱中していたせい。フロは結構入っていた、とCoursacが言っててます。(体臭云々)アントワネットのマリア・テレジアとの往復書簡には出てませんでしたが??
まあいつも指先が機械いじりで真っ黒だったそうだし。狩猟に対する情熱に関してはちょっと理解しがたいものがある。
48 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 00:03:10 0
若白髪じゃなくて若加齢臭だろ。
49 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 00:09:42 0
ルイ16世が庶民と話すのが好きだったとはよくわれることだが、証拠が無い。 学生時代のロベスピエールだって即位祝賀の演説全く聞いてもらえなかったし (国王夫妻はあくびばかりしていた。ラテン語なので無理も無いか)錠前の 師匠のガマン親方は秘密の錠前作った直後に気分が悪くなり、毒を盛られたと信じた。 正直そうだが腹の分からない、近くで見たものからは冷血そうな人物だったんだろう。
50 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 00:12:16 0
王族として落第だから庶民に生まれれば幸福に生きていけるほど世間は甘くないよ。
51 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 00:20:49 0
ガマン!あいつだけは許せない。マリ・アントワネットに毒を盛られて病気で臥せっていたことにしてチュイルリーの秘密の鉄戸棚の件を半年後だかに(王家の形勢不利と見るや)おそれながら、と国民公会に密告。 保身のためなら長年の付き合いの王なんかどうでもいい、という姿には小人物のあさましさを覚える。まあ秘密の鉄戸棚というのもほめられたハナシではないが。(ミラボーの書簡がかくされていた)
52 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 00:26:00 0
>>51 長い付き合いだから裏切れないという知己の一人も作れなかったルイのほうに
人格的欠陥を感じますがね。
王家に近かったことでいろいろプレッシャーかかってたろうしな(推測ですが)
54 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 01:02:46 0
>>47 マリー・アントワネットは毎日入ってたそうだから
他人の匂いに鼻が敏感だったのかもしれないね。
55 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 01:08:44 0
56 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 01:56:42 0
カスが溜まって、取ってなかったんだろ。
57 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 20:57:17 0
テユルゴー罷免と同時に辞職したマルゼルブ。国王裁判のとき、田舎で隠棲していたにもかかわらず自ら申し出て弁護役を買って出た。 いわく、自分はかつてそれが万人の羨望であった王の顧問職に2度呼ばれた。今同じその職が万人に危険とみなされている時にどうしてその職を引き受けずにいられようか? 彼もまた94年、家族とともに処刑された。トクヴィルの叔父。出版物の自由を保障した百科全書派の恩人でもある。
何たらカンたらいっても、国王でなかったら、こんな人物誰も興味あるまい。
>>33 いや、フェルセンとの肉体関係はあったでしょ。
「あった」事を示す証拠は結構あるが(王妃の部屋に泊まったとか、後年フェルゼンがナポレオンに
「王妃と寝た男」と言われても何ら否定しなかったとか)、「なかった」と示す証拠はない。
ただ、俺はそれを責める気にはならない。命がけで究極な、尊い愛だったと思う。
「別離の絶望と没落の法悦」(ツヴァイク)ってやつですよ。
60 :
世界@名無史さん :2005/03/30(水) 20:58:21 0
ツヴァイクは「マリー・アントワネット」の物語にワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をあてはめてしまった。イコール史実とはいえないと思う。 フェルゼン、愛人イパーイいたし。でもともかくルイ16世かわいそう。
>>60 18世紀貴族社会は間男が常識。寝取られたからって誰も同情しない。
無能なおっさんをかわいそうがらなくても、もっと面白い男は山ほどいる。
ラ・ペルーズの航海への助言等並みの知識では出来なかったとおもいますが。宗谷海峡を日本以外ではラ・ペルーズ海峡と呼んでいると、いったいどれほどの日本人が知っているのか?
63 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 02:11:13 0
>>60 アントワネットに愛人はいませんよ。ほとんどが革命プロパガンダでしょう。
唯一恋人といえるのがフェルセンであり、それも死後に発覚したというもの。
しかも当時の状況からしてプラトニックラブだったろうという推論になっている。
だから不倫をし夫を裏切っていたといえるかどうか。
64 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 02:15:44 0
おっと読み違え。 フェルセンに愛人がいっぱいという話ですね。 あの顔で愛人いっぱいとは。 バレンヌ逃亡のときのパスポートを愛人にとってもらってるから アントワネットは知っていたのだろうな。
65 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 02:23:18 0
>>59 ないことを証明するのは何事においても不可能である。
王族のことはなにからなにまで筒抜けであったし
フェルセンのフランス滞在の期間の短さからいっても
二人が関係を持てる可能性のある時間は少ない上に危険である。
それにマリア・テレジアの影響をうけ貞操には頑固なまでに厳格だったアントワネットが
不倫の肉体関係を求めるようになるとは思えない。
フェルセンがナポレオンの悪口に否定しなかったのは、嬉しかったからと解釈するのが普通だろ。
そうかなあ。 ほんとにプラトニックだったら、否定するんじゃない? 王妃の名誉の為にも。
62です。主語が抜けていました。ラ・ペルーズにルイ16世が助言したといいたかったんです。 です。それからフェルゼンと王妃の関係について。この件、フェルゼンが王妃の真の愛人だったと断言しているのはツヴァイクただ一人という印象があるのですが。 その彼にしても、フェルゼンの手紙の一文「そこ(チュイルリーの王妃の部屋)にとどまった(reste la)」だけが証拠。 でも、プラトニックにしてもなあ。ルイ16世は彼女を熱愛していたのになぁ。やっぱりかわいそうな人。
68 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 16:38:00 0
>>66 じゃあなんで歴史家が肉体関係がないと
推測してるんだよ。
>>68 質問の意図がよくわからんが
(愛人関係じゃないという)確たる証拠がない以上、「そう思い込みたい」からじゃない?
「有徳の王妃」がその歴史家の理想なんだろう。
70 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 17:09:42 0
>>69 いや思い込みたいからじゃなくて
いろいろと理屈を考えるとそうなるらしい。
アモーが表紙のフランス革命本にそう書かれてある。
71 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 17:11:16 0
歴史家がそう言ってるなら フェルセンが何言ってようと結論は変わらないんじゃないか?
フェルゼンとアントワネットの話だと盛り上がるんですね。 わがルイ16世あいかわらず不人気。
肉体関係は正直どっちでもいい。 それより、類16世の遺言の全文のっているサイト、おしえちくり。
74 :
世界@名無史さん :2005/03/31(木) 20:37:54 0
(´・ω・`)知らんがな
75 ですが。下記サイト(まるごとルイ16世フアンサイト)には活字のテクストがあり。(おフランス語)
http://leroietmoi.free.fr/ 75の遺書、実物じゃなくて、実写版(ファクシミリ版)でした。ルイは妻が自分の死後、助からないことを予見して、そうなったら妹に子どもの世話をお願いする、と書いているのだが、そこの表現に気を使ったんでしょう、推敲のあとは。
死を覚悟してなお家族にやさしく気を配る彼。
やっぱりルイ16世はヘタレだよ。 男なら、暴徒どもを血祭りに上げ、反対派貴族をバスティーユに押し込め、国王独裁を 確立すべきだった。
あの時代には合わなかった王だけど、もし景気の良い時代で大臣他に恵まれていたら、 彼らのレールに上手に乗って地味な名君になれたのかな?と思える。 「君臨すれども統治せず」を地で出来そう。
抵抗勢力(貴族、教会、その他あらゆる階層の特権所有者、親方でもなんでも)が抵抗したせいで、彼の改革は全部挫折したのだ。 ルイ16世、決してバカじゃなかったから何度も改革に手をつけ、近代的税制を目指したがそのたびに事態は悪化。
ルイ16世、ナポレオン3世より人気ないのか?あっちのほうがにぎわっているのは鹿島茂の本のおかげか? 残念なことである。善人より怪人が好きなのか。しょぼーん。
age
ルイルイ
83 :
世界@名無史さん :2005/04/05(火) 23:35:15 0
ルイ16世のきわめて現実に近い肖像画はいったいどれ?
パタリロ
age
パタリロのがよっぽどましじゃんか!
田中康夫系ですね
体型的には琴欧州なのだよ。カオはヤスオでも。
ザクセン選挙侯の娘である母の血を濃く引いたと思われます。外見、体質、性格、 頭脳等ドイツ人的。怪力は「強王」の祖父譲り。いとこのスペインのカルロス4世 もよく似た体質とおぼしいが同様にザクセンの血を引いている。(でも、カルロスは ゴヤが描いたとおりのアフォだわ。わがルイ16世とは人品骨柄がちがうわい。)
age
イギリスのチャールズ皇太子観るにつけ、ルイ16世の誠実さがしのばれる。あ〜 むなしい。
イギリスは王様がDQNでも何の問題も無い国ですから。
イギリスの現王室ハノーヴァー家はルイ16世の母の実家ザクセン家と関係あるとかないとか?? チャールズさんとルイは遠い親戚なのかも??やだなあ。
(´・ω・`)ショボーン
ルイ16世6歳の頃。結核に倒れた9歳の兄ブルゴーニュ公の遊び相手を 毎日していた。幼いころから鈍な彼は、この両親に溺愛された兄にトランプで ズルなどされ、イジワルに泣きながらけなげに看病していたが兄は苦しみなが ら亡くなった。いじめられ、結核もうつされ、親にも愛されず、それでも兄を 好きだった彼は自分の息子に兄の名をつけたが結局同じように亡くしてしまう。 革命中の行動にもこうした彼の不運な生い立ちが反映していると思う。
age
ずっとるい15が父だと思ってた
age
100 :
世界@名無史さん :2005/04/17(日) 02:18:25 0
100get
101 :
世界@名無史さん :2005/04/17(日) 02:19:05 0
↑何か無関係な書き込みが…。 あ〜やだ。
age
猫が嫌いだったとか…。
ルイとは友達になれそうだ
106 :
世界@名無史さん :2005/05/03(火) 01:36:39 0
勝手にせい!
107 :
世界@名無史さん :2005/05/03(火) 10:33:15 0
やっぱりルイ16世はヘタレだよ。 男なら、暴徒どもを血祭りに上げ、反対派貴族をバスティーユに押し込め、国王独裁を 確立すべきだった。
108 :
世界@名無史さん :2005/05/06(金) 18:45:21 0
フランスでは再評価が定着したらしい。慶賀の至りである。
109 :
世界@名無史さん :2005/05/06(金) 19:55:44 0
ルイ16世は優柔不断なだけでいい奴だと思うよ。 奴の趣味は錠作りだよ。
科学技術への理解と貢献、外交面での決断の正しさ(エスコー川問題、アメリ カ独立戦争支援、でも赤字国債乱発で財政破綻を招いた)、旧制度改革とくに 税制改革…。同時代のフリードリッヒ大王なんかに比べても結構名君だったの だ。1787年名士会の開催(地方議会をつくろうとした)が旧制度支持貴族の抵 抗で三部会開催につながったのがすべての不幸の始まり。
111 :
世界@名無史さん :2005/05/07(土) 21:59:35 0
正しい着想を持つだけなら多くの人間ができる。 何かをやろうとしたら、抵抗勢力があるのが当たり前で、それを排除して実現できる のが名君。 抵抗勢力があるので何もできませんと言うのは、暗君。 貴族が抵抗するなら、反抗する貴族の屋敷を焼き討ちにして、一家全員串刺しにすればいい。
しばしば誤解されるところだが、フランスの絶対王政というのは決して専制 君主制と同意義ではなく、むしろ各階層の複雑な既得権にがんじがらめとな っった封建制を内在する、ゆるやかな統治システムだったのだ。
113 :
世界@名無史さん :2005/05/07(土) 23:03:43 0
>貴族が抵抗するなら、反抗する貴族の屋敷を焼き討ちにして、一家全員串刺しにすればいい。 之を暴君という。
114 :
世界@名無史さん :2005/05/08(日) 11:38:21 0
革命派も無茶しすぎだからな。国王処刑した後王妃も処刑、そして革命派の独裁。 ルイ16世がすごくかわいそうに思えてきたよ。
昭和天皇と似てるんだよね、この人。 誠実さ、寛容の徳、確かな現実認識、理系の知性、 指導者に必要とされるほとんどの資質を持ちながら、 ただひとつ断固たる決断力を持たなかったがために、 てめーがいい思いしたいだけのクズどもに国を弄ばれて、 最後は国を滅ぼす結果になってしまった。 ルイ自身は別にお飾りの国王にされても、 それで国がまとまるなら仕方ないと思ってたんだろうけど、 王族は宮家の人たちほど物分りがよくなかったし、 ジャコバン派はマッカーサーほど先を見てなかったから、 ああいう事態になって、最後はカエサルの登場だ。 象徴国王制フランス王国。悪くない線だと思うんだけどなあ。
>>115 ルイ16世を肯定的に評価してくださるのは嬉しいのだが。昭和天皇について
実際どういう考えの持ち主だったのか。一次史料に基づく客観的評価を知らない
のでわかりません。それとルイ16世、リベラルな考えを持ちイギリスの立憲政体
に詳しかったにもかかわらず、教会の扱いという一点で、どうしても1790年の
憲法を受け入れられず。あげくヴァレンヌ事件。宗教(カトリシズム)、これがルイの矛盾点。
立憲君主としての生き残りを自ら放棄し悲劇を招いた原因。この宗教へのこだわり
は亡き父(王太子)に忠実たらんとしての事。処刑の際の勇気もしかり。むしろ
小泉首相に(他の点は似ていないが)亡父の遺志への過剰適応という共通点ありと観た。
ルイ16世は浩宮くさい
母方のザクセン家の血を多く受け継いで怪力の大男だったのだ。
フランス革命無双が出来たら大活躍しそうだな。
120 :
世界@名無史さん :2005/05/13(金) 14:23:41 0
>>119 タイツ姿で大活躍。気は優しくて力持ち。ネコは嫌いなんだけどさ!
121 :
世界@名無史さん :2005/05/13(金) 21:20:26 0
>>118 しかし精力はない。
アウグスト強健候の半分の精力があれば、マリー・アントワネットをひーひー言わせて
革命も起こらなかったかも。
ハプスブルク家/ドイツ史関係の本を見てると、しばしば 「フランスとオーストリアの同盟締結時、まだ嬰児だったマリー・アントワネットと 後のルイ十六世との婚約が取り決められ云々」という記述が出てくるが、 実はマリー・アントワネットが最初に婚約したのは、 九歳で死んだというルイ十六世の兄の方なんだろうか?
123 :
世界@名無史さん :2005/05/14(土) 10:06:53 0
>>122 ようわかりませんが、強引な母マリア・テレジアは、王妃を亡くしたばかり(1768年)
のルイ15世(当時60代)とマリー・アントワネットの歳の離れた姉、エリザベート(25歳)
を結婚させようとさえしていたそうだ。妻を亡くしたヨーゼフ2世にルイ15世の30代独身
の娘たちのだれかを、などとも。アントワネットと王太子の縁談がはっきり合意されたのは
彼女13歳のときだそうで。それまで多分、フランス宮廷内のショワズール一派(ロレーヌの
大貴族で親オーストリア)と亡き王太子夫妻派(ザクセン家寄り)とのせめぎあいから具体
化はしていなかったんでは?ザクセン家出身の母を亡くしたばかりのルイ・オーギュストは
最初オーストリア出身というだけでアントワネットを避けたんだよなあ、きっと。
>>122 つか、本の記述に書いてあるじゃん。
話が決定した段階では既にルイしか残ってなかったって事だ。
>>124 「ドイツ史の方でしばしばそう書かれているように」、
七年戦争での同盟時(1756年)にマリー・アントワネットの婚約が決められたとすれば、
ルイ十六世とマリー・アントワネットは一歳しか年齢差がないから、
当時の彼はまだ二歳くらいと考えられるわけで。
彼の兄は、彼が六歳の時に死んだから、同盟締結時にはまだ兄は生きていたことになる。
となると兄と婚約した方が自然かなと思ったわけ。
ただ、
>>123 氏の言うことも踏まえて考えてみると、
兄の死でいったん破談になったのか、そもそも決められてなかったのか、
(後者なら、七年戦争に参戦するフランス側の動機が弱くなるが)
婚約は確定してなかったと考える方が適切なようだ。
だからフランスーオーストリア両王家の婚姻は議題に上ってたけど
誰にするかってのは、議論が続いてたの。
最終的に決定したのがルイとマリー・アントワネットであって。
>>123 を見たら分かると思うんだけど・・・。
>>122 ブルボン期待の星であるブルゴーニュ公ルイが、何でオーストリアみたいな
クソど田舎の姫と結婚せにゃならんのか!!という雰囲気が強かった。
なので、あんまり期待されてなかったベリー公ルイが選ばれた。元々、攻守同盟の為だけの
婚姻政策だったし、オーストリア側も子沢山だったし。
128 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 00:52:00 0
ブルゴーニュ公は1761年3月に死亡。当時は王太子ルイ・フェルディナンド夫妻 は存命中で、はっきりザクセン家との縁組を望んでいた。彼らが亡くなってから でしょう?ショワズール一派がルイ15世の支持を得てオーストリアとの縁組を進めたのは。 いずれにしてもカトリックの王室同士の縁組は飽和状態。ルイ・オーギュストの 弟2人は全くいい加減にサヴォイ家の王女姉妹とそれぞれ結婚させられた。 ルイ15世の王妃マリー・レクザンスカも廃され隠居中の元ポーランド王の娘だったし。
129 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 14:51:44 0
シェルブール軍港視察が生涯の晴れ豚いや、晴れ舞台だったんよ。
130 :
世界@名無史さん :2005/05/25(水) 23:40:33 0
age
131 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 09:21:00 0
ツイテナイヨナ
132 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 14:12:17 0
ヴェルサイユの噴水を急に噴出させたりして人をびっくりさせるのがお好き。 シェルブール視察でも船酔いした随臣をみてゲラゲラ大笑い。ルイ15世の大臣 ショワズールは彼を「アンベシール」=おバカと呼び、メルシー以下オースト リアグループもそれにならった。 何しろアントワネットさんの前で兄弟で取っ組み合いのけんかなどしておりま したので。
133 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 17:06:19 0
弟は2人?
134 :
世界@名無史さん :2005/05/27(金) 21:14:18 0
>>133 一歳下のプロヴァンス伯と三歳下のアルトワ伯。彼らは幼少時より兄を
小ばかにして、(父や養育係に気に入られていた)自分たちのほうが王位に
ふさわしいと思い込んでいた。長兄の夭折、弟二人(特にプロヴァンスは陰
謀家)というライヴァル、父によるいじめ、母鬱、両親との死別、大臣には
バカと笑われ、そしてとどめをさすように美人だが遊び好きの奥さんがやっ
てきて…。冗談のセンスは悪いが決してバカではなかったのだ。とにかく
不運。不幸。
135 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 09:53:37 0
ageておきます。
5: ルイ16世万歳!! (135) 6: マリー・アントワネット フランス革命 (748)
137 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 18:10:54 0
>>136 これは日本だけの現象!!(あのマンガの影響だ!)本場おフランスじゃあマリー・アントワネット
はあまり人気がない。逆にルイ16世はその業績が最近再評価されているんだい!!
大体、日本でルイ16世だけを扱った本がほとんど出ていない。まあ嫁のほうも
本に関して言えば玉石混交。ひどいのも見受けられるし、またそれを受け売りして、
いつのまにか日本独自のフランス革命史が出来上がっている気がする。
138 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 18:14:51 0
歴史にも通じていて 清教徒革命のチャールズ1世の運命に関心を持っていたらしい。 ヴァレンヌ逃亡事件さえなければ 王位を保持できていたかもしれない。
139 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 21:23:06 0
マリー・アントワネット駄目だよな。 16世は身内運が悪かった。
140 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 14:40:31 0
そう、アントワネットという以上に彼女の目付け役のメルシー伯爵。 ルイ15世の寵臣にして親オーストリア派の首領ショワズール公爵、そして 後にルイ18世、シャルル10世となった二人の弟。いとこのオルレアン公爵。 彼らが流したルイ16世バカ説が200年後まで残ってしまったんだよう!! あの日記だって彼が事態を認識していなかった証拠のように扱われている がなにしろ、日記書いた後なんだよ!! バスティーユの知らせがきたのは!!
ルイ16世はバカかもしれんが善人だ。 それに比べて、弟どもはバカでクズだ。
142 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 23:55:36 0
バカじゃないんだってば!!書簡とか手描きの地図、観たらわかるんだよ〜 毎月英国議会の議事録を取り寄せて読んでいたそうだし。閣議のさい、英国情勢 については大臣たちよりくわしい王様に聞いたそうです。
143 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 07:52:12 0
フランスから逃亡しようとしたのは、判断ミスでバカだろ?
144 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 08:19:11 0
>>143 いんや。フランスから逃げ出そうとしたわけではないのだ。
最近の研究では。国境近くのモンメディに行在所というか陣取り
パリに向けての反撃の拠点にしようと思ったのだ。その手前
ヴァレンヌでばれんぬだったんだが。
145 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 11:45:13 0
でもしくじった
146 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 15:19:35 0
悲しい。いい人だけに。
147 :
世界@名無史さん :2005/06/15(水) 20:52:47 0
何かお薦めの本はありますか?もちろん日本語で読めるもので。
148 :
世界@名無史さん :2005/06/17(金) 23:26:45 0
>>147 やはりクレリー他著ブロス編「ルイ十六世幽囚記」
福武書店刊でしょうか?復刊運動があります。
ttp://www.fukkan.com/vote.php3?no=6607 あとはルノートル/カストロ著山本訳「物語フランス革命史1-3」1983年白水社、
カストロ著「マリ=アントワネット」みすず書房。シャーマ著羽木訳
「臣民から市民へ」中公。いずれも革命史として面白くもあるが現在絶版または在庫切れ。図書館かアマゾンで…。
現在流通しているのでは岩波のクリストフ編藤川訳「マリー・アントワネットとマリア・テレジア
秘密の往復書簡」、そしてあのツヴァイクの岩波文庫上下(ツヴァイクのルイ16世に
対する不当な評価が腹立たしいぞ!!)などなど。
149 :
世界@名無史さん :2005/06/18(土) 11:42:49 0
まさに男の中の男だ
150 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 08:08:05 0
理想の父親なのだ。獄中で自分の裁判のため引き離される直前まで やさしく子どもの相手をしていたようすは感動的だ。
151 :
147 :2005/06/19(日) 12:07:29 0
>>148 有難うございます。ツヴァイクは知ってます、というか自分の中でのルイ16世のイメージは
最近までそのまんまのイメージでした。
他は図書館ででも探してみます。
152 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 17:51:41 0
>>149 そうなんです!!その最期はノブレス・オブリージェの極みと思う。
>>151 「ルイ十六世幽囚記」は特に感動的です。救いが無い話なのですが。
それと「物語フランス革命史1〜3」。貴族、庶民でも最期が立派なヒト多し。
なめられやすい雰囲気持った人だったんだろうな。 我が国の現皇太子にも感じるが
155 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 11:05:48 0
<<154ボナパルトのスレなどと一緒にしないでくれ!!
156 :
世界@名無史さん :2005/07/02(土) 16:20:16 0
聖なる王権ブルボン家 講談社選書メチエ,長谷川輝夫。ルイ16世について 何か新事実でも、と本屋で立ち読みしたが、ヤパーリありきたりだ!! 一応Girault de Coursac夫妻の本読んでいるのは評価だがや。
157 :
世界@名無史さん :2005/07/10(日) 14:40:00 0
ヴェルサイユでもタンプル塔内でも朝食にアントワネットさんはホット・チョ コレート(バン・ホーテンがココアを発明するまで、これをつくるのに30分は かかった、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」参照)、ルイ16世は海 軍趣味に凝っていたのでレモネードを飲んでいた…。ほかにメロン なんかも好物。パルマンティエに栽培させたじゃがいもはしかし、嫌い。エグ 味があって不味かったらしい。
158 :
世界@名無史さん :2005/07/15(金) 22:01:44 0
「死刑執行人サンソン―ルイ十六世の首を刎ねた男」。 ちょっと資料がいい加減すぎ。ルイ16世をプラス評価しているのはいいのだが、 でも相変わらずステレオタイプ。
159 :
世界@名無史さん :2005/07/16(土) 11:25:11 0
160 :
世界@名無史さん :2005/07/17(日) 23:37:18 0
「マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡」読んだ。 やっぱりマリーはオーストリアの手先だ。オーストリア女と呼ばれたのも分かる ルイがもっと強ければな〜 ヴァレンヌ逃亡さえしなけりゃ死刑はなかったかも知れん。
161 :
世界@名無史さん :2005/07/18(月) 15:28:46 0
>>160 そうそう。彼女はつねにオーストリアサイドとして振舞った。
亡き父の所領ロレーヌ奪還をひそかに期していたのか??
162 :
世界@名無史さん :2005/07/18(月) 21:55:38 0
だって戦争犯罪人でしょ?アントアネットは。 オーストリアにバンバン情報流してたんだから。 ルイよりフランスにとっての罪は大きい。
163 :
世界@名無史さん :2005/07/19(火) 16:55:24 0
アントワネットさんはこの時代のたいていの君主同様国民国家というものを わかっていなかったのだと思う(領民=君主のものという感覚だけ。) オーストリアやプロイセンはそれでよかっただろうが、当時のフランス はイギリスと並ぶ先進国で、すでにアメリカ独立戦争参戦の影響もあって 国民国家意識が高まっていた。ルイ16世はこうした国民意識に気づいていた し、何より絶対君主のモラル、父である国王が子である国民を庇護すると いう考え方を最後まで捨てきれなかったのだと思う。処刑もそういう意味で 受け入れたのでは?(神と国民の間を取り持つ犠牲として) そう思うとアントワネットのほうは何の意味も無く死なねばならなかった わけで、いっそう哀れだ。
ルイ16世が、ハゲでデブでチビでなければ、 マリー・アントワネットの乱行はなく、フランス革命もなかった。 ハゲ、デブ、チビの三重苦は国を滅ぼす。 日本も容姿を基準に、天皇や首相を選ぶべきである。
165 :
世界@名無史さん :2005/07/19(火) 22:56:33 0
マリアテレジアが生きていたら何とかしてくれたかもな。
>>165 マリアテレジアが存命だったら助けていたと思いますか?
威厳を持っていさぎよく神の御許へ…
とは言えないですね、母親だから。
167 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 01:08:39 0
一応ヨーゼフもレオポルドも兄だからどうにかしようとしていた。 フランツになってからダメになったような気がする マリアテレジアだったら助けていただろうな多分。 往復書簡とか読んでると厳しいながら娘を思ってる、心配してる。 その前に生きてたら革命がこんなに進む前に 助言を与えていただろう。結果実家に逃亡できたであろうとは思ってる。 でもルイは国王は国を捨てるべきじゃないと 最後まで考えていたのだから分からんが。
168 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 08:12:13 0
>>164 ルイ16世は少なくともchibiではないのだ。185〜190センチぐらいの身長
でchibiといいますか?アントワネットとの結婚当時はヒョロヒョロ。20代後半
から太ったのは確かだが、それほどでもなかったようだ。
hageも確たる根拠なし。彼をchibiという人は多分沿道臭作の捏造を真に受けた人。
debuというのは弟ルイ18世のイメージとの混同。hageたのはもう晩年。
アントワネットに嫌がられたのは見た目より、その無口で孤独な性格。
>>167 ヨーゼフもレオポルドも自国領第一。強国フランスの自滅はむしろ喜ばしい
ぐらいに思っていたのでは?妹だけは助けようとしたかも知りませんが。
アントワネットとルイ16世の疎遠さとかルイの優柔不断の原因も、彼女の
オーストリア実家意識が相当大きかった。ルイはともかくこの時代の君主
としては例外的に国民的感覚を持った統治者だった。国民に銃口を向ける
ことを最後までためらい、結果的に破滅してしまった。
>>168 堅固な支持層が無かったのが致命的。
貴族層は啓蒙カブレか我欲と保身に閉じ籠もるかだし・・・・
ちゃんとした立憲制のイデオローグが居て、
軍隊掌握してて、殺るときゃ殺る。
これなら断頭台は避けられただろうけど。
170 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 16:07:54 0
1790年の状態で均衡保っていればなぁ。強力なイデオローグといえばミラボー。 彼の死後はバルナーヴとか。まあルイ自身が立憲君主制を内心否定していたのも 大きかった。彼の考えによれば最大の失敗は「聖職者民事基本法」を承認してしまった こと。これに懲りて以後拒否権乱発したんじゃないか?まあ旧制度の赤字はこの 法で没収された教会財産で一息ついたわけだが。
>>170 >最大の失敗は「聖職者民事基本法」を承認してしまった こと
失敗は失敗だけど。旧支配層の財産も保護出来ない、
軟弱な支配者ってことになっちゃった。そして乗り換えられる
別の党派は無かったというか弱かったというか。
旧支配層に依拠しないのならば、
↓
>ルイ自身が立憲君主制を内心否定していた
フィヤン派系に自分から積極的に肩入れして、
支持基盤を強化する他なかったとは思うけれど。
突然現出した実力政治の状況に「王の権威」だけを
頼りに対処しようとしてた、って所ですか。
172 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 20:13:47 0
サルコジがシラクをルイ16世になぞらえて馬鹿にしたとか。 小泉の件といいルイ16世は散々だなw
>>172 ルイにシラクぐらいの精力っつーかガッツがあれば
174 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 00:13:12 0
ルイ16世の悪口を言う奴はオラがゆるさねえ!!
175 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 11:51:29 0
>>171 外国へ逃げた陰謀家の弟たちのせいで当時相当不利な立場に立たされていた
ことも考えなくては。彼らは安全圏から過激な発言をして煽っていたのだった。
確かに思い切ってバルナーヴを全面に立てて議会に妥協しつつ関与すればよかったのか
なあ。
176 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 16:51:42 0
>>172 さるコジ、さくらももこ作。シラク、シュトローブル作。
177 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 21:58:18 0
フランスってバカな国だよな。 革命だって集団ヒステリーみたいなもんだろ? その後も帝政、王政復古、革命、帝政、革命みたく あっちについたりこっちについたり。 そのあげくプライドだけは高く英語で話しても分からないふりしたり。 ルイも立憲君主制で上手くやれなかったのかな? でもあんな国民性じゃどの道無理な話か。
革命で貴族〜ブルジョア層と下層階層が相互に過激に弾圧し合った結果、 19世紀を政治動乱で棒に振り、英の後塵を拝す羽目になるわ独の勃興を許すわ。 フランス革命って結局害も大きかった。
179 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 09:58:28 0
ナポレオンの帝政時代の功績とされるものの大半は革命以前の「アンシャン・レジーム」 末期に全て出揃っていたものばかりだ。ナポレオンの残せたものなんて 国民意識の高揚以外たいしてない。戦役で疲弊し、立ち遅れた経済を考えると いいこと全くなし。かといって一度死んだ旧制度はもう二度と役に立たなかった。 革命の意義は大きいし本質的には正しかっただろうが、急激だったのと集団ヒス テリーの無秩序に陥ったのは大失敗。フーキエ・タンヴィルのごとき無能な変質者が 生殺与奪の権を握って神のごとく振舞う…。悪夢というしかない。
何であんな状態になったの? 今だに分かんない。党派の違うもの同士が権力争いした結果? それにしてもあの時代は狂ってたとしか思えない。 誰かサルでも分かる革命講座して!w
181 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 10:46:43 0
課税反対の抵抗勢力=貴族・上層ブルジョワがはじめた革命に、都市の下層民 の暴動が呼応してどんどん激化してしまった。
182 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 12:30:30 0
あのチャウシェスクが殺されたルーマニア革命をニュースで見たとき、 悟った。人は腹ペコになると凶暴化するのだ。
184 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 21:56:05 0
,へ.,...___./⌒! _/.| ,-ヘ.| !|;|r'''.ト-r-:..、__ ______ ./´Y ゞ!| !L.._丿!| l\ノ´/i| |\ゞ;´ /´  ̄`ヽ, }´ } ,へ.\\.| |/l |// ̄|j´Yゞ、!ヾ、 ,へレ'`"´ \\l| l|.|// ,::ヘ、 y'"_´\_|、__ .ト‐|'´ ,;ヘ、 \ヾ;.レ' ヾ'"´ ./ !i / |ヾ;ー--`ヽ、 /し' `"''` `ヾ' , _....:::::.._.\_"___/ | | lヽ、 ` ̄ /l |/ `ヾ、 _j´!L_,-_;':´:::::::::::::::゛ヽ、ヾ.`ヾ,レ_| !`'ー- / il | ,-‐-、 `ヽ'j_ ,;:':::::/ ̄`ヾ;:::::::! }ゞ‐-┴'ー―'"´ ̄ ___ _/!ヽレ| / `i _.__.!::::::.! 。 .|:::::::| | ̄_二 -‐'"´ ̄ ̄ ---`ニミーゞ_!{ l ・ :} ,-‐ _ヾ::::l ノ:::::::l Y´ `ヽ、゛ L / / ̄ ヾ:;`':::::::'":::::::ノ ト┬‐┬-‐‐┬‐― } ヾ= -‐" ' `"'ー-‐'" u | || !、 ヾ、ヽ ー--y-┬┬彳 ∪ ゛' '" _, -‐-:、 | |.! .| \ \ /// /i/!|! ,.-ー-‐'", ̄´ トへj |ヽ ,| !| .| .| \ ///! //l /!ヽ. / ,;|、 l`''´| | /ー..レ'ゞ/| / | | | | | // / // |i j/´! |レ{_l V'三└┴┘三ミ_ヾ'/ l | | l ! | | / / // .リ ! | \ヽ、 | ////´ `ヾ;、ヽ=| / ./| l | l| l | / // | |l| | i \ヽ ヽ. |l |" r;; ,rヘ. .l! l| !{ / .| l | / |.| | | ./ // j / |l | | ,:ヘ、 .| .| | /ヾ'"'''´`ヾ、.L_| // /! | .ヾj ||| | | // / /| ||ヾ!| | \丶.レ'-ゞ;ゝ'´´  ̄‐ {.ー| ///| | | 人| | | / / / || | .| ':、`V |_ / _/ { l l l | l 待でぇええええ゙え゙え゙っあ゙あ゙あ゙っ!!! ごろ゙ず!!あ゙っ!!ごろず!!!ゔあ゙あ゙あ゙あ゙っ
185 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 08:56:19 0
↑奈にこれ??
暴動した市民。w しかし集団ヒステリーは怖いよな。 王家の墓を荒らしたり、残虐に虐殺したり。 血をみて段々狂ってきたんだろうか? 最初の人権宣言辺りまでは良かったのに。
187 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 15:23:32 0
>>182 もうひとつ。自分がものすごく損していて、他人が得していると思った
時、人は残酷になるのだ。パリ市に入る関税で荷物から税を徴収していた徴税
請負人に対する怒りなんて、そりゃあもうすさまじかったようだ。
あと、やはり王家が外国軍侵入の手引きをしているのではないかという疑心暗鬼
と神の意思に逆らっているかも知れない、という恐怖感から、必要以上に王家や
穏健派を警戒したのでは??
実際マリーアントアネットは母国に情報流してたんでしょ?
そう。当時は証拠は無かったが。 まあ状況証拠ってのもあるし、上で話題に出てたがパリを出て 軍と合流するつもりだった、つー話もあるし 疑心暗鬼というより具体的な恐怖だったんだろう。
190 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 10:55:18 0
国王一家は先に亡命した王弟や亡命貴族の過激な反革命に悩まされていた。 対オーストリアの戦争は王が望んだという以上に議会の意思だったし。 ヴァレンヌ事件のさいの軍との合流といってもあくまでブイエ指揮下の フランスの軍。反革命勢力の糾合をねらったものであり、外国軍との合流 は考えていなかったと思う。ところがこのときのパリ市民の反応は国王が オーストリア軍を引き入れようとした、というもの。国王が外国と内通し ていたとしても実際の行動以上に大げさに恐れられていたのでは?
>>190 一国の王たるものが外敵と内通していたならば、どんな結果が出るかは最悪の場合を
想定してしかるべきでは?
実際はたいしたことは考えていなかっただろう、というのは200年後の見解。
当時の政治情勢ではブルボン家こそがフランス・ナショナリズムの敵だった。 外国とかかわりの深い王族を抹殺することで、フランスは国民統合を成し遂げた。 同じことは、教会についても言える。カソリックは教皇の影響下にある宗教勢力であり、 なんらかの方法で教会勢力を排除しないと、国民統一がなしとげられない。だから、 革命フランスは、宗教に敵対的だった。 海外の影響力を排除し、フランス・ナショナリズムを純化するためには、国際的な 基盤を持つ王や教会は邪魔だった。 ルイ16世が王妃をオーストリアに追放し棄教していれば、王政は存続したかもしれない。 革命当時はナショナリズムに合致した王家が求められていた。外国勢力を頼ったルイ16世は、 国民国家誕生の時流が読みきれなかった。
193 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 17:42:48 0
ヴィ〜ヴ・ル・ナシオンとくらぁ〜!
194 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 14:05:53 0
何しろ国民国家の概念が出来たのがこのフランス革命だったんでしょ? 王にしてみれば国民への裏切りどころか、「謀反人」を排除さえすれば、もとの 善良なる臣民の王国に戻ると信じていたのだろうから。 カトリックに関してはこの時代はすでにガリカニズムを経ているのだからして、 教皇庁追従などは過去の話。当時の教会はあくまでフランスの教会。 その莫大な資産を狙ったんでしょう?革命政府は。赤字解消のために。
マリーアントアネットとマリアテレジアの往復書簡 これ読んだけど、不吉な預言書みたいだね。 ことごとくマリアテレジアの不安が的中してるし。 アントアネットも母の言葉を忠実に受け止めていたなら ギロチンはなかったかな? それとも革命は必然で運命には逆らえなかったんだろうか?
196 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 12:28:40 0
最近知ったけど、ルイ16世って左利きだったんだね。
197 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 14:57:08 0
↑gauche=不器用、へまな、という意味もあるので混同した?
>ルイ16世が王妃をオーストリアに追放し棄教していれば でもヨーロッパの王家って自国の国民より他国の王家との方が血縁とかつながりが濃いし。
199 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 22:32:35 0
<<192私見ですが。ルイ16世が最もこだわったのが、カトリック信仰だと思う。 革命以前はあれほど夫を疎んじた王妃はなぜか革命中は、夫から離れようとしなかったし。 棄教も王妃追放もだからあり得ないです。
200 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 02:30:51 0
200get
201 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 12:49:48 0
1789年の8月4日夜。絶対王政のフランスは死んだ…。あれから216年。…半端な 月日だが。
202 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 16:24:59 0
なんか泣けてきた
>>194 それ以前からスイスやアメリカ合衆国は国民国家だったと思うが
204 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 20:32:25 0
スイスに関しては「近代的国民国家」とは違うのでは? むしろ封建制の延長線上?そういっていたらベネチアとかハンザ同盟なんかも。 アメリカに関しては確かにそうだとは思うが、フランスのように「王政」を倒 した上で「国民国家」なるものをを構築したわけではないからちょっと違う気が したのでしたよ。
205 :
世界@名無史さん :2005/08/07(日) 14:00:26 0
そして1792年8月10日、チュイルリー襲撃。ルイ16世は立憲君主でさえなくなってしまった。
206 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 08:11:54 0
そして8月23日。ルイ16世生誕201周年!!ヴィ〜ヴ・ル・ロワだよ〜!半端だが。
207 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 08:14:47 0
↑間違えました。251周年でございます。1754年8月23日早朝。母は急に 産気づいてしまった。聖王ルイにあやかって8月25日出産を狙っていた父母だったのだが。
208 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 09:28:32 0
1792年の昨日、チュイルリー襲撃、王一家は議会に避難。王権停止。王は避難の途中 落ち葉を蹴散らして遊ぶ王太子を見て「今年の落ち葉は早い」とつぶやいた。
>>204 スイスは村落自治共同体の連合っぽいね。
ルイ16世の王冠の画像を探してるんだけど、何故かみつからない ルイ15世のはみつけたんだけどね…
211 :
世界@名無史さん :2005/08/15(月) 11:56:33 0
↑戴冠式では同じのをつかったのでは、と思っておりました。「シャルルマーニュ」以来 代々同じやつ。ルイ16世戴冠のさい、重すぎて文句言ったのがまわりに聞こえたらしいけれど。
212 :
ショワズ〜ル :2005/08/18(木) 17:55:46 0
おお、陛下、こんなところにsageられて…。地味でございますな。相変わらず スレも御本人も書き込みも。
213 :
世界@名無史さん :2005/08/18(木) 20:19:28 0
地味だという世間の価値観がおかすぃ
214 :
世界@名無史さん :2005/08/19(金) 10:26:35 0
1787年外務担当大臣ヴェルジェンヌの死後名士会の失敗でカロンヌ失脚、以後途方にくれて 鬱状態になられたんです、陛下は。それでもうやけになって三部会召集。以後は…。
215 :
世界@名無史さん :2005/08/19(金) 21:06:22 0
それにしても、大革命前のフランスって、農民暴動がすごく多いのに、 革命後はなぜ収まったの?
216 :
世界@名無史さん :2005/08/23(火) 10:56:17 0
今日はわが敬愛するルイ16世生誕251年の記念日なのだ。バンジャ〜イ!! わずか39年と5ヶ月の苦難に満ちたその人生に思いを致そうではありませぬか 皆様よ!
217 :
世界@名無史さん :2005/08/26(金) 13:46:09 0
↑どなたもご賛同されませんな。ううむ。悲しい。
218 :
世界@名無史さん :2005/09/07(水) 21:34:45 0
ま、英雄扱いはされないよな そういうキャラじゃない。
なんだかルイ16世がかわいそうになってきたな…(泣) ルイ16世を処刑するのは間違いだった。 国民公会非情なり。 俺がモンターニュ派(ロベスピエール、ダントン、マラーの3バカトリオ)が嫌いなのはこのことが大きい。
220 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 00:01:38 0
>>215 農民暴動って、1789年7月の大恐怖のこと?そりゃあ、翌月、8月4日
の公会で思わず成り行きで貴族が特権その他放棄してくれたもんで。
めでたく皆自作農になったんでしょう?違うのかなぁ?よくわかりません。
221 :
世界@名無史さん :2005/09/08(木) 08:56:17 0
このごろテレビで毎日報道しているニュー・オーリンズの惨状。あそこの何たら ドームでは避難民の混乱のなかで武装した無法者による恐怖政治が行われたそうだ。 革命の理想はすばらしかったが、実際に旧制度の枠が外れてみると、このドーム内と 同様、無法者の支配が横行したのだろう。理性を失った指導者を戴くほど恐ろしい ことはないのだった。
タナカヤスオというよりセンダミツオに似ている。
223 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 13:15:24 0
↑ええ〜似て無いyo!といいつつ衆院東京10区の某宗教関係政党の候補はけっこう 似てるんだよ…。
宗教関係政党は東京12区だったような気が・・・
225 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 22:31:33 0
↑はいそうでつね。まちがえました。10区はヤスオさんがうろうろ。 ハナシはかわりますが、歴史上でともに酒飲みたい人がルイ16世って人は ワダスだけでしょうか?ミラボーとも飲んでみたい。
226 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 16:25:59 0
他のフランス革命スレは大荒れ。ここは過疎なれど平穏無事を願う。
227 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 15:10:00 0
トクヴィル「旧体制と革命」ゲトー。農民の怒りを理解するにはタイユ税 の実情をしる必要があるらしい…。
228 :
世界@名無史さん :2005/09/26(月) 14:27:19 0
長谷川哲也「ナポレオン獅子の時代」。ううむ。わが尊敬するルイ16世を…。 鈍感なバカに描くのはいい加減やめてほしいものだヮ。
229 :
世界@名無史さん :2005/10/12(水) 15:17:05 0
過疎あげ
バカは違うと思うけど鈍感はあると思う・・・・・・
231 :
世界@名無史さん :2005/10/12(水) 21:49:42 0
いや、実際、非常に我慢強かっただけ。死ぬ前は相当動揺している。特に家族の事を考えて。
232 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 01:35:45 O
漏れルイ16世と同じ誕生日w
233 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 04:08:41 0
>>232 もちろんルイ16世のように包茎だよな?
234 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 13:13:28 O
余裕〜〜 orz
立憲君主制に適した国王だと思うのだが やはりパリからの逃亡が致命的だったな。
236 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 21:33:29 0
治世初期のテュルゴー罷免とこのヴァレンヌ事件。 奥さんの言いなりになって運命が変わってしまった。憎いょ〜M.A.。
包茎と内向的性格ゆえに終始妻に頭が上がらなかった悲劇の国王。
238 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 23:01:15 0
鍵鍛冶屋趣味にしてオタクの元祖。 (フランス人がオタクに興味持つのもよくわかる…泥棒ルパン三世みたく共通してる?)
239 :
世界@名無史さん :2005/10/14(金) 06:06:06 0
王族が趣味をもつのは普通だったんだがなあ。 ルイ15世は時計づくりが趣味だったらしいし。
240 :
世界@名無史さん :2005/10/14(金) 11:07:41 0
いとこのスペイン国王カルロス4世などは鉄砲まで手作りしていたそうです。 ルイ15世は料理も得意。 ルイ16世は錠前だけでなく手描きの精密な地図も残している。ラ・ペルーズに 命じてカラフトと北海道の間が地続きか否か調査させたりとか、地理学者と言っていいほど。 あと建築関係の作業とか物理の実験も好き。(物理、数学好きは母方ザクセン家の伝統)
241 :
世界@名無史さん :2005/10/14(金) 23:22:00 0
要するにヨーロッパの王族って、理由無く学問の媒体(メディアム)だったっていうこと? その原因は??
242 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 00:06:20 0
媒体って??ただ単に統治にあたっては教養と実学を修めることが必須 と考えられたのだと思います。数学、地理、物理は大砲の射程計算とか 境界の画定とかに必要だったらしいが。
243 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 09:13:45 0
>>241 テレビとかなくて暇だから勉強でもしたほうがいいんだよ。
244 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 11:05:14 0
>>243 ある意味で正解。
政治的指導者が倦怠したらこわいもんな…自分の身も滅ぼすシ。
245 :
世界@名無史さん :2005/10/15(土) 12:44:54 0
トルコのスルタンも若いうちに弓作りなどの手工芸を習わされたようです。 これは遊牧民の習俗の名残りかもしれませんが。
ハプスブルグ家でも王族は何か手作業を学ぶ事になっていて、 マリー・アントワネットのお兄さんも、一流家具職人だったと聞いた事がある
247 :
世界@名無史さん :2005/10/16(日) 12:51:52 0
マリー・アントワネット自身、趣味は手芸。幽閉時、暗号を送っていると編み針 を取り上げられたのは母にとって大変な苦痛だったとマリー・テレーズが書いている。
248 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 19:26:41 0
age~
249 :
世界@名無史さん :2005/10/26(水) 10:38:54 0
マリー・アントワネットとマリア・テレジア展開催中のようですが…。 どうせまた不幸な結婚だの手術だの言うんでしょ?! 奥さんとか奥さんの実家の視点から(メルシーの視点というべきか) 語られつづけた結果、馬鹿で鈍感という悪しきイメージが定着してしまった というのに…。
250 :
世界@名無史さん :2005/10/28(金) 21:13:50 0
>>249 いーじゃん。手術が早かったら
アントワネットが少女のころからおばさんになるんだから。
251 :
世界@名無史さん :2005/10/28(金) 23:04:25 0
↑意味判らず。
とっとと包茎手術を受け、早いこと夫婦の関係をきちっと持てていたら 夫婦間の悩みも無く後継もさっさと生まれただろう、ということじゃないのか
253 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 13:06:59 0
でも結局夫が手術受けて王妃23歳で第一子、26歳で最初の王太子が産まれたのだから 遅いわけでもないと思う。そういえば11月2日はM.A生誕200年ですか〜。
254 :
世界@名無史さん :2005/10/30(日) 13:10:10 0
ホントすみません。250周年だった。
255 :
世界@名無史さん :2005/11/01(火) 11:03:19 0
age
256 :
世界@名無史さん :2005/11/06(日) 23:16:18 0
シェルブール視察は、あらかじめ、庶民への配慮があったとはいえルイ 16世は大人気だった。革命の数年前とは思えん。
257 :
世界@名無史さん :2005/11/22(火) 10:53:12 0
当時の人心はちょっとした風向きの変化で大雪崩を引き起こしてしまったんでしょうね。 それにしてもシェルブールで船に乗った彼が、船酔いしたお供の貴族をみて 大笑いって…。本当にお笑いのセンスが悪かった。荒くれ水夫の下品なスラング も嬉しそうに理解。現場監督的な王様だったのだ。多分。
258 :
世界@名無史さん :2005/12/03(土) 07:37:29 O
VIPから来ますた。 かなり上の方にありましたがルイ16世の死刑判決が1票差だったというのはよく言われることですが、 厳密には微妙に事実と異なっており、 死刑判決自体は賛成多数、 但しそのあとに行われた「執行猶予をつけるか否か」という判決に関して、 死刑賛成派における執行猶予賛成派の数を反対派に足した数が、1票差だったらしいんですね。 結局は執行猶予に関しても反対多数で否決されてしまったわけですが…
ペティオンらはルイ・カペーの死刑には賛成、されど執行猶予派だったね。 ジロンド派や平原派でも意見が割れたらしい。 確かブリッソやロランは死刑自体にまず反対、 ヴェルニオやコンドルセは死刑にも即執行にも賛成。 イスナールはペティオンと同じかな。
俺が国民公会議員だったらw、ブリッソらが主張する国民投票には反対。 大混乱時にこんな大事なことを国民投票なんてより大混乱に陥る。 死刑となると、ルイ・カペーの人権問題ではなく、純政治的見地から考え込む。 ただでさえイギリスは対仏戦参戦の口実を待っているのに、って。 しかし、ルイ・カペーの売国行為が明白となった以上、ブリッソらの国外追放論では、甘い。 難し〜い。
261 :
世界@名無史さん :2005/12/03(土) 09:45:26 0
なにもなし ルイ16世
262 :
世界@名無史さん :2005/12/03(土) 11:05:27 0
あ〜そ〜ですよ!ど〜せ!
「ルイ16世幽囚記」の本で、面白い内容があったら、教えて下さい。
264 :
世界@名無史さん :2005/12/08(木) 22:26:44 0
1793年1月17日朝、弁護人マルゼルブ氏が公会での死刑判決結果を携え来訪、 が、自らの死刑判決を聞いても動じないルイ。しかしその後髭剃りのため 洗面器を差し出した従僕クレリーが泣いているのを見た時、やにわに自分 の死に思い至ったらしく、見る間に彼の鼻と耳から血の気が引いた。 それを見たクレリーもまたヘナヘナと足から力が抜けたが、ルイは彼の手を 握って逆に「元気を出して!」と小声で励まし、落ち着いて髭を剃った…。 しかもその間、ずっとコミューンの役人の厳しい監視下にあった(自殺を恐れた)。 「ナポレオン」のマンガではルイはいかにも鈍感そうに描かれていたが、 実際には自分の感情を悟られないようにと注意していた結果なのだと思う。 上記の話は本では生前のルイ16世の声など聞こえてきそうなうまい叙述だった。
265 :
フマユーン :2005/12/08(木) 23:40:21 0
( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / ヽ l::::::::: | |:::::::::: (●) (●) | 国の1つや二つ、失っても取り戻せばいいさ。 |::::::::::::::::: \___/ | ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ \、 __/ / __ /´> ) (___) / (_/ | / | /\ \ | / ) ) ∪ ( \ \_)
>>264 ますます「幽囚記」読みたくなった!
他の本からだけど、ルイ16世が幼い息子に、「決して復讐などはしないように」といい聞かせるあたり、やっぱり立派な王様たったような気がする。
自分だったら、ああ言えただろうか?ってね。
復刊ドットコムに投票してきました
268 :
世界@名無史さん :2005/12/10(土) 20:37:48 0
おありがとうございます
>>256 ヴェルサイユ出発時点では、56名しかいない。
270 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 00:17:59 0
王様になって嬉しかったのはこのシェルブール行きとランスでの戴冠式 だけだったと後日述懐。衣装に極力金をかけなかった彼が珍しく特別に作らせた 真紅に金の縁取りの晴れ着…。のちのヴァレンヌ事件の折りも荷物に入れて いたという。忘れられなかったんだよなぁ〜。あの時の人民の歓呼。栄光の日! アンシャン・レジームの最後の輝きだ!
>>264 やっぱ今いち反応が鈍いとしか思えんがw
がん告知でも、すぐには反応できない人間は多いそうだが
ルイの場合、死刑判決は予想された結果であり
覚悟は出来てる所に宣告されたんだから
従僕が泣いている所を見て実感するってのは
やっぱ鈍いタイプだったんじゃねーの?
あのー、初心者的質問なんですが、シェルブール視察のこと教えて下さい。 何年に、どういった目的で行われたのですか?
273 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 22:57:25 0
1786年6月、イギリス海軍への警戒のためフランス海軍はシェルブール軍港に9基の巨大な木製 のなんというか、富士山みたいな形の浮き台を建造(オーク材で作り中に石を詰めたもの、一基あたりの総トン数 48000トン)。当時の土木技術の粋をあつめた?ものだが、ルイは海軍関係にも土木 工学にも造詣が深く、自らその竣工式(進水式)を行うべく行幸。(王妃は連れて行かなかった やだ!といわれたのか…)しかし以後の工事は赤字のため頓挫。結局役立たず。 オーク材はフナクイムシに食い尽くされるも王制なきあとの1800年、王が乗った浮き台の残骸は なおもシェルブール港にプカプカうかんでいた、という。
274 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 23:04:51 0
サイモン・シャーマ著「臣民から市民へ」上(中公刊)にくわしい。 (手元になくうろ覚えでスマソ)シャーマはこの大イベントを冷笑的に描いているが。
275 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 23:11:24 0
こう打ち込んでみて思うのですが、「やっぱり俺何やってもだめなんだよなぁ〜」 という彼の自嘲が聞こえてくる気がする…。 そういうところがしみじみ味わい深い人なんだけど。
イギリスの目先に牽制のために軍港を建設。シェルブール沖合に円錐台 を設け、停泊地を確保しようとした。円錐台の上や停泊地の 両翼に大砲を設置して、侵入する敵艦を狙い撃ちする目的だった。 多額の費用がかかり、1783年に作業が開始され、84年6月6日に最初の 円錐台が設置されるが、1789年12月に中止。この時点で2800万リーヴルに 達したと言われる。
円錐台そのものは失敗でも、国王の威信と人気は一地方には高まったのでは?
278 :
世界@名無史さん :2005/12/11(日) 23:39:36 0
この計画のため大砲の射程入りの細かい地図を自ら描き上げたルイ。 几帳面な技術者的一面がうかがえる。
279 :
世界@名無史さん :2005/12/12(月) 00:17:11 0
行幸中かれが王妃に書き送った手紙では、帰途、シェルブールで圧倒的だった民衆の歓呼 が徐々に減り、「パリに近づいているのがわかった」のだそうだ。
280 :
272 :2005/12/12(月) 08:32:37 0
>>273-279 マジレスありがとうございます。
日頃、アントワネット関連の本を読みあさっていた私にとって、シェルブールの視察は初耳でした。
ギロチンの発明に貢献していたのは知っていましたが、ほんとあらゆるものに興味を持っていたのですねー
大砲の射程入りの細かい地図とありましたが、たしかナポレオンも得意だったはず。
二人とも頭脳の面ではヒケをとらないのに、かたや英雄 かたや…
やっぱりルイ16世の最大の欠点は、覇気が無さ過ぎ!
どういう環境であったなら、この人の実力は十二分に発揮できたのかしら?
でも、一つ救いがあるとすれば、後世の人々に再評価されつつあるということかな。
今ふと思ったのですが、当時の王様って旅行しないのですか?
あまり記述がないような…
281 :
世界@名無史さん :2005/12/12(月) 10:50:02 0
ルイ16世の自信のなさ、他人に合わせようと自分の意見を封じてしまう癖は 幼い頃、乳母や父王太子が兄と弟2人を偏愛して、かれをバカな子として疎んじ、 あげく兄、父は次々と結核で死亡、いきなり王位継承者となった(母も失う) ためでしょう。しかもそのあとの帝王教育は「君主は他人に内心を悟られないように」とか 宗教のため命をささげろ、とか、現実離れしたものだった。 旅行に関していえば、王は旅行をしないということだったようです。なぜなら 用事があるものの方がヴェルサイユに来るから。ルイ16世はコンピエーニュ (結婚のとき)、ランス、シェルブール、ヴァレンヌしか旅行しておりません。 王妃もオーストリアから来た時以来、同じ。あとは年に数回、マルリー、フォンテーヌブロー ランブイエなど近郊の離宮に長期滞在以外はヴェルサイユ、革命以降はパリ。 地理学が何より得意だった王はラ・ペルーズの間宮海峡発見の航海にも助言している。 本当は自分で船に乗って日本なんかに来てみたかったのでは??
もっと財政に余裕があればなあ。 ルイ14世・15世が盛大に吐き出しやがったから。 もう少し国力があったらどんな施策を取っただろうか。 オーストリア、スペインとの友好関係につとめつつ、 海外進出を支援して“仏領オーストラリア”とかを作って、 ルイ航海王とか呼ばれたりするとか。
283 :
世界@名無史さん :2005/12/13(火) 13:13:16 0
「名士会(アサンブレ・ノタ〜ブル)」でも三部会でもなくイギリスにならった 「議会(アサンブレ・ナシオナ〜ル)」を、1787年の時点で王権みずからの手で 創設していたらね〜。 (王は閣議で大臣に解説してみせるほど英国議会についての知識も豊富だった) そこで課税を合法的に議論し、国家財政を立て直して改めて立憲君主制国家 として出直す。そうすりゃあ、コルシカの士官も王国軍元帥どまり…。
>>281 詳しい解説、サンクスです。
ベルばら世代には、驚きの連続です。
>>283 英国議会の説明をした時、大臣たちの反応はどうだったんだろう。
実現していないという事は、ルイ16世には強力にサポートしてくれる側近もいなかった?
それにしても「ルイ航海王」じつにいい響きだ…
285 :
世界@名無史さん :2005/12/14(水) 07:23:57 0
ルイ航海王、バンジャ〜イ!!
286 :
世界@名無史さん :2005/12/14(水) 09:39:48 0
>>284 閣議中、英国議会の話題が出ると、皆、王に詳細を尋ねたそうです。
毎月出る英国議会議事録やロンドンの新聞を取り寄せていたから。
実際のやりとりは不明。
ヴァレンヌのときは、王一家を捕捉すべく馬車に乗り込んできたバルナーヴ
に向かって英国議会の論評をはじめたものの、相手に「ほう、それで?」
と突っ込まれるや「あ〜いや、あの、その…」とたちまち赤面、黙ってしまっ
た…。
英語、ラテン語、イタリア語が自由に読めたそうです。
「バルナーヴ」でぐぐったら “ヴァレンヌ逃亡の際、議会代表として国王をパリに連れ戻した人。 その後、ジャコバン派と決別し、ラファイエット一派と共にフイヤン派を結成し 立憲王制を打ち立てようとした。”とありました。 起死回生のチャンスもあったわけですよね〜 なのに、なのに、あー無情…orz
288 :
世界@名無史さん :2005/12/14(水) 17:36:51 0
あ〜いや、バルナーヴ氏、ルイのことは「彼は無感覚な肉塊である」などと 結論付けてしまったのですが、奥さんのマリー・アントワネットのほうは いたく気に入ってしまい、以後、ひそかに王一家を救うべく(ミラボーの後釜 という感じで)彼女と手紙のやりとりなどして動いた。(しかしのち失脚…)
えっ〜〜〜!!アントワネットの方かいっorz まったくもってバルナーヴ、見る目無し!! ミラボーの時みたいに、ばれて失脚しちゃったの?
290 :
世界@名無史さん :2005/12/15(木) 12:22:10 0
あ〜いいえ、ミラボーは死亡後、王家と通じていたことが露見したんですね。 バルナーヴはヴァレンヌ以降、立憲王制を目指しジャコバン派から分離し 穏健派(フイヤン派)として憲法制定にこぎつけるものの、肝心の王家がこの 立憲君主という役を内心拒絶していたから、結局彼のほうが王家に 裏切られたような感じもありますね。王妃に至ってはオーストリアとの戦争 を回避しようとするバルナーヴらに同調するふりをしつつ、実は時間稼ぎに 利用した(そのうち実家が助けに来るはずだからそれまで議会をコントロ ールして王権だけキープしておいてもらおう…)ということのようです。 バルナーヴは王の刑死後も亡命せず、恐怖政治の裁判で死刑。 当時実家を頼る王妃の存在は、民衆の愛国心を煽る材料として大きかったと思う。
フランス革命が必然だったとしたら、ルイ16世は時代に選ばれてしまった王だったのかな〜 「死ぬ」ことにも意味があり、使命だったのかな〜 などと、考えてしまいました。 ごめんなさい、今日は思いっきり欝です。 また、出直してきます。
292 :
世界@名無史さん :2005/12/16(金) 18:50:57 0
いえいえ、彼自身、最後のほうでは何しろ「自分が王になったのは死ぬためだった」 と思い定めたようですから。そしてそれは、多分父から「なぜ兄が死んでお前が生き ているのだ?」といわんばかりに責められた引け目が生涯つきまとったからなのだと 思います。それと、やはり父のごひいきだったイエズス会シンパの人たち(デヴォ= 信心党)の貴族・聖職者の影響から殉教者としての役を引き受ける、という 刷り込みが最後の最後に彼に命を諦めさせたようにも思います。(死刑判決後も公会 での上告断念)「生きたい」と思っていいのだよ、と言ってくれる人がいたのなら…。 そのあたりのけなげさが王妃の気持ちも動かしたのだと思う。幽閉中、家族に会えた間は 本当に幸せだったかも知れません。
293 :
世界@名無史さん :2005/12/16(金) 19:00:09 0
憲法への内心の拒否も、おそらくこの亡き父が重視していた宗教(教会) に忠実であろう、という意志から発したものだと思います。 新しい世が必要なことを理解しているのに、父の遺志から宗教や旧制度に こだわり続けたことが、彼の悲劇でしょうか??
294 :
世界@名無史さん :2005/12/16(金) 21:38:09 O
一方その頃ブリア‐サヴァランは、王党派と見做されて アメリカに亡命していた。「美味礼讚」を書くまであと三十年。
295 :
世界@名無史さん :2005/12/16(金) 21:44:09 0
19世紀パリでサヴァランとか食通がブームとなったのは旧制度下、王宮や 大貴族お抱えだった料理人が革命で失業して、市中の料理屋に再就職した からだそうだ。でもなんで此処に書き込むわけ?
ルイ15世って、たしか料理好きだったよね? 大食漢のルイ16世にも、たまには作ってあげてたんだろうか? だとしたら、ほほえましいのう
ルイ18世はマジで糞。 擁護する気にならねえ。 なんでこいつが首斬られなかったんだ。
298 :
世界@名無史さん :2005/12/17(土) 13:12:55 0
ルイ15世は朝、娘たちにコーヒーを淹れてあげたそうです。 娘とか息子や孫の嫁は大好き。息子と奥さんは無視。孫(ルイ16世) のことは、ものすごく不仲だった息子の死後、罪滅ぼしのようにちょっとは 可愛がって狩りなどに同行させたが、料理はふるまったかどうか知りません。 ルイ16世は幼少時に足りなかった愛情(結婚後は嫁の愛情も)の穴埋めと、 食べれば健康になるという侍医の進言から青年期に過食に陥ったんじゃないでしょうか? 革命期にはしかし、さほどの大食いではなかったと思う(酒量は進んだか?) ルイ18世は、やはり幼い頃、父のえこひいきで兄より優れていると思い込まされ 慢心したんですね。陰険で腹黒い厭な奴だ!この人がいなかったらルイ16世も もう少し自信をもって王国を治められたのではと思いますね。 語学、文学の才能は相当あったらしいけれど、理数系も運動も全然だめ。 ナポレオンいわく、「ルイ16世から誠実さを引いて機転を足したような男」
299 :
世界@名無史さん :2005/12/17(土) 13:47:49 0
シャルル10世の方がルイ18世より人が良さそうな気がするが、どうなんだろ。
アルトワだっけ?アントワネットの遊び相手でイケメンだった人? しかし、ナポちゃんうまいこと言うね。座布団一枚あげたいところだw
301 :
世界@名無史さん :2005/12/17(土) 17:01:29 0
う〜ん、単細胞でわかりやすい強硬派ですが、意外に小ずるい。バスチーユの3日後 家族とともに亡命するチキンぶり。(ムッシュゥ=のちのルイ18世はヴァレンヌ事件の夜にブリュッセル に亡命するまで、王一家とともにパリにとどまっていた)亡命後はコブレンツなんかで遠 吠えするものだから国内に取り残された国王一家は一層窮地に立たされたわけです。 王政復古後の反動政治ぶりもひどい。
302 :
世界@名無史さん :2005/12/17(土) 17:20:53 0
ルイ18世がしばらくパリに残ってたのは、あわよくば王位が転がり込むとでも 思ってたからかな。 まあ、この人は兄貴や弟に比べたら、一番、政治的センスはあったみたいだね。
303 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 08:57:26 0
政治的センスというか、自己保身に長けていただけですね。 わが敬愛するルイ16世はすくなくとも自分を犠牲にして神に国民 救済を願い、それこそ旧制度的祭司的王権の役割を (あの意志薄弱と揶揄された彼が)渾身の力を振り絞って果たした、 といえると思います。その一方そうした宗教的役割が時代遅れというのも 自覚していたと思う。(裁判中はずっと無神論者マルゼルブと対話しているわけだし) そのへんの複雑さがかれの不幸をわかりにくくしているような…。
304 :
中嶋 隆史 ◆8x8z91r9YM :2005/12/18(日) 09:26:09 O
部屋の隅は糞まみれだったと聴くが・・・
305 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 11:59:59 0
↑それは息子のルイ17世の最期。
306 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 14:26:57 0
↑最近、DNA鑑定してタンプルで亡くなった少年が、ルイ17世と証明されたんだろ。 アントワネットとその親戚で鑑定したんだが、何故ルイ16世としないんだ? 両親の間で鑑定した方が、はるかに簡単で正確だと思うんだが。 出来ない理由でも?もしや…
307 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 16:41:19 0
あの判定法は母系しか判定できないから。 ただ、あれも時間がたっていて、保存状態も悪く、完全じゃないらしいけど。
308 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 19:26:42 O
後のルイ17世誕生の日、ルイ16世は日記 に「王妃、ノルマンディー公(後のルイ 17世)出産。全ては私の息子と同じよう に過ぎた。」と書いたと聞いたが本当か な。
309 :
世界@名無史さん :2005/12/18(日) 21:48:22 0
↑そう書いてあったみたいだな。 だが別の本では、ルイ17世の受胎日と、ルイ16世がアントワネットの寝室を訪れた日が合致してるそうな。
310 :
308 :2005/12/18(日) 22:21:03 O
>>309 携帯からの書き込み
なので、読みにくい点申し訳ありません。
確か日記は桐生操さんの本に書いてあっ
た気がします。受胎日の件は初耳です。
フェルゼンもその時期はフランスにいた
し…
311 :
世界@名無史さん :2005/12/19(月) 08:06:43 0
デボラ・キャドベリー著「ルイ十七世の謎と母マリー・アントワネット」(近代文芸社) に廷臣が記していたとある。 その他の内容も、長女マリー・テレーズの回想録が引用されたりと、新発見が多く興味深かった。
312 :
世界@名無史さん :2005/12/19(月) 08:26:58 0
↑デボラ・キャドバリーも桐生操も読んでいませんが、見た目等ルイ16世 とそっくりであり、親子関係は疑いようもないように思います。 日記の記述は「前回の王子出産と同様に」という意味を誤読しているのではないでしょうか? 1795年タンプル解放後のマリー・テレーズの回想記は「ルイ16世幽囚記」後半に そのまま掲載されております。これと「マリア・テレジア、マリー・アントワネット 秘密の往復書簡」 は一次史料で日本語で読める貴重な本ですね。
313 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 11:13:25 0
age
名君である曽祖父には足元にも及ばないな
315 :
世界@名無史さん :2005/12/23(金) 01:46:29 0
曽祖父って、ブルゴーニュ公ルイか? どこが名君なんだ。
316 :
世界@名無史さん :2005/12/23(金) 10:52:27 O
ルイ15世 ルイ16世の祖父 ルイ14世 ルイ15世の曾祖父 この二人、特にルイ14世が国費を疲弊。そのツケが溜まりに 溜まってルイ16世に。16世が14世のような性格だったら特権 階級を廃止できたのかな。
317 :
世界@名無史さん :2005/12/23(金) 12:52:41 0
国費を疲弊→国費を浪費、または制度が疲弊…。 しかし、何ですね。国家財政の破綻と新興富裕層の政治的上昇。どっちが真の 革命の原動力だったのでしょう。特権階級といっても当時すでに富裕層の核心は 第三身分=市民層だったわけです。貴族・聖職者はいわば現代日本の公務員のごとく 叩かれ役として無産階級の恨みを買っていたような気がしますね。
318 :
世界@名無史さん :2005/12/23(金) 12:55:36 0
319 :
世界@名無史さん :2005/12/23(金) 12:57:17 0
↑どういう意味でしょうか??
ルイ十六世時代に国王直属の司教座が激減しているのは何故?
↑ 間違えた
322 :
世界@名無史さん :2005/12/28(水) 08:49:27 0
ブルゴーニュ公の奥さんはサヴォイア家出身、二人とも早死にで15世は幼王 として即位。15世のうつ病はどっちからの気質なのだろう?多分16世もうつ体質。
323 :
世界@名無史さん :2006/01/02(月) 17:54:50 0
噂によれば、今年は東宝で遠藤周作の「マリー・アントワネット」を原作に ミュージカルをやるそうだ。ルイ16世に思いいれのあった作家の原作という ことでかれの人物像もその方向で強調されるらしい。 あの小説は個人的にはあまり感心しないし(捏造多し)東宝オリジナル脚本ではなんだか うすっぺら〜く表現されそうでどうも期待できない。(おととし松竹制作の大 地○央の同様の芝居を見て、そう思う…)
324 :
世界@名無史さん :2006/01/02(月) 19:37:12 0
遠藤周作は皮肉にも本人が留学して思い入れの深いフランスでは 余り評価されなくて英米での評価が高いらしい。 もしかして『マリー・アントワネット』が関係しているのかな。 自分も読んで脚色多過ぎと思った。 マラーを殺すのもシャルロット・コルデーではなく修道女になってるしね。
歴史書ならともかく、小説にフィクション部分があって、 それを捏造とつっこまれても困るでしょ。
326 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 17:07:59 0
確かに「小説」と銘打って、あとがきにも縷々釈明しておりますが、結構あれを 史実と読む人も多いんですよ。あのコルデーのかわりに修道女「アニエス」が マラーを殺す、というのはベルナノス「断頭台上最後の修道女」の引用というか インスパイアですね。ルイ16世とマリー・アントワネットの描写もとくに前半は 周作気に入りのモーリャック「テレーズ・デスケルー」の引用そのものなんです。 日本国内で、娯楽読み物ならこのぐらいの改ざん(および剽窃)はいいだろう、 という姿勢がとにかくイヤだなぁと思う。のこりの部分も多くはカストロ著 「マリ=アントワネット」からの引用が目立つ。所詮、ベルバラブームの頃の はやりに乗じた企画だったんですけれど。
>>317 >貴族・聖職者はいわば現代日本の公務員のごとく 叩かれ役として
>無産階級の恨みを買っていたような気がしますね。
聖職者が恨みを買っていたケースもあるでしょうが、宣誓拒否司祭を匿ったりして
いたのは農民。ナントの虐殺で生き延びた人を、自分自身の身を危険にしてまで
匿ったりしている。
328 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 17:47:57 0
そうだとするとなぜあの1792年9月の大虐殺で高位聖職者が惨殺されていったのでしょう? パリなど都市の無産者層でも全てが反カトリックだったのではないとは思いますが なぜあんなに怒りをかったのかなぁと。
329 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 17:49:39 0
司祭と高位聖職者の間に壁がある。
憎まれ役=徴税請負人
331 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 18:05:56 0
高位聖職者はほとんどが貴族だし、裕福な生活をしていた。 おまけに、庶民との接点はほとんどない。
332 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 21:25:40 0
修道院の修道士とか修道女も僧院から引きずり出されてまとめて惨殺。 今思ったんですが、革命の過激派にはもと司祭というのが結構多い。 ドサクサに紛れて上司を殺しまくり、自分がその地位につく、てな野郎 が多かったんですな、きっと(フィリップ・ル・ボンとか)。 パリの自治委員会(コミューヌ)の委員などもそんな奴が多かったんでしょう。 (もとビール醸造業サンテールとか)フーキェ・タンヴィルなども裁判所の 平吏員から裁判長へ。せこい私怨やけちな物欲、ねたみ、やっかみからやった。 これが恐怖政治の正体かも知れませんね。そして殺される側の従順さ。やりきれない。
333 :
世界@名無史さん :2006/01/03(火) 21:37:23 0
フーキェ・タンヴィルは刑死者たちの最後の遺書すら 遺族に届けずに自分のファイルに保管していた極悪人。
334 :
世界@名無史さん :2006/01/04(水) 10:46:05 0
フーキェ・タンヴィルやフィリップ・ル・ボンは死刑判決濫発の冷酷無比 な人でなしだが、家庭ではよき父、夫であったという。 アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘスも同じような評が残る。 彼らは職務に忠実たらんとして、何の罪悪感もなく人を殺し続けたのだろうか? 最悪の犯罪は狂気ではなく理性で行われるということか…。
憎まれ役=塩税吏
336 :
世界@名無史さん :2006/01/06(金) 10:36:13 0
↑そして対オーストリア戦争が始まり、当然のごとく王妃が最大の敵役。 外国への敵意→国民意識の覚醒→ナショナリズムのはじまりですね。 ルイ16世の王妃が親オーストリアのショワズ〜ルに押し切られることなく 故王太子(父)の意向どおりザクセン選挙侯家から来ていたら、 アントワネットさんほどは嫌われず断頭台も免れたかもしれませんね。 (母の実家だから近親婚にはなる)
337 :
世界@名無史さん :2006/01/12(木) 20:52:32 0
おフランスのおパリで6月、「La Tour」=塔、そうです、ピンとくる あなたはフランス革命通…タンプル塔に幽閉されたルイ16世一家を題材とする 劇の公演があるらしい。見たいよぉ〜。
338 :
◆RUI.gyCyxk :2006/01/20(金) 05:40:49 O
ふーん
339 :
世界@名無史さん :2006/01/21(土) 12:39:23 0
1月21日…今年もまたルイ16世処刑の日がやってまいりました。黙祷。
ルイ16世は、奴隷の扱いが過酷で酷いものであることを知り、 黒人法を修正した。
341 :
世界@名無史さん :2006/01/29(日) 23:09:33 O
どのように修正したのでしょうか?
王は、砂糖プランテーションの奴隷の扱いが、酷いものであるとの報告を 受け、勅令を発し、過酷にならないように制限を加える。
n
344 :
世界@名無史さん :2006/03/04(土) 18:17:52 0
最近では王がフランス国内で逃亡した奴隷をつかまえろ、という法令を発したとして 人種差別主義者だ、と非難されているらしいですな。確かにメルシエの「タブロオ・ド・パリ」 にもそんな記事が見受けられますな。おフランス人の白い肌を守るための法発令云々と。 まあ18世紀人たる王に現代並みの人道主義的センスを持てといわれてもねぇ。
345 :
世界@名無史さん :2006/03/09(木) 19:16:26 0
フランス革命がなかったら、ハイチの反乱をルイ自ら鎮圧するはめになっていただろう。 トゥサンvsルイの戦いも見てみたいが。
346 :
荒らし国王 :2006/03/09(木) 19:59:10 O
このスレの消去を依頼しましたから。私に感謝しなさい。馬鹿者たち
347 :
世界@名無史さん :2006/03/23(木) 17:25:19 0
↑何だとこのタワケ物!!
348 :
世界@名無史さん :2006/03/23(木) 20:06:43 0
>>344 どこの国にもその手の基地外っているんですね
349 :
世界@名無史さん :2006/03/30(木) 10:53:16 0
age
350 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 23:42:50 0
マリー・アントワネットのスレから少しはこっちにも来て欲しいですね〜
351 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 16:26:14 0
だれかきてほすぃ〜〜〜。
352 :
ad :2006/04/03(月) 16:28:22 0
実は、たったの24時間で、
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353 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 16:34:50 0
↑こんなのは呼んで無いぞ〜〜〜!!!
354 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 17:06:07 0
↑大爆笑! うけた!!
355 :
世界@名無史さん :2006/04/08(土) 12:50:12 0
うっかり笑いを取ってしまいますた…。 マリー・アントワネット展またハマでやってるけど ルイ16世関係の品は多分ないよね〜〜〜。
356 :
荒らし国王 :2006/04/08(土) 13:05:14 O
削除依頼しました。こんなクソスレいりませんから。おめえら氏ね!
357 :
世界@名無史さん :2006/04/08(土) 15:18:05 0
↑お呼びでないぞ!ウツケ物めが!
ルイ16世展じゃ人が集まらない。
360 :
世界@名無史さん :2006/04/22(土) 17:52:32 0
↑ありがとうございます。 このごろは奥さんのスレでばかり書き込んでしまう。 でもルイ16世も意外に人気あることがわかり、嬉しいですわ。
361 :
世界@名無史さん :2006/05/01(月) 00:22:14 0
あげ
362 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 11:29:48 O
ルイ16世好きだ。 王として生まれてなかったら、もっと幸せに生きれたんじゃないかと思ってしまう。
363 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 17:49:21 0
浪費・愛人が常識なブルボン一族でも稀有な質素な人格だったな。 立憲王政時代なら国民に慕われて天寿を全う出来ただろうに。 よりによって末期癌状態のフランスの国王にされたのが運の尽き。
364 :
世界@名無史さん :2006/05/02(火) 22:45:45 0
アンシャンレジームは時代遅れだったけれど税収さえ確保できていれば何とかなった と思う。 それからルイ16世治下のフランス海軍はナポレオンが出来なかったイギリス撃破に成功。 それから間宮海峡探検もかれがラ・ペルーズに指示したことだったし…。 まあ一番ふさわしいのは海軍の提督なんかでしょうか??
>>364 この人に責任を取らせる仕事は無理じゃないでしょうか。学者とか参謀とか人の下で
助言する仕事がいいと思います。
人の上に立つのは合わないんじゃないかな 周りに言いくるめられて、利用されたりしてそうだ‥
367 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 15:34:31 0
この人だっけ? ちんちんの皮が向けてなくて しばらくエッチできなかったのって?
この人だよ。 たしか結婚から七年位ずっとそうだったんじゃないっけ?
ユダヤ教徒なら、生まれてすぐ割礼を施されるから無問題なんだが。
370 :
世界@名無史さん :2006/05/04(木) 14:40:41 0
↑なんでルイ16世っつうとすぐこの話になるんだyo! 没後200年以上経ってもこればっかいわれ続けてカワイソス…
371 :
sage :2006/05/04(木) 14:41:35 0
sage
サゲ
クレリーの日記だっけ?昔読んだなあ。 最期まで立派な王様だよ。
>>373 王党派復帰後に出版された話なら相当脚色が入っていると思いますが、それでも
ルイ16世は今まで不当に低く評価されていたと思う。
ルイ16世よりもアントワネットの方が注目されがちだしね。 一般的には駄目な王様ってイメージが強いのかな・・
最近フランス革命を習った。もともとルイ16世好きだったけど、ここのスレ見てさらに好きになった! すごく優しい人なんだね。
それが不幸の元だけどな。
378 :
世界@名無史さん :2006/05/11(木) 22:17:12 O
フランス革命関連の本を読んでいると、本当にマスコミや中傷は恐いと感じるよ。 その当時のフランス人は我慢が積み重なっていたとはいえ、一丸となった民衆って恐ろしい。
379 :
世界@名無史さん :2006/05/12(金) 09:05:45 0
マスコミの煽動により燃え上がるというポピュリズムの最初の事例だと思う。 非合法マスコミ取り締まりを甘くしたおかげで百科全書も日の目を見たわけですが。 ルイ15世、16世の寛容な政治が逆にアンシャンレジームへの不満を盛り上げてしまった。 とくにルイ16世の諸改革は、まちがいなくあのナポレオンの帝国の骨格を作ったものだ。 手柄はすべてあのコルシカ人に持っていかれたんだよ〜!くやしい!
380 :
世界@名無史さん :2006/05/23(火) 00:28:04 0
陛下上げ
381 :
世界@名無史さん :2006/05/23(火) 11:28:43 O
ルイ16世の残した功績ってなんだろう?
ギロチンの刃の角度
383 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 00:30:40 0
フランス革命を起こし近代社会を切り開いた。
384 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 17:50:08 0
>>381 ルイ16世の治世下、特に産業面でフランスはより近代化されたことは
まちがいない。かれにとって常に手本はライバルのイギリスだった。
のちの革命とナポレオン戦争のおかげでフランスの経済的成長はイギリスに
比べて相当遅れてしまったのだった。また農産物の改良育成にも熱心だった。
(じゃがいもの栽培奨励ね!)三部会とそれにつづく大革命は、かれの手によるアンシャンレジーム改革の道
半ばで起こった不幸。そもそもイギリス同様の議会が必要と考え名士会を各地に
開こうとしたたのもルイ16世なんだから!抵抗勢力=高等法院の連中のおかげで
改革は挫折したんだよ〜
385 :
世界@名無史さん :2006/05/25(木) 22:59:34 0
最近フランスで出たという伝記の翻訳出ないかな 数日前の朝日新聞夕刊文化面でフランスで再評価が高まっていると書いてたけど
386 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 00:02:37 O
↑ルイ16世中心の本ってなかなかないから読んでみたい!
ツヴァイクはひどい書き方をしていたので、どういう違いがあるのか興味があります。
388 :
世界@名無史さん :2006/05/26(金) 10:13:49 0
sage
でもとても不安です。お願いいたします。
392 :
世界@名無史さん :2006/05/27(土) 18:50:25 0
良心的で偉大な国王に黙祷 エベール ロベスピエールは人非人
393 :
世界@名無史さん :2006/06/06(火) 22:40:54 0
陛下救出
394 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 00:12:21 0
有能とは言えないけれど、暗君じゃないと思うんだけどなぁ。 時代に流された悲運な王。ただ、良心的で偉大な王でも無い。 ただ人間的にちょっと癖がある性格だったから、 そのせいでさらに歴史的評価を落としたんだろうな。
395 :
世界@名無史さん :2006/06/16(金) 21:04:02 O
ルイ16世って本当に浮気とかしなかったのかな?好みの女を選び放題だっただろうに。 あまりに先代の王達と違い過ぎ。 それとも性格の問題?
396 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 01:18:06 0
>>395 性格じゃないですか?何しろアントワネットとフェルセンが浮気をしていても文句を
言わない人ですよ。
397 :
世界@名無史さん :2006/06/22(木) 18:50:02 O
いやぁ当時は妻が他の男とベッドにいたらこれは失礼というのが上流階級のエチケット。
包茎な上に内向的な男が浮気なんて出来る訳が無いでしょ。
399 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 00:34:58 0
>>395 じつは、1人別の女性に産ませた子供があったという説があります。
びっくりして、検索するんだけど、画像はでませんが、どうもいた事は事実
みたいで、驚きました。
先日、テレジアとアントワネット展に行きましたが、やはり公には出てません
フェルセンだって、たくさん愛人がいたわけで、ヴァレンヌ逃亡の際、王妃の
旅券とか、馬車を発注するのには、愛人の名前を使ったわけだから、ベルバラ
とかだけのイメージでは、革命を間違えて理解してしまいます。
400 :
世界@名無史さん :2006/07/05(水) 01:34:38 0
400ゲット
401 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 00:56:44 O
>>399 マジ?初めて聞いた。
他の王は堂々としてるのに、何故16世だけ未だに隠されてるんだ??
402 :
世界@名無史さん :2006/07/24(月) 13:20:56 0
商人どもの今日の隆盛は 近世を通じて王侯貴族からの徴税を最低限に抑えることに 成功したからだ。 王侯貴族は時代が変化しているのに対応できず 相変わらず農民から税をしぼりとることばかりに力をいれて、 農民などより格段に大きな支払い能力をもつ商人どもから 能率よく税を徴収できなかった。 これこそ王侯が一敗地にまみれた最大の原因である。 これこそイギリスやフランスで起こった市民革命の真の源泉である。 徹底的に搾取することに失敗した勢力は 搾取される側に落ちるという話。 現在の資本家圧勝の時代には 歴史の教師までが資本家に尻尾をふって 本当のことを言わない。けしからんやつらだ。
403 :
世界@名無史さん :2006/07/26(水) 09:15:30 0
>>399 それは王女付きの奉仕者の遺児で後に王女の遊び相手として共に育った
エルネスティーヌ・ランブリケの事だと思います。
可憐な王女マリー・テレーズが20年後、アングレーム公夫人としてルイ18世とともに亡命
から戻ったとき、あまりにこわもてに変貌していたため(でもルイ16世には似ていた)
替え玉ではないかと囁かれた、その替え玉が彼女だという説。
王太子ルイ・シャルルの謎が決着したら今度はマリー・テレーズ替え玉説ということなのでしょう。
しかも例の手術の直後にルイ16世が王女の侍女を…などという困難な前提を必要とする。
チェコの教会にあるというマリー・テレーズ=アングレーム公夫人のご遺体を調べれば
すぐ決着すると思います。
ルイ16世は亡き父(ルイ・フェルディナンド)のキリスト教道徳にがんじがらめの人だったんです。
(ルイ15世の家庭破壊がその原因)
404 :
世界@名無史さん :2006/07/27(木) 12:39:35 0
愛人に夢中で家庭を破壊したルイ15世に批判的なルイ16世の父(王太子 ルイ・フェルディナンド)は、母とともに「ドヴォ(信心)派」=宮廷内の イエズス会シンパに属していた。この父や父の死後教育を担当したイエズス 会聖職者やシンパの貴族によって(ルイ15世批判を込めた)ルイ16世への 道徳的教育が行われた。ルイ16世の子ども時代は本当に悲惨。父に似て傲慢な 兄ブルゴーニュ侯がカリエスで寝たきりとなり、毎日病床につき遊び相手(実は いじめられていた)。兄の悲惨な死。愛する長男(ブルゴーニュ侯)の死後、 自身も結核で死期を悟った父王太子はルイ16世(当時はベリー公)を理不尽に いじめたが、けなげな彼は必死で父の期待に応えようとしたのだった…。
405 :
世界@名無史さん :2006/08/05(土) 12:05:43 0
>>100 おめ
>>62 さん
「フェルゼンの手紙」という本をご存知ですか?
アマゾンにも売ってないようで…読みたくてたまりません。
原著でもいいです。
406 :
405 :2006/08/13(日) 04:56:46 0
ご存知の方どなたでも結構です。
407 :
世界@名無史さん :2006/08/18(金) 18:31:01 O
人気ないねここ‥(´・ω・`)
408 :
世界@名無史さん :2006/08/18(金) 18:44:19 0
いまさらフランス革命というのが大半だろうからな。
409 :
世界@名無史さん :2006/08/22(火) 12:25:49 0
ウァァァァァ〜ン\(`Д´)ノ
410 :
世界@名無史さん :2006/08/22(火) 23:13:11 0
>>404 享楽的だった父王ルイ15世よりも、
真面目なポーランドの元・国王の娘の王妃マリー・レグザンスカに
ルイ・フェルディナンドは似たようです。
王妃マリーはポーランドという小国のしかも廃位された国王の娘で
亡命生活を送り財産もなく、おまけにルイ15世より7歳も年上。
華やかなヴェルサイユの宮廷で「葦笛ひとつで興しいれの王妃」と揶揄され
華やかな夫の愛人たちと争うよりも信仰に生きることに活路を見出した王妃でした。
そんな母親を見て育った王太子ルイは父の愛人たちが大嫌いで自分は愛人を持たず、
先妻に先立たれてルイ16世の母と再婚した時も「先妻に悪いから」と最初はセックスを拒否したほどです。
こういう堅い真面目な父親に育てられたので、ルイ16世も愛人を持つなど考えられなかったんでしょう。
411 :
世界@名無史さん :2006/08/23(水) 08:22:04 O
誕生日おめでとう
412 :
世界@名無史さん :2006/08/23(水) 10:35:39 0
お誕生日おめでとうございます
413 :
世界@名無史さん :2006/08/24(木) 12:28:00 0
ルイ16世バンジャ〜イ!!って昨日だったんですね、誕生日…。 トーストをつまみにワイン(ブルゴーニュ、マラガ産など)を飲むのを 好まれたそうで…。
414 :
世界@名無史さん :2006/08/24(木) 15:55:02 0
ベルサイユ宮殿内の礼拝堂で行われるミサではいつも大きな声で聖歌を歌い 腹黒の弟2人から「間抜け」「馬鹿」と嘲笑されてたんですね。 アントワネット大嫌い、のパリのおかみさんたちも実は国王のことは好きで ベルサイユへの行進後、王一家をパリに連れてきた時も 「彼女たちは王様がパリに来たのだから、自分たちはもう飢えないと安心していた。 悪妻や自堕落な貴族しか回りいなかったこの善良な王様には自分たちパリの女たちがいる これでフランス王国は安泰だと喜んだ」by歴史家ミシュレ 「彼女たちは依然として、王を敬う王党派だった」by作家スタンダール スタンダールはパレ・ロワイヤルに出入りしていて、ベルサイユへの行進に ドレスを着て女装して銃を持ち、オルレアン公の私兵と共に参加したと述懐してます。
415 :
世界@名無史さん :2006/08/24(木) 22:39:10 0
ルイ16世についてはおっしゃるとおりだと思いますが…。 1783年グルノーブル生まれのスタンダールが1789年の10月のヴェルサイユ 行進に参加したとは???
>>415 スタンダールは故郷の(確かグルノーブル)の市民大会に
連れて行ってもらったんでしょ
オルレアン公のところに居候してたのは「下水のルソー」じゃなかったかな
417 :
世界@名無史さん :2006/08/27(日) 16:55:57 0
10歳のスタンダールは国王処刑の報を聞き、にもかかわらず何の災厄も 起きなかったということに生まれて以来最高の喜びを感じたそうですが、 それにしてもパリには行ってないでしょう。
418 :
世界@名無史さん :2006/08/28(月) 19:34:20 0
「ルイ16世幽囚記」 福武書店 絶版 アマゾンで出ていました。
419 :
世界@名無史さん :2006/08/29(火) 11:52:56 0
両親である王太子夫妻は聖王ルイ(9世)の誕生日の生誕をねらって毎年のように 8月末〜9月初旬にかけて計画出産。一番近い日に生まれ名前も聖王にちなんでつけられた ルイ=オーギュスト。かれは生まれたときから殉教者の運命を背負わされ、それに 最期まで逆らうことなく生涯を終えたのだった。悲しすぎますね。 ウァァァァァ〜ン\(`Д´)ノ
>>419 繋がりで思い出したけど
同じ境遇のニコライ2世がロシア正教から聖人に認定されたけど
我らがルイ16世もローマ教皇庁から列聖されないかね?
423 :
世界@名無史さん :2006/08/31(木) 19:48:39 0
そういえばフランス革命後、キリスト教信仰が否定されたけど ロシア革命後のソビエト連邦もロシア正教を否定したんだよね。 政府により処刑になった司祭もいたし 文化遺産でもあるイコンも持ち去られたり破壊されたり。 共産主義って信仰とは相容れないのかなあ。
424 :
世界@名無史さん :2006/08/31(木) 20:31:23 0
マルクス曰く「宗教は阿片である」 共産主義が唯物論に基づくイデオロギーである以上 宗教とは相容れません。
なぜかアカの坊主が居るけどなw
426 :
世界@名無史さん :2006/09/01(金) 18:53:42 0
共産主義も唯物論という狭義にとらわれた宗教の一形態に過ぎません。
奴らにはそれがわからんのです
428 :
世界@名無史さん :2006/09/19(火) 02:19:52 0
age
429 :
世界@名無史さん :2006/10/03(火) 16:10:10 0
マリー・アントワネットの贅沢は捏造だったとかいうニュースあり。 ルイ16世が愚鈍で肥満体というのも捏造なんですよぉ〜!!
贅沢が捏造なんじゃなくて、彼女一人の贅沢のせいで国家経済が傾いたという のが捏造だった、って意味に読んだが
431 :
世界@名無史さん :2006/10/03(火) 21:09:31 0
読み飛ばしたもんですみませんでした。なんにせよ奥さんはどうでもええ。
432 :
世界@名無史さん :2006/10/09(月) 21:23:29 0
最大の原因は、独立戦争の支援や、以前からの戦費による出費。 あとは、貴族の年金。
フランス(ブルボン王朝)の慢性的な財政赤字は既に初代のアンリ4世から 始まっているから、仮に16世にシャルル5世並の内政能力があっても 解決は不可能だったと思う。
ヴァレンヌ事件が致命的な失敗だったのかな。 王妃と子供だけ逃がして自分は留まればよかったのに。
もっと人数と荷物絞って目立たない馬車で逃げてれば 充分逃げられたって言われてるけどな>ヴァレンヌ逃亡事件
436 :
世界@名無史さん :2006/10/14(土) 16:13:33 0
「逃げた」のではなく、監禁状態のチュイルリーを脱出し、国境の町メッスで ブイエの軍と合流して態勢を立て直そうとしたのだった…。
そもそも何でフェルゼンが御者になったの? 道に迷うような人に任せるなんて。 いくら発案者だからって、王妃の愛人だからっていっても無謀すぎるよ。 他に味方はおらんかったの?
438 :
世界@名無史さん :2006/10/20(金) 20:08:19 0
ヴァレンヌ事件の日、兄夫婦に革命派の目がひきつけられてる間に ルイの弟の一人はまんまと逃げおおせてるよね。 ルイは逃亡すると弟や大嫌いな叔父オルレアン公に王位が移るのと 妻アントワネットの実家のオーストリーがフランスに内政干渉してくるのを恐れて 逃亡には最初反対したらしい。でも同居してた伯母(ルイ15世の娘3人)が ルイたちに内緒でティリュリーから脱出してしまい、 アントワネットに「おばさま方でさえフランスをお捨てになりましたのよ」と説得されて 逃亡に消極的に賛成したって。
革命の当日の日記に「何もなし」と書くボンクラに対し 死刑当日まで「ご免遊ばせ」と気丈にふるまったアントワネット 良く、月と太陽として比較される二人 この夫婦は、もともとつり合いがとれる夫婦じゃ無かったとは良く言われるな 政略結婚とはいえ、いやはやアントワネットが可哀想だ
アントワネットがいなければ、処刑されていなかったルイが可哀想だ
無能だとは思わないけど、無神経な人だと思う。 アントワネットに気に入られるために、何か努力したの? 何でも容認して、金つぎこめばいいってもんじゃない。 あのナポレオンだって、マリー・ルイーズに気に入られるために、必死でダンスの練習してたんだぞw
442 :
世界@名無史さん :2006/10/21(土) 21:41:38 0
ルイ16世は生まれながらの王族です。 コルシカ島の平民出身の成り上がり皇帝とは生まれながらに身分が違います。
なんで、アントワネットに気に入られるために、何か努力 努力しなければ行けないのか?
444 :
世界@名無史さん :2006/10/21(土) 23:44:31 0
フランスの歴史家が 「彼は寝室で男の役割ができず、国王の役割もできなかった」 「妻の前で夫して振舞えなかったから臣下の前でも王として振舞えなかった」と指摘してるけど 国家のためにも 結婚前に包茎手術は受けておくべきだったとは思う。
問題があるとは、本人は気がつかなかった。
446 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 00:40:30 0
でも欧州中がルイ16世は包茎だと知ってたんでしょ。 なんかルイさん、かわいそう。 エロ爺だったルイ15世辺りがちゃんと指導してればいいのに。
むしろ人を好きになったら、多少の努力をしてでも気に入られたいと思うのが自然なんじゃないか? あるがままを受け入れてもらおうなんて、少々傲慢な気がする。 不器用でもいいから、アントワネットに少しは歩みよろうと努力して欲しかった。 アントワネットだって、情がない方じゃないんだからさ。
448 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 01:14:15 0
17世紀に王様だった人に現代の夫婦のありかたを説いても無意味。
449 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 12:17:35 0
>>439 まちがいだらけの歴史認識。日記に何もなしと書いて寝たあとリヤンクールに
起された。
ボンクラなどとテキトウ言う前に「ルイ16世幽囚記」を嫁!(絶版だけど)
ルイ王はマリー・アントワネットに惚れてたのか? そもそも中近世の王室間の婚姻で、恋愛結婚なんて例外的にいくつかあるくらいだろう。 ただ全く興味を示さなかったり、跡継ぎを残すことに無頓着だったのは王としてはどうかと思うが。
451 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 22:21:27 0
>>450 >そもそも中近世の王室間の婚姻
17世紀は中世ではない
>ただ全く興味を示さなかったり、
ルイ16世は包茎だった。包茎=妻に興味なし・後継者育成に無関心 ではない。
452 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 23:26:11 0
フランスの国王になる包茎だったルイ16世をいつまでも放置していた背景には ・ルイ16世が包茎の手術を怖がった ・父のルイ・フェルディナンドの影響でセックスに罪悪感があり、セックスに奥手だった。 (術後、「私はこの行為(セックス)が大好き。もっと早くこの喜びを知りたかった」と発言) ・ルイ16世が皇太子であることが面白くなくフランスの王位への野心を燃やす 弟2人とその取り巻きの重臣・叔父オルレアン公爵とその取り巻きの暗躍 があった。 これに加えて、敵国だったオーストリの皇女アントワネットが子を産めば 欧州の名門ハプスブルク家のフランス宮廷への影響力は絶大になるので それが面白くないという人々もいた。
453 :
世界@名無史さん :2006/10/22(日) 23:52:07 0
中「近」世と書いてあるのは故意にスルーw
454 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 00:47:52 0
ルイ16世は漁色家だったルイ15世やルイ14世に似ず 包茎手術してセックスの喜びを知ってからも愛妾を持たなかったから 妻アントワネットを大切にしていたんだと思う。 アントワネットは結婚生活の最初の頃は 包茎でセックスはできず、ダンスもできない太って不器用な夫を 「あのかわいそうな人」と呼んではばからなかったから 愛してはいなかったと思う。
まぁ男と女の愛はなかったかもしれんが、情はあったんでねーの? 子まで成した仲だし、人生の後半は有事続きだったから、家族愛はあったと思うよ。
456 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 09:12:13 0
>>451 18世紀ですよ!それから結婚〜第一子が生まれる頃まではひょろひょろした
痩せ型。「食養生」をすれば性的に成長できると侍医に勧められ食べまくった結果。
とはいえ以後も極端に肥満していたわけではない。弟プロヴァンスのイメージ
と混同されている。奥さんだって30代には太め。それから第4子出産以後奥さんは「流産」
を理由に夫との関係を絶った。それでもなお(当時一般的だったように)愛妾を持ったり
しなかったのがいかにもルイ16世。
457 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 11:04:16 0
陛下の王太子への遺言を読んで涙が出てきた。 自分を処刑する連中を赦して我が子に復讐するなと諭すなんて 常人には出来ない。
458 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 11:10:30 0
>>456 アントワネット様はお抱えデザイナーのローズ・ベルタンの採寸記録に
バスト100・ウェスト60・ヒップ100ってのが残ってます。
ちっとも太っているとは思えないけれど
コルセットでウェスト45なんてのが普通だった時代にしたら
太目だったんでしょーね。
459 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 11:20:52 0
ブルボン家の王様たちは代々ワッキーだったらしいので ワッキー+狩猟好きで汗かき+風呂に入る習慣がない=体臭激臭。 それでも女性たちがベッドを共にできたのは 王妃:義務のため 愛妾:金と権力のため 王子を産んだらもうカンベンな心理だったのは理解できる。
460 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 11:26:26 0
>>457 穿った見方をすれば
同情を誘って命乞いしているようにしかみえんな
死に往く王とはアントワネットのごとく歴然と処刑台にたつものだよ
462 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 16:24:40 0
>同情を誘って命乞い 遺言を書いた時点でもう死刑判決が下っていて 命乞いのしようもなかったと思う。 >歴然と処刑台にたつものだよ 意味が分からないのですが。
463 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 17:01:33 0
>>465 >同情を誘って命乞い
息子たちのだろ?
実際、両親の処刑の後、監禁虐待されて病死したんじゃなかったっけ?
ルイ17世
464 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 17:02:18 0
>遺言を書いた時点でもう死刑判決が下っていて >命乞いのしようもなかったと思う。 つまり判決の後も命乞いしてたってことだろ これを後の人は見苦しいとさいた >意味が分からないのですが。 アントワネットが処刑台ののぼる時、間違ってアントワネットが処刑人の足を踏んでしまった その時、アントワネットは礼儀正しく「ご免遊ばせ。わざとやったのではありませんの」といい 歴然と処刑台にたった。これを後生の人はまさに王族かくあるべきと高く評価した
>>463 今更民をゆるすも何もないのに
「許す」というのだから命乞いだと思う
反省した振りして減刑ねらいする死刑囚とかがあてはまる
>つまり判決の後も命乞いしてたってことだろ それはあまりにも穿った見方だと思う。 あと、ルイだってアントワネットと形は違うけど堂々と処刑台に上っただろう。 「私を殺そうとする者を私は許そう。私の血が祖国フランスの幸福の礎とならん事を」 と言い残して死んだんだし。これのどこが王者らしくないと?
468 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 17:17:53 0
>歴然と 「毅然と」と間違えてないか?
469 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 17:23:21 0
たとえ、ルイが命乞いの為に遺書を書いたとしても 王族たるもの最期の最期まで生きるのを諦めないのは王の務めかもしれないよ 石田三成の干し柿の故事だって高く評価されてるじゃん
>>469 君は石田の干し柿の例ほ片面的にしかみてないな
三成は、東軍に捕まる前に自分を匿っている村人に対して、「私を連れていけ。そうすれば恩賞がもらえるはずだ」と言い放った。
最期まで命を惜しむのが将の務めという人がこのようなことをするのは矛盾する。
石田が干し柿を食らわなかったのは、敗軍の将として最期は処刑場で首を跳ねられて死ぬのが自分のかせられた義務である
という解釈だろう。これはむしろ死の瞬間まで王妃の役割を演じてみせたアントワネットに近い
だから評価されたんだよ
471 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 17:44:42 0
てかルイ16世が死の晩に遺言書に「許そう」と書いたことのどこが命乞いになるんだ? 遺言書を死刑執行人や議員たちが読むと思ってるのか?
復古王政が捏造した可能性もあるな>遺言その他
当時はプライバシーなんて無い時代だぞ 遺書も普通に読まれる。もし何かの暗号とかだったあどうするよ あと、中国が「日帝50年の侵略を許す」なんていったら 大半が「援助目的だな」と思う訳だが
遺書を書いたら命乞い
遺言言ったら命乞い
>>471 少なくともサンソンは読める立場にはなかったと思う
475 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:04:00 0
ルイ16世をどうしても貶めようとする人がいるな。 自分の狭い感性で基督教の「赦し」の精神を推し量るのは良くない。
>「私を殺そうとする者を私は許そう。私の血が祖国フランスの幸福の礎とならん事を」 これも後生の捏造 実際は、一番近くにいた処刑人の証言によると「何かいってたようにも見えたが、喧噪のなかで全くききとれなかったと」 大方、王政復古のときに作られたのかと
処刑の瞬間って、結構人間性が出るね。拳銃自殺に失敗した東条とか。ルイ夫妻とか、石田とか 最期の見せ場だからカッコよくいきたいね。 もしナポレオンが島流しで無く処刑だったらどんな言葉をはなっていたのか
478 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:16:14 0
>>476 この発言の後、処刑台の下にいた指揮官が兵に太鼓を鳴らさせて
それでその後の発言については聴き取れなかったと聞いたけど。
国王は例の発言に続けて演説するつもりだったのが途中で遮られたのだろう。
479 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:17:57 0
>>469 戦国の武士たちにとって
斬首された時に首から食べたものがこぼれる程醜くみっともないものはない
そんな姿を人目に晒すのは恥辱だと
処刑が決まると食物を口にしないのがマナーだったらしいよ。
>>476 ルイの最後の言葉を捏造と言うなら、
アントワネットの「御免あそばせ」だって確実に言ったなんて
証拠はないんだが(疑問をとなえる作家・歴史家もいる)、
なぜそっちは盲目的に信じてマンセーするのかな?
481 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:24:05 0
王だけでなく大勢の貴族たちもギロチンで処刑されたけど 皆貴族としての誇りを失わず粛々とギロチン台に上った。 アントワネットお気に入りの画家のル・ブラン夫人が 「彼ら(貴族・王族)があれほど厳かに誇りを持って死に臨んだからこそ ギロチンはその刃を止めず市民は流血を望み続けた。 泣き喚き叫ぶそんな醜態を晒していたら、ギロチンの猛威はなかったかもしれない」 こういう言葉を残してます。 ギロチン台の上で身もだえし泣き叫び助命を乞いながら処刑されたのは かのデュ・バリー伯爵夫人。最初はかつのての愛妾の醜態をせせら笑ってみてた パリ市民たちも最後はしいんとなってしまったらしい。
>>466 というか、君の尊敬するアントワネットだって、かの有名な遺書に
「私たちの死に対して決して復讐しようと考えないように」とも
「私の敵に対しては、私が彼らから受けた全ての邪な悪を許します」とも
書いている訳だが。
後に処刑される革命家たちも、醜く命乞いとか死に際して大暴れとかあんまり聞かないな。エベールくらいか?
484 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:41:55 0
敵国オーストリー出身で贅沢好きで外国貴族と不倫のうわさもある 悪名高き王妃と違って、国王はパリ市民たちに人気があって ルイの処刑を見にあつまった市民たちがちょっとしたキッカケで国王擁護になるかもしれず そうなると革命政府の危機なので、ルイが演説を太鼓の乱打で妨害したという説もある。
485 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:45:04 0
サンソンは死ぬまで国王処刑の日には密かにミサを挙げさせて 国王の魂の安息を祈ったんだよな。
486 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:47:15 0
ギロチンを見て気絶した人:ロベスピエール 実は銃弾を顔に受けていて、その痛みで気絶した説あり。 ギロチンをじろじろ見てから、ロベスピエールに「アデュウ」と言って処刑されたのが サン・ジュスト。 夫が先に処刑されて早く後を追いたくてギロチン台に向かって一目散に駆け上ったのが デムーラン夫人。
487 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:49:12 0
ルイ16世に処刑の一票と投じた フィリップ・エガリテことオルレアン公もギロチンで処刑されたけど どういう死に方だったか知ってる人います?
ギロチンで処刑された人物よりも、その時代をしぶとく生き延びて 後々まで活躍した人物の方が好きだ。
489 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 18:52:44 0
>オルレアン公 逮捕されるまではひたすら保身に奔った公だが 投獄されてしまうと覚悟を決めたらしい。 国王や多くの貴族たちと同じく毅然として死んでいったそうだ。
490 :
世界@名無史さん :2006/10/23(月) 19:03:01 0
>>489 ありがとう。
一番凄惨な死に方したのは
ランバール公夫人で
一番悲惨な死に方したのはルイ16世の息子のシャルルかな。
>一番悲惨な死に方したのはルイ16世の息子のシャルルかな。 ルイ17世のことか? DNA鑑定では結局、テンプル塔で死んだ事になったが 未だに謎が付き纏っているな。
492 :
471 :2006/10/23(月) 21:27:57 0
一番情けない死に方はカリエだとおもう アレだけ殺して、自分が死ぬ時は責任転嫁と自己弁護に終止するのだから 最期は誰からも同情されず、罵声の中であぼん
494 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 08:42:46 0
ルイは死刑判決のあと弁護団に対し上訴もしないように、と言った。 絶対王政の王として(王殺しという大罪を犯す国民に対し、神の赦しを乞う、 という意味で)あえて犠牲となる決意をしたということ。 フランソワ・フュレ等読むことをお勧めします。 死に際しては急な梯子をさっさと上りあの演説した。複数の証言がある。
495 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 19:54:17 0
我こそはルイ17世という人物がたくさん現われた中で 唯一ホンモノかもと言われたノーンドルフ。 ベルギー政府だっけ?彼のためにお墓も用意してあげたんだよね。 彼の遺体からDNAを採取して、ハプスブルグ・ブルボンの子孫のDNAと鑑定できないかな。
496 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 20:40:06 0
『ルイ十六世幽囚記』入手に成功! じっくり読むつもりです。
>>495 ノーンドルフに関しては、ミトコンドリアDNAの上で
母方の遺伝タイプが複数箇所違うので、
偽物であることが十分立証されていると思う。
498 :
世界@名無史さん :2006/10/24(火) 21:51:31 0
反革命分子として大勢の人が即決裁判で死刑になったけど カトリック信仰を革命政府に禁じられたことで叛旗を翻し鎮圧された ポワトゥの庶民の少女が「ルイ16世陛下万歳!」と叫んで殺されたエピは泣けます。
フランス革命も結果から見れば自国の正統な王朝を潰して コルシカ生まれの貴族に帝位をくれてやったようなもんだからなw
500 :
世界@名無史さん :2006/10/28(土) 12:53:15 0
500ゲット
501 :
世界@名無史さん :2006/10/28(土) 15:35:27 0
東宝ミュ〜ジカルではどんな人物に描かれるのか??臭作先生の小説が原作 だそうだが、あの小説もいまいちだった。またステレオタイプな描き方 だったらいやだyo…。
502 :
世界@名無史さん :2006/10/31(火) 02:37:57 0
>>497 ノーンドルフと比較したのは誰のDNA?
母のアントワネットのDNAと比較したのならその鑑定結果は正確かどうか。
アントワネットの遺体は足の間に首を置いたまま放置されて白骨化
埋葬された骨が本当に彼女のものかどうかわからない。
だから、比べるなら墓が荒らされなかった祖母のマリア・テレジアのDNAと比べなきゃ。
>>502 アントワネットやアントワネットの姉たちの毛髪や骨のサンプル、ハプスブルク家の生存している女性の末裔の血液サンプルから、DNAを抽出し比較したみたいだよ。
詳しいことは、デボラ・キャドベリー著「ルイ17世の謎と母マリー・アントワネット」に載っている。
アントワネット関連の展覧会でも、髪の毛の展示は何度か見た。
当時の人は、メダルなどに自分の髪の毛を入れて贈ったりしたようだよ。
504 :
世界@名無史さん :2006/11/02(木) 09:44:09 0
Musee Louis XVIIで検索すると出てくるフランスのサイトで色々見ることが 出来ます。アントワネットが養育係トゥルゼル夫人に贈ったルイ・シャルル の髪の束とか、発掘された頭がい骨とか、ノーンドルフの骨とか…。怖い…。
革命が起きた時に歴代王の墓も暴かれたそうだけど ルイ14世とかルイ15世の遺体も暴徒に破壊されちゃったのかな。 ルイ14世の後妻だったマントノン夫人の遺体は街を引きずりまわされて放置され どこかの民家の屋根裏部屋に置かれてたそうだけど。
506 :
世界@名無史さん :2006/11/02(木) 14:16:34 0
サンドニの墓所に乱入した暴徒がルイ15世の溶接された棺を開けるや… 20年もたつのに天然痘で亡くなった王の腐敗臭はなはだしく、慌てて 消臭のためピストルを空に向けて撃ったとか何とか読んだことあり。 王たちの心臓は最高級の香油に浸され保存されていたので、絵の具 として非常に価値があり、ある画家がまとめて購入、描かれた静物画 はのち王政復古時、王族に買い取られたとも。
>>506 そっか、土葬が基本だから天然痘でも火葬にしないのね。
フランス歴代王の心臓は香油に遣って画家の絵心を刺激する発色で
それで画家は絵を描いたのね・・・
ルイ・シャルルの心臓と呼ばれるものは、タンプルの少年が死んだ時に
解剖した医師がコソーリ持ち帰り、教会にあると聞いたけど、それは無事なのかな。
鑑定した心臓が、ルイ・シャルルじゃなくて、先に死んだルイ・ジョゼフってことは無いよね? 革命のどさくさで、すり替えられた可能性はないの? 何かルイ・ジョゼフの心臓が行方不明って話、聞いたことがあるんだけどさ。
509 :
世界@名無史さん :2006/11/03(金) 16:55:45 0
ルイ・ジョセフの心臓は絵の具の材料になってしまいますた。 ルイ・シャルルの心臓はおととし?サン・ドニ聖堂に改めて安置されたそうです。 DNA鑑定と続いてちょっとした話題になり、新聞にもクリスタルの容器に納められた写真が載った記憶あり。 504のHPには容器に納める前の干物みたいな写真が…。 ちなみにウィーンのハプスブルグ家の墓所にも代々一族の内臓を香油とともに壷に収めた ものの棚があるそうです。
510 :
世界@名無史さん :2006/11/04(土) 10:40:53 0
国王死刑に一票をいれたシエイエスは、恐怖政治のとき家にひきこもり ロベスピエールから『革命のモグラ』といわれたそうです。 恐怖政治が終わり、ある人がその時に何をしてたか聞くと 「生きてました」と答えたという。 ナポレオンの時代になると伯爵に叙せられたが、 ルイ18世の時代になると国王殺しが問題になり亡命してその地で死亡。 後世の人はシエイエスを『革命を始まらせ、革命を終わらせた男』と呼んだ。
ルイ18世は自分の評判があまりよろしくないので マリー・テレーズを常に自分の傍に置こうとしたけれど 彼女が宮廷で権威を持つのを案じた廷臣がルイ18世に愛妾をあてがい その女は一時期ポンパドール夫人並の権勢をホコリ、王は姪を冷遇。 でも死ぬ前にはマリー・テレーズを呼び許しを請うたらしいけど マリーはこれを黙殺。
ルイ16世の遺骨はちゃんと見つかったのかしら?
>>510 『第三身分とは何か』のシエイエスか?
彼なら七月革命で国外追放解けて帰国してますよ。
514 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 10:52:46 0
>>512 奥さんの骨の近くで発掘されたそうです。その場所に現在「シャペル・エクスピアトワール」
贖罪礼拝堂が。お骨はルイ18世による大げさな葬列にてサン・ドニの墓所へ。
それにしてもマリー・テレーズのみ、未だに亡命先のフロースドルフの教会に棺が置かれたまま。
なぜ?家族のもとに戻してやったら…。また弟の件の解決後、さかんに言われるようになった
彼女の替え玉説も、御遺体のDNA鑑定など行えば即解決だと思うのですが。
ルイ16世は体臭がキツかった。 新婚時代のマリーアントワネットが、「あの人のそばによれば、家畜小屋臭いんですもの」などという 手紙を実家に書き送っている。
516 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 15:25:36 0
>>515 「マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡」岩波刊
は前書きにもあるとおり、19世紀には伏せられていた箇所も掲載した、いわば
完全版の両者間の書簡集であるにもかかわらず、「夫がクサイ」という記述は
見当たりません。どこでお読みになられたのかお教えいただけませんか?
また「家畜小屋」ではなく「馬小屋」であれば、ルイが乗馬、狩猟好きだったのですから
ある意味当然かも知れませんが、それにしても現代の「車」にあたるものが
馬であり、彼女自身も夫と一緒に乗馬や狩猟をしたぐらいですから、ことさら
そんなことを言った真意は理解しがたいようにも思われます。
517 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 16:00:24 0
>>514 ありがとうございます。遺体は愛してた奥様の側にあるのですね。よかった。
マリー・テレーズは王党派としてボルドーでしたっけ
例の白色テロをやって住民虐殺してますから、
フランス『共和国政府』としては、彼女の遺体を自国に置くのは
政治的にいろいろマズイと判断してるのかもしれませんね。
何せ、まだ王党派と呼ばれる人たちもいる国ですから、
革命に酔った民衆たちの良心に刺さった棘のような存在の王女が
国民の関心を集めたりすると、革命を疑問視する声が高くなれば
共和国のアイデンティティ崩壊の危機で王党派たちが盛り返すかもしれない。
そんなこんなで替え玉説流布というのは、旨い手だと思いますね。
518 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 16:06:13 0
>>516 私は515ではありませんが何冊か読んだアントワネットの伝記本で
似たようなセリフをマリーが言うという創作を目にしました。
マリーが言ったことにされてる「お菓子がなければパンを食べればいい」と同じように
いかにも言いそう、なので言ったことにされたセリフの一つではないでしょうか。
余談ですが、ブルボン王朝の祖になったアンリ4世は強烈な腋臭の持ち主で
愛妾からも「死体のように臭い」と言われたとこれも伝記本にありました。
マリーが夫を臭いと言ったかどうかはわかりませんが
ルイ16世も遺伝的に腋臭だった可能性はあるとは思います。
519 :
515 :2006/11/06(月) 20:33:49 0
すみません、ソースは十年ほど前に日テレだかで放映されていた歴史番組、 「知ってるつもり?」ですよ。 その中で、「家畜小屋臭い」のせりふが出てくるんです。手紙の一文として。 しかしワキガ持ちの家系とは知らなかった。
520 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 20:34:49 0
>>517 もしあの革命が日本の出来事だったら、と仮定してみれば、現代のフランス人が
冷静に革命や王政を振り返るのが200年経っても難しいこともわかるような…。
王自身に関してはF.フュレの「フランス革命人物事典」(みすず刊)
の王の項目がそのまま現在のフランス人の評価でしょうか。革命後性格が一変したらしい
マリー・テレーズ、マズイ事していたんですね。彼女のかたくなさは悲しいです。
>>518 「アンリ4世」、山羊のチーズ(ゴルゴンゾーラみたいな?)とニンニク臭
がひどかったとか読んだことがあります。
わが敬愛するルイ16世もタンプル幽閉の5ヶ月余りの間、入浴の記述がないところからして
やっぱり臭かったのかしらん…(奥さんたちは幽閉中もコミューンに要求して浴槽を持ち込み
使用)長々とスミマセン
521 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 20:42:55 O
>>488 今もヨーロッパ社交界にのこのこ出てきて、フランス貴族の末裔だと自慢してる人達のこと?
522 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 21:00:03 0
マリー・テレーズが頑なでキツイ性格だったとしても 無理もないかな、と思う自分がいます。 10代の少女時代を革命でこれでもかっ!と踏みにじられて 裏切りや背信をたくさん見てきたでしょうし 王政復古したら、ついこの間までつばを吐いた人が 手の平返しで擦り寄ってくる。 いつも不機嫌で生涯一度も笑わなかった女性になったのも仕方なかったかも。
523 :
世界@名無史さん :2006/11/06(月) 21:07:11 0
>>520 >わが敬愛するルイ16世もタンプル幽閉の5ヶ月余りの間、入浴の記述がない
いくら幽閉中とはいえ
陛下が「お風呂の変わりに香水を」せめて使っていらしたと思いたいですね。
日本の江戸時代は武士階級は切腹前に髯をそり髪を整えることが許されてましたが
フランスはどうだったのでしょう?
524 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 09:42:12 0
>>523 たしかににほひには割合無頓着なお方だったかも…。ヴェルサイユでの就寝の儀
にあまりの悪臭に皆が逃げるような動物園担当のラロシュ殿を呼んで興がって
いたそうですから(シャンタル・トマ「王妃に別れを告げて」より)。
幽閉中は歯磨きの小道具(歯ブラシか?)を取り上げられ、風邪(インフルエンザ)
とともに虫歯が腫れて辛かった…。お風呂に関してはクレリーも何も言及しておりませんね。
処刑の朝は洗面し、髭を剃り、シャツを替えただけ(「幽囚記」クレリー談)みたいです。
処刑の身支度をしようと髪を切る鋏を要求したが自殺を恐れるコミューン
の役人に拒否された。処刑台の下でも自分で上着を脱ぎ、カラーをはずした。
こうした気丈さをツヴァイクなどは「かれの鈍感な性格が幸いした」と揶揄して
おりますが、「幽囚記」からは処刑の朝、フィルモン神父の進言により家族と約束した最後の
面会を断念したさいにルイが内心相当混乱したように読み取れます。
>>522 大変なお父さん子だったらしいマリー・テレーズは処刑前夜の父との辛い別れが
最大の心的外傷になったのでは?
>>519 あれ、見ました。でもそこのところは忘れておりました…。
対人関係に異常に緊張するお人だったようですので、お風呂みたいな無防備
状態も苦手だったのでしょうか。日記に「入浴した」とあるのが11年間に7回とも。
が、それは「薬湯」で、普段はアパルトマンにある風呂に入ったはずだとクールサック
が断言しておりますよ。(ルイ15世用の湯殿は複数人数で入浴するようになっていた)
525 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 19:05:16 0
>>524 >幽閉中は歯磨きの小道具(歯ブラシか?)を取り上げられ
うわぁ、なんかいじめみたいですね。
アントワネットも編み物棒を取り上げられたそうだし
革命委員会って王一家を精神的に追い詰めて精神崩壊を狙っていたのかと
勘ぐりたくなります。
エベールがルイ・シャルルと王家の女性たちが近親相姦だと言い立てた時
マリー・テレーズもその疑いをかけられ、10代の少女がたった一人で
革命委員会の男たちの前で「あなたは自分の肉体の見せてはいけない部分を弟に見せたか?」
「あなたは弟の見てはいけない部分に手を触れたことがあるか?」とかセクハラまがいの質問をされた(桐生操の著書より)
こういう逸話が本当だとしたら、革命委員会の奴らって変態かよ、って思います。
526 :
世界@名無史さん :2006/11/07(火) 23:20:32 0
>>525 アントワネットの場合は編み物棒を使って暗号文を書いていたので仕方ないでしょう。
革命委員会は王達を非常に警戒していただけだと思います。異常な扱いであるのは
やりきれませんが。
527 :
世界@名無史さん :2006/11/08(水) 00:08:35 0
革命委員会にもっとも異常な扱いをされたのは ルイ・シャルルですね。 少年をタンプル塔に閉じ込めてほとんど遺棄してじわじわ殺すのと ギロチンなら、まだギロチンで殺す方が人間的かも。
528 :
世界@名無史さん :2006/11/08(水) 08:42:11 0
>>527 コドモはギロチンにかけてはいけないという法があったからでしょうか??
実際には少年でも(マリー・アントワネット救出にかかわった人とか)
ギロチン死しているそうですが。コミューンは病気を放置していつの間にか死んでくれれば、
だれも責任を問われずあいまいでいい、と思ったのかも。
>>526 アントワネットさんは編み物関係大好きだったみたいですね。
王家の子女でも当時手仕事は必須?の趣味だった。
>>525 エベールのみならずあの「ナポレオンの戴冠」や「マラーの死」の作者
画家ルイ・ダヴィッドもこの件に関与しております。赦せませんね。
529 :
世界@名無史さん :2006/11/08(水) 18:51:43 0
東宝ミュ〜ジカル、音大きすぎ!!わがルイ16世役のお方はなかなかよかった。 でも…あの内容はないよう!(泣)
530 :
世界@名無史さん :2006/11/08(水) 21:16:38 0
ルイ16世はツヴァイクの本だとかなりな書き方をされていますが、ああも低く見る 必要はない気がします。死刑間際も鈍感だったから平静を保てた、とか。気の毒。
世間一般人は、せいぜい「ベルばら」しか読まないから問題ないでつ。
ルイ16世は奥様のアントワネットとフェルゼンのことを どう思ってらしたんでしょうね。 漫画の影響か、悲しみを抱えつつ黙って容認士照らしたように思えるのですが。
533 :
世界@名無史さん :2006/11/09(木) 08:15:22 0
ツヴァイクがフェルゼンあての王妃の手紙を発見したのは確かに手柄なのですが、 そこから結構強引にああいう物語を構築したのはいかがなものかと。 何しろフェルゼンはパリで色々な方面に愛人を持っていたそうですから。 逃亡計画の顛末やその後の妄動ぶりを見ても日本では過大評価されすぎだと 感じます(政治的役割でも王妃との関係でも人物としても、そして見た目も!)。 それに引き換え、わがルイ16世の笑われぶり…彼は過小評価されすぎだと思う…(号泣)。
アラン・ドゥコーの『フランス女性の歴史』には フランス歴代王妃・愛妾と王のエピソードが書かれているんですが 国王の結婚は国家のためで、恋愛は愛妾と楽しむのが王家の常識みたいな感じです。 その中でルイ16世は異色。もっとも妻を愛した方じゃないかと思います。 ルイ16世にしてもアントワネットにしてもものすごい圧政をしたわけでもないし インモラルなことをしたわけでもないのに、彼らの運命は凄惨でした。 同時代のスペイン国王夫妻などは、王妃には王も公認の愛人がいて その愛人に国政を握らせる状態だったのに、国を負われるくらいですみましたからね。
535 :
世界@名無史さん :2006/11/09(木) 13:57:24 0
カルロス4世(あのゴヤの集団肖像画のご一家)はいとこであるルイ16世と ちょっとばかり似ておりますよね。この王も愛人はいないのでは?奥さん一筋。 鉄砲作りが趣味で怪力、笑いのセンスが悪いとか。奥さんはフェルゼンならぬ マヌエル・ゴドゥイとの間に子を儲けているのに王は気づかない。 「聖三位一体」と国民に嘲笑されながらナポレオンに丁重に追放された。 ルイ16世は真剣に改革を試み、挫折。結果として動乱を引き寄せてしまった…。 当時スペインはフランスに比べ、政治的にも経済的にも遅れていたのが幸いしたのでは。 経済成長による市民層の上昇、権利意識の定着、言論の自由がフランスではあだになった…。
名前忘れちゃったけど、ゴドイを愛人にしてた王妃は 皇太子とケンカした時に「この私生児!!」と怒鳴りつけたとか。 つまり父親は国王のカルロス4世ではない、ってことを息子にブチまけた。 これを聞いた皇太子は唖然としてたとか。 でも近臣たちは王妃とゴドイを憎み、皇太子派が多かったそうですけどね。 カルロス4世はナポレオンに「国王としてのあなたの仕事は?」と問われ 「ゴドイを呼び、彼に任せることです」ってもうアホかバカかと思うのですが だから生き残れたのかもしれませんね。 >ルイ16世は真剣に改革を試み、挫折。結果として動乱を引き寄せてしまった…。 陛下がおいたわしいです。出典は忘れましたが、陛下の逸話に フランスも飢饉があってジャガイモを食べるように奨励したけど おフランスの人たちはドイツ人が食べてるようなもの食うもんか、で食べようとしない。 そこで舞踏会に王妃にジャガイモの花を髪飾りにしてまずジャガイモの花を観賞用としてブームにして それから実もおいしいんですよ、と広めたっていう逸話。 やさしい王様だったんだな、って思います。
逸話や日記を読む限りでは人格に問題は無かったんだけどね やはり優柔不断で恐妻家なのがネック。 ロマノフ家のニコライ2世と共通しているな。
ルイ16世は兄を小馬鹿にしてる野心満々の弟2人に加えて 叔父オルレアン公も王位への野心を燃やす方だったのが不運でした。 国王たる兄(甥)を支えるよりも、貶めた王族たち。 オルレアン公は実は革命家たちのパトロンだったのではないでしょうか。 パレ・ロワイヤルは治外法権の場所で革命家たちが会合に使って安全な場所。 バスチーユ攻撃にもパリのおかみさんたちのベルサイユ行進にも パレ・ロワイヤルから軍人たちが合流したのを当時のパリ市民が目撃もしている。 パリのおかみさんに扮した兵士たちもいて、ドレスの下から軍靴が見えていたとか。 オルレアン公爵はギロチンにかかりましたが、腹黒い弟2人はフランス国王になりましたね。 どちらの弟か忘れたけど、ロシア皇帝アレクサンドルから「退屈な豚」と呼ばれたくらいですから ブサキモだったんでしょう。
539 :
世界@名無史さん :2006/11/09(木) 20:58:16 0
>>538 ルイ18世が太っていたのでそちらでは>>退屈な豚
しかしルイ15世がルイ16世のような人物ならフランスも軟着陸できたかも
しれないと思います。
ルイ14世:生まれた時父王ルイ13世が無言で王妃のスペイン王女アンヌは泣き出し 出生を疑われて貴族たちの内乱の原因になる。内乱で逃げ回った経験からパリを嫌い ヴェルサイユ建築して享楽的な生活で貴族たちを支配。 スペインの王位継承線にも口を挟み、在位中は戦争と宴会に励んだ王。 摂政オルレアン公爵:実娘と近親相姦の噂があった摂政。 乱交パーティ大好き。 ルイ15世:美貌の王ながら、ものぐさ王との異名をとる。愛妾のポンパドール夫人の 入らぬ入れ知恵でフランス領カナダを手放す。鹿の苑という王専用の大奥を作り放蕩三昧しつつ オーストリア継承戦争にも首を突っ込みフランスの災禍を招く。 ルイ16世ってこの方々のツケを払わされたのですね。
541 :
世界@名無史さん :2006/11/10(金) 09:11:32 0
財政逼迫の最大の原因はアメリカ独立戦争支援だそうですね。 ベンジャミン・フランクリンが支援を求め(ついでに女性も求め) パリやヴェルサイユに来たりした。 フランス海軍の仇敵イギリスを叩こうとしたのはルイ16世(というかヴェルジェンヌ) の外交上の判断としては当然であり問題ない。が結果として大赤字。 しかもこの戦争参戦で共和制の思想が喧伝されたものだから革命の種ともなった…。 バカなだけの王様では決して無いことは既におフランスでは定着したようです。
542 :
世界@名無史さん :2006/11/10(金) 11:04:17 0
革命の要因になったのは ・アメリカ独立戦争への支援 の他に ・知識人たちで百科全書の編集を行った これもデカイのではないでしょうか。 万物を解明・解説しようとするこの試みは フランス王家の礎である王権神授説も検証の対象となり 知識層からまず王家の権威に敬意を払わなくなってしまった。
543 :
世界@名無史さん :2006/11/10(金) 22:08:45 0
ヴォルテールのせいということで。
544 :
世界@名無史さん :2006/11/10(金) 23:58:31 0
ヴォルテールに 「あの子がたくさん本を買って勉強できるように」と 支援したのはルイ15世の愛妾のポンパドール夫人。
545 :
世界@名無史さん :2006/11/11(土) 08:28:28 0
ポンパドール夫人がその名を貰い宮廷入りしたのが1745年、1734年「哲学書簡」で 逮捕状が出て以来愛人シャトレ侯夫人の館に潜伏していたヴォルテールは当時51歳。
546 :
世界@名無史さん :2006/11/11(土) 13:28:15 0
ポンパドールじゃなくてマントノン夫人だったかも。
547 :
世界@名無史さん :2006/11/11(土) 21:36:53 0
マントノン夫人だったらありうるかも知れませんね。揚げ足取りのような書き込み となり失礼致しました。 百科全書派にとり、政府最大の功労者は何と言ってもルイ15世のもと 出版統制局長だったマルゼルブ氏です。何しろこうした出版物を取り締まるべき立場なのに 逆にその意義を認め、積極的に支援。なぜかあのルソーの面倒も長年見続けた。 そのかれが晩年、皆しり込みする中ルイ16世裁判の弁護人を買って出た…。 そして翌年、一家もろとも処刑された。 生き残った孫娘の子がアレクシス・ド・トクヴィル。 彼らの清廉潔白ぶりを見ると、フランスという国をいささか見直してしまう。
548 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 00:29:45 0
>>547 ヴォルテールを援助した貴婦人が誰だったか、手元に本がないのに
うろ覚えの知識で書いてしまってすみません。
知識も禄にないのに口はばったいですが、貴族・裕福なブルジョアたちのサロン文化が
後革命家になった人々の生活を支え、革命の温床になったのではないか、と自分は思ってます。
>百科全書派にとり、政府最大の功労者は何と言ってもルイ15世のもと
出版統制局長だったマルゼルブ氏です。何しろこうした出版物を取り締まるべき立場なのに
逆にその意義を認め、積極的に支援。なぜかあのルソーの面倒も長年見続けた。
そのかれが晩年、皆しり込みする中ルイ16世裁判の弁護人を買って出た…。
そして翌年、一家もろとも処刑された。
自分が保護し育てた卵から怪獣が飛び出し誰の手にも負えない存在になってしまった、
その責任感が彼に革命家に危険な国王の弁護、という仕事を自己犠牲覚悟で引き受けさせたのかもしれませんね。
しかし、本人はともかく一家全員処刑とは、共産主義は粛清が好きですね。
549 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 08:36:14 0
>>548 いや実はワテもうろ覚えですねん。うろ覚えスレということで…。
ただ革命当時のあの恐怖政治の原理は当時まだなかった「共産主義」ではありません。
(社会主義ですらない)戦後ロベスピエール=共産主義とかいう論議があったようですが
今は否定が大勢。むしろ対外戦争のさなか「国民の敵」を粛清するという、この革命で
誕生した「ナショナリズム」「ポピュリズム」の行き着いた結果といえるのでは?
550 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 08:47:12 0
あ〜また揚げ足ですね。ごめんなさい。フランス革命は「最高理性」 を奉じたはずなのに、自身も理性を失い、後世の人間からも理性を奪う魔性の テーマですね。反省…。個人的にはアンシャンレジームに興味があります。なぜか。
551 :
世界@名無史さん :2006/11/12(日) 23:26:40 0
>>549 勉強になります。恐怖政治の時代の革命委員会の連中は共産主義という概念がまだなかった、
「共産主義」という言葉ができたのはフランス革命後しばらくしてから、でしょうか?
誰がこの言葉を作ったのでしょうね。原語とが日本語訳の「共産主義」そのままのなかも興味あります。
>フランス革命は「最高理性」を奉じたはずなのに、
タリアン夫人も乳首丸見えのドレスでこの「最高理性」の女神を演じたそうですが
清廉の士と呼ばれたロベスピエールが、よくもまあ女性が半裸の薄着でいわば
生き神様やってるのを許したと思いますね。当時のパリ市民の日記に
人々は教会へも通えなくなり、モラルは低下の一途を辿り
なぜかギリシャ=ローマの神話の風俗がもてはやされ、頭に月桂樹載せた
「最高理性の女神」様までいたそうですが。
理性真理教だなw
553 :
世界@名無史さん :2006/11/13(月) 00:54:40 0
>フランス革命は「最高理性」 を奉じたはずなのに、自身も理性を失い ですねぇ。 ルイ17世こと、ルイ・シャルルへの処遇は非道すぎました。 革命とは狂気ですね。
ほほほ包茎ちゃうわ
555 :
世界@名無史さん :2006/11/13(月) 10:00:20 0
>>551 共産主義=マルクス・レーニン主義とすれば1848年2月の「共産党宣言」発刊時。
広い意味で=財産共有制を指すとすれば、モルガンの「古代社会」(だっけ?)
の原始共産制、初期キリスト教徒集団内、トマス・モアの「ユートピア」も
始まりといえるかも。
フランス革命もアメリカ独立戦争も、目指すところは共産主義ではなく
古代ギリシア・ローマ共和政的民主主義政体。そしてフランスでは特に教会否定に力が注がれた。
あの「最高存在祭典」も非カトリック・ローマ共和政万歳をイメージしたらああなっちまいました、という珍イベント。
パリ市の「コミューン」というのも共産主義的自治組織の意味ではなく、
中世以来の城壁で囲まれた「パリ市」の市民による自治組織として伝統的なもの。
それが革命で恐怖政治の手先になってしまったのだが…。
ともかくロベスピエールの「恐怖政治」は独裁的「統制経済」でしかない。
556 :
世界@名無史さん :2006/11/13(月) 11:28:20 0
「パンテオン=汎神殿」、「シャン・ド・マルス=マルスの野=古代 ローマの軍団の集結、閲兵の場所」といった名称もローマ共和政が お手本。ダヴィッドなどの絵画の「新古典主義」も古典=ギリシャ・ローマ に帰ろうという意味というように。(アメリカも同様で上院がセネター=ローマ元老院セナートゥス のつもり)。 そしてフランスの議会は直接的には当初イギリスの議会政治が目標だった。 悲しいのはルイ16世とて当時の貴族・知識人の常として、これらの政治制度の知識を十分 持ち、理解していたはずということ。(ラテン語でタキトゥス、キケロを読み、英語でヒュ−ム の「英国史」を読み、イギリス議会月例議事録まで取り寄せていた)。 なぜ英国式立憲君主制をこっそり否定(1791年カルロス4世あての秘密書簡) なんかしたのか…。多分「教会」なんだよね〜。こだわりの根本は。
557 :
世界@名無史さん :2006/11/13(月) 12:52:19 0
ルイ16世はイエズス会の影響を絶大に受けたカトリック教徒 ってのも影響してたんでしょうね。 イエズス会はミッションの尖兵として殉教死覚悟で 北米・南米大陸にインド、中国、東洋の島国日本にも乗り込んでくる 語弊がありますがカトリック過激派。 カトリック大国フランスの中でイエズス会が力を持ち 宮廷に出入りして王にもモノ申せるようになったのは やっぱりルイ14世治下からでしょうか。 一族から法王もだしたカトリーヌ・ド・メディチ ナントの勅令を発したアンリ4世治下では そこまでイエズス会の影響力っていうのはなかったように思います。
558 :
世界@名無史さん :2006/11/13(月) 16:06:57 0
宮廷内にドヴォ=信心党と呼ばれる一派がいて(「王は踊る」にも出てくる) ルイ15世時代には王妃(レクザンスカ)や王太子夫妻、アデライード以下王 の娘たちに多大な影響力を持っていた…。 そして父王太子がルイ16世に教育係としてつけ、父の死後は父と思えなんか言っていた のがそのドヴォの一員にして人格高潔とはいいがたいド・ラ・ヴォーギョン公ですから。 絶対主義国家とは相容れないイエズス会はフランス以外でも18世紀には(その財産もねらわれ) イタリアやオーストリアでも禁止されていたのに、なぜか宮廷内にはシンパ。
559 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 02:13:55 0
>ルイ15世時代には王妃(レクザンスカ)や王太子夫妻、アデライード以下王 の娘たちに多大な影響力を持っていた…。 強国だったフランス国王の王妃にふさわしくないと言われ ”身分違いの結婚”ではないかと言われた王妃 廃位された元・ポーランド選挙公(王)の娘のマリー・レグザンスカにしたら 華美で欧州の名家と血縁の名門フランス貴族たちが支配する宮廷で馬鹿にされない唯一の手段が信仰だったのかも。 財産も門閥も夫の国王の愛情さえない王妃にとっては唯一のプライドのよりどころが信仰。 それが息子の皇太子や娘の王女たちに波及してしまったのかもですね。 特に息子の皇太子は父国王の愛人のポンパドールもデュバリーも大嫌いで 自分は愛妾の一人も持たなかった堅物だったそうですから。
560 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 09:09:44 0
ルイ15世の唯一の息子、王太子ルイ・フェルディナンド。 この人の存在を抜いてのちのルイ16世の悲劇的失敗人生は語れません。 幼少時より傲慢不遜。生まれながらの国王(夭折した長男ブルゴーニュ公とよく似た性格) 姉妹たちとともに、母国の後ろ盾の無い母の味方となりドヴォの中心人物となる。 16歳でスペインの王女と結婚(その披露宴の舞踏会で父=15世はツゲの 木に化けのちのポンパドール夫人をみそめた。バカ親父というしかない) 王太子は王女に一目ぼれしたものの一年後産褥で失う。 生まれた女の子もその後死亡。自暴自棄となり一日寝て過ごす王太子(父譲りの鬱傾向) 18歳でこんどはザクセン侯の娘、マリ・ジョゼファ・ド・サックスと再婚。 この控えめで地味で平凡だが教養はなかなかの少女がルイ16世他兄弟姉妹の母。 ルイは兄弟中最もこの母に似ていたそうだ。
561 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 09:16:34 0
間違えた。ツゲではなくイチイの木に化けた。 創元社刊「ヴェルサイユ宮殿の歴史」86pにそのおバカな仮装 の絵があり、その右ページには『ヴォルテールが「イチイこそこんにちわたしたちが敬うべき木です」 とポンパドール夫人を賞賛した』(同書87pより引用)とありますね。
562 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 09:47:36 0
マリ・レクザンスカといえばさいきんのアニメでは頭蓋骨と会話する 設定になっているとか…きっと「ベル・ミニョンネ」と言われ当時 流行した頭蓋骨とリボンなどで飾りものを作るという彼女の趣味を 発展的に解釈??したのでしょうね…(ユベール・ロベールの絵画などの 廃墟趣味の流行の一環)見てないので知らないけど。 レクザンスカは音楽好きで、ヴェルサイユに幼いモーツァルトを呼んだことも。 息子ルイ・フェルディナンドも音楽好き。孫のプロヴァンス伯の芸術家っぽい(笑) そしてインドア生活好きというところもきっとこのおばあさん譲り。 われらがルイ16世のアウトドア好きや芸術音痴っぷりとは好対照。
563 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 11:28:08 0
>マリ・レクザンスカといえばさいきんのアニメでは頭蓋骨と会話する 設定になっているとか A・ドゥコーの『フランス人女性の歴史』によると マリー・レグザンスカは頭蓋骨を持っていて (当時の上流婦人の間では持つことが流行していた。 一応宗教的な理由、この世はうたかた、であることを意識するために 頭蓋骨を寝室や書斎のテーブルに置き、花やリボンで飾ったとか) 愛妾がいるとはいえ、結婚の義務を遂行しようと 夫のルイ15世が彼女に妻としての義務を迫ると王妃はいつも頭蓋骨を指さして夫の気勢を削いだ。 国王は妻の王妃の側では自分が「窓ガラスのハエを殺す羽目になる」と言って 退屈で仕方がないことを側近に嘆き、これを伝え聞いたマリーの実父の元ポーランド選挙公は 「私の妻と私の娘は、私の知りうる限り欧州でもっとも退屈な王妃ですから」 と王妃の娘よりも愛妾に牛耳られるむしろルイ15世に同情的だったほど。 マリーの頭蓋骨は高級娼婦の二ノン・ド・ランクロの頭蓋骨で 王妃はこの高名な女性の頭蓋骨を持ってることを自慢していたとか。
564 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 17:04:25 0
>18歳でこんどはザクセン侯の娘、マリ・ジョゼファ・ド・サックスと再婚。 皇太子ルイ・フェルディナンドは2度目のこの妻との初夜に 「まだ前の妻を忘れていないのにあなたを抱けない」と言い それを聞いたマリ・ジョゼフは 「夫になる方が誠意のある方でうれしいわ。 いつか愛していただけたらどれだけうれしいでしょう」と答えたそうです。 王子はこの新妻のかわいらしさにほだされてしまった。 父国王が平民の愛妾を貴族にして宮廷を牛耳らせ ポーランド貴族を名乗り鹿の宛では肉屋の娘から女優まで ありとあらゆる女性を一夜妻にしてきたのと違って 皇太子は妻一人を愛することに心の安らぎとプライドを感じるタイプだったかと。 まじめな皇太子夫妻と母のマリー・レグザンスカは庶民からの受けもよかったそうですが 彼らの息子であり孫でもあるルイ16世夫妻は、憎悪の対象だったのが切ないですね。
565 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 20:32:01 0
連投ですが、強国フランスの王妃に ポーランドのそれも廃位された国王の娘が迎えられたのはなぜでしょうね。 ルイ15世のお妃候補としてはピョートル大帝の娘で後に女帝になるエリザヴェータも挙がっていて 実現していれば、ロシア皇室とフランス王室の縁組になったのにもったいない。 まぁ、エリザヴェータは母親のエカテリーナ1世が元・洗濯女というハンデがありましたけどね。
566 :
世界@名無史さん :2006/11/14(火) 21:49:08 0
ポーランド争奪の駆け引きの一環ということですね、きっと。 2度もポーランド王位についたザクセン侯に対抗し、ポーランドの 権益を確保しようと…。 ロシアの場合は宗教がちがうから縁組は多分むりなのでは…。ザクセン侯もポーランド王を 兼ねるに際し新教から旧教へと宗旨がえしたそうで、おかげで縁組可能となった。 とは申せ、フランス以外の当時の国情よく知りませんねん。いやフランスだって ルイ16世ばっかりですから…。いや、ルイ16世のことだって…「私は何を知って いるというのか…Que sais je?」クセジュ読んで勉強せねば。
567 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 02:03:52 0
ルイ16世陛下はルイ・シャルルの出生について 例の日記に王子の誕生日に「何もなし」と記したりして無関心っぽく 王子の父親が誰かということに疑問をもたれていたとも言われてますが 本当のところどうだったのでしょうね。
568 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 09:27:08 0
かれの日記はとにかく公的予定と狩猟、お風呂と服薬、以上終わり、というしろもの ですからあまり気になされないほうが…。タンプル獄内で裁判当日も時間が許す限り ルイ・シャルルの遊び相手をしたり、引き離されたあとはしばらく自室でひっそり悲嘆 に暮れていた(幽囚記)。 また遺書で何度も王位継承者として王太子に対し忠告を書き残している。 その一方チュイルリーにて、ある日王太子を見て「この子誰?」と(トゥルゼル夫人談) 何日も誰とも口を利かないときもあったそうです。 ルイはどうも時期によってひどい鬱を患っていたような気がします。 (最初の王太子死亡直前も命を救うためになんら有効な手立てをとらなかった)。 たびたびの危機に瀕したときの突然の判断力喪失、忘然自失状態。周囲からの乖離。 やはり幼少時に兄ブルゴーニュ侯の死の苦悶、父に嫌われてその後 父母死亡…といった精神的外傷がいつまでも尾を引いていたのかも。 そしてタンプル獄から処刑にいたる時期は、そうしたトラウマが完全に吹っ切れて 家族(特に奥さん)からも愛され、そして…堂々と死ぬことを選んでしまった。
569 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 10:47:27 O
570 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 11:46:33 0
>>568 フランス王の日記ですから、後日第三者の目に触れることは当たり前だったので
自分の感情について書き残さなかったのかもしれませんね。
フェルゼン伯も日記を私的なもの公的なものと2種類つけ
晩年私的な日記は自ら処分したようですし。
私的な日記に何が書かれていたのか読んでみたいと思うのは私だけではないはずw
華麗な宮廷生活から一転タンプルの囚人になった環境の激変で
自分も家族の命も知れぬ身であれば、ルイ16世でなくても鬱になりそうですが
やさしすぎる人にしばしば見られる思い切りの悪さが災いしたのかと。
人としてはやさしい方だったんでしょうが、国難時の国王としては致命的です。
後ナポレオンも指摘してますが、ティリュリーに移された時に
大砲の2,3発も撃ってれば、形成は逆転し革命は起きなかっただろうといわれています。
ベルサイユ時代に、メルシー伯はオーストリーへの手紙に
「王はしばしば大食され、その後は頭脳が停止したような状態である」
とかなり手厳しく指摘し、王に思考力がないことを皮肉ってますが
鈍、に見える人ではあったんだと思います。
571 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 13:34:24 0
↑ルイ16世=馬鹿説の源は主にこれらメルシー、アントワネットさんなど オーストリア関係者の報告。母に対して夫がバカである、というほうが何か と都合がよかったのでしょう。フランス側の文書の多くは革命で失われて おりますし。とはいえヴェルジェンヌやブルトゥイユとルイ16世との 外交文書の研究なども進み、今では少なくともフランスやイギリスの研究者 で、かれを(日本で言われるほどに)バカとみなすということはなくなった と思う。なぜか日本人にはフェルゼン&アントワネット伝説とナポレオン 伝説ばっかり人気…口惜しい(泣)…。
そういやホントにルイ16世の元にはサン=ジェルマン伯爵が 来たんだろうか・・・?ルイ15世には来たらしいが ってかそれを言ったらサン=ジェルマン伯爵が本当に存在するのか どうかも疑わしいしな
573 :
世界@名無史さん :2006/11/16(木) 19:47:23 0
>母に対して夫がバカである、というほうが何か と都合がよかったのでしょう。 まぁ、かつての敵国同士ですから 娘の夫のフランス国王が英邁だとあのテレジアさんですから 謀略をめぐらされたかもしれませんから、ルイ16世=暗愚説を流すことで アントワネットは夫を守った、んでしょう。 たぶん、彼女は意識してなかったと思いますが。
574 :
世界@名無史さん :2006/11/17(金) 09:11:28 0
ルイ16世が親オーストリア勢(含ショワズール)に実際以下にこき下ろされ 続けたのはルイ15世にロレーヌ取られた腹いせ…かも?とも言われてます。 (ロレーヌの貴族出身のショワズール公は二人の政略結婚を段取る一方、 ルイ・オーギュストを「王位継承者の地位が転がり込んだだけの愚か者」と 痛烈にこき下ろしていた。) フランスのルイ16世研究者はアントワネットさんはフランス王家に放たれた「刺客」 みたいに言っている。(笑) ルイ16世はずーっと彼女の政治容喙や大衆的不人気に足を取られ続けたのですから 女帝が娘を使ってフランスをコントロールしようとしたというのも(エスコー河出兵の件など) あながち否定も出来ない話。(クリストフ「…秘密の往復書簡」、カストロ「マリ=アントワネット」)
575 :
世界@名無史さん :2006/11/17(金) 17:25:31 0
既にあちこちに火種があったところに、オーストリー女が火をつけちゃったんですね。 オーストリーはフランスの国力が低下した頃を見計らってあわよくば併合、とか考えていたんでしょうか まさか革命になり、欧州全土が揺るがされるとは想定外だったとは思いますが ハプスブルグ家は成り上がりのコルシカ男ナポレオンに皇女を嫁がせて、 ナポレオンを有頂天にさせて疲弊させ没落させることに成功してますから 結婚で皇女を「刺客」として送り込むのはお家芸だったのかもしれませんね。 父・兄弟・近親者・宮廷貴族から軽んじられていて 包茎で性交ができない状態の内気な皇太子ルイ・オーギュストに 領土紛争に王位継承戦争で戦争していた国の傑物の女帝の娘である 享楽的な皇女アントワネットと結婚させるとは フランス側にもアントワネットに「刺客」の役割を期待した人たちがいたんですね。 彼女がルイ14世の母、アンヌ・ドートリッシュ並のキレモノであったら 歴史は変わっていたかも知れませんね。
576 :
世界@名無史さん :2006/11/17(金) 20:07:44 0
オーストリア首相のカウニッツはアントワネットを通じてフランスを操る思惑が ありましたが、彼女が享楽的すぎたのであきらめてます。>>ツヴァイク
577 :
世界@名無史さん :2006/11/17(金) 20:59:35 0
ハプスブルグの放った刺客 ルイ16世王妃のマリー・アントワネット 享楽的な性格と絶望的な人を見る目のなさで貧民から貴族にまで嫌われる。 妻の評判の悪さが夫と国政にモロ影響。 皇帝ナポレオンの妻マリー・ルイーズ 名家コンプレックスのナポレオンを若さとハプスブルグの身分で右往左往させ ナポレオンは名門女性の機嫌を取るのに必死なおっさんになってしまい 皇帝ナポレオンから人心が離れるキッカケをつくった。 ナポレオンの再婚相手としてはロシア皇帝アレクサンドルの妹皇女エカテリーナの名もあがっていた。 マリーと結婚するためにジョゼフィーヌと離婚し、実はジョゼフィーヌと幼馴染だった トルコのスルタンの母エーメ・デュビビックは息子に命じてフランスとの同盟を破棄。 これがロシア侵攻の失敗を致命的なものにした。
578 :
世界@名無史さん :2006/11/18(土) 12:29:23 0
ヴェルジェンヌ死去まではおおむね内政・外交順調。特に妻には口は挟ませなかった。 (ド・ギーヌのためにチュルゴー、マルゼルブ更迭と、エスコー河の一件以外は) 1786年以降徐々に妻に依存、革命勃発以降はまわりに人がなく妻への依存度がさらに あがり、結果的に彼の本来の意思(穏健な改革)とは反対方向(強硬姿勢)へ傾斜。 1790年(?)の宣誓忌避僧排除の法律で一気に反革命になってしまった。
579 :
世界@名無史さん :2006/11/18(土) 20:41:44 0
>1790年(?)の宣誓忌避僧排除の法律 宣誓忌避僧とはバチカンよりも共和国(?)に忠誠を誓う僧侶のことでは? バチカンとフランスのカトリック教会・修道院の紐帯を断つことで 国政へのバチカンの関与を排除し、教会(僧侶)→バチカンへの金の流れを断ち切り それまで無税だった聖職者にも税金の義務を負わせる目的だったと思うけど違う? アントワネットは処刑される前に懺悔聴聞層が宣誓した僧侶だったので 彼に懺悔を拒んだという逸話があるので、アントワネット以上に熱心なカトリック教徒のルイ16世が 宣誓忌避僧排除の法律を容認したとは思えないんだけど。 宣誓忌避しなかった僧排除の法律を容認したのならわかるけど。
580 :
世界@名無史さん :2006/11/19(日) 09:13:49 0
↑578ですが「宣誓」とは1790年7月の「聖職者民事基本法」に加え、 議会が聖職者が「憲法への忠誠を誓う」ことを決定したため、その結果として 「憲法への忠誠を誓うこと」を忌避した僧は非合法的存在となった。 そのため父のドヴォ的教育のためローマンカトリックの信仰に忠実だった ルイ16世の反革命の心情が決定的になった、と言いたかったんです。 宣誓忌避僧=フランス国憲法への忠誠を誓うことを忌避(嫌がって避けた)僧 ということです。
581 :
世界@名無史さん :2006/11/22(水) 02:35:38 0
>そのため父のドヴォ的教育のためローマンカトリックの信仰に忠実だった ルイ16世の反革命の心情が決定的になった 王権を神から授けられたフランス国王として、宣誓僧侶など認めなかったのは当然です。 フランスの地方の農民たちでさえ宣誓した僧侶たちを異教徒と呼び 彼ら宣誓僧のミサを受けるのを拒み、命がけで宣誓忌避僧たちのために戦ったのですから。
582 :
世界@名無史さん :2006/11/22(水) 13:49:15 0
ガリカニズム、つまり国内の教会の頂点はヴァチカンではなくフランス国王だ、 というフランス絶対主義の基本理念があります。 (そのため相対的にこの時代、フランス教会のヴァチカンとの主従関係は薄れていた) 18世紀はどこの国の教会もイエズス会とそのバックにいるヴァチカンとは一線を 画していた。宣誓僧受け入れを、もしルイ15世ならいともたやすく受け入れたかも。 ついでにいえば、ルイ16世の改革の足を決定的に引っ張ったパリ高等法院の皆さんは 「ジャンセニスト」=カルヴァン派のような運命予定説を唱える「異端」的カトリックの 一派とみなされていた。が、ドヴォもジャンセニストも意外に似たような…カルト的信仰者 貴族集団だったような気もしますね。 ルイ16世は百科全書派やマルゼルブ氏のことさえも無神論者と思っていたらしい。 こと宗教・信仰に関した話になるとカーッと頭に血が上ったのか?? お父さん譲りのポリシー(ドヴォ的信仰)を衝かれるとついカッとなるなんて… 世襲権力者の悲しさ、なのかも。 いや、ルイ16世信奉者ですけれども、この点についてはどうかなと。
583 :
世界@名無史さん :2006/11/22(水) 21:44:49 0
581です。 >ルイ16世の改革の足を決定的に引っ張ったパリ高等法院の皆さんは 「ジャンセニスト」=カルヴァン派のような運命予定説を唱える「異端」的カトリックの 一派とみなされていた 高等法院はかのサン・バルテミーの虐殺を全力で静止しようとして 逆に悪魔だと告発されて火刑になってしまった人がいたりして 絶対王政やカトリックの宗教的権威にも必要とされば逆らうのが伝統で 権力者に逆らう常として刑死も覚悟ですから、運命予定説に傾いたのかもしれませんね。 >ルイ16世は百科全書派やマルゼルブ氏のことさえも無神論者と思っていたらしい。 でしょうねぇ。この世の万物を解き明かすのを目的とした百科全書派は 聖書の奇跡にも疑問を投げかけるものですから、ガチガチのカトリック信者には異端だったでしょう。 反革命というよりむしろ己が信仰に殉じてギロチンにかかるルイ16世は もしかしたら殉教者のような高揚感を感じていたのかもしれないですね。
584 :
世界@名無史さん :2006/11/24(金) 20:31:53 0
ぷりっきゅあっ ぷりっきゅあっ
585 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 09:32:46 0
>>583 殉教者の高揚感…ミシュレが痛烈に皮肉っておりますね。聖人を気取ったとか。
でも「幽囚記」を読めば、生身の人間として相当煩悶していたように思えます。
あえて宗教的な意味を見出すことによって、自らの運命を受け入れようとしたのでは。
決して頑迷な信仰にしがみついていたわけではないと思いますし、何よりそうした教会
勢力とか世襲帯剣貴族の特権には即位時からルイ16世は懐疑的で、それゆえテュルゴーやマルゼルブ
を大臣として登用(でも、短期間で更迭…奥さんを利用したド・ギーヌの陰謀)
したのですから。
かれがドヴォ的信仰に回帰したのは、兄と同じ名を付け、同じように亡くしてしまった王太子
の死からかな、と感じますが。
586 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 18:08:28 0
ルイ16世が信心深いので、当時の貴族連中は冷笑していたと言うのは事実でしょうか?
587 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 23:12:29 0
ロベスピエールの恐怖政治の間中、ギロチンは休む間もなく稼動し続け 「貴族だから」って理由だけで老若男女が死刑になったのですが ル・ブラン夫人は回想で 「彼ら(貴族・王族)が威厳を持って自らの死に臨まず 人間らしく恐怖に泣き叫んでいたら恐怖政治の寿命はもっと短かったでしょう」と言ってます。 平民の昨日今日議員になったような成り上がりから死刑宣告された王侯貴族は 皆ルイ16世のような殉教者の心情だったのではないでしょうか。 革命の勝利に酔って死刑宣告を続ける成り上がりたちに怒りを覚えるよりも 憐れむことで王侯貴族の矜持を保ち、自らの刑死を殉教死のようにとらえることで ギロチンへの恐怖を克服しようとした。 ルイ16世の妹のエリザベートは一緒に刑場に轢かれていく貴婦人たちを慰め励まし 「天にまします我らの神に、私たちのこの小さな命を捧げましょう」と微笑んでいたとか。 貴婦人たちは、ギロチン台に上る前にエリザベート前で膝を折って挨拶し いよいよエリザベートの番が来た時にも彼女の口元からは微笑みは消えなかったとか。
588 :
世界@名無史さん :2006/11/25(土) 23:13:47 0
>>586 ベルサイユ宮殿内のミサでデカイ声で聖歌を歌うルイ16世を
弟2人が「馬鹿」と嘲笑してたらしいです。
589 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 00:06:55 0
>>587 ギロチンは貴族というよりあらゆる階層を対象とした。
貴族だから死刑、だったとはいえません。
刑死した人々の多くが自制心をもって死に臨んだのは事実のようですが。
あるものは信仰心から、またあるものは自尊心や政治的信念や諦念から…。
ジロンド派の人々などは立憲政体そのものに殉じたつもりだったのかも。
590 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 00:39:40 0
>>588 これは信心よりも「かっこ悪さ」を笑っているみたいですね。でもあのうっとうしい
弟二人が王位についたのは悔しいです。
ギロチンにかかる貴族たちは堂々としていたそうですが、私が同じ目にあったら
絶対騒ぎ立てると思いますよ。あの頃の貴族連中は嫌いですが、これは評価できる。
591 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 00:52:04 0
>>589 揚げ足取りのようで失礼かもしれませんが
貴族たちは「生まれながらの貴族である」という理由で
投獄→ギロチン送りになりました。
後ナポレオンの妻になったジョゼフィーヌも投獄されてましたし
彼女の前夫のボアルネ男爵も投獄→ギロチンで刑死しました。
もちろん貴族でも革命勢力とうまくやったラ・ファイエット侯などは
投獄されることもありませんでしたが。
592 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 00:57:35 0
>>590 貴族で泣き喚き命乞いをして絶叫して死んだ人がいます。
かのデュ・バリー夫人です。
かつての国王の愛妾のギロチンを前にしての醜態に見物のパリ市民は
大はしゃぎして喜んで見物していましたが、彼女の鬼気迫るギロチンへの恐怖=生への執着
に最後は怖くなって、しいんとしてしまったそうです。
英国に亡命していたデュ・バリ夫人がこの時期のフランスに帰ってきたのは
ルイ15世からの贈り物の宝石が盗まれたから、というのは表向きの理由で
革命の火消しを望んだ英国側からの密使としてフランスに帰ってきた、という説と
危機管理能力ゼロで盗まれた宝石を取り返したい一心で帰国した説があります。
ルイ16世刑死を聞いて、英国で真っ先に喪服を着たのは彼女でしたが。
593 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 01:13:56 0
>あの頃の貴族連中は嫌いですが 私なあの頃の革命家たちの方がずっと嫌いです。 自由・平等・博愛を掲げつつやったことは恐怖政治。 重労働の農民のたった一つと言っていい心の安らぎだった信仰まで奪ったのは許せません。
594 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 10:57:37 0
>>593 当時の革命家は愛国者も気取っていた。敵国が攻めてくる前に裏切り者を倒せ、
というのが彼らの言い分だった。
自由・平等・博愛のつぎに来たのがナショナリズムの誕生だったということ。
だから革命前から嫌われていた敵国出身の王妃や、国際人だった貴族・第三身分
富裕層が攻撃された。王の命取りになったのも外国との交信。
大革命は貴族対都市下層民というふうにはとても単純化出来ない複雑な事件。
また地方の農民でもかつて弾圧されたユグノーの多かった地域などもあり、
すべてが保守的なカトリックとは一概に言えないのでは。
恐怖政治の実際の担い手は下級役人、元司祭、中産層以下の市民などなど。
どさくさまぎれに革命とは何の関係もない殺人が公然と行われたということか。
そして革命収束後…一番実利を得たのはかつての小作農。自作農となり
何事もなかったようにまた教会に通う日常…。
>>592 デュ・バリー夫人は成り上がりの平民女なんでは。
ブルジュア出身のポンパドール夫人よりさらに低い階層の出身。
596 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 23:35:50 0
>>594 >また地方の農民でもかつて弾圧されたユグノーの多かった地域などもあり、
すべてが保守的なカトリックとは一概に言えないのでは。
あなたはどうもカトリック教徒=頑迷・保守というイメージを持たれてるようですね。
それは違うんじゃないかと思います。どう違うかを具体的かつ明確に語れるほど
私にカトリックの知識があればいいのですが、残念ながらそこまでの知識はありません。
ご興味があれば宗教板など覗かれれば、詳しい方がいくらもいると思います。
ルイ14世の最大の失政だったナントの勅令廃止から、ユグノーたちはフランス国民でありながら
市民権が剥奪されたような状態でしたが、ルイ16世治下は国内の宗教対立が内乱に発展するようなことはなかったので
宗教的に対立していたとはいえ、キリストという神を信仰することは同じで互い共存共栄してたのではないでしょうか。
カトリック教徒からもユグノー教徒からもキリスト教信仰を奪い
頭に月桂樹被ってローマ古代人のような衣装をまとった女を「理性の女神」として敬うように強制したのは
ジャコバン派たち革命家たちです。
>そして革命収束後…一番実利を得たのはかつての小作農。自作農となり
何事もなかったようにまた教会に通う日常…。
フランスの古い諺に「軍隊が通れば操は消える」というのがあります。
革命の前後に起きた内乱・動乱・戦争で、農民たちの妻や娘は何人無事でいたことか。
597 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 23:48:49 0
>>594 >だから革命前から嫌われていた敵国出身の王妃や、
フランスの歴代王妃は政略結婚が普通なので、王妃が外国人というのはむしろ当たり前で
王妃の祖国とフランスが戦争することも珍しくもなかったはずです。
例えばルイ14世の生母アンヌ皇太后は、ルイ14の出生を疑った貴族たちから内乱を起こされてますし
存命中に祖国スペインとフランスは戦争したりもしてましたがアントワネット程の憎悪は受けてませんね。
やっぱり時代が違ったんでしょうが、アントワネット様、運が悪いなと思います。
>国際人だった貴族・第三身分富裕層が攻撃された。
バラスのように、下賎出身の革命家たちと程よく付き合ったりした人は無事でしたよね。
オルレアン公は自宅のパレロワイヤルを革命家になる思想家たちのアジトとして提供し
バスティーユ攻撃とヴェルサイユ行進には私兵まで提供したのにギロチンにかかった人もいましたけど。
>恐怖政治の実際の担い手は下級役人、元司祭、中産層以下の市民などなど。
彼らにその活動資金を提供したのは誰でしょうね。
あなたもまさか、下級役人・下司祭・中産層以下の市民が
自腹を切って革命に参加して、恐怖政治の資金を担ったとは思わないでしょう。
>>591 恐怖政治で一番死んだのは第三階級だというのに…
599 :
世界@名無史さん :2006/11/27(月) 01:12:16 0
>>598 貴族と第三階級ではもともとの人口比が違いますが
600 :
世界@名無史さん :2006/11/27(月) 09:51:25 0
>>596 言いたかったのはカトリック=頑迷ではなく、宮廷内ドヴォ党的信仰=頑迷という
ことです。そして開明的だったルイ16世が不幸な人生や革命の
激化の影響から、本来の(理性的だった)かれにふさわしくないはずの「殉教死」
を遂げなくてはならなかったこと、これがかれの最大の悲劇なのでは?といいたかったの
ですが。
農民の不幸については確かにおっしゃるとおりですね。
革命前そのままの人生、とはいえなかったと思います。
ナポレオンの軍はこうした狼藉をさらにヨーロッパ各地で行った。
また大革命〜ナポレオンの時代、フランスの国内生産の落ち込みは激しかった。
それでもこの時代に自作農が多くなったことが以後現在に至る農業国フランス
の屋台骨を作り出したのだと思います。
18世紀後半から革命期のフランス国内の教会の政治的考察は他にも
専門書が出ていると思いますが、とりあえず「フランス革命事典1 事件」
(みすず刊)の244p、オズーフの書いた「非キリスト教化」という項目が
示唆に富むものだと思います。
貴族というだけで殺された、 なら人口比関係なく貴族ばかり処刑されているのでは? もっとも処刑の資料持ってない人間の戯言です。すまん
602 :
世界@名無史さん :2006/11/27(月) 18:42:20 0
>>600 >言いたかったのはカトリック=頑迷ではなく、宮廷内ドヴォ党的信仰=頑迷という
ことです。
う〜ん、ドヴォ党的信仰=頑迷だとは思えないんですよ、私。
ああ、でもこれは21世紀に生きる私の視点からであって
18世紀のフランスに生きた人からは頑迷に見えたのかもしれません。
ルイ16世陛下はドヴォ党的信仰があったからこそ、それが彼の政治判断を誤らせた反面
未曾有な艱難辛苦を王としての威厳を失わずに耐えることができたのだと思います。
宗教というものの人間に持つ影響力っていう視点で善良なでも無力な王様の生涯を見ると面白いですね。
>また大革命〜ナポレオンの時代、フランスの国内生産の落ち込みは激しかった。
それでもこの時代に自作農が多くなったことが以後現在に至る農業国フランス
の屋台骨を作り出したのだと思います。
たぶんなんども行軍があるたびに作物や女子供を失ってしまい、神に嘆こうにも教会は閉じられて
上告しようにも領主様も行方知れずの環境で、自助努力精神が強烈に彼らを支配したのでしょう。
603 :
世界@名無史さん :2006/11/28(火) 09:47:56 0
ドヴォ的信仰とフェヌロンの「テレマーク」などによる自己犠牲的帝王学が かれにああいう運命を選ばせた…痛恨の極みですよ。 農民のおかれた状況にかんしてはとりあえず大革命全体を見渡した最近 の概説書を読まなくては。(マチエ、ソブールなどは古過ぎ。やはりフュレ)
604 :
世界@名無史さん :2006/11/29(水) 09:57:17 0
それはさておき、いまやってる、あのミュージカル。 ルイ16世の設定があまりにひどすぎる。役者さんはいいのに。 台本作家は本当に臭作先生読んだのか? それから臭作先生によれば、チュイルリーのアントワネットにフェルゼンが会いに行くとき トイレ汲み取り用の桶に隠れたことになっていて、そのシーンを楽しみに していたのだが、なかったぞ! いずれにしても史実無視の世界だけれど。 (史実というかカストロ氏によれば1792年8月10日事件のあと、マラーいわく、 「逃げ出す前にアントワネットはトイレに秘密文書を捨てたはずだ!」 内務大臣ロラン以下の役人がチュイルリーのトイレを捜索、重々しくピンセットで つまんだ臭い書類を検分…。マラーはこうしていたずらを大いにたのしんだ…) ルノートル、カストロ著山本訳「物語フランス革命史1」より)
芝居の感想なら芝居のスレで書いたらどうかな?
芝居といってもあのなかでルイがどう扱われているのかは、日本国内でルイ16世 バンザイな人には目下の最も関心の高い問題なのです。 話は飛びますが、藤本ひとみの駄作本(失礼!)にあったマリー・テレーズの夫アングレーム公。 肖像画がルイ16世に似ている。藤本サンのこき下ろしっぷりに反して 彼女は意外にこのいとこが好きで結婚したのかも…とも思った。
607 :
世界@名無史さん :2006/12/05(火) 22:51:49 0
アングレーム公爵はフランス人A・ドゥコーが書いた 「フランス女性の歴史」の中でも酷評されています。 インポだった以外に、ちょっとは洒落っ気のあった父にはまるで似ず 乗馬もダンスも壊滅的に下手糞で しょっちゅうお尻を掻いて掻いた手を鼻にもっていってクンクンする癖があったそーです。
608 :
世界@名無史さん :2006/12/06(水) 23:13:44 0
ルイ18世の伝記を書いたマンセルは、アングレームを評価していたが。 もし彼が国王になったら、ブルボン家の立憲王制が続いただろうとまで。 そこまでは大げさだけど。
マリー・テレーズ=強面で気の強いお嬢さん アングレーム公=気弱な坊ちゃん のイメージ。 ナポレオン帝政時代、「フランスをブルボン家の手に!」ってぶち上げた 空気読めない王族のせいで、亡命先のプロシャから追い出される時 お祈りの最中だったマリー・テレーズは使者に一言 「どこへなりとも参りますが、わたくしが今神に捧げているこの祈りだけは 最後まで上げさせてくださいまし」。 ナポレオンがエルベ島から復活したのを聞いて、ボルドーで兵を挙げ 「彼女はブルボン家で唯一の英雄だ」byナポレオン。
ドコーのシリーズはドコーで手に入るのか?近所の図書館からはなぜか 消えていた…
ハリウッド映画で『マリー・アントワネット』が公開されるそうですが 我ルイ16世陛下はどのような扱いなのか気になります。 ステレオタイプの鈍くて太った男として描かるなら 腹黒い2人の弟と、叔父も、悪人面の俳優に演じてもらいたいものです。
太ってはいないけれど相変わらず変な人(善良だが幼稚な変人)扱いみたい な感じ…youtubeにて予告編を見ただけですが。 ルイ15世?が悪人風なのも?? まあハリウッド製ということであまり期待せず観にはいきますが。 どうせなら「グレースと公爵」ぐらい凝った映像で観たかった…。
↑ジェイソン・シュワルツマンという人なんですね。ありがとうございます。 コッポラ娘のいとこにして、もとバンドやってたと。顔は多分歴史上の ご本人よりいいかも。 でもなあ…身長168cm…ルイ16世の身長、185cm以上あったのは確実。
陛下・・・ 存命中は実父と実兄からイビられ 実弟二人からは小馬鹿にされて 腹黒い叔父は処刑に一票を投じて 妻な何かと物議をかもして国内外で自分の足を引っ張り それでもそんな妻を愛していて それでも「赦す」とおっしゃって断頭台に赴かれたのに 後世になってからも、小男のヲタク扱いされてしまうなんて。 おいたわしいです。
>>615 ツヴァイクの伝記も大きいでしょう。あれじゃ馬鹿に思える。
ツヴァイクをよ〜く読むと、ルイ16世の妻への愛情が書いてある。 「ぞっこん惚れた」とか「手もなく参った」とか「皆にちやほやされる妻 を持ったのが自慢で鼻をうごめかしている」とか「生ぬるい愛情」、 「本当に愛するには心臓のエネルギーが足りない」…。 それに対して「妻がこんなファルスタッフ(シェイクスピア劇の樽のごとき酔っ払い) に愛情を感じるなんてムリ」などとも書いている。 (秋山他訳「マリ・アントワネット」岩波文庫版より) 見た目が悪ければ(でも本当の超肥満は父と王弟プロヴァンス)愛情も価値を 失うかのようなツヴァイクの決め付け方は不満ですね。 また、ルイの判断ミスと非難を浴びていることも(1792年8月10日の無抵抗命令とか) かれの国民に銃口を向けたくないという良心的判断が裏目に出たということでは。 ナポレオンが自分なら馬にのって出てくるといった、とありましたが。 関楠生訳の「マリ・アントワネット」もまた再版が出回っているようです。 こちらのほうが岩波版より訳文が現代的でスッキリ読めると思う。
>>617 無抵抗命令を健忘症とか書いてましたね。ツヴァイクが今の研究を見たら
ルイの描き方は変わったのかも。
ルイ16世の業績が再評価されても、ツヴァイクなら意地でも否定しそうな…(笑)。 話がちょっとそれますが、ツヴァイク自身の人生を見ると、家庭生活が幸せだったとか、 大切にしたとはとてもいえない…。 織物産業で一代で財を成した父と、イタリア系の母という典型的19世紀末中欧 の富裕なユダヤ人家庭で育った早熟な文学少年ツヴァイク。 かれもまたひょっとして愛されない幼少期を過ごし、 無意識のうちにルイ16世のなかに自分同様の「無視された子ども」を見出し そして…なぜか嫌悪した…のかな?と。 (参考 河原著「シュテファン・ツヴァイク」中公文庫)
施政者としての判断と慈悲にあふれた判断と両立はしないだろう 革命の結果かれは処刑されることになったのだからツヴァイクが無抵抗命令を 避難するのもやむをえんかな
はあ。そうですね。危機に際しての中途半端な慈悲心の発露。状況認識が致命的に間違っていた。 8月10日事件のさいは夜中から鐘が乱打され、武装した群集が未明から王宮前に集まっている。 2ヶ月前にも室内になだれ込んだ群衆に詰め寄られ、王は命の危険にも晒されている。 (だが群集に、こんなときでも自分の心臓はドキドキしていないと、胸に触らせ説明) ここぞというときに思考停止というか、判断停止というか、現実からの乖離 (解離)状態が訪れるような。 長男(最初の王太子)の死の前に何ら有効な治療を試みなかったことなども考えると、 かれの無気力の正体が何となくわかるような気がする。 こうしたルイ16世の微妙な心のありようを、フロイトの友人にして伝記作者 でもあったツヴァイクはぜんぜん無視…あまりにもフロイト的=性的なものに 心理分析を依拠しすぎたせい。幼児期のトラウマなんてこともあまり言われなかった時代 だっただろうとも思います。
622 :
世界@名無史さん :2006/12/23(土) 23:49:04 0
>792年8月10日の無抵抗命令とか 確か、この命令を下されたのはスイス兵だったかな、外国の傭兵たちですよね。 彼らは武装して向かってくる狂ったような群衆に対して 「王宮を死守しろ。退却はするな、しかし発砲するな」という軍命を出され 惨殺されたと、というのを昔読んだことがあります。 彼らとて、国で彼らを待つ老親や子供や妻がいたでしょうに。
↑スイスのルツェルンにそのときの犠牲者を讃える「瀕死のライオン像」がある そうです。 この日の攻撃側の国民軍兵士の死者98名(その他あわせて400名とも)、 守備側の死者、スイス衛兵600名、廷臣200人(以上ルノートル/カストロ 「物語フランス革命史」より) ↑この本で読むと、国王一家避難ののち、王の命令を破って、守備側も応戦、 はじめは優位に立ち砲撃、しかし結局多勢に無勢、最後は無残に虐殺された。 その後暴民はチュイルリーに乱入、略奪と破壊の限りを尽くし、カルーゼル広場 には真夏というのに羽毛布団の羽毛が雪のように乱舞した…。 最初に二人殺されたスイス衛兵側が侵入した暴徒に発砲し、戦端が開かれたそうです。 決して王命を守って無抵抗のまま虐殺された、というわけではなく戦闘の結果の死。 ただし宮廷の逃げ遅れた使用人たちは、本当に無抵抗なのを捉えられ虐殺された。 「日記」を書いたクレリーなどはこのとき上手く逃げおおせた使用人の一人だった。
あのミシュレの大著「フランス革命史」が改訳(全訳なのだろうか?) 再刊とのこと。旧版の桑原訳に省略部分を新たに訳出して加えたものかも。 文庫版だが相当なボリュームがありそう。 ミシュレの「民衆史観」には辟易しますが、それでもあれだけ力の入った ロマン派的叙述とその一方の詳細な史料渉猟ぶり。他にないように思う。
625 :
世界@名無史さん :2006/12/27(水) 13:09:34 0
早川文庫からマリー・アントワネットの伝記が出た。 新解釈がいろいろ載っていて面白いが、ルイ16世については ツワイク以上に惨い扱い。
映画…ひどそう。がっかり…。あ〜あ。よいお年を。
みなさん、あけましておめでとうございま〜す! いやあ、びっくりです!16世がこんな愛される時代が来るとは! 小学校の時にマリーの伝記マンガ読んだ時からなんとなく気になってたんですが、 こんな人好きなの私だけかなと思ってたんです……。 こんなことになるなんて、時代も変わったもんですねえ。 どうしてみなさんルイ様を見直すようになったんです?
↑見直す、というより知ったそのときからですね…。 とかいってる間にアナタ、youtubeでLouis XVI検索してみてくださいよ。 生前のお姿が…ああ、ありがたや。
↑あのハリウッド製映画の予告編ではなく、La tour の舞台映像のことだったの ですが、いや、よく見たらやっぱりなんだかなあ。 本国の学生演劇もアメリカ豪華映画も、いまひとつ。 (そもそもフランス語が聞き取れず)
630 :
世界@名無史さん :2007/01/17(水) 22:21:34 0
しょうもない映画らしいが、それでも観にいくのは半ば義務感から。 ルイ16世がどう描かれているかを確認して失望するための儀式ですね。 去年のミュージカルといい、期待はずれまくりの今日このごろ。 いや、あらぬ期待などかけるわてがあほや〜〜〜。
先週の「不思議発見」もルイ16世の存在は全くスルー
632 :
世界@名無史さん :2007/01/18(木) 16:36:18 0
ルイ16世はマリーと違ってテレビ受けするエピソードや逸話が無いからね。 まして日本では完全な愚夫扱い。
ヲタ気質・勉強家・質素・愛人当たり前の時代に愛人無し・妻の愛人も許す寛大さ 受けないかなあ
634 :
世界@名無史さん :2007/01/18(木) 18:29:23 0
ベルばらの池田女史は故・遠藤周作氏との対談で 「夫にするならルイ16世のようなのがいい」 と言っていたんだけどね。
635 :
世界@名無史さん :2007/01/18(木) 18:32:23 0
錠前作り以外でも学問熱心だったがな。 安楽死装置「ギロチン」を作った偉大な為政者の一人だろ。 斧の首切り処刑や日本の介錯とか失敗時は悲惨だぞ。
フィリップ2世やルイ9世の伝記が主な愛読書だったらしいね。
今日は映画封切(鬱) あすは没後214年目の命日(益々鬱) ルイ9世=聖王ルイですから。生まれる前から二代目聖王にと 両親が思い入れしていた。結果的にそれが彼に過酷な運命 (殉教死的刑死)を選ばせる動機となった。
映画を見たが、準主役っぽかった。 フェルゼンは単なる脇役。
639 :
世界@名無史さん :2007/02/21(水) 21:24:39 0
NHK教育をみて、ルイ16世がキモヲタと聞いて飛んできました (゚∀゚)
>>633 個人的にそのスペックは最高
浮気に寛大でなくてもいいけど
昨日のNHK教育でやってた性器の軽い手術を勧められたって包茎切りの事だったのね…
641 :
世界@名無史さん :2007/02/22(木) 06:31:27 O
包茎手術の放置がフランス革命を引き起こしたわけだね。
642 :
世界@名無史さん :2007/02/22(木) 06:48:49 0
自分の作ったギロチンで処刑されてるんだから世話ないぜ
643 :
世界@名無史さん :2007/02/22(木) 07:27:40 0
>>642 製造を指揮した者として、自ら効能を試して魅せた。
自製品に対する此処まで誠実な態度は誰も追随できないだろう
自分で作ったんじゃないんじゃない? ルイは改造のアドバイスをしただけじゃないかと。
645 :
世界@名無史さん :2007/02/24(土) 06:56:38 0
一発でもう少し切れる様に、って改良のアドバイスしたんですよ。 外側に向いてた刃を内側に向くようにした、とかどっかネットで読んだ。
646 :
世界@名無史さん :2007/02/24(土) 10:41:12 0
ともかく、ルイ16世統治下の、後世にも繁く用いられた発明品、 彼自身も重要な提言をした記念すべき刑具という事で、レッセ フェールがいかに、革命期にとっていかに大事な準備期間であ ったかの現れ、という事でいい?
私もルイ16世好き。肖像画だとそんなキモオタなんかじゃないし。 むしろフェルゼンより育ちのよさはにじみ出ているし、男らしいかも。 体格もよかったんでしょ。ベルばらの文庫本を高1で読んだときは、 フェルゼンさまさまだったけど、30近い今となっては断然オーギュスト派。 フェルゼンは、ツヴァイクの本とか漫画で美化されすぎかも。 かなりのモテ男だけど、王妃をものにしたことで歴史に残っただけではないか。
ルイ16世って、人生の中で「幸せだ!」と 心から思えた事ってあるのかなあ。
650 :
647 :2007/02/28(水) 16:12:02 0
>>649 確かにあんまりかっこよくはないですねw
「幽囚記」アマゾンで探したけど、売切れみたいです。
アントワネットも好きなんですが、ルイをバカにしていたときも
あったみたいだし、複雑です。
651 :
世界@名無史さん :2007/03/01(木) 22:09:48 0
>>647 劉禅や今川氏真をかばう気持ちと同じじゃないかな。
子供の時は馬鹿にしていたが、大人の事情がわかって
馬鹿にして来た彼らの偉さに気づく。
カール・セーガンの「コスモス」の中に、ルイが募集した遠征隊に
若き日のナポレオンが参加しようとしたけど、結局諦めて
結局その遠征隊は船が沈んで殆どが死んだという話が載っていた。
読んだ人は?
652 :
世界@名無史さん :2007/03/01(木) 22:31:54 0
『ルイ十六世幽囚記』持ってるよ。 多分一生売らないで手元に置いておくと思う。
>>652 私も数年前にヤフオクで入手したんだけど
これが殆ど新品同様で感激!
今では宝物になっている。
でもみんなにも読んで欲しいから、
復刊ドットコムに1票投じてきた。
復刊されたらまた買うよ。
>>650 中古だけどアマゾンに出てるよ。プレミアが付いてるw
私は図書館で借りて読んだ。
ツヴァイクは往復書簡を読んでいたら
やたらとツヴァイクからの引用が出てきたのでそっちを先に読もうかと。
往復書簡はアントワネットがルイの事を母親にどんな風に報告してるのかな、
って思って読み始めた。
最近は何を読むのもルイが中心w
>>651 それは読んでないや
遠征隊ってアメリカの独立戦争の時の?
655 :
世界@名無史さん :2007/03/04(日) 11:40:13 0
●マリー・アントワネット Part.3●ソフィア・コッポラ
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1170779347/l50 今日見てきたが、史実ものとしてじゃなくて「一人の女の子」を描いた、それがなぜマリーちゃんだったかというと、
普通の女の子として描かれない人間だからじゃないかなあと。
史実の中の人も、人を好きになったりくだらないことで悩んだり、朝日を見て切なくなったり。
紙の中の人が人間臭く描かれてていいんじゃない。
どこの批評も意見も見ないで行って正解だった。
私はかなり好きでした。
でも賛否両論分かれるものわかるきがするw
656 :
世界@名無史さん :2007/03/04(日) 16:02:00 0
いまさらなんですがルイ様の血液型って不明なの?
>>651 それは多分ラ・ペルーズの探検隊のことでしょう。
彼らは北海道と樺太(現サハリン)が地続きかどうか?というルイ16世
の疑問点を解明するため、はるばる来たのだった。
宗谷海峡は国際的には「ラ・ペルーズ海峡」と呼ばれております。
(植民地獲得がその動機だったかもしれないが)18世紀に最新の地理学の
知識を持って探検隊に指示を出す、そんな王がほかにいたでしょうか…。
探検隊は一人の使いに地図を持たせ、シベリア経由で本国に向かわせた
のち、南太平洋で遭難したそうです。使いは王の死後革命中の母国に辿り着いた。
運命の無残さ、ルイに対する200年後までつづくいわれのないバカ呼ばわり、
嗚呼、神もホトケもあるものか〜!
ルイ16世って賢いのに世間的な印象が馬鹿っぽいのは革命側の資料から 見ていることと、ツヴァイクの伝記がもとなんでしょうねえ。
アントワネットや周りの貴族も見下していたそうだから あの頃の文献そのものがその様に書かれていたのでは? 当然、ツヴァイクもその史料を参考にしたであろうから その通りにしか伝記を書けないのは仕方が無いと思うけど
ルイ16世はヴァカだ!と決め付けたのはまずショワズールとメルシー。 ツヴァイクはメルシーの報告とテレジア・アントワネット間の「秘密書簡」なんかを 資料に書いたからね〜(テレジアさんはヴェルサイユは愚かで退廃的という 価値観で固まっていたし、メルシーは(フランス人なのに)フランスの王族 が嫌い)。 そして革命中は悪政の象徴。死後は忘れられ、弟が帰国・即位後はエエ加減 なイメージ(美談)で政治的利用。 アントワネット中心の話でも革命中心の話でもどっちにしても ルイは脇役。 ルイ自身の評伝や政策の研究書も色々あるけれどさっぱり和訳されませんし。 ルイ16世の映画もあるらしいがフランス国外で見る人は少ないでしょう。 残念です(大泣)。
>>662 最近は評価も少しずつ上がっていると思いますよ。
奥方様の話で申し訳ありませんが、
「パンがなければ…」は、アントワネットの言葉ではないというのが
一般的に浸透してきたし。
ルイ16世も勤勉な努力家で、心優しい父親であったという
イメージが根付いてきたように思います。
だから、そんなに大泣きなさらないで(はーと)。
>>662 >ルイ自身の評伝や政策の研究書も色々あるけれどさっぱり和訳されませんし。
それは是非読みたいね
もう少しルイのよさが浸透すれば和訳されるかもしれないけど・・・
やはりフランス語を覚えて自力で読むのが一番手っ取り早いんだろうね
>>663 優しいお言葉、ありがとうございます…(号泣)。
>>664 フランスでも最近ルイ16世の治世が見直されているのだと思います。
(フランス人もルイ16世についてこれまであんまり知らなかった…)
666 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 22:18:40 0
ルイ十六世は学問好きの一般家庭に生まれたら、本人にとっても最高に幸せで彼らしい 一生を過ごせたかもしれない、と思った。 後を継ぐしかないもんな、かわいそうだな。 当時の極貧の家庭に生まれるのと同じ位酷い状況かもしれないな。 ただ、処刑前の行動だけは王族の血を引いてる、と感じさせるけど。
667 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 22:50:50 0
668 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 23:03:25 0
>学問好きの一般家庭 生活のために働かなくて済む貴族ぐらいだな 商人なら、騙されて没落
669 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 23:30:12 0
ヴァレンヌ逃亡事件もルイは難色を示している。
遠藤周作は「田舎貴族の息子に生まれていれば」一生人に愛されて幸せな生活を 送っただろう、と書いています。
政治家として民意に誠実であろうとした彼の絶対君主らしくないセンスが、 結果的に不幸な優柔不断をもたらしたのだと思う。 ヴァレンヌ事件にしてもルイは「(民がそれを望まない以上は)フランス を出る気はなかった」はずだ、と歴史家モナ・オズーフも言っております。 善人だ、というだけでなく本来理性的に状況を判断出来た人だと思う。 状況もわからず強硬策を言い足を引っ張ったのは奥さん。
民主主義的にはルイ16世が酷いボンクラで本当に助かった。 やたら聡明で浪費癖の酷いマリーを国に追い返すぐらい行動力があったら フランス革命は失敗して今から見ると酷く歪な歴史が形成されていただろう。 コイツがギロチンの露に消えていなければ明治維新も成ったかどうかすら 甚だ怪しいもんだ
ギロチンを作った人という記憶しかないが ルイは憎めない人柄を思わせるエピソードが結構あって好きだなー
>>672 フランス革命が日本の歴史にそんな大きな影響を与えたとは思えない。
当時ですら情報が日本の政府に伝わった時には
対岸の火事くらいの認識しかなかったんだから。
ルイ16世一家に対するあまりにも非寛容・冷酷無比な革命家の態度を知り、 王や王妃が死の間際まで酷い屈辱を与えられていたことを知り、 恐怖政治のもとで上も下も大量処刑が行われたことを知るに及んで革命は実のところ 集団ヒステリー以外のなにものでもなかったのではないかと深く幻滅した。 そして、革命家が嫌悪し罵倒する「アンシャン・レジーム」になぜか興味が惹かれる。 ルイ16世、ルイ17世の一生はただただ気の毒で涙が出そうになる・・・。
民衆の王家に対する、積年の憎悪が膨らみすぎた結果だよね。 王家には民衆の重税や飢饉に苦しむ現状が見えず、 民衆も王家の存在が雲に隠れすぎていて本質が見えずで お互いに目の前のものしか見えていなかったんだと思う。 特に民衆は税金の使い道は公表されていなかっただろうから、 税金を搾り取るだけ搾り取って贅沢をしている様にしか見えなかっただろうし。 本当は国王一家のお洒落や教養もただの贅沢だけではなくて 外交・社交をする上で必要なものだったのにね (だからその為に予算も組んでいたんだし) 若くして国王・王妃になったルイ16世夫妻じゃなく、 年齢的にも威厳のあったルイ15世の治世から 少しずつでも情報公開をする等政治改革を行っていれば 王政が崩壊したとしてもそこまでひどい扱いは受けなかったのではないかと思う。 個人的な解釈では、ルイ16世一家は長い王政時代のとばっちりを受けただけ。
いや憎悪とかいうレベルなら最初にヴェルサイユ宮に乱入された時点で惨殺されてるって。
惨殺される寸前だったんじゃないか? それにベル宮襲撃は計画的だったらしいし
基本的に処刑された理由は、 「権力基盤が脆弱な新体制が、旧体制の国王を生かしておく理由がない」 の一言だと思うがな。 ましてヴァレンヌ事件という前科があり、王妃は明らかに敵国に通じていた。 この状況で処刑しない奴がいたら単なる間抜けだろう。
王妃の裁判の時は王妃が敵国とつながっている物的証拠が 出てなかったんじゃなかった? 処刑理由は >旧体制の国王を生かしておく理由がない というより、旧国王が王党派や欧米諸国の支持を得て 王政復古するのを恐れていたのではないかと。 処刑したところで結果的には王政復古してしまった訳だけどさ
どなたか
>>31 の書名知りませんか?
探してるんだけど全然ヒットしない。洋書なのかな?
>>681 洋書です。翻訳されたらすぐにでも買うのになぁ。
奥さんの映画の原作(フレイザー作「マリー・アントワネット」ハヤカワ文庫) 読んだ。 映画とはちがい意外にきちんと調べた感じの内容だったが…。 結婚当初の王太子ルイ・オーギュストが16歳にしてすでに肥満体というのは 大間違いだ!第一子誕生ぐらいまではやせていた筈ですよ!肥満体の王とか言いすぎ! 全体にルイがものすごい無口で無表情な変人として辛辣に描かれている気がした。 フランス人(カストロ他)の書いたものだと同じことを書いてもルイに同情的。 このフレイザーさん(イギリス)やあのウィーン人ツヴァイクは意地悪だ。 追)カンパン夫人のメモワールがリーニュ公やトゥルゼル夫人のメモワールとともに 多数引用されておりましたよ。 まあ結構面白いです。
686 :
世界@名無史さん :2007/03/24(土) 20:56:19 O
雑談じゃんこんなスレ
687 :
世界@名無史さん :2007/03/24(土) 21:03:17 0
アントワネットとルイは対極に位置させたほうが構図としては わかりやすい。ルイはルイは無口で無表情、アントワネットは お喋りで天真爛漫に描かれるのは普通。史実とかは関係ない。
688 :
世界@名無史さん :2007/03/24(土) 21:07:47 0
祝2周年!
上記フレイザーの本に王がチュイルリーにてトゥルゼル夫人の娘ポーリーヌ に熱心にビリヤードを教えたとあった。ビリヤードも上手かったらしい。 それにしてもフレイザーのフェルゼン早期愛人説はどうもいただけない。 あの映画もソフィア・コッポラがこの本の説どおりに描いて見せた、という ことなのだろうけれど、いくらフェルゼンが(フレイザーの言うとおり) 避妊名人?だったとしても、第二王太子誕生以前から愛人だったというのは あんまりだ。 そこまで王妃は愚かではないと思う。 あの本でも何度も言っているように当時のフランス王妃の権力は王太子を生むことでしか 発生しないのだから。
フェルゼンって避妊名人だったの?ワロスw アントワネットは第4子出産以降、ルイとベッドを共にしなかったらしい とはどこかで読んだ覚えはあるけど。 男児を出産すればその子が国王になる可能性は少なからずあるはずだし、 私もいくらなんでも王妃がそこまで軽はずみだとは思えない。 他の男と肉体関係があったらジョゼフにしろシャルルにしろ、 親子関係を実証するのは難しいだろうし。 第一そんな事をしたら王弟達の思う壺。
気がつけばスレが立って2年。細々とよくつづいてきたものです。 ルイ16世びいきのヒトが結構いらっしゃるのには驚きました(嬉しゅうございます)。 それにしても日本でもせめてJ.ハードマンのコンパクトな評伝「ルイ16世」 ぐらい邦訳が出てもいいだろうにと思う。 (手に入りやすいし比較的読みやすい英語版だから)。 ISBN 0 340 70650 3 John Hardman LOUIS XVI The silent king それからフレイザーの日本語版は案の定巻末の索引・参考文献を省略。 フレイザーはハードマンやプライスの研究を引用しているようだが巻頭の謝辞には 明記せず。(ルイ16世とヴェルジェンヌの外交政策にかんしては彼らの研究なしには語れないはずだ!!) ずるいぞ!
御仁が翻訳出版すればよかろーもん。 したら俺、2冊づつ買うちゃるよ。 楽しみにしとーけんね。
バスティーユ襲撃後、軍に出した指示を見ると、とうてい賢明な人とは思えないけどねぇ。 彼が清教徒革命の歴史から何を学んだのか興味深いところ。とことん無抵抗、か?
694 :
世界@名無史さん :2007/04/29(日) 19:44:02 0
>指示を見ると 例えば?
693ではありませんが… 『この事件(=バスティーユ襲撃 :引用者)は国王政府を驚愕させ、屈服させた。 ルイ16世は軍のパリ撤退とネッケルの復職を決定し、さらに自らパリに赴き、新たなパリ政府当局と ブルジョワジーの民兵である『国民衛兵』を承認した。』(以上ウィキペディア「バスティーユ襲撃」より) 693さんはこの「パリからの撤兵」のことをおっしゃっているのでしょう。 しかし、実は王が撤兵を指示したのは「襲撃」の報を知る前だったともいわれているらしい。 (ゴデショ著「フランス革命年代記」) もともと襲撃の引き金になったネッケル罷免もパリ出兵もアルトワ伯ら強硬派の主張に 屈したためだったが彼らは襲撃を見るやさっさと海外亡命している。 王は7月17日パリを訪問(死を覚悟したといわれる)既成事実を容認した。 これが絶対王政の終わりの始まりとなった。 しかし決してかれの選択がいつも間違いだったとは思えない。 王は民衆に銃口を向けることに最後までためらい続けたが、保身からだけ ではないのでは? この1789年の時点ではまだ民衆の王室への愛情に期待する面もあったろうし フランス国内が内乱状態となり諸外国に攻め入られることも警戒していた のだと思う。 武力鎮圧がこうした場合の賢明な君主の唯一の選択肢だとは いえないのでは?
最終的にギロチンされりゃ「間違いだった」でおわりでは?
>>695 妥協して妥協して譲歩して、革命帽かぶせられても我慢して、
それで何か改善したならいいけどさ。
王政が廃止されても、せめて生きていられればね。
無能で鳴らしたスペイン・ブルボン家の国王だって、国外で天寿を全うできてるわけでw
ルイ16世は運も悪かったかもしれないが、少なくとも平均以上とはいえないんじゃないの。
カルロス4世の場合は、ナポレオンが「国王殺しはまずい」と判断したおかげ。 革命当時のフランスの王など、同時代の他国のどの君主がなったとしても 難しかったと思います。 いまでは「あの大革命の王としては最良だった」と かれを評価するフランス人もいるそうです。悲しい話ですが。
まあ、革命派を武力鎮圧するなり、立憲君主制を認めるなり、国外逃亡するなり。 どれでもいいからもうちょっとちゃんと決断して実行してればあそこまで無残な死に方せずにすんだと思うが。 なにをやるにも中途半端で、その中途半端さで死んでしまった御仁だな。
すごい音痴だったらしいね、この人は。 >あの大革命の王としては最良だった そりゃどう見ても過大評価だ。
ここって奥様たちのお茶会スレ?
702 :
ええ。 :2007/06/22(金) 04:16:59 0
有閑マダムのサロンドテで御坐居ます
>>699 旧ソ連崩壊のとき、ゴルバチョフの運命を見ていて「ああ同じだな〜」と思いましたよ。
改革の急進・先鋭化の中で当初の宥和的な政策を維持する難しさ。
もっともゴルビ〜は生き残りましたが。
704 :
世界@名無史さん :2007/07/04(水) 04:24:20 O
母親のベルばら読んでこの人のこと知った かなり好意的に書かれてたな 質素な人なのは有名
705 :
世界@名無史さん :2007/07/10(火) 15:03:14 0
ベルばらなんぞ
706 :
世界@名無史さん :2007/07/23(月) 21:08:26 0
ベルばら作者の池田さんは、ツヴァイクの伝記を読んでこの漫画をかいたんだよね。 一応age
707 :
世界@名無史さん :2007/07/23(月) 21:28:26 0
本格的な陛下の邦語訳伝記切望!
売れないから却下
709 :
世界@名無史さん :2007/07/24(火) 00:41:15 0
最近公開された「マリー・アントワネット」という映画で、宮廷人が平安貴族のような白粉をつけていましたが何の意味があるのでしょうか?
710 :
世界@名無史さん :2007/07/24(火) 17:43:55 0
化粧じゃなかったかな〜?映画見てないから状況がよくわかんないけど…( ̄Д ̄;
711 :
世界@名無史さん :2007/07/25(水) 02:00:47 0
よくフランス革命物の映画で贅沢に着飾った連中が音楽にのせてひらひらと踊ってますが目が回らないのでしょうか?
さぁ、当時の贅沢に着飾った連中は、踊りを専門のダンス教師に教わるから
そんな事は滅多に無かったんじゃないのかしらん。
>>709 当時はね、白くて幾分病的な御顔が理想的な美しさだったの。
血管を青くなぞって描く御化粧も流行ったのよ。
TETUCO嬢やSONOCO先生なんぞ理想的ね★
713 :
世界@名無史さん :2007/08/10(金) 02:08:02 0
十六世ばんざ〜い!!!!!! age
いつでも、気絶できるように訓練訓練
やっぱりそれなりに嫉妬はしてたのだろうか、フェルセンに・・・
明日は253回目の御誕生日。謹んで御祝い申し上げますよ!
717 :
世界@名無史さん :2007/08/25(土) 03:53:09 0
遅くなりましたが。 おめでとうございます
718 :
世界@名無史さん :2007/08/25(土) 09:22:57 O
遅れましたが、ルイ16世陛下の御生誕の日を心からお祝い申し上げます。 やはり嫉妬してたと思う。でも肖像画のフェルゼンってあまりかっこよくない。美男子には見えないんだが。
719 :
世界@名無史さん :2007/08/26(日) 13:30:47 0
>>718 フェルセン、美男子には見えないね。当時の美感覚わかんないけどさ
才能だって今言われてるもの程ではないらしい。
フェルゼンなんかキライだ〜! プレイボーイだった事実が知れわたった今では 彼はルイの誠実さの引き立て役に過ぎない。
このスレ的には必見だろ。ルイ16世ネタの映画なんて。 ハイビジョン金曜シネマ 「グレースと公爵」2001年・フランス L’ANGLAISE ET LE DUC 10月26日(金) 午後10:00〜午前0:10 BS-hi フランス革命を身近に体験した一人の英国人女性の回想録をもとに製作された歴史ドラマ。 1970年代のパリ。国王ルイ16世を敬愛する英国人のグレースは、革命の嵐が吹き荒れる中、 自分の信念を貫いて生きようとするが・・・。 フランスの巨匠エリック・ロメール監督が、油絵の背景と実写の人物を CG技術によって融合させるという斬(ざん)新な手法に挑み、18世紀のパリの風景を見事によみがえらせた。
BSか・・・ 明日TSUTAYA行ってみるかな・・・
じつはあの映画にルイ16世そのものは出てこないんです。 映画自体は最高の出来なのですが、あくまで主役はグレース嬢とその元愛人 のオルレアン公爵フィリップ・エガリテですね(エガリテ役うまい!) ロメールがあの手法で「M.A」を撮ったのなら…と思わずにはいられません。 ともかく見て損はない映画です。
なるほど、明日みてみよう もしかして実話?
725 :
世界@名無史さん :2007/09/06(木) 09:30:29 0
>>720 マドモアゼル、当時の貴族社会では愛人を持つことは当たり前
いえ、貴族にとっての義務とさえいえることですのよ。
その点ではアントワネットは珍しい人物だったのだろうか
>>724 実在したグレース・エリオット夫人の回想録を原作にしていたと
思います。(封切時にせっかく買ったパンフレットが行方不明で
くわしくはわかりませんが。)
戦前、ジャン・ルノワール監督が全仏労働組合だかに依頼され製作した「ラ・マルセイエーズ」
という映画では、ルイ16世役の監督の実兄がルイに共感してすごくいい人として演じてしまい
出資者に文句を言われたとかなんとか(山田宏一の本にあった話)。
なるほどなるほど ちょっと今週は時間がないから、みれるの来週になっちゃうけど楽しみだなあ 陛下出てこないってのがちょっと残念だけどTT
729 :
世界@名無史さん :2007/09/12(水) 05:23:51 0
ルイ16世の何がアナタ方を捕らえて離さないのでつか? そんなに魅力的な人物?
庶民的な所と悲劇的な最後かな。
人柄かな〜・・・
732 :
世界@名無史さん :2007/09/14(金) 21:46:50 0
>>729 贅沢三昧に戦争三昧のルイ14世、ルイ15世と違って
質素で地味な人だったのに、曽祖父世代のツケを払わされる理不尽さかな
財政にトドメさしたのはルイ16世によるアメリカ独立戦争支援だけどナ
ぜひ一度同じテーブルに向かい合って世間話をしてみたい
>>732 本人は質素で学問熱心かもしれないが
財政苦しいのに妻の散財を許したりアメリカ出兵したりで
やはりダメ君主
736 :
世界@名無史さん :2007/09/15(土) 01:25:17 0
>>735 彼がアメリカ出兵したおかげで
現在のアメリカはあるんですが。
>>736 この場合はフランス国王を動かしたアメリカの独立運動家達を褒めるべきでは。
738 :
世界@名無史さん :2007/09/15(土) 03:20:20 0
>>737 どうしてそうルイ16世を卑小評価するのかな。
!わかった、あんたオルレアン公爵でしょう。
ルイ16世を陥れて死刑判決に一票を入れた後
自分もギロチン判決受けたけど、どんな気分だった?
>>736 自国を犠牲にして他国の独立支援?
ダメ君主の典型すぎw
私人としての人柄は二の次
だがそれがいい
アメリカの独立支援はイギリスに打撃を与えるためなので その判断自体は間違っていない。 だが戦費で財政が傾いたこと、 フランスの自由主義者がその影響を受けたこと 何より独立したアメリカが貿易ではイギリス重視を続けたこと フランスにとっては特に利益にならず、イギリスの打撃もたいしたこと無かったからな。
742 :
世界@名無史さん :2007/09/17(月) 00:24:23 0
>イギリスの打撃もたいしたこと無かったからな。 ふうんw
十六世はよう頑張ったよ
>>742 フランスが期待してたほどにはって意味
アメリカの独立後も主要貿易相手はイギリスで
フランスが取って代わることは無かった
おまけに幸か不幸かイギリスはアメリカ経営や派遣してる軍の維持費が要らなくなったw
大英帝国はこれ以降ナポレオン戦争を経て全盛期に向けて駆け上がっていくわけだが。
>>744 >アメリカの独立後も主要貿易相手はイギリスで
植民地時代には米国に法外な税金ふっかけてウマーだったのが
独立してしまってからはできなくなった。
米国の独立は大英帝国治下の植民地に、
俺たちだってやれば英国から独立できるかも、っていうヤル気を起こさせ
大英帝国の威信が静かに斜陽になっていった。
威信低下が表面化するのは第一次大戦後 インドが独立して大英帝国が崩壊するのは第二次大戦後 ルイ16世には何の助けにもならないよw
>>745 いや、植民地時代も法外な税金なんてふっかけてないから。
ボストン・ティー・パーティ♪
税金かけてなかったっけ
ボストンティーパーティて実は税金じゃなくて 東インド会社が余剰在庫の茶をダンピングして市価の半値で売ろうとして アメリカ人が怒ったんだがw
>>749 いままでかけてなかった税金かけようとしたら大反発くらったんで撤回。
ってのを二度ほど繰り返した後で茶のダンピングやろうとしたのをきっかけに独立戦争勃発。
752 :
世界@名無史さん :2007/09/19(水) 22:57:18 0
累代の王様の中では愛妾を持たず 国家の予算の浪費を抑えた人だったんだけどなぁ
753 :
世界@名無史さん :2007/09/19(水) 23:48:29 0
しかし こいつは弁護できない オーストリアに祖国を売ろうとした売国奴 これがなければそんな悪いやつじゃないとおもうが
754 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 17:57:03 0
>>752 興味なかっただけじゃないの?
好きな狩猟には惜しみなくお金を使ったし
寵臣(妻の)に与えた年金額を考えても
質素だったとは思えない
755 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 18:26:51 0
国王と俺ら一般人との金銭感覚を一緒にしちゃ駄目でしょ。 本人も赤字財政自覚して何度か財政改革を志したが 残念ながら失敗(途中で挫折)ばかり。
756 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 19:33:59 0
>オーストリアに祖国を売ろうとした売国奴 臣民が暴動を起こしてフランスが無秩序状態になったから 后の実家に援助を求めただけ。今の国民の感覚で王の言動を糾弾する方がおかしい。
>>756 というような考え方をしてしまう時点で既に、時代の空気を読めてないんだな。
758 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 20:15:03 0
>>756 嫁の実家を頼って逃げよう
と
考えた時点で
フランス国王失格
759 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 20:23:41 0
ノブレス・オブリージュの基本は 人の上に立つ者は かっこよくなくてはならない 八頭立ての馬車に 酒と食料をしこたま積んで 動きが取れなくなって取り押さえられる 下僕姿の国王 なんて 古代でも中世でも現代でも勤まりません
>>756 当時のフランス人は"今の国民の感覚"を持っていたわけですか。
761 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 21:19:56 0
>当時のフランス人 そりゃ「国民国家」の先鞭を切った連中だもん。
762 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 21:31:37 0
まあ、王の命を奪ったギロチンの周囲で狂喜乱舞するような愚民にはなりたくないな。
763 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 21:34:27 0
>>762 国民の教育は「国民国家」がなしえたものなのであって
絞るばかりの専制君主が
愚民呼ばわりするのは筋違い
『悲劇の王妃 マリー・アントワネット』(前・後編) 再放送決定!2007年10月3日(水)、10日(水)19:00〜19:45 18世紀、フランス最後の王妃であり、37歳で最後はギロチンにかけられ処刑された女性、マリー・アントワネット。 オーストリア・ハプスブルク家に生まれ、何不自由ない少女時代を過ごした彼女は、そのたぐいまれな美貌と家柄から、フランス王妃の座を手にしました。 贅沢三昧な生活で庶民の反感を買い、フランス革命の引き金となった女性として後世に語り継がれてきた人物です。 しかし、実は彼女の人物像については謎が多く、現在でも様々な説が広まっています。 マリー・アントワネットとは実際、どんな人物だったのでしょうか? この番組は、これまで歴史ドキュメンタリーを多く手がけてきたフランスの大手制作会社GMTが制作したドキュメンタリー・ドラマです。 ドラマ部分と歴史的資料とで緻密に構成され、悲劇の王妃マリー・アントワネットの実像に迫ります。 ってここはアンチアントワネットが多いんだっけかな
765 :
世界@名無史さん :2007/09/20(木) 23:17:43 0
>>763 革命勃発王政打破後の「国民国家」がなしえた教育とはなんであったか。
反革命ということでギロチン死した農家の女性の言葉が物語っています。
「皆が悪口を言う国王が死んだ後、たくさんの暴君が出てきて
庶民から信仰さえ奪った」。
国民の生活に深く根ざし心の支えでもあったキリスト教の教えを奪い
シースルーの衣装を着た女性を理性の女神として崇めさせる愚行。
766 :
世界@名無史さん :2007/09/21(金) 00:24:53 0
>>765 国民国家がなしえた教育=世界史板にあれこれ書ける自由
「書きたいものを描いて何が悪い!」
口が悪い
まあ口が悪いのは認めるがw 大人になると ルイ16世と同じ種類の人間を見る機会が多くなり 自然とアノ手の人物に対しては点が辛くなる 鈍感で優柔不断 非常事態には思考停止 人の意見に流されやすくそのくせ意固地 嫁の尻に敷かれ嫁の実家の思うがまま 嫁の実家は国家の損失 あたかも本朝の皇太子の如し 最近フランス国民の腹立ちがよく分かる ギリギリまで耐えてついに爆発
アントワネットなんて政治権力にすごい執着する女じゃないし、 陰謀下手。普通の男なら懐柔できる範囲のわがまま女だったのに、 ルイは馬鹿だったからできなかったってことだ。
771 :
世界@名無史さん :2007/09/21(金) 11:42:23 0
アントワネットは享楽的過ぎて 対フランス政策には使えないとオーストリーの傑物宰相が 日記に書いてるくらいなんだけどね。 彼女が政治権力に執着する女なら、革命で殺されるようなことにはなってない。
772 :
世界@名無史さん :2007/09/21(金) 11:47:46 0
>>769 ルイ16世が皇太子→国王になったことをねたみ・そねみ・ひがみ
兄を公然と馬鹿にし、兄が結婚するとその妻を熱心に中傷し
宮廷内で陰謀を画策して兄夫婦を貶めてきた実弟が本朝と違って二人もいた
二人とも王政復古で王位に就いたが、贅沢三昧に政治的無能力で
またまた革命を起されて王位を負われたのはまさに因果応報。
知らんうちになんやエライ盛り上がっておりますね〜〜〜。(でもなぜ?) ヴァレンヌ事件にかんしてはとにかく逃亡ではなく、監禁状態の チュイルリーから脱出して国境付近に駐留していた軍と合流、メッス に国王軍の本拠地を置いてそこから全土に号令を…という計画が失敗した、 ということでしょう。 ルイ自身はギリギリまでオーストリアに対する警戒心を捨てきれず (フランス側からいえば外交上正しい態度)それがまた夫婦の上手くいかない原因だったということですしね。 ルイが意固地だったのは主にカトリックの扱いについてでは? 若いときからヒュームの英国史を読み、英国議会にも詳しく アメリカ独立戦争にも理解・協力を惜しまなかったこの立憲主義的王が 教会財産の没収や「聖職者民事基本法」等のために自国の立憲制を 心から受け入れられなかったのは悲劇。 決して空気読めないバカではなかったと思います。 優柔不断というけれど、それは誠実に穏便に事を進めようとして 現実の急展開・過激化に追いつけなかったから。 強硬策を取ればいいというものでもなく結局ルイ以外のだれがやっても 上手くいかなかったと思う。 最期に進んで一身を犠牲として国民に差し出した勇気こそがこの人の真の魅力ですね。 もっともかれの意思としては神に対して自国民が行った冒涜を償う、という意味 での自己犠牲だったようで、そのへんが現代から見ると(異教徒から見ると) ???というところですね。
現代人どころか、ルイ16世より300年も昔に生まれたマキアヴェリでも阿呆の一言で終わるだろうよ。
いろいろ意見はあるが、 十六世の性格・行動は見方によって良いとも悪いともとれる。 最期に子供に約束させた言葉、処刑直前に発した言葉、 教科書だったか伝記だったかを通して初めて知った時は本当に感動したなあ。
776 :
世界@名無史さん :2007/09/22(土) 00:04:42 0
>>774 ルイ16世の実弟二人は兄を「太った馬鹿」と嘲笑していましたが
兄の刑死後、国王の座についたルイ18世は
ロシア皇帝アレクサンドルから「太った気取りやの豚」と嘲笑されています。
ちなみに、ルイ18世が王位に就けたのは、妻の実家ですらない外国のロシアが
フランスに進軍してくれたおかげです。
革命の嵐の中妻の実家を頼って逃亡した兄を嘲笑しておいて
自分が王位に就くためにはロシアの軍隊を国内に入れる。
なんて素敵wな王様でしょう。
777 :
世界@名無史さん :2007/09/22(土) 00:44:47 0
>>776 >ちなみに、ルイ18世が王位に就けたのは、妻の実家ですらない外国のロシアが
フランスに進軍してくれたおかげです。
ルイ18世が卑怯で陰険で嫌な奴だというのは史実だけど
ロシア軍を進軍させたと言う言いがかりはあんまりだと思うな
>>771 エカテリーナ二世ぐらいの傑物だったら良かったのにな。
779 :
世界@名無史さん :2007/09/22(土) 09:01:43 O
ルイ16世に人の物も自分の物と思う根性と、根回しの能力があれば革命はのまえに改革ができてたかもね。 対立を作って果断に処することができなければ、侮りと恨みを残すだけなのに。
>>778 ロシア皇帝アレクサンドル率いるロシア軍が
ナポレオンを追い落としてくれると
王党派たちから大歓迎されてフランスに進軍したのは史実ですので。
1.宮廷内の派閥対立をコントロール出来なかった。(ニコライ2世と同じ。) 2.決断力ない。最後に聞いた意見に左右される。(チャールズ1世と同じ。) 3.事態の急転回とともに鬱病に。(安倍ちゃんと同じ。)
>>781 ルイ18世は
国際情勢の変化により復位した
のであって
ロシア政府の助けによって王位を簒奪したわけではない
現代で言うなら
スペイン国王はナチスのおかげで王位を回復した
とか
オットー・ハプスブルグ氏はソ連の手先だった
というくらいのいいがかり
784 :
世界@名無しさん :2007/09/24(月) 15:02:27 0
>>778 どうだろう。異国から嫁ぎ世継ぎをせっつかれる皇太子妃と不能で子作りができない皇太子
の状況は似ているけどね。
フランスで貴族とはいえ、王族の血を引いてない小さな公国の外国人女性を
ロシアと同じように夫無しで女王にしたか疑問。ロシアと同じように貴族や農民を押さえつけられたかも疑問。
ピヨートル大帝の農婦出身の慰安婦が皇后や女帝になれるロシアだからこそあの芸当ができた。
戦争と領土拡張は熱心だったし、フランスの君主になって色々やるのはワクテカだったかもね。
ルイ14世に続いて華麗な建造物作りに励むとかしてたかもしれない。
フランスの結婚した貴族は男も女も色恋沙汰が日常茶飯事だったけど、
王家の血筋の子を産む王妃は別だった。アントワネットもエリザベートのように皇太子は子種がないから、
気に入った色男と不倫で世継ぎ作ってもOKの許可がもらえたらよかったね。
>>783 ロシア皇帝アレクサンドルがロシアから一歩も出なければ
ルイ18世の復位がありえたかどうか。
ベルサイユに皇帝アレクサンドルを招待したルイ18世は
アレクサンドルがロシア兵を率いフランスに来てくれたことに「謝意」を表しています。
広大な領土を持つロシア皇帝がフランスに領土的野心があればどうなっていたことやら。
ナポレオンがエルバ島からフランスへ戻ってきた時
ルイ18世のために兵を挙げてくれたのはただ一人。
ルイ16世の忘れ形見のアングレーム公爵夫人。
その姪を、臨終間際のルイ18世を罵るという醜態を見せてくれて
最後まで下種っぷりを発揮。
>>784 >ピヨートル大帝の農婦出身の慰安婦が皇后や女帝になれるロシア
ピョートル大帝自体、父皇帝の実子ではない、ということは
大帝本人が認めていたくらいですから
ロシアにとっては血筋は問題ではないかと。
787 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 18:00:28 0
>>786 認めていた、というか酒の席でさりげなく聞いてみただけでは?
>>787 ああ、そうだった酒の席でさりげなく、だね。
母親のアンナ・ナルィシキンと噂のあった
某貴族に「正直に言え。お前が父親か。」
某貴族「なんとお答えすればいいのやら。私だけではありませんでしたので」
>>785 ルイ18世が卑劣で陰険な日和見主義者
であることは
誰も否定していないけどね
もっとも
王政復古当時の文献を見ると
ルイ16世もルイ18世も同じくらい人気があって(笑)
どんぐりの背比べ
大同小異
似たり寄ったり
父母兄弟全部劣悪遺伝子の集積なんでは?
処刑されなかったら多分誰も褒めてくれない
ルイ16世は「善良」だとフランス革命時代の一庶民でさえ認めていました。 しかしルイ18世となると・・・w
「善良」ねえ。ブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンとか君主の評価としては褒めてるようにみえんのだが。
792 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 21:36:28 0
安倍ちゃんだって悪い人じゃないよ!お人よしだなw ルイ16世は、財政再建。行政改革には熱心です。 それを邪魔するのは第U身分の貴族階級の連中、つまりこいつらが 抵抗勢力、自分達の特権(免税特権だけじゃないYO!)や 行政上のポストが減る。高等法院(最高裁)の権限が縮小される。 などの事態に第U身分が反発、王権vs第U身分(貴族層)の争いに。 ルイ16世は自分の側近に第U身分がいる為抵抗勢力を切れなかった ようですな。小泉みたいな非常さが足りないのでしょうね。 こういう場面ではアタマの良し悪しは関係ないみたいですね。
>>792 批判を受けたときのアベのヒステリーぶりがイヤだった。
ルイにはそういう小人物的言動はありません。
批判されても「自分が悪かったのだろうか」と内省するのみ。
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/news/1144505749/ 【田川陽介】 ルイ16世 処刑台でも国王の威厳 【地獄の断頭台】
1 :独自 株価【4000】 @サリバンφ ★ :2006/04/08(土) 23:15:49.36 妹 ID:???0 株主優待: ルイ16
世、処刑台でも国王の威厳= ... フランス革命で1793年にギロチンで処刑された国王ルイ16世の
最後の瞬間を間近で見守った処刑執行官の手記が、6月7日に ...
こんなスレあったんだなあ
執行官サンソンだっけ
パリの累代の処刑執行人のサンソン親方の子孫は 現在もフランスにいらっしゃって 「祝!フランス革命○周年」イベントには呼ばれるそうですが 自由!平等!博愛!の革命家たちの子孫は 処刑人サンソンの子孫だと知ると、露骨に避けるそうです。 結局、人間って自分より上の人とは平等になりたいけど 下だと思ってる人間とは平等にはなりたくないもの、なんでしょう。 博愛思想なんて持ち合わせていない革命家たちに 殺されてしまった陛下、犬死だったかもしれませんね。おいたわしい。
仏王家の筆頭継承者はインド人?=「ブルボン」名乗る一家が実在
【パリ8日時事】太陽王ルイ14世らを生んだ欧州の代表的王家の一つ、フランス・ブルボン家の筆頭継承者が
インド人である可能性が浮上している。インド中部のボパール郊外に「ブルボン」を名乗る一家が実在するためで、
これを題材にした歴史小説「ル・ラジャ(ヒンディー語で王の意味)・ブルボン」が今、仏国内で3万5000部と
売れ行きを伸ばしている。
この小説の著者で、自らもギリシャ王家の末裔(まつえい)であるパリ在住の歴史家ミシェル・ド・グレース氏(68)は
2005年11月にインドを訪れて一家と面会した。その結果、「一家はブルボンの子孫だと確信した」と話す。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007100800176
おいおい待て待て・・・
798 :
世界@名無史さん :2007/11/03(土) 12:06:22 0
どおんな根拠で・・
799 :
世界@名無史さん :2007/11/27(火) 04:27:02 0
ルイ16世もヴェレンヌ逃亡事件でベルギー方面ではなく、 後に王党派の大反乱が起こるブルゴーニュ半島やヴァンデに逃げたら どうなっていたでしょう? 奥さんと子供はオーストリア領ベルギーに逃がしてしまい。 ルイ16世はパリに留まるか、地方の王党派の力が強い所にバックレレば いいのでは? 農村部ではなく、フランス第2の都市リヨンでも革命後は市長はジャコバン派 でしたが、市議会は王党派が多いでしょう。リヨンではサンキュロットと王党派 がやり合ってるけど、どちらかと言うと王党派が勝っている感じ。 国王処刑後でもジャコバン派のリヨン市長を王党派がギロチンで処刑してるし、 ブルジョワとリヨン周辺の豪農?がサンキュロットへの反感で王党派に肩入れしてる。 ルイ16世は革命開始後でも、パリ以外の地域と上手く連絡を取れれば パリ市内のジャコバン派とサンキュロットの勢力を押さえ込めたのでは ないか?と考えるけどね〜 8月10日事件以前にはフイヤン派もいたし、95年には王党派(ふくろう党:秩序党) がパリしないの議会と政府を攻撃するまで力があったんだからルイ16世がもっと 生き残る事を考えるべきだったのでは? しかしヴァンデミエール王党派反乱事件でどうしてパリ市内にあんなに 王党派が大勢居たのだろう?どうやって王党派は動員したの?
800 :
世界@名無史さん :2007/11/27(火) 06:46:04 0
>>799 そんな手際よく反攻組織つくれるほど有能ならそもそも革命起こされてねーよ。
802 :
世界@名無史さん :2007/11/27(火) 14:09:29 0
ヴァンデの反乱で指揮を執った貴族たちは、8月10日事件の生き残りで チュイルリー宮殿に篭城したけど何とか逃げ出した人たちだろ。 8月10日事件ではスイス人連隊(900人)や貴族(300人)が全員殺された訳でも無いようだ。 8月10日事件で議会に逃げずに断固チュイルリー宮殿に篭城してサンキュロットと 戦う姿勢を見せれば勝敗は違う可能性があったのではと思うし、 家族はともかく、案外、ルイ16世がヴァンデに逃げ出せた可能性もあるのでは? 革命戦争でも92年当時の北部方面の司令官はラファイエットだし陸相は デムーリエだし、革命の行き過ぎに危惧するラファイエットは8月10日事件 以前より軍部グーデターによるジャコバン潰しを考えていた。 8月10日事件直後はマジに実行しようとした。 ラファイエットの軍部政治構想は、ナポレオンより先だと思う。 ジャコバンの勢力は結局パリのサンキュロットに依拠するだけで地方には まだ王党派が多いのでヴァレンヌ逃亡事件さえ起こさなければ地方の王党派 を上手くパリに持ってこれれば何とかなったと思うし、それってそんなに 難しいことかね?平民ならともかく国王がやれば無理は利きそう。
803 :
世界@名無史さん :2007/11/27(火) 18:58:41 0
>>628 無知を承知でお尋ねします。
英語でルイ16世も事を指す場合、ルイス・シックスティーンと言うの
ですか?
国王の場合は名前はそのままフランス語読み 「ルイ・ザ・シックスティーンス」ですな。名前+the+序数ね。 真ん中のtheは表記されないけど。
805 :
世界@名無史さん :2007/11/28(水) 04:18:55 0
三部会開いて貴族達への加税認めさせるお! |┃ | │ ┃| / / / ( / ノ⌒) |┗━━┷━━┷━━┛| / / / / / / ( ,/ |───‐-‐‐‐ー─‐‐─‐┘ ___ ./⌒`ヽ/ ./ / / |───────── /_ノ ヽ、.\/ _ \ / / | 〇 第3身分 ./(●) (●) \ / \ ヽ' / ←財政赤字に悩むルイ16世 |________/ (__人__) \/\__.入__ノ │ │[=.=]| | ノ ノ | └──┴──┴─ヽ、_`⌒'´ ..__/ / \//  ̄ ̄ ̄/ / / // / / / (_/ \ / / / I \ (_/ ↑ 増税分の税収入
806 :
世界@名無史さん :2007/12/01(土) 06:46:03 0
>>623 8月10日事件厨です。
あのチュイルリー宮殿での戦いは、マジで萌えますね〜
連盟兵やサンキュロット2万人が攻撃して、国王側がスイス人衛兵と貴族の
部隊1200人防衛する戦い。宮殿には大砲5門が装備されていた。
言われてるほど革命側の圧勝では無い様だけどね。
ナポレオンが若い頃近くでこの戦いを見ているんだよ。
ナポレオンいわく「ルイ16世がもし先頭に立ち断固戦う姿勢を示したら国王側が
勝っていただろう」ってね。
革命勃発後も実は王室側は近衛隊を保持していた。
貴族中心のメンバーで新たに革命後結成され、6000人の兵力と騎兵600騎
の兵力で構成されていた。将校はほとんど貴族ばかり。
92年5月27日に議会の決議により近衛隊は解散され、その後の8月10日事件で
はスイス人衛兵隊がメインに戦っている。解散されたメンバーはナニやって
いたんだろうね?議会の近衛隊解散決議は国王の拒否権で拒否されている。
近衛隊6000人がチュイルリー宮殿を守れば革命側の攻撃を防ぐ事できたのでは
悔やまれる。
ルーブル宮殿とヴェルサイユ宮殿がうんこだらけだったことの方が衝撃的でした
808 :
世界@名無史さん :2007/12/03(月) 02:11:55 0
>あのチュイルリー宮殿での戦いは、マジで萌えますね〜 最近の研究ではスイス人衛兵隊900人は途中でルイ16世の命令で発砲を止めた のでは?宮殿防衛のためにルイ16世は実は何も命令していないのが最近の 切だと思う。それでデモ隊や連盟兵が宮殿内に乱入して虐殺を働いたと言う 説だと思う。発砲を止めるまでの戦闘はかなり激しくサンキュロットの方が 被害が多かったとか、それもあり宮殿内で虐殺が行われたようだ。 >貴族中心のメンバーで新たに革命後結成され、6000人の兵力と騎兵600騎 そんなに人数多かったっけ?1200人ぐらいでは?確かに騎兵は600騎ぐらい。 >連盟兵やサンキュロット2万人が攻撃して、国王側がスイス人衛兵と貴族の >部隊1200人防衛する戦い。宮殿には大砲5門が装備されていた。 当初は、パリの国民衛兵隊2000人が主力としてチュイルリー宮殿を防衛 する予定だった。パリ市内の比較的保守的で法律家の多い地域の国民衛兵隊 を宮殿に集結させた。しかしパリの国民衛兵隊司令官で王党派のマンダ候が 宮殿防衛司令官として指揮していたのに、パリの反乱のコミューンに呼び出 され殺されてしまいそれ以降パリの国民衛兵隊の統制は取れなくなり、 サンキュロットのデモ隊が宮殿を取り囲むとパリの国民衛兵隊はサンキュロ ット側に寝返り宮殿の門を空けデモ隊や連盟兵を宮殿内部に入れようとした。 そのときにスイス人衛兵隊が発砲を開始し、宮殿を巡る戦いが始まった。 もし国民衛兵隊2000人がチュイルリー宮殿を防衛したら戦局はかなり違っていただろうね。 > 解散されたメンバーはナニやっていたんだろうね? たしか近衛隊の将校は国内に残りチュイルリー宮殿防衛に参加している。 しかし兵隊は、国外に逃亡したんじゃなかったけかな? ドイツだかに居て給料はまだ王室が払っていた記憶がある。
809 :
世界@名無史さん :2007/12/03(月) 19:16:59 0
>>144 >>190 >>773 メッツに拠点を作り反撃しようとしたルイ16世は、ヴェレンヌ逃亡事件を
国外逃亡事件に刷りかえられてしまい政治的にジャコバン派追い詰められ
てたのが実情ですね。
パリから逃げ出そうとしたルイ16世の決断は正しかったと思います。
が、ワザワザ敵であるオーストリア領ベルギーやドイツの近くの小都市に
拠点を構えるのは政治判断としては?
90年あたりから王党派の反乱が始まっているヴァンデやブルゴーニュ地方、
南部の王党派が多数派であるプロバンス地方やリヨン・ツーロンなどに
王党派の拠点を作れるべきではなかったかと言う事です。
王弟のアルトワ伯はプロヴァンス地方で王党派の軍隊を結成してますね。
それにフランス陸軍にはジャコバン派のイデオロギーが入り込んでしまいましたが
海軍は貴族の将校が多く王党派が多かったと聞いており、
海に近い拠点であれば海軍を王党派に引っ張り込み反撃に出れるかもしれません。
そういう意味でヴァンデは王党派の拠点としては良い立地かもしれません。
まあ、万が一軍事的にどうにかして反乱鎮圧できたとしても破綻した王国の財政問題は解決しない、どころか悪化しまくるだけなんだけどな。 さっさと国外逃亡して余生を送る以外に平穏な死に方は無理だな
811 :
世界@名無史さん :2007/12/07(金) 00:09:44 0
↑の答えは、
>>170 :世界@名無史さん :2005/07/20(水) 16:07:54 0
1790年の状態で均衡保っていればなぁ。強力なイデオローグといえばミラボー。
彼の死後はバルナーヴとか。まあルイ自身が立憲君主制を内心否定していたのも
大きかった。彼の考えによれば最大の失敗は「聖職者民事基本法」を承認してしまった
こと。これに懲りて以後拒否権乱発したんじゃないか?まあ旧制度の赤字はこの
法で没収された教会財産で一息ついたわけだが。
と言う事になるな〜
それに完全に王党派と革命派で国土が分割されるほどの内戦になれば、
そのドサクサで財政赤字もどっかに行っちゃうよ。
もしかして内戦の過程で教会・修道院財産を双方で押領して財政再建
しちゃうかも、日本の戦国大名みたいだなw
アメリカの双子の赤字と同じ、ブッシュ大統領だって金返す気無いでしょうね!
サブプライム問題でとんでもない事になっているけど、
アメリカは社会革命起きないのかね?あんなに富の偏在がすごいのに。
フランス革命も1788年8月16日にブリエンヌ蔵相がデフォルト宣言して
国債の強制割り当てを行い今後は5%の利払いの国庫証券を発行しそれ
により支払いを行うと宣言した。
まるで5年前のアルゼンチンだねw
このデフォルトや国庫証券支払いにより取り付け騒ぎや暴動が発生し
ブリエンヌ蔵相は更迭、ネッケルが蔵相に復帰した。
しかし国庫にはマジで現金が無く、三部会の議員にも給与が支払われなかった。
結局、宮廷のアルトワ伯とプロヴァンス伯は1789年にネッケルを再度解任し
国庫のデフォルトを再度宣言し不換紙幣による強制支払いを開始しようとした。
これをやられると完全にレジーム体制下の特権的な王権に寄生した
ブルジョワジーは完全に破綻する。
ま〜何とかして宮廷の破綻政策をと止めさせ、宮廷貴族や王の親族から
国家財政の中枢を守らなければならないと言う意識をブルジョワに植え
つけたのがフランス革命の発火点です。
812 :
世界@名無史さん :2007/12/08(土) 01:22:09 0
ヒトラーはどんなに旧王家とつながりできても、 君主制を復活させる気など毛ほどもなかったとシュペーアも書いてるし、 自分でも「自分と血がつながってるというだけで取り立てたりしない」 みたいなことを言ってた共和主義の鑑のような人物だ。 共和制だからといってイコール人権重視や平和主義を意味しない 良い見本だな。 ポルポトやロベスピエールも同じだし。
813 :
世界@名無史さん :2007/12/16(日) 17:09:20 0
マリー・アントワネットはフェルセンが愛人を大勢持っていることに対してどんな 感情を持っていたのか気になります。ルイ16世はフェルセンの存在を認めては いたようですが。
貴族に純愛はない。
815 :
世界@名無史さん :2007/12/18(火) 03:12:04 0
フェルセンはスウェーデンの工作員ですよ! シンガンスみたいなモノw
ロマンも何もないけどそれが真実なのよね
817 :
世界@名無史さん :2007/12/20(木) 04:10:58 0
ま〜シンガンスよりフェルセンの方が工作員としては腕は上ですね。 北朝鮮の工作は橋本派が崩れてからボロボロ出るは出るはw 北朝鮮の工作がばれなかったのは野中広務のお蔭でしょうね。 警察に圧力掛けて捜査止めたんでしょうね。 後藤田も関与したみたいだし 野中も北朝鮮の工作員ですね。 それはともかく、フランス革命勃発時には反宮廷貴族で結束していた ブルジョアジーが革命進行につれて内部分裂するのは困りましたね。 地方貴族系大地主vs武器商人の対立は、革命戦争勃発で顕在化。 革命当初は宮廷貴族と対決した地方貴族も革命についていけずに 反革命的な王党派逆戻り、地方で農民と大反乱です。 地方貴族も、封建的特権の有償廃止と教会・修道院領の買収で所有地を 広げた方も多かったとか、革命当初は儲かったんでしょうね。
818 :
世界@名無史さん :2007/12/20(木) 04:38:34 0
フランス革命後の状況は中華の文化大革命に似てますね 文革派同士で潰しあって林彪がやられ四人組がやられ 気付いた時には華国鋒は少数派になっていて 文革で打倒されて復活した老幹部連中に倒されてしまった フランスで王政復古が成功してたらの話だけど
819 :
世界@名無史さん :2007/12/22(土) 03:04:28 0
なんににても、フランスと中国の共通点は多い
820 :
819 :2007/12/22(土) 03:06:34 0
なんににても ってなんだよ・・・もう寝よう・・・
821 :
世界@名無史さん :2007/12/23(日) 02:56:09 0
アンシャンレジームは宮廷貴族が中心でしたね。 宮廷貴族+特権商人>法服貴族>地方貴族 という力関係。
とりあえず… 明けましておめでとうございます。 今年も陛下ファン一直線で行かせて頂きます(笑
おくればせながら…同じく今年もルイ16世バンザイ!!!です。 オズーフの「ヴァレンヌ」の翻訳でないかな…。
824 :
世界@名無史さん :2008/01/09(水) 19:22:47 0
825 :
世界@名無史さん :2008/01/11(金) 23:05:21 0
_■_ (・Ω・)ノノノ! マドモォアゼ〜ル! ( ^ω^)全部自演ということはないお
826 :
世界@名無史さん :2008/01/21(月) 12:47:35 O
処刑age 黙祷(__)
827 :
世界@名無史さん :2008/01/21(月) 22:25:50 O
黙祷
828 :
世界@名無史さん :2008/01/25(金) 09:11:55 0
やっぱり、ルイ16世が妾をほんとに持たなかったのかどうか気になるなぁ。 マリーテレーズの替え玉説すごく興味あり。DNA鑑定しないのかな?
829 :
世界@南無三 :2008/02/03(日) 00:37:54 0
830 :
世界@名無史さん :2008/02/11(月) 04:32:09 0
831 :
世界@名無史さん :2008/02/11(月) 05:11:39 0
因みにAXAの社長はルイ16世の後に描かれているキャストゥル侯の子孫。
何で日本ではラ・ペルーズ海峡っていわずに宗谷海峡っていうんだろうね。 ルイ16世もオカンムリだよ。
833 :
世界@名無史さん :2008/02/11(月) 16:00:56 0
>830 16へぇ。 ディエンビエンフーで捕虜になったフランス軍の司令官が この人の子孫ってのはなんかで見たことがあったけど。
834 :
世界@名無史さん :2008/02/11(月) 16:10:48 0
間違えた>831だったゴメン。 この時代にも生命保険があればな〜
その優しいルイおじさんをどうするつもりです?
手術して一皮剥きます。
路易 性格优柔寡断,即位后多次更换首相和部长,任由内阁内讧,从激进的改革到保守的节俭措施,政策变化无常。十六
玛丽·安托瓦内特
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840 :
世界@名無史さん :2008/02/23(土) 20:06:46 0
BSハイビジョンで、ルイ14世のドラマをやっていた。 見た人は?セックスシーンがいくつか出ていて、nhkで包装しても よいのかという内容だった。 その中で、14世が身勝手な人物として、描かれていて、ベルサイユ建設 の時に国民を犠牲にしていたと描かれていた。確かに、そんな面はあったかも しれないけど、あの工事のおかげで職人の仕事が増えて得をしたことも あったかもしれない。いくら厳しくして始皇帝ほど悪くないだろうし。 それに、力を持った権力者=悪というのも、一昔前のマルクス主義歴史観と いった感じで短絡的?
そうでもないだろ。 贅沢三昧と対外戦争で放漫財政・財政破綻というフランス革命の遠因を作ったんだから。 そのツケを全て廻されたのがルイ16世な訳だし。
842 :
世界@名無史さん :2008/02/24(日) 11:27:39 0
ルイ14世ならまさにギロチンが相応しかった。
教育制度の普及とかプラス面もあるがマイナスもある
844 :
世界@名無史さん :2008/03/02(日) 01:18:02 0
でも、総体的にみるとプラス評価なんじゃないのかな。 あの時代は“偉大なる御世”とか謂われてんでしょ?
亡命未遂をあの状況でした時点で君主としてはどうなんだろうね。 だから一家のパパであって一国の君主にはなれなかった人のイメージがついた。 ただ自分はフランス革命は思想と理想がつっぱしった未熟な革命であり、その中で処刑された国王夫妻も その後、笑えなくなったという王女にも同情する。
846 :
世界@名無史さん :2008/03/02(日) 11:45:11 0
革命はいつも見切り発車。交差点に残された者は容赦なく轢き殺す。
しかし、フランスってやたら内乱多いよな。 百年戦争以降でも直後の公益同盟戦争とかユグノー戦争とかフロンドの乱とか。 しかも反乱の大半に王族が関わってるという。
今のフランスで王政復活を望んでる人ってどれくらいいるのかな?
849 :
世界@名無史さん :2008/03/04(火) 02:00:41 0
>>844 14世の積極進出政策が財政赤字を作ったのは事実。
最悪なのは15世、北米の植民地をほぼ喪失してさらに莫大な財政赤字
にしてしまったのがこの御仁。
もっとも戦争自体が公共事業とすればどう見ればよいのか・・・
850 :
世界@名無史さん :2008/03/04(火) 02:20:33 0
>>846 それ、何かからの引用?
面白い表現ね。気に入ったわ。
851 :
世界@名無史さん :2008/03/04(火) 02:38:18 0
単なる無能なオッサンだろ、殺されたのも自業自得
>>849 >最悪なのは15世
G・P・グーチの伝記にも、擁護の余地無く最悪、とか書かれてたな。
>>847 >フランスってやたら内乱多いよな
パリで集約的にゴタゴタが起こるってパターンが多いですな。いわゆるバリケードの伝統。
エティエンヌ・マルセル、カボシュ、リーグ、フロンド、ジャコバン、48年、パリ・コミューン、68年5月・・・
853 :
世界@名無史さん :2008/03/05(水) 20:05:02 0
革命中はパリでのゴタゴタよりも地方での死者の方が多い 農民が革命軍に殺されまくるヴァンデの乱とか
854 :
世界@名無史さん :2008/03/07(金) 00:06:09 0
パリをつぶしたら内乱が起こらなくなるんじゃなかろうか? 首都はストラスブールかニースあたりで良いだろう。
855 :
世界@名無史さん :2008/03/13(木) 23:24:43 0
革命中フランスの地方で内乱が起きたのは 革命政府がキリスト教信仰を否定して 理性の女神なる人間の女にギリシャ風の衣装を着せたものを拝ませたりしたから。 これはキリスト教信仰の元、冠婚葬祭全てを教会で行ってきた農民たちの生活を根底から 揺るがすほどのことで、当然猛反発して決起した。
856 :
世界@名無史さん :2008/03/14(金) 00:37:03 0
綺麗な女性に綺麗な衣装を着させて女神としたてた。 それを見た市民は、ほんとうに女神様がいたのだと驚いた というのがあった希ガス
857 :
世界@名無史さん :2008/03/14(金) 01:28:03 0
フランスってのはみんなやりたい放題でgdgdな社会だろう。 ルソーの時代から現代思想までなんであれだけ思想が必要なのかってことだ
英米圏に比べると行政権が伝統的に強い、 故に国家と個人の間のコミュニティの力が比較的弱い、 結果、自分の庭のことにしか興味がありません式の個人主義が幅を利かせやすい という流れじゃあるまいか?
859 :
世界@名無史さん :2008/03/22(土) 19:26:05 0
>>853 戦争の犠牲者数が鰻登りに増える時代でもあったからな。
>>859 うーん、ちょっとその表現には抵抗は・・・・・
フランス革命での犠牲者は確かに多いが、それでも100万は言っていない。
その150年前のドイツ30年戦争では、人口が1800万から700万まで減ったからあねぇ。
この30年戦争でさえも、史上最悪の三国志の世界の地獄には及ばない。5000万人
から1000万人以下まで減っている。それ以前の時代でも上には上があるよ。
861 :
860 :2008/03/22(土) 21:17:42 0
失礼。対外戦争を入れれば余裕で100万を超えていた。それでも、30年戦争には 遠く及ばないが・・・・。
例の大木に沢山人がぶら下げられた版画のやつね。
938 :↑:2008/04/12(土) 22:50:17 0 二日前にルイ16世の食器も競売に掛けられたよ。
864 :
世界@名無史さん :2008/04/23(水) 09:10:31 0
ルイ16世は、学者の計算によると、三日に一回は狩りをしていたという。 16世の日記が残っているが、革命直前の部分も狩りのことばかりで、狩りをしなかった日には、 例えば「1789年7月13日、何もなし」「7月14日(空白)」。 ところが、この7月14日はバスチーユ牢獄が民衆に奪われ、革命が勃発した日である。 つまり、16世は政治などにはまったく無関心だった。 「彼は頭を使う仕事にはすぐ疲れた。枢密会議では、居眠りをしている」とある歴史かも記している。 国王がこんな状態では国政が正しく運営されなかったのも当然である。
865 :
世界@名無史さん :2008/04/24(木) 22:40:54 0
>彼は頭を使う仕事にはすぐ疲れた 錠前作りだって頭使うぞ。
趣味にかけての情熱はまた別だったのでは? 王妃も一緒に連れて狩猟に出かけてたようだけど、王妃の話では落馬して馬の下敷きになっても まだ狩りを続行したそうだ。
867 :
世界@名無史さん :2008/04/30(水) 07:00:52 O
感受性が鈍かったから処刑になる前の日も落ち着いていられたみたいね。 こういう人ってある意味幸せなのでは? 鬱とかとは無縁な性格なんだろうね。
なんでこんな小物を万歳してるの? 意味分からんこのスレ。 処刑されたから同情でもしてんの? 駄目な男と結婚する優しい女の心理?
突然なに?ルイ16世にジェラシー感じてるの?
870 :
世界@名無史さん :2008/05/01(木) 16:20:01 0
>>867 感受性が鈍かったのは生まれつきではなく、自分自身に自信がなく、常に自分を殺して欲求などを抑圧して
生きていたから、自分で自分の感情を偽っている内に自分の感情を無くしていった(無意識下に追いやった)
のかもしれないな。欝とは無縁なのではなく、実は欝そのものだった可能性もある。無気力なのは欝が原因。
また錠前作りや狩りは現実逃避の手段。
>>869 だって時計いじりが趣味で短小で民衆から愛想つかされて処刑されたバカだよ?
どこに万歳する要素があるの?
徳川家重万歳とか言ってるのと同じじゃん。
万歳するなら太陽王のルイ14世とかの方がまだ分かる。
ステレオタイプな思い込みは良くないよ。
この時代に王になったのが不幸だったというか・・・
874 :
824 :2008/05/03(土) 06:47:28 0
みんな優しいんだな… 馬鹿にする様な事を書いちゃってゴメンネw
875 :
世界@名無史さん :2008/05/04(日) 12:48:00 0
大体のところは読んでしまい、もう読む本が無くなってきた。 何か、お勧めはありますか?今は、マダムカンパンの回想録(洋書)を 気合で翻訳しながら読んでます。 陛下の命日には、ささやかながら、一人でお祈りを捧げました 王妃の時もです。
876 :
名無史さん :2008/05/04(日) 13:00:11 0
結局ルイ16世は王族に生まれたのが不運だった。細工職人の家に生ま れれば無口だけど腕のいい職人で、お見合いで結婚し子供が生まれれば いいお父さんで案外本人も幸せな一生を送ったかもしれない。
877 :
世界@名無史さん :2008/05/04(日) 13:04:26 0
我らがヒトラー総統や同志スターリンの10分1の気概があればフランス革命なぞ 乗り切れただろうに。 やはりのろまの大愚図だな。
878 :
世界@名無史さん :2008/05/04(日) 18:45:49 0
>>864 ツワイクの「マリー・アントワネット」を読んだら?
後知恵で、歴史上の人物を馬鹿にする態度をその日記を例にして
批判していたよ。
幽閉された時は 役人からどんな嫌がらせを受けても毅然とした姿勢を見せてるが、 処刑前に手を縛ろうとした時だけは取り乱して抵抗したようだ
880 :
世界@名無史さん :2008/05/05(月) 21:16:41 0
>>878 その辺りは、読み尽くしちゃったんです。でも、ありがとう。
絶版本から何から、結構持っているんですよ。でも、もっと読みたい。
王妃の本ってたくさんあるけど、陛下のって少ないですよね。
マリーアントワネットを訳した、翻訳家の先生と知り合え、いろいろ資料は
頂くのですが、陛下に関して少ないので。
何かないかな?
883 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 10:58:05 0
>>881 これ、新聞にも出ていたので、検討中なんですよ。
>>882 感動しました!動画の最初の方で聞こえている歌、何と言うタイトルか分かる
方いたら教えて下さい。
遥か昔に聞いた事があるような、初めて聞くのではない、懐かしさがあるのです
が、タイトルが分かりません。
陛下は、没後215年たった今、こうしてフランス国民が行進している事
を、どう思っていらっしゃるのでしょうね?
現代の王党派とは、何を持って王党派なんですか?
自己の意識の問題ですか?
884 :
世界@名無史さん :2008/05/06(火) 11:42:22 0
まあ、歴史マニアが佐幕派とか、豊臣びいきとか言ってるようなレベルでは?
885 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 18:08:48 0
>>871 戦争とベルサイユとユグノー弾圧により
子孫にたんまり借金残した人を「万歳」ですか?
フランス史を1から勉強してくれ。
886 :
世界@名無史さん :2008/05/07(水) 23:21:45 0
ルイ14世とルイ15世の散財が、一番の革命の原因の気がします。 16世陛下のアメリカ出兵も、王妃の散財も、二人の王の散財に比べたら、 遥かに少ないとか。 民衆の、積もり積もった不満が、16世陛下の治世で爆発したんですね。 私は、陛下が愚鈍だったとも思いません。 長男ではなかった為、帝王学を学ばないまま、国王になってしまった問題 などが、こういった結果を導いた一部なのはあると思いますが・・・ 数ヶ国語を解し、ギロチンの歯の形を斜めにしたのも陛下。 よく、錠前作りや、狩ばかりしていたといわれますが、当時の王侯貴族は 手に職があって当たり前だったそうで、王妃様のオーストリアの兄弟も いろいろ手に職があったそうです。料理なども出来ないと恥ずかしかった そうですよ。 女性では、針仕事は必須だったそうです。 クレリーの本を読むと、陛下のお人柄や、ご家族のお人柄がよく分かりますよ。
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888 :
世界@名無史さん :2008/05/10(土) 00:59:41 0
>>886 テュルゴーやネッケルをしっかり後ろからサポートしてやれば、財政再建は無理ではなかった
はず。
それができないあたり、ストルイピンやウィッテの力を十分に発揮させてやれなかった
ニコライ2世と同じで所詮はボンクラ。
889 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 08:18:56 0
>>876 この当時の庶民の暮らしってとても貧しかったから革命がおきたんでしょう?
16世の器量では、庶民として生まれたら甲斐性なしで野垂れ死にしてたかもしれないんじゃないの。
王太子として生まれたからまだみんなからチヤホヤされていたんであってさ。
でも人より秀でた趣味があったしそれで食っていけたんじゃないの 人生そこまで甘くない・・・・のか?
891 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 13:26:02 O
革命後、侍従の人や調理人、御者、経理の人はどうなったのですか?
貴族が財政状況を理解して、課税に納得すればすんだんじゃないの?
893 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 17:26:47 O
国王一家を守っていた近衛兵の人はどうなったんですか。家庭教師や衣裳を揃える人はどうなったんですか?
894 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 17:30:19 O
國軍のほかに、大公、公、侯、伯、子、男の各爵位の貴族は軍隊持ってなかったの?
ヴェルサイユ宮殿にしろ、宮殿や館の防衛能力がないのは、平和だったからか? 城や城塞だったら、立てこもっていられただろう。
896 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 18:38:50 0
>>891 ヴェルサイユに仕えていた人たちは、一緒にパリに移ったんじゃないの?
侍従とかの中には亡命したり、引退した人もいただろう。
近衛兵はテュイルリーがパリ市民に襲撃されたとき、虐殺されたはず。
そのとき、宮廷に仕えていた人たちも逃亡するか虐殺されるかしたんだろうし、
反革命派として逮捕されて処刑された人も多かっただろう。
18世紀、フランス革命が起きるまでは、経済は良かったし、 貿易もイギリスよりも伸び率が高かったぐらいだった。
どさくさに紛れて
宮殿から 宝石・金目の物を 盗んだ奴とか
逃げ遅れた女官や貴族の嫁・娘を 強姦した奴とか
いっぱい居たんだろうな・・何が革命だ 市民だよw
そんな事をした奴らって
ちょっと革命が落ち着いた時に 裁判にかけられたりしなかったのかな?
>>895 ベルサイユとか宮殿を 放火されなかったのが不思議な気がする
>>886 ルイ16世は、度を越して錠前作りに熱中した印象があるから馬鹿にされるんじゃないの。
親戚のスペイン王とちょっと似てるかも。
>>893 近衛兵じゃないかもしれないけど、
スイス衛兵は国王一家を守って忠実に戦って、ルツェルンにその記念碑が建ってる。
俺は子供の頃、この話を読んで泣いたw
今調べたら、786名全員が死んだって書いてあった。
>>899 まあ、スイス衛兵が全滅したのはどっかのヘタレ国王が攻撃禁止してたからなんだけどな。
別に無抵抗でやられたわけでもないが、攻撃許可があればあそこまで無残に負けはしなかっただろう
まったく使えない豚だな。 スイス人傭兵を使って、長いナイフの夜のように反国王派の貴族たちを粛清していれば フランス革命も防げただろうに。
>>900 >>901 ずっと後で、国王の命令の話を読んで「ひでぇ」と思った。
そんな雇い主でも守らなければいけないとは難儀な仕事だな。よく頑張ったと思うよ。
ルイ16世は、鈍い人だったんだろうなと思う。色々な意味で。
あの頃のブルボン家の君主はこんなんばっかだね。「人はいいけど無能」って感じの
>>902 あ、それだ。一度見に行ってみたいと今でも思ってるんだ。
ルイ16世時代の借金って、歳入が5億ルーブル、赤字国債は42億ルーブル。 今の日本よりもましなくらいか
906 :
世界@名無史さん :2008/05/28(水) 00:02:57 0
何だよルーブルって。ロシアかよ。 『リーブル』だろ。
> ルイ16世は、鈍い人だったんだろうなと思う。色々な意味で。 > あの頃のブルボン家の君主はこんなんばっかだね。「人はいいけど無能」って感じの たぶん造られたイメージなんだろうな。 別に特別有能だったかどうかはまったく分からないが。 フランス革命というのは自然に起こった民衆運動ではまったくないからな。 周到に練られたクーデターだ。 一般のクーデターと違う点は「大衆動員」という要素も入っていたということだけなんだよな。 で、王夫妻に対する誹謗・中傷もクーデターの一環というわけだ。首飾り事件とか。 中傷の対象になっていたこと自体、ルイ16世が実際に政治を動かしていたということを示しているんだろう。 王妃も、発言するだけの影響力を持っていたから標的になったんだろうな。
908 :
夫婦スレ :2008/05/30(金) 18:12:27 0
909 :
世界@名無史さん :2008/05/30(金) 20:14:14 0
>>905 歳入の8倍強
貴族の年金カットでもすれば、解決できたんじゃ・・
910 :
世界@名無史さん :2008/05/30(金) 20:15:42 0
>>905 もしくは、オーストリアの啓蒙専制君主がすでにしていた修道院領地の没収とか
911 :
世界@名無史さん :2008/05/30(金) 20:28:55 0
>>907 その後の軍制改革まで予期していたのだろうか?
七月革命も、貴族出身でない将校のおかげという気がするのだが
912 :
世界@名無史さん :2008/06/01(日) 21:00:15 0
優しく誠実な性格だったのかもしれないけど 優柔不断で決断力・実行力に欠けるのも確かでしょう。 「命を賭けた恋というのを見せてやろう」と言って、自分の命を賭して 愛するアントワネットとその家族を救おうとしてフェルゼンの方が断然男だと思う。
913 :
912を修正 :2008/06/01(日) 21:01:38 0
優しく誠実な性格だったのかもしれないけど 優柔不断で決断力・実行力に欠けたのも確かでしょう。 「命を賭けた恋というのを見せてやろう」と言って、自分の命を賭して 愛するアントワネットとその家族を救おうとしたフェルゼンの方が断然男と思う。
それで御者役を引き受けて、街中でうろうろして時間くってたら世話ないな・・・
そりゃ大荷物満載の馬車じゃ通れる所も限られてたんだろ そんな荷物を全部放り出して突っ走ってたらフェルゼンも本当の男になれたんだが。
俺もルイ16世に影響されて錠前集めるようになった
>>914 でも君も女だったら16世よりもフェルゼンを選ぶだろ?
918 :
世界@名無史さん :2008/06/04(水) 16:06:10 0
>>888 ルイ十六世の時代では遅すぎると思います。
ルイ十五世は約50年統治したのだから…。
改革のチャンスはいくらでもあったはずじゃないかな?
>>892 実は、摂政オルレアン公が絶対王政→貴族政治に復活させようとしたのだが…。
3年で失敗した。
それは貴族の大半が、ルイ十四世の絶対王政化で飼い慣らされてしまい、
政治をとる、あるいは権力を握る事よりも、
王のご機嫌を取って、金品財宝を頂いたり、
刹那的に日々を遊びほうける事に慣れてしまったからなのです。
>>894 当時のフランス軍はカントン制で抽選募兵していた。
つまり全国を地方別にいくつかに分けていたんだ。
例アルトワ、ピカルディとかね。
それ以外の軍隊は禁止されていた。まぁ、理由はわかるよね?
919 :
世界@名無史さん :2008/06/04(水) 17:56:49 0
>>918 >それは貴族の大半が、ルイ十四世の絶対王政化で飼い慣らされてしまい、
>政治をとる、あるいは権力を握る事よりも、 王のご機嫌を取って、金品財宝を頂いたり、
>刹那的に日々を遊びほうける事に慣れてしまったからなのです。
自由・平等の理念にかかわりなく、ギロチンは必要でしたね
長男しか相続できないイギリスよりも過剰にいたから、口減らしは不可欠
920 :
世界@名無史さん :2008/06/04(水) 18:58:21 0
>>919 確か、フランス貴族の次男・三男は、軍人か僧侶になるって決まっていたらしいよ!!
(スタンダールの「赤と黒」だね!!)
例外は、
長男だけど僧侶になったタレーランと
次男だけど事実上家長となったナポレオン・ボナパルト
921 :
世界@名無史さん :2008/06/04(水) 23:00:35 0
>920 タレーランはどんな制度に基づいても野望を達成するんだな
922 :
世界@名無史さん :2008/06/09(月) 03:41:30 0
フランス革命は国王主導の行財政改革に既得権をもつ地方貴族と法服貴族が 反発して開始。それにオルレアン公のブルボン家分家筋の王位乗っ取り計画 が重なって世界的大事件に。 しかし一転して革命期の立憲王政派のフイヤン派は地方地主や地方貴族が ほとんど、なぜなら利権もある、つまり教会と修道院の保有農地や不動産 が強制競売され、それを買い取った地方貴族や地主層が返って逆に保有地 を広げ、小作人への重圧は増えた。 そこを批判するジャコバン派だが、ジロンド派はスルー、ジロンド派支持の ブルジョアジーも農地の購入をしているのでね。 以外にもジャコバン派支援者には金融業者や製造業(武器商人)も多い。 アンシャンレジーム期からの大地主や大商人はフイヤン派だが新興の 製造業者はジャコバン派が多い。 よく言われることだが、ルイ16世が小泉みたいな性格ならガンガンやれるけど。
ルイ16世の行った功績・成果は何か無いの? ギロチンの性能アップw
924 :
世界@名無史さん :2008/06/12(木) 00:09:37 O
アメリカが独立したよ♪
アメリカとの関税額を引き下げてもらうとか。メリットはあったのか?
926 :
世界@名無史さん :2008/06/12(木) 13:38:56 0
なかったんでしょ イギリス叩きには、いくらか功を奏したという程度では
927 :
世界@名無史さん :2008/06/14(土) 02:28:04 0
ルイ16世vsギャネンドラ国王
18世紀、フランスの経済は好調で、貿易の伸びは、イギリスを上回る ほどだった。だからこそ、対米貿易強化のためにも独立援助に 向かったのでは
>>912-915 ツヴァイクのマリーアントワネットの伝記本を読んでいるんだけど、
フェルゼンに比べると16世はヘタレとしか言いようがない。
しかしツヴァイクも16世の煮え切らない態度を事ある毎に書き過ぎな感じだが、
そこがまた読んでて笑えてしまう、嘲笑という感じの笑いだが。
ツヴァイクのは伝記じゃなくて小説じゃないのか。 あと個人的にルイが嫌いなんだと思う。
931 :
世界@名無史さん :2008/06/15(日) 10:07:00 0
ルイ鈍重王
こんど中央公論新社から出る ジャン=クリスチャン・プティフィス、「ルイ十六世 上・下」 ってどうなの?
上下巻で8000円、それにしても分厚いな? 彼の人生ってそんなに内容が無いような。
934 :
世界@名無史さん :2008/06/18(水) 21:11:48 0
>924 そーね。ルイ16世が居ないパラレルワールドでは アメリカ合衆国が存在しない確率が高いかも。
935 :
世界@名無史さん :2008/06/19(木) 12:36:30 0
プロリア:フリードリヒ大王―フリードリヒ2世 オーストリア:マリア・テレジア女帝―ヨーゼフ2世―レオポルト2世 ロシア:エカテリーナ女帝 イギリス:ジョージ3世 フランス:ルイ16世(笑)
936 :
世界@名無史さん :2008/06/19(木) 13:42:24 O
18世紀後半は各国に名君がキラ星の如く出現した。
937 :
徳川家斉 :2008/06/20(金) 21:34:47 0
そうじゃろうとも
938 :
世界@名無史さん :2008/06/20(金) 21:49:15 0
山口組との関係を批判されていた時期だな。
939 :
世界@名無史さん :2008/06/21(土) 00:02:01 0
プロリア:フリードリヒ大王―フリードリヒ2世 オーストリア:マリア・テレジア女帝―ヨーゼフ2世―レオポルト2世 ロシア:エカテリーナ女帝 イギリス:ジョージ3世 フランス:マリー・アントワネット 中国:乾隆帝(十全武功) 日本:松平定信
940 :
世界史@教師さん :2008/06/21(土) 00:29:43 0
プロリア(笑)ってどこの国?フリードリヒ大王とフリードリヒ2世 は別人なの(笑)?ところでこれ何の表?
941 :
世界@名無史さん :2008/06/21(土) 07:36:02 0
18世紀後半の列強の君主 プロシア:フリードリヒ2世(大王)→フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 オーストリア:マリア・テレジア女帝→ヨーゼフ2世→レオポルト2世 ロシア:エカテリーナ女帝 スウェーデン:グスタフ3世 イギリス:ジョージ3世 フランス:ルイ16世(笑) 中国:乾隆帝(十全武功) 日本:松平定信
942 :
世界@名無史さん :2008/06/21(土) 14:36:51 0
松平定信が日本の君主とか言うそこの人、 うろ覚えろ世界史のスレに書きなされw
大体プロシアとかオーストリアってなんだよ。 プロイセンと神聖ローマ帝国だろ。
後マリア・テレジアはオーストリア大公でベーメン女王でハンガリー女王だが女帝では ない。
>>942 941じゃないが、ここまで知ってる人があえて松平としたのは
実際に国政を担当しているあたってういる人物として将軍よか
老中が相応しいと判断したんだろ。(君主はさすがに言い過ぎか)
この基準ならイギリスが違うと思う。
しかし、16世の器量で当時のプロセインやオーストリア、スウェーデンの 君主と渡り合うのは無理だろ。
947 :
世界@名無史さん :2008/06/21(土) 21:31:56 0
939のいい加減な歴史知識でヨーロッパ君主の力量を評すのは無理だ。
948 :
世界@名無史さん :2008/06/24(火) 19:53:28 0
太宰治は「津軽」という旅行記で、津軽への帰郷の最中に友人が愛読していた志賀直哉への批判として、 志賀直哉は貴族趣味と言われているがあんなのは貴族ではない、本当の貴族とはもっとだらしがない (デカダン的?)もんなんだとか説明したした上で、とどめとして 「つまり・・・ルイ16世は究極のぶ男だったんだ!」と力説していた・・・。 戦前の日本でも「ルイ16世=ぶ男」が定説だったようすが太宰の「津軽」からうかがいしれる。
ルイ16世豚心王
950 :
世界@名無史さん :2008/06/25(水) 22:12:53 0
18世紀後半のヨーロッパ5大国の元首 プロシア:フリードリヒ大王→フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 オーストリア:ヨーゼフ2世→レオポルト2世 ロシア:エカテリーナ女帝 イギリス:小ピット フランス:ルイ16世(笑)
小ピットは元首じゃねーべ
952 :
世界@名無史さん :2008/06/26(木) 17:01:43 0
>949 ルイ16世のように個性を主張しない人物の性格を推量するのは、 ある意味ロールシャッハテストみたいなもの。 推し量る側の人間の精神が投影される。
953 :
世界@名無史さん :2008/06/27(金) 06:09:53 0
リストを作りたがる奴はアホの法則
ルイ16世昼行灯王
955 :
世界@名無史さん :2008/06/27(金) 22:36:04 0
ルイ16世が日本との交易の可能性を調査させていたことは意外と 知られていない。
ルイ16世睡豚王
957 :
世界@名無史さん :2008/06/29(日) 20:31:55 0
息子だけ、国外に逃がせばよかったものを
958 :
世界@名無史さん :2008/06/29(日) 21:21:23 0
>>955 当時のフランスに日本へ輸出するような商品があったっけ?ワイン?
ルイ16世魯鈍王
960 :
世界@名無史さん :2008/06/30(月) 16:23:18 0
ジャコバン派がやろうとしていたことって、プロレタリアートによる革命だし、 金持ちも貧乏人もいない世界を作ろうとしていたしで、実質的には共産国家を 作ろうとしていたんじゃないの?
961 :
世界@名無史さん :2008/06/30(月) 20:17:17 0
962 :
世界@名無史さん :2008/07/01(火) 15:35:59 0
>>960 ジャコバン派のスポンサー=ブルジョア
ブルジョアはプロレタリアートから搾取してナンボですw
963 :
ルイ16世万歳!!ってどお? :2008/07/02(水) 13:05:21 0
>>921 さんへ。
タレーランとルイ十六世の話題3つ。
1.タレーランの父がルイの王大子時代の撫育官で、母がマリーの女官長であったそうだ。
(だからタレーラン親子は、ルイ十六世の「聖別式(戴冠式)」に参加しているよ!!)
2.マリーはタレーランを毛嫌いしていたらしい。
僧侶なのに「放蕩」と「女たらし」だったから。
3.タレーラン、のちにギソーに次のように語る。
「フランス革命の前に生きたものでないと、
人生の快楽がどういうものか知ることは
できないだろう」
ブルボン王朝時代はよほど華やかだったみたいだね!!
最後にみなさんに…
現実やネットでは様々なやり取りがあるから…
我々も彼の視野の広さ、教養の深さ、良い意味での「図太さ」を学ばないとね!!
964 :
世界@名無史さん :2008/07/02(水) 19:33:56 0
>>918 王子時代から、地方貴族と親族が結びついての反乱に悩まされてきたルイ14世は
貴族達が地方の田舎に帰って泥臭い政治をするよりも
ベルサイユに伺候して、夜会に園遊会に賭けに情事を楽しむことを選択させるべく
わざわざパリからベルサイユに宮殿を造営し一大社交界を築いて
貴族達の牙を抜いてしまいましたからね・・・。
摂政オルレアン公の改革が失敗したのはそれだけでなく
摂政その人の人となりにも原因があったかも、です。
なにせ、摂政は実の娘と通じているという噂があって
こればっかりは、不倫乱交なんでもアリの貴族社会でも忌避されちゃうことですから。
965 :
世界@名無史さん :2008/07/02(水) 19:59:45 0
【毎日新聞・変態報道】「日本人の休日は、海外で子供たちをライフルで狩ったり女性をレイプしたり奴隷を買ったりする」
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214992488/ 毎日新聞が伝える日本人の休日「海外でレイプと人狩り」
http://news.livedoor.com/article/detail/3706905/ 果たしてこんなことを読者の皆さんにお伝えして良いのかどうか悩んでいる。毎日新聞が外国人に向けた
記事の紹介なのだが、とても嫌悪感を覚える。
記事のタイトルは、「セックス、レイプと奴隷が休日の 病的なメニューに加えられる
(Sex, rape & slaves inserted in sick holiday menu )」。
以下に翻訳したものを掲載する。
【海外旅行はイラク戦争とSARSの発生によって需要が落ち込んでいる。しかし、特冊新鮮組によると多くの
日本人がセックス、奴隷制度、そして残酷な行為をするためにアンダーグラウンド旅行として海外へ足を運んでいるという。
病み付きになっている日本人男性のために、ベトナムには強姦のブローカーが常にいる。日本人男性が女性を
レイプできるように、通りで女性を引き連れて客引きをしている。
男性週刊誌によると、エクアドルではジャングルに放たれた子供たちを、日本人がライフルでハンティングしている。
報告によれば10人の男性がこのツアーに参加し、3人の子供をハントした(弾丸を命中させた)。子供は死んではいないと報告されている。
また、日本人はヨーロッパでもアンダーグラウンドな世界に参加している。ベラルーシでは、毎月のように奴隷市場が開かれている。
「そのコーディネーターはこう言ったんだ。『お客が何を求めているか知ってるかい? 東欧や南アメリカの女はもう飽きられてる。
だから最近は黒人女性を買うのさ。もちろん、自分が楽しむためでもあるよ』。ってね。コーディネーターの仕事は、
日本に外国の女性を連れてくることさ。彼はアフリカの奴隷市場に興味があるか聞いてきたんだ。私は彼についていったよ」。
と、大阪の売春宿の経営者は特冊新鮮組に語った。
966 :
世界@名無史さん :2008/07/02(水) 21:10:33 0
>>932 陛下の伝記、本当に今月10日出るの?
確かに中央公論新社のHPには載っているけど
まだ表紙画像もないし
セブンアンドワイでもアマゾンでも未出だよ。
出たら是非とも買うけどね。
>>962 貴族を倒して赤い貴族、労働貴族がとってかわる
恐怖政治で国民を統治
正に共産国家を作り上げた訳だw
968 :
962 :2008/07/03(木) 03:33:00 0
因果関係は逆か、共産主義者がジャコバン派をまねしたのかw
969 :
968 :2008/07/03(木) 03:34:14 0
すまン 名前は967 の間違い。
970 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 08:59:20 0
三笠書房から発刊されている「世界の歴史がわかる本」のフランス革命の説明の章 ・1789年、ルイ16世は貴族の強い要求におされて、175年ぶりに三部会を招集することと、〜 ・驚いた王が貴族に動かされて議場を閉鎖すると、憤激した第三身分の議員は室内球戯場に〜 ・革命の進展に恐れをなしたルイ16世は、王妃マリー=アントワネットに動かされて国外逃亡を〜 ・これに対してジロンド派(中略)内閣は、王に迫ってオーストリアへの宣戦を布告させた。 こんな記述ばっかwww ルイ16世、君主として駄目駄目じゃん、人の意見に動かされっぱなしでw 本当に自分の意思とか指導力とか威厳とか、なにもなかったんだろねw
971 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 09:24:34 0
>>970 教科書の表面的な記述をただ鵜呑みにするだけじゃぁ、
それこそ「人の意見に動かされっぱなし」だよ。
君自身の意思で、当時のフランスの状況と国王として
可能だった行動を考えてみることだね。
972 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 09:43:55 0
威厳がないのが自分で分かっているのなら、国王ただの人間宣言をして王権神授説を自ら否定。 「君臨すれども統治せず」の制度を自ら提唱して、初めから主権を人民に譲り渡せば良かった。 それだって過去を捨てるんだから大いなる決断だし改革だぞ。
973 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 10:20:43 0
自分の意思で王権の正統性を否定した君主なんて世界史を見渡しても居らんね 昭和天皇の人間宣言だってGHQの圧力の結果だから ただの人間だと言ってしまえば「君臨」する方の正統性も無くなるわけで、 君主から進んで言い出せる話じゃないね イギリスのように立憲君主制を支持する層があれば踏ん切りのつけようもあるが そうでなければパラシュートをつけずに飛行機から飛び降りるようなものだろう
974 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 11:03:38 0
>自分の意思で王権の正統性を否定した君主なんて世界史を見渡しても居らんね つ明治天皇 現天皇家は北朝系(持明院統)なのだが、当時の南北朝正閏論争を収束させるのに 民間の南朝人気におされて南朝を正統とする勅裁を下した。
975 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 12:33:13 0
>>971 実際、ルイ16世が革命前後に重要な国政において
自ら決断して実行した例ってなにかあったっけ?
あと、バスティーユ襲撃は突然ではなく、
その前々日くらいから明らかに不穏な気配はあったんだよね。
それなのに何も対策を講じることなく、狩りに出かけては「何もなし」などと
日記にのん気に書いているようでは危機管理能力が0と言ってもいいだろう。
早い話が君主の器ではないんだよな。
ルイ16世豚心王
977 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 20:07:19 0
>>961 中継貿易ってのはちょっと違うかな
ルイ16世からラ・ペルーズに宛てた航海指令をみると、アラスカとかで毛皮を
獲って日本の蝦夷地あたりで売る可能性を考えていたような
>>974 そりゃ
>>973 への反証としては見当はずれだね
フランス革命の場合は王権自体の正統性が崖っぷちに追いつめられているわけで、
今さらルイ16世の血筋なぞを問題にしている革命家はいない
一方、明治天皇が大昔の本家分家論争にどんな「歴史判断」を下そうが、それに
付け込んで天皇制自体を覆そうとする獰猛な革命家はいない 天皇自身の身分にも
何の影響もない盤石な体制下での話なのさ
>>975 日記に「何も無し」の件は何度も既出だよん
このスレでは
>>140 >>449 を読むといいね
978 :
世界@名無史さん :2008/07/05(土) 21:18:13 0
「何もなし」の意味はなんなの? 狩りに行かなかったから何もなし? それとも、戒厳令が敷かれてもおかしくないほどパリは緊迫していたが、 その日は(軍などからの知らせがなかったので)(パリ市内は)何もなし?
979 :
世界@名無史さん :2008/07/06(日) 08:50:16 0
>>978 >>864 >16世の日記が残っているが、革命直前の部分も狩りのことばかりで、狩りをしなかった日には、
>例えば「1789年7月13日、何もなし」「7月14日(空白)」。
980
>>978 >>979 が書いているようなことは
今さら解説するのも憚られるほどの常識だ
その労を敢えて取ってくれた
>>979 には
せいぜい感謝したまへ
985
986 :
世界@名無史さん :2008/07/06(日) 12:42:30 0
このスレで一時は過大評価に陥りそうだったルイ16世像だが、 スレの最後になってようやく本来の評価に戻った感じで安心だね。
あとは1000まで到達させて スレごと成仏させてあげればおk
うめ
たて
990
orz
うめ
たて
995
996
998 :
世界@名無史さん :2008/07/06(日) 13:18:46 0
ルイ16世>>>エカテリーナ≧小ピット>フリードリヒ・ヴィルヘルム2世>レオポルト2世
999!!!!!!!!!!!!!!!!
1000 :
世界@名無史さん :2008/07/06(日) 14:12:01 0
「私を死に追いやった人たちを許し、こう神に祈ろう。これから流される血が二度と再びフランスを 血で染めぬようにと」 我々はみな等しく四囲の情勢に日々流され、それを変えるにはあまりに愚鈍で無力だ。その意味では ルイ16世は我々と同じ平凡な人間だった。しかし彼のように堂々とした態度で死に臨むことは容易 に真似のできることではない。我ら日本人もこれを以て範とすべきである。ルイ16世はその死を前 にしてまさに王の中の王であった。
1001 :
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